隣のほうから来ました (にせラビア)
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LEVEL:01 気が付けば怪物島

最初に耳に飛び込んできたのは赤ん坊の泣き声だった。続いて潮騒が聞こえ、海鳥の鳴き声と思しき音が耳に響く。

そんな不可思議な音を目覚まし代わりに、ゆっくりと目を開いた。

最初に視界に入ってきたのは雲一つない青々と良く晴れた空と太陽の光。同時に微睡んでいた意識がはっきりとしてきた。そのおかげで、自分が仰向けに倒れているのだということが分かった。

まるで自分のものではないように鈍く反応する手足を操って体を起こし、周囲の様子をしっかりと確認したことで、現在の状況が朧気ながら理解できた。

 

どうやら小舟の上にいて、どこかの浜辺に漂着したらしい。そして傍らには、船旅の同行者と思しき一人の赤ん坊がいた。おくるみの布に包まれて揺りかごの中で、元気いっぱいに泣いている。

揺りかごをよく確認すると、赤ん坊の名前を書いたであろうプレートが目に入った。ただしそれは何が原因か一部分が削り取られており、辛うじて確認できたのは頭文字がアルファベットのDであるということだけだった。

 

(……ん?)

 

その事実が記憶の片隅に引っ掛かる。赤ん坊・漂流・Dという頭文字だけが残された名前。断片的なキーワードから導き出された答えは、ダイの大冒険という言葉だった。その物語に登場する主人公ダイがデルムリン島という島に漂着するシーン。今の状況はまさにそれだった。

けれども理性がそれを否定する。

ただ似たようなシチュエーションになっただけで、そんなわけはないだろう。

そう心の中で否定した時だった。

 

「ピィ」

 

不意に聞こえてきた声のする方向に目をやれば、そこにはよく知った生物の姿があった。

ゲーム、ドラゴンクエストに登場するスライムである。水滴に可愛らしい目と口を付けたようなその姿は、見間違えようはずもない。

 

「……すらいむ?」

「ピィ!」

 

名前を呼ばれたと思ったのだろう、スライムが嬉しそうに鳴きながらピョンピョンと小刻みに飛び跳ねている。

だが、それ以上に驚くべきことがあった。しっかりと「スライム」と口にしたはずが、舌足らずな言葉しか出てこなかったことだ。

記憶が確かならば成人していたはずなのに。そういえば、周囲に見える景色はやけに大きく、自分の手足を確認すれば、記憶のそれと比較しても異なっており、やけに小さい。

 

「ピィ! ピィ!」

「一体どうしたというんじゃ? そんなに急かすでないわ……やや、小舟じゃと?」

 

落ち着く暇もなく聞こえてきた声を確認したところで、理性がついに白旗を上げた。

別のスライムに誘導されながら姿を見せたのは、鬼面道士のブラスという名のモンスター。ダイの育ての親だった人だ。

 

「昨日の嵐で流れ着いたかの? それに赤子の声も……やや、こんなに小さな赤ん坊が。それに、この子よりは成長しておるようじゃが、小さな子供がもう一人とは……」

 

ブラスは泣き続けるダイを抱き上げながらそう言う。

そして、その言葉を聞いた彼女はついに認めるしかなかった。

ここはダイの大冒険の世界であり、褐色の肌に赤い髪をした小さな子供の姿に転生しているということを。

そして、小さな子供である現在の姿には不釣り合いな――さながら前世の記憶とでもいえばよいだろうか――現代社会に生まれ、そして成人して働いていたはずの、自分の記憶と経験が存在していることを。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「坊や……いや、お嬢ちゃんかの? ワシの言葉がわかるかい?」

「うん、わかる」

 

ブラスの言葉に、彼女は頷きながら返す。

ここまで来て、下手にかき回す必要もないだろう。そう考え、わかることは素直に答えようと考えていた。自分は子供なのだから、出来るだけ子供らしく答えておこうとすることも忘れない。

 

「この子とお嬢ちゃんは難破した船に乗っておったのかい?」

「わからない」

「ふむ……二人は姉弟なのかい?」

「ううん、しらないこ」

「なんと……状況から考えれば、子供たちだけでも助けようとしたのじゃろうか……」

 

小舟の周囲には船の素材だったと思わしき廃材や荷物が散見されることから、ブラスは自分の推測は間違っていないだろうと結論付けた。偶々乗船していた子供を二人、命だけでも助かってほしいと誰かが小舟に乗せたのだろう。

 

「えーん! えーん!」

「おお、こりゃいかんの。赤ちゃんや、いい子だから泣き止んでおくれ」

「ピィ! ピィ!」

 

だがいつまでも思索に没頭することは許されなかった。抱いている赤ん坊の声に悩まされながら、ブラスは慣れぬ手つきで必死で赤ん坊のご機嫌を取ろうとするものの、うまく行かない。

長い年月を生きてそれなりの知識を蓄えていると自負しているブラスであったが、何しろモンスターなのだ。人間の赤ん坊のあやし方など知るはずもない。近くで成り行きを見守っていたスライムも慌てたように声を上げるがどうすることもできない。

 

「かして」

 

悪戦苦闘しているブラスを見かねて、彼女は動いた。子供を育てた経験など覚えている限りでは無かったはずだが、それでもモンスターのブラスよりはマシだろうという考えからだ。不安そうになりながらもブラスは赤ん坊を彼女に渡し、彼女もまた赤ん坊をゆっくりと受け取る。

抱きしめた赤ん坊の感触は、温かく、そして重かった。

物理的な重さと温かさも勿論あるのだが、それ以上に命の重さと温かさを感じる。これが人の命なのだということを感じつつ、彼女は見様見真似でありながらゆっくりと赤ん坊をあやしていく。

その甲斐があってか赤ん坊の泣き声は少しずつ小さくなり、そしてついには眠りについた。

 

「すーっ……すーっ……」

「やれやれ、助かったわい。何しろ赤ん坊のあやし方などワシは知らんからのぅ……おっと、いつまでも赤ん坊と呼ぶのも可哀想じゃな。はて、この子の名前はなんというのじゃろうか……」

「おなまえ? わたし、しってるよ」

「な、なんじゃと!? この子はなんという名前なんじゃ?」

「ほら、そこのかごにかいてあるの」

 

どれどれ、とばかりにブラスが揺りかごを確認すると、先ほど彼女が確認した頭文字以外が削り取られたプレートを見つける。

なるほど、ここに確かに名前が書いてあったのだろうが、削り取られてしまい読むことはできない。そしてこの少女は、文字が読めなくともそこに名前が書いてあることは判断できたのだから、そんなことを言ったのだろう。ブラスはそう考えた。

 

「なるほどのぅ……お嬢ちゃんや、確かにここに名前が書いてあったんじゃが、文字が消えていてのう……」

「よめないの?」

「あ、ああ。そういうことじゃよ」

「じゃあ、おなまえつけなきゃ」

「はは、そうじゃのう……」

 

この子の言うように、名無しのままでは色々と問題になるだろう。保護した子供に勝手に名前を付けるのは少々気が咎めるが、ずっと名無しで通すわけにもいかない。何か名前を付けなければ。

幸いにも頭文字のDだけは残っている。ならばせめてそこだけでも同じ名前にすれば、この赤ん坊の本当の両親も喜ばれることだろう。

 

「ふむ……D、ディー……ダオ……」

「だい!」

「ん!?」

「だい、だいがいい!」

 

頭文字のDにちなんだ名前を考え始めたところで、彼女は大声で名前を口にした。

それは、彼女の知る物語で赤ん坊に付けられた名前。その物語に従ってダイという名前を付けるように彼女は赤ん坊の名前を連呼する。

 

「わかったわい。ダイか、確かに良い名前じゃな。よし、今日からその子の名前はダイじゃ」

「うん。よろしくね、だい」

 

根負けしたように見えるが、ブラス自身もそれほど悪い名前だとは思っていない。ダイという名前自体は思いついた候補にあったのだし、それにいざ名付けてみると、まるで最初から用意されていたようにしっくりと感じる。尤も、ブラス本人は知る由もないが、元々名付けた名なのだからそれも当然なのだが。

そして彼女もまた、ダイと名付けられたことに安堵していた。

両親に名付けられた本当の名前はディーノだと知識としては知っており、その名前となるように誘導することもできたのだが、それでもやはりダイと呼びたかった。自分のエゴも混ざっているが、本来の物語に則した名前にした方が無難だろうと考えたからだ。

 

「……忘れるところじゃったが、お嬢ちゃんの名前はなんというのかの?」

「んー?」

 

ブラスに尋ねられて、彼女は返事に困窮した。

自分の名前と聞かれても、答えることができない。元々の記憶にある名前はこの世界で名乗るには場違いな名前であり、かといってこの体の少女が両親から授かった名前は知らない。

 

「……しらない」

 

そのため、彼女は名前を名乗ることができなかった。適当な名前を名乗ってお茶を濁す方法もあったが、そこまで頭は回らなかった。

 

「し、知らないじゃと?」

「うん、しらない。だから、おじいちゃんがつけて。だいといっしょがいい」

「ワシがか?」

「うん」

 

代わりに別のことに知恵を回した。ブラスに名付けてもらえばいいのだ。

ダイと一緒にデルムリン島に漂着したのであれば、ダイの近親者として物語に関わってくることは必然――現在の状況から推測すれば、ダイの姉という立場になるのだろう――と考えていた。

であれば、自分でその場しのぎに考えた名前を名乗るよりも、この世界に元々存在するブラスの方がよほど良い名前を付けてくれるに違いない、という打算込みの考えである。

 

そしてブラスの方は、彼女が名前を知らないことに驚いていた。まだ小さいものの、身近なやり取りでもこれだけ利発な顔を見せる少女が、よもや自分の名前を知らないとは思いもよらなかったのだ。

 

「ふむ、名前のぅ……ドロ……いや……」

 

それでも少女の願いを無下に断るわけにもいかず、ブラスは名前を考え始める。本来ならばダイの名前を考えるために悩んだであろう時間を、この世界では少女の名前を考えるために費やす。とはいえ、ダイの時とは違って指標になるものは何もない。

何かないものかとしばらく悩んでいたものの、やがてブラスは得心が行ったとばかりに破顔した。

 

「よし! お嬢ちゃんの名前は、チルノでどうじゃ?」

「ちるの!?」

 

候補に挙げられた名前に対して思いきり声を荒げてしまう。

その名前は、なんというか、うまくは言えないのだが、非常に元気な女の子に育ちそうではあるのだが、オツムの方は足し算すら覚束なくなりそうで。

それ以外にも、なんだか面倒なことを色々と引っ張ってきそうで、出来れば遠慮させていただきたかったのだが……

 

「むぅ、ダメじゃったかのぅ……? 頭文字がDのダイのお姉さんじゃから、頭文字をCとして、それでいて女の子らしい名前をと思って考えたのじゃが……」

「う、ううん! ありがとうおじいちゃん。わたし、ちるの」

 

ブラスの残念そうな顔を見てしまっては、無下に断ることもできなかった。それに、持って生まれた記憶が警鐘を鳴らしているからその名前は嫌だ、などという理由を言えるはずもない。

頭文字Cの縛りとするのならば、カーラ・キャサリン・セシリー・クレア・シンディなどなど、何でもあっただろうに何故チルノを選んだ!?

内心では色々と葛藤を感じつつも、チルノは精一杯の子供らしい笑顔を浮かべてチルノという名前を歓迎して見せた。

 

「はっはっは。喜んでもらえて何よりじゃわい。名乗り忘れておったが、ワシはブラスという」

「うん、ぶらすおじいちゃん」

「だー」

「あれ、だいもおきたの?」

「きゃっ、きゃっ」

 

寝起きであるものの笑顔を見せるダイとチルノを見ていると目尻が下がるものの、けれどもブラスはすぐに態度を取り直す。

 

「さて、チルノにダイや、少し真面目な話をせにゃならん。まだ小さなお主には理解できんかもしれんが、よぉく聞いておくんじゃ。まず、お主たちが乗っていた船は難破して、お主ら二人だけがこのデルムリン島に流れ着いたんじゃ。ここまではよいかの」

「うん」

「そして、お主らの本当のご両親については、手掛かりもすらない。つまり、ワシの力ではお主らを元のご両親のところに帰してやることはできんのじゃ……」

 

口にこそ出さなかったものの、ブラスは自身の無力感に悩まされた。魔王は討伐されたとはいえ、未だモンスターは恐怖の対象になったり、討伐されたりすることもある。程度の差こそあれ、どこでもあまり歓迎されることはない。人間とモンスターとの間には深い溝が存在している。それさえなければ、人間とモンスターが仲良く暮らせる世界だったのならば、協力して両親を見つけることもできたのだろう、と。

 

「じゃからワシは、お主たちを育てようと思うのじゃ。そしていつか、お主たちが世界を旅することができるくらいに成長したならば、この島を出て、自分のご両親を探しに行くことも出来るじゃろう」

「うん! よろしくね、ぶらすおじいちゃん。だい、わたし、おねえちゃんだよ」

「あーう、ねえちゃ、ねえちゃ」

「ははは。よろしくの、ダイ、チルノ。さて、まずは我が家に行こうかの。この島の案内もせにゃならんのぅ……」

 

ダイを抱きしめたチルノを先導するように、ブラスはデルムリン島の自宅へと向けて歩き出し、チルノはそれに追従するようにゆっくりと歩いて行く。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「すーっ……すーっ……」

「ふぅ、ダイはようやく寝付いてくれたか。いやはや、人間の子供を育てるというのは、かくも大変なのじゃのう……」

「ブラスおじいちゃん、お洗濯はこれでいい?」

「む? チルノや、少し待っていておくれ」

 

聞こえた声に返事をしながら、ブラスは自宅の外へと足を運ぶ。

外では洗濯物を干し終えたチルノが今か今かと待っていたところだった。物干し代わりの木には、自分とダイの洗濯物が揺れており、まだ少し水の残るそれは干したばかりであることを物語っていた。

 

「待たせてすまんの……ふむ、これなら問題もなかろう」

「やったぁ!」

「さて、ダイも寝付いたことじゃし、しばらくは時間も出来るじゃろう。チルノや、遊びに行ってもよいぞ」

「うん。ありがとう、おじいちゃん。それじゃあ行ってきます」

 

しばし洗濯物を吟味して、洗い残しなどがないことを確認してから、ブラスは合格を出す。そして、慣れぬ家事をしてストレスも溜まっているであろうチルノを遊びに出るように促した。

その言葉を聞くが早いか、チルノは駆け出して行き、その後姿を好々爺然とした表情でブラスは見守る。

 

チルノとダイがブラスに拾われてから、一年の年月が流れていた。

 

デルムリン島に流れ着いたときにおよそ一歳だったダイは、島に棲むマッドオックスの乳を飲んでスクスクと育ち、ハイハイや掴まり立ちをするようになったおかげで行動範囲が広がり、ますます大暴れをするようになってブラスとチルノの手を焼かせていた。

そしてチルノはといえば、元々の記憶を活かしつつダイの姉として振る舞いながら、子育てに不慣れなブラスをサポートしていた。赤ん坊が口に入れそうな危ないものを遠ざけたりミルクをあげるのを手伝ったり、炊事洗濯を覚えてからは育児に家事にと貢献している。尤も、チルノがいてこれなのだから原作のブラスがダイの育児にどれだけ手を焼かされたのかは推して知るべしといったところか。

 

そして、ダイが寝付くことで得られる自由時間を使い、チルノは島をジョギングしたり柔軟や筋トレを行ったりと、将来に起きる大きな戦いに向けて少しずつでも備えていた。

この世界がダイの大冒険であることはもはや疑いようもない。であれば、今からおよそ十年ほど後には大魔王バーンが攻め込んでくるだろう。転生前の記憶に従えば、それがはっきりとわかる。そしてダイの姉としてこの世界で生きている以上は、関わることは避けられない。

仮に知らぬ存ぜぬ関わらぬを貫き通せば、おそらくは本来の歴史の通りに事は運んでいくだろう。

けれどもチルノは、その選択肢を自ら捨てた。せっかくこの世界に関する知識を持って生まれてきたのだ。たとえ神の気まぐれの結果だったとしても、これには何か意味があるのだろう。であれば自分の持つ知識を活かして、この世界の結末を少しでも良いものにしよう。成長していくダイを見ながら、チルノはそう決意していた。

勿論、記憶に残る自分が気にならないわけではない。彼の知る物語の中には、何らかの要因で異世界に生まれ変わるというお話がある。その場合の多くは、元の世界の姿のままで異世界にたどり着く。逆に、今の自分のように別の姿になっているというのであれば、元の世界の自分は何らかの要因で死んでいる場合が多かった。

その法則に当てはめれば、元々の記憶を持っていた人間は、もう死んでいるのだろう。

前の世界に心残りが全くないといえば嘘になるが、現状では確かめる術もなければ、何かが出来るわけでもない。そして昔読んだ作品に関われるという事実に心が躍っていたのも否定はしない。

けれども、選んだのは自分の意志だ。だったらこの世界の住人として生きていこうと思った。

最初のうちこそ、少女に生まれ変わったことで言葉遣いや子供らしい態度を取ることに抵抗があったものの、精神が肉体に引っ張られるのか、それほど労せずに馴染むことができた。

 

そして今日もまた、日課のトレーニングを行っていたところだ。

まずは怪我などをしないように柔軟体操から。それを終えると、筋力トレーニングを行う。そして最後は、島に生息するモンスターたちを相手に戦闘トレーニングだ。とはいえまだ三歳の域を出ていないチルノにとっては、人から見れば戦闘トレーニングというよりもモンスターとじゃれあっているようにしか見えないのだが。

呪文も覚えたかったのだが、ダイの大冒険の世界では呪文を使うにはまず、使いたい呪文の契約の儀式を行わなければならない。その儀式を終えて初めて、呪文を使う第一歩を踏み出せるのだ。

まだ幼いチルノに、ブラスはそこまでの許可は出さなかった。本来の歴史から考えるに、もう少し大きくなれば呪文の契約も行わせてくれるのだろうが。

 

「ふぅ……ふぅ……こんなものかしらね? みんな、ありがとう」

 

トレーニングを行ってから、二、三時間も経過しただろうか。流れ出る汗を拭いながら、付き合ってくれたモンスターたちにお礼を言いながら解散を宣言する。

あまり長時間行うのは成長に影響が出そうだし、まだまだ小さなダイを放ってはおけないという親心から、チルノの訓練時間はそれほど長くはない。その分、密度は濃くなるように色々頭を捻っているつもりではあった。

モンスターたちのお別れの鳴き声を聞きながら、そしてトレーニングの仕上げとばかりに、島の外周をグルっと大きくジョギングする。とはいえ、まだ小さなチルノでは体力も続かないので、島全体を一周するどころか、半周にも満たない程度なのだが。これが彼女が現時点の修行メニューである。

 

「ほっ、ほっ、ほっ……あれ、何か光った?」

 

デルムリン島の外周に沿って走り続け、波打ち際を進んでいたときのことだ。視線の先にて太陽光を反射して何かがキラリと光ったのを確認できた。この島にはここまで光を反射するようなものなどほとんど存在しない。そのためチルノの興味をそそり、彼女はジョギングの足を止めて、反射したそれが何かを探し始める。

 

「たしか、この辺り……あった!」

 

光ったのは砂浜。それも波打ち際にほど近い場所だったはずだ。記憶を頼りに近づけば、それはあっさりと見つかった。

そこにあったのは一本のボトルだった。コルクでしっかりと封をされ、ガラスの中には何やら文字の書かれた紙が入っているのも確認できる。

 

「うわぁ、ボトルメールってやつよねこれ……へぇ、この世界にもこんな文化があったのね」

 

海水に濡れたボトルを持ち上げながら、チルノは感慨深げにつぶやく。ボトルメールとは、読んで字のごとく、瓶に封じて海などに流す手紙のことだ。手紙の内容は、どこかに漂着しているので助けてほしいといった重要性の高いものであったり、潮流を調べるために返送の連絡先を記載してあったりと様々だ。

チルノがこの世界に転生する前の世界では電子機器の発達により、ボトルメールという文化自体がマイナーなものとなっていたが、この世界ではまだ現役なのだろうか?

疑問に答えてくれるものはいないものの、いずれにせよ初めて手にしたボトルメールにワクワクしていたことは確かだった。

コルクを開け、瓶の中にある手紙を取り出して読んでみる。

幸いなことに手紙は、この世界の文字ではなく日本語で書かれており、まだこの世界のことを本格的に学んでいないチルノであっても読むことができた。

 

(日本語かぁ、ありがたいわね……え? 日本語??)

 

違和感のないことに違和感を感じて、手紙を読む手を止めた。

そう、手紙は日本語で書かれている。この世界の住人では決して書くことのできない文字だ。

得体の知れなさに恐怖しながらも手紙をゆっくりと読み進めていく。回りくどい表現が多かったものの、手紙に書かれていた内容は、要約すれば以下のようなものだった。

 

『この手紙を読んでいるということは、無事に転生できたようですね。おめでとうございます。

当初の約束通り、貴方はその世界に存在する魔法や能力を。その世界に連なった他の世界に存在する分も含めて、全て覚えられるようになっています。

覚えられるだけであり、使いこなせるようになるには、ご自身の修練が必要不可欠ですが。

また、いきなりそう言われても実感がわかないでしょうから、その世界の一番初級の魔法を1つだけ使えるようにしておきました。

その世界での生活に幸あらんことを願っております。

 

追伸

この手紙は、読み終えると自動的に抹消されます』

 

「わっ!」

 

手紙を全て読み終えた途端、手紙に火がついたかと思えばあっという間に燃え尽きてしまった。

 

「び、びっくりしたぁ……それにしても、あの手紙。アレに書いてあったことを信じるのなら、私はこの世界に転生することを願ったってこと?」

 

異世界転生のオーソドックスな流れとしては、神様・天使・上位存在……まあ、呼び方は色々あるだろうが、人間にはありえない不思議な力を持った存在と出会い、転生する先の世界と転生時に持っていく何かを交渉する。というものである。

ただ、チルノが記憶を幾らひっくり返しても、この世界に来ることを望んだ記憶など存在していなかった。出会っているが記憶処理をされて忘れている。という可能性もあるだろうが、そうであればわざわざ手紙でコンタクトを取ってきた理由がわからない。

しばらく頭を捻るものの、妙案はまるで浮かばなかった。

 

「はぁ、もういいわ……気を取り直して。確か、一番初級の魔法を使えるようにしておいた、って書いてあったよね。よし、だったら……」

 

目を閉じて精神を集中させ、見様見真似に呪文を使うように身振り手振りを見せる。集中力が最大に高まったと思ったところで目を開き、声高に呪文を口にした。

 

「メラ!」

 

しかし、なにもおこらなかった!

 

「えー……じゃ、じゃあ……ヒャド! ギラ! イオ! バギ! ホイミ! キアリー! トラマナ! レムオル! ルーラ! ライデイン!!」

 

とにかく思いつく限りの初級呪文を叫ぶが、そのどれもがメラの時と同じく何の反応も見せない。焦って興奮したまま口早にまくし立てたせいで、ついには息も切れる。

 

「はぁ……はぁ……だめ、何にも起きない……どういうことよ……初級の魔法って書いてあったわよね? 確認しようにも手紙は火がついて【ファイア】しちゃったし……えっ!?」

 

やけくそ気味な表現で吐き捨てた途端、小さな炎が発生したかと思えば、砂浜を焦がし始めた。とはいえ、可燃物もなければ、そもそも発生した場所が海辺だ。あっという間に波に飲まれてしまい炎は影も形も見えなくなってしまった。

それども、炎が発生したという事実はチルノを驚愕させていた。あれが手紙に書いてあった初級魔法なのだろう。であれば自分は何をした。何がきっかけで炎は起こったのか。

少し前の出来事を反芻してから、チルノは意を決したように再度口を開く。

 

「……【ファイア】」

 

その言葉に従い、再び炎が生み出された。明確な意思を持って生み出された炎は、しっかりと力強く燃え上がり、砂浜に高温を刻み付けていく。

 

「ああああああっ!! もうっ!!」

 

大声を上げながら頭を抱える。それは予想通りの光景が目の前で展開されたからこその行動。

もしもチルノが神へ向けて苦情を言えたのであれば、真っ先にこう言っていただろう。

 

これは隣の世界の魔法です!!

 

 

 




主人公の名前でオチ。そして世界違いの転生特典とそれに絡んだタイトルでオチ。
この時点で私的には既に九分九厘オチているので、以降の話は搾りカスみたいなものです。
蛇足ですよ、蛇足。


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LEVEL:02 これまでと、これからと

浮きが沈んだのを確認してから、タイミングを見計らって釣竿を引き上げる。針の先には大きめの魚が掛かっており、釣果を確認してチルノは満足そうな笑みを浮かべた。

釣り上げた魚を掴み針を外すと、植物を加工して作った手製の魚籠の中へ入れる。これで三匹目。数も大きさももう十分だろうと判断し、釣りは辞めて帰路へ就く。

 

「姉ちゃん、おかえり。釣りはどうだった?」

「ああ、ダイ。大丈夫よ、ちゃんと釣れたから。それよりも、ダイはまた遊んでたの?」

「うっ……ち、違うよ! 剣の稽古してたんだい!」

「ふぅん。それじゃ、後で稽古に付き合ってあげる。練習の成果を見せてもらうからね」

 

家路に向かう途中、どこからともなく現れたダイが合流し、チルノと並んで歩いていく。魚籠に入った魚を見せたり歩きながら素振りをしたりしながら談笑するそれは、どこから見ても中の良い姉弟のそれだ。血縁関係のない二人であったが、姉と弟という立場をごく自然に受け入れている。

 

チルノとダイ。二人がデルムリン島で生活するようになってから、およそ十一年の歳月が流れていた。

 

自分がファイナルファンタジーに登場する魔法や技能を使えると知ってから、チルノのトレーニングメニューには、魔法やアビリティの特訓が加わっていた。

基本となるファイナルファンタジーの世界がどこかは分からなかったが、手紙にもあった『その世界に連なった他の世界』という表現から、各シリーズであれば対応しているだろうと推測し、そしてその推測は的を射ていた。

おそらく覚えようと思えばあれもこれもと覚えられるだろうが、それには時間が足らなさ過ぎる。

そのため、白魔法・黒魔法を基本とした各種魔法に加えて、薬師としての技能。そして6作目に登場した必殺技を中心に鍛え上げている。

それ以外にも11作目に登場した釣りや料理、木工といった生産系の技能にも力を入れている――というよりも、デルムリン島で生活しているので必然的に自然と上昇している、というのが正しいだろう。

先の釣りもこの技能を使っているため、十分な釣果が期待できるというわけである。

余談だが、14作目にもクラフターというほぼ同一の役割が存在するが、チルノが知らないために生産系のイメージは11作目となっている。

 

「チルノ、それにダイともか。おかえり」

「ただいま、じいちゃん」

「おじいちゃん、魚釣ってきたよ」

 

言いながらチルノが魚籠を見せると、そこには三匹の魚がぴちぴちとしていた。活きの良さにダイもブラスも思わず歓声を上げるほどだ。

 

「すまんのぅ……本来なら、ワシがやらねばならぬことなんじゃが……」

「気にしないで、家族なんだから。それじゃあ、さっそく調理しちゃうね」

 

まずは火を起こさなきゃ、とばかりに調理場のかまどに薪を投げ込み、続いてそちらに手の平を向ける。

 

「【かえんほうしゃ】」

 

小さく呟くとチルノの手のから炎が伸びていき、あっという間に薪に火をつける。姉のそんな様子を見て、ダイは軽く嘆息する。

 

「いいなぁ、姉ちゃんは。呪文が使えてさぁ……」

「何を言ってるのよ。ダイだって、呪文の契約は成功したんだから。後は特訓あるのみ。大事なのは集中力とイメージよ」

 

あと少しで、魔王軍の本格的な侵攻が開始するはずである。それまでにメラとヒャドとバギくらいは覚えさせておきたいと考え、チルノはダイにはっぱをかける。

実際のところ、メラがあと少しのところまで来ているのだ。ダイのことだから、一つ覚えてしまえば、あとはその要領でとんとん拍子に覚えられるだろうと見立てている。

 

「それにしても、不思議じゃのう……チルノは呪文の契約には何一つとして成功せんかったというのに、今のように炎を起こしておる。ワシも長いこと生きておるが、そのような呪文は聞いたこともない」

 

ブラスが不思議がるのも無理はない。チルノが使っているのは、この世界には存在しない魔法なのだ。知っているものは、本人を除けば絶無と断言していい。加えて、別世界の魔法を覚えることでリソースを使い切っているのか、この世界に存在する呪文はメラやホイミといった初級の呪文ですら契約することが――この世界では呪文を使うには対象の呪文の使用契約が必要となる――できなかったのだ。

先ほど使用した火炎放射というのも、ファイナルファンタジーに登場する青魔法と呼ばれるカテゴリに属する魔法である。炎で敵を攻撃するというシンプルな魔法であるが、チルノが威力と範囲を上手くコントロールすることで、薪に火をつける程度に抑えてある。そうしなければ、軽く火事になる程度の惨事が起きていただろう。

 

――また、余談ではあるが、青魔法とは修練によってではなく、相手から特定の攻撃を受けることで覚える魔法である。だがチルノはその攻撃を受けていない。使用できるという認識を持ち、発動させるとどのような効果が起こるのかのイメージを持っていたからなのか、まるで今まで使えなかった青魔法を思い出していくかのように使えるようになっていた。

 

「もうおじいちゃん。理由は分からないけれど使えるんだから活用するってことで、そのお話は決着がついたでしょう?」

「うむむ……いや、そのことはわかっておるんじゃがのう……」

 

呪文契約を試みた結果、その悉くが失敗した翌日に、チルノは『なんだかわからないけれど、呪文が使えるようになっちゃった』と、理由をボカシながらも、ブラスとダイにファイナルファンタジー世界の魔法が使えることを申告している。チルノからしてみれば、自分が別世界の魔法を使えることをようやく公言できるようになった記念すべき日であるが、ブラスからして見れば子供が得体の知れない力を使えるようになった日なのだ。心配しないはずがなかった。

親の心、子知らず。とはよく言ったものである。そんなブラスの心配など知らずに、チルノは料理を進めていった。

 

「よし、これで完成」

「ピー!」

「……って、ゴメちゃん。見なかったけれど、今までどこに行ってたの?」

「ピーピピー」

「ふうん、洞窟の方にねぇ。あんまり危ないことはしないようにしてね。さっ、ご飯にしましょうか」

「ピー!」

 

出来上がったのは焼き魚に野菜のスープ。すると完成したのを見計らったように、ゴールデンメタルスライムのゴメちゃんが調理場に顔を見せた。原作ではダイやブラスしか通じなかった言葉も、長い年月を共に過ごしたことでチルノもわかるようになっていた。

 

「あっ、ゴメちゃん! どこ行ってたんだよ?」

「ピピー!」

「なんだよそれ? 心配したんだぞ!」

「これ、ダイ。そんなに目くじらを立てることもなかろう?」

「そうそう。それよりも、冷めないうちにさっさと食べちゃいましょう」

「ちぇー、わかったよもう。いただきます!」

 

ダイとブラスが待つ食卓に料理を運ぶと、すぐにダイが今まで顔を見せなかったゴメちゃんに反応していた。けれどもブラスたちにたしなめられ、不承不承引き下がると、魚に手を伸ばす。

最初のうちこそ不機嫌な表情をしていたダイも、食事をとるうちに機嫌が直っていった。

 

「へぇ、これすごく美味いよ。姉ちゃん、この魚もうないの?」

「え? 魚ならもうない……そんな顔しないの! ほら、食べかけだけど、私のあげるから!」

「へへへ、やった!」

 

一匹平らげた後もまだお腹がすいていたのか、半分ほど残っていたチルノの分の魚もダイはムシャムシャと平らげていく。

 

「そんなに食べて大丈夫なの? 午後からは剣の稽古の成果を見せてくれるって約束でしょ?」

「だいじょうぶだってば。このくらいの量ならペロリだよ」

「相変わらずダイは元気じゃのう。その元気の半分くらいは、呪文や学問にも向けてくれたらいいんじゃが……」

 

ブラスの恨みがましい言葉に、ダイの手が止まる。

 

「ワシとしては、ダイは勇者様にお仕え出来るくらい立派な魔法使いに育ててやりたかったんじゃがのぅ……」

「じ、自分の名前を書けるようになったし、難しい言葉だって読めるようになってるし、計算だって掛け算も割り算も出来るようになってるし……それに呪文だって、その、たぶん、もうすぐ使えるようになるって、姉ちゃんが……」

 

途端に自信なさげに呟くダイ。

なお、本人の名誉のために言っておくと、これは決して悪い成績ではない。ダイの大冒険の世界での識字率や教育水準からすれば、平均レベルは十分に満たしている。むしろ、デルムリン島という僻地であることを鑑みれば十分すぎるほどだ。

そして本人の宣言通り、魔法もあと一歩のところまで来ている。

そもそも原作では、ブラスの押しつけがましい教育方針が悪影響を与えたのか、ダイの学力はもっと低く、魔法もほぼからっきしだった。だが今回の場合、チルノが緩衝材としてうまく二人の間に入り、時にはダイへの教師役を演じ、時にはダイのライバル役を演じることで、修学することができた。元の世界のダイと比較すれば月とスッポンである。

――尤も、前世では現代社会で教育を受けたチルノと比較されたおかげで、相対的に今一つの評価を受けがちなのだが。

 

「ブラスおじいちゃん。もうそのくらいにしておいてあげて。ダイは運動の方が得意みたいだし、ね?」

「それは分かっておるんじゃが……」

 

血の繋がりのない、育ての親と子の関係でしかないとはいえ――ダイに自身を「お父さん」ではなく「じいちゃん」と呼ばせているのもその一環である――子供のために何か残してあげたいという想いがブラスにあった。

とはいえ彼に何が残せるかと考えれば、自身の種族が鬼面道士ということもあり、呪文くらいだ。ならばダイとチルノが立派な魔法使いになれるように、知識と呪文を授けてやろう。そう考えて、幼少期の子供達に教育を施していた。

だが結果はと言えば、チルノは呪文の契約が出来ず、その代わりに誰も知らない不可思議な魔法を操る。ダイは契約はできたものの肝心の呪文を使うことさっぱりである。呪文を教えようにも、押しつけがましい自身の教育方法よりも、チルノの教え方のほうがダイがよく伸びていると感じてしまい、けれどもそれでも諦めきれず、親代わりとしてなんとかしてやりたいと考えていた。

色々と複雑な親心なのである。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「じゃあダイ、まずはおさらいね。この岩を割ってみせて」

「ようし、見てろよ姉ちゃん」

 

食事を終え、少々の食休みを挟んでから、約束通りダイは剣の稽古をすることとなった。

自分くらいの大きさがある岩に向けて、ダイは木剣を構える。ちなみに木工の生産技能を駆使したチルノお手製である。

 

「でやああっ!!」

 

雄叫びと共に大上段に構えた木剣を、勢いよく振り下ろす。力いっぱいに振るわれた木剣は岩石を易々と切り裂き、見事に真っ二つにしていた。

 

「よしっ!」

「おみごと」

「ピピーッ!」

 

その見事な切れ味にチルノは拍手と共に称賛の声を上げ、一緒に見ていたゴメちゃんも我が事のように喜色を見せる。ダイの本人も、岩石を両断したことに確かな手応えを感じていた。

 

「じゃあ、次ね。行くわよ、【かえんほうしゃ】」

「え、ちょ……たあああっ!!」

 

両断成功に少し油断していたダイへ注意を促すように、チルノは有無を言わさず火炎放射をダイに向けて放つ。もちろん威力は抑えめであるとはいえ、まともに食らえば大怪我は免れない威力である。多少慌てつつも、続いてダイは炎へ向けて木剣を一閃させる。

次の瞬間には猛スピードの剣圧が火炎を切り裂き、ダイを飲み込むはずだった炎は雲散霧消していった。

 

「ふぅ……姉ちゃん! いきなりはないだろ!!」

「ピピー!」

「まあまあ、ダイもゴメちゃんも。成功したからいいじゃない。それに本番だったら、合図もなしに撃ってくるんだから。ちょっとでも合図した分だけよっぽど有情でしょ?」

「それはそうだけどさぁ。なんだか納得いかないよなぁ……」

「これで、雷刃も風刃も使いこなせるようになったみたいね」

 

剣技の成果にチルノは満足そうに頷いた。

雷刃。風刃。どちらもチルノがダイに教えた剣術の技である。力を使って敵を叩き切る雷刃に、スピードで形のないものを切り裂く風刃。

 

知っている人間が見ればすぐにわかるだろうが、これはダイが後にアバンから伝授されるアバン流刀殺法の大地斬と海波斬である。チルノの記憶の中から使い方や修行法を引っ張り出し、先行してダイに教えていたのだ。

尤も、名前だけはそのままだと問題がありそうなので、雷刃と風刃という名称に変えていたが。それ以外にも、体の使い方などの細かな点はアバン流の武術とは異なっているのだろうと考えているが、そこはアバン本人に矯正してもらおうとチルノは考えていた。

 

「まあ。姉ちゃんにあれだけ鍛えられれば、嫌でも覚えるよ」

「ちゃんと覚えてくれてお姉ちゃん嬉しいわ。それじゃ、次は打ち合いをしましょうか」

「へへ、やった」

 

チルノも木剣を構えると、ダイも呼応するように構えなおした。

 

「いつも通り、基本的には私が防御に回るから、遠慮せずに攻撃してきなさい」

「そう言っておいてちょくちょく反撃するくせに……」

「そりゃあ、隙があるからよ。文句があるなら、変な攻撃はしないように注意すること……【プロテス】……さてダイ、いつでも来なさい」

「いくよ姉ちゃん、とりゃああ!!」

 

そのまま姉弟の打ち合いが始まった。小声でこっそりとプロテスを唱えて、自身の防御力を上げる魔法をチルノが使っていたが、まあご愛敬である。誰だって痛いのは嫌なのだ。

そして、隙があったら反撃する。とは言ったものの、反撃の数は打ち合いの稽古をするたびに少なくなっていた。

 

「う、くぅ……」

 

振り下ろし、振り上げ、横薙ぎ、袈裟懸け。縦横無尽に繰り出される流れるような連続攻撃を、チルノは必死に木剣で受けていく。なにしろダイの日々の成長スピードが尋常ではないのだ。前日に教えた隙が翌日にはなくなっていることなど、よくあることだ。

竜の騎士という生来のセンスに加えて、何でも卒なくこなす姉に対してこれだけは優位に立てるということもあって、ダイは剣術の修行に熱が入り、そしてそれが一層の上達を促していた。

チルノも姉の意地とばかりに食らいつくものの、こればかりは相手が悪い。一合ごとに劣勢に陥っていき、ついにダイの打ち込みを受け止めたチルノが大きく体勢を崩す。

 

「隙あり!」

「なんの!!」

 

好機と見たダイが大きく剣をふるい、それに反応してチルノも反撃を繰り出す。とはいえチルノのそれは不安性な姿勢からの一撃である。十分な勢いで繰り出されたダイの攻撃と一瞬だけ交錯するものの、すぐに威力に負けて剣ごと弾き飛ばされる。

 

「あいたぁっ!」

 

そのまま勢いを殺さず、ダイの一撃は吸い込まれるようにチルノの頭部に当たっていた。

 

「や、やったー!! ついに姉ちゃんに勝ったぞー!!」

「あいたたた……とうとう負けちゃったかぁ……」

 

大喜びするダイと対照的に、姉は痛むおでこを押さえながらどこか満足そうにつぶやいた。

 

「少し前から、いつかは負けるなって思ってはいたけれど、とうとうこの日が来たかぁ……まったくもう、可愛くない弟なんだから」

 

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、ダイの頭をチルノはグリグリと乱暴に撫でまわす。短めに刈り揃えた髪がぐしゃぐしゃに乱れるのもお構いなしだ。

 

「わっ、たっ、姉ちゃん、やめてよ」

「すぐに成長期に入って大きくなるんだし、今はまだお姉ちゃんに撫でられてなさい」

「なんだよそれ? まったく、すぐ子供扱いするんだから」

 

私なんてさっさと追い抜いてもらわないと困るのよね。という言葉をチルノは飲み込んだ。

経過した時間と本来の歴史から考えれば、物語本編が何時開始してもおかしくはない。だとすれば開始の間にどれだけ鍛えられるかがカギになるだろう。全体の戦力が底上げされれば、これから起こる事件の数々も、多少は被害などが緩和出来るに違いない。チルノはそう考えていた。

そのためにも、自分程度の実力は追い抜いてもらいたいのだ。

 

「へへへ、でもなんだか嬉しいや。姉ちゃん、もう一本やろうよ」

「はいはい、未来の勇者様。私でよければ気の済むまでお付き合いしますよ。でも、私も受けてばっかりじゃなくて、攻撃あり。本気ありの形式でやるわよ。問題ないわね?」

「うっ……へ、平気だよ! だっておれ、姉ちゃんに勝ったしね」

 

本気あり、というチルノの言葉を聞いてダイは苦虫を噛み潰したような表情を見せるが、すぐに強気な表情を取り戻した。先の一戦を制したのが自信を与えているようだ。

 

「ピィィ!」

「あら、スラリンじゃない。応援しに来てくれたの? ふふ。じゃあ、これは絶対勝たないと」

「ピー!」

「へへ。ありがと、ゴメちゃん」

「むっ、ゴメちゃんはやっぱりダイの味方ね」

 

ダイにはゴメちゃんからの。チルノにはスライムのスラリンからの応援が、それぞれ飛んだ。このスラリンというスライム、何を隠そうデルムリン島に流れ着いたチルノの前に最初に姿を見せた個体である。

チルノのことが気に入ったのか何かにつけては彼女の前に姿を見せ、彼女が特訓やら魚釣りやらをしていると何かにつけて手伝っており、今ではデルムリン島で一、二を争うくらいに仲が良くなっていた。スラリンという愛称もチルノが付けたものだ。

なお、出典についてはお察し下さいである。

 

「さて、お互いに応援団もついたし、そろそろ始めましょうか?」

「いつもは大体おれからだし、今回は姉ちゃんからでいいよ」

「ふぅん、本当に……いいの!?」

 

『いいの!?』のセリフと共に、不意打ち気味に切りかかっていく。だがダイはその攻撃を余裕をもって大きく飛び退って避ける。

 

「甘い甘い、見え見えだよ姉ちゃ……」

「【エアロ】」

「いっ!?」

 

読んでいたのはチルノも同じだった。というよりも、これだけ見え見えの不意打ちが通じるなどとは欠片も思っていない。攻撃は目くらまし。回避に合わせて風を起こす魔法を使い、ダイの着地点目掛けて放つのが本命だ。

 

「わっ、たっ!」

 

魔法で攻撃を受けると考え、防御しかけたダイだったが、狙いは着地点となる足場である。しっかりとした足場を壊され、さらにはエアロの魔法の影響も受けてしまい、体勢を崩す。

 

「せいっ!」

「まだまだっ!!」

 

その隙は逃さないとばかりに、チルノの刺突がダイを襲う。だがダイは、不安定な体勢ながらも突きを木剣の腹で受け止め、同時に勢いに逆らわないようさらに後ろに飛んだ。

 

「【ブリザド】!」

 

間合いを離して、その隙に姿勢を整えたいのだろう。そうとわかれば遠慮はいらなかった。追い打ち代わりに続けて冷気を放つ魔法を浴びせる。うっすらと雪の結晶さえ見える、発生した局所的な冷気がダイに容赦なく襲い掛かる。

 

「風刃!」

 

けれどもダイは慌てずに、海波斬――もとい、風刃――を使い、冷気を切断する。瞬く間に霧消していくのは、魔法によって作り出された冷気の塊。そこまでは良かった。

 

「うっ!」

「ここまで、かな?」

「ピィ!」

「ピー!」

 

ダイの横には、木剣を首筋近くで止めたチルノの姿があった。タネは簡単、ダイがブリザドを斬っている間に近寄っただけである。

とはいえ、ブリザドの冷気の膜を目潰し代わりにして視界を狭くしており、もしもダイが魔法を食らえば冷気によって運動能力の一時的な低下を引き起こせる。切り裂かれたとしても、そもそも目潰し程度にしか期待していないのだから問題はないという、どちらに転んでも利点があることを狙っての行動だった。

とはいえ、決着のついたことによりゴメちゃんとスラリンの二匹が同時に声を上げた。

 

「ちぇーっ、でも姉ちゃんズルいよ! 不意打ちをしたり呪文で牽制したりしてさぁ!」

「ピー! ピー!」

「そりゃ、剣術だけでどうにかなるなら、そうしているわよ。でも悔しいけれど、正攻法じゃあダイには勝てないって、さっき証明されちゃったからねぇ。そういう小細工でもしないと、訓練にならないでしょ?」

「ええーっ、そんなことないよ」

「そんなことあるわよ。もしかしたら、もっと小細工の上手い敵と戦うかもしれないでしょ? そんなときのための訓練だとでも思っておきなさい。ね、未来の勇者様?」

 

ダイに素質があっても、まだまだ経験は少ない。だからこそ、チルノの簡単な罠にも面白いように引っ掛かる。逆に言えば、ここで少しでも痛い目を見せておけば、それは後々に繋がるだろうという考えによるものだった。

物語本編では、熾烈を極める戦いの連続なのだ。少しでも経験値を積ませておいて損はない。

 

「それとも、ダイも小細工する? 砂や花粉みたいなのを隠し持っておいて、近寄った時に投げつけるとか」

「そういうのはヤダ! おれは勇者になるんだから、そういう卑怯な手は使わないんだ!」

「だったら、私の小細工程度は地力だけで正面から対応しきれるようにしないとね?」

「なんだか姉ちゃんに上手く騙されてる気がするなぁ……もう、わかったよ! 姉ちゃん、もう一回!!」

「いいわよ。日が暮れるまで付き合ってあげる」

「ピィ!」

「ピー、ピピー!」

 

再びデルムリン島に木剣同士の打ち合う乾いた音が奏でられ、ゴメちゃんとスラリンの応援する声が響き渡る。

未来の勇者ダイ。現在修行中。

 

彼の名前が世に響く時は、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 




竜の騎士としての素質があっても、まだ子供だからそこまで劇的には強くならない。
チルノの能力は、自力で覚えて鍛えなければならないので成長は緩やか。
二人の特訓だって、本職から見れば非効率なので、バカみたいな強化にはならない。
これは一刻も早いアバン先生の特訓が待たれるところ。


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LEVEL:03 デルパ! イルイル! 前編

その日、南海の孤島であるデルムリン島に向けて航行する一艘の船があった。やや小さめではあるものの外洋航海にも耐えうる程度には丈夫さと頑丈さを持つそれは、帆に風を受けてゆっくりと進んでいく。

そして船上には、島の方角へ欲望に満ちた眼差しを向ける、四人の男女の姿が確認できた。

 

 

 

「洗濯終わり、っと。それにしても、ダイのも私のもだけど、随分服が傷んで来ちゃったわね。汚れも落ちにくくなったし……」

 

物干し竿代わりの木の枝に洗濯物を干し終えると、出来栄えを確認しながらチルノはつぶやいた。洗濯物の大半は大分薄くなっており、今にも擦り切れてしまいそうだ。衣類全体から見ても、落ちにくい汚れが所々に目立つ。

だがそれも仕方ないことだった。モンスターの隠れ棲むデルムリン島では、基本的にはこういった人間の作った品物が手に入ることはありえない。行商にやってくるよう奇特な人間など存在しないし、反対にモンスターが人間の住む町や村まで買い出しに行くこともない。

今現在チルノの前に鎮座する洗濯物たちは、チルノとダイが難破した船に積み込んであったであろう品物や、どこからか漂着したそれを拾ってやりくりするしかなかった。

先ほど『今にも擦り切れてしまいそう』や『汚れが目立つ』といったが、実際に擦り切れた服もいくつかあった。そのたびにチルノが古裂の布などを使ってどうにか補修していたのだ。そして前述の通りに洗剤も洗濯板も手に入らないにも関わらず、手洗いで汚れを落としている。こういったことも可能にする裁縫スキル様々である。

本来の歴史では、この島で服が必要なのはダイだけのため、多少乱暴に扱ってもまだ余裕があったのだが、チルノがいるせいで消費が二倍になっているので仕方のないことだった。

 

「すまんのうチルノ。本当なら、女の子のお主にはもっと奇麗な服の一つも着せてやりたいんじゃが……」

「おじいちゃんったら。その気持ちだけで十分だから、あんまり気にしないで」

「お主は本当に、優しい子じゃのう……」

 

優しい子というよりは、人間二人以外はモンスターしか生息しない島で十年以上も暮らしているうちに、人の目を気にするという感覚が抜け落ち気味なだけなのだが、育ての親フィルターを通したブラスには、親を気遣って我慢するという意味に聞こえたようだ。

 

「それに比べてダイのやつときたら、手伝いもせんとどこで遊んでおるんじゃか……」

「この間、剣術で私に勝ってから、この島を守る勇者になるんだってあちこちで公言してたし、またどこかで稽古でもしてるんじゃない?」

「島を守る勇者、のぅ……何を言っておるんじゃか……」

 

ブラスは胸中に複雑な想いを抱きながら、ダイが言ってた言葉を反芻する。

この島を守る勇者になるということは、当然この島に住み続けることとになる。だがダイは人間であり、自分はモンスターだ。いつかはダイも人間の輪の中で暮らす時が来る。

育ての親としては、ダイを人間と共に暮らせるようにしてやりたい。だが同時に、共に過ごしてきた家族としては、もっと一緒に過ごしたいという我儘な気持ちもあった。とはいえ流石に自分の我儘な感情を素直に表に出すほど、ブラスは若くはない。

 

「ふふふ、おじいちゃんも素直じゃないわね」

 

だがチルノには見破られていたようである。

なぜそんなに察しがいいのかと首をひねりつつも、ダイには内緒にするようにブラスが口を開きかけた時だった。

 

――ヒュロロロローッ

 

唐突に、指笛の音が響いてきた。

 

「む、なんじゃこれは?」

「これって、集合の笛? ダイが呼んでるってことかしら?」

「わからんのう。とにかく、行ってみるとしよう。何かあったのかもしれん」

 

これは集合の合図の指笛だ。この音を聞けば島中のモンスターがダイの下に集まるようになっている。これを鳴らすのは、この島ではチルノとダイの二人のみ。

訝しがりながらもダイの下へと向かうブラスとは対照的に、チルノは覚悟を決めた表情を見せる。

 

ついに物語が始まったか、と。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「み、みんなどうした!? 何事じゃ?」

 

チルノとブラスがたどり着いたのは、デルムリン島の海岸沿いにほど近い場所だった。

その場所には、ダイの指笛に呼ばれてきたのだろう、この島に生息する全てのモンスターたちが集まっており、その見た目は圧巻の一言だった。

 

「だれ、あなたたち……?」

 

集まったモンスターたちに目を向けたブラスとは逆に、チルノはその魔物の群れの中心にいる人間に目を向け、そして軽く驚いていた。

実はチルノは、島に来たのはパプニカの王女とその一行だと思っていたのだ。だが実際にいたのは、某三作目の勇者ご一行パーティのような見た目の四人である。

これは年表のように未来を知るが故の反応であり、同時に十年以上に及ぶ年月によって細かな内容を忘れていたことが原因だ。身も蓋もない言い方をすれば、彼らのことを忘れていたのだ。

一瞬困惑していたものの、すぐに『そういえばこんな展開があったわね』と思い出し、そしてすぐさま戦慄した。

 

「ほう、鬼面道士が一匹生き残っていたか……」

「あ……!? 勇者さま……!?」

 

一行のリーダーである青年――名前をでろりんという――の顔立ちを見てブラスの過去の記憶が刺激され、勇者ではないかと口をこぼす。

 

「それに可愛らしいお嬢さんもいるようじゃのう……」

「ぐひひ……こんな島にいい女がいるのか」

 

まぞっほ――ちょろ髭を生やした魔法使い――が目ざとくチルノを見つけ、へろへろ――まるで類人猿のような顔立ちと体つきをした戦士――が嘗め回すように見つめる。

この世界に来て、そして女として生きて、初めて体験する下卑た無遠慮な視線に、チルノは身をすくませ、反射的に腕で自分の体を隠した。

 

彼女本人に自覚はないが、チルノは十二分に美人に分類される容姿をしていた。燃えるような真紅の髪は十一年の間に彼女の腰のあたりまで伸びており、邪魔にならないように布でくくり、背中へと垂らしている。身体は長年の特訓で鍛えられたおかげですらりと整っており、褐色の肌の色と相まって健康的な色香を匂わせた。髪と揃いの紅玉のような輝きを見せる瞳に加え、姉としての経験から形成されたのだろう年齢以上に大人びた顔つきもそれを後押しする。

まだ十三歳という年齢であり、着飾る服もなければ男の視線もないデルムリン島という環境も相まって、女性としての魅力には少々乏しいものの、逆に言えばそれは時間と環境が整えばすぐにでも解決するということだ。実際の話、くたびれきった無地の布の服を纏っているだけだというのに、男の目を引いたのがその証左だろう。

 

彼女にとっての想定外があるとすれば、そういった視線を今まで一度も受けずに生きてきたことだろう。仮に、デルムリン島にまともな感性を持つ男性が一人でもいれば、耐性の一つも持てただろうが。

だが、身をすくめたのも一瞬のこと。すぐにチルノは勇気を奮い立たせて大声で叫んだ。

 

「みんな! そいつらから今すぐ逃げて!! はやく!!!」

「「「「「なっ!?」」」」」

 

偽勇者パーティの四人とブラスが異口同音に驚く。偽勇者たちは、なぜ自分たちが警戒されたのかに対する驚きの声を。ブラスは、なぜチルノが勇者を危険視したのかに対する驚きの声を。

そして突然のチルノの叫びに、集まったモンスターたちは首を傾げながらも、チルノの言葉に従いのそのそと勇者たちから離れていく。だがその動きは遅すぎた。

 

「チッ、予定変更だ。とっとと片付けるぞ、やれ!」

 

気付かれたのであればもはや正体を隠す必要はない。ゴールデンメタルスライムは惜しいが、怪物退治の報酬だけでも貰っておこう。そう判断したでろりんが合図を出すと同時に、近くにいたモンスターに向けて剣を振るった。

 

「ギイイイィィィッ!!」

 

偶々近くにいたマンドリルが斬撃を受け、絶叫と共に血しぶきが飛び散る。それが決定打となり、モンスターたちは我先にと一目散に逃げだしていった。

 

 

 

「ゴメちゃん。大丈夫だよ、相手は勇者さまなんだぜ」

「ピー! ピー!!」

 

一方その頃、ダイはゴメちゃんを掴んだまま、でろりんら偽勇者たちのところへ向かっている途中だった。ゴメちゃんは嫌がって身をよじり、何とか逃れようとするが、ダイの方が力が強いため逃げ出せない。

 

「へへへ、勇者さまも喜んでくれるかな?」

 

ゴメちゃんが嫌がっているのを人見知りのせいだと思っているダイは、無理矢理にでも連れて行こうとする。

なぜこんなことをしているのかと言えば、そもそもはダイがでろりんたちの船を見つけたことにある。立派な船と、それに乗った人間たちの姿を見つけ、ダイはそれを話に聞く勇者たちだと勘違いしたのだ。

本来の歴史より強さはあるのだが、人を疑うことを知らず、人を見る目は養われていない。こればかりは、多くの人間に接して経験の中から鍛え上げていくしかない。平和で純朴な存在しかいないデルムリン島では磨き上げられようもない能力であり、チルノも教えることを失念していた。

口八丁にすっかり騙され、さながら盗人に追い銭をやるがごとく、彼らが狙う獲物だったゴメちゃん――ゴールデンメタルスライムを、わざわざ届けに行こうとしていた。

 

「あれ……み、みんな!?」

 

だが朗らかムードは、前方から必死の勢いで駆け込んできたモンスターたちの姿を確認した瞬間に霧散した。血相を変えた仲間の表情を見て何かあったと思い、全力で彼らが逃げた方向へ駆け抜ける。

 

「ああっ!! じいちゃん!! 姉ちゃん!!」

「ダイ!?」

 

ダイが目にしたのは、島の仲間であるモンスターのうちの何匹かが傷つき倒れている姿――その中には、呆然と立ち尽くす自らの姉の姿と、その姉を庇う様にして血を流しながらも必死で立ちふさがるブラスの姿もあった。

慌てて駆け寄ろうとするダイの目前に、ずるぼん――偽勇者一行の紅一点な僧侶――が立ちふさがり、ダイの手からゴメちゃんをあっという間に奪い取る。

 

「えっ?」

「もう諦めかけていたのにねぇ。ウフフ。ぼうや、ごくろうさん。ご褒美をあげるわ。バギ」

 

ずるぼんの唱えた呪文によって生み出された風の刃がダイに襲い掛かる。突然のことにも関わず必死で避けようとするものの、ダイは裂傷を負ってしまう。

 

「くそっ! 負けるもんか!!」

「くっくっく。怪我をしても威勢がいいみたいだが、武器も持たない小僧に何が出来る?」

「武器がないなら、こうするだけだ! メラ!」

 

ダイが右手をでろりんに向けると、そこから大きめの火球が生み出される。

 

「なんじゃと! ダイが呪文を!?」

「いけえっ!!」

 

そのまま火球を、ピッチャーが野球のボールを投げるような動作で放つ。一直線にでろりんへ向かったそれは、だが距離が離れていたこともあってでろりんは余裕をもって避ける。

 

「おおっと、メラとはいえ呪文を使えるとはな。目的の物は手に入ったし、無理はせずに引き上げだ」

「ああ、あぶない! みんな、ふせるんじゃ!」

「イオラッ!!」

 

打ち込まれたメラのお返しとばかりに、でろりんは魔法力によって生み出された光球を地面に向けて放つ。爆裂系の中級呪文であるイオラは、地面に接触した瞬間に大爆発を起こして辺り一面を焼き焦がした。

 

「今のうちだ!」

 

爆炎と煙によって視界が封じられているうちに、でろりんたちはゴメちゃんを捕獲したまま小舟に乗って逃走。気付いた時には沖に停泊させていた帆船に乗り込み高笑いをしながら帰っていくところだった。

そしてダイたちは、そんな姿をただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ちっくしょう!! おれのせいだ!! おれが騙されなきゃ……」

「ダイ、自分を責めるのはやめなさい……」

「姉ちゃん!!」

「私だって、いざ戦闘ってなったら、途端に何も考えられなくなった……体が動かなかった……本当に情けないのは私の方よ」

 

偽勇者たちが去った後に残ったのは、怪我をしたモンスターたちとダイ達だけだった。

傷ついたモンスターたちはブラスの『こやつらはワシが治療するから、お前たちは一度家に戻っておれ』という言葉に従い、帰宅していた。

だが家に入るなり激昂するダイとは対照的にチルノは膝を抱えて落ち込んでいた。いつも見せているような元気な表情が今は見る影もないくらいに暗く沈んでいる。

 

「普段から偉そうにしておきながら、いざとなったら何にもできないなんて……」

「ほっほっほ。そう落ち込むことはないぞい」

「じいちゃん! もうみんなの手当ては済んだの!?」

「ああ。傷が深いのもおったが、命に別状はなかろう。数も少ないから、それほど時間もかからんかったわ。これも、チルノがとっさに気付いて逃げるように警告したからこそじゃろうな……」

 

ブラスが帰ってくると、ダイとチルノがそちらを向いた。ダイの方は弾け飛びそうな勢いだったのに対して、チルノの方はのっそりと顔を上げて視線を向けただけだ。

やれやれ。どうやら傷はチルノの方が大きそうじゃのう。ブラスは二人の様子からそう判断する。

 

「おじいちゃん……でも……」

「なに、気にすることはない。結局全員命が助かったのじゃし、お主のおかげで大勢の仲間が助かったことには変わりはなかろう。それに、誰が悪いのかと言えば、あの偽勇者たちじゃよ」

「そうだよ姉ちゃん! おれなんて、あいつらを案内しちゃったんだぜ。おれなんて……」

「こりゃ、お主まで落ち込んでどうする! ……コホン。とにかくじゃ、自分を責めるのは筋違いというものじゃよ。この島にはチルノを恨んでいるものなど誰もおらん。それに、失敗するのが悪いこととはワシは思わん。その失敗をどうやって糧とするかこそが、重要なのじゃろうな」

「うん……」

「ダイを見てみよ。お主の下であれだけ失敗したからこそ、剣術だけではなく呪文まで……む、そういえばそうじゃったわい。ダイ、お主、いつの間にメラを覚えたんじゃ!?」

「え? へへへ、ちょっと前にようやく使えるようになってさ。じいちゃんを驚かせたくって内緒にしてたんだけど」

「そう、よね……悩んでいるだけじゃ、ダメ……」

 

呪文を使えるようになって得意げな顔を見せるダイを見ながら、チルノは気力を奮い立たせていた。考えてみれば、自分にとってはこの世界に来ての初の戦闘。初めて味わった殺意であった。

平和な現代社会に暮らしていた記憶を持つからこそ、その感覚に悩まされた。なまじダイの大冒険という物語について知っていたからこそ、もっとうまくできると思い込んでいた。なまじ小賢しい知識があったからこそ、上手に立ち回ろうとしていた。

その結果が、これである。一言で言えば、過信しすぎていたのだ。

結局、人は出来ることをやるしかない。偶々その出来ることの範囲が普通よりもちょっとだけ広かっただけのことでしかない。

 

「うん、こうしていてもゴメちゃんは戻ってこない。こっちから行って、取り返しましょう!」

「姉ちゃん! 勿論さ!! あいつらをとっちめてやろうぜ!!」

 

ダイに関わると決めたのだから、これ以上落ち込んでいるわけにもいかない――空元気とも開き直ったともいう――そう決断したのなら、即行動である。ダイの怒りに呼応するかのように、チルノも立ち上がると大きく腕を天に突き上げて宣言する。

 

「ふむふむ。二人とも元気になったところで、ワシからのとっておきの援助じゃよ」

「なにこれ?」

「開けてみなさい」

 

そう言いながらブラスは、手に持っていた木箱を二人の前に差し出す。促されるままにダイは木箱を受け取り開けてみると、中には金属製の筒が何本も納められていた。

 

「これは……」

「魔法の筒じゃ。あの偽物どもと戦うならば、これを持っていくがいい」

「どうやって使うものなの?」

「これは中に生き物を一体だけ封じ込める筒なのじゃ。持って"デルパ"!と唱えれば中身が飛び出す。"イルイル"と唱えれば筒を向けた相手を封じ込める。誰にでも使える魔法の道具じゃわい」

「ふぅーん……」

「おじいちゃん、こんなものどこにあったの? 家の中では見たこともないんだけど」

「ああ、とある場所に隠しておいたんじゃよ。あまり大っぴらに見せびらかすには忍ばれるし、すぐ手に取れる場所に保管しておいて、誰かにいたずらでもされたらかなわんからのぅ」

「イルイルかぁ」

「!!」

 

箱の中の魔法の筒を一本手に持ち、ダイは何となく封じ込めのキーワードを口にする。その瞬間、唱えられたキーワードに従い、魔法の筒は向けられた相手――今回の場合はブラス――を封じ込めようとする。

だが、一瞬ブラスの全身が淡く光ったかのように見えたが、次に瞬間には何事もなくなっていた。

 

「……ふぅ、危ないのう。こりゃダイ! 気を付けんか!!」

「あれ、封じ込められないじゃないか」

「当り前じゃ。そもそも魔法の筒が封じ込められるのは『封じ込められても良い』と思っておる相手でなければ効果はありゃせんわ」

「え、そうなの!?」

「当然じゃろう。対象の許可さえあれば、無条件で吸い込める。じゃがそうでない場合は、筒の力に対して抵抗が出来るんじゃ。抵抗しきれる程にレベルの高い相手は、封じ込められはせんよ」

「勇者でも魔王でも問答無用で封じ込められる、なんて上手い話は存在しないってことね」

「そういうことじゃ」

「ちぇー、これがあれば楽勝だと思ったのに……」

 

魔法の筒を恨みがましい目つきで見ながら、ダイはそう呟いた。

もっと性能が良かったり、特殊な処理を施した魔法の筒であれば、ダイが思い描いていたような荒業も可能となるかもしれないが。

どっちみち、家から離れた場所に魔法の筒を隠しておいて正解だったとブラスは一人安堵する。

 

「つまり、奪還作戦にはこの島の仲間を魔法の筒に入れて連れて行けばいいわけね」

「そういうことじゃ。これならそこまで荷物にもならんじゃろう」

「ありがとう、じいちゃん。ようし、そうと決まればさっそく仲間集めだ!!」

 

喜び勇んで外に飛び出ていくダイを尻目に、チルノはブラスに頭を下げた。

 

「ありがとう、おじいちゃん。あんな凄いアイテムまで持ち出させてしまって」

「気にすることはないわい。その気持ちで十分じゃよ」

「あ……」

 

それは奇しくも、チルノがブラスに向けたセリフだった。いや、ブラスがチルノに向けて狙って口にしたのだ。

 

「うん、そうね。ありがとう。それじゃあ、行ってきます……って言いたいんだけど」

「そうじゃな。もう日が暮れる。出発は明日の早朝にした方が良いじゃろう」

 

既に西日が目立つようになっていた。今から出発したとしても、すぐに夜になってしまい、ロクに距離を稼ぐことも行動もできないだろう。

 

「……とりあえず、ダイを連れて一旦戻ってくるわね」

「苦労をかけるのぅ……」

 

行動力はあるんだけどねぇ……ダイの性格を羨ましくも不安にも思いつつ、チルノはダイを探しに外へ出た。

 

 

 

「あんな奴ら勇者でもなんでもない! 一緒に行ってぶちのめしてやろうぜ!」

「がうっ!!」

「よぉーしっ、いくぞーっ! イルイル!!」

 

ダイの唱えたキーワードに従い、サーベルウルフが魔法の筒に音もなく吸い込まれていった。

 

「いた。ダイ、何してるの?」

「何って、仲間を集めるんだろ? もうこんなに集まったんだぜ」

 

イルイルの呪文で魔法の筒に封じ込められた仲間たちを見せながら、ダイは得意げだ。

 

「あー……水を差すようで悪いんだけど、出発は明日の朝ね。今日はもう、日が暮れるし」

「ええーっ!! なんでだよ!! 今すぐにでも追いかけなきゃダメだろ!?」

「あいつらは船で逃げて行ったのよね? 真っ暗な海上で、北も南もわからない、少し先にも何がいるかわからない。そんな状態で動ける?」

「平気だよ。キメラに乗っていくから」

「それも同じだから。明かりも満足に見えない夜の中で、キメラがまともに飛べると思う? それに、下手に迷ったりしたら力尽きて海に落ちて、そのまま魚の餌よ」

「う……でも、もうこんなに集めちゃったし……」

「筒の中なら影響はないみたいだから、そのままでも問題はないわよ」

「でもさぁ……」

「それに、そもそもあいつらがどこに行ったか分かるの?」

「え、それは……姉ちゃんこそ、わかるのかよ!?」

 

意気込んでいたところに、姉から矢継ぎ早に指摘を受けて、ダイの気持ちがみるみるしぼんでいく。それでも一矢報いようと逆に質問を投げかけた。

 

「わかるわよ」

 

だがその反撃もあっさりとつぶされた。

 

「船は北に向かったでしょ? だったらここから一番近い、ロモスに向かったんだと思う。ゴメちゃんを連れて行ったってことは、王宮に献上するんだと思う。他の国って可能性もあるけれど、ロモスが地理的には一番近いし、ここで間違いないでしょうね。夜に王宮に入れるとは思えないから、厳密には明日の朝に謁見するでしょうから……」

「あ、あのさ、姉ちゃん……ろもすってなんだっけ?」

「え? ……おじいちゃんに習ったわよね。覚えてる?」

「う、それは……」

 

はぁ、とチルノはため息を一つ吐いた。

 

「おじいちゃんには黙っていてあげるから、ゴメちゃんを取り戻したら地理のお勉強ね」

「うん」

 

原作知識と状況証拠からせっかく推論を述べていた途中に口を挟まれ、何かと思ったら、まさかその前の地点でわからなかったとは。

予想できたこととはいえ、チルノがちょっとだけ泣きたくなったのは秘密である。

 

 

 

「おじいちゃん、行ってきます」

「用意はいいか?」

「うん。みんな詰め込んだよ。必ずゴメちゃんを取り戻してきてやる!」

 

明けて翌日の早朝。デルムリン島の最北端に位置する崖に、ブラス・チルノ・ダイの三名は立っていた。

あれから結局、ダイは説得されて翌日の出発を不承不承に了承。五体満足な連中を選んで魔法の筒に詰め込んでいた本来の歴史とは違い、元気なモンスターが大勢いたため、チルノが原作知識を活かして連れていく仲間の選別を行っていた。

だがその作業も終えて、今まさにロモスへ向けて出発せんとするところであった。

 

「ワシも行きたいところじゃが、もう歳じゃ。そこまで機敏な動きはできんし、若いお主らの方が何かと役に立つじゃろう。そこでじゃ……」

 

ブラスは金色に輝く魔法の筒を取り出す。

 

「これはワシが昔、魔王よりゆだねられたものだ。何が入っているか、恐ろしくて開けたことがない。はるかな時空のかなたより来たれりものと聞くが……もしもの時、使ってみるがいい」

「ありがとう! じいちゃん!!」

 

普段とは様子の異なった、神妙な面持ちのブラスの態度から何かあることは察して、特別な魔法の筒をダイは慎重に受け取る。ブラスの期待に応えるためにも、絶対に取り戻して見せる。とダイは気持ちを新たに引き締めなおした。

 

「それじゃあダイ、行くわよ」

「うん」

「「デルパ!!」」

 

ダイとチルノ。二人が魔法の筒を構え、中のモンスターを開放する。ダイが呼び出したのは、原作と同じくキメラであり、チルノが呼んだ筒からは、バピラスが出てきた。

 

「よーし、たのむぞキメラ!!」

「キェェェッ!」

「北のロモスまでお願いね、バピラス!」

「クワアァッ!」

 

チルノとダイ。

二人の子供がデルムリン島から飛び立っていくのを、ブラスは優しく見守っていた。

 

 

 

 




チルノのちゃんとした容姿の描写を記述。子供の時にもチラリと書きましたが、原作開始の時じゃないと意味は薄いですので改めて。
とはいえ、某⑨な方とは大体真逆な要素で構成されています。

イルイルって唱えるだけで生き物なら無差別に封じ込められるならば、魔法の筒が最強となってしまうので、弱体化です。まあ、誰でも考え付きますよね。
バーン様にイルイルが通用したらギャグでしかないし。その辺の説明もちゃんとないし。


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LEVEL:04 デルパ! イルイル! 後編

半日ほどの時間をかけて、ダイとチルノの二人はロモスの城下町までたどり着いていた。キメラとバピラスに海を越えてもらい、さらに魔の森まで突っ切った強行軍のおかげである。

ダイにとっては初めて見る町にたくさんの人間にと、興味津々、興奮の種は尽きずにいた。チルノにとっても、この世界に来てから町を見たのは初めてである。ダイ程とは言わないまでも、多少は興奮していた。

 

「ダイ、目立つからあんまりキョロキョロしないの」

「だって姉ちゃん。おれ、見るもの全部が初めてで……」

「気持ちはわかるけど、今はそれよりも優先すべきことがあるでしょ。我慢しなきゃ」

 

ダイを見ることで浮足立ちそうになる心を落ち着けながら、まずは情報収集からだと考えて通りを進む。そして、話を比較的聞きやすいだろうとアタリを付けて、井戸端会議をしていたおばさんたちに声をかける。

 

「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」

「あら、かわいいお嬢さんだねぇ。こんなおばさんたちに何かようかい?」

「こちらに勇者様のご一行がいらしていると聞きまして、一目会いたいと思って遠路遥々ロモスまで来たのです。何かご存知でしょうか?」

「まあ礼儀正しい子だねぇ。どこかのお嬢様かねぇ。ああ、ごめんなさいね。勇者様のことだったかい?」

「ああ、それなら知ってるわよ。勇者でろりん様のことだろう? ついこの間も魔の島の魔物退治に出かけたとか」

「なんだい、でろりん様のことかい。それだったら今朝にも帰ってきて王様のところへ行ったって話だよ」

「そういや、お城でパーティがあるとかなんとか言ってたねぇ。ってことは、でろりん様が何かやったんだろうねぇ」

「そ、そうですか……ありがとうございました。失礼します!」

 

世界が違っても、お話し好きのおばさんパワーというのは変わらないものらしく、またそのネットワークも侮れないようであった。数人のおばさんたちの断片的な情報から全体像が見えたところを見計らい、チルノは頭を下げると足早にその場から離れていった。

 

「ふぅ……」

「おつかれ、姉ちゃん。ところで、アレ……」

「え?」

 

ダイの待つ路地まで戻ると、休む間もなくダイがとある方向を見るように促してきた。何があるのかと思いつつそちらを見やると、そこには昨日に見たばかりの僧侶服を着た女の姿があった。

 

「あれって、偽勇者たちの!?」

「うん。姉ちゃんが離れて少ししてから、気が付いたらあそこにいたんだ」

 

隠れて様子を見ていると、ウキウキとした軽やかな足取りで町の一軒の服屋へと入っていった。

 

「そういえば、お城でパーティがあるとか……よし。ダイ、お化けきのこの入った筒ってあるかしら? あと、空の筒もあるといいんだけど」

「うん、待ってて。えーっと、これだよ。空の筒は……そうだ! デルパ! はい、これ」

「ありがと。じゃあ、ちょっと行ってくるから」

 

空の筒など持っていなかったため、スライムの入っていた筒の一本からモンスターを解放してから渡す。小さなスライムならどこかに隠すのも楽だろうということからの人選(モンスター選?)である。

ダイから二本の魔法の筒を受け取り、チルノもずるぼんを追って服屋に入っていった。

 

 

 

「これとこれ! あーっと、これももらうわ!!」

「お客さん、こんなに買いこんでもいいんですかい!?」

「なによ文句あるの!? 金ならいくらでもあるんだからね!」

 

チルノが服屋に入ると、ちょうどずるぼんが手当たり次第に服を手にとっては、会計に持ってきていたところだった。あまりに豪快な買いっぷりに店の主人が不安そうな声を上げ、それを聞いたずるぼんが『金はある!』とばかりに大声で言い返す。

 

「(なるほど、これが原作通りってやつなのね……)……デルパ」

 

そういえばこんなシーンだったなぁ。と思い出しながら、店員たちの死角に上手く隠れて魔法の筒からお化けきのこを解放する。

 

「いきなりで悪いんだけど、これを被って、あいつのところまで行って店中に甘い息を充満させられる?」

 

手渡された帽子をかぶりながら、お化けきのこはチルノの言葉に頷き、店内をゆっくりと歩いていく。なるほど、遠目に見れば小柄な女性に見えないこともない。

そのままお化けきのこはずるぼんまで近寄ると、彼女が選ぼうとしていた服を横から手に取る。

 

「あっ!? なにすんのよ! それはあたしが……! ああっ……!?」

 

自分が取ろうとしていた服を横取りされると思い、ずるぼんが反応するもう遅かった。彼女が相手を確認した時には、おばけきのこは既に甘い息を吐きだしており、至近距離からまともにそれを浴びたずるぼんは抵抗する間もなく眠りに落ちていく。

そしてそれは店員も同様だった。碌に鍛えてすらいない一般人が甘い息に抗えるはずもなく、まとめてぐっすりと眠ってしまう。

 

「よし、いい子ね。よくやってくれたわ」

「♪」

 

鼻と口を手で押さえて甘い息の効果を受けないようにしながら、様子を伺っていた棚の影から姿を見せて、チルノはお化けきのこの頭――きのこの笠の部分――を撫でながらそう言った。

そして改めてずるぼんを確認する。完全に眠っており、これならそう簡単には目を覚ますこともないだろう。

 

「イルイル」

 

一本はお化けきのこに、そしてもう一本の魔法の筒をずるぼんに向けて、封じ込めのキーワードを唱えた。筒はその呪文に従い、それぞれの対象を中に封じ込めた。

魔法の筒は封印の対象が強ければ抵抗することも可能だという話だったが、はてさて彼女の思った通り、対象がここまで深く寝ていれば抵抗など出来ようはずもなかった。いや、原作ではでろりんが割と簡単にイルイルの呪文で封印されていたのだから、もしかしたら眠らせなくとも成功していた可能性もあったかもしれない。

 

「まあ、作戦成功ってことで。ごめんね服屋さん。後で謝りにくるから」

 

今考えることではないと思い直し、チルノは眠ったままの店主たちに謝罪の言葉を投げかけると店から出て行った。

 

 

 

「ん……ハッ!」

「ピィ!」

「あら、お目覚め?」

「やっとつかまえたぞ。この悪党めっ!」

「お、お前たちは……!?」

 

ずるぼんが目を覚ますと、デルムリン島で見かけた子供二人の姿が目に飛び込んできた。あたりの様子を見ると、どこかの小屋か何かだろう。身動きできないように縄でしっかりと縛られており、その上、見張り員のようにスライムが数匹彼女を囲んでいる。

何故こうなったのかと言えば、イルイルの呪文でずるぼんを捕獲したチルノは、そのままダイと合流して、この小屋まで移動。デルパで解放後に縛り上げ、そして今に至る。というわけである。

ずるぼんは知る由もないだろうが。

 

「まさか、こんなに早く見つかるなんて……」

「へっへーんだ。そうそうおまえらの思いどおりにいくもんか!」

「予想はしていたけれど、やっぱりゴメちゃんを献上したら、あとはさっさと逃げるつもりだったみたいね」

 

手持ち無沙汰なのか魔法の筒を片手でもてあそびながら、チルノはずるぼんに向けて言う。

 

「仮に私たちが取り戻しに追いかけても、貴方たちはもう逃げた後。足取りも見つからない。それどころか、報復に来たモンスターの相手はロモスの兵たちがするから、自分たちは怪我もしない。魂胆はこんなところかしら?」

「う……」

「黙って見過ごすわけには、いかないわね」

「さあ、ゴメちゃんの居場所を言えっ!! 王宮のどこだ!!」

「ケッ、だれがいうもんか」

 

チルノの言葉に一瞬顔色を変えるものの、あくまで強気の姿勢は崩さないようである。ダイの言葉にも耳を貸さずにどこ吹く風だ。

 

「ああ、大丈夫よダイ。尋問するまでもないから」

「はぁ? 何を言ってるんだい?」

 

今にも飛び掛かりそうなほどエキサイトしつつあるダイを片手で制しつつ、チルノはずるぼんの瞳を正面から覗き込む。

 

「な、なにしてるのさ……? まさか目を見ればわかる、なんて言うんじゃ……」

「なるほど。ゴメちゃんは王宮の中、小さな檻に閉じ込められて王様のそばにいる。デルムリン島のモンスターと戦い、世にも珍しいモンスターを王様に献上したというその功績を称えられて、今日の夜に王宮の庭でパーティを行う、か。だったら、その時に取り返すのがよさそうね」

「なっ! なんでそのことを!?」

 

原作知識によるカンニングと奥様ネットワークによる裏付けの結果なのだが、それを教えてやる義理はチルノにはなかった。

 

「それじゃ次は、仲間のことを――」

「言うわけないに決まっているだろう……」

「まぞっほは不思議な踊りに弱い。へろへろは金目の物に弱い。なるほどねぇ、これは使えそう」

「……っ!!」

「でろりんは……うーん、これじゃあ使えないわね。でも、小さくまとまっていて、弱点もない代わりに目立った強みもないみたいだから、正攻法でもいけそうね」

「な、なんで……名前まで……」

 

重ねて言うが、これは原作知識によるカンニングを利用したハッタリである。だが、ずるぼんからしてみればチルノの言葉は脅威以外の何物でもなかった。デルムリン島でも捕まってからも、仲間の名前を口にしたことはなかったはずだ。にも拘わらず、名前をぴたりと言い当てたばかりか、弱点までも正確に言い当てたのだ。恐れずにいられようか。

 

「だってさ、ダイ」

「え……姉ちゃん、なんでわかったのさ??」

「実はねぇ、私は人の目を見れば考えていることがわかるのよ。特にずるぼんは単純だったから、手に取るようにわかったわ」

「ええっ! そうだったの!?」

「そろそろ夕暮れだし、こうなると夜の闇に紛れてお城に潜入かしら。遅れないうちに向かいましょうか? それじゃあスラリン、見張りはよろしくね」

「ピィ!」

 

手にしていた魔法の筒を腰に差すと、チルノは小屋の外に向かう。ダイもその後を追って小屋から出ていった。

 

「あ、ダイ。さっきの嘘だから」

 

小屋から少し離れ、少なくとも話し声は絶対に聞こえないであろう距離まで進んでから、チルノは唐突に口を開いた。

 

「さっきのって?」

「目を見れば考えがわかるってやつ」

「ええ、そうだったの!?」

「当り前でしょう。そんな力あるわけないじゃない」

「え、でもだって……」

 

チルノの言葉を聞いたずるぼんの表情は、なぜわかったと言わんばかりだった。人生経験の少ないダイであっても読み取れるくらいにわかりやすい程である。それがどうして。

 

「知ってる知識を小出しにしながら、相手の反応を見てハッタリをかましていただけよ。弱点だって、魔法使いが不思議な踊りに弱いのは当たり前だし、あの戦士みたいなタイプはお金か女に弱いって相場が決まってるの」

「じゃ、じゃあ最後のは?」

「冷静になって思い返すと、あのイオラってそこまでの力量じゃなかったのよね。未熟なのを無理矢理使っている、みたいな? それに武器は戦士の方が、魔法は魔法使いの方が強いのは定説だから。一般的に当てはまることしか言ってないのよ」

「ええーっ! なにそれ!?」

「予想の答え合わせみたいなものだけど、結構有効なのよ」

 

ロモス城に向かいながら語る姉の姿に、そんな知識をどこで身に着けたのだろう、とダイは少しだけ疑問に思った。

 

 

 

辺りは夜の帳に包まれていた。中天には満月が輝き、星の明かりと合わせてロモス城を優しく照らす。いつもは静かな夜も、だが、今夜だけは様相が違っていた。

城の中庭では篝火が幾つも焚かれ、夜の世界を赤々と映しだす。集まった人々は談笑を行い、静寂の世界に喧騒を招き寄せている。並べられたテーブルには豪華な食べ物や高級な酒が所狭しと置かれており、人々は今宵のパーティの主役の話題で持ち切りだった。

主賓・来賓はもちろん、一般兵士に至るまでがパーティを心待ちにしており、注意力が散漫になっていたのだろう。だからこそ、城壁の上から中庭を見つめる二人分の小さな影には誰も気づかなかった。

 

「うわ、すごい人数……どうする、姉ちゃん?」

「まずはゴメちゃんの居場所の確認ね。多分、王様のそばにいると思うけど、それが本当に正しいかどうか。これはダイにやってもらいたいんだけど、出来る? 王宮に忍び込むことになるんだけれど」

「大丈夫だよ。あのくらいなら、なんとかなると思う」

「じゃあ、私は陽動担当ね。ダイがゴメちゃんを見つけたら、筒に入っているみんなを呼び出して暴れるから、その隙に回収すること。その時には、最初の混乱しているうちに奪うのよ? 冷静になると王様の護衛ってことで兵士の数が増えて手が出せなくなるから」

「最初だね……わかった!」

 

忍び込むというのであれば、運動能力のより高いダイが担当するのは当然のことだった。だがそれは、陽動役というより危険度の高い役割を姉が担当することになるのだ。そのくらいはダイもわかるため、ゴメちゃんを回収したらすぐに合流しようと決意する。

 

「たしか、ドラキーの入った筒があったでしょ? それとキメラの筒以外は全部私が持つわ」

「え、ドラキーをどうするの?」

「ゴメちゃんを見つけたら、ドラキーを解放して合図代わりにするの。それを見て、こっちでも陽動作戦を開始するわ。ドラキーなら暗くても動けるし、適任でしょ?」

「ああ、そっか」

 

なるほど。とダイは感心した。いつものことながら、頭を使ったら姉には到底かないそうもない。持っていた筒を、ドラキーとキメラの入っていた二本を除いてすべて渡す。

 

「キメラは言うまでもないけれど、最悪の場合の脱出用ね。落ち合うのはスラリンたちを待たせているあの小屋で。それじゃ、作戦開始ね。健闘を祈るわよ」

「うん、行ってくる」

 

ダイが足音を控えめにして走り去っていったのを確認すると、身をかがめながらも中庭に目をやって、おかしな様子がないか確認する。一度失敗すれば、警備が厳重になってしまい、二度目の難易度は格段に増すだろう。だからこそ、チルノはここで何としてでも勝負を決めたかった。

 

そして、ダイが単独行動をしてから二十分もしただろうか――チルノとしては二時間くらい経っていたように感じられたが――王宮の上空へフラフラと飛び出す一匹のドラキーが姿を見せる。待っていた瞬間を確認した途端、チルノは反射的に身体を上げていた。

 

「……来たッ!! みんな、頼むわよ。デルパッ!!」

 

持てるだけの魔法の筒を手にすると、中庭に向けて投擲していく。そして魔法の筒はデルパの呪文に従い、中に封じていたモンスターを解放した。マンドリルが、あばれザルが、ギガンテスが、サーベルウルフが、だいおうイカが、ゴールドマンが、この時のために連れてきていた、戦闘力が高く暴れて目立つモンスターたちが次々に姿に出現する。

 

「げえええっ!?」

「うわぁあ!!」

「みんな、出来るだけ怪我はさせないように注意して! 難しいとは思うけど、出来る限りお願い!!」

 

平穏なパーティ会場は、阿鼻叫喚に包まれた。突然現れた魔物の群れに、パーティ参加者たちは悲鳴を上げながら逃げ惑う。先にいる人間を押しのけるように我先に駆け出して行き、人にぶつかろうが物にぶつかろうがお構いなしだ。テーブルの上に並んでいた料理が皿ごと落ちて割れ、酒瓶が砕け散って辺りにアルコールの匂いを漂わせる。

モンスターたちはそんな人間たちの恐怖を煽るように追いかけまわし、時には威嚇するように攻撃して存在を誇示する。

何人かの兵士は混乱にも負けずにモンスターの相手をしようと試みるが、人波に押されてほとんど成果が上がらず、運よくモンスターの前まで辿り着いた兵士もいたものの、ほぼ一方的に蹂躙されていた。兵士は集団で連携するからこそ強いのであって、個人が突出した強さは持っていなかった。彼らからしてみれば、不幸中の幸いは、まだ死人も戦闘不能者も出ていないことだろう。

というのも、モンスターたちはチルノの言葉に従い、多少の怪我人は出してもそれ以上の被害は出さないように気を付けているからだ。

 

「なっ……! なにごとじゃあこれはっ!!」

「モンスターの襲撃だあーーっ!!」

 

騒ぎを聞きつけたロモス王が驚愕の声を上げる。そんな様子を見て、チルノは作戦が順調に行っているであろう手応えを感じた。

 

「よし、私も……【レビテト】」

 

程よく混乱してきたことを確認してから、チルノは空中浮遊を行う魔法を唱えて城壁の上から中庭に向けて飛び降りる。だが、レビテトの魔法の効果を受けて勢いのほとんどは殺され、危なげなく着地することができた。

 

「ごめんなさい。【ホールド】!」

「うわっ!」

「な、なんだ!?」

 

続いて、必死でモンスターの相手をしている兵士たちに向けて、相手を麻痺させる魔法を使う。無警戒のところに魔法を叩き込まれ、抵抗する暇さえ与えられずに兵士たちは身動きが取れなくなり無力化されていった。

 

「おのれぇ!」

 

だがいつまでもそんな混乱に囚われない存在がいた。でろりん達だ。彼らは最初こそ驚いていたものの、多少は場数を踏んでいたおかげか、すぐに冷静さを取り戻して武器を手に取り、人並みをかき分けてモンスターたちに向かっていく。

 

「出てきたわね。こいつらの相手は私の役目、っと……みんな!! その調子よ!!」

 

モンスターの陰に隠れて今までその姿を衆目に晒さないようにしていたが、でろりん達相手にはさすがにそうするわけにもいかない。目立つ場所に移動すると、わざと大声を出して偽勇者たちの注意を引き付けるようにした。

 

「あいつ、あの島の小娘だっ!!」

「なんだとぉっ!!」

「まさか、この騒ぎはあいつの仕業か!?」

 

まず、まぞっほがチルノに気付き、続いてへろへろが大声で叫ぶ。でろりんはモンスターの相手をしつつ苛立ちの声を上げた。

 

「へっ、とっ捕まえてやる!!」

「へろへろ待て!」

 

でろりんの静止の声も聴かず、へろへろはチルノへ向けて駆け出して行く。

 

「一人だけか、まあ仕方ないわね……デルパ!」

 

へろへろが駆け寄ってくるのを横目で確認すると、対へろへろ用の魔法の筒を使う。中から現れたのはおどる宝石。その姿は名前の通り、袋に大量の宝石で飾り付けられたようなモンスターだ。

 

「!! ああ、宝石だぁ~~」

 

そしておどる宝石を見た瞬間に、チルノのことなどそっちのけでへろへろはおどる宝石を追いかけていった。

原作通りに金目の物に弱いその姿を見て、チルノは少しだけ安堵した。デルムリン島でチルノを見ていた目つきから、女の方がもっと弱い可能性もあるかと思っていたのだが、杞憂に終わりホッとしたのだ。

へろへろは必死で追い回すものの、おどる宝石は素早く、加えて事前にチルノからどう動くかの打ち合わせも済んでいるのだ。鬼さんこちら、手のなる方へ。と言わんばかりに、へろへろを翻弄しながら、とある方向へと誘導していった。

やがてわざと動きを遅くして、疲れているので今なら捕まえられるぞ。と相手に思わせるように動いた。そしてその誘惑に、へろへろは耐えることなく一気に飛びついた。そして、気が付けば何か硬いものに顔から突っ込んでいた。

 

「へ?」

 

痛みに正気を取り戻した時にはすでに遅かった。ぶつかったのはゴールドマンの足であり、ゴールドマンは今まさにへろへろに向けて拳を振り下ろしたところだった。避けることも防御することも出来ず、憐れへろへろはキツい一撃の餌食となった。

それを見てチルノはまず一人、と心の中で呟く。

 

「へろへろ!」

「小娘、ずいぶんと小賢しい真似をしてくれるじゃないか」

 

へろへろの相手が完了したと思いきや、続いてモンスターを突破してきたでろりんとまぞっほが同時に現れた。その後ろには、剣や魔法で傷ついたと思しきモンスターたちが倒れているのが見える。どうやら粗方のモンスターは片づけてきたようだ。

 

「あらら、二対一なんて……デルパ!!」

 

焦る姿を見せつつも、まぞっほがいるためセオリー通りに、魔法の筒からパペットマンを呼び出した。

 

「げえっ!」

 

不思議な踊りという、相手のMPを奪う特殊能力を使うパペットマンは、魔法使いにとっては天敵ともいえる相手だ。まぞっほもその例に漏れず、見た瞬間に反射的に身を竦ませてしまう。確かに、まぞっほにパペットマンを使うというのは間違ってはいないだろう。

 

「はああぁっ!!」

 

だが、原作とは違い、現在はでろりんが一緒にいるのだ。彼は魔法を使うが、同時に剣術もそれなりに使いこなす。不思議な踊りを踊っている最中のパペットマンたちに向けて、でろりんは真一文字に剣を振るって切り倒していく。

 

「確かに厄介だが、それだけで勝てると思ったのか?」

 

不思議な踊りを踊られるよりも早く――たとえ踊られてもMPが尽きる前に――倒してしまえばいい。とばかりに速攻で片づけられた。これにはチルノも誤算だった。パペットマンの戦闘能力はそれほど高くないことを逆手に取られた形だ。原作では上手く行ったことと、直前にへろへろが同じ手口で倒せたことから攻め手が短絡的になりすぎていたのがそもそもの原因である。

 

「す、すまん。助かったわい」

「う……」

 

そして脱落しかけていたまぞっほも復帰して戦列に加わる。形勢は変わらず二対一のまま。不利な状況にチルノは無意識のうちに後ろに下がっていた。

 

「今度はこっちから行くぞ!」

 

剣を手にしたでろりんがチルノに向けて切りかかってくる。対するチルノは素手だ。攻撃を防ぐことも受け流すことも出来ないため、でろりんの斬撃を必死でかわす。ダイとの稽古がなければとっくに切られていただろう。

 

「そら、油断していていいのかな?」

「メラ!」

 

でろりんがそう言うと、不意にチルノから距離を取った。そしてそれに合わせるようにして、まぞっほがメラをチルノへ向けて打ち込む。一瞬の間隙を突いた連携攻撃である。一緒に組んでいるだけのことはあり、この程度の連携はやってのけるようだ。

 

「ブ、【ブリザド】!」

 

自分に向かって突き進む火球に、チルノは寸でのところで冷気の魔法を発動させてぶつける。炎と冷気が互いに打ち消しあって相殺され、間一髪直撃を避けられたものの、威力はメラの方が高かったらしく、熱気が辺りに漂う。

 

「はぁ……はぁ……」

「避けたか。だったらこのままなます切りにしてやるよ、怪物娘」

 

誰が怪物娘よ! と抗議の声を上げる間もなく、再びでろりんが切りかかってきた。太刀筋は見切れる。まだ対応は可能なはず。そう判断するものの、チルノの体は思う様に動かない。修羅場慣れしていない少女ではそれも仕方ないことだった。

 

「うっ……!」

 

ついに剣を避け損ね、左腕に浅い裂傷が走った。だがそれを気にする暇もなく、再び斬撃が襲い掛かってくる。辛うじて直撃は避けたものの、刃が髪を掠めて、赤い毛髪が数本はらりと宙を舞う。

 

「終わりだ」

「まてっ!!」

「小僧!! 貴様もいたのか!!」

 

気が付けば、いつの間にかダイがチルノの隣まで来ていた。片手には――兵士の誰かが落としたものを拾ったのか――剣を持ち、もう片方の手には鉄製の小さな檻を抱えている。チルノを庇う様に立つその姿は、彼女の目には弟がいっぱしの剣士のように見えた。

 

「ダイ!? 一人でも逃げればよかったのに……」

「姉ちゃんを置いていけるわけないだろ!」

「……そうね。逆の立場なら私もそうしてた。ごめん。それで、ゴメちゃんは!?」

「ここにいるよ」

 

そう言いながらダイはゴメちゃんが閉じ込められている小さな檻を見せた。それを見た途端にまぞっほが反応する。

 

「そのスライムを渡すんじゃ! このクソガキどもが!!」

「うるさい! おれの友達をさらった悪党め!! お前らは許すもんか!!」

 

ゴメちゃんの入った檻をチルノに渡すと、手にした剣ででろりんへと切りかかっていく。

 

「フン、勇者の力を見くびるなよ!!」

「お前みたいなのが、勇者なもんか!!」

「なっ……くっ……!」

 

ダイの攻撃を余裕を持って受け止めようとして、でろりんの剣は軽く弾かれた。自分よりも年下のガキの剣だというのに、予想よりもずっと鋭く重い一撃だったのだ。慌てて構えなおし、ダイの打ち込みを必死で受け止める。金属同士のぶつかり合う音が鈍く響き、じわじわとでろりんは押されていく。

 

「これはいかんな。ちっと手伝いを」

「させない!」

 

ダイ達の戦いを見て加勢に行こうとしたまぞっほを、チルノが回り込んで遮った。

 

「小娘が! 邪魔をするな、メ……」

「【サイレス】!!」

「……!! ……っ!?……っ!?」

 

チルノの行動にまぞっほは苛立ちを隠そうともせず、呪文を放とうとした。だがそれに先んじてチルノの魔法が発動し、まぞっほの呪文を封じる。いや、封じたのは呪文だけではない。言葉そのものだ。対象を沈黙状態にする魔法を使い、まぞっほの呪文を阻止したのだ。

 

「それじゃあね、【スリプル】」

 

続いて使われたのは相手を睡眠状態にする魔法。わずかに抵抗するものの結局は抗いきれずにまぞっほの意識は闇へと沈み、それを確認したチルノはようやく安堵の吐息した。そしてダイの方へと視線を向ける。

 

「ば、ばかな……」

「でやあああぁぁっ!!」

 

チルノが見たのは、まさに決着のつく直前といったところだった。ダイの攻撃をでろりんは受け止めきれず、ついには完全に弾き飛ばされた。それでも剣だけは手放さなかったものの、この瞬間を好機と見たダイは大上段に振りかぶる。

 

「雷刃!!」

「ひいっ!!」

 

ダイの秘剣を受け止めようとして、逆にでろりんの剣はその威力によって粉々に砕け散った。それだけでは飽き足らず、振り下ろされた剣は勢い余って地面を大きく切り裂く。

 

「あ、あわわわ……」

 

剣の勢いを受け止めきれず、でろりんは尻餅をつき、さらには完全に泡を食った表情で自身の砕けた剣とえぐれた地面、そしてダイを見比べる。もしももう少しダイの近くにいたのなら、きっと砕けていたのは自分だっただろう。えぐれていたのは自分だっただろう。それが容易に想像できてしまい、闘志が見る見るうちに萎えていく。

もはや趨勢は決したと思ったその時だった。

 

「待ちなっ!! そこまでだよ!」

 

そこには小屋で縛り上げられているはずのずるぼんがあった。しかも、見張り役として残していたはずのスライムたちを網でひとまとめにして、短剣を突き付けている。まごうことなき人質――モンスター質?――である。

 

「!? み、みんな!」

「スラリン!? あなたがいて何やってるのよ……」

 

額を押さえて、あちゃーという表情を見せるチルノ。とはいうものの、どこかでそうなるのではないかという考えもあった。彼女のおぼろげな記憶の中にもスライムたちが捕まっているのがあったのだ。だったらばこうなってもしかたない、歴史の強制力というやつ――いや、単にスライムたちがスケベなだけかもしれないが。

とはいえ、人質に取られているのには違いない。

 

「さあ、ぼうや。さっさとその剣を捨てな!」

「は、ははっ、でかしたぞずるぼん」

 

まだ抜けた腰が戻らないため、地面に座ったままという情けない恰好ではあるものの、状況が変化したことで再びでろりんが調子づいていく。ずるぼんはこんな重い物は持っていられないとスライムたちを捕まえた網を地面に降ろす。だが、短剣は向けたままだ。いつでも攻撃できるといわんばかりに、チルノとダイから視線は外さない。

 

「ち、ちきしょう……」

 

ダイが悔しそうな表情を見せるが、反対にチルノは呆れた表情でずるぼんに尋ねる。

 

「ねえ、貴方たちは仮にも勇者の一行を名乗っているんでしょ? そんなことして恥ずかしくないの?」

「ふん。なんとでもいいな」

「そう? じゃあ、二つ言わせてもらうわね」

 

チルノは指を一本立てて、ずるぼんに向ける。

 

「まず、一つ。人質に取るのなら、自分よりも弱い相手にしないと意味がないわよ?」

「はあ!? こんなスライムごときが、あたしよりも強いってのかい?」

「二つ。スラリン、許可するわ。やっちゃいなさい」

「ホホホ! 何を言っているのやら」

 

二本目の指を立てながら、スライムたちへ向けて許可の合図を出す。

その合図を受けて、スライムたちが集まり、一つになっていく。合体の影響により一気に体積が増え、内側から弾け飛ばんとする勢いで膨らむスライムたちの圧力がかかり、網はミシミシと悲鳴を上げる。

 

「ずるぼん、お前、後ろ、後ろ!!」

「後ろがどうかし……ぎょええええーーっ!!」

 

でろりんに指摘されてようやく、彼女はスライムたちがどうなっているのかに気付いた。そこにいたのはキングスライム――スライムたちが合体したモンスター――である。見た目としてはただスライムが大きくなっただけと言ってもいいだろう。問題はその量だ。合体したことで体積も重量も合体前の合計よりも遥かに巨大になり、どこから用意したのか立派な王冠まで被っている。

これこそチルノがスラリンたちを集めて、長らく特訓することでようやく出来るようになった奥の手の合体である。実際に試してみたところ、スライムたちが集まったとは思えないほどの圧倒的なパワーを発揮したため、よほどのことがない限りはチルノの許可なしで合体しないように厳命していた。

尤も彼女自身、合体の必要があることは覚えていたものの、今回はその必要はなくなるように多少なりとも注意したはずなのだが、こうして役に立ってしまった。不本意な結果ではあるが、結果オーライというやつである。

 

「ひ!!」

 

キングスライムは巨体を膨らませて、ずるぼんへ圧し掛かる。至近距離の上にこの巨体が相手であっては、咄嗟に回避するには時間もなければ素早さも足りなかった。ぷちっ、という音が聞こえそうなほど、見事に潰されて撃沈する。

 

「……【スリプル】」

「あああ……ぐーぐー」

 

頼りにしていた仲間がやられて呆然としたでろりんへ、チルノは睡眠魔法を叩き込んだ。すでに心の折れていた彼ではまともな抵抗すらすることなく、すぐさま眠りに落ちていた。

 

「これで、全員ね……?」

「まだだよ姉ちゃん。ゴメちゃんを出してやらないと……てぃっ!!」

 

ダイはゴメちゃんの檻の横で剣を振るうと、鉄の檻が見事に切断された。今のダイの威力ならば可能だとは思っていたが、その切れ味は見ていたチルノが思わず感嘆の声を上げるほどだ。

 

「ピー!!」

 

久方ぶりの自由を得たゴメちゃんは嬉しそうに飛び出し、ダイとチルノの周りをぐるぐると旋回している。そして怪我をしていたはずのモンスターたちも、いつの間にか傷をおしてダイたちのそばまで集まっていた。

 

「みんな、ありがとうね。そんなになるまで戦ってくれて……」

 

チルノはモンスターたちの頑張りに報いるために、癒しの魔法を発動させる。

だが、そんなモンスターたちを、今度はロモス兵たちが取り囲んだ。

 

 

「…………」

 

現ロモス国王シナナは、途中からではあるが、この騒動の中心部で何が起こったのかを見ていた。具体的には、でろりん達とチルノが戦い、そしてダイが加勢に来て、決着がつくまでである。

モンスターたちに見事な指示を出し、時には魔法を操るチルノの姿を。大人相手にも臆さず剣を振るい、そして軽々と倒してしまうダイの姿を。そして、自身が勇者と認めたでろりんたちの醜態をもだ。

今も彼の目の前では、助けてくれたことを感謝するように飛び回るゴールデンメタルスライムの姿と、駆け寄ってきたモンスターたちの姿がある。それは彼の目には、友を助けるために死力を尽くした仲間たちのように見えた。

今も、チルノは仲間たちを慈しむような表情を浮かべながら魔法を使い、傷を回復させていく。大勢のモンスターたちを一度に回復させているということは……まさかあれは、ベホマラーか!? ラリホーにマホトーン、ヒャドと思しき呪文を使っていたのは見ていたが、まさかそこまでの高位呪文を使えるとは、ひょっとしてあの少女は賢者なのだろうか。そう思ったところで、ダイたちの周りをロモス兵たちが取り囲んだ。

 

「待て!」

 

だが、取り囲んだ兵たちに停止命令を出すと、彼はダイたちの前までゆっくりと歩いていく。だがそれを見たチルノは、すぐさま地に伏して頭を下げた。いわゆる土下座して額を付けている姿勢である。

 

「姉ちゃん?」

「ロモス国王陛下でいらっしゃいますか?」

「うむ。そうじゃが……」

「お初にお目にかかります。私は、デルムリン島――皆さんが魔の島と呼ぶ南海の孤島に住んでおります。名前をチルノと言います」

 

初めて見る姉の姿にダイは狼狽するが、チルノは構わず続けた。

 

「恐れながら、申し上げます。お城に忍び込み、宴を台無しにして、兵士の皆さんを傷つけたことは誠に申し訳ございません。ですが、でろりんに連れ去られたゴールデンメタルスライムは、ゴメちゃんは、私たちの家族なんです。この子を取り戻すためには、必要なことだったんです」

「……チルノ、と言ったね?」

「はい」

「まずは頭を上げなさい」

「……ですが」

「いいから上げなさい。これは命令だ」

 

その言葉に、正座は崩さずに顔だけを上げた。自然、チルノとシナナの視線がぶつかる。神妙なその様子に、ダイもモンスターも兵士たちも、みな固唾を飲んで二人の行動を見守っていた。

 

「どうして、こんなことをしたのかね?」

「それは……失礼ながら、私たちが、ゴメちゃんは連れ去られただけ。悪いのはでろりん達だ。と訴えたところで、聞き入れられるとは到底思えなかったからです。城下で調べましたが、でろりん達は英雄扱いです。私たちがいくら訴えたところで、子供の戯言とばかりに一笑に付されたことでしょう」

「そう思ったから、こんな乱暴な手段に訴えたということかな」

「はい。ですが、考えたのは私一人です。ダイも、モンスターのみんなも、私の命令に従っただけです。悪いのは、私一人だけです。処罰するのなら、どうか私だけでお願いします」

「姉ちゃん!? 何馬鹿なことを言ってるんだよ!!」

 

チルノが口にした言葉に、ダイは勿論、モンスターたちも憤慨した様子を見せた。鳴き声を上げて、異論を訴える。だが、チルノは聞き入れなかった。

 

「いいから貴方たちは黙っていなさい!! 王様、悪いのは私です」

「違う! 姉ちゃんが悪いなら、俺だって同じだ!! みんなだって同じことを言ってるよ」

 

互いに仲間を庇いあい、罪を被ろうとするその姿は、強い絆を結んだ仲間のようにシナナには見えた。少なくとも、でろりん達からは感じ取れなかったほどに強い信頼感である。

しばし逡巡したのち、やがてシナナはゆっくりと息を吐いた。

 

「……どうやら、わしの目が曇っておったようじゃ。いかに強く外見が立派でも、子供を殺そうとしたり、人質をとったりする男が勇者であるはずがない。それが見抜けなかった自分が恥ずかしいわい」

 

周囲で話を聞いていた人たちもまた、シナナの言葉に同意するように頷いた。

 

「それに引き換え、お主たちはまだ幼いながらも類まれなる知恵と勇気を持ち、互いに支えあっておる。いや、でろりんを圧倒した剣の腕前を見るに、強さも併せ持っておるな」

 

そして、側近が持っていた覇者の冠を手に取ると、ダイの前に進み出る。

 

「ダイくん、と言ったね?」

「は、はい! おれの名前はダイです!」

「ダイくん、いや、未来の勇者ダイよ。この覇者の冠を被るのは、そなたのような勇敢な少年こそがふさわしい」

 

緊張しているダイへ向けて、シナナは手にしていた覇者の冠を被せた。一瞬、何が起こったのか分からなかったが、自身の身に起きたことを認識するとダイは途端にうろたえる。

 

「えっ、ええええっ!?」

「良かったじゃない。似合ってるわよ、未来の勇者さま」

「からかわないでよ!!」

 

照れを隠すように叫ぶダイの姿に、シナナもモンスターも、兵士たちも皆が笑った。そして、ひとしきり笑いが収まると、シナナは続いてチルノへと向き直った。

 

「さて、チルノや」

「はい」

「此度の一件は、わしがでろりんのことを見抜けなかったが故の出来事。よって、そなたたちへのお咎めはなしじゃ」

「あ、ありがとうございます!」

 

その言葉を聞き、チルノは心底ホッとした。原作では無罪放免だと知ってはいたが、同じ流れになる保証はどこにもない。でろりん達の化けの皮が剥がれ、それを上手く王様が知ってくれたからこそのこの結果だ。そう考えていたのだ。全ての罪が自分にあると言った言葉に嘘はないが、それでも王様直々の罪に問わないとの言葉は彼女にはありがたかった。

もちろん、それも一助にはなったが、何よりもチルノが全ての原因は自分にあると言い、率先して罪を被ろうとした姿勢。仲間のためならば全てを投げ出そうとしたその気持ちを、シナナは何よりも評価していたのだが、これはチルノ本人も預かり知らぬことである。

 

「未来の賢者チルノよ。覇者の冠はダイへと授けてしまったが、そなたにもわしから何かを授けたいと思う。遠慮はいらん、何でも申してみよ」

「……え、未来の賢者?」

「うむ。そなたは様々な呪文を使いこなし、今回の計画も考えたと聞く。それらはすべて、賢者の名を冠するにふさわしい」

「あ……あの……その……」

 

私の名前で知将ポジションを与えるとか、どう考えても失敗フラグにしか思えないので、褒賞はその称号を辞退させてください! と反射的に叫びたかったのだが、それだけは必死で堪えた。

常識的な部分がその行動にブレーキをかける。そもそも、この連想はチルノ以外にはどう頑張っても伝わらないのだ。この騒ぎを無罪にしてもらっただけでもありがたいのに、その称号は突っぱねます。などとは流石に言えなかった。

 

「ありがとう、ございます……」

「へへっ、すげーや姉ちゃん! よっ、未来の賢者さま!」

「ああ、ありがとうね、ダイ」

 

必死で笑顔を浮かべて王様にそう返すのが精いっぱいだった。ダイがここぞとばかりにやり返すものの、チルノは覇気のない言葉を口にするだけだ。

なるほど、純粋な弟に比べて、姉の方は大人びており礼儀も弁えている。過大な評価に緊張しているのだろうと、周りの大人たちは判断した。実際はツッコミを入れるのを必死で我慢しているだけだとは想像できようはずもない。

 

「それと、褒賞のことなのですが……」

「うむ」

「実はここに来る前に、城下の服屋でお化けきのこの甘い息を店中に蔓延させてしまいました。その謝罪をしたいのです」

 

だが何時までも惚けているわけにもいかない。褒賞、つまりは今なら恩赦でうやむやに出来る、とばかりに犠牲になってもらった服屋のことを持ち出した。一方のシナナは、予想だにしなかった返答に目を丸くするも、すぐに笑顔を浮かべる。

 

「ははは、なるほど。あいわかった、明日にでもその服屋には、わしの名で謝罪といくらかの賠償をしておこう」

「ありがとうございます。それと、厚かましいのですが、服屋のついででもう一つだけ……」

「なにかな?」

「私もダイも、もう服がボロボロでして。デルムリン島には服屋などないので、ダイの分と合わせて布の服を十着ほどいただけるでしょうか?」

 

もう一つ、というからにはこちらが本命かと思ったものの、出てきたのは何とも慎ましい望みだった。なるほど、小さな罪でもしっかりと悔いており、そして服を希望した時にも自分だけでなくダイの分も願う。本当に、よくできた立派な子だ。とシナナはますますチルノへ好感を持った。

 

「服だけって、姉ちゃんは欲がないなぁ」

「じゃあ、ダイは何をお願いするの?」

「えっ、そりゃ、美味しい食べ物をお腹いっぱいとか?」

 

その言葉が引き金だった。純粋すぎる二人の様子に、シナナは大きく噴き出す。

 

「わっはっは、なるほど。姉弟揃って欲がないのう。よかろう、今宵は宴の予定だったのじゃ。まだ料理は残っておるじゃろう? 未来の勇者と賢者の誕生を祝う宴に変更じゃ。そのくらいはさせてもらおう」

「そんな、申し訳ないです」

「よいよい。歓待を受けぬのは逆に失礼というものじゃぞ、覚えておきたまえ。もちろん、モンスターたちも一緒じゃ」

 

王のその言葉に、モンスターたちも喜びの声を上げた。

 

「じゃあ、せめて傷ついた兵士さんたちの治療をさせてください。そのくらいはさせてもらわないと、私の気が済みません」

 

ダイやモンスターたちを尻目に、チルノは怪我をした兵士たちに回復呪文を一通りかけてから、宴へと参加した。皆は、未来の英雄候補の誕生に喜び、宴の空気も相まって大いに騒ぐ。それは中心であるはずのチルノとダイが気後れするほどの、大層な賑わいだった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「じいちゃん! おれの覇者の冠どこにやったんだ!?」

 

ロモスから戻って数日後。デルムリン島に戻ったダイたちは、真新しい服に身を包み、平和な日常を過ごしていた。でろりん達の襲撃の傷跡もすっかりと癒えたある日のこと。覇者の冠がないことに気付いたダイが大騒ぎを始めた。

ちなみに覇者の冠は、普段は人の頭部を模した木製の台座に乗せて、家の棚に大事に飾ってある。なお、この台座はチルノのお手製だ。日々の掃除も欠かさずに行っており、埃一つなく奇麗に磨かれている……やっているのはダイではなくチルノだが。それが無くなっているのだ。

 

「あ~ん? 知らんなあ~」

「なになに、何の騒ぎ?」

 

ダイの騒ぎに気付いたチルノが顔を出す。

 

「姉ちゃんは知らない? 覇者の冠がどっかに行っちゃったんだよぉ!!」

「さっき部屋の掃除してた時にはあったはずよ。その後は知らないけれど」

「じゃあやっぱりじいちゃんだろ! あれは王様がくれた、おれの宝物なんだぜ!!」

「バッカモ~~ン! 宝物なら自分でしっかりと管理せんかい!!」

 

ブラスは手にした杖でダイの頭を一発叩くと、ふと名案を思い付いたように目を細める。

 

「そういえば、このところのゴタゴタですっかり忘れておったが、ダイや。お主はメラを使えるようになっておったのう」

「へ、うん……」

「であれば、久しぶりにワシが稽古をつけてやろう。呪文はワシの得意技じゃ。チルノに取られていた分も含めて、た~~っぷりと、のう?」

 

ニヤリ、と笑ったブラスの顔に、ダイは言い知れぬ恐怖を感じた。いや、それはダイでなくても感じ取れる。これまで教師役はチルノに持っていかれてばっかりだったのだ。それが久しぶりに活躍できそうな機会に恵まれた。そして冠を無くしたという今の状況と合わされば修行内容がどうなるか、それは想像に難くない。

 

「えーっと……おれ、姉ちゃんに教わるから……」

「あら、呪文ならおじいちゃんでしょ? 私は教えられないわよ」

「じゃ、じゃあ姉ちゃんも一緒に!」

「何一つ契約できなかった私に何を習えっていうの? うう、悲しいけれど、呪文については私が入る余地は何一つないのね……」

 

よよよ、とばかりに泣き真似までして見せる。

 

「そういうことじゃ。さてダイよ、遠慮することはないぞ。しばらくはみっちり特訓してやろう」

「え、い……いやだああぁぁっ!!」

 

ダイの絶叫がデルムリン島に響き渡る。

そんな声を、覇者の冠を被ったゴールデンメタルスライムと一匹のキングスライムが笑顔で聞いていた。

 

 




原作のこのお話は色々と描写不足なので、その辺は独自設定となっています。移動時間とかも。なお、おばちゃん井戸端会議ネットワークは最強です。異論は認めない。

スライムたちですが、原作でキングスライムになったのはなんででしょうね? あれ、明確な説明はなかったはず。元々合体スライムだったのかな? でもDQ4のモンスターは魔界に住んでるって設定だし……
でも合体はさせたかったので、ダイ&ゴメちゃんよろしく、スラリンをチルノのコンビにさせて、大体一緒にいるので合体の特訓もしている。という理由づけに使いました。うん、強引。きっともう出番はない。

原作追ってるだけですね。


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LEVEL:05 姫と勇者と賢者と 前編

それは、ダイがゴメちゃんを連れて大慌てで家に飛び込んできたことから始まった。

 

「ブラスじいちゃん! 姉ちゃん! 軍艦だっ! 軍艦がせめてきたよーっ!!」

「な、なんじゃとぉっ!!」

「軍艦……!?」

 

大慌てで外に出ていくブラスを見ながら、ついに来たか、とチルノは気を引き締めなおす。

前回の偽勇者事件からおよそ三ヶ月が経っている。あのときの戦いは、結果だけ見ればそれほど上手くできたとは彼女には思えなかった。

もっと上手く立ち回れたのではないか、という後悔の念が彼女の胸中には常に渦巻いていた。

 

それはダイの特訓にしてもそうだ。本来ならば竜の騎士として力を発揮させることができれば、何物にも負けることのないほどの力を扱える。それでなくても、これだけ長い年月特訓して、この程度しか鍛えられなかったのだと思うと慚愧の念に堪えない。

とはいえ、こればかりはチルノを一概に責めることもできないだろう。子供のダイに苦しい修行を延々と行わせること自体が無理難題なのだ。厳しすぎれば逃げてしまうし、嫌々行わせても意味はない。大魔王が攻めてくると説明したところで根拠もなければ、子供のチルノでは信じてもらえるわけもなく。むしろ、きちんとした修行方法も知らず、手探りで行ってきた結果としては及第点と言っていい。

だが、悲しいかな。そんな事実をチルノは認識していない。むしろ自分の至らなさを嘆くばかりだ。そしてこの三ヶ月は、ブラスが呪文の特訓に多く時間を割いたため、剣術の腕前はさほど上達していない。呪文の方は新しく幾つか覚えることはできたが。

 

だからこそチルノは決意する。今回こそは、うまく立ち回ってやろうと。大丈夫、今回のことがいずれ起こるのは分かっていたのだ。そのための対策は、ある程度はしてあるはず。原作と比べてもっと余裕があるはずなんだ。

自分に言い聞かせるように胸中で呟いてから、飛び出して行ったダイ達の後を追う。小高い崖の上に追いつくと、ちょうどブラスが望遠鏡を手にして、件の軍艦を確認しているところだった。

 

「ムムッ」

 

やがて何かに思い当たったのか、何ともやるせないような表情を浮かべながら望遠鏡を降ろした。

 

「バカタレ! 何が軍艦じゃ! 早とちりしおって!!」

「ええ! じゃあ……」

「……あれぞまさしく、聖なる船じゃ……修行に修行を重ねた、賢者にのみ使うことを許される船なんじゃぞ」

「へえ……」

 

ダイが感心したような声を上げる中、チルノがおずおずと挙手しながら口を開いた。

 

「えーと、おじいちゃん。そんなの教わった記憶がないんだけど……?」

「むっ!? そ、そうじゃったか……?」

「正確には、賢者や国の主賓が乗るような特別な船があるとは聞いていたけれど、どの船がどんな役割なのかまでは教わってなかったわよ」

 

教わったことを思い出しながら、チルノはブラスに意見する。実際、ブラスであっても船首に刻まれた紋章を見るまではどんな船なのかの判別はついていなかったのだ。これでダイにわかれというのは少々酷であろう。

 

「……じいちゃん?」

「なはは、まあ、その、なんじゃな……」

「うん、本当に軍艦だったら大変なことになってたかもしれないし、早めに気付いて知らせてくれたのはダイのお手柄よね、おじいちゃん?」

「そ、そうじゃな!」

 

ジト目のダイに見つめられて、ブラスがどう誤魔化そうかと言葉を濁す。仕方なしチルノがフォローに回り、ブラスもそれに乗る。それでどうにかダイの溜飲も下がったようである。

 

「ちぇ。まあ、それでいいや」

「ほらほら、本当に賢者様の船だったら、この島に何か用事があるんでしょ? だったらお出迎えしないと。おじいちゃんもこの島の長老役として顔を出しておいた方がいいんじゃない?」

「それもそうじゃな。よし、行くぞダイ、チルノ」

 

ここ最近では珍しくブラスが先頭を切り、ダイ達はそれに続いて行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

一艘の小舟が砂浜に乗り上げ、中からはまず幾人もの人間が島へ上陸してくる。皆が揃いの黒い恰好をしており、同じ組織に所属する一団だということがわかる。続いて降りてきたのは年配の男と年若い男だった。年配の方は老獪そうな、年若い方は冷たい印象ながらも風格が感じられる容貌をしていた。

 

「あれが、本物の賢者さまかぁ……」

「こっ、これっ。頭が高い……」

「テテッ」

 

紹介されたわけでもないが、一団の様子からダイは誰が賢者なのかを理解したらしく、目を輝かせていた。ブラスはそんなダイを見て慌てて跪かせようとする。だがそれよりも早く、年配と年若い二人が先頭に立ってダイ達の前まで来ると、一団はダイ達に向けて一斉に跪礼した。

 

「「!?」」

「未来の勇者ダイ君、未来の賢者チルノ殿、それにブラス老ですな……」

「未来の勇者あっ!?」

「ぶっ、ブラス老ぉ!?」

「……また賢者扱い」

 

戸惑っていると年配の方が口を開いた。勇者扱いのダイと老などと慣れぬ呼ばれ方をされたブラスは喜色を隠し切れない表情を見せる。唯一チルノだけは、呼ばれ方に不満を持っているので複雑な表情を浮かべるが。

 

「私はパプニカ王国の司教を務めるテムジン」

「賢者バロン」

「パプニカの姫、レオナ様とともに故あってこの島を訪れました。なにとぞ姫にお力添えをお願いしたいと思いまして」

「姫ですと?」

 

ブラスの疑問の言葉に応じるかのように、小舟から最後の一人――レオナ姫が姿を見せる。光の加減によっては金にも見える茶色の髪を長く伸ばし、王家の服に身を包んでいる。美人ではあるが、凛々しい顔立ちをしており、周りの兵たちに傅かれて出来た道をゆっくりと歩いてくる。

 

「わあっ……」

 

威風堂々たるその姿は、まるで物語から抜け出てきた姫のようであり、思わずダイは歓喜の声を上げてしまう。普段見慣れている姉と比べれば、まさに上品な女性そのものだと認識してしまったことを誰が責められようか。

やがてレオナはダイの前で立ち止まると、慈愛に満ちた眼差しで彼を見る。

 

「あなたが……勇者ダイ?」

 

その言葉にダイは挨拶代わりとばかりにブイサインを返した。憧れのお姫様を前に興奮が最高潮に達しているのだろう。だがその興奮も、レオナの次の言葉を聞くまでだった。

 

「……やっだぁ~~! こぉ~~んなチビなのぉ!? カッコ悪~いっ!」

 

それまでのお姫様然とした姿はどこへやら、カラカラと遠慮なしに笑うその姿に、ダイの心は一気に突き落とされた。ガーンというオノマトペが見えそうなほどだ。

あちゃあ、とそんな弟の様子を見ながらチルノは心の中で合掌する。レオナがこういう性格だとは知っているが、初登場の時にはこんな凛々しい態度を見せていたことは流石に忘れていた。もしも覚えていれば、お姫様に夢を見すぎるななどと事前に忠告の一つも出来たのだろうが。

だが落ち込むダイを気にすることもなく、続いてレオナはチルノの方を向く。

 

「そして、あなたが賢者チルノね?」

「……自分で名乗ったことはありませんが、不本意ながら一部からはそう呼ばれています」

 

レオナとチルノは互いに向かいあう。年齢は大体同じ――厳密にはレオナの方が一歳年上だが、チルノの正式な年齢が不明なので、大きく同じ年齢と言ってもいいだろう。何もせずとも視線が合うことから、背の高さもほぼ同じ。身体の方も……まあ、大体一緒と言っていいだろう。レオナの方が食料事情が良い分、豊かなのは否定できないだろうが。

 

「へぇ、あなたはまあまあね。でも、そんなダッサ~~イ恰好してちゃダメよ」

「はぁ……」

「磨けば素質は良さそうなんだから、今度パプニカにいらっしゃい。あたしがちゃんとコーディネイトしてあげるから。そういえばチルノは何歳なの? 背格好から見ると同い年くらいに見えるけれどひょっとしてお姉さんだったりするのかしら?」

「え、ええと、レオナ、姫さま……?」

「うぉっほん!!」

 

一気に喋ってきたレオナの勢いにチルノが押され、それを見たテムジンが大きな声でわざとらしく咳払いをする。

 

「姫、まずは皆さまにお話をしたいのですが、よろしいですかな?」

 

早く話を進めてくれ。と、レオナを除くこの場の全員の心が一致した瞬間であった。

 

 

 

「洗礼の地!?」

「さよう。我がパプニカ王国代々神に仕える家系……その後継者たるレオナ様はこの月のうちに、地の神の恩恵を被るための儀式をせねばならんのです」

 

デルムリン島にはお客様を持て成すような家具もないため、仕方なく近場の手ごろな石へダイ達とレオナ達は向かい合って腰かけている。護衛の兵たちは立場もあるため立ったままだが。

 

「それを行うには最も地の神に近い場所にその身を投じなければなりません」

「この島には地に繋がる穴がありますね?」

「ああ、ありますとも。この島の奥地にとてつもない大穴が……しかし、この島の火山帯に直結しているらしく、島の動物たちですら滅多に近寄らんところですじゃ……そんなところへ……」

「心配ご無用です。レオナ様もいずれは賢者となられるお方……この私が伝授した氷の呪文を使えばなんら危険はありません」

 

ブラスが大穴の様子を思い浮かべながら視線をレオナの方へと向かわせた。一般常識に当てはめれば、まだ年端も行かない少女が行くような場所では到底ないからだ。だがバロンは心配ないと言い切る。当の本人であるレオナは不安などどこ吹く風とばかりに涼しい表情だ。

 

「ですが、この島は長年怪物島として恐れられていたため、誰もその場所を知りません。王家の者の洗礼は実に五十年ぶりなのです。そんな折、ロモス国の王からダイ君たちの活躍を伺いましてのォ。デルムリン島の怪物たちは、彼らの言うことならば何でも聞く……と」

 

さて、どうしたものか。チルノは話を聞きながら考えていた。火山帯だということは有毒ガスの恐れがあるからだ。氷系の呪文を使えば確かに熱は防げるだろうが、目に見えぬガスを相手に出来るものなのだろうか、と。

先の展開を知っているからこそ、テムジンらがこの機会にレオナを亡き者にしようとたくらんでいることを彼女は知っている。魔のサソリというモンスターを嗾けて毒を負わせ、その責任はデルムリン島のモンスターに押し付ける。という筋書きを企てているのだ。

であれば、先ほどの不安点を口にした上で、一国の姫を危険に晒すような真似をしているのだと指摘すればこの場は中止となるかもしれない。だが同時に、それはチルノの知らない未知の脅威にレオナが襲われる可能性もあるのだ。二つの考えを天秤にかけながら、さてどうしたものかと胸中で逡巡する。

 

「あの、本当に大丈夫なのでしょうか?」

 

少しだけ迷ったものの、チルノは口を開くことにした。ここで上手く舌戦に持ち込んで勝利出来れば儲けもの。レオナが毒に冒されることもなく、万々歳だと判断したからだ。

 

「どうしたんじゃ、チルノや……!?」

「火山帯ということは、何か危険があるのかもしれませんよ。特有の毒ガスなどが放たれている場所もあると聞きます。一国の姫君にもしものことがあれば、私たちでは責任は取れません」

「たしかに、それもありえますな。流石のご慧眼です。ですが、先ほども言いましたが、王家の者の洗礼は久方ぶりです。そして儀式はこの月のうちに行うしきたりなのです。また、レオナ様には洗礼の儀をしっかりと受けていただき、王族として、賢者としての自覚と責任に目覚めていただきたい。これは国王陛下も我々家臣一同も国民も、皆が望んでいることなのですよ」

「そういうことよチルノ。心配してくれる、その気持ちだけは貰っておいてあげる。でもね、これは私がやらなきゃいけないことなのよ」

 

そう口にレオナの表情からは、王家の人間としての決意と覚悟があるように見えた。なるほど、これが王族のカリスマというやつなのだろうかと納得すると、チルノは頭を下げる。

 

「そうでしたか。不要な心配を致しました。申し訳ございません」

 

なるほど、月日というタイムリミットもあったのかと話を聞いて納得する。テムジンらからしてみれば、監視の目も少ないこの絶好の機会を利用して、何が何でも成功させたいだろう。相手がそう動くのであれば、当初の想定通りに動いた方がまだマシ、と判断していたのだ。

 

「……少し話がそれましたが、つまり、ダイたちに地の穴までの道案内をさせたい、というわけですな?」

「え?」

 

それまで黙って話を聞いていたダイだったが、突然話の矛先が向いてきたことに驚きの声を上げると、ブラスとチルノにしか聞こえないような小声で話し始めた。

 

「(……じいちゃん、おれはやだよ。だってあいつ、性格悪そうなんだもん……そうだ、姉ちゃんが行ってよ)」

「(え、私!? えっと、ダイ、いいの? お姫さまのエスコートなんて勇者の誉れみたいなものよ。名誉なことよ)」

「(ええーっ。いいよ、べつに)」

「(こりゃ、お主ら……)……ッ!! い、いやいや! でしたら、この二人を道案内としてつけますので! お役に立てるのであればこれ幸いですわ!!」

 

姉弟の小声での言い合いに見かねて叱り飛ばそうとしたところで、ブラスは自分たちを見るテムジンとバロンの視線に気づく。一国の賢者に司教という大人物を前に言い争いなどというみっともない真似は見せられない。そう考え、ダイ達を掴むと口早に了承の意を示した。

ダイはそんなブラスの姿を見ながら、口には出さないものの文句を言い、そしてチルノは、そりゃ、そうなるわけだ。と胸中で呟きながら己の迂闊さを悔いていた。当初の想定では、ダイだけが案内役として向かって、自分はテムジンたちを妨害すればいいと考えていた。だが、その目論見は脆くも崩れ去る。

彼女はまだどこかで、自分の立ち位置をダイから一歩引いた立場で考えている――もっと有体に言ってしまえば、今体験していることが現実であると認識しきっていない。所詮は物語でしかないと、甘く捉えているのだ。でなければ、ダイだけが道案内を行うという考えには辿り着きにくい。そもそもレオナ達はデルムリン島では大きな危険はないと考えているのだ。であれば同性であるチルノの方がよほど選ばれやすいだろうことは少し考えればすぐにわかる。

 

「……わかりました。礼儀も知らぬ田舎者ですが、弟と二人で案内役を務めさせていただきます」

「姉ちゃん!?」

 

自身の認識の甘さを呪いながらも、チルノは見様見真似の跪礼を取った。

 

「あら、チルノの方は喜んでやってくれるのね。それに引き換え……まあ、途中で迷子になりそうだし、無理についてこなくても良いんじゃない」

「なっ……!! この島だったら目隠ししたって一周できらい!!」

「そう。じゃあ、決まりね」

 

売り言葉に買い言葉。レオナの安い挑発に乗ったことで、この瞬間にダイとチルノの二人ともが案内役となることが決まった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「さて、それでは出発といたしましょう」

 

護衛兵の一人が移動の準備を終えたことを確認してから言った。

あの後、二人が案内役を務めることが決定したとはいえ、すぐに出発するわけではない。兵士たちの準備を終えてからの出発となったため、少しだけ待ちの時間が発生していた。とはいえ装備を整え直したり、持っていくもののチェックをする程度の短い時間でしかなかったが。

 

「ああ、そうだ。ダイ、いつものは持っているわよね?」

「勿論だって。ほら、腰の袋があるだろ」

 

準備完了までの待ち時間の間に、チルノは思い出したようにダイに確認を取ると、ダイはさも当然だとばかりに自分の腰を指さす。そこには腰帯に結び付けた革袋があった。その横には携帯用の短めの木剣も差されている。

 

「おや、なんですそれは?」

「薬草ですよ。ダイはすぐ怪我をするので」

 

目聡くやり取りを見ていたバロンが口を挟んできた。ひょっとすると、この先の計画に支障となるものが入っているのやもしれないと考えてのことだろうか? そう考えて、チルノは当たり障りのない返答を返す。薬草が入っているのは間違いないし、ダイはやんちゃ坊主なので怪我もしやすいため、嘘ではない。

その言葉に納得したのか、バロンはそれ以上何も言ってはこなかった。

 

「そうだ、おじいちゃん。一つ言い忘れてたんだけど」

「む? 何かあったのかチルノや」

「うん、実は……」

 

そこまで言ってから、チルノはブラスの耳元まで近寄ると囁くような小さな声で言う。

 

「テムジンとバロンの二人からどうも嫌な予感がするの。すぐに逃げられるようにしておいて」

「……っ!? ……な、なんじゃそんなことか。わかったわい。島の仲間たちにも伝えておこうかの」

 

チルノの言葉にブラスは一瞬言葉を詰まらせるが、すぐに何事もなかったかのように振る舞う。チルノがブラスに対してこのようなことを言うのは初めてのことであり、そのためブラス自身も何かあるのだろうと判断したが故の咄嗟の機転である。

そして幸いなことに、というべきか、テムジンたちは気にした様子は見られず、そのうちに出発の時間となった。

 

 

 

ダイを先頭にチルノが続き、その後ろにレオナ。その後は護衛兵が数名という隊列でデルムリン島の奥地へ向けて進んでいく。

先へと進む途中、道の真ん中で眠っている一匹のキャタピラーと出会ったが、すぐにダイが起こすと、どくように命じる。するとキャタピラーはその命令に従って森の奥、別の道の方へと消えていった。

 

「へぇ、すっご~い。やるじゃないの、ダイ君」

「このくらいは普通だよ」

 

その一連を見ていたレオナが、素直に感心したように声を上げる。だがダイは興味なさげに呟くだけだった。なにしろ姉であるチルノも出来ることであり、ブラスも出来る。その島に住む仲間たちならば大体は出来ることだ。特別に褒められたりするようなことではないと認識しているため、その反応も仕方がなかった。

だがレオナからすれば違う。少し話をしただけでモンスターをどかすような光景は見たこともないため、珍しいものが見られたとばかりに気を良くする。

 

「ねえ、他にも特技あるの? ロモス王は剣術がすごいって言ってたけれど」

「姉ちゃんに習った剣術に、雷刃と風刃くらいだよ」

「らい……じん? なにそれ??」

「ダイの剣術は結構なものですよ。既にご存じかもしれませんが、偽勇者を剣技で圧倒して打ち倒しています。あと、雷刃と風刃の二つは剣を使った特別な技の名前です」

「そういえば、そんなことも聞いたような気がするわね……ってことは、ダイ君は本当に強いってこと!?」

 

ロモス王から聞いていたというが、それでも半信半疑程度だったのだろう。実際に本人から話を聞いてレオナの中のダイへの認識が変化しつつあった。そしてそれはダイも同じだった。肉親ではない女性に、多少なりとも尊敬されているのだから、悪い気はしなかった。

 

「当然さ! あの偽勇者はやっつけたし、今じゃ姉ちゃんにだって勝てるんだからな!」

「姉ちゃんって、チルノのこと?」

「ええ。子供の頃から稽古の相手をしてきたので。ダイにとっては私が一番身近な目標なんです」

「ふう~ん……」

 

その言葉を聞いて、レオナはチルノのことを上から下までまじまじと見つめる。自分と同じくらいの年頃に加えて、肉体的にもそれほど違いがあるとは思えない。確かに服から見える手足は健康的に見えるが、戦士のように鍛え上げられているのかと問われれば流石に首を横に振る。

とても武術でダイの訓練相手を務めていたようには見えないのだ。だがダイは姉に勝ったことを声高に語り、本人もダイの壁であったと言う。見た目からでは俄に信じられないのだ。

 

「ううーん……ダメね、ダイ君が強いところが想像できないわ……」

「アハハ……機会があれば、お見せできるかもしれませんよ。それに、最近は呪文も上達してきたので、本当に勇者らしくなってきているんです」

「へぇ! 呪文も使えるんだ?」

「メラとヒャドとバギをこの間ようやく覚えたよ。次はイオとギラを覚えさせるんだってじいちゃん張り切っている」

「おじいさんってあの鬼面道士の?」

「ええ。ダイに呪文を教えているのはブラスおじいちゃんなんです。レオナ姫から見れば、まだ初級の呪文ばかりかもしれませんが……」

 

ダイがブラスに呪文を習っている。

それだけ聞けば、それほどおかしなことではないだろう。だがレオナはその事実がどこか引っ掛かる。そして、三回ほどその言葉を復唱した後に、ようやく何がおかしいのかに気付いた。

 

「……え、ちょっと待って。呪文って、あなたが教えているんじゃないの?」

「ええ。教えているのはおじいちゃんですよ」

「それがどうかしたの?」

「だって、おかしいじゃない! チルノ、あなたはロモス王からは未来の賢者と呼ばれているんでしょ!? だったらなんでダイ君に呪文を教えないの!?」

「ああ、そのことですか」

 

ダイとチルノは顔を見合わせて、そういえばそうだったと目で会話する。二人からしてみれば、すでにあまりにも当り前の事実となっているので忘れていたことだったのだ。

 

「実は私、呪文は何一つ使えないんです」

「えええええ~~~っ!! うそ~~~~っ!!」

 

レオナが大げさすぎるほどの大声で叫んだ。その声にかき消されがちだったが、周囲にいた護衛の兵たちも大なり小なり驚嘆の声を上げている。そもそも賢者と呼ばれるものは、魔法使いの呪文と僧侶の呪文の両方を操るというのが一般的な通説だ。一国の王に賢者とまで呼ばれた相手が呪文を使えないなど、あまりにも想定外のことだったのだ。

 

「一つも使えないの?」

「はい、まったく。メラもホイミも使えません。そういう意味では、ダイ以下ですね」

「チ、チルノ殿はひょっとして、まだ魔法の儀式を……」

「馬鹿ね。弟のダイ君がメラを使えるのに、姉のチルノが儀式をしてないわけないでしょ」

「ですよねぇ……」

「はい。儀式はすべて失敗しました」

 

兵の一人がダメで元々とばかりに契約の儀式について持ち出すが、レオナに一蹴される。そしてそれをさも当然のような顔で肯定するチルノの様子は、彼らから見れば異質だった。

 

「そ、その、なんと申し上げてよいか……」

「いえいえ。お気になさらずに」

 

呪文を何一つ使えないのにも関わらず、気丈に振る舞い続ける姉。という認識がレオナ達の間に生まれ、それ以降はチルノを気遣ってか口数も減っていた。一方、ダイ達からすれば突然態度が変わったのは何故か理解できなかった。確かにメラもホイミも使えないが、それに代わる魔法を使えるというのはもはやこの島の住民にとっては共通認識であり、今更説明するまでもないことだった。そのために気遣いも無用なのだが――残念なことに、そのすれ違いに気付かぬまま案内は進み、ついに地底へと繋がる洞窟の前まで辿り着いていた。

 

「やれやれ。無事に辿り着けて、まずは一安心ってところね」

「ここに来るのは久しぶりだね」

 

洞窟の前まで辿り着くと、洗礼の準備のためにと慌ただしく動く兵士たちとは対照的に、ダイたちは揃って近くの岩へ腰を下ろしていた。そもそもの仕事が道案内であるし、洗礼の儀式については何の知識も持ち合わせていないため、手伝うことすらできない。むしろ下手に手を出せば邪魔にもなりかねないので、隅の方で大人しく見学していた。

 

「チルノ、少しいい?」

「レオナ姫? 儀式の準備は良いんですか?」

 

座っているチルノへ向けて、レオナは何かを決意したような表情で言う。

 

「決めたわ! チルノ、あなたはしばらくしたらパプニカに来なさい!」

「……は?」

「呪文がてんでダメ、剣の腕もダイ君に負けているんじゃ、姉としての威厳がないでしょう? だったら、あたしが口をきいて王宮で働けるようにしてあげるわ。ここまで話をしていて、あなたは頭は悪くないようだし、最低限の礼儀作法も身に着けているみたいだし、悪くないでしょ?」

 

予想もしなかった言葉に、チルノもダイも無反応になってしまう。数秒の空白の後に、やがてダイが噴き出した。

 

「ね、姉ちゃんが、王宮で働くなんて……アハハハッ!」

「あら、ダイ君。笑っているみたいだけれど、あたしは本気よ。呪文が出来なくてもクヨクヨせずに、自分の頭で出来ることをやる。きっとロモス王もそういうところを気に入って、未来の賢者と呼んだんでしょうね」

「えーと……レオナ姫……?」

 

そこまで言われて、チルノはようやくレオナが勘違いしていることに気が付いた。そして途中で謎の気遣いをされたのもそういうことかと思い当たった。なるほど、常識に当てはめればレオナの言う通り、弟に劣っている姉としてコンプレックスの一つもありそうなものだろうに、それを感じさせることのない性格をしている。そういうところをレオナは評価していた。

 

「これ、チルノにあげるわ。せめて武器くらいは良いのを持っとかないとね。パプニカに来た時には兵士にこれを見せなさない。話は通しておくから。身分証にもなるわよ」

 

どうしたものかと悩んでいるうちに、気付けばレオナは腰に差していたナイフを鞘ごと抜くと、チルノへ差し出していた。

 

「王宮には同い年なんていないし、チルノが来てくれると何かと助かるのよねぇ」

 

そう言うレオナの言葉を聞きながらチルノの脳裏に浮かんだのは、お転婆な姫様とそれに振り回されていつも貧乏くじを引かされるお付きのメイドだった。レオナの誘いに乗った場合、自分はその貧乏くじを引く方になるだろう。根拠はないが、多分そうなるのだろうと確信できた。と、そこまで考えたところで、これはただの現実逃避だと気づき、考えを改める。

思わず手に取ってしまったナイフだが、これは本来の歴史では魔法のできないダイのためにレオナが差し出したものであり、その後に起こる旅の中でもダイの初期装備、剣入手後も予備武装として活躍していた武器だ。そもそもパプニカ王家に伝わる由緒正しい物である。

どうにかダイが貰う流れに持っていけないものかと思い、苦し紛れに言葉を並べた。

 

「いえ、その、私が持っていても、役には立ちませんので、その……そう! 剣を扱えるダイが持っていた方が、きっと剣も喜ぶと思いますよ」

「え、いいの姉ちゃん!?」

 

いつも木剣ばかり振り回しているダイからすれば、短刀とはいえ本物の剣が手に入るかもしれないと聞いて笑顔を浮かべる。だがそれを聞いたレオナは、目を細めて不満顔を覗かせた。

 

「ふぅ~~ん。チルノはお姫様から貰ったものを簡単に人にあげちゃうんだ……」

「えーと……はぁ、わかりました。この短刀は受け取らさせていただきます。ただ、パプニカ王宮で働くかどうかについては、また別のお話とさせてください」

 

流石に下賜されたものを目の前で他の人間にホイホイ渡すのはあまりにも不敬である。他に良い手も思いつかず、チルノは頭を下げてパプニカのナイフを受け取った。ただ、最後の抵抗とばかりに王宮で働くことについては確約しないようにお願いする。

 

「仕方ないわねぇ。まあ、今はそれでいいわ。その代わり、あたしのことはレオナって呼びなさい。他人行儀なしゃべり方もダメ! 同い年なんだし、そのくらいはいいでしょ? ……あれ、同い年なんだっけ?」

「正確な年齢は不明ですが……」

「しゃべり方!」

「……今、多分十三歳。もしかしたら十四歳かもしれないけれど、同い年ってことでいいでしょレオナ? それとも私は妹分の方がいいかしら?」

「そうねぇ……やっぱり、同い年の方が気兼ねなくていいわね」

 

そこまで会話したところで耐えきれなくなったのか、チルノとレオナはどちらからともなくクスクスと笑い出した。片や王宮で育てられた箱入り娘。片や絶海の孤島で育った野生娘。対等な立場の同性の友人が出来たのはこれが初めてのことだった。

 

「へへへ。良かったね、姉ちゃん」

「ありがとダイ。ついでだし、ダイもレオナの友達にしてもらったら?」

「うーん、ダイ君はまだ保留かしらね。チルノの弟なんだし、あたしの弟ってことで」

「良かったわねダイ。弟分としては合格みたいよ」

「なんだよそれ!」

 

ダイをからかうという行為を通じて、二人は親交を深めていた。少し悪い気もするが、これも姉のための苦労だと割り切ってもらおう。なにより、再び沸き上がったチルノたちの笑い声がその証明だ。

 

「うわああぁぁーーっ!!」

 

だが、二人の笑顔は唐突な悲鳴によって無残に切り裂かれた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「!?」

 

つい一瞬前まで漂っていた穏やかな雰囲気は、突如響いた悲鳴によってかき消された。その悲鳴にダイは誰よりも早く反応すると、悲鳴の聞こえた方角へ向けて駆け出して行く。続いてチルノが、最後にレオナがそれに続く。

悲鳴の聞こえた場所へたどり着くと、そこには巨大なサソリ型のモンスターが兵士たちを今まさに襲っているところだった。巨大な鋏で一人の兵士を掴み上げ、切断しようと力を籠めている。

 

「あれは……まさか、魔のサソリ……!?」

「この島にはあんなモンスターはいないわ!! みんな、逃げてっ!!」

「ええっ!?」

 

ダイの言葉にチルノが兵士たちに逃げるように指示を出し、少し遅れて到着したレオナは突然の光景に混乱していた。

 

「な、なにこれ……!?」

「わからないけれど、逃がしてくれそうもないわね。戦うしかないかしら?」

 

素人目に見ても凶悪そうな顔つきをしており、魔のサソリは敵意に満ちている。何より兵士の一人が既に傷を負っている。話し合いでお引き取り願うのは流石に無理だった。

 

「やってやるっ!」

「待ってダイ! これを使って!!」

「これって、姉ちゃんが貰ったナイフだろ。いいの!?」

「一番攻撃力のある武器を、一番強い人間が持つのに何の問題があるの? 今は非常事態よ!」

「わかった姉ちゃん! 借りるよ!!」

 

木剣を握りかけたダイを止めると、チルノはパプニカのナイフを渡す。ダイは一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに割り切るとナイフを片手に魔のサソリへ向けて突進して行った。

 

「援護くらいはしてあげるから!!」

 

そんなチルノの言葉を背に受けながら、ダイは魔のサソリに飛び込むとナイフを片手に兵士を狙っていたサソリの攻撃を受け止めた。サソリの外殻とナイフの金属とがぶつかり合い、甲高い音を上げる。その隙に狙われていた兵士はサソリから距離を取る。残りの兵士たちは槍を手にサソリを囲んでいるものの、攻めあぐねていた。

 

「上ッ!!」

 

その言葉に一瞬だけ視線を向けると、尾の毒針がダイへ向けて振り下ろされていたところだった。チルノの声により寸でで気付けたダイは、大きく後ろに飛び退いてその攻撃をかわす。

 

「尻尾の針は猛毒があるから絶対に避けて! 外皮も相当な硬さのはずだから迂闊な攻撃は隙を晒すだけよ!!」

「姉ちゃん! じゃあどうするのさ!!」

「隙なら私が作ってあげるから! ダイはそこを狙って!!」

「ちょっとチルノ!?」

 

いつの間にかダイの隣に並んでいたチルノが、簡単なやり取りだけをすると魔のサソリに向けて駆け出す。その姿にレオナは戦慄した。呪文は使えず、剣の腕もダイよりも劣り、そして武器も持っていない。そんな彼女が囮になるなど正気の沙汰ではない。そう判断した時だった。

 

「【フラッシュ】」

 

目が眩むという言葉が陳腐に思えるほど強力な閃光がチルノから放たれ、魔のサソリに襲い掛かった。予想すらしていなかったサソリはその閃光をもろに食らい、視覚の一切が潰される。

 

「ギャオオオオオッ!!」

 

突然の盲目状態に魔のサソリは混乱し、滅茶苦茶に暴れだした。だがそれは無秩序な動きであり、精細さを著しく欠いている。攻撃を避けるのも容易く、隙だらけだった。

 

「雷刃!!」

 

そんな魔のサソリに攻撃を当てることなど、今のダイにとっては容易いことだった。姉の作ってくれた隙を存分に活用し、十分に力を溜めると、必殺の雷刃を放つ。全力に加えてパプニカのナイフという攻撃力を得た一撃は、サソリの尻尾を切断して胴体も真っ二つに切り裂いた。それでも魔のサソリは驚異的な生命力で動こうと足掻いていたが、やがて力尽きる。それを確認したことでダイはやっと警戒を解いた。

 

「ふぅ……ごめんよ、命を奪っちゃった」

「すっごいじゃないダイ君!! こんなに強かったなんて!!」

 

戦闘が終わるや否や、レオナはダイに駆け寄ると感激の声を上げる。話では強いと聞いていたが、聞くと見るとは大違いだ。鮮やかにサソリの攻撃を防ぎ、大地ごと両断しそうな強力な一撃はその技の名前の通り雷撃を彷彿とさせるほどだ。これほど強ければ、未来の勇者と呼ばれるのも納得がいく。

 

「え、へへ。そうかな?」

「そうよ! まだ小さいのにこんなに強いなんて!!」

「ち、小さ……おれは姉ちゃんの一つ下の年齢だい!」

「ええっ!! そうだったの!?」

 

ダイとレオナが感激のシーンのような漫才のような、よくわからないやり取りを行っている間に、チルノは魔のサソリに傷つけられた兵士の容態を見ていた。見た目だけならば腕と胴から出血をしているだけに見えるが、万が一ということもある。

 

「大丈夫ですか? 今、傷を調べますから……」

「チルノ殿、仲間は大丈夫でしょうか……?」

「うん、怪我は鋏の攻撃のみね。熱もないみたいだし、これなら――【ケアル】」

 

怪我をした兵士の体を調べていたが、言葉の通り鋏の傷以外に外傷は見当たらなかった。魔のサソリの毒を受ければその部分が変色して高熱が発生するはずだが、それも見当たらない。本当に裂傷だけのようだ。それを確認してから、チルノは治癒の魔法を使う。魔法の力によってすぐさま傷は癒えていき、苦痛に苦しんでいた兵士の顔から険が取れていく。そこまで確認したところでチルノは魔法を止めると、ふぅと一息ついた。

 

「これで大丈夫。尻尾の毒を受けていたら危ないところでしたよ」

「おお、ありがとうございますチルノ殿!」

 

同僚の命が助かったことを聞き、兵士たちが歓喜の声を上げる。その騒ぎを聞きつけて、レオナがやってきた。

 

「……ちょっと待ってチルノ!! あなた一体どういうことよ!!」

「レオナ? どういうこと、って……?」

「呪文は一つも使えないって言ってたじゃない! さっきのサソリの時の光といい、今の治療といい――あれは二フラムにホイミかしら? とにかく、あれで呪文が使えないとか詐欺よ詐欺!!」

「ああ、そのこと」

 

レオナのその言葉に周りの兵士たちもアッと驚いた顔を浮かべた。呪文を使えないと言っていたはずの少女が、彼らの目の前で仲間の傷を癒したのだ。これでは辻褄が合わない。

チルノはといえば、そういえば説明していなかったと気付き、どうしたものかと考える。そして、下手に説明するよりもまずは見てもらった方がいいだろうと思い、ついさっきまで座っていた岩場へと手を向けた。

 

「よく見ててね――【ファイア】」

 

集中して魔法を発動させる。彼女の意志に従い、生み出された炎は岩場を赤々と燃やす。

 

「これは、メラですかな?」

「メラ……ううん、違う。メラよりももっと……おかしいわよこれ!?」

 

チルノの生み出した炎を見て、兵士の一人はメラだと安易に結論付けるが、レオナはその言葉を否定した。彼女は賢者の卵として教育も受けているのだ。今まで学んできた知識が、目の前で起きたこれは違うと叫ぶ。術者によってはただのメラであっても火球を飛ばすだけでなく、バリエーションを生み出すことはできる。例えメラがメラゾーマ以上の威力を発揮したとしても、炎が発生するプロセスは同一なのだ。一方、チルノのそれはそのプロセスから異なっている。そのため、これはメラではない。もっと別の何かだ。レオナの目にはそう見えた。

 

「レオナ正解。これはメラじゃないの。私、呪文は一切使えないけれど、その代わりに今みたいな変な力が使えるのよ。理由は分からないんだけどね」

 

開いた口が塞がらないとはこのことか。といった表情を見せるレオナたちに向けて、指を一本立てて自分の口元に持ってくる、いわゆる内緒話のポーズを取った。

 

「あ、このことは一応秘密で。無暗に広められたくないので」

「す……すごい! すごいわよチルノ!! こんなすごい呪文が使えるなんて!! ダイ君もすごかったけれど、チルノはもっと……ロモス王が二人を勇者と賢者に認めただけのことはあるわ!! これはパプニカも負けてられないわね……」

 

自分の理解の範囲外で起きた現象に、レオナは興奮して騒ぐ。ロモスが二人を認めたのは決して王の贔屓などではなく、順当に実力が認められた結果なのだと理解したからだ。ならばロモスの後塵を拝するわけにはいかないとばかりの奮起を見せる。

だが、この一連の騒ぎの陰で、魔のサソリがやられたことを確認すると、小さく舌打ちをしながらその場から消え去った者がいた。それに気づいたものはこの場には誰もいなかった。

 

 

 




書いているとき、ゴメちゃんを出すのをいつも忘れる。
ゴメちゃんって書くとき、気が付くとゴメンちゃんになっているときがあって困る。

これだけレオナレオナと書いておいて、ドロシーと一言も書けないとはどういうことだ?
名前をチルノからドロシーに今からでも変えようかと悩んだが、やっぱりやめる。
名前でソートすると弟(ダイ)の方が先に来ちゃうから。

……気が付いたらダイがパプニカのナイフを貰ってない。


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LEVEL:06 姫と勇者と賢者と 後編

「レオナ、兵士の皆さんも。ちょっといいかしら?」

 

少し前からハイテンションにはしゃぐレオナを制するようにして、チルノが言う。

 

「なによチルノ、一体どうしたの?」

「さっきの魔のサソリのことよ。チラッと言ったと思うけれど、この島にあんなモンスターはいないわ」

「うん、おれも見たことないよ」

「それがどうかしたの?」

 

チルノの言葉の真意がいまいち掴めず、レオナは首を傾げる。

 

「つまり、あれは島の外から来たってことになるわ。海を渡ってきたとは考えにくいから、誰かが持ち込んだと考える方が自然。じゃあ、何時、誰が持ち込んだのか? さっきからずっと気になって考えていたの」

 

レオナに、ダイにわかりやすいように疑問点を確認するようにしながら、チルノは言葉を紡いでいく。

 

「仮に、何日も前からこの島にいたのなら、島のモンスターが気付かないはずがない。実際、魔のサソリは凶暴だったから、大人しく身を隠していたとは思えないの。つまり、あのサソリはついさっきこの島に現れたんじゃないかしら」

「ついさっき!? あのねぇ、いくら何でもそれは無理じゃないかしら?」

「いいえ、無理じゃないわ。ダイなら、わかるわよね?」

「え!? うーん……あ、魔法の筒!!」

 

急に話を振られたダイが頭を捻り、やがてチルノの欲しかった正解を口にした。魔法の筒があれば、生物の出し入れは自由自在だ。実際にロモスにてゴメちゃんを奪還する際に活躍したこともあって、ダイの印象も強かったのだ。

そんな魔法の筒の効果をレオナ達に向けて簡単に説明すると、聞いていくうちにレオナの顔色が変わっていった。

 

「そういえば、昔聞いたことがあったわ……魔法の筒があれば、確かに可能ね」

「ええ。そして、この島に来たのはレオナたち以外にはいないわ。つまり……」

「まさか!」

「そのまさかだと思っているわ。テムジンとバロンの二人が怪しいと、私は睨んでるの。そして魔のサソリの出現タイミングから考えれば、目的はレオナの暗殺」

「な、なんですとぉっ!!」

「姉ちゃん、いくら何でもそれは……」

 

チルノの考えを聞くなり、兵士の一人が大声で驚く。ダイですらも、それは考えすぎだと諫めようとするほどだ。だがレオナの表情は真剣そのものだった。まるで思い当たる節があるかのように真摯にチルノの言葉を耳にする。

 

「洗礼の儀式は必ずしもデルムリン島で行う必要はないんでしょう? 五十年前に儀式を行った場所でも良かったんじゃないの? デルムリン島で儀式を行う様に薦めたのは誰なのかしら?」

「……テムジンよ」

「「「えええっ!!」」」

 

これにはダイも兵士たちも一様に驚くしかなかった。

 

「チルノの言う通り、本来は洗礼は別の場所で行う予定だったの。でも、ロモスでのダイ君たちの活躍を知って急遽この島で行うことになったの」

「じゃ、じゃあやっぱり」

「怪物島なら、魔のサソリがいてもおかしくはない。モンスターに襲われてレオナは死亡。後は国に戻って上手く立ち回って実権を手に入れる、とかそんな筋書きなんじゃないかしら?」

「なんだよそれは!! あいつら、そんな悪い奴らだったのか!?」

 

原作知識という武器と状況から判断した推論を組み合わせた論理を展開していくチルノに、レオナが事実という補足を行うことで、テムジンたちへの疑念はどんどん深まってゆく。事実、聞いていたダイなどは怒髪天を衝かんばかりの様相を見せていた。この場にテムジンらがいたら今にも襲い掛からんばかりだ。

 

「……魔法の筒を使ったなら、犯人はすぐ近くまで来ていたはず。でも、こうして今も話しているのに何もしてこないということは、もう逃げたんでしょうね。となると次は……おじいちゃんが危ない!!」

「え? どういうことだよ姉ちゃん!?」

「ここからは推測。相手の立場になって考えた当てずっぽうよ」

 

そう一言断ってから、チルノは言葉を続けた。

 

「多分、魔のサソリが簡単に倒されたのを見て、犯人は一度引いたんだと思うの。でも、暗殺計画はそう簡単に諦められるものじゃないはず。準備もしてきたし、こんな好機はそうそう訪れないでしょうからね、力ずくでも成功させようとすると思うの。例えば、おじいちゃんを人質にとれば、私とダイは手が出せない。その可能性はあるじゃないかと思って」

「そんな! だったら早く戻らないと!!」

 

チルノの説明を聞いた途端、ダイは今にも飛び出さん勢いを見せる。だがそんな弟を制して、チルノはレオナに対して地につかんばかりに頭を下げる。

 

「レオナ姫。申し訳ございませんが、一旦戻らせていただきます。祖父が、ブラスおじいちゃんが心配なんです」

「……わかりました。チルノ、ダイ。役目の途中ですが、あなたたちが戻ることを許しましょう。ただし、条件として私も連れて行きなさい」

 

今までの考えは、すべて推論に過ぎない。証拠がないのだ。憶測でしかないことで、道案内という仕事を勝手に放りだすわけにはいかない。他人行儀なしゃべり方はしないように言われていても、時と場合というものがある。パプニカ王家の姫に対して、無礼を承知で頭を下げて戻ることを告げると、返ってきたのは自分も連れていけという予想外の――いや、レオナの性格からすれば十分予想のできた――言葉だった。

 

「狙われたのはあたしよ。その張本人が蚊帳の外なんて嫌よ。何としてでもテムジンを問い詰めてやるわ」

「……本当、すごいお姫様だなぁ……」

 

やる気満々といった体を見せるレオナの前に、ダイはそう呟くのが精一杯だった。姫らしからぬバイタリティに未来の勇者といえども振り回され気味である。

 

「わかったわ。それじゃあ、戻りましょう。ダイ、袋を貸して!」

「え、これ? でもこれって薬草しか入ってないんじゃ……?」

 

姉の言葉に疑問符を浮かべつつも、ダイは腰に括り付けていた袋を手渡した。袋を受け取るとチルノは口紐を解くと、中に手を入れる。

 

「薬草以外にも、毒消し草も入っているわよ。特製の調合したやつだから、魔のサソリの毒にだって負けないくらいのがね……っと、あったわ」

 

そう言いながら袋から取り出したのは、加工された羽のようなアイテムだった。

 

「キメラのつばさ!? こんなものどこで……?」

「ええ。これがあればすぐに戻れるわ。ちなみに、私のお手製よ」

 

原材料はこの島に棲んでいるため、抜け落ちた羽が簡単に拾えるのであとはチルノの生産系のスキルを活用することで手軽に作り出せる。

 

「こんなのも入ってたのか……知らなかった……」

「じゃあ、戻るけれど、兵士の皆さんはどうします?」

「わ、我々も行きますぞ! テムジン殿のことが事実であれば捕まえる必要がありますし、姫にもしものことがあれば一大事です!」

「わかりました、それでは……」

 

自分の持っている袋に何が入っているのか知らない弟の言葉を、とりあえず聞かなかったことにしつつ、チルノはキメラの翼を使おうとして……

 

「……そうだ! 無駄になるかもしれないけれど、一つ策を弄してみましょう」

 

直前に思いついた悪だくみにより、移動がほんの少しだけ遅れた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

キメラの翼の力によって、海岸まで転移した。突然現れたチルノと数名の兵士の姿に、ブラスもテムジンも驚きの色を隠せなかった。

 

「チルノ!? 一体どうしたというんじゃ!?」

「テムジン司教、申し訳ございません!」

 

誰何の声を上げるブラスを無視して、チルノはテムジンに対して深々と跪礼を行う。そのチルノに倣うようにして、ダイと兵士たちも頭を下げた。

 

「チルノ殿? 一体どうしたのいうのかな……?」

「はい、奥地でレオナ姫がモンスターに襲われて、力及ばずに……」

「なんじゃとぉっ!?」

「む、それは本当ですかなチルノ殿!?」

「はい……せめてご報告をと思い、私たちだけでも戻ってまいりました……」

 

チルノの言った言葉にブラスは純粋な驚きな声を上げているが、テムジンの言葉には隠し切れない笑いが含まれていた。チルノたちはそれがはっきりとわかったが、困惑するブラスは気付けなかった。

 

「申し訳ありません……私が……」

「チルノや、それはどこなんじゃ!! 急いでいけばまだ間に合うかもしれん!! テムジン殿も早く向かいましょう!!」

 

肩を落とすチルノを奮い立たせるようにして、どこで何があったのかを訪ねる。まだ助かるかもしれないとブラスは必死になる。そんなブラスの姿を見て、チルノも兵士たちもブラスの優しさを感じていた。

改めて明言する必要もないだろうが、これはすべて嘘である。テムジンの本音を引きずり出すための一芝居を打っているだけなのだ。だがそうとは知らないブラスは、本当にレオナが襲われたと思い、どうにかしようと息巻いている。

 

「チルノ殿、その前に聞きたい。レオナ姫を襲ったモンスターはどのような相手でしたかな?」

「それは……巨大な、鋏を持った……」

「そうですか、サソリですか!! ふ、ふふふ……ふぁははははは!!」

「テムジン殿、いかがかなれた……?」

 

巨大な鋏を持った、そこまで聞いたところでテムジンはこみ上げる笑いを我慢しきれなかった。喜びを隠し切れず、感情の赴くままに哄笑する。頬を緩ませたその表情は邪悪に歪んでおり、思わずモンスターであるブラスですら慄いたほどだ。

 

「よくやったぞバロン! これで計画は成功したも同然よ!!」

 

この場にいないバロンを褒め称えるテムジンの言葉に、小声で「やっぱり……」と呟く者がいた。

 

「レオナは死んだ。これで後継者を失ったパプニカの実権はわしのものよ」

「な、なんと……!?」

「さて、念には念を。貴様ら始末もしておかねばな。お前たち!」

 

テムジンの命令に従い、彼の直属の部下である七人の兵士たちが手に槍を持ち、チルノたちを取り囲んだ。眼前に突き付けられた槍を目にして、さしものブラスも悔しそうに唸る。

 

「ぬぅ……」

「クックックッ……怪物島と呼ばれたこの島ならば、姫が襲われても不思議ではあるまい? そして、それを知ったお前たちは、姫を守り切れなかった責任によりここで死ぬ。素晴らしい筋書きじゃろう?」

 

完全に勝ち誇ったように、テムジンは聞いてもいないことをペラペラと喋りだした。気分はさながら、勇者に冥土の土産を渡す魔王とでもいったところか。計画の成功が彼を饒舌にしていた。

 

「貴様! 神に仕える身でありながら、己の欲望のために主君の命を奪うとは!」

「そうよねぇ、まったくもって許せないわよねぇ」

 

不意に、激昂するブラスの言葉に追従する聞きなれない声色が辺りに響いた。よく通る、少女のようなその声に、ブラスもテムジンも、この場にいた多くの者が動きを止めた。

 

「ま、まさか……この声は!?」

「テムジン、もうあたしの声を聴き忘れたのかしら?」

 

一人の兵士がローブを脱ぎ捨てると、その下からはレオナが姿を現した。

あまりに唐突な登場に、テムジンも彼の子飼いである兵士たちも目の前の光景はあり得ないとばかりに驚愕に彩られた顔を見せる。

 

「な、何故生きている!? お前は確かに……」

「私は一言でも、レオナが死んだなんて言った?」

 

チルノを睨みつけるテムジンに向けて、彼女は笑顔で返した。

これが移動の直前にチルノの思いついた悪だくみである。レオナとダイにローブを着せて変装させ、さらに列の後ろに配置することで視線を遮ることで体形をテムジンから見えにくくする。そうして準備した上で、レオナを殺されて逃げ帰ってきた部下を装い、テムジンに報告することで彼の失言を引き出させるのが目的だった。

 

「私たちは確かに島の奥でモンスターに襲われた。そのモンスターは鋏を持っているのも本当。そこまで聞いて、嬉しさを抑えきれなかったのね。犯人しか知りえないようなサソリ型のモンスターだと断言した挙句に、ペラペラと喋ってしまうなんて……こっちの手間が省けて助かったわ」

 

本来の予定ならば、襲われたモンスターが魔のサソリだと明言せずに匂わせるはずだったのだが、こうも上手く転がってくれるとは……本来の歴史ではテムジンは自分から悪事をベラベラと喋っていたのだが、今回も同じように掌の上で転がされてくれるとは、チルノをしても思ってもみなかったことである。

余談ではあるが、当初の予定では報告役もチルノではなく兵士の誰かになるはずだったのだが「自国の姫が死んだなど冗談でも口にしたくない」「あくまで推測の域を出ないため間違っていた場合にどうなるか恐ろしい」「とてもそんな腹芸はできない」などの理由で悉く断られ、仕方なし、言い出しっぺの法則によってチルノがそのお役目を果たすこととなっていた。

 

「テムジン、あなたがこんな大それたことを企んでいたなんて……今更言い逃れが出来るとは思わないことね! ここにいる全員が証人よ!! 潔く観念しなさい!!」

「ぐぐぐ……もはや、こうなっては……ええいっ!! 貴様らっ、そいつらを殺せ! 殺すのだ!!」

 

退路を断たれたことで逆に開き直り、テムジンが部下へと抹殺命令を下す。部下たちもこのままでは重い処罰は免れないと悟ったことで腹を括り、命に従って槍を構える。

 

「まだ罪を重ねるつもりなの!?」

「お前たちもパプニカの兵だろう!! 往生際が悪いぞ!!」

 

動き出した敵の兵たちを見てレオナと護衛兵が口々に言うが、本人たちは止まらない。

 

「もうこれ脱いでいいんでしょ!? この服、ブカブカで動きにくくって!!」

 

これまで沈黙を守ってきた――余計なことは話すなと厳命されていたともいう――ダイは、ようやく窮屈な思いから解放されるとばかりにローブを乱暴に脱ぎ捨て、パプニカのナイフを構えた。

 

「悪いのはお前らだからな! たああぁぁぁっ!!」

「ラリホー」

 

そのまま短刀を片手に敵兵の一人に突っ込んでいくと、あっという間に一人を弾き飛ばしてしまった。吹き飛んだ兵は衝撃に耐えかねて気絶するほどだ。これだけでも如何にダイとの間に差があるかが理解できるものである。

護衛兵たちもダイに負けずとばかりに、武器を手にもって敵兵と乱戦を繰り広げる。

そしてレオナは、互いに戦っている兵士たちの隙を見ては、睡眠呪文を使って無力化していく。幾ら反乱に加担したとはいえ、自国民なのだ。きちんとした法の裁きを受けさせてやりたいという願いがそこにはあった。

 

「チルノや、これはいったい……?」

「おじいちゃん、詳しい説明は後で。今は、この事態を切り抜けることだけを考えて……【スリプル】」

「わ、わかったわい……」

 

喧噪の隙を突いてブラスの下へと近寄ったチルノは、簡単に説明すると同時に残っていた敵兵の一人にレオナと同じく睡眠魔法を使い、無力化する。

そうして一人一人と無力化されていき、気づけば残っているのはテムジンだけとなっていた。

 

「残りはお前だけだぞ! 観念しろ!」

「テムジン、おとなしく法の裁きを受けなさい」

「ぐぬぬ……バ、バロン!! バロンはどこに行ったのだ!?」

「……ああっ!」

「そういえば、バロンはどこに行ったの!?」

 

テムジンの苦し紛れのように呟いた言葉に、だがレオナはハッと気づかされたように顔色を変える。それはチルノもダイも同じだった。ペラペラと自供したことであまりにうまく行き過ぎていたために忘れかけていたが、バロンにも容疑は掛かっていたのだ。もしもあの賢者がこの場にいれば、これほど簡単に事が運んでいたことはなかっただろう。

 

「そ、そうだバロンじゃ!! わしは奴に騙されただけなのです。レオナ姫様、主犯は奴です!! わしは、わしは悪くありませんぞ!!」

 

レオナたちが慌てたことをこれ幸いと見たのか、テムジンはこの場にいないバロンへと罪の全てを被せて、少しでも刑罰を軽くしようと試みる。必死で訴えるが、それはその場逃れの言葉でしかないことは誰の目にも明らかだった。

 

「バロンめぇぇっ!! 奴が、奴があのようなことを言わなければ……」

 

テムジンがそう叫んだ時だった。

地の底から震えてくるような低い音が鳴り響き、一行の耳まで届いた。だがその音の正体が何かを考える暇はなく、またその必要もなかった。音に続いて爆発音が鳴り響く。慌てて音の方向に目をやれば、沖合に停泊していた船から煙が上がり、音の正体が姿を現していた。

 

「おおっ、キラーマシーン!!」

 

それを見た瞬間、テムジンは嬉々として叫んでいた。

爆煙を切り裂いて現れたのは、巨大な機械だ。一見すれば人型を模しているが、安定性を高めるために脚部は四本存在しており、右手にはその体に見合った反りの深い巨大な曲刀を持ち、左手は手甲と一体化したボウガンを装備している。

先ほどの音はこのキラーマシーンの起動音だったのだ。

 

「バカな……魔王の死んだ今、キラーマシーンがなぜ動く……!?」

 

キラーマシーンは魔王が勇者を殺すために作り上げた殺人機械である。魔王の魔力によって動く機械のため、魔王が死ねば活動することはない――そのはずだった。だが眼前のキラーマシーンは船から降りると海を割るようにして海岸目がけてズンズンと突き進んで来ている。

これはどうしたことだとばかりにブラスは声を荒げた。だがその疑問も、キラーマシーンが海岸まで近寄ったことで氷解した。

 

「「「バロン!!」」」

 

近寄ったことで、モノアイの部分に人がいることを確認できた途端に、レオナ・ダイ・ブラスの三人が同時に叫んでいた。唯一、未来知識でそれを知っているチルノだけは口を開かなかったが。

 

「ハハ……ハッハッハッ、でかしたぞバロン!!」

「そうか、バロンの魔法力で動かしておったのか……」

「そうだ! ただのガラクタに過ぎなかった、この前大戦の化物をわし自ら改造したのだ! 人間の意思で自在にその威力をふるえるように、なっ!!」

「なんという恐ろしいことを……!」

 

キラーマシーンを見た途端、テムジンが喜色を見せた理由がこれだった。配下であるバロンがキラーマシーンに乗って助けにやってきた。これならば、今の窮地を脱することもできるはず。そう考えたためだ。

つい先ほどまで、自分が言っていた言葉も忘れて。

 

「今のお前は地上最強だ。蹴散らせバロン!」

「ああ、望み通り蹴散らしてやろう。まずは……貴様からだ!!」

 

バロンはキラーマシーンの手でテムジンを掴むと、顔の高さまで持ち上げる。

 

「何をするのだバロン!!」

「俺はこの計画の主犯なんだろう?」

「なっ! そ、それは……! 知らん! そんなことわしは知らんぞ!」

「聞いていないとでも思っていたか? そもそも先に切り捨てたのは貴様の方だろうが」

「く、うううぅぅ……」

 

なぜそれを知られてしまったのか見当もつかず、テムジンは唸り声を上げるが、これは彼の自業自得だった。

バロンは魔のサソリが倒されたことを確認してから、その場から少し離れてからルーラで船まで戻っていた。そして、魔のサソリ戦で見せた戦闘力からダイたちを油断ならない相手とみなし、キラーマシーンを起動させようとしていた、その時だった。

船上まで響いてくる喧噪に作業の手を止めて確認すれば、それはレオナたちとテムジンたちが大暴れしていた音だった。だがそれもすぐに止んだかと思えば、続けて聞こえてきたのはテムジンがバロンに罪を被せてでも助かろうと嘆願する声であり、バロンはそれらを聞いていたからだ。

 

「裏切りの報いを受けろ」

「ひいいぃぃっ!!」

 

テムジンを手近な岩に力を込めて投げつける。だが、岩に当たる直前に動いた者がいた。

 

「【エアロ】!」

「ぐえっ!!」

 

チルノである。彼女は風を操る魔法を使い、テムジンが岩に当たる直前のタイミングで、岩と体の間で風を爆発させて簡易的なクッションとなるようにしていた。それでも威力を完全に殺しきることはできなかったため、テムジンは蛙が潰れたような声を上げたが、岩に直撃するよりはまだマシだろう。

 

「さて、次は貴様らの番だ。こうなっては、このストーリーも筋書きを変更しなければなぁ……大筋はほぼ同じだが、犠牲者にはテムジンも加わり、そしてこのバロンが凶暴なモンスターを倒して実権を握るように変更してやろう」

 

バロンはテムジンのことなど意に介さないように、今度はレオナたちの方へと向き直った。その口から語られるのは、この場を切り抜けてからの青写真。彼は既に勝利した気でいるのだ。確かに、キラーマシーンの力があればそれも可能だろう。

 

「来るっ!!」

 

キラーマシーンが動き出すよりも一瞬早く、ダイが警告を上げる。そのダイの言葉に従うかのように、キラーマシーンはレオナたちに向けて襲い掛かってきた。それまで開いたままの頭部モノアイを閉じて、バロン本体を直接狙われることのないように考慮された、まさに本気の状態だ。

 

「ダイ、前衛をお願い!! 【プロテス】」

「任せとけ!」

「小癪な!」

 

チルノの言葉を聞くが早いか、ダイが待ってましたとばかりに前に飛び出る。念のために防御力を高める魔法をかけておくのも忘れない。

ダイと対峙したバロンは、走りこんできた勢いのまま剣を振るう。だがダイはひらりと剣をかわすとお返しとばかりにバロンに向けて切りかかった。しかし、堅い装甲に阻まれて浅く傷をつけるのが精いっぱいだった。

 

「ダイ君! よし、あたしも……!!」

「待ってレオナ!」

 

ダイの戦う姿を見て加勢しようとしたレオナであったが、それを見たチルノは慌てて腕を引っ張り止める。

 

「チルノ!?」

「バロンの狙いはあなたよ! たとえ私たちが無傷でも、あなたがやられたら終わりなのよ!」

「それは……」

 

チルノの言葉にレオナは納得しかねるといった表情を浮かべた。それを見たチルノはため息を一つつく。

 

「でも、見ているだけじゃいられないって気持ちもわかるわ。だから、せめてもっと離れた場所でお願いできる?」

「さっすがチルノ! よくわかってる!!」

 

本心を言えば、もっと遠くまで避難していてほしかったが、それを説得する時間も惜しいと判断したチルノは降参の言葉をこぼした。それを聞いたレオナは我が意を得たりとばかりに歓喜を浮かべる。

そしてチルノの言葉に従ってバロンからさらに離れた位置まで移動すると呪文を唱えた。

 

「ダイ君よけて! ギラ!」

 

警告とほぼ同時にレオナが閃熱呪文を放ち、それを聞いた途端にダイはバロンから必死の形相で離れる。間一髪のところで退避は間に合い、ギラの呪文はキラーマシーンだけを包み込んだ。

 

「何するんだよレオナ!」

「ごめーん! でも注意はしたし、当たらなかったからいいでしょ?」

 

悪びれた様子もそこそこに、レオナは軽く謝罪の言葉を口にする。だが、そのどこか安穏とした空気も、辺りに響いた機械音によって霧散する。

 

「ずいぶんと余裕ですねぇ、姫様」

「ま、まさか……」

 

恐る恐る目を向ければ、そこにはギラのダメージなどまるで影響の見られないキラーマシーンの姿があった。

 

「フフフ、その程度の呪文など通用するものか」

「嘘でしょう!? あれ、結構自信あった攻撃呪文だったのに!!」

「さ、さすがはキラーマシーンじゃ……あれほどの呪文を受けて無傷とは……」

 

ブラスがぽつりと呟いた。彼の脳裏に浮かぶのは、魔王が健在だった頃の記憶。キラーマシーンというモンスターをして化け物と呼ばれるような機械を作りあげ、その機体は呪文を跳ね返し、生半可な攻撃では傷一つつかないと耳にしていた。その恐ろしさを平和になったはずの世界で実感することになろうとは。

それも人間が操るそれをモンスターの自分が味わうのだ。皮肉以外の何物でもなかろう。なまじ知識があるがために、ブラスの心が屈服しかけていたその時だった。

 

「やっぱり正攻法じゃ難しい、か……なら、搦め手で。できる限りのことはしないとね」

「チルノ!?」

「何か策があるの!?」

 

ブラスと同じ光景を見ていたであろうチルノは、だがまるで怯えた様子もなく次の行動を起こそうとしていた。勿論これは彼女がこうなることを知っていたからこその態度なのだが、それを知らないブラスやレオナからしてみれば、逆境であっても諦めずに頭が回るように見えた。

 

「ええ、もちろん。大王イカ!!」

 

彼女の呼び声に応えて、海中から大王イカが姿を現す。

 

「大王イカはそのまま海岸まで来て! ダイはキラーマシーンの右側に回って!」

「えっ!? わ、わかった!」

「フン、何をするのか知らんがこのキラーマシーンに通用するものか」

 

そのままチルノの指示に従って大王イカは近寄り、ダイはキラーマシーンの右側に回る。バロンはそれを聞いていたはずだが、ためらうことなくダイを追って右側に向き直る。するとちょうど、ダイと大王イカが横並びになってキラーマシーンと相対するような位置関係となった。

 

「イカスミ! 顔を狙って! 終わったら海に隠れて!!」

「ちぃっ、目くらましか!? だがこの程度では子供騙しにもならんぞ」

 

大王イカはすぐにイカ墨をキラーマシーンへ向けて吐きかける。墨汁のように吹き付けられたイカ墨がキラーマシーンのモノアイを汚す。外からでは確認できないが、これで一時的にとはいえ視界が奪われただろう。

そう、あくまで一時的。海も近くにあるのだから、洗い流すことも簡単にできる。バロンもそれを理解しているらしく、慌てた様子は感じられなかった。だが、チルノが欲しかったのはその余裕だったのだ。

 

「その余裕がいつまで続くかしら? 【ブリザド】!」

「!?」

 

キラーマシーンへ向けて冷気の魔法を放ち、イカ墨を凍らせた。流れ落ちていくはずのイカ墨は凍り付いたことで動きを止め、キラーマシーンの視界を遮る役目を存分に果たす。

 

「おお!」

「そっか、これなら!」

「くっ! 張り付いただと!?」

 

なるほどこうすれば墨で視界を奪えて、しかもそう簡単に洗い流すこともできない。キラーマシーンの装甲に呪文が通じないのならば、別の方法で影響を与えるようにすればいい。それをやってのけたことに二人は感嘆の声を上げた。

 

「隙ありだ! たああああああっっ!!」

 

そしてその瞬間を見逃すほど、ダイはお人好しではなかった。視界を奪われ、慌てた様子を見せるキラーマシーンに向けて、存分に力を溜めた雷刃を放つ。それは無防備なキラーマシーンに直撃する、はずだった。

 

「なんのっ!!」

「えっ!?」

 

ダイの攻撃に対して、まるで見えているかのようにキラーマシンは後ろに下がり、直撃を避ける。尤もタイミングが遅かったせいで完全にはよけきれず、それでもダイの強烈な一撃は足の一本を切断することには成功していた。

 

「チッ、足が一本やられたか」

「避けた!? 見えている……? ううん、それにしては遅すぎる……ということは、何か別の……テムジン!!」

「ヒイィ!! な、なんじゃ!?」

 

痛みと恐怖から大岩の陰に隠れて様子を窺っていたテムジンに向けてチルノは叫ぶと、恐る恐る返事が返ってきた。

 

「あのキラーマシーン、目視以外にも何らかの方法で外部感知しているでしょ!? 温度!? 音!? 魔力!? 教えて!!」

「え? ね、熱じゃ! 温度の感知を行えるようになっとる」

「テムジンめ、余計なことをペラペラと……」

 

機械であるキラーマシーンが光学映像だけに頼っているわけはないだろうと考え、手を入れたテムジン本人に聞いてみたところ、予想以上にすんなりと答えが返ってきた。その理由がチルノに救われたからかそれともバロンに恐怖しているのかは知らないが。

――温度感知。その答えにチルノは少しだけ考える。サーモグラフィーのようなものだろう、それならば想像がつく。対処方法もある程度はわかる。

 

「聞こえたダイ!? そいつは温度も感知してるわ! でも精度は低いはずだから……」

「うるさい小娘だ」

 

その言葉を遮るように、キラーマシーンは左腕に装着されたのボウガンを構えると、引き絞り矢を放つ。人間では扱えないほど強力な弦を使い撃ち出された矢は、甲高い風切り音を鳴らしながらチルノへと襲い掛かる。

 

「きゃあああっ!!」

 

撃たれたことに気づいて必死で避けたが、そもそも狙いは外れていた。だが、サイズと相まってその威力は巨岩をも貫かんばかりだ。近くに着弾したことで爆発したかのような大きな衝撃が襲い掛かり、チルノは大きくバランスを崩した。

 

「くそっ! 上手く狙えんか」

「姉ちゃん!! 大丈夫か!!」

「大丈夫、外れているわ!」

 

ダイの言葉に応えたのはレオナだったが、その言葉にダイは安堵した。キラーマシーンを相手に視線が外せない。少しでも目を離した隙に誰かが大怪我をしそうな、そんな悪い予感が頭から離れないのだ。今でこそ、姉のおかげで視界を封じられているが、それでも何か別の方法で自分たちを探知しているらしいことも聞こえていた。姉が必死で考えてくれているのだ、ならば自分は自分にできることをやるだけだ。自分は未来の勇者なのだから。

そう信じて、自身を鼓舞しながら再度キラーマシーンへ攻撃を加える。

 

「大丈夫チルノ……?」

「ありがとレオナ。平気よ、それに新しい策を思いついたわ」

「え……? も、もう考えたの?」

「おじいちゃんも、お願いできるかしら」

「な、なんじゃ一体……?」

 

ダイが攻撃している間に、ブラスとレオナはチルノへ駆け寄った。多少の擦り傷は見られるが、彼女自身に怪我らしい怪我はないようだ。

だがチルノの返事は、自身の怪我のことではなくキラーマシーンに対抗する新しい策だという。予想外のことに反応する間もなく、チルノは自身の考えを二人に披露する。

 

「なんと、そのようなことを……」

「二人には魔力の限界までお願いすることになるわ……やってくれる?」

「いいわ! このままなら一蓮托生だもの。やってやるわよ!」

「やれやれ、わかったわい。この老いぼれがどこまで出来るかわからんが、力いっぱいやってみせよう」

 

力技としか言いようのない考えだったが、他に策を考える者もいない。レオナはチルノの言葉に力強く頷き、全面的に協力することを決意する。それに後押しされるようにして、ブラスも決意を決めた。

 

