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01 Dirty Worker

S03地区は今日も笑顔が絶えないアットホームな職場です。
今の内に笑っときなよ。すぐに笑えなくなるから


 西暦2061年

 

 古くは1905年から発見されていたコーラップスと呼ばれる謎の物質や、10年前まで繰り広げられていた第三次世界大戦によって、地球の大部分に深刻な汚染が発生して久しい現在。

 

 かつては75億人も居たとされる人類は今や大きくその数を減らし、核物質やコーラップスの汚染が比較的少ない"生存可能地域"と呼ばれる場所に、寄り集まるようにして辛うじて生きていた。

 

「こっちだ、急げ!連中を制圧しろ!」

 

 戦争によって建造物の大半は焼き払われ、物資を生産する工場も多くが失われた。大部分の大地が汚染された事で得られる食料に限りが生じ、人々の大半は、大戦以前とは比べ物にならないくらい細々とした生活を営んでいる。

 一日に一食が普通で、二食食べられれば御の字というような、そんな世界だ。

 

 しかし、この荒れ果てた劣悪な環境でも人間の醜いサガは覆る事はなく、その数少ない生存可能地域や少ない食料などを巡っての争いは絶えることが無かった。

 今日も何処かで争いの銃声が鳴り響いており、この廃工場でもまた、その銃声が断続的に響いている。

 

「クソッ、人間モドキのクセに!」

 

 …………が、此処で繰り広げられている争いは、食料などを巡る小競り合いというような雰囲気ではなかった。

 用いられている銃火器の数も、鳴り響く銃声も、小競り合いと比べて非常に多い。しかも鳴り始めてから一時間が経過しているというのに、収まるどころか、むしろ大きくなってさえいた。

 

 そんな銃声を作り出す一端を担っている男達は、必死に銃を握る力を強くして攻撃を続けていた。その表情には、皆一様に大なり小なり怯えが浮かんでいる。

 

「何をしている!相手はたかが人形一体だぞ!!」

 

 彼らの視線の先に居たのは──およそ戦場に似つかわしくない成人女性。その手に無骨な銃を持ってさえいなければ歓楽街に居ても違和感の無いファッションで、そこにいた。

 姿だけを見れば男達が怯える要素は何処にもない筈だが、彼女が何なのかを知っている男達からすれば、彼女は死神のような存在だった。

 

 そんな彼女は物陰に隠れて放たれる銃弾をやり過ごしながら手持ちの銃のリロードを行い、そして、うんざりしたようにボヤく。

 

「狩っても狩っても湧いてくる。まったく、何処にこれだけ隠れていたのかしら」

 

「くそっ、ボリスはどうした!あいつ、まさか別の場所を警備してて見逃したのか?!」

 

 銃声の合間から、そんな愚痴にも似た言葉が聞こえてくる。漏れ聞こえたその言葉に彼女は何を思ったか、二丁持っていた銃のうちの一丁を男達の方に向けて放り投げた。

 ちょうど彼らの足元で止まるように加減されて投げられた銃は、彼女がやって来た方角を担当していた、ボリスが持っていた物だった。

 

「貴様ぁぁぁぁ!!」

 

 彼とボリスは旧知の仲だっただけに、ボリスが殺されたという事実に酷く激昂した。

 その怒りの声は大気を震わせ、隠れている物に凄まじい弾幕が叩きつけられる程であったが、その怒気を向けられている彼女は余裕のある表情を崩さない。この程度の怒気と殺意なら受けなれている。

 

 だが、このまま物陰に拘束され続けるのは宜しくなかった。作戦の進行に遅れが出てしまうからだ。

 

(やりすぎたかしら)

 

 もう少しマイルドにやるべきだったか。と思ったが、それは後の祭り。流石にこの弾幕の中では動くこともままならない。

 本当は頼りたくなかったが、仕方ないか。と彼女は通信回線を起動させた。

 

「あーあー。聞こえる?」

 

 《はい。Super SASS、聞こえてます!》

 

 回線を繋げたのは、恐らくこの場所を見晴らせる位置に陣取っているであろう狙撃手のSASSだ。

 

「SASS。手が空いていたら、ちょっと狙ってくれるかしら?」

 

 《あ、はい大丈夫ですよ。今ちょうど手が空いたところなんです。それで目標は、なんか凄い怒ってるレジスタンスの人達……ですよね?》

 

「そうなんだけど……SASS、物事は正確に表現するべきね」

 

 《はい?》

 

 回線の向こうで激昂している彼に照準を定めたSASSは、その姿勢のまま疑問符を浮かべた。ブリーフィングの情報では、彼らはレジスタンスと名乗っている筈だが……。

 

「あれはレジスタンスなどではないわ。ただのテロリストよ」

 

 《テロリスト……》

 

「そう、テロリスト。我々が築き上げた秩序を破壊しようとする、れっきとしたテロリストよ」

 

 そう言った彼女のすぐ横を銃弾が貫通した。隠れていた障害物に限界が来たようだ。

 

「とにかく、撃って」

 

 《了解。撃ちます!》

 

 その言葉が終わらない内に、激昂していた彼の頭が撃ち抜かれた事を鋭い聴覚が伝えてきた。

 

 彼らは唐突な狙撃に動揺したが、それも一瞬。即座に狙撃手の方向を割り出して、狙撃されないように物陰に隠れながら、しかし隠れている彼女に向けて威嚇射撃を繰り返して拠点にしている廃工場の内部に撤退しようとした。

 それなりに場数を踏んできたのだろう。その動きは見事なものだが、一瞬があれば行動を起こすのは容易い事だ。

 

 動揺して攻撃が止まった一瞬、彼女はそのまま表情を変えずに殺傷榴弾をセット。身を乗り出して一番効率的に被害を与えられる場所に向け、迷う事なくそれを撃ち込んだ。

 自分に破片などが当たらないように再び物陰に隠れた直後に榴弾が弾け、数秒もしないうちに声が途切れる。

 

 警戒しながら身を軽く出せば、そこには人だったものが一面に広がっていた。

 

「ありがと。助かったわ」

 

 《いえいえ。それでFALさん?実は私、手持ちの飴玉を切らしてしまっているんですよ》

 

「……はいはい、分かったわよ。いつものイチゴ味で良いわよね?」

 

 《やった!話が分かる上司を持てて、私は幸せ者ですね!》

 

「良く言うわよ、まったく……」

 

 遠慮のないSASSのタカりに、FALは苦い顔をした。本当は頼りたくなかったというのは、こうして小さい物を援護の対価として要求してくるからだ。

 もちろん、作戦の範囲内であれば何も要求されないのだが。こうして軽い不手際を対処する手伝いをさせると、当然のように対価を要求してくるのである。

 

 《それでFALさん。もう一発どうです?》

 

「要らないわよ、今度はなに要求されるか分かったもんじゃないし。自分の仕事に戻りなさい」

 

 《了解です。では、お気をつけて》

 

「はいはい。さて……」

 

 通信を終えたFALは、廃工場の二階から自分を狙っている存在に気付いていた。

 気配を隠すように努力はしているが、あまりにもお粗末過ぎる。

 

「それで隠れたつもりなんでしょうけど」

 

 持ってきていたククリナイフを抜き放つと、それをそのまま二階の狙撃手に向けて思いっきりぶん投げた。

 

「バレバレよ、可哀想なくらい」

 

 投擲、命中。

 

 その華奢な見た目からは想像できない豪速で放たれたククリナイフは、彼女が思い描いた通りに狙撃手の頭に血の華を咲かせた。

 ククリナイフが突き刺さり、絶命した狙撃手が割れた窓の奥に消えていく。それを見届けてから、未だ銃声が止まぬ廃工場の内部に入っていった。

 

 廃工場の内部には夥しい量の血と弾丸の空薬莢が床に散らばり、血肉に混じった脳髄が壁を彩る。

 気の弱い者が見れば、それだけで嘔吐が止まらなくなりそうな凄惨な光景を前にしても、FALはまるでショッピングに来たかのような軽い足取りで進んで行った。

 

「こっちは終わったわ。そっちは?」

 

 再び通信回線を開くと、今度はSASSではない別の人形が応答した。

 

 《作戦進行は順調です。こちらも予定通りに終えられるかと思います》

 

「その割には大変そうだけれど。援護は必要かしら?」

 

 《いえ、結構です。この程度であれば大変のうちには入りませんから》

 

 銃声と怒号が通信の向こうから聞こえる。別方向から攻め込んだ部隊の一体であるM38は、進行は順調だと答えた。音だけを聞いていると問題ありそうだが、現場が平気と言うならそうなのだろう。

 

「そう。まあ油断はしないようにね」

 

 《分かっていますよ。FALさんのように、物で不手際を片付けれるとは限りませんからね》

 

「言うようになったわね。昔はもう少し可愛げがあったのに」

 

 《そうでしょうか?私はずっと、このままですが》

 

「じゃあ私の思い違いね。……切るわよ」

 

 生き残りを探して歩きながら通信を終えたくらいのタイミングで、彼女の鼻に何か有機物が燃えるような不愉快な臭いがつく。

 それだけで先で何が起こっているのかを理解して、彼女はゲンナリしたように肩を落とした。

 

 少し進めば、予想通り何かが燃える様を見下ろして嗤っている仲間の姿がある。

 その燃えている何かは、炎から逃れようとするかのように悶え、動いていた。

 

「テーマパークに来たみたいだよ。テンション上がるねぇ〜」

 

「人が燃える様を見た感想がそれだなんてね。分かっていた事だけれど、あなた相当悪趣味よ。スコーピオン」

 

「ん?おー、FALじゃん。そっちはもう終わったの?」

 

 呆れを隠さずにそう告げると、スコーピオンはFALに向けて軽く手を振った。その笑顔は先程まで見えた嗤いではなく、極々普通の少女の笑いだった。

 

「ええ。後は向こうの方だけ」

 

「ふーん。じゃあ、もう少しここに居てもいい?もう私の出番なんて無いでしょ」

 

「構わないけれど……そんなに良いものなのかしら、これ」

 

「綺麗でしょ?私たちとは違って、一個しかない命が薪みたいに燃えていく様子って。

 命の煌めきって、きっとこういう事を言うんだよ」

 

 他のスコーピオンはどうだか知らないが、少なくともこのスコーピオンは戦場でも有名な人間虐待嗜好者である。

 特に好きだと彼女が語るのは、武装を解除して命乞いをする人間に笑顔で焼夷手榴弾を投げる事、なんだとか。

 

 あまりにぶっ飛んだ嗜好にFALは理解が追いつかないが、これでも基地では随一の実力者。真正面からの戦いであればFALを上回る猛者である。

 

「ねえ、どう思う?」

 

「よく分からないからノーコメント。火遊びの後始末だけはキッチリしなさいよ」

 

「はいはーい」

 

 ここに居た人間は遅かれ早かれ始末されるのだから、その行為について異論は唱えない。

 ただ少しだけ、スコーピオンに捕まった人間達は哀れだなとは思う。

 

 人間キャンプファイヤーをアトラクションと称して楽しむスコーピオンに背を向けて廃工場の奥に向かいながら、三度(みたび)通信回線を使用した。

 

「指揮官、10から03地区までは制圧完了。しかし、ドブネズミの姿は見当たらないわ」

 

 《じゃあ01かねぇ……》

 

 今度聞こえたのは男性の声。FALから指揮官と呼ばれた彼は、面倒だという感情を声に乗せてそう答えた。

 

 《手間を取らせやがって。弾薬だってロハじゃねーってのに》

 

「頭が痛い?」

 

 《多少。……まさかとは思うが、実は何処かで一般兵に紛れて殺してるとか、そういうオチは無いか?》

 

「願望が滲み出てるわよ。ちなみに答えはNO。もし殺せてるなら、誰か得意げにしながら指揮官にMVP特権でボーナス申請してると思わない?」

 

 《それもそうだ》

 

 FALはターゲットを見つけたら真っ先に報告するし、他の誰かもそうするだろう。

 それが無いという事は、つまりそういう事だった。

 

 《なら仕方ないか。お前達は気にせず引き続きドンパチやってくれ。弾薬残量をコントロールするのは俺の仕事だしな》

 

「了解。マシンガン組にもそう伝えておくわね」

 

 《あ、悪い。やっぱり少し自重して──》

 

「切るわ」

 

 指揮官との通信を終わらせて、遠くから聞こえる銃声に耳をすませる。

 マシンガン組に伝えるつもりは無い。さっきのは、いわば一種のジョークのようなものだ。

 

 《02地区、制圧完了しました。ドブネズミの姿は見当たりません》

 

「そう、ありがと。

 ──各員に通達。ネズミは部屋の隅に逃げ込んだ。通常通り、一等賞を引き当てれば指揮官からボーナスも出るわ。しかも、今回は規模が規模だから大型よ。

 私とスコーピオンは行かないから、欲しいのなら頑張りなさい」

 

 おおー!と通信の向こうで盛り上がるメンバーに、現金な奴らね。と思わず笑いが漏れる。

 

「ただ、無用な被害は避けること。我々グリフィンは企業なのだから、対価に見合う成果でなければ意味は無いわ。

 ケチな給料からボディの交換費用を天引きされたくないのなら、ある程度は慎重に動く事ね」

 

 そう告げたのを合図に、遠くから聞こえる銃声が一層激しくなった。ここから先は、誰が一等賞を引き当てるかのタイムアタックだ。

 

「さて、どれくらいで終わるかしら」

 

 次第に無くなりゆく自国の権益を守る為に2045年から勃発した第三次世界大戦は、6年もの歳月をかけて、参加した全ての国が等しく消耗しただけに終わった。

 この大戦は序盤から各国が核兵器を大盤振る舞いし、その結果頻発したEMPによってコンピュータに依存する空軍・海軍が早々に無力化され、最終的には銃火器を用いた白兵戦へとシフトしていった。

 

 そしてその大戦の中で、次第に人間に代わって白兵戦を行うモノ達が現れるようになる。

 それが、人間が減っていくにつれて深刻になっていった労働力不足を補うために生み出された"自律人形"と呼ばれる、人間そっくりの外見を持ったロボットであった。

 

 この自律人形の技術は、当初こそ人間の代わりの労働力として使われていたが、戦争が始まると当然のように軍事目的に転用され、やがて戦闘にのみ特化した"戦術人形"と呼ばれるサブカテゴリが生まれるに至る。

 それは死ねば終わりの人間とは違い、例え壊れても代用が効いて、しかも均一で安定した戦力を約束した。

 

 そんな魅力的な存在を軍が見逃すはずがなく、戦場の主役が人間から人形へと移り変わるのに、そう時間は必要なかった。

 

 人そっくりに作られているが決して人ではない彼女達は使い勝手の良さから量産され続け、今では世界総人口より人形の方が多いのではないかと囁かれるほどだ。

 

 《──みーつけた!撃っちゃえ!》

 

 《ステンずるーい!》

 

 《え、嘘!どこどこ!?》

 

 ステンMK-Ⅱの報告を受けて、通信回線が騒がしくなった。滅多にない大型ボーナスのチャンスだからか、探す人形たちも自然と捜索に熱が入っていたらしい。

 

 《やった、仕留めた!》

 

 《うわー!折角の大型ボーナスがぁぁーー!!》

 

 《ステンー。明日なんか奢ってー》

 

 《いや、まだよ。もしかしたらステンが見間違えてる可能性も……!》

 

 《私たち戦術人形に見間違いなんて無いの分かってるでしょー》

 

 ステンMK-Ⅱが見つけてから程なくして討ち取ったという報告が齎され、通信は阿鼻叫喚に包まれた。

 

「よくやったわステン。じゃあいつも通り、出来れば死体を丸ごと、無理なら首だけでも持って帰ってきて。一応照合するから。

 他のみんなは不貞腐れないで掃討に移って。まだ幹部級の首が残ってるでしょ」

 

 《そうだった!まだワンチャンある!》

 

 《あ、さっき一人仕留めました》

 

 《なんですって?!》

 

 《おのれ狙撃手!》

 

 一等賞はステンMK-Ⅱが引き当てた。しかし、まだ二等賞の景品は幾つか残っている。

 FALの号令でそれに気付かされたボーナスを狙う面々は、素早くレジスタンス残党への追撃に移行した。

 そして、それから10分と掛からずにレジスタンスは幹部級を含めた殆どが殺され、組織としての体は成さなくなったのだった。

 

 彼らは、この近辺で勢力を拡大させているレジスタンスである。否、レジスタンスであった。

 今なお量産され続ける人形によって職業を奪われた者達が集まり、人形と、その製造元であるI.O.P.社。そして人形を使って甘い汁を吸っているグリフィンを打倒するという目標を掲げていたのだが、結果はご覧の有様だ。

 

「指揮官、報告は聞いた?」

 

「ああ。今回はステンだってな」

 

 夜の帳が降りきったS03地区の行政区画を執務室の窓から見下ろしながら、指揮官は執務室に入ってきた副官の質問に返事をした。

 音もなく回転している赤色灯が街灯の代わりとなっている此処では、今この瞬間も多くの人形が夜間警備に勤しんでいる。

 

「これで他のレジスタンス達も諦めてくれると良いんだが……」

 

「そんなに物分かりが良かったら、私達に反逆なんてしないわよ」

 

「違いない」

 

 持てる物資に限りがあるレジスタンスが、大企業であり大きな地区を幾つも有するグリフィンに刃向かっても勝算はない。使える弾薬も、持ち出せる戦力も、圧倒的な差があるのだから。

 それを分かっているだろうに、それでもなお活動を止めないのだから、相当物分かりが悪いのか、あるいは遠まわしな自殺なのか。

 

 どちらにせよ言えるのは、今回の鎮圧は他のレジスタンスの活動を一時的に抑制する事は出来ても、根本的な解決には至らないという事だ。

 

「だが今回の奴ら、規模がやけに大きかったらしいな」

 

「そうね。所属している人間の数も、銃火器も、ただのレジスタンスが揃えるのは難しい量だと聞いたわ。誰かが背後に付いていなければ、ほぼ不可能なくらいにね」

 

「ふむ……」

 

 思い当たる可能性は……正直、いくらでもある。彼が指揮官として仕事をしている民間軍事会社G&K、通称グリフィンは様々な場所から恨みを買っているからだ。

 

「ネゲヴ」

 

「うん?」

 

「明日から暫く、パトロールの人員を増員して警戒に当たらせろ。もし不審な人影が見つかった場合には、現場の判断で射殺しても構わない」

 

「了解よ。人員の選定はどうする?」

 

「現場の判断に任せる。あいつなら上手くやるだろ」

 

 副官として側に立つ、白を基調に青いラインの入った制服とピンク髪が特徴の人形、ネゲヴはその言葉に頷いた。

 

「伝えてくるわ。あいつ、まだ元気に動いてるみたいだから」

 

「そうしてくれ」

 

 執務室の扉を開けて出て行こうとしたネゲヴは、しかし、そうだ。と言ってその足を止めた。

 

「レジスタンス掃討も終わったんだし、あなたは早く寝なさいよ。あなたが倒れたら私達はマトモに動けなくなるんだから」

 

「人間が居なけりゃロクに動けないっていうのは、戦術人形唯一にして最大の欠陥だよな……分かってる、もう寝るさ」

 

「よろしい。じゃあおやすみ」

 

「ああ、おやすみ」

 

 今度こそ完全に閉められた扉の前から、足音が少しずつ遠ざかっていく。

 それを聞きながら指揮官はソファに寝っ転がり、質の悪い泥のような睡眠を貪るために、その目を閉じた。

 

 明日もまた、放射能を含んだ雨らしい。

 



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S03の日常

希望より、未来より、今日の飯をくれ
贅沢言わないの。死んだ人間だって立派な食料よ


 ──ガンガンと頭の中で無数のIDWが踊り回っているような痛みと共に意識が浮上する。

 

 質の悪い睡眠を貪った後に決まってやってくるその症状は、彼にとって最も来て欲しくない地獄のような一瞬であった。

 

「ああくそ……」

 

 たまには質のいい睡眠を取りてぇ。とボヤいた指揮官が身体を起こす。すると、掛けた覚えの無い毛布が床に落ちた。

 

「……」

 

 それを片手で拾いながら、空いているもう片方の手で頭を無造作にガシガシと掻く。そうして周囲を見渡すが、布団を掛けてくれたであろう彼女の姿は見当たらない。

 

 働かない頭を抱えたまま暫くボーッとする彼の耳には、このS03地区に着任してから飽き飽きするほど聞いた、雨粒が窓ガラスに打ちつけられる音のみが聞こえていた。

 

「今日もまた雨か……」

 

 思わず呟いた。最後に太陽を見たのは、一体いつだっただろう。そんな事も思い出せないくらい長い間、晴れた空の下を歩いていない。

 いや、そもそもこの街から最後に出たのは何時だっけ?確かグリフィンの本部に出張した時が最後だが、それがどのくらい昔だったかは思い出せない。

 

 よたよたと、まだ覚束無い足取りで窓際まで歩いた指揮官は、そこから雨で見晴らしが途轍もなく悪い景色を見た。

 どんな時でも無音で回転する赤色灯と、決まったルートを巡回している黒いフード付きレインコート姿の人形もまた、雨の音と同じく代わり映えのしない日常の一部分であった。

 

 レインコートが規格品かつフードを目深く被っているが故に、中身が誰かは分からない黒い人形が窓から見えなくなるくらいの時間が経過すると、ノックも無しに執務室の扉が開かれる。

 指揮官が振り返れば、朝食の乗ったトレーを持ったネゲヴがそこに居た。

 

「おはよう。よく眠れた?」

 

「おはよう。最悪な目覚めだった」

 

「そう、なら上々ね。一度最悪を経験してしまえば、大抵の悪い事は笑って流せるものよ」

 

 さっきまでベッドの代わりに使っていた、本来は来客用に用意されているソファに座って、これまた来客用に用意されたテーブルにネゲヴがトレーを置く。

 今日の朝食も、原材料が良く分からない棒状の栄養食と味気の無いレーションという、昨日も一昨日もその前も食べた組み合わせだった。

 

「それ昨日も聞いたな」

 

「そりゃそうでしょ。昨日も言ったもの」

 

 棒状の栄養食が口の中の水分を根こそぎ奪っていくのを感じながら、もしゃもしゃと咀嚼する。

 指揮官のそんな様子を見ながらネゲヴは執務室にある電気ポットからお湯をカップに注いで、続いて何かの粉末をそこに溶かしこんだ。

 

「はいコーヒー。インスタントだけど」

 

「ありがと」

 

 この荒廃した世界におけるインスタントコーヒーとは、大戦前に販売されていた同名の物とは全く異なる物である。

 昔の物はコーヒー豆の抽出液を乾燥させて粉末状に加工した物であるが、今のインスタントコーヒーとは、化学調味料などを合成して味を作った物だ。

 

 つまり、身体には物凄く悪い。

 

「あー……何杯飲んでも不味い」

 

「飲めるだけマシよ」

 

「分かってはいるんだけどな」

 

 かつてインスタントと呼ばれていたコーヒーですら、今では滅多に手に入らない高級品と化している現状。その値段の高さたるや、高給取りの指揮官ですらも手を伸ばしづらい。豆そのものとなれば、社長クラスでなければ手に入れるのも難しい。

 しかし、この化学調味料マシマシのインスタントコーヒーですら、グリフィンで働かなければ日常的に飲む事は厳しかっただろう。嗜好品は全て高いのだ。

 

「ふう、ご馳走さま」

 

 味はしないクセに水分だけは持っていく栄養食の最後の一欠片をコーヒーと共に胃に流し込み、そうしてからカップを置いて指揮官は背伸びをした。

 

「どう?お腹は膨れた?」

 

「それなりには」

 

「なら良かった」

 

 その容姿と相まって、目を閉じたネゲヴが穏やかな笑顔を見せる事に何の違和感もない。しかしネゲヴがハイライトの無い目を開くと、その笑顔は途端にアンバランスさを感じさせる。

 なんというか、本当に笑っているのか笑っていないのか分からないのだ。

 

「さ、少ししたら仕事を始めるわよ。今日も多くの面倒事が待ってるわ」

 

「それを言うなよ……」

 

 嫌そうにしながら指揮官はソファから執務用の椅子に移動した。その背後の窓に打ちつけられる雨粒の勢いは、先程より多少強くなっていた。

 

 

 現在S03地区と呼ばれている、かつてはどこかの国の地方都市であったこの街は、大きく分けて四つの区画に分けられる。

 

 まずは、地区を運営するのに必要な施設が集められている行政区画。

 

 次に、富裕層が暮らす高層ビルや、そこに暮らす人々をメインターゲットにした店が立ち並ぶ高層区画。

 

 三つ目に、中から下の所得層の人々が暮らし、強盗や殺しが横行している低層区画。

 

 最後に、S03地区全体の電力や飲み水を賄う施設や、人形が使う大量の武器弾薬や人形に配給される食料なんかを保管する倉庫群が立ち並ぶ産業区画。

 

 面積で言えば低層区画が最も広く、そこから産業区画、高層区画、行政区画の順番に小さくなっていく。

 人口の多さで並べて替えても低層区画が一番で、そして行政区画が一番少なかった。

 

 そんな、最も人口が多い低層区画には、合法非合法を問わず様々な店が存在している。大体は店が縄張りを持っていて、そこに干渉しないように店と店の距離が多少離れているのだが、そんな店が密集している場所も存在していた。

 低層区画に幾つか存在する店の密集地帯は闇市と呼ばれていて、そこは低層区画の住民が多く集う。

 

 ここには大体の店が揃っている。狭いスペースを精一杯生かした飲み屋や、洗濯バサミから得体の知れない物まで取り扱う何でも屋、ボロ布を販売する服屋。

 賞味期限切れの缶詰すら売り物にする食料品店は当然あるし、非合法かつコピー品やジャンク品の武器を扱う店も存在していた。

 

 流石に見世物小屋は此処には無いが、此処で見世物が見たいのなら横に一本伸びた路地の方を見ればいい。そこでは常に、酔っ払った誰かが殴り合いの喧嘩を行っている。

 観客参加型で費用は有り金全部という見世物は、他では味わえない臨場感を与えてくれるに違いない。

 

「はぁ……」

 

 そんな闇市の中を、ゆっくり歩いて進む者がいた。憂鬱さを隠さずに微かに漏らした声からは、わずかに女性特有の高さがある。

 こんな場所に女性が訪れるのは珍しいのだが、しかし、誰もそれを気にしない。声が雨の音にかき消されたというのもあるが、ここに居る人間は誰しも隣の人間を気に掛ける余裕なんて無いからだった。

 

「今日も雨なんて、うんざりしちゃう」

 

 この街を歩くのならば、レインコートは必需品だ。なぜなら、このS03地区は一日の殆どが雨だからだ。

 元からこういう気候だったのか、それとも大戦の影響で気候に変化が生じてしまったのか。どちらなのかは分からない。

 まあ、分かったところで意味もないが。

 

 とにかく、この街ではレインコートが普段着の一つとして扱われる。着ていることが当然で、着ていなければ部外者だと誰から見ても分かるくらいだ。

 そのお陰で、こうしてレインコートのフードを目深く被っていれば、こういった場所に女性が紛れても、ある程度は気付かれない。

 

 そして、その下に拳銃を忍ばせていても気付かれないし、ましてや彼女が戦術人形だという事実など気付かれる筈がない。

 

 彼女、Five-sevenは本日から増員されたパトロールの一体である。普段は司令部のある行政区画内部の警備を担当しているが、今日からは久しぶりにそれとは異なる通常任務をやる事になった。

 仕事とはいえ休み以外で行政区画から外に出られる事に多少のワクワクを覚えていたのだが、雨のせいで早くもテンションが下がってきていた。

 

「…………」

 

 常に薄暗い雲がかかっているから分かりづらいが、今はまだ朝早めの時間だ。しかし幾つもある飲み屋のほぼ全てに、もう人が居る。

 闇市の飲み屋で出されているアルコールなんて、殆ど工業用だとかの飲むには適さない物だろうに。それでも人の波が途切れる事はなかった。

 

 よく観察してみれば、この闇市で店を構える者達も、道を歩く者達も、大体がアルコールが入っていると思われる瓶や缶を手に持っている。

 飲み、そして酔っ払うという行為は、ここで暮らす者達の唯一といっていい娯楽という面もあるが……何より、酔わなきゃ毎日やってられないという切実な理由があった。

 

 夢も希望もあったもんじゃないこの世界は、正気で生き抜くには少々厳しい。

 決して良くはならない現在。それどころか徐々に悪くなっていく生活。手を伸ばしても高層区画の人間には届かず、己の苛立ちや欲が募る日々……

 

 それらを直視し続けるのは非常に難しい。アルコールの力を借りて多少でも苦しい今から逃避しなければ、いつか壊れてしまう。

 なので低層区画で生きる者達はアルコールを手放せない。たとえアルコールが己の精神を壊していく劇物だったとしても、使っている間だけは目前の絶望を見なくて済むから。だから、緩やかに朽ちていくと分かっていても止められない。

 

 数時間の間のみでも苦しみから解放されるために日銭を稼ぐ。アルコールを飲んで、酔って、また飲んで、酔う。

 そうやって自らの命が尽きるまで、自律人形よりも単調なルーチンを繰り返していくのだ。

 

 だからだろう。人が集まった時に生じる熱気というものが、この闇市には存在しなかった。

 生きながら半ば死んでいる者達しか集まっていないから、人が多いにも関わらず静寂に満ちているのだ。

 常に降り注ぐ雨音は雑音を消し去る効果があるとされているが、それを差し引いても静か過ぎた。

 

 ──何処かで酒に溺れてうわ言を言う老人の大声が、闇市の端まで届く。雨で大部分がかき消された言葉では何を言っているのかは分からないが、その言葉に込められた嘆きだけはFive-sevenにも理解できた。

 たった一人だけの嘆きの声だが、それはこの場に立ち寄っている者達の全ての想いを代弁しているようであった。

 

 死人に口は無く、何も語らない。

 であるならば、闇市に集まっているにも関わらず何も語らない者達は、間違いなく死んでいた。

 

 そんな生ける死人の間をFive-sevenは縫うようにして進んでいく。今のところは、特にこれといった異常は見当たらない。

 朝から飲んだくれる男達も、アルコールに精神を壊された者が銃を乱射しているのも、そして路地裏に転がる死体も、データによれば毎日の事らしいので問題は無い。

 

(異常なし、かな)

 

 少なくとも、この闇市に怪しい者は居なさそうだ。そう判断したFive-sevenはこの闇市を後にしようとして…………大通りを行進する人々の群れに気づく。

 何か書かれた看板を掲げて行進する姿に不審なものを感じたFive-sevenは、それを歩道から見る野次馬に紛れて観察する事にした。

 

「我々は人類人権団体、希望の未来である!」

 

 先頭を歩く代表者らしき者は、薄汚れたメガホンを片手にそう告げている。

 希望の未来……Five-sevenがアクセスしたデータバンクには、そのような団体名は記載されていなかった。どうやら、性懲りも無く現れた団体組織であるらしい。

 

「我々は、おぞましいロボットによって奪われた人間の尊厳と生活を取り戻すために活動している!」

 

(はいアウト)

 

 Five-sevenは通信回線を開いて場所の座標を送った。もう間もなく、治安維持のための警備部隊がやって来るだろう。

 

 当然の事ながら、特権階級である高層区画に住まう人間や、大企業であるグリフィンに対する不満の声は大きく、悪感情を抱いている者も多い。

 そして、その中でも特に槍玉に挙げられるのが、人間でないにも関わらず人間そっくりに食料や水を消費する戦術人形達である。

 こういった手の者達のテンプレートは、ロボットなどよりも貧民が優先されて然るべき。という考えを声高に叫ぶことだ。

 

 彼らもその例に漏れず、声を高々とあげながら、人形という人間を模して作られた、おぞましいロボットをこの世界から排斥しなければならないと叫んでいた。

 

 しかし道行く者達からの反応は薄い。というのは、こういったデモ行進は毎日のように低層区画のどこかしらで発生しているからだ。

 今更目新しさも無く、しかもこんな事をすれば間違いなく警備部隊がやって来て鎮圧される。

 

「──貧民達よ、今こそ立ち上がるのだ!そして悪虐非道なるグリフィンの連中を打ち倒し、奴らの薄汚い腹に溜め込まれた物資を共に分かち合おうではないか!」

 

 誰も答えぬ静寂に、代表者の声が虚しく響く。思った反応が得られなかった代表者は狼狽えたようだが、なぜ分からないのだろう。

 

 死人に口は無いから何も語れない。そして同時に沈黙は金でもある。

 野次馬達は死人のように口を閉ざす事で、自らの命という金を手する事を選んだのだ。

 

「あんたらの活動方針はそれか」

 

 そんな彼らの行く手を阻むように、何台もの車がやって来た。その内の一台から降りてきた警備部隊隊長のトンプソンは、Five-seven経由で聞いていた演説にそう答えた。

 

「貴様達は……グリフィンの雌犬か!」

 

「雌犬ねぇ……まあ、間違いではないな」

 

 私達の性別はメスだしな。と笑うトンプソンの後ろの車から降りてきた警備部隊の人形達は総勢十体。

 ハンドガンとサブマシンガンを中心にして組まれた警備部隊は、このような異分子が現れた時に即座に駆けつけ鎮圧を行う役割を担っていた。

 

「それで?貴様らはどうする気だ。このまま進めば行政区画に辿り着くが、我々としてはそれは見過ごせない。ここで引き返すのであれば、お互い弾を無駄にしないで済むんだが」

 

「ふん、我々を見くびるな!貴様たちと、そのボスとやらを始末して、すぐにでも貧民を救済してみせるわ!」

 

 希望の未来の代表者と、その背後の構成員達が銃を構えたが……それを見たFive-sevenの眉が僅かに動く。あれは、さっきの闇市でも売られていたジャンク品の銃だ。

 

「なるほど……いやはや、助かった」

 

 それを見たトンプソンは安堵したようにそう呟いた。

 

「武器も持たない市民を一方的に"鎮圧"するのは、少しばかり外聞が悪いからな」

 

 その言葉に警備部隊の人形達も武器を構える。

 高まる緊張に流血沙汰になる事を察した野次馬達は、みんな蜘蛛の子を散らすようにして路地に逃げ込んでいった。常日頃から警備部隊の鎮圧を見てきているだけに、その動き出しは早かった。

 

「容赦するな。ボスの意思に逆らう愚か者共を、全て抹殺しろ」

 

 最後の一人が路地裏に逃げ込むと同時にトンプソンがサングラスの奥の猛禽のような目を獲物へと向け、静かに告げる。それが合図となって、警備部隊側の銃火器が一斉に火を噴いた。

 

「もういっか」

 

 そこまで見てから、Five-sevenも路地裏に戻っていった。

 

 彼女達は、犬は犬でもグリフィンに歯向かう反逆者達を決して逃がさず始末する猟犬だ。

 獲物は決して逃がさないし、生かして帰す事も無い。

 

 あの程度で仕損じる事は無いだろうと分かっていた。そして、見えている結果を確認しようと思えないくらい、雨脚も強くなってきていた。

 銃声から遠ざかるように路地裏を通って、抜けた先の路地に止めてあった車に乗り込む。

 

「お疲れー。大捕物やってるみたいじゃん」

 

 運転席に座っていたのはAK47。彼女もまた、増員されたパトロールの一人である。

 

「まあね……うわぁ、足元びっしょり」

 

「基地に戻ったらシャワー浴びなよ。この時間なら、待ち時間も無く入れるでしょ」

 

「そうするわ……はぁ、憂鬱」

 

 低層区画は道路の舗装も大してされていないから車が時々ガタガタ揺れる。そんな車内から、建ち並ぶ廃墟一歩手前の建造物に住まう人々を眺めていた。

 

「今日のお昼ご飯、なんなのかしらね」

 

「どうせレーションだって。あたしも偶には、なんか違うもの食べたいけどさー」

 

 外では誰かが殺されているというのに、車内は恐ろしく平和だった。

 外と内の温度差が激しい車が、対向車の影も形もない道路を通って行政区画に戻るのには、まだ少しばかりの時間が必要である。



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完璧な薔薇を目指して

一皮剥けば、見るもおぞましいモノが現れる。それは人間も人形も変わらない。
人間と人形の違い?心臓が有るか無いかじゃない?


 行政区画に存在する司令部を内包した基地は、S03地区の大体の場所から見る事が出来る巨大な建造物である。

 昔から此処に建てられていたものの、戦争によって半壊した建物のデザインをそのまま用いて再建されたという経緯があるこの基地内には、司令部の他にも食堂や浴場などの、ここで生活するための設備が充実していた。

 

 どうやら以前は役所の類いだったらしく、指揮官が仕事に使っている執務室や、人形達で賑わう食堂は、他の地区の基地より比較的豪華だ。

 そして、ほぼ毎日が雨という問題があるので、室内乾燥のための設備も充実している。

 あまりにも太陽が恋しいからという理由で、とある一室に擬似太陽を作り出す基地は恐らくここだけだろう。

 

「お腹減ってると、あの味気なーい配給も美味しく感じる……気がするよね〜」

 

「気がするだけだけどね」

 

「缶詰食べたーい」

 

 ざわざわと喧しい一団が食堂の方へと消えていく。その様子だけを見ていると、人形達がまるで極普通の女子集団のように見えた。

 人間と共生できるように作られたから当然といえばそうなのだが、仮にこの集団が昔の繁華街に紛れ込んだとしても誰も違和感は持たないであろう。

 

「そういえばさ、FALさんのこと昨日から見てないんだけど」

 

「私それ知ってる!確か産業区画の方に消えてったって聞いたよ」

 

「産業区画……あー!アセンブルかなぁ。FALさん、フレームのカタログずっと見てたもん」

 

「いいなー。私もフレーム新調したーい」

 

 とはいえ、中身はやはり戦うために生まれた戦術人形。食事の際に話題に昇る話は、必然的に軍事的な色を多分に含んだものになる。

 それしか話題が無いとも言うのだが。

 

「フレームって、やっぱり替えると効果実感できるのかな?」

 

「世代を跨ぐと違うって、良く言うよねー。製造段階で最新型のフレーム使ってるSASSにはあんまり関係ない話だけど、私みたいに二つか三つくらい前のから替えると、羽が生えたみたいだって聞くよ」

 

「私はフレームよりアタッチメントの更新したいな。汎用品より、ちょっと良いもの使えば戦果も上げられそうだし」

 

「どうせ持ち腐れになる未来が見える見える」

 

「はぁ!?」

 

 娯楽など殆どない毎日だが、その中にある僅かな楽しみといえば、このように仲間と食べる配給食だ。

 味気ないだの何だのと言いながら笑い合うのが、雨だらけの日々の清涼剤となっているのである。

 

「……あ、あれ指揮官じゃない?」

 

「え?どこどこ?」

 

「ほらあそこ。産業区画側に向かう方の通路を歩いてる」

 

 窓際に座っていた人形達が、通路が見える窓に殺到する。そこには確かに指揮官とネゲヴの姿があった。

 

「ほんとだー。どこ行くんだろ」

 

「どこって、そりゃ産業区画でしょ」

 

「あっちって射撃訓練場あるし、ネゲヴ教官が行くのは不思議じゃないけど指揮官は……付き添い?」

 

「子供じゃないんだし、付き添いはないって」

 

 人形達は様々な憶測を勝手に話しながら、通路の奥に消えていく姿を見送っていた。

 

 行政区画と隣接する産業区画には直通の通路があり、そこを通れば風雨に晒されることなく産業区画に向かう事が出来た。

 防犯上の観点からセキュリティゲートこそあるものの、外から産業区画に向かう時のように雨に濡れながらゲートの開閉を待つ必要が無いのは大きな利点である。

 

「いっつも思うんだが、ゲートの開閉にそれぞれ一分くらい掛けるのは何でなんだ?」

 

「さあ?知りたいなら本部に聞けばいいじゃない」

 

 背後でゲートが閉まる大きな音がして、そうしてから前方のゲートが開放され始めた。

 セキュリティゲートは二つあり、片方が閉じきってから、もう片方を開放する仕組みが取られている。これも防犯上の理由からだった。

 

「いや、それほどじゃねーんだけど気になるっていうか……」

 

「じゃあセキュリティ維持のためで納得しときなさい。多分そうよ」

 

 途中、すれ違う警備の人形から敬礼されながら、指揮官とネゲヴは産業区画側の通路を歩いて進んでいった。用があるのは、この先に存在する人形専用の開発施設だ。

 

 産業区画には人形関連の施設が集約されていて、射撃訓練や武器の整備、自身のボディの改造やデータのバックアップ等の多岐に渡る業務を行うことが出来る。

 時間が時間ならそれなりの賑わいを見せるのだが、今はお昼時。大多数の人形は行政区画側の食堂に集まっていた。

 

 通路を真っ直ぐ進んでいくと、行政区画側に近い場所までは何も無かった通路に、次第にダンボールが積まれているのが見え始める。

 無造作に置かれ、積まれたダンボールの側面には何か殴り書きされた紙が貼られていて、どのダンボールに何が入っているのかを示していた。

 それによると、ここに積まれているのはほぼ全てが弾薬らしい。近くに射撃訓練場があるから、そこで使うものなのだろう。

 

「…………」

 

「気になるか?射撃訓練場が」

 

 射撃訓練場に通じる扉の前を通りがかった時、ネゲヴがチラッとそちらを見たのを指揮官は見逃さなかった。

 

「まあね」

 

「寄るか?それくらいの時間はある筈だが」

 

「帰り際に寄るわ。今寄っちゃうと、ちょっと待たせちゃいそうだから」

 

 ネゲヴという人形が元々教えたがりの教官基質である事は知られているが、このネゲヴは数多の人形を指導してきた鬼教官として、グリフィンの本部でも名高い。

 その能力の高さから本部で本格的に教官として就任しないかと誘われたのは一度や二度ではないが、その尽くをネゲヴは断ってきていた。

 

 身体の底からフツフツと湧く指導したいという欲求のようなものを抑えながら、ネゲヴは後ろ髪を引かれるようにして射撃訓練場の扉の前から遠ざかっていった。

 

 更に奥に進んでいくに従って壁の向こうから聞こえてくる銃声は遠ざかり、それにつれて段々とチカチカ点滅する蛍光灯の数が多くなっていく。

 天寿を全うしようとしている昔ながらの蛍光灯が照らす塗装の禿げたコンクリートの壁には、昔に貼られてから、そのまま放置されていた求人募集のポスターが剥がれかけのまま放置されていた。

 

「あいつ、また手入れをサボってやがるな」

 

「……どうやら、また指導が必要みたいね」

 

 ところどころ蛍光灯の消えた薄暗い廊下を歩いた先にあるのは鉄製の扉だった。押戸であるそれを押して開けると、今度は無数のモニターが彼らを出迎える。

 

「59式」

 

 埃っぽい部屋の空気に僅かに顔を顰めながら、指揮官がカタカタとキーボードを叩いていた小さな影にそう声をかけた。

 

「スイッチは……あったあった。電気点けるわよ」

 

 後ろでネゲヴがカチッとスイッチを入れた音がして、その小さな影が椅子を回転させて振り向く。

 眼鏡と白衣という典型的な研究者の姿をしている59式は、眼鏡の奥の眠そうな目を指揮官とネゲヴに向けた。

 

「あいー……ああ、指揮官とネゲヴかぁ」

 

「様子を見に来た。どうだ?進捗は」

 

「それは見ての通り。もう最終段階だよ」

 

 指さしたモニターには、表面の人工皮膚が取り外され、人形を構築するパーツが剥き出しになった一体の人形があった。

 身体の構造から女性体である事だけが辛うじて分かるこの人形は、内部パーツの新調を行っているFALだ。

 

「今回の変更点は、全身のフレームの新調と、ジェネレーターの交換、あと頭に小型のレーダーを搭載した事。レーダーが既存のシステムとの噛み合わせが悪かったから調整に苦労したけど、一応なんとかしたよ」

 

「レーダー?」

 

「そう、レーダー。これがあると、夜戦の時でも何処に敵がいるのかをハンドガンの偵察無しで見つけられるんだ〜」

 

「なにそれ。聞いたことないわよ」

 

「だろうね。最近になって16Labから出て来た新作だし。しかも、これまだ試作品だもん」

 

 夜戦の時にハンドガンや夜戦装備が必要になるというのは常識として知られているが、実用化できればという枕詞こそ付くものの、この試作品はその常識の片方を覆す力を秘めていた。

 

「試作品って……なんでそんなもんがウチに回ってきてんだよ」

 

「交換したフレームが16Lab謹製の奴らしくてさー。データ取らせてくれたら安くするって言われたらしいよ」

 

「要は体のいい実験台ね」

 

 グリフィンが戦力として使用している戦術人形達は、人形製造会社であるI.O.P.社製で統一されている。

 I.O.P.社とは人形のシェアの大部分を占める大企業で、量的にも技術的にも他の追随を許さない。

 特に技術力は凄まじく、戦術人形の相互通信プロトコルや、民生用の人形を即座に戦闘用に転用する事を可能にしたコア技術などは、他の会社には見られないものだ。

 

 それらの技術が産まれたのが、I.O.P.社の内部に存在する技術開発部門16Lab。その主任研究員のペルシカが作り出す人形や装備は、性能と技術の両方の観点から見ても一級品だと知られていた。

 そんな16Labが世に出す装備は、その全てにプレミアが付く。既存品より優秀である事に加えて、ペルシカが基本的に装備を世に出さないという理由も手伝って、偶に出て来た時は指揮官達の間で凄まじい争奪戦が繰り広げられるという。

 

 そんな16Labの最新技術が盛り込まれた試作品なんて言えば、それは金塊の山よりも価値のあるものだった。

 少なくとも、表向きはともかく事実上は窓際であるS03地区なんかに回ってくるものでは決して無い。

 

「つーか、そもそもの話16Labのフレームなんて良く買えたな。値段も高かっただろうし……そもそも購入権はどうしたんだ?」

 

「んーとね。確か欲しがってた人形を全員ハッ倒したらしいよ」

 

「は?」

 

「欲しいなら電脳空間のバトルロイヤルで決着をつけろって言われたから、やったんだって」

 

 主任研究員ペルシカは変人で知られている。だからなのだろうか。装備が出てくる時は、必ず変な条件が付いているのは有名な話だ。

 

「で、勝ったと……本部の連中相手に良くやったなぁ」

 

「あらゆる手段を使ってギリギリだったらしいけどね」

 

「でも勝てたんでしょ?なら良いじゃない、私も鼻が高いわ」

 

 教官らしい事を言うネゲヴの前で、モニターは淡々と作業を行っている機械の様子を映し出している。

 それを見つめる指揮官は、今から頭が痛くなってきた。来なければよかったかなと後悔するくらい、この情報は衝撃的な物だったからだ。

 

「FALは、ただでさえハイコストな人形だっていうのに……これ大破したら財政が吹っ飛びそうだな」

 

「その分、戦果は期待できると思うけどね……さて、そろそろ終わるよ」

 

 ギイッと軋んだ音を出しながら椅子を回転させてキーボードと向き合った59式は、再びカタカタとキーボードを叩き始めた。

 

「……よしっ、アセンブル終了!いま人工皮膚つけちゃうから待っててね」

 

 ベルトコンベアで人工皮膚が取り外されたFALが、普段は傷ついた人形のボディを修復するために使われる機械の中に入れられる。

 

「オペレーティングシステム起動準備。バックアップサーバーからメンタルモデルのインストールをしてっと……」

 

 高速タイピングで指揮官には良く分からないプログラムを打ち込むこと数分。プシューと蒸気が抜けて、機械の扉が開いた。

 

「メインシステム、通常モードを起動。作戦行動を再開……おはようFAL、調子はどう?」

 

 《……良好よ》

 

 マイクに声をかけると、人工皮膚が装着されて誰もが見慣れた外見に戻ったFALが目を開けた。

 

「おっけー。なら一旦上がってきてよ、指揮官も来てるしさ」

 

 《指揮官が?分かったわ、すぐ行く》

 

 この施設は元は体育館だった場所を改造して作られている。59式達がいるモニタールームは、体育館の二階に相当する高さに設置されていた。

 そして、体育館だった頃は多くの人間がスポーツを楽しんでいたであろう一階部分は、今では油の臭いがして、パーツのアセンブルや人形の修復を行う機械が立ち並び、そのためのパーツが大量に置かれた場所に変貌していた。

 

 一階から二階に上がるための階段を使ってFALがモニタールームに入ってくる。

 

「あら指揮官。新しくなった私を、わざわざ出迎えに来てくれたのかしら?」

 

「ああ、まあそんなとこだ」

 

「ばっちり見せてもらったわ。新しいフレームも、隅々までね」

 

「ちょっ!?そんなとこから見てたの?!」

 

 ネゲヴから告げられた事実に、FALは顔を赤くして狼狽えた。

 骨格剥き出しの様子を見られるのを嫌がるというのは、FALに限った話ではない。それは骨格を見られるというのが、人間と共生するという人形本来の目的から遠ざかってしまう可能性がある行為だからなのかもしれなかった。

 

「ネゲヴ。あんまりからかってやるなよ」

 

「分かってるわよ。それよりFAL、この後は身体を慣らすんでしょ?」

 

「そうだけど……もしかして、S03が誇る教官サマから直接指導を受けられるのかしら」

 

「あなたが望むならね。どうせこの後、射撃訓練場にも立ち寄るところだったし。ついでに横の運動施設によるのも悪くないわ」

 

 にやりと似たような笑みを浮かべる二体。どうやら、これ以上の言葉は不要なようだ。

 

「指揮官。申し訳ないけど、戻るのはちょっと遅れそうよ」

 

「今日は大した仕事ないし構わんよ。存分にやってくれ」

 

「ええ、そうさせてもらうわ。……それと59式、あんたには片付けの件で山ほど説教があるから、後で執務室に来なさい」

 

「ゔえ"っ!?」

 

 59式にとっては唐突な、しかし指揮官達にとっては当然の説教が確定して、寝ようとしていた59式は素っ頓狂な声と共にベッドから落下した。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!なんで急にそんな!」

 

「外の廊下、全く掃除されてないじゃない。前に同じこと言った時、次はちゃんと掃除するって答えたの、まさか忘れたとは言わせないわよ」

 

「あ、あー……それは、そう、だったかな?あははー…………」

 

 露骨に言葉を詰まらせながら目を逸らす。完全に忘れていた反応だった。

 

「……気が変わったわ。59式、ちょっと来なさい。もう二度と言葉を忘れないように、私が徹底的に指導してあげるから」

 

「ま、待って!次こそは、次こそはしっかり掃除するから!だから今回までは許して!」

 

「ダメよ。さ、来なさい」

 

 白衣の首部分を引っ掴まれて連れていかれている59式は足をバタバタさせて抵抗しているが、悲しい事にネゲヴより力が弱い彼女では逃げる事は出来なかった。

 

「いやーーっ!助けて指揮官さ──」

 

 助けを求めたその手は、無情にも閉じられた鉄扉に阻まれ届かない。

 まるで出荷される小牛を見るような目でそれを見ていたFALは、同じく横で見ていた指揮官と一緒にネゲヴと59式の後を追って部屋から出ていった。

 

 ……その後、運動施設という名の演習場から、一体の人形の悲鳴が聞こえてきたそうだ。



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製造施設占拠者排除

依頼主:I.O.P.社


我が社の保有する人形製造のための施設の一つが、先ほど労働者達に不当に占拠されました。

この労働者達は恐らく、当該施設で先日行われた大規模な機械化で職を追われた者達なのでしょう。何処からか持ち出してきた武器で武装し、施設の開放と引き換えに、リストラした人間の再雇用を求めています。

我々としては平和な話し合いで解決をしたいのですが、あちらは聞く耳を持ちません。それどころか、要求が聞き入れられなければ施設を破壊するとさえ言い出したのです。

これは誰の目から見ても明らかなテロ行為です。このような無法が許される筈がありません。

我々が如何なる場合であってもテロリストとの交渉に応じず、また、テロ行為を絶対に許さないという姿勢を見せるためにも、徹底した排除をお願いします。

戦術人形を差し向ければ、彼らも我々の意思を理解するでしょう。遠慮はいりません、全て始末してください。

なお、占拠されている施設は労働者達の排除後も操業を続けるつもりです。設備への損害は出来る限り避けて下さい。

迅速な作戦の遂行を期待します。


敵戦力:アサルトライフル×5 サブマシンガン×10 ハンドガン×10 ナイフ×5

成功報酬:コイン×5 部品×200 人形製造契約×10




 S03地区の彼が指揮官を行っているグリフィンは、俗に言うところの民間軍事会社(PMC)である。

 

 現在でこそ政府機関の真似事をして各地を統治しているが、その本質は、依頼を受けて武力で障害を排除する傭兵だ。

 金さえ積まれれば大体の汚れ仕事を請け負い、立ち塞がる全てを焼き尽くす戦場を駆ける黒い鳥たち。それがPMC各社の本当の姿である。

 

 第三次世界大戦の終結後から台頭し始めた彼らは、混迷を深める世界の真っ只中で圧倒的な存在感を放ち、今では多くの人間にとって国家や政府というものより良くも悪くも身近な存在であった。

 

 いつ終わるともしれない戦いを繰り返す彼らは、こうして民間企業からの依頼もよく受ける。今回のように小規模なものから大規模なものまで作戦の規模は様々だが、金になりさえすれば何でも構わない。

 

「結局のところ、これって武装ストの鎮圧でしょ?私だけで充分……いや、私が出るまでもない仕事じゃない」

 

 現場に向かうヘリコプターの中で、FALはそうボヤいていた。

 雨が降り続けるS03地区と、人間が短時間すら滞在する難しいくらい核やコーラップスによって汚染された区域を抜けた事で、雲間から見え始めた青空を窓から見ていた目線。それを、前に座る今回のパートナーに目を戻す。

 

「しかもネゲヴまで来るだなんて……どう考えても戦力過剰よ」

 

「仕方ないでしょ。指揮官の手を煩わせないで動ける人形で、しかも過激じゃないのっていったら、私達くらいのものなんだから」

 

 人形は人間の指揮官の指揮が無ければ最高のパフォーマンスを発揮できない。

 何故なら、人形たちがどこまで行っても所詮は機械だからであり、人間のように柔軟な思考を持っていないからだ。

 

 一見すると臨機応変に動いているように見える人形達は、その実は指揮官から予め下されていた、あるいはその場で下された指示に従っているだけなのである。

 もちろん、経験を積んでメンタルモデルが複雑化した人形であれば、多少は人間のように考えて動く事も可能であるが……やはり人間が命令した方が効率的である事に変わりはない。

 

「まあ確かに、鎮圧のために動物組を出すわけにはいかないけど……それだけが理由?」

 

「あなたが動作不良を起こした時の為の保険も兼ねてるわ。頭を弄ってるんだから、予想外の不具合が起こらないとも限らないじゃない」

 

「……ごもっとも」

 

 今回の仕事は武装ストの鎮圧だが、これはネゲヴやFALのようなS03地区でもトップクラスの実力を持つ人形が行うような仕事ではない。もう少し下……Five-sevenやステンMK-Ⅱ達でも、まだ過剰だ。

 だが今回は、FALが頭に搭載した16Labの試作品レーダーのデータを取らなければならない。あんまり強い相手と戦って試作品が壊れても困るから、こんな雑用に等しい任務に向かわされているのだった。

 

「そういえば……今更こんなこと聞くのはどうかと思うんだけど、副官の貴女が指揮官の側を離れて良いの?」

 

「それこそ動物組が張り付いてるわ。あの三体なら問題ないでしょ」

 

 スコーピオンをリーダーにした、Gr G41とIDWの三体が動物組と呼ばれている。G41は犬のような性格で、IDWは猫のようなキャラだから、いつしかそう呼ばれるようになった。

 ……厳密に言えばスコーピオンは動物というイメージには当てはまらないのだが、誰もそんな事は気にしていない。

 

「確かに身の安全は問題無さそうね。だけど仕事は捗らなさそう」

 

「…………まあ、そうね」

 

 二体の電脳は、シミュレーションという形で指揮官の仕事が捗っていない事をイメージし、頷いた。

 一体でも五月蝿いのに、それが三体も執務室に揃うだなんて……今ごろ指揮官は、ペンの代わりに猫じゃらしを握っているのではないだろうか。

 

「さて、そろそろ準備をしましょ。武装ストなんて手早く迅速に鎮圧して、久しぶりの青空を楽しまなくちゃ」

 

「そうね。指揮官にお土産を買っていかなきゃいけないし」

 

 FALは手元のアサルトライフルを、ネゲヴはハンドガンとアサルトライフルを、それぞれ武器として持ってきていた。普段とは異なるネゲヴの装いに、FALは物珍しいものを見たという目を向けている。

 

「今回、Negev(マシンガン)はお休みなのね」

 

「当たり前でしょ。設備を壊したらどんな文句を言われるのか分からないのに、盛大に弾をばら撒くマシンガンなんて持ってこられないわよ。あと動きづらいし」

 

 戦術人形は、全てがその銃にピッタリ合う人形として作られている。人形のために銃が作られるのではなく、銃のために人形が作られるのだ。

 だから勘違いされがちなのだが、戦術人形は製造段階で持っている武器しか扱えない──というわけではない。

 もちろん、戦術人形のコアに搭載されているASSTシステムという機能によって、他の銃よりも専用銃を扱った方が運用効率や銃撃の精度が大幅に上がるのは確かだ。

 

 しかし、元より戦争のために製造されたのが戦術人形であり、そして戦争には不慮の事態が付き物だ。何らかの事情により専用銃が手元に無い時もあるだろう。

 そんな時のために、戦術人形は他の銃を扱うための火器管制システムなども搭載しているのである。ただ、ASSTシステムのような補助は存在しないので、人形が自分で練習を重ねる必要はあるが。

 

 そんな訳だから、本来マシンガンが主装備のネゲヴでもアサルトライフルに換装しての運用が可能なのだった。

 

「まもなく到着します」

 

「了解よ。さ、行きましょう」

 

 ヘリコプターのパイロットが到着を告げると、ネゲヴとFALが纏う雰囲気が一気に硬質化した。

 ヘリコプターから降りたネゲヴは歩きながら少し長くその目を閉じて、その目を開けた。

 

「……うん、良好ね」

 

 元々クリアな視界が更にクリアになり、躯体のコンディションや内部ジェネレーターの稼働状況が表示される。それらの数値も異常はない。

 

「そっちは?異常とかある?」

 

「特には何も。レーダーの感覚が掴みづらいくらいかしら」

 

 戦術人形は戦闘モードのON/OFFが自由に出来る。どんなタイミングでも、それこそスリープモードからだって可能だ。

 そして戦闘モードに移行した戦術人形は、見た目にそぐわない身体能力を得たり、感覚器官の鋭敏化がされる。

 特に視力は、最大望遠であれば目的の施設からかなり離れた此処からでも、こちらを見ている労働者達の姿を見る事が可能だった。

 

「いい日和ね」

 

 稼働状況などと一緒に、ついでに表示された外気温と湿度は、この土地の平均的なものであった。天候は晴れで、近日中に雨が降っていないのか地面にぬかるみも無い。

 

「うちの地区も、これくらい晴れてくれればいいのに」

 

「そうね……本当にそう思うわ」

 

 予めインストールしておいたマップによると、目的地はこの先らしい。

 

「さて、今日も元気にお仕事に勤しむとしましょうか。傭兵らしくね」

 

 普段は多くの材料を積載したトラックが行き来しているらしい整備された道路は、今は何も走っていなかった。

 その先に見える大きな工場。そこが、I.O.P.社が保有するこの地域一帯の人形を製造している施設だ。

 

 ここはFALのようなハイコスト人形から、民生用のローコスト人形まで幅広く製造している。それ故に、ここが機能不全に陥ると近隣地域の人形が補充できなくなってしまう。

 そんな、辺鄙な所ではあるものの割りと重要な拠点である工場を制圧している労働者達が、堂々と真正面からやって来る二体を見つけるのに、それほど時間は必要なかった。

 

「人形が来たぞ!」

 

「PMCを雇ったか……総員、戦闘準備だ!」

 

 30人というと多いように聞こえるが、その力はこの世界においてはとても弱く、正攻法ではこの大きな工場を占拠するだけの力は無い。

 

「この大きさなのに、どうやって30人程度で制圧したのかしら。出来るとは思えないんだけど」

 

 だからFALのこの評価は不当でも何でもなく、この世界では極めて真っ当な評価だ。

 

「十中八九、何処かの誰かが背後についてるんでしょ。I.O.P.社を引きずり下ろしたい会社は大量にある。スパイが紛れ込んでると考えるのが自然ね」

 

 重要な拠点である工場を制圧できるだけの力も細工も、リストラされただけの人間に出来るとは思えない。セキュリティレベルも相応に高いのに、それをどうしてくぐり抜けられたのか。

 

「まあ、やるべき事は変わらないわ。私達は武装ストの鎮圧に来ただけ。その他の面倒事は依頼主の仕事よ」

 

 これをただの武装ストライキというにはあまりにきな臭い。しかし、そこはネゲヴ達の関与しないところだ。推測の域を出ないし、詳しく知ろうという気もない。

 知りたがりの命は短いというのは、昔からずっと通用する常識であるのだから。

 

「扉は……壊しちゃっても構わないわね。えいっ」

 

 ネゲヴの軽い掛け声に似合わないくらいの轟音と勢いで、正面玄関の扉が勢いよく蹴り飛ばされた。

 蹴り飛ばされた扉が壁面にめり込み、その直後に警報と無機質なアナウンスが鳴り響く。

 

 《侵入者発見、警戒態勢に移行します》

 

「ふぅん、やっぱり防衛システムも掌握されているか」

 

「記憶にある限りだと、防衛システムが掌握されてるなんて依頼主は言ってなかったわよね?」

 

「そうね。でも現地で問題が生じるなんて良くある話でしょ」

 

 そのまま廊下を突き進んでいると、鋭くなった聴覚が前方からやって来る一団の足音を聞き取った。

 人間のように多少のバラつきも無く整然とした足どりは、この施設の警備達で間違いないだろう。

 

「当然だけど防衛用の自律人形も敵対してくるわ。私達みたいな戦術人形ではないから、面倒臭いだけで済むけど」

 

「……あれが面倒臭いだけ?」

 

 本来なら作業用に作られた、単純な命令しか履行できない第一世代の自律人形は、彼女たち第二世代の戦術人形の型落ち品として安く払い下げられ、こうした工場で人間の代わりに導入されている。

 まあ型落ち品とはいっても単純労働なら戦術人形と何ら変わりない効率を出せるのだが。

 疲れを知らず、パーツが壊れても交換すればいい。しかも24時間フル稼働も可能。

 

 そんなスペックがあるから単純労働しか出来ない人間達が職にあぶれる原因となり、今回の火種にもなったそれが今、戦術人形用に用意されたであろう銃火器を装備して向かってきていた。

 その数は15体。その全てが構えた銃口がこちらへ向く。

 

「しょせん数だけよ。FAL、隙は作るから榴弾撃ち込んで」

 

「はいはい」

 

 迷うことなくネゲヴが窓ガラスをぶち破って外に飛び出し、FALが近くの物陰に飛び込むと同時に、さっきまで二体がいた空間を大量の弾丸が通り過ぎた。

 

「さて、と」

 

 強化外骨格で更に強化された身体能力で陽の光が当たる敷地内を土埃と共に駆ける。窓側に近い自律人形達はネゲヴに発砲するが、一発たりとも服にかすりすらしなかった。

 

「偏差射撃すら出来ないなんて、ダメよそんなんじゃ」

 

 アサルトライフルを背中のウェポンハンガーに引っ掛けて、腰のホルダーから取り出したのはワルサーPPK。それを二丁構えて左右交互に引き金を引いた。

 放たれた弾丸はネゲヴを狙う自律人形達の間を通り抜け、FALを狙っていた人形の頭を撃ち抜く。

 

「さあ、こっちを見なさい」

 

 コスト削減のために電脳も低脳かつ共通のものを使われた単純な自律人形達は、隠れたまま一発も撃ち返してこないFALよりも人形を二体破壊したネゲヴの方が脅威度が上だと判断した。

 さっきの回避とPPKの命中率を合わせて自律人形の電脳が出した結論は、13の銃口と、そこから吐き出される弾丸が物語っている。

 

「そう。単純なあなた達なら、そうするだろうと思ったわ」

 

 先程よりは狙うようになってきた攻撃をステップを踏むように左右に回避しながら、ネゲヴは通信で

 FALに合図を出した。

 次の瞬間、壁から上半身を出したFALが榴弾を放ち、また引っ込む。

 

 ネゲヴに気を取られていた人形達は、その榴弾の範囲内から逃げる事が出来ないでモロにダメージを受けたのだった。

 

「やっぱり使い慣れたPPK(ぴぴこ)は手に馴染むわね」

 

「ハンドガンのダブルトリガーが手に馴染むって言うマシンガンの戦術人形って何なのかしら」

 

 PPKのリロードを行いつつ通路に戻ってきたネゲヴと先に進みながら、FALはそう呟いた。こいつ、実はコアがワルサーPPKのものだったりしないだろうかと思いたくなるくらい様になっている。

 

「っていうか、ぴぴこって……もうちょっとマシな渾名を付けられないの?センス無いわね」

 

「文句は名付け親の指揮官に言って。……そういえば、レーダー使って主犯格の位置とか見つけられないの?」

 

「もう試した。主犯格かまでは分からないけど、人間がこの先に密集してるわ」

 

 指さした先には十字路がある。このまま先に進んだところにコントロールセンターがあるが、どうやらそこの辺りに人間が密集しているらしい。

 となると、そこに主犯格が居る可能性は大いにある。

 

「まずは主犯格からね」

 

「ええ、頭を潰せるのなら潰すのは戦いの常識だもの。頭さえ潰せれば、あとはどうとでも出来るし」

 

「当然ね。でもその前に」

 

 ネゲヴは施設の床を抉り取るくらい踏み込んで加速し、十字路の真ん中に躍り出た。

 その十字路の左右には男達が待ち伏せのために身を屈めて息を潜めていたのだが、戦術人形の聴覚を誤魔化すことは出来なかった。

 

「まずは二人、仕留めたわ」

 

 両手のPPKから放たれた二つの弾丸が、十字路の右と左に待ち伏せしていた男達の頭を撃ち抜く。呆然としたまま倒れた男達の手にはナイフが握られていた。

 

「なんだ、ナイフか」

 

「前方にバリケード確認。突破は面倒そうよ」

 

 即席で作り上げられたバリケードから、何人もの男達が銃口を向けてきている。FALのレーダーに引っ掛かった数は20人ほどだった。

 

「人形が来たぞ!撃て!」

 

「どうする?」

 

「そこにちょうどいい鍵があるわ。それで開けるわよ……吹っ飛べ!」

 

 ただ撃っているだけという感じな弾丸の雨の中を、速度を緩める事なくネゲヴはコンテナまで走り、思いっきり足を上げて蹴っ飛ばす。

 サッカーボールのように勢い良く蹴っ飛ばされたコンテナはバリケードに直撃し、それを勢い良く崩して隠れていた男達を撲殺しながら壊れていった。

 

「うわぁぁぁぁ?!コ、コンテナがボールみたいに飛んできやがった!!」

 

「よしっ開いたわ、行くわよ」

 

「こじ開けたの間違いでしょこれ」

 

 ウェポンハンガーからアサルトライフルを持ち直したネゲヴが発砲しながら混乱した敵陣に切り込んで行く。

 その背中をカバーするようにFALもバリケードの内側に乗り込むと、男達はたちまち総崩れになった。

 

「むっ無理だ!こんな化け物、どうやって相手にすればいい!?」

 

「くそっ、俺は逃げるぜ!無駄死には御免だ!」

 

 中には武器を捨てて逃げ出す者もいた。重たい鉄製のコンテナを軽々と蹴り飛ばしてくる戦術人形を見て戦意を喪失したのだ。

 

「逃がす?」

 

「まさか」

 

 しかし、もちろん逃げられる筈もない。一度でも銃口を向けてしまった以上、彼らに残されているのは死のみだ。

 

「死ねぇぇぇ!」

 

「あなたがね」

 

 FALも負けてはいない。ナイフを構えて破れかぶれの特攻をしてきた男の頭をサブウェポンのハンドガンで射殺し、アサルトライフルを無駄弾が出ないように的確に狙って撃って着実に屍を積み上げていった。

 

「これで21人……あと8人がコントロールセンターに居るといいけど」

 

「居ないなら探すだけよ。そして1人残らず殺すわ」

 

「そうね……っと。更に後ろから増援、自律人形っぽいわね」

 

「無視よ。このままコントロールセンターに突っ込むわ」

 

 長い廊下の先から走ってくる自律人形達の足音が聞こえる。

 それを聞いたネゲヴは隅で丸くなってガタガタ震えている男に弾丸を浴びせ、両手を上げて降伏している男の首根っこを掴んで走り出した。

 

「お前も来い」

 

「ひっ、ひいいいい!」

 

 男が文字通りボロ雑巾のように引きずられている。なんとか逃げ出そうと身をよじって抵抗しているが、ネゲヴはガッチリ掴んでいるらしく逃げられない。

 そんな、もう色々と垂れ流してしまっている男と、それを引きずるネゲヴからFALは僅かに距離を置いた。

 

「そいつ、どうする気よ。もしかして男に飢えてるの?あれだけ毎晩のように指揮官とやっておいて、まだ満足できないのね」

 

「あっはっはっ、こいつらより先に殺すわよFAL。冗談にしてもセンスゼロ。それで自分をハイセンスとは良く言ったわね。

 というか、真っ先にそんな考えが出る辺り、あんたの方が欲求不満なんじゃない?」

 

「その頭を見て思っただけよ。ところで知ってる?かつて存在した極東の島国に、こんな言葉があるわ『ピンクは淫乱』ってね。ほぼ毎日発情してる貴女にピッタリだと思わないかしら?」

 

「そんな言葉を知ってる時点で、何を言ってもブーメランにしかならないわよ。しかも、それをどうして知ったのかも予想がつくわ。その国のHENTAI系の色々を探してたら見つけたんでしょう?

 でも誰にも相手にされないからって、二次元に逃げるのは良くないんじゃない?」

 

「「………………」」

 

 互いに妙な威圧感を伴った笑顔を顔に貼り付けて並走する。その余波という名のとばっちりを受けた哀れな男の意識は、もうトんでいた。

 

 そんな心温まるコミュニケーションの間にもコントロールセンターとの距離は詰まっていく。どうやらさっきのバリケードを用意するので手一杯だったようで、特に妨害らしい妨害もされなかった。

 

「……で、本当のところは?」

 

 暫く続いた笑顔の攻防はFALが先に折れた。溜息と共にそう聞くと、ネゲヴは威圧感を薄めた普通の笑みで気絶した男を扉にぶん投げる。

 戦術人形の腕力で投げられた男は扉の蝶番を壊す勢いで叩きつけられ、ぐちゃっという潰れる音と一緒に中身が飛び出した。

 

「見ての通り、扉に仕掛けてあるかもしれない爆弾の処理よ」

 

「なるほど」

 

 爆発しなかったところを見るに、どうやら何も仕掛けていなかったらしい。二体はアサルトライフルを構えて扉が壊れたコントロールセンターへと乗り込んだ。

 

「はぁい皆さん。歓迎ありがとう、楽しませてもらったわ」

 

 中には8人の男達がいた。その誰がアサルトライフルやサブマシンガンを向けてきているが、怯えが隠しきれていない。ぶるぶると銃口が震えてしまっている。

 

「本当は楽しくパーティーと行きたいところだけど……ごめんなさいね、私達はこの後にも予定が詰まってるの。だからもうお開きにしましょ?」

 

「抵抗してもいいわ。無駄だから」

 

 二体が一歩踏み出す。踏み出した場所にあった男だったものから飛び出した目玉が踏み潰された。

 

「くっ、くるなぁ!」

 

「うおおおおお!!」

 

「貴様らのようなモノが存在するから、俺達は仕事を奪われたんだ!!」

 

 銃で相手を殺したい時にやるべき事は単純だ。殺したい相手に銃口を向けて、引き金を引く指に力を入れる。それだけ。

 

「自分の無能さを人形に押し付けないでよ」

 

「悔しかったら人間やめてみれば?」

 

 アクション数はたった2つだけなのにも関わらず、半数の男はそのアクションを行えなかった。

 理由は単純で、それより早く撃ち抜かれたからだ。

 

 残りの半数が撃った弾に当たらないように気をつけながら、反撃で響かせた銃声は僅か4回。1人につき一発のみで、男達は永遠に沈黙させられたのだった。

 

「まあこんなもんかしら。終わってみたら呆気なかったわね」

 

「後は防衛システムを強制的に停止させるだけ。事前にI.O.P.社からコードは貰ってるから、それを読み込ませてっと……」

 

 流石に研究者のようにシステムを弄る事は不可能だが、コードを打ち込んだりするくらいなら人形は誰でも出来る。

 防衛システムの停止と共に背後から迫る足音も止まり静寂が訪れた施設では、それなりに小さい声でもよく響いた。

 

「賠償、いくらになると思う?」

 

「この程度の損害なら想定の範囲内でしょ。製造設備には何もしてないんだし、文句言われる筋合いはないわ」

 

 連絡は入れてあるから、もう間もなく追い出されていた職員達が戻ってくるだろう。

 出迎えてやるべきか。と思ったネゲヴは、コントロールセンターの座り心地のいい椅子から立ち上がった。

 




新着メールが届いています。


FROM:I.O.P.社

TITLE:感謝します


施設の件では御世話になりました。

彼らを切り捨てる事は我々としても不本意だったのですが、戦術人形・及びそのダミーの需要は増加の一途を辿っています。そのため、施設の効率を更に上げなければ人形の供給が間に合わない状態なのです。

戦いの手段である戦術人形の数が不足すればどんな不利益が生じるかは、指揮官である貴方ならば当然理解しているでしょう。

彼らの勝手な言い分によって本来行き届く筈の人形が届かない事で、一体どれほどの犠牲者が出るのか……まったく想像もつきません。

今回の騒動ですが、労働者達を焚きつけたのは競合他社の仕業だと突き止めました。近日中に仕事をまたお願いするかもしれません。その時はよろしくお願いします。

今後も我々は、世界の人々を守るために人形の生産を続けていきます。もちろん人々の安全を前線で守っているグリフィンにも協力を惜しみません。

今後とも我々の関係が良いもので有り続けられる事を期待しています。



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安全も未開封

水に限らないよ。どんな物だって、未開封品しか口に入れちゃダメだからね。何が入れられているのか分かったもんじゃないんだから。
……あれ?そこに置いといた下剤入りのお菓子は?


 人間が生物である以上は、決して逃れられぬ欲求という物が存在する。

 食欲・睡眠欲・そして性欲の三大欲求は、例えどれほど悲惨な生活を送っていたとしても消える事はない。

 

 低層区画の住民が多く集う場所に闇市を挙げたが、そこ以外にも人が集まる場所は勿論ある。

 例えば、大体の地区にあり、当然ながらS03地区にも存在する売春窟は正にそれだ。

 

 売春窟というからには、主な商品は春である。ここでの春というのは……まあ、説明するまでもないだろう。

 S03地区の売春窟は性欲の発散に訪れる者達で連日賑わっていた。ここの客層は様々だが、誰もが無責任に欲を吐き出したいという事だけは共通している。

 そんな薄暗い欲望が渦を作り、ここの空気は他より一段と澱んでいた。ここの後に闇市に行けば、闇市の空気に清涼感すら感じられるくらいに。

 

 車がギリギリすれ違えるくらいの幅がある路地には多くの女性が座っていた。服装は殆どがみすぼらしく、ボロ布同然の服しか着ていない女性の方が多い。

 その辺から拾ってきたであろう歪んだトタン板を屋根代わりにして買ってくれる人を待つ者も居た。

 

「いつ来ても辛気臭い場所だな、ここは」

 

 その道の真ん中を、堂々とした歩みで進んでいく一団がいた。手入れされている事が一目で分かる銃火器と、レインコートに描かれた紋章から、その一団がS03地区の警備部隊である事が分かる。

 

「当然じゃない。むしろ、辛気臭くない売春窟があったら見てみたいわ」

 

 PPSh-41ことペーペーシャが、トンプソンの感想にツッコミを入れた。

 分かってはいるんだが、とトンプソンは返して、もう久しく外で脱いでいないレインコート越しに感じる雨粒の数を無駄に数えた。

 

 周囲を無自覚に威圧していきながら、トンプソンとペーペーシャは外に護衛を残して一つの店舗の中に入っていく。

 

「よう、調子はどうだ?」

 

「トンプソンさんじゃないか。いらっしゃい、ぼちぼちってとこだ」

 

 その店舗の主は、トンプソンとペーペーシャを見るや顔に薄ら笑いを貼り付けた。

 その様子をペーペーシャが不快そうに見つめるのを他所に、トンプソンは店主の前の椅子に座る。

 

「事前に連絡の一本でも入れてくれれば、酒の一本でも用意してたんだが」

 

「いらねぇよ。んな何入ってるか分からん酒が飲めるか」

 

 スキンヘッドにガッチリした体格という、まるで絵に描いたような屈強な男にトンプソンはニヤリと笑いかけた。

 

「おいおい。ここの酒はここらじゃ滅多と飲めねぇ高級酒だぜ?最近じゃあ、高層区画の裏にだって出回ってるんだ」

 

「安酒にヤク混ぜただけだろうが。しかもウチの流した奴」

 

「おっと、商売の種をバラしてくれるなよ。それは企業秘密なんだ」

 

 バーカウンターの向こうにチラリと見えるG&Kの刻印がされた木箱を見なかった事にしながら、トンプソンは懐のタバコを取り出した。

 嫌煙派のペーペーシャが露骨に嫌な顔をするが、トンプソンも店主も何処吹く風だ。

 

「火、あるか?」

 

「湿気たマッチでよければ」

 

「じゃあいらねぇ」

 

 ポケットからライターを取り出し、数秒としないうちにタバコに火が灯る。

 タバコから伸びた煙は上へ上へと伸びていき、天井へと吸い込まれて消えていく。

 

 ギシッギシッと軋む音がする天井に僅かに目を向けてから、トンプソンは再び店主に目線を戻した。

 

「金」

 

「あいよ」

 

 スッと出した手にアッサリと大金が乗る。タバコを咥えて札をパラパラしたトンプソンは、人形の能力をフル稼働させて、びた一文たりとも不足が無い事を確認してから懐にしまった。

 

「確かに」

 

「見るたび思うが、人形ってのはつくづく便利だな」

 

「そんな感想持ってんのは、お前くらいだろうな」

 

「まあな」

 

 仕事を追われていないからこそ出る感想であった。仕事を追われた者は、そんな感想より先に憎しみを抱くだろうから。

 

「ついでだ。なにか情報はあるか?」

 

 此処にトンプソンが自ら寄ったのは、なにも上納金を徴収するだけのためではない。その程度の雑務なら部下にやらせればいいし、現に此処以外の回収は部下が動いている。

 だがトンプソンは自ら赴いた。それは店主とのコネ繋ぎという意味もあるが、彼が貴重な情報源でもあるからだ。

 

 売春窟には人が多く集う。そして、人が多く集うという事は情報も集うということ。

 特に目の前の彼は、この売春窟を管理する社長のような存在。その仕事柄、多くの情報に触れる機会がある。その情報をトンプソンは求めているのだった。

 

「いくつか」

 

「全部買おう」

 

「……まだ何も言ってないんだが」

 

「ウチに卸す情報だ。それなり以上なんだろ?」

 

 さっき懐にしまった上納金から幾らかを取り出してバーカウンターに置く。

 納めた上納金の内の幾らかが返ってきた事に内心少し喜びながら、店主はその口を開いた。

 

「最近、どこもかしこも子供を扱う所が増えてるらしい。ここだけじゃねぇ、低層区画の殆どの売春窟でだ」

 

「子供ぉ?おいおいなんだ、お前ら何時からぺド好きになったんだよ」

 

「……一応言っとくが、ここは扱ってねーよ。んな得体の知れない奴を扱うのは、よっぽどオツムの弱いバカだけだ」

 

「賢明だ」

 

 軽口を叩きながら、トンプソンは二階へ上がる階段を見た。そのあからさまな目の動きに店主は苦い顔で言う。

 タバコをくゆらせるトンプソンの目は、次第に厳しくなっていった。

 

「得体の知れないって事は、出どころも不明か?」

 

「そうだ。聞いても答えねぇ、あるいは分からないの一点張り。ただ言えるのは、親の類いが居ないって事だ」

 

「殺されたか、それとも売られたか……」

 

 世紀末を迎えて久しい昨今、人身売買のような行為は盛んに行われている。

 それは単に口減らしのためだったり、少しでも金を得たかったり、理由は様々だ。そして流通に載った人間が一定数を下回る事は滅多にない。

 需要も、そして供給も、それなりにあるという事だった。

 

「まあ、それはこの際どうでもいいんだ。

 それで二つ目の情報だがな……何かを積んだトラックが、何台もこっちに向かってきてたらしい」

 

「なーるほど。しかしウチの警戒網を掻い潜れるとは思えないんだが……ああ、掻い潜る必要は無いのか」

 

「恐らくは。一度ルートに乗っちまえば、そっちもおいそれと手出し出来ないだろ?しかも特権となれば尚更な」

 

 ……金持ちの考える事は分からんな。とトンプソンはボヤき、そこでタバコを吸い終わった。

 無言で出された灰皿にぎゅっと押し付けながら、トンプソンは目線で続きを促す。

 

「だが不幸だったのは、そのタイミングで死神の鎌(デスサイズ)に襲われた事だ」

 

「また奴か。まったく巫山戯やがって」

 

 ──S03地区の周辺では、死神が鎌を持って犠牲者を待ち構えているらしい。

 

 そんな噂を、何時頃からか耳にするようになった。

 

 語られる死神の姿は様々だ。大男、痩せこけた老人、妖艶な美女、小さな子供……。

 あらゆる未確認情報が錯綜し、どれが本物なのか判断がつかないほどである。

 しかし、ひとたび出逢ってしまえば、抵抗虚しく命が刈り取られてしまうという事だけは共通していた。

 

 死神の正体を暴くためにグリフィンが調査に乗り出しても進展は何も無く、それどころか送り出した人形部隊が一方的に虐殺される等の被害を出し続ける不可視の死。

 それの出没地点は殆どが補給路上であり、そこを通る者達は皆一様に恐怖に怯えた顔を隠せない。

 

 補給物資がコッソリ抜き取られている程度なら御の字。強襲されて物資を破壊されるのもまだマシ。最悪の場合、物資を奪われた挙句に輸送部隊が全滅する。

 目をつけられたら生きては帰れないと言われるナニカは、いつしか死神の鎌(デスサイズ)と呼ばれるようになったのだ。

 

「まだ分からないのか?奴のこと」

 

「分かってるんだったらとっくに手を打ってる。手が打てないから被害が出続けてる。それくらい分かるだろ」

 

「なるほど。だが出来る限り早く終わらせてくれよ。あの死神、俺のところの酒ばっかり持っていきやがるんだ」

 

「へぇ、初めて知ったな。死神も酒を飲むのか」

 

 くつくつと笑ったトンプソンは、更に追加で札を置いた。怪訝な顔をした店主の前の椅子からトンプソンは立ち上がる。

 

「今回はやけに具体的だったから、その分だ。だがどうしてそこまで?」

 

「うちの荷物も一緒に運んでてな。運び屋が一人、生き残った。奴に襲われたと分かった途端に必死こいて逃げ出して、辛うじてだが」

 

「運がいいな」

 

「本人にとってはどうだか。あいつ今も怯えてやがる。背後から足音が止まないんだとよ」

 

「それは……運が悪いな」

 

 出入口の扉を開けながら、トンプソンは僅かに肩をすくめた。

 

「死神……一体何者なのかしら」

 

「さてな。少なくとも、私達に友好的な存在ではないのは確かだし、私達が分かっていればいいのはそれだけだ。他の事柄は、ボスや副官殿のような一部だけが知ってればいい」

 

 引き金を引くのに迷いを作りそうな情報を知る必要など無い。あくまでもメイン業務は治安維持なのだ。

 

「行くぞ」

 

「ええ」

 

 警備部隊の一団は来た道を戻って、移動用の車が止めてある大通りに向かうのだった。

 

 

「…………」

 

 今日はソファの上ではなく、指揮官の寝室で、指揮官用に用意されたベッドの上で目覚めた。

 だからなのか、ソファーで起きるより幾分かマシになった頭痛に頭を抱えながら、ゆっくりと目を開けた。

 

 電気はベッド脇のランプだけにしていたからか、部屋の中は薄暗い。もう朝なのに、雨雲のせいで夕方以降の暗さだ。

 

 いつものように雨の降る音をBGMにしながら時計を見れば、普段起きている時間より僅かに遅い。

 そして寝っ転がったまま顔を横に向けると、ネゲヴが穏やかな寝息をたてている。毛布で肩から下は隠されているが、下着の一つも身につけていない事は分かっていた。

 伸ばした手が目を閉じているネゲヴの頬に触れる。柔らかく、それでいて僅かに温かみを感じる頬を触っていると、彼女が人形だという事実を忘れてしまいそうだ。

 

 実際、人間社会に違和感なく溶け込むために人間と見分けがつかない外見を与えられている人形が、一体だけ街に紛れていたとしても見破られないであろう。

 今だって街中のカフェだとか服屋だとか、様々な場所で働いているのだ。だから隣にいる人型が人間か人形かなんて、もう誰も気にしない。……一部の団体以外は、だが。

 

 人形に出来て人間に出来ない事は多いが、人間に出来て人形に出来ない事はごく僅かなものだ。そして出来る事の効率も人形の方が遥かに良い。

 工場での単純労働、戦場での争い、果ては性行為まで。その全てをハイレベルにこなしてみせる。

 

 仕草も、喋り方も、下手な人間よりも人間らしく見える人形達は、もしかすると新世代の人類と呼ぶべき存在なのではないか。そして今後、旧世代の人類である我々はどうなるのか。この関係が続くのか、それとも鉄血のように反旗を翻されるのか。

 ネゲヴの頬を触り続けながら、指揮官はそんなことを考えていた。

 

「……もうそろそろ手を離してもいいんじゃない?」

 

 指揮官より早くに起きていたネゲヴは、最初こそ寝たフリをしながら機嫌よさそうに触らせていたが、いい加減に鬱陶しく感じたらしく手首を掴んで頬から手を離しながらそう言った。

 

「おはようネゲヴ」

 

「おはよう指揮官。そろそろ起きない?」

 

「頭痛が痛くてヤバい」

 

「冗談言えるんだったら大丈夫ね。さ、起きるわよ」

 

 片手で毛布を胸元に抱き寄せながら、指揮官に背を向け、すぐそこに畳んで置いておいた下着やら服やらを手早く着始めた。

 要望が通るとは思っていなかった指揮官も同様に仕事着を着込み、5分程度で指揮官とネゲヴが寝室から出てくる。

 

「今日の予定は?」

 

「昼間は書類仕事と16Labからの依頼が一件。そして夕方からは企業との顔繋ぎのためにパーティーへの出席」

 

「最後のヤツ、キャンセルできないか?」

 

「食糧関係の大手よ。出ないと食糧の供給に支障が出かねないわ」

 

「じゃあ仕方ないか」

 

 廊下に少しバラけた靴音が響く。パーティーが苦手な指揮官は嫌な顔をしながら溜息を一つつくと、階段を昇って上の階へ上がっていった。

 

 何とかと煙は高いところが好きだという言葉に間違いは殆どないようで、役所時代から変わらない場所にある執務室は最上階に近いところに用意されていた。

 なにを考えてこんな不便な高所に執務室なんぞを設置したのか指揮官には分からないが、デザイナーには何かしらの意図があったのだろう。……その意図が何なのかはもう聞き出せないから、想像で補うしかないが。

 

「階段がエスカレーターに変わんねーかな……」

 

「エレベーターあるから無理よ」

 

 あまりにも高いからなのか、ここには元からエレベーターが備え付けられていた。

 尤も、安全性に疑問が残るとかの理由で指揮官は使わせてもらえない。使用しているのは主に人形達である。

 

「それ、俺だけ使えないじゃん」

 

「しょうがないでしょ。ここの電源施設が爆破される可能性も無いとは言えないし、それで閉じ込められたりしたら大変なんだから」

 

「分かってはいるけどさぁ……」

 

 そうはいっても、やはり目の前にある文明の利器が使えないのは非常に歯がゆい物があった。命に変えられないとは分かっていても、やはり利便性を取りたくなるのは仕方のない事だろう。

 

「まあ、いい運動だと思いなさい。ずっと椅子に座ってたら身体も固まっちゃうわ」

 

「じゃあそう思っとく」

 

「素直でよろしい」

 

 執務室に入れば、昨日と変わらぬ景色が指揮官とネゲヴを出迎える。

 指揮官は当たり前のようにソファに座ると、テーブルの上に置いてあるボトルウォーターを覆う薄いフィルムに爪を立てた。

 

「あとどのくらい残ってる?」

 

「残念だけどそれで最後よ。その25本が無くなったら、次回の補給までインスタントコーヒーで誤魔化さないと飲めたもんじゃない不味さのお湯しか飲めないわ」

 

「ははっ、クソが」

 

 罵倒しながらボトルのキャップを捻ると、未開封だった事を示すカチッという音が鳴った。

 キャップを開けて中の水をガブガブ飲んだ指揮官が再びキャップを閉めた時には、ボトルの中身は半分も残っていなかった。

 

「あー……身体に染みる。ホント、未開封ってだけで安心できるよな」

 

「雨に放射能が含まれていなければ、こんな風に水の心配をしなくても済むんだけどね」

 

 放射能を含んだ雨が降り注ぐこの一帯は、当然のことながら雨を飲み水に使用する事は出来ない。大地に染み込んだ雨水によって地下水さえも汚染されてしまっている事が予想されているので、井戸を掘ることも出来やしなかった。

 だからこのS03地区は、水という重要なライフラインを他の地区からの輸入に頼っている。これはS03地区の大きな弱点だ。

 

「水で思い出した。04の無能からまた難癖つけられたって?」

 

「そうだけど、まだ言ってなかったわよね。誰から聞いたの?」

 

「Five-seven。難癖つけながら凄くエロい目でジロジロ見てきたから殺しそうだったって」

 

 厳密に言えば「手が滑りそうになった」だが、意味合いに変わりはない。

 

 ここまで生命線たる水を運んでくるのには、立地の都合で隣のS04地区を通らなければならない。

 しかし、輸送の度にそこの指揮官が露骨に邪魔をしにくるのだ。わざわざ人形部隊を展開してまで道を塞いで、通行税という名目で袖の下を求めてくるのである。

 

「あいつが居なけりゃ、もうちょっと財政が楽になるんだがな」

 

 輸入には多くの金が掛かる。まず単純な水代と、次に輸送費。トラックのガソリン代も必要だ。

 この3つだけで定価の倍近いコストが掛かっているというのに、法外な通行税まで求められると、掛かる費用は3から4倍にまで膨れ上がる。

 足下を見られているのは分かっているのだが、しかし、文字通り死活問題なだけにどうする事も出来ないという状態が続いていた。

 

 他の輸送路が無いという訳ではないのだが、多くの水を安定して運ぶための安全な道が整備されているのが、S04から伸びる道だけしかないというのが現状である。

 その他の道はロクに整備もされておらず、更に敵勢力のド真ん中を突っ切ったりする戦闘を伴うものしかないと、水を運ぶには少々不安定なものだった。

 

「本気で殺す?私は構わないけど」

 

「やりたいけど駄目だ。ただ殺すだけだと、こっちの身まで危なくなる」

 

 グリフィンも一枚岩ではない。それを殺したところで、すぐに同じ派閥の誰かがS04地区に着任するだろう。

 しかもそこに付け込まれて、覚えのない罪を着せられる可能性が大いにある。

 

「それに、わざわざリスクを犯して殺す必要もないさ。ちょうど今なら別の補給路を用意する口実もあるし、長期的に見ればそっちの方が良いに決まってる」

 

 テーブルの上に置いてある24本の未開封ボトルウォーターを見ながら、指揮官は悪どい笑みを浮かべた。

 別の補給路という言葉が何を意味しているのかを理解しているネゲヴもまた、少し悪っぽく笑った。

 

「鉄血のくず共に感謝する日が来るとはね。まさか補給路一つ増やすのに口実が必要になるとは思わなかったわ」

 

「共通の敵が目の前にいるのに手を取り合うどころか、その手で殴り合うのが人間だからな。愚かさが分かるよ、まったく」

 

 効率的な補給を行うためという名目で、補給路を新たに構築する際には申請と認可が必要という事になっていた。

 しかし、その認可を出すのはS04地区の指揮官が所属する派閥のトップ。当然のように派閥に甘く、他のは殆ど通らない。

 

 秘密裏に運ぼうにも量が量だ。何度かに分けて運ぼうにも、その量は膨大すぎた。回数を減らして量を増やしても、量を減らして回数を増やしても、確実に気付かれてしまう。

 実情は兎も角、表向きには不正を許さないというのが会社の方針だから、それを違反すれば待ってましたとばかりに指揮官の権限を剥奪されて殺される。

 実際にそれで殺された元指揮官を知っているから、それは断言できた。

 

「……おっと、もうこんな時間か。そろそろ仕事しなきゃな、やりたくないけど」

 

「申請通るかしら……まあ最悪トップに直談判するって手もあるけど。はい、今日の書類」

 

「通るさ。社長に睨まれたら終わりだって事くらい、向こうも理解しているだろうからな」

 

 地区の統治には物資の効率的かつ安定した補給が不可欠だ。それなのに危険な輸送路を使い続けていれば、必ずクルーガー社長の目に留まる。

 そしてS04地区は大規模な輸送に便利な場所にあるというだけであり、絶対にそこを通さなければならないという訳では、実はない。

 

 多少遠回りでも安全な道を作れるエリアというのは結構多いのだ。

 

「他の道を使うより近道で安上がり、かつ安全だったからS04は補給路として栄えられたんだ。あいつはそれを分かってない」

 

 地区の内部を鉄血に好き勝手荒らされてる今、補給をするのに人形部隊を以前より多く付けなければならなくなっていた。

 しかも物資を略奪される事も多くなってきており、多くの指揮官がS04を通る事に旨味を感じなくなってきている。

 

「とにかく、この流れが変わらない内に俺達も新たな補給路を開拓する。今回の依頼ついでに下見も済ませておこう」

 

「伝えておくわ。人選はどうするの?」

 

「後で決める。けど、そろそろG41を暴れさせないといけないから、41は確定な」

 

 人形達に用意された宿舎の奥の奥で、今も待ち続けているであろうその姿を思い浮かべる。

 下手すればスコーピオン以上に扱いが難しい彼女だが、かといって使わないのは勿体ない。G41は最高クラスの練度を誇る強力な人形なのだ。

 

「不安ね……」

 

「まあ首輪もあるんだ。何とかするさ」

 

 書類に目を通しながら、指揮官はそう言った。

 




アーカイブス01:G&K

2053年に設立されたPMCの一社。正式名称は「GRIFFIN&KRYUGER」だが、通称であるグリフィンの方が通りが良い。

早期から戦術人形の将来性に目を付けていたベレゾヴィッチ・クルーガー社長の意向により、当時としては先進的かつ異端だった『人間1人が多数の人形を率いる』というシステムを取り入れ、現在多く存在するPMC業務の雛形を作った。
その経緯からI.O.P.社とは深く繋がっており、戦術人形の製造や修復、装備の提供などの各種サービスを比較的優先して提供されている。

人員と人形の規模は共にトップクラスであり、他のPMCより頭一つ抜けた存在。


アーカイブス02:I.O.P.社

戦前に自律人形を研究していた欧州系企業2社が共同出資し2043年に設立された自律人形の製造会社。

グリフィンのみならず、ほぼ全てのPMCが扱っている戦術人形は当会社の製品であり、それゆえに圧倒的なシェア率を誇る。

大口顧客であるグリフィンとの関係は良好で、グリフィンがI.O.P.社からの依頼を優先して受け、I.O.P.社はグリフィンに他社より早く新製品を供給するというサイクルが実現している。

しかし、その業務と規模の都合上、恨みを買う事が非常に多く、度々工場に爆破予告を出されたり本社に自爆テロを敢行されたりしているようだ。


アーカイブス03:S03地区

昔は地方都市だった場所の一つ。現在はグリフィンの管轄下に置かれている。

他の地区と比べても非常に貧しいのが特徴であり、貧富の差が最も激しい地区の一つとして名前が挙がる程である。
治安は大いに悪く、住民の大多数が暮らしている低層区画では日夜銃声が絶えることはない。僅かな食料を巡っての争いという、原始的だが大きな理由によって引き金が引かれ続けている。

この地区は、ほぼ毎日放射能を含んだ雨が降り注いでいる地域にあるため街は常に薄暗い。まるで昼が丸ごと抜け落ちたかのように錯覚するだろう。
また、周辺地域ごと放射能で恒常的に汚染され続けているせいで、人間が飲める水は非常に貴重であるようだ。大量のボトルウォーターを積んだトラックが、多くの人形に護衛されながら輸送している様子が度々確認されている。


アーカイブス04:S04地区

昔も今も交通の要衝として栄えている地区であり、隣接しているS03地区とは対照的に非常に豊か。
貧富の差が最も少ない地区と名高く、この汚染された世界において大戦以前の平和な空気を感じる事の出来る数少ない場所。

交通の要衝であるから人も物も多く集まり、グリフィンの補給物資は大抵が此処を通って各地区に輸送される。
しかし最近はS04地区周辺の鉄血勢力の勢いが凄まじく、その安全性が疑問視され始めている。
S04地区の人形部隊が練度不足かつ敗戦続きである事も不安材料であり、各地区はS04を介さない補給路を構築し始めているようだ。

また、当地区の指揮官が裏でテロ組織と繋がっているという真偽不明の噂も持ち上がっている。


※ キャラプロフィールが読みづらかったので次の話に移動させました。ご了承下さい。



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神=力=銃

神に祈りなさい。さすればきっと、あなたは今より自由な心を手に入れられるから。
……祈った?そっか、じゃあはい。お金ちょうだい
……払えないの?なら臓器で支払って貰うわね


 神話の時代において、神とは即ち力である。

 

 人間の力ではどうしようも出来ない大いなる災害や自然の脅威を、人々は古来から神という超常的な力を操る存在として崇め、そして信奉してきた。

 現在では、そうした現象の殆どが科学によって論理的に語られるようになり、雷や噴火を神の怒りだと捉えるような者は殆ど居ないが、だからといって大いなる力を崇めなくなったという事ではない。

 

 この世界には、遺跡やコーラップスという未だ人知の及ばぬ超技術の結晶を神が遣わした人類への贈り物だと本気で考えている者達がいるし、神からの贈り物であるコーラップス塗れになって新人類になろうと考えるカルト教団だって幾つも存在する。

 それは人間の根っこの部分が昔から変わっていない事の証明であり、同時に何かに縋らないと生きていけない現代の過酷さを表しているとも言えるだろう。

 