「ダイ、合わせて!」

 

チルノがそう叫ぶと、その言葉を合図にして三人は一斉に呪文を放った。

 

「【かえんほうしゃ】!!」

「ギラッ!!」

「ぬうう……メラミッ!!」

「え、あ、メラ!!」

 

これに合わせられないほどダイも察しが悪いわけではなかった。ブラスは火炎呪文を。レオナは閃熱呪文を。少しだけ遅れてダイも火炎呪文を放つ。四人分の猛火に包まれたキラーマシーンの姿は煌々と輝き、周囲の空気はまるで蜃気楼のように揺らめいていた。

 

「ククク……貴様ら程度ではどれだけ力を合わせようとも、このキラーマシーンを焼くことは出来んよ!! ハハハハッ!」

 

四人が魔力を持続させ、必死でキラーマシーンへ炎を浴びせ続ける。先ほど張り付けたばかりの墨は既に氷解し、流れ落ちるどころか高熱で蒸発していた。これだけの長時間浴び続ければ、たとえドラゴンであってもダメージを負うだろうというほどの炎。だがそれでもキラーマシーンは耐え続ける。

 

「うぐぐ……すまん、もう魔法力が……」

 

一番初めに脱落したのはブラスだった。長時間魔力を放出し続けたことによる疲労困憊で息を切らせている。だがそれと同時に、キラーマシーンの動きが目に見えて鈍くなった。残った三本の足が力なくよろめかせ、両手で自身の頭部を掴んでいる。まるで苦痛に耐えているかのようだ。

 

「ぐ、ガアアッ!! ウゴゴゴゴォォッ!!」

「な、なんだアイツ? 一体どうしたんだ?」

「あれって……やったわねチルノ!」

「ええ。ダイ、今が好機よ! 頭を壊してやりなさい!」

「よくわからないけど、わかった!」

 

ダイはキラーマシーンの体を足場代わりにして駆け上がり、瞬く間に頭の上まで移動する。

 

「くらえッ!!」

 

短剣を逆手に持ち帰ると、上から下へ一気に突き刺す。だが。

 

「かたいっ!! ……って、あっちぃ!!」

 

力いっぱい突き刺したはずの剣は半ばほどまで刺さったところで止まり、過剰なほどに炙られた装甲の伝導熱を我慢できなくなったダイは慌ててキラーマシーンから飛び降りる。

 

「うぐぐ……ガキが、いったい何をした……!」

 

ほんの少しだけ精彩さを取り戻した動きで、キラーマシーンはダイへ向けて腕を伸ばす。だがそれは逆にバランスを崩す結果となり、今やキラーマシーンは誰の目から見ても隙だらけだった。

 

「今よ、やっちゃえダイ君!!」

「うおおおおおっっ!!」

 

レオナの応援を受けながら、逆手に握った短刀を、左手を柄頭に添えて全力の一閃。一瞬、文字通り閃光が走ったように見えたほどだ。払い抜けの斬撃は、一瞬の静寂の後に、キラーマシーンの胴体を斜めに両断していた。

鋭利な切り口を覗かせながら、キラーマシーンの半身がズズンと音を立てて地面に転がり落ちた。

 

「すごい……」

「ダイ……いつの間にこんな……」

「…………」

 

三人はダイの放った攻撃を目にして声も出なかった。ただ、レオナとブラスはその威力に驚いていたが、チルノだけは驚きの内容が異なっていた。

剣を逆手に持ち、莫大な破壊力を以って相手を直接攻撃する。それは彼女の知る必殺技――アバンストラッシュと酷似していたのだ。まだ空裂斬を会得していないので完成系ではないにせよ、その威力はとてつもない、その一言につきた。

 

「う、ぐ……何があった? ううう……気分が……」

「バロン!?」

「そうじゃった、まだこやつが……!!」

 

キラーマシーンが破壊されたことで機能も停止したのであろう。頭部モノアイを覆っていた装甲も開き、中からバロンが転がり落ちるようにして出てきた。

それを見たレオナたちは、一瞬言葉を失う。中からは出てきたのは、まるで茹でダコのように体を真っ赤にさせたバロンの姿だったのだ。満身創痍の見本とばかりに微塵も覇気が感じられず、その瞳もどこか虚ろだった。何より地面に転がったまま、碌に起き上がろうともしない。口は浅く荒い呼吸を繰り返しながら金魚のようにパクパクと開閉させている。

 

「チルノ、これがあなたの狙っていた結果……なのよね……?」

「ええ、そのつもりだったんだけど……効きすぎたみたい」

 

チルノが狙っていたのは、キラーマシーンに高熱を浴びせ続けることによる熱中症を引き起こさせること――端的に言ってしまえば蒸し焼きにすることだった。そのために四人がかりで加熱し続けたのだ。

本来の歴史の通り、キラーマシーンの装甲を一部でも破壊してから火炎呪文を使うことで、バロンを内部から焼くという考えもあったのだが、あれはダイが竜の紋章の力を発動させていたからこそ出来たと彼女は判断していたため、最後の手段と考えていた。

その代替案として取った作戦が、蒸し焼きである。キラーマシーン内部の制御機構に攻撃が通らないように厳重に塞いであるだろうと考え、ならば逆にその通気性の悪さを利用してやろうと考えたが故の作戦である。

だが、チルノですら予想していなかった事態がさらに起きていた。というのも、キラーマシーンには元々排熱機構が存在しており、内部の温度が上がった場合にはそれを使用して温度を下げていた。だがテムジンの改修の際に、無駄に魔力を使用するという理由で排熱機構は取り外されていた。涼みたければ頭部コクピットの装甲を開ければいいし、そもそもキラーマシーンの戦闘力の前には熱が籠る前に決着がつくと想定していたのだ。

 

「……多分だけど、キラーマシーンの熱が想像以上にキツかったみたいね。空気が籠っていたんだと思う」

「そういえば、途中からバロンが何も言わなくなってたけれど、ひょっとして……?」

 

ほぼ完全密閉に近い状態となっていたキラーマシーンの内部で言葉を発しようとも、それが外部に届くことはなかった。バロンは内部で話していたが、誰の耳にも届いていなかったのだ。

そもそも魔導機械が声を発する必要はなく、仮に声を発するのであればスピーカーのような外部装置を利用すればいい。逆に外からの音は敵の位置特定などに効果を発揮するため、外部マイクで拾えるようになっている。

元々内部に生物が乗り込んで操作するという考慮は元々されていない設計に加えて、排熱もまともに出来なくなった機械。そんなものに乗り込んで高熱で熱され続ければどうなるかなど、まさに火を見るよりも明らかである。

 

「とりあえず、捕まえましょうか?」

 

少しだけ哀れに思われながら、バロンはあえなく御用となる。テムジンとその配下たちも同様に逮捕され、全員まとめてパプニカの法によって裁かれることとなった。

レオナの洗礼の儀式も滞りなく行われ、つつがなく終了。

万事解決。

残すは、レオナたちがパプニカに帰るだけとなった。

 

「チルノ、ダイ君。改めてお礼を言わせてもらうわ。二人は命の恩人ね」

 

海岸でレオナはダイとチルノへ友好の握手を交わす。

出向を直前に控え、パプニカの兵たちが見守る中で告げられた言葉に、ダイは誇らしげな、チルノは何とも気恥ずかしい顔を浮かべた。

 

「レオナも無事でよかったよ」

「本当に、一時はどうなることかと思ったわ」

 

ダイもチルノと同様に、他人行儀な話し方はせずにもっと砕けた話し方をするよう、レオナに言われていた。

 

「あら、大丈夫よ。何かあっても二人が守ってくれるって、あたしは信じていたから。ダイ君の剣も、チルノの知恵も、どっちも凄かったわ」

 

レオナはまるで昔を思い出すような顔をする。ほんの僅かな時間だったというのに、まるで長い年月を一緒に過ごしたのではないかと思う。彼女にとってはそれほどに得難い経験だった。

 

「ねえ、チルノ。パプニカの王宮で働かないかってあの話、本当のことだから。ダイ君も一緒にいらっしゃい。あたしのボディーガードにしてあげるわ」

「ええーーっ! いや、おれはいいよそんなの」

「怪物島の田舎娘には荷が勝ちすぎるかな……」

「あら残念、振られちゃったかしら? でも、まだ諦めたわけじゃないわよ」

 

そんなやり取りに周りから笑いが起きる。いつまでもこうしていたい。だが、名残惜しいものの出発の予定時間となった。

 

「さようなら、レオナ」

「レオナ、また会いましょう」

「ええ。再会の日を心待ちにさせてもらうわよ!」

 

デルムリン島から一艘の船が出発していく。

ダイとチルノは、船影が水平線の向こうに消えて見えなくなるまでの間、ずっと手を振って見送っていた。きっと船の上からも一人の少女が手を振っていてくれることを信じて。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「なるほどのぅ……魔のサソリの襲撃と、その事件の裏にいる存在を看破か……」

「そうだぜ爺ちゃん! 姉ちゃんってばズバズバ当てて、すごかったんだ」

 

家に戻ったダイたちは、ブラスに今回の事件について語っていた。レオナたちが魔のサソリに襲われたことや、なぜ洗礼の儀式をせずに戻ってきたのかの経緯などブラスの知らないことについてを重点的に話していたのだ。

ダイが大はしゃぎで話すおかげでチルノへの持ち上げが多くなり、本人からしてみればどうにも喜べない。カンニングの産物だと自覚しているのだから猶更だ。

 

「レオナの安全を第一に考えていただけだから、そんなに褒められることはしてないわよ」

「いや。チルノや、それは誇ってもいいことじゃよ。お主の活躍でこの事件は大事にならずに済んだんじゃ」

「……はぁ、わかったわ」

 

ブラスの言葉に曖昧に肯定すると、話題を変えたいとばかりに窓の外に目を向ける。その視線の先には、どこかで見た一本の金属があった。

 

「またそれ見てるの? 姉ちゃん、そんなのもらうなんて、やっぱり変だってば」

「いいじゃない。興味があったのよ、材質とか仕組みとか……」

 

そこにあるのはダイが切断したキラーマシーンの足の一本だった。何がどうなったのか、それは時間を少し遡る。

 

 

 

「キラーマシーンが欲しい!?」

 

チルノの言葉に、レオナは鸚鵡返しに叫んだ。現在は、レオナが帰国する少し前。船の準備が着々と進められている途中のことである。

 

「一体何に使うつもりよ、あんなの?」

「実は、装甲とか内部の仕組みとか、そういうのに興味があって。それにほら、パプニカに持って帰るとまた誰かに使われるかもしれないし、デルムリン島に置いておいたほうが安全じゃない?」

 

もっともらしい理由をこねるが、本音は最初に言った言葉である。仕組みの解析や装甲の研究を行えば、新たなジョブやアビリティを獲得できるかもしれないという打算も込みの言葉だ。いや、打算以外にも理由はあるのだが。

だがチルノがすべての言葉を言う前に、彼女に待ったをかける者がいた。

 

「いくらチルノ殿の頼みとはいえ、それは聞くわけにはまいりませんな」

 

そう言うのはパプニカの役人の一人だった。テムジンとバロンの罪を聞き、急遽駆けつけてきた者たちである。

 

「そのキラーマシーンは此度の罪の証。後の裁判でも立証のために使用する予定なのです。置いていくわけにはいきません。そもそもキラーマシーンとは、魔王が作り出した邪悪なる兵器です。こんなものを残しておくなど百害あって一利なし。裁判が済み次第、即刻破壊しなければ!!」

 

話しているうちにヒートアップしてきたのか、語気が強くなっていた。その目は、自身の正義を疑っていない。自分は正しいことを言っているのだと言わんばかりだ。

 

「ええ。その考えは理解できます」

「でしたら……!!」

「でも、キラーマシーン自体に罪はないと思いませんか?」

「む……それはどういう意味ですかな?」

「キラーマシーンは本来、人間を殺す恐るべき兵器です。ですが、人間が乗って操れるように改造できることからもわかるように、その力を制御することもできるはずです。天をも切り裂く強力な剣があったとして、勇者が扱えば人を助ける聖剣として祭られ、魔王が振るえば命を奪う魔剣として忌み嫌われる。不思議だと思いませんか?」

「では、このキラーマシーンでも人を助けることができると!?」

 

その言葉にチルノは首を横に振る。

 

「いいえ。剣もキラーマシーンも、生き物の命を奪う道具です。ただ、使う相手によって見方が変わる、人の評価も変わるもの。技術そのものに善悪の評価をするにはおかしいと言っています。キラーマシーンも、例えば勇者の仲間が作っていれば、邪悪な魔物を蹴散らす守護兵器として絶賛されていたと思いませんか?」

「むう……」

「この先、第二の魔王が出現しないと誰が決めたんでしょうか? そんなときに、この人間が操縦するキラーマシーンがあれば、国土を焼かなくて済むかもしれません。勇者の登場を待たずとも、魔王を倒せるかもしれません」

「し、しかし、その理屈は第二のテムジンを生むことにもなりますぞ!」

「ならば改良すればいいんですよ。複数人が操ることでリスクを分散させる。外部から強制停止できるようにする。王族が二人同時に起動させない限りは動かないようにする……一例でしかないですが、安全装置をつけておけばいいのです。魔王が作り上げた技術を使って、魔王に手傷を負わせる、なんて面白い意趣返しになりませんか?」

 

色々と理屈をつけているが、本音は前述の通りである。同時に、これを利用して大魔王バーンの侵攻に対する警鐘を少しでも鳴らせると考えていた。キラーマシーンを利用して、少しでも警戒を厳重とするように促す。

ロモスの一件でも同じように「邪気を持たないモンスターにこれほど苦戦して、兵士の練度は大丈夫か」といった旨を国王へと伝えていた。

勿論、大魔王バーンの襲来を直接教えられれば最良である。だが、証拠がない。そして、差し迫った脅威や目に見えた問題がない限りは、人間は中々動かないものである。

何より、人から言われて行うのではなく、自分たちで脅威に備えるようになるのが理想だろう。そのためのほんの少しだけ手助けをする。それができることの精いっぱいだと思っていた。

 

「なるほど、わかったわチルノ」

「姫様!?」

 

二人の意見を神妙な面持ちで聞いていたレオナが、重い口を開いた。

 

「結論から言うわ。さすがにキラーマシーンを渡すのは無理。この事件の重要な証拠品でもあるから」

 

それを聞いたパプニカの人間はホッと胸を撫で下ろす。

 

「でも、チルノの意見も正しいと思うわ。魔王が扱った技術だから禁忌、と安直に結論を出すのは問題ね。その技術の何が悪いのか、より安全に扱うにはどうすればいいのか。正しい使い方を模索するのも、人間の知恵だと思う」

「ひ、姫様……!?」

「我がパプニカ王国は、かつての魔王の居城のあった場所でもあります。魔王の技術を研究して、過去の悲劇を繰り返さないようにするのも、務めの一つでしょう?」

 

納得しかねる、と顔に書いてあるものの、口には出さずに男は肩を落とす。さすがにレオナがそう決めたことに面と向かって反論できるほどの度胸はないようだった。

 

「そういうわけだから、今からでは遅いかもしれないけれど、少しでも平和に利用できるようにできる限りのことはしてみるわ。それと……」

 

チルノへ向けてそこまで告げてから、レオナは耳元へ顔を寄せてから他の人には聞こえない声で言う。

 

「本体は無理だけど、ダイ君が切った足があるでしょ? あれくらいならコッソリ持って行っていいから」

 

 

そんなやり取りがあり、手に入れたものだった。キラーマシーン本体と比べれば見劣りするが、一部分とはいえどもスキル取得には役に立つだろう。

明日からはこの機械の解析なども修行の一つに加えようとチルノは決意する。

 

レオナがパプニカに帰ったということがどういうことか。先を知る彼女にだけはわかっている。

安穏とした時間は終焉に向かい、新たな舞台の幕が開く時はすぐそこまで迫っていた。

 

 




特製の毒消し草なら魔のサソリの毒も消せるぞ。という展開も考えてました。でも結局使わない。

レオナが正体を見せるシーンは「余の顔見忘れたか」と言わせたかった。

キラーマシーンの内部機構やらなんやらは独自設定です。目からビームを撃つ? ははは、ご冗談を(そんなところからビーム撃ったら外部カメラ焼けるだろ)

戦闘は、まだ竜の紋章はなくても勝てるだろうという前提で展開を考えていたらこんなことに。

ああ、次からやっと大地斬と海波斬って書ける。


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LEVEL:07 待望の家庭教師

――カラン。

 

室内に不意に乾いた音が響いた。それに反応して、作業の手を止めて何事かと視線を移動させた途端、チルノは異変に気付いた。

 

「おじいちゃん!?」

「ウ……ウウウ……」

 

いつも手にしていた木製の杖を取り落としており――先ほど聞こえたのはこれが床とぶつかった時の音だ――苦悶に満ちた表情を浮かべながらうめき声を上げていた。加えて、断続的に体を痙攣させている。

そんな祖父の様子を見るや否や、チルノはブラスに駆け寄ると彼の体を優しくさする。

 

「おじいちゃん、どうしたの? しっかりして!? 怪我!? 病気!? それとも……」

「チ、チルノ……? うう……何かドス黒い血が全身をかけまわっとるようじゃ……なんとか堪えることは出来ておるが、油断すればすぐにでも正気を失ってしまいそうで……」

 

そう告げるだけでもブラスの表情は歪み、息が切れていた。何もしていないのにうっすらと汗をかいている。

この原因は何なのか、チルノは知っている。

 

「おそらく、魔王が復活したのじゃ!」

「……っ!!」

 

いつかこの日が来ることは、知識としては知っていた。だが実際に目にした途端、チルノの胸には言いしれない悲しみが、嘆きが、襲い掛かってくる。現実として受け止めるのはこうも違うものかと彼女は息を呑む。

 

「この島に住む者たちは、元来は魔王の手下のモンスター……魔王の邪悪な意志により、暴れておった者たちじゃ……」

「その邪悪な意志が……再び襲い掛かってきた……」

「そうじゃ、この感覚は紛れもなく……」

 

チルノの言葉にブラスはゆっくりと頷く。

 

「そうじゃ、ダイは……ダイはどこじゃ? あやつは外に出ていたはず……もしや、モンスターたちに襲われておるかもしれん……」

「でも、ダイなら……いえ……無理、よね……私だって……」

 

チルノは言いかけた言葉を詰まらせてしまう。強さだけで判断すれば、襲われても撃退は容易であろう。だが、仲間として、家族として共に暮らしてきたこの島のモンスターたちを倒すことが出来るか。そう問われれば、答えは否だろう。チルノだってそうなのだ。ダイも同じことを思うはず。

 

「そうじゃ……一刻も早く探して……」

「どうしたんだよ、みんなぁっ!!」

 

途端に、外からダイの悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。

 

「ダイ!?」

「あ、姉ちゃん! 大変なんだ! 島のみんなが!!」

 

慌てて外へ顔を出せば、今にも飛び込まん勢いでダイが駆け寄ってきた。彼の指差した先には、島のモンスターたちがさながら流行り病でも蔓延したかの如く苦しみ蠢いている姿だった。ギガンテスがうずくまり頭を抱えているかと思えば、サーベルウルフが地面に寝転がったまま暴れている。キングコブラは大アリクイに巻き付いたまま、けれども力を入れずに必死で何かを堪えているように見える。

 

「みんな……!?」

 

一様に苦しんでいるその姿。だが、チルノはそれに少しだけ違和感を覚えた。彼女の記憶では、デルムリン島で正気を保っていたのはブラスのみ。他のモンスターたちは魔王の意志のままに見境なく大暴れしていたはずだ。

だが目の前に広がる光景は、記憶にあるブラスのように苦しみこそすれどもギリギリで踏みとどまっている。暴れていない分だけマシだろうが、はてこの違いは一体――

自分がモンスターたちとより多く交流したから、平和な島の生活への未練が増しているのだろうか。などと益体もない考えが一瞬頭をよぎるが、どのみち今考えることではないことに気づく。

 

「ダイ、そこにおったか……」

「じいちゃん!? 島のみんなが急に苦しみだして……」

「怪我は、ないか……?」

「うん、俺もゴメちゃんも無事だよ」

「ピピーッ!」

「みんなが苦しんでいる原因は、魔王が復活したからだそうよ。魔王の邪悪な意志に苦しめられているんだって……」

「ええっ……!! それじゃ……」

 

魔王の復活。ダイにとってみれば想像もしていなかった原因である。いっそのこと、怪我や病気ならばどれだけよかったことか。今すぐ魔王を倒せば解決するだろうが、そんなことは出来ようはずもない。

 

「ダイ、チルノ。二人とも今すぐにこの島を出るんじゃ! さもないと、ワシは……お前たちを……ぐうう……」

「じいちゃん……そうだ、姉ちゃん! なんとかならないのかよ!?」

 

縋るような瞳で姉を見るが、彼女はゆっくりと首を横に振る。

偽勇者の時も、レオナの時も、姉は的確な行動を取っていた。ならば今度も。そう考えたダイの望みも、あっさりと打ち砕かれる。

 

「そんな……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ダメなお姉ちゃんで……」

「いいんじゃよ、ダイ、チルノ……その気持ちだけで、十分じゃ……」

 

自身の苦しみを押し隠して、ブラスは優しく微笑む。それを見た二人は、それ以上何も言えなかった。

 

 

 

「さあ、行くんじゃ二人とも」

 

ブラスに引きずられるようにして、二人は海岸への道を歩いていた。日の光も差さないような曇天の空模様は、まるで魔王の復活を知らしめるように見える。

道すがらも、苦しむモンスターたちの姿がちらほらと見え、その都度何もできないという事実が二人の心に暗く影を差す。

ついには海岸が見えた。すぐ近くには、チルノたちがこの島に流れ着いたときに乗っていた小舟がある。いつか、デルムリン島を出るときに備えて整備をしていたものだ。

だが、近づくにつれて二人の足取りは遅くなり、やがて止まる。

 

「じいちゃん……やっぱり、おれ、いやだよ……」

「おじいちゃん、私も……」

「ならん! まだ正気を保っておるが、それもいつ失うやもしれん……」

「そうだ、眠らせる魔法で……!!」

「それはいつまで持つんじゃ? この島のモンスターたち全員に使えるのか? 一時しのぎにもならんことは、お主が良くわかっておるじゃろう……」

 

珍しく語気を荒くして、チルノの言葉を遮るブラス。だがそれは彼女たちの身を案じての行動だ。ここで押し問答しているその瞬間にも、自分は邪悪な意志に呑まれてしまうかもしれない。だからこそ、すぐにでも会話を打ち切り脱出させてやりたかったのだ。

 

「この島を出たら、ワシのことはすぐに忘れるんじゃ……そして、もし、ここに戻ってくることがあったとき、狂った鬼面道士が襲い掛かってきたら、遠慮はいらん。躊躇わずに殺すんじゃ」

「じいちゃん!?」

「おじいちゃん、何言ってるの!?」

「ワシは、お主たちを……大事な子供を、自分自身の手で傷つけたくはない……!! 早く、早く行ってくれ!!」

 

自分自身の命すら顧みず、子供たちのことを想う。魔王の意志から逃れ、正しき心を持ったからこそ、再び呑まれて悪事を行うことが許せないのだ。ましてや育てた子を手にかけてしまっては、心が耐えきれない。それ故の苦渋の決断。だがその想いは、ダイたちも同じなのだ。

 

「……そうだ、魔法の筒!! あれなら、外からの影響を受けないはず!!」

「そうか! それだよ姉ちゃん! 今すぐ取って……」

「なるほど、確かにそれならばワシは助かるじゃろうな」

 

今すぐにでも駆け出そうとしたダイをブラスは手で制する。

 

「お主らも知っておるじゃろう。魔法の筒は、この島のモンスター全てを封じ込められるほど数はない……」

「うん……でも、おじいちゃんだけでも……」

「他のモンスターを犠牲にしてワシだけ助かれというのか?」

「それは……」

 

ブラスの指摘にチルノは何も言い返すことは出来なかった。そんなつもりはないのだが、確かに結果だけ見れば、犠牲にして生き延びる行為だろう。

 

「ワシ以外にも、筒の数だけ封じ込めるのか? ならば封じるモンスターはどうやって選別するんじゃ? 選ばれなかったモンスターはここに残されるのか? 選ばれたモンスターは、残った者たちを犠牲にして生きていくのか?」

「……それ……は……」

「ワシは、この島の代表として、お主たちの親として、恥ずかしくないように接してきたつもりじゃ……そんな人道にもとる行為はできん……」

「おじい、ちゃん……」

 

チルノの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。こんな事態だというのに、高潔な意志を見せるブラスの姿はまるでどんな王族よりも輝いて見える。自分よりも他人を優先する。それだけの想いと覚悟で自分たちを育ててくれたのだと知り、言葉に詰まる。そして、その想いを無駄にしたくないという気持ちが強くなってしまう。

 

「私たちは……逃げなきゃいけないの……?」

「……いやだ! おれは、いやだ!! みんなを……じいちゃんを置いて逃げるなんてできない!! そんなの勇者のやることじゃないよ!!」

 

だがダイはその気持ちを振り切った。逃げれば確かに助かるかもしれない。だが、ブラスを置いて逃げることもまた、犠牲の上で生き延びようとする行為にしか、彼は感じ取られなかった。

ブラスの想いと同じく、ダイもまた純粋な想いを持っているのだ。そんな純粋な願いに応じるように、不意に声が響いた。

 

「その通り、いいことを言いますね君は……ダイ君!」

 

全員が声のした方を向くと、そこには一艘の船が辿り着いていた。そして、二人の男性が姿を見せている。一人は年齢は三十程度。銀髪をカールさせた髪型と眼鏡が特徴的な、優男といった風貌。もう一人は、まだ少年である。黒髪に黄色いバンダナがトレードマークの、利発そうではあるが、同時にどこかお調子者な印象を受ける。櫂を持っているところを見るに、船を漕いでいたのもこの少年だろう。

 

「だ、だれ……?」

「ブラスさんもチルノさんも、お気持ちはわかりますが……まあ、この場は私に任せてください」

 

声をかけてきたのも年上の方である。彼は腰に差していた剣を鞘ごと抜き取ると、鞘尻で地面を軽く突き刺す。

 

「さて、ひとっ走り行ってきましょうか……ちょええええええ~~!!」

 

何やら緊張を削ぐような奇妙な掛け声と共に、剣で地面を削りながら島の内部に向かって駆け出した。あまりに唐突な出来事に、それまでの深刻な空気はどこへやら。完全に毒気を抜かれたようにぽかんとした表情で、ダイとブラスは男の走り去った後を眺めている。

そしてチルノは、彼が来たことに安堵していた。これもまた彼女の知識にある出来事。いわゆる規定事項であるとは思っていたが、それでもどんなイレギュラーが起きるとも限らない。実際にその姿を見るまでは油断はできなかった。だがその緊張もようやく解ける。こうして彼が走り回って何をしているのか、彼女は知っているのだから。

 

「あのさ、あれ、何をやってるの?」

「心配すんなって。先生はすげえんだから」

 

何をやっているのかわからず、残った少年に向けてダイは尋ねるが、返ってきたのはいまいち要領を得ない回答だった。ダイからすれば、その言葉はさらに混乱を招くだろう。

言葉の意味が分からず茫然としていると、やがて男は出て行った勢いを殺さずそのままに戻ってきた。地面の上に線を引きながら島を一周してきたのだ。もしも上空から島の様子を見ることができたのであれば、巨大な五芒星が描かれているのが確認できただろう。

 

「邪なる威力よ、退け……マホカトール!」

 

精神を集中させ拳に魔法力を込めると、男は呪文を発動させる。それに応じるように、地面に描かれた魔法陣が光り輝いた。光は島全体を覆いつくすとそのまま天へと上り、上空の暗雲を払い飛ばす。天から柔らかな光が差し込むと、島を包んでいた邪悪な気配が霧散していく。

 

「こ、これは……奇跡か?」

「おじいちゃん!? 大丈夫なの?」

「ああ。あの方が呪文を使った途端、今まで襲ってきていた苦しみが嘘のように消えたんじゃ」

 

あれ程まで苦しんでいたブラスの顔色が、今は嘘のように穏やかになっている。暖かな光の気配が島全体を包み、破邪の力が魔王の意志を打ち消しているのだ。まるで昨日までの穏やかな日常が戻ってきたような、そんな光景がダイたちの目の前には広がっていた。

 

「す、すげえや……」

「あなたは一体……?」

「これは申し遅れました。私……」

 

言いながら男が懐をまさぐると、一本の巻物を取り出した。それを開き、書かれた内容を見せながら言葉を続ける。

 

「こーゆー者でございます」

 

そこには『勇者の育成ならお任せ!!』という一文があった。ただ、それ以上に『アバン・デ・ジニュアールⅢ世』の記載が目立つ。『魔法使い、僧侶も一流に育てあげます』とあるのだが、前述のそれと比べると目立たない。

それを唐突に見せられたダイとブラスの混乱や如何に、というものである。

サイズは段違いに大きいけれど、なるほどこれは名刺の代わりか。と事情を知っているチルノだけは一人納得していたが。

 

「まあ、平たく言えば勇者の家庭教師というやつですよ」

「「家庭教師ィ!?」」

「そう! 正義を守り悪を砕く平和の使徒! 勇者、賢者、魔法使い……彼らを育て上げ超一流の戦士へと導くことが私の仕事なのです!!」

「はぁ……」

 

ブラスが生返事に似た声を上げる。つい先ほど、魔王の意志すら打ち払うほどの強力な結界を張った姿と、目の前の男の姿がどうにも同一視できないのだ。

あまりのテンションの落差に、自分は夢を見ているのではないかとすら疑ってしまう。これを狙ってやっているのだとすれば、たいした者だろう。

 

「これは弟子のポップ、現在魔法の修行中の身であります」

 

アバンがポップの肩を軽く叩くと、ポップは軽く頭を下げた。

 

「それで、その家庭教師がなぜこの島へ?」

「もうすでにお気づきでしょうが、魔王が再び現世に復活してしまいました」

「やはり……そうでしたか……」

 

つい先ほどまで、魔王の洗礼とでもいうべき苦痛を自身でたっぷりと味わっていただけに、その言葉に疑いなど持てようはずもない。

 

「ええ。魔王の配下の邪悪な怪物たちが世界中にあふれだし、人々を苦しめ始めています。ロモス、パプニカなどの王国も危機にさらされているのです」

「ロモスの王様や、レオナが!?」

 

アバンの言葉を聞いた途端、ダイの顔色が青くなる。デルムリン島に来るまでの道中、アバンたちはそうした邪悪なモンスターに遭遇しては退治をしたり、町や村の依頼で退治を行うことも何件かこなしていた。

実際に自分の目で見て、体験してきた事実だけに、その言葉は深く、重い。今こうしている間にも、命の危機に瀕しているかもしれない。そう思わせるのには十分すぎるほどだ。

 

「はい、その通りです。私はパプニカ王家から頼まれてここに来たのです。デルムリン島には、未来の勇者と賢者が住んでいる。二人を一日も早く、本物の勇者に育て上げてほしい、とね」

「……!!」

「あの、少しいいでしょうか?」

「どうしましたチルノさん?」

 

話の途中で遮ることになるため、おずおずと挙手をしながらチルノが口を挟む。だがアバンは嫌な顔一つすることなく、彼女の方へと向き直る。

 

「パプニカ王家からの依頼、それはひょっとして――」

「ええ、お察しの通りレオナ姫からです」

「レオナは、無事なんでしょうか……?」

「……今はモンスターが散発的に暴れているだけです。人々が団結して対処すれば、十分に跳ね返せますよ」

 

アバンが口にしたのは、極めて客観的な、けれども十分に優しさを含んだ言葉だった。

 

「そう、ですか……」

 

チルノはその言葉から、何を言いたいのかを理解した。

散発的に暴れているだけ、十分に跳ね返せる、という言葉は甘美な響きに聞こえる。だがそれは、裏を返せば、魔王軍が本格的な侵攻を開始すればどうなるかわからない。ということでもある。

それは彼女の記憶にある展開と同じであり、そしていずれそうなるであろうことは、アバンも予期しているからこその言葉だった。

 

「よかった、無事なんだ……」

 

ダイなどはそれに気づかず、言葉を額面通りに受け取って少しだけ安堵していた。

希望を持たせる意味でもあえて言わなかったのだが、それでも言葉の裏を正確に読み取っていることに、アバンは顔には出さねど感心していた。

 

「ダイ、私はアバンさんに教えを乞うべきだと思う。さっきの結界の呪文だけでも、相当な実力者だってわかるわ。それに、レオナたちだって今は無事でもいつ危険になってもおかしくないのよ」

 

ここで断ってもらっては困るとばかりに、ダイの背中を押す。だが、チルノの気遣いなど無用とばかりに、ダイは強い決意を込めた瞳でアバンを見る。

 

「わかってるよ姉ちゃん! 俺やるっ!! 魔王を倒さない限り、じいちゃんたちは平和に暮らせない!! それにレオナがピンチだっていうなら救いに行かなくちゃ!!」

「……二人とも、本当に私の修行を受けますか? 魔王を倒すために。もちろん修行はメチャクチャハードですよ?」

 

ダイの熱い宣言を聞いたアバンは、だが少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら決意を揺るがすような言葉を口にした。仮にこの程度の揺さぶりに、少しでも動揺するようであれば、その決意も程度が知れるというものだ。

 

「平気です! おれを鍛えてください! 本当の勇者になって、魔王を倒すっ!!」

 

だが、ダイの信念はその程度では些かも揺るがなかったようだ。強く、純粋な想いに満ちた瞳を正面から受け止め、アバンはレオナの推薦が、そしてここまでやってきた自身の行動が間違っていなかったことを確信する。

 

「よろしい。では……この契約書に判子を。あ、サインでも結構ですよ」

 

どこから契約書を取り出すアバンの姿に、緊張していたはずの空気はぶち壊された。

 

 

 

さて、記憶が正しければ――

 

「……あれ!」

 

一件ふざけたアバンの態度によって弛緩した空気の中、チルノは空を見上げ、自身の記憶が間違っていなかったことを確認すると短く叫んだ。それにつられるようにして、ダイたち他の面々も空を見上げる。

初めに見えたのは、ゴマ粒のように小さく黒い点だった。だが、一行の見ている間に黒点は徐々に大きくなり、その輪郭もじっくりと鮮明に変化していく。

 

「なんじゃ、あれは……!?」

「あれは、ガーゴイルですね」

 

眼鏡の位置を調節しながら瞳を細め、遠くを睨んでいたアバンだったが、やがてブラスの誰何の声に応えた。それから数十秒後には、アバンの言葉に偽りがなかったことを知る。

その証拠に、剣を手に持ち背中に羽を生やした鳥人間のような魔物の姿が二匹、全員の目にはっきりと映っていた。

 

「しかしチルノさん、よく気づきましたねぇ。お手柄ですよ」

「あはは……このくらいしか取り柄がないもので……」

 

カンニングの賜物です。などと胸を張って言えることでもないため、どうにも歯切れ悪く返すことになってしまう。そんなやり取りをしているうちに、ガーゴイルはさらに距離を詰め、空から急降下して襲い掛かって来る――

 

「グェッ!?」

 

――訂正。襲い掛かろうとして結界に正面からぶつかり、勢いよく弾き飛ばされた。

マホカトールは魔を払い、邪悪を打ち消す魔法陣を生み出す呪文だ。ガーゴイル程度では、その干渉を力技で打ち破ることも、技術ですり抜けることも、どちらも不可能である。

現に、ぶつかった方のガーゴイルは、結界との接触がまるで火傷でも負ったかのようにダメージを受けていた。

 

「び、びっくりしたぁ……」

「ピィ……」

「うむ……なんと強力な結界じゃ……」

 

マホカトールの効果を知らないダイたちはガーゴイルの襲撃に対して身構え、そして弾かれたことにただただ驚いていた。

 

「な? 先生はすげえんだって」

 

そんなダイたちに向けて、ポップが自慢げに言った。

アバンの結界がどれほどすごいのか、彼は知っているのだ。まあ、ガーゴイルが結界にぶつかったときに、一瞬腰が引けたのは本人の名誉のために黙っておこう。

 

「どうやら、魔王の偵察隊のようですね。放っておくわけにもいきませんし……ポップ、あいつらをやっつけちゃってください」

「えー、おれ一人でですかぁ?」

 

不満を隠そうともしないポップの背中を押しながらアバンは言う。

 

「その通り。私はマホカトールを使ってベリーベリー疲れているのです。それに……兄弟子になるのですよ。弟弟子にカッコイイところの一つでも見せてあげたらどうです?」

 

後半は、他の人間に聞こえないように耳打ちで伝える。そう言われたポップは、弟弟子の姿を――というか、チルノの方をちらりと盗み見た。

ここに来る途中、島にはチルノという少女がいるとは聞いていたが、容姿については詳細に聞いていなかった。精々が髪の色程度だ。島に人間は二人しかいないのだから、行けばわかる。

事前情報がなかったこともあって、期待はしていなかった。怪物島に住む少女なのだから、最悪モンスターまがいの野生児が出てくるのではないかと思っていたほどだ。

だが、実際に会ってみてどうだ。年下ではあるが、彼の目から見ても十分に美少女である。

アバンの言葉ではないが、ここで良い格好の一つも見せれば、なびくかもしれない。辛い修行の最中、兄弟子である自分に頼るチルノ。いつしか彼女は淡い恋心を……

――ポップも健全な男の子である。このくらいの都合の良い妄想は十分許容範囲内だろう。

 

「よっし!! おい、カラス野郎!! おれが相手になってやる!!」

 

気合十分どころか、些か空回りしているのではないかと思うほどの勢いで意気揚々と結界の外に飛び出していく。その態度はガーゴイルを激昂させるのに十分すぎるほどだった。

 

「このガキがあっ!! 笑わせるなッ!!」

「メラゾーマ!!」

 

口角泡を飛ばしながら、剣を片手に空から飛び掛かっていく。中々に早い攻撃だったが、ポップには通じなかった。魔力を増幅させる短杖マジカル・ブースターを片手に、上級火炎呪文をカウンター気味に放つ。

 

「グワアアッ……!!」

 

大人でも一抱えはありそうなほど巨大な火球が放たれ、突進してきていたガーゴイルを一瞬にして包み込む。火力も見た目に恥じず凄まじく、断末魔を満足に上げることすらできずに息絶えた。後に残った人型の炭だけが、ガーゴイルの残滓である。

 

「すごい……」

 

初めて見るメラゾーマの威力を目の当たりにして、チルノは我知らずにそう呟いていた。炎の魔法を使えるが、自分のそれとはレベルが違う。これがアバンの使徒の力。そして、ポップを鍛え上げたアバンの実力。デルムリン島で――狭い世界の中で鍛えてきた自分とは大きな差がある。否応なくそれを実感させられた。

せめてこの一割でもあれば、そう思わずにはいられない。

 

「さあ、次はお前の番だ!!」

 

だがそんなチルノの心情など知らぬポップは、先ほどの発言を単純に「強いポップさん素敵!」という意味に捉えていた。そのため、ますます気を良くして残ったガーゴイルを挑発する。

 

「き、貴様ァッ!!」

 

挑発に怒るガーゴイルであったが、だが先ほどのメラゾーマを見ているのだ。同じ轍を踏むほど阿呆ではない。呪文が怖いのならば使えなくしてしまえばいい。

 

「マホトーン!!」

「あっ! あぐぅぅ!!??」

 

相手の呪文を封じる呪文。ガーゴイルの得意技である。調子に乗っていたポップはそれをモロに食らってしまい、呪文を封じ込められてしまう。直接戦闘能力の低い魔法使いにとっては致命的だ。

 

「あ……っ」

 

呪文を封じられ慌てるポップを見て、チルノは正気に戻り小さく悲鳴を上げた。そういえば、ここでマホトーンを使われていたと今更ながら思い出した。さすがに記憶から抜け落ちていた展開だった。何も反応できなかったことで悔恨の情にかられる。

 

「死ねぇ!!」

「【エアロ】!!」

 

それでも、その後の展開は十分に予想できることだった。無力化した魔法使い相手に接近戦を仕掛けるはずだ。ならば自分はそれを妨害してやればいい。グズグズしている暇はない。

攻撃に移りかけたガーゴイルの出鼻を挫くタイミングで、魔法で風を操り強制的に動きを止める。

 

「ガッ!! な、なにが……おおおっっ!?」

 

さらに、チルノの予想以上の出来事がガーゴイルに襲いかかる。

エアロの魔法でガーゴイルが動きを止めた瞬間、ダイが即座に駆け出して結界から抜け出ると、敵目がけて思い切り拳を振りかぶっていた。ガーゴイルからしてみれば、強い衝撃を受けて一瞬混乱状態となり、気が付けば自分が今まさに殴られる直前である。

 

「くらええええっっ」

「グエッ……おお……」

 

ダメージを覚悟する暇も与えられず、ガーゴイルの腹にダイの拳が深く突き刺さる。ハンマーのような鈍い衝撃を腹部にモロに受け、口から空気と共に痛みを訴える声が漏れ出る。小さな声にも関わらず、だが下手な悲鳴を上げるよりも何倍もの苦痛を訴えていた。

 

「今です、下がって!!」

「くそっ……カッコわりぃ……」

 

ガーゴイルの動きが止まった瞬間に、チルノはポップに声を掛けて結界内まで戻るように指示する。呪文を封じられ、まともな近接戦闘能力を持たない魔法使いでは足手まといにしかならないからだ。ポップもそれをわかっているため、悪態を吐きつつも素直に結界内に逃げる。吐き捨てられた言葉の向かう先は、自分への不甲斐なさか。

そして、逃げるポップへガーゴイルの意識が向かわないようにダイは叫ぶ。

 

「魔王の手下めぇ、この島から出て行けっ!!」

「ぐぐ……な、舐めるなチビぃっ……!」

「わっ! わわっ!!」

 

痛みのせいで若干のろのろとした動きになりながらも、ガーゴイルは気力で剣を振るう。その攻撃をダイは、大きく飛び退いて避けた。だがガーゴイルは苦痛を押してダイに向けて続けざまに剣を繰り出していく。通常時と比べれば何とも覇気のない攻撃ではあるため、ダイの今の実力ならば避けることはそう難しいことではなく、反撃に転じることも可能だ。

だがダイは、反撃することなく避けるだけだ。

本来の歴史であれば、ダイはパプニカのナイフを持っており、この局面ではそれを使ってガーゴイルと渡り合っていた。だが現在そのナイフを所持しているのはチルノである。ダイは完全に徒手空拳のため、真剣を持った相手と正面から渡り合うには少々心許なかった。

普段であれば、それでも木剣くらいは携帯しているのだが、今日は邪悪な意志によって苦しむモンスターたちを心配しているため、手放していた。

 

――素手にも関わらず迷わず飛び出したのは、流石は未来の勇者というべきか。それとも後先考えずに突っ込むその直情径行を責めるべきか。

微かに頭痛を覚えながらも、腰に巻き付けていた鞘から素早くパプニカのナイフを抜き取ると、ダイの前の地面目がけて投げつける。

 

「ダイ! それ使って!!」

「サンキュー、姉ちゃん!」

 

狙い外さず、チルノの投げたナイフは地面に突き刺さり、ダイはそれを即座に拾うとガーゴイルに向けて構える。

 

「チイッ! こいつ、剣を!」

「へへっ、これでもうお前なんか怖くないぞ!」

 

一転。ダイが今までのうっ憤を晴らすかのように反撃に転じる。短剣と自身の小柄な体を活かした高速の連撃を繰り出し、ガーゴイルを一刀ごとに追い詰めていく。不調のガーゴイルでは受け止めるのがやっとであり、それでも一撃ごとに体勢を崩している。

 

「あいつ、あんなナイフで……」

「ほう、これはこれは……」

 

そんなダイの戦闘風景を見て、アバンとポップがそれぞれ声を上げた。ポップは、ガーゴイルを瞬く間に追い詰めていくダイの戦闘力に単純に舌を巻く。アバンもその戦闘力に感心していたが、まだまだ技術面で荒さが見える。とはいえこの年齢で、聞いた話によれば、まともな人間に師事せずにこれならば……ダイをきちんと育てればどれだけ大輪の花を咲かせるのか、アバン本人でも想像ができずにいた。

 

「ぐぎぎ、こんなガキが……くそっ!!」

「逃がすか!」

 

たまらず空中へ飛び退いたガーゴイルだったが、ダイにとっては想定内である。すぐさま風刃を放ち、剣圧でガーゴイルの片翼を被膜ごと一気に切断する。

 

「なななぁっ!! おおっ!!」

「っ!! ……今のは!?」

 

当然、翼で風を掴めなくなったガーゴイルは浮くこともできず、真っ逆さまに落下した。

 

「ぐぺぺ……ぺええええっ!?!?」

 

地面に落ちた衝撃で口中に飛び込んだ土を唾ごと吐き捨てながら起き上がるガーゴイル。彼の目に飛び込んできたのは、自身の眼前で剣を構え、今まさに振り下ろさんとするダイの姿であった。

 

「ずああああっ!!」

「ぎゃああああああああっ!」

 

大上段から全力で振り下ろされる雷刃。ガーゴイルは回避も防御も間に合わず、哀れにも縦に真っ二つに両断された。正中線から綺麗に二等分され、断末魔の悲鳴を血泡で濁らせながら右半身と左半身が崩れ落ちる。

 

「あいつ、倒しちまいやがった……」

「これはまさか……」

「……先生? どうかしたんですか?」

「ああ、いえいえ。見事な剣術だなぁと思いましてね」

 

ポップの言葉にアバンはとぼけた表情を作り見せるが、その内心は驚愕一色に彩られていた。先ほどダイが使った剣技は、まさしく海波斬と大地斬――自身が編み出したアバン流刀殺法の技だ。とはいえ、仕組み自体はそれほど難解なものではない。

仮に、一人の剣士が長年に渡り剣を振るい続けていれば、いずれは思いつく技だろうとアバンは考えているが、それにしては、自身の技に似ていた……似すぎていた。ならば果たして、どこでこの技を覚えたのか……

アバンはもう一度、ガーゴイルの死体に目を向ける。威力重視の大地斬にも拘らず、その切断面は滑らかなものになっているところを見ると、鋭さはかなりのものである。

 

「ダイ君、少し良いでしょうか?」

 

アバンは自身の考えを抑えることが出来なかった。勝利に浮かれるダイに向けて、無粋なことだと理解しつつも口を挟む。

 

「先ほどのガーゴイルの羽を切断した技と、真っ二つに両断した技。あれは一体どこで習ったんですか? 誰かに教わりましたか?」

「ああ、雷刃と風刃のこと?」

「雷刃と風刃……」

 

パプニカのナイフを姉に返しながら、ダイは答える。

 

「姉ちゃんが考えてくれたんだ。おれ、魔法が全然できなくて、そうしたら姉ちゃんは剣の方が向いているだろうからって教えてくれて」

「お姉さん……チルノさんにですか!?」

「あ、あははは……はい、一応……」

 

受け取ったナイフを鞘に戻しつつ、アバンの疑問も当然だろうと思いながらチルノは苦笑いを浮かべる。

 

「誰かに教わったわけではなく?」

「はい。ダイが未来の勇者になる手助けができればと思って」

 

ダイの成長の一助になればという思いから稽古をつけたのは本当であるが、原作を読んで知っていたので先に教えておきました。とは流石に言えなかった。何時かは打ち明けるべきだと理解しているが、今ここで言うべきタイミングでもないだろうとチルノは考えていた。

 

「……そうでしたか、変なことを聞いてすみません。素晴らしいお姉さんですね」

「へへっ、まあね」

 

昔、デルムリン島に一人の人間がやってきてこの剣術を教えてくれました。

もしかしたら、そう言ってくれるのではないかというアバンの淡い期待は叶わなかった。彼の初めての弟子である少年――いや、もう立派な青年になっているだろう――のことを思い出す。彼はどうしているのだろうか。

かつての経験を少しだけ思い出しながらも、今考えることではないとアバンはそれを振り切った。

 

「さて、ダイ君。チルノさん。アクシデントがあったとはいえ、二人とも素晴らしい活躍を見せてくれました。ダイ君はその類まれな剣術を。チルノさんはポップをすぐに助け、ダイ君に短剣を投げ渡すという素晴らしい機転を見せてくれました。弟子入りに文句のつけようもありません。明日よりキビシー修行を……」

「あの、ちょっといいでしょうか?」

 

アバンの言葉を遮り、チルノが申し訳なさそうに口を挟む。

 

「私はまだ教えを乞うとお返事した覚えがないんですが……」

「……おや……? ……そうでしたっけ?」

 

チルノの言葉に全員は少しだけ記憶を巻き戻す。

アバンが「修行を受けますか?」と聞いたところ、ダイが「鍛えてください!」と即答。その後アバンが契約書を取り出し、ガーゴイルが襲ってきて……

 

「……おや、本当ですね」

「ええっ!? じゃあ姉ちゃんは修行を受けないのか!?」

「そういうわけじゃないから、安心しなさい。決意表明みたいなものだから、ちゃんと言っておきたかっただけなのよ。あと、お願いしたいこともあったしね」

 

不安そうなダイの頭をポンポンと叩くと、チルノはアバンを真剣な瞳で見つめる。

 

「お返事が遅くなりまして申し訳ありません。私にも修行をお願いします。そして一つだけ、ワガママを言わせてください。修行についてですが、まずダイを重点的に見てあげてください」

「はい、修行については問題ありませんよ。そしてワガママの方ですが、どういうことですか?」

 

チルノの意図が読み取り切れず、アバンはその真意を問う。

 

「ダイは私なんかと違って、本当にすごい才能を持っているんです。だから、ダイを最優先にしてあげたいんです。二人同時に見て、少しでも指導が疎かになるくらいなら、私は後回しで構いません」

「姉ちゃん!?」

「ふむ。チルノさん、貴女の気持ちはわかりました。そう言うのであれば、ダイ君を重点的に見ましょう」

 

何か隠している理由があるようだが、それはあえて尋ねることなくアバンはチルノの意思を尊重した。指導者としてはあまり褒められたことではないだろうが、本人が希望するというのであれば仕方あるまい。

確かに彼女の言う通り、逸材という点ではダイの方が圧倒的に上だ。チルノもこの年代としては飛び抜けているが、ダイは文字通りモノが違う。魔王が復活して、少しでも強い戦力が欲しい現状からすれば、チルノの言っていることも決して間違いではない。

 

「大丈夫よダイ。ちょっと先に行ってなさい。すぐに追いつくから、ね?」

「うん、わかったよ……」

「それに、ダイの修行を見ておいて後から私が楽々突破するための方策なんだから。そこまで気にしなくていいの」

「ええっ!?」

 

納得しかねるといった表情の弟を見て、チルノは軽口を叩いて安心させている。姉を気にしすぎて修行に身が入らないようにするのを防ぐためだろう――なるほど、いいお姉さんみたいですね。アバンは二人を見てそう思った。

 

「さて、では改めて仕切り直しですよ。明日からダイ君は真の勇者になるためのキビシー修行が始まります。チルノさんも、ダイ君ほどではないとはいえ修行を受けてもらいます」

 

パンパンと手を叩きながら弟子たちの注目を集めなおしてから、アバンは言う。

 

「ポップ。あなたは兄弟子として、二人の面倒を色々とみてあげなくてはダメですよ」

「はい先生」

「よろしく、ポップさん」

「ポップ先輩って呼ぶべきかしら?」

「ポップでいいよ。よろしくな、ダイ。チルノ」

 

兄弟弟子たちが短い交流をしている間に、アバンは懐から教本を取り出すとペラペラとめくる。

 

「さて、特訓のコースですが……なにしろ時間がない。世界中の人々が今こうしている間にも、魔王軍の猛攻に苦しめられているはずですからね……」

 

やがてお目当てのページを見つけると、アバンはそれをダイたちに見せつける。

 

「そこで二人にはズバリ! 一週間で勇者になれる"特別(スペシャル)ハードコース"を受けてもらいます!!」

「ゲエエエッ!? "特別(スペシャル)ハードコース"!?」

「ええっ? 一週間で勇者になれんの!?」

「え……私も勇者になるんですか?」

 

特別(スペシャル)ハードコースと言うアバンの言葉に対して、三者三様の反応を見せる。

前評判を知っているポップはその言葉を聞いた途端にこの世の終わりのような表情を見せ、反対にダイは一週間というそのあまりに短い期間で達成可能という事実に歓喜していた。チルノだけは少々異なった反応を見せていたが。

 

「ノンノン、勇者になるというのは言葉の綾ですよ。ダイ君は勇者に、チルノさんは立派な賢者にして見せます。勿論、一週間で」

「賢者、ですか……」

「一週間で勇者に……」

 

チルノの疑問に答えたアバンであったが、賢者という言葉を聞いて浮かない顔をする。どうにも自分が賢者――というか知恵者扱いされることは苦手なのであった。

ダイは単純に一週間で勇者という響きにより一層瞳を輝かせていたが。

 

「せ、先生!? ダイの方はまだわかるとして、女の子に特別(スペシャル)ハードコースってのは無茶じゃありませんか!?」

「そんなにすごいんですか?」

「そりゃ、通常の特訓に加えて早朝と夕方にも猛特訓があるんだよ。今まで誰もやり通したことがないんで有名なんだぞ。下手すりゃ死んじまう」

「へぇ……なるほど……」

 

チルノの言葉にポップはどれだけ無茶な特訓をやらされるかを伝え、せめて思いとどまってほしいと願う。もっともチルノはといえば、原作と差異がないかをポップの言葉から読み取ることの方に頭を使っていたが。

 

「ポップ、チルノさんはダイ君の修行が終わってから参加するわけですから、ある程度の余裕はあります。大丈夫ですよ。それと、あなたも参加しても構いませんよ」

 

――後輩に失点を見せたままでいいんですか? と、口には出さずともアバンは言外にポップにそう告げる。

 

「あ、う、お……」

「おれそれやります!! 一日も早く強くなってレオナたちを助けに行くんだ!!」

「私は少し変則的になるみたいですけど、よろしくお願いします。アバン先生」

「よろしい! さて、ポップはどうします?」

 

ダイとチルノの二人が、こぞって参加表明をしたことで、ポップはいよいよ逃げ道がなくなったように思えた。自分よりも年下のダイと、年下に加えて女性のチルノがやるというのであれば、立つ瀬もなくなる。

それに、アバンの言った通り二人――というかチルノ限定――には失点も見せている。このままでは、自身の考えたカッコイイ先輩作戦が潰えてしまう。しばし両目を瞑り奥歯を噛みしめながら熟考した後、血を吐くようにして言葉を絞り出した。

 

「わかった、わかりましたよ! でも、無理だと思ったらすぐに降りますからね!! それが条件です!!」

 

決死のごとき参加表明に、アバンたちは「おお~!」と拍手を持って出迎える。

こうしてデルムリン島にて、三人の弟子が特別(スペシャル)ハードコースを行うこととなった。

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「うおおおおっ!!」

「ひいいぃぃっ!」

「ううっ!!」

 

翌日。

ダイ・ポップ・チルノの三人の特別(スペシャル)ハードコースの修行が行われていた。

今行っているのは腰に岩を結び付けての長距離ダッシュ。ダイは三つの岩を括りつけられているが、ポップとチルノは多少遠慮して二つになっている。

それでもダイは二人を引き離すほどの速度でグングン駆け抜けていく。魔法使いのポップと後衛系のチルノ、この二人と比べればなるほどダイは基礎体力からして違う。

ポップは文句を言いながらも必死で走り続け、チルノもまた予想以上のキツイ特訓に苦しめられながらも必死でダイについていく。

 

「ハッ……ハッ……」

「ダイ、はやい……わね……」

 

必死で追いかけて、二人はゴール地点の浜辺までたどり着く。到着した途端、ポップは眩暈すら覚えてへたり込んでしまった。ダイは既に辿り着いており、必死で息を整えているところだった。チルノも倒れこんでしまいたかったが、ダイもいる手前、膝に手をついて堪えていた。

 

「姉ちゃんも、ポップも、おつかれ」

 

そうやって三人がつかの間の休憩を行っていると、向こうから人の倍はあろうかという大岩がゆっくりと近寄ってくる。

 

「な、なんだぁ!? 岩が歩いてる?」

「ダイ、ほらアレ」

 

チルノが岩の下部を指差しながら注意を促す。よく見るとそこには、大岩を持ち上げているアバンの姿があった。抱え上げた岩とのサイズ差で長身のアバンが小さく見える。

 

「せ、先生……?」

「おや、三人とも到着していましたか」

 

全員の前まで歩いてくると、アバンは抱えていた大岩を地面におろす。その重量感により、一瞬地面がグラリとした揺れを感じたほどだ。

 

「ダイ君。これ、剣で割れますか?」

「え!? うーん……この大きさはどうだろう?」

「まあ、試してみてください。剣は貸してあげます」

 

アバンは腰に差していた剣を抜くと、ダイに渡す。

 

「ダイならできるわよ、大きさに気負わずにやっちゃいなさい」

「うん、それじゃ……でやあああっ!!」

 

雷刃を使い、剣を振るう。それだけで、大岩はあっさりと切断される。

 

「ふむふむ、なるほど。次は……ポップ、起きられますか?」

「へぇ……? 先生、何か用ですか?」

 

まだ完全に落ち着いたとはいえないものの、ある程度は回復したポップがのろのろと体を起こす。

 

「空に向かってメラゾーマを撃ってくれますか?」

「え!? なんでまたそんなことを……?」

「まあまあ、お願いしますよ。ダイ君は、その場でポップの使ったメラゾーマを切ってください」

 

師の意図が読めず困惑するものの、疲れた体に鞭打ってポップは短杖を構える。

 

「行きますよ……メラゾーマ!!」

「風刃!」

 

巨大な火球に向けて剣圧を飛ばし、ダイはメラゾーマを切断する。二つに分かれた火球はそのまま自然と消えていった。

それを最後まで見ていたアバンはその結果に満足そうに頷いた。

 

「ダイ君。昨日教えていただいた、そして今使った風刃と雷刃ですが、それこそ私が教える予定だった大地斬と海波斬なのです」

「「え!?」」

 

ダイとポップが驚きの声を上げるなか、アバンは続ける。

 

「細かな技術についてはまだまだ改善の余地ありですが、基本技術としては問題なく合格です。本来ならば三日ほど使い、この二つの剣技を覚えてもらうつもりだったのですが……いやはや、驚きましたよ。まさかもう使えるとは、思いもよりませんでした」

「……ん!? じゃあまさか、ダイは一週間も掛からずに勇者になるってことですか!?」

「えっ、そうなの!?」

「いいえ、それは違います」

 

ポップがハッと気づいたように声を上げ、それを聞いたダイが喜色を浮かべるが、アバンは冷静にそれを否定する。

 

「剣術を――アバン流刀殺法を極めるだけであれば、もっと早く修行を完了させることも可能でしょう。ですが、ダイ君は勇者になるんですよ? 剣はもちろん、呪文もそうですし、各種の知識についても学ばなければなりません」

「あ、そっか……」

「一週間かけてしっかりとした勇者になってもらいますが、使える時間はより多くなりました。やりましたね、ダイ君」

「あはは……よかったわね、ダイ」

 

喜んだり反省したりと百面相するダイに励ましの声を掛けつつ、チルノも少しだけ目論見が外れたことに落ち込んでいた。

残るアバン流刀殺法の技である空裂斬の修行を終えれば、すぐにでも勇者となるのではないか。チルノもそう考えていたが、確かにアバンの言う通りそれだけでは勇者とは言えないだろう。

 

「まあ、本日は先ほど言いました細かな技術などの修正をメインにしましょう。明日からは、アバン流刀殺法の残る技を教えますからね。それでは、通常の特訓コースに突入しますよ!」

「ええーっ……おれ、もう疲れましたよ……休んでていいんですか?」

 

アバンの言葉に水を差すようにポップが言う。

 

「まあまあポップ、一緒に頑張りましょ?」

 

チルノが少しだけ困った表情を浮かべながらも言うと、ポップは顔を赤らめ少し悩んだフリをしながら「しょうがねえなぁ……」と言って動き出した。

それを見ながら、「なるほど、こういう方法もアリですね」とアバンは心の中だけで呟いた。

 

 

 

特訓コースは剣術・格闘技の指導。昼休憩を挟んで座学、呪文の勉強。そして魔法力を高めるための瞑想から、呪文の特訓へと続く。

なお、ここでチルノは自身が呪文の契約が何もできなかったことと、謎の魔法――ファイナルファンタジー世界の魔法――が使えることを伝えたことを記しておく。そして、呪文の特訓でも理論などを学び、少しでも役立ったことも。

海を凍らせるという乱暴な呪文特訓を経て、夕方には再び剣術の猛特訓。アバンの言った通り大地斬と海波斬の調整を行い、夕日が沈む頃にはダイはほぼ完璧な技術を獲得していた。

こうして、特別(スペシャル)ハードコースの初日は終わった。

 

 

 

「ぐがーっ……ぐごーっ……」

 

既に中天は暗くなり、月が上っていた。

夕食を終えるとダイは倒れるように眠りにつき、今は大いびきをかいている。

 

「よほど疲れたんじゃな。チルノとの修行でも、ここまで疲れたことはなかったのう……」

「そうね……ダイは私よりもずっと大変な修行してたから……あふぅ……」

 

無邪気な表情で眠るダイを見ながら感慨深げに呟くブラスと、その言葉に頷きながらチルノも眠そうな目を見せる。

 

「チルノももう休んだ方がいい。明日も早くから特訓があるんじゃろう?」

「うん、でもちょっとだけ……」

 

少しだけ頼りない足取りで、チルノは外に向かう。

 

「む、どこに行くんじゃ?」

「泉よ。体中に汗かいて気持ち悪いから、ちょっと行ってくるね」

「だ、大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫」

 

ヒラヒラと手を振りながら、彼女は家を後にした。

月と星の明かりしかない夜の世界であっても、チルノにしてみれば慣れたものだ。伊達に十年以上、この島で野生児をやっていない。疲れた体であっても足を取られることなく進んでいく。

そのまま歩いて数分ほどか。近場の泉へとたどり着いた。

 

「さすがに、女の子だしね……」

 

誰に向けるわけでもなくそう呟くと、泉のほとりにしゃがみ、手で水をすくってまずは顔を洗う。洗顔フォームとは言わずとも、せめて石鹸くらいは欲しいのだが、無い物はしかたない。

首筋から耳の後ろと垢の溜まりやすいところを中心に、古布で汚れを落としていく。

 

「んー……まあ、いいか」

 

少しだけ周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると、チルノは身に着けていた服を手早く脱ぎ捨てると泉に頭の先までその身を沈める。

修行で汚れ、熱を帯びた体には泉の冷たさが何とも心地良い。デルムリン島が南海に位置することもあって気温が高いため、夏場にプールにでも入ったかのような涼を感じる。

 

「……ふぅ」

 

やがて、息が続かなくなってきたためチルノは水面から顔を出した。

濡れて額に張り付く自身の長い髪を手櫛で全て後ろに流すと、再び古布を手にして体の汚れを落としていく。

月の光は古来より、狂気を帯びると言われる。

星明りの下、水滴のせいで月光を反射してチルノの肉体は怪しく輝く。この世界では珍しい彼女の褐色の肌の色もまた、その辺にいるような女性からは感じられない魅力を醸し出す。

いつぞやよりももう少しだけ成長した彼女の肢体からは、胸の膨らみも、腰の丸みもより女性的なそれが見て取れた。

 

「このまま修行を続けると、筋肉ついちゃうのかな?」

 

自分の腕を見つめながらそう呟く。修行している以上は仕方ないと割り切れるが、武闘家になったマァムでも柔らかそうだったことを未来の知識から思い出し、そう諦めたものでもないのかと思い直す。

 

「このまま修行して……」

 

原作通りなら三日目にハドラーが来る。それを無事に乗り越えられるだろうか。言葉には出さず、心の中だけで口にする。

原作通りならば、アバン先生は助かるはずだ。自分は先生を回収してから、事情を説明する。その時には自分がこの世界に転生してきた存在だということも話してしまおう……うん、おじいちゃんにも一緒に話しておこう。

アバン先生なら、自分の持つこの知識をもっと有効に使ってくれるはずだ。メガンテを使っても、カールの守りがあるから大丈夫。自分が助ければ、もっと早く回復するだろう。

ただ、ダイの成長という意味では、やはり死んだことにしておくしかない。知っているのは自分たちだけ……比べれば少し危険が増したかもしれないけれど、全体的に見ればもっと上手くいくはずだ。

そこまで考えたところで、不意にガサリと草むらが揺れる音がした。

 

「誰ッ!?」

 

胸元を手で隠すようにしながら、音のした方向に鋭い視線を向ける。少しの間、睨めっこが続いたが、やがて観念したかのように草むらから犯人が顔を出した。

 

「……ピィ」

「スラリン!? またあなたなのね……」

 

予想通りの犯人の登場に、チルノは嘆息する。顔を出したのはスライムのスラリンであった。

ロモスでずるぼんの色仕掛けに引っかかったのもスラリンであるように、どうもこのスライムはスケベ心が強いようだ。チルノが水浴びをするのを見計らって、ちょくちょく顔を見せて――もとい、覗きに来ている。

自分のような小娘の裸を見て何が面白いのだろうかと思いつつ、チルノはスラリンを手招きする。

 

「ほら、スラリンおいで。夜だし近くにいなさい。それに、追っ払ってもまた覗くんでしょ?」

「ピィ!」

 

動物に裸を見られても恥ずかしがる人間はいないように、チルノもまたスラリンのことを意識していないがための行動であるが、お許しが出たとばかりにスラリンは嬉しそうにチルノに駆け寄っていく。

 

「こら、いたずらしない」

 

スラリンはチルノに勢いよく駆け寄ると、その胸元目がけて思い切り飛び込んだ。スライムらしからぬ力強い飛び込みにチルノはスラリンを受け止められず、彼女の体にぶつかった。

スラリンのボディがプルンと震え、それに負けないくらいに双丘が柔らかそうに震える。

 

「せめて、ほとりにいなさい。溺れ死ぬわよ」

 

泉に浮かぶスラリンを掴むと胸元で抱えながら、チルノは一旦泉から上がる。

スライムの軟体が潰れ、それに追従するかのようにして水風船のような膨らみが形を変えてスラリンを挟み込んでいるのが見て取れた。

 

「そうだ、暇だったら体洗うの手伝ってもらえる?」

 

胸元のスラリンを見下ろしながらそう呟くと古布を手に持ち直す。

その水浴びの裏で、とある一つの気配が泉から離れていった。

 

 

 

翌朝、二日目の早朝特訓。

ポップは目の下に大きな隈を作り、目を充血させながらも参加してきた。

だが、熱意は買うものの彼の体調を慮って通常の特訓からでいいということになり、ポップは早朝特訓の時間は寝るように命じられた。

昨晩ポップに一体何があったのか。それは誰も知らない。

ただ、チルノが心配そうに声を掛けられたときに、彼は彼女の顔をまともに見ることが出来なかったという。

 

 




書いてる人、ルビタグの使い方を覚える。
<ruby><rb>特別</rb><rp>(</rp><rt>スペシャル</rt><rp>)</rp></ruby>ハードコース とタグを入れても効果がなかったとき、ちょっと焦りました。
これで竜闘気(ドラゴニックオーラ)とかできるのか。

魔王が復活して凶暴化する日が来るのをわかっているのに、対策の一つも講じていない。何しているんでしょうねこの主人公は。ダメ人間か。

ダイは大地斬と海波斬を既に使える。自分の剣術にすごく似ている。自分の剣技は、広く公開しているものではない。
そう考えたら「デルムリン島にヒュンケルが来てダイの師匠をしたのでは?」って考えるのは割と自然なことかと思います。原作見てたので知ってましたなんて答えは、アバン先生の目を持ってしても見抜けません。

ポップ君、原作よりもちょっとだけやる気出してます。まあ、女の子に応援されたら男の子は頑張ってしまう生き物なのです。

主人公さんの水浴びシーン。
いや、修行したら風呂入らないと汚いよなぁって思って。男衆は多分、濡らした手ぬぐいで汚れを落としたんでしょう。
でもチルノは女の子だしねー、水浴びくらいしないと汚いよねー、しかたないなー、ああー、ほんとしかたないなー、本編には全く関係しないんだけどなー(棒読み)
そういえばポップはなんで眠れなかったんでしょうかねぇ? 寝る前に何か刺激的な物でも見たんでしょうか?? いやぁ、不思議だなぁ。枕が合わなかったのかな?

水浴びシーンを書いた関係上、R-15タグを追加しました。
原作でも少年漫画なのにレオナがバーン様に服破られておっぱい見せてましたけど。もっとねっとりした表現しなければセーフですかね? とあれ、怖かったので一応。
それに、後々マトリフが乳揉んだり尻を撫でたりする可能性が大いにあるので、仕方なし。
(個人的なイメージは、ポップはスケベ担当でマトリフはセクハラ担当……何だこの師弟……)



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LEVEL:08 本来ならば四日目と五日目

「さて、ちょっとしたアクシデントもありましたが、本日の早朝特訓を始めます」

 

まだ朝日も登りきらないうちから、アバンの声がデルムリン島に響きわたる。

なお、ちょっとしたアクシデントというのはポップが何故か(・・・)寝不足で早朝特訓に参加しようとしたためである。効率が悪すぎるために止めようとしたが、頑なに参加しようとしたことからアバンからラリホーの呪文まで使われて強制的に眠らされている。

ポップが寝不足になった原因は何なのか、原因は不明である。不明と言ったら不明である。

そのため、参加者はダイとチルノの二人だけだ。

 

「本日よりダイ君には闘気技の特訓を行います」

「闘気技?」

「その通り。昨日取得した大地斬・海波斬とはまた異なった技術です。難しいとは思いますが、これは空裂斬に繋がる大事な技術ですので、ちゃんと覚えてくださいね」

 

空裂斬と聞いた途端、ダイの表情がわずかに曇った。そんなダイの様子をアバンは目ざとく見つける。

 

「おや、ダイ君どうしました?」

「大地斬と海波斬って名前が、どうもむず痒いっていうか……」

「名前ですか……? そういえば、チルノさんが考えたという別の名前を使っていましたね」

「はい。その名前を使いたいんです」

 

アバンが思い出したように呟くと、ダイがその言葉に頷いた。それまでダイが使っていたのは、雷刃と風刃という名前の技である。チルノが原作知識を活用してダイに伝授した大地斬と海波斬であり、来るべきアバンの修行の際に名前まで同じではさすがに問題だろうと便宜的に付けた名前だ。

チルノ本人としては、きちんと剣技を覚えれば名前も自然と変わるだろうと思っていたのだが、ダイにしてみれば姉が自分のために一生懸命考えてくれた技の名前である。捨てたくないと考えるのも当然だろう。

それほどまで自分のことを考えてくれる弟の気持ちに感動しつつも、その名前はあくまで仮称だからさっさと変えてくれとも思ってしまう。複雑な感情がチルノを襲っていた。

 

「アバン先生に習っているわけだし、大地斬と海波斬で良いんじゃない?」

「姉ちゃん、でもおれ……」

「私が教えたのは劣化版みたいなものだし、気持ちは嬉しいけれどそこまで拘ることでもないでしょ? それに名前が変わっても、雷刃と風刃を覚えるまでの思い出までなくなるわけじゃないんだから、ね?」

 

少しだけ腰を低くしてダイと同じ目線にすると、チルノは優しく諭すように言う。まだ完全に納得しきれないような顔を見せるが、ダイは一応納得したように頷いた。

 

「そこまで意固地になることもないでしょうに……せっかく、ダイのために良いものを持ってきたのになぁ……」

「……! えっ、なになに!?」

 

少し仄めかしただけで途端にイイ表情を見せるダイの姿に嘆息しつつ、チルノはあるものを取り出すとダイに手渡す。

 

「現金ねぇ……はい、これ」

「え、これって……」

 

受け取った物を見て、ダイは目を丸くする。それは革鞘に入った短剣であった。予想もしなかったプレゼントに思わず息を呑む。鞘からゆっくりと引き抜いてみれば、見事な刀身が姿を現した。

作りそのものはパプニカのナイフに酷似しており、長さも同じ。だが柄を握ればダイの手に吸い付くように収まり、幾度か使ったことのあるパプニカのナイフよりもずっと扱いやすく感じた。

 

「いつまでも丸腰じゃあ格好がつかないでしょう? パプニカのナイフは私が貰ったものだし、大地斬と海波斬を取得したお祝いに、って思ったんだけど、そんな不貞腐れているんじゃ……」

「ありがとう姉ちゃん!!」

 

姉が不穏なことを言い切る前に、とばかりに勢いよくダイは礼を口にした。

元々、チルノがパプニカのナイフを受け取ってしまったことによる代替として、生産系スキルを駆使して作り上げたものである。システム的な説明をしてしまえば性能のいい聖なるナイフ相当の武器であるものの、量産品とは違ってダイの使いやすいようにサイズや重心を凝らしてある一点物である。

ここ数日のゴタゴタで渡せなかったのだが、ようやく渡せたことにチルノはほっと息をつく。無駄にならずに済んだのだから、それも当然だ。

 

「ほほう、ダイ君。いいものを貰いましたね。これは私も何かしなければ……」

 

自身の眼鏡を指でクイクイと動かし位置を調整しながらナイフを見つめ、やがてようやく思いついたかのようにポンと手を打つ。

 

「よし! とっておきの技を見せてあげましょう。特別(スペシャル)ハードコースの最終目的と思ってください」

 

言うが早いか腰の剣を鞘ごと抜くと、逆手に持って後ろに引く。

――この構えは。チルノはよく知るその姿に思わず息を呑んだ。有名なあの技を遂に見ることが出来るのだ。だがその技のターゲットは誰だ? 確か原作では――気づいた瞬間チルノは叫んだ。

 

「防御して!!」

「アバンストラッシュ!!」

 

技が放たれるよりも一瞬早く姉の叫び声が聞こえたおかげで、ダイは身を固くして攻撃に備えることが出来た。本当に辛うじて間に合った程度であったが。

続けて襲い掛かるアバンストラッシュの衝撃。勿論アバンは本気ではないし、いわゆるお試し体験版の一撃といったところだろう。そんな手加減された一撃であっても、防御しているダイは踏ん張り切れずに吹き飛ばされ、その衝撃は背後へと突き抜けていく。

近くで見ていたチルノでさえ、その余波を受けただけにも関わらず全身にビリビリとした衝撃を受けていた。あまりの迫力に背筋が震えるのが分かる。これが、代名詞ともなった伝説の技の威力。

 

「びっくりしたぁ……」

 

吹き飛ばされた衝撃もどこへやら、ダイは起き上がると自分に何が起きたかを確認するように周囲を見渡すと、隠しきれない笑みを浮かべる。

 

「でもすごい! こんなのをおれも使えるようになるの!?」

「ええ、出来ます。というより、出来るようになってもらわなければ困ります」

 

自分もこんな大技を使えるようになるという未来を夢想して、ダイのテンションは天井知らずに上がっていく。そんなダイを微笑ましく思いながら、アバンは頷き肯定する。

今直接体験したそれを忘れずに体へと叩きこむかのように、ダイはアバンの動きを真似して軽く素振りを行った。

そんな弟の姿を見ながら、今なら言っても問題ないだろうとチルノは口を開いた。

 

「ねえ、ダイ……それって、キラーマシンを倒した時の動きに似ていない?」

「え? ……ああ! そういえば!!」

 

少し前の、レオナの命が狙われた事件のことを思い出してダイは納得する。その事件の際にキラーマシンと戦い、全くの偶然ながらも剣を逆手に持って斬りつけることで相手を倒したのだ。

原作という名の神の加護か、それとも竜の騎士が持つといわれる闘いの遺伝子が作用したのか、その姿はアバンストラッシュに酷似していた。

その時の感触を思い出すかのように、ダイは再度素振りを行う。

 

「キラーマシンですって!? ど、どういうことです……?」

「あれ、先生は聞いてないんですか?」

 

キラーマシンという恐ろしい単語は流石に聞き逃せず、どういうことかと尋ねる。それを聞いたチルノは、アバンが知らないことに首を傾げながらも、あの時に何があったのかを端的に説明する。しばらくの後、アバンの口から出たのは当惑の声だった。

 

「なるほど……そんなことがあったのですね……そこまでは聞いていませんでした」

 

レオナからある程度の話は聞いていたものの、今の話については知らなかった。とはいえ、これは当たり前のことでもある。自国の司教と賢者が反乱を企てていたなど、アバン相手であっても流石に憚られる内容だ。

レオナ本人はそれも含めて真っ正直に話そうとしていたが、周囲の猛反対にあって上手く伝わっていなかった。

 

「その事件の時に、キラーマシンの一部分を貰いました。ダイのナイフも、実はキラーマシンが原材料なんですよ」

「え!? これが??」

 

慌ててナイフを鞘から取り出すと、もう一度マジマジと穴が開くほど良く見つめる。つられるようにアバンもナイフに視線を走らせた。確かに質の良い金属である。自分が古道具屋で買った10ゴールドの剣とは雲泥の差だ。とアバンは思う。

ダイはといえば、苦戦を強いられたあのキラーマシンを素材に武器としているのは何となく面白く感じて気に入っていた。狩人が初めて仕留めた獲物で装飾品を作るような気持ちである。

その裏では、生産系スキルを必死で鍛えながらナイフを作り出すという一か月以上にも及ぶチルノの苦労があったのだが、弟の笑顔が見られるのならあの苦労も悪いものではないと感じていた。

 

「そういえば、あの時はキラーマシンを直接切り裂いていたけれど、さっき見せてもらったのは遠くから攻撃していましたよね? アバンストラッシュは衝撃を飛ばすのが正解なんですか?」

 

もう少し言ってしまっても問題ないだろうと思い、チルノはアバンストラッシュについてさらに突っ込んだ質問を行い情報を引き出そうとする。

 

「いえ、直接攻撃をする場合もありますよ。便宜上、(アロー)タイプと(ブレイク)タイプと呼んでいます。先ほど見せたのが(アロー)タイプ。お話を聞いた限りですが、ダイ君が偶然にも使ったのが(ブレイク)タイプのようですね」

「ふぅん……遠距離技と近距離技、かぁ……」

「じゃあ、そのAタイプとBタイプの長所を合わせた技なんていうのは……」

 

踏み込みすぎだろうかという不安は捨てきれないが、これも先のためと思いチルノはさらに続ける。アバンから疑念に思われるのは覚悟の上。それでダイが少しでも強くなってくれるのならばと考えるが故の行動である。

 

「両方の長所を併せ持った技ですか……」

 

チルノの言葉に、アバンは腕を組んで思案顔を浮かべる。わざわざチルノに指摘されずとも、本家本元であるアバン自身がこの手の問題には一番ぶつかってきている。そして、悩むたびに明確な回答を導き出すことが出来ない。

 

「結論から言いますと、私には不可能でした。ですがもし、二つの技を併せ持った新しい技を開発した人がいたら……」

 

真面目な表情を浮かべて、アバンはダイとチルノの両方を見つめる。その真剣な眼差しを正面から受け止めて、姉弟もまた同じように神妙な面持ちで次の言葉を待つ。それが可能なのは一体どんな人物なのだろうか。待っている間に自然と浮かぶ想像が独り歩きしては消えていく。

アバンはじっくりと、相手を焦らして待ちきれないほどに間を開けてから、ようやく口を開いた。

 

「その人に弟子入りします」

 

ガクッ――という音が聞こえそうなほど、二人は盛大にコケた。

なまじ期待していた分だけにその落差は大きく、まるでギャグマンガのような醜態をさらけ出す羽目になってしまう。

 

「先生~……」

「はっはっは。いやぁ、すみません。ですが、これは事実ですよ。私ではこれ以上に発展させることは出来ませんでした。ならば、出来る人にお願いするというのも一つの考えです」

 

笑顔ではあるものの、眼鏡の奥から見え隠れする眼差しは真剣そのもの。アバンストラッシュを進化させることのできる誰かの登場を待っているようにも、隙あらば自分の手でより発展させてやりたいという野望を持っているようにも見える。

武人として、教師として、どちらもアバンの偽らざる本音なのだろうか。

 

「さて、少々おしゃべりが長くなってしまいましたが、特訓を開始しますよ」

 

 

 

「闘気とは、生命エネルギーのことです」

 

改めて仕切り直し、とばかりにアバンはダイに向けて説明を開始した。

 

「これを利用することで武器の攻撃力を向上させたり、逆に身にまとって防御力を上げたり。果ては、魔法のように飛ばすこともできます」

「へぇ……闘気なんて姉ちゃんは教えてくれなかったもんなぁ……」

「ははは、闘気を使うにはまずは肉体の鍛錬が重要です。そのため闘気の使い手は戦士や武闘家といった肉体派が中心なのですよ。チルノさんにその境地まで辿り着け、というのは少々酷ですね」

 

肉体派、という言葉を聞き、なぜか筋骨隆々となった姉の姿を思い浮かべていた。島に住むゴールドマンやギガンテスすらも圧倒する姉の姿を想像し、ダイは慌てて雑念を振り払う。

 

「肉体を鍛え、前線で戦う者こそが目覚めやすい。それは、命を感じ取るからです」

「命を……?」

 

命、という漠然とした表現のため、途端にダイの理解が追い付かなくなる。しかしそれはアバンにとっては想定内だったらしく、すぐに言葉を続けた。

 

「生き物はみな、命を持っています」

 

命の源とはここだ! と言わんばかりに、アバンは自分の胸をドンドンと叩く。

 

「ここから生み出される命のエネルギー。戦士は相手と真正面からぶつかり合うからこそ、闘気を感じ取りやすくなるのですよ」

「うーん……」

 

言わんとしていることは漠然とわからなくはないのだが、それでもダイは困惑したままだった。大地斬、海波斬と比べると求められているレベルがまるで違う。闘気という今まで意識したことのないものを急に理解しろというのだから、それも仕方ない。

 

「まあ、詳しい理屈は後回しにして実際にやってみましょう」

「え!? そんな簡単に出来るものなんですか?」

「この島に住む皆さんの力を少々借りますけどね。ダイ君、島のモンスターを呼べますか? できれば暴れ猿のような元気のいいモンスターがいいのですが」

「わかりました。それじゃ……」

 

ダイが指笛を鳴らすと、しばらくして島のモンスターたちが集まってくる。とはいえ、まだ朝の早い時間だ。無理を言って来てもらったため、寝ぼけ眼のモンスターもいれば、住処で眠りこけたまま集合をすっぽかしている者もいる。

全員集合とまではいかないまでも、アバンの望んだ暴れ猿などの姿も確認できる。

 

「寝ているところを、ありがとうございます……なるほど、これなら問題ないですね」

 

集まったモンスターたちの顔ぶれを見ていき、やおら満足したように頷く。

 

「ではダイ君、ここにいる集まった皆さんと戦ってください」

「ええっ!? 島のみんなと戦うの!?」

「はい。ですが倒すのが目的ではありません。ダイ君は素手で、さらに反撃は禁止します。攻撃をさばいたり防ぐ程度なら問題ありません。逆に、皆さんはダイ君を出来るだけ本気で攻撃してください」

 

反撃をせずに、攻撃を避けるだけ。回避の修行と言われてしまいそうだが、これがどうやって闘気と結びつくのか。ダイにはアバンの考えが分からなかった。

 

「では、時間もないのでちゃっちゃと始めましょう!」

 

アバンの開始宣言を聞いたものの、モンスターたちは誰一人として動こうとしなかった。彼らからしてみれば、突然集められて仲間であるダイを攻撃しろというのだから、この反応も至極当然であろう。動かずにいるモンスターたちの姿にやがて業を煮やしたのか、ダイは叫んだ。

 

「みんな! 遠慮せずにおれを攻撃してくれ! アバン先生の修行なんだ!!」

 

その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。当惑していたモンスターたちも、その言葉を聞いてゆっくりと動き出す。

最初に仕掛けたのはサーベルウルフだった。自慢のスピードで瞬く間にダイへ接近すると、その牙を剥いて飛び掛かる。だが、真正面からの攻撃はダイに容易く避けられていた。

それに続けとばかりに、今度は暴れ猿とマンドリルが同時に襲い掛かって来る。手加減をしているらしいが、それでも襲い掛かる際の野生は本物に近い。左右からのコンビネーションのような攻撃を、ダイはそれぞれ片手で受け止める。

 

「くっ!」

 

受け止めこそしたもののパワーは相手の方が強く、ダイは軽く吹っ飛ばされることとなった。不安定な姿勢になったところを、今度は大アリクイの体当たりが襲う。

避けるほどの余裕がないと判断し、咄嗟に前に飛びながら大アリクイの背中に手を置く。そのまま台上前転のようにくるりと一回転して、体当たりをやり過ごした。

 

「おお~!」

 

一連の攻撃をなんとか避け切ったダイの姿を見て、アバンは軽く手を叩きながら声援を上げる。

 

「皆さん、その調子ですよ。どんどんやっちゃいましょう!!」

「えっ、ちょ……ええええっ!?」

 

まるで獲物に群がる肉食獣よろしく、アバンの言葉に従いモンスターたちがダイへと飛び掛かる。先ほどよりも数が多く、勢いも増した攻撃に流石のダイも苦戦を強いられる。

 

「安心して攻撃を受けてくださいね。回復呪文は掛けてあげますから」

 

そんな大乱闘の輪の少し外れで、アバンは暢気そうな声色でダイたちに言う。届いているかどうかはわからないが。

――さて。

呑気な空気はここまで。とばかりにアバンの纏う空気が鋭いものへと変わった。

ダイとモンスターたちの動き全てに気を配り、万が一にも致命傷や大事故にならないように目を光らせる。

無数のモンスターの猛攻の前には、時折防御も回避も間に合わずに攻撃を受けることもあった。だがモンスターもそこで理解をしているらしく、直前で勢いを可能な限り殺している。牙を持つモンスターは直前まではその剣のような牙を見せつけるものの、攻撃には使わずに。鋭い爪を持つモンスターは攻撃が当たる瞬間にその爪を隠して、裂傷を与えないように。

それでも事故が起きないとは限らない。いざというときにはいつでも飛び出してダイの盾となれるように、アバンは警戒を怠らない。

 

「わっ! たたっ!! くうっ!」

 

そうやって回避を続けてどのくらい時間が経っただろうか。ダイの動きが少しずつ良くなっていった。未だ攻撃を受け続けているものの段々と……まるで僅かに先の未来を見ながら動いているかのように、モンスターたちの攻撃の波に対応していく。

 

――やはりこの子は素晴らしい。仕込みがあったとはいえ、それ以上に才能と信念がある。

 

何故対応が出来るようになっていったのか。ダイが攻撃パターンに慣れた? 確かにそれもあるかもしれない。だが、それよりももっと。アバンの瞳には、ダイが闘気を感じつつあることがありありと見て取れていた。

先ほどアバン本人が言ったように、闘気とは生命のエネルギーである。それは勿論、モンスターも持っているものだ。モンスターの中でも特に野生を発揮する存在。獣系と分類されるモンスターたちは、本能から無意識のうちに闘気を利用する傾向が強い。

剥き出しの野生と闘気を肌で直接感じさせることで、ダイに闘気を意識させること。それこそが、アバンの狙いだった。

ダイのようなタイプは、長々とした理論よりも一回の実践。痛みを伴いながら体で理解させる方が早いという読みもあってのことだ。期限が一週間しかないので、長々と時間を掛けていられないという理由もあるが。

ともあれアバンの読み通りダイは相手の闘気を感じ取り、先読みへと利用し始めている。それどころか、攻撃を受けた際には――おそらくまだ無意識だろうが――闘気を集めてダメージ軽減にも役立てている。

アバンは薄く笑うと、手近に落ちていた木の枝を拾う。

 

「そろそろ慣れてきた頃でしょう?」

「えっ!? あ痛ぁっ!!」

 

アバンの声が聞こえたかと思ったその瞬間に、ダイは脳天に衝撃を受けていた。得物そのものは木の枝のため軽いものの鋭く痛い一撃。それもダイにとっては完全に死角となる背後からの攻撃だ。

どこに行った? と痛みに堪えながら視線を走らせるが、アバンは見つからない。勿論その間もモンスターたちの攻撃は続く。さすがに長時間の攻撃により精度もスピードも開始当初と比べて落ちているが、それはダイも同じだ。疲労する体に鞭を打って、攻撃を避ける。するとそこへ――

 

「……っつうううぅっ!!」

 

再び背後から襲い掛かる鋭い一撃。先ほどと同じく、アバンがどこからともなく攻撃してきたのだ。今までのモンスターたちの攻撃とは違い、いつ襲い掛かって来るのかまるで分らない。

 

「目で追ってはダメですよ。相手の闘気を感じ取るのです」

 

ダイの耳へアバンの声が届く。声はすれども姿は見えず。時折襲い来るアバンの一撃を意識しながら、ダイの猛特訓は続けられる――かに思われたが。

 

「アバン先生」

「おやチルノさん。どうしました? まだ早朝特訓の時間ですよ」

 

不意に聞こえたチルノの言葉に、アバンも手を止める。

彼女には別の早朝特訓メニュー――人の顔ほどもある岩を両手にそれぞれ持ち、不安定な足場でひたすら動かず転ばずに空気椅子の姿勢を維持させるというもの――を申しつけていたはずだが。

 

「いえ、もうそろそろいい時間じゃないかと思って。ポップも起こさないといけないし」

 

言いながらチルノは天を指差す。そこにはいつの間にやら、太陽が煌々と照り付けていた。

 

「おや? いつの間に……確かに、一旦区切りますか」

 

どうやら時間も忘れて修行を見ていたようだった。こんなことはいつ以来だろうかと思いながら、アバンは早朝練習の終了を宣言していた。

 

 

 

「で、午前の特訓はおれが担当ってわけね……」

 

眠たげな眼と表情を隠そうともせず、ポップはチルノに向けて言う。

というのも、現在はアバンはダイに掛かり切り状態で特訓を行っている。ダイ本人が申し出て、アバンもそれを承諾。チルノ本人もまずはダイを優先してくれと言っているため、このような状況となっていた。

そのため先輩であり魔法使いのポップが、賢者(予定)のチルノの面倒を見る事となる。

 

「よろしくね、ポップ」

「ああ、でも……もうちょっと寝てていいか?」

 

そう言いながらチルノの返事も聞かず、ポップは木陰で横になろうとする。

 

「えっ!? ちょっと待って!!」

「しょうがねぇだろう……変な時間に無理矢理寝かされて起こされて、まだ頭がボーッとしてんだよ……」

 

静止の声を意に介さず、一本の木を支え代わりに肩ひじをついて横に寝っ転がった。その姿はアバンの目が届きにくいのをいいことに、適当にさぼろうとする姿勢がありありと見て取れる。

 

「後で報告するわよ?」

「いいのいいの。これは体調不良っていう立派な理由だよ」

 

チルノが軽く脅しをかけるが、ポップは我関せずとばかりにヒラヒラと手を振ってまるで動こうともしない。言っても聞きそうにないと思ったのか、仕方なくチルノは昨日アバンから受けた格闘技や体術を思い出しながら、型の稽古を行うようにして一人で修行を開始する。

 

「…………」

 

そんなチルノの様子を、少し離れたところでポップはボーッと見ていた。

眠くて頭が冴えないというのも本当だが、それ以外にもう一つ、どうにもチルノと顔を合わせづらい。気恥ずかしいというか、面と向かい合えないかというか、謎の罪悪感に悩まされるというか。

それぞれで修行を行う際にアバンからもチルノのことをよく見てやってくれと言われているのだが、この気持ちとどうやって折り合いをつけるか悩んでいたところ、寝不足というちょうどいい大義名分を手に入れた。

これ幸いとばかりに距離を離している。このままではよくないということも彼は理解しているのだが……

 

「……ふっ! ……ふっ!」

 

そんな兄弟子が内に秘めた感情など知らず、チルノは短く息を吐きながら特訓を続けていた。早朝の特訓の疲れも抜けきらず、体全体が鉛のように鈍化しているのだが、それでも必死で格闘術の稽古を続けていく。

ついには細目でそれを見ていたポップは、やがてあることに気が付いた。ああ、これは……

 

「違う違う。そうじゃねえよ」

「え?」

 

不意に掛けられた言葉にポップの方を見れば、彼は未だ横になった姿勢を崩さない。

 

「突きがブレてる。それじゃ駄目だ」

「えーっと……こう!?」

 

言われた通りに突き手を意識してもう一度見せるが、ポップは首を横に振る。

 

「そうじゃねえって。もっと腰に力を入れて……ああもう! そうじゃねえって!!」

「え!? え!? 違うの?」

 

矢継ぎ早に出されるダメ出しに対応して動きを見せるが、その都度別のダメ出しを受ける。

寝転がっていたはずのポップはいつしか体を起こし、座ったままの状態で突きを軽く実演して見せた。

 

「もっと、こう! ほら、まだ曲がってるぞ!!」

 

眠気と苦手意識はどこへやら。指摘点を口に出すたびに語気は強く、声は大きくなっていく。

 

「ああ、ようやくわかった。立ってる時点でちょっとズレてるんだ。ちょっと待ってな……こうだよ、こう」

「ここ?」

「そうそう、もう少し足を……」

 

見ているだけ、口を出しているだけでは思い通りにいかないことにいい加減じれったくなったらしく、遂には立ち上がるとチルノの横に並び立ち、一度手本とばかりに動きを見せる。チルノがそれを真似すると、すぐにダメ出しをして、時には手足を掴んで正しい位置へと修正させる。

さっきまでサボろうとしていたはずなのに、いつの間にか熱心に指導を行ってくれる。そんなポップの姿を頼りに思い、チルノは素直に従う。

 

――どうやら、思ったよりもちゃんとやってくれているようですね。

 

二人が熱心に修行を行っているのを、アバンは木の陰からコッソリと様子を窺いつつ独白した。

ダイの修行をチルノが見ることはできても、チルノの修行を見てくれるものはデルムリン島にはいなかった。利発な子供だと思われていたし、人間の修行をモンスターが口出しするというのも中々難しい。ダイならば指摘できたかもしれないが、まだ子供のダイにはそこまでの余裕はなかった。

そのためチルノは少しずつ、体術を間違って体に覚えこませてしまったのだ。軸のブレ、中心の歪み、無駄な動き。それらが欠点として彼女の足を引っ張る。

初日の時点で、アバンはそれに気づいていたが、あえて強く指摘することはなかった。

ダイの修行を優先的に行ってくれというチルノの願いもあったが、同時にアバンはこれを利用できないかと考えた。それが今の状況である。

ポップがきちんと指導してくれれば、先輩として経験値を積める。ダメだった場合は最悪自分が喝を入れてでもやらせようかとも思っていたが、少々のサボりはあったもののポップは自発的に指導を行い、兄弟子としての自覚も少しでも芽生えたようだ。

その姿を見られたことに満足気に頷くと、アバンはその場から音もなく離れて行った。

 

 

 

「……つまり、空裂斬とは邪悪な命を断つ剣です。わかりましたか?」

 

現在、昼食休憩を挟んで座学の猛勉強の時間である。

昼の前にちらりとダイの特訓を見た限りでは、感覚として闘気を感じ取っていたようである。時折襲い掛かるアバンの死角からの一撃も幾度か防いでおり、このまま行けばすぐにでも習得してしまうのではないか? そう思えるほどの出来栄えだった。

このまま闘気の特訓を続けたいと願うダイであったが、何事もメリハリが大切というアバンの言葉によりお勉強の時間となっている。

 

昨日のアバン流刀殺法の授業内容では、既に会得していた大地斬と海波斬の説明をしており、空裂斬については名前と存在を匂わせる程度に留められていた。そして闘気を理解しつつある今日に空裂斬を持ってきて興味を惹くあたり、中々巧いやり方だ。

そうして空裂斬について一通りの説明を行ったが、表情を見る限りダイの理解度は良いところ半々くらいだろうか。

 

「……ダイ、わかった?」

「……姉ちゃんは?」

 

姉弟そろって顔を見合わせる。しばし無言で見つめあった後に、どちらも望み薄と感じ取ったようである。

 

「姉ちゃんもわからないことがあるんだね……」

「闘気の理解が中々できなくて……ダイは?」

「敵の本体を見極めろって部分……」

 

空裂斬とは、心の眼で敵の本体を捉えて光の闘気で攻撃する技である。そのため前提として闘気を会得していなければ理解も必然的に遅くなり、空裂斬の有効な相手というのは得てしてその本体がどこにあるのか外からでは判別できない。それを闘気によって感じ取るわけだが――

砂山の中に一つだけ埋もれた小石の場所をピンポイントで見つけ出せ。理解出来ない彼らにとってはそう言われているようなものである。

何とも暗いトーンで会話する弟子たちを見て、アバンは一つのイタズラを思いつく。

 

「ふむふむ。大丈夫ですよ、その辺は先輩のポップが教えてくれますから」

「ええっ!! おれですかぁ!?」

 

それは、我関せずといった空気を見せていたポップに話題を振ることだった。

アバンの下での修行中に、空裂斬についてこそ授業は行ってはいないものの、ガス生命体などの本体が不明なモンスターについての勉強も行っていた。空裂斬を教えろとまでは行かなくとも、ある程度は教えられるかと淡い期待をしていたが……

 

「いやぁ、おれは魔法使いだからさっぱりっていうか……」

 

――パシン!

 

そこまで口にしたところで、ポップの脳天に木の枝が落とされる。先ほどまでダイの修行の最中にアバンが使っていたものだ。音こそ軽いものの痛みは絶大。それを身をもって知っているダイは何とも言えない乾いた笑顔をポップへ向けていた。

 

「そういう安穏とした考えは成長を妨げますよ。相手が悪の剣士だったらどうするんですか?」

「いつつ……」

 

頭を押さえて呻き声を上げている弟子を見ながら、アバンは諫めの言葉を口にする。

 

「……質問いいでしょうか?」

「はい、チルノさんどうぞ」

「光の闘気で攻撃する技ですよね? ということは、闇の闘気も存在するんですか?」

「なるほど。良い質問です」

 

痛みに苦しんでいるポップに少し同情しつつも、知的好奇心半分、後のことを考えた打算半分の気持ちで、チルノは言う。ここから上手くアバンの使徒の長兄の話に繋げられるか、少しでもヒントを貰えるか。賭けに近いが、少しでも上手くいけば。

 

「先ほど私は悪の剣士と言いましたが、悪の剣士は空裂斬を使うことはまずありません」

「え?」

「空裂斬は光の闘気をぶつけて相手の闇の闘気を消滅させる技です。消滅させるには、闇の闘気の源となる急所を狙うのが一番効率的となります。ここまではよろしいですか?」

「はい」

「よろしい、では続けますよ。急所の位置を判別するために、闘気で相手の本体を感じ取るわけです。何しろ相手は本体が不明なわけですから。無駄な攻撃をしても喜ぶのは敵だけです」

 

最小の手間で最大の一撃を効率よく叩きこめ。言っていることを要約すればそういうことだろう。

 

「光の闘気を利用する技ですから、それを持たない悪の剣士は使えないということです。また、悪の剣士であれば、空裂斬を必要とするような邪悪な生命体は味方でしょうから、覚える必要もないということもあります」

 

闇の闘気を利用した空裂斬のような技があってもおかしくないのでは? と考えるが、それもすぐにアバンが否定する。

 

「悪の剣士が相手をするのは普通の人間や生物、つまり弱点が分かっている相手です。肉体を攻撃すればそれだけでも十分ダメージになるので、無理に空裂斬と同じ技を使わなくとも十分なわけですね。ほかにも、闇の闘気にはそれを利用して相手を操る技があるそうです。その技を使えば、相手の邪悪な生命体はなすすべもなく操られるとか」

 

闘魔傀儡掌という技である。暗黒闘気を利用して相手を操る技である。これを使えば相手を倒すどころか支配下に置けるのだから、倒すよりもより効率的だろう。

使わない理由と使う必要のない理由。この二つの根拠から、空裂斬を使ってこないと断じていた。だが、そこまで言ってから、ほんの少しだけ心に影を落とす。

 

「ですが、もしも使える相手がいるとすれば……」

「先生?」

 

不意にシリアスとなった師の様子を不安に思い、ダイもポップもチルノも心配そうにアバンを見つめる。やがて、教え子たちの視線に気づくと咳払いをしながら姿勢を正した。

 

「ダイ君、チルノさん、ポップも聞いてください。私の弟子の中に一人、アバン流刀殺法を教えたヒュンケルという少年――いえ、もう青年ですね――がいます。もしかすると、彼が空裂斬を使うかもしれません」

「ヒュンケル……その人が悪の剣士なんですか?」

 

まさかこの時点でその名前をアバンの口から聞けるとは。予想外に出来すぎており、どこかで揺り戻しがくるのではないかと内心ドキドキしつつ、アバンが話しやすいであろう言葉を選びながらチルノは尋ねた。

 

「わかりません。とある理由で、私は彼に空の技を……心の技をしっかりと教えることが出来ずに別れることとなってしまいました。もしかしたら、彼は……」

 

――悪の剣士になっているかもしれない。

その続きを、アバンは口にすることが出来なかった。正義の使徒として健全に成長していてほしいという願いと、別れの場面にてヒュンケルの見せた殺気から想像できてしまう堕ちた未来。この二つがアバンの中でせめぎ合う。

 

「皆さんはいずれ、私の下を卒業して立派に巣立っていくことでしょう。その時、もしもどこかでヒュンケルと出会ったら、そのときは……」

 

そのときにどうして欲しいのか。アバンは答えられなかった。

説得してほしい? 引導を渡してほしい? 自分に知らせてほしい?

グルグルと思考が回転していくが、そのどれもが間違っているように感じられる。

 

「いえ、失礼しました。勉強時間に言うことではありませんでしたね。忘れてください」

 

何故ここまで言ってしまったのだろうか? ここまで言うつもりはなかったのだが。そうアバンは自問する。

その原因はダイである。ヒュンケルと同じように剣を学び、その才に長けている。それどころか素直でどこまでも明るい未来すら感じさせられる。

彼ならばひょっとしたら……そんな希望を持ち、知らず知らずのうちに言っていたのだ。

 

「今は空裂斬と闘気についてです。特にダイ君、朝の特訓ではいい感じでしたよ。闘気を扱って防御力を高めることも行えていましたし、もう半分以上は出来ていると言っていいでしょう」

「本当!?」

 

途端に勉強については気もそぞろとなり、早く闘気技の続きを行いたいと全身で表現するダイ。

嬉しそうに反応する彼の姿を見て、アバンはふと思う。この少年ならば、たとえヒュンケルが誤った道を進んでいても正しい道に戻してくれるのではないか、と。

 

アバンの見立て通り、夕方の猛特訓にてダイは闘気技の基礎を身に着けていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「さて、今日は闘気技の応用です。具体的には離れた相手に対する戦闘方法となりますよ。昨日学んだ闘気を飛び道具のように放って攻撃をするわけです。注意しなければならないのは、闘気の過剰放出も可能ということです。その場合反動で大ダメージを、下手すれば再起不能となるので注意しましょうね……」

 

特別(スペシャル)ハードコース三日目。

闘気技の応用――闘気の放出による遠距離攻撃――についての授業を開始するアバンとダイ。前日に引き続き、チルノとポップは別メニューを行っていた。

だが、昨日と比べるとチルノは特訓に身が入り切っていない。そのことをポップに指摘されるも、曖昧に笑ってお茶を濁すことしかできなかった。

 

何しろ今日は、予定ならば――。

 

早朝特訓も終わり、午前中の通常特訓の時間のことだ。

不意にデルムリン島が揺れた。

初めに感じたのは僅かな地面の揺れと、空気が張り裂けるようなビリビリとした揺らぎ。だがそれはすぐさま巨大な揺れへと変貌して、島全体を突き上げるように襲い掛かって来た。

 

「な、なんだこりゃあ!?」

「地震!? とにかくアバン先生のところに合流しましょう!」

 

まともに立っているのも困難ではないかと思われるほどの衝撃。少し離れた場所にいたチルノとポップは、何事かと思いながらもアバンの下へと合流すべく揺れの中を急いだ。

 

「二人とも。よかった無事でしたか……」

「さすがに地震くらいじゃ、なあ?」

 

アバンとの合流は何事もなく出来た。ポップはアバンの言葉に心配しすぎだと軽く抗議するが、彼が本当に心配していたのはそれではない。

 

「いえ、これは地震ではありません……この震動は、何者かが島の魔法陣を破ろうとしているのです」

「ええっ!?」

 

驚くダイとポップを尻目に、チルノだけは別のことを考えていた。

ついに、魔王がやってきたのか、と……

 

 




前回の誤字指摘にて気づかされました。ずるぼんとへろへろを間違えていました。本当に申し訳ございません。これは間違っちゃダメだろ自分……
元々予定になかった水浴びシーン……深夜の勢いで書くものじゃないですね……
(でも書いたことに悔いはない。むしろ使えるくらいに書いた方が良かったのかな(何に?))

スペシャルハードコース、原作の7日間の修行予定は、以下のようになっているそうです。
----------------------------------------
1日目:体質(フォーム)改善・基礎特訓
2日目:"大地斬"取得
3日目:"海波斬"取得
4日目:闘気技の基礎
    実戦練習(複数の敵との戦闘・接近戦闘)
5日目:闘気技の応用
    実戦練習(離れた敵との戦闘)
6日目:精神鍛錬
    実戦練習(見えざる敵との戦闘)
7日目:"空裂斬"取得
    アバンストラッシュ完成(AタイプBタイプ)
----------------------------------------
ですが、この話の中では3日目までをまとめて1日目に集約しています。
そのため、原作では辿り着かなかった4日目と5日目が差し込まれました。
(修行内容自体はそれっぽいものを勝手に考えてますが)

キラーマシンの金属からナイフ生成。
お察しの通り、パプニカのナイフの代替品です。だってそうでもしないとダイが素手のままになるので。この短剣はオニオンダガーとかチキンナイフとかダンシングダガーとかじゃなくて、あくまでDQ武器です。聖なるナイフとかの。(意味は全くないですが)

前話でポップが謎の寝不足になったと記載してしまったので、二人で修行するシーンでちょっとだけ面倒なことに。まあ、それでも乗り越えて耐性が付いたと思っていただければ。
(重ねて書きますが、寝不足の原因は不明。バーン様だってわかりません)

空裂斬の説明の部分、乱暴ですねぇ……アバンにとって悪の剣士とは暗黒闘気を操ってようやく一人前ってことでしょうか?

今回は動きが無いですね。読んでくださった方は多分退屈だったんじゃないかと。
(ただ、伏線(っぽいもの)は仕込んだ(はず)……自信ないなぁ)
もう二話くらい後からはっちゃけ始めると思います。


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LEVEL:09 勇者VS魔王

デルムリン島を襲う強烈な震動。

それは、島に張った破邪の魔法陣を力尽くで無理矢理にこじ開けて通ろうとしているために起きていた。だが下手なモンスターでは一歩たりとも立ち入れないほど強力な結界を相手に、一体誰がこんなことをしているのか。

結界に拒まれながらも力技で強引に押しのけられる存在。アバンが知る限り、そんな相手は一人しかいなかった。

 

「まさか……!!」

 

脳裏に浮かんだその相手の姿。そんなアバンの考えを肯定するかのように、それまで島中を襲っていた震動がぴたりと止んだ。

 

「止まった……?」

「ははは……ひょっとして諦めた、とか?」

 

ポップが軽口を叩く。そんなことはあり得ないと本人自身も理解しているのだが、そんな馬鹿なことでも言わなければとても正気を保てそうになかった。

いつの間にか底冷えするような空気が辺りに漂い始めている。闘気を感じ取れないチルノですらわかってしまうほどの凄まじいエネルギーを感じる。

 

「クックックッ……貴様の魔法陣にはなかなか骨を折らされたぞ……」

 

低く威厳のある声が辺りに響いた。人影がゆっくりとアバンたちのところへと歩み寄っていく。頭からすっぽりと覆うほどの漆黒のマントを纏い、体形は一瞥しただけではよくわからない。

突然現れたその男にアバンたちの視線が集まる。ダイとポップは初めて見るその相手に困惑しつつも注意を払っていたが、チルノはその知識から、アバンはその存在そのものから、相手が誰かを理解していた。

 

「やはり、復活していたか……魔王ハドラー!!」

 

アバンのその言葉に、ダイたちは色めき立つ。かつて世界を震撼させた魔王が復活したとなれば、その反応も当然だろう。

ダイは驚きと恐怖の混じった表情を浮かべ、ポップはもはや絶望に近い顔を見せる。知っていたチルノであっても、ハドラーから感じる威圧感は凄まじかった。未だ戦闘態勢ではなく、ハドラーが注意を払っているのはアバンだけだというのに、溢れ出る力の前に膝を屈してしまいそうになるほどだ。

不幸中の幸いは、この場にブラスがいないことだろう。結界内に魔王が立ち入ったことで幾らかは邪悪な意志の影響を受けているだろうが、それでもこの場で邪気に直接襲われるよりかはマシだろう。

 

「久しいな…勇者アバン」

「えっ!?」

 

ハドラーのその言葉に、ダイとポップが慌ててアバンを見る。チルノだけはアバンの素性も知っていたため反応しなかったが。

 

「かつて貴様はこのオレの野望をことごとく打ち砕き、あまつさえわが命をも奪った! あの痛みと屈辱は決して忘れん……!」

 

ハドラーはアバンに向けて指を突きつけると、忌々しそうにそう言い放つ。

 

「お前は、その数百倍にも及ぶ人間の生命を奪ったではないか……!」

「フン! 笑わせるな。人間など我々魔族に比べれば家畜のような存在にすぎん……たとえ数万数億集まったところで、オレの生命とは釣り合わんわ!!」

「……変わらんな。いや、以前にも増して愚劣極まりない性格になった……!!」

「なんだとぉ~っ!!」

 

ハドラーとアバンの会話。過去の大戦を経験した者同士――それも当事者だった者たちの会話は、互いにいがみ合ってこそいるものの、不思議とどこか奇妙な懐かしさをも感じさせる。

 

「……かつて魔王を倒して世に平和をもたらしたという伝説の勇者アバン……やっぱり、先生のことだったんですね?」

「姉ちゃん、何で知ってるんだ!?」

「おじいちゃんから、ちょっとだけ聞いたことがあったの」

 

チルノは少しだけ嘘をついた。これは原作という知識を持つチルノだからこそ知っている事実であり、ブラスから実際に聞いたことはない。心の中で利用したことを謝る。

 

「本当なの!? 先生……!!」

 

だがダイとポップはその事実を知らない。チルノの言ったことを信じれば、自分たちの師であるアバンはかつて勇者であり、対峙している相手はかつての魔王だということの証明だった。

 

「古い話だというのに、ブラスさんは博識ですねぇ……いえ、それを覚えていたチルノさんを褒めるべきでしょうか?」

 

自嘲するように少しだけ笑うと、アバンはより神妙な面持ちを見せた。

 

「さあ、離れていなさい!!」

「そんな……! おれも一緒に戦うよ!!」

「ば、バカ! 来いっ!!」

 

アバンの言葉にダイは真っ向から反論したが、ダイの腕を慌ててポップが引っ張ると少しでもアバンとハドラーから距離を取ろうとする。

 

「チルノもだ!! 早く逃げるんだよ!!」

 

そしてただ一人、呆然と立ち尽くしてたチルノに向けて叫ぶ。ダイのように立ち向かおうとしているようには見えないため、どうしていいのかわからず混乱しているのだろう。ならば声を掛けるだけで大丈夫なはずだ。ポップはそう考えて、逃げるように伝える。

だが、チルノが考えていたのはもっと別の事だった。

そう……この場は逃げるのが正解だ。原作を知っているから。アバンは九死に一生を得ることを知っているから。ここで無理をする必要はない。そう思っていたのに……

 

「チルノ!!」

「……くっ!」

 

再び響いたポップの声に、チルノはゆっくりとその場から離れていった。

 

「何するんだよポップ! おれも戦わなくちゃ……!」

「バカッタレ!! おれたちなんかがいたら、足手まといになるだけだろうが!!」

「そんなことない! やってみなけりゃわかんないだろ!!」

 

ダイの言葉がチルノの胸に重く圧し掛かる。本当に、ここで逃げてもいいのかという疑問が頭の中を席巻する。

 

「ダイ……あなたの強さは、アバン先生だってよく知っているわ……」

「……姉ちゃん?」

「そのアバン先生が、離れていろって言ったの。多分、ハドラーは今まで戦ったことのある相手とは比べ物にならないくらい強い。私たちを守りながら戦う自信がなかったんだと思う……だから、だからこれでいいのよ……」

「姉ちゃん……」

 

今まで見たこともないような姉の表情。諦めているような抗っているような、苦渋に満ちたその表情をダイは今まで見たことはなかった。彼の知っているチルノは、もっと明るく快活でいながらも理知的な……そんな印象しかなかったというのに。初めて見る姉の顔に、ダイはそれ以上何も言えず、押し黙ってしまった。

 

「ダイ……私だって嫌よ……だから、いざというときにはすぐに駆け付けられるように、心の準備だけはしておきなさい……」

 

ギリリと奥歯を噛みしめながら言う。チルノは未だ、どうすればいいのか。一度決めたはずの心を振り乱されていた。

 

「あれが貴様の弟子か……聞けば"勇者の家庭教師"などと抜かして、正義の戦士を育成しているらしいな……」

 

物陰に隠れてアバンたちの様子を窺うダイたちを一瞥すると、ハドラーは口を開いた。

 

「我が魔王軍の侵攻を邪魔する者は誰であろうと許さん! まずは恨み重なる貴様を血祭りにあげてから、貴様の弟子すべてを抹殺してやる!!」

 

そしてマントを翻すと、ハドラーは右腕に魔法力を集中させる。

 

「あの世で仲良く学芸会でも開くがいい!! イオラ!!」

 

爆裂系呪文をアバンに向けて放つ。それが開始の合図だった。十五年の時を経て、魔王と勇者の対決が再び繰り広げられた。

ハドラーの呪文を逆に自らの魔法力でかき消すようにして無力化すると、お返しとばかりにアバンも呪文を放つ。だが放ったのはベギラマの呪文だ。ハドラーが纏っていたマントこそ焼き尽くすものの、その肉体には焦げ跡一つついていない。

再びハドラーは魔法でアバンを攻撃する。アバンは海波斬で呪文を切り裂いて防ぐものの、その威力を完全に殺しきることは出来ず、余波だけでも周囲に爆炎が立ち上り、アバンも決して少なくはないダメージを受ける。

 

強い……以前戦った時よりも遥かに強くなっている……いったいどうして?

 

思わず口を突いて出た疑問に対して、ハドラーは高らかに宣言した。

 

自分は魔界の神の手によって、大魔王バーンの力によって甦った。今のオレはバーンの全軍を束ねる総司令官、魔軍司令ハドラーだ。と。

 

魔王の上には、より強大な敵が控えている。その事実は、アバンたちを絶望させるには十分すぎるほどだった。チルノにしてもそうだ。彼女にとっては既知の事実であるとはいえ、ハドラーの実力を実際にその目で見た後では抱く感想も違う。それは、彼女が元々考えていたはずの予定にも、影響を及ぼしていた。

アバンはここで、ダイたちを守るためにメガンテを使う。自己犠牲の呪文によってハドラーだけでも倒し、後のことを自分の教え子たちに託して散っていく――いや、散っていくはずだった。

とあるアイテムの効果によってアバンは生きながらえることを知っている。そこで自分はアバンを助けて、自分の秘密を話そう……そう考えていた。そう決めていたはずだ。

 

――なのにどうして、その光景を見たくないとこんなにも願う自分がいるのだろう。

 

アバンがここで生き延びれば、魔王軍の警戒度は跳ね上がる。同時に、アバンが危惧していたように教え子たちもアバンに対する頼り癖がついてしまい成長が阻害されるだろう。たとえアバンと別行動を取ったとしても、自分たちだけで何とかしなければならないという強い意識を持った場合と、アバンがいるからなんとかなるだろうという甘えを持った場合とでは、大きな差が出てくる。

だから今は、アバンを見捨てるのが正解のはずなのに……

 

「うぅ……ダイ、チルノ……無事か?」

「……ッ!!」

 

突如聞こえてきたその声に、チルノの葛藤は強制的に遮断させられた。その声音は、この場にはいなかったはずの人物。この場から離れた場所にいたため、ここまでは来ないだろうと思っていた相手の声だった。

 

「おじいちゃん、どうして!?」

「チルノ、か……? 突然あのどす黒くおぞましい感覚が襲ってきたのじゃ……そして大きな爆発も聞こえてきて……」

 

やってきたのはブラスであった。魔王の邪悪な意志に襲われているのでふらついた足取りであるものの、ゴメちゃんと一緒にチルノの近くまで歩いてきた。その弱々しい姿に思わずチルノは駆け寄って支える。

この三日ほどの間、ブラスは特訓の時には家にいた。ハドラーが襲ってきたときも特訓の時間であったため、ブラスは家にいたはずだ。それがどうしてここまで来たのか。

 

「ええっ! 何でじいちゃんがここに!?」

「そうよ、どうして来たの?」

「そんなもの、お前たちが心配だったからに決まっておるじゃろう……危険だとは、わかっておった……それでも、お前たちが無事なところを一目でも見んことにはいられんかったんじゃ……」

 

ダイとチルノの言葉に、ブラスは当たり前の事のように言った。

家で二人の帰りを待っている途中、突然邪悪な意志に襲われた。呪文による爆発炎も見えた。それだけで何が起きたのか、ある程度の想像はついていた。自分が下手に動かない方がいいことはわかっていた。それでも、子供たちのことを心配せずにはいられなかった。邪魔になるかもしれない。役に立たないかもしれない。それでもだ。

だがそんなブラスの温かな心を、魔王の冷酷な言葉が容赦なくえぐる。

 

「おや……誰かと思えば貴様、ブラスではないか」

「まっ、魔王……!?」

 

ハドラーを見た途端、ブラスの顔色が変わる。まるで何かに怯えるような、恐れるような表情だ。それとは対照的に、ダイ、チルノ、ブラスを順番に見まわすと何かを思いついたようにハドラーの顔が邪悪に歪む。

 

「その小僧どもへの言葉から察するに、貴様が親となって育てていたのか? クククッ、これは傑作だ。あのブラスがなぁ!! ハハハハハッ!!」

 

何かを察したようにハドラーは腹の底から大声で笑いだす。その声を聞き、ブラスはハドラーに縋るような眼を見せた。

 

「やめろ……魔王、さま……どうか……」

「どうした? ……ほほう。さては、ガキどもには何も話してはおらんな」

 

ブラスの態度にますます気を良くしたハドラーは、さらに大きな声で笑う。これから自分が話すことがどのような結果を引き起こすのか。それを想像して、笑いが止まらなくなっている。

 

「そこの鬼面道士ブラスは、かつて我が魔王軍の幹部の一人よ!」

「え……」

「そんなっ!!」

「じいちゃんが……?」

「なんですって!?」

 

ハドラーの言葉にダイもチルノも、アバンすら驚きを隠せなかった。特にアバンは魔王との戦いを繰り広げてきた当人だ。そのアバンの記憶の中にすら、ブラスの存在はなかった。

 

「アバン、貴様が知らなくとも無理はなかろう。こやつはかつては参謀として、後方で策を練っておった。その知識と見識を活かしてな。直接殺した人間の数は少なくとも、その策によって命を落とした人間は……さて、いかほどだったやら」

「やめろ、やめてください魔王様……もう、もうあれは……」

 

滔々(とうとう)と、まるでハドラーは過去を懐かしむように語る。その言葉には一切の誇張も脚色も感じられない。ただ事実をありのままに喋っているのだと、そう誰の耳にも感じ取れた。それが一層真実味を帯びさせる。あの人の良い、好々爺然としたブラスがかつては魔王軍にて人間に仇なしていたという事実を。

そして魔王の言葉に反応したブラスが、止めるように懇願する姿が真実であることを一層、言外に告げる。

 

「せっかくだブラスよ。ガキどもに語ってやったらどうだ? 村にモンスターを忍び込ませ、無防備な内側から瓦解させた話がいいか? それとも、魔王軍に寝返るように仕向けて、人間同士で殺し合いをさせた話がいいか? あれは中々傑作だったな……」

「もう、お許しくださいっ!! お願いですじゃああぁぁっ!!」

 

ついにブラスは力の限り叫んだ。魔王に懇願するように強く強く。

過去の過ちを、それ以上聞きたくない。これ以上子供たちに聞かせたくない。そう願いながら。

ハドラーの言葉通り、かつてのブラスは魔王軍の幹部として活躍していた。邪悪な意志に操られていたとはいえ数多の人間を殺し、魔王のために献策を行っていた。

そして十五年前。アバンの手によってハドラーが倒され、正気に返ったブラスを襲ったのは恐怖と絶望、そして言いようもないほどの後悔だった。

ブラスは本来、争いを好まない穏やかな性格である。それだけに、自身の犯した罪の重さに耐えられなかった。大戦終了後、善良なモンスターたちを集めてデルムリン島へ住みついたのも、再び自身が罪を犯すことを恐れてのため、という側面もあった。

流れ着いたダイとチルノを育てようと決意したのも、勿論善良なる心からの行動であるが、育児を通じた贖罪の気持ちがなかったわけでもない。人間の子供を育てることで、自身の罪が少しでも軽くなるようにと望む気持ちもあった。

この事実は、いずれ自分の口からダイたちには話すことになるだろう――ブラスはそう思っていた。今はまだ知らなくてもいいことだろうという判断と、知られれば自分はどうなるのかという恐れの感情もあってズルズルと先延ばしになってはいたが。

 

「大方、そのガキどもを育てることで殺した人間に対する罪滅ぼしとでも思っていたか? 人間など幾ら殺そうが救おうが価値などないわ。そんなママゴトを嬉々として続けていたとはな」

 

だが、封じ込めていたかった過去は魔王の手によって無残にも掘り起こされ、無遠慮にダイたちに突きつけられたのだ。どうしていいかわからず、ブラスはただ呆然と立ち尽くしていた。

 

「フン、もう正気を失ったか。だがちょうどいい、ガキどもを貴様の手で殺してみせろ。かつての狡猾さを思い出せ」

「ぐ、ぐおおおぉぉっ……」

 

ブラスに手を向けると、少しだけ何かを念じた。それだけで襲い掛かる邪気はより強烈になり、ブラスの肉体を、精神を蝕んでいく。マホカトールの結界の中であっても影響を受けないほどの高濃度の邪気がブラスを狂わせる。

 

「おじいちゃん、負けないで!!」

 

その場を打ち破ったのはチルノの声だった。彼女はブラスを庇うように両手を広げて、ハドラーから祖父の姿を隠すように仁王立ちとなる。

 

「チルノ……逃げるんじゃ……ワシはもう……」

「ククククッ! 小娘、オレの話を聞いていなかったのか? そいつは……」

「そんなの関係ない」

 

ブラスの澱んだ声もハドラーの嘲りの言葉も、それらの言葉をチルノは一言で切って捨てた。

 

「おじいちゃんは、わたしたちを拾って育ててくれた! たくさんの愛情を注いでくれた! たとえどんな思いがあろうとも、それだけは変わらない!」

 

チルノの頭からは、先の予定など完全に吹き飛んでいた。

 

「犯した罪は消えなくても、償うことは出来るはず。失敗からやり直すことはできるはずよ!!」

 

悩んでいたことなどもはやどうでもよかった。ただブラスを――家族を貶められるのがどうしようもなく許せなかった。青臭い理想論かもしれない。一方だけの都合のいい言葉かもしれない。

だが、チルノにはそんな言葉が不思議と口をついて出てきた。

 

「そうだ! じいちゃんが悪いことをしたのは、そもそもお前が原因だ! ハドラー!!」

 

チルノの言葉に勇気を受けたように、ダイも大声で叫ぶ。既に姉弟の間にハドラーに対する怯えはなくなっていた。それ以上に強い感情によって心が揺さぶられているからだ。

 

「ダイ、やるわよ!!」

「当然だ!!」

 

ダイは特製ナイフを抜くとハドラーに向けて構える。チルノも足を肩幅に開き、自然体に構えることでいつでも動き出せるように備えた。

 

「まったく、ガキどもが揃ってやかましいことだ。せっかく親の手にかかって死ねる機会を不意にするとはな。そんなに死にたければ、望み通りまとめてあの世へ送ってやろう」

 

ダイたちの戦闘態勢を見ても、ハドラーはそれを脅威とは思わなかった。ブラスへの圧こそ止めたものの、少々腕が経つ程度の人間の子供が二人。アバンすら凌駕した自分が後れを取るはずがないと、そう過信していた。

それは大きな油断に他ならない。子供は子供でも、相手は竜の子なのだから。

 

「うおおおおっ!!」

 

雄叫びをあげながらダイがハドラーへと切りかかる。その攻撃をハドラーは、短剣を指で掴み取ることで止めようとした。

 

「ぐおおっ!?」

 

しかし、ハドラーの予想を遥かに上回る速度で繰り出された短剣は、掴もうとした指をするりと躱すとそのまま掌に深々と突き刺さった。鮮血――もとい、魔族の蒼い血が噴き出し、痛みがハドラーを襲う。

 

「なんと!?」

 

この結果には、アバンすら度肝を抜かれた。予想もしなかった展開だった。

確かにダイは強い。アバンが読み違えたほどだ。だがそれでも、ハドラーには届かないだろうとアバンは目算する。

何か手はないだろうか? このままではダイ君の命が失われかねない。歯痒さに悩まされるアバンへ向けて、チルノは小声で囁いた。

 

「先生……もう少しだけ待っていてください」

「え?」

「お願いしますね!」

 

もう少しだけ待て、とは一体何を意味しているのだろうか。言葉の意味を理解する時間も与えられぬまま、チルノはアバンの下から離れていく。

 

「ぐぬぬ……小僧……ッ!!」

 

痛みと、なにより肉体を傷つけられたという事実がハドラーのプライドを傷つけた。怒り狂ったハドラーは突き刺さった短剣の痛みすら忘れたように、そのまま右拳を短剣ごと握りしめ、左手でダイへと殴りかかる。

 

「死ねっ!!」

「なんの!」

 

ダイは剣を手放すとハドラーの体を足場代わりに軽く蹴って左拳の一撃をやり過ごそうとする。だがその程度はハドラーも予期した行動だ。

 

「甘いわっ!!」

「【ブリザド】!」

 

ダイの回避に合わせるようにして蹴りを放とうとして、ハドラーの動きが一瞬だけ止まった。何が起きたかと見れば、そこには自らの足が氷に包まれているではないか。しかしこの程度の氷ではハドラーの攻撃を止めることなど出来はしない。蹴りの勢いに押されて次の瞬間には氷にヒビが入り、かと思えば瞬く間に砕け散った。

まるで足止めにすらなっていないように見えるが、チルノは気にしない。その一瞬が稼げたことでダイへの攻撃タイミングが狂ったためだ。おかげで額を軽く掠める程度で、ダイは身を屈めて攻撃を避けた。

 

「ちっ!」

 

必中を期した攻撃を避けられたことで、ハドラーの体勢がわずかに崩れた。思わず転びそうになるのをハドラーはなんとか踏ん張って止めた。そのため、一時的に全身の動きが止まる。

欲しかったのはその一瞬の硬直。

チルノは右掌をハドラーに向け、左手は狙いを定めるように右手首を掴んだ。

 

「新技の初披露ね……【オーラキャノン】!」

「ぐわああっ!!」

 

そして、掌から気の砲弾を撃ち出した。

これは必殺技と呼ばれるカテゴリに属する攻撃方法。肉体を鍛えることで覚える技の一つである。中々取得することが出来なかったが、アバンの特訓とダイの闘気修行に顔を出したことでようやく扱えるようになっていた。

聖なるエネルギーを内包した青白い気弾が、ハドラーに襲い掛かる。動きを止めていたハドラーでは不意打ち気味に放たれたこの一撃を避けられず、止む無く全身に力を入れて耐えようとする。だが、オーラキャノンはハドラーの思った以上のダメージを与えていた。

 

――闘気砲!?

 

チルノの一撃を見て、アバンの脳裏に浮かんだのはこの言葉だった。確かにダイの修行を見て、また講義を受けていたので闘気の取り扱いについては知っているだろうが、それでもこの短期間で。しかも、当てることが難しいとされる放つ攻撃をこうも見事に操るとは。

チルノの秘密を知らないアバンは、彼女の不思議な実力に素直に感心した。そしてもう一つ、この瞬間を狙っていたのだとようやく気づき、その意図に舌を巻く。

 

「先生!」

「なるほど、そういうことでしたか……」

 

まだ教えていなかったはずなのに、どこで学んだのやら……アバンは少しだけ口元を緩めた。

チルノの一撃は確かにハドラーにダメージを与えたが、それで倒せるとは到底思っていない。ようやく使えるようになった技で一発逆転を狙うのではなく、もっと確実な方法を。

アバンは剣を逆手に持ち、力を込める。

魔王を倒せるのは勇者の一刀のみ――十五年前と同じように、勇者のために戦う仲間たち。すべてはこの一撃のために。よくできた……いや、できすぎた教え子だ。

 

「アバンストラッシュ!!」

「ぬうぅっ!!」

 

ハドラーに飛び掛かると(ブレイク)タイプのアバンストラッシュを放つ。オーラキャノンのダメージから回復したばかりのハドラーはアバンストラッシュをまともに受け、その威力によって胸元に大きな傷を作り吹っ飛んでいく。

同時に、アバンストラッシュの威力と魔王の肉体とのぶつかり合いに耐えきれなくなり、アバンの手にした剣は刀身が中ほどから粉々に砕けていた。

 

「やった……のか……?」

 

物陰に隠れて様子を窺っていたポップがそう呟いた。ハドラーはアバンストラッシュの衝撃を受けて吹き飛んでいる。そしてアバンの持つ剣は粉々に砕け散っている。まるで戯曲か何かのクライマックスシーンのような光景だ。そう思うのも無理はないだろう。ダイとチルノですら警戒を緩めている。

 

「いいえ、まだです!」

「クククッ、その通り! 惜しかったなアバンよ!」

 

アバンの忠告とほぼ同時にハドラーは跳ね起きる。ダメージを受けた振りをして不意打ちのチャンスを狙っていたのだが、アバンの言葉でそれも無駄と悟り攻撃方法を変えた。既にハドラーの両手には魔法力が集められている。

 

「今度はこちらの番だな! まとめて吹き飛ぶがいい、極大爆裂呪文(イオナズン)ッ!!」

「くっ、アバンストラッシュ!!」

 

放たれた極大呪文に対して、今度は(アロー)タイプのアバンストラッシュで迎撃を試みる。既に柄しか残っていない剣ではあるが、アバン本人は武芸百般。牙(拳)のアバン流殺法との応用にて繰り出した。大威力の技の連発に耐えきれなくなり、とうとう剣は柄すらも砕け散る。

駄目だ! アバンは直感的に察していた。イオナズンの威力にこの不完全なアバンストラッシュでは対抗しきれない。ならばどうするか。浮かんだ疑問に対して悩む時間はなかった。

 

「うわあああっ!!」

 

イオナズンとアバンストラッシュがぶつかり合い大爆発を起こした。轟音が鳴り響き、爆風が辺りを包み込む。肌を焦がすほどの熱気が漂うなか、誰かがふと気づいた。余波だけとは言えイオナズンはこの程度なのか。極大の名を冠する呪文がこの程度なのか。

その答えは、噴煙が晴れるにつれて氷解していった。

 

「あ、あああっ!!」

「先生!!」

「大丈夫ですか、みなさん?」

「先生こそ大丈夫?」

「フフッ、ありがとうございますダイ君。だけど痛がっている場合じゃありません」

 

ダイたちの少し前で、アバンが身を挺してイオナズンの衝撃から彼らを守っていた。無論、その代償としてアバンは大きく傷ついていた。

 

「フン、情けないものだなアバン。かつてオレの命を奪ったアバンストラッシュも今やこの程度の威力しかない。挙句、弟子共の盾代わりとは」

 

誇示するようにハドラーは自身の胸を軽く叩いた。そこにはアバンストラッシュで受けた傷があった。いや、傷と呼んでいいのか。強烈な一撃を受けたであろうことはわかるが、それはあくまで打撃跡。刀傷は残されていない。アバンストラッシュは確かにハドラーに直撃したにも拘らず。

 

「う、うそだろ……」

「アバンストラッシュが完全に入ったはずなのに……」

 

信じられないものを見たとしか表現できないように呟く弟子たち。特にチルノの受けた衝撃は大きかった。確かにハドラーとアバンの間には差がある。だが自分はアバンが最高の一撃を放てるように力添えをしたはずだ。なのにどうして?

全盛期と比べてアバンが衰えたから? 本日のダイとの修行で闘気を使いすぎていたから? 使っていた剣が安物のナマクラだったから? 勿論それらも理由の一つだ。

だが一番の理由は、アバンが"自分はもう魔王を倒す勇者ではない"と疑ってしまったことだ。もしも魔王を倒す勇者がいるとすれば、それは自分ではなくきっとダイなのだろうと認めてしまった。

僅か数日の間にその力を見せたダイ。弟を導く不思議な少女チルノ。この二人ならば自分がいなくなっても大丈夫なのではないか。そう思ってしまった。

必勝の念が必要となる勝負の場に持ち込まれた、気後れというほんの少しの不純物。それが決定的な差に繋がった。

ダイがただ強いだけだったら、チルノがファイナルファンタジー世界の技能を使うだけだったら、協力してハドラーを撃退するという選択肢をアバンは選んでいた可能性もあっただろう。

皮肉なことに、二人がそれぞれの強さを見せたことが、アバンに生徒たちの可能性を信じることを選ばせていた。

 

「皆さんの見ての通り、ハドラーはかつて魔王だった時以上。その上には大魔王まで控えています……残念ですが、今の我々の戦力では勝てません」

「そんなことないです! 武器がないなら、まだパプニカのナイフがあります! 私だってダイだってポップだって援護します!」

「そうだよ先生!!」

「あ、ああ……」

 

ポップだけは、やや歯切れの悪い言葉で返事をする。

 

「ありがとうございます。ですがそれでも、追い返すのが精々でしょう。しかもそれまでに、大きな犠牲を払うことになると思います。その犠牲となるのは教え子である皆さんかもしれない。皆さんの師として、そのような真似は出来ません」

「そ、そんな……」

「だからこそ、ハドラーだけは私がこの場で倒します。そしてダイ君、ポップ、チルノさん。皆さんには大いなる未来があります。あなたたちの手でいつか必ず大魔王バーンを倒してください」

 

そう言うとアバンは二コリと笑顔を見せた。案ずることはないというように、穏やかな微笑みだ。その笑顔の裏に隠された意味をチルノだけは知っている。

 

「アストロン」

「わっ!?」

「これは!?」

 

ダイたちの肉体が徐々に鉄へと変化していく。

アストロンは呪文を掛けた相手の体を鋼鉄の塊として、あらゆる攻撃を受け付けなくする高等防御呪文である。効果を受けたものは一時的に絶対の防御を獲得できるが、逆に自ら動くこともできなくなる。

そんな呪文を使ったということは――アバンが何を考えているか、誰の目にも明らかだろう。

 

「これなら皆さん安全です。こうでもしないと飛び出してくるやんちゃな弟子がいますからね。そこで私の戦いを見守っていてください……」

「まさか先生!?」

「先生っ! こんなのやだよ! おれも戦う! 一緒なら絶対に勝てるから!!」

「っ! せん、せい……」

 

最期の時が近いことを本能的に悟り、ダイとポップは涙を流す。それはチルノも同じだ。彼がこれから何をしようとしているのか。歴史(げんさく)を知る彼女にはアバンが何をしようとしているのかがわかる。だがそれを口に出すことは出来ない。迂闊なことを口にすれば狙いがバレる。だから何も言えなかった。

 

呆然とするチルノを余所にアバンはダイに、ポップに、それぞれにアバンのしるしをかける。ダイの言葉も、ポップの涙ながらの訴えも、アバンを止めることは出来ない。それぞれの足りない部分への指摘と未来についての言葉を投げかけ、優しくも厳しく諭していく。

そしてチルノの番が来た。

 

「チルノさん、あなたは不思議な人ですね。誰も見たことのない呪文を操り、その見識は同年代の誰よりも突き抜けている。かと思えばまるで基本的なことを知らなかったりと、どのように授業を進めればいいのか悩みましたよ」

 

アバンは自嘲するように笑う。

 

「ですが、ダイ君を導き、ブラスさんのために怒る。その気持ちを忘れないでください。それがあればあなたもきっと、正しく成長できますよ」

 

そういうと、チルノに対して頭を下げる。

 

「本当はあなたにも卒業の証を渡したかったのですが、ダイ君のおまけ程度でまだ本格的な授業には取り組んでいませんからね。それと、こんなに早く切り上げなければならないとは思っておらず、卒業の証は用意できませんでした。もうしわけありません」

 

アバンの謝罪の言葉に、チルノは声を絞り出した。

 

「……だったら、勝ってください!」

「おや?」

「ううん、勝たなくてもいい。生きてください! そして、改めて卒業の証をください!」

「フフ、大変なお願いをされてしまいましたね。女性の頼みなのですから、男としてはこれは何としてでも生き延びなくては」

 

道化師のような態度を見せながらチルノから離れ、そして最後にブラスたちへと短い挨拶を述べると、アバンはハドラーの前まで歩みを進めた。

対するハドラーは腕を組み、詰まらなそうな表情でアバンが来るのを待っていた。右手に突き刺さっていたダイの短剣は既に抜き取っており、回復呪文でも唱えたのか傷跡は塞がっていた。肝心の短剣はどこかに打ち捨てられたらしく見当たらない。

 

「弟子との別れは済んだのか……?」

「……勝負だハドラー!」

 

剣を失ったため素手で、アバンはハドラーに挑みかかる。だがハドラーにはまるで通用しない。アバンのダメージが大きいこともあるが、何よりハドラーは格闘を得意とする。対するアバンもあらゆる武器の扱いに秀でているとはいえ最も得意とする獲物は剣である。

その辺の雑魚モンスターを相手にするのならともなく、ハドラーを相手にするのには得手の差が大きく水をあけていた。呪文を放つも、嵐のようなハドラーの連撃の前には溜めのない初級呪文しか放てず、その程度ではハドラーに有効打を与えられない。

 

「死ねぇっ! アバン!!」

 

ついにハドラーの渾身の一撃がアバンの腹部を襲った。やや大振りにも見えるその攻撃を、アバンは回避も防御もせずに喰らう。なぜよけん!? とハドラーが声を上げるよりも早く、アバンはハドラーのこめかみに両手を突き刺していた。

 

「きっ、貴様、この呪文は!!」

「ハドラー、お前も知っているだろう? 己の全生命エネルギーを爆発力と変えて敵を討つ呪文を……!!」

「まさか!! まさかぁ!! やめろっ!! やめんかあぁっ!!」

 

アバンの狙いを知り、慌てて引きはがそうとするハドラーだったがアバンの腕はびくとも動かず、そもそも呪文の影響下にいるために激痛が走りまともに力が入らない。

 

――メガンテ!

 

みなさん……あとはたのみますよ……アバンのそんな声が聞こえた気がする。果たしてそれは空耳だったのかそれとも。

メガンテの呪文は、先のイオナズンすら比較にならないほどの大爆発を起こした。

凄まじいエネルギーの本流は天へと駆け上り、空に穴を穿ったと錯覚するほど。地上は爆発の威力に蹂躙され、小さなクレーターが出来ていた。

 

そして、爆煙が晴れた後には何も残るものはなかった。

 

「先生……!」

「あ……っっ……!」

 

未だアストロンの効果で鉄塊となったままのダイとポップが悲嘆の声を上げる。命を賭して守ってもらったという現実に、だがまだ頭が追い付かずにいた。今にもアバンがその辺の物陰からひょっこりと「いやぁ、死ぬかと思いましたよ」と言いながら姿を現すのではないか。そう思えるほどに現実感がなかった。

そしてチルノだけは無言のまま、寒々しい景色を見つめて考えていた。

 

――大丈夫、カールのまもりがあるから生きているはず。大丈夫なはずだから……本当に大丈夫? 先生がカールのまもりを持っていることを確認したの? 効果が同じだとどこで調べたの? 今回も大丈夫だと、誰が保証してくれたの?

 

チルノの思考の中に、もしもの考えが割り込んでくる。大丈夫なはずだ、信じろ。と必死で自分に言い聞かせながら振り払う。だが振り払おうとしても振り払いきれないほどのおぞましい説得力を持った光景が、眼前には広がっていた。

だが、その光景も長くは続かなかった。不意に地面の一部が揺れ動く。

 

「先生っ……!?」

「違う!」

 

先ほどの妄想が現実になったのではないかと期待したポップの言葉を、遅れて気づいたチルノが慌てて否定する。チルノの言葉を肯定するかのように、土中から姿を見せたのはハドラーだった。

メガンテの威力をまともに受けて満身創痍となりながらも、辛うじて生きていた。何という生命力だろうか。アバンが無駄死にだったことに歓喜の哄笑しながら、最後の仕上げとばかりにダイたちの方を睨む。

 

「貴様らはオレの体を傷つけたのだ。命を以って償ってもらわねばなぁ……」

「うわあああっっ! 来るな! 来るな!!」

「くぅっ!」

「大丈夫じゃ! まだアストロンの効果が残っておる!」

 

ハドラーの言葉にポップはなんとか逃げようと試み、ダイはなんとか抗おうと試みる。だがそのどちらも上手くはいかず、ブラスは落ち着けるように言う。しかしその程度はハドラーもわかっていることだった。

 

「特にブラスのガキども。貴様らは油断ならん。だが身動きできん今は好都合よ」

 

人差し指を立てると、その先に炎を纏わせる。これから火炎呪文を使いますよと高らかに宣言しているようだった。

 

「オレのメラは地獄の炎……相手を焼き尽くすまでは決して消えん。こいつを放っておけば貴様らは……呪文がとけた瞬間に黒コゲだ!」

「うわああ!! やめろっ! やめてくれぇっ!!」

 

嫌がるポップの言葉すらハドラーにとってみればさながら心地の良い賛歌。アバンが一足先にあの世で待っているぞと笑いながら火炎呪文を放とうとする。だが、その一言がいけなかった。

それはアバンの命懸けの行動を軽んじる発言。ダイはアバンの想いを無駄にしないためにも力を集中させ、自らアストロンの呪縛を打ち破ろうとする。さながら風船が破裂するかのように、内側からの強力な力に鋼鉄が悲鳴を上げ、無数のヒビを作っていく。

その異様な様子にハドラーは慌ててメラゾーマを放つが遅かった。

ダイはアストロンを自力で完全に打ち破ると、メラゾーマを魔法で相殺した。続けてハドラーに肉弾戦を仕掛けると、まさに赤子の手をひねるように魔王を圧倒する。その頃には、この場にいる誰の目にも明らかになっていた。

 

ダイの額には、竜の紋章が光り輝いていた。

 

「バカな……あの紋章は……!!」

 

ダイの額を見ながらハドラーは戦慄した。竜の騎士(ドラゴンのきし)について、ハドラーは無論知っている。曰く、竜の力、魔族の魔力、人間の心を併せ持つ究極の生物。

だが目の前にいるのはガキである。ありえない。信じられない。信じられないが――微かに痛む右手がその考えを否定する。

紋章を見せる前から、自身の体にダメージを負わせた。ならばダイが紋章を発動させ、自身は大ダメージを負った今の状態で戦えばどうなるか。

引くべきか、それとも挑むべきか。

 

「小僧おおおおぉぉっ!!」

 

魔王のプライドが勝ったようだ。地獄の爪(ヘルズ・クロー)と呼ばれる、両拳から魔力で超硬質化させた骨を突出させた武器を生成すると、力を振り絞りダイへと挑みかかる。

対するダイは素手だ。アバンの使っていた剣は既に砕け散り、ダイが元々持っていたチルノ特製の短剣はハドラーに突き立てた後、投げ捨てられて現在行方不明だ。

 

「私の……っ!!」

 

パプニカのナイフを使え、そう言おうとしてチルノは気づいた。アストロンの効果から逃れているのはダイだけであり、他の面々は肉体は勿論、衣服まで鋼鉄となったままだ。当然パプニカのナイフも。

 

「大丈夫だよ姉ちゃん。おれには、アバン先生が見せてくれた技がある」

 

チルノが何を言いたいのか察したダイは、そう言うと無手のまま拳を後ろへと引く。アバンストラッシュの構えだ。だが剣もないのに何をする気だ?

そう思ったのはチルノだけではない。ポップもブラスも、ハドラーすらもそう思った。だがハドラーはすぐに思い直す。何をするのか――同じことを師が既に行っている。

 

「アバン……ストラーーッシュ!!」

「ぐおおおおおおっっ!!」

 

無手であるはずのダイの拳から、(アロー)タイプのストラッシュが凄まじい勢いで飛んできた。慌ててハドラーは両手を交差させて防御を試みるが、拮抗したのはほんの一瞬。両手を切断しながらも勢いは衰えず、胸元から腹部にかけて斜めに切り裂いた。

拳を用いたアバンストラッシュ――そもそもアバンストラッシュは剣だけでしか放てない技ではない。剣・槍・斧・弓・鎖・牙のそれぞれに対応した殺法があり、地・海・空の極意を身につければ武器を選ばずにアバンストラッシュが使える。

とはいえ一度だけ、それもほんの少しだけアバンが行ったものを見ていただけで再現するとは、竜の騎士(ドラゴンのきし)の潜在能力は恐るべしといったところだろう。

 

――そういえば、紋章の力を発揮したのはこれが初めてね。

 

吹き飛びながらも原作同様、キメラの翼を使って命からがら逃げだしていくハドラーを見ながら、チルノはなぜかそんな場違いなことを考えていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「姉ちゃん、ポップはどうだった?」

「少しは落ち着いたみたい。独りにしてくれって言われたから……」

「ふむ。今日はそっとしておくしかないかのう……」

 

家の前で三人が話し合う。

ハドラーが逃げた後、ポップの泣き声がデルムリン島に響いた。アバンを失った悲しみに耐えきれず、ポップは人目も憚らずに泣いていた。何時までも外で泣いているわけにもいかないだろうと部屋の中にこそ招き入れたものの、心の傷はまだ深いだろう。

ポップだけではない。ダイもブラスもゴメちゃんだって、ポップほどではないものの悲しみに包まれている。

――今すぐにすべてを打ち明けて、みんなの心を楽にしてあげたい。

そんな誘惑を必死で断ち切りながら、チルノはダイたちから離れる。

 

「チルノ、どこへ行くんじゃ?」

「なんだか落ち着かなくて、少し散歩でもしてくるわ……」

「まだ危険かもしれないだろ!? おれもいくよ!」

「大丈夫よダイ、本当に少しだけだから」

 

まだ納得しきってはいないだろうが、ダイは渋々引き下がった。家族の心配を裏切るような真似に心が痛むものの、チルノは島の外周部まで足を運ぶと目を皿のようにして海を見まわす。

 

「メガンテの威力と方向、潮の流れから考えると……」

 

頭の中に大雑把な地図を描きながら、目標がどの辺りに落ちたのかを推測する。

チルノの目的はアバンの救出だ。

本来、メガンテを使えば術者の命はない。だがアバンは身に着けていたカールのまもりというアイテムのおかげで命を救われる。それが原作の流れである。

 

「……【レビテト】」

 

海上の可能性が高いと考え、チルノは空中浮遊の魔法を使う。トベルーラのように自由自在に飛べるわけではないが、それでも上手く扱えばなんとか空中戦もできるだろう。

だが今はその魔法の力で海上を素早く移動しながらアバンを探す。

――確か近くの洋上だったはず。デルムリン島に一旦辿り着いていたことから考えれば、島の位置は目視できる……

原作の記憶を思い出しながら、チルノは必死で海上を駆ける。

 

「……あれは!?」

 

一瞬何かが光ったように見えた。まさか、と思いながら光った位置へと駆け寄っていく。そこには、予想通りというべきか、アバンが波間に浮かんでいた。

 

「これが、カールのまもり……」

 

チルノは呟きながらアバンの胸元を凝視する。そこにあるのは壊れかけたペンダント。これが海水を被って光を反射していた。メガンテからアバンの命を救い、そして今度はチルノにその位置を知らせるために、ボロボロになりながらも尽くしていた。

 

「ありがとう、お疲れ様。あなたがいてくれて、本当に良かった……」

 

勿論、ただのアイテムであるはずのカールのまもりにそのような効果はない。身代わりに砕け散った時点でその役目を終えている。だがチルノの目にはそう見えた。勘違いだと分かっていても、最後まで主の身を守る気高い意志を感じられた。

カールのまもりにお礼を述べてから、アバンの胸元へ手を触れる。

 

「心臓は……よかった、動いている!」

 

指先に生命の鼓動を感じた瞬間、安堵のあまりチルノは全身の力が抜けた。

原作で助かったのだから、今回もきっと大丈夫だろう。その考えはある意味では最も強い根拠であり、最も残酷な意見でもある。相手の意思の尊重を忘れた、考えることを放棄して結果だけを求めるという、人の気持ちを踏みにじった行為のようにチルノには思えた。

独善的な考えの結果が、目の前のアバンだ。自分の力は、自分がここにいるのは、こんな思いをするためじゃないと初心を取り戻す。

 

「まずは……【リジェネ】」

 

生きていることを確認すると、再生の魔法をかける。対象の生命力を活性化させ、徐々に回復させる魔法だ。これを使えば、瞬間的な効果は得られないが、今のような場合には真価を発揮することだろう。

なぜならば。

 

「身長が違うから……なんとか引っ張り上げて……」

 

アバンの両脇に手を差し込み、持ち上げると後ろ向きに引っ張っていく。上手く背負えればいいのだが、海上のために悪戦苦闘した結果の苦肉の策だ。ふらついた空中浮遊の足取りと合わせて不格好なことこの上ないが、ゆっくりと島に向けて歩みを進めていく。

 

「う……うう……」

「先生!?」

 

島の岸までようやく近づいたころ、アバンのうめき声が聞こえた。それに反応して様子を窺うと、アバンが目を開き意識を取り戻していた。

 

「よかった……本当によかった……ごめんなさい、ごめんなさい……」

「チルノさん、ですか? ここは? それに私は……どうして?」

 

それを見た途端、チルノは涙が止まらなかった。

アバンはまだ意識を取り戻したばかりで、何が起きているのか事態を把握できていなかった。キョロキョロと辺りを見回して、自分がチルノに抱えられながら海上にいるのだということを理解する。それだけでも時間が掛かった。

 

「私は助かったのでしょうか? それに、あなたに助けられた。で、いいのでしょうか?」

「はい! はいそうです!」

「困りましたね、そのように泣かれては……とりあえず離してもらえますか? 重たいでしょう」

「でも、先生が……」

「大丈夫ですよ。痛みもそれほどではないようです。それに陸も近い。このまま沈むことはないでしょう」

「わかりました……」

 

アバンの言葉に素直に従い手を放すと、アバンは割としっかりとした動きで泳ぎ、そして島へと上陸する。アバンの後を追って、チルノも陸へと上がる。

 

「チルノさん、一体何があったのですか? 教えてもらいたいのですが」

「そのことなんですが……」

 

少しだけ言い澱んでから、チルノは勢いよく頭を下げた。

 

「少しだけ、一日だけ待ってください! 明日の朝、おそらくダイたちが出発するまでの間だけでいいんです!!」

「出発、ですか? それは……」

「出歩いても構いませんが、誰にも見られないように身を隠して、明日の朝までです。お願いします!!」

 

有無を言わさぬその言葉に、具体的な説明はなくともアバンも何かを感じ取ったのだろう。チルノの様子を見つめ、やがて嘆息交じりに言った。

 

「……わかりました。明日の朝まで待てばいいんですね?」

「すみません、説明もなしに。でも、悪いようにはならないはずです。信じてもらえますか?」

「他ならぬ命の恩人の言葉ですからね。信じますよ」

 

アバンのその言葉を聞けたことで、チルノはようやく胸を撫で下ろせた。

その後も簡単な注意だけを口頭で伝えると、一旦別れてチルノはブラス達の下へ。アバンは身を隠すべく森へと移動する。

 

そして、夜が明けた。

 

 




第⑨回です(特に意味はない)

アバンVSハドラー戦はちょっとダイジェスト気味。原作と実力の差があるわけでもなし、思考に大きく差が出るわけでもないため。似たような理由で、やっぱり一部ダイジェスト気味。

原作通りメガンテさせるか、それとも撃退してしまうべきか。
悩んで、龍が如くして、悩んで、北斗が如くして、キムタクが如くした結果、結局こっちのルートに。(7話でそのルートを通ると書いておいて何をいまさら)
というか今回、上手くやったら勝てそうなんですよ。ただ個人のワガママとしてメガンテルートに進ませたい。じゃあどうしよう? 悩んだ結果、強すぎたことを理由としました。
ダイが強いからロートル勇者の自分じゃなくても大丈夫、後を安心して任せられる。ここで無駄に怪我をさせてリタイアすることのないように、自分が体を張ろう。って感じです。
……うーむ……(首捻り)

アバンのしるし。はい、こちらも頭を悩ませました。チルノさんに渡す?渡さない?数は5つ?明言されてないけどまだある?渡すなら魂の力は?ミナカトール……は契約できないか。ザッと考えただけでもこれです。
結局この場は渡さないルートですが、次話で話題に出ないわけもなし。

気が付いたら、ブラスに変な設定が付きました。原作ではハドラー様は気にも留めてなかったというのに、何がどうしてこうなった?(その場の勢いって怖い)
まあ、こういうのもアリってことで、どうか一つ。
そのためのアンチ・ヘイトタグ……いえ、独自設定タグも足しておくべきでしょうね。
(というわけで、怖かったので今回から増えてます)
ブラスの変な設定に伴ってハドラー様がちょっとアレになってます。

オーラキャノンってか〇はめ波モーションですよね?(コマンド的に波〇拳?)その方が収まりが良いはずなのですが、何となく片手撃ち(右手で構えて左手はブレを抑えるように掴む)に。
(マッシュの必殺技は便利ですよね(兄の方がもっと便利と言ってはいけない))

アバン先生の剣(10ゴールドのアレ)ですが、原作を確認したところ、ダイが剣を折ってからアバンは剣がないまま、しかしドラゴラム解除後に突然新しい剣を腰に差していました。その剣はどこから生えてきたの? 予備として持ってたんでしょうけれど。だったら最初っから持ってて。と困りました。この中では、ダイが折ってないので先生が持ったまま設定です。
10ゴールドの剣も魔王への一撃に耐えきれずに折れたなら格好もつきますよね?
(逆に言うとハドラーが10ゴールドの剣に負けてた可能性があったという……)
そして、武器がない関係で無手アバンストラッシュを使ってしまうアバンとダイ。アバンは良いんですけどダイがこの先どうなるか……すごく怖い。

最後にで恐縮ですが、毎回誤字報告と感想本当にありがとうございます。反応遅くて申し訳ございません。


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LEVEL:10 告白

穏やかな日差しがデルムリン島に降り注ぐ。空は晴天。太陽の位置もまだ東に近い。そこから見える海の機嫌も穏やかそのものであり、時折海鳥の鳴き声が聞こえる。

そんな朝日の中、ダイとチルノとブラスの三人は海岸にいた。

昨日の激闘が嘘のように思えるほど穏やかな空気。だがアバンを失ったという喪失感と島に残る破壊の傷跡が、それは錯覚だと告げる。

 

「行くのか、ダイ?」

「うん」

 

ブラスの言葉にダイは迷うことなく頷いた。

 

「すまん……できることなら、ワシもついていってやりたいのじゃが……この島を覆う結界を一歩でも出てしまったら、ワシは魔王の手先になってしまう……」

 

ブラスは心底悔しいと言わんばかりに俯き、ダイのことを見られなかった。だがそんなブラスの不安を吹き飛ばすかのように、ダイは決意を込めて力強く言う。

 

「平気さ。じいちゃん、この島でみんなと待っててよ。おれが必ず大魔王を倒してやるからさ」

「ダイ……」

 

その言葉にブラスの我慢も限界だった。溢れ出る涙を手の甲で抑えるが、それでもとめどなく流れ落ちていく。幼いころから育ててきた息子が、これほど立派に成長するとは。それと同時に、そんなダイを大魔王討伐という危険極まりない旅路へ送り出さねばならないことに、自分が何の力にもなってやれないことに対する情けなさも感じてしまう。

 

「泣かないでよ。もう二度と会えないわけじゃないんだから」

 

ブラスの涙を気遣うためにそう口にするが、その言葉に反応したブラスはさらに大粒の涙を零した。どうしたものかとダイは辺りを見回し、そしてあることに気が付いた。

 

「そういや、ゴメちゃんは……?」

 

いつもダイの周囲を飛び回っている――そうでなくてもブラスかチルノか、どこかで必ず見かけるはずのゴールデンメタルスライムの姿が見えない。普段ならば呼んでいなくても来るくらいなのに、今日に限って影も形も見えなかった。

 

「おお、そういえば見あたらんな……おおかた、別れが辛いんで、どこかに隠れているんじゃろうて……」

 

ブラスも辺りを見回し、ダイと同じ意見だった。ブラスも知らないとなれば、どこに行ったのだろうか。首をひねりながらも、姿の見えないもう一人のことを口にした。

 

「……ポップは?」

 

口にするのを躊躇いながらも、ダイが続けて尋ねる。それを聞き、ブラスも何とも言えず沈んだ表情を見せた。

 

「……泣き疲れて、眠っとるよ……アバン殿のことが、よほどショックだったんじゃろうなぁ……」

 

ブラスの言葉にダイもつられるようにして顔を沈ませる。昨日ハドラーを撃退してからというもの、ポップはほぼ泣き通しだった。夕飯も碌に食べることなく、誰が声を掛けても碌に返事もしないままずっと涙を流していた。

 

「アバンどのから聞いたんじゃが、彼はなんでも小さな村の武器屋の息子だったらしい。だが、偶然村にやってきたアバン殿の強さに感激して家を飛び出しておしかけ弟子になったそうじゃ……心底アバンどのを尊敬していたんじゃろうなぁ……」

「…………」

 

特訓時に見せたポップの飄々としたお調子者の姿と、今の落ち込んだ姿とのギャップがあまりにも大きく、そして初めて聞いたポップの過去の気持ちを慮り、ダイは何も言えなかった。ただ、アバンのことを誰よりも大事に思っていた。それだけは痛いほどわかった。

 

「ダイ、船の準備はできたわ」

 

神妙な面持ちの二人に対して、チルノが声を掛ける。彼女は今まで、船出の準備をしていた。ダイたちがデルムリン島に漂着した際に乗っていた船をベースに、生産系スキルを十全に活用して舵と帆を付けている。櫂も完備されており、全体をしっかりと補修しているので航海にも耐えられるように気を配ったさながら匠の一品だ。

なお、チルノ手製のキメラの翼が残っているため、それを使えばもっと簡単に一瞬でロモスに向かえるのだが、先の出会いを考慮して黙っているのはここだけの秘密である。

 

「ありがと、姉ちゃん」

 

そういうとダイは出来栄えを確認するかのように船体に触れる。まるで新品のような感触に満足しつつ、だが心底残念そうに呟いた。

 

「姉ちゃん、やっぱり来てくれないの?」

「うん……ごめんねダイ。どうしても、片づけなきゃいけないことが残ってるの」

「それって何なの? おれも手伝うから、そしたら一緒に行こうよ」

 

――魔王討伐のために島を出る。

昨日ダイがそう言った時に、真っ先に不参加の意を示したのはチルノだった。ダイとしては姉も当然参加してくれると思っていただけにショックであり、なんとか理由を聞こうとするのだが、昨日からこのように要領を得ない断り方をされ続けている。

その理由とは一体何なのだろうか。頭を捻れどダイに妙案は浮かばず、かと言ってダイが出発するのに際して、率先して船の準備を行ってくれることから、反対したり遅らせようとしているわけでもないだろう。姉が何を考えているのか今一つ分からなくなっていた。

 

「ダメなの……だから、先に行ってて。私も後で必ず追い付くから、ね?」

「……わかったよ、姉ちゃん」

 

再三にわたり繰り返された姉の言葉にダイも折れた。それを聞きながらチルノも、理由を言えないことに申し訳なさそうな顔をする。

 

「せめて、私の代わりに持って行ってあげて」

「え、これって……!?」

 

チルノはパプニカのナイフを鞘ごとダイへ手渡す。これを見て驚いたのはダイだ。これはパプニカのレオナからチルノが貰ったものであり――非常時にはダイが使って戦ったこともあったが――レオナとの友誼の証でもあるこれを姉が手放すことはほとんどなかったからだ。

 

「今は武器もないでしょう? だから、せめてものと思ってね。貸すだけで後で取り返しに行くから、ちゃんと持ってなさいよ? 壊したりしたら承知しないからね」

 

キラーマシンの金属を加工して作ったダイのナイフは、ハドラー戦にて行方知れずとなっている。そのため今のダイは完全に武器のない状態だ。さすがにナイフ一本で魔王軍と戦えるほど甘くはないだろうが、それでもあるとないとでは大違いだ。

 

「うん、大丈夫だよ。絶対に持ってて、返すから。だから姉ちゃんも早く来てくれよ」

 

パプニカのナイフを大事に握りしめると、ダイは姉にそう返す。チルノも弟の言葉にしっかりと頷いた。

 

「あとは、これ。船に積んでおいたわ」

 

そう言いながら大きめの袋を指差す。

 

「中には保存食にお水に、あと特製の薬草や毒消し草が入っているから。あと、私の手製だけど地図も入れておいたから、海を渡ったらロモス城に向かうまでの参考にしてちょうだい」

 

以前空から見たときに出来る限り記憶しておき、必死で描き起こした地図である。街道などもわかる限り記載しており、原作でダイが描いた大雑把な地図とは雲泥の差である。

 

「……あれ? ロモスに行くっておれ言ったっけ?」

「え、ここから直接パプニカに向かうつもりだったの? 航路も地理も詳しく知らないでしょ? だからまずロモスで王様に頼って、そこから移動手段を確保するつもりだと思ったんだけど……違うの?」

 

何の疑問も持たずにロモスに向かう想定で話をしていることにダイは驚くが、チルノはそれがまるで当たり前のことのように返した。

 

「ううん、あってる……」

 

相変わらず姉の洞察力には敵いそうもない。自分がロモスに向かうまでの道筋全てを予見されていてもきっと驚かないだろう。感心しつつも姉が一緒に来てくれないことにダイは再び後ろ髪をひかれ始めていた。

 

「あとはお金も入れてあるから」

「え、お金なんてあったの?」

「たまに流れ着いてくるのを集めてたんじゃよ。いつか、お主たちがこの島を出るときのための資金になるようにのう……他にも島で見つけた原石なども入れておるが、幾らになるかはわからん……」

 

そう言ったのはブラスだった。人間の世界は貨幣経済。まずはお金。お金さえあればある程度のことはできる。その辺りの常識についてはダイたちが子供の頃からブラスは教えていた。

それは言葉通り、いつかは人間の世界で暮らす子供たちのために備えた準備である。ゴールドを集めていたのもその一環。とはいえ、まさか大魔王を倒す旅の初期資金になるとはブラスも思ってもみなかったが。

 

「足らなかったら、私の薬草も売りなさい。買いたたかれるかもしれないけれど、一時しのぎくらいにはなると思うから」

 

質は良いはずなんだけどね。薬師のスキルと合わせて作った上物だから。そう胸中で独白しつつ付け足すが、果たして値打ちをわかってもらえるかは不明である。

こんなことならロモスの時に報奨金を貰うか、レオナの別れ際に腕輪の一つでも貰っておけばよかったと一瞬考えるが、ロモスの場合は事情があったとはいえ被害を与えたこちらに非があり、レオナの場合も下賜された品物を勝手に売って万が一にも手が後ろに回ったら目も当てられない。

結局は今の辺りが落としどころだろうと思いながら、チルノは袋の一つに近寄る。

 

「姉ちゃん?」

「どうしたんじゃチルノ?」

「隠れてないで、一緒に行ってあげなさい」

 

当惑するダイとブラスを横目に、袋を開けると中に手を突っ込んで何かを引っ張り出す。そこにはゴメちゃんの姿があった。

 

「ゴメちゃん!? なんで?」

「隠れておったのか……」

「ピー……」

 

自分はダイの友達だから、ダイの旅について行きたかった。でも正直に言えば反対されるだろうから、こうして忍び込んで行こうと思っていた。

ダイたちの詰問に対して、悪いことをしているとの自覚があるゴメちゃんはバツが悪そうにしながらもそう答えた。

 

「……ゴメちゃんは、邪悪な意志の影響を受けなかったし、行っても良いんじゃない?」

「ピー!」

「チルノ!?」

「ダイだってゴメちゃんがいたら安心するだろうし……私の代わりに、ダイについていてあげて。ね?」

 

ゴメちゃんの正体を知るチルノからすれば、旅に同行させるのは些か複雑な心境だった。チルノにとっては、ゴメちゃんも助けたい相手の一人。このままデルムリン島に残っていれば危険はそれほどないだろう。だが、それではダイの友達となったゴメちゃんの気も晴れまい。

 

「むむむ……しかし……」

「ピー! ピー!」

「はぁ、わかったわい……」

「へへへ、よろしくなゴメちゃん」

「ピー!」

 

しばしの押し問答の末に、ブラスも折れた。ブラスには理由はわからないものの、確かにゴメちゃんだけが凶暴化しなかったのも事実であり、ダイを一人で送り出すのも怖かったという気持ちもあった。

 

 

 

「それじゃあみんな……」

「ダイっ!!」

 

船出の準備は完了して、今まさに大海へと漕ぎ出さんとした瞬間のことだ。見送りに来た島の仲間たちへ別れの言葉をダイが口にしようとした瞬間、ポップの声が聞こえた。

 

「ポップ!?」

 

声のした方向へと視線を向けると、ポップが大急ぎで駆け寄ってきていた。その様子にダイも思わず船出の手を止める。

 

「ふ、ふざけんじゃねえぞ! おれを、置いて、行こうなんて……!」

 

全力で走ってきたのだろう。大粒の汗を額に浮かべ、息を切らしている。そのせいで何度も息継ぎをしながら、それでもその言葉だけは最後まで言い切った。

旅立ちに際して格好はまともに整えているが、身軽にするためか荷物は持っていないようだ。

 

「ポップ! 来てくれたんだ!!」

「かんちがい、するなよ……別に、魔王軍と戦いに行くわけじゃないんだ!」

 

ダイはポップの手を掴むと、船上に引っ張り上げる。疲れ果てたポップは船上に座り込むと、それでも口を開くことはやめようとしなかった。照れ隠しのような憎まれ口に、ダイは思わず笑顔を浮かべる。

 

「それじゃ、出発だ!!」

 

船を海に浮かべると、畳んでいた帆を張る。帆は風を掴むとその勢いでグングン進んでいく。遠くなるデルムリン島を後ろに見ながら、突然ポップが声を上げる。

 

「って、ちょっと待て!! チルノはいねぇのか!?」

「姉ちゃんなら何かやることがあるから島に残るってさ」

「はぁ!? なんだよそりゃ……」

 

当てが外れたといったように落胆した表情を浮かべる。

 

「なんだ、ポップは姉ちゃんがいなくて寂しいのか?」

「ピー?」

「べ、別にそういうわけじゃねぇよ! ただ一緒にいりゃ、より心強いってだけだ!!」

「後で追いつくって話だから、信じて待ってなよ」

「あーもう!!」

 

船上で漫才のようなやり取りを繰り広げる二人と一匹。

大冒険の始まりは賑やかな船出から始まった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「……おじいちゃん、大事な話があるの」

 

ダイたちの姿が小さく、肉眼では見えなくなるくらいまで小さくなるまで見送ってから、チルノは口を開いた。

 

「それは、お主が言っていたどうしても外せない理由に関係するのかの?」

「うん。その事についてだけど、まずは会ってもらいたい人がいるの」

「会ってもらいたい人……じゃと? 一体誰の事じゃ?」

 

この島にいる人間はもはやチルノだけであり、他はすべてモンスターだけのはずである。にも拘らず会わせた人とは誰の事なのか。想像もできずにブラスは首を傾げた。

 

「まずは、その人のところに行ってから。それから、すべてをお話します」

 

いつになく真剣な表情と、聞きなれぬほどに丁寧な言葉遣い。普段とはまるで様子の違うチルノの姿に、ブラスはただ事ではない何かがあるのだと察する。

 

「わかったわい。今は、お主に黙ってついて行けばいいのじゃな?」

「うん、ごめんねおじいちゃん。歩けばすぐだから……」

「いえ、その必要はありませんよ」

 

二人の会話に突然割り込んできた声。その声はブラスにも聞き覚えがあった。もはや決して聞くことは出来ないと思っていた声。

 

「な、まさか……この声は!?」

「……アバン先生。隠れててくださいって言ったじゃないですか……」

 

慌てふためくブラスをよそに、チルノは呆れたように言う。その声に導かれるかのように、近くの茂みがガサガサと揺れたかと思えば、そこからアバンがひょっこりと顔を出した。

 

「なななななな!! アバン殿ぉっ!?」

 

まるで予期していなかった相手との再会。それも昨日、メガンテによって死んだはずの相手との再会である。ブラスが驚くのも無理はない――いや、ブラスでなくとも無理はないだろう。現に、未だダイの見送りで残っていたモンスターたちも一様に驚愕の表情を浮かべている。

 

「チルノ!! これはどういうことじゃ!? 先ほどの口ぶりから、お主は知っておったようじゃが!? 説明を、説明をしてくれ!!」

「落ち着いておじいちゃん。勿論、説明するわ」

 

わたわたと慌てふためくブラスを落ち着かせるように肩を掴む。

 

「でも、結構長い話になるから。だから一度家に戻ってもいい?」

「わ、わかったわい……」

「みんな、今日のところはもう解散! 後でおじいちゃんから説明してもらうから。あと、先生が生きていたってことは絶対に誰にも話さないこと! いいわね?」

 

集まっていたモンスターたちは、チルノのその言葉に一応は納得したらしく、名残惜しそうな顔をしつつも一匹ずつ離れていく。

 

「先生も、家までご足労してもらいますね。立ち話で済むような話ではありませんから」

「ええ、勿論問題ありませんよ。ちょうど喉も乾いたところですし」

 

未だ上半身は裸のまま。中世の音楽家のような外巻きにカールしていた髪も今はストレートの長髪となっており、やぼったい伊達眼鏡もしていない。そのため現在のアバンの容姿は誰から見ても二枚目の優男である。

だが口を開いて出てきたのは、実力を隠して道化のごとく振舞っていた時のそれだった。大賢と大愚が同居したような相反した印象を併せ持つその姿に、思わずチルノの頬が赤く染まる。

 

「じゃ、じゃあ行きますよ。お茶はあんまり期待しないでくださいね!」

 

それを隠すように早口で言うと、チルノは先陣を切って帰路を急いだ。

 

 

 

「改めて、お話させてもらいます」

 

チルノたちが住む家へと場所を移し、テーブルを囲んでチルノ、ブラス、アバンが向かい合い車座になっている。テーブルの上には宣言通り、大慌てで用意したお茶が三人分湯気を立てている。

 

「まずは、なぜアバン先生が生きているのか。そしてなぜそれを私が知っているか」

 

これから話すことは自分にとってもとても大事な内容なのだ。前世を含めて、これほど緊張したことがあっただろうか。胸元に手を当てながら大きく深呼吸をして、チルノは気持ちを落ち着ける。

 

「アバン先生が生きていたのは、先生が持っていたカールのまもりというアイテムのおかげです」「これですか?」

 

アバンは胸元に揺れる、壊れたペンダントを指先で軽く突いた。そんなものを身に着けていたとは知らないブラスはカールのまもりを興味深そうに見つめる。

 

「カールのまもりの効果は、一度だけ所有者の身代わりになるというものです。先生がハドラーに挑む前、輝聖石と交換にフローラ様から頂いたそれが身代わりとなり、メガンテを使っても助かることが出来ました」

「なんと……!?」

「ちょっと待ってくださいチルノさん! なぜそのことを知っているのですか!?」

 

カールのまもりの効果だけに気を取られていたブラスは、アイテムの入手先まで気が回らなかった。だがアバンは違う。アバンの言葉にブラスも遅れて気づく。

 

「はっ! ……そ、そうじゃった。チルノよ、なぜそんなことを知っておるのじゃ。それにフローラ様というのは誰じゃ?」

「カール王国の女王の名前です。私がカールのまもりを手に入れた頃は、まだ王女でしたが……」

「カール王国の女王……ワシは知らんぞ。教えたこともない。なぜそんなことを知っておるのじゃ……」

「輝聖石と交換した、というのも知っている者はまずいません。あの出来事を知っているのは私たち二人だけ……チルノさん、あなたは一体何者ですか!?」

 

余人が知らないことを知ってるという事実が、ブラスとアバンに最大級の警鐘を鳴らしていた。見知ったはずの娘の姿が、たった数日とはいえ共に過ごした生徒の姿が、まるで得体のしれない何か別の存在にすら思えてしまう。

まあ、仕方のないことなのかもしれない。身構えるアバンを見ながら、チルノは口には出さずに心を痛めた。唐突に受け入れられるものではないだろうし、自分の言い方も悪かった。

 

「落ち着いてください。それも含めてご説明しますから。そして、なぜ知っているかと聞かれれば、私の知る歴史はそうだったから。としか言いようがありません」

「私の……知る……??」

「ここから先は、さらに荒唐無稽で理解に苦しむ話になると思います。ですが、すべて真実です。信じて、いただけますか?」

 

誰かがゴクリと唾を飲んだ。そんな音が聞こえた。チルノが話すことに対して決意を込めなおしたのか、それともブラスかアバンが聞くことに対する覚悟を決めたのか。

数秒の間、誰も何も言葉を発しない時間が続き、チルノはそれを無言の肯定と受け取った。

 

「私がかつて生きていた世界では、ダイの大冒険という作品がありました。デルムリン島に住む少年ダイが、大魔王バーンを倒すまでを描いた冒険活劇です。私も読んでいました」

「な、何を言っておるんじゃ……チルノや……」

「ですが、その作品ではダイは一人っ子――チルノという少女は存在しません」

「チルノさん……あなたはまさか……」

 

あのアバンが、恐る恐る口にする。その事実が妙におかしく、そして恐ろしかった。大魔王をして地上一の切れ者と言わしめた男ですら、理解が及ばない。自分がこれから話すことは、自分が今まで体験してきたのは、そういうことなんだと否応にも気づかされる。

 

「歴史小説、娯楽作品、軍記物語……何でも構いませんが、そういった作品の中に登場したい。その作品を自分の手で動かして、別の結末にしたい。そう思ったことはありませんか?」

「チルノ……」

 

ここまで言えば、ブラスも気づいたようだった。アバンの時と同様に、信じたいという気持ちとあり得ないと否定する気持ちが入り混じった様子を見せる。

 

「……それが、私です。本来この世界に存在しない、本の中に入り込んだ人間です」

 

チルノの告白に、二人は凍り付いた。

 

 

 

「なるほど、非常に興味深いお話ですね……」

「アバン殿!?」

 

沈黙を破ったのはアバンの一言だった。

 

「信じていただけますか?」

「子供の戯言と一言で切って捨てることは可能ですが、それにしてはフローラ様のことも知っている辺り、傾聴には値するかと判断しました。何より、チルノさんがこんな嘘をつく理由も思い当たりませんので……」

 

この世界の成り立ちはなんなのか、自分が本の登場人物でしかないのか、チルノの先の言葉だけでも疑問と悩みは尽きない。だがそれを抑えて、アバンはチルノへ先を促すことにした。

 

「まずは全てを聞かせてください。考えるのはそれからとします」

「先生、ありがとうございます。おじいちゃんも、大丈夫?」

「む……だ、大丈夫じゃ……」

 

まだ衝撃から立ち直り切っていないようだったが、それでもブラスは娘に心配を掛けまいと気丈な姿を見せた。

 

「わかりました。では、お聞きください。私自身のことを。そして、私が知るこの世界がこれから辿るはずだった歴史を……ダイの大冒険という物語のことを……」

 

そういってからチルノは自身が知る限りの出来事を話す。

まずは自分の事――前世の記憶を持ち、俗に転生者と呼称される存在であること。

魔王軍の侵攻前。偽勇者とレオナの事件が原作ではどうなったのか。

アバンの修行とハドラーとの戦いの顛末について。

その後、ダイたちはロモスでマァムと出会い、クロコダインを倒すこと。

パプニカではヒュンケルと出会い、フレイザードと戦いアバンストラッシュを完成させること。

テラン王国にてダイは自身の父親と出生の秘密を――竜の騎士のことを。

そして激化していく魔王軍との戦い。オリハルコン製の剣を手にして、超魔生物となったハドラーを打ち破り、ついには魔界の神とまで恐れられたバーンを倒すこと。

そして、黒の核晶の誘爆を防ぐためにダイはその身を賭した行動に出て、行方不明となってお話は終わること。

一連の歴史について。すべてを語った。

 

「なんと……もはや言葉も出んわ……」

「竜の騎士、超魔生物、魔界の神バーンとミストバーンの秘密、ヴェルザー配下のキルバーン……未来には想像を絶する出来事が待ち受けているのですね……そしてそれを知る転生者という存在……」

 

一度であまりに多くの情報を聞いたために、ブラスは混乱した様子を見せる。だがアバンは流石と言うべきか。あれだけの長い物語を一度聞いただけで理解したようだった。

 

「これで納得がいきました。ダイ君が大地斬と海波斬を既に習得しており、かなりの力を身に着けている理由が」

「子供の頃から修行だなんだと言っておったが、すべてはこの時のためだったんじゃな」

「はい……」

 

話の中には、かつての仲間の名前も出てきていた。これにはアバンも疑い続けることは出来なかった。そしてブラスも、子供の遊びにしては厳しすぎる特訓を行っていたのは何故か、という疑問がようやく氷解した。

納得したような様子を見せる二人に対して、だがチルノは顔を曇らせる。それを見たアバンはチルノに声を掛ける。

 

「どうしました?」

「……最初は、この世界を少しでもマシなものにしたいと考えていました。そのためにダイと一緒に修行して、強くなって、道中で起こる出来事にはうまく対処していけばいい――そう考えていました……」

 

チルノは力なく呟いた。

 

「でも、わからなくなりました。先生の下で修行をして、ハドラーの戦いの中で、先生がメガンテを使う。カールのまもりがあるから大丈夫だ、死なない……それは、結果だけを見ていて、先生の想いを……後に託すという気持ちを踏みにじっているんじゃないかって……」

「チルノ……」

「そう考えたら、怖くなりました。カールのまもりを先生が本当に持っているのか、効果は私の知っているものと同じなのか、本当に後遺症もなく助かるのか……私が来たことで、余計なことをしたことで、歴史が変わったんじゃないかって……」

「チルノさん……」

「ダイの修行だってそうです! 私があれだけ時間を掛けたのに、先生はたった三日で……だったら、もっと他の手段があったんじゃないかって! 島から外に出て先生を探して、直接弟子入りすればよかったんじゃないかって……でも、下手に目立てば魔王軍に目を付けられかねない。私の知っている展開とズレるのかもしれない……便利な言い訳をして、最善の努力を怠っていたんじゃないかって……」

「チルノさん、もう結構ですよ」

 

弱々しくも悲痛な叫びに、アバンは静止の声を上げるが彼女の舌は止まらなかった。

 

「間抜けな話ですよね……結局のところ、私は、自分の知っている知識で優位に立ちたかっただけなんです……誰が保証してくれたわけでもないのに、自分の知っている通りの展開になるって決め込んで……それを、先生とハドラーの戦いの最中に気づきました……」

 

そう言って、ようやく彼女の言葉が止まる。

およそ十年分の、ゆっくりと堆積していた事実とそれに対する後悔。先のことを知っていながら、それをうまく活用することの出来なかった自身に対する苛立ちと不甲斐なさ。長い年月の中で少しずつ鈍化していった感情。偽勇者事件とキラーマシン事件でなまじうまく言ったことも仇となっていたのだろう。そこで失敗していれば、もう少しだけ注意深くなれたのではないか? チルノの内側から後悔と負の感情が浮かんでくる。

 

「……あなたは自分の過去を悔いている。正しい行動を取れなかったことを罪と感じている……違いますか?」

 

アバンの言葉にチルノは小さく頷いた。

 

「ですが、それは私利私欲のためではなく、この世界をより良い方向に向かわせるために頑張っていたことですよね? どんな思いがあったとしても、それだけは間違いありません。そして、最善の行動を取れなかったことが罪だったとしても、償うことはできるはず。やり直すことはできるはずですよ」

「……っ!!」

 

それは昨日チルノ本人が言った言葉だった。過去の罪に苦しめられるブラスに向けた言葉。だがそれがまさか自分に返って来ることになるとは。

チルノは伏していた視線を上げ、アバンの顔を見る。そこにあったのは、優しい微笑みだった。

 

「どうやら少し、責任感が強すぎるみたいですね。そもそも最善の行動なんてものは、後から幾らでも難癖をつけられます。そんなものを一々気にしていたら、何も出来なくなりますよ。大切なのは、自分の考えに後悔しないこと。私はそう思っています」

「後悔しない、こと……」

「あの時自分のやったことは正しいことだ。自分の心に自分で恥じることのない行動を取れたのだ。たとえ世界中の人間から非難されても、悔いることのない決意……少々極端ですがね」

 

そういったアバンは自嘲するように笑う。

 

「そうとでも考えなければ、とてもやってはいけません。私だって、本当に最善の行動がとれるのなら、メガンテを使うことなくハドラーを倒して、今頃はダイ君の特訓の続きをしていましたよ」

「そう、ですね……」

「人が一人で歴史を変えようなんて考えはおこがましいことです。ですが、あなたがこれまでやってきたことは無駄ではありません。ダイ君は強くなり、ポップは責任感が出てきました。レオナ姫だって助かりました。あなたがここにいることは、何か意味があるんです。そう信じましょう」

「はい……はい……!」

 

気が付けばチルノは涙を流していた。ずっと一人で考えてきたことを、ようやく人に認められた。大丈夫だよと言ってもらえた。それだけで報われた気分だった。誰にも言えなかった悩みを伝えられたことが、何よりもうれしかった。

 

「さて、教師役である私から言うことはこんなところですが……どうしますか、ブラスさん?」

「……え?」

 

それまでの感動的な雰囲気から一転、突然さらりと言ってのけられた言葉にチルノも思わず面食らう。そして話題を振られたブラスへと視線を向ける。ブラスは目を瞑り、ただ黙って何かを考えているようだった。

 

「チルノや……ワシは今まで、ずっと勘違いをしてきたようじゃ……」

「おじい、ちゃん……?」

 

低く抑揚のない言葉。不穏な何かを感じつつもチルノは声を掛ける。

 

「ダイは手間のかかるイタズラ息子、反対にお主は子供の頃から手のかからん、むしろ家事なども率先して行う、とてもよく出来た娘だと思っておった……」

 

まるで嵐の前の静けさ。

 

「この……大馬鹿ものがあああぁぁっ!!」

「ひっ……!!」

 

チルノの脳裏に浮かんだその言葉はすぐに正しかったと証明された。いつもはダイに向けられていた特大の怒鳴り声。覚えている限りでも自分に向けられたことのなかった大声にチルノは身をすくめる。

 

「なぜワシに話をしてくれなかった!? 機会はいくらでもあったじゃろう!! そんなにワシは頼りなかったか!?」

「だって、私が知っているのはもっと後の出来事だから、証明できないから……だから、話をしても信じてもらえないと思って……」

「言い訳無用!!」

 

小声で反論するも、有無を言わさぬ勢いでブラスの持つ杖がチルノの頭に落ちる。これまで感じることのなかった痛みに、チルノの目から先ほどまでとは違う意味の涙が零れ落ちた。

 

「ちゃんとした理由があれば、ダイのことを想うがための行動であれば、島の外に出ることも許可したわい。そうでなくとも、もっと良い方法を一緒に探してやることもできたわ!!」

 

そこまで言うと、ブラスは目を細める。

 

「……と、言いたいところじゃが、これもお主が言っていた後出しの最善行動かもしれんな……子供の頃に言われておれば、信じなかったやもしれん……じゃが……」

 

そして過去を思い出すように遠くを見つめてから、チルノの目を見る。

 

「チルノや……お主があの時言ってくれた言葉、あれは何よりも嬉しかった……ワシがしてきたことは無駄ではない、そう思えたんじゃ……お主とダイを拾って育てたことは間違いではない。どのような想いがあったにせよ。と、そう思えたんじゃ……ワシは子供を正しく育てることが出来たんじゃとな……」

「私は転生した、この世界にはいない存在だよ……今までずっと、嘘をついてきたのに、おじいちゃんの子供でいいの……?」

「子供を捨てる親などいるものか……それに子供の嘘など、親にとっては可愛いワガママみたいなものじゃ……お主は間違いなくワシの子供じゃよ」

「おじいちゃん……!! ごめんなさい……ありがとう……ごめんなさい……」

 

優しく語られたその言葉にチルノの心は限界だった。溢れ出る涙を隠そうともせず、チルノはブラスへと抱き着く。ブラスは抱き着いてきたチルノを優しく受け止めると、まだ赤子の頃のようにそっと抱きしめる。

チルノはようやく、本当の意味でブラスの子供になれたような、そんな気がした。

 

 

 

「気になったのですが」

 

泣き止み、チルノが落ち着いた頃を見計らい、アバンはそう切り出した。

 

「私たちにチルノさんの知る知識を告げられたとしても、当初の物語では私は破邪の洞窟へ修行に向かいますし、ブラスさんは島から出ることは出来ません。ダイ君の役に立つためには、破邪の秘法を覚えなければなりませんから、手助けもできません。私はどうすればいいのでしょうか?」

「先生には、マトリフさんと連絡を取ってもらいたいんです。物語ではマトリフさんの下で修行もしましたし、今回の旅でも道中で向かうことになるかと思います。その時に、事前に知っていればもう少しスムーズに行くと思って」

「ふむ……」

 

アバンはマトリフの性格を思い出しながら考える。一筋縄ではいかないだろうことは容易に想像できたが、確かに自分の紹介があればある程度はなんとかならなくはないだろう

 

「あまり頼りすぎても、先生の危惧していたように甘え癖が付きますから。その点マトリフさんなら自分で言っていたように、厳しめにガンガン指導してくれると思いますので」

「確かにそうかもしれませんね……」

 

事情を知ったマトリフがポップにやりすぎないだろうか、ということだけが心配の種だった。奇しくもアバンとチルノ、二人が同じ不安を思い浮かべる。

 

「マトリフには話をしておきましょう……しかし、私が活躍するのは最終決戦間近ということですか? なんだか寂しいですねぇ……」

「ですけれど、立派に成長した生徒たちの姿が見られますから」

「なるほど。辛い破邪の洞窟も、それなら励みになりますね。何より生き延びねばという意思がとても強くなりそうです」

 

軽くそう言うアバンの言葉にチルノは頷く。

 

「ええ、特にポップはすごいですから……」

「違いますよチルノさん」

「え?」

 

言葉を遮られたチルノが思わず声を上げる。

 

「私が一番期待しているのは、あなたです」

「……ええっ!?」

「あなたの望み通り、私は生きているのですから。約束通り今から卒業の証を――輝聖石を渡したいところですが、渡せません。何しろ今の私は死んでいるはずの人間ですからね」

 

あ、とチルノは口を開ける。確かにそうだった。すぐ翌日に出会うのだ。あの時にはただ不安で、生きてほしいという願いだけで言っていたのだが、こんな結果になろうとは。

 

「ですがその機会はあります。バーンとの最終決戦前にて、あなたがどれだけ立派に成長したのかを改めて確認させてもらいます」

 

そういうとアバンは意地悪く微笑んだ。

 

「これは大変ですよぉ。なにしろ舞台裏を知っているわけですから、皆さんの二倍も三倍も頑張らなければ。再会したときに失格では、ダイ君たちに笑われます」

「えっ!? えっ!?」

「未知の輝きを持っているあなたにこそ、期待したい。そう思うのはおかしなことですか?」

 

そう問われて、チルノは何も言えなくなった。ただ、恥ずかしそうにアバンの言葉を肯定するように頷くことが精一杯の意思表示だった。

 

「話に割り込んで申し訳ないが、ワシはどうしましょうか?」

 

ブラスが遠慮がちに声を掛ける。

 

「あ、おじいちゃん……おじいちゃんは人質に取られるはずだから……」

「ふむ。そうじゃったな……そう考えると、ワシは捕まった方が良いのか? 必要悪という言葉の意味くらいは分かっておるが……じゃが、ダイに手を上げるなど……」

「ですが、その出来事がダイ君たちを成長させることとなる……難しいですね……」

 

三人が頭を悩ませる中、最初に口を開いたのはアバンだった。

 

「ではこうしましょう。チルノさん、小さな木の板はありませんか?」

「えっと……こんなものしか」

 

そう言ってチルノが見せたのは、お守りの中に入っているような小さな木片だった。おずおずと差し出すとアバンはそれを手に取り、指先で何やらガリガリと削っていく。

 

「邪なる威力よ、退け……」

 

アバンの発した力ある言葉に反応して、木片は淡い輝きを発するようになった。それはこの島を囲む結界と同じ光だ。

 

「マホカトールの呪文……?」

「はい。この木片に込めました。簡易的なものですし、ブラスさんの全てを覆うほどではありませんが、補助には十分なるでしょう。これを常に持っていれば、たとえ人質になったとしても邪悪な意志に操られることは防げるでしょう」

「つまり、さらわれることは前提。でも敵に利用されることはない、ということですかな?」

「はい。落としどころとしては、こんなものではないかと。いかがでしょうチルノさん?」

 

アバンの問いかけに、チルノは少しだけ考えてから答えた。

 

「……そのマホカトールを封じ込めたその木片はどこから調達したのか? ということになりませんか? おじいちゃんが急にそんなものを持っていたら怪しまれますよ」

「それなら大丈夫ですよ。ダイ君もポップも、この島での私の行動の全てを把握しているわけではないでしょう? 万が一に備えてブラスさんに渡しておいた。ということにすれば大丈夫ですよ」

 

なるほど、それなら一応の筋は通る。結界の外に出てもブラスは正気をなんとか保てるだろうし、木片をヒントにポップがマホカトールを発動してくれるかもしれない。

 

「わかりました。それならなんとかなりそうですね」

 

そうして一旦、ロモスでのブラスの話は終わる。その後もチルノたちは、先に起こる出来事について、幾つかの議論を重ねていった。

 

 

 

「最後に聞きたいのですが、チルノさんが持っている不思議な力……ええと……ファイナルファンタジー、でしたか?」

「はい。この世界には存在しない、別の世界の魔法や能力です」

「チルノさんの話では、この世界に転生する際に与えられた能力ということでしたが?」

「ええ……転生の際に、神と出会って特殊な能力を付与される、というのが一般的でした。当事者の私が言うのもなんですが、ありふれた良くある展開です」

 

異世界という全く異なる環境で生き抜くための力とも、異界の魂を持つが故に発現する力とも、単なる物語を広げるための便利なフレーバーとも取れる。

 

「ですがあくまでそれは創作物だけのお話。現実にそんなことがあるなんて思っていませんでした。実際私は、神様には会っていません。この世界の最初の記憶は、ダイと一緒にこの島に流れ着いた辺り。おじいちゃんと出会う前くらいです」

「そうでしたね。ボトルメールに封入されていた手紙を読んで、力を使えることを知った……ですが、そう考えるとチルノさんに力を与えた何者かは間違いなく存在しています。手紙という形を取っているものの、わざわざコンタクトしてきたのがその証です」

 

アバンの指摘にチルノの動きが一瞬止まる。

 

「その何者かが明確な目的をもって、ここに送り込んだ。と考えることもできます。正体も目的も不明、今後もコンタクトがあるかはわかりませんが、いずれにせよ注意してくださいね」

「そうですね……そこまでは気が回りませんでした」

 

テンプレート的にお気楽な事情でしかないと思い、それが正しいと思い込んでいたが、アバンの指摘も決して間違ってはいない。その言葉にチルノは肝を冷やした。

 

「ですが、今はその力に頼るしかないのも事実ですね。チルノさんは、その魔法や能力についてどのくらい知っていますか?」

「どのくらい? 大雑把に大体は知っているつもりですが、多岐にわたりますよ。この世界に存在する武術・呪文・技術の全てを対象としているようなものですから」

 

膨大なれど、それらすべてを扱うことが出来る。だが十全に扱うには修練が必要であり、時間は有限。あれもこれもと欲張るのも難しい。事実、チルノが選んできたのは魔法や生産系スキルといった後衛に求められる能力ばかりであった。

ダイが前衛を――さらに言えばマァム・クロコダイン・ヒュンケル・ヒム・ラーハルトなども当てはまる――務めるため、必然的にそう言った役割と選んでいたし、それが当然だと思っていた。

だがアバンはそんなチルノの考えを一笑に伏す。

 

「ノンノン、そんな志の低いことでは駄目ですよ。いっそ全てを扱えるようになってやる! くらいの気概で臨まないと」

「ですけど、修行方法が……」

「では、チルノさんのためだけの特別(スペシャル)……いえ、(ウルトラ)特別(スペシャル)ハードコースを開催しましょう」

「え?」

「今から始めて、期間は三日くらいですかね? それだけあれば体調も回復するでしょうし、私も当初の予定通りに破邪の洞窟に向かうことができます。その間に遊んでいるのも問題でしょう? 直接的な指導は難しいかもしれませんが、私の知る全てを叩きこんであげましょう」

「え……?」

「さあ、行きますよ。時は待ってくれません。ダイ君に追い付け追い越せですよ。鍛えればチルノさんは何でもできるんですから、私がいなくなっても大丈夫なように一通りの基礎をみっちりとやりましょうか。何が修行になるかわかりませんが、いずれは勇者以上の万能選手になれますよ」

「ええーっ!?」

 

有無を言わさぬトントン拍子に話を進めて、アバンはチルノを伴って外に出る。彼女は縋るような眼で育ての親を見るが、ブラスは神に祈るように瞳を閉じて両手を組んでいた。

 

この日から数日の間、デルムリン島では早朝から深夜まで少女の悲鳴が聞こえ続けていたそうな。

 

 




次はダイたちのシーンの予定なので、ここでいったん区切り。
さてさて、チルノさんはダイたちと合流できるのでしょうか?