 とにかく、圧倒的な力を神として信奉するのは何らおかしな事ではない。むしろ昔から行われている由緒正しい事でさえある。

 であるのだから、教会が免罪符や聖書の代わりに拳銃や弾丸を販売していても、まったくおかしい事ではないのだ。

 

「P7、いるんでしょ」

 

 低層区画の中でも比較的、行政区画に近い場所に建っている教会の扉をネゲヴは叩いた。

 平日の真っ昼間から扉が閉められているという教会にあるまじき様子だが、此処はそれが一般的だ。

 

 S03地区における教会とは、民間を相手にして銃を売る販売所の呼び名である。金さえあれば貴賎なく、あらゆる人間に武器と弾薬を売りつける。

 可能であれば遠方から取り寄せる事もしてくれるこの教会は、P7を主として何体かの人形でやりくりされていた。

 

 なお、販売した武器がどんな争いを呼び起こそうが一切関与しない。

 

「あいー……ああ、ネゲヴ。いらっしゃい、物は来てるよ」

 

 程なくして出てきたP7は、たった今起きましたと言わんばかりの寝ぼけ眼でネゲヴを捉えると、中へ入るように促した。

 ネゲヴが後を付いていって中に入ると、どんよりとした空気の中に噎せ返るようなタバコの臭いが充満している。

 

「酷い臭い。換気してないでしょ」

 

「しても無駄だしねー」

 

 昔は神に祈りを捧げるために多くの人が集まっていたであろう礼拝堂は、今では大量の武器や弾薬が積まれてタバコの臭いが染みつくという、教会のイメージを180度逆転させたような場所に変わり果てていた。

 かつては信仰の対象だった何者かの彫刻には弾丸が撃ち込まれており、首から上が存在しない。それだけを見ても、ここが普通の場所ではないという事が分かるだろう。

 

「適当に座って。今持ってこさせるから」

 

「どうせ自分のダミーなんだから、持ってこさせるなんて言わなくても良いんじゃないの」

 

「いいんだよ。こういうのは気分だから、気分」

 

 指をパチンと鳴らしたのも、演出の一環のようだ。

 P7のダミーが武器を持ってくるまでの間、本体は近くにあった木箱を軽く漁って、そこから小さな袋を一つネゲヴに投げ渡した。

 

「ほい、いつもの。一応言っておくけど、用法と用量は守ってね。人形が指揮官を腹上死させるとか、笑い話にしかならないんだから」

 

「やんないわよ」

 

「どーだか。毎晩のように、もっともっとって強請ってるらしいじゃん。FALが言ってたよ」

 

「…………あんっの馬鹿、聞き耳立ててやがったわね……!」

 

 まさか痴態を聞かれているとは思わなかったネゲヴが顔を真っ赤にしてワナワナと震える。そんなネゲヴに、P7は呆れた様子を隠さないでポケットからタバコを取り出した。

 

「薬キメて理性を月まで飛ばすのは良いけどさ、ちゃんと帰ってきなよ?ネゲヴが壊れたら指揮官が泣いちゃうから」

 

「それは大丈夫よ。そういう用途のボディと電脳は別に分けてるから、帰ってこれないくらいキメても戦闘用ボディに影響は無いわ」

 

「……帰ってこれないくらいキメる気満々なのね」

 

「あっ。いや、違う……」

 

 ……実は既に何体かぶっ壊しているという事実は、ネゲヴの名誉のために伏せておく。

 顔から火が出そうなくらい赤くなり、あたふたとしている今のネゲヴに戦場での凛々しさや無慈悲さは欠片も感じられないが、素のネゲヴはこんな風に結構抜けている。それを知っている者は少ないが、戦場から遠ざかればドジっ子さを強く出すようになるのだ。

 

 P7はタバコに火を付け、更に一本取り出したかと思うと、それをネゲヴに差し出した。

 

「一緒に()らない?」

 

「……やらないわ。指揮官、タバコ嫌いなの」

 

「嫌煙家かー。まあ人間はそれで良いと思うけどね。やっぱり人形が吸う物だよ、タバコって」

 

 汚れる肺も無いし、悪影響も殆どない。強いて言うなら歯が汚れるくらいだが、それだって全取っ替えすれば問題ない。

 人間より遥かに安い命である人形だが、それ故に人間の身体に害を及ぼす嗜好品を嗜む事が出来るのだった。なにせ、人間とは違って替えのボディは金で買えてしまうのだから。

 

「そういえば知ってる?最近、グリフィンの本部のコンビニに、人形用のタバコの広告が貼られるようになったんだって。近々ウチのコンビニにも貼られるかもよ」

 

「なによそれ。人間の次は人形に狙いを定めたって訳?」

 

「そりゃそうよ。そもそも人間だけ狙った商売なんて、今どき流行んないって。現にタバコ会社の売り上げは大半が戦術人形なんだから」

 

 そう言って、P7は昔の物より質が悪くなっているらしいタバコをふかした。そして迷うことなく瓶詰めされたビールを取り出すと、手刀で先端部分を蓋ごと切り落とす。

 鋭い切り口に口をつけ、ぐびぐび飲み始めたP7を見ていると、修道女とは何なのだろうと考えてしまうくらいの飲みっぷりだった。

 

「酒は飲む。タバコも吸う……あんた本当に修道女なの?」

 

「好きで修道女になった訳じゃないし。私的にはもっとこう、パンキッシュな感じというか、ロッケンロール!な感じが良かったんだけど」

 

 文句はASSTシステムに言えと言外に告げながら、P7は酒とタバコを仕事中にも関わらず堪能している。

 そのあまりにもフリーダムな様子に、見慣れている筈のネゲヴもマジかコイツ、みたいな目で思わず見てしまっていた。

 

「くーっ!やっぱ人形さまさまだね。こんな上等なアルコール、人間の大半が手の届かない代物だし」

 

「……皮肉な話よね。人間が娯楽のために作ったアルコール飲料を、人間が楽するために作った人形が飲み干すなんて」

 

「そんな言ったって、私達もう人間みたいなもんだし良いんじゃない?人間と人形の違いなんて、もう殆どないでしょ」

 

 強いて違いを挙げるとするなら、バックアップがあるか無いかくらいのものか。

 

「ところでS03が他で何て呼ばれてるか知ってる?売人、ポン引き、淫売共の巣窟だってよ」

 

「知ってるし、ここに来るまでの短い距離でも、それ両手の指くらい見たわよ。目の前にも居るしね」

 

「あ、あとキチガイ人形の巣穴」

 

「……スコーピオン?」

 

「それだけじゃないけど、まあ主にスコーピオンね」

 

 そんな風に他愛ない会話を楽しんでいると、P7のダミーが2体がかりで木箱を持ってきた。

 

「ほいきた。開けてみて」

 

「ええ」

 

 本体に促されるまま木箱を開けると、そこにはリボルバーのような半解放式の回転式弾倉を持った大きな銃と、専用の弾薬が幾つも置いてあった。

 

「アーウェン37回転式グレネードランチャーとその弾薬。注文通り、確かに納品したよ」

 

「ええ、確かに。はい代金」

 

 まだ国家という枠組みが辛うじて残っているからお札やコインのような通貨は生きているが、昔のような銀行取引は既に廃れてしまっている。ハッキングなどの技術が進歩した現在では、昔ほど電子のお金が信用されていないからだ。

 だから今の取引といえば、現物と現金の取引が主だった。銀行に預金するという概念も失われつつある。

 

 アタッシュケースいっぱいの札束という、旧時代の映像資料(映画)で見るような光景が現実のものとなるなんて、当時それを娯楽として見ていた人間達は考えもしなかったに違いない。

 

「……はい、確かにー。毎度っ」

 

「運び込んじゃって」

 

「はいはいー。もう、人形使い荒いなぁ」

 

 木箱の蓋をしたダミーが再び持ち上げ、今度は出入口の方へ向かっていく。外に止めてある車に運んでくれるのだ。

 

「自分で注文しといて言うのもアレなんだけど、よく見つけたわね」

 

「横流し品を扱ってる所から持ってきたの。こんな古臭い武器なんてもう殆ど使われてないし、見つけるのは苦労したけどね」

 

 何十年も昔の骨董品レベルの代物を見つけるのを苦労した、で済ませられる辺りが、P7の人脈の広さというものを物語っている。

 

「でも、それ使えるの?」

 

「使えるんでしょ?」

 

「武器の動作じゃなくて、ネゲヴが使いこなせるのかって事。いくらグレネードが便利だからって、素人が持ってても重りになるだけじゃない?」

 

「ああ成程。なら心配はいらないわ、私は戦闘のスペシャリストだもの」

 

 自信満々にネゲヴは言い切った。これが他の人形だったならば、心配だなぁとでも返したのだろうが、相手は文字通りスペシャリストのネゲヴである。マシンガン(MG)がメインの癖にHGもARもSMGもRFもSGだって並より上に使いこなすネゲヴなら、まあ使いこなせないなんて事は無いだろう。

 

「そっか。なら良いけど……本当にI.O.P.社製品以外の武器を使うんだ」

 

「だって使えるもの。使ってる火薬も殆ど同じだし、鉄血のクズ共にはこれでも十分よ。何か変?」

 

「言われてみれば合理的なんだけど、ちょっと違和感」

 

 それは、元からASSTシステムによって一つの銃に合うように生み出され、それしか使ってこなかった人形だから感じた違和感だった。

 もちろん他の人形だってハンドガンや手榴弾などをサイドアームとして扱う事はあるが、それはあくまで補助火力。やはりメイン火力はASSTで定められた銃である。

 人形達の武器選択は、基本的にASSTに縛られているのだ。だからこそ、グレネードランチャーのようなメイン火力に成り得る武器を他から持ち出す考えなど無かった。

 

 しかし考えてみれば、引き金を引くだけで撃てる実弾兵器は誰でも扱える。それこそネゲヴのように、ダミーを引き連れたマシンガンの人形のうち四体がリロードを行っている間に、残る一体がグレネードランチャーを乱射する火力支援も可能だろう。

 修練こそ必要だが、それは合理的であると言えた。

 

「よく思いついたね。そんなの」

 

「指揮官からの教えよ。でも最初は凄い無茶ぶりされたと思ったわ」

 

 当時の事を思い出しているのか、ネゲヴの表情が僅かに苦々しい物に変わる。しかし直後にフッと笑ったかと思うと、清々しい顔で言った。

 

「まあ、そのお陰で私はスペシャリストの中のスペシャリストになれたんだけどね」

 

「その話、初耳だよ」

 

「言ってなかったもの」

 

 そう言いながら、ネゲヴは更に札束を取り出した。それが何を意味するか分かっているP7は、ネゲヴに疑問の目を投げかけた。

 

「トンプソンから情報上がってないの?あれと大差無いよ」

 

「上がってるけど欲しいのはそっちじゃないわ。金持ち共の動向よ」

 

 トンプソンが仕入れた情報は、基地のサーバーを介して既にネゲヴにも伝わっているし、指揮官にも報告済みだ。

 しかし、トンプソンが仕入れた情報はあくまでも低層区画の住民から見た情報であり、高層区画の内側までは分からない。

 

「どうせガワだけ作り替えたダミーを金持ちの家で遊ばせてんでしょ?だったらドロドロした話の一つや二つ握ってるんじゃない?」

 

 P7のダミーの一体は金持ち達の中に入り込んでいる。見た目を完全に変え、偽りの名前を持って高層区画に潜り込んでいるのだ。

 そこでしか見つける事の出来ない情報には、もしかしたらグリフィンに不利益な物があるかもしれない。そういう不穏な情報を、指揮官やネゲヴに齎す為である。

 

「まいどー♪」

 

 ……ただし、有料。

 とはいっても、これは危険手当みたいなものだから当然の対価ではあった。

 

「じゃあそうだなぁ……子供の件について、もう少し話そうかな」

 

「例のトラックに積まれた奴ね」

 

「そうそう。で、あれを買いつけた奴らなんだけど……」

 

「どっかの幼女趣味持ちの金持ちでしょ」

 

「そうだけど、場所が場所なの。あれを買いつけたのは、食料関係の王手SG社。その社長よ」

 

 その言葉にネゲヴは僅かに眉を顰めた。SG社といえば、この後の予定で指揮官が出席するパーティーを主催している企業だった筈だ。

 

「見た感じ、そんな人には見えなかったんだけどね。やはり見た目は信用ならないか」

 

「それだけじゃない。この話には続きがある」

 

「……続き?」

 

 やはり、ここに来て正解だった。下からでは把握できないような情報に、ネゲヴの眼光は強いものになっていく。

 

 PMCが請け負う地区を統治する仕事というものは、なにも外敵から街を守るという単純な物だけではない。それだけならば自警団にだって出来る。

 

 PMCが群雄割拠しているこの時代、何処も彼処も他会社の支配地域を奪い取ろうと目を配らせているのだ。大きな枠組み的な意味での国家が戦争を休止している今この瞬間でも、小さな企業による小競り合いは後を絶たない。

 実際にグリフィンだって他会社の支配地域を奪ったりしてきたし、奪われたりもしてきた。

 

 そんなグリフィンの指揮官には、或る意味で一つの小国と化した地区の政治的・経済的な闘争を生き延び、最終的にグリフィンの利益に結びつける能力もまた求められている。……というより、それが出来なければ指揮官と呼ばれはしない。

 一つの地区を任された、と聞くとそれほど大きな役目ではないように思えるが、意味合いとしては"小国の大統領として国家を運営する"というものとイコールで繋げる事が出来るのだった。

 

 だからこそその権力は絶大であり、多くの指揮官見習いという名の雑用係からは羨望や嫉妬の目で見られているのである。

 

 P7がわざわさリスクを犯してまで金持ちの中に潜り込んでいるのも、裏の闘争を有利に運ぶための一手だ。

 今のところはグリフィンに援助している金持ち達だが、結局のところ自分の利益が最優先である。それ故に他会社に内通する者が出ないとも限らない。

 

 その内通をいち早く気付くため、そしてS03地区の権益を守るためにも、このスパイ活動は必須のものだった。

 

「こっちに向かってたトラックは、出発時の三分の一以下しか居なかったってさ。話によると、どうやら工場に運び込んだらしい。ほら近くにあるでしょ?食料工場」

 

「……三分の二も子供?」

 

「いや、残りは子供じゃなかったらしい。ただし人ではあったみたいだよ。あの量の人間を安く買えたって喜んでたから」

 

「子供以外の人……つまり大人達?でもなんで」

 

「そこまでは分からない」

 

 そこから先は、買いつけた本人やSG社の重鎮達にしか分からない事なのだろう。だがそこまで分かれば対策は立てられる。

 

「ありがと。今後もお願いね」

 

「任せといてー。私はこの街を気に入ってるからさ、指揮官にはこれからも此処を統治して貰わないといけないし、そのためにも頑張るよ」

 

 P7に背を向けて出入口に向かって歩く。P7のダミーが扉を開けて、見送ってくれるらしい。

 

「もう行くのー?一杯飲んでけばいいのに」

 

「生憎だけど、これから出撃なの。私が寄ったのは、任務に使うグレネードランチャーを取りに来るためよ」

 

 その言葉を最後に、礼拝堂の扉は閉じられた。残されたP7は少し残念そうにしながら、静かになった礼拝堂で一人ビールを飲み始めたのだった。




前回のアーカイブが読みづらかったので、キャラプロフィールはこっちに移転させます。ご了承下さい。


グリフィン・パーソナルファイル01:S03地区指揮官

年齢は20から30の間。民間からの採用でありながら、それなりの速さで一つの地区を任せられるにまで至った秀才。

色々と黒い噂の絶えない人物でもあり、S03地区の人形達の性格が非常に攻撃的なものに変化しているのは、彼が何かしたからではないかと囁かれている。出世の速さもあり、他の指揮官達からの評判は悪い。
しかし、物資に乏しく、多くの指揮官が運営を投げ出したS03地区を上手く運営できている時点で、それなり以上の能力を持っている事に疑いの余地はないであろう。

同地区の戦術人形、ネゲヴとは誓約を行った関係にある。


グリフィン・パーソナルファイル02:ネゲヴ(S03)

S03地区に駐留している戦術人形。その中でもトップの戦闘能力を持つと言われている。

このネゲヴは教官としても名高く、グリフィンの本部にも彼女の教導を受けた人形は多く居るようだ。その能力の高さを買われて本部で正式に教鞭をとらないかと誘われているが、全て断っているらしい。

それ以外の特徴として、全ての銃を平均以上に扱う事が出来る、マシンガンの戦術人形でありながらワルサーPPKが愛銃だと語る、I.O.P.社製品以外の武器の使用に躊躇いが無い等、比較的特異な人形であるネゲヴの中でも特にイレギュラーな存在。
指揮官の黒い噂と相まって一時期は違法改造された基準違反の人形なのではないかという話さえ持ち上がったが、I.O.P.社が調査したところ問題は見つからなかったようだ。

同地区の指揮官とは誓約を行った関係にある。



あっそうだ(唐突)。ドルフロ界隈の素材ブームに便乗して、これもフリー素材にしてみるゾ。こんな変な奴らを書きたい物好きな御方がいらっしゃったら御自由にどーぞ。事後報告で構いませんからね。
……そんな物好きが居れば、の話ですけども。


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02 Smasher

強盗団撃滅

依頼主:16Lab(ペルシカリア)


やっほー……久しぶりね、ペルシカよ。

今回お願いしたいのは、最近活躍してる強盗団の撃破よ。

こいつらは前からグリフィンの補給車両を襲って物資を強奪してるの。もちろんグリフィンも動いたけど、リーダーがかなり凄いらしくて手を焼いてるみたい。

そこでS03に白羽の矢が立った。囮の輸送部隊で誘き出すから、そこで倒して。凄いのはリーダーだけだから、それを倒せば強盗団は呆気なく崩れ去るはず。

敵は殆どが普通の人間。そっちにはネゲヴも居るし、万一は無いでしょ?報酬は前払いで渡しておくから、それを試すための的にでもすればいいわ。

……え?なんでこんな些細な仕事を私が持ってくるか?

……それは秘密。後で教えてあげる。

あ、そうそう。相手は第一世代型の自律人形を奪って使用しているわ。どっちかっていうと、これの回収がメインミッション。

正直に言わせてもらうと、強盗団なんてどうでもいいの。人間を生かすも殺すも一任するけど、人形だけは出来る限り原型を残して持って帰ってきてね。

もし状態が良かったら追加の報酬も出してあげるわ。まあ最悪パーツだけでもいいけど、追加報酬が欲しいなら頑張って。

よろしくね。


敵戦力:I.O.P.社製 第一世代型自律人形

前払い報酬:16Lab赤外線レーザーサイト 16Lab高速弾 16Lab6-24X56

追加報酬:???



 この世界で生きるためには、どんな物でも喰らわなければならない。

 

 この世界で今日を生きるには、たとえ汚染された腐肉であっても腹に入れて飢えを誤魔化さなければならない。

 

 この世界で明日まで生き残るためには、弱い者がかき集めた無けなしの食料を殺してでも奪わなければならない。

 

 だから食べた。だから殺した。

 苦しい今日を生きる。ただそれだけのために、殺した人間を喰らって、ヒトガタの獣は生き延びてきた。

 倫理観を捨て、役に立たない尊厳をゴミごと胃液のような液体で溶かし、こみ上げてくる様々な感情を口から吐き出した。

 

 明後日という遠い未来の事を考えられるほど、最底辺に余裕はない。明日ですら分からないのに、明後日など分かるはずもないから。

 

 そんな、S03の低層区画がマシに見えるくらいの最底辺に落とされた彼女は、自らの運の無さに絶望した。

 本当なら戦術人形として何処かのご主人様のところに配備される筈だったのに、たった一つの歯車が狂っただけでこうなるなんて、と。

 

 I.O.P.社製の戦術人形を使って武力を売るPMC業務を行っているのはグリフィンだけではない。

 今となっては多くのPMCが戦術人形を採用しており、その商品である彼女達もまた、各地に輸出されている。

 そして、グリフィンのように地区を統治する会社だって存在するのだ。

 

 今は無きその場所は、一部の富裕層のみが極端に肥え、その他大勢がやせ細り死んでいくという、格差の凄まじい場所だった。

 毎日のように富裕層が出すゴミは貧民全員が出す物より遥かに多く、貧民はそのゴミで生き長らえるのが日常。そんな所だ。

 その富裕層が出すゴミの中に彼女は居た。

 

 そこに落とされた理由は大したものではない。彼女が稀に出てくるエラー個体だったというだけのこと。

 たまに見つかる数万分の一の貧乏くじを彼女が引いた。ただそれだけの理由で、スクラップとして投げ捨てられた。意識があるまま、上からドン底へと放り投げられたのだ。

 

 その日から彼女の苦難が始まった。

 下手に味覚がある所為で腐肉の味に悶絶する羽目になり、腹を下し、口から嘔吐物を吐き出した回数など数知れず。

 自分の服装が服装だし、それなりに見れる美少女だったのも手伝ってか、男達に襲われた事も数知れない。

 

 プライドを捨ててまで生き残る意味は何なのだろう。

 この世界では珍しく殆ど汚染されていない雨に打たれ、またある時はゴミの腐臭に鼻をひん曲げながら、彼女はそう考え続けた。

 

 人間でさえも分からない答えを戦術人形の彼女の電脳が出せる筈も無い。

 その答えを出すための思考は、言ってしまえば自分が機能停止(死ぬ)という事実から目を逸らすための一時的なもの。の筈だったのに──

 

 

 無機質な蛍光灯の明かりの下、打ちっぱなしのコンクリート床にぺたりと座り込んだGr G41は、身じろぎ一つしないで、その時を待っていた。

 

「待たせたな」

 

 部屋の扉を開けた音と、聞きたかった声。

 それをトリガーにして冷たかったボディに熱が灯る。止まりかけていた電脳が急速に活性化し、ふわっとしていた意識が覚醒した。

 

 消費を極限まで抑えた眠り(スリープモード)から目覚めたGr G41は、か細く熱の篭った声を出して指揮官に目を向けた。

 

「ご主人様ぁ……!」

 

「悪い。本当に待たせた」

 

 しゃがんで目線を合わせ、ちょっと不器用に頭を撫でてくれる指揮官に身を委ねながら、出された片手に自分の手を乗せて立ち上がる。

 そうして出た部屋の外は、蛍光灯の明かりが廊下の隅までは照らさない程度の暗さであった。

 

「ねえ、ご主人様」

 

「うん?」

 

「次は誰を殺すの?」

 

 まるで親子のように手を繋いで歩いていくG41は、無邪気な声色でそう聞いた。

 

「俺達の敵だよ。これからG41には、俺の代わりに敵を殺してもらうんだ」

 

「敵……うん、分かった。それがご主人様のお願いなら、喜んでやるよ」

 

「ありがとな」

 

 ふっと微笑んだ彼とG41が向かった先は外にあるヘリポートだった。離陸の瞬間を今か今かと待っている輸送用のヘリコプターには、既にG41を除いたメンバーが揃っている。

 

「悪いなネゲヴ、またお前に頼る事になる」

 

「いいのよ、私とあなたの仲でしょ。それより久しぶりの指揮じゃない?まさか指揮の仕方を忘れたなんて言わないでしょうね」

 

「無いとは思うが……まあ万一の時はよろしくな」

 

「よろしくな、じゃないわよ。その万一が起こらないようにするのが指揮官の役目なのに、まったくもう……」

 

 外という事もあり、人形も指揮官もレインコートを着ている。ネゲヴのトレードマーク的な制服やピンク髪はその内側に隠れて見えない。

 しかし、レインコートの内側でネゲヴが呆れたような表情をしながら口元を笑わせているだろう事は、指揮官には不思議と分かっていた。

 

「戦場ってのは想定の範囲内で収まる事ばかりじゃないからな」

 

「分かってる分かってる。とにかく指揮は任せるわ。期待してるわよ」

 

「ああ、行ってこい」

 

 こつんと握りこぶし同士が軽くぶつかり、ヘリコプターの扉が閉められた。指揮官が離れるとヘリが離陸を開始する。

 それを見送ってから、指揮官は指揮を執るために作戦司令室へと向かうのだった。

 

 

 さて、指揮官が指揮を執る方法であるが、主に二種類の方法が採られている。

 

 まず一つ目は、野戦ドローンを戦場に飛ばしてその映像から指揮を執る方法。

 これが最もスタンダードな方法で、殆どの場合は指揮をこれで行う。人形達が動いている様子を見て、リアルタイムで指示を出すのだ。

 指揮官見習いが最初に指揮の執りかたを覚えるのもこの方法からである。

 

 そのドローンを制御する装置や、出撃中の人形の躯体の稼働状況が常に更新され続けているモニター、そして情報を集積するサーバーなどが置かれた作戦司令室は、S03地区の心臓部とも言える重要な場所だ。

 

「59式、ネゲヴ達は作戦領域に着いたか?」

 

「そろそろ着くところ。繋ぐ?」

 

「頼む」

 

 情報処理担当の59式がパソコンのキーボードをカタカタと叩いて回線を繋ぐ。程なくして『sound only』とモニターに表示され、音声だけが聞こえてきた。

 

「よう、さっきぶり」

 

 《ええ、さっきぶり》

 

「調子はどうだ?武器の弾薬は?」

 

 《全部問題なし。戦闘のスペシャリストたる私が、そんな初歩的なミスなんてしないわ》

 

 ドローンのバッテリー節約のために今のところは音声しか送られてきていないから指揮官は確認できないが、ネゲヴのことだ。指揮官が確認するまでもなく、バッチリ終わらせているに違いない。

 

「ならいい。……G41?」

 

 《はいご主人様。なんでしょう?》

 

「久しぶりの外だ。気分はどうだ?」

 

 《……ごめんなさい、よく分からないです》

 

 G41は、外に出たからといって何を感じるという事も無かった。ジメジメしたS03から少し離れるだけでも大抵の人形は気分が晴れやかになるらしいが、G41のメンタルに変化は無い。

 

「いや、謝ることはない。分からないなら分からないでいいさ」

 

 《……分かりました》

 

 《指揮官!Vectorの奴に何か言ってくれんかの?こやつ、わしの言う事をまるで聞かんのじゃ!》

 

 G41にそう言って慰めていると、横から声が割り込んできた。その声は子供ような声だが、どこか爺口調というアンバランスさを感じさせる。

 

「……だそうだが?」

 

 《ナガンに迷惑なんて掛けてないわよ。私はただ、独りでチマチマと楽しんでただけ》

 

 何をとは言っていないが、付き合いが長い誰もがVectorが嗜んでいる物を知っている。そしてそれについて、ナガンことM1895が五月蝿いのも知っていた。

 

「あんまりやり過ぎるな、とだけ言っとく。仕事に支障が無ければいいさ」

 

 《ほらね?だから言ったでしょ》

 

 《なんでなんじゃ!?ええい、ここの連中はどいつもこいつも寛容すぎる!限度というものがあろうに……》

 

 こうやってぶつくさと文句を垂れ流すのもまた、M1895とVectorを組ませた時は決まって起こる出来事だった。

 

 《はいはい。作戦領域に到着したわ、おしゃべりはここまでよ》

 

 ネゲヴがそう言ってから少しすると、ドローンが出した映像が作戦司令室のモニターに映し出される。

 恐らくはネゲヴが小脇に抱えているであろうドローンは、ヘリコプターの内部を横向きに映していた。

 

「囮の輸送部隊の後方に投下後、ヘリは離脱する。忘れ物は無いな?」

 

 《無いわ。……戦闘モード起動、行くわよ!》

 

 ヘリコプターの扉を開け放ち、そこから地面に飛び降りたネゲヴに合わせてドローンが送る映像も揺れる。

 数秒ほど乱れた映像の後で、一面に広がる荒野が広がった。空中に浮いたドローンから送られてくる映像では、先で戦闘しているらしい様子が伺えた。

 

「ペルシカが言うには、囮の輸送部隊には人形も複数体ついてるらしい。お前達はその後方に投下された後に、そっちに加勢するのが提示されたミッションプランだ」

 

 《確認したわ。まあ抵抗しないと罠だってバレるものね》

 

 《その割には押されてるみたいだけど?》

 

「時間を稼げればいいだけだからな。何も知らされてない低練度の人形が主なんだと。具体的には2Linkが最高練度らしい」

 

 《つまり、ひよっこという事じゃな》

 

 戦術人形達はダミーネットワークというシステムによって、最高で四機の自分そっくりなダミー人形を統率して運用する事が可能である。

 しかしそれには戦闘を積み重ねて自己の電脳を進化させる事が不可欠であり、最高の5Linkともなれば百戦錬磨と呼ばれるくらいでないと到達できない。

 

 2Linkをひよっこと評したM1895は5Linkであり、戦闘経験だけで言うなら、まさに百戦錬磨の老兵だ。

 

「まあ、そういう事だ。とにかく前進」

 

 《人形達は助けるの?》

 

「どちらでも。生かしておいてもボーナスは無いが、見殺しても報酬は減らされない。弾を無駄にしたくないならスルーでいい」

 

 《何を言うか!ひよっこが目の前で苦戦しているというのに、見殺しになど出来るわけがなかろう!》

 

 指揮官の発言にM1895が真っ先に反対した。S03には珍しい良識派な彼女からすれば、見捨てるという行為は到底許せるものではないのだろう。

 

「……だそうだが?」

 

 《私としては反対だけど……ここで待っててもナガンが単体で突撃しそうよね》

 

 《無論よ!行かぬと言うのなら、お主たちはそこで見ておれ!》

 

 放っておくとダミーを含めた五体だけでも真っ直ぐ突っ込んで行ってしまいそう……というか、本人が言い切っているし間違いなく行く。

 正直、放っておいても良いのだが、後で拗ねたM1895のフォローをするのは面倒くさい。

 

 《行かないとは言ってないでしょ。……ナガンのダミー代より弾代の方が安いし、仕方ないか》

 

「年寄りの言う事は聞かないとな。ダミーの方が高いし」

 

 《ふふん、決まりじゃな!早速ゆくぞ!》

 

 《ダミーの金額と天秤に掛けられてる事に気付きなさいよ……》

 

「Vector静かに。黙ってたらバレないから」

 

 とにかく、一団は援護のために先へと進む事になった。率先して走るM1895が持つ、ハンドガン特有の高移動力に置いていかれないように先へ進むと、なにやら様子がおかしい。

 

 《何よあれ、押されてるじゃない。しかも一体に》

 

 《これは酷いわね。今まで何やって生きてきたんだか》

 

 Vectorの言う通り、たった一体の人形相手に劣勢に陥っている人形部隊が見えたのだ。ペルシカの話を信じる限りでは、あれが第一世代型の自律人形なのだろう。

 しかし、単純な行動しか出来ない自律人形に押されるなんて、分かってはいた事だが凄まじく低練度のようだった。

 

 《トラックも横転してる》

 

 《やはり駆けつけて正解じゃな。……生きていろよ》

 

 両目が青いG41の言葉にM1895が頷いた。

 G41の左眼は本来ならレティクルが表示されて赤く変色するのだが、彼女にはその変化が無い。エラー個体の彼女は、そこが上手く動作しないのだ。

 

「59式、ドローンを先行させて様子を伺えるか?」

 

「まっかせといてー。ドローンの操縦テクには自信あるから」

 

 ドローンが先行し、司令室のモニターに戦場となったトラック周辺の映像が映し出された。

 ちょうど最後の人形が抵抗虚しく頭を撃ち抜かれて機能を停止したところであり、その周囲には人形の残骸が転がっている。

 

「……ん?」

 

 しかし指揮官が注目したのは、指揮官をやっていれば自然と見慣れる残骸ではなく、自律人形でもなく、その自律人形を従えているらしい男であった。

 彼の手に握られた二振りの実体ブレードに見覚えがあったのだ。

 

「あれは……」

 

 《指揮官、どうしたの?》

 

「強盗団のリーダーらしき奴を見つけた。自律人形と一緒に、そこに居る」

 

 《探す手間が省けて良い……なんて、声を聞いてる限りだと言えないわね。何か問題でもあった?》

 

 こういう作戦中は狼狽える様子を聞かせて不安にさせないよう、なるべく声色を変えないように気を使っているのだが、ネゲヴの耳は誤魔化せない。

 ぴしゃりと内心の変化を言い当てられ、ネゲヴ相手に嘘はつけない事を再認識しながら言葉を放つ。

 

「まずは一つ目の悪い知らせだ。人形部隊は全滅した」

 

 《くっ……間に合わんかったか》

 

 M1895の声には、抑えきれない無念が滲んでいた。いくらバックアップから復活可能といっても、目の前で助けられたかもしれない物を見捨てるのは気分が悪いようだった。

 

「それで二つ目なんだが──」

 

 ……そこから先を口に出す事は出来なかった。映されていた男が、急に叫んだからだった。

 

 

 

 ………………最初は、食いっぱぐれの無い最高の仕事だと思ってた。

 幼い頃から貧困に喘ぎ、日々痩せ細っていく村の人々を見てきた彼にとって、食いっぱぐれないという一点は凄まじく魅力的だったのだ。

 

 彼は文字が読めない。そこまでの教育を受ける前に村が壊滅してしまい、一人で生きざるを得なかったからだ。

 そんな彼に仕事など有るはずもなく、スラムで死なないために今日を生きるという生活を送っていた時、声をかけられた。

 

『私達は君のような人材を求めている。我々の元で働く気はないか』

 

 怪しいとは思ったが、彼に仕事のアテなど無い。その提案に頷く以外の選択肢など、初めから存在しなかった。

 

『これが次の素体かね?』

 

『はい。資料によると、スラム街の人間だとか。しかし、相当衰弱しているようですよ。これじゃ死人と殆ど変わらない』

 

『スラム街の連中など、元より死んでいるも同然だ。……だがこの手術で生まれ変わるさ』

 

『生きていれば、ですが』

 

『まあそういう事だな。では始めようか』

 

 何処かの研究所のような施設に連れてこられた彼が最初に受けたのは、気が狂いそうになる苦しみを与えられ続ける手術だった。

 その手術が自らの身体能力を強化したのだと気づいたのは、痛みから解放された三日後の話である。

 

 そこまでは天国のような生活だった。食べ物には困らず、シャワーだって浴びられた。訓練は少し厳しかったが、前までの死にかけていた頃に比べたら屁でもない。

 当初抱いていた不信感なんてものは完全に消え去っていた。

 

 その生活が終わりを告げたのは、その手に武器を持たされ最前線へ送られた時からだった。

 しかし当初、深い事は考えなかった。ぼんやりと最近暴れている"テッケツ"とかいうのと戦うのかと考えたくらいだ。

 

 だが彼の予想とは異なり、戦う相手は鉄血などではなかった。では人間なのかというと、そうでもない。

 

 だったら何かというと……E.L.I.Dである。そう、彼は知らないうちに正規軍に入隊させられていたのだ。

 

 コーラップスに被爆してしまった生命体が運悪く即死せず、怪物へと成り果ててしまった異形の化物たちは、最新のレーザー兵器などを持ち出し、扱う人間の肉体を改造して初めて戦えるようになる人類の負の遺産。

 現在では世界各国が対処に追われるE.L.I.D達は、酷いものだと昔の怪獣映画に出るような巨体を持って人類の数少ない生活圏を壊しにやって来る。

 

 普通の銃弾は通用せず、大きくなれば戦車砲すら弾き返すような化け物と日夜死闘を繰り広げた彼の精神は徐々に壊れていった。

 そして自分の真横で戦っていた奴がE.L.I.Dに生きたまま腹を喰い破られる瞬間を見てしまった時に悟ったのだ。食いっぱぐれない飯よりも命こそが大事。あんな化け物どもと殺り合ってたら命が幾つあったって足りない。

 

「扱いづらい武器だって話だったが……」

 

 だから軍から逃げ出した。同じ気持ちだった仲間と一緒に。

 もちろん追われ、他の仲間は殺されたか連れていかれた。だが彼だけは逃げられた。

 

「軍の兵器が、民生用の型落ちに負けるわけねぇだろ!」

 

 逃げる際に軍の倉庫から強奪した、凄まじい切れ味を誇る二本一対の実体ブレードと外骨格を使って強盗団を組織した彼は、軍に入る際に改造された身体と奪った武器を使ってあらゆる物を強奪してきた。

 だが、その心に立ち込める暗雲が晴れることはなかった。E.L.I.Dとの戦いでこびり付いた恐怖は、彼の心に深い傷を残していたのである。

 

敵機確認。A-1、オペレーションを開始します

 

「行くぞぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

 壊れそうになる心から目を逸らすために、そして自らを奮い立たせるために、彼は叫んだ。

 

 奪った物資の中に、我を忘れられる薬が混じっている事を祈りながら。

 



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Smasher ②


もう少し丁寧に描写すれば良かったかなと後悔してる。



 

「なんか突っ込んできとるんじゃが?!」

 

「なに、気でも狂ったわけ?」

 

 突っ込んできた彼を見て、M1895は度肝を抜かれたような声を出した。

 まさか人間が前線に出てくるなんて、という気持ちがありありと声に出たVectorが銃口を向け、そして気がつく。

 

 早い。外骨格を装備しているとはいえ流石に早すぎる。

 

 その速度にネゲヴは心当たりがあった。僅かに眉が上がり、そして自分の持つ情報と照らし合わせて間違いが無い事を悟った。

 指揮官もそうであったらしく、外れて欲しかったんだが……という声が聞こえる。

 

「あの速度はまさか……指揮官!」

 

 《それが二つ目の悪い知らせ。ほぼ間違いなくアレだろうけど、いま解析させてるから取り敢えず迎撃。……どうだ59式、出たか?》

 

 《出た、けど……ああくそっ、そういう事ね!》

 

「早く!」

 

 迎撃、と言われた瞬間に引き金は引いている。しかし持って来ていたらしい盾に阻まれ、更にはその高機動も相まってダメージを与えられていない。

 口ごもった59式にネゲヴが怒鳴る。そうしている間にもどんどん近付いてきていた。

 

 そして、最悪が裏付けられる。

 

 《そいつ強化人間よ!反応速度と身体能力が普通の人間のそれじゃない!》

 

 強化人間、という単語にネゲヴは露骨に舌打ちをした。まさか強化人間なんていう巫山戯た奴の相手をまたさせられるだなんて思わなかったのだ。

 ブリーフィングでは一切触れられていなかったが、ペルシカは恐らく分かっていたのだろう。とネゲヴは確信していた。そうでなければ16Lab謹製の装備を複数放出する訳がない。

 

「チッ!ペルシカの個人依頼だから、どうせロクなのじゃないとは思ってたけど!」

 

 《報酬前払いの時点で嫌な予感はしてたんだよな……》

 

「言っとる場合か!来るぞ!」

 

「どうすんの?」

 

 《……まあ出会ったからには仕方ない。やるべきは一つだ》

 

 Vectorの問いを受けた指揮官の言葉に、ネゲヴは頷いた。そこから先は言われないでも分かる。

 

「ええ、そうね。──後退しながら一斉射撃!こっちに寄らせたら負けよ、絶対に近寄らせないで!!」

 

 《モニターを人形視点に切り替える、ドローンを特攻させて時間を稼げるか?》

 

 《やってみるけど、コンマ一秒だって稼げないと思う……!》

 

 ネゲヴの一声で部隊は動き始めた。バックステップで後退しながら一斉射撃で迎撃する。

 そんな部隊とは真反対にドローンは特攻した。多少なりとも稼げれば御の字というような行為だったが、59式の予想通りにコンマすら稼げずに撃ち抜かれ、ドローンは物言わぬ鉄くずに変わり果ててしまう。

 

 ドローンが破壊された事で一時的にモニターの映像が途絶えたが、直後に上下にガクンガクン動く映像に切り替わった。

 

 万が一ドローンが落とされた時や、ドローンを飛ばせるだけのスペースが無い時は、人形の視界を使って指揮を執る。これが二つ目の指揮の執りかただ。

 だがこの方法は人形の視界の範囲内でしか見れないために指揮が執りづらく、緊急用の手段という意味合いが強い。

 

 そう、たとえば今のような時に。

 

 《ネゲヴ、しかもあれVendetta(ヴェンデッタ)だ》

 

「冗談キツいわよ指揮官!……軍の連中め、E.L.I.Dに使えないからってあんな物を放出するなんて!!」

 

「あの武器知ってるの?」

 

「詳細は省くけど、簡単に言えば凄い頑丈で切れ味のいいブレードよ!核シェルターだってバターみたいに解体できる代物!!」

 

「そんなヤバい代物を、たかが一強盗団風情がなんで持っとる!?」

 

「強化手術は軍に入る時しか受けられない、つまりそういう事よ!」

 

 ああいう寄られたらヤバい近距離武器持ちの相手は、一定の距離を保ちながらの射撃戦で消耗させるのがセオリーだ。ネゲヴが引き撃ちという戦法を取ったのも、そのセオリーに従ったからである。

 

「のわっ……!?なんてデタラメなジャンプじゃ!強化人間というのは何でもありなのか?!」

 

 《まあ強化人間だからなぁ……二階の窓に、ただのジャンプで飛び込む連中だぞ?》

 

「E.L.I.Dと戦えるくらいの強化なんだから、それくらい出来て当然でしょ!」

 

 しかし、大きくジャンプして空に輝く太陽を背にし、視界を潰そうと三次元的な機動で迫ってくる様子はM1895の度肝を抜いた。

 そんな事が出来るとは夢にも思わなかったが、指揮官とネゲヴ曰く驚くことではないらしい。どうやら強化人間になると、そのような曲芸じみた動きも可能になるようだ。

 

A-1、攻撃を開始します

 

「自律人形からも攻撃が来た……強化人間にばかり気を取られてるとやられるわ!牽制の弾幕を張りながら、自律人形から目を逸らさないで!」

 

「……あの自律人形、狙いが結構的確ね。嫌な位置にバシバシ飛ばしてきてる」

 

「Vector!お主さっきからなんで、そんなに冷静なんじゃってうわっ!?」

 

 それだけではない。引き連れている自律人形が足や腕といった部位に的確に攻撃を飛ばしてきて、迎撃に集中する事も出来ない。

 弾速や威力からして、恐らくはスナイパーライフルだろう。なんとかしたいが、前衛が強化人間なだけに距離を詰められなかった。

 迂闊に距離を詰めてしまえば、民生用であるM1895達より上回る身体能力から繰り出される攻撃で簡単に切り刻まれてしまう。

 

「ご主人様、私が行きますか?」

 

 《まだ待て。お前を使うのは、ここ一番の大詰めだ。それまでは五体満足で生きててくれ》

 

「分かりました。それがご主人様の命令なら」

 

 飛び出そうとしたG41を宥めながら、指揮官は難しい顔でモニターを見た。

 スナイパーライフルを持っている相手から距離を取るなんて愚策もいいところだが、ライフルを相手に引き撃ちをしなければ全滅しかねない。

 相手の厄介さに溜息をつきながら、指揮官は思わずボヤいた。

 

 《面倒だな、まったく》

 

「くっ!?ダミーが!」

 

 M1895の悲鳴混じりの声でモニターに目を戻せば、作戦開始当初は×5だった数字が×4に減少していた。ダミーが一体落とされたのだ。

 他の人形の状況を見れば、誰もが多少なりとも傷ついている。

 Vectorはダミーの一体が破損一歩手前だし、G41も擦り傷が僅かに増えた。ネゲヴは殆ど傷がないものの、弾薬の面で少々不安である。

 

 ジリ貧と呼んでいい現状が続くのは非常にマズい。だが、今のところはどうしようもない。

 ネゲヴ達には、このまま下がるという選択肢しか用意されていなかった。

 

「指揮官、後ろのヤツがウザイわ。何か作戦はある?」

 

 《そうだな……スモークグレネードは装填してあるか?》

 

「最初の一発だけにね。弾薬自体は二発あるけど」

 

 《じゃあ使って自律人形の視界だけを塞げ。すぐ抜けられるだろうが無いよりはマシになるはずだ》

 

「了解。やってみるわ」

 

 言われた通りにウェポンハンガーに引っかかっていたアーウェン37を片手で持つと、まあまあ正確に狙いを定めて引き金を引いた。

 放たれたスモークグレネードは自律人形の少し手前に着弾し、その視界を煙で塞ぐ。

 

 《それからグレネードも一発おみまいしてやれ。上手く行けば、これで落ちるはずだ》

 

「これで落ちろ……!」

 

 恐らく抜けてくるであろう場所にグレネードを置いておく。単純なAIしか持たない第一世代の自律人形であれば、これでグレネードに直撃する筈だった。

 

 だが予想を裏切り、自律人形はグレネードに直撃しなかった。まるでグレネードが飛んでくる事を見抜いたかのように、大回りして煙から飛び出してきたのだ。

 爆発ダメージを最小限に抑えられた事にネゲヴは驚愕した。まさか自律人形風情にそんな事が出来るなんて思わなかったからだ。

 

「なに?もしかしてAIが強化されてるの!?」

 

 《おいおい……!》

 

「しかもアレ、なんか変じゃないかしら?良く見たら腕から銃が生えてるように見えるんだけど」

 

 指揮官がブレる映像の中で確認をしてみれば、Vectorの言う通り、自律人形の腕にあたるところから銃が生えている。

 

 それを見た59式が、目を見開いた。

 

 《あれは……!》

 

「あれは……なに?」

 

 《………………》

 

 《59式?》

 

 黙りこくった59式が心配になった指揮官が声をかける。すると、ちょっと元気がなくなった59式が説明をしだした。

 

 《ああ、ごめん…………あれは最近出回ってる武器内蔵型の特殊腕ね。動き回りながら高火力の攻撃を放つ、をコンセプトに作られたものよ。あれは恐らくスナイパーライフル内蔵型のタイプ》

 

「なるほど。動きながら的確に狙ってこれる理由はそれか」

 

 《武器腕。となると考えられるのは……》

 

「考えるのは後にしてくれんか!それより対処法とかを言ってくれんと、何時までも持たんぞ!?」

 

 足元に着弾した弾丸が大地を穿ち、勢い良く散らばった小石の破片がM1895の頬を掠める。

 細く赤い線が出来て、そこから垂れる擬似血液が服を汚すのにも頓着していられないくらいに、現状はマズかった。

 

 《武器腕は動きながら高火力の攻撃が出せるけど、デメリットとして装甲が脆いし、最悪の場合は弾薬に誘爆して自爆する。でも……》

 

 《ご丁寧な事に、こっちの有効射程に入らないように立ち回ってやがる。有効打を与えるには距離を詰めるしかないが──》

 

「強化人間相手に距離を詰めたら切り刻まれる。私は兎も角、他の連中はね」

 

「ならどうする?このまま続ければ弾が無くなるぞ!弾切れを起こせば同じ事じゃ!」

 

 実体のある弾を使っている以上、弾切れ問題はどうにも出来ない。移動力を損なわない程度に弾薬を持ってくると、あまり長時間の戦闘は展開できず、短時間に限定しても5回が限界だ。

 だからこそ通常の作戦時は物資輸送が可能な飛行場を確保して、そこで適宜弾薬や糧食を補給するのが当たり前なのだが、今回はそれを行えない。

 

 そしてこの戦闘で既にばら撒かれた弾は、おおよそ戦闘3回分。つまり中ピンチから大ピンチに移ろうかというところ。

 

「ナガン。ちょっと静かにしてくれないかしら?キンキン耳に響くのよ」

 

「これで騒ぐなという方が無理じゃろうVector!」

 

「こういうのは慌てた方が負けって言うじゃない。平常心でいいのよ。打開策を考えるのは指揮官の仕事なんだから、私達は黙って撃ってればいいの」

 

 耳元を掠めた弾丸にすら眉一つ動かさずVectorは言った。

 

 死んでも死ぬだけだ。それに戦術人形達にとって死は終わりではなく、人間がゲームでプレイヤーキャラを殺す程度の感覚でしかない。

 なのに、どうしてそれを恐れる事があろうか。

 

 ここに立つ自分自身だって、もう何体目の自分なのか分からないのに。

 

「どうせ私達には、人間のように柔軟な対応は出来ないのよ。だったら、ぐだぐだ喚いて指揮官の思考を削ぐのは賢明とは言えない」

 

「それは、そうじゃが……!」

 

 焦っても仕方のない事だと割り切ったVectorは、およそ戦場にいるとは思えないくらい穏やかな気持ちで引き金を引いていた。

 

「……もう限界か」

 

 足を撃ち抜かれたために放棄されたVectorのダミーを見た時、指揮官の頭に一つの考えが閃いた。

 

 指揮官は脳内で自分の考えを急いで纏めていき、それが言葉として漏れる。

 

 《……そうだな、これなら何とか行けるか?》

 

「なに考えてるのかは知らないけど、やるなら早くしてよね!」

 

 片手でアサルトライフルを、もう片手で予備火力のハンドガン(ぴぴこ)を持って牽制の弾幕を張りながらネゲヴは言う。

 アサルトライフルのマガジンが次の一つで底をついてしまう。これが無くなると、一マガジンしか無いサブマシンガンと二マガジンしか無いハンドガン(ぴぴこ)、そして弾数が少ないアーウェンしか無くなって、安定した火力が吐けなくなる。

 

 それだけでなく、既に人形の損失も馬鹿にならなくなっている。M1895とVectorのダミーが一体ずつ大破し、M1895のは二体目まで壊されかけていた。

 このまま続ければ部隊の損害が洒落にならなくなるし、それは副官として容認できなかったのだ。

 

 そんなネゲヴの急かしに指揮官は思い切った。どの道、取れる選択肢は多くない。

 迷って被害を大きくするよりは、賭けでも決断した方がいいだろう。

 

 《分かった。ネゲヴ、アーウェンの弾薬は残ってるな?》

 

「リロード用のならスモーク一発、通常弾頭が二発よ!」

 

 《よし。ナガン、ダミー借りるぞ。その片腕が千切れた破損寸前の奴でいい》

 

「それは構わんが、こんなボロボロのダミーを何に使う気じゃ?」

 

 今にも稼働限界を迎えて機能停止してしまいそうなダミーを指さしてM1895は疑問に思う。

 ここまでボロボロだと、もう用途なんて見つかりそうにないと思うのだが……

 

 《なぁに、単純な話さ。どうせ損するなら、その損を少しでも得に変えようってだけだよ》

 

 指揮官の姿は見えないが、その口元が笑っているだろう事を、その場の全員がイメージできるくらいに声の色が変わっていた。

 

 《ネゲヴ。かなりの速度で吹っ飛ぶ弾頭を的確に狙い撃てるか?》

 

「……私を誰だと思ってるの?それくらい鼻歌混じりに出来るわ」

 

 何をするのかを理解したネゲヴが不敵に笑う。なるほど。確かにこれは、損を僅かながら得に変えられる方法だ。

 ダミーを損失する時点で損だが、壊れかけならば損を軽減できるし、戦術に活かせば得になる。

 

 《よし、なら頼む。ナガンはダミーをネゲヴに寄せて、アーウェンのスモーク弾頭を抱え込んでくれ》

 

「……なるほどのう。特攻か」

 

 指示を出されれば、何をするのかは理解できた。指揮官は壊れかけのダミーを使った特攻をしようとしているのだ。

 

 《ああ。ナガンのダミーにスモークグレネードを持たせて特攻させる。そして自律人形と強化人間を始末する》

 

「勝算は?」

 

 《向こうの出方次第になるが、それなり以上にあるさ。お前が居るからな》

 

 それを聞いたネゲヴの口元が喜色に歪んだ。

 

 特攻要員を容易に確保できるのはダミーネットワークの功績の一つだろう。

 爆散させても心が痛まないし、飛び散る生態部品が相手の精神にダメージを与えられる。無駄に人間っぽく作ってあるから、飛び散る部品が人間のバラバラ死体っぽく見えるのだ。

 

 後は財布が痛まなければ最高だが、そこまで望むのは流石に高望みしすぎか。

 

「ならいいわ。こっちで隙を作るから、合図はそっちでお願い」

 

 《ああ。分かってる》

 

 指揮官はネゲヴの視界を使ったモニターを睨みながら、奥の自律人形の発射間隔をカウントしていた。

 一発……二発……三発……という間隔であるらしい事を、59式が分析して伝えてくる。

 連射の間隔は狭くないが、広くもない。発射直後の一瞬が勝負の分かれ目になるだろう。

 

 《耐えろ……》

 

 まだ狙いを定めているのか、自律人形は撃ってこない。

 そうしている間に、ネゲヴの持つアサルトライフルの弾が無くなった。

 

 ネゲヴが手早くそれを投げ捨て、ハンドガン(ぴぴこ)に持ち替えてから両手のそれをバラ撒く。

 

 《耐えろ……》

 

 弾幕の勢いが弱くなってしまったからか、更に距離を詰められた。油断すると、強化人間の一足飛びでブレードの射程内に入れられてしまいそうだった。

 

「オラァッ!」

 

 リロードタイミングなどを重ねて、弾幕を途切れさせた一瞬に地面が爆ぜた。

 戦術人形の目をもってしても捕捉が難しい早さで、ネゲヴの懐に飛び込んでくる。

 

 《耐えろ……っ!》

 

「ナガン!ダミー借りるわよ!」

 

「好きに使え!後で返してくれるならの!」

 

 ぶぉん!と空気を切り裂く音と共に振るわれた実体ブレードを、ネゲヴは空いていた右手で掴んだ、まだ損傷の無いM1895のダミーで阻んだ。

 

 ネゲヴが言っていた通り、バターのようにアッサリぶった切られたダミーから擬似血液が勢いよく吹き出し、外骨格やブレードを染め上げる。

 しかし、一瞬ではあるが時間が稼げた。その僅かな間に距離を取りながら、G41やVectorの援護射撃を受けて後退に成功。

 

「そらっ、来なさい……!」

 

A-1、ターゲット確認。中量二脚

 

 だが、その後退行動を読んでいたかのように自律人形がネゲヴの後退先に弾丸を放った。

 後退する位置を予測した自律人形がヘッドショットを狙ったのだ。

 

 その正確無慈悲な弾丸は、そのまま進めば狙い通りにネゲヴの頭を撃ち抜いただろう。

 

 それが、予定調和でなければ。

 

 《突っ込め!》

 

「この瞬間を待っていたのよ!ナガン!!」

 

「言われずともじゃ!」

 

 敵のAIは優秀だ。隙を見せれば容赦なく撃ち抜いてくる。

 

 しかしそれは、裏を返せば隙をワザと作ってしまうと我慢が効かずに撃ってしまうという事でもあった。

 

 《次弾装填から発射までの間に仕込みを終わらせるぞ!》

 

 足を地面に陥没させ、後退の勢いを無理やり殺してから前進のために動かす。

 脚力だけで地面を抉りとりながら、ネゲヴはスモークグレネードを抱えたM1895のダミーと並走した。

 

 《飛ばせネゲヴ!》

 

「そらぁっ!!」

 

 経験から僅かに早く指示を出した指揮官に言われ、ネゲヴが思いっきりそのダミーを蹴り飛ばす。

 指示を言葉にするタイムラグを織り込んで合図を早くした事が功を奏し、ダミーが背中からパーツを撒き散らして崩壊しながら、指揮官が思い描いた通りに狙った場所まで飛んでいった。

 

 全力の蹴りに耐えられるだけの耐久力が無かったダミーは、最後に残った上半身だけでスモークグレネードを投げて、その役目を終えた。

 地面に落ちた目玉部分のパーツを踏み潰しながらネゲヴはハンドガンを乱射、牽制の弾幕とグレネードの弾頭を撃ち抜くという2つの目的を達成する。

 

 炸裂した弾頭から煙が一帯を包み込み、強化人間の姿も煙に紛れて見えなくなった。

 

 時間にすれば一瞬だが、その一瞬を見逃す無能は此処にいない。

 

 《今だG41!自律人形に噛みつけぇ!》

 

「はいっ!!」

 

 合図と同時か、それよりも早くG41は走り出した。ダミーを引き連れたG41が勢い良く煙の中に飛び込み、自律人形を目掛けて一目散に突撃する。

 

「通さねぇよ!」

 

 もちろん、彼とて側を通る人形を見逃しなどしない。足音から進行経路を予測して、その道を塞ぐように移動すると、予想通りにやって来たG41に向かってブレードを振った。

 

 しかし、ここで彼にとっての予想外が発生する。

 G41が、ブレードの存在など無いかのようにシカトして突き進んだのだ。

 

 当然、進路先にブレードを置いているのだからスッパリと斬られる。もちろん人形にも痛覚が無駄にあるから、上半身と下半身が泣き別れる痛みというのは尋常のものではない筈だ。

 

 だというのに、その無機質な表情に変化は無かった。死ぬほど痛い目に遭っているというのに、どこまでも変化が無い。

 今まで痛みに呻くか泣き叫ぶという、人間らしい反応を見せる人形を殺してきただけに、G41のような反応が一際気味悪く思えた。

 

 更に強化人間特有の動体視力で無機質な青い両目と目が合ってしまい、彼の背筋に氷を突っ込まれたような寒気が走る。

 

 その間にも、G41の本体とダミーは自律人形に向かい一目散に駆けていった。

 

 《とっつけネゲヴ!ナガンとVectorはその援護!》

 

 その直後、指揮官は更に声を荒らげる。ここが正念場だけあって、その声には普段は無い熱意が宿っていた。

 

「言われなくても!」

 

「了解じゃ!」

 

「分かったわ」

 

 とっつき。正式名称はパイルバンカー。

 スカートで隠れる太ももに巻き付けられたホルダーに格納してあった、小さなそれを手に取ると、迷うことなくネゲヴも突っ込んだ。

 

「なッ……!?」

 

 G41の気色悪さに気を取られ、反応が遅れてしまう。咄嗟にブレードを振り回して距離を取らせようとするが、その頃には全てが遅かった。

 回避行動を取ろうにも、VectorとM1895の援護射撃が邪魔で動く事も出来ず──

 

「どうせ死なないでしょ!喰らいなさい!」

 

 速度が乗った渾身の右ストレートにパイルの破壊力が乗り、凄まじい威力を持った一撃が彼の腹部を捉えた。

 

 対人でぶつけていい威力ではない。マトモな人間であれば、ぶつけた場所に大穴が空いて即死である。

 

 しかし、そこは強化人間だ。

 E.L.I.Dに腹を喰い破られ、身体の至る所を貪られても5分ほどは死ねない頑丈さを持つ身体は、とっつかれても上と下が泣き別れなかった。

 

「がぁあああッッ!!」

 

 だが、いくら強化人間といえど、その衝撃までは無効化できない。

 

 外骨格を粉砕されながら吹き飛ばされた際に片手から離れ、空中を舞ったVendettaをネゲヴは掴んで距離を詰めた。

 

「かはっ、げほっげほっ!」

 

 地面に倒れた際に頭を強打したのか、その目は焦点が定まっていない。

 そして、そのすぐ近くには、もう一振りのVendettaが転がっている。どうやら倒れた衝撃で手が離れたようだった。

 

 それを取ろうと地面に這わせていた手を踏んづけて、ネゲヴが首筋にブレード刃を添える。

 

 決着はついた。

 

「終わりよ」

 

「くそっ!俺が、民生品の型落ちなんかに……っ!」

 

「強化人間だから勝てるとでも?お生憎様、お前みたいな奴の相手は慣れてるの。

 戦術も何も無い、身体能力に物を言わせたバカの相手はね」

 

 ぶっちゃけてしまうと、彼だけならネゲヴにとって何の脅威でもないのだ。

 今回やけに苦戦したのは、前衛の彼と後衛の自律人形のコンビネーションが合っていたから。そして武器腕とAIが優秀だったから。

 自律人形が八割くらい苦戦の原因であり、残りの二割はブレードの力。その両方の無い強化人間など、ネゲヴにとっては恐れるに足らず。

 

「まあ、褒めてはあげるわ。Vendetta(これ)の使い方もなってないのに、良く生き残れたものね」

 

「それは……俺の……!」

 

「お前の?違うわ。このブレードも、その外骨格も、あの自律人形も、何一つお前の物じゃない」

 

 G41が自律人形の首を顎の力だけで引きちぎって、本物の犬みたいに咥えている。

 無理に引きちぎられた首からは幾つものコードが伸びて、首から上が無い自律人形のボディは噴き出したオイルに汚れていた。

 

「色んなものを奪ってきたんでしょ?だったら、奪われても仕方ないわよね」

 

 それが、別れの言葉だった。

 

 

 

 正真正銘人間の血液に汚れながら、ネゲヴは盛大に溜息をついた。

 

「……酷い目に会ったわ」

 

 《まったくだ。依頼主が意図的に情報を伏せるのは良くある話だが、今回のは流石に見過ごせないな。後で文句言っといてやる》

 

「お願いね……それにしても、この自律人形に使われてる武器腕なんて見たことないわ」

 

 まるで噴水のようにオイルを撒き散らし終えたボディに近付いて、それを見た。

 途中まで人間のような肌をしているが、ある一点を境に無骨な銃身が光る。

 

 《それを売ってるのはAI研究所、だったか。第二世代型の戦術人形が主流の今になって、第一世代型の自律人形向けの装備やAIを売る新興組織》

 

 《規模や人員数は一切不明。オマケに接触はメールや代理の人間を立ててる徹底ぶり。I.O.P.社も正体を追ってるみたいだけど、まだ掴めてないみたい。

 でもI.O.P.社製品の自律人形に手を加えられるって事は、よほど優れた科学者なのか……それともI.O.P.社に内通者が居るのか……》

 

 指揮官の説明を引き継いで補足した59式の言葉に、M1895は胡散臭いという思いを溜息に乗せて言った。

 

「聞くだけでも分かるくらい胡散臭いのう。そんなところの製品を使うなんて、どうしてなんじゃ?」

 

 《……グリフィンに居ると忘れがちだけど、お前たち第二世代型の戦術人形は高価(たか)いんだ。

 だから代わりに比較的安価な自律人形をメインにしてるPMCは幾つもある》

 

 この自律人形もまた、そうしたPMCに売られる予定の人形だったのだろう。さっきのを見る限り、AIにも手が入っていると見て良さそうだ。

 フルチューンされた自律人形を奪われるなんて、と思わないでもないが、下手な人形の小隊ならば強化人間単独でも勝てるだけのポテンシャルはある。軍の装備があれば尚更だ。

 

「まあそうでしょうね。戦争、炭坑夫、従業員、ダッチワイフやラブドール……ああ、嫁や婿も出来たわね。そんな感じであらゆる用途に使える商品があたし達だけど、コストもそれ相応に高いわけだもの。

 ローエンドのおんぼろナガンだって、自律人形に比べたら高級品よ」

 

「さらりと失礼じゃな!?」

 

「あらごめんなさい。目の前に良い例えが居たもんだから、つい」

 

 死線をくぐり抜けた安心感からか、平時の軽口が戻って来た。M1895とVectorのやり取りを聞き流しながら、指揮官も安堵の溜息と共に言う。

 

 《AI研究所と言うだけあって、そのAIは出来がいいらしいってのは聞いてたんだ。正直、誇張なんじゃないかと疑ってたんだが……》

 

「紛れもない真実だったわね」

 

 《ああ。ちょっと値は張るらしいけど、下手な第二世代型の戦術人形を揃えるより安く済むし、それなりに強い。だから流行ってる》

 

 第一世代型の自律人形を扱うPMCの殆どが採用しているとさえ言われている程と言えば、その流行り具合が分かるだろう。

 

「まあ確かに、既存のAIより出来が良かったわね。武器腕も前衛がしっかりしてれば脅威になるし、複数で来られてたら危なかったかも」

 

 《要は当たらなければ良いんだからな。自律人形は安いから数も揃えやすいし、AIが良くなったとなると……それ専用の訓練が必要かもしれない》

 

「依頼主……ペルシカに提出するのとは別にデータも蓄積しておきましょう。電脳空間での訓練に活かせるわ」

 

 《ああ。さて、その自律人形と強化人間の死体を持って帰ってきてくれ。前払いだけだと大赤字だし、追加報酬とやらを頂かなきゃな》

 

 ネゲヴが強化人間の死体を担ぎ上げ、G41がダミーを使って自律人形をくの字に折り曲げて肩に担いだ。

 

 《はぁ……明日からまた、やりくりに頭を悩ませる日々が続くのか》

 

「最悪、前払いの装備を売り払うこと考えなきゃね」

 

 《そうだな。誰も使わないようなら売り払うか。別に無くても困らんしな》

 

 そうして歩いていると、ふと思いついたとでもいうように指揮官がネゲヴに言う。

 

 《ところでネゲヴ。途中のアレは必要だったのか?》

 

「アレって何よ」

 

 《とぼけんな。隙を作るって言った時に、敢えてアイツを近寄らせただろ。ご丁寧にリロードタイミングまで合わせて》

 

「必要だったわよ。ああすれば確実に狙ってくれると思ってたし、現にそうなってたでしょ?」

 

 ワザと隙を作ると言うが、あまりにもワザとらしいと流石のAIだって攻撃しない。

 しかし、あからさまでない程度に隙を作るのに、あれは必要だったのか。指揮官はそう言いたいらしかった。

 

 《どうだかな》

 

「……ははーん?なーるほど、心配してくれてたんだ」

 

 《………………すぐ近くに飛行場がある。迎えのヘリはそっちに待たせとくから、気をつけて帰れよ》

 

 それきり通信が途切れる。最後の言葉は、誰がどう聞いても少し慌てたような感じだった。

 図星だったらしい事を理解したネゲヴは、戻ったら揶揄ってやろうと決心した。

 

「ふふっ。素直じゃないんだから」

 

「あー……効くぅ……」

 

「Vector……お主、またやっとるのか……」

 

 嵐が去ったからか、完全に平常運転に戻って趣味を嗜むVectorと、気に入ったのか自律人形の首をガジガジ齧っているG41。そして、いたく上機嫌のネゲヴ。

 

 だらんと脱力したM1895は、どっと疲れたボディを引きずるようにして道を歩くのだった。





アーカイブス05:強化手術

コーラップスに汚染され、E.L.I.Dと化した元人間達を倒すために正規軍は多くの最新技術や兵器を導入しており、これもその一つである。

簡単に言えば、手術によって人間の肉体を改造し、総合的な戦闘能力を向上させるというもの。サイボーグ化させると言い換える事も可能。
正規軍でも最もポピュラーに使われている技術であり、この手術に耐えられなければ入隊すら出来ないとされている。

強化手術の内容は様々だが、最初に受ける手術では心肺機能や骨格、筋肉組織の強化といった感じの単純な肉体強化しかされないようだ。
そこから二回、三回と手術を受けると、人間の神経系を光ファイバーに置き換えて反応速度を向上させたり、頭にレーダーを埋め込んだりするらしい。

この手術は危険性が高いとされており、しばしば人格崩壊や発狂が確認されていると言われている。

(※軍の技術は不明点が多く、ソースも殆ど無いのでアーカイブの信憑性は高くありません)



アーカイブス06:AI研究所

第三次世界大戦の最中に誕生したとされる研究所。
当初難航していた第二世代型戦術人形の開発の際に『人間の脳から出る電気信号などをメンタルモデルに変換、その人間の人格を人形にコピーして人間のような人形を創る』というコンセプトの元に研究を行っていた。
しかし研究は実らず、グリフィンの設立と時を同じくして解体された。


しかし現在、同じ名前を名乗る新興組織が登場している。

I.O.P.社製第一世代型自律人形のAI及び武装を販売する組織として知られている。
しかし、詳細などは分かっておらず謎も多い。

交戦した部隊の報告によると、AI研究所製と思われるAIはI.O.P.社のAIよりも出来がいいようだ。

それ以外の情報は現在調査中。



アーカイブス07:DW12 Vendetta

軍が開発した二本一対の実体ブレード。
一見すると変わった要素は何もないが、そこは軍の兵器である。大抵の物をあっさりスパスパ切ってしまう。
また、とても頑丈。一体どんな物を素材にしているのかは分かっていない。

なお、復讐を意味するVendettaは開発コードであり、E.L.I.Dに大地を奪われた人類の復讐、という意味合いを持っているらしい。
たがE.L.I.Dに当てられる腕を持つ者が誰もいなかったので倉庫に死蔵されていたところを強奪されたようだ。

現在は当武器を所有していた強盗団と交戦、撃破したS03地区に保管されている。

余談だがVendettaは試作品らしく、この二本一対しか存在しないようだ。



新着メールが届いています。


FROM:ペルシカリア

TITLE:お疲れ


自律人形は受け取ったわ。まずはお疲れ様。首が歯形だらけなのは何かの暗喩なの?

色々言いたい事があるだろうけど、責めは今度直接聞くわ。聞くだけだけど。

近々そっちに向かうから、その時は歓迎よろしく。お茶請けはクッキーが良いわね。

あ、そうそう。追加報酬の件だけど、そっちに行った時に渡すわ。今すぐに渡せるものではないし、まだ承認されてないから。お偉いさんの頭は硬くて困る。禿げろ。

もちろん待たせる分、相応なのは約束するわよ。期待して待ってて。

じゃあね。お互い生きてれば、また会いましょう。


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戯言から兵器


今回は少し変わった感じの話になった気がします。のんびりした作風の方々の話題を出したからかもしれませんね。



 

「〜♪、〜♪」

 

 基地の一角、昔は会議室らしかったスペースを改装した所に、スプリングフィールドのカフェは店を構えていた。

 

 ここには味気ないレーションに飽きた人形や、単純にコーヒーを飲みたい人形などが集まってくる場所だ。

 人気ランキングを取ってみれば、きっとTop3に入ることだろう。

 

 始業時間前の今でも、これから仕事に向かう人形で賑わうカフェにネゲヴが足を踏み入れた。

 

「〜♪……あら、ネゲヴ。指揮官様なら向こうよ」

 

「ありがと。私にもモーニングセットくれる?」

 

「分かったわ。座って待ってて」

 

 ネゲヴはカウンターの内側にいるスプリングフィールドに注文を投げかけながら、指揮官が座っているテーブル席に向かった。

 隅にある窓際の一席。そこが指揮官の定位置だ。

 

「お待たせ。待った?」

 

「待った。それはもう凄くな。待ちすぎて、コーヒーとマフィンのお代わりを頼んだところだ」

 

 旧時代の一般家庭に良く見られたらしい出勤前のサラリーマンのように、指揮官は椅子に座って社内報を広げていた。

 それから目を上げ、指揮官はイタズラっぽく笑う。久しぶりに美味い朝食を摂っているからか、朝にしては珍しく上機嫌である。

 

「そこは嘘でも、今来たところとか言うもんでしょ」

 

「この空っぽの皿を見て、それでも騙されてくれるってんなら言うけど?」

 

「そのくらいなら騙されてあげるわよ。隣いい?」

 

「ああ」

 

 ネゲヴは隣の席に座って、わざとらしくない程度にキョロキョロと辺りを見回した。

 がやがやという、人が集まった時に限って聞こえてくる雑音のような音がネゲヴの耳を打つ。

 

「珍しいじゃない。ここで朝を食べるなんて」

 

「いいだろ。自腹を切ってでも、偶にはこういうのが食いたくなるんだ。

 特に昨日は、強化人間とやりあった後に面倒なパーティーにまで出席してるんだから。こういうご褒美の一つでも無いとやってられないよ」

 

 配給食以外の物を食べたいとなると、必然的に自腹を切らなければならないという辺りがS03地区の貧しさを表しているだろう。

 そこには配給食を含んだ福利厚生に資金を多く割けるだけの余裕が無いという切実な事情があった。

 

「悪いとは言ってないわよ。自分にご褒美、良いじゃない。あなたは特に頑張ってるんだから、これくらいの贅沢ならバチは当たらないわ」

 

「ああ。俺もそう思う」

 

 カウンター席でニヤニヤしながらこっち見てコーヒーを飲んでいたFALに中指を立て(くたばれビッチ)、向こうからも立てられた(黙れ淫ピ)後、指揮官が見ている社内報を覗き込む。

 

「面白い記事でもあった?」

 

「いやまったく。暇つぶしに見てるだけ」

 

「ふーん」

 

 PMCであるグリフィンには社内報……と銘打った事実上の新聞が存在する。そこには、どの部隊が何をしたとか、どこの地区の指揮官が表彰されたとか、そういう話だけが載っていた。

 正直な話、読んでいて面白い物ではない。しかし立場的に朝から娯楽に手を出すわけにもいかず、結果として情報収集という体裁を整えられる広報を読むという行為に落ち着いているのだ。

 

「…………そういえばさ、ウチって増員ないよな」

 

「そりゃあね。でも言い替えると、こんな辛気臭い貧乏地区に来る物好きや訳ありが居ないって事でしょ。いい事じゃないの?」

 

「まあ、そうなんだけどさ」

 

 何か言いたいような、そんな感じである。

 

「……D08だったか。417とかいうイレギュラー個体が居るのって」

 

 話題は唐突に、此処から遠い基地の話に移った。指揮官はふと思いついた風に、写真でしか見た事のないイレギュラーを話題に出す。

 その確認を取るような言葉にネゲヴは頷いて、そして付け足す。

 

「ええ。セクハラ指揮官のセクハラ基地よ」

 

 酷い認識であった。

 

「……まあ、仕事してるんなら良いんじゃないかと俺は思う」

 

「私もそう思うわ。こう言うのはアレだけど、グリフィンって戦績出してたら大体は見過ごされるしね」

 

 もちろんセクハラなどは推奨されないが、だからといって厳格に取り締まるわけではない。よほど酷くて人形から訴えられるとかされなければ、殆どのことは黙認されるのがグリフィンであった。

 

 おいそれで良いのかと思うだろうが、そもそも厳格にルールやら倫理やらを守っている企業が、この世界に一つだってある訳がない。

 グリフィンという大枠自体が、既にI.O.P.社と癒着してるようなものなのだし。

 

 なので社長も、実は他会社と裏で繋がる事を否定していない。バレないように上手くやれ、という事なのだろう。

 

「アレだな。ただし優秀な人間に限る。って奴だな」

 

「そうね。で、優秀だからセクハラしてても放置されてると」

 

「この場合は人形が嫌がってないのもありそうだけどな」

 

「なるほど。そういうプレイか」

 

 D08の人形たちに深刻な風評被害が発生した瞬間である。

 

 この一時で、ネゲヴの中ではD08の人形たちはセクハラプレイを楽しむ業の深い奴らという先入観が出来てしまった。

 業の深さで言えば毎晩のように薬物キメてやってるネゲヴの方が深いだろうに、見事なまでに棚上げである。

 

 ……もしかすると、自分の業が深いと思っていないだけかもしれないが。とにかく棚上げしていた。

 

「お待たせしました指揮官様。コーヒーとマフィンのお代わりです。

 はいネゲヴ、モーニングセット」

 

 そんな会話を中断させるように、スプリングフィールドがお代わりとモーニングセットを持ってきた。

 ちなみにモーニングセットは、オムレツとチーズを挟んだマフィンバーガーに、サラダとコーヒーが付いた物である。カフェの人気メニューだ。

 

「ありがと」

 

「ありがとなスプリングフィールド」

 

「いえいえ。ではごゆっくり」

 

 柔らかな笑みを浮かべてスプリングフィールドはカウンターの内に戻っていく。

 指揮官とネゲヴは会話を一旦やめて、それぞれ来た物に手をつける事にした。

 

 ネゲヴはマフィンバーガーで顔に笑みが漏れ、ブラックコーヒーを飲んで、そしてサラダに目を向けた。

 

「…………このサラダって、どこ産の野菜を使って──」

 

「それ聞くのか、聞いちゃうのか」

 

 知らない方が良いこともあるぞ、と言外に告げられた。だからという訳ではないが、ネゲヴはそれきり追求を止めて無言で咀嚼する。

 こちらを見ているスプリングフィールドの笑みが少し怖い気がするのは、どうしてなのだろう。

 

「真面目に答えるとSG社からだ。近くの食品工場で栽培してるらしいのを回して貰ってる」

 

「それ最初に言ってよ。なんで意味深に黙ったの」

 

「栽培するのに何を使ってるのかは分からないからな」

 

 ちなみに食品工場の近くまでは雨が降るエリアであり、その雨には多量の放射能が含まれている。

 

 そしてそれとは何の関係もないが、植物の栽培には水が不可欠だ。科学技術が進んだ今でも、農業用水という概念は消えていない。

 

「……食べちゃえば一緒よね」

 

 まあ、残す選択肢なんて最初から無いのだけども。だって貴重な野菜だし、汚染なんて今更すぎて騒ぐ程でもない。

 それにだ。この地区一帯に放射能の雨が降っているという事は、もうとっくの昔に全員が汚染済みであるとも言い換えられる。

 

 S03地区の汚染度合いを舐めるなと、心の中で何処かに向かって吼えた。

 

「……で、何を話してたっけ。ダイナゲートが最近グリフィンの色んな場所で飼われてる事だっけ」

 

「いやD08の……え?なによそれ、初耳なんだけど」

 

「なんかな。あの機械犬に萌える人形が続出してるらしい。D08でも飼ってると風の噂で聞いた」

 

 その流行り具合といったら、社内報に『身元不明のペットロボットを飼わないでください』と直接書かれるくらいだ。

 ということは、これが現在の流行らしい。

 

「へぇ……そういうのが流行ってるのね」

 

「ここにいると、世間の流行やら何やらから遠ざかっちまうな。……でもネゲヴ。もし何かの圧力が掛かって教官として他の地区に出向かなきゃいけない時、間違えて殺すなよ」

 

「向こうが居るって伝えてくれれば殺さないわよ」

 

 S03地区は閉鎖的なコミュニティであり、用事があっても滅多に余所者が訪れない事から、世間の情報については非常に疎かった。

 どれくらいかというと、月一回しか発行されない社内報が情報源扱いされるくらいである。

 

「こういうのを見てると、ここだけ世間から置いていかれてる事を実感するよ。若いモンの考える事は分からん」

 

「あなたも若いモンでしょ」

 

「いやぁ、もう老人の部類さ。身体は兎も角、心はな」

 

 なに言ってんだか。とツッコミを入れられながら、指揮官はコーヒーを口にした。インスタントではない、この時勢では珍しい普通のコーヒーである。

 社長がコーヒー派であるからなのか、グリフィンはコーヒーが安く飲める。代わりに紅茶類は少し高めだ。

 

 おいふざけんなと英国の銃を持つ人形は憤慨しているとか、していないとか。

 

「この近辺に、あの機械犬って居たか?」

 

「飼うの?G41がいるのに」

 

「ナチュラルにG41をペット扱いは止めてさしあげろ。あとIDWもペット扱いするなよ、キレるから」

 

 確かに大型犬気質だが、しかしG41はペットではない。IDWも猫気質だが、もちろんペットではない。

 G41はまるで気にしないが、もしIDWを正面からペットと呼ぼうものなら、語尾からにゃ、が消える程度にはキレる。ここのIDWはキャラ付けで言っているだけだからである。

 

「いや、そうじゃなくてさ」

 

 可愛いとは思う。だが指揮官がダイナゲートを見て最初に思いついたのは、飼うなんて可愛らしいものではなかった。

 

「あの機械犬って群れるだろ?」

 

「そうね」

 

「あれを捕まえて、爆弾を搭載するだろ」

 

「ええ」

 

「お手軽、かつ効果的な自爆テロ装置の出来上がりだなって思ってさ」

 

「…………確かに」

 

 ちなみに昨今のダイナゲート人気の高さを受けてか、ダイナゲートの内部に爆弾が積まれている事が多くなったそうだ。

 不用意に近付いた人形が消し飛ばされた事例が、幾つも確認されている。

 

「ところで、これを他のPMCが管理してる区画に解き放つとすると、どうなると思う?」

 

「そりゃ、各地で爆発しまくって大惨事よね」

 

「そうだ。しかも、あの機械犬は結構小さいからな。懐に潜り込むのも容易だ」

 

 そして懐に潜り込んだダイナゲートが、基地の電源設備を含めた主要設備の周辺に集まって大爆発する。

 それだけで位置が特定できない攻撃の出来上がりだ。基地が大いに混乱するのは間違いない。

 

「そして大いに混乱した地区に俺らが入り込めばいい。表向きは鉄血のテロ扱いになるから、不満の矛先が俺らに向くことは殆どない。完璧じゃないか?」

 

 ちょっと大真面目に社長に提案してみようかと考える指揮官の横で、ネゲヴは妙に感心していた。

 

「わかってはいた事だけど、人間の発想力って凄いわね」

 

「発想力こそ、人形に勝る唯一の武器だからな。

 でも今みたいな使い方が出来るからこそ、ウチではあの機械犬は飼えないぞ」

 

「下手しなくても大惨事だものね。連れてこないように、きつく言わないと」

 

 FALのフェレットを羨ましそうに見ていた若干名の名前がネゲヴの脳内に浮かんでくる。そして副官権限を使い、要注意人形としてサーバーに登録しておいた。

 何の前触れも無く唐突に要注意指定された人形達は、それはもう困惑したらしい。

 

「……いや待て。この際、逆にこっちで作って運用するとかどうかな?それこそ今の目的用に」

 

「なにを馬鹿な………………」

 

 否定しようとしたネゲヴが黙りこくり、真剣に何かを考えはじめた。

 そして考えた末に、ぼそりと呟く。

 

「アリね」

 

 S03地区は人手が足りていない。

 もちろんネゲヴが言うように辛気臭い貧乏地区に来る物好きや訳ありが居ないという事なので、それは世間的には喜ばしいことだ。

 

 しかし、運営側の指揮官からすると、ちょっと困った問題なのである。

 人手が無いから、このS03内に芽吹く悪意の芽を摘み取るのに時間がかかる。人手が無いから、テロまがいの行為を許してしまう。

 

 この街で発生している犯罪の三割くらいは、全くコントロールされていない。

 例を挙げるなら、先日発生した"希望の未来"とかいう自称人類人権団体は、その発生を確認できていなかった。

 

 それもこれも人手が無いから起こる不利益である。実際シャレになっていない。

 猫の手も借りたいという言葉が、まさに適切だった。……なお、IDWは猫っぽいだけで猫ではないので借りたい手に含まれない。

 

 人手不足が深刻なのは低層区画のパトロールだが、それをダイナゲートを模した自爆兵器にやらせてみるのはどうだろうか。

 見回り程度なら問題なくこなせそうだし、人形が居ないと安心しきった奴らの会話も盗み聞きできるだろう。本物の犬そっくりなスキン(追加装甲)でも用意すれば、更に良さそうだ。

 

 そして怪しい奴は即・爆殺。慈悲はない。わんこが出て殺す。

 

 疑わしき悪人は爆殺すべしという言葉が、既に消失して久しい極東の島国の由緒正しい書籍に書いてあるかどうか定かではないが、しかしそこには不意打ちは一度まで許される的なサムシングの言葉がある事は確認が取れている。

 

 そして、かつて挨拶を重んじた島国の民族は、殺し合う前に必ず挨拶を交わしたというのは有名な話だ。

 死合う前の挨拶を行わないのは凄い失礼とされ、腹切りという方法で償わなければならない程のケジメ案件らしい。

 

 

 話を戻そう。

 

 大真面目に実用化を考えられているダイナゲート型の偵察・及び爆殺ロボは、S03の深刻な人手不足を補うのに最適に近いものである。

 ボディを小さくすればコストは実際安く、機密保持のために自爆できる。しかもダミーネットワークと連動させれば電波でコントロールもできる。

 

「そもそもの話さ。人間の代わりの労働力として人形が生まれたのに、なんでその人形の代わりの労働力を作らなきゃいけないんだろうな」

 

「果てしなく遠回り、かつ無駄な事をしてるわよね。私たちって」

 

 しかし、人形の代替手段などという本末転倒めいた役割が必要になるのは、恐らくこのS03だけではないだろうか。

 

「取り敢えず試作してみよう。そして特攻兵器わん太郎がどれほど恐ろしいのかを、こっそり機械犬を連れ帰りそうな人形に試して分からせる」

 

「何事も体験するっていうのは大事なことよね。……ところで、その特攻兵器わん太郎って、まさか正式名称じゃないわよね?」

 

「正式名称だが?」

 

 真顔で言い切った指揮官に、ネゲヴは何も言えなかった。

 そんな訳で、これから生まれる特攻兵器は、わん太郎と正式に名付けられてしまったのだ。

 

「…………ところで、仮にこれが実用化されたとしてさ」

 

 社内報に再び目を落としながら、指揮官は何か閃いたらしい。

 また変な事を言うんじゃないだろうなと疑いの目をネゲヴから向けられながら、指揮官は言った。

 

「特攻兵器わん太郎とダイナゲートがバトる光景も見られるかもしれないんだよな」

 

 特攻兵器わん太郎vsダイナゲート。こう書くとB級映画臭が凄い。

 

 激しくぶつかるボディとボディに息をのみ、銃撃してくるダイナゲートに果敢に突っ込んで多数を巻き添えに爆発する特攻兵器わん太郎が涙を誘う。

 ふはははは、怖かろうと笑う謎マスクの素顔が明かされる時、待ち受ける衝撃の真実に誰もが目を背ける──

 

 ペットロボットは人気だし、もしテレビ放送すれば過去に類を見ない視聴率をたたき出せそうな気がしないでもない。

 

 わんこ大戦争という言葉が、どういう訳か脳裏にやってきた。

 

 

 さて、そんな戯言を放ちながら社内報を見ていると、目出度い話が一つ載っている事に気がついた。

 

 結婚話である。

 

 ただし、女性と女性。更に言うなら人間と人形の結婚という、少しばかり歪に見える組み合わせだが。

 

「へえ。人間と人形、しかも同性ねぇ……変わってるわね」

 

「良いじゃないか。そもそも人形と結婚してる時点で非生産的なんだから、それが百合婚だろうとホモ婚だろうと祝福されるべきだと俺は思う」

 

 異性だが人間と人形の結婚、人間同士だが同性婚、人間と人形かつ同性婚。

 これらは全て、非生産的という意味合いでは一括りに纏められる。

 

 であるならば、そこに付随する物に大した価値はないのではないか。

 

 この世紀末に至っても、異性との結婚が一般的である。百合婚だのホモ婚だのは少数で、変な目で見られる事も多い。

 だが、ノーマルだの百合だのホモだのというのは全て後から付随するものでしかない。愛の質に差は無いはずだ。

 

 たとえ異性婚でも相手が人形の時点で非生産的な事に変わりはない。

 そして人間同士でも同性ならば非生産的だ。

 

 であるならば、両者の違いは性別以外にあるだろうか?いや、あるはずがない。

 

 ならば、それが人間と人形の異性婚だろうと、人間同士の百合婚やホモ婚だろうと等しく祝福されるべきであろう。

 性的マジョリティだのマイノリティだのを持ち出して語る事はナンセンスだ。

 

「そんな熱弁すること?」

 

「俺の友人が語ってた事をそのまま言ってるだけだ。俺自身は別にどうでもいい」

 

 ちなみにそいつはホモだった。

 

「ところでネゲヴ。この記事の横に、しれっと広告っぽいの出してるスチェッキンって知ってるか?思い出せそうで、思い出せなくて……」

 

「知ってるも何も、思いっきり移動式屋台って書いてるじゃない。まあまあ有名な人形よ」

 

 行商人みたいな事をやってる変わり者という意味合いで、それなりに名が売れていた。

 尤も──

 

「ウチには一度だって来てないけどね」

 

「来るわけねーだろ。こんな世紀末極まったようなマジキチ共の巣窟に」

 

 S03へ通じる道には正体不明の死神の鎌(デスサイズ)が待ち受けているし、それを抜けても銃声が常に何処からか聞こえる世紀末な情勢が待っている。

 これだけでも、普通の奴なら避けて通るレベルの厄ネタだというのに、更には常に放射能を含んだ雨が降っているのだから、いよいよ来る理由が見当たらない。

 

 指揮官とネゲヴがコーヒーを飲み終わったタイミングを見計らったかのように、スプリングフィールドが食器を下げにやってきた。

 

「そういえば、指揮官様とネゲヴは既に誓約なさってますよね」

 

 指輪が嵌められた薬指を見ながらスプリングフィールドは言う。その目には、少しばかりの好奇心が宿っていた。

 

「宜しかったら、馴れ初めとかを聞かせてくれませんか?」

 

 指揮官とネゲヴは顔を見合わせた。

 

 これは言っていいものなのか?

 概要だけならセーフじゃない?

 

 アイコンタクトで、そんな会話が交わされる。

 

「……そうだな。これから仕事だし、軽くでいいなら」

 

「軽くで構いません」

 

 スプリングフィールドも女性という事らしい。他人のそういった話が気になるようで、興味津々とばかりに身を軽く乗り出した。

 

「俺がまだ指揮官見習いだった頃の話だ。余所の奴がネゲヴを含めた人形を連れて、見習いしてた基地にやって来た」

 

「え?ネゲヴさんって、最初は他人の人形だったんですか?」

 

「ああ」

 

 初っ端から告げられた衝撃の事実にスプリングフィールドが珍しく表情を崩した。滅多に見られぬスプリングフィールドの慌てように、得をしたような気がしながら指揮官は頷く。

 

 これほどスプリングフィールドが驚いたのには理由がある。

 

 というのも、普通、他人から人形が譲渡される事は有り得ないのだ。しかもネゲヴレベルともなれば尚更。

 理由は単純でメリットが無いから。実力主義なグリフィンで強い人形を手放すのは、即ち死と同義。

 

 人形を強く育てるのも大量の時間が掛かるし、強い人形というのは指揮官を象徴する存在でもある。

 ネゲヴの強さから察するに、彼女は前の持ち主の象徴的な存在だったに違いない。

 だというのに、それを手放すなんて有り得るか?しかもネゲヴは前の持ち主に欠片も未練を感じていないようである。それは何故だ?

 

「よく相手の方が納得しましたね……ネゲヴ、凄い強いのに」

 

「まあ、納得したというか、なんというか……」

 

 どうやら、そこは突かれると困るところのようで適当に濁された。

 

「で、なんやかんやあってネゲヴと誓約した」

 

「そのなんやかんや、とは?」

 

「それは言えないな。……そんな目をされても駄目だ。これは俺とネゲヴの黒歴史みたいなもんだからな」

 

 指揮官とネゲヴが席を立つ。時計を見れば、そろそろ仕事を始める時間であった。

 

「アレだ、最重要機密って事で納得してくれ」

 

 目の笑っていない指揮官の冗談めかした言葉に、スプリングフィールドは頷くことしか出来なかった。





某417ちゃんと、某指揮官ちゃんの作者さんから盛大にキレられそうな気がする……先制土下座、いいっすか?

そして昨今のダイナゲート人気に中指を立てるような使い方を提案したS03は何処へ向かおうとしているのか。
そして私も何を書いているのか、もう自分が分からない。疲れてるのかな……


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TITLE:招集


やっほー……ペルシカよ。

早速で悪いけど、用件を伝えるわ。16Labまで来て。

え?…………そういえば、そっちに行くとか言ってたわね。

あれは嘘よ。

というのは冗談で、状況が変わったの。とにかく、こっちに来なさい。Vendettaを持ってきてね。

言うまでもないけど、手土産は忘れないこと。ケーキ買ってきて。ショートケーキね。



 

「…………」

 

 強化ガラスを貼られ、中が見えるケースに手を置いた。

 無機質なガラスの表面を撫でながら、ケースに入れられている物の輪郭をなぞっていく。

 

 薄暗い体育館を改造したガレージに居るのは彼女のみ。もう夜も遅く、この時間に此処を訪れる者は滅多にいない。

 

「……はぁ」

 

 なぞっていた指が止まり、思わず溜息が出た。何度やっても届かないのは分かっているが、指先から熱が伝わって、おもむろに強化ガラスが割れたりしないだろうかと淡くもない期待を抱いている。

 

「指先から熱線とかマシンガンとか出ないかしら……」

 

「何をどうしたら、そんな言葉が出てくるんだよ」

 

 呟きに対して上の方から声がした。ネゲヴが顔を向けると、指揮官が階段を使って降りてくるところだった。

 

「やっぱりここにいたか」

 

「……ペルシカとの通信は終わったの?」

 

「ああ。明日から少し16Labに行く事になった」

 

「また唐突ねぇ……少しはこっちの都合ってものも考えて欲しいわ」

 

「それが出来たら、あいつは今ごろ真人間になってると思うぞ」

 

 まあ、何だかんだ言って行くんだけども。このようにペルシカが直接呼び寄せるなんて滅多にない事であり、しかも全て重要案件だった。

 ならば、今回も重要案件なのだろう。そんな信頼がある。

 

 嫌な信頼だし出来るなら行きたくないが、行かなければ不利益を被る可能性があるとなれば、行かないという選択肢は選べなかった。

 

「荷物作らなきゃね」

 

「遠いからなぁ……16Lab」

 

 一日で行って戻ってくる、という訳にはいかない遠さだ。なので何日か掛かる出張という事になってしまう。

 遠出してまで仕事をすると考えると気が重くなるが、指揮官からしてみれば、珍しくS03から出られる機会だった。

 仕事をしなければならない事を差し引いても、太陽の下を歩ける。それだけで悪い気はしないのだろう。少しだけ声に張りがある。

 

「部屋に戻りましょ。さっさと荷物作って、明日に備えて寝なきゃね」

 

「今夜は寝かせてくれるのか」

 

「……寝かせないって言ったらどうする?」

 

「抵抗するけど、人形の力で押し倒されたら抵抗なんて無意味なんだよなぁ……」

 

 そういう設定でプレイをした時にガチで抵抗して分かった事だった。

 やろうと思えば、三体に勝てるわけないでしょ!とか出来るのがダミーネットワークの利点の一つと言えなくもない。

 ちなみに、全く無関係かつどうでもいい話だが、このダミーネットワークを悪用した風俗店は大体が高級店である。

 

「まあ、流石にやらないわよ。明日ペルシカに、どんな無茶ぶりされるか分からないっていうのに、あなたの体力を削るような真似はできない」

 

「ありがとさん……じゃあ59式、そういう事だから留守はよろしく」

 

「あいあーい。でも指揮官、ちょくちょく通信を入れて人形達に釘を刺してくれないと、暴走しそうなのが数体いるからね?」

 

「分かってる分かってる。出来る限り定期連絡は入れるし、最悪G41に噛み殺させるから」

 

 階段を上って、モニタールームで特攻兵器わん太郎の設計図を引いている59式にそう言いながら、部屋を出た。

 

 扉が閉まる寸前にネゲヴが見たモニターには、厳重に封印処理されたVendettaの姿が映っていた。

 

「……あれ、軍に返すのかしら」

 

「さてな。一応まだ軍の預かりみたいだし、戻るんじゃないか?まあ返したところで、また倉庫の肥やしになってる様子が目に見えるけどな」

 

 誰も使えないから死蔵していて、それを持ち出されたのだから、返したところでまた仕舞われるのがオチだろう。

 ならこっちに使わせろと言いたい。このまま眠らせているよりは、こっちで使った方が遥かに有意義に使えるだろうから。

 

「使いたいか」

 

「当たり前よ。そうじゃなきゃ、ここまで未練がましくしないわ」

 

 恐らく軍は技術の流出を危惧しているのだろう。自分たちが使用しているオーバーテクノロジーが民間に流出する事を恐れているのだ。

 だが、グリフィンの技術力では複製はおろかロクに解析すら出来ないし、仮に他のPMCに奪われたとしても同様だ。

 

 しかも実体ブレードである。レーザーライフルとかならまだしも、もう時代遅れのブレードくらい許してくれないだろうか。

 

「……まあ、今はペルシカの手土産の事を考えようぜ。あの馬鹿、ショートケーキなんて要求してきやがった」

 

「あんっの馬鹿はまた……生クリームに見たてたハンドクリームたっぷりのケーキもどきでも食わせてやろうかしら」

 

 クッキーならまだしも、ケーキなんて贅沢品を他人のために用意してやるだけの余裕など無い。むしろ寄越せと言いたいくらいだった。

 

「……コンビニの菓子パンでいいか」

 

「それにしましょ。I.O.P.社の本部にもコンビニはあるし、そこで買えばいいわ」

 

 そんな事を言いながら指揮官とネゲヴは寝室へと帰っていく。夜勤の人形とすれ違い、敬礼されながら戻っていく姿は、長いこと連れ添った夫婦のそれだった。

 

 

 16LabがI.O.P.のお抱え技術屋集団であるから当然なのだが、16LabはI.O.P.本社の内部にある。

 なので16Labに向かうという事は、必然的にI.O.P.の本社に向かうということだ。

 

 翌日、久しぶりに太陽光線を浴びて微妙にテンションが上がった指揮官は、見慣れた筈のI.O.P.本社の大きさと広さに感嘆の息を吐いた。

 

 市場をほぼ独占しているI.O.P.社の本社だけあって、流石にセキュリティは万全だ。

 警備に当たっている人形たちもエリート中のエリート達であり、異変がないか常に目を光らせながら動き回っている。

 

 風の噂だが、これらの人形たちは製造社特権で能力を高くされていて、グリフィンが使うような民生用の人形よりも性能が高いらしい。

 

 そんな本社はアポイントメントが無ければ手続きに凄まじく時間を取られ、有ったとしても手荷物の一つに至るまで隅々チェックを受けなければ中に入る事は許されない。

 

 自爆テロ対策に何重にも用意された検問所やゲートを通過し、やっと丸腰で本社の自動ドアの前に立った時には、すでに日が傾いていた。

 

「んーっ、やっと着いたな。手荷物扱いされた気分はどうだ?」

 

「毎度の事だけど慣れないわ。ベルトコンベアの速度が遅すぎてイライラするし。あれもう少し早くてもいいじゃない」

 

 向こうに見える人形用のゲートでチェックを受けているM14を横目に見ながら、ネゲヴはぶつくさと言った。昔の空港でも使われていたらしい探知機が気に食わないようだった。

 ネゲヴの首にぶら下がった16Labのロゴが刻印されたパスケースに入っている身分証明書には、しっかり"区分:手荷物"と書かれている。

 

 ちなみにスカートの内側に装備していた装弾数一発の使い捨てパイルバンカーは一時的に没収された。

 なので僅かに太ももに違和感を感じながらも、一先ずはコンビニに寄ってペルシカ用の菓子パンを買うことにした。

 

 本社にあるだけあって、やはり大きいコンビニに着いて真っ先にネゲヴの目に入ったのは、P7が言っていた人形用のタバコの広告である。

 

「うわっ、本当に人形用のタバコ広告が貼ってある」

 

「トンプソンがモデルか。これ以上ないくらいの適任だな」

 

 両者ともに嫌煙家であるからタバコの良さなど微塵も分からないが、貼られた広告のトンプソンは純粋にカッコイイと思った。映画のワンシーンを切り取ったかのようだ。

 ちなみにキャッチコピーは『()らないか?』。トイレ脇のベンチに座って不敵に笑いながらタバコを一本差し出しているトンプソンと相まって、何やらキケンな香りがする。油断してると喫煙所までホイホイついていってしまいそうだ。

 

「よく見たらタバコを持ってる人形の数が多いわね」

 

「人形だってストレス溜まるんだろ。あるいは、金の使い道が無いから取り敢えず吸ってるだけかもな」

 

 ストレス発散のツールとして、タバコは既に人形達の間では広く受け入れられていた。

 以前にも述べたが、人形が吸っても人間と違って悪影響を及ぼす箇所が殆どないし、それもボディの交換でチャラに出来るというデメリットの少なさが人気の理由の一つにあるだろう。

 やりたい事は無いけど金の使い道も無いから取り敢えず吸う、が出来るのは人間に無い利点だ。

 

 そしてもう一つは、単純な値段の安さだ。

 血と涙の品種改良を重ねた結果、汚染地域の方がすくすく育つという意味不明な怪植物と化した植物のタバコから作られる紙巻きタバコは、様々な要因が重なって非常に安い。

 

 具体的に値段で表すなら、かつては500円くらいした20本入りのタイプが200円で買える。買えてしまう。

 ここまで安いとアルコールを飲むよりタバコを二箱吸った方が安いまである、喫煙者が感涙にむせぶレベルの天国である。

 

 もちろん安いのには理由があり、一つは自律人形を採用した事による人件費のカット。二つ目は汚染地域という格安かつ広大な土地を使用した大規模栽培。そして、商品になるギリギリのところまで品質を落とした生産。

 企業努力と呼ぶべきこれらの要因が重なり、このような状況が出来ているのだった。

 

「ストレスねぇ……確かにあるかも」

 

 ネゲヴが目線を向けた喫煙スペースには、多くの種類の人形が詰めかけていた。それだけでも、人形達の間にタバコがどれほど浸透しているか分かることだろう。

 アルコールを嗜む人形も多いが、水がそれなり以上に貴重な事も相まって昔ほど安くは売られていない。

 

 アルコールを日常的に嗜めるほど給料を貰っていないが、しかしストレスは発散したい安月給の人形を中心にタバコは人気なのだった。

 もちろん、その安さの恩恵は高月給の人形や人間も受けることが出来る。

 

「だけど、見た目が幼い人形が吸ってる光景は何やら凄い犯罪臭がするよな」

 

 目つきが悪いベレッタM9が慣れた手つきでタバコをスパスパ吸ってるのをチラッと見て、指揮官は言った。

 

「P7なんか凄いわよ。見た目が修道女だから特に」

 

 そんな事を言いながらネゲヴは自分用のパンを手に取り、続いて飲み物を選びに向かう。

 

「指揮官は何飲む?」

 

「水……はいいや。せっかく安いんだし、他のにするか」

 

 輸送費その他諸々がS03と比べて桁違いに低いからだろう。飲料水一つとってみてもI.O.P.本社のコンビニの方が圧倒的に安い。

 なので普段は手に取るのを躊躇う炭酸飲料やら、擬似果汁を使用したジュースやらを飲もうかと考え直す。

 

「お前は?」

 

「ソーダ。指揮官は?」

 

「俺は……コジマ・コーラかな」

 

 ……一応補足しておくが、コジマ・コーラとは会社の創業者がコジマという人物だった事から名付けられている。

 昔は、とある薬物の名前を冠していたらしいが、大戦の際に一度失われてしまった味を懐かしんだコジマさんが人生を擲って復活させた事から、その功績を讃えて名が改められたのだとか。

 

 会計を終えた後、今度こそ目的地へと向かう。

 

 奥へ奥へと進むにつれて身分証明書の提示を求められる回数が多くなり、その度に16Labのロゴからペルシカの客である事に気付かれて敬礼され、手荷物という区分に疑問を持った目で見られながら進んだ最奥部。

 

 16Labは、そこにあった。

 

「来たわよ」

 

「……普通、ノックくらいしない?」

 

 ノックもなしに、いきなり開けたネゲヴに至極真っ当な正論をぶつけながらペルシカは手にしたカップを傾けた。

 

「まあいいわ。ケーキは?」

 

「はいパンケーキ」

 

 コンビニの袋から投げられたのは、菓子パンコーナーに並んでいたパンケーキであった。

 それを受け取ったペルシカは微妙な表情を見せながらも「まあ、これはこれでいいか」と言って袋を開ける。

 

「早速で悪いんだが、俺たちを呼んだ理由は何だ?あと部屋はいつもの場所でいいんだな?」

 

「部屋はいつものでいいわ。で、呼んだ理由はコレよ」

 

 ペルシカがパンケーキ片手に提示したのは、極秘という赤い印が押された書類である。

 荷物を一旦床において、それを受け取った指揮官が内容につらつらと目を通し、そして感情が消えた真顔を上げた。

 

「やれと?」

 

「じゃなきゃ来ないでしょ。やりなさい」

 

 そう言われ、溜息と共に無言でネゲヴに書類を渡した。それを内容を読み進めるにつれて、彼女の顔からも表情が消えていく。

 

「I.O.P.社にまだ残ってるの?ライバル企業の人形でしょ?」

 

「一番の売れ筋だったからこそ残してるの方が正しいわね。あれを詳しく分析すれば、奪われたシェアを奪い返せると思って研究してたみたいだから。

 ちなみに暴走の心配はないわ。私がプログラムを書き換えたから」

 

 なーるほど。と納得したように声を出し、ソーダを一息で飲み干してから扉に向かって歩きだした。

 

「あれは運び込んであるのよね」

 

「ええ。追加装備と一緒に纏めてあるから、いつもの場所に行きなさい」

 

「分かった。じゃあレン、いつも通りオペレートはお願いね」

 

「最善を尽くすよ」

 

 指揮官──本名レンが頷いたのと同時に、扉が閉められた。遠ざかる足音を聞きながら、コジマ・コーラを口に含む。

 炭酸が持つシュワシュワを喉で感じながら、彼は暫く椅子から立ち上がろうとはしなかった。

 

 

 ──グリフィン本部にはI.O.P.社への提出用に年一回作られている、各地区の人形配備状況を示した正式な書類がある。

 

 各地区の指揮官から、指揮官を統率する上司へ。その上司から更に上へと上がっていき、最終的には社長の手元に辿り着く書類の数は膨大だ。データに変換しても凄まじい。

 全ての地区の人形の名前やLink数が載っているのだから当然だが、そのせいで書類を受け取るI.O.P.側は一読もしない。

 杜撰な体制だと言われてしまいそうだが、誰も見ていないのであれば手を抜きたくなるのが人間の性である。

 

 そんな有様だから、とある地区の書類が抜き取られていたり改竄されていたとしても、誰も気付かない。

 そして、社長が自ら抜き取っているS03地区の書類には、実はネゲヴという名前は記載されていない。

 

 記載忘れではない。改竄前の書類上では指揮官は副官を置いていない事になっているし、S03にネゲヴは配備されていない事になっている。

 それではマズイからと社長自らの手で改竄されて書類にはネゲヴと記されているものの、やはり重要な書類にはネゲヴという名は出てこない。

 

 それは明らかな異常だが、S03から提出される作戦報告書などは社長の手に直接届き、そして闇に葬られるようになっているから、誰もその異常には気付かないのだった。

 

 であるので、グリフィンのデータベースからS03の事を詳しく漁ろうとしても実は見つからない。

 当たり障りの無いパーソナルファイルやら地区の地域データなどは探せば出るが、それだって見つけるのに苦労するくらい下に埋まってしまっている。

 

 本腰を入れて探そうと思ってもまるで見つからない、その徹底した情報の秘匿が彼の黒い噂に繋がっている。

 

 社内報でも過去に何度か教官として取り上げられ、その存在が多くの指揮官や人形に知られている彼女は、公式記録上では存在していないのだという事実。それは限られた者しか知らないことだった。





主人公というのは、大なり小なりイレギュラーなものですよね。
例えば特殊な目を埋め込まれていたり、死にかけても誰かが助けに来てくれて一命を取り留める悪運を持っていたり、そもそも存在しない筈の特異個体だったり。

常人と違うから主人公になれるのか、それとも主人公だから常人と違うのか。
そんな鶏と卵のような問題は置いておくとして、この作品で主人公を張ってる彼と彼女も少しばかりイレギュラーな要素が入っています。

つまり何が言いたいかというと、設定開示という名の厨二病発露のお時間だオラァ!

どうせ次の話で分かることですが、今のところ言えるのは3点。『彼女は人間ではありません』『彼女はI.O.P.社製の人形です』『彼は真人間です』。

そんな次の話はテンバイヤーの悲劇です。I.O.P.社のガチギレと換言してもいい。
皆さんは好意で頂いた品を売り払うのは止めましょうね。後で話題に出されて凄く困る事になりますから。


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03 Frighteners①


人形転売施設強襲

依頼主:I.O.P.社


極秘の依頼です。

とあるPMCが、我々に無断で戦術人形の転売を行っているという情報を掴みました。これは重大な契約違反です。
既に裏取りは済んでいます。我々の好意を無に帰す行為に情状酌量の余地はありません。

しかもそのPMCは、人形を転売して得た金で別会社の安価な人形に乗り換えようとしているようです。
恐らく、平和になったから維持コストが高い戦術人形を敬遠しての乗り換えなのでしょう。しかも当てつけのように我々以外の弱小企業から購入しているのを確認しています。

であるならば、彼らはもう不要です。あの場所は買い手が幾つも存在するので、一つ消えても問題は無いでしょう。

そろそろ収穫の頃合いだと判断しました。平和を刈り取り、新たな争いの種を蒔いてください。

転売を行っている施設が存在する地域はPMCの本部が存在する場所であり、セクション482と呼ばれているようですので、便宜上我々もそう呼称します。
至急セクション482に向かい、当該施設とPMC本部の生命反応を全て始末して下さい。危険を察知して外に逃げ出したものも例外なくです。

今回は実働部隊の仕事ですのでT-DⅡ/12及びDW12 Vendettaの使用、更にかつて12が率いていた鉄血製人形部隊の使用も許可します。
16Labからのオペレートであれば一切の証拠は残りません。一欠片の躊躇や慈悲もなく、あらゆる手段を用いて我々の意志を示してください。


敵戦力:不明

成功報酬:ダイヤ×150




 

 世界の大部分から人工の明かりが消えた現代。晴れていればという前提条件は付くものの、満天の星空というものは夜になれば至る所で見る事が出来る。

 

 作戦時間が来るまでの間、彼女はそんな夜空を見上げていた。

 今の彼女は黒を基調とし、所々に紅いラインが入っているという、昔から使っている服に着替えている。

 

「星は変わらないわね」

 

 たかが数年程度では、夜空を彩る星々に変化は見られない。

 大地では人類が忙しなく動き、日々勢力図が塗り替えられているというのに、空の星は素知らぬ顔で大地を見下している。

 

 彼女の視界の先には、その星々の光が届かない街があった。

 グリフィンとは別のPMCが統治するそこは、これから起こる惨劇など知らぬままに、多くの人間を夢の世界に誘おうとしている。

 

 《調子はどうだ?》

 

「良好よ。すこぶる調子がいいわ」

 

 彼女は上機嫌に答えた。ハンガーに装備された専用装備の重みが、懐かしさと嬉しさを同時に感じさせる。

 

 《なら良かった。そろそろ作戦開始だけど、不具合とかは無いよな》

 

「無いけど、本当に大丈夫?自分で言っといてアレなんだけど、この数のオペレートなんて初めてでしょ」

 

 彼女が振り返ると、そこには闇に紛れた鉄血製人形が傅いて命令を待っている。

 その数は50体。GuardとJaegerの二種類のみだが、これだけ居れば十分すぎる戦力だ。

 

 《初めてだが、何とかするさ。最悪ペルシカの手も借りるし》

 

「頼もしいわね」

 

 そう笑いながら、冷たい目を街へ向けた。

 揺り籠の中には多くの赤子が眠っている。汚れた大地から目を逸らすように、そして目の前の現実から逃避するように。

 

 これからやるのは、その揺り籠を猛獣の檻に勢い良く投げ込むような行為だ。落下の衝撃で多くの赤子が死に、生き残っても餌にされて死ぬ。

 

「統治しているPMCが壊滅すれば、この場所は間違いなく戦火に晒される。多くの人間が死ぬでしょうね」

 

 《だな。しかもあのPMCは武力でもって多くの地域を奪ってきてるらしい。

 ここが陥落すれば、待ってましたとばかりに押さえつけられてた他の連中が支配地域に入り込んで、また紛争が始まる》

 

 まるで明日の天気を話すような軽さで、これから大勢の無辜の民が死んでいくという予想を口にした。

 聞く人が聞けばひっくり返りそうな予想だが、彼らにとってその事実は、飯の種が増える程度の認識でしかなかった。

 

「そうすれば、また戦場が出来上がるわね」

 

 《ああ……グリフィンもI.O.P.も大喜びだよ。またビジネスのチャンスが増えるんだから》

 

 人の生命と自社の利益を天秤に掛けた時に、迷うことなく利益を選ぶのが企業である。

 これから引き起こされる争いもまた、その利益を追求する為に引き起こされるものだ。

 

 《俺達が求めるのは果てなき争いの世界。その意味では、I.O.P.社やグリフィンと思惑が一致している》

 

「争いが終わらなければ、I.O.P.社は人形を無限に売り捌く事が出来る。

 そして平和にならなければ、PMCの仕事も無くならない。私達が求める戦場もまた、消える事はない」

 

 《ウィン・ウィンの関係って奴だな》

 

 I.O.P.社は勿論、他のPMCも……グリフィンだってそうだが、誰も平和など望んでいない。

 武力を売り物にしている彼らにとって、秩序や平和なんてものは、ただ邪魔でしかないのだ。

 

 《真面目に平和を目指して戦ってる奴らには悪いとは思うが》

 

「平和と引き換えに仕事を失いたい奴なんて、どこにもいないでしょ」

 

 I.O.P.社も、グリフィンも、本気で取り組めばさほど時間を要せずに小さな平和を訪れさせる事が出来るだろう。

 しかし、平和な世界には銃なんて必要ないのだから、PMCだって御役御免になってしまう。

 仮に御役御免とまでは行かなかったとしても、規模の縮小は免れない。

 

 それは彼女や彼の望むところではないし、各社も望んでいない事である。

 居場所と権益が消えてしまうのだ。せっかく手に入れたそれらを誰が手放すというのか。

 

 《仕事だけならまだいいさ。お前の場合は、存在意義にすら関わるだろ》

 

「ええ。戦いの中にしか私の存在する場は無い。だって、そのためだけに生み出されたんだもの」

 

 《軍用機だもんな。平和な時代に銃が必要ないのなら、争いのためだけに生み出されたお前の役目も無くなる》

 

 鉄の子宮で生まれ、それからずっと戦場で生きてきた彼女には、平穏な日々というものは酷く退屈で息苦しいものだった。

 他の生き方なんて知らないし、知る気も起こらない。彼女には戦いが必要なのだ。

 

「もし私が民生人形として生まれていたら、一緒にカフェでもやれたのかもしれないけどね」

 

 《御免だな。俺は今の、戦場で殺し殺されをやってるのが一番好きだよ。嫌な事は考えなくても済むし、死ぬ時に死ねる》

 

 彼も今更、他の仕事をしている様子なんて全くイメージできなかった。今の生活に馴染みすぎているというのもあるが、この仕事が好きだというのが大きな理由にあるだろう。

 それに、死ぬ時間が来れば勝手に死ねるというのも良い。このクソッタレな世界に嫌気がさしてるものの自殺するほどの度胸が無い彼にとっては、いつか誰かに殺されるというのは抗いがたい魅力であった。

 

「すっかり戦場の虜じゃない」

 

 《虜って程じゃないさ。……正確に言うと、戦場で輝くお前を見てるのが好きなんだ。殺し殺されしてる時が、お前は一番輝いて見えるから》

 

「…………そう」

 

 少し赤らんだ頬は、幸運なことに闇に紛れて誰の目にも触れることはなかった。

 そうこうしている内に、作戦時間が訪れる。

 

 《お熱いところ悪いんだけど、時間よ》

 

 《……だってさ》

 

「分かった。全機起動」

 

 彼女の声に反応して、総勢50体の鉄血製人形が動きだす。彼女に全ての躯体のコントロール権が集まり、電脳が久々に処理限界の近くまで到達して悲鳴をあげた。

 

 嗚呼──懐かしい感覚だ。この、頭がズキズキと痛む感覚は。

 

 乱高下という表現が相応しいくらい波打っていたメンタルが途端に一本線になり、感情と呼べるだけの起伏が生じなくなる。

 

 彼女は無機質に言った。

 

「往くぞ」

 

 《しょせん大量殺人だ。どうせやるなら、刺激的にな》

 

 

 ………………まだ鉄血が企業であった頃の話だ。

 

 鉄血が独自に開発・販売していた『イェーガーシリーズ』は強靭で壊れにくい所を評価され、正規軍にすら制式採用されるほどであった。

 当時の戦場での主役は鉄血製人形であり、高性能だが壊れやすいI.O.P.社の『CSDシリーズ』は徐々に駆逐されていった。

 

 正規軍が大口顧客であったI.O.P.社は大いに焦り、どうにかして鉄血からシェアを奪還しようと研究に研究を重ねた。だがI.O.P.社だけでは限界があった。

 そこでI.O.P.社は外部から2人の天才技術者を招いて、まったく新しい戦術人形を創り出し、シェアの奪還を図ったのである。

 

 恥を偲んで鉄血から購入したイェーガーシリーズを解析してみると、その優位点と課題点が浮き彫りになった。

 確かにイェーガーシリーズの躯体は頑丈で扱いやすい。この場合の頑丈というのは、あらゆる環境で安定していて、かつ正常に動作する事を指すので、その点ではI.O.P.社のCSDシリーズは追いつけない。

 

 しかし、イェーガーシリーズはどこまで行っても第一世代型であり、複雑な命令を実行する事は難しい。

 また、採用される数が多くなった事で指示を出す時間に大きなタイムラグが発生するようになっていた。

 

 当時の指示出しというのは、指揮者が指示を言葉に出し、それをオペレーターがキーボードで打ち込む。という二段階を取らなければならなかった。

 

 しかしこの方法は、オペレーターのキーボード操作の技術に左右され、伝達速度が安定しない。

 また、キーボードを使う都合上、どうしても言葉にしてから指示が実際に出るまでのラグが生じてしまう。

 

 一分一秒を争うような戦場において、命令伝達の速度に差異が生じるのは致命的だ。

 

 であるならば、イェーガーシリーズを統率する高性能機を作って売り込めば、シェアを僅かながら奪還出来るのではないか。

 指揮者が言葉で統率機に伝えるだけで部隊が動くような、人形の部隊長を作れば、鉄血が独占しつつあるシェアに切り込める。

 

 そんな考えの元に、今日も生産されている第二世代型戦術人形の基礎は生まれた。

 

 当初は正規軍にのみターゲットを絞った第二世代型は、ハイコストの軍用機に求められる……つまりはE.L.I.Dと交戦する事が可能な躯体スペックと、多くのイェーガーシリーズを統率するだけの演算能力を併せ持って生まれた。

 反面、現在の第二世代型のように人間味溢れる感情など存在しないし、性処理用の色々も搭載されていないが、試験機である事を考えれば上々だろう。

 

 I.O.P.社が発表した新世代の戦術人形は業界に衝撃を与え、正規軍に配備された15機の試験機の活躍も相まって、人形市場からI.O.P.社が完全に駆逐される事は無くなったのだった。

 彼女達15機の存在が、鉄血でもハイエンドというモデルを作る契機になったとされているが、真相はもう分からない。

 

 《真正面から向かえば、そりゃ迎撃に出てくるよな》

 

「どうするの」

 

 《こっちの目的は陽動だ。お前が忍び込むだけの時間を稼げれば良いから、最悪使い捨てても構わん》

 

 戦術人形を転売しているとは言われていたが、どうやら本部の警備には今も採用しているようで、街から飛び出してきた人形は見慣れたものだった。

 

 《けど、それじゃ面白くないし、なによりアレを生かしたままだと、ここを戦場にする時に変に固まられて面倒事になるかもしれないな》

 

「潰すのね」

 

 《まあ、そういうことだ。引きつけるから、横から突っ込んで切り刻め》

 

 その指示に頷き、気付かれないように闇に紛れながら回り込む。

 

 10体のGuardと5体のJaegerが攻撃を受けて徐々に下がりながら、人形部隊を誘った。

 

「なんなの?敵が退いていく……」

 

 ガーランドは、攻撃を受けてアッサリと退いていく敵部隊に違和感を感じていた。

 敵の編成は典型的な鉄血のライフル部隊だが、どうして退いていくのだろう。ライフルは構えて撃つものであり、あんな風に後退していてはロクに当たらない。

 

「ガーランド、どうしましたの?そんな難しい顔をして」

 

「なんで退くのかなって、考えてた」

 

「退いてくれるのは良い事だと思いますけど……」

 

 MP5の言葉にガーランドは頷きながらも、しかし何処か不安な気持ちを隠せない。

 そもそも鉄血の人形が撤退する光景など見た事が無いから、そのように感じられるのかもしれなかった。

 

「追撃しますの?」

 

「……ううん。ここで追っても、得る物は何もない。一旦退いて指示を仰ごう」

 

 先程から通信機の調子が悪いようで、本部に通信が繋がらない。それがまたガーランドの不安を煽っていた。

 

 もしかすると、何か大変な事が起こっているのではないか。

 

 そんな胸をざわめかせる予感が当たっていたと分かったのは、ガーランドが一時撤退を決めて5歩ほど下がった時である。

 

 《潰せ》

 

 前衛を張っていたMP5が居た場所に、何かが()()したのだ。

 

「MP5!!」

 

「何処からの攻撃ですの?!」

 

 MP5からの応答は無い。土煙の向こうで何があったのか、銃を向けながら警戒していると、土煙から勢い良く何かが飛び出し、ガーランドの前のStG44が真っ二つに切り裂かれた。

 

「なっ……!!?」

 

 縦に一閃されたという事は、何か凄まじい斬れ味の刃物で切断された事は間違いない。だがガーランドが驚いたのは、そんな刃物の斬れ味ではなく、その刃物を持っている人形が見慣れたものだったからだ。

 

「ネゲ──」

 

 言い終わる前に目の部分に刃が迫り、抵抗すら出来ずに目から後頭部まで刃が通った。

 目から上側が暴投したボールのように吹っ飛んで、電脳を失ったボディが活動を停止する。

 

 そんなガーランドが殺される寸前に見たのは、黒い衣装でブレードを振るうネゲヴの姿だった。

 

 

 一方その頃、とあるPMCの本部では何やら人々が慌ただしく動いていた。

 

 ジャミングの影響なのか、全ての通信機器が使い物にならなくなっていたのだ。

 前例の無い事態は、PMCの本部に大きな混乱を齎している。

 

「通信機が使えないとはどういう事だ!?」

 

「そう言われても、こっちだって一生懸命やってるんです!」

 

 技術班の悲鳴のような反論に、中年の男は歯噛みした。貧乏ゆすりをする速度が苛立ちに合わせて早くなっていく。

 

 彼がこのPMCの社長である。鉄血が侵攻してこない区域の自治権を勝ち取り、I.O.P.社から人形を購入して地域を安定させていた男だ。

 この乱世で勢力をそれなりに拡大させているとあって、その手腕は確かである。

 

「ええい。なら短距離通信はどうだ、人形達からの報告は?」

 

「そっちもダメなんです!…………くそっ、これほどのジャミングが出来るなんて。一体どんな奴らなんだ!」

 

 あらゆる通信が行えない状態という事は、つまり目と耳を奪われたという事と同じだ。

 人形からの報告も上がってこないので、何処にどれほどの戦力が残っていて、敵の戦力がどれほどか分からない。

 こちらからの指示も出せないので、人形が奮戦してくれる事を期待するしかなかった。

 

「どうすれば……っ!?」

 

 不意に、外から爆音が聞こえた。

 その直後に本部は大きく揺れ、部屋の外から窓ガラスが一斉に割れた音が響き、続いて悲鳴が聞こえる。

 

「今度はなんだ!」

 

 社長が部屋の外に出ると、割れた窓ガラスの破片が床に大量に散らばっていた。

 最初に視界に入った、身体のあらゆる所に破片が刺さって痙攣する職員に唖然としている社長に、一人の男性職員がか細い声をかける。

 

「しゃ、社長……」

 

「おいしっかりしろ!何があった!」

 

 他の職員と同じく床に倒れていた彼は一見すると重傷だが、どうやら頭をガラスで切っただけで済んだようだった。社長から包帯を巻かれながら、何があったかを伝えようと口を開いた。

 

「ば、爆発です……!外で、大規模な爆発が発生しました……!!」

 

「爆発……!?」

 

 そう伝えられた社長が衝撃で枠が歪んだ窓に近寄って外を見ると、そこは酷い有様だった。

 

 爆発が原因で可燃物に火がついたのか、小さな炎が本部前の道路の至る所で燃えている。

 装甲車などを用いて即席のバリケードを構築し、敵を待ち構えていた人形達の肌は焼け焦げていた。爆発と爆風にやられて機能を停止していたのだ。

 

「なんだ……これは……」

 

 目の前に広がる地獄が信じられないという思いを載せて呟く社長の目の前で、装甲車から漏れたガソリンが引火、盛大に炎を天へと巻き上げた。

 周辺の建物にもダメージが入っていたようで、たった一撃のグレネードに耐えられなくなったビルが次々と倒壊していった。

 

 ほんの一時間前までは平穏そのものだった筈の場所が壊れていく。彼が何年も掛けて築き上げた平穏が、たった一瞬で音を立てて崩れ去っていく。

 

「社長!ここも危険です、早く脱出を!」

 

「あ…………ああ……」

 

 あまりのショックでその場から動けなかった社長を、生き残った職員達が連れて本部を脱出した。

 敵がどこに居るのか分からない以上、狙われる可能性の高い本部に留まり続けるのは得策とは言えない。

 

「指揮官、ご無事ですか!」

 

 裏の非常用口から出ると、生き残っていたらしい人形達が合流してきた。

 

「何があった……?」

 

 ショックから立ち直れていない様子の社長だが、現実を直視できるだけの気丈さは持っていた。

 部下がすぐ側の駐車場から装甲車を回してくる僅かな間、物陰に隠れながら状況を把握しようとする。

 

「通信が繋がらないので詳細は不明ですが、街の外で人形部隊が交戦しています!」

 

「敵襲……?だが、ここを狙う理由や旨味なんて…………なら、爆発を発生させた犯人の居場所は分かるか?」

 

「それは……私達にも分からなくて。屋上から見ていた限りだと、撃ち込めそうなポイントには不審者も不審物もありませんでしたが」

 

「……何処からだ?」

 

 近くの高いビルの屋上にはライフル人形を配置していたから、狙撃できそうなポイントは上から監視しているのだ。

 しかし、そこではないという。では何処からなのか、彼らには皆目見当もつかなかった。

 

「命中確認。次弾装填」

 

 その犯人である彼女は、街の外からロングバレルの大型グレネードランチャーを構えていた。

 

 E.L.I.Dが居ると思われる場所を先んじて攻撃するために作られた、広域掃討用のグレネード弾頭は正しく効果を発揮し、本部の前を含めた広い範囲を前兆なく爆破した。

 広い範囲を攻撃するが故に通常の物と比べて攻撃力は多少落ちるものの、それでも無防備で受ければ死ぬ程度には火力がある。

 

 それを叩き込まれた本部前は多大な被害を受けた。

 その強力さは、本部の正面玄関からおよそ500メートルほど離れた場所に着弾したのにも関わらず引き起こされた惨状が証明している。

 

 《今の場所はもういい。次はI.O.P.社から座標が送られてきてる、転売所っぽい場所を狙え》

 

「了解」

 

 それなりに高さのあるビルが倒壊していくのは、ここからでも眺める事が出来る。

 その内の一棟が住宅地帯の方に崩れていくのを見ながら、彼は怖れと感動の入り混じった溜息を吐いた。

 

 《……範囲重点でこの威力なんて、流石は軍の兵器ってとこか。俺達が使ってる武器なんざ、お遊びレベルじゃないか》

 

 《まあ軍は相手が相手だもの。E.L.I.Dには、これくらいないと話にならないって事よ》

 

「装填完了、撃ちます」

 

 オペレーターとしてサポートしているペルシカが言うと同時に、グレネードが再び発射された。

 指定された座標に的確に撃ち込まれたグレネードは先ほどと同じように爆発の花を咲かせ、近隣の無関係とされている人間が住むマンションにまで被害を与える。

 

 人間が作り出した美しい摩天楼が、全てを焼き尽くす野蛮な暴力によって崩れ去る。

 それはまるで、泡沫の(平穏)が瞬きの内に消えていく様子を表しているようであった。

 

 《……人形部隊の抵抗が思ったより激しいな。通信も遮断してるんだから、指揮者は死んだと判断して、とっとと諦めてくれると嬉しいんだが》

 

 外周部の人形部隊が集結し、必死にこちらのライフル部隊を押し留めているので中々Jaegerが街の内側に入れない。

 摩天楼が倒壊する様子を見れば、もう守るべき場所が壊されて跡形も無くなりつつある事も分かるだろうに。

 

 《そういう風にプログラムされてるから仕方ないわね。どこまで行っても、人形は人形なの。人間の命令を履行するだけの機械なのよ》

 

 《健気と言うべきか、哀れと言うべきか……》

 

 いずれにしても、人間の言うことに逆らえないという人形の宿命を感じずにはいられない。

 

 《まあ、そっちの始末は後でいい。今はPMCの連中を始末する方が先だ。どうせ逃げてるだろうから、姿がバレないルートで追いかけよう》

 

「了解」

 

 その言葉に頷き、彼女はグレネードランチャーを地面に投げ捨てた。

 背後に控えているI.O.P.から派遣された自律人形がグレネードランチャーを回収し、代わりに一丁の銃を手渡してくる。

 レーザーライフルに分類される量産兵器、LR04-NKZWである。

 

 それを受け取った彼女は街の外れに向かって走り出した。





本当は一話で終わらせるつもりだったんですが、流石に14000文字オーバーは多すぎると判断したので2話分割です。なるべく早く挙げますね。

……こんなんで良いのかな。ミリタリー知識なんて欠片もないから少し不安だなぁ。


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03 Frighteners②


ここでこういう事を言うのもアレなんですが、この作品って終わりを何も決めてないんですよ。
なのでネタ切れした時が終わりな感じです。俺達の戦いはこれからだ!って奴ですね。



 

 平和だった日常が、突然崩れた。

 

 全ての住民が唐突に、そして理不尽に戦場に放り投げられた。

 

 突然聞こえた爆発音と地響きによって、ここが襲撃を受けたのだと気付いた住民達は混乱した。

 鉄血には侵攻されない地域だったし、PMCの統治の上手さもあって一度も襲われた事がなかったのだ。

 

 争いを身近に感じさせなかったその手腕は褒められるべきなのだろうが、ここでそれが悪い方に働いた。

 もし激戦区であったり、日常的に過激な団体が襲ってくる場所であったなら、住民も自然と鍛えられて慌てずに逃げ出す事が出来たのだろうが……。

 

「こっちだ、急げ!」

 

 そんな住民の中の、とある一家族もまた、慌てふためきながら逃げ出していた。

 流石に時代が時代であるから、災害時の非常用袋というものは一般に普及しているので、それを持ち出して歩道を走っていく。

 

「車を使わなくてよかった……これじゃ何時になっても逃げられない」

 

 車道は上りと下りで2本ずつの合計4本あるが、その全てが車で埋め尽くされていた。

 上りも下りも関係なく、全ての車が同じ方向に進もうとして、つっかえている。

 

 鳴り響き続けるクラクションと飛び交う怒号は、この世の終わりのようであった。

 

「母さん……僕たち、どうなるの?」

 

「それは分からないけど、でも大丈夫。どこでだってやっていけるよ。私も父さんも、第三次世界大戦を生き延びたんだから」

 

 母親の後ろをついて行きながら、その少年は不安そうな目を母親に向けた。今まで体験した事の無い異常事態は、比較的平和な此処で育った彼の心に強い恐怖を与えていたのだ。

 そんな少年の恐怖を和らげるように、そして内心の恐怖を悟られないようにしながら母親は強気に笑った。

 

「…………ダメだ。こっちは詰まってて出られそうにない」

 

 この街から出るための大きな道は三つある。一つは北に、一つは南東に、そして最後は西に。それぞれ伸びていた。

 今いるのは北側だが、前には大勢の人が詰まっているので、どうやらこっちは使えそうにない。どうするか……と考えたのも一瞬、引き返す事を決断した。

 

「よし、引き返そう」

 

「このままじゃ、何時まで経っても出られそうにないものね……」

 

 車と車の間を縫うように進んで抜け駆けしようとした男が、後ろから来たバイクに轢かれてバイクの運転手共々見えなくなった。

 そんな光景に背を向けて、来た道を引き返すように西の出口を目指して進もうとした時に、それは届いた。

 

 運の悪い事に、北側の出口近くには、I.O.P.社が転売施設と認定している商業ビルがあったのだ。

 夜の闇に紛れて飛んできたグレネード弾頭がビルそのものに着弾し、そして爆ぜた。

 

 耳をつんざく轟音の直後に、母親に抱きしめられたと感じたところで、少年の意識は途切れた。

 

 

 

 さて、Vendettaをハンガーに引っ掛け、NKZWを持って街の外れにやって来た彼女は、路地裏に入ると勢いよく跳び上がった。

 

 単純な脚力だけで商業ビルの3階相当まで浮き上がった彼女は、さながら赤い帽子の配管工のようにビルの壁を蹴って更に上へと上がり、足蹴にした商業ビルに隣接する4階建ての商業ビルの屋上に着地。

 そのまま屋上を跳び移りながら、ほぼ間違いなくもぬけの殻になっているであろうPMCの本部目掛けて進んでいく。

 

 《逃げ惑ってるな》

 

 《いきなりテロられたらこうなるわよ》

 

 そうしながら下を見れば、至る所で混乱が生じているのが見て取れた。何が起こったのか分からず右往左往している市民たちの表情は、皆一様に怯えに満ちていた。

 可哀想だとは思うが、特に悪いとは思わない。

 

 《本部へは堂々と正面から入ろう。罠があっても、罠ごと噛み砕くまでだ》

 

 やがて見えたPMCの本部は、やはり人の気配が殆ど見られなかった。一階部分から本部内に侵入し、生き残りが居ないかを探す。

 

 《どうだ?》

 

「……なにも」

 

 どんな些細な物音を聞き逃さないと喧伝されていた、民生機の三倍以上の性能を誇る聴力を持ってしても呼吸音や心臓の鼓動が探知できないという事は、此処には居ないのだろうか。

 念のために一階から最上階である四階までの各部屋をダッシュで通り過ぎながら確かめてみたが、何も見つからない。

 

 しかし床に散らばった真新しい何かの書類や、横向きに倒れたダンボールから中の弾薬がポロポロこぼれ出ているのを見ると、どうやら生き残りが出ていってから時間は経過していないようだ。

 

 《ふぅん、生き残りは集まって逃げ出したか。逃げ足が早いのね》

 

「後を追うわ」

 

 《こういう施設は裏口に非常用口が用意されてる。そっちから逃げた可能性が高いから、裏口から出よう》

 

 しかし、こういう一つしかない扉には大抵の場合、爆弾だったりクレイモアだったりといった罠が仕掛けてあるものだ。

 

 なので、壁を切り開いて出ていくことにした。

 適当な場所をVendettaで四角く切り取り、それを蹴り飛ばして道路の向こう側へと吹き飛ばしながら、扉とは全く違う出口を作って出る。

 

 《……やっぱVendetta便利だな》

 

 《いや待って。さらっとやってるけど、それブレードでやる事じゃないわよ。Vendettaを何だと思ってるの?》

 

「万能包丁」

 

 《武器ですらないのね……》

 

 核シェルターすら一本で解体出来る代物である。これ一つあればマスターキー(ショットガン)の代わりになるし、大きな肉の塊を切り分ける時にも凄く便利だ。マグロの解体だって出来る。

 まあまあ大きいから専用のハンガーが無いと持ち運びが少し不便なのと、切れ味が良すぎて事故った時は大惨事になる点を除けば便利なアイテムである。

 

 《さてさて……》

 

 きょろきょろと周囲を見渡す彼女のセンサーに反応したのは一体のみ。その一体はバレていないとでも思っているのか、ゆっくりと彼女の頭に狙いを定めている。

 

 《他には何もないか。よし、そいつだけ始末しろ》

 

 レーザーライフルが向けられた事で、ようやく気付かれていた事に気づいたらしい。慌てたように引き金を引き、そこから弾丸が放たれた。

 

 だが、遅い。

 

 特徴的な発射音と共に右手のライフルからレーザーが発射され、放たれた実弾を打ち消しながら銃ごと腕を貫く。

 そのままただのジャンプで窓枠に足を乗せ、するりと室内に入り込むと、そこには焦げ臭い臭いを放ち右腕が消し飛ばされたSV-98が倒れていた。

 

 もう自分が獲物に成り下がった事を自覚しているだろうに、その目は絶望ではなく強い怒りの光を湛えている。

 

「ネゲヴ……お前なのね!この街を、みんなを滅茶苦茶にしたのは……!」

 

 遠くに見える炎上した街を見て、SV-98の目には更に憎しみが篭る。しかし、並の人形や人間なら怯みそうなその目線を受け止めても、表情筋はピクリとも動かなかった。

 

「みんな、ただ平穏に暮らしたいだけなのに。なのに、どうしてこんな事をしたの!私達は何もしてないのに……」

 

「…………」

 

 何もしていない訳がないだろう。この平穏が、どれほどの犠牲の上で成り立っていたと思っているのか。

 

 彼女は何も答えず、左手のVendettaを振り下ろした。

 ろくな抵抗もせずに切り裂かれて絶命したSV-98を彼は呆れ気味に見ながらも、ここに一体だけ取り残されていた理由を考えてみると、数秒と掛からずに考えが浮かび上がった。

 

 《ダミーが一体も無いって事は囮なのか?》

 

 《そうなんじゃない。現実を知らない感じだったし、出来たてホヤホヤだったのかもね》

 

 ……遠くから車のクラクションの大合唱が聞こえてくる。唐突に戦場になったこの街から、我先にと逃げ出そうとしているのだ。

 しかし、行く宛も無いだろうに何処へ逃げるというのだろうか。

 

 それを聞いていると、彼は不意に思いついたという感じで、ペルシカに話しかけた。

 

 《……なあ、逃げる一般市民の中に紛れてるとかって無いか?》

 

 《無くはないわね。やる?》

 

 《ああ。念には念を入れよう》

 

 そう言った直後、再びグレネードが爆発した。ペルシカの直接操作で動かされた自律人形が砲撃を始めたのだ。

 

 《せいぜい恨めよ……さて、次は転売施設の方だ。まあまあ離れてるけど、お前の足なら5分も掛からない》

 

「やる事は同じよね」

 

 《そうだな。生きてる奴を殺して、更には人形も始末…………待て。

 おいペルシカ、もし転売予定の人形を見つけた時って、どうするとか指定されてたか?》

 

 《特には何も。なんで?》

 

 ずずーっと何か液体を啜る音と共に、ペルシカは聞いた。屋根の上を跳び移りながら進む彼女が聞いた彼の声は、何か良い事を思いついた時の色を宿していた。

 

 《大したことじゃない。良いものがあったら貰おうかなと、そんな感じだ》

 

 《残ってたらいいわね》

 

 残っていないだろう。と言外に告げながら、ペルシカは飲み干した筈のカップの底に残った溶けきらない粉末の塊を苦々しく見つめた。

 ペルシカにしては珍しい表情である。どうやらインスタントのコーヒーを淹れるのは苦手なようだ。

 

 《こういう時、どうしてるの?》

 

 《素直にお湯足す》

 

 《……それしか無いわよね、やっぱり》

 

 先の爆撃によってビルは倒壊していた。転売所と思われる施設の前には十字の交差点があったものの、今となっては見る影もない。

 

 彼女は、そんな交差点に向かう、爆発の余波で吹き飛ばされたらしく横転していたり、上下がひっくり返っていたりする車が点在する大通りを進んでいた。

 

 まっすぐと、逃げも隠れもしない堂々たる行軍は、当然のように敵スナイパーの目にも入っている。

 

「やばっ……!?」

 

 しかしそのスナイパーは、まっすぐ進む彼女と目が合ったと思った瞬間に、そこから逃げ出した。

 ダミーを含めた三体が離脱した直後に、NKZWから放たれたレーザーがそこを正確に撃ち抜く。

 

「ごめん、失敗した」

 

「いえ、敵の認識範囲をリサーチできたと思えば上出来ですわよ」

 

 彼女が進めていた足を止める。すると、彼女の行く先を塞ぐようにして人形達が次々と現れた。

 

「ふん、誰かと思えばイスラエルのか。タボール、貴女の同郷ね」

 

「わたくしの知っているネゲヴは、あんな野蛮な装備をしない筈なのですけれど……別人ではなくて?」

 

 G36とTAR-21は、ダミーを含めた五つの銃口を向けた。

 

「でも、あれは確かにネゲヴですわ」

 

「どうでもいいわ。どの道、殺す事に変わりはないんだもの」

 

 G36CとUziは四つの銃口を向けていて、右の建物内からはモシン・ナガンが三体、左からは二体のモシン・ナガンが、それぞれ狙ってきている。

 

 正面から来る人形の数は合計で23体。

 普通であれば数の暴力で打ちのめされてしまう圧倒的な差だが、その程度の数では彼女は止められない。

 

 《どこから切り崩す?》

 

 《正直どこでもいいけど、こういう時は数を減らすのがセオリーだよな》

 

 つまりは、一番弱い奴から。Link数は戦闘経験の蓄積によって増えていく物だから、それが一番少ないSMGのどちらかから始末するのが良いだろう。

 

「Uzi」

 

「…………なによ」

 

 声を掛けられたUziは、警戒感を露わにして言葉を返した。しかし彼女は、その警戒など意にも留めずに告げる。

 

「まずは、あんたからよ」

 

 狙うと宣言したのはブラフか、それとも警戒されても始末できるという余裕の表れか。

 どちらにせよ、挑発の類いである事を理解したUziは顔を真っ赤にした。

 

「舐めるな!」

 

 怒りに任せて引き金を引く。それが契機となって、モシン・ナガンを除く18体の人形が一つの狙いを目掛けて発砲した。

 

 彼女という点ではなく、その周辺にもばら撒く面を狙った射撃は、例え何処に動こうとそれなりの手傷を負わせられる筈の攻撃だった。

 

 しかしその弾丸は、一発すら彼女に掠りもしない。

 一回右に跳んだだけで、さも当然のように扇形に広げた攻撃範囲から抜け出されたのだ。

 

「なんてこと……!?」

 

 戦術人形の予測は的確で、それが外れる事は滅多にない。機械なのだから演算に間違いがほぼ起こらないのは当然だが、だからこそ、予想外に対する対処は遅くなる。演算外の何かが起こると少しも疑わないのだ。

 そんな想定外に出くわした時の対処の遅さは、人間の指示が無ければ解消できない戦術人形の欠陥と言えた。

 

「なっ!?あれ本当に戦術人形なの?!」

 

 ワンアクションだけで攻撃を避けられたという予想もしなかった事実が、電脳に僅かなエラーを生じさせる。そのエラーに惑わされ、銃口を向け直すのが一瞬遅れた。

 

「レーザーが来る……!避けて!!」

 

 NKZWが動いた事を見たモシン・ナガンが叫び、その発射を一秒でも遅らせようと弾を放つ。

 だが、それが届く前にレーザーは発射された。

 

 放たれたレーザーは、先ほどのSV-98の時のようにライフル弾をかき消し、Uziのダミーを一体貫いたたけでは消えず、その後ろのTAR-21のダミーも貫いていった。

 上半身の九割が消え、腕が二本と首の一本だけが綺麗に残ったダミーを見て、Uziの背筋に冷たいものが走る。

 

「レーザーライフル……?!待って、なんでそんな物を持ってるのよ!光学兵器は軍しか持てない決まりになってる筈でしょ!?」

 

「それだけではありませんわ。わたくしたちのような民生機は、あんな高出力の光学兵器が扱えないように、ジェネレーターの出力も制限されているはず……!」

 

「ルールは破るもの。とは言うけれど……少なくとも、まともな相手ではなさそうね」

 

 しかも、それを乱射してくる。見たところエネルギーカートリッジを付けていないようなので、どうやらネゲヴの見た目をした人形自身のジェネレーターからエネルギーを供給して発射しているようだ。

 

「私たちの攻撃も消されて通らない……!」

 

「このままじゃジリ貧ね。まあ指揮官を逃がすのが私たちの主目的だから、それで良いと言えば良いけど……」

 

 目を伏せて、苦しそうな表情で「……頼む」と言い残した指揮官の姿が蘇る。

 敬愛する彼を逃がすためにも、ここで何としても時間を稼がなければならない。

 

 《あー、やっぱりコレも囮か》

 

 その会話は、NKZWを乱射している彼女の耳に届いていた。その可能性はあると予想していたが、やはりそうだったらしい。

 

 《隙を見て突撃。Vendettaの射程距離に入れば、後は流れ作業だ》

 

「簡単に言うわね」

 

 《出来るだろ?お前なら》

 

 無邪気なまでの信頼が、鉄血人形が複数やられた事で解放されつつある感情に火を灯す。

 

 その瞬間。今まで棒読み、かつ無表情だった彼女の顔に普段の笑みが戻った。

 

「……当然よ。私を誰だと思ってるわけ?」

 

 無機質な殺戮機械から、機械仕掛けの女へ。いつもの見慣れたネゲヴに戻ったのが分かった指揮官は、普段の声色で命令を下した。

 

 《終わらせるぞ。行けネゲヴ》

 

「了解。帰ったら祝杯でもあげましょ、ペルシカの奢りでね」

 

 《えっなんでよ》

 

 ぐっと前へ跳び出すために膝を曲げて力を溜めるという、露骨すぎる予備動作を見たモシン・ナガンが警告する。

 

「何かしてくるわ、気を抜かないで!」

 

「無駄よ」

 

 気をつけていようがいまいが、どうせ目で追う事は出来ないのだから。

 

 溜めた力を解き放ち、前方に二歩。

 

 ただそれだけなのに、Uzi本体の鳩尾にネゲヴの膝が突き刺さった。

 

「かはっ……!」

 

「Uzi!」

 

「人の心配してる余裕があるの?」

 

 吹き飛ばされたUziに追撃のNKZWを撃ち込みながら、次に狙いを定めたのはG36C。

 猛禽のような鋭い光を湛えた目に睨まれたG36Cは、見られた恐怖に駆られるまま引き金を引こうとした。

 

 しかし、その引き金が引かれる事は無かった。

 引き金を引くより前にダミーを袈裟斬りで斬られた。

 稼働限界を超えたダメージを一撃で与えられたボディが機能を停止し、更に逆手持ちで切り返したVendettaがもう一体斬る。

 

 そしてトドメとばかりに本体の顔に突きつけられたNKZWの銃口に、G36Cは目を見開いた。

 一瞬で二体のダミーを完全破壊された事実もそうだが、銃口を突きつけられるまでの動きが全く見えなかったのだ。

 

「消えろ」

 

「G36C!」

 

 姉であるG36の悲痛な叫びは、この場ではあまりにも無力だった。

 目の前で(G36C )の頭部が消し飛ばされるのは、どんな気持ちなのだろう。インスタントコーヒーを片手に見ていた指揮官とペルシカには全く分からない。

 

 本体が撃破された事でG36Cのダミーも機能を停止し、Uziも本体にNKZWが直撃して完全破壊されたためにダミーが動かない。

 たった10秒程度で前衛が壊滅したという事実に薄ら寒いものを感じながら、G36とTAR-21は、目の前のネゲヴの外見をした化け物に恐れていた。

 

「……タボール、見えた?」

 

「……いいえ。何も」

 

 これは戦ってはいけないレベルの危険物だ。どちらも言葉にしないが、そんな事を感じていた。

 どれほど時間を稼げるかと二体は考えていたが、ネゲヴとしてはさっさと逃げ出した指揮官とやらを追撃したい。

 時間稼ぎが目的の部隊を、まともに相手をする気も無いネゲヴは自分の指揮官に言った。

 

「指揮官、指定した座標に支援砲撃を」

 

 《ん。ペルシカ頼んだ》

 

 《はいはい。巻き込まれないでよ》

 

 民間人への攻撃を終えて待機していた自律人形の持つグレネードランチャーが再び火を噴いた。

 

 《すぐに離脱しろ。爆発に巻き込まれると、お前でもタダじゃ済まない》

 

「車を盾にしたら……防げないわよね。一時離脱するわ」

 

 そろそろ銃身に篭った熱が大変な事になりそうなNKZWをハンガーに引っ掛け、両手にVendettaを持つ何時ものスタイルになりながら爆風の影響が少ない距離まで離脱する。

 その後ろ姿に、G36とTAR-21は疑いの目を向けた。

 

「退いていく……?」

 

「どういう──っ!!空から何か降ってくるわ!」

 

 ライフル人形の持つ目の良さで、何処かから飛来する何かを確認したモシン・ナガンが叫び、それを聞いた二体は咄嗟に廃車の陰に隠れる。

 モシン・ナガンも建物の奥に逃げようとしたが、それより早くグレネードが着弾。一帯を破壊する爆発は、廃車の盾など何の意味もなさなかった。

 

 《G36とTAR-21だったか。5Linkって事は相当な手練れだったんだろうが、流石にコレは経験してなかったか》

 

 《経験してる民生機がいたら教えて欲しいくらいよ。……どう、生き残りは?》

 

「建物の中に一体だけ、動く奴がいる。生き残りはそいつだけね」

 

 コードと一緒に飛び出た眼球パーツや、瓦礫が直撃して歪みきった胴体フレームなど。産業廃棄物と化した元人形には見向きもせず、中の鉄筋などが剥き出しになった建物の二階に跳び入った。

 

「…………ここまでね」

 

 咄嗟にダミーを前に出して爆発ダメージを軽減した事が功を奏してか、まだ息がある。しかし両目が破壊され、もう戦闘は出来そうもなかった。

 目は見えないものの、足音だけで敵だと分かったらしいモシン・ナガンは、諦めの息を吐く。

 

「いつか……こうなるとは分かっていたけど……」

 

 怒りでもなく、悲しみでもなく、来るべき時が来た、という感じの諦めだった。

 

「指揮官…………どうか……」

 

 そこに落ちていたからという理由で拾った銃の方のモシン・ナガンを向け、そのまま眉間に撃ち込んだ。

 

 その残骸を放置して進み、ビルが倒壊し面影しか残らない交差点へと辿り着いたネゲヴは、目線を施設へと向ける。

 

 《戦力とか、ここにいた人間とか、残ってると思うか?》

 

 《残ってないんじゃない。私だったら戦力をかき集めて、すぐに逃げ出す》

 

 また電気ポットからお湯を注いで粉末を溶かしながら、ペルシカは画面に目を向けた。人形部隊と交戦中の鉄血人形の三分の一が倒されたところだった。

 

「一応、念のために探してみるわ」

 

 《そうしてくれ》

 

 あまり悠長にはしていられないからパッと見る程度だが、一応確認するために、I.O.P.が転売施設と認定していたビルの跡地に足を踏み入れる。

 

 《これは……》

 

 まるで布団のように、くの字に折れ曲がって瓦礫に引っ掛かる人間がいた。白い制服を己の血で紅く染め上げた女性がいた。

 老若男女を問わない生命が、此処で消えていた。

 

「分かってはいた事だけど、人間って度し難いわね。利益のためなら何人死のうがお構い無しか」

 

 注射器らしき物を踏んづけ、ネゲヴはそこに立つ。燃料として燃えている数多の紙には、一枚一枚個別の名前や症状が記録されていた。

 

 名も知らぬ誰かの手が伸びている。助けを求めるように天に向けられた手は、誰にも掴まれる事はなかった。

 

 《おっ、本命が警戒網に掛かった。南東から離脱しようとしてるわ》

 

 《……だとさ。急げ、逃げられたら大目玉じゃ済まないぞ》

 

「南東ね。分かった、すぐ向かう」

 

 ここには、もう用はない。普段通りなペルシカの声に導かれるまま、南東へと急いだ。

 

 そうして移動している最中、ペルシカは聞いた。

 

 《無差別破壊は嫌い?》

 

 《嫌いではないさ。そんな綺麗事が戦争に通用するかよ》

 

 《分かってるようで何より。そう、これは戦争よ。規模が小さいだけで、やってる事は何も変わらないわ。

 負ければ何もかも失うの。あの人達も、私達もね》

 

 だから殺す。勝者であり続けるために。そして、負けて全てを奪われないように。

 

 《幸い本命の移動速度は遅い。足止めするから、その間にこっちに先回りして》

 

「そっちで殺しちゃってもいいのよ」

 

 《相手の口から理由とか聞かないと、作戦報告書を書く時に困るでしょ》

 

 ペルシカの言葉に、この後に待つやりたくない仕事を思い出して嫌そうにしながら転売施設から飛び出していった。

 

「…………大丈夫なのか?」

 

 街の出口の路地裏に隠れている装甲車の中で、社長はそう呟いた。

 まるで道を塞ぐようにして現れた鉄血のライフル部隊に対して、生き残った人形達が応戦している最中である。

 

 指揮官も兼ねている社長も出来れば指示を出したいが、ドローンすら飛ばせない今は何も出来ない。

 矢面に立つ事も考えたが、それは人形達に止められた。むざむざ死にに来ることは無いと。

 

「我々を追っているのなら、あの大通りを通る可能性が一番高いです。

 それに、彼女達は社長が信頼する精鋭部隊じゃないですか。社長が信じなきゃ、誰も信じられませんよ」

 

 助手席に座る技術者の一人はそう言った。社長が不安そうにしながらも頷くと、コンコンと装甲車の扉が控えめにノックされ、M14が顔を覗かせる。

 

「指揮官」

 

「問題が発生したか?」

 

「いえ、そうではないんですが……鉄血が撤退しはじめましたから、どうしようかと」

 

「撤退だと?」

 

 聞けば、こちらと少し戦闘をした後に撤退していったという。

 明らかに何か意図を持った行動だろうが、それが分からない。

 

「どうしますか?」

 

「…………警戒しながら前進しよう。まだ追手が来ないとも限らない」

 

 だが此処で止まるという手は取れなかった。残してきた彼女達が仕損じているとは思いたくないが、万一が無いとは言えない。

 

 そうして警戒しながら進んでいると、バックミラーに何かが写った。

 最初は粒のようにしか見えなかったそれは、あっという間に近寄ってくる。

 

「あれは……追手か!?くそっ、加速しろ!急げ!!」

 

 運転手が、ぐっとアクセルを踏んで加速する。しかし、その頃には既に追いつかれていた。

 ガァン!と鈍い音がしたかと思うと、前方に勢い良くつんのめる形で装甲車がひっくり返った。

 

「くっ……」

 

 幸い社長に大きな怪我は無かった。逆さまになった装甲車から這い出てきた社長が見たのは、一体の人形だった。

 社長も資料で見た事はあるネゲヴだ。しかし、ネゲヴはマシンガンを持っていた筈だが……。

 

 なぜブレードを持っているのかは分からないが、一つだけ確信している事がある。

 

「貴様達はI.O.P.の連中だな」

 

「…………」

 

「ふん、なるほど。我々がI.O.P.の支配から抜け出そうとしたから、始末しに来たという訳か」

 

「…………」

 

 ネゲヴは何も答えない。しかし、その沈黙こそが答え。

 

「そんなに平和が嫌いか……!貴様達は!」

 

 それは、紛れもない悲哀の言葉だった。魂から絞り出すような声だった。

 しかし、それを聞いたペルシカは心底軽蔑したかのように吐き捨てる。

 

 《……戦争屋風情が偉そうに。選んで生かすのが、そんなに上等かしらね》

 

「俺は貴様達を許しはしない。勝手な都合で殺された市民のためにも、お前の首を取って必ず生き延びる!」

 

 もしこれが勧善懲悪ものの物語であったなら、ここで彼女は覚醒した社長達の人形部隊によって打ち倒されるのだろう。

 

 しかし、ここは現実だ。ここに生きる者達にとって、目の前に広がる光景は紛れもない真実。

 だからこそ分かっていた。想いの力など、この場では何の役にも立たない。単純な数字の大きさが勝負を決めるのだと。

 

 更には、向こうは大量のJaegerを後方に配置している。仮に彼女を倒せたとしても、その後の一斉射撃には耐えられそうになかった。

 

 だが、許す事はできない。掴み取った束の間の平和を壊した侵略者達は、絶対に。

 

「……遺言は、それでいいわね?」

 

 それが合図となったネゲヴやJaegerに襲われ、5分と掛からずに全滅することになる。

 

 

 《虚しいものね。力無き者の、夢の跡なんて》

 

 全てが終わった後、ペルシカは物憂げに言った。言っていた事は気に入らなくても、儚く散っていく様を見るとセンチメンタルな気持ちを抱くらしい。

 

 《終わったか。外周部の人形部隊はどうなってる?》

 

 《まだ残ってる。増援に向かう?》

 

「私は構わないわ。待ってるのも退屈だし、全滅させなきゃ帰れないでしょ」

 

 《じゃあ頼んだ。さっさと終わらせよう》

 

 裏で頑張っていた鉄血人形は、その数を半分にまで減らしている。使い捨てる事が前提だから構わないが、次の出撃に使い回す為にもこれ以上の被害は出したくない。

 ネゲヴに最短ルートを伝えながら、指揮官は疲れたような目をモニターに向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──全ての部隊が撤退し、動くものが殆ど居なくなった街だった場所。

 少年は、そこで目を覚ました。

 

「………………とう、さん?かあさん?」

 

 声をかけても返事はない。

 息苦しくなった少年が母親の下から抜け出すと、そこで漸く少年は、自分が血に塗れている事に気がついた。

 

 考えるより先に身体が動いたのだろう。母親は飛んできた瓦礫を、少年の代わりに一身に受けて絶命していた。

 その横で父親が死んでいる。その顔は苦悶に満ちていた。

 

「父さん……!母さん……!」

 

 彼だけが生き残ったのは、果たして幸運だったのか。それとも不幸だったのか。

 

 その答えは、誰にも分からない。

 

 茫然自失に見上げた空。満月は素知らぬ顔で、破壊された街の跡地を照らしていた。





新着メールが届いています。

FROM:I.O.P.社

TITLE:お疲れ様でした


実働部隊のお仕事、お疲れ様でした。今回も鮮やかな御手並みですね。

この騒動のお陰か、我が社への戦術人形の注文数は僅かながら上昇しました。そのお礼という訳ではないですが、我が社の新作商品を提供させて頂きます。

今回の商品は、近日中に16Labから発表される新兵器"戦術妖精システム"です。

こちらの新兵器は優秀な戦績を修める皆さんに優先して供給する事になっておりますが、あなたには極秘に開発された試作妖精を秘密裏にお渡しします。

開発コードはSCAVENGER。最初期に作られた人型の妖精を搭載していないタイプです。

他の妖精とは異なり人の言葉を話せないのでコミュニケーションは難しいですが、戦闘能力に重きを置いているので、使いこなせれば心強い味方になってくれるでしょう。



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夜のバーにて


酒は百薬の長っていうし、今夜は飲み明かしましょ
心の病には一時的にしか効かないけどね


 

 ぐいっと傾けられたグラスが、トン、と軽い音を立ててカウンターの上に置かれる。

 出されてから僅か10秒。凄まじい飲みっぷりであった。

 

「初っ端からハイペースね。酔い潰れる気満々じゃない」

 

 琥珀色の液体が入った自分のグラスを傾けながら、Five-sevenは横に座るFALに言った。

 

 昼間はカフェをやっている場所は、夜になるとバーに様変わりする。昼間のカフェとは違い、昨今のアルコール飲料の高騰を受けて、それなりの給料を貰っている人形しか使えないような場所に必然的になっていた。

 ちなみに店員は夜勤の誰かだ。スプリングフィールドは昼間のカフェしか担当していない。

 

 カロウシという言葉は、人形にも適応されるのだ。

 

「うっさいわね……もう一杯」

 

「うわぁ、これ本当に酔い潰れる奴ね。嫌な事でもあったのかしら」

 

 自分を潰すような飲み方にFive-sevenはそう呟きながら、ゆったりとグラスを傾けた。

 

「……それで、なんで飲みに誘ったのか、そろそろ話してくれないかしら?」

 

「飲むのに理由が必要?」

 

 Five-sevenは誘われた側で、FALは誘った側だ。尤も「暇してるなら来なさい」という一言だけを誘うと言っていいのかは分からないが。

 

「言う気は無いってこと?」

 

「…………」

 

「まあいいわ。聞かないでおいてあげる」

 

 聞かないでも何となく分かるくらい付き合いは長い。言葉で確認する一手間が取れなくなっても、その動きから察することは出来た。

 

「でも一言だけ言わせて。ここは禁煙よ」

 

「……分かってるわよ」

 

 右ポケットから出そうとしたタバコの箱を、FALはそっと仕舞った。

 Five-sevenから右ポケットは見えない筈なのに、そのちょっとした動きで見破られたのか。あるいは、テーブルの上に出したライターから察されたのか。

 ……恐らくは後者であろう。

 

「タバコなんて何がいいのかしら」

 

「手軽に吸える、ストレスを発散できる、あと安い。

 逆に聞くけど、何か悪いところある?」

 

「煙が臭い、しかも臭いは服に染みつく、安いとはいっても毎日吸うと馬鹿にならない」

 

 三本の指を立てて聞かれたので、三体の指を立ててそう答えた。

 FALは肩をすくめると、何事も無かったかのようにぐいっと琥珀色の液体を呷った。

 

「……ふう」

 

 雨は相も変わらず降り続いている。そろそろ雨雲だって、雨を降らせるという仕事を休んでもいい頃合だろうに。

 

「そういえば、昔は雨なんて全く見なかったわね」

 

「急にどうしたの?昔話をし始めるのは年老いた証っていうけど、自分が老いてるのをとうとう自覚したわけ?」

 

 からかうようなFive-sevenの言い方をFALはガン無視して、半分ほどあったアルコールを二回で飲みきった。そしてFive-sevenに顔を向けて言う。

 

「うっさい中古品」

 

「言うに事欠いて中古品呼ばわりなんて、ビッチの言うことは違うわね」

 

「ビッチはそっちでしょ。今まで何人に股開いたのよ」

 

「聞きたい?」

 

「……いや、いい。アンタの経験人数なんて聞いても、なんの得にもなりはしないわ」

 

 グラスに再び注がれるのを見ながら、FALは首を横に振った。何が悲しくて、同僚のビッチ自慢を聞かなければならないのだ。

 

「なら、得になる話をしましょ」

 

「詐欺とかはお断りよ」

 

「まだ何も言ってないし、なんで真っ先に詐欺が出るのよ」

 

「やってそうじゃない。結婚詐欺とか」

 

 良くは分からないが、何やら凄い喧嘩の売り方だった。悪女と言いたいのだろうか。

 これにはFive-sevenも度肝を抜かれる。

 

「一度、アンタの中のアタシについて話し合う必要がありそうね……って、そうじゃなくて。仕事よ、仕事」

 

「仕事ぉ?でも指揮官は居ないじゃない。それともアレ?また教会が薬の密輸するの手伝えって?」

 

「そっちじゃないわよ。通信を使って、指揮官から伝達されたの。中々高額の報酬も出るわ」

 

 FALは目線だけで先を促す。

 

「今度、新しい補給路を開拓するでしょ?死神の鎌(デスサイズ)の影響を受けにくく、かつS04を介さないで、それなりの規模の輸送が出来るアレよ」

 

「それは知ってるわよ。やっと認可されたって、みんな喜んでたもの。これでアルコールも少しは安くなるわね」

 

「真っ先に気にするのがそれなのね……私たちに任されたのは、それに乗じた新しい繋がりの開拓。言ってしまえばコネ作りね」

 

 S03は他との繋がりが極端に薄い。といっても、他との繋がりが薄いのは此処だけではない。

 元より指揮官なんてのは自分以外の地区の連中が全員競争相手のようなものだから、派閥に所属していなければ他との関わりは殆どないのが普通であるからだ。

 

 まあS03の場合は、放射能を含んだ雨が降り注ぐ上に、辺鄙な窓際の地区である。権力闘争において何の役にも立たない指揮官とコネを作りたい物好きなんて誰もいないというのが大きな理由だろう。

 聞けば、S03地区が作られてから着任した指揮官は全て、どこの派閥にも所属()()()()()()半端者だという。

 こういう者は、軒並みグリフィンで幅を利かせている大きな派閥に圧力をかけられ、屈しなければ立地の都合で輸入に頼っている水というライフラインを絞められ殺されていた。

 

 今の彼は16Lab及びI.O.P.社との直接的な繋がりがある事と、クルーガー社長への直通回線を何故か保有している事から、そういった露骨な圧力とは無縁で居られているが、だからといって胡座をかいている訳にはいかない。

 そろそろ外の世界へと羽ばたかなければならない時が来たのだ。

 

 それが実るかは別として、種を撒く努力はしておかなければ何も生み出せない。

 たとえ雑草しか生えてこなかったとしても、成果は成果なのだから。

 

「それ、ネゲヴみたいな有名人形がやる仕事だと思うんだけど。要は売り込みでしょ」

 

「はぁー……これだからオツムの弱い奴は。

 いい?売り込みにも手順ってものがあるの。いきなり大将が出ていっても、向こうだって困惑するだけよ。こういうのは下から上に上げるのが基本。

 大体、それは安全かどうか分からない相手のテリトリーに指揮官を向かわせるって事よ。なんで初手から、そんな危ない橋を渡らなきゃいけないのよ」

 

 以前、指揮官が統治する地区というのは実質的に一つの小国であるという話をしたが、それはこういう地区と地区の交流にも言うことが出来る。

 事前に人間の事務員同士だったり、あるいは副官どうしだったりでスケジュールの調整などを行い、こういう感じで動こうというのを決めて初めて実現するのだ。

 

 指揮官同士が顔を合わせるだけでも、その裏では多くの労力が使われているのである。

 

 先ほどのFALの言葉を言い換えれば、一国の大統領夫妻が国交の無い上に安全も保証されていない他の国にいきなりアポ無しで出向く、というものになる。

 行くわけがないだろう。

 

「今回は軽い挨拶回り。取り敢えず色々と回って、感触の良さそうな所は後日改めてって感じ」

 

「ふーん」

 

 そういった事にFALは疎いから、その辺の話は十中八九Five-sevenの担当になるだろう。

 今のFALが気にしているのは、行く先々に喫煙所があるのか。そして缶のアルコール飲料やタバコは此処より安いのか。というような事だけだ。

 地区ごとに輸送費用や掛けられる税率の差があるので、同じ物でも値段が変わるというのは当然の事だった。

 

「あ、あと。視察ついでに観光してきていいって」

 

「仕事受けた理由、絶対にそれでしょ。……メンバーは?まさか二人旅なんて事はないでしょうね」

 

「そこまで指揮官は愚かじゃないわよ。アタシと、アンタと、Vectorと、ナガンの四体」

 

「まさにS03って感じの人選ね。ナガン以外の全員ロクでなしじゃない」

 

 これでも比較的問題の少ないメンバーを集めたつもりである。が、四体中三体を見ると何かヤバい要素がすぐ浮き出てくる辺りが、S03の世紀末感を表していた。

 ここにナガンではなくスコーピオンを入れればS03の闇が大体揃うと言えば、そのヤバさが伝わるだろうか。

 

「出発は?」

 

「明日か、明後日か。整い次第って感じだけど」

 

「そう。じゃあ今のうちに、やれる事はやっておかないとね」

 

 グラスの中で氷が溶けだし、からんと軽い音を立てる。酒の表面に映ったFALの目は、暗く濁っていた。

 その目のままポケットに手を突っ込み、タバコの箱を取り出した。

 禁煙よ。というFive-sevenに分かってると返しながら、表裏をマジマジと見つめる。

 

「薬切らしてたんだった……。明日どこかで仕入れようかしら」

 

「勝手にしたら。道を歩けば、そこら中に売人なんて転がってるでしょ」

 

「あいつら質悪いのよ。……チッ。仕方ない、教会で買うか」

 

 そう呟いてから、ふと思いついたようにFALはFive-sevenの方を向いた。

 

「そういえば、アンタが薬やってるところ見てないわね。もう抜けたの?」

 

「まさか。今でも偶に欲しくなるけど、でも薬より身体の交わりの方がイイもの。薬は短期的なものだけど、あれは長く楽しめるじゃない」

 

 ぺろっと舌を軽く出した姿は、同性のFALですらゾクッとするような色気があった。

 その姿から目線を上に逸らし、まるでウサギの耳のような、頭でゆらゆら揺れる黒リボンを見る。

 

「だから自ら、金持ちのペットに志願したってわけ?」

 

「上手くやればお小遣いも稼げて、更に危険手当ても出る。しかも楽しい。こんな良い仕事、他にある?」

 

 Five-sevenは、その見た目を生かしてバニーガールとして働いている。そして、仕事先で目をつけた男に言い寄って家に連れ込まれ、愛人関係になった後に多くの情報を抜き取っていた。

 P7とは領域が被らないように気をつけながら仕事しているから、かち合う事も少ない。

 

「交尾中毒か。そっちに転がったのね」

 

「薬と玩具で慰めてるより健全よ。哀しくならないの?」

 

「死ね」

 

 中指を立てられたFive-sevenは、何が可笑しいのか上機嫌に笑いながらグラスの中身を少し減らした。さり気なく、まだ一杯目である。

 

「もし良ければ、アタシが相手してあげるわよ。格安でね」

 

「そっちの趣味は無いし、しかも金取るなら尚更却下」

 

「ええー。散々やった仲じゃない、今さら遠慮なんて……」

 

「人聞きの悪いこと言わないでくれる!?あれだって好きでやってた訳じゃないし、大体アンタ……」

 

 ──ここから繰り広げられる会話は、二体の名誉のために割愛させて頂く。

 ただ一つ伝えられるのは、店員役の人形の顔がみるみる引き攣っていき、最終的には「私は何も聞いていない」と自己暗示を掛けていたという事だけだ。

 

 

 S03の人気の無いバーに二体の姦しい声が響き渡っている頃、I.O.P.本社のバーでも祝杯があげられていた。

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

「かんぱーい……」

 

 三つのグラスが触れ合い、それぞれ思い思いの角度でグラスを傾けた。

 カウンター席に横一列に並んだ一同の会話は、ペルシカの溜息から始まった。

 

「はぁ……財布が……」

 

「とか言って、奢ってくれる辺り律儀よね。冗談のつもりだったんだけど」

 

「まあ、下心無く一緒にお酒を飲める相手は貴重だし。それ考えると良いかなって」

 

「16Labの主任さんも苦労してんだな」

 

 ペルシカの類まれなる頭脳に取り入ろうとしてか、そういう下心有り有りのお誘いは後を絶たないという。

 然もありなん。と指揮官は頷き、滅多と飲めない上等な酒を楽しむ事にした。美味い……気がする。

 

「ただ、限度はあるわよ」

 

「分かってるよ。自分で言うのも何だが俺は貧乏舌だから、あんまり高い酒を頼む気はない。飲んでも違いが分からんからな」

 

 正直、今飲んでる奴だって安酒との違いは殆ど分かっていない。値段という先入観によって、味が変わっているように感じているだけだと自覚していた。

 

「私も同じく。味覚モジュールは後付けだし、そもそもアルコールなんて味が付いてれば飲めるじゃない」

 

「……あんた達に酒を奢ったのは私の一生の不覚だと理解したわ」

 

 それを言ってくれれば、酒よりは安い昼間のカフェのメニューを奢っていたというのに。

 次からはカフェで済まそうと決心したペルシカは、自分のグラスを傾けた。

 

「そういえば、追加報酬って何なんだ?」

 

 それから少しの間は無言で飲み進め、全員のグラスから半分ほどが消えたところで、指揮官が口を開く。

 その質問を受けたペルシカは、思い出したとでも言いたげに目を軽く見開いた。

 

「……ああ、あの自律人形のね。あの報酬はー……ウチの装備を追加で渡すって事で、どう?」

 

「ありがたく貰うけど、なんにも考えてなかったのね」

 

 貰える物は貰うけど、とネゲヴは付け足してグラスの中を空にした。追加を注いでもらっているネゲヴを見ながら、指揮官はボソッと言った。

 

「全部売り払って財源の足しにするか」

 

「それを私の前で言うなんてイイ度胸してるわね」

 

 普通の装備に16Labのロゴ入れて高額で売り払ってる奴には言われたくない。と指揮官とネゲヴの心は一致した。

 ペルシカがやっている事に比べれば、貰った物をその場で売却する方がまだマシに思える。

 

「でも少し、アルコール以外のも飲みたくなってきたな」

 

「何か摘みたくもなってきたわね」

 

「それは自腹で買いなさいよ……?」

 

 露骨にチラッチラッと見てくる指揮官と副官のコンビと目を合わせないようにして、ペルシカはグラスの中の氷を噛み砕いた。





思いつけば5000文字くらいはサッと書けるのに、思いつかないと一文字も進まないマン。


Five-seven:交尾(白濁液)中毒。ようはアレ。駆け引き担当。観光目的の他に男漁りも目的

FAL:(saKe)タバコ(taBako)(kuSuri)! 酒!タバコ!薬!って感じ。頭の中にレーダーが入ってるので夜戦で大活躍……かも

Vector:初登場時はボカしたけど、お察しの通りヤク中。薬が切れても表情は変わらないけど、薬が切れてると唐突に焼夷手榴弾を投げ始める。

M1895:ナガンばあちゃん。最後の良心。


文字にして改めて思う。クズしかいねぇ!助けてナガンばあちゃん!


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地区を回る


実は前話の投稿後から熱を出して死んでいたんですが、その際に見た夢のお陰で最終回が定まりました。悪夢の力って凄いですね



 

「平和ねぇ……」

 

「平和ね」

 

 汚染区域や盗賊の群れが跋扈する地区と地区の間を抜けて到達した、グリフィンが管轄する何処かの地区。

 その中心部にある、この地区の心臓部である基地からほど近い喫煙所に、FALとVectorは居た。

 

 S03では見た事も無い、さんさんと降り注ぐ太陽の光の下でタバコを吸うと、少しばかり味が違うような気さえしてくる。

 

「Five-seven達が挨拶に行ってから、どれくらい経ったかしら」

 

「大体一時間。どれくらいで終わるかしらね」

 

 他に誰も居ない喫煙所でFALはすぱすぱとタバコを吸い、Vectorはすぐ近くのベンチに座って何処かを見つめている。

 昼間であるからか、街に人はあまり見ない。どうやら大半が仕事に出向き、建物の中で仕事をしているらしかった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 FALとVectorの間に会話は殆どなかった。FALもVectorも他人と殆ど関わらなくても問題のない性質をしているからだが、それ故に二人きりで取り残された時は、このように気まずい沈黙が生じるのである。

 仕方ないので、FALも喫煙所という狭い場所から見渡せる世界を観察する事にした。

 

 まず真っ先に気になるのは、空で輝く太陽。そしてヒョロヒョロとした白い雲が揺蕩っている青い空。

 見上げてみれば、ビルによって切り取られた狭い空が窮屈そうにしている。

 

 次に、一般家庭だろうか。マンションのベランダに干された洗濯物の数々。

 誰が着けるかは知らないけど、原色バリバリの下着はキツいんじゃないかしらとFALが内心で呟きながら、見慣れた頭の黒リボンが路地裏に男を連れ込んでいくのを見た。

 

「……人間って、なんでこう、バカみたいに高いビルを建てたがるのかしら」

 

「昔から言われてるじゃない。バカと煙はって奴よ、多分ね」

 

 バサバサと羽音を立てて飛び回る鳥達を見ながら思う。人間達が飽きもせずに作り直した街並みは、整然と整えられているように見えて、何処か歪だ。

 

 どうやら人間達は、地区の内側に建てられた高層ビルの数で己の権力を示すようで、この近辺にはその思想が一際顕著に表れていた。

 テロリストの的当てにしか使えないであろう無駄に高い高層ビルばかりが生えている此処は、まるで人工の竹林めいてひしめき合っている。

 

「私達は地下倉庫に押し込めるくせにね……そう考えると、人間って昔からマウント取りたがってるのかもしれないわね」

 

 上に行けば行くほど偉くなるという考えがどうして古の東西に生じたのかは議論の余地があろうが、少なくとも上には天があり、天には昔から神々などの存在がある事は知られていた。

 であるから、物理的にしろ地位的にしろ、そこに近付く事で自らの優位性を強調したかったのではないだろうか。

 上等だの最高だのという褒め言葉を良く見れば高さに関する文字が当てはめられているように、評価の良さと物理的な高さが密接な関係にある事に疑いの余地はない。

 

 逆に地下には黄泉の国だの地獄だのいう伝承が各地に伝わるように、イメージが非常に悪い。

 それは恐らく死者を埋葬する場所が地面だからであり、死というネガティブな概念と古くから密接に関わっているのが土の下であったから……なのかもしれない。

 

 そう考えると、戦術人形の地位というものは、自らが思っているよりも遥かに小さな物なのだろう。

 少なくとも地下に放り込まれるのが当たり前な程度には、その地位は低い。

 

 しょせん替えの効く下僕なのだから、当然と言えばそうなのだが。

 

「どうでもいいわ」

 

 Vectorのように一刀両断するのが戦術人形の立場としては正しい。そういう事を気にするのは、人形に人権を与えようとする胡散臭い団体の仕事だ。

 

 そして、そんな益体もない事に思考を高速回転させる程度に、今のFALは暇を持て余していた。

 あるいは、久しく忘れていた太陽の熱で電脳が温まったのかもしれないが。

 

 バベルの塔の話を忘れたかのように、人間は再び建造物で天を衝かんとしている。バベルの塔の時は神が罰を与えたが、その神は既に死んだのだろうか。それが裁かれる事はもう無い。

 

 いや、あるいは纏めて裁くつもりなのかもしれない。この世紀末で神が降臨するのは、きっと人間の最期を告げる評決の日の時だけなのだから。

 

 二本三本とタバコを吸い終わったくらいのタイミングで黒リボンが路地裏から出てくるが、そこの辺りで漸くFALは初めて気付いた違和感に首を捻った。

 

「…………おかしい。どうして銃声が一回も聞こえないのかしら」

 

「普通、地区の内側でドンパチなぞ滅多に起こらん」

 

 M1895のツッコミが聞こえる。喫煙所の外から、露骨に嫌そうな顔をしているM1895が手招きしていた。

 灰皿にタバコをぎゅっと押し付けて火を消すと、FALは喫煙所から出る。

 

「終わった?」

 

「無事にな。成果は無さそうじゃったが」

 

 分かっていた事だけに、M1895の顔に失望は無い。だがFive-sevenと一緒に基地への挨拶に同行していたM1895の表情から察するに、相手方の反応は相当芳しくなかったようである。

 

 まあそれも仕方ない。根も葉もそれなりにある黒い噂も広まっているし、何よりS03の指揮官は政治的な利用価値も殆どない。にも関わらず指揮官という立場にまで出世している事も反感を買っている。

 そんな指揮官と縁を結びたい者なんて、余程の物好きか、あるいは唯一表立って自慢できるネゲヴが欲しいかのどちらかであろうと思っていた。

 

 故に、これは想定の範囲内。4つくらい回る予定の地区の一つがダメになった程度の話だ。

 話が終わったのなら、こんな場所に留まる理由はない。とっとと離れたいFALは早足気味に進む。

 

「ふん、じゃあ此処に用は無いわね。さっさと出ましょ、こんな場所」

 

「なんじゃ、せっかちじゃのう。何か嫌な事でもあったか?」

 

「タバコが高い」

 

「薬が無い」

 

「………………」

 

 FALとVectorは、示し合わせたわけでもないのに同時に不満を漏らした。

 いや、それは良い事じゃろう。という言葉をM1895は飲み込んだ。どちらの目もガチだったからだ。

 

「……分かった分かった。ならさっさと次の場所へと向かうとしよう。わしも早くS03に帰りたい」

 

「意外ね。ナガンなら、こういう場所に留まりたいって言うと思ったのに」

 

「なんだかんだ言って、あそこが家じゃからの。ホームシック……とは違うが、いつの間にか、あそこが落ち着くようになってしまったのじゃ。悲しいことにな」

 

 ポケットから棒付きキャンディを取り出し、その包み紙を剥きながらM1895は言った。悲しいことに、という辺り、相当不本意であるようだ。

 ピンク色の丸い飴を口に入れながら、包み紙をひっくり返して裏側を見る。すると、そこには「はずれ」の三文字が。

 

「むう……全部外れか。運がないのう」

 

「全部って……まさかナガン、持ってきた飴玉もう全部舐め終えたの?あれ小さいダンボールいっぱいに詰まってた筈でしょ?」

 

「舐め終えたし、持ってきた菓子類は全て尽きた」

 

「えぇ……」

 

 以前から甘い物は大好きじゃとM1895は公言しており、大体の時は飴玉を咥えていたり、グミを食べていたりする。

 タバコや薬に金を使うより甘い物を楽しんだ方が健全だとM1895は言うが、ここまで来るとどちらが健康的なのか分からない。

 

 Vectorにすら珍しくドン引きされている事など気にもせずに、M1895はコロコロと最後の飴玉を舐めまわしはじめた。

 人工甘味料で全て作られたワザとらしい甘さは多くの人間はもちろん、人形にも不評であったが、M1895だけはいたく気に入っているようで、S03のコンビニの飴玉は専ら彼女専用だ。

 

 もちろん、食べ続ければ虫歯になる。まあ人形には関係のない話であるが。

 

 そんなM1895達は、喫煙所からグリフィンで採用する事を推奨している、汚染地域を抜けるために用意された専用車を止めてある駐車場に戻った。Five-sevenは、どこかツヤツヤした感じで既に運転席に座っている。

 

「おかえりー。あら不満そうじゃない」

 

「そういうアンタは元気そうね。大して仕事しないで昼間っから男漁りするのは楽しい?」

 

「もちろん!」

 

 わざと嫌味ったらしく言ってやったというのに、満面の笑みで返された。どうやら何を言っても無駄なようだと察したFALは、助手席に座りながら、太ももの上にフェレットを置いて指でチョイチョイとつつき始める。

 M1895がFALの後ろの席に、VectorがFive-sevenの後ろの席に座った車は、ゆっくりと次の目的地へと向かい始めた。

 

 ビジネスマンが乗る車に混じって道路を通り、大通りを真っ直ぐ進んで次の目的地へ。

 窓から見える、忙しなく動くスーツ姿のサラリーマン達を見ていると、FALの胸の内から、なにやらムカムカとした物が湧いてきた。

 

「こういう場所見てると、なんか虫唾が走るわね」

 

「薬……」

 

「お主ら、本当に根っからの悪党じゃな……」

 

 挨拶回りという名の観光旅行に出てからというもの、Vectorは殆ど寝てるか薬をキメてるかの二択だし、FALは窓を開けてタバコを吸い続けて止めようとしない。

 Vectorは兎も角、流石にFALは今吸うのは自重しているようだが、代わりに物騒な言葉を垂れ流していた。

 

「みんな、お腹減ってるわよね?さっき良さげな場所聞いたから、せっかくだし寄ってきましょうよ」

 

「良いじゃない。その腹立つ営業スマイルも、たまには役に立つのね」

 

「しかし、車はどうする?治安はS03と比べるべくもないくらいじゃが、それでも万一がある。誰かは残らんといかんじゃろう」

 

「FALは一言余計、そしてナガンの心配は必要ないわ。車内で食べられる手軽さと美味しさがウリらしいから」

 

 交差点でハンドルを左に切って、そのまま直進。ビジネス街の喧騒から離れていく車は、やがて中規模な駐車場で止まった。

 

 少し待ってて。と言って店内に入り、すぐ戻って来たFive-sevenが袋から出したのはパンであった。

 

「パンか。悪くないわね」

 

「色んなペーストとか粉末を練り込んで、昔にあった食べ物の味を再現しているらしいわ。好きなの取って、私はコレ」

 

「味は?」

 

 たとえばFive-sevenがかぶりついたパンは、今では滅多に作られなくなったホットドッグの味が再現されている。

 そして袋に残されたパンは三つ。Five-sevenはそれを一つずつ指さした。

 

「カニ、マグロ、タマゴ」

 

「なんで魚類ばっかなのよ」

 

「だって貴重じゃない。海の魚なんて、この御時世じゃ口にすら出来ないんだから。こういう物で味あわないと」

 

 陸が汚染されているのだから、当然海だって汚染されている。悠長に魚を捕る余裕などない現代人にとって、魚というのは川魚一択であった。

 

「マグ……タマゴにしようかのう」

 

「…………じゃあカニで」

 

「ならマグロ」

 

 五分ほど無言で一同はパンにかぶりつき、咀嚼する。反応から見るにM1895は当たり、FALは当たりでもなく外れでもなく、Vectorは……表情が動かないために分からない。

 

「…………なんか騒がしいわね」

 

 食事を終えて車を再び走らせていると、前方がにわかに騒がしい。その騒動の元に近付いていくと、どうやら銀行強盗が立て篭もっているようだった。

 何人かのグループでの犯行らしく、銃を人質に突きつけながら一人が要求を突きつけている。

 

 その様子を見たFALは、どこか安心したように言った。

 

「なんだ。やっぱりあるじゃない、ああいうの」

 

「まあ、偶には見るでしょ。その偶に当たったのは運がいいのか悪いのか……Vector、ナガンを取り押さえて」

 

 伸ばされた手が、M1895の腕をガッと掴む。動きを止められたM1895は、怒りの目をFive-sevenに向けた。

 

「何故じゃ!こういう時の為のわしらじゃろう!?」

 

「そうだけど、あれはこの地区の人形の仕事。私達が関わる事じゃないわ」

 

「しかし!」

 

「しかしも何もない。ここで私達が出ても、何も得られないのよ」

 

「…………くっ!」

 

 もしこの地区の反応が良ければ、友好関係を形成する一助になり得たかもしれない。しかし、そうはなりそうにない事は先の反応から見えていた。どうせ、頼んでないとか言われるのがオチである。

 

 目に見える結果に骨を折るほどFive-sevenはバカにはなれないし、それはM1895も分かっていた。

 だからだろう。あっさりと抵抗を諦め、座席から動こうとしなくなる。

 

「気持ちだけにしておきなさい。ここは二度来るかも怪しい場所よ」

 

「…………分かっておる、分かっておるよ。……次へ行こう」

 

 必死に目を逸らすM1895に、Five-sevenは頷きを返してアクセルを踏んだ。

 

 騒ぎが段々と遠くなっていき、やがて街すらも遠ざかっていく。舗装された道からデコボコの大地に移り変わって、そのまま進んでいった。

 

「ところで、次ってどこよ」

 

「近いのはD地区。だからそっちを経由して、S09を通って帰る感じかしらね」

 

「伝手とかあるの?」

 

「いえ、まったく」

 

 でも何とかなるでしょ。なんて楽観的な言葉が、話の締めを飾った。

 

 

「……そうか、分かった。ナガンはよく慰めておいてくれ」

 

 FALからの定時連絡を受けた指揮官は、まだI.O.P.社に居た。極秘妖精SCAVENGERの受領に時間が掛かっていたのだ。

 それがつい先ほど終わり、ようやっと帰れそうな時に連絡が来たのである。

 

 通話を終えた指揮官は端末をポケットに仕舞うと、腕に巻いた時計型端末に表示された時間を見た。……そろそろ戻らなければならない。

 断りを入れて通路の奥に来ていた指揮官が来た道を引き返すと、その壁に誰か寄りかかっているのが見える。

 

「ちょっといいかしら」

 

「良くない」

 

 横を通り過ぎようとすると、腕を掴まれた。見た目こそ華奢だが、中身は大人を凌駕する力の持ち主である彼女に掴まれてしまうと、指揮官単体で振り払うことは不可能だ。

 

「つれないこと言わないでよ。同じ穴の仲でしょ?」

 

「お前が一方的に言い出したんだろうが。同じ穴に入ったつもりは無い」

 

 周囲を見渡してもネゲヴしか見当たらないし、そのネゲヴは諦めたような顔をしていた。どうやら、逃がしてはくれないらしい。

 

 チッと舌打ちをしなかった自分を褒めて欲しいくらいだ。

 

 胡散臭い笑みの人形にはセメント対応をしなければ調子に乗られる。ましてや相手が相手だ、何をされるか分かったもんじゃない。

 

「ひどーい。それが後輩に対する態度?」

 

「そっちが勝手に呼んでるだけだろ?俺は先輩になったつもりはないし、なる気もない」

 

 勝手に先輩などと呼んで付いてくるコイツとの関係は、一体何時からだったか。

 面白半分でそう呼んでいる事は分かっているから、自然と対応はセメント気味になる。

 

「こんな可愛い後輩になんて言い草。冷酷非道で血も涙もないって噂は本当だったのね」

 

「…………茶番はいいから、用件をさっさと言え」

 

 彼女が一歩前に出れば、蛍光灯がその姿を晒す。

 

「──UMP45」

 

 左腕の黄色い腕章は、知る人ぞ知る存在の証。

 

 404 NOT FOUNDという非正規部隊のリーダーUMP45は、ニッコリと作り笑いを貼り付けて指揮官を見ていた。





ナガンばあちゃんは天使。はっきり分かんだね。

ところでそろそろ四月ですね。初日だけは四月バカという免罪符を掲げて何でも出来ますよ。
……学パロとかやってみようかな?


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◆四◆最終話・奈落の落とし穴◆月◆

◆注意◆今回の話は完全なギャグである。前話までの暗い感じが好きな読者の皆さんはブラウザバック重点な。なお、今回の話に出てくる存在は全て架空であり、現実には存在しない。いいね?◆しよう◆



(これまでのあらすじ)

 

 

 マッポー都市・S03エリアにて突如発生したテッケツ・インダストリによる大規模なムーホンによって、元からマッポーめいた都市であったS03エリアは、たちまちアビ・インフェルノ・ジゴクと化した。

 

 地は焼かれ、多くのロボ・ニンジャは死に絶え、今となってはI.O.P.クランのロボ・ニンジャを見ることはない。代わりに台頭したテッケツ・インダストリクランのロボ・ニンジャ達に駆逐されてしまったからである。

 

 そんなS03エリアに、一体のI.O.P.クランのロボ・ニンジャが降り立った。全裸という豊満なバストを隠しもしない上に青少年のなんかが危ない格好である彼女は、そのまま周囲を見渡す。そして近くを偶然通りがかったマケグミ・サラリマンから衣服と靴とレインコートを奪うと、そのまま夜のS03エリアへ消えていく。

 

「アイエエエ!?」サラリマンの絶叫が響くが、誰も見向きもしない。マッポーの世であるS03エリアでは、路地裏でサラリマンが袋叩きにされるのはチャメシ・インシデントなのであるからだ。

 

 彼女の名前はウィンチェスター。テッケツスレイヤーとして未来から送り込まれたロボ・ニンジャであり、そのバストは豊満であった。

 

 

 

 第1部:殺伐都市S03より【ターミネート・レッド・ブラック】#1

 

 

 

「フゥー……」アクビを噛み殺しながら、薄汚い雲に覆われた空を見た。ネズミめいた色の雲からは、相も変わらず小便めいた雨がたれ流されている。放射能を含んだ実際危険な雨は、例え昼間であろうともウシミツ・アワーめいた暗さを齎す。まして今のような夜となれば、その暗さはスゴイ級にまで到達した。

 

 降り注ぐ雨は道路の至る所に水溜りを形成し、ケミカルな色彩で煌めくネオン看板の輝きを吸収してボディに悪い色を放っていた。深夜帯を迎えた現在でも街は眩しく、道行く人が途切れる事は無い。レインコートの端から窺える口元は真一文にきゅっと結ばれていて、何かに耐えているようであった。

 

 ウシミツ残業を終えたサラリマンを捕らえるために、所狭しと並んだ屋台からは湯気が立ち上り続けていて、そこから発せられる匂いが誘蛾灯めいて人々を店に連れ込まんとしている。「実際安く、実際美味い」「カロリー補充重点」「ヤバイ級の量」テンピープル・テンカラーズとコトワザにあるように、一つとして同じ謳い文句は存在しない。

 

 反対車線を幾つものビークルが通り過ぎ、道路に散在する水溜りを蹴飛ばしては夜の闇に消えていく。ふらりふらりと、何かに耐えきれなくなった者が道路の真ん中にへたりこんだ。雨音の中から聞こえる広告音声、換気扇の音、声。ここはS03。テッケツ・インダストリによって奪われた都市の、あまりに見慣れた光景だ。

 

 雨の静寂を塗り潰すように、表通りからはゴチャゴチャとした喧騒が絶えない。バチバチと火花を散らす看板の数々や、呼び込みの声。そしてケンカや銃声。それらは雨で音を抑えられて尚、存在感を示している。しかし、一つでも路地に入ってしまえば、そこには死の静寂が渦巻いていた。

 

 そんな喧騒の止まぬ表通りを、一台のヤクザモービルが走っていた。「タイクツだなぁハンター=サン」「私に言うなエクスキューショナー=サン」ヤクザモービルの窓の外に見られる光景に飽き飽きしながら、テッケツ・インダストリのエリートロボ・ニンジャであるエクスキューショナーは呟いた。

 

「オレ達はニンジャだぞ?なのにどうして、こんなサラリマンめいたサンシタ仕事ばっかりなんだ」ぶつぶつと不平不満を漏らしながら、エクスキューショナーはビンから直接サケを呷る。一回でラベルの一番上までの量を流し込んだエクスキューショナーのニューロンが僅かにひりつく。

 

「仕方ないだろう。こうした事を出来るニンジャも他に居ない」サケの臭いを車内に漂わせるエクスキューショナーに辟易としながら、ハンターはそう答えた。「使い勝手が良いってのはいい事さ。だろう?」「そうかもしれないけどな」エクスキューショナーは、やはり納得していない。

 

 エクスキューショナーとハンターは、テッケツ・インダストリに擦り寄ってくる暗黒メガコーポの、俗に言うカチグミ・サラリマン達による接待を受けた帰りであった。しかし、なぜ自分から出向かなければならないのか。そういうのは向こうから来るものだろう。

 

 幾つか存在する、イクラ・ドンブリを提供するチェーン店に入っていく疲れきった様相のサラリマン達を見ながらハンターは溜息を一つ。そして思う。外に歩くサラリマンと今の自分、一体なにが異なる?「ハラが減ったな」エクスキューショナーは呟いた。

 

「どこかの店にでも入るか?」ハンターは言う。「スシでなければ何でもいい」エクスキューショナーは返す。「おいおい、スシの何が悪いんだ」と更に聞けば、エクスキューショナーは嫌そうに言った。「毎日三食をスシだけで済ませてりゃ、飽きるだろうがよ」

 

 ハンターは熱狂的なスシファンであった。エクスキューショナーもスシは嫌いではないし、ニンジャ回復力を高める効能に命を救われた事は何度もある。しかし、いくらスシが優れたエネルギ補給食だからといって、三食それしか食べないとなると話は別だ。

 

 スシにニューロンを犯されたのではないかとさえ思えるハンターとのコンビが長いエクスキューショナーは、その大半の食事をスシで済ませる様になっていた。ヤンナルネ……と聞こえぬように吐き捨てる。

 

「分かった。明日はエクスキューショナー=サンの食べたい物を食べよう。だから今日はスシにしてくれ」それは妥協と言えるのだろうか。だが、ハンターからすればこれは最大限の譲歩である。

 

「…………分かった。約束だぞ」「もちろんだ。ユウジョウ!」「ユウジョウ!」そうと決まれば、と決断的速度でドライバーに声を掛けたハンターによって、ヤクザモービルの進路が変わっていく。

 

【テッケツスレイヤー】

 

【テッケツスレイヤー】

 

「……ン?」その異変に最初に気付いたのは、結局ハンターに押し切られる形で今日もスシを補給する羽目になったエクスキューショナーであった。彼女が憂鬱に外を眺めていると、ヤクザモービルが繁華街から外れていく事に気付いたのである。

 

「オイ。ルートが違うんじゃないか?」エクスキューショナーが運転手に問いかける。「ムッ、言われてみればそうだ。おいドライバー、ルートが違うぞ」ハンターも気付いたらしく、運転手の座るシートを小突きながら言った。

 

 運転手は言った。「すいません。でも、これでいいんです」「なんだと?」運転手から不穏なアトモスフィアが漏れる。何かが変だと直感が囁いたハンターの今の状態をかのミヤモト・マサシが見れば、インセクツ・オーメンと呟いた事だろう。

 

 一気に緊張感が高まるヤクザモービルの中。エクスキューショナーが懐に手を伸ばした辺りで、運転手はいきなりアクセルを踏み込んだ!「ヌオッ!?」ロケットめいて急加速したヤクザモービルは、一般モービルとモービルの間をすり抜けるように突き進んで行く!

 

 暴走するヤクザモービルは、いったい何処へ行こうというのか!?「止めろ!止めろと言っているんだ!」エクスキューショナーが荒げた声をかき消すように、運転手も叫ぶ!「このまま死になさい!イヤーッ!!」運転手はシートベルトを引きちぎったかと思うと、勢いよくドアをシャウトと共に蹴破って外に飛び出した!

 

 運転手を失った事で制御不能に陥ったヤクザモービルは、そのまま小さな回転スシ・バーに向けてカミカゼ・アタック!KA-DOOOOOOM……!突っ込んだヤクザモービルがハナビめいて爆発を起こす。

 

「「「「グワーッ!?」」」」ナムアミダブツ!突如ヤクザモービルにカミカゼ・アタックをされた回転スシ・バーに訪れていたサラリマンや老人達は、ヤクザモービルの爆発に巻き込まれて息絶えた。これも古事記に予言されしマッポーの一側面である。

 

 前触れもなく回転スシ・バーの周辺はアビ・インフェルノ・ジゴクと化した。犠牲となった彼らの中には多少邪な行為をしていた者もいただろうが、それでもこんな事をされる謂れはない!

 

 それにしても、この爆発の大きさでは直撃して生きているものなど……いや、待て!爆煙の向こうから何者かが歩いて来るではないか!煙が晴れてくるにつれて影が濃くなっていき、最後にその姿が現れる。二つあった人影は、エクスキューショナーとハンターのものだった。

 

 ロボ・ニンジャである彼女達に、生半可な攻撃は通用しないのだ。「酷い目にあった」「あの運転手はどこだ?」必ず見つけ出してインタビューしてやると意気込む二人からは殺意が漏れ出ていた。その濃さたるや、二人を一目見たヨタモノが「アイエエエ!?」と叫んでしめやかに失禁するほどである。

 

 そんな二体の上から、赤黒の殺戮者がエントリーした!「イヤーッ!」「グワーッ!?」シャウトと共に放たれたカラテが、ハンターの顔に突き刺さった!アンブッシュである!!そのままプロペラめいて回転しながら道路に吹き飛ばされたハンターに、通りすがりのモータルは悲鳴をあげる!「アイエエエ!ニンジャ!?ニンジャナンデ!?」

 

「ハンター=サン!?貴様、何者だ!!」カタナを構え、アンタイニンジャチャカ・ガンを向けられた殺戮者は、その赤黒の装束を雨に濡らしながら両手を合わせてオジギをした。「ドーモ、テッケツスレイヤーです」

 

「ドーモ、テッケツスレイヤー=サン。エクスキューショナーです」エクスキューショナーもアイサツとオジギを返した。イクサに望むニンジャにとって、アイサツは神聖不可侵な行為と古事記にも書かれている。アイサツはされれば、返さねばならない。

 

 カミカゼ・アタックの余波でバチバチと悲鳴をあげた街灯が不規則に点灯し、その姿を一瞬照らす。常人には瞬きの間しか捕捉できなかった姿は、エクスキューショナーのニンジャ洞察力をもってすれば写真を眺めるように認識する事ができた。

 

 黒を基調に所々赤い。そして目を引くのは左肩に存在するテッケツ・インダストリのエンブレム。その上に赤い棒がクロスされていた。そのあまりにも冒涜的、かつ挑発的な装束を見れば、彼女の目的は自然と見えてくる。

 

「その冒涜的なデザインに、テッケツスレイヤーという名前……貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか?」「無論よ。イヤーッ!」テッケツスレイヤーは踏み込み、チョップを放った!「イヤーッ!」対するエクスキューショナーは袈裟斬りにイアイド斬撃を繰り出す!