なお、原作ではこの先を含めた日程は――

 0日目:アバンとハドラーが戦う
 1日目:ダイとポップ、デルムリン島を出発
 (5日間かけて大陸に到着)
 (3日間魔の森で迷子)
10日目:マァムと出会う。クロコダイン初戦
11日目:ネイル村(マァムの村)
 (3日間村に滞在。ダイの魔法特訓を行う)
15日目:ロモス城下町到着
16日目:クロコダイン決着

だそうです。
海上を5日ですよ。しかもあの小舟で。大丈夫なの……?
(夜の寝ているに流されて気が付いたら現在位置見失ってるとかありそうですよね。それとも逆に夜に北極星目指してガンガン進んだ方が楽なのかな?)
航海技術とかは多分ポップが知っていたんでしょう。そういうことにしておきましょう(アバンとポップの初登場シーンも船だったし)
本当に、ルーラ覚えてよポップ(リレミトにトラマナもいいですよね)
そうすりゃ初日にロモスです。国王に会いに行くと「この国は百獣魔団の攻撃を受けておる。倒してくれたらパプニカへ送ってやろう」って感じのイベントが発生。森で戦ってる途中にマァムと会って……そんな感じの流れで(なんの妄想だ)

ダイの船出ですが、原作見てて疑問に思った分は多分補完したつもりです。主にお金とかお金とかお金とか。あの世界は「たいまつと120ゴールド」や「どうのつるぎと50ゴールド」が伝統なので仕方なし(しかも前者は下手すると武器防具なしで敵と戦う可能性アリという鬼畜仕様)
また、途中のやり取りが原作より長かったのでポップは少しだけ余裕を持って乗船できました。ただこの辺の感情なんかはまだ原作のままだと思うので展開は一緒としています。
チルノさんは原作展開を短縮できるように画策していますが、はたして上手くいきますかねぇ? 次辺りから色々ズレてくると思いますが……

会話してるだけでも長くなるなぁ……はっちゃけますよという理由付けのためだけなので、実はあんまり読まなくても問題ない気がする。


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LEVEL:11 魔の森にて

「メラ!」

 

ポップの放った火炎魔法によって、リカントと呼ばれる獣人の姿をしたモンスターが火だるまになった。既にダイの攻撃によってダメージを受けていたところに、トドメとばかりに放たれたメラの直撃を受けて絶命する。

リカントの毛皮と肉がメラの炎によって焼ける臭いが周囲に漂い始め、自分で火炎呪文を使用したにも関わらずポップは顔を顰めた。

 

「倒せたみたいだな……でもこの匂いは、選ぶ呪文を間違ったぜ……」

 

鼻を摘まみながらのため少々鼻声のようになりながら、ポップは呟いた。

 

「そうだね。おまけに森の中なんだから、火は使わない方がいいと思う。火事になっちゃうよ」

 

リカントの死体に土をかけて即席の消火活動を行いながらダイもその言葉に同意すると、ポップも違いないとばかりに言葉なく頷いた。ゴメちゃんも肯定するように一鳴きする。

 

――魔の森。

ロモス王国が存在するラインリバー大陸のおよそ三割ほどを覆う、巨大な森林地帯である。デルムリン島を船出してから数日後、ダイたちは大陸南端にたどり着くと一路ロモス王城を目がけて進む。その途中、大陸を南北に分けるように存在しているこの森へと足を踏み入れていた。

木々は折り重なるように群生しており、現在はまだ昼前。天気は快晴だというのに、見上げる空は暗い。十重二十重の葉が日光を遮っているのだ。

植生はまばらであるため、太陽を拝める場所も存在するが、森特有のジメッとした感覚からは逃れられない。

そんな森の中をゴメちゃんを肩に乗せたダイとポップが進んでいく。一見すれば瞬く間に迷いそうな場所だが、二人はしっかりとした足取りで進んでいた。

 

「しかし、何度見ても大したもんだよなぁ……空から見ただけなんだろ? それも何か月も前だってのに……それでよくこんな精細な地図が描けるもんだ」

 

ダイが持つ地図を覗き込みながら、ポップは心底感心したように言う。

二人が見ているそれは、デルムリン島を出発前にチルノから渡された彼女お手製の地図である。チルノとダイの二人は以前、偽勇者事件の際にロモスまで空路で向かったことがあった。その際に空からの景色を可能な限り覚えて作成したものである。方位とデルムリン島とロモス王城までの大まかな位置関係。縮尺は適当だろうが、大雑把にアタリを付けた移動日数も記載されている。さらにはトドメとばかりに、太陽や星の位置などから方角を割り出す手順まで書いてある。

この地図に加えて、アバンの下で地理学なども学んでいたポップのフォローもあるため、旅は順調そのものだった。

これも、原作知識から必要になると分かっているからこそここまで先手を打った行動が取れるのだが、それを知らないダイたちはチルノの底知れぬ先見性と才能に感謝していた。

 

「ホントだよ。おれたちだけだったら、こうやって間違いなく直進してたもの」

 

そう言いながらダイは、地図上のデルムリン島からロモス王城までの直線距離を指でなぞる。その途中に存在する魔の森には「東回りで進むこと!」と嫌でも目に付くくらいに大きく記載されていた。

 

魔の森――そこは人を寄せ付けず、知らぬ者が迂闊に足を踏み入れれば彷徨い続けて二度と出ることの出来ない樹海のように思われるかもしれない。

だが、そんなことはない。

曲がりなりにもロモス王城の付近に存在する森が、そのような魔境であるはずもないのだ。

森の中には、かつての英雄レイラの出身地でもあるネイルの村も存在しており、その村に向かう商人のために街道――森道と呼ぶ方が近いかもしれないが――もある程度は整備されている。勿論、森を抜ける街道も同様に存在する。

その道に沿って移動すれば、それほど危険もないのだ。時折森の奥に棲むモンスターが襲い掛かって来る――魔王復活の影響でその頻度は増している――こともある。先ほどダイたちが撃退したのも、そうしたモンスターの一匹である。

 

反対に、街道から外れたルートを辿った場合は、魔の森と呼ばれる由縁を余すところなく体験できる。西側は未整備、未調査の区画が多く、森も深くて生存するモンスターの数も多く質も高い。

原作のダイたちが何日もこの森で彷徨っていたのも、先ほどダイが自分で言ったように直線距離で移動しようとしたのが原因だ。考えもなしに最短距離を通ろうとした結果、魔の森の西側へと足を踏み入れてしまい、延々と彷徨い続けることとなっていた。

直線距離に進むのではなく整備された歩きやすい道を選ぶべし。急がば回れとはよく言ったものである。

 

「おれたちだけってのは聞き捨てならねぇぞダイ。このポップ様がいるんだから、地図がなくたって東回りに進んでいたぜ」

 

自信満々にそう言い放つが、原作ではダイの描いた極めて大雑把な地図を信じた結果、三日も森を彷徨うこととなっている。それを知るものからすれば何を言うのやらと思うことだろう。

 

「ふぅーん……」

 

その事実を知らなくとも何かしら思うところがあったのだろう。ダイはポップの言葉にジト目と抑揚のない声でそう返した。見ればゴメちゃんもダイの肩で同じような行動を取っている。

 

「なんだよその目は! さては信じてねえな!? 大体デルムリン島に行く時だって、先生と一緒にこの森を抜けてきたんだ! わかんねぇわけねえだろうが!!」

 

目は口ほどにものを言うとはいうが、分かりやすすぎるほどに信じていないというダイの様子にポップも声を荒げる。というか、それが本当ならば原作でも魔の森へ突入する前に口添えをしてあげて欲しかったと思うのは贅沢な望みだろうか?

実際には、デルムリン島に行く前に森を抜けたことは本当だが、すべてアバンの後を付いて行っただけなので、わかっているとはお世辞にも言い難い。仮にポップ一人でこの森を抜けるとするならば、ダイと同じルートを選んでしまい迷っていた可能性は非常に高かっただろう。

 

「わかったわかった、信じてあげるよポップ」

 

とはいえ全ては仮定の話に過ぎない。この辺りが潮時とダイは気のない返事をしながら、再び地図へと視線を落とす。ポップはまだ納得がいっていないらしく小声でブツブツと何か言っていたが、すぐにダイを追って地図に目を向ける。

現在地は魔の森の東側。街道に沿って移動中である。さすがにチルノの地図とはいえ、森の中の街道まで詳細に描いてあるわけではなかった。森の外側をぐるっと大きく回るような矢印が描いてあり、その矢印を追っていくと途中に「村があるはず」とマルで大雑把に囲ってあった。

 

「村ねぇ……こんな森の中に本当に村なんてあるのかよ?」

 

辺りを見回せば、暗さと湿度が相まって何とも言えない恐ろしさを感じる。魔の森と呼ばれるような場所に村を作るなど気が知れなかった。だがポップの言葉にダイはムッとした顔で反論する。

 

「姉ちゃんがあるって言うんだから、あるんだよ」

「いや、別にチルノを疑うわけじゃねえけどよ。でもさっきだってモンスターに襲われたんだぜ。この村の住人全員、とっくに避難しててもおかしくねぇんじゃねえかってことだよ」

 

そう言われると途端に言い返せなくなってしまった。ダイたちにとってみれば、この地図は数か月前の知識を基にして描かれたものだ。だがその後に魔王軍の侵攻があったため、ポップの言うように避難していたとしても――もっと大変なことになっていてもおかしくはないだろう。

 

「たしかに……じゃあ、どうするんだよ?」

「どうするって、信じて進むしかないだろ? 目的はロモス城なんだから。それに、例え村人全員避難していたって家はあるんだろうから一夜の宿代わりくらいにはならぁ」

「なんというか……図太いねポップ……」

「へっへ、おれは魔法使いなんだぜ。魔法使いは常にクールで現実主義者であれ。なんつってな」

 

得意げにそう言うポップであったが、本人が冗談めかして言ったこの言葉は後にとある師匠から骨身に染みるまで叩きこまれ、彼自身も常に心得るようになるのだが……今のポップには知る由もなかった。

 

 

 

ダイたちの視線の先には、のどかな村があった。木製の簡易的な柵が村の周りを囲んでおり、その内側には木造りの家々が立ち並ぶ。村の広場では子供たちの遊ぶ姿が見え隠れしており、時折子供の声も耳に入ってくる。何件かの家の煙突からは煙が上っているのも見られた。

 

「よかった……ついた……村もまだある……」

「いや、そりゃ村はあるだろ。アレはあくまで、仮の話だからな……」

 

心底ホッとしたように呟くダイとそれに同調したような表情をゴメちゃんが見せる。そんな二人に向けて、ポップは呆れた顔で突っ込みを入れる。

 

「なんだよ、ポップが悪いんだろ」

「そこまで本気に取っていたとは思わねぇよ……」

 

冗談半分疑い半分の発言だったのだが、ダイにとってみれば本気で悩んでいたことらしかった。世間知らずというべきか純粋すぎるというべきか。ポップは少しだけ悪かったと反省する。

 

「おれが悪かったから、機嫌なおしてくれよ。それよりもさっさと村に入ろうぜ。そろそろいい時間だし。今日はここに泊まらせてもらおうぜ」

 

そう言いながら指を空に向ける。その先では西の空に夕日が輝いている。もうじき夕暮れ時を迎える時間だ。村もダイたちも全てが赤く染まっている。このまま進めば、ロモス王城に着く前に間違いなく夜となるだろう。無理に強行軍をして森の中で野宿をするよりも、ここで一泊させてもらった方が楽だろうと言っている。

 

「うん、そうだね。どこかで泊めてもらえればいいんだけど」

 

このような小さな村の場合、専門の宿屋があるとは限らない。どこか親切な村人の家に泊めて貰えれば御の字。最悪馬小屋や軒先で一夜を明かす可能性もあることを覚悟すべきだろう。

少ないがお金もあるし、宿泊費代わりに払えるアイテムも持っている。相場にもよるだろうが、泊まるくらいならばなんとかなるだろう。

ダイたちは期待を込めて足を進め、村の中へと入る。

 

「ちーっす。どうも」

「おや、こんにちは。旅の人かい?」

 

村に入るなり、最初に出会った村人のおばさんへとポップは軽い調子で挨拶をする。対する村人も、ポップの言葉に気づくと会釈をしながら挨拶をした。

 

「ええ、そうっす。ロモス王城に向かう途中なんですよ」

「なるほどねぇ。お城まではここからだとちょっとかかるよ」

「やっぱりそうっすか。じゃあ、今日はこの村に泊まって明日改めて出発しようと思うんですけど、ここって宿屋はありますかねぇ?」

「ああ、ごめんねぇ。この村に宿屋はないねぇ。ほら、小さな村だからね。専業の宿屋じゃあ商売あがったりってやつみたいだよ」

「じゃあ、どこか泊めてくれる親切な方がいらっしゃったり、なんて知りませんかね……?」

「うーん……とりあえず長老様に相談してみるといいよ。ほら、村の奥のあの家がそうだから。尋ねてみなさいな」

「はい。ありがとうございまーす」

 

さながら立て板に水を流すように、澱みなく繰り広げられたポップと村のおばさんとの会話。ダイの目から見ればそれは、まるで物語のワンシーンのように、初めから話すことが決まっているかのように思えた。

 

「……っていうことらしいぜ。って、おいダイ? どうした?」

「いや、なんていうか……ポップが初めて頼りに見えたよ……」

「あん? お前……おれをそういう目で見てたのかよ……」

「そういうのじゃなくて」

 

ジト目でダイを見るポップに、真剣な眼差しをダイは向ける。

 

「おれずっと島にいたからさ。あんな風にスラスラ喋れるポップが羨ましくて」

「ああ、デルムリン島にずっといたんじゃ、こういう経験は積めないよな」

「うん。何かコツとかってあるのかな?」

「コツって程でもないけどな。ああいうおばちゃんに、人の良さそうな、善人で無害な若者でござい。って感じで話すんだよ。軽く丁寧語とか交えてな。こっちの目的地と何の理由で村に寄ったのかを話しておけば、そこまで警戒はされねぇよ」

 

故郷の生家は武器屋を営んでおり、母親の接客を教師として、父親の態度を反面教師としたおかげだろう。門前の小僧よろしく、誰に習ったわけでもないがこの程度は自然にできていた。付け加えれば、アバンに師事してからおよそ一年間、各地を回って見分を広げていたことも影響していた。

小さな村では人の出入りはすぐにわかる。村民同士がお互いに協力しあっているため、団結力も高い。不必要に警戒されるよりも、多少道化のように振舞ってでも無害な旅人として認識されれば、余計な波風も立たないだろうという配慮からだ。

 

「おばちゃんは、大体話好きだからな。よっぽど変な態度でもない限りは付き合ってくれるし、あとで村の人間に『こんな旅人が来た』って伝えてくれるんだよ。村の噂の伝達速度はスゲェんだぞ。そうすりゃ、俺たちが怪しい人間じゃないって村中にすぐにわかってもらえるさ」

「ふぅーん……いろいろ考えてるんだなぁ……」

 

正直に言って、ポップがそこまで考えていることにダイは驚いていた。ダイから見ればポップはただ話をしていただけなのだが、話一つでもそんなことを考える必要があるのかとダイは唸る。

 

「そういえば、姉ちゃんも似たようなことやったっけ」

「チルノが? 何やったんだ?」

「前にロモスに行ったとき。話しただろ? あの時だよ」

 

ラインリバー大陸に向かうまでの船上にて、二人は退屈しのぎにお互いのことを話し合っていた。ダイも偽勇者事件のことをポップに話している。聞いているポップも、あの時の話かと大筋を思い出していた。

 

「あの時も、おばちゃんたちのところに行って偽勇者の情報をあっという間に聞いてきたんだよ」

「へぇ……けどよぉ、チルノもダイと同じで島から出たことないんだろ?」

「うん、そのはずだけど……」

「よく聞いてこれたな……」

 

そうなると対人スキルはダイと変わらないはず。女の分だけ社交的とも考えられるけれど、それにしたって島にずっと住んでいたチルノがそこまで出来るとは考えにくい。だったらどこでそんな知識や経験を身に着けたのだ? ポップは首を捻り、そして呟いた。

 

「何者なんだよお前の姉は?」

「姉ちゃんは、姉ちゃんだよ……多分……」

 

ポップの言いたいことを理解したため、ダイも自信無さげにそう呟いた。チルノが前世の記憶と経験を持つことなど知らない二人は、揃って首を傾げていた。

 

 

 

「なるほど、ロモス城に向かわれますか。それでしたら今日はもう遅くなるでしょう。よければ、どうぞ我が家にお泊りください」

「本当ですか!?」

「ありがとうございます! いやぁ、言ってみるもんだ」

 

あれから長老の家まで到着したダイたちは、家人の長老に対して手短に要件を話した。そして、立ち話も何だからということで屋内へと通され、改めて目的を告げたところ、長老は快く一夜の宿を提供してくれることを快諾してくれた。

出会ったときから人の良さそうなお爺さんだと思っていたが、これほどすんなりと事が運ぶとは思わず、ダイたちは大声で感謝の意を示す。

 

「ははは、狭い場所で、大したおもてなしもできませんがね。それでよろしければ」

「いやいや、そんな全然。野宿と比べれば天国と地獄っすよ」

 

実際、彼らは海上で――それも小舟の上で――何日も過ごしていたのだ。それと比べれば雲泥の差。雨風が凌げるだけでも大儲けだった。

 

「でも、おれたちお金がそんなになくて……」

 

そんな陽気なムードを吹き飛ばすように、ダイがおずおずと口を挟む。ダイにしてみれば、宿屋に泊まるというのも初体験――というかちゃんとお金を払う機会にすら恵まれてはいないのだ。相場もわからず、足りなかったらどうしようという不安感だけが彼を襲っている。

 

「たしかブラスじいさんから幾らか貰ってるんだろ? それに薬草やら毒消し草やらもあるって言ってたじゃねえか」

「ほう、薬草に毒消し草ですか? すまんが、見せてもらえますかな?」

「へっ!?」

 

懐事情については、ポップもある程度は聞いていた。ブラスが必死で集めたお金に、チルノが売っても良いと言って渡してきた薬たち。ポップからしてみれば、それで一晩泊まれるならば遠慮なく使えば良いと考えたがための、軽い一言だった。

だが長老は、その言葉に予想以上の食い付きを見せる。

 

「ええ、どうぞ……」

 

ダイも長老の様子に驚きながらも、荷物から薬草などを取り出すと長老へと渡す。薬を受け取った長老は、上から下まで一通り眺め、匂いを嗅ぐ。

 

「ほほう、これは良い物ですな」

「わかるんですか?」

 

この薬草はチルノが手ずから調合して渡した自信作だ。デルムリン島での修行中でも、何度かお世話になったこともある。効果のほどはダイが身をもって知っているのだ。その薬草を褒められたことで、なんだか自分のことのように嬉しくなってしまう。

 

「多少なりとも齧っておりますからね。ふむ……調合をして効果を高めてありますな。こっちの毒消し草も……」

 

ほほう……と感嘆の唸り声を上げながら長老は薬草と毒消し草の検分を終える。すると長老は改まった態度でダイの方へと向き直る。

 

「宿代代わりにと言うことでしたが……催促するようで心苦しいのですが、これらの薬を幾つか頂けますかな? このネイル村はご存じのように、魔の森に接した村ですから。モンスターが生息していることもあって、お金よりもこちらの方がありがたいくらいなのですじゃ」

 

ネイル村は魔の森の中に存在する村である。森の奥地に生息するモンスターに襲われる可能性もあり、ましてや魔王軍の襲来に伴ってその可能性は平和な時代よりも多くなっていた。決してお金が不要というわけではないが、薬草や毒消し草を買うお金があっても商品そのものがない。という事態に陥ることもある。長老の言うように薬の方がありがたいのも事実だった。

 

「はい、どうぞ」

「すみませんなぁ。いつもはマァムが森の中の群生地まで採りに行ってくれるが、こうして安全に手に入るのなら、あの子も少しは楽になるじゃろう……」

 

袋からさらに幾つかの薬を取り出すと、長老に渡す。それらを受け取りながら長老は、誰に対してでもなく自分たち村の人間の不甲斐なさを嘆くように呟いた。

 

「マァム?」

「村の自警団の人かい?」

 

長老の言葉から普段は誰かが薬草を採りに行っていることは推測できる。そして自分たちも多少なりとも魔の森の洗礼を受けてきたのだ。そんな中、森に入り群生地まで行って薬草を採って戻ってくるとなれば多少なりとも腕が立つということだろう。ダイたちは自然と興味を覚えて、その人物に対して尋ねていた。

 

「いえ。男手は殆どロモス城の方に取られていますので。いくらアバン殿の弟子とはいえ、あの子に頼りすぎているというのは分かっておるのですが……」

「ええっ!?」

「じーさん、今なんて言った!? アバン先生がどうって!?」

 

長老が何気なく言ったその言葉だが、ダイたちにとっては衝撃的だった。アバンの弟子という言葉。その言葉にダイたちは言葉遣いも忘れて敏感に反応する。

 

「ええ。マァムはアバン殿の弟子ですよ」

 

アバンの名は有名なのだな、程度の認識をしながら長老は笑顔で頷き己の言葉を肯定する。だが返ってきたのはダイ達の予期せぬ言葉だった。

 

「お、おれたちもそうです!」

「おれたちもアバン先生の弟子なんですよ! ほら!!」

 

逸る気持ちを抑えながら、卒業の証である輝聖石のペンダントを見せる。

 

「なんと! それは確かに卒業の証……なるほど、これも神のお導きですかなぁ……」

 

掲げられたそれを見た瞬間、長老は目を見開いた。マァムが持つペンダントを何度か見たことがあったが、目の前で輝くそれは、確かに記憶の中に存在するものと同じ。この世に幾つも存在しない輝聖石は、まるで近くに仲間がいることを知らせるように深い輝きを放っていた。

長老は少しだけ目を閉じ、神に感謝の意を示してから再び口を開いた。

 

「どうでしょう旅のお方、マァムに会って貰えますかな? あの子もアバン殿のお話など聞きたがるでしょうし……」

「もちろん!」

「早速行こうぜ! どこにいるんだ!?」

 

その提案にダイたちは一にも二にもなく頷くと、待っていられないとばかりに席を立ち上がる。仲間に会えるかもしれないという思いが行動を後押しするのだろう。ポップなどもはや一刻も早く外に出ようと、扉に手を掛けていたほどだ。

そして、ポップが開けようとしていた扉は彼の想定よりも(・・・・・・・)ずっと軽く開いた。

 

「と……おわわわわっ!!」

「きゃあっ!!」

 

ちょうどポップが扉を開けようとしたとき、同じタイミングで反対側から扉を開けようとしていた人物がいたのだ。前のめりな体勢で扉を開けようとしていたポップは、つきすぎた勢いとそのあまりの手応えのなさに大きくバランスを崩し、踏み止まることも出来ずに倒れ込んだ。

しかも、向こうから扉を開けようとしていた誰かを巻き込んだ形で、だ。

向こう側にいた人物も、油断していたとはいえポップが反対側から扉を開けようとしていたことに気づかず、ポップの倒れ込みを避けることも受け止めることも出来ず巻き込まれ、一緒になって転げてしまう。

ポップともう一人分の悲鳴が聞こえたことで、ダイたちも慌てて二人の様子を確認すべく動いた。

 

「いてててて……」

「もう、なんなのよいった……い……」

 

そこにはポップともう一人、見知らぬ女性の姿があった。どことなくツナギを思わせるような半袖とホットパンツをまとい、腰には革製のホルスターをつけている。腕と足を大胆に露出しており、胸元も女性が着るにしては大きく開いているため、何とも言えない色気を感じてしまう。年齢はポップと同じくらいだろう。肩まで伸びている桃色の髪と、不釣り合いなゴーグルが目立つ。優しさを感じさせる美人だった。

その彼女が、ポップの下敷きになっている。

まだポップは痛みに苦しんでいるようで目を閉じて小さく唸っているが、女性の方はすでに立ち直り体を起こそうとしていた。そうしたところで彼女は気づく。自分の上に見知らぬ男が乗っていることに。その男の手が、自分の胸元を掴んでいることに。

 

「……ん?」

 

予期せぬ痛みを受けたせいで一瞬だけ五感情報が途切れたポップは、現在の自分の状況が理解できていなかった。ただ、痛みに耐えるように目を閉じたままの状態で、ポップはふと違和感に気づいた。右手に感じるとても柔らかな感触。倒れたということは理解できていたので、体を起こそうと力を入れたため、手の平から五指のすべてに至るまで、その感触を堪能することが出来た。

これは何なのだろうと考え、正体を確かめるべくもう一度、今度は意識してはっきりと触る。彼の今までの人生の中でも他に例えようのない、体験したことのないような柔らかな感触。指先を動かすたびに自己の存在を主張するように押し返してくる。手の平全体から温もりが伝わり、何とも言えない幸せな気分になってくる。

よくよく意識すると、自分の体は何か柔らかく温かいものの上に乗っているようだ。右手に感じるそれよりは硬いが、それでもとても心地よく感じる。

 

「んんんん??」

 

触覚がはっきりしてきたことで、続いて聴覚と嗅覚も覚醒してきた。

聞こえてくるのはダイが自分の名前を呼ぶ声。そしてもう一つ、聞きなれない女性の声が聞こえている。鼻腔をくすぐるのはとても甘い香り。少し汗の匂いも混じっているが、不快ではない。むしろもっと嗅いでいたくなるような魅力を持っていた。

そこまで感じたところで、ポップの脳裏に猛烈に嫌な予感が走った。自分がどんな状態になっているのか、今更ながら想像できたのだ。もしも自分の想像が間違っていなければ――

 

――とりあえず、まずは全力で謝らねえとな。

 

そう覚悟を決めると意を決して目を開く。最初に飛び込んできたのは、小山のように豊満な膨らみだった。そして、男の下心を誘うその魅惑の谷間に、キラリとした輝きを見つける。奇しくもそれは、ポップたちが身に着けているのと同じ、輝聖石のペンダントだった。驚きのあまり強く見つめてしまう。

 

「こ、これは卒業の証!! ってことは、お前がマァムか!?」

「ええ、そうよ……私のこと、よくご存じみたいね……」

「ん? どうした……」

 

同じアバンから学んだ仲間を幸先よく見つけたことで忘れかけていたが、マァムの怒りに満ちた表情でポップは自分が先ほどまでどうしていたのかを思い出す。

要約すれば、ポップがバランスを崩してマァムを押し倒してしまい、起き上がろうとしたところで胸を揉んでしまう。調子に乗って二度三度と揉んだところで、さらに感じるは汗のアクセントがついたマァムの匂いを堪能。覆い被さった状態で倒れているため、体同士も密着している。目を開けた途端に胸元を見つめ、しかも謝罪の言葉の一つもない。

 

「って!! 違うぞ!! 違うからな!!」

 

慌てて体を起こすとマァムから離れ、必死に誤解だと訴える。だがどうあがいても許されないのは火を見るよりも明らかだった。

 

「問答無用!! なんなのよあなたは!!」

「ぎゃああああああ!!!」

 

手加減抜きのマァムの一撃がポップを襲う……いや、一発だけでは足りないとばかりに続けて二発、三発と続けて攻撃が叩き込まれていく。

 

「ポップ!! 待って、ちょっと待ってあげて!!」

「こりゃよさんかマァム!! 気持ちは分かるが落ち着け!!」

 

ダイと長老が必死で止めようとするが、マァムはまるで話を聞かない。

そしてお忘れかもしれないが、ここは長老の家の玄関を出てすぐの場所である。大騒ぎのせいで村人の何人かはこの騒動を目撃しており、ポップの評判がちょっとだけ変動した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「……悪かったって言ってるでしょう? だからホイミもしてあげたじゃない……」

 

全員の必死の説得と暴れていた場所が場所ということもあって、あのすぐ後にはマァムは正気を取り戻していた。逃げるように長老の家へと全員入り、そこで行われた必死の会話劇によって、どうにか彼女の怒りも静まっていた。

自己紹介を行い、それぞれがアバンの教え子だということも説明し、卒業の証も見せあったことでようやく誤解も解けていた。そして彼女の言うように回復呪文まで使って怪我を治したのだが、呪文でもポップの機嫌までは治らなかったらしい。

ムスッとした険しい表情を浮かべており、それを見たマァムが先ほどの謝罪の言葉を述べていた。

 

「ったく、ちょっと触ったくらいでぎゃーぎゃー気にしすぎなんだよ。チルノだったらそんな……」

「ポップ?」

 

暗くなった雰囲気に負けたのか、ポップが軽口を叩く。だがそれは別の導火線に火をつける結果となった。その言葉にダイはいち早く反応すると口を開く。

 

「姉ちゃんになにかしたの?」

 

絶対零度の言葉とはこういうことを言うのだろうか。仲間同士であるはずのダイからポップへと語られたとは思えないほどの、底冷えするような口調。暗く冷たい感情を圧縮して込めればきっとこんな風に言えるのだろう。

追い詰められていたハドラーもきっとこんな感覚を味わったのだろうかと、場違いなことを考えながらポップは恐怖に震え、それ以上何も言えなくなっていた。

 

「チルノって誰なの?」

「おれの姉ちゃんだよ。ちょっと事情があって今はいないけれど、一緒にアバン先生の修行を受けたんだ」

 

マァムの問いかけにダイに感情が戻り、まるで何もなかったかのように普通にダイは返事をする。その落差がさらに恐怖を加速させ、このまま黙っているのは不味いと直感的にポップは口を開く。

 

「い、いや違うからなダイ! そりゃ、指導の時に腕とか掴んだけどよ。そのくらいは普通だろ!?」

「どうだか? 指導の名目で、そのチルノって子を相手に鼻の下を伸ばして触ってたんじゃないの?」

 

マァムの言葉にダイからの重圧が再び強くなっていくのを感じる。

 

「違うって言ってるだろ!……そ、そんなことよりよ、マァムだっけ? お前はアバン先生からどんな修行を受けたんだ?」

 

この話題を続けると命がいくつあっても足りないと思ったのでポップは強引に話題を変える。とはいえ露骨な話題転換から誤魔化したことはダイとマァムにはしっかりとバレており、二人は後でチルノ本人に直接会ったときに根掘り葉掘りしっかりと聞いておこうと心に誓っていた。

 

「私は僧侶の修行を受けたわ」

 

そんな考えはおくびにも出さず、マァムは答える。

 

「へえ、僧侶かぁ……」

「ってことは回復呪文とかが得意ってわけか」

「うむ。実際にマァムの回復呪文には村の者も世話になることがあるんじゃよ」

 

長老が少々情けない顔をしながら言った。まだ若い年齢のマァムに頼っている現状に納得し切れていないのだ。

 

「けど、ここってモンスターが出て来るだろ? しかもさっき、森の中にも入るって言ってたけど、攻撃力のない僧侶がバギ系の呪文だけでそこまで戦えるのかよ?」

 

「確かに僧侶は攻撃力が低いし、そもそも私は攻撃系の呪文は覚えてないわ。でも私には、先生の作ってくれたこれがあるから」

 

そう言うとマァムは、腰のホルスターから拳銃によく似た金属塊を取り出す。

 

「それは?」

「確か、鉄砲って武器だろ? 前に聞いたことがあるぜ」

「ううん、違うわ。これはアバン先生が私にくれたの。魔弾銃といって、呪文を撃ち出せるのよ」

「呪文を!?」

「そう。この弾丸の中に予め呪文を詰める必要があるんだけどね」

 

そう言いながらマァムは弾丸を取り出して見せた。弾丸の先には宝石のような小さな石が付いており、そこに魔法を封じ込めることが出来る。

 

「なるほど。それがあるから、攻撃力の低さもカバーできるってわけか」

 

マァムの説明に納得したようにポップは頷き、だがそれからすぐに納得できないと言った表情を浮かべ直した。

 

「でもよぉ、さっき殴られたとき滅茶苦茶痛かったぜ。あれで攻撃力がないってのは嘘だろう?」

「ポップ!」

 

その言葉にマァムは一瞬怒ったような反応を見せるが、だがすぐに諦め顔になる。

 

「……って言いたいところだけど、悔しいけれど否定できないのよねぇ。私の父さんは戦士だったから、それを引き継いでいるみたいなのよ」

「マァムの両親は、父は戦士ロカ。母は僧侶レイラ。二人ともアバン殿と共に戦った仲間でもあるのじゃよ」

「へぇ~」

 

英雄二人の間に生まれた子供。まさにサラブレッドである。英雄の子供という肩書きのためか、二人は自然と声を上げていた。

 

「そういうこと。二人の資質を受け継いだから、私は僧侶戦士ってところかしら」

 

そんな話をしながら交流を深めていると、不意に家の扉がコンコンと叩かれた。長老が返事をすると、扉の向こうからマァムに似た面影を持つ女性が姿を現した。

 

「マァム、まだ長老様の家にいたのね」

「母さん!?」

 

現れたのはマァムの母、レイラだった。

 

「遅いから心配したのよ。長老様のところへ行くって出て行ったきり戻ってこないんだから」

「あ、ごめん母さん。でもね、聞いてよ。この子たちもアバン先生の弟子なんですって!」

「まぁ、アバン様の……」

 

娘の言葉を聞き、レイラは丁寧に頭を下げる。

 

「紹介するわね。母のレイラよ」

「この人が、アバン先生と一緒に戦ったっていう……」

「よくご存じで。長老様にお聞きになりましたか?」

 

何気なく呟いた言葉にレイラは敏感に反応し、微笑を浮かべた。

 

「もう十五年くらい前でしょうか……主人は戦士として、私は僧侶として。アバン様にお力添えをしていました。魔王を倒し世界が平和になった後に、一度この村を訪ねてこられて……その時にマァムを教えていただいたんです。五年位前になりますかしら……」

「私の魔弾銃も、卒業の日に貰ったのよ……懐かしいなぁ、もうそんなになるのね……」

 

レイラとマァムは、ともに在りし日の記憶を思い出すように遠い目をする。

 

「そうだわ! この村に泊まっていきなさいよ。久しぶりに先生の話を聞きたいわ」

「それがいいわ。ぜひ泊まっていって」

「えっ! で、でも……」

「なぁ……もう長老様のところに泊まるって先約があるし、宿代も払っちまったし……」

 

マァムの提案に、バツが悪そうにダイとポップは顔を見合わせる。アバンが実は生存していることを知らない二人からすれば、マァムたちに真実を語ることなど到底できなかった。この村で一晩泊まるのは決めていたことだが、彼女の家に泊まれば必然的にアバンの話をしなければならなくなり、そのままボロを出てしまいそうで、なんとか断れないものかと先約があることを理由に言葉を濁す。

 

「いやいや。わしの家よりもレイラ殿の家の方が良いじゃろう。同じアバン殿に学んだ者同士、積もる話もあるじゃろう。宿代のことなら心配いらん。代金に見合った分の材料を提供させてもらうから、二人には豪華な夕飯を振舞ってやってくださいな」

 

純粋な親切心からそう言う長老の姿を見て、退路が断たれたことを理解する。ダイたちはそれ以上何も言えなくなり、マァムの家に一晩厄介になることなった。

 

 




魔の森とクロコダインのシーンは当初の予定ではカットでした。
ぶっちゃけロモスは全部カットかな?と、初期妄想(誤字にあらず)はそんなノリでした。
でも途中から「書こうぜ?」と頭の中で私のゴーストが囁き、気が付いたら書いてました。
そして1話に全てをまとめるとすごく長くなりそうなので、一旦ここで切ることに……計画性のなさが露呈していますね……
全部スギ花粉が悪いんだ……(春先限定)

魔の森で迷わなかった分だけ日程を短縮しているダイ一行。ミーナと偶然の出会いをせず、そもそも道に迷わなければこんなもんでしょう。普通に村について、偶然アバンの使徒の仲間のことを知る。
こんな展開で大丈夫か? ……なんとなくだけど後が色々と大変そう……(他人事)

アバンとポップがデルムリン島に来るまでのルートがわからない。具体的には魔の森を通ったかどうか。通ってたらポップが多少なりとも知ってて森の中を舵取り出来るよなぁ……と悩む。
色々と個人解釈した結果、(原作の描写から)ネイル村はスルーしてて、魔の森はアバンが直線距離で突っ切ったと予想。ポップはその後を付いていただけ。森の詳細なルートは分かってない。という扱いにしています。文中で偉そうなこと言ってますが、ポップだけなら迷ってたと思います。
(ルーラで一気に森を超えて大陸南端の村(あるのか?)まで進んだ可能性もありますけど)
あ、魔の森の西側東側街道云々については独自解釈ですのであしからず。

ポップのラッキースケベ。多分ここが最初ですかね?(明後日の方を向きつつ)
胸を「がしっ」と鷲掴み。しかも上に覆いかぶさった状態です。原作でも似たようなことはしてますけれど。それはそれとして、入れておかないと。
え? 別にそんなシーンは必要はないだろう? ……何を仰っているのやら? ご両親に何を学んできたんですか?

というかマァムさん。肌を大きく出して胸元も開けた服着て森の中に入るなんて、襲ってくれって言ってるようなものですよね? ……ブヨとか藪蚊とかのことですよ。あと漆にかぶれたりススキで肌を切ったり。これだからホイミとキアリーで治ってしまう世界の人間は……

ゴメちゃんはついてきているはずなのに、全然出番がない件。つい書くの忘れるんですよね、目立った動きもしないし、下手に書くとテンポも悪くなりそうで……



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LEVEL:12 新たな仲間

「さあ、遠慮しないでどんどん召し上がってくださいね」

 

あの後、マァムたちの誘いを断り切れず、ダイたちは彼女の家に厄介になっていた。

長老から夕飯の材料を貰い、またアバンの弟子が訪れたという事実にレイラも少なくとも舞い上がっており、出された夕飯を見ただけでもその気合の入れようが分かるというものだ。

目の前に並ぶは湯気を立てる出来立ての夕飯の数々。ネイル村の立地の関係から、キノコや野菜などが多いものの、動物を仕留めたであろう肉料理もちらほらと目に入る。

出来立ての料理から漂ってくる匂いはまさに食欲の暴力だった。加えて、長らく船の上で味気のない保存食を食み、森を抜けるために今日はあまり食べていないことも災いしている。

早い話が、ダイたちは碌な物を食べておらずに空腹だったのだ。

そこにレイラの手料理という家庭を感じさせるものを出されては、まだ若いダイたちでは抗うすべなどなかった。

 

「ありがとうございます! いただきます!」

 

まず勇者が真っ先に陥落した。

料理がテーブルの上に並ぶ間から既に彼の腹の虫はグーグーと鳴いており、もう待ちきれないと力いっぱい表現していたのだ。レイラの許可が出た途端、目の前のそれへと齧り付く。

 

「おい、ダイ……」

 

手を付けないのは失礼に値すると分かっているが、さりとて手を付ければアバンの話をしなければならなくなる。どうやって誤魔化したものかと悩んでいたポップは小声でダイに注意を促すが、肝心のダイはまるで聞く耳を持たなかった。

 

「ポップも食べてみなって! これ、すごい美味いんだぜ!」

 

そう言いながらダイが渡してきたのは、野ウサギの肉料理だった。ダイの皿には既に半分ほど齧られた肉が乗っており、口周りはソースで汚れている。

 

「わかったよ。食べるから……」

 

もはや食べないのは不可能だと諦め、ポップも料理を口の中に入れる。

 

「っ! なんだこれ、すげえ美味いぞ!」

「だろう!?」

 

パーティで一番冷静でいなければならないはずの魔法使いが陥落した瞬間であった。

 

「ふふふ、そんなに美味しそうに食べてもらえれば、作った甲斐もありますね」

「本当よね。よく食べるわ」

「いやぁ……このところちょっとさもしい食事だったから」

 

恥ずかしそうに言うが、食べる手は止めない。若い男二人の食欲と相まって、食卓の皿は段々と綺麗になっていった。

 

「食べるのもいいけど。アバン先生の話も聞かせてよ」

「「!!」」

 

食べるのに夢中で頭から抜け落ちていた事柄をマァムの言葉で急に掘り起こされ、思わず食べ物が喉につかえていた。二人とも胸をドンドンと叩き、詰まりを解消しようとする。

 

「そうね、私も聞きたいわ。アバン様はお元気ですか?」

「え、ええ! そりゃもう!!」

 

水で流し込んだポップが先にそう言うと、続いてダイも慌てて口を開いた。

 

「元気ですよ! おれの島を走り回るくらい元気です!」

「そうそう! ダイの修行のときなんて大暴れだったもんな!」

「そうですか……それは本当になによりです」

 

そう言いながらダイとポップは互いに視線を交差させ、心の中で申し訳ないと謝る。真実を告げることが出来ず、二人を騙していることに心がチクチクと痛んだ。その痛みは、ダイたちの言葉を聞いて慈母のごとき柔和な笑みを浮かべて安堵するレイラを見たことでさらに増加した。

けれども今更嘘だったとも言えない。ならば相手に悟られることなくこの嘘をつき続けるのが、せめてもの責任である。

 

「ふーん……ねえねぇ、二人はどんな修行をしたの?」

「俺は、特別(スペシャル)ハードコースっていう……」

「ええっ!!」

 

そこまで聞いた途端、マァムは椅子から立ち上がる。

 

「それって、一週間で勇者になるっていうあの!? すごいのね、ダイ……」

 

特別(スペシャル)ハードコースの評判は良くも悪くも有名だったようだ。マァムは特訓を受けたダイのことを驚きと羨望の眼差しで見つめる。

そんなマァムを見て、ポップはあることを思いついた。

 

「そうなんだよ! ダイのやつ、その難問をクリアしてさあ。それで今、先生はダイの姉ちゃんの特訓をしているはずなんだよ!」

「ダイのお姉さん?」

「そうそう! 長老の家でも話しただろ!? チルノっていうんだけど、ダイの修行が終わって今はチルノの特訓中なんだよ!」

 

それはアバン不在の理由についてチルノのことをダシに使うということである。今修行中だから一緒にいられないというのは十分理由となるし、元気でやっているということも間接的にアピールできるはず。

 

「なるほど。だから先生は一緒じゃなかったのね……」

「そうそう、そういうこと」

「アバン様は本当に、精力的に活動なさってますね」

 

ポップの言い訳が功を奏したらしく、マァムとレイラは二人とも揃って納得した様子を見せる。そしてダイはというと、姉の名を聞いたことで少しだけ疑問を浮かべていた。

 

――そういえば姉ちゃん。後から追いかけるって言ってたけれど、どうやって来る気なんだろう?

 

ポップがペラペラと弁舌を並べる中、場違いにもそんなことを考える。

なお、正解はキメラの翼を使うことである。キラーマシン事件の際に一度体験しているにも関わらず、その存在をすっかり忘れてるダイであった。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」

 

あれから会話も弾み――厳密に弾んだとは言い切れないかもしれないが――チルノの事、ダイの修行のこと、ポップが一年近くアバンにくっついて修行をしていたこと、魔弾銃を受け取った時のエピソードなどを話しているうちに、あれだけあったはずの料理は全て綺麗さっぱり平らげられていた。

 

「あー、楽しかった。いつもは母さんと二人で夕食だから、こんなに大勢で食べるのなんて久しぶりだわ」

 

お腹も気持ちも満ち足りたとばかりに、満足気な表情を浮かべてマァムは大きくノビをする。活動的な面も目立つが、彼女もまた年頃の少女である。今日のように気の済むまでお喋りをするのは、良いストレス解消になっていたのだろう。

実際、男手の少なくなった村の守りを若い彼女一人でこなしていることから、その身に降りかかる重圧は並ではないはずだ。今日の出会いは、彼女にとって良きものとなっただろう。

 

「本当ね。昔はあの人がいたから」

 

マァムの言葉にレイラが食卓の上の皿を片付けながら頷く。満腹になったせいでそれをボーッと見ていたが、やがてポップが声を上げた。

 

「ん……二人……? え、ちょっと待て」

「どうしたのポップ?」

「いやマァム、お前の親父さんは?」

「言ってなかったかしら? 父さんはもう死んでるわ」

「ええっ!!」

 

初耳であった。予期せぬ回答にダイたちは声を上げると、それから慌てて弁解するように言う。

 

「いや、男手は城に取られているって長老が言ってただろ!? だから、てっきりそっちに行ってると思ってたんだよ! それがまさか、なぁ……?」

「ごめんなさい! 知らなかったとはいえ……」

 

慌てふためく二人の様子がおかしくて、マァムはくすくすと小さく笑う。レイラも片づけの手を止めてダイたちに言った。

 

「大丈夫ですよ。もう昔の事ですから」

「それに今日は、かわいいマスコットがいたからね」

「ピィ!」

 

そう言うとマァムは、近くを飛ぶゴメちゃんを指で少しつつく。ゴメちゃんは元気よく返事をするとマァムの周りを嬉しそうに飛び回った。

 

「それにしても、不思議よね……モンスターはみんな凶暴になっているはずなのに……」

 

先ほどの話の中でもゴメちゃんの話題は出ており、マァムもその存在を知っている。だが、なぜ魔王の邪悪な意志の影響を受けないのかについては誰も答えることはできず、結局のところそういう生き物なのだということで落ち着いていた。

 

「うん、姉ちゃんも大丈夫だって許可してくれたし」

「なんか不思議な力でも持ってるのかねコイツ?」

 

ゴメちゃんを見ながら、ダイとポップも呟いた。

 

「村の子供たちに会わせたら良い遊び相手になってくれそうね」

「ピッ!?」

 

マァムが何気なく言った子供の遊び相手という言葉に何か嫌な予感でも感じ取ったのか、ゴメちゃんはダイの後ろに隠れてしまう。

 

「あら? 大丈夫よ、みんな良い子たちばかりだから」

「なんだゴメちゃんは意気地なしだなぁ」

 

ダイの言葉にマァムとポップもつられて笑う。ゴメちゃんだけは、その反応に納得いかないとばかりに抗議の表情を見せていた。

 

「あらあら。何やら楽しそうなところにごめんなさいね。粗末な場所で心苦しいですが、寝床の用意もできました。お二人とも、どうぞゆっくりとお休みくださいな」

 

そんな笑い声を聞きつけたのかは定かではないが、レイラが部屋の奥から顔を覗かせた。先ほどまで多少なりとも会話に参加していたかと思えば、いつの間にか食卓の上は綺麗に片づけられており、その言葉を信じるのなら寝室の用意まで短時間で行ったことになる。ベテラン主婦の手際の良さの何たることか。

 

「本当にありがとうございます」

「夕飯をご馳走になったばかりか、寝床まで用意してもらえるなんて。頭が上がりませんよ」

「うふふ、お気になさらずに。色んなお話を聞けて嬉しかったんですよ。アバン様の近況も聞けましたし」

 

レイラの言葉に一瞬だけドキリとしたポップは、耐えきれなくなったように席を立つ。

 

「いや、そんな。それじゃあ俺たちはこの辺で、先に休ませてもらいますね」

「待てってばポップ。おやすみなさい」

 

一足先に席を立ったポップを追ってダイも移動する。そんな二人のなんだか不思議な様子をマァムはよくわからないといった表情で眺めていた。

 

 

 

「すっかり、世話になっちまったな……」

「うん。こんなにお世話になったのに、おれたち先生のことで騙しているんだよね……」

 

宛がわれた寝室に退避してすぐ、ベッドに腰かけてダイとポップは先ほどの事を話し合っていた。嘘をつき続けているということが心苦しく、けれども本当のことを言えるほどの勇気もなかった。

 

「本当のことを言うべきかな?」

「けどよぉ……もう元気だって言っちまったんだぜ……今更言えるか?」

 

それが問題だった。なまじ元気だと言ってしまったことで、返って真実を伝えることが難しくなっていたのだ。

 

「下手に伝えても、悲しませるだけだろ?」

「いやでも……やっぱり嘘をつくのはよくないよ……」

 

ゴメちゃんも加えて二人と一匹で、結論の出ない堂々巡りのような会話を続ける。

 

その一方、マァムは居間に残ったまま母親と会話を続けていた。

 

「ダイ君とポップ君、良い子たちね」

「うーん、ダイはともかくポップはどうかなぁ……?」

 

レイラの言葉にマァムは少しだけ不満を上げる。どうも初対面の時の事件が影響しているようで、ポップにはダイほどのいい印象を受けられないようだ。

 

「そんなことを言うものではないわ。同じアバン様に学んだ仲間じゃないの」

 

娘の様子を見ながら、レイラは嗜めるように言う。そう言う母の姿は、まるで娘の全てを見透かしているようだった。

 

「そういえば、ダイ君たちはロモスに向かうんですってね。王様を助けるとか言ってたみたいだけど、マァムはどうするの?」

「えっ!?」

「ダイ君たちと一緒に行くのかしら?」

 

レイラの問いかけに、マァムは力なく首を横に振った。

 

「ううん、私はこの村を守らなきゃ……」

「あの人が守っていた村を?」

 

二人の脳裏に、まだ若い一人の戦士の姿が思い浮かぶ。父として夫として、村に住む一人としてネイルの村を守り続けたロカの姿を。

 

「うん、父さんだったらきっと……」

「そうかしら?」

 

マァムが言ったその言葉にレイラは待ったをかける。

 

「あの人がまだ生きていたら、魔王を倒しに行ってると思うわよ」

「えっ!? ……ふふ、確かにそうかもね」

 

まだ元気だったころの、怖いものなど知らないと言った姿を思い出して母娘はしばしの間くすくすと笑っていた。

 

「マァム。村を守ってくれるのは嬉しいけれど、でもマァムの重しにはみんななりたくないのよ」

「うん……」

「ダイ君たちがこの村に来たのも、ひょっとしたらアバン様のお導きかもしれないわ。ロモスには明日にも出発してしまいそうだったから、行くのなら早く決断した方がいいわよ」

 

母親の言葉にマァムは何も言わず深く考え込んだ様子を見せる。そんな娘の前にレイラは新しくお茶を注ぐと、何も言わずに退出していった。まるで、娘の考えに自分の存在は邪魔だとばかりに。

 

しばらくして、森の奥の方から大地を震わせるほどの雄叫びが響き渡った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「な、なんだぁこの声は!?」

 

満腹と疲労のためウトウトしかけていたダイたちは、突然の大声で一気に目を覚ました。慌てて周囲を見回し、やがてそれが外から聞こえてきたものだと知るとすぐに部屋を出る。するとちょうど、家の外に出ようとしているマァムと鉢合わせた。

 

「マァム!?」

「ダイも今の声を聞いたの!?」

「ああ、すごい声だった。眠りかけたところを一気に起こされたよ」

「なんだよあの声は!? 目覚ましにしちゃ、おっかなすぎるだろ!!」

 

部屋を出てくるダイとポップの言葉を聞きながら、記憶に残る声を引っ張り出す。

 

「今の叫び声は、モンスターが群れを成して城を襲うときに聞こえてくるあの雄叫びみたいだった……」

「はぁ? なんだそりゃ!?」

 

文句を言いながらも、ただならぬ何かが起きていることはわかっているらしい。様子を窺うために全員で家の外に出る。すると他の村人も外に出ていた。家から外に出て森の様子を窺う者。窓から不安そうに外を見つめる者。松明を片手に辺りを警戒する者など様々だ。

 

「お姉ちゃん!」

「ミーナ!?」

 

不意にマァムの傍まで近寄ってくる小さな人影があった。村に住む子供の一人、ミーナである。すぐ近くには彼女の父親と母親の姿も見える。

 

「とつぜん大きな声が聞こえてきて……だいじょうぶだよね?」

 

今まで村を守っていたマァムに頼る癖がついてしまっているのだろう。不安な声で聞いてくる。マァムはそんなミーナを安心させるように、目線を合わせて少女の頭を撫でる。

 

「大丈夫よ。私もいるし、今日は私と同じアバン先生に学んだ仲間が二人もいるんだから。ね、そうでしょ二人とも?」

 

同意を求めるようにダイたちの方を見ると、ダイは神妙な面持ちで、ポップは一瞬ギクリとしたがすぐに何でもない風を装う。さらにはダイの近くにいたゴメちゃんが、自分もいるぞとばかりにマァムの傍でアピールする。

 

「えっ、何この子!? かわいい~!!」

 

ゴメちゃんを見た途端、ミーナが喜んだ。丸っこいスライムフォルムに加えて羽が生えている姿が幼女の心に会心の一撃のように突き刺さったらしい。先ほどまでの怯えた様子をどこかに吹き飛ばしたように笑顔を浮かべている。

 

「ゴメちゃんって言うのよ。ゴメちゃん、悪いけどミーナの相手を少しだけしてもらえる?」

 

その言葉にピィと鳴きながら羽で器用に敬礼のようなポーズを見せると、幼女を元気づけるように飛び回った。その様子に一先ずは大丈夫だろうと納得しながら、マァムはダイたちに近寄る。

 

「マァム……さっき、城を襲うときの声とか言ってたよね……」

「ええ……どうしたのダイ?」

 

先ほどから神妙な面持ちを続けているダイの言葉に、マァムは頷く。

 

「感じるんだ……すごいパワーを……下手したらアイツよりも」

 

アバンとの修行によって、闘気を感じることの出来るようになったダイには理解出来ていた。森の奥から村へと近寄ってくる恐ろしいほどの力の存在を。

 

「あ、ああああアイツってまさか!?」

 

はっきりと名前を出さなかったものの、ダイがこんな風に言う相手をポップは一人しか知らなかった。つい先日、アバンと死闘を繰り広げ、メガンテにすら耐え抜いた相手――ハドラーのことだと考えてまず間違いないだろう。

ダイにそう言われて森の方へとよく目を凝らせば、魔法使いのポップにすら何となく感じられた気がした。身も震えるような凄まじい存在感を。

 

遂には足音が耳に届き、森の木や草がなぎ倒される音が聞こえて来る。その恐ろしさに、村人たちも後ずさっていく。ダイはその様子を見ながら、無意識のうちにナイフを引き抜いていた。そしてついに、その相手が姿を現す。

 

「見つけたぞ、小僧」

「……ワ、ワニ男!?」

「リザードマンだ!!」

「こいつが、あの声の主……」

 

現れたのは真っ赤な鱗を持ったリザードマン――大柄で厳つい姿をした爬虫類系の獣人だった。その巨躯に見合う堅牢そうな鎧を身にまとい、その手には小さな片手斧を持っている。

もとい、片手斧は決して小さくなどない。並みの大人でも、その斧は両手でなければ振り回せないだろう。相手の姿が大きいために相対的に小さく見えているのだ。それを片手で軽々と持っているだけでも、相手の膂力の一端が垣間見える。

 

「我が名は獣王クロコダイン!! 魔軍司令ハドラー様が指揮する六つの軍団が一つ、百獣魔団の軍団長だ!!」

「六つの軍団……!?」

「さよう。我が魔王軍はモンスターの性質によって、百獣・氷炎・不死・妖魔・魔影・超竜の六つの軍団に分かれておる! オレの軍団は恐れを知らぬ魔獣の群れよ!!」

 

クロコダインの声が響き、村人たちはさらに怯えの色を濃くしていた。それも仕方ないだろう。この村に住む者は、誰でも一度はこの声を――恐ろしい雄叫びを聞いたことがある。その声の主が目の前にいるのだ。恐れない方がおかしいだろう。

 

「ダイ!」

「ど、どうしておれの名前を……!?」

「ハドラー様の勅命により、お前を討つ!! 死にたくなければ必死で発揮するのだな……魔軍司令殿をも傷つけたというお前の真の力を……」

 

クロコダインはダイを挑発するようにニヤリと笑みを浮かべた。

 

「ダ、ダイ……大丈夫なんだよな……?」

「……わかんない」

「な、なにぃ~……」

 

ダイの自信のない返事に、ポップは言葉を詰まらせた。

初めて出会った時から強さを見せ、その力はアバンとの修行によってさらに強化されているはずだ。そのダイが、目の前の敵を相手に不安そうな様子を見せる。それはダイの力を当てにしていたポップにとって衝撃だった。

思わず逃げ出してしまいたくなるが、ポップはそれをグッと堪える。それは、なんだかんだと言いつつもダイがなんとかしてくれるだろうという淡い期待と、マァムが傍にいて自分の後ろに村と村人がいることでカッコ悪い姿を見せたくないという見栄のおかげで紙一重、ほんの薄皮一枚のところではあるがギリギリ耐えていた。

 

「そら、どうした、来ないのか? ならば戦いやすくしてやろう! ぬおおぉぉぉっ!!」

 

攻めあぐねているダイたちの様子に痺れを切らし、クロコダインは気合と共に力を込めてその斧を振るう。一瞬の強風が襲い掛かり、ダイたちは思わず目を伏せる。その風を感じた直後に、轟音が響き渡った。

 

「すごい……」

「な、なななななな……!!」

「嘘でしょ……」

 

そこにあったのは、破壊跡だった。クロコダインの振るった斧の衝撃波によって地面がえぐられ、森の木々が倒れて風通しの良さそうな道を作っていた。その破壊力は村にも被害を及ばせ、家が数軒ほど半壊している。

その光景は、三人の闘志を削ぐのに十分すぎるほどの威力を持っていた。

 

「各々の得意とする分野においてはハドラー殿を上回る力を持っているからこそ、軍団長を任されているのだ……さて、これで少しはやる気になったか?」

 

先ほどの一撃は村を狙ったものではなく、森を狙ったものだった。だがクロコダインの持つ驚異的なパワーは、余波だけでも村に破壊をもたらしていた。そして、これ以上迷うようであれば次は村により大きな被害が及びかねない。

 

「うおおおおっっ!!」

 

自らの不安を掻き消すように大声を上げながら、ダイはナイフを構える。その姿を見てクロコダインも満足気な表情を浮かべた。

 

「フハハハッ!! いくぞぉっ!!」

 

口火を切りつつ斧を振るう。先ほどのデモンストレーションのような力任せの一撃とは違い、斧を小さく素早く振るう。確実に当てることを優先した攻撃だ。

だが、肌に直接感じる風圧と風切り音が、当てることを目的とした攻撃であっても決して油断ならない威力を持っていることを如実に表していた。

しかしその恐ろしい攻撃をダイは紙一重で避ける。月明りがあろうとも暗い森の中、光源としては松明があるが、チラチラと揺れる見難い景色。そんな条件下でもだ。

アバンとの特訓によって会得した闘気を感じる能力をフル活用して難を逃れていた。

 

「ふむ……中々やるな……」

 

クロコダインからしてみれば攻撃をただ避けているだけ。だがその回避は的確で無駄がない。威力に慄き、大きく距離を取ってかわすのではない。逃げるのではなく戦うための回避だ。

それを理解しているからこそ、彼は目の前の少年の行動に低く唸りながら称賛した。

 

「いいぞダイ! その調子だ!!」

「ちょっとポップ! あなた何ボケッとしてるのよ!!」

 

ダイの様子を見て少しばかり勢いを取り戻したポップが声援を送るが、すぐにマァムが避難の声を上げる。彼女の指摘通り、ポップは何もしていない。だが彼からしてみれば、逃げ出さずにこの場に残っているだけでも僥倖と言っていい。

悲しいかな、それを知らないマァムは自身の中でポップの評価を下方修正した。

 

「しょ、しょうがねえだろ……下手に攻撃するとダイに当たりそうなんだよ……」

 

ポップは力弱くそう言うが、それもまたマァムに取ってみれば言い訳にしか感じられなかった。

 

「もういい! 私だけでも!」

 

そう言うとマァムはダイに誤射せずクロコダインを横から狙撃できるような位置を探して移動しつつ、ホルスターから魔弾銃を手に取る。そして装填用の弾丸を持ったところで気づいた。

 

――まずいわ! 弾丸が!!

 

今彼女が持っているのは、攻撃用にメラの呪文を詰めていた弾丸である。しかしそれも日中に撃ってしまい、現在は空っぽだった。いや、メラの弾丸だけではない。彼女が持つ弾丸のうち、攻撃呪文が込められていたものは全て撃ち尽くしていた。

マァムが長老の家に向かったのも、元々は撃ち尽くした攻撃呪文の再装填をお願いするのが目的だった。だが予期せぬ仲間たちとの出会い、そしてアバンの話などを聞くうちに、彼女の家に泊まるという流れになり、気が付けば当初の目的を完全に失念していた。

私のバカ!! と後悔するが、時間は元に戻らない。

 

「ならばこれはどうだ!!」

 

クロコダインは大きく息を吸い込むと、ダイへ向けて勢い良く吹き付けた。それはただの吐息ではない。高熱波により相手にダメージと麻痺の両方の効果を与える奥の手、焼けつく息(ヒートブレス)だ。

 

「なんの!!」

 

しかしダイもしめたもの。伊達に姉と教師に鍛えられたわけではない。直前の台詞と大きく息を吸い込むという前動作があれば、それを察知するのは容易いことだ。大きく横に飛び退き、ブレスの射程範囲から逃れた。

 

そこまではよかった。

 

「……え?」

 

戦闘に集中しすぎるあまり気が付かなかったのだろう。ダイが元居た場所の後ろには――それでも遥か後方ではあったが――ミーナとゴメちゃんがいた。

彼女は親に連れられ、クロコダインを刺激しないようにゆっくりゆっくりと下がっていた。そこに予期せぬ形で襲い掛かる焼けつく息(ヒートブレス)。彼女はまるで夢か何かを見ているように呆けた声を上げる。唐突すぎるあまりに、今の状況を正しく認識できていないのだろう。

 

「危ない!!」

 

咄嗟に反応出来たのはマァムだった。

狙撃地点への移動途中で足を止めたことが幸いしていた。彼女はミーナを庇うように焼けつく息(ヒートブレス)の前へ飛び出し、その全ての己の体で受け止めた。

 

「あああっ!!」

 

ブレスの高温によって体から薄く煙が立ち上り、文字通り焼けるような痛みに苦痛を漏らす。

 

「マァム! 大丈夫か!?」

「私よりも……ミーナ、は……?」

 

痛む体を起こしてマァムは必死に後ろを確認する。ポップもつられて後ろを見ると、そこには怪我一つないミーナの姿があった。怯えて腰を抜かしているが、彼女の親が抱き上げるとさらに後方へと避難していたから、これ以上は大丈夫だろう。

 

「ダイっ! もう少し後ろに気を付けてくれ!!」

 

無茶を言っているのは分かっている。それでもポップは叫ばずにはいられなかった。

 

「ああ……そんな……」

「流れ弾が当たるところだったか……武人でも無い者に手を上げるのは、オレも本意ではない」

 

戦う意思を見せない相手を傷つけるのは彼の望むところではない。魔王軍として侵略の命を受けているとはいえ、彼の気質は武人である。最低限の礼儀をわきまえているつもりだ。

だがダイにとってはクロコダインのその言葉も「己が油断の招いた結果、村人が犠牲になりかけたのだ」と、そう言っているように聞こえた。

完全な自分のミス。考えの足りなさが原因だ。ダイはそう自責する。

 

「だったらまずは……」

 

村を背にしていたのがそもそもの間違いだった。精神のスイッチを切り替えるように、クロコダインの横へ回り、さらに後ろへと大きく移動する。

 

「こっちだ! こい、クロコダイン!!」

「よかろう。村を気にしては、貴様も全力では戦えまい」

 

森の奥へと消えるダイ。それを追って、クロコダインもまた森の奥へと入っていった。

 

 

 

「大丈夫かマァム!! しっかりしろ!!」

「私はいいから……ダイを……」

 

明らかに苦しんでいるはずなのにダイを気遣うその姿に、不謹慎ではあるがポップは彼女のことを女として強く意識してしまった。

 

「いや、けどよぉ……」

 

ダイが心配な気持ちもわかる。だがポップにとってはマァムも心配なのだ。彼女の言葉に従ってダイを追うべきか、それとも彼女の傍についていてやるべきか。二択を突きつけられ、どちらも選ぶことが出来ずにオロオロとしてしまう。

 

「ポップ君、どいてちょうだい」

「おわっ、レイラさん!?」

 

まるでそんなポップを見かねたかのように、レイラが進み出てくるとマァムの傍にしゃがみ、精神を集中させて呪文を唱える。

 

「キアリク」

 

彼女が唱えたのは麻痺を治す呪文だ。焼けつく息(ヒートブレス)による麻痺効果をまずはこれで直すと、続けて呪文を唱えた。

 

「ホイミ」

 

癒しの光がマァムを包み、ダメージもこれで回復していた。影響が完全になくなったことでマァムの顔色もよくなり、先ほどまで苦しんでいたことが嘘のように素早く立ち上がる。

 

「なんでダイを追わないのよ!!」

 

そして開口一番、ポップへ向けて文句を言った。

 

「ふふ、マァム。ポップ君はあなたのことが心配でダイ君を追えなかったのよ」

「なっ! ち、ちがいますって! 誰が!! ダイはすげえから大丈夫なんだって!!」

 

だがポップが何か言うよりも早く、レイラが口を挟んだ。それは完全に虚を突かれた形になり、強く否定したいものの親の前ではそこまで言うこともできず、そのためポップは敬語とため口が入り混じったような訳のわからない口調でムキになって否定する。

 

「ああもう!! いいから追うわよ!!」

 

虚を突かれたのはマァムも同じだった。彼女は今の言葉を聞かなかったことにするかのように、母へのお礼の言葉も忘れて、ポップの腕を引っ掴んでダイの後を追って駆け出して行った。

 

 

 

クロコダインの斧が振るわれ、森の木が一本、まるで枯れ枝を折るように容易く切断された。だが肝心のダイには攻撃は当たらず、逆に反撃の隙を作ってしまう。それを見逃すダイではない。

 

「アバン流刀殺法! 大地斬!!」

「ぐうぅっ!!」

 

闘気の混じった大地斬はさながら劣化したアバンストラッシュだった。咄嗟に左腕を突き出してガードに転じるものの、ダイの攻撃はクロコダインの防御を突き破り、強固なはずの鱗を切り裂いて手傷を負わせた。

だがダイはその威力に不満だった。この程度しか自分は出来なかったのか? クロコダインの攻撃をもっとしっかりと避けられたはずではなかったのか? 闘いの最中だというのにそう自問してしまう。まるで小さなトゲが刺さっているような違和感を感じていた。

予期せぬ痛みを感じ、クロコダインは苦し紛れに丸太のような尾をダイへ放つ。まるで鞭のような鋭い一撃だったが、過去の修行で暴れ猿のような尾を持った相手と戦った経験がそれを察知させていた。すぐさま距離を取り、尾の一撃を避ける。

 

「オレの体に傷を負わせるとは……魔軍司令殿の言葉は嘘ではなかったか。下手な兵士など問題にならんほど強いな……それにその武器。ただのナイフのようだが相当な業物と見た」

「…………」

 

確かにパプニカのナイフは普通のナイフよりかは強度も威力もずっと高い。だが彼には姉が作ってくれたもっと強力な武器がある。ハドラーを相手に実戦を経験したあの武器の事を思い出し、一瞬言葉に詰まった。あれがあれば先ほどのような失態は見せなかっただろうか、と。

 

「だが、オレの持っている武器も並ではないぞ!! 唸れッ! 真空の斧よ!!」

 

ダイの様子など気にした風もなく、クロコダインは手にした斧を天高くかざす。その意志に反応したかのように、斧の中心に埋め込まれた魔石が輝き、竜巻を思わせるほどの強風が吹き荒れた。気を抜けばその瞬間に吹き飛ばされてしまいそうな風圧に翻弄され、ダイは動きを完全に止めてしまう。

 

「くらえっ!!」

 

真空の斧は持ち手の意志に従い、バギ系呪文の効果を発生させることの出来る伝説の武器である。クロコダインの狙いは、嵐を巻き起こしてダイの動きを止めることが一つ。そしてもう一つ、強風を追い風として強烈なショルダータックルをぶちかました。

 

「ぬおおぉぉぉっ!!」

「うわあああっっ!!」

 

動きを止めてしまったダイでは満足に避けることもできず、勢いのままに吹き飛ばされた。ただの体当たりというなかれ、多少スピードは遅くともクロコダインの質量そのものが小さなダイの体に直撃するのだ。闘気で強化されたそれはさながらダンプカーの正面衝突。

ダイも動けないまでも闘気を集中させて少しでも防御しようと試みたが、クロコダインの放った単純な衝撃には耐えきれない。

 

「が……がはっ……」

 

吹き飛んだ先が幸運にも茂みであり、葉っぱや枝が衝撃を殺してくれた。だが衝撃で息が詰まって動けなくなっていた。それでも最後の意地とばかりにナイフは手放さなかったことだけは驚嘆に値するだろう。

 

「まだ息があるか……たいしたものだ。だが……今、楽にしてやろう」

 

動けぬダイへと歩み寄るとクロコダインは斧を大きく振り上げる。だがそれが振り下ろされるよりも早く、ポップたちが追い付き姿を見せた。

 

「なっ!?」

 

だが状況は最悪に近かった。せっかく追い付いたものの、もはや決着がつきそうな場面である。マズイ!! そう思った瞬間、ポップの脳裏にある記憶が蘇った。

先のハドラー戦にて、同じようにダイが攻撃を受けかけた時に一人の少女が取った行動。自分よりも年下の女の子があれだけのことをやってみせたのなら、自分にも同じことができるのではないか。不利を悟って逃げ出そうと訴える弱い心とは反対に、ポップの心の中の小さな勇気がそう提案していた。

 

一方、マァムは倒れたダイの様子を見ていた。

あれは大ダメージを負っている。自分なら回復魔法をかけられるが、近寄る前に間違いなくダイが攻撃を受けてしまう。援護をしようにも魔弾銃の攻撃呪文はすべて撃ち尽くしているし、隣にいる魔法使いは当てにできそうもない。打てる手は……あった。少々分の悪い賭けかもしれないが、何より時間がないのだ。グズグズしていられない。

 

――やるなら今!!

 

二人は心の中でそう決意する。

そしてポップは左に、マァムは右に。まるで合図でもあったかのように、それぞれ分かれるように動いた。ポップは呪文を使うべく短杖を構え、マァムは魔弾銃に弾丸を装填する。

二手に分かれたことでクロコダインはどちらを先に狙うべきか躊躇う。このままダイを始末するべきか、新しく来た援軍二人の行動を妨害すべきか。

片方は杖を持っていることから魔法使いだろう。そしてもう片方は得体のしれない武器を構えている。その不気味さが彼の躊躇いを少しだけ後押しする。

その迷いはこの場では致命的だった。

 

「ヒャダルコ!!」

「当たって!!」

 

ポップの唱えた冷気呪文によって局所的な吹雪が吹き荒れ、クロコダインの武器を腕ごと凍り付かせる。かつてチルノが、ハドラーが放とうとした蹴りのタイミングを狂わせるために行った足止めと同じ。それをヒントとした行動である。

だがあの時とは呪文の威力が違う。

根性なしだとしてもアバンの下に一年近く師事しており、そして彼のなけなしの勇気が込められた呪文なのだ。その冷気はクロコダインの武器を腕ごと凍り付かせ、その凍結範囲は彼の右腕全体にまで及んでいた。

 

マァムの放った弾丸。そこにはホイミの呪文が込められていた。

魔弾銃には彼女の扱うことが出来ない攻撃系の呪文を多めに込めているが、それでも万が一、例えば自分が危険な状況に陥り助けを求める相手に回復呪文が使えない場面に遭遇するかもしれないと考えて、ホイミ・キアリー・キアリクの弾丸を用意していたのだ。

今まではこの弾丸が必要になることもない、無駄な備えだったかもしれない。だが彼女の準備は、この瞬間に最大の効果を発揮していた。

放たれた呪文は狙いを違うことなくダイへと命中して、彼の怪我を優しく癒していく。

 

ポップがクロコダインの攻撃を封じ、マァムがダイの怪我を癒す。事前に打ち合わせをしたわけでもないのに、二人の息はぴったりだった。どちらか片方だけではダイにトドメを刺されていたかもしれない。

己の武器が凍り付きクロコダインが一瞬たじろぐ。その隙にダイは起き上がっていた。ホイミの回復量では先ほどのダメージから全快はしなかったが、無いよりは何百倍もマシだ。

 

「くらえっ!! 海波斬!!」

「ぐおおおおおぉぉっ!!」

 

再び真空の斧を使われるのを恐れたダイは、直感的に海波斬を放っていた。だが闘気と共に放たれた海波斬だ。恐るべき速度と威力で放たれた剣閃は、クロコダインの纏う鎧を紙のように切断すると、鱗を物ともせずに断ち切る。それでも威力は衰えずに彼の左目を深く切り裂いた。

その衝撃に押されて、クロコダインが左目を押さえてたたらを踏む。そして残った右目を、怒りで真っ赤に燃え上がらせ、射殺すような視線を向けた。

 

「よくも、よくもオレの顔に……オレの誇りに傷をつけてくれたな!!」

 

口から紡ぎ出されるは呪詛のような低い声音。憤怒を立ち上らせ、剥き出しの敵対心を容赦なくダイたちにぶつける。

 

「覚えていろよダイ!! お前は俺の手で必ず殺す!! 必ずだ!!!!」

 

そう言うとクロコダインは痛む左手も気にせずに闘気を集中させると地面に打ち出す。そこに大穴を開けると飛び込んで姿を消した。

少し間をおいてから穴を覗き込むが、穴の底は光が届かないほど暗く、追撃は不可能だろう。

 

「なんとか、退けたか……」

「うん……でも出来ることなら倒したかった。手負いの相手ほど恐ろしいものはないって……」

 

――姉ちゃんが言っていた。

 

その言葉をダイは言わずに飲み込んだ。そうか、ようやくわかった。姉が――チルノがいないのが違和感の原因だと、自分が言おうとした言葉でようやく気付いた。

村での戦いのときだって、姉がいてくれたらきっと被害は少なかったに違いない。今の戦いだって、きっともっと楽に戦えたに違いない。ポップがヒャダルコで助けてくれたあの戦法も、元々は姉が使っていたものだった。

チルノがいない状態での初めての死闘。彼女がいればどんな敵にも負けないと思っていたのに。幼い頃からずっと、姉弟として共に暮らしてきた。それが今は離れている。その事実が、ダイをどうしようもなく不安にさせていた。

 

「それにしても、ポップもやるじゃない。少し見直したわ」

 

ダイにベホイミを掛けていたマァムだったが、傷が癒えたことで手を放すとポップへと言う。彼女からしてみれば、ポップがあそこで機転を利かせて氷結の呪文で武器を封じ込めるなど、思いもよらなかった。頼りなさそうに見えた魔法使いのまさかの妙手。そして同時に感じた、あの時の何も言わずとも連携が取れた快感。アバンの使徒として、みんなと繋がっているのだということを彼女は何となく意識してしまう。

 

「なんだよ、少しだけかよ。まあ、この天才魔法使いポップ様にかかれば、あの程度は……」

 

マァムの言葉に気を良くしたように、ポップはベラベラと話しだす。彼のやったことはチルノの真似でしかないのだが、有効な手段でもあった。それを指摘するほどダイも無粋ではない。

ポップの賑やかな声をBGMに、一行は村への帰路へと就いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

あれから、村へと戻ったダイたちは村人に出迎えられた。

クロコダインの狙いは自分なのだからやめてくれというダイだったが、それでもせめてお礼は言わせてくれと村人たちは口々に感謝の意を述べていった。

だがそれでも、もう夜も遅いということもあり、長老の計らいによって今日はもうお開きとなり、ダイたちはマァムの家の客間へと戻っていた。

 

「お疲れ様でした。ダイ君、ポップ君」

 

後はもう寝るだけだ。そう思っていたダイたちであったが、不意に部屋の扉がノックされた。誰かと思い出てみたところ、その相手はレイラであった。訳も分からず室内へと招き入れたところ、彼女は先の言葉を述べていた。

 

「この村を守ってくださって、ありがとうございます」

「やめてください……クロコダインはおれを狙って来たんです。村に被害まで出しちゃって……お礼なんて言われるようなことはしてないです……」

 

会釈をしたレイラに対して、ダイは困ったようにそう言う。

 

「いいえ、それでもです。それに、重荷になるのであればではこう考えてみてはいかがでしょう? あのモンスターは遅かれ早かれ、村を襲っていた。でも、ダイ君たちはその標的を自分たちだけに向けることが出来た。そのおかげで村は助かったのだと」

 

そういわれると、ダイは返す言葉を失った。

確かに、肯定的に捉えればそう考えることもできるだろうが。それでもダイの気持ちは晴れない。

 

「アバン様が生きていたならば、きっとこう仰っていたと思いますよ」

「……ええっ!?」

 

最初、レイラが何を言っているのか理解できなかった。数秒の時を使い、まるで初めて聞いた言語を理解するかのようにして、ようやく彼女が言った言葉を理解する。

 

「い、いつから……」

「バカ!」

 

ダイが言いかけた言葉をポップは焦って止める。この時点ではまだカマをかけられただけという可能性もあったからだ。だがそれもダイの言葉でご破算となる。

 

「何となくですが、最初から」

「えぇ……」

「これでも僧侶としてアバン様にお仕えしていましたから。そう易々とは騙されませんよ」

「あの、その……ごめんなさい!」

 

何を言っていいのかわからず、ダイはただ頭を下げた。

 

「そんな、頭を上げてください。ダイ君たちは何も悪いことはしていないのでしょう?」

「ええ、そうっす……先生は、俺たちを守るためにメガンテを……」

「アバン、様……」

 

その言葉で十分だった。僧侶としての経験を積んでいるレイラにとってみれば、僧侶ですらないアバンが自己犠牲呪文を使えば、万に一つも蘇ることは叶わない。レイラは両手を組むと瞳を閉じ、アバンの冥福を天へと祈る。

 

「辛いお話をさせてしまい、申し訳ありませんでした。でも、後日になれば二人とももっと言い出し難かったでしょう?」

「ええ……」

「逆にそっちから言ってくれて、助かったって言うか……」

 

嘘というものは、時が経てば経つほど真実を言いにくくなる。だからレイラは、クロコダインと戦い疲れているのを承知で、今日のうちに二人に接触を持ったのだ。

 

「あの、このことはマァムには……」

「そうですね。折を見て伝えておきます」

 

その言葉だけで、ダイたちは心が幾らかでも軽くなった気がした。二人が安心した様子を見ながら、レイラは一瞬だけ扉の方を見ていた。

 

 

 

マァムは一人、明かりをつけることもなく居間で項垂れていた。やがて、奥の方から扉の軋む音が聞こえてきた。そして、彼女の母親が暗がりからゆっくりと姿を現す。

 

「母さん……さっき……聞いちゃって……私……」

 

要領を得ないその言葉。だがそれだけでレイラは何を言いたいかを理解した。

――いや、それよりももっと前から。ダイたちが話していることを、扉の向こうで聞いていたことを彼女は知っていた。

マァムはレイラが抜け出すようにコッソリとダイたちの部屋に行くことに気づき、それが何故か気になり、後をつけていた。そして語られるアバンの最期の瞬間。マァムが聞けたのはそこまでだった。それ以上はとても聞くことが出来ず、逃げるようにしてその場を去っていた。その時の僅かな気配をレイラは察知していた。引退したとはいえ、かつての英雄のパーティの一員である。

 

「そうね、マァム……」

 

今にも泣きだしそうな娘を、レイラは優しく抱きしめた。

 

「うそ、だよね……」

「いいえ。アバン様はダイ君たちに未来を託したそうよ」

「未来を……?」

「ダイ君は修行を三日しか受けておらず、ポップ君はまだ卒業と認められていない。それでも、アバン様は彼らに託した。それはきっと、あの二人が大いなる輝きを持っていると信じていたのでしょうね」

「でも、でもそれなら、どうして先生は生きてるなんて嘘をついたのよ!?」

 

レイラの言葉に一応の納得は出来る。だが、感情がそれを否定する。

 

「マァム。あなたならあの場面で、アバン様は魔王に倒されましたって正直に言えるかしら?」

「う……」

 

逆の立場になった場合を想像してみるが、マァムにはそのことを言えそうになかった。

あの場には長老もいた。自分もいた。レイラもいた。そこで真実を告げることの、どれだけ大変そうか。想像の域を出ていないが、それでも何となく理解出来た。

 

「それに二人は、嘘をついたことをずっと後悔していたわ。誰だって、言いたくないこと、言えないことくらいあるものよ」

 

レイラの胸の中で、マァムは涙を流しながら頷いた。

 

「ねえ、お母さん……先生の最期は、どうだったの……?」

「それは、自分で聞いてごらんなさい?」

「えぇ……」

「これもまた、人生経験よ」

 

愛娘に向けて、彼女は優しく微笑んだ。

 

 

 

翌日。

ダイたちは、壊れた村の復興を申し出ていた。村を守ってくれた英雄にそんなことをさせられないという意見もあったが、ダイたちの村を壊してしまい申し訳ないという考えとがぶつかり合い、押し問答の結果、では数日だけでも手伝ってもらおうということで落ち着いた。

 

「ねえ、二人とも……私、母さんから聞いたの……先生のことを……」

 

その復興の休憩時間、マァムはダイたちに向けてそう切り出した。

それを聞いたダイたちは、揃って何とも言えない顔をした。折を見て話すと言っていたが、まさか翌日に聞かれることになろうとは、完全に想定外だった。

 

「教えて! 先生の最期のことを……」

「どうする、ポップ……?」

「辛い思いをすると思うぜ」

「それでも、それでも聞かせて!」

 

マァムの真摯な想いに負けて、ポップはデルムリン島の出来事をゆっくりと語っていった。その全てを聞き終えると、マァムは満足そうに頷いた。

 

「そう……本当に、先生はあなたたちに未来を託していたのね……」

「レイラさんから聞いたのかい?」

「ええ、昨日ね……」

 

詳しくは自分の口からちゃんと聞け、と言われたことは流石に言わなかったが。

 

「私も、先生に少しは託されたのかしら……?」

 

マァムは魔弾銃を抜くと、遠い過去に思いを馳せる。

 

「ちょっととぼけているけれど……強くて、優しくて……本当に素敵な先生だったわ……でも、もう会えないのね……」

 

遠くを見つめながら、彼女は瞳から一筋の涙を零す。

その様子を、ダイとポップは何も言わずに見つめていた。

 

 

 

まるで彼らの旅立ちを祝福するかのように、空は晴れていた。いつもは日照不足のはずのこの村も、今日はやけに明るい。作業も落ち着きを見せ、今日はダイたちが旅立つ日だった。

村の出入り口には大勢の村人が押し寄せ、彼らの旅路を祝福している。

 

「ダイ兄ちゃん、ゴメちゃん。お仕事が終わったら、必ずまたこの村に来てね」

「気をつけてな」

「頑張るんじゃぞ」

「ありがとう、みんな」

 

口々に別れを惜しんでくれる村人たちに礼を言うと、そしてダイはマァムへと向き直る。

 

「マァムも、今までありがとう」

「今度もまたダイと一緒にこの村に来てやるよ」

 

マァムが気にしないように、後ろ髪を引かれないように、つとめて心配をかけないようにダイたちは言う。彼女にはこの村を守るという大事な仕事があるのだ。別れは惜しく、一緒に来てもらえればそれは嬉しいが、ダイたちのワガママに突き合わせるわけにもいかない。だから何事もなく別れようと、二人は昨晩話し合ってそう決めていた。

――途中、話が脱線して、少々ピンク色な話題になってしまったがそこはご愛嬌。

マァムのスリーサイズの話に発展した後に、なぜかポップが弟のダイも知らないはずのチルノのスリーサイズにまで言及しようとして、ちょっと竜の紋章が発動しかけた――なんてこともあったかもしれない。なかったかもしれない。

 

手を振りながら村を後にするダイとポップ。その二人の姿を見ているのがマァムの限界だった。

 

「みんな、ごめんなさい!!」

 

二人が村を出てまだ数歩も経たないうちに、マァムが力強く頭を下げた。そのあまりの勢いにダイたちも足を止めて村の方を見やる。

 

「私、やっぱりダイたちと一緒に行きたい!! この村を守るって誓ったのに、破ることになってしまって。本当にごめんなさい!!」

 

ダイたちからアバンの最期の話を聞いてから、ずっと心の中で揺れ動き続けていた感情。アバンから託された未来を、自分も共に守るべきなのではないかと。村の人たちを守るためにアバンに師事したというのに、その誓いを自ら破ろうとしている。

だがそれでも、彼女は我慢できなかった。

少しだけ小さくなったダイたちの背中を見て、ここで言わなかったらきっと一生後悔する。根拠は何もないが、なぜかそんな気がしたのだ。

 

「やっぱり、私の娘ね。しょうがないわよね」

「……母さん?」

 

人の輪から出てきたのはレイラだった。その手には荷物袋とマァムの装備品であるハンマースピアを持っている。

 

「私もね……十五年前、傷つきながらも戦い続けていたアバン様や父さんを見かねて、この村を飛び出して行ってしまったのよ」

「ははは、懐かしい話じゃのう。昨日のことのように思い出せるわ」

 

長老が茶化すように言う。

 

「前にも言ったでしょう? 守ってくれるのは嬉しいけれど、あなたの重しにはなりたくないの」

「でも、母さん……私は……」

「私だって、元は僧侶よ。バギ系の呪文くらい使えるし、多少なりとも戦えるわ」

 

レイラの言葉が引き金となったように、村人たちも一斉に声を上げる。

 

「そうだぜマァム。村はおれたちで守ってみせる」

「行ってきなよ」

「ゴメちゃんたちを助けてあげて!」

「わしも多少は攻撃呪文が使える。なんとか踏ん張って見せるわい」

 

村のみんなの声を聞きながら、マァムはレイラの持つ荷物を受け取る。

 

「みんな、ありがとう……ありがとう!」

「なんでぇ、結局来るのかよ」

「よろしくねマァム」

 

口では何と言おうと笑顔を隠し切れないまま、ダイとポップは新たな仲間を歓迎する。

 

「私、行ってきます! ダイ、ポップ、私も行くわ!」

 

村人たちに別れを告げ、そしてダイたちに加入の意志を示すと三人と一匹がネイル村を旅立っていく。段々と小さくなる彼らの背中を、村人たちはいつまでも見送っていた。

 

 




元々1話でまとめる予定だったものをぶった切って2話に……"話をどこで区切ればいいのかわからない病"の患者はこれだから困る。

戦士ロカ。いつ、どんな理由で死んだのかさっぱり不明の人。原作ではマァムがレイラを紹介するシーンでさらっと死んだって言ってるくらい? よくわからない。
個人解釈としては、ネイル村にいて村を守ってたと思う。でも途中で死んで、旧友の死を知って村に来たアバンがマァムを教えたと予想。この中ではそんな扱い。でも会話のネタの一つにしかなっていない。

おっさん戦。隻眼にする?やめる?ちょっと考えた結果、悩むことなく原作通り隻眼に。この辺は神の見えざる手(ご都合主義)を感じますね。
片目ってことは遠近感掴めないはずなのに、仲間になるとすごく頑張ってくれるおっさん。この人も大概バケモノですよね……
お目々の復活フラグとか仕込めるかな? 好きなんですよクロコダイン。
(あっちの世界だと、ベアトリクス・アーロン・イグニスとか? でも全員ファッション失明だし参考にならん……)

そしてレイラさん、察しが良すぎる。そしてちゃんとアバンの死について話し合う面々。レイラさんが仲立ちして、それぞれに影響を与えられた、かな? というか原作でも絶対気づいているよなあの人。伊達に人の生死を見る僧侶なんて商売やってないだろうし。
(お互いにアバンの死に対することができたので原作より少しだけマァムが強い決意を持てたんじゃないかと思います。だから自分から言い出せた)
でも実は先生は生きてますから。あの場にチルノがいたら、多分ストレスで胃に穴が開く。
てか、旦那を失っているから肉親を失う怖さは知っているはずなのに、娘まで戦いに送り出すのは相当断腸の思いで決断してたんだろうなぁ……カーチャンはすごいわ……

実はダイ君は初めてのお使い状態。凄く緊張していたことが判明。姉が一緒にいるのが当然だったので、失敗した事象はすべて「姉がいれば……」と悔やんでいます。その辺の気負いと不安のせいでクロコダイン相手に苦戦しています。普通だったらもっと楽なはず。
そんな感じに「原作より強いけれどメンタルが脆い(ヤバい)感じになっている」の認識で扱っています。依存しちゃってますね、誰のせいなんだ。
ポップはダイの強さを知っているので、それを根拠として原作よりも楽勝ムードで押せ押せな感じになっている。が、その分だけダイへの依存度も強くなっている認識で扱っています。まあ、ダイが優勢だと信じているので原作よりマシかもしれませんが、危ういのはこちらも変わらず。

……表現できているかはまた別のお話。

そういやダイが呪文使ってないですね……せっかく覚えてるのに……
(使わない方が強いと言ってはいけない)


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LEVEL:13 前夜

その日も、デルムリン島からは修行の声が聞こえてきた。ただ、過日と異なる点があるとすれば、そこにアバンの声がないことだろう。

ダイたちが島を旅立った後、チルノはアバンとブラスに己の秘密を説明し、戸惑いはあったもののその告白は受け入れられた。そして、世界に危機が迫りつつあることをより明確に理解したアバンによる(ウルトラ)特別(スペシャル)ハードコースと銘打たれた特訓を受けていた。

チルノが扱えるであろう魔法、技術などを可能な限り聞き取り、それを基にした各種基礎特訓の数々。特別(スペシャル)ハードコースをクリアした人間でも音を上げるであろう猛特訓だった。

それでも、期間が三日だったことが幸いしたらしく――弱音も泣き言も言っていたが、そこは目を瞑ってあげてほしい――なんとか彼女は乗り越えた。

数日間の特訓を終え、アバンはデルムリン島を旅立っていた。現在はチルノが一人、アバンが教えた基礎特訓の復習中である。

 

「【ファイラ】」

 

まず使ったのは、中級の炎魔法だ。

ファイアと比較して数倍以上はあるであろう火力に加えて、なによりも炎の勢いが違う。巻き起こったそれはさながら炎の波を連想させるように、うねりを上げる。

メラミに相当するはずの魔法と認識していたチルノだったが、その威力はどう見てもメラミ以上である。

アバンに数日鍛えられただけでこれだ。猛特訓の成果が出ているわけでもある。

 

「【ブリザラ】」

 

続いて中級の冷気魔法を使う。目標は先ほどファイラで作り上げた炎だ。

冷気が対象に向けて走り、ぶつかった瞬間に氷の結晶が吹き荒れ、瞬く間に炎の柱が氷の柱へと生まれ変わった。幾ら火勢が弱まっていたとはいえ、炎を氷で閉じ込めるという荒業を平然とやってのける威力には驚愕すら覚える。

 

「【サンダラ】」

 

最後は中級の雷撃魔法である。目標は依然変わらず、氷の柱に目掛けて。

天から一筋の稲妻が降り注ぐと、氷柱を粉々に破壊した。思わず目が眩みそうになるほどの稲妻に加えて、周囲にはまだ残った雷がバチバチと放電している。その影響からか、オゾン臭が辺りに漂いチルノの鼻をくすぐる。

 

――これも、最初に使った時は驚かれたわね。

 

つい先日、アバンに下位魔法のサンダーを見せた時を思い出す。この世界は、ライデインに代表される電撃呪文は勇者のみが使える呪文として伝わっている。そのためチルノはこの呪文を使うことを意図的に封印していた。魔王が復活する前からサンダーは扱えたのだが、迂闊に使った日にはどうなるか予想もできない。彼女の臆病ともいえる感情が、この魔法を使うことを躊躇わせていた。

勿論――キラーマシンのときなど――いざとなれば迷うことなく使うつもりではあったが。

あの時にもしもこの魔法(サンダラ)を使えていたら、キラーマシンを一撃で半壊させていたことだろう。

 

「ふぅ……」

 

中級とはいえ立て続けに魔法を使ったことで疲労の色が濃くなり、気持ちを切り替える意味でも一呼吸置く。そして最後、アバンの特訓によってようやく扱えるようになった魔法を発動させる。

 

「【グラビデ】」

 

先ほど氷柱は破壊してしまったので、今度は目標を手近な木へと向けて放つ。

生み出された球体の魔力が対象にぶつかると、そこを起点として広がり瞬く間に押しつぶさんばかりの強い重力を生み出す。

圧壊するほどの高密度の重力により木の幹がギシギシと悲鳴を上げ、既に枝葉は圧力に負けて地に落ちてペシャンコに潰れていた。さながら劣化した重圧呪文(ベタン)と言ったところか。

割合ダメージという概念はないだろうから、これも純粋にダメージを与えるだけだろうとチルノは予想していた。さすがにデルムリン島の仲間に使うつもりはないし、かといって結界の外に出ても都合の良い相手がいるとも限らない。

 

「よし」

 

イメージ通りに問題なく魔法が発動したことを確認すると、満足そうに言う。集中力と日々の研鑚が上達の秘訣であるというが、魔法については、まずはこんなものだろうと判断した。

 

次は技だ。

意識を集中させて下腹――丹田の辺りに力を籠める。必ずしもそうする必要はないだろうが、その方が彼女の気分が乗り精度もより高くなる。技を放つ前の彼女なりの所作だった。

 

「……【鳳凰の舞い】」

 

その言葉と共に、まずチルノの周囲には指先ほどの小さな火が幾つも生み出された。だが可愛らしい火の玉だったのは一瞬のこと。火の玉はすぐさま爆発的に膨れ上がると人間を模したシルエットを形作り、次の命令を待つようにその場でゆらゆらと揺れる。その頃には火勢は火の玉などという生易しいものではなく、炎の柱と呼んだ方が近いだろう。

 

()ッ!!」

 

炎たちの期待に応えるように、短く命令を下す。それだけで十分だ。炎たちは籠から解き放たれた鳥のように縦横無尽に動き回り、そして唐突に消えた。

 

「……これが鳳凰の舞い、かぁ……なんともすごいわね……」

 

結果に満足しつつもチルノはくたびれたように呟く。彼女の知っている鳳凰の舞いは、使うと炎をまとった術者の分身を多数生み出し、敵全体を攻撃する技である。生み出した分身が人の形をした炎でしかないことなどの細部は異なるが、会得したと言って問題ない。また、実際に使ってみることで新しく発見したこともあった。

例えば、生み出した炎はチルノの意思にある程度沿って動くということだ。彼女の闘気を込めているためにそれが可能なのだろう。対して誤算だったのは、多少なりとも闘気と体力を消耗していることだ。さすがに無消費でバカバカ撃てるといった都合の良いものは存在しない。

 

「……いけない、【ウォータ】」

 

未だ各所で燃え燻っている、鳳凰の舞いの影響で発火した地点目掛けて水の攻撃魔法を使い消火していく。本来ならばもっと高圧の水で攻撃をする魔法だが、威力を落としてあるおかげで消火用水に丁度良い感じだ。

 

「使い分けられるかどうかが問題ね……」

 

先ほどの手応えを思い出しながらそう口にする。炎を使って攻撃するだけならば、炎の魔法を使えばいい。現状を見極めて、状況に即した手段を瞬時に選択することのできる能力が求められる。

 

「しばらくは、手探りでやっていくしかないか……」

 

結局のところ今できるのは復習と確認が関の山である。

続いてチルノは手近な岩の前に立つと、再び丹田に意識を集中させた。自然体に足を開き、少し腰を落として構えると強く拳を握る。気分はさながら、修行中だったダイが大地斬で大岩を割る前のようだ。

 

「【爆裂拳】!」

 

気合の発露と同時に、眼前の岩に向けて拳を数発叩き込む。彼女がやったのはそれだけだ。威力も低い――いや、もっと明確に弱いと言っていい。

数発撃ちこまれた岩は、一見何の変哲もないように見える。だが岩は突如として、内側から外側へ向けて皹が走った。続けて外殻の一部が衝撃に負け、ポロリと壊れ落ちる。

複数回、それぞれ別個の威力を持った攻撃を相手に叩きこみ、その衝撃を対象の内部にて交差・集中させて増幅させることで、威力を飛躍的に増大させる技。攻撃を受けた相手は、まるで内側から爆発したようなダメージを受ける。

 

「故に、爆裂拳」

 

――いや、名前の由来までは知らないけどね。

 

爆裂拳の結果を見て満足しながら、チルノはペロリと舌を出しつつ自分の言葉に自分でツッコミを入れた。

 

「……っ痛てて」

 

そして痛みを消すように両手をプラプラと振る。闘気についてある程度は学び、実践できるようになったが、それでもまだ素手で岩を殴って平然としていられるほど、肉体も闘気も鍛えられているわけではない。

岩にたたきつけたせいで皮膚が破れ、拳からは血が滲んでいた。

 

「【ケアルラ】」

 

大盤振る舞いとばかりに、中級の回復魔法で傷を癒す。完全に治ったことを確認すると、再び修行へと戻る。

チルノは楽しくて仕方がないのだ。

これまで中々使うことの出来なかった魔法が、技能が突然使えるようになる快感。まるで目の前の世界が一気に広がる感覚は、根拠のない全能感と陶酔感を彼女に齎した。

 

「……と、いけないいけない」

 

浮ついた気分を自らの頬を叩きながら彼女は戒めた。確かに今まで使った魔法や技術は、この世界ではチルノしか使うことはできない。だが決して自分は万能ではないのだ。最終的に相手をしなければならないのは、神の金属とまで呼ばれるオリハルコンを素手で無造作に引きちぎるような敵である。そんな相手に、メラミより強い程度の炎を放った程度では歯牙にもかけられまい。

 

「さて、次は……」

 

多少顔がニヤケるのは仕方ないとしても、慢心だけはしないようにしよう。あと、今だけは喜んでおこう。そう自分に言い聞かせながら、少し離れた場所へ避難させるように置いていた手書きの手帳をめくる。

それは、アバンが書き残した手記だった。

チルノが一人で残っていても修行が続けられるようにと書き記したもの、わかりやすい言い方をしてしまえば、手書きの教科書である。覚えられそうなものを一通り書いてあるうえに、時おりデフォルメされたアバンのイラストが登場してワンポイントアドバイスを言っている。しかもその絵も下手なイラストレーター顔負けの上手さである。

 

またこの手記には、ダイの修行とポップの修行についても書かれていた。

ダイについては空裂斬の修行についてとアバンストラッシュの特性が。ポップには呪文への集中力についてと、最悪の場合はマトリフに頼もうかと書いてあった。大まかな場所とマトリフにお願いする一文も添えてある。

それらを、ダイが二日目の修行を終えた夜の時点で書いた、という体で記述している。虫の知らせか嫌な予感と胸騒ぎがしたのか、とにかく万が一の時のためにこれを書き記したことが冒頭に書いてあるためだ。

あの短い時間でこれだけの文量をイラスト込みで書く……普通に考えればどうやっても無理だろうと思うが、同時にアバンならこのくらいやってのけるだろうという根拠のない謎の信頼感もあった。

 

 

 

「やっておるな、チルノ」

「あ、おじいちゃん」

 

ナイフ――見失っていたダイの短剣である。ハドラーがどこかに投げ捨てたものを回収したものだ。ダイとの合流時に渡すつもりで現在はチルノが持っている――を片手に、先ほどまで激しいステップを踏んでいたチルノを見ながらブラスは言う。

 

「あの電撃も、最初に見たときは腰を抜かしたものじゃが……慣れるものじゃなぁ……」

 

サンダラの痕跡を見ながら、ブラスは遠い目で呟いた。

 

「何か用だった?」

「おお、そうじゃった。いや、お主の言っていた、未来の出来事についてなんじゃが……」

 

おそらく大丈夫だろうが、話す内容が内容だけにブラスは声を潜めた。

 

「お主の話だと、軍団長の一人――クロコダインがダイたちに一度敗れ、ダイへの対抗手段としてワシが人質になる。間違いなかったかな?」

「間違いないけれど、何か気になることがあった?」

「ワシが連れ去られる前提で準備をしておるが、お主の話だとダイは本来よりもずいぶんと強くなっておるよう。そうなると相手をそのまま倒してしまうということはありえんのか? その場合お主はどうするのか、それが気になってな」

 

そう言いながらブラスはチラリと、自身の左手首に目を向ける。そこには紐で結ばれた木片がお守りのように揺れている。マホカトールの呪文が込められたそれはさながら護符といったところか。本来の歴史ではブラスが人質に取られるため、その対策として身に着けているものだ。連れ去られるまでは許容するが、邪気による凶暴化を防ぐことでダイを戦いやすくする。という狙いだ。

なお、便宜上アバンの守りと名付けられているが、ブラスもチルノも「お守り」程度にしか呼んでいない。

 

「ええ、それも考えたわ。でも相手は軍団長よ。一筋縄では行かないと思っている。それにクロコダインよりも注意すべきはザボエラの方だと思ってるの」

 

苦い顔をしながら、チルノは推論を展開する。

 

「ザボエラ……確か、同じ軍団長の一人でワシを直接捕まえに来るという」

「うん。魔王軍が連絡に使う悪魔の目玉は、ザボエラ指揮下の妖魔師団に所属してるの。その悪魔の目玉からの情報で、ザボエラはハドラーがクロコダインにダイの討伐を命じたことだって知っている」

 

原作知識というやつである。細部は異なれど、ハドラーはダイが竜の紋章を発動させたのを見た上で撤退している。そしてロモスへと向かっているのであれば、クロコダインに勅命を下す可能性も高いと睨んでいた。

 

「ザボエラは上役にこびへつらって、同僚や部下は踏み台程度にしか考えていないの。今回の場合は、上手くハドラーに取り入って自身の地位を上げるために、クロコダインを手助けするはず。クロコダインがピンチになったら援軍の一つでも差し向けると思う。そうすれば、ダイを倒した後でも自分の主張を通しやすくなるはず」

 

原作通りクロコダインが自力で逃げられればよし。逃げられそうになければ、部下を捨て駒としてでもクロコダインを逃がす。その後、クロコダインへ必勝の策を授ける。

この奸計の肝は、クロコダインが一度逃げているということだ。ハドラーが苦戦した相手である以上、クロコダインも手傷を負う可能性は高い。武人二人が苦戦した相手を授けた策略で倒したとなれば、ザボエラの評価も大きく上がるというものだろう。

 

「そうして、己に有利となる情報を集め手柄をかすめ取ってのし上がろうとするのか? ……話には聞いていたが、何とも言えん性格じゃのう……」

「最終的にはクロコダインに倒されちゃうんだけどね」

 

万策尽きた惨めな最期を思い出し、すこし哀れみすら覚える。

 

「ともあれそういうわけだから、可能性は極めて高いと思うの。ダイは今はラインリバー大陸まで着いて、魔の森に入るところだから、迷わなければ三日以内には来ると思う」

「む? 待てチルノや。なぜダイの現在位置が分かるんじゃ?」

「それはね……【サイトロ】」

 

正確すぎる現在位置予測に何かからくりがあると見て尋ねれば、返ってきたのは言葉ではなく魔法だった。

サイトロは世界地図を表示して、位置を確認することのできる魔法だ。

現代科学を知るものならば、この光景はまるで拡張現実を見ているようだとでも思ったことだろう。空間に世界地図が浮かび上がり、地図上に光点が幾つも輝く。そしてそれとは別に、特異な輝き方をしている光点が一つある。チルノはそこを指さしながら言った。

 

「この光っているところが、今ダイのいるところ。で、こっちがロモス城の場所。これから考えると、旅路は順調に行っているみたいね」

「これも別世界の魔法か? いやはや便利じゃのう……」

 

唐突に浮かび上がった地図に、もう慣れたと思っていたブラスは再び驚かされた。

ダイの位置がわかるのは、チルノが目印となる特殊な魔力を込めた自身の髪の毛をパプニカのナイフの鞘に編み込んでいるためだ。そうすることでオリジナルの魔法では持ちえなかった、特定の位置を知ることもできるようになっている。

この方法で毎朝位置情報を確認しているため、正確な居場所が分かったのだ。

 

「おじいちゃんが連れ去られないままダイがロモスを出発しようとしたら、キメラの翼でロモスまで行って直接合流するわ。それでなくてもロモス-パプニカ間の航路途中でデルムリン島に寄ってくれると思うけれど……」

 

そう言いながらもチルノは、最後の考えは流石に甘えすぎだと思っている。航路の途中で立ち寄ることは可能だろうが、それでも都合良く彼女を迎えに来てくれるとは限らないからだ。そのためタイミングを見計らってキメラの翼で移動することになるだろうと考えていた。

 

「ふむ。そこまで考えておるならば、ワシは何も言わんよ。それはそれとしてじゃ。特訓もほどほどにな。肝心な時に動けんようでは特訓の意味もないからのう」

 

疲れ知らずのように特訓を続けていたチルノを見ながら、ブラスはそう言った。

ひょっとして、今まで話していたことはすべて、最後の一言を言うためだけの理由付けだったのだろうか。特訓を直接止めるのではなく、長々と話させることで休ませる。

思い過ごしかもしれないが、ブラスの不器用な優しさを感じたような気がして、チルノはもう少しだけ休憩を続けることにした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「~♪ ~~♪♪」

 

その日は、チルノの歌声がデルムリン島に響いていた。これも彼女の修行の一つ、吟遊詩人のごとく歌うことで特異な効果を発揮させる特訓である。

鈴を転がしたような美しい声から紡がれる歌は、聞いているだけで心が安らぎ体力が回復していく……というのが理想である。現在は効果発揮を目指して練習中。まだまだ普通の歌だ。

 

「あれも訓練か……じゃがまあ、あのくらいならば良かろう」

 

先日までのいつ気絶してもおかしくないような修行とは違い、歌を歌っているだけなのだからブラスも安心である。心配でわざわざ見に来ていたが、問題はないと判断する。

覗いていた木陰から離れ、家路へと向かう。その帰路の途中にて、ブラスはふと気づいた。無理矢理に気付かされたといった方が正確だろうか。

 

「なっ、なんじゃこの凄まじい妖気は……!? まさかっ!!」

 

背筋に怖気が走るような感覚。何事かと思ったが、すぐに原因が思い当たった。これこそが、チルノの言っていた出来事に違いあるまい。そう判断すると、敵がどこから来ても良いように意識を強く持って辺りを見回す。

気が付けば辺りは曇天模様のように暗くなり、日の光はどこかに消えていた。周囲には薄い靄なものが立ち込めていき、恐ろしさに拍車をかける。何より、先ほどまで聞こえていたはずのチルノの歌声が聞こえてこない。

まるで、異変を知覚するよりも素早く別の空間に引きずり込まれたような、そんな恐ろしい感覚をブラスは味わっていた。

 

「キヒヒヒヒ! お前がブラスとかいう鬼面道士じゃな……」

 

聞こえてきたのは年老いた男のような、だが存外甲高い声だった。

 

「これは一体……? どうなっておるんじゃ!?」

「ヒッヒッヒッ、このぐらい造作もないことよ……このワシの妖魔力をもってすればな……」

 

何も見えないはずの空間から声だけが聞こえる。そんな感覚に囚われていたが、やがて周囲に漂っていたはずの靄が集まり人の形を作っていく。

そして、一人の男が姿を現した。

 

「お……おまえがっ……!?」

「ワシの名は妖魔司教ザボエラ! 大魔王六軍団のひとつ、妖魔士団の軍団長よ!!」

 

現れたのは存外小柄な老人だった。やや派手な印象を受ける法衣を身に纏い、蜘蛛を模した意匠の杖を持っている。その内側から滲み出てくる不気味な魔力は圧巻の一言。自ら妖魔と名乗っているのは決して伊達ではない。

 

「……一体、何の用じゃ?」

 

話には聞いていたが、実際に相対すればこれほどのものか。考えてみれば、アバンの張ったマホカトールの結界を、外部から影響を与えることなくスルリと通り抜けるだけでも、魔力の高さとその扱いに精通している証なのだ。下手をすれば一瞬でやられかねない。

ブラスは内心の冷や汗を流しながら気を引き締めなおす。

 

「なぁに、ちょいとワシの計略に貴様が必要になっての。部下に任せたかったんじゃが、あやつらではこの結界は抜けられんからな。ワシ自ら直接お迎えに来てやったというわけよ。せいぜい光栄に思うがよい」

「計略じゃと!? 何をするか知らんが、ワシがそう易々と従うと思うたか!?」

 

何も抵抗せずに連れていかれるようでは、逆に不自然だ。何かを企んでいると言外に宣言しているようなもの。ある程度の腹芸はブラスとて理解している。相手にならなくとも抵抗の素振りくらいは見せておく。そのくらいが相手も気に入りそうだと判断していた。

 

「フン、ジジイにしては中々威勢がいいのぅ。大人しく従えば良いものを、全く面倒じゃな……」

 

そう言いながらザボエラは手にした杖で島を舐めるように動かした。

 

「じゃが従わんと、この島が少々愉快なことになるぞ? ダイとか言ったかな? 小僧も戻る場所を失いたくはないじゃろうなぁ……」

 

同時に感じる魔力の集中。ザボエラは言外に言っていた。逆らえばこの島はどうなるか。炎の呪文で島全体を焼け野原とするか、はたまた冷気の呪文で氷の世界にでも変えようというのか。その過程で、島に棲む多くのモンスターもみな命を落とすだろう。

 

「ぐ、ぐぐぐ……わかった……好きにするがよい。ただ、ワシだけじゃ。この島と他の者には手を出さんと誓ってくれ……頼む……」

 

予定された行動とはいえ、このような相手の言いなりになることにここまでストレスを感じるとは。本気で歯噛みしながらもブラスは折れた演技を装った。そうとは知らぬザボエラは思い通りに事が進み上機嫌に顔を歪める。

 

「ヒッヒッヒッ、物分かりの良いジジイじゃな。そういうヤツは長生きができるぞ」

「それは、魔法の筒、か……?」

 

懐から取り出された細長い筒の正体を、ブラスは看破する。なにしろ自分も持っていたものだ。知らぬわけがない。

 

「ほう、なかなか博識じゃな。さすがは元魔王軍幹部か。そうよ、このワシ自ら改良した魔法の筒じゃ」

 

見るからに禍々しい黒い魔法の筒を自慢げに見せる。ブラスはこれからあれに封じ込められるのだと理解していた。予定通り、全く以って予定通りである。

 

「おじいちゃん……」

 

そんなブラスとザボエラのやり取りを、チルノは少し遠くから見守っていた。ザボエラが侵入して来たことは彼女も感じ取り、慌ててブラスの後を追っていた。もっとも、心配する必要もないほどあっさりと見つけられたが。

どうやらブラスが見ていた恐ろしい空間はマヌーサを応用した幻覚でしかなかったらしく、外から見たチルノではその残滓すら見ることはなかった。

もっとも、幻覚は見ずとも育ての親であるブラスを連れていかれるのだけはただ見ていることしかできない。予め決めていた行動とはいえ、ブラスへの不義理を働いているようでチルノは気が気でなかった。

 

「大人しく中で待っておれ! イルイル!!」

 

ブラスの考えもチルノの気持ちも知らぬまま、気を良くしたザボエラは筒を向けると封印の呪文を唱える。ブラスの全身が淡く光り、筒へと吸い込まれるかと思われたが、何事もない。

 

「む? どうしたことじゃ……?」

 

起こりえるはずのない事態に、ザボエラは筒とブラスを交互に見つめる。これまでが順調に進んでいただけに、その表情には混乱の色が強かった。

どうしたことだ? については、ブラスたちも同じ気持ちだった。このまま連れ去られるはずと思っていたところに突然のイレギュラー。何が起こっているのかわからぬまま、それでもブラスは年の功からか驚きの表情を懸命に飲み込んだ。

 

「これは!? 貴様の仕業か? ……いや、確かアバンがこの島には来とったな。となればヤツか。まったく勇者というやつはワシらの邪魔ばかりしよる!」

 

やがてザボエラが忌々しげに声を上げる。その視線の先にあったものは、アバンの守り――対策用にと持たされた護符である。邪悪な力を退ける効果を持つマホカトールがザボエラの持つ魔法の筒の力に敏感に反応し、その封印に抗ってしまった。

 

「……っ!」

 

普段ならばありがたいと思える効果も、今この時だけは歓迎できない。先の言葉から察するに、ザボエラはこの護符に気づいていなかった。ならば当初の目論見が成功する可能性は極めて高かっただろう。だがそれもこれでご破算となってしまった。

 

「外すのはちと面倒じゃな。ええい、多少傷ついても構わんわ。バギ!!」

「ぐうぁっ!!」

 

しばし護符を眺めていたものの、面倒になったらしく真空呪文を使って強引に護符を切断しようとする。だが護符は傷一つ付かず、その代わりだとでも言わんばかりに、ブラスの腕に裂傷が走った。

 

「おっと、いかんいかん。大事な人質に傷をつけてしもうたか……いや、多少傷ついていた方が価値は上がるかもしれんな。しかし、呪文にも耐性があるとはどこまでも面倒じゃな」

 

ブラスの腕から流れる血を見ながら、ザボエラは嗜虐的に笑う。その脳裏に浮かぶのは、人質となったブラスとダイが再会するシーンだ。邪気の影響を受けて凶暴化した状態で、それに加えてブラスが怪我を負っていると知れば、ダイの受ける衝撃はどれほどのものになろうか。それを想像してザボエラはほくそ笑む。

 

「まあよいわ。おい、とっととその厄介な物を捨てんか。お前自身の手で外した方が手間は掛からんからな」

「くぅっ……」

 

痛む左腕を庇いながら右手で護符を外そうとする。なんとか隠して持ち込めないものかとブラスは考えるが、既にザボエラが発見済みで警戒しているためにそれも難しかろう。忌々しく思いながらも護符を外していく。

 

「やめて!!」

 

そこまでが我慢の限界だった。本人すら意識せぬまま、チルノは陰から身を出すとブラスたちへ向けて叫んでいた。

 

「チ、チルノ……」

「あん? なんじゃこの小娘は?」

 

突如として投げかけられた声にブラスたちの注意が向く。

 

「チルノ、やめんか!」

「おじいちゃん、ごめんなさい。でも私は、おじいちゃんを傷つけられて黙っていられるほどいい子じゃない!」

 

慌ててブラスは注意する。ブラスとてこのままでは当初の計画がご破算になることは分かっている。だが、だからといって今チルノが出てきても事態が好転するわけでもない。むしろ身を晒したことで彼女も危険な目に遭う可能性が出てくる。それは親として見過ごすことはできなかった。

だが、ブラスが親としての意見だというのならば、チルノにも子供としての意見がある。

あのまま連れて行くだけならば、チルノはまだ我慢できた。爪が肌に食い込み、血が出るくらいに強く拳を握りしめながらも、まだ自制はできた。

譲歩できるのはそこまで。それ以上はダメだ。アバンの守りを手放すことまでは許容できなかった。優しいブラスにまたあのような苦しみを味合わせる気なのか。そう思うと我慢できなかった。

そしてチルノにとって何よりも許せなかったのは、ブラスを傷つけたことだった。バギの呪文が放たれブラスの腕から血が流れたことを見た瞬間に、もはや彼女は静観することなど出来なかった。

 

「む、まだ肉親がおったのか? 面倒じゃな、魔法の筒は一本しか持ってきておらん……」

 

不意に現れたチルノを見ても、ザボエラは特別な反応をすることはなかった。あえて言えば、ブラスとの会話から二人の関係性を理解してこちらも人質にできるかと思ったくらいだ。

 

「ザボエラ! 覚悟!!」

 

チルノはダイのナイフを取り出すと逆手に構え、ザボエラ目掛けて駆け出した。

腐っても相手は師団長――それも妖魔師団という呪文の使い手たちを率いているのだ。そしてチルノもどちらかと言えば後衛。ザボエラ相手に呪文合戦では勝ち目は無いと判断しての行動だ。決してやぶれかぶれの行動ではない。

ダイを相手に修行を重ね、数日とはいえアバンに仕込まれているのだ。ならば通用しないということはないはず。接近戦で意表を突いたまま、強引に押し切れるはず。そう判断していた。

 

「チッ、面倒な小娘め」

 

だが、チルノが想定していたようにザボエラは腐っても師団長である。純粋な前衛系の相手であればチルノの考えも通用したかもしれないが、不慣れなチルノの剣ではその戦術は悪手でしかなかった。

そもそも、苦手な手段で挑もうとすれば相手により大きな差をつけられて当然である。サンダラのようなザボエラが思いもよらない魔法を見せることで動揺を誘うなど、何か手はあったはずだ。だがそれすらも考えられないほど、彼女の思考は熱くなっていた。

そしてチルノが剣の間合いに踏み込むよりも早く、ザボエラの呪文が完成する。

 

「ギラ!!」

「ううっ!?」

 

強力な熱閃がチルノに向けて襲い掛かり、それに気づいたチルノは間一髪で横に跳んで避ける。だが直撃を避けられただけだ。ギラの熱量までは避け切れず、彼女の肌を浅く焼く。

 

「そら、もう一発じゃあ! イオラ!!」

 

気を休める間もなく、続いて爆裂呪文が飛んできた。今度はギラより呪文の影響範囲そのものが大きい。到底避け切れるものではない。

 

「ああっ!!」

 

爆発がチルノを襲い、彼女の細い体を木の葉のように吹き飛ばす。吹き飛んだ勢いは死なぬまま地面に叩きつけられたが、チルノは痛みを堪えながら必死で受け身を取って僅かでもダメージを軽減する。

 

「実力の差も弁えず、ワシに襲い掛かってくるとは……アホの考えることは理解できんわ。いや、考えてみれば人質が増えたことになる。なるほど、アホも少しは役に立つこともあるということか。とはいえ、人間一人持ち帰るのも面倒じゃな……」

 

蔑んだ眼を向けながらザボエラは考え込むように一人呟いた。チルノをどう扱うかを考えあぐねている。肉親である以上、ダイを相手に利用価値はあるはず。しかし魔法の筒は一本しかなく、ルーラで移動させるのも面倒。下手に暴れられればもっと面倒な上、ダイと組んでクロコダインに牙を剥く可能性もある。そんなものはザボエラが望む展開ではない。

 

「いや、待てよ……小娘一人抱えて移動するのは面倒でも、その一部分(・・・)ならば持ち運びも容易かろう」

 

チルノとブラスが、同時にゾワリと背筋を震わせた。それは脅しの言葉かそれとも命をなんとも思っていない証左か。ザボエラの口調はあまりにも普通にそれを言っていた。チルノの体の一部を切断して、ダイに衝撃を与えるための見せ札としようということだ。

 

「首は存外に重いからのう。腕、いや手首の方が楽か?」

「待て待て! 待ってくれ! ワシは行くと言った! そして他の者には手を出さんことも約束してくれたじゃろう! 頼む、すぐに行く! 守りも外した! これでよいじゃろう!?」

 

ブラスが飛び出したようにザボエラの前に回り込み、土下座をせんばかりの勢いでまくし立てる。このままではザボエラは本当にチルノの腕を切断しかねないと感じ取ったのだろう。ブラスの慌てふためく姿を見ながら、ザボエラは思考を止めた。

 

「まあ、よかろう。考えてみれば、切断したばかりの腕など持ち歩きたくもないわ」

 

必死の願いが通じたのか、チルノへはこれ以上手出しはしないようだ。胸をなで下ろすブラスを尻目に、ザボエラは未だ起き上がれないチルノの下へと向かう。

 

「おい、小娘! 今回は見逃してやろう。お優しい父親と、慈悲深いワシに感謝するんじゃぞ? キィ~ッヒッヒッヒッ! そらっ!!」

「あぐっ……」

 

置き土産とばかりにザボエラはチルノを蹴り上げた。彼女の腹部を狙った一撃に、チルノは低く呻く。だがザボエラはそれ以上何かを行うこともなく、興味を失ったようにチルノから離れる。

呪文の痛みと先ほどの蹴りの痛みで限界が訪れ、チルノは意識をゆっくりと失っていく。薄れゆく意識の中で彼女が最後に知覚できたのは、ザボエラの「イルイル」と言う声だった。

 

 

 

チルノが意識を取り戻したのは、太陽が大分西に傾きつつある頃だった。まだ痛む体に鞭を打ち、上体だけ起こして辺りを見回した。薄暗くなり始めた周囲には、もはや誰もいない。

ブラスもザボエラも既にこの場から去っていた。ただ、ザボエラがイオラで開けた穴とチルノ自身が全身に感じる痛みが、先ほど考えもなしにザボエラに挑み、無様に負けてブラスに命を救われたことを雄弁に物語る。

冷静になって考えてみれば、チルノにとってダイのいない状態での初めての戦闘である。幾ら一人で頭に血が上っていたとはいえ、あれはない。先ほどの戦いを思い出し、自分の思慮分別の無さを恥じると同時に、ダイに今まで無茶を任せてきたことを心の中で謝る。

 

「ようやく理解した気になれるなんて、私も相当の大馬鹿ね……」

 

今まで後ろで援護出来たのは、ダイが前にいてくれたからだとようやく理解できた気分だ。弟が前にいてくれたから悠々と魔法を使って援護が出来た。役割分担だと言ってしまえばそれまでのことだ。だがチルノは自身の特異な能力によって前後衛どちらの区別もなく力を発揮でき、その才能はアバンによって多少なりとも鍛えられたはずだ。それが何一つ実力を見せられなかったことが情けなくて仕方がなかった。

自責の念に駆られ、思わず自分の額に拳を一発叩き込む。そうしたところで何が変わるわけでもないが、少なくとも自分の気分は少しは晴れる。

 

「ピィ……」

「……スラリン?」

 

か細い声が聞こえ、チルノが良く知るスライムが申し訳なさそうな表情をしながら姿を見せた。そうしてゆっくりとチルノへと近づいていく。近寄ってきたスライムを、彼女は優しく抱き上げた。

 

「ピィ! ピピィ!!」

「そっか……うん。ごめんね、心配かけて。おじいちゃんは、連れていかれちゃった。先生が作ってくれたお守りもとられて……私も止めようとしたんだけど、負けちゃって……」

「ピピィ!! ピィ! ピィ!!」

「え、今までずっと見てたの? 島のみんなで? 起こしてくれても良かったんだけど……」

 

スラリンの言葉に辺りを見回すと、隠れていたモンスターたちがぞろぞろと姿を見せる。各々が皆、ザボエラの襲来に気づいた者もいれば、イオラの爆音で気づいた者もいる。ただ、全員がチルノとブラスを心配して駆けつけたということだけは変わらなかった。

事の顛末を見ていた者によって、何が起こったのかを知るモンスターたちだったが、チルノについては何と言って良いのかわからず声を掛けられずにいた。そのうちに自力で目覚め、かと思えば自分を自分で殴るような様子を見せれば、飛び出てきても無理もない。

 

「みんな……みんな……」

 

チルノの言葉に、モンスターたちは皆声を上げる。その全てがチルノが負けたことを責めることもなく、慰める言葉。自分たちも手だし出来なかったことを謝る言葉だった。

 

「ううん、そんなことない……ありがとう……」

 

感極まり、スラリンを優しく抱きしめる。その様子を見て一角ウサギが近寄り、マッドオックスが体を摺り寄せ、暴れ猿が隣に座る。島中のモンスターたちが全員、チルノの下に集まっていた。その一人一人に言葉をかけているうちに、チルノは疲れからか安堵からか、眠りにつく。

そんな彼女のあどけない寝顔を見ながら、モンスターたちもみな今日だけは自らのねぐらに戻ることもなく、彼女を守るようにその場で眠りについていった。

 

 

 

ロモスの魔の森に存在するクロコダインの拠点にて。

クロコダインは突然訪れたザボエラとの問答を繰り広げていた。ダイに敗れたことを知り、協力を申し出るザボエラに対して、クロコダインは断固として拒否をする。

ザボエラが申し出た協力の方法、それは人質を使うことだった。ダイの親であるブラスを人質に、絶対的な優位を手に入れてからダイを叩く。拒絶の意志を見せるクロコダインを前にして、ザボエラは弁舌を用いて煽っていく。

万が一に負けた場合にどうなるのかを。敗れた場合に評されるであろう不名誉についてを。

 

「悪いことは言わんよ……勝ちたくばこれを使え。お主とて今の地位、失いたくはあるまい?」

 

そうやってザボエラは、禍々しい意匠の箱を取り出す。この中に入っている物こそ、ブラスを封じた魔法の筒である。既に大魔王の邪気をたっぷりと浴びせており、中のブラスはそれに耐えきれずに凶暴化した状態で封じているのだ。あとは決戦の場にてこれを解き放つだけ。

 

「…………くっ!」

 

ザボエラが差し出した箱を目掛けて、クロコダインも手を伸ばす。

だがそれでいいものかと、クロコダインは逡巡する。これを使えば確かにダイには勝てるだろう。だが、彼の他の仲間がどう出るか。ミーナに襲い掛かった流れ玉に対して、躊躇うことなく庇って見せたマァムの姿が。怯えて何も出来なかったはずのポップが、土壇場で機転を利かせてクロコダインの武器を凍らせて攻撃を防いだことを。獣王は思い出す。

決して侮ることの出来ない存在。そしていざとなれば勇気を奮うことが出来る。自らの身を顧みずに他者に接することの出来る。そんな相手に対して、自分は敬意を払わず相対するのかと。

 

武人としてのプライドが、箱を受け取ることを拒絶させる。保身と誇りがせめぎ合い、無言の時間だけが過ぎていく。

やがて――クロコダインは箱を握っていた。

 

 

 

翌日、チルノは島中のモンスターたちの前で宣言していた。

 

「ごめんねみんな。私、やっぱり行ってくる!」

 

そう言ってモンスターたちに深々と頭を下げる。

時刻はまだ早朝に近い頃。東の空から太陽がようやく顔を見せ始めた頃だ。チルノは日が昇る前から起きると旅支度を済ませ、起き出してきたモンスターたちに胸を張ってそう告げる。

 

「本当は良くないことだってわかってる。ダイたちのためにならないんじゃないかってわかってる……でも、行くわ。目の前でおじいちゃんを傷つけられて、私もあしらわれて、それでもまだ無事を祈ってるだけなんて、私にはできそうもないの」

 

チルノの言葉にモンスターたちは寝ぼけ眼を止めて沸き立つ。我慢することはない、好きにやってこいと口々に囃し立てる。彼らは先の未来を、本来の歴史を知らないからこそ、こうやって好きに言えるのだ。それは分かっているが、それでもチルノには彼らの言葉に強く頷く。

 

荷物を纏めた袋からキメラの翼を取り出そうとして、チルノはふと日課になっていたことを思い出してサイトロの魔法を使う。

現れた地図に映し出された光点は、ダイが現在ロモスにいることを告げている。

 

「……これも神の見えざる手ってことかしら?」

 

まるで事前の打ち合わせをしていたかのようだ。あまりに都合の良すぎるタイミングに、地図を見ながら自嘲すると、首元に揺れるアバンの守りを握りしめる。

ブラスが捨てたそれを拾いなおし、絶対に忘れないように首から提げているのだ。これを渡せればよし。渡せなければ……チルノは首を横にブンブンと振って最悪の可能性を頭から追い払う。

 

「それじゃあみんな、ちょっとだけ留守番しててね。おじいちゃんを連れて、必ず戻ってくるから!!」

 

モンスターたちに向けて手を振りしばしの別れの挨拶としてから、改めてキメラの翼を取り出す。

 

「キメラの翼よ! ロモスへ導け!!」

 

チルノはキメラの翼を天高く放り投げた。

 

 




ここで区切り。キメラの翼を投げるところでシメたかった。

自分で考えたことを自分でぶっ壊していくスタイル。なんで姿を見せた挙句に乗り込んじゃうかな(苦笑) 成長の糧にするために皆で耐えるって決めたじゃないですか。
ですが、安全装置が外されて怪我まで負わされれば怒って当然ですよね。受け入れてくれた相手であり、10年以上一緒に暮らしてきた親。そんな相手を傷つけられては黙っていられません。そもそも家族を傷つけられたら誰だって怒りますよそりゃ。取返しにも行きますわ。
(そういった意味では策士に向いてませんね)

そしてザボエラの場面を書いてる時の楽しさよ。今は頑張ってヘイトを稼がせたい。
(切断した腕とか見せて、相手の動揺を誘う作戦。でもそれやったら流石にクロコダインもブチ切れてザボエラを攻撃しそう)

デルムリン島残留者。魔法使ったり、必殺技使ったり、踊ったり歌ったりしてますね……
(後で「こんなこともあろうかと!」と便利に使うために)アバンの特訓は密度の濃い時間を連続で多種多様に詰め込まれたと想定しています(そのせいで器用貧乏とも言えますが)
そして爆裂拳が気付けばこんな扱いに。だって探しても詳しい技の説明ないんだもの!
あの技は見た感じだと片手で拳をこうズガガガガッと叩き込んでいる。でもダメージ表示1回だけ(FF6準拠)防御力無視という効果から、鎧では防げない攻撃。いわゆる内部破壊と妄想。
(別にどんな技かなんて、気にしなければそれで済む話ですけどね。爆裂拳を放ち、岩を破壊した。くらいでも)

拡張現実って書いたけど伝わりますかね? ARです。カメラを通すとARコードの上にキャラが浮かぶアレです。あんな感じで、にゅっと地図が空間に浮かび上がるのが個人的イメージのサイトロ。
(世界地図と町や村の場所が分かるとか、ある意味メテオより危険ですね)

ブラスが連れ去れた翌日にクロコダインがロモスに総攻撃を掛ける。その前日の夜にはダイがロモス入りをしていて、総攻撃の直前にチルノがキメラの翼でロモスに到着する。という時系列をこの中では採用しています。
(原作の時系列よくわからなかったので)
まるで奇跡のようなタイミングですね(笑) ご都合主義すぎますが、まあ原作も(略)
(例:ガルダンディーに苦戦するポップの前に都合良すぎるタイミングで来るヒュンケルetc)

次、ようやくロモスのボス戦か……何にも考えてないんですけど……
てかロモスならブロキーナ師範なんとかしてよ……覇者の剣もザムザも……(悩みの種)
何時になることやら……


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LEVEL:14 決戦ロモス城

キメラの翼の効果によりチルノが降り立ったのは、ロモス王宮の中庭だった。

時刻はまだ朝も早く、日も完全に昇り切っていない頃である。中庭には警備の兵たちがちらほらと見受けられ、その向こうの城内では朝の支度を行っているのも見える。煮炊きでも行っているのか、かまどからは煙が立ち上っており、城内の人間はせわしなく動いている。

 

「な、なんだお前は!?」

「ここをどこだと思っている!! 怪しいやつめ!!」

 

そんな中へ、不意にチルノが空から降ってきて姿を見せたのだ。突然少女が現れたことで王宮は局所的な混乱を極め、警備に当たっていた兵士たちは各々が持っている槍や剣をチルノへと突きつける。

自分に向けられた武器の数々を見ながら、チルノは自分の迂闊さを少しだけ呪った。

キメラの翼の移動先は、使った人間のイメージに左右される。彼女にとってロモスで一番印象の強い場所がどこかと問われれば、偽勇者でろりんたちと大立ち回りを演じたこの中庭だったのだ。

朝の忙しい時間に、人間が突然降ってくる。しかもロモス王国は未だ百獣魔団の攻勢に悩まされている最中である。不審者扱いで問答無用で捕縛――いや、処罰されてもおかしくない。早い話が、時も場所もタイミングも全てが好機を失しているのだ。その結果が、今の彼女の状態だった。

 

「ご無礼については謝ります。でも、至急の要件なんです!」

「問答無用!!」

「大人しく縄に着けばよし! 抵抗すれば、こちらとて容赦はせんぞ!!」

 

チルノは両手を上げて無抵抗をアピールしつつ、必死で要件を訴える。だが兵士たちは聞く耳を持たず、武器を構えたままチルノを包囲してその輪をじりじりと狭めていく。

さらに悪いことにその輪の向こうでも兵士たちが集まっており、各々が武器を持って僅かな抵抗も見逃さんとばかりにチルノのことを睨んでいる。

時間がないのに……こうしている間にも、百獣魔団が攻めてくるかもしれないのに……と苛立ちを募らせるチルノだが、それ以上どうすることもできそうにない。強引に突破することはできなくはないだろうが、現在の状況からそれはできない。何か話を聞いてもらえる手はないものかと、知恵を絞っていたときだ。

 

「なあ、あの娘のこと、どこかで見たことなかったか?」

「やっぱりか? オレも見覚えがあるんだが……」

 

不意に、囲みの向こう側にいた兵士の一人が、そんなことを漏らした。するとその隣にいた兵士も、自分もだとばかりに賛同の意を示す。

その一言がきっかけとなったように、兵士たちの間に疑問がゆっくりと波及していった。

どこかで見たことがあるような……あれは確か……そんな考えが兵士たちに伝播し、気が付けばチルノを囲んでいる兵士たちすら気もそぞろになっている。

これはチャンスかもしれない。チルノがそう考えた頃に、やおら兵士の一人が口を開いた。

 

「思い出した! あれは……!」

「なんの騒ぎだ!?」

 

だがその言葉は後から来た声にかき消された。言いかけた兵士は思わずその声の方向を見る。

チルノも残りの兵士たちも、全員が声のした方を向くとそこには国王シナナの姿があった。騒ぎを聞きつけてここまで来たのだろう。国王の正装のまま、だが年齢を感じさせぬキビキビとした動きで城内から中庭へと歩みを進めている。

 

「国王様ッ!? 危険です、お下がりください!!」

 

兵士の一人がシナナを庇うように前に出て、チルノの姿を王の前から隠そうとする。だがチルノも馬鹿ではない。ここが勝負を仕掛けるポイントとばかりに、声を張り上げる。

 

「王様、ご無沙汰しております。デルムリン島のチルノです。覚えておいででしょうか?」

「ん? おお、チルノ! チルノではないか! 久しいな」

 

彼女の言葉は王へと届き、シナナは前の兵の体から顔を覗かせるような恰好でチルノを見つめると、懐かしい知人に出会った時のように歓喜の声を上げた。

その王の言葉で、周りの兵士たちもようやく気付いてあっと声を上げた。数か月前の大騒ぎの張本人の一人であり、兵士の中には彼女に魔法で動きを拘束された者や、事件終了後に魔法で怪我を治してもらった者もいる。見覚えがあって当然だ。だがいくら警戒態勢でピリピリしていたとはいえ、すぐに気づかなかったことを恥じているらしく、何人かの兵士は視線を逸らしていた。

 

「ふむ、少し大きくなったかな? 月日が経つのは早いものじゃな。今日は急にどうしたのだ?」

 

王の記憶に残るそれよりも成長したチルノの姿。特徴的だった褐色の肌も燃えるような赤髪もそのままだったが、顔つきは以前に出会ったあのときよりもずっと大人びて見える。はっきりと美人になったと言っていいだろう。もしかしたら、彼女が自分から名前を名乗らなければ、シナナであっても気づかなかったかもしれない。

この成長の裏には、何か大きな事件を乗り越えでもしたのであろうかと、シナナは呑気に考えていた。

だがそんなシナナの予想とは裏腹に、チルノは大きく頭を下げながら悲鳴のように声を上げた。

 

「無礼は承知です! どのような罰を受けようとも文句は言いません! ただこれだけは伝えさせてください!!」

 

そこまで言ってから顔を上げ、中庭にいる全兵士に聞こえるようにはっきりとした口調で言う。

 

「ロモスに向けて、百獣魔団が総攻撃を行います!!」

 

その言葉に、周囲にいた全ての兵士たちが色めきだった。そしてそれは、王であるシナナも例に漏れることはなかった。

 

「な、なんじゃと!? それは本当か!?」

「はい。そもそもは別の要件で、デルムリン島からここまでキメラの翼でやってきました。ですがその移動途中、魔の森の中でモンスターたちが大勢集まっているのを見ました」

 

キメラの翼を使い、デルムリン島からロモスへと向かう道すがら。彼女は確かに目撃していた。確認できたのは短い時間だけだったが間違いはない。あれは獣王クロコダインとその部下の百獣魔団たち。かつて彼女が本で見たことのあるロモスへの総攻撃前の場面を再現しているかを思わせるような光景だった。

 

「な、なんと……」

「集まった無数のモンスターたちが、一人の巨漢の下に集まっていました。おそらくあれがリーダーだと思います。私が見た限りですが、まるで決起集会でも行っている最中のようでした。これからロモスへ攻め込むぞという決意を表明しているかのような、剣呑とした雰囲気に見えました」

 

チルノの説明を聞いた途端、兵士たちがざわつき始めた。だが、漏れ聞こえるその内容は、チルノの言葉に懐疑的な声の方が多かった。確かに、ルーラで移動している一瞬で見ただけでは、証拠としては弱いだろう。

少女が一人見たと言っているだけでは、そう易々と兵士を動かすこともできない。いや、これはどちらかと言えば信じたくないといった方が近いかもしれない。大した証拠もなしに総攻撃だと言われて、信じる者も少ないだろう。

 

「信じられないかもしれませんが、事実です。嘘だと思われるのでしたら、すぐにでも見張りの塔からでも確認してください。おそらく、森から攻め入るモンスターの姿が見えるはずです」

 

だがチルノは必死で訴える。このままでは城下に住む無辜の民たちに犠牲が出てしまう。本当ならこうして問答している一瞬すら惜しいのだ。

 

「……わかった、信じよう」

「王様!?」

 

チルノの瞳を見つめていたシナナは、やがてそう口を開いた。

 

「わしはかつてこの子に、未来の賢者の称号を与えた。そのわしが、チルノの言うことをどうして疑おう? じゃがお主ら兵たちの危惧するように、総攻撃かどうかはまだ判断がつかん。だとしても、大量のモンスターが集まっていたことは間違いない。ならばまずは事実確認を行い、その知らせが真実かどうか。本当に総攻撃が行われるのかを確認せねば」

 

王の言葉に兵士たちは頷く。

未来の賢者という言葉に一瞬チルノは「やめて」と反応しかけるが、さすがに空気を呼んで黙っていた。

 

「では王様、事実を確認後にすぐにでも対策会議を……」

「ダメです! それでは遅くなります!」

 

兵士の一人が言いかけた言葉をチルノは遮った。横やりを入れられてその兵士はムッとした顔になったが、無礼なことは承知の上の行動。時間がないのだ。

 

「そうだな。モンスターたちが攻めて来たのを確認後には、すぐにでも城下に警告を出してくれ。こちらの指示を待つ必要はない。他の者はまず避難ルート確保と緊急時の行動対応を徹底させよ。手の空いている者は食料や武器、薬の準備を行え」

 

シナナはチルノの言葉に頷くと、兵士たちにすぐに動くように命を下した。王命を聞いた途端、さすがは訓練された兵士たちといったところか。それぞれが澱みなく駆け出していく。

 

「王様、ありがとうございます」

「何、このくらいは大したことはないわ。伊達に魔王軍と戦っているわけではない」

「あとは、時間があれば簡易な罠でも仕掛けたいところですが」

「罠?」

「資材を道の途中に積み重ねて、即席の一方通行を作るとか。射撃用の穴を開けた防壁の向こうから弓を撃つとか。そのくらいが関の山でしょうけれど、そんなものでもあれば少しは敵の進軍を遅らせることはできると思います」

「ふむ。だが難しかろう。そこまでの時間があるかどうか……」

「ですよね……」

 

自分で言っておいてなんだが、それは実現する可能性は極めて低いだろうとチルノは思っていた。時間が足らなすぎるのだ。今はただ、兵士たちが一刻も早くモンスターの襲撃を確認して、厳戒態勢へと移行してくれることを願うしかない。

シナナはチルノを伴って謁見の間へと移動すると、運命の瞬間を黙して待つ。

はたして、どれほどの時間がたっただろうか。その時は唐突に訪れた。

 

「……鳴った!」

「鐘の音、それに獣の遠吠えまで……なるほど、お主の言っていたことはやはり事実じゃったか」

 

最大警戒を告げる鐘の音がけたたましく鳴り響き、兵士たちの怒号が風に乗って微かに聞こえて来た。そして何よりも、身を震えさせんばかりの遠吠えが幾重にも重なり、遠くから地鳴りのように響いてくる。もはやチルノの言っていたことを疑うものはロモスに一人もいないだろう。

 

「さて、久しぶりに会えて名残惜しくはあるのだが、チルノ。お主もそろそろ避難すべきじゃな」

「……え?」

「ここまで知らせに来てくれただけでも僥倖じゃよ。最初に、何か別の要件があってロモスまで来たと言っていたではないか。お主はその目的を果たしなさい。なに、襲撃はわしらだけで何とか防いでみせよう」

 

シナナの表情からは、チルノのことを心底気遣っていることが見て取れた。本当ならば頼りたいだろうに、王としての矜持がそうさせるのか、大人として未来ある子供を逃がそうとしているのか、シナナは努めて平気な顔をチルノへと見せる。

 

「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、ここまで来て逃げるわけにはいきません」

 

チルノはそんなシナナの想いを受け止めながら、しっかりと返事をする。

 

「それともう一つ、逃げられない理由があります。私が用があるのはそのモンスターの群れのボス――百獣魔団の団長なんです」

「なんじゃと!?」

「ダイも今、ロモスの城下まで来ています。あの子も、敵の団長に因縁があるはず。撃退には協力してくれると思います」

 

これにはシナナも驚かされる。

一体チルノがどうして百獣魔団の団長に用があるというのか。話を聞いた限りでは、デルムリン島からロモスまで直接やってきているのだ。そのどこで因縁が生まれたのか。ダイのことも同じだ。どうして城下にいることを知っているのか。そしてなぜ因縁があることを知っているのか。

それを問いただそうとしたが、それよりも先に一人の兵士が部屋へと飛び込んできた。

 

「想定通りモンスターの群れがロモスに攻め込んでまいりました!! 国王様、どうか今のうちに避難を!!」

「何!?」

 

それは一国の王の命を気遣っての進言。普通ならばその言葉に従い、逃げるのが常道だろう。

 

「何を言うか!! まだ戦いは始まったばかりじゃ!!」

 

だがシナナはきっぱりと断った。それは王としては失格なのかもしれないが、王としての覚悟は持ち合わせているようにも見える。

 

「そなたら兵が命懸けで戦っておるのに、どうしてわし一人が逃げられようか!! それよりも、戦況はどうなっておる!?」

「……はっ! し、失礼いたしました! 発見がギリギリ間に合ったので、城門を固く閉ざしてなんとか侵入は防いでいるところです。ただ、飛行系のモンスターが存在していますのでそれらは城壁の効果もなく、弓を中心とした兵団が討伐に当たっています」

 

シナナの言葉に感激し、若干呆けていたが兵士は正気を取り戻すと報告を始めた。

どうやらがら空きの門から魔獣たちが際限なく侵入する未来だけは避けられたらしい。まだモンスターたちの攻撃によって門が破られる可能性がないわけではないのだが、とりあえずの結果にチルノはホッと息を吐く。

 

「市民の避難状況は?」

「そちらも手早く指示が出せたおかげか、混乱しつつも何とか避難は進んでおります。こちらも飛行系の魔物が邪魔をしてきていますが、全体の被害は想定よりも少ないです」

「ふむ、この襲撃を知らせてくれた未来の賢者のおかげじゃな」

 

シナナの言葉に、チルノは曖昧な笑みを浮かべて返す。本心ではその役職で呼ぶなと言いたくて仕方がないのだが。

その様子を照れていると勘違いしたらしく、シナナも満足そうに笑う。

 

「ええ、全くです。もしもチルノ殿が来なければ、百獣魔団の強襲を防ぎきれなかったでしょう。その場合、市民にどれだけ被害が出ていたことか……」

「そうじゃな。それに、頼もしい味方も来ておる。希望を捨てず、一人一人が出来ることを精一杯行うのじゃぞ」

 

国王のその言葉に兵士は頷き、そして疑問が生まれた。

 

「は……? 味方とは、チルノ殿のことですか?」

 

王の隣にいる少女を見ながら、困惑したように言う。確かに彼女は国王に認められ、偽勇者事件でもその頭角を見せた小さな英雄である。だが、彼女一人にそこまで期待を寄せてよいものかと思い兵士は王へと言う。

返ってきたのは兵士も予期せぬ言葉だった。

 

「いや、ダイもじゃよ。チルノの話では、城下に来ておるそうじゃ」

「なんですと!? それならば」

「うむ。未来の勇者と未来の賢者がおるのじゃ。この戦、何としてでも勝つぞ!」

 

チルノとダイは、偽勇者事件の英雄としてロモスの兵たちの間では人気も高い。特にダイは、まだ幼いながらも見事に剣を操り前に出て戦う小さな英雄として憧れを抱いている者がいるほどだ。その二人がいると知れば、王の鼓舞と合わさって士気も上がるだろう。

 

「それは頼もしい。兵たちもそれを聞けば喜びましょう。しかし、チルノ殿がいるのは分かるとして、どうしてダイ殿は一緒ではないのです?」

「そういえばそうじゃな。なぜ別行動を取っておるんじゃ? ダイは一緒ではないのか?」

 

兵士と王に揃って訪ねられ、チルノは一瞬言葉に詰まった。

確かにそうだ。デルムリン島で何が起きたのかをシナナは知らないのだから、二人が別行動している理由も知るはずがない。

 

「ダイは、アバン先生の特訓を終えて一足先に出発したんです。私は、まだ修行が残っていたのでちょっと遅れて出発することになりました」

 

仕方なくチルノは、簡潔にアバンの修行の都合だということにした。だがアバンの修行を受けたと聞いたシナナたちは揃って驚きの声を上げる。アバンのネームバリューはここでも絶大のようだ。チルノを見る目がより期待に満ちたものになっている。

 

「なるほど。しかし、ならばどうしてダイが城下にいることがわかるんじゃ?」

 

そう問われて、今度こそ完全に言葉に詰まってしまった。だが黙っているわけにもいかない。

 

「け、賢者ですから! 呪文で知ることができるんです!」

 

そう言った自分を自分で殴りたくなったのは秘密である。事実、サイトロの魔法で位置を確認しているのだから嘘など何一つ言っていないのだが。

彼女の内心の葛藤など知らぬ王たちは、その返答に驚いていた。

 

「なんと、そのような呪文があるのか」

「さすがは王様が見込まれた賢者殿ですね」

 

よかった。納得してくれた。と胸を撫で下ろそうとした途端、天井からギシギシと苦しそうに軋む音が聞こえてきた。

何事かと王も含めて見上げると、天井には巨大な亀裂が走り今にも崩れ落ちんばかりの様子を見せている。

 

「危ないッ!!」

 

チルノは咄嗟に王を庇うように動くと、それに遅れて天井が爆発したようにはじけ飛ぶ。破片が縦横無尽に吹き飛ぶが、幸いなことにチルノが庇ったこともあって王は無傷だった。だが一緒にいた兵士は飛び散った破片の打ちどころが悪かったらしく気絶してしまう。

そしてその爆発の向こうからは、ガルーダを伴ったクロコダインが姿を現した。

 

「な、何者だっ!?」

「オレは魔王軍の百獣魔団長クロコダイン!!」

 

クロコダインの表情は覚悟を決意に満ち溢れていた。たとえどの様な手を使おうとも、決して揺らぐことがない強固な意志は恐ろしさすら感じる。事実、クロコダインの声を聞いただけでシナナは竦み上がり、それ以上何も言えなくなってしまった。

 

「はじめまして、クロコダイン。あなたが来るのを待っていたわ」

 

だが、誰しもが畏怖する巨体を前に、チルノは怯えることなくそう言った。

 

 

 

――ガンガンガンガンガンガンガンガン。

 

突然けたたましく鳴り響いた鐘の音を聞き、ダイは反射的に飛び起きた。ダイだけではない、同室のポップとマァムも、寝ていたところで無理矢理意識を覚醒させられ、ただ事ではないと起き上がる。

 

ここはロモス城下の宿屋である。ネイル村を出発したダイ一行は、時間をかけてようやくロモス城下に到着した。だがあいにくと到着したころにはすっかり日も暮れており、王への謁見は叶わなかった。明日また出直そうということになり、宿屋で一泊することとなった。

せっかくフカフカのベッドで寝ていたというのに、どうやら目覚めは最悪となったようである。

 

「なんだこりゃ!?」

「鐘の音……これは警鐘だわ!」

 

文字通り、戦いや災害などの危険が迫っていることを知らせるために打ち鳴らす鐘のことである。それが今もなお、けたたましく音を上げている。何か危機が迫っていることは容易に想像がついた。

 

「全員起きろ!! 避難するんだ!! モンスターの大群が来るぞ!!

 

その想像を裏付けるように、窓の外からは巡回の兵士が大声で呼びかけている。窓から見てみれば、兵士が小隊を作って避難を呼びかけたり住民の誘導をしていた。

 

「モンスターの大群だって!?」

「きっと百獣魔団だわ! まさか攻め込んできたの!?」

「ど、どーするよダイ!?」

「とりあえず準備を整えよう。本当に百獣魔団が来たのなら、おれたちも戦わなくちゃ!」

 

現在は起きたばかりなのだ。寝間着姿ではどうすることもできない。その言葉に従い、まずは着替えることにした。

 

「ところでよぉ、本当に百獣魔団と戦うのか?」

「ポップ、何言ってるのよ!?」

 

弱気なポップにマァムから檄が飛ぶ。彼女は女性のためシーツで区切った即席の個室で着替えている。決して男に混じって恥もせずに着替えているわけではない。なお、時折シーツから着替えるシルエットがうっすらと透けて見えているのだが、ダイとポップは後ろを向いて着替えているので幸いにも誰の目にも留まることはなかった。

 

「いや、無理に戦わなくても避難の手伝いとか、さ……」

「情けないこと言わないで!?」

 

手早く着替えを終えたのだろう。マァムはシーツの奥から出てくるとポップを掴んでガクガクと揺さぶる。

 

「アバン先生の仇を取るんでしょう!? 魔王軍と戦うんでしょう!? 忘れたの!!」

「それにポップ、ここにいればどのみち百獣魔団との戦闘は避けられないよ。覚悟を決めなきゃ」

「とほほ……結局そうなるのね……」

 

準備を済ませたダイたちは部屋を出る。すると丁度良いタイミングだったのだろう。隣室のでろりん達も部屋から出てきたところだった。

 

「あ、お前ら! お前らも起きたのか!?」

「そりゃ、あんだけ大声で叫んでたらね」

 

昨日ダイたちが宿を取った時、奇妙な偶然からでろりん達と再会しており、過去のいざこざは水に流してお互い仲良くやろうということで話はついた。再会した彼らはなぜか妙にひょうきんな一団になっており、最初にデルムリン島に乗り込んできた時とは雲泥の差である。

完全に許したのかと聞かれれば首をひねるところではあるだろうが、こうして話をするくらいには打ち解け合っていた。

 

「なあ、モンスターの大群って……」

「決まってる、魔王軍の百獣魔団だよ!」

「ひゃっ……!! なんだとぉっ!!」

 

百獣魔団と聞き、でろりんは言葉を失った。

 

「いや! でもまだ来ると決まったわけじゃ……」

 

希望的観測を含んだ言葉を言おうとしたが、半ばで黙らされた。台詞の途中で、魂を震えあがらせんばかりの咆哮が窓の外から聞こえてきたのだ。獣の群れの声が響き渡り、聞く者の恐怖を想起させる。

 

「あ、あの声……」

「なんだって急に、こんな大群で怪物が出て来るのよぉっ!!」

 

決定的だとばかりにでろりんは肩を落とし、ずるぼんの悲痛な叫びが響き渡る。

 

「わからない。でも、襲ってくる魔物は倒さなくっちゃ!」

「そうだわ、あなた達も偽物とはいえ勇者なんでしょ? 手伝ってちょうだい」

「俺たちが!? 無理無理無理無理!!」

 

マァムの言葉に、偽勇者一行は揃って首を横に振りながら叫んだ。

 

「なぁ……ダイ……あれ……」

 

今まで沈黙を守っていたポップが、突然口を開いた。彼の指差す先には、空を飛ぶ小さな影が見える。一体何が? とダイたちもでろりんたちもよく目を凝らしてみると、それはクロコダインの姿だった。ガルーダがクロコダインを掴み、そのまま飛行している。

クロコダインの後ろには、キメラやバピラスなどの空を飛べるモンスターが後に続く。地上を走るモンスターは城門で食い止められているが、飛行可能なモンスターは足を止めることなくロモス城へ向けて移動する。

先頭を行くクロコダインは恐ろしい形相をしていた。憤怒と決意に彩られたそれは、彼の巨体と相まって凄まじい迫力を見せる。

十分に距離があるというのに、偽勇者たちは見ただけで怯えて竦み上がってしまうほどだ。

 

「な、なんだよあのものすげえの……」

「お城に向かってるわね」

「クロコダイン!? まさか、この襲撃は……」

 

ダイがそう気づいたときだ。

 

「おい! この宿屋にはまだ残っている人間はいるか!? いたら早く逃げるんだ!!」

「は、はい。今残っているお客様は……」

 

先ほど外で大声を上げて警告していた兵士が宿へと飛び込んできた。宿は不特定多数の人間がいる関係上仕方ないのだろう。飛び込んできた兵士に対して、宿主が応対しつつダイたちの方を向いた。兵士も釣られてそちらを見て驚かされた。

 

「おお、ダイ殿ですか!? お久しぶりです!」

「知り合い?」

「うん、前にロモスにゴメちゃんを助けに来た時に出会った兵士の人……多分……」

 

自信無さげに答えるが、それは無理もない。

この兵士がダイと出会ったのは以前の事件の、それも大立ち回りの最中だ。その後は王のとりなしで宴となり、翌日に挨拶もそこそこに帰っている。兵士の一人一人が自己紹介をされたわけでもないので、ダイのことを兵士の方が一方的に知っているだけだ。

それを自覚しているため、兵士の方も特に気にした様子は見せなかった。

 

「ははは、あの時は自己紹介などもしませんでしたからな。覚えていなくても無理はないでしょう」

「ごめんなさい」

「いえいえ……おや、そういえばチルノ殿とは別行動だったのですか?」

「え? 姉ちゃんがどうかしたの?」

 

兵士の言葉にダイは不思議そうに聞き返す。そうすると今度は兵士の方が不思議そうな顔をした。

 

「おや? ご存じないのですか。チルノ殿は今朝早くに王宮へ来られ、百獣魔団が襲撃を掛けると警告してくださったのですよ」

「ええっ!?」

 

寝耳に水とはこのことか。いや、確かに姉は後から合流すると知っていたが、一体いつの間に追い抜かされたのか。しかも百獣魔団襲撃の警告までしているとは。何も知らないダイからしてみれば、とても信じられなかった。同時に、チルノが自分にとってどれだけ大事な存在なのかを再認識する。

 

「もしかして別行動を取っていましたか?」

「ああ。チルノはちょっと用事があって、別々だったんだよ」

「なるほど、そうでしたか」

 

ダイが黙ってしまい、どうしたことかと兵士が困惑する。それを察知したポップが、一言添えて何でもないというニュアンスを出してやり、言外に予定通りだから何でもないと伝える。相手もそれを理解したため、それ以上追及することはなかった。

 

「ですがこれぞ天の助け! チルノ殿だけでなくダイ殿までいれば、恐れるものはありませんな」

「いや、おれたちは……」

「おっと、いけない。申し訳ありませんが、まだやることが山積みですので、私はこれで失礼します。この戦い、必ずや勝利しましょう!」

 

そう言うと兵士は外に駆け出して行った。ロモスの小さな英雄二人が揃っていることで興奮したらしく、兵士はダイたちが応戦に参加すると思い込んでいるのだ。二人とも参加しないわけではないし、ピンチの場面に英雄がいることを知ればそう思ってしまうのも仕方ないだろうが。

 

「てか、チルノ来てるのかよ。いつの間に来たんだあいつ?」

「……おれ、城に行かなきゃ!!」

 

チルノは城にいて、クロコダインは城へ向かっている。ならば二人が対峙するのは火を見るよりも明らかだ。そうなればどうなるかは、考えるまでもなかった。

いくら姉でも、一人でクロコダインを相手にすればどうなるかは分からない。無事でいられるかどうか。そこまで考えた時点でダイの心は決まっていた。

 

「ダイ、わかってるのか!? 城にはクロコダインが……」

「だったら! だったらなおさら行かなきゃ駄目じゃないか!!」

 

慌ててポップが止めようとするが、それは逆効果でしかなかった。ポップの手を振り払い、ダイは城へ向けて駆け出していく。ゴメちゃんすら気に掛けることなく走り出すその様子は、ダイの視野がどれだけ狭くなっているかの証左だった。

 

「ダイ!! もう……ポップ! 私たちも追うわよ!!」

 

独りで先走って行くダイの背中を見ながら、マァムも追いかけるべくポップに声を掛ける。だが、当のポップの顔色は優れなかった。

 

「あ、ああ……けどよ、ダイが行ってチルノもいるんだろ? だったらおれなんて必要ないんじゃねえのか?」

「ポップ! あなた自分が何を言っているかわかってるの!?」

 

ポップの言葉にマァムは、彼の肩を掴んで問い詰める。

 

「マァムだって見ただろ、クロコダインのあの表情を……あれはハンパじゃねぇ……」

「だから! 私たちが行って加勢しなきゃ!! 仲間でしょ!? 友達なんでしょ!?」

「わかってんだよ!! わかってんだけどよ……」

 

ポップは苦しむように言う。

ダイの強さを知っているからこそ、先のネイル村にてクロコダインとの戦いでピンチに陥ったことがきっかけで、また負けるのではないかという疑念が胸中を渦巻いている。それと同時に、信じたいという気持ちも湧き上がっており、心が決まらない。

逃げたいという気持ちと助けたいという気持ち。二つの感情の板挟みにされ、苛まされる。

 

「ポップ! あなたはアバン先生から何を学んだの!? 機転を利かせてクロコダインの攻撃を封じ込めたあの時のあなたはどこに行っちゃったのよ!!」

「はぁ!? あんときは……」

 

だがマァムにはポップのそこまでの感情を読み取ることは出来なかった。彼女の目には、直前で怖気づいてしまったようにしか見えない。ポップに奮い立って欲しいからこそ檄を飛ばす。

そのマァムの言葉に反論しかけて、ポップの言葉が止まった。言われて思い出したのは先のクロコダイン戦でダイをなんとか助けた時のことだ。

 

「あんときは……」

 

あの局面にて、咄嗟に思い出したのはチルノが使った戦法。だがそれは功を奏して、クロコダインに痛手を負わせることが出来た。それどころか、まるで計ったかのようにピッタリと息の合ったタイミングでポップはクロコダインを攻撃して、マァムはダイの回復を行えた。

あれがきっと仲間と連携し合うということなのだろう。

あの時取った行動は、人の真似に過ぎない。だがそれでも、あの時のやったことをもう一回やるくらいなら、自分でもできるのではないか。

 

「あんときはダイを逃がすためにやっただけだ! おれに戦う気なんてねぇよ! だから……」

 

空元気でも元気、という言葉がある。

たとえ見せかけだけ、元気なふりをしているだけだったとしても、空元気をしているうちに本当に元気を取り戻すという言葉だ。それと同じ事がポップの中で起こっていた。

この場合はさしずめ、ヤケクソでも勇気とでも言えばいいだろうか?

たった一度だけ、その場の雰囲気に流されて行った行動。だがそれはポップの心の中に小さな勇気を蓄積させていた。一度やったことなら、もう一回できるのではないか。そう思わせる程度には積み上げられた自信。

気が付けばポップの心の中には、もう少しだけやってみようという気持ちが湧き上がっていた。

 

「だから! とっととダイを追いかけて、チルノと一緒に回収してさっさと逃げるぞ!! もう一回言うぞマァム、おれは戦わねえからな!!」

 

そう言い放つとポップは、ダイの後を追いかけるように駆け出していく。

 

「ふふふ、カッコ悪いわね」

 

その発言を聞いたマァムは、ポップの心情を何となく理解していた。虚勢にも似た発言は額面通りに受け取れば情けないことこの上ない。でもそれは精一杯の勇気の証。この姿を見ただけでも、彼女がダイたちについてきたのは間違いではなかったと思える。

口ではああ言っていても、ポップがダイを見捨てることはもうこの先無いだろう。マァムはなぜかそう確信できた。

 

「さあ、私たちも行きましょう。ゴメちゃん」

 

ゴメちゃんに声を掛けると、マァムもダイたちの後を追った。

 

 

 

「行ったか?」

 

ポップたちも走り去り、無人となった宿屋にて、でろりんが空き部屋からこっそりと顔を出した。

 

「じゃな」

 

まぞっほも物陰から姿を見せると、誰もいないことを確認する。その言葉を聞くと、ずるぼんとへろへろも隠れるのをやめて姿を見せた。彼ら一行は、兵士が宿屋に飛び込んできた途端に隠れていた。以前の偽勇者騒動もとりあえずの裁きを受けており、別段お尋ね者というほどではないのだが、兵士たちと好き好んで関わり合いたくないという微妙な小悪党な心情ゆえの行動だった。

 

「しかしあいつらすげえな、あんな化け物相手に戦いに行こうなんざ」

「あの魔法使いクンも大したものよねぇ。言ってることは情けなかったけれど、土壇場で覚悟決めちゃったって感じでさ」

 

でろりんはチラリと見たクロコダインの姿を思い出して身震いを再発させ、ずるぼんは先ほどのポップの言動を思い出して賛辞する。

「真の勇気とは打算なきもの。相手の強さによって出したり引っ込めたりするのは、本当の勇気ではない……じゃったかな……?」

「あん? まぞっほ、なんだよそれ?」

「いや、わしの師匠が言っておったんじゃよ。あやつを見ていたら、何故かこの言葉を思い出しての」

 

それは本来の歴史において、まぞっほがポップに向けて言った言葉。肝心な時に踏ん張ることが出来ず、仲間を置いて逃げ出してしまったとある魔法使いの実体験を含んだ言葉である。その歴史の中では、迷いながらも我が身可愛さに一度ダイのことを見捨ててしまったポップであったが、まぞっほの言葉を聞き、微かに残った勇気を振り絞って応援に駆け付ける。

 

「じゃが、あの小僧には必要のない言葉じゃな」

 

まだまだ頼りないが、必要な時に勇気を振り絞れる。先ほどのは仲間に尻を蹴り上げられたから動いてるだけだったが、一度動くことが出来れば二度目以降は簡単だろう。今は借り物の勇気であっても、ポップはいつの日かそれを自分だけの本物に出来るだろう。

何度機会があってもその度に動けなかった自分と比較すれば、百点満点と言っていいだろう。まぞっほはそう結論付けた。

 

「なんだ? 今更正義の魔法使いにでも目覚めたのか?」

「ならいっそ、ここらで正義の心に目覚めてあいつらの加勢に行ってみてはどうじゃ? かつての偽勇者パーティが窮地を救うなんざ、なかなかドラマチックじゃぞ」

 

そう言われて一瞬だけ考えるでろりん達。だが結論を出すのも早かった。

 

「いや、ないない」

「そうそう、あたしらには似合わないわよ」

「だな」

「じゃろうなぁ、わしも言っててジンマシンが出そうじゃったわ」

 

言っていることは情けないが、これが彼らのいつも通りだった。正しい道を歩くことから外れ、かといって裏街道にまで落ちることのできない半端な小悪党たち。だがぬるま湯に浸かるような生活であってもこれはこれで楽しいものだった。彼らには水があっているのだろう。

 

「さて、わしらはわしらの出来ることをしようかの。急がんとモンスターの大群が来るぞい」

「「「異議な~し!」」」

 

その出来ることが火事場泥棒でなければ、彼らもきっと百点満点だった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「待っていただと? オレをか!?」

 

チルノの言葉に、クロコダインは訝しんだ。自分と目の前の少女の間には関係性など何もない。そもそもこの襲撃自体が人間に察知されているはずもなく、つまり待ち伏せることなど不可能なはずだ。

にも拘わらず、眼前の少女は待っていたと言ったのだ。そういえば奇襲を掛けたつもりが、直前で城門を閉じられてしまい、空を飛べないモンスターたちは城壁を越えることもできずに苦戦していたことをクロコダインは思い出す。仕方なく自分と飛行可能なモンスターたちで先に攻め入ったのだが、飛行系モンスターだけでは数が足りず、状況はあまり芳しいとはいえない。

落ち着き払ったチルノの口ぶりから、まさかロモスの対応はこの少女が行ったのか? と推測する。チルノの得体の知れなさに、クロコダインの警戒心が一段階上がった。

 

「ええ、あなたに――正確には、あなたが持っているはずの、ブラスおじいちゃんを封じ込めた魔法の筒に用があるの」

「なっ……!?」

 

目の前の少女が発した言葉が信じられなかった。なぜ魔法の筒のことを、中身を含めて知っているのか。

 

「貴様、何者だ!? なぜそれを知っている!!」

「自己紹介が遅れたわね。私の名前はチルノ。ダイの姉で、ブラスおじいちゃんの娘よ!」

「ダイの姉だと!?」

 

その名を聞いただけで、失ったはずの片目がズキリと痛んだ。目の前にいるのが討伐の勅命を受けた相手の姉だとは、さすがに思いもよらなかった。そして、クロコダインが持つ魔法の筒を知っていることもだ。ザボエラから筒を渡されたときに、中に何が入っているのかは聞いている。

だが、この少女のことは聞いていない。仮にザボエラが意図的に伝えなかったのだとしても、この少女は得体が知れなさすぎる。

クロコダインの感情が、少しずつ驚愕の色を持ち始めていく。

 

「おじいちゃんは返してもらうわ。見たところ、あなたもそんな物を使うのは本意ではないでしょう?」

 

そう言いながらチルノは内心安堵した。本来の歴史とここまで同じ展開である以上、クロコダインは魔法の筒を持っていると踏んでいたが、確証はなかった。だが反応を見るに、まだ同じ流れを踏襲しているらしかった。ならばまだやりようはあるはずと意識を集中させる。

 

「くッ! 黙れ!! ダイをおびき出すためにロモス国王を狙ったが、姉ならばかえって好都合よ! 死んでもらおう!!」

 

多少なりともクロコダインの武人の心をくすぐる言い方をしたものの、効果はなかったわけではないが、それでも後ろ暗い覚悟を決めた心は動かなかったようだ。血走った目で斧を突き付けながらそう宣言する姿を見て、チルノはクロコダインの相手が避けられないことを悟る。

 

「王様。部屋を傷つけますが、ご容赦くださいね」

 

シナナを庇うように王の前へ出ながら、チルノは小声で伝える。だがそれを聞いたシナナは狼狽えるばかりだ。

 

「大丈夫なのかチルノ? お主一人でこの相手は……」

 

荷が重いだろうと思っていた。相手は見るからに戦士タイプ。賢者の、それも女性のチルノでどこまで戦えるのか。しかしシナナのその考えは、チルノの放った魔法を見た途端に吹き飛んだ。

 

「【ファイラ】!」

 

炎が舞い上がり、凄まじい熱を発しながらクロコダインの巨大な体を包み込む。

 

「なんと……」

 

かつて見たチルノからは想像もできないほどに強力な魔法を見せられ、シナナは言葉も出なかった。予想を遥かに超えた強さ。これならば勝てるのではないかと、そう思わせるのには十分すぎるほどだ。だが不幸なことに、チルノの相手は並みの怪物ではない。

 

「がああああ!!」

「そういえば、そんな武器を持ってたわね……」

 

突風が吹き荒れてファイラの炎が吹き飛び、火炎の中からクロコダインが姿を見せる。クロコダインは真空の斧の力を借りて、風の防壁を張ることで炎を防いでいた。とはいえ直撃は避けられたものの余波までは防ぎきれず焼け焦げた跡が見える。

本来の歴史ではポップのメラゾーマを防いだ手段だったのだが、チルノも忘れていたため同じ轍を踏む羽目になった。思わず歯噛みするものの、チルノはポップとは違い、真空の斧を使って防いだことを知っている。そして攻撃方法はこれだけではない。ならば狼狽えることなく二の矢を放てばいいだけだ。

 

「だったら……【エアロラ】!」

 

目には目を歯には歯をとばかりに、続いて風の魔法を使う。これまで使用していたエアロとは比べ物にならない程の突風が生み出され、圧縮された空気がクロコダインに襲い掛かる。真空の斧の効果で発生した風はエアロラの風圧に一瞬だけ抵抗したものの、すぐに敗れ去りクロコダインに風で出来た暴力を届ける。

 

「ぬうぅぅっ!! これしきのこと!!」

「耐えた!?」

 

だがクロコダインは腕で顔を庇いながら自身の闘気を防御へと集中させてエアロラの暴風を耐えきった。その鱗に幾らかの傷跡は残すことは出来たが、実質的なダメージには結びつかない。タフな相手だとは知っていたが、まさか本人の防御力で無理矢理耐えるとは思わず、チルノの手が一瞬止まる。

クロコダインを相手にそれは大きな隙であり、敵はそれを見逃すほど凡愚ではない。

 

「ぬん!!」

 

勢いよく振り下ろされたクロコダインの斧を、チルノは慌てて引き抜いたダイ用のナイフで受け流す。

質量が違いすぎるため、まともに受け止めればナイフなど瞬く間に破壊されてしまう。そのための受け流しだ。力の方向を巧みに逸らしてやれば、この剛力と真っ向から力比べをしなくとも済む。

とはいえ。

 

――重いッ! やっぱり真正面からじゃ相手にならない!

 

受け流しの技術を習ったが、教わっただけですぐに出来るならば苦労はない。たった一撃を受け流しただけでチルノの腕に痺れそうなほどの衝撃が走る。もっと習熟していれば、こんな無様なことにはならないのだろうが。

そもそもクロコダイン相手に自分の未熟な剣術で対抗できるなどと、彼女は微塵も思っていなかった。自分が出来ることはまず時間を稼ぐこと。ダイはこの国にいるのだ。異変に気付いてきっとここまで来るはず。ならば合流してからクロコダインを叩けばいい。

ダイ到着までの間は、可能であれば意表をついて少しずつでもダメージを与えておく。

ザボエラの時のような失態はもう犯さない。少しでも自分の有利な土俵で戦うように、チルノは自分に言い聞かせる。

 

「【フラッシュ】!」

「くっ! 小賢しい真似を!!」

 

閃光で相手の目を眩ませる魔法を不意打ち気味に使うが、クロコダインはまるでそれを予期していたように腕で目を庇い、強烈な光の攻撃を防ぐ。

 

「王様! 下がってください!!」

 

やはりこの程度では通じないかと内心思いつつも、僅かな隙を作り出すことに成功したチルノは慌てて声を飛ばした。おそらくもうクロコダインは国王のことなど眼中には無いだろうが念のためだ。流れ弾で怪我でもされるような真似は避けたい。彼女の声を聞き、シナナは這うようにして避難する。

 

「【プロテス】」

 

背後の気配が移動するのを感じながら、チルノは長期戦に備えて防御の魔法を自身へと掛ける。直接攻撃のダメージを軽減してくれるありがたい魔法だが、クロコダインのパワーを相手にどこまで活躍してくれるかは未知数だった。

不安を感じたチルノはもう一枚の手札を切る。

 

――この魔法は、あまり使いたくなかったんだけどね……

 

「【ヘイスト】」

 

続いて唱えたのは加速の魔法だ。

対象の行動速度を上昇させる、攻撃にも回避も有効な素晴らしい魔法――だと、これを覚える前のチルノは思っていた。

 

「えええぃっ!!」

 

ダイのナイフを構えてクロコダインへと突っ込む。その速度はヘイストの効果で加速され、チルノ本人の能力以上となっていた。今ならば天馬とだって競争が出来そうなくらい体が軽く感じる。だからこそ、チルノはその感覚を恐怖と感じてしまう。

 

「むっ!? なんという速度、だが!!」

 

突如としてスピードアップした攻撃に面食らったものの、クロコダインも歴戦の強者である。戦斧を横に振るい、広い範囲を薙ぎ払う。その攻撃をチルノは大きく飛び退いてかわす。

 

着地先は、彼女が思っているよりもずっと後ろ(・・・・・)だった。

 

「……ッ」

 

これがヘイストの欠点。加速された身体能力に感覚が追いつかないのだ。そのため、進みすぎたり戻りすぎたりと調整が難しい。攻撃にも回避にもその影響が出るため、前線で武器を手にして戦うのにも常にそのズレに悩まされる。

超一流の戦士ならば、このズレをすぐに修正して活用できるのかもしれないが、あいにくとチルノはそこまでの練度を持っていなかった。それでもこの速度を活かせば、かく乱程度はできるはずと考えてた。

 

「どんな呪文かは知らんが、その効果か。だが、オレには通じん!!」

 

その言葉と共にクロコダインが突っ込んでくる。だがクロコダインとまともにやり合う気のないチルノは、横をすり抜けてやり過ごそうと動いた。

 

「見切った!! そこだ!!」

「ぐっ!!」

 

そこはクロコダインの戦斧の範囲内だった。

振り上げられた斧がチルノの体に打ちつけられ、一瞬で意識を刈り取られそうなほど凄まじい衝撃が襲い掛かる。叩きつけられた勢いで彼女の体が吹き飛ばされた。

 

「チルノ!!」

 

その瞬間を見ていたシナナは思わず叫んでいた。あの剛腕から繰り出される斧の一撃がどれほどのものかは想像に難くない。それをまともに受けてしまってはどうなるか。

 

「だ、大丈夫です……」

「馬鹿なッ! オレの斧を受けて無傷だと!?」

 

シナナの心配をよそに、チルノは痛む体に鞭を打ちながらゆっくりと起き上がる。それはクロコダインからすればあり得ぬ光景。今度はクロコダインが叫ぶ番だった。

 

――無傷じゃない!!