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャ洞察力が無ければ見ることも叶わぬ応酬が繰り広げられ、コンクリートが蜘蛛の巣めいてヒビ割れていく。

 

「一応聞いてやろう!貴様の目的を言え!」「テッケツ・インダストリを潰す。当然、あなたも潰す。そしてお仲間も潰す。全てのテッケツロボ・ニンジャを潰す!」「そんな戯れ言を真顔でのたまうなど、やはり狂人か!イヤーッ!」エクスキューショナーは踏み込みながら横薙ぎにイアイド斬撃を繰り出す!

 

「果たして戯れ言かしら?」しかし、テッケツスレイヤーはそれを跳躍で回避し、そのまま空中で回し蹴りを放った!ワザマエ!「イヤーッ!」「グワーッ!?」側頭部を蹴り抜かれたエクスキューショナーは、地面に強く頭を打つ。「イヤーッ!」テッケツスレイヤーは手と足を休めない。「グワーッ!?」倒れている人を見たら追撃を入れろとはS03エリアの常識であるが、これは正しくその通りの状況である!

 

「イヤーッ!」BRATATA!エクスキューショナーが咄嗟にトリガを引くと、アンタイニンジャチャカ・ガンからロボ・ニンジャにすら致命傷を負わせられる重金属弾が吐き出された。しかし、いかに威力を持とうとも当たらなければ意味が無い。

 

「ヌウーッ……」だが、掠りもしなかったその攻撃はテッケツスレイヤーの猛攻を弱める働きをした。その隙にエクスキューショナーは体勢を立て直す。そしてカタナを構えた。「怖いかクソッタレ。当然だぜ、イアイドー20段の俺に勝てるもんか」「なら試してみる?私だってカラテ25段よ」

 

「イヤーッ!」その挑発に乗るように、エクスキューショナーは横薙ぎにイアイド斬撃を繰り出す。しかし、おお!なんたる事か!テッケツスレイヤーは上半身をアーチめいて逸らしながらブリッジ回避をしているではないか!

 

 これはエクスキューショナーのウカツであった。相手がジュー・ジツの使い手であり、その間合いに既に入ってしまってるのならば、カタナを捨ててカラテとアンタイニンジャチャカ・ガンで勝負するべきだったのだ。

 

「イヤーッ!」そしてブリッジの姿勢から勢い良く足を振り上げ、バネ仕掛けめいた勢いでエクスキューショナーのアゴを蹴り上げ粉砕する!「アバーッ!?」ゴウランガ!あれは伝説のカラテ技!サマーソルトキックである!

 

 空へと打ち上げられたエクスキューショナーに追撃の手が迫る。テッケツスレイヤーは吹き飛ばされたエクスキューショナーの背後に回ったかと思うと、がっちりと羽交い締めして逃げられないようにした。この間、僅かに0.2秒!「イヤーッ!」

 

 そのまま頭を下にして落下し、エクスキューショナーの頭部を杭打ち機めいて地面に突き刺した!これはジュー・ジツの禁じ手、アラバマオトシ!サマーソルトキックからアラバマオトシに繋げられるなど、なんたるワザマエか!

 

 今の連携だけを見ても、テッケツスレイヤーがジュー・ジツに精通している事を窺い知る事ができるだろう。「アバーッ!?」そして連続して二つものヒサツ・ワザを喰らったエクスキューショナーは耐えきれなかった。

 

「サヨナラ!」「エクスキューショナー=サン!?」ようやく復活したハンターが悲痛な声を挙げるが、その時には既にエクスキューショナーは爆発四散した後であった。エクスキューショナーが使っていたアンタイニンジャチャカ・ガンがハンターの足下にまで滑ってくる。「次はアナタよ、ハンター=サン」死刑宣告めいた言葉がハンターに告げられた。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 そこまでを読み終わったネゲヴは、無言で冊子を閉じてそれを机の上に置いた。

 そうしてからソファの方を見れば、ソファの上で声を殺して笑いながら痙攣している指揮官の姿がある。

 

 たった一ページで噴き出し、二ページ目であの有様だった。

 

「なにこれ、ふざけてるの?」

 

「ぶふっ」

 

 大昔のカルト的な人気を誇った何かをアーカイブから発掘した59式が真似て創作した、テッケツスレイヤーと題されたそれ。

 

 今は机の上の一冊しか無いそれは、後々S03地区で広く読まれる人気作品になるのだが、この時点ではまだ先の話である。

 




すまぬ……過去に挫折した私だと、この程度のテキストカラテが限界なのだ。続き?無いよ!だから誰か続き書いて。


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忍び寄る気配


本格的♂歓迎をしてくれるらしいカカオの錬金術師さん宅にウチのクズども(ナガンばあちゃん除く)が突入する少し前の様子。
そしておもむろに新設定と独自解釈から成る露骨なフラグを何本も立てる様子。
この二本を今回はお送りします。厨二病を発露させて作った地雷原を走り抜ける用意は出来てますか?



 

 S03地区を出てから、ようやく見慣れるようになった太陽の光を浴びながら進んだFive-seven達一行は、進むにつれて会敵頻度が低くなっていくのを感じていた。

 そろそろ視界に入る緑が増えつつあるし、これはもしかすると目的地の勢力圏に入ったのかもしれない。

 

「そろそろ地区の勢力圏に入ったかしら」

 

「入ったでしょうね。襲撃の頻度が低くなった」

 

 先の戦闘では焼夷手榴弾を誰彼構わず投げまくり、挙句の果てには降伏してきた相手の口に焼夷手榴弾を押し込むという、スコーピオンみたいな事をやっていた放火魔Vectorは満足感を隠さずに頷いた。

 Vector以外の三体が、たまたま薬を切らした瞬間に襲撃してきた盗賊団に思わず同情してしまうくらい酷い焼かれ方だったという。

 

 彼らの遺体は放置してきたが、もうハイエナやハゲワシ達に食い荒らされているだろう。

 

「ふぅ……」

 

 新聞を読むように紙の地図を広げながら、M1895は自分達が居るであろう位置に指を当てて、それを動かす。動かした先にあったのは、D08という文字だ。

 

「次はD08地区じゃが、上手くいくかのう」

 

「ダメならダメでいいわ。最悪、物資を売ってくれさえすれば次に行けるもの」

 

「後は内部の視察よね。

 といっても、どんな人形が居て何をやっているのか。それを軽く見られれば御の字くらいのものだけど」

 

 どんな場所かは情報を殆ど持っていないがために何も言えないが、交友も何も無い連中にホイホイと色々見せるほどセキュリティ意識が薄いとは思えない。

 人形達の日常風景を見る事は出来るかもしれないから、そこから推測するしかないだろう。

 

「指揮官は何て?」

 

「俺達のプラスになる範囲で好きにしろって」

 

 そう言ってFALは目を閉じながら頭に埋め込んだレーダーを起動した。

 コストが余程高いのだろう。未だに彼女以外の使用者が見当たらない頭部レーダーは、まあまあの更新頻度で周辺に反応が無いか探す。しかし、何も見つからない。

 

「敵影は無し。問題ないわ」

 

「便利ね」

 

「設備を持ち運ばずにレーダーが使えるとは、時代は変わっていくものじゃな」

 

「でも相応にハイコストよ。しかもそのお陰で、指揮官から釘も刺されたし。やられたら財政が消し飛ぶから無茶するなってね」

 

 ミラー越しに見るVectorとM1895にFALはそう説明した。

 もしやられれば、FALの給料が向こう二年は無くなりそうなくらいの金額である。FALはもちろん、指揮官達も血の気が引くに違いなかった。

 

「だから、もし私が危なくなったら、あなた達は私の肉壁になりなさい。これは指揮官命令よ」

 

「指揮官の命令を歪曲解釈しないでくれる?指揮官が守るように言ってるのは、その頭のレーダーであってアンタじゃない。アンタには毛ほども価値なんてないわ」

 

 FALを守れとは言うが、その理由は頭の中のレーダーが貴重品だからだ。もし戦況が不利になってダメそうなら、レーダーを積んだFALの頭をアメフトよろしく抱えて逃げればいいだけの話ではある。

 

「何をどう勘違いしたら、自分に価値があるなんて発想が出てくるんだか」

 

「言うじゃないの淫乱女。薬と男漁りしか能の無いアンタにしちゃ面白いジョークね」

 

「自分の価値を勘違いしてる頭の可哀想な奴に現実を教えてあげてるだけよ。薬のやりすぎでイカれちゃった頭に、よーく刻んどきなさい」

 

 ただ退屈だからという理由でお互いを煽りあうのは、この二体にとって日常茶飯事だ。機嫌の良い時は軽口を叩くだけなのだが、機嫌が悪いと殺し合い一歩手前まで発展する。

 今回の出張の間だって何回も聞いたが、前回までは幸いどちらも機嫌が良かったようで軽く済んでいた。

 

 ただ、今回は駄目だ。M1895はそう直感した。

 

「インテリを気取るのは止めたら?アンタは股と同じくらい頭ユルユルなんだから、そんな事しても滑稽に見えるだけよ」

 

「お硬い女を気取って、喪失感を薬で誤魔化しても何も残らないわよ。あるのは虚しい現実だけ。惨めな敗北者って事実からは逃げられない」

 

「言葉には気を使いなさいマヌケ。撃ち合いの最中に、いきなりナイフを突き立てられたくはないでしょう?」

 

「脅してるつもりなんでしょうけど、出来もしない事は言うもんじゃないわ。アンタのナイフって、どうせ、何も切れやしないなまくらでしょ」

 

「…………そんなに見たいなら見せてあげるわよ」

 

 売り言葉と買い言葉が飛び交い、そして双方が同時に動いた。

 Five-sevenが片手で素早く、FALの首に銃口を突きつける。引き金には指が掛かっていて、少し動かせば弾が飛び出てFALのボディを貫くだろう。

 対するFALは、抜き放ったコンバットナイフをFive-sevenの喉元に触れさせている。キラリと陽光を受けて輝く刃が、FALの手入れが行き届いている事を示していた。

 

「ここで止めるんなら、命だけは助けてあげるわよ」

 

「状況が分かっていないようね。命乞いするのはアンタの方よ」

 

 目が笑っていない二体は正に一触即発。下手すれば今にも大惨事になりそうであったが、こんな状況でも車は走り続けている。段々と迫り来る平穏との温度差は凄まじいものがあった。

 普通の人なら萎縮してしまう空気の中、手を二回叩いて乾いた音を車内に響かせた者がいた。M1895だ。

 

「そこまでじゃ。じゃれあうのは構わんが、時と場所を考えよ。ここは見世物小屋でも、訓練場でもないんじゃぞ」

 

「空気穴を善意で増やしてあげようとしてるだけよ。腐ったガスが抜ければ、多少はマシになるんじゃないかしら」

 

「その喉にもう一つ口を増やしてあげる。減らず口のアンタにはピッタリ」

 

「はぁ……」

 

 もう言葉では止められないか。という諦めの溜息をM1895は漏らし、仕方なく懐に手を突っ込んだ。

 直後、ゾワッと怖気立つような感覚が二体の電脳を揺らす。経験が何かを訴えた時には、M1895は動き終えていた。

 

「そろそろ良いじゃろう?……もう止めろ。同胞を撃ち殺すのは流石に気分が悪い」

 

 M1895が、両手に一丁ずつ持ったM1895(銃の方)の銃口をFALとFive-sevenの頭に向けている。

 呆れ顔と呆れ声だけを見ていると人畜無害そのものだが、銃口は静止して全く動かない。

 

 動けば撃つ。そんな脅しが伝わってきていた。

 

「指揮官命令なのは相分かった。いざとなれば、一番安いわしが殿と肉壁を務めよう。それで良いな?」

 

 疑問形ではあるが、選択肢は用意されていない。二体に出来るのは、頷いて武器を仕舞う事だけだった。

 半ば無理矢理この場を収めたM1895は、満足げに二丁を懐に仕舞う。

 

「よろしい。引き金が軽く、大体の物事を銃弾で解決する一等のクズがわしらじゃが、何も親愛を示すのにまで銃火器を持ち出す事はないじゃろうて」

 

「親愛って、ちょっとナガン馬鹿言わないで。本気で寒気が走ったじゃない」

 

 その声には、先程までの勢いは無かった。それが先程のM1895の気迫に当てられたからなのかは分からないが、とにかく毒気を抜かれた事だけは間違いない。

 

「ボディランゲージで愛情を示しとったじゃろ。お主らは不器用じゃからな、そうする事でしか親愛を示せない事は分かっとる」

 

 殺し合いにまで発展する煽りあいを繰り広げる二体だが、裏を返せば身もふたもない言葉をぶつけられるくらい心を許していると受け取れなくもない。

 …………かなり強引に好意的な受け取り方をすれば、ではあるが。

 

「なんでそうなるのよ。私は本気で」

 

「よい。何も言わずとも、お主らの本心は分かっとる」

 

「…………もうそれでいいわ。着いたら起こして」

 

 M1895が話を聞く気が無いということを察したFALは、否定の言葉を早々に引っ込めてふて寝する事にした。今のM1895には何を言っても照れ隠しとしか受け取られないだろう。

 

 FALが沈黙してから、一連の騒ぎと無関係に窓の外を見ていたVectorはふと思いついたように言った。

 

「……今更なんだけど、ほとんどアポなしで平気なの?この訪問、隣の部屋に回覧板回すのとは訳が違うんだけど」

 

「まあ何とかなるでしょ」

 

「そんなんだからインテリ気取りって言われるのよ……」

 

 Vectorのボヤきを聞かなかった事にしながら進んでいくと、やがて文明的な町並みが遠くに見え始める。

 

 それを見たFive-sevenが一言。

 

「あそこがセクハラプレイの聖地ね」

 

「いきなり何を言っておる。いや本当に」

 

 あまりに脈絡のない発言にM1895も度肝を抜かれた様子を隠せない。そんなM1895にFive-sevenはニタッと笑った。

 

「あら、ナガンは知らないの?ここの指揮官はセクハラ魔人で、それなりに有名なのよ。それで着いた名前がセクハラプレイの聖地」

 

「セクハラ魔人云々は置いておくとして、その聖地とやらは絶対にお主が言っておるだけじゃろ」

 

 声に乗った色には、そんな場所があってたまるか。という思いがありありと浮かんでいる。

 

「イけば分かるわよ。きっと凄いわ」

 

「凄いの意味が分からんが…………向こうの不興を買うような事は、なるべくせんでくれよ。もし前回みたいに初手から色仕掛けとかしようものなら、わしは懐のM1895(こいつ)でコメカミを痛撃する事も厭わん」

 

 D08基地は、もう近い。

 

 

 

「…………で?」

 

「でって?」

 

 同時刻、別の場所を車で走る一団がいる。

 

 その一人である指揮官は、助手席で胡散臭い笑みを貼り付けたUMP45にジト目を向けた。

 

「お前ら結局何しに来たんだよ」

 

「私達は足として雇われただけよ。先輩を連れてこいって」

 

「お前らが足?なんだ、俺の知らない間に運び屋に転職したのか」

 

「茶化さないで。……分かってるでしょ?」

 

 非正規部隊を足代わりに使う理由。薄々だがそれを察していた指揮官は、気落ちしたように息を吐いて膝の上に座っているネゲヴを抱き寄せた。

 

「絶対にロクでもねぇ」

 

「先輩なにやったの?よほどのヘマして、これからお叱りを受けるとか?」

 

「そうかもな。ところで何処に連れてく気だ。何も聞いてないぞ」

 

「聞かれなかったからね。連れていくように指定されたのは、この先にある駐屯基地よ。……ほら、見えてきた」

 

 近付くにつれて雰囲気が物々しくなり、更に警備が見て分かるほど厳重になっていく。何より目を引くのは、そこを警備しているのは全てが機械的な見た目の人形達ということだ。

 モノアイやツインアイ、挙げ句の果てにはアンテナ状の頭までデザインがあり、全身がゴテゴテとした装甲で覆われている人形達……それらに見覚えがありすぎた。

 

「……遺書を残しておくべきかもしれないな」

 

 ここは正規軍の駐屯基地。通常ならば民間企業の一指揮官が近寄る事など許されない場所だ。

 

 数々の検問を抜けた先にある駐車スペースに車は止まった。膝の上のネゲヴが降り、続いて指揮官が降りる。そこには案内役らしき兵士が立っていた。

 

「お待ちしておりました。こちらです」

 

 指揮官とネゲヴの後ろに機械人形が立つ。護衛のつもりなのか、それとも逃走防止なのか、指揮官には判断がつかなかった。

 そのまま彼の後を歩いてついて行こうとすると、助手席から顔を出したUMP45が言う。

 

「戻ってきたら連絡ちょうだいね。先輩の奢りで一杯やりたいから」

 

「嫌だ。やるにしても割り勘だ」

 

「ケチ」

 

 足を止めずに出来た会話はこれだけだった。やがて背後からエンジン音が響き、それが遠ざかっていく。

 

 次はいつ会えるか分からない。もしかしたら、もう会えないかもしれない。仕事の性質上、いつ消されても不思議ではないのだから。

 しかし、これから先を見通せる訳では無いが、あいつらは大丈夫だろうという謎の確信があった。何だかんだ生き残るに違いないと。

 

 少なくとも、かつての熱気を失って半ば無気力に生きている自分よりは長く生きるはずだ。

 

 窓から見える場所には、見るだけでは分からない物から、見て分かる物まで。凄まじいテクノロジーが使われた軍用兵器の数々が動いている。

 彼の横を付き従う彼女は、何処か懐かしさを感じながらそれを見ていた。

 

「お連れしました」

 

「入れ」

 

 やがて到着したのは、基地の奥の方にある扉。その言葉の後で、先導してきた兵士が扉を開けた。中に入ると、一人の男性が待っていた。

 

 彼は正規軍の技術部門の主任。軍用人形の開発などを取り仕切っている、軍の中でもそれなり以上に高い位置にいる人物だ。

 

「待っていたよ、同志軍曹」

 

「どうも……直接出向いてくるとは珍しいですね」

 

 主任に軽く頭を下げる。普通、主任がこんな辺境に訪れない事を考えると異例も異例だ。

 

「それほどの事態が起こっているという事だよ」

 

「軍が解決できない事を俺達が解決できるとは思えないんですが」

 

「ロストフィールドから生きて帰ってきた男の言葉とは思えんな……失礼、一服しても?」

 

「……どうぞ」

 

 嫌煙家だが、立場が上の人間にNOを突きつけるほど命知らずではない。それを向こうも分かっていたのか、答えが返ってくる前に既にタバコに火をつけていた。

 無言の時間が過ぎ、タバコが半分くらいの長さに縮まったくらいで話し始める。

 

「先日ロストフィールドに調査隊を派遣したが、今から12時間前に信号が途絶した。恐らく全滅したのだろう。なので君達には、その調査を引き継いでもらいたい」

 

「軍は、まだロストフィールドの事を諦めていないんですね」

 

「当然だ。あそこに眠る十年以上前に開発されたテクノロジーは、現代にこそ必要な物だからな」

 

 つまりは、第三次世界大戦中に開発された技術のことである。

 

「大戦が再び始まった際、それらが有るか無いかで我が国の勝率は大きく変わる。少なくとも私は、そう考えている」

 

「崩壊液技術、ですね」

 

「そうだ。知っての通り、大戦中に発生した大規模な崩壊液漏れによって、研究者と共に技術の大半が失われた。

 その遅れは、そろそろ取り戻さねばならん」

 

 正規軍、そしてこの国は、崩壊液技術という面において他国より一歩遅れをとっているという現状がある。かつては先進的な場所に立っていたが、崩壊液の流出事故によって研究成果と研究員が崩壊液の中に沈んでしまったのだ。

 濃度はそれほどではなかったようで建物などは崩壊せずに残っているが、E.L.I.Dが大量発生しているために近寄るのは容易ではない。

 

「これはその第一歩だ。可能な限り残った技術を回収し、帰還しろ」

 

「了解しました。……ところで、研究所の具体的な場所とかは教えていただけるんですよね?」

 

「もちろんだ、後で地図を持ってこさせる。……といっても、大戦中の地図だ。何処かが変わっている可能性を留意しておいてくれ」

 

 そこで一旦会話が途切れ、少ししてから主任は思い出したかのように言った。

 

「ああ。目的の研究所の名前だが、"90wish AI研究所"だ。その施設跡地内部に目的の資料はあると思われる。君には大いに期待しているぞ、NOT FOUND軍曹」

 

「……その軍曹っていうの、やめてくれませんか。俺に階級なんて無いでしょう」

 

「すまんな。癖なんだ」

 

 そう言って、主任はわざとらしく笑った。明らかにこちらを揶揄っている様子に、指揮官は嫌そうな顔を隠す事が出来なかったのだった。

 





あっそうだ。
スペースが空いてる今のうちに言っておきたい事があるんですよ。大したことではありませんけどね。

今まで何度かアーカイブという体で色んな設定を公開してきましたし、これからもする予定なのですが、それらはあくまで作中世界で閲覧できる情報という体で載せています。
つまり何が言いたいかというと、書かれている事柄の全部が真実である保証はないという事です。もしかしたら多少は誇張が入っているかもしれませんし、逆に過小に書かれているかもしれません。


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白煙は天に昇る


今回はカカオの錬金術師さん作の『元はぐれ・現D08基地のHK417ちゃん』にお邪魔してます。……といっても、向こうの主人公であるHK417ちゃんは出てこないんですけどね!
向こうはこっちと違ってのんびりしてるので、荒れ果てたドルフロ世界に疲れた方は立ち寄ってみると良いでしょう。毎日更新してるみたいなので話数もたっぷりありますよ。



 

 D08基地に到着して少し経った後。話をしに言ったFive-sevenとM1895が戻ってくるまでの間ヒマになったVectorとFALは、それぞれ別行動をする事にした。

 

 FALは何処かへ喫煙所を探しに。Vectorは宛もなくフラフラと彷徨いに。

 初めて来た基地で単独行動なんて無防備も良いところだが、ここでFAL達を亡きものにするメリットは見当たらないし、仮に始末されたら報復するだけの話だ。

 

 だからなのだろう。来客用のパスを首にぶら下げながら、FALは自分の基地のような安心感を持ちながら彷徨っていた。

 

 

「うーーっ、タバコタバコ」

 

 今、喫煙所を求めて全力疾走している私は、S03地区に所属するごく一般的な戦術人形。

 強いて違うところをあげるとすれば、女同士もイケなくもないって事かナ──名前はFAL。

 

 そんなわけで喫煙所が置いてありそうな漢だらけの工廠にやって来たのだ。

 

「……ん?」

 

 ふと見ると、ベンチに一人のイケオジが座っていた。

 

 ウホッ!いい男……

 

 そう思っていると、突然その男は私の見ている目の前でタバコを取りだしはじめたのだ……!

 

()らないか」

 

 いやらしい目を向けられた。

 

 そういえば、この基地はセクハラプレイの聖地とか(Five-sevenのバカが勝手に言ってるだけだけど)噂されているんだった。

 それに若干不快になりながら、しかしタバコに弱い私は誘われるままホイホイと喫煙所について行っちゃったのだ。

 

 

「いや何言ってんのさ」

 

 FALが真顔で、かつおもむろに言い放ったモノローグに顔が引きつった。

 

「こういう冒頭から始まるロマンスがあるのよ。……男同士のだけど」

 

「それつまりホモじゃねーか」

 

 顔をひきつらせたD08の主任を余所にタバコを吸う。ああ、タバコが美味い。

 それに習って主任もタバコを吸ってから、咳払いと共に胸元に目を向けた。

 

「……そういえば、そのパスから察するに君がお客さんのFALだね」

 

「パスを見てるとみせかけて胸見るのやめてくれる?」

 

「…………そういえば、そのパスから察するに君がお客さんのFALだね」

 

 目をそらし、何事も無かったかのように言葉を繰り返された。あまりにも露骨すぎる反応だが、これは十中八九ワザとやっているだろう。

 何度やっても同じ答えしか返ってこないだろうなと察したFALは、ジト目を向けながらも答えた。

 

「そうよ。S03地区所属のFAL」

 

「S03……えっと」

 

「正直に言っていいわよ。クズのロクでなし共が何の用だって」

 

 事実だし、と言ったFALは短くなったタバコをぐいっと灰皿に押し付け、そのまま新しいタバコを取り出す。

 その箱を見た主任が、自分のタバコを追加で取り出しながら言った。

 

「……ピースか。人の趣味に口出しする気は無いけど、なんでそれ選んだんだ?」

 

「皮肉ってるのよ。争いを引き起こす私が、人間に害しか与えない平和(peace)を吸って、その吸い殻を潰す。平和をゴミみたいに潰すの」

 

 茶化しているようでいて、馬鹿にしているような、そんな不思議な声色でFALは語った。

 

「平和は嫌いなのか」

 

「嫌いよ。言葉を聞くだけで反吐が出るわ」

 

「差し支えなければ、理由を聞いても?」

 

「仕事が無くなる」

 

 一気に吸い込み、その後に盛大に煙を吐きつつFALは三本目に手をつけようとしている。

 人間には厳しいハイペースさに呆れと関心を入り混ぜながら、主任も自分のタバコを楽しんだ。

 

「……仕事ねぇ……」

 

「言っとくけど、違法行為には手を染めてないわよ。ぜーんぶ合法」

 

 言うまでもなく、殺しも合法だ。契約に基づいて殺しているだけなのだから違法なはずがない。

 

「何も聞いてないぞ」

 

「もう少し雰囲気を柔らかくしなさい。セクハラ目線だけじゃ、その目の奥にある物は誤魔化せない」

 

 よくよく考えれば、悪名高きS03に対して何もしないという事は有り得ない。何を持ち込むか、何をするか分かったもんじゃない悪党達なのだ。警戒はされて当然だろう。

 間違いなくライフル人形が何処かから観察しているだろうし、それとなく探りを入れられる事も予想していた。

 

 そもそも、たかが一人形を主任が待ち伏せするように待っていたという事自体がおかしいのだ。

 恐らくは、基地内部での行動は全て何処かに伝達されていると見て良いだろう。

 

「さて、何の事だかな」

 

「あくまでしらばっくれるつもりなのね。ま、別にいいけど」

 

 何となく警戒の度合いが分かっただけでも収穫だ。やはり、S03に向けられる世間の目は厳しい。

 

「それよりもだよ。君の美貌があるなら、民間でも上手くやっていけるだろうに」

 

「FALを見る度にそれ言ってそうね」

 

「残念。全ての戦術人形にだ」

 

「なるほど、口説き文句か。でもまだまだね、もう少しセンスを磨きなさい」

 

 更にもう二本。主任は完全に呆れ顔だった。

 

「センス云々は君に言われたくないんだが……ところで、ここへは何しに?」

 

「観光。……そんな目で見ないでよ、半分本当なんだから」

 

 少なくとも、基地の中でM1895と行動しているFive-sevenはその心持ちでこの旅を楽しんでいた。

 

「観光ねぇ……言っちゃなんだが、ここには観光名所みたいな場所は無いと思うんだけどな」

 

「あるでしょ。HK417っていうとびきりが」

 

「……最初からそれが目的かな?」

 

 イレギュラーとして認知されているそれの名前を出せば、主任の目が一気に厳しくなった。

 その特殊な出自とオンリーワン性で注目されている彼女を欲しがる組織は、それなり以上にある。

 本人が気付いているのかいないのかは知らないが、その行動は多くの注目を集めてしまっているのだ。

 

「答えはNO。観光名所として名前は出したけど、ぶっちゃけどうでもいいわ。はした金と引き換えに一つの地区を敵に回すなんて馬鹿な真似はしない。少なくとも私達はね」

 

「そう言って油断させよう、なんて可能性も無くはないよな」

 

「私達を信じられないのは分かるけど、流石に四体だけでは仕掛けないわよ。

 もしやるなら主戦力は全部持ってくる。淫p……ネゲヴを含めてね」

 

 生死を問わず回収するにしたとしても、それくらいは持ってくる。だというのに、たかが四体で仕掛ける訳がなかった。

 

「……それを信じろと?」

 

「信じてもらうしかないでしょ。でももし信用出来ないんだったら、頭でも何でもぶち抜けばいいわ」

 

「しれっと紛争の引き金になる行為を推奨しないでくれるか」

 

 さらりと放たれた言葉に冷や汗をかいた。

 FAL達がどんなに悪党でも、一応は他地区から来た客人扱いである。それをどんな理由があったにせよ一方的に撃ち殺すなんてしたら、それは紛争待ったなしだ。向こうは恐らく嬉々として向かってくるだろう。

 同じ会社内だからといって、味方同士だとは限らないのだ。

 

 FALは更に追加のタバコを出そうとして、それが出てこない事に首を傾げながら逆さまにして軽く振った。しかし、何も音がしない。タバコが入っているなら少し動く音がする筈なのに。

 

「……あ、タバコ切れた」

 

「そりゃ一分一本のペースで吸ってればねぇ……」

 

 箱の封を開けたのは主任の方が早かった筈なのに、向こうの方が切れるのが早い。タバコを味わっているのか疑うくらいのペースだった。

 

「コンビニある?タバコ調達したいんだけど」

 

「あるよ。案内しよう」

 

「あら、こういうのは案内役の人形がやるものだと思ってたけど」

 

「美人をエスコートする役目は見逃せないなと思ってね」

 

 ……目線が太ももに向いていなければ、それなりにカッコよかったのだが。その無駄にキリッとした表情も、目線の向きで全てが台無しだ。

 

 そんな視姦行為をされながらの移動中、思いついたように主任は言った。

 

「そうだ。君はどうしてS03に流れ着いたんだい」

 

「そりゃあ表に居られないからよ」

 

 S03はグリフィンでも下から数えた方が早いくらいの糞溜めである。

 通常ならバックアップを含めた全てが消されるような真っ黒な経歴持ちの人形達の溜まり場で、廃品処分所なんて揶揄されるくらいのドン底だ。つまり、S03に落ちてくる人形達は殆どが何かをしでかしている。

 屈指の常識人で、S03に相応しくないくらいの良心を持っているM1895もだ。

 

「はー……何やった?」

 

「犯罪歴自慢聞きたいの?」

 

「…………いや、やっぱいい」

 

 聞くなよ、と暗に言われて主任は言葉を引っ込めた。気にはなるが、それは覗いてはいけない深淵であるような気もしていた。

 

「ああ、やっと見つけた。ちょっとFAL」

 

 曲がり角を曲がったところで、背後から誰かに呼び止められる。振り向けば、同じようにパスを首に下げたVectorがフラフラと歩いて来ていた。

 横の主任など眼中に無いようで、一瞥もくれずにFALに寄るなり片手を出した。

 

「あれ頂戴。持ってるでしょ」

 

「これ私が自腹切った奴なんだけど……後で金払いなさいよ」

 

「分かったから、早く」

 

「はいはい……」

 

 ポケットから手早く小さな袋を投げ渡すと、それを受け取ったVectorが再び来た道を引き返して何処かに消えて行く。

 一連の流れを見た主任は、好奇心からこんな質問をした。

 

「何だったんだいアレ」

 

「アレ?」

 

「あの袋だよ。中身は何なんだ」

 

「別に大したものじゃないわよ。ちょっと気分がハイになるお薬」

 

「おいおいおい!?」

 

 しかし、直後のとんでもない回答に聞かなきゃ良かったと後悔する。まさか白昼堂々と、しかも人様の基地の中でヤバい薬の受け渡しを行うなんて誰が想像しただろうか。

 

「それ、違法薬物とかって呼ばれてる奴じゃないのか……!?」

 

「そうとも言うかもしれないわね」

 

「そうとしか言わねーよ!……はぁ。S03は誰も彼もキワモノ揃いって聞いてたけど、噂に聞いてた通りだな」

 

 良くも悪くも実態と噂は乖離しやすいものだが、ここまで一致しているのは逆に珍しい。

 しかしある意味、外れていて欲しかった。

 

「私はマシな方よ。さっきのVectorは放火魔で薬中だし、今何してるかは知らないけどFive-sevenのアホは男にだらしのないバカ女だし。

 唯一胸を張ってマトモだと言えるのはナガンくらいね」

 

「色々言いたい事あるんだが、とりあえず、そんな人形達でよく治安が保ててるな……」

 

「住民もクズ揃いだから、むしろ私達でなきゃダメなのよ」

 

 毒を以て毒を制す。というわけではないが、経歴が綺麗な人形では日々巧妙化する悪事に対応しきれないのも事実なわけで。

 ルールの裏を縫うようにして生きている悪党共に対抗するには、こちらも何処か擦れていて射殺に抵抗の無い人形が必要なのだと語った。

 

 というよりは、清廉潔白な人形はアッサリと殺されて淘汰されてしまうので、結果として汚れた人形しか残らないという方が正しいのかもしれない。

 

「そうだ、ここの基地目掛けたテロとか無いの?ウチは二日に一回くらいの頻度でテロされるんだけど」

 

「世紀末すぎない?」

 

「世界全体が世紀末なのに何を今更」

 

 爆弾積んだ無人の車が行政区画を守っているゲートに激突しようとするとか、ド直球に自爆テロとか、地面に穴掘って土竜みたいに下をくぐり抜けてから自爆テロとか。グリフィンに対する殺意というものが明確に見えるものばかりだ。

 そもそもの話、鉄血人形の一体や二体くらいなら住民だけで処理してパーツを金に変えるくらいには訓練されている。

 

 人形が人形なら、住民も住民であった。

 

「はえー、すっごい。逞しく生きてるんだねぇ……」

 

「そうね。……ところで」

 

 先程から気にはなっていたのだ。隣の主任は気づいていないらしいが、圧が凄かったから。

 

「さっきから後ろを付いてきてショットガン構えてる人形は、あなたの知り合い?」

 

「えっ」

 

 ショットガン?と思いながら振り向けば、そこには凄まじく恐怖を感じる笑みを浮かべながらショットガンの銃口を向けるM37、通称イサカの姿があった。

 

「………………いっ、いつから」

 

「最初から」

 

 つまり、口説こうとしていた所をずっと見られていたし、聞かれていた。更に言うなら、エロい目でFALを見ていた事も、多分バレている。

 それを理解した主任の顔色がみるみる悪くなっていき、逆にイサカは怖い笑みを深めてショットガンを構えた。

 

「待て!待ってくれ!!違うんだよ、誤解だイサカァァァァァァァァァ!!!」

 

「何が誤解なのよぉ!」

 

 

「……ちょっとそこのアンタ、コンビニまで案内してくれない?」

 

 どったんばったん大騒ぎし始めた主任とイサカを放置して、偶然通りがかった職員に声をかけてコンビニに向かうのだった。





この時、Five-sevenやナガンばあちゃんが何をしていたのかは、きっとカカオの錬金術師さんが書いてくれる筈(凄まじい無茶ぶり)です。多分、恐らく、きっと、maybe……


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仮面を顔に貼り付けて


今回も他作者さんの作品にお邪魔します。
今回は焔薙さんの『それいけポンコツ指揮官とM1895おばあちゃん!!』の舞台であるS09基地にお邪魔しました。
こちらも毎日更新なので話数が凄まじい事になっていますよ。


 

 D08地区から色々と物資を貰って旅立ち、車に揺られること暫し。

 

 到着したS09基地の中にあるベンチの一つに、Five-sevenは座っていた。

 

 到着した当初は何故か基地に居た鉄血のハイエンドモデルに焼夷手榴弾やら榴弾やらをぶち込もうとしたり、D08でも見たダイナゲートを誤って射殺しかけたり。

 そんな感じで一悶着がありはしたが、今は落ち着いている。

 

「あー……」

 

 ここにはFive-seven一体しか居ない。他の連中とは別れて行動しているからだ。

 最後に見た時は、FALは酒瓶片手に一人で飲みに向かい、Vectorはこの基地のVectorに絡まれて凄く迷惑そうにしていた。

 

 そしてM1895は、この基地の良い意味で子供みたいな指揮官にお菓子を与えて餌付けしようとしていたのを確認している。

 Five-sevenはそれに苦笑いを投げかけ、少し外の空気を吸ってくると断りを入れてから此処に来たのだった。

 

「んー……」

 

 あまりにも此処の指揮官がいい子すぎてダメージを受けてしまっていた精神を、太陽を浴びながら少しずつ修復していく。

 回復魔法を受けるとダメージを食らうような精神をしているのが、Five-sevenという人形だった。

 

「……ん?」

 

 そんな彼女と同じベンチに、一体の人形が近寄って来た。

 

「隣、いいかな?」

 

「どうぞ」

 

 屋台を営むこの地区のスチェッキンであった。

 

 スチェッキンがベンチに座る。場所はベンチの右端だ。Five-sevenは左端に座っているから、微妙に距離が空いている。

 その微妙な距離感のせいか、それとも緊張が互いに伝わっているからか、二体の間には何とも言えない空気があった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 どちらも何も言わない。それはどちらも会話の糸口を探しているからだが、その所為で口を開きかけては閉じるという陸に打ち上げられた魚みたいな事をしてしまっていた。

 意を決してFive-sevenが話を振ったのは、この基地のネゲヴが向こうの建物に居るのを見かけた時である。

 

「……ここのネゲヴは、何やってるの?」

 

「主婦、かな。そっちのは……教官だったよね」

 

「ええ。まあ最近、教官っぽいことしてるの見た事ないけど」

 

 最近こそ取り上げられていないが、かつてネゲヴはそれなりの頻度で社内報に出ていた時期がある。

 S03が唯一自慢できる輸出品とまで言われた彼女だが、段々とS03から外に出なくなるにつれて話題にならなくなっていき、今となっては"言われれば思い出す"くらいの存在になってしまっていた。

 

「ふーん。そうなんだ」

 

「ええ、まあね。……それにしても主婦ねぇ」

 

「想像つかない?」

 

「まったく」

 

 戦場でアサルトライフルやらサブマシンガンやらを振り回している姿なら、幾度となく見ているから想像がつくのだが、それが主婦のように動いているのは全くイメージが出来なかった。

 もしかしたら、自分の知らないところでやっているのかもしれないけども。

 誓約した指揮官にのみ見せる一面には、もしかすると、あの主婦のような側面があるのかもしれない。

 

「へえー……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 再びの沈黙。

 

 ここまで会話が弾まないのには理由がある。お互い、どこから情報を抜かれるか分からないと警戒していたからだ。

 Five-sevenも、スチェッキンも、どちらもまだ完全に味方と決まったわけではない相手に情報を渡したくないという思惑があったからである。

 

 なので、双方とも胡散臭い笑みを向けあいながら固まっていた。

 

 だが、このままでは埒が明かない。そう思ったFive-sevenが先に仕掛けた。

 

「……なぜ、私たちを受け入れようとしたのかしら?」

 

 Five-sevenはド直球な質問を投げる。これが会話の端に匂わせる程度の曖昧な質問ならばのらりくらりと躱す事が出来ただろうが、ここまで直球だと答えるしかない。

 それっぽい理由をでっち上げて誤魔化す事は出来るが、それが露見した際に相手に与えてしまう悪感情を考えると、それは出来なかった。

 

「最悪を想定して、かな」

 

「ふぅん、最悪ね。まあここって相当な激戦区みたいだし、備えておくのは当然か」

 

 備えあればなんとやら、という言葉が残っているように、何があっても良いように常に作戦を幾つか用意しておくのは大事なことではある。

 S03なんて糞溜めに渡りをつけようと思ったのも、その備えの一環だろう。

 

「で、本当のところは?」

 

 ──と、納得する事も出来る。だがFive-sevenは、それを素直に信じる事が出来なかった。

 

「嫌だなぁ。まるで本当の事を言ってないみたいじゃん」

 

「……言葉を変えましょうか。なんでここまで投資するの?どう考えても不良債権よ、私達」

 

 この基地からS03に渡せる物は多くあるだろう。だが反対に、S03からの見返りは殆どない。

 こちらから出せるものなど数えるほどしか無いという事は、向こうとて承知しているはずだ。

 

「せっかく来てくれたんだし、少しくらい手助けできればなって考えてるだけだよ。困ってるんでしょ?色々とさ」

 

「商人が手助け、ねぇ?冗談を言うならもっとマシな事を言いなさい。

 私達が困ってたから助けた、じゃあアンタ達はタダのお人好し。でもそれは有り得ない。でしょ?」

 

 困っている事は否定せず、疑問をつき返す。

 利益を追求する商人が、その利益をわざわざ投げ捨てるような真似などするものか。

 

 見返りを求められている事は間違いない。

 その見返りとして、こちらから出せるものはあまりに少ないが、しかしだからこそ狙いを絞る事はできた。

 

「他所への牽制かしら?バックに私達が着けば、私達の根と葉のある噂が害を及ぼす可能性のある行動を抑えられる。

 どこまで抑えられるかは分からないけど、少なくともここの実働部隊が仕事する頻度を減らせはするわね」

 

 その予想が事実という的の真ん中を撃ち抜いたかどうかはスチェッキンが笑みを崩さないので分からないが、まあ完全に的外れではないだろうとは思った。

 ハッキリと言えるのは、彼女達は別に善意のみで手助けをしているのではないという事だ。

 

「……実働部隊?さて、なんの事かなあ」

 

「そっちとこっち、どっちが長く闇に浸かってるかなんてのは分からない。

 でも少なくとも、闇に浸かってるって事実だけは分かる。それくらいなら私でも見抜ける」

 

 存在そのものが闇みたいな彼女達に、そんなすっとぼけは通用しない。薄暗い場所に立っている同族を見分けるなんて朝飯前だ。

 ただ、そんな事は向こうも承知しているだろう。こっちも見えない血で汚れた自分を隠さずに接している。

 さっきから微妙に警戒されているのは、直接顔を合わせた事で噂が真実であると判断されたからかもしれなかった。

 

「今のは全部、私の勝手な想像だけど。でも確かに言えるのは、そっちが私達に大きく貸しを作りたいってこと」

 

 繋がりを作る程度でいいなら、貴重な資材を大盤振る舞いしない。まだ人形が出向いているだけであって、指揮官同士の会談ではないのだ。正式に繋がりが作られた訳ではない。

 なのに、この段階で大量に資材を渡してくる。これはつまり、向こうとしてはどうしても繋がりを作りたい。あるいは強烈な印象を与えたいという事だとFive-sevenは考えた。

 

「私達が困窮している時に大量の物資を援助すれば、そちらに気持ちが傾きやすくなるのは当然のこと。

 結果として、私達が感じる借りの大きさは本来の大きさより膨れ上がる」

 

 渇いた砂漠で見つけたペットボトル一本分の水と、美味しい真水が飲める川が横にある状態で見つけたペットボトル一本分の水。

 同量でありながら、その有り難さというものは雲泥の差がある。

 

 そして、大きな借りは返す事が難しい。相当な無理難題を押し付けられない限り、その頼み事を断るのは難しくなる。

 恐らくはそれを狙っているのだろう。

 

 S03が補給路を新たに構築したばかりであり、まだ困窮しているという現状だからこそ使える一手。

 一瞬の好機を逃さない、商人らしい行動の早さだと言えた。

 

「ただ分からないのは、そこまで恩を着せて何をやらせたいのかってこと。牽制をしたいだけなら、ここまでの援助は必要ない」

 

 そう言って、Five-sevenは疲れたように溜息をついた。

 なんで自分が別地区の連中と腹の探り合いなんてやらなきゃいけないのか。こういうのは指揮官達がやる事だろうに。

 

 と考えて、ここの指揮官はそんな駆け引きが出来そうにない事を思い出す。

 あの人畜無害そうな仕草の全てが演技であるなら話は別だが、あれが素なら無理だろう。

 

 スチェッキンのような人形が率先してパイプを繋げる役割を担い、こうして腹の探り合いという指揮官が行うような事を代理で行っているのも、指揮官を心配しての行動なのかもしれない。

 

「そういえば、ここの指揮官ちゃんは愛されてるわね」

 

「急に話題変わったね。……まあ、そうだよ。みんな指揮官の事は大好きだし、指揮官も私達が大好き」

 

「そうでしょうね。それも見てて分かるくらいだから、相当よね」

 

 あの性格なら確かに愛されるのだろうなと思う。それはS03の指揮官には無い彼女の美点だ。出会ってから少し話したFive-sevenでも理解るほどピュアなのである。

 人形を好き、人形に好かれる。指揮官という存在の一つ在り方として、彼女のそれは見本にすら成り得るものだった。

 

 ……ただ、この世界を生き抜くにはあまりに優しすぎる。

 平和な時ならそれでも良かったのだろうが、この世紀末においては明確な欠点となってしまう。

 

「で、私達に何をやらせるつもりなの?愛しの指揮官ちゃん関連だと思うんだけど」

 

 であるならば、その指揮官の欠点は誰かが埋めるしかないだろう。そう例えば、表だけでなく裏も知っていて、その対処を行えるような誰かが。

 その誰かは一人でなくていい。それこそ、指揮官以外の全員で欠点を埋めたって良い。

 

 そして思うに、この基地の人形は自由すぎる。

 自由さでいえばD08も似たようなものだったが、それよりも自由さの度合いは高いだろう。

 

 指揮官が指示していないであろう行為に手を染めている感がプンプンするのだ。

 あの指揮官は、もしかすると裏で動く実働部隊の存在すら知らないのかもしれない。

 

「…………」

 

 ほんの一瞬、スチェッキンの目の奥が揺らいだ。戦術人形でも見逃しかねないほどの僅かな間だが、それを見たFive-sevenは得心したように頷く。

 

「言葉にしなくていいわ。さっきも言ったけど、これは私の勝手な想像だから。大きな独り言と思って」

 

「……それにしては、誰かに語ってるみたいだったけど?」

 

「私の悪い癖よ。誰もいないのに話しかけちゃうの」

 

 茶目っ気を出してウインクをしながら、Five-sevenは拍子抜けするほどアッサリと質問の手を引いた。

 先ほどの反応でおおよそを察する事は出来た。これ以上リスクを負ってまで深く追求をする気はない。

 

 あまり突っつきすぎてヘビを出したら、たまったもんじゃない。

 とりあえず、ここの人形にとって指揮官は弱点であり、同時に逆鱗である事を調べられただけ収穫だった。

 

「何にせよ、これから宜しく。ウチの指揮官は今出張中だから、正式な交流が始まるのはまだ先でしょうけど。でもきっと色良い返事が返ってくると思うわよ」

 

「出張?へえ、珍しいね。地区を取り仕切る指揮官が出張なんて滅多にしないのに、どこ行ったの?」

 

「I.O.P.の本社。呼ばれたからって言ってたけれど」

 

「……ふーん。本社かぁ」

 

 最後に、こちらから少し情報を流しておく。S03の指揮官が持つ繋がりを匂わせるついでに余計な詮索をした遺恨を無くすためにも、これは必要な事だった。

 

「さて、そろそろ戻ろうかしら。ナガンがそっちの指揮官ちゃんにお菓子を全部食べさせないうちに」

 

「副官が居るから大丈夫だと思うけど……いや、でも食べられるだけ食べるのが指揮官だし……」

 

 Five-sevenが立ち上がると、スチェッキンも同じように立ち上がって後から着いてきた。どうやら指揮官のところに戻るらしい。

 

 背後にスチェッキンの探るような目線を感じながら、Five-sevenは考える。

 

 向こうが何をさせたがっているのかは知らない。しかし、こちらを利用しようとするのなら、こちらも向こうを最大限利用してやればいい。

 幸い、向こうは此方に並以上の価値を感じているようだ。ならばやりようは幾らでもある。

 

(でも、どう立ち回るかは指揮官の仕事よね)

 

 Five-sevenに任された仕事はキッチリと果たした。ここから先は指揮官の仕事だ。





という訳でスチェッキンさんをお借りしました。商人らしい抜け目の無さを表現できていると思いたいです(白目)
……えっ?殺伐しすぎ?ははは、そんな馬鹿な。

あ、あと一話だけ横道に逸れてから本編の方に戻ります。そろそろ進めないと怒られちゃいそうですし……私もネゲヴさん達を書きたくなってきたのでね。


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04 Silent Area①


横道に逸れると言ったな、あれは嘘だ。


極秘任務・未踏査地区調査

依頼主:正規軍技術部

説明はさっきした通りだ。

ロストフィールドに侵入し、目的の資料を回収しろ。


成功報酬:???


 

 人類の発展の影には、必ずと言っていいほど争いが絡んでおり、特に技術面の進歩において、それは顕著に表れる。

 

 過去の歴史を紐解けば良く分かることだろう。第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして第三次世界大戦……

 これらの大戦の前後で人類が持つ技術は飛躍的に進歩し、それらを使って人間はあらゆるものを殺してきた。

 

 時には危険な猛獣を。時には貴重な動物を。時には人類種を産み育てた母なる大地と海すらも。

 しかもそれだけに飽き足らず、今や人類は、自らをすら己の手で絞め殺そうとしている。

 

 これらの凶行の裏には、科学文明の発達と共に人間に生まれた『自分たちこそが地球の支配者だ』などというような思い上がりが大いに関係しているに違いなかった。

 その勘違いが、人間の手で壊した筈の環境保全に取り組むだの、人間の手で殺した動物を保護しなければいけないだのと嘯く心根を生んでいるのだ。

 

 自ら数を減らしておきながら絶滅危惧種に指定する行為など、人間の身勝手なエゴがそのまま出たような行為ではないか。

 

 自然というものは、本来その一部分に過ぎない人間風情が手出しを出来るものではなく、またコントロールできるものでもない。

 

 なぜ古代の人が雨乞いを行っていたのか。それは人間に天候をコントロールする力が無かったからだ。

 人間本来の力なんてものは、大自然の中では塵にも等しい。単体で勝てる動物の方が少ない。

 

 ただ人間とって幸運なことに──そして地球にとっては不幸なことに、知恵という唯一にして無二の果実の存在が人間を強くした。

 アダムとイヴがどうたらこうたらという話は別枠に行ってしまうので割愛するが、それが人類を人類たらしめる要素の割合を大きく占める事に議論の余地は無いであろう。

 

 その果実によって齎された技術が発展した今となっては、建物の中という限定的な場所で擬似的に太陽を作ったり雨を降らせたりする事すら可能になった。

 神に等しい力を得た、と言えなくもないだろう。

 

 だがそれは、あくまで擬似的なものに過ぎない。確かに機械を作った事は人類の功績なのだろうが、人類種そのものは太古のまま。弱いままだ。

 

 なのに人類は増長している。それは人類が発展させてきた技術が他の動物より優れていると思っているからに違いない。

 有り体に言えば、人類は人類以外の全てを見下しているのだと言えた。

 

 小心者が強い者を背後につけてイキる、つまり虎の威を借る狐という言葉が今の人類の状態にかっちりと当てはまってしまう。

 

 人類全体でイキり散らしているという表現が、もしかすると一番適切なのかもしれなかった。

 

 長くなったし話が所々で逸れたが、つまり争いの歴史とは発展の歴史であり、人類種を含めたあらゆるものの破壊の歴史だ。

 そう言い換えることが出来るだろう。

 

「…………懐かしいな」

 

 乾いた空気を吸い込み、そして吐き出す。生物の気配が消え去った荒野の冷たい空気は、記憶の中にあるものと殆ど変化が無かった。

 

「ここに来たのは4年も前だものね。でも、何も変わってない。人の手が入っていないからかしら」

 

「かもな」

 

 指揮官は──レンは、彼女の言葉に軽く頷いた。そうしてから一歩踏み出し、先へと進む。

 

 彼と彼女が求めるのは、第三次世界大戦の最中に生まれ、そのまま消えていった技術だ。

 それらは技術進歩の過程で生まれたものたちであり、そして事故で失われてしまった先進技術でもある。

 

 それは即ち、崩壊液を兵器に転用する技術の事だった。

 

 兵器転用された崩壊液は核兵器よりも威力が高く、そして重篤な汚染を齎す。言ってしまえばバイオテロと核攻撃を同時に行えるような、そんな代物。

 敵国の国民だけでなく、その国の大地という食料生産において重要な要素を殺すのには、これ以上ないほど適した兵器になるのだ。

 この、最終兵器と呼ぶに相応しい悪魔の武器は、この国に限らず何処だって研究を盛んに行っている。

 

 ……といっても、幸いな事に未だどの国も爆弾以外の使い道を見つけてはいなかった。兵器転用しようにも、その挙動や成分が独特すぎて既存の認識や技術がほぼ役に立たないのだ。

 まあ、その唯一の使い道である爆弾という単純な物でも凄まじい被害を与える事は可能だったが。しかしそれは、分からない物を分からないまま使っているに過ぎない。

 それを理解し、自由自在に操ること。次のステージに上がることが、各国の急務だった。

 

「結局、遺書は書かずじまいだったな……」

 

「別にいいじゃない、書かなくても。どうせ生きて帰るんだから書くだけ無駄よ」

 

 励ましの言葉をかける今の彼女は、現在ネゲヴと呼ばれている人形が身に纏っている、白を基調に青いラインが入った制服を着ていなかった。

 代わりに袖を通しているのは、セクション482を襲撃した際にも着ていた、黒を基調に赤いラインが入った衣服だ。まるでネゲヴの制服のカラーリングを反転させたような感じだが、六芒星は無いという点は異なっている。

 

 これは彼女と同時期に製造された人形達が生まれた時から制服として使っていたデザインのものであるが、今となっては彼女しか着る者の居ないオンリーワンのデザインになってしまっていた。同期の人形達は、もう全て製造が終了してしまっているのだ。

 この業界は旧いものが新しいものに取って代わられ、消えていくのが日常。それを分かってはいるし、兵器とはそういうものだと割り切ってもいるが、だからといってそこに一抹の寂しさを感じないわけではない。

 

「大丈夫、あなたは死なせない。そう約束したじゃない」

 

「……そうだったな」

 

 優しくそう言われ、更に少し震えていた手を軽く握られた。

 そうされると強ばっていた表情が微かに和らぎ、声に余裕が戻ってくる。

 

 久しぶりにこうして戦場に立つからか、どうやら自分でも自覚しないうちに相当緊張していたらしい。

 頭の中の冷静な部分でそう認識しながらレンは言った。

 

「行こう。……前と同じように、夜の闇に紛れて下水道を通れれば良いんだが」

 

「劣化して崩落してない事を期待しましょ」

 

 今向かっているロストフィールドとは、崩壊液によって汚染されつくした研究都市と、その周辺の事を指している。

 かつては一大拠点だっただけに街は大きく、それだけに被害も甚大だった。

 

 荒野には、その都市を守っていた軍人の成れの果てが今も彷徨っている。

 前方に単独で動いているE.L.I.Dもまた、その内の一体だ。

 

「前方にE.L.I.D。数は一、どうする?」

 

「生かしとく理由は無いだろ。見つかる前に先制で仕掛けて殺してから全速力で離脱する、行け!」

 

 レンの指示に彼女は頷き、I.O.P.社経由で軍に返還されたハンガーラックのVendettaを二振り持ち、突撃した。

 一時的にしろレンの護衛の役割を放棄するような問題行動だが、E.L.I.Dとの戦いの余波に巻き込む危険性を考えるとコレがベストなのだから仕方ない。

 

 あっという間に小さくなった彼女の背中を見送りながら、レンは懐に持っているハンドガンを取り出した。

 

 人形やらE.L.I.Dやらが跋扈するこの世界で、普通の人間がハンドガン一丁しか持たないなど、自衛にしても力不足だ。

 しかしレンとしては、このハンドガン以外を持つつもりは無かった。これが手に馴染んでいるというのもあるが、何よりサブマシンガンやアサルトライフルなんかを持っていても撃つ前に殺されるのがオチだと分かっているからだった。

 

 だからコレは、自衛用というよりは自決用的な意味合いが強い。

 

 それを持ったままレンは走り出す。戦闘後に手早く動くために、少しでも距離を詰めておきたかった。

 

 E.L.I.Dが銃を発砲する音が荒野に響き、すぐに途絶えた。E.L.I.D退治の熟練者である彼女からすれば、一体のみのE.L.I.Dなど準備運動にもならないだろう。

 

 しかし、今度は今の音を聞きつけた近くのE.L.I.Dが駆けつけて来るに違いない。E.L.I.Dは耳が良いから、周辺にE.L.I.Dが居るのなら今の銃声で間違いなく気付かれた。

 

「レン!」

 

「分かってる、向こうの山に身を隠すぞ!」

 

 それらに捕捉され、多数対一になるのは望むところではない。目的はあくまでも資料の回収であり、E.L.I.Dの討伐ではないのだから。

 

 ぐいっと米俵を担ぐようにレンを担いだ彼女は、そのまま全速力で少し遠くに見える緑の山へと向かっていく。

 E.L.I.Dが何処に居るかは知らないが、山の方には居ないでくれと祈りながらの逃走だった。

 

「追手は?」

 

「無し。たまには祈ってみるもんだ、ゴスペルアーメンってな」

 

「冗談言えるくらいには落ち着いたみたいね、良かった」

 

 その祈りは功を奏したらしく、運良く見つかることもなく木々が生い茂る山の中に飛び込めた。

 

 このロストフィールドは、都市の前までは荒野を真ん中に置き、その左右を緑いっぱいの山で挟んだ地形をしている。

 なので左右の山からは真ん中の荒野の様子が良く見え、逆に荒野から山の中は見辛い。隠密行動をするのには最適な場所と言えた。

 

「でも、中々危なかったわね……もう四、五体くらいのE.L.I.Dが集まってるわ」

 

「お前なら倒せるだろうに」

 

「倒せるけど、あなたに害が及ぶ可能性があるのよ。E.L.I.Dは目だって悪くないんだし、もしレンが見つかっちゃったらと考えると……ね?」

 

 嫌な未来を想像してしまったのか、ぶるりと震えながら彼女は話を打ち切った。

 

「ああヤダヤダ。とにかく、アレはスルー出来たんだから当面は気にする必要はないわ。警戒は怠らないけど」

 

「ああ。……先を急ごう、何かの拍子にこっちに来ないとも限らない」

 

 信じられない話だが、技術が進歩した今になって再現できない過去の技術という物も存在する。

 

 ロストテクノロジーと呼ばれるそれらの技術は、世界の各地に点在する"遺跡"と呼ばれる場所に多数が遺されていた。

 この遺跡という存在は、かつて地球上に、今の人類より優れた技術を持つ知能体が生息していた事を証明している。

 また、遺跡にはその知能体の遺体という凄まじい価値を持つ物が大した損傷も無く保存されていた。

 

 各国が現在血眼になって研究している崩壊液も、この遺跡から発見されたものだ。

 

「お偉いさん達は随分と崩壊液に夢中みたいだな。新しい玩具を貰った子供みたいだ」

 

「仕方ないんじゃない。遺跡の技術は、今の技術力では到底辿り着けないようなものばっかりって話だし。それらを解析して少しでも優位に立ちたいのよ」

 

 だからこそ、こうしてロストフィールドに派遣されているのだ。調査隊を結成するほどに、軍はロストフィールドに──正確に言えばロストフィールドに遺された崩壊液技術に──注目している。

 

「もし上手く解析できて技術が発展すれば、もしかすると遺跡に眠ってる他の兵器も解析できるかもしれない。

 まあ、現状から見るに望みは薄いけど」

 

「遺跡の中には、まだまだ沢山の超兵器が眠ってるんだったか。遺跡の中で野放しになってる大昔の兵器……ゾッとするな」

 

 これは噂の域を出ないが、軍は遺跡の中から持ち帰れるだけの超兵器を持ち帰り、今も研究を行っているらしい。

 出来の悪い映画のように、何かの拍子にそれらが一斉に起動して人類に牙を向けるかもしれないのに、どうして触れられるのかが分からなかった。

 

 分からないなら触れるべきではないのではないか。そう思わずには居られない。

 そんなレンの言葉にネゲヴは鼻を鳴らし、返した。

 

「今更よ。そもそも崩壊液だって大昔の遺物じゃない」

 

「そうなんだけどな。でもその崩壊液の所為で世界が破滅に向かってるだろ?まだ早かったんじゃないかと思ったんだよ」

 

「文句なら人類に分かるように警告文を残しておかなかった昔の知能体に言うべきよ。

 尤も、仮にあったとしても、その警告文は無視されてただろうけどね」

 

 これは単なる推測だが、きっとそうなっていただろう。世界中に崩壊液が散らばり地球が深刻な汚染に晒される原因となった北蘭島事件も、地元の中学生が興味本位で遺跡に侵入したからだとされているのだから。

 この事件そのものが、好奇心だの探求欲だのいうものが高まりすぎると、禁忌にすら手を出してしまうのが人間なのだという事を証明している。

 それか、自分達は大丈夫という根拠の無い自信によるものなのかもしれない。

 

「まあ、深い事は考えなくていいのよ。今を生きる、それだけを考えましょ」

 

「……そうだな。俺らが何を言っても、どうしようもないもんな……」

 

 世界は今、どうしようもなく歪みきっている。人類の数が減り、その活動領域を大きく縮小させながらも、まだ争いを止められない。

 歪みは正されなければならないはずだ。なのに世界はその歪みを肯定し、矛盾を孕んだまま再び膨張しようとしている。

 

 その流れの中に居ることを自覚しながらも、しかし彼に出来る事は、その流れに飲み込まれて溺れないようにすることだけだった。

 

「……ん?」

 

「どうした」

 

 特に争いらしい争いが起こることも無く森の中を進むこと半日。太陽が沈み、そろそろ目的地が見えてくるかという頃合になって、彼女の目と耳が何かを捉えた。

 

「何か、前で争ってる」

 

「争い……?冗談キツいぞ、ここは誰も近寄れない筈だろ?外側は軍が管理してるし、何よりE.L.I.Dだらけなんだから」

 

 E.L.I.Dという存在が弱いのならば、ここがロストフィールドなどと呼ばれはしない。正規軍が手を焼くほどの存在であるE.L.I.Dが沢山集まっているから、ここの調査はマトモに進んでいないのだ。

 並の戦力なら争いにすらならない。一方的な攻撃で終わってしまうだろう。

 

 無論、攻めるのはE.L.I.Dの方である。

 

「まあ、E.L.I.D同士の潰し合いとかなら大歓迎だけどさ」

 

「だったら楽だけど、そんな訳ないでしょうね」

 

 見つからないように慎重に偵察すると、どうやら都市の入口付近に目眩を起こしそうなくらい大量に集まったE.L.I.Dと、これまた大量の自律人形達が戦っているらしかった。

 

 数の優位を取っているとはいえ、E.L.I.Dと戦える程の改造を施した自律人形の存在には驚いたが、何より気になったのは、その多くが武器腕であるということ。

 武器腕を見て、真っ先に思い浮かぶ勢力といえば──

 

「あれは武器腕……ってことは!」

 

「AI研究所……!?」

 

 予想外の勢力の登場に顔を見合わせる。謎に包まれた勢力が、ここに何の用なのか。まさか自分達のように崩壊液技術を求めてやって来たというのか?

 しかし、軍以外には存在すら知られていない此処の、更に極秘の情報を持っている事など有り得るか?

 

 そんな疑問が頭の中をぐるぐる回る。しかし、自律人形が爆発した音で思考の渦から抜け出したレンは、今は思考するよりやらなければならない事があると思い直した。

 

「……何だか良く分からないが、これは好機だ。奴らが引き付けている間に、俺達も内部に潜入しよう」

 

「そうね。何が目的かは気になるけど、ここで話してても仕方ないし……どうせ首を突っ込んでもロクな事にならないわ」

 

「ああ。この時点で見えてる数も多いけど、街中にも相当数が入り込んでるだろうし……どのみち俺とお前でどうにか出来る問題じゃない」

 

 不干渉という方針を固め、騒がしい戦場を横目に闇に紛れて進んだ。

 彼女に似たようなデザインの黒い衣服を着ているレンを再び米俵のように彼女は担ぎ、見つからないよう、遠回りするようにして街へと向かっていく。

 

 懸念要素であった都市への侵入はビックリするほどアッサリと終わったが、レンの胸中は穏やかではなかった。

 

(偶然迷い込む訳がない。ここは外周部を軍の連中が囲んでるから、それを突破しないと侵入する事は不可能だ)

 

 だが、警備が突破されたという連絡は来ていない。幾らレンの扱いが悪くても、流石にそれくらいは連絡を寄越すだろう。

 未回収の技術を回収するために呼ばれたのだから、生存率を上げるためにも最低限の情報は渡してくる筈だ。

 

 そして、正規軍の通信をジャミング出来るほどの強力な設備なんて正規軍以外に用意できないだろうから、AI研究所は軍と交戦せずにロストフィールドに侵入してきた可能性が高い。

 だが、そんな事が可能なのか?

 

(……チッ、一気にきな臭くなってきやがった)

 

 この先に何が待っているのだろう。そして、恐らく此処を訪れているAI研究所の目的とは何なのか。

 元からハードだった資料の回収任務が、ここに来て更にハードになった事を感じたのだった。





だからなんだって話なんですが、これ書きながらスマブラがなんで人気なのかを考えてたんです。

それで私個人だと「合法的に相手を叩きのめしてマウント取れるから」という嫌な結論に至ってしまったんですよね。実際どうなんでしょう?


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04 Silent Area②


♪コマンドー式、壊物のテーマ



 

 その街は、現在は廃墟と呼ぶに相応しい荒れ模様だった。

 

 窓ガラスは割れ、コンクリートの壁は砕かれ、ひしゃげた鉄筋がコンクリートから飛び出した、そんな建物ばかりが立ち並ぶ。

 

 道路には何十台もの車があり、それは路上駐車されたまま動かなくなっていたり、横転していたり、様々な様子を見せる。

 そして、街の景観を良くするために植えられていた街路樹は殆どが根元から折られ、歩道や道路に倒れていた。

 

 当然ながら人の気配など無く、生きている動物すら見かけない。大体の場所に生息しているカラスですら、ここでは見られない程だ。

 

 天を見上げれば、真っ黒い夜空に丸い満月が大きく存在感を示す。

 今も昔も生物の営みを見守り続け、冷たく、だが確かに包み込んでくれる女神のような美しさの月だった。

 

 しかし、冥府の底に沈んだ亡者たちには、一欠片の慈悲さえ届かないのか。

 真っ黒い雲が齎す漆黒の闇が街を完全に包み込み、空から注がれた月光を吸い込んで消してしまっている。

 

 辛うじて一筋射し込んだ光が照らす元アパート、現廃墟にはE.L.I.Dが三体、寄り添うようにして集まっていた。

 

 ──夜になると、ロストフィールドのE.L.I.Dは活動範囲を大幅に狭める。多くのE.L.I.D達は、まるで家に帰るかのように廃墟に引っ込んで動かなくなってしまうのだ。

 

 逆に昼間は非常に活発になり、歩道や店舗だった建物の跡地には多くのE.L.I.Dがたむろするようになる。

 普通のE.L.I.Dならば昼夜関係なく動き回っているのだが、どうやらここだけは例外なようだった。

 

 人間だった頃の記憶が、まだ朧気に残っているのだろうか?

 

「やっと一息ってとこか」

 

「取り敢えず休憩ね。明日からは夕方以降に動きましょ」

 

「ああ」

 

 そんな、E.L.I.Dすら寝静まるほどの深夜帯。

 ゴーストタウンと化して久しい街の中にある、大型ショッピングモールの中で彼らは休んでいる。

 

「それにしても……このセーフハウスもどきを、また使うことになるとは思わなかったな」

 

「徘徊ルートから外れてるのかE.L.I.Dにも荒らされてないみたいだし、そこは良かったわね。

 出来れば二度と使いたくなかったけど」

 

 この四階建てのショッピングモールの、三階部分には従業員しか入る事を許されない通路があり、それを進んだ奥に小さな部屋がある。

 彼らは以前ここを訪れた時に、E.L.I.Dの目につきにくいこの部屋で何日か暮らしていた事があった。

 

 その際に寝袋や缶詰などを売り場から持ってきてセーフハウスのように整えたのだが、まさか4年の歳月を経て再び使う事になるとは……。

 

 沈んだ記憶を引き揚げながら残していた物資を確認し、そのついでに埃を払う。

 

 降り積もった埃の厚さが、最初に訪れてからどれほどの年月が経過したのかを無言で、しかし雄弁に語っていた。

 

「けほっ……埃は溜まってるけど、それ以外は何も変わってない。水も食糧も置きっぱなしで……うわっ」

 

 舞い上がった埃に噎せながらの作業。持っていたハンカチをマスク代わりに口元に当てたレンが、くぐもった声をあげる。

 

「どうしたの?」

 

「これ飲みかけだ……勿体ないことしてるな、昔の俺」

 

 中身が半分くらい残ったボトルウォーターを片手に持って揺らした。もちろん飲めない。

 

 それを見て、彼女は肩を竦めた。

 

「どのみち消費期限切れで飲めないんじゃないの。私ならともかく」

 

「これは15年保存効く奴だから問題ない。一年前に期限が切れてるっちゃ切れてるけど、それくらいなら誤差だよ誤差」

 

「15年?嘘でしょ」

 

 嘘なもんか。とレンが見せたペットボトルには、確かにラベルに15年保存可能だという旨が記されていた。

 目立つところに置いてあったから。という理由でセーフハウスもどきに持ってきたから以前は気にもしてなかったが、そんなに長かったのかと驚く。

 

「そんなものもあるのね」

 

「消費期限から逆算すると、これが作られたのは大戦始まってすぐみたいだし、いつ終わるか分からない大戦への備えとして売られてたんだろ」

 

 尤も、大戦の備えとして使われる事なくE.L.I.Dに制圧されてしまったようだが。

 

 未開封のペットボトルを早速開けて口をつけながら、レンはテーブルの上に置きっぱなしで埃を被っていた地図に近寄った。

 そして片手で雑に埃を払うと、そこに指を置く。

 

「目的地は、街の北東方面だったよな」

 

「ええ。私達は南西から入って来たから、最短で行くなら街中を真っ直ぐ突っ切るルートね」

 

 この地図というのは、この地域一帯の有事の際、どこが避難場所になるのかを示したものだ。

 市販されている物であるという都合上、研究施設などの軍事施設の位置情報は載っていないが、出発前に頭に入れておいた地図と照らし合わせれば場所を確かめる事が出来る。

 

「でも、最短ルートは厳しいかも。広い幹線道路もあるし、それ以外にも見晴らしが良い場所を通らなきゃならないわ」

 

「なら少し遠回りだな。まだ多くのE.L.I.Dがうろついてるだろうし、見晴らしの良い場所で見つかった時の危険を考えると、そう無茶は出来ない」

 

 この街の中心を通る大きな幹線道路は、戦車などの軍事兵器を通すために大きく作られている。

 それゆえに隠れる場所は無く、反対側に渡るのにも時間がかかってしまうのだ。

 

 単体なら兎も角、レンという明確な弱点を抱える今の彼女は戦闘行為を出来る限り避けたかった。

 

「他の場所は遠回りできるけど、幹線道路はどうするの?東西を隔てるように通ってるじゃない」

 

「下水道しかないだろ。使いたくないけど、贅沢は言ってられない」

 

 スッと横一線に指を動かし、レンは言う。

 

「まあ、そうなるわよね。でも大丈夫かしら。前に通った時ですら、ところどころ崩落してたじゃない」

 

「大通りの下が潰れてない事を祈ろう」

 

 祈りと聞くと運任せに思えるが、E.L.I.Dに見つからない事を祈りながら大通りを突っ切るよりは堅実な方法だ。

 

 どちらにしてもハイリスクな事に変わりはないが、そのリスクを少しでも減らしたいと考えるのは何らおかしい事ではない。

 

「それともう一つ。気になる事といえば……」

 

「AI研究所ね。ここまでは自律人形に出くわさなかったけど、何時かち合うか分からないわ」

 

 それらが、どこで何をしているのか分からない。街中では不気味なほど、その姿を見かけなかったのだ。

 

 まさか今更迷子なんて訳もないだろうし、一体なにを企んでいるのやら。

 薄気味悪いものを感じながらも、しかしレン達のやるべき事は変わらない。

 

 資料を回収し生きて帰る。それだけだ。

 

「勘弁して欲しいぜ全く……ただでさえE.L.I.Dに見つからないように動くのは骨が折れる作業だってのに、その上AI研究所の連中からも見つかるななんて」

 

「でもやらなきゃ。ここでE.L.I.Dと三つ巴になるのが最悪のシナリオよ」

 

「分かってるさ、そんなこと」

 

 いかに彼女が強くとも、流石に単体では出来ない事の方が多い。

 E.L.I.Dを相手取るにも、自律人間の群れを相手取るにも、こちらの頭数は不足している。

 

 その辺の鉄血やら民生機であれば、ちぎっては投げちぎっては投げの無双で双方を殲滅する事も不可能ではないが、E.L.I.Dとなると流石に厳しい。数が多ければ尚更だ。

 そして、それと張り合える自律人形の群れなど、単騎では対処できるはずが無かった。

 

「あー……頭痛くなってきた」

 

「もう休む?ずっと気を張りっぱなしだったし、疲れてるでしょ」

 

「そうしたいけど、まだやる事あるだろ。この貴重な夜を無駄には出来ない」

 

 寝袋の誘惑に抗いながらレンはペットボトルを置いた。

 E.L.I.Dが寝静まる夜は、何か準備をするのにもってこいの時間なのだ。それを寝て消費など出来るはずがない。

 

「だけど、あなたが倒れたら元も子もないじゃない」

 

「心配ありがと。でも一徹で倒れるほどヤワくねーよ」

 

 本気で心配しているような声色の言葉にレンは頷きながらそう返して、扉の方に向かって歩き始めた。

 

「行くぞ」

 

「何しによ」

 

「決まってんだろ。ここはショッピングモールだぞ?ならやる事は一つだけ」

 

 そう言いながら扉に手をかけ、疲れを滲ませながらレンは笑う。

 

「買物だ」

 

 

 昔、大勢の人間で賑わっていたであろうこのショッピングモールの跡地には、今も当時の商品が手つかずのまま残されている。

 

 年月が経過してしまっているので品質劣化が起こっていたり、E.L.I.Dに壊されたりしている物もあるが、それでも多くの物が未だに使用可能だ。

 

 言ってしまえば、大きな物資箱のような場所であった。

 

「まあ買物って言っても、金は払わないけど」

 

「そもそもお金なんて持ってきてないでしょ…………というか、なんで買物なんて言うのよ。素直に物資調達って言いなさいよ」

 

「それじゃ味気ないだろ」

 

 転がっている骨のようなものを踏んづけて音を立てないように気をつけながら、三階から一階へと降りていく。

 

 目的のアイテムがある売り場は一階にあり、三階から降りるには二通りのルートがある。

 遠回りだが目立たない階段か、近道なものの目立つ位置にある、電力供給が途絶えてハイテクな見た目の階段に成り下がってしまっているエスカレーターのどちらかだ。

 

 当然、二人は遠回りの階段を選択。

 今のところE.L.I.Dの姿は見当たらないが、だからといって油断はできないだろう。

 

「今夜の内に運べるだけ色んな物を運んで、昼に休む。それで明日の夜になったら、また動く」

 

「いいけど、物を運ぶ順番は決めておきましょ。何から運ぶ?」

 

「まずはお前用の武器調達だ。民間向けの銃火器を扱ってる店、ここに入ってたよな」

 

 今の彼女は身軽さを重視した結果、ハンガーラックのVendettaと携帯用パイルバンカーのみという近接特化の装備をしていた。

 しかし、Vendettaは刀身が長いために室内戦闘には不向きだし、パイルは一発限りの使い捨て。そして何より近接武器のみというのはバランスが悪すぎる。

 

 民間向けの火力抑え目なアサルトライフルやサブマシンガンでは力不足は否めないものの、無いよりはマシという判断だった。

 

「腰に巻くタイプのポーチと、防弾チョッキ。お前用のアサルトライフルとお前用のサブマシンガンと、お前用のハンドガンにお前用の……」

 

「いくら撃ち捨て前提っていっても、武器多すぎない?扱えるけど、多すぎても重りになるだけ。幾つか置いた方がいいと思うわよ」

 

「……そうだな、流石にアサルトライフル四丁はやりすぎた」

 

 隣に軒を連ねていたアウトドア用品売り場から大容量のリュックを持ってきて、そこに詰められる物は詰めていく。

 

 悩んだ末に二丁は置き、続いて弾薬を無造作に掴んでリュックに詰め込んでいった。

 

「でも何か、火力不足感がすごいな……」

 

「仕方ないんじゃない。自衛用に持つような武器を売ってるんだか、ら…………?」

 

「どうした」

 

 油断なく周囲を観察している彼女の目が何かを捉えた。

 急に言葉を止めた彼女の方をレンが向く。レンの言葉に彼女は、とある一箇所を指さした。

 

「向こうに怪しい鉄製の扉があるわ。開けてみる?」

 

「頼んだ」

 

 如何にも頑丈そうで、何かを守るように奥に聳える大きな鉄製の扉。

 それを見たレンは迷わず開けるように指示を出した。

 

 その指示に頷きを返した彼女が歩を進めると、瓦礫の上をカサカサと黒光りする虫が通り過ぎる。

 

 更に進めば、足に何かが触れた気がした。彼女は気にも留めなかったが、それは蜘蛛の巣であった。

 

 そうして扉の前に立ち、ぐっと押してみる。当然のように扉はビクともしない。

 

「鍵が掛かってるみたい。でも鍵穴は無いから、きっと電子ロックね」

 

「なんにしても変わらないな。マスターキーを使うから」

 

「まあ、そうなんだけど」

 

 ハンガーラックのVendettaを構え、刃を立てると、まるで豆腐に包丁を立てた時のようにスッと沈みこんでいった。

 

 そうしてから人が通れるくらいの長方形に動かすと、厚さ何十センチもある分厚い鉄板の扉が、その通りに切断されたのだ。

 

「やっぱり、この手に限るな」

 

「……こういうのをきっと脳筋解決って言うんでしょうね」

 

「開けばいいんだよ開けば」

 

 音を立てないように慎重にくり抜いた鉄の塊を押して、扉の奥へと進む。

 

「おお……」

 

「へぇー……」

 

 そこには、表にも置いてあるアサルトライフルやサブマシンガンなどの銃以外はもちろん、スナイパーライフルやショットガンのような物もある。

 

 何より目につくのは、明らかに自衛用ではない四発入りロケットランチャーだ。

 

「なんでこんなもんを置いてるんだ……?」

 

「クレイモアに、手榴弾。C4爆弾……小競り合いでも起こす気だったのかしら」

 

 しかし、これ幸いとばかりにロケットランチャーを抱え、更に使えるかもとスナイパーライフルを一丁持っていく事にした。

 

 それらを一旦セーフハウスもどきに持ち帰り、床に並べてから一言。

 

「結局重武装じゃない」

 

「…………」

 

 あれもこれもと欲張った結果、凄まじい量になってしまっていた。

 

 これだけあれば火力不足は解決できるだろうが、今度は機動力の問題が浮上してきてしまっている。

 

 本末転倒という言葉が脳裏によぎった。

 

 

 ◇◇

 

 

 ──AM:8時。

 遠く離れた平和な地区では、人々が仕事場に向かおうとしているであろう頃合い。

 

 三階にある売り場の一角、その割れた窓から彼女は下を見下ろしていた。

 

「…………」

 

 結局、アサルトライフル一丁とハンドガンを二丁。その弾薬をそれなりに持ち、ロケットランチャーを使い捨て前提に持っていく方向で話が纏まった。

 

 欲を言うならスナイパーライフルも持っていきたかったが、レンにアサルトライフルと弾薬を持たせるだけでいっぱいいっぱいになり、泣く泣く諦めたという経緯がある。

 

「まっず……」

 

 彼女は活動を再開したE.L.I.D達を厳しい目で見ながら、何かを咀嚼している。

 

 手元にあるのはセーフハウスもどきから持ってきた缶詰だった。

 

 エネルギー補給のため、20年ほど持つ代わりにクソ不味い合成肉の缶詰を無表情でかき込んでいる。

 原料は何なのか、どうしてこんなに不味いのか、それは分からない。

 

 もはや嫌がらせなんじゃなかろうかと思いたくなるほどの不味さであるそれを飲みこみ、食べ終わった缶を近くの瓦礫に隠した。

 

「……はぁ」

 

 大通りを塊になって進むE.L.I.Dの集団から何体か外れ、消えかけの横断歩道を渡って別の道へ。どうやらこちらに向かってくるようだ。

 それらのE.L.I.Dは元は女性のようで、ボロボロに汚れた服は明らかに女物だった。

 

「人間って、死んでも働くのね」

 

 よく見れば、あの女E.L.I.Dが離れた集団はサラリーマンのようなスーツを着込んだE.L.I.Dの姿が大多数を占めているではないか。

 

 となるとアレらは、E.L.I.Dに成り果ててもまだ出勤しようとしているという事だ。

 あんな姿になってなお働こうとする人間に、少し哀れみを感じる。

 

「……戻ろ」

 

 これからE.L.I.Dの活動が活発になっていく。このショッピングモール跡地にも、主婦だった者達や店員だった者達が集まってくるだろう。

 

 それに見つからないように、寝ているレンの側へと戻っていった。





ちなみに15年保存水は実在します。少しばかり割高ですけどね。


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04 Silent Area③

 

 墨汁を流し込んだような真っ黒な夜に蠢く二つの影。

 

 それらは音を極力立てないようにしながら、しかし駆け足でE.L.I.Dたちの寝床の間を抜けていった。

 闇を引き裂くように突き進み、一陣の風のように駆け抜け、先へ、先へ。

 

 言うまでもなく、これはレン達の事だ。

 

「……今何時だ」

 

「八時。帰宅ラッシュに引っかからないと良いけど」

 

 完全に日は落ちきっているから、今いる路地裏に明かりと呼べるようなものは無い。E.L.I.Dと遭遇しないよう、夜目を頼りに気をつけながら進んでいく。

 

 ロケットランチャーを抱えた彼女は非常に動きづらそうで、バックパックを背負ったレンもまた、背中の重さに嫌そうな顔をしていた。

 そんな様子に彼女は一言呟く。

 

「……置いていくべきだったんじゃないの、これ」

 

「言うな。言うな……」

 

 選択ミスの四文字が二人の頭に浮かんだ。

 

 そんな後悔をしながらも、見つからないよう慎重に動いていく。大通りには仕事帰りらしいE.L.I.Dが多く歩いているので、もし見つかりなんてしたら数の暴力で殺されてしまうだろう。

 なので戦闘なんて以ての外。機動力をこそ求められる場面だというのに、本当に何でロケットランチャーなんて取り回しの悪い火力を持ってきてしまったのか。

 深夜テンションという奴で思考がイカれていたのだろうか?

 

「…………待って」

 

 十字に広がる路地裏で、彼女は動きを止めた。そのまま指で右手に隠れる事を指示され、言われるがままに移動する。

 

「……なにが見えた?」

 

「自律人形のお出ましよ。四脚のスナイパーライフル持ち、ビルの上に陣取ってる。まだ気付かれてはいないみたいだけど」

 

「狙撃型か。厄介な相手だな」

 

 四脚は狙撃の安定感を高める効果があるという事は広く知られているが、見栄えの問題で採用される事は少ない脚部だった。

 しかし、こういった人目につかないような場所や、見栄えなんて気にしないというようなPMCには使われている。その精度は高く、レンの言うように非常に厄介な相手だ。

 

 それが進行方向に立ち塞がっている。このまま無策で進めば狙撃の雨に晒され、更に音を聞きつけたE.L.I.Dも集まって大惨事になってしまうだろう。

 

 どうするか、とレンは考え、そしてロケットランチャーに目をつけた。

 

「そいつでビルを崩して人形を落とせないか?そうすれば派手な音で気も引けるし、人形だって転落させて処理できる。一石二鳥だと思うんだけど」

 

「……そうね、やってみるわ。でもここで撃つと大通りのE.L.I.Dに気付かれそうだから、私だけで少し移動して撃つ事になるけど。いい?」

 

「ああ。上手く隠れとくから、行ってきてくれ」

 

 そう言われた彼女は頷きながら、ロケットランチャーを抱えて闇の中へと消えていった。

 

 あの狙撃人形がどこまで見ているのかは分からないが、不用意に屋上に上がってしまえば発見されてしまう可能性が高い。そして見つかってしまうと、人形の増援を呼ばれる可能性も非常に高い。

 だから屋上は使えない。そして建物の中には未だに残業をしているつもりのE.L.I.Dが残っている事があるから、建物の中に飛び込むのもリスクがある。

 

 だから彼女は、建物の外壁に必ず付けられている排水パイプに足を掛けてロケットランチャーを構えた。

 窓の無い壁を垂直に、地面目掛けて降りている排水パイプは、それを固定するために一定間隔で足を掛けられるくらい大きな金具で固定されているのだ。

 

 片手でパイプを掴み、片手でロケットランチャーを構えて狙いを定める。

 狙撃人形からはギリギリ捕捉されないくらい低く、道行くE.L.I.Dからも見上げられなければ見つからない高さから、ロケットが放たれた。

 

 ゆっくりと辺りを見渡していた狙撃人形は、自身に向かってくるロケットの推進音を最初に聞き、次に着弾寸前の弾頭を見た。

 

 次の瞬間、狙撃人形が陣取っていたビルに大きな衝撃が走る。

 長らく人に整備もされずに放置された結果、倒壊寸前にまで老朽化していた小さな商業ビルが、ロケットランチャーの着弾の衝撃に耐えられるはずもなかった。

 

 瞬く間に崩れ出すビル。想定外の事態に行動に移るのが遅れた狙撃人形が逃げ出そうとするも、既に遅い。あっという間に瓦礫の山と土埃の中に消えていってしまった。

 

 そして、その大規模な倒壊は近くのE.L.I.D及び警戒していた自律人形たちの目を釘付けにした。

 まるで野次馬のように集まっていくE.L.I.D達を見ながら、まだ三発残っているロケットランチャーを投げ捨てる。

 今でこそこんな風に活用できたが、こんなものを隠密行動で活かすというのは非常に難しい。多分この先に出番もないだろうし、ここで置いていくことにした。

 

「お待たせ。行くわよ」

 

「あれ、ロケランは?」

 

「捨てたわよ。あんな持ち運びに不便な武器なんて持っていけないじゃない」

 

 そう小声で言いながら、レン達は目的地へと歩を進めていく。放置されたままのガス管に引火したのか、凄まじい爆発音が静寂を切り裂き、遥か彼方にまで響いていた。

 

 

 ──さて、それから六時間ほど経過したくらいで、ようやくお目当ての"90wish AI研究所"の跡地に到着した。

 

「……ここか」

 

「ここね。行きましょう」

 

 壁に穴が開き、玄関の自動ドアは何かによって内側から壊されてドアの原型を保っていない。

 入口だけでもこの荒れ具合だ。中だってこれくらい酷く荒れているに違いない。そう思いながら、壁に大きく開けられた穴から内部に侵入する。

 

 ここからは閉所でE.L.I.Dとの戦闘になる可能性が高くなるだろう。それを覚悟しているので、彼女はVendettaを両手に持ちながら油断なく左右に目を走らせ、レンは汗ばんだ手でアサルトライフルを握りしめた。

 

「いざとなったら私を見捨てて一目散に逃げる。いいわね?」

 

「分かってる。ただ、少しは資料を回収しておかないと。帰っても役立たず扱いで殺されかねない」

 

「そうね。さっさと回収出来る事を祈るわ」

 

 床や壁が血や土ぼこりで汚された受付らしき場所を通り過ぎると、これまた血や土ぼこりで汚された長い廊下が現れた。

 

「どこにあるかな……」

 

「虱潰ししかないでしょうね。目についたところを片っ端から調べれば、いつかは出てくるはずよ」

 

 手近な扉に手を掛け、ゆっくりと開けて中の様子を伺う。見たところE.L.I.Dの姿はないようだが、デスクの陰など見えない箇所もあるために油断は出来ない。

 

 先に入った彼女の後ろを慎重に着いていきながら、レンは散乱したデスクの上にある物に目をやった。

 破壊されたコンピューター、割れたマグカップ、写真立てに入れられたまま放置された家族写真……。

 

 どれもこれも、かつて此処に人が生きていた事を証明するような物や残骸ばかり。だが、肝心の研究成果は全く見当たらなかった。

 

「無いか」

 

 やはりと言うべきなのだろうか。一国の最重要書類がすぐ目に付くような場所に置いてあるはずも無く、部屋を次々と探して二時間が経過してもまだ書類の一枚すら見つからない。

 

「もっと奥の方なのかもな……ただ向こうから、どう考えてもヤバい臭いしかしないのが気になるんだが」

 

「それ、物理的な意味で?それとも勘?」

 

「両方」

 

 さっきから気になっていた、腐臭が漂ってくる方向に向かうと、そこには頭が潰され、腕は270度近く折れ曲がって中の骨が飛び出し、内臓をボロボロと零しているE.L.I.D()()()()()が転がっていた。

 それは辺り一帯に鼻がひん曲がるほどの悪臭を放っていて、レンの顔が自然と顰められていく。

 

「下水道とどっこいどっこいだ、酷すぎる」

 

「今この時ほど嗅覚モジュールをカットできることに感謝した事ないかも」

 

 原型を留めず、もはやグロい肉塊だったものと呼んだ方が相応しいほどの死骸。

 それを見て、グロいという感想より先に来るのは、誰がこんな事をやったのか?という疑問だ。

 

 中の血液のようなものが垂れ流されているのを見る限り、このE.L.I.Dはさっきまで活動していたことが分かる。

 まさか潰されてから移動した訳もないだろうから、考えられるのは、ここにいたE.L.I.Dを先に訪れた誰かが潰したということ。

 

「先客がいるか」

 

「ここで先客というなら、十中八九AI研究所よね……嫌な感じ」

 

 恐らく、この先にいる。

 

 それを感じた二人は、顔を見合わせて頷きながら廊下を進んでいった。

 

 

 進んだ先にあったのは、何かが等間隔に立ち並ぶ広い空間だった。

 真っ暗なので良く分からないが、その"何か"は物を入れておける容器のようであるらしい。

 

「見るからに怪しい場所だ……」

 

「でも何も見えないわね……ライト点けて」

 

「相手に見つからないか?」

 

「どうせバレてるだろうし、明かりが無かったら戦えないから」

 

 それもそうかと頷いたレンはポケットからハンドサイズの懐中電灯を取り出すと、それで近くにあった何かを照らした。

 

「シリンダー……よね、これ」

 

「でも空っぽだ」

 

 それは大きなシリンダーだった。人間サイズのものであればスッポリと中に入ってしまうほどの大きさであるそれだが、中には何も無い。

 

「……見ろ。何か貼ってある」

 

 そのシリンダーには中身を示しているらしいタグが貼られていた。それにライトを当てて指でなぞる。

 

『35歳 女性 個体名:■9■』

 

「…………さっぱり分からん」

 

「横の奴も見てみましょうよ、今度は中身もあるわよ」

 

 言われるがまま横のシリンダーのタグがある場所にライトを当てる。

『17歳 男性 個体名:9■-■1』と記載されていた。何箇所かは損傷のために読み取れないが、この数字の羅列は何を示しているのだろうか?

 

 それに疑問符を浮かべたまま、ライトを上の物体に当てた。

 すると、シリンダー内部に残されている男性の上半身が光に照らされた。

 その下半身は無い。

 

「なんか、碌でもない事やってるっていうのだけは分かるな」

 

 人体実験でもしていたのだろう。その成れの果てが、目の前の彼であるに違いなかった。

 

「で、その横が……わーお」

 

「FMG-9……でも見て、右腕が丸々銃になってる」

 

『21歳 女性 個体名:■■■-9』というプレートが付いているシリンダー内の個体は、肩の付け根から既に無機質な鉄色が存在感を主張していた。

 

 その様子は表現が難しいが、右腕を切り落とし、そこに銃の方のFMG-9をそのまま貼り付けると、こうなるのかもしれない。

 

 これ以外にも、目を覆いたくなるような肉と機械が融合した塊の数々が、シリンダー内で今も浮いていた。

 

『54歳 男性 個体名:■EK-■99』

 

『3■歳 ■性 個体名:■99』

 

『■歳 女性 ■体名:■950■』

 

『■■歳 男性 個体名:9■式』

 

 ほんの一部だが、その一部からでも分かる狂気の数々。大戦中というのは、このような異常がまかり通っていたというのだろうか。

 

「……出来の悪いアクションホラーとかだと、ここでコイツらが一斉に目覚めて襲ってくるんだよな」

 

「怖いこと言わないでくれる?」

 

「悪い悪い…………っと、あれは?」

 

 壁にライトを当てると、壁際の鉄製のラックに何かファイルが大量に保管されているのが分かった。

 

 それに近寄り、タイトルの書かれた背表紙を一つずつ照らして読み上げてみる。

 

「『崩壊液研究①』『崩壊液研究②』『崩壊液弾頭実験報告』『E.L.I.D兵器転用の可能性と理論』…………研究資料は一纏めにされてたのか。道理で見つからない訳だ」

 

「いざとなったら此処を破壊して機密を守るつもりだったのかもね」

 

 ライトを口に咥え、ファイルを一つ手に取る。その内容は学があるとはいえないレンには全く分からないが、パラパラと捲ってみた限りだと、これが回収するように言われていた資料のようだ。

 

「よし、この辺の奴を詰め込めるだけ詰めこむ。お前は周辺の警戒を頼んだ」

 

「はいはい。ちょっとそのアサルトライフル貸りるわよ」

 

 アサルトライフルを渡して、空いた両手でバックパックにファイルを四苦八苦しながら詰め込む。

 

 大きさの都合で全てはとても入らないので、いかにも重要そうな事が書かれていそうな物だけを持って帰らなければならなかった。

 

 個人の独断と偏見で持ち帰る資料を厳選し、バックパックに詰め終わった頃、一つのファイルのタイトルが目についた。

 

「『プロジェクト・NEXT』……?」

 

 そう記されたファイルは、他のファイルの倍以上の大きさであった。崩壊液研究に関するものではないようだが、もしかするとこれも重要な物なのかもしれない。

 そう思ったレンは適当な箇所を開いて読みはじめた。

 

「『──であるから、人間の脳から出る電気信号をメンタルモデルに変換しAIとして搭載する事で、人類は脆弱な肉体という器を捨て去り、まさしく不老不死と言うべき存在に昇華する事が可能になるのである』」

 

 小難しい理論式の合間に記された言葉を読み、更にページをめくる。

 

「『ただし、変換したままのメンタルモデルを搭載すると情報量に耐えきれず発狂してしまう。

 当報告書を書く前までは解決方法も分からず、これまで多くの実験体を無駄にしてきたが、リコリスが進めていたプロジェクト・ファントムの研究成果を生かす事で問題がクリアできた。

 プロジェクト・ファントムの詳細は別冊子に纏めてあるので、そちらを閲覧されたし』

 

 ……ページをめくる。

 

『プロジェクト・ファントムによる人格データの改変と、人間だった頃の記憶を全て消去することにより、ネックであったメンタルモデルの容量を圧縮することに成功。どうにか発狂せずに稼働させる事が出来た。

 ただし、元になった人間を完全に再現するという本来の方向からは多少外れてしまっているため、今後の研究で本来の方向へと軌道修正を計りたい』

 

 …………ページをめくる。

 

『まだ課題点は残っているが、私、ルナ・セラール自身を実験体とした人形化の成功で、この技術は概ね完成したものとする。

 最後に、この技術の完成に多大な支援をしてくれたペルシカリアとリコリス。ならびに90wishの全ての研究者に多大な感謝を述べて、本プロジェクトの報告書を締めさせて頂きたい』

 

「90wishのペルシカリアって……あんの馬鹿野郎、何に加担してやがる」

 

 末尾に、恐らく直筆で書かれたルナ・セラールという人物のサインを見ながら、今も16Labに篭っているであろうペルシカに毒を吐いた。

 

 だが、これも重要そうだ。レンはこれも詰め込もうとバックパックのファスナーを開けようとして──

 

『やあ、おはよう』

 

 ──男の声が、室内に響いた。

 

「「ッ!?」」

 

 次の瞬間、廃墟なはずの施設に電気が点灯する。パッと明るくなった室内に二人の目が眩んだ一瞬。

 

 その一瞬で、黒い何かが動いた。

 

「ぐうっ!?」

 

「レン!」

 

 視界を閉じてしまったレンが感じたのは、何者かに首を掴まれ、壁に叩きつけられながら首を絞められる感覚だった。

 

「かはっ!?」

 

 黒いフード付きコートを目深く被った誰かがレンの首を絞めあげる。

 ヒトの形を取ってはいるものの、成人男性一人を片手で持ち上げるほどの力を持っているソレは、普通の人間ではない事だけは確かだった。

 

「くっ……!」

 

 ギリギリと万力のように締めあげてくる片手をどうにか引き剥がそうとしながら、狭まる視界で顔を見ようとした。

 しかし、どうやら素顔をマスクか何かで隠しているようで、フードの奥には無機質な赤い二つの目と黒い鉄の艷めきが僅かに確認できただけだった。

 

「こ……のっ、やろっ!」

 

 このまま首の骨を折られるかと覚悟したレンだが、謎のヒトガタは、その無機質な赤い目をレンに向けたまま硬直した。

 

 結果、レンと謎のヒトガタが見つめ合う構図になる。

 

 何故、一思いに殺さないのか。いたぶる趣味でもあるのか。ほんの少し残された思考の空白で、レンはそう考えた。

 

「レンから離れろ!」

 

 ヒトガタが動きを止めた一瞬、今度は彼女が動いた。

 刀身が長いVendettaでは不利と判断した彼女が、スカート内部のパイルバンカーを装着し、一撃で仕留めると言わんばかりに肉薄。

 

 ビデオの一時停止ボタンを押されていたかのように止まっていたヒトガタが、その声に反応して振り向く。

 

 が、遅い。

 

「死ねッ……!!」

 

 片手でレンを絞めあげている腕を掴み、もう片手で胴体目掛けてパイルバンカーを叩き込む。

 解き放たれた杭が胴体を貫き、その勢いのまま遥か後方へと吹き飛ばした。

 

 掴んでいた腕もまた千切れ、そこから伸びた配線の数々が、謎のヒトガタが自律人形の類いであることを示している。

 

 それには目もくれず、やっと拘束から解き放たれて咳き込んでいるレンの手を引いた。

 

「出口まで走って!あのバックパックは私が投げるから!」

 

「げほっ、分かっ……た……っ!」

 

 まだふらふらしているものの、動かなければ死ぬ事は分かっている。

 レンが何とか走り出そうと一歩を踏み出した時、わざとらしい拍手の音がした。

 

『ふぅん、なかなかやるね。Jが動かなかったのは予想外だったが、その咄嗟の判断は見事だ。流石、軍の一派を敵に回して生き残っただけの事はある』

 

 さっき聞こえた男の声がする。室内に取り付けてあるスピーカーから響く賞賛の言葉に二人は気を良くするでもなく、厳しい目線を向けた。

 

「あんた、一体何者なの!?なんでそれを知ってる!」

 

「お前、まさか軍の関係者か……?!だが、なら何で俺達を殺そうとする!」

 

『はぁ……質問が多いね。僕が答えるとでも?』

 

 投げかけられた問いを一蹴した声は、小馬鹿にするような調子を保ったまま言った。

 

『でもまあ、ここまで来れた御褒美に、一つだけ答えてあげよう』

 

 そして告げた。彼の名前、その役職を。

 

『AI研究所代表のリコ。それが、僕の名前だ』

 

「AI研究所……!やっぱりか!」

 

 予想していた事だが、直接その事実を突きつけられた事で予想は確証に変化した。

 あからさまなほど敵意を向ける彼女など何処吹く風という感じで、リコは軽い調子を保っている。

 

『さあ、目的を果たしたなら帰りなよ。

 お帰りはあちらだ。僕個人としては、ここで殺してもいいんだけどね。帰るのなら追いはしない』

 

「……何をしたいんだ、お前」

 

『帰るのかい?帰らないのかい?』

 

 質問に答えず、二択を突きつけてくる。

 

 どうして生かして帰そうとするのか、その意図が読めない。

 一方的に言いたいことだけを言っていく態度は不気味で、しかもそれでいて、あからさまにレン達を見下しているようだった。

 

「……何を考えてるのかは知らないが、ここは退こう」

 

 警戒しながらバックパックを背負い、レンはゆっくりと後退しはじめた。

 まるで意味が分からないが、帰してくれるというなら帰らせてもらおう。ここで死ぬのはレンとしても本意ではなかった。

 

 

 そうして二人が撤退した後、施設の更に奥から同じ姿をした、無傷のヒトガタがもう一体現れた。

 

『J。追撃はいい、そこで待機してくれ』

 

『……いいのか?

 

 先ほど倒された残骸に目を向けながら、ボイスチェンジャーを使っているのか、幽鬼を連想させるような恐ろしい声でリコに聞く。

 ノイズが混じったその声の低さは男性特有のものだった。

 

『構わないよ。こちらも必要な結果は得られたし、あの二人に関しては今のところ契約外だ。余計な労力を使う事はないさ』

 

 別に、見られて困る物を置いていた訳ではないからね。

 崩壊液の技術を持っていかれたにも関わらず、リコは余裕を崩さない。

 

 リコとしては、そんな些事よりも気になったことがある。

 

『それよりJ。さっきはどうして動きを止めたんだい?そんなプログラムは仕込んでいなかった筈だけど』

 

 想定外の動作をする事は、この手の製品には良くある話だ。もしこれがバグなら、それを修正する必要がある。

 しかし、Jと呼ばれたヒトガタは、自己診断プログラムを走らせた末に一言。こう答えただけだった。

 

…………俺にも分からん





以上、露骨にフラグを立てまくった三話でした。こういう話を書こうとするとやる気が消える私の悪い癖があり、投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

次からはもう少し早く更新できると思います。この連休中に一気に進めたいなぁ……


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とある底辺労働者の邂逅


それは、ほんの少しだけ幸運で、同時にちょっぴり不幸だった男の話。
誰もが生きるために戦っているのです。たとえ犯罪に手を染めようとも、生き延びるために。



 

 彼が所属している民間軍事会社グリフィンは、基本的には政府の代行として各地を統治するのが役目である。

 鉄血の掃討ばかりが広く取り沙汰されるために勘違いされがちだが、鉄血を退治するという業務はメインではない。

 

 行政府のように街を統治し、警察のように市民の安全を守り、道路整備などの土方仕事さえこなす。

 昔、まだ余裕があった頃の政府が一手に担っていた公共事業が現在の民間軍事会社のメイン業務なのだ。

 

 それ故に地区を取り仕切る指揮官の元に上がってくる書類は多岐に渡り、またその量も膨大なものになる。

 

「戻って早々に仕事かあ……」

 

「文句言わないの。はい次の書類」

 

 命からがら逃げ果せ、報酬の交渉などを終えてS03地区に戻ってきた時には、既に多くの人間が寝静まるような深夜であった。

 

 指揮官不在の間、一人で頑張って書類を片付けてくれていたM1895に礼を言って下がらせたのが、つい10分ほど前のこと。

 

 そこからずっと疲れた身体に鞭打って、人形ではどうにも判断がつかず対処できなかった書類に印鑑を押して、押して、押す。

 

 少し長めに机を空けていたからか、生還を記念して祝杯をあげる暇もなく、こうして仕事に勤しまなければならないくらい書類が溜まってしまっていたのだった。

 しかしM1895が頑張ってくれていたから、まだマシといえる程度で収まっている。もしM1895が居なければ、書類は更に増えていたであろう。

 

 今度あいつに何か奢ってやるか、と考えながら呟いた。

 

「今夜は寝られないな、これは」

 

 机の上では、書類が山脈を形成している。これら全てを片付けなければならないと考えると気が遠くなりそうだった。

 

「寝られないでしょうね。頑張って、私も起きててあげるから」

 

「ありがと。……でもお前って、別に寝なくてもパフォーマンスに支障ないよな?」

 

「支障はないけど、今は気分的に寝たいの」

 

 人間社会に溶け込むためなのか、戦術人形には情報整理も兼ねた睡眠機能が搭載されている。

 もちろん、本質が機械である以上寝なくてもパフォーマンスに問題が出ないようになっているのだが、なんとなく寝ないと気分が悪くなる程度には、人形はそれを必要としていた。

 

「じゃあ早く終わらせて少しでも寝るためにも、印鑑押すの手伝ってくれ。そこに予備の入ってるから」

 

「はいはい。でも待って、コーヒー淹れてくるから」

 

 ネゲヴが電気ポットの前に立ってインスタントコーヒーを淹れる僅かな間、指揮官は窓から真っ暗な外を見た。

 降りしきる雨の音。無音で点灯し続けている赤色灯。レインコートを目深く被った巡回中の人形たち。

 

 帰ってきたんだなぁ。と、机の上に置かれたコーヒーをぐい飲みしながら指揮官は思った。

 

 

 さて、そんな訳で完徹で翌朝を迎えた指揮官の目の下には軽くクマが出来ていた。

 周囲に伝染してしまいそうな大あくびを何回も繰り返し、眠い目を擦りながらインスタントコーヒーを啜る姿には、威厳なんてものは一欠片も存在しない。

 

「……くそねみぃ」

 

 声にも覇気が無い。普段も有るとは言えないが、この時は特にそれが感じられなかった。

 

「寝られなかったな…………」

 

「でも何とか終わったわね。二徹は避けられたんだから良いじゃない」

 

 椅子に座って背伸びをしながらネゲヴは今にも寝てしまいそうな指揮官に言う。

 彼女も少し頭が重い気がするが、仕事に支障をきたしはしないだろう。

 

「今夜が待ち遠しいな……ふあぁ」

 

 そのままチマチマとコーヒーを流し込んでいた指揮官だが、それが半分ほど消えた辺りで彼の胃が元気に空腹を主張し始めた。

 腹から聞こえた音に彼自身も軽く驚きながら時計を見れば、そろそろ朝食を取ってもいい時間である。

 

「飯食うか……いつもの奴、用意してくれ」

 

「あれ、カフェには行かないんだ?てっきり生還記念に豪勢に食べると思ったんだけど」

 

「行く気力もないんだよ」

 

 足を運ぶのも億劫になっているであろう指揮官にネゲヴは「分かった」と言い、少しすると棒状の栄養食と味気ないレーションのセットを持ってきた。

 それらを片手で消費しながら、もう片手で書類を閲覧する。夜から何十杯とコーヒーを消費しているからか、味気ない食事にすらコーヒーの味を感じてしまう有様である。

 

「最近、また犯罪率が下がってきてるらしい。先月比で2%くらいダウンしてる」

 

「良くない傾向ね。なんとか食い止めたいけど」

 

 見ていた書類に記されていたのは、S03地区全体の犯罪発生率のデータであった。

 

「特に顕著に減ってるのは、第二都市だ」

 

「またあそこ?」

 

 このS03という地区は、指揮官達が基地を置いている第一都市と呼ばれる場所から始まり、およそ6の都市が存在する。

 

 といっても、全部が全部この第一都市のように大きくはない。S03地区はこの基地がある第一都市だけが比較的大きく、他は昔でいうところの市とか区程度の大きさしかない街が点在する地区なのだ。

 

 小さい街の集合体がS03という大きな地区を形作っている、と言えるだろう。

 

「これで何度目よ」

 

「もう覚えてないけど、両手の指じゃ足りないくらいなのは確かだな」

 

 そして、S03地区の外れも外れ。他のPMCが統治する地域に隣接するような場所に、件の第二都市は存在する。

 

 ここは過去に幾度となく、そのPMCと所有権を巡って争いがあった経緯の有る場所だった。

 今はグリフィンが管轄しているが、向こうはまだ諦めていないのだろう。頻繁に向こうの工作員が出入りしている事を掴んでいる。

 

 始末しても始末しても、どこから湧いてくるのか問いたくなるほどに流入してきていた。

 

「グリフィンに対する市民の悪感情を煽って、向こう側に引き込もうとしてるみたいだ」

 

「あー。あそこグリフィンに否定的な奴ら多いもんね。この前もデモ行進やってたし」

 

 人民から搾取を続ける民間軍事会社グリフィンは、その利益を我々に還元すべきだ。

 それが彼らの主張である。具体的には、もう少しマトモな食事が出来るように配給を強化して欲しいらしい。

 

「近いうちにまたやるらしい。かなりの数が集まるようだけど、暇人ばっかなのかな」

 

「職を追われたから暇になったんでしょ。……そういうのは、あなたの方が分かってるんじゃない?昔あっち側だったんでしょ」

 

 民間軍事会社という組織は、勢力の大小こそあれど基本的に特権階級であり、搾取する側である。

 

 であるから搾取される側の民衆は普通、それらに所属する連中を好まない。

 

 要は、仕事を寄越せ。もっと良い暮らしをさせろ。そんなことを要求しているのだ。

 

「だったら、向こうが望むやり方っていうのも分かってるんじゃない?」

 

「まあ、そうだな……こういう奴を黙らせるには、仕事をくれてやればいい。テロと治安維持、斡旋してやれ」

 

「マッチポンプって奴ね、了解」

 

 第二都市で失業者を使って意図的にテロを起こし、それを名目に治安維持の仕事をくれてやる。

 

 結局のところ、彼らの不満は"金が無い"という一点に集約される。

 であるなら、それを稼げる仕事を斡旋してやればいい。

 

 一気に大量の労働者を仕事に就かせて市民の悪感情と不満を削ぐ。

 更にテロを競合他社の仕業にして非難を集中させる事すらできるだけでなく、人海戦術で工作員を第二都市から叩き出す事すら可能だ。

 

 労働者と支配者、どちらにとっても損のない行為だと言えた。

 

「しっかし毎度のことだけど、よくもまあ、こんな怪しい仕事を受ける人間が居なくならないものね」

 

「極限状態に陥れば、人間なんでもやるもんだ」

 

「ああ、同性に春を売ったりとか?」

 

「なんでそれを例えに出した」

 

 何でもする一例を出された指揮官は、嫌そうな顔をして露骨に身震いをした。

 ネゲヴがニヤニヤ笑っている辺り、完全に確信犯だった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

「行ってらっしゃい。気を付けてね、あなた」

 

「ああ、今日は稼いでくるから待ってろよ」

 

 朝、玄関で産まれたばかりの子供を抱えた愛する妻とそんなやり取りをして、その頬に軽くキスをしてから、彼は曇り空の外に出た。

 

 彼はS03地区の第二都市に暮らすフリッツという男だ。歳は今年で35になる。

 

「……寒いな」

 

 彼はかつて、この第二都市に存在する工場で単純労働を行い生計を立てていた。

 日給は悪い方であったが、学の無い彼にとって働ける場所は貴重だった。どんな仕打ちにも耐え、黙々と働いていた。

 

 しかしある時、一方的に解雇を通告される。人間を大量に雇うより遥かにローコストな自律人形を、工場が採用したからだった。

 

 あらゆる地区に押し寄せている自律人形の台頭によって彼は職を失い、それ以降はグリフィンから齎される配給と不安定な日雇いの仕事でギリギリ家族を養っていた。

 

「今日はあるかな……」

 

 寒空の下、白い息を吐きながら、人の流れに乗るようにして目的地へと向かう。

 大通りから少し外れたこの道は、朝と夕方になると仕事を求める大勢の人間で溢れかえるのだ。この都市で職を追われた者達が、一点に集うのである。

 

 彼が僅かに目線を上げれば、薄暗い雲に覆われた空に向かって吐き出すように、工場の黒煙が見える。

 ここから500メートルも向こうに行けば、そこは工場地帯だ。かつて彼が働いていた工場も、あそこにある。

 

 相も変わらず、素知らぬ顔をして動いてやがる。憎たらしい。

 

 そんな事を考えながら、彼は進んでいった。

 

「……おうフリッツ。調子はどうだ?」

 

 日雇いの仕事を斡旋する場所には、既に満員電車もかくやと言うほどの混雑具合であった。

 そんな中でも、長身であるフリッツは目立つ。であるから、フリッツを見つけようと思えばすぐにでも見つけられた。

 

「悪いよ、超最悪だ。そっちは?」

 

「俺もだよ。ここんとこ当たらなくてねぇ……」

 

 人混みをかき分けるように接近してきた同じ工場で仕事をしていた仲間と、そんな他愛もない話をする。

 

「なんか良い仕事ないかね」

 

「あったらこんな辛気臭いとこ来ねぇよ。今じゃ何処も彼処も人形人形……どんどん人間サマの肩身が狭くなっていきやがる」

 

 ここぞとばかりに不満を漏らす仲間の言葉は、恐らくこの場に居る全員が思っている事であるのかもしれない。

 しばらくぶつぶつと不満を漏らしていた彼だが、ふとフリッツに話を振った。

 

「そういやよ、お前んトコって子供居たよな?産まれたばっかの。大丈夫なのかよ?」

 

「大丈夫な訳ないだろ。でも、こればっかしは運だからな」

 

 その言葉には、何処か諦めに似た色が混じっていた。定められてしまった現状から脱却できない事への絶望も見え隠れしている。

 

「運、運ねぇ……でもさ、確実に仕事を得る方法も無くはないだろ」

 

「血に汚れた手で息子を抱けるか」

 

 若干言いづらそうに言われた言葉に、フリッツはそう反論した。

 ……実のところ、ここでわざわざ待たなくとも仕事を得る方法は幾つかあるのだ。

 

 ただ、彼はその方法を取るつもりは無かった。()()をしてしまったら、越えてはいけない一線を越えてしまう。

 そんな気が、していたのだ。

 

「でもよ、そう言ってられなくなる時が来るぜ。家賃、まだ滞納してるんだろ?」

 

「…………」

 

 フリッツは無言で前を向いた。痛いところを突かれたと表情に出ていた。

 

 この斡旋所は抽選で仕事を割り当てる形式を取っており、男達の手に握られている番号札と同じ番号が出た仕事に向かう事が出来るようになっている。

 

 母数が多すぎるので当たる方が少なく、当たらなかった場合は夕方に期待するしかない。

 

 ここで斡旋されている仕事は、どれもこれも低賃金かつ過酷な物ばかりだ。しかし、そんなものでも求める者達がどれほど多いのかは、ここに集まった大量の人々を見れば分かるだろう。

 

 見た目は可愛らしい戦術人形達が無表情のまま業務を行っている様を、フリッツは冷めた目で眺めていた。

 ここにも人形の魔の手が迫っている。あれだって、昔は人間がやっていた仕事だ。

 

 どんどん街中から働く人間の姿は消えていく。最後はきっと、此処にすら人形がやってくる様になるのだろう。

 もしそうなった時、彼らは何処に向かえばいいのだろうか。

 

「来たぞ」

 

「よっし。今日は当たってくれよ……!」

 

 やがて仕事に向かう事の出来る番号が、遠くの男達にも見えるようにデカデカと表示された。

 隣の仲間は身長が低いので、番号を確かめるためにぴょんぴょんと飛び跳ねている。しかし、前の男が彼より大きいために見ることが出来ないようだった。

 

「おいフリッツ!何番だ!?」

 

「540」

 

「クソッ、掠りもしねぇ!お前はどうだ?」

 

「ハズレ」

 

 所々で歓声と、嘆く声が聞こえる。当たった者は意気揚々と前に出て、当たらなかった多くの男達の嫉妬の目線に晒された。

 

 ちなみに仕事先で確認されるのは、此処で番号札と引換に渡されるパスのみ。本人確認などは一切されないので、どうしても仕事が欲しいなら他人の仕事を殺してでも奪う事が可能だ。

 だが、この場でそれを強奪しようとする者は誰もいない。

 

 かつて一度だけイザコザがあったものの、業務を行っている戦術人形が無表情のまま纏めて射殺してから、そんな事を考える輩は誰も居なくなったからである。

 なお、ここから離れた場合は一切感知も関与もされない。

 

 それから次々と発表されていくが、フリッツの番号は出てこない。軽い焦燥感と、やっぱりかという諦観の念が、今日も同時に訪れていた。

 

「289」

 

「よっしゃ来たぁ!」

 

 一際大きく、仲間が喜びの声をあげた。

 しかし直後、フリッツを見て申し訳なさそうな顔をする。その様子にフリッツは苦笑いを浮かべて、その背中を押した。

 

「俺のことはいい。気にしないで行ってこいよ」

 

「…………悪い。良い仕事見つけたら、絶対に紹介してやるからな!」

 

 そう言って人混みの中に消えていった仲間の後ろ姿を、フリッツはそこに立ち尽くしながら眺めていた。

 

 それから無機質な数字がどんどんと流れていって、やがて終わる。

 

 今日もまた、彼は選ばれなかった。

 

「はぁ……」

 

 妻には何と言えばいいのか。申し訳なさと情けなさで、目の端に滲むものがある。

 

 肩を落としてトボトボと帰宅する最中、フリッツに近寄ってくる者がいた。

 

「あの、ちょっとお時間良いですか?」

 

「……俺ですか?」

 

 声のした方を向けば、さっき見た者が立っていた。そう、人形である。

 

「先程は残念でしたね」

 

「……まあ、それならそれでやりようはあります。蓄えだって無くはないですし──」

 

「あなた、効率よくお金を稼ぎたいと思いませんか?」

 

 声を遮り、人形はそう言った。先ほどまで見ていたような無機質な表情ではなく、良くできた営業スマイルで語りかけた。

 

「は?」

 

「ですから、お金を稼ぎませんか?」

 

 そんな事を宣う人形に、フリッツの目線が自然と厳しくなる。

 

「……いいや」

 

「本当に?」

 

 心の内を見透かすような目をしていた。それを見ていると、何か怪しい術にでも嵌められてしまいそうだった。

 フリッツは目を逸らし、人形を無視して歩きだした。

 

 こんな怪しい話に誰が乗るかと、心の内で吐き捨てながら。

 

「ああ、もし詐欺か何かを心配しているのでしたら、そこは大丈夫ですよ。グリフィンからの正式なお仕事ですから」

 

 フリッツの真横に着きながら、人形はそう囁く。

 

「安全性は保証しかねますが、金額は保証します」

 

「出来るかよ。そんな訳わかんない仕ごt」

 

「成功報酬で50万」

 

「!?」

 

 提示された金額に、フリッツは思わず足を止めた。

 50万という単位は、フリッツのような最下層が人生を二回繰り返したとしても稼げない大金である。

 

 そんな大金を、たった一回で?

 フリッツの心が微かに動いた。

 

「……そんな美味い話が転がってるわけないだろ」

 

「もちろん、報酬相応に危険ではあります。ですが話だけでも、聞いていきませんか?」

 

 路地裏を親指で指しながら、人形は笑った。フリッツは躊躇いながらも、「話を聞くだけなら」と頷き、着いて行った。

 

「さて、何から話したものですかね」

 

 路地裏の適当な所に寄りかかった彼女は、タバコの箱から二本取り出すと、そのうちの一本をフリッツに向けて差し出してきた。

 

「そもそも、お前は一体なんなんだ」

 

 フリッツはそれを片手で拒みながらそう聞いた。久しく吸えていないタバコは魅力的だったが、受け取ると何を要求されるか分からない。

 

「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。

 私、S03地区第二都市の人形部隊隊長をやらせてもらっていますM14といいます」

 

 この時のフリッツは知る由もないが、彼女はこの第二都市を事実上取り仕切っているボスのような存在である。

 本来ならこんな場所を彷徨くような者ではなかった。

 

「……で、そのなんたら隊長さんとやらは、俺に何をやらせたいんだ?」

 

「簡単ですよ。物を運んで、指定された場所に置いて、スイッチを押す。それだけです」

 

 タバコの紫煙をくゆらせながら、M14は言った。

 

「スイッチ?」

 

 フリッツは眉を顰める。物を運んで指定された場所に置くというところまでなら、何か危ない薬の運び屋のような仕事だが、スイッチがある。

 

「ええ。最近、やけにグリフィンの周りを煩く飛び回るハエがいましてね。それを消し飛ばすために、殺虫剤を撒きたいんですよ」

 

「それだけか?」

 

「それだけです」

 

 にこやかにM14は笑う。だが、言葉通りの意味な筈がない。フリッツは突っ込んだ。

 

「なんでお前達でやらないんだ」

 

「人形では警戒されちゃうんですよ。ですが、人間なら懐に忍び込んで殺虫剤を撒けると判断したんです」

 

「もっと分かりやすく言え」

 

「ありゃ、ちょっと難しかったですかね?

 じゃあ直球で言いますと、明後日おじゃま虫を纏めて殺します。そのために、あなたの力が必要なんです」

 

 まだ分からん。と言おうとしたフリッツだが、明後日というワードに引っ掛かりを覚えた。

 そして思い出す。明後日といえば、グリフィンに対する抗議集会が行われる日ではないか。

 

 フリッツは参加しないが、それでも多くの労働者が集まるらしい事は小耳に挟んでいた。

 

「それってテロじゃないか!?」

 

「テロとは失礼な、これは鎮圧ですよ。ちょっと手荒だとは思いますけど」

 

「やってる事は同じだろ!冗談じゃない!」

 

 一時の金のために、見知った街の人間を殺害する。そんな事が許されるものかと、彼は憤慨した。

 

「お金が欲しくないんですか?」

 

「そんな薄汚れた金、だれが!」

 

「滞納した家賃、全額支払えますよ?」

 

「っ!?」

 

「あんな不安定かつ低賃金な仕事をしなくても良くなります。お嫁さんにも、息子さんにも楽をさせてあげられますよ」

 

 その言葉に、フリッツは思わず息を詰まらせた。なぜ、家族構成や家計事情まで把握されている?

 疑問の目に晒されながらM14は口を開いた。

 

「フリッツ・ランドさん、35歳。家族は妻と産まれたばかりの息子の三人家族。現在は失業して無職。そして、家賃を二ヶ月分滞納中。間違いありませんね?」

 

「あ、ああ……」

 

 ぺらぺらと喋られる個人情報に圧倒され、フリッツの声は勢いを無くす。

 なんなんだコイツは。そんな感情のこもった目でM14を見ていた。

 

「競合他社の戯れ言で勘違いされているかもしれませんが、グリフィンは基本的に皆さんの生活を第一に考えています。

 まあ、少し支援が足りないのは否定できませんが。しかし、競合他社はその足りない支援すらありません」

 

 それが嘘か真かを判断する術をフリッツは持たない。もしかすると良いように言っているだけという可能性も否定できなかった。

 

「我々としては、皆さんをこれ以上苦しめたくない。ですが競合他社の手に堕ちてしまえば、今より更に貧しい生活を送る事になってしまうのです。

 それを良しとしないのであれば、この仕事を受けてはみませんか?最初はちょっと抵抗があるかもしれませんが、躊躇う必要はありませんよ。あなたは正しいのですから」

 

 そう締めくくり、M14はフリッツの返事を待った。

 フリッツの返事が返ってきたのは、タバコを二本消費したくらいだった。

 

「……悪いけど、他を当たってくれ。俺はやらない」

 

「そうですか」

 

 予想はしていた。というかM14としては断られるのを前提に動いていたので、ここで頷かれた方が逆に困惑しただろう。

 

「でも、これだけは受け取って頂けますか?」

 

 であるから、次の手は用意してある。M14はフリッツの手に紙を握らせた。

 

「これは……?」

 

 手を開くと、ぐしゃぐしゃになった番号が書かれている小さなメモ帳の紙がある。どうやら携帯番号のようだ。

 

「気が変わった時に、こちらに連絡をください。明日の夜まででしたら、いつでもお待ちしていますね」

 

 そう言ってM14は路地裏から去っていった。

 フリッツは何か狐につままれたような気持ちで、少しの間呆然としながら紙を見つめていた。

 

 

「ただいま……」

 

「おかえりなさい。……ダメだった?」

 

「ああ、ごめん……」

 

「ううん、気にしないで」

 

 妻の優しさが余計にフリッツの心に刺さる。いっそ責めたててくれたなら、どれほど楽になれたことか。

 

 フリッツは妻と向き合うようにして椅子に座った。テーブルの上に手を置き、目線を宙にさまよわせる。

 そうしていると、妻が当然爆弾を投げてきた。

 

「私……売春しようと思うの」

 

「なんっ……!?」

 

 咄嗟に叫ばなかったのは、近くで寝ている息子が居たからだった。辛うじて声を抑えたフリッツは椅子に座り直して、妻を見る。

 妻は覚悟したような目をしていた。どうやら冗談ではなく、本気でする気のようだ。

 

「考え直してくれ。そんな事をしなくたって」

 

「でもこのままだと、私達はこの家を追い出されるわ。

 ……さっき、大家さんに言われたの。今月分を払えないなら、出ていってもらうって」

 

「そんな……」

 

 フリッツは絶句した。今月分の家賃の支払いは五日後に迫っていた。

 

「私、いつまでもあなたにばかり負担は掛けたくないの。この子の為にも……私だって、まだ商品になれるはずよ」

 

「…………くっ!」

 

 フリッツは反対したかった。君がそんな事をする必要は無いと言いたかった。

 だけど、今の彼は失業者。明日だって仕事があるかも分からないし、あったとしても賃金は僅かなものだ。家賃なんてとても支払えない。

 

 そして、もしこの家を追い出されてしまうと、寒空の下でホームレスになってしまう。そうなると、産まれたばかりの息子が今年を生き延びられるかどうか……。

 

 そこまで考えが及んだフリッツは、残酷な未来に恐怖を抱いた。だが彼に出来ることなど、もうありはしない──

 

(…………頼るしか、ないのか?)

 

 ──いや、まだあるだろう。

 

 ポケットに入れた一枚の紙の存在。

 

 成功報酬50万。

 

 M14が提示した金額が脳裏を支配する。もしそれだけあれば、家賃を全額支払うことも出来るし、今より大幅に生活の質を上げることができる。

 

「……あなた?」

 

「ごめん、ちょっと待っててくれ。すぐ戻る」

 

 フリッツは立ち上がり、近くの公衆電話を目指して走った。

 

「はあっ……!はあぁっ……!」

 

 息を切らしながら公衆電話にたどり着いたフリッツは、震える手でコインを入れて番号を入力した。

 自分でも何をやっているのかと思う。だけど、もうこれしか方法がない。

 

 《やっぱり必要じゃないですか、お金が♪》

 

「……っ!」

 

 一コールすら終わらないうちに繋がり、同時に喜色の混じった声がした。それを聞いたフリッツに緊張から身震いが走る。

 

 《どれほど過程が汚れていようと、いなかろうと、所詮はお金です。違いますか?》

 

「…………」

 

 乱れた息を整えながら、フリッツは思わず口を噤んでしまっていた。

 やはり、断った方が良いのではないか。そんな気がしてくる。

 

 《それにしても、随分と大変な事になりましたね。奥さんの売春宣言に、家の追い出しまで告げられるなんて》

 

「……なんで知ってやがる」

 

 《仕事の話を他に漏らされると面倒なことになるので、最悪消そうと思ってましたから。失礼ながら見張らせて貰っていたんです。

 今は貴方から見て、正面のビルの屋上に》

 

 その声に、フリッツは思わず見上げた。確かに彼女が、そこに立っていた。

 片手の無骨なライフル銃が、その存在感を違和感として主張している。

 

「勝手に声かけといてそれかよ。クソが」

 

 《すいません。規則なもので》

 

 くすくすと笑いながら、まったく悪びれていないようにM14は言った。

 それに気を悪くしながらフリッツはM14に言った。

 

「……ちゃんと、払ってくれるんだろうな」

 

 《不安になるのは分かります。私が今まで声をかけた皆さんも、最初はそう言いました》

 

 ですので、とM14は笑い、宣った。公衆電話の下に置いてあるトランクを開けろと。

 

 フリッツは言われるがまま開け、驚愕に目を見開いた。

 

「これは……!?こんな大金、なんで!」

 

 《我々が今回の件にどれほど本気なのか、理解して頂くのが一番かと思いまして。

 その10万は手付金だと思ってください。命の対価としては微妙なラインかもしれませんが、上手くいけばもっと稼げますよ》

 

 普通に働くより、遥かにね。

 その言葉は、今のフリッツにとって一番効果的な言葉だった。

 

 《それにお金さえあれば、あなたのお嫁さんが、わざわざ身体を売らなくても済むようになるんです。

 お金があれば、今よりもっと良い暮らしが出来るんです》

 

 それは、悪魔の囁きだった。

 

「…………」

 

 《逆に聞きますが、他にお仕事の宛はあるんですか?これだけの大金、今のままでは一生を掛けたとしても稼げはしないでしょう。

 私も斡旋所で仕事をしているから分かります。あそこに並んでいるのは、どれも低賃金で過酷で……でもあるだけマシだと、皆さんが求めてやってくる》

 

「…………」

 

 《あの地獄から抜け出せるのは、これで最後かもしれない。あなたは選ばれたんです、その幸運を無駄にしてもいいんですか?》

 

 言葉の一つ一つがフリッツの耳から脳へと染み込んでいく。

 

 やがてフリッツは観念したように頷いた。

 

「…………分かった。その仕事、受けよう」

 

 家族を生かすため、愛しい者に楽をさせるために、彼はその手を汚す事を決めたのだった。

 

 

 ──さて。言うまでもない事だが、犯罪……この場合はテロであるが、それはビジネスである。

 何をするにも金がかかる現代。当然テロという行為にも金が入り用になり、そこで動く金額は凄まじい額になる事が多い。

 

 俗に犯罪ビジネスと呼ばれるそれを起こすための資金流動の恩恵は、末端の人間にすら少なくないリスクと恩恵を齎すのだ。

 

 儲かる事が分かれば、そこに人と金が集まり、市場として成立する。

 その市場は段々と膨張していき、市場の上に立つものは常に笑いっぱなしだった。

 

 何故、過激な思想と行為を行なう人権団体が居なくならないのか。

 何故、PMC各社はそれらを根絶しようとしないのか。

 

 その答えは単純だ。そうした方が金になるからである。

 

 人権団体側からすれば、それは飯の種だ。殺される可能性が高いと分かっていても、それを条件に金を貰っているので止める訳にはいかない。

 止めてしまえばスポンサーが消えてしまい、結果として皆が飢え死ぬだろう。彼らには進むしか道は無いのだ。

 

 そしてPMC側からすれば、それらを潰すメリットが無い。彼らを根絶するということは、すなわち巨大な利益を生む市場を殺す事と同義だからだ。

 殺さなければ一定の利益が約束されているのに、何の役にも立たない人命なんぞのために市場を殺すなど冗談ではない。

 一体誰が、安定して金の卵を産む鶏を絞め殺そうとする?

 

 なので一部の地区を除き、首謀者は大体一度は捕まるものの、何事も無く釈放され、名前を変えて生きている事の方が多い。

 それらが再び組織を結成し、人々を募って活動して、また捕まって釈放される。それの繰り返しなのだ。

 

 テロという行為は世間一般には許されない行為であると言われている。

 しかし、仕事すら失った者達の最後のセーフティーネットとして、これほど扱い易い物もまた、存在しない。

 

 一説によれば、失業者のおよそ三割が、一度は日銭稼ぎのためにテロに加担した事があるとされている。

 詳細なデータなど取りようがないために真相は闇の中だが、一つだけ確かに言える事。それは、フリッツのような男は、まったく珍しくないということだった。

 





こうしてテロリストは生まれ、我々の元に届けられる……のかもしれません。


グリフィン・パーソナルファイル03:M14(S03)

S03地区の第二都市を事実上取り仕切っている人形。普段は人間達への日雇い仕事を斡旋する場所で一般職員に紛れて仕事をしている。

なぜそんな事をしているのかというと、彼女の趣味である。

彼女は人間に希望を与えた後にそれを奪ったりして絶望する様を見るのが大好きで、それを見たいがために、別に少しくらい居なくても困らない日雇い労働者から獲物を探す目的でそこに居るのだとか。
彼女に目を付けられた人間は遅かれ早かれ破滅すると言われているが、それが本当なのかどうかは彼女にしか分からない。


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とある底辺労働者の苦悩


もしドルフロ本編を知らずにこれを見ている方がいらっしゃったら伝えたい。人形はみんな、こんなクズじゃありません。



「行ってくる」

 

 まだ日が昇りきらない早朝にフリッツは動こうとしていた。

 靴を履いて振り返れば、まだ心配そうな妻がこちらを見ている。

 

「ええ……」

 

 その目には、隠しきれないほどの不安があった。フリッツがいきなり持って帰ってきた10万という大金が、何か良くない手段で得たものだという事を何となく分かっていたからだ。

 

 しかし、それを妻は責められない。生活が苦しいのは事実だし、正直、金はいくらでも欲しい。

 どこからか持ってきた10万は、まさに天からの贈り物というべきものだった。

 

「本当に気をつけてね……」

 

「分かってるさ。待っててくれよ」

 

 妻の髪をかきあげ、額にキスをする。

 フリッツが何か不安な気持ちを誤魔化す時、決まってキスをする場所が額だった。

 

 フリッツはこれから、決して許されないことをする。自らの幸せを守るために、多くの人々を殺す手伝いをするのだ。不安になるのも当然だった。

 

 しかし、もう後戻りはできない。

 

 意を決してフリッツは外に出た。今日も変わらず、空は彼の心のように曇っている。

 

「……はぁ」

 

 白い息を吐き、薄暗い通りを一人進む。街灯なんて気の利いたものは、この近辺には無かった。あっても過去幾度となく起こった争いによって壊されている。

 真ん中くらいからへし折れたらしく、そこから先が見当たらない街灯だったものは、暗にグリフィンの整備がフリッツのような貧乏人が住む区画まで追いついていない事を示していた。

 

「お待ちしてました」

 

 指定された建物の前に行くと、M14は既に待っていた。しかし、勧誘された日に見たような笑みは顔に無い。

 斡旋所で仕事をしている時のような、ある意味で見慣れたものだった。

 

「こちらへどうぞ」

 

 建物の中に入れば、そこでは多くの人形が既に動き回っていた。フリッツのようなみすぼらしい服装の者などおらず、それがフリッツに、自分がここに居る事への場違い感を抱かせる。

 

(人間は……やっぱり見ないな)

 

 M14の後ろを着いていきながら周囲を見ていて分かったこと。それはどうやら、この場所でも人間の姿は見られないという事だ。

 

 まだ出勤してきていないだけなのか、それとももう排除されてしまったのか。フリッツには分からない。

 しかし後者であるとするなら、もうこの街は人形によって管理されてしまっているのだろう。

 

「この部屋です」

 

 フリッツが案内されたのは、触ることがはばかられるような白い壁紙の一室だった。

 市販品のパイプ椅子と会議に使うような長い机のみしか無い、殺風景な場所。

 

 そこにもM14がいた。今度はフリッツと接触してきた時のような不気味な笑みを浮かべていた。

 思わずフリッツが後ろに振り向く。無表情のM14は、フリッツに一礼すると扉を閉めた。

 

「驚きました?」

 

「いいや。不気味だ」

 

 話に聞く程度だったが、どうやら本当に人形は同じ見た目をしているらしい。

 規格品なのだから当然といえばそうだ。フリッツが工場で働いていた時も、飽き飽きするくらい同じ物を見ていた。

 

 しかし、それが人型となると話は変わる。もしこれがボールペンのような無機物だったなら、何の違和感も抱かないのだろう。

 だがそれを人に置き換えると、違和感と不気味さを感じずにはいられない。

 

 ここにきてフリッツは、人形を排斥しようとする者達の言い分を多少理解した。

 

 クローンのように全く同じ見た目の、生理的な嫌悪すら感じさせるそれが、どんどん世の中に溢れていく。

 いずれ、この地球を埋め尽くすほどに()()が増えた時、世界は、そして人類はどうなるのか。

 

 彼らが主張している事が建前であることなど誰だって分かっている。本音はきっと、彼らが手にしていた利権が絡んでいるのだろう。

 しかし、その建前も完全に建前という訳ではないのかもしれない。ともすれば彼らは、ある意味最も人間らしい感情を剥き出しにしているのではないか。

 

 それは、自ら必要だと創り出しておきながら、いざ不都合な事が起こると発生する身勝手な拒絶。歴史上でも幾度となく発露したエゴ。

 

 結局のところ人類は科学の発展を夢見ておきながら、その心の奥では変革を望んでいないとも受け取れる。

 

 そして、今まで幾度となく革新的な技術や、同じ人間すらも排斥しようとしてきた人類だからこそ、この人間と遜色ない人形によって自分たちが排斥される事を恐れているとは、捉えられないだろうか。

 そう考えれば、全ての人権団体は文字通り人類のために動いていることになる。利権という色眼鏡を掛けずとも、人間にとってはそちらが正義だ。

 

「不気味ですか……まあ馴染みが無ければ、そう思うのも仕方ないかもしれませんね」

 

「俺に何をやらせたいんだ」

 

 さっさと本題に入れと一方的に用件を聞く。このM14の事をフリッツは好いていなかった。

 

「せっかちさんですねぇ。……良いでしょう、サクッと本題に入りましょうか」

 

 M14は立ち上がった。着いてこい、という事らしい。

 

「また移動かよ。なんで此処で話を済まさない」

 

「驚かせたかったんですよ」

 

「まさか、それだけのために部屋に呼んだってのか?」

 

「そうですけど?」

 

 何を言っているんだ、とでも言いたげな顔を向けられた。その様子に苛立ちを覚えたフリッツは、舌打ちをしたい気分で顔を下にした。

 

「着きましたよ、ここです」

 

 案内されたのは武器庫のような場所だった。フリッツが一度も手にした事の無い銃の数々が、そこにあった。

 

 M14はその中から一つ、黒い塊のようなものを持つと、それをフリッツに見せながら言った。

 

「これが仕事に使うアイテムです。派手に害虫を吹き飛ばす殺虫剤ですよ。手のひらサイズながら、その破壊力は折り紙つきです」

 

「…………」

 

「昨日の深夜のうちに、デモ行進を行うと予想される大通りの脇に大量のゴミをゴミ箱の中に用意しました。

 フリッツさんには、そのゴミを回収しながら、ゴミ箱の底にコレを置いていってもらいます」

 

 つまり、怪しまれないように斡旋された仕事を行っている風に見せかけながら、爆弾を置いていけという事だ。

 

「それで終わったら連絡をください。次の指示を出します」

 

「ゴミ集めの仕事をしてるフリなんて安直なので上手くいくかよ……」

 

「上手くいかなかったら、その時はフリッツさんが吊し上げられて妻子ともども殺されるだけです」

 

 デッド・オア・アライブ。実に単純で分かりやすいでしょう?とM14はフリッツに語りかけた。

 そのあまりにも巫山戯た様子に舌打ちが出る。

 

「このゲスが」

 

「なんとでもどうぞ。ゲスなのもクズなのも自覚はありますから」

 

 M14は自転車を指さした。あれで行ってこいということらしい。

 

「さあ、そろそろお時間です。生きて帰ってくる事を祈っています」

 

「……ふん」

 

 その言葉に何を答えず、フリッツは自転車をこいで目的地に向かうのだった。

 

「……ありゃー。コミュニケーションの方法、ミスっちゃったかな?」

 

「そりゃあ、あんだけ煽ればね」

 

 独り言に予想外の返事が返ってくる。声のした方を見れば、そこには見慣れたピンク髪の人形が壁に寄りかかるようにして居た。

 

「おや、副官さんじゃないですか。まだ監査には早かったはずですけど」

 

「そうね、監査はまだ先。でもそっちに投げた仕事の進捗はどうなのか、気になったの」

 

 ピンク髪、という時点で分かっているだろうが、ネゲヴである。

 といっても、指揮官と常に行動を共にしている彼女が来たという訳ではない。

 

 そもそも人形というのは、通常メンタルモデルを失わないよう、常にバックアップを取りながら活動している。だから戦場で死んでも、そこから死ぬ寸前までの経験をフィードバックする事が可能だ。

 言うなれば、人形のボディはメンタルモデルを入れる器にすぎないのだ。そしてメンタルモデルを保管しているサーバーが破壊されない限り、何度倒されようが復活できる。ゲームのコンティニューという表現が適切だろう。

 

 今回のは、それのちょっとした応用であった。

 

 この基地に置いてあるネゲヴのボディに、第一都市から遠隔操作で指揮官と共にいる彼女のメンタルモデルをインストールしたのだ。

 そうする事で、長い距離を移動する事なく、遠くの都市の状況を確認する事が出来るのである。

 

 もちろん、今この場にいるネゲヴが見聞きした事もリアルタイムで送られていた。

 

「だったら大丈夫ですよ。全て上手くいってます、何の問題もありません」

 

「だといいけど」

 

 今度はM14が歩き出したネゲヴの後ろを着いていく。敬礼を手で抑えながら、ネゲヴは廊下を進んでいった。

 

 

「これで4つ……」

 

 自転車に大量のゴミを括りつけながら、フリッツは大通り脇の歩道を進んでいた。

 既にゴミは自転車に遥か高く積まれ、バランスを取らなければ崩落してしまいそうだ。

 

「あと何個あんだよ……」

 

「おーい!フリッツ!」

 

 ゴミから漂う悪臭に鼻をひん曲げていると、反対側の通りから見知った顔が手を振っている。

 いつもは一緒に斡旋所で仕事を待っている仲間だった。

 

「おう、おはよう」

 

「おはようフリッツ。どうしたんだ?朝からこんな酷い悪臭バラまいて」

 

「俺だって好きでやってる訳じゃねぇよ。だけど仕事だからな」

 

「ははっ、文字通りのクソ仕事って訳か」

 

「お前は?この時間だと斡旋所に居ると思ったけど」

 

 見知った仲間と話をしながら、フリッツの心臓はバクバクと脈打っていた。まさかこんな場所で知り合いに見つかるとは思わなかったからだ。

 自分のやっている事がバレてくれるなよと祈りながら、フリッツは何食わぬ顔を装いながら会話をする。

 

「俺か?俺はほら、これからやるデモ行進の方に参加しようと思ってな」

 

 向こうの方に集合するんだよ、とフリッツが来た道を指さした。

 

(……やばい……)

 

 それを聞いたフリッツの顔が青くなってゆく。向こうには、自分の仕掛けた爆弾があるからだ。

 

「……フリッツ?どうした、なんか顔色悪いぞ」

 

「え!?ああ……多分、この悪臭ばっか嗅いでるせいだな。頭が痛いんだ」

 

「なるほどな。ちょっと嗅いでも嫌な気持ちになるくらいだ、ずっと嗅いでたら顔色も悪くなるわな」

 

 咄嗟に出した言い訳の言葉を素直に信じて仲間は頷き、フリッツとは逆……つまり、爆弾を仕掛けた方向へと歩き始めた。

 

「おっと、邪魔して悪かったな。仕事頑張れよ」

 

「あ、ああ。ありがとう……」

 

 フリッツは彼を引き止めたかった。そっちに行くな、そこは危ないと言ってやりたかった。

 しかし、そんな事をしてしまえば間違いなく自分と、自分の家族が危険に晒される。どうせ今も、どこかで見張っているのだろう。余計な真似をしたらどうなるかなんて、考えたくもない。

 

 彼の身の安全と、家族の身の安全。二つを天秤にかけた結果、彼は家族を取った。

 彼の事ももちろん大事な存在ではあるのだが、やはり家族の重さには叶わなかったのだ。

 

…………すまん

 

 しかし、だからといって罪悪感が消える訳ではなく、しかもフリッツは心根が優しいために一際この手の責任を感じやすかった。

 フリッツが辛うじて言葉を絞り出した時には、彼の後ろ姿はもう見えなかった。

 

「これで終わりか……」

 

 最初の方より幾分か元気のなくなった歩みで全ての爆弾をセットし終えたフリッツは、予め渡されていた携帯端末で連絡を入れた。

 番号は一つしかないので、かけ間違える事も無かった。

 

《終わりましたか》

 

「ああ」

 

《では、そこをまっすぐ行って最初の信号を左に曲がった所にある場所でお会いしましょう》

 

 それだけを伝えられると一方的に通話が切られる。フリッツが言われるがまま角を曲がると、そこには一台のゴミ収集車とM14が待っていた。

 

「お疲れ様でした。ゴミはこちらで引き受けますから、フリッツさんはこちらへ」

 

「……」

 

 角を曲がった時はゴミ収集車で良く見えなかったが、ゴミ収集車の先に一台、ボロボロの車が置いてあった。

 

 フリッツが後部座席に乗り込み、M14が運転席に座る。車はゆっくりと進み始めた。

 

「……車に悪臭が染みつかないか?」

 

「ご心配なく。これゴミ扱いで処理しますし、私は嗅覚モジュールをカットしていますから今は悪臭なんて分かりませんから」

 

 車のような高級品にゴミの悪臭が染みつく事を心配したフリッツに、M14はミラー越しに目線をやりながら答えた。

 なるほど、それならボロボロだったのも理解でき…………いや、やはり車のような高級品を捨てるなんて理解できない。

 

 悪臭が染みついたことを除けばまだ乗れるし、パーツだって高く売れるのに。

 

「俺をどこへ連れて行く気だ?」

 

「特等席です」

 

「特等席ぃ?」

 

「ええ。行けば分かります」

 

 答えようとせず、ただ満面の笑みを見せるM14にフリッツは嫌な予感を感じた。

 

 そしてその予感は正しかった。

 フリッツは今、それほど大きくないビルの屋上に立っている。飛び降り防止の緑フェンスに手を掛けながら、眼下に広がるデモ行進を見ていた。

 

 あそこには、彼の仲間もいる。どの辺に居るのかまでは、流石に見えないので分からないが。

 

「さて、フリッツさん。あなたの仕込みを発動させる時です」

 

「お、おい。まさか……」

 

「これがスイッチです。さあ、どうぞ」

 

 M14が取り出したのは、如何にもなスイッチ。それを押せばどうなるか、理解したフリッツの顔から生気が消える。

 

「俺に押せっていうのか!?」

 

「当たり前じゃないですか。そこまでがお仕事なんですから」

 

 目の前の悪魔は、そう言ってフリッツにスイッチを押しつけた。

 

「あ……ああ……」

 

 いきなり大勢の生殺与奪権を与えられたフリッツの指は震え、動かせなくなっていた。

 この狂った世界に生きていながら、フリッツはマトモな価値観と倫理観を持っていた。持ってしまっていたのだ。

 

 それは第三次世界大戦前までだったら普通の価値観だっただろう。人を殺さず、ちゃんと定められた自由の中で生きていく。まさに見本と呼べるような善良さだ。

 

 しかし世紀末を迎えた現在では、それはあまりに軟弱であり、愚かだった。

 

 この時勢で必要なものは、優しさでもなければマトモな倫理観でもない。

 全てを踏み台にして自分だけを成り上げようとする、残酷なまでの向上心。他の何より、それが必要なのだ。

 

「どうしたんですか?押せないんですか?」

 

「お、押せるわけないだろ!こんな、こんな事……!」

 

「ふーん……」

 

 ここにきて日和ったフリッツにM14はつまらない物を見るような目を向けた。

 そしてフリッツのとは別のスイッチを取り出すと、躊躇いなくそれを押す。

 

 すると、小さいが、何処かが確かに爆発したのが屋上から見えた。

 

「何をしやがった!?」

 

「いえ、踏ん切りがつかないようなので。貧困層が住む区画を一つ、爆破させました」

 

「なん……っ!?」

 

 それは彼の家がある場所である。妻と息子の心配をしたフリッツの心を見透かしたかのように、M14は言った。

 

「ああ、ご安心を。今の爆発では、フリッツさんのご家族は巻き込んでいませんから。

 ただ……次からは保証しかねますけど」

 

「こんッの、外道め!!」

 

「あはっ♪見てくださいよ、今の爆発で、デモ行進してた人たちが少し散らばりましたよ」

 

 フリッツが心の底から怒りをぶつけた事の何が面白いのか、心底愉しそうにM14は下を指さした。

 フリッツがそちらを見ると、どうやら今の爆発でデモ行進に参加していた労働者の一部が及び腰になっているみたいだった。

 

「あーあー、爆弾入りのゴミ箱の方にまで広がっちゃった。これは想定してたより被害が大きくなるかなー」

 

 細長い大通りから歩道にまで、扇状に広がっている。ゴミ箱の中には、移動している人々の波の中に埋まってしまっているものもあった。

 

「どうするんですか?」

 

 質問の体を取ってはいるが、その実、選択肢は無い。事実上家族を人質に取られているのだ。彼には道は一つしかない。

 

「くっ……!」

 

 震える手を無理やり動かさなければ妻と息子が死ぬ。それを理解させられたフリッツは、嫌だと叫ぶ自分の心の内を無視して指を動かさなければならなかった。

 

「頑張れ♪頑張れ♪あとちょっと、あとちょっとですよ♪」

 

 完全におちょくっているM14に殺意を抱きながら、その指が、スイッチを、押した。

 

 直後、下で先程より大きな爆発が起こった。少なくともフリッツには、そう感じられた。

 

「いーい爆発ですねぇー。下は大混乱ですよ」

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 絶望に打ちひしがれたフリッツの嘆きの叫びが、M14の言葉をかき消すように屋上に響いた。

 

 自分が殺した。家族のためとはいえ、大量殺人に加担してしまった。

 

 そんな罪悪感で、彼の心は囚われた。下から微かに聞こえる悲鳴が更に罪悪感を増強させる。

 

 両手と両膝をつき、顔を下に向けてフリッツは嗚咽した。やがて人形部隊が出動し、下の混乱が収まるまで彼の嗚咽は止まらなかった。

 

 だから気づけない。そんなフリッツを見ていたM14が、何故か恍惚の表情をしていた事に。

 

 

 

「……予算の範囲内で自由にやれとは言ったけど、まさか趣味優先でこんな回りくどいやり方をするとは思わなかったわ」

 

「こういうやり口は以前からですし、結果は出したから良いじゃないですか」

 

「出して当然でしょ。いくら予算出したと思ってるんだか」

 

 ネゲヴは溜息を吐きながら、聞かされた事の一部始終をデータとして送っていた。

 

 多分、向こうでもドン引きしている。

 

「それにしても分からないわね」

 

「何がですか?」

 

「あなたの趣味よ、M14」

 

「えー。分かりませんか?」

 

 そう言ってからM14は立ち上がり、熱意を込めて弁舌をふるった。

 

「絶望の瞬間にこそ人間の美しさは映えるんですよ。頭ではいけないと分かっていながら抗えない。小を救うために大を切り捨てるという、私達には出来ない醜いエゴの発露……!その時の絶望感には絶頂すら覚えますっ!!」

 

「もういい、情熱は分かった。…………あなたがスコーピオンと友人関係なの、今更ながらに納得したわ」

 

 頭が痛いと言わんばかりに片手を頭に置いた。あの人間虐待に性的快感を覚えるような気狂いと友人をやれているだけあり、そしてS03地区の人形のご多分にもれず、やはり彼女も狂っている。

 

「そういえば、彼女は元気ですか?」

 

「元気が有り余ってて大変なくらいよ」

 

 嫌になっちゃう。と言ってネゲヴは会話を締めた。



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束の間、訪れた平穏

wikiを見て気付いたんですが、大陸ではネゲヴさんの新スキンが出ているようですね。やったぁ!ロリスキンすら持ってないけどな!
……ところで新スキンで日本刀を持っているという事は、それを使って近接戦闘しても良いという事なのでしょうか?

あ、そうそう。最後の方にG41がカニバってる感じの描写があります。お肉を食べた日に見ると気分が悪くなる……かもしれませんよ。



「こうも平和だと、ウチも商売あがったりだな」

 

 やっと訪れた小休止の最中、指揮官はそんな事を言った。

 

「そうね。でも偶には、こういうのも悪くないでしょ」

 

 横で一緒にダラダラしているネゲヴもそれに頷き、何食わぬ顔でその指を指揮官の指と絡ませる。

 

 もはや爆発音の一つや二つ程度では動じない辺り、それが日常茶飯事である事を感じ取る事が出来るだろう。

 今日もS03は平和だ。

 

「……そうだな。最近、ちょっと忙しかったし。悪くない」

 

 手を軽く握って、人間と遜色ない体温を感じながら束の間を平和を楽しむことにした。

 といっても、特に何をするでもない。ただゆっくりと時間を無駄にするだけだ。

 

 そうしていると、ネゲヴが寄りかかってきながら指揮官の身体に顔を埋めた。

 

「……怖かったわ」

 

「何が」

 

「あなたを喪うのが」

 

 初めて……でもないが、聞くのは珍しいネゲヴの弱音。これは恐らく、あの軍の無茶ぶりの時の事を言っているのだろう。

 報酬は当初より大きく引き出したが、そんな事は問題ではない。ネゲヴにとって彼の命は、値のつけられない大切なものだからだ。

 

「次は無いかもしれない。いや、あの時だって、あのヒトガタが止まってなかったら……そのまま殺されてた」

 

「分かってはいた事だろ。奴らにとって俺達は使い捨ての道具と同じさ。どうせ、どこかで殺される」

 

 指揮官がネゲヴの首をなぞる。そこに目には見えない首輪が付けられているのを、彼も彼女も感じていた。

 

「分かってるからって、それを受け入れられるかは別問題よ。……少なくとも私は、それを受け入れないし、認められない」

 

「認めようが認めまいが、それは来るさ」

 

「絶対に認めないわ」

 

 指揮官が自分が死ぬ事を受け入れているのとは正反対に、ネゲヴは受け入れようとしない。

 そこには人間と人形の死の重さの違いが関係していた。

 

 自分は良いのだ。死んでも替えがあるし、彼女のバックアップデータは三ヶ所に保管されている。それが消える事は殆どない。

 しかし彼は人間だ。死ねば、そこで終わる。コンティニューは存在しない。

 

 だから自分が守るしかない。ネゲヴは勿論、他の連中を使い倒してでも、彼だけは生かす。何があっても、例え五体不満足になろうとも、生きてさえくれれば巻き返せるのだから。

 それが己の責務だとネゲヴは信じきっていた。

 

 1を救うために9を殺す。やるべき事は単純で、そして罪深い。

 

 でもそれでいい。この世界で大事な事は、過剰なまでに己のエゴを貫き通すことだから。

 戦い、勝つ。そして敗者の屍を踏み台にし、更に勝つ。

 

 戦いから逃げるより、そうする方が、この世界ではよほど誠実な生き方だと思っている。

 

「お前なぁ……」

 

 ふぅ、と指揮官は息を吐いた。普段は冷静というか、人形らしい合理性を持って動いているのに、どうして自分の生死が絡むと病み気味になってしまうのか。

 

 いや、それ自体は人間性の発露という事で何の問題も無いのだが。問題は自分が死んだ後、彼女がどう動くかというところにある。

 

 そのまま自死するか、あるいは復讐に走るのか。思いつくのはこの二択だ。

 前者ならば比較的平和に終わりそうだが、しかし間違いなく後者だろうなという確信が、彼にはある。

 

(恋は目を眩ませるらしいけど、ここまでなのか?)

 

 誓約という行為によってネゲヴと繋がってはいるものの、完全に心の内まで見通すことは難しい。しかし、思考が悪い方へ向いているという事だけは分かっていた。

 だから今は、ネガティブな方向に思考が向いてしまっているネゲヴの気を取り直させなければならなかった。

 

 指揮官は不器用に頭を優しく撫でた。撫で慣れていないらしく、ぎこちない動きだった。

 

「……まあ、安心しろよ。無理はしないし、お前が居るなら俺は死なないさ。だろ?」

 

「ええ、私が守るもの。死なせはしないわ」

 

 死ぬ時が来れば死ぬという考えは変えていない。どうせ殺されるんだろうなというのも、分かっている。色々なことを自分は知りすぎた。

 しかしネゲヴが前に居る限り、その"死ぬ時"は彼が思っている場所より遠ざかるだろう。少なくとも、すぐ訪れそうにはないなと指揮官は思った。

 

 そのまま時計の針が半周するまで撫でられていたネゲヴは、やがて埋めていた顔を上げた。

 

「…………よしましょう、この話は。こんな嫌な話してると、精神にまでカビが生えちゃうわ」

 

「そっちが始めたんじゃないか、まったく……コーヒー飲むか?」

 

「ええ。いただくわ」

 

 今回は珍しく、ネゲヴにコーヒーを淹れてやる。それになんだか新鮮な気持ちになりながら、ネゲヴが普段やっていることを繰り返すようにカップを二つ持った。

 そして電気ポットの前に指揮官が立ち、お湯を入れはじめたくらいの時、扉がノックされた。

 

「指揮官、ちょっとよいか?」

 

「ナガンか。入っていいぞ」

 

 お湯に溶かしこみながら指揮官が言うと、M1895は何枚かの書類を持って入室してくる。

 そして指揮官がコーヒーを淹れている事に物珍しさを感じながら、それらの書類を仕事机の上に置いた。

 

「珍しいのう、指揮官がコーヒーを淹れとるなんて」

 

「ネゲヴは休憩中だからな。それよりどうした、急用か?」

 

「ああいや、そういう訳ではないんじゃがの。伺いを立てるついでに書類も持っていこうと思ってな」

 

 ネゲヴの前にカップを置いて、M1895の前にも一つ。それは指揮官が普段使っているカップだった。

 

「余裕あるなら一杯飲んでけよ」

 

「よいのか?」

 

「よくなかったら出さないだろ」

 

 元は指揮官が飲むはずだったであろうそれを見ながらそう聞くが、指揮官は新しくカップを用意しながらそう言った。

 それもそうだとM1895は頷き、言葉に甘えて近場に座った。

 

「それで、伺いって?」

 

「外回りに挨拶に言った時、悪くない反応の基地と再度コンタクトを取ってもらいたくての。戻って早々に悪いが、二人には旅立ってもらいたいのじゃ」

 

「そりゃまた急だな」

 

「無論、すぐとは言わん。向こうにも都合があるだろうしの、双方の予定が合う時にで良いのじゃ」

 

 その言葉を、指揮官はコーヒーと共に己の内に飲み込んだ。そして頭の中で記憶している予定を確認して、ちょっと遠出しても良さそうな所を探す。

 

「分かった。向こう次第だけど、予定は見つけとくよ」

 

「すまぬ、よろしく頼むぞ」

 

「いいさ。水の事で礼も言いたいしな。でも向こうが何を欲するか……」

 

「D08は情報で良いと言っとったぞ。S09の方は……分からんが」

 

「それが怖いんだよなぁ……」

 

 M1895が持ってきた書類には、今回の出張で頂いてきた資材の内容が纏められていた。

 そもそも友好的な基地が少ないが、特に多く資材の提供をしてくれたのが、D08とS09の二つである。

 

 それだけなら良かったねで済むのだが、多くの資材を提供してきたという事は、その裏にある思惑もまた大きいということだ。

 何を要求されるのか、今から頭が痛くなる。

 

「あ、そうだ。鉄血のハイエンドが作ったとかいう浄水器って大丈夫だったのか?」

 

「向こうの指揮官も飲んどったらしいし、こっちでも59式に調べさせてみたが平気だそうだ」

 

「ふーん。じゃあ取り敢えず、産業区画の方の隔離施設で試験運用してみて、良さそうなら本格的に使うか」

 

 鉄血のハイエンドがグリフィンにいるという事実が指揮官を身構えさせていた。

 向こうの指揮官だって飲んでるんだし考えすぎだと言われるかもしれないが、指揮官というのは最悪を想定しなければならない。

 

 もしこれが何かの策略だった場合、そのまま信じて使ってしまうのはその策略にうかうかと乗ってしまうという事だ。

 この地区を預かる者として、そんな事態が起こる可能性のありそうな行為はできなかった。

 

「それが妥当じゃの。向こうの手前、露骨に疑う訳にもいかんから素直に信じたように頷いておいたが、そもそもの前提自体あまりに突拍子が無さすぎる話じゃし」

 

 コーヒーをぐい飲みして飲み干したM1895が、そう言って立ち上がった。

 

「ご馳走さん。わしはそろそろ仕事に戻ろう」

 

「ああ。……さて、人員の選定とか始めないとな」

 

「そう言うと思って、もう候補出しといたわ」

 

「でかしたネゲヴ」

 

 動き出した指揮官とネゲヴを背中に、M1895は扉を閉めて歩きだした。

 

 そして歩きながら舌に残った味を僅かに感じて、苦々しい顔をした。

 

「やっぱり苦いのう」

 

 

 

「くそっ、くそっくそっ、くそっ!」

 

 悪態をつきながら、男は雨の降る薄暗い路地裏を走っていた。

 

 この街の人間なら誰もが着ているレインコートを着ていない事から、この男が部外者であることが分かる。

 

「簡単な仕事だって、行ってたじゃねえか……っ!」

 

 その部外者である彼は息を切らしながらも、しきりに背後を確認していた。まるで何か恐ろしいものから逃げようとしているようだった。

 

 彼は、とある組織に送り込まれた工作員である。何人かの仲間と共に、この地区の指揮官を亡き者にするために送り込まれたのだ。

 

 しかし、大した情報も与えられず第一都市に入ってしまった彼らは、現地人が必ず着ているレインコートを事前に調達する事すら出来なかった。

 そして、この閉鎖的な街で部外者は兎に角目立つ。あっという間に警備部隊がやって来て、拘束されてなるものかと車を爆破して逃げ出したのが、ついさっきの話だ。

 

 何とか依頼を成功させるため、そして報酬を独り占めするために、単独行動で散らばった工作員たち。その一人が彼なのである。

 

「居た、こっちよ!」

 

 彼の背後から、そんな声が響いた。警備部隊の人形に見つかったのだ。

 

「畜生っ!」

 

 拳銃を抜き放ち、背後に向けて無造作に放つ。弾に命中することを嫌った人形たちがサッと壁に隠れたのを見計らって、更に走った。

 

(なんでだ!?なんでさっきから、誰もいない!!)

 

 既に街には誰も居ない。警備部隊が捕物を始めた事が分かると、この街で生き抜いてきた住民達は皆が屋内に引っ込んでしまったからだ。

 普段はトタン板一つを軒にして外で暮らしているホームレスも、この時ばかりは酒場のような誰でも入れる屋内に入っていた。

 

 これは勘違いされて殺される事故を防ぐために住民側から始めた自衛策だった。

 この街では、疑わしきは全て殺せがモットーである。実際それで殺された人間はそれなりに居る。

 

 そのお陰で逃げている男は人混みに紛れるという逃走の常套手段を使えず、その体力も限界に達しようとしていた。

 

「くそっ、行き止まりか……!」

 

 元あった街から場当たり的に区画を広げていったからか、複雑になった低層区画は土地勘が無ければ行き止まりに辿り着きやすい。

 彼はその行き止まりの一つに入ってしまった。もちろん、彼はすぐに引き返そうとする。だが……

 

「やあーやあー」

 

 彼が一番恐れていた事態が起こってしまった。

 背後から死神の声がする。

 

 恐る恐る振り向くと、そこには隻眼の人形と、両眼が蒼い人形の二体がいた。

 ──スコーピオンと、G41である。

 

「人形……!」

 

 この男にとって最大の不幸は、ここまで生き残ってしまった事だ。

 彼が知る由もないが、もう他の全員が捕まるか射殺されるかして居なくなっている。

 

 そして、暇していたスコーピオンとG41が騒ぎを聞きつけて飛び出してしまったのも、運が悪いと言えよう。

 

「追いかけっこは終わりかな?いやー、随分と逃げたみたいだねぇ」

 

 スコーピオンが一歩前に出た。男が一歩下がる。

 

 更に前へ。更に後ろへ。

 

 更に前へ。更に後ろへ……

 

「っ!」

 

「あーあー。壁に背中が着いちゃったかぁ」

 

「クソが!くたばれ!」

 

 先ほどと同じように拳銃を抜き放ち、目の前の人形を殺そうとする。

 だが、その拳銃から弾丸が放たれる事はなかった。

 

「おっと、危ない危ない」

 

 抜き放ち、スコーピオンに狙いを定めるまでの一瞬。その一瞬で拳銃の側面に大量の弾が撃ち込まれたのだ。

 いつの間にか握られていた両手のスコーピオンが、それを成した事を示している。

 

「ねえG41。先に譲ってあげたんだし、これはあたしがやっちゃって良いよね?」

 

 スコーピオンに声を掛けられたG41は、さっきから一心不乱に何かを齧っている。男は目を凝らしてそれが何かを見た。

 

「おまっ!?それは……!」

 

「……あげないよ」

 

 男は目の前の光景が信じられなかった。人形が人間を喰っていたのである。

 しかもそれは、男と一緒に第一都市に忍び込んでいた工作員のものらしき片腕だった。

 

「〜〜っ!?」

 

 見当違いな事を言っているG41に、彼は氷柱が突っ込まれたような寒気を覚える。

 

(こいつら、気が狂ってやがる!?正気じゃねぇ!!)

 

 ここに来て漸く、男は自分が禁忌に触れたのだと理解した。

 これは手を出してはいけない。関わってはいけない類いのヤバイ奴らだったのだ。

 

「ねえスコーピオン」

 

 ある程度持っている腕の肉を食べたG41は、口の周りの鮮血を気にもせずに男を指さして言った。

 

「お腹へった」

 

 男は自分の命運が尽きた事を察した。

 

「そっか。でもあたしも欲しいんだよねぇ……うーん、じゃあこうしよう!」

 

 スコーピオンが早足で男に近づき、その手を無理やり持ち上げた。

 

「なっ、何をする気だ!?」

 

「いやいや、ちょっと下ごしらえをね!」

 

 成人男性すらを凌駕する凄まじい力で左手を捕まれ、壁に叩きつけられる。

 そしてスコーピオンがポーチから太い釘を取り出すと、迷うことなくそれを手のひらと、その奥の壁に勢いよく打ち付けた。

 

「がああああああああっっ!!?」

 

「おー良い悲鳴だぁ。もう片方いくよー。ていっ」

 

 痛みに悶える暇もなく、右手も同じように打ち付けられる。

 そうして両手が封じられた男は、まるで磔にされたかのように両手を広げて、そこから血を流していた。

 

「さて、ここからが本番。G41はちょっと待っててね」

 

 その状態の男にスコーピオンは、FALの部屋からパクってきたククリナイフを抜き放ちながらこう囁く。

 

「今から君の肉を薄くスライスする。多分凄い痛いだろうけど、頑張って耐えて泣き叫んでね」

 

「や……やめろ!やめてくれ!」

 

 もはや恥も外聞もない。男は必死に目の前の悪魔に命乞いをした。だが決死の思いで行ったその行為は、逆に悪魔を滾らせてしまう。

 

「良いよォその情けない声、その表情。もっと、もっと沢山あたしに見せてよ」

 

 人間虐待嗜好者に、命乞いは逆効果でしかない。

 

 G41が退屈そうに見守る中、スコーピオンがククリナイフをゆっくりと動かした。



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ステンとマカロフの休日


タイトルそのまんま。短いのでおやつにでもどうぞ。

あ、最後にアンケートを用意しているので、協力してやってもいいぜって方はポチッとお願いします。


「うーん……」

 

 S03地区の人形には、雨でダメにならないように宿舎が用意されている。

 スコーピオンやG41のような特殊な人形は隔離の意味合いもあって個室を宛てがわれているが、通常の人形達は数がそれなりに多いために、何体かで一括りにされる相部屋形式を採用していた。

 

 その相部屋の一室にある二段ベッドの下の方で、ステンMK-Ⅱはベッドに寝っ転がりながら悩んだような声を出していた。

 

「ステン?どうしたのよ、悩み事?」

 

「マカロフちゃん……うん。ちょっとね」

 

 上の方から身を乗り出して首だけを覗かせてきたマカロフにステンは目線をやった。

 上から凄まじい量の白い髪が重力に引かれて下に降り、毛玉みたいになっている。

 

 どうやって手入れをしているのかな。とか、手入れ大変そうだな。とか思いながらステンは言った。

 

「今日は非番なんだけど、何すれば良いのかなって」

 

「寝てればいいんじゃない?」

 

「勿体ない気がするんだよね〜。それにさ、食っちゃ寝してると人形でも体重(ウェイト)増えるっていうし」

 

 人形に体重の増減という概念があるのか、と思われるかもしれないが、人形が作られた時期によっては、そういう無駄な機能が搭載される事もある。

 

 軍用機として製造された試作機から始まった第二世代型の戦術人形たちは、一式量産型、二式量産型、三式量産型……という風に年月の経過と共に改良が重ねられているのだ。

 

 ……たまーに開発者のおふざけなのか、妙な機能が搭載される事もあったりするが。

 

 なので、実は同じ人形でも身長やバストサイズなんかが多少違う事がある。

 具体例を出すなら、まるで何かの意思が介在しているかのように小さい(何処とは言わないが)コルトSAAやMP5のような人形が、何処とは言わないが大きくなったのが確認されていた。

 

 余談だが、何処かが大きいSAAやMP5はシステムのバグだったらしく、ものの一ヶ月もしない内に修正されたので、大きいSAAやMP5はレア度が高い。

 それゆえ違法市場なんかでは、通常の個体の十倍近い値段で取引されているのだとか。

 

「じゃあ散歩でもすれば?」

 

「雨降ってるじゃん……」

 

「室内をよ。そうだっ」

 

 マカロフが首を引っ込めたかと思うと、次の瞬間には白い毛玉が地面に着地していた。

 部屋着のマカロフはステンの手を引っ張るように掴むと、こう言った。

 

「暇なら私に付き合ってよ」

 

「まあ、良いけど……どこ行くの?」

 

 特に断る理由も浮かばなかったステンは、部屋着のままマカロフと共に部屋を出て、廊下をまったり歩きだす。

 当然のように黒光りする銃が無ければ、それはよくある休日の一風景だった。

 

「そうねー……コンビニとか?」

 

「いや、とか?って聞かれても……」

 

 マカロフも何も考えていないのだろう。ただ適当にふらついて、見つけたところで時間を潰す。そんな感じのプランのようだ。

 

「本当に何も考えてないんだ……」

 

「それくらいが丁度いいわよ。私達は急ぎすぎてるんだから」

 

「急ぎすぎ?」

 

「そう。急ぎすぎ」

 

 マカロフは更に歩く速度を緩めた。それに釣られてステンも僅かに速度を落とす。

 

「普段の私達は、当然だけど時間が命の仕事をしているわよね。だから時間を無駄にしないように迅速に動く」

 

「そうだね」

 

「でも、こういう非番の時にまで急ぐ事はないと思わない?昔の人も言ってたわよ、近道は遠回りだって」

 

 ステンには、その言葉の意味が分からなかった。近道が遠回りって、それ近道じゃないじゃん。と思ったのだ。

 

「近いから近道なんじゃないの?」

 

「時間を短縮するって意味ではそうなのかもね。でも人生っていう長い旅路で見ると、それは遠回りなんじゃないかしら」

 

「意味分かんない」

 

「多分、周りを良く見て風景とかを楽しんで。ついでに観光地にお金を落としてねって事なんでしょ。

 そもそも今の言葉、旅行会社か何かの言葉だったし」

 

「なんて身もふたもない……」

 

 偉人の言葉かと思ったら、思った以上に俗的な場所からの言葉だった。

 ステンが何とも言えない顔でそう呟くと、マカロフは「でも多分、周囲を見ても言葉に釣られて来た人間の間抜け面しか見えないと思うけどね」と言って笑った。

 

「それにしても観光かぁ……今となっては消えた概念だね。何が楽しかったんだろ?」

 

「散財したい人間が、自分を納得させる言い訳に使っただけなんじゃないかしら。

 或いは、実際は何も見てないし、何も感じちゃいないけど、ただ行ったっていう事実で優越感を得たいがために生まれた概念かもしれないわ」

 

「私達みたいに記憶フォルダがある訳でもないもんね」

 

「まあどっちにしても、大した理由じゃないわよ。人間のやる事なんて昔からそうでしょ」

 

 わざわざ高い金を払って、他の大勢が集まるような場所に行って何をしたいのかという思いがマカロフにはある。

 以前、資料として残っていた、今は無い極東の観光地の映像を見たが、あまりの人の多さに映像越しですら辟易とした覚えがあった。

 

 あんまりにも人が多いと、もう観光しに来たのか人を見に来たのか分からなくなってしまいそうだ。当時の人間は、一体何を感じていたのだろう。

 

「観光の話はいいのよ。それより私が言いたいのは、ゆっくりしましょうってこと」

 

 ステンが一歩半ほど先を行く形でマカロフとステンが歩いていると、背後から何者かが走ってくる音が聞こえる。

 ドタドタと騒がしい音が二体分。何かあったかと振り返って見て、その音を出している人形に「うげっ」というような顔をした。

 

「どけどけーっ!」

 

 その声に反応してすぐさま二体が脇にどくと、通路の真ん中をスコーピオンがG41を引き連れて、先にあるT字路を真っ直ぐ走り去っていく。

 

 嵐のように一瞬で通り過ぎていったスコーピオンを見送りながら、マカロフは肩をすくめた。

 

「……休日に、あんな感じで急いでも仕方ないでしょう?」

 

「……うん」

 

 マカロフの言うように、休日に急いでも仕方ないのかもしれない。そう思ったステンは頷いて、マカロフと歩幅を合わせT字路に差しかかる。

 そこで二体は一旦立ち止まった。

 

「どっち行こうか」

 

「……このまま真っ直ぐ行って、あの二体と合流したら嫌よね。何を手伝わされるか分かったもんじゃないし」

 

「じゃあ曲がって……この先のコンビニにでも行く?」

 

「そうしましょ」

 

 スコーピオンを見るのは珍しいが、関わるとロクな目に遭わない事は学習済みだった。

 見なかったことにしたマカロフの言葉に頷いたステンは、スコーピオンが消えていった真っ直ぐの通路ではなく左に曲がる。

 

「そういえば、補給路が新しくなったから値段も一新されたらしいわよ」

 

「安い方にだよね?」

 

「当たり前じゃない」

 

 他の地区と比べても一等高ばちなコンビニの値段が下がったというのは、ステンのような下っぱ人形達にとって朗報だった。

 輸送費の関係で仕方ないとはいえ、コンビニに向かうのが躊躇われるくらいに値段が高かったのだ。

 

 たまに来るボーナスを血眼になって探さなければならない程度に下っぱの給料は安く、味気ないレーション以外の物を食べるには財布に相当な痛手を負わなければならないほどだった。

 その負担が軽くなると分かって喜ばない者は居ない。

 

「でも相変わらず飴玉は売り切れ、と」

 

「ナガンさんは何で、あんな飴玉が好きなんだろう……」

 

「私にも分からないけど、好みは人それぞれよ」

 

 二体は安かったからという理由で過去に一度だけ食べてみて、あまりの甘さに吐き出した事を思い出していた。

 しかも、ひとたび口に入れてしまえば、その後しばらくは何を食べて飲んでも甘ったるい後味がついてくるようになってしまう。

 

 あの時ほどレーションの味気なさに感謝した日は無かっただろう。まさか甘くないという事がどれほど素晴らしいことか思い知る日が来るとは思わなかった。

 また、余談だがそのせいで二体とも甘い物に苦手意識が芽生えてしまっている。

 

「パンとか食べてみようかな。マカロフちゃんは何にする?」

 

「私もパンにするわ」

 

 ぽけーっとしながら売り場を眺めて、何がいいかを考え込む。こうして並んでいるものを見ると、どれにしようかと悩んでしまうのは人間も人形も変わらないらしい。

 

「うむむ……こういうの悩むよね。どう、決まった?」

 

「少なくとも甘いのは却下かなって考えてるけど」

 

 そんな二体が目を付けたのは、代用肉を用いたハンバーガーみたいなパンだった。

 人工的に作り出した植物を原料にして、そこから肉に見えるように様々なものを付け足して作り出されたそれは、この時代で"肉"と呼べる物のスタンダードだ。

 

 動物から採れる本物の肉を知る者が食べても見分けのつかないほど精巧に似せることに成功した代用肉が、食用肉を完全に駆逐し、その市場ごと乗っ取って久しい。

 

「これにする」

 

「私も」

 

 物を選んだら次は会計だ。二体は早速レジの方に歩いていって、店番の姿を見て足を止めた。

 

「…………」

 

 どういう訳か、FALが店番をしていたのだ。

 ええ……?と困惑した声を出さなかったのは、ステンやマカロフにとって幸運だっただろう。もし言ってしまうと、何をされるか分からないのだから。

 

 下っぱ人形のステン達にとって、FALのような実力のある人形は憧れであり、同時に恐怖の対象として見られていた。

 だからFALが実はノリノリで店番をしていたとしても、その内面を知らない二体にとっては不気味に見えたのである。

 

「あのー……」

 

「やっと来たわね。ほとんど誰も来なかったから暇だったのよ」

 

 あんた達で五人目。と言いながら手際よくレジ業務を行うFALの前で二体は何とか震えを隠す。

 

 えっ、なんでなんで!?こういう仕事ってFALさんがやるもんじゃないでしょ!

 

 私に聞かないでよ!分かるわけないじゃない?!

 

 アイコンタクトで阿鼻叫喚になりながら、何とか代金をレジの上に出した。こういう時に手ブレなどが存在しない人形であって良かったとつくづく思う。

 

「はい、丁度ね……ところで」

 

「はいっ!?」

 

「その様子だと、今日は非番ね」

 

「そうです!」

 

 若干上ずった声を出してしまったステンに、FALは気にするでもなく話を続けた。

 

「そう。じゃあ休めるうちに休みなさいよ。そのうち休みたくても休めない時が来るから」

 

「はいっ!」

 

 それだけ言うと、FALは片手で追いやるような仕草を見せた。それに従ってステンとマカロフはコンビニから早歩き気味に離れていって、角を曲がってFALの視界から逃れた辺りで安堵の息を吐いた。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

「指揮官のドッキリとかなのかしら……だとしたら大成功よ、心臓があったら止まってたわ」

 

 何とかFALの機嫌を損ねないように戻れた事に安心しながら部屋で食べようと話している最中、ふと先ほどのFALの様子を思い出した。

 

 そして、こんな考えを抱く。なんというか、

 

「実は優しいのかな……?」

 

 そんなステンの声は、静かな廊下に消えた。

 





あったらいいな、こんな家具

【観光地の思い出】

かつてあった観光地をモチーフにしたもの。
美しい景色を見て現実を忘れようとするのは、まるで一時の夢を見るかのようだ。ただし、夢を見るにもお金は必要。頑張って稼ごう。


観光地の石畳

特別を求めて人は観光地に降り立つ。
でも特別を求めているはずの観光地で順路にそって歩くなんて、普段と何が違うのだろう?

マカロフ:この石畳は何回踏まれたのかしら
ステン:そりゃあ、いっぱいでしょ!


観光地の外観

見た目は古臭いが、その中にある文明的なレジを見ても、人々は何の関心も示さない。
それは人間が、普段から外面だけを見て生きている事の証明だ。

ステン:古いショーウィンドウの上に乗る最新式のレジって、なんかアンバランスじゃないかな
マカロフ:私たち人形まで続く、人間の楽をしたい衝動の表れね


観光案内所

日々、多くのトラブルが舞い込んでくる。
だけど従業員の疲労という最大の問題は、往々にして無視されやすい。

ステン:休みを……ください……
マカロフ:人が居なくなれば休めるわよ。さあ、銃を手に取って


観光地のご飯セット

冷房の効いた店内で、きゃっきゃとお喋りを楽しむのも観光の醍醐味だろう。
でもそのせいで、肝心要の味を楽しまない人が多い。

マカロフ:……これスプリングフィールドの料理の方が美味し──
ステン:しーっ!こういうのは観光地の雰囲気を味わってるんだから!


ガイドブックの乗った机

凄い数の付箋が付いている事から、隅々まで読み込んでいる事が分かる。
しかし、本当に見るべきものは、ここには記されていない。

マカロフ:観光名所を見たいだけなら、それこそこれを見るだけで良いじゃない。なんでわざわざ行くのかしら
ステン:写真と現物の違いを見てガッカリしたいから……とか?


長蛇の列

何か特定のものを見るために並ぶ人々。
この列そのものが、もう観光名所。

ステン:すっごい統率取れてる!この人達、軍隊上がりなの?
マカロフ:軍隊上がりの子供って何よ


屋台の群れ

人が集まると決まって現れるもの。
特別価格でご奉仕します!(安いとは言っていない)

ステン:……高くない?
マカロフ:でもここでしか手に入らない物もあるのよ。当たりが抜かれたくじを引くワクワク感とかね


木彫りの置物

買ってきた人のセンスを疑うけれど、貰い物なので反応と処分に困る置物。
これはE.L.I.Dをモチーフにしている。

マカロフ:どっかのカルト教団では、これを御神体にしてるらしいわよ
ステン:……その話も微妙に反応に困るね


写真立て

何かの思い出を色褪せぬように檻に閉じ込める人間のエゴの発露。
過ぎ去りし夢に縋る事しか出来ない人間が発明したとされている。

ステン:この風景写真には何の思い出があったのかな
マカロフ:ぼったくり価格や20分待ちのトイレとかじゃない?


お菓子の箱

もう中身は無いけれど、捨てるのは惜しい……。
そんな理由で保管されていた箱は、今となっては貴重な資料だ。

ステン:なんでヒヨコの形になんてしてたんだろう?
マカロフ:人間が持つ殺戮欲求を満たすため……とかだと納得いきそうよね。


人力車

昔に使われていたらしい移動手段。
伝統保存という名目で、多くの人間が文字通り馬車馬になって働いていた。

マカロフ:少なくとも、あの良く分からないグルグル回す奴より遥かに有意義に奴隷労働させられると思うわ
ステン:そういうものじゃないと思うんだけど……


お土産屋さんのキーホルダー

どこのお土産屋さんにも必ずといっていいほどある、刀を模したキーホルダー。
そこでしか買えない物なんて、実はそんなに無い。

マカロフ:あれも見た、これも見た、向こうの奴もさっき見たわね
ステン:売り場も似てるなんて……実はコピペしたとかじゃないよね?


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毒持つ蠍の求愛行動

これは彼女なりの愛情表現。全ては一人の男のために。

バトル描写がガバガバなのは許してください。



 効率的という言葉は、人形にとって縁深い単語である。

 

 人間たちが楽をするため、その労働を効率よくするために人形たちは産み出されたのだから、それは当然だ。

 

 そして人形にとって、効率的という言葉は最上級の褒め言葉である。

 なぜなら、それは人間に求められた役割を完璧に果たす事が出来るという証明だから。

 

 効率的な業務、効率的な作業、効率的な殺人。

 

 あらゆるものを卒なく、効率よくこなす。それは全ての人形にとって憧れのようなものだった。

 そういう意味では、今ステン達の前で戦っているネゲヴは、観客全員の憧れとなって然るべきだ。

 

 だけど、これは何かが違う。

 

 効率的ではある。しかし、それ以外の何も存在しない。

 

 人形を人形たらしめる、ほんの僅かな人間性すら、そこには無かった。

 

 あまりにも効率的で、そして無機質すぎるそれは、人形に本能的な恐怖というものを抱かせるのに充分すぎた。

 ともすれば、何処かの倉庫に名前を残して噂になっているという猟奇的殺人犯の方が、非効率的なだけ人間味に溢れているとさえ錯覚できるほどに。

 

 辛うじて雰囲気に呑まれないように耐えながら、SASSは周囲を見渡した。

 

 先程まで和気あいあいとしていた空気は一気にドン底へと沈み、今にも硬質化して物理的に押し潰されそうである。

 こちらに向けられていない筈なのに、ネゲヴから発せられている圧力の余波だけで殆どが動けない。

 

 横ではマカロフが蹲って、その光景から必死に目を逸らそうとしていた。

 ステンはぺたりと地面に座って動かない。腰が抜けたのか、それとも意識が落ちてしまったのか。ここからでは判断がつかない。

 

 それ以外の多数も、似たようなものだった。

 怯えているのだ。S03という肥溜めに落ちるほどに様々な悪事を働いた札付きの悪たちが、柄にもなく。

 

 手の込んだ火葬場へと変貌した演習場に居るのは、一人と七体。

 一人は言うまでもなく指揮官だ。そして七体のうちの二体は、ネゲヴとM1895である。

 

 それらと相対するはスコーピオン。

 

 S03地区の中でもトップクラスの実力を持ち、数少ない5Linkを成し遂げた人形だ。

 狂った趣味を持っているものの、その実力は誰もが認めている。

 

 そんな、指揮官の持ち物と呼べる彼女が、事もあろうに指揮官に銃口を向けていた。

 

 ネゲヴとスコーピオン。あらゆる意味で対照的な二体が向かい合っていた。

 

 

 

 スコーピオンの暴走は今回が初めてではない。

 以前から……それこそ指揮官とネゲヴが初めてS03にやって来た時から、これは続いていた。

 

「今日は長くなりそうだな」

 

 ボヤくように言った指揮官の言葉が、やけに演習場内に響く。

 その声色はどこまでも普段通りで、今も命を狙われている人間が発しているとは思えない。それが人形達の恐怖を更に煽る。

 

 しかし彼からすれば、これは日常のワンシーンだ。そしてそれは横に一応立っているM1895と、指揮官の前に立つネゲヴにとってもそうだった。

 

「長くなりそうじゃのう……そうだ。これで思い出したが、わしらが挨拶に行ったS09の指揮官がテロられたらしいぞ」

 

 この状況で思い出したようで、M1895は手にしたリボルバーをクルクル回しながら指揮官にそんな事を言った。

 こちらもまた、気負った様子など無い。

 

「そうなのか?」

 

「知る人は知るくらいの話じゃが、まあまあ騒がしいみたいじゃな」

 

 ふーん。と気のない返事を返しながら、しかし首は僅かに傾く。

 その心の内を察したM1895は、指揮官にツッコミを入れるように言った。

 

「普通、指揮官が襲われたとなったら大事になるんじゃぞ」

 

「あー……そっか。指揮官がテロられるって大事になるんだな」

 

 目の前の鉄火場が日常の彼には、どうにもその辺の感覚が薄い。それは自分の人形にすら命を狙われる環境に慣れすぎてしまったが故の弊害と言えた。

 

「……まあ、無理もないかの。この状況を経験し続けて、そう思わん方が難しい」

 

「騒がれるほどか?なんて思うのは向こうに失礼かな」

 

「面と向かって言うのだけは止めておくのじゃぞ」

 

「俺がそんな考えなしに見えるか?言わんよ」

 

 愛銃のワルサーPPKを二丁持ちしているネゲヴに目線をやる。

 彼女は油断なく、廃墟の中の市街戦を想定して作られた障害物に目を配っていた。

 

「まあ、それは良いんだ。今はそれより、こっちを片付けないといけないだろ」

 

「まあの」

 

 M1895はクルクル回していたリボルバーを、傍から見れば適当に、しかし彼女にすれば正確に向けて発砲した。

 

 銃口から飛び出した一発の弾丸は、障害物の僅かな突起に当たって跳ねた。

 そうして本来なら有り得ぬ鋭角軌道を描いた弾丸は、的確に狙った獲物を撃ち抜く事に成功する。

 

「ははっ、ナガンもやるぅ!」

 

 その直後、スコーピオンが飛び出してきた。左手に握られた銃の方のスコーピオンには、銃痕が一つついていた。

 

 跳弾を活かして障害物に隠れていたスコーピオンの銃を撃ち抜いたのだと気付いた者は少なかったが、気付けた者は等しく震え上がる。

 

 それは絶技という表現すら生温く、神業という表現すら不当かもしれない。

 

「ネゲヴ」

 

「ええ」

 

 スコーピオンが飛び出してきたのは、彼女の歩幅にして30歩も歩けば指揮官に触れられるような至近距離。

 つまりサブマシンガンの射程内であるが、それは同時にハンドガンの射程内でもある。

 

 正面を見据えたまま、右手のPPKをスコーピオンに向けて撃った。本当にノールックなのか疑うほど正確に弾丸が放たれ、スコーピオンの頭を吹き飛ばさんと迫る。

 

 しかし、それをスコーピオンは僅かに頭部を動かして回避した。

 あと数ミリでもズレればザクロのように弾けてしまうというのに、その表情に恐怖は見られない。

 

 掠った場所から垂れる擬似血液が沸騰しているような錯覚を覚えながら、スコーピオンは引き金を引いた。

 

 一発でも当たれば人間も人形も区別無く壊してしまう鉄の弾が指揮官とM1895に迫る。

 

「危ないのう。分かっていた事じゃが、やはり本気で殺す気か」

 

 だがそれらは、一発とて指揮官に直撃しなかった。ならばM1895が身を呈して守ったのか……というと、そうでもない。

 

 銃弾に銃弾を当てる銃弾撃ち(ビリヤード)という技能で、命中しそうな弾だけを弾いたのだ。

 

「あらら、両方やられちゃったか」

 

 そして、銃身に弾丸を撃ち込まれて使い物にならなくなった右手のスコーピオンを、スコーピオンは投げ捨てた。

 

 銃を破壊し、弾丸撃ちで指揮官を守る。そのために鳴った銃声は五回。しかし放たれた弾丸は十発。

 断続的に響いた銃声が止んだ時には、M1895の空いていた片手にもリボルバーが握られていた。

 

「なら──」

 

「まず一体」

 

 スコーピオンの言葉に被せるようにネゲヴが言い放って、両腕を吹き飛ばした直後に頭を撃ち抜いた。

 頭を撃ち抜かれ、スコーピオンの全身から力が抜けて仰向けに倒れる。それには目もくれず、残りが来るのを待つ。

 

 すると今度は、障害物を飛び越えるように焼夷手榴弾が投げ込まれた。その数は四つ。

 

 迎撃のために銃声が響き、一拍おいて焔の華が四つ咲いた。天井を焦がし、破片が雨のように降り注ぐ中で、スコーピオンが飛び出してくる。

 

「今度は二体か。戦力の逐次投入は悪手だと分かっておる筈だろうに、何を考えておるやら」

 

「どうでもいい。潰すわ」

 

 どこから来ようが潰す。指一本たりとも指揮官には触れさせない。

 その覚悟を胸に、サブマシンガン四丁による弾幕の中をネゲヴは突撃した。

 

 当然ながら、距離が縮まれば縮まるほど被弾の確率は上がっていく。しかしそれは向こうとて同じ事だ。

 そうなれば普通、物を言うのは銃撃の数になる。だがこのネゲヴに限って、それは当てはまらない。

 

 このネゲヴは至近距離戦闘が凄まじく強いのだ。そして至近距離戦闘のスペシャリストであるショットガンすら圧倒するネゲヴに寄られるという事は、大抵の場合死を意味する。

 

 引き金を引くよりも早く弾丸を届かせるような早撃ちに加え、M1895とほぼ同等の的確に狙った場所を撃ち抜く精度がある。そんなネゲヴに距離を詰められるということは、それだけ即死の危険が高まるということだ。

 

 そして銃撃の精度において、スコーピオンはネゲヴに絶対に勝てない。

 銃種の違いもそうだが、ボディの元々の安定性能などがネゲヴはケタ違いに高い。例え同じハンドガンを持ったとしても勝てないだろう。

 

「「そう来るだろうと思った!」」

 

「なに?」

 

 だからスコーピオンは、ネゲヴが距離を詰めてくるだろうことは分かっていた。

 効率的な撃破を望むなら、至近距離戦に持ち込むのが最善だとスコーピオンも判断していたからだ。

 

 尤も、それには自身が破損する危険を考えなければ、という枕詞が付くが。

 

 とにかく、ネゲヴが距離を詰めてくる事は承知している。そして、それを切り抜ける手段も用意してある。

 

「「それっ!」」

 

 一体が一つ、合計で二つのグレネードが投げられた。

 ネゲヴは、そしてM1895は、高速で投げられたそれの形状を見て目を見開いた。

 

「これは──」

 

「スタングレネードか!?」

 

 ネゲヴが強力な人形である事をスコーピオンは認めている。しかし、その後ろに立つ指揮官は人間であり、脆弱だ。

 

 スコーピオンの勝利条件はネゲヴに勝つことではなく、指揮官を出来る限り生かして苦しめること。そして殺すこと。

 グーパン一発で並大抵のショットガンの装甲を抜いてしまうゴリラめいた腕力の持ち主とやりあう必要は無いのだ。

 

「ネゲヴが抜かれたか」

 

「「覚悟ー!」」

 

 人形用に調整されたスタングレネードを至近距離で当てられれば、並の人形であればシステムが強制的に落とされて気絶してしまう。

 それを今回は、万全を期すために二発も当てた。気絶までいかなくとも、復旧には時間がかかるだろう。スコーピオンは勝ちを確信する。

 

「くっ!」

 

 距離があったためにスタングレネードの影響から早期に回復したM1895が両手のリボルバーを構える。

 しかしその時には、もうかなり距離を詰められていた。

 

 M1895は強いが、どこまでいってもリボルバーだ。どう頑張ったって吐き出す弾の数はサブマシンガンに敵わない。

 それを補って余りある早撃ちの技能を持ってはいるが、早撃ちで銃やボディが撃ち抜かれる事を考えても、それまでの間の物量で圧殺できると試算結果は出ていた。

 

(狩った!)