 

反射的に喉まで出掛かったその言葉をチルノは必死で飲み込む。

いくらプロテスの魔法で守りを固めていたとしても限界がある。クロコダインの剛力で振るわれた斧はチルノの服を切り裂き、腹部から胸元に掛けて深いスリットが入っていた。

幸いなことに出血はしていないが、衝撃までは緩和しきれず打撲が酷い。もしかすれば骨にヒビくらいは入っているかもしれない。

チルノは痛みを堪えようと無意識のうちに傷跡に手を伸ばして、そして気づいた。胸元に吊るしたままのアバンの守りが、淡く光っている。

 

――卒業の証が無い私でも、アバン先生はちゃんと守ってくれてるのね

 

アバンの守りに封じ込められたマホカトールの呪文が、さらにダメージを軽減してくれたようにチルノには思えた。偶然でしかないと切って捨てるのは簡単だ。それでもチルノは、少しだけアバンの使徒に近づけたような気になり、思わず笑みをこぼす。

 

「何が可笑しい!!」

 

その笑いが癇に障ったのだろう、クロコダインが苛立ちを見せる。チルノは遠くから聞こえてくる足音を耳にしながら、余裕をもって答えた。

 

「そう、ね……時間稼ぎが終わったから、かしら?」

「なに?」

 

時間を稼いでどうだというのだ、と問いただす暇はなかった。

 

「姉ちゃぁぁん!!」

 

数名の兵士に案内されて、ダイが謁見の間へと飛び込んできた。

 

「ダイ!? おお、ダイか!!」

「来たなダイ! 待ちかねたぞ!!」

 

ダイを見たシナナは歓喜に打ち震えた。チルノの時にも感じたが、ダイもまた以前会ったときよりもより逞しく成長しているように見える。彼の言った言葉ではないが、ダイとチルノが揃えばこの戦いは負けることなどないと夢想してしまうほどだ。

 

「ダイ、来てくれてありがとう」

「姉ちゃん……?」

 

ダイは久方ぶりに再会したチルノを前に、思わず涙を流しそうだった。どうしてここにいるのか、どうやってここまで来たのか、そんな疑問など吹き飛んでしまう。ただ会えたことが無性に嬉しくて仕方ない。

そして姉を見て気付く。

彼女の服が切り裂かれ、その顔は苦痛を訴えている。それをやったのは誰かなど、考えるまでもなかった。

 

「クロコダイン!! よくも姉ちゃんを!!」

 

ダイは怒りの声を張り上げて、ナイフを構える。その後ろにはダイをここまで案内してきた屈強な兵たちが、武器を構えて立ち並んだ。

そして、怒り心頭に発しているダイの隣へチルノは立つ。

 

「ダイ。気持ちは嬉しいけれど、落ち着いて」

「でも!」

「まずは装備を整えてから、ね? それと兵士の皆さんは王様の護衛をお願いします」

 

興奮気味のダイを落ち着かせるべく優しい言葉を掛けながら、ダイ用のナイフを差し出す。同時にやってきた兵士には王と気絶した兵士の対応を頼むことで、少しでも戦いやすく場を整える。

 

「これっておれの!? 見つけてくれたんだ!!」

 

ナイフを見たダイは嬉しそうに受け取ると、それまで持っていたパプニカのナイフをチルノへと返す。久しぶりに戻ってきたナイフは、ダイの手に吸い付くように馴染む。彼のサイズに合うようにチルノが調整したのだからそれも当然であるが。

 

「ただ、悪い知らせもあるの。デルムリン島に妖魔司教ザボエラって敵がやってきて、おじいちゃんを連れて行ったの……」

「えっ!?」

「おじいちゃんは今、クロコダインが持っている魔法の筒の中にいるのよ」

「何のために……まさか……!?」

「そのまさか。人質よ……あなたを倒すための、絶対の切り札としてね」

 

チルノの言葉を聞いた途端、ダイだけでなくそれを聞いていた兵士たちもざわめきだした。人質を使うという卑劣な行為に怒りを感じ、「卑怯者!」「恥を知れ!」と口々にクロコダインを非難する声を上げる。

 

「ええいっ!! 黙れ!! 黙れえぇッ!!」

「!!!」

 

非難の言葉に逆上したかのように、クロコダインは吠えた。そして懐から魔法の筒を納めた箱を取り出す。

 

「ふざけるな!! このような物など使わずとも、オレは戦える!! 勝てるのだ!!」

「待て、クロコダイン」

 

激情に身を任せたまま、それを放り捨てようとする。だがそんなクロコダインを宥める声がどこからともなく響き渡った。

 

「よいではないか。そやつらの望み通りに使ってやったらどうじゃ!?」

「この声は……!!」

 

聞き覚えのある声にチルノは辺りを見回す。それは、部屋の天井隅に蠢く肉塊から発せられていた。いつの間にそこにいたのか、巨大な眼球と無数の触手を持ち、まるで視神経をそのまま抜き出してきたようなモンスター。

悪魔の目玉である。

 

「ザボエラ!!」

「キィ~ッヒッヒッヒッ! また会ったな小娘よ。じゃがお主に構っておる暇などないわい」

 

悪魔の目玉は魔王軍の偵察役の他、さながらカメラのように音声や光景を仲介する連絡用としての役割も持っている。その機能を使ってザボエラは疑似的にこの戦いを観戦していた。

 

「クロコダインよ! 既にお主はその魔法の筒を受け取った! その時点で使うことは覚悟していたはずじゃ!! 今更手放したところで何になるというのじゃ!?」

「ぐ……」

「半端なプライドに拘って何になる!? もはや後はないんじゃぞ!?」

「ぐ、グオオオオオッッ!!」

 

葛藤したもののザボエラの甘言に従ってしまい、クロコダインは手にしてた箱を握り潰して中に納められていた魔法の筒を取り出す。

 

「出でよ!! デルパッッ!!」

 

魔法の筒が開き、中から一体の鬼面道士――ブラスが解き放たれた。

 

「じいちゃん!!」

 

反射的に飛び出しかけたダイのことを、チルノは肩を掴んで止める。

 

「何するんだよ姉ちゃん!!」

「落ち着いて。おじいちゃんは今、デルムリン島の外に出てるのよ……」

 

そう言われてダイはハッとした。デルムリン島はマホカトールの結界に守られているからこそ、邪悪な意志の影響から逃れることが出来る。だがこの場にはそれがない。となれば今のブラスが果たしてどんな状態であるかなど、わざわざ説明するまでもない。

なぜ自分はそんな簡単なことにも気づかなかったのかと、ダイは歯噛みする。

対してチルノは、ブラスが解放されたことに安堵していた。

無力化する方法はいくらでもある。睡眠魔法や麻痺魔法などの状態異常で動きを封じてから、持参した魔法の筒で回収してしまえばいい。どうせ邪魔する者などいないのだから簡単な仕事だ。

そう考えていた。

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ! そうじゃ! よくやったぞクロコダイン!! これでお主は絶対に負けん!! そら、ワシからの祝いの品じゃ、受け取れぃ!!」

 

だがそんなチルノの考えはあっさりと裏切られた。

ザボエラの言葉を合図に、クロコダインがあけた天井の大穴から複数の人影が降ってくる。その姿は一言で言えば、全身紫色をした人型の悪魔。片手には短刀を、もう片方の手には鞭を携えている。背中には蝙蝠を連想させる巨大な羽を備え、その羽を巧みに操って玉座の間へとふわりと舞い降りてきた。

 

「あれは、サタンパピー!?」

「何の真似だザボエラ!!」

「さっきも言ったじゃろう? 祝いの品じゃよ。お主は気にせずダイを倒せばよい。こやつらは周りの邪魔な枝葉を切り落とすための露払い役よ」

 

余計な手出しは無用だとばかりに、クロコダインは制する声を上げた。だがザボエラはダイの相手はしないということを免罪符として有無を言わせない。

ザボエラの言葉を証明するかのように、サタンパピーたちはチルノと兵士たちへ視線を向ける。その数は三体。それだけ見れば少ないと思うかもしれないが、サタンパピーは肉体能力も高く加えて呪文も使いこなす、かなりの強敵と言って良い。

そうは問屋が卸さない。

そんなことわざを思い出しながら、チルノはサタンパピーたちを睨みつける。

 

 

 

「ザボエラ様、よろしいので?」

 

ここは妖魔師団のとある一室。

ザボエラと妖魔師団所属の魔術師たちが水晶玉を前にずらりと並び、悪魔の目玉を通じて映し出されるロモスの光景に見入っていた。その集まっていた魔術師の一人が、ザボエラへの疑問を口にした。

 

「あん? なにがじゃ?」

「サタンパピーの事です。妖魔師団でも上位のモンスターを三体も投入するなど……」

「それに、ロモスはクロコダインの担当地域。むやみに妖魔師団所属のモンスターを入れるのは後々問題になるのでは?」

 

渡りに船ではないが、別の魔術師もザボエラへの疑問を口にする。出されたその意見は、どちらも至極真っ当なものだ。魔王軍とて組織である以上縄張り問題は存在しており、そこにサタンパピーという強力なモンスターを繰り出せば争論の種になることは間違いないだろう。

 

「クロコダインへ策を授けたとはいえ、心配になって妖魔師団でも上位のモンスターを援軍として派遣する。仲間を助ける(・・・・・・)行為の一体何が悪いんじゃ?」

 

だがザボエラは意に介した様子も見せず、邪悪に笑う。その顔からは、仲間を心配している様子など微塵も感じられない。一切の澱みなく紡がれた台詞からは、ザボエラが前もって回答を用意していたということがありありと見て取れた。白々しく仲間(・・)とまで言う。

それはつまり、これは予定された行動であり、魔王軍内部にて問題に上げられたとしても問題なくやり過ごせるという自信の表れでもある。仲間などとはカケラも思っていない。クロコダインのことも自身の出世のための駒の一つとしか見ていない。

 

「クロコダインには必勝の策を授けておるが、あのダイとかいうガキは中々やりおるからな。保険じゃよ、保険。仮に奴が親を見殺しにして戦ったとしても、クロコダインを相手に戦えば無傷では済むまい。そうなれば弱ったところをサタンパピーどもに仕留めさせることもできる」

「おお、なるほど!」

「さすがはザボエラ様!」

「策が成功すれば、ダイを倒す助力をしたということでワシの株も上がる。それにこやつらはアバンの使徒じゃ。周りの雑魚とて倒せば十分に加点となる。どちらに転んでも損はないわい。キィ~ッヒッヒッヒッ!」

 

既にザボエラの脳裏には敗北の二文字は存在していなかった。後はダイをクロコダインが倒すのかそれとも手駒のサタンパピーが倒すのか。興味の大半はそちらに傾いている。

 

「それにまだ仲間がいたじゃろう? あ奴らにも、即席ながらも面白い策を用意してあるわ。どうなるか見ものじゃわい」

 

自身の策が成功することを微塵も疑うことなく、水晶玉を眺めながらザボエラはさらに下品に笑った。

 

 

 

「ダイ!」

 

サタンパピーたちと睨み合う中、出遅れたポップとマァムがようやく追いつき、玉座の間に飛び込んできた。

 

「遅れてごめんね」

「悪い、道が混んでた! ……って、なんじゃこりゃ!?」

 

遅れた理由にカッコつけるようなことを言ってから、ポップは驚いた。彼が想定していた敵以外にも三体のモンスターがいたからだ。

 

「ポップ! それと……」

「私はマァムよ、よろしくねチルノ。詳しい自己紹介は後でするわ」

「マァムね、わかった。初めまして」

 

ポップがビビっているその横では初対面となるマァムとチルノが軽く挨拶をかわす。チルノはマァムのことを知識としては知っているのだが、この時点ではさすがに名前を呼ぶわけにもいかない。

チルノが言葉に詰まったのを察したマァムが助け舟を出してくれたおかげで、スムーズに事が運んだ。

 

「は、話が違うじゃねえか……クロコダインだけじゃなかったのかよ……」

 

三体のサタンパピーは飛び込んできたポップたちも攻撃対象とみなして視線を向けてきた。その視線にポップは怯え、チルノへと縋るような視線を向ける。

 

「文句はあそこにいる妖魔司教に言って」

「あそこ……うわっ!! なんだあの生き物は!?」

「悪魔の目玉……?」

 

初めて見たのか、ポップは悪魔の目玉のグロテスクな見た目に圧倒されて思わず声を上げる。

 

「来おったか残り物のアバンの使徒ども!! 飛んで火にいるなんとやら、お主たちにはコイツをくれてやろう!!」

 

ポップたちが来たことを知って、ザボエラは嬉々として叫んだ。そして玉座の間に煙が立ち込みはじめ、カーテンのように辺りを覆い隠す。その煙の向こう側からは床から何かが徐々に生み出されていくのが見える。

 

「なんだ!?」

 

生み出されていくモノは次々と重なり合い、煙のカーテンに人型のシルエットを映し出す。その朧気なシルエットを見ながら、知らず知らずのうちにポップは呟いた。

 

「アバン……先生……?」

 

 




なんとアバンが敵に!?……なわけないですよね。これほど偽物だとバレバレなのもそうそういないかと(苦笑)多分10人中9人くらいは考えつくネタだと思います偽アバン。そしてザボエラならやりかねないと思いませんか?
でもって、偽アバンを出現させるのは序盤がベスト。後半だとアバンの死を乗り越えられていますが、序盤の頃だとフラッと出てこられると本物だって信じてしまう。不都合な真実よりも都合の良い嘘を信じてしまうって心理です。

当初はマネマネにしたかったんですが、初出がDQ4(DQ4の敵は魔界の魔物扱いなのでどうかと思って)なので別の手段にしました。そんな縛りなんて無視して普通にマネマネにすればいいのにね。(ボラホーンとか種族トドマン(グレートオーラス?)(どっちもDQ4)ですし)
ハタから見れば一瞬の足止めにしかなりませんが、アバンの使徒には絶大――になるかはザボエラの演技力にかかっている。そんな扱いになってるはずです。何をしたのかなこの妖怪ジジイは。
(絶対普通にマネマネにした方が良かったって後悔するパターンだなこれは……)

「出したり引っ込めたりするのは本当の勇気ではない!」ってまぞっほの台詞、言わせてあげたかったなぁ……
あのセリフはあくまできっかけでしかなくて、もともとポップはこのくらいやってくれるって信じてます。勇気と自信をちょっとずつでも積み重ねれば、ビビりつつも活躍してくれるって信じてます。勇気を司るアバンの使徒なのですから、このくらいはね。
その代わりダイがまだ甘ったれ。誰かがダイの尻を叩かないと。

サタンパピー。原作よりも強いダイに加えて戦力も増えている。だったらザボエラだってこのくらいはしますよね?(それにコイツが邪魔しないと「スリプル、イルイル」で終わってしまう)
(そういえばコイツ、外見の『アレ』は腹筋ですよね?モッコリじゃないですよね??)

ヘイストに自ら制約を掛けていく。倍速で動けても感覚置いてきぼりになるかなって。
(スカラやバイキルトは当人の持つ能力以上の攻撃力や防御力を発揮するから戦士系からは嫌われている。って設定をどこかで見たような気がしたんですが……)

どうしてこんな展開になった……



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LEVEL:15 慟哭

「ザボエラめ、余計なことを……」

 

先ほど援軍として空から降りてきたサタンパピーたちを、そして今まさに呼び出されようとしている正体不明の人影を見ながら、クロコダインは忌々しげに呟いた。

ダイの親であるブラスを人質にして戦う。最初にザボエラが持ち掛けてきたこの作戦だけでも、クロコダインからしてみればお世辞にも褒められたものではない。それに加えてこの増援。

言外に「クロコダインの実力を信用していない」と訴えているも同然だ。そもそもロモスはクロコダインと百獣魔団の担当地域である。そのロモスで妖魔師団がこれだけ暴れていることも彼からしてみれば腹立たしい。自らの縄張りとでも言うべき場所を部外者に我が物顔で歩き回られて、よい顔など出来ようはずもない。

 

「チッ……!!」

 

だがクロコダインはその苛立ちの感情を飲み込んだ。この事態を招いたそもそもの原因は、己がザボエラの奸計に乗ってしまったからだ。あのとき、差し出された魔法の筒を受け取らなければ……

脳裏によぎった「もしも」の考えをクロコダインは捨て去る。理由はどうあれ、自分は受け取ってしまった。ならばどのような言葉ももはや言い訳にしかならない。

 

――全てのことはダイに勝利してからだ。

 

「さあ行けッ! 鬼面道士ブラスよ!!」

 

覚悟を決めたクロコダインが吠える。

魔法の筒から解き放たれ、それまで沈黙を守っていたブラスの瞳が怪しく輝いた。

 

 

 

「鬼面道士……」

「あれが、ダイ殿とチルノ殿の……」

 

玉座の間に現れたブラスの姿を見ながら、兵士たちが恐ろしげに呟いた。無理もない。現在のブラスは邪悪な意思の影響下にあり、まだ目立った動きこそ見せていないものの、禍々しい気配を漂わせている。百獣魔団と最前線で戦っていた兵士たちにとってみれば、感じる気配は戦闘時に通ずるものがあった。

 

「無茶を承知でお願いします。傷をつけないでください」

「おれからもお願いだよ! じいちゃんを助けたいんだ!!」

 

ダイとチルノにそう言われて、兵士たちは自分たちが無意識のうちに手にした武器を強く握りしめ、今にもブラスに襲い掛からんばかりの精神状態になっていたことに気づき、少しだけ力を抜く。二人の親だということは、彼らも僅かな会話を聞いていたために理解できていた。可能であれば助けてあげたいという気持ちは嘘ではない。

 

「し、しかし……」

 

だが兵士たちは困惑を隠せなかった。それはすなわち、モンスターを傷つけることなく倒せと言っているようなものだ。そんな無理難題をどうやって実現させろというのか。その方法がまるでわからない。悩みによって動きを鈍らせた兵士たちを元気付けるように、チルノは口を開いた。

 

「大丈夫、私が無力化させま……!? くっ!!」

 

だがその言葉を最後まで言い切ることは出来なかった。

突如としてサタンパピーの振るった鞭がチルノへと飛び、彼女の細い首筋へ蛇のように巻き付く。未だにヘイストの効果が持続していたおかげもあって、彼女はとっさに腕を滑り込ませて首を直接締め上げられるような事態だけは避けたが、状況は芳しくない。巻き付いた鞭によって片腕が封じられた上に、鞭という紐付きのせいで移動まで制限されている。

 

「もう少しだけ、大人しくしててくれればいいものを……っ!!」

 

無駄とは知りつつも、チルノは悪態をつかずにはいられなかった。

彼女の知る本来の歴史では、ブラスが人質となっているせいで満足に戦うこともできず、ダイたちは苦戦を強いられる。それを知っているからこそチルノは、ブラスを無力化させてさっさと後顧の憂いを断っておくつもりだった。

相手を眠らせる魔法や麻痺状態にする魔法が使えるのに加えて、マホカトールを封じ込めたアバンの守りを持ってきている。加えてデルムリン島から持ち出してきた魔法の筒を使えば、無力化したブラスをすぐさま封じ込めて安全な場所に避難させることだってできる。

アバンの守りによって邪悪な意志の影響からギリギリ耐えさせる当初の案と比べれば見劣りするものの、ブラスはすぐにでも回収出来てザボエラの策は意味をなさなくなるはずだった。

 

しかし、サタンパピーの邪魔がすべてを台無しにしていた。

そもそもチルノの知る歴史では、ここでサタンパピーなど登場しない。ザボエラの策はブラスを利用することだけだ。それがいざ参戦してみれば、当初の予定に加えて三匹のサタンパピーが増えており、未確認だがさらにまだ敵の増援がいるらしい。

これは自分がいるせいで歴史が変わった影響か? それともロモスにたどり着くまでの道中、ダイたちが何か目立った活躍でもして警戒を強められたのか?

 

いずれにせよ、原因を幾ら考えても目の前の現実は変わるはずもない。まずはこの邪魔なサタンパピーをどうにかしなければ。

おそらくこの場で唯一、ブラスを無力化することが可能なチルノを邪魔するなど、やられる方からしてみればたまったものではない。そして敵もそれを理解しているのだろう、鞭を通じてチルノと繋がっているサタンパピーがニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。

まるで、苛立つチルノへの嘲笑のようだ。

 

「コイツ!! 姉ちゃんを離せ!!」

 

チルノが拘束されたことに、ダイがすぐさま反応した。手にしたばかりの自分用のナイフで鞭を切断しようと遮二無二飛びかかった。普段のダイならばまずありえない行動。姉が捕まったことで、注意はそちらにしか向かなくなっていた。最悪なことに、今最も注意しなければならない相手を無視したまま。

 

「メラミ!!」

 

その隙を見逃すほど敵は愚かではなかった。ブラスが呪文を唱え、火球をダイへ向けて放つ。育ての親から子供に向けての行動だが、邪悪な意志によって凶暴化しているブラスには一片の手加減も存在していない。

 

「ッ!? ヒャド!」

 

自身へと迫りくる火炎に向けて、ダイは氷系呪文で咄嗟に迎撃する。辛うじて発動が間に合い、メラミとヒャドがぶつかり合う。炎と氷という相反する属性同士がぶつかり合ったため、瞬間的に反作用からの爆発が起きる。爆発の余波と炎が氷を打ち消したことで勢いが削がれ、メラミの威力が弱まった。

呪文の格としてはメラミの方が上だが、そのおかげでダイはなんとか直撃を回避する。

 

「じいちゃん!! なん、でだ……よ……」

 

思わずブラスへと叫んだダイは、そして気づいた。ブラスのダイを見る瞳には、もはや一片の情も見られない。そこには完全に凶暴化したブラスの姿があるだけだ。

かつて一度も見たことのない殺意に満ちたブラスの瞳。慕う肉親の変わり果てたその姿は、ダイの気勢を容赦なく奪い取っていた。

姉の危機と育ての父の変貌がダイの心を打ちのめす。そしてブラスは、そんなダイの心へさらに傷を与えるかのように次の呪文を放った。

 

「メダパニ」

 

続けてブラスから放たれたのは、鬼面道士の代名詞とも言える精神混乱呪文だった。この呪文の影響を受けた者は、感覚神経を侵され幻覚に囚われる。正常な判断を出来なくさせ、同士討ちを誘発させる恐ろしい呪文。

 

「うわあああああっっ!!」

 

その対象となったのは兵士のうちの一人だった。メダパニに囚われた彼の目には、仲間であるはずの兵士たちの姿が恐ろしい怪物に見えている。身の毛もよだつほどの恐怖に襲われ、兵士は悲鳴を上げながら手にした剣を振り回して同士討ちをはじめた。

 

「あああぁぁっ!!」

「落ち着け!! どうした!!」

 

慌てて仲間の兵が取り押さえようとするが、それすらも混乱中の彼から見れば化け物が手を伸ばして襲い掛かって来る光景にしか見えない。恐慌状態はさらに加速し、狂乱して剣を振るう。

その様子を見ながら、ブラスはニヤリと笑った。

この場で最も強いが呪文に抵抗しそうなダイに掛けるのではなく、あえて兵士に使うことで確実性を増し、人だけでなく場をも混乱させる。かつての魔王軍幹部であるブラスの得意技である。

厳しくも優しかったはずのブラスが嘲笑するその姿は、ダイの心に悲しみを植え付けていた。

 

 

 

「きゃあっ!!」

 

サタンパピーとしばらくの間、鞭を使った綱引きをしていたチルノであったが、ブラスのメダパニによる場の混乱に気を取られた隙に、サタンパピーは鞭を強く引っ張った。意識の間隙を突かれた上に、予想以上に強力なサタンパピーの膂力はチルノの体が軽く宙に浮いたほどだ。まともに抗うこともできずに引っ張られ、そしてチルノは床へと無理矢理引き倒される。

サディスティックな性癖でも持っているのか、それを見ながらサタンパピーたちは下卑た笑いをさらに濃くする。

 

「よいぞサタンパピーよ! その小娘は何やら無力化の手段を持っとるようじゃ! 徹底的に妨害せよ!! 分断して殺せ!!」

 

チルノが床に這いつくばるのを見たためか、悪魔の目玉を通して聞こえるザボエラの声もまた悦に入っていた。

 

――まずはこの鞭をどうにかしないと。

 

倒れた格好のまま、パプニカのナイフを鞭へと叩きつける。だが鞭はチルノが考えるよりもずっと柔らかく弾性に飛んでいたようだ。ナイフの刃は鞭に食い込むものの一向に切断できそうな気配が見られない。

つけ加えれば、倒れた格好のままであることと、短剣を握っているが利き腕とは逆の手なことも原因だろう。ゴリゴリとまるでノコギリでも引いているかのように不格好にナイフを使うチルノを見ながら、サタンパピーたちはゲラゲラと笑った。

嘲笑を聞きながら数回ナイフを動かしたところで、チルノはようやく気付いた。

 

「【かえんほうしゃ】!」

 

何も切断するだけが解決法ではない。例えば、焼き切ってしまえばいい。青魔法によって生み出された炎は鞭を半ば辺りから焼き切りながら尾を引きながら伸びていき、そのままサタンパピーへと襲い掛かる。

それまで馬鹿笑いをしていたサタンパピーも鞭を放り投げると慌てて火線から逃げた。鞭を手放したことでチルノも力任せに戒めを解いて立ち上がる。

だが起き上がったチルノが見たものは、先ほどとは違い警戒した様子でこちらを睨む三匹のサタンパピーの姿であった。

 

「……もう少しくらい、油断してくれてもいいのよ?」

 

姿勢を整え直しながらそう言うが、サタンパピーの様子から油断の色は見られない。

一人で三匹を相手にするのには少しでも楽な方が良いのだが、期待はまるでできなさそうだ。なんとかポップたちに助けを求めたいのだが、果たして彼らにそんな暇はあるのか。

チルノは、彼女も知らないザボエラの最後の策を前になんとかポップたちが無事でいてくれるように願いながらサタンパピーを相手取る。

 

 

 

「アバン……先生……?」

 

煙のカーテンに包まれたその向こう、うっすらと見えるそのシルエットを見ながら気づけばポップはそう零していた。

ポップのその言葉の真相を明らかにするかのように、煙がゆっくりと晴れていく。

見えてくるのは、中世の貴族にも似た外巻きにカールされた長髪。見慣れた真っ赤な服をまとい、眼鏡も掛けている。それだけならば、彼を知るものは誰しもアバンだと言っただろう。

 

「あ、うあぁ……」

「そんな……」

 

だがそれ以上に、決定的に違う部分が無数にあった。

格式すら感じたはずの赤い服は、焼け焦げているうえに着古したようにボロボロになっている。その服の下から見える体は、傷ついてグチャグチャだ。裂傷や擦過傷に加えて、針でも刺したかのような穴が開いている部分も見られる。まるで拷問でも受けたようだ。肌の色は全体的に土気色をしており、瞳からはおおよそ生気というものの一切が感じられない。焦点の合わぬ目であらぬ方向を見据えたまま、立つこともおぼつかないのかフラフラと体を揺らしている。鼻の曲がりそうな悪臭を放つ腐った肉体。

その姿は、まさにゾンビ――腐った死体そのものだった。

 

「ワシからのプレゼントは気に入ってくれたかな、アバンの使徒どもよ?」

 

絶句するポップとマァムに向けて、ザボエラは楽しげに尋ねた。

 

「ふ、ふざけんじゃねえ!! こんなものに騙されるかよ!!」

 

目の前の相手を一瞬でもアバンだと思ってしまったことを恥じ、それを誤魔化すためにも必要以上に大声を張り上げた。

確かにアバンに似ているが、それは恰好だけだ。これはただのモンスター、腐った死体を変装させただけでしかない。ポップは怒りに身を任せながら攻撃呪文を放とうとする。

 

「何を言う? 貴様らの愛しの先生じゃぞ」

 

その行動に、ザボエラが待ったをかける。だがその言葉はポップの怒りのボルテージをますます上昇させた。彼にはもはや、何も知らない相手が馬鹿なことを言っているようにしか見えなかった。

 

「馬鹿なことを言ってんじゃねぇ!! 先生は……」

「メガンテでバラバラになって吹き飛んだ、かのぅ?」

「なにっ!?」

「え……!?」

「なんと……」

 

間違いを指摘することでザボエラの無知さと浅慮さを思い切り叩いてやろうと思っていたポップであったが、ザボエラの言葉に動きが止まった。いや、動きが止まったのはポップだけではない。何があったのかを聞いていたマァムも、そしてデルムリン島で起きたアバンの事件の顛末を知らないシナナ王も同様だ。

 

「ハドラー様から事の顛末はワシも聞き及んでおる。そのくらいのことは知っておるわ」

 

ポップたちが動きを止めたことをこれ幸いと、ザボエラは滔々(とうとう)と語る。

 

「それを聞いたとき、ワシは考えた。死した勇者を再利用できんか、とな。肉体を失い彷徨う魂を捕獲し、死体を素材に培養した新たな肉体へと再び詰め込むことで新たな魔王軍の兵士として生まれ変わらせる。それがこいつじゃ!!」

「嘘をつくんじゃねぇ!! どう見ても失敗しているだろうが!!」

「命を、先生の命をなんだと思ってるの……!!」

 

ザボエラの弁を聞いたポップたちが激昂したように叫ぶ。だが彼らは気づいているだろうか。その言葉は、目の前のゾンビをアバンだと自分で認めつつあることに。

二人の言葉からそれを確信したザボエラは、さらに説明を続ける。

 

「さて何が悪かったのやら? 死体の損傷が激しすぎたのか魂すら傷ついたのか、生ける屍(リビングデッド)の禁術もうまくいかんかった。勇者の加護とかいうやつかの? そんな姿になってしもうたわ」

 

ザボエラは本来の歴史において、今よりも先に超魔ゾンビと呼ばれるモンスターの死体を利用した魔獣を生み出している。これはその研究の一環。死者を利用する研究で培った技術のちょっとした応用だ。

そもそも本来であれば、腐った死体やグールに代表されるアンデッド系モンスターは不死騎団の所属である。だがザボエラ率いる妖魔師団には、シャーマン、ゾンビマスター、マクロベータといったモンスターが所属している。奴らは死者を操り自らの手駒として扱うモンスターだ。そのモンスターの用いるアンデッドを作成する禁術とザボエラの研究成果の融合した結果こそが、ポップたちの眼前にいるゾンビであった。

 

「ああ、信じなければそれでも構わんぞ。そやつは再びあの世に行くだけじゃからな。ほれほれ、さっさと倒してしまったらどうじゃ? 自称・正義の使徒たちよ」

 

言うべきことは全て話したとばかりに、ザボエラはポップたちの心をくすぐるような勿体ぶった物言いをする。ゾンビを倒さなければならないという気持ちと、これがアバンかもしれないという浮かび上がった疑念。その二つに挟まれたポップたちはまともな思考が出来なくなっていた。

だが迷っている間にも、ゾンビはポップたちへと襲い掛るべくゆっくりと移動してくる。

 

「お……が、あ……ああ……」

 

口から涎を垂らしつつ、意味ない言葉で呻きながら近寄ってくるゾンビを前にしてもなお、ポップもマァムも動けなかった。マァムは背負っていたハンマースピアを構えてはいるものの、それだけだ。ポップも短杖を手にしたまま、最初の勢いはどこへやら、攻撃も防御も忘れたようにただ様子を見ている。

ゾンビは完全に二人に狙いを定めているようだ。そして周りのモンスターたちもそれを認識しているらしく、加勢も邪魔もしてこない。

 

「先生! 本当にアバン先生なんですか!? 私です、マァムです!!」

 

堪え切れず、弾かれたように叫ぶが、それでも目の前の死体からの返答はなかった。ゾンビは他の一切を意に介すことなく二人へと近寄る。もはやお互いの息がかかるほど近くまで寄っている。それでも二人は棒立ちのままだった。

 

「ま……あむ……」

「っ!! 先生!!」

 

不意にゾンビが口を開いた。確かにマァムの名を呼んでいる――少なくとも二人にはそう聞こえた。それはまるで、二人の呼びかけで正気を取り戻したかのような光景だ。必死の言葉が通じたと思ったマァムは、思わず目の前のゾンビへ向けて縋るように手を伸ばしてしまった。

 

「あぶねぇ!!」

「きゃ!?」

 

そう言いながらポップはマァムを横から突き飛ばした。予想もしていなかった行動のため、マァムは抵抗することもなく数歩分の距離を無理矢理移動させられる。

 

「ポップ! なにす……」

 

文句を言いかけたところで、彼女は見た。自分を庇い、突き飛ばすために伸ばしたポップの腕を目がけて、ゾンビが今まさに歯を突き立てようとしている瞬間を。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

そしてほんの少しの間を置いて、ポップの絶叫が響き渡った。

 

 

 

「じいちゃん!! やめろよ!! なんでこんなことするんだよ!! おれだって、姉ちゃんだっているんだぞ!!」

 

すぐ傍では混乱した兵士を取り押さえようと他の兵士たちが悪戦苦闘している。その混乱の原因を作ったことが信じられず、ダイはなんとかブラスを取り押さえようと一人駆け出していた。

だが現在の状況が信じられず、混乱した状態のダイは何も考えずに愚直に突き進んだだけだ。それも、今までのダイの動きを知るものからすれば比較にならないほど稚拙な動き。

説得のためとはいえ全身全霊の大声を出しながらそんな動きをしていては、すぐにブラスに気づかれる。

 

「ヌウウウウゥッ!!」

 

迫り寄るダイに対してブラスは体術で迎え撃った。魔法使い系統に属するモンスターとしては意外なことに、手にした杖を棍のように操り、ダイへと攻撃を加える。

 

「うわ!!」

 

ダイはブラスの初撃こそ防御したものの、すぐにブラスの動きに対応していた。伊達に長年に渡り鍛えられていたわけではない。二発目のブラスの攻撃に対して体が反射的に動き、杖を掴んでブラスの動きを制限する。

 

「グウゥッ!?」

 

杖を掴まれたことで一瞬ブラスがうめき声を上げた。その隙にもダイは動き、ブラスの足を払って

床へと転ばせる。その早業に受け身すら満足に取れず、ブラスは背中から床に叩きつけられた。衝撃でブラスの息が詰まる。

ダイは仰向けになったブラスへ馬乗りになると、その手を動かないように掴んで捻り上げた。

 

「グアアッ!」

「ごめん、じいちゃん! ちょっとだけ耐えて!!」

 

育ての親の動きを封じ、苦痛のうめき声を聞くことはダイにとっても痛手だった。それでも、悩みながらでもそれを実行できたのは、チルノならばなんとかしてくれるかもしれないという希望があったからだ。

事実、先ほど何らかの手立てがあるような発言をしている。ブラスの攻撃を捌きながらそれに気づいたダイは、まずはブラスの動きを止めることを先決にした。後は兵士に拘束作業を代わってもらい、その間に自分はチルノを助けてブラスを救出すればいい。

 

「姉ちゃ……」

 

チルノへと声を掛けようとして、ダイはようやく気付いた。自身に巨大な影が掛かっていることに。この場にはもう一人、忘れてはならない相手がいたことに。

 

「ブラス、そのまま押さえつけておけ」

 

ダイがブラスの相手をしている間にクロコダインは忍び寄り、近くで攻撃の瞬間を狙っていた。ブラスの事でダイの集中が途切れていなければ、こうも容易く接近することは出来なかっただろう。

じっと好機を窺い、そして訪れたのはダイが馬乗りになるという絶好の時。その一瞬に賭けて、クロコダインは大きく斧を振りかぶっていた。

 

「あっ……!!」

 

ダイの脳裏にネイル村での一場面が浮かぶ。それはクロコダインの焼けつく息(ヒートブレス)を考えなしに避けたせいで村の少女ミーナを危険に晒してしまった瞬間だった。あの時と同じように、自分の後ろにはブラスがいる。

 

「うおおおおおっ!!」

 

馬乗りの不安定な体勢から、それでもダイは小柄さ故のスピードで素早く立ち上がるとクロコダインの攻撃を受け止めるべくダイ用のナイフを構える。

クロコダインの強烈な一撃を受け止めきれるとはとても思えない。だがそれでもダイはやるしかなかった。避ければ下にいるブラスがどうなるかなど、考えるまでもない。

 

――ちくしょう!! 姉ちゃんさえいてくれたら!!

 

叫び出したい気持ちを抑えながら、ダイは必死でアバンに習ったことを思い出す。効率の良い力の込め方、闘気を身にまとって少しでも防御力を上げる方法など。ほんの僅かな時間に過ぎないが、それでもとにかく防ぎきるために出来ることは全て行っていた。

 

「ぬおおおおぉっ!!」

 

雄叫びと共にクロコダインの斧が勢いよく振り下ろされる。ダイはそれを受け止めるべく、ナイフを水平に寝かせ刃の腹に手を添える。

そして、金属同士の激突する甲高い音が鳴り響いた。

 

「なんとっ!! 貴様もかダイ!!」

 

戦斧と短剣のぶつかり合った結果は、引き分けであった。押さえ込みつつある斧をナイフで必死に受け止めながら、ダイはクロコダインの力に抗うべく歯を食いしばる。

拮抗できたのは奇跡に近い。

もしもダイが攻撃を防ごうとする必死の努力を行っていなければ、もしもダイの持っているナイフがキラーマシンの装甲を加工して作った特製のものでなければ、今頃ダイは短剣もろとも防御を打ち砕かれて致命傷を負っていただろう。

少し前、チルノへと斧を振るった時には体に当たったというのに無傷であった――プロテスによる守りの効果を知らないクロコダインはそう認識していた――それに加えて弟であるダイは剛腕たる自身の斧の一撃を真正面から受け止めて見せた。

避けることもできただろうに受け止めることを選択したのは、背後にいるブラスの存在が原因かと遅まきながらクロコダインも理解する。たとえどれだけ危険だとしても、親を守るための必死で抗う。そんな動物ですら持っている当たり前の行動を目にして、クロコダインの心には再び後悔の念が鎌首をもたげ始める。

 

「ダ、イ……」

 

一方、巻き添えを防ぐために攻撃を受け止めたためにブラスの動きを封じるものはもはや何もなくなっている。凶暴化し、ダイ抹殺のために動く今のブラスにとってみれば、今のダイは背後を向けて隙だらけの状態だ。

ブラスの瞳が怪しく光る。かつてダイに向けられていた情愛などもはやその一遍も感じられない。

 

「メラミ!!」

 

がら空きになった背後に向けて、再びブラスのメラミが襲い掛かる。生み出された火球の直撃を受けてダイは悲鳴を上げるが、その声は聞こえることはなく、代わりにメラミの直撃による轟音が轟いた。

 

 

 

チルノは三体のサタンパピーに翻弄され続けていた。便宜上、鞭を失ったサタンパピーをAと。残りの二匹をそれぞれB、Cと呼称する。

サタンパピーAは短剣を用いて積極的に直接攻撃を仕掛けてくる。鞭を失ったことでむしろ攻撃の選択肢が減り、サタンパピーAは迷いのない行動を取ってきた。

それでもチルノとて子供の頃からダイの剣術修行相手を務め、数日とはいえアバンの修行を受けているのだ。繰り出される白刃の攻勢を自らの持つパプニカのナイフで防いでいた。

サタンパピーAだけが相手ならば、ここにさらに反撃を織り交ぜることで勝利をもぎ取ることも出来たかもしれない。

だがそれはサタンパピーBが防ぐ。

 

サタンパピーBは常にAから少し離れた場所に位置し続け、サタンパピーAに隙が生まれたタイミングを狙ってチルノに鞭攻撃を仕掛けてきていた。

Aに隙が生まれれば、当然チルノは反撃に転じようとする。防ぐだけではジリ貧であり、せっかく狙える好機なのだ。彼女が動こうとするのも無理はない。

その攻撃を仕掛ける瞬間を狙って、出鼻を挫くように鞭を叩き込む。チルノの反撃の芽を潰すことでサタンパピーAは攻撃に集中でき、Bもまた鞭の一撃による激痛で確実にダメージを与える。

敵ながら厄介なコンビネーションとしか言いようがなかった。

 

本来ならばこれに加えてサタンパピーCの攻撃も加わるはずなのだが、ザボエラの「妨害して分断しろ」という命令のためか、はたまた他に何か狙いがあるのか、CはBよりも離れた場所で何もせずにチルノの様子を窺っているだけだった。

サタンパピーCの静観に加えて、プロテスの守りとヘイストの加速が無ければ、チルノは早々にやられていたかもしれない。

サタンパピーの短剣こそ避けられているものの、Bの攻撃までは無理だった。先端部分は音速すら超えるとも言われる鞭の一撃は、チルノの皮膚に確実に痛手を負わせる。

それに加えてクロコダインから受けた怪我も無視できるものではない――いや、むしろクロコダインの一撃の方がよほど深い。動くたびに腹部に激痛が走る。

こんなに痛いのならば、ナイフで痛む場所を切り取ってしまおうか? そんな混乱した考えが浮かぶ程に、彼女は追い詰められている。

それでもチルノは、痛みに振り回されながらもなんとかダイとポップの様子を視界に収めていた。

 

彼女が確認した瞬間は、ダイがちょうどブラスに向けて駆け出したところだった。ブラスを押さえながらクロコダインの相手もする。少し難しいかもしれないが、ダイならば可能だろうとチルノは判断してしまう。

何しろ、もう一方のポップたちの方が――彼女にとってみればこちらの方がよほど問題だった。チルノの知る知識にまるでない存在。ポップがぽつりと零したように、見た目はアバンに似ていなくもない。だがあまりにも不格好。

 

――腐った死体を改造でもしたのかしら?

 

この出来の悪いゾンビとなっている偽アバンを見たチルノの率直な感想である。

何しろアバンはまだ生きているのだから、偽物であることは疑いようもない。

とはいえこれを知っているのは、本人を除けばチルノとブラス。あとは伝言をお願いしたマトリフくらいのもの。

だがそれらの事実を何も知らないポップたちにとってみれば、この不細工なゾンビはアバンが無理矢理復活させられたものだと信じてしまっている。

ザボエラの口上を聞いてしまったこともあり、攻撃も防御も忘れたように立ち尽くす二人を見てチルノの良心が痛む。

今ここで、全てを教えてしまいたい。チルノはその誘惑を必死で断ち切る。ここで早々に教えてしまっては、果たして何のために今まで黙ってきたのか。その全てが水泡に帰すのだ。

ポップたちならばアレが偽物だと気づいてくれるかもしれないとチルノは願っていた。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

しかしその目算はポップの悲鳴と、そしてダイに直撃したメラミの轟音がチルノの耳に入ったことで崩れる。もはや悠長に構えている時間はない。

チルノは大きく後ろに飛び退き、鞭の攻撃をかわすと腰を落として精神を集中させる。

 

「【鳳凰の舞い】!」

 

たちまち炎で出来たチルノの分身が生み出され、サタンパピーたちに襲い掛かる。数日間の一人修行によって練度を上げた鳳凰の舞いは威力も発動速度もデルムリン島で見せたときとは段違いに上がっている。

火炎放射が線による攻撃を行うのであれば、これは炎の分身による多数への面攻撃。複数を相手にするのならば便利な技だった。

突如襲い掛かる炎の分身を避け切れず、サタンパピーAとBはまともにその体を焼かれる。サタンパピーCに対しては距離があるため、どうなったのかチルノは確認することが出来ない。

だがそれを確認している暇はもっとない。

炎の分身と同時にチルノはサタンパピーAへ向けて駆け寄り、その途中で手にしていたパプニカのナイフを上に放り投げた。

 

「【爆裂拳】!!」

 

パプニカのナイフを手放して自由になった両手で、数発の拳を打ち込む。

 

「グワアアアアアァァッ!!」

 

爆裂拳はサタンパピーAに対して遺憾無くその威力を発揮した。内側から爆発するような衝撃を受けてAは口から血を吹きながら力を失い倒れこんだ。

 

「まず一体……ポップ!!」

 

沈んだサタンパピーの姿をちらりと見ながら、一息つく暇もなく次の行動に移る。

放り投げたパプニカのナイフが計算通りちょうど良いタイミングで落ちてきた。まだ中空で落ちつつあったそれをチルノはまるで曲芸師か何かのようにキャッチすると首から提げていたアバンの守りの紐を力任せに切断する。

続いてポップの方向を目掛けて強引にアバンの守りを投げつけた。

幸いなことにサタンパピーAが一撃で沈んだためか、他のサタンパピーたちの動きは鈍かった。まさに絶好の好機である。

 

「ゴ、ガアアァァッ!?」

 

強引に投げられたアバンの守りは若干狙いを逸れ、ゾンビにぶつかった。だが護符に込められたマホカトールの効果によってゾンビは弾き飛ばされて、破邪の力によるダメージを受けている。

その衝撃は不浄なるゾンビにはとりわけ凄まじく、ポップの腕から口を離して吹き飛んだばかりか倒れたまま動かないほどだ。

 

「うぐぐぐ……チルノ……?」

「早く! それを拾って!!」

 

ズキズキと痛む腕を庇いながら、痛みとショックで朦朧とした意識の中、チルノの声に導かれるようにポップはアバンの守りを拾い上げた。

一見すればただの木片。短冊程度の大きさの粗雑な木の板にしか見えない。だが痛みに耐えながらそれを手にしたポップは、お守りの放つ輝きに魅せられていた。

 

「これは……これはまさか!!」

 

一気に意識が覚醒するほどの衝撃をポップは受けた。込められているのはどう見てもマホカトールの結界である。

ポップはこの呪文を使えるのをアバン以外には知らない。チルノがアバン以外にマホカトールを使える別の人間に頼んで作ってもらったのかとも一瞬思ったが、この短い期間でそんな大呪文を覚えている人間に簡単に会えるとは考えにくい。

 

「それは先生がおじいちゃんのために作ってくれたの! 万が一のためにって!!」

 

続くチルノの言葉がポップの推測を裏付ける。だが詳細をポップが聞こうとするよりも早くマァムの声が届いた。

 

「チルノ!! 後ろ!!」

 

鬼気迫る声にチルノが振り返ると、サタンパピーから巨大な火球が放たれた寸前だった。これはメラゾーマの呪文だ。その炎はチルノがいた場所に着弾すると爆炎を噴き上げる。

 

「チルノ!!」

「だ、大丈夫……なんとか避けたから……」

 

ポップたちの方からでは炎の壁と生み出された陽炎によって良く見えなかったが、その向こう側から無事を知らせるチルノの声が聞こえてきた。

メラゾーマを使ったのはサタンパピーCだ。チルノから一番遠い場所からの攻撃のおかげで、咄嗟に場所を移動してなんとか猛火の範囲から逃れることが出来た。

だがそれ以上に最悪なことに、チルノは気づいてしまった。サタンパピーAが復活している。

 

「ベホマラー……ッ!」

 

サタンパピーに対する知識を思い出して、チルノは苦虫を噛み潰す。爆裂拳の一撃で倒したと思ったのだが、どうやら耐えられていたようだ。そしてチルノがポップたちに意識を向けていた間に回復されていたらしい。よくよく見れば、鳳凰の舞いで付けたはずの火傷も治癒している。

 

――でもサタンパピーAのダメージは少なくないはず。だったらまずはダメージ覚悟で……!?

 

強引にでもサタンパピーAを倒して戦況を変えるべく、再び大技を使おうとして気が付いた。サタンパピーCの姿がない。

 

「……アイツ!!」

 

居場所はすぐに見つかった。

なんとサタンパピーCはいつの間にかブラスの近くまで寄っており、手に持った短剣をまるで人質でも取るかのように向ける。ブラスをいつでも攻撃できると言わんばかりだ。

どうやら先ほどの爆裂拳が原因でより注意深くなったらしい。ダイ用にと準備された秘策であったが、それはチルノにも同じく有効なことに奴らは気づき、利用することを思いついたらしい。

「下手に抵抗しようものならその命はないと思え」と言外にそう言っている。

 

「どうすればいいのよ……」

 

狡猾な悪魔たちは、露呈した弱点を決して見逃さない。動けなくなったチルノ目がけて、サタンパピーAが瞳に憎悪を宿しながら襲い掛かった。

 

 

 

ポップは手にしたアバンの守りを見つめながら、先ほどのチルノの言葉を反芻していた。

 

「万が一のために先生が作っただって!? なんだってそんなことを……?」

 

マホカトールを封じ込めた簡易な護符。こんなものが必要になるかもしれないということは、アバン先生はブラスが狙われることを予期していただろうか?

確かに、家族を狙うというのは卑劣な戦法としてはよくあることだ。勇者として旧魔王軍と戦い抜いたアバンならば、その程度のことは見抜き、備えをしていてもおかしくはない。

ポップはそう考える。

続いて先ほどのゾンビに視線を移した。

床の上で未だに苦しみもがいているその姿は、ポップの知るアバンの姿からかけ離れている。とてもアバンとは思えないが、もしも本当にザボエラの言葉通りにアバンだったとしたら……

アバンの守りとゾンビの二つを見比べるように交互に視線を移し、腕の痛みすら忘れるほどに強くゾンビを睨む。

 

「うぐぐぐ……あああああっっ!!」

 

そして苦悶の表情を浮かべながら、ポップはゾンビに向けて短杖を向けた。

 

「ポップ!?」

「ほほう! 魔法使いの小僧は、そやつを倒そうというのか?」

 

明らかな攻撃の意志を見せたポップの姿に、マァムとザボエラは揃って驚きの声を上げた。何に対して驚いたのか、その内容はまるで逆ではあったが。

 

「アバン先生……ダメな生徒だったおれだけど、少しで……ほんの少しでいいんです!! ……勇気をください!!」

 

祈るように呟くと、意を決して呪文を唱える。

 

「メラ……ゾーマァァッ!!!」

 

先ほどのサタンパピーのそれと比べてもより大きな火球を生み出し、ゾンビに向けて撃ち出す。元々の動きが鈍く、ましてや今は床に倒れて移動などほとんどできないのだ。目を瞑っていても当てられるだろう。

メラゾーマの直撃によって死体は瞬く間に燃え上がり、炎によって浄化させられたようにその活動を停止した。

 

「ハァ……ハァ……」

 

ブスブスと燃え続けているゾンビを見ながら、ポップはまるで体力の限界まで全力疾走をしたように疲れ果て、荒く呼吸をしていた。

 

「ポップ……」

「あれは……あんなのは先生じゃねぇ……! 仮に、本当に先生だったとしても、先生はあんな無様な真似は絶対にしねぇ! そうでなくても、おれは……おれたちだけは、何があってもさせちゃいけねぇんだ!!」

 

それが遺された者の、弟子としての礼儀だと言わんばかりにポップは言う。

アバンのことを慕うポップだからこそ、アバンが悪く扱われることは何よりも許せなかった。仮にあれが本物のアバンだったとしても偽物のアバンだったとしても、そんなことは問題ない。

あんな無様な真似を何時までもさせることもそれを見ていることも、ポップには出来なかった。

 

「これでいいんだ……先生を葬ったのは、おれだ……おれがやったんだ!! 後で誰にどれだけ文句を言われようとも構わねえ!!」

 

判断を下したのは自分であり、決断したのも自分。この全ての結果を背負うという強い覚悟の上での行動だった。

 

「キィ~ヒッヒッヒッ!! まさか本当に止めを刺すとは……」

「黙れ!!」

 

ザボエラの言葉ももはや今のポップの耳には入らなくなっている。それほどの強い意志と恐怖すら跳ね飛ばすほどの決意が心の中に生まれていた。

 

「先生は、先を見越してブラスの爺さんにこんな物まで作っていた……そんな先生が簡単に操られるわけねぇ!! 操られたままに甘んじているわけがねぇ!! おれは信じねぇ!! 絶対に信じねぇ!!」

 

悪魔の目玉に向けてポップは指を突きつけると叫んだ。

 

「魔王軍ッ!! おれはテメエらを絶対に許さねぇ!!」

 

 




今回で決着までつけたかったんだけど、終わりませんでした。
さすがに一話で全部は長すぎました。(あと書けませんでした)

ゴチャゴチャしてますね。状況をざっと整理してみましょう。
・ダイVSクロコダイン&ブラス
 (クロコの攻撃を防いでいたダイは後ろからメラミを食らう。クロコさんちょっと困惑)
・チルノVSサタンパピー3匹
(Aは大ダメージ。Cはブラスの命を狙う。チルノはダメージ有+下手に動けなくなった)
・ポップ&マァムVSにせアバン
(とりあえず終了)

ポップたちがフリーになったのでここからの巻き返しに期待ですね。均衡崩れは逆転のチャンスです。でもサタンパピーがうざいなぁ……さすが妖魔師団(偏見)
誰ですかこんなモンスターを増援に出したのは!? ロモスでリソース使いすぎだ!!

偽アバンの正体は腐った死体でした。バラしますが、妖魔師団でモルモットにした人間のうち、アバンに姿格好がそれなりに似ている人間を利用したもの。改造でそれなりに見せかけた粗悪品です(普通にマネマネにしなよ私……)
でもそれだけでは騙せないのは百も承知だから、ザボエラ自ら煽りまくる(笑)
恩師がゾンビにされて操られた挙句、自分の手でトドメとかどんな鬼畜だよ……下手したらポップ潰れるぞ。いや、実際は違うんですけど可能性はゼロじゃないって疑っているし……
(嘘と知りつつもそれを黙って見ていなければならないチルノさんの胃に大ダメージを与える奇策。おのれザボエラ)

戦闘時よりも、むしろ戦闘後のアフターケアの方が大変になりそう。


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LEVEL:16 獣王戦決着

ザボエラと妖魔師団員の魔術師たちが室内で水晶玉を見つめている。その水晶玉にはポップがザボエラたちに向けて指を突きつけながら、怒りに身を任せて宣戦布告を行っている場面が映し出されている。

ロモスにて悪魔の目玉が見ている光景が中継され続けているのだ。

 

「ほほう、これは驚いたわ! 間抜けな人間にしてはよくやったと褒めてやってもいいじゃろうなぁ」

 

その場面を見ていたザボエラは、ポップの行動に嘲笑を浮かべつつも驚いたように声を上げた。

ザボエラからしてみれば、あの程度の語りと真贋定かではない死体を見ただけで騙された挙句に狼狽え、動きを止めていたポップたちは愚かな人間としか思えなかった。

あのまま無意味な説得を続けた挙句、死体の仲間入りをするとすら考えていた。事実、彼の知る人間の多くは、そうやって何も出来ぬまま死んでいくものが多かった。

だが怪我をしつつも、最終的には自ら敵を倒している。それはザボエラにとってみれば多少なりとも驚嘆すべき事実だった。

もっとも、心中の大半は何故このような無駄な行動を取るのかという嘲りの感情の方が圧倒的に強かったが。

 

「まあ、あの程度のゾンビにしては良く持った方じゃな」

「ザボエラ様、あの屍はまさか本物の……?」

 

ゾンビを使い捨ての道具としか見ていないザボエラに恐怖を覚えつつ、部屋にいる魔術師の一人が恐る恐ると声を掛けた。

 

「あん? そんなわけないじゃろうが。あれは実験で用済みになった使い捨て人間(モルモット)の再利用じゃよ。ちょうど話に聞くアバンと背格好が似通っておったからな」

 

妖魔師団の進める超魔生物学。その実験材料として連れてこられ、数々の非道な扱いを受けた哀れな人間の一人。それこそがポップたちの前に立ち塞がったアバンによく似たゾンビの正体だった。

 

子供(ダイ)には(ブラス)を。ならば生徒には(アバン)を、と思っておったが、さすがに勇者アバンは用意できんからのぉ。どうしようかと思っておったところで、廃棄予定の人間をちょいと強引に加工して偽物を作り出すことを思いついたのよ」

「おお、なんと……!」

「さすがはザボエラ様!」

 

周りの魔術師たちがこぞってザボエラに称賛の言葉を贈る。妖魔師団に属する魔術師たちにとってはこの程度のことは当然のこととして受け止めていた。感覚がマヒしているのだろう。

 

「あのモルモットがあの時に廃棄されなければ、この策は思いつかんかったわ。日頃の行いが良いと、こういう幸運にも恵まれるもんじゃて。キィ~ッヒッヒッヒッ!」

 

魔術師たちの言葉に気を良くしたザボエラは、声を一段階高いトーンにしてさらに言う。

 

「与えたダメージこそ少ないが、腹を立てるほどのことでもない。十分に時間は稼げたわ。ゴミの再利用にしては想像以上じゃ」

 

ザボエラからしてみれば、偽物のアバンは幾ら利用したところでポップたちの足を一瞬止める程度の存在だった。だが蓋を開けてみれば、時間を稼ぐどころか一撃を与えることまでしている。廃棄予定の存在がこれだけ役に立てば僥倖というものだ。

メラゾーマの炎で跡形もなく燃やされたが、そのことについては何の痛痒も感じない。

本命の策はブラス。そしてサタンパピーたちが脇を固めることで己の策をより強固にする。それならば失敗など起こりようはずもない。

そう確信していた。

 

「じゃがクロコダインはいただけんな……あの大マヌケは、さっさと始末してしまえば良いものを、何をやっておるんじゃ」

 

水晶玉を指で軽く弾きながら、映っているクロコダインに向けて悪態を吐く。ザボエラの予定では偽物のアバンが時間を稼いでいる間に、ダイは仕留められているはずだった。だが未だ仕留められずダラダラと長引かせていることに苛立ちを覚える。

――確かにザボエラの策は完璧だっただろう。親を人質に取られ、強力なモンスターでより確実に事を運ぶ。それは決して間違ってはいない。

 

「それにあれは、島でブラスが腕に着けておったものか。あれも面倒じゃのう……」

 

見誤ったことがあるとすれば、それは心。クロコダインの、ダイの、ポップの、マァムの、チルノの、それぞれの心を軽んじていたことだろう。

己の誇りを曲げることが、どれだけ苦しいのかを。

大切な人を危険に晒すことが、どれだけ激しい感情を生み出すのかを。

 

 

 

ダイはブラスのメラミによるダメージを受けながらも倒れることなく歯を食いしばって立ち続け、クロコダインの斧を相手に必死の抵抗を見せていた。彼の背後には依然としてブラスがおり、下手に攻撃を避ければブラスが危機に瀕するかもしれない。

そう考えると、ダイは動くことが出来なかった。

だが、心でそう決めていても体までは十全についてはこない。メラミのダメージを受けたダイの肉体は苦痛の悲鳴を上げ、力が入りにくくなっている。当初こそギリギリの地点で鎬を削り合っていたが、今ではじわじわとクロコダインの斧に押され始めていた。

 

「ぐっ……ぐぐっ……」

「んぎぎぎぎぎ……!!」

 

クロコダインとダイ。方や押し切ろうと、方や押し切られまいと声を上げながら必死で力比べを続けている。それは傍から見れば何とも無駄な行為。特にクロコダインなどは、ダイに無理に付き合うことなくブラスと協力してダイを仕留めた方が何倍も効率的だろう。

だがそれをしないのはクロコダインに残された最後の意地だ。

望まぬ人質を取っただけでなく、さらにはザボエラの手による無遠慮な増援も存在している。その存在がクロコダインの武人の心を逆に刺激していた。

ならばせめて、戦いだけでも正面から応じよう。

既に手放してしまった武人としての誇りを、せめて僅かでも取り戻そうとする自己満足にも似た無意識からの行動だった。

 

「ぎぎぎ……うああぁぁっ!!」

 

だが意地の張り合いも長くは続かない。

元々の力ですらクロコダインの方に軍配が上がるというのに、ダイは既にメラミによるダメージを受けて消耗しているのだ。むしろここまで持ったことが奇跡と言って良い。

拮抗状態は崩れ、じりじりと斧の位置が沈んでいく。

既に勝負ありと見ているのか、ブラスは何も動くことなくただ黙ってダイを見ていることが唯一の救いだろう。

ダイはそれでもなお賢明に腕に力を入れて押し返そうとしているが、無駄な努力に過ぎなかった。ついに斧の刃がダイの肩口に触れ、そして圧力に負けて肌に食い込み、血が流れ出てくる。痛みに耐えきれず、ダイの口から苦痛の呻きが漏れ出た。それでもなお、ダイが動くことはなかった。

 

――まさかこれほどとは!!

 

ブラスを庇い続けるダイを見ながらクロコダインは自問する。

メラミの炎を受け、斧が体に食い込んでも、それでもなお耐え続けるダイ。その姿はクロコダインを思い悩ませるのに十分だった。

クロコダインの知る、かつて戦ったことのある人間の中に、これほど強い相手はいなかった。戦闘力は勿論のこと、それ以上に強い心を持っている。

既に劣勢どころか敗北は確定的だというのに、それでもなおブラスの事を守り続けている。おそらくこのまま体が真っ二つにされようとも、決して引くことはないだろう。

――いや、それだけではない。クロコダインは気づいた。ダイの目はまだ勝負を諦めていなかった。まだチルノが、ポップが、マァムがいる。仲間たちがこの状況を打開してくれることを疑っていないのだろう。そうクロコダインは考える。

 

「……ぐっ!」

 

それに引き換え自分は何をしているのか。下劣な策に縋り、我が身の保身に走ってしまった。それどころか、見ればポップたちには死体を利用した姑息な策まで仕掛けている。このような策を使うなどクロコダインは聞いていない。

ブラスを人質に取るだけでもクロコダインの誇りを傷つけるというのに、そこまでする意味が果たしてどれほどあるのだろうか。ここまでして手に入れた勝利に果たして価値はあるのだろうか。

そう思うだけで、クロコダインの心の中に次々と迷いが生まれてくる。これまでも薄々とは感じていた、だが目を背けて蓋をしていた感情がクロコダインに牙を剥いて襲い掛かって来る。

 

「魔王軍ッ!! おれはテメエらを絶対に許さねぇ!!」

 

突如爆音が鳴り、それに続いてポップの絶叫が響き渡った。戦いの中で戦いを忘れかけていたクロコダインはその音のした方向へと反射的に振り向いてしまった。クロコダインだけではなく、サタンパピーとチルノもまた一瞬ではあるがそちらに目を向ける。

そこには偽アバンを倒したポップの姿があった。硬直気味だった戦況が動いたのだ。ポップとマァムは援護に駆け付けられるだろうし、逆にクロコダインたちは相手が増えたことで不利になる。

ロモス城の戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。

 

 

 

猛火によってゾンビの焼ける据えた臭いがマァムの鼻に漂ってくる。無視できないその香りに少しだけ顔を顰めつつも、今の状況について改めて見直す。

アバンと思わしき死体。それは今メラゾーマの炎によって完全に朽ち果てようとしている。それを見ながら改めて思った。これが本当にアバンなのかと。

確かにポップの気持ちもわかる。恩師であるアバンの醜態をこれ以上見ていたくないというのも分かってしまう。

だがそれよりも、マァムには目の前で燃え尽きていくこれが本物だとは思えなかった。冷静に考えてみれば、証拠は何もない。ザボエラがただ一人で語っていただけで、これぞという根拠などありはしなかった。

それを信じてしまうとは、雰囲気に呑まれて流されてしまったのだろう。そう、一人恥じる。

同時に――ポップも同じように呑まれてこそいたが――自らその呪縛を断ち切って状況を打破した仲間の魔法使いの姿に感心すら覚えていた。

 

――魔法使いは常に冷静でいろ……なんて誰かが言ってたわね。

 

かつて会ったこともある、親の古い知り合いの言葉を思い出しながら、マァムは気を引き締めなおす。まだクロコダインとサタンパピーが残っているのだ。

 

「ポップ! 今はダイたちを助けないと!!」

 

悪魔の目玉に向けて大見得を切ったポップに向けてマァムが叫んだ。

つい先ほど、チルノに向けられたメラゾーマに気づき警告を発したように、彼女はダイの状態についてもある程度は認識している。彼女が知覚している限りでは、ダイはメラミのダメージを受けてなおクロコダインを前に立ち塞がっている。

優先度合がチルノよりも上になっていても無理はないだろう。

 

「わかってる! けれど、ダイの方の鬼面道士には手を出すなよ! あれはブラスじいさんって言って、デルムリン島で……」

 

万が一マァムがブラスを倒してしまうことを懸念して、忠告するように口にする。それはポップに新たな気づきをもたらした。

ダイの下へ駆け寄ろうとした足が急速に止まり、ポップは再度自分の言った言葉を反芻するように呟き続ける。

 

「ポップ!?」

「デルムリン島……マホカトール……アバン先生……!!」

 

ポップは手に持ったアバンの守りを再び見つめながら言う。キーワードの断片が彼の頭の中で一つに繋がり、新たな妙手を形作る。

 

「そうだ! こいつは!!」

 

マホカトールの封じ込められた木板は、ポップへ破邪の結界に守られたデルムリン島をイメージさせる。

あの時にアバンがやったのと同じように、自分もマホカトールを使えばブラスを救えるかもしれないと気づいたのだ。さすがに島全体、もといお城全体は無理でも、ブラス一人を囲むくらいならばなんとかなるかもしれないと。

チルノ、アバン、ブラスの三人で考えた結果生み出されたアバンの守りは、目論見通りにポップへの気付きのヒントとなってくれた。

……想定していた事態と現状は大分異なっているが。

 

「余計な真似をされては困るのぉ」

 

だがポップが動くよりも早く悪魔の目玉は触手を伸ばし、ポップへと絡みつかせる。四肢の自由を奪うように巻き付いた触手は、グロテスクな悪魔の目玉の見た目に似合わずかなり力強い。力を込めて締め上げれば骨を折ってしまいそうなほどだ。

 

「ぐうううぅぅっ!!」

「ザボエラ!! あなたまだ!?」

 

ポップの苦痛の悲鳴を聞き、ハンマースピアを構えるとマァムは悪魔の目玉に突きつける。だがその程度で悪魔の目玉が拘束を解けば苦労はしない。ましてや相手は天井に張り付いているのだ。

 

「ポップ! ちょっとだけ耐えて!!」

 

触手を一本ずつ攻撃して戒めを解くしかない、そう考えてマァムはハンマースピアを振りかぶった。しかしそれにザボエラが待ったをかける。

 

「おっと! そう上手くいくかの? お主が振りほどくのとワシが絞め殺すの、果たしてどちらの方が早いかのぉ?」

 

答えは、こちらの方が早い。無駄なことはしない方がいいぞ。とばかりの口ぶりだ。そしてその証左であるように、悪魔の目玉はまだ遊んでいた触手の一本を挑発するようにゆらゆらと動かす。

 

「くっ……どこまでも卑怯な真似を……!!」

「キヒヒヒ、試してみるか? 非力な魔法使いの小僧の首など一捻りじゃよ」

 

ザボエラが絶対の自信を持ってそう言う。何しろ本来の歴史では悪魔の目玉はその触手を用いてマァムの動きを封じ込めていた。僧侶とはいえロカの怪力を受け継いでいたマァムですら悪魔の目玉の戒めを解くことは出来なかったほどの力を備えているのだ。

専業魔法使いとして肉体鍛錬の経験が少ないポップでは、振りほどくことなど出来ようはずもない。現にポップ自身もなんとかしようと必死で足掻いているが、触手は一向に動く気配を見せずにいる。

 

「そら、お主たちはクロコダインの斧でお仲間がくたばるのを特等席で見ておれ。それを確認し終えたら寂しくならないように後を追わせてやるぞ」

 

再び状況は硬直したことを確信してザボエラは余裕気にそう言い放つ。後はこのまま時間を稼ぎ、クロコダインがダイを倒すまで再び待てばいい。そう考えていた。

しかしそんなザボエラの考えを見透かしたように、ポップは苦し気な表情のままニヤリと笑う。

 

「マァム……配役は逆だけど、あんときと同じ呼吸でやるぞ……」

「えっ……?」

 

不意に言われたその台詞の内容に、マァムは困惑を隠せなかった。

同じ呼吸と言われてマァムが浮かべたのは、数日前にクロコダインを相手にダイを助けたとき、嘘のようにピッタリの呼吸で動けた時のことだった。それ以外にマァムはポップと呼吸を合わせたことはないのだから、おそらくそれで間違いないだろう。

あの時は攻撃を防ぐ役とダイを回復させる役に分かれていた。いわゆるオフェンスとディフェンスの分担だ。

だが配役は逆とポップは言う。ポップが狙っていたことから何をすればいいのか推測すれば……

 

「へへへ、俺をさっさと本気で絞め落とさなかったのは失策だな……」

 

口にしたのは数少ない言葉だけだったが、それでもマァムが理解してくれることを信じて、ポップは了承の返事を待つことなく行動を開始した。

実際、のんびりと作戦会議をしている暇など存在しないのだ。先ほどの最低限のポップの一言が準備時間であり、今の一言が行動開始の合図だ。

ポップは何をする? それを受けて自分は何をすればいい? そもそもポップは何を考えていた? マァムは必死に頭を回転させる。

 

「イオ!」

 

ほぼ動かない体を無理矢理捻ってポップはイオを上空に向けて撃った。

爆裂呪文であるイオはエネルギーの込められた球体を放ち、着弾した場所を中心に爆発を起こす呪文である。

誰もがポップは悪魔の目玉を狙ってイオを放ったと思っていた。だが不自由な体勢で狙いが逸れたのか、着弾予測地点は悪魔の目玉の場所から離れた位置だ。

それならば恐れる必要はない。直撃しなければ問題などない。何を考えていたかは知らないが作戦は失敗したのだとザボエラは考える。

しかし、その考えは誤りであったことをすぐに思い知らされた。

 

「な、なんじゃと!?」

 

ポップは考えていた。

カッコつけたもののすぐに行動不能になり、足を引っ張ってしまった自分に何が出来るのかを。当初はマホカトールを発動させようとしていたが、今では到底呪文を使う隙が与えられそうにない。

だが、手に持ったアバンの守りがある。これをブラスに触れさせることができれば、多少なりとも効果があるのではないかと考えた。

その考えに根拠などない。だが、アバンが作ったものだ。ならばきっと効果があるに違い無いだろう。先のゾンビを倒したことと相まって、ポップの中のアバンへの信頼がそう思わせていた。

 

だがまだ問題はある。これをどうやってブラスの下まで届けるか。

身動きが満足に取れない今では、投げても届くとは思えない。マァムに届けてもらうか? かといって口で説明するのは駄目だ。言えばザボエラにも聞かれ、当然邪魔をされる。

一体どうすればいい? なんとか口に出すことなく息の合った行動を――

 

――そうだ! あんときの!!

 

ポップがこの戦場に立つだけの勇気を振り絞る契機にもなった先のクロコダイン戦の一幕を、マァムとのコンビネーションを思い出す。人の真似ばっかりで申し訳ないと思いつつも、他に出来そうな手段もなければ時間もない。

あの時と同じ呼吸、そして配役が逆という短いキーワードで気づいてくれることに賭けて、ポップは天井にイオを放った。

狙いは拘束を緩ませることだ。悪魔の目玉に直撃させるように放ってしまっては、当たる前にきっと自分は絞め殺されるだろう。そして今度はマァムが絡み取られ、後は同じことの繰り返しだ。

だからまずは相手の裏をかく必要がある。

放たれたのは低ランクの呪文。それも直撃しないのであれば、きっと相手は油断するだろう。

ポップの目論見通り、イオのエネルギー弾は邪魔されることなく天井へとぶつかり、爆発を起こした。衝撃と震動で天井の一部が崩れていく。

足場が崩れたことで、悪魔の目玉は落下した。

 

「これが狙いか小僧!!」

 

支えを失ってバランスを崩し、イオの爆発に多少なりとも煽られたことで悪魔の目玉は落下する。その悪魔の目玉が見ているであろう目まぐるしく動く映像は、ザボエラたちの覗き込んでいる水晶玉にも映し出されていた。

ほんの僅かな時間ではあるが、さながら絶叫マシンを主観で撮影した映像のような光景が流れていく。こういった場面に耐性のない――空中戦などを行わない――妖魔師団員には辛かろう。

そして当然、落下の衝撃から身を守ろうとしてか、あるいは落ちまいとする意識からか、悪魔の目玉は本能的に残った触手で天井を掴もうとした。敵がそちらに意識を割いたおかげでポップへの注意は散漫になり拘束も緩む。

 

「マァム! こいつを!!」

「わかってるわ! ブラスさんに渡せばいいんでしょ!?」

 

動けるようになった隙を逃すことなく、ポップは瓦礫を回避するために少しだけ前に出るとアバンの守りをマァムへと放り投げた。マァムはポップの意図を理解して受け取ると迷うことなくブラスへと駆け出していく。

ポップがイオを放ったことで、マァムもようやく意図を理解していた。

なるほど、クロコダインの時にはポップが攻撃を妨害することで、ダイへの回復という目的を達成した。それの逆ということは、今度は自分が敵の攻撃を防ぐ番だとマァムは考える。

先ほどチルノに投げ渡された木板をポップは大事そうに持っていたのだ。その事実と組み合わせれば、ポップが何を狙っているのかは彼女にも読み取れた。

 

「マァム!」

 

だが全てがそう順調に行くわけではなかった。

ポップたちの動きに反応して、サタンパピーBが遅まきながらマァムを妨害しようと動く。

 

「邪魔しないでよ!」

 

だがチルノの警告があったおかげでマァムは余裕を持って対処することが出来た。走り出した勢いのままハンマースピアを思いっきり振り回すと、サタンパピーBの頭に直撃させる。

あまりに強烈な鈍器の一撃の前に、サタンパピーBは吹き飛んで意識も飛ばしたほどだ。

 

「【エアロラ】!」

 

さらにマァムを援護すべく、サタンパピーたちとの戦いすら無視してチルノが魔法を放つ。目標はクロコダインとサタンパピーCだ。目の前のサタンパピーから意識を外すのは危険だと承知しているが、彼女にとってはそれ以上にブラスの方が重要である。

 

「ぐぅっ……!」

 

エアロラの強風に押さえ込まれて、クロコダインはたまらずたたらを踏んだ。慌てたサタンパピーCがブラスを傷つけようと動き出すが、チルノの魔法の方がずっと早い。背中の羽が災いして、強風の煽りをモロに受け、ひっくり返ってしまう。

 

「じいちゃん!」

 

クロコダインが離れたことでダイも動けるようになった。痛みで朦朧とする意識を繋ぎ止めて、ダイはブラスに駆け寄ると再度もつれ合うようにして抵抗できなくする。

実のところ、ポップの狙いが何かまでダイは理解していたわけではない。だがポップが動き、マァムとチルノがそれに続いたのだ。それならば自分も何かしなければならない。そんな仲間意識に突き動かされて、ブラスの動きを拘束することを直感的に選んでいた。

 

「ダイ、ナイスよ!! ブラスさん! これを受け取って!!」

 

邪魔する者がいなくなった道を駆け抜けると、マァムはアバンの守りをブラスへと押し付けるように渡した。

護符に刻まれた破邪の結界はブラスが宿す邪悪な意思に一瞬反応するもの、不思議なことにすぐに一切の澱みなく自然にブラスの下へと収まった。まるで仕えるべき主の下へと戻ってきたかのように見える。

そして小さな結界とはいえマホカトールはその効果を存分に発揮し、ブラスの瞳に理性の色を取り戻させていた。

 

「うう……ここは……そうじゃ確か……」

 

完全に邪悪な意志の影響から逃れたわけではないが、それでも先ほどまでの凶暴化していた状態とは雲泥の差である。

 

「じいちゃん! 元に戻ったんだね!?」

「ダ、ダイ……?」

 

未だ苦しむ頭を抱えながら、正気を取り戻したブラスは自分が今どんな状況にいるのかを認識する。王宮のような石造りの建物の中、近くにはダイとリザードマンの恐ろしいモンスターがいる。

それだけで自分の身に何が起こったのかを、そしてチルノから聞いていたようにロモスでダイの敵となっていたのだということを理解した。

しかしこうして正気を取り戻したということは、予定通りポップがマホカトールの呪文を使ったのだろうとブラスは思っていた。だがその認識は誤りだったことに、チルノの声で気付かされる。

 

「二人とも、どいて!!」

 

ブラスが正気の戻ったことを確認すると、チルノは駆け寄りながら持参していた魔法の筒を取り出すとブラスへと向ける。

その光景を見ながら、ブラスは朧気ながら自分が連れ去られた後に何が起こったかを推察した。自分が手の中に握っているアバンの守りの存在が何よりの証拠だろう。

 

――なるほど、チルノや。お主の知る歴史の通りには動かなかったか。じゃが、頑張ってワシを助けてくれたんじゃな……

 

娘がどれだけ苦労をして自分を正気に戻してくれたのかは、今の彼女を見ているだけでも伝わってくる。ブラスはチルノを見ながら優しく微笑んだ。

 

「イルイル!!」

 

封印の呪文が唱えられ、魔法の筒が口を開く。ブラスは一切の抵抗を見せることなく魔法の筒へと吸い込まれていった。

 

「よしっ!」

「や、やった……!」

 

完全にブラスが吸い込まれ、魔法の筒の口が閉じる。それを確認したことで仲間たちからも自然と歓喜の声が漏れていた。当面の危機はこれで去ったのだ。後はこれを敵に奪われることなく、クロコダインを倒せばいい。チルノすら安堵のあまり動きを止める。

 

「……っ!!」

 

その油断の代償は大きかった。未だしぶとくチルノを付け狙い続けていたサタンパピーAが、手にした短剣をチルノ目がけて思い切り突き刺した。

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

まず聞こえてきたのは、勝利を確信したサタンパピーの下品な笑い声だった。剣で刺され、床に崩れ落ちるチルノの姿を見たことでそれまでの鬱憤を晴らしたかのように歓喜している。

 

「姉ちゃん! そんな……そんな……」

「チル……ぐえぇっ!!」

 

短剣で突かれ、崩れ落ちるチルノを見てダイとポップは叫んだ。ダイは姉が刺突された瞬間を目の当たりにしてしまい、最悪の展開が頭をよぎり動けなくなってしまった。そして駆け寄ろうとしたポップは途中でその声を無理矢理に詰まらされる。彼の喉元には見慣れた触手が再び巻き付いていた。

 

「ぐっ……悪魔の、目玉……」

「ええい!! クロコダイン!! 何をしておるか!!」

 

悪魔の目玉は先のイオの影響から逃れられず落下してしまい地上を這いずったまま、それでもポップの首筋に趣味の悪いマフラーのように触手を巻き付けていた。その瞳には、中継先のザボエラの焦った姿が映し出されている。

 

「ボサッとしとらんで、さっさとそのガキどもを始末せんか!!」

「ザボエラ……」

「ブラスを失ったのはお主がグズグズしておったからじゃ!! じゃが安心せい、この通り新たな人質は手に入った!! 勝利は依然変わらず、お主のものよ!!」

 

ブラスを回収されて逆転されるなど想定外の事であった。まさか自らの危険も顧みず、仲間内で連携することで状況を打破するなどと、ザボエラには想像もできないことだった。

彼にしてみれば自らの策が人間の情などという訳の分からないものにひっくり返させるなど、あってはならないことだ。一刻も早く失態を勝利で覆い隠すために、強引にクロコダインを動かそうとする。それは先ほどまで見せていた狡猾かつ残忍な策士の姿からかけ離れたものだった。

 

「ダイ! 貴様は動くでないぞ!! さあやれ、クロコダイン!!」

「ダイ、おれなんか気にするな……先にクロコダインを……ぐっ……!!」

 

喉をギリギリと締め上げられているため、しわがれた声を上げながらもポップはダイに向けてそう言った。それだけでも相当な無茶をして声を出しているのだろう。すぐに咳き込み、ポップの顔がみるみる苦痛のそれに染まっていく。

そんなポップの様子を見ながら、ダイも、そしてクロコダインも動くことが出来なかった。

 

「ほーう、よく言った!! ならばその望みを叶えてやろう! サタンパピー! 貴様らはその小娘を……」

 

――新たな人質として掴まえろ。

そう言うはずであったザボエラの言葉は強制的に打ち切られた。

緑色に輝く衝撃波にも似た無数の巨刃が悪魔の目玉の眼前を荒れ狂い、ポップの首に巻き付いていた触手はおろか、悪魔の目玉が備えていた全ての触手すら一本残らず切り裂いていた。

突如として水晶玉に映し出されたその光景はさしものザボエラも理解の範疇を超えており、度肝を抜かれて言葉を失うほどだ。

 

「【ライオットソード】……」

 

技を放ったのはチルノであった。パプニカのナイフに込めた魔法の力を強力な衝撃波へと変換して放ち敵を切り裂く――俗に瀕死必殺技と呼ばれる、起死回生の大技である。

その威力は強力無比。本来であれば、発動させれば敵を一撃で倒すほどの破壊力を備えているのだが、悪魔の目玉はまだギリギリ生きながらえていた。もっとも、手足の役目を果たす触手を全て失い、今にも消え失せようとしている生命力を振り絞って床の上を這い回っている姿は、放っておいてもすぐにでも息絶えそうに見える。

 

――まさかこれを発動できるとは思わなかったわね……それに、こんなギリギリの状態じゃ、まともに動くことも辛い……

 

ふらつく足であったが何とか堪えて、平静を装うように顔を上げる。

元々がピンチに陥った際に偶然発動できるかもしれないという大技だ。傷つき疲弊した体でそんなものを使っても、最大威力を発揮できるはずもない。逆に言えば、この技を自在に繰り出すことが出来れば相当な戦力となるわけだが。その辺は鍛錬するしかないだろう。そもそもチルノは発動できることすら知らなかった。

 

「ごほっ、ごほっ……た、助かったぜ……」

 

喉を押さえ、調子を整えるようにさらに数回咳き込みながらもポップはチルノに言う。

 

「大丈夫なの? ずいぶん血が出ているみたいだけど……」

「なんとか、ね」

 

そして心配そうに尋ねるマァムにチルノはそう答える。

サタンパピーの攻撃は確かにチルノの腹部に刺さり、出血させるほどのダメージを彼女に与えていた。切り裂かれた服の奥から溢れ出てくる鮮血の色が生々しく映り、自分でも思わず顔を背けたくなるほどだ。

しかしプロテスの効果によってなんとか内蔵を傷つけることなく済んでいた。防御魔法がなければとっくに死んでいたかもしれない事実にチルノは身震いする。とはいえ身に纏った魔力防壁の様子を見るに、プロテスの効果もそろそろ打ち止めだろう。

 

「これで、策はもう品切れかしら?」

 

ズルズルと無様に後ずさる悪魔の目玉。その向こうにいるザボエラに向けてチルノは言う。

 

「だったらこの勝負、最後まで足掻ききった私たちの勝ちね」

 

その言葉にポップとマァムも追従するように頷き、それぞれが手に武器を構え直してクロコダインとサタンパピーの方を向く。

 

「ダイ! ずいぶん待たせたけれど、もう遠慮はいらないわ!」

 

棒立ちになっていたはずのダイが意識を取り戻したように再び動きだす。ダイの体の中を強い感情が駆け巡り、それに応じるようにダイの体の内側から黄金の闘気が立ち昇っていく。

 

「じいちゃんも、姉ちゃんも、ポップも傷つけた……」

 

意を決したように俯いていた頭を上げ、クロコダインたちを強く睨んだ。

 

「おれは! お前たちを絶対に許さない!!」

 

ダイの額には、竜の紋章が浮かび上がっていた。

放たれる竜闘気(ドラゴニックオーラ)はその場にいた敵に襲い掛かり、クロコダインたちの目を眩ませる。そして当然、その影響は悪魔の目玉を通した映像を映す水晶玉にも及ぼす。竜闘気(ドラゴニックオーラ)の圧力に耐えきれなくなったのか悪魔の目玉は絶命し、水晶玉は容量を超えるほどの凄まじい光を放ちながら甲高い音を立てて砕け散った。

最後に竜の紋章の姿を映し出しながら。

 

 

 

「あれは……!!」

「ハドラーを相手にしたときの、あの紋章ね……」

 

ポップの言葉にチルノは頷いて答える。マァムだけは、まだ紋章の事を知らされていなかったらしく、呆然としていた。

対する魔王軍陣営だが、クロコダインはダイからあふれ出すその闘気を鋭敏に感じ取り、恐怖していた。人間を相手にしているとは思えないほどの闘気がクロコダインの動きを止める。

サタンパピーたちはより顕著にそれを感じていた。元々が嗜虐的な性格を持ち、弱者をいたぶることを好む種族でもあるのだ。圧倒的な強者を前にして、勇猛果敢に挑もうなどという気概を持つことはなかった。

 

「ダイ、クロコダインを正面から正々堂々と相手してあげて。せめてもの情けよ」

「わかった。姉ちゃんはどうするの?」

 

竜の騎士(ドラゴンのきし)状態になったダイに向けてダメ元で声を掛けてみたところ、予想外にしっかりとした返答が返ってきたことにチルノは驚きを覚えた。それは紋章の力を制御しつつあることの証だ。

ダイの成長はこんなに早かっただろうかという浮かんだ疑問を胸にしまいながら、チルノはとても良い笑顔で微笑んだ。

 

「私は、おじいちゃんを狙ったアホの部下に落とし前をつけさせるから」

 

ダイの圧力に加え、その言葉を耳にしたことで百万言を費やしても言い表せないほどの恐怖を感じ取り、形勢不利を悟ったサタンパピーが我先に逃げ出し始めた。背中の翼をはためかせ、クロコダインが王宮に乗り込む際に天井に開けた大穴から飛び出そうとする。

 

「【グラビデ】」

 

その逃走経路はチルノの予想の範疇でしかなかった。飛行能力を持つ種族が、人間相手に逃げるのであれば空に逃げるのが一番手っ取り早い。ただし今回の場合はそれは裏目でしかない。空を飛んだところで逃げる先が一本道に限定されてしまう。

移動先が分かっているのであれば、その場所に向けて先んじて攻撃するだけだ。チルノの魔法で生み出された重力球は天井の入り口付近に展開し、今まさに外へと逃げ出そうとしていたサタンパピーたちをまとめて地面に縫い付ける。

 

「グ……ギギギィ……」

「ガハァ……!!」

 

油断していたところにグラビデの重力をまともに食らい、全身がひしゃげるような圧力に押しつぶされて悲鳴を上げる。圧力に耐えかねて、元々弱っていたサタンパピーAが遂に絶命した。

 

「まず一匹……逃げられると、思っていたの……?」

 

竜の紋章を発動させたダイと果たしてどちらが怖いだろうか。パプニカのナイフを片手に両腕をだらりと下げたままゆっくりとサタンパピーたちにチルノは近づいて行く。

 

「【魔法剣サンダラ】」

 

続けて剣に魔法の効果を付加する魔法剣を発動させる。もはやザボエラの監視の目もなければ、人質もいない。出し惜しみをする必要もなければ、そもそも相手を許すつもりもない。

サンダラの魔法を乗せたことで剣からは雷が立ち上り、今すぐにでもその力を発揮したいと訴えるようにバチバチとスパークしていた。

 

「――【剣の舞】」

 

雷撃を纏った剣を手に、文字通り踊るような動きと共に敵を斬りつける。魔法剣の効果によって斬撃を与えるたびに雷撃が弾け飛び、サタンパピーBの肉体を電撃が焼き焦がしていく。それはさながら雷の舞とでも言うべき様相を呈していた。

 

「二匹目」

 

裂傷と雷撃によるダメージに耐えきれず、Bも息絶えた。それを確認するとチルノは残る一匹へと目を向ける。

 

「……あなたは、おじいちゃんをずっと人質に取っていたヤツよね?」

「ヒイイィィ!!」

 

怯えて悲鳴を上げるサタンパピーCの声を無視して、一足飛びに駆け寄るとチルノは空いた片手で相手の顔面を鷲掴みにした。

 

「【デスクロー】」

 

青魔法を発動させ、左腕に力を込める。魔法の効果によってチルノは、一時的にだが恐ろしいまでの握力と殺傷能力を有するようになっている。元々の効果からして、相手を瀕死状態にまで追いやり麻痺させるほどの威力を秘めているのだ。そんなものを顔面に叩き込まれればどうなることか。

死のかぎ爪(デスクロー)とはよく言ったものである。

 

「トドメ!!」

 

左腕から伝わってくるゴキゴキという未知の刺激を感じながら、激痛で動けなくなった最後のサタンパピー目がけてナイフを振り下ろした。

未だ魔法剣の効果は健在だ。突き刺した瞬間から高電圧の電流が体中を駆け巡り、Cも果てた。

 

「すっ……げぇ……」

 

それを見ていたポップが思わず呟くほどの大暴れである。だが当のチルノはそこまで暴れると力尽きたように座り込んだ。怒りで体を突き動かしていたのだが、さすがに限界を超えていた。

慌てて近寄ってきたマァムを制するように、チルノは手を伸ばす。

 

「私はいいから……ポップの方を診てあげて……」

「え?」

「魔法使いに、喉は命でしょう? 呪文が唱えられなくなっちゃう」

「……わかったわ。でも、ポップの次はあなただからね!」

 

完全に納得したわけではないようだが、それでもチルノの言い分を聞いたのかマァムは引き下がりポップの下へと戻る。

そして彼女は残る力で弟の――ダイとクロコダインの戦いへと目を向けた。

 

 

 

「うおおおおおっっ!!」

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)から感じる恐怖を押し切るかのように、激しい雄叫びと共にクロコダインはダイへと斧を一切のためらいを捨てて叩きつけた。

だがダイはそれを右腕一本で受け止めて見せる。先ほどの焼き直しのように、ダイとクロコダインの間で押し合う恰好となる。だが決定的に違うのは、ダイはナイフすら使わない完全な素手で斧を受け止めており、そして今度はクロコダインの方が押し返されているということだった。上から体重をかけられるクロコダインが圧倒的に有利だというのに、その斧は獣王の筋力を以ってしても微動だにしない。

 

「だああああっ!!」

 

ダイはさらに力を込めると、斧ごとクロコダインを持ち上げて投げ飛ばす。猛烈な勢いに負けて斧を手放したためクロコダインの巨体が宙を飛び、壁に激突した。

 

「ぐ、ぐうう……」

 

自身がぶつかったことで大きくえぐれた壁を背中に感じながら、それでもクロコダインは立ち上がる。その身で十分すぎるほどに味わったダイの真の力に心は屈しかけつつあるが、それでもなおダイへと向かっていく。

誇りを捨ててまで策に縋ったクロコダインにとって、勝利すら手放してしまってはその全てを失ってしまう。そう己を奮い立たせていた。

 

「クロコダイン!! 全力で来い!! おれはその全てを受け止めて、倒してやる!!」

 

紋章を爛々(らんらん)と輝かせながらダイは言う。挑発とも挑戦とも取れる行為に、クロコダインは残りの全てを賭けることに決めた。

 

「よかろう!! 後悔するなよ!!」

 

クロコダインは全身の闘気を右腕一点へと集約させる。元々が丸太のように太い腕がさらに膨れ上がり、拳には凄まじい闘気のエネルギーが凝縮していく。

 

「オレの最大最強の技だ!! 貴様が如何ほどの闘気を纏っていようとも、これを至近距離から食らえば倒せぬ道理はない!!」

 

対するダイは、ナイフを逆手に持つとアバンストラッシュの構えを取って闘気を集中させる。

 

「砕け散れ!! 獣王痛恨撃!!」

 

激流すら生温く感じるほどの闘気流がクロコダインから放たれ、ダイに襲い掛かる。だがダイは動くことなく構えを崩さずにただ待ち構えている。宣言通り全てを受け止めようとしているのだ。

思わずポップが叫んだが、その声は聞こえなかった。ダイを飲み込んだ獣王痛恨撃の奔流はそのままロモス城の壁に激突すると勢いを殺すことなく打ち抜いた。ポップの叫び声を掻き消すほどの轟音が鳴り響き、城全体が一瞬揺れたほどだ。

 

「ハァッ……ハァッ……ハッ!!」

 

全身全霊を込めたクロコダインの一撃だったが、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を解放して防御に回していた今のダイには致命傷とはなりえなかった。

闘気流の収まったそこには、多少傷ついているものの構えを崩さぬダイの姿があった。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

今度はこちらの番だとばかりに(ブレイク)タイプのアバンストラッシュを放ち、クロコダインをすれ違いざまに切り裂いた。

一瞬の静寂の後、クロコダインは口を開く。

 

「……下らん策になど頼らず……正面から全力でぶつかるべきだったわ……」

 

背後にいるダイへ向けて振り返ったクロコダインの体が傾いた。

 

「ダイよ、アバンの使徒たちよ……お前たちの、勝ちだ……」

 

弱々しくそう呟くと、クロコダインの左腹部が重厚な鎧もろとも切り裂かれ、血が噴き出る。

 

「武勲のない武人に意味はない……だが誇りを捨てた武人はそれ以下よ……」

 

傷は内臓にまで達しているのだろう、口の端からも血を流しながら、それでも最後の力とばかりにダイを見据える。

 

「一つだけ、聞かせてくれ……なぜオレの攻撃を受けとめた? 姉に言われたからか?」

「違う。姉ちゃんに言われたってのもあるけれど、それが無くても多分ああしてた。あんたはブラスじいちゃんを傷つけた許せない相手だ。でも、理由は分からないけれど、ああしなきゃって思っただけだ」

「そう……か……」

 

ダイの言葉を聞きながらクロコダインは満足げに頷く。チルノの言っていた情けという言葉がクロコダインの頭の中に蘇る。

武人としての誇りをかなぐり捨てたクロコダインに対して、正面から全力で戦う機会を与えてくれた。そんなことをする義理など何一つとして無いのにも関わらず。なぜあの少女はあんなことを言ったのだろうか? そしておそらくダイも、小難しい理屈は分からずとも、戦士としての本能で感じ取り、戦いに付き合ってくれたのだろう。

 

――詳しい理由は分からん。だが、最後に僅かでも誇りを取り戻すことが出来た……それだけでも感謝だな……

 

口には出さず、その代わりのように感謝の涙を流しながらクロコダインは体を引きずり後ずさっていく。その先には、先ほどの獣王痛恨撃で破壊された壁がある。

 

「さらばだ……勇者よ、常に強くあれ……」

 

そう言うと微塵も躊躇うこともなく壁を乗り越え、空中へとその身を投げ出した。

最期の咆哮を上げながら落下し、少し遅れて重々しい地響きが聞こえる。

 

その断末魔の咆哮は、人間・モンスターを問わずロモスで戦う全ての者へ向けられた、戦いの終了を告げる合図となった。

 

 




ザボエラの「キィ~ッヒッヒッヒッ!」を辞書登録する。だってザムザも言うんだもの。

悪魔の目玉に拘束されるポップ。なんでマァムじゃないんだ私、野郎の触手プレイなんてどこにも需要ないだろ……いやでもポップならありかなぁ?(困惑中)

マホカトールの護符を押し当てて無理矢理正気に戻しましたが、実際に可能なのかなあぁ?と書いてて思いました。結界に触れた時点で弾かれちゃうんじゃないかな? 半円状にしか結界がないことを利用して、護符を裏側から当てたからセーフ。とかアホな理由は考えたんですが(その理屈だとデルムリン島も穴掘れば楽勝で中に入れることになってしまう)
伝説の武具が持ち主を自分で選ぶように、結界がブラスを受け入れたということで。理由は……アバン先生がうまいことやったんでしょう(丸投げ)
だって当初はこんなことになるとは思ってなかったんだもん! なんだよサタンパピー3匹って!!(自分を殴る)

まあ、そのサタンパピーさんはうっぷん晴らしのように大技連発で倒されましたが。最初っからやっておけよ、ザボエラ気にしてる場合じゃないだろ。

次回はロモスの後始末をしてパプニカに向けて出港するまでくらいですかね?
がっつり忘れていた、ロモスの兵士たちとロモス王とゴメちゃんの存在についても補完してあげないと。
あとアバンの使徒たちのメンタルケアもしないと……



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LEVEL:17 英雄誕生

クロコダインの断末魔がロモス国中に響き渡る。それは百獣魔団が敗北し、このロモス攻防戦に決着がついたことを示す合図となった。

獣王の最期の叫びを耳にした百獣魔団のモンスターたちは、さながら主を失った獣の群れが四散するかのように戦意を失い、森へと逃げて行く。

それを見たロモスの兵たちは、魔王軍を追い払い勝利できたことに沸き立ち、大いに喜んだ。互いに肩をたたき合い、手にした武器を天へと突きあげて生き延びた感動を表現する。重軽傷者は多数ではあるものの、初動と対応が早かったおかげか奇跡的に死者はいなかった。民間人もまた、避難誘導が早かったおかげで本来の歴史よりも被害はぐっと少なくなっている。

国中の誰もが勝利に酔いしれる声が、風に乗って王宮の謁見の間まで聞こえてきていた――獣王痛恨撃で開けた穴から届くのが一番大きな声だというのが少々シュールではあるが。

 

「どうにか……勝てたみたいね……」

「そうだよな? 勝ったよな? おれら、生きてるよな?」

「ええ、ポップもダイもチルノも、みんな生きてるわよ」

 

チルノが呟いた言葉を聞いて、ポップはまだ現在の状況が信じられず夢か何かではないかというように周囲に尋ねた。既に悪魔の目玉によって締め上げられた痛みはマァムのホイミによって治療されているため、咳き込むことなく話せる。

そんなポップの言葉を聞いたマァムが、ポップの片腕を掴みながらその言葉を肯定する。

 

「信じていいんだよな? おれ、なんだかまだ夢みたいでよ……」

「まだ信じられないなら、これでどう!?」

「あだだだだだっ!! なにするんだよマァム!!」

 

目覚まし代わりとばかりに、ポップの片腕に刻まれた乱杭歯でつけられた傷の部分を少し力を入れて掴んだ。傷口に圧を加えられたことで当然のように痛みが走り、ポップは目の端に涙を浮かべながら慌ててマァムの手を振り払う。

 

「ほらね、痛いってことは生きてるってことでしょ?」

「いや……そりゃ確かに、この上ないくらい実感したけどよ……もう少しやり方ってもんがあるだろ……」

 

悪びれなく言うマァムに対して、ポップは歯切れ悪く答えた。確かに彼の言うように悪夢からでも目覚めることが出来そうなくらいに刺激的な一発だったが、仮にも僧侶の修行を受けた女のやることかと少しだけ不満があった。

もちろんマァムも誰に対してでもこんなことをするわけではない。活を入れる相手は選ぶし、それと加えて彼女も勝利に浮かれているところがあるようだ。

 

「ごめんごめん。そっちの傷も治すから。ポップ、腕を出して」

「……いや、これはいいよ」

 

出血跡の残る右腕を左手で押さえながら、ポップはマァムに対して半身になるように少しだけ体を引いた。それはマァムから右腕の治療を受けたくないと思う無意識からの行動だった。

 

「この傷は、おれのケジメみたいなもんだ。残しておきてえんだ……すまねぇ……」

 

ポップの中では、あのゾンビは未だ本物のアバンの遺体だという思いが残っていた。頭では違うと分かっていても心のどこかで責任感を感じ続けており、それが奇妙な形となって噴出してしまい治療を拒んでしまう。

その気持ちはマァムにも理解できないものではなかった。彼女にとっての魔弾銃のように、どこかでアバンとの繋がりを求めてしまっているのだろう。ポップの場合はそれが傷跡だったのだ。

その感情は立派だ。ただし、あれが本物であれば。

 

「ポップ……あのね……」

「治してもらった方がいいわよ」

 

それを諭そうとマァムが何かを言うよりも早く、チルノが割って入った。

 

「チルノ!?」

「まだ休んでいて! あなたの方が重症なのよ!!」

 

サタンパピーたちと死闘を繰り広げ、それ以前にはクロコダイン相手に時間稼ぎまで行っていたのだ。チルノの怪我と疲労は限界を突破していると言っていいだろう。

彼女は体を無理矢理引きずるように動かして、ポップたちのところへと歩み寄ってきていた。慌ててマァムが駆け寄り、ふらつくチルノを支えようとする。

 

「大丈夫。自分で回復したから、なんとか……」

 

肩を貸そうとしたマァムを手で制しながら、チルノは二人にそう伝える。ダイの決着を見ながら少しだけでも回復魔法を使ったおかげで、瀕死状態からは抜け出せていた。それに今のチルノには、自身の体よりもポップたちの方が問題に思えてしかたなかった。

 

「あの傷、変な毒が入っているかもしれないから、キアリーと併用で念入りに治療してあげて」

 

近くに来ていたマァムにそう伝えてから、今度はポップの方を向く。二人ともまだあの偽アバンのことを気に病んでいると思っているチルノは、その想いを断ち切らせようとしていた。勿論、本当は生きていると公表するわけではない。そもそも、それを言うのは容易いが、言ったところで気休め程度の作り話としか受け取ってもらえない可能性がある。

それよりももっと、しっかりとした物証をチルノは持っているのだ。それを使うことにした。

 

「ポップもマァムも聞いて。あれは絶対に先生の偽物よ。本当の先生なら絶対にあんなことはしない。だから、ポップが責任を感じることもない。あなたは、ザボエラの手で冒涜された死者を葬ってあげただけ。私が保証するわ」

 

そう言うとチルノは自身の道具袋から一冊の手帳を取り出す。

 

「だって先生はここにいるんだから」

 

手帳を開きパラパラとページを捲ると、あるページで手を止めてポップへと見せる。

それは便宜上アバンの手記と名付けられた物。アバンがデルムリン島から出て行く際に、彼女一人でも修行が出来るようにとチルノに渡したものだ。この手記にはダイとポップについても書いてあることを彼女は既に見ているので知っており、その中のポップについて記述している部分を見せていた。

 

「これは……これ、先生の字か!? しかも、おれに宛てた内容じゃねぇか!?」

 

見せられた手帳を少し読んだ後に、ポップはひったくるようにそれを奪い取ると大慌てで目を走らせる。

 

「こんなもの知らねぇぞ!? ダイについても書いてある……なんだよこれ!?」

 

そこに書いてあるのはダイとポップへの修行方法や注意点など。どうしてこんなものがあるのか? そしてどうしてそれをチルノが持っているのか? ポップの混乱が増していく。

 

「デルムリン島で遺品を整理していたら出てきたの。この手帳、隠すように置いてあったし、それにポップは出発するときにバタバタしてたからね。見落としてたんじゃないの?」

「いや、確かにそうだけどよ……」

「冒頭を読めばわかるんだけど、これはダイの修行の二日目の夜に書いたみたい」

「ええっ!?」

 

そう言われて慌ててページを捲ると、そこには確かに二日目に行った修行内容が書かれており、それはポップの知る内容とも一致する。

そして「万が一のためにこれを書き残しておく。望むらくはこれが無用の物とならんことを……」といった一文があった。

 

「何か、予感があったのかもね……だからきっと、こんなのを書き残してくれて……」

 

何度も文字を見返しながらチルノの言葉をポップは耳にしていた。修行方法として集中力を高める方法や古い知り合いである魔法使いへの紹介状。そしてデルムリン島での修行中に見せたチルノへの指導を褒めたことなど、短時間で書いたとは思えないほどの充実ぶりにポップの目には自然と涙が溢れ出していた。

 

「ポップ。こんなに私たちのことを心配してくれている先生が……あんなことをするはずがない……まだ信じられない?」

「いや、信じるよ……そうか、先生は……ここにいるんだな……」

 

手帳を強く握りしめながら、ポップは憑き物の落ちたようなさっぱりとした表情でそう言った。

 

――よかった。

 

ポップの様子を見ながら、チルノはそう心の中で呟かずにはいられなかった。

もしかしたらロモスのこの大惨事も自分の影響かもしれない。そう考えるチルノにとってみれば、ポップの心を少しでも軽くしてあげることが出来たのは僥倖だった。

話をしている最中、何度本当のことを言おうと思ったことか、その誘惑の数は計り知れない。だが全ては未来のためと信じて、手帳を見せて話をするだけに終始できた。

手帳を渡されたから。そして中身について知っていたからこそなんとかなったが、もしもこういった品物が何もなければ、チルノはうっかりと真実を喋っていたかもしれない。

ひょっとしたら、アバンは本当にこういう場面を想定してチルノに手記を渡したのではないかと思ってしまうほどだ。

やがて、ポップは手にした手記を何度も読み返し、そして気づいた。

 

「なあこれ、マァムについても書いてあるぞ」

「え?」

 

それはチルノにとっても初耳だった。確かにチルノはアバンから手記の内容については聞いており、ダイとポップについての記載内容も少しだけだが目を通している。だがマァムについて書いてあることなど知らなかった。

 

「ほら、見てみろよ」

 

そう言ってマァムとチルノの二人に見えるように手帳をかざす。そこには確かに「ここからはマァムについて記載するので、本人以外は読まないで下さい」という趣旨の前置きが掛かれている。肝心の記載内容については次ページに書かれているらしい。ページを捲る必要があるため、すぐに見ることは出来ない。

なるほど、こうやって別ページに書かれていたから、気付かなかったのかとチルノは一人納得していた。

 

「ちょっと! 勝手に見ないでよ!」

「見てねぇよ。ほらよ、マァム」

 

慌てたようにポップから手帳を受け取ると、彼女もまた食い入るように読み進める。

 

「先生、とっくに卒業したはずの、私のことも気にしてくれてるんだ……どこまでもすごい人ね……」

 

しばし熟読した後、顔を上げるとマァムは涙を零した。そこに何が書かれていたのかは、彼女しか知らない。だがマァムにも何らかの影響を与えたようである。

彼女もまた迷いの晴れたような表情となり、そして手帳を返そうとして気づいた。

 

「あら、まだこれ続きが……ヒュンケル? 誰のことかしら?」

 

その名前を聞いた途端、チルノの心臓が飛び跳ねる。なるほど確かに、マァムの名前が書いてあるのだから十分予想できるはずだったのに。やはり大魔王に地上世界一の切れ者と評されたのは伊達ではないようだ。

 

「ヒュンケル~……? そんな奴いたか?」

「ポップはもう忘れちゃった? ダイが空裂斬の修行をしていたときに名前が出たじゃない」

 

名前を聞いたポップは、だが案の定そのことは忘れていたようだ。記憶を思い出すように補足してやると、得心が行ったとばかりに手をポンと叩く。

 

「あー……そういえば……!」

 

本来の歴史では、ポップにとって色々と忘れられない名前になるのだが、今はまだ反応もこんなものだろう。

未だ手帳を手にわいわいとやっている二人から離れ、チルノはダイのところへと向かった。

 

 

 

「ダイ、怪我はない?」

「あ、姉ちゃん……」

 

チルノが声を掛けるまで、ダイはずっと何か思うところがあるように外を眺めていた。クロコダインが転落した大穴をこれ幸いと利用して、遠くを見つめている。

その表情は勝利に喜ぶロモス中にあって一人だけ浮かない顔をしていた。

 

「うん、怪我は平気だよ」

「嘘ばっかり。傷だらけでしょう。ほら、治してあげるから……」

 

ブラスの呪文を受け、クロコダインと死闘を演じていたダイが無傷なはずはない。メラミを受けた火傷は生々しく、斧が食い込んでつけられた傷跡が肩口に目立つ。そこから流れていた血が固まって黒い染みになっているのだ。

それでも怪我は平気と虚勢を張る弟の姿を見かねて、チルノはケアルラの魔法を唱えて傷を癒していく。

 

「姉ちゃんと比べれば、おれの傷なんて……」

 

ダイが姉の治療を受けるのは別にこれが初めてというわけでもない。デルムリン島にいた頃は、何度もあったことだ。だが今回に限れば、ダイはチルノの回復魔法を受けながらさらに表情を暗く沈んだものにしていた。自分の怪我など二の次だとばかりに泣きそうな顔で俯いてしまう。

 

「……とりあえず座ろうか?」

 

魔法による治癒を終えたチルノは、ダイの様子に何があったのか心情を察する。とりあえず弟の肩を叩きながら自身も床の上に座り込むとダイもそれに倣って腰を下ろした。そうして目線の高さを合わせてから、チルノは優しく心配するようにダイの顔を覗き込んだ。

 

「なにかあったの?」

「……うん……おれ……」

 

後ろめたいことがあるかのように、ダイは姉から微妙に視線をそらしながら、それでもゆっくりと囁くように話し出した。

 

「おれさ、ネイル村ってところで……ミーナって子を、危険な目にあわせちゃったんだ……村にクロコダインが来て、それで倒すために戦って。でも、おれの不注意で……!!」

「そのミーナって子に、クロコダインの攻撃が当たったの?」

「ううん。クロコダインは焼けつく息(ヒートブレス)って言ってた。その息を避けたんだけど、後ろにミーナがいて……でも、マァムが庇ってくれて……」

「そう……」

 

ダイの語るネイル村での一幕は、ずっとデルムリン島にいたチルノにとっては知らない情報である。彼女が知る本来の歴史ではネイル村にダイたちが辿り着くのはクロコダインと戦った後のはずだった。

魔の森で迷うことなく進めるようにと地図に念入りに道順を描いたことがこういう影響を与えたかと、彼女はこっそりと思う。

 

「その時おれ、思ったんだ……姉ちゃんがいてくれたらもっと楽に勝てるって……勇者だなんだって言ってるけれど、本当は一人じゃ何にも出来ないんだって……」

 

話をしながらダイは俯き、肩を震わせて悔しさのあまり涙を流す。

 

「今の戦いだってそうだよ……姉ちゃんは誰よりも早くお城に来てクロコダインの相手をしてて、そのうえブラスじいちゃんも助けてくれた……おれはただ、ブラスじいちゃんを守って、全部が終わった後でクロコダインを倒しただけで……姉ちゃんがいないんじゃ、おれは勇者でも何でもないんだって……全部、姉ちゃんに任せた方がいいんじゃないかって……」

「そう……」

 

ダイにとってみれば今までの活躍は全て、前に出て何も考えず剣を振っていただけに思えていた。姉の言葉に従って戦っているだけ。かといって姉がいなければ、ネイル村のときのように失敗して誰かを危険に晒してしまうかもしれない。

それを恐れるあまりに、姉の言うことだけを聞くようにすればいいと考えてしまう。事実、先のクロコダイン戦でもそれで上手くいっているために、余計にたちが悪い。

チルノはダイの頭に手を置くと、優しく撫でる。激闘を戦い抜いた苦労を労わる様に二度、三度と撫でてから、そのダイの頭に拳骨を落とす。

 

「あでっ!!」

 

頭を撫でる心地良い感触に身をゆだねていたダイは、突然の痛みに驚き顔を上げた。

 

「ダイ。あなたが前に出て戦ってくれるから、私はフォローが出来るの。でろりんの時もバロンの時も、ハドラーの時も、今のクロコダインを相手にしたときだって勿論そう」

 

顔を上げたダイに向けて、チルノはゆっくりと優しく諭していく。決してダイは何も出来ていないわけではないのだ。

 

「私を信じてくれるのは嬉しい。でもね、今のダイは私を信じるんじゃなくて依存しているだけ。それに、私だってそんなに上手く出来てるわけじゃないわ」

 

そう言うとチルノは服を捲り上げる。

 

「ほら、ダイがいなかったから、こんなことになっちゃった」

 

そこから見えてきたのは、先の戦いで刺された傷跡と斧による一撃を受けた際の痛々しい打撲跡だった。回復魔法で癒したとはいえまだ完治しているわけではない。動けば痛むし刺された部分は塞いだとはいえ皮膚が突っ張って違和感を覚えるほどだ。

それを見たダイは思わず絶句する。あまりにもチルノが気にした様子を見せないから、ここまで大怪我をしているとは考えが回らなかった。

 

「失敗したって思ったなら、その失敗を次にどう活かすかが重要だと思う。ダイはそのミーナって子を危険に晒した事があったから、今回はおじいちゃんを必死で守り続けたんでしょう?」

 

だがチルノはダイが不安の言葉を言うよりも早く、弟へ次の言葉を投げかけた。心配をかけさせるのは良い気分ではないが、今はそれよりもダイの気持ちが問題だ。ダイが自分の怪我の事を二の次だと思っているように、彼女もまた自分の怪我は二の次と捉えていた。

 

「もっと自信を持って大丈夫よ、最初っから上手くできる人なんていないんだから。私を真似して上手くいくなら、どんどん真似して自分流に昇華させなさい。一人じゃ出来なかったら、周りの人に助けを求めたっていい。協力しあうのが仲間でしょう?」

「……うん! 姉ちゃん!! おれ、頑張るよ。もうこんな怪我、姉ちゃんにさせない!」

 

ダイの言葉にチルノも微笑む。まだ完全に理解しているかは怪しいが、それでもあのまま落ち込んでいるよりはずっといい。

 

「いい顔になったわね。それじゃ、ポップのところに行ってきなさい」

「ポップのところ?」

「聞こえてなかったのね……先生が手記を残してくれてたのよ。それにはダイのやり残した修行についても書いてあるから、見てくるといいわ」

 

その言葉に驚きの声を上げながら立ち上がると、ダイはポップのところへと急いで近寄る。チルノもそれを追って、ゆっくりと歩いて行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

その夜、ロモスでは祝賀会が開催された。

獣王クロコダインを打ち倒し、百獣魔団を相手に国を守り抜いたことを祝して行われたものだ。

百獣魔団の爪痕は残り、未だ怪我人や壊れた建物などは散見され、復興が後に控えているために平時よりも慎ましやかな物であったが、それでも賑わいは盛況である。かつてチルノとダイが偽勇者事件を解決した際にも盛り上がりを見せたが、今回はそれを上回るほどの大盛況となった。

当然渦中の人物であるダイ・ポップ・マァム・チルノの四名はひっきりなしに訪れる人の対応に追われて、大わらわとなる。

 

やがてそんな宴も終わり、夜も明けた次の日の朝、ダイたちは玉座の間へと集められていた。

 

「ダイ、チルノ、ポップ、マァム……そして我が城の兵士諸君。昨日は皆、良く戦ってくれた」

 

未だ激戦の痕跡と破壊跡が残る謁見の間にて、玉座に座したシナナ王が厳かに声を上げる。その前には跪いた四人の姿があり、さらにその後ろには兵士たちが整列している。

 

「特にダイとチルノの二人には、先の偽勇者事件から世話になっておる。この度の勝利もまさに、お主たち姉弟のおかげじゃ……」

 

王の言葉に兵士たちから惜しみない拍手が送られる。ダイとチルノは、それを恥ずかしいようなむず痒いような表情で受け止めた。

 

「もはや、名実ともに勇者と賢者にふさわしく成長したといえよう。晴れて今日から正式に"勇者"と"賢者"を名乗るが良い」

「おおっ!!」

「やったな! 二人とも」

「おめでとう!」

 

シナナの言葉に兵士たちはどよめき、ポップたちも口々に祝いの言葉を述べる。だが当の二人は浮かない顔だった。

 

「国王様。大変申し上げにくいのですが、その称号を受け取るわけにはいきません」

 

まず口を開いたのはチルノだった。賢者の称号を辞退するという言葉に、玉座の間にいた全員が声を上げる。

 

「私がロモスに来たのは、おじいちゃんを助けたかったからです。おじいちゃんが連れ去られたのは、私がまだ未熟なためです。すべて私の都合であって、ロモスに駆け付けたのも偶然にすぎません。王様に頂いた、未来の賢者という称号だけでも私には過分すぎます。こんな私が賢者を名乗っては、他の賢者に申し訳が立ちません」

 

頭を下げながら、精一杯にそう言う。

だが本心は相変わらず、自分の名前と知恵者の称号が組み合わさるのが嫌なだけであり、そのための必死の言い訳だった。

誰が頼んだわけでもないのに、どこまでも名前の呪縛に囚われ続けている。

 

「ふむ……ダイ、そなたはどうじゃ?」

「おれは……」

 

チルノの言葉を聞き、シナナは少しの間目を閉じて逡巡した後にダイへと問いかける。

 

「おれも、まだいいです」

「やはりか……訳を聞いてもよいか?」

 

辞退者が二人目ということもあって、今度はどよめきが起こることはなかった。その返答はシナナも予想していたようで、驚くことなくダイへと尋ねる。

 

「おれがやったことなんて、ほんの少しでしかなくて……ポップもマァムも姉ちゃんも、それにお城のみんなが協力して力を合わせたから勝てたんだ。おれが勇者なら、みんなも勇者だって思うんです」

「ダイ……」

「だから、姉ちゃんのように、せめて勇者の名前に恥じないくらい強くなって、みんなを守れるようになるくらいには……そのくらいにならないと、勇者だなんて、恥ずかしいや……」

 

言いながら自分でも照れた様子を見せるダイの姿に、謁見の間にいた全員が穏やかな顔つきになっていた。ダイの誠実かつ謙虚な人柄に、誰しもが納得し感心していた。チルノですら、ダイの言葉に真摯に耳を傾けていたほどだ。

 

「ふむ、そうなると困ったのぉ……」

「ええ、困りましたね」

 

王の言葉に、傍にいた大臣が賛同する。

 

「実はダイには勇者の称号と共に、この国に伝わる剣を渡そうと思っておったのじゃ……」

「覇者の剣……!!」

 

思わず叫びそうになるのをチルノは必死で抑えた。

記憶から抜け落ちて忘れていたが、あの伝説の剣がここにあったのだ。この剣は紆余曲折を経て、最終的には超魔生物と化したハドラーの手に渡るのだが。何故忘れていたのだろう。こればかりは完全に彼女のミスである。

 

「おや、チルノは知っておったか? その通り、覇者の冠と共に伝わる伝説の名剣じゃよ」

「伝説の……剣……」

 

王の言葉に、ポップがごくりと生唾を飲み込んだ。実家が武器屋だけにか、そういった物には否が応にも興味を惹かれてしまうのだろう。

 

「おいダイ! 剣だけでも貰っておけ! それがあればすげえ楽になるぞ」

「ポップ! 辞退したのに、剣だけ貰うっていうのは失礼でしょ!!」

 

二人が小声でダイへと話しかける。もっとも、静謐なこの場ではひそひそ声でも大きく響き、王は勿論兵士たちにも聞こえているのだが、一同聞こえないふりをしていた。

そしてチルノは、この剣を受け取るようにすべきか辞退すべきかを考えていた。これがあれば確かに楽になるだろう。オリハルコンで出来た剣で戦える上に、ハドラーの手に渡ることもない。真魔剛竜剣とだって渡り合えるだろう。

デメリットとしては、まずダイの剣が手に入らないことだろう。それは魔界の名工ロン・ベルクと知り合いになる機会を失い、後の装備も手に入らなくなる。そして武道大会が開かれるかも謎であり、そうなるとザムザもどこか予期せぬタイミングで援軍として出てくるかもしれない。

果たしてどちらが正解か……悩むチルノを余所にダイは言う。

 

「それもいりません」

「なっ!!」

 

ポップが驚き、ダイの顔を見るがそこには一切の迷いも後悔も浮かんではいない。チルノもまた、ダイの意志を確認するように尋ねる。

 

「ダイ、本当にいいのね……?」

「うん。だっておれには姉ちゃんが作ってくれたこれがあるし。それに、もしも勝てないくらい強い相手が出てきても、皆で協力すればきっと大丈夫だよ」

 

背負ったナイフを誇らしげに見ながらそう言われては、何も言い返すことは出来なかった。ダイのナイフを作り渡したのもチルノだし、仲間と協力することを説いたのもチルノだ。

素直な良い子に育ってくれたことを誇らしく思いながら、同時に真魔剛竜剣を相手にする前までには、なんとか勝負になる武器を手に入れられないものかと少しだけ悩む。

 

「おれはもう覇者の冠を貰ってるんだ。それなのに、勇者でもないのに剣まで受け取れないよ。だから王様、それはもっと別の、平和のために使ってください」

「いつぞやも似たようなことがあったが、姉弟揃って相変わらず欲がないのぉ……あいわかった! 覇者の剣の事も含めて、二人ともいつか更なる成長を期待しておるぞ!」

 

ダイの言葉を受けてシナナも納得したようだ。

予想していなかったとはいえ、本来の歴史通りにここで覇者の剣を受け取らないことになった。確かに覇者の剣が手に入らないことは勿体ないが、ダイの剣はダイのためだけに作られた地上最強の剣だ。それが手に入らない方が問題だろうと考え、チルノも納得していた。

続いて、王が合図をすると奥から人が現れて、四人の前にそれぞれ一つずつ宝箱が置かれていく。

 

「それは、わしからのせめてもの贈り物じゃ。それを身に着けて、国民の前に姿を見せてやってくれい。みんな、国を救った英雄たちの姿を見たがっておるからな」

「ありがとうございます」

「ダイには覇者の剣の代わりには物足りんじゃろうが、この国で用意できる最良品質の鋼鉄の剣(はがねのけん)を用意させてもらった。他にも、皆に装備できる物を用立てたつもりじゃ。さあ、開けてみるがよい」

 

王に言われて、ダイたちが待ちきれなかったように宝箱を開ける。そこには真新しい――チルノにとっては見知ったものでもある――装備が入っていた。ダイには青を、ポップには緑を、マァムには赤をイメージした防具である。

チルノも期待しながら宝箱を開ける。そこにはダイと同じく青に加えて黒を基調とした防具が入っていた。姉弟であるためかダイの青と似ているが、それよりももっと暗い色をしている。

 

「お披露目が終われば、当初の予定通りそなた達をパプニカへと送り届けさせよう。なに、船はもう用意してあるのじゃから心配はいらんぞ」

「何から何まで、ありがとうございます」

「さっそく着替えてくるがよい。もう人は集まりつつあるぞ」

 

王の言葉に、案内役の侍従が男女別にそれぞれ更衣室へと案内した。

 

 

 

「わぁ……凄い上質な装備ね」

 

着替え用のために宛がわれた部屋で王から下賜された装備を見ながら、マァムが思わず言う。それは分類上は旅人の服であるものの、個人用にオーダーメイドされた一品である。

僧侶であるマァムのためにか法衣としての意匠を残しつつ、それでいて動きやすくなるようにデザインされている。素材も魔法の法衣と似たような魔法耐性を持つものを一部使っているらしく、防御力についても通常の物よりも期待できる。

 

「私のも、こんなに立派な……」

 

チルノも装備をじっくりと見てみる。賢者と思われているためか、ローブを基準としつつもこちらも動きやすくなるようにすっきりとした知的なデザインだった。落ち着きを感じさせるダークブルーを基調とした色遣いに、小物は黒色で統一されている。全体的にどこか闘牛士を連想させる意匠が施されていた。

ロモス戦で見せた近接戦闘から動きやすさも考慮されているらしく、こちらもミニのスカートとなっており、太腿にかけてはロングのブーツを装備するようだ。

こちらも耐魔法の布を用いているため、店売りの装備とは比較にならない防御力を持っている――あくまで魔法使い系が装備する物としてはだが。

頼りないというなかれ、そもそもロモスは比較的温和なお国柄のため、これでもかなりの高性能なのだ。

 

「さっそく着替えちゃいましょうか?」

 

そう言うが早いか、マァムは今まで来ていた服をさっさと脱いでしまう。女同士ということもあって遠慮はない。トップスを脱ぎ捨て上半身を裸になると、その下にブラジャーは付けていなかった。ポップの見立てによる88センチ(Eカップ)の胸が露わとなる。

そのあまりに立派なバストにチルノも服を脱ごうとしていた手を思わず止めて、見つめてしまうほどだ。だが彼女は構わず、続いてボトムスに手をかける。ショートパンツを脱ぐと、そちらには下着があった。清楚なイメージを感じさせる白の下着だ。

ただ、こちらも一枚の布に隠れているとはいえ、その下から透けて見える破壊力は抜群である。こちらは見立てが正しければ90センチ。マァムの年齢から考えればとてもではないが、歳不相応なプロポーションである。

既に少女をとっくに通り過ぎて女の体をしているマァムの肉体を、同性であるはずのチルノですら見つめてしまったとしても誰が責められようか。

 

「……ん? あ、やだ。あんまりじっと見ないで」

「あ! ご、ごめんなさい!!」

 

ようやくチルノの視線に気付き、マァムはからかうような表情と物言いで着替えようと手にしていた服で体を隠す。布一枚隔てて彼女の大きな胸が潰れて形を変える。

それすらも劣情を誘うようであり、チルノは慌てて服を脱いで着替えに集中する。大事に着てきたがもはや擦り切れかけている布の服を脱ぐ。

 

「へぇ……日に焼けているだけかと思ってたけれど、元々その色なのね」

 

先ほどのお返しか、チルノの着替えを見ていたマァムが呟いた。彼女の褐色の肌はこの世界でも珍しいのだろう。裸になって素肌を晒したおかげで確認できた、日焼け跡の境界線がないその肌をじっと見つめている。

 

「え……変、かな……?」

「ううん、ちっとも。活発な感じがして可愛いわよ」

 

不安げな様子を覗かせたチルノに気を遣わせないように、マァムは言い淀むことなく当たり前のことのように言う。実際、マァムはチルノの肌について思うところなど何もないのだ。確かに珍しいがそれは個性の範囲だと思っている。村の中にも、日焼けして似たような肌の色をした人がいなかったわけでもない。

 

「あら、華奢なように見えるけれど、結構鍛えられてるのね」

「ぴゃ!!」

 

興味が湧いたのか、着替えの手を完全に止めてチルノの腕とお腹周りをマァムは掴んだ。腕は見た目は年齢通りに細目ではあるがその奥にはしっかりとした筋肉が感じられる。良質な筋肉がついているのだろう。お腹周りもそうだ。余分な脂肪などついていないすっと整えられた肢体は、たった数日でも大きな経験を乗り越えたのが原因か、デルムリン島にいた時と比べて自信を感じさせる。このまま成長すれば、何処ぞの踊り子な姉か占い師の妹のどちらかとよく似た体型に育つのではないだろうか。

 

「あはは……ダイの修行に付き合ったり、少しとはいえアバン先生に鍛えられたから」

 

未だマァムにされるがままを許しながらもチルノは言う。特にアバンの特訓を受けていたときにはボディービルダーのような筋肉が付くかと思っていたのだが、その兆しも見られない。世界の摩訶不思議である。

 

「そういうマァムの方がよっぽど凄いと思う。そんなに胸が大きいなんて反則……」

「これ? そんなに良い物じゃないわよ。重いし動きにくいし、男のスケベな視線は集まって来るし……」

 

チルノに触れる手を止めて、マァムは自分の胸を掴んだ。ほとんど力を入れていないだろうに彼女の指先が少し沈みこみ、胸の柔らかさが見た目からでも分かりそうだ。

 

「……少し、触ってもいい?」

「え!? うーん……少しだけよ」

 

こういった歳の近い同性同士の悪ふざけは経験が少ないのか、マァムは少しだけ考えてから嫌な素振りを見せることなく言った。

腕組みをするようにして胸元を隠しながらも、どうぞとばかりに胸を差し出す。が、同性相手にガードが甘くなっているのか、腕の隙間から桜色が一部分だけ見えていた。それを見なかったことにしながらチルノはマァムの胸元へ指で触れた。

森の中の村に住み、外に出て活動的に働いているはずなのに、彼女の肌はまるで白磁のように白い。若さと相まって瑞々しさとハリがあり、強い弾力でチルノの指先を押し返してくる。

 

「私もいつか、このくらい大きくなるのかしら……?」

 

比べるように自分の胸に触れながら呟く。

特訓の影響か、胸の膨らみも大きくなってきているような気がしないでもないが、まだまだ目の前の暴力的なそれと比較すれば慎ましやかなサイズとしか言いようがない。

 

「そうね、あと数年もすれば大丈夫よ。私が保証するわ」

 

もしもそうなった場合、ブラジャーもなしにその大きな胸で武道家として魔王軍と渡り合った貴女にはどんな秘密があるのでしょうか?

機会があれば対処方法とブラジャーがないのかも含めて聞いておこうと決意するチルノであった。

 

「あ、そうだ! チルノ、あなたが昨日着ていた服! あれ、大きく裂けていたでしょ?」

「え……うん」

 

クロコダインの斧の一撃を腹部に受けた時に出来たものである。

 

「あれ、結構大きく切れてたんだから。他にも傷がいっぱいあったからそんな目で見られなかったかもしれないけれど、胸元がチラチラ見えていたのよ」

「そうだったの? でも、別にちょっと見られるくらいなら……」

「ダメよ! チルノは可愛いんだから!!」

 

チルノの言葉に長年デルムリン島で生活していたことで羞恥心などの一般常識がどこかおかしいのだろうとマァムは思い、強い口調で諭す。

 

「ふふっ……なんだか、世話を焼かれるのって新鮮な気分」

 

マァムの言葉を聞いてチルノは微笑んだ。

なるほど、言われてみれば確かにそうだ。ついつい見てしまう男の気持ちも慮ってそう言ったに過ぎないのだが、年上の同性にそう言われればそうかと思わなくもない。

 

「ずっとダイのお姉ちゃんしてたからね。私にも姉がいたら、こんな感じなのかな?」

 

真剣に心配してくれるマァムの気持ちがチルノには嬉しかった。

 

「そうね。私も一人っ子だし、妹ってこんな感じかしらね?」

 

マァムもまた世話を焼くのは嫌いではないのだろう。そういう彼女には心底楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 

「そういえば、結局ちゃんと自己紹介もできてなかったものね。改めてよろしくね、チルノ」

「こちらこそよろしく。マァムお姉さん」

 

ちょっとふざけてマァムに姉と付ける。それが何故だか無性におかしくて、二人ともクスクスと笑い合った。

 

――時を同じくしたその頃、さっさと着替えを済ませた男性陣は謁見の間で暇を持て余していた。

 

 

 

王宮の前の広場には、多くの人で賑わっていた。お触れを出したのが急にも関わらず、救国の英雄を一目見ようと市民の大半が集まっていたのである。

彼らはバルコニーの向こう、カーテンによって隠されたその先を見つめながら、勇者たちが出てくるのを今か今かと待っている。

やがて準備が整い、軍楽隊の兵士たちが曲を奏でて盛り上げる。その曲も終わると、カーテンが開きその向こうから着替えを終え、真新しい装備に身を包んだダイたちが姿を現した。

まだ年若い、少年と言っても過言ではない英雄たちの姿に、だが民衆は逆に奇跡の英雄が登場したとして口々に褒め称える。

 

「どうしたの? ボーッとしちゃって」

「いや……おれさ、先生から修行で得た力は他人(ひと)のために使うものだって言われたんだ……」

 

窓下に見える人々の反応を思いつめたように見つめるポップの様子を見て、マァムが話しかける。

 

「こうやって感謝されて、他人(ひと)のために頑張るのって、悪くねえもんだな……」

「ふふ……まったく、カッコ悪いんだから……」

「そうだな、こんな当たり前のことにようやく気づくなんて、カッコ悪いな……!」

 

マァムの小悪魔のような笑顔を見て、ポップも笑い、人々に応えるように元気よく手を振る。

 

勇者ダイと仲間たちの足跡が、ロモスへと確かに刻まれた。

 

 




ザボエラのゾンビネタよりある意味よっぽど凄いことしてるチルノさん。さらっと騙します。バラしちゃっても良いんじゃないかなって気持ちも出てきましたけどね。当初の予定通りご本人登場まで待つ、はず。
そしてマァムとヒュンケルに、アバンはなんて書いたんでしょうか? 私にもわかりません。
(どこかで伏線として使えるかもしれないので内容は未定(考えてない)。マァムに「武道家になりなさい」ヒュンケルに「グランドクルスを覚えなさい」だけだったらどうしよう)

覇者の剣を出さないのは不自然なので(ここにあることを私も忘れてました)
悩んだところ選択肢の制限時間切れにより受け取らないルートに。ダイの姉への信頼が重い……(ザムザっていつ来たんでしょうね?)

着替えました。ええ、着替えました。なぜか一番時間が掛かりました。なぜだろう。
しかしマァムの装備を用意したのはどこの誰なんでしょうか? あんなミニスカじゃパンツ丸見えですよね。王様の趣味で決められてた、とかだったらやだなぁ……
(家臣一同徹夜で「ミニスカだ!!」「スパッツだろ!!」「ニーソ!」って会議して決めた、とかなら面白……くはないですね)
チルノさんも一応着替えました。青・緑・赤・紫・白は各々のイメージカラーなので、(無駄に)その辺に気を使い(ダイの姉なので)青+黒です。が、意味はないです。布の服から何やら着替えたんだと思ってください(ぶっちゃけた話、青魔のイメージが強くてそれに引っ張られてます)

最後に、ちょっと前から気づいていたであろうことを記載します。
まず原作でのこの辺の流れは――

16日目:クロコダイン決着
17日目:勇者一行ロモス国民におひろめ
 (3日間でデルムリン島へ)
 (5日間でパプニカへ)
26日目:パプニカ到着。ヒュンケル初戦。

となっているそうです。そして、

・この後にパプニカに向かう予定。
・残されていたアバンの手記には、ダイの修行の続きについても書かれている。
・船旅の間、空裂斬を覚えるだけの時間もあれば稽古相手もいる (実践訓練は無理だろうけど)

つまり……ヒュンケル戦とフレイザード戦ががが……どうしよう(他人事)



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LEVEL:18 パプニカへ

「デルパ!」

 

封印解除のキーワードがデルムリン島に響く。魔法の筒がその口を開け、中から一体の鬼面道士――ブラスを吐き出した。

 

「ん……おお!? こ、ここは……!?」

「デルムリン島よ」

 

手にしていた魔法の筒を近くにいたロモス騎士の一人に渡しながら、チルノが言う。

ブラスは突然解放されたことに驚きながらも、それでも筒の中でも少しだけ外の様子が分かっていたのか、冷静さを残していた。そしてチルノの言葉を聞いて、ロモスの事件が終わったことを理解する。

 

「おかえりなさい、おじいちゃん」

「ああ、ただいまチルノや。迷惑をかけたの……」

 

破邪の結界に包まれたデルムリン島ならば、凶暴化することもない。穏やかな瞳を携えてブラスが言う。無事にこの島に戻ってくることが出来たことが、何よりも嬉しく感じられる。

 

「む? ダイはどこじゃ?」

 

そう言いながらキョロキョロと辺りを見回す。今いるのはデルムリン島の自分たちの住む家の前であり、近くにはチルノと数人の騎士の姿が見えるだけだ。肝心のダイの姿が見えないことにブラスは不安を覚える。まさか自分の攻撃が原因で……と恐ろしい想像すら浮かぶ。

 

「ああ、ダイならパプニカ行きの船の中で待ってるわ」

「ふむ? それは一体……?」

「そっか、その辺は分かってないのね」

 

以前、アバンと共に話をしたような覚えがあるのだが、記憶違いだっただろうか。少しだけ首を傾げつつチルノは、ブラスが魔法の筒に閉じ込められてから今までに何があったのかを簡単に説明する。

あの日、ダイたち一行のお披露目が終わった後、ロモス王の計らいによって港からパプニカに向けて船を出してもらえることとなっていた。そのため、お披露目を終えたその日の午後には出発していた。目的地はパプニカであるが、その前にブラスをデルムリン島に戻す必要があるため航路は直行ルートから少し変更して、島を経由して目的地へ向かうというルートを取っていた。

今はまさにその途中、ロモスから数日を掛けてデルムリン島に戻ってきたところである。ブラスとの別れはもう済ませたということもあってか、ダイたちは上陸をしておらず、一行の中で島にいるのはチルノだけだ。

 

「なるほど、そういうことがあったわけか……」

 

チルノの話を聞いたブラスはしみじみと頷く。余談ながら、ブラスを封じた魔法の筒をチルノが道具袋にずっとしまっていたために情報が制限されていた。もしも仮に、ずっと手に持ったままなどであればこうした説明の必要はなかったのだが。

 

「して、こちらの方々は……」

 

気になっていたもう一つの事柄――近くに控えている正装をした騎士たち――についてブラスは尋ねる。ブラスが言うと、騎士たちは襟を正してブラスへと向き直った。

 

「ご挨拶が遅れましたブラス老。我らは、ロモス国の騎士。国王様よりブラス老の護衛をするように仰せつかっております」

 

そう言うと護衛の騎士たちは口々に自らの名前を名乗る。

 

「そんな、ワシなんぞのために護衛ですと!? もったいない……!!」

「そう仰らないでください。国王様のご命令なのです」

「勇者様と賢者様を育てられた方の護衛ですからね。むしろ光栄の至りです」

「いやいや、そんな……」

 

まるで国賓のような待遇でそう言われれば、悪い気はしない。遠慮をしながらも気持ちの上では受け入れつつあったところで、ブラスは気づいた。

 

「勇者に賢者……ですと?」

「ええ。今回の働きを認められて、国王様から直々に名乗るようにと」

「お二方とも、まだまだ未熟だと言って辞退なされていましたがね」

「なんと……そうでしたか……」

 

聞き間違いかと思い再度尋ねるが、返ってきたのは肯定の言葉だった。それどころか、ブラスが想像すらもしていなかったほどの下にも置かない扱いである。

ダイとチルノの二人が一国の王から認められるほど立派に成長したことを聞き、思いがけずブラスの目から涙が零れた。

 

「ブラス殿にも是非お見せしたかったですよ。お二人の晴れ姿を」

「今チルノ殿が着ていられるのは、国王様から賜った物ですよ。これを来て、ロモス国民の前に英雄としてお披露目されたのです」

 

国民の前に紹介された時も恥ずかしかったのに騎士たちに再び持ち上げられて、チルノは照れて顔を赤くする。ブラスはお披露目されていたチルノとダイの姿を夢想しながら、ようやく気付いたように言う。

 

「なるほど、そういえばチルノはずいぶんと綺麗な恰好をしておる……」

 

ロモス王から貰ったというその装備は、彼の目から見てもなるほど確かに上質な物である。比較対象が古着の布の服であるため、比べれば比べるほど差が浮き彫りになり、今までの格好がみすぼらしく思えてくるほどだ。

 

「すまんのう……年頃の娘であるはずのお主に、あんな粗末な恰好しかさせてやれんで……」

「大丈夫だってば。私は、おじいちゃんの子供でいられて幸せよ」

 

親として、子供――それも娘に良い服の一つも用意してやれなかったことを悔やみ、申し訳なさそうに言うブラスに対して、チルノは本当にブラスが気にすることのないように真摯に答えた。

 

「ダイ殿といいチルノ殿といい、本当に良い子ですな」

 

そんな親子の様子を見ながら、騎士たちは穏やかな表情を浮かべる。だが何時までもこうして和やかな時間を過ごしているわけにもいかなかった。

チルノは真面目な表情を浮かべると、騎士たちに向けて申し訳なさそうに言う。

 

「あの、皆さん。おじいちゃんと、二人だけで話したいことがあるんですが……」

「……何やら込み入ったお話ですかな? わかりました、我々は少し席を外しましょう」

「この島の地形も調べる必要がありますからね、むしろ丁度良いですよ」

「異変があればすぐに駆け付けますのでご安心を」

 

チルノのその言葉を聞き、騎士たちは少しだけ考えてから互いに頷きあい、そして返事をした。何かやむにやまれぬ事情があるのだろうことを慮って、チルノたちが気を遣わないようにとさも別の用事があるかのようにしながらも、それでいて護衛は欠かさないということも併せて宣誓しながら離れて行った。

 

「気を遣わせちゃったわね……護衛が役目なのに、その場を離れてくださいってお願いするのだから当然だけど……」

「そうじゃのう、本当に良い人たちじゃ」

 

チルノとブラスも、騎士たちの心遣いが分からないほど機微に疎くない。むしろ手早く用事を済ませるべく、一応の防音も兼ねてさっさと家の中へと入っていく。

 

「人払いをしてまでワシに聞きたいこと、となれば当然、未来に関することじゃな?」

「うん、でもまずは、ザボエラを相手に助けられなくてごめんなさい……」

 

開口一番、気に病んでいたことを謝りながらチルノは頭を下げた。

 

「そのことはもうよい。あの時お主はちゃんと戦ってくれたし、現にこうしてワシは助かっておる。これ以上は贅沢というものじゃよ」

「ありがとう、おじいちゃん。でも、ちゃんと言葉にしておきたかったの。それに、ダイも気にしていたわ。自分を攻撃したことを悔やんでいるんじゃないかって」

「なんと……全くあやつは……そこはワシに文句の一つも言う場面じゃろうが……」

 

攻撃をされたのはダイの方だというのにも関わらず、ブラスの身を案じている。そんなダイへ向けて悪態をつくふりをしながら、ブラスは心の中で感謝する。

 

「それじゃあ、本題。ザボエラに捕まったときのことなんだけれど……」

「あのときのことか……」

 

ブラスが渋い顔をする。

邪悪な意志に振り回されていたとはいえ、大暴れしたことは事実である。まだ思い出とするには苦い記憶であり、あまり率先して聞く気にはなれない。だがどうしても確認したいことがあり、チルノは尋ねることとした。

 

「あのとき、どんなことをしたの? もしかして、未来のことやアバン先生のことを喋ったんじゃないかと思って……」

「なるほどのぅ……不安の種はそれか……」

 

ブラスの言葉にチルノは頷く。彼女は島を出発する際、モンスターたちにブラスを連れて戻ってくることを約束しており、その約束を果たしたことを伝えるためにデルムリン島に上陸した。勿論その行動に嘘はないが、このことが気になっており、ダイが上陸しないことも併せてこれ幸いと聞きたかったのも事実である。

 

「安心せい、ワシは喋ってはおらぬよ」

 

確認したかった答えを聞くことが出来たことで、思わずチルノは安堵の息を零した。

 

「あの時の事は――覚えておる限りじゃが、あやつらはワシの事を手駒としか見ておらんかったようじゃ。受けた命令は「クロコダインに従う」ことと「ダイとその仲間を殺す」ことくらいか。情報を引き出そうという考えは持っておらんかったわ」

「なるほど……むしろザボエラの考えの甘さに助けられたってところね……」

 

かつて、旧魔王軍時代に暴れていた時のことが記憶として残っているように、先のロモス戦のこともブラスは覚えていた。その記憶を確認した限りでは、ブラスはアバンが生きていることもチルノが未来を知ることも誰にも話してはいなかった。

仮に命令に「秘密を喋れ」というものがあれば危なかったかもしれないが、クロコダインが一度戦っていたことで手の内が知られていたことや、親を人質に取れば知る必要もないと判断されたことなどが幸いしてか、それもなかった。

けれども、もう一つ頭に浮かんだ疑問をチルノは口にする。

 

「……自分から、ダイや私の秘密を喋ろうとはしなかったの?」

「ふむ……正直に言おう。その考えはワシの中にずっとあった」

「ッ!?」

 

ブラスのその言葉を聞き、総毛立つような恐ろしさと悲しみが襲ってくる。たったそれだけのことで裏切られたようにチルノには思えてしまう。

 

「じゃが、それだけは必死で抑え込んだ。親の贔屓と言われればそれまでじゃが、他の人間を傷つけたとしても、お主たちのことを売り渡すような真似だけは必死で堪えたわ」

 

上位者から命令を受けたために抗え切れず、ダイや城の兵士たちには攻撃呪文を使ってしまった。だが、命令をされなかったということと、なによりブラスが抱いていた家族との絆がギリギリのところでそれを踏みとどまらせたようだ。

 

「お主らがおらんかったら、きっと耐えきれずに話しておったじゃろう。ありがとう」

「ううん……私たちを信じてくれて、こっちこそありがとう」

 

絆というものの存在を噛みしめるように、二人は少しの間だけ笑い合った。それからも外で待つ騎士たちに迷惑をかけない程度に時間を掛けて話し合い、そして切り上げる。

 

「さて、もう聞きたいことはないかの?」

 

その言葉にチルノが頷くと、ブラスは真面目な顔をする。

 

「チルノ、お主ならわざわざ言わんでも分かっておるじゃろうが、今回の件で敵たちもダイたちを侮れん敵と認識して、本腰を入れてくるじゃろう。お主の持つ知識もどこまで活かせるかわからん。十分に注意するんじゃぞ」

「ええ、わかってる」

「ではこの話はこれで終わりじゃ。島の皆にも元気な姿を見せてこなければな。しばらく留守にしとったんじゃ、心配しておるじゃろう」

 

娘の姿にブラスも安心したのか、そのまま家から外に出て行く。当然チルノもそれに続いた。そして、外に出た二人の目に飛び込んできたのは、家を囲むようにずらっと整列するデルムリン島に生息するモンスターの数々と、その輪の内側でモンスターたちに話しかけている騎士たちの姿だった。

 

「なんじゃこれは……!?」

「あ、お二方! こちらは、この島の仲間の方たちですよね?」

「お二人が家に入った辺りから、どこからともなく集まってきまして。放っておくと無理矢理に押し入りそうだったので、やむを得ず止めさせてもらいました!」

「あの、このスライムがさきほどからずっと……」

 

どこから聞きつけたのか、ブラスの帰還を知ったモンスターたちが我先にと集まってきていた。それに気づいた騎士たちはさながら交通整理か警備員のように、モンスターの群れを宥める役目を強制的にさせられていたわけである。

とはいえ、中には言うことも聞かないモンスターもいるようで、一人の騎士が両手でよく見知ったスライムを捕まえていた。

 

「スラリン!?」

「ピィ!」

 

チルノの姿を確認した途端、どこにそんな力を隠していたのかスラリンは騎士の拘束を振り払うと彼女の下まで駆け寄り、その胸元目がけて飛び込んだ。

 

「わっ、どうしたのスラリン? 寂しかった?」

「ピィピィ!!

「え!? 待つのはもう嫌だから、自分もついて行くって……」

 

抱きとめながら話を聞いてみれば、スラリンもチルノの身を案じていたらしい。元々彼女と仲の良かったスライムなのだ。ブラスが連れ去られ、その奪還のためにチルノまで島を出たことで不安と不満が爆発したらしい。

 

「でも、あなたはこの島の外に出ると凶暴化しちゃうでしょ? 無理だってば」

「ピィ! ピィィ!!」

「ゴメちゃんは平気だから自分も平気って……んー、でもそれは……」

 

破邪の結界に守られているデルムリン島とは違い、一歩外に出れば魔王の邪気が襲い掛かり凶暴化してしまう。それを理由にスラリンの申し出を断りながら、同時に抱きしめていた手を離して、スラリンを地面に置いた。

だがスラリンもその程度では納得できないとばかりに、ゴメちゃんを引き合いに出して徹底抗戦の構えを崩さない。ゴメちゃんの正体を知る者からすれば、スラリンがどれだけ文句を言おうとも元々の存在からして違う例外的な存在なのだからと理由が分かっているのだが……

さてどう説明すればよいものか。頭を捻っているとスラリンが動いた。

 

「こ、こらっ!! スカートの中に入らないの!!」

 

沈黙を待ちきれなかったのか、チルノの言葉通りスカートの中へと侵入してでも強引について行こうという腹積もりだった。

いきなりの行動に騎士たちが慌てて視線を逸らす。

 

「チルノや、この護符はどうじゃ? これならば、外に出ても抵抗できるはずじゃが」

「え? うーん……でも、この護符でも完全に抵抗できるものではないみたいだし……それにスライムの体だといつ護符を落としてもおかしくないし……」

 

助け舟とばかりにブラスは手に持っていたアバンの守りを見せる。破邪の結界が刻まれたこれならば確かに効果があるだろう。だがチルノはスラリンをスカートの中から引きずり出してから言う。

ロモスでブラスが正気に戻った際には島と比べて効果が弱かったことを見ており、不定形であるスライムではいつどこで無くすか分かったものではない。

まさかずっとチルノが抱えているわけにもいかないだろうし、かといってここでまごまごしていたらまた強硬手段に訴えるかもしれない。

 

「もう……わかったわ! ただし、島の外に出ても正気を失わずにいること! これが条件よ!!」

 

チルノはヤケクソ気味にそう叫んだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「なあ、チルノ。なんでゴメ公といいこのスライムといい、結界の外に出ても平気でいるんだ?」

「わかんないわよ、そんなの……」

 

上空を見上げればどこまでも続く青い空が目に飛び込んでくる。そこに白い雲たちがアクセントのように流れ、下を見れば太陽光が海面を反射してキラキラと輝く。

ロモス王がパプニカまで送り届ける手段として用意してくれた船の上で、ポップとチルノは言い合った。二人の視線の先には、ゴメちゃんとスラリンが仲良くふざけ合っている。

 

強引にでも旅について来ようとするスラリンに対して、半ば不可能だと思って突きつけたはずの条件であったが、渦中のスライムはなぜか島の外に出ても正気を保っていた。そのままあれよあれよとトントン拍子に事が運び、チルノと共にスラリンも旅に加わることとなった。

こうして、デルムリン島での用事とモンスターたちに別れを済ませたチルノは、沖合で停泊していた船へと戻りダイたちと共にパプニカへの船旅を再開していた。

 

「ゴメちゃんと一緒で、特別な力があるのかもしれないね」

「どうだか……こんなちっこいモンスターなんだし、手下にする価値なしと思って見逃されてるんじゃねぇの?」

「それもあるかもね。同じ労力なら強いモンスターの方がいいでしょうし」

 

――もしかして、魔獣使いの能力が働いているのかしら?

 

言いながらチルノは原因の一つに思い当たった。自身の持つ能力の一部には、魔物を操って戦う能力が存在している。

未来の知識において、チウが部下のモンスターを増やす描写があったが、その時にも仲間にしたモンスターたちは影響を受けていなかった。あれは獣王の笛の効果によりチウという明確な主を得たから邪気の影響から逃れられたらしいが、それと似たような効果を知らず知らずのうちに使っていたのかもしれない。

 

「まあ、理由なんざどうでもいいか。枯れ木も山の賑わいって言うしな。よろしくな、スラ公」

「ピィ!」

 

ポップの言葉にスラリンは元気いっぱいに返事をしていた。

 

 

 

「たぁっ!!」

 

その日、甲板の上でダイとチルノが木剣を手に打ち合いをしていた。近くには同じく木剣を手にしたマァムがおり、時折鋭い殺気を放ちながらダイへと攻撃を仕掛ける。だがダイは闘気を感じ取ることでその攻撃を察知して間一髪で受け止め、またすぐにチルノとの打ち合いに戻る。

 

「おーおー、やってるな」

 

そこへ顔を覗かせたポップが、ダイたちの様子を見て呑気に声を上げた。

ロモスからパプニカまでは、波風の機嫌にも左右されるが、船で最速でも数日掛かる。その数日の時間を無駄にしないためにも、ダイたちはアバンの手記を参考にしながらそれぞれ修行を行うことにしていた。

なお、ちゃんと船長と船員たちに事情を話し、船を壊さないことと運航を邪魔しないことを絶対条件とすることで許可を取り付けてある。決して無許可ではない。

 

現在行われているのはダイの修行の続き、空裂斬の特訓の言わば最終段階である。

精神鍛錬と見えざる敵との戦闘を行うという内容を基に、目隠しをして気配と闘気を感じ取りながら稽古をしていたのだ。

なおゴメちゃんとスラリンは、修行の見学――というよりは見物中である。

 

「あらポップ? 自分の修行はどうしたの?」

「さすがにもう魔法力が打ち止めだよ。その後に瞑想もしてたんだけど、お前らの声がうるさくてね」

 

ポップは魔法使いの修行のため、魔法力の総量を高める特訓と最も基礎である集中力を高める瞑想を地道に繰り返していた。

――瞑想中だというのにうるさくて集中できないというのは、肝心の集中がそもそも出来てないことに他ならないのだが……まあ、彼にしてはよくやっている方であった。

 

「この修行が終われば、ダイもアバンストラッシュをマスターするんだから。否応なしに気合も入るわよ」

「アバンストラッシュか……確かにあれもすごいけどよ」

 

チルノの言葉を聞きながらポップが記憶を掘り起こす。

 

「おれとしては、チルノがロモスで使ってたあの剣も驚いたな。ほら、敵のモンスターをズバズバ斬ってたアレ。もう使えないのか?」

「ああ、あれ? ちょっと待ってね……」

 

軽い口調のリクエストを受けて、チルノは手にしていた木剣を置くとナイフを引き抜いた。

 

「【魔法剣サンダラ】」

 

軽く息を吐いてから、魔法剣を発動させる。手にしたパプニカのナイフから雷が走り、それを見ていた周囲からはチルノへ歓声が上がった。

いつの間にかダイとマァムも手を止めてチルノの方を見ていた。ゴメちゃんたちも寄ってきており、珍しそうに魔法剣を眺めている。

 

「そっちか。まあ、そっちも凄かったんだけどよ」

 

ポップが言いたかったのは剣の舞の方だったのだが、こちらも確かにとんでもないものである。呪文の魔力を武器に纏わせるなど聞いたこともない。

というのもこの世界では「剣と魔法を同時に使用することは出来ない」というのが定説だ。実際、過去に幾人もが挑戦して挫折した技術であった。もはや人知を超えた能力であり、本来ならば竜の騎士(ドラゴンのきし)しか操ることのできない技巧である。

それを事もなさげに――必死の修行の結果、身に付けたものだが――行っているのだから、異質としか言いようがない。

 

「あの時は気が付かなかったけれど……もしかしてそれ、ライデイン!?」

 

一方マァムが、チルノが剣に纏わせた効果を見て叫んだ。

ライデインは勇者のみが使用可能と言われている雷撃の呪文である。僧侶である彼女でも知っているほどに知名度はあるものの、もはや伝説に近い呪文ですらある。それを操っているのだから、彼女の驚きは如何ほどか。

 

「ううん……ライデインとは違うのよね。マァムも聞いているかもしれないけれど、私は……」

「え? ああ、そういえば……」

 

この世界の呪文はメラもホイミも何も覚えることが出来ない。二人と比べればまだ付き合いの浅いマァムはチルノの秘密の事を思い出してそれ以上の口を噤んだ。

 

「魔法剣……!! か、カッコいい!!」

 

対してダイはと言えば、剣に電撃を纏わせた姉の姿に興味津々である。魔法剣の技術と電撃の魔法。そのどちらも高等すぎて今のダイでは理解が追いついていないのか、ただ単純にすごいものを見たという純粋な憧れの表情をしていた。

 

「おれも出来ないかな……うーん……うーん……」

 

そして姉の動きを思い出しながら真似するように目を瞑り、剣を手にすると、ああでもないこうでもないとまるで思索にふけるように唸っていた。そして――

 

「メラ!!」

 

呪文を唱えると、ダイの持つ剣から炎が噴き上がる。幼い頃からの剣と呪文の訓練の積み重ねと天性のセンスに加えて、目の前で姉が手本を見せているのだ。今のダイならば魔法剣を一発で成功させたとしても不思議ではなかった。

赤々と燃え上がる炎の剣を見ながら、ダイは顔を輝かせる。

 

「やった! できたぞ!! よーし、さっそく……」

「はい、そこまで」

「って! なんで邪魔するのさ姉ちゃん?」

 

まるで魔法剣の威力を試すかのように剣を振りかぶろうとしたダイの機先を制して、チルノが待ったをかける。

 

「船の上で炎とか、船長さんに怒られるわよ。もう少し考えなさい」

「あ、そっか……」

 

電撃を纏った短剣を持った姉が、炎を纏った剣を持つ弟を叱る。その場面は中々にシュールだ。そんな二人を見ていたマァムが感心するように呟いた。

 

「それにしても、よくそんな簡単に成功するわねぇ……」

「姉ちゃんの真似しただけだよ。おれ一人の力じゃないさ」

 

事もなさげに言うダイの姿に、ポップが反応した。

 

「真似、か……」

 

どこか愁いを帯びた呟きを聞きながら、チルノはポップに何かあったのだろうかと思う。ロモス城での戦いの中での彼の心境を知らない彼女は、ポップがチルノの使った方法を真似て切り抜けたことがずっと気になっていたのだ。

少し落ち着いて考えれば、客観的に見ることが出来れば、それは決して猿真似ではない――むしろ自己流にアレンジした立派な方法だと気づけるのだろうが、まだ年若いポップにそれをすぐに察しろというのは少々酷だった。

 

「真似でいいのよ。最初はみんな、誰かの真似から始まるのよ。その真似を昇華させて自分だけのものにする。そして最終的には真似じゃなくて自分のオリジナルを生み出すの」

 

それでも真似というキーワードから、何か伸び悩んでいるのだろうかとは推測できた。だから彼女は、謙遜するダイを諭すように――と見せかけてその実はポップに伝えるために言う。

 

「武術だって最初は師匠の真似から始まるし、そもそも呪文なんて私たちが生まれるよりも前からあるものでしょう? だから気にすることなんてないの」

 

そう言いながら横目でポップの顔を覗く。その顔色は、まだどこか悩んでいるようでもありながら、それでも一筋の光明を得たようにも見える。

 

「……そうか、そういうものだよな」

「ポップ、どうかしたの?」

 

呟いたその言葉にマァムが耳聡く気づき、声を掛ける。

 

「ん? ……いやぁ、この間の戦いで人間としての器っていうか、魔法使いとしてのグレードがぐ~んとレベルアップしちゃった感じがするんだよねぇ。そいつを実感していただけだっての」

 

悩んでいたことを悟られまいと、ポップは途端におどけた仕草と芝居がかった口調でそう言う。その反応にマァムは少々呆れたような、おかしいような、そんな反応を見せる。

 

「そうだね、おれも姉ちゃんやポップにマァム。いろんな人を真似してがんばるよ」

 

そしてダイも、チルノの言葉を聞いて更なるレベルアップに挑むべく決意を新たにする。

 

「じゃあ次はライデインを使えるようにしましょうか?」

「えええええっっ!?」

 

そのダイの覚悟を利用するかのように、新たな呪文を覚えさせようと画策する。あまりの習得難易度の違いに抗議の声を上げるがチルノは聞く耳を持たない。事実、この先では習得必須とすら言える呪文なのだから仕方ない。泣いて覚えられるのなら安いものだ。

 

「大丈夫、ポップが雨雲を呼ぶラナリオンって呪文でサポートしてくれるから」

「ってちょっとまて! ラナ系の呪文は消費魔法力が半端じゃなくてだな……!!」

 

不意に回ってきた矛先に異議を唱えるポップ。

パプニカへの航海の道すがら、このような馬鹿騒ぎを交えつつも次のパプニカで待ち構える戦いに向けて、ダイたちは着実にレベルアップしていった。

 

なお、ラナリオンを併用したライデインの特訓は、船長からの「雨雲が嵐に発達したり航路を見失いかねないからやめてくれ」という強い要望により、あまり芳しくなかったことを記しておく。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

数日間の航海を終えて、ついに船はパプニカの港町が見える距離まで来ていた。風光明媚なことで有名なはずの港町は、今は人っ子一人見当たらず活気がない。

魔王軍の攻撃を受けたとはいえ決してどこか大きく壊れていたり設備に問題があるわけではないのだが、誰もいないだけでまるで廃墟となったように見える。

船首近くから皆と港町の様子を見ていたダイたちも、その光景に思わず目を丸くするほどだ。

 

「おれたちが降りたら、すぐ港を離れてください!!」

 

ひしひしと伝わってくる嫌な予感を真に受けながら、ダイは船長に願う。そして、港まで辿り着くと待ちきれないといったように船から飛び降りた。ダイに続けとばかりにポップとマァムも港へと降りる。

 

「船長さん、ロモス王様に伝言をお願いできますか?」

「え? それは構わないが一体何を……?」

 

そしてチルノだけは、下船を後回しにして船長へ頼みごとをする。

 

「覇者の剣は誰もが欲しがる伝説の剣なので、保管にはより一層の注意をしてください。それともう一つ、身元の確認ができない人間は信用しすぎないでください、と」

「なんだと、それは一体どういう……?」

「お願いします!!」

 

それは数日間の航海の間に彼女が考えた、今のタイミングで実現可能であろう比較的マシと思われる警告だった。覇者の剣とザムザについてどうなるか分からないが、これで少しでも楽に戦えるようになるかもしれない。気休め程度と言われればその程度、迫る脅威に対して明確に伝えることはできないが黙っていることもできなかった彼女が足掻いた末の行動である。

 

そう言うと船長からの返事も聞かずに飛び降りて、チルノもダイを追っていく。

新たな争乱の幕がゆっくりと開いていった。

 

 





(突っ込まれもしましたが)凶化ブラスに秘密をバラされたらかなりピンチだなぁと思っていまして。でも喋らずにいた理由をどうしようかと悩み、こんな感じに。敵側はあそこでダイたちを倒すと思いこんでいるから無警戒。命令は殲滅優先でチクれとは言われていない。加えてブラスが自分からチクるのは絆が邪魔してギリギリ踏みとどまった。でも命令されてたからダイたちに攻撃はするよ。
という(これはこれで後付けの泥縄っぽいなぁ……)ことにした――という言い訳のために島に上陸させられるチルノさん。

そのついでとばかりに、スラリンを連れて来てしまいました。現状、ゴメちゃんですら書くのを忘れかけているというのに、果たしてちゃんと活躍させられるのでしょうか?
名前だって付けたし連れて行こうか個人的にも迷っていましたし、つつかれたのもあって加入ルートへ……まあ、ナチュラルにセクハラする程度には出てくるかと(某漫画よろしく覚醒のためにバランあたりに握り潰されたらどうしよう……)
外に出ても何で平気なのかは――わかんない。もういいやスライムだし(思考放棄)
(一応、合体できるくらいに鍛えたって下地があるから、理由はもうそれでいいかなとも思ってます。ゲームに倣って喋らせたり、魔改造もありでしょうが、さて……)

船の中で少しだけ、各々のレベルアップや精神的成長などに費やしました。とはいえ船を壊すわけにもいかないので遠慮がちに特訓してます。
あとポップが少しやる気を出しました。気にしてたところが解消したので。直接伝えるのはちょっと恥ずかしいお年頃だと思って遠回りに言ってみる。


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LEVEL:19 魔剣士ヒュンケル

ロモスの船が港から離れていくのが見える。パプニカは今も各地で繰り広げられている魔王軍との戦いの中でも、最大の激戦地と噂になっている場所だ。航行中の船内にてダイたちはそう聞いていたが、実際に見れば納得の光景だった。

既にパプニカは敵の手に落ちているのだと誰もが思うだろう。港に降り立ったダイたちが周囲を簡単に調べただけでも、人影はおろか生き物の気配すら感じられない。破壊された建造物や瓦礫ばかりが目につき、ここで何が起こったのかを否応なく想像させられる。

 

「船を帰したのは英断だったわね。いつ戦闘に巻き込まれることか……」

「でもよ、帰りの足が無くなっちまったぜ?」

 

響き渡る潮騒の音を耳にしながら、チルノがダイの決断を褒める。それを聞いたポップが少しだけ不満そうに呟いた。いざという時の逃げ道が確保できていないことが、心の余裕を失わせるのだろう。

 

「それなら、ポップだけでも帰る?」

「へ!?」

「キメラの翼ならまだあるわよ」

 

素っ頓狂な声を出すポップへと、チルノは道具袋から取り出したキメラの翼を見せる。

 

「これがあれば、今すぐにだってロモスに戻れるわよ。今なら英雄の一人として大歓迎されるんじゃないの?」

「え、あ……」

 

見せつけるように取り出されたキメラの翼を前に、ポップが一瞬だけ物欲しそうな顔で手を伸ばしかけた。だがすぐにそれに気付くと自制するように手を引っ込めて、顔を赤くする。

 

「バ、バカ言ってもらっちゃ困るぜ!! おれはもう、そう簡単に逃げたりしないって決めたんだ!!」

 

そう言うポップの様子を見て、チルノは彼が成長していることを実感する。これならば、これからの戦いで気後れすることもなければ、そう易々と遅れを取ることもないだろう。

 

「ごめんなさいね、意地の悪い言い方しちゃって。でも、いざとなったらすぐに逃げて……命のやり直しは出来ないから……」

「ん……? お、おう……」

 

変に真面目なチルノの言い方に若干面食らいつつも、ポップは頷く。そうしていると、マァムとダイが姿を見せる。

 

「そっちには誰かいた?」

「ううん、誰も。姉ちゃんは?」

「こっちもいないわね」

 

少しだけ――はぐれることもなく、何かあればすぐに駆け付けられる程度の距離を保っての行動だったが――港の周囲を一行は探索していた。誰か生存者でもいれば儲けものと考えていたが、互いの報告を見るにその望みは空振りに終わっていた。

港という人が集まるべき場所に誰もいないのは、ここが魔王軍に襲われたからだと分かる。だが、襲ったはずの魔王軍もいない。パプニカ王家の存在するホルキア大陸は海に囲まれており、他国とは船がなければ行き来出来ない。つまり港は交通の要所。にもかかわらず敵は港を押さえていないのだ。

 

――本来の歴史通りに、私たちを誘っているってことかしら?