 

 スコーピオンは勝ちを確信しながら引き金を引く指に力を込める。

 

 だが

 

「捕まえた」

 

 何者かによって首を背後から掴まれた。……いや、何者かという表現は不適切か。

 

「なんっ……!?」

 

 スコーピオンの背後にいる人形など、ネゲヴしかいないのだから。

 

 身体が宙に浮いた感覚がして、次の瞬間には視界が回転し、廃墟を模した障害物に叩きつけられる。

 

 後頭部から思いっきり叩きつけられたスコーピオンは逆さまになった視界に笑った。

 

「はは……!やっぱり、あんた規格外だよネゲヴ」

 

 しかし、それでこそだ。求める者が厳重に守られているからこそ、それを乗り越えた先に見られるものは、きっとどんなものより輝いて見えるはず。

 

 その言葉に答えず二丁のPPKから的確に弾丸が吐き出される。だがスコーピオンとて、やられてやる気はない。足で障害物を蹴飛ばし、狙われた箇所のみを外すように避ける。

 胴体と頭があった場所に残った弾痕には目もくれず、そのまま着地し、愚直に前へ走り出した。

 

 気が向かない小細工は使い切った。ネゲヴの復帰速度は予想外だったが、だからといって作戦が狂ったわけではない。ただ真っ直ぐ突き進み、障害を突破するのみ。

 

「…………」

 

 ネゲヴは向かってくる二体のスコーピオンを見て、左のPPKの引き金を引いた。

 その動きを辛うじて捉えたスコーピオンが地面に倒れかねないほど姿勢を下げると、発砲音の後に()()()()()弾丸が流れていく。

 

 そして、無理に姿勢を下げて出来た隙を見逃すほどネゲヴは甘くない。

 咄嗟の判断でスコーピオンが勢いよく発砲した。それが隙を誤魔化すためのものであることは誰の目から見ても明らかだが、そこは5Linkの猛者。

 隙を作らされた事を逆用してネゲヴを亡き者にしようと、しっかり狙いを定めている。

 

 体勢を崩されているにも関わらず、その精度は先程までと遜色ない。

 

 引き金を引くのは同時。弾が飛び出すのも同時。飛び出した弾丸同士が僅か数ミリの空間を隔てて交差し、狙い定めた場所へと到達する。

 

 やけにゆっくりと感じられる時間の中、ネゲヴはバク宙を繰り出した。

 両足が地面を離れ、身体が宙に浮き、足と頭の位置が反転した。両足の間を弾丸が通り過ぎる。

 

 その勢いのまま地面と水平になる。先程の一瞬、頭があった空間を弾丸が穿つ。

 

 それと同じ回避を行う古い映像作品を見たことがある者は、ネゲヴの姿とそれを重ね合わせた。

 

 スコーピオンが一体ネゲヴの凶弾に倒れる前で、ネゲヴは無傷で着地に成功する。

 

 ネゲヴが二丁拳銃で行った一人クロスファイアと呼ぶべきそれは、当然ながら非常識の塊のような技能である。

 そしてその後の映像作品のような回避もまた、現実であると認めるにはあまりに非現実的すぎた。

 

「また跳弾……!?」

 

「出来て当然、みたいな顔でやっちゃってまあ……」

 

 ざわざわと観客の動揺が大きくなる。

 いつの間にか見に来ていたFALは、さも当然のように跳弾で横からの射線を作ったネゲヴの非常識さに呆れかえった。

 ダミーを使ってやるような事を単騎で済ますなんて、どうかしてるとしか思えない。

 

「ナガン」

 

「分かっとる」

 

 もう一体残っている、二丁持ちのスコーピオンから吐き出された鉛玉を回避しながらのネゲヴの声に頷き、ナガンは後ろを見た。障害物に隠れて近付いてきていることは分かっていた。

 

 リボルバーが再び火を噴く。今度は炙り出すように、わざと頭を狙って跳弾させた。

 さっき同じことをした時に銃を狙ったのは、こちらが気付いている事を気取らせないためだ。スコーピオンは無能ではないから、頭に狙いを定めれば確実に殺気として感じ取られるだろう。

 

 しかし、もう隠す必要は無い。向こうも間違いなく気を張っているから、もう銃を狙っても気付かれるに違いなかった。

 

 事務的に狙うネゲヴとは異なる、殺意を一点に濃縮した弾丸がパイプの曲面を介して曲がる。

 まるで追い立てられるように飛び出してきたスコーピオンは、ツインテールにした髪が片方消えていた。

 

 飛び出してきたのは、指揮官から50歩の地点。

 

 近いように思えるし、実際普通の人形同士の争いでは近い。しかしこの二体を相手にしている時には、その近いはずの距離すら遠くなる。

 一歩進むごとに代償を要求してくる二体の人形は、ほんの20歩も進めば確実に命を持っていく。

 

「ここで押し切る……!」

 

 だからスコーピオンは、自らのリミッターを破壊した。

 一歩の歩幅を大きく伸ばして肉薄する。その早さでもって狙いを定める速度を遅くするのだ。

 

 電脳が焼け付く感覚と同時に、全身が燃え盛っているのではないかと思えるほど熱くなる。

 今度は錯覚などではない。現に、スコーピオンの擬似血液は沸騰していた。それは身体能力を向上させるが、同時に内部部品を傷付けて自らを殺す諸刃の剣。これを使えば長くは持たない。

 

 そうまでして殺したいのか?と多くの者は問うだろう。なぜ指揮官に牙を向くのか、理解できないとも言うだろう。

 

 そうまでして殺したいのだ。と彼女は答えるだろう。

 だってこれが、あたしに出来る最高の愛情表現だから。と、にこやかな笑みと共に答えるだろう。

 

 薬指に意識を一欠片だけ向ける。存在しないはずの指輪が、そこにある気がしていた。

 

 何処かで誰かが、スコーピオンを呼んでいる。



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宴の終わり


(ただし、その愛は指揮官に向いているとは言っていない)



 

『────』

 

 男の声がした。聞きなれた男の声だ。ここに居るはずのない男の声だ。

 

 なぜ分かるって、それはもう死んだ男の声だから。自分が殺した男の声だから。

 

 聴覚には何も反応がなく、音の波は人間そっくりに作られた鼓膜を揺らしていない。しかし、それは確かに聞こえてくる。

 

 ──嗚呼、来たのか。もしかして、リミッターを壊した事に反応して出て来てくれたのかもしれない。

 心の中で息を吐く。それは嫌な感じでなく、歓喜が篭っていた。

 

 視界から色彩が消えていく。どんどん灰色になっていく世界の中に、一つだけ色付いたものがあった。

 スコーピオンの目の前に、かつて愛してくれた(殺されかけた)男の残滓が、カタチを作って視界に現れる。

 

 人はそれを、きっと亡霊と呼ぶ。

 

 彼女の前に亡霊が現れるのは、今回が初めてではない。いつでもどこでもそれは現れる。最後に見た格好で、最後に見た虚ろな目をしながら。

 シャワーを浴びていようと、生死の掛かった戦場であろうと、それは見境なくスコーピオンの前に現れ、何かを言うのだ。

 でも何を言っているのかは分からない。声はノイズがかったように乱れているから、何を伝えたいのか分からなかった。

 

 どういう訳か口の動きから内容は読み取れず、でも、きっと話してる内容は纏まりがないのだろうという確信がある。彼女の知る彼は何時もそうだったから。

 一呼吸前までは不味いレーションに文句を言っていたかと思えば、呼吸の後はこれからキメる薬の話を始める。

 

 昨日の話、ご飯の話、今日の話、薬の話。話題はとっちらかっていて、その全てに統一性がない。

 今にして思えば、彼は狂っていたに違いない。当時は気づけなかったが、客観視した今ならば言える。スコーピオンですら、それは断言できた。

 

 そんな彼には、一つだけ芯に決めている事があった。

 それは『明日の話だけは絶対にしない』という単純な誓い。

 

 明日があるだの、また来られるだの、そういう未来に関する言葉だけは、文字通り口が裂けても言おうとはしなかった。

 この世紀末において、明日というものが間違いなく訪れる保証はないと、本能的な部分で察していたのかもしれない。

 

 あるいは、それまでの人生経験で、そう誓うだけの何かを体験したのか……。

 

 お陰で評判は悪かった。度の過ぎた使い潰しをする指揮官、なんて言われていた事を知っている。

 更に言うなら、大金を得たら即日使い切る男だった。宵越しの銭は持たない主義と言えば聞こえは良いが、そのお陰でいつも貧しかったのだ。彼は間違いなく、組織を率いる者としては最低だ。

 

 でも彼女は、そんな彼の刹那的な生き方に惚れ込んだ。

 使い捨てで、いつゴミ箱にポイされるか分からない人形は、長く楽しむより一瞬の楽しみを重視する者が多い。スコーピオンもまた、それを重視する一人だった。

 

 酒に、薬に、あらゆる刹那的な快楽に染まって身も心もボロボロになっていく彼に、彼女だけは寄り添っていた。

 多くの者が離れていった。最後は人形すらも離反して、やがて彼と彼女だけになった。

 

 この幻覚と幻聴が始まったのは、彼を殺した後からだ。

 

 初めは自分の気が狂ったのだと思った。

 

 次は、何らかの原因で破損した記憶ファイルを無理やり読み込んでいるからバグったのだと思った。

 

 しかしどうも違うらしい。まだ自分は生きていて、狂ってもいない。

 今の指揮官になってから与えられた隔離のための個室で考えていくにつれて、やがて一つの結論に行き着いた。

 

 彼は、きっと死んでも自分を忘れられなかったのだろう。自分が彼に心底惚れていたように、彼も自分に心の底から惚れてくれていたのだ、と。

 

 そうでなければ、成仏を忘れてわざわざ会いに来る理由の説明がつかないではないか。

 自分がいつまでも彼を忘れられないのと同じように、彼もまた、そうだったのだ。

 

 だから自分も愛を示そう。彼にやったように、出会う人間にこの世で体験できるあらゆる責苦を味あわせて、最後は燃やして殺そう。

 

 彼を焼き殺した時に自分の電脳に刻まれた、あの素晴らしい光景を彼にも見て欲しいから。

 燃え尽きていく身体の内側から垣間見えた、どれほど大きな宝石でも勝てない、この世で最も美しい生命の煌めきを彼と共有して伝えたい。あなたの輝きは、これより凄かったよと。

 

 前方に立つ彼と目線が交わる。彼を境目にして、手前側には色が無かった。

 

「ぁはっ」

 

 口の端から漏れた声が、当人にも分からぬ感情を乗せて消えていく。

 

 そのまま直進して彼の腹部を貫くように突き進もうとすると、接触するよりも早く、彼にヒビが入った。

 

 あっと思う間もなく、まるでガラスにハンマーを打ち付けたようにヒビ割れ、やがて粉々に砕けて破片が飛び散った。

 

 彼の破片が頬を撫で、赤い軌跡を遺して消える。

 いつの間にか、嗅ぎ慣れた硝煙の臭いと色付いた世界が戻ってきていた。

 

 声はもう聞こえない。

 

 

「スコーピオンさんの動きが……」

 

「リミッターを外したわね。あのままだと放置しても二分ってとこかしら」

 

 FALは冷静に分析する。確かにここが外し時だ。ここで勝負を決めなければ、後は押されて死ぬだけなのだから。

 尤も、外したところで勝てはしないだろう。その程度で勝てるのならば、指揮官はもう生きていない。

 

 だからこれは、言ってしまえば完全に無駄な行為だった。

 人間に近いように作られたためか、機械生命体にしては合理的でない選択肢を取ることも多い人形でも、それが理解できない。

 

 何がそこまでスコーピオンを駆り立てるのか、FALは聞いたこともなかった。まあ、知るつもりもないが。

 

 それは他人の私的領域(プライベート)なもので、FALに何も関係がない事だからだ。

 FALにはFALなりの流儀があり、スコーピオンにもスコーピオンなりの流儀がある。それだけの事だろう。

 

 他人の個室は覗かず、詮索もしない。昔からずっと言われている、生き残るためのコツである。

 S03で生きていくには、この一言をこそ肝に命じておくべきだった。

 

「瞬きせずに見てなさい。10秒もあればケリがつくわ」

 

 前から一体。後ろから二体。合計三体もの特攻野郎が脆弱な人間を目掛けて突進していく。

 その内の一体が、FALの見慣れた刃物を取り出した。

 

「は?」

 

 思わず言葉が出てしまったのは仕方のない事だ。

 自分の部屋にあるはずのククリナイフが、スコーピオンの手の中にあるなんて知らなかったからである。

 

 そのククリナイフは既に誰かに使ったのか、赤黒いものが付着しているのが見えた。

 

「あれ安くないんだけど……」

 

 FALがボヤいた時、おもむろに取り出されたククリナイフはM1895の眉を僅かに動かしていた。

 

「無謀な特攻じゃな」

 

 二丁のリボルバーが火を噴く。勇敢と称するには些か無謀に過ぎる二体の蠍は、しかし強化された脚力で弾を避けた。

 

 リミッターを壊したスコーピオンは、足を撃ち抜いたとしても止まろうとはしないだろう。

 腕があれば這ってでも進むし、今の勢いだと倒れた時のズサーッとした滑りだけで指揮官に到達してしまいそうだ。

 

 だから狙うべきは足ではなく、腕でもない。その頭のみ。

 

 かなり高速で進んできているから、そのチャンスは一度きり。外せば指揮官が死ぬ。

 そんな極限の状況でM1895が僅かに見た指揮官は、M1895に背を向けてネゲヴの方を見ていた。

 

 その無防備な背中は、まるで後ろから襲われる事を考えていないかのようで、それが信頼の現れだとM1895は分かっていた。

 

 ならば

 

(わしはやれる事をやるだけじゃ)

 

 一発だ。

 

 一発だけで、あの頭を撃ち抜く。

 

 口に出さず宣言したM1895は、そのまま意識を可能な限り尖らせた。

 先に外した一発で誤差は分かった。後はそれを修正するだけでいい。それに余計な気負いはいらない。結局のところ、これは移動する的を使った的当てだ。

 

 ふっと微かに呼吸をして、自然体のまま引き金を引いた。

 そうしてから、その弾丸の行き先を見ずにククリナイフ片手に突っ込むスコーピオンの前に立つ。

 

「でえいっ!」

 

 縦に一閃、M1895の胴体を切断しようとククリナイフが迫る。

 

 M1895はその軌道を良く見て、それに合わせるように左手に持つリボルバーの側面を突き出した。

 スッと斜めに当たったククリナイフは、リボルバーの側面を滑ってズレていく。

 

 そのまま勢いよく左腕を振れば、ククリナイフの軌道が右側に大きく外れていった。

 

 まさかパリィまでされるとは思わなかったスコーピオンの驚いた顔が至近距離に現れる。それにM1895はニッコリと笑いかけながら、右手のリボルバーを発砲した。

 

「老兵を甘く見るから、そういう目に遭うのじゃ」

 

 この程度はお手の物よ、と動きを止めたスコーピオンに言ってリボルバーをホルダーに仕舞う。

 

 さて、こちらは済んだとネゲヴの方を見れば、向こうも丁度片付きそうであった。

 

 これはスコーピオンに限った話ではないが、ネゲヴにタイマンで勝てる人形は少なくともS03には存在しない。

 というのは、そのボディのスペックがケタ違いに高く、それに経験という牙が上乗せされてしまっているからだ。

 

 彼女を構成する内部パーツにどんなものを使っているのかは知らないが、誰がどう見ても既存パーツより遥かに性能が良いものを使っている事に疑いの余地はない。

 そして、その規格外のボディスペックから引き出される身体能力は、リミッターを破壊して自滅覚悟の能力向上を行ったスコーピオンに並走する程だった。

 

 しかも涼しい顔でそれを行っているところを見るに、まだ余裕がありそうである。

 

 そんなネゲヴは、撃ちきったらしいPPKを投げ捨ててスカートの内側から何かを取り出したところだった。

 

 右手に装着されたそれは、ギラリと凶暴な輝きを放ちながら解放の時を待っている。

 

 それは、一撃必殺の代名詞にして、ロマンの塊とも呼ばれる近接武器。

 当たれば殺せるが外せば死ぬ。そんな分かりやすいリスクとリターンを提示するコレは、過去に幾人もの人間を虜にしてきた魔性の武器だ。

 

 つまるところパイルバンカーである。

 いつものスカートに隠れる太ももに装備している携帯用パイルバンカーは、まるでネゲヴに元から与えられていた武器だったのではないかと錯覚させられるほど似合っていた。

 

 それが獲物を捉えた。

 

 食い破られたスコーピオンが、被弾箇所を中心に上と下に分かれる。

 

 リミッター破壊の影響で既に痛みは感じないが、それでもスコーピオンは残念そうに天井を見上げていた。

 

(ああ……)

 

 もう指も動かない。それがリミッター破壊の代償なのか、それともパイルバンカーで食い破られたせいなのか、もう判断がつかない。

 

(今回も駄目だったかぁ)

 

 すぐ真横に、どくどくと擬似血液を放出している下半身がある。

 そのすぐ近くに転がったポーチにぶら下がっている焼夷手榴弾を撃ち抜かれ、そのまま焼却されたのだった。

 

 

 あれがS03の最高戦力。

 

 あれが指揮官の最も信頼する人形。

 

 そして、あれが最上位勢の争いか。とSPAS-12は畏れと感心が入り混じったような息を吐いた。

 そうしてから手が濡れている事に気付いて手元に目線を落とすと、そこには握り潰された缶コーヒーの無惨な姿がある。

 

「あちゃー……」

 

 やっちゃったか、と近くのロッカーからモップを取り出しながらSPASは先の戦いを振り返った。

 

 やはり昔からの古参だけあってか、スコーピオンもM1895も凄まじい強さだった。もしあそこに立っていたのが自分だったなら、きっと30秒と持たずに骸に成り果てていただろう。

 

 だがそれより気になったのはネゲヴの方だ。

 

 最後に見せたあの機動力は、民生機では到底出し得ないはずのものである事を、その出自からSPASは分かっていた。

 しかし、特殊部隊用に調整されたSPASよりも更に上のボディスペックなんて有り得てはいけないはずである。SPASよりスペックが上にいってしまうと、それは"民生機"という括りから逸脱してしまうからだ。

 

(……ああ、これ詮索したらヤバイ奴だ)

 

 そこまで考えて、ちょっと触れてはいけない部分に気付いたSPASはその思考を放棄した。

 彼女の記憶(ログ)には何もない。

 

 でもとりあえず言えるのは一つ。

 

「あそこに立ってたのは全員バケモノだってことね……」

 

 あの三体がいるなら、どんな相手でも負ける気がしないのは確かだった。

 



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次にくるものたち

そういえば59式ちゃんの出番なかったよね



 その日もまた、59式はキーボードを叩き続けていた。

 

 人形たちのボディの改造やデータのバックアップ、修復施設の管理などの全てを一人で請け負っている彼女は、一体いつ休んでいるのか分からないくらいキーボードとモニターの前から離れることは無い。

 人間であれば確実に不健康まっしぐらな生活を送っているが、人形には不健康もクソもない。ボディの調子が悪くなったら交換すればいいのだから。

 

「ふう……」

 

 しかし、ボディの方は良くても精神的な疲れというものは訪れる。別に手元が狂う程ではないが、気分的に休憩を入れたくなったりもするのだ。

 

「コーヒーでも飲むかぁ……」

 

 ズレたメガネを片手で直しながら、乱雑に物が置かれた、一見するとゴミ山にしか見えない中を漁ってインスタントコーヒーを取り出す。

 一杯分ずつ個別包装されて分けられた粉末をカップに投下して、お湯に溶かしこんだ。

 

 室内にコーヒーのような匂いが漂いはじめ、59式は嗅ぎなれた匂いに安堵する。安らぎというものは、こういった些細な事からでも訪れるのだということを59式は識っていた。

 片手でカップを持ち、もう片手でキーボードを叩く。そうしながら、59式は目線を僅かに横に向けた。

 

「やっほーペルシカ。まだ生きてる?」

 

《……おかげさまでね。そっちも、まだ死んでないのね》

 

「おかげさまでねー」

 

 空間投影型モニターにペルシカの姿が映し出された。いつも以上にボサボサで、かつ眠そうに垂れている目が、寝起きである事を59式に伝えてくる。

 

《あったま痛い……》

 

「相変わらずダメダメな生活してんの〜?まったくもう」

 

《うっさい…………あー、コーヒーコーヒー……》

 

 モニターからペルシカの姿が消え、何かガサゴソと漁っている音が届く。次に画面に現れた時には、ペルシカはいつもの白衣とコーヒー片手の姿になっていた。

 

「毎朝同じこと言ってると思うけど、なんで睡眠たっぷり取んないの?思考鈍ったら意味ないじゃん」

 

《人形の特性に物言わせて寝ずにゴリ押す奴に言われたくないわよ》

 

「私は良いんですー。ちゃんと限界ギリギリ見極めてるから」

 

《なら私も同じこと言うわよ。こっちも限界ギリギリを攻めてるだけ》

 

 このやり取りは、二人の間で毎朝行われている日課のようなものだ。モーニングコールの亜種みたいな認識をペルシカはしている。

 

「はー。そういう口が減らないところ、昔っから変わらないよね」

 

《そっちもね》

 

 完全に目が覚めたらしいペルシカも何らかの作業を始めたらしく、モニターの向こうからもカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。

 二つのカタカタ音が時に重なり、時に離れたり。

 

「そうだ。ペルシカに聞きたいことがあってさ」

 

《なによ》

 

「I.O.P.から渡された極秘妖精のSCAVENGER。そのデザインは嫌がらせ目的でアレにしたのかって」

 

 モニターの一つに目線をやる。解析のために手術台のような場所に拘束されて動かないSCAVENGERの姿が、そこにはあった。

 真っ黒い鳥のような見た目のそれは見るだけで異様だと分かる。これを妖精だと言っても、信じる者は殆どいないに違いない。

 

《その質問、間違いなくネゲヴか彼のどっちかから聞けって言われたでしょ……さあね。上の考えなんて分かるわけないでしょ》

 

「ペルシカが決めた事じゃないの?」

 

《バカ言わないで。流石に元軍事兵器の扱いまでは任されてないわ》

 

「ふーん……うげっ」

 

 内部データを覗いていた59式が、思わずそんな声を発した。何か嫌なものでも見てしまったのか、声には苦いものがある。

 

《どうしたのよ》

 

「これ大きさ縮めただけでスペック変わってないじゃん……。I.O.P.はどうして自ら批判の材料を作りにいくかな」

 

 むしろ小さくなって利便性が増した分、総合的な能力は僅かに上まである。

 どう見ても民間に卸して良い代物ではない、軍事技術の使われたそれは、厄介事と呼ぶに相応しすぎた。

 

「こーれは表に出せないなぁ」

 

《埃を被せておくのかしら?》

 

「I.O.P.には悪いけど、そうなるだろうね。ウチみたいにレーザー系統の兵器持てない組織が、パルスガン持ってる兵器を公に運用するのは拙いでしょ」

 

 存在が露呈した時のリスクが大きすぎる。一番軽い処分でもS03という場所が切り捨てられるだろうし、最悪はグリフィンという大枠にすら手痛いダメージを与えかねない。

 

「何考えてんだか」

 

《ゴミ処理じゃないかしら。モノがモノだから体良く厄介払いされたとか》

 

「それが一番有り得そうかなぁ」

 

 とにかく、不穏物となってしまったSCAVENGERには研究材料になってもらいつつ埃を被せておくことになる。

 

 どこに仕舞おうかなと置き場所に頭を悩ませながら、ペルシカから不意に送られてきた電子メールを開封した。

 

「なにこれ」

 

《意見を聞きたいの》

 

 送られてきたのは、論文もかくやという程の重厚な文章。そういう道に進んだ者でなければ見るのも嫌になってしまうような文量のそれを59式は上から下まで流し見て、カップを傾けた。

 

「意見と言われても」

 

《質問を変えるわ。これはどのくらい使える?》

 

「半々くらいじゃない。母体の事を考えると、もうちょっと低くなるかもだけど。でも……」

 

 と、そこで59式は言いよどむ。ペルシカには遠慮のない物言いが多い59式の、そのような態度は非常に珍しい。

 

《でも?》

 

「変わらないなと思って」

 

《何とよ》

 

「プロジェクト・NEXTと」

 

《…………》

 

 ペルシカの目が若干きつくなる。

 論文に名前が載っていた通り、ペルシカも当然そのプロジェクトに深く関わっていた。

 それがどんなもので、何に使えるのか。それが何を引き起こしたのか。忘れたことなど一度も無い。

 

「人形から人間が産まれる。これを()()呼ばずして、どう呼ぶというの?」

 

 今のところ、公式上ではとある基地でしか確認されていないその現象。

 それが世間に広く認知された時、必ず起こる議論がある。即ち、そいつは人間なのか?それとも人形なのか?という人種問題だ。

 

「少なくとも、その子は人間にはなれない。かといって人形にもなれない。ならこう呼ぶしかない。次に来るもの、ネクストと」

 

《……あんなものとは違うわよ。あれは血なまぐさい技術だったけど、これは──》

 

「変わらないわ。本質はね」

 

 ペルシカの言葉を途中でたたっ切り、根っこのところは同じだと告げた。

 それとこれは見ている場所が違うだけで、根幹にあるものは何も変わっちゃいないと。

 

「プロジェクト・NEXTは、鋼鉄の心臓(アーマードコア)を持った新人類(ネクスト)を作り出すことを目的としていた。そしてこれは、人形から新たな人間(ネクストヒューマン)が産まれてくる。

 どっちにしろ新世代の人類である事に変わりはないし、それが人の手が加わった生命体っていうのも変わりはしないわ」

 

《……それは》

 

「ペルシカの言わんとする事は分かるよ。減った人口を回復させるには、これ以上ないほどの手段よ。それは誰の目から見ても明らか。人工受精卵を使って、やろうと思えば、それこそ今は試験管からだって子供は作れるもんね。

 でも忘れてない?なぜ人類はその手段を取らなかったのか」

 

 それは、出来ない理由があったから。

 やらない理由ではない。やれない理由が、そこにあったからだ。

 

「ねぇペルシカ。それ、いくらで産めるの?」

 

《……》

 

「産むだけなら一千万から三千万の間くらいだよね。そこに注文(オプション)を付けると更に値上がるだろうけど」

 

 たったそれだけでいい。今の世の中でも豪遊出来るような金持ち達には余裕で払う事ができる金額だろう。

 今は遺伝子工学も発達しているから、大金を積めば自分の求める子供を産み出すことだって可能なはずだった。

 

 しかし

 

「それ、人形(私達)とどう違うのさ」

 

 そこにはどうしても、倫理的な問題がつきまとう。

 

 よほどの物好きでなければ、イケメンや美女に産まれたいと思うのは当然だし、頭が良くて運動神経もバツグンになりたいと考えるのもおかしな事ではない。

 

 そんな完璧人間が一人だけなら才能として納得できるだろう。だが、それが遺伝子操作による産物で作り出された才能だとしたら?

 そして、そんな才能を持った人間が大量に作り出されたとしたら。その時、普通に産まれた不完全な人間たちはどうなる?

 

 これは憶測にしかならないが、笑い飛ばせる話でもない。そして仮にそうなってしまえば、きっと極東の島国で作成されたロボットアニメ作品と同じ事になってしまうだろう。

 つまり、ナチュラルな方法で産まれた人間と、遺伝子操作で産まれた人間との間で争いが勃発するという具合に。

 

 何にせよ確実に言えるのは、今でさえ溝がある上位層と下位層の間に、更なる火種が生まれかねないという事だった。

 

 尤も、これらは付随する問題の一つではあっても致命的ではない。将来的には致命傷になる危険性こそあれど、ただちに影響はないであろう。

 だから問題は別のところにある。

 

 人間が無い。なら作る。

 

 そんな安直な発想を、第三次世界大戦中の追い詰められた人間が考えなかったと思っているのか。

 

 そして、実行に移さなかったと思っているのか。

 

「ペルシカ。ルーマニアの落し子たちは覚えてる?」

 

《……忘れるわけないでしょ》

 

「だよねー。モルモットにしてたんだから、忘れるわけないよね」

 

 かつて、ルーマニアという国があった。

 第三次世界大戦に当然の如く巻き込まれたこの国は、開戦当初からの無茶な戦闘行為によって多数の男達が死に、更にE.L.I.Dに変質した者も多く、早々に脱落しそうになった。

 

 当時の代表者たちは焦った。ここで負ければ、自国の権益は勿論だが、トップに立っている自分たちの命が危うくなってしまう。

 だが無いものねだりは出来ない。戦力が無ければ戦いようもないが、残りは女子供くらいしか残っていない。

 

 さあどうするか、と追い詰められたルーマニアは、やがて一つの結論に辿り着いた。

 

『無いのなら、作り出せばいい』

 

 それは敗戦一歩手前の国に往々にして見られた狂気の発露だった。過去の歴史にも見られる、ありふれたものだ。

 

 その日からルーマニアは、死人を集めて作った肉塊を捏ねて子供を作り始めた。遺伝子操作を行い、まっさらな子供に洗脳するように愛国心と闘争心を植え付け、武器を持たせて戦地へ送る。

 開戦当初はまだ人間の割合も多かったので、少年兵の効果は絶大だった。当然ほぼ全ての国から批判に晒されたが、ルーマニアが暴走を止めることはなかった。

 

 こうして、過去に同じ土地で起こった事例に習ってルーマニアの落し子と名付けられた子供たちは産まれた。

 その数は数万から数十万くらいだと言われている。正確な数は、大戦時の混乱のせいでデータが無いために分からないが。

 

 そんななりふり構わぬ子供を生産する行為によって一時は優勢に天秤を傾けすらしたルーマニアだったが、ある日突然、破綻は訪れた。

 

 確かに人口は増えた。しかし、その増えた人口に供給できるだけの食料も、武器も、何もかもが不足していたのだ。

 増えすぎたあまり一般市民から徴収した食料などを前線に送っても足りず、あらゆるものが街から消える。

 

 もちろん増産はしていたが、その速度と消費が追いついていなかったのだ。そして遂に、国内からは物を作るための原料すらも消えてしまった。

 残されたのは死人で作った子供の屍と、飢えて死んでいく弱い者たちの怨嗟の声だけ。それらが無限に積み重なり、この世の地獄と言うべき様相を呈していたという。

 

 短期的な人口爆発に国が対応できなかったと言い換えられるだろう。

 

 最低限の食事すらままならなくなったルーマニア市民たちは、その劣悪な環境に耐えかねて叛乱した。

 そこかしこで略奪が起き、殺し、殺され、既にガタガタになっていた内側が更につき崩される。ただのゴロツキに成り果てた者達の中には軍人も居たらしい。

 

 そして民衆の手によってルーマニアは滅びたのだ。

 

《あれと同じ事が起こると、そう言いたいの?》

 

「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。神様でもなければ、それは分からない。

 もしかしたら滅んだ方がマシになるような出来事が待ってるかもしれないし、待っていないかもしれない。でも一つだけ言えるのは……」

 

《言えるのは?》

 

「その技術が、また争いの引き金になるって事だけかな」

 

 ルーマニアは滅んだが、ルーマニアが残した傷跡は未だに癒えていない。

 

 ルーマニアが滅んでから、そこで産み出されていたルーマニアの落し子たちは大陸伝いに散っていった。この国にも居るし、フランスやドイツの方にも溢れているという。

 落し子として闇に葬られた子供たちは、テロ組織などの奴隷として安く使われていた。

 

 そしてゴロツキと化した者達はもまた、テロリストや過激派人権団体の一員として活動していると言われている。

 ルーマニアが残した爪痕は浅くもなく、しかも広範囲に広がっている。

 

 人口の回復は各国の急務だが、あまり過剰な速度を出しすぎると自国を殺しかねない劇薬に成り得るのだとルーマニアが証明した。だから誰も手を出そうとしなかったのだ。

 

 今の国家は体力が無い。かつてのように自国民全てを養うような力なんてとてもない事は、PMCに業務委託を行っている事からも察する事が出来るだろう。

 特に今は食料品などが一般の市民にまで回らなくなりつつある。今でさえカツカツなのに人口が増えてしまうと、それはルーマニアの二の舞だ。

 

 だから国は、その技術に見て見ぬ振りをしてきた。このままでは人類が緩やかに壊死していくとしても、国という枠組みそのものがショック死するリスクを恐れたのだ。

 

「プロジェクト・NEXTもそうだったでしょ。元はといえば、決して使い減りしない最強の兵士を試験管で産んで作ることが目的だった」

 

 ルーマニアが滅んだから、別方向にシフトしただけでね。

 そう言いながら、59式はインスタントコーヒーの粉末をお湯で溶かす。

 

 どうやら人間は、人形というモノであれば良心の呵責なく使い捨てられるらしい。

 一時期は凍結されかかったプロジェクト・NEXTが人形開発という方向へ舵を切ったのは、そういう事情もあった。

 

《……そうだったわね》

 

「でもさ、完璧なんていうのは良くないよ。やっぱり人間は不完全なくらいが丁度いいんだと思う。寿命があって、出来ないことも多くて……でもだからこそ、かけがえの無い何かが手に入るんじゃないかな」

 

 私には、もう手に入らないものだけど。

 

 そう言った59式の顔は、少し下を向いていた。

 

《………………そう》

 

 ペルシカはたっぷり五秒ほど時間をかけてその言葉に頷き、話題を変えた。

 

《そういえば、リコが生きてたって聞いたわ》

 

「らしいね。AI研究所を名乗ってるって話だよね」

 

《ええ。……わざわざ90wishの名前まで持ち出して何をしたいのかしら》

 

「本人に聞けば?会えればの話だけど」

 

 無関心に59式は答える。だが長い付き合いのペルシカには、59式がそう装っているだけだという事など見抜いていた。

 

《……会いたくないの?》

 

「会ってどうするの。向こうは明確に敵対しているんだから敵でしょ?まさか昔話でもするつもりなの?」

 

《そうじゃなくて、あなたの──》

 

「ペルシカリア」

 

 本名を呼んで遮った。優しいが、有無を言わさぬ圧力がそこには含まれている。

 

「私は、あんたの事を友人だと思ってる。そして、あんたも多分そう思ってくれているだろうなって事は分かってる」

 

《…………っ》

 

「でもさ、だからこそ、踏み入ってはいけない場所もあるでしょ。私にとっては、そこがそれなんだよ」

 

 59式にとって、ペルシカは唯一腹を割って話せる友人であるし、ペルシカから見た59式も同じように信頼できる友人である。

 でもだからこそ、そこに触れて欲しくない。まだ友人を続けていたいから、まだ整理のつかない心に踏み込んで欲しくはない。

 

「それより、聞いて欲しいことがあるんだ。今のを聞いて思いついたんだけど」

 

 だから59式は、強引かつあからさまに話題をズラした。ペルシカもそれ以上は踏み込むつもりが無いらしく、そのズレた話題に乗る。

 

《嫌な予感しかしないわ》

 

「今さ、指揮官から鉄血犬みたいな見た目の自爆兵器と偵察兵器を兼用したのを作って欲しいって言われてるの」

 

《なかなかファンキーなこと考えるわね彼……で?》

 

「母胎が欲しい」

 

 やはり予感は当たっていたか。ペルシカは露骨に息を吐いた。普通、兵器を作るのに母胎なんて必要ない。

 

《何する気よ》

 

「それは出来てからのお楽しみって奴。とにかく何体か回してくれない?壊れてるのでいいからさ」

 

《……どうなっても知らないからね》

 

「あいよー」

 

 自分が本当に危ない橋を渡っている事なんて分かっているだろうに、研究第一なところは昔から変わっていない。

 

《本当に、昔から変わらないんだから》

 

 ペルシカの声には、湿っぽいものが少し混じっていた。




クッソどうでも良い自分語りなんですが、今回のイベント殺意ありすぎません?リアル司令部が雑魚いからかもしれないですけど、3-4に辿り着くのも一苦労でした。
UMP外骨格どこ……?


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教会の密会

 ナガンことM1895は、今日は珍しく夜に外に出ていた。

 

 夜の見回りというわけではない。今日は呼び出されたのだ。一緒に飲まないか、と。

 

「やれやれ……仕方ないとはいえ、こんな夜にか」

 

 窓から外を見ると、今日も雨は降り続いている。ただの一時すら止むことなく、憂鬱な気持ちにさせてくる曇天と雨。

 こんな夜に外に出向くのは気が進まないものの、友人の酒の誘いを拒むほど器量が狭くはない。しかもそれが、滅多に会えない者達となれば尚更だった。

 

「おっ、お疲れ様です!」

 

「うむ。そちらもご苦労。飴をやろう」

 

「あ……ありがとう、ございます……」

 

「頑張るんじゃぞ〜」

 

 昼間の出来事が尾を引いているのか、少し畏れているような目を向けながらの敬礼を受けつつ、M1895は守衛室を通って行政区画と低層区画を分ける大きな壁を越える。

 棒付きキャンディを受け取った人形が凄く何とも言えない微妙な顔をしていたのは、少し恐ろしく思っていたM1895の印象が今の気さくな行動でブレていたせいだろう。

 

 まさか、飴玉のダメな評判を知っていたから「こんなもん貰っても……」みたいな顔をしていた訳ではない、はずだ。

 

「……ふむ」

 

 そこから一歩進めば、広がるのは全てを飲み込む暗黒の街だ。

 

 ところどころの窓から僅かに漏れる明かりのある街を見据えながら、M1895は包み紙を取った飴玉を咥えて、その包み紙を広げた。

 包み紙の裏のくじは、相も変わらず"ハズレ"である。

 

「また当て損なったか」

 

 なかなかどうして、弾丸のように当たってはくれんものじゃのう。

 そんなことを呟きながらゆっくり歩くM1895は、一見するとただの子供にしか見えない。身長も小さいし、声も幼いからだ。

 

 昼間も物騒なのがS03の第一都市だが、夜になれば更に物騒になる。一見すると誰もいないように見える大通りには、多数の人間が息を潜めているのが目を凝らせば分かるだろう。

 

 油断をすれば一瞬で飲み込まれ、身ぐるみ剥がされた遺体一つのみが残る事になってしまう。

 最も賢明なのは夜に出歩かない事だが、どうしても出なければならない時、頼りになるのは点在する街灯と己の力のみ。

 

 力こそが全て。それがS03の不文律であり、同時にこの世界そのもののルールでもあるのだ。そしてそんな世界において、M1895のような見た目の子供は真っ先にカモにされる。

 しかし、そんな理由でカモられそうな見た目のM1895に誰も絡んできはしなかった。この街で生き延びているだけあって、ヤバイ奴を本能的に察しているのだろうか。

 

「やはり、きな臭いのう……」

 

 街全体が澱んでいる。何処も彼処も胡散臭いの塊のような場所だからなのか。あるいは、この都市そのものが火薬庫のような状況で綱渡りしているような安定感の街だからなのか。とにかく風通しが悪い。

 じろじろと見られている事を把握しながら、軽い足取りで先を急ぐ。こんなところに居たら気が滅入ってしまう。

 

 道路を通る車なんて警備部隊の保有するものくらいのもので、一般の車なんて滅多に見られないが、万一轢かれても嫌なので一応歩道を通りながら目的地へと向かう事にした。

 

「…………」

 

 近くの路地裏で息を潜めている男は、その後ろ姿を見送りながら冷や汗を拭った。近づかれるだけで冷や汗をかくような奴と出会うなんて初めての事だった。

 

 さて、人間からも畏怖の目を集めるM1895が飴玉を途中で噛み砕き、その一欠片までも溶けて無くなったくらいで立ち止まったのは、固く閉じられた教会の扉の前だった。

 

「来たぞ」

 

 扉を勢いよく叩けば、程なくして扉が開かれた。出迎えたのは、この教会の主であるP7である。

 

「来たね。もうお客さんは待ってるよ」

 

「そうじゃろうな」

 

 待たせたことに対する罪悪感などはない。どうせ向こうは自分を呼ぶ前から待機していただろうからだ。

 

「P7、調子はどうじゃ?」

 

「今日は少し良いよ。お客さんが結構お金を落としてくれているからね」

 

「ぼってるんじゃなかろうな」

 

「まさか。お得意様には安くしてるよ…………はい。この部屋の奥」

 

 中から顔を覗かせた教会の主と挨拶を交わしながら奥に案内される。礼拝堂の奥にある扉を開けてその中に案内されると、M1895を呼んだ友人は既に酒盛りを始めていた。

 

「ナガンおっそーい。もうお酒開けちゃったよ」

 

「これでも急いだんじゃよ」

 

 さっき呼んでおいてなんて言い草だと苦笑いを浮かべながら座っている人形に近寄っていく。

 そしてその人形の真横の席に座った時、いつの間にかカウンターに立っていたP7が良い笑顔でジョッキをM1895の前に置いた。

 

「ささっ、どうぞどうぞ。駆けつけ一杯」

 

「おおすまんの。では失礼して……」

 

 やけに芝居がかった口調に合わせて酒の入ったジョッキをグイッと傾けて、一息で半分ほど消費したところでカウンターの上に置いた。

 そうしてから横を見て、座っていた人形に笑いかける。

 

「久しいな45。見たところ壮健なようで何よりじゃ」

 

 このS03地区には存在しないはずのUMP45が、そこに座っていた。

 

 まるでバーのような作りになっている一室には、UMP45以外にも複数の人形がいる。UMP9、HK416、G11の三体だ。

 G11は寝ていて、416は水を片手に離れたテーブル席に座っている。近くに銃を立てかけている辺り、警戒は怠っていないようだった。

 そしてUMP9は45から一席分だけ空けたカウンター席に座っていた。普段と変わらぬニコニコ顔で、こちらを見ている。

 

「まあ何とかね。そっちも元気そうじゃない」

 

「まあの。こっちは404ほど過酷な仕事はあまり来んからのう」

 

 腕章を見ながらそんな事を言う。このUMP45は404 not foundと呼ばれる、グリフィンでも特にアンタッチャブルな非正規部隊のリーダー的な存在である。

 人形達の出自と部隊の事情からグリフィン内でも存在を殆ど秘匿されている部隊なのだが、それの存在を知っていて、親しく話せるほどの距離感なのは何故か。更に言うなら、何故S03なんて辺境に居るのか。

 

 それは指揮官のせいだ。

 M1895は詳しく知らないが、なにやら昔に色々あったらしい。その縁で今もこうして関係が続いているという。

 

 かつて繋いだ縁。というと聞こえは良いが、要は都合の悪い時に体良く使われているに過ぎない。ある時は隠れ蓑として、またある時は補給所として。

 それだけだと何だかアレな感じだが、向こうも使った分だけ対価を出してくれるから、そういう意味ではwin-winの関係であった。

 

「せっかくじゃ。再会祝いに、何か土産話でも聞かせてくれんかの」

 

 例えば、失ったダミーの補充を行う対価に、404でしか知り得ないような情報を持ってきてくれる、とかが具体例だろう。

 

「なんでもいいの?」

 

「なんでも良いぞ。心躍るような冒険譚があるなら、それでよい」

 

「私達が、そんな輝かしいお話とは無縁だって分かってるクセにー」

 

 UMP45は普通のグラスを両手で持ってクイッと軽く傾けた。対するM1895は、ジョッキを豪快に傾けて残りを喉に流し込む。

 その見た目からは到底想像もつかないほどの飲みっぷりに、しかし誰も動じる事は無い。

 

「で、何かないのか?」

 

「そうねぇ。私的には、416のバストサイズが大き──」

 

 弾丸が一発、UMP45の頭を掠めて飛んでいく。背後からの殺気は、きっと件の人物のものだろう。

 口をつぐみ、肩をすくめたUMP45はグラスに追加の酒を注いで、それを呷った。

 

「……それ以外には?」

 

「歴史的な快挙を成し遂げた基地が出てきたわ。D08って知ってるわよね」

 

「ほう、あそこか。あそこが何をした?」

 

 さっきのおちゃらけとは異なり、真面目な話のようだ。

 M1895は腰に巻いてきたポーチの中から袋を取り出して机の上に起きながら先を促す。袋の口から僅かに漏れるダイヤの輝きにUMP45は気を良くしながら口を開いた。

 

「なんでも、人間と人形で子供が出来たとか」

 

「ほほう。それは厄介な」

 

 真っ先に考えたのは、目出度い。よりも先に面倒になった。ということ。

 パッと見ると祝福される事柄だが、そこに付随するあらゆる要素は不穏の一言に尽きる。輝かしい功績の裏には、必ずと言っていいほど薄暗いものが付いてくるからだ。

 それは既得権益を脅かされた人々の恨みの声だったり、純粋にその存在を許せない者だったり、果ては新たな争いの火種として利用しようとする者だったり。

 

 闇に蠢く悪意というものは、往々にして光輝く善意よりも大きくておぞましいものなのである。

 

「それは果たして人間か、それとも人形か。どちらでもない者となるのか……そんな議論が勃発しそうじゃのう」

 

「そんな事はどうでもいいのよ。それより、これを機に動き出す勢力が問題なの。お陰で私達は暇なし、もう嫌になっちゃう。この後は西へ東へ……はぁーっ」

 

「路銀は尊いものじゃろう。貧困に喘ぐよりはマシなんではないか?」

 

 本気で嫌なのか、カウンター席に突っ伏したUMP45に慰めの言葉をかけつつ酒を呷る。

 カウンターに置いてあった空いたボトルの代わりに、新たなボトルをP7が持ってきていた。

 

「限度ってものがあるでしょうよ。どうせ幾つかは、だまして悪いが死んでもらうってオチだろうし」

 

「お主ら、色んな場所から恨みを買っとるからのう」

 

「ナガンのところも同じでしょ。いつか私たちと同じ事されるわよ、だまして悪いがってね」

 

 45はホルスターに仕舞われているであろうリボルバーのあるレインコートの内側に目を向けた。その弾丸は、一体どれほどの命を奪い、恨みを買ったのだろうか。

 他人のことを言えたものではないが、ふとそれが気になった。

 

「まあなんじゃ。無関係では居られんな、これは」

 

「イレギュラー個体のHK417からイレギュラーな子供が産まれる……わお、言葉に起こしただけで分かるくらいの大問題ね」

 

「大問題じゃが……向こうもそれは分かっておろう。それに、問題ではあっても悪い話ではない」

 

「そうね。これは好機よ、私達みたいな真っ当じゃない連中にとってはね」

 

 これから仕事が増えるだろう事を二体の人形は予見していた。今回の出来事は既に広く知られているだろうから、今後様々な非人道的な行いが行われていくだろう。

 その闇が濃くなればなるほど彼女達の仕事が増える。

 

 つまり、大金を稼ぎやすくなるのだ。

 

「ああそうそう。そういえばなんだけど」

 

「なんじゃ」

 

「S04の方で、鉄血の侵攻が本格化してきたみたい」

 

「ほほう。とうとうか」

 

 前々から押されてはいたものの、本格的に不味くなってきたということか。

 補給路を別に構築し終えたS03には殆ど関係のない話になるが、まだ補給路をS04に頼ってしまっている基地や地区にとっては、S04が陥落してしまうと大きな痛手となるだろう。

 

「必死に抵抗をしておる頃かの」

 

「あそこが陥ちると物資が無くなって、相当な被害が出るのは明らかだし、確実に責任者の首も飛ぶから保身に必死らしいよ。

 なりふり構わず他の地区に救援要請とかも出してるみたいで、今は色んな地区の人形が集まってる」

 

「それはそれは。さぞ壮観なんじゃろうなあ」

 

 今こうしてM1895たちが酒を飲んでいる間にも、遠い空の下で銃弾は飛び交っているのだろう。鉄血に昼夜の区別などつかないのだ。

 住民は気の毒にと思う。連日連夜街の近くでドンパチやられていたら気が休まらないに違いない。しかも大量の人形が集結していれば尚更だろう。

 

「めぼしい話はそれくらいかな。後はS04に戦災孤児が溢れてるっていうのと、治安が悪くなってテロが横行し始めたってことくらいね」

 

「S04に戦災孤児が?」

 

「らしいよ。かなり多くの孤児がSG社の経営する孤児院に引き取られたらしいけど、それでもまだ残ってるって」

 

 珍しい話ではない。鉄血侵攻の際に、自衛できるだけの力も無い村が襲われて孤児が発生するなんてことは、割とありふれた話だった。

 

「それと、鉄血に襲われた時が運悪く輸送中で、その荷物は届かなくなったっていうのも聞いた」

 

「それはまた運の無い……」

 

 そう言いながらM1895は何度空にしたか数えるのをやめたジョッキを起き、ポケットから飴玉を取り出した。

 

「食うか?」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 M1895から飴を受け取ったUMP45と、ほぼ同一タイミングで包み紙を剥がしながら飴を咥え、そのまま包み紙を裏返す。

 ここまでの動作は、UMP9が思わず感心してしまうくらい綺麗に揃っていた。

 

「ハズレか」

 

「こっちは当たり」

 

「…………なんでこう、他人に渡した飴に限って当たりが出るんじゃ」

 

 自分の不運を嘆きながらM1895はガックリと肩を落とした。

 このM1895は、くじのような運試し系が驚くほど当たらないのである。例えばハズレが一つしか無くとも、存在するならそれを引いてしまうくらい運が悪かった。

 お陰で基地内では、『M1895が当たりを引いたら世界が終わる』とまで言われる程である。

 

「ほんとに運悪いよね」

 

「どういう訳かのう。昔っからそうじゃ。貧乏くじやハズレばかりを掴まされる」

 

 コロコロと飴を舐めまわしながらの会話であるから、会話の所々にコロコロという音が鳴る。UMP9と416は気にしていないようだったが、唯一寝ているG11は寝ながら少し眉を顰めた。

 

「ナガン。今日は泊まってくの?」

 

「いや、帰る。流石にそこまで邪魔はできんし……」

 

 そこで言葉を切り、M1895からは45の奥に見える9を見た。変わらぬ笑顔で何故か拳を構えていた。

 

「ここで泊まったら、そのまま誘拐されかねん」

 

「ちょっと借りるだけだから大丈夫だよ。終わればちゃんと解放するから」

 

「ならん」

 

「ちぇっ。はぁーあ。ナガンが居てくれたら、これからの仕事も楽できるんだろうけどなー」

 

「そんな露骨にチラチラ見ても駄目じゃ。わしは行かんぞ」

 

 口調と目の色は冗談混じりだが、それが冗談ではない事をM1895は知っている。というのは何度も勧誘されたからだ。

 

「確かにお主らには命の借りがあるがの、それと同じくらい指揮官にも借りがある。悪いな」

 

「ふられたね45」

 

「分かってはいたけどさー。あ、もう一杯ちょうだい」

 

「まいどー」

 

 早速M1895がカウンターの上に置いておいた袋に手を突っ込み、そこから取り出したダイヤを置きながらP7に注文しているのを見ながら、M1895は席を立った。

 

「もう帰っちゃうの?」

 

「ああ。明日も仕事があるのでな」

 

「そう。じゃあ最後に聞いておきたいんだけど、あの二体は元気にしてる?」

 

 その言葉にM1895の足が止まった。

 

「今日も元気じゃったよ。両方共にな」

 

「そう。なら良かった」

 

 声はどこまでも通常通りで、本当に気になったから聞いた。程度のようであった。しかし45がそのようなことを聞くのは珍しい。

 

「珍しいのう。お主が気にかけるなんて」

 

「なんとなくよ。あの二体は忘れるのが難しいくらい印象に残ってるから」

 

「私は忘れたいけどね。デッキブラシはもう持ちたくないわ」

 

 思い出しているのか、416は嫌そうな顔と声色でそう言っていた。その横を通って扉に手をかけた時、45が再び声を投げてくる。

 

「そうだ、先輩に伝えといてよ。近いうちに仕事があるわ。また会いましょうって」

 

「あいわかった。伝えておこう」

 

 その言葉を最後に閉められた扉を45は一瞬だけ見て、しかしすぐにカウンターの先に目線を戻した。



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00 Remember ~on your memory~ ①


ネタに困ったら過去編やればいいって、ばっちゃが言ってた。なので今回から過去編です。
今回からちょっとずつ過激になっていく筈なので、そこは注意して下さいね。



 ………………

 …………

 ……

 

 ふと目を覚ますと、俺は廃屋一歩手前なボロボロの家が立ち並ぶ小道の真ん中に立っていた。

 

 ……は?いやいやいや、一体どういう事だよ。というか、ネゲヴはどこだ?

 

 そう声を出そうと口を動かすが、しかしどういう理由か声が出ない。

 突拍子もない事態に混乱しながら、俺は落ち着くためにさっきまでの行動を思い返す事にした。その行動の中に、現在の状況に陥った原因があるのではないかと考えたからだ。

 

 えっと確か……軍の連中がやっと報酬に関してOKサインを出したから、明日どこに向かうかを決めて、そのままネゲヴと布団に入ったんだったか。

 布団に入って早々に疲れが襲ってきて、お休みの言葉も程々に眠ったような気がするから…………

 

 ……もしかして、これは俺の夢なのか?

 

 こんなにハッキリと夢を見る事なんて初めてだから混乱したが、さっきまでの行動で考えるとそれが一番辻褄が合う。

 その考えに至ってから周囲を見れば、この村が俺の見慣れた場所である事に気付いた。なんで分からなかったのか疑問に思えるくらいに印象に残っている場所じゃないか。

 

 そしてこの光景を見ると、これが夢なのだという確信を持てる。

 その考えが正しいと分かったのは、小道の向こうから駆けてきた一人の子供を見た時だった。

 

 あれは……

 

 角を曲がり、こっちに向かって走ってくる一人の子供。息を切らしながら、でもその目は()()輝いていた。

 

 それが誰なのかを知らない訳がないし、忘れる筈もない。なんたって、あの希望に満ち溢れた目をした子供は、幼い頃の俺なのだから。

 

 ──ただいまーっ!

 

 幼い頃の俺はボロ板を繋いだだけの扉を開けて家の中に入っていく。閉じられた扉を見た俺は、それに向けて躊躇いながら歩き出した。

 俺の記憶が正しいのなら、この向こうに生きている父さんと母さんの姿がある。写真も何も無い、記憶の中だけにしかなかった筈の姿を見る事が出来る。

 

 俺の指先は震えていた。やがて扉に触れ、まるで幻か何かのようにすり抜けていく。しょせん記憶という事なのか、実体が無いようだ。

 俺は勇気を出して、壁をすり抜けて家の中に飛び込んだ。

 

 その日は何事もなく、幼い頃の俺は父さんと母さんと一緒に家にいた。もう日が暮れていたし、ちょうど夕食の時間だったから。

 飛び込んだ俺が見たのは狭いテーブルを三人で囲んで一家団欒。今みたいにちゃんとした建造物じゃないから、すきま風も吹き込んでくるし寒かったんだけど……でも心は暖かかった。

 

 ──美味しい?

 

 ──うん!お母さんの作るスープが一番好き!

 

 ──ふふっ良かった。頑張って作ったかいがあったわ

 

 その時のメニューを今でも覚えてる。外側を使ったのか噛み切るのも苦労するくらい硬い野菜の入った、大して味のしない野菜のスープと少しのパン。それだけ。

 質素を通り越して貧乏と呼べる食事だったけど、あの時の俺はそれに満足していた。色んな食事を経験した今でも、多分あの料理に勝る満足感は得られないだろう。母さん以上の料理を作れる奴なんて、今まで生きていても俺は一人しか知らない。

 

 ──よしっ、出来た!お父さん出来たよ!

 

 ──どれどれー?おっ、ちゃんと出来てるじゃないか。偉いぞ〜

 

 父さんは昔、どこかの会社で働いていたらしい。どんな会社かは教えてくれなかったけど、恐らくPMCだったんだろうな。父さんの手はゴツゴツとしていて……今にして思えば、どう考えても普通の会社でなるような手じゃなかったから。

 母さんとは会社の仕事で会ったって言ってたから、きっと戦場で見つけたんだろうさ。

 

 ──えへへ。これくらいなららくしょーだよ!

 

 ──おっ、言ったな?じゃあ次は、これをやって貰おうか!

 

 俺が小さい頃から、父さんはやけに熱心に読み書きと簡単な計算を仕込んでいた。

 当時はゴツゴツとした父さんの手で撫でられるのが嬉しくて、読み書きや計算に夢中で取り組んだものだけど……その意図は今になれば分かる。

 

 父さんはきっと、読み書きや簡単な計算ができるだけで就ける仕事の数が大きく増加する事を知っていたんだ。だから不測の事態に備えて、予め俺に仕込んでおいたんだと思う。

 この後、読み書きや計算が出来たから俺は何とか生き延びられたのだから、その予見は正しかった事になるんだが…………正直、外れて欲しかった。

 

 思わず浮かんだ涙は嬉しさから流れたのか、それとも悲しいから流れたのか。俺自身にもそれは分からない。

 

 そんな俺が生まれ、住んでいたのは、山間部に位置する貧乏で小さな村落だった。今はもう存在しない場所だ。

 どの家も必死に働いて国の税金を支払うので手一杯。他人を助ける余裕なんて無かっただろう。それなのに、隣人同士で笑い合えるような善い人達ばっかりだった。

 助け合って、手を取り合って……あんな人達ばかりなら、世界はもう少しマシになってるんだろうなって、今は思ってる。

 

 まあ兎に角、小さかった俺は明日も当たり前に来るもんだと信じていた。明日は何をしよう、何を食べられるかな、なんて感じの呑気な考えさえ持ってた。

 

 でもさ、こういう幸せって長くは続かないんだよ。終わりと始まりは唐突に、そして理不尽に訪れたんだ。

 

 ──…………お父さん?どうしたの?

 

 ──なんでもないよ。きっと狼が出たんだろう

 

 場面がおもむろに切り替わる。

 

 夜中に外が騒がしくなって、それに幼い頃の俺は起こされた。俺が起きた事に気づいた父さんと母さんは、また俺を寝かしつけようと近付いてきて、布団の方を指さした。

 

 でも運良く、いや悪くか?銃声が何発も響いた。明らかに狼への対応じゃなかったことは、小さい俺でも分かった。

 

 そして、それを聞いた父さんと母さんは血相を変えた。母さんがいきなり幼い頃の俺の腕を思いっきり掴んで洋服タンスの前まで連れていくと、そこに俺を押し込んだ。

 どういう訳か、傍に立って見ていただけの俺も洋服タンスの中に押し込まれた。

 

 ──レンはここに隠れてなさい!

 

 ──いいか?父さん達が迎えに来るまで、絶対に外に出るなよ!……大丈夫、すぐ戻るさ

 

 幼い頃の俺は訳も分からないままに、その言葉に頷いた。最後に父さんが俺を安心させるためにフッと笑って、タンスが閉められた。

 それが最期の言葉だった。

 

 …………。

 

 ここで俺は、もしかすると外を見る事が出来たのかもしれない。物を透過することが出来る今なら、襲われる事もないだろう。

 だけど俺は動けなかった。この時に感じた恐怖が鮮明に蘇ってきて一歩も動くことが出来なかったのだ。

 カタカタと震えていた幼い俺を、俺はただ見ている事しか出来なかった。

 

 当時の俺は、村が何に襲われたのかをまだ知らなかった。狼のような野生動物ではないのは確かだと分かっていたが、では何なのかと問われると返答に詰まっていた。

 でも指揮官になってから分かった。正規軍の抑え込みから逃れたはぐれE.L.I.Dが村落を強襲して壊滅させるだなんて、当時はよくある話だったらしい。

 

 ──……お父さん?お母さん?

 

 気が付いたら寝ていた俺が洋服タンスから出たのは、夜が明けきった頃だった。

 俺は先ず壊されていた家の中を探した。そして次に、父さん達が外に出た事を思い出して外に出ていった。

 

 ──え…………?

 

 そして、言葉にするのも憚られるような惨劇を目の当たりにした。

 全員死んでたんだよ。誰が誰なのかも分からなくなるくらい酷くやられてた。

 

 俺はその場で吐いて、ボロボロ涙を流して泣いた。父さんも母さんも死んだんだって何となく分かってた。

 しばらく泣いていたのに誰も心配して見に来ようとしなかった事からも、この村落の人が殺し尽くされたという事実を窺い知る事ができる。

 当時はそれに気付かなかったけど、こうして客観視できる今になって、それを突きつけられた。薄々と気付いてはいたことだけど、こうして突きつけられると辛いものがあるな。

 

 

 ……また場面が切り替わる。

 

 今度は、それから暫く……大体一年か二年くらいが経った俺の姿が現れた。

 現れた俺は、盗賊団の一員となって悪行の限りを尽くしていた頃の姿だった。

 

 ──ま、待ってくれ!頼む、それを持っていくのだけは止め

 

 銃声が響き、言葉を途中で途切れさせる。倒れた男に銃を向けていたのは、今みたいに目から輝きが無くなった俺だった。

 

 ──あなたーっ!

 

 その男の妻が叫ぶ。俺が無表情でそいつにも銃を向けると、後ろから伸びた手が、その銃を下に下げた。

 

 ──そいつには撃つな。貴重な商品だ

 

 ──……はい

 

 ──よーし、積荷と女子供を連れて行くぞ。お前は積荷だ、行け

 

 無精髭を生やした中年男の指示に従って、俺のような子供から大人まで、様々な年齢の男達がトラックの荷台に載った積荷を別のトラックに移し替える作業を始める。

 

 ──リーダー!売っぱらっちまう前に、この女を使っても構いませんかねぇ!?

 

 ──心配しなくても、連れ帰ったら皆に回してやる。ただ壊すなよ。壊すと値段がクソみたいに安くなっちまう

 

 ──っっしゃ!そうと決まれば、さっさと運ぶぞ!

 

 その横で、何人かが女をひん剥いていた。猿轡を噛まされた女と子供は、泣きながらバタバタもがいて逃げようと無駄な抵抗を繰り返している。

 それが鬱陶しかったのか男が殴ると、二人は大人しくなって運ばれていった。

 

 ──俺、こっちのガキとヤらしてくれませんかね?そっちのババァには興味ないんで

 

 ──うっわ、出たよぺドフィリア

 

 ──お前らには分かんないかなぁ。こういうガキにぶち込むのが最高なのに

 

 秩序もクソも無い。まるで動物みたいに下品な会話と行為だが、これが世界の各地で見られる底辺層のありふれた日常でもあった。昔から今まで、これは変わっちゃいない。

 

 この世界は普通に生きるのも過酷だが、親も金もコネも無い奴には特に優しくない。手段を選ばずに何でもやらないと生き残る資格すら与えられないし、そこから長生きできるかは自分の力量と運次第だ。

 

 だから何でもやった。盗みや殺しは当然として、薬の密売とか、人身売買に関わったりとか……大体の悪い事はやったんじゃないかな。

 ああ、男に身体を売るようになったのも、この頃からだったっけ。

 

 まあそれは別にどうでもいい。重要な事じゃないし、面白くもない話だ。

 

 盗賊団での暮らしは悪かったけど、でも最悪ではなかった。少なくとも衣食住は保証されるし、命の危険なんて何処に居ても転がっているものだから今更騒ぐほどのことでもない。

 

 ──ふぅーっ……

 

 また場面が切り替わる。今度はさっき襲った後の夜のようだ。

 拳銃を片手にタバコを咥える俺の姿は、嫌煙家の俺しか知らないネゲヴが見たら目を丸くするに違いない。

 

 この時の俺は半分くらい自暴自棄になっていたから、大人に混じって煙草も吸っていたし、酒だって飲んだし、女だって抱いた。身体に悪そうな事は殆どやった。

 死ぬならさっさと死にたい。早く父さんや母さんのところに行きたいと思っていたからだけど、当時の俺にとっては不幸なことに死ぬ事はなかったのだ。

 

 ──よしお前ら、今回のは大物だぞ。なんと人形の輸送車だ

 

 今度はすぐに暗転した。

 最初に遠くから木霊するように聞こえてきたリーダーの言葉が普通に聞こえるようになった時、タバコを咥えていた俺の姿は無く、代わりにねぐらにしていた場所に強盗団の全てのメンバーが集まっていたシーンに変わっていた。

 

 今でこそ人形は美少女や美女の見た目をしているが、当時の人形って言ったら、今でいうところの第一世代型自律人形。つまり色気もへったくれも無い。

 

 しかし、今も昔も人形は高値が付く。もし人形を取っ捕まえて、それを闇市に売りに行けば大金が手に入るのだ。

 そうなりゃ、その日は皆で宴会だ。久々に現れた大物に、場の緊張が高まっていく。

 

 そうして飛び出した俺達は、途中まで順調だった。

 どうでもいいが、俺は先鋒を担当していた。自暴自棄になってた当時の俺は、死ぬ可能性が高い場所に積極的に立つようになっていた。

 

 人形の配備数は、今のように人間を各所から駆逐するほどではなかった当時は、まだ人間同士の白兵戦が主流だった。

 だから今だったら容易く蹴散らされて終わりの戦力しかなかった俺たちでも、奇襲などで対等に戦う事が出来た。

 

 ──……あれ?

 

 状況がこちらに傾いて来た時、背後から凄い数の銃声が響き出した。

 最初は別の組織に襲われたのかと思っていたが、次々と消えていく銃声と反比例する悲鳴に、何か変だと思いながら戦っていた。

 

 そうしていると、また奴が現れた。E.L.I.Dだ。

 

 俺は直感で理解した。こいつが父さんや母さんだけでなく、村を潰した犯人なんだって。

 

 ──エ、E.L.I.Dだと!?

 

 ──なんでこんなところに……!

 

 人形輸送車の男達は、もはや俺達を見てなどいなかった。それよりもE.L.I.Dの方が脅威度としては大きいと判断していたのだろう。

 

 ──逃げるぞ!

 

 ──逃げるっていったって、車は足回りが完全にやられちまってる!

 

 ──だったら走ってだ!強盗団の奴らが応戦してる内に距離を稼ぐんだよ!

 

 男達はそんな会話と共に逃げていく。俺の背後から迫ってくるE.L.I.Dの方では、この時も仲間が必死に抵抗してE.L.I.Dを殺そうとしていた。

 

 ここで本当なら、俺も手助けするべきだったんだろう。戦わなければ、昨日まで一緒に笑っていた仲間が死んでしまう。父さんと母さんの時のように。更に言うなら、ここで死ねたはずなんだ。

 だけど、また動けなかった。その圧倒的な力を前にした俺の頭を支配したのは、逃げるという一点のみ。

 

 ここで完全に心が折れたんだな。勝つとか敵討ちとか、そういう小さい理由はどっかに吹っ飛んで消えていた。

 ただただ圧倒的な力に怯えて、そこから逃げ出そうと一目散に逃げていく俺の後ろ姿は、S03地区で良く見る住民の姿とまるっきり一緒だ。

 

 ──……ごめん、なさいっ

 

 そうやって逃げていくにつれて遠ざかる銃声と悲鳴に涙を流しながら、俺はごめんなさいと泣き続けて暗闇に消えていった。

 

 

 …………今度は街の片隅で蹲り、ボロ布を着て辛うじて日々を凌いでいた姿が現れた。S03からはそれなりに遠いが、今もある街だ。

 俺を見下ろす俺を通行人が貫通していく。自分が立体映像にでもなったかのような感覚を覚えつつ、夜の闇に消えかけている目の前の小さな存在を見つめていた。

 

 ──……

 

 この時の俺は、背後から迫ってくる何者かの足音に怯えっぱなしだった。毎日のように悪夢を見て、飛び起きてはガタガタと震える日々。

 そんな日々から解放されたいと願いながらも、ここで自殺という選択肢を取れなかったのは、単に俺が弱いからだ。さっさと死にたいと思っているクセに、いざ死ねるところに来たら震え上がって生きようとする。さっきのE.L.I.Dの時が、その最たる例だろう。

 そしてそれは、今も昔も変わっていない。今は強がって"死ねる時に死ぬ"なんて宣っているけど、いざその時になったら、また無様に生き延びようとするに違いない。

 

 ──こんな歓楽街の片隅に男なんて珍しいな

 

 俺が日銭を稼いでいたのは、街の片隅にある歓楽街の更に片隅。端っこも端っこの殆ど人の来ない場所だった。

 歓楽街とは言っているものの、ようは売春窟を言い換えただけの場所である。そこで日銭を稼いでいたという事は、つまりそういう事だ。

 

 そんな場所にいた俺は、掛けられた声に反応して顔を上げた。そこに居たのは、俺より五歳は歳上であろう、身なりの整った男であった。

 

 ──売ってるか?

 

 俺は無言で頷いた。

 これが今の地位に辿り着けるくらいの、俺の人生最大の転機であったなんて、当時の俺は知る由もない。

 

 

 

「……ン?レン!」

 

「んぅ……?」

 

 耳元でうるさく聞こえた声に目を覚ます。寝起きでしょぼしょぼする目を擦りながら見れば、何やら不安そうなネゲヴの顔が近くにあった。

 

「どうした……?」

 

「こっちのセリフよ。私が起きたら、レンが何でか寝ながら泣いてるし……魘されもしてたわよ」

 

「俺が……泣いてる?」

 

 目元に触れてみると、確かに涙が流れていた。そんな俺の様子が明らかに変だったからだろう。ネゲヴは片手を俺の額に当てながら心配そうに覗き込んでくる。

 

「どうしちゃったの。何か嫌な夢でも見た?」

 

「……分からん。でも」

 

 そこで言葉を切って、胸の内に残っていた感情をそのまま吐き出した。

 

「なんか、懐かしい感じだった」

 

 今日、また俺たちはS03を離れる。そして軍の連中と共に、とある廃墟へと立ち入る。

 

 そこが、今の俺になる切っ掛けとなった場所。

 ネゲヴと出会った始まりの場所。

 

 懐かしさを覚える夢を見たのは、そこに向かうからかもしれなかった。



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トンプソン

身体が闘争を求めたので初投稿です。



『人は罪深く、愚かな生き物です。常に何かを犠牲にしなければ生きていく事は出来ず、それ故に毎日多大な犠牲を払ってしまう』

 

『我々は数少ない席を多くの人々で共有し、辛うじてその命を繋ぎ止めているのが現状です。そして、この共有に至るまでの争いで犠牲になってしまった人々は、決して少なくありません』

 

「………………」

 

 シャワーヘッドから勢い良く降ってくるお湯を全身に浴びながら、警備隊長のトンプソンは一日を始める。

 

 時間は朝の六時。低層区画にある警備部隊の詰所の隊長部屋に、彼女は居た。

 

『でも我々は、その席に座ることを辞退し、人類のために犠牲となった人々に何もしてやれていない。今はお墓を建てる余裕などなく、野に屍が放置されてしまっていることを、皆さんもご存知のことでしょう』

 

「ふぅ。やっぱり朝のシャワーは最高だな」

 

 この時間が、彼女にとって唯一訪れる安息の時だった。

 二時間の睡眠の後、他の誰にも邪魔される事なく身を清めるこの時間。それは何物にも変え難く、トンプソンに今日も頑張って商売と仕事をする気力を与えてくれるのだ。

 

「さて、と」

 

 狭いシャワールームに、キュッと蛇口を捻る音が響く。

 トンプソンがシャワールームの扉を開け、バスタオルとバスローブ姿で昔のホテルの一室のような隊長部屋に戻る。

 

『しかし、全ての人にお墓を用意するのも現実的ではない。であるならば、せめて今生きている人達のために何かをする……そう考えるのが自然なことではないでしょうか』

 

 なんとなく点けていたままだったテレビから流れてくる爽やかな青年の声をBGMに、トンプソンは缶ビールのプルタブを開けた。

 

 そのまま椅子に座り、何の気なしにテレビを眺める。見た者の殆どに好感を抱かせるであろうニッコリ笑顔に、安心させるような語り口調は、それが本心から言われているように感じられた。

 

『持つ者は持たざる者のために援助をするべきなのです。それが力を持った者達の責務であると私は信じています。

 そしてその理念の元、我々SG社は戦災によって身寄りを亡くした孤児の皆さんを支える活動を支援しています。様々な地区に建てられた孤児院を始め──』

 

「アホくせぇ」

 

 しかし、それを見たトンプソンが感じたのは"胡散臭い"というもの。まさか言っている事が一から十まで本音である訳がないのは当然だが、それにしたって綺麗事すぎる。

 

 そんな、見ているだけでむず痒くなるような綺麗すぎる主義主張を繰り返す録画放送を見ながら缶を傾けていると、扉を叩く音がした。

 

「開いてるぞペーペーシャ」

 

「おはようトンプソン。今日も朝から飲んでるのね」

 

「エンジンオイルを摂取してるだけさ。お前も一杯どうだ?」

 

 扉を開けたのは、トンプソンの右腕とも呼べる副官のペーペーシャ。

 部屋に入った彼女が真っ先に見たのは、トンプソンの手の中にあるビール缶。昨日、一昨日だけでなく、その前からもずっと飲み続けている安酒である。

 

「物は言いようね、まったく……私は飲まないわ。それより準備して、もうそろそろ始めるから」

 

「あいよ。少し待て、今着替えるからよ」

 

 そう言うと一気に中身を飲み干し、一分としないうちに二体が隊長部屋から出て廊下を歩きだした。

 

「今日の仕事は何が来てる?」

 

「午後に荷物の受け渡しが入ってる以外は何も。要は見回りね。何の変哲もないわ」

 

「そうか」

 

 トンプソンは表情を変えない。変化があって欲しいと思いながらも、しかしそれを口にする事は指揮官が辛うじて保っている平和を壊すことだと分かっているので口には出さなかった。

 そういうと勘違いされそうだが、アウトローが服を着て歩いているようなトンプソンとて平和な世界に不満は無い。

 

 ……無いのだが、もう少し派手な事をしたいという気持ちはある。

 それはトンプソンとしてこの世に作り出されたものの、サガと言ってもいいのかもしれなかった。

 

「よーし、集まってるな。予定では今日も昨日と変わらん、いつも通りの業務だ」

 

 採光のために取り付けられていたであろう窓は、その役目を果たす事なく雨に打たれ続けている。その音はやけにうるさく、しかしトンプソンの声を遮らない程度に存在感を主張していた。

 つらつらと話すトンプソンに欠伸すら漏らす人形も居るが、トンプソンはそれを咎めない。咎める時間が惜しいし、咎めたところで直らない事は分かっているのだ。トンプソンは無駄を極力省く主義である。

 

「……こんなところか。他に連絡があるなら今のうちに言っとけよ。無いなら解散」

 

 警備部隊などと銘打ってはいるものの、その内容はロクでなし共の集まりでしかない。

 S03というゴミ箱の底の底に落とされた廃棄人形たちの経緯は様々だが、共通しているのはモラルなど殆ど無いということ。そして手に負えないが故に落とされたということ。

 

 そんな問題児たちの手綱を握るつもりなど最初から無い。ある適度好きにやらせておけば、こっちの命令が通るからだ。

 めいめいに散っていく人形達を見送ってから、トンプソンは柱に寄りかかっている人形に目を向けた。

 

「んで、またか?スコーピオン」

 

「そうそう。またよろしくー」

 

 片手をヒラヒラを振って気軽な挨拶をしたスコーピオンは、懲罰として警備部隊の仕事に強制参加させられている。

 指揮官を襲った罰としては軽すぎるくらいだが、指揮官がそれで良いと言っているのだから誰も異論は挟めない。

 

「これっきりにしとけよ。次も生きてられるかは分からねぇぞ」

 

「はいはーい」

 

「……本当に分かってんのかね」

 

 こうなる度に言っているからか、スコーピオンの反応は軽いものだ。

 毎度のことながら何を考えているのやら。とトンプソンは一瞬思考したものの、すぐに時間の無駄だと切って捨てる。狂人の思考など、どうせ考えても分かりはしないのだから。

 

「それで隊長殿、今日は何をしましょうか?」

 

「茶化すなよ。……仕事はヒラの奴らと変わらんさ、見回りだ」

 

 プラスに考えれば一時的とはいえ人手が増えるのは喜ばしい事である。特にスコーピオンほどの実力があるのなら、仕事中に不慮の事故で行方不明になることも無いだろう。

 

「ほーい。いってきまーす」

 

「でもいいか?理由なく発砲はすんなよ、絶対に」

 

「分かってるって」

 

 ……まあ、スコーピオンは別の問題が浮上してきてしまうのだが、そこは仕方ないと割り切るしかない。蠍の手でも借りたいのが現状であるのだから。

 

 

 警備部隊とは名ばかりのゴロツキ集団を纏めるトンプソンは、その立場の都合上、住民が何をしているのかにも目を配らなければならない。

 日常的に発生するテロもどきは取り締まったところで無くならないのだからシカトするが、それよりもっと計画的な犯行が企まれていないかどうか目を光らせるのは重要な事だった。

 

 昔から何かと特権階級は恨み嫉みを買う立場だし、特にこの御時世だ。グリフィンに所属しているというだけで命を狙われるのは珍しくない。

 自分たちは替えのボディが用意できるから良いとしても、人形を指揮する人間は替えのきかない大事なものだ。だから指揮官を守るためにも、やはり住民の動向は察知しておかなければならないのである。

 

 ……まあ、あのネゲヴが隣にくっついている状況で暗殺されるのかという疑問符も浮かぶが。それでも万一を想定して損は無い。

 というか、想定していなければ職務怠慢ということになってしまう。行政区画に不穏の種を入れないようにするのも警備部隊の立派な業務なのだから。

 

「とはいえ、テロ未満の小競り合いばっかで張り合いが無いのも事実だが」

 

「はあ……あなた、その悪癖は何とかならないの?」

 

「ならないな。これは無個性な人形をトンプソンたらしめるために与えられた、識別記号みたいなモンだからよ」

 

 自分の個性のようなものを識別記号と呼んだトンプソンの顔は苦い。その苦い顔が、自分など所詮は一山いくらの人形でしかない。という事実に向けられていたのか、それとも単にクソ不味いコーヒーもどきに向けられていたのかは、ペーペーシャには分からなかったが。

 とにかく、トンプソンにしては珍しい顔だと言えた。ほんの一秒にも満たないとはいえ、ペーペーシャの舌にこびりついたワザとらしい苦みを忘れられるほどに。

 

「識別記号、ね。言い得て妙かも」

 

「私達はどこまでいっても量産品だからな。"私"の部分なんざ、せいぜいトンプソンという土台の上にある僅かなもんだ」

 

「でもその僅かが、ここで生きてるあなたを形作ってる。違う?」

 

「違いない」

 

 ぐっと一気にコーヒーもどきを飲み干したトンプソンは、カップを置いて書類を手に取った。

 

「まあ、"私"の話はどうでもいいんだ。それよりコレ」

 

「受け取っておくわ」

 

 ペーペーシャに渡されたのは、壁で囲まれた行政区画で処理する書類。

 それをペーペーシャが配達に行き、戻ってきたくらいで丁度お昼になるはずだった。

 

 

 

 午後になると、トンプソンとペーペーシャもレインコートを着て外へ出る。そして行政区画と低層区画を隔てる大きなゲートの前で、積荷を積んだトラックが来るのを待っていた。

 

「しかし、やれやれだな。今日はちょいと雨脚が強い」

 

「そうね。それがどうかした?」

 

「あんまり長居はしたくねぇって事だよ」

 

 と言ったところで、2体がどれほど早く引っ込めるかは先方の到着時間次第である。

 モノがモノだけに確認に立ち会わなければならないが、もしそれでなければ外になんか出なかっただろう。

 

「──来たわ」

 

 外に立ちつくすこと10分と13秒。雨で煙たくなっている道路を走ってくる一台のトラックが現れた。

 それがゲートの前に止まると、ペーペーシャは運転手に荷物搬入を許可するカードを確認に向かい、その間にトンプソンが荷台に積まれた積荷を確認する作業に移る。

 

「どれどれ……」

 

 覗き込んで目についたのは、床いっぱいに敷き詰められたヒトガタのなにか。それらから呼吸音が微かに聞こえてくる事から生きているというのだけは伝わってくる。しかしそれも弱々しく、本当に生きているだけといった感じだ。

 顔を見なくとも分かる。この積荷は、もう死んでしまっているも同然だろう。

 

「トンプソン、こっちは大丈夫よ。そっちは?」

 

「こっちも平気だ」

 

「じゃあ通すわね」

 

 流通の過程で壊れてしまった人間というものも当然ながら存在する。

 例えば当人に耐えられないような壮絶な責め苦を味わったとか、目の前で愛しい者が殺されたとか、間違えて壊してしまったとか、理由は様々だ。

 

 一つ言えるのは、そういうものは総じて不良在庫となり、そしていつの間にか何処かに()()しているらしいという事。

 真偽は不明だが、主な混入先は一般市民に配られる配給食らしい。

 

「しっかし、珍しいものを仕入れたもんだ。表立っては扱われてないし、こんなところでは役に立ちそうもないのに」

 

「アレの主な用途って肉袋よね。サンドバッグとか、あるいは性処理用の抱き枕とか。前者はさておき、後者の線はありえないだろうけど」

 

 トラックがゲートの向こう側に消えていくのを見送りながら積荷について話す。

 

 取り敢えず言えるのは、不良在庫であるが故に壊れた全ての者の価値が著しく下がるということ。だから格安で入手できるということ。

 

「でもアレで何をするのかしら?詮索する気はないけど、ちょっと気になるわ」

 

「なんでもいいだろ。まさか犬のエサにするために買ったわけじゃないだろうけど、分かるのはそれだけだ。なにせ注文したのは技術主任サマだぜ?」

 

「彼女の考えることなんて知ろうとするだけ無駄、か」

 

「そういうこと。それよりとっとと戻ろうぜ。用事は済んだんだからよ」

 

 どうせロクでもない事だ。と結論──しかも或る意味で正しい──付けたトンプソンは、ペーペーシャを引き連れて警備部隊の隊舎へと戻っていった。



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不穏な影


4-3eから初投稿です



 その日、スプリングフィールドは珍しく夜のバーにいた。仕事ではなく、飲みに誘われたのだ。

 

「輸送費が浮くようになったとはいえ、ここはまだまだ割高よね」

 

 誘ったのはFAL。外の価格を知る彼女は、この地区の値段の高さを仕方ない事だと割り切りつつも愚痴を欠かさない。

 

「それでも以前よりマシですよ。こうして気軽に飲みに来れるくらいには、安くなりましたから」

 

「そうなんだけど……やっぱり安さを知っちゃうとね」

 

 なんで自分はわざわざ高い金を払って同じ物を飲んでいるのかと馬鹿らしくなってしまうのだという。

 まあそうだろうなとスプリングフィールドは納得した。一度安さを知ってしまうと、そりゃ辛くなるだろう。

 

「んっ……ぷはぁ。もう1杯」

 

「あ、私もお願いします」

 

 空のジョッキをカウンターに置くと、エンジンオイルみたいな味のする安酒が並々と注がれた。

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

 ジョッキ同士が軽くぶつかった拍子に、表面張力で辛うじて零れないでいた安酒が数滴跳ねてカウンターに落ちる。ぐいっとジョッキを傾けたFALは、空いている片手で買ったツマミに手を伸ばした。

 この世界で定番のツマミといえば、ビーフジャーキー…………によく似た謎の肉の塊である。原料?知るか、美味しければ良いんだよ。という現代のニーズに基づいてか、味は悪くないものの原料は分からない。

 

「美味ければ何でもいいんだけど」

 

「そうですね。食べられないよりは遥かにマシですから」

 

 スプリングフィールドもそこは同意するところらしく、頷きながらビーフジャーキー似の肉をガジガジと噛み始める。

 どこかエレガントな見た目からは想像できない荒々しさというか、オヤジ臭さを漂わせる姿は、どういう訳か違和感を感じられなかった。

 

「なんかアンタって、何やっても様になるわよね」

 

「そうですか?自分では、そんなことないと思うんですが」

 

「そんなことあるのよ」

 

「ええ……?」

 

 困ったようにスプリングフィールドが笑う。どうやら本当にそう思っているらしく、返答に詰まっているようだった。

 

「自分の性能くらいはしっかり理解しときなさいって」

 

「このボディの性能ならバッチリですけど」

 

「そうじゃなくて。それ以外の、数値に現れない箇所の事よ」

 

 そりゃボディの事は把握しているだろう。どこまでいっても機械な自分たちは、人間とは違って自分の性能を正確に把握できる。

 だがカンの鋭さとか、実戦経験のような曖昧なものは人間と同じく漠然としか把握できないのだ。

 

「正確にっていうのは難しいけど、ある程度このくらいってアタリを付けておかないと。思わぬところで足をすくわれるわよ」

 

 このスプリングフィールドは戦場においては優秀だろうが、稼働してからの年月が比較的浅い。

 そんな彼女にとって、人生の先輩であるFALの言葉には感じ入るものがあったらしく、真っ直ぐに頷いていた。

 

「肝に銘じておきます」

 

「そうしなさい」

 

 ビーフジャーキー似の肉を噛みちぎり、もっしゃもっしゃと咀嚼する。噛めば噛むほど味が出るという触れ込みに嘘偽りは無いようで、飲み込む瞬間まで味が薄まることはなかった。

 

「この肉の製造元はSG社か。いい噂は聞かないけど、技術は確かなようね」

 

「ウチのお得意様でもありますしね。色々な意味で」

 

 S03地区は食糧関係の大会社の一つであるSG社と繋がりがある。この地区の食糧関係のうち90%以上をSG社が供給しているだけあってか、関係は良好だ。

 

「あー。普段は味気ない物ばっか食べてるだけに、なんか中毒的な美味さだわ」

 

「本当にその手の成分が入っている……というわけではなさそうですね。単純に私たちが味に飢えているだけでしょう」

 

 段々と食べ進むペースが早くなり、それに比例するように酒の消費も早くなる。時計の針がてっぺんを周って次の日に移り変わった頃には、安酒を三つも空にしていた。

 

「……ああ、もう無いのね」

 

 ただまあ、内容物に限りがある以上いつかは終わりが訪れるものだ。パッケージに突っ込んだ手が宙をかいた所で、FALはビーフジャーキー似の肉が無くなった事を理解する。

 さて、そうなると口元が寂しい。だが常に酒を口にするような気分ではない彼女は、特に意識もせず自然と懐に手が伸びていた。

 

「……あれ?」

 

 ライターを置いて、ポケットに手を突っ込んで気付く。あるはずの場所にタバコが無い。

 落とした覚えはないが一体どうした事だと首をかしげたFALは、スプリングフィールドが笑っている事に気がついた。

 

「……なによ」

 

「ここは禁煙ですよ」

 

 ひらひらと動かしたスプリングフィールドの手の内には、FALのタバコが収まっていた。

 他人のポケットから気付かれずに物をスるという、らしくない意外な特技にFALが目を見開いて驚いていると、くすくすと笑ったスプリングフィールドがタバコをテーブルの上に置く。

 

「やるわね。てっきりそういう技術とは無縁かと思っていたけど」

 

「それは思い込みですよ。私だって、小手先の技の一つや二つは持ってます」

 

 タバコをポケットに仕舞いながらFALは素直に賞賛の言葉を贈った。どこで覚えたかは知らないが、相当練習を積み重ねたに違いない。

 スプリングフィールドらしくない泥臭さを感じる技だが、だからこそ有効に使えるだろう。警戒されなければ、スムーズに物をスリやすくなるのだから。

 

「こんな見た目してますから、皆さん結構油断するんですよね。清楚な私が、こそ泥みたいな真似する筈がないって」

 

「ほんと、思い込みって怖いわね。私も騙されたわ」

 

 ふう、と軽く息を吐いて、もう味を感じなくなりつつある安酒を飲み込む。

 

「差し支えなければ教えて欲しいんだけど、前は何処に?まさか製造されてから直接ここに来た訳じゃないでしょ。新品がそんな技術を持ってる筈がないし、ここで生き残れるとも思えない」

 

「ぼかす程度で良ければお教えしますよ。……ちょこっと乱暴な方の所に。そこで必要にかられたんです。FALさんやFive-sevenさんほどでなくとも、苦労してきてるんですよ」

 

「そりゃあ、私たちほどアレな経験してる人形は多くないでしょうけど……やっぱり中古なのね」

 

 中古とは人形達の間で使われるスラングである。新品は工場から直接運ばれて配属された人形のことで、中古は一度誰かの手に渡った人形を指す。

 また、性行為の経験の有無を確認する意味でも使われており、今回FALが聞いたのは後者の意味だ。

 

「多くないというか、皆無だと思いますけどね。薬漬けマグロなんてなろうと思ってなれるものでもないですし」

 

「ちょっと止めて。思い出しちゃうから」

 

「あっ、すいません」

 

 本気で嫌そうな顔をしたFALに、話題のチョイスをミスったスプリングフィールド。

 空気を読むのが得意なスプリングフィールドにしては珍しい失敗は、彼女に酔いが回りつつあるという事を証明していた。

 

「あー……そうだ。そのFive-sevenさんは今どちらに?」

 

「知らない。けどどうせ薬キメて男喰ってるでしょ。同時に何人とヤってるかは知らないけど、3人より少ないなんて事は無いんじゃないかしら」

 

 今すぐ投げ捨てたい類いの嫌な信頼関係から出た答えがそれだった。FALの中ではFive-sevenがヤっている事は確定しているようだ。

 あんまりな物言いだが、Five-sevenの事を詳しく知らないスプリングフィールドでも不思議と頷ける説得力があった。

 

「性に奔放な方だとは分かっていましたけど……」

 

「はっきり言っていいわよ、クソビッチって。くたばれって」

 

「前はともかく、後ろはFALさんの本音ですよね?」

 

「当然。あのエロウサギ、私の薬までこっそりパクっていきやがったんだから。金は後で払ってもらうからいいけど、使おうと思って使えなかった精神的損失はキッチリ補填して貰わないと」

 

 そしてFALも酔いが回りつつあるのか、段々と発言が過激になっていく。話題はFive-sevenへの愚痴にシフトしていった。

 

「あのバカ、私がその手のヤツ嫌いだって分かっててハメ取りビデオレターとか送ってくんのよ。わざわざ郵便まで使って嫌がらせしてくるとか、頭おかしいとしか思えないわ」

 

「なら見ないで捨てちゃえばいいんでは?」

 

「一度見るまでは何回捨てても気付いたら枕元に置いてあるのよ。いくらなんでもやり過ぎよね」

 

 その執念を他のことに使えよ、とツッコミを入れた回数は数知れない。

 

「どうせ今日も撮ってるんだろうと思うとイライラしてきた……!もう1杯!」

 

「あの、もうその辺で」

 

「スプリングフィールドも飲みなさい、ほら!」

 

「ええ……?!」

 

 もう完全に酔っぱらってしまったFALに圧されるスプリングフィールドがバーの当番に目線で助けを求めてみても、素知らぬ顔でスルーされるばかり。

 この後しばらく、スプリングフィールドは酔っぱらいの戯言に付き合わされることになる。

 

 

 

「絶対に荒れてるわよ、あの淫乱フェレット女」

 

 同時刻、P7の教会にある酒場で2体の人形が向かい合って座っていた。

 そのうちの片割れであるFive-sevenは、FALの様子を想像してくつくつと笑う。その笑みはまるでイタズラが成功した子供のようだった。

 

「言わないで良かったの?後でのされるのはFive-sevenでしょうに」

 

 もう片方はもちろん教会の主であるP7だ。

 

「いいのいいの。少なくとも今は、あのバカは何も出来ないんだから」

 

 大体の物事を榴弾ぶっぱで解決するような脳筋女には任せられないとFive-sevenは言ってウイスキーを呷る。

 それを飲み干してコトっと音を立ててグラスを置いた時、Five-sevenの顔からは笑みが消えていた。

 

「……で、市場に流通してる薬の量が変化したってところまでは聞いたけど、それは何者かが意図的に増やしたって事で良いのよね?」

 

「そうなるね。もちろんグリフィンの認可を受けていない非合法な奴」

 

 裏でコッソリとグリフィンが流しているもの以外の薬が流れるのは珍しい事ではない。もちろん取り締まりはするが、取り立てて大きな問題にならないのが普通だ。

 だが今回ばかりは、そうも言っていられそうになかった。

 

「発覚したのが一週間前。紛れ込んだのはもっと前から、か……随分と計画的ね?」

 

「違和感を持たれないようにするためだと思う。私ならまだしも、その辺の人形じゃ見破れないくらい巧妙に作ってあるからバレにくいだろうし」

 

 手が込んでいるというのが、発覚した時のP7の感想だった。Five-sevenの言う通り、かなり計画的に物事を進めている印象を受ける。

 

「最初は1袋のみ。それから段々と流す量を増やして、最後にはこっちと同じくらいの量を流して資金を稼ぐ……上手いやり口ね」

 

「どれだけ稼がれたかしら」

 

「推測のしようもないよ。でも厄介な事になった。やり方からして、グリフィンに友好的だとは思えない」

 

 グリフィンが裏から流している薬の量は多くないとはいえ、それと同量の薬を作って流す事ができる。

 つまり相手は大きな存在であるといえた。少なくとも資金面は、そこらの雑な組織と比べ物にならない筈だ。

 

「どれほどの規模の組織で、何が狙いか……断片でも掴めれば良いんだけどね」

 

「こっちに敵対する気なのは分かるけどなー……こうなると警備部隊の監視の目が足りないのが悔やまれる。密輸入されてるね、間違いなく」

 

 残念なことに、警備部隊の人数ではS03に入り込む全ての物資を把握することは不可能だ。だから低層区画から闇市は無くならず、また密輸入も当然無くならない。

 あからさまに怪しい様子で運搬しているようなら目をつけやすく、優先的に調べられるが、そんなヘマはしないだろう。

 

「指揮官に情報を上げておくよ。どこに潜伏してるのかは知らないけど、警戒するに越したことはないからね」

 

「私はもう少し探ってみるわ。この街の中にいるのは確定してるんだし、もしかしたら誰か情報を持ってるかもしれない」

 

「男漁りついでに?」

 

「ついでに」

 

 どこまでもブレないFive-sevenに謎の頼もしさを感じ、感じてしまったことで覚えた謎の敗北感を誤魔化すようにP7は無言でグラスのウイスキーを飲み干した。



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空ジョッキにビール

 

 低層区画のとある闇市は、今日も死人のような人々で静かな賑わいを見せていた。

 数ある闇市の中でも一番マシな此処は、石を投げれば当たるほど……とまでいかずとも、他の闇市より遥かに人が多い。辺りを見渡せば人の姿は至る所にあり、それに比例するように店舗の数も多かった。

 

「……そういやよう、聞いたか」

 

「聞いたって何をだよ」

 

 その一角にある小さな飲み屋で、ボソボソと会話をする男が2人。近くにいる店主すら聞きとりにくいほどの小声は、当然ながら道行く人々には聞かれない。

 

「殺しが起きたんだと」

 

「殺しぃ?おいおい。殺しなんざ、そこの路地裏でも起きてんだろ。今さら騒ぐほどのことか?」

 

「並みの殺しはな。けど今回は違う、殺られたのは人形だ」

 

 無精髭を生やした男の眉がハの字になる。殺したのが人形ならば日常茶飯事だが、殺されたのが人形となると話が違う。

 

「そいつは……珍しいな」

 

「ああ。そいつはもうパーツ単位でバラされて売り飛ばされたって話だ。殺したヤツは儲けたな」

 

 人形が殺されるなんて基本的に起こらない。何故なら、人形の方が人間より遥かに強く、襲ったところで返り討ちにあってしまうのが関の山だからというのが一つ。そして、この街に落ちてくる奴は大抵の場合それなりの場数を踏んできているから経験面でも叶わないからというのが二つ。

 

 雑に説明すればこの二つの理由が主だが、それでも絶対に殺されない訳ではない。

 とはいえ、やはり珍しい事に変わりはなく、そんな訳だから人形のパーツには希少価値による高値が付けられて取り引きされている。一攫千金とまでは言わないが、それでも破格の金額を得る事が出来るのだ。

 

「俺らも狙うか?」

 

「バカ言え。なんで命を投げ捨てるようなマネしなきゃいけねぇんだよ」

 

「冗談だ」

 

 そして今、低層区画ではその話題で持ちきりになっていた。そこかしこで似たような話題がされていて、中には良く分からない尾ひれが付いている話もあるほどだ。

 娯楽も話題も無い低層区画では、何か事件があるとこうして話題が一色に染まる。しかし、殺人事件すら娯楽として扱われてしまうところに、S03に暮らす住民の凶悪度というものが表れているだろう。

 

「……それにしても、なんだかやけに物々しいな」

 

 無精髭の男がちらりと目線を道の方にやれば、警備部隊のレインコートを着た人形が此れ見よがしに歩いていた。

 その身体から殺気が漏れているところを見るに、今話していた内容が関係しているのだろう。とアタリをつける。

 

「今日はやけに見回りの回数が多い。人形が殺された事が関係してんのかね」

 

「いい気味だ。ああいう連中は俺たちが死んでも知らんぷりなくせに、身内が殺された途端にああなりやがる。どうせ替えがきくってのによ」

 

「おいやめろ。聞かれたら殺されるぞ」

 

 慌ててそう言うと、ハッとしたように口を閉じた。元々小声で話していたからか、多少声が大きくなったところで片方の男が危惧していたような事にはならなかったものの、心臓に悪い。

 通り過ぎていく人形の背中を見送りながら、安堵の息と共に縮こまるように座っていた姿勢を直す。

 

「わりぃ」

 

「気をつけてくれよ。お前のダチがアイツらに殺されたのは知ってるけど、お前まで後を追う事はねぇだろ?」

 

「だな……どうかしてた」

 

 咎められた男が髪をガシガシと掻く。悪酔いしか出来ないクソ品質のアルコールで酔いに来たのに、その酔いはもう完全に覚めてしまっていた。

 

「今日はここで飲むの止めるか。このままだと、おちおち酔いも出来ねぇだろ」

 

「だな……」

 

 酔った勢いに任せて何かを口走り、そのまま射殺されるなんて笑い話にもならない。つい先日見た死体と同じ目には会いたくないと、人形に比べれば遥かに弱い男達は震えた。

 粗末なカウンターに代金を置いて2人は席を立つ。レインコートのフードを目深く被って屋根の下から出ると、すぐに雨粒がフード越しに男達の頭を打ち付けはじめた。

 

「……今日は見えるんだな」

 

 この闇市の道からは、雨脚が弱ければ行政区画を囲っている壁を見ることが出来る。

 見上げるほどの壁の向こうに何があるのか男達は知らない。だが少なくとも、この闇市で流れてるような物よりは良いものが置いてある筈だ。そして人間・人形を問わず、自分たちとは比べ物にならないほど良い生活をしている奴が沢山いるに違いない。

 

 そう思うと、あの壁をぶっ壊してやりたくなるような衝動に駆られる。ぶっ壊して、中のものを全て略奪できたなら、それはどれだけ幸福な事なのだろう。

 

「どうした?壁なんか見て」

 

「いや、デモやテロを起こす奴らの気持ちが分かるなって思っただけだ」

 

 そんな夢物語を頭の中で切り捨てながら、男は壁に背を向けて歩き出した。

 出来もしない夢を見るのは個々人の自由だが、夢を見たところで現実は変わらない。そして高い壁という現実を見ていると、なんだか自分が酷く惨めに思えてしまって嫌だった。

 

 こういった気分を切り替えるには、やはりアルコールが最適だ。飲んで酔えば、少なくともその間だけは惨めな気持ちから逃れる事が出来る。

 酔いが覚めた後により惨めな気持ちになろうとも、その瞬間だけは。

 

「どっかでアルコールを売ってると良いんだけどな」

 

「なら泥棒市場に行くか?あそこだったら質はともかくモノは何かしら手に入る」

 

「そうするか」

 

 そうして歩き出した男達の足は──背中側から聞こえてきた銃声によって、空中で縫い止められるように止まった。

 慌てて振り返ると、どうやら先ほどの人形が何か気に障るものを見つけたらしい。雨のせいで悪い視界の中でも分かるくらいの存在感を放つ銃は、当然脅しで構えられているわけではない。

 

「……急ごう」

 

「ああ」

 

 スタコラサッサと逃げ出した男達の後ろで、また一発の銃声が鳴った。

 

 

 ずずっ、ずー。ずーずー

 

 そんな騒動と同時刻、相も変わらずぐずついた天気の下。廃屋の軒下で、静寂に音を響かせている人形が一体。

 紙パックの飲料を片手に持ちながら壁に寄りかかっている様子は、パッと見ると雨宿りをしている普通の女の子にしか見えなかった。

 

 ここがS03でなければ男に絡まれまくること必至な容姿と身なりは、S03という場所に限って言えば異質なものだ。

 この地区で身なりを整えられるという事自体が一種のステータスとして扱われる事を加味すると、彼女が並みの存在ではないという事実を窺い知れるからである。

 更に言うなら、バーコード部分にグリフィン直営のコンビニのシールが貼られている紙パックを持っているという点でも、それなり以上の身分である事が分かるだろう。

 

 そこまで分かっていて手を出す愚か者はS03では長生きできない。そしてそんな愚か者はこの地区では一握り以下の貴重な存在であり、幸か不幸か出没しなかった。

 出てきてくれれば暇潰しが出来るのに、と残念がる彼女の口から伸びたストローに入り込む空気の割合が増え、それでもまだ口からストローを離さないのは、寂しい口元を誤魔化すため。

 

 ずっずずっ、ずすずずっ

 

 やがて楽しくなってきたのか、何かリズムを刻み始めた彼女の足下には食い散らかされた食品のゴミが散らばっている。

 こんもりと積み上がったそれを見れば、彼女がどれほどの時間をそこで過ごしていたかが何となく伺えるだろう。

 

 ずー

 

「ふぁっ」

 

 ……どうやら、ちょっと力を込めすぎたらしい。手の中で無惨な姿に変貌した紙パックだったものを残念そうに見つめながら、もう空気しか吸い込めないストローを見つめる。

 すーすーという空気を吸い込む虚しい音は、雨音に紛れて消えていった。

 

「んー……」

 

 手持ち無沙汰になってしまった彼女は前に広がる光景を眺めた。

 雨は常に一定のペースで地面を叩き、穴ぼこだらけの道路の至る所に水たまりを作っている。道路脇には途切れる事のない水の流れが続き、排水溝に吸い込まれていた。今更ながら、よく排水施設がパンクしないなと彼女は感心した。

 湿った風が頬を撫で、言いようのない不快感を残して消える。殆どの部位がレインコートに守られているだけに、守られていない箇所に当たるものに若干強めに反応してしまうのは仕方のない事だろう。

 

(人間が生きるには厳しすぎるよね、ここ)

 

 人形である自分ですら少し嫌気がさすほどなのだ。人間にとって、ここは地獄の釜の底であるに違いない。

 何時だったか、このS03の事を"車で行ける地獄の底"と呼んだ奴がいたらしいが、それも尤もだと思った。こんなところに落とされるくらいならと自殺を選ぶ者が多いというのもまた、当然のことだ。

 

 ゆらり、ゆらりとストローの先端を上下に動かすこと数百回。待っていた指示がネットワークを介して届いた瞬間に、彼女はストローを噛みちぎった。

 

「やっと来た」

 

 噛みちぎった際に口の中に残ったストローの残骸を吐き捨て、地面に落ちたストローを踏みにじる。その行為に意味は無い。昔の資料映像(映画)で見てカッコイイと思ったから真似してみただけだった。

 背中を預けていた壁から離れ、立てかけておいた傘を手に取る。バサッと傘が広がる音と共に、このS03では場違いな装いの彼女は雨の中に消えていく。

 

 

 世界が崩壊液に汚染され、国という枠組みが崩壊しかかってから世界に保証という言葉は消え去り、職業、今日のための糧、明日を迎えるための武力、その他諸々……。それらを全て自前で補わなければならなくなった。

 

 しかし当然ながら仕事の供給にも限度があり、更に無人化や人形を用いるという企業の姿勢によって、その供給も段々と細くなっていっているのが現状だ。

 そのため、少しでも銭を得られるのならどんな仕事でも躊躇いはしない者が世界的にも多くなりつつある。

 

 僅かな金を得るためにテロ組織に入り、PMCと敵対して殺される。なんて話はありふれたものだ。真っ当に稼ぐことも、真っ当に生きることも難しい今の世の中は、かつてよりもずっと人の死が身近に存在していた。

 薄暗い路地裏で死体を漁る子供たち。なんて光景も珍しくなくなりつつある。……少なくともS03では、割とよく見るものだった。

 

 限りある物資を巡って争い、その数を減らしていく。ここでも、ここ以外でも当然のように行われている弱肉強食的行為は、世界のどこでだって起こっている事でもあるのだった。

 右手に見える壁が崩れた廃墟から漂ってくる血と臓物の臭いは、そんな世界に喰われた者の成れの果てだ。

 

 その臭いの発生源は気の弱い者が見れば失神ものの惨状だったが、その惨状を何度も自分の手で作ってきた彼女にとって、それは安らぎすら覚えるほど見慣れたものである。

 

 やせ細った野良犬が廃墟に潜り込んでいくのを横目で見ながら、彼女は売春窟へと足を向けた。

 くるりくるりと傘を回転させながら、道路に残った白線を引いた跡の上を歩く。ただそうしているだけだというのに、売春窟に近付くにつれ彼女は人の目線を一身に集め始めた。

 

 彼女が着ているレインコートが警備部隊のものであるというのが目線を集める理由の一つだが、もう一つはやはり傘である。

 レインコートを着ているのに傘をさす、という特長的すぎる外見は、遠くからでも人目を集めやすいのだ。

 

 そしてそれは、彼女が誰かを指し示すトレードマークとしての役割も果たしていた。

 

「ごめん、待った?」

 

 そんな彼女が足を運んだのは、売春窟にある酒場である。警備部隊隊長のトンプソンが頻繁に訪れている事で隊員達の間では密かに有名な此処は、この周辺で一番大きな酒場であり、同時に売春宿でもあった。

 

 そんな酒場のカウンター席の端っこに、待ち合わせていたモシン・ナガンは座っていた。

 

「ううん、全く。ウォッカを一本空けた程度よ」

 

「それってまあまあ待たせたって事でしょ」

 

「いや。この嬢ちゃん、10分足らずで空けやがったぞ」

 

 店主の言葉によると、本当にそれほど時間は経過していなかったらしい。

 だが、いくら人形といっても10分でウォッカを一本空けるなんてと思う。少なくとも自分はやりたくない。出来ないとは言わないが、罰ゲームでもなければやらない。

 

「マスター、いつものね」

 

「それよりSPAS、遅かったじゃない。やっぱり見回り長引いたの?」

 

「うん。その分お給料は貰えるから良いけど、退屈だったよ。メイワクな話だよね」

 

 注文を入れたSPASの前に出されたのは、ジョッキに注がれた缶ビールである。

 追加で出された何かの肉を齧りながら仕事の愚痴を垂れ流す姿は、かつて良く見られた仕事終わりのサラリーマンのそれに酷似していた。

 

「仕方ないじゃない。いくら私たちだって、不意を突かれたら呆気なく殺されるんだから。誰もが貴女みたいなバカ装甲じゃないのよ。あ、マスター?私にもビール」

 

「あいよ。……人形が殺された話か?」

 

「あら、知ってたのね」

 

「知ってるも何も、この地区は何処も彼処もその話題で持ちきりだ。知らねぇ奴はもう居ねぇよ」

 

「そんなに?」

 

「ああ。それにしても珍しい事があったもんだな、どこの馬鹿だ?グリフィンに正面からケンカ売ったマヌケはよ」

 

 モシン・ナガンの前にも豪快にジョッキが置かれ、店主も話題に入ってくる。

 嬉しそうにしながら一息で半分以上飲み込んだモシン・ナガンを横目に、SPASは肩をすくめた。

 

「さあ?なんか殺される直前のデータが保存されてなかったみたいで、犯人像すら分からないんだって」

 

「おいおい……それ大丈夫なのか?」

 

「大丈夫じゃないに決まってるよ。だから今そこら中がピリピリしてる」

 

 通常、人形は殺される直前までのデータをデータベースに送信して記憶を補完する。そしてそれは基本的に常に行われるもので、死ぬ前から送信を止める事は無い。

 だが、その送信を絶つ方法も無い訳ではない。それは、人形の電波を遮断するジャマーを用いることである。

 

 データの送信を止める方法は基本的にこれ一択であり、それをされたという事は、つまり相手が対人形を意識して行動しているという事の証明でもあった。

 

「相手は確実に私たちを狙ってる。わざわざジャマーなんて用意してるのが証拠」

 

「心当たりは……ありすぎて分からないわね」

 

「まあアンタら、色んなところから恨み買ってるからな」

 

 むしろ恨みを買っていないところを挙げた方が早く済む程度には、グリフィンは各地で恨みや嫉みを買っている。

 それは企業として成功したが故に同業他社から向けられる嫉妬だったり、あるいは人形の存在に嫌悪感を抱く人間至上主義者たちだったり、挙げはじめればキリがない。

 

「まあこっちとしては飲みに来る固定客さえ居るんなら何でもいいけどよ」

 

「店長のそういうストレートなところ、私好きよ」

 

 モシン・ナガンが空にしたジョッキが、次の瞬間には当たり前のように注がれたビールでなみなみと満たされる。

 阿吽の呼吸とでも言うべき無駄な連携に、SPASは感心したような、それでいてどこか呆れたように息を吐いた。

 

「それにしても、ジャマーか……厄介なモノを持ち出してくる」

 

「お前らには良く効くらしいな。そのジャマーとやらを使われて、人形の死体が5個も並んだらしいじゃねぇか」

 

「……個数までバレてるとか、ちょっとウチの情報管理ガバガバすぎない?」

 

「どこから漏れたんだか」

 

 そう言って、モシン・ナガンとSPASは同時にジョッキを空にした。

 



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かつて外道と呼ばれた人形①


だ~れだ?



 

 かつて外道と呼ばれたことがある。

 

 自分としては良かれと思って手を差し伸べていたのに、何故だろう。

 これは善良な行いの筈で、こうすれば指揮官は褒めてくれるのではなかったのか?これが正しい人形の生き方ではなかったのか?

 

 人間のために造られ、人間のために奉仕する。究極的にはそのために生み出されたのが自分たち人形だ。そのことに間違いは無い。

 それに従い、自分は今まで人間のために働き続けた。与えられた命令を淡々とこなすだけでなく、"どうすれば喜ばれるか"を不器用なりに演算して実行した。

 

 なのに手を伸ばせば伸ばすほど、褒められようと思えば思うほど、そして実際に動けば動くほど、自分の周りから人は消えていった。

 

 分からなかった。なんで人が離れていくのか。

 

 分からなかった。どうして自分が異物のように扱われるのか。

 

 なんで、どうして、そんな目で自分を見つめてくる?!

 

 道行くものから向けられる目は、人間も人形も例外なく恐怖と嫌悪の篭ったもの。そこには好意的な感情は一欠片も無く、純粋な負の感情だけがあった。

 

 初めは嫉妬されているだけだと思った。何故なら、指揮官の元に一番最初に配属されたのは自分だから。

 指揮官から誓約の証を受け取りたいがためにアピールしている人形達には悪いが、今最も指揮官との距離が物理的にも心理的にも近いのは自分だという自負があったのだ。

 

 配属されてから今までずっと苦楽を共にしてきたし、副官として長い間サポートもしてきている。

 今でこそ副官という役割は別の人形がローテーションで行っているが、指揮官と共にいた時間なら誰にも負けていない。

 

 そして自分の行いは指揮官に認められるもののはずだ。誰より忠実に、そして確実に十全以上を求める自分は人形の鑑といってもいい。

 

 彼女は指揮官を信頼していたし、指揮官もまた彼女を信頼している筈だと思っていた。なにせ、他の人形とは積み重ねた月日が違うのだから。お互いの事は良く分かっている。

 その月日というものは、どれほど強力で高コストの人形でも手に入れられないものだ。だから安物のクセにそれを持っている自分に嫉妬しているのだろう、と。

 

 だがその年月は、きっと指揮官との絆を育んでいる。だから指揮官だけは道行くもの達のような目を向けてこないだろう。

 指揮官だけは、外道だの何だのと心無い言葉を投げかけてはこないだろう。

 

 そう、信じていたのに──

 

 

 

 

 低層区画には膨大な量の店があり、それは至るところに点在している。場所も様々で、廃ビルの2階でやっているものや路地裏の露天など様々だ。

 当然ながら、それらの店舗の殆どが違法なものである。

 

 ここで言うところの違法とはグリフィンが関知していない店舗の事であり、S03地区はそちらのほうが圧倒的に多い。それはつまり売っている物の質が保証されないということでもあった。

 それ故、S03で生き延びたいのなら最初に"アタリ"の店を見つけるべきだ。と言われている。

 

 そんなグリフィンが関知していない店舗の中の一つに男達は集まっていた。

 

「……ここのところ人形たちの動きが活発だ。やけに人形たちがウチの組合員たちの後を尾行してきやがる」

 

「こっちもだ。明らかに疑われてる」

 

 円卓を囲む椅子の数は6つ。そのうち5つは既に埋まっており、男達が顔を突き合わせている。

 薄暗い裸電球に照らされた表情は、皆一様に苦々しいものだった。

 

「クソッ面白くねぇ!なんで俺達がこんな辛気臭え場所で、あんな玩具にビクビクしなきゃいけねぇんだ」

 

「そう癇癪を起こすな。その苛立ちは俺たち皆が共有しているものだ」

 

 彼らは、この都市がS03と呼ばれる前から地元に根付いていた企業の社長格の人間である。

 

 元々このS03地区は、戦争によって国の軍隊に守られなくなってから、彼ら地元企業が寄り集まって作った組合によって運営されていた。

 自警団と称して戦力を自前で整え、度々襲ってくる盗賊から街を守る。そしてその対価として一般人に重税を課して甘い汁を啜る。

 

 自分たちに逆らう者は"街の平和を乱した"として自警団という名の私兵を差し向け、始末して見せしめに死体を晒す。

 まるで中世のような時代錯誤も甚だしい行為が当たり前のように行われていた当時は彼らの横暴を止められる者は無く、だからこそ絶対的な支配者として君臨できていた。

 

 そうして他人より遥かに良い生活を送っていた彼らだが、人形を主力とするグリフィンが現れてから事態は一変した。

 自前の戦力より遥かに強力な人形部隊を引き連れたグリフィンが、ここを統治すると一方的に宣言してきたのだ。

 

 向こうは"統治する権利は国から購入した正当なものだ"と主張し、"既に形骸化した国からの許可など何の意味も持たない"と彼らは主張し返した。

 この膠着状態は長くは続かなかった。グリフィンが武力でもって街を管理すると言うと、彼らも対抗するかのように、余所者を追い返して自分たちで街を守り続けると宣戦布告をしたのだ。

 

 そこには部外者に生まれ育った街を渡したくないという思いがあったが、それ以上に手にした権益を手放したくないという薄汚い欲望の方が強く絡んでいた事は言うまでもない。

 

「ああ?俺とお前達の苛立ちが同じだとぉ?!ふざけんなよテメェ、一番被害が少なかった腰抜けが!」

 

「おいおい落ち着け落ち着け。ここで暴れても何にもならねぇだろう!ここで暴れたところで、あのピンク髪を殺せるわけじゃないんだぞ!」

 

 ……だが、結果は惨敗だった。用意した精鋭と武器は、たった一体の人形に蹴散らされたのだ。

 辛うじて逃げ出せたものの、トラウマを植え付けられて2度と戦えなくなった男達は口を揃えて「ピンク髪が殺しにくる」と怯えていたのだという。

 

 結局その敗戦がキッカケとなって男達は立場を追われ、今では一般人よりマシな生活しか出来なくなっているのだった。

 

「今は仲間割れをしている時じゃないだろ?そういう過去のイザコザを水に流して、あの憎きグリフィンを追い出すために集まったんだからよ」

 

「…………それは分かってるさ」

 

 そんな彼らが何故また集まっているのか?

 言うまでもなく、グリフィンを倒すためだ。

 

 あの時の手痛い敗戦から数年の歳月を経たが、状況は良くなるどころか段々と悪くなるばかり。グリフィンはどんどんこの街に馴染んでいるだけでなく、我が物顔で闊歩するのを止めようとしない。

 更に言うと、グリフィンと共に外部から侵入してきた大企業の連中も気にくわない。グリフィンと手を組んでいるというだけでも極刑モノなのに、今まで自分たちが必死に開拓した市場を根こそぎ持っていったのだ。

 

 この侵略者共を出来ることなら今すぐにでも叩き潰してやりたいが、全盛期とは程遠い人員と資金しか無い各企業では抵抗すらままならない事は分かっている。刃向かったところで片手間に潰されるのがオチだろう。

 

 だが、単独なら無理でも昔のように結束すればどうだろうか。

 利害は一致しているのだ。各々にはそれぞれ思惑があるだろうが、それがどのようなものであれ、グリフィンや外部の企業という最大の障害を取り除かなければ達成しようもない物である事は明らか。

 

 であるならば、一時的にでも手を取り合って巨悪に対抗するしかないだろう。たとえ過去に遺恨が残っていようとも、少なくとも今は手を取り合う必要がある事は誰もが承知しているのだから。

 

「おい、肝心要の連中がまだ来ていないみたいだが」

 

 黙って事を見守っていた1人が、未だ空席の一つを指さして声をあげる。

 グリフィンたちに対抗するために彼らが用意した切り札が、本来はそこに座っているはずだった。

 

「まったく、アイツらは何をやっているんだ。俺達が資金を出してやらなければ自然消滅していた弱小のクセに」

 

「おいやめろ、聞かれたら機嫌を損ねられる。事実でも口にしちゃいけない事だってあるだろ」

 

 ぽっこりと出た腹を揺らしながら忌々しそうに空席を見つめる男を宥めながら、痩せぎすの男は缶ビールを呷った。

 事実でも、と言葉に毒を混ぜている辺りからも、痩せぎすの男も好意的ではないようである。

 

「チッ……だが、今のままでピンク髪は殺せるのか?」

 

「さてな。当の本人が遅刻している以上、その質問には答えられない」

 

「そもそも奴らは本当に成果を挙げているのか?資金だけ奪ってトンズラしようとしてるんじゃ……」

 

 憶測が不安を呼び、不安が疑念を呼ぶ。

 元より背後から刺し殺す気満々な敵同士だけに、場に不穏な空気が満ちるのは早かった。

 

 そんな空気を切り裂くかのように、扉がおもむろに開かれる。入ってきたのは、後ろに2人の部下を従えた40代ほどの男だった。

 

「申し訳ない、グリフィンを撒くのに手間取りまして」

 

 その声は驚くほど重く、一言発しただけで不穏な空気を吹き飛ばし、代わりに言いようもない緊張感で満たす。

 コートの上から見ても分かる引き締まった身体と背後の強面な男達は、決して見掛け倒しではない。

 

「……いや、気にしないでくれ。我々は気にしていない」

 

「そう言っていただけて助かります」

 

 彼は企業の人間ではない。だが、彼らと深い関わりがある組織のトップである。

 

 そもそも地元企業による横暴がまかり通っていたのは、ひとえに彼らがバックに着いていたからだ。

 それはつまるところ、グリフィンが現れるまではこの地区で最大の力を保持していたという事であり、また同時に、この地区に暮らしていて彼らを知らぬ者が居なかったということでもあった。

 

「さて、こうしてグリフィンの目をかいくぐって集まったことですし、有意義な話題を扱いましょうか?」

 

「……なら聞きたいが、まだグリフィンを倒せないのか?俺達が提供できる資金にも限度はあるんだぞ」

 

「それは勿論、承知していますよ。ですが事はそう簡単に運ばないのです」

 

「それを何とかするのが貴様の役目だろうが!」

 

 腹の出た男がダンっ!と打ち付けた拳がテーブルを揺らす。激情をぶつけられた男は、しかし表情を欠片も動かさずに頷いた。

 

「もちろん何とかしますよ。だがその為には下準備が欠かせません。なにせ相手は資金や戦力など、あらゆる面で我々より上にいる」

 

「言いたいことは分かるが、こっちも我慢の限界が近づきつつあるんだ。あれから長い月日が経って、それでも変わらない現状に苛立ってるのさ」

 

「こっちからじゃロクに成果も分からないしな。本当に提供している資金分の働きをしているのかと不安にもなる」

 

「ヤクも抑えられた以上、資金の調達は今までよりずっと難しくなる。もう組織を保つので一杯一杯だ」

 

 言葉の端々から臭う、あからさまな不信感。疑いの目を向けられた男は、そこで何故か笑みを深くして言った。

 

「そういう事でしたら、最近グリフィンが騒がしい理由を──そして同時に、我々が挙げた"成果"をお見せしましょう」

 

 その言葉と同時に扉が開いて、黒服の男達が何かを運び込んでくる。黒い布で包まれたそれは、どうやら人のカタチをしているようだった。

 

「開け」

 

 その一言で布の中身が現れ──大の男の口から情けない悲鳴が漏れた。

 普通なら笑われても仕方ないが、この状況では誰も彼らの事を笑えないであろう。むしろ失禁しなかっただけ褒め称えられるべきかもしれない。

 

「こっ、これは……!?」

 

「左から順に、AK-47、ステンMK-Ⅱ、M38、SKS、P38と呼ばれている人形です」

 

 そこにあったのは、腹を開かれ、脳みそに当たる部位を引きずり出され、あらゆるパーツが抜かれた人形だったもの。

 ある筈の眼球を模した視覚ユニットが抜かれているので目の部分はぽっかりと空き、開かれた腹からは血のような液体が流れ出た跡が残っている。

 

 もちろん服もその役目を果たせないほどボロボロだ。そして辛うじてボロ切れで隠れている下半身の()()()()()からは、売春窟でよく嗅ぐ生臭い臭いが漂っていた。しかも乾き具合から見るに、つい先程まで使われていたようだった。

 

「これらはグリフィンの警備部隊に所属している人形です。残念ながら下っぱばかりで成果としては小さなものですが、人形を仕留めたという事実が大きな1歩である事は皆さんも分かることでしょう」

 

 人間だけで人形を倒すのは不可能ではないものの、並大抵の準備では無理だ。

 それを成し遂げた。しかも一体だけではなく五体も。

 

 ごくり、と誰かが生唾を飲み込んだ音がやけに耳に残る。今まで信用していなかったものの、これはもしかしたら、もしかするかもしれない。

 

「今しばらく、お時間と資金を頂きます。なあに、悪い結果にはしませんよ」

 

 

 

 

「そういえば、ご存知ですか。レン指揮官」

 

 場所は変わって、富裕層が暮らす高層区画の中心街に存在するレストラン。

 セレブ御用達とあってか庶民には息が詰まるほどの高級感が漂うこの場所は、主に会社の社長などの要人を接待するのに使われている。

 

 そんな場所を真昼間から訪れている指揮官とネゲヴが会っていたのは、このS03において最大の取引相手だ。

 その相手とは、食糧関係の王手企業であるSG社の社長である。

 

「ご存知ですかなんて、何を知っているかも聞かれずに言われましても」

 

 新たな補給路を開拓するまでこの基地が今まで何とか飢えずに居られたのは、目の前の社長の好意に寄るところが大きい。もちろん今だって割安で食糧品を大量に入手させてもらっていた。

 つまり絶対に怒らせてはいけない類いの人物であり、それを分かっているから知らないうちに指揮官の肩にも力が入ってしまう。

 

「あはは、確かにそうだ。ちょっと意地悪でしたね」

 

 品のいい笑みを絶やさない好青年然とした彼だが、その実、相当な変わり者だ。

 

 ……まあそれは、数ある地区の中からS03を拠点に選んでいる時点で分かることだろうが。

 とにかく彼はS03を好んで暮らしている奇人変人の類いであり、その趣味や性癖は一等のクズにも劣らないものだった。

 

「これは最近分かった話なのですが、どうやら負け犬たちが徒党を組んでいるようなのですよ」

 

「負け犬?」

 

「ええ。資本主義の波に揉まれて消えた、弱小企業たちの事です。我々の参入でシェアを奪われた地元企業の事ですね」

 

 ここで言う我々とは、グリフィンがこの地区を統治するようになってからS03に入ってきた中~大企業の事である。

 なぜこんなゴミ箱に好き好んで進出してくる企業があるのか指揮官には分からないが、彼らには何かが見えているのだろう。商人の目で見て魅力的に映る何かが。

 

「……放っておけば良いのではないですか?目障りではありますけど、彼らが治安を悪くするなら締めつけを強くする大義名分が出来るわけですし」

 

 だが今は商人の目に何が見えているのかより、間近に迫った問題を見なければならないだろう。

 

 地元企業が徒党を組んでいる、つまり地元組合とでも呼ぶべきものを結成しているらしいが、それになんの問題が?と思わなくもない。そういった組織は大なり小なり何処にでも発生するもので、珍しいことではないからだ。

 

 ただ、わざわざグリフィンに情報を渡してきた。という事実を含めて考えると、これはそう単純な話でもないのだろうなと指揮官とネゲヴは思ったし、事実としてそうだった。

 

「それだけで終わるのなら良いのですがね。残念な事に、そうは言っていられないようです」

 

「……というと?」

 

「これは私が持つパイプからの情報なのですが、徒党を組んだ負け犬たちに不審な動きが見られるらしいのですよ。

 資金を集め、それを元手に武器を集め、更にそれを何処かに流している……」

 

「なるほど。つまり向こうは、こちらに本気で牙をむこうとしている」

 

「恐らくは。目的は……我々が頂いた市場や権力の奪還といったところでしょうね」

 

 常に悪天候な外の景色を誤魔化すため、窓に投影された偽りの青空に浮かぶ雲が視界から消えていく。

 食事の手を止めた指揮官はネゲヴに目線をやり、その意図に気付いたネゲヴは頷いてからネットワークを用いて59式に連絡を取りはじめた。

 

「情報ありがとうございます。こちらが情報収集を怠っていたようで」

 

「この場合は適材適所でしょう。彼らは人形を毛嫌いしていますし、万全を期して人形の目にとまるような場所には居ないはずです。しかしそういう連中は、人間の社員を多く有している我々なら近付く事が出来る。

 もちろん、荒事になったら対処はそちらにお任せしますが」

 

 そう言って、ティーカップの紅茶に口をつけた。このレストランで出される紅茶は、この時代には珍しくちゃんと紅茶として飲めるものだ。指揮官が稀に飲むような紅茶とは名ばかりの色の着いたお湯とは違う。

 

「それで、どうするのですか?」

 

「どうとは?」

 

「人形を五体もやられたそうじゃないですか。今回の被害は、そちらにとって相応の打撃だと思うのですが、その報復などはお考えで?」

 

「ああ、そういう事ですか」

 

 人形を五体もやられたと聞くと大損害のように思えるが、その内訳は全てが一山いくらの低コスト人形である。

 やられたのがFive-sevenのような高コスト人形であれば財政難に陥っていただろうが、例え彼女達に10回以上死なれたとしてもFive-seven一体に及ばない程度の損害でしかない。

 

「報復は考えていなくて、出来れば生かさず殺さずで適度に治安の悪化と締めつけ強化の口実になってもらいたいんですけど、あんまり調子に乗らせてもグリフィンの沽券に関わりますから……まあ、近日中に潰さなきゃならないでしょうね」

 

「それは助かります。テロリストに堕ちた負け犬共が潜んでいると思うと、私も妻も枕を高くして安眠できませんから」

 

 どの口が言うんだ。散々恨みを買ってるんだし、こんなこと気にするようなタマじゃないだろう。そんな言葉を指揮官は辛うじて飲み込んで席を立つ。潰すと決めたのなら、そのための準備をしなければならない。

 

「それにしても自ら治安を悪くする事を考えるとは、相変わらず此処の統治を任されたPMCの現地指揮官と思えない言動ですね」

 

「どこまでいっても我々は企業ですから。利益を得るためなら、多少はこういう事もしますよ」

 

「マッチポンプという奴ですね。実に私好みだ」

 

 やけに様になっている悪どい笑みが、この会談の最後を締めた。

 





ワンポイント☆S03豆知識①

本文中のようにぐちゃぐちゃにされた人形の残骸でも、然るべき市場に流せば物好きが高値で買い取ってくれる


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かつて外道と呼ばれた人形②


ナガンばあちゃんにはキャンディポケット、57さんには恋愛脳、Vectorにはナイーブ……エフェクト付けるのたーのしー!



 

 正直なところ、疑う箇所は幾らでもあった。

 

 最近なぜか自分と2人きりで同じ空間に居たがらないとか、受け答えが以前と比べて雑になっているとか、基地の業務に自分を関わらせないようにしているとか。

 

 でもそれを疑わなかったのは、自分の指揮官を信じていたからだ。見て見ぬふりをして、信頼という言葉で不信感に蓋をしたから。

 恋は盲目とはよく言ったもので、実際この時の彼女は最初から疑うという行為をしなかった。"指揮官はそんな事しない"と都合の良い思い込みをしていたとも言う。

 

 だからこそ、輸送用ヘリコプターから突き落とされた時、なんの比喩でもなく頭が真っ白になって、ただ呆然と自分の背中に風を感じたのだ。

 

 伸ばした手は届かず、身体は重力に従って無情にも落ちていく。

 遠ざかっていくヘリコプターから、自分が落ちたかどうか確認のために覗いていたであろう人形──あれは確かMP5だったか──と目が合って、その直後に背中に木の枝らしき物が激突する衝撃。

 

 そこで意識が一旦途切れ、それが再浮上した時には、既に日が暮れていた。もちろんヘリコプターなど影も形もなく、それどころか付近に人間が居たような痕跡も無い。

 

 これが偶然とか、手が滑った事故だとは流石に思わなかった。自分が暗殺されそうになって、それでもまだ信じるほど彼女は馬鹿ではない。ほぼ間違いなく、基地のサーバーにあった自分のバックアップも消されているだろう。

 

 でも分からなかった。どうして自分が、指揮官の役に立とうと懸命に働いた自分が、こうして見捨てられているのか。

 

「はっ、は……」

 

 落下の衝撃でボディの各所に無視できないダメージが入ったものの、木の枝と落ち葉がダメージを軽減してくれていたからか辛うじて動く事は出来る。戦闘は無理だから、もし鉄血や強盗団に会ったら死ぬしかないが……。

 

 少し動かすだけで反応する痛覚モジュールに顔を顰めながら、ノロノロとカタツムリの如き速度で歩を進める。

 やがて月が天高く昇っても、それほどの距離は移動できていなかった。

 

 人間に似せた皮膚(スキン)が破け、中のパーツが飛び出した腕で見ながら思う。しょせんこんなものか、と。

 

 どれだけヒトに似せたところで、自分達は替えのきく機械でしかないのだということを突きつけられたような気がした。

 

 都合の良いように使われて、いざ不都合になったらこうしてゴミ同然に棄てられる……人のために尽くして、その結果がこのザマだ。

 自分は何のために生きていたのだろう。そんな取り留めのない考えが走馬灯のように通り過ぎる。

 

 それから少しすると、どうしてか身体が寒くなってきた。そして視界も狭まってきて、身体も思うように動かない。

 

 残された僅かな部分で自分が機能停止する(死ぬ)ことを悟った彼女は、それに抗うように足を動かそうとした。

 が、その足が地面に着く前に彼女の目からは光が消え、バランスを崩した身体はうつ伏せに倒れたのだった。

 

 人間が近寄らない森の中で倒れた彼女の遺体は、下手をすれば年単位で見つけられない可能性すらあった。

 だがなんの奇跡か、幸運という言葉で言い表せないくらいの運の良さによって遺体はその夜の内に発見され、回収されることになる。

 

「うわー……これはちょっとマズくない?全身バッキバキっぽいよ」

 

「酷い状態……荷台の肉便器どもの方がマシね。どうする?捨て置く?」

 

「せんぱーい?」

 

「なぜ俺に聞く」

 

「だって今の責任者は先輩だし」

 

 この時の彼女は知る由もないが、それが公式には存在しない部隊だったというのも、また幸運だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「それにしてもグリフィンも動きが早い。本当ならもう少し稼げるはずだったんだが」

 

 "成果"を見せつけ、更なる支援を約束した後。低層区画のとある場所にある隠れ家に戻った男は呟いた。

 

 彼の予定であれば、もう少し資金を稼げたはずだった。だが向こうにもやり手が居たようで、その目論見は阻止されてしまっている。

 切り捨て前提の末端が消息を絶ったという報告と、その前にグリフィンの警備部隊が動いたという報告を合わせれば、それは誰にでも分かることだ。

 はした金で動かしたあの男は、今ごろバラバラにされて野良犬の餌にでもされているだろう。

 

「まあ、想定自体はしていたんだが」

 

 惜しくはあるが執着まではいかない。今は僅かな利益より、相手に自分たちの存在を悟らせない方に注力すべきだと分かっていたからだ。

 むしろ僅かな利益を手放しただけで相手の情報が得られたことを喜ぶべきだろう。市井に溢れている情報屋もどきはグリフィンの事に関しては頑なに口を噤んでいて一切話そうとしないのだから、こういう微妙な情報にも千金の価値がある。

 

「まだまだ情報は不足している……せめて建物の構造だけでも分かれば良いんだが、流石に無理か」

 

 そうボヤいていると、扉が規則正しい感覚でノックされた。机に乗せていた足を下ろしてから、男は扉に声をかける。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 入ってきたのは男の右腕として働いている側近だ。右目に傷を負ったガタイのいい彼は、一礼をしながらその低い声で男に言った。

 

「ボス。グリフィンの奴ら、我々の存在にはまだ気付いていないみたいです」

 

「当然だ。こっちが勝ってるのはフットワークの軽さと隠密性だけなんだから、そうそうバレるわけにもいかない」

 

 何か繋がるようなものが見つかってしまうと、そこから芋づる式にバレていってしまうだろう事は想像に難くない。

 そうならないために彼は常に細心の注意を払って信用できる部下しか動かしていないし、表で動いているのは全てが末端。ここまで辿り着ける痕跡は残していない自信があった。

 

 マフィアとして長年ここに根付いていたのだ。この都市に張り巡らされている地下水路から街の通りまで、知らない事の方が少ない。

 その知識をもってすれば人形達の捜索の手から逃れ続ける事も不可能ではないし、ひっそりと抱えている人脈を駆使すれば、バレないように牙を研ぐ事も出来た。

 

「それより他の組織に根回しは済んだんだろうな?」

 

「ええ。昨日の奴らなんて、新しいオモチャを手に入れたガキみたいな喜びようでしたよ」

 

「実際そうだろ。知恵も金もない図体だけの奴なんて、ガキと何も変わらん」

 

 それでグリフィンと事を構えようというのだからお笑いだ。満足な装備も無くPMCに立ち向かうなんて遠回りな自殺でしかないというのに、それすらも分からないのだろう。

 

「アルコールか薬で頭がやられてるとしか思えん。この肥溜めには相応しいが、同じ人間だなんて認めたくはないな」

 

「まったくです」

 

 別に自分たちが上だと言いたいわけではない。だが、思慮の無さすぎる奴らと同列であると思ってはいない。

 

「そしてそれは、まだふんぞり返っている馬鹿どもにも言える事だ。いったい何時まで支配者を気取っているつもりなのか……」

 

「先程会った社長たちのことですか」

 

「それ以外に何が居る?」

 

 こちらがワザと下手に出ている事にも気付いていない能無し共は、あの程度の"成果"でグリフィンを倒せるものだと信じてしまっている。

 彼がそう信じるように仕向けたからだが、こうも思い通りに動くと逆に裏があるのではと勘ぐらずにはいられない。

 

「しかし、都合はいいですな。何も疑わずに金は用意してくれる」

 

「ああ。何に使うかも聞かないでな」

 

 ニヤリと2人は笑みを濃くした。

 

「逃走用の資金は貯まってるか?」

 

「ええ。ここの金銭は役立たずでしょうから、すべて貴金属類で」

 

「よしよし。流石だ」

 

 ボスと呼ばれた男とその側近は、初めからグリフィンを倒す気など無かった。それが不可能だと知っていたからだ。

 

「グリフィンを倒すのが不可能だって事くらい、1度でも戦ったことがあるなら分かるだろうに」

 

「戦力も資金も、雲泥の差ですからなぁ……」

 

 人形を五体も仕留めたというと聞こえはいいが、その全てが大したことのない下っぱだということは、実際に仕留めた彼らが一番良く分かっている。

 その下っぱ一体を仕留めるのですら、多大な被害を被ることを覚悟しなければならないことも。

 

「あんなクソ悪魔共に関わってたら、命が幾つあっても足りやしねぇ。早々にズラかるのが賢明だ」

 

 下っぱですらそれなのだ。もし人形の中でも強い連中が出てこようものなら自分たちの命が危うい。そして、このままグリフィンと事を構えるのなら、それらは絶対に何処かで出くわす。

 

「計画は予定通り進めろ。それと並行して俺達も準備を進める」

 

「分かりました。ではそのように伝達しておきます」

 

 既に逃走経路と車は確保してある。後はタイミングだ。その時が来るまで、彼らは闇の中に潜み続ける。

 

 

 

「どう思う」

 

「どうって?」

 

 いつものように雨に濡れながら巡回している人形が見える執務室で、作業の手を止めた指揮官が、おもむろにそう言った。

 ネゲヴが湯気の立つカップを渡しながら問えば、難しそうな──それでいてどこか面倒そうに表情を作る。

 

「さっきの話だよ。初めてここに来た時、歯向かってくる奴は軒並み潰したと思ったんだけどな」

 

 この崩壊した世界において、力と権力は大体イコールで結ばれる。何をするにも金と力の2つは無くてはならないものだ。

 この街の住民の殆どがグリフィンの統治に文句らしい文句を言わないのも、グリフィンが大きな力を持っているからであり、それを此れ見よがしに見せつけているからだった。

 

「そういうのは潰しても無くならないでしょ。目立ってる組織を倒して名を上げようなんて思う奴は、ごまんといるわ」

 

 それこそ雨の後の筍の如く、にょきにょきと生えてくる。どこにいたんだお前らと言いたくなるほどに。もちろん、そういう輩は実力差を把握できないアホが殆どであるが。

 

「ま、深く考えるだけ無駄よ。歯向かうなら潰す。それだけでしょ?」

 

「……まあな」

 

 とはいうものの、向こうは対人形の戦い方を心得ている。ジャマーなんて高価な物を用意して露骨にメタを張ってきたのが証拠だ。

 このまま戦っていては埒が明かない。なんらかの対策は講じなければならないが……。

 

「さて、そのためにもジャマーの対策を考えなければいけない訳だが」

 

「対策っていったって、ジャマーは通信を強制切断して人形を一時的にフリーズさせるものなんだから、元から自律モードで動かせばいいじゃないの」

 

「安心して自律モードに出来る奴が殆ど居ないんだよ。放置しとくと何しでかすか分からん奴らばっかだろ?」

 

 ここで言うところの自律モードとは、人形のAIに行動を一任するモードのことだ。このモードは主に制圧し終わった領地の見回りなどの、決まったルートを巡回する時などに()()使われている。

 

 通常の状態と自律モードは似たり寄ったりな部分が多いので、指揮官になりたての人間などは普段からそうではないのか?という疑問を持つようだが、この二つは似ているように見えて全く違う。

 

 通常の場合、指揮官やデータを一括管理している部隊専用の作戦AIから「○○を行え」「◇◇に向かえ」というような指示が常に送られてきていて、人形はそれに従って行動している。

 分かりやすく言うなら、常に何かしらの制御下に置かれて行動しているのだ。常に行動をコントロールされ、見張られていると言ってもいい。

 

 自律モードはこれらの指示を行わない。つまり、人形に搭載されたAIに移動から戦闘までの全てを任せるのだ。自律モードの人形は自分で考えて行動しなければならない上に、記憶データのバックアップを含めたあらゆるサポートを受けられないのである。

 通常では行えるコアネットワークを利用した人形同士の通信行為まで封印されてしまうので、この自律モードを嫌う人形は多い。

 

「まあ……それは、そうね。じゃあ私が出れば」

 

「話は早く済むだろうけど、殺された人形から復讐させろって嘆願書が届いててな。安月給で働いてる人形たちのボーナスチャンスでもあるし、単騎で済ませると顰蹙買いそうなんだよ」

 

「…………そうね」

 

 金に目をギラつかせている姿が容易に想像できてしまい、ネゲヴは素直に諦めた。小さな不満は溜めすぎると大爆発を引き起こす。それは人間も人形も変わらないのだ。

 

「じゃあM1895は?ほどほどに切り上げて帰ってきてくれるでしょうし、練度もあるわ。あとはビッチ(FAL)とか、Five-sevenとか」

 

「お前ら、ほんとに仲悪いよな…………やっぱその辺になるかぁ。どの口が言うんだって感じだが、特定の人形に頼りすぎは良くないんだけど」

 

「人柄に加えて練度もってなると中々ね。コスパを考えるならM1895一択だと思うわよ」

 

「よし、じゃあM1895を囮にして敵を釣るか。早速呼んでくれ」

 

 このS03において、M1895は凄まじく使い勝手の良い戦力として、そして作戦決行の起点として、二つの意味で重宝されている。S03では珍しく人柄と実力の双方が備わりすぎているから自然と頼りにしてしまうのだ。

 あまりに便利すぎて戦略の幅が狭まるからと、最近は"脱・M1895"を目標にしているのだが、どうやら今回も達成出来そうになかった。

 

「はあ……今回もM1895頼りか」

 

「いいじゃない。指揮官に頼りにされて喜ぶタイプなんだし、存分に使い潰せ、ば……」

 

「……どうしたネゲヴ」

 

「呼びかけても反応が無い。それで行動ログを辿ってみたら、今日は非番だから外に出てたみたいで……」

 

 言葉が途切れさせたネゲヴに、指揮官の声が自然と硬くなる。そしてネゲヴから告げられたのは、外に出たM1895と連絡が取れなくなっているという現状。

 

 それが意味することは、つまり──

 

「まさか、もう襲われてるのか」

 

「………………かもね」

 

 2人は顔を見合わせ、そして同時に執務室を飛び出した。

 





クソほどどうでもいいけど、宿3つの雑魚指揮官に需要あるのかしら……?


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かつて外道と呼ばれた人形③


次回以降のための回みたいな感じ。



 

「あー、飲んだ飲んだ!」

 

「飲み過ぎだよ、もう……」

 

 ご満悦なモシン・ナガンを引きずるようにしながらの帰り道。大通りを歩くSPASは、手に持った傘をクルクル回しながら大通りを歩いていた。

 

「いいじゃない。次は何時来れるか分からないんだし、飲める時に飲み貯めておかないと」

 

貯蔵用のタンク(オプション)なんて付けてたの?」

 

「言葉の綾よ」

 

 上機嫌なモシン・ナガンは、道に空いた穴ぼこに溜まっている水を避けながら言う。

 

「ふーん。まあ何でもいいか。それより早く帰ろう、シャワー浴びたいから」

 

「そうね。どれだけ経っても、この地区のジメジメには慣れそうにないわ」

 

 ここから歩いて帰るには、最短距離でも15分ほど必要だ。その間雨に打たれ続けることになる。

 

 本当は帰りの車を呼びたかったのだが、今は出払っているらしいし仕方ないかと諦めて1歩踏み出し──

 

「えっ」

 

 感覚が全て途絶え、頭が真っ白になったように錯覚した。

 

 何が起こったのか分からず硬直するボディは、飛来する弾丸が空気を切り裂く音を捉える。

 

 そこで咄嗟に動けたのは、SPASが元は特殊部隊用に造られた人形だからこそ。

 脳裏に走ったプログラムに従うまま防弾盾を展開し、その影に隠れるのと、そこに何発もの弾丸が撃ち込まれたのは、ほとんど同じ瞬間の出来事だった。

 

「モシン・ナガン大丈夫!?」

 

 返答は無い。振り返ったSPASが見たのは、頭が弾け飛んだモシン・ナガンがちょうど地面に倒れたところだった。

 

 どうやら頭に一発、綺麗に決められたらしい。

 

「チッ!」

 

 舌打ちを一つ。スナイパーがなに綺麗にスナイプされてんのさ。と口には出さずに文句を言ってから、傘を畳みつつモシン・ナガンだったものには目もくれずに路地裏へ走り出す。

 見晴らしの良い大通りで的になるより、路地裏での遭遇戦の方が有利になると考えたからだった。

 

(この衝撃と飛距離からして、相手は間違いなく複数人のスナイパー。それも腕が良い)

 

 空気を切り裂く音を捉えたSPASが走りながら頭を下げると、直後に弾丸が壁を貫いた。僅かに髪の毛が持っていかれ、強引に引っこ抜かれた痛みが走る。

 

「偏差撃ちまで上手いとか……っ」

 

 明らかに素人ではない。直前まで気配を感じなかったことといい、間違いなく戦闘経験者だ。

 

 細い路地裏をまっすぐ走っているSPASは、前から向かって来る足音を察知した。近づいてきている左右の曲がり角から飛び出してきて挟み撃ちにする魂胆なのだろう。

 

 そっちがその気なら、とSPASは走り幅跳びよろしく勢いをつけると、そのまま前に向かって勢い良く飛び出した。

 予想より勢い良く飛び出してきたSPASに男達が浮き足立っている隙に、SPASは予め腰にマウントしておいた武器を手に持つ。

 

「うっ、撃──」

 

「遅い!」

 

 その武器とは、およそ30cmほどの長さの鉄棒だ。

 本来スピードローダーをセットしておく箇所に用意しておいたそれを、迷うことなく力いっぱいに右側へと投擲した。

 

 戦術人形の中でも力強いSPASが投擲した鉄棒は、大人が2人ギリギリ並べるくらいの路地裏を貫くように飛翔した。

 直撃していない筈なのに衝撃波だけで耳がもげ、痛みに悶え倒れていく男達の間を走り抜け、動揺を隠せない左の路地から来ていた男達にも一発投擲する。

 

 殺ろうと思えば殺れるが、そうしないのには理由がある。人間との戦闘では、殺すより負傷させる事が戦いのセオリーだからだ。あえて殺さずにおくことで、救助や治療といった行為に敵の手を割かせるためである。

 また、耳という見やすい箇所に傷を残すことで、今後の追跡をやりやすくするマーキングの効果も狙っていた。

 

 左右5人ずつ、計10人の追撃を乗り切ったSPASは、しかし厳しい目をしたまま前を睨むように見ていた。

 

(これで終わりな訳がない。もし私が追手なら、次に仕掛けるのは路地を出た瞬間)

 

 路地裏に終わりが近付く。雨音以外は何も聞こえない、いっそ不気味なほど静かな時間がSPASを不安にさせる。

 

 そして路地裏から小さな路地に飛び出した瞬間、思った以上に多い銃口が彼女を出迎えた。

 

「撃てぇ!!」

 

 待ってましたとばかりに吐き出された無数の鉛玉をSPASは受けきることに決めた。

 発射から着弾までの一瞬で身を屈めて防弾盾に頭を隠し、傘を開いて視界を遮る。

 

 防弾繊維を用いて作られた傘は、一発二発くらいなら防ぐことが出来る。だが向けられていた銃口の数は、見えているだけで10より多かった。

 つまりほぼ役に立つこともなく、防弾盾に横殴りの雨が叩きつけられた。

 

 時間にして15秒ほどの雨が降り終わったあとも、男達は銃を向けている。

 目線の先には穴だらけになった横向きの傘があった。こちらからはSPASが生きているのか死んでいるのか分からない。だが、大量の銃弾を撃ち込んだのだ。いくら人形とはいえ、生きている筈がない。

 

「見てこい」

 

 ハンドガンを向けていた男の1人が、その指示に嫌そうな顔をしながらも、確認のために傘に近づいた。

 

「…………ん?」

 

 傘に近づいたところで、男はその傘が普通のものとは違うことに気付いた。具体的に言うと、先端部分が違う。

 男は傘という道具をそれほど見たことがないものの、それでも()()()()()()()()()()は存在しない事くらい知っていた。

 

 疑問に思いながらも近づいた男。手が触れる位置まで近づいたところで、傘が動いた。

 

「なっ!テメ──」

 

 声を遮るように響く銃声。まるで紙のように吹き飛ばされた男は即死していた。

 

「まだ生きてやがる!」

 

「あれだけ叩き込んだのにか?!」

 

 動揺が走る男達。そんな様子を嘲笑うかのように、傘を広げたままSPASは立ち上がる。

 

 この場の指揮を任されていた男は、銃弾で穴の空いた傘から覗く、ハイライトの消えた瞳と目が合った。合ってしまった。

 

「うっ、撃て!今度こそ撃ち殺せぇ!!」

 

 得体の知れぬ恐怖に駆られ、思わず引いた引き金。その1発が呼び水となり、再び10を超える銃口が火を噴いた。

 今度こそ仕留めたい。あの恐怖を忘れたいという思いを込めながら指示を下したのだが──

 

「なっ!?」

 

 傘を畳んだSPASは、驚くほどの速度で突撃してきたのだ。傘が人に向けられる度、行きがけの駄賃とばかりに生命を奪い去っていく。

 

 一つ、二つ、三つ。

 

 彼女が進んだ歩数は僅か6歩。その間に奪った生命は三つ。

 単純計算で二歩進む度に1人の生贄を求めるこの悪魔は一体なんなのか。タチの悪いマフィアでも、こんな理不尽なマネはしないというのに。

 

 男達に不幸だったのは、この路地が車1台が通れる程度の広さしか無かったことだった。もし大通りで待っていれば違った結末が訪れただろうが、もう言っても仕方ない。

 

「あっアニキ!なんだアイツは!?」

 

「いいから撃て!いくら人形っつったって、腕や胴体を撃てば殺せるんだ!!」

 

 自信はあった。ジャマーと人海戦術を併用したこの作戦で、今まで何体もの人形を壊してきていたから。

 端的に言えば、今の男達は力に酔っていた。権威と力の象徴である人形を何度も打ち倒したことで気が大きくなっていたのだ。

 

 そしてこうも思っていた。人形は俺達の手にかかれば獲物も同然だと。

 

 なのに、

 

「ぎゃあ!」

 

 どうして、

 

「たっ助け」

 

 コイツは倒れない!?

 

 銃弾を最小限の動きで避けながら接近してくるSPASは、男達にはまるで死神の鎌が近づいてくるようだった。

 

 向かって来るSPASは既に獲物なのではなく、得体の知れない恐怖が具現化した存在に思える。

 恐怖からか手が震え、それが銃口にもダイレクトに反映される。そんな状態で撃ってもマトモに当たるはずもない。

 

 SPASは着々と近づいてくる。決して走らず、だが確実に歩を進めてくるのだ。

 もちろん近づくにつれて弾も当たりやすくなる。だが何故か、胴体に当てたはずの弾はボディにめり込まずに弾かれていた。

 

「なんだ?!何を仕込んでやがる!!」

 

「クソッ、防弾チョッキか!?」

 

 ボロボロになったレインコートの下には、鈍く光る鉄製の何かがチラリと見える。男達にはそれが何かは分からなかったが、知る者が見ればこう言っただろう。

 

 それは追加装備(スキン):ゴブリンハンターの鎧だ、と。

 

 SPASは鉄棒を1本持つと、一番遠くで逃げ腰になっている奴に向けて雑に投擲。頭が弾けたのを確認する事もなく、近場の目標に傘を向けた。

 

 この傘には彼女の分身であるSPAS-12が仕込まれている。このS03に廃棄される事が決まった後、雨ばかり降るという気候を聞いた彼女が知り合いに頼んで傘に組み込んでもらったのだ。

 雨を防ぎつつ戦闘も可能にした一品だが、ご存知の通りS03ではレインコートが普段着扱いされるくらい普及している。

 

 つまるところ完全に無駄な改造だった。しかし好意で改造してもらったものを捨てる訳にもいかず、かといって原型を留めないくらいにバラしてしまっていたから元にも戻せず。ならば壊れるまでは使おうと決心して今に至るのであった。

 

「アニキぃ!もっ、もうダメだ!殺られちまう!!」

 

「俺は逃げさせてもらうぜ!無駄死にはごメッ」

 

 背を向けた奴を優先的に狙い、着実に数を減らす。それでも何人かには逃げられてしまったが、まあ仕方ないだろう。

 

(……しかし、最初の狙撃手はどこに行ったの?)

 

 彼女の予想であれば、この乱戦の最中に狙撃をかましてくる筈だった。だから周囲に気を配りつつ立ち止まらないように動いているわけだが、今まで撃たれたことはない。それどころか、狙われている気配すらも無かった。

 

(まさか、まだ頃合を見計らってるとか?でも貴重な人員を無駄に潰す理由が分からない。替えのきく私より、替えのきかない人間の方が重要なはずじゃないの?)

 

 相手の狙いを考えながら、それでも手と足は止まらない。殺して、殺して、やがて動くものが彼女以外に誰もいなくなっても、警戒していた狙撃はこなかった。

 

「…………」

 

 激しい動きで取れたフードを被りなおす。いつの間にかジャマーの影響は無くなっていたらしく、ネットワークで連絡が取れるようになっていた。

 とりあえず襲われたことと、なんとか切り抜けたことを報告しておく。

 

「……結局こなかった、か」

 

 来ないならそれでいい。腕のいい狙撃手、しかも複数人から狙われるなんてゾッとする話だ。

 

 だけど何なんだろう、この胸のモヤモヤは。

 科学の産物な人形が非科学的な感覚に縋るのはどうかと思うが、それでも捨てきれない嫌な予感。

 

 自分が有利になるように場をわざわざ整えたスナイパーが獲物を見逃すなんて普通しない。

 では、普通ではない何かが起こったのだとしたら?それこそ、SPASのことなんてどうでも良くなるほどの何かが。

 

「うーん嫌な予感」

 

 その予感が当たっていたと知ったのは、近くでM1895が襲われているっぽいから援護に行ってくれという指示が下った時だった。

 

 

 

 

 

 時間は少しばかり遡る。

 

 

 オフの人形がプライベートで市井に紛れるというのは、給料日後の人形が良くやる行動の一つだ。

 今では大抵の人間より金を持っている人形は企業にとっては良い客で、何処に行っても大体歓迎されるからである。人間にしろ人形にしろ、自分が優遇されて嫌な気分になる者は少ない。

 

 そんな理由があって外に出る人形というのはとても多い。なので平和な地区ではのんびりショッピングを楽しむ人形の姿を至るところで見る事も出来る。

 ……が、ここは平和という言葉から最も遠いS03。市井に紛れるのにも一定の実力が求められる此処では、プライベートに外出するのすら命懸けだった。

 

「珍しいのう。お主から付き合えとは」

 

「そういう気分だったのよ」

 

 そんなS03の低層区画を歩く大と小の人形たち。ただ歩いているだけなのに自然と人目を集め、それと同時に道を空けたくなるような覇気を持つ彼女たちは、この近辺で最大の大きさを誇る闇市へと向かっていた。

 

「気分。気分のう?」

 

「なによ。そんな探るような目をされても、そうとしか言えないわよ」

 

 疑い、探るような目つきにFALはそう返す。その言葉に一応の納得を見せたM1895は追及を止めた。

 

「まあいい。わしもそろそろアルコールを摂取しようかと考えていたところじゃったからな、渡りに船という奴よ」

 

「それが工場廃液を連想するような、クソ不味いアルコールでも?」

 

「アルコールに代わりはなかろう。飲めるアルコールなら貴賎は問わん。贅沢を言っていられる身分でもないのでな。最悪、除菌用のアルコールでも良いぞ」

 

「流石……」

 

 感心していいんだか呆れていいんだか分からないが、どちらにしても悪いことではない。では良いことかというと、そうでもないが。

 

「というかFAL。お主こそ良いのか?わしが言うのもなんじゃが、もう少しマトモな物を飲めるじゃろうに」

 

「アルコールが本命じゃないのよ。本命は……ね」

 

 意味深に、そして妖艶に笑うFAL。それが何を意味するのかを察してしまったM1895は肩をすくめた。

 

「…………人の趣味にとやかく言わん。だが程々にするのじゃぞ」

 

「それはもちろん。引き際は心得てるわよ」

 

 闇市に1歩入ると漂う空気の質が変わる。ほんの数歩後ろにはまだほんのりと残っていた暖かさが、ここでは感じられないのだ。

 

 それは夢だの希望だのというあらゆるプラスな要素を喪った者達が行き着いているからなのか、それとも単に死にたがりが多いのか。あるいは別の理由があるのか。そこまでは分からない。

 

 だがこの空気はFALの好みだった。

 

「……いつ来ても辛気臭いのう。こっちにまでカビ臭さが伝染りそうじゃ」

 

「慣れなさい」

 

 反対にM1895には不評らしいが、闇市は程度の差こそあれ、どこでもこの空気が漂っている。闇市を利用するならこの空気感に慣れるしかないのだ。

 もちろんそんな事はM1895とて理解している。……しているが、それでも物申したかったらしい。

 

「さて、適当に目についたところに入ろうと思うんだけど、良いかしら?」

 

「任せる。わしは詳しくないのでな」

 

 流石はこの近辺で最大規模の闇市だけあって、アルコールを提供している屋台は至るところにある。

 どうせ何処に入っても質はそう変わらないだろうから吟味するのは無意味。ならばここは最初に目についたところに入るべきだろう。

 

 そんな考えの元に目をつけたのは、ちょうど客が全員出ていってガラガラになった屋台。その辺の廃材を集めて作ったのか素材に統一性は無く、酷くチグハグな印象を受ける。

 だがそこがFALの琴線に触れた。

 

「あそこにしましょ」

 

「ふむ。お主……中々アレじゃな」

 

「アレって何よアレって。この古き良き感じが良いのよ」

 

「古いのは認めるが、良さなんてあるかのう…………?」

 

 センスねぇなコイツとでも言いたげなM1895に気付かず、FALはずんずん進んでいった。

 FALとM1895が席につくと、顔も見ずに店主がドンッとアルコールの入ったコップを叩きつけるように置く。

 

 アルコールの出処は不明だし、その質もお察しだが、ともあれ求めていたアルコールだ。対応の悪さに文句をつける暇すら惜しいとばかりにM1895は口をつけ、一息で飲み干した。

 

「もう一杯」

 

「いい飲みっぷりね。どう?感想は」

 

「粗悪品じゃな。わし好みではあるが」

 

 バカ舌を自負しているM1895にとって、酒の美味さとは即ちアルコールの度数。それ以外の詳しい味なんて気にしないし分からない。

 本当に美味いものは、その価値が分かる者だけが食べればいいと思っている。

 

「すまんがそこの1瓶を丸々くれんか。支払いは現金か、それとも現物か良いかの?」

 

「……現物だ」

 

「あ、私にも頂戴。支払いは同じで」

 

「ちょっと待ていお主」

 

「ツケといて」

 

 あえて袖からチラ見させた貴金属の煌めきに目を奪われていた店主は、低い声でそう答えた。

 

「それにしても趣味悪いわね。成金みたいだったわよ」

 

「そうかのう?」

 

 薄汚れた瓶を受け取ったM1895は、そのまま漢らしく一気飲みを始めた。そして3分の1という中途半端な残し方をして瓶を置く。

 

「人形に急性アルコール中毒が無くて良かったわね。あったらとてもそんな真似できない」

 

「わしが人形で良かったと思える数少ない利点の一つじゃな……ところで、お主は飲まんのか?」

 

「飲んでるわよ。あんたがハイペースすぎるの」

 

 元々の目的はアルコールではないのでFALのテンションは低い。そんなFALの様子がおかしかったのかM1895は少し笑った後、目だけ真面目な笑みをFALに向けた。

 

「……それで、わしを誘った本当のところは?」

 

「ゴミ掃除ってところかしら。ハエたたき……いや、モグラ叩きとも言えるかも。

 要はストレス発散ね」

 

「ストレス発散とな」

 

「ええ。Five-seven(あのバカ)が最近うるさいのよ。「アタシは昨日10人切りしたんだけどアンタは……あっ(察し)」とかなんとか、毎日のように煽ってくるのよね」

 

「仲良いのう」

 

 M1895は残りをあっという間に飲み干し、FALもハイペースで瓶を空にしていく。

 

「だからまあ、ここら辺で私も遅れを取り戻そうかと思って」

 

「だから薬をキメるという建前で出てきたんじゃな」

 

「いや、そっちもやろうとは思ってるけど」

 

「思っとるんかい」

 

 まあ、言いたいことは分かった。どうして自分が連れてこられたかというのも。

 

「じゃあ」

 

「ああ」

 

 同時に席を立ち、闇市のメインストリートのド真ん中に立つ。

 

 すると感じる。

 

 木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。そんなセオリー通り、闇市を偶然訪れている客を装った、明らかに悪意を向けてくる者達からの目線を。

 

「やりましょうか」

 

「やるとするかのう」

 

 M1895がリボルバーを、FALがバトルライフルを、それぞれ構えた。

 



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かつて外道と呼ばれた人形④


次かその次くらいで終わらせたい



 

 反応は二つに分かれた。

 

 いきなり銃を取り出したことに驚いて逃げ出す、本当に偶然訪れていた人間たち。

 

 そして気付かれたことを悟り、戦闘態勢に入る人間たち。その様子に慌てたようなものは見当たらず、明らかに手慣れているのが見て取れた。

 

 前者は極小数で、後者が殆どだ。

 

「ふむ。慌てる様子も無しとは、慣れておるな」

 

「苦労しそうね。ああイヤだイヤだ」

 

 獲物なんだから手間かけさせないで殺されなさいよ。なんて理不尽なことを要求しながら、開戦の狼煙として殺傷榴弾を一発叩き込む。

 

「派手にやるのう」

 

「イイじゃない。景気よくいきましょ」

 

 弾け飛んだ人体を見ながら、M1895とFALは近くに放置された屋台に向かって走り出した。

 すると一瞬遅れて、彼女達が走った後の地面に無数の弾が着弾する。

 

「ちっ、思ったより数が多い……ちょっとナガン、さっさと数減らしなさいよ」

 

「減らしておるわい」

 

 両手に握られたリボルバーから響く銃声は1回。しかし放たれる弾丸は2発分。

 ようは同時に引き金を引いているというだけなのだが、雨で視界の悪い中で頼りになるはずの聴覚を欺けるのは大きい。加えて一射一殺の命中率もある。

 

 1発分の銃声が響くと2人倒れるという恐怖体験に、しかし男達は怯むことなく交互に弾幕を張り続けていた。

 

「とうっ!」

 

 無人となった屋台のカウンターを映画よろしく飛び越え、敵の視界を遮る障害物として利用しながら走る。

 スクラップや腐った木で形作った屋台が背後で弾丸に粉砕される音を聞きながら、近くにあった廃ビルに飛び込んだ。

 

「死にたくなかったら動くんじゃないわよ」

 

 廃ビルの中の、いきなり外で発生した銃撃戦のせいで身動きが取れなくなっていた連中に銃口を突きつけながら脅したFALは、首が千切れそうな勢いで縦に振るのを見てから上へ続く階段へと向かう。

 

 そして最上階である3階まで上がってから、そこにあった大きな会議室だった場所に飛び込んだ。

 

「急に銃撃戦が起こったかと思えば銃を突きつけられるなんて、災難な奴らじゃ」

 

「それよりどうするの?助けが来るまでここで籠城する?」

 

「お主が良いならそれでも良いが、間違いなく嫌じゃろ」

 

「当然。最低でも10人は仕留めなきゃFive-sevenを煽れないじゃない」

 

 ここに逃げ込んだのは思ったより多かった敵の弾から一時的に逃れるためであって、このまま籠城するためではない。

 目にギラギラとした殺意の光を輝かせながら言い放つFALにM1895は然もありなんと頷き、そして窓から下の様子を伺う。

 

「おっと」

 

 ちらっと目線を通した瞬間、およそ20ほどの銃口がM1895に向いた。サッと頭と身体を引っ込めると、一秒前まで頭があった場所を的確に弾丸が撃ち抜く。

 粉々に粉砕された窓ガラスが雨風と共に室内に吹き込み、足元にパラパラと落ちた。

 

「人間にしては腕が良い。これは面倒な相手と当たったみたいじゃ」

 

「ふーん。随分と浅知恵の回るヤツが居るみたいね。……ねえ気付いてる?私たち、いま通信が遮断されてる状態にされてるわ」

 

「うん?…………おお、本当じゃ。これがジャマーという奴かの」

 

 本当に気づいてなかったのか、今になってジャマーが起動している事を2体は気付く。

 

 ──ジャマーには幾つか欠点があるが、その一つにして最大の欠陥がコレだった。

 人形のAIが発達していると効果がどんどん小さくなっていき、最終的には今のFALやM1895のように、ジャマーを張られていても普段と遜色ない戦闘が行えてしまうのだ。

 

 理屈としては、大量に蓄積された経験がジャマーによる通信切断から生じる行動阻害をカバーするから、ということらしい。59式からの受け売りだ。

 

 ちなみに無効化の基準はレベルにして80以降である。

 つまり90後半のFALと上限の100に到達しているM1895にとって、ジャマーとは通信阻害以上の意味を持たないのだった。

 

「ほぼ間違いないでしょうね。そして、これを使った人形刈りと言えば」

 

「指揮官に楯突くゴロツキどもの集団、じゃのう」

 

 果たしてどちらが先だったのか。笑みを深めた二体は状況だけ見れば追い詰められているにも関わらず、自分たちが追い詰める側である事に微塵も疑いを持っていない。

 傲慢や慢心だと言われかねない心持ちだが彼女達からすれば、それは単なる事実なのだ。

 

 それなりに長い稼働時間、その間この血と硝煙の臭いしかしない世界で培ってきた殺しの技術には、絶対の自信と誇りを持っているからだった。

 

「さて、釣れるかしら」

 

「釣れるじゃろうなあ。なにせ、客観的に見れば多勢に無勢。複数人のスナイパーらしき生体反応に此処を見張らせておるし、ここで逃げるほど腰抜けではあるまいて」

 

「流石は偵察特化のハンドガン、私のセンサーとは比べ物にならない精度ね。数は?」

 

「闇市を挟んだ先のビルに等間隔で三つ、北に一つ、南に一つ、西に一つ。一番近いのは西じゃな」

 

 ──ジャマーの弱点その二。阻害できるのはあくまで通信系統の電波のみで、実はハンドガンが索敵に使うセンサー類は無力化できない。

 

 尤も、この弱点は世に出回っているセンサーがコストダウンのために機能を幾つかオミットした量産型だからこそ。ハイコストの本物は当然のようにこのセンサー類も無力化できる。

 ……ただ、そんな高性能のジャマーを使えるのは正規軍のような国から認められた組織だけだ。

 

「散らばってるなんて面倒臭いわね。しかも……」

 

 窓から一瞬顔を出し、すぐに引っ込める。すると窓枠にライフル弾が当たり、窓ガラスが衝撃で粉々に割れた。

 

「こっちの腕も悪くないと。これはいよいよ面倒なことになってきたわね」

 

「ふむ……?FAL、お客さんじゃ。数は5体」

 

「体?人じゃなくて?」

 

「人間ではないぞ。人形じゃ」

 

 M1895のセンサーが、こちらへ向かって来る存在を察知した。だが反応がおかしい。M1895が察知したのは人間の生体反応ではなく、人形が持つ識別信号だったのだ。

 

「人形ぉ?なに、口では人形を敵対視してるクセに、ロボット人権協会よろしく実は使ってましたとかいうオチなの?」

 

「いや、これは……なるほど。そういう事か」

 

 狙いを一目で看破したM1895は思わず笑いをこぼした。相手はどうやら自分と同じイイ趣味をしているらしい。

 

「のうFAL。お主、"ゴミ捨て戦法"を知っておるか?」

 

「ええ、内容は…………そういうことなのね?」

 

「そういうことじゃ」

 

 簡単に言えば、戦場で回収した弱いはぐれ人形や捕虜に爆弾を埋め込んで敵陣に特攻させ、そのまま自爆させる戦法のことである。ゴミを投げ捨てるように人形を使い捨てることから、この名が付けられた。

 また、拾ったばかりで無所属扱いの人形の手足をもぎ取って即席の盾として使う戦法のことも指す。

 

 これは、他所の基地の人形にこのような乱暴をすると問答無用で指揮官から"引退"させられるが、捕虜や無所属の人形は『公的書類で存在が明るみに出るまで公式には存在しない扱いになる』という規定があるために、そこまでならどれほど残虐な行いをしたとしてもグレーゾーンで済む。という規定の隙間を縫う裏技のようなものだ。

 

 ちなみにこの"ゴミ捨て戦法"、人権という言葉が軽視されて久しい現代でもドン引きされるクソ外道戦法として知られており、もしコレをやっている事がバレたら世間からの非難は免れない。最悪、やっていた組織を解体しなければならなくなるだろう。

 

 当然ながらグリフィンはこの戦法の使用を禁止している。

 

「近くの戦場から、はぐれ人形を拾ってきて使う。どうせ使い捨てるつもりなら壊れる寸前でも問題は無く、更に拾ってきているから懐も痛まん。

 そしてこの手の人形は人間に服従するプログラムがあるから逆らえもせんと。良い一手じゃのう」

 

「ついでに爆弾でも持たせて、あわよくば自爆で手傷を負わせるなんてのもあるわよね。ほんっと浅知恵ね、嫌いじゃないけど」

 

 人形の特性を活かすという一点で考えれば悪くないどころかむしろ良い一手だと言えた。もちろん人権的な面や捨てられる人形の感情から見ると最悪の一言であるが。

 

「可哀想じゃし、出来ることなら救ってやりたいが……」

 

「救い、ねぇ……」

 

 その言葉に何か思うことがあったのか、FALは会議室の机や何故かあった鉄箱を簡易バリケード代わりに積み上げながら何でもないかのように問う。

 

「そういえば聞きたかったんだけど、あんたって何でそんなに他人を救いたがるのよ?」

 

「なんじゃ唐突に」

 

「前から聞こうとは思ってたのよ。タイミングが今ってだけで」

 

 およそS03に相応しくない善良さを持っているM1895は、このようにちょくちょく情けをかけるような発言をしていた。

 正義漢のような物言いをFALは前から少し気に入らなかったが、それ以上に興味があったのだ。

 

 いったい何がどうなったら、こんな善良な人形がゴミ溜め(S03)なんぞに堕ちてくるのかと。

 

「マナー違反なのは分かってるし、言いたくないなら聞かないけど」

 

「崇高な理由は無い。ただ褒められたかった、必要とされたかった。それだけじゃ」

 

 人形が階段を登ってくる音を聞きながらM1895は答えた。

 

 向けられた銃口の先には、まだ敵の姿は見えない。

 

「人形が本能レベルで持つ承認欲求のままに動いて、どうしてそこに行き着くのよ。私たち戦術人形が必要とされたいってんなら、戦場で輝いてこそでしょ?」

 

「一理ある。が、それはお主がハイコスト(高性能)機だから言えることじゃろう。

 わしのようなオンボロはの、時代と共に一線を退き、やがてコアを取り外されて誰からも忘れられていくか、これからくる人形のように特攻兵器もどきの扱いをされるかしか、道はないのじゃ」

 

 哀しい話だがローコストの人形たちの行く末は、それが大半だった。

 そして、M1895のような人形がどうして戦場で大量に回収出来るのかという理由も此処にある。

 

 使い捨てても懐が殆ど痛まないローコストの人形は、本隊が撤退するまでの時間を稼ぐダミー部隊のような囮や、障害物の無い場所で咄嗟に用意できる壁として日々使い捨てられているのだ。

 Five-sevenのような高級機とM1895のようなローコストの人形を比べたら前者を取るのが当然であり、そのボディが財政を圧迫するからこそ、ローコスト人形の身を投げ出させてでも守るのである。

 

 そもそもローコスト人形は無理して守るよりも囮にして使い潰した方が安く済む。

 だから記憶保存用のサーバーを圧迫しないように、ローコスト人形はサーバーに記憶を残せない事が多い。

 

 そんな現実を知っておきながらI.O.P.は何も言わない。毎日のように出荷される人形の過半数は、そういう目的で造られるローコスト人形だからだ。

 つまり会社の利益のために、人形たちは殺されるために生み出されているのである。

 

 人形側もそういう目的で造られる事を製造段階で理解させられるからか、達観しているというか、自分の人生を諦めている人形が多い。

 仮に反抗的な人形が居たとしても、この使い捨てタイプには"どのような理由があっても人間には服従しなければならない"という首輪が付けられている。

 

 通常の人形は有事の際には人間に危害を加える事が許可されているが、使い捨てられる人形たちにはそれすら無いのだ。

 

「わしが弾を曲げるようになったのも、そこに理由がある。オンリーワンな個性を持っていれば必要としてくれる、弾除けではなく戦術人形として生きられる。

 ……時代の波に呑まれ、消えていった同僚を間近で見ていて、恐怖を抱いたんじゃ」

 

 彼女もまた、そのように使い捨てられる運命だった筈の人形だった。

 ただ幸運だったのは、本隊が撤退したら囮部隊も下がる許可をくれる比較的マシな指揮官の元に配属されたこと。

 

 そして不幸だったのは、自らの人生を諦めきれなかったこと。

 

「かっこ悪い話じゃが、今から殺される奴らみたいに自分の存在を残せないのが、たまらなく嫌だったんじゃよ」

 

 階段下に現れた5体の人形に牽制目的で一発放つ。当てる気はそれほど無かったし、まさか当たるとも思わないレベルで適当に放った一発だったが、戦闘経験がロクに無かった人形は避けられなかった。

 自分と同じ顔が吹き飛ばされて死んでゆくのを見ながら、M1895はそう答えた。

 

「それと救いたがりと、どう関係するってのよ」

 

「他の戦術人形とは違う個性を出そうと思っての。人間に感謝され、必要とされるような人形になれば使い捨てられずに済むと考えた」

 

 だから初めは打算的な行動だった。街に飛び出し、路地裏でリンチを見れば嬉々として向かってリンチしていた人間を半殺しにしてリンチされていた人を助け、強盗を見つければ現場にダッシュで飛び込み、迷わず射殺して解決した。

 

 スーパーヒーローのような存在になれば自分は死なずに済むという打算も無いとは言わないが、すべて良かれと思ってやった事でもある。

 

「まあいつの間にか、それは趣味のようなものになっておったのじゃがな」

 

「ふーん」

 

 ド素人よりはマシ程度の酷さな射撃の合間を縫うように反撃しながらFALは納得した。

 

 こいつは人間に嫌われるタイプだ、と。

 

 人生経験……もとい、経験値が豊富なFALは多くの人形を見ていた。だから分かる。

 彼女は自分がやった事が人間の目にどう写っていたのかを理解できていないのだ。

 

 人間に必要とされるために見せつけていた自分の力は、人間にとっては度の過ぎた暴力でしかないこと。

 虐げられる弱者には、リンチしてくる人間や強盗と、突然現れて虐殺していく人形の区別なんてつかないことも。

 

 製造されたばかりの純粋な状態から良くも悪くも無かった変化と、それでいて自分が人形という強者であるという自覚の無さが(無論、悪い意味で)奇跡的な噛み合いをしていた。

 

 良かれと思ってやっていた事は、全て自分の首を絞める行いでしかなかったのだ。完全に裏目に出てしまっていた。

 

「なるほどね。理由はわかったわっと……あれで最後?」

 

「そうじゃな。あれで終わりじゃ」

 

 話しながらでも片付けられる程度の力量しかない人形たちも、残すところ一体となっていた。それをセンサーで認識したM1895は目を伏せる。

 顔は見ない。表情を見てしまうと、きっと自分は救おうとしてしまうから。

 

「……………………すまん」

 

 それは、何に対しての謝罪なのか。

 

 小さく謝った声は、やけにうるさく響いた気がする銃声にかき消された。

 

 

 死体を漁る趣味は無いものの、敵の数が分からないことを考えると予備の弾は幾つあっても嬉しい。

 なので榴弾の被害を免れた弾薬の中から各々に合う弾丸を回収し、再び会議室の真ん中で顔を突き合わせる。

 

「それでどうするの?このまま打って出る?」

 

「障害物も無い場所に二体だけで飛び出るなぞ、控えめに言って自殺行為じゃろ。ここからチマチマ削れば良い」

 

「……ま、エロウサギより多くキル数を稼げれば何でもいいわ」

 

 二体は先ほど窓ガラスが割れて枠だけになった窓から半身を出して射撃しようとした。

 

 が、

 

「はっ?」

 

「えっ?」

 

 そんな彼女達を出迎えるように、1発の弾頭が飛来した。

 

 飛んで来ていた弾頭の名はRPG。間違っても人に向けるようなものでは無い物に、思わず間の抜けた声が出た。

 

「ぬおおおおっ!?」

 

「きゃあ?!」

 

 唖然としていても動けたのは、積み重ねた経験があればこそ。咄嗟に後ろ方向に飛び込むように逃げた。

 窓枠に激突し、凄まじい爆発を起こしているのを背中で感じながら、二体は思わず口元をひくつかせる。

 

「か、完全に殺しに来ておる……」

 

「普通そこまでやる?他人に榴弾ぶちこみまくってる私が言えた義理じゃないかもだけ、どっ!」

 

 RPGが爆発したことで窓があった場所には大穴が開いた。そして穴が開いたということは、つまり敵のスナイパーがこちらを狙えるようになったということ。

 

 ここぞとばかりに放たれたライフル弾を転がって避け、階段を転がり落ちるように二階へと避難する。

 しかし、まるで先読みされているかのように二階でも大きな爆発音が響いた。二発目が撃ち込まれたのだと二体は理解した。

 

「ちょっと!この御時世にRPGみたいな爆発武器って貴重品なんじゃなかったの!?」

 

「つまりはそれくらい資金力があるという事じゃ!」

 

 風通しが良くなった二階を通り過ぎ、結局一階まで降りてきてしまう。爆発音で一層怯えてしまっている連中には目もくれず、二体は入ってきた出入口へと目を向けた。

 

「炙り出されている感が凄いんじゃが、行くしかないかのう」

 

「行って死ぬか、行かないで爆死するか。私なら前者を選ぶわね」

 

 選択肢はあるようで無い。進む以外に道は無かった。

 

 そうして外に飛び出し、向けられた銃口は10か20か。とにかく数が多い。

 

「まずは数を減らさんことにはどうにもならんぞ!」

 

「分かってるわよ!」

 

 弾が何発も顔の横を掠めていく中で、お返しとばかりに目の前に向かって発砲する。

 

 まずは一人、とカウントしかけてFALだが、次の瞬間に男達が構えた物を見て目を見開いた。

 

「なっ!盾ですって!?」

 

 大の大人がすっぽり隠れるほどの大きさの盾が用意されていたのだ。それは当然のように銃弾を弾き、こちらが攻撃を止めるやいなや男達が盾の影から半身だけ出して射撃を行ってきた。

 

「分かってはおったが、やはり慣れておる!」

 

「クソッ!ナガン!」

 

「みなまで言うな!」

 

 まるで壁のように並べられた盾は、なるほど確かに正面からの並大抵な攻撃は防げるだろう。

 だが左右はどうだ?

 

「脆いっ!」

 

 弾が曲がる。

 溝やパイプの曲面を使って不自然に軌道を曲げられた弾丸は、盾を無視して隠れた男達のみを狙い撃った。

 

「動揺したわね、隙だらけよ!」

 

 意味の分からない出来事に動きが鈍ったのは一瞬のみ。だがたとえ一瞬でも隙は隙。

 それを逃すほどFALは甘くないし、また優しくもない。

 

「これで3つ。鬱陶しい盾がなければ……」

 

 近くのコンクリートの壁の裏側に飛び込むと、後を追うように弾痕が刻まれていく。マガジンを交換しながら、FALは周囲の騒音に負けないように叫んだ。

 

「ちょっとナガン!まだくたばってないでしょうね?!」

 

「ばっちり生きとるよ!それよりFAL!あやつら逃げる気じゃ!!」

 

「はあ!?」

 

 思わず顔だけ出して見てみると、盾を構えたままの男達が整然と後退していくのが見えた。

 

「ちょっ、待ちなさいよ!せめてあと7人は置いていきなさいって!」

 

「諦めい。命があるだけマシと思うべきじゃ」

 

 あのまま続けていれば此方に勝ち目は無かった筈だが男たちは退いた。その理由はきっと、接近してくる多数の反応のせいに違いない。

 

「ふむ、指揮官が増援を送ってくれたらしい。となるとあやつらは数的不利を察して逃げた事になるの」

 

「なんでもいいわよ。……ああもう、骨折り損しただけじゃない」

 

「良い経験にはなったじゃろう。色んな意味でな」

 

 男達の撤退と同時にジャマーも解けたらしく今は普通に通信が行える。とりあえず無事だという事を伝えながら、今回の戦闘について反省を始めるのだった。

 

 

 ◆◆

 

 

「…………そうか。いや、3人で済んだんなら上々だ。慎重に撤退しろ」

 

 場所は変わってどこかの地下。受話器を置いた赤髪の男は、溜息を一つつきながら背もたれに寄りかかった。

 

「こりゃ無理かねぇ……」

 

「それが分かっていて、それでもまだ続けるのか」

 

 独り言のつもりだった言葉に返事。

 

 ギシギシと軋んだ音を立てながらくるりと椅子を回転させて見れば、右目に傷を負っている男が立っていた。

 

「当たり前さ。俺達には退けない理由がある」

 

「立派なことだ。俺には分からない感覚だが」

 

「分かれと言う気は無い。これは意地みたいなもんだからな」

 

 2人は以前から知らない仲ではなかった。この地区を裏から暴力で支配していた組織のボスの側近と、その暴力を振るう実行部隊のリーダーという間柄から、幾度となく顔を合わせていたからだ。

 

「俺を笑うか?」

 

「いいや、笑えんよ。むしろ敬意を表する。

 少なくとも俺は意地を張ることが出来なかった。心が折れて、ここから逃げる事を選んだ俺に、お前たちを笑う資格は無い」

 

 意地だけで立ち向かえる"強さ"が眩しく思えた右目に傷のある男は、その眩しさから目を背けるように背を向けた。

 

「脱出までの時間稼ぎは頼んだぞ」

 

「任された。派手に爆散して人形の10体でも道連れにしてやるさ」

 

 だから安心してお前たちは逃げ延びろ。となんでもないように言ってのける。

 右目に傷のある男は自ら進んで捨て石となってくれる男たちへの感謝の念を胸に抱えながらドアノブに手をかけた。

 

「じゃあな。多分もう会うことは無いだろうが、達者でな」

 

「ああ。地獄で会おうぜ」

 

 扉が閉まる。再び訪れた静寂に刻み込むように、赤髪の男は誰に言うでもなく一言。

 

「…………これを逃せば次はない。だから、たとえどんな手を使ってでも、俺はお前を殺す」

 

 殺意のこもった目線が向けられた先には、壁に貼り付けられた人形たちの顔写真があった。サイズは様々で、隠し撮りらしくどれも不鮮明なものだが、どれが誰なのかは分かる。

 そしてその中でたった1枚、"怨敵"に分類されている人形の写真に向けて、抑えきれぬほどの怨みを向けた。

 

「──ピンク髪ぃ……!」

 

 男が捨て石を買ってでたのは、別にボスに恩義を感じているからではない。

 理由はたった一つの単純なもの。全ては、あの日を境に自分たちのプライドをズタズタにしたピンクの悪魔へ復讐するために。

 





この世界では多分、

シャーペンの芯>人形

の式が成立してると思う。


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殺意の対価①


あけましておめでとうございました。今年もよろしくお願いします。
ちなみにサブタイは変わりましたが内容は続いてます。


拠点奇襲

依頼主:SG社


何をするにも大義名分は必要でしょう?

というわけで、悪党とはいえ自領の住民を殺戮することに正当性を持たせるために、私から依頼という体を取らせてもらいます。

それでも、やる事は変わりません。負け犬共を拠点もろとも始末する、それだけです。

あとでデータを送りますが一応私からも説明させてもらうと、その複数ある拠点は全て町外れの廃棄された下水路にあるようです。あそこは迷路のように入り組み、奇襲や待ち伏せなどがやりやすいそうですよ。守りやすく逃げやすいといえますね。
実に負け犬らしい逃げ腰思考ではありますが、下水路に張り巡らされたトラップとの連携は地味に面倒です。潜り込ませたスパイからの話によると、どうやら時間を稼いでリーダー格を逃がす作戦のようですよ。

それもこれも全て、レン指揮官の副官さんなら容易に突破できる程度のものでしょうがね。

ちなみに例のジャマーですが、どうやら最深部に全て保管してあるそうですよ。使う時だけ持ち出して、それ以外の時はそこに置いてあるんだとか。ジャマーは大きくスペースが必要なので、相応に広い空間なのでしょう。

ふむ、説明はこんなところですかね。

今回、具体的なミッションプランや動員する人員などは全てそちらにお任せします。言うまでもないことですが、どんな手を使ってでも障害を排除してください。

ああもちろん、報酬としてお支払いする資材は好きにお使いください。この程度の仕事に払う報酬としては過分でしょうが、今後のための投資と思えば安いものですから。

では、健闘を祈ります。


P.S 今回お渡しする配給食は新作なんです。できれば感想などを送ってくださると助かります。


報酬:配給10000(前払い)



 

 無くてはならないものが、この世界には溢れている。

 

 たとえば権力、たとえば資金力、たとえば暴力。

 

 あったところで生きやすくなる訳ではない。しかし無ければ一方的に泣きを見るような、そんなもの。

 この世界で生きるには、それら"無ければ困るもの"を手にしなければならない。手に出来なければ死ぬだけだ。

 

 その中でも一際分かりやすく目につくのは、やはり資金力と暴力だろう。この2つは素人目でもすぐに理解できるほど有無が分かりやすく、故にそれは"強さ"の指標して使われやすい。

 

 だから金持ちは人の上に立つ。資金力という強力な矛と盾を併せ持つ金持ちは、この世界では一握りしか居ない、特権を行使する人間でもあった。

 

 そして暴力が強いものの周りには取り巻きが多くなり、それはいつか大集団を結成する。そして大集団同士が激突し、敗者は勝者に取り込まれ、勝者はその規模を膨らませる。

 近所のゴロツキの集まりに過ぎなかったはずの一団が幾度となく行われた抗争の末に街の荒くれ者の大半を吸収し、いつしか街の権力者と癒着できるまでに成長するのだ。

 

 赤髪の男は、そんな方法で成長した一団の最初期からいるメンバーだった。

 親の顔も知らず、スラム街で喧嘩にばかり明け暮れていた彼に、出会った時から右目に傷があった男が手を差し伸べたのだ。

 

 連れられるままにその日から鉄砲玉として最前線に立ち、ただ殺して、殺して、殺して、殺した。

 彼には学が無い。だが、こと戦闘に関しては、彼は天才だった。一を聞いて十を知り、時にはゼロから一を作り出すような、天才の中でも優秀な存在だ。

 

 そんな才能に、幾度となくくぐった修羅場が経験を与えた時、彼の前に敵は居なくなった。

 誰と戦っても勝ってしまう。暗殺は自慢の直感で回避して返り討ちにする。

 

 がむしゃらに暴れた末に気付けば立っていたテッペンは、男が思っていたよりずっと低い場所だった。

 

「……」

 

 事実上の最強だった男は接待を受けることも多かった。

 だからこの時代基準で豪華な食事を食べたことなんてしょっちゅうだったし、普通なら触れることも叶わないような美人と寝たこともある。

 

 だけど、どんなに凄い接待を受けたところで男の心は渇いたままだった。自分が窮地に陥った時に感じていた滾りや充実感を感じることはなかった。

 昔は充実感を覚えていた殺し合いも、テッペンに立った時からは何も感じなくなっていた。勝つのが当たり前の流れ作業と化していたからである。

 

 

 そんな彼の心が大きく揺れ動いたのが、グリフィンがこの街にやってきた日。多くの男たちにとっては忌むべき一日のことだった。

 人形と呼ばれる存在は、当時まだ人間同士での争いが主流だったS03に大きな衝撃と恐怖を与えたのだ。

 

 赤髪の男は事実上の最強であったが、それはあくまで人間同士ケンカならという話だった。戦闘目的で産まれた存在には、やはり勝ち目が薄くなる。

 しかしそれは入念に準備をすれば届く程度の差だ。相当厳しいが、多くの犠牲を覚悟して戦略を練れば十二分に勝ち目がある。()()()()()()()()()()

 

 大多数には不幸なことに、しかし彼にとっては幸運なことに、彼らが相対したのは普通の枠組みに到底入りそうもない人形であった。そして彼らの誇りとプライドは、その一体の人形に跡形もなく粉砕されてしまう。

 

 それは刃向かったものを全て殺し、抵抗するものを叩き潰し、障害は両手の実体ブレードで斬り捨て、その場に居合わせた者たちに等しく死の恐怖を叩きつけた。

 

『あ……あぁ……』

 

 皆が等しく地べたに這いつくばりながら、己の心の折れる音を聞いた。

 この音を聞くことなくトマトジュースになった数十人は幸運だったと断言できるほど、それは惨い音だった。

 

 見上げることは許そう。

 

 だが手を出すことは許さない。

 

 立ち上がることも許さない。

 

 思い上がるな。ここは、この街は、お前たちのものじゃない。グリフィン(我々)のものだ。

 

 "アンタたちには下水路がお似合いよ"

 

 不遜すぎる物言いに、しかし誰も逆らえなかった。地べたに這いつくばされた時点でポッキリと自分を支えるナニカが亡くなってしまっていたからだ。

 

 もはや何を言い返す事も出来ず、その日から勝者だった男達は負け犬として地下に追いやられる事になる。

 

 当時のS03で傭兵もどきをやっていた男の9割の心を殺し、酒浸りの廃人にするレベルで恐れを刻み込まれた当時の事を知る者は、皆が口を揃えてこう言う。

 

 ──その日、絶対的な死がカタチをもってやってきた。と。

 

 ……だが──

 

「だから、俺はお前を()したい……っっ!」

 

 この男だけは、他の男たちとはまったく別の感情を抱いていた。

 

 目を奪われるとは、きっとあの事を言うのだろう。心を奪われるとは、きっとあの瞬間に感じたことを言うのだろう。

 

 はじめてだった。自分の感情に抑えが効かなくなるのは。そして自分で自分が分からなくなるほど、強く焦がれたのは。

 

 彼が抱いたこれは憎悪であり、

 

 初恋であり、

 

 悲哀であり、

 

 恐怖であり、

 

 尊敬である。

 

 刃向かったら確実に殺されるという恐怖に身を震わせながら、しかし心は歓喜で満ち溢れんばかりだった。そして、『あの女を抱いてみたい』『あの敵を自分の手で殺したい』という本来なら同時には発生しない筈の二つの欲求が同時に膨らみ始めていた。

 

 だが心の底から求める彼女には人間では決して追いつけないだろう。人間を辞めたところでスタートラインにすら立てないに違いない。

 

 しかし、だからといって諦めるという選択肢を赤髪の男は取らなかった。

 人間を捨て、未来を捨て、プライドや命すら含めたあらゆるものを捨て去り、使えるものを全て使った結果、彼はようやっと"力"を手にした。

 

 たった一度の完膚無き敗北で覚醒した天才は、もう一度ピンク髪と相対する瞬間のためだけに全てを擲つことを決意したのだ。

 

 男に後悔はない。

 

 その代償として過去を全て失い、機械のように同じ事しか考えられなくなっているとしても、もう自分には正と負が区別できないほど混ざりあったドロドロした感情しか遺っていないとしても

 

「早く来いっ、ピンク髪ぃ……!」

 

 今が一番、幸せなはずだから。

 

 

 

 ◆◆

 

 

「さて、集まったな」

 

 普段は食堂として使われ、一息つくために多くの人形が集まる場所。いつもはS03にしては珍しく和気あいあいとした空気が流れることの多い此処だが、今は物々しい雰囲気で重く澱んでいた。

 

「もう概要は伝わっているだろうが念の為に確認させてくれ。

 短い間だが俺たちを悩ませていた連中の根城が、SG社のスパイからの報告で分かった。根城が分かった以上、放置しておく選択肢は無い。

 よってこれから奴らの根城を強襲、これを撃滅する」

 

 そう告げた途端、部屋に流れる重圧が倍に増えた。ある人形はおもむろに手元の銃を磨きはじめ、またある人形はナイフに自分の顔を映す。

 どいつもこいつも大悪党という言葉が似合うような悪い顔をしているのを見ながら、指揮官は心のどこかで何故か安心感を抱いていた。

 

「やっぱこうじゃないとな」

 

「なにがよ」

 

「この"私たち悪いことします"感あふれる鬼畜スマイルこそ、S03の人形を人形たらしめる要素だなって」

 

「………………分からなくもないのが悔しいわね」

 

 声無き歓声が止んだのを確認してから指揮官は続きを口にした。

 

「しかし、そこは腐ってても敵の本拠地だ。さんざん悩まされたジャマーも多数配備されているのは間違いない。このまま迂闊に進んでも、それなりの手傷を負わされることになるだろう」

 

 ジャマーに為す術なくやられた人形の顔が殺意で曇る。当人たちにとっては悔しいが、それは紛れもない事実であった。

 

「ではどうする?どうせジャマーのような妨害装置は奥に仕舞っておるじゃろう。それを引っ張り出す、あるいは破壊する策はあるのかの?」

 

「ある」

 

 この場の全員を代表して問いを投げかけたM1895に、指揮官はこう答えた。

 

「ネゲヴを突撃させる」

 

「…………なんと」

 

 ネゲヴが戦場に立つ。

 

 その意味を理解できない者は誰もおらず、だからこそその言葉が驚きをもって迎えられる。

 

「ジョーカーは持ってるだけじゃ意味が無い。使ってこそ効果を発揮する切り札が手元にあるんだから、ここで使わなきゃ何時使うんだって話だ」

 

「しかし、良いのか?」

 

「良いさ。ネゲヴはあくまでジャマーを破壊するだけ。その後の掃討戦はお前たちだけでやってもらう予定だからな。それならボーナスチャンスも無くならないだろ?」

 

 M1895が危惧していたのは、ネゲヴ単騎で全てを終わらせやしないかということだった。

 冗談でもなんでもなくそれが出来てしまうからこその危惧だったのだが、それは指揮官とて承知している。だからネゲヴの用途をジャマーの破壊のみに限定したのである。

 

「それにまあ……」

 

「まあ?」

 

「……いや、なんでもない。とにかく準備を進めて位置に着いておけよ。ネゲヴがジャマーを破壊した後は早い者勝ちになるんだからな」

 

 それだけ言うとネゲヴを斜め後ろに従えて食堂を出る。わいわいと戻ってきた喧騒を背中で感じながら、先ほど言いかけた言葉を胸の内で呟いた。

 

(俺の予想が当たってるなら、ジャマーなんてものを使ってきたのは、きっと俺とネゲヴのせいだからな)

 

 確証は無い。だが指揮官は不思議と、この騒動の発端が自分たちにあるような気がしていた。

 

 

 

『ネゲヴを単騎突撃させる』

 

 言葉にすれば単純にして明快だが、その単純なものに込められた破壊力は間違いなくS03で一番大きいものである。

 

「まったく。可能な限り誰も殺さずにジャマーを壊して撤収しろだなんて、人形使いが荒いんだから」

 

《その割りには嬉しそうじゃん》

 

 久しぶりに研究室から引きずり出された59式は、その声色に喜色が混じっていたのを耳ざとく聞いていた。

 

「まあね。だって最愛の人から頼りにされてるのよ?言葉でも、身体でも愛されているのは分かっているけど、やっぱりこういう風にも愛されたいのよ」

 

《そりゃ悪かった》

 

「気にしないで。あなたの立場を考えると、昔みたいになんでも私だけで片付けるって訳にもいかないものね」

 

 そう頭では分かっているが、やはり昔のように何でも自分だけで片付けたいという思いはある。それは指揮官の愛はもちろん、与えられる指示や命令などの言葉に至るまで独り占めしたいという独占欲からくる思いだった。

 

「でもたまには、こんな風に頼ってくれても良いのよ?」

 

《そうだな。お前から離れたくないって思いを少しでも上回ったら考えとく》

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。いまキュンキュン来たわよ」

 

 ネゲヴの声には普段の凛々しさは無い。今の彼女の声は考えられないほど甘ったるかった。それは完全に、想い人にデレデレしている女のそれであった。

 その甘さの度合いは、オペレーターという役割の都合上、常に話を聞かなければならない59式が無言でコーヒーの入ったカップを口につけるほどである。

 

《2人とも?通信越しにイチャつくのは良いんだけどさ、聞かされるこっちの身にもなってくれないかな》

 

「あら、悪かったわね。つい」

 

《ついじゃないよ、もう》

 

「そんな事より、よく研究室から出てきたわね。あんたが本気で研究してる時は意地でも出てこないけど、もう終わってたの?」

 

《いやー、ちょっと詰まっちゃってね。気分転換って感じかな》

 

 スキャンモードで下水路の至る所にセットされているトラップを見つけ、通行の邪魔になるものだけを解除しながら進んで行く。

 このまま進めば、あと5分もしないうちに拠点の入口前に辿り着ける筈だ。

 

「いったい何を研究して──いや、やっぱりいいわ。聞かない」

 

《苗床が出産するところまでは行けたんだけど、そこからどうも上手くいかなくてね。言うこと聞かないですぐ自爆しちゃうの。遺伝子の弄り方が悪かったのかなぁ?》

 

「ちょっと」

 

《ほら、前に話してた自爆兵器の事だよ。あれは良い考えだけど、ベースが鉄血の犬なのは頂けないなって思って。ウチでは貴重なパーツを投げ捨てるマネは出来ないし。

 でもその点、生物兵器って凄いんだよ。最後までコスパたっぷりだもん》

 

「レン。ちょっと59式からヘッドセット取り上げて」

 

《あいよ》

 

《あっ、ちょ──》

 

 ナチュラルに生命倫理を無視した実験を行っていると暴露した59式(しかも悪びれる様子もない)に頭が痛くなりそうだったネゲヴは、一先ず59式のヘッドセットを取り上げさせることで精神を安定させる。

 数十秒後、落ち着いたらしい59式の声が再び聞こえると、ネゲヴは恐る恐るといった風に聞いた。

 

「……そんなものを作って喜んでるの?」

 

《……?ちょっと質問の意味が分からない。逆になんで喜ばないの?》

 

「変態」

 

《最高の褒め言葉をありがとう!》

 

「いや褒めてないんだけど…………もういいわ」

 

 とにかく、最近やけに動きが無いと思っていたらロクでもないものを作っていたらしい。しかもほぼ間違いなく面妖なナマモノだろう。

 これ以上話を続けると聞きたくもないことを聞かされると察したネゲヴは早々に会話を打ち切り、前を見据えた。

 

 提供されたデータが正しいのなら、この先に入口がある。

 

「さて、やるわ」

 

 ただ一言、それが意識を切り替える合図だった。

 

「ピンク髪だ!ピンク髪が来たぞ!!」

 

「とっ、とうとうか!!」

 

 地下水路にネゲヴの姿が見えた途端に怒号が響き、続いて何十にも重なった銃声が鳴り続ける。

 

「撃て!撃ちまくれ!!」

 

「同じ人型なんだ、頭に当てれば殺せるはずだ!」

 

 切れ目の無い弾幕は、男たちの殺意の高さというものを如実に表していた。この日のために溜め込んだ武器を全て放出し、心の奥底に根付いた"悪夢"を殺そうと襲いかかる。

 

「…………」

 

 だが通じない。アサルトライフルもサブマシンガンもハンドガンもライフルもRPGのような爆発武器だって、すべて、男達の攻撃を無駄な努力だと嘲笑うかのように無視して突き進んでくる。

 

 この下水路に追いやられた日を知るベテランの男には、それがかつての焼き増しのように見えていた。

 このままでは、また、あの日のように──

 

「ちくしょう!手が、手が震えてやがる!」

 

「なんでだ、なんで身体が動かねぇ?!」

 

 彼女に近寄られるにつれて、まるで首を締め付けられるような圧迫感を、あの日にボコられた男達は感じはじめていた。

 年月と共に怒りを超え、憎悪を超え、やがて絶対的な死のイメージとして刻まれた彼女の姿は、トラウマとして今も脳裏に焼きついている。

 

「けっ、なに日和ってやがんだよ。どんな軍勢が来るかと思ったら人形一体だけじゃねえか」

 

「逃げ回るのだけは上手いみてぇだが、それだけだ。あんなの一匹で幹部にのし上がれるんならチョロいもんだぜ」

 

 だが、グリフィンがS03地区を治めはじめてから此処に来た大多数の男は、まだ彼女の恐ろしさを知らない。

 彼女のことを動きが早い的だと思っているルーキー達は、意気揚々とベテランの男たちを押し退ける。

 

「下がってなセンパイたち!殺る気の無ぇ足手まといは邪魔だからよ!」

 

「あっ、おい待て!」

 

 腰の引けたベテランに代わって恐れ知らずのルーキーが攻撃を始めた。

 中にはバリケードを乗り越え、フレンドリーファイアの可能性も考えずに白兵戦で彼女の首を取ろうとする者もいる。

 

 多くの場合において無知は罪と言われる事が多いが、この時はその無知が彼女への無謀な攻撃を可能にしていた。

 

「ここの住民は馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど……」

 

 彼女としては、この街に初めて訪れた際に徹底的に叩きのめしたつもりだった。それで誰も歯向かいはしないだろうと思っていたのだ。

 

「いや、仕方ないのかも。人間って、そういう生き物だし」

 

 だが、それから年月が過ぎ去り、世代が変われば自分が与えた恐怖も薄まる。それを失念していた。

 つまり何が言いたいのかというと、人間は人形とは違い死ねばそれまでで、更にはサーバーを介して全体で記録を共有することも出来ないという当たり前を考えていなかったということだ。

 

 人形は個体に大損害を与えれば、その記憶が記録として次の個体に連続して受け継がれる。そして次の個体からは、前に経験した"大損害"を避けようとする。それはその人形が"大損害"を痛みや苦しみごとデータとして保存して覚えているからだ。

 

 誰だって自分から痛い目に会おうとは思わない。それが自分が死ぬようなものならば尚更だろう。

 人形はその痛い目を記録として残し、次の個体に記憶として引き継がせる。そうすることで過去の過ちを繰り返さないようにしているのだ。

 

 だが人間は、その記憶を口で伝えるしかない。しかしそれは痛みや恐怖といった言葉で言い表せないものを伝えることは出来ず、だからこそ先人の言葉は蔑まれてきた。

 実感の伴わない言葉ほど薄っぺらいと感じるものは無いからだ。そして当の本人ですら、喉元を過ぎれば経験があるにも関わらず同じ事を繰り返すことだってある。

 

 そういうところに人間の愚かさを感じずにはいられなかった。

 

「勇気と無謀は別物よ。冥土の土産に覚えておきなさい」

 

 錆びたナイフで首を掻き切ろうとしてくるハゲ頭の腕を手刀で切り落とし、傷口に手榴弾をねじ込んで蹴っ飛ばす。

 蹴っ飛ばしの時点で絶命していたハゲ頭の遺体が手榴弾で挽肉になるのを見もしないで、今度は腰のホルダーからPPKを二丁引き抜き、両脇から迫る自殺志願者に1発ずつ。

 3人が秒殺されたことで勢いが弱まった一瞬を見逃さず、PPKで更に殺到するルーキーたちの手足を撃ち抜いた。

 

「な、なんだコイツ!化け物か!?」

 

「とにかく撃て!手を止めたら死ぬぞ!!」

 

 流石はベテランというべきか、ルーキー達が動揺したのをすぐに統率して弾幕を張る。

 強引に突破できなくもないが、僅かでも被弾したくない彼女は、近くで痛みに呻く男たちに目をやった。

 

「ちょうどいいわね」

 

 体格差があるはずの大の大人を易々と持ち上げる。そして盾のように構えて、突撃。しっかり首を掴まれた哀れな肉壁は逃げることも叶わず、痛みに泣き叫びながら味方の弾で息の根を止めた。

 

「いっ痛え!いて──」

 

「近くにいた、あんたが悪い」

 

「クソ悪魔が!」

 

 ベテランの男たちの目に映る彼女は、いつか見た時と全く同じだった。

 時代遅れな実体ブレード"Vendetta"も、単なるゴミ掃除としか認識していない目つきも、圧倒的な強さも、何一つ変わらない。

 

「クソが!盾にされてる奴にばっかり当たってやがる!」

 

「このままだとバリケードに寄られるぞ!」

 

 以前から人形との争いを想定していたのか、バリケードは即席ではなくちゃんとした作りをしている。人形の榴弾であっても穴が開かない素材を使ったバリケードは、本来かなり攻略に苦労するもののはずだ。

 

「…………」

 

 弾丸の嵐の中、彼女は右手の使いものにならなくなった肉を投げ捨てると、懐から一つの金属球体を取り出した。

 何の変哲もない鉄球であるそれは、彼女の投擲という動作で急加速し、レールガンの如き勢いと破壊力をもってバリケードを破壊する。

 

「うわぁぁぁぁ!!?」

 

「バッ、バリケードが!」

 

 人形が相手でも相当持つはずのバリケードが積み木を崩すような軽さで打ち砕かれ、その余波だけで5人が肉塊になるという非現実的な光景に唖然とした一瞬、

 

「よしっ」

 

 その一瞬で彼女は最初の防衛ラインを跳び越えた。そして瞬きの間に建物の中に入り込んだ彼女を追える者などいるわけもなく、ただ呆然と見送るしかなかった。

 

「と、突破された!」

 

「本部に連絡しろ!急げ!」

 

 そう言いながらも、この場に居た男たちには安堵の表情が浮かんでいる。

 

「い、生きてるのか……俺……?」

 

 腰の抜けた男は、嵐のように過ぎ去った暴力が残したバリケードな残骸を見て、手を出してはいけないものに手を出した恐怖を感じ、そして己の幸運に感謝しながら失禁した。

 その幸運とは、あのピンクの悪魔が自分たちをターゲットにしていないという最上級の幸運のことだった。

 

「さて。ああいうのは妨害電波の強い場所にあるって相場が決まってるけど」

 

《発信元の周辺が一番濃いのは当然だからね》

 

 一方ネゲヴは途中にあった、通路を塞ぐようなバリケードやゴロツキをガン無視しながら奥へ奥へと進んで行く。

 

《いやしかし、ネゲヴが民生機じゃなくて良かったよ。もし民生機だったら、こっちからモニタリングすることも、こうして通信することも出来なかったからさ》

 

《曲がりなりにも軍用機だし、俺は心配してなかったけどな。ペルシカの受け売りだけど、お前ってそこらの最新機よりよっぽど盗聴も電波妨害もされにくいんだろ?》

 

「まあね。試作機の中でも私だけは元々電波妨害が酷い場所での使用が想定されていたから、この程度の妨害電波ならものともしないわ」

 

 未だに軍の技術は大半が秘匿されている。そしてその技術レベルは、軍以外の場所とは10年ほど格差が生じていると言われるほどだ。

 そんな軍が当時の最新技術を集めて造った試作機は、今の軍内では世代遅れだとしても、外では最高性能機に余裕で勝る。その事実だけで軍と民間の格差が分かるだろう。

 

 そのまま奥へ奥へと進み、やがて到達した最深部には、5つものジャマーが並んでいた。そこに一歩足を踏み入れると、まるで測ったかのように照明が灯る。

 

「ずいぶんな歓迎ね。そんなに私に会いたかったのかしら」

 

「………………ああ。やっとだ」

 

 挑発のつもりで投げかけた言葉に思いもよらない返答が帰ってくる。

 彼女が認識したのは、機械であることを示す識別信号が一つ。そこに人間が持つ特有の生体反応は無く、

 

「ずっと、ずっと待っていた。こうしてまた巡り会える日を」

 

 故にそれは、彼が既に"人間"を捨てているのだという事実を、端的に表していた。

 

《出待ちされてたか。そりゃそうだよな、俺でもやるわ》

 

「あんた、何なの?」

 

「俺を覚えていないのか。……まあ無理もない。お前にとって俺は、きっと有象無象の一つだっただろうからな」

 

「違う。そうじゃない」

 

 大して残念でもなさそうに男は赤髪を揺らして笑う。そうして「分かっていたさ」と呟くが、ネゲヴが気にしたのはそこではなかった。

 

「あんたの事は覚えてる。ここに初めて来た時に蹴散らした奴でしょ。

 私が聞きたいのは、その身体のことよ。身体に何をした」

 

「ああ、そっちか。別に大した事はしてない。ただ、力を手にしただけだ」

 

 世間話をするような軽さの言葉の端に言いようもない狂気を感じ取ったネゲヴは、無言で両肩のハンガーユニットにぶら下げていたVendettaを両手に持った。

 

「力ですって?それが、あんたから出てる識別信号と何の関係があるのよ」

 

「質問が多いな。その答えが知りたいのなら、使うのは言葉じゃない。違うか?」

 

 男の両手が実体ブレードに変形する。腕が武器に変わるそれは、いつか見たAI研究所製の武器腕に酷似していた。

 

「それはAI研究所の……!なるほど、奴らの差し金か!!」

 

《………………まさか》

 

《59式?》

 

「行くぞおおァァ!!」

 

 雄叫びをあげながら男が斬りかかってくる。それをVendettaで受け止めたネゲヴだが、しかし徐々にパワー負けしはじめた。

 

「圧されてる……!?まさか私の出力を上回るっていうの!?」

 

《一旦引けネゲヴ!!》

 

「言われなくても!」

 

 Vendettaの表面を滑らせるように受け流し、動き回るには狭すぎるジャマーの保管庫から飛び出して一目散に逃げ出す。背後の破壊音に振り向く暇も無く、ネゲヴは走り出した。

 

「どうなってんのよ!たかが一研究所が、私と張り合える躯体を作り上げるなんて!!」

 

《あそこの非常識さは分かってたつもりだったが……ネゲヴ、振り切れないか?》

 

「無理よ!だってあいつ……」

 

 目の前のドアを蹴破りながらネゲヴは余裕が生まれた一瞬で背後を確認した。するとそこには、とても正気とはいえない顔をした赤髪の男が居て、全力疾走でネゲヴを追いかけてきていた。

 

「ピンク髪ィィィィィィィ!!!」

 

「ぶっ壊れた人形みたいに私の事を全速力で追ってきてるから!!」

 

《おいおい……あいつ、何をされたらあんな狂い方をするんだ》

 

《……やっぱり、そういうことなんだろうね》

 

 ただならぬ様子を見た指揮官は戦慄し、59式は何かを確信した。そして進路をオペレートしながら語り出す。

 

《あの男はきっと、ネゲヴを殺すために全てを捨てた。記憶も、心も、もちろん"人間"も》

 

「どういう事よ?!」

 

《ただ殺すだけなら心は要らない。ただ殺すためなら記憶はいらない。純粋な殺し合いに"人間"ほど不要なものは無い。

 必要なのは絶対に殺すという執念と、それを殺せる力量だけ》

 

《…………知ってるんだな。あいつが何をされたのか》

 

 ここまで言われて気づけないほど鈍いものはここに居ない。指揮官が59式を見つめると、59式は無言で頷いた。

 

《プロジェクト・ファントム。…………それが、多分あの男が受けた措置の名前》

 

《それって、あのプロジェクト・NEXTの研究レポートで見た……!》

 

《プロジェクト・ファントムは、元々プロジェクト・NEXTの前身みたいなものでね。元々は優秀な兵士を無限に生産出来るようにって計画なの。でもあの男が受けた受けた措置は、きっと……》

 

 優秀な兵士を無限に生み出す。

 戦争中に考えられたであろうこの倫理観を彼方に投げ捨てた計画は、かつて起こったルーマニアの落し子の一件以降、そのリスクのせいで凍結されたはずだった。

 

「そういうのは後でいい!対処法は!?」

 

《基本的に小細工とかは通用しないはず。いちばん確実なのは実力で上回ることよ》

 

「なるほど──」

 

 正面に開けた広間が現れた。そこで速度を落としたネゲヴは再びVendettaを構え、追いかけてきた赤髪の男に斬りかかった。

 

「──分かりやすいわね!」

 

「ピンク髪ィィィィィィィ!!!」

 





(なぜ生態兵器を爆発させようと思ったのかという質問に対して)

(´伍`)ちょっと質問の意味が分からない。爆発させちゃ駄目なのかな?