 

港に人が来ることは分かっているのだろうに無警戒のままなことから、チルノはそう推理する。そして、ならば乗ってやろうとも考える。

 

「ということは、人がいるとすればあっちの方かしらね?」

 

ここからでも見える、丘の向こうにある大神殿を見ながらチルノは呟く。ダイたちもそれに従って視線を向ける。

 

「わかった、行こう!」

 

チルノの言葉を聞くが早いか、ダイは待ちきれないといったように駆け出していた。それを見てポップたちも後を追っていく。

 

「さて、今のダイならいい勝負になると思うけれど……」

「ピィ?」

 

最後尾にてダイたちの後に続きながら口にしたチルノの呟きを聞き、スラリンが不思議そうに声を上げた。

 

 

 

文字通り廃墟と化した街を抜けて、神殿区画までようやくたどり着いた。だがそこの荒れ方は酷い物であった。まだ人が住めるであろう壊れ方をしている港の区画と比べれば、それこそ一目瞭然。

建物は完膚なきまでに壊されており、大理石と思しき柱がいたるところで折れている。風雨を凌ぐ屋根はおろか壁すらまともに残っていない。

 

「そ、そんな……」

 

それを見たダイが肩を落としていた。見ただけで理解できるほど、絶望感の漂ってくる光景である。まだ若いダイにはそれを見てなお希望を持ち続けられるほどの強さは備わっていなかったらしい。近くを飛んでいたゴメちゃんがダイを心配するように寄り添うが、効果のほどは果たして如何ほどだろうか。ダイは顔を上げることなく沈んだままだった。

 

「ダイ……」

「ひでえや……こりゃ……ダイにゃ悪いけど、生き残りは……」

 

ポップとマァムも追い付き、同じく眼前の光景に絶句していた。マァムが知っているロモスはまだここまでの被害が出ていなかったため、比較対象としてみれば壮絶な物があった。それだけにダイが落ち込む気持ちもどこか理解出来る。

ポップも似たようなものだ。こちらは多少なりとも現実的な意見だった。だが残酷ともいえる。言葉にしたことで最悪の想像が現実になりそうで、ダイの心はなお痛む。

 

「大丈夫よ、レオナは多分まだ生きているから」

「……どうしてさ?」

 

最後に追いついたチルノが、ダイと神殿の破壊跡を見ながらそう言った。だが姉の言葉であっても今のダイにはとても信じられなかった。この光景を見てなおレオナの無事をどうして信じられるのか、疑問でしかなかった。

 

「ここに来るまでに、敵モンスターが一匹もいなかったでしょう? それが根拠の一つ」

「……?」

 

根拠の一つと言われても、何が根拠なのか。ダイは訳が分からないといった顔を浮かべる。見ればポップたちも理解できないようで、チルノの方を真剣な眼差しで見て次の言葉を待っている。

 

「港は交通の要所よ。そこに敵がいないってことは、押さえられない理由があるってこと。何かそれ以上に大事な目的があったから、それに手を割けないんじゃないかしら? 例えば、逃げ延びた王族を探している、とか……?」

「えっ、それって……!?」

「魔王軍は各国に対して一斉に攻勢を仕掛けているんだから、他国の援軍はあまり期待できない。でもこの国を完全に落としたのなら、港くらいは押さえるべきでしょう? まさか、占領したら『はい、さようなら』って一斉に引き上げるわけないだろうし」

 

ここまでの道すがらで確認できた状況証拠と推論を交えながら話す。最初にレオナが無事である可能性を示唆したおかげか、ダイの話への食いつきはチルノの予想以上に良かった。

 

「反対に、敵がそれすらも分からない大マヌケだって可能性もあるけれど、それなら話が早いわよ。そんな大マヌケにあのレオナが簡単にやられるものですか」

 

本来の歴史ではレオナは無事に逃げ延びており、この歴史においても魔王軍はチルノの知る歴史と大きく異なった動きを見せていない。ならば推論はほぼ確実と考えていいだろう。

 

「それとも、ダイはレオナがもう死んでいるって思ってるの?」

「ううん……そうだね、まずおれたちが信じなきゃ……!」

 

チルノの言葉に、胸の奥から湧き上がってくる不安を落ち着かせるように胸をドンと叩いてからダイはそう返した。どうやら不安は打ち消せたようであり、姉の方もこっそりと胸を撫で下ろす。

 

「ねぇ、レオナってこの国のお姫様でしょう? 二人ってどういう関係なわけ?」

「おれも詳しくは知らねぇけどよ、パプニカのお姫様とお友達なんだってさ」

 

ダイを励ましている裏では、マァムとポップがこそこそと会話を繰り広げる。いや、当人たちからしてみればこっそりと話をしているつもりだが、場所が場所である。会話の内容は二人にも丸聞こえだった。

 

「憧れのお姫様を助けに勇者様自らの出陣だぜ? こりゃ泣かせる話じゃね~か!」

「へぇ、そうだったの……ダイも結構隅に置けないのね」

「そんなんじゃないってば!」

 

黙って聞いているのはそこまでが限界だった。当然のようにダイは振り返ると、大声で抗議する。だがその反応はむしろ火に油を注ぐようなものだ。マァムもポップも、ダイの反応にさらに笑顔を強くする。

 

「そんなこと言っちゃっていいの? レオナはダイの事を相当気に入ってくれてたじゃない。一国のお姫様のハートを射止めるなんて、中々できることじゃないわよ」

「姉ちゃんまで……別におれは……!!」

 

顔を真っ赤にして否定するダイだったが、その言葉が本心ではないことは誰の目にも明白であった。だが、ダイの様子がポップたちに否定するときと少しだけ違っていることに気付いたのは果たしているだろうか。

なおも何かを言おうとするダイであったが、彼の言葉を遮るように、近くの石造りの床がゴトゴトと動き出した。

 

「……スラリン、ゴメちゃん。二人とも隠れてなさい」

 

その様子をいち早く察知したチルノが二匹へ声を掛ける。だが二匹は何が起ころうとしているのかを理解していなかった。ピィと鳴きながらチルノの言葉に首を傾げている。

そうしている間にも床の揺れが大きくなり、ついには床板が弾け飛んだ。そしてその下からは剣を手に持った骸骨のモンスターが複数姿を現した。

地面からまるで湧き上がるように現れるそれは、敵対する相手に地獄の使者が襲い掛かってきたかのような恐怖を与える。

 

「こいつは!?」

「敵地だもんな、こんな馬鹿騒ぎしてたらそりゃ気づかれるわ」

「こいつらね、不死身の軍隊って……!!」

 

敵が姿を見せたことでダイたちも戦闘態勢へと意識を切り替える。

目の前に敵として現れたのは、不死騎団に所属する死霊の騎士と呼ばれるモンスターである。疲れも痛みも知らず、そして何よりも恐ろしいのは不死性だ。死を超越した、と恐れられるように、単純にただただ死ににくい。

少々の傷では影響が出ることはなく、普通の兵士がこれを倒そうとすれば、骨を粉々に砕くなどの多大な苦労が必要になるだろう。魔王軍のパプニカ攻略戦でも大活躍したであろう先兵だが、今回ばかりは相手が悪かった。

 

「――無窮の安息を――聖なるかな――」

 

ダイたちが死霊の騎士に攻撃を仕掛けるよりも早く、チルノの歌声が戦場に響き渡った。少女である彼女にふさわしいソプラノが緊張した空気に水を差していくようだ。

 

「姉ちゃん!? 歌っている場合じゃ……」

「見て! 敵が……」

 

何も知らないダイたちから見れば、チルノの取った行動はまるで意味が分からなかっただろう。だがマァムの言葉に従い、敵へと視線を移しなおせば、そこには信じられない光景が広がっていた。

死霊の騎士たちは苦しみ、それでいてどこか安らかな雰囲気を纏わせながら、糸の切れたマリオネットのように四肢を放り出してそのまま崩れ落ちる。

やがてその場にいた全てのモンスターが昇天したところで、チルノは歌を止める。

 

「な……なんだったんだよありゃ……」

「何って、【鎮魂歌(レクイエム)】よ」

「れくいえむ……?」

 

姉の口から飛び出した耳慣れない言葉に、ダイは首を傾げる。

 

「死者の魂を鎮めて、穢れを祓い、安息を願うために歌う曲――ってところかしらね」

「でも、姉ちゃんそんなのいつの間に? おれ、全然知らなかった」

 

それは吟遊詩人の奏でる魔法のようなものである。歌――呪歌と呼ばれることもある――を歌うことで、曲によって様々な効果を発揮することができるのだ。

だが呪歌は、歌い出してから実際に対象へ効果が発揮するまで少しタイムラグがあり、また歌い続けなければ効果はない。そのため歌っている最中は無防備になるので、フォローしてくれる仲間がいなければとてもではないが安定して歌えるものではない。

何より、発揮させたい効果に沿った歌詞を口ずさみ、呪歌を奏でる才能があってこそ使えるものである。ただ闇雲に歌えばいいというものではない。

今回チルノが歌ったのは、説明した通りゾンビやアンデッドと言った不浄なる存在にのみ劇的な効果を与える呪歌――アバンから教わった、この世界に存在する鎮魂歌を歌い上げていたのである。

 

「そりゃ、デルムリン島には不死のモンスターはいないもの。敵に使ったのは初めてだけれど、できると思ったから」

「できると思った、で実際にやっちまうお前は本当にすげーと思うよ……」

 

もはや一々驚くのは諦めたというように達観した様子でポップが呟く。そしてマァムは、レクイエムの効果を聞き、それに感銘を受けていた。

 

「歌うことで、死者を祓い清める……」

「どうかしたのマァム?」

「ううん、素敵な歌だなって思って」

 

元来の相手を傷つけることを好まない性格の彼女にとってみれば、歌うことで昇天させるという効果はある種の憧れすらあった。無論、かつてアバンに諭されたこともあって彼女は力の重要性も理解しているが、それでもチルノの能力は羨望を覚えてしまう。これだけの多彩な力を使いこなすその姿は、同じ仲間であるからこそ自分と比べてしまい、力不足を感じてしまう。

 

「とにかくだ。そんな凄い歌があるんだったら、不死騎団なんてのは楽勝だな」

「あんまりアテにされすぎても困るんだけど……」

 

ポップの言葉にチルノはジト目で否定した。さすがに一国を攻略するほどのモンスターの大群を相手に全滅させるまで歌い続けることなど出来ないだろうし、そもそも不死騎団にはあの男がいるのだから。

そんなチルノの考えを肯定するかのように、一人の青年が姿を現した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「今のは、歌で敵を倒したのか……?」

 

いつの間に現れたのだろうか、その青年は廃墟と化した神殿の瓦礫の近くに佇んでいた。まだ若いがダイたちと比較すれば圧倒的に年上だろう。二十歳そこそこの見た目である。受ける印象は冷静な美形といったところだろうか。感情を内面に押し込めたような表情に加えて、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。銀髪がクールな様相にさらに拍車を掛けていた。大きめのマントを羽織り、その下には服のみで金属製の防具は一切身に着けていないことが見える。

 

「ええ、そうです。失礼ですけれど、あなたは?」

 

声を掛けられたことでダイたちは一斉にそちらを向く。そしてチルノが返事をした。

 

「少し前にこの国に来た者だ」

「じゃあこの国はどうなったのか、この国のお姫様はどうなったのか知りませんか!?」

「魔王軍の不死騎団によって少し前に滅ぼされた……姫の行方については知らんな。オレが知りたいくらいだ……」

 

マァムの質問に、青年は淡々と答える。だがその言葉を聞きながら、ダイの表情がじわじわと険しいものになっていく。

弟のそんな様子に気付くと、チルノは一足飛びに話を進めることを心に決める。

 

「私の名前はチルノと言います。あなた、お名前は?」

「オレか? オレの名は……」

「ヒュンケル、だったりして……」

「……ッ!?」

 

その質問は、青年の鉄面皮を崩すのに十分すぎるほどの衝撃だった。冷静な態度を取り続けていた男が見せた初めて驚愕を見せる。

 

「貴様、どうしてその名を!?」

「ヒュンケルっていやぁ……確か……?」

「先生の手記に書いてあった名前と同じ……?」

 

ここ数日の間、幾度となく読み返されたアバンの手記。それに書いてある名前なのだから、二人もさすがに憶えていたようだ。

 

「立ち振る舞いが、先生になんとなく似ていたの。それでまさかと思ったけれど……」

「じゃあ、こいつも先生の弟子だってのか!? こんな悪党面したやつが!?」

「失礼でしょポップ!! それに、顔についてはあなたも人の事言えるの?」

 

マァムが大声で注意すると、ポップは文句を言いたそうな顔をする。だが彼女はそれを無視してヒュンケルの方へと向き直った。

 

「とにかく、あなたがヒュンケルなら、ぜひ読んで欲しい物があるの。先生があなたに宛てて残した言葉が書いてあるのよ」

 

同じアバンの弟子として、心強い仲間を得た。とばかりにマァムはヒュンケルを歓迎する様子を見せる。だがそれにダイが待ったをかけた。

 

「ダメだっ!!」

「……ダイ? どうしたの?」

「そいつから、すごく嫌な気配がする。まるでハドラーの時みたいな!」

 

空裂斬の修行を行い、光の闘気と闇の闘気を感じられるようになってきたダイにとってみれば、今のヒュンケルから発せられる暗黒闘気は警戒すべき対象でしかなかった。だが同時に、光の闘気も感じている。それがダイを悩ませ続け、動くかどうかの明確に判断を今まで鈍らせていた。

だがマァムが直接近寄ろうとすれば話は別だった。判断しきれない不確定要素よりも、仲間の危機を優先して彼女を止めていた。

 

「それは多分、暗黒闘気――だったかしら? 先生が空裂斬の授業の時に言っていたでしょう? 悪の剣士が使う闘気を感じてたんだと思う」

「暗黒……闘気……」

 

ダイの言葉だけでは二人は理解しきれないだろう。そう思ったチルノが言葉を付け加える。それを聞いていた誰かがゴクリと唾を飲む音がした。

 

「それともう一つ。先生は、ヒュンケルには心の技をしっかりと伝えることが出来ずに別れたって言っていた。だったら……」

「ま、まさか……」

「そんな……うそ、でしょう……!?」

 

ダイの直感で感じたことと、チルノが付け足した事柄。その二人から導き出されるのは――もはやはっきりと答えを言わずともこの場の誰もが理解していた。スラリンたちなどは野生の勘か、既に離れた場所に逃げ出して隠れ始めている。

 

「フフフ……おめでたい頭の集団かと思っていたが、なかなか勘の良い奴がいるじゃないか……」

 

そしてヒュンケルも、もはや隠すつもりはないようだった。その身に纏う暗黒闘気を隠そうともせず、邪悪に笑う。

 

「概ね、お前たちの言った通りだ。オレは確かにアバンの下で修行をしていた」

 

これがその証拠だ、と言わんばかりに胸元から卒業の証であるアバンのしるしを見せる。

 

「だがアバンの弟子全てが師を尊敬し、正義を愛する者ではないということよ……中には暴力を愛し、その身を魔道に染めた者もいる。正義の非力さに失望してな……!!」

 

そして身に着けていたマントを翻すと、その下からゴテゴテと仰々しい装飾の剣を見せる。人によっては呪いの武具のように禍々しく感じるかもしれない。いつでも剣を抜けるとばかりの様子を見せながら、ヒュンケルは高らかに宣言する。

 

「改めて名乗らせてもらおう。オレの名はヒュンケル! 魔王軍六団長の一人、不死騎団長ヒュンケルだ!!」

 

 

 

「先生の弟子が、敵の軍団長だと……!?」

 

ポップは信じられないといった様子で言う。それはそうだろう。悪人面とは言ったが、アバンの使徒である以上は正義の味方であると信じていたのだ。その信頼が裏切られたとなれば落胆はいかなるほどか。だが同時にそれ以上の怒りを感じていた。ポップにとってアバンの存在は大きく、ヒュンケルの言葉は師の信頼を裏切ったも同然。ロモスでの偽物の一件もあり、その怒りは今にも爆発しそうだ。

 

「ヒュンケル!! あなたは知っているの!? 先生は、魔王軍に殺されたのよ!! あなたはそれでも魔王軍に味方するの!?」

 

むしろ信じられないという衝撃はマァムの方が大きかった。彼女はなんとか説得せんと、まるでヒュンケルと師アバンとの絆と情に訴えるように叫ぶ。

 

「ああ、知っているとも。ハドラーに殺されたそうだな……ガックリきたよ。まさか一度倒した相手に殺られちまうとはな……」

 

だがヒュンケルは動じることはない。再び冷酷な口調を取り戻しており、心底残念そうに言う。

 

「弟子作りなんぞにうつつを抜かして、自らの修行を怠った証拠だ。オレの手で引導を渡してやろうと思ったのに、全く口惜しい……」

「なっ、なんだとぉ!!」

 

だが残念の意味合いは、自らの手で師アバンを倒すことが出来なかったことに対する不服からだ。そしてアバンの事を軽んじ、弟子を取るという行為を脆弱と切って捨てる。それはダイら他のアバンの使徒からすれば到底許せるものではなかった。

 

「ざけんな!! 確かに先生はハドラーに負けた。けどな、先生は次の勇者をちゃんと育ててるんだよ!!」

「ああ、知っているとも。そこのダイとかいう小僧だろう? ロモスでクロコダインを倒したそうだが、貴様らはオレに始末される運命だ」

 

激昂するポップに対してヒュンケルはあくまで冷静に、それでいて絶対の自信を持った口ぶりだった。確かにその自信は間違いではないだろう。長年にわたって剣を磨き続け、バーンから貰った魔剣もある。そしてアバン流刀殺法ならば知り尽くしているのだ。そんな彼であれば、ダイたちを纏めて相手にして勝てると思うのも無理はない。

 

「そんなわけあるか!! おいダイ!! 構うことはねえ!! アバンストラッシュをぶちかませ!!」

 

その余裕の口ぶりからさらにポップはさらに過熱し、ダイに向けてそう言った。だがその内容にヒュンケルが少しだけ反応する。

 

「ふん、アバンストラッシュだと!? 言うに事を欠いて、ふざけたことを……貴様のような小僧に使えるものか。ハッタリなら、もう少しマシな嘘をつくのだな」

 

目の前の少年がアバンストラッシュを使えるなど、彼にしてみれば到底信じられない。鼻で笑い飛ばすが、ダイは鋼鉄の剣(はがねのけん)を抜くと逆手に構える。

 

「ヒュンケル、お前はアバン先生を殺すつもりだったと言った……たとえおれたちの先輩だったとしても、そんなことを言うなら許さない!!」

「ほう……許さないのなら、どうするつもりだ……?」

 

アバンストラッシュの構えを見ながらも、ヒュンケルは余裕の態度を崩さなかった。ダイの攻撃へ対応するために剣こそ抜くが、それ以上動くことはない。その間にダイは力を込め、闘気を集約させる。

 

「だったら、こうだ! アバンストラッシュ!!」

「ッ!?」

 

相手に闘気を飛ばす(アロー)タイプのストラッシュを放った。闘気の剣閃がヒュンケルへと襲い掛かる。それは紛れもない、かつてヒュンケル自身も子供の頃に目にしたことのある、本物のアバンストラッシュだ。それを目の当たりにしてようやくヒュンケルは己の愚を悟った。

手にした剣で慌てて迎撃を試みるものの、それは遅すぎる。

ヒュンケルは空の技を会得していない。そのためアバンストラッシュを使うことが出来ない。紛い物のストラッシュもどきのような技ならば使うことが出来る――彼の実力ならば、紛い物であっても下手な剣士の必殺技を凌駕するほど強力ではある――が、それでも本物の威力には届かない。

咄嗟に放った紛い物のストラッシュと、しっかりと準備された本物のストラッシュとが激突して、激しい爆発を起こした。

 

「あらら……」

「や、やった……!」

 

パプニカへの航路を進む途中、必死で繰り返した特訓によってダイは空裂斬を会得していた。正確には、空裂斬を放つような敵に海上では出会わなかったため、完成したかの実践確認は出来ていなかったのだが、この出来栄えを見れば完成したと断言して良いだろう。残る課題があるとすれば、自ら使い込むことで技の練度をさらに磨き上げるくらいか。

 

本物のアバンストラッシュの威力を間近で見て、チルノは惚けた声を上げていた。その破壊力に圧倒されたのも事実であったが、それ以外にもヒュンケルの事を心配していた。油断して直撃を受けてしまい、このまま満足に戦うことなく敗れてしまうのではないかと。

声こそ上げていないものの、マァムも似たようにヒュンケルの事を心配しているらしく、複雑な表情を浮かべていた。

一方、ストラッシュが決まったと思っているポップは歓喜の声を上げる。これで決着がついたと思っているのだ。

 

「いや、まだだ!」

 

ダイが警告の声を上げた。それを証明するかのように、ゆっくりと爆煙が晴れていく。するとそこには、ストラッシュの破壊力を相殺しきることが出来ず、ダメージを受けているヒュンケルの姿があった。纏っていた服があちこち破れ、そこから傷が覗いている。特に剣閃を受けた個所の威力はすさまじく、出血跡が痛々しい。

 

「はぁはぁ……バカな!! お前のような小僧が、まさかアバンストラッシュを使えるだと!?」

 

それはヒュンケルにしてみれば信じがたい事実だった。だが実際にダイのストラッシュを受ければ嫌でも分かってしまう。空の技を習得して、アバン流刀殺法を極めている。それは否定しようのない事実であった。

油断していたがためにこのような大怪我を負う。それはヒュンケルの戦士としてのプライドをいたく傷つけていた。信じられないが認めざるを得ない。

 

「くっ! ならばこちらも切り札を使わせてもらうぞ!!」

 

ボロボロになったマントを脱ぎ捨てると、鞘ごと魔剣を祈るように構える。構えとしては八相に近いだろう。

 

鎧化(アムド)!!」

 

そうしてキーワードとなる言葉を口にする。魔剣は唱えられた言葉に従い、その戒めを解き放ち幾重もの帯状に展開する。まるで金属の布が幾層も絡みついていたかのようだ。それがヒュンケルの体に巻きついて鎧を形成する。

 

「剣が、鎧になった……!?」

 

気が付けば頭のてっぺんからつま先まで、余すところなく覆い包む全身鎧を身に纏っていた。剣はまるで羽飾りを彷彿とさせるような形状で兜の前部に装着され、目の部分以外の全てを覆い隠している。機動性よりも守備力を重視したその姿は威圧感に満ち溢れていた。

 

「大魔王さまからいただいたこの鎧の魔剣は、最強の武器であり、同時に最強の防具だ。あらゆる攻撃呪文をはじき返す最強の鎧。それを纏えばオレは負けん!!」

「【ファイア】!」

 

不意打ち気味に、突如としてチルノの魔法によって生み出された炎がヒュンケルを包み込んだ。だがその炎を切り裂いて魔剣士は姿を現してみせる。煙こそ上がっているものの、ダメージを受けた様子がまるで存在しない。

 

「あらゆる攻撃呪文をはじき返す……嘘じゃないみたいね……」

「だったら、冷気だぜ! ヒャダルコ!!」

 

チルノに続けとばかりにポップが攻撃呪文を放つ。海の波すら凍り付かせた氷系呪文であったが、その冷気の中をヒュンケルは平然と歩き、影響範囲をまるで手で引き裂くようにして氷の世界を抜け出る。

 

「マジかよ……」

 

その様子にポップは驚愕の様相で呟いた。マァムも魔弾銃を構えてこそいるものの、効果がないことを理解しているのか、動かないままだ。

 

「どうした? それで終わりか?」

「くそっ!! けれど、アバンストラッシュがあるんだ! あれがありゃ……」

「ううん……多分、もう簡単にアバンストラッシュは当てられない……」

 

まだ手はあるとばかりにダイを見たが、その肝心のダイは自信なさげに言った。

最初にアバンストラッシュを当てることが出来たのは、ダイの事をヒュンケルが侮っていたからだ。初めから使うことなど出来ないと決めつけていたからこそ、対応が遅れたことも合わさって大ダメージを与えることが出来た。

だが今のヒュンケルにはその油断はない。魔剣の鎧を身に纏い、攻防共に隙の無い状態である。こうなってはもはや、大技を易々と当てることなど出来ない。

速度こそ早いものの、威力に劣る(アロー)タイプのストラッシュでヒュンケルにダメージを与えることができるかどうか。そもそも(アロー)タイプであっても当てることが出来るのだろうか。そう逡巡するほど、目の前のヒュンケルから迫る殺気は強烈であった。

その気配に中てられ続け、ダイは今まで動かなかったのではなく、動けずにいた。

 

「確かにアバンストラッシュを使えるのは驚かされた。だが、純粋な剣の腕前ではオレに勝てる者は存在しない! そしてお前のアバンストラッシュも、もはやオレには通じん!!」

 

ヒュンケルは兜から剣を引き抜く。

 

「だが、腐ってもアバンストラッシュを使えるのだ。ダイ! 貴様を殺すことで、アバンを殺すことが出来なかった、せめてもの代わりとなってもらおう!」

 

憎しみの込められた冷たい目でそう言うと、ダイたちへ向けて襲い掛かってきた。

 

「くっ!!」

 

ダイも気を振り絞ってヒュンケルの剣に応じる。だがその速度も剣の重さも、ダイが今までに経験したことがないほどに強烈だった。攻撃を一撃一撃受け止めるだけで、剣が弾き飛ばされそうになるほどの衝撃を受ける。

なんとか攻撃の合間を縫って反撃に転じるものの、その全ては相手の剣に受け止められる。稀に攻撃が相手の体を掠めるものの、鎧が邪魔をして傷一つ与えることが出来ない。

二人は一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

「お、おお……わりとイケるんじゃねぇのか……?」

「技術も力も早さも経験も、相手の方が上のはず……そう思っていたんだけど……」

 

ポップとチルノが誰ともなくそう呟いた。チルノの予測通り、本来ならば剣技だけ見ればヒュンケルの方が上だっただろう。ダイがいかにアバン流刀殺法を身に着け、天性の素質を持っていようとも、ヒュンケルとて魔性の剣技を持つ天才だ。そして長年に渡り、アバンへの復讐を遂げるために技術と経験を蓄積してきている。

本来ならば、今のダイがこれほどまでに善戦出来る相手ではないのだ。それでも何とか食いつけていられるのは、これまでの修行の成果も勿論あった。

だがそれ以上に――

 

「多分、ダイが最初に撃ったアバンストラッシュの怪我のせいよ」

「そっか! 怪我で実力を出し切れない……それでもダイを上回っている、か……」

 

マァムが気づいて言ったその言葉に、チルノも頷いた。確かに言われてみればその通り、アバンストラッシュのダメージが影響しているのは十分にあり得る。だが逆に言えば、それだけの怪我をしてもなお互角の実力を有していることになる。

ヒュンケルの底知れない実力を目の当たりにして、チルノはその事実に恐怖した。

本来の歴史であれば、ダイたちは今よりももっと弱い状態で戦い、そして倒しているのだ。それがどれだけ大変なことか。たとえ、幸運の上に幸運を重ねるようにして掴み取った勝利だったとしてもだ。

 

「剣は通じない……呪文もきかない……」

 

そんな回りくどい言い方をしながら、ヒュンケルとダイの戦いを見守る。だがそんなチルノの呟きに、ポップは期待通り鋭敏に反応する。

 

「それだチルノ! ダイ!! 聞こえたか!? 剣も呪文も駄目だ! ならあれだ!!」

「そうか! わかった!!」

 

ポップの投げかけた声に即座に反応して、ダイは少しだけヒュンケルから距離を取った。どうやらあのやり取りだけで意図を理解したのだろう。

 

「メラ!!」

 

続いて呪文を発動させ、その魔力を剣へと伝わらせる。剣と呪文が結びつき、刀身から炎を燃え上がらせた。

 

「出たっ! 魔法剣!!」

「そうか、剣と呪文の……これならひょっとして!?」

 

ダイの魔法剣を見たことで、マァムもようやく意図を理解した。それぞれの反応を見たことでチルノも少しだけ安心する。剣術で負けているダイにとってこれは大きな決定打となるはずだ。伊達に今まで偶然を装ってヒントを与え続けてきたわけではない。

 

「なん、だと……」

 

対して、魔法剣というものを初めて見るヒュンケルは驚愕の色を隠せなかった。ダイたちよりも経験が長く、様々な知識を知る彼だからこそ分かる。剣と呪文を同時に発動させることなど誰にも出来るものではない。もしも可能とするのであれば、それはきっと人間を超えた能力を持つに違いない。

驚きの分だけ魔剣士の動きが遅れた。その隙を逃すことなくダイは魔法剣を振るう。

 

「ぐっ!!」

 

ヒュンケルの研ぎ澄まされた戦士としての本能が反射的に体を動かし、直撃は避けた。魔法剣は彼の鎧の表面を撫でただけだ。だが最強を謳っていたはずの鎧は、その一撃によって大きく刀傷が出来る。

 

「バカなっ!! この最強の鎧が……!?」

「よっしゃあ!! これなら押し切れるぜ!! そのまま倒しちまえ!!」

 

鎧に傷がついた。事実としてはそれだけのことだったが、受けた衝撃は正反対であった。ヒュンケルは無敵を誇っていたはずの鎧が傷つけられるということに更なる驚愕を味わい、ポップは無敵を誇っていたはずの鎧に対する突破口を見つけたとばかりに興奮して、ダイを応援する。

ダイ本人も、ここが勝負の決め所と理解していた。油断なく剣を振るい、ヒュンケルに着実な攻撃を仕掛けていく。魔法剣という未知の存在を相手にすることがそれを後押ししているのか、ヒュンケルの回避の動きはどこか鈍い。まるで薄皮を一枚一枚剥がされるように、鎧が傷ついていく。

そうして追い詰められていくヒュンケルの姿に、たまらずマァムは叫んだ。

 

「待ってダイ! ポップも!!」

「マァム!?」

 

彼女の言葉に、ダイは攻撃の手を止める。ヒュンケルも攻撃が止まったことに戸惑い、マァムの方を見る。

 

「それ以上ヒュンケルを攻撃しないで!!」

「何言ってんだよ!? こいつは敵なんだぜ!」

「でも、ヒュンケルがアバン先生の弟子だったことは……私たちの兄弟子だったことは、事実なのよ!! その私たちが争っているなんておかしいじゃない!!」

 

ポップが詰め寄るものの、マァムも引く気配を見せない。敵となっているはずのヒュンケルすら助けたいと願い、必死で訴えかける。今まで殺し合っていたはずの相手の命すら純粋に心配出来るその姿はまさに慈愛の魂を司る者にふさわしく見える。

 

「……そうね。ヒュンケルが仲間になってくれるのなら、これほど心強いことはないわ」

 

チルノもマァムの言葉に賛同したように頷く。こちらの場合は以降の大魔王たちとの戦いを見据えた打算も含まれているのだが。とあれ、それでも仲間の半分が敵であるヒュンケルを助けたいと願う光景はどこか不思議なものがあった。

それに気圧されたのか、ポップも黙ってしまう。

つい先ほどまで戦っていたとは思えないほどの静寂が辺りを包み込むが、すぐにその静寂は破られる。

 

「くっ……うおおおおおっっ!!」

 

ヒュンケルが動いた。彼はさながら大地斬と海波斬を合わせたような一撃を地面に向けて放つ。強力なパワーを素早く放つその技は、シンプルに大理石の床へと叩きつけられて辺りに噴煙を巻き上げる。

 

「なっ!?」

「目くらまし!?」

 

視界を封じて、その隙を突いて攻撃を行うのだろうか。そう考えてダイは左手の盾を構えて相手の攻撃に備える。だが、待てど暮らせど続く攻撃の気配はなく、気が付けばヒュンケルの闘気を探知できなくなっていた。

 

「逃げた、のか……?」

 

粉塵が晴れると、そこには誰もいなかった。ただ床に残る破壊跡だけが、ヒュンケルの痕跡を示している。

 

「不利を悟って退却、か……」

 

本来の歴史であればここは、ヒュンケルの強さにダイたちは圧倒されるものの、蘇生したクロコダインが重傷の体を押して割り込んでくることで、どうにか逃げることに成功する。マァムだけは捕らえられ、せっかく復活したクロコダインは再び大怪我を負う。

そんな展開であったはずなのだが。

目の前で起きている現実はまるで逆。ヒュンケルが逃げており、仲間は全員無事。しかしクロコダインは来ていない。

仲間が無事なのはいい。初戦で押し切ってしまい、そのまま上手くヒュンケルを改心させることもできるのではないか。そんな可能性も思い描いていた。だがクロコダインはどうしたのだろう。考えられるのは……蘇生が失敗したか、それとも獣王は改心することなく魔王軍に残ったのか。可能性は幾つか思い浮かぶが、いずれも空論であり決定的ではない。

逃げたヒュンケルの動向も気になる。このままパプニカから逃がすつもりはないだろうが、果たしてどんな手を使ってくるか。

 

――また、面倒なことになりそうね。

 

現状を再認識しながら、チルノはそう思いを馳せた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ヒュンケルと戦う必要はないって言ってるでしょう! どうして仲間同士で争わなきゃいけないのよ!!」

「だからって止めることはねぇだろうが! あそこで倒してから考えりゃ良かったんだ!!」

 

ポップとマァムのいがみ合う声が響く。

ヒュンケルとの戦いが一段落したところで、一行は戦場であった神殿跡地から離れ、安全だと思われる場所で野営の準備を行っていた。枯れ枝を集めたり用意していた携帯用食料を準備したりしていたところで、仲間たちで交わされる話題は当然のように先のヒュンケルのこととなる。

互いにそれぞれの考えを言い合っていたところ、些細なことから口論に発展。ついにはこのようになってしまった。

 

「姉ちゃん、止めなくていいの?」

 

少し離れた場所で二人を見つめながら、ダイがオロオロしながら尋ねてくる。ダイの言葉に続くように、ゴメちゃんとスラリンもどうしたものかとチルノを見る。

 

「少しは吐き出させた方が良いと思って。それに、夫婦喧嘩は犬も食わないって昔から言うし」

「「誰が夫婦(だ)(よ)」」

 

チルノの言葉に瞬時に反応して、ポップとマァムは異口同音に声を上げる。そのあまりに見事なタイミングは、さすがとしか言いようがない。ロモス戦での連携をきっかけに、コンビネーションが開花でもしたのだろうか。チルノはそんなことをふと思う。

 

「喧嘩が出来るうちが華、なんてことも言うわよ。さて、それじゃあ真面目に考えましょうか」

 

二人の反応にクスクスと笑いながら、彼女は真面目な顔をすると全員に向かって問いかける。

 

「ヒュンケルを何とかして仲間にするっていうのは、私も賛成。でも、どうやって説得するの?」

「それは……」

 

そう言われるとマァムは黙ってしまう。客観的に指摘されれば、何も考えがなかったことに気付けた。助けたいという想いだけが先行しすぎて、それ以外のことはおざなりになっていたのだ。

もっともこれには、理由を聞く暇がなく戦闘が終わってしまったというのもある。

 

「そもそも私たちは、ヒュンケルがアバン先生を恨んでいる理由を知らない。そこにヒントがあるのは想像がつくけれど、その理由がわからないままだったら手の打ちようがないもの」

「先生の手記を読む、っていうのは?」

「先生がわざわざ『本人以外は読まないでください』とまで書いているものを私たちが勝手に読むの?」

「いや……そうだよな……」

 

自分で言っておきながら、あり得ないと思っていたのだろう。チルノの真っ当な指摘にポップはあっさりと引き下がる。

 

「だから、理由は本人から聞いてくるわ」

「「「……ええっ!?」」」

 

あまりに当たり前のことのように言ったためか、うっかりと納得しかけたところで発言の異常性に気付き、三人は大声を上げる。だがチルノは何事もなかったかのように続ける。

 

「このままわからない事を考えていても、埒が明かないでしょう? だったら本人に聞いた方がよっぽど早いと思って」

「大丈夫なのチルノ? その、実現できるとは思えないんだけど……」

 

直接本人から聞くなど、今の段階では正気の沙汰とは思えないだろう。そもそも相手の居場所もわからず、場所が分かっても会える保証はどこにもない。本来の歴史を知るチルノでなければ、とてもではないが実行不可能な案である。それに加えて、知識だけでなく実際に行動できるだけの能力がなければ、こうも当然のように言うことなど出来るはずもない。

 

「大丈夫よ、考えがあるの。それにダイだって、善悪は別としてもヒュンケルの剣には勝ちたいと思わなかった?」

「それは……」

 

アバン流刀殺法の先輩であり、戦士としても先を生きているヒュンケルの剣は、ダイにとってはこの上ない目標であり、手本でもあった。そして姉の言うように、単純に戦士としての本能を刺激されていたことも事実であった。

兄弟子として剣術の稽古をつけてくれれば最良だが、必ずしもそれが叶うとも限らない。たとえ戦いの中であったとしても、ヒュンケルの剣を学び、そして勝つのだ。そう考えるだけでダイの体は武者震いをしていた。

 

「……うん。おれ、ヒュンケルに勝ちたい。ヒュンケルを許せないって気持ちもあるけれど、勝ちたいって気持ちもあるんだ」

「なら決まり。私がちょっと行って、話をつけてくるから」

「待て待て待て! ああ見えてもあいつは魔王軍の不死騎団長なんだぞ!? ノコノコ出て行ったら部下のゾンビどもがわんさか襲ってくるに決まっているだろうが!」

 

至極真っ当な疑問をポップは口にする。このまま一人で行ってもヒュンケルの下へと無事にたどり着けるわけがない。それはチルノもわかっている。ポップの疑問に答える代わりに彼女は一つの魔法を使う。

 

「【インビジ】」

 

そう唱えると、チルノの体が見えなくなった。まるで空中に溶けて消えてしまったかのように、どこにもその姿を確認することが出来ない。ついさっきまで確かにそこにいて会話をしていたというのにだ。

 

「消えた!?」

 

錯覚かと思い目元をゴシゴシと擦るがチルノの姿は見えないままだ。そこにいたはずの存在が一瞬にしてどこかに消える。ダイたちはチルノの姿を探るべく辺りをキョロキョロと見回す。

そうしている途中、不意にマァムの頬がふよんと突かれた。

 

「ひゃあっ!? え、なに、なんなの!?」

「ふふ、ごめんなさいマァム」

 

そこにはいつの間にか、いたずらをした子供のように小悪魔を彷彿とさせる笑顔のチルノの姿があった。先ほどまで全員で彼女がいないことを確認しており、マァムに至っては目の前にチルノがいるのだ。普通ならば気付かないはずがない。

 

「実は、透明になる魔法を使ったの。これがあれば敵に気付かれることなく進めるでしょう?」

「ハハッ……そんなことも出来るのかよ……ホント、もうお前のやることにいちいち驚くのが馬鹿らしく思えてくるぜ……」

 

まるで何かを諦めたようにポップは乾いた笑いを浮かべる。

チルノが使ったのはインビジという名の魔法であり、使用者を透明化させる効果がある。それだけ聞けばとても有用に見えるかもしれないが、制約として、透明状態を維持するには集中し続ける必要があることや、効果範囲は術者のみであること。集中を切らした段階で透明化が解除されるため、不意打ちなどはまず不可能であることなどを説明する。

そんな便利な手段があるのならば全員を連れていけという意見が出たが、チルノの説明によって対象が自分のみであると知ってガッカリされる。特にマァムなどは、直接ヒュンケルとやり取りをしたいと思っていたためにダイたちよりも落胆の色は大きい。

 

「あんまり落ち込まないで、ね? それに、魔法使いにはレムオルっていう透明になる呪文があったと思うんだけど?」

「なにぃ!? そんな呪文知らねえぞ!!」

 

チルノの言葉にポップがやたらと食いついてきた。

 

「くそっ、そんな呪文がありゃあ……」

「覗き放題だもんね」

「ああ……ん? そんなわけねぇだろうが!!」

「覗くときは正々堂々と覗くの?」

「その通……! いや……あ、違う! 違うぞ!!」

 

悔しがるポップに対して、さながら漫才でも行っているかのように言葉を続ける。相手をしなければいいものを、なまじ反応するものだからポップの旗色はますます悪くなっていく。ダイとマァムも、仲間であるはずの魔法使いをジト目で見るようになっていた。

そこへさらに、チルノの爆弾発言が飛び出す。

 

「まあ、ポップには今更っていうか……」

「「ええっ!?」」

 

何気なく言ったその言葉に、ダイとマァムが大げさなほど反応して見せる。

 

「姉ちゃんどういうこと!?」

「チルノ! あなたまさかポップに?」

「え? だってデルムリン島にいたときはポップに寝起きの姿まで見られているし。今更というか、気にするまでもないって言うか……」

 

喰い寄ってくる二人に向けて、チルノは何をそんなに慌てているのかわからないといった風体で返す。彼女にとってみれば、その程度のことでしかないのだ。むしろ、寝起きの油断しきった姿を見られることの方が恥ずかしいとすら感じている。

 

「なんだよ……驚かせやがって……」

「何か心当たりでもあるの?」

「それよりもだ!! ヒュンケルがどこにいるかお前わかってるのか!?」

 

まるでいつぞやの再現のように、言われた言葉を強引に無視してポップは話題を元に戻した。ダイとマァムの意見はこの際無視である。

 

「もちろん、アテはあるわよ」

「どこだよ? まさか姿を隠して虱潰しとかいうんじゃないだろうな?」

 

ポップの言葉を、チルノは首を横に振って答える。

 

「普通ならわからなかったわ。でも、この大陸に限って言えばそう難しいことでもない。拠点として使うのにピッタリの場所があるもの。むしろ、そこしか考えられない」

「そんな都合の良い場所があるの?」

「勿論よ。そこは――」

 

普通ならばわからない。だが本来の歴史を知る彼女にとってみれば、ヒュンケルがいる場所など悩む必要もないのだ。

 

 

 

「それじゃあ、行ってみましょうか」

 

数刻後、地底魔城へと続く螺旋階段を前にして、チルノはそう口にした。

 

 




何故か今回、すごく書けませんでした。なんでだろう??

さてパプニカに来まして、ヒュンケル戦です。
そりゃ、今のダイ相手ならこうなりますよね。これだけ準備してりゃ、多少は苦戦するでしょうけど負けませんよ。さすがに戦士としての技量と経験はヒュンケルの方が上なのですが、油断していたところにアバンストラッシュを喰らって怪我してれば、アムドしても手遅れ。最初の怪我が原因で不利になって引く羽目に。
舐めプで負傷して、剣は最強とか言いながら逃げちゃうとか……ヒュンケルさん……アバンの使徒の長兄としての威厳が……
(フレイザード戦はもっと悲惨になりそう。初手空裂斬の未来が見える……哀れなり1歳児……)
とあれ、事情を知っているチルノさんがアグレッシブに動いていくしかないかと思いまして。次回はインスニが炸裂するかと。

当初は、鎧は金属の性質は持ってるから、マヒャドで低温にすると肌に張り付くのかな? もしもその状態で無理に動いたら皮膚がバリって裂けて血が……とか。メラ系で熱伝導して金属が熱されて火傷するのでは? って思ってました。
熱伝導は遮断してるんですよねアレの鎧。ビバ不思議な素材。
(呪文無効化に加えてボラホーンの冷気ブレスでも凍り付かないから不凍性能もあるの?)
兜の切れ間から、毒蛾の粉(ドラクエらしく黒コショウでも可)を投げ込めば隙ができて勝てるんじゃないか……なんてみみっちい策を考えてました。
(いっそのこと、蚤を大量に流し込むとかしたらバーン様に「さしもの余も残酷さだけはお前に及ばん」って言ってもらえるかもしれない)


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LEVEL:20 過ちと償い

「冷静に考えると、これはちょっと無謀だったかもしれないわね」

 

延々と続く階段を見ながらチルノが呟いた。

 

地底魔城――ホルキア大陸の中央付近にある死火山を地下深く掘り進む形で作られており、かつての大戦時には魔王ハドラーの居城でもあった場所である。

ここはその地底魔城へと続く螺旋階段。死火山の火口に向けて下っていくように階段が設置されており、その奥底には、地底魔城へ抜けるための地下迷宮への洞窟があるはずである。

あえてはず、という表現をしたのは、というのも火口への道は底が見えないほどに深く、空から差し込む陽光のおかげでどうにか奥へ――おそらくあれが地底魔城へと続く洞窟へ通じているのだろう――と繋がる横穴が確認できる程度だ。

本来ならば、この大陸はおろかデルムリン島の外に出たことすら皆無と言っていいチルノが、如何に知識があろうとも土地勘のない彼女がこの場所まで迷うことなく無事に着くことなど、普通なら出来るはずもない。

だが、サイトロの魔法によって地理を把握することの可能な彼女には問題はなかった。

そして、この長く続く階段を下りて行き、地底魔城へと潜入。余計な敵と出会うことなくヒュンケルと接触して説得した後に、速やかに退散――これがチルノが今から実施しようとしている行動予定である。

 

「敵陣へ単騎で潜入工作。そういう作品は好きだけれど、実際にやるとなると、想像以上に神経をすり減らしそう……」

「ピィ!!」

「ふふ、ごめんごめん。一人じゃなかったわね」

 

足元から聞こえてきた抗議の声を耳にして、チルノは軽い調子で謝る。その言葉に満足したようにスラリンがぴょんと軽く飛び跳ねて自己の存在を主張した。彼もまた、チルノの単騎潜入に無理を言って着いてきていたのだ。離れていた期間で寂しさが募ったのか、スラリンは何かにつけて彼女と一緒にいたがる。

 

「いい、スラリン。もう一度おさらいよ」

 

スラリンに言い聞かせるように、それでいて自分でも確認する意味を込めて口にする。

 

「私たちはこれから、不死騎団の居城である地底魔城へと侵入します。その時はインビジの魔法を使用して姿を隠すから、警護しているはずの不死騎団のモンスターたちにはまず見つからない。安心して」

「ピィ」

「まず目指すは、隠し部屋にある魂の貝殻ね。あれがあれば、バルトスのメッセージをヒュンケルに届けることができる。彼の説得をするのに最重要のアイテムだから第一に確保ね」

「ピィ……?」

 

疑問の声がスラリンから上がる。最初に聞いていた話では、潜入してヒュンケルに直接会って話を聞くということだったはずだ。それがここにきて隠し部屋やら魂の貝殻など、聞いたこともない単語が飛び出してくるの。だがそんなスラリンの疑問に気付くことなく、チルノは次に続く。

 

「あと、ハドラーが地底魔城に来るはずだから、鉢合わせになる可能性があるの。ヒュンケルは、お父さんの教えもあるから私は殺さないだろうけれど、ハドラーは要注意。絶対に合わないようにしないと」

「ピィピィ!」

「え、どうしてそんなことまで知っているのか? ……って? ああ、そっか。スラリンは知らないんだっけ」

 

チルノはスラリンを掬い上げるようにして両手の上に持ち、視線を自身の顔と同じ高さまで合わせると、声を潜めて言う。

 

「実は、私にはちょっとした秘密があってね。未来のことを良く知っているの。だから、これは未来の知識。確実な知識じゃないけれどね」

「ピィ~……?」

「うんうん、すぐに信じられないのは当然だから。だから、道すがら話してあげるわ。ヒュンケルの過去に何があったのかを。それを本人と答え合わせすれば、証明になるでしょう?」

 

二人の歩幅が違う上に、道には高低差もある。スライムの移動方法でこの階段を突破するのは辛いだろうと思ったチルノはスラリンを肩に乗せる。スラリンも肩に乗るのは慣れたものか、自身の体をうまく動かしてそう簡単には落ちないようにしがみ付いている。

 

「それじゃあ、行くわよ」

「ピィ」

 

そう言うと螺旋階段を降りていく。気の遠くなりそうなくらい段数の多い階段だ。おかげで、途中でスラリンを相手に事情を説明する時間はお釣りが来るくらいたっぷりとある。

 

「早速だけど、ヒュンケルのことについて教えてあげる」

 

さて何から話したものかと思うが、結論を言ってしまった方が話も早いだろうと考えて、チルノはそう切り出した。

 

「ヒュンケルはね、モンスターに育てられたの」

「ピッ!? ピィピィ!」

「そう、私やダイと同じね。でも彼の場合、拾われたのはハドラーが暴れていた時期で、拾ったのは旧魔王軍最強のモンスターだった地獄の騎士バルトス」

 

余談ながら、アバンがハドラーを倒したのは十五年前だが、ハドラーの地上侵攻が開始されたのは二十一年前である。つまりヒュンケルは、六年間魔王の膝元にいたことになる。

 

「普通は許されることじゃないけれど、バルトスは魔王の元へ通じる門を守る守護者でもあったから、人間の子供を育てることも例外的に許されたの。ヒュンケルは地底魔城で数年間暮らしてきたわ。モンスターに囲まれて育って、バルトスが親として情を注いでくれた」

「ピィ~……」

 

まさにダイと似た境遇である。話を聞いていたスラリンは驚き、もらい泣きとばかりに涙を流していた。

 

「でも、スラリンも知っての通りハドラーはアバン先生に倒された。不死族はハドラーの魔法力で作られたモンスターだから、ハドラーが死ねば存在を維持できずに朽ち果ててしまう」

「ピ!?」

「ヒュンケルからしてみれば、アバン先生は勇者なんかじゃないの……自分の父親を殺した相手だもの。それがアバン先生を憎む理由。正義のためにハドラーを倒したとしても、彼には絶対に許せるものじゃない。そして、正義そのものを憎むようになった」

 

これがヒュンケルの憎しみの正体である。どんなに立派な理由があろうとも、親を殺した相手を許すことなど出来ない。おそらく誰しもが当たり前のように持っている感情だろう。

スラリンもそれを理解しているのか、あまりに衝撃的な事実を聞いたためか、しばらくの間は何も言うことなく呆然としていたが、やがて何かに気付くと口を開いた。

 

「……ピィ? ピィピィ!?」

「え? そのヒュンケルがどうしてアバン先生の弟子になったのか?」

 

なるほど、良いところを突いてくるものだと思わずチルノは感心する。

 

「勇者が来たから、魔王城は上を下への大騒ぎ。ヒュンケルは城の一室で隠れているように言いつけられたの。でも魔王の断末魔が聞こえてきて、たまらず飛び出した。そこで見たのは父の崩れゆく姿と、そしてヒュンケルを見つけたアバン先生」

「ピィ……」

「うん、そう。その状況を見て、ヒュンケルはアバン先生こそが父親の仇と思ったの。先生に師事したのも、力をつけて復讐を果たすため……」

「ピィィィ!」

 

今度こそスラリンは大粒の涙を流した。なんという悲しい過去だと言わんばかりだ。こうやって共感して人のためになくことが出来るスラリンはとてもいい子だと思い、チルノは涙を止めるようにスラリンを二度三度と優しく撫でる。

 

「でもね、実はヒュンケルは知らないことがあるの」

「ピ?」

「一つは、アバン先生はバルトスを倒したけれど、命までは奪っていないこと。そしてもう一つは、バルトスの命を奪ったのはハドラーであるということ」

「ピィ!?」

「バルトスはアバン先生と戦ったけれど、力でも心でも負けを認めてヒュンケルの事を頼んで門を通したの。そしてハドラーは敗れたものの、バーンの魔力によって生かされた。そして、魔王の所へ勇者をおめおめと通してしまった役に立たない門番を殺した」

 

スラリンは再び言葉を失った。それが本当ならば、今のヒュンケルとは一体何なのだろうか。偽りの事実によって恩師を憎み、怨敵であるはずの存在の下に付き、今は弟弟子たちと殺し合いをしようとしている。もしもこのまますれ違ったままだったらば、それはあまりにも壮絶すぎる。

 

「これが、ヒュンケルに秘められた過去よ……どうだった?」

「ピ……ィ……」

 

蚊の鳴くような本当に小さな声を上げるスラリンを見るに、受けたショックは相当なものだろう。これ以上スラリンを泣かすことのないように、チルノはせめて少しでも希望の持てる話をすることにした。

 

「安心して、スラリン。口でどう言ってもヒュンケルはアバン先生のことを慕っているのよ」

「ピ?」

「復讐心で押し込めていたけれど、心の奥底では感謝や憧れがあったの。だって、相手はあのアバン先生よ? そんな氷のように冷たい心だって溶かすに決まってるじゃない」

「ピィ……」

 

共に過ごした期間は短いとはいえ、その人柄はスラリンもよく知っている。確かにあの人ならばやってのけるのではないかという謎の信頼感がそこにはあった。

 

「でも、さっきも言ったようにヒュンケルの復讐心はそれを享受することを許さなかった。そのせいでヒュンケルは、闇の闘気と光の闘気の両方の力を秘めることになったの。相反するはずの力を併せ持った最強の戦士と言っていい」

 

暗黒闘気の本質は悪の心。憎悪の心でその力を増幅させていたが、そのせいで相反する正義のエネルギーもまた強く輝く。光の闘気が輝きを増せば増すほど、ヒュンケルは本心から目を逸らし、闇の闘気を活性化させる。悲しいイタチごっこだ。

 

「ヒュンケルは、本当は正義の心を持っているの。それも、暗黒闘気になんか負けないくらいの強い心をね」

 

そう言いながら先ほどのヒュンケルとの戦いを思い返す。手下のアンデッドたちを嗾ける割には、共闘して戦うわけでもない。わざわざ姿を現し、正面から挑んでくる。戦闘中にしても、ダイが魔法剣を発動させる一瞬を待っていたりと甘さが目立つ。

それはきっと、ヒュンケルの心の奥底に眠る正義の心が影響しているのだろう。同門を殺すことを良しとせず、なんだかんだと理由を付けて引き延ばしてしまうのではないか。チルノにはそんな風に思えて仕方がなかった。

 

「だから、私たちが助けてあげましょう。そのための大事な役目をこれからするの。スラリンにも協力してもらうわよ。わかった?」

「ピィィ!」

 

強い意気込みを感じさせる鳴き声で、そう返事が返ってくる。それに満足しながら、チルノはスラリンにもう一言だけ付け加えた。

 

「ああ、そうだスラリン」

「ピィ?」

「今更かもしれないけれど、私が未来について知っていることは他言無用。絶対に秘密にしてね。わかった?」

「ピィ!」

 

アバンが実は生存していることは、スラリンも知っている――というか、デルムリン島でチルノのための特訓としてあれだけ暴れ回っていたのだ。島に住むモンスターならば誰だって知っている。なおブラスが全員に他言しないように厳命を下していたのだ。

だがこの秘密は二人だけの秘密だ。そう考えて、スラリンは上機嫌となる。実際は、ブラスとアバンも知っているのだが、言わぬが花というやつである。

 

「さて、話も一段落したところで都合よく到着したわね」

 

そう言いながらチルノが足を止める。その目の前には、地底魔城へと続く洞窟がぽっかりと口を開けていた。ここからは無用なお喋りは厳禁だ。

足音すら立てぬようにゆっくりと歩くと、チルノは入口である横穴近くに背中をつけて、半身だけ出すようにしてそっと覗き込む。

 

――いる。

 

少し見ただけでも、見張りのアンデッドの姿が何匹か見て取れる。螺旋階段までは随分あっさりと通ることが出来たが、これ以上は流石にフリーパスというわけには行かないようだ。

 

「スラリン……」

 

相方のスライムに小声でそう告げると、スラリンはチルノの服の中に潜り込んだ。

 

「……【インビジ】」

 

続いて透明化の魔法を唱えると、チルノの姿が忽然と消える。それどころか、チルノに密着しているはずのスラリンの姿もない。

これは、透明化の魔法の裏技のようなものだ。術者に対して肌と肌とを密着させるくらい近ければ魔法の影響を受けることが出来る。武器や鎧のように、装備や装飾品扱いとして魔法が機能しているのだ。

そうでなければ、術者の肉体のみが消えて衣服のみが見えたままという、なんとも奇妙な光景になってしまう。そんな魔法など誰も欲しくはないだろう。

スラリンの場合は、隙間ないくらいに密着しているために魔法の影響を受けることが出来た。

とはいえスライムの軟体が肌にぴったりと密着する感触を常に感じ続けるのだ。ラバースーツのような、体の線が丸わかりになる格好をしていたらこんな感じなのだろうか?

胸元の一部だけとはいえ、ぴっちりと締め上げられているようだ。おまけにスライムの軟体は人肌よりもひんやりしているらしく、その感覚に思わずチルノは身をよじる。

 

「あんまり動かないでね」

 

下手に動かれると、擦れた刺激で透明化の集中が解けてしまいそうに感じて、チルノはスラリンにそうお願いする。スラリンは何も返事をしなかったが、多分理解してくれたと思い、足音を殺して洞窟内へと入っていった。

 

 

 

敵が生命力を感知するのではなくて、本当に良かった。

ミイラ男の目の前を通り過ぎながら、チルノは心の底からそう思う。洞窟の中は不死騎団の根拠地となっているのだ。当然、さながらアンデッドの見本市のように、多種多様なモンスターが存在していた。

そのモンスターたちが、地下迷宮を徘徊している。

――いや、ただ徘徊しているだけのように見えるが、これでも警備をしているのだろう。アンデッドモンスターらしく無感情で好き勝手に動き回っているために、そう感じるのだろう。自我が希薄というか、古いゲームの粗雑なAIというか、とにかく行動が雑なのである。

 

そんなモンスターたちの様子を観察しつつも、迷宮の奥へと進んでいく。

そういえば、あまりにも当たり前に受け止めていたために気付かなかったが、地下迷宮に明かりが灯っていることにチルノは気づいた。まさか不死騎団の兵隊にも明かりが必要なのだろうか? そんな間の抜けた想像をしてしまい、思わず顔がにやける。

真っ暗な闇夜にて、カンテラや松明を片手に徘徊するゾンビやスケルトンの群れというシュールな光景を想像してしまい、危うく集中を切らしそうになったのはチルノだけの秘密である。

普通に考えれば、ヒュンケルのために灯されているのだろう。光の差し込まないはずの地下迷宮だというのに、明かりがあるおかげで視界には苦労しない。

 

目指すは、本来の歴史にてマァムが捕まっていた牢屋である。

迷宮はかつての魔王の居城の名に恥じない複雑な構造をしている。普通であれば、幾ら透明化の魔法があろうとも道順が分からずに迷い続けていただろう。

だが、チルノはかつてこの魔城を踏破した当の本人(アバン)から道順を聞いているのだ。話を聞いただけの記憶頼りといえども、着実に目的地へと近づいていく。

そうして何体ものモンスターをやり過ごして、ついにチルノは地下牢まで辿り着いた。

 

「多分、ここ……でいいのよね……」

 

自身の記憶を確認しつつも、どこか不安げに呟いた。

牢屋と思しき場所だが、周囲にモンスターの姿はない。牢屋の中には人影はなく、誰も捕まえていない牢屋を番するのも無駄と思っているのだろう。ついでに言えば、どの牢にも鍵が掛かっていない。

潜入する側からしてみればありがたいことこの上ないのだが、警備という点で考えるとこれで良いのかと他人事ながら少しだけ不安になる。

 

「あった、これね」

 

その牢屋の一つを覗き込み、お目当ての通気口を見つける。もはや古い記憶のため間違っていないか不安ではあったが、どうやら思い違いではなかったようだ。

さて、ここに潜り込むわけだが……

 

「スラリン、出てきてもらえる?」

「ピィ……?」

「ん……っ……」

 

チルノの声に、スラリンが胸元から這い出てくる。体の上を擦りながら移動する感触に少しだけ色っぽい声を上げつつも、どうにか平静を装ってスライムが出てくるまでの時間を耐える。そんなチルノの苦労など知らず、スラリンは呑気に出てくると定位置となった肩の上へと移動した。

 

「これからあなたに重要な役割をお願いします」

「ピッ!」

 

重要な役割と聞いて、スラリンは珍しく体を強張らせた。

もしも手足があったのならば、きっとそれはそれは見事な敬礼でもしていたのではないだろうか。そう思わせるほど、見事な姿勢だ。

そんなスラリンの姿を見ながら、チルノは天井近くの四角い小さな穴を指差す。

 

「今からこの通気口に入るんだけど、私に先行して途中に危険がないかの確認と隠し部屋がないか調べてほしいの」

「ピ~……」

 

重要な役割と聞いて、やらされることは退屈な偵察である。期待していた分だけ落胆も大きいようで、あからさまに不満の声を上げる。だがその程度はチルノも予想していた反応だ。

 

「もしもこの中で迷ったり、引っかかって出られなくなったら、ここで死んじゃうかもしれない……だからスラリン、私の命はあなたに預けるわ」

 

そのため、わざと大袈裟に表現することでスラリンの使命感を煽る。

そもそもスラリンは無理を言ってこの旅についてきたのだ。チルノからしてみれば、今までのように話し相手になってくれているだけでもありがたいのだが、役目がそれだけでは本人(スラリン)も納得しないだろう。多少なりとも活躍の場がなければ、きっと不満の一つも出るはずだ。

ましてこれから向かう先は通気口だ。内部は狭くて細長くて、先の見通しがまるで効かない。方向転換すら満足にできないだろう。だが、小さく軟体生物であるスライムにとってみれば得意なフィールドに違いない。

 

「ピィィ!!」

 

再びやる気満々の様子を見せるスラリンの姿に満足しつつ、チルノは手を伸ばして先にスラリンを通気口の中へと誘導する。そうしてスラリンが内部に完全に入るのを確認してから、彼女もまた通気口へとよじ登ると潜り込んでいく。

 

――テレポが使えることは黙っておきましょう。

 

洞窟などから瞬時に脱出する魔法のことを今だけは頭の片隅に追いやりながら、意気揚々と先を進むスラリンの後に続いた。

 

 

 

通気口の内部は言わずもがな狭く、かび臭い。どういう仕掛けになっているのか不明だが、うっすらと明かりも見える。ただ、蝋燭などはないのだから、外からの弱い光がなんとか差し込んでいるのだろう。

 

「こういうときだけは、自分が小柄だったことを感謝するわねぇ……」

「ピ?」

 

誰に向けてでもなく、チルノはそう呟いた。

通気口に潜るのは、本来の歴史ではマァムの役目だった。その際には通気口の内部を進むのに苦戦しながら「もうちょっとダイエットしといた方が良かったかな……?」という台詞を口にするのだが、同じ道を通っているはずのチルノは特に引っかかることなく進めている。

意味のないことだと頭では理解しているのだが、今にもはち切れんばかりに豊満なマァムの肉体と自分の体を比較してしまい、こっそりと落ち込む。

 

「いや、別に悔しくなんてないし」

「ピィィ……」

 

強がりやらなんやらの感情が程よくブレンドされた言葉を口にしつつ、そのままズリズリと通気口の内部を四つん這いになって進んでいく。閉所恐怖症でなくてよかったと心から思う、稀有な瞬間でもあった。

 

「ピッ! ピィィ!!」

 

やがて、先行していたスラリンが大声で叫んだ。チルノもそちらを見ると、強めの光がうっすらと輝いているのが見える。

どうやらお目当ての物は見つかったようだ。

二人は急いでそこまで進み、積み重なった拳ほどの石を取り除いて内部を覗き込む。

 

「あったわ、隠し部屋……」

 

中は本当に狭い空間だった。四方を石壁で囲まれて、唯一の出入り口は通気口のみ。そして室内には古ぼけた宝箱だけがぽつんと置かれている。なんとも寂しい部屋である。

 

「ピィ?」

「ええ、そうよ。これがお目当ての宝物」

 

スラリンの言葉に頷きながら宝箱の前に立ち、ゆっくりと開ける。その中には、小綺麗な装飾の施された長方形の箱が収められていた。

それを手に取り、箱を開ける。その中に入っている物こそが、チルノの探し求めていたアイテムである。

 

「魂の貝殻……ようやく見つけたわね……」

 

中に入っている白い貝殻を見つめながら心の声を吐露する。

――魂の貝殻。死にゆく者の魂の声を封じ込めるというマジックアイテムである。

チルノはそれを耳に当てて、中に残されているメッセージを確認する。そこには彼女の知る知識の通り、ヒュンケルの父――地獄の騎士バルトスの、今まで世に出ることのなかった遺言が収められていた。

 

「スラリンも聞いてみる?」

 

魂の貝殻を差し出すと、相棒のスライムも興味があったらしく耳――と思しき場所――を当ててメッセージを聞き始めた。

なぜこんな隠された、誰も見つけられないような場所に魂の貝殻というマジックアイテムがあるのか。そもそも誰がこんなアイテムを用意したのか。などの疑問は残るが、それらは棚に上げておく。どうせ考えても答えは出ないのだ。

 

とりあえずチルノは、再び通気口を通って戻らなければならない事実にそっとため息を吐いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

地底魔城の最奥、玉座の間。かつてのハドラーが座していた場所だが、今はヒュンケルが座っている。本来ならば王が自らの権勢を誇り、悠々と座するはずの場所である。

だが現在腰かけている男は、荒い息を吐きながら、自身の傷の手当てを行っている最中であった。

ダイとの戦いにおいて後れを取ってしまった。まさか本当にアバンストラッシュを使うなどとは、想像してもいなかった。その慢心した結果がこの傷だ。こんなものは笑い話にもならない。

薬草と包帯を手に治療を進めながら、ヒュンケルは先の戦いを振り返り自省していた。

 

「クソッ……何故だ……!!」

 

痛みと苛立ちから語気荒く毒づく。何故こんなに苛立つのか、自分でも理解できずに困惑している。それが原因で思うように手当も進まず、それがさらに苛立ちを加速させる。

自分でも使えない空裂斬を習得しており、それどころかアバンストラッシュまでをも使いこなす。それは、自分は実現することのできなかった刀殺法の完全習得を後輩に先を越されたという焦り。それが苛立ちの正体であった。

純粋な剣士としての腕前ならば、まだ自分の方が上だ。それは先の打ち合いでも確認している。しかしそんなものは大した慰めにもならない。師の教えを完全に学ぶことが出来ずにいたことをまざまざと突きつけられたように、深層心理がそう訴えている。

――もっとも、今のヒュンケルでは決して認めないだろう。今もこうして一人で治療を行っているのが、その証拠の一つだ。

不死身のアンデッドを擁する不死騎士団にも――数は少なく使えるランクも低級ではあるが――回復呪文を使えるモンスターは存在する。そのモンスターに回復呪文を唱えさせれば自分で手当てをするよりもよほど早く確実に治る。

だが、対象がいくら物言わぬ不死者たちとはいえ、傷つき情けない姿を人目に晒したくないという思いがその考えを邪魔する。

 

「はぁ……」

 

遅々として進まぬ行為に嫌気が差し、ヒュンケルは一度作業の手を休めると、椅子に体を投げ出した。油断しきったようなそんな姿勢のまま、誰もいない玉座の間にて虚空へと視線を投げる。

その脳裏に浮かぶのは、かつてこの城にて父バルトスと過ごした日々の記憶である。そんな懐かしい記憶に少しだけ浸りながら、ふと何かの気配に気づき、ヒュンケルは視線を部屋へと走らせた。

 

「……貴様! いつの間に!?」

 

そこにいたのはチルノである。突然現れた少女の姿にヒュンケルは驚きを隠しきれない。この部屋には確かに誰もいなかったはずだ。それが何故こうして部屋にいるのか。魔剣士は傷の痛みすら忘れて、身構えようとする。

 

「お邪魔だったかしら……?」

 

今の状況を客観的に見れば、あまり人に見られたくはない状況なのだろう。そのくらいはチルノにだってわかる。少々バツの悪い表情を浮かべて、ヒュンケルを見ていた。

対するヒュンケルは、忌々しそうにチルノを見ていたものの、やがて吐き捨てるように言った。

 

「例え敵でも女は殺すな――それが武人としての最低限の礼儀だと父から教わった。貴様が何のつもりで、どうやってここに来たのかは知らんが、とっとと失せろ」

 

その言葉を聞きながら、チルノは一人納得する。父の教えにより女を殺さないと理由を付けて、逃がそうとする。本来ならば、不死騎団の拠点にノコノコとやってきた不審者など、有無を言わさずに殺してしまえばいいのだ。

やはり、ヒュンケルの奥底に眠っている本質は善なのだ。そう確信しながら、口を開いた。

 

「そういうわけにも、行かないのよ」

「なに……?」

 

瞬間、ヒュンケルの闘気が膨れ上がる。すぐ傍に立てかけていた鎧の魔剣の柄へと手を掛け、何時でも抜けるとばかりに戦闘態勢を見せた。鎧の魔剣は、主の意思に呼応するように鈍く光ってみせる。ダイの魔法剣に壊されたはずのそれは、いつの間にか元の形を取り戻しつつあった。

 

「それは、オレとやり合う。そう受け取っていいんだな?」

「そうじゃなくて……」

 

やはりどこか苛立ちはあるようだ。目の前の男の短慮な様子を嘆きつつ、チルノは言葉を続ける。

 

「あなたがどうしてアバン先生を憎むのか、その理由を聞きに来たのよ」

「ククク……こいつは驚いた。まさかそんなことのためにわざわざ、この城の奥まで来たというのか!?」

「いいえ」

 

嘲笑うかのような態度のヒュンケルに対して、チルノは冷静に首を横に振って否定する。

 

「その理由はもう分かったから。このアイテムのおかげでね」

 

そう言いながら手にしていた箱を掲げ、中身を見せる。そうすることでヒュンケルの目にも、箱の中に収められた白い貝殻の姿がはっきりと見えた。

 

「それは……!!」

「魂の貝殻。あなたも知っているでしょう?」

 

どうやら魂の貝殻はある程度名の通ったマジックアイテムらしい。本来の歴史にてマァムが見ただけで使い方が分かったように。今のようにヒュンケルが知っているのもその証拠といえるだろう。

箱の中身を見て少しだけ驚いた様子を見せたものの、再び魔剣士は不適な笑みを浮かべる。

 

「そんなものを見せてどうするつもりだ? まさかアバンの最期の言葉が入っているから聞け、とでも言うんじゃあるまいな?」

「ここに入っているのは、とある地獄の騎士の遺言よ」

「……ッ!?」

「バルトス……あなたのお父さん……」

「と……父さんの……!?」

 

はたして誰のメッセージが封じ込まれているのか。それを知った途端にヒュンケルの様子が一変する。すぐさま玉座から立ち上がり、鎧の魔剣を手にすることすら忘れて急ぎ足にチルノへと近づく。

 

「よこせっ!!」

 

チルノの差し出した貝殻を待ちきれないといった様に強引に奪い取ると、すぐさま己の耳へと当てた。瞳を閉じて、貝殻から聞こえてくる声にのみ耳を傾けるべく集中している。

じっと黙ったままのヒュンケルの姿は、この瞬間だけを見ればとても絵になっていた。思わずチルノが見惚れてしまうほどだ。だがそんな静かな時間もやがて終わりを告げる。

 

「そん……な……っ……そんな……馬鹿な……」

 

それまで閉じていた眼をカッと見開くと、まるで足元が崩れたように覚束ない様子で体中をワナワナと震えさせる。

 

「それでは……父の生命を奪ったのはハドラーだったというのか……!? そして……アバンはオレが父の仇と恨んでいることを知りつつ……オレを見守ってくれていたというのか……!?」

 

手に持った貝殻を見つめながら、自分で口にした言葉が信じられないといったようにヒュンケルは呟く。やり場のない思いだけが彼の体内を駆け巡り、冷静な判断力を失わせていた。

 

「うそだ……こんなもの! まやかしに決まっている!!」

 

そうして発露した感情をぶつける相手として、彼は手にした貝殻を床へと強く叩きつけた。だが貝殻は、仮にもマジックアイテムであるためか壊れることなく、コロコロと床の上を転がる。

 

「だったら、もう一人が残した言葉を見てみる?」

 

混乱したヒュンケルへ向けて、続いてチルノは道具袋から取り出した手帳を見せる。

 

「これには、アバン先生があなたに遺した言葉が書いてあるのよ」

「何ッ!?」

「前に出会ったときにも、マァムが同じことを言っていたのだけれど……忘れちゃった?」

 

まるで初耳だと言わんばかりの反応を見せたヒュンケルへと、チルノは少しだけ呆れたようにして言う。

確かにあの時はヒュンケルにとっても色々と衝撃的なことが立て続けに起きていたため、忘れてしまったとしても分からなくはないのだが……同じアバンに学んだ者同士、このくらいは覚えていて欲しかったと密かに願う。

 

「読んでみる? もしかしたら真実を知ることが出来るかもしれない。でも、真実を知ることで今以上に苦しむかもしれない」

「それに……何が書いてあるというのだ……?」

「私は知らない。というか、私たちは誰も知らない。何が書いてあるのか、一目たりとも見ていないもの。知っているのはアバン先生だけ」

 

胡乱気な眼差しを向けられながら、それでもチルノは毅然とした態度で言う。書いてあることは、予想できなくはない。だがそれはあくまで一般常識から見たアバンが書くであろう内容だ。実際には、想像もつかない事柄が書かれているかもしれないのだ。

だからチルノは内容をぼかしながら、それでもヒュンケルが興味を惹くような言い回しをすることで、少しだけ相手を誘導する。ヒュンケル自身に選ばせるために。

 

「もう一度言うわ。私たちは誓って中に何が書いてあるのかは読んでいない。それに、これを読むか読まないかはあなたの自由……どうする?」

 

そう言いながら目的のページを開いて手帳を差し出すが、ヒュンケルは迷ったままだった。やがて、しばらく逡巡をしてから決心したように手帳を手に取るものの、それでもページを捲ることはなかった。しばしの間、何もしない時間が流れる。先に音を上げたのはチルノだった。

 

「少しじっとしていて……」

「何をする気だ!?」

 

そうしている時間が惜しいとばかりに、チルノはヒュンケルの様子を見かねて手を向ける。突然の行動に驚き警戒の声を上げるが、少女は構うことなく魔法を発動させた。

 

「【リジェネ】」

 

柔らかな光がヒュンケルを包み込み、その傷をゆっくりと癒していく。ケアルのように、魔法の力で一気に回復させるのはあまり好ましくないだろう。ヒュンケルの心と同様に、いきなりではなく時間を掛けた方が良い場合もある。そう考えての判断だ。

手当の途中の傷口をこのまま放置しておくのも、彼女には限界だったということもある。傷ついたままのヒュンケルの姿をこれ以上見ていたくなかったのだ。

 

「む、これは……?」

「サービスよ。痛くちゃ落ち着いて読めないと思って。それと、私は部屋の隅で後ろでも向いているから。こうすれば少しは読みやすくなるでしょう?」

 

自らの痛みが少しずつ引いていき、傷がゆっくりと治っていく様子にヒュンケルは困惑する。そうしているうちにチルノは部屋の隅へと移動して、壁の方を向く。それはヒュンケルの方を決して見ていないという意思表示だ。

 

「チッ……」

 

舌打ちをしつつも、ヒュンケルはその様子を見てようやく手帳のページを捲った。読み始めたことはチルノにも気配で何となく伝わった。再び無言の時間が流れ、部屋の中にはページを捲る音が時折聞こえてくるだけだ。

手記に何が書いてあるのか。手記を読んでヒュンケルが何を思ったのか。それはチルノにも窺い知ることはできない。

さて、何時までこのまま壁を眺めていればいいのだろうか。そんなことを考え始めたところで、不意に室内に鈴の音が鳴り響いた。

 

「ヒュンケルさま」

「……どうしたモルグ?」

 

現れたのは高価そうなジャケットに身を包んだ腐った死体である。腐った死体とはいうものの、その立ち振る舞いからは自我と高い知能が見受けられる。手には鈴を持ち、執事然とした佇まいを見せていた。

不死騎団に所属するモンスターにして、ヒュンケルに使える執事――モルグという名のモンスターである。

 

「たった今、悪魔の目玉より通告がありまして……まもなく魔軍司令ハドラーさまがお見えになるとか……」

「ほう……」

 

その報告を聞き、手にしていた手記をパタンと音を立てて強く閉じた。

 

「わかった、オレが出向く。それと、貴様はこの部屋にいろ。オレが戻ってくるまでは決して外へは出るな」

「ハドラーと共闘して私を殺すの?」

「フン……馬鹿なことを言うな……」

 

少しだけ振り向いてそう言ったチルノに対して、ヒュンケルは鼻で笑いながら相手にせずに部屋の外へ向けて歩いていく。後ろ姿を見ているだけであったが、チルノにはその姿が先ほどまでの復讐の妄念に取りつかれていた状態とはどこか違うように感じられた。

 

 

 

「これはこれは、魔軍司令閣下」

 

ザボエラと配下のアークデーモンたちを引き連れ、ハドラーが地底魔城を進んでいたところをヒュンケルは出迎える。だが、出迎えるとは言ってもその姿は腕組みをしたまま、行く手を遮るように通路の真ん中で仁王立ちをしているのだ。出迎えの恰好とはお世辞にも言えない。

 

「何用かは知りませんが、わざわざおいでになるとは。魔軍司令というのはよほど暇な仕事なのですかな」

 

誰が見ても明らかにそれとわかる挑発の言葉である。それを聞きながらハドラーは忌々しそうに奥歯を噛みしめるが、激情に駆られることはなかった。

 

「……戦場視察というところだ。大魔王様の命によりダイ抹殺をお前に任せたものの、心配になってな……」

「なるほど、つまりはオレの事が信頼できずに出向いてきたというわけか」

「ヒュンケル貴様! なんという……」

「黙れザボエラ!!」

 

ヒュンケルの態度を注意しようとするが、ヒュンケルはそれをも切って捨てた。

 

「クロコダインにすり寄ったかと思えば、次はハドラーか?」

「なんじゃと貴様!! 言わせておけば……!!」

「クロコダインが敗れたのは貴様の余計な入れ知恵のせいだろう。再び小賢しい策を弄することの出来んように、その舌を切り捨ててやろうか?」

 

そう言うとマントの下から鎧の魔剣を見せつける。それを見ただけで、ザボエラの勢いが弱くなった。呪文を操るザボエラに取って、呪文無効化の力を持つ鎧の魔剣は不倶戴天の存在だ。もしも鎧を纏われて力に訴えられたらどうなるかは想像に難くなかった。

 

「そしてハドラー、お前もだ」

 

ザボエラが押し黙ったのを見ると、続いてハドラーの方を向く。その瞳は、上司であるはずのハドラーに対する憎悪がはっきりと向けられている。

 

「オレの事を疑うのであれば、それ相応の覚悟は出来ているのだろうな? それとも、そんな心配をする必要もないように息の根を止めてやろうか?」

「……くっ……わかった……お前のその言葉遣いは、抑えきれぬ闘争心の表れと受け取ろう……」

 

ハドラーの知るヒュンケルとは明らかに違う態度に困惑しつつも、不承不承頷いた。

そもそもヒュンケルのダイ討伐はバーンの勅命である。魔軍司令の立場でそれに異議を唱えるのは、組織のトップの決定に反論するに等しい。魔王軍にてそれは妙手とは言い難い。その事実に気付き、ハドラーは鉾を収めた。

 

「帰るぞ!!」

「ハ、ハドラーさま!? よろしいので!?」

 

ザボエラも取り巻きのアークデーモンもがハドラーの行動に驚くが、ハドラーはそれ以上何も言わず、今まで来た道を戻る。その姿に他の者たちも仕方なし続いていく。

 

「モルグ! 魔軍司令殿はもうお帰りになるようだ! 見送ってやれ!!」

 

その後ろ姿を眺めながら、ヒュンケルは配下の執事役モンスターに命令を下した。モルグはその命令に従いどこからともなく現れると、ハドラーたちの後を追っていった。

モルグは見張り役だ。帰ったように見せかけて、何か余計な小細工でもされてはたまらない。そう考えたヒュンケルの放った監視の目である。

 

――今はこれでいい。本当ならば今すぐにでも息の根を止めてやりたいが、その前にしなければならないことがある。

 

地底魔城通路の薄暗い闇の向こうに消えた怨敵を睨みながら、どこかすっきりとした頭でそう考えていた。

 

 

 

チルノが玉座の間で待っていると、やがてヒュンケルが戻ってきた。果たしてハドラーたちとどのようなことを話したのか、それはチルノにもわからないことだ。思わずチルノはヒュンケルを見つめる。

 

「フン、そんなに不安そうな表情をするな。ハドラーならとっとと追い返しただけだ」

 

知らず知らずのうちにそんな顔をしていたのだろう。ヒュンケルはチルノを一瞥するなりそう言うと、再び玉座へと戻る。

 

「……三日後だ」

「え?」

「三日後、太陽が最も高く昇ったときに地底魔城へと来い。その時こそ、改めて決着をつけよう。そう、ダイたちに伝えておけ」

「どういうこと?」

 

何の説明もなしに突然こう言われては、誰であろうとも困惑するだろう。チルノもその例に漏れず、ヒュンケルが何を言いたいのかわからず真意を尋ねる。

 

「別に、大した意味はない。魔王軍を相手に戦っている貴様らにとって、オレを倒す絶好の機会だとでも思えばいい」

 

だがヒュンケルは取り合うことなく、瞳を伏せて冷たさを感じられる様子でそう言うだけだった。どうしたものかと悩むチルノに、ヒュンケルは念を押すように言った。

 

「わかったか、チルノ?」

「……ええ、わかったわ」

 

その言葉で、ヒュンケルの願いがなんとなくわかった気がした。おそらくは……そう考えて、チルノはそれ以上の問答を止めて素直に頷く。

そして道具袋から調合した薬草を幾つか取り出すと、ヒュンケルへと投げつける。目を伏せているはずなのにヒュンケルはそれを事もなさげに片手で受け止めて見せた。

 

「この薬草も渡しておくわ。普通のよりもよく効くはずだから、使って」

「なんのつもりだ?」

「怪我のせいで満足に戦えなかった、なんて言い訳はお互いしたくないでしょう?」

 

ため息交じりに薬草を眺めているが、すぐに投げ捨てたりしないところを見ると、どうやらある程度の信頼はされているようだ。

 

「それと先生の手記は置いていくわ。三日後、受け取りに来るから大切に持っていてね」

 

そこまで言うとチルノはヒュンケルから踵を返し、部屋から出て行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ヒュンケルにそんな過去が……」

 

再び数刻後。

野営地へと戻ったチルノは、ヒュンケルの過去――父を失ったこと。アバンに師事した理由。そして、その全てが小さなボタンの掛け違えから起こっていた真実――をダイたちへと話し終えた。その話を聞いた一行は重い空気となり皆が積極的に口を開こうとはしなかった。それぞれが報われぬ彼のことを思い、それ以上の何かを言うことを拒んでいるようである。

それでもいつまでも黙っているわけにもいかない。仲間たちはポツリポツリと口を開き始めた。

 

「おれ、なんとなく気持ちが分かるよ……ヒュンケルはひょっとしたら、おれの未来の姿だったのかもしれない……」

「そうね。私も、似たような感想を持ったわ」

 

ダイの言葉にチルノが同意する。二人はヒュンケルに近い立場のため、共感できる部分は多々ある。

 

「挙句、魔王軍の幹部に拾われて悪の剣士に仲間入りか……なんとも報われねぇよなぁ……」

 

ポップもまた呟いた。どこか空虚に感じるそれは、ヒュンケルをどう思っていいのか分からないという気持ちが潜んでいる。

 

「でも、そこまで誤解が解けたのなら、私たちが敵対する意味なんてないじゃない!」

 

今までの話と仲間たちの胸の内を聞いたマァムは、思いが爆発したように言う。

 

「マァム?」

「私たちは一緒にやり直せるはずよ! チルノ、どうしてヒュンケルを一緒に連れてきてくれなかったの!?」

「落ち着いてマァム。ヒュンケルの気持ちだってあるんだから」

 

今までの話が事実だとすれば、彼女の言う通り争い合う理由などどこにもない。共に魔王軍と戦うことが出来るはずだ。そう主張するマァムの言葉も決して間違いではない。だがそんなマァムをチルノは必死で落ち着かせようとする。幸いにもヒュンケルの気持ち、というキーワードに効果があったらしく、マァムはまだ不服そうではあるが落ち着いてくれた。

 

「じゃあマァムに質問。あなたがとある理由があってロモスの人たちを大量に虐殺しました。その後、その理由は全てが間違いだということが分かりました……そうなったときにマァムは自分を許せる? 遺された人たちに『あれは間違いだったからまた一緒にやって行こう』って笑顔で言える?」

「それは……」

「極端な言い方だったかもしれないけれど、そういうことよ……」

 

チルノ本人の言うように、それはとても極端な説明であった。だがそれでも説得力は強かったらしい。そう言われてしまえば確かに、彼女の主張も身勝手な言い分に聞こえてくる。ヒュンケルを救い出したいという気持ちに逸るあまり、大事なことを見落としていたことを彼女は自省する。

 

「何らかの落としどころを見つけねぇと、背負った罪の重さで潰れるかもしれねぇってことか」

 

端的に表したポップの表現に、チルノは頷いた。

 

「私たちが出来ることは、彼にこれ以上の罪を犯させないことくらいだと思う。彼の罪を裁く権利がある人間がいるとすれば、それはきっと私たちではないわ」

 

そう言いながらチルノはレオナのことを思い出す。デルムリン島で出会ったときには髪も短く、まだ少女の面影を残していた。だが本来の歴史通りに成長していれば、髪も伸びて大人びた姿へと成長しているはずである。ヒュンケルの処遇については、彼女に任せるのがやはり順当なのだろうと考える。

 

「それともう一つ。ヒュンケルから言われたことがあるの」

 

そう前置きしてから、地底魔城を去る前に言われたことを三人に伝えた。

 

「決闘だと!?」

 

内容を聞いた途端、ポップが叫ぶ。その言葉も納得だろう。まさかそんな展開になっているとは考えもしていなかったからだ。

 

「どうして……どうして争わなきゃいけないの……」

 

マァムも嘆いていた。彼女からしてみれば争う理由はないとわかっているのに、その相手から戦いの約束を持ち掛けられているのだ。悲しんでも仕方ないだろう。

ダイはというと、驚きながらもどこか期待に満ちたような顔もしている。戦士としての本能が刺激されているのだろうか。

 

「多分これは、ヒュンケルなりのケジメだと思うの。自分でも分かっていて、でも吹っ切るために必要な儀式っていうか……」

 

三者三様の反応を見せた仲間たちに、チルノは自分の考えを述べる。その言葉に最初に反応を見せたのはポップだった。

 

「うーん、どうにも信じられねえなぁ……ロモスの時っていう前例があるからな。またぞろ罠でも仕掛けられてんじゃねえのか?」

「用心するに越したことはないけれど、少なくともヒュンケルからはそういう態度は見えなかったわ」

「……ダイはどうするの? ヒュンケルの決闘を受ける?」

「ああ。おれ、決闘を受けるよ。そうすることがヒュンケルのためにもなる。なんとなくわかるんだ」

 

心配そうにダイへと尋ねるマァムであったが、ダイはそんな心配など微塵も見せずに了承の意を口にした。その様子にポップも一瞬訝しむが、すぐに楽観的な思考に切り替わってしまった。

 

「まあ、魔法剣ならなんとかなるってことは分かってるんだ。だったら負けはないだろうな」

「うーん……それもどこまで通じるかしらね……」

 

ダイのその様子を心配していたのはチルノも同じだった。彼女は弟を諫めるべく、少しだけ待ったをかける。

 

「魔法剣を初めて見たっていう動揺もあって、最初は上手くいった。でも、二回目はそう通じるものじゃないと思うの」

「うん。ヒュンケルもおれが魔法剣を使えるってことはもう理解しているからね。どんなに威力があっても、避けられちゃ話にならない。剣だけでも勝てるようにならなくちゃ!」

 

だがチルノの言葉をダイはあっさりと肯定して見せた。単純な剣術の腕前ではヒュンケルに届いていないことは、直接戦ったダイが一番よく理解していたようだ。

先の戦いにて、魔法剣は確かにヒュンケルの鎧をも砕くほどの破壊力を見せた。だがダイの言葉通り、当たらなければ意味はない。今の実力差のままであれば、魔法剣といえどもいなされて無効化されるであろうことをヒシヒシと感じていたのだ。

この弟の発言には、姉も驚かされるばかりだった。

 

「ごめん、ダイ。正直驚いた。まさかちゃんと考えていたなんて……」

「ええーっ……酷いよ姉ちゃん……」

 

ダイが姉をジト目で睨む。

 

「ごめんごめん。お詫びに、以前から考えてた良いことを教えてあげるから」

「……いいことって?」

 

直感でしかないが、ダイは何となく嫌な雰囲気を感じつつも姉に尋ねる。

 

「見てみたくない? ライデインとアバンストラッシュを組み合わせた必殺技」

 

チルノの言葉に、仲間の三人が絶句した。

 

 




ゾンビ系を取りまとめているモンスターの名前が死体安置所(モルグ)というエスプリ効いた命名が地味に好き。
(別の説もあるようですが、こっちの説の方が納得できるので好き)

1話前の話。
後から気付いたのですが、パプニカに着いたら魔王軍との戦いの真っ最中でそこにダイたちが乱入。混戦の中でレオナたちと再会して……みたいな展開もアリだったんですね。それはそれで面白そうだなぁって思いました。
(でも、書いてる人間がロモスで一旦リソース使いきっているので、気付いてもやらなかった可能性が高そう。もう少し後にバランが控えているのでそこまでは低カロリー進行で行きたい……(不安しかない))

スラリンに説明している部分って、みんな知ってますよね……もっと簡略化できると自覚しつつ書く私。そして隙あらば無自覚エロを見せるスライム。今回は肌にピッタリ張り付く役目。

ヒュンケルがハドラーたちに噛みつきました。真実を知った今ならあの場で殺し合いを始めても良かったんでしょうけどね。その前に優先すべきことがあったようです(多分狙いはバレバレだよなぁ……)
でもハドラー相手に感情が抑えきれないのとかあってあんな感じに……

感想でも指摘されましたが、恋愛フラグが上手いこと育ってないんですよね……別に絶対ではないんでしょうけれど。うーん……人の心って難しいですね。


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LEVEL:21 決闘

「ライデイン!」

 

ダイの唱えた呪文により、天空から雷が降り注いだ。落雷は激しい光を放ちながら、地面に突き刺さった一本の杖へと落ちる。杖はアースの役割を果たして雷を地面へと逃がしているらしく、杖そのものは雷が落ちたとは思えないほど無事な姿を見せていた。

 

「へぇ……どうにか安定して使えるようになったのね」

「あ、姉ちゃん」

「よう、チルノ。それにマァムも」

 

無事にライデインを――それも一人だけで――使えるようになった弟の雄姿に感心しながら、チルノが呪文の特訓場所に姿を見せた。その後にはマァムも続く。

 

「ようやくってところだな。おれのラナリオンがなきゃ、威力はずいぶん低いぜ」

「うっ……でも、使えるようにはなったし……」

 

調子に乗るなと言わんばかりにポップが一言釘を刺した。

ラナリオンは雨雲を呼ぶ呪文であり、雷を落とすライデインの呪文とも相性が良い。そのため、最初のうちこそポップの力を借りてライデインを唱えていたダイであったが、ここのところの特訓により一人でも使えるようになっていた。ポップの杖を目標に見立てての特訓の成果である。本来の歴史は当然として、今回の歴史でも似たような練習方法が行われていた。

とはいえ、その出来栄えはポップの言うようにまだまだ不安定。多く見積もっても本来の威力の半分程度といったところだろうか。

 

「まあ、仕方ないでしょ? 基本的に剣術を中心に特訓する必要があったから、ライデインはあくまでオマケよ。そもそも使うかどうかもわからないんだし」

 

そう言って、チルノはダイを慰める。ヒュンケルの指定した決闘の日は明日――今日はその前日である。そのため、これ以上無理を重ねても劇的に伸びる期待もできないだろうと考えての行動であった。

今日までの間、ダイの特訓を中心に行っていた。

まずは剣術の特訓を行い、小休止の後に魔法力を絞り出してのライデインの稽古。それが終わったら再度剣術の特訓というスケジュールである。魔法力によって使用回数に制限がある上に、そもそも魔法剣があるためライデインの優先順位が低くなり、剣技に重きを置かれるのも仕方ないことだろう。

――その剣技についても今のダイの腕前は、チルノがプロテスとヘイストを併用しなければ練習相手となれない程に隔絶していた。

剣術中心に特訓をしてきたのだから仕方ないという言葉にダイは、それでもどこか納得のいっていない顔を浮かべる。

 

「ちぇっ、一人でもライデインストラッシュを使いたかったのに……」

「そんときはおれも協力してやるよ。合体技みたいでなんかカッコイイだろ?」

 

かつての練習で使ったライデインストラッシュの感触が忘れられないとでもいうように、ダイはジッと自分の手を見つめる。

その言葉通り、ポップと協力してのライデインストラッシュであれば、一応の完成を見せていた。元々魔法剣を扱えるだけの力を持っているダイである。メラとは比較にならないほど強力なライデインのエネルギーに振り回されるといった一面もあって、完全習得とは言い難いが、未完成でもその威力は強烈無比である。

初めてダイが技を放ったのを見たときにはその威力に驚くと同時に、これと同じ理屈でより強力なギガブレイクの存在を再認識したチルノがこっそりと頭を抱えそうになっていたりもしたが。

 

「もう今日は良い時間だし、そろそろ切り上げましょう。明日が本番だからね」

 

決戦の日は翌日である。まだ太陽は見えているが、疲れを残さないためにも早めに休んだ方が良いだろう。そう言いながらチルノは手にした魚や狩ってきた獲物を見せる。ダイとポップの特訓の合間を縫って、マァムと二人で取ってきたものである。

デルムリン島で自給自足の生活を強いられていたチルノは当然として、マァムも森の中の村で育ったおかげか、サバイバルの腕前は中々のものであった。

 

「それと、今日の見張りは――」

「なあ、そのことなんだけどよ」

 

野営の準備を行おうとしていたチルノにポップが待ったをかける。

 

「今までおれたち、この国に来てなんだかんだで戦ったのはヒュンケルのときだけだよな? 全然敵が出てこないんだし、今日くらいはゆっくり休んでもいいんじゃねぇか?」

 

忘れてはいけないが、ここは敵地である。

寝るときには夜襲を警戒して見張りを一人残しておき、それを数時間交代で行っていた。だがポップの言った通り、何故か今日まで敵は影も形も見せないままであった。それも昼夜問わずである。これでは気が抜けるのも仕方ないだろう。

 

「うーん……まあ、今日くらいは大丈夫かしらね」

 

一向に敵モンスターが姿を見せないのはチルノも気になっていた。彼女は少しだけ考えてから、了解の意を口にした。

 

 

 

見上げれば星々の煌めきが見える。辺りは静かなまま、たき火が燃えるパチパチという音だけが響く。

そうして赤々と燃え続ける炎を、チルノは一人見つめていた。たき火に当たっているが、寒いわけではない。そもそもこの世界は、一年を通して比較的温暖で過ごしやすい気候――地方によっては例外もあるが――なのだ。火は暖を取るというよりも、獣避けの意味合いの方が強かった。こうして炎に当たっているのも、なんとなくといった慣習的なものに近い。

近くを見回せば、ダイもポップもよく眠っている。スラリンたちも各々の主の隣で寝息を立てていた。特にダイは疲労が濃いのだろう、深い眠りに入っているのがよく見えた。チルノは、毛布(・・)を膝の上に掛けたまま、仲間たちの様子を見ていた。近くには、これで最後だからと使ったまま洗っていない食器類(・・・)が散乱している。

なおこれらの道具は、廃屋などから少しずつ集めてきたものだ。火事場泥棒などと言うなかれ、どうせ既に汚れてしまっているために価値が激減しているのだ。持ち主もどうせ諦めているだろうし、野良犬にでも噛まれたと思って諦めてもらおうという希望的観測を含んだ考えである――一応、名乗り出てくれば弁償する気はあるが。

ちなみに今寝床としているのは、手近な場所に見つけた洞窟だ。中に危険な動物などはいないことを確認済みであり、一行のパプニカでの仮の拠点として利用している。

そうして静かな時間が流れていき、チルノが何度目かの薪を火の中へと放り込んだときだ。

 

「ん……?」

 

投げ入れた時の音が大きかったのか眠りが浅く自然と起きただけなのか、マァムが目を覚ました。彼女もまた毛布に包まれたまま、意図せず起きてしまったらしく焦点の合わぬ寝ぼけ眼で辺りを見回す。

 

「チル、ノ……?」

 

マァムが動いたことで二人の目が合った。そして彼女の意識が急激に覚醒する。てっきり一緒に寝ているのだと思ってばかりいたマァムは、年下の少女がいまだ起きていたことに驚いて体を起こした。

 

「まさか、ずっと起きて……!?」

「しーっ」

 

驚いて大声を出しそうになったマァムに向けて、チルノは指を一本立てて静かにするよう注意する。今は夜であり、仲間たちは寝ているのだ。むやみな大声は厳禁である、マァムもそれに気づくと慌てて手で口を押さえた。そして二人してダイたちを見るが、どちらも起きた様子はない。そのことに安堵してから、チルノは小声で話し始めた。

 

「なんだか目が覚めちゃって。やっぱり、誰も見張りがいないのってなんだか怖かったから」

「そう……」

 

実際は最初から眠らずに起きていたので、目が覚めてしまったというのはマァムに必要以上に気を遣わせないための方便である。その言葉を真に受けたのか、はたまた感づいたもののそれ以上の追及を諦めたのか、それを聞いたマァムは曖昧に頷くだけだった。

そして、しばらくの間何かを躊躇うようにチルノの方を眺めていたが、やがて意を決したように口を開く。

 

「……ねえ、チルノ。私って、役に立っているかしら?」

「どうしたの、急に?」

「正直に答えてほしいの。チルノの目から見て、どう思う?」

 

真剣な眼差しでそう言うマァムの姿に、チルノは圧倒される。彼女が何を望んでいるのかわからず、チルノは言葉に詰まった。だが何かただならぬ気配を感じ取り、少しだけ考えてからチルノは言った。

 

「魔弾銃に回復呪文にと、十分役に立っていると思うけれど? それにここ数日も、色々とお世話になっているし」

 

そう言ったチルノの言葉は、決して嘘ではない。戦闘面は元より、野営の際にも手伝ってもらっている。チルノの中では決して卑下するようなものではないと思っていた。

しかしそれは、マァムの望んだ答えではない。答えを聞いた途端に、マァムの顔が曇る。

 

「……でも、魔弾銃は誰にでも使えるし、回復呪文はチルノだって使えるわ」

 

そして、チルノの言ったことを一つずつ否定した。

 

「そんなことは……」

「ううん、いいのよ。自分でも気づいているから」

 

そういうマァムの顔はさらに沈んだものとなる。

 

「私が出来ることはチルノが全部できる……私よりも上手くやってしまうもの……そうなると、私っている意味があるのかなって思っちゃって……」

「え!?」

 

そこまで言われて、チルノはようやくマァムが何を悩んでいるのかを理解した。自身の力不足を嘆いているのだ。

なまじ先の知識を持っているために、彼女が力不足を感じるのはもっと後――レオナを助け出し、彼女がベホマを使えることを知り、魔弾銃が壊れたこともあって武道家という別の道を歩みだす。そう思い込んでいた。

だがチルノの加入と活躍が本来の歴史よりも早くマァムにそのことを自覚させてしまった。

魔弾銃がなければまともに戦えず、本職である僧侶としても中級の回復呪文までしか使えない中途半端な存在。ネイル村を守っているときにはそれだけでもよかったかもしれないが、魔王軍と戦っている今ではその半端な力は逆に命取りとなりかねない。

 

「……マァムは、とっても優しいんだね」

 

どう答えるべきか。チルノは少し悩んでからそう言った。

 

「誰かのために力を発揮したいってずっと思っている。だからきっと、今みたいに悩むんだと思う。そして、自分に力がないのが原因だって思っちゃう」

「それは……」

「ううん、きっと違わない」

 

否定しようとしたマァムの言葉を、チルノは遮った。

 

「ヒュンケルのことを真っ先に心配したみたいに、優しい気持ちを持っているもの。平和な時ならマァムの心はきっとすごく素敵なことだと思う。でも、今は魔王軍と戦っているから……大戦の最中だから、目に見えやすい剣や呪文という力で比較しちゃって、それで無力さを悔やんでいるんじゃないかな?」

 

彼女なりにマァムの気持ちを慮った言葉である。チルノが知るマァムの本質は慈愛だと思っている。それは彼女の魂の力からしても同様だ。相手を傷つけたくないからマァムはアバンから僧侶の手ほどきを受けて皆を守る道を選んだのも彼女の性格をよく表していると思う。

けれども優しさだけでは救いきれない場合もある。かつてアバンがマァムへ『力なき正義もまた無力』と言っていたように。

 

「その気持ちは、何よりも大事にするべきだと思う。でも、もしもその気持ちを貫き通すのに力が必要になった時が来たら、いつでも言って。私が出来ることならなんでもしてあげる」

「貫き通すだけの力……?」

 

チルノの言った言葉をマァムは反芻する。その言葉でマァムもまた、アバンの教えを思い出していた。アバンに言われた言葉の意味を。魔弾銃を受け取ったときに感じた気持ちをもう一度、じっくりと飲み込んでいく。

 

「もしも相手を傷つけるのが嫌なら、力の方向性を少し変えてみればいいんじゃない? 相手を無力化したり、取り押さえるとか。そういう技術だって、二人なら――ううん、仲間となら一緒に考えることだって出来ると思うの」

 

そう言うと、チルノはイタズラめいた笑顔を見せる。

 

「そうでしょう? マァムお姉さん」

「あ……ふふっ、そうかもね……」

 

ロモスの時にふざけて一度呼んだきり、今まで呼ぶことはなかった姉という呼称を聞いて、マァムの肩の力が抜けた。血は繋がっていないが、同じアバンの使徒としてもっと気軽に頼ってほしい。そんな風に言っているのだと感じて、マァムは心が少しずつ楽になっていくのを感じていた。

 

「それに、私は万能ってわけじゃないわ。手は広いかもしれないけれど、決定力が足りないもの。攻撃呪文だったらポップに負けるし、剣だってダイの相手にならない。精々が中途半端なだけ」

「ええーっ、ロモス城であれだけの大立ち回りをしておいて、それはないんじゃないの?」

 

そう笑って答えるが、マァムはチルノの言葉にわざとらしく懐疑的な声を上げる。ロモスでサタンパピー三匹を倒したという実績は伊達ではないのだろう。そういうマァムの言葉に今度はチルノが不満げに口を尖らせる。

夜の世界の片隅に、女性二人の姦しい声がこっそりと響き渡った。

 

 

 

「あそこが、不死騎団の居城――旧魔王軍の本拠地でもあった、地底魔城への入り口よ」

 

翌日、チルノの先導でダイたちは目的地まで迷うことなく辿り着いていた。遠目からでも見えるほどの縦穴が開いており、そこから漂ってくる恐ろしげな気配に、初めて見るダイたちは知らず知らずのうちに汗をかくほどの威圧感に襲われていた。

 

「ねえ、あそこに人がいるみたいなんだけど……」

「ん……ホントだ」

「敵、かな?」

「普通に考えれば見張りだろ? 何せ前回チルノが忍び込んでんだから、警備も厳重になるんじゃねえの?」

 

マァムが遠目から人影に気付き、声を上げる。そして見張りだというポップの言葉に、けれどもチルノは少し訝しんだ。前回の潜入時にすらいなかった見張りが、どうして今回に限って存在しているのか。そもそも今日ここに来ることになったのは、ヒュンケルが言い出したことだ。強襲などを警戒しているのだとすれば、もっと見張りは多くて良いはず。

一体どういうことか考えるが、結論は出ない。

警戒しつつも進むしかないという結論に至り、一行は何時でも戦闘態勢に入れるように注意しながら進んでいく。

だが、相手の正体が視認できる距離まで近づくと、まずはチルノが警戒を解いた。

 

「……大丈夫、あれは敵じゃないわ」

「えっ!?」

 

チルノが確認できるということは、相手側からも見えるということだ。地底魔城への入り口に立っていた相手は、ダイたちを見ると無警戒に近寄ってきた。

 

「お待ちしておりました、皆様方。(わたくし)、皆様のご案内役を仰せつかりましたモルグと申します」

 

そう言うと丁寧な物腰でお辞儀をする。手にした鈴がチリンと鳴り、甲高い鈴の音が辺りに響いた。見た目は腐った死体のそれでありながら上等そうなスーツに身を包み、知性すら感じさせる挨拶をよりにもよってアンデッドがしている。凡そが持つアンデッドというイメージから完全にかけ離れた相手の登場に、慣れぬダイたちの思考が完全に停止した。

 

「あなたは確か……」

「はい。お久しぶりでございますチルノさん。その節はきちんとしたご挨拶も出来ずに申し訳ございません」

 

動きを止めるダイたちを尻目に、チルノがモルグへと話しかける。幾ら相手の顔を知っているとはいえ、二人は玉座の間にてすれ違った程度しか顔を合わせていない。にも拘らずこの丁寧な態度にはチルノも困惑させられた。

 

「い、いえ……一応、敵同士なわけですし……」

 

自分でも言っているように、敵同士である。であれば本来はこんな気を遣うような言い回しなど無用のはずなのだが……これもモルグの誠実な態度による人徳というものだろうか。

 

「さて皆様方、お時間にも限りがありますので。さっそくではございますが我が主、ヒュンケル様の元へとご案内させていただきます。道中は中々険しいので、迷わずついてこられるようにお願いいたします」

 

そう言うとモルグはくるりと踵を返して、地底魔城へと向けて歩いていく。再び手にした鈴の音が鳴り響き、その音で停止していたダイたちがハッと気づいたように意識を取り戻した。

 

「……なあ、なんだよあのモンスター」

「ヒュンケルの執事みたいなモンスターよ。不死騎団でも上位にいるみたいで、下位のモンスターは彼の指示に従ってるみたい」

 

小声で聞いてきたポップに、チルノは知る限りの情報を教える。だがポップはその返答内容に不満らしかった。

 

「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくてだな。アンデッドってのは、もっとこう、頭の悪い奴らばっかりなんじゃねえのか?」

「……ポップ、普通は罠とかを警戒するんじゃないの?」

 

ダイの呆れたような指摘にポップは一瞬ハッとなる。尤もな指摘なのだが、知的で礼儀正しいアンデッドを目の当たりにしたショックがよほど強かったらしい。

 

「罠などはございませんよ。ヒュンケル様は対等な戦いを望まれております。皆様もこの数日間で、実感なされたとは思いますが」

「……どういうこと?」

 

前の方から聞こえてきたモルグの言葉に、疑問の声が上がる。一体何を実感しろというのか。首を傾げる一向へ、モルグはさらに続きを言う。

 

「ヒュンケル様が、皆さまを襲うことのないように不死騎団のモンスターたちに厳命を下していたのです。おかげで安全に過ごすことができたかと思いますが……ご存じありませんでしたか?」

「えっ!?」

 

それは予期せぬ答えだった。

確かに野営をしていた数日間、一度もモンスターに襲われることなく過ごすことが出来たが、それがまさかヒュンケルの命令によるものだったとは。

モルグの言葉に納得する者もいれば、どこか腑に落ちない者もいる。敵であるはずの魔剣士の真意を図るように、一行はそれ以上何も言わなくなった。黙ってモルグの後をついて行き、入り口である螺旋階段の部分まで差し掛かった。

 

「うわ……凄く長い階段ね……」

「こ、ここを降りるのかよ……これだけでも一苦労だな……」

 

初めてこの階段を目の当たりにした二人が驚きの声を上げる。特にポップなどは、この中で一番体力に劣っているので明らかに不満そうだ。

 

「そうそう、あらかじめご注意させていただきますが……」

 

階段を下りる、その第一歩を踏み出そうとした直前で動きを止めると、モルグはそう言い出した。

 

「ここは死火山の火口へと繋がっております。もしもここで足を滑らせるなどすれば……」

 

そこまで言って、言葉を切る。それ以上は語る必要がない、という無言の意思表示である。だがこうした言い回しもできることを見るに、性格は実直なだけではないようだ。

 

「案内人という立場ではございますが、皆様の不注意で落下されるなどの場合には流石にお助けできません。くれぐれもご注意を……」

 

そう言うと、鈴を鳴らし、止めていた歩みを再開する。モルグの忠告にダイたちも恐怖心を煽られたのか、少しだけ緊張の面持ちで階段を下りて行く。そして誰一人欠けることなく地下迷宮へと通じる横穴へとたどり着き、中へと入っていく。

 

「うわっ!! モンスター……あ……?」

 

道中を進み、十字路へと差し掛かる。すると、通路の陰から突然モンスターが視界に飛び込んできた。不意に姿を見せた敵にポップが思わず声を上げるが、そこに立っていたモンスター――ミイラ男は微動だにしない。ただ黙って通路の真ん中に突っ立っているだけだ。

ダイたちの事は間違いなく見えているはずなのに、何もせずに不動のまま。その行動が逆に異質だった。驚いていたはずのポップがそのまま間抜けな声を上げてしまうほどに。

 

「よく見ると、こっちにもいるわ……」

 

ポップが見つけたのとは反対の道には、死霊の騎士の姿があった。だがこちらもミイラ男と同様に動くことなくただ黙って突っ立っているだけだ。

 

「ご安心ください。それは道案内の看板のようなものです。皆様が間違った方向に進まぬよう、警告のために配置しているのですよ」

「警告?」

「はい。なにしろここは旧魔王軍の居城ですので。迷わぬように、念には念を入れているのです」

 

驚いているダイたちに向けてモルグが再度説明する。なるほど確かに、よく見てみれば迷宮は分かれ道があるたびに常にモンスターが配置されており、誰もいないルートは一本だけである。そのルートを通ればそのまま自然と目的地へとたどり着くようになっているのだ。至れり尽くせりとはこういうことを言うのだろうか。

 

「それはつまり、誘い込むためでもあるってことか?」

「さて……それは(わたくし)にはわかりかねます」

 

そう言うと再び歩き出すモルグ。再び地下迷宮を歩き続け、やがて一つの階段に差し掛かると、そこを昇っていく。上からは太陽の光が差し込んでいることから、外へと通じているのが分かった。ここに来て外へと通じる道ということは、いよいよ目的地が近いのだろう。そう判断してダイたちは気を引き締めなおす。

やがて階段を上り終え、外へと出る。そこは空の見える開けた場所だった。

 

「なんだ、ここ……?」

「ここは地底魔城の闘技場だ。かつて魔王ハドラーが捕らえた人間と魔物を戦わせて、その死闘に酔いしれたという血塗られた場所よ……」

 

闘技場の中心部で辺りを見回していると、不意に声がかかった。一行にとって覚えのあるその声を聞いた途端、ダイたちは身を固くする。そしてその声のした方向を向いた。

 

「待ちかねたぞ」

 

ダイたちが出てきたのとは反対の出入口から、鎧の魔剣を携えてヒュンケルが姿を現した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ご苦労だったな、モルグ」

「勿体ないお言葉でございます」

 

モルグはヒュンケルのその言葉を耳にすると、丁寧な態度でそう言った。今までで――ヒュンケルの下に付いてから一番丁寧な口調だった。そして、今まで来ていた道を戻ろうとして、戻る前に一言だけ、と決意して口を開く。

 

「ヒュンケル様……どのような結末になりましょうとも、このモルグ。決してお恨みはいたしません。どうかその心の望むままに……」

 

その言葉からは、モルグも何か思うところがあるのだというのは容易に想像がついた。ヒュンケルに近かったモルグにもわかる程の変化がヒュンケルにはあったのだ。その変化はこの決闘で完結するのだろうということも理解できる。たとえ詳しい事情が分からなくとも、だ。

そして、ここでの戦いがどのような決着を迎えようとも、ヒュンケルはいなくなってしまうのだろうという予感もあった。それゆえにモルグは、精一杯の言葉を贈ると、主の邪魔になることのないように足早に闘技場を後にする。

 

「ヒュンケル!」

 

マァムが叫ぶが、ヒュンケルは答えない。無言のまま、胸元から何かを取り出すと、チルノに向かって投げつけた。

 

「姉ちゃん!?」

「大丈夫」

 

思わず見惚れてしまいそうなほど自然に投げられた何かに、ダイの反応が一瞬遅れた。だがチルノはその投げられた物――アバンの手記を落とすことなく受け止める。

 

「確かに返したぞ」

「ええ、確かに受け取りました」

 

無表情のままそう言うヒュンケルであったが、そこには三日前にはあり得なかった感謝の意がうっすらと浮かび上がっていた。

 

「ヒュンケル……どうしても、戦わなければならないの……?」

「当然だ。オレは魔王軍不死騎団長であり、お前たちはアバンの遺志を継ぐのだろう? それは変えようのない事実だ」

「そんな! それは誤解だったって、あなたの方が良く分かっているでしょう!?」

 

マァムの訴えに、だがヒュンケルはまるで取り合うことなくそう答えた。魂の貝殻によるメッセージを聞き、アバンの手記も読んでいるはずだ。アバンの事だから、ヒュンケルにも何か効果的なメッセージを遺しているはずだろう。ならば戦わなくてもよいかもしれない。そう考えてのマァムの言葉であったが、聞き入れられることはなかった。

 

「誤解だからどうしたと言うのだ? もはやオレは止まることは出来ん……それともマァム、お前が力づくでも止めてみるか?」

 

その言葉は、どこか悲痛な感情が込められているようだった。精一杯に無理をして強がっているような、そんな雰囲気がマァムへと伝わってくる。もしも本当に戦う気でいれば、こうして話に応じる必要もない。最初から鎧化(アムド)によって完全武装して出てくる方が合理的だろう。と、マァムは気づいた。

 

「いいえ。悔しいけれど、あなたを受け止めるだけの力が今の私には無い……」

 

だが気づいたところで、彼女にはそれ以上どうすることもできないのもまた事実であった。たった一晩だけであったが、マァムは考えていた。自身の想いを貫くにはどうすればいいのか。何が出来るのかを。

 

「ダイ、お願いよ。ヒュンケルを止めてあげて……」

 

マァムはダイへと、自分の想いを託す。これが今の彼女にできる精一杯だった。

その気持ちの全てを余すところなく受け取ったと言わんばかりに、ダイは力強く頷く。

 

「ピー……」

「ゴメちゃん、離れてて……」

 

心配そうに見つめるゴメちゃんに離れるように言うと、そのまま飛んでマァムの肩へと乗った。ちなみにスラリンもチルノの肩にずっと乗ったままである。

だが今のダイは、そんなゴメちゃんの動きすら見ていないほど集中していた。他に気を取られることなく、これからの戦いに集中せんとばかりに、まっすぐにヒュンケルを見つめる。

 

「ヒュンケル……」

「どうした、今更怖気づいたか? それとも罠でも疑っているのか? ならば安心しろ。この戦いには俺たち以外の誰かが介入することなどあり得ん」

 

――そのために、あのような態度まで取ったのだからな。

 

言葉の最期に、そう心の中で付け足す。ヒュンケルの脳裏に浮かぶのは、つい先日。のこのことやってきた魔王軍の幹部連中を相手に脅しをかけるようにして追い払った時の光景だ。いや、脅し以外にも私怨も混ざってはいたのだが。

 

「ダイ……全員の命(・・・・)、あなたに預けるわ……」

 

チルノの言葉にダイは頷く。なぜ姉が全員の命と言ったのか、その言葉の意味をしっかりと理解しながら。

そのままゆっくりと歩みを進め、ヒュンケルの待つ闘技場の中央まで近寄った。そうして真正面から対峙しあうものの、剣を抜くでもなく動かないままだ。

 

「どうした勇者ダイ? オレはこのパプニカを滅ぼし、今なおレオナ姫の命を狙っている男だ。戦う理由は十分すぎるだろう? 何を迷うことがある?」

 

まるで挑発するようなその言い方だったが、その声を聞きながらもダイはもはやヒュンケルに対する悪感情はなくなっていたことに気付く。いや、気づいていなかったわけではないのだろうが、戦いを望み、ダイが躊躇うことのないように言っているのだということが、対峙してようやくわかった。

そのヒュンケルの気持ちに応えるように、ダイは地面へ向けて指を差す。

 

「ライデイン!!」

 

そして雷撃呪文を使った。天から落ちた雷が何もない闘技場の地面に炸裂して穴を穿つ。

ダイの少し後ろでそれを見ていた三人も、目の前のヒュンケル自身も、ダイの行動の意図が読めずに戸惑ってしまう。

 

「これが、この三日間で覚えた新しい呪文だ! おれは正々堂々、あんたに勝つ!」

 

これが答えだ、と言うようにダイは自信満々に言い切った。数日前には使うことの出来なかった呪文の存在を見せて、尚且つ正面から戦って見せるという決意の証である。

 

「フン、馬鹿正直な奴め……わざわざ手札を見せるなど、愚か者のすることだ」

 

そんなダイの行動の意味を聞いて、ヒュンケルは馬鹿馬鹿しいとばかりに切って捨てる。だがその表情にはほんの少しだけ、喜色が浮かんでいた。

 

「だがそんなものを見せられても、オレは手加減などせん! 行くぞ、鎧化(アムド)!」

 

騎士が祈りを捧げるように鎧の魔剣を構えると、キーワードを口にする。ヒュンケルの身がたちまち全身鎧に覆われた。

 

 

 

闘技場の中央では、ダイとヒュンケル。二人の剣士が対峙している。

ヒュンケルは既に鎧化(アムド)を完了しており、全身鎧に包まれたまま。兜に付いた剣を抜き放ち、自然体に構える。その姿はあまりにも自然だった。威風堂々という言葉がこれほど似合う姿もそうそうないだろう。ヒュンケルの歴戦の戦士としての経験がそうさせている。触れれば切れそうなほど研ぎ澄まされた闘気が周囲に漂っているのが分かる。

対するダイもまた、鋼鉄の剣(はがねのけん)を手にして正眼に構える。こちらもいつの間にか、十分に剣士としての風格が備わりつつあったが、ヒュンケルと比較しては見劣りせざるを得なかった。ヒュンケルと比較してはダイには経験が足りないのだ。だがこればかりはどうしようもない。たとえダイが今の倍の才能を持っていたとしても、経験というものは時間を積み重ねなければ決して得られるものではない。積み重ねる速度に個人差こそあれども、いかな天才であってもそれは平等に立ち塞がる。

それを理解しつつもダイは、そんな大剣豪が自分を正面からぶつかり合うだけの相手と認めてくれることが喜ばしかった。この一戦では、決して無様な真似も僅かな出し惜しみも許されない。

 

「いくぞっ!」

 

激しい気合の声と共に、ダイが仕掛ける。一足飛びに距離を詰めると、そのまままっすぐに突きを繰り出す。

最小限の距離を通って繰り出された刺突をヒュンケルは少し身をよじっただけの最小限の動作でかわすと、そのまま力の向きを逸らすようにダイの剣を手甲で軽く弾く。

 

「うっ!!」

「そらっ!」

 

たったそれだけでダイの姿勢が崩れる。続けてヒュンケルは右手に持った剣をダイに向けて振り下ろした。

 

「なんのっ!」

 

崩れた体制のまま必死で剣を引き戻すと、ヒュンケルの攻撃を受け止める。そして攻撃の勢いを利用して一度距離を取った。

 

「この程度は防ぐか。だが!」

 

まるでお返しとばかりに、今度はヒュンケルが距離を詰めてきた。手にした剣で突きを繰り出すその姿は先ほどのダイの繰り返しのようだ。だが威力も速度も、ダイよりもよほど早い。

それでもダイは手にした剣を少し寝かせ、剣の腹に片手を当ててその刺突を受け流そうとする。

 

「最短距離の攻撃は隙こそ小さいが、相手もそのくらいは読んでいる。ならば、読まれた時にどうする?」

「っ!?」

 

ダイの構えを見て、ヒュンケルは即座に反応すると切っ先を微妙にずらした。力の加わり方が変わり、受け流すはずだった刃がダイの肩を浅く切り裂く。

 

「うっ! くそっ!!」

 

肩に痛みが走り、思わずダイは呻き声を上げる。それでも近寄ってきたヒュンケルへと、ダイは横なぎに剣を振るう。

 

「攻撃に転じるのは構わんが、攻防を切り替えるその瞬間に隙が出来る。相手から見ればその瞬間は狙ってくれと言っているようなものだ」

「!!」

 

だがそれはヒュンケルの剣にあっさりと受け止められ、逆に鋭い蹴りを腹部に叩き込まれる結果となった。勢いのついた蹴りのせいでダイの体が吹っ飛ばされる。

 

「ダイっ!!」

 

少し離れた場所から二人の戦いを見守っていた三人であったが、ダイが一方的にやられている姿に我慢できずにポップが声を上げた。今にもそのまま飛び出して行きそうだったが、マァムがその肩を掴んで必死に止める。

 

「わ、わかってるぜ……手は出さねえよ……でもよぉ……」

 

肩を掴まれたことで少しだけ冷静になったのか、それでも今にも爆発しそうな様子を見せながらもポップは言う。

 

「なんでダイは、あんなに馬鹿正直に戦ってるんだよ!? 大地斬でも海波斬でも使えばいいじゃねえか!」

「バカね! 使ったら余計勝てないでしょ!?」

 

ポップの叫びに、マァムがすぐさま駄目出しをしてきた。その意味が分からず、ポップが困惑するとそれを補うようにチルノが口を開いた。

 

「ヒュンケルはダイよりも剣の腕は上なのよ。力も技も速度も経験も上。同じ土俵で勝負したらそれこそ勝ち目がない」

「……な、なるほど……そういうことか……」

 

同じアバン流の技では完封されかねない。だからダイは自分の剣技のみを使っているのだ。それは分かる。だがチルノにはそれ以上の理由があることもなんとなくわかっていた。

 

「それと、剣だけで戦っているのもダイなりの敬意の表れだと思うの」

「敬意?」

「うん、そう。ヒュンケルを一人の剣士と認めて、自分の力だけで倒す。そういうダイの不器用な意志表示だと思うの。だからライデインも見せた」

「それは、わからなくもねぇが……ダイのやつ……」

 

再び二人の剣士の戦いに視線を戻す。

吹き飛ばされたダメージを受けつつも必死で体勢を立て直したダイであったが、すぐさまヒュンケルの大振りの攻撃が叩き込まれようとしていた。

 

「くっ!!」

 

ダイは闘気を全開にして防御の姿勢を取る。そこにヒュンケルの強烈な一撃が撃ち込まれる。防ぐと決めていたため剣で受け止めることが出来たが、その衝撃はダイの体を弾き飛ばしそうなほどに強い。

 

「防いだな?」

 

剣を受け止めきった瞬間に、ヒュンケルの冷たい声がダイの耳に届いた。そのままヒュンケルは力任せに鍔迫り合いの体勢に持ち込みダイを押し込んでいく。ダイも必死で堪えるが、差は歴然だ。

かつてクロコダインを相手に同じような拮抗を見せたが、相手が悪い。相手は剣を使わせれば右に出る者はいないと豪語するほどの男である。このような状態になった場合、どうすればより効果的に力を込められるか。逆に相手は力を込めにくくするにはどうすればいいかなど、知り尽くしていると言って良い。

そうでなくても上から抑え込もうとしているヒュンケルはただでさえ体重をかけやすい。ギリギリと押し込まれ、ダイに白刃が迫っていく。

 

「体格差も力の差もあることは分かっていただろう。ならばどうして受け止めた? こうなることは予測できなかったのか? ただ対応するだけではなく、その先を考えろ!」

 

それを考えられなかったからこの結果を招いたのだ。そう言わんばかりにヒュンケルはダイを追い詰めていく。ダイは必死でなんとかしようと足掻くが、ヒュンケルが巧みに力加減を変えることで脱出することすら満足に出来ない。

 

「ぐ、うおおおお!!」

 

一か八かダイは剣同士がぶつかり合っている部分を支点として剣を回転させ、てこの原理を応用するようにして柄を叩き込む。同時に体捌きにて宙返りをするように体を空中に走らせる。中途半端に妥協することのない思い切って撃ち込まれた柄頭の一撃は、ヒュンケルの胸元にぶち当たる。普通の鎧でも特に分厚い箇所だ。そもそも苦し紛れの一撃などでは到底ダメージを期待できない。

それでも、ぶつかった瞬間にヒュンケルの体を足場として蹴り飛ばすことでどうにか拘束から逃れることはできた。

 

「ほう、抜けだしたか。だが今のは、一歩間違えれば自分の剣で己を傷つけかねんな」

 

言われずとも自分でもわかっていることだった。ダイの持つ剣は両刃の型である。あの時の動きではそのままでは自分の剣で自分の体を傷つけかねない。そのために、剣を回転させると同時に自分も飛んで自傷を避けていた。結果的に相手の意表を突き、なんとか脱出に成功したが、二度目は通じないだろう。

――いや、もっと言ってしまえば、見逃されたのだろうという考えすらある。

 

「ならば、これはどうする?」

 

いずれにせよ、距離を取れたことで僅かでも呼吸を整え反撃に転じようとするダイへ、ヒュンケルは自身の掌を向ける。

 

「闘魔傀儡掌!!」

 

その手から放たれるのは、ヒュンケルの持つ暗黒闘気にて作り出された闇の糸だ。それが一瞬にしてダイへと巻き付くと、全身に激痛を走らせ行動を封じる。

 

「この技は、暗黒闘気によって相手の自由を奪う……本来は、骸どもを操るのに使う技だが、こういう使い方もあるということだ」

「ぐううう!! うああああっ!!」

 

左手から闘魔傀儡掌を放ちながら、右手に剣を携えて。ヒュンケルはダイへと向けて処刑人のようにゆっくりと向かう。やがて、左手を少しだけ動かした。それだけでダイの体はヒュンケルの指の動きに連動したように動き、剣を手にした右手が捻り上げられる。まさに傀儡の名に相応しい技だ。それも相手の意思など関係ないとばかりに操る闇の技。骨が折れそうなほど捻り上げられた右手の痛みに耐えきれず、ついには剣を取り落としてしまった。床石に剣が当たり、金属音が耳に響く。

 

「戦いとは、言ってしまえば先読みの応酬だ。相手の選択肢を狭めるべきか? それとも自分の選択肢を広げるのか? 常に相手の先を読み、行動に対応し続ける。だが中には、そうした駆け引きすら無効にする技も存在する……今のようにな!」

 

だがその言葉をはたしてダイは聞いていられたのだろうか。痛みに喘ぐその表情は、人の言った言葉を聞けるほどの余裕があるとは思えない。だがヒュンケルは構うことなく言う。ダイに届くことを信じて。

 

「な、なんだよあの技!! 汚ねぇ!!」

 

これにはたまらずポップが抗議の声を出す。確かに、決まればこれだけでほぼ勝負がついてしまう技だ。一対一の戦いで使えばこれほど効果的な技もないだろう。あとは動けなくなった相手に悠々とトドメをさせば良いのだから。だがそれを聞いたヒュンケルは涼しい顔のままだ。顔を少しだけ振り向かせて言う。

 

「貴様らは正義の勇者なのだろう!? ならば戦いには絶対に負けられないと思え!! たとえ誰が相手であっても、相手がどのような手を使おうともだ!!」

 

その言葉は、確かに正鵠を射ている。これは試合やルールのある大会などではない。命がけの殺し合いを行っているのだ。相手がどんな手を使ってくるかわからない。それはロモスでも十分に思い知ったはずである。

まだ記憶に新しいかつての苦い経験を思い出し、ポップは片腕を押さえながらそれ以上何も言えなくなり押し黙る。

だがヒュンケルの発したその言葉は、思いもよらぬ相手に力を与える結果となった。

 

「そ、そうだ……! おれは……うおおおっ!!」

 

ダイの頭をよぎったのは、同じくロモスでの戦い。だが、育ての親であるブラスを実際に人質に取られ、それ以前にも他者を巻き込みかねなかった出来事を思い出す。そして、自分の怪我を押してまで心配してくれた姉と誓ったことを。

ダイはまるで喝を入れられたように、体の奥底から力を振り絞る。全身から闘気を迸らせ、まだ辛うじて動かせる左腕にその力を集中させる。

――ブツッ、と糸の切れた音が聞こえてくるようだ。ダイは左手に纏った光の闘気を体に巻き付いた暗黒闘気へ叩き込み、闘気の網を切断する。光の闘気と闇の闘気のぶつかり合いだ。魔王軍でも随一の暗黒闘気を誇っていたはずのヒュンケルの闘魔傀儡掌は、ダイの闘気の一撃を受けてあっさりと霧散していった。

 

「あれは光の闘気ね……あれでヒュンケルの放った暗黒闘気の糸を断ち切ったみたい」

「ダイ、すごいわ……」

 

ダイの諦めずに食らいつき続ける戦いを見て、マァムは感嘆の声を上げていた。ヒュンケルのことをダイへ託した彼女であったが、その戦いぶりは今の彼女の理解の外であった。だが、だからといって理解しようとすることを諦めたりはしない。

自分の想いを貫くにはそれだけの力がいる。今はまだ力不足な我が身ではあるが、もしも次の機会があったときには、決して後悔することの無いように。一瞬たりとも見逃すまいと、二人の戦いを食い入るように見つめ続ける。

 

「闘魔傀儡掌を打ち破るか」

 

光の闘気を用いて、自らの技を破る。ヒュンケルの闘魔傀儡掌は、かつて闇の闘気の師であったミストバーンをして、完璧とまで言わしめた技である。それを破られたという事実に、ヒュンケルは奇妙な満足感を覚えていた。

自由を取り戻したダイは、取り落とした剣をすぐさま拾いなおすと逆手に持つ。

 

「その構えは……なるほど……」

 

剣を逆手に持つ構え。それはヒュンケルにとっては――いや、アバンに関わったものであれば誰しもが理解していることだろう。しかしヒュンケルは、一度は煮え湯を飲まされたその構えを見ても落ち着いたままだ。

 

「だが、大技というのはその分だけ隙も大きい。下手なタイミングで使えば自滅は免れんぞ。わかっているのか?」

 

アバンストラッシュを放つ。確かに、追い詰められつつあるダイにとってみれば、大技で一発逆転というのは魅力的に思えるだろう。だがヒュンケルの言葉通り、下手に放てば相手に逆転を許しかねない。そもそもアバンストラッシュは通常の攻撃とは比較にならないくらい闘気を消耗するのだ。それを理解した上で使おうとしているのかと問う。

しかし、ダイに返事はない。その代わり、真剣な目を返してきた。

 

「よかろう。ならば、オレも秘剣を使わせてもらうぞ」

 

その瞳に込められた意思を理解してヒュンケルは不敵に笑うと、自身も必殺剣の構えを取る。

体を開いてやや半身になると、片足を下げる。右手に剣を持ったまま十分に引きながら、左手はさながら相手に照準を合わせるようにして刃に軽く添える。全身の筋肉を弓のように引き絞り、今にも弾き飛びそうなほどに練り上げられた力が収束していく。

 

「…………」

 

構えたまま、二人は動かない。だがその間にも闘気は高まり、空気が重々しく張りつめていく。静止していた時間は、永遠のように長い間だったのか、それとも刹那の瞬間でしかなかったのか。

 

「アバンストラッシュ!!」

「ブラッディースクライド!!」

 

静寂の時間は突然として終わりを告げ、二人は同時に必殺技を繰り出した。

ダイの繰り出したストラッシュの剣閃がヒュンケルへと襲い掛かる。対してヒュンケルが繰り出したのは、超高速の突きである。それもただの突きではない。全身の筋肉をバネとして放たれた突きは、同時に高速回転を加えてある。凄まじい回転によって生み出された螺旋状の剣圧は、触れただけで相手をズタズタにするほどの威力を秘めている。

互いの持つ秘剣同士が激突し、とてつもない衝撃と轟音を生み出した。

 

「うわあああぁぁっ!!」

「ぐおおおおっ!!」

 

その爆心地近くにいた二人の剣士も、影響から逃れることはできなかった。生み出された衝撃によって吹き飛ばされ、打ち消しきれなかった剣圧の余波が両者を襲う。余波と言えども互いの全力が込められた必殺の一撃だ。その威力は半端ではない。

 

「互角、か……」

 

鎧ですら緩和しきれなかった衝撃によるダメージで顔を苦痛に歪ませながらヒュンケルが呟いた。その視線は、剣技同士がぶつかり合った場所に向けられている。そこはまるで小さな嵐が荒れ狂ったようだ。それでも魔剣士の闘志は萎えることなく立ちふさがる。

 

「く……まだ、まだぁ!!」

 

ダイもまた全身を苛む痛みに歯を食いしばって耐えながら立ち上がる。

ブラッディースクライドは突き技という特性上、貫通力は斬撃であるアバンストラッシュよりも高い。そのためダイの受けたダメージはヒュンケルよりも大きいだろうと思っていた。加えて鎧の差もある。ダイがつけているのは、ロモス王から貰った鋼のプロテクター程度。心臓という急所は守っているが、それだけだ。

闘気で防御力を高めているとしても、とても今のように立ち上がれるはずがない。

 

――あれは、竜闘気(ドラゴニックオーラ)!?

 

気づけたのはチルノだけだった。ダイの体を、うっすらと黄金の闘気を纏っているのが見える。知識が深いからこそ、ダイのダメージという違和感から辛うじて気づけた。よく見れば、額に微かに竜の紋章が輝いている。

本来、竜の騎士は成人するまで紋章の力を操ることが出来ない。ダイは主に怒りの感情によって紋章の力を発現させていたはずだが……

チルノは改めてダイを見る。だがダイが強い怒りを覚えているようにはとても見えない。ならばこれは――

 

――ヒュンケルに対する想いが原因……?

 

あり得ないことではない。チルノはそう思う。本来の歴史では、レオナに対する強い気持ちから紋章を発動させたこともあった。ならばこれも、その時と同様なのだろう。マァムから託された想いを重ねて、自分でも気づかないうちに発現させていたのだろう。そう結論付けた。それはつまり、意思の力によって僅かではあるが紋章の力を制御していることになる。

そして、紋章が発動したということは――

 

「ライデイン!!」

 

ダイは空から雷を呼び出し、自らの剣に纏わせる。その威力は昨日に見せたものとはレベルが違う。竜の紋章の力を借りれば、ダイは上位の呪文すら操ることが出来る。完全なライデインを一人で扱うのも容易いことだ。

雷撃呪文を発動させたことで、竜の紋章は役目を終えたようにゆっくりと輝きを失った。だがダイはそれに気づいた様子もない。鋼鉄の剣(はがねのけん)は帯電してバチバチと音を立てる。

 

「やはり、か……」

 

そのダイの様子をヒュンケルは驚くことなく見つめる。先の戦いで、メラを剣に纏わせたのだ。そして、今回の決闘の直前で見せたライデイン。その二つを結び付けられないほど、ヒュンケルは愚鈍ではない。勇者だけが扱えるというライデインの呪文。その威力を上乗せした攻撃こそが奥の手なのだと、そう睨んでいた。

対する自分は、ブラッディースクライドでは対抗しきれない。ダイのアバンストラッシュとほぼ互角だったのだ。ならば自分も、奥の手を出さなければならないだろう。

ヒュンケルは手にした剣を兜へと戻し、瞳を閉じると十字を象るように両手を交差させる。

 

――あの構えはまさか!?

 

チルノは叫びたくなる気持ちを必死で抑えた。本来の歴史による知識から技の存在も当然知っている。だが、今あの技を知るのはヒュンケル以外に誰もいない。ならばどんな技なのか、反応することはできない。

そうしている間にも、闘気がヒュンケルへと集まっていく。とてつもないエネルギーの集約は、相対するダイにとっては肌で感じ取れるほどに強い。本来ならば集中が完了する前に叩くのが定石だろう。だがあえて、ダイはヒュンケルを待つ。

やがて、ヒュンケルの瞳がカッと強く見開かれた。それが合図となる。

 

「ライデイン! ストラッシュ!!」

「グランドクルス!!」

 

闘技場が光に包まれた。

 

 




おかしいな、この話で決着がつくはずだったのに……ここで切れちゃった。

バダックさんがいないので、野営をする一行。道具は廃屋から色々と盗……もとい、勇者行為です。勇者だから勇者行為をするのも仕方ない(目を逸らす)
そしてマァムからお悩み相談を受けるチルノさん。おかしいな、予定ではこんなシーンないのに。

弟弟子たちに甘いヒュンケルお兄ちゃん。襲わせない、迷わせないと実に念入りですね(ゲーム的には経験値を稼げず、ダンジョン探索もできないということになりますが)

そして始まる実践稽古のお時間。ホント甘いな長兄(でも油断していると致命傷)
いくら相手がライデインストラッシュだからって、お兄ちゃんに何を使わせているんだ私は……
不死身の男でも死ぬぞ……

そして今気づいたけれど、モルグの一人称って(わたくし)でいいのだろうか?


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LEVEL:22 不死騎団長の最期

――グランドクルス。

 

この技を一言で説明するのならば、ただ闘気を用いた攻撃方法でしかない。使用者の闘気を集めて放射するだけの技だ。それだけであれば、未来を知るチルノが前動作を確認した時点であれほど大げさに驚くこともない。

問題は、その闘気の集中方法にある。

闘気とは自身の生命力を体外に放出したものだ。精神を集中させ、自分の生命力を闘気へと高め一気に放射することで超破壊力の光線を生み出す大技。それがグランドクルスである。

かつてクロコダインが使用した獣王痛恨撃もまた闘気を放つ技だが、比較対象としては桁が違う。

獣王痛恨撃が使用する闘気の量はあくまで常識的な範囲でしかない――そもそも闘気技は使い手の生命力を消費するため、抑え目に使うことが常識である――が、ヒュンケルの放つそれは常識を無視したものである。

注ぎ込んだ生命力の多さはそれだけ莫大な破壊力を生み出すが、その分コントロールが難しくなり、加えて技自体の反動と生命力を一気に消耗することから扱いを間違えれば自爆技にもなりかねない。

だが、今放たれたグランドクルスには自らの生命力の半分以上が注ぎ込まれている。それほどの力を消費しなければ、ダイの放つ技に勝てるはずもない。根拠ない直感であったが、ヒュンケルは自分の感覚に一切の疑いを持つことなく、この数日間に取得した新たな切り札を切っていた。

 

――時は数日前、チルノが地底魔城に忍び込んだ日まで遡る。

 

ヒュンケルはチルノから託されたアバンの手記――その中の自身へと宛てられた言葉を読んだ。そこに書いてあったのは、アバンの視点から見た地底魔城での決戦の日の出来事、すなわちヒュンケルを拾い育てることとなった経緯についてであった。

それは彼が耳にした、魂の貝殻に込められた父バルトスの遺言とも相違のない内容。もしもアバンの手記だけを読んでいたのであれば、根拠ない自己弁護か偽善者の戯言と簡単に切って捨てていただろう。だが父の言葉を聞いた後のため、アバンの遺した言葉も素直に受け入れることが出来た。

そして彼の心は認めてしまった。

今までアバンの事を恨み、正義を憎み、人間すべてへの復讐のために生きてきたのは誤りであったという事実を。アバンの正義の心があったからこそ、今の自分があるのだということを。

それは理解した。だが、今の自分は魔王軍幹部の一人として、パプニカ王家を滅亡させた張本人でもある。今更人間の仲間となって、仲良く一緒に戦いましょう。などと厚顔無恥なことを言えるはずもない。

 

――ならば、今のオレに何ができる!?

 

ヒュンケルは己へと問いかけ続ける。

最初に思い浮かんだのは、ハドラーへの復讐であった。父の命を奪い、アバンをも殺した男である。どれだけ恨んでも恨み足りない相手だ。加えてハドラーを倒すのは間接的な罪滅ぼしともなる。

あの男に然るべき報いを与えてやる。それこそが、バルトスの子として育ち、アバンの弟子として育ってきた自分の使命なのだろうと、そう考えていた。

だが、どこか腑に落ちない。ハドラーへの煮えたぎるほどの怒りは確かに存在するのだが、彼の心のどこかがその決意を納得しきれていなかった。

ヒュンケルはアバンの手記を何度も読み返し続け、そして己へ問いかけ続けた。彼へのためにと書き記された、闘気と空裂斬についての項も含めて幾度となく読み返す。

そうしているうちに、当初の気持ちは失われていった――いや、完全に失われたわけではない。復讐心は小さくなり、代わりにそれ以上に大きく膨らんだ気持ちがあった。

それは、他者に――同じ弟子であるダイたちに自身の知り得たことを少しでも残すことだ。

師アバンのように優しくお稽古などは自分には到底出来ないだろうが、糧となってこの身を差し出すことくらいは出来るだろう。

全てはダイたちのため。不甲斐ない一番弟子が出来る精一杯の矜持でもあった。

そのために、ハドラーたちを相手に今にも牙を剥かんほどの対応を行い、余計な手出しを封殺していた。三日間という準備期間を与えたのも、ダイたちが少しでも鍛える時間を与えると同時に、自身の傷を癒して万全の状態で臨めるようにするためだ。

 

そしてもう一つ。

――魔法剣。その存在がヒュンケルを悩ませる。アバンストラッシュにはブラッディースクライドで対応すればいい。だが魔法剣は違う。鎧の魔剣を壊すほどの威力を持った技だ。それに剣へ纏わせているのはメラ――初級の火炎呪文である。それ以上の強力な呪文を使われたならば、おそらく対抗しきれない。

一体どうするべきか……その答えもまた、彼の手にした手記の中にあった。

かつてアバンに教わった闘気を攻撃手段として扱う方法。呪文の使えない戦士が剣を封じられた際の切り札としての攻撃手段。習ったのはまだ幼い時分であり、アバンへの反抗心に満ちていたこともあって、当時のヒュンケルは教えを一笑に付していた。

だが、今ならばその有用性もよくわかる。剣を封じられたとしても使うことの出来る技。まさに今の状況に最適な教えではないか。

 

まるで未来を見通したように遺された師の言葉に感謝しながら、決戦の日までの残された時間をヒュンケルは闘気技の訓練に充てた。

その時のヒュンケルは、なぜか溢れんばかり生命力を漲らせていた。

生命力とは生きようとする活力。復讐という後ろ暗い目的で生きるよりも――たとえ糧となって食い尽くされることが願いだったとしても――強く生きようとする気持ちにヒュンケルの心が応えた結果だ。

そしてそれは、チルノが唱えたリジェネの魔法によって後押しされる。生命力を活性化させる効果をもたらすリジェネの魔法は、ヒュンケルの心の中に生まれた無意識の願いを通してより生命力を生み出し、一時的にだが無尽蔵ともいえるほどの生命力を発揮させる。

ダイに殺されるために生きる。

矛盾した表現だが、その目的がヒュンケルの命を輝かせ、その結果自分なりの解釈を加えた闘気の放射技――グランドクルスを会得させた。

 

 

 

「うおおおおおおっっ!!」

「ぬううううぅっ!!」

 

ライデインストラッシュとグランドクルス。両者のぶつかり合うエネルギーが闘技場を包み込む。離れた場所から見ているチルノたちですら吹き飛ばされそうに思えるほどの衝撃に襲われる。ましてや激突の中心地にいる二人はその比ではない。少しでも気を抜いたら全身がバラバラにされそうな衝撃波に晒されながら、両者はそれぞれの技を必死で維持し続けていた。

 

――ライデインのパワーに対応しきれない!!

 

怪我を負い、体力も減少しているところに、紋章の力を発揮して放ったライデインの力を上乗せしているのだ。ただでさえ平時であっても使いこなせているとは言い切れない技をこの土壇場で、それも滅茶苦茶な条件の下で使おうというのだ。このくらいの無理は当然だろう。

剣を持つ手に力が入らなくなり、限界の近い肉体はもう諦めたいと無言で訴えてくる。

だが、対峙するヒュンケルはまだまだ余裕そうに見える。ダイの心に焦りがどんどん積み重なるものの勇者は気合を入れなおすように相手を強く見据えた。

 

――意識が……飛びそうだ……!!

 

グランドクルスに注ぎ込んだ生命力は、今日までの練習で消費した量とは桁が違う。今にも千切れ飛びそうな意識をヒュンケルは懸命に繋ぎ止め続ける。

この戦いの中で自分の学んだ剣術は伝えたはずだ。ダイは強い。教えた時間は少なくとも命を賭した教えであれば余すところなく吸収してくれるだろう。まだまだ教えてやりたいという欲もあったが、必要以上に長引かせることも不自然だ。

そもそもこの戦いの結末は、悪の不死騎団長が正義の勇者に倒されることで終わらせられなければならない。そう自分で決めてこの戦いに挑んでいた。

だが闘いの中で欲が出た。教え導いてやろうという気持ちの中に押し込めたはずの戦士としての本能が、もっと戦いたいという気持ちを揺さぶる。そもそもグランドクルスの発動まで待ってくれたダイを前にして手加減など失礼でしかない。

だがこれだけの闘気を消費してもまだ、互角の結果となってしまう。闘気の消費量が足りないのか、技の練度が低いのか。より強力な技にしてやりたいと思うが、それは叶わないだろう。

ダイの目は未だ死なずに闘志を燃やし続けている。

どちらの技も長時間放ち続けるものではない。このように拮抗していられるのはほんの数秒。ならば、残った微かな時間だけでもとヒュンケルも覚悟を決める。

 

グランドクルスとライデインストラッシュの激突が限界を超え、先のブラッディースクライドとアバンストラッシュの時とは比べ物にならないほどの爆発を生み出した。闘気エネルギーの放出によって目も眩まんばかりの閃光が迸り、その激突による爆音は鼓膜を破らんばかりだ。

凄まじい爆発によって土埃が舞い上がり、まるで煙幕のように二人の剣士の姿を覆い隠す。だがそれもやがて時間が経つにつれて薄れていき、土埃のヴェールの向こう側の様子をゆっくりと映し出した。

 

「ヒュンケルッ!!」

「ダイッ!!」

 

マァムとチルノ、二人の女性が同時に叫んだ。爆煙の向こうから見えたのは、二人の人影だ。大きな方と小柄な方。そのどちらもが、未だ影絵のようにしか見えないというのにふらついているのが分かる。

やがて煙は晴れた。そこにいたダイとヒュンケル、そのどちらもが憔悴しきっていた。肩を上下させながら荒い息を繰り返しているのが遠目のチルノたちからでも分かる。今にも倒れてしまいそうなその姿は、マァムには見ていられなかった。

思わず駆け寄ろうと走り出すが、そのマァムへ向けてダイが叫ぶ。

 

「まだだっ!!」

 

その声にマァムの動きが止まる。

 

「まだ勝負はついちゃいない!!」

 

震える腕で剣を握りしめて、ダイはヒュンケルへ向けて一歩ずつ歩みを進めていく。弟弟子のその様子を見て、ヒュンケルは満足そうに笑うと手にしていた剣を取り落とした。

剣が地面へとぶつかる音が聞こえ、その音を合図としたように膝から崩れ落ちた。彼の鎧は無事であり、それが防いでくれたおかげでダメージそのものはダイと比べれば少ない。だが問題は使い切った生命力だ。

外傷であれば今の倍のダメージを受けたとしてもヒュンケルは立ち塞がっていただろう。だが、精力を失ってはさすがに立っていられなかった。

地面に膝を付き、バランスを崩した肉体はそのまま後ろに倒れる。

倒れ伏したヒュンケルと剣を手にそれを見下ろすダイ。どちらも今にも力尽きそうな様子ではあるが、その構図は勝者と敗者がそれぞれどちらであるかを雄弁に語っていた。

 

「見事だ、勇者ダイ……」

 

ヒュンケルはダイを見上げながら、そう呟いた。

 

「さあ、トドメを刺せ……それが、勇者の……勝った者の義務だ……」

 

そうするのが当然なのだ。そう言わんばかりにヒュンケルはダイへと伝える。ヒュンケルの言葉にダイは頷くと、手にした剣を力なく振り上げる。

ダイのその様子を見て、ヒュンケルは満足そうに瞳を閉じた。そして脳裏に浮かぶのは、アバンの事である。

もうすぐあの世でアバンに会えるだろう。思えば反発ばかりし続けた不肖の弟子だった。だがそれでも、今は少しだけ胸を張って会える気がする。そう信じて、ダイの次の行動を待つ。

 

「うおおおっ!!」

「ダイ!! やめてぇぇっ!!」

 

マァムの悲痛な叫びを聞きながら、ダイは剣を振り下ろした。

 

「……?」

 

剣は振り下ろされたはずだ。だが襲ってくると思っていた痛みはやってこない。剣を体に突き立てられた衝撃もない。なぜ自分は生きているのだ?

不審に思い閉じていた瞳を再び開く。そこでヒュンケルが見たのは、自身の頭の少し上の位置。振り下ろしたダイの剣は地面へと叩きつけられていた。

 

「……どういう、つもりだ……?」

 

ダイの行動の真意が理解できず、ヒュンケルは口を開く。問いかけた先には険しい表情を浮かべたまま動かずにいるダイの姿があった。

 

「……不死騎団長ヒュンケルは今、死んだ。おれが倒したんだ」

 

その言葉の意味がヒュンケルには理解できなかった。そしてダイは堰を切ったように喋り出す。

 

「これでもう魔王軍じゃない。おれたちと同じ仲間、アバン先生の弟子だ」

「バカな!? なにを、甘いことを……オレは大罪人だぞ!! それをなぜ……」

「いやだ!!」

 

許されぬ罪を負ったはずの自分を許し、生かそうとしている。そう言っていることに気付き反論の声を上げるが、ダイは取り合おうとはしなかった。

 

「もしも勝者の義務があるなら、敗者の義務だってあるはずだろ!? だったら、おれはヒュンケルに生きていて欲しい!! それが勝ったおれの願いだ!!」

 

先ほどヒュンケル自身が口にした勝者の理屈。それを逆手に取りながら、ダイは必死に訴える。

 

「ヒュンケルがおれを鍛えようとしてくれたって、なんとなくわかる! でもその気持ちがあるなら、もっと生きてちゃんと罪を償ってほしい!! 簡単に諦めて死ぬなって、きっと先生だってそう言うはずだ!!」

「……ッ!?」

 

そこには、身内であるアバンの使徒同士だからという甘い感情が確かにあったかもしれない。けれどもダイには戦いを通じて、ヒュンケルの気持ちはきちんと伝わっていた。その上で安易な死ではなく苦難の連続が待ち受けていたとしても、生の道を選んで欲しいと願っていた。

生きてさえいればやり直すことは出来る。本当に憎むべきはヒュンケルではないのだから。

 

「フッ……父さんも、同じような気持ちだったのだろうな……」

 

その言葉を聞いたヒュンケルは倒れた姿勢のまま顔を背けて、そして一筋の涙を零した。

 

「この勝負……オレの、負けだ……」

 

その言葉にダイは嬉しそうに笑う。

この時を持って不死騎団長ヒュンケルは死に、アバンの使徒の長兄ヒュンケルが生まれたのだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ありがとう、ヒュンケル」

 

満足気な表情を浮かべながら疲れた体に鞭を打ち、ダイはヒュンケルへと手を差し伸べた。倒れたままの敵を前にして、手を差し伸べられる。そんな経験は、不死騎団長を勤めていた頃では想像も出来なかっただろう。

だが今はそんな行動も素直に受け入れられた。ヒュンケルは差し伸べられたダイの手を掴み、体を起こそうとする。

 

「あ、わわわわああっ!!」

「うおっ!?」

 

だが上半身を起こしたところで、力が足りなくなったのだろう。重さに負け、ダイがヒュンケルに引っ張られるようにして前のめりに倒れかける。ヒュンケルもまだ力が入り切らないのだろう。受け身すら取る素振りを見せず、されるがまま後ろへと倒れ込んだ。

 

「む……!?」

 

だが背筋に走ると思った衝撃は襲ってはこなかった。代わりに感じたのは何かに受け止められるような柔らかな感触。鎧を身に纏ったままだというのに、なぜかそこから温かなぬくもりを感じる。

 

「ヒュンケル……お疲れ様……」

 

マァムの声が聞こえてくる。彼女はヒュンケルが倒れかけたのを見ると慌てて移動し、倒れることのないように後ろから優しく抱き留めていた。そして彼の顔を見ながら、心と体を労わるように優しく囁く。それだけで、ヒュンケルは味わったことのない慈愛の心を味わっていた。

 

「姉ちゃん……おれ……」

「うん、ダイもお疲れ様。とってもカッコよかったわよ」

 

ダイも同じであった。彼の場合はチルノが手を掴み、そのまま引き寄せることで倒れるのを防いでくれたのだ。とはいえダイも立っていられないくらいに消耗しているのは同じであり、今は精根尽きたように座り込んでいる。そんなボロボロになった弟を姉は正面から優しく抱きしめていた。

かつて、今よりも小さい頃に母代わりとして甘えさせてくれた姉の感触。大きくなってからはとんと忘れていた、久方ぶりの感情をダイは味わっていた。

 

「おれ……間違ってないよね……?」

 

チルノの胸元に抱きしめられながら、ダイは顔を上げて恐る恐る口にした。ヒュンケルには勝ちたいが、同時に仲間として共に戦いたい。そんな気持ちがダイにはあった。そして、土壇場で勝者の権利としてヒュンケルから死を奪うことを思いつき、誰に相談することなく実行していた。

だが今になって思えば、それで本当に正しかったのか疑問が付きまとう。相手の心を無視した一方的な意見だったのではないか。それが怖くなって、まるで叱られた子供のようにダイは姉に尋ねていた。

 

「そうね、私も間違ってないと思う。だって、ほら……」

 

弟の言葉を肯定しながらチルノは指を差す。そこにはマァムとヒュンケルの二人の姿がある。

 

「なぜ、オレを……?」

「ヒュンケル……あなたがダイのために死のうとしていたことは、私たちにもわかったわ……」

 

戦っていたダイが感じ取ったように、離れて見守っていたマァムたちだからこそわかることもあった。遠くから見ることで二人の動きの違いが良くわかる。そして、ヒュンケルが何をしようとしていたのかも。

 

「ダイも言っていたけれど、私も……ううん、私たちみんなも、ヒュンケルには生きていて欲しいの。自分を捨ててまでダイの糧になろうとする。そんな強い責任感を持ったあなたに、こんなところで死んでほしくない!」

「マァム……」

 

そう訴えるマァムの瞳から、涙が溢れ出した。それは彼女の頬を伝い、ヒュンケルの体へと雫を落とす。未だ冷たい鎧に包まれているはずなのに、彼はその涙を温かいと感じた。

 

「……どうやら、オレの罪は死んだ程度で清算できるほど安いものではなかったようだな」

 

マァムの訴えを聞き入れながら、ヒュンケルはそう呟く。

 

「だが、そうだな……一度死んだと思えば、どんな道でも選べそうだ。せっかくの機会だ、たとえどのような誹りを受けようとも、以前は選べなかった正しい道を歩いてみたい……」

「ヒュンケル……!!」

 

それは彼なりの照れ隠しを含んだ言葉だった。だが彼の心は死から生の方向へと向き直ったのだ。どんなに困難でも生きていく。その決意を耳にして、マァムは再び大粒の涙を流した。

 

「ね?」

「そうだね、うん……おれ、頑張ったよ……」

 

二人の姿を見守りながら、ダイはようやく安堵した顔をする。思えばこれが初めての、ダイが一人でやり抜いた戦いだった。それまでの戦いには誰かの、そして何らかの介入が少なからず存在していた。だが今回は最初から最後まで決着をつけることが出来たのだ。

受けたダメージは軽くないものの、それでもどちらも生きており、ヒュンケルは仲間として生きることを選んだ。結果だけを見れば十分に満足のいくものだろう。

 

「ね、姉ちゃん!?」

 

これで少しは自信に繋がっただろうか? そんなことを思いながらチルノは弟を抱きしめながら労を労うように頭を何遍も優しく撫でる。ダイは突然の姉の行動に驚き、嫌そうな素振りを見せるもののそれはポーズだけだった。すぐに大人しくなると、されるがままに受け入れる。

 

そしてそこから少しだけ離れた場所には、一人蚊帳の外の疎外感を味わい面白くなさそうな顔をする魔法使いの姿もあったが。

 

 

 

「クックックッ……クックックッ!!」

 

不意に、押し殺したような笑い声が響いた。その声に反応して一行は動きを止めて音の出処を探す。だがそんな行動はするまでもなかった。闘技場を囲む観客席の更に向こうから、声の主がその姿を堂々と現した。

 

「ざまあねぇなヒュンケル! やられた挙句女に慰めてもらうたぁ……!! そして肝心の勇者様も女に抱きしめられて鼻の下を伸ばしてやがる。実に間抜けな光景じゃねえか!!」

「き、貴様は……氷炎将軍フレイザード!?」

 

声から正体を判断したヒュンケルが先んじて反応する。

 

「なっ、なんだアイツ!? 炎と氷がくっついてやがる……!?」

 

フレイザードの姿を見たポップが驚愕の声を上げる。それもそうだろう。フレイザードの姿は右半身が凍った岩石で、左半身は高熱の岩石で出来た人型をしており、それぞれから炎と氷が鎧のように立ち昇っているのだ。

本来ならば相反するはずの熱と冷気が同時に存在するというあり得ないその姿は、誰の目から見ても怪異に見えるだろう。

 

「なぜ貴様がここに……!?」

「クハハハッ! 決まってんじゃねぇか! てめえの息の根を止めてやろうと思って来たのさ!」

「なんだとっ!?」

 

ヒュンケルの疑問をフレイザードは笑い飛ばす。

 

「ハドラー様とザボエラのじじいから聞いたぜ? 狂犬のように噛みついてたんだって!? 普段からてめえは反抗的な態度で気に食わなかったが、流石にその態度は怪しすぎだぜ!! もしやと思って来てみりゃこのザマだとはなぁ!!」

 

それはダイたちもチルノも知らない、ヒュンケルだけが知っている事実。地底魔城に来たハドラーたちに対して余計な邪魔の入らないように粗暴に振舞ったことが、フレイザードには返って違和感を与えていた。

魔王軍の切り込み隊長と呼ばれ、炎のような凶暴さと氷のような冷徹さを併せ持つ男には、その姿は不自然に思えたらしい。

なにかある。そう考え、ヒュンケルを張っていた。元々ダイ抹殺命令は、魔王軍全員で行うつもりだった。だがバーンが勅命を出したことで、ヒュンケル一人で行われることになってしまう。それに不服を感じ、抜け駆けだと思っていたフレイザードはその違和感を見逃さなかった。

 

「てめえがもし勝ったらブッ殺して上前をはねてやろうと思っていたが、負けていたとはいっそう好都合だぜ!!」

 

勇者を倒し、気に食わないヒュンケルも同時に始末出来る。そんな勝利を夢想してか、フレイザードの左半身――炎に包まれた方が内心を表すように猛々しく燃え上がった。その今にも飛び出しそうな炎の力を片手に集約させる。

 

「生き恥をさらさずに済むように、オレが相打ちってことにしといてやるよ!! 泣いて感謝しろいッ!!」

 

そして集めた力をダイたちのいる闘技場に向けて、思い切りたたきつけた。着弾のショックで爆発が起こり、その威力は地面に大穴を穿つ。だが一行の誰にも当たってはいない。それもそのはず、フレイザードが狙ったのはダメージではないのだから。

 

「ううっ……!!」

「こっ、これは……!?」

 

にわかに大地が震え出した。小さな揺れかと思えたのはほんの一瞬。すぐさままともに立っていることすら困難なほどの大地震が発生し、全員を襲った。

 

「クカカカカッ!! ちょいとここらの死火山に活を入れてやったのさ!! もうじきこの辺りはマグマの大洪水になるぜ!!」

 

フレイザードのその言葉を証明するかのように揺れはますます大きくなり、ついには闘技場の一角が崩壊して底からマグマが飛び出してきた。地震はさらに強さを増し、地面からは湧き水のようにマグマが漏れ出てくる。

震動による崩壊は地底魔城にまで及び、地下迷宮は崩れてそこにマグマが流れ込んでいく。

 

――やっぱりこうなるのね。

 

そんな現状を、チルノはどこか冷めた目で見ていた。

本来の歴史ならば現れるはずのクロコダインは影も見せぬまま、アバンの手記の助けがあったとはいえヒュンケルはグランドクルスまで覚えていた。ならばこのまま平穏に終わるのではないかという淡い期待があったが、それは脆くも打ち砕かれた。話を聞くに、ヒュンケルがハドラーたちに何かを言ったらしい。それが引き金となるとは……ままならないものだということをチルノは改めて思い知る。

ならばここは、せめて自分の出来ることをしよう。そう思い、彼女は魔法を唱える。

 

「【ブリザド】!!」

 

冷気の魔法を放つ。周囲に氷の壁を作ることで少しでも溶岩の速度を遅くしようという考えだ。

だがその冷気と熱では勝負にならない。生み出されたはずの氷壁はマグマに触れる前に溶け出し、瞬く間に蒸発してしまう。

それを見てポップもヒャダルコの呪文を唱えるが、結果は同様だ。一瞬の足止めにもならない。

 

「そんなチンケな氷じゃあ、壁にもならねぇんだよ!!」

 

そう言うフレイザードの姿はとても嬉しそうだった。無駄と知りながら人間が必死で抗い続けるその様子は氷炎将軍の嗜虐心をくすぐる。

 

「フレイザード!!」

 

それを理解しながら、チルノは続けて怒りに身を任せたようにフレイザードを睨みつけると、【オーラキャノン】を放つ。両手を重ね合わせ、そこから撃ち出された闘気による砲撃は、目標に向けて一直線にと向かう。

 

「おっと、あぶねぇあぶねぇ」

 

だが距離がありすぎて正確な狙いは付けられなかったのだろう。フレイザードは大袈裟に避けるものの、わざわざそんなことをせずとも最初から外れていたのだ。余裕の表れかふざけた振りをして見せているだけだ。

 

「まだ元気な奴が残っているなぁ。遠距離攻撃するたぁつれねぇじゃねえか。わかったぜ、お邪魔虫は退散すらぁ」

 

醜悪な笑みに顔を歪ませながら、絶対的優位な立場を楽しむように言う。

 

「精々、溶岩の海水浴を楽しみな!! クカカカカッ!!」

 

愉悦に浸ったフレイザードは昂った気持ちのままその場を後にする。去り際に焼き付けた、勇者たちの絶望に満ちた表情を思い返し大声で笑いながら。

その全ての行動が、一人の少女が狙った通りにだということも知らずに。

 

「だ、だめだ……」

 

そうしている間にもマグマは次々と吹き出し、辺りを満たしていく。既に高台へと逃げる隙間もないほど溶岩に覆いつくされている。諦めの言葉が口をついても仕方ないだろう。

 

「みんな、私の近くに集まって」

 

困惑の表情を見せる仲間たちに向けてチルノは叫んだ。既に逃げ場は無いのだ、言われなくても集まっているようなものだが、それでもこの状況で言うからには何か考えがあるのだろう。そう思い、一行はチルノの傍へと近づく。

 

「ヒュンケルは鎧も脱いで!」

「あ、ああ……」

 

素直にチルノの言葉に従い、鎧を解いて魔剣を待機状態へ戻した。それを確認すると、チルノは精神を集中させた。

 

「ど、どうするんだよ!?」

「それはもちろん、こうするのよ」

 

ポップの言葉に事もなさげに言うと、魔法を発動させる。

 

「【レビテト】」

 

使ったのは空中浮遊の魔法である。全員を対象にして唱えられたそれは、その効果を遺憾なく発揮してダイたちの体を浮かび上がらせた。ヒュンケルの鎧を解除させたのは、無力化されて置き去りにしてしまうのを恐れたからだ。

 

「と、飛んだぁ!?」

「なんだと……これは!?」

 

自分の体が何の説明もなく突然浮かび上がれば、困惑しかないだろう。全員が突如浮かんだことで驚きの声を上げる。

 

「説明は後で! フワフワしてて落ち着かないかもしれないけれど、今は逃げて!!」

 

だがそれを事細かに説明している時間は残されていない。彼女はそう叫ぶとお手本を見せるように先陣を切って高台へ向けて移動する。その姿と言葉を聞き、ダイたちも急いで後に続く。

 

「うおおお……!! あ、あぶねぇ……」

 

チルノは練習済みのため、ゴメちゃんはもともと飛んでいるため、スラリンは相変わらずチルノの肩に乗っているために苦労はしないが、他の人間はそう上手くは行かない。まるで雲の上を歩いているような感触が足裏から伝わってくる。しっかりと踏みしめられないのだ。それでも命が掛かっているのだから必死さは段違いだ。マグマの上を歩き続け、その熱に煽られながらも全員なんとか逃げ切ることが出来た。

 

「あ、危なかったわ……」

「ありがと……姉ちゃん……」

 

慣れぬ動きに体力を削られたのだろう、力なく座り込みながらそれでもダイたちは口々に感謝の言葉を述べた。

 

「そういやよ……キメラの翼があったんだから、あれ使えばよかったんじゃねえか?」

「いや、無理だ」

 

硬い地面が大好きだ。とでも言わんばかりにポップは地べたに寝そべりながら、思い出したように言う。だがそれをヒュンケルがすぐに否定した。

 

「前にも言ったが、あの場所はハドラーが人間と魔物を戦わせる場所だ。そこには簡単に逃げられないような仕掛けがしてある。その中の一つに移動を封じる結界があった」

「げえええ!! マジかよ!! ってことは……」

 

ポップの顔が恐怖のそれに染まった。ヒュンケルの言葉はルーラでも逃げられないことを意味している。ならば、もしも自分たちだけだったらばどうなっていたことかは想像に難くない。

 

「ああ。チルノがいなければ、全滅していただろう」

 

その恐ろしい想像を肯定するようにヒュンケルが言う。マグマに焼かれて皮も肉も骨までも解けて死ぬ。そんなもしもの未来を考えてしまいポップは顔を青くする。

 

「すまない。オレがあんな場所を選ばなければ……」

「ううん。助かったんだから、気にしないで」

 

自分に向けて下げられたヒュンケルの頭を見て、チルノは否定するように手を振る。

彼女からすれば、元々この結末はある程度予測出来ていたものだった。そもそも彼女の知る本来の歴史であってもフレイザードは同じ行動を取っているのだ。

ヒュンケルに勝ったとしても、主力であるダイは疲弊しきっている。そんなところで新たな軍団長と戦っては全滅してもおかしくはない。

ならば戦いをやり過ごすしかないだろう。フレイザードが余裕を見せて死火山を攻撃した時点でチルノは内心ほくそ笑んでいた。後は氷の魔法を使い無駄な努力をしていることで対抗手段がないように思いこませ、遠距離攻撃をすることでフレイザードに余計なダメージを受ける可能性を匂わせる。

勝ち戦が決まっているのに、無駄な怪我をする必要もないと考えたフレイザードは案の定退いて行った。案外、氷の半身がマグマでダメージを受けることを嫌ったのかもしれないが。

とあれ、この結末は彼女が描いた青写真通りだったと言えよう。ルーラ封じの結界だけは計算外であったが。

 

「な、なんじゃこれは!? それに、お主たちは一体……!?」

 

突如聞こえてきた声に全員が反応する。まるで先のフレイザードの登場を焼き直したように感じて身構えるが、声の相手を見てすぐにその警戒を解いた。

 

――ああ、見ないと思ったら……

 

バダック――ダイたちにとっては、突然現れた知らない老人である――の姿を見ながら、チルノはその存在を忘れていたことを心の中で謝った。

 

 




タイトル通り、不死騎団長としては最期です。アバンの使徒の長兄としてはこれからです(騙された人は皆無でしょうけど)

ダイの糧になって死のうとしていたヒュンケルお兄様。ハドラーに報いを、という心境はなくもなかったけれど。よくよく考えていたら、復讐よりも後輩の糧になった方がマシだと思った。そうやって犠牲になって死ぬのがせめてもの贖罪だと。
ついでに自分みたいな裏切り者に情けを掛けることのないように厳しく接するあにぃ。でも壁は高い方がいいと思ってグランドクルス覚えちゃう兄君さま。不器用な兄チャマですね。

倒れた敵には手を差し伸べて許すのが勇者です。
そしてチルノさん。抱きしめたりすると弟さんがシスコン拗らせますよ……

ルーラ避けの結界は捏造。張っててもおかしくはないかなって思うけど、年月経過しているので結界が生きてるとも思えませんが……まあ、簡単には逃げられないぞってスパイス程度です。

やっと出てくるバダックさん。原作ではガルーダの逃げた先で出会ったけれど、こっちだと逃げてないので登場するタイミングが、ね……

次話くらいまでは大体が元の流れ通り優勢に進められるんですよ、きっと……うん……多分……


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LEVEL:23 激戦を終えて

「な、なんじゃこれは!? それに、お主たちは一体……!?」

 

ダイたちの前に姿を見せたのは老年のパプニカ兵だ。白髪を短く刈り込み、髪と同じく白い髭を蓄えている。身に着けている鎧にはあちこちに傷がついていることもあり、見た目だけならば歴戦の古強者を思わせる。

だが今その男は視線の先に流れるマグマに注意が向いていた。無理もないだろう。この辺り一帯は元魔王の居城であり、死火山となっているはずである。それがこれだけ活動しており、おまけにそこへ見知らぬ人間までいるのだ。驚くなと言う方が無理である。

 

「初めまして。私たちは……」

「い、いや待てお主らは……どこかで……?」

 

この中で唯一相手の素性を知るチルノが誤解の無いようにと口を開く。だが彼女が何かを言うよりも先に、相手の方がチルノたちを見て何事か考え始めた。

チルノとダイの姿を交互に見回しながら唸っているその様子に、思わずチルノも動きを止める。やがて相手は何かを思い出したように手をポンと叩いた。

 

「そうじゃ! ダイ君!! それにチルノさんじゃな!?」

「は……はい、そうです。私たちの名前を知っているということは、あなたは?」

 

喜色を浮かべてダイとチルノを指差すと、二人は何故知っているのかと驚いた顔を見せる。

いや、チルノだけは相手のことを知識として知っているが、直接の面識はない。そのため初対面の対応を装っていた。とはいえ相手の勢いに多少面食らっていたのも事実だが。

 

「やはりそうじゃったか! わしはバダック。レオナ様のお付きの兵士の一人じゃ」

「!!!」

 

バダックと名乗った老兵士の言葉に、チルノを除く全員が弾かれたように反応する。特にダイたちにしてみれば、この国に来て初めてのパプニカ国民との邂逅である。驚かないはずもない。

 

「バダックさんですね。ご存じでしょうが、私はチルノです。レオナから聞いているかわかりませんが証明代わりにこれをどうぞ。ご確認ください」

 

そう言うとチルノは鞘からパプニカのナイフを引き抜いて、バダックへと見えるように差し出す。

 

「おお!! これは姫がそなたに渡したと言っておった太陽のナイフじゃな」

 

バダックはそれを受け取ると、まるで商人が鑑定をするかのようにナイフを見回す。形状や装飾を細かく調べ、特に根本にある宝玉は念入りに確認する。

 

「ふむ、確認させてもらったわい。確かに本物のようじゃな。すまんのぉ、疑っているわけではないのじゃが……」

「いえ、変に誤解を招くような真似になるくらいなら当然ですよ」

 

しばらく検分を続けていたが、やがて納得したように笑顔でバダックはナイフをチルノへと返す。彼女もまた、それが当然と言った態度で受け取る。

 

「えーと……今の何?」

「お姫様から貰ったっていうそのナイフで、身元が証明できるのか?」

 

そのやり取りが何を意味しているのか理解できずにいたダイとポップが揃って疑問の声を上げた。

 

「ダイは知っているでしょ? これはレオナから貰った王家の武器。つまり、これを私が持っているということで、間接的な素性の証明にもなるの。そして、バダックさんはそれを知っている。つまりそれだけレオナに近い位置にいたという証拠にもなるのよ」

「それだけではないぞ。この短剣は、刃の付け根にはめ込まれた宝玉からパプニカの紋章が透けて見えるんじゃ。何も知らず、形だけ真似た短剣を作るような不届き者がいた場合、この透かしを見れば真贋は一目瞭然というわけじゃな」

 

さながら現代日本のお札の透かしと同じようなものである。透かしの入った本物の短剣を持っていたおかげでチルノは本人であると認められ、バダックから信用されたということだ。とはいえ手段さえ選ばなければ、姿形はモシャスの呪文で真似て短剣は奪ってしまえば成り代われなくもないのだが、バダックは人が良いのか既に気を許した態度を見せている。

 

「「へぇ……」」

 

一方、そんなことは露知らずにいた二人は説明を聞いて感心した顔をする。

 

「でも、そんなのよく知っていたわね」

「レオナから貰った大切なものだし、手入れをしていれば紋章のことくらい誰でも気づくわよ。由緒正しい大事な物だってことは、本人からも聞いていたから」

 

マァムの言葉に、チルノは大したことはないと返す。実際、本来の歴史でもパプニカのナイフは素性の証明としても使われていたのだ。そうでなくとも一国の姫が持っていた護身道具である。相手にも受け取っているという話が伝わっている以上、そのくらいは知らなくても想像はつくだろう。

 

「……あっ!? じゃあ、おれの持っている短剣ってもしかしたら偽物になるんじゃ……!?」

 

感心もそこそこに、ダイが思い出したように唐突に声を上げる。そしてチルノとバダックを交互に見ながら、まるで捨てられそうな子犬のような不安げな目をする。

 

「ふむ? どういうことじゃ?」

「以前、私がパプニカのナイフを真似てダイ用に短剣を作ったんです。それで心配しているんじゃないかと」

 

現在ダイは、ロモス王から頂戴した鋼鉄の剣(はがねのけん)の他にもう一本、チルノがその特異な生産スキルにて必死で拵えた短剣を装備している。これはパプニカのナイフを参考に作られているため、形が似ている。そこを心配しているらしい。

だがバダックはダイの短剣の素性を知らぬため、頭の上に疑問符を浮かべる。そこをチルノがすかさず補足すると、それを聞いたバダックは少しだけ何かを考えるようなポーズを取った。

 

「なるほど。その短剣を少し見せてもらってもいいかの?」

「うん。はい、これ……」

 

チルノの話を聞いて興味が湧いたのか、バダックが申し出る。ダイは自身の持つ短剣が取り上げられるのではないかという恐怖からか怯えながらも素直に差し出した。

 

「ほほう……なるほど、なるほど……」

 

短剣を受け取ると再びつぶさに観察を始める。とはいえ今回は太陽のナイフの時よりも時間はかからない。全体をざっと見まわすと。すぐにナイフをダイへと返した。

 

「大丈夫じゃよ。似ているのは形だけで、装飾などは別物じゃ。ましてや姫の知り合いであるダイ君が持っているとなれば、そうそう目くじらを立てられることもあるまい」

「本当!? よかった……」

 

ダイにしてみれば、これはチルノから貰った大切な武器である。それを形が似ているという理由で取り上げられたりしようものならば、はたしてその落胆は如何ほどだろうか。とあれ太鼓判を押されたことで、ようやく安心した表情を見せる。

 

「さて、とりあえずお主らの素性はわかった。どうしてここにいるのか、ここで何があったのか、聞きたいことは山ほどあるわけじゃが……」

 

そう言いながらバダックは少し離れた場所に視線を向ける。

 

「さすがにこんな場所で、というわけにもいかんからのぉ。どこかに移動せんか?」

 

その視線の先には、未だ熱を発して元気に暴れ回るマグマの姿がある。十分に距離を取っているため、そうそう簡単に溶岩流に巻き込まれる心配はしないが、視界の端にそんなものが見えていては落ち着けるはずもない。

 

「腰を据えられる場所か……おれたちが拠点にしていた場所まで戻るか?」

「でもあそこ、もう片付けちゃったわよ」

 

この数日間、ダイたちが仮の拠点として過ごしていた場所のことだ。だがチルノの言うように、決戦に向かうに際して片づけてしまっている。再び準備すれば寝食も可能となるだろうが、時間も掛かる上に人数が増えているので随分と手狭である。

 

「落ち着けてすぐに休める場所が理想かな?」

「そうね。ダイもヒュンケルも、普通じゃないくらい疲れてるはずだもの」

「港町、は無理だし……神殿も……」

 

熾烈な激戦を繰り広げた後のため二人の剣士の疲労は筆舌に尽くしがたい。出来ればすぐにでも柔らかなベッド――とまではいかなくとも、ゆっくり休める場所が望ましい。

 

「ならば、わしの隠れ家まで来るか?」

「え?」

 

どうしたものかと思っているところに、バダックが声を掛ける。

 

「ここから離れた場所なんじゃが、そこに潜んでおったんじゃよ。高級な宿屋というわけにはいかんが、あてのない野宿よりかはマシに過ごせるはずじゃぞ」

 

パプニカ兵であるバダックは、国を滅ぼされ仲間とはぐれてからも再興を信じて疑うことはなかった。いつか訪れる祖国奪還の機会を信じて、敵の占領下にて密かに活動を続けていた。その際に作り上げた拠点である。

 

「お言葉に甘えちゃう?」

「異議なし。というかダイたちを早く休ませてやろうぜ」

「あいわかった、ならばわしに任せておきたまえ。さあ、こっちじゃよ」

 

ポップたちの言葉を聞いて、バダックは上機嫌に勇んだ様子で歩き始めた。ポップが慌ててそれに続き、チルノがダイに肩を貸しながらそれに続く。そしてヒュンケルは――

 

「ヒュンケル、どうしたの?」

 

立ち上がってはいるもののすぐにバダックたちの後を追うでもなく、ただ黙って遠くを見ているその姿に気付いたマァムが声を掛ける。

 

「いや、失ってみると存外名残惜しいものだと思ってな……」

 

遠くを見つめるヒュンケル。その視線の先には、マグマの海に沈んだ地底魔城があった方角だ。

 

「そう……」

 

マァムもヒュンケルの気持ちを慮り、言葉少なめに呟いただけだ。ヒュンケルにとって地底魔城は、幼少期を父親と過ごし育った場所であり、同時にその父の死に目を看取った場所でもある。そして不死騎団長となってからは、人間を恨み一国を滅ぼす拠点となった場所であり、真実を知らされた場所なのだ。

悪い思い出ばかりというわけではないが、印象深い事件も多くあった場所だ。大雑把に分類すれば、地底魔城は気に入っていたのだろう。物言わぬ部下たちも、執事のように振舞っていた骸も、今は全てマグマの海の底に沈んでいる。そんな事実を突きつけられれば、心の整理など簡単にできるはずもない。

 

「いや、大丈夫だ。不死騎団長だった頃のオレは、あそこでもう死んでいる。踏ん切りをつけるには丁度良いだろう」

 

だがヒュンケルはマァムに心配をかけさせまいと平気なように振る舞い、まだ生命力は不足して貧血のようになっているだろうに、それを感じさせない足取りで少し遠くに見えるダイたちの後を追い始めた。

 

「それと……」

 

マァムへ完全に背を向け、表情を一切見せないようにしてからヒュンケルは呟く。

 

「今のオレはあの場所よりも大切なものがある。だから気にすることはない」

 

そう言って、かつての魔剣士は己の胸元に手を当てる。そこには彼の過去と現在をそれぞれ示す証がひっそりと揺れていた。

 

 

 

「【リジェネ】」

 

ベッドの上に横たわるダイにチルノは自己再生促進の魔法を使う。穏やかな光がダイを包み込み、未だ残る傷をゆっくりと癒していく。今までも何度か感じたことのあるくすぐったいようなその感触を堪能しながら、弟は姉に向けて微笑んだ。

 

「ありがと……姉ちゃん……」

「落ち着いたら、今日はもう寝ちゃいなさい。後のことは私たちがやっておくから」

「うん、おねがい……」

 

そう言うとそのまま瞳を閉じ、よほど疲れていたのか肉体が安息を求めていたのか、すぐに眠りについた。

 

ここはバダックの隠れ家、その寝室である――と言っても部屋などあってないようなもの、いや部屋と言うのもおこがましい、洞窟を整えた程度のものである。元々が一人で隠れ潜むための家である。寝台もあるが一人分だけ。あとは適当な家具などがある程度だ。

とあれその一つしかないベッドの上にダイを寝かせると、簡単に治療を終える。そもそも、ここに来る途中にもケアルの魔法を使って傷の回復は行っている。だが、幾ら回復魔法を重ね掛けしようとも、心までは回復しない。ヒュンケルと闘い、自身の放てる現在最強の技を繰り出し、そして溶岩の海を渡って命からがら逃げているのだ。疲れもする。どんなに強い人間であっても、敵を気にすることなくゆっくりと休める時間というのは必要になる。

なお、隠れ家までの移動にはチルノが持つキメラの翼を利用した。歩いても良かったのだが、一刻も早く二人を休ませたいという願いが優先された結果である。

そして完全に余談ではあるが、翼による移動でわかったこととして、バダックの隠れ場所はチルノたちが仮の拠点として利用していた場所とは真逆の方向にあった。大神殿を挟んで西に向かえばバダックの隠れ場所が、東に向かえばチルノたちの拠点がそれぞれあった、と言えばわかりやすいだろうか。対極の位置を中心に移動しているためか出会う確率も下がっていたらしい。

とはいえそんな事実をバダックもダイたちも誰も気にも留めなかったが、本来の歴史を知るチルノだけはそういう理由で会わなかったのかと一人こっそりと納得していた。

 

「スラリン。大丈夫だとは思うけれど、ダイのことを一応見ていてもらえる?」

「ピィ」

 

枕元のスラリンに向けてそう頼むと、了承の返事が飛んできた。チルノからの依頼ということもあってかスラリンは飽きることなくダイの様子を眺めている。そんなスライムの様子に満足しながら、続いてチルノはヒュンケルの方へと目を向ける。

 

「マァム、そっちはどう?」

 

ヒュンケルは部屋の隅で(むしろ)のような簡素な敷物の上で、自身のマントを掛けて寝ていた。ベッドが一つしかないうえに本人が「オレは床でいい」と意固地になったため、仕方なく取った措置である。

そんな彼の近くには、マァムが献身的についていた。彼のことを心配する彼女らしく、何が起こってもすぐに対応せんといった気構えが見え隠れしている。

 

「ええ、こっちも寝たわ」

 

チルノの言葉にマァムも若干安心したように答える。ヒュンケルはこうやって眠るまでの間、ずっと気を張っていたのだ。そして眠りについている今であっても、どこか気難しそうな寝顔をしている。もしもマァムが傍にいなければ、もっと険しい表情をしていたかもしれない。

 

「そう、よかった」

 

眠りについた二人を起こさないように小声で返事をする。ヒュンケルの場合はダメージもさることながら、グランドクルスで消耗した生命力の方が比重としては大きい。そのため、ゆっくり心と身体を休めて回復に専念できる時間が何よりも重要になってくる。ちょうど今のような時間が大切なのだ。

 

「ダイも寝たし、私はポップの方に行くけれど、マァムはどうする?」

「私は……」

 

少しだけ切なそうに隣のヒュンケルを見つめる。その動作だけで、彼女の気持ちを雄弁に語っていた。

 

「それじゃ、私だけ行ってくるわね」

「ごめんね」

 

マァムと、彼女のすぐ近くにいたゴメちゃんにそう告げるとチルノは寝室を後にする。

本来の歴史ではヒュンケルはダイたちを迫りくる溶岩から救うためにその身を犠牲にする。死んだかと思われていたが、その後クロコダインに助けられ、揃ってダイたち一行の危機に加勢するのだが……

チルノは頭を悩ませる。

自分のしたこととはいえ、クロコダインは未だ姿を見せず、逆にヒュンケルは命を危険にさらすこともなく無事に加入している。その変化が未来に何か大きな影響を与えなければ良いのだが。これからの魔王軍の行動にも、一行の人間関係にも、だ。それら未知の出来事に対して不安と、不謹慎ではあるが、ほんの少しだけワクワクする気持ちを感じていた。

 

「むむむ……そんなことがあったとは……」

 

洞窟を出て、チルノが顔を覗かせると、ちょうどポップの話を聞いていたバダックが唸り声を上げていた。その声のイントネーションから感心の意味が含まれていることから、彼が話を終えたのだろうとアタリをつける。

 

「ごめんねポップ、一人で相手させちゃって。もうお話は終わったの?」

「ああ、まあ……大雑把に何をしたか程度だけどな」

 

そうして声を掛けると、ポップが言う。彼には、ダイたちがホルキア大陸に来てから今までのことをバダックに説明することを頼んでいた。ダイやヒュンケルの怪我に何か手助けできるわけでもなし、一人暇を持て余すくらいならば、というわけである。ダイたちの休息を邪魔することのないよう、バダックと二人で外に出ていた。

とはいえ、一口に説明と言っても色々と込み入った事情もある。どこまで話せば良いものか頭を捻らせつつも、とりあえず当たり障りのない範囲の内容をポップは伝えていた。

具体的には、自分たちはダイの仲間であり、アバンの使徒であること。ロモスで百獣魔団を倒し、海路でパプニカまでやってきたこと。不死騎団を倒したこと。その後に氷炎将軍と名乗る敵が現れて、死火山に衝撃を与えて溶岩に囲まれたが命からがら逃げてきたところをバダックと偶然出会った。という程度である。

なお、不死騎団長の正体については明かしていない。さすがにペラペラと簡単に吹聴できる内容でもなく、扱いは慎重にならざるを得なかった。今のヒュンケルは、パプニカで合流したアバンの使徒の仲間だと説明していた。

――嘘は言っていない。

 

「おや、チルノさんか。ダイ君たちの容体はもう良いのかね?」

「はい、ベッドを貸していただいて、ありがとうございます」

「なんのなんの。この程度のこと、君たちの偉業に比べれば些細なことじゃよ」

 

チルノの言葉にバダックは笑顔で言う。ポップから活躍を聞いていた彼に取ってみれば、今のダイたちは救世主のようなものだ。バダックの状況は言うなれば、隠れ潜んでいたら祖国が奪還されていた。といったものである。そのため、少しでも力になれたなら光栄であると本気で思っていた。

 

「君たちの活躍はポップ君から聞かせてもらったよ。しかし、不死騎団がすでに倒されておったとは。事前に知っておれば、わしも参戦したんじゃがの」

 

だが同時に、自身の力を少しでも発揮したいという気持ちもある。兵士でもある彼には、戦いという活躍の場がなかったことを悔いるように吐き出した。

 

「老いたりとはいえ、かつてパプニカにこの人ありと謳われた剛剣の冴え、お主たちにも是非見せたかったわい」

「そ、そういえば、バダックさんはどうして地底魔城に?」

 

その言葉を聞き、チルノは慌てて話題を変えた。本来の歴史でも同じようなことを言ってダイたちについて行こうとしていたバダックであったが、戦力としてはお察しである。自分も今度は仲間として剣を振るうなどと言い出さないようにするための措置である。

隣ではポップがよくやったと言わんばかりの表情を浮かべていた。どうやら彼もチルノと同じ考えだったらしい。

 

「む……いや、三日ほど前から不死騎団のガイコツたちの姿をまるっきり見かけなくなってのぉ。怪しいとは思いつつも偵察をしておったんじゃ。そしてあの日は地底魔城へと思ったところで、落雷やら大爆発やらじゃ。駆け付けたところで、偶然にもお主たちと会えたわけじゃよ」

 

チルノの言葉を聞くと、存外素直に教えてくれた。

ヒュンケルが決闘に集中させるために部下たちへ下した戦闘禁止命令は、知らぬうちにバダックも対象に含まれていた。そのために敵がいないことを不審に思い、バダックは偵察を繰り返していた。そして、いざ本拠地を確認してみようとしたのは偶然にも決闘当日。ダイたちのライデインやグランドクルスといったド派手な技を見て近寄ってきたのだ。

 

「しかし、溶岩に飲まれかけるとは災難じゃったな……よく生き延びられたもんじゃ」

「ああ、そうだな。チルノがいなかったらあそこで全滅していたぜ」

 

ポップも思い出したように呟く。溶岩に囲まれて逃げ場がなくなるなど、普通ならばそうそう味わうことの出来ない体験である。チルノの空中浮遊の呪文で辛くも難を逃れたが、それがなければどうなっていたことかを想像して身震いする。

 

「でもポップ、あなたも助けられたはずよ」

「あん? どういうことだそりゃ?」

「トラマナの呪文は知ってる? あれを使えれば、溶岩を渡れたと思う」

 

トラマナはざっくり言えば、毒の沼地や溶岩、バリヤーなどを無力化する呪文である。分類としては魔法使いの操る呪文に属しており、その理屈で言えばポップでもあの場はパーティを救えたはずである。

 

「トラマナ、ねぇ……」

 

だがチルノの言葉を聞きながらもポップは渋い顔をしていた。そんなチンケな呪文を覚えるくらいならば、強力な呪文を操り敵を一掃、というのが彼の考え方である。そのため、あの場面でも自分がもっと強力な――溶岩すらも凍り付かせるくらいに強力な呪文を覚えれば良いのではないか考えてしまう。

派手な技に傾倒するという気持ちは分からなくもない。だが、呪文を使って敵を倒すだけが魔法使いではないことをそろそろ自覚させた方がいい。そう遠くない未来を思いながらチルノは苦言を呈しているのだが、どうもうまく伝わらなかったようだ。

 

「ポップ君、チルノさん」

 

二人が話していたところに、バダックが真剣な表情で割り込んでくる。

 

「よくぞ魔王軍を――不死騎団を倒し、パプニカを救ってくれた! 姫に代わって、わしからも礼を言わせてくれ!」

 

胡坐のまま、深々と頭を下げる。その姿からは感謝の念がありありと伝わってくる。先ほどまでのどこか接しやすい愉快な姿とのギャップで、見ているチルノたちが慌ててしまうほどだ。

 

「そんな、頭を上げてください! 私たちは大したことはしていませんから」

「そうだな、一番苦労してたのはダイだぜ。まあ……おれたちもちょっとは頑張ったけどよ」

「じゃが、君たちも骨を折ってくれたのは事実じゃろう? ならば……」

「そんなことはありません。レオナの――友達のためですから。当然のことです」

 

意固地になろうとするバダックであったが、チルノがそれを遮る。その言葉を聞いた途端、バダックは感涙の涙を流した。

 

「くうう……なんと、なんと……賢者の儀式をデルムリン島で行ったのは、やはり間違いではなかったのじゃな……あの姫のことをこんなに慕ってくれる友が出来るとは!!」

 

かつてのデルムリン島で起きた謀反未遂事件。その時には賢者バロンと司教テムジンの策略もあってバダックは同行することは出来なかった。だが、レオナから伝え聞いていたダイとチルノという二人の話。そしてその二人の話をするときのレオナの嬉しそうな表情は、聞いていたバダックにもまだ見ぬ相手を信頼させるほどだった。

そして実際に会ってみれば、救国の英雄でありながらもなんとも奥ゆかしい。彼にしてみればまるで伝説の勇者の再来のようであった。

 

「姫にも今すぐ伝えてやりたいわい」

「ん? てことは、姫様の居場所を知っているのかい?」

「いや、無事じゃということは分かっておるが、居場所については……」

 

ぽつりと呟いた言葉にポップが耳聡く反応すれば、バダックはあっさりと肯定する。そうして話を始めようとしたが、再びチルノが口を挟んだ。

 

「そのお話は、出来ればダイたちが起きてからの方が二度手間にならずに良いと思いますが……一日を争うのなら、私たちだけでも先に聞きますけれど」

「む……? 判断は難しいところじゃが……姫のことじゃ、一日くらいは大丈夫じゃろう。それに、話をしても今日はまともに動けんじゃろうからな」

 

チルノの言葉にバダックは考え込むが、最終的には同意する。彼の知るレオナの情報も、言われたように寸暇を惜しむほどの緊急性があるわけでもない。そして、話をしたとしても、すでに日は傾き始めており、もうじき夕方から夜になろうとする時間帯である。ダイたちが休んでいることもあって、ここで話さなくてもそれほど問題はないと判断していた。

 

「さて、では代わりに食事の用意でもするかの。せめてもの礼じゃ、出来るだけ豪華になるよう頑張ってみるわい」

 

すっくと立ち上がると、そう言ってどこかへ向かう。おそらく食料を取りに行ったのだろう。

 

「いい人みたいね。でも、それだけに心苦しいっていうか……」

「ああ。正直今までいなくてよかったと思うぜ。ヒュンケルのことがあるしな……」

 

バダックの姿が見えなくなったことを確認してから、チルノが重々しく口を開いた。それにポップも同意する。ヒュンケルの問題というのはパプニカに住んでいたものにとってはデリケートな問題だ。

 

「今の段階ではバダックさんには伏せるように後で言っておくわね。それでこの場は凌げるだろうけど、レオナと会ったら流石に誤魔化せないだろうし……頭が痛いわ……」

 

正体を明かすにしても、タイミングというものがある。ヒュンケルの誠実な気持ちというのもわかるが、ここで馬鹿正直に言っても誤解を招くだけである。本人としてはもどかしいことこの上ないだろうが、しばらくは我慢していてもらうしかないだろう。

本来の歴史ならばヒュンケルは、バルジ島でのフレイザード戦に加勢したこともあってかその罪を許されていた。だが、今回の場合はそれも期待できそうにない。おそらくチルノの知るように、レオナはバルジ島に隠れているはずである。だが、フレイザードが都合よく出てきてくれる保証はない上に、今のフレイザードでは空裂斬を使えるダイならば苦戦はしないだろう。

そうなれば、ヒュンケルは魔王軍を抜けたまま何もしていないと受け取られかねない。レオナの性格上、そのまま処刑などにはならないとは思うものの、兵士たちは納得できないだろう。

 

「そのレオナって、この国のお姫様のことだろ? お前だけでも先に安否のことを聞かなくていいのか?」

「うーん……聞きたい気持ちはあるけれど、出来ればダイと一緒に聞きたいかなって思って。それに、レオナなら無事だって信じているから」

 

それは本来の歴史を知るからこそ言える言葉だった。だがそれを知らぬポップには、チルノがダイの事を立てて無理をして心を押し殺しているようにも見える。自分よりも年下の少女が気丈に振舞うように感じてか、ポップはそれ以上何も言えなかった。

 

 

 

「さて、ではずいぶん待たせたように感じるが、姫様たちのことについて、わしの知っていることを話そう」

 

翌日。すっかり元気になったダイたちを集めて、バダックはそう切り出した。

 

「まず姫は無事じゃ」

 

その言葉に一行は安心した表情を見せる。

 

「じゃが居場所はわからん。不死騎団の襲撃で神殿が破壊されたときに、皆とは離れ離れにされてしまったからな……」

 

しかし続くバダックの言葉に再び顔色が悪くなった。居場所が分からないのでは、現在の最新状況が分からないからだ。そして、不死騎団の襲撃という言葉にヒュンケルが顔を微かに曇らせる。幸いにと言うべきか、それを気づいたのはダイたちだけであったが。

 

「だが安心してよいぞ。姫の傍には常にパプニカ最強の賢者三人がついておる! きっとこの大陸のどこかに無事に生きておられるはずじゃ!」

「そっか、よかった……」

「そんな強そうな護衛がいれば、安心だな」

 

三賢者が付いているという言葉にダイたちは心配した様子を完全に見せなくなった。ただ、チルノだけは違った。パプニカの賢者という言葉自体がどうしても忌避感を覚えてしまうのだ。

何しろ比較対象があのバロンである。知識として知っているので無用な心配だと分かっていても、実際にバロンと会った身としてはどうにも信頼しきれない部分があった。同じようなことをダイも考えているかと思ったが、様子を見る限りではどうもそうではないらしい。

 

「姫はいつも言っとった……『ダイ君とチルノが来れば必ず勝てる。それまで皆で頑張ろう』とな……じゃが、それがまさかもう既に叶っていたとは……わしも粘った甲斐があった……」

 

感慨深そうにバダックが言うと、ダイは照れたような顔を見せる。昨日も同じような気持ちになっているために涙こそ流さなかったが。

 

「後は姫様に戦勝を知らせるだけじゃな」

「いや、さっきの話だと居場所は分からないって言ってただろ?」

 

ポップの言葉に、バダックはニヤリと不敵に笑った。

 

「なぁに、その辺については昨日しっかりと考えておるわい!」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「で、神殿に来たは良いけど、ここに一体何の用があるんだ?」

 

バダックの言葉に従い、一行は神殿跡地へと移動していた。だがその道中、ここで何をするかは一切知らされていなかった。ただ、行けばわかるという言葉に従って来たものの、かつて見た廃墟のような光景が広がっているだけである。

 

「ふっふっふ。ここのどこかに、地下倉庫があるんじゃよ」

「地下倉庫?」

「倉庫の中に何かあるんですか?」

 

妙案を思いついてから時間が経過していたことで、少し茶目っ気が出たのだろう。わざと勿体ぶるような言い回しをしていた。

 

「ズバリ、火薬玉じゃよ……!」

「火薬玉?」

「パプニカではな、戦場の合図として信号弾を用いるんじゃよ。火薬玉を見つけ出して打ち上げれば、この大陸のどこかにいる姫様の目にも届くに違いない」

「なるほど!」

 

質問の答えを聞いて、マァムが納得したようにポンと手を叩く。その反応を見てか、バダックは満足気に笑う。

 

「『我勝てり』の赤い信号弾を見れば、きっと姫様も安心して姿をお見せになるはずじゃ」

「……それが、魔王軍に見つからなければな」

 

得意げになっていたバダックに向けて、ヒュンケルが口を挟んだ。

 

「む……?」

「そうね。私も、それが気になっていたの」

 

ヒュンケルの言葉にチルノも頷く。

 

「フレイザードが現れてからまだ一日しか経っていない。まだこの大陸にいるかもしれないわ。そこに信号弾なんて目立つ合図をすればどうなるか……」

「重要な何かがここにある、と敵に宣伝しているようなものだ」

 

それはチルノだからこそ言える意見でもあった。彼女の言う通り、本来の歴史では信号弾を見たレオナの所から先遣隊が出てくる。だがそれが気球という目立つ偵察手段であったことが災いしてか、隠れ潜んでいたレオナの所へフレイザードが襲撃してくるのだ。

 

「な、ならばどうするんじゃ!? このホルキア大陸を虱潰しに探せというのか?」

「いいえ。信号弾は打ち上げましょう。でも来ると分かっていれば、対処の方法はあるわ」

「えーと、つまり……どういうこと?」

 

チルノの言っていることが分からないというように、マァムが言う。ダイとポップも同じように分からないと言った顔をしている。

 

「敵に気づかれている、ということを前提に行動すればいいの。レオナが姿を見せたら――って言っているけれど、まずは誰かが安全を確認しに来るはず。だったらそこで事情を話してすぐに動けるようにすれば、危険は減るはずよ」

 

早い話が、敵が来ると分かっているのだから、奇襲を受ける前にさっさと行動してしまおうということである。

 

「それに、襲ってくるとしたらフレイザードでしょう? だったらこっちには切り札があるわ」

「なるほど、ダイか」

 

流石はアバン流刀殺法を習い魔王軍幹部の情報を持っているだけはあり、ヒュンケルがいち早く気づいた。そんな兄弟子の洞察力を流石と感心しながら、チルノは頷く。

 

「ええ、空裂斬よ。あれがあれば、フレイザードを相手にかなり楽に勝てるはず」

 

空裂斬の特性を知る彼らにしてみれば、素直に理解できる話である。全員が納得したように頷き、自然にダイへ視線が集まった。

 

「大丈夫、任せてよ!」

 

そんな全員の期待に応えるかのように、ダイは力強く頷く。そんな弟の様子を、チルノは頼もしそうに見ていた。

本当はレオナがどこに隠れているのか言ってしまい、全員でそこまで移動するのが一番安全かもしれない。だがここで下手に秘密裡に行動すれば、フレイザードが野放しになりかねない。そしてもしも未来にて下手なタイミングで邪魔をされるくらいならば、多少レオナを危険に晒すことになってもさっさと撃退した方が良いだろうと考えていた。

 

「よし、話はまとまったようじゃな! ならばまずは全員で地下倉庫を探すぞ!!」

 

バダックの言葉を合図に、全員が廃墟の探索を始めた。とはいえ、瓦礫などが大量に存在しており、景観すら完全に変わっている。元の姿を知るバダックであってもどこに何があったか分からなくなっているほどであり、ひたすら地道に探すしかなかった。

 

「うへぇ……! こりゃ大変だぜ……」

 

思わずポップが愚痴を零すが、それも無理はない。地下倉庫への階段が瓦礫の隙間から見つかればよいが、階段そのものが瓦礫で完全に隠れている可能性があるのだ。それを考慮すると、最悪ここの瓦礫全てを撤去しなければならない。

 

「スラリン、あった?」

「ピィ」

「ゴメちゃんは?」

「ピー」

 

ダイとチルノが、それぞれ相棒のモンスターに声を掛ける。小さな彼らたちは、人間では見つけられない場所まで入り込むことが出来るため、こういう場面では重宝されていた。とはいえ、何時崩れるかもしれない廃墟である。注意深く探索を行っているためか、成果は芳しくない。

先ほどの返事も、何も見つからなかったと言っている。

 

「あっ! これじゃない!?」

 

さらにしばらく探し回っていると、マァムが声を上げた。この声に全員が集まると、確かに瓦礫の折り重なった僅かな隙間の下に地下への階段が見えている。

 

「確かにあるのぉ、しかし……」

「こりゃ、狭すぎるぜ。潜り込めねぇよ」

「スラリンたちなら入れると思うけど?」

「残念じゃが、どれが必要な火薬か判断できんだろうし、それに大きさもの問題もある。とてもスライムでは持ち運べんじゃろう……」

「となれば、これを片付けるしかないだろうな」

 

全員が意見を出し合うが、妙案は浮かばない。そしてヒュンケルの言葉に導かれるように全員が積み重なった瓦礫に目を向ける。

 

「でも……ちょっとこれをどかすのは無理じゃないの……」

 

マァムがそう言うのも無理はない。高さだけでも人の四倍はありそうなほど(うずたか)く積まれており、破片の一つ一つも大きい。人の手でこれを片付けようとすれば、果たしてどれだけ時間が掛かるだろうか。

 

「そうでもない。ダイ、力を貸せ」

「え?」

「秘剣を使うぞ。あれなら問題なく壊せるだろう」

「あ、そっか!」

 

ヒュンケルの言葉に納得したように飛び出すと、ダイは剣を逆手に持つ。その様子を見て、先を知るチルノは一応釘を刺しておくことにした。

 

「ダイ、一応言っておくけれど火気厳禁だからね」

「大丈夫だってば。それにこのくらいなら、魔法剣を使うまでもないよ」

「頼もしいな……行くぞ!」

 

その威力を身をもって知るヒュンケルが薄く笑いながら、こちらも負けじと剣を抜いて全身に力を込める。ダイも同じく精神を集中させ、闘気を込める。

 

「アバン……」

「ブラッディー……」

 

以前は互いに相手へと向けて放たれた必殺技だったが、和解することのできた今ではこうして隣に並び立つことが出来る。

 

「ストラッシュ!!」

「スクライド!!」

 

放たれたそれぞれの秘技はさながら合体技のように重なり合って力を増し、巨大な瓦礫へと一直線に突き進む。力を合わせた時の威力は凄まじく、瓦礫全面に対して圧倒的な破壊の渦をまき散らしていく。ほどなくして、あれほどあったはずの瓦礫は綺麗さっぱりなくなっていた。

 

「ははは……とんでもねぇの……」

「じゃが、これで入れるわい! 早速行ってくるぞ!!」

 

ポップが何かを諦めたように言うのも無理はなかった。仮に彼の魔法だけでは、丸一日かけても無理だろう。それほどの破壊力なのだ。細かく砕かれた小石ほどの破片や砂だけが、辛うじてここに巨大な瓦礫があったことを証明している。

やがて、バダックが手に信号弾を持ちながら出てきた。

 

「待たせてすまんのぉ。あったぞ、信号弾じゃ」

 

そう言って手に持つのは、火薬玉と筒だった。打ち上げ花火の仕掛けを想像するのが一番早いだろう。筒も導火線も火薬玉も、まさにそれである。

 

「それに、こんなものもあったわい」

「なんですか、それ……?」

 

一緒に手に持っていたのは、金属片であった。長方形に形作られたそれは、ただの鉄板にしては少しだけ色が違う。鉄の鈍色にしては鮮やかな発色をしており、加えて薄い青色が混じっている。

 

「これはのぉ、キラーマシンの装甲を真似たものじゃよ」

「ええっ!?」

「チルノさんが言ったのじゃろう? 禁忌であってもより安全に研究して利用する方法があるはずじゃと。その研究の成果の一つじゃよ」

 

レオナがデルムリン島に来た際に、チルノはキラーマシンの残骸を貰うためにそう言ってパプニカの人間を説得したことがあった。そのときの行動が巡った結果が、バダックが手にしている金属である。

 

「とはいえまだ研究段階。生み出された金属は本物よりも脆かったが、じゃが既存の鉄よりは硬いから一応の成功とも言えるじゃろうな。仮にじゃが、キラーメタルと呼んでおった。これからこの金属を実用化しようとしていたんじゃが、戦争には間に合わなくてのぉ……」

 

これが間に合っていれば負けることはなかった、とでも言うように悔しそうに呟くものの、すぐに気を取り直す。

 

「パプニカ一の発明王と言われたこのわしも、お主の発想には驚かされたわい。それに、お主の言葉を信じて保守派の人間を説得して回った姫もじゃな。二人の協力した結果が、これを産んだのじゃよ」

 

友情の結果とでも言うように得意げになるが、チルノの耳にその言葉は届いていなかった。

 

「キラー……メタル……」

 

いうなればこれは、チルノが歴史を変えた結果生み出された物である。本来の歴史には存在しなかった物であり、彼女の行動の成果の一つと言ってもいい。バダックの言うように実用化まではしていなくとも、これがあればと思う程度には有効なものらしい。どこか不思議な感じを覚え、彼女はその金属から目が離せなかった。

 

「差し出がましいのですが、それ……いただけますか?」

「勿論じゃ。そもそも発案者に是非とも見てもらおうと思って持ってきたのじゃよ。さあ、受け取ってくれたまえ」

 

そう言って差し出されたキラーメタルを受け取る。手にした途端、ずっしりとした重さが伝わってくる。材質から考えれば、キラーマシンの装甲をそのまま転用したダイの短剣よりかは脆いだろうが、それでも硬度はかなりの物らしい。

 

「さて、わしは信号弾を打ち上げる。それまでゆっくりしていてくれ」

 

そう言うとバダックは少し離れた、打ち上げるのに適した場所を探しに行く。そうしてチルノたちだけが残された。だがチルノはキラーメタルを見つめたままだ。

 

「キラーマシンの装甲利用とか、すげえな。けど、そんなもん貰ってどうするんだ?」

「……うん、決めた。ダイ、あなたの剣を貸して?」

「え、これ? どうするのさ?」

 

意を決したように、チルノはダイに言う。ダイは何をしようとするのか分からないまま、それでも言うことに素直に従い鋼鉄の剣(はがねのけん)を抜くと姉に手渡した。

 

「……やっぱり。もう結構傷ついているわね」

 

手にした剣を簡単に見回す。ロモス王から頂いたばかりの新品の剣であったが、刀身には細かな傷や刃零れは当然、剣そのものが歪んでいた。それはヒュンケルとの戦いがどれだけ激戦であったかの証でもある。

 

「このキラーメタルで、鋼鉄の剣(はがねのけん)を強化しましょう」

「え……だって姉ちゃん、ナイフを作ったときだってすごい時間かかってなかったっけ?」

「一から作ればね。でも今回は、刀身の補強とコーティングくらいだから、すぐに出来るはずよ」

 

ダイの疑問は尤もだったが、チルノは平然と返す。素材も扱いやすくなっており、影響個所も少ない。ならば短剣を作った時よりも時間が掛からないのも道理である。ましてやこれからフレイザードとの戦いを控えている以上、少しでも強化しておきたいと考えるのは当然だった。

 

「いいのか? 話を聞いていた程度だが、大事な物なのだろう?」

「せっかく貰った物だし使わないと。それに、自国のお姫様が生み出した金属で作られた剣を手にした勇者が助けに来るなんて、ロマンティックじゃない?」

「そうなのか? まあ、ダイが良いのならオレは何も言わんが……」

 

チルノの返答にヒュンケルは困ったような表情を浮かべて、だがそれ以上は何も言う必要がなくなったのか黙ってしまった。話の矛先を向けられたダイは素直に頷く。

 

「うん。姉ちゃん、お願い」

「任せて」

 

了承の言葉を聞くと、チルノはすぐに生産技能を使って金属片で剣を強化していく。そこから少し離れた場所からは信号弾が打ち上がり、大空を赤い煙が彩っていく。

 

やがて、空の彼方からはパプニカの紋章の刻まれた気球船がゆっくりと姿を現した。

 

 




今回は動き少なめ。気球に乗るまでは行く予定だったのになぁ……

この世界のトラマナって破邪呪文に分類されるらしいので、溶岩には効果あるのかな?
(キルバーンの罠みたいな呪文関係ではなく、自然現象なので効果範囲外に思えて)
『トラ』ップをふ『マナ』い、だからトラマナ。の語源から考えると確率半々くらい?
まあ、有効ということにしておいてください。そもそも元の呪文からして、ダメージ床避けの結界を張るのか、ちょっと浮くのか、どんな効果なのかわかってないし。

そろそろマトリフ師匠が出ますね……登場させられるよね?
頑張れ未来の私……
(師匠に「MP? そりゃムチムチプリンって意味だぜ」とか言わせてセクハラさせたい)


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LEVEL:24 バルジ島の戦い

ちょっとリアル時間がね……ごめんなさい……



「あれは……パプニカの気球船じゃっ!!」

 

空の彼方からゆっくりと姿を現した気球を、持っていた望遠鏡で確認するとバダックは叫んだ。今はまだ肉眼では指先程度の大きさにしか見えないが、望遠鏡を覗く彼の目には気球に刻まれたパプニカの紋章がしっかりと見て取れる。

バダックの声にダイたちが驚くのを耳にしながら、チルノは手にした剣の最終確認をしていた。細かい傷や歪みなどは可能な限り直したことを確認すると、ほっと息を吐く。

次に戦うであろう相手は、もしも彼女の知る歴史通りに事が進んだ場合は少々面倒なことになるだろう。そのため出来る限りその展開は避けておきたいというのが彼女の考えである。剣一本でそれが可能になるのなら安いものだ。

 

「ダイ、終わったわよ」

「ありがとう、姉ちゃん」

 

簡易的にだが強化を行った鋼鉄の剣(はがねのけん)を返すと、ダイは剣を手に持ちその具合を確認するように軽く振るう。重心配分などが変わっていないかを見極めているようだ。

 

「あれが、気球船……」

 

一方チルノは先ほどまで剣の強化に掛かり切りだったためにようやく気球を見ることが出来た。なかなかどうして、騒ぐだけのことはあった。空の向こうから段々と近づいてくる気球の姿には心躍るものがある。

ましてや複数の人間を載せて空を飛ぶ乗り物だ。この時代では果たしてどれだけ貴重かつ有用な物であろうか。その価値は計り知れないだろう。

 

「ヒュンケルは、気球のことは知っていた?」

「ああ。話くらいはな」

 

一緒になって騒ぐような真似はしていないが、ヒュンケルは気球の事を冷静に見つめていた。魔王軍にいたはずのヒュンケルであっても話くらいは聞いたことがあるようだ。となれば気球は珍しくとも知名度がある程度はあるらしい。

 

「みんなも、気球の事を知っていたの?」

「実物は見たことがないけれど、噂話くらいはね」

「おれは先生についていた時に一度見たことがあるぜ」

「へぇ……二人とも博識なのね……」

 

ポップやマァムが知っている可能性は低いように思っていたのだが、存外に知られているようである。ということは完全に知らないのはダイだけのようだ。もっともその本人は、新しい剣に夢中であった。

 

そうしている間にも気球はどんどんと高度を下げていき、ついには目視で乗っている人間が見えるほどまで近づいた。そして、一行から少しだけ離れた場所にゆっくりと着陸する。大きな揺れもなく着地したところから、巧みな操縦技術が垣間見える。

着陸後に、吊り篭から一人の女性がひらりと降りてきた。

 

「おおっ!!」

 

思わずポップが声を上げるが、それも無理もないだろう。現れた女性は、かなりの美貌の持ち主である。長めに伸ばした黒髪と額にはサークレットが輝いており、青を基調とした薄手の法衣にマントを纏っている。ただし、胸元が大きく開いたデザインに加えてノースリーブで肩を出している。足も大きく露出しているのだ。ポップがスケベな目線で嬉々として見ているが、それも無理もないだろう。彼が健全な少年の証拠である。

だが、マァムとチルノという二人の女性が見ていることを思い出してか、すぐにスケベ心を隠して真面目な表情を取り繕う。

 

「エ、エイミ殿ではないか……!」

「あの信号弾は、バダックさんだったのね」

 

エイミと呼ばれた女性はバダックと言葉を交わす。その様子を見てポップが少し驚いたように口を挟んだ。

 

「なんだい、この別嬪さんはじいさんの知り合いか?」

「当然じゃよ。このお方こそ、パプニカ三賢者の一人、エイミ殿じゃ!」

「ええっ!? こ、こんな若い子がぁっ!?」

 

いい意味で期待を裏切られた形となり、ポップは開いた口が塞がらないような状態になっていた。何しろ彼の考えていた三賢者のイメージは、全員年季の入った偏屈爺さんといったものである。それが蓋を開けてみれば、年の頃は自分たちよりも少し上でしかない、こんな美女が出てきたのだから、驚きぶりはどれほどか。

 

「赤い信号弾を確認したから調べに来たの。姫様はアポロとマリン姉さんに任せて、ね」

「おおっ! やはり姫様は無事じゃったか!!」

 

自身が若い女性であるためにポップのような反応は慣れているのだろう。特に驚くこともなく、彼女はここに来た理由を述べる。それを聞いて姉弟が声を上げた。

 

「よかった、無事なのね」

「レオナはどこにいるんですか?」

「……あなたたちは?」

 

エイミが訝しげに言うとバダックがすぐに後に続いた。

 

「おおっと、すまなんだ。紹介が遅れたの。この子たちが姫様がいつも話しとったダイ君とチルノさんじゃよ」

「あ、あなたたちが……!?」

 

思いもよらない名前を聞き、エイミは大きく目を見開いた。ダイとチルノの話は彼女たちも聞き及んでいる。だがまさかここで聞くなどとは予想もしていなかった。彼女と共に気球に乗っていたパプニカ兵も名前を知っていたらしく、同じように驚愕している。

 

「すでにこの大陸を襲っとった不死騎団はこの子たちによって滅ぼされておる! 赤い信号弾を上げたのもそれを知らせるためじゃ!!」

 

不死騎団を滅ぼした、という言葉を聞いて驚きの色がさらに増す。我勝てりの意味を持つ赤い信号弾を見たために何らかの勝利を得たのだろうということは予測していたが、それが不死騎団を滅ぼしたとは流石に夢にも思わなかったらしい。

もっとも、驚き続けるパプニカの人間とは裏腹に、ダイたちは不死騎団という言葉が出るたびに微かに顔を顰めていたが、幸いにもその反応に気づく者はいなかった。

 

「あなたが勇者ダイに、賢者チルノ……」

 

エイミは目を丸くしたまま、二人を見つめる。

 

「はい、そうです!」

「あはは……一応……これが証拠です」

 

勇者と呼ばれたことにダイは胸を張って、チルノはその呼称に未だ慣れずにいるため苦笑いを浮かべながら肯定した。そしてパプニカのナイフをエイミへと渡す。

 

「これは、紛れもなくパプニカ王家の……太陽のナイフ。姫様が差し上げたという……」

 

ナイフの宝玉を確認して、エイミがそう口にする。真っ先に宝玉の紋章を確認するあたり、どうやら彼女もこの短剣のことについては知っているようだ。

 

「わしもナイフの真贋はこの目で確認したわい。そして短い期間じゃが、皆と寝食を共にした。その上で断言させてもらおう。ダイ君たちは信用に足る人物じゃよ」

 

バダックの言葉を聞きながら、エイミはナイフとダイとチルノを見つめながら考える。頭の中で繰り広げられるのは、彼らをレオナ姫の元へと連れて行っても危険はないかという判断である。この場で一番の責任者でもある彼女の判断如何によっては、レオナが危険に晒されるかもしれないのだ。慎重にもなろう。

やがて、しばしの逡巡の後に口を開いた。

 

「……わかったわ、皆さんをお連れしましょう。姫の待つ、バルジ島へ……!」

「バルジ島じゃと……!? あんなところに!!」

「それって、どんなところなんですか?」

「そうね、口で説明するよりも、実際に見た方が早いわ。さあ、皆さん乗って。出発するわ!」

 

マァムの疑問に対して期待感をくすぐるように返すと、再び吊り篭へとひらりと軽い身のこなしで飛び乗る。一旦降りていた兵士たちも後に続き乗っていくと、すぐに気球を飛び立たせる準備を始める。

 

「おれたちも乗っていいの?」

「勿論よ。歓迎するわ」

 

一言断りを入れると、ダイたちも列を作り行儀よく順番に乗っていく。だが、その動きを見ても動かずにいる者が一人だけいた。

 

「あら、彼はいいの?」

「え?」

 

エイミの言葉に全員が後ろを振り返る。そこにいたのはヒュンケルだった。彼だけは一人、気球に乗る素振りすら見せず、廃墟の瓦礫に腰かけている。

 

「すまないが、オレは遠慮しておこう」

「ヒュンケル?」

 

まだ乗っていなかったマァムが心配そうに近寄ると、ヒュンケルは口を開いた。

 

「どうしたの? 一緒に行きましょうよ」

「いや、パプニカが奪還されたのであれば、姫が身を隠している理由もないだろう? お前たちが会いに行けば、ここへは直に戻ってくるはずだ。オレはそれを待たせてもらう」

 

そして続く言葉には若干の覚悟を込めながら、後半は声のトーンを落として――気球に乗ったエイミたちには聞こえないように言う。

 

「その気球には人数制限もありそうだしな……それに、信号弾と気球を見て、万が一にもフレイザードが来るかもしれん。せっかく取り戻した国を再び襲われるのも忍びなかろう」

「……っ!」

 

それはヒュンケルが懸念したことである。闘技場に姿を現した以上、フレイザードがそのままパプニカ侵攻――正確には残党狩りとレオナ抹殺の任務と魔王軍は思っているだろう――を引き継ぐ可能性は高い。ヒュンケルとチルノが危惧したように、信号弾と気球を目印と取られて攻撃を受ける可能性もある。

取り戻した自国に戻ってみれば再び襲われていたなど笑い話にもならないだろう。それを防ぐためにも、殿(しんがり)の役目として一人残ると言っているのだ。

 

「そんなこと言って、本当は空を飛ぶのが怖いんじゃねぇの?」

「そう思いたいのなら、そうすればいい」

 

ポップの茶化すような言葉にもヒュンケルは動じない。マァムが心配するその姿と相まって、魔法使いの少年は面白くなさそうな顔をする。

 

「わかったわ。ごめんなさい、面倒な役目を押し付けちゃって……」

「気にするな。すぐに戻ってくるのだろう?」

「ええ、それは勿論。ちょっとだけ待っていて。すぐに戻ってくるから!」

 

ヒュンケルを心配させまいと、待たせているパプニカ兵たちに不審な想いをさせまいと、彼女は明るい声色でそう言い気球へと戻っていく。

 

「……ねえ、あそこの戦士の彼、何て名前なの?」

「え? ヒュンケルですよ」

「そう……」

 

一方、そのやり取りを見ていたエイミが小声で近くにいたチルノに尋ねる。チルノが名を教えると、エイミは少しだけ険しい表情になる。

 

――勘づいたのかな? それとも……

 

それを見るチルノの脳裏に浮かぶのは二つの可能性。一つはヒュンケルが不死騎団の団長であると気づいた可能性。もう一つは、彼女が一目惚れをした可能性である。

チルノが知る歴史では、何時の間にやらエイミはヒュンケルへ恋心を抱いていた。それと同じように、一目見ただけで意識してしまったのだろうか? であれば、マァムの行動を見て多少なりともヤキモキさせられているだろう。

また、不死騎団長だと気づいた場合だが――どちらかと言えばこれは、気づいたというよりも疑っている程度だろう。本当に気づいたのであればすぐにでも騒ぎ立てているだろうし、声や背格好などから共通点を見出しているが、結びつかずにいる。というのが正解だろうかと考える。

 

だが、いずれにせよヒュンケルの素性は明らかにしなければならない。レオナが戻ってくれば、ほどなくして彼は自らの口でその正体を明かすだろう。その時には果たして、ヒュンケルの運命はどう転ぶのだろうか?

 

様々な想いを乗せて、気球はゆっくりと空へと浮かび上がっていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「うわぁーっ!! すっげーっ!!」

「本当に、すごい乗り物ね」

 

グングンと遠ざかっていく地面と、それと反比例するように遠くまで見えるようになる景色に、姉弟は感嘆の声を上げる。

チルノの記憶が正しければ、これはパプニカには一つしか存在しない乗り物である。一国でも一台しか所有していないものとなれば、世界全体を見渡してもどれだけ数が存在するのか。だがこれは人間同士の戦争には役立つだろうが、魔族との戦いではそれほど役に立たないのではないかとも考える。モンスターの中には空中を自在に飛び回る種族もいる。事実、彼女と弟はキメラとバピラスに乗って空を飛んだことがあるし、ガーゴイルのように剣を持つ相手もいる。

いずれはこの気球船も改良され、戦争の道具に使われ多くの命を奪うのだろうと思い、チルノは少しだけ顔を曇らせた。平和のためだけに使わせてやりたいが、そう上手くは行かないだろう。

 

「なぁなぁダイにチルノ、お姫様ってどんな人なんだ?」

「どうしたのポップ?」

「いやぁ……そういや、二人の知り合いだとか美人だとか部分的に話は聞いているけどよ、実際にこういう人間だって話は聞いたことがないってことに気付いてな」

 

ポップのその言葉に、今まである程度は話をしているが確かにレオナがどういう人物なのかを詳細に伝えていないことに二人は気付く。

 

「ああ、なるほど。お姫様って言えば男の子なら一度は憧れるものよね」

「そうそう! わかってるじゃねえかチルノ!!」

 

チルノの言葉に我が意を得たりとばかりに、まだ真実を知らぬ少年魔法使いは胸をときめかせる。

 

「エイミさんを見たときにゃ、これはまさか! と思ったもんだよ」

「まぁ、お上手ね。でも、姫様は私なんか比べ物にならないくらいお美しい方よ」

「おおーっ!!」

 

彼の目から見れば、エイミであっても美人である。その彼女からお墨付きが出るのだ。純真な少年は期待にさらに胸を高鳴らせる。

 

「まったく、ポップってば……」

「うるせぇな、別にいいだろ!」

 

マァムが呆れた表情を見せるが、ポップは挫けない。それを見ながら、まだ傷口は小さいほうが痛みは少ないだろうとチルノは口を開く。

 

「ポップ、その……深窓の令嬢、みたいな控え目でお淑やかだけど、尽くしてくれるタイプ。なんて考えているなら、その想像はすぐに捨てた方がいいわよ……私に言えるのは、このくらい……」

「え……!?」

「うん。その、可愛いけれど言いたいことは遠慮せずにガンガン言うタイプ、かな」

 

姉弟の言葉にポップがこの世の終わりのように顔を歪ませる。一応チルノは精一杯の婉曲的な表現で、ダイもある程度常識を弁えるようになったおかげか、マァムと比較するような表現をすることもなく、レオナのことを告げていた。ダイの傍にいるゴメちゃんも、二人の表現を聞きながら何も言わずに頷いていた。

 

「それ本当かよ……」

「……そこでどうして私を見るのかしら?」

「いや、マァムがすげぇイイ女に見えてきて……」

「それはどういう意味かしら?」

「いやいやいや!! 勿論いい意味でだよ!!」

 

比較するようにマァムを見てしまい、その口ほどに語っている視線に気付いたマァムが静かに言う。慌てて否定するも、マァムは良い笑顔を浮かべたままだ。

そんな二人の夫婦漫才を、エイミたちパプニカの人間は微笑ましい表情で見ていた。

 

 

 

「島が見えたぞっ!!」

 

あれからさらに気球を飛ばし続け、やがて先頭で見張っていたパプニカ兵が声を上げる。その声を聞いてダイたちも自然と視線を前に向ける。

 

「あれが、バルジ島……!!」

「なるほどね。エイミさんが見た方が早いって言ったのがよくわかるわ……」

 

その光景を確認すると、誰もが納得したように唸る。

バルジ島は海に浮かぶ小さな島の一つ。だが、その小島のすぐ隣には巨大な渦が発生している。その勢いはすさまじく、小舟などでは巻き込まれればすぐにでも沈没するだろう。大型船と言えども油断できそうに見えない。

 

「あれはバルジの大渦と呼んでいるの。あの渦のせいで島はめったに人の寄らない場所になっているのよ。もしも島に行くのなら、すごく遠回りをして渦を避けて行かなきゃならないしね」

「おまけに島にあるのは塔だけじゃからな。まさかあそこにおったとは、盲点じゃった……」

 

エイミが島について説明をすると、バダックがそれに続いて口を挟む。彼であっても――というよりもパプニカの地理を知っている者であれば、バルジ島に潜むというのは常識外の発想だったらしい。

 

「ええ、普通なら考えにくい。すべてはこの気球船があったおかげよ。これを連絡船として、塔を拠点に反撃の機会をうかがっていたの」

「あの島の真ん中にある塔がそうね」

「あそこにレオナがいるのか……」

 

バルジ塔を見てダイが表情を引き締める。それはチルノも同じだった。いや、むしろ本来の歴史を知る彼女は誰よりもこの先の事を心配しているのだ。彼女の知る同じタイミング通りに強襲を掛けられるとは限らないが、急いでおくに越したことはないだろう。

自分でもかなり不自然であることは自覚した上で、意を決してチルノは切り出す。

 

「あの、この気球はもっと急げますか?」

「え?」

 

その言葉にエイミは真意を図りかねていた。このままの速度で進むだけでも十分であり、急ぐ理由が分からないのだ。

 

「ごめんなさい、それはちょっと難しいわね。風の機嫌に左右されるから……」

「だったら、移動に呪文は効果ありますか?」

「呪文を? 風を操れれば可能性はあるけれど……ちょっと!?」

「【エアロラ】!」

 

基本的に気球というのは人の手で操作するのは上昇と下降の垂直移動のみである。水平移動は風の流れる方向へ、風の速さで移動する。つまり、行きたい方角に向かって吹く風に上手く乗ることが出来るのが、気球を操る者の腕の見せ所ということになる。

だがそれだけではチルノの思う速度には到底到達していなかった。そのため彼女が取った方法は、風を魔法で操って無理矢理加速させることである。

エアロラの魔法を調整することで追い風として、バルジ島へ向けて一気に加速させる。だがそれは当然、自然のものではない。人為的に巻き起こした強風だ。

 

「おおおおっ!?」

 

突然の突風に晒されて、気球が揺れる。その影響は吊り篭の中のダイたちにも広がっている。急激に吹き晒されて姿勢が不安定になり、思わず悲鳴を上げながら籠にしがみつく。

 

「姉ちゃん!?」

「チルノ!?」

「急にどうしたの!?」

 

そしてこれも当然、仲間たちからは彼女の突飛な行動について問いただされる。

 

「ごめんなさい!! 文句はあとで幾らでも聞くわ!! 今だけは許して!!」

 

しかしそれを説明している時間すら惜しいとばかりに、再びチルノは魔法で風を操る。二発目ということもあって、今度は初回よりも上手く放つことが出来た。揺れも少なく、気球がどんどん加速していく。既にバルジの塔は目と鼻の先と言っても良い位置まで見えていた。

 

「あとで、って……」

「ああっ!! 塔が!! 塔に異変が!!」

 

前方見張りの兵が叫ぶ。彼の言葉通り、バルジの塔の最上階からは俄かに黒煙が立ち上り始めていた。

 

――五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)……やっぱり……

 

その煙を見てチルノは確信する。

五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)はメラゾーマを同時に五発放つというフレイザードならではの必殺技である。あの煙はその強烈な炎によって引き起こされたものだ。ならば炎の主も当然あそこにいるだろう。

 

「まさか、姫の身に何か!?」

「こっ、これを見越して急がせたっていうの!?」

 

塔の様子がおかしいことはここからでも分かる。そのため空の上は俄かに蜂の巣をつついたような騒ぎになった。チルノが急がせた理由も後付けのように証明され、全員に緊張が走る。

 

「あの塔に! 急いで!!」

「わかったわ!! 難しいかもしれないけれど、屋上へ降ろして!!」

 

エイミが気球の操縦者にそう指示する。塔の屋上は狭く、とてもではないか離着陸させるのに適した場所ではない。だが今は非常事態だと判断したため、無理を承知でそう言っているのだ。操縦士もそれを理解しているため、緊張の面持ちで頷く。

 

「エイミさん! 風の指示をお願いします!」

「あ……そうね、お願い!!」

 

チルノの申し出をエイミは素直に受けることにした。先ほどの加速させた手練れは、乱暴だったとはいえ見事である。そして加速が出来るのであれば減速にも応用できるだろう。そう考えたが故の許可である。

 

「姉ちゃん! おれも……」

「ダメッ!!」

 

隣に並んで呪文を唱えようとした弟を、姉は慌てて止める。ダイが使おうとしていたのはバギの呪文である。一見すればこの場面では協力できそうに思えるが、バギ系の呪文は真空の渦を作り出してかまいたちを生み出す呪文なのだ。下手に使えば気球のバルーンに傷を与えかねない。威力や効果範囲を調整すれば使えないこともないが、そうなるとバギ系呪文の本質から離れ、碌に効果が発揮されない。

この場は風そのものを操るエアロ系の魔法を使えるチルノだけが、気球の加減速を行えるといえよう。だがそれを細かく説明している暇はない。焦燥感も相まって、大声で注意してしまった。

 

「ダイは力を温存しておいて! 塔に近寄ったら飛び降りてレオナを助けに行って!!」

「わ、わかった!!」

 

流石に説明が少なすぎたと思い直し、すぐにダイへ先陣を切ることを期待していることを伝える。ダイもそれを聞くと、塔の屋上を睨みつけるように集中していた。

そしてエイミの指示によって幾度か風の魔法を操り、ついには塔の上でうまい具合に減速することが出来た。

 

「もういいよね!? おれ、行くよ!」

「お、おい! ダイ!!」

 

高さにして、三階建ての建物くらいだろうか。その程度の高さまで来たところで、待ちきれなくなったダイが籠から飛び降りる。慌ててポップが声を掛けるがダイは既に空中へと身を躍らせていた。そのまま着地すると同時に転がるようにして衝撃を逃がす。

 

「ダイ!! 敵がいたら遠慮せずに倒しちゃいなさい!!」

 

チルノが弟の背中にそう投げかけるが、果たしてその言葉は届いたであろうか。ダイは塔の内部へと続く穴に飛び込んで行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「きゃああああっ……!!」

「ケケケッ!!」

 

バルジの塔の最上階では、今まさにフレイザードがマリン――エイミの姉であり、パプニカ三賢者の一人――の顔面を炎の左手で掴み、そのまま晒し者にするかのように持ち上げていた。

炎を纏う左半身は常に高熱を発しており、その岩石の肉体と相まってマリンの顔を強く焼く。さながら焼けた石を顔面に押し当てられているようなものだ。焦げ付くような肉の焼ける臭いと髪の焼けるツンと癖のある臭いが辺りに漂う。

 

「そらよっ!」

 

だがフレイザードはさして興味もなさそうに、炎で苦しむマリンを無造作に投げ捨てた。塔の外周に建てられている柱の一本に激突し、その痛みでついに我慢の限界を超えたのか気を失った。

 

「……き、貴様……女の顔になんということを……!!」

 

残る三賢者の一人、アポロが激痛に呻きながらも叫ぶ。この直前、彼はフバーハの呪文によってフレイザードの攻撃を防いでいた。光の防御幕を生成することで大抵の炎や氷を弾き返す高等な呪文ではあったが、対してフレイザードは五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)を打ち込んでいた。そのあまりの威力はフバーハですら防ぎきることは叶わず、最前列にいたアポロは特に大きなダメージを負っていた。

 

「女だぁ……? 笑わせるなッ!!」

「ぐっ!」

「ここは戦場だ! 殺し合いをするところだぜ! 男も女も関係ねェ!! 強い奴が生きて、弱い奴は死ぬんだよ!! 傷つくのが嫌なら戦場にでてくるんじゃねぇ!!」

 

アポロの腹を右足で踏みつけながら、フレイザードはそう言い放つ。

だが、フレイザードのこの言葉は本人にとって詭弁でしかない。もしもフレイザードが女であり、勝利のために女を武器にすることが必要な場面に遭遇した場合、彼は躊躇うことなく女という武器を使うだろう。

彼が求めているのは常に勝利――それも完璧な勝利である。先の行動も、女の顔を焼くことで注意をひきつけ、生かしたまま放置することで足手まといを作り、レオナたちが逃げにくくする布石としているのだ。あの発言も、怒りを煽ることが目的でしかない。

 

ある意味では正鵠を得ていた言葉。戦場にいる以上、戦う覚悟を決めた以上は傷つくことも死ぬことも誰にでも平等にあり得るのだ。

そう、誰にでも。

 

「アバン流刀殺法! 海波斬!!」

「ウオオッ!?」

 

突如として飛んできた剣圧が、フレイザードの右足を襲う。アポロを踏み潰さんと乗せていたその足は、海波斬による高速の一撃によって綺麗に切断されていた。予期せず片足を失ったことでバランスを崩し、呆気なく転倒する。

 

「誰だっ!!」

 

攻撃の飛んできた方向を見て、そしてフレイザードは絶句する。そこは剣を構えるダイの姿があった。闘技場で溶岩に巻き込んで殺したはずの相手がどうして、何故生きているのか。信じられない事実に驚愕していた。

 

「てっ……てめえッ! 生きてやがったのか……!?」

「おれが相手だ! フレイザード!!」

 

氷炎将軍へ挑発するように指を突きつけて、ダイは声高に叫ぶ。その姿は、まさに勇者を体現したかのような風貌を漂わせていた。

 

「……ダイ君! 来てくれたのね!!」

 

五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)の余波でダメージを受け、床に倒れたままだったレオナであったが、ダイの姿を見ただけでまるで回復呪文を受けたように楽になり、歓喜の表情を見せる。

 

「ぐぐぐッ……舐めたことを抜かしてんじゃねぇぞ!! このガキッ!!」

 

片足を失いバランスを崩した格好のままであったが、血走った瞳でダイを睨みつける。一方のダイも、フレイザードの闘気を感じて油断なく剣を構え直し、相手がどんな行動を取ろうともすぐに対応できるように、隙があれば自分から攻め込めるように姿勢を整える。

 

「凍え死ねッ!! シャアアァァァッ!!」

 

動いたのはフレイザードの方が早かった。失った片足を再生するだけの時間を稼ぐためにも、自分から攻め込むことを是としたようだ。口から吹雪のブレスを吹き付けてダイへ攻撃を行う。だがその程度の攻撃はダイにとって想定内だった。

 

「海波斬!!」

 

海の技が再び煌めき、その剣技が吹雪を切り裂く。圧倒的なスピードによる斬撃が可能とする攻防一体の技だ。吹雪を切り裂いてもその勢いは止まらず、フレイザードへと襲い掛かる。

 

「グオオオッ!!」

 

その剣閃を辛うじて右手で防ぐが、キラーメタルでコーティングされた鋼鉄の剣(はがねのけん)は切れ味が増している。その剣から放たれた海波斬は、フレイザードの氷の右手を肩口から一気に切断していた。

 

「くそがっ……!! ちくしょうめ!! だったらコイツだ!!」

 

フレイザードは禁呪法によって生み出された魔法生命体であるため、腕が切断されようとも生命活動に支障はなく、痛みも感じない。だが、人型をしているため、足が切られれば立ち上がれなくなる。腕を切られれば殴ることもできなくなる。なにより、こうも一方的にやられては面白いはずがない。

一方的に攻撃される苛立ちとダメージを受け続ける屈辱がフレイザードから慎重さを奪い取り、攻撃を短絡的にさせていく。

 

「メ…ラ…ゾー…マ……」

 

左腕の指を一本一本順番に立て、そこに炎を灯していく。何も知らなければ、それはメラにも満たない小さな火にしか見えないだろう。だが実際は、五本の指それぞれにメラゾーマを発生させているのだ。

 

「あれは!! ダイ君よけて!!」

「遅ぇッ!! 五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)!!」

 

技を一度見ているレオナがダイへと叫ぶが、遅かった。フレイザードは五つのメラゾーマを完成させるとダイへ向けて放つ。

先ほどフバーハを破ったときには個々のメラゾーマを分散させて放っていたが今回は違う。ダイただ一人へ目がけて五つの業火が襲い掛かって来るのだ。

 

「バギ!!」

 

離れた位置からでも火傷を負いそうなほどの熱量を放つ火球の群れ。それを見たダイは瞬時に剣へバギの呪文を纏わせると業火へ正面から突進する。

 

「バカが!! 焼け死ねぇッ!!」

 

ダイの行動を見てトチ狂ったと思ったのか、フレイザードが勝利を確信したように声を上げる。実際、それも仕方のないことだろう。ダイの勝利を願っていたレオナとて、この行動の真意は読めなかった。

 

「真空海波斬!」

 

突進しながらバギを纏わせた魔法剣で海波斬を放ち、ダイ本人はメラゾーマの下を潜り抜けるように滑った。

バギの魔力が上乗せされた海波斬が五つのメラゾーマと激突した。海波斬の斬撃によって切り裂かれたメラゾーマの炎は、バギの魔力によって生み出された真空の渦に飲み込まれる。そして竜巻のように吹き荒れる風によって炎は煽られて上に吐き出された。

バギによって真空状態となったことで熱を遮断し、生き残っている炎は竜巻によって天井へと向かう。そのため下を進むダイへの影響は極小。ほぼ無傷で五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)をやり過ごすことが出来た。

 

かつて、ダイは流れ弾で村人を危険な目に会わせたことがあり、そのことを悔やんでいた。彼の姉の言葉で立ち直ることが出来たが、同じ轍は二度と踏まないようにその方法を模索していたのだ。真空海波斬はようやく完成したその手段の一つ。海波斬によって敵の攻撃を防ぎ、バギの効果によってより完璧な無力化を狙った技である。

――もっとも、ダイは知らないだろうが、これをチルノが見ていれば気付いただろう。これはかつて獣王クロコダインが真空の斧を使い炎の攻撃を防いだのと同じ方法だ、と。同じ戦士であるためか、どうやら考えることは案外似通ってくるものらしい。

 

「な……なんだとおぉッ!?」

 

あり得ないものを見るような目で、フレイザードは自身の眼前に立つダイを見つめていた。五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)は彼の必殺技の一つである。魔力を多大に消費する――下手をすれば寿命すら削りかねないものの、賢者のフバーハすら貫いた強力無比な攻撃のはずだ。

だがそれは一人の少年によって軽々と突破されていた。

 

――バカな!! あり得ねぇ!! こんなバケモノみたいな強さの奴とヒュンケルの野郎が互角に戦っていたってのか!?

 

気に食わない相手だったはずのヒュンケルがダイと戦っていたことを思い出し、目の前で見せつけられたダイの戦闘力と比較してしまいフレイザードは混乱する。(ダイ)の事を過小評価していたのか、それとも、認めたくはないが自分自身(フレイザード)を過大評価していたのか。

混乱する頭でダイを見上げ、そして彼は気づいた。

ダイはフレイザードを見ているが、その視線の先はどこか不自然だ。戦場である以上、視線は相手の目を見るか、はたまた手足などの攻撃の起こりを見極めようとするか。だが、ダイは違う。全く別の場所を見ている。

 

「終わりだ、フレイザード!!」

「ま、まさか……!! 待てッ……!!」

 

その視線の意味を、ダイの言葉を聞いてフレイザードはようやく理解した。ダイが見つめる先にあるのは、フレイザードの(コア)がある位置だ。呪法生命体は体内のいずこかにある(コア)を破壊されるまで生き続ける。

だがその(コア)の位置は人間の急所と違い、目には見えず位置も不確定だ。しかし、空の修行を修めたダイにとっては、見えざる敵の急所すら手に取るように理解できる。

 

「アバン流刀殺法! 空裂斬!!」

 

心眼によって見抜いた敵の(コア)を目がけて、光の闘気を打ち込む。闇のエネルギーによって動いていたフレイザードにとってみれば、この攻撃は天敵である。強烈に撃ち出された闘気はフレイザードを吹き飛ばし、そして彼の体内に隠されていた(コア)を正確に分断した。

 

「ウ……グッ……ウギャアアアアアアアッ!!」

 

空裂斬の衝撃を受けて吹き飛ばされながら、(コア)が切断されるのを感じた。フレイザードはその(コア)の魔力によって灼熱の身体と極寒の身体を繋ぎ止めていたのだ。それを失ったことで、身体の維持が出来なくなっていた。

炎と氷という相反する属性同士が反発し合い、対消滅しそうになる。だが、フレイザードがそれを心配する必要はなかった。

 

「が、ああああああああぁぁっ!!」

 

吹き飛ばされた先は塔の外だった。それに気づいて必死で外壁を掴もうとしたが、遅すぎた。フレイザードの体は空中へと放り出され、そのまま落下する。受け身を取ろうにも身体は今にも消滅しそうであり、どうすることも出来ない。

フレイザードに出来たのは断末魔の叫び声を上げながら落ちて行くことだけだ。

 

「…………っ!!」

 

ダイは油断なく剣を持ったまま、外壁へと身を乗り出して塔の外の地面を確認する。だがそこに見えたのは、ほんの僅かな残り火と、粉々になった石の破片だけだった。

 

 

 

「おーっ、流石だねぇ」

 

不意に聞こえてきた声にダイは振り返る。何時の間に来たのか、そこにはポップとマァムが立っていた。よく見れば二人の後ろには、天井から垂らされた縄梯子が見える。そこから屋上に繋がっており、彼らはそれを伝ってやってきたのであろう。今また一人のパプニカ兵が梯子を下りていた。

 

「助けに来たつもりだったんだけど、いらなかったみたいね」

「ううん、二人がそう思ってくれただけで十分だよ」

 

戦いに間に合いはしなかったが、こうして駆けつけてくれただけで嬉しく思いながら、ダイは剣を鞘へ収める。キラーメタルでコーティングされた刀身が勝利を祝うようにキラリと光った。

 

「けど、あのフレイザードのメラゾーマはとんでもなかったな。よく避けられたもんだ」

「ポップ……いつから見てたんだよ……?」

 

しみじみ思い返すように呟くポップの言葉に、ダイがジト目で睨む。言葉だけを聞けば、戦いに参加せずに見物をしていただけのようにも思えるだろう。そんなダイを安心させるようにマァムが笑いながら言う。

 

「ふふふ、安心して。私たちが見たのはダイがメラゾーマを斬ったところからだから。ポップは別に黙って見ていたわけじゃないわ」

「ちょっ、おいマァム!! 言うに事欠いてそりゃねえだろ!!」

 

まるでポップだけを非難するような言い回しに文句を言うが、本心ではないことは誰しもが分かっている。慣れ親しんだようなやり取りに、少し前まで戦っていたことを忘れてしまいそうだ。

 

 

 

――なんてすごいのだろう。

 

レオナの心はその言葉で満たされていた。

危機に瀕したと思えば颯爽と現れて、瞬く間に敵の軍団長を倒してしまう。そんなダイの姿は、彼女から見ても惚れ惚れする。

だがいつまでも呆けているわけにもいかない。何しろ自分はパプニカ王家の生き残りなのだ。そう自分に言い聞かせて、まずは兵士たちへ怪我人救護の指示を出す。エイミと共に戻ってきた兵士たちは彼女の言葉に従い、近くで倒れている同胞の兵士たちに手を貸す。

それを確認してから、レオナは改めてダイの方を見る。

 

「ダイ君!!」

 

まだフレイザードから受けたダメージによって多少ふらついてはいるものの、彼女は思ったよりもしっかりとした足取りで動くことができた。

 

「あ、レオナ」

 

対してダイはレオナの姿に気付くと、申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。

 

「ごめん! 本当はもっと早く来られれば良かったんだけど……怪我はなかった?」

「ええ、大丈夫よ。ダイ君が来てくれなかったら、きっとあたしたちは全滅していたと思う。本当に助かったわ」

 

ダイのその姿に、レオナは柔らかい微笑みを浮かべながら言う。確かに被害は出たが、ダイは助けに来てくれて、そしてフレイザードを単騎で倒してしまった。数ヵ月前に初めて出会ったときは、まだまだ頼りなさそうな少年だったというのに。

これでどうして文句を言えようか。

 

「ダイ君、来てくれてありがとう。信じて待っていたのは間違いじゃなかった」

 

瞳に涙を浮かべながらレオナはダイへ向けて最大限に礼を述べる。そこにはパプニカ王家の生き残りである姫としてのカリスマが込められていた。

その様子にダイも満足そうに笑顔を浮かべる。

 

「ところで、この二人はダイ君の仲間かしら?」

「ああ、そうさ。魔法使いのポップと、僧侶のマァム。二人ともアバン先生の弟子なんだ」

 

レオナの言葉にダイが頷き簡単に紹介すると、二人とも会釈するように頭を下げる。

 

「あと一人、ヒュンケルって名前の仲間がいるんだ。同じく先生の弟子なんだけど、今はパプニカで待っている。おれたちの留守中に魔王軍が攻め込んできたときの為に備えてって……」

「そう……アバンの使徒が四人も……」

 

ダイ、ポップ、マァム、ヒュンケル。それぞれがアバンの弟子だという心強い言葉にレオナは期待に胸を膨らませる。かつて彼女の父がアバンへ勇者の家庭教師を願ったことは決して誤りではなかった。こんなにも大きく成長して、仲間を連れて助けに来てくれたのだから。

改めてダイたちの事を見て、そしてレオナは気づく。

 

「……ねえ、チルノは?」

 

姿を見せている人々の中に、ダイの姉の姿がない。かつてデルムリン島にて知り合い、歳が近いということもあってレオナはチルノのことを気にしていた。何よりレオナから見ればチルノは裏切り者たちの策略を逆手に取った恩人の一人でもある。気にならないはずがない。

 

「ああ、姉ちゃんなら……」

「呼んだかしら?」

 

ダイが言いかけたところで、チルノが上から降ってきた。縄梯子などまどろっこしいとばかりに屋上とつながる穴から直接飛び降りたのだ。そこそこの高さがあったはずだが、高さも勢いも感じさせないほど軽やかに着地する。その姿はまるで猫のようだ。

 

「チルノ!」

「ごめんね、気球の固定に手間取っちゃって。レオナ、久しぶり」

 

天から降ってきた親友。それはまるで神からの贈り物のようであり、レオナが歓喜の声を上げる。チルノもまた数ヵ月ぶりに再会したレオナへ喜びを隠さずに笑顔を浮かべた。

 

「髪、伸びた? ずいぶんと大人っぽくなっちゃって、ズルい……」

「そういうあなただって、島の時とは雲泥の差ね。何よりその服、良く似合っているわよ」

 

何しろ出会ったのは数ヵ月も前。しかも成長期の少女なのだ。それだけ時間が経てば受ける印象は大きく異なる。

以前出会った時のチルノは間に合わせのような地味で古臭い布の服を着ていた。それが今は知的な印象を受ける服に着替えている。外見も、苦労を乗り越えてきたおかげもあり、あの頃よりも大人びたと言って良いだろう。

だが、それもレオナの前では霞んでしまう。

賢者としての洗礼を受けて、王女としての重責を自覚したためだろうか。幼さが抜けており、以前出会った頃とは別人のように美人となっている。身に纏っている衣服も荘厳な物となり、貴金属を身に着けていることもあってぐっと大人っぽい見た目である。

 

短いやり取りを交わしただけであったが、互いの姿形と感じ取れる雰囲気から今日までどんな苦労をしてきたのか、二人は何となく理解出来た。

 

「そのスライムは?」

「ああ、そういえば前に島に来たときには紹介できなかったわね。スラリンって言うんだけど、ついて来ちゃって……」

 

スラリンはいつものようにチルノの肩に陣取ったまま、元気よく鳴いてレオナに挨拶をする。困ったものだと言わんばかりの表情を見せるチルノの様子に、レオナはクスクスと小さく笑う。スライムの愛らしい様子には、どうやら一国の姫と言えども抗いきれなかったようである。

 

「そういえば、ダイは役に立った?」

「それは勿論! 勇者アバンに助けられた時のフローラ姫はきっとこんな感じだったのね」

 

このまま近況報告という名の会話を何時までも続けたかった。何しろ話をしたいことはたくさんあるのだ。だが今はまだのんびりとしているわけにもいかない。レオナの大満足したような言葉を聞くと、チルノはそこで一度話を切るように頷く。

 

「それは良かった。それじゃあ、次は私の番ね」

「え?」

 

そして精神を集中させ、魔法を発動させる。

 

「【ホワイトウィンド】」

 

彼女の使った青魔法によって、塔の内部に柔らかな風が吹いていく。若干霞がかったミルク色をした風は、ダイたちは勿論のこと、倒れている兵士一人一人にまで優しくそよいでいく。

「こ、これは……?」

「うう……な、なんだ一体……?」

 

そしてその風を身に受けた者たちは、皆が意識を取り戻して起き上がっていく。フレイザードにやられた兵士たちも、五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)を受けたアポロですらも、傷が癒えているではないか。

 

「こ、これって……!?」

「ちょっと乱暴かもだけど、治療をさせてもらったわ」

 

それはその場にいる全員を癒やすという便利な青魔法である。回復量は術者の体力に左右されるため、常に安定した回復が望める訳ではないが、一度に多くの人間を癒やせる。今のような状況では打って付けだった。

その魔法の影響はレオナにも勿論及ぶ。彼女は未だ痛みを堪えていたのだが、それがスゥーッと楽になっていく。臣下たちに庇われており比較的攻撃を受けなかった自分でこれならば、他の者たちはどれほど楽になっているだろうかは想像に難くない。

 

「相変わらず、規格外ね……」

 

ベホマラーという複数の対象を一気に回復させる呪文があることはレオナも知っているが、これはまさにそれだろうかと錯覚してしまう。もっとも、チルノの事情を知る彼女はホワイトウィンドの効果をベホマラーによく似た特殊な力だということは理解している。

それを知った上でも、規格外としか言いようがなかった。

 

「アポロ! 大丈夫!?」

「エイミ……この治療は君が……? いや、私よりもマリンを……!」

 

レオナが感心しているその横では、エイミがアポロを助け起こしていた。

 

「え……?」

 

気を失っていたアポロはエイミが自分に回復呪文を使ったと判断したようである。だが自分が助けられたことよりも彼は、フレイザードにやられたマリンの容態を心配していた。

アポロの言葉にエイミは辺りを見回し、そして気づく。塔の外側付近に倒れている姉の姿があるではないか。

 

「姉さん!!」

 

慌てて駆け寄り、無事を確かめようとするエイミであったが、マリンの様子を見た途端に一瞬だけ足が止まるものの、だがすぐに動きを再開させた。

 

「なんて……酷い……」

「すまない……本来ならば私が身を挺してでも彼女を守るべきだった……」

 

フレイザードの高熱の半身によって焼かれたマリンの顔には酷い火傷が刻まれたままであった。彼女もまたチルノのホワイトウィンドの効果によって多少なりとも回復しているのだが、傷は深いようであり完治にはほど遠いようである。

その傷を凝視しながらエイミは姉を優しく抱き上げる。受けたダメージよりも精神的なショックの方が大きいのか、彼女は気絶したまま目を覚まさずにいた。

 

「大丈夫よ、安心しなさい」

「姫!」

 

突然後ろから掛けられた声に驚き、振り向けばレオナがそこにいた。彼女はエイミに安心させるように笑いかけると、跪いてマリンの顔――その火傷の傷跡を慈しむように手を添える。

 

「ベホマ」

 

ダイは素晴らしい強さを見せてくれた。チルノは多くの臣下たちを瞬く間に癒やすほどの異能を見せた。デルムリン島で出会ったときの実力であってもかなりのものだった二人が、さらに強くなっている。ならば自分もこのくらいは見せなければ、隣に並び立つ資格が無いように思えた。

勿論ダイもチルノもそんな差別するような態度は見せないことは彼女とて分かっている。どちらかと言えばこれは彼女のプライドの問題だ。自分もこの数ヶ月の間を遊んで過ごしていた訳ではない。しっかりと修行を行っていたのだということを二人に見せたかったのだ。

 

ベホマは、回復呪文の中でも最上級のものである。重傷ですら快癒させるこの呪文はその効果を遺憾なく発揮して、醜く焼け爛れたマリンの顔をすっかりと元に戻していく。

その様子をパプニカの者たちは勿論、ダイたちも目を丸くして見ていた。これほど見事な回復呪文などそうそうお目にかかれるものではないだろうし、マリンもまたエイミの姉だけあって美人である。美人の傷が消えるのであれば反対する男などいないだろう。

 

「あれが……ベホマ……」

 

輪になってマリンを見守っている一団から一歩離れた場所で、その様子を見ていたマァムが思い詰めたように呟く。その声は誰にも届かなかった。

 

「ふぅ……っ……」

「ありがとうございます姫。姉のために……」

 

未だ目を覚まさないマリンに代わり、エイミが深々と頭を下げる。だがレオナは気にした様子を見せない。

 

「何言ってるのよ。顔は女の命でしょ? いつも綺麗にしとかなきゃ。それに、まだ気絶したままなのはもしかしたら好都合よ。マリンには夢と思わせておきましょう」

 

自分の顔が焼け爛れるところなど、誰も想像したくないだろう。マリンを気遣ってのその言葉にエイミは再び深々と頭を下げた。

 

「さて、これで全員動けるようになったわね? ダイ君たちも助けに来てくれた以上、もはやここに留まる理由もないわ。パプニカに戻って国の復興と、魔王軍への反撃体制を整えるわよ」

「はっ!!」

 

全員の怪我も癒えたのであれば、もはや身を隠す理由もない。姫としてカリスマ性を発揮させ、彼女は全員へ命令を下した。

兵士たちはその命に従い、帰還の準備を始めていく。見事な統率力であった。

 

「お疲れ様。あれがベホマね? 初めて見たわ」

「それはそうでしょうね。僧侶だってそう簡単に使える呪文じゃないもの。覚えるのには苦労したわ」

 

最上位の回復呪文の使い手などそうゴロゴロいるものではない。チルノの言葉にレオナは暗に大変な修行の結果会得したのだと少しだけ苦労を匂わせる。

 

「でもそのおかげで、あの時よりももっと強くなっているから。攻撃呪文の方も期待してくれていいわよ」

 

その言葉にチルノは驚くが、考えてみればこれは自然な結果と言ってもよかった。

それはチルノが存在するためである。同い年の少女が未来の賢者と呼ばれており、その活躍ぶりを間近で見ているのだ。良い意味で影響を受け、触発されていた。

 

「ふふ、すごい自信ね。これなら、もう数日は救助に来るのを遅らせても大丈夫だったかな?」

「ちょっと! 冗談でもやめて。かなりギリギリだったんだから」

 

そんな他愛もないお喋りであったが、レオナにとっては心休まる時間だった。だがそれもやがて終わる。

 

「姫! 気球に最低限の荷物を積み込みました。先にお戻りください」

「そう、わかったわ。ダイ君、チルノ。みんなも行きましょう」

 

パプニカ兵の言葉によって、レオナはダイたちと共に屋上へと上がり気球へと乗り込む。

やがて塔の頂上から気球船が飛び立ち、バルジ島を後にしていった。

 

 




バルジ島、終わっちゃいました。まさかの結果です。

本来はダイが空裂斬を取得するイベントなのですが、既に使える場合は意味がないので。
誰かを凍らせる? レオナ? エイミ? マリン?(アポロは論外。男に需要は無い)
そんなの原作を知っているチルノさんが許すわけがない。氷炎結界を張る前に即・殲・滅です。
(そもそも氷漬けは結界内から逃がさないための手段なので、事前に人質という展開は不自然)
チルノさんを氷漬けにできれば一番楽なのですが、同じ理由で却下。
(「その名前でお前が凍るのかよ!」という身体を張ったボケにはなりますね)

以上の協議の結果、今回のようになりました。

このままだと(修羅場を経験しないので)仲間がイマイチ強くなれないぞ。どうする?
ていうかピンクのワニさんは何時出てくるんだ!?!?

……頑張れ未来の私!! 超頑張れ!!


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LEVEL:25 王女の帰還 前編

脳内に浮かんだことを色々書いていたら文字量が増えたので前後編です。



バルジの塔を出発した気球船は、今ゆっくりとパプニカの大地に降り立った。その釣り籠には、レオナたちパプニカの民とダイたち勇者の一行が乗っている。

ダイたちにしてみれば、つい先ほど通った道を再び戻ることとなりいささか退屈であったが、レオナにしてみれば違う。狭い塔の中で続けていた禁欲生活をようやく終えることができたのだ。道中にて見る景色はその全てを新鮮に感じていた。

 

「うーん……! ようやく帰ってきたって感じがするわね」

 

釣り籠を飛び降りると、レオナは大きく伸びをする。

気球の降りた場所は、これまた先ほどと同じく大神殿の跡地だった。積み重なった瓦礫もまだまだ残っており、廃墟のような状態はそのままに――いや、レオナの記憶にあった時よりも破壊されている。どうやら逃げた後でもモンスターたちに壊されていたらしい。

 

「そうね。おかえりなさいレオナ」

「ええ、ただいま。チルノ」

 

そんな大神殿の様子に心を痛めつつも、それでもレオナの中には喜ばしい気持ちがあった。

住み慣れた場所に戻って来ることができるのは、それだけでも嬉しいものである。ダイたちの活躍によって国を取り戻すことができた。魔王を倒すのが勇者の役目ならば、国民を導くのは王族の役目である。

ここに再びパプニカ王家を復興させて、臣民たちが安心して生活できるようにしなければならない。その壮大な仕事に、重責を感じないと言えば嘘になるだろう。

だが、頼りになる仲間も親友もいるのだ。ならばきっと、この困難だって乗り越えていけるだろう。チルノの気遣った言葉に返事をしながら、レオナはそう確信していた。

 

「しっかし、大神殿もボロボロね。瓦礫を撤去して立て直して……」

「その前に寝る場所と食べ物からね」

「え?」

 

大神殿の再建や城の修繕などについて頭を巡らせようとしていたところで、チルノが口を挟んできた。

 

「復興にも人手が必要だから、まずは仮設でも良いから安心してぐっすり眠れる場所を用意してあげないと。それと食べ物の安定供給もね。その二つがあれば、多少の苦労があっても乗り越えられるわよ」

「そうなの……?」

「ええ。だって、王家の復興っていう大仕事をするんだもの。熱意は伝播するし、一体感は間違いなく生まれるはずよ。でも精神論だけじゃ乗り越えられない、食べ物は絶対に必要になるの」

 

気がつけば、レオナだけでなく一緒に気球に乗っていたパプニカ兵ですらも作業の手を止めてチルノのことを見ていた。だが彼女はそれに気づくことなく言う。

 

「逃げたパプニカの人たちだって王族が復古の宣言をすれば戻ってくるだろうし、それでも人手が足りないのなら他国に応援を求めても良いと思う――ただ、その場合は借りを作ることになるから後が大変だろうけれど。いずれにせよ、人が増えるってことは不特定多数の人間が出入りすることになるから、見回りや治安維持はしっかりしないとね」

「え、ええ……そうね……」

「こんな状況だもの、王様も国民も隔てなく助け合わないと。そうすればきっと、パプニカの人たちはもっと固い絆で結ばれると思うの」

 

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。そのくらいの言葉は、チルノとて知っている。後々騒動の種になりそうではあるが、それでも言わずにはいられなかった。

チルノの発言を聞いてレオナは肯定するように頷くと、ダイの方を向く。

 

「ねえ、ダイ君ちょっと……」

 

ちょいちょいと、小さく手招きの動作をすると、ダイはレオナの傍へ寄って行く。そのまま二人で少し離れた場所に向かうと、小声で話し始めた。

 

「チルノって、本当にデルムリン島で育ったのよね?」

「え……? うん、そうだよ。おれと一緒に育ったんだ」

「じゃあ、なんであんなこと知ってるの!? 食べ物と寝る場所だとか治安維持とか! ダイ君は知ってた?」

「ううん……おれ、知らないや……じいちゃんに聞いたんじゃないかな?」

 

チルノがそういった事柄を知っているのは、当然ながら前世の知識の影響である。

災害キャンプの話や人伝の体験談などから得た、あくまで断片的なものであったが、それでも効果は十分高い。なにしろかつての魔王ハドラーが倒れてから十五年。それだけあれば、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないが、苦労した経験も薄れていく。

ましてやまだ若いレオナでは知らなくて当然だろう。だが知らなくて当然のはずのことをチルノが知っている。心強くはあるのだが、同時にその知識の源泉を知りたいと思うのも無理はない。

何しろ彼女はチルノを認めているが、同時に対等に隣に立ちたいと思っているのだから。

 

「ブラスさん? 可能性はあると思うけれど、でも知ってるのかしら?」

 

確かに、チルノが知っているとなれば情報源はそこが一番可能性は高いだろう。だが――失礼ながら――モンスターのブラスがそういったことについて詳しく知っているとは考えにくかった。

いつか絶対に問い詰めて聞き出してやろうとレオナが思っていると、大神殿の跡地に一人の青年が姿を現した。

 

「戻ってきたか」

「あ、ヒュンケル!」

 

仲間である剣士の登場にダイは笑顔で出迎える。対してヒュンケルは、冷静な態度を崩さない。

 

「どこに行ってたの?」

「辺りの警戒を少し、な……気球が降りてきたタイミングで敵に襲われたら、たまったものではないだろう?」

 

バルジ島から帰還する気球は遠くからでも見ることができた。ヒュンケルはそれを確認したタイミングで、周囲の見回りへと向かっていた。彼の言葉通り、気球は着陸の際は無防備になる。呪文や飛び道具で応戦するにしても限界があるし、移動も回避もまともにできない。

それを防ぐため、警戒に出ていた。

とはいえ敵のモンスターなどは見当たらず、結果だけで言えば取り越し苦労でしか無かったが。

 

「あなたがヒュンケルね? ダイ君から聞いているわ。アバンの使徒なんですって?」

「そうだ」

 

容姿は二枚目ではあり、クールな雰囲気を漂わせている。もしも彼が街を歩けば、道行く女性の大半は視線が釘付けとなるだろう。そこまでは理解できる。だがレオナは、目の前の青年から寒々しい何かを感じていた。

既視感とでも言うのだろうか。理由は分からないが、見ていると背筋が凍り付くような何かがまとわりついてくる。

 

「……ごめんなさい。どこかで会ったかしら? どうもあなたとは初対面ではないような……」

「そうだな。初対面ではない。もっとも、あのときは互いに名乗ることも無かったが」

 

互いにそう言った瞬間、ダイたちの表情が一斉に変わる。何しろその正体は亡国の姫と、その国を滅ぼした張本人なのだ。

パプニカ侵攻の際、ヒュンケルは鎧の魔剣を身に纏った姿で指揮を取っていた。人間は滅ぼすという信念により、パプニカの騎士や将軍を相手にしても名乗ることすら無かった。

対するレオナは王族であるため最前線からは離れていたこともあり、ヒュンケルの姿は遠目で見たのが関の山である。

それでもレオナは、ヒュンケルの纏う空気を敏感に感じ取っていた。感じ取った空気が正体に結び付くことはなかったものの、それでも大したものである。

 

「すまないがレオナ姫。あの気球に乗っていたので、パプニカの人間は全員か?」

「え? いいえ、まだ塔に残っている人がいるわ。それらを運ぶためにも、気球で何往復かするはずよ。バルジ島から船で大回りして来る兵士たちもいるはずだけど」

 

チルノと出会ったことでレオナの意識がより良い方に向いたことや、キラーマシンの装甲を利用するといった発展を見せたことで、パプニカは――結果的には敗れたとはいえ――不死騎団を相手に予想以上に奮戦していた。そのため、バルジ島には本来の歴史よりも多くの人間が集まっていた。そのため気球によるピストン輸送も一度や二度では追いつかず、別途で海路を利用して戻る人間も出たほどだった。

 

「では、全員が揃うのはいつ頃になる?」

「おそらく今日の夜――下手をしたら明日になるかもしれないと思うけれど……それがどうかしたのかしら?」

「わかった……では明日の夜。パプニカの人たちを集めてもらえるだろうか? 彼らに話をしたいことがある」

 

そこまで言うとヒュンケルは踵を返し、再びどこかに去ろうとしていた。問題の先送りでしか無いことは分かっているが、それでもヒュンケルが自身についてこの場で唐突に言い出さなかったことに、ダイたちは少しだけ安堵する。

 

「それは急ぎの要件かしら? だったら、あたしだけでも聞くわよ」

「いや、もう一日くらいならば待とう。できる限り大勢の人間に対して聞いてもらいたい……そもそもこれは、オレの我が儘だからな……」

 

その背中に投げかけられた言葉に対して、ヒュンケルは半身だけ振り返ってそう言うと、再び歩き出した。

ともすれば根暗ともぶっきらぼうともとれる態度であり、レオナはその顔に少しだけ怒りの感情を見せるが、ダイが必死で取りなす。

 

「ごめん、レオナ。詳しくは言えないんだ。ただ、ヒュンケルは必ず自分で言うから……だから、それまで待っててくれるかな?」

「うーん……なんだかよく分からないけれど、わかったわ。彼の話を聞けば良いのね?」

「うん、頼むよ。大事な話なんだ……」

 

とても言いにくそうに言葉を濁すダイの様子に、レオナも何かのっぴきならない事情があるのだろうと推測する。

その事情を聞くことで重大な決断を迫らなければならないことを、彼女はまだ知らない。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――翌日。

レオナの予想通り、夜半過ぎまでかけて塔に避難していた人たちは帰郷を完了させていた。先に戻った人たちは食料や寝床を準備したりと、今できることを着々と進める。

王族であるレオナが先頭に立って指揮を取り、三賢者がそれぞれ細かな調整を行っていく。ダイもその一団に混じって、主に力仕事を率先して行っていた。

 

そしてチルノはというと――

 

「お願いチルノ! 私に稽古をつけて!!」

 

太陽の位置から察するに、今はお昼よりも前といったところだろうか。彼女もまた、レオナの力となるべく復興作業の手伝いをしていたところ、不意にやってきたマァムが開口一番に発したのがこの台詞であった。

辺りには同じく作業中のパプニカ兵やアポロがおり、それどころかレオナだっている。マァムの大きな声で否が応にも目立ってしまい、一同の注目を集めていた。

 

「ええと……マァム? とりあえず落ち着いて。一体、何があったの……?」

 

チルノの知るマァムは、活動的な面もあるがどちらかといえば落ち着いた印象である。それがどうしてこんなことを。

見た目からの判断でしかないが、マァムは思い詰めたような真剣な表情をしている。何か悩みがあるのだということは自明の理だった。その結果がこれなのだろう。

彼女らしからぬ行動に困惑しつつも、チルノは何があったか尋ねる。

 

「え、あ!? ご、ごめんなさい……でも、どうしても私……」

 

チルノの言葉を聞いたことで自分がどんな状況にいるのかをようやく理解したのか、マァムは表情を少し崩して周囲に迷惑を掛けたことを謝罪するように頭を下げる。だが、肝心の原因については言いにくそうに言葉を濁したままだ。

何かがあった。そして、自分を頼ってきてくれたのだ。ならば、できる限り力になってあげよう。

そう考え、チルノは周囲の作業者たちに向けて言った。

 

「レオナ、それに皆さんも。すみませんが、ちょっと抜けます」

 

ここでは話しにくい内容かもしれない。できれば二人きりの方が良いだろうと判断しての発言だ。

 

「大丈夫よチルノ。心配しないで」

「チルノ殿は国を救ってくれた英雄の一人ですよ。お気になさらないでください」

 

それを聞いたレオナたちは笑顔で問題ないと口々に言ってくれた。こちらの都合で抜けるというのに気遣ってくれる皆の気持ちに感謝しつつ、チルノは頭を垂れた。

 

「ありがとうございます。ほら、マァム。ちょっと場所を変えましょう? 何があったかは、そこでちゃんと聞くから」

「うん……」

 

マァムらしからぬ弱々しい返事。これは自分の都合でチルノに迷惑を掛けたことを申し訳なく思っているからだろう。

俯き加減のマァムを連れて作業場所を離れ、誰もいない開けた場所まで歩く。

 

「ここならいいかしら?」

 

周囲に人影がいないことを確認してから、マァムに確認するように言う。彼女が頷いたのを確認すると、チルノは手近にあった大きめの岩に腰掛ける。マァムもそれに続き、さながら長椅子に二人で座っているような状態だ。

 

「それじゃあ、改めて聞くわね。何があったの?」

「実は……」

 

マァムはゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「……本当にこんなところに人が住んでるのかよ?」

 

岸壁から下を見回しながら、ポップがうんざりしたように呟く。ここはパプニカの沿岸部分。それもバルジ島に近い海岸沿いである。少し目を凝らせば、天気が良いこともあって昨日訪れたばかりのバルジの塔がうっすらと見える。

 

「でも、先生の手記にはこの辺りって書いてあるわ。諦めずに探しましょう」

 

目に見えてやる気の失せてきているポップを、マァムは励ます。とはいえ、彼女も若干ではあるが不安を感じてきているのも事実である。

さて、ここで二人が何をしているのかというと――

 

「ところで、そのマトリフって人は本当に頼りになるのかよ? マァムは知ってるんだろ?」

「ええ、それは勿論。何しろアバン先生のパーティにいた人なんだから」

「へぇ……なにいいぃぃっ!?」

 

マァムが何気なく言った一言であったが、それは事情を知らぬポップにしてみれば驚愕の内容であった。

 

「知らなかったの? 先生のパーティは私の父の戦士ロカと母の僧侶レイラ。そして、魔法使いマトリフの合計四人なのよ」

「い、いや……全然知らなかったぜ……」

 

アバンと行動を共にしていた割には、かつての勇者の伝説についてあまり知らぬポップであった。

 

「昔はよく私の家に遊びに来てたんだけどね……まさか、こんなところに住んでたなんて知らなかったわ……」

「隠遁生活ってやつか? でも先生の仲間だったってんなら前言撤回、頼りになりそうだな。とんでもなく強力な呪文をバンバン教えてくれそうだ」

 

二人の会話通り、彼らはマトリフという魔法使いを探していた。アバンの手記にて、ポップへ向けて遺された言葉の中には『マトリフに会って修行をつけてもらえ』というものがあった。そして同時にマトリフの現在の居場所――ホルキア大陸沿岸部の洞窟。バルジ島の見える辺りという多少大雑把ではあるが――についても書かれており、それを頼りに朝から捜索を続けていたのである。

マァムがついてきたのは、彼女がマトリフを知っているからであり、共通の知り合いがいた方が話がスムーズに進むであろうという配慮からである。

とはいえ実際に現地近くまで行ってみたところ、場所は分かりにくく、加えて似たような洞窟も点在している。何度目かの空振りを体験してついにポップが泣き言を言い始めたところだったのだ。

しかしそれも、アバンの仲間という肩書を聞いた途端、それまでの態度が嘘のように活き活きとし始めた。アバン・レイラという伝説の英雄二人と出会っているためか、彼の頭の中に浮かんだマトリフ像は一言で言えばナイスミドル――格好良さと思慮深さを兼ね備えた男であった。

加えて、このような場所で世捨て人のように生活しているところから、呪文の研究に余念のない天才魔法使いという側面まで付与されていたのだ。

 

……まあ、決して間違いではないのだが。

 

ポップの様子から察するに、マトリフに対して過度の期待を寄せているのは明確だ。マァムの知るマトリフは、確かに強いのだろうが性格に少々難がある。傷の浅いうちに素直に教えてやるべきか、それともこのやる気を殺さないためにも黙っているべきか。マァムは判断に悩む。

 

「おっ、またしても洞窟発見! あれが本命か!?」

 

判断に窮している間に新たな洞窟を発見し、ポップが喜び勇んで駆け出していく。仕方なくマァムもそれに続いて行った。

 

 

 

「この洞窟が当たりだと良いんだけどな」

 

発見した洞窟に入れば、陽光が届かないため当然ながら内部は薄暗い。悪くなった視界のため、辺りを警戒するように自然とゆっくりとした足取りになる。そして当然、ポップは周辺の気配に対しても敏感になっていたはずである。

 

「誰だ、てめえ?」

 

だがそれは突然現れた。先頭を進むポップの目の前に突然だ。彼は多少浮かれてはいたが、目の前に誰かがいれば気づく程度には警戒していたはずである。ましてや一本道の洞窟で前から来る相手に気づかないなど、普通ならばあり得ない。

だが、結果は違う。

ポップの前には老人――彼の主観で言うところヘンな顔をしたジジイ――が不意に現れ、顔面にその老人が持つ杖を突きつけられている。発せられる殺気は、戦場の気配に鈍い魔法使いという職のポップであっても、下手をすれば一瞬で殺されかねないほどだと理解できるほどだ。思わず背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 

「……マトリフ、おじさん!?」

 

だがポップが相手の顔を確認できるということは、マァムも見ることが出来るということだ。見知った顔に思わず叫んでいた。

 

「おおっ! おまえ、マァムか!!」

 

マトリフはその言葉を聞くと、ポップに向けていた殺気に満ちた表情から一変して下品な笑顔となり、手にしていた杖を放り出さん勢いで彼女へと駆け寄った。

 

「おお……大きくなったなぁ~……」

 

台詞だけを聞けば、久しぶりに会った親戚との会話と言ったところだろうか。ただし、マトリフの行動がなければ、だが。

彼はマァムの豊満な胸を正面から両手で鷲掴みにしていたのだ。その発育具合と柔らかさを確かめるように、数回ほど揉みしだく。大きくなったという彼の言葉通り、彼女の胸はその両手から零れ落ちそうなほどである。

 

「なっ……!! なにすんのよっ!!」

 

不意に胸を揉まれたことで少しだけ反応が遅れたが、マァムは拳を思い切りたたきつける。だがマトリフはまるで残像のように掻き消えて、その一撃は見事に空振りとなった。

 

「ダハハッ、まぁそう怒るなよ」

 

そしていつの間に動いたのやら、マァムの背後へと姿を現す。

 

「オレはな、お前のオムツだって替えたことがあるんだぞ」

 

そう言いながら今度は彼女のお尻の張り具合を確かめるように軽く叩く。

 

「全然変わってないわ、このおっさん……」

 

かつて知ったる相手と変わらないその様子に嘆きつつ、今度はマトリフの脳天に拳を落とす。その様子を見ながら、ポップは絶望的な表情を浮かべながら言った。

 

「な、なぁマァム……おれの耳が変になってなければ、さっきそのおっさんのことを……」

「ええ、そうよ。この人がマトリフ。私たちが探してた人よ」

「こ、こんなヘンなスケベじじいが!? 先生の仲間ぁっ!?」

 

描いていた理想がガラガラと音を立てて崩れていく。そんな感覚にポップは襲われていた。

何しろ見た目だけでも相当な高齢――彼の知る中で言えばバダックやネイル村の長老、シナナ国王よりも年は上だろう。魔導士のローブを身に纏っているが、大きく広がった特徴的すぎるフードが目立つ。

そして何よりも、先ほど見せたマァムへのセクハラ行為が威厳を台無しにしていた。

 

「まぁ、いつもならなるべく会いたくない人だけれど、今日はこっちから会いに来たんだし……」

「そ、そうだったな……こんなのでも先生の仲間……こんなのでも先生の仲間……」

 

自己暗示をするように小声でぶつぶつと呟くポップ。そうやって何度目かを口にしたことで、ようやく決心が固まったようである。

 

「マトリフさん、お願いだ! おれに稽古をつけてくれ」

「……やだ」

 

頭を下げながら叫ぶポップであったが、返ってきたのはマトリフの短い否定の言葉だった。

 

「……なっ!? ええっ!!」

「聞こえなかったのか? 嫌だって言ったんだよ。なんで見ず知らずの野郎に稽古をつけなきゃならねぇんだ?」

 

そう言いながらへそを曲げたようにそっぽを向いた。

 

「そ、そりゃねぇぜ! あんた、アバン先生の仲間だったんだろ!? おれは先生の言葉に従ってここに来たんだよ!」

「あん? アバンの……?」

「そうだぜ! ほら、これ見てくれよ!!」

 

そう言うとアバンの手記を取り出し、ポップは自分について書かれている項目を開いて差し出した。マトリフはそれをひったくるように受け取る。

 

「どれどれ……?」

 

そう言いながら目を通し始める。視線の動きから、二度三度と読み返しているのがわかる。だがそれも時間にして一分程度。読み終えた手帳を閉じる。

 

「なるほどな、事情は分かった」

「……じゃあ!」

「その前に教えろ。何があった?」

 

手記を読んだことですんなりと教えてもらえると思ったのだろう。ポップが喜色を浮かべるが、返ってきたのはマトリフの突き放すような冷たい言葉だった。

 

「え? 何がって……何をだよ?」

「アバンがオレを頼ったのは分かる。だったら、なんで本人が来ねぇんだ? どうしてこんな手帳に書き残す必要があったんだって聞いてんだよ」

「そ、それは……分かったよ、話すよ」

 

睨みつけるような半眼でポップを見る。その圧力に負けたように、ポップはアバンに何があったのかを語り始めた。

 

自分はアバンの弟子として師事していたこと。パプニカ王家の要請を受けて、デルムリン島に向かったこと。そこで出会ったダイとチルノに稽古をつけたこと。

そして、ハドラーが現れて死闘の末にアバンが負けたこと。

その一部始終を語った。

 

ポップが話している間、マトリフは椅子に座り腕を組み、目を閉じて黙って聞いていた。そして、話が全て終わったことを悟ると、ため息と共に口を開いた。

 

「ハァ……なるほどなぁ……あの三流魔王にやられたか……」

 

そして閉じていた目を開くと、当時の事を思い出したかのように消沈しているポップをジロリと睨む。

 

「……で。お前は何をやっていたんだ?」

「な、なにって……」

「一年近く弟子としてアバンにくっ付いておきながら、ハドラー相手に援護の一つもしねぇ。それどころか完全な足手まといじゃねぇか。まだ話に出ていた姉弟の方が活躍してるぜ? その意味が分かってんのかって聞いてんだよ」

 

そう言われて言葉に詰まる。

マトリフの指摘はポップの心を確実に抉っていた。今の話だけを聞けば、とてもではないが胸を張れることではない。師の危機に何もできず、自分よりも遅く師事したダイたちに完全に水をあけられているのだ。

 

「その挙句が、遺言に従ってオレに師事したいだと? 甘えてんじゃねぇよ。なら何で、その一年の間にもっと強くならなかったんだ? ここに来るまでの間に、少しは鍛えたのか?」

「そっ、それは……」

「てめぇみたいな腰抜け魔法使いは初めて――」

 

そこまで言いかけて、かつてマトリフが師匠についていた頃にいた一人の弟弟子を思い出す。彼もまた、勇気がなくて踏ん張ることが出来ず自分から努力をしないような男であった。

 

「――もとい、そうそう見ねぇ。そんな奴がオレに教わったところで時間の無駄だ。わかったらとっとと帰んな」

「ちょっと! そこまで言うことはないでしょ!!」

 

マトリフのあまりに傍若無人な言い方に怒り、マァムが口を挟もうとする。だがそんな彼女の行動を、ポップは肩を掴んで止めた。

 

「いいんだ、マァム。いいんだよ、その通りだ……」

「ポップ! あなた……」

「わかってんだよ! そんなことは、おれが一番わかってんだよ!!」

 

そして、堰を切ったように話し出した。

 

「ダイはクロコダインにヒュンケルにフレイザードと三人の軍団長を倒してきた上に、アバンストラッシュを完成させて、ライデインまで使えるようになった。チルノはちょっと離れていた間にサタンパピー三匹を一人で倒した上に、底が知れねぇくらい色んなことが出来る」

 

この旅が始まってからというのも、ダイは驚くべき速度で成長している。ポップはそれを隣でずっと見ていたのだ。男として、同じアバンの使徒として、誰に言われるでもなく自分と比較してしまう。表面からでは見えず本人も気づいていなかったが、その比較の結果で生まれた劣等感は確実に彼の心の中に降り積もっていた。

そしてそれは、マトリフの歯に衣着せぬ言葉によって引きずり出されていた。

 

「対しておれがやったことはなんだ? ラナリオンを使ってダイをちょっと手助けした程度じゃねぇか! おれは自分一人の力では何にも成長できてねぇんだ!!」

「ポップ……」

 

人の使った手段を真似て、自分なりにアレンジすることで危機を乗り越えたことはあった。だがそれだけではダイを前には霞んでしまう。彼とて最低限の矜持はある。彼の心はもっと大きな成長を欲していた。そんなちっぽけな成長ではなく、もっと確実な手ごたえを短絡的に求めていた。

 

そして、自分一人では何も成長していない。その言葉は、他でもない自分だけに向けられた言葉のはずだった。だがそれを聞いていたマァムにも突き刺さる。ポップとはまた違うが、彼女もまた苦悩は同じだったのだが、自分の事で精一杯のポップがそれに気づくことはなかった。

 

「あんたに指摘されるまでもねぇ!! でも、おれは足手まといのままでいたくねぇんだ!! 頼む! この通りだ!!」

 

マトリフの足元に座り込み、土下座のように頭を下げる。例えこのままマトリフに顔面を蹴り飛ばされたとしても、ポップは決して文句を言わないだろう。

 

「……まあ、そんだけ吠えられりゃギリギリ合格か?」

「へ……?」

 

下げた頭の上から聞こえてきた、先ほどまでの厳しい声音とは違う言葉に思わずポップは間の抜けた声と共に顔を上げる。

 

「これが『アバンの遺言に従って来ました。修行を付けてください』って理由だけだったら、それこそぶっ飛ばしていたところだぜ。だが今のお前には、人に言われて来たんじゃねぇ、自分で決めた覚悟があるんだ。なら、まだマシってもんだ」

 

マトリフが知りたかったのは、ポップの覚悟だった。

彼の言葉通り、最初に会った時のポップは何の覚悟もない、ただアバンの言葉に従って来ただけの目的も主体性もない人間にしか見えなかった。勇者と同じパーティにいた伝説の魔法使いに習えば強くなれるという浅慮な考えしか持っていないように思えた。

そのため、意地の悪い言い方をしてポップを追い詰めた。ポップの本音を引き出すために。

元々アバンの手記を読んだ時点で、彼を弟子として鍛えるつもりでいたのだ。なにしろポップは、これから先も魔王軍と戦い、果てには魔界の神と恐れられる相手と死闘を繰り広げようというのだ。そんな奴がこの程度でやり込められてしまうようならば、どのみち未来はない。

ならばと試してみただけである。結果は、辛うじて及第点と言ったところだったが。

 

「とはいえ、この土壇場まで碌な努力もしてこねぇんだ。見込みは薄いだろうがな。それでもアバンの頼みだ。半人前以下の魔法使いを、せめて半人前くらいにはしてやらぁ」

 

そう言いながら椅子から立ち上がり、傍らに立てかけていた杖を掴む。そしてポップへ向けて鋭い視線を向ける。

 

「言っとくがな、アバンの弟子だったからって手心は期待するなよ? テメェで頭下げてオレに弟子入りしたんだ。文句は言わせねぇぞ」

 

その底冷えするような声と態度。その裏に見え隠れするサディスティックな空気を感じて、一瞬にしてポップは後悔の念が押し寄せてきた。

 

「い、いや! おれやっぱりチルノに習うから……」

「なぁに遠慮すんな。このオレが直々に教えてやるんだ。嫌でも世界最強の魔法使いにしてやるよ……生きてればな」

「ちょ、待て待て!! 今なんて言った!? 生きてればって言ったよな!? 何する気だ!!」

 

文句を言うポップであったがマトリフはまるで聞く耳を持たず、ポップの首根っこを掴むと老人とは思えないほどの力の強さで強引に引っ張っていく。

 

「オラオラ、文句を聞いてる暇はねぇんだよ。一分一秒が惜しいんだ。とっとと始めるぞ」

 

言いながら洞窟の外まで出ようとして、マァムの前で立ち止まる。

 

「オレはこれからコイツを鍛える。お前はどうするんだ?」

「私、は……」

「まあいい、じっくり考えな。しばらくは戻ってこねぇからよ」

 

そう言うマトリフの姿は、今まで彼女が良く知る、スケベな姿ではない。知性と思慮深さに溢れた姿であった。そしてその様子からは、マァムを心配しつつも自分は手伝えないことへの慚愧を感じられた。

ポップを引き連れて再び歩き出すマトリフの背中を見ながら、マァムはそんなことを考える。

やがて、洞窟の外からマトリフの『ルーラ!』という声が聞こえてきたのを最後に、辺りは静寂に包まれた。

 

 




ヒュンケルがまだ罪を口にしないのは、ちょっとご都合主義っぽいですかね……?

以前ちらっとアバンに言わせましたが、マトリフ師匠はアバン先生によってネタバレ済みです。
(洞窟で修行する前にマトリフの所へ寄って、お話をして、それから修行へ。という感じ)
師匠ならばこのくらいは言うかなぁ? と思って気が付いたら言わせてました。
原作のようにフレイザードという直近の危機がないし、許容範囲内ですよね?

ポップは苦悩してこそです。


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LEVEL:26 王女の帰還 後編

「……なるほど」

 

マァムの話を聞き終えて、チルノはそう呟いた。

 

「つまり、ポップがマトリフさんに言われたことが気になって、危機感を持ったということ?」

「ええ……我ながら情けない話ではあるんだけどね……」

 

チルノの言葉にマァムは力なく頷く。マトリフの所であったことを話しているうちに冷静になっていったのだろう。最初にチルノの所に来た時のような焦った様子はもはや感じられなかった。

 

「ポップが何も出来ていないというのなら、私だって何も出来ていないわ……ううん、ポップよりも先に卒業の証をちゃんと貰っていたのに、碌に成長もしていなかった私の方がよっぽどダメよ」

「……ひょっとして、ベホマとか?」

「うん、きっかけはそれね。レオナ姫がベホマを使っているのを見て、でも私はベホイミまでしか使えない。攻撃は魔弾銃に頼っているのに、姫は攻撃呪文も使える。以前あなたに相談したことが、そのまま現実味を帯びてきたの」

 

かつて、ヒュンケルとの決戦前にマァムから相談を受けたときがあるが、あの時と似たようなものだ。ただ、今回の場合は比較対象がもう少し悪い。レオナは僧侶の扱う回復呪文――その最高峰ともいえるベホマを使えるのだ。

けれども今回の場合は、あの時よりも深刻な悩みには至っていない。

 

「だから、私の気持ちを貫き通すだけの力を……自分だけの武器を持つ手伝いをしてほしいの。なんでもするって言ってくれたでしょう? 今更嫌だなんて言わせないわよ」

 

ウィンクをしながら悪戯めいた口調でマァムは言う。

かつて同じように相談を受けた時に、チルノはマァムを手伝うことを約束していた。その約束を果たす時が来たというだけのことだ。

 

「勿論よ。約束通り、私が出来ることならなんでもね」

 

マァムに負けないくらい、チルノもまたウィンクで返す。

 

「それで、マァムはどうするの?」

「え、どうするの……って?」

「力の方向性のこと。ベホマを覚えるの? それとも、レオナとは別の力を得るの?」

 

このままマァムにベホマを覚えさせるというのも、方向性の一つではある。僧侶としての技能をより極めさせれば、それでも十分に戦力になると言える。

 

「ベホマを使えるようにする道も考えたわ。でも、それじゃあ結局は姫の劣化でしかない。ヒュンケルの時みたいな見ているだけの悔しい思いをするのはもう嫌なの」

 

だがマァムが思い描くのはその道ではなかった。ヒュンケルが見せた戦いに決着という決意。その決意を受け止められず、ダイに託したことは未だに彼女の中で後悔として渦巻いている。

 

「そう。だったら、もう一つの道ね。レオナとは別の道を……」

「ええ……ここに来るまでに考えたの。僧侶じゃない私の武器は何かって。そうやって考えていたら気づいたの。僧侶としての道は母さんから受け継いだもの。それとは別に、父さんから受け継いだものもあるんだって」

 

父親から受け継いだもの。それを誇示するように、彼女は自分の手を強く握りしめる。

 

「ロカさんだっけ? 先生と一緒のパーティにいた戦士だったっていう」

「そうよ。でも、私には剣を使って戦うのは性に合わないみたい。だから、剣を使わずに戦士の力を使うわ」

「それって――」

 

チルノが言いかけた言葉を肯定するように頷く。

 

「武闘家よ」

 

――やっぱり。

 

チルノはそう言いかけた言葉を飲み込んだ。本来の歴史では、魔弾銃が壊れたこともあってマァムは自分だけの特技として武術を志し、武闘家の道を歩む。そしてロモスの山奥にいる武術の神様(ブロキーナ)に弟子入りに行くのだが。

だがこの世界では、チルノがいたことによって彼女に教えを乞う道を選んだらしい。

 

「呪文は一度放ったら引っ込めることは出来ない。剣は質の良いものになればなるほど、切れ味は鋭くなっていく。でも拳は違う。寸前で止めることも出来るし。握った拳は傷つけるかもしれないけれど、その手を開けば誰かに差し伸べることも出来る――なんて、恥ずかしいけれど、そう思えたんだ」

 

それは何とも彼女らしい理由であった。

 

「それに思い出したの。前にチルノがサタンパピーと戦っていた時に素手で凄い技を使っていたじゃない」

「だから、私に稽古をつけてって言ってきたのね」

「ええ。あれを教えてとは言わないわ。でも、せめて武術の基本くらいは教えて。お願い!」

 

どんな些細なことでも良い。そう頼み込んでくる

 

「そう……わかったわ。でも、その前に言うことが二つあるの。一つは、私の使う技は特殊だから、教えても必ず使えるとは限らないってこと。もう一つは、私もそんなに武術に精通しているわけじゃない。だから、教えるにしても限度がある。それでも大丈夫?」

 

チルノの得意分野としては、格闘術はそれほどでもない。扱えないわけではないが、どちらかと言えば魔法の方を得意としている。

そのため彼女は、最初に予防線を張っておくことにした。自分が教え切れなくなるまでという条件付きである。やはり本来の歴史通り、武術の神様(ブロキーナ)に弟子入りするのがやはり最良であろうと考えていた。

 

「勿論よ! それでも全然構わないわ!!」

 

そんななんとも頼りない言い方であったが、マァムの方はそれでも問題なかったらしい。

 

「よろしくお願いするわね、チルノ先生」

 

元気よく笑顔でそう言う姿に圧倒されながら、チルノはマァムへ武術を教えることとなった。

 

 

 

息子は母親に似て、娘は父親に似る。

単なる迷信や俗説の類でしかないが、マァムの才能にのみ絞って言えば、それほど間違ってもいない言葉だった。

 

「うん、そう。まずは重心の操作とバランス感覚からね」

「こう?」

 

チルノの言葉に従い、マァムは構えを取る。これはまだ武術を教える段階ではない。その前段階として、武術を使うのに適した肉体を作るためのトレーニングの段階である。

 

「極めれば、泥沼を全力で走っても足を取られることがないって話よ。そこまでしろとは言わないけれど、戦闘中に姿勢を崩せばどうなるのかなんて言うまでもないから。鍛えておけば決して損はしないわ」

 

チルノの言葉の一言一句を聞き逃さないように集中しながら、そのまま基礎修行へ移行する。

 

「力をロスなく伝達させて攻撃を放つのが基本ね。まずは突きから」

 

そう言うとチルノは、お手本代わりのように軽く突きを放つ。それだけでも空気の切り裂かれる音が響き、微かに拳圧がそよぐ。

 

「こんな……感じ!?」

 

そのお手本を参考にしながら、見様見真似で突きを放つ。繰り出された拳は、チルノが放ったときのそれよりも強く響き、空気が周辺に吹き荒れる。アバンから体術についてもある程度の修行は受けていただろうが、それでもこれである。チルノの突きよりもよほど強い。

 

「そうそう。力と体重を乗せて突く方法と、腕のしなりと速度で突く方法の二通りがあるの。簡単に言えば、威力重視とスピード重視ね。まずは……」

 

説明を加えながら再び手本を見せ、マァムの動きを注意していく。とはいえ、注意点などほとんどない。繰り出される突きに感心させられながら、さらに稽古は続く。

 

「投げの場合に必要とされるのは、本人の力よりも相手の重心を感じ取る能力。その重心を中心に両端を押さえて崩せばいいの」

 

説明しながらマァムの重心――おへその辺りを指先で軽く突いた。

 

「これを応用すれば、自分の重心と相手の重心の位置を操作することでもっと簡単に投げられるようになるわ……よっと!」

「きゃあ!!」

 

そのまま素早くマァムの肩を掴み、足を掛けて重心を崩すようにして投げる。投げると言っても簡易的な物であり、地面に当たる直前で力を弱めて威力を極力殺すようにしてある。

だがそれであっても、衝撃は中々のものだったらしい。

 

「あいたたた……びっくりしたわ。それにしても、こんな簡単に投げられちゃうものなのね」

 

地面に伏せたまま意識をはっきりさせるように頭を軽く振りつつ呟く。だが投げられた側にも拘らず、彼女は今すぐにでもこれを試したいという隠し切れない気持ちが滲み出ていた。

 

乾いた砂が水を吸収するように。などという表現方法があるが、マァムの場合はそれ以上だ。

父親に似て、武術方面は天賦の才と言って良い。一を聞いて十を知るをこれほどまで見事に体現されてしまっては、チルノにとっては教え甲斐はあるが、同時に自分との才能の差を見せつけられているようで少しだけ悔しくもあった。

 

 

 

「それじゃあ、そろそろ私が使っていた技に行きましょう」

「ええ、いよいよね……」

 

一通りの基礎を教え、ついに技である。

チルノがかつて使っていたそれらを思い出し、マァムは知らぬ間に息を飲んだ。それは、強力な技を教えてもらえることに対する期待感ではない。

むしろその逆。使う技がどれほど強力かを知っているからである。習得すれば自分の拳が容易に命を奪いかねない凶器になるという恐怖。それが想像できるからこその行為だ。

 

――マァムになら教えてもいいと思ったっていう気持ち、わかるわね……

 

そんな弟子(マァム)の様子を見ながら、チルノは一人思う。本来の歴史で武神流という武術を習っていた際に、その師は『奥義を教えても良いと思ったのは彼女が初めてだ』と言っていた。

教える側に立ってみると、それが良くわかる。

彼女ならば力に溺れることもなく、それでいて力を誇示するような真似もしないだろう。

 

「まずは、爆裂拳から」

 

技を教えるとは言ったものの、まさかこれをマァムに使うわけにはいかない。そのため、手近な木を標的代わりにする。

 

「はあっ!!」

 

気合の叫びと共に瞬時に繰り出される無数の拳が、木の幹にたたきつけられる。衝撃を受けた木は、それだけで内側から弾け飛ぶようにして倒れていく。

 

「次はオーラキャノン、ね!」

 

そう言うと両手の掌を重ね合わせ、再び倒れた木へと狙いを定める。そして掌から闘気による砲撃を放った。撃ち出された闘気は大穴を穿つ。

 

「……すごい」

 

オーラキャノンと爆裂拳。

その二つの技の威力を改めて見たことで、マァムは知らず知らずのうちに零していた。どちらもダイたちの使うアバン流刀殺法に決して引けを取らないほどの破壊力を秘めている。

 

「どうだったかしら?」

「「ピィ! ピー!!」」

「え?」

 

技の感想を聞こうとしたところで、不意に聞こえてきた鳴き声にチルノたちは調子を削がれる。

 

「ゴメちゃん!?」

「スラリンも? どうしたの?」

 

見ればいつの間にやら、二匹のモンスターが姿を現しているではないか。そして、チルノが見せた技の威力に驚いているところから見るに、どの辺りから見ていたのかも想像がついた。

 

「確か二人は、辺りの見回りをしてくるとか言ってなかったかしら?」

「ピィ! ピィ!」

「やってたけれど、敵はいなかったから飽きた。って……」

「ピー!」

「暇だから見ていても良いか? うーん、まぁ観客がいた方が身が入るかもね。マァムもそれでいい?」

「ええ。私は別に構わないわ」

 

マァムが頷くと、二匹のモンスターは目を輝かせながら二人を見ていた。

 

「ちょっと余計な茶々が入っちゃったけれど、これがマァムに教える技。特にオーラキャノンの方は極めれば、空裂斬に繋がるはずよ」

 

空裂斬に繋がる。という言葉を聞いた途端、マァムの目の色が変わる。

 

「嘘でしょ!?」

「ううん、本当よ。オーラキャノンは闘気を撃ち出す技だから。後はそれを応用すれば……」

「本当に!?」

「た、多分ね……詳しくはダイに習った方がいいかもしれないけれど。ダイなら大地斬と海波斬も教えてくれるはずよ」

 

その剣幕にタジタジさせられながら、空裂斬については自分より知っているはずの弟をこっそりと巻き込む。だがマァムはそれを聞くと少しだけ表情を曇らせた。

 

「でも、私は剣は……」

「大丈夫よ。アバン流殺法の武術は、武器は違っても根幹が同じだもの。地・海・空の技をそれぞれマスターしていれば応用は簡単だって聞いたことがあるわ」

「そうなの!? じゃあ、私もアバンストラッシュを使えるようになるの!?」

「そこまでは私はちょっと……あ、でも前にダイが素手で使ったことがあったから。気になっているなら、後で聞いてみてもいいかも」

「ダイが!?」

 

自分が大地斬や空裂斬を使えるだけでなく、アバンストラッシュまで使えるようになるかもしれない。アバンに教えを受けた者にとってみれば、アバンストラッシュはやはり神聖な技であると同時に憧れでもあったらしい。目指すべき終着点の一つと感じるのだろう。

 

「さて、それじゃあ技の説明――と行きたいんだけれど、まずは闘気の使い方を覚えましょう。理屈さえ分かっていれば、マァムならすぐに使いこなせるはずだから」

「闘気……ヒュンケル達が使っているアレね」

「そう。闘気は拳に纏わせることで強度を上げることになるの。それは攻撃力も防御力も同時に上がることになるわ。だから使えるようになれば、素手でオリハルコンだって破壊できるわ」

 

そう言って闘気の使い方から教えていく。

観客二人が増えた修行は、夕暮れ時まで大した休みを取ることもなく続けられた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「お疲れ様。慣れない筋肉を使ったから大変だったでしょう?」

「そうね。でも、先生の修行の時に似たようなことはしていたから、そこまで苦労はしなかったかな?」

 

日は傾き掛けており、世界は夕焼け色に染まりつつあった。

一通りの特訓を終えたチルノとマァムは、揃って帰路へとついていた。勿論そこには、最後まで修行風景を観戦していた二匹のモンスターたちも一緒だ。スラリンはチルノの、ゴメちゃんはマァムの肩にそれぞれ乗っている。

帰路の途中、二人は歩きながら他愛もないお喋りに興じていた。とはいえ話題は今日の修行についてのため、年頃の少女二人の会話にしては色気に欠けるが。

 

「けれども、マァムはすごいと思うわ。初日でここまで出来るなんて」

「そんなことないわよ。でも、もしも私がよく出来ているっていうのなら、きっと先生の教えが良いからだと思うわ」

「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

 

マァムの謙遜を受け取ったように見せるが、実際にマァムの才能は大したものである。本来の歴史にてブロキーナの課題を数日でクリアして見せたように、ここでもその力を遺憾なく発揮している。下手をすれば明後日には免許皆伝を授けなければならないほどだ。

もしも仮にだが、アバンがマァムを僧侶ではなく最初から武闘家として育てていたならば――そこまで考えて、チルノは意味の無いことだと思い直した。

きっと最初から武闘家の道を選んだとしても、本人が望まないだろうし、無理に覚えさせても意味は無い。

様々な想いを経験したからこそ、今のマァムは本気で取り組むだけの意思と覚悟を持っている。その気持ちがきっと、本来の才能以上に彼女を突き動かしているのだろう、と。

根拠はないが、そんな風に感じていた。

 

「それじゃあ、先生から優秀な生徒に一つプレゼントね」

 

マァムの助けに少しでもなるようにと思いながら、チルノは精神を集中させる。

 

「【リジェネ】」

 

そして自己再生の魔法を発動させる。柔らかな光がマァムを僅かな時間だけ覆い、やがてその光もすぐに肉眼では見えなくなるくらいに小さくなる。

 

「今のって……?」

「ダイやヒュンケルには使ったことがあるんだけれど、覚えていない? 回復魔法よ」

「へぇ……」

 

チルノの言葉を聞きながら、マァムはリジェネの具合を確認するように自分の腕を見つめる。リジェネの効果によって疲労した筋肉や拳に負った傷などがゆっくりと回復して行っているのだ。

魔力による補佐を受けて肉体がゆっくり癒えていく。それは、ホイミのように一気に回復する呪文しか体験していないこの世界の住人に取ってみれば、いささか不思議な感覚だった。

 

「でも、種を明かせばホイミをゆっくり使っているようなものなのよ」

「へぇ……ホイミをゆっくり?」

「そう。少ない回復量でじっくりと時間を掛けて癒やしていくの。生命力を活性化させてね」

「少なくても、じっくりと……」

 

チルノの説明をオウム返しに口にしながら、マァムの頭の中で乱雑に散らばった考えが徐々に形を成していく。まるで新しく画期的な何かを生み出すような感覚。だが、残念なことにそれがはっきりとした形になることはなかった。

 

「あっ! 二人とも!!」

 

彼女の考えは、前方からやってきた少女の声によって中断させられる。

 

「レオナ!? どうしたのこんなところで」

「二人の修行の様子が気になってね……あ、誤解しないように言っておくわね。もう日が暮れそうだし復興作業は中断しているから。サボって抜け出してきたわけじゃないわよ」

 

後ろめたいことがあるわけでもなかろうに、誰に聞かれたわけでもなくレオナはここに来たのは正当な理由があることを主張する。それを証明するかのように、レオナの後ろには三賢者のマリンが控えていた。

もしも本当に抜け出てきていたのであれば、彼女が傍についているわけがない。つまり、彼女の言うことは嘘偽りないことである。

 

「それで、稽古の方はどんな感じ?」

「今日はもう切り上げちゃったから。特訓の成果を見せるのはまた今度ね。昼間たっぷりと動かした分だけ、今は体を休めてあげないと」

「あらら、それは残念」

 

筋肉をクールダウンさせて、疲労を残さないようにする。負荷を与えるのも大事だが、よく休むこともまた強くなるのに必要な要素である。そうでなくとも、初日でマァムの体は見えないところで悲鳴を上げているのかもしれない。

期間限定の師匠であるチルノにしてみれば、マァムに無理はさせたくなかった。

 

「あっ、そうだわ! 体を休めるのなら、良いところがあるの!!」

 

妙案を思いついたとばかりにレオナが叫ぶ。それを聞いたマリンの顔が一瞬引きつったように見えたのはきっと気のせいではないだろう。

 

 

 

「どうかしら? 満足してもらえた?」

「ええ、まあ……ちょっと予想外だったけれど……」

 

レオナの期待に胸を膨らませたような表情での問いかけに、チルノは多少困惑しつつも正直に感想を述べる。

 

「マァムはどう?」

「はい、姫。村で経験はありますので……でも、贅沢だったので数は多くないですけれど」

 

対してマァムはどこか遠慮したように言う。その様子にレオナは苛立ちを見せた。

 

「ああもう、硬いわね! もうあたしたちは仲間なんだから、姫じゃなくてもっと気楽にレオナって呼んで! じゃないとあなたのことも、マァムさんって呼ぶわよ!」

 

何やらよく分からない主張であったが、それでも言わんとしていることは分かる。チルノもどこか諦めるような様子すら見せて後押しするように言う。

 

「マァム、レオナはもっと対等に接して欲しいのよ。それに、公式の場でちゃんとしていれば、そうそう文句は言われないはずだから」

「そうそう。さっすがチルノ、よく分かっているわね。さっ、マァムも。遠慮することはないわよ。だって……」

 

そう言うとレオナは辺りを指し示すように両手を広げる。

 

「こうして裸の付き合いをしているんだから」

 

レオナの言うように、現在の三人は一糸纏わぬ姿であった。

 

体を休めるのに良い場所がある。

レオナの言葉に従い、彼女に案内されてたどり着いたのは近くの泉であった。地中から湧き出ているのだろうか透明度も高く、生物の姿も見えない澄んだ泉である。

なるほど確かに、火照った身体に冷水を浴びれば心も体も休まりそうだ。そう思っていた途端、泉へ向けてレオナがメラミの呪文をたたき込んだ。

彼女の放ったメラミは中々の威力であり、本職魔法使いであるはずのポップと比較しても決して見劣りしない……いや、そうではなくて。

レオナのあまりに予想外な行動に現実逃避しかけた思考を、チルノは必死で元に戻した。

何をしたのかと尋ねたところ、お湯につかってゆっくり暖まろうということであった。見てみれば、泉の水がポコポコと泡を立てて沸騰している。湯気も立ち上っており、さながら簡易的な温泉のようだ。

三人でここに入ろうということとなった。

ちなみに、お付きとして来ていたマリンはレオナの命に従って清潔な布を持って来ていた。それが終わるとお風呂の見張りを命じられていた。彼女の苦労が見て取れるようである。

 

「島ではずっと行水だったから、そういえばお湯に入るって初めての経験ね」

 

肩までお湯に浸かりながら、チルノが呟く。

チルノの前世は現代社会に生きているため、当然ながらお風呂に入ったことはある。だが、この世界に来てからというもの、汗を流すのはもっぱら行水であった。何しろ水を入れておくだけの大きな容器も無ければ、火を焚き続けるだけの燃料も無い。

長い生活のうちにすっかり忘れていた、暖かいお湯の中で手足を存分に伸ばす快感を彼女は余すところ無いように堪能していた。

 

「あら、そうだったの? なんだか意外ね。チルノなら、大きな温泉とか入っていそうだったんだけど」

 

レオナはそんなチルノの言葉にそう答える。

この世界にも、お風呂の文化は当然ある。だが、個人の風呂というのはまだまだ敷居が高く、宿などでも高級店にあるくらいだ。殆どの場合は水で洗うか、大きめのタライにお湯を入れる程度が関の山である。

暖めたたっぷりのお湯に浸かって身体を洗う。そんな考えが当たり前のように出てくるところから、やはり彼女は何不自由なく育てられた王女なのだということが窺えた。

 

「ほらスラリン。気持ちいいから入ってみなさい」

「ピィ……」

 

泉のほとりではスラリンが、初めてのお湯に萎縮していた。お湯に入るのを躊躇うように直前まで進んでは、直前で諦めて下がってしまう。そんな姿に業を煮やし、チルノはスラリンに手を伸ばす。スラリンはそれに従って手の上に乗ると、されるがままお湯の上に浮かべられた。

 

「どう?」

「ピィ!!」

 

入った途端、それまでのおびえが嘘のように上機嫌な返事を返してきた。そして水面を器用に泳ぐと、溺れないようにとチルノの胸元に納まる。

 

「ふふふ、現金なものね」

「ピー!」

 

そういうのはマァムとゴメちゃんである。ゴメちゃんは既にお湯に浸かっており、今はマァムの少し前辺りに浮かんでいる。そのため正面から見ると、まるで三匹のスライムが並んでいるかのような立派な光景である。

 

「しかしチルノも大変ね。そんなに肌が真っ黒になるまで稽古していたなんて」

「もう、レオナってば……わかってて言ってるでしょ?」

 

チルノの肌は褐色である。これはこの世界ではとても珍しいものだった。

 

「あはは、バレた? でも、本当に不思議よね。パプニカでも、他の国でも見ないから。ちょっとうらやましいかも。もう少し成長したら、多分色っぽさが増すと思うのよね」

「そう? 私はレオナの白い肌の方がうらやましいかな。お姫様って感じがして」

 

チルノの褐色の肌が妖艶な色気を生み出すのであれば、レオナの白い肌はさながら高価な芸術品である。目に映えるような肌は聖女のような神秘さを醸し出す。姫という出自も相まって、垂涎の的であろう。

 

「私は、どっちもうらやましいかな。二人と比べたら中途半端だから」

 

マァムは二人の様子を見ながらそう呟いた。女性にしては肌が焼けており、見ただけでも適度に鍛えられている。とはいえ、三人の中では最も一般的といえる。変に構えることのない自然な雰囲気が漂っていた。

 

「誰もみんな、無い物ねだりってところね」

「無い物ねだり、ねぇ……」

 

そう言って締めくくろうとするチルノの背後へ、レオナはゆっくりと移動していく。

 

「えぃっ!」

「ひゃああああっ!!」

「ピィィッ!?」

 

そしてチルノの胸を鷲掴みにした。

 

「確かに。ここはあたしたちの中で一番ないみたいね」

「ちょ……レオナ!?」

 

慌てて振りほどこうとするが、レオナ相手ということもあって満足に抵抗できない。そのためチルノは、レオナにされるがままに胸を揉まれることとなった。

 

「ほうほう、前に見たときよりは成長してるのかしら? でも、あたしの方がまだ大きいわね」

「ピィッ!? ピィッ!?」

 

レオナの手の中で小さめだが、確かな大きさを持った胸が形を変えていく。その胸元に納まっていたスラリンは、両胸に挟まれてなすがままにされていた。

 

「もうっ!」

 

それでもやっとの思いでレオナを振り払う。不意に胸を揉まれた恥ずかしさやら今まで感じたことのない刺激に戸惑うこともあり、全身を真っ赤に染める。火照ったような身体が少女とは思えないような色気をほのかに漂わせていた。

そして、振り払うのに集中していたため、スラリンを気遣うのを忘れ、振り落としていた。いきなり水中へ落とされて、反応できずに溺れかける。

 

「スラリン、大丈夫?」

「ピィ~……」

 

それを見かねたマァムが掬い上げた。そしてスラリンを落ち着かせるように肩へと乗せる。力なく返事をするものの、ぐったりしたスラリンは水滴のように伸びており、肩から鎖骨へ、そして胸元まで覆っていた。

スラリンの重量が幾らか掛かっているものの、マァムの胸は抜群の張りを見せて、その軟体を強く押し返していた。

 

「そういえば、もう一人いるわよね」

「え、ちょ、ちょっと!?」

 

チルノが逃げて手持ち無沙汰になった両手をワキワキさせながら、もう一人の仲間の方を向く。猛烈に嫌な予感がしたものの時は既に遅すぎた。

泉にもう一人の少女の声が響くが、幸いなことにそれを聞いていたのはマリンだけだ。

 

なお、厳正なる確認作業の結果、マァム・レオナ・チルノの順と言うことが判明した。お風呂上がりのチルノたちの肌がほんのり赤かったのは、きっと暖まったからだけではないだろう。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

太陽は地平線の彼方へとその身を沈めており、周囲は闇に包まれようとしていた。既に夜と言って良い時間帯。ダイ・チルノ・マァム・レオナやその他バルジ島に身を隠していたパプニカ王家に関連する人々は、大神殿跡地へと集まっていた。

 

「皆、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、よく頑張ってくれました。パプニカ王家の生き残りとして、家臣である貴方たちの働きには感謝の言葉もありません」

 

かがり火の焚かれた明かりの中で、レオナが人々の中心に立って礼を言う。集まった人々は輪になって、レオナの動向を見守っていた。

 

「パプニカ王家は――ホルキア大陸は、魔王軍の手によって一度滅ぼされました。ですが、勇者ダイとその仲間たちの手によって取り戻すことが出来ました。よってここに、我が名の下にパプニカ王家の復興を宣言します!」

 

レオナの言葉に色めきだつ一同。

ヒュンケルの話があるという言葉によって人々は集まっていたが、ならば都合が良いとばかりに王家の復興宣言を執り行うことにしていた。

生き残っている者たちがおり、全員が滅びていないと思っているのであまり意味は無いかもしれないが、こういうのは公に行うことが大事なのである。公的に復興を宣言することにより、儀礼的な意味を持つ。それは関わった人々の心に大小の差こそあれ変化をもたらす。

事実、バダックなどはレオナの宣誓を涙を流しながら見守っていた。

 

「さて、堅苦しいのはここまで……と言いたいのだけれど……」

 

宣言の後にささやかではあるが戦勝祝いを行う予定である。だがその前にとばかりに、レオナはヒュンケルの方を見る。

 

「彼が何か話があるみたい。みんな、待たせて悪いけれど聞いてあげて」

 

そう言いながらヒュンケルを紹介する。予想以上に大事になったことに嘆息しながらも、勤めを果たそうと魔剣士が動こうとしたときだった。

 

「ウヒャヒャヒャ、随分と楽しそうなことをしているじゃねぇか!」

 

唐突に響いた声に、全員の動きが止まる。

それは、この場には似つかわしくない声音。禍々しさに満ちており、隠れ潜んでいたパプニカの兵士たちに取ってはある意味忘れることの出来ない声でもあった。

 

「復興宣言をしたところで悪いが、今日で再び王家は滅亡だ! 残念だったな!!」

 

ダイたちも含めて全員が声のした方を向く。

 

「フレイザード!?」

 

そこには勇者に敗れ、散ったはずの軍団長の姿があった。

 

 




バルジ島は終わったと書いた。
だが、フレイザードまで終わったと書いた覚えはない(屁理屈)
ということで、まさかの再登場です。原作だってコアを破壊されても生きてましたし。
塔から下を見たときに、残り火が燃えていたのはギリギリ生きていた証拠です。呪法生物は完全に消滅させるまで油断してはいけません。

……こんなことやっちゃって、どうするんだよ私(無策)

とりあえず女性が三人揃ったので脱がしておきました。
マリンとエイミも参加させた方が良かったですかね? それとももっと詳細に書いた方が良かったですかね? ダイも巻き込んだ方が良かったですかね?(混乱)
この世界のお風呂事情は知りません。文中で適当に嘘を書いています。
(実際、ドラクエにバスタブってほとんど出てこないですし(ビルダーズは除く))
でも殆どの作品に温泉が出てきます。なので、この世界も温泉のようにしてみました。
(これ書いてる途中で気づきましたが、デルムリン島は温泉ありそう)


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LEVEL:27 氷炎将軍新生

再度の出オチを期待されてて1歳児さんかわいそう……



――場面は一日ほど前まで遡る。

 

「ちき、しょう……このオレが……」

 

怨嗟の声と共にフレイザードは天を睨む。だが彼の視界はぼやけており、そこから見えるはずのバルジの塔も、その中にいるはずの怨敵の姿もはっきりと見えない。精々が何か建物があると言った程度だ。今までとは比べものにならない。

忌々しげに地面を叩こうと身体を動かすが、それも出来なかった。

ダイの空裂斬を受けて(コア)を破壊されており、加えてその衝撃によって塔の最上階から地面に落ちたのだ。岩石の肉体という、普通の生き物よりも強靱な肉体を持っていようとも、相手が悪い。

バルジの塔は六階建て。高さにしておよそ二十メートルほどである。それだけの高さから大地にたたきつけられたのだ。その威力は洒落では済まない。

岩石の身体を千々に砕かれ、もはや今のフレイザードはまともな人の形をしていなかった。数える程度の大きな破片にいくつか分かれた状態であり、その周囲には砂利のような破片が無数に散らばっている。

 

「このまま、消える……のか……ざけんな……」

 

無生物から生み出された呪法生命体のためか、自身の命の灯火には人一倍敏感に反応できた。そして、このままならば間違いなく消滅するのだと感覚的に理解出来た。なにしろ呪法生命体とはいえ、許容しきれないほどのダメージを負っているのだ。

 

「フ、フレイザード様!?」

「ご無事ですか!?」

 

だが、幸運にも救いの手は差し伸べられたようである。近くの木々の陰からこっそりと様子を見るようにして、配下のフレイムとブリザードが姿を現した。

こいつらは本来ならば、氷魔塔と炎魔塔という二本の塔を建てる役割を担っていた。だが、ダイの強さの前に塔を完成させることもなく敗北したフレイザードは、フレイムたちに合図を送れなかった。

いつまで経っても主からの合図が来ず、かといって自分たちの主が勝利したわけでもない。人間たちは塔から悠々と脱出していく。

これらの状況からあまりにもおかしいと気づいたフレイムたちは、見つからないように姿を隠しながら調査を開始。そして、今ようやくフレイザードを発見していたのだった。

 

「ググッ……お前らか……ちょうどいい、まだ運が向いているみてぇだな……」

 

予期せずに現れた部下たちを見ながら、フレイザードは必死で身体を起こす。だが腕すらまともにない身体であるため、それはまるで芋虫が這い回っているようである。

 

「悪魔の目玉だ、とっとと連れてこい……ハドラー様に連絡だ」

「はっ、はい!」

 

今にも吹き飛びそうな意識のため、声には覇気が無い。それでも命令を下す姿に部下たちは慌てて戻り、悪魔の目玉を探しに行く。

しばらくの後、彼らは命令通りに悪魔の目玉を連れて戻ってきた。

 

「フレイザードか。どうしたその姿は?」

 

魔王軍の連絡手段でもある悪魔の目玉――それを通じて、ハドラーが姿を見せた。通信機の役割を持つ目玉越しにフレイザードを見た魔軍司令は、そのあまりにボロボロな様子に驚きを覚えつつも、どこかそうなるのではないかとも予想していた。

 

「時間がないから、単刀直入に言いますぜ。勇者は……ダイは生きていやがった」

「ほう、そうか……」

 

フレイザードの報告により、ダイたちは火山の噴火に巻き込まれて死んだ。魔王軍ではそういうことになっているはずだった。

本来ならば寝耳に水の大問題であるはずのその報告に対して、ハドラーはそう呟いただけだ。

噴火が起きたと言う際のフレイザードのわざとらしい態度もそうであったが、それ以上にダイたちがその程度で死ぬというビジョンが、彼には浮かばなかった。

 

「貴様はパプニカの残党狩りを行っていたはずだが……なるほど、ダイに敗れたか」

 

そして生きていたとなれば、フレイザードであっても倒されるだろう。既にクロコダイン、ヒュンケルという二人の軍団長を倒しているのだ。そして彼はクロコダインよりも早くダイとの戦闘を経験している。

 

「クッ、いまいましいが、その通りでさぁ……」

「よくぞ知らせてくれたな。負けはしたが、その情報は無駄では無いぞ。ご苦労だったなフレイザード」

 

もはや再起は絶望的だろうに、最後の力を振り絞って報告を行ったのだろう。あのフレイザードにしては殊勝な心がけだと思いながら、ハドラーは会話を打ち切ろうとする。だが、それに慌てて待ったを掛ける。

 

「待て! 待ってくれハドラー様! まだだ、オレはまだ負けちゃいねぇ!」

「負けてはいない? フレイザード、何を言っている?」

「アレは……勇者ダイはオレの獲物だ。誰にも渡さねぇ……オレの手で殺す」

 

そこまで口にした姿を見て、ハドラーは気づいた。フレイザードは熱狂と冷静が同時に存在する存在のはずだった。だが今の彼の瞳には、狂乱とでも言うべき怒りと執念しか感じられない。

造物主であるはずのハドラーであってもたじろぐ程の、おどろおどろしい意思を感じる。

 

「自らの手で復讐を遂げたいというのか? だが、貴様のその状態では……」

 

確かにその意思があれば、ダイを相手に善戦出来るかもしれない。だが、気持ちだけでは何も出来ない。既に完全消滅を待つだけの肉体であるフレイザードでは、どうすることも出来ないだろう。

 

「わかっている。だから無理を承知で頼む。オレを、もう一度呪法生命体として復活させてくれ」

「……フレイザードよ、気持ちは分からんでもない。だが、それは不可能だ。禁呪を用いて再び呪法生命体を作ることは出来るが、それはもはやお前ではない。別の存在だ」

 

再び禁呪を使い、自分を生み出してくれと訴える。だがそれは叶わぬ願いだ。同じ材料を同じ手順で作ったとしても、同じ存在が再び生まれるわけではない。

クローン人間を想像すれば、わかりやすいだろうか。

オリジナルと同じ遺伝子や細胞を持っていたとしても、クローン体は同じ知識や経験までも持つわけではない。早い話が、どのような禁呪法をもってしても同じ存在を作り上げることはできないということだ。

 

「そんなこたぁ、オレだって分かってるぜ。だったら、それを解決すりゃいい」

 

だがそんなことは想定内とばかりに、ニヤリと笑う。そしてフレイザードの口から語られた方法は、ある意味では神をも恐れぬ方法だった。

 

「オレの身体をコアとして使ってくれ。そうすりゃ問題はねぇだろう?」

「何ッ!? バ、バカなッ!!」

 

突拍子もなさ過ぎる言葉に、ついにハドラーは余裕を崩した。だがそれも無理はない。

何しろフレイザードの言っていることは『バラバラになって死にかけている自分の肉体のパーツを集めて、分子レベルまで分解して再構成しろ。そうすれば同じ存在だったのだから、同じ記憶を持つだろう』と言っているようなものだ。

発想もそうだが、それ以上に技術的に無理がありすぎる。かつての魔王であるハドラーは呪法生命体の創造についても知識はある。その知識が前代未聞の方法だと断じていた。

 

「もちろんタダでとは言わねぇよ。上手く復活できりゃ、ダイは必ず殺す。そしてその手柄は全部アンタにくれてやらぁ」

 

だがフレイザードにとってはお構いなしだ。ここでハドラーに拒まれればどのみち後はない。たとえどれだけ非現実な方法だとしても、今の彼には訴えることしかできないのだから。

 

「アンタはちょいと呪文を唱えりゃいいだけさ。消えかけの残り火に向けてな。ダメで元々、上手くいきゃ丸儲けだぜ? なんせ、死体が動いて敵を倒すんだからな。それに何を悩む必要があるってんだ?」

 

フレイザードの弁を聞きながら、ハドラーは考えを巡らせる。再び呪法を使うべきか否かを、様々な損得勘定を含めて天秤にかけ続ける。やがて、重々しく口を開いた。

 

「……貴様が、手柄を捨てるというのか?」

「ああ、手柄はいらねぇ。命もいらねぇ。ただ勝利だけだ。あのガキを殺せりゃ満足だよ」

 

それは、手柄と戦果を何よりも欲するフレイザードから出たとはとても思えぬ言葉だった。

 

「信用できねぇってんなら、暴魔のメダルをくれてやるぜ? 前払いだ」

「…………ッ!?」

 

今度こそハドラーは言葉を失った。

 

――暴魔のメダル。それはかつて大魔王バーンが六大軍団結成の際に各軍団長への忠義の証として渡した物である。だが肝心のメダルは、灼熱の業火に包まれており、手に取るのは困難を極めていたのだ。

いわば大魔王の戯れ。この炎にすら臆さぬ忠誠心を貴様は持っているか? という意地の悪い問答のようなものである。

各軍団長がその火力に躊躇するなか、フレイザードだけは躊躇うこと無く炎へ左腕を突っ込み、見事メダルを手にしたのだ。

 

……その高熱に、氷の半身を溶かしながらも。

 

命の歴史という物が存在しないフレイザードにとってみれば、メダルは初めて獲得した他者から認められた証拠。それを迷うこと無く投げ捨てる程の精神性は、果たしてどれほどのものか。

 

「それに昔から言うだろう? 蝋燭の炎は、燃え尽きる寸前が一番強く輝くってなぁ! 安心しな、間違いなく成功するぜ」

 

一切の怯えを見せることなくそう言い切るフレイザードの姿を見て、ハドラーも覚悟を決めた。自らが生み出したこの生命体の最後の賭けに乗ってやろうと。

 

 

 

――数十分後。

ハドラーはルーラの呪文にてバルジ島へと降り立っていた。かつて魔王として地上を席巻していた彼に取ってみれば、この島も移動するのは容易いことだった。

人間の出入りは見えるものの、彼らは皆、パプニカが解放されたことに喜びまともに警戒をしていない。見張りの兵がいることはいるが、どこか気配が上の空であった。

対して、魔軍司令であるはずのハドラーは、人間に見つからないように注意を払って移動している。なんとも間抜けな話だが、今ここで下手に騒ぎになるわけにもいかない。

出迎えに出てきたブリザードに案内されながら、ハドラーは部下の元へたどり着いた。

 

「よぉ……ハドラー様……」

 

そこにフレイザードはいた。

だが先ほど悪魔の目玉にて通話をしていたときよりも、さらに弱々しくなっている。既に彼の半身として燃え盛っていたはずの炎はもはやマッチにも満たない程度の火力しかなく、もう片方――氷の半身は、まるで雹か霰が降ったのか程度の大きさが散乱しているだけだ。

もう数分訪れるのが遅ければ、おそらくそのまま完全消滅していただろう。

そして周囲には、部下のフレイムやブリザードたちが集まっていた。主が死ぬかどうかの瀬戸際なのだ。様子も気になるのだろう。

 

「ここに来てくれたってことは、いいんだな……?」

 

最後の意思確認のようにフレイザードが口を開く。既に崩壊が進みすぎていて、どこが口かも分からないのだが、声は出せるようだ。

 

「ああ。だが成功する可能性は万に一つもないぞ」

「かまわねぇ。なんせこの博打は外れても痛い目を見ねぇからな」

 

賭け金にはハドラーの魔法力も含まれているのだが、こちらも元を正せば大魔王バーンから与えられた物であり、しかも休息していれば回復するのだ。

対してフレイザードの方はどうだ。

元々消えるはずの命、それもかりそめの命を賭けて、勝てば新たな命を得られるというのだ。リスクとリターンの釣り合っていない、なんとも不平等なギャンブルに見える。

 

だがそれは違う。

賭けに負ければフレイザードは、今の自分が何よりも望む復讐の機会を手放すのだ。そのことに気づかず、自分の命だけしか賭け金としてしか見えていない。既に精神は狂気に満ちている。

 

「では、いくぞ」

 

部下たちに手によって集められたフレイザードの無数の欠片。その残骸に向けて、ハドラーは両手を掲げて意識を集中させる。

呪法生命体創造の呪文――人間から見れば、禁忌に指定された呪文である。禁呪法には、今行っているように仮初めの命を生み出すものもあれば、何かの要素を変質させるようなものなど種類が幾つもある。

一般に、禁呪法はその効果があまりにも卑劣すぎるために指定される。安易に使えば世界の(ことわり)すら乱しかねないため、封印指定される。その資料を閲覧することすら制限が設けられ、覚える人間には何よりも厳格な人間性が求められるのだ。

だが、なによりも禁呪法を禁忌にたらしめている理由がある。

 

「ぬ……ぐぐぐ……」

 

それは単純に、難易度である。

禁呪法を扱う場合には、それ相応の難易度が求められるのだ。中には、極大呪文を連発する方がよほど容易だと思えるものすらある。

そのため禁呪法を使う際には、それ相応の準備が求められる。自身の魔力を底上げするために魔方陣を使う。発動させる呪文に関連する触媒を用意するなどだ。

――本来の歴史でフレイザードが氷炎結界の呪法を使った際に、炎と氷の塔を作らせていたが、これも同じ理由である。

 

呪文を唱えながら、ハドラーは額に大粒の汗を幾つも浮かべていた。前述したように、禁呪法は高難易度である。触媒には、フレイザードの破片を用いればよい。だがここには魔方陣がない。かといって悠長に準備をしていれば、手遅れになる危険性があった。

そのためハドラーは無理を承知で呪法の使用を強行していた。額に浮かぶ無数の汗は、準備不足による反動を押さえつけている影響である。

 

「ぐ、ぐおおおお……おおおおおぉぉっ!!」

 

そしてその反動は、フレイザード本人も味わっていた。呪法によって周囲の破片が再び形を成して、(コア)を形成しようとする。だがそのたびに味わったことのない激痛が走り、フレイザードを苛ませる。

今のフレイザードは、痛みに負けて消えるのが先か、呪法が失敗して消えるのが先か、そもそもの時間切れで消えるのが先か、と言ったところだ。成功する確率など皆無だ。儀式をその身に受けているからこそ、彼は誰よりもよく分かってしまう。

 

「フレイザード様!!」

「お気を確かに!!」

 

フレイムたちの心配する声に、フレイザードは反応する。

 

「た、足りねぇ……力が足りねぇ……」

 

吹き飛びそうな意識を必死でつなぎ合わせて、成功への道標を模索し続ける。そして一つの暴論を導き出した。

 

「テメェら、来い!」

「ひいぃ! は、はい!」

 

弱々しく吐き出される声から一転、聞き慣れたドスの利いた命令口調の声が響く。普段からその命令に従っていたフレイムたちは、もはや条件反射のように返事をすると軍団長の命に従ってフレイザードへと近寄る。

それが最後の命令となることも知らずに。

 

「ぎゃあああ!!」

「い、命があああっっ!!」

 

フレイザードに近寄ったフレイムの一体が、最期の悲鳴を上げながら消えるように消滅していった。また、別のブリザードは同じく悲鳴を上げて、こちらは溶けるように消滅する。

そして消えていったモンスターたちの力はフレイザードへと流れ込んでいく。

 

「ククク……力が足りねぇのなら余所から持って来りゃいい……賭け金をつり上げりゃ、相手がビビって降りる。そうすりゃ勝つのはオレって寸法よ……」

 

呪法の最中に触媒を無理矢理増やす。強引過ぎるやり方だ。ハドラーにさらなる負担が掛かり、その顔に苦悶の表情が浮かぶ。だがフレイザードはそれを気にすることはなかった。

 

「テメェらもだ! 氷炎魔団の大博打と行くぞ!!」

「な、なぜ!? 我々は……」

「うわあああぁぁぁっっ!!」

 

僅かな破片を操り、周囲にいた部下たちを片っ端から喰らっていく。人も生きるために動植物を口にするが、これとは比較にならない。なんともおぞましい光景であった。

 

「おおおおおぉぉっ!!」

 

すぐに全ての部下を食らいつくすと、呪法は終盤に入ったようだ。集まっていた魔法力が収束していき、フレイザードへと注ぎ込まれる。

そして――

 

「新生・フレイザード様の誕生よ!! ヒャハハハハハハッ!!」

 

そこには、再生前と同じ形状のフレイザードが立っていた。だが同じなのは形だけであり、最も目立つ部分が異なっている。

それは色だ。

以前までのフレイザードは炎の赤と氷の青。身体の中心線を境として、それぞれが半々に分かれていた。だが今は、全身が薄紫色をしている。そしてその全身は、猛る今の心情を代弁するかのように蠢いていた。

 

「いや、失敗だ……」

「あん? どういうことだ?」

 

再び身体を得て最高に機嫌を良くしているフレイザードであったが、ハドラーはそれを冷静に否定する。せっかくの気分に水を差されたようで、少しだけ機嫌を悪くしつつ尋ねる。

 

「今の貴様は、酷く不安定だ。力の制御がまるで出来ず、常に限界まで力を放出している。元々が成功せぬはずの術式に、さらに余計な物を取り込めばこうもなろう……貴様の命はおそらく、もって二日程度だ」

 

フレイムたちを取り込むのは、確かに有効ではあった。触媒の質や量が多くなれば、それだけ術も効果を発揮する。だが全てが無茶苦茶に行われた呪法だ。限界量を超えた創造は代償として命を大幅に削っていた。

 

「なんだ、そんなことか」

 

だがそれを聞いたフレイザードに動揺の色は一切見受けられなかった。逆にその返事を聞いたハドラーが驚くほどだ。

 

「何も失敗しちゃいねぇぜ。そうなるように望んだのはオレだ」

「な、に……?」

「手柄も、命もいらねぇ……オレは確かにそう言ったはずだぜ?」

 

自身が生み出した生命体であるにも関わらず、ハドラーはフレイザードの考えが理解できなかった。己の命すら捨ててでも勝とうとする。何を思いどんな経験をすればそんな精神になるのだろうかと、恐々としていた。

 

「あいや、よくぞ言ったわフレイザード!」

 

不意に、しわがれながらも甲高い声が周囲に響く。だがここに生き残っているのはもはや、ハドラーとフレイザードのみのはずだ。しかし聞き覚えのあるこの声に、二人は珍しくため息を吐いた。

 

「ザボエラか……」

「あの爺……悪魔の目玉を通じて、どこからか覗き見ていやがったか」

 

フレイザードの言葉を肯定するように、近くから悪魔の目玉が姿を見せる。そしてその巨大な眼球にザボエラの姿を映し出した。

 

「フレイザードよ、お主の覚悟は見せて貰った。しからばワシら妖魔師団も力を貸そう、その代わり……わかっておるじゃろうな?」

「ハッ、好きにしな。オレにはどうでもいいことだ」

 

そう訴えるザボエラの様子から、どうやらハドラーに連絡を入れた段階からザボエラは察知していたようである。だがフレイザードにはもはやそんなことはどうでもいい。

手柄を寄越せ。そう言われても、今の彼の心はピクリとも揺れ動かない。

 

「おお、それでよい! これでお主の勝利は決まったも同然じゃあ!!」

 

言質を取ったことにザボエラが仰々しく言うが、もはやその言葉をフレイザードは聞いていなかった。彼は未だ禁呪法の疲れも癒えぬハドラーに声を掛ける。

 

「ハドラー様」

「む?」

「あの爺の言葉じゃありませんが、残る他の軍団の力を借りてぇ。お願いしますぜ」

「なに!?」

 

他の軍団をも招集する。という内容もだが、それ以上に他人の力を借りたいと訴えるフレイザードの姿は何よりも異質に見えた。

 

「今の勇者どもはオレを倒したと思って油断しているはずだ。ならばその隙を突いて、一気に攻め込みたい。勝利を確実なものにするために」

「……わかった。残る軍団にも声を掛けておこう。だが、いかんせん急な招集だ。どれだけ集められるかはわからんぞ」

「ああ、それで十分だ。集まった奴らは雑魚と適当に遊んでてくれりゃいい。その間にオレが本命を消してやる。手柄はガッポリあんたらのもんだ」

 

そう約束したものの、ハドラーの脳裏には未だに保身の気持ちがあった。確かに各軍団長にも声を掛ける。だが参戦するかはまた別の問題だ。

自己の保身のため。地位を守るため。ハドラーは自身の中で、温存しておくためという尤もらしい理由をつけながら、ある男のことを考えていた。

 

 

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ!! あれがフレイザードか。なんともおぞましい姿になったものじゃわい」

 

妖魔師団の一室。ロモスの時のように相変わらず、ザボエラが水晶玉を見ながら呟いていた。フレイザードの予測通り、ザボエラは彼が新生するまでの一部始終を見ている。

 

「他者の命を踏み台にしてでも強くなる……それは正しいのぉ。じゃが、そのために自分の命を削るのはいかん。まあ、あやつにしてはよく考えた方じゃわい」

 

そしてフレイザードの姿を見ながら自身が進めている計画と比べる。ハドラーの助力があったとはいえ、単独であれだけのことができるのは確かに賞賛してよい。

だがザボエラが認めたのは力だけだ。自身の進めている研究には、あまり寄与しなさそうだと判断する。

 

「あやつは雑魚と遊んでいろと言っておったが、奴らの仲間の一人くらいは殺さんとな。でなければワシらの立場がないわ。のう、そうは思わんか?」

 

ザボエラは誰もいないはずの方向に向けて、そう言葉を投げる――いや、誰もいないのではない。部屋の片隅にて、まるで暗闇に包まれるようにして巨体がそこにはあった。

 

「…………」

 

だがその相手はザボエラの言葉を聞いてはいるが、何の感慨も沸かないとばかりに目を閉じて無言のままだった。

 

「安心せい。今度の戦は楽なもんじゃ。それに貴様に策を授けてやる。さすれば点数稼ぎは十分じゃろう」

 

そう言うザボエラの脳裏には、もはやダイたちを討伐し終えて、手柄と地位を得た後の様子にしか興味が無かった。そのため、それまでつまらなそうにしていた巨体が、ほんの少しだけ闘気を発したことに気づくことはなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「フレイザード……どうして生きているんだ!?」

「ククク、さあねぇ……? 果たして何があったのやら」

 

――場面は、再び現在へと戻る。

 

月明かりと篝火に照らされるその姿は、確かにフレイザードそのものだった。ダイはもとより、レオナを筆頭にバルジの塔で戦った数の多くの人間がフレイザードを見ている。

ここでフレイザードを知らないのは、エイミとバダック他数名の兵士程度だ。

その全員が見て同じ判断をしていた。こいつはフレイザードだと。

 

「どうして生きていたのかは、この際どうでもいいわ。でも、前回も敵わなかったのに、また出てきたところで勝てると本気で思っているのかしら?」

 

レオナの強気な言葉に、死んだと思っていた敵が生きていたという異質さに飲まれていた全員がハッと気づく。そうだ、自分たちは何を恐れていたのだろう。ここにはダイが――救国の英雄たちがいるのだ。ならば恐れることはないだろう、と。

 

「そうね。ダイ一人を相手にしても敗れたのに、今回は仲間も大勢いるのよ」

 

レオナの言葉に続けとばかりに、強気な様子を見せるチルノであったが、その内心は動揺していた。こんな展開を彼女は知らない。確かに、出会ったと同時に倒した。だが、その相手が復活して襲ってくるなど、想像もしえなかった。

直感でしかないが、今のフレイザードは何かがマズい。復活した理由と手段を知りたいが、余計な好奇心を出さずに倒すのが最良だと彼女は自身に警鐘を鳴らす。

 

「仲間ねぇ……例えば、そこのヒュンケルのことかい?」

 

フレイザードは一瞬だけヒュンケルに視線を走らせる。つい数日前まで魔王軍に属して人間を殺していたはずの男が、今は敵になっている。

そのことを伝えてやればさぞかし愉快なことになるだろう。

だが、そこまで考えながらもフレイザードはそんなことに興味などなかった。

 

「それに随分と幸せな脳ミソをしているじゃねぇか。一度敗れた相手が、ノコノコ顔を出しているんだ。もっと警戒すべきなんじゃねぇのか?」

 

そう言いながらゆっくり近づく。今まで距離があり、光源が弱々しいこともあって簡素なシルエットのようにしか見えていなかった相手の姿が誰の目にもはっきりと映った。

 

「その身体は……!?」

「なんだ!? 何があったんだ!?」

 

はっきりと見えるようになった途端、全員に動揺が走る。それもそうだろう。赤と青で半々だったはずの相手が、一面紫色になっていれば驚きもするだろう。

それは予想通りだった。あえて姿を見せたのも、隙と油断を誘うためだ。

 

「そらそらそら、よそ見してる場合か!!」

「うわっ、この!!」

 

意識が途切れたほんの一瞬で、フレイザードは距離を一気に詰めてダイへ攻撃を仕掛ける。だがダイもさるものだ。半拍ほど遅れながらもその動きに反応してみせ、剣を引き抜いて攻撃を防ぐ。

 

――重い!?

 

攻撃を防いだものの、その手応えは異質だった。明らかに強度が違う。前回戦った時には、フレイザードの攻撃を防ぐことは無かったため完全に比較できるものではないが、それを差し引いてもおかしい。

攻撃をたった一撃防いだだけで理解できる。出し惜しみしている場合ではないと。

だが反撃に転じようとしたダイと同時にフレイザードは動く。

 

「遅ぇ!!」

「アバン流刀――ぐっ……!!」

「ダイ!?」

「馬鹿な! 今のは……!?」

 

ダイが反撃しようと動くが、それはフレイザードの追撃によって発動させる前に潰された。それだけを見れば、決して珍しいことではない。

だがそれを見たヒュンケルは、信じられないものを見たように叫んでいた。

 

――技の起こりの前に動いた、だと!?

 

どんな技でも、発動の前には準備動作のような物がある。それが大きく長ければ、発動までに時間が掛かり相手にも察知されやすい。そのため、できるだけ短く悟られないような物にするか、そうでなければ理解されても問題ないタイミングで放つのが普通だ。

だが今のフレイザードは、ダイがその準備動作をすると同時に動いていた。偶然かとも思うが、そんな単純な物では決して無いだろう。

何か理由があるはずだ。そう考えるが、事態はゆっくりと考える暇を与えてくれない。

 

「うわあああっ!?」

「なんだ!?」

 

突如として、周囲に爆発が起きた。その爆発は三つ。

幸いなことに誰かを狙ったわけではないようで、怪我人は誰もでなかった。だが、何を狙っているのかは手に取るように分かってしまう。

 

「ようやくおでましか」

「くっ……!」

 

予想を裏付けるように、フレイザードが呟いた。

援軍がいたのだ。だが敵の援軍は、わざわざ目立つように爆発を起こしている――つまり、あの爆発は陽動。ダイたちとパプニカ軍を引き離して、各個撃破を狙っているのだろう。

だが、だからといって無視するわけにもいかない。このままフレイザードを相手にしていれば間違いなく内のフレイザードと外の援軍とで挟み撃ちを受けて潰されかねない。

 

レオナが悩んだ時間は一瞬。そして彼女は高らかに叫んでいた。

 

「部隊を分けて対処に当たります! アポロ、マリン、エイミの三人はそれぞれ敵の援軍に対処して! パプニカの各兵はそれぞれ三賢者に従って行動を!!」

「「「はっ!」」」

 

三賢者はそれぞれが、軍を率いる部隊長のような役割も担っている。そして兵たちは、三賢者それぞれに小隊となって従うように再編されていた。

落ち延びて隠れていたための暫定措置でしかなかったのだが、今回はそれが功を奏したらしい。レオナの命令に従い、三賢者と兵士たちはそれぞれが敵の援軍目掛けて進む。

 

「ダイ君以外の三人はそれぞれの部隊の応援に行ってあげて!」

「えっ!? じゃあレオナはどうするの!!」

「私はダイ君とフレイザードを押さえるわ!」

 

かなり突拍子もない作戦だった。総大将であるはずのレオナが、護衛もつけずにダイと二人だけで戦うというのだ。だが、一度フレイザードを倒したダイを信頼しているのだろう。

 

「ヒュンケル……どうするの?」

「仕方あるまい、乗りかかった船というやつだ。それに、ここを切り抜けなければ、落ち着いて話も出来んだろう」

 

マァムの問いかけに、ヒュンケルは目に闘志を宿らせながら言う。戦士としての直感が為せる技か、どうやら彼もここが一つの正念場だと感じているらしい。

 

「……分かったわ! ダイ! ちょっとだけ耐えていて!!」

「すぐに戻る。それまで待っていろ」

「こっちは任せて!」

 

三人がそれぞれ言葉を投げかけて、三方へと向かう。

そして、その先で待っていたのは――

 

 

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ! 飛んで火に入るなんとやらじゃわい……」

「ザボエラ!!」

「チルノ殿、あの敵をご存じなのですか!?」

「敵の軍団長の一人よ。卑劣で狡猾な奴だから気をつけて」

 

辺りにはザボエラと妖魔師団のモンスターたちがいる。

アポロの言葉に、チルノは自身の怒りを抑えながら言う。彼女の中ではブラスを連れて行った怒りはまだ治まっていない。

 

 

 

「ハドラー……」

「ほぅ、オレの相手は貴様か」

「ハドラーって、まさか……!?」

 

かつてこのホルキア大陸に拠点を築き上げ、地上を征服しようとした魔王のことは、流石に三賢者であるエイミは知っていて当然だった。

ハドラーとヒュンケルの二人は、互いに睨み合い闘気を高めていく。

 

 

 

「…………」

「なに、この相手は……?」

 

マァムは物言わぬ目の前の相手に戸惑っていた。豪勢に見えるが、どこか寒々しい空色をしたローブに頭から身を包み、その衣の下は底冷えするような闇が広がっている。その闇の中で、目の部分だけが存在を主張するように光っている。

 

「敵は甲冑族……あいつらはタフだから気をつけて!」

 

マリンがそう言うが、マァムの耳には殆ど届いていない。マァムは目の前の軍団長――魔影参謀ミストバーンを油断なく見つめていた。

 

 

 

「残念だが、奇跡の勇者様はここで終わりだ!」

 

全ては彼の目論見通り。邪魔な勇者のお仲間は全員いなくなった。後はダイを殺せば良いだけだ。

だがフレイザードはその過程には拘ることはない。ダイを殺すのに、最も単純な方法があれば迷うことなくそれを使う。

 

「ザラキ!!」

 

そして、成功率を上げるためならば、手段も問わない。

フレイザードが使ったのは、古代の邪教徒が考案したと伝えられる"死の言葉"を相手に投げかける呪文。その言葉の誘いに負けた者に死を与える単純明快にして恐ろしい呪文だ。

 

それを、避けられないタイミングでレオナへ向けて(・・・・・・・)放つ。

 

「危ないレオナ!!」

 

当然、正義の勇者様はお姫様を庇う。全て彼の予想通りだ。

 

「ダイ君!!」

 

ダイの身体を、死の言葉が覆い包んだ。

 

 




良いところで切りたかったので、今回は短め(え、どこが……?)

出オチさんは一応強化されました。が、はたしてどこまで食い下がれるか……
(再生怪人は弱いと昔から相場が決まっていますし……)
なお、赤と青を混ぜたので紫色にしています。わぁ、とっても安直。
(紫芋を使ったお菓子みたいで案外美味しそうに見えるかもしれません)

この展開をはたして捌ききれるのか私……

フレイムとブリザードを見ていると、某赤青な双子のボイスロイドを連想します。
(どうでもいいですね)

ク○○ダ○ン は ちから を ためている。


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LEVEL:28 裏切りの獣王

篝火から離れたことで、光源は月明かりがメインとなっていた。だが幸いなことに今宵は満月。雲一つ無い夜空は煌々と輝く月と星々が神秘的に彩っている。

これで思い人とでも夜を明かすことが出来たらば、さぞかしロマンチックだろう――とはいえ、相手のアテなどはまるで無いのだが。

チルノは頭に一瞬浮かんだ、そんな愚にも付かない考えを振り払い、再度周囲を見回す。

周囲には妖魔師団に所属する魔道士系のモンスターが数多く存在していた。そして、それらよりも後方にて、モンスターたちに守られるようにザボエラが姿を見せている。

 

対してこちらの陣容はといえば、戦力と数えられるのは三賢者のアポロくらいのものである。他にもパプニカの兵たちもいるのだが、あまり戦力として期待できない。

これは兵士一人一人の練度の問題ではなく、彼らの戦い方が原因だった。元々兵士とは数をもって戦う者である。多人数で挑み有利な状況を作ったところで、各人と連携して戦う戦法が一般的である。

勿論彼らとて個人個人でも戦えるだろうが、不得意な戦法であることは否めない。その上、数も少ないとなれば、果たしてどこまで戦えるものか。ましてや相手が悪すぎる。

現状を再確認しながら、チルノは気が気でなかった。

 

「相手は妖魔師団……見て分かるとは思いますけれど、呪文に長けたモンスターたちで構成されています。相手の呪文は絶対に避けるようにしてください」

 

そうパプニカの兵たちに警告を飛ばしながら、彼女はいつでも魔法を放てるように精神を集中させていく。

 

「なんの、チルノ殿だけに任せるわけにはいきません! 我々パプニカ兵も微力ながらお手伝いさせていただきますよ」

「そうですとも。せっかく取り戻した故郷です。私もこの身果てるまで戦います!」

 

だがチルノの言葉に反発するように、兵士やアポロがやる気を見せる。せっかく王家を取り戻したというのに、それが水泡に帰すかの瀬戸際なのだ。逸る気持ちは彼女にもよく分かる。そして、そのためならば命だって賭けられるという気持ちも。

だからこそチルノは彼らに苦言を呈す。

 

「すごくありがたいです。でも、皆さんはこの戦いを切り抜けたら、荒廃したパプニカを復興させるっていうお仕事が待っているんです。それはきっと、無数のモンスターを倒すよりも、もっとずっと立派で尊い行いです」

 

国を立て直す主役は貴方たち一人一人だ。そしてその原動力は故郷を守りたいという想いからなのだ。だから貴方たちには無理をして欲しくない。その力は破壊ではなく創造のために使うべきだと訴える。

 

「だから、戦いなんて私たちにどんどん任せちゃってください。どうせ英雄なんて、戦いが終われば邪魔になるんですから。今のうちに使っておけ程度の気持ちでいいんですよ」

「チルノ殿……」

 

無理に戦わせれば、怪我人の手当で手が回らなくなりかねない。ならば自分で面倒を見られる範囲の方がまだマシだ。そういった下心もあって言った言葉だったが、事態は彼女の願いとは裏腹な方向へと流れていく。

 

「パプニカの国民でもないチルノ殿がああ言っておられるのだ! 諸君! ここで無様な真似を見せてはパプニカ兵の名折れと知れ!!」

「オオオーッ!!」

 

チルノの言葉を自己の犠牲すら顧みない深い気遣いによるものと受け取り、アポロを筆頭に兵士たちに火がつく。

 

「え……」

「チルノ殿! 我々、感服いたしました! さすがは姫のご友人です!」

 

無理をして欲しくないから言った言葉でしかないのに、予想外の結果に流石のチルノも困惑するしかなかった。仕方なし、士気が高まったのだから良かったと思うことにしよう考えることで自分を騙す。

 

「黙って聞いておれば、随分と威勢が良いのぉ。それほど賑やかならば死出の旅路も寂しくはあるまい?」

 

それまで沈黙を保っていたザボエラがようやく口を開く。その言葉を聞き、配下の魔術師系モンスターたちも不敵に笑う。

 

「……あなたが前線まで出張ってくるなんてね。ロモスの失点を上司に責められでもしたのかしら?」

「フン、ぬかせ小娘……と言いたいが、全くその通りじゃ」

 

それは挑発のつもりだったのだが、意外なことにザボエラはあっさりと頷いた。まるで、この戦いにさしたる興味など持ち合わせていないと言わんばかりである。

 

「今回の主役はフレイザードよ。ワシらはちょいと点数稼ぎで、雑魚共を安全に狩りに来ただけじゃ。安心せい、痛みを感じる前にとっとと殺してやるわい」

「……それはご親切にどうも」

 

その口ぶりからチルノは相手の狙いが分かったような気がした。なるほどまさにザボエラは大きな興味を持っていないのだ。自分で言ったように、やることはタダの安全な点数稼ぎ。作業のように淡々とこなせば良い、としか考えていないのだと、そう思っていた。

ただ、ある一点だけは除いて。

 

「じゃが小娘。貴様には我が軍団でも数少ないサタンパピー共を潰されておるからのぉ……ちょいとばかり痛い目を見て貰うぞ? キィ~ヒッヒッヒ!!」

「言ってなさい! こっちだって、おじいちゃんを人質に取られた恨みはまだ忘れてないんだから!」

 

まるで豹変したかのように騒ぎ立てる。この戦いにて、ザボエラはチルノへの憎悪だけは別だった。先のロモス戦での敗北はザボエラにとっては予想外の痛手らしい。

泣き叫ぶ姿を見なければ腹の虫が治まらないと言いたげな様子に、だがチルノも激高したように叫ぶ。彼女の中ではブラスを連れて行った怒りはまだ治まっていない。

 

「鬼面道士の一匹や二匹で口喧しい小娘が! 貴様ら、やれい!!」

「ギラ!」

「メラミ!」

 

ザボエラが合図を上げると、待ってましたと言わんばかりに周囲のモンスターたちが攻撃呪文を放つ。妖魔師団に所属するモンスターたちは、いずれも呪文の扱いに長ける。ましてや周囲を囲まれた状態で、逃げ場のないように攻撃呪文を放たれたのだ。雲霞のごとく襲いかかる呪文を前にして、だがアポロは落ち着いて呪文を発動させた。

 

「フバーハ!」

 

高熱や冷気を遮断する光のバリアを生み出す呪文である。腐っても三賢者。さながら先のフレイザード戦にて、フバーハを破られた意趣返しとでも言わんばかりである。

張り巡らされた光の結界は、襲いかかる無数の呪文たちを瞬く間に無力化していく。

 

「【ファイラ】!」

 

アポロの意外な活躍に感心しながら、チルノはお返しとばかりに火炎魔法を放つ。敵の攻撃が途切れた隙間を狙って打ち込まれたそれは、燃え盛る炎によって敵陣の一角を焼き尽くしていく。

 

「おおっ!」

「アポロ様とチルノ殿。二人の賢者がいれば、勝てるぞ!」

 

あまりにも鮮やかな防御。そして反撃へと転じる姿に、それを見ていた兵士たちから歓声が上がった。何しろ敵は遠距離から攻撃を仕掛けてくるのだ。近接戦闘を得意とする兵士たちでは分が悪い。だが今のように、二人の援護があればこの不利な状況であっても勝利は決して夢ではないと、そう信じるには十分すぎた。

ただ、一人だけ賢者扱いに辟易している少女がいるのだが、これは置いておこう。

 

「ほほう、どうやら人間にしては多少は知恵が回るようじゃな。それによくやりおるわ」

 

配下のモンスターたちに損害が出たにも関わらず、ザボエラは涼しい顔のままだ。

 

「じゃがその程度は計算済みよ。言ったはずじゃぞ、雑魚共を安全に狩りに来たとな」

 

その程度の被害など想定済み。むしろこの程度は頑張って貰わなければ困る。幾ら雑魚狩りによる点数稼ぎとはいえ、あまりに弱い相手では加点にはならないのだ。適度に抵抗して貰わなければ困る。

むしろここまでは前座。本命はこれからだ。妖魔司教は、これからの惨劇を夢想してニヤリと下品な笑みを浮かべる。

 

「さあ、出てこい!」

 

声高に叫ぶと、その声に応じるかのようにザボエラの背後から巨大な影が姿を現した。大きさは隣に並ぶザボエラと比較すればまるで大人と子供。少し距離があるためシルエット程度でしか見えないものの、がっしりとした体格をしていることは容易に想像がつく。

 

「なっ、なんだあれは……」

「巨人……か?」

 

妖魔師団は魔術師系のモンスターで構成されているというチルノの言葉からは想像も出来ないような相手が出てきたのだ。兵士たちは困惑する。

ただ、チルノだけは違った。彼女はその相手を知っている。

 

「うそ、でしょ……」

 

未だはっきりとは見えないが、そのシルエットには見覚えがある。本来の歴史では頼もしい仲間として、数多の強敵を前にしても一歩も退くことなく常に最前線で戦い続けた男。

だがこの世界では、敵として未だ敵として戦っただけの関係でしかない。

 

「クロコダイン!」

 

予想もしない相手の出現に思わず叫び声を上げる。

月明かりの下、かつて敵として戦った獣王がチルノの前に再び姿を現した。

 

 

 

――どうしてクロコダインが!?

 

敵として現れた獣王を見ながらチルノは困惑していた。そもそもこのフレイザードの戦いすら本来の歴史には存在しない出来事であり、クロコダインは味方として窮地を救ってくれるはずと思っていた。

だが現実は違う。今この瞬間に、ザボエラの呼びかけに応じて姿を現した。それはすなわち、再び敵同士となったことに他ならない。

 

「チルノ殿、あのリザードマンを知っているのですか?」

「……ロモスを侵攻していた百獣魔団の団長です。ダイが倒したはずなんですが……」

 

アポロの問いかけにチルノは答える。百獣魔団の団長と言う言葉に、パプニカ兵たちが息を飲む声が聞こえてきた。確かに彼らからしてみれば、軍団長を二人同時に相手にしろと言われているのだ。

幾ら士気が上がっていても、その言葉から受ける衝撃は並ではなかったらしい。再び動揺の色が見え隠れし始めた。

 

「確かにクロコダインは一度死んだ。だが蘇生させたのよ。そして今ではこの通り、我が妖魔師団のために忠実に働く(しもべ)として生まれ変わった!」

 

チルノの言葉を後押しするように、ザボエラが自信満々に叫んだ。これが余裕の理由かと気付き、思わず彼女は歯噛みする。

本来の歴史では、クロコダインは一度ダイに敗れて確かに命を落とす。だが蘇生液と呼ばれる特殊な液体に浸けることで息を吹き返し、ダイたちの助けとなってその身を張り続ける。

ザボエラの口ぶりから、蘇生液までは同じ流れだったと推察できるが、それ以降は不明となっている。一体、獣王に何があったのか。

 

「さあ、やれぃクロコダイン!」

 

しかし、悠長に考えている時間は無かった。

ザボエラの命令に従い、クロコダインは自らの獲物である真空の斧を手にしてパプニカ軍へと襲いかかってきた。

兵士たちの持つ長剣とは比較にならない、彼らとて両手で抱えなければ持てないほどの巨大な斧を片手で易々と持つほどの怪力と巨体。威圧的な風貌と相まって、胆力の無い者が見れば畏怖して動きすら固まらせるだろう。

だが、その程度ではパプニカ兵たちは士気を崩壊させることはなかったらしい。勇敢な何人かがクロコダインを迎え撃つべく剣を構えて前へ出る。

 

「いけない、下がって!!」

 

それを見たチルノは、彼らに向けて思わず叫んでいた。だが彼女の言葉を兵たちは聞き入れない。

 

「何をおっしゃいます! 我々パプニカ兵におまかせを!!」

「敵が呪文を使わないのであれば!!」

 

確かに兵たちの言葉は正しい。斧を手にして前に出てきているのだから、呪文を使わないというのも推測できる。であれば、自分たちでも戦えると思うだろう。

士気が上がっていたこともあって、彼らは怯むことなく立ち向かう。確かに勇猛果敢な良い兵だ。チルノだけに任せておけないという強い責任感も兼ね備えている。

だが、それは無理なのだ。獣王を正面から相手に出来るのは、この場にいる仲間ではダイかヒュンケルくらいだろう。チルノとて、少しの間だけだがクロコダインと刃を交えたことがある。だから分かってしまう。

 

「【プロテス】!」

 

せめて出来ることをしようと思い、防御力を向上させる魔法を勇敢な兵士たちに唱えた。光の膜のような結界が彼らに薄く掛かり、彼らが受けるダメージを減少させる。

だがそれもどこまで有効か。クロコダインの攻撃力の前には完全に防ぐことは出来ないのは身をもって知っている。それでもせめて、少しでも衝撃を緩和出来ればと考えてだ。

 

「……フン」

「ぐわわああっ!」

 

自身へと襲いかかってきた兵士たちを、獣王は瞳を細めて一瞥すると斧を持った手を軽く振るう。それだけで、兵士たちはまるで風に舞う木の葉のように簡単に吹き飛んでいた。

 

「お前たち!!」

「だ、大丈夫、です。なんとか!」

 

吹き飛んだ部下たちの様子を見て、アポロが声を上げる。だがチルノのプロテスが功を奏したのか、吹き飛んだ先の彼らは痛みに顔を顰めつつも生きていた。返事をする余裕もあることから随分と軽症なのではないかとすら思える。

 

――これは、私のせい……!? どこで、何を間違ったの……?

 

考えを巡らせながら、チルノは仲間であるパプニカ兵たちの様子を一瞬だけ窺う。

兵士たちは仲間が吹き飛んだ様を見て、少しだけ気勢を殺がれたようだ。吹き飛ばされた兵士たちは回復に向かいたいところだが、目の前の獣王がそれを易々と許してくれるとは思えない。

用心のため鞘からパプニカのナイフを引き抜くと、前へと歩み出てクロコダインと相対する。それだけで緊張から胸の鼓動が早鐘を打ち鳴らし始めた。

今までのチルノは、言ってみれば予定調和の戦いでしかなかった。多少のアクシデントこそあれ、本来の歴史という知識の範囲内から大きく逸脱したものではない。だからある程度覚悟することも、それを逆手に取った準備もできていた。

 

だがこれは彼女も知らない戦いだ。こちらの都合を考えない、理不尽な戦い。本来は戦いとはそうした不平等なものであり、事前に特定の対策など取れるはずもないものだ。だがこれまでその知識に頼ってきた彼女は、無理だと知りつつも願ってしまう。

 

――もっと安全な方法とか、準備もできれば……待って!!

 

自嘲するように胸中で呟きかけて気づいた。ザボエラの策がクロコダインに戦わせるだけなんて生温いだけのはずがないのだと。前衛がいれば、後衛は呪文で援護する程度のことは誰でも思いつく。

そして、敵は安全に狩りをすると言っていた。となれば、単純に呪文を唱えるだけではないはず。もっと別の何かを……

 

「これだけではないぞ。さて、始めろお主たち」

 

気付いたときには手遅れだった。ザボエラの合図に、配下の魔術師系モンスターたちは一斉に呪文を唱え始めた。

 

「マヌーサ!」

「マヌーサ!」

 

相手を幻惑の霧に包み込む呪文である。この霧の影響を受けた相手は、術者の幻影を無数に見ることとなる。熟練した術者であれば都合の良い幻を見せることも出来る。対象を誤認させる呪文だ。

妖魔師団モンスターたちは一斉にそれを使うことで、戦場はまるで濃霧に包まれたかのようだ。

 

「これは……」

「マヌーサによる援護?」

 

――いえ、あのザボエラがそんな単純な手段を使うとは考えにくい。だったら、何が狙い……?

 

自分の言葉をチルノは自身で否定する。こちらにマヌーサの幻影を見せるくらいならば、もっと効率的な方法がある。だが考えている暇はなかった。

 

「そしてこれで、完成じゃ!」

 

仕上げとばかりにザボエラが何やら呪文を唱える。その途端、まるで霧は意思を持っているかのように動き始めた。

 

「な、なんなのだこれは!?」

「見えない!? 何も見えないぞ!?」

「アポロ様!? チルノ殿!? 一体どちらへ!?」

 

兵士たちの困惑した声が聞こえる。だが声だけだ。姿はまるで見えない。つい先ほどまで見えていたはずのパプニカ兵たちの姿は皆、霧の幕によって閉ざされていた。

 

「少し先も見えない? マヌーサの結界みたいなものかしら?」

 

兵士たちの悲鳴から察するに、濃い霧によって視界が極端に制限されているらしい。すぐ近くにいた相手すら見えていないようだ。だが声だけは聞こえる。これだけならば、多少厄介ではあっても恐れるほどではない。

そう判断した途端、猛烈に嫌な予感を感じ取りナイフを構えて攻撃に備える。

 

「ああっ!」

 

突然クロコダインが姿を現し、斧を振り下ろしてきた。だが予め備えていたおかげで、その攻撃はギリギリ受け流しに間に合った。

多少なりともダイの特訓に付き合ったおかげで、少しは剣の腕前も上がったのだろう。以前にロモスで戦った時よりも早く反応できて、受け流しの時にも余裕を持って成功させることができた。

 

「くっ!」

 

しかし、多少成長していようともクロコダインと正面からやり合うのは危険すぎた。そう判断してチルノは一度距離を取るべく後ろに下がる。

 

下がったはずだ。

 

「えっ!?」

 

突然背中に衝撃が走り、彼女は後ろを振り向く。兵士の誰かにでもぶつかったのだろうと思っていたが、なんとそこにいたのはクロコダインだった。

先ほど彼女が下がった時と変わらぬ姿のまま、背中からぶつかってきたチルノを隻眼で見下ろしている。

一体何があったのか。混乱しつつもチルノは再度距離を取ろうとする。なにしろ彼女は敵に背中を向けているのだ。そのままバッサリとやられてもおかしくはない。

 

だが、再度距離を取るべく動いた先でまたもや背中に衝撃が走る。再び後ろを見て、チルノは叫んでいた。

 

「なっ、なんで!? どうして!?」

 

そこにいたのは、またしてもクロコダインであった。先ほどのように、動くことなくチルノを見つめているだけだ。

 

今度こそ、とクロコダインに注意を払いながら、チルノは三度距離を取る。どうやら今度は背中にぶつかることはなかったようだ。その事実に少しだけ安堵しながら彼女は原因を考える。

ぶつかったことから、幻影ではない。かといって自分を上回る速度で動いているのであればその音すら聞こえないのはあり得ない。この霧が影響しているのは間違いないはずだが。

かといって悠長に考えていられるわけでもない。チルノの表情に焦燥感が浮かぶ。

 

「キィ~ヒッヒッヒ!! 驚いておるのぉ、小娘。そら、焦れ焦れ。もっと焦るがよい」

 

まるでそれを待ち構えていたかのような絶妙なタイミングで、ザボエラの歓喜の声が響き渡った。

 

「見えているの……?」

「当然じゃよ。ワシらからはお主らのマヌケ面がよく見えるわい」

 

誰に向けたわけでもないチルノの呟きだったが、ザボエラはそれを聞き取ると勝ち誇ったように言う。

 

「知りたいか? 知りたいじゃろうなぁ? この呪文が何なのかを?」

 

持って回ったような実にいやらしい喋り方だ。圧倒的な優位を確信しており、その優位が覆らないと思っている。だから話したくて仕方が無いのだろう。仕組みを話すことで強者としての優越感を味わいたいのだろう。

 

「これはマヌーサを応用した呪法じゃよ。この霧に捕らわれた者は、視界を制限されるだけでなく、方向感覚も狂う」

「方向感覚……まさか!!」

 

それだけでチルノには思い当たることがあった。というよりも先ほど身をもって体験したばかりだ。気付かないはずがない。

 

「察したか? その通りじゃ! お主の背後にクロコダインが回り込んだわけではない。自分で背中を向けてぶつかっていただけじゃよ!! あの姿は実にマヌケじゃったぞ!!」

 

その言葉に配下のモンスターたちもクスクスと笑い出す。その反応から、ザボエラだけでなくモンスターたちも――もっと言えば、霧に包まれている者以外であれば見えるのだろうと推測できた。

 

「名付けて、眩惑の霧。まさか、こんなところで使えるとは思わんかったわい」

 

眩惑の霧。ザボエラの言葉通り、マヌーサ系統に属する呪法である。

複数人の術者がマヌーサを使って霧を生み出し、統制者となる一人の術者が全体の呪法を統括することで効力を発揮する。

この霧の中では、対象の方向感覚や距離感を狂わせる。この霧の中では、敵とどれだけ距離を取ったのかも、自分がどの方向を向いているのかも全てを疑う必要がある。本人は真っ直ぐに移動したつもりでも、実際にはどこにいるのか分かった物ではない。

チルノがクロコダインに背後を取られ続けていたと錯覚したのも、このためだ。

欠点と言えば、術者の数によって霧の範囲が決まることと、各々がこの呪文へ集中する必要があるため、他の行動が取りにくくなると言ったことだ。

 

「そこの雑兵共も、お主の声を聞いてなんとかせんと足掻いておったわ。じゃが、その場でグルグル回っておるだけ……まるで犬じゃったわい」

 

だが、距離感と方向感覚は狂わされても音は聞こえる。そのため、見えない敵を相手に仲間を助けようと必死で足掻く。決して辿り着かないはずの場所へ、必ず辿り着くと信じて動き続ける。

霧の外の術者たちを楽しませるために、その姿をさらし続ける。

 

「じゃがこの呪法は解けんぞ? ワシらからはお主らの姿はよく見えておるからな。そんな素振りを見せた瞬間にクロコダインが襲いかかるわ」

「く……」

 

それでもチルノは必死で打開策を考える。この場にいたのがヒュンケルであれば、鎧の効果で影響は及ぼさないかもしれない。この場にいたのがダイであれば、気配を感じ取ることでクロコダインを倒すことも、霧の外にいるザボエラを狙い撃つことも出来るかも知れない。

だが今のチルノにはどうすることも出来ない。今彼女が聞いているこの声すらも、果たして聞こえている通りの位置からなのか、判別出来ない。

無差別に魔法を放てば当たるかも知れないが、ラッキーパンチが期待できるほど都合の良い相手でもない。

 

「それじゃ! その顔が見たかったのじゃよ!! だからこうして、わざわざ前線まで出向いてきてやったんじゃ! キィ~ヒッヒッヒ!!」

 

焦り顔を浮かべるチルノを見て、ザボエラはさらに高らかに笑う。耳に付くその声が、さらに彼女を苛立たせる。

 

「さあ、クロコダインよ! まずはその小娘からじゃ! やれぃ!!」

 

その命令に従い、霧を押しのけて獣王が姿を見せた。斧は手にしたまま、だが構えることはなくチルノを見ている。それを見たチルノは短剣を構え直し、必死で頭の中で戦い方を考える。もはや焦ってなどいられない。決意を新たにクロコダインを睨む。

距離を取れば見失う以上、接近戦で叩くしかない。魔法剣を使ってまずは食い下がる――そこまで考えた時だった。

 

「く……くくくく……ワッハッハッハッハ!!」

「へ……?」

 

それまで沈黙を守っていたはずのクロコダインがいきなり笑い出した。一瞬前まで、真剣な表情をしていたはずのチルノは毒気を抜かれたように呆けた表情となり、ザボエラもまたその様子にあり得ないと言ったように驚愕した顔を見せている。

 

「ワハハハ!! すまんなチルノよ、少し脅かせすぎたか?」

「え……? え……?」

 

その言葉を聞いてもなおチルノは混乱から抜け出すことは出来なかった。いや、むしろ余計に混乱したとさえいえる。それまで戦おうと決意していた分だけ肩すかしを食らったことになり、どうして良いのか分からない状態だった。

 

「バ、バカなっ!! ワシの作った毒が効いておらんのか!? いや、そもそも貴様、生きておったのか!?」

「いいや、確かに効いていた。なにしろ、意識を取り戻したのは少し前だ」

 

一方のザボエラは、クロコダインの様子に明らかに狼狽えていた。このようなことが起こるはずがないと必死で否定するが、現実は変わらぬままだ。ザボエラの言葉をクロコダインは否定する。とはいえ、これで伝わるのは当人同士のみだろう。

 

ロモスにてダイに敗れたクロコダインは、確かに命を失った。だがその遺体は回収され、鬼岩城へと運ばれて蘇生処置を受けることとなった。

蘇生液と呼ばれる特殊な液体にその身体を浸すことで、復活させようとしたのだ。その目論見の甲斐あって、クロコダインは再びこの世に蘇ったものの、少しだけ問題があった。

ダイから受けた傷は、本来の歴史でのそれよりも深く、蘇生にも時間が掛かった。そして、より深いダメージの影響からか、復活したクロコダインは肉体のみで精神は復活していなかった。

これに目を付けたのが、蘇生を管理していたザボエラだ。

彼からしてみれば、自意識を持たない屈強な肉体が手に入ったようなもの。すぐさま毒薬を調合し、クロコダインへと投与。その毒薬は、意識のない相手を操り人形へと変質させるものだった。

だがクロコダインの意識は失われたわけではない。時間を掛けることでゆっくりと回復していき、そしてついには毒薬に打ち勝ち、覚醒する。

だがその頃には少々時間が経ちすぎていた。

ヒュンケルとの戦いは終わり、フレイザードの報告によればダイたちはマグマの海に沈んだとのこと。しかしそれを信じられなかったクロコダインは、未だザボエラの毒の影響下にあるように演技をしながら独自に行動を開始。

 

――そして、今に到るというわけである。

 

「だが、貴様には蘇生処置を受けた義理がある。武人としての、せめてものケジメよ。その義理を果たすまでは付き合ってやった」

 

利用されているとは分かっていたが、それでも命という恩義には最低限の礼儀として応じたいという不器用さである。

 

「だがそれも先ほどまでよ! ザボエラ、オレはたった今からダイたちへとつく!! よって貴様らはオレの敵だ!!」

 

その雄々しい宣言は、チルノを安堵させる。自分のやっていたことが間違いではなかったのだと、クロコダインという武人の心を動かすだけのことができたのだと。

だがチルノが安心するということは、ザボエラは苦境に立たされるということである。苛立ちに顔を歪ませながら口を開いた。

 

「義理じゃと!? ならば命を助けてやったでかい恩があるじゃろうが!!」

「ああ、オレに毒を投与したり、妙な実験に付き合わさなければ、もう少し付き合っていただろうがな……」

「うぅ……!!」

 

確かに命の恩人と言えなくもないが、如何に恩義があろうともそれを盾に卑劣な行いをされれば話は別である。クロコダインの鋭い視線に睨まれて、さらには痛いところを突かれたことでザボエラは言いよどむ。

 

「な、ならばっ!! 貴様のその鎧と斧! 直してやったのは誰だと思っておる!!」

「ああ、それは先ほどの攻撃でもう返しただろう? 足りなければ、手切れ金代わりというやつだ。貰っておくぞ」

 

なるほど言われてみれば確かに、ロモスで大幅に壊れていたはずの斧も鎧も、既に新品同様、すっかり直っている。これも妖魔師団の技術によって普通よりも高品質の代物に変わっているのだが。

そして先ほどの攻撃というのは、パプニカ兵たちを吹き飛ばした一撃とチルノが受け流した一撃のことである。どちらもザボエラを信用させつつ疑われない程度に手加減された攻撃となっており、見た目は派手だがダメージはかなり控えられている。

 

「き、貴様……ッ!! 騙しておったのか!! このワシを!!」

 

自分のことを棚に上げて、クロコダインの余りに身勝手な言い分を聞いて、ザボエラは怒りに打ち震える。そもそもこの状況で手切れ金という表現を使うのであれば、クロコダインからザボエラに支払うのがスジである。

だがそんなことを言っていられる状況ではないのだ。

圧倒的有利と思われた状況は、一人の離反によってひっくり返った。策の根幹を成していたはずの、完全に手駒としていたはずの相手。ただの踏み台でしかないと思っていた相手によって。

 

「ザボエラ、貴様から学ばせて貰ったのよ。それに、貴様の流儀で言うのならば……」

 

自分がどう思われているかなど、クロコダインにはお見通しである。なにしろ演技を続けてきた数日間、ザボエラの取り繕わぬ物言いを散々聞いてきたのだ。その鬱憤を晴らすかのように重々しく口を開く。

 

「騙される方がマヌケなのだろう?」

 

獣王はそう言うと、ニヒルに笑った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「あ、う……お……」

 

クロコダインの言葉に、今度こそザボエラは言葉を失っていた。そんなザボエラとは対照的に、チルノはクロコダインへと声を掛ける。

 

「クロコダイン……」

「ああ、チルノ。勝手なことを言ってすまない。かつてお前たちと敵対したオレだ。今更こんな虫の良い話が通るとは思っていない。だが、武人の誇りを思い出させてくれたお前たちのために、せめて今だけでも戦わせてはもらえんだろうか……?」

 

獣王が真摯な態度で頭を下げる。そんな体験に驚きつつも、チルノの答えは決まっていた。

 

「うん、信じるわ。あなたは武人だもの。むしろこっちからお願いしたいくらい。よろしくね、クロコダイン」

「ああ……かたじけない……」

 

その言葉にクロコダインは一筋の涙を流した。ダイたちと戦い、人の強さと優しさを知ったクロコダインであったが、それであっても実際に受け入れられるというものはやはり、どうしようもなく嬉しいものだ。

 

「でも、驚いたわ。あんな演技ができるなんて……」

「オレもだ。だがやはり性に合わん。オレはやはり、愚直な武人でしかないということだ」

「そんなことないわよ。案外、策士でも活躍できるんじゃないの?」

「ふふ、世辞として受け取っておこう」

 

本心ではない言葉と受け取ったクロコダインであったが、チルノにしてみればかなり本気であった。そもそも獣相手とはいえ軍団長として束ねる地位にいたこともあり、今のように心理的なダメージを大きく与えるタイミングを狙う機転も持っている。

ならばきちんと軍学を学べば本当に伸びるのではないかと。だがそれは今議論するべきことではない。

 

「さて、まずはこの霧をどうにかせんとな……」

 

そう言うと手にした斧を高く掲げる。それを見て何をするのか理解したチルノは慌てて魔力を高めて魔法を発動させた。

 

「唸れ! 真空の斧よ!!」

「【ディスペル】!」

 

斧に仕込まれた魔宝玉が主の命令に従い、風を操る。吹き荒れる風は周囲に立ちこめていた霧をひとまとめにすると、そのまま文字通り雲散霧消させる。

だが腐っても魔法の霧である。バギの力業だけではその場しのぎにしかならず、すぐに元の形を取り始め、周囲へと集まっていく。

それを防いだのはチルノの魔法だ。ディスペルの魔法は、解呪の効果を持つ。これを使うことで呪法の効力そのものを無効化させようとしていた。

ただ、ディスペルの魔法は高等技術である。そのためしっかりと魔力を練るだけの時間が欲しかったのだが、クロコダインの行動に慌てて合わせる形となって発動させた。幸いなことに、あらかじめ真空の斧によって分散させられたことで密度が低くなり、彼女の魔力でもなんとか打ち消すことが出来た。

これが、霧の塊のままであったならば解呪には苦労させられたことだろう。

 

「おお、霧が……」

「あれは敵の! チルノ殿!?」

「いや待て、先ほどこちらにつくと言っていたような……」

 

霧が晴れた途端、現状を正しく認識していなかったパプニカ兵たちがにわかに騒ぎ出す。そして、騒ぎ出すのは妖魔師団も同じであった。

 

「こ、こんな方法で呪法を破ったじゃと!?」

「ひいいっっ!!」

 

頼みの綱であったはずの眩惑の霧も打ち消され、魔王軍は慌てふためいていた。彼らから見れば、クロコダインの真空の斧によって強引に霧を解除されたように見えていた。インパクトのある獣王の横ではチルノの姿はあまり目立っていなかったらしい。

 

「そこにいたのか、貴様ら!」

 

もはや迷わされることはない。敵に狙いを定めたクロコダインは、恐ろしげな表情で敵陣に切り込んでいく。

 

「そうだ、今のうちに……」

 

敵がクロコダインに気を取られている隙にとばかり、チルノはこっそりと移動した。目的は先ほどクロコダインの演技の犠牲になって吹き飛ばされた兵士たちの回復だ。幾ら策略の一つだったとはいえ、実際に事前の打ち合わせもなく攻撃をしているのだ。ならばせめてしっかりと治療しなければ遺恨も残るだろうと考えてのことだ。

 

「大丈夫ですか? 今、治療を……」

 

そう言うとケアルの魔法を唱えて、兵士たちの傷を癒やしていく。治療をして分かったことだが、怪我は思った以上に軽いものだ。これはクロコダインの手加減によるものだということを理解して、不器用だと自称する男の案外小器用な面を垣間見たようでチルノは少しだけ微笑んだ。

 

「チルノ殿……ああ、ありがとうございます」

 

一方の兵士は、柔らかな笑みを浮かべて治療魔法を唱えるチルノの姿を見ながら顔を赤くしていた。彼らもやはり、男である。無骨な軍社会に組み込まれており、その上で隠れていたため我慢を強いられていた。そこに、見目麗しい少女から献身的に治療をしてもらえれば、そうもなろう。

パプニカ王国にて訓練をしていたときも、時折通りかかった三賢者が気まぐれに治療を受けられる場合もあったのだが、そのときはマリンとエイミの姉妹の時にはこっそりと大喜びされていたものであった。アポロの場合? お察しください。

 

そういうわけで、怪我は思ったよりも軽傷であり、新人のかわいい女の子に治療してもらえたので、兵士はむしろ怪我してラッキーだったとすら思っていた。単純なものである。

 

さて、クロコダインへと視点を戻す。

迫ってきた獣王を迎え撃つべく、妖魔師団のモンスターたちは呪文を唱え放つ。だがその程度の攻撃ではクロコダインが止まるはずもない。その動きに反応すると、右腕に闘気を集中させる。

 

「こざかしいわっ!!」

 

そのまま闘気によって膨れ上がった右腕を向けると、一気に解き放った。竜巻のような闘気流は放たれた呪文をそのままかき消し、数体の魔術師モンスターを巻き込んで荒れ狂う。

 

「さすが、獣王会心撃……」

 

それを見ていたチルノが思わず呟いた。クロコダインの代名詞と呼べる技の威力は、いつ見てもとてつもないものである。威力も範囲も貫通力も、どれをとっても生半可なものではない。

 

「ほう、会心撃……なるほど、良い名だ。いっそ改名するか」

 

少女の言葉を聞いていたらしく、クロコダインはチルノの呟きに感心する。必殺技の名を変えることで心機一転させようという少女の心遣いだと受け取っていた。真実はうっかり口を滑らせただけなのだが、どうやら良い方に取ってくれたらしい。

それを聞いた本人は少しだけ引きつった表情を浮かべていたが。

 

「だがなチルノよ、今のオレはこれだけではないぞ」

 

そう叫ぶと斧を大上段に構え、力を込める。少々隙が大きく見えるが、だがチルノには初めて見るはずのその構えをどこか知っているように感じた。

 

「ぬおおおおぉぉっ!!」

 

気合いの雄叫びと共に敵に接近すると、そのまま一気に振り下ろす。それだけならばただの斧の攻撃と同じだろう。しかし、その一撃は威力が桁違いだった。闘気すら込められた攻撃は勢いそのままに大地へと打ち込まれ、そこにまるでイオナズンでも打ち込まれたかのような衝撃を引き起こした。

 

「今のは、まさか……」

「ああ、ダイの技を少し真似させて貰った。あのくらいならオレにもできそうだったのでな」

 

やっぱり、と心の中で呟く。その一撃は大地斬――正確には、大地斬の術理を真似て斧で再現したもの――であった。ならば彼女が知っているのも当然だ。元々パワーを主体とする技の大地斬が、クロコダインの怪力と斧という破壊力を重視した武器に組み合わさって放たれる。その威力は見ての通りだった。

大地斬は、尤も単純な技とも言える。そのため、ある程度の技術を持った武人であれば真似することも決して不可能ではないのだが、敵として攻撃を受けただけでこれほど見事に使いこなすのは、やはりクロコダインは非凡な才能を持った戦士であるということだ。

獣王会心撃に加えて、さらにとてつもない破壊力を秘めた斧の一撃。妖魔師団は今にも逃げ出しそうなほど、士気は崩壊しかかっている。何しろ長であるザボエラ本人が率先して撤退のチャンスを窺っているのだから。

だが、その威力を見せつけながらもクロコダイン本人は浮かない顔だった。

 

「しかし、かつて敵だったオレがダイの技を使っても良いのだろうか……? 聞けば元は、師であるアバン殿の技だったと。技が穢されるように思えるかもしれん……やはり封印した方が良いのだろうか?」

 

なるほど。どうやら気にしていたのは、真似た技とはいえ自分が勝手に使うことに対する忌避感があったらしい。自分には、使う資格がないのではないかという葛藤からの行動だったようだ。

これほどの破壊力を見せる技を使いこなしながら、そういったことに悩むのは実に武人らしい不器用な問題だった。

 

「大丈夫、平和のために使うのなら許してくれるわ。ダイだって、アバン先生だってきっと、ね?」

「……そうか。ならば、この技を使うに恥じないよう精進しなければな。いつか泉下(せんか)のアバン殿に胸を張って報告できるように」

 

チルノの言葉にクロコダインは決心したように言う。アバンに教えを受けた彼女の言葉は、彼にとっても受け入れやすいものであった。その技を使うにふさわしいだけの心を持つことを決意しながら。

 

「おお、そういえば勇敢なるパプニカの兵士殿! さきほどは申し訳なかった! 演技とはいえ、あのくらいはしなければ信頼されんと思ってな。遅ればせながら、謝罪させていただこう」

「あ、ああ……問題ありませんよ!」

「いや、大丈夫です! こうして傷も治していただきましたので!!」

 

その言葉に兵士たちは弾かれたように返答する。クロコダインの見た目に少々萎縮しており、謝られれば素直に謝罪を受け入れてしまう。それに、少々の下心ありで治療まで受けているのだから、文句などつけられようはずもなかった。

 

「ありがたい。さて、続きと行こうか?」

 

兵士たちの言葉を素直に受け入れると、再びクロコダインは戦場へと戻る。その間隙を待っていたかのように、アポロたちがチルノのところへとやってきた。

 

「チルノ殿、彼は信用してよいのでしょうか……?」

 

少女へと投げかけられた質問はこれであった。

やりとりは確かに聞こえていた。クロコダインが魔王軍を抜け、こちらの味方についたのだということも知っている。だが話に聞いていただけであり、確証はない。つまり、信用できるだけの確固たる材料が欲しいのだろう。その不安からの行動だ。

その気持ちは分かる。どう説得するべきか一瞬だけ考え、チルノは口を開いた。

 

「問題ありませんよ。彼は――」

 

ごめんね、ダイ。と心の中で全力で謝ってから、続きを口にした。

 

「彼は――クロコダインは、勇者ダイと戦って正義の心を、人の心を知りました! 私たちと共に戦う仲間、勇者の起こした奇跡です!」

「お……おおおっ!!」

 

その言葉の効力は絶大だったらしい。勇者の奇跡、と言う言葉に下がりかけていた士気は一気に天井知らずに上がり続ける。パプニカ奪還は彼らに取ってみればまさに勇者の奇跡である。その姉の言葉となれば、どうして疑えようかと。

彼らは雄叫びを上げながら次々に戦線へと加わっていく。

 

「クロコダイン殿! 我々もお助けしますぞ!」

「実に頼もしいですな! ですが、負けませんよ!」

 

口々にクロコダインへと声を掛ける兵士たち。単純というなかれ、こういった戦意高揚の激励も必要なことである。クロコダインもまた、兵士たちの言葉に笑って応えると斧を持つ手にさらに力を込める。

 

「アポロさんも、皆さんの援護に向かってください。私は、とっておきを使いますから……」

「とっておき、ですか? チルノ殿、一体何を……?」

 

この勢いを利用しない手はない。そう考えたチルノは、自身の魔力が枯渇することも恐れず、消費の大きな魔法を使うことにした。十分に魔力を練り、仲間たちへ向けて解き放つ。

 

「【マイティガード】!」

 

クロコダインへ、アポロへ、パプニカの兵たちへ、そして自分へ。この場にいる全ての味方に向けて、防御の結界が張られた。

これはプロテスの物理攻撃に対する防御とシェルの魔法攻撃に対する防御。その二つを同時に全体に対して張る魔法である。勿論、大勢に対して一度に防御結界を張るのだから、消費魔力も膨大である。

だがそれを差し引いても、この勢いに乗る価値はあると判断したための選択だ。

 

「それは、攻撃や呪文に対する防御結界です。それがあれば、敵の呪文も防げますよ!」

 

一気に魔法力を消費しすぎたため、少々フラつきながらもチルノは叫んだ。効果が分かれば、全員がより大胆に攻めに集中できるからだ。そして彼女の狙い通り、兵たちは怒濤の勢いで妖魔師団に切り込んでいく。

 

「たしかに痛くないぞ!」

「こいつは頼もしい! チルノ、ここはもう十分だ。オレに任せて別のところに加勢しにいってやったらどうだ?」

 

魔法の援護と兵士たちの加勢。その二つの援護を受けたクロコダインがそう言うが、チルノは首を横に振った。

 

「気持ちはありがたいんだけど、どうしてもこの手で倒したい相手がいるの。せめて十発くらいは殴らないと気が済まないわ」

「ヒィッ!?」

 

それまでとは一転、まさしく親の仇を見る目にて遠くにいるザボエラを睨む。その射貫くような視線に気付いたザボエラは、とうとう堪えきれずに戦場へ背中を向けて逃げ出した。

 

「逃がさない!!」

 

追いかけるべく駆け出すチルノ。

妖魔師団の惨劇が本格的に幕を開けた。

 

 

 

既に戦闘というよりも、雑魚掃討に近かった。奇しくも戦闘前にザボエラが言っていたようにだ。とはいえ、その内容は彼が思い描いていたのとは真逆。妖魔師団が一方的にやられている。

 

「ヒャダイン!」

 

アポロが冷気呪文にて、妖術師たちを纏めて倒していく。その横では、兵士たちの剣によって魔術師がやられていく。勿論モンスターたちもただやられるわけではなく、散発的に呪文を繰り出して反撃をするが、シェルの防御膜によってダメージは激減している。

そもそもが敵に接近されているためまともな反撃になっていない。その上、指揮を取るはずの上位者――ザボエラのこと――が逃げているため、組織だった動きも出来ていない。逃げるのも応戦するのも、どちらにも意識が向いている非常に中途半端な状態になっている。これではまともな戦闘になるはずもなかった。

 

「そこかっ! ザボエラ!!」

「ひぃっ! ひいいっ!!」

 

やがて先頭で戦っていたクロコダインが逃げていたはずのザボエラを見つける。その言葉に反応して、アポロや他の兵士たちも寄ってきた。

クロコダインだけでも恐ろしいのに、さらに援軍まで来ているのだ。もはや反撃する余裕さえないのか必死で逃げていく。

 

「まっ、待ってくれ! ワシは……」

 

その騒ぎは当然、チルノの目にもとまる。脱兎のごとく逃げるザボエラの姿には、思い当たる節があった。それに気付くと足を止めて空を見渡していく。

 

――いた。

 

空中に、飛翔呪文(トベルーラ)を使ったのであろうザボエラが浮かんでいた。となれば走って逃げている方のザボエラは身代わりだろう。それは、彼女の知る本来の歴史と同様だった。

部下に変身呪文(モシャス)を使うことで身代わりとして時間を稼ぎ、本人は安全なところへ逃げる。狙いはそういうことだ。

だが、本来の歴史よりも不利な状態であるはずなのに、逃げることなくこうして暢気に空で成り行きを見物している。どうやら、偽物を仕留めたところでタネをバラして嘲笑ってやろうという魂胆――クロコダインに騙されたことに対する、意趣返しを狙っているのだろう。

 

「ギラ!」

 

アポロが逃げるザボエラの足下を狙い、呪文を放つ。ギラの熱閃は狙い違わずにザボエラの足を焼き、その動きを強制的に止めた。

 

「待ってくれ! ワシは!!」

「くらえっ!!」

 

必死で訴える身代わりザボエラを無視して、クロコダインは追いつくとすぐさま斧をたたき込んだ。小柄なザボエラに、その身体と同程度の大きさを誇る戦斧が食い込む。

その様子を見て、空に浮かぶザボエラがニヤリと笑った。頃合いだろう。

 

「……【はりせんぼん】」

 

油断しきっているザボエラ目掛けて、チルノは魔法を叩き込んだ。魔力によって生み出された無数の小さな針が、顔と言わず腕と言わず身体と言わず、場所を選ばず一斉に突き刺さっていく。

 

「ギャアアアアアアァァッ!!」

 

無数に突き刺さる針の痛みに耐えられず、ザボエラは大声で悲鳴を上げる。はりせんぼんという青魔法は、その名の通り千本の針で相手を攻撃するものだ。一本一本はごく小さなダメージに過ぎないが、小さなダメージが千倍にまとまって襲いかかってくるのだ。加えて、小さな針が無数に刺さることでやたらと痛い。

それまで余裕だったザボエラにしてみれば、突然全身を襲った痛みに何が起こったのか分からないだろう。

 

そしてその悲鳴は、地上にいたクロコダインたちの注意も引くことになる。彼らからしてみれば、仕留めたはずのザボエラが空中にいるのだ。慌てて地上にいた方を見れば、致死ダメージによってモシャスの呪文が解けており、そこには身代わりとされた哀れな配下の魔術師の姿があった。

 

「お、おのれ小娘がぁっ!! 覚えておれよ!!」

 

一方本物のザボエラも、痛みでそれどころではない。本当ならば騙されたことを馬鹿にして頭のできが違う、と言った言葉でも言い返してやりたかったのだが、そんな余裕はとっくに消えていた。精一杯の捨て台詞を言うが早いか、すぐさまルーラの呪文を使いザボエラは瞬く間に逃げて行った。

 

「もう! 逃げられた!!」

 

油断していたところを横合いから思い切り殴りつける。そのタイミングを狙えたのは良かったが、続く攻撃までは彼女も魔力が続かなかった。無理してディスペルを使ったことと、マイティガードの消費は案外馬鹿にならなかったらしい。

 

「まあ、千回も痛めつけてやったからとりあえずは満足しておきましょう」

 

――でも、許す気はないけどね。

 

心の中でそう付け足す。そして、せめてもう一回くらいは攻撃しておくんだったと、悔しがる。

 

「くっ、逃げたか。ならばあちらが本体か……」

「ええ。こちらは部下にモシャスをかけて作った身代わり、といったところでしょうか?」

 

アポロとクロコダインは、残された悲惨な部下を見て正しく推測する。その結論を聞いて、パプニカ兵たちは憤っていた。

 

「なんて奴だ! 自分の部下を!!」

「あそこで逃がさなければ!!」

 

敵とはいえ、あまりに非道な扱いを見かねて、同情する兵士すら出るほどだ。そんな兵たちをかき分けるようにして、チルノがクロコダインたちへ合流する。

 

「ごめんなさい。私がもう少し攻撃できたら……」

「いやいや、チルノ殿の責任ではありません」

「ああ、悔しいがオレたちは奴が偽物だということすら気付かなかった」

 

三人とも落ち込むが、かといって逃がしてしまった以上はどうすることも出来ない。全員は気持ちを切り替える。

 

「ともあれ、これでこちらは殆ど片付きました。チルノ殿、残敵の掃討は我々にお任せを」

 

アポロの言葉通り、既に大勢は決している。これ以上は過剰戦力というものだろう。

 

「そうね……お願いしても大丈夫ですか? 私は、あっちの援護に向かいますから」

 

そう言って、チルノはとある方向を指さす。そちらでは、まだ戦いの気配が燻っていた。

 

 




まず第一戦目。
敵との因縁ありチームでした。ワニさんようやく出番です。
意外に演技派なワニさん。反面教師にしてちょっと学んだようです。
(カッコイイ登場の仕方を考えていたら、こんな風になっただけなんて言えない)
そして書いている途中でバダックさんを出すのを忘れていたため、チルノに無理矢理言わせて会心撃に改名させました。
そしてワニさんに大地斬を使わせたはいいんですが、名前を決めてないことに気付いて絶望。
斧の技の名前……地震撃とか地峡撃とかそんな感じかなぁ……?

気がついたらマヌーサを使った謎の呪文が出ていました。が、気にしないでください。
実戦では使えない、処刑などで使って愉悦するだけの呪文という位置づけです。
まあ、こういった理由(安全に倒せて自分も楽しめる呪文)がないとザボエラは前線に出てこないはずなので。



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LEVEL:29 魔剣士の涙

思いついたネタを考えなしに書けば、こうも遅れよう……



満月が、二人の男を照らし出す。

一人はかつてのこのホルキア大陸に居を構え、地上を征服せんと覇を唱えた男――魔軍司令ハドラー。そしてもう一人は、つい先日に不死騎団を率いてこの大陸に存在していたパプニカ王家を壊滅させた男――魔剣士ヒュンケルである。

青白い月の光はかつての魔王をより禍々しく見せ、そして魔剣士はその整った容姿と相まって怪しく映し出す。

そんな二人の対峙する姿を、エイミ率いるパプニカ兵たちは固唾をのんで見守っていた。

 

ヒュンケルの言葉により、敵がかつての魔王ハドラーだと知ったエイミたちは、その敵の強大さを恐れ、攻めあぐねていた。だが彼女たちが動かないにもかかわらず、不思議なことにハドラーたちも動くことはない。ハドラーも、彼の下にて率いられているアークデーモンやガーゴイルといったモンスターたちもだ。

 

ヒュンケルとハドラー。まるで二人の再会を誰にも邪魔させまいとしているかのように、エイミには見えた。

 

「驚いたぞヒュンケル。貴様がまさか生きていたとは……マグマに飲み込まれて死んだとばかり思っていたからな」

 

そう口では驚いたように表現するものの、ハドラーの瞳はヒュンケルが生きていることを疑ってはいないと語るように鋭いものであった。

 

「その後、フレイザードからダイたちが生きているとは聞いていたが、お前のことは聞かなかった。だが、ダイが生きている以上は貴様も生きていると思っていたぞ」

 

そのときのことを思い出しながら、ハドラーは感慨深げに呟く。元々ハドラーはヒュンケルのことを信頼などしていない。大魔王バーンの命令が無ければ、軍団長として重用などするつもりもない。汚点を見つければ、それを理由に追い落とす気でいた。

そのため、気にくわない部下に直接手を下すことの出来る今の状況は彼には楽しくて仕方が無かった。

 

「フレイザード……ダイが倒したと聞いていたが、復活させたのはお前の仕業か……」

「ああ、その通りよ。今のヤツは、勝利のみに全てを捧げている。如何にダイとて、勝機はあるまい」

 

ヒュンケルの言葉を素直に肯定する。フレイザードを蘇らせたのは、ハドラーにとっても賭けだった。だが、その勝利への執念はハドラーの予測すら覆し、恐るべき存在となって復活を遂げた。命すら、存在すら捨てて勝利を追い求める姿は、生みの親たるハドラーとて恐怖を感じるほどだ。名誉と栄光を欲していたかつてのフレイザードからすれば、とてもではないが考えられない姿だった。

 

そして、ハドラーからそれを聞いたヒュンケルは決意する。今の自分に出来ることは、一刻も早くハドラーを倒し、ダイの加勢に行くことだと。

だが、ヒュンケルが行動を起こすよりも早く、ハドラーはさらに口を開いた。

 

「そしてもう一つ驚いたのは、お前がそうしてオレの前に立ち塞がっていることだ」

「……なに?」

 

意外な言葉に、ヒュンケルの動きが止まる。

 

「以前、地底魔城で相まみえた時には、このオレを切り刻まんばかりの殺気に満ちあふれていた。オレはあれを、溢れんばかりの意気込みだと感じていた。だが、どうやらそれも勘違い――偽りの姿でしかなかったようだな」

 

ヒュンケルの認識では、彼が魔王軍から離反したことは既に全軍に知れ渡っていると考えていた。当然ハドラーも同じ認識をしていると考えていた。だからこそ、このような物言いは不思議に思える。

 

「偽りなどではない。あの時に貴様が感じた殺気は確かに本物――ただし、その理由は真実を知ったが故のものだ」

「ほう……真実だと?」

 

そして、皮肉で言っているのだろう。と彼は結論を出した。あのハドラーがそのような物言いをするはずがなかろうと。

 

「ああ、そうだ……我が父バルトスの死の真相を知り、騙され続けてきた愚かな過去の自分の姿に何よりも怒っていたのだ! あの場で貴様を切り刻んでやろうという感情を抑えるのには苦労したぞ」

 

ダイたちとの決着を付けるためにもあの場面では必死で我慢出来たが、それが無ければすぐにでも襲いかかっていたかも知れない。だが結局、何の因果か巡り巡って再び直接対決の場が設けられたのだ。あのときのヒュンケルの行動は決して誤りではなかったのだろう。

 

「なるほどバルトスのことか……貴様はあの場にはいなかったはずなのに一体どうやって知ったのやら……」

 

ここに来てハドラーは、ヒュンケルの怒りの理由をようやく理解できた。過去を思い返すように低く笑いながら言葉をつなげる。

 

「とはいえ……貴様らは親子揃ってつくづく使えんな。このオレに楯突くとはまったく、失敗作の子はやはり失敗作ということか」

 

ハドラーの言葉を聞き、ヒュンケルは奥歯を強く噛み締め相手を睨みつけた。

 

 

 

「な、なあ……あの二人の会話、なんだかおかしくないか……?」

「おかしいって、何がだ?」

 

発端は、とあるパプニカ兵が隣の同僚へと話しかけた、そんな些細な一言だった。これから戦闘を――殺し合いを始めるというのに、悠長に会話を繰り広げるそれ自体がそもそもおかしいのだが、この際それには目を瞑ろう。

それを差し引いたとしても、二人の会話内容は首を傾げてしまう。

片方はあの勇者アバンの教え子であるアバンの使徒。そしてもう片方は、かつて勇者アバンの手によって倒されたはずの魔王。

勇者アバンが倒れたことは兵士たちも聞き及んでおり、ならば教え子と魔王の間には当人たちだけしか知り得ない因縁があるのだろうと、最初はそう思っていた。

 

だが魔王の話す内容は異質だった。

なぜかつての居城である地底魔城の話が出てくるのだろうか。なぜ魔王を相手に殺気を浴びせながら戦わなかったのだろうか。なぜ彼の父親の話が出てくるのだろうか。

因縁の相手である以上、話をする可能性もあるだろう。だがその雰囲気は、互いに憎み合っている以上に、なにか因縁めいたものを感じられてしまう。

 

「いわれて、みれば……」

 

そのことを口にすると、

それだけではない。その小さな疑問は伝播し波及していき、兵士たちの口々に上り始める。気がつけば、一触即発であったはずの戦場には彼らの会話声が響き始めた。

噂が噂を、憶測が憶測を喚び、ヒュンケルという人物がどういうものなのかが今ひとつ理解されていないということもあって、内容はじわじわとエスカレートしていく。

 

「貴方たち! 馬鹿なことを言っていないで!!」

 

そんな部下たちの様子を見かね、エイミは大声で叱責する。恐るべき魔にを対峙しているというのに、緊張感のない部下たちの姿を見かねての行動だ。

だがその行動には、決して他意が無かったわけではない。

エイミ自身もヒュンケルには上手く言い表せない何かを感じていたのだ。勇者ダイたちの仲間でありアバンの使徒であるのだから、と信じていたが、その感じていた何かがまるで小さな棘のように彼女に突き刺さり、不安にさせる。

先の言葉も、兵士たちへの戒めもあったが、無理矢理にでも自身を納得させようという意味合いもあった。

 

「おや、人間共が騒いでいるようだな。しかもどうやら……ククク、ヒュンケル。随分と人気者ではないか?」

 

兵士たちのザワ付きを耳にして、耳聡くハドラーが口にする。いや、ヒュンケルも嫌でもこのざわめきは耳に入ってくる。ましてや話題の中心となっているのは自分たちなのだ。聞こえないはずもない。

それはハドラーも分かっているのだろう。回りくどい言い方をしているのが何よりの証拠だった。

 

「なるほど、奴らの話を聞いて納得できたわ。貴様は自分の過去を話していないのか……ならば受け入れられるのも当然だな」

「…………」

 

その言葉に何も反論できなかった。時期を見計らい、全員の前で罪を告白したい。その想いがあったからこそ、ヒュンケルはこれまでの二日間は何も語っていなかった。理由はどうあれ、過去を話していないのは事実だ。

不穏な物言いに、一度は静まったはずの兵士たちが再びざわめき出す。

そして、押し黙ったのを痛いところを突かれたと思ったのだろう。ハドラーはこれを好機と捉えて弁舌に語り出した。

 

「ならば聞け! 愚かな人間どもよ!! その男が、この大陸で何をしたのかを!!」

 

ハドラーはパプニカ兵たちに向けて叫ぶ。ヒュンケルの正体を。

 

「その男――ヒュンケルは、ほんの数日前まで、この大陸に死と破壊を撒き散らし続けたのだ!」

 

さすがは元魔王として、この地上に君臨しようとしただけのことはある。手慣れたその姿はさながら王の演説のように自信に満ちあふれていた。そして正体をわざと回りくどく表現することで聴衆の興味を煽るように仕向ける。

そこまでしなくとも、彼らに取ってみればその言い方だけでおおよその予測は付いていた。なにしろその相手から逃げてバルジの塔に潜んでいた者たち――もっと言えば、実際に戦いその恐怖を味わった者たちなのだ。

 

「魔王軍不死騎団長ヒュンケル! それこそが、この男の正体よ!!」

「……っ!?」

 

ハドラーの手によって、今まで伏せられていた正体が白日の下に曝された。その言葉にエイミをはじめとした、パプニカの人間たちは息を飲む。

その反応を見て確信したように、魔軍司令はさらに言葉を続ける。

 

「貴様らも戦ったことがあるのではないか? 不死騎団の団長と。貴様らも殺されたのではないか? 此奴が操る不死者の群れに仲間を、家族を、友を」

 

言われるまでもない事実だった。だが、その記憶を思い起こさせるように言葉で刺激され、兵士たちは屈辱の日々をゆっくりと想起させられていく。

 

「それを行ったのは全てこの男よ。そうしておきながら、のうのうと貴様らの仲間に加わっている……ククク、まったく人間というのは恥を知らん生き物だな!」

「……ッ」

 

その言葉がとどめだった。パプニカ兵たちの疑念は大きく唸り、一気に波及していく。もはや止められるものではない。

一方、言われたヒュンケルも良い気分ではなかった。

本来の予定ならば、自分の口から伝えるはずであった事実。だがそれは、無残にも第三者の手によって無遠慮に暴かれる。それは、当人たちが思っている以上に無粋なものだ。

自分の口から直接伝えることと、他者の手で語られるのでは、受ける印象はまるで違う。

有り体に言ってしまえば、罪人が自首をするか捕まえられるかで評価が異なるように。

 

「そんな……まさか……」

 

ハドラーの言葉を聞き、それでもまだエイミは半信半疑の状態をなんとか保っていた。だがかつての魔王の言葉は想像以上に信頼性を持っていた。

先の二人の会話内容も、ヒュンケルがかつて敵であったというのならば腑に落ちる箇所がある。同時にエイミは、ヒュンケルがレオナに対して「大事な話がある。それも全員が揃ったときの方が良い」という発言をしたことを知っている。

ならば、その大事な話というのがまさに今ハドラーが言った内容ではないかと結びつけるのも至極簡単なことだった。

 

「ヒュンケル……本当なの……? 本当に、貴方が……」

 

それでも一縷の望みに賭けるように、エイミは言葉を絞り出す。この少ない言葉を口にするだけでも、エイミにはとてつもない徒労感を感じる。

違っていて欲しいと願い続けるが、残念なことに現実は彼女の期待を裏切った。

 

「――ああ、事実だ」

 

たったそれだけの言葉を耳にしただけで、エイミの感情が揺さぶられる。だが現実はそれだけにとどまらない。ヒュンケルは続けて剣を鞘ごと引き抜き、胸の前で祈りを捧げるように構える。

そして、小さく呟いた。

 

「……鎧化(アムド)

 

そのキーワードに従い、鎧の魔剣は生き物のように広がってヒュンケルの身体を包んでいく。その金属音はまるで持ち主の心情を代弁するかのように冷たく静かに鳴り響く。

 

やがて、僅かな時を経て白銀の全身鎧に身を包んだ魔剣士が姿を現した。

 

「こ、こいつは!!」

「そうだ、間違いない!!」

「ああ、オレも見たことがあるぞ! コイツがオレの仲間を……」

 

鎧を纏ったヒュンケルの姿を見た途端、兵士たちは口々に叫び出す。だがその声音には怒りと恐れが混じっていた。

それも当然だろう。彼らに取ってみれば、仇であることに違いはないが、同時に故郷を滅ぼした恐るべき相手なのだ。勇敢な兵の中には手にした剣をヒュンケルへと向ける者もいたが、その切っ先は僅かに震えている。未だ恐怖は拭い切れていないようだ。

 

ヒュンケルがなぜ鎧を纏ったのか。それは彼の過去に関係している。

不死騎団長としてパプニカ王家を攻める際、ヒュンケルは常に鎧を纏った状態であった。それは、戦場であるからこそ当たり前だが、同時に彼の心の奥底に存在していた、人間への気持ちが影響していた。同胞を裏切ることへの後ろめたさを、復讐という大義名分にて押し殺していたが、それでも自分の心に嘘はつき続けられない。

鎧を纏い、顔を隠し続けることで心の平静を保っていたのだ。自分は人間ではない。不死者を操り人間を殺す血も涙もない怪物なのだと無意識に言い聞かせながら。

 

そのため、ヒュンケルの素顔を知るものは皆無であり、パプニカの人間たちは疑うことなく仲間として迎え入れていた。だが、その秘密を彼は自らの手で証明した。お前たちの仲間であった剣士は、かつてお前たちを根絶やしにしようとした恐るべき敵なのだと。

 

「あ、ああ……ああああ……」

 

その事実をエイミは必死で受け止めようとする。だが、到底受け止めきれるものではなかった。初めてヒュンケルと出会ったとき、彼女はどこか影を常に纏っている不思議な雰囲気を持った人物だと思っていた。

理由は不明だが、目が離せずに困惑させられていた。

だが、その理由は彼女もようやく理解できた。ヒュンケルから漂う戦場の雰囲気と死の匂いが、無意識のうちに本能で恐怖させていたのだ。

 

「ああああああああっっ!!」

 

心が限界を迎え、エイミは誰にかまわず慟哭した。

 

 

 

「ハドラー様、よろしいのですか?」

「今ならば人間共を楽に攻められますが?」

 

親衛隊であるアークデーモンたちが、何も手を出さずに事の成り行きを見物し続けるハドラーへ向けて尋ねる。

 

「ああ、しばらくは好きにやらせておけ。手を出すのならば、もう少し後だ」

 

当のハドラーは、ヒュンケルとパプニカ兵たちの様子を見ながら口の端にニヤリと邪悪な笑顔を浮かべる。

 

「かつて人間を裏切り、我々についたヒュンケル。その男が今、再び人間の側につこうとしている。それも、人間に対する手酷い裏切りを働いた後だ。果たして人間共は、それを受け入れると思うか?」

「おお……た、確かに……」

 

その言葉に側近のモンスターたちは感心したように唸る。そして彼らは当然のように、ヒュンケルを受け入れなかった人間が次に何をするかを想像する。それは、モンスターに取ってみれば滅多に見ることの出来ない娯楽に近く、自然と下品な笑顔となっていた。

 

「せっかくの機会だ。自分たちの手で汚点を始末させてやるよう、このオレが力を貸してやるとするか」

 

ハドラーもまた、配下に負けず劣らずだったようだ。むしろ彼らの想像する未来がヒュンケルへと訪れるのを手助けするかのように、さらに知恵を巡らせる。

 

 

 

「いやあああああっっ!!」

 

既にエイミは正常な判断が出来なくなっていた。彼女はヒュンケルのことを気に掛けていた。その感情は、彼に対する淡い恋心ではないのかと思った事もあったほどだ。

だがその生まれて日の浅い小さな感情は、絶望によって瞬く間に押しつぶされていた。なまじ時間があったことが災いしていたようだ。愛憎の渦巻く自身の感情を処理しきれず、爆発した心の赴くままに行動させられていた。

 

「いや、いやあああっ!!」

「……っ!」

 

彼女の中では憎しみが勝ったようだ。彼女は狂乱したように叫びながら、その手に大きな火球を生み出すと、勢いに任せてそのままヒュンケルへと放つ。まるで、信じられない事実と信じたくない現実を呪文で全て焼き払わんとするかのようだった。

本来、こういった冷静さを著しく欠いた状態では、呪文が成功することはまずない。魔法力による干渉が上手くいかず、何も起こらなければまだマシな方。下手をすれば暴発の危険性すらある。

だが、エイミも三賢者に名を連ねる者である。暴走したように放った呪文とはいえ、基本は忘れていなかった。本来のそれよりも大分衰えているものの、その威力はメラミに劣る程度のものを持っていた。

普通の人間ならば大怪我を、大型の魔物であっても仕留めかねないほどの規模だ。

 

「そ……そんな……」

 

だがヒュンケルの纏う鎧は、その程度の呪文など等しく無効化してしまう。エイミの放った一撃は彼の鎧によって邪魔されて、一瞬だけ炎に包まれるものの、すぐに掻き消えて行く。その後には、まるで影響がなかったかのように焦げ跡すら見えぬヒュンケルの姿が見える。

 

感情に任せて放った一撃とはいえ、まるで効果が無かった事実は彼女に冷や水を浴びせ、恐怖と驚愕によって冷静さを取り戻させていた。

そして同時に彼女は思い出す。かつてまだパプニカで戦っていた時も、不死騎団長は一切の呪文をはね返して剣によって人々を倒していたことを。

再び襲いかかってきた恐怖にエイミは震え、言葉を失っていた。

 

「……本来ならば、オレはこの場で自分の過去の罪を全て告白するつもりだった。言い訳するつもりもない。そして、その後にどのような罰であろうとも全て受け入れるつもりだった。死刑を命じられようが、お前たちになぶり殺しにされようとも、一切の文句はない」

 

そんなエイミの姿を見ながら、ヒュンケルは本来レオナに向けて言う予定であった言葉を口にする。だが彼女の様子は少しも良くならない。

これもまた罰の一つなのだろう。自分の行ったことに対する報い、その一例をまざまざと見せつけられているようでありヒュンケルの心は沈む。

 

「だが今は……ハドラーを退けるために少しだけ猶予が欲しい。その後ならば、オレを殺しても構わない。どうか、頼む!」

 

それでも彼は初心を果たすべく、そして――自身の背負った罪と比べれば足しにもならないだろうが――せめてもの贖罪として、ハドラーの討伐を願い出る。

ダイはフレイザードの相手をしており、他の仲間たちもそれぞれ散っている。ならばこの場は自分が奮戦せねばらないことは理解していた。そうしなければきっと、ここにいるパプニカの民は全滅していただろう。

 

「エイミ様、お下がりください!」

「くそっ、化け物め!!」

 

だがそんなヒュンケルの言葉も、恐怖と復讐という言葉に目が眩んだ彼らには届かなかった。エイミの様子に気付いたように兵士たちは近寄ると、彼女を遠ざける。

 

「死ねええええぇっ!!」

「仲間の仇だ!!」

 

そして開いた穴を埋めるかのように、兵士達はヒュンケルへと剣を振り下ろす。彼らは皆、口々に不死騎団長への憎しみを、恨み言を口にしながら襲いかかってくる。

対するヒュンケルは、躱すことも反撃を試みることもなく、ただ突っ立っているだけ。甘んじて受けるだけだ。

だがそれら兵士たちの攻撃は、彼が纏う鎧によって全て弾かれていた。魔界の名工が作り上げた鎧は、彼ら程度の武器や腕前では傷一つつかない。

その不気味さに兵士達は一度距離を取った。

 

「あの炎でも剣でも無傷だなんて、ヤツは本当に人間か!?」

「……いや、あの兜だ! 目の部分を狙えばおそらく!」

 

――ダメ、か……いや、そもそもオレのような者が、そう願うこと自体がおこがましいのかもしれんな……

 

言葉が届くことなく、闘志を燃やし続ける兵士達の様子に、ヒュンケルの心が下を向く。そしてその様子は、ハドラーの心を滾らせるには十分すぎる行動だった。

 

「フハハハハハ! 一度負けた相手になお挑むか、存外に勇敢ではないか人間共よ!」

 

ここまでは大凡、彼の望んだ通りの展開である。ヒュンケルの訴えも虚しく、人間達は彼の敵となって攻撃を仕掛ける。だが再び人間の側へつこうとするヒュンケルにその攻撃はどうすることも出来ない。

邪魔をするのであれば皆殺しにしてしまえばよいものを、と思いながらも、ヒュンケルをさらなる地獄へと突き落とすべくハドラーは弁を振るう。

 

「どうだ、貴様らの手でその男を殺してみせろ。そうすればこの場は退いてやろう」

「なっ!?」

「ハドラー、貴様!!」

 

敵であるはずの魔王軍からの突然の提案に、兵士達は狼狽する。ヒュンケルなど、その非道な提案に怒りを隠すことなく見せていた。

だがハドラーは止まることなどない。

 

「本当だとも。オレもかつては魔王と名乗っていた男、約束は守ろう。裏切り者を一人殺すだけでお前達の命は保証されるのだぞ? さあ、どうする!?」

 

まさに魔王の面目躍如と言ったところだろう。言葉巧みに兵士達を操り、ヒュンケルを殺すようにと仕向ける。裏切り者を始末するということで罪悪感は軽減させられ、かつてパプニカを滅ぼした大罪人なのだから殺されても仕方ないという大義名分がある。

彼らからしてみれば、仲間の仇を討てた上に迫り来るはずの魔王が退くのであれば、一石二鳥。その頭の中には、その提案を断る理由など微塵も存在しなかった。

 

「そ、そうだ……」

「動くなよ、殺してやる……」

「お前が死ねば……お前さえ死ねば皆が……」

 

兵士達は瞳孔を開き、魅入られたような表情でヒュンケルへと再び襲いかかろうとしていた。うわごとのように呟きながらじりじりとにじり寄っていくその姿は、彼にかつての不死騎団の亡者を連想させる。

もっとも、かの死霊兵共もここまで醜悪ではなかったが。

 

――これが、人間……こんな奴らのためにオレは……!

 

その様子を見かね、ヒュンケルの心の中に暗い感情がゆっくりと鎌首をもたげ始めた。だが彼は、慌ててその気持ちを押し殺す。

 

――いや、何を馬鹿なことを。オレも同じではないか。むしろオレには、ふさわしい幕切れだな……

 

自身の過去を顧みて、責める資格などありはしないと思い直した。そして、覚悟を決めたようにゆっくりと瞳を伏せ、動きを止める。

ダイたちは自分の過ちを教えてくれた。そして、オレに人として生きることを教えてくれたの。それだけでも、もう思い残すことなどないのだ。と、そう考えながら。

動かなくなったことで観念したのだと思い、兵士は大胆に近づいて行く。

 

「あ……だ、め……やめてええええぇぇっ!!」

 

やがて、兵士の一人がヒュンケルの目の前で剣を構えたところで、エイミは我知らず叫んでいた。なぜ叫び、兵の動きを止めさせたのかは自分でも分からない。だが彼女は、止めなければという想いだけに捕らわれていた。

 

「エイミ様!?」

「いったい、なぜ止めるのですか!!」

 

兵士達も彼女の言葉に動きを止めていた。ヒュンケルも閉じた眼を再び開き、彼女を見つめている。

だが、こうして叫んだことで多少なりとも冷静になれたらしい。注目を浴びたことで、逆に冷静に考えるだけの余裕が出来たようだ。エイミはまるで自分に言い聞かせるようにその理由を一つずつ述べていく。

 

「相手は魔王ハドラーなのよ? 例えその言葉に従っても、本当に約束を守ると思える?」

 

その言葉に兵士達は押し黙る。改めて指摘されればその通り、なぜ今まで誰も気付かなかったのだろうかと彼らは己を恥じる。元を正せば魔王の策略であるが、その甘言に乗ったのは紛れもなく彼ら自身だ。

 

「今は退くかもしれない。魔王と取引をして私たちだけは見逃してもらえるかもしれない。でもそれを、私たちは胸を張って誇れるの!? 姫様も仰っていたじゃない! 私たちは人間よ。人間として生きましょう!」

 

かつてバルジの塔にてレオナが言った言葉である。自分たちの欲のために他人を傷つけるくらいならば、人間としての誇りを持って死を迎えるべきだと、少ない食料を奪い合う兵士達に向けて、彼女はそう発言していた。

王女として、臣下たちよりも我慢をしているはずのレオナの言葉は皆の心に深く刻まれていた。エイミもまたそのことを引き合いにだして、彼らを説得しようとする。

 

「彼は罪を認めて、その命を賭してでも贖おうとしているのよ。私たちに命を狙われているのに、抵抗の素振りすら見せないのは、それが彼の受けるべき罰だと思っているからだと思うの……それなのに私たちは、また同じ愚を犯すの?」

「そ、それも演技かもしれません! 我々を油断させて一気に……」

 

頭では認めつつあっても、感情がヒュンケルを受け入れることを納得できないのだろう。兵士の一人がそう叫ぶが、それはただの苦し紛れとしか思えなかった。そんな言葉にも、エイミは整然と反論していく。

 

「そうだとしても、魔王はいずれ戦わなければならない相手よ。それと、もしも本当に魔王軍と内通していたのなら、今なお魔王と敵対しているのはなぜ?」

 

気がつけば兵士達は手にした剣を下ろし、黙ってエイミの言葉を聞いていた。

 

「それに、ダイ君たちは彼を仲間だと言ったわ。魔王の話が本当ならば、ダイ君たちは彼と戦ったはず」

 

レオナだけで足りなければ、今度はダイを引き合いに出す。彼女の頭の中ではもはや手段を選ぶだけの余裕はなかった。使えるものは何でも使うつもりだ。

 

「何があったのかは、わからないわ……でも、彼が仲間になるだけの何かがあったはずよ! 正直に言えば、私はまだ彼の事は信じられない! でも、彼を信じるダイ君たちを信じる姫様を信じます!」

 

信じるのはヒュンケルではない。自分たちの仕える王女と、その王女が信じる救国の英雄である勇者を信じるのだと。少しだけ矛先をずらすようにして、兵士たちの心にヒュンケルを信じさせるだけの理由を作る。

 

「ですが、コイツはパプニカ王家を! 我々を殺しかけた張本人ですよ!!」

「そうね……私だって辛いわ。彼に攻撃をしてしまった私には、こんなことを言う資格なんてないのかもしれない……でも、彼を殺しても何にもならないの。何の解決にもならなければ、失ったものはもう戻っては来ない……」

 

やはり最後まで残るのは、怨恨という名の感情だった。その感情はエイミにもわかる。だがその恨みを認めながらも、乗り越えていかなければならないのだ。そうしなければ、いつまで経っても進歩は無いのだから。

 

「ほう、それでいいのだな人間共よ。その男はやがて、貴様らに不幸をもたらすやもしれんぞ?」

「黙りなさい、魔王!」

 

この展開は面白くない。見物に徹していたハドラーが苛立ちを隠しながら再び人間を煽り、火種を燃やそうとする。だがその言葉をエイミは毅然とした態度で切り捨てる。

 

「私は彼を信じると決めました。もはや貴方の言葉に心を左右されることなど、決してありません!」

「グ……ッ!」

 

そう宣言する姿は、まるでレオナのように気高い気品に満ちていた。彼女の言葉に従うかのように、兵士達も殺気を無くしている。つまるところ、エイミの説得は成功したのだ。

一度は自らの望み通りの展開となりかけたというのに、土壇場で見たくもない人間同士の心を見せられ、ハドラーの怒りが募る。

 

「ヒュンケル、ごめんなさい……私は、私たちは、もう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところでした……」

「いや、構わない。皆が言うように、オレの事を信じられなくて当然だ。この場で殺されることすら覚悟していた」

 

エイミはヒュンケルへと向き直ると、深々と頭を下げる。許してもらえるものではないが、それでも謝罪せずにはいられなかったのだ。だがそれはヒュンケルも同じ――いや、彼の方が何倍も重い。

兵士達の罵声と殺気に、一度は再び刃を向けることすら考えかけた自身と比べれば、この程度のことなど許容範囲と受け止められた。

 

「一度は見限りながらも、再び立ち上がり、信じること……それがどれだけ大変かは、オレもよく知っているつもりだ」

 

そこまで言うとヒュンケルはエイミに背を向ける。

 

「ありがたいものだな。人から信じてもらえるというのは……」

「え……っ……!?」

 

小難しい理屈を積み重ねたが、つまるところはたった一つの理由でしかなかった。

ヒュンケルの、自己の命すら省みない雰囲気にエイミが惚れた。惚れた相手の命を救いたかった。ただそれだけのことだ。

愛という名のワガママの結果に過ぎない。

だがそれでも、ヒュンケルにとってはエイミに救われたことに違いは無かった。人に信じられるという暖かい気持ちに、偽りはなかったのだ。

 

彼の兜の下で、一筋の涙が誰にも見られることなく静かに流れ落ちた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「チィッ、あのまま殺し合いをしていればよかったものを……虫唾が走るわ!」

「ハ、ハドラー様!?」

 

ハドラーの苛立ちは頂点に近かった。

自身の思惑通りに事が運ぶように見えておきながら、土壇場でその期待は裏切られたのだ。それも彼の嫌いな人間の心によって。そんなものが面白いはずもない。

不機嫌さを隠そうともせず、その身体からは殺気と高められた魔力を放出する。その雰囲気だけで、側近のモンスターが怯えた声を上げるほどだった。

 

「よかろう、人間共よ。そんなに死が好みならば、望み通りくれてやる!」

 

吐き捨てるようにそう言うと、ハドラーは両手を広げ、その両拳に魔力を込める。瞬く間に高熱のエネルギーが集中していき、炎がアーチを描いた。その高熱を圧縮し、両腕を揃えて相手に伸ばす。

 

「ひぃぃ、それはまさか!?」

極大閃熱呪文(ベギラゴン)!!」

 

そこから放たれたのは、超高熱の閃光。全てのものを飲み込み、そして打ち砕かんばかりのとてつもないエネルギー波である。部下達が慌てて避難していくのも構わず、ハドラーは呪文を唱える。

放たれたベギラゴンは、閃熱系最強の名にふさわしい威力を見せながら、エイミたちへと襲いかかった。

 

「こ、これは!?」

「ベギラゴン!? そんな……!!」

 

対するパプニカ勢は、ヒュンケルと兵士達への説得に気を取られすぎていた。エイミの言葉に意識を向けすぎたところへ、ハドラーの不意打ち染みた一撃である。

避けることはおろか、そもそも反応するのが遅すぎた。襲いかかる破壊の光に彼らは目を閉じて神に祈ることしかできない。

 

「あ、あれ……?」

「うそ? 私たち、確かに……」

 

だが、襲いかかってくるはずの熱も痛みも、一向に感じることはなかった。不思議に思い、彼女たちは閉じていた瞳を恐る恐る開けて辺りを確認する。

 

「大丈夫か?」

 

そこにいたのはヒュンケルであった。

鎧を身に纏ったまま彼女たちの前にて、両手を広げて仁王立ちのように立ち塞がっている。ベギラゴンのエネルギーによって大地がえぐれているが、彼の立っている場所からはそれがないことから、ヒュンケルが無効化したのは誰の目にも明らかだった。

 

「た、たすかった……」

 

兵士の一人が気の抜けたように呟く。

皮肉にも、ヒュンケルを誅するべく兵士達が一カ所に集まっていたのが幸いしていた。それでなければベギラゴンの効果範囲は広く、幾らヒュンケルが庇ったとしても取りこぼした犠牲者が出ていたのは間違いないだろう。

 

「ありがとう……ヒュンケル……」

 

ほんのりと顔を赤らめながら小声で呟く。

その身を投げ出すように両手を広げて、少しでも広く彼女たちを守ろうとするその姿は。彼の身に纏う鎧の色と相まって、まるで神の十字架のようにエイミには見えた。

 

「この鎧に呪文は無意味だ。オレのことをあれだけ大々的に紹介してくれたというのに、もう忘れたか?」

「ぬ……ぐぐぐ……貴様……ッ!!」

 

当然のことだとクールに見えていても、やはり腹に据えかねるものがあったらしい。ヒュンケルの挑発する物言いを聞きながら、ハドラーはさらに怒りを燃やす。

 

「貴様らッ! やれいッ!! 裏切り者を殺すのだ!!」

 

ベギラゴンはハドラーの会得した新呪文であり、この世界では最強の一角にすら位置する呪文である。その破壊力はイオナズンすら上回る。バーンから新たな力を授けられ、ベギラゴンを取得したハドラーであったが、あっさりと無力化されたことは彼のプライドを傷つけたらしい。

呪文の余波の影響も静まり、舞い戻ってきた部下達を気遣う様子すら見せず、ハドラーは(けしか)ける。

 

「ひいいぃぃ!」

「か、かしこまりましたっ!!」

 

ハドラーの剣幕にアークデーモンたちは、一息つくまもなく戦いに投入させることとなった。己の武器である巨大な三つ叉の槍を手にすると、ヒュンケルへと襲いかかる。

乱暴な扱いに嘆きつつも、アークデーモンはモンスターの中でも上位クラス。魔軍司令の親衛隊を任命される程度には実力を持っている。巨体でありながらも鈍重さを感じさせぬ鋭い動きにて、ヒュンケルへと攻撃を仕掛けた。

 

「……フン」

 

だがそれも、相手が悪すぎた。ヒュンケルは剣を手にすると、先頭のアークデーモンの攻撃に剣を軽く当てて逸らせ、その勢いを殺さぬまま一刀にて切り捨てる。続く二匹目は、一匹目がやられて怯んだ隙を狙うと高速の剣技にて仕留める。

 

「お、おのれっ!」

 

仲間がやられた事で冷静さを欠いたらしく、三匹目は怒りの表情で槍を大きく横に振るった。なぎ払うような軌跡を描いた攻撃であったが所詮は破れかぶれに近い。ヒュンケルには通用しなかった。

彼は身を低くしてその攻撃を一旦やり過ごすと、低い姿勢のまま一気に肉薄する。そして至近距離から一気に剣を相手の腹部へと突き刺した。

 

「ぐふっ……!」

 

血泡と共に吐き出された最後の台詞を耳にしながら、ヒュンケルは一瞬たりとも気を抜くことはなかった。突き刺した剣を素早く抜くと、正眼に構え直す。

 

「甘いわ!! そこだ!!」

 

アークデーモンたちの攻撃の影に隠れてハドラーは接近しており、不意打ちのようにして襲い掛かる。敵を倒したことで生まれる一瞬の油断という隙を突くのが最初からの狙いだったらしい。両の拳からは接近戦用の武器である地獄の爪(ヘルズクロー)を既に生み出しており、拳の一撃を全力で放ってきた。

 

「それはこちらの台詞だ」

 

だがその狙いは、ヒュンケルによって既に看破されていた。不意打ちのタイミングを完璧に読んでいたかのように反応すると、ハドラーの拳に剣の一撃を重ね合わせる。

 

「があああっ!!」

 

抵抗は、ほんの一瞬だった。

ヒュンケルの剣はハドラーの片腕を易々と切り裂き、その腕を肘から切断する。痛みに苦痛の声を上げるが、ヒュンケルの攻撃はそれだけでは終わらなかった。

腕を切り飛ばしたはずの剣は目にもとまらぬ速度で引き戻され、今度はハドラーの喉元へと寸分狂わず突き当てられる。剣先は紙一重だけの隙間を開けた位置にあり、剣を通じた気配が恐ろしいほどに伝わってくる。

僅かでも下手な動きをした途端、この剣は一切の躊躇無くハドラーの喉を貫くだろうことは明白だ。あまりの闘気に痛みの声も忘れてハドラーは動きを止める。

 

――バカな! これほど強いなど、ありえん!!

 

ハドラーの知る――不死騎団時代のヒュンケルはここまでの強さではなかった。確かに、各々が得意とする分野においてはハドラーを上回る能力を持ってはいるが、ここまで一方的にやられるはずはなかった。

その理由は、アバンの手記である。チルノによって齎されたアバンの言葉にて、彼は修行を重ねた。数日の修行でしか無いものの、空の技の修行によって闘気と心眼の扱いを会得していたためだ。

闘気を武具へ通すことによって単純な攻撃力・防御力の上昇に加えて、ハドラーの奇襲すら見抜く程に気配を察知することが出来るようになっていた。

だが、ハドラーはそれを知るよしもない。

目を離した数日の間に何があったのか、検討もつかない理由を彼は必死で探り、逆転の好機を模索する。

 

「これで終わりだな。ダイたちには悪いが、アバンの仇はオレが討つことになりそうだ……」

「ぐぐぐ……」

 

だが好機の芽が見つかることはなかった。剣を持つ手に力が込められたことを気配で感じとり、うめき声を上げる。だがハドラーが出来るのはその程度だ。今のヒュンケルの実力の前には、下手な抵抗などする前に剣の餌食となる。

 

「だがその前に、貴様には一つだけ聞いておきたいことがある」

 

死すら覚悟したハドラーであったが、ヒュンケルの意外なその言葉に目を開いた。ここが好機を得る最後の機会だと直感的に感じながら。

 

「我が父、バルトスのことだ。答えてもらうぞ」

「ほう、あの出来損ないの……はたして、何を答えればいいのかな?」

 

追い詰められているにもかかわらず、そんなことなど関係ないとばかりにハドラーは不敵に笑い、ヒュンケルを挑発するように言う。その目論見通り、本人も気付かないうちに剣を握る手に僅かに力が入る。

 

「なぜ貴様は我が父を殺した? 既にアバンに敗れ、力を蓄えるために眠りにつくはずだった貴様が、どうして父を殺す必要があった?」

「なにかと思えば……そんなことを聞きたかったのか、くだらんな……」

「そんなこと、だと……!?」

 

剣を握る手にさらに力が入る。切っ先が微かに動き、ハドラーの喉元に浅く突き刺さる。突き刺される痛みは感じるものの、出血するほどではない。その様子を文字通り肌で感じながら、ハドラーはさらに言う。

 

「考えても見ろ? ヤツは地獄門を通すという大失態を犯したのだ……いや、それだけならばいい。口惜しいが、オレもあのときはアバンのヤツに負けたのだからな」

 

地底魔城の魔王の玉座へと通じる唯一のルートこそが地獄門。その門を守護していたのが、旧魔王軍最強の戦士であったバルトスである。勇者アバンの地底魔城襲来の折り、バルトスはアバンに敗れ、そしてハドラーもまたアバンに敗れていた。

 

「だがヤツはアバンに何をした!? 命尽きるまで戦うこともせず、自らアバンを門の先へと通したのだ! 飼い犬に手を噛まれるとは、まさにこのこと……そのような失敗作を、どうして生かしておく必要があるのだ?」

 

だがアバンはバルトスと戦いの際、彼の首にかけられた勲章――幼きヒュンケルが、父親のためにと手作りたものである――を見て、剣を納めた。決着はついていたが、命を奪うことまではしなかったのだ。バルトスにはヒュンケルがいる、という理由で。

 

「貴様が地底魔城でヤツに育てられたのも、ヤツが旧魔王軍最強の存在であったがため。それゆえ数々の特権を与えたのだ。それだけの実力を持っていたのだからな。だが、その特権も強さあってこそ! 力で負け、心でも負けたなどとほざくようなクズはいらん!」

 

人間を抹殺して、地上を征服することを目標としていた旧魔王軍にとってみれば、ヒュンケルの存在は異端であった。もしも彼を拾ったのがバルトスで無ければ、ハドラーの命によってたちどころに殺されていただろう。

しかし、そんなワガママを貫き通すだけの力がバルトスにはあった。だがそれも力が大前提である。その力で負けたのであれば、それはハドラーに取ってみれば手痛い裏切り行為以外の何者でもなかった。

 

「あのまま放置していても、いずれ魔法力の供給が途絶えて物言わぬ骸になっていただろうな。だが、それではオレの気が済まぬ。いわば奴はオレの汚点とでも言うべき存在よ。ならば、恥は雪がねばなるまい? ヤツを殺したのは、至極当然の理由よ」

 

ヒュンケルは黙ってハドラーの言葉を聞き続ける。最初に父の事を口にした時こそ、怒りによって無駄な力が込められていたが、話を聞く内に次第に冷静になっていた。

ハドラーの言動を耳にして、哀れみにも似た感情が芽生えていく。かつての自分であれば絶対にこのような心にはならなかっただろうと感じながら。

だがそんなヒュンケルの心など知らぬハドラーは、さらに興奮したように口を開く。

 

「その点、フレイザードは良いぞ。一度敗れようとも、命を賭けてダイを倒すと言ってきた。ヤツは素晴らしい。不可能を可能としおった。それでこそ、このハドラーの部下たる資格があるというもの! ヤツのような部下がいれば、十五年前の戦いでもアバンに遅れは取らなかっただろうなぁ!!」

 

ハドラーの狙いはヒュンケルを怒らせることにあった。そうして冷静な判断力を失わせ、力を削ぐのが目的だ。怒りに鈍った剣など、今のハドラーであっても届くことはない。そしてもう一つの奥の手と合わせて、目の前の裏切り者を確実に始末する算段である。

 

「そうか……それが理由か……」

 

だがその狙いが成就することはなかった。ハドラーの話を聞き終えたヒュンケルは、どこかすっきりとしたような雰囲気すら漂わせてそう呟いた。

 

「残念だよ、ハドラー。バーンの使い魔に成り下がったお前ならば、父の気持ちも少しは分かると思ったのだがな……」

「なっ、なにぃ!!」

 

大魔王の使い魔――それは奇しくも、アバンがハドラーに対して言ったのと同じ表現であった。師と弟子の奇妙な一致を垣間見たようであり、ハドラーの額に青筋が浮かび上がる。先ほどまで相手を怒らせようとしていたというのに、随分と沸点が低いようだ。

 

「そして、一つ教えてやろう。貴様も知っての通り、父はアバンに心でも負けた。この意味がわかるか?」

 

今にも飛びかかりそうになるのを必死で堪えながら、ヒュンケルの言葉を聞く。だがその言葉の真意はまるで理解できていなかったが。

 

「つまり我が父は、貴様とアバンを比較して、アバンの方が上と見たのだ。貴様がもしも、真に仕えるべき存在であったならば、我が父はどれだけ劣勢になろうとも死力を尽くして戦い、死してなお門番の役目を全うしただろうよ」

 

そんなハドラーに向けて、ヒュンケルは言葉を続ける。アバンと己の器を指摘し、その差があったからこそバルトスは剣を納めたのだと。配下であるバルトスが役に立たなかったのではなく、主に問題があったのだと。

 

「貴様の魔軍司令という地位は、かつての父と同じようなものだろう? ならば問う。貴様は、バーンのために命を捨てることができるのか? 父を笑う資格があるのか?」

 

そして今の立場はハドラーも同じようなもの。であれば、同じ立場に立ったときに命を賭けることができるのかとその覚悟を問いただす。

それを聞きながらハドラーの額には無数の青筋が浮かび、全身を怒りで震えさせていた。

 

「ぬぐぐ……言わせておけばふざけたことを!!」

 

当初考えていたはずの挑発は、いつの間にか完全に逆転していた。冷静に問いかけるヒュンケルを怒りに燃える瞳で睨みながら、ハドラーは怒りに身を任せて襲いかかっていた。

もはや喉に剣が刺さろうとも構うことはない。そんな心配が彼方に飛んでいたこともあったが、それ以上にヒュンケルの顔を苦痛に歪ませなければ気が晴れようはずもない。それ以外は些細なことだと認識していた。

 

それ故に気付くのが遅れていた。ハドラーが襲いかかった瞬間に併せてヒュンケルもまた剣を引き、全身の筋肉を絞り上げて今まさに必殺の一撃を放とうとしていたことに。

 

「ブラッディースクライド!!」

「がああああっっ!! ……お、おのれ……」

 

放たれた一撃はハドラーが動いたことにより喉元を逸れ、彼の左胸に直撃していた。高速の螺旋を描いて直進する剣圧が、ハドラーの肉体を貫き貫通する。

その凄まじい勢いに吹き飛ばされ、かつての魔王は怨嗟の声と共に胸に開けられた風穴から血を撒き散らしながら地面へと倒れた。

 

「こんなこと、少し前のオレでは微塵も思うことはなかっただろう……」

 

――やはりあいつらは、オレには勿体ないくらい良い仲間だ。

 

ダイたちがいなければ、自分は気付くことなくどこまで堕ちていたのだろうかと想像して、小さく身震いをする。

ヒュンケルはハドラーから謝罪の言葉を期待していたわけではない。言葉通り、ただ真実が知りたかっただけだ。父の仇を討ちたかったわけではない、といえば嘘になるだろう。だがそれ以上に、ハドラーに対する憐憫の情すらあった。

(バルトス)には自分(ヒュンケル)がおり、そしてアバンに出会うことが出来た。今際の際、本当に残り僅かな命を振り絞って自分(ヒュンケル)に感謝の言葉を伝えてくれた。魂の貝殻に魂の声(メッセージ)を封じ込めたとしても、他に言うべきことはあっただろうにだ。

自分(ヒュンケル)は同じアバンの使徒の仲間に出会うことが出来た。過ちをただし、冥府魔道から引き戻してくれた心強い仲間達が。

だがハドラーには、誰がいるのだろうか。

そんなことを考えながらハドラーから意識を逸らしたときだった。

 

「きゃあああ!!」

 

背後から女性の悲鳴が突然聞こえてきた。慌てて振り向くヒュンケルはそこで信じられない光景を目撃する。

 

「なんだと!?」

 

予想外の出来事に思わず声を上げてしまう。

彼が見たものは、エイミが襲われている光景だった。それもハドラーに――より正確に言うのならば、彼が切り飛ばしたはずのハドラーの片腕が、まるで意思を持っているかのように動いてエイミの白く細い首筋に手を掛けている。

その豪腕と比較すれば彼女の首などまるで細木のようであり、今にもポッキリと折れてしまいそうだ。

周囲のパプニカ兵たちも突然の出来事にパニックになりながらも腕をどうにかしようと試みるが、下手に手を出せばエイミを傷つけてしまうことは明白であり、動くに動けなくなっていた。

 

「これは……」

 

泥で作られた人の手の形を模したマドハンドなどのモンスターがいるが、ハドラーの腕はそれよりもずっと俊敏かつ繊細に動いている。

伏兵として新たなモンスターが来たかと思ったが、ヒュンケルはその考えを即座に捨てる。なぜならば緩めたはずの心眼が、すぐさま彼の中で凄まじいまでの警笛を鳴らしていたからだ。

 

「貴様の仕業か! ハドラー!!」

「ククク……もう少し騙されておればよいものを……」

 

慌てて再度振り向けば、そこにはつい先ほど心臓を撃ち貫いたはずのハドラーが立っていた。急所を貫かれたにも関わらず動くその姿は、かつてのゾンビ系モンスターもかくやと思わせる。

 

「まあ、よい! これで十分よ!」

「あうぅ……」

 

蚊の鳴くような小さな悲鳴がエイミから上がる。ハドラーの腕はさらに力を込めてエイミを捻り上げ、強引に動かしてその場所を移動させる。

 

かつてデルムリン島でダイと戦い、両腕を切断された。その苦い経験からハドラーは、魔法力を駆使して物体を操るという、さながら念動力のような呪文を覚えていた。

熟達者ともなれば、この呪文を使って無数の剣を同時に操り、その剣筋は達人のそれと変わらないとまで伝えられているほどだ。

だがハドラーはまだそれほどの力は無い。今のように精々が自身の一部を動かす程度――それも本来の力よりも弱い――が関の山であるが、完全に切り落とした腕が敵として襲いかかってくるという意表を突くことは出来る。

文字通り、奥の手であった。

 

「さあ、形勢逆転だな」

「く……」

 

無理矢理歩かされたエイミは、ハドラーの傍らへと立たされる。途中、止める事は出来ただろうが、その気配を見せた途端に首を掴む腕は力を込め、彼女の頸椎を容易く折るか、はたまた喉を握りつぶしていただろう。

隣に立ち並ぶエイミへ、いつでも刺し殺せるとばかりに地獄の爪を向ける。

 

「この女の命が惜しければ、剣を捨てろ」

 

ハドラーは勝ち誇ったように告げる。先ほどパプニカ兵士達を説得したのは他でもないエイミの功績である。であればヒュンケルは多少なりとも恩義と感じ、十分交渉の材料になるだろうと判断していた。

だが、余裕の様相を呈していながらも、内実はあまり大きな余裕はない。左胸に風穴を開けられたハドラーであったが、その体内には左右一つずつ心臓を宿している。片方が潰れただけでは仕留めるには到らず、今のように隙を見て反撃を可能としていた。

だが、如何に死なないといえども内臓を失っているのだ。そのダメージは決して小さくはない。失った片腕と併せて、確実に追い詰められている。

 

「だめ……わたし……は、いいから……」

「よせ、喋るな!!」

 

もはや呼吸すら苦しいだろうに、エイミは自分を気にすることなくハドラーを倒すように訴える。その小さく悲痛な声はヒュンケルを苛ませる。

彼は父バルトスから騎士道精神とでも言うべきものを学んでいる。今のような状況は彼としても望むものではなく、ましてや今のような訴えを耳にしてしまえば、取るべき行動は一つであった。

 

「さあ、これでいいか?」

 

ヒュンケルは躊躇うことなく剣を投げ捨てた。金属がぶつかり甲高い音を立てながら、彼から離れた場所に落ちる。

 

「ほう……随分と素直だな……」

 

目の前の男の行動に驚きながらもハドラーは行動を予測する。仮にヒュンケルが剣を拾いに行こうとも、すぐには届かない程の距離がある。それだけの時間があれば素手となったヒュンケルを相手にすることも、解放した人質を再び捕まえることも出来るだろう。

自分が優位に立ったことを確信して、ハドラーは口の端をニヤリとつり上げる。

 

「オレは剣を捨てた。ならば貴様もその腕を放せ」

「よかろう。もはや貴様さえ殺せれば、このような小娘などどうでもよいわ」

 

そう言うと呪文の魔力を止める。それまで力強く首元を握っていたはずの腕が嘘のように力を失い、地面へと落下する。先ほどまでは別の生き物のように蠢いていたはずの腕が唐突に微動だにしなくなったそれはなんとも不気味な光景だった。

ようやく解放されたエイミは、不調を訴えるように何度も咳き込む。

 

「次はどうすればいい? 鎧でも脱げばいいのか?」

「フン。そんな手間は不要だ。そもそもオレの地獄の爪の前では、貴様の鎧といえども紙切れに等しい」

 

その言葉にヒュンケルは何かを察し、精神を集中させる。

 

「次は人質だ」

 

だがハドラーはそれに気付かない。絶対的優位を確信して、足下が見えなくなっているようだ。確かにヒュンケルは剣を持たせればハドラーよりも強いだろう。そして素手での格闘戦も出来ないわけではないが、それは剣と比べれば遙かに劣る。今のハドラーであっても御せるレベルだ。

既に彼の脳裏には、ヒュンケルに己が爪を鎧を貫通して突き刺す光景が映し出されている。鎧を脱がさなかったのも、ダメ押しのように火炎呪文を爪から流し込む事によって蒸し焼きにするために他ならない。呪文を通さない鎧に内側から呪文を流し込めば、さぞかし愉快なことになるだろうと思ったからだ。

 

「そら、受け取るがよい!!」

 

未だ喉の痛みによって小さな咳を繰り返しているエイミの背中を蹴りつけて、ヒュンケルへと押しつける。それに僅かに遅れてハドラー自身も襲い掛かり、エイミに当たるように腕を突き出した。

だがそれをヒュンケルは良しとせず、その身を庇うようにハドラーへと自身を差し出し、同時にエイミを少しでも遠ざけようと突き飛ばす。その行動は、この戦いの場においては致命的だった。

 

「思った通り、隙だらけよ!!」

「ぐおおッ!」

 

それを見た途端、待っていたとばかりにハドラーはヒュンケルへと爪を突き刺す。彼の弁の通り、地獄の爪はヒュンケルの鎧すら貫通して彼の肉体にまで穴を穿つ。

 

「まだだ!! このオレの地獄の炎で焼け死ねッ!!」

 

地獄の爪から伝わってきた肉を刺し貫く感触を味わいながら、油断なく呪文を唱えた。メラゾーマという声が響き、それを見ていた者たちは次に予想される惨劇に思わず身を竦める。

 

「……は?」

 

だが、メラゾーマの炎は放たれなかった。ハドラーでさえ爪を突き刺した姿勢のまま、何が起きたのか分からずに間の抜けた声を上げる。メラゾーマはハドラーにとっても使い慣れた呪文である。発動は完璧だったはずだ。なのになぜ呪文が使えなかったのか。

困惑の空気が漂う中、静寂を打ち破るように一人の男が動いた。

 

「むん!!」

「がああああっ!!」

 

胸部に爪が突き刺さっているのも気にせず、ヒュンケルは膝と肘でハドラーの腕を挟み込むようにして全力で叩きつける。

金属鎧の重さと固さが加わった強烈な衝撃が上下から襲い掛かり、さしものハドラーといえども腕の骨が砕かれた。予期せぬ痛みに思わず腕を引き、さらには距離を取るべく退いてしまった。

 

「先ほどの攻撃、流石に死を覚悟したぞ……だが、おかげで良いヒントを貰えた……」

「馬鹿なッ! 貴様、その傷でなぜそこまで動けるのだ!!」

 

もはや使いものにならない両腕に煩わしさを感じていた。だが目の前のヒュンケルはそれ以上のダメージを受けているはずだ。確かに強いが、ただの人間でしかない。ハドラーのように魔族であるわけでもなければ、心臓が二つあるわけでもない。

それなのにどうして……圧倒的優位を誇っていたはずが、瞬く間に危機に陥っている事実に加え、メラゾーマの呪文が発動しなかったことまでが影響を及ぼし、もはや冷静な思考が出来なくなっていた。

 

「貴様の不死身のカラクリが何かは知らんが、全身を消し飛ばせば蘇る心配もなかろう」

 

もしもこのまま接近戦を挑むのであれば、ヒュンケルも格闘戦で応じるつもりだった。だが相手は距離を取った。ならば、遠慮することはない。両腕を十字に交差させ、最大奥義を惜しみなく叩きつけるだけだ。

 

「グランドクルス!!」

 

少し前から集中させていた闘気を一気に解放し、ハドラー目掛けて放つ。放たれた十字の光線は、目を開けていられないほどに力強い。かつてヒュンケルがダイとの戦いの際に放ったものよりも遙かに強力であった。

 

ハドラーの狙いを察知できたおかげで、事前にじっくりと闘気を集約させるだけの時間があった。それも確かに理由の一つである。

だがそれよりも地獄の爪の一撃をその身に受けた事が何よりも大きかった。

ハドラーの攻撃を受けた瞬間、ヒュンケルは確かに死を覚悟した。強く死を実感するほど、肉体は生き延びる術を本能的に模索する。その結果、偶発的に身につけた、絶妙という表現すら生温く聞こえるほどの精緻な闘気のコントロール。生半可な訓練では到達することが出来ない境地の一つである。

そこから繰り出されたグランドクルスの破壊力は、ヒュンケルの想像を凌駕していた。

 

「がああああああああっっ!!」

 

その凄まじい光の本流の中に、ハドラーは消えていった。グランドクルスの轟音はハドラーの断末魔をかき消し、その全てを光の中へと埋没させる。

やがて、光が治まった後には、そこには何も残っていなかった。

 

 

 

「たおした、の……? 魔王ハドラーを……?」

 

静けさから戦いが終わった事を悟り、エイミが呆然とした声を上げる。

ヒュンケルによって庇われ、突き飛ばすように距離を取らされたおかげで、彼女は多少なりとも離れた安全な場所から二人の戦いを見守っていた。

 

「そうだわ、傷! あなた、確かハドラーの攻撃を受けて……」

「いや、問題はない。それほど痛むものでもないようだ」

 

余りに衝撃的な幕切れ故に忘れかけていたが、思い出したように言う。だがヒュンケルはその申し出を拒否する。彼の言葉通り痛みは少なく、そしてエイミに気を遣われたくないという心があったからだ。

 

「だったら……!」

 

だがそれで納得できるエイミではない。

 

「だったら私は、あなたに命を助けて貰ったわ。そのせめてものお礼に、傷の手当てをさせて欲しいの。お願い!」

 

秘められた微かな想いと、先の戦いを見ていたからこそ芽生えた想い。それを僅かでも自覚した彼女は、そう簡単に止まるものでは無かった。先の礼という断りにくい理由を武器として使って食い下がる。

 

「……わかった」

 

押しの強さに根負けしたように小さく頷くと、ヒュンケルは鎧化(アムド)を解除した。全身に纏っていた金属鎧は装着時とは逆のプロセスで剥離すると、一つの場所に集まっていく。そして、瞬く間に鞘の形へと戻った。

後に残ったのは、傷を負ったせいで胸元が赤く染まっているヒュンケルだけだ。

 

「回復呪文を使うから、服を脱いで貰ってもいいかしら?」

 

血を見たことで確かに傷を負っていると確信できた。あの光景は見間違えなどでは決して無かった。なのになぜ、こんなにも平然としているのだろうか。痛みに顔を歪ませることもない様子に疑問に抱く。

 

「これは!?」

「なるほど、そういうことか……」

 

だがその疑問は、ヒュンケルが上着を脱いだことで解決した。彼の胸元には、アバンの使徒であることを示す卒業の証がある。

そしてもう一つ、四つの穴が開けられて罅が入り、今にも崩れそうな貝殻が揺れていた。

 

「これは、魂の貝殻……? こんなものをどこで……」

「父の形見だ」

 

知名度はあるが、珍しいアイテムである。どこで手に入れたのかと独白すると、ヒュンケルが律儀にも答えた。

故人の遺品という言葉に、貝殻へ触れようとしていたエイミの手が止まる。下手に触れれば、それだけで粉々になってしまいそうだったからだ。

 

「まさか……ううん、でもそうとしか考えられない……」

 

地獄の爪の数と同じ、四つの穴が開いた貝殻。その貝殻の穴と同じ位置には、ハドラーの爪によって付けられた傷跡がある。

そこまで見れば、どれだけ察しの悪い者でも気付く。

 

「これが、ハドラーの一撃を食い止めてくれたのね。魂の貝殻は呪法処理を施されたアイテムだから、普通の貝殻とは比べものにならないほどの強度があるの」

 

地獄の爪は鎧を貫き、さらに魂の貝殻を貫いた。予想以上に多くの物にぶつかったために貫通力を失い、威力を激減させていた。それでもヒュンケルの肉体にまで届き、彼の身体に穴を開けることには成功する。

だがそれも胸筋の途中で止まり、内蔵などの重要器官に傷を付けることは叶わなかった。その程度の負傷であれば、百戦錬磨のヒュンケルには慣れたもの。我慢できないものではなかった。

 

鎧の下に隠れた貝殻は、ハドラーからは見る事が出来ない。もしも、ハドラーが優位な状況であっても冷静さを残していたならば、地獄の爪を刺した際の違和感に気づけただろう。

肉体を貫いたにしてはいやにあっけない感触に。

 

「それに、メラゾーマが発動しなかったのもおそらくはこれが原因よ。これに掛けられた呪法とハドラーの呪文が干渉しあって不発に終わったんだと思うわ」

 

死にゆく者の魂を封じ込める能力を持つがため、それに掛けられた呪法もまた複雑かつ強力である。呪法を魔法力が邪魔をしあったとしても不思議ではないため、エイミはそう推測した。

 

「そうか……幸運だったのだな……」

「ええ……きっと、お父様が守ってくれたのね……」

 

賢者でもあるエイミの推測だ。おそらくは先ほど述べた理由で間違いないのだろう。だがヒュンケルが感じたのは、彼女が言った最後の一言と同じだった。

魂の貝殻に込められたバルトス()の想いが、ヒュンケル(息子)を守ったのだと。その方がよほど腑に落ちた。

それもハドラーを相手にしてである。かつての主への決別の証のように感じられ、ヒュンケルの心の中に熱い感情が生まれていた。

 

 

 

「あー、その……ヒュンケルさん……」

 

やがて、エイミの回復呪文を受けていたところ、一人のパプニカ兵士が遠慮がちに声を掛けてきた。いや、一人だけではない。その後ろにはさらにこの場にいた全員のパプニカ兵が、遠巻きながらも彼の事を見ていた。

 

「これ、忘れものだ」

 

そう言いながら、両手を差し出す。そこには、彼がエイミと引き換えに投げ捨てた魔剣があった。ハドラーと戦いの後、すぐに治療が始まったために未だ回収出来ていなかったのだが、どうやらこの男が持ってきてくれたようだ。

ヒュンケルはその剣を受け取ると、近くにあった鞘へと納めた。

見惚れるほどに様になっている納刀の所作を見届けると、再び兵士が口を開いた。

 

「正直に言って、アンタのことはまだ許せない……けど、エイミ殿のために躊躇うことなく剣を捨てたアンタだ……だから、少しだけ信じてみることにするよ……」

 

決して本心から納得したわけではない。だがそれでも、ヒュンケルの戦いぶりを見て自然と心に浮かんでくる感情があった。それも一人だけではない。彼の事を見ていた全員が、自然とそう思っていたらしい。

彼らは、誰が言うでもなく剣を回収し、ヒュンケルへと敬意を払うようになっていた。

 

「ああ、ありがとう……」

 

彼らの心を感じ、受け入れられたことに耐えきれなくなり一筋の涙を流す。その涙は、まるで無垢な子供のように純真なものに見えた。

 

 




この程度の苦難も彼には軽いですかね? 生身の状態で腹を刺させるくらいはした方が良かったかな?

あと原作ではエイミが突然ヒュンケルに惚れている様にしか見えず「お前イケメンだったら仇でも無罪か!」と思いまして。ですので「ここまでやっておけばちょっとは惚れるでしょ」程度にはなりました、かねぇ……?

魂の貝殻さん久々の出番です。退場するための出番です。
原作では知らぬ間にフェードアウトしていた(闘技場に転がったままマグマに飲み込まれた?)のですが、こっちの世界では事前に渡されてヒュンケルが心を整理する時間的な余裕もありました。
父の形見のようなものですので、肌身離さず持っていても何ら不思議ではありません。
(23話にてバダックの隠れ家へ向かう前のシーンで、チラッとだけ匂わせたつもり。父との思い出が過去を、アバンの使徒同士の絆が現在を、それぞれ表現したかった……)

そして。
何かおかしいと思って原作を見直したところ、この場面ではアークデーモン以外にガーゴイルも親衛隊にいたのを忘れていた事に気付く私……やけに敵が少ないと思ったんだ。
ごめんねガーゴイル。



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LEVEL:30 魔影は蠢く

満月による光源の下、ミストバーンは自身の配下である魔影軍団とパプニカ兵たちとの戦いを一歩離れた場所から見ていた。

今回彼が率いて来たのは、軍団の主力モンスターである鎧兵士である。動く甲冑(リビング・アーマー)と呼ばれ、見た目は頭の先から足の裏まで全身を覆い尽くす鎧を纏い、半身を隠すほどの大きな盾と片手剣を持っているのが特徴といえるだろう。

そしてその鎧の中身は空洞――実体を持たず、内部に吹き込まれた暗黒闘気によって動いている。かつての不死騎軍団のように痛みも恐れも知らぬモンスターである。

また、一体一体はそれほど強くはないのだが、とにかく数が多い。空の鎧に暗黒闘気を詰め込むだけで手軽に生産できるため、他の軍団と比較しても補充が容易である。数の頼みを活かしての攻め手を得意とする。

 

だがそのモンスターは今、ミストバーンの目の前で次々と打ち倒されていた。

 

パプニカ兵士たちの連携によって、鎧兵士は数の頼みをいまいち活用できていない。あくまで鎧兵士は暗黒闘気によって動くだけのモンスターだ。命令には忠実であるが、応用や融通は利かない。

そのため、人間の知恵や戦い方によりフェイントや囮作戦などを見抜くことが出来ずにいたのだ。少しでも剣を学んでいる者や知恵がある者であれば、すぐに看破できるはずの行動にいちいち引っかかり、協力攻撃によって着実に数を減らされている。

勿論、鎧兵士の元々の地力によってパプニカ兵士にダメージを与えているのだが、負傷者はすぐに後方へと下げられて三賢者の一人――マリンが治療してしまう。

 

そしてそれ以上に厄介だったのが、マァムの存在であった。

彼女は初手こそ魔弾銃を利用した遠距離からの呪文攻撃を行っていたが、二発ほど撃ったところで攻撃方法を切り替えた。

そもそも魔弾銃は弾数に制限があるため、どうしても攻撃回数が限られる。多くの敵を相手にするのには向かない武器なのだ。早々に見切りをつけるのは決して悪手ではないだろう。

だが、魔弾銃の代わりとして彼女が選んだ行動はその場にいた全ての人々の度肝を抜いた。

素手による攻撃である。

幾ら弱いとはいえ、鎧そのものは鋼鉄で出来ている。下手な攻撃であれば、はね返すほどの防御力を持っているのだ。にもかかわらず彼女は素手の攻撃を続け、パプニカ兵士達と協力して敵を倒していた。

 

――このままでは、予定よりも早く軍団が全滅しかねない。

 

互いの戦いを眺めながら、ミストバーンは冷静にそう判断する。

ミストバーンが自身の軍団を率いてこの場に来たのは、フレイザードの要請を受けたからである。命を賭けてでも力を求め、ダイを殺すと宣言してみせたあの呪法生命体の願いを成就させてやるため。

そのため、積極的に攻勢を掛けるつもりはないが、かといって約定を違えるつもりもない。当初の内容通り、時間稼ぎに徹するつもりだった。

だがこのままではダメだ。魔影軍団の壊滅するスピードが想定よりも早い。少々梃子入れをする必要があるようだ。

そこまで考えると、ミストバーンはまるで掻き消えるように移動し、戦場へと足を踏み入れた。

 

 

 

「はああああっ!!」

 

鋭い気合いと共に打ち込まれた正拳突きが決まり、鎧兵士の一体が金属同士がぶつかり合う音を立てて崩れ落ちる。叩き込まれた衝撃は素手の一撃とは思えないほどであり、知らない者が見れば金属製の槌か何かを使っていると思うほどだろう。

 

「おみごとです! マァム殿!」

 

マァムのすぐ近くで、囮役を担当していた兵士の一人がそう声を上げる。

 

「ありがと! ……ところで今ので、何匹倒したのかしら?」

「さて? 自分は算術が苦手でしたので……」

 

一体倒しても、その穴を埋めるように湧き出てくる鎧兵士にいい加減嫌気が差していた。彼女達の言葉通り、何体倒したのかを数えているだけの余裕はなかった。二桁は確実に超えているはずだが。

 

「それよりも、マァム殿、拳の方は、大丈夫なのですか?」

 

兵士は息を切らしながらも口を開く。だがマァムは未だ疲れを見せることはなかった。

 

「大丈夫! まだいけるわ!」

 

成人男性であるはずの自分よりもタフな様子を見せるマァムに、兵士は羨望のまなざしを見せる。体力はまだまだありそうだし、あれだけ堅牢なはずの鎧を直接殴っているというのに痛がる素振りも見せないのだ。

流石はアバンの使徒、鍛え方が違うのだろうと思っていた。

 

――痛くないわけじゃないし、疲れていないわけでもないわ。でも、ここで弱音なんて吐いていられない!

 

胸中でそう叫び、自分を叱咤激励しつつ新たな敵へと視線を向ける。

マァムが素手で戦っていられるのは、闘気と呪文のおかげだった。闘気を纏うことで拳であっても大きな攻撃力を誇り、同時に防御にも併用することで殴った際の痛みを軽減する。これが素手でも戦えるだけの秘密である。

もっと肉体を鍛えて、闘気の扱いにも習熟すれば、素手で鋼鉄を引き裂くことも可能になるのではないか。戦いながらそう感じ取っていたが、今の彼女はまだ修行中の身――というよりも、修行を開始して一日しか経過していない。

兵士達との協力の賜物とはいえ、その短い期間でこれだけの戦果をたたき出すのは驚嘆の一言である。

そしてもう一つの秘密は、回復呪文である。

戦いの中に生まれる僅かな間隙を縫うようにして、手早くホイミの呪文を発動させる。それは、完全に発動させて十全の回復効果を狙ったものではない。効果範囲を限定させることと発動時間を短くすることで、本来のホイミよりもずっと魔法力の消費を抑制した簡易版である。

この簡易ホイミを使うことで、体力を回復させ、痛む拳を癒やしているのだ。

 

闘気の扱いと、限定的な回復呪文。どちらかが欠けていても、マァムがここまで粘って戦うことは出来なかっただろう。修行を開始して僅かな時間だというのに、これだけのことを教えてくれた年下の師匠(チルノ)に感謝する。

習ったばかりの未熟な技術ではあるが、それでも敵の弱さと仲間との連携のおかげで戦えていた。敵であろうとも傷つけるのは好まないが、仲間を守るためにも彼女は戦う。

 

「せいっ!」

 

狙った敵に一気に接近すると、今度は相手の腕を掴んで一気に体勢を崩そうと力を込める。鎧兵士が反射的に堪えようとした瞬間には、もはや遅かった。重心を上手く利用され、瞬く間に投げられていた。

投げの勢いに加えて鎧の重さが加わり、敵は容易に起き上がる事が出来なくなっていた。地面へ叩きつけられた衝撃で動きも緩慢になっている。

 

「今よ!」

「はいっ!!」

 

マァムの言葉に兵士の一人が反応して、倒れたままのモンスターにとどめを刺す。その頃には彼女は既に別のモンスターの相手を始めていた。

力強くはあるが、愚直に振るわれた敵の剣を僅かな間合いで避けると、お返しとばかりに強烈な蹴りを放つ。その一撃は鎧兵士の腕を吹き飛ばし、手にしていた盾が宙に舞い、近くにいたモンスターに激突するほどだ。

 

「すごい……」

 

マァム達から少し後方にて、マリンはその様子を眺めていた。彼女は初手にヒャダインを使い、広範囲の鎧兵士を攻撃してからは、後方に下がって指揮を取りつつ負傷者の治癒役に回っていた。

多勢に無勢すぎるため、広範囲を攻撃できる呪文を連発していてはすぐに息切れしてしまうだろうとの判断と、全体の被害を少なくするために取った戦法である。

その戦法は彼女の目論見通り、上手く機能している。ただ、彼女の誤算だったのはマァムの存在である。

マァムは僧侶だと、マリンは聞いていた。だから当初は自分と同じように回復役をお願いするつもりだった。だが蓋を開けてみれば、魔弾銃にて数体の敵を倒し、それが終わったかと思えば拳で敵に立ち向かっていくではないか。

慌てて止めようとしたマリンに「少しは心得がありますから!」と言うと、そのまま周囲の兵士たちと協力して見事に敵を倒していく。その腕前は、近接戦闘に心得が少ない彼女の目から見ても立派なものだった。どこが心得がある程度なのだと疑うほどだ。

前衛は一人でも多い方が良いと思っていただけに、マァムの活躍は渡りに船だった。順調に敵を倒していく姿は、周囲の兵士を含めて惚れ惚れするほどだ。

ただ、なぜ格闘術の心得があってそれを用いるつもりがあるのなら、どうしてあんなにも丈の短い格好をしているのだろうか。

今も、上段蹴りを放とうとして、慌てて見えないように悪戦苦闘するマァムを見ながら、マリンはそう思った。

ロモスで服を頂戴した時にも、まさかマァムが武術を使うとは想定していなかったためであり、習っていた彼女自身もこんなにも早く、服を替える間もなく使う羽目になるとは思ってもいなかったために起きた、悲劇である。

とはいえ、丈の短さだけを論じれば、彼女も決してマァムのことをとやかく言えないのだが……

 

どうにか上段蹴りの攻撃も決まり、さらに一体の鎧兵士を倒した時だった。

 

「危ない! マァムさん!!」

「え!?」

 

マァムの背後に、突然ミストバーンが姿を現した。まるで瞬間移動でもしたかのように、それまで一切の気配すら感じられないほど唐突だ。マリンの叫び声で気配に気付き慌ててマァムが背後を確認するが、それはもはや遅すぎた。

 

「うぅっ!!」

 

ミストバーンは右拳を無造作に振るい、マァムの背中に当てる。まるでハエでも追い払うかのような動作であるが、それだけで彼女の身体は吹き飛ばされた。強烈な一撃にマァムは思わず息を吐き、勢いに抗えずに地面へと倒れる。

 

「マァム殿!? おのれ!!」

 

近くにいた兵士が慌てて剣を突き出すが、突き出された剣は彼から見れば非常に緩慢な動作でしか無かった。ミストバーンは動じることもなく剣に片手を添えると、五指を用いて白羽取りの要領で攻撃を受け止める。

 

「なにっ!? がああああっ!!」

 

空いたもう片方の手で掌底を――いや、掌底というよりも、ただ力任せに押し出した様にしか見えない――を繰り出す。だがそんな雑な攻撃であっても、兵士の着ていた胸当てが衝撃でへこみ、本人は遠くへ吹き飛ばされた。

 

――強い……それもかなり……

 

たった二回の攻撃。それだけだというのに、ミストバーンの得体の知れなさと、その裏に隠された底の見えない実力に、思わず心が屈しそうになる。だがマァムは気合いを込め直すと倒れた身体を起こす。

長期戦では、まず間違いなく地力の違いで押し切られる。出し惜しみはしていられないようだ。決意と共にミストバーンへと接近すると、習ったばかりの必殺技を叩き込んだ。

 

「爆裂拳!」

 

瞬時に拳を叩き込む。相手の防御を無視して内側から攻撃する高度な技であり、決まれば大ダメージは免れないはずだった。

 

――効果が無い!?

 

だが攻撃を終えた瞬間、彼女はそう確信する。確かにミストバーンの身体に拳が当たったはずである。しかし手応えが違う。練習で樹木などに使っただけであり、実戦で相手に使ったことはまだない。それを差し引いたとしても、明らかに異質である。

ついでにいえば、攻撃を受けたはずのミストバーンがまるでダメージを受けた様子がないことも証拠の一つだろう。

 

「なら……オーラキャノン!!」

 

爆裂拳は失敗したかと考え、習ったもう一つの技を使う。こちらの原理は闘気を打ち出す技であり、難度はまだ手軽な方である。距離を取って攻撃が可能であり、速度もあるため、接近するよりも安全性もある。

 

「……チッ」

 

その一撃を、ミストバーンは身を捻って躱した。その際に、我慢しきれなかったのか小さく舌打ちを一つする。マァムはそれを聞き逃さなかった。

攻撃を回避し、さらには忌々しげな行動を取る。それが何を意味するのか、分からないマァムではない。

だがその失策は、ミストバーン本人も自覚している。

 

「……ミストバーン……魔影軍団を統括している」

「ミストバーン? それが貴方の名前!?」

 

突然の自己紹介にマァムは戸惑う。だが続くミストバーンの言葉に戦慄させられることとなった。

 

「……殺される相手の名くらいは、知っておくべきだろう……?」

「ッ!?」

 

底冷えするような冷たい口調。ローブの奥から覗く瞳の色が攻撃的に変化したように見える。そしてその予感は当たっていた。

気がつけばマァムやマリンの他、パプニカ兵たちの足下に到るまで、蜘蛛の巣のようなものが張り巡らされていた。

 

――闘魔滅砕陣!

 

ミストバーンを中心に暗黒闘気の糸を張り巡らせて相手を捕らえる技である。一度に何人もの動きを封じ、そのパワーを持ってすれば体をバラバラに引き千切ることも可能だ。

滅砕陣による悪魔の糸が、この場にいた人間たちへと襲い掛かる。

 

「ああああっ!!」

「ぐわあああっ!!」

「きゃあああああ!!」

 

目撃者は消せばよい。ミストバーンが出した回答は、実にシンプルなものだった。

もっとも、彼の本当(・・)の実力を持ってすればこの程度の攻撃など恐れるものではない。だが不愉快であることには違いなく、そしてマァムの技は彼が苦手とする光の闘気技へと成長する可能性があった。

ならばここで、可能ならば消しておこう。彼が思ったのはその程度の感想でしかない。何時でも出来ることを、今行っておこう。と言う程度の意識。

それは油断とも慢心とも取れる。

だからだろう。敵援軍の存在に気付かなかったのは。

 

「……ッ!?」

 

突如ミストバーンの顔面に爆発が起こった。予期せぬ一撃に驚き、彼は思わず陣を解除してしまう。ダメージは無いが不愉快であることには変わりはなく、攻撃の出所を探す。

 

「よう、彼女! ひょっとして、しつこいナンパに困ってたりするかい?」

 

マァム達の後方から聞こえてくるおどけたような声。その声はマァムにはすっかり聞き慣れたものであった。

 

「ポップ!!」

「おうよ、魔法使いポップ様。ピンチに華麗に参上ってやつだぜ」

 

そこには、どこかボロボロとなっているもののそれを感じさせないような凜とした表情のポップがいた。

つい先ほど手痛い攻撃を受けたばかりだというのに、仲間が一人増えただけで、マァムの心に余裕が生まれていた。

 

「マトリフおじさんの修行は終わったの?」

「とりあえず今日の分はな……」

「今日の分って、もう夜よ。そんなに大変だったの?」

「それはもう、聞くも涙。語るも涙ってヤツだぜ」

 

まあ、今は話をしている場合じゃないけどな。そう言いながらも彼は、今日の出来事を思い返さずにはいられなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

それはさながら拉致か誘拐か。大魔道士マトリフに無理矢理連れられて、どこかに飛ばされる。地面に叩きつけられたような衝撃を受けて目を覚まし、ポップが辺りを見回せば、どこか見慣れた景色に見慣れた人々の姿があった。

 

「なっ……なっ……なんだぁ!? ここは……ネイル村じゃねぇか!?」

 

ロモス王国に存在する広大なる魔の森。その森の中に存在するネイル村である。マァムの故郷というのが一番わかりやすいだろう。

すぐ近くにはマァムの母親レイラと、村に住む少女のミーナの姿もあった。彼女達にしてみれば、突然マトリフとポップが空から降ってくるようにして現れたのである。驚きもするだろう。

 

「これが瞬間移動呪文(ルーラ)だ。目的地をイメージし、一瞬のうちにそこへたどり着くことができるのさ。勉強になったろ?」

 

ニヤリと不敵に笑うマトリフの表情は、誰が見ても悪役のようだった。

 

「ルーラねぇ……ってことはまさか、ここでルーラの修行をするのか!?」

「まあ、そういうこった……ん?」

 

不満げなポップを一喝してやろうと思ったところ、近寄ってきた気配にマトリフは言葉を切る。

 

「マトリフ、あなた……もしかしてポップ君を弟子に?」

「よぉ、レイラ。久しぶりだな」

 

大魔道士マトリフと僧侶レイラ。二人はかつてアバンのパーティに所属しており、旧知の仲である。いったいどういう風の吹き回しだと言わんばかりのレイラの言葉に、マトリフは手にした杖でポップの頭をコンコンと叩きながら言う。

 

「まあ、ちょっと訳ありでな。アバンに頼まれたってのもあるんだが、このボンクラ魔法使いを鍛えるつもりだ」

「アバン様に!? それは一体……!?」

「なんだ、知らねぇのか? アバンのヤツは自分の死を予期していたらしくてな。手記を残していたんだよ。それに書いてあったんだよ。コイツの場合は、オレに師事して鍛えろ、だとよ」

 

全く困ったもんだと言わんばかりにため息を吐いた。だがレイラはそれどころではなかった。彼女にしてみれば、アバンの手記の存在は初耳なのだ。突然話題に上がった手記の事を含めて、混乱したようにマトリフとポップを交互に見つめる。

 

「その、実は、後から合流したおれたちの仲間が、先生の手記を見つけてさ。読んだら先生が万が一の時の為に遺してくれたものだったんだ。そんで、おれの場合、その言葉に従った結果がコレなわけで……」

 

不満たっぷりの表情でマトリフを横目で睨む。まあ、ロクな説明もなしにいきなりルーラに巻き込まれてネイル村まで連れてこられれば、文句の一つもあろう。

 

「まったく……野郎なんざ鍛えても面白くもなんともねぇ……せめてこう、ムチムチッとした姉ちゃんが弟子に来てくれれば、手取り足取り教えてやるんだが……ダハハハハッ!!」

「ああ!? おれだってどうせならもっと……って、待て待て違う違う! おれはルーラを覚えるのか!?」

 

売り言葉に買い言葉ではないが、ポップの師匠についての不満を口にしかけた――その内容は、もっと美人で巨乳で優しいお姉ちゃんが良い。と、ある意味では師弟揃った抜群のコンビネーションの片鱗を見せていた――のだが、慌てて口を噤むと修行内容についての文句に切り替えた。

 

「あん? なんだ、不満か?」

「不満に決まってるんだろ! どんな強力な新呪文かと思えば、移動するだけの呪文……移動、する……」

 

途端に語勢が弱まった。そしてポップは自分で言った言葉を反芻するように繰り返し、ついには押し黙ってしまう。喧嘩腰の態度から一転したその様子は、マトリフでなくとも何かがあると見て取れる。

 

「どうした? 文句があったんじゃねぇのか?」

「いや、別に……大したことじゃねぇよ……」

「いいから話せ! 師匠命令だ!!」

 

口ごもる弟子の態度に業を煮やし、マトリフはドスの利いた声で一喝する。その様子に震え上がり、ポップはぼそぼそと口を開いた。

 

彼の脳裏に蘇ってきたのは、ヒュンケルとの戦いも終わり、フレイザードの手によって溶岩に囲まれた時の光景だった。迫り来るマグマによって足場は次々と削り取られ、湧き上がる熱に絶え間なく襲われ続けたあのとき。

チルノの魔法によって事なきを得たが、もしも彼女がいなければあそこで全滅していたとしても不思議ではないだろう。そのときのことをあの絶望的な感情すら想起していた。

 

「後で気付いたんだが、キメラの翼で逃げられたかも知れなかったんだ……けど、そこはルーラを封じる結界が張られていたから、結局無理だって知ったんだけどよ」

 

とはいえ、十五年間誰も手入れをしていなかった結界だ。きちんと機能しているかは怪しいものだった。現在は溶岩に沈み、もはや検証は不可能であるが。

 

「それからその後で、ルーラがダメでもトラマナの呪文があれば溶岩も無事に突破できたかもしれないって言われて……なんだかそれを思い出しただけだよ」

 

言いにくそうにそう口を開いたポップの話を最後までじっと黙って聞いていたが、全てを聞き終えるとマトリフは盛大にため息を吐いた。

 

「なるほどな。そのチルノってヤツの方がよっぽど見込みがありそうだな。なんでオレはこんなヤツを……」

「なんでだよ! ルーラなんざ覚えてなくたって、マヒャドくらい強力な氷結呪文を使えれば、凌げたじゃねえか!」

 

未だにポップの中では攻撃呪文に対する意識が偏重しているようだ。確かに便利かも知れないと思ってはいるが、強力な呪文で一気に解決、という事にばかり囚われている

 

「生意気ぬかしてんじゃねぇよッ!!」

 

どうやら我慢の限界だったらしい。吐き捨てるような怒鳴り声に、ポップは全身を硬直させた。ついでに、レイラの隣で成り行きを見守っていたミーナまでもが、関係ないにもかかわらずその剣幕に驚き、レイラの後ろに隠れる。

 

「おめぇ、魔法使いは後ろから攻撃呪文だけ使ってりゃ良いと思ってねぇか?」

「へ……っ」

「魔法使いが操る呪文は仲間を守る為のもんだ! 無数の呪文と知識を抱え、皆の危機を払うのが魔法使いの役目だ!!」

 

違うのか? と問いかけようとする間もなく二の句が継がれる。

怒鳴り声のために恐ろしさもあるが、マトリフはかつての勇者パーティの一人である。その言葉には経験に裏付けされた圧倒的な自信を感じられた。

 

「この先、個人の呪文じゃあ止めきれないほどの事が起きないとどうして言い切れる? 呪文の通じない敵が出てこない保証がどこにある? お前が呪文を封じられない保証は誰がしてくれるんだ?」

「うう……」

 

思い起こされるのは彼がデルムリン島に上陸したばかりの頃。ガーゴイルのマホトーンを受けて呪文が封じ込められて、弟弟子たちにかっこ悪い姿を見せたことがある。そんな前例があるのだからこそ、ポップにしてみれば余計に耳が痛い。

 

「そうよ、ポップ君。マトリフの言う通りだわ」

 

落ち込みかけたところに、今度はレイラが口を開いた。彼女の慈愛を感じる柔らかな口ぶりは、マトリフに怒鳴られたばかりのポップの心には優しく染みこんでくる。

 

「マトリフはちょっと困った人だけど、その腕は確かよ。私たちの現役時代にも、彼の知識と呪文には何度も助けられて、窮地を乗り越えたんだもの」

 

昔を懐かしむように遠い目をしながら、そう語りかける。そんなレイラの姿を見ているだけで、一切知らないはずの彼女たちの昔の活躍ぶりが透けて見えるような感覚をポップは味わっていた。

 

「まあ、オレの場合はそれに加えて、攻撃呪文もこなせるわけだがな」

「マトリフ! まったく……こんな調子だけど、彼は全ての魔法使いの頂点に立つとまで言われているの。そのマトリフが無駄な事を教えたりはしない。きちんと修行を受ければ、ポップ君も間違いなく強くなれるわ」

 

かつての英雄のお墨付きである。その言葉は、ポップに勇気と希望を与えるには十分すぎるほどだった。

 

「わ、わかったぜ! ありがとう、おばさん! おれ、やってみるよ!!」

 

そう言うとマトリフの後へ続く。一方のマトリフは、弟子ながらもこんな単純で良いものかと思いながらも彼に修行を付けるべく、森の奥へとポップを引っ張っていく。

 

――まあ、後輩にやる気を出させるのも年長者の勤めよね。

 

そんな二人の魔法使いの後ろ姿を見送りながら、レイラはそう心の中で呟いた。マトリフのキツい言い方の後で彼女の優しい言葉は、ポップの心にさぞ効果があったことだろう。

少しズルいやり方をしてしまったのを懺悔しつつ、彼女は若い魔法使いの前途に神の加護があらんことを祈った。

 

 

 

さて肝心の修行内容であるが、これは本来の歴史の通り――すなわち、修行前の体力作りのためにマッドオックスに追いかけ回されながらの強制マラソン。大岩にロープで腕を縛られて水中に落とされた状態からの脱出。魔法力を放出して、相撲のように互いに押し合う力比べ。

などであった。

とはいえ、本来ならばポップは無理矢理付き合わされているだけであり、その修行もこの頃は嫌々行っていた。だが今の彼は、自ら頭を下げて弟子入りした上にレイラの言葉を信じてやる気に満ちている。

拷問もかくや、と思われる修行内容に文句は付けるものの、真面目に取り組んでいた。

 

 

 

「まあ、今日はこのくらいで勘弁してやるか」

 

魔法力の力比べに負け、吹き飛ばされて地面に這いつくばったポップを見ながらマトリフはそう呟いた。

丸一日に及ぶ修行に付き合い、ポップの魔法力は確かに向上している。だがその量はマトリフにとっては物足りないものだった。どれだけやる気に満ちていようとも、それが結果と直結するとは限らない。

 

「お、終わりかい……? まだまだあると思ったんだけどな……」

 

自嘲――というよりももはやヤケクソと言った方が近いだろう。そんな笑みをポップは浮かべて言う。その様子を見ながらマトリフもまた、満足そうに笑う。

真面目に取り組んでいる相手に小言を言うほどマトリフも悪人でもない。そしてマトリフの言葉の中には、相手を煽りやる気を引き出させる意味も込められている。

……少々やり過ぎな気もするし、趣味ではないのかと問われれば首を傾げたくなるような面も確かにあるのだが……

 

「ヘッ、心意気は買うがな。そんなボロボロの状態じゃあ効果なんてありゃしねえよ」

 

既に空は赤く染まり、夕方もそろそろ終わりを迎え始めようかという時間である。ポップの言葉に乗って夜を徹して修行を続けても良いが、それでは間違いなく彼は潰れる。その辺の引き際はマトリフも弁えているつもりだった。

 

「じゃあ、最後の修行だ。オレは一足先にパプニカへ帰るから、おめぇも自分のルーラで戻ってきな」

 

弁えて……いる?

今日はもう終わりだと思っていたポップは、その言葉を聞いて一瞬驚愕の表情になる。それを見たマトリフは満面の笑みを浮かべた。

 

「い!? ……そりゃ、やれと言われりゃやってみるけどよ。やり方も教わってねえのにやれってのは、ちょっと横暴すぎだろ?」

「そうでもねえよ、簡単なもんさ。さっき水中から川岸まで魔法力を放出して翔べたろ? あの要領で目的地の明確なイメージ化さえできれば、ルーラなんて楽勝でできる」

 

途中で行った修行の一つを例に挙げて、やり方を説明する。必死で虚勢を張っているおかげか、その説明だけでもポップはなんとかなりそうに思えてきていた。

 

「そう言われると出来そうだけど、距離が違うだろ……どれだけ時間が掛かると思ってるんだよ……」

「なんだ? 今夜はデートの予定でもあるのか?」

「いいっ!? いや、別に予定はねぇけど……」

「なら良いじゃねえか。少し休んで魔法力を回復させてから戻ってくりゃいい。戻るのが夜中になっても、別に時間制限があるわけじゃねぇだろうが」

 

這ってでもパプニカまで戻ってこい。つまりはそういうことだろう。戻ってくるまでがルーラの修行であり、自分なら出来ると見込まれたのだ。そう自身に言い聞かせながらポップが精神を落ち着けようとしたときだった。

 

「ああ、いや。一つだけ時間制限があったな」

 

わざとらしくとぼけた師の口振りに、ポップは猛烈に嫌な予感を覚える。

 

「お前には、一日一つのペースで呪文を教えるつもりだ。もしも遅れたら、次の日は倍。その次は三倍の修行をつけるつもりだからよ。あんまり遅れんじゃねぇぞ」

 

そこまで言うととっととルーラを唱え、マトリフは一人先に帰っていく。そして後には、衝撃を受けたままのポップだけが残された。

 

――前言撤回。サディスティックな面は趣味かもしれない。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「――ったくあの師匠め……何が時間制限は無い、だよ……適当なこと言いやがって……」

 

しっかりと休憩を取った後に、ルーラを何度か試みることで、ポップはようやくパプニカへと戻る事が出来た。マトリフの言った通りにしっかりとイメージをした上で魔法力を放出すれば、確かに彼もルーラを使うことが出来た。もっとも、到着したときには魔王軍に攻め込まれており――マトリフは魔王軍がパプニカに攻めてきている事を知らないので攻めるのは酷だが――随分と危機的な状況であったため、礼は言わないでおこうとこっそり思う。

 

ルーラで大神殿まで到着した際に敵が来ている事を知り、慌てて近くの戦場に加勢してみればここだった。慌ててミストバーンにイオを放ち、不意打ち気味だったこともあってどうにか闘魔滅砕陣を解除させることには成功した。

とはいえ修行のせいで置いて行かれた感が拭えず、口の中で文句を言っていた。

 

「何か言った、ポップ?」

「いんや、何も。それより、あの敵は何だよ? それにさっきの蜘蛛の巣も」

 

ホイミで回復を試みながら、ポップの呟きを耳にしてマァムが言う。だがポップからすれば、先ほど口にしたのは恨み言である。そのため、何もなかったと断りを入れてから、状況を知るべく尋ねる。

 

「魔影参謀ミストバーン、そう名乗っていたわ。そしてさっきの技は多分、闘魔傀儡掌を広範囲に使う技だと思う……」

「闘魔傀儡掌……確か、ヒュンケルが使っていた卑怯な技だっけか?」

「ええ。確証はないけれど、技を受けた感じから一番近いのがそれだったわ」

 

闘技場でのダイとの決戦にて使用された、暗黒闘気の糸を用いて対象を操り人形のごとく自由に動かす技である。ダイが苦しんでいた事を思い出し、面倒そうな表情を浮かべる。

 

「それに魔影参謀ねぇ……ってことは、こいつも軍団長の一人か」

「それも、とびっきり強いみたいよ……」

 

真剣な表情でそう語るマァムの姿を見て、ポップは自嘲気味に笑う。

 

「とびきり強い、か……ははは、こりゃもしかしなくてもピンチってやつか?」

「……でも、手はあるわ」

 

最悪マァムを連れて逃げることも視野にいれていたポップであったが、その言葉には驚かされた。今まで何が起きたのかを知らない彼に取ってみれば、手があると言う言葉はそう簡単に信じられなくても無理もない。

 

「私の攻撃の一つを、舌打ちしながら避けたの。多分、当たったらダメージがあるからだと思う」

「へぇ……ってことは、その攻撃をどうにかして当てられれば良いわけだ」

 

どんな攻撃かは知らないが、わざわざマァムが口にしたのだから可能性があるようだ。ならばそれに賭けた方が良いだろう。

 

「おし! ならおれのやることは、その露払いだな」

 

意を決して、だが悲壮な覚悟は見せないようにおどけたように振る舞いながら、前に出て行く。

 

「正直言うと、やりたかねぇけどよ、マァムが攻撃役をするなら、おれが敵を引きつけるしかねぇだろ? 兵士たちはこんなだし……」

 

そう言いながらポップは目線を巡らせる。パプニカ兵たちは闘魔滅砕陣のダメージにうめき声を上げて、未だ立ち上がれずに苦しんでいた。マリンですら痛みと戦いながら回復呪文を唱えているが、効果は薄い。

これには、強力な暗黒闘気によってダメージを受けた事と兵士達に耐性がないことが影響しているのだが、今の彼らにはそこまで分からず、ただダメージに苦しんでいる様にしか見えない。

 

「頼りねぇかもしれないが、隙の一つや二つくらいなら作ってやらぁ」

 

返事を待つことなく歩みを進め、そしてついにミストバーンと対峙する。

 

「よぉ、ミストバーン……だっけ? 悪いが選手交代だ。ここからはおれが相手になるぜ」

「…………」

 

心を落ち着かせるように軽口を叩きながらミストバーンの様子を探る。だが無言のまま、幽鬼のように佇んでいるその姿からは、考えを窺い知ることは出来そうになかった。

 

「つれねぇなぁ。だんまりかよ……」

 

だがあくまで軽薄な態度は崩さない。相手が自分を格下と侮り、舐めてくれれば儲けものだ。そう思いながら肩をすくめて、おどけながら落胆したようにポーズを作る。

 

「……イオ!」

 

油断を誘いながら、不意打ち気味にノーモーションで爆裂呪文を放つ。とはいえポップ本人も、こんな小細工で有効打を与えられるとは思っていない。何しろ先ほどは顔面にぶつけたはずなのに、まるで効果が無いのだ。

ポップにとってこの行動は、ダメージを狙ったものではない。

 

「……!?」

 

放たれたイオはミストバーンの手前で爆発し、爆発煙を生み出した。その煙はポップとミストバーンの間の視界を一瞬遮る。なまじ先ほどのイオでダメージを受けなかったこともあって、ミストバーンが警戒を緩くしていたのが幸いしていた。

僅かに稼いだ時間を利用して、ポップは本命を叩き込む。

 

「ベギラマ!!」

 

突き出した右拳から、熱線が放たれる。マトリフとのたった一日の修行であっても基礎魔法力が上昇し、呪文の扱いについてもより巧みになっていた。

それは先ほどイオを使った時にも感じた感覚。今までよりも効率的に呪文を操れるようになっていたのだ。その効果は、今まで使えなかったベギラマの呪文を使えるようになるほどである。

とはいえ、誤算もあった。

 

――やべぇ、魔法力が……

 

突然目の前がぐにゃりと歪むような感覚がポップに襲い掛かる。多少休んだとはいえ、修行中でも消費した魔法力にて、パプニカまで移動するためにルーラを連発。そしてここでイオを二発に加えてベギラマまで発動すれば、並の魔法使いでも倒れるほどだ。

ベギラマを発動できたのが奇跡と言ってもいい。

そして、ポップ渾身のベギラマであったが、ミストバーンには無意味であった。彼はその熱線をローブの下の闇で受け止める。

 

「っ!?」

 

その行動の真意を悩むだけの時間は無かった。ミストバーンは受け止めたベギラマを増幅すると、ポップへ向けて正確に打ち返してきた。

 

「うおおおっ!!」

 

ふらつく身体で必死で自分のベギラマを避ける。少ない魔法力でベギラマを使ったのが幸運だった。本来ならばベギラゴン程の威力になっていてもおかしくはない攻撃だったが、威力が低かったおかげで反撃のダメージもそれほどではない。

 

「ありがとポップ!」

 

そしてミストバーンが呪文をはね返すのは、マァムにしてみれば攻撃の機会だった。ベギラマを受け止めた瞬間に彼女は駆け出し、一気にミストバーンへと肉薄する。

その両手に拳を握りしめながら。

 

爆裂拳ではダメージを与えられない。オーラキャノンでは避けられてしまい、そもそも当たらない――いやそれどころか、未熟な自分の闘気では遠くからでは拡散してしまい、ダメージも小さなものになってしまうだろう。

そこまで考えたマァムが思いついたのは、両方を組み合わせることだった。というよりも、普通に闘気砲を撃ってもダメージが期待出来ない以上、それ以外に有効そうな手段が思いつかなかったというのもある。

 

マァムの様子から普通に拳での攻撃であると判断して、ミストバーンは奇襲されたものの慌てることはない。無駄な攻撃をさせてから、改めて反撃をすればよいと考える。

 

だが、マァムの攻撃もミストバーンの反撃も、そのどちらも行われることはなかった。

 

「!?」

「何!?」

 

明後日の方向から突如として輝いた、夜の闇をも切り裂くほどの強烈な光。そのあまりの異質さに思わず二人は動きを止めていた。

 

「…………」

 

その光を見て、何かを思ったのだろう。ミストバーンの姿は煙のようにかき消えた。

 

「逃げた、のか?」

「どっちかっていうと、逃がしてもらった。って感じがするけどね……」

 

消えたミストバーンが突然現れて攻撃を行うかもしれない。そう考えて警戒を怠らずにいたが、いつまで経っても姿を見せないミストバーンの様子から、二人はそう判断していた。

そして、ようやく張り詰めていた気を緩める。

 

「あっちでも誰かが戦っているんだな」

「たしかヒュンケルだったはずよ」

「何!? ってことはあの光の正体は……!!」

 

かつてダイのライデインストラッシュと引き分けた、強烈無比な闘気技を思い出して二人は顔を見合わせる。

 

「ポップ君、マァムさん……」

「マリンさん!?」

「おっと、忘れてた。そっちは大丈夫か?」

「ええ、私はなんとか。でもまだ兵士たちが……」

 

ようやく動くようになったらしい身体を引きずりながらマリンが声を掛けてきたことで、現実に引き戻された。一刻も早くヒュンケルの様子を見に行きたいが、この場を放っておく訳にもいかない。

二人はひとまず、傷ついた兵士達に介抱に回った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ハァ……ッ! ハァ……ッ! おのれ、おのれ!!」

 

ヒュンケルから遠く離れた場所で地に這いつくばり、ハドラーが怨嗟の声を上げていた。その肉体は刀傷に加えて左胸に穴が開き、さらにはグランドクルスに焼かれて全身がただれている。生きているのが不思議な程だ。

攻撃を受けながらルーラで逃げたというのにこれである。まともに喰らっていれば、文字通り跡形もなく消滅していたとしてもおかしくないだろう。

 

「ハドラー……」

「ミストバーン!?」

 

別働隊として行動しており、ここにいるはずのない相手がなぜかいる。聞こえるはずが無い声を聞いたことで同様しながらも、ハドラーはミストバーンを見上げる。

 

「救助、か……? それとも、オレを笑いに来たか?」

「…………」

 

だが影の男は、立場上は上司に当たるはずの魔軍司令ハドラーの言葉に何も答えない。その代わりとばかりに片腕を上げ、ハドラーを指し示すようにその指を一本向ける。

 

「ぐああああっ!! な、なぜ……!?」

 

鋼鉄の指はミストバーンの意思に従い高速で伸縮すると、ハドラーの胸を易々と貫いた。それは的確にハドラーの残った右の心臓を抉り、瞬く間に絶命させる。

痛みと無念と驚愕とが混在した表情を浮かべて、ハドラーの意識は闇に沈む。

 

そして、既に事切れ、届かないはずのハドラーへ向けてミストバーンは声を掛ける。

 

「ハドラーよ……バーン様がお前に与えた肉体は、たとえ死しても私とバーン様の暗黒闘気がある限り何度でも蘇る。以前よりもはるかに強い力を備えてな……」

 

そこまで言うとミストバーンはハドラーを担ぎ上げ、再び忽然とその姿を消した。

 

 




ペアとしても、敵としても、特に絡みのない組み合わせ。
圧倒的な消化試合感……

今の実力ではミストを倒せるわけもなし。ミスト本人も本気ではなく時間稼ぎという意味合いが強い。何よりも都合上、倒しても倒されても問題。
となれば、いまいち盛り上がらない感じになってしまうのも仕方なし。
これでも必死でこねくり回したんですが……

魔影参謀ミストバーン……え、参謀!? お前、何か参謀らしいことしたっけ?
(やらかしまくっているとはいえ)ザボエラの方が参謀役ですよね。
滅多に口を開かないヤツが参謀って……誰だこの称号を名付けたのは……

鎧兵士って何? さまよう鎧じゃないの? って思われるかと思いますが、16巻にて「常に新しい鎧兵士に暗黒闘気を吹き込んでいるのだ」と台詞があるので。某DQ大辞典を作ろうぜにも"さまようよろい"の項目にこう書いてあったので。
(でも次の機会にはコロッと忘れて「さまよう鎧」表記にしていそう)

ハドラー君。別に死なないし、この大怪我なら殺してリサイクルした方が蘇生が早いと判断されたため、手を掛けられた模様。ミストがいる関係上、こっちで補完。


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LEVEL:31 消滅

「ザラキ!」

「危ないレオナ!!」

「ダイ君!?」

 

フレイザードは、レオナへ向けて回避不可能なタイミングで死の言葉(ザラキ)の呪文を放つ。それにいち早く反応したダイは、もはやレオナが回避不可能であることを悟ると斜線上に割り込むと同時に彼女の身体を押し出して退避させる。

その結果、ダイの身体を死の言葉が覆い包んだ。

 

――よっしゃあ!!

 

予想通りの結果に、新生フレイザードは胸中で喝采を上げる。ダイへ確実に当てるため、あえてレオナを狙ってザラキの呪文を発動させたのだ。ご立派な勇者さまであれば、お姫様を狙う攻撃は庇うはずだと読んでいた。

ならばその攻撃が、一撃必殺のものであればどうだろうか。きっと、労することなく相手を倒せるに違いない。

残り火のような状態から、多くの部下の命を踏み台として蘇ったフレイザードならば、ダイを相手に魂までもがヒリつくような戦いを欲するように思えるかもしれない。

だが、彼が選んだ戦略は熱狂的でありながら実に冷静そのもの。彼が求めているのは満足する戦いではない。どんな手を使おうとも勝利することなのだ。

恐怖と苦痛を伴う言霊に襲われるダイの姿を夢想して、フレイザードは僅かに微笑む。

 

「そんな……ダイ君!!」

 

レオナは卵とはいえ賢者である。呪文についての知識にも明るく、ザラキの呪文についても知っている。当然、死の言葉に負ければそのまま息絶えるということも。

自分を庇ってザラキを受けたことを少しだけ嬉しく思いながらも、命果てるやもしれないという恐怖の方が彼女には勝る。死の言葉に包まれるダイの後ろ姿を見ながら、心配そうに叫んだ。

そして、賢者としての訓練を積んだ彼女の頭脳は、ザラキに対する妨害手段として、術者を狙うことを思いつく。フレイザードを睨み付けるが、だが彼女が攻撃を起こす必要はなかった。

 

「こんな呪文、効くものか!」

 

死の言葉に包まれているというのに、その影響などまるで意に介さないようにダイは動き、手にした剣でフレイザードへと攻撃を行う。

 

「げえええぇっ!?」

 

そのダイの動作に一番驚かされたのは、フレイザード本人だ。ザラキの影響下にあるはずなのにこうも自由に動くなど、普通はありえない。よほど大人と子供以上に実力差が隔絶しているか、ザラキの呪文そのものを無効化しているかでなければ、これほど自由に動くことは出来ないはずである。

 

「くそがっ!」

 

反応が遅れたものの、それでも必死で回避を試みる。だが僅かに遅かったようだ。フレイザードの左半身に深い刀傷が走り、その下からは出血ならぬ水蒸気のような靄が立ち上りダメージがあったことを知らせる。

 

――実力差がそこまであるとは思えねぇ……ならばやはり、なんらかの手段で無効化しているってことか? もう一度確かめてぇが、隙を作るのはゴメンだぜ……

 

再び攻撃が行われても対処できるように距離を取りながら、フレイザードはザラキが無力化されたことについて原因を考える。

効果さえあれば一撃必殺の呪文であり、破る手立ては数少ない。

レオナがフレイザード本人を狙うことも想定内であり、来ると分かっている攻撃ならば耐える覚悟も問題ない。そもそも呪法生命体であるフレイザードが痛みを感じるものでもないのだ。

ならば一体どうして? まさか"勇者だから"などというふざけた理由で無効化されたなどであれば、彼には許容できるものでない。何か理由があるはずだ。

 

――ヤベェ! 動く!!

 

そこまで考えたところでタイムリミットだった。ダイが動き出す前(・・・・・)に反応して、フレイザードは行動を阻止するべく先手を取った。

 

「シャアアアッ!!」

「うわああっ!」

 

その口から吹雪のブレスを巻き起こし、ダイへと攻撃する。

巻き起こされた極低温のブレスは、大気中の水分すら凍り付かせんほどの威力を誇っていた。ブレスの低温によって水分が直接凍り付き、月光を反射してキラキラと輝く息による攻撃。

攻撃に移ろうとする寸前だったダイでは回避が遅れ、その攻撃をまともに受けることとなった。

 

「メ……メラ!」

 

目の前すら見えなくなりそうな低温に曝されながら、ダイは必死で火炎呪文を唱えた。それは冷たければ暖を取れば良いという反射的な動きに近かった。だがその目論見通り、冷気のブレスは効果を多少なりとも軽減してくれた。

 

「バギマ!」

 

吐息の外から見ていたレオナも考えることは同じだった。ダイから学んだ彼女は真空呪文を放つことで空気の断層を作りだして、冷気を遮断する。

と同時に、フレイザードのブレスが止んだ。

 

「ハァッ……クッ……!!」

 

攻撃をしていたフレイザードの方がダメージを受けているように見える。荒い息を繰り返しながら、見ているだけでも辛そうであった。

その異様な様子をレオナは訝しむ。

 

――予想はしていたが、ここまでキツいとはな……このままじゃこっちが先に参っちまう……!!

 

自ら吐き出した冷気嵐の威力に感心しながらも、フレイザードは毒づく。ダイに破壊される前の自分であれば、ここまでの威力ではなかった。

それが今は、文字通り命を賭けて恐ろしいまでの威力を生み出している。命を削りながらの攻撃には、さしものフレイザードでも耐えがたいものがあった。

肉体的な痛みではない。命そのものをヤスリで強引に削り取られていくような激痛に苦しめられる。

 

――それに、このままじゃこっちも不利か……仕方ねぇ!

 

この瞬間だけ真冬となったような周囲の冷気を不快に思いながら、フレイザードは攻撃方法を変更する。

 

「カアアッ!!」

 

代わりに吐き出されたのは炎のブレスだった。だがその威力は先ほどの輝く息と比べればなんとも貧弱である。燃え盛る火炎が襲い掛かるが、ダイの目には中途半端な炎としか映らなかった。

 

「海波斬!」

 

輝く息の魂すら凍てつかん程の冷気に体温を奪われながらも、ダイは必死で身体を操って海波斬を繰り出す。アバン流最速の技である海の技は炎を容易に切断すると、その勢いを殺す事無くフレイザードへと襲い掛かった。

 

「ヘッ!」

 

だがその程度の攻撃はフレイザードも物の数ではない。海波斬の剣圧を片手で防ぐと、次の攻撃に備えるべく身構える。

 

「バギ」

 

しかしフレイザードの狙いは、ある意味失敗に終わった。ダイが次に取った行動は呪文――それも呪文を剣に宿らせて魔法剣を発動させる。メラやヒャドも使えるが、フレイザードに通じるとは思えず、そして一度は五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)ですら切り裂いた真空海波斬を信用していたが為の選択だ。

 

バギを宿らせた剣を手にしながら、ダイは調子を確かめるように小刻みに身体を動かす。未だ冷気の影響が残る肉体は、彼の動きを僅かに阻害する。

 

――いいぞ……もう少しだ……

 

そんなダイの様子をつぶさに観察しながら、フレイザードもまた辺りの様子を窺うと逸る気持ちを抑えていた。

 

 

 

――何かしら……わかるような、わからないような……

 

少し離れた場所からダイとフレイザードの戦いを見ながら、レオナは考えていた。

フレイザードはダイが動き出そうとした瞬間に先んじて動き、攻撃を封殺する。ここまでは理解できる。

ならばなぜ、先ほどの海波斬は妨害せずにいたのだろうか。次のバギにしてもそうだ。脅威とならないのだから見逃した、と考えることもできるだろう。

しかし海波斬はそのまま反撃へと繋がる。バギも剣に宿らせて魔法剣とするのだ。どちらもフレイザードの視点から考えれば、妨害していてもおかしくない。

理由は分からないもののその僅かなチグハグさが引っかかり、レオナは当惑していた。

 

まだ何か見落としている部分があるのか、それとも何か制限があるのか。フレイザードの秘密を見極めようとするレオナを余所に、再び猛攻が開始された。

 

「メラミ!」

 

片手では収まりきらない程の火球が生み出され、ダイへと襲い掛かる。だがなんの虚実すらないフレイザードの攻撃には流石に当たるはずもない。火球を避けながら相手へ肉薄する。

 

「くらえっ!」

 

接近したダイは、素早く攻撃へと切り替えた。刀殺法を用いず、普通に剣を振るう。隙を極限まで少なくした、威力よりも速度重視の攻撃である。連続して繰り出される攻撃を、だがフレイザードは両腕で易々と捌いていく。

無数の部下の命と自分の命を糧として蘇った今のフレイザードは、魔法力も肉体能力も研ぎ澄まされているのだ。普通の兵士であれば数合と持たず、以前のフレイザードであっても速度で押し切られていたであろう連撃であっても、余裕がある。

 

「ククク……そら、どうした?」

「あたら、ない!?」

 

ヒュンケルとの激戦でも通用していた剣術がこうも一方的に防がれることは、まだ若いダイには少々酷だった。焦りを感じて、次第に威力を重視した攻撃へと本人も知らず知らずに剣が変化していく。

 

「そこだっ!!」

「ぐううぅ!」

 

やがて、普段よりも大振りの攻撃を放とうとしたところをフレイザードの一撃で止められる。ただの拳打であっても攻撃に意識が向いているため、防御はおざなりだ。その分だけ大きくダメージを受ける。

 

――まただ! また読まれた……だったら、こうだ!

 

幾度となく攻撃を潰されれば、ダイでなくとも学習する。再び速度を重視した剣を振るいながら、好機を窺う。やはりフレイザードはこの攻撃には反撃をしてこないようだ。

慎重に攻撃を行いながら、やがて相手の隙を突くように剣を振りかぶる。

 

「アバン流――」

「こっち、だろ!?」

「大――あああっ!!」

 

だがフレイザードは剣を持った右手を無視して、ダイの左手目掛けて蹴りを叩き込む。蹴られたその先には、今まさに繰り出さんと闘気の込められた拳があった。

剣で攻撃すると見せかけて拳の一撃を試すつもりだったが、フレイザードには通じない。

 

「ハァ……ハァ……」

「そら、オマケだ! シャアアアア!!」

「ううっ……クッ!」

 

攻撃は通じず、ダメージを受け続け、それでも突破口は無いかと考えるダイは疲労困憊であった。全身を焼けたように火照らせて、息も荒い。

だが疲労を見せようともフレイザードは止まらない。ダイ目掛けて再び冷気のブレスを放つが、威力そのものも今回は軽微であった。初手の輝く息と比べればそよ風のようなもの。むしろ汗と熱に苦しめられるダイにしてみれば、涼しいくらいだ。

これをダイが手にした剣で切り裂いた。

バギの呪文を宿した剣は振るうだけでも冷気を切り裂く程の鋭さを見せる。

 

だが如何にキラーメタル――キラーマシンの残骸から得た装甲をパプニカにて研究し、劣化コピーではあるが作り出した金属――でコーティングされたとはいえ、元々は只の鋼鉄の剣でしかない。

新生フレイザードの攻撃に耐え、その堅牢な身体へ攻撃を与えるたびに、少しずつ剣は悲鳴を上げるように音が変わっていった。鋼鉄同士を打ち付けたような澄んだ音が、次第に苦悶の悲鳴を上げているように聞こえる。

 

――キラーマシン!? そうよ、確かあのときも……

 

パプニカへと戻った際に、レオナは世間話の一つとしてダイの剣のことも耳にしている。それを知っていることが記憶を想起させる。

彼女は以前デルムリン島にて、賢者バロンの操るキラーマシンと戦ったことがある。そのときに敵は目視以外で敵の位置を把握するのに、熱を使っていたのだ。

仮に今回もそれと同じであれば……

 

だがそこまで考えたものの、レオナの頭の中ではフレイザードの先読みに繋がらなかった。最初に思いついた時には妙案だと思えたが、そこから先が繋がらない。

こうしている間にもダイはフレイザードの攻撃を防いでいるが、今や防戦一方。何か援護をしようにも、レオナの実力では二人の戦いに割って入れそうになかった。

苛立ちでヒリつく喉の熱さを鬱陶しく思いながら、彼女は唾を飲み込む。

 

「――そうよ! わかったわ!」

 

その次の瞬間には、レオナは叫んでいた。

 

「熱よダイ君! フレイザードは熱で先読みをしているの!!」

「熱!?」

「……チッ」

 

あり得ない考えに思わず聞き返すが、レオナは構わず口にし続けた。

 

「ダイ君は今、動き疲れて熱を持っているでしょ? それと同じよ! 生き物はみんな、温度が必要なの! 身体を動かすのだって熱がいる! 多分フレイザードは、その熱を読み取っているの!」

 

一国の姫としての教養を兼ね備え、賢者としての知識も併せ持つレオナだからこそ辿りついた結論と言えるだろう。

彼女の言葉通り、フレイザードは人体の熱を読み取っていた。傷や骨折などを負えば、負傷した部分は熱くなる。運動すれば、酷使した箇所は熱を持つ。

そして動こうとすればその部分に熱が生まれる。そのほんの僅かな熱の発生を検知して、先読みを行っていた。

氷炎将軍として生み出され、フレイムとブリザードの命を喰らって生まれ変わった今のフレイザードでなければ到達は到底出来ない程の極致の能力といえる。

だがそれは温度が極端に高すぎても低すぎてもダメだ。事実、初手に輝く息を放った時には、周囲の温度まで下がった影響で熱を読み取る事が出来なくなっていた。慌てて燃え盛る火炎を吐き出して微調整を行い、ダメ押しのメラミまで利用する。逆にダイが動きすぎて熱を持てば、冷気のブレスを放つことで調整する。

夜明けまで命が持たないフレイザードに取ってみれば、ダメージを受けることは無駄に生命を削ることに等しい。それを本能的に理解しているからこそ、熱による先読みの方が彼の中で優先されていた。

 

「ヘェ……さすがに博識だな。だがそれが事実だったとして、テメェらに何ができるってんだ!?」

「虚勢を張るのもそのくらいにしておきなさい。仕組みが分かれば、手はあるんだから!」

 

フレイザードの言葉を聞きながら、レオナは自身の仮説が間違いではないと密かに確信していた。今までの行動を振り返り、そして今の台詞を耳にして。

 

「でもレオナ、どうするのさ!?」

「ああもう! ダイ君は普通に戦って!!」

 

せっかく格好良くキメたというのに、自分で分からないと口にされると少々情けなく感じてしまう。そもそもダイの言葉通り、打ち合わせ等もしていないのだから分かるはずがないのだが。

少しだけやる気に水を差されながらも、ダイへ指示を飛ばすとレオナも呪文を唱える。

 

「メラミ!」

 

ダイへ向けて放たれた火球はそのまま一直線に進むが、やがて爆発したかのように燃え広がって辺りの温度を上昇させる。高温、もしくは低温の場合にフレイザードが行動を読めないのであれば、妨害役こそが自分の役目だとレオナは理解していた。

 

「このアマッ! そういうことか!!」

 

レオナの行動から狙いなどすぐに読み取れる。自分の熱源感知を邪魔するべく、温度を調整しようというわけだ。ならばと、再び冷気のブレスを吐き出す。

 

「おれを忘れるな、フレイザード!」

「うおおおっ!?」

 

すると冷気を生み出した隙をダイに狙われる。フレイザードは慌てて回避するも、再び体の表面に浅い傷が走った。反撃に転じようとするが、ダイはすぐに距離を取ってしまい攻撃は空を切る。

 

「メラ」

 

そして距離を取ったダイはメラの呪文を唱えて火球を生み出すと、それを地面に向けて放つ。当然自分に対する攻撃だと思っていたフレイザードは、ダイの行動の意図が読めずに僅かに動きを止める。

 

「しまっ……!」

「バギマ!」

 

気付いた時には遅すぎた。既にレオナの呪文は完成しており、強力な真空の刃がフレイザードへと襲い掛かる。今までの経緯からダイだけが攻撃役と思い込んでいたのが敗因だ。

だが先読みの秘密は暴かれている。ならば無理にダイが攻撃役を続ける必要もない。こうして役目を交代することもできる。

 

「グググ……!!」

 

ダイの攻撃と比べればダメージは小さいが、それでもバギマの呪文はフレイザードの身体をさらに傷つけていく。無数のひっかき傷にも似た裂傷が走り、着実にダメージが積み重なっていく。

 

「ク、クク……なるほどな……テメェらの攻撃は見事だが、忘れてんじゃねぇか?」

 

周囲の温度を上げつつ攻撃を仕掛けるという連携は敵の立場から見ても中々どうして賞賛すべき部分がある。だがそれは、ダイのみが攻撃役だと思い込んでいたフレイザードと同じ轍を踏んでいるに他ならない。

 

「カアアアアアアアッッ!!」

 

フレイザードの口から放たれたのは、それまでとは比べものにならない程の火炎だった。目にしているだけで骨まで炭化させられるのではないかと思わせる灼熱の炎が踊り狂い、ダイたちへと襲い掛かっていく。

 

「しまっ……!」

「フ、フバー……」

「【アクアブレス】!」

 

フレイザードが先読みだけに頼っていると思い込んでいたダイたちはこの攻撃に遅れを取った。慌てて迎撃と防御呪文を唱えようとするが、それよりも先に動くものがいた。

迫り来る灼熱の炎に抗うように、無数の水泡が撃ち出された。だがこれはただの水泡ではない。その幻想的な光景とは裏腹に泡の一つ一つは高圧で出来ており、触れただけでも相手をズタズタにするほどの威力を兼ね備えている。

 

「うわあっ!!」

「きゃあああ!」

「うおぉぉ!?」

 

炎の壁のように広範囲を覆う灼熱の炎と、視界を覆い尽くさんばかりの泡がぶつかり合う。高温と低温とがぶつかり合い、小規模な水蒸気爆発が起こる。轟音と共に周囲の温度が一気に上がり、気化した水が霧のように辺りに漂っていく。

 

「くそっ! なんだってんだ!?」

 

原理は知らなくとも、爆発が起きたことはフレイザードにも分かる。もしも今の状態が意図したものであれば、きっと敵が攻撃を仕掛けてくるだろうということも。

既に周囲は高温であり、熱源探知は役に立たない。周囲の気配と音を頼りに索敵を行えば、すぐに何者かの動く音が聞こえてきた。その音はどんどん自分へ近寄っていく。

 

「ククク……そこか!」

 

霧の向こうにうっすら見えた影目掛けて、フレイザードは攻撃を放った。

もしも、立ちこめた霧の中から微かに聞こえた【ブリンク】という言葉の意味を理解出来ていれば、もう少しだけ違った結末となっただろう。

 

「なにぃ!?」

 

攻撃が空を切ったところでようやく気がついた。目の前の相手から体温が感じられない。

 

「こっちが本物だ!」

「グアアアアアアッ!!」

 

フレイザードの攻撃とは真逆の方向から繰り出されたダイの攻撃が、彼の右足に襲い掛かる。十分に高威力であったはずのその攻撃だったが、だが強化されたフレイザードを切断するには到らず、半分ほどまで食い込んだところで勢いが止まってしまった。

 

「グ、ガアアアアアアアッッ!!」

「なんだ!?」

「ダメ! 下がって!!」

 

その傷跡の奥から、凄まじいエネルギーが溢れ出てくる。慌てて剣を引き抜いてフレイザードから距離を取ろうとするが、執念なのか剣が食い込み抜けない。ダイは迷うものの、切羽詰まった"下がれ"という声に従いすぐに剣を手放した。

 

やがて、数瞬後に純白の光が吹き上がり、そして止まる。その後には右足を失い座り込んでいるフレイザードと、刀身を半ばから失って殆ど柄ばかりとなったダイの剣だけが残っていた。

そのどちらもが、綺麗過ぎるほど見事な消滅痕を残している。

 

「なんだったんだ今のは……?」

「多分、凝縮されていたエネルギーが吹き出して消し飛ばしたんだと思う……」

「姉ちゃん!?」

「チルノ!?」

 

もしも剣を惜しんで残っていたら、自分も消滅していたかも知れない。そんな未来に身震いしながらダイが呟くと、彼の耳に慣れ親しんだ声が聞こえてきた。予期せぬ返事にレオナも含めて声の方向を振り向けば、そこには険しい顔をした姉の姿があった。

 

「いつの間に!?」

「無事だったのね」

「ええ。こっちは片付いたから、加勢に来たの」

「じゃあ、フレイザードの炎に対抗したのって……」

「ええ、そうよ。水の膜を張ったの。あと、ダイの攻撃にあわせた分身も私の仕業」

 

アクアブレスの青魔法にて灼熱の炎を迎撃し、ブリンクの魔法にてダイの分身を作り出して直接攻撃への対抗手段とする。炎への対抗はまだしもブリンクの方は賭けに近かったのだが、どちらも上手くいったことに彼女は胸をなで下ろす。

 

「でも、前の戦いでも魔法力を使っちゃってるから……あんまり援護は期待しないでね」

 

チルノは油断せずフレイザードを見つめている。それに倣うように、ダイたちも視線をフレイザードへと戻す。たった一人の援軍――それも弱体化しているのだが、それでも彼らには万の援軍に等しく思えた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――再生ができねぇだと!!

 

今にも叫び出したい衝動を必死で堪えて、フレイザードは消えた足の様子を見ていた。呪法生命体である彼にしてみれば、多少の怪我は自身の力で再生することも出来る。だが命を削るこの戦いでは無駄な再生に力を費やすこともできず、今までは無視していた。

だが片足を失う程となれば話は別だ。

つっかえ棒ほどの役目しか果たせなくとも問題は無い。とにかく立てるようにと焦るが、再生はまるで出来なかった。まるで存在そのものが消滅したようで、彼の背筋に悪寒が走る。

 

やおら、それと時を同じくして戦場の一方向から強烈な光が走った。その後、彼の内側に強烈な喪失感が生まれ、その正体を本能に訴える。

 

「クックックッ! ハドラー様がやられたみてぇだな!」

「……えっ!?」

「ハドラーが来ていたのか!?」

「あの方角は確か、ヒュンケル達が向かったはず……」

 

敵陣の全容を知らないため、三人はハドラーという名前を耳にして当然のように驚く。チルノだけは本来の歴史を知るために、予想はついていたので衝撃は少なかったのだが。

 

「こりゃいよいよもって、残り時間はねぇわけだ!!」

 

今のフレイザードは着実に追い詰められている。だと言うのに、なぜわざわざそれを言ったのだろうか。ハドラーがやられた事も含めて、わざわざ不利になる事柄を口にするなど普通に考えればあり得ない。

あり得ない行動を選択していることが、恐ろしく見えてしかたない。

 

「ダイ、空裂斬は?」

「それがダメなんだ! さっきから探しているけれど、コイツの(コア)の位置が上手く探れない……!!」

 

早々に決着を付けるべくチルノは口にするが、ダイはそれを否定する。姉に言われずとも、ダイは常に気配を察知してフレイザードの(コア)をこの戦いの間に幾度となく探っていた。

だが何度繰り返そうとも、ぼんやりとよくわからなかった。確かに底に存在しているはずなのに、まるで陽炎のように気配が揺らめいているため狙いをつけられない。敵は足を失って座り込んでおり、攻撃するにはまたとない好機だというのに。

 

――当然だ。何しろ今のオレ様に(コア)なんざ存在しねぇからな。

 

言ってしまえば、フレイザードそのものが(コア)となって蘇っている。全身これ弱点の塊のようなものだが、同時に多少砕かれても(コア)としての機能は損なわれないという利点もあった。

そして、フレイザードほどの大きさを誇る(コア)となれば、その中に内包されるエネルギーもとてつもない。元々のフレイザードは、拳程度の小さな(コア)でしかなかったのに、炎と氷を制御してみせるほどだ。

 

では、今ほどの大きさとなればどうなるのか。

 

「……いいヒントを貰ったぜ」

 

ダイの攻撃で足が吹き飛んだ。だが相手は有効な攻撃手段を使えずに攻めあぐねている。自分も動けないのだが、これ以上は仕方ないだろう。マゴマゴしていれば、ダイたちは分散しかねない。まとまっている今を逃すのは考えられない。

 

フレイザードは大きく息を吸い込んだ。

 

「消えろ!」

 

そして、純白のブレスを吹き出した。

 

「うわああああっ!!」

「きゃあああっ!!」

「これは……うぐぐううううっ!!」

 

吐き出された白き奔流は、灼熱の炎や輝く息よりもさらに強烈なものであった。一瞬にして世界が包まれるような強烈すぎる閃光。これと比較すれば、おそらくはベギラゴンの閃熱すら霞んで見えるだろう。

そして、外から見れば寒々しさを覚える光に包まれたダイたちは激痛に耐えながら奇しくも同じ感想を抱く。

 

――燃えるように冷たい。

 

矛盾の塊でしかないが、それ以外に表現する方法を彼らは持たなかった。

極低温と超高温とを同時に受ければきっとこうなるだろうと予想は出来るが、まさか実際に体験する羽目になるとは。そもそも複数の異なった刺激を受けることが想像できない。

今まで体験したこともない未知の痛みに、ダイたちは悲鳴を上げてただ耐えることしかできない。

 

「な、なんだこの攻撃は……」

「燃えるように熱いのに、寒くて身体が動かないなんて……」

「まさか……冷気と火炎の同時、攻撃……!?」

 

やがて光は止む。そこには、激痛で動くこともままならないダイたちがいた。今までとはまるで違う予想外の攻撃に動くこともままらないようだ。なによりチルノには、フレイザードの攻撃に心当たりがある。もしもコレが彼女の知るものであれば……その先に待っているものを想像して、彼女は絶句するしかない。

 

「ウグググ……グガガガガガアアアアッ!!」

 

だが痛みを味わうのはフレイザードも同じことだった。その痛みは、ダイたちよりもずっと大きい。痛みに耐えかねて地面の上を転がり回り、口から血に似た何かを零している。

先ほどの純白のブレスは、彼の体内に蓄えられたフレイムとブリザードの命の結晶だ。それを放つのは、自分の命の残り時間を自ら大幅に削る行為に等しい。

だが、その威力は見ての通りだった。たった一撃、それも僅かな時間しか放っていないというのに、敵に与えたダメージは今までの何よりも強い。それも、力任せに放ったブレスでそれだけのダメージなのだ。

ならばしっかりと増幅させて放てばどうなるのか。

 

「ハァ……ハァ……どうせニワトリが鳴けば消えちまう命なんだ!! さあ、最後の大博打と行こうぜェェッ!!」

 

先ほど口から零れたものは、自分の命だ。限界が近づき、ついには自身の命すら満足に保てなくなっている。そこへさらに力を加えれば、身体は耐えきれずに崩壊するのも目に見えている。

勝利を得るのが先か、それとも自分が崩壊するのが先か。その賭けは、今のフレイザードにしてみれば考える必要すらない。

目標は未だ痛みに苦しみ動きすらまともに取れずにいるダイだ。再び純白のブレスを放つべく大きく息を吸い込み、自己の命を集める。

そのときだ。

 

「グアアッ!?」

 

それまで何の痛痒すら感じなかったはずの、左半身の裂傷から鋭い痛みが走った。ピシリと亀裂の走る音が聞こえ、穴が開いたようにブレスがそこから漏れ出ていく。それが原因でブレスは制御を失い、フレイザードの体内から弾け飛ばんと荒れ狂う。

 

――これは……最初に受けた傷!?

 

自身の左半身を見ながら、フレイザードは驚愕していた。ザラキを受けたはずのダイが、まるで効果が無かったと言わんばかりに振るった攻撃で出来た傷である。たいしたことが無いと思い込んでいたはずのそれが、この土壇場で全てを覆す要因になるとは。

 

「ククク……ハーッハッハッハッ!!」

 

もはやこの暴走を止めることは誰にも出来ない。賭けに負けた事を悟り、笑うことしかできなかった。

狂気の哄笑を上げながら、フレイザードは自身の身体から飛び出たエネルギーによって球状の光に包まれていく。

それを見ているのは、ダイたち三人だけだ。

 

やがて光は収まり、辺りに静寂が訪れる。

フレイザードのいた場所では、まるで削り取られたように全てが消滅していた。そこには勿論、フレイザードの姿は欠片すら残っていなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――極大消滅呪文(メドローア)……

 

光に包まれた全てが消滅し、そこには地面すら残されない。その光景をチルノは知っている。現時点では使い手はマトリフ以外には存在しない最強の攻撃呪文ならば、目の前のこれと同じ光景を作り出す事が出来る。

フレイザードは炎と氷を操るため、その可能性は純白のブレスを受けた時に思い当たっていた。そして新生したフレイザードならば未熟という欠点すら補ってくるのではないかと。

仮に完成したメドローアを放ってこられれば、少なくとも三人はこの世から消滅していたのだ。未完成のブレスであってもそうなる可能性に気付き、チルノは慌てて声を上げる。

 

「ダイ! 生きてる!? どこか怪我とかしてない!?」

「なんだよ姉ちゃん、大げさだなぁ……おれ、平気だってば……」

 

痛む身体で必死に弟の様子を見るが、どうやら問題は無いようだ。

 

「レオナは!?」

「ええ、あたしも無事よ。体中が痛いけどね……」

「良かった……」

 

続いてレオナの様子も確認するがこちらも同じ。二人ともダメージのみで済んだことに彼女は胸をなで下ろす。

 

「でも、フレイザードはどうしたんだろう?」

「自滅したっていうのは、あたしにもわかるんだけど……」

「前に足を切った時に吹き出したあのエネルギー。あれを攻撃に使ったんでしょうね。でも、一度目は成功しても二度目の制御に失敗して消し飛んだ……」

 

チルノの視点から分かる情報を頼りに、彼女は推論を口にする。

 

「一度目の後で相当苦しんでいたから、二発目はフレイザードにとっても賭けだったんでしょうね。その途中で、左半身の傷からエネルギーが漏れ出していたから、もしもあの傷がなかったら、消えていたのは私たちだったかもしれない……」

 

暴発したメドローアがどうなるかは、彼女も知っている。そうでなくとも、痕跡すら消えたフレイザードの様子を見れば、どうなるのかは容易に想像できる。

チルノの口にしたあり得た未来の姿に、ダイたちはゾッと恐怖に震える。

 

「あれ、ダイ君が付けた傷よね?」

「そっか。じゃあ、ダイは私たちの命の恩人ね」

 

二人の少女がそう口にするが、ダイの表情は晴れやかにはならない。

 

「自分の命を省みないでおれを倒しに来たのか……」

「そうね……この先も、そんな相手が襲ってくるかもしれない。でも、今は大丈夫。だから今は、勝利を祝いましょう」

 

おぞましいまでの執念を持って再戦を挑むこと。それは今のダイでは理解しがたいものがあったようだ。不安そうに俯く弟に優しく声を掛けながら、チルノは周囲に気を配る。

 

そこには、三方向から勝利を祝う大勢の人の気配がやってきていた。

 

 




エアコンフレイザード……いえ、最近暑いので……

熱で予測していると書きましたが、例によって適当なのであしからず。
熱源探知の部分とか含めて、本気にしないでください……(目を逸らす)

マトリフに「いいセン行ってた」と言わせたのだから、まあこのくらいは……氷炎の境界を無くした時点でバレていたかと思いますが。
そしてポップが見てないのが救い。じゃないと未熟な時点で絶対に真似して自滅する。

左右の手それぞれで「メ・ラ・ゾ・ー・マ」「マ・ヒャ・ド」とかやらせてあげたかった……

そういやザボエラのマホプラウスでメラゾーマとマヒャドをそれぞれ集めてメドローア出来ないかな(思いつき)


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LEVEL:32 裁き

「もう終わっていたか。流石だな、ダイ……」

「クロコダイン!?」

 

フレイザードを撃退し、一息つくダイたちの前へ最初に姿を現したのは獣王クロコダインであった。彼の後ろには、ザボエラ率いる妖魔師団との死闘に勝利したアポロらパプニカ兵士たちの姿も見える。

 

「どうしてここに!?」

「え、と……ダイ君のお知り合い……?」

 

かつての知り合い――それも敵同士として戦った相手――がなぜパプニカ兵士たちと共に現れたのか理解できず、ダイは声を上げる。そして理解できないのはレオナも同じである。彼女の場合、いきなり巨躯を誇るリザードマンが現れたのだ。その驚きはダイの比ではないだろう。

 

「ああ、そうか。レオナもダイも知らなくて当然よね。実は――」

 

ダイたちの加勢に加わってからここまで、何があったのかを説明すらしていない。であれば彼らが知らないのも当然である。チルノは自分達が向かった先で何があったのかを二人へ簡潔に説明する。

 

「――ということがあったの。だから私だけが先に加勢に来られたし、ここにクロコダインがいるのよ」

「へぇ……そんなことがあったのか」

「そっちも大変だったのね」

 

話を聞き終えると、レオナはクロコダインへチラリと視線を飛ばす。するとクロコダインは話が終わるのを待っていたかのように動き出した。

 

「そなたがパプニカのレオナ姫ですな。お初にお目に掛かる」

 

そう言いながらクロコダインは頭を下げる。

 

「チルノの話でも語られたが、改めて名乗らせて貰う。我が名はクロコダイン。かつてダイたちに武人の誇りを救われ、今回は義によって助太刀させてもらった」

「そう……どうやらアポロたちを助けてくれたみたいね。王女として、お礼を言わせて貰います。ありがとうクロコダイン」

 

そう言いながらレオナもまた、優雅に礼を返す。一国の王女たるレオナに認められることは、武人であるクロコダインにとって名誉なことであった。むしろ、魔王軍に在籍していたときよりも丁寧な態度でレオナに接する。

 

「はっはっは! そうですぞ姫! 何しろこのクロコダイン殿は比類無き剛力の持ち主。先ほどの戦いでも大活躍でしたわい。ワシらが保証します」

「バダック!? あなたもいたの?」

 

兵士達一団の後ろからかき分けるようにして姿を現したお付きの兵であるバダックの姿にレオナは驚かされていた。フレイザードの襲撃時、部隊を分けて対処に当たるように命じたのは紛れもなく彼女であったが、かの老兵がどこに向かったのかまではレオナも把握していない。それがこのように出てこられれば、驚きもしよう。

だがレオナのその態度にバダックは落胆したように肩を落とす。

 

「姫、それはあんまりなお言葉……チルノ殿とアポロ殿の援護を受け、クロコダイン殿の助力もありましたが、ワシも妖魔師団のモンスターを相手に獅子奮迅の戦いをしていたのですぞ! なあ、チルノ殿?」

「え!? ええ……」

 

――言えない、全く気付かなかったなんて……

 

喉まで出掛かった「いたの!?」という言葉をチルノは必死で飲み込んだ。確かにアポロ達と協力していたが、バダックがいたことまでは想定外であった。魔術師モンスターたちと戦い、幻影に惑わされ、クロコダインの相手をして、魔法の援護を行っていた彼女であったが、最前線で奮闘していた彼女の記憶の中にバダックの姿はなかった。

……いや、言われれば確かに、視界の隅に見慣れた白髪が見え隠れしていたような……推測でしかないが、剣を手にして前に出ようとしたのを他の兵士達に止められたのだろう。確証はないが、おそらくそうではないかと推測する。

 

「本当かしら……?」

 

レオナもまたバダックの言葉に疑いの色を見せるものの、それ以上追求することはなかった。二人ともこれ以上蒸し返すことの愚をよく知っているようだ。

そんな少女たちの気遣いなど知らぬように得意げな表情を浮かべるバダックとは逆方向から、再び人の気配が近づいてきた。

 

「ありゃ、おれたちが最後か?」

「仕方ないでしょ! ヒュンケル達が気になってたんだから……」

 

男女の軽快な声が聞こえてくる。その二人の声もまた、ダイたちのよく知ったものだ。

 

「ポップ! マァムも!」

「よかった、二人とも無事だったのね。怪我はない?」

 

魔法使いと僧侶――今は武闘家見習いだろうか?――の登場に、安堵の顔色がさらに強くなる。特にポップとマァムはロモスの苦難を共に乗り越えているのだ。比べるのは失礼だが、思い入れが強くなっていても無理もない。

無事を祝うチルノの言葉に、ポップは得意げに答える。

 

「ああ、当然よ。おれたちはミストバーンってのが相手だったんだけどな。こっちの強さに恐れを成したのか、途中で尻尾巻いて逃げちまったぜ」

「もうポップ……あれはヒュンケルのおかげでしょう? それに、あのまま戦っていたら、勝敗は分からなかったのよ」

「いや、そう卑下することもないだろう」

 

マトリフの修行を乗り越え、ベギラマを操ることに成功したポップからしてみれば、嬉しくて仕方ない。自身の成長を誰かに自慢したくてたまらないのだ。これまでたまっていた鬱憤を晴らすかのようなあっけらかんとしたその態度であったが、突如響いてきた低く重々しくもどこか聞き覚えのある声を耳にした途端に動きを止める。

 

「ミストバーンはオレたちでも得体の知れない相手だ。底の知れぬ恐怖とでもいうのかな? 早めに手打ちに出来ただけでも僥倖だろう」

「うおおぉっ!? あんたは……!!」

「クロコダイン!?」

 

まさかここに獣王がいるなどと予想だにしていなかったため、ポップは驚きのあまり尻餅をついて腰を抜かす。そしてそれは、程度の差こそあれマァムも同じであった。ロモスで戦った記憶がまだ新しい彼女にしてみれば、反射的に戦闘態勢を取るほどだ。

その構えが格闘術の構えである所を見るに、マァムの中でも着実に教えを物にしているようである。

 

「わぁっ! 待った待った!!」

「クロコダインも今は味方なの!! 詳しくは後で説明するから! ね?」

 

ポップたちはおろか、パプニカ兵たちまで警戒を一気に跳ね上げたのを目にした姉弟が慌てて間に割って入り、仲間であることを訴える。その二人の言葉に、未だ完全ではないものの彼らは警戒を解いた。

 

「本当に、か……?」

「ああ、本当だとも。どこか疑わしいところがあれば、後ろから遠慮無く攻撃してくれて構わんぞ」

「いいっ!? い、いや……そこまでしなくても……」

 

思わず口を突いて出た言葉に予想以上の大きな反応を返されて、ポップはバツが悪くなったようにしどろもどろに答える。だがクロコダインはまるで意に介さずに続ける。

 

「気にするな。元々そう思われることは――いや、問答無用で敵対視され、処刑されることすら覚悟はしていた。それが結果だけみればダイたちの力になれたのだ。オレにしてみれば出来過ぎだよ」

 

そう言うと大きく口を開けて豪快に笑う。その様子に、今度はポップらの背後にいた剣士が反応する番だった。

 

「なるほど、クロコダインも来ていたのか」

「ヒュンケル!? ……なるほど、お前もか」

「ああ。そう言うからには、お前もそうなのだろう?」

 

共に、かつては魔王軍に所属して人間の敵へ回りながらも、ダイたちと戦い救われた者同士である。ベラベラと長く語る必要はない。

たったこれだけの会話でありながらも、二人の武人の間には通じるものがあった。互いに同じ想いを胸中に抱いている事が確認でき、どちらからともなくニヒルに笑い合う。

そんな二人の姿を、若干複雑な想いで見つめるエイミの姿もあった。

 

「ピィ!」

「ピー!!」

「ゴメちゃん!」

「スラリンも!」

 

そして、最後とばかりにスライムとゴールデンメタルスライムの二体のモンスターが姿を現した。姉弟はそれぞれ相棒のモンスターを優しく受け止める。

 

「二人ともちゃんと隠れてた?」

「「ピィ!」」

 

チルノの言葉に二匹は口を揃えて元気よく返事をする。その言葉からも分かるように、どこも怪我一つ負っていない事を確認すると彼女はコッソリ胸をなで下ろす。

フレイザードの奇襲と魔王軍の攻撃を見て危険と判断したチルノは、この二匹には隠れているように指示していた。そして、もしも自分たちが負けるようなことがあれば逃げてその事実を伝えるようにも言ってあった。とはいえダイたちが本当に危機に陥れば、そんな言いつけなど破って飛び出してきていたであろうことは想像に難くない。

 

「よかった。ゴメちゃんたちも無事だね」

「じゃあ、これで全員無事だった。で、いいのかしら……?」

 

周囲に集まってきた人々を見回しながら、チルノはそう呟く。怪我人は多数あれど、死傷者はいないようだ。あれだけの敵を相手にこの戦果は、はっきり言って奇跡に等しい。

あまりに出来過ぎな結果に若干の空恐ろしさすら感じていると、彼女の呟きに応える者がいた。

 

「そうね……でも、ダイ君。一つだけ良いかしら?」

「え?」

「レ、レオナ?」

 

その様子にダイが困惑した様相を見せる。レオナの表情は今にも泣き出しそうであった。何かしただろうかと自分の過去の行いを顧みながら原因を模索するダイを尻目に、レオナは言葉を続けた。

 

「あたしの事を庇ってくれたのは嬉しかったわ。でも、だからってザラキに突っ込むのはやり過ぎよ」

「ザラキ!?」

 

その事実はチルノには初耳であった。有名な死の呪文をダイが受けていたという本来の歴史にない事実と、もしかすればそこで終わっていたかも知れないという仮定に彼女の思考が止まる。

 

「効かなかったから良かったものの、ダイ君にもしものことがあったらと思ったら気が気じゃなかったわ」

「でもおれ、レオナのことが心配で……」

「それにしたって、あたしだって少しくらい耐えられたわ。その間にフレイザードを攻撃するとか出来たでしょう?」

 

レオナはそこまで懇願するように叫ぶと、諦めたように息を吐いた。

 

「まあ、それが出来ないのがダイ君だって分かってるんだけどね。でも覚えておいて。いつの日か、選ばなきゃいけない時がくるかもしれないから……」

 

かつて身を隠し、自国奪還の機会を窺っていたレオナの言葉だけに、重く響く。何かを諦めてでも、より大きな目標を達成する必要があるかもしれないという事態が、いつか訪れるかもしれないのだ。

 

「あの、レオナ。ちょっといいかしら?」

「どうしたのチルノ?」

 

だが悲壮な決意をしているその横から、チルノが間の抜けたような声で小さく手を上げながら尋ねてきた。

 

「さっき、ザラキって聞こえたんだけど、ひょっとしてフレイザードが使ったの?」

「ええ、そうよ」

「!?!?!?」

 

あまりに自然なレオナの言い方に、チルノのみならず周囲で聞いていた人間達すらも驚き、困惑の表情を浮かべる。

事実を受け入れるのにしばらくの時を要し、やがて弾かれたように動き出した。

 

「ダイ!! 本当に大丈夫なの!? 腕とか取れてない!? 生きてるわよね!?」

「姉ちゃん! それはさっきも確認しただろ!! てか、生きてるってなに!?」

「落ち着いてチルノ! 本当に、ダイ君には効かなかったんだから!!」

 

つい先ほど、フレイザードの時の焼き直しのようにダイの身体を調べていく。そんな姉の様子にダイは顔を赤らめながら叫び、レオナの友人が珍しく狼狽する姿を見て慌てて止めに入る。

 

「本当に……?」

「ええ、本当よ。ダイ君はあたしを庇ってザラキの呪文を受けたわ。でも、どういうわけかまるで効果が無くて」

「まるで効果が無かった……?」

 

レオナのその言葉を、チルノは反芻する。彼女が知る限り、ザラキの呪文は死へと誘う言葉との勝負である。その言葉の誘惑に敗れれば、そのまま冥府へと落ちる。そのため、まるで効果が無いというレオナの表現には疑問を持つ。

呪文を無効化するという竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏ったのかとも思ったが、その場合は額に竜の紋章が浮かび上がる。レオナが気付かなかったとは考えにくい。

単純に実力差が離れすぎていたという可能性もあるが。

 

「おや……? ちょっと失礼」

 

チルノが沈黙していると、アポロが動いた。彼はダイの足下に転がる青い石に気付いた。どうやら先ほどチルノがダイの様子を調べた際に落としたものらしいそれは、もとは大きな塊だったのだろうが、今は砕けて幾つかの小さな石となっている。無視しても良かったのだろうが、何故か気になり、気がつけば直接手に取っていた。

 

「あ、それ……」

「これは、まさか!!」

 

その石の欠片を手にしてじっくりと見た瞬間、アポロは叫んでいた。

 

「ダイ殿、どこでこれを!?」

「じいちゃんから貰ったんだ」

「え、おじいちゃんから?」

 

祖父ブラスから貰ったという弟の言葉に、チルノは疑問符を浮かべる。果たしてそんな機会があっただろうか、と。思案顔を続ける姉へ、ダイは答えを口にした。

 

「そうだよ。ほら、島を出るときに貰ったじゃないか」

「……ああ!」

 

その言葉でようやく思い出すことが出来た。確かに、ダイがデルムリン島を出る時の資金として、ブラスは集めたお金と共に、少しでも足しになるようにと原石なども渡していた。どうやらその一つらしい。

 

「あの後、この石だけ綺麗だったから別に持ってたんだ。それに、こうして別で持っていれば、お金を落としても少しは凌げると思って」

 

財布に全額を入れず小分けにして持っておくことで、全体の被害を少しでも少なくしようという考え方の一つである。

 

「でも変だな? 貰ったときには砕けてなかったのに」

「なんと……やはり、そうでしたか。今のお話で得心が行きました」

 

小さくなってしまった石を見ながら首を傾げるダイの言葉を聞き、我が意を得たりとばかりにアポロは頷く。

 

「これは、命の石です」

「いのちのいし……?」

「はい。有事の際に、持ち主の身代わりに砕け散るというアイテムです」

 

聞き慣れない言葉に戸惑うダイの様子を見て、効果を簡潔に説明する。

 

「この石を持っていたから、ザラキの効果が発揮されなかったのでしょう。ダイ殿の代わりに砕け散ったのです。本当に、危機一髪でしたよ」

「でもよ、そんな凄いアイテムなんだろ? そこらに落ちているような物か……?」

「デルムリン島には、たまに漂着物が流れ着くのよ。嵐か何かで沈んだ船の積み荷とか、誰かが落としたお金とか。多分、その中に混じってたんでしょうね」

 

と、チルノはそこまで口にしてから気付く。

落とし物ということは当然落とし主がいるわけであり、正当な所持者には返還の義務があるのだ。しかし、名前が書いてあるわけでもなし。落とし主が自分の物であるという証拠でも持ってこない限りは水掛け論にしかならない。

世界平和のために涙を飲んで貰おうと、こっそり謝りながら彼女は考えるのを止めた。

 

「そっか……」

 

アポロから砕けた命の石の残骸を受け取りながらダイは呟く。

フレイザードとの戦いは、苦戦の連続であった。動きを読まれ、今までとは比較にならないほどの極寒と灼熱の攻撃。そして最後は全てを消滅させんばかりのエネルギーを放った。

結果だけを見れば、相手の自爆という形で終わっていたが、その自爆の遠因はダイの攻撃によってフレイザードが深い傷を負ったからだ。

その傷が原因で制御を誤り、消滅した。そしてその傷は、ザラキを受けてもまるで影響のなかったダイに驚いたフレイザードの隙を突いて与えたものだ。

 

「じいちゃんが守ってくれたんだ……」

 

もしもこの石が無ければ、結果はおそらく真逆。消滅していたのはダイたちだったかも知れない。もしもの未来を想像して、ダイは顔を青くすると同時に離れた場所にいる祖父の事を思う。

 

「こっちでも、ご家族の方が守ってくださったのね……」

 

ダイとアポロの話を聞いていたエイミが、感慨深そうに呟いた。こっちでもという耳慣れない表現に、思わずアポロは聞き返す。

 

「こっちでも?」

「ええ、実は……」

「待て、エイミ」

 

口を開き掛けたエイミを、ヒュンケルが止める。

 

「その話をするには、オレの事を話す必要があるだろう? 丁度良い、元々皆に話すつもりだったからな」

 

その口ぶりだけで、事情を知る者達は彼が何を言おうとしているのかを悟った。だが止めることはしない。フレイザードの襲撃が無ければ、元々話すつもりだったのだから。

 

「改めて、この場の皆に言わなければならないことがある……」

 

そう言うと、周囲の誰もが口を閉ざして発言者へ目を向ける。

やがて、魔剣士は静かに口を開いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「……オレの名は……魔王軍不死騎団長ヒュンケル」

 

静かな空間に、ヒュンケルの良く通る声が響き渡った。その発言は、パプニカ兵たちの半分以上を驚愕させる。聞いた途端に殺気立ち、武器に手を掛ける者もいるほどだ。

 

「それは、本当のことなの……!?」

 

ヒュンケルのことはダイたちと同じくアバンの使徒と聞いてただけに、レオナの驚きは誰よりも大きかった。自国を滅ぼされ、父が命を落とす原因となった相手が目の前にいる。そして仇とも呼べる相手と短い期間ではあるが、共に過ごしていたのだから。

 

「ああ、事実だ。オレは不死騎団を率いてこの国に攻め込み、一度は滅ぼした張本人だ」

 

信じたくないと訴えかけるようなレオナの言葉を頷き、加えてヒュンケルはわざと自分を追い込むような言い回しをする。

 

「……本当です、姫様」

「エイミ……」

「エイミ様……?」

 

今度はエイミに視線が向けられる番であった。

 

「エイミ、お前が言う必要は……」

「いいえ、ヒュンケル! 私にも、言わせてちょうだい!」

 

全ては自分一人の罪だとヒュンケルはエイミの言葉を遮ろうとするが、彼女はそれをよしとはしなかった。過ちを犯したのであれば、自分もその重荷を背負おうと決意を持って。

 

「私たちが向かった先には、魔王ハドラーがいました。そして彼の口から、私たちは確かに聞きました。彼が……ヒュンケルが不死騎団長であったことを」

 

そこまで口にしてから、エイミは少しだけ間を開ける。そして、確固たる意思を持って続きを話した。

 

「それを聞いた私たちは彼を恨み、欲望の赴くままに憎しみをぶつけてしまいました。武器を手にして剣を振るい、私も彼のことを恐れて呪文をぶつけてしまいました……」

 

そこまで口にすると、エイミと共に向かった兵士達もバツの悪そうな顔をする。自らの過去を悔いているようだ。

 

「ですが彼は、それらを甘んじて受け止め、文句一つ言うことはありませんでした。そして正々堂々とハドラーと戦い、勝利しました! 私は――私たちは、彼の気高い意思を確かに見ました! 差し出がましい言葉だということは重々承知しています。ですが、どうか寛大な処置を……!!」

「姫様、どうかお願いします!」

「そうです! 彼はもう、十分に罰を受けました!」

 

深く頭を下げるエイミに倣うように、兵士達も次々に頭を下げる。それを見た他の兵士達は、ヒュンケルへの気勢を削がれたらしく怒気がなりを潜めている。何かを言いそうにいるのだが、それ以上に彼らの姿に手が出せずにいた。

 

「そうだよレオナ! 今はもう悪者じゃないんだ!」

「そうよ! ヒュンケルは勘違いしていただけなの! 今はアバンの使徒としての使命に目覚めているわ!!」

「よせ! お前達の気持ちは嬉しい……だが、どう言おうとも、オレがこの国を滅ぼしたのは疑いようのない事実だ。その罰は受けねばならん」

 

ダイたちも援護のように言葉を投げかけるが、それらを全てヒュンケルは遮ろうとする。今の彼からしてみれば、庇って貰うだけでもありがたい。だがそれで罪を軽減したいとまでは考えられなかった。

ダイたちとエイミたちの様子を見回し、やがてレオナは口を開いた。

 

「……どうして、今まで黙っていたの?」

「より多くのパプニカの民に、自らの罪を直接伝えたかったからだ」

 

今までにも、レオナたちだけには伝える機会は幾度もあったし、彼女自身も先に話だけでも聞こうかとヒュンケルに言ったこともある。だが彼はできる限り大勢の前で伝えたいとその申し出を断った。その理由が知りたかったのだ。

 

「オレの罪は軽々しく扱って良いものではない。レオナ姫、あなたに伝えただけでは政治的な理由から握り潰されるのではないかと、失礼ながら危惧していた。だから、大勢の前で言うべきだと思ったのだ。それが、自分自身へのケジメにもなるだろうとも」

 

レオナはそのような性格ではないが、上の人間に伝えただけでは改ざんされる恐れもある。それどころか都合良く作り替えられ、英雄のように扱われるかもしれない。そのようなことは彼には我慢できなかった。

自らの罪をきちんと告げ、捏造の余地すら無いように大勢の人間に伝えたかった。

 

「もはや思い残すことはない。レオナ姫、パプニカの代表たる貴方の手でオレを裁いてくれ。この場で斬り捨てられても、オレはかまわん」

 

そう言いながらヒュンケルはレオナの前まで歩み寄り、跪くと自らの剣を差し出す。その姿は文字通り、裁きを待つ咎人のそれだ。

 

「待ってくれレオナ姫。ならば、オレも同罪だ」

「あなたも?」

 

それまでジッと動くこと無くヒュンケル達の動向を見つめていたクロコダインが口を開く。

 

「ああ……オレもそこのヒュンケルと同じく魔王軍百獣魔団長として、ロモス攻略の任についていたのだ」

「ぐ、軍団長がもう一人!?」

 

兵士の誰かの叫び声が聞こえた。彼らからしてみれば、その反応も当然だろう。

 

「だがダイたちに、人間の素晴らしさを教えて貰った。そちらのお嬢さんと兵士達は、ヒュンケルの罪を知りながらもそうして嘆願している。オレを敵と知りながらも共に戦ってくれた兵士達もいる。その光景を見ることが出来ただけでも、オレは満足だ」

「クロコダイン……」

 

そこまで言うとクロコダインもまたレオナの前まで歩み出て、並ぶように跪く。

獣王の言葉を聞きながら、チルノは知らず知らずに彼の名を呟いていた。彼女の知る歴史の中では、ヒュンケルが罪を告白する場面で彼は何もしていなかった。描写がなかったと言われればそれまでかもしれない。だが、義に厚い男である彼が黙っているとは思えない。

きっとこのようなやりとりが本来の歴史でもあったのだろうと思い、彼女は涙ぐむ。

 

「虫の良い話だということはオレ自身が一番よく分かっている。だが言わせてくれ! ヒュンケルはこの先の戦いで必ず必要となる男だ! 罰を受けるというのならば、代わりにオレが受けよう!」

「クロコダイン!?」

「気にするな。オレ一人の命でお前が助かるのなら安い物だ」

 

突然の申し出に驚くヒュンケルであったが、クロコダインは当然のことのように口にした。まるで命を失う事を恐れていないのだ。

 

「何を言うか! どんな事情があろうとも悪いのはオレだ! 同じ人間であるオレの罪の方がよほど重い!」

「それこそ、だ。オレは人間ではない。ならば犠牲にもし易かろう? 魔王軍の軍団長を倒したとなれば、国の面目も立つはずだ。そもそもオレはダイたちに一度敗れ、命を失っている。ならばこの命、どうして惜しむ必要があろう!?」

 

ヒュンケルの言葉にも、クロコダインは退くことは無い。互いが互いをかばい合うその姿は、人間のそれと他ならなかった。その光景を見て、我慢できなくなったように口々に声を上げる者たちがいた。

 

「姫様! ワシからも言わせてくだされ! 先ほども申したように、クロコダイン殿は先の戦いでも目覚ましい活躍をしておりました! もはや我々の味方ですじゃ!」

「そうです姫様、チルノ殿も申しておりました。彼は、勇者の奇跡によって正義の心に目覚めたのです!!」

「……へ?」

 

バダックが叫び、アポロもまた声を上げる。だがアポロのその言葉にダイは驚き目を白黒させた。勇者の奇跡という身に覚えの無い言葉に困惑しているのだ。

 

「ゴメンね、ダイ……その、ちょっと……」

 

そんな弟に向けて姉は手を合わせて小声で謝る。納得させるのに丁度良かったのだが、あながち嘘でも無いのだ。彼は、そんなチルノの様子を見ただけで何があったのかをなんとなく理解すると、ジト目で言う。

 

「姉ちゃん、貸し一つだからね」

「……わかってるわよ」

 

貸し借りであればダイの負債の方がよほど多いのだが、それをここで持ち出す程彼女は狭量でもない。そもそもそれくらいは必要経費と割り切っている。

 

そんな姉弟の様子をよそに、ヒュンケルとクロコダインのことを告げる声は大きくなっていた。黙っているのは、マリン達と共にいた兵士達くらいだ。

 

「なるほど。皆の願いは、よく分かりました」

 

レオナは部下達の声を真摯に聞き、やがて片手を上げて黙るように合図する。一同は彼女のその動きに従って口を閉ざすと、周囲には再び静寂が取り戻された。

静かになったことを確認してから、レオナは口を開く。その言葉には、普段は感じられない王族たる威厳がありありと込められており、兵士達はおろかダイたちすらも思わず身を引き締めるほどだ。

 

「……ヒュンケル。望み通り、このパプニカの王女レオナが、判決を下します」

 

ごくり、と誰かが生唾を飲む音が聞こえる。これから先、レオナが何を言うのかを一言一句聞き逃さんとばかりに全員が固唾を飲んで次の言葉を待った。

 

「あなたには、残された人生の全てをアバンの使徒として生きることを命じます……!」

「っ!?」

 

その言葉にヒュンケルは驚かされる。罰を望んでいた彼にしてみれば、そのようなことをレオナが言うことは想定の外だった。だがヒュンケルの驚きを待つこと無く、彼女は言葉を続ける。

 

「友情と正義と愛のために、己の生命をかけて戦いなさい。そして、無闇に自分を卑下したり過去に囚われ歩みを止めたりすることを禁じます」

 

そこまで口にすると、彼女は声のトーンを一段下げた。

 

「そして、覚悟しておきなさい。これより先、貴方の進む道には栄光はありません。どれだけの大業を成したとしても、それは誰からも評価されることはないでしょう。人々から冷たい目を向けられても、それでもなお生き続けなさい。これはアバンの使徒の名に泥を塗った償いでもあるのです」

「承知……しました……」

 

顔を伏せたまま、ヒュンケルはレオナの言葉にそう返すのが精一杯だった。その反応を見届けると、彼女は隣へ目を向ける。

 

「そして、クロコダイン」

「はい」

 

跪いた姿勢のまま、獣王はレオナからの重圧をひしひしと感じていた。神妙な面持ちとなったクロコダインを見ながら、レオナは口を開く。

 

「あなたの罪を裁くのであれば、本来ならばロモスの王が適任なのでしょう。ですが、ここにはいません。そのため、私が仮の判決を伝えます」

 

パプニカはクロコダインから直接の被害を受けたわけでは無い。そのため、無罪放免とすることも不可能では無いのだろうが、それでは誰よりもクロコダインが納得することはないだろう。

レオナは、ある意味ではヒュンケルの時よりも頭を悩ませつつも言葉を続けた。

 

「あなたは勇者ダイによって既に打ち倒されています。そのため、その罪を問う事は出来ません」

「な……っ!?」

 

その言葉を聞いたクロコダインは叫びそうになるのを必死で堪えた。

 

「その代わり、貴方には使命を与えます」

「……使命……ですか?」

「ええ。先ほどヒュンケルの事を庇う姿は、私の目には人間と変わらぬ様に映りました。勇者一向に教えられたその人の心をこれからも理解し、そして磨くのです。いつの日か、ロモスの王達の前であっても誇れるほどに」

「承知……」

 

レオナの言葉をクロコダインは、歓喜しながら聞いていた。人と同じように、人の心を理解するということは、彼が人間に受け入れられたように思えたのだ。

勿論、そんな簡単に溝の全てが埋まると思うほど彼は楽観してはいない。だが、そのきっかけの一つとなったように思えていた。

 

「さて、これで元軍団長であった二人については以上となります。そして最後に、私たちについて」

 

全てが終わったかに思えた。だがレオナは顔を上げ、この場にいる全ての人間達に語りかけるように言う。

 

「この二人に害をなすことを禁じます」

 

その言葉には、有無を言わさぬだけの迫力があった。思わず押し黙る中、さらにレオナは続ける。

 

「復讐に囚われれば、それは再び諍いを招きます……言いたいこともあるでしょう。暴力に訴えたくなることもあるでしょう。ですが、私たちはそれを堪えて前に進んでいかねばなりません。新たに仲間となった、クロコダインに恥じることのない、手本となるような生き方をしていきましょう」

 

そこまで言い終えたが、はじめは誰も動くことも口を開くことも無かった。だが、一人の少女が動く。

 

――パチパチパチパチ……

 

それは一人だけの頼りない拍手の音。それを聞いて、彼女の弟も拍手をする、やがてその仲間達も、共に戦ったパプニカの兵士達も続き、大きな拍手の音が響き渡る。皆、毒気を抜かれたような表情を浮かべていた。

獣王と魔剣士は俯きながらその音を聞き続け、そしてレオナは笑顔で拍手を続ける人々を見つめていた。

 

 




「他にも島で見つけた原石なども入れておるが、幾らになるかはわからん……」
と、何かに使えるかなとコッソリ仕込んでいたブラスの初期アイテム。結果は"ダイの命"というある意味世界で一番高価な物を買えました。ありがとうおじいちゃん。

ヒュンケルの扱い。ここで処刑するわけにも行かず。
"許してやるけれど今は世界の危機だから一生掛けて償え。その働きは当然のことだから、報奨とか期待するなよ。勝手に死ぬ自由すらないからな"
というくらいしかないですよね、大体原作通りにせざるを得ないというか。
生い立ちから何からハード過ぎますよね彼は。

ワニさんも含めて、判決はこんな感じですかねぇ?

本当なら次のシーンも入れるはずだったんですが、次話に回す羽目に。
命の石とお裁きで予想以上に時間掛かってしまって……


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LEVEL:33 宴席にて

レオナの下した判決は、臣民達には拍手を持って受け入れられた。とはいえ、心の底からでは納得し切れない者もいるだろうが、自らの主たるレオナの取り決めである。臣下の兵たちはそれに従い、ヒュンケルとクロコダインに手出しをすることもなく、軋轢こそあるだろうが上手くやっていくことだろう。

 

ダイたちアバンの使徒にとって、ある意味最大の懸念点であったヒュンケルの処遇も決まり、ホッと一息をついていた頃。時を同じくして、パプニカの民もまた、魔王軍を打ち破り国土の奪還とレオナ姫の帰還に成功したことを祝うため、神殿の跡地でささやかな勝利の宴を開かんとしていた。

この宴は元々、今宵に開催が予定されていたものである。フレイザードと魔王軍の襲来によって多少伸びてしまったが、逆にそれらの勝利をも同時に祝ってしまおうということとなった。

各地から集めた酒や食べ物を用意し、満天の星空の下にて宴は開かれた。

 

 

 

「クロコダイン殿! ささどうぞ!!」

「いやいや、私の杯も受けてください!」

「あ、ああ……ありがたく頂戴しよう」

 

兵たちがクロコダインの元へと集まり、手にした酒を勧めている。その勢いの前には、さしものクロコダインであっても少々押され気味のようだ。だが兵士達は構うこと無く次々に近寄ってくる。かつて、魔王軍に籍を置いていた頃からでは考えられないほどの歓待だ。

 

「はっはっは! クロコダイン殿は大人気ですな!!」

 

クロコダインの隣に座していたバダックは、その様子を見ながら大声で笑う。既に彼の中ではクロコダインに対する恐れなどは微塵も無かった。まるで長年の戦友を相手にするような態度で接しており、その姿を見た兵たちもまた感化されていたのだ。

豪放磊落かつ武人の気質が見え隠れする、いわゆる豪傑のような印象をクロコダインから受けており、また妖魔師団を相手にしていた兵士達の態度も相まって、気兼ねなく接することができていた。

 

「でも、そんなにお酒飲んで大丈夫なの?」

「心配するな。この程度では酔わんよ」

 

まるで水を飲むように次々と杯を空にしていくクロコダインの様子を見ながら、ダイはそう尋ねた。だが本人が口にするように、酔いの兆候すら見えない。まるで水を飲むかのように淡々と飲んでいく。

 

「本当なら、ダイ殿にも杯をお願いしたいところなのですがね」

「勇者様はまだお若く、お酒も嗜まれたことがないと聞きましたので」

「その分だけクロコダイン殿にということですな!」

 

兵士達の言葉にダイは少しだけ残念そうな顔を浮かべる。デルムリン島からこちらまで飲む機会というものに恵まれず、今まで口にしたことすら無かった。だがこのようなことになるのであれば、少しくらいは飲んでおくべきだったかもしれないと心の中で思う。

 

「あまり気にするな。酒の味はゆっくり覚えればいい」

 

そんなダイの顔色から察したのだろう、クロコダインが声を掛ける。そこには年長者としての心強さが見て取れた。兄貴分というのがいれば、こんな感じなのだろうかとダイが思った時だ。

 

「それに、ダイの分までこうしてオレが飲んでいるからな。もしもお前が酒を飲めたら、これが半分になっていたところだ。それはオレが困る」

 

先ほどから一転、おどけた口調でそう言うとクロコダインは低く笑う。それにつられて周囲の人々も笑い出した。からかわれたことを理解して、ダイも酒の雰囲気に酔ったように顔を赤らめて笑う。

やがてダイも酒の代わりに果実水を手に輪に入り、宴を自然と楽しんでいた。そして話題はいつの間にか、というか当然というべきか、先の戦いの内容へと流れていく。

 

「ダイ殿もお強いですが、クロコダイン殿も途轍もない豪傑でしたね!」

「いやまったく! 特にあの大地裂断は素晴らしかった!!」

 

兵士達は先ほどの妖魔師団との戦いを思い出しながら口々に語り合う。ここでも話題の中心はクロコダインである。アポロやチルノも活躍していたはずなのだが、兵士達にとってみれば呪文で援護する者よりも直接戦う者――特に巨体で暴れるその姿は強烈な印象を与えていた。

 

「大地裂断、なにそれ?」

 

その話を聞いていたダイであったが、初めて耳にしたその単語に思わず聞き返す。彼の知っているクロコダインの技と言えば獣王痛恨撃くらいのものだ。

疑問符を頭の上に浮かべるダイの言葉に、クロコダインが口を開いた。

 

「ああ。ダイの使っていた剣技のうち、大地斬をちょいと真似て斧で使わせてもらったのだ」

「ちなみに、名前を考えたのはワシじゃよ! 剣も使わずに"斬"というのもどうかと思ってのう!」

「ああ、なかなか良い名を付けて貰ったよ。ありがとうよ、爺さん」

「大地斬を……」

 

バダックとクロコダインの言葉を聞きながら、ダイはそう呟いた。大地斬は力の技であり、その威力は使い手が強力であるほど高威力となる。初めて戦ったときから、森の一角を吹き飛ばす程の怪力を持ったクロコダインが大地斬を使えば、一体どれほどの威力となるのか。それはダイであっても想像しきれななかった。

そしてもう一つ、クロコダインがこれほど簡単に習得したということにも驚かされていた。単純に言ってしまえば、手に持った武器を思い切り振るのが大地斬である。だがそれは、最も楽な動きで最も強い一撃を繰り出すという工夫が必要だ。それを、ほんの少しの戦いと見ただけで術理を看破するだけでなく、僅かな期間で使えるようにまでなる。

クロコダインもまた非凡な才能を持った戦士であった。

 

「オレがこの技を使っても良いのかと悩んだが、チルノに言われたよ。正義のために使えばアバン殿も許してくださる、とな」

「そっか、姉ちゃんがそう言ったんだ。うん、おれも同じ気持ちだよ」

 

大地斬は彼の姉から基本的な術理を教わり、アバンに師事した際に細かな指摘点を修正したことで完成した技である。そのため、姉が許可しただけでなく、アバンの志に恥じることのない心を持って使うのであれば、ダイとて異論は無かった。

快く頷くダイの姿を見ながら、クロコダインはようやく本当の意味で大地裂断を使えるような気がした。

 

「それならばもう大丈夫ですよ! クロコダイン殿は正義に目覚めたのでしょう?」

 

兵士の一人がそう大声で言うと、周りの者たちも口々に言い出す。そのいずれもが、クロコダインを受け入れる言葉であった。

レオナに言われもしたが、自分がまるで本当に人間の仲間になったような気がして、くすぐったい想いを感じながら酒に口を付ける。それは、彼が今まで味わった事の無いほどの美酒だった。

 

 

 

そんなクロコダインを中心とした場の盛り上がりと比べると、こちらはいささか盛り上がりに欠けていたと言わざるを得なかった。

いや、エイミらハドラーの相手をした兵士達は、自身の罪悪感もあってか交流をしているが、他の二部隊の兵士たちはどこかおっかなびっくりと言った様相である。それでも、レオナの言葉もあってか積極的に交流としようとしているのは十分に驚嘆すべきことかもしれない。

 

「ヒュンケル、これなんてどうかしら? おいしいわよ」

 

特にその筆頭はエイミだろう。彼女はヒュンケルの隣に陣取ると、料理を取り分けたり酒を注いだりとしている。甲斐甲斐しく世話をしているようなその姿は、他者から見ればいささかやり過ぎに見えるだろう。

 

「エイミ……オレに気を遣う必要はないぞ。せっかくの戦勝祝いだ。仲間たちと交流を楽しんだ方が良いだろう」

「そ、そう……? 迷惑だったかしら……」

 

ヒュンケルもそれを懸念してか、わざと突き放すように言う。だがその言葉はエイミに取ってみれば心外であった。本人としては、他のパプニカ兵たちとの溝を少しでも埋めて接しやすいように動いているつもりなのだ。

 

「でも、仲間だというのならあなたも私たちの仲間よ。一緒に楽しみましょう?」

「その気持ちはありがたいが、もう既に幾度か杯を貰っている。それだけでもオレには十分すぎる」

 

もう少しだけでも打ち解けやすい態度を見せれば、それだけでも兵士たちからの印象も変わってくるだろう。そう信じてヒュンケルへと甲斐甲斐しく接していく。

 

だが彼女の姿は、余人から見れば全く別の意味に映っていた。

 

 

 

「ヒュンケル……」

 

囲みの外からその様子を窺いながら、マァムが儚げに呟く。彼女の視線の先には、ヒュンケルとエイミの姿が映っている。ヒュンケルを前にして世話を焼くエイミの姿は、彼女の目にはどうしても恋をした者のそれにしか見えなかった。

 

かつて魔道に落ちたヒュンケルが再び人間たちに受け入れられるように働きかけて貰えるのは、マァムにとっても願うところである。だがエイミの姿を見ていると、マァムの心に言い知れぬ感情が浮かび上がってくる。

まだ恋も知らない少女にとっては、この感情を理解して受け止めて整理を付けろというのは無理難題が過ぎる。結局マァムに出来たことは、不安げな表情を浮かべながら二人の様子を見ることだけだった。

 

「けっ! そんなに気になるなら、直接行ってこいよ」

「ポップ!?」

 

誰にも気付かれることなく遠くから様子を見ているだけ――少なくとも自分ではそう思っていただけに、不意に掛けられたその言葉にマァムは飛び上がらんばかりに驚かされた。

 

「遠くから見ているくらいなら、直接話してこいよ。祝宴の場なんだから、話題なんざ幾らでもあるだろ?」

 

どこかぶっきらぼうに見えるが、マァムのことを気遣うようにも見える態度でポップは言う。その様子を見ながらマァムは少しだけ悩む。

 

「で、でも……」

「いいから行ってこい。そんなソワソワしてるんじゃ、見てるこっちが不安になるんだよ」

 

それでもなお後ろ髪を引かれているマァムの背中を押すようにポップは続ける。それを聞いてマァムはようやく動き、ヒュンケルの方へと歩んでいく。それでもまだ気になるのか、数回ほど振り返っていたが。

その様子をチルノは、笑いをかみ殺しながら眺めていた。

 

「あー、ったく……どうして、おれはこう……」

「まあまあポップ、そう腐らないで」

 

マァムの姿が見えなくなった途端、ポップは小声でそう零す。それを耳聡く聞きつけたチルノが手近にあったワインボトルを手にしながら言う。

 

「代わりにお酌くらいならしてあげるから。はい、お疲れ様」

「ん、おう……って、ちげぇよ! なんでもねぇよ!!」

「はいはい。私は何にも聞いてないから」

 

必死で強がって見せるポップの様子にチルノはニコニコと笑顔を浮かべる。その言葉通り、彼女はそれ以上何かを言うつもりも話題に上げるつもりも無かった。チルノの様子をしばらく見つめると、ポップは堪忍したように杯を手に取った。

 

「でもおれ、酒強くねぇぞ」

「一杯くらいは平気でしょ?」

 

それでも酒に弱いというポップを気遣ってか、チルノは量を少なめに注ぐ。ポップもそれを理解したのか、特に何も言うこと無く軽く呷った。その姿はまるで酒で忘れるかのようである。だがそれでも気になってしまうのか、目は時折ヒュンケル達の方へと向く。

 

「気になんのか?」

「まあ、そりゃあ……ん?」

 

突如聞こえた声に頷き掛けて、ポップは言葉を止めた。それは本来ならばこの場で聞こえるとは思っていなかった相手の声である。猛烈に嫌な予感を味わいながらも、ポップはそっと声のした方――後ろを振り返る。

 

「よう」

「うおおおっ!? マ、マトリフ師匠!?」

 

そこにいたのは予想通りマトリフであった。いつの間に来たのか、片手には皿に料理を乗せており、もう片方の手には杯を持っていた。その杯には酒が半分ほどまで減っており、それがマトリフが先ほど来たばかりではないことを迂遠に語っていた。

 

「なんでここに!?」

「そりゃ、魔王軍があんだけ大騒ぎしてりゃ阿呆でも気付くだろうが」

 

驚くポップを余所に、マトリフはそれを当たり前のように言うと手にしたグラスに口を付ける。二人がそんなやりとりを行っているが、周りにいたパプニカ兵たちは突然の登場人物に驚いていた。ましてやその相手が、かつての勇者アバンの仲間だとなれば。

 

「マトリフ!? あの噂に名高い!?」

 

といった具合に、周囲がざわめき立つ。だが本人はどこ吹く風であった。手にした皿から料理を頬張りつつ、それをどこか面倒そうな目で見ているだけだ。遠巻きにマトリフを見るパプニカの人々の列から割って出てくる一人の少女がいた。

 

「マトリフさん、ですね。初めまして、チルノと言います」

「あん……? ああ、お前がそうなのか」

 

現れたその少女を胡乱げな表情で見るが、その名を聞くと少しだけ目つきを鋭くする。マトリフのその反応から、チルノもまた彼が何を知っているかを推測するが、ここでは反応を見せることなく平静な態度でいるように務めていた。

 

「色々とお話を聞きたいのですが、今は宴の席ですので。後日改めてお話の機会をいただけますか?」

「ああ……あと、その妙に堅苦しい言葉使いは別にいらねぇぞ」

 

チルノの妙に礼儀正しい態度が気に入らないのか、気を遣われるのが嫌いなのだろうか。そう言うとグラスの中身を一息に飲み干してから続ける。

 

「んで、コイツは役に立ったか?」

「ええ、マァムの危機を救ったみたいです。詳しくはあそこの、マリンさんが詳しいはずですよ」

「なるほどな」

 

それを聞くとマトリフはマリンの方を見る。マリンは突然自分に視線が向いたことに驚いていたが、マトリフは構うこと無く彼女の方へと近寄っていく。

その日、一人の女性がセクハラ被害を受けたわけだが、世界平和の為に涙を飲んで貰おう。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

やがて宴もたけなわ、盛り上がりは最高潮に達していた。いや、酔っ払いが大量生産されたと言うべきだろうか。酒に弱い者は既に酔い潰れて思い思いの場所で眠っている。

マトリフはマリンからポップの話を聞き終えたかと思えばタダ飯とタダ酒を堪能していた。伝説の英雄マトリフが登場したということで場は一時騒然となったが、レオナの取りなしによって騒ぎにはしないことが取り決められたのだ。今の彼は、酒に酔って大暴れしているところである。

 

そしてチルノは、そんな喧噪から少し離れた場所に腰を下ろしていた。

 

「スラリン、疲れちゃった?」

「ピィ……」

「寝ちゃっていいから」

「ピ……ィ……」

 

彼女の肩の上で船を漕ぐスライムに優しく声を掛けると、自らの膝の上に乗せる。スラリンは膝枕の感触に安心したように目を瞑り、やがてぐっすりと眠ってしまった。

そうして、一人だけの静かな時間が流れていく。宴の熱に火照った頬が、夜の空気にさらされてひんやりと心地良く感じられる。

彼女は片手にグラスを持ち、チビチビと飲んでいく。そこにはワインが注がれており、この世界で初めて口にした酒の味を確かめていた。とはいえ、限界の酒量も分からないため、ペースは極力控えめ。これでもまだ半分も飲んでいない。

そうしてグラスに何度目かの口を付けた時だった。

 

「あら~、こんなところで壁の花かしら?」

 

どこからともなく、レオナが顔を覗かせた。彼女は両手にグラスとワインボトルを手にしており、既に何杯も飲んでいるらしい。顔は赤く染まっており、寝ぼけ眼のような瞳に、呂律の怪しげな口調もそれを証明している。

そんな彼女の登場を、チルノは苦笑しながら対応する。

 

「その花は、お姫様が声を掛けてくれるって信じて待ってただけよ」

 

壁の花というのは、舞踏会などの際に誰からも誘われることなく壁際に立っている女性のことを差す。それが転じて、輪から離れている女性などのことも差すようになった言葉である。つまるところ、レオナはチルノが一人でいることを心配して顔を出したのだ。

だがチルノはそんなレオナの心遣いを分かった上で、彼女のことを待っていたと言う。それはレオナの興味を引くのに十分だった。

 

「へぇ~、一体どういうことかしら~?」

 

楽しげにそう言うと、レオナはチルノの隣に腰を下ろす。仄かに漂ってくるワインの香りに鼻を擽られながら、チルノは口を開く。

 

「その花からの言伝(ことづて)よ。無理して気丈に振る舞ってるんじゃ無いか心配、だって」

「……え?」

 

その言葉に毒気を抜かれたように、楽しげな表情から一転して冷静な顔をレオナは見せる。レオナの反応を見て、チルノは自身の懸念が間違っていなかったことを悟る。

 

「間違っていたらごめんなさい。ちょっとだけそう思ったの。でも、その反応を見るとあながち間違ってもいなかったみたいね?」

 

そう言いながらも彼女は、どこかで自身の予想が外れていて欲しいとも思っていた。もしもレオナが自分の所に来なければ、もう少し後で彼女の元へ行ってそれとなく話題に出すつもりだったのだ。だが、予想が当たってしまった以上は仕方ない。ならば。と、とことん付き合う覚悟を決める。

 

「話してみたら、案外楽になるかも知れないわ。花はひっそりと咲いて、誰にお喋りしたりは出来ないから」

 

今この場でレオナが気にすることなど一つしかないだろう。だが彼女の立場がそれを容易に見せられないことも理解できる。

 

「もしもまだ心配なら……」

 

本来の歴史では登場しないチルノが、何の因果かレオナとの友誼を結ぶにまで到った。ならば少しでも彼女の力になるべく尽力してあげたかった。他人に聞かれないようにするために、これから話す事が人の耳に届くことの無いようにチルノは魔法を唱える。

 

「【ミュート】」

「……え!?」

 

その魔法を唱えた途端、彼女を中心とした辺りの音の一切が聞こえなくなった。すぐ向こうでは、未だに宴で大騒ぎをしているのが見えているのだが、喧噪の一切が聞こえてこない。

まるで世界からぽっかり音だけが抜け落ちたような奇妙な感覚に、レオナは目を白黒させている。

 

「音を遮る簡単な結界を張ったの。これでこっちの声が聞こえることもなければ、向こうからの声も聞こえないわ」

 

本来のミュートの魔法は、一切の音を消し去る空間を発生させる効果を持つ。そのため、効果範囲内にいる者は喋ることはおろか、たとえ金属同士を打ち合わせたとしても音を出す事は無い。つまり、敵味方関係なく呪文の一切が使えなくなるのだ。

だが世界の法則に飲み込まれたのか、この魔法も格上の相手には聞きにくく、それ以上に音が生み出されなくなることが原因で、音に頼った察知方法が使えなくなるのだ。

最悪の場合、自分たちだけが呪文を使えず、戦士もいつもとは違う様子に惑わされて本来の実力を発揮できなくなってしまうということすらあり得る。

 

そのため使用を封じていた魔法であったのだが、今回のような場合は打って付けだった。

チルノはミュートの影響する範囲を限定することで、音を遮る膜のようなものを張っていたのだ。

 

「今だけは、ただのレオナとただのチルノよ。これなら、気兼ねなく話せるでしょ?」

「うん……」

 

そこまで至れり尽くせりに配慮されれば、レオナも覚悟を決めたのだろう。いつの間にか、酔いなどどこへやら。その背に負った重圧から介抱されたのか子供のように素直に感情を見せていた。

 

「チルノ……ヒュンケルのこと、間違ってないよね? あれでいいのよね?」

 

だがその感情は決して良いものだけとは限らない。一国の代表として今まで見せずにいた気弱な顔が覗かせている。責任感と正義感に溢れ、決断力も兼ね備えた王女の仮面の下には、年相応の少女の顔があった。

 

「そうね。私も、あれで良いと思う。レオナは未来に繋がる、大事な決断を下したと思うわ。後の世の人にも十分誇れるはずよ」

 

自身の下した決断であったが、完全な自信など持てようはずもなかったようだ。いや、そもそも人間であるのだ。常に完璧な結果を出すこと自体がそもそも無理なのだ。チルノもそれを理解しているからこそ、自分の持つ未来の知識と当てはめて、レオナの出した答えが間違いではなかったと太鼓判を押す。

 

「でも、でもあたし、臣下のみんなのことを! みんなの気持ちを無視したんじゃ無いかってずっと不安だったの」

「うん……うん、そうだね」

「そんなに簡単に許せるわけじゃないのに、文句の一つだって言いたいはずなのに!!」

「レオナ」

 

そこまでヒステリックに声を上げるレオナの言葉をチルノは優しく受け止めていた。本当ならばこのまま全てを吐き出させてやるつもりだった。だが、一つだけ。どうしても気にあることがあったため、チルノは口を挟む。

 

「……本当に文句を言いたかったのは、きっとレオナでしょう?」

「それは……うん……」

 

反論を仕掛けて、だがレオナは口を閉ざした。彼女自身も文句を言いたかったのは事実であり、それを否定してもここでは何の意味も無いことを理解していた。

 

「でもレオナは、何の文句も言うこと無く、ヒュンケルのことを許して受け入れたの。これがどれだけ難しいことかは、皆分かってくれているわ。不安だったら、何度だって言ってあげる。貴方は間違ってなんかいない」

 

レオナの事を見つめて、真剣な表情でチルノはそう断言する。チルノからの言葉を聞いて、レオナの顔には少しだけ笑みが戻った。その笑顔を確認してから、チルノもまた同じように笑いながら続ける。

 

「でも、人間としては、ちょっとだけ不合格かな?」

「……え?」

「今は王女の立場なんて忘れて良いって言ったの。一人の女の子としての話を聞きたかった。でも、レオナは王女の立場で喋ってるでしょ? 気を張らずに、立場を忘れて本音で話してくれた方が嬉しかった」

 

まだ王女の立場に囚われている。それは美点かも知れないが、それでは彼女が本当に弱音を口にしたことにはならない。誰にも相談出来ずにいる辛さはチルノにもわかる。そして、それを受け止めて貰えた時の嬉しさも彼女は知っている。

だからチルノは、レオナに向けて言い続けた。

 

「私は多分、アバンの使徒の中では一番弱いと思う。卒業の証も貰っていない中途半端な生徒。でも、レオナの重荷を一緒に背負ってあげるくらいなら出来るから」

 

そこまで口にしたところで、レオナの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。一度堰を切って溢れた涙はもう止まらない。そのまま感情までもが溢れだし、レオナはチルノの肩に手を掛けると口を開いた。

 

「お母様は先に……お父様も戦いで……どうして、どうして、あたしを置いて……!!」

「うん、大丈夫。私もダイも、いつだって力になってあげる。皆で力を合わせれば、きっとどんな困難だって乗り越えられるから」

 

それは涙に紛れて、きちんとした要領を得ない言葉だった。だがその言葉をチルノは優しく頷きながら、暖かい言葉を掛けていく。

やがて、溜まっていた言葉を吐き出し切ったのだろう。レオナは手を放すと今度はチルノに寄り添うとまるで恋人同士のように肩へ頭を乗せる。

 

「ごめんね、ごめんね……明日からはまた、いつものあたしに戻るから……」

「大丈夫。誰も見ていないから」

 

右肩に感じる少女の重みを受け止めながら、チルノはそう言った。

彼女の言葉通り、二人に注意を払う者は誰もいない。

 

ただ、満月と満天の星々だけが少女たちの様子を優しく見守っていた。

 

 





短めです。本来なら前話に入れるはずだった内容なので……
全部この暑さが悪いんだ……

レオナさん。
なんだかんだ言って14歳ですからね。辛くないはずがない。
回りは部下でダイは異性。となると、弱音を吐露しやすい相手がいない。なら、同い年の友人相手ならブチまけられるかなって。
(原作でマァム相手に酔って絡んでいたシーンも、そういった弱さを紛らわすためかなと。でもマァムとは初対面だから酒の力で甘えてる。相手は年上のお姉さん、でも友好度が足りてなくてどこか遠慮してたんじゃないかなと妄想)
レオナ父は不死騎団相手に亡くなった。では母は? と思ったが、記述なし。なので母親は彼女が子供の頃に逝去していたと勝手に妄想。
(片親の寂しさもあって、幼少の頃は周囲の気を引きたいためにお転婆な性格。その後(王家同士の交流みたいなので)フローラと出会い、彼女に自身の境遇を重ね、彼女のことを尊敬するようになった。みたいな勝手な捏造過去まで妄想)

ピンクのワニさんの斧版大地斬。
感想でちょこちょこと記載していただいて本当にありがとうございました。
結局"大地裂断"表記で行くことにしました。
(10で出ているという)ある意味公式な名前の誘惑に勝てませんでした。
(ですが、すごく悩ましい名前が多くて驚きました。皆さんセンスあるなぁ……)

問題は、ワニさんはこの技を活躍させられるかって事ですね。


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LEVEL:34 それぞれの決意

フレイザードと魔王軍の襲撃から数日が経った。

ホルキア大陸は人間たちの手に取り戻され、つかの間の平穏を取り戻していた。尤も、パプニカ王国は復興に伴って発生するであろう新たな問題にこれから対面して、頭を悩ませるわけなのだが、今は置いておこう。

 

話を戻す。

ホルキア大陸の海岸沿いに点々と存在する洞窟。そのうちの一つの洞窟の前に広がる海岸にて、二人の姉弟が瞑想を行っていた。弟の方は頭だけで逆立ちのよう逆転した姿勢で座禅を組んでいた。天地逆となっているため、足の上にはゴメちゃんが乗っている。姉の方は普通に座ったままだが、頭の上には同じようにスラリンが乗っている。

これは、呪文を扱う際の基礎的な修行法である。

心を深く静めて意識を集中させ、精神を統一することで、呪文を扱うのに最も必要とされる集中力を高めている。己の中に意識を埋没させて、ただひたすらに続ける。真に没頭していれば周りの事など一切気にならなくなり、他人から見れば"死んでいるのでは?"と勘違いするほど、微動だにしなくなる。

(チルノ)はその点から言って、中々のものだろう。時が止まったかのように動かずにいる。頭に乗せたスラリンも同様に動いていない。軟体のスライムを頭の上に乗せていれば、少しの揺れだけでもスラリンの身体は大きく揺れる。もしもその揺れを感知したら、遠慮無く自分を攻撃して良いとチルノはスラリンに命令している。

だがその命令を受けてから今までの間、スラリンはチルノを一度たりとも攻撃していないのだから、彼女がどれほど深く集中しているのかが覗える。

(ダイ)の方はその点はまだ甘いと言わざるを得なかった。

生来の活動的な性格が災いしているのか、ジッとしているのが苦手なのだろう。上下逆の姿勢となり、ゴメちゃんがバランスを崩すこと無く乗り続けていることから、一応は瞑想の体を為している。だがこれはどちらかというと身体能力やバランス感覚の方で補っているように思えた。

 

そして何より、瞑想をしているはずのダイが目を見開いている。だがそれも無理もないことだろう。彼らの眼前には、二人の魔法使いが今まさに呪文の試し合いを行っているのだ。意識を沈めてなどいられないだろう。

 

「ずいぶん魔法力が上がってきたじゃねえか」

「こっ、このぐらいで驚くなって……!」

 

ポップとマトリフ。二人の魔法使いがそれぞれ口にし合う。だがマトリフはまだまだ余力を残した顔をしているというのに、ポップのそれは追い詰められている様にしか見えない。

 

「ギラ!」

 

不意打ち気味に呪文を放つが、マトリフからすればそれは子供のイタズラのようなものでしかなかった。悠々と反応すると呪文を放って相殺する。その一撃すらも、数日前のポップからすれば放てたかどうかは分からないものだった。

マトリフの地獄の特訓に付き合わされた成果だろう。それを乗り越えていなければ、ここまで長引かせることすら出来ず、初撃で負けていてもおかしくない。

 

「ポップ~~ッ! 負けるな~~っ!!」

 

ダイの声援を受けて、ポップはさらに魔法力を込める。彼の心には、堅い意思と決意がみなぎっていた。少しでも強くならなければならないと願いながら、必死で呪文を操る。

 

なにしろ現在、ホルキア大陸にはダイたちの仲間はレオナを含めても四人しかいないのだから。

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

フレイザード戦に勝利し宴を終えたその次の日、ヒュンケルとクロコダインはレオナ達に敵の動向を探りに行く事を申し出ていた。

 

「鬼岩城!?」

「魔王軍の本拠地だ。このパプニカを北上したところ、ギルドメイン山脈の奥深くにある」

 

仮設ではあるが、ここはパプニカの王族や兵士などが詰める建物――その中の一室である。中にはレオナを初めとした三賢者に加えて護衛の兵士達もいれば、招集されたダイたちもいる。主要なメンバーが集まったところで、ヒュンケルは鬼岩城へ向かうことを切り出していた。

だが急に「鬼岩城へ向かう」と言われて困ったのはレオナである。オウム返しに聞き返した所を、ヒュンケルは理解できるようにそう付け足した。

 

「ギルドメイン山脈!! そんなところに本拠地があったのですね……」

 

ヒュンケルの言葉を聞いた途端、アポロが声を上げる。だがそれも無理もないだろう。今まで謎に包まれていた魔王軍の本拠地の情報である。逆に言えばそこに攻め込み、敵の首魁を倒すことが出来ればこの戦いに終止符を打つことも出来るのだ。興奮しない方がおかしい。

 

「ああ。オレはクロコダインと共に、奴らの動向を探ってくるつもりだ」

「危険な任務故に黙って行こうかとも思ったが、昨日の宴の事を思い出してな。皆があれほど良くしてくれたというのに断りもせずに行くのは流石に無礼が過ぎる」

 

そう言いながらクロコダインはニヒルに笑う。クロコダインの言葉を聞いて、ヒュンケルもまた無言で頷いた。

 

二人のそんな行動を見ながら、チルノは静かに考えていた。

彼女の知る本来の歴史でも、二人は本拠地の偵察へと向かっていたのだが、宴の席の終盤にて誰にも告げること無く静かに抜け出していた。幸いにもマァムが気付いて二人を追いかけて話を直接聞くことで事なきを得たのだが、もしも誰にも気付かれなければどうなっていたことか。

忽然と姿を消されれば、二人のことは一夜の幻だと勘違いするかもしれない。そうでなくとも、ヒュンケルなどにはあらぬ噂を立てられるかもしれない。レオナから許しを得たタイミングだからこそ、行動には慎重さが求められるはずだ。

そう考えれば、思い直してくれたのは僥倖といえる。ひょっとしたらこれも、二人が本来の歴史よりも人々と深く交わってくれた影響かもしれない。それは決して悪いことではない。

そう考えると、彼女の顔も自然と笑顔が浮かび上がっていた。

 

「でしたら、私も連れて行ってください!」

「エイミ!?」

 

チルノが感慨にふけっていると、急にエイミが声を上げた。直属であるはずの三賢者が名乗りを上げたことでレオナが驚き、アポロとマリンもまた同じように驚愕の表情を浮かべている。

 

「ギルドメイン山脈に向かうのでしたら、海を渡る必要があります。私ならばパプニカ領内でしたら顔が利きますから、船の用意が出来ます。回復呪文だって使えます。決して足手まといにはなりません!」

 

パプニカ王国のあるホルキア大陸から山脈のあるギルドメイン大陸に渡るには、彼女の言葉通り海を渡る必要がある。彼女の提案にのって船を用立てて貰うか、はたまたクロコダインの従魔であるガルーダにでも二人を運ばせるか。

 

「そ、そうよ! 危険だったらいっそ、みんなで行けば……」

 

エイミの言葉に触発されたように、マァムも負けじと口を開いた。だが二人の少女の言葉を聞きながらも、ヒュンケルはそのどちらにも首を横に振る。

 

「いや。気持ちはありがたいが、オレたちだけの方が身軽でいい。任せておいてくれ」

 

本音を言えば、彼女たちの提案を受け入れたいという気持ちも彼にはあった。呪文を操るエイミがついてきてくれれば心強くもある。だがそれ以上に、予想できる危険が大きすぎるのだ。

 

「それに、まだ動いていない男の存在も気がかりだからな」

「バランか……」

 

ヒュンケルはその危険人物のことを口にする。クロコダインにとっても既知の存在であり、彼もまたヒュンケルと同じ事を考えていたのだろう。すぐにバランの名が出ていた。

 

「バラン? そいつも軍団長なのか?」

「ああ、竜騎将バラン――ヤツと配下の超竜軍団は六大軍団の中でも別格だ。リンガイア王国の攻略を任されるほどだからな」

 

ポップの言葉にヒュンケルは頷きながら答えた。リンガイアはかつて城塞王国と呼ばれた北方の国である。強大な国力と精強な騎士達を揃えており、この世界でも指折りの強国の一つである。その攻略を任されるということが、バラン達の強さを言外に示している。

ヒュンケルの言葉に思わず息を呑みかけた一行であったが、続くクロコダインの言葉を耳にしてついに仰天させられた。

 

「ん? ああ、なるほど。お前は知らなかったのだな。バランはリンガイアを一週間で滅ぼしてきたそうだ……もっとも、オレも後で知ったのだが」

「なんだと!?」

 

バランがリンガイア攻略に向かい、その後ヒュンケルがダイ抹殺の勅命を受けた。ハドラーは慌てて残る軍団長を招集したものの、ヒュンケルはこの時点から鬼岩城に戻っておらず、情報を知る機会は無かった。クロコダインは蘇生後に知る機会があり、耳にしていたのだが――

 

とあれ、クロコダインの情報は恐怖でしかなかった。一国を滅ぼしたというのもさることながら、一週間という期間も驚異的である。

そして、それを聞いた者たちが疑問を持つのも当然であった。

 

「そんなに強いのに、どうして昨日の戦いではしかけてこなかったのかしら?」

「わからん……魔王軍でも何か理由があるのだろう」

 

マリンが口にした内容は、この場にいる誰もが抱える疑問であった。皆が黙り込んでしまう

中、唯一答えを知るチルノがおどけたように言う。

 

「案外、ハドラー辺りの内輪揉めだったりしてね。手柄を危ぶんで、とか……」

 

不意に言われたその言葉は、彼女のおどけた口調も相まって一種の清涼剤のような役割を果たした。ありえない。いや、今のハドラーならばありえそうだ、などと口々に言う仲間達に向けて、チルノは続いて冷や水を浴びせる。

 

「自分で言っておいてなんだけれど、あんまり笑えないわよ。魔王軍はまず味方同士の足の引っ張り合いと戦い、その余力を持って人間と戦う――逆に言うと、魔王軍にとってみれば私たちとの戦いなんてその程度……余興の一つとしか思ってないってことだから」

 

その言葉に今度は皆が押し黙る。敵は人間を甘く見ているかもしれないという指摘は、同じ人間たちは元より、元魔王軍であったクロコダインたちにも考えされられるものがあったらしい。

とあれ、全員の心を適度に引き締められた結果にチルノは納得したように頷くと、続けて一つの袋をヒュンケルへと手渡しながら言う。

 

「でも、どう言おうと行くんでしょ? じゃあ、せめてもの餞別よ。受け取って」

「これは?」

「中には薬草が幾つかとキメラの翼が二つ、それと特製の呪符も二枚入っているわ」

「呪符だと……これか?」

 

呪符、という聞き慣れない単語を耳にしたことで、袋を開けて中身を確認する。するとそこにはチルノの言葉通りのアイテムと、二枚の符が入っていた。彼はそのうちの一枚を取り出してまじまじと確認する。隣にいるクロコダインも呪符に興味津々の様子である。

 

「使い方は、呪符を手に持って強く念じれば発動するわ。ちゃんと発動すれば、ダイの居場所が分かるはず」

「居場所を知るアイテムということか!?」

 

当然の様に言われた言葉に、だが全員が驚愕する。この呪符に込められたのはサイトロ――地図と特定の場所を知ることが出来る魔法――である。彼女の秘密を詳しく知らぬ者たちからすれば、それは全く見たことのない未知の呪文を封じ込めた伝説のアイテムに等しく見える。

 

「偵察の結果、もしも異変があったときに、私たちがパプニカにいるとは限らないから。その予防策に、ね。本当は使い捨てにするつもりじゃなかったんだけれど」

 

本来の歴史を知る彼女からすれば、こうなることは予想の範疇である。そのため、生産技能を駆使して空いた時間でこっそり作成していたのだが、それを知らぬ者たちにはチルノの先見性にただ驚かされるばかりである。

 

「それに、敵から見れば幹部クラスの裏切り者が二人も出たとなれば、本拠地の移動もあり得るはず。そうなっても、呪符で位置を確認してキメラの翼を使えばすぐに戻れるでしょう?」

「なるほど。確かにそうだな」

 

拠点の放棄というのも、少し考えれば想像の及ぶ範疇である。だがそうなったらそうなった場合にも、渡したアイテムがあれば情報の鮮度を落とさずに知らせることが出来る。

 

「ありがたい。これは是非とも有効活用させてもらおう」

 

手にした袋を懐へ仕舞いながら感謝の言葉を述べる。

 

「皆、また会おう」

「気をつけて……」

 

そして簡易に別れの言葉を交わし合うと、その身を翻して旅だって行く。その二人を、各々が複雑な表情で見送っていた。

 

 

 

だが、事件はそれだけでは終わらない。二人が旅立ったその翌日、今度はマァムがパーティから別れることを皆に申し出てきた。

大事な話がある。昨日に引き続き集められた仲間達の前で、マァムはそう断りを入れてから、自身の考えを口にしていた。

 

「な、なんでだよ! どうして急におれたちと別れるなんて言い出すんだよ!」

 

丸机を強く叩きながら叫ぶポップであったが、マァムはその言葉を冷静に受け止めていた。

 

「前々から思っていたの。このままじゃ私、絶対にみんなの足手まといになっちゃうって。魔弾銃が無ければ攻撃呪文は使えないし、回復呪文はレオナの方がよっぽど上手」

 

そこまで口にすると、マァムはポップの方を見つめた。

 

「それに、ポップがマトリフおじさんに言われた言葉は、私にとっても色々と考えさせられたわ。それで思ったの、やっぱりこのままじゃいけないって」

「う……」

 

まさか自分が言われた言葉を引き合いに出されるとは考えもせず、ポップは言葉に詰まる。

 

「それにこれは、レオナとチルノも知っていることよ」

「ええっ!?」

 

今度はポップだけでなくダイも驚かされる。二人のことを交互に見つめるダイたちに対して、最初に口を開いたのはレオナだった。

 

「あたしが知っているのは、マァムがチルノに稽古を付けて貰っていること。それと彼女が本格的に修行したいって言い出したことくらいよ」

「だったら、そのままチルノに教えて貰えば……!」

「ごめんねポップ。それも無理なの」

 

文句を言いかけると今度はチルノが口を開く番である。

 

「昨日もマァムの修行に付き合ったんだけれど、もう私じゃ相手にならないの。そもそも私は本職じゃないし、今の段階で教えられることは全部教えちゃったわ」

 

もはや自分に出来ることはない。と言うように手を上げながら言うと、優しく諭すような表情を浮かべる。

 

「三日も保たなかった未熟な師匠だったけれど、その私でも分かるくらいマァムには才能があったの。このまま腐らせるには勿体ないくらいの才能がね」

「ええ、私も見ました。マァムさんが魔影軍団の敵を次々に倒していくところを。たった数日の稽古であれだけの動きが出来るのなら、ちゃんと修行を受ければ……」

 

マリンの思わぬ援護射撃を受けて、さらにポップは劣勢に立たされる事となる。このままではマァムが抜けることになるが、それを止める為の反論が何も浮かばない。

 

「私はマァムにもう教えられないってことを伝えた上で、もっとちゃんとした人に武術を学ぶのか、それとも自己流で鍛えるか。どっちが良いか、昨日マァムに伝えたの」

「でもチルノはその足であたしの所に来て、武術の達人を知らないかって聞いてきたわ。何があったのかはそのときに聞いたのよ」

「二人には本当に感謝しているわ。それで私も考えたのだけれど、やっぱりちゃんとした師匠から学ぶことにしたの」

 

チルノ、レオナ、マァムがそれぞれ何があったのかを口にする。その息の合った連携に、とうとうポップは閉口させられることとなった。

 

「ロモスの山奥には"武術の神様"って呼ばれる凄い人がいるの。武神流のブロキーナって人なんだけれど、その人に師事するつもりよ。あとこれは母さんから聞いたんだけれど、その昔に先生と一緒に戦ったこともあるんだって」

「へぇ、先生の知り合いでもあるんだ……」

「ええ。これならポップにも負けないでしょ?」

「……は?」

 

自分にも負けない、というマァムの言葉の意味が分からず、ポップはマヌケな声を上げる。

 

「ポップはマトリフさんに習ってどんどん強くなっているんだもの。私だって頑張らなきゃ、置いて行かれちゃうわ」

「そ、そうかよ……」

「ええ、そうすればきっと……」

 

それ以上の言葉を、マァムは言わなかった。彼女からしてみれば、自分の想いを貫き通すだけの力を得るための修行である。だがその行為は、逆にポップの中に疑念を呼んでいた。置いて行かれないようにするのも、ヒュンケルのためだと思ってしまうのだ。

確かに自分を目標とされたのは悪い気はしないが、その行き着く先が敵に塩を送る結果では諸手を挙げて歓迎など出来ようはずもない。

 

「ケッ! わかったよ、勝手にしてくれ!」

「ポップ。そんな風に言うもんじゃないわよ……」

 

ついつい口から出てしまう悪態に、チルノは苦笑しながら注意する。だが今の彼に届く事は無かったようだ。そしてマァムはポップのその態度を、自分が後ろ髪を引かれないようにするためのものだと解釈するとクスリと笑みを浮かべた。

 

 

 

「うん。それじゃあ皆、また会うときまでちょっとだけお別れね」

 

そう言いながらマァムは踵を返す。既に出発の用意をしてあったため、楽なものだ。荷物を抱えてラインリバー大陸まで向かうだけである。せめてもの別れの挨拶として、港へと続く街道の途中まで一行は見送ることとした。これについて行ったのは、ダイたち四人だけである。

何度も後ろを振り返りながら街道を進むマァムのことを、四人は姿が見えなくなるまで手を振って見送っていた。

 

「ああ、そうだわ!」

 

姿が完全に見えなくなったことを確認してから、突然チルノが声を上げる。

 

「ロモスへの移動なら、キメラの翼を渡せば良かった。そうすれば移動時間の短縮にもなるし。それに、これが今生の別れになるかも知れないから、まだ伝えたい事もあったんだけどなぁ……」

 

残念そうに口にする。だがそれは誰の目から見ても、わざとらしいものであった。

 

「いけない! キメラの翼は丁度切らしているんだった。今からでも追いかけて、誰かルーラの使える人に送迎をお願いしようかしら?」

「――だったらアポロたちに頼むと良いわよ! あの三人なら誰だって使えるから!」

 

続けられる大根芝居と説明口調に、レオナもすぐにピンと来たらしい。チルノの言葉を後押しするように三賢者がルーラが使えることを口にして、逃げ道を塞ぐ。

レオナの言葉を聞きながら、チルノは少しだけポップの表情を窺う。そして、その様子からもう一押しと判断すると、さらに口を開いた。

 

「そうなの? でも、三賢者の皆さんも忙しいでしょうし……誰か他に手の空いている人がいればいいんだけど……」

 

ルーラを使えば時間を短縮できるという、追いかけるための大義名分があることを教える。その上で、戦いに身を置いているためにいつ死ぬかもしれないということを自覚させ、グズグズしていれば三賢者に頼まれてその役目を奪われてしまうことを意識させる。

そこまで言えば十分だった。

 

「ああ、もう! 分かったよ!! 行けば良いんだろ!! 行けば!!」

 

体よく利用されたというのはポップ本人も分かっている。だがそれでも、彼も追いかけずにはいられなかった。チルノの言葉に気付かされたように、もしかしたら最後の別れになるかも知れない。そう思うと、黙っていられなかった。

マァムがヒュンケルのことを気に掛けているのは知っているが、それでも諦めきれるものではなかった。

そしてもう一つは、エイミの存在だ。彼女は誰の目から見ても明らかなほど、ヒュンケルへの想いを見せている。今のところは全て上手く躱されているようだが、苔の一念という言葉もある。もしも彼女がヒュンケルと上手くいけば――

 

そんな自分の気持ちと少しの打算を胸に秘めて、ポップはマァムの後を追って掛けだして行った。

 

「うーん……自分でやったこととはいえ、下世話すぎたかなぁ?」

「そう? あれでもまだ優しい方でしょ? もっと厳しくガツンと言ってもいいんじゃないの?」

 

ポップの姿も小さくなり声が聞こえなくなったのを確認してから、チルノ達が口を開いた。いくらポップの背中を後押しするためとはいえ、この行動が果たして吉と出るか凶と出るかは誰にも分からない。

やっぱり慣れないことはするものではないと思いながらも、ヒュンケル・エイミ・マァム・ポップという複雑な人間関係がどうなるのか、ドキドキしながら見ている自分がいるのもまた事実なのだ。

そんなことを考えながらもチルノは、しばらくレオナと恋の行方を予想しあうお喋りに興じることにした。

そしてダイはというと、初めて見た姉の姿に少しだけ戸惑いを浮かべていた。

 

 

 

しばらくした後、ルーラで二人が飛んでいく姿が見えたが、やがてポップ一人だけが戻ってきた。どのような結果になったのかは、チルノにも分からない。既に本来の歴史からかけ離れた道を進んでいるため、彼女が知る結末と同じ道筋を辿るとは思えなかった。

だがそれでも、勇気を司る彼の事だ。少しは何か進展があったのだろう。

帰還後、これまで以上に熱を入れて修行を行うポップの様子を見ながらチルノはそう考えていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「さてと……おい、待たせたな」

 

マトリフの言葉が掛かると、チルノは瞑想を止めた。意識を浮上させ、目をゆっくりと開いていく。彼女の眼前に広がっていたのは、勝負に負けたポップの姿といつの間にやら瞑想を止めてポップを心配しているダイの姿。そして、すぐ近くで自分を見つめているマトリフの姿であった。

 

「いえ、こちらこそ。お疲れのところに無理を言ってすみません」

「気にすんな。こっちもお前さんはちゃんと見てみたいと思ってたんだ」

 

スラリンを胸元に抱きかかえながら、チルノは軽く頭を下げる。だがマトリフは面倒そうに手を振ると、着いてこいと言わんばかりに歩き出す。砂浜で座っていたためについた砂を手で払いながら立ち上がり、彼女もまたマトリフの後を追うように歩き出した。

 

「なんだ師匠、今度はチルノの特訓かよ?」

「あん? まあ、そんなところだ。おめえらは修行の続きでもしてろ」

 

ポップのからかうような言葉にもマトリフはまともに取り合うことなく適当に流す。珍しい事もあるもんだと思いながらも、ポップは師の言葉に従い、ダイを伴って修行を再開する。

 

そして一方のチルノたちである。マトリフは住居としている洞窟の奥まで進むと、椅子へ腰掛けた。

 

「とりあえず、その辺にでも座ってくれ」

「は、はい。失礼します」

 

チルノは勧められるがままに腰を下ろすが、初めて見る部屋の様子にどうも落ち着かない。何しろ見たことも無いような摩訶不思議な品々が多種多様に積み上げられているのだ。これを見ながらくつろげ、と言う方が難しいだろう。

とりあえず気分を落ち着ける為にスラリンを膝の上に乗せ、優しくなで回しながらマトリフを見つめる。

 

「さて、とりあえずお前さんのことはアバンから聞いているぜ」

「やっぱり、先生はマトリフさんと会えたんですね」

 

デルムリン島を出立する前のアバンと話をしていたことを思い出し、無事に出会って話を付けてくれたのだとわかり、チルノは安堵していた。幾らアバンといえども、不測の事態は起こるものである。

 

「ああ。急にここへ来たかと思ったら、たいして話もせずに一方的にお前らの名前を出して、面倒を見てくれと言ってきたぜ。全く……あの野郎でなければぶっ飛ばしているところだ」

「え、たいして話もせずに……?」

 

だがマトリフの発言にチルノは少しだけ動きを止めた。嫌な予感がするが、聞かずにはいられない。

 

「あの、マトリフさん……アバン先生に頼まれた事って、何なんでしょうか?」

「あん? そのうち、ダイとポップとマァムとチルノって名前の連中が来るはずだから、そのときには最大限に力を貸してやってくれ。ってのと、同じ魔法使いのよしみでポップには特訓をしてやってくれ。詳しい理由は、チルノから聞け。ってところだな」

「先生……」

 

伝えられた内容を耳にしながら、チルノは頭を抱えた。説明は全て自分に一任されたのだと思い、思わず気が遠くなりそうになる。だがなんとかプラス思考に切り替え、当事者に話をさせる事で余計な先入観や誤った事実を与えないためにしたのだろうと、自分を納得させることで気力を復活させる。

 

「わかりました。では、詳しい事情をお話させていただきます……」

 

そう言うと彼女は、まず自身の秘密を語り始める。アバンとブラスに続き、この世界に三人目の共犯者が産まれた瞬間でもあった。

 

 

 

「なるほどな。にわかには信じがたいが……」

「ええ。私も逆の立場なら、多分信じないと思います。ですので、多少なりとも信頼に足る情報を――」

 

そう言うとチルノは両手を横に広げ、自身の正面で軽く打ち合わせる。一本締めのような動きをしたかと思えば、続いて左手を前に、右手を後ろへと移動させる。まるで弓を引くようなその構えにマトリフが眉根を寄せた時だった。

 

「……メドローア」

「ッ!?」

 

その言葉を聞いた途端、マトリフの表情は驚愕に彩られる。何しろチルノが口にしたのは、彼が編み出した最強の攻撃呪文の名前である。この世界にはマトリフ以外には使い手はおらず、その存在を知る者も極少数――それも彼が信頼している人物だけ――しかいない。

 

「対抗するには、マホカンタを使うか同じ呪文で相殺するのみ、でしたよね?」

「……なるほどな。まんざら嘘って訳でもなさそうだ」

 

チルノの言葉にマトリフは背もたれに身体を預けるように深く座り直す。

 

「少しは信じて貰えましたか?」

「ああ。その呪文(メドローア)を知っているのは、もはや世界中を探してもアバンとブロキーナくらいだ。仮にそのどちらかが教えたんだとすれば、お前はあの二人にその呪文(メドローア)のことを教えても問題が無いと認められたってこった。それに、アバンがお前から理由を聞けって言ってんだ。信じさせて貰うぜ」

「ありがとうございます。では次に、この世界について――」

 

そう前置きをすると、今度はこの世界がこれから辿るはずの歴史について話し始めた。そして同時に、自分が介入したことで必ずしもこの通りの歴史を辿らないだろうということも口にする。

 

「――魔界の神とまで呼ばれる大魔王バーン。その配下の存在に加えて、(ドラゴン)の騎士までもが敵に回る……かと思えば、ダイのヤツも(ドラゴン)の騎士……」

「信じ難いかも知れませんが……」

「いや、今更疑いはしねぇよ」

 

そう言いながら腕を組んで唸るように目を閉じた。頭の中で、先ほどのチルノの話を反芻しているのだろう。

 

「しかし、想像以上にとんでもねえ事態になってたのな。かと思えば、それに自分から首を突っ込んでやがるのか」

「あはは……そこは、ええ。自分で決めたことですから。覚悟はしているつもりです」

 

苦労を背負い込むと分かっているのに、自分から介入していく。そのことを咎められた様な気がして、チルノは愛想笑いをしながらも自身の意思をはっきりと口にする。

 

「ならいいけどな。テメエで決めたことなんだ、最後まで責任持つんだぞ。ただでさえお前は、未来の知識って言う圧倒的に有利なものを持っているんだ」

「え、あ……はい!」

 

だが彼女の予想に反して、マトリフはあっさりとそう口にする。その様子に驚きながらも、チルノは自身の記憶からマトリフがこういう性格だったのだと納得する。それに、こういったやりとりはアバンと散々やったこともマトリフは理解しており、ならばこれ以上似たような問答は時間の無駄だと悟っているのだろう。

 

「さしあたっては、次の軍団長に対する備えか。たしか……」

 

そこまで口にしてから、マトリフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。その様子を見ながら、チルノもまた同じような表情を浮かべていた。

 

「はい。予定通りならば次は竜騎将バラン……(ドラゴン)の騎士にして、ダイの実の父親です……」

 

その言葉に、マトリフは自分の記憶が間違っていなかったことを理解して、一つため息を吐く。

 

「勝算はあるのか?」

「……わかりません。出来ることはやってきたつもりですけれど、そこまでやっても(ドラゴン)の騎士の力は驚異だと思います」

 

チルノとしては、例えバランであっても互角に戦えるようにダイを導いてきたつもりである。それでも力が足りないことを危惧して、仲間達も強くなるように手を回してきたはずだ。だがそれはあくまで机上の空論。実際の(ドラゴン)の騎士とぶつかった事も無ければ、どれだけの力を持っているのかも知らない。

 

「でもせめて、最悪の事態は回避させてみせます。それと、可能であれば親子で争うことの無いようにしたいんですが、そこまでは難しいかと……」

 

そこまで理解した上で、チルノは現状を鑑みての結論を口にする。彼女の印象では、バランは部下を率いては恐るべき相手だが、自分が戦う時は史上最強の(ドラゴン)の騎士であるという自信からか、慢心する部分がある。

彼女はそこを狙うつもりであった。初戦に全力を賭けて、そのまま説得する。目論見が外れても、本来の歴史にあったダイの記憶を奪われることだけは阻止するつもりである。

 

だがチルノのどこか控えめな言葉を耳にすると、マトリフを椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「そうか……よし、ちょっと表に出ろ」

「え?」

「修行だよ、修行。ならその可能性を僅かでも上げるには、それしかねぇだろ? とはいえ、ポップのついでになっちまうがな」

「いえ、ありがとうございます。そもそも私の修行方法は、どれが正しいのかも明確には分かっていませんから。だったら、できることは何でもやっておきたいですから」

 

マトリフから手ほどきを受けられるのならば、チルノとしても願ったり叶ったりだった。色々と出来ることがあるが、彼女の主力は魔法を使うことをである。ならばマトリフの修行を受けるのは決して無駄ではないと思っていた。

 

「それに、世界一の魔法使い――いえ、大魔道士マトリフさんの修行なら、間違っていることもないでしょうし」

「へっ、抜かしやがれ」

 

やがて、軽口を叩き合いながら二人は外に出ていた。今いるのはポップ達が修行をしているのとはまた別の場所だ。チルノにしても未だ秘密にしておきたい魔法もあるだろうし、それにポップ達にも下手に見せるべきでは無いと判断していた。

 

「とりあえずは、お前がどこまで出来るかの確認からだ。ポップとやり合ってたみたいに、実戦形式を取ることになるが問題ねぇな?」

「はい、よろしくお願いします!」

 

この世界に存在する呪文とは全く異なる体系を操るチルノでは、修行中の身であるポップ達に下手をすれば悪影響を与えるかもしれないという配慮からである。

そのため、チルノを応援しているのはスラリンのみ。つい先ほどまで繰り広げられていたポップのそれと比べればなんとも寂しい応援を受けながら、チルノの修行は開始された。

 

 

 

――強い! 分かっていたけれど、こんなに差があったなんて!!

 

修行――と言うかチルノが現状どれほどの事が出来るかの確認が始まってから数分後。砂地で四つん這いになったように手足をつき、荒く呼吸をしながら彼女はマトリフの強さをその身に味わっていた。

 

最初の数分はマトリフも様子見に回っており、積極的に仕掛けてくることは無かった。チルノもそれを理解しているからこそ、自分の実力を見せるためにファイラやブリザラに加えて、サンダラやグラビデといった魔法を見せる。

続いてエアロラにアクアブレスまでを見せたところで、マトリフは「そろそろいくぞ」と言ったが早いか、チルノへ向けて攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

そこからは一方的な戦いとなっていた。マトリフの呪文をチルノは必死で迎撃しつつ、隙を見ては反撃の魔法を放つものの、その全てがまるで見透かされているかのように対応される。気付けば一分も耐えきることもなく敗れていた。

基礎魔力の差に加えて、発動の早さでも負けており、数々の経験から来る対応の柔軟さにも目を見張るものがある。高齢であることに加えて、先ほどポップと手合わせをして少なからず疲弊しているはずなのにも拘わらずこれである。

全力ならば果たして十秒も耐えられないのではないかと、チルノは僅かな手合わせから判断していた。

 

「なるほど。色々と出来るみてぇだが、決定力が足りねぇ。今は良いだろうが、未来の事を知った以上はそれじゃ力不足と言わざるを得ねぇな」

「あははは……仰る通りです。皆の力になるために色々とつまみ食いを……」

 

本来の歴史では不足していた後衛の層を厚くするため、各種魔法を覚えるための修行を積身重ねる。かと思えば、ダイの剣術の相手をするために剣技を学ぶ。それでいながらマァムの未来のために格闘術を学び、支援のために生産技能まで磨く。

ついでに平行して家事までこなしていたのだ。

そのどれもが得意と言えるが、誰にも負けないと胸を張れるような突出したものが見られないのも事実であった。

 

「やっぱりか。魔法使いにしちゃ動きが良すぎる。だが見た感じ、戦士としての技量も中途半端ってところだな」

 

僅かな時間の手合わせからそれを見抜くのだから、マトリフもやはり伊達に年齢を重ねているわけではなかった。

 

「まあ、その口ぶりから自分でも察している見てぇだからな。ならオレから言うことはねぇよ。安心しとけ、重点的に鍛え直してやる」

「それはひょっとして……戦士としても、魔法使いとしても、ということですか?」

 

まさかの考えが脳裏を過り、チルノは恐る恐る尋ねる。

 

「馬鹿言うな。オレがどうやって戦士の修行を付けてやれるんだよ? あっちこっち飽きっぽく修行していた結果が今の状態なんだ。一本に絞ってやるに決まってんだろ?」

「そ、そうですよね……」

 

その言葉に少女はホッと胸をなで下ろす。元々マトリフに修行を付けて貰えれば、自分の未熟な魔法ももっと伸びるだろうという算段を持っていたのだ。だが誰に向けてでもない言葉を耳にしてしまい、思わず硬直する。

 

「……そもそも時間が足らねぇ」

 

そう呟いたマトリフの言葉を、とりあえず聞かなかったことにしておこうとチルノは心に誓った。

 

「まあ、今日の様子見である程度は分かった。明日からしごいてやるから覚悟しておけ」

「はい! よろしくお願いします!」

 

残っていた力を振り絞って立ち上がると、立ち去ろうとしていたマトリフへ向けて深くお辞儀をする。そこまでは良かった。仮にも師の立場として敬っているのだ。頭を下げることは何の問題もない。

問題があったとすれば、もっと別のことである。

 

「……え?」

 

突然感じたお尻の違和感に、思わずチルノは声を出す。下げていた頭を上げ、辺りを見回すが、マトリフの姿はない。その事実が逆に彼女へと警鐘を鳴らし続ける

 

「んー、ダメだな。モチモチしてるが、マァムと比べるとボリュームが足りねぇ。ちゃんと飯食ってるか?」

「ひゃああああああ!?!?」

 

今度は先ほどよりもはっきりと、お尻を鷲掴みにされた感覚が襲い掛かり、チルノは悲鳴を上げながら振り返り、後ろへと下がる。そこで彼女が見たものは、マトリフがスケベな表情を浮かべながら中空で片手をワキワキと動かしている姿であった。

数瞬前までマトリフの手の位置に何があり、そこで何をしていたのかは想像に難くない。

 

「なっ、何するんですか!!」

「何って、あんなにケツを突き出しているんだ。触らなきゃ失礼ってもんだろ?」

 

彼女自身、これまでの真面目な態度からつい忘れていたが、マトリフはこういった行動を取るのだ。とはいえそれはもっと肉感的な女性――マァムやマリンなど――がターゲットとなり、自分には魔の手が襲い掛かる事は無いだろうとタカを括っていた。

その結果がこれである。

チルノが頭を下げていたのを良いことに、マトリフは遠慮無く彼女のお尻を堪能したのだ。とはいえこれは月謝代わり、野良犬にでも噛まれたと思って諦めるべきだろうかとチルノが達観した考え――諦めたとも言う――をしていた時だった。

 

「ピィ!!」

「あん、なんだスラ公?」

 

マトリフの前に立ち塞がるようにして、スラリンが立っていた。普段は笑顔しか見せないようなその温和な瞳が、今は怒りに染まっているのがはっきりと見て取れる。鳴き声も普段の何倍も力強く、スラリンの心中を良く表現していた。

そんなスラリンの様子を見て、マトリフは得心がいったとばかりに口を開く。

 

「なるほど、チルノを守る騎士(ナイト)ってわけか? ナハハハ!! その威勢は買うが、スライム程度の実力じゃ……」

「ピイイイィィッ!!」

 

余裕綽々だったはずの言葉は、続くスラリンの行動によって強制的に中断させられた。鋭い鳴き声と共にスラリンの口からは紅蓮の炎が吹き出し、マトリフへと襲い掛かったのだ。

 

「うおおおっ!?」

 

それは、とても弱い火の息に他ならない。だが、まさかスライムが炎を吐くとは思ってもいなかったマトリフは反応が遅れ、大慌てで火の息を避ける。その甲斐あってなんとか回避には成功したものの、砂浜に尻餅をつくというなんとも情けない格好になっていた。

 

「な……? な……?」

「スラリン!? い、今のって……?」

「ピィ~?」

 

信じられないものを見る目でスラリンを見つめるマトリフ。そしてチルノもまた相棒であるスライムの突然の行動に驚き、スラリンを掬い上げながら尋ねる。だがスラリンは自分も何も分からないと言った顔で、脳天気な声を上げるだけだった。

 

「おでれーたな、まさかスライムが炎を吐くとは……何か変なモノでも食ったか?」

「変なモノって、マトリフさん……そんな馬鹿なことあるわけないじゃないですか」

 

ローブについた砂を手で払いながら立ち上がりつつ、マトリフはそう言う。だがそれを聞いたチルノは頭ごなしに否定する。

 

「いや、そうでもねえぞ。スライムは変質しやすいからな。こんな環境にいるんだ、どんな影響を受けているかわかったもんじゃねえ。お前は何か心当たりはあるか?」

「うーん……」

 

そう言われて思いつくのは、獣使いや魔獣使いと言われる職だった。モンスターを配下として、時にその力を限界以上に引き出すその能力ならば当てはまらなくもない。だがスライムに炎を吐かせる程の力があるのか? そして自分はいつそれだけのことしたのか。疑問は尽きない。

 

「まあ、原因を突き止められねえんなら仕方ねえだろ。意表を突く奥の手が手に入った、くらいに考えとけ」

「はい……」

 

マトリフの言葉に、チルノは曖昧に頷く。

 

 

 

「そういや、まずはドラゴン共が襲い掛かってくるんだったな?」

「はい、そうですけれどそれがなにか……?」

 

修行を行っていたとある日、マトリフが急にそんなことを口にした。その言葉から、次に戦うであろう敵のことを言っているのだと理解したチルノは、師の意図が分からずに肯定しつつも聞き返す。

 

「なに、ポップがどれだけのことをしたのか、ちと気になってな」

「なるほど」

 

なんだかんだ言っても、師として弟子の活躍が気になっているのだろう。弟子に「横暴が服を着て歩いているような」とまで評されながらも、心の奥ではこうして気に掛けているのだとわかり、少しだけ嬉しくなった。

言葉も軽く、チルノは記憶を辿りながらポップの活躍を語り始める。

 

「えーと、ポップはまずベンガーナで五匹のドラゴンを相手にベタンの呪文を使いましたね。でも二匹仕留め損なって……」

「ほう……このマトリフ様の弟子になっておきながら、トカゲの五匹も仕留められねぇってか……」

 

その言葉に、チルノは自身の失言に気がついた。だが時既に遅し、もはや弁明の余地はなかった。

 

「あの……死なないようにお願いしますね……」

「おうよ、任しとけ」

 

せめてもの懇願に、マトリフはとっても良い笑顔で返事を返す。チルノは、ポップにもっと優しくしてあげようと心に誓う。そして、このことは一生秘密にしておこうともこっそりと誓っていた。

 

 




-追記-
感想にて「メドローアはブロキーナも知ってるよ」「エイミはルーラが使えないよ」という、とってもとってもありがたいご指摘をいただきました。
のでコッソリ修正。
(メドローアはマトリフ以外知らない。三賢者は皆ルーラが使える。と思い込んでました。私の知識ガバガバすぎる……
そして「エイミはルーラが使えない」指摘のおかげで、原作でバルジ島から逃げる時に「アポロはFFBで負傷。マリンは顔面火傷で負傷。だからルーラで逃げられなかった」ということに今更気付きました……もう私、ダイ大ネタ書く資格ないんじゃないかな……)


最後のは、なんだこれは……

三人は大体台本通りに動かしました。
(ヒュンケル組に鬼岩城は手足が生えて死の大地に引っ越したよって伝えるべきだったかな?)
マァムは早く気付いて意識したので、台詞含めて色々変わっている(はず)その影響で色々違ってます。

チルノさん、ようやく自分のために成長できます。新ジョブを覚えさせようかとも思いましたが、やっぱり魔法系で突き詰める方向で(強くするなら忍者で良いんでしょうけど)
でも最大の敵はセクハラです。
そしてスラリンは謎のファイアブレス……メイジキメラと炎の吐き合いしそうで怖いです(ネタが古い)

次からようやくバラン編になるはずです。

実の親(バラン)VS 育ての親(チルノ)
二人の親による子供(ダイ)を巡る親権問題が勃発する。
南町奉行所の名奉行、大岡・バーン・越前が提案した「それぞれが子供の腕を持ち両方から引っ張れ」というお裁きの真意とは!?
(なおバランは竜魔人になって全力で引っ張り、あの世から押っ取り刀で駆け付けてきたソアラさんにガチ説教される模様)

……多分こんな感じになると思います(大嘘)


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LEVEL:35 お買い物に行こう

その日、鬼岩城は大きな騒動に包まれていた。

玉座に飾られている六芒星――それは、六大軍団の存在を表す指標でもあった。だが邪悪なる六芒星は現在、その輝きを半減させていた。

 

「クッ……フレイザード!! ダメだったか……!!」

 

その六芒星を眺めながら、ハドラーが忌々しげに呟く。ミストバーンの手によって新たな肉体を得て蘇ったハドラーであったが、肉体が安定した途端に見たものがコレである。

六人の軍団長のうち、クロコダインとヒュンケルは離反。フレイザードは消滅したことにより、六芒星を構成していた三角形の一つが消失する。それは、忌々しくも魔王軍が半壊していることを意味していた。

この異常事態を知らせに来たアークデーモンや、ハドラーと連れ立っていたミストバーンも同じ結論に達して、悲観的な様子を見せる。

 

だが、弱り目に祟り目。ハドラーにとってはそれ以上に厄介な事態が襲い掛かる。

 

「どうやら、魔軍司令殿は失敗したようですな」

「ば、馬鹿な貴様は……バラン!? 何故ここに!?」

 

玉座の間の入り口の方から聞こえてきた声に、ハドラーは思わずその身を竦ませた。フレイザードの復讐戦に乗った際、ハドラーは自身の保身からバランを遠ざけていた。カール王国への侵攻を命じ、その間にダイたちを打ち倒す予定だったのだ。

だがその目論見は失敗に終わった。フレイザードは打ち倒され、攻撃に参加させた妖魔師団と魔影軍団は大打撃を受け、ザボエラも負傷により一時的に前線を退く結果となった。

 

それでも――ハドラーの目論見では――バランがカール王国を滅ぼすにはもっと時間が掛かる計算だった。かつての大戦における勇者アバンの出身国であるカールは、現地上戦力では最高峰と言って良い。如何に屈強な竜の群れを従えていようとも、攻略は並大抵のことではないはず。その間に新たな手段を講じて、ダイを抹殺する腹づもりだった。

だが、その計算が足下から音を立てて崩れていく。そんな錯覚を味わっていた。

 

「おや、まるで私がここにいては問題があるような言い方ですな」

「い、いや……そのようなことはない。ただ、どうしてここにいるのかと思ってな。カールの攻略はどうした?」

 

何らかの理由で一時的に戻ってきていただけであれば、任務を理由に幾らでも引き延ばせる。淡い期待を胸にバランの言葉を待つが、返ってきたのは最悪の言葉だった。

 

「フン、あと数日もあれば落とせていたが……火急の用事と聞いてな。こうして戻ってきたのだ」

「数日、だと!? 何をデタラメを!! いや、それよりも火急の用事とはどういうことだ!! 一体誰がそのようなことを……」

 

王国攻略の命令を下してから、まだ日数は殆ど経過していない。にも拘わらずカール王国が陥落寸前であるなどと、ハドラーには信じられるものではなかった。

そして、それ以上に聞き逃せない言葉がある。バランの言葉を信じれば、彼に鬼岩城へ戻るように指示した者がいるのだ。だが、軍団長であるバランを動かすことの出来る人物などハドラーには想像できなかった。

同じ軍団長であるミストバーンとザボエラがまず候補として浮かぶが、そのどちらもが鬼岩城にいるため、それはあり得ない。

すると突然、剣呑な雰囲気を漂わせる二人の間を割って裂くように、笛の音が響く。

 

「このメロディーは、死神の笛の音……?」

「…………」

 

突如として流れ出した笛の音に毒気を抜かされつつも、ハドラーは辺りを見回す。するとバランの後ろから一人の男がゆっくりと歩み寄ってきていた。

 

「呼んだかい?」

「しっ、死神……?」

 

さながら道化師のような奇抜な格好で頭の先からつま先にまでコーディネイトされており、顔は薄笑いを浮かべたような仮面で覆われているためその表情は計り知れない。肩には使い魔のひとつめピエロを乗せている。

この男は誰だ? 果たして魔王軍では、今までこんな相手を見たことがない。いぶかしげに思いながらも漂ってくる雰囲気はハドラーを持ってしても得体の知れない恐怖を感じる。そして手には笛としての機能を兼ね備えた大鎌を持っている。

異様な気配と格好、そして手にした鎌を見たハドラーは、知らず知らずのうちに死神と零していた。

 

「キル……!」

「!?」

「おや、ミスト。ハドラー君にボクのことを紹介してくれるのかい?」

 

目の前の男を見て、ミストバーンが口にする。寡黙な部下が発したどこか親しげなその言葉にハドラーは驚かされた。

 

「でも大丈夫。ハドラー君は名前を聞けばきっと知っているさ。ということで改めて、ボクの名前はキルバーン。キミたちには"死神"って言った方がわかりやすいかな?」

「お……お前がキルバーンだと……!」

 

その名前はハドラーも聞き覚えがあった。大魔王バーン直属の殺し屋として暗躍し、その意にそぐわぬ者を闇に葬る存在である。

 

「お前の事は知っている、知っているがなぜ鬼岩城に……!?」

「なぜだって? 酷いなぁハドラー君。君が聞いたんじゃないか、バラン君に緊急の用事があると伝えたのは誰か、ってね」

「ぬ……」

 

死神登場という衝撃に忘れかけていたが、そもそもの話題はそれであった。だが、その答えがまさか目の前のキルバーンから返ってこようなどとは夢にも思っていなかった。

 

「いやぁ、大変だったよ。本来の用事を済ませる前に、バラン君をお迎えに行く必要があったからね。しかも行ったら行ったで、ボクのことを全然信じてくれないんだもの」

「ヒドイヒドイ!」

 

カールへと向かい、バランを直接呼び寄せる。だが闇の存在であるキルバーンはバランが顔を知っている相手でもないため、会うことすら大変であったようだ。苦労したと恩着せがましく言えば、使い魔のピロロが肩の上で同意するように憤慨する。

 

「本来の用事、だと……!? それは一体……」

「だから、今からその用事を済ませるのさ」

 

そう言いながらキルバーンは懐から一本の鍵を取り出すと、この場にいる全員へと見せつける。一見すればただの鍵としか見えないが、鍵の頭の部分にはバーン軍の紋章が刻まれている。それはハドラーには見覚えのあるものだった。

 

「そっ、それは……バーンの鍵!!」

「裏切り者の軍団長たちは、この鬼岩城の場所を知っているからね。ただちに移動せよとバーン様の命令なのさ」

 

鍵を手の中で玩びながら、玉座の間をゆっくりと進み、六芒星に囲まれた紋章へと向かう。

 

「でも、引っ越しをするにしても転居先が分からないんじゃ、バラン君が仲間外れになっちゃうからね。わざわざこうして呼び寄せたってわけさ」

 

そしてバーンの鍵を紋章の口へと差し込み、ゆっくりと回す。

 

「後から教えても良かったんだけど、どうせなら一緒に体験して貰った方が楽しいだろう? こんな一大イベントは中々無いよ」

 

まるでキルバーンの言葉を肯定するかのように、鬼岩城が振動を始めた。もしもハドラーたちが鬼岩城を外から眺めていれば、城から手足が生えていき、そのままゆっくりと立ち上がっていく様を見ることができただろう。

 

「さあ、これでボクの用事は済んだ。ここからはバラン君のターンだよ」

「あ、ああ……」

 

なるほど、これほどのことであればキルバーンが呼び寄せたこともバランは頷ける。だがまさか城そのものを動かすとは、バランを持ってしても想像の埒外であり、あっけにとられてしまったようだ。キルバーンに促される形で、バランは口を開いた。

 

「勇者ダイ討伐は、次こそ我が超竜軍団が向かわせてもらうぞ。魔軍司令殿?」

「な、ならん! ならんぞ!! 現在も抹殺計画は進行中だ! そもそも貴様にはカール攻略の任がまだ残っているだろうが!!」

 

事情を知るハドラーにしてみれば、ダイとバランを会わせることだけはどうしても避けたいことだ。そのため、どうにか難癖を付けてバランを引き剥がそうとする。だが、既に一度任務から外されていることもありバランもそう簡単には引き下がらない。

 

「その任務を遂行しに行けば、また私を抜きで動くつもりなのだろう?」

「いや、そのようなことは……」

「解せぬ……どうにも解せぬのだよ」

 

言い淀むハドラーを見ながら、バランは口を開く。

 

「最初は自らの手で雪辱を果たしたい。さすれば、大魔王様からの信頼回復に繋がる。だからこそ私を遠ざけているのでは? そう考えていた。だが既に事態は、そんな悠長を言っていられる場合ではなかろう?」

 

そこまで言うとバランは六芒星にチラリと視線を向ける。既に軍が半壊した証拠でもある光を失った三角形がそこにはある。

 

「もはやダイは魔王軍にとって明確な驚異だ。誰が倒したとしても同じはず」

「それはどうかな?」

 

それまで沈黙を守っていた死神が、不意に異論を挟んだ。

 

「何しろ相手は軍団長を三人も下しているんだよ? つまり、今の勇者の首の価値は天井知らずに跳ね上がっている。そこを勝手に手出しされたら――既に失敗しているハドラー君は別としても――他の軍団長はどう思うかな? ねぇ、ミスト?」

 

仲間への根回しもなしに、勝手に動くのは問題があるだろう。そう遠回しに警告をしているのだ。ミストバーンの事を知るキルバーンにしてみれば、そこは懸念点の一つであった。

 

「……それが大魔王様のご意志であれば……」

「つまり、積極的に動く気は無い。と捕らえて良いな?」

「…………」

「沈黙は肯定と見なすぞ」

「へぇ……」

 

――ということは、まだ勇者ダイは驚異と見なされていないってことかな?

 

バランとミストバーンのやりとりを見ながら、キルバーンは心の中でそう結論づけた。もしも密命が下っていれば、あのような態度は取らないはず。むしろバランの後押しをしても不思議ではない。だが出した答えは、消極的賛成である。

ならば、もう少し関与するのも面白いだろう。そう思いながら、再びやりとりへと意識を戻す。

 

「まて! まだザボエラがいるではないか!!」

「ザボエラはこの場にいない。有事の際に不在で機会を失した者が、権利を主張できると思っているのか?」

「ぐ……っ」

 

どうにか時間を稼ごうとするが、その薄っぺらな考えはバランの一言で切って捨てられた。前述のように、ザボエラはパプニカ襲撃の際に受けた傷――無数の細かな刺傷を受けた――

が原因で、現在療養中である。それどころか、これが原因となって前線に出て傷を負う事を嫌う性格が強く出てしまったようだ。

そんな臆病者の答えなど、聞く必要すらない。歴戦の勇士でもあるバランの言葉は正論であり、ハドラーとて強く言い返せない。

 

「まぁまぁ落ち着きなよ。ハドラー君にも何だか事情があるみたいだからねぇ……」

 

剣呑な雰囲気になりかけたところを、キルバーンは戯けた口調で入ってくる。それだけで調子を崩されたようにバランは睨むが、死神は気にすること無く言葉を続ける。

だがそれは決してハドラーを援護するものではない。自分も楽しみたいという思いの方が強かった。

 

「ボクに少し考えがある。バラン君、配下の竜を何頭かお借りできるかい?」

「何をするつもりだ?」

「勇者一行と竜たちを戦わせるのさ。もしも竜達に苦戦するようならば、所詮はそれまでの相手。天下の英雄バランが出張るまでもない。配下の竜に任せても良いし、ハドラー君に引き続き任せてもいい。逆に、倒せれば……」

「私が動くだけの価値がある。そう言いたいのか?」

 

超竜軍団の兵を使うことで、バランも一枚噛ませる。もしもダイたちが勝てば、配下を失ったことを理由に無理矢理にでも参加することが可能だろう。負ければそのまま超竜軍団の手柄となる。

 

「そういうこと。だったら判定は公平な第三者が行った方がいいだろう? ボクは適任だと思わないかな?」

「いいだろう。好きにしろ」

 

なによりも、ここで無駄な押し問答をするよりかは建設的な案だとバランは考えた。ハドラーを実力で排除することもできるが、それはバーンに要らぬ不興を買うかもしれない。落とし所としてはまずまずだろう。

許可の言葉を口にしたバランを見て、キルバーンは薄く微笑んだ。

 

「ありがとう……でも、ウフフ。もしも勇者様ご一行が竜達に負けちゃったら、どうなるんだろうねぇ?」

「何が言いたい?」

 

含みを持たせた言い回しをするキルバーンを、ハドラーは鬱陶しそうに見ながら尋ねた。

 

「だってそうなったら、魔軍司令殿と壊滅した三軍団は超竜軍団の配下数頭に劣るって証明されちゃうんだよ?」

「…………!?」

「バーン様は短慮なお方じゃないけれど、せっかくご自身が力を与えた魔軍司令殿と、その配下の軍団が実は期待外れだった、なんてことになったら……」

 

そこまで口にすると、キルバーンは手にした大鎌を見せつけるように掲げる。

 

「ボクの出番が来るかもね……」

「役立たず役立たず、キャハハハハ!!」

「ぐ……」

 

鎌は光を反射して鈍く輝き、ハドラーを照らす。ハドラーにはその光が死刑宣告の合図に感じられ、微かに身をたじろがせた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

フレイザードと魔王軍の襲撃から日は過ぎていた。

パプニカ王国はゆっくりとではあるが、確実に復興しつつあった。王家の勝利を知り、一度は国を捨てて逃げ出した国民たちも少しずつ自分の国へと戻って来はじめたのである。

日に日に戻ってくる人の数は増えていき、皆が皆、元々の暮らしを取り戻すべく出来ることを始めていく。

避難した先の国と比べれば、パプニカでの暮らしの方が辛いと言う人もいるかもしれない。だがそれでも、逃げ出す事無く復興に尽力し続ける人々は、きっとパプニカという国の持つ風土が好きなのだろう。

住み慣れた場所というのは、それだけで何物にも代えがたい魅力があるのかもしれない。

 

そして、日増しに増えていく国民の対処にレオナら王宮の人間はてんてこ舞いであった。一人一人を管理し、住む場所を割り振り、必要とあれば仕事をも割り振っていく。そして、人が増えることでトラブルも増加し、陳情が増えていく。雪だるま式に積み重なっていく問題に疲労も積み重なっていく。

 

結局、何が言いたいのかというと――

 

「はぁ……これでようやく、今日の分は終わりかしら?」

 

チルノは机の上にうず高く積み上がった書類を見ながら、力なく呟いた。片手には羽ペンを持っているが、既に握力も無いに等しいため感覚がない。

 

「はい、これで終了ですね。問題ありません」

 

その書類の山を確認しながら、チルノと同室で作業をしていた内政官の男が問題なしの判断を下した。それを聞いて彼女はようやく安堵の微笑みを見せる。

そんなチルノの表情を見ながら、彼は申し訳なさそうに言ってきた。

 

「チルノ殿、申し訳ございません。英雄であるあなたにこのような事をさせるのは心苦しいのですが、いかんせん人がまだ……」

 

復興途中のパプニカは、人手は幾らあっても困らない。だが人が増えれば増えるだけ、書類仕事が増えていく。この書類がくせ者であった。処理が必要だというのに、任せる相手にはある程度の知識が必要になる。ましてやこれらの書類は、国に関係する機密でもある。外から来た人間は当然、元国民でも易々と任せられるものではない。

 

その理屈ではチルノも任せられる相手ではないはずなのだが……レオナの仕事量を見かねて、少しだけ手を貸したのが運の尽きである。前世で現代日本の教育を受けていたとはいえ、彼女の書類処理能力はそれほど高いわけではない。のだが、周りにいるのはそれ以下である。仕方なく彼女が担当する羽目になっていた。

 

「いえ、困ったときはお互い様なので。それじゃあこの書類は、レオナに届けてきますね」

 

そう言うとチルノは、書類の束を抱えて部屋から出て行く。これらは最終的には王女であるレオナの決済が必要なのだ。机の上でずっと彼女のことを応援していたスラリンもまた、チルノの肩の上に飛び乗る。

この書類をレオナへ渡し終えると、マトリフの所へ行って修行を行う。これが最近の彼女の一日である。チルノは、長く椅子に座っていたせいで凝り固まった筋肉をほぐすように時折身体を動かしながら、レオナのいる執務室へと足を向けた。

 

 

 

一方、執務室ではレオナの前に三賢者の一人、マリンが跪いていた。

 

「ダイ君達の仲間になりたい?」

「はい。今回の魔王軍との戦いで、自分の未熟さを痛感しました。アバンの使徒である彼らは皆、素晴らしい力を持っています。もし、ダイ君たちが次に旅に出る機会があれば、是が非でも共に同行して、腕を磨き直したいのです」

 

そう言いながら彼女は、額のサークレットを外すとレオナへと返上する。このサークレットこそパプニカが賢者であると認めた証であり、それを返すということはその職を辞する覚悟があるということである。

 

「はぁ……どうしたものかしら……?」

 

マリンのサークレットを受け取りながらレオナはそう呟き、都合三つになったサークレットを手に面倒そうな表情を見せる。彼女がその表情に気付くと、続いて部屋の反対方向から聞こえてきた、わざとらしい咳払いにそちらへと視線を向ける。

 

「エイミ! アポロ!?」

 

そこにいたのは、彼女と同じ三賢者の二人であった。二人ともサークレットを外しており、どうやら考えることは同じだったようである。そのまま、誰がダイたちと共について行くかで室内は大騒ぎとなる。

なお、三賢者の中でレオナへ一番早く直訴をしてきたのはエイミであった。本来の歴史とは異なり、この時期からヒュンケルへの想念を見せる彼女は、その行動力も強くなっていた。

ここ数日でも仕事の合間を見つけては呪文の特訓を続けているほどである。その熱がどこから来ているのかは、言うまでも無い。

 

「え~い! 静かにっ!!」

 

喧々囂々としていた喧噪を打ち切るように、レオナが大声を上げる。主君のその姿に、三人とも動きを止めていた。

 

「三人ともダメよ! あなたたちには、このパプニカを守り抜くという大事な使命があるでしょ!」

 

三人の立場のことを例に出し、迂闊な行動を慎むように叱責する。それは間違いない程の正論であり、三人は反論することも出来ず気まずそうな顔をしていた。

 

「それにエイミ。あなたの場合、修行をしたいという目的がちょっと違うでしょ? 誰とは言わないけれど、ねぇ……?」

「なっ! ひ、姫様!?」

 

そう意地悪な表情で仄めかすレオナの姿に、エイミは慌てて反論しようとする。だが、彼女の態度は周りから見ていれば一目瞭然であり、言葉の挟みようも無い。マリンなどは、実の妹が難儀な相手に惚れたとして難しい問題だと頭を痛めていたりする。

そして、再び部屋の中が騒がしくなり始めた時だ。

 

――コンコンコン、という扉をノックする音が聞こえる。

 

「レオナ、何かあったの? 扉は開けっぱなしだし、廊下まで声が聞こえていたけれど……?」

 

そこには、開け放たれていた扉から遠慮がちに顔を覗かせているチルノの姿があった。彼女の言葉に先ほどのやり取りが全て外に漏れていたかも知れないとわかり、一同は少しだけ大人しくなる。

 

「あらチルノ。ホホホ、なんでもないわよ。それより、どうしたの?」

「うん、これ今日の分の書類ね」

 

そう言いながら彼女は抱えていた紙の束を近くの机へと置く。ドサリと重そうな音が響き、目と耳でそれがどれだけの量かということが察して、レオナが嫌そうな表情を見せる。

 

「うえぇ……またこんなにあるのね……」

 

未決済の物がまだまだ彼女の執務机に積み上げられている。そこに日々の分が重なっていくのだから、さながら無間地獄となる。まだ年若いレオナでは、弱音を吐くのも当然だろう。

 

「文句を言いたくなるのはわかるけれど、やらないといつまで経っても終わらないから。 時々休んでもいいから、確実にやっていきましょうよ。ね?」

 

チルノとしても手伝ってやりたいが、こればかりは彼女の決済が無ければどうしようも無い類いの物ばかりである。そのため、優しい言葉を掛けるのが精一杯であった。彼女の言葉にレオナもまた、ため息を吐きながら頷いた。

友人のそんな姿を見て、チルノは部屋から退出しようとして、言い忘れていた事に気付いて口を開く。

 

「そうそう。私は一応、部外者なんだから。あんまり機密の書類を回すのはやめてね。防諜の問題とかあるでしょ?」

「大丈夫よ、チルノの事は信頼しているから」

 

返ってきたのは、一国の姫にこれだけの情報を知られても問題無い程に信頼されているというありがたい言葉だった。体よく外堀を埋められているような気がしつつも、チルノはそれ以上考えるのを放棄して、笑顔で手を振りながら部屋から出て行った。

 

そして残された持ってきたばかりの新鮮な書類の一枚を手に取ると、レオナは降って沸いた仕事量を想像して重苦しくため息を付きながら書面に目を通す。

家臣達に負けず劣らず丁寧な仕事ぶりで処理してあるそれを見て、どこでこんな教養を身につけたのやらと疑問に思っていると、既に去ってしまい閉められた扉の向こうに熱い視線を送っている者がいたことに気付く。

 

「あらら。影に隠れていたから気付かなかったけれど、もう一人いたのね」

 

そう呟くと三賢者が反応する。とはいえそれだけでは何のことか分からなかったようだ。疑問顔を浮かべている一人に向かって、レオナはさらに口を開く。

 

「アポロ、あなたの年齢だと下手すると犯罪よ?」

 

そう言われたものの、最初は何を言っているのやらぼんやりとした表情を見せていた。だがやがて何を意図して言った言葉か気付くと、慌てて顔を真っ赤にする。

 

「……なっ!! ち、違います姫!! チルノ殿のことは純粋に、賢者として!!」

「別にチルノのことだなんて、一言も口にしていないんだけど?」

「う……」

 

その分かり易すぎる反応にレオナは勿論のこと、同僚であるマリンたちもアポロのことを胡乱げな瞳で見ている。

 

「三賢者の頭の中は半分以上が春だったなんて……」

 

レオナはとりあえず、チルノが扉を閉めてくれたことを感謝することにした。

 

 

 

「あれ、姉ちゃん?」

 

拠点の廊下で、向こうから歩いてくるダイに気付く。相手もチルノのことを認識して、だがこんな場所で出会うとは思わなかったのだろう。意外そうに声を上げた。

 

「ダイ? マトリフさんのところで修行していたんじゃないの?」

「ううん、今日の分はもう……あ、そうだ! 聞いてよ姉ちゃん!!」

 

渡りに船とばかりに、ダイは姉へと話し始めた。その内容は、新しい武器防具が欲しいというものであった。ダイが元々持っていた鋼鉄の剣――それもキラーメタルでコーティングした一点物――は、新生フレイザードとの戦いにて失われている。

ここ数日は兵士から借りた間に合わせの武器で凌いでいたが、いつまでも借り物では格好もつかないだろう。

 

「そう、武器を……」

「姉ちゃん、作れる?」

「出来なくは無いけれど、時間が掛かるわよ」

 

自身の生産技能を駆使すれば、出来なくは無い。ダイが持っている短剣はチルノ謹製、キラーマシンの装甲から作り上げた業物である。だが制作期間は三ヶ月近く掛かったのだ。ホイホイと簡単に作れるものではない。

 

「そっか、じゃあポップの言うように買いに出かけるべきかなぁ……?」

「そのポップはどうしたの?」

「マトリフさんのところに、許可を貰いに行ってるよ」

 

――ああ、そうか。もうそんな時期なのね。

 

そこまで話を聞いて、チルノは来るべき時が来たことを悟る。ならば先ほどのレオナの所でも何があったのか彼女には想像がつく。

 

――さて、どうしたものかしら?

 

ここ数日、幾度となく自問してきた事だった。ここで「ロモスで覇者の剣を手に入れましょう」というのは簡単なことだ。六大軍団を半壊させた程であれば、勇者にふさわしいと胸を張って報告もできるはずだ。

しかし彼女は知っている。本来の歴史通りに事が進んでいれば、ロモスにあった覇者の剣はハドラーの元へと届けられるはずということを。

このタイミングならば、まだギリギリ残っているかもしれないが、それに賭けるには少々リスクが大きいとも考えていた。

なにしろ、空裂斬でフレイザードを倒したと思えばああなったのだ。ここで覇者の剣を手に入れた場合、本来の歴史とどれだけ乖離するのか。そして、どんな揺り戻しがあるのか分かったものではない。

 

そして、次の相手は竜騎将バランの予定である。幾ら準備しても不足ということはない。

本来の歴史と比べれば、自分もいる。ポップもマトリフに――チルノが口を滑らしたと言うことも加わって――熱心に修行を付けている。

未だにやり込められているものの、チルノだって修行の成果は出ている。

ヒュンケルたちには移動用のアイテムを渡してあるのだから、より早く戻ってくる事が出来るだろう。

 

そして、覇者の剣ほどではないが、強い剣には心当たりがある――とはいえ、それを手に入れるには彼女が少々頑張る必要があり、上手くいくとは限らない。という但し書きがつくものであったが。

それでも上手くいけば、鎧の魔剣を殺す事無く済むかも知れないものである。

 

「そうね。ならやっぱり、レオナに相談してみたら良いんじゃ無い?」

 

それに、先ほどの執務室にあった書類の束を彼女は思い出す。レオナは復興中の国を導き、慣れぬ国務を相手に悪戦苦闘している。そんな彼女に、息抜きの場の一つくらいはあっても問題はないだろう。

 

そして、なによりも――

 

「上手く話がまとまったら、私も誘ってね。ベンガーナとか、行ってみたいの」

 

――この世界のデパートを是非とも見てみたい! という単純な欲望に、彼女は抗えなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「いいのかな? これって泥棒なんじゃないの!?」

 

気球はどんどん上昇していき、それと反比例するかのようにパプニカは小さく見えてくる。そんな景色を見下ろしながら、ダイは不安げに呟いた。

 

あの後、ダイはチルノを伴ってレオナに武器のことを相談すると、彼女はベンガーナ王国行きを提案してきた。デパートのことを話題に上げてダイの興味を煽ると、屋上に止めていた気球を拝借してベンガーナへと向かうことに決定していた。

途中にいた見張りの兵士達は彼女のラリホーの呪文で眠らせ、異変に気付いた三賢者たちがやってきたときには、すでに気球は出発した後であった。この場面だけを切り取ってみれば、まるで彼らが見送りに来たかのようである。

レオナにダイ、チルノに加えてゴメちゃんとスラリンまでもが乗っているのだが、気球はその程度の重量など物ともしないようにグングンと上昇していく。

この一連の間、チルノは殆ど口を挟まなかったのだが……こうも見事に、彼女の知る本来の歴史の様に事態が動くものかと小さな感動すら覚えていた。

 

「王宮の物をあたしが使ってなんで泥棒なのよ。いーじゃない!」

「まあ、そうだけど……」

「レオナ。王宮の物だからこそ、勝手に使うのは問題になりかねないと思うのだけど」

「え?」

 

得意げにしていた所をチルノに言われ、思わずレオナは驚き顔になる。

 

「この気球を買うお金だって、元を正せば国民の税金からでしょ? それを考えると、私的なことに使うのはあんまり感心しないわよ」

「う……」

「でもまあ今回は、勇者ダイの装備を買うためという理由があるから目を瞑りましょう」

 

片目を瞑り、イタズラをした少女のように笑顔を見せる少女の姿に、レオナも軽くたしなめられた程度。本気で怒っている訳では無いことを悟る。そもそも本気ならば、気球を勝手に使おうとしたところで止めていたのだから。

最初から共犯者になるつもりだったのだと理解する。

 

「もう、チルノってば話がわかるんだから! だから好きよ!!」

 

こういった親友同士のやり取りに憧れていたレオナは、チルノへと軽く抱きついて見せる。チルノもまた仕方ないといった顔をしつつも嫌がる素振りを見せずにレオナを受け入れていた。

 

「そういえばさ、ポップを置いてきちゃったんだけど、いいのかな?」

「ポップ君? 別に良いんじゃ無いの?」

 

そんな姉たちのやり取りを横目で見ながら、ダイは気になっていたことを思いきって口にする。だがレオナの態度はあっさりとしたものだった。

 

「頑張っているみたいだけれど、まだまだ修行不足よね。それにチルノがいるんだもの、彼はいてもいなくても同じだと思うけど?」

「いや、ああ見えて結構頼れるんだぜ……」

「そうそう。最近はマトリフさんのところでも一生懸命鍛えているんだから。むしろ、伸びしろは私たちの中で一番あると思う」

 

ある程度和らげな言い方をしているが、ダイたちと比べればまだ付き合いの浅いポップの評価は彼女の中では低かったようだ。それでも、二人の言葉を聞きながら彼女は少しだけポップへ対する評価を改める。

 

「ふぅん、そうなの?」

「ええ、そうよ。それに、仲間外れは寂しいからね。だから……」

 

レオナの反応に満足しながら、チルノは気球から身を乗り出して篭の下を見る。

 

「あ、やっぱりいた」

「うおっ!?」

 

そこにはトベルーラで気球へと追いすがるポップの姿があった。

 

「き、気付いてたのか!?」

「あはは……」

 

ポップの言葉に、まさか本来の歴史を辿っただけです。と言うわけにもいかず、チルノは曖昧に笑いながらポップを篭へと引っ張り上げるべく手を伸ばした。

 

 

 

パプニカから気球でおよそ一日。ギルドメイン大陸についてから、さらに馬車でしばらくの時間を掛けて、一行はベンガーナへの道を移動していた。

 

「そおれっ!」

 

手綱を操りながら、レオナは上機嫌で馬車を疾走させる。そのあまりのスピードにポップが文句を言うものの、レオナはこの程度は普通だと言って止めようともしない。

パプニカで重責に常に悩まされている姿よりも、快活な今の方がよほどレオナらしい。そう言うダイの意見には、チルノも賛成であった。

尤も、帰った後はまた山積みの仕事が襲われるのだろうが……そこまで考えてから、今はもうただ楽しもうとチルノは思考を切り替える。

 

「ねえ、チルノ。興味本位なんだけど、アポロはどう思う?」

「え、アポロさん?」

 

馬車の荷台から業者台へと、猫のような姿勢で顔を覗かせているチルノへレオナが突然話しかける。突然話題に上げられた意図が分からず、彼女はきょとんとした顔を見せる。

 

「この間の戦いの時は、頼りになったわね。攻撃呪文も回復呪文も使えるし、誠実な人柄だと思うけれど。それがどうかしたの?」

「ふぅ~ん……」

 

とはいえ、思った通りの言葉を口にする。だがそれは一歩引いた客観的な意見であり、レオナが望んでいたもっと主観的な意見ではない。

詳しい内容を話さずに聞いた自分も悪いだろうが、それでこんな意見を言うようでは仲間としか見ていないのだろうとレオナは思う。

 

「え? え? 何か変なこと言ったかしら?」

「いえ、なんていうか……うちの賢者たちは揃って望み薄なんだなぁって思っただけよ」

「???」

 

チルノの疑問が氷解せぬまま、馬車は進む。

 

「おっ、城が見えてきたぜ」

 

やがて街並みが見えてきて、その向こうに見える巨大な建物を見ながらポップが呟いた。だがそれをレオナが否定する。

 

「バカねぇ、お城にあんな気球がついてる? あれがデパートよ」

「あっ、あれが!?」

 

予備知識の無いダイたちにはあれほど大きな建物が店であるなど信じられないようだ。

馬車はベンガーナ自慢のデパートへ向けて、ひた走っていった。

 

 




こんなタイトルのくせに買い物していない件について。

ミストバーンさん、原作のこの場面だと最初に「……キルバーン!」と言ってることを読み返して知る。読者に名前をアピールするとかの都合上、仕方ないとは思いますが。
設定通りに「……キル!」と言わせると「突然英語で殺害予告とかミストバーンは一体何を考えているんだ?」となるでしょうし(以降はちゃんとキルって呼んでるので)

物語全体で見ても、原作よりちょっとスケジュールが早くなってました。
(なのでカール壊滅前にトンボ帰りさせられるバランさん。ごめんね、私がスケジュール管理をミスしていたのが悪いのです)
ザボエラが怪我で入院しているので、バランはまだ真実を知らず。なので、バランは不審に思いつつもまだ(ある程度)温厚モード。



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LEVEL:36 初めてのデパート

一部、文章のノリが違う部分があります。ご容赦ください。




「でっ……でけぇ……」

「こっ、この中みんな、お店なの……!?」

 

ダイとポップが並んで目を丸くしながら建物を見上げていた。ベンガーナのデパート前にたどり着いたダイたち一行であったが、初めてみるデパートの威容にすっかりと飲まれているようだった。

彼らの常識からしてみれば店というのは一軒家が当たり前であり、どれだけ大きくても三階建て――それも宿屋などの大型である必要性のある物でしかなかった。

そのため、お城もかくやと言うほどの巨大な建物を見せられて「これが店です」と言われても、まだ信じ切れないらしい。

 

チルノもまた、デパートを見上げていた。とはいえ事前知識のある彼女にしてみれば、その大きさには驚かない。ただ、屋上に付けられたアドバルーンを見ながら「中身は水素? ヘリウムってことはないだろうけれど……」などと考えていた。

そのアドバルーンに垂れ下がっている"激安!大特価セール"の文字や、入り口の上にでかでかと掲げられた"ベンガーナ百貨店"の文字を見て、なんとなくほっこりとしてしまったのは内緒である。

 

「さあ、行きましょ!」

 

レオナの言葉に反応してチルノはすぐさま後に続くが、ダイたちは未だ魂が抜けたようにぼーっとしたままだ。

 

「仕方ない、か……」

 

それに気付いたチルノは一旦後ろまで回り込むと、そのまま二人の間へと割って入る。そのまま二人の腕をそれぞれ取ると、恋人同士のように腕を組んだ。

 

「ほら、行くわよ? キョロキョロしてないで、ね?」

「へ!? お、おう」

 

そう言うが早いか二人の腕を引っ張るようにして進んでいく。突然の事態に理解が及ばずにいたダイたちであったが、チルノが気を遣ってくれたとわかり慌てて歩き出した。そのまま少しの間だけ連れ立って歩き、入り口を門をくぐった辺りで彼女は二人の手を放す。

 

「ごめんね、待たせちゃって」

「まったくもう、いくら何でも驚きすぎよ」

 

すぐ傍で待っていたレオナに声を掛けると、彼女はダイたちの様子を見ながら呆れたように呟く。ダイはその言葉に照れながらも謝るが、ポップの方はどこか心ここにあらずと言った様子である。何か良いことでもあったのか、左手で自身の右腕を擦りながら、ときおり笑みを浮かべている。

 

「ポップ? 置いていくよ?」

「あ、ああ悪ぃ!」

 

歩みの遅いポップを見かねて、チルノが再び声を掛ける。ポップは彼女の声にハッとしたように気がつくと、慌てて小走りに駆け寄ってきた。少し顔が赤くなっているが、何が原因か分からず、チルノは肩に乗せていたスラリンと二人で顔を見合わせていた。

 

外観を見ただけでも立派であったデパートは、内側もかなりのものだった。大理石をふんだんに使っており、ランプや壁の細工物なども凝っている。特に一階の売り場は宝石などを扱っているため、その美しさはデパート内でも随一かもしれない。

入店したダイたちは、チルノが忠告したにも拘わらずキョロキョロとしているが、これでは無理もないだろう。初めて見る人間には刺激が強すぎる。

 

「えっと……武器は四階、服や鎧は五階か……」

 

対してレオナは流石に一国の姫である。一度訪れたこともあって、その輝きに惑わされることもない。手近にあった案内板を眺めて、目当ての売り場を確認する。

 

「ここ、五階建てだったのか……」

「よく見て、地下もあるわよ」

 

案内板を見ながら、今日だけで何度目なのか、もはや数えるのも面倒なほどに、ポップは驚きの声を上げる。そしてチルノの地下があると言う発言を耳にしてさらにその回数を増やしていた。

 

「じゃあ、五階から見ましょ」

 

そう言いながらレオナは小部屋に入る。そこは扉も無ければ窓も無い不思議な個室であった。デパートには似つかわしくないようなその部屋に、ポップは首を捻る。

 

「姫さん。そんな部屋に何の用があるんだ?」

「良いから入って入って」

 

レオナに促され、半信半疑でダイたちは室内へと足を踏み入れる。既にチルノはレオナの後について入室済みであり、ニコニコしながら二人のことを待っていた。

 

「よし、全員揃ったわね」

 

そう言うとレオナは部屋の隅に配置されたパネルを足で強く踏む。少しの重さを感じさせながらパネルは下がると、今度は部屋全体が上昇していった。

 

「うわっ!! うわ~~っ!!」

「ゆっ、床が動いたぁっ!!」

「やーね、田舎者丸出しで……これはエレベーターって行って、最上階まで運んでくれるのよっ!」

「初めて見る物ばっかりなんだから、仕方ないって」

 

何度目かの呆れた表情を見せるレオナに向けて、チルノは苦笑いしながら言う。初めてのエレベーターとなれば、仕方ないだろう。事前情報を一切持たなければ、この反応は仕方ない。ましてやこの独特の浮遊感は、何度か乗って慣れるしか無い。

 

「あら、チルノは平気なの?」

「いえいえ、十分驚いていますよ」

 

少しだけ残念な顔をするレオナに対して、チルノは笑顔でそう答える。とはいえ彼女が驚いているのはエレベーターの構造ではなく、本の中でしか見たことの無かったエレベーターに実際に乗れた事に対してであるが。

最上階へ向けて上昇を続けるエレベーターの中、チルノはレオナへ気になっていたことを尋ねる。

 

「そういえばレオナ、このエレベーターって事故対策はどうなってるか知ってる?」

「……え?」

「さっき床のパネルを踏んでいたから、それで動くのは分かったわ。でも、子供がイタズラで踏んじゃったり、入り口に人がいる状態で動かしたら挟まっちゃうんじゃないの? そういう場合の安全対策ってちゃんとしてあるのかしら?」

「し、知らない……」

 

レオナ本人でも考えたこともないことを尋ねられ、彼女はそう返すのが精一杯だった。知った風な顔をしていても、彼女もここに来たのは幼い頃に来て以来なのだ。そもそも質問の内容が、デパートの関係者か工事をした職人でも無ければ、そうそう答えられるものではないだろう。

 

「そう……でも、その辺りの安全はきちんと考えて設計しているんでしょうね。下手に事故が起きれば客足に大きな影響が出るはずだから」

「…………」

 

とりあえずの結論を口にする親友の姿を見ながら、レオナはその見識に唸らされていた。

 

 

 

やがてエレベーターは止まり、最上階へと到達する。そこから降りたダイたちが見た物は、広大な室内に所狭しと並ぶ防具の山であった。幾つかのエリアに別れて、棚が林のように並び立ち、どこを見ても商品がある。

この様子にはダイたちはおろか、チルノも目を丸くせざるを得なかった。

 

「……こりゃすげえや……おれの実家の武器屋の百倍くらいでかいぜ……」

 

なまじ商家の息子として産まれたポップは、これがどれだけ桁外れなのかを良く理解していた。門前の小僧ではないが、誰に教えられずとも見ているだけでそれとなく覚えてしまうようだ。

 

一方、いち早く立ち直ったダイは鎧のあるエリアを中心に見て回り始めていた。その中の一つ、人形に着せられた鎧に目がとまる。

 

「あ、カッコイイなこれ……!」

「へぇ……"騎士の鎧"だって」

 

展示品のそれへ何とはなしに手を触れながら呟くと、ダイの様子に気付いたチルノが札に書かれた商品名を読み上げる。それにつられて、ダイも値札に目を向けて、そして気付いた。

 

「うげぇっ!! さ、3800G……!?」

 

ダイの基準の中では余りに高額な値段に驚き、触れたことを心の中で謝りながらそっと距離を取る。だがその驚きはより大きな驚きに上書きされることとなった。

 

「あ、ダイ君。4000Gくらいまでならどれを買ってもいいわよ」

 

手に大量の服を抱えながら通りすがったレオナが口にした言葉に、ダイとポップは驚かされる。

 

「そ、そんなに……!?」

「あら、これは試着するやつよ。全部買うんじゃないの……」

「そういう意味じゃなくてだな! そんなに金持ってるのかってことだよ!」

 

ダイの「そんなに」という言葉を「手にした服の全部を買うのか」という意味と思ったレオナであったが、続くポップによって別のことを指しているのだと理解する。

 

「ああ、お金なら平気よ! パプニカの金属や布はすっごく高値で売れるのよ。あたしのこのドレスを売れば、2~30000Gになるわよ!」

「30000G……」

「……ケタが違う……」

 

デルムリン島出身で、貨幣制度については――習ってこそいるものの――馴染みの薄いダイと、小さな村出身のせいでこれほど大きな金額など見たことの無いポップである。飛び交う価格の大きさにもはや言葉も出なかった。

こういった金銭感覚のズレもまた出自の違い故に仕方の無いことだろう。

 

「一応、私も少しは持って来たから自分で出すわよ?」

「大丈夫大丈夫、そもそも誘ったのはあたしなんだから。ここはどーんと任せて!」

 

彼女の知る歴史では、一人あたり5000Gであったが、やはり人数が増えている分だけ予算が多少は逼迫しているようだ。その辺りの事が気になったチルノが口を挟むが、レオナは問題ないと言い切る。

一応彼女も万が一の事を考えて少しばかりお金は持ってきているが、レオナの金額と比べれば焼け石に水である。

 

「……どーする、ポップ。姉ちゃん?」

「おれはいいよ。武器もマントも師匠から貰ったからさ。その分、二人で使ってくれ」

 

ベンガーナへ来る前にマトリフの所へ許可を取りに行っていたポップは、若い頃に使っていたという"輝きの杖"と"魔道士のマント"に"変なベルト"を師から譲り受けていた。そのため、本人の言うように無理に新装備を買う必要はなかった。

ポップの言葉を聞いて、ダイは少しだけ遠慮がちながらも目当ての鎧へ視線を向けた。

 

「じゃあ、やっぱり……これかな」

「いらっしゃいませ。こちらの"騎士の鎧"をお求めですか?」

「うん」

 

笑顔で"騎士の鎧"を指さしていることから、これは買う客だと思われたのだろう。店員の一人が揉み手をしながら近寄って来た。

 

「あの、着てみていいかな?」

「もちろんでございます。こちらへどうぞ」

 

そのまま店員の言葉に従い、試着室へとダイは向かう。店員はというと"騎士の鎧"を手に持って試着室へ向かっている辺り、防具売り場の担当者のすごさが覗えるようだ。

 

「私は、どうしようかしら……?」

 

ダイとは対象的に、チルノは選ぶ装備を決めかねていた。次に戦うべき相手のことを考えると、5000Gの予算では厳しい物があると思っている。本格的に防具を固めるのならばレオナの予算全額を注ぎ込む必要があるだろう。

そう言う意味では、どれを買っても同じ――むしろ買う必要が無いかもしれない。

だがそれはそれでレオナの顔を潰すことになりそうだ。

 

「スラリン、どれがいいと思う?」

「ピィ~?」

 

ダメ元で肩に乗った相棒に話しかけてみるものの、返事は予想通りだった。スライムでは人間の装備が分からないようだ。仕方なし、と棚を順番に見ていくとその途中で試着室のカーテンが開かれ、中からダイが姿を見せた。

 

「…………」

「ダイ、お前……」

 

そこにいたのは「鎧を着た」のではなく「鎧に着られた」という表現が似合う勇者の姿であった。元々が大人――ダイよりも背の高い戦士――が装備することを想定した防具である。小さめのサイズではあるものの、それでもダイでは圧倒的に背丈が足りなかった。ずんぐりむっくりとしており、気のせいか頭身まで縮んだように見える。

ポップが言葉を失うのも当然であり、ダイ本人も「着られている」という意識が強すぎるのだろう事が沈黙から読み取れる。

 

チルノは、少しだけ遠くでそれを見ていると、大慌てで装備選びに戻った。下手に意識をダイに戻すとそれだけで大笑いしてしまいそうだったからである。

 

「ふっふっふ、お悩みかしらチルノ?」

「レオナ!?」

 

熱心に装備を選ぶ様子を買い物に悩んでいると勘違いされたのか、レオナが言う。

 

「大丈夫よ! あたしがばっちりコーディネイトしてあげるから!」

 

その言葉に、彼女が先ほどから熱心に服を選んでは試着室へ持って行っていたのをチルノは思い出す。なるほどあれは自分が試着する用だけではなかったのか。

これは着せ替え人形にされる羽目になる。

まるで予知能力者のように、頭では瞬時にこれから訪れるであろう運命を理解していたのだが、彼女は諦めて受け入れることにした。元々これは、レオナのストレス解消という意味も持っているのだ。何が起こっても付き合おう。

試着室へと手を引っ張られながら、彼女はそう自分に言い聞かせていた。同時に、平穏には終わらないだろうということも予知していたが。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「これはどうかしら!?」

「いや、派手すぎるだろ! こんなの着るのは遊び人くらいだ!!」

 

レオナとチルノが共に試着室へ入り、一着目を着替えて出て来るや否や、開口一番ポップの台詞がこれである。二人が来ているのは"派手な服"という、その名の通り常用を避けたくなるほどド派手なデザインが特徴の服である。

 

「ええ!? そうかしら? ねえ、ダイ君はどう思う?」

 

そう言うと余興のつもりか、彼女は投げキッスを一つして見せた。それを見た男二人は顔を赤らめるものの、常識やら理性やらが勝ったようだ。

 

「おれも、その格好はちょっと、かな」

 

なお、二人で試着室に入っているためか、当然のように同じ物をチルノも着せられている。派手な服を着た少女二人が並んでいるのが珍しいのか、他の買い物客までちらほらと足を止めて二人を見ている。

 

「これで外を歩くのは、私にはちょっと勇気が足りないかな……」

「そう?」

 

それに気付いたチルノは、顔を赤くしながら小声でレオナへ訴えかける。それと同時に、何故"派手な服"が遊び人しか装備できないのか、その理由を現在進行形で肌で感じていた。

 

「仕方ないわね、それじゃ次の候補よ。ちょっと待ってて」

 

言うが早いかチルノの腕をひっつかみ、レオナはカーテンの向こうへと消える。

 

「次は、まともなんだろうな……?」

「さ、さぁ……?」

 

ダイとポップが不安げに会話を交わす中、すぐに試着室の向こうから声が聞こえてきた。

 

「ええっ!? コレを着るの!?」

「大丈夫だってば。ほらほら、一回くらいは。物は試しでしょ?」

「で、でも……」

「着てみるだけならタダだから、ね!?」

 

既に嫌な予感しかない。そして、カーテンが開く。

 

「じゃーん! おまたせ!!」

「じゃ、じゃーん……」

 

あらかじめ打ち合わせをしていたらしく、二人は声を揃えて出てきた。今度の格好は、バニーガールである。黒の"バニースーツ"と同色の"うさ耳バンド"に加えて"網タイツ"まで完備している。もはやどこから見ても完璧なバニーガールである。

その完成度はこのままカジノで働けそうな程であり、"シルバートレイ"も装備していればベストドレッサー賞も狙えるだろう。

 

ただ、この格好はどちらかと言えばレオナの方に軍配が上がりそうであった。バニースーツが黒のため、チルノの肌の色では目立たないのだ。レオナの雪のような肌の方が、白黒がはっきりとするために目立つ。むしろレオナをチルノが後押ししている。

例えばこれが、白のバニースーツをチルノが着用していたならば、評価はまた違った物になったかもしれないが、そうなると今度は白のバニースーツは有りか無しか、という面倒な議論にまで発展しかねないのだが。

 

とあれ、二人のバニー姿が登場したことによって周囲がヒートアップする。「おお!」という声がちらほら漏れ聞こえているのが何よりの証拠だろう。

そんな反応が恐ろしく感じてしまい、チルノは少し身を竦ませる。何が起こっても付き合うと決めたことをこの時点で既に後悔しつつあった。

 

「お前らなぁ……そんな格好で何をするんだよ……」

「…………」

 

半眼で呆れた様に言うポップとは対象的に、ダイには少々刺激が強すぎたらしい。露出度の高い格好に息をのんでいた。

 

「ええーっ! コレもダメなの!?」

「……むしろこれのどこに、イケる要素を感じたのよ……」

「仕方ない! じゃあとっておきね!!」

 

再びカーテンの向こうへと消える二人。そして再び聞こえてくる二人の声。

 

「待って待って!! これは無理!! これは無理だってば!!」

「大丈夫よ、似合ってるから!!」

「付き合うって決めたけれど、これは無理だから!!」

「こりゃ、今回も期待薄だな……」

 

絶望的な表情で呟くポップとは裏腹に、周囲の客の期待は高まっていたようである。

そして再びカーテンが開いたとき、歓声が上がる。

 

「おおおーっ!!」

「な、ななななな……なんじゃそりゃ!?!?」

 

ポップが若干鼻血を吹き出しそうになるが、それも無理もなかった。今回は、まさかの"危ない水着"である。スリングショットに近いデザインを誇っており、へそや腰は勿論のこと、胸の谷間までもが大胆に露出している。

本家からセクハラ装備の元祖としてその名を欲しいままにしており、媒体によっては某2作目の王女が装備したことで有名な装備である。

 

「ほ~ら、どうかしら?」

「ちょっとレオナ! だめ、見えちゃうから!! ……って、私も!?」

 

テンションが上がったのか少しだけセクシーなポーズを取ろうとしたため、慌ててチルノが自分の身体を張って隠そうとする。とはいえ彼女も同じく"危ない水着"を着ているため二の舞を演じそうになり、レオナを引っ張り込むように試着室へと戻る。

 

「動きやすくていいでしょ?」

「それ以前の問題だから!! 大体これって、予算オーバーでしょ!? 弁償になったらどうするの!?」

「大丈夫よ。これの値段はね――」

「……え、そうなの?」

 

そう言ってレオナが口にした金額は、チルノが知るある意味有名な金額(78000G)よりもずっと安かった。どうやら3作目のある意味有名な金額(78000G)はネタ込みの金額であったようだ。

一方、試着室の外では興奮冷めやらぬ状態である。もはや新手のファッションショーか何かの様相を呈しつつあった。

 

「ええっ!? 次はコレなの!?」

「さっきより露出は少ないでしょ! 何が不満なの?」

「私なの!? おかしいのは私なの!?」

 

三度繰り広げられるカーテンの向こうからの声に、観客達の期待は否応なしに高まる。ついでに何故か、ポップ達まで期待していた。男だから仕方ないだろうが、お前ら仲間だろ。ちゃんと注意しろ。

 

「はっきり言って、コレは自信作よ!!」

「うおおおおおおっっっ!!」

 

その言葉通り、自信たっぷりに出てきた二人の姿に周囲は歓声を上げる。その格好は、露出度で言えば先程着ていた"あぶない水着"よりも今の方が低い。にも拘わらず、前回よりもウケは良い。

 

「……さっきよりはマシだけど……」

 

そんな様子に辟易しながら、チルノは自分の格好を再度確認する。厳密に本心を言えば、彼女はこの格好はそこまで嫌では無かった。

 

――なぜならば、彼女達が着ているのは"踊り子の服"である。

 

それも8作目のような、昨今の厳しい風潮の影響を受け、大きめの腰布を巻いて下半身の露出度が下がっているような軟弱な物ではない。ブラにフンドシのみの初期から続いた正当派スタイルの物である。

11作目? あれはあれで良いものだ。表現の抜け穴を突いたようなデザインがとても良い。しかも着ている人間が清楚系なので、むしろ妄想が捗ると言う意味ではこっちに軍配が上がりかねない。

 

だが、あえて4作目の格好である。踊り子の服はチルノの褐色の肌と深紅の髪色が服とマッチしている。それはひとえに、マーニャの存在が強いからだろう。

踊り子の服と言えばマーニャ。マーニャと言えば踊り子の服である。その認識がまるでこの世界にも影響を与えているかのような熱狂振りだ。

さながら彼女のコスプレのような格好であり、知識を持っているチルノにしてみればある程度受け入れやすい格好ではあった。いつもは束ねている髪を今回ばかりは下ろしてストレートにしているのも、その証左の一つである。

とはいえ本物のマーニャと比較すれば、主に年齢や肉付きの点で残念なのだが、むしろまだ幼さを残す肉体のせいで逆に背徳感が増していた。

その影響か、なまじ露出の高い"危ない水着"を着た時よりも人気があった。

 

なお「こんな格好で防具として役立つわけ無いだろ」などと言う意見は受け付けない。レオタードやらビスチェやらで世界を救ったって良いのだ。そんなことを言い出したら3作目の女戦士など、デフォルトがあの格好であることを忘れてはいけない。

 

「あたしの目に狂いはなかったわ! 買いね! これは絶対に買うわよ!!」

 

ギャラリーの反応で自分の意見が間違っていなかったことを確認しながらレオナは言うと、周囲の人間は同意する様に頷く。

 

「じゃあ、次は……」

「……ねえ、レオナ。連れてきて貰った身だし、今まで我慢してきたけれど、もうそろそろ怒ってもいいわよね?」

「じょ、ジョーダンだってば……!」

 

片手に"ぬいぐるみ"を、もう片方の手には"エッチな下着"を持ちながら、冗談も何も無いだろう。ただ、チルノがとても良い笑顔を浮かべながら口にしたその言葉に今までで一番の恐怖を味わっており、レオナはそう言うしかなかった。

 

余談ながら、店内で大騒ぎをしたものの売り上げは良くなったらしく、店側からは特別にお目こぼしをして貰ったようである。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「行きましょ、スラリン!」

「ピィ!」

 

元の服装に着替えたチルノは、いい加減うんざりしたと言わんばかりのポーズを見せながら、スラリン――このスラリン、試着の間はずっと室内にいたためばっちりと見ているのだが、それはそれとして――を抱えて服選びに戻る。

 

レオナが発憤したかったというその気持ちは分かるが、流石にちょっとやり過ぎだとはチルノも思っていた。しかし同時に、少々大人げなかったかとも思ってしまう。

ままならない気持ちを抱えながら棚を眺めていくと、一着のローブに目がとまる。何故か気になったそれを手に取って良く見てみれば、デザインや色合いも今着ている物と似通っている。差異といえば、少々明るい色使いになっているくらいだろうか。質の面でも上らしい。そしてお値段は――

 

「それがいいの?」

 

レオナの声がかかり、チルノは思わず後ろを振り返る。そこには少し沈んだ表情をしたレオナの姿があった。どうやら彼女もやり過ぎたことを反省しているようだ。

 

「うん、でも限度額ギリギリだから……」

「大丈夫よ、予算は足りてるから。それに、ポップ君の分を回して貰えたんだから、気にすることは無いわ。甘えちゃいましょ?」

 

そう言うレオナの言葉にチルノは吹き出した様にクスクスと笑う。友人の笑顔を見てレオナにもようやく笑顔が戻った。

 

「そうね。じゃあ、これを……一応、試着してからね」

「じゃあ、一緒に行きましょうか?」

「断っておくけれど、もう同じ試着室はゴメンだからね」

 

私怒っています、と分かり易いくらいに表情でアピールするチルノを見て、レオナは「嫌われたくないからもうやらない」と口にした。

 

「レオナはそれにするの?」

「ええ、そのつもりよ」

 

そう言うレオナが手にしているのは、動きやすそうな服装だった。袖が短ければスカートも短めであり、動きやすそうではあるが同時に見えてしまうのではないかと不安になる。ちらりと見た限りだが、デザインは本来の歴史で彼女が決めた者と同じ物のようだ。

何気ない会話をしながら並んで歩いていると、ふと、目玉商品のように展示されている装備が気になりチルノは足を止める。

 

「これ、"銀の髪飾り"?」

「素敵……」

 

チルノにつられて足を止めたレオナであったが、展示された髪飾りが放つ銀色の魔力に目を奪われているようだった。そんなレオナを見ながらチルノはあることを閃く。

 

「ねえ、これ……お揃いの物を買ったりとか、してみない?」

「……そうね! 今日の記念、ってことで買っちゃいましょう!!」

 

友人同士、お揃いの物を購入する。これもまた、レオナの憧れる何気ない友情の一場面のようであり気に入るだろうと思っていた。まあ、そういった心を抜きにしてもレオナのあの表情を見ていれば遅かれ早かれ買っていただろう。

チルノはその背中を少し後押ししたに過ぎない。

 

試着を終えた二人は、それぞれ自分が着替えた格好に満足する。

チルノが選んだのは"魔道士のローブ"と呼ばれる装備だ。後衛が良く身につけるものらしく、それなりの防御力と呪文耐性が期待できる。

レオナが選んだのは"魔女の服"と呼ばれるであり、それと併せて"ワイズ・パーム"を購入している。これは、指輪のついた手袋のようなものである。装備者の魔力を増幅させるという、魔法使いが持つ杖に相当する装備だ。だが、杖のように片手が塞がることなく、両手が自由になるので利便性はこちらの方が高い。反面、杖と比べると魔力の増幅量は少なめだ。

この呪文増幅効果は"魔女の服"にも付与されており、賢者の卵である彼女の魔法力を補う意味もある。

 

そして二人の頭には、揃いの"銀の髪飾り"が輝いていた。

 

 

 

「いい武器があるかしらね?」

「とりあえず"鋼鉄の剣(はがねのけん)"があれば買っておきたいかな?」

 

レオナの言葉にダイがそう返す。その様子は、窮屈さから解放されているため実に晴れ晴れとしている。当初は"騎士の鎧"を全身に纏っていたが、明らかにサイズが合っておらず階段を降りることにすら苦戦していた。

そのためチルノが――本来の歴史通り――必要なパーツだけを残して取り外し、極力動きやすい格好へと着替えさせていた。当初は不満を言っていたが、チルノが少し強く押しただけでバランスを崩して倒れてからは、素直に言うことを聞いていた。

 

さてと、とばかりにチルノは辺りを見回す。本来の歴史ではここで強力な武器が売っているはずである。彼女の記憶では、階段を降りればすぐにでも人だかりが見つかるはずと思っていたのだが、それらしいものはどこにもない。

 

「なにかしら、あれ?」

 

その代わりに見つけたのは、大きく張り出されているポスターである。彼女の言葉にポップたちも刺激されてそちらを覗きに行く。

 

「なになに……"ドラゴンキラー"の……オークション開催!?」

「"ドラゴンキラー"ってあの有名な!?」

「鋼鉄よりも硬いと言われるドラゴンの皮膚をも容易く貫く、最高級の武器よね?」

「え、そんな凄い武器が売ってるの!?」

 

レオナの言葉にダイが驚きつつも手に入るかも知れないとわくわくする。

なお、ドラゴンキラーのデザインは鉄の爪かジャマダハルか。刃と手甲が一体化した形状をしており、腕にはめて使う。はっきり言って戦士よりも武道家の方が使いやすそうである。

 

「……すいません、この会場ってどこですか!?」

「まさか、買う気かよ!?」

 

レオナが店員に声を掛けると、すぐさま寄ってきて説明をする。

 

「ああ、ドラゴンキラーのオークションですね? 会場は四階のここになります。ただ、開催は明日ですので……」

「明日!?」

 

少し離れた場所で張り紙を前にダイへオークションの説明をしていたチルノも、その言葉を耳にしてこっそりと驚く。

 

「そんな! どうにか買えないの!?」

「もうしわけありません、規則ですから……それに、明日の開催を目当てのお客様も大勢いらっしゃるので……」

「う……」

「レオナ、ついでに残念なお知らせよ。予想落札価格(エスティメート)は15000Gって書いてあるわ」

 

予想落札価格とは読んで字の如く「オークションの際にはこのくらいの値段で落札されるだろう」という予想価格である。設定の仕方によって、買い手の購買欲に大きく影響する。高すぎれば手が出ないと購買欲が減退するが、かといって低すぎれば何か裏があるのではと勘ぐられて熱が下がる。

 

「今のお財布の中身はどのくらい?」

「いちまんゴールド……くらい……」

 

店員の言葉に加えて、チルノから告げられた予算の不足である。今すぐ手に入れるのはどうやっても不可能だ。

 

――明日まで待つ必要がある。でも明日になっても、お金が足りない……

 

瞬間、チルノが少しは持ってきていると言っていた事を思い出す。だが、不足金額は最低でも5000G。とてもではないがそこまで期待するのは酷だろう。何より自分で出すと言った手前、ここで頼るのはカッコ悪い――と、そこまで考えてからもう一案を閃く。

 

「開催は明日よね!? ポップ君、一旦ルーラで戻るわよ!」

「はぁ……!? あ、まさか!? 金を取りに戻るのか!?」

「はい、レオナそこまで」

 

自分では妙案だと思ってたレオナであったが、チルノが止める。

 

「来る途中にも言ったけれど、お金は大事にしなきゃダメよ?」

「でも、ダイ君の力にもなるのよ……」

 

空の上ならばまだしも、ここではどんな人間が聞き耳を立てているか分からない。そのためできるだけ素性が分からないような言い方をチルノは心懸けていた。

 

「それは否定しないけれど……仮に戻ったとしたら、ほぼ間違いなく捕まって仕事漬けになるわよ。やることだって沢山あるでしょ?」

「う……」

 

仕事の量を思い出し、思わずうめき声を上げてしまう。現在ですら部外者に手伝って貰っているのだ。オマケにベンガーナに来るのだって殆ど抜け出してきたような物だ。パプニカへ戻ればチルノの言うようなことになるだろう。

 

「オークションを知らなかった私たちが無理矢理に参加するのは無粋ってものよ。今回は縁が無かったと思って、諦めましょ?」

「そうだよレオナ。無理して高い武器を買わなくたっていいってば」

「でも、あたしたちが使った方が絶対有意義だわ……」

「だからって、無理してまで買う事無いと思うよ。それにどんなに安い武器使ったって敵に勝ちゃいいんだろ?」

「縁があれば、もっと強力な武器が手に入るわよ。今は大人しく引きましょ?」

 

姉弟にそう言われては、レオナも矛を収めざるを得なかった。とはいえ完全に納得はしていないのだろう、不満顔である。本来の歴史でもドラゴンキラーが手に入らないことを知っていたチルノは、ここで無理に買う必要もないと考えていたため執着心は見せない。とはいえまさか日にちがズレるとは、彼女も予想していなかった。

 

結局、ダイ用に鋼鉄の剣(はがねのけん)を新しく購入するだけで四階の買い物は終了した。他の三人は後衛と言うこともあって、それほど強い武器を求めなかった。

下の階へと降りる途中、レオナが「そうだったわチルノ! キラーメタルのコーティングした剣、あれもう一本作って! 国宝にするから!!」と言い出した。勇者がパプニカを救った際に使っていた剣として飾るつもりらしい。だがそれは今買ったものではなく、もっと意匠を凝らした立派な剣を用意するとのことであり、中々逞しいものだとダイ達は揃って似た感想を抱いていた。

 

 

 

続いて、本来の歴史では描写されなかった――というよりも、訪れてすらいないだろう――三階、二階と順に見て回る。とはいえ三階で取り扱っているのは日用雑貨であり、取り立てて目を惹く様な物は無かった。サッと見て回ると二階へと降りる。

 

「この階は、何か面白い物が売っていそうね」

 

上の階が期待外れだった為か、レオナがそう呟いた。この階は書籍や道具を扱っており、掘り出し物があるとすればここに売っている可能性が高そうだからだ。

 

「そうだな、とりあえず思い思いに見て回るか?」

 

ポップの言葉に頷きながら、それぞれが棚を見ていく。各々の戦場での役割が異なるため、それぞれの視点で道具を見ることになるのだ。必要な物は自ずと集まるだろう。

 

仲間を見送りながらチルノも商品を眺め始めた。

とりあえず薬草を十個ほど手に取っておく。次々と出現する強敵を前にしては焼け石に水かもしれないが、備えあれば憂いなしと言う言葉もある。パーティ全体の共用道具として持っておいても損は無いだろう。そこまではよかった。

 

「"毒蛾の粉"……」

「ピィ?」

 

――買うべきか、買わざるべきか……

 

陳列棚の前でチルノは悩んでいた。

"毒蛾の粉"は、降りかけた相手を混乱させる道具である。かつてアバンがまだ若かりし頃に、ハドラーが引き連れてきたドラゴンを混乱させ同士討ちをさせたこともあるアイテムだ。予定通りならばドラゴン五匹を相手にするポップに渡しておけば、万が一の時にも時間稼ぎになるだろう。

ただ、マトリフがあれだけ張り切っていたのだから、これは不要となる可能性もある。その場合は無駄な出費になりかねない。何しろ一つ300Gもするのだ。

 

「あっ、チルノ! いたいた、お前も来い!」

「何かあったの?」

「いいから来いって、来ればすぐに分かるから!」

 

そう言いながらチルノの手を取るとポップは駆け出す。仕方なし、慌てて毒蛾の粉を一つ掴むとポップに従って動き出した。

 

「なるほど、こういうことね」

 

案内された先でそう呟く。

そこは『魔法の聖水 特価 お一人様2つまで!!』と書かれた手書きの広告が張り出されており、多くの人で賑わっていた。

"魔法の聖水"は、使うことで消耗した魔法力を回復させる事の出来るアイテムである。後衛にとっては有用なアイテムであり、前衛にとっての薬草のような物と言っていい。

 

ただ、その効果の分だけ貴重でありお値段もそこそこ張っている。それが個数制限をしてまで売っているのだから買いだめの良い機会だろう。

既に並んでいるレオナとダイを見ながら、二人も列の最後尾へと付く。幸運なことに、チルノ達が買ってから数人ほど後で売り切れとなった。

8つの魔法の聖水と他の精算を済ませ、二階を降りる。

 

なお、前述の通り一階は宝石や化粧品である。今はそれほど要らないと言うことになり、一行はデパートを後にした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「あー、楽しかった!」

 

なんだかんだ買い物をしたことでストレスを解消したのだろう、レオナが笑顔で言う。かと思えば、すぐに険しい表情へ戻った。

 

「でもあのドラゴンキラーはいただけないわよね……絶対あたし達が買った方が有効なのに……」

「レオナってばまだ言ってる……」

「発散に来たのに、新しくストレス溜めてどーすんだよ姫さん……」

「もうそのことは忘れましょ」

「……それもそうね。じゃあ、気晴らしに何か美味しい物でも食べに行く?」

「「「美味しい物!?」」」

 

ベンガーナの道を歩きながら、そんなことを話し合う。これだけ大きなデパートがある国だ。レストランでも美味しい物があるに違いないだろう。それを予想してか、三人とも嬉しそうに声を上げる。

仲間のその反応を苦笑いしながら、どこか良いお店がないかと考えていた時だった。

 

「もし、そこのお方?」

 

突然、見知らぬ男に話しかけられて一行は足を止める。話しかけてきたのは商人然とした格好の男だった。ニコニコと笑顔を浮かべており、人の良さそうな印象を受ける。

 

「何か用かしら?」

「お嬢さん。失礼ですが、強い武器をお求めですか?」

「なんで知ってるのかしら……?」

 

突然切り込んできた相手に、レオナは警戒の色を隠そうともしない。それを見た相手は慌てて言う。

 

「先ほど、デパートでのやり取りを偶然耳にしてしまいまして。強い武器をお求めかと思いまして、こうして声を掛けさせていただきました。いかがでしょう、お話だけでも聞いてはいただけませんか?」

「強い武器、ねぇ……」

「どうするのさレオナ、話だけでも聞いてみる?」

「うーん……そうね。ダイ君の言うように、とりあえず話だけでも」

 

そのやり取りを見ながら、チルノは必死で記憶を掘り起こしていた。はて、こんな事があったのだろうか。詐欺かも知れないが、実際の掘り出し物かもしれない。言動は慎重にしようと心に決める。

商人は、大通りでは往来の邪魔になると言って少し離れた場所まで移動する。そこには一台の馬車が停められており、どうやら男の商い品を積んでいるようだ。

 

「わたくしが扱っておりますのは、その名も"真空の剣"と申します」

「"真空の剣"……?」

「はい。この世に二つと存在しないと伝えられる名剣です。真なる勇者がこれを手にすれば突風を巻き起こし、その刃の威力たるや海をも切り裂くとか」

 

真空の剣――その名を聞いてもチルノの記憶には合致する物はない。だがクロコダインが持つ"真空の斧"が存在するこの世界にならば、それと同じことが行える剣があったとしても不思議では無いため、断言は出来ない。

どうやらダイたちも同じ事を考えたようで、俄然興味深そうに話を聞き入っている。

 

「かの勇者アバンが使っていた物ですが、訳あって手放した物を偶然入手した一品でございます」

「ええっ!? 先生が!!」

「先生、というのはひょっとして……皆様はアバンの使徒なのですか!?」

「え、はは……まあ……」

 

アバンの言葉に思わずダイが反応してしまい、ポップが恥ずかしそうに言う。

 

「ああ、なんという運命の巡り合わせでしょうか!! まさか時を経て再び剣と持ち主が出会うとは!」

 

やたらと芝居がかった言い回しをする商人に、ついにチルノは違和感を覚え始めた。少し牽制とばかりに口を挟む。

 

「ねえ……その"真空の剣"を見せて貰えるかしら?」

「ええ、勿論。こちらでございます」

 

そう言うと商人は自信たっぷりに馬車から一つの箱を取り出し、チルノ達へと見せつける。そこに納められていたのは、立派そうな造りの剣だった。真空の異名を誇るかのように、目に鮮やかな空色をしている。

 

「(どう思う、チルノ?)」

「(……グレー)」

 

その剣を見ながら、とても小さな声でレオナが尋ねる。どうやら彼女も疑っているようだ。意見を求められたチルノは簡潔に返す。かなり疑わしいのだが、まだ信じたいという気持ちも彼女の中に残っていた。

 

「いかがでしょう? 出来ることならばわたくしもタダで差し上げたいのですが、こちらも商売です。心苦しいのですが、仕入れ値ギリギリの8000Gで如何でしょう!?」

「…………」

 

鼻息荒く口を回す商人を無視して、チルノは件の剣を見つめていた。彼女とて伊達に生産技能を使っているわけでは無い。知識として無いならば、目利きをして正体を暴こうとしていた。レオナもその様子を眺めており、ダイたちは財布を握っているレオナの言葉を待っている。

 

「むむむ、お気に召しませんか? いやはや何とも商売上手な方で。では損を承知で6000――いえ、ここはキリ良く5000Gとしましょう!!」

「(……黒)」

 

その様子を見ていた商人は、さらに財布の紐を緩めやすくさせようと値を下げる。だがそれを聞いたチルノは結論を出す。

剣は偽物。それも、ここまで簡単に値下げする以上、実際の原価ももっと下――おそらく1000でも高すぎるだろう。そう言おうとしたときだ。

 

「やめときな!!」

 

全く予期しなかった場所から、しわがれた声が聞こえてきた。ダイたちだけでなく商人も含めてその方向を見る。

そこにいたのは小柄な老婆だった。黒い色をした服を纏い、怪しい眼が縦に並んだ三角帽子を被っている。

 

――ナバラさん!?

 

思わず口から飛び出そうとした声をチルノは必死で押さえた。その老婆を彼女は知識として知っている。彼女の知る本来の歴史でもベンガーナに来ていたのだが、まさかここで出会うことになろうとは。

先のオークションが前日だったことから意外に思えたが、考えてみれば二人がベンガーナに滞在して日付については明確な記述はなかったはずだと思い直していた。

 

「なるほどねぇ……悪気(あっき)が出ているから気になって来てみれば、程度の低い詐欺かい」

「なんだとババア!! 人の商売にケチ付けようってのか!?」

「商売ねぇ……偽物を高値で売りつけるのを商売って呼ぶのかしら?」

 

ナバラの指摘を聞いた途端、それまで付けていた善人ぶった仮面を外している。それだけでも証拠としては十分なのだが、せっかく気付いたのだからとチルノは言葉を続ける。

 

「これ"銅の剣"に色を塗っただけよね? しかも形をそれっぽくしているけれど、造りそのものは雑すぎ。とても戦闘に使えるような物じゃ無いわ」

「なっ……!! なんでわか……っ!?」

「ええっ!?」

「なんだ、気付いていたのかい?」

 

ダイたちが驚いている様子を見るに、どうやら本物と信じていたらしい。純粋過ぎるのもどううかと思いながら、ナバラへと頭を下げる。

 

「気付いたのは少し前ですけれど、お婆さんが口を挟んでくれたおかげで助かりました」

「へぇ……」

 

その言葉にナバラが感心したように声を上げる。

 

「つまり、あたしたちに偽物を売りつけようとしたってわけね……」

 

レオナが怒りの表情を浮かべながら商人へと近寄る。ポップも同じく逃がすまいとして、何時でも飛びかかれるように構える。

 

「ち、ちくしょぉぉっ!!」

 

それでも観念することなく足掻こうと、馬車へと駆け寄る。そのまま馬の速度で逃げるつもりらしい。だがその望みが叶うことない。

 

「……【ホールド】」

 

唱えたのは相手を簡易的に麻痺させる魔法である。所詮は戦うことも知らぬ一般人にとっては、チルノの魔法を抵抗することなど出来なかった。下半身を狙って放った魔法によってあっけなく動けなくなってしまう。

 

その後、ナバラの孫――メルルという名の少女――が呼んできた衛兵たちの手により、詐欺師の商人あえなく御用となる。その一連の様子を、ナバラたちとダイたちは揃って眺めていた。

 

 




お着替えシーンは、ワザとメタ表現をちょこちょこ使っています。だってTV版でもレオナがはっちゃけていたらしいので。ノリとしてはありですよね?
その影響を受けて、踊り子の服を勢いだけで買わせてしまう私。この先出番なんて絶対ないのに……というかあのシーンそのものが不要……
(その不要なシーンに4000字くらい使う人がいるらしい)

ドラゴンキラー。
原作にて財テクのために買ったがすぐに溶けて大損のゴッポルさんが不憫だったので、いっそのこと入手機会すら消し飛ばしました。どうせ手に入らないんだし。
(ただデパートも被害が出るので翌日のオークションは開催されないと思いますが)

真空の剣。誰も知らないと思います。私も知りませんでした。
こちらはゲームブック・ドラゴンクエストにて「勇者がメルキドでこの偽の剣を売りつけられる」という詐欺イベントが発生。上手く解決するとドラゴンキラーが手に入る。という内容だそうです。
なんとなく気に入ったので、ナバラたちとの出会いイベントにしてみました。
(要するにバラン編の「人間の汚い部分」描写の一部です)

実際この世界には「オレ、アバンの使徒」詐欺がありそう……

なお、活動報告(最近知った)に、今回のお買い物とお値段リストを乗せてみました。
(個人的に活動報告を使ってみたかっただけで、見なくても何も問題ないですが)

活動報告ページ


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LEVEL:37 ドラゴンが あらわれた!

「災難だったみたいだね」

 

衛兵達に連行されていく詐欺師を見送ってから、ナバラはダイたちへと声を掛ける。ダイたちも返事をしようとしたが、相手の事が分からずに何と声を掛ければいいのか戸惑っている状態だ。

 

「ああ、自己紹介がまだだったね。あたしの名はナバラ。見ての通り、占い師さ」

 

そんなダイたちの様子を察して、ナバラの方から名を名乗った。彼女は年齢のせいか背丈が低いため、ダイたちの視線は自然と下がってしまう。

 

「それとこっちが孫娘のメルルだよ」

「はじめまして」

 

メルル、と呼ばれた少女が頭を下げる。長い黒髪と、黒目がちな瞳が見る者の視線を集めるような美人だ。意思は強そうであるが、同時にとても控えめで優しげな雰囲気を纏っている。祖母と並ぶと、それが一層際立つだろう。

橙色を基調とした全身を隠すような服装をしていながら、左肩を少しだけはだけている。そのため、チラリと見える白い肌に思わず視線が向いてしまいそうだ。

現にポップなど、メルルの美貌とその少しだけ露出した箇所から漂う淡い色気にやられているようで、頬を赤らめていた。

 

ナバラの挨拶に応じるように、レオナを主導に礼を言う。そして、ダイ・ポップ・チルノと順に紹介していった。そうして一通りの挨拶を終えたところで、レオナが口を開いた。

 

「ところで、どうしてこんな場所へ? 助けてもらって失礼だけど、占い師が来るような場所じゃないでしょ?」

「ああ、別に大した理由じゃないさ」

 

レオナの疑問は当然のことである。ここはどちらかと言えば路地の裏手であり、人通りなど望むべくもない。辻商いのように街角で占いでもした方が、まだ実入りがあるだろう。

 

「あたしらがこの街に着いたのは昨日のこと。今日から本格的に商売を始めるのに、どこか良い場所は? と思って占ったのさ。そうしたら、この場所が示されただけのことだよ」

 

思わず口をついて出た疑問に、ナバラは何でも無いと言ったように答えた。占いに出たからそれに従った、というのは占い師にとっては当たり前の認識なのかもしれない。

 

「近寄ってみれば悪気(あっき)が強かったから半信半疑だったんだがね。まあ、占い師が自分の占いを信じられなくなったら終わりさね。そうして来てみたら、あんな場面だよ。無視しても良かったんだけどねぇ……つい口を挟んじまっただけのことさ」

 

占いの結果に従い、向かってみれば詐欺の現場であった。自分の占いの腕も鈍ったかと思いつつも、自らの占いを信じてナバラは行動した。その際に孫娘に衛兵を呼ぶように指示していたこともあって、あれだけの素早い逮捕劇と相成った。

 

「まあ、あの様子だとあたしが余計な口を挟む必要も無かったみたいだけどね」

「いえいえ、助かりました。それにしても、よく詐欺師だってわかりましたね。私だって、剣を鑑定してようやく確信したのに……」

「はん、占い師ってのは客商売だからね。そうでなくても、人の顔なんて見飽きてるのさ。それだけ長いことやってれば、なんとなく分かってくるもんだよ」

 

チルノの驚きの言葉を、だがナバラはたいしたこと無いと切って捨てる。大勢の人間と接して、その運勢を占ってきたナバラにしてみれば、あの程度の詐欺師など「これからお前を騙す」と宣言しているようなものにしか見えないのだろう。

 

「それにね、あたしだって伊達に長いこと生きちゃいないのさ。あの程度の武器、一目見りゃ真贋くらい見抜けるよ」

「あはは……精進します」

 

そして同時に、ナバラは多くの物を見て経験を積んでいる。その知識と経験に裏打ちされた結果が、あの商人を一目見て詐欺師と看破した要因だったようだ。

だが老婆の言葉を、まだまだ鑑定眼が足りないと遠回しに指摘されているように聞こえたチルノは情けなさそうに言う。

 

「しかし、あの商人は許せないよな。よりにもよって先生の名を語るなんざよ!」

「うん……おれ、なんだか悲しくなってくるよ。せっかくベンガーナにきて、デパートで色んな物を見たのに、楽しい気持ちが全部吹き飛んじゃったみたいだ……」

 

対してダイとポップは詐欺師に遭い掛けたことよりも、アバンの名を使われたことに憤慨していた。師アバンとの思い出を土足で踏みにじられたようであり、しかもそれが詐欺として金をだまし取る手口に使われたとあっては、誰だろうと良い気はしない。

特にダイの場合、人に騙されたのはでろりん達以来である。それも偽勇者事件と比較すれば陰湿な人の悪意に触れており、その落ち込みようはこの中の誰よりも大きい。

 

「まあ、精々気をつけな。何しろあんたらは、小僧と小娘しかいないんだ。ああいう人間から見れば、さぞ騙しやすいカモに見えるだろうからね。世の中には、日の当たる場所からは見えないだけで、ああいうロクでもない人間が大勢いるもんさ」

 

その言葉にダイの表情はさらに深く沈む。厭世(えんせい)的な価値観を持つナバラに取ってみれば、当たり前のことと認識しているが、それが逆にダイにとっては強い刺激となってしまう。

不安げに下を向く弟の様子を見かねて、チルノが動いた。

 

「あの、ナバラさん……急な話で失礼ですが、占いをお願いしても良いでしょうか?」

 

ナバラとメルルは本来の歴史でもダイたちと知り合う相手である。そして、ダイの秘密に迫る重大な役割を持っている相手でもあるのだ。となれば、ここで彼女たちとつなぎを取っておく必要は絶対にある。

出会ったときにそこまで考えたものの、どうやって切り出すべきかを彼女はしばし悩んでいた。だがようやく、ナバラが「占いに導かれてここに来た」と言う言葉から答えを得ることが出来た。

推測だが、ダイという存在が影響していたのだろう。テランに住まう彼女たちだからこそ、ダイと出会うように導かれたに違いない。

――別世界の話ではあるが、とある勇者も運命に導かれて七人の仲間と出会った。その際、最初の仲間は占い師だったのだ。

 

「ん? ああ、別に構いやしないさ。ただ、こっちも商売だからね。金は払ってもらうよ」

「勿論です。お幾らですか?」

「そうだねぇ……ま、10Gでいいよ」

「10G!? そんな安くて良いんですか?」

 

予想外の値段に驚き、思わず声を上げてしまう。メルルとて祖母の言葉に目を見開いているのだから、普段はもっと高いのだろう。だがナバラは特に気にした様子はない。

 

「こんな場所で出会ったのもきっと何かの縁さ。なら、ちっとばかり気まぐれに良い人にな

ってみたくなったのさ」

 

ニヤリと笑うナバラを見ながら、チルノは自身の道具袋からお金を取り出す。

 

「チルノ、そのくらいならあたしが……」

「ううん。これは個人的なことだから私が出すわ」

 

旅立ちの資金としてブラスが持たせてくれたものや、ロモス王かの報奨金としても幾らかはいただいている。流石にレオナの様に万単位の金額は振る舞えないが。

チルノからゴールドを受け取りながら、ナバラは尋ねる。

 

「それで、何を知りたいんだい?」

「私じゃ無くてダイの……弟の両親のことを占って貰えませんか?」

「姉ちゃん!?」

 

その占いの内容を聞くと、ナバラは「ほぅ」と低く唸った。対してダイは驚いた様にチルノの顔を見る。

 

「何でおれだけなのさ? それって、姉ちゃんだって知りたいことだろ?」

「あ……まずはダイからって思っただけだから。後で私の分も聞くから安心して」

 

自分だけ特別扱いをされているようで、ダイは少しだけ不満だったらしい。チルノの言葉で一応の納得を見せたらしく、それ以上追求することはなかった。

 

「何やら複雑な事情があるようだね。けどまあ、占い師には関係ないことさ。さて……そこの坊やのこと、だったね?」

 

商売道具であるため、肌身離さず持っていたのだろう。ナバラはメルルから水晶玉を受け取るとダイの顔を覗き込み、続いて水晶玉に意識を集中させる。まるで水晶の奥底に眠る何かを探すように真剣な眼差しを見せていた。

ダイたちには分からないが、ここから何かを見つけるのだろう。そしてチルノの予想が正しければ、これだけお膳立てをすれば、占いの結果は彼女が望んだ通りの答えをはじき出すはずだ。

やがて、素人目にもわかるほどの光が、水晶玉の奥からぼんやりと輝きだした。

 

「ん……光だね……小さな光……これはまさか……!?」

「お、おばあさま……!!」

「なんだい急、に……!?」

 

何かを確信したように声を上げたのとほぼ同じタイミングで、メルルが声を上げる。大人しそうな彼女にしては珍しく強い言葉であり、思わずナバラが占いを中断してしまうほどだった。孫娘に集中を邪魔されたようで、半分怒鳴るような声を上げる。だがその言葉の勢いもすぐに衰えた。

メルルの様子が明らかにおかしかったのだ。顔色を青白くさせ、怯えたような表情をしている。寒気が襲ったように震えているその姿は、明らかに異常である。

 

「何かが来るわっ!! 恐ろしい力を持った生き物がたくさん!!」

「……メルル、お前!?」

「来るわ……今すぐに……!!」

 

空を見上げながら、メルルは力強くそう言った。だがその様子に面食らうのはダイたちである。占いを頼んだはずが、突然様子がおかしくなっているのだ。どう反応すれば良いのかなど、分かるものではない。

 

「一体何だってんだ?」

「多分、メルルさんの予知能力だと思う。占い師なんだから、先の危険が見えたじゃないかしら? 言葉を信じるなら、ベンガーナに強いモンスターが来ているみたいよ」

「え……? 嘘でしょ!? この国に!?」

 

ポップの困惑した言葉に、チルノが答える。これも、本来の歴史を知るからこそ言える言葉であった。彼女の言葉通り、メルルはこの国にドラゴンたちが襲来することを予知していた。それは祖母のナバラよりもずっと高い精度である。

本来の歴史による知識と彼女の様子から判断するに、どうやら同じことが起きたとチルノは考える。だが、それは周りからすればにわかには信じ難いことだったようだ。

何しろベンガーナは、魔王軍の脅威にさらされながらも追い返しており、世界一安全な国とすら言われているほどだ。モンスターが来るなど、急に言われても信じられないのも無理もないだろう。

 

「なら、おれがちょっと見てきてやるよ。本当にモンスターが来ているんなら、空から見りゃ一発だからな」

 

そう言うが早いか、ポップはトベルーラの呪文を唱えると空へと浮き上がる。家々の屋根よりも高く上がり、そのまま高度を上げて行く。既に先ほどのデパートよりも高い場所まで浮かんでおり、さながら鳥の仲間にでもなったようなものだ。

 

「ほ~ら、別に何も……」

 

余裕の表情で遠くへと目をやり、そして絶句する。

 

「ド、ドドドドドラゴン!?」

 

そこで彼が見たものは、ドラゴンの軍団が城壁を破り、炎を吐きながら暴れている光景だった。炎に焼かれて、建物からは煙が立ち上っている。ドラゴンたちは小さく、トカゲ程度の大きさにしか見えない。だが距離が離れていてそれなのだ。となれば接近すればどれほどとなるのか……。

 

「ポッ……う……うえ……!」

「あん!? なんだって? 上だぁ?」

 

驚き呆けているところに、下から声が聞こえてきた。だが上空にいるせいか風の音によってはっきりとは聞こえてこない。それでも辛うじて聞き取れた言葉を頼りに彼は上へと視線を向ける。

 

「うおおおぉぉっ!!」

 

そこにいたのは、蛇の様に細長い身体をしたドラゴンだった。黄色の鱗を鈍く輝かせながら、空をまるで泳ぐように舞っている。鋭い目つきがポップを睨むよりも早く、彼は大急ぎで地上へと降りていた。

 

「び、ビビったぜ……ドラゴン相手に空中戦なんざ、やりたくもねぇ……」

「お疲れ様、ポップ。あれ、スカイドラゴンよね? 他にも何かいた?」

「ああ、ばっちり見たぜ。ヒドラにドラゴンが何匹かいやがった……ここに来るのも時間の問題だ……」

 

驚いたせいで少しだけ息を切らせながら、ポップが答える。その言葉に、ダイたちもナバラたちも驚かされた。(ドラゴン)と言えば鉄より固い皮膚と岩をも溶かす炎を吐くことで有名である。メルルの予知能力が本物であると証明されたわけだが、その代価は随分と高価であった。

 

「どうする姫さん、逃げるか? 結構数もいるし、ドラゴン相手はちと分が悪いぜ」

「そうね……空にはスカイドラゴンが見張っているし、ベンガーナの問題だって考えると、下手に首を突っ込みにくいわよ?」

 

ポップ達の言葉にレオナは少しだけ考える。だが、初めから彼女の中で腹は決まっていた。

 

「いいえ、戦いましょう! もしかしたら、(ドラゴン)たちは私たちを狙って上陸してきたのかもしれない……それに、私たちが時間を稼げばそれだけ避難できる人が増えるもの。他国の問題だからなんて言ってられないわ!」

「ふふ、そうこなくっちゃ!」

「よっしゃ、わかったぜ!」

「よっし! やるぞ!!」

 

レオナの言葉を待っていたかのように、三人は気合いを入れる。

 

「ドラゴン共はおれがなんとかする。残りは任せられるか!?」

「じゃあ……ダイはヒドラを。私はスカイドラゴンを相手にする。でいいかしら?」

「大丈夫、任せて!」

「あたしは、(ドラゴン)が来たことを衛兵たちに知らせて、避難を手伝うわ」

 

口早にそう言いながら、それぞれの役割を確認する。既に激戦をくぐり抜けてきているのだ。この程度でまごついてなどいられない。今にも飛び出しそうな仲間の様子を見ながら、チルノは小さな袋を取り出した。

 

「じゃあポップにはこれを渡しておくわね」

「なんだこれ?」

 

そう言いながらポップは小さな袋をチルノから受け取る。

 

「中にはさっきデパートで買った"魔法の聖水"と"薬草"に"毒蛾の粉"が入っているの。万が一の時には遠慮無く使って。ダイにも"魔法の聖水"と"薬草"よ」

「へへへ、こいつぁありがたいな」

 

確かに袋の中には、その三つのアイテムが入っていた。消費した魔法力を回復するアイテムに、使うと相手を混乱させるアイテム。そして体力回復のアイテムである。一人でドラゴンを相手にするポップには嬉しいプレゼントである。

 

「残った"魔法の聖水"は、レオナに渡しておくわ」

 

そう言いながら、残った四本の"魔法の聖水"をレオナに渡す。なお、チルノはチルノで自分の分もしっかりと一本確保済みである。

 

「あ、あんたたち……!?」

「ごめんなさい、ナバラさん。結果はまた後で聞きに来ます。今は避難してください!」

 

チルノがそう言うと、三人は一斉に動き出して(ドラゴン)たちへと向かっていく。その様子をナバラは呆然と見送っていた。

 

「おばあさま、私たちも避難を……」

「いや、大丈夫だよ……大丈夫なはずさ……あたしが見たものが正しければ、あの坊やは……」

「おばあさま……?」

 

自分の占いの結果を信じるように、ナバラは何度も呟く。そんな祖母の様子を見ながら、メルルは不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「うおっ! っと、あぶねぇあぶねぇ……」

 

五匹のドラゴンを相手に、ポップは注意を引きつけつつ街の外へと逃げていた。途中に襲い掛かる炎のブレスや物理攻撃を必死で避けながらである。

トベルーラのおかげで空中を自在に飛び回れるようになったため、どうにか攻撃を避けることができたのだ。慣れぬヨチヨチ歩きのような空中移動や、地上を走って移動するだけでは、魔法使いのポップでは、ここまで引き連れる途中に高確率でやられていただろう。

 

「へっ……こんなごっついやつらと一匹一匹やりあってたら勝負にならねぇや。ここは一気に大呪文できめてやらぁ!!」

 

街の外まで上手く誘導できたことを空中に浮かびながら確認すると、ポップは不敵に笑う。眼下を見れば、五匹のドラゴンたちがそれぞれ集まっているのだ。修行の成果を見せるにはまたとない好条件である。

 

「それにしても、日頃師匠から"ドラゴンくらいぶっ飛ばせるようになれ"って言われてたところに、おあつらえ向きに出てくるとはね……悪いがお前らには、踏み台になってもらうぜ!」

 

命の危険に直結するような無茶な修行の日々を思い出して、どうやらフラストレーションが溜まっているようだ。

なお、マトリフがポップに修行を付ける際にやたらと"ドラゴン程度は倒せるようになっておけ"と言っていたのは、とある少女が彼の前でうっかり口を滑らせたためである。まあ、戦場で下手を撃たないための師匠からの愛の鞭だと思っておこう。決して師の看板に泥を塗られるのが嫌だったわけではない。

 

「……大地に眠る力強き精霊たちよ……いまこそ我が声に耳を傾けたまえ」

 

マトリフから受け継いだ"輝きの杖"を構え、意識と魔力を集中する。一点に集まっていく魔法力がキラキラと粒子のように輝き、呪文に関する知識を持たない者であっても、一瞥しただけでただ事では無い何かが起きることは容易に想像できた。

そしてそれは、ドラゴンであっても同じ事だったようだ。

空中に漂う魔法使いへ向けて、一匹のドラゴンが機先を制するように炎を吹きかける。

 

重圧呪文(ベタン)!!」

 

だがドラゴンの行動は遅すぎたようだ。炎が届くよりも先にポップの呪文が完成した。

標的を中心として地上に円形の超重力場が形成される。今回の場合、標的はドラゴンたちが集まったその中心点だ。

円の範囲内にいたドラゴンたちは揃って重力の網に捕まり、強烈な力で押し潰されていく。如何に強靱な鱗と高い生命力を持った(ドラゴン)の種族であろうとも、この呪文の威力の前にはひとたまりも無かった。

圧力によって大地が陥没し、まるで生きながらにして土中へと押し込まれていくようにドラゴンたちの姿が見えなくなっていく。それでも呪文の威力は止まることを知らず、円の中に存在する全ての存在へと等しく襲い掛かっていった。

 

「や、やりぃ……!」

 

呪文の効果を確認したポップが感嘆の声を上げる。ベタンの呪文を展開していたのは僅かな間――どれだけ長くとも、一分には満たなかっただろう。そんな短時間しか維持していないのにも拘わらず、彼の魔法力は底が見え始めていた。

だがそれだけの魔法力を消費した甲斐があったようだ。ドラゴンたちは揃って押しつぶされて土の中に埋もれている。

 

「すっげぇ……さすがはマトリフ師匠直伝の呪文だぜ……危うく魔法力が空っぽになるところだった……」

 

魔法力の減少によって息を切らしながらも、自分の放った呪文の威力に驚いていた。それと同時に、これだけの途轍もない呪文を放っていながらもまだ枯渇しないほどの自分の魔法力の多さにも驚いていた。

世界最強の大魔道士である師の修行は伊達では無かった。とはいえ魔法力を大幅に消費してしまい、トベルーラの呪文を維持するのもキツくなっている。仕方なく地面へと降り立った時だ。

押し潰されたはずの土砂がゆっくりと持ち上がり、その下から一匹のドラゴンが顔を上げてポップを睨みつける。

 

「げえっ!! まだ生きてやがった!?」

 

完璧に仕留めたと思い込み、いささか油断していたようだ。不意をつくように現れたドラゴンに対して先手を譲る形になってしまう。万全な状態と比べれば受けたダメージは深く、その動きは緩慢であるが、ドラゴンは火炎の息を吹き出す準備を既に終えていた。

ポップはようやく驚きから立ち直ったところだ。己の油断を呪いながら、間に合わぬと知りつつも少しでも炎を避けようとしたときだ。

 

「グワアアアアァァァッッ!!」

「えっ!?」

 

断末魔が響き渡り、彼の眼前にいたドラゴンが音を立てて崩れ落ちた。突然の出来事に何が何だか分からずポップは混乱するが、すぐに原因に気がついた。

 

「この斧は!!」

 

ドラゴンの背中に、見覚えのある巨大な斧が深々と突き刺さっていた。その巨体と比べても見劣りしないほどの大きな斧。そんな物を振り回せるのは、彼は一人しか知らない。

 

「大丈夫かポップ?」

「ク、クロコダインのおっさん!?」

 

そんな彼の予想を裏付けるように、ドラゴンたちの潰れた場所の向こうからクロコダインが駆け寄ってきた。真空の斧を手放しているためか、その動きは心なしか軽快だった。

 

「けれど、どうしてここに? 確かおっさんはヒュンケルと敵の調査に向かったはずじゃ……」

「そのことだが。色々と予想外の事が起きたのでな。情報を共有するために、一旦戻ってきたのだ」

 

話しながらポップの近くまで寄ってきたクロコダインは、背中に突き刺さった斧を軽々と引っこ抜いた。その様子を見ながらポップは不思議そうに呟く。

 

「しかしよくこの場所がわかったなぁ……そういやチルノから何か貰ってたような?」

「ああ。ダイの居場所が分かるという呪符と、キメラの翼だ。だがベンガーナに来たことはなかったのでな。近くまでキメラの翼を使い、後は走ってきたのだが……」

 

流石の獣王も、ベンガーナの詳細な位置までは覚えていなかったようだ。そのため、大まかな位置を確認した後でキメラの翼を使って最寄りの地点まで移動し、その後は徒歩で移動するという手段を取っていた。

今回の場合、それが幸運にも上手く転がったようだ。おかげでポップの窮地を救う事が出来た上に、ダイたちへの加勢と合流も本来の歴史よりも早く適ったのだから。

 

――というか本来の歴史の場合、どうやって彼はダイたちの居所を知ったのだろうか? あの時のダイたちはベンガーナからさらに移動していたため、足取りを追っていたのではどう考えても間に合わないはずなのだが……考えても仕方ないので、話を戻そう。

 

「だが驚いたぞ。こんなところでお前がドラゴンと戦っているなぞ、夢にも思わなかった」

「ああ……って、のんびりしている場合じゃねえ! まだ街にはヒドラとスカイドラゴンが残っているんだ!」

「なんだと!?」

 

何が起こっているのかを知らないクロコダインは、ポップの言葉に驚く。そして同時に、その敵の種類からついにバランが動き出したことを悟ってその身を震わせる。

 

「すまねぇ、おっさん。もうちょっと手を貸してくれ!」

「まかせろ!」

「よし、こっちだぜ!」

 

そこまで言うとポップは先導するように駆け出していく。その後を追うようにしてクロコダインが続く。

 

――まあ、四匹まで倒せたからセーフだよな?

 

圧殺されたドラゴンたちをちらりと見ながら、ポップはそう思う。だが同時に、一匹倒し損ねたことは師匠には絶対に秘密にしておこうと心に誓っていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「【エアロガ】!!」

 

スカイドラゴンが空中から炎のブレスを吹き出した。そのタイミングを狙って、チルノは魔法を発動させる。

風を操るエアロ系魔法の最上位に位置するエアロガは、その名に恥じぬ嵐のような強風を巻き起こし、相手へと襲い掛かった。勢いよく吐き出されたはずの火炎の息はエアロガの勢いに負けてスカイドラゴンへと襲い掛かる。

 

「グオオオッ!」

 

強風に吹き散らされた炎は放たれた時ほどの威力は既に無く、スカイドラゴンを軽く炙る程度の火力しか発揮しなかった。襲い掛かる風も途端にその威力を殺されており、天空を舞う相手にはさほど威力を発揮しない。

とはいえ、ダメージを負わない訳では無い。それを嫌ったスカイドラゴンは身をくねらせ、チルノから距離を取って別の場所へと離れようとする。

 

「【ブリザド】」

 

だが少女がそれを許さない。

続けざまに魔法にて冷気を操り、顔面を掠めるようにして放ち、相手の髭を凍らせる。それに苛立ったスカイドラゴンの動きが止まる。

 

「ほらほら、こっちよ! あなたの相手は私がしてあげるから!」

 

チルノが大声で叫び、(ドラゴン)の注意を引きつける。安い挑発であるが、スカイドラゴンは本能的にその苛立ちをぶつけるべく、チルノへと襲い掛かろうとする。

 

「【ファイア】!」

 

今度は下級の炎を放つ魔法にて、スカイドラゴンの視界を遮る。やはりダメージは微々たるものだが、突然の高熱を嫌がってか距離を取った。

 

敵のその動きを確認するとチルノは移動しつつ、少しだけ息を吐いた。

 

今の彼女の実力ならば、もっと強大な魔法を操ってスカイドラゴンを屠ることは十分に可能である。とはいえ、不用意にそれを実行するわけにもいかない。

何しろスカイドラゴンは空を飛んでいる。そんな巨大な生物を空中で仕留めてしまえば、どこに落下するのか分からない。未だ人々の避難が完了したわけではないのだ。

下手をすれば避難した方向に魔法の影響を与えてしまうかも知れない。そのため彼女は『ブレスを無力化しながら、スカイドラゴンを足止めして街の外まで誘導する』という何とも面倒な役割を求められていた。

 

「空を飛べたらもう少しやりようがあったのかも知れないけれど、危険だものね……」

 

本来ならば、飛翔呪文(トベルーラ)を使えるポップがスカイドラゴンを相手に空中戦を繰り広げれば良いと思うかも知れない。

だが、本来人間は空を飛ぶようには出来ていない。そのため高さまでを意識する、いわゆる三次元的な戦いは不得手である。如何にトベルーラを覚えて訓練しているとはいえ、ポップであっても下手をすればやられる可能性があった。何しろ空中戦は敵の領分である。そこへノコノコと踏み込めば、負ける可能性がある。

そしてチルノが相手をする何よりの理由は、強風を操ることで炎のブレスへの対抗手段がある。上から縦横無尽に降り注ぐ炎を相手にするには、パーティの中で彼女が一番適していたのだ。

 

チルノが奮戦している場所から少し遠くを見れば、ヒドラが暴れているのが分かる。こちらはダイの担当であった。

複数の長い首を持ち、強烈な力を持つヒドラであったが、ダイは臆することは無かった。街中のため、被害を減らしつつも足止めと誘導を的確に切り替え、避難が完了するまで耐えねばならないという難題を前にしても、いささかの闘志の衰えも見えない。

一度悔しい想いをしたことが、ダイの視界を広くしているのだろう。周囲を見ては立ち位置を巧みに変えながら、海波斬と呪文を上手く使って戦っている。

本来の歴史とは異なって無理に攻撃する事も無く、それでいて新品の剣であるため武器も健在であり、ダメージも受けていない。

 

「こっちも負けてられないわね」

 

チラリとダイの活躍を見ながら、再び空へと視線を戻す。スカイドラゴンは空に浮かんだまま、どう動くか攻めあぐねているようだった。

 

本来の歴史と比べれば、一行には余裕があった。(ドラゴン)たちの襲撃に対する発見と対応が早かったおかげで、より街の外に近い場所で(ドラゴン)の相手をすることができた。

そのため人々のどちらに逃げれば良いのかが分かり易く、素早く協力して動くこともできた。落ちてきた瓦礫の下敷きになるような被害者も見当たらず、一見してこの対応は順調と言って良いだろう。ならばこのまま何事も無く終わるはずだ。

 

――チルノは、そう思い込んでいた。

 

「……えっ!?」

 

その耳に一瞬届いた声を、彼女は最初は聞き間違えかと思った。だがすぐに足を止めて、再び耳を澄ます。幸いにもスカイドラゴンの動きは鈍っており、音に集中する程度の時間は十分にあった。

 

「やっぱり、聞き間違えじゃ無い!!」

 

聞こえてきたのは、すすり泣く様な小さな声。おそらくはまだ十歳にも満たない子供だろう。それがどこかから響いてくる。しかし、それが正確にどこから聞こえてきているのかは分からない。オマケにグズグズしていれば何時スカイドラゴンが動き出すとも知れない。

 

「誰かいるの!? いたら返事をして!!」

 

すっかり人の気配が薄くなった周辺を目掛けて声を掛ける。するとほんの少しだけ、石がぶつかったような音が響いた。チルノは慌ててそちらを向く。

 

「……いた!」

 

そこには彼女の予想通り、幼い少女がいた。路地の影に隠れるようにして座り込み、なるほどこれでは上空にばかり目が行っていたチルノに気付けというのは難しいだろう。慌てて近寄って見れば、少女の目は涙を流しすぎたのかやや腫れぼったくなっている。だが幸いなことに外傷は見当たらない。

 

「大丈夫? 怪我は無い? 安心して、すぐにお母さんのところまで連れて行ってあげるから」

「う……うん……」

 

親とはぐれたのだろうとアタリを付けたチルノは、姿勢を低くして少女と目線を合わせると優しく声を掛ける。すると少女はぐずりながらもチルノの胸へと飛び込んできた。恐怖の限界だったらしく、少女の震えはチルノにも伝わってくる。

 

チルノの予想通り、少女は両親と共に避難している際に人混みに飲まれて、はぐれていた。そして彼女はなんとか親に会おうと必死で移動したものの、小さな子供の足と考えでは正しい方向へ移動できるはずもない。

まるで見当違いの方向へと進んでしまい、さらに悪いことにその方角はチルノがスカイドラゴンをおびき寄せている方向だった。どんどん近寄ってくるモンスターに恐怖した少女は、路地に隠れて泣くことしかできなかった。そこへチルノの声を聞き、思わず身を竦ませて足下にあった石を蹴り飛ばした。

その音によって幸運にも見つけることができたのだが――

 

――マズい!!

 

少女を抱きかかえながら立ち上がったチルノは、上空に視線を走らせるとそう心の中で叫ぶ。今まで動きを見せなかったスカイドラゴンがついに動き出したのだ。それも動きからチルノへの攻撃の意思が見て取れる。

悪いときに悪いことは重なるものだと頭では分かっていても、思わず苛立ちに敵を睨みつけて、そして気付いた。

 

「笑っ……た?」

 

それは錯覚だったかもしれない。角度のせいでそう見えただけかもしれない。だがチルノの目にははっきりと、スカイドラゴンがニヤけ笑いを浮かべているように見えた。

そしてチルノは同時に、敵が笑った理由をなんとなくだが理解する。

彼女は保護した少女を抱きかかえており、行動が制限されている。もしもこの子を怪我無く守るためには、より慎重に使う魔法を選ばなければならない。敵はそれを理解しているのだとしか思えない。

 

「ちょっとだけ我慢しててね」

 

少女の視界を遮るように抱え直すと、身を隠すべく路地を奥へと進む。だがスカイドラゴンは迷うこと無くそれを追い、炎を吐き出した。

それも今までのようなただ強く吐き出すものではなく、巧みに動きを変えて、一カ所に留まることなく炎を広範囲へ撒き散らすような攻撃になっている。仮にエアロガで迎撃したとしても範囲が広く、必ず撃ち漏らしが出てくるような攻撃方法である。

 

――知恵をつけている!?

 

思わず叫びかけたが、考えればそれは当然の事象だった。野生の獣であっても、同じ体験を何度も繰り返せば学習して別の行動や対抗策を取る。

ましてや相手はバラン率いる超竜軍団の(ドラゴン)たちなのだ。統率された戦いを経験した(ドラゴン)たちがその戦術を学び、戦いへと活かしていたとしても何ら不思議では無い。

 

「【エアロラ】!」

 

なんとか片手を動かし、風で盾を張る。これでやりすごせると、そう思っていた。

だがその炎は敵の誘い水。チルノが魔法を唱えた瞬間、スカイドラゴンは待っていましたとばかりに高度を下げる。本命はスカイドラゴン本体による上空からの攻撃だった。

 

――読み間違えた!!

 

路地裏へと逃げたのが仇となった。身を躱すスペースが無ければ、少女を抱えているせいで相打ち覚悟のような行動も制限されている。

思考はまとまらなくとも、敵は待ってくれない。

 

「くっ!!」

 

襲い掛かる(ドラゴン)の爪牙を前にして、チルノは少女を庇うように体勢を変え、身を低くしながら相手のことを睨みつけるしかできなかった。

 

 




やっとガ系が解禁です。
伊達にマトリフさんのところでセクハラ被害を受けながら特訓してたわけじゃありません。

敵戦力ですが、スカイドラゴンが追加されました。
一応人数が増えてますからね……その程度は敵も対応してくるでしょう。
まあ噛ませとはいえ竜なので、それなりに強敵な感じを出さないと……
(ダイのワリを食っているだけのような気もしますが)

毒蛾の粉は使わんのかい(セルフ突っ込み)
クロコダインが早めに戻ってきちゃったので、仕方ないのです。

次回も(というよりもバラン編は)ご都合主義マシマシでお送りします。


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LEVEL:38 ドラゴンを たおした!

タイトル、何にも浮かばなかったんです……



迫り来るスカイドラゴンの爪牙を見てダメージを覚悟したチルノは、身体を全身を引き絞るように硬くして少しでも威力を軽減させようと試みる。自分がダメージを受けようとも、保護した少女だけは毛の先ほどのダメージも与えまいと思っていた。

 

だが、彼女の予想に反して敵の攻撃がチルノに届く事は無かった。避けようも無いタイミングであったにも拘わらず、スカイドラゴンは攻撃を中止してチルノたちの上空を通り過ぎると、そのまま空中で反転して再びチルノ達の方を眺めているだけだ。

 

「……え?」

 

そんなスカイドラゴンの動きを目で追いながら、チルノは信じられないものを見たように呆けた声で呟いた。何しろ彼女の側に立って考えれば、攻撃をしない理由がないのだ。度重なる妨害を受けており、少なからず怒りも溜まっているはずの相手がどうして何もしなかったのか。

固まりかけた彼女の思考は、後ろから掛けられた声で動き出した。

 

「おーい、チルノ!」

「大丈夫か!!」

「ポップ! それに、クロコダイン!?」

 

彼女の容態を気遣う声を耳にして振り向けば、そこには二人の仲間の姿があった。それもポップの方はともかく、予想だにしなかったもう一人の心強い援軍には心底驚かされる。移動時間と短縮と合流をスムーズに行えるようにと道具を渡していたとはいえ、この時点で参加するとは思っていなかったようだ。

 

そしてチルノは同時に、スカイドラゴンが何故攻撃を中断したのかなんとなく察する。

獣王と呼ばれた相手が溢れんばかりの闘気を漲らせて近寄ってくれば、間違いなく警戒することだろう。

そう思ったチルノは、抱きかかえていた少女をもう少しだけぎゅっと強く抱きしめる。万が一にも闘気の影響で恐怖を与えることの無いようにすることと、そしてもう一つの理由として、クロコダインの容姿は小さな子供には少々威圧的すぎるからだ。泣き出されても困る。

 

「二人とも! いきなりで申し訳ないけれど、ちょっとだけアイツの相手をして貰えるかしら?」

「スカイドラゴンか……」

「……ああ、なるほど。その子を避難させるんだろ? よし、早く行けって! ここはおれたちでなんとかしてみせるからよ!」

 

二人の言葉にチルノは頷くと、少女を保護するべく一旦戦線を離脱することを選ぶ。

 

「ありがと! でも倒す場所は注意して。できるだけ建物に影響が出ないように!」

 

そう声を掛けてから、戦場から離れるように掛け出して行く。残った二人は"真空の斧"と"輝きの杖"を手に握りしめ、空から自分たちを見下ろしている竜の相手を開始した。

 

二人は上手く戦えるだろうかと不安になりながらも、チルノはベンガーナの大通りを進んでいく。既に周辺に人の気配も無く、まるで大通りを贅沢に貸し切っているようだ。

そんな錯覚に襲われて、少しだけ上機嫌になっていたときだ。

 

「あ、チルノ!」

「レオナ!?」

 

通りの途中の交差点から、突如としてレオナが顔を出した。少し息を切らせた様子から、彼女もまた走っていたのだろうことが分かる。

友人の姿を見てチルノは足を止め、口を開いた。

 

「なんでここに? 避難誘導の方はどうなったの?」

「避難の方は大体終わったわ。もう我慢する必要は無い、ってことをダイ君たちに伝えようとここまで来たんだけど……どうしたの、その子は?」

 

チルノに抱きついている少女にレオナが視線を向ける。

 

「逃げ遅れたのか、ご両親とはぐれたのか。とにかく、危ないところを保護したの」

「え!?」

 

尋ねた時点である程度の予想はついていたが、やはり直接耳にするのは衝撃が大きかったらしい。信じられないと言った様子でチルノと少女を交互に視線を向ける。レオナの瞳は、避難誘導を買って出ながら、取りこぼしがあったことを悔いているように見える。

 

「……レオナ。この子、お母さんのところまで連れて行って貰えるかしら?」

「う、うん。もちろん構わないわ」

「ごめんね、ワガママ言っちゃって……」

 

そんなレオナの様子に気付いたのか、チルノは少女のことをレオナに託す。これだけの混乱と人数がいるのだ。取りこぼしが出たとしてもそれは決して落ち度ではないだろう。だが、レオナはそれを気にしている。ならばせめて途中からであっても、少女のことを頼めば、少しは心も楽になるだろうと思ったからだ。

レオナの了承の言葉を聞くと、チルノは自分に非があるような言い方で少しでも友人の心を軽くしようとする。そして、抱えていた少女を下ろして立たせる。

 

「ごめんね。ちょっと用事が出来ちゃった。でも安心して。私の代わりにこのお姉ちゃんが、お母さんのところへちゃんと連れて行ってくれるから」

「うん……」

 

不安そうに辺りを見回す少女へ向けて、再び視線を揃えて優しい口調で言う。すると少女は

心細さを見せるものの、素直に頷いた。今にも泣き出してもおかしくないだろうに、それを必死で堪えている少女を見ながら、チルノは笑顔を見せた。

 

「大丈夫、あなたはここに来るまで泣かなかった強い子だもの。お母さんにだってすぐに会えるわ」

 

そう言いながら数回、優しく頭を撫でる。すると少女は、内に抱えているはずの不安を押し隠すようにして、お返しとばかりにチルノに笑顔を見せる。

少女の笑顔を見て少しだけ懐かしい気持ちを感じながら、チルノはゆっくりと立ち上がり、今まで駆けてきた方向へと視線を向ける。

 

「……一応聞くけれど、どうするつもり?」

「もちろん、スカイドラゴンに借りを返さないとね」

 

未だ健在な敵の様子を見ながら、チルノはそう呟いた。

 

 

 

「ごめんね、お待たせ!」

 

先ほどまで戦っている場所へと戻ってくるなり、チルノはそう口にした。それに驚いたのはクロコダインたちである。まさかこれほどまで早く戻ってくるとは思ってもいなかった。

 

「もう用事は済んだのか!?」

「大丈夫! レオナにお願いしてきたから!」

「んじゃちょっと手伝ってくれ! 情けねぇ話だが、結構面倒だぜコイツ!!」

 

ポップの声が上空から聞こえてくる。どうやら彼は、トベルーラによる空中戦を挑んでいたらしい。そしてスカイドラゴンの半身ほどが氷に覆われているところを見るに、冷却系の呪文を駆使して戦っていたようだ。

チルノが戻るのがもう少し遅ければ、そのまま倒していた可能性も十分にあるだろう。

 

「まかせて! 大技で攻めるから!!」

 

上空のポップに聞こえる位に大声を上げると、チルノは魔法を発動させるべく精神を集中させる。彼女の言葉を聞き、巻き添えにならないようにとポップが距離を取っていく。

 

「まずは、どこに落としても良いように外まで押し出す!」

 

続いて、言うが早いか、魔法を発動させた。

 

「【エアロガ】!!」

 

彼女の言葉に従い、強風が吹き荒れる。これまで使っていたような、威力を押さえて調節した物ではない。完全に相手を仕留めるべく放たれた魔法である。

周囲の建物がその風圧の余波だけでギギギと軋むような音を上げていることからも、その威力と範囲は推し量れるだろう。もしもこれを考えなしに使っていれば、建物が耐えきれずに崩壊して、二次被害を出していたかも知れないほどだ。

 

「加勢するぞ!! 唸れ、真空の斧よ!!」

 

チルノの狙いを理解したクロコダインも、斧の力を使って風を操り後押しを試みた。エアロガとバギの二つの風に押されては、さしもの天空を舞う竜とて力負けする。堪えてはいたものの、結局吹き飛ばされて空中で姿勢を崩した。

 

そして吹き飛ばされた先はこの街を覆い囲む城壁の外。そこならば多少の被害が出ても文句を言うものはいない。

スカイドラゴンに致命傷を与えるべく、チルノは次の魔法を発動させた。

 

「【ブリザガ】!!」

 

冷気を操るブリザド系統の最上位の魔法だ。猛吹雪と共に無数の巨大な氷柱(つらら)が降り注ぎ、突き刺さった部分はみるみるうちに氷で覆われていく。凍てつく冷気と氷柱(つらら)の物理的なダメージによって、スカイドラゴンはついに空を飛び続けることが出来なくなり、その身を大地へ落とし、絶命する。

 

「おお~……」

 

空を飛んでいるため城壁の向こうを覗く事の出来たポップが感嘆の声を上げる。氷柱(つらら)によって標本のように地面に縫い付けられた氷漬けの死骸がそこにあった。

彼もドラゴンを相手にベタンの呪文で似たようなことをしたが、見た目のインパクトはこちらの方が上だ。

仲間の成長に感心するやら驚くやらと複雑な感情を抱きながらポップはその場を後にする。

 

「あとはダイだけか!? 急ごうぜ!!」

 

高い位置にいる彼には、残った最後の戦場の様子もよく見える。ヒドラを相手に戦い続けているダイの姿に、ポップは矢も楯もたまらず叫んでいた。

 

 

 

「おっと!!」

 

そう言いながらダイは、もはや何度目になるかも分からないヒドラの攻撃を躱す。チルノと同じくヒドラの誘導役を請け負ったダイは、五つの首を持つ(ドラゴン)を相手に戦い続けていた。

五つの首がそれぞれ巧みに連携を行い襲い掛かってくる様子は、ダイにとっても初めてのことだった。慣れぬ攻撃に苦戦を強いられながらも、彼は自身の役目を全うすべく懸命に戦い続けていた。

 

本来の歴史では苦戦する戦いだったが、今のダイは修行を積んでレベルを上げている。時折危なっかしい場面も見受けられたが、優勢に戦いを進め、周辺への被害を最小限に防いでいた。

そこには、かつての苦い経験を繰り返すまいという強い決意がある。そしてもう一つ、近くに姉がいるのだ。姉の前での誓いを破ることの無いよう、ダイは孤独な戦いを続ける。

 

だがその我慢がついに報われるときがやって来る。

 

「ダイっ!!」

「お待たせ! もう倒してもいいわよ!」

「姉ちゃん! ポップ!」

 

大通りにやってくる仲間の姿を確認して、思わずダイは喜色の声を上げた。対するヒドラは、やってきた人間に警戒するように首を向ける。

 

「って、そうか……ヒドラかよ……一番やべぇ相手じゃねぇか……」

 

複数の頭に睨まれながら、ポップは少しばかり萎縮したように弱気な意見を零す。ベンガーナを襲った(ドラゴン)達の中で、個体として一番強いのがこのヒドラであった。

ドラゴン、スカイドラゴンと相手にしてきた彼にとって、最後に一番面倒な敵を相手になることになってうんざりした気分になる。

 

だがヒドラにしてみれば、そんなことは関係ない。いや、むしろ攻撃しても攻めきれないダイを散々相手にしてきたのだ。ヒドラの苛立ちは高まっている。

新たにやってきた人間にその苛立ちをぶつけるように、ヒドラは火炎の息を吐き出した。

 

「うおっ……」

「おおおおっ!!」

 

ヒドラの攻撃に一瞬対応が遅れたポップであったが、後ろからやって来たクロコダインがいち早く対応した。彼は再び真空の斧を発動させて風の結界を作ることで炎の襲撃を防ぐ。チルノもエアロラの魔法を使い、ダイもバギの呪文を放つことでその防御をより完全にする。

そのおかげで比較的強力なはずの炎は完全に無力化されていた。

 

「三人とも大丈夫か?」

「クロコダイン!? どうしてここに!?」

 

予期せぬ新たな援軍に、ダイも驚きを隠しきれない。

 

「詳しい説明は後で。それよりも今は目の前の敵を倒すことだけ考えましょう」

「あ、ああ……そうだね」

 

だが姉の言葉を聞いてその驚きを意識の外へと追いやり、ヒドラの攻略へと思考を切り替える。

 

「剣で倒せそう?」

「出来なくは無いけれど、皮膚が思った以上に硬かった」

 

チルノが言葉短く尋ねると、すぐに返答が来た。本来の歴史では、寿命という要因があったとはいえ、ヒドラへ攻撃した際に剣を折っている。それを知っているからこそチルノはダイに注意するよう警告もしていた。

ダイの言葉は、チルノの懸念を良くくみ取った結果でもある。そして、その返事を聞いた以上は取るべき手段は一つだけだった。

 

「だったら、ここは呪文で攻めましょう。ダイ、ライデインは使える?」

「もちろん、大丈夫だよ!」

 

姉の言葉に弟は任せておけと言わんばかりに自信満々に答えた。弟のその様子を見てチルノも力強く頷く。

 

「じゃあ、私が合図したら何時でも撃てるように準備して? ポップたちはそれまでの足止めをお願いできるかしら!?」

「ああ、分かったぜ! 聞こえたかおっさん!?」

「無論だ!」

 

策の詳しい説明をしていないにもかかわらず、ポップとクロコダインはチルノの言葉を疑うこと無く頷くとすぐさま動き出した。ダイもいつ合図があっても良いようにと集中を始めている。

仲間達からの厚い信頼に喜びながら、チルノもまた行動を起こすべく精神を集中させる。

 

「ギラ!」

 

最初に動いたのはポップだ。彼はギラの呪文をヒドラの頭の一つへと放つ。相手の目を狙って放たれた閃熱は、狙い違わずに頭の一つへと突き刺さり、視界を奪う。複数の頭を持つヒドラにとっては、一部を封じられただけに過ぎないものの、痛いことには変わりない。

ヒドラは苦痛の悲鳴を上げながらポップへ襲い掛かろうとした。

 

「ぬおおおっ!!」

 

しかしそんな単純な目論見など、獣王が許さない。クロコダインは怒りで単調な動きを見せるヒドラの足を狙って大斧を思い切り振り下ろす。

 

「ギャアアアアアアアアアア!!」

 

力任せに叩きつけられた斧だったが、ヒドラの皮膚の硬度も大したものだった。一見すればそのまま片足を切断しそうな勢いを持っていた攻撃だったが、相手の皮膚に阻まれて半ば程度まで食い込むまでに留まる。

それは、並の武器よりも高い強度と威力に大きさをも兼ね備えた"真空の斧"だからこそ可能な一撃だった。そうでなければ弾き返されていただろう。

脚部にダメージを与え、文字通り足止めが成功したことを確認したクロコダインは、斧を引き抜くと即座にその場から離れる。姉弟がこれから大技を使うのは誰が見ても明らかだ。ならば巻き込まれるようなミスを犯すはずがない。

 

仲間達が敵の大きな隙を作ってくれたことに感謝しながら、チルノは悠々と魔法を唱えた。

 

「……【大海嘯(だいかいしょう)】」

 

本来ならば、大津波を引き起こす青魔法である。その勢いたるや、波で出来た垂直の壁が押し寄せてくる程のもの。個人レベルであればその圧倒的な範囲と破壊力を前に抗う術など無いほどだ。

こんな街中で使えば、いくら人々が避難したとはいえ建物の多くを巻き添えにして破壊しつくしていくだろう。

 

そのまま使うのであれば。

 

街中で使うということが大前提である以上、威力と範囲をそのままに使うような愚をチルノが犯すことはない。それら二つを極小まで絞って放たれたそれは、さながら威力の強い水鉄砲のようなものだった。

魔力によって生み出された小さな津波は、丁度ヒドラの全身をズブ濡れにする程度の範囲と、多少よろけさせる程度の威力しかなかった。

だが、これで良い。チルノの狙いはダメージを与えることではない。

 

「ダイ、落として(・・・・)!」

「ライデイン!!」

 

チルノの合図に、その瞬間を今か今かと待っていたダイはすぐさま反応した。待っていましたと言わんばかりの超速度で雨雲を呼ぶと、強烈な雷撃をヒドラへ落とす。

その電撃はいつも以上(・・・・・)の威力を誇っていた。

 

秘密のタネは、直前に使ったチルノの大海嘯の青魔法である。津波を起こすこの魔法によってヒドラは全身を余すところなく濡らしていた。水に濡れたことで電気の抵抗が下がっている状態――それもタダの水ではない。電気を通しやすい海水である。

そこにライデインの雷を受ければ、高い耐久力を誇るヒドラであってもたまったものではない。

さらにそれに加えて――

 

「【サンダー】!」

 

チルノもこっそりと最下級の電撃魔法を放って追撃を加える。発動速度の関係から最下級の魔法となってしまったが、今のヒドラの状態ならば十分すぎた。

どれだけ高い電気抵抗を持っていようとも、耐えられる物ではない。雷撃によって焼け焦げた嫌な匂いを漂わせながら、ヒドラは絶命して崩れ落ちる。

完全に動かなくなった敵を見ながら、ダイたちはようやく勝利の吐息を漏らした。

 

「おー……こりゃまたすげぇな……」

「ふむ、ライデインか……使えるようになったと、話では聞いていたが……実際に見るとなんとも……」

 

足止め役に徹していた二人が揃って驚きの声を上げる。だがその口数は少なめだ。二人とも(ドラゴン)の強さを肌で感じ取っており、ましてやヒドラはこれまで戦った三種類の中で最も格上の相手だ。

それがここまで徹底的にやられていれば、こんな感想も口にしてしまう。

 

「うん。自分でも驚くくらいの威力だよ」

「それは……私が、事前に水で濡らしたでしょう? あれで電撃が通りやすくなって、威力が上がっていたのよ」

「えぇ!? あれってそんな意味があったんだ……」

 

少しキツそうに喋るチルノの言葉を聞いて、ダイは驚きの声を上げる。

ダイから見れば、姉の行動は意味がよく分からなかったのだ。まるでダメージを与えた様子の見えない攻撃をどうして挟んだのか。その疑問が氷解し、姉が自分の為に援護をしてくれたことを理解する。

 

「あとは……剣を突き刺してそこに雷を落とす、とかも効果的よ。戦い方次第、ってこと」

 

ちなみに、本来の歴史でヒドラにトドメを刺したのもチルノが口にしたのと同じ戦法だ。その時にはドラゴンキラーを突き刺し、そこにライデインの雷を落としていた。

……その際ドラゴンキラーは装備したままである。感電とかしなかったんだろうか?

 

「てかチルノ、大丈夫か? 随分辛そうだぜ?」

「平気……ちょっと大技だったから疲れただけよ……」

 

ポップに心配されたように、チルノは疲弊していた。原因は大海嘯の魔法を使ったからである。

ある程度近くに水場があったとはいえ、流石に街中まで影響が及ぶわけでもなし。魔力に寄って生み出されたそれは本人の予想を超えて消耗が激しかったらしい。

 

「"魔法の聖水"ならあるぞ?」

「……ありがとう。一本だけ貰うわ」

 

一瞬の逡巡の後、少女は笑顔でそう答えた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「おお、お前さんたち。無事だったようじゃな」

「あれっ!? ばーさんは……」

「ナバラさん? どうしてここに……レオナと一緒に避難したんじゃ!?」

 

(ドラゴン)達を全て討伐し終えたダイたちが、レオナと合流すべく歩みを進めかけた時だ。向こうからやって来る見覚えのある二人分の人影に、思わず足を止める。

 

「む……この者達は?」

「ああ、ナバラさんとメルルさんよ。この街で少し知り合った、占い師なの」

 

唯一事情を知らないクロコダインがそう呟くが、すぐにチルノが口を開く。その言葉にクロコダインは納得したように頷いた。

 

「おっと、なんだいこのデカいのは……? まあ、お前さんたちが平然としているんだから味方なのだろうけれどね」

「はい。この方からは、邪悪な気配がしません」

「ああ、クロコダインって言うんだ。おれたちの仲間だよ」

 

なんとも肝が据わっているというべきか、偏見が少ないと言うべきか。ダイの言葉を聞くとナバラとメルルの二人はあっさりと受け入れた。

 

「みんな! それにナバラさんたちも! よかった、合流できたのね」

 

続いてナバラたちの後ろからレオナもやってくる。こちらも急いで来たようで、少し息を切らせていた。

 

「びっくりしたわよ。戦いが終わった気配を感じたかと思ったら、二人ともすぐに行っちゃうんだもの」

「すみません。ですが、どうしても一刻も早くお知らせする必要があったものですから」

 

レオナの言葉にメルルが頭を下げる。レオナの言うように、二人とも戦いが終了したのを察するとすぐにダイたちのもとへと移動していた。まだ状況が完全に分かっていないにも拘わらず動けたのは流石は占い師というところだろう。

 

「なんだそりゃ!? おれたちに何か用事でもあったのか?」

「ああ、そうさ。占いの結果を伝えに来たんだよ」

「占いの結果? そんなに大事なことだったのか?」

 

そんな理由でここまで来たのか? とポップの驚きの言葉にナバラは「ああ」と重々しく頷き、ダイにゆっくりと視線を向ける。

 

「確か坊やは、ダイって言ってたね?」

 

そのあまりの迫力にたじろぎながらも、ダイは首肯して次の言葉を待つ。

 

「あたしの占いで見えたのは、強い力。そして、(ドラゴン)を象った紋章……」

(ドラゴン)を象った紋章?」

「そうだよ。ちょうどこんな感じのね」

 

そう言うとナバラは、空中で指を動かしておぼろげな図形を見せる。その指がなぞるのは、チルノがよく知る(ドラゴン)の紋章の形を描いていた。

 

「ん? その形……どこかで見たような……」

「ひょっとして、ロモスでオレと戦っていた時のアレか?」

「……ああっ! そうだ、確かにそうだ!! あとデルムリン島でハドラーと戦った時も!! ダイの額に浮かんでたはずだぜ!!」

 

記憶に引っかかるが思い出せずにいたポップと比べて、実際に体験したクロコダインは記憶のインパクトが桁違いだったようだ。その言葉が引き金になったように、ポップの脳裏にはダイが(ドラゴン)の紋