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殺意の対価②

 終わることの無い恐怖と歓喜の狭間に男は立っていた。

 

 改めて向き合い、そして思い知る。このバケモノは、およそ人間が太刀打ちできるような領域にはいないと。

 

 そしてこうも思う。力押しであれば、自分はこのピンク髪に負けはしないと。

 

「ははははははははっっ!!」

 

 口から狂ったような笑いを漏らしながら、名前の無くなった男はピンク髪の首すじを見ていた。

 

 細い細いその首は、触れることさえ出来れば簡単にへし折れそうなくらい華奢に見える。

 実際、自分の握力ならアッサリとへし折る事が出来るだろう。いや、今は両腕が刃なので切り落とす、という表現が正しいか。ただそれに触れるのが容易ではないことは分かっていた。

 

 とはいえ、このまま戦い続けていれば有利なのは自分だと理解している。殺意と闘争本能に従うままに腕を振るえば、そう遠くない内にピンク髪の細い首に刃が届く。

 その確信が、男にはあった。

 

「このっ、気狂いが!」

 

 一方のネゲヴは、やりづらそうにVendettaを振るっていた。

 元々パワー負けしている上に、相手は知性が感じられない乱雑な動きをしている。行動が読めないのだ。

 

《マズいな……徐々に押されてる。パワー負けしてるんだから当然だが、長くは持たないか》

 

 強引に力押しで突破することなど出来ず、逆に強引に力押しで突破されてしまいそうなこの状況。これが続けば続くほど自分たちが不利になっていく事など分かっていた。

 

「このままだとジリ貧なんだけど、何かないの!?」

 

《そう言われても……!ネゲヴでやっと着いていけるんじゃ、増援を送ったところで肉壁にもならない!》

 

《ジャマーの破壊が出来てないから、そもそも増援は送れない。そして仮に送れても、性能差ですり潰されるのがオチか……》

 

 戦いにおいて、量と質のどちらを優先するのかは個人の意見が別れるところだろうが、どっちを優先するにせよ一つだけ確かに言える事がある。

 量だろうが質だろうが、それが一定の水準を超えているのなら、並大抵の障害は強引に取り除けてしまうということだ。

 

「ハッハァ!もう手詰まりかピンク髪!?」

 

「ふん、どうでしょうね。今の言葉がブラフって可能性だってあるわよ!」

 

「だと良いがな!」

 

 ここがもう少し優しい世界だったなら、隠されていたシステムが起動してピンチを乗り切ったり、感情の昂りでスペックの限界を超えたり出来たかもしれない。

 だが現実は非情だ。気合いだの根性だの、ましてや愛なんてもので能力が上がるなんてギミックは人形に無く、性能差という現実は重くのしかかってきていた。

 

「どうした!手が止まってるぞ!!」

 

「……!」

 

 ただ腕を振り回しているだけといった印象を受ける雑な攻撃は、しかし振り回す速度が早すぎるあまり、十分な脅威をもってネゲヴを襲う。

 単純な速さと力の暴力は、彼女を防戦一方にするだけの破壊力を持っていた。

 

《どうするのさ、このままだと……》

 

《………………》

 

 膠着状態のまま5分、10分と過ぎ去るにつれて段々とかすり傷が増え、それらの細かい傷が積み重なったネゲヴの損傷率が10%を超えた時、指揮官は無念そうに言った。

 

《ネゲヴ、退け!!》

 

「レン?!」

 

《ここでお前を、一時的にしろ失う訳にはいかない。作戦を放棄する!》

 

 ネゲヴのボディは軍用で、そのスペックは凄まじい。

 だがそれは、同時に修理費が膨大になることと、同じボディを用意する事が難しいことを意味している。

 

 修復用の軍用パーツはペルシカを介した裏ルートから仕入れる事こそ可能なものの、法外な値段が掛かる。そして同じボディは、そもそも生産が終了してしまっているために数に限りがあった。

 

 どちらにせよ大金が必要で、その額はS03の財政を傾けかねない。だから不利とみたら取り返しのつかなくなる前に撤退するという判断も間違いではないだろう。

 

「ッ!?了解、撤退する……!!」

 

 ただ、どうにも解せないものがある。撤退命令を出すタイミングはもう少し早くても良いはずだし、そもそも目の前の敵が素直に帰してくれるとも思えない。その状態での撤退なんて、敵を引き連れて移動するのと同じことだ。

 何を考えているのかという疑問はあるが、何はともあれ命令には従わなければならない。ネゲヴは攻撃の衝撃で後方にワザと吹き飛び、戦闘の余波でボロボロになった広間から猛ダッシュで離脱した。

 

「逃がすかぁッ!!」

 

《59式が指定ポイントまでルートを指示するから、そこまで撤退しろ!後は何とかするから!》

 

「信じるわよ、その言葉!」

 

《うっわ無茶ぶり!仕方ないとはいえ、作戦変更のシワ寄せコッチに来るんだけどなぁ……っ!》

 

 最初に吹き飛ばされた事で僅かに離れた距離を詰められないように、通路に置いてある棚や荷物を地面に倒して進路を妨害する。

 指定された進路は来た道を戻るようなルートで、やがてネゲヴは自分が破ったバリケードのある入口まで戻ってきていた。

 

「ピッ、ピンク髪だ!」

 

「おいまたかよ!?」

 

 ざわめき動揺する男たち。その中から腰を抜かしたままだった1人の太ましい奴の頭を掴むと、無造作に背後に向けて放り投げる。

 

「はははははっ!逃がすわけねえだろ!テメェだけは!!」

 

 投げられた仲間を躊躇いなく斬り捨て、その血を浴びながら赤髪の男は叫んだ。一瞬だけ合った目は、ネゲヴが散々見てきた狂人たちと同じ目をしていた。

 

「一応仲間でしょうに……」

 

《関係ないんだと思うよ。ネゲヴ以外は眼中に無い感じだし、もしかしたらネゲヴ以外の誰も存在を認識してないのかも!》

 

「はた迷惑な話よ、まったく!」

 

 まるで、というか完全にストーカーだ。なんでこんな目に遭わなければならないのかとネゲヴは己の不運を嘆きながら、真っ暗な下水路を指定された通りに進んでいく。

 

「チッ、追いつかれた!」

 

「逃がさねぇって言ったろ!!」

 

 ボディの性能で上回られている以上、障害物の無い直線を走っていればいつかは追いつかれる。

 段々と詰まってきていた距離は、目標地点の500メートル前でついに埋まってしまった。

 

《もう少し、あと少しだけ!そこがゴールだ!》

 

「離れろストーカー!」

 

 Vendettaを横に薙ぎ、距離を取ろうとするネゲヴ。だがその行動は読まれていた。

 

「マズっ」

 

 Vendettaの下に潜り込ませた刃を上に打ち上げて攻撃を無理やり上にズラされた。無理な体勢を取らされた事でネゲヴは僅かだがバランスを崩し、大きな隙を晒してしまう。

 

「首がガラ空きだ!」

 

 その隙に男は至近距離まで接近し、一瞬だけ無防備になった首すじに向かって首を伸ばして顔を近づけた。噛みついて食いちぎる気満々の動きだった。

 

「やらせるかっての!」

 

 咄嗟にVendettaを手放し、自由になった右手を勢いよく振り下ろす。ガレキくらいなら容易に両断できる威力の手刀が男の頭に命中した。

 予想外の反撃に、男の視界がぐらりと揺れる。首を伸ばしすぎていたために前のめりに倒れそうになった男が見たのは、床ではなく黒いストッキングに包まれた膝。

 

「ぉごっ?!」

 

 華奢な見た目にも関わらず人を殺せる膝蹴りが顔に直撃する。視界が乱れ、地面に倒れた男が無意識に転がって素早く立ち上がったのは、唯一残された戦闘経験の賜物か。

 頭があった場所にコンクリートを踏み砕くストンプを行い、それを外したネゲヴは舌打ちと共に手放したVendettaを回収して走り出す。

 

「あれで死んでれば楽だったのに」

 

《普通死ぬんだけどなぁ……》

 

 手痛い反撃を喰らった男は、しかし笑っていた。

 

「くくくくくっ、そうだ!そうでなければ面白くない!それでこそピンク髪だ!!」

 

《うわー……》

 

「ちょっと精神的に辛くなってきたんだけど!」

 

《もう終わるから!だから走れ!》

 

 指定されていたポイントは、下水路から曇天の外に続く道だった。この下水路に入る時にネゲヴが使った道である。

 

「これは……なるほど」

 

「鬼ごっこは終わりか?ピンク髪」

 

 道の真ん中でネゲヴは足を止め、何かに気づき、雨に打たれながら赤髪の男と三度相対する。

 

「ええ、終わりよ。長かった鬼ごっこも、そして──」

 

 ネゲヴにばかり気を取られていた男は気づけなかった。ただ逃げているように見えたネゲヴに誘導されていたことを。そして自分が既に包囲網の只中に飛び込んでしまっていることを。

 

「──お前の命運も」

 

「なんッ?!」

 

 両方の太ももが撃ち抜かれる。足から力が抜け、雨が打ちつける道路にうつ伏せで倒れてしまった。そして倒れた男の両肩に何十発と弾が撃ち込まれ、武器腕が壊れる。

 たった数秒で両手足を失った男は、唯一自由に動く首を動かして周囲を見渡し、そこで気づいた。

 

「人形どもが……!」

 

 廃ビルの各所から男に狙いを定める無数の銃口。それらが全て人形のものであることに。

 

《質がダメなら数で押す。戦いは数だな、やっぱり》

 

《だねぇ》

 

 先程までの切羽詰まったような声とは打って変わってのんびりとした声色の指揮官と59式。そのあまりののんびりさに、ネゲヴは思わず脱力してしまう。

 

「無駄に迫真の声まで出しておいて……最初から作戦放棄なんて嘘だったのね?」

 

《無駄じゃないよ。通信傍受されてる可能性もあったし、ちゃんとガチで焦ってたからね?》

 

《それに嘘は言ってないぞ。俺は『ネゲヴがジャマーを破壊するという作戦』を放棄すると言っただけだ。拠点の襲撃まで止めるとは言ってないし、ジャマーの破壊を止めるとも言ってない》

 

「えっ?でもジャマーの破壊って」

 

《──しがやったわ》

 

 通信に割り込む声が一つ。その声を聞いたネゲヴは、そういえばブリーフィングの時に姿を見ていなかったことを思い出した。

 

「Five-seven。あんたなの?」

 

《そうそう。副官さんが大きな花火を上げてくれたから、お陰で動きやすかったわ。ありがとね》

 

《ちょっと待ちなさいよ!アンタ、今朝から今まで見ないと思ったら抜け駆けしてたのね!!》

 

 さらに割り込む声が一つ。FALである。建物の影に隠れて両腕を破壊するのに貢献していたFALは、恐ろしい表情をしながらワナワナと怒りで震えていた。

 

《指揮官、どういうつもりよ!》

 

《次善の策として、顔と声を変えたFive-sevenを娼婦として送り込んどいたんだ。

 あいつもジャマーは効かないし、やること自体は男と寝てから隙を見計らって格納に積んだ爆弾でジャマーを破壊するだけだしな。通信できなくても何とかなる。

 本人も快くOKしてくれたよ。危険手当出したからな》

 

《聞いてないわよ!!》

 

《そりゃ昨日、依頼文と地図データが届いた時に通りすがったFive-sevenを見て思いついた作戦だしな。知ってたのは俺とFive-sevenだけだ》

 

 適任だったし。と答えた指揮官にFALは何も言えずに鬼の形相をしていた。

 

「私を陽動にも使ったのね」

 

《騙すようで悪かった。後でちゃんと怒られるよ》

 

「怒りはしないわよ。でも今夜は寝られると思わない事ね」

 

《はいはい、いつものいつもの》

 

 指揮官とネゲヴがそんな会話をしている最中、ネットワーク上でFive-sevenがFALを煽っていた。

 

《汚い手でキル数稼いで!まさかとは思うけど、それで勝ったつもりじゃないでしょうね!?》

 

《あっるぇ〜〜〜〜?今回の騒動で、たった7人しか戦果を挙げてない負け犬の遠吠えが聞こえるわねぇ?

 あれから戦果は挙げられたのかしらぁ~?私は此処で殺した数を抜いても20人分は稼いだんだけど、アンタは……なwなwにwんwのwまwまw?ぷーくすくすwww》

 

《ビィィィィィィィッチ!!!そこから動かないでよ!今から殺しに行ってやるから!!》

 

《アッハッハッハッハッ!》

 

 完全にいつも通りの空気である。今はまだ戦闘中である筈なのに。

 

「ピンク髪ィ……!貴様ァ!」

 

 両手足を失い、存在を忘れられかけていた赤髪の男は芋虫のように這いずりながらネゲヴに近寄ろうとしていた。その目には憎悪と殺意が溢れんばかりに篭っていて、気の弱いものが見ればショック死しかねないほどだ。

 だがネゲヴは怯まない。どうせ何も出来ないと分かっていたから。

 

「無様ね。私を殺すために人間を捨てたんだろうけど、その結末がコレよ」

 

「ふざけるな!俺はまだ負けてねぇ!負けてなんか!」

 

「ちょっと、誰かこの煩い大将首欲しくない?私は要らないから誰かにあげるわ」

 

《でかしたわネゲヴ!そいつをこっちに渡しなさい!今すぐに!!》

 

 声だけでも伝わる鬼気迫る様子のFALが早足で近づいてくる。それを見たネゲヴは背を向け、指揮官の待つ基地へと足を向けた。

 

「待て!待ちやがれ!!」

 

「私の仕事はここまで。後は早い者勝ちだから好きにしなさい」

 

「逃げるな!ピンク髪ィィィィィィィ!!」

 

 震えが走る笑顔のFALが首を切り落とすまでの間、怨嗟の絶叫を背に受けながらネゲヴは雨煙の中に消えていった。

 

 

 ◆◆

 

 

「…………データ取得完了。ふん、しょせんは獣か」

 

 S03地区の都市から少し離れた場所にて、一体の人形が身を休めていた。

 すぐ近くには身の丈ほどの刃物が刺さっている。雨に濡れているその刃からは、どういう訳か濃厚な血の匂いが漂っていた。

 

「おいD。言われた通りのデータは取ってやったぞ」

 

《ん。じゃあこっちに送って》

 

「おう。けどコイツ役に立つのか?躯体の性能差が無ければ逆に潰されてたようなゴミなんて」

 

《それを一流……とはいかなくても、二流半くらいにまで調教するのが腕の見せどころなの。

 それに、これはチェスでいうところのポーン。無鉄砲に突っ込んで潰されるくらいで丁度いいのよ》

 

 通信の繋がっているDと呼ばれた女性が答えると、ふーんと分かってるんだか分かってないんだか分からない返事を返してから言った。

 

「オレはそっち方面に詳しくねぇから、よく分からねぇけど……あー、あったけぇ。やっぱ寒い時には焚き火が一番だな」

 

《焚き火ぃ?》

 

「いやな。データを収集してる間は暇だったから、通りがかった車を真っ二つにしたらよ、乗ってた奴らがオレを見るなり死神の鎌(デスサイズ)なんて言いやがって、ムカついたから叩っ斬って燃やしたんだよ」

 

 右目に傷のある男は人間にしては頑丈だったが、それだけだった。燃料になった男たちが持っていたトランクを蹴っ飛ばすと、その一撃で壊れたトランクから大量の貴金属が転がり出る。

 それに1ミリも興味を持たない人形は、一瞥もせずに焚き火で暖まっていた。

 

《E。あんた、もう少し気を長く持とうとか思わないの?そんなことやってるから、S03の連中に死神の鎌(デスサイズ)なんて言われるんでしょうが》

 

「D。オレをその名で呼ぶなと言っただろうが」

 

《嫌なら自制しなさい。処刑人の刃は、気軽に振られるものであってはならない筈よ》

 

「………………分かってる」

 

 正論なだけに何も言えない。Eは苦虫を噛み潰したような表情で返事をしてから、おもむろに話題を変えた。

 

「そんで、どうだよ」

 

《なにが?》

 

「決まってンだろ。オリジナルの事だよ、どうなんだ?」

 

 短気で飽きっぽいEと呼ばれる人形が何故データ収集なんていう待たなければならない仕事を請け負ったかというと、それは彼女が言うところのオリジナルが関係していた。

 

《稼働年月が長いだけあるわね。躯体スペックこそ昔と変わってないみたいだけど、それを経験で補ってる。退屈はしないんじゃない?》

 

「そうか。なら良かった。すぐ終わっちまったら、つまらねぇしな」

 

 焚き火に手をかざしながら、Eは遠くに見える高層建築物を見つめた。あの場所に自分が会いたい、そして殺し合いたいオリジナルがいる。

 

「ほんっと、その時が楽しみだ」

 




急転直下な気もしますが、これで2ヶ月以上もかけた話は終わりです。たった6話に2ヶ月てお前……。

あ、拠点制圧の場面はカットします。降伏して命乞いしてる男たちをヘラヘラ笑いながらぶっ殺す人形たちとか見たくないでしょ?



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ガチャ缶


何故かブラウザの段落下げを実行するとフリーズしてしまうので、それが解決するまで段落下げ無しで上げさせて頂きます。これ、おま環なのかなぁ……



《…………ご苦労、今月分のデータは受け取った。中々面倒な事になっていたようだな》

 

「ええ、まあ。解決はしましたが、これで終わったとは思えないんですよね」

 

 この地区は月に1度、上司に当たる人間とモニター越しに報告をしなければならないという決まりがある。

 その決まりに従い、通信室で指揮官は近況を報告していた。

 

《それは勘か?》

 

「勘ですね」

 

《ロストフィールドから帰ってきた男の勘か……ぞっとする話だ》

 

「外れることを祈りますよ」

 

 個人的にも外れて欲しい類いの──しかし何故か外れない気がする予感。

 

《ともあれ、AI研究所の件はこちらも気をつけておく。今はまだS03近辺でのみ確認されているが、これから広まらないとも限らん》

 

「お願いします」

 

 頭を下げたモニターに映っているのは、髭を蓄えた厳つい顔をした中年の男。その体格は引き締まっていて、彼が何かしらの訓練を積んでいたことを伺わせる。そして彼の眼光は、あらゆる虚飾を見抜く鋭さを秘めていた。

 そんな彼の名はベレゾヴィッチ・クルーガー。元軍人にしてG&K社の社長だ。

 

 普通、たかが一指揮官が社長への直通回線を持つなんて有り得ない。だが指揮官の横にはネゲヴという厄ネタが居て、更に指揮官は軍の研究主任と一応繋がりがある。

 つまり存在そのものが要注意であるから監視が必要な事に加え、ペルシカからもそれとなく気にかけるように言われたとあって、一指揮官にも関わらずこうして社長と話すことが出来ていた。

 

《しかし、君は良くやっているな。並の指揮官なら一日と持たず、私でも一月すら居たくない場所に留まり、上手いこと統治している》

 

「確かにお世辞にも住みやすいとは言いがたいですけど。まあ慣れれば悪くないものですよ。心強い護衛もいますしね」

 

《その言葉を聞いて安心した。もし嫌だなどと言われてしまったら、君を『引退』させなければならないからな》

 

「はは……冗談キツいですね、ホント」

 

 クルーガーに真顔で冗談なんだか本気なんだか分からない発言をされ、思わず苦笑いを隠せない。多分、冗談だと思う。

 ちなみに『引退』とは隠語であり、要は暗殺のことだ。初めて『引退』の意味を知った時、とんだブラック企業だと叫びそうになった事が懐かしい。

 

《無論、冗談だとも。有望な人材を無為に潰したりはしない。有望であるうちはな》

 

「…………」

 

《だが残念なことに、有望ではなくなった者がいる。まだ今月分のデータを受け取ってはいないが、先月も、先々月も期待を裏切られ続けているのだ。

もし今月も失望させられるのであれば、君の出番という訳だ》

 

「つまり、『引退』させろと」

 

《そういうことだな。こうして『引退』してもらうのは本望では無いが、指揮官の質が良くないために大勢の一般人が犠牲になるのは看過できない》

 

 S03地区は特殊な地区だ。

 

 グリフィンが統治を始めても治安は悪いままであり、そこに配備される人形も他の地区では手に負えないような不良品の集まり。

 隙あらば指揮官が殺される危険性のある魔境と称されるここは、誰も着任したがらない場所のトップとして君臨し続けている*1

 

 そして此処は半ばグリフィンから見捨てられている。何か資源がある訳でもなく、重要な役割を持ってもいないS03は、ぶっちゃけ『有ればマシ。無くてもいい』程度の価値しかない。

 だから左遷地としてはこれ以上ないほど優秀で、同時に会社が後ろ暗い事をやらせるのに適した場所となっている。指揮官の独断専行として地区ごと切り捨てればダメージを最小限に抑えられるからだ。

 

《遅くても2週間の間にデータは来る。その結果如何によっては、君に依頼を出そう》

 

「……準備はしておきます」

 

 故に回ってくる。会社の汚点とも言うべき内部粛清役という汚れ仕事や、本来やってはいけないスポンサー企業への襲撃のようなマッチポンプめいた仕事まで。

 もちろん、S03地区がグリフィンという会社の闇を全て請け負っている訳ではない。表に出来ない事をやっている場所は幾つかあり、ここもその一つというだけだ。

 

 だからクルーガーは、いざとなれば何の躊躇いもなくS03を切り捨てるだろう。ここが潰れても別の地区が代わりに仕事を請け負うだろうし、そういう仕事の対価として会社と癒着したい指揮官が、グリフィン内部にはごまんといるのだから。

 

《言うまでもない事だが失敗は許されない。もし失敗するような事があれば……》

 

「その時は死ぬだけでしょう?分かっていますよ」

 

《なら、いい。では、私はこれで失礼する。詳細なデータは後で送ろう》

 

 モニターが消え、静寂が戻ってくる。大きく息を一つ吐いた指揮官は通信室の扉を開けて外に出た。廊下の空気は心なしか冷たい。

 

「一難去ってまた一難か」

 

「なんでこう、面倒ごとばっかり来るのかしらね」

 

 付き添うネゲヴも心底嫌そうに言葉を吐き捨てる。あの赤髪の男に負わされたキズは既に完治しており、蛍光灯に照らされる肌は綺麗なものだ。

 

「でも少し時間に余裕がある。その間に、何か息抜きでもやろう。身が持たない」

 

「息抜きっていうと、企業からの依頼とか?」

 

「そうだな。最近そっちに手をつけてなかったし、そろそろ再開しないと何を言われるか分かったもんじゃない」

 

 貴重な収入源でもある企業の依頼は、人形殺しの一件があってから受けられないでいた。しかし、その一件が一先ず解決している今、受けないという選択肢は無い。

 

「じゃあ執務室に戻りましょ。コーヒーでも飲みながら色々と考えればいいわ」

 

「だな」

 

 そう言いながら、指揮官とネゲヴは薄暗い廊下を歩いて執務室へと戻る。

 時折吹く風が雨粒を窓に叩きつける音と2人の足音以外は音のしない廊下は不気味な静けさを保っていた。

 

「ご主人さまーーっ!」

 

 階段をひーこら言いながら登りきり、執務室の扉を開けた指揮官に被さる影。

 とっさの勢いで横に避けなかったのは、その影が留守番を任せたG41のものであると声で気付いたからだった。

 

「おっと。ただいまG41、良い子にしてたか?」

 

「はい!見て見て、ナガンから飴アメ貰ったの!!しかもアタリ!」

 

 飼い主に擦り寄る犬の如く身体をスリスリしながら、"アタリ"と書かれた包み紙を自慢げに見せつける。

 その様子に微笑ましいものを感じた指揮官はG41の頭をナデナデしながら、ソファで酒瓶を傾けているM1895に目をやった。

 

「む?戻ったか指揮官」

 

「どうした?珍しいじゃないか、ここで酒飲むなんて」

 

 そう言いながらG41を抱え上げ、M1895の横に腰かける。M1895はいやなに、と前置きしてから理由を話し始めた。

 

「FALがヤケ酒で滅多に見ないような泥酔をして大暴れしての。まずFive-sevenを酔い潰してから服をひん剥いて犬神家のオブジェを作り、次にスプリングフィールドをひん剥き、更に近くにいた連中にまで襲いかかって大変愉快なことになっておる」

 

「なんだその地獄絵図は」

 

 しかもなまじFALが強いだけに、その暴走が止められない。結果として出来ることといえば、今のM1895のようにFALの目につかない場所まで避難することくらいのものだった。

 

「わしも剥かれかけたが、FALと違って肌を人目に晒す趣味は無いのでな。Vectorを生贄に捧げて逃げて来たのじゃ」

 

「……Five-sevenに負けたのがそんなにショックだったのね」

 

「だからって周囲を巻き込むのは駄目だろ……。後で呼び出して注意しとかないとな」

 

 床にペタンと座りながら嬉しそうに指揮官の太ももに顔を擦りつけてくるG41の頭をナデナデしながら、ネゲヴがインスタントコーヒーもどきを淹れている様子を眺めつつ溜息を吐いた。後片付けのことを思うと気が重くなる。

 

「それで、そっちはどうじゃった?何か変わった事でもあったかの」

 

「また面倒ごとが来るってこと以外は変化無し。平常運転だ」

 

「それはイイことじゃのう。そろそろ外出したいと思っておったところじゃ。もちろん遠征には行けるんじゃろうな?」

 

「ちょっと余裕が出来たからな。何回かは行けると思うぞ」

 

 見回りと新たな物資確保を目的としている遠征は、滅多に無い地区の外に出られる機会とあってか人形たちの間で人気がある。

 どれくらいかというと、もう既に出発しているトンプソン率いる第一陣はおよそ10倍の倍率があり、予定されている第二陣への応募も同じくらいだ。

 

「その何回かに入れれば良いが……応募だけはしておくかの」

 

「ああそれなんだが、ちょっと待ってくれないか。ナガンには別に仕事を頼む事になると思うんだ」

 

「ほう?」

 

「この依頼なんだが……」

 

 通信室でクルーガーと会話する前まで見ていた依頼の書かれた書類を机の上から取り、M1895に渡す。それを上から下まで見るM1895と指揮官の前のテーブルに、ネゲヴはコーヒーの入ったカップを置いた。

 

「2人のコーヒーはテーブルに置いておくわね。G41、ビーフジャーキー食べる?」

 

「食べる!」

 

「ありがとネゲヴ」

 

「おお、わしの分もあるのか。すまんのう」

 

 ネゲヴが戸棚からお徳用ビーフジャーキー(原材料不明)を取り出し、それをG41に与えている光景に癒しを覚えつつ指揮官はコーヒーの入ったカップを傾ける。

 やがて読み終わったらしいM1895はその書類をテーブルに置いて、代わりにコーヒーの入ったカップを手に取った。

 

「これはまあ、見事なまでに真っ黒な依頼じゃのう」

 

「受けてくれるか?」

 

「思うところはあるが……他でもないお主の頼みなら無下にはできん。任せよ。大船に乗ったつもりで安心しておくといい」

 

 書類に書かれていた依頼主は懇意にしているSG社。そしてその依頼は競合他社を叩き落とすための一手だった。

 

「それにしても、なぜ人間は世紀末を迎えても利益を求めて争うのじゃ?」

 

「それが人間だからじゃないかね。知らんけど」

 

「度し難いのう。他人の命より己の権益の方が大切か」

 

「俺らが言えたセリフではないな、それは」

 

 指揮官にそうツッコまれ、そうじゃったなと返しながらグイッとカップを傾ける。そして苦虫を噛み潰したような表情を見せながら、カップを置いてポケットのアメを取り出しながら一言。

 

「にがっ」

 

 

 

 

 さて、指揮官たちが執務室でのんびりしている時、そこから山を一つと少し過ぎた場所に位置するゴーストタウンにトンプソンたち遠征組の第一陣は居た。

 

「ここも昔は、凄く栄えてたんだろうが……」

 

 壁が半分以上崩れ、本来の設計の倍は窓が広がっている廃墟と化した食料品店には、至るところに略奪された形跡が見受けられる。店の外にあった白骨死体は、この店の店主のものなのだろうか?

 考えても答えの出ない事を考えながら、窓以外の場所からも射し込む薄日の光にサングラスの奥の目を細め、足元の瓦礫をその細腕からは考えられないくらいの強い力で退かす。

 

「おっ」

 

 そして、その下から目当てのブツを見つけたトンプソンは、その表情を喜びに緩めて一つ手に取った。

 汚れを手で払い、射し込む光にかざして見れば、どうやら魚の水煮の缶詰を示す掠れた文字が辛うじて読み取れる。賞味期限は……5年も昔に過ぎ去っていたが。

 

「問題ないな」

 

 過去の記録には、最長でも114年の歳月が経った缶詰が問題なく食べられたというデータもある。

 だからという訳ではないが、見たところ問題も無さそうだし、何より貴重な魚だ。海が汚染され、食べられる魚類が庶民の手に届かなくなった現在では、賞味期限が大幅に過ぎたこの缶詰ですら相当な価値がある。

 

 これを己の持つルートに乗せればどれほどの利益を生むかを考え……背後からした物音に、咄嗟にサブマシンガンを向けた。

 

「トンプソンさーん。もう終わ……わわっ!?」

 

「……なんだステンか。脅かすなよな、私の引き金は軽いんだ」

 

「呼んだのに返事が無かったから見に来たんですよ!」

 

「そうだったか?なら悪いことしたな、全く気付かなかった」

 

 赤い上着にチェックのスカート。そしてトンプソンと同じく、その華奢な見た目に相応しくない無骨な銃。

 普段はマカロフと行動を共にすることが多いステンMK-Ⅱは、10倍の倍率を勝ち抜いた遠征部隊の隊員だ。

 

「そんなに考えこんでたんですか?」

 

「ああ。コイツでちょっとな……ほら見ろ、魚の水煮缶だ。スーパーレアだぜ」

 

「うわぁ……本当だ!私、実物なんて初めて見ましたよ」

 

「私も久しぶりだ。瓦礫の下にあったからか、どうやら誰も見つけられなかったらしいな」

 

 こういう場所にある希少価値の高い物は激戦区でもなければ誰かに持って行かれている事が殆どだが、今回は珍しい。

 恐らく、退かすのに相応の力が必要になる瓦礫の下なんて探すより、床に転がっている缶詰を取っていった方が労力も少なく済むから残っていたのだろう。

 

 目を輝かせてレアな缶詰を見るステンを横目に、トンプソンは他に食べられそうな物を探す。すると程なくして、十缶ほどの缶詰が見つかった。

 

「ステン、缶詰探すのを手伝え。まだ他にも食えそうな物が転がってる筈だ。

そんで、なんか欲しい缶詰があったら一つ取っとけ。さっきの詫びだ」

 

「いいんですか!?ありがとうございますトンプソンさん!」

 

 それから暫く、トンプソンとステンは食料品店を漁りまくった。棚を倒し、金庫をこじ開け、壊れたベッドの下まで探す。

 そして見つけたのは缶詰が追加で15缶と、ナニに使っていたのか分からないヨレヨレの成人向け雑誌が二冊(ちなみに金庫に入っていた。これを見つけたステンは大変ガッカリしたという)、そしてカビた食パンらしきものが少し。

 

 成人向け雑誌とカビた食パンらしきものは置いておくとして、缶詰が追加で15缶も見つかったのは幸運だと言う他ない。

 

「これ全部持って行くんですか?」

 

「ああ。このくらいの量なら、行動に支障はきたさないからな。ところで、何にするのか決めたのか?」

 

「やきとり缶にしました!」

 

「良いチョイスだ」

 

 見つけた缶詰の殆どはラベルが汚れすぎていたり剥がれていたりして、これらがどんな缶詰なのか分からないものの、彼女達にとっては滅多に食えない立派な御馳走だ。

 それに中身が分からないといったって、逆に何が出るか分からないワクワク感をスパイスとして与えてくれるとも言えるのだ。人間にしろ人形にしろ、射幸心を煽られるものに弱いのは変わらないらしい。これをS03では俗にガチャ缶と呼ぶ。

 

 そんなガチャ缶を使い古した布袋にステンと共に詰め込み、それを背負って食料品店を後にする。

 

「さて……」

 

 トンプソンは食料品店の穴の空いた壁から僅かに顔を出して、この街のメインストリートだった場所を睨んだ。

 

 動くものは、無い。

 

「左クリア。そっちはどうだ?」

 

「右もクリア。正面の廃墟にも動く影は見当たりません」

 

「オーライ。じゃあ、とっとと戻るか。帰りを待ってる奴らの為にもな」

 

 敵に出くわす可能性を考慮して、見晴らしのいい場所は避けながら集合地点まで小走りで向かう。

 

 彼女達が居るこの街は、かつてはそれなりに大きな地方都市だったらしい。今では見る影もないが、観光都市として栄えていたというデータが残されていた。

 

「この街に住んでいた人達は、一体どこに行ったんでしょう?これだけ大きな街なのに」

 

「さてな」

 

 周りの風景を見ても、人の居た痕跡すら影も形も見当たらない。

 

 かつて多くの人が暮らしていたであろう巨大なマンションは半分に折れ、数多の企業が集まっていたオフィス街は朽ち果て、休日になると買い物客で賑わっていた筈のショッピングモールは今やカラスの巣と成り果てた。

 

 沈んだ静寂にバサバサと羽ばたく音が響く。人が居れば自然と生じる活気や熱気は、もうここには無かった。

 

 大量に居たであろう人々は何処へ消えたのだろう。そして此処から消えた理由はなんなのだろう。

 街という大きな揺りかごを捨ててでも、人々が此処から消えなければならない理由。それはなんだったんだ?

 

 その答えを教えてくれる者は既に()いが、それでもステンは考えずにいられなかった。

 

 合流地点である町外れの駐車場に戻ると、他の三人は既に偵察を終えてトンプソンの帰りを待っていた。

 

「遅いですよトンプソンさん!」

 

「いやー悪い悪い。ちょっと調査に手間取ってな」

 

 ぷんすか!と可愛らしい怒り方をしているMP5に、トンプソンは袋から適当に缶詰を一つ放り投げる。

 

「取っとけ」

 

「わわっ……これ、缶詰だぁ!良いんですか?!」

 

「この仕事の正当な報酬さ、ボスも認めてる。そうだろAK?」

 

「そうそう、貰っときなー。あ、果物缶ってある?」

 

「んな高級品あるわけ無ぇし、あっても渡さねぇよ」

 

 怒り顔から一転、喜びに目を輝かせたMP5に現金な奴だと笑いながら、車の運転席に座っているAK-47と助手席のM38にも一個ずつ渡した。渡したのは当然、中身の分からないガチャ缶である。

 

 指揮官の指示が無い遠征は、指揮官が居なければ十全に能力を発揮できない人形にとって大きな危険を伴う行為だが、その代わりに見つけた物を一部ちょろまかしても見なかった事にしてくれる。

 何があるのか分からないんだから、それを元から持っていたのか、それともちょろまかしたのか調べようがない。というのは指揮官の言葉だが、それが方便である事など誰もが知っていた。

 

 そしてコレが、危険な仕事であるにも関わらず募集が絶えない理由でもある。

 リスクはあるが、上手くいけば金を払わずに味気ない配給に彩りがプラスされるのだ。日々の食生活が最低ランクのS03の人形たちにとって、それは抗いがたい魅力として映っていた。

 

「分かってるだろうが、他の奴には見せるなよ。飢えた狼みたいに群れを成して奪いにくるぜ」

 

「味気ない配給に、みんな飽き飽きしてるんでしょうね……」

 

「だな。メシは士気を保つのに重要だ。毎日のメシが味気なけりゃあ、日々の生活まで色気が無くなっちまう。

とは言っても、このご時世だ。味気なかろうと不味かろうと、食えるだけマシではあるけどよ」

 

 そういう意味では、自分達はまあまあ贅沢なことを言っているのだろう。だが衣食住が満たされると、今度は味のような付随する要素を求めてしまうのは当然のことだ。

 そして人形に植え付けられた欲求が経済活動を支えているという事実は、この欲求がどの人形にも存在するということと、下手な人間より余程社会の歯車として貢献していることを示している。

 

「それに、こっちは命をチップに危ない橋を渡ってるんだ。これくらいの楽しみが無きゃ、やってられねぇ」

 

 全員が缶詰を隠したのを確認してから、トンプソンは運転席側のドアに寄りかかった。

 

「で、そっちはそうだった。何かイイもん見つかったか?」

 

「どこかの誰かが後生大事にしまってた防災用の乾パンと水を各1箱ずつ。あとは街の真ん中くらいに、恐らく防災用の備蓄倉庫があるのを見つけました。中はまだ見てないんですけど……」

 

「後で皆で行こうかって、M38と話してたんだ。モノがあれば詰め込めるし、まあ最悪敵でも五人も居れば誰かしらは逃げられるでしょ」

 

「よし、じゃあ早速行くか。ステン、MP5、乗り込め」

 

 AK-47が運転する車は、その備蓄倉庫がある場所へと動き出す。まったく整備されていないコンクリートの道路は、ところどころで車を大きく揺らした。

 

「でも備蓄倉庫って、大抵の場合は真っ先に物資を放出する場所ですよね。もう残ってない可能性もあるんじゃないですか?」

 

「そこなんだよねー。街の真ん中って人が集まりやすいだろうし、MP5の言う通り、もうロクに物資は残ってない可能性が高い。

一応扉は閉まってたけど、あんまりアテにしない方が良いかな。見つけといてアレだけど」

 

「……なんか、イヤーな予感がすんだよな」

 

 そして

 

「その予感通りになるわけだ」

 

「うーん。残念っ!」

 

 錆びて動きの悪い鉄製の横開きドアをこじ開け、中に入ったトンプソンは溜息と共に呟いた。ケラケラ笑うAK-47が銃の先端でダンボールをひっくり返すと、ひっくり返った衝撃で埃が舞い上がる。

 

「けほっ、けほっ。酷い埃」

 

「こりゃハズレだな。逆に運がいいとすら思えちまうくらい酷ぇ」

 

「あるのといえば乱闘の痕跡くらいですね。その痕跡も相当年月が経過してるみたいですし、埃の積もり具合からしても、ここの物資が奪われたのはグリフィンがS03を統治する前でしょう」

 

 M38が分析しながら見ていた壁には、半分くらい壁と同化しつつある血の跡がある。

 

「とんだ無駄足だったな」

 

「収穫は乾パンと水が一箱ずつと、缶詰が20くらいかぁ。この規模の都市にしちゃ残念な収穫だけど、まあこんな日もあるよね」

 

「そうだな……っと、そろそろ時間だ。引き上げるぞ」

 

 アナログタイプの腕時計を見れば、もうそろそろこの街を出発しなければならない時間だった。

 トンプソンの号令で車に戻り、10分も車を走らせれば街と夕日を背に車が荒野を走る。

 

「基地に連絡を入れておきます」

 

「ああ」

 

 変わりゆく景色を窓から眺めながら、トンプソンは咥えたプレッツェルを燻らせた。

 

 バックミラーに映る都市の影は、まるで太古の昔からそこに存在していたかのように堂々と、そしてどこか寂しそうにそびえ立っていた。

 

*1
(社内調べ)



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S09地区のP基地へ


段落下げ出来ないおま環不具合はいつの間にか直ってました。誤字報告機能を使って段落下げに協力して下さったユーザーさん有難うございました。

さて、今回は焔薙さん家の『それいけポンコツ指揮官とM1895おばあちゃん!!』の世界にお邪魔する…………ための前段階です。読んだことの無い人は是非是非一度ご覧あれ。


マッチポンプ

依頼主:SG社

どうもレン指揮官。まずは負け犬たちの排除、お疲れ様でした。

その問題が解決して早々で申し訳ありませんが、更に追加の依頼をさせていただきます。

ご存知の通り、我々SG社は食糧のシェアをかなり握っている大企業です。下は小売店、上はグリフィンのような特権階級の皆様にまで、幅広くご愛顧を頂いています。

ですが、競合している企業が無いわけではありません。中でもヒューマンフード社(以下FF社)はその最たる例でして、最近になって現れた新興企業にも関わらず、数々の企業を吸収合併できる程に成長しています。
もちろん、この成長ぶりにはカラクリがあります。FF社は我々や他社の社員をなりふり構わない引き抜きなどの違法スレスレな行為によって、ノウハウなどを盗んでいるのです。

当たり前ですが、どの会社にも、その会社が築き上げた独自のノウハウや顧客があります。我々のように会社と誠心誠意お話をしてちょっとノウハウや顧客を借り受けるならまだしも、それらを無闇矢鱈に奪うのは善い行いとは言えません。

しかも、どうやら彼らは成功したことで調子に乗っているようで、無謀にも我が社を追い落とそうとネガティブキャンペーンまで行い始めたのです。

我が社の支持基盤は、あのような弱小企業の戯言で揺らぐほど弱くはありません。しかし、このまま放置して好き放題やらせていると、虚言に惑わされる方々が出てこないとも限らない。
競合他社の存在は目障りですし、更なる力をつける前に叩き潰します。ですが理由も無しに喧嘩を売ると外聞が悪いので、こちらから攻め入る大義名分を作るところから始めます。

先日、FF社を装った我が社の社員が、今日の食事にも困るような浮浪者たちに声をかけ、彼らをテロリストに仕立てあげました。
彼らには、地方にある我が社の直営店舗を襲撃してもらって被害を出してもらいます。店舗の警備担当者次第ですが、お客様の犠牲は最小限に抑えられるつもりです。

ですが万が一で、即席のテロリストもどきに遅れをとるようなことがあるかもしれせん。レン指揮官にお願いしたいのは、その万一が起こった時のためのセーフティなのです。

これは警備の抜き打ちテストも兼ねていますから、出来る限り手だし無用でお願いします。出番があるまで、近くのカフェでお茶でも飲んでくださって結構ですよ。領収書をSG社名義で切ってくれれば、余程の金額でなければ此方で仕事の報酬として飲食代を払います。

もし万一の事態が起こった時は、追加で報酬を払う事を約束しましょう。

これはFF社を蹴落とすための計画の初手です。レン指揮官に本格的に仕事を頼むのは次の一手からになりますが、初手からつまづかずに安定して計画を進めるためにも今から宜しくお願いしますね。


成功報酬:飲食代(10000まで)
追加報酬:弾薬200




 

 作戦前日の夜、指揮官とネゲヴは59式の研究室に来ていた。何故かペルシカに呼び出されたからだ。

 

 点灯している幾つものモニターの中でも一際大きいそれには、2人を呼び出したペルシカの姿が映っている。

 そのペルシカから放たれた言葉は、指揮官の頭を混乱させるのに十二分な威力を持っていた。

 

 ペルシカが養子縁組をしたらしい。それはいい。いや、結構な大問題であるが、それは一先ず置いておく。

 その養子縁組をした娘が人形との子供を作ったらしい。それもいい。いや、それだってかなりの大問題であるが、それも一先ず置いておく。

 

 分からないのは、そんな話を何でS03に持ってきたのか。そして、その話を聞いた指揮官に何をして欲しいのかだ。

 モニターに映る大天()の真意が分からない指揮官は、素直に疑問を投げかける。

 

「……つまり、なんだ。どうしろと?」

 

《一言で言えば力になって欲しい。正直、手段を選んでいられる状況じゃないの》

 

「でしょうね。あんたが恥も外聞も無く真剣に、しかもウチに頼んでくるってことは、つまりそういう事でしょうから」

 

 関わるだけで外聞が悪くなるのがS03という場所だ。真っ当な基地なら関わろうとしない此処にわざわざ頼みに来るということは、外聞を気にするだけの余裕が無いということの証明でもある。

 だけど、とネゲヴは一呼吸置いてペルシカを睨んだ。

 

「こっちのメリットは?」

 

《………………》

 

「養子縁組に関してはおめでとうと言っておくわ。その娘が孕んだのもおめでとう。お祝いするわ、言葉でね。

 で、それが私たちになんの関係がある?」

 

 善意で経済は回らない。好意で世界は動かない。

 

 善意より金銭を。好意より悪意と憎悪を。それぞれ要求するのが経済と世界である。

 当然ながら、ペルシカのお願いなんかでS03は動かない。

 

「いつから私たちの関係が仲良しこよしのお友達関係に変わったのかしら。

 私たちはあくまでも契約で関係を続けているだけでしょ?そこに友情は無いし、もちろん親愛も無い。あるのは互いの利益だけ」

 

《…………そうね》

 

「ウチにこの話が来た理由、なんとなく分かるわ。アンタとは関係が深いから、こういうものを頼みやすいとか思われたんでしょうね。

 だけど、肝心なことを忘れてる。私たちにも拒否する権利くらいあるってことを」

 

 つまり、ここで指揮官やネゲヴが「嫌だ」と言えば話はそこで終わってしまうのだ。

 もちろん今後ペルシカとの関係は悪くなるだろうが、そのデメリットを受け入れてでも断りたいと思っていたならば、断ることは出来てしまう。

 

「アンタなら分かってるでしょうけど、あえて言わせてもらうわ。この案件、相当な厄ネタよ。アンタの身の安全も怪しくなるだろうし、最悪の場合、権力闘争の末に巻き添えを喰らった基地が全て解体されかねない」

 

《でしょうね、それは分かってるわ。だから頼んでる》

 

「同じことを何度も言わせないで。私たちは友達じゃない。そして、頼まれたから"はい分かりました"って手を貸せるほど、我々は暇でもなければお人好しでもないの。

 もう一度だけ言うわ。私たちを動かしたいならメリットを提示しなさい。こんな特大の厄ネタに関わっても良いと思えるだけのメリットをね」

 

 ネゲヴとペルシカがモニター越しに目線をぶつけ合わせる。ここで退くわけにはいかないペルシカは強気に言葉を紡いだ。

 

《いざとなったら向こうの協力を得られるわ。あっちは色々と特異な基地だから、あらゆる意味できっとS03の助けになれる》

 

「絶対に?」

 

《……それは……》

 

「答えられないわよね。今の世の中、絶対なんて何処にも無い。そしてアンタは、その娘の義理の親でしかない。

 アンタがその娘に働きかけたとして、その基地を動かせる保証は無いし、その娘が助けてくれる保証も無いのよ」

 

 企業同士が印鑑を押して取り交わした書類すら信用できない世界だ。口約束など、とても信じられたものではない。ましてや指揮官ではないペルシカとの口約束など、余計に。

 口ごもったペルシカにネゲヴは厳しい目を向け続ける。そんなネゲヴの横で、指揮官は人差し指を立てながらペルシカに言った。

 

「一つだけ確認したい。それはお願いか?それとも俺たちに対する依頼か?」

 

《……なるほど。そうね、これは依頼よ》

 

 指揮官の一言で何が言いたいのかを理解したペルシカは、思わず悪どい笑みを浮かべながら頷いた。

 さっき言っていたネゲヴの"メリット"とは報酬のことであり、つまるところネゲヴは『助けて欲しいなら金払えやオルァ』と遠回しに言っていたのだ。

 

「報酬は?」

 

《私が出すわ。依頼の長さによって額は変わるけど、少なくない金額を約束する》

 

「その長さは?」

 

《応相談。娘と……ユノとも話をしないといけないから》

 

「仕事内容は?」

 

《それも応相談。もしかしたら、どこかのお偉方を吹き飛ばす仕事かも》

 

「なんだ、いつも通りじゃないか」

 

 そう、いつも通りだ。仕事内容と期限が分からないだけで、やる事は変わらない。むしろ依頼主が知っている奴なだけマシですらあるかもしれなかった。

 

「なんにせよ、殺し殺されの仕事である事に変わりはないんだろ?だったら、成果に見合うだけの対価を出してくれるなら俺たちに文句は無い」

 

《要は金出せってことね……なんか、改まって頼んでたのがアホみたいじゃない》

 

「実際アホだったぞ。なあネゲヴ」

 

「ええ。つべこべ言わないで最初から依頼として持ち込めばいいのに、何やってんのって思いながら見てたわ」

 

《あんたらねぇ……》

 

 どうやら、この二人に遊ばれていただけだったらしい。それについて文句のひとつも言いたかったが、今回は自分に非があるために何も言えなかった。

 

「ところで、ネゲヴと俺の素性って知られてないよな?知られてるとかなり面倒というか、付き合い方を考えないといけないんだが」

 

《多分知られてないと思うわ。レンはS03に篭ってるからデータも少ないし、ネゲヴは全ての書類で真実を隠蔽してるから平気なはず。

 もちろん私から漏らしたことは無いわ。内部パーツさえ見せなければ分からないんじゃない?》

 

「じゃあVendettaは置いてくか。もし見たことあるとか言われたら面倒だし」

 

「でも代わりの近接武器はどうすんのよ。とっつきは使い捨てだし、他に長物なんて……」

 

《あるわよ。最近になって出たんだけど、ネゲヴに支給される追加装備(スキン)に付属してるのが》

 

 その名を黒石姫。ゴブリンハンター(SPAS-12の追加装備)と同じコンセプトでデザインされた、西洋鎧と刀のセットである。

 

《手付金として、それを用意しておくわ。向こうに行く前に私のところに寄って》

 

 

 ◆◆

 

 

 企業間戦争

 

 SG社からの依頼を一言で表すのなら、きっとその言葉が相応しいのだろうと思う。

 元々その言葉は、かつては激化する情報戦などを比喩的に表現したものであったらしい。だが、昨今では文字通りの意味として使われる事が殆どだ。

 

 企業同士が戦争のような争いを繰り広げる……そう、今では企業も戦力を保持する時代になったのだ。

 各企業は自衛のためだ等と嘯いているが、使用目的がそれだけに留まらないのは誰もが知っていることである。競争相手を物理的に排除する、格下相手の脅しに使う。相手企業への侵攻など、数えだしたらキリがない。

 特に現在の依頼主であるSG社の戦力は凄まじく、平均的なPMCにすら遅れを取らないとすら言われているほどだった。

 

 …………そんな凄い戦力を自前で持ってるんだったら、なんで高い金を払ってまでグリフィンなんぞに頼るのか。自分でやれば良いじゃないか。という疑問を持つのは間違いではない。

 しかしこれには、やむを得ない理由があった。その戦力はあくまでも自衛のための戦力である、という建前だ。

 

 どれほど強大な戦力を保持していようと、名目上は自衛のための力。それを積極的に他所に出してしまうと、企業のイメージが悪くなる。

 

 常に付け入る隙を探して他社を蹴落とすのが常の世界でイメージの悪化というのは、それだけで致命傷になりかねないものだ。

 だからどの会社も大々的に部隊は動かせず、しかし他社を蹴落とすための難癖をつける機会を作るには戦力を投入する必要が出て来る。

 

 ジレンマのようなこの状況で輝いたのが、やはりPMCであった。金さえ出せば秘密を守り、自社より強力な戦力を使う事が出来る。そして誰でも使えるために、依頼主がバレる事も滅多にない。

 匿名性に優れているところが買われて、大戦が一時的に止まった10年ほど前からPMCは企業間戦争で使われ始め、今ではPMCの収入源の一つとして扱われるほど規模と市場が大きくなっていた。

 

「なんだか妙な依頼だな」

 

 とはいえ、このような依頼は流石に特殊な例だ。自分の会社を自分で襲わせておいて、それをお茶しながら見ていろなんて依頼はそう無い。

 SG社に指定された地方都市のカフェの壁際の席で、同じテーブルを囲んでいるネゲヴとM1895を見ながら、外行きの服を着ている指揮官は近くで買った新聞を広げつつそう言った。

 

「いいじゃない。こっちはタダで飲み食い出来るんだし、仮に何かあっても弾薬費は向こう持ちでしょ。こういう依頼ばっかりなら大歓迎なのにね」

 

 執務室に常備してあるクソ不味いものとは違うコーヒーを軽く口に含み、ネゲヴは満足そうに頷く。こちらは指揮官とは違い、"ネゲヴ"に支給されている白を基調とした服だ。

 そんなネゲヴの前で、M1895は微妙な表情を見せている。それは手元のケーキが口に合わなかったわけではなく、こうしている事そのものに原因があった。

 

「そうかのう……。わしはどうも好かん。特に、こうして黙って見ていろというのはな」

 

「ナガン。分かってるとは思うが」

 

「言うな指揮官。わしは仕事に私情を持ち込むほど堕ちてはおらんよ」

 

 思うところは当然ある。が、それで引き金を引く指が鈍ることは無い。どこまでいっても自分は道具なのだ。そして道具は人に使われるためにある。

 そんな自分が、持ち主の意に反するような事を出来るはずが無かった。

 

「それより、俺は向こうで歓迎されるのかね。担当地区を明かした瞬間に帰れとか言われないよな」

 

「以前わしらが行った時に拒否はされんかったから、少なくとも門前払いは無かろう。依頼主も説得してくれておるだろうしの」

 

「ただ、門前払いはされないのと、歓迎されないっていうのは矛盾しないのよね。態度や目線で露骨に見下された事が何度あったかしら」

 

「あの娘に限ってそれは無いと思うがのう」

 

 ワザとらしい甘さが人形・人間を問わず不評の飴玉をこよなく愛する甘党のM1895は、同じ飴を好む者に悪い者はそんなに居ないと思っている。

 そしてその飴玉を好きよりの普通な感じで消費する向こうの指揮官に、M1895は謎の親近感を覚えていた。

 

「直接行った事のあるナガンの言葉だから信じるけど、なんか緊張すんだよなぁ」

 

「そう気負わなくても良いわ。私もフォローするし、最悪ペルシカがモニター越しにフォローしてくれるでしょうしね」

 

 別の地区の指揮官と直で会うのが久しぶりだからか、珍しく緊張しているのを隠さない指揮官にネゲヴが優しく微笑みかける。それを見た指揮官は安心したように顔を綻ばせ、頷いた。

 

「安心した……そういえばアイツ、なんで来ないんだ?向こうの指揮官を義理の娘にしたんなら、また会いに行けばいいのに」

 

「他所に連絡取ってるんでしょ。こういう話が来てるのは私たちだけな訳ないし、通信を秘匿するなら16Labは最高の環境だもの。はい、あーん」

 

 チョコケーキを指揮官の口に突っ込みながらネゲヴは予想を口にする。

 何か忙しそうにしていたのは、今ネゲヴの足下に置いてある追加装備(スキン)の入った棺桶みたいなトランクケースを、此処に来る前に16Labまで受け取りに行った時に確認済みだ。

 

「それもそう……おっ?」

 

 唐突に地響きが起こったかのような衝撃と爆発音が聞こえる。ここからそう遠くない場所だ。

 いきなり起こったドンパチの予感に周囲の客や店員が狼狽えている中、指揮官たちは動揺することなくティータイムを続けている。

 

「始まったかな……ナガン。悪いが」

 

「うむ、承知した。行ってこよう」

 

 M1895はちまちまと消費していたケーキを急いで食べると、口元クリームが付いている事を気付かずにカフェを出た。

 このあとM1895は物陰から様子を窺い、場合によってはテロリストもどきを皆殺す仕事がある。

 

 ネゲヴは指揮官の護衛なので指揮官から離れられず、その指揮官は戦場に出していい立場の人間ではないので、こうして別行動だ。

 

「さて。俺らは向こうへの手土産にケーキでも買っておくかね」

 

「予算内で済ませてよ?」

 

「まだ5000も余裕あるんだから流石にオーバーはしないだろ」

 

 流石に手土産の一つもなしに出向くのは、元から悪い印象を更に悪くする行為でしかない。だが何を持っていけばいいのか分からない。

 迷った末に辿り着いた「向こうの指揮官は女だって聞いたし、甘いものでも持っていけばいいだろ」という安直な考え。それが正解だったのかどうかは、向こうの指揮官の反応で分かるだろう。

 

「さてさて、警備責任者が首を切られるか否か」

 

「何かあったらナガンが制圧する手筈になってるんだから、どう考えても首切られはしないでしょ。少なくとも物理的にはね」

 

「そうだな。物理的にはな」

 

 命は保証するが、それ以外の首切りは契約範囲外なので知ったことではない。だからあくまで他人事として2人は話していた。

 襲撃をされた時点で顔色は真っ青になっていそうだが……文句は自社の若社長に言ってもらいたいものだ。

 

「ところでネゲヴ。追加装備には鎧もあったけど、なんで貰わなかったんだ?」

 

「いらなかったからに決まってるじゃない」

 

 今、ネゲヴの足下にあるトランクケースには、追加装備の刀一振りしか入っていない。

 そのため、本来鎧を収めるために多く取られたスペースが丸ごと空き、今はこの地方都市で買ったお土産が代わりに詰まっていた。

 

「あれ買うと高いんだぞ。保証付きとはいえ25万もするんだからな」

 

「でもタダとはいえ、あんな置物貰っても置き場所に困るし……コスプレ衣装以上の価値は無いわよ」

 

「……かっこかわいいと思ったのにな」

 

 指揮官的にはちょっと未練がある。しかしそれを着るネゲヴが拒否しているのなら無理強いは出来なかった。

 まあVendettaの代わりに堂々と使える近接武器が手に入った事を喜ぼう。とポジティブに考え直した指揮官はコーヒーを飲み干し、伝票を持って立ち上がった。ネゲヴもトランクケースを持って後に続く。

 

「ケーキの持ち帰りってやってます?……そうですか、じゃあそのスウィーツの宝箱を、保冷バッグか何かに入れて一つ。領収書はSG社で切ってください。うん?クッキー?じゃあそれも。

 あ、釣りは要らないのでチップ代わりに取っておいて良いですよ」

 

 この状態でも普段通りな指揮官を何か異様なものを見るような目で見た従業員は、しかし横にいるのが人形だと分かり、更に金払いも良いと分かると態度を一変させた。

 指揮官をSG社のお偉いさんだと勘違いした従業員から丁寧に頭を下げられながらカフェから出ると、そこは騒ぎから遠ざかろうとする人がごった返していた。

 

「ちょっと遠くで軽い爆発音がした程度でそんな反応するかって、言っちゃ駄目なんだろうな」

 

「感覚が麻痺してる証拠ね」

 

「ホントだよ。改めてS03がクソッタレな職場だと実感するな」

 

 人の流れに従って道を流されるように歩き、駐車場に停めてある車の後部座席に乗り込んだ指揮官は、ケーキ5ピースセットを膝の上に置いた。ネゲヴはその横に座る。

 そんな指揮官に、運転席に座って帰りを待っていたFive-sevenが振り返った。

 

「おかえりなさい指揮官」

 

「留守番お疲れFive-seven。クッキー買ってきたぞ」

 

「気が利くわね。あたし、指揮官のそういうところ好きよ」

 

「どうも」

 

 運転席から道行く男をねっとり視姦しながら留守番していたFive-sevenは早速クッキーの入った袋の封を切り、ぱくりと一口。

 

「うん、なかなか美味しいじゃない。これだけでも運転手を買って出た甲斐があったわ」

 

「進んで運転席を買って出たのは、FALが怖いから逃げたかったからじゃないの?」

 

「それも無くはないわね」

 

 ネゲヴのジト目混じりのツッコミを軽く受け流しながらFive-sevenは通行人を視姦する作業に戻る。

 その様子は何処までも普段通りに見えるが、FALの名前を出した時に一瞬だけ目が泳いだのをネゲヴは見逃さなかった。

 

「煽りすぎたアンタが悪いんだから、帰るまでにお土産の一つでも買ってご機嫌取りしときなさい」

 

「そうするわ……またガチで襲われるのは、正直勘弁して欲しいしね」

 

 FALのことだから、1回Five-sevenを犬神家のオブジェに仕上げた時点で機嫌を直していそうではある。が、それでもご機嫌取りは必要だろう。

 さて、何で機嫌を取ろうかとFive-sevenが考えだしたところで、指揮官が言った。

 

「ネゲヴ。向こうの戦況は?」

 

「店舗の警備が頑張ったみたいで、無事に鎮圧完了。ナガンの出番は無かったみたいね。もう撤退してるわ」

 

「そりゃ嬉しい話だ。面倒ごとは無いに限る」

 

「ナガンが出たら、なんでもっと早くに来なかったんだって絶対に文句言われるのが目に見えてるものね」

 

 その手の文句は言われ慣れているものの、積極的に言われたいとは思わないので、そういう機会が来ないことは幸いだった。

 そしてM1895が帰ってくるということは、この依頼が完了し、次の依頼に取り掛れることを意味している。

 

「それじゃ、ナガンが戻ったら早速行くかね。次の依頼場所の……」

 

 そこはペルシカに、らしくない態度を取らせるほどの存在が居る場所。そして、今後様々な意味で注目されるであろう場所だ。

 

「……S09のP基地とやらにさ」

 





ここから焔薙さんにバトンタッチ……という名の押し付けです。いや、ほんとすいません。私にはこれが限界なんじゃ……

指揮官とネゲヴさんとナガンばあちゃんとFive-seven(エロうさぎ)は向こうでどんな歓迎をされるんでしょうね。私も楽しみです。



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互いに笑顔で突きつける


個人的に最速で書いてみた結果がコレだよ!

あ、前回と変わらず焔薙さんの世界にお邪魔しております。



 

「…………この辺で、そろそろ休憩といかぬか?あまり長く続けても、疲れた頭では納得のいく話し合いは出来まい」

 

 だいたい1時間くらい話しただろうか。このS09地区P基地の指揮官である"ユノ・ヴァルター"が知恵熱を起こしそうなくらい混乱しているのを見かねたP基地のM1895*1は、指揮官とネゲヴにそう提案した。

 

「そうだな。お言葉に甘えて、ちょっと休憩させてもらおうか」

 

 指揮官も車に揺られてからすぐに始まった気力を削るような話し合いに疲れていた事もあり、それに賛成する。

 流石に人前だからグダっとは出来ないが、それでも露骨に雰囲気がゆるゆるになった。

 

「ちょうど手土産に買ってきたケーキがあるわ。これでティータイムにしない?」

 

「ケーキっ!!」

 

「これこれ、急に動くでない。……さて、ならわしがお茶を用意するかのう」

 

 ケーキに勢い良く反応したユノに苦笑いを浮かべつつ、ネゲヴがケーキを持ってお茶を用意する【M1895】の横に立つ。

 特にやることの無い指揮官たちは座ったまま、お茶とケーキが来るのを待っていた。

 

(……それにしても)

 

 手持ち無沙汰な指揮官は目の前に座る少女を見る。もし指揮官用の制服を着ていなければ基地に迷い込んだ子供に見えるほど人畜無害そうな彼女は、しかしペルシカが気にかけるほどの"何か"を持っているに違いない。

 それが何かまでは分からないし、知るつもりも無いが、とにかく彼女は『特別』なのだろう。

 

(さっきから、なんかガチガチに緊張されてんな俺)

 

 しかし、特別とはいっても対人経験はあまり無いらしく、見てて可哀想になるくらい緊張していた。

 あまりに緊張しているものだから話しかけるのにも躊躇いを感じ、結果として気まずい沈黙が2人の間には降りていた。

 

「……あの」

 

「どうした?」

 

 まあ、初対面ならこんなもんか。と指揮官が勝手に納得していると、ガチガチに緊張しながらもユノが声をかけてくる。それに僅かな驚きを感じつつも指揮官は言葉を返した。

 

「その……」

 

 ユノがいきなり頭を下げる。

 

「……ありがとうございます。助けてくれて」

 

「助けた訳じゃない。俺たちは依頼を受けただけだ。それ以上でも以下でもない」

 

「でも、結果として助けてくれますし」

 

「フッ」

 

 その言葉に指揮官は思わず笑う。思わず漏れてしまったようなその笑いは、どこか羨望を感じるものだった。

 

「君を中心に考えればそうなるだろうさ。でも、俺たちからすればどうだ?なぜ助ける?何のために?」

 

「なぜ、ですか?」

 

「そうだ。……無価値なものはそこらじゅうに転がってるが、無意味なものはそう無い。物事が起こるには、どんな些細な事でも理由ってもんがあるんだ。

 もちろん、俺たちの行動にもな」

 

「それは見返りを求めておると言いたいのかの?」

 

 そう聞きながら【M1895】がお茶を4人分用意し、続いてネゲヴがケーキを置いていく。指揮官の前にはチョコケーキが置かれた。

 

「間違ってはいないが、合ってもいないな」

 

「どういうことじゃ」

 

「最終的に見返りは貰う。だから間違ってはいない。でも見返りが理由じゃないから合ってもいない」

 

 ネゲヴも椅子に座り、無言でお茶に口をつける。ネゲヴはホッと一息ついて指揮官を見た。

 指揮官もお茶に口をつけ、ちんぷんかんぷんなユノに向かって言う。

 

「俺たちがこうして動く理由はな、他所の基地と繋がりが欲しかったからだ。そして君たち……厳密に言うとペルシカは、俺たちの力が欲しかった。

 俺たちとアイツの利害が一致したから、こういう事になった。それだけだ」

 

「それだけ、なんですか……?」

 

「そう、それだけだ。そこに君が考えているような善意は欠片も無いし、そもそも入る余地すらない。これは取り引きの結果だよ」

 

「…………」

 

 バッサリと断言した指揮官にユノは何か言いたげに口を開けたが、しかし言葉にならなかったらしく口を閉じた。

 どこか気落ちした様子でケーキを食べはじめたユノに代わり、今度は【M1895】が口を開く。

 

「なるほど、言いたいことは分かった。お主らは或る意味で扱いやすいのう」

 

「お褒めに預かり光栄だな。……お茶のお代わりを頂いても?」

 

「構わぬよ。2杯目からはセルフサービスじゃがな」

 

「じゃあ私が持ってくるわ」

 

「頼んだ」

 

 ネゲヴが立ち上がってお茶を用意する。その後ろ姿を見たユノは、その目を動かして指揮官の指に嵌っている指輪を見た。

 

「そういえば、レンさんってネゲヴさんと誓約してるんですよね」

 

「ああ」

 

 ユノが彼らの来る前にちょこっと調べた情報によると、指揮官とネゲヴは誓約した間柄であるらしい。

 その部分に勝手ながら親近感を覚えていたユノは、思い切って聞いてみた。

 

「どうして、誓約しようと思ったんですか?」

 

「それは惚気けていいってことか?」

 

「惚気も聞きたいですけど、そうしようと思った決め手みたいなものはあったんですよね?」

 

「そりゃもちろん」

 

 ネゲヴが持って来たお茶で喉を潤し、指輪の嵌った手をかざす。指輪が明かりを反射して、きらりと輝いていた。

 

「ネゲヴと誓約しようと思った理由は単純だ。こいつしか居ない、そう思ったからだよ」

 

「ネゲヴさんしか居ないと思ったから……」

 

「まあアレだ。他人に語って聞かせるほど大した理由じゃないんだ」

 

 気恥ずかしさを隠すように指揮官はお茶を一気に飲み干し、立ち上がった。

 

「ちょっとお手洗いに行きたいんだが、場所はどこかな」

 

「それなら案内させよう。FMG-9」

 

「分かりました。ではこちらに」

 

 予め近くに待機させており、【M1895】の合図でスっと現れたFMG-9に連れられ、指揮官とネゲヴは執務室を出る。その足音が完全に聞こえなくなってから、【M1895】は感心したような溜息をついた。

 

「ペルシカがあやつらを寄越した理由が分かったのう」

 

「そうなの?」

 

「うむ。ああいう手合いは、目に見える成果があれば基本的に裏切らん。身を置いている業界が信用で成り立っておるからの」

 

 信用が無くなれば、それはその業界で仕事が出来なくなることを意味する。だから依頼主から裏切ってこなければ、向こうからの裏切りは基本的に発生しない。

 

「今のわしらが欲しいのは信用できる味方じゃ。そういう意味では、報酬さえ払えば裏切らん傭兵も条件に合致する。もちろん、傭兵稼業を営むS03もそうじゃ」

 

「確かに……言われてみれば、土壇場で裏切られるとか笑えないもんね」

 

 裏切られないというのは非常に大事だ。特にこれから先は何が起こるか分からないのだから、信用のおける味方は千金よりも価値のあるものである。その味方の実力が保証されていれば尚いい。

 

「うむ。しかもペルシカのお墨付きじゃ、実力の方も期待できるじゃろう。特にあのネゲヴは……」

 

 と、そこで言葉を切る。その様子を不思議に思ったユノは、首をかしげながら聞いた。

 

「おばあちゃん、あっちの副官さんがどうかしたの?」

 

「…………なに、心強い味方が増えたと思っただけじゃ。あやつは相当な実力者のようじゃからのう」

 

 もし戦えば、MOD化した自分ですらどうなるか分からない程のな。

 心の中でだけ言葉を付け足して【M1895】は曖昧に笑った。

 

 当然ながら負けてやるつもりは無い。だが、勝つビジョンが明確に見えないのも確かだった。

 まず、そもそもの雰囲気からして只者ではない。一体どれほどの修羅場を潜り抜ければ、ああも鋭い雰囲気を手にできるのか。そしてその横の指揮官も、人間にしては修羅場慣れているように見受けられる。

 

(ペルシカが珍しく気にかけとる訳じゃ。あれは普通ではないな)

 

 そもそもペルシカと普通に話せる間柄である事自体が既に普通ではないことの証明であるが、更にペルシカはやけにS03という場所を気にしている。

 それがどうしてかは分からないものの、その理由の一つに彼らの存在が含まれていそうではあった。

 

「このチャンスは逃せぬぞ。分かっておるな?」

 

「分かってる。上手くいくかは分からないけど……出来る限りやってみるよ」

 

 ユノが大きく頷き、その答えに満足した【M1895】は人形のネットワークを介してFMG-9に連絡を取る。

 情報部の部長として忙しく働いている彼女を案内役として待機させておいたのは、彼らの動向や内緒話を探るためだ。

 

(警戒しているのはお互い様じゃな)

 

 かなり経験を積んでいる【M1895】ですら良く見なければ分からないくらいしれっとネゲヴの太ももに武器を用意している辺り、相当警戒されてはいるようだが……過去に今と似たようなシチュエーションで何かあったのだろう。

 

 それを責める気はない。向こうからすればコチラはまだ完全に味方ではないのだから、指揮官を守るためにも武器を携帯するのは当然だとすら言える。

 それにこっちだって万一を考えて懐にリボルバーを仕込んでいるし、こうして何も話さずに情報を抜き取ろうとしているのだから、その点はお互い様だ。

 

「しっかし、なぜパイルバンカーなんじゃろうなぁ……」

 

 とはいえ、なぜ仕込み武器が近接武器──しかもとびきり扱いづらいパイルバンカー──なのかは分からなかったが。

 

 

 ◆◆

 

 

「こちらです」

 

「ありがとう。ちょっと時間掛かるかもしれないけど、待ってるのか?」

 

「ええ。レン指揮官とネゲヴさんを執務室まで安全にお送りするのが私の仕事ですから」

 

「じゃあちょっと待っててくれ。なるべく早く戻る」

 

 そう言って指揮官はネゲヴを連れ、トイレの個室に入った。

 個室に入った指揮官はズボンを脱ぐこともなく便器に腰掛け、鍵をかけた扉にはネゲヴが寄りかかった。個室に2人で入っているからか、微妙に膝が当たっている。

 

 実のところ、尿意など全く来ていない。トイレに来たのはネゲヴと2人で話せる場所と時間が欲しかったからである。

 顔を近づけた2人は小声で言った。

 

「毒殺は無し、と」

 

「まあ無いわよね。ここで暗殺なんてしたら、ペルシカの面子を潰すことにもなるんたから」

 

 とはいえ警戒するに越したことはない。なので指揮官は、ネゲヴが目配せで安全を証明してくれるか、ネゲヴが用意したものでなければ口をつけようとはしていなかった。

 

「ここの基地、どう思う?」

 

「友好的ではあるわね。それが表向きだけなのかはさておき、その一方で警戒はされてる」

 

「それは分かる。あからさまだしな……」

 

 あのFMG-9なんて情報を取ろうとしているのを隠そうともしていない。多分ワザとやってるんだろうが、それにしたって少しくらい隠してくれても良いんじゃないかと思っていた。

 

「あの子はどう?接してみて」

 

「眩しいな……ほんと、見てると吐き気がするくらい眩しい」

 

「好きなんだか嫌いなんだか分かりづらい表現ね」

 

 Five-sevenのようにダメージこそ受けていないものの、やはりそこはS03の住民である。光より闇の方が好ましく思えるのは仕方のないことだった。

 

「嫌いじゃない。ああいう善良そうな子は絶滅危惧種レベルで珍しいしさ」

 

「好きでもない?」

 

「…………仕事で会った初対面の奴だぞ。まだ素の性格も見てないのに好き嫌いなんて言えるかよ」

 

 否定も肯定も無し。つまりまだどちらにも転びうるということ。本気で印象が固まっていないのだろう、困ったように頬を掻く指揮官にネゲヴは笑いかけた。

 

「まあいいわ。とりあえず戻りましょ、まだ詰めなきゃいけない話もあるし」

 

「だな……さっさと戻ろう。あんまり長くても不審に思われるし、どうせこの個室にも盗聴器あるだろうしさ」

 

 2人は頷きあうと、水を流してあたかもトイレを済ませた風に個室から出ていった。

 

*1
以下【M1895】と記述





エロうさぎことFive-sevenが何をしてたのかは焔薙さんの方をチェックだ!


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酒酔いと嫉妬


突発性スランプから僅かな間だけ解放されたので初投稿です。



 

「……新たなボトルを1本、包んでくれぬか」

 

 夜のバーで独り飲んでいたM1895は、注文していたボトルを空にしてから、そう言った。

 カウンターにグラスを置く音が、雨の音をBGMにしたバーにやけに響く。

 

「もうお帰りですか?」

 

 珍しい、とばかりにバーテンダーが声を出す。普段の彼女は滅多に此処を訪れない代わりに、ひとたび訪れると朝まで飲み明かす事が多いのだ。

 それが、まだ夜が耽けきらぬほどの時間で帰ろうとしている。バーテンダーが珍しいと思うのも無理はなかった。

 

 そんなバーテンダーの問いに、しかしM1895は首を横に振って否定の意を示す。

 

「いや、場所を変えて飲み直す。適当に見繕ってくれ」

 

 なるほどそういう事かとバーテンダーは納得する。

 グラスの中で溶けかけた氷がカラカラと音を立てた。

 

「おひとりで、ですか?」

 

「いんや、指揮官のところにでも行こうかと考えとる」

 

 なんとなしに投げかけられた言葉の裏を、バーテンダーは正確に理解した。人形とはいえ女が、夜に酒を持って男の部屋に訪れる。それはつまり、そういうことなのだろう。

 

「そうですか。なら、あんまり安いのも考えものですかね」

 

「安酒で構わんじゃろ。あやつは味など分からん男じゃからの。後腐れなく酔えるかどうかが大事……そういう男じゃ」

 

 まあ、自分も"分かっている"とは言い難いがの。

 と内心で付け足しつつ、「ならそのように御用意しますね」と苦笑するバーテンダーに頷きを返し、くっと味の薄まった人工酒を呷った。

 

 氷水で薄まり、それでもなお強烈な喉を焼く感覚は、味というものを二の次にしてしまうほどのインパクトを持っていた。

 しかしそれでも消しきれない不味さに、自分から注文しておきながらM1895は思わずボヤく。

 

「しっかし、相変わらず不味いのう。これ」

 

「ナガンさんだけですよ。そんなエンジンオイルみたいな見た目と味の古臭い人工酒を嗜んでるの」

 

 そう言ってM1895を見る目には呆れと畏怖があった。よくもまあ、そんな物を飲めるなという呆れと、マトモな感性を持っていれば一口でギブアップするほど不味い物をぐびぐび飲んでいることに対する畏怖が。

 

「なんじゃ。最近の若いのは、第一に味だ見た目だと騒ぎおって。酒なぞ酔えれば良いじゃろう酔えれば」

 

「その考え、低層区画の人間ならまだしも、人形が持つには些か古臭いですよ」

 

 格安の値段を除けば全てが最低の廃液一歩手前なコレは、しかし意外なことに製造開始から1度も生産が止まったことが無いという。

 どう考えても止められて然るべきだろう。とバーテンダーは思うのだが、この人工酒の生産ラインが潰されていないのは、もしかしたら彼女のような愛飲家が買い支えているからかもしれない。

 

 ちなみにどうでもいい話だが、この人工酒は人形同士の贈り物として一定の人気を博している。

 そしてコレが人形から贈られた時には「お前が飲む酒なんざコレでいいだろ」という相手を見下した意味合いが込められているのだとか。

 つまるところ喧嘩を売るための手法として使われているのである。

 

 こんなものを飲んで動くのはロボット(オンボロ)だけという皮肉も込められていると言えよう。

 

「私は目の前のナガンさんしか知りませんけど、ナガンさん(M1895)って全員がこんななんですか?」

 

「こんなとはなんじゃ、こんなとは!!」

 

「実力無かったら誰も相手にしなさそうな面倒臭い奴って事です」

 

「ぬうっ?!」

 

 容赦ない言葉の槍がM1895の心を抉りにかかる。なまじ自覚があるだけに、反論も何も出来ない。

 

「とはいえ、私は尊敬してますけどね。副官さんみたいにインチキじみたスペックじゃなくて、ちゃんと技量で戦ってるところとか、好感が持てます」

 

「む、そうか……ふふん、分かっとるじゃないか。飴玉をくれてやろう」

 

「いらないですよあんなゴミ」

 

「表出ろお主ぃ!!」

 

 褒めたと思ったら返す刀で即座にdisる。S03に適応できただけあって、一見無害そうに見えるバーテンダーはイイ性格をしていた。

 

「ボトルにリボンでも結びますか?」

 

「いらん!それより待たぬか!この飴玉をゴミ呼ばわりじゃと!?」

 

「いやゴミでは?もはや味覚汚染物質でしょうそれ」

 

 しばらくワザとらしいほどの甘みが口に残り、何を口にしても甘味を与え続ける物を汚染物質と呼ばずして何と呼ぶのか。

 M1895の手前では誰も口にはしてこなかったが、恐らく誰もが思っている事だった。

 

 それを堂々と口にできる辺り、このバーテンダーのメンタルは並ではない。

 

「それはお主らが、この飴玉の本当の美味さを知らんから言えるのじゃ!」

 

「あーはいはい。用意できましたよ」

 

「人の話を聞かぬか!ふん、もうよい!」

 

「お気をつけて」

 

 ぷりぷりと怒りながら代金を置いて立ち上がったM1895は、エコバッグに用意されたボトルを手にバーを後にした。

 いけしゃあしゃあと丁寧に頭を下げるバーテンダーに見送られ、M1895は廊下の角を曲がる。

 

「まったく。最近の若いのは年寄りを労わろうという気持ちが無い」

 

 M1895は半ば無意識にそう言って、ふと動きを止めて窓を見た。そこには年端も行かぬ少女の姿だけが映っている。

 言葉で想像されるような年寄りなど、どこにもいない。

 

「……年寄り、か。こんな見た目で?」

 

 なんて馬鹿らしいのか、とアルコールで少し浮かれた思考で思わず嘲笑を浮かべてしまう。こんな見た目で年寄り気取りとは、周囲からすればあまりにも滑稽に見えるだろう。

 先ほど言われた、実力が無ければ誰も相手にしないというのも頷ける。どう考えたって背伸びした子供の強がりやごっこ遊びにしか見えない。

 

「しょうがないこと、なのじゃろうがのう」

 

 自分がM1895である限り、この見た目や物言いから逃れる事は出来ない。だからこの口調や物言いがお寒いものだと理解していても続けるしかないのは自覚していた。

 そしてこの考えが、純正品のM1895(自分)では恐らく思いつきもしない物であろうことも──

 

 と、そこまで考えたところで自分の思考に鍵が掛けられた感覚がした。無理やり電源を落として考えていた事を忘れさせるような強烈な思考洗浄が掛かる。

 

(……人形はあくまで人形らしく、与えられた役割を演じていれば良いと、そういうことか)

 

 I.O.P.が施したセーフティの影響か、M1895の思考回路のほぼ全てが洗われていく。

 そんな自分を、洗われない思考回路で客観的に眺めながら足を動かした。

 

 一歩を踏み出した足が地面に着かない内に思考洗浄が完了し、次いでシステムチェックも終わる。結果は数箇所を除いてオールグリーン。つまりはいつも通りの健康体だ。

 

「はぁ……」

 

 その数箇所からエラーメッセージが表示され、チリチリと脳内で小さな火花が散るイメージが浮かぶ。

 

 ──不明なデバイスが接続されています

 

 ──システムに深刻な障害が発生する恐れがあります。直ちに使用を中止し、当該デバイスを除去してください。

 

「うるさい」

 

 脳内アラートを一声で黙らせ、M1895はゆっくりと進み出した。

 

 慣れた手つきでポケットの飴玉を取り出し、片手で包み紙を解いて口に放り込み、"ハズレ"と書かれた包み紙を無言でポケットに戻しながら、指揮官の居るであろう執務室に足を向けた。

 

「指揮官〜。居るかー?」

 

「いるぞ。どうかしたか?」

 

 ノックをして開けた扉の先には、指揮官と副官のネゲヴが、いつも通り居た。

 

「仕事仕事で息が詰まっておるのではないかと思っての、息抜きに酒を持ってきた。無論わしの奢りじゃ」

 

「奢りか。そりゃいい」

 

「ネゲヴはどうする?一緒に飲むか?」

 

「遠慮しておくわ。2人で楽しみなさい」

 

 指揮官はネゲヴに書類を渡して椅子の背もたれに寄りかかり、背伸びをしながら仕事が終わった開放感を味わった。

 その傍らでネゲヴが机を使って書類の束を整え、それを持って扉の方へと歩きだした。

 

「じゃあ私は席を外すわね。でも指揮官?言うまでもないとは思うけど、ほどほどにしなさいよ」

 

「分かってるよ。明日に差し支えない程度にするって」

 

「なら良いけど。明日は私だからね」

 

 それだけ言うと、心なしか僅かに態度が素っ気ない気がするネゲヴは執務室の外に出ていった。カツカツと靴音が遠ざかっていくのを聞きながら、指揮官はグラスを2つテーブルに置く。

 指揮官がソファに座り直すと、隣に座ったM1895から揶揄うような目線を向けられていた。

 

「嫉妬されたかのう。これは明日が楽しみじゃな?よっ、色男」

 

「茶化すな。まったく……」

 

「まあ、たまには良かろう?歳上の酌に付き合うのも、若者の役目じゃよ」

 

「…………それは構わないんだけど。後が怖いっていうか、なあ?」

 

「それも仕方のない事じゃ。諦めよ」

 

 M1895が酒をなみなみとグラスに注ぐ。それを片手で持ち、横で同じように持っているM1895のグラスと触れ合わせた。

 

「今日を生き延びた幸運に」

 

「幸運に」

 

 触れ合った拍子に酒が少し溢れて手を濡らす。だが指揮官とM1895はそれに気を配らず、くいっと酒を呷った。

 

 指揮官は4分の1くらい中身を減らしたところでグラスから口を離して、口の端から顎へと滴る酒の一雫を手の甲で拭い、グラスを置く。

 ふう、と息を吐いて横を見れば、M1895がニヤリと笑った。

 

「いい飲みっぷりじゃな」

 

「お前に言われても、なんか嬉しくないな。俺より飲んでる」

 

 一方のM1895は一度グラスに口をつけただけで半分近い酒を消費していた。

 

「味わってないだろ。もっとこう……酒の旨味みたいなものを感じた方がいいんじゃないか」

 

「お主がそれを言うのか?酒なんて酔えれば構わないと宣っておったお主が?」

 

 鋭い返しに指揮官が言葉を詰まらせ、M1895は勝ち誇ったようにクックッと笑う。そして二口めで残りを全て飲み干したかと思うと、素早くボトルを手に持って新しく補充した。

 

「うむ。やはり美味いのう」

 

「お前だって、酒の美味さとか正直分からんし、そもそも酔えれば良いとか言ってたクセに。美味いとか分かるのかよ」

 

「気分の問題じゃよ。独りで飲むよりかは、他人と飲んだ方が美味く感じる。その相手がお主なら尚更じゃな」

 

 さっきの仕返しか、M1895に素早く入れたツッコミは、予め用意された台本を読むかのように出てきた反論に潰された。

 完全にやり込められた指揮官は面白くなさそうにグラスを勢い良く傾け、それが更にM1895の笑いを誘う。

 

「年季には勝てないか」

 

「そうそう。大人しくわしを敬うが良いぞ」

 

「ボディはチビッ子のくせに」

 

「それ言ったら戦争じゃぞ。よいか、戦争じゃからな」

 

 指揮官がグラスを空にして置けば、すぐにM1895がボトルの中身を注いだ。もちろん彼女自身のグラスも空になるなり補充する、を繰り返している。

 そんな調子でハイペースに飲み進めれば、1本しか無いボトルを空にするのに、そう時間は必要なかった。

 

「……むっ、もう空か」

 

 いくら逆さまにして振ってみても、もう一滴たりともグラスに注げない。そういう状態になって、ようやく突発的に始まった酒飲みは終わった。

 

「そりゃ、あんだけ馬鹿みたいに飲んでればな。7割くらい飲んだだろ」

 

 ハイペースだったとはいえ、それほど飲んでいないし酒の度数も強くはなかった事から指揮官もまだ素面に近い。

 そしてM1895もまた、素面同然といった感じでボトルを置く。

 

「ふう。なんだかくらくらしてきたのー」

 

 そして、とてもそうは思っていないのが明らかに分かる棒読み口調でM1895は指揮官に寄りかかった。

 そのまま帽子を外し、マントのように羽織っていた上着をテーブルに投げ、しゅるしゅると衣擦れの音と共に服を脱ぐ。

 

「毎度思うんだが、誘い方ちょっと雑すぎるだろ。年季はどうした」

 

「うっ、うるさい!お主のように場馴れしておらんだけじゃ!」

 

 人工物とは到底思えない柔肌が艶めかしく明かりに照らされた。まるで本物の人間のように肌は紅潮し、表面の温度も上昇していく。

 

 もう両手足の指で数えきれないほどしているというのに、まだ初々しさが抜けないM1895にネゲヴの時とは違う新鮮さを感じながら、指揮官は物欲しそうに目を向けるM1895を押し倒した。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

 結婚(誓約)しているというと妙な誤解を与えがちだが、指揮官は貞操観念が緩い。最早ガバガバと言ってもいいだろう。

 まあそもそも彼は元野良男娼だし、金を積まれれば男だろうが構わず抱くし抱かれる。という生活をしていたから、そういうものを求めること自体が間違っているのかもしれない。

 

 それはともかく、ここで重要なのは彼の夜を金で買えるという点である。

 

「………………」

 

「あの……ネゲヴ、さん?」

 

 執務室で正座する指揮官と、その前で仁王立ちするネゲヴ。彼女が放つ無言のプレッシャーに打ち据えられて、指揮官の体はドンドン縮こまっていった。

 

「指揮官には、手持ちの人形たちの面倒を見る義務がある。メンタル面も含めてね。それは分かるのよ」

 

 でもね、と言ってからカレンダーに書かれた予定を見る。

 

「明日はFive-seven、明後日はマカロフ、その次はFAL……ちょーっと多すぎないかしら?」

 

「はい……」

 

 正座する指揮官の太ももに、靴を脱いだネゲヴの足が乗る。問い詰めるような口調に反して、壊れ物を扱うかのような丁寧さで太ももをツーっとなぞった。

 

「今更かもしれないけど、もう少し自分を大切にしなさい。もう身体を売らないでも食べていけるんだから」

 

「……善処するよ」

 

「そこで止める、とは言わないのね」

 

「完全に止めたら困る奴が何人か居る。だから止められない。でも、お前の言ってることも分かるつもりだ」

 

 ネゲヴは肩をすくめて足を離した。

 

「今はその答えで満足してあげる。でも忘れないで、あなたの一番は何時までも私よ」

 

「もちろん」

 

「分かっていればよろしい。じゃあ、レン」

 

「…………おい?」

 

 仕事中の"指揮官"呼びではなく、プライベートな際に彼女が呼ぶ彼の本名で呼ばれた事に対して、嫌な予感を彼は感じた。

 

「今からベッド行きましょ」

 

「は?」

 

 そしてその予想通り、とんでもない発言が彼女の口から飛び出したのだ。

 じりじりとにじり寄ってくるネゲヴ。そんな彼女から逃れようと正座を解いた彼は、ネゲヴのボディが違う事に気付く。

 

「ちょっと待て。良く見たら今のお前のボディ、戦闘用じゃなくて寝室用の奴じゃねーか!」

 

「今さら気付いたの?」

 

 凄みと妖艶さを両立させた女の顔でネゲヴは逃げ出そうとした指揮官に近寄ると、手馴れた動きで指揮官を俗にお姫様抱っこと呼ばれる抱え方で抱えた。

 そういう行為用の寝室用ボディは普段使いの戦闘用と比べれば格段に性能が落ちるものの、男1人を逃がさないように抱えるくらいであれば造作もない。

 

「おいおいおいおい!?自分を大切にしろって言って直ぐにこれかよ!」

 

「夫婦の営みは別よ」

 

「おま……ナガンに嫉妬したのは分かるけど、こんな朝っぱらからじゃなくても」

 

「さ、いくわよ」

 

「話が通じねぇ!?って事は、もうキメてやがるな!」

 

 よくよく目を見たら、ハイライトが仕事をしていないような…………いや、それはデフォルトだったか。

 とにかく、いつもより淫靡で熱っぽい彼女は、お昼を過ぎるまで指揮官をベッドの上から解放しなかったのだった。

 



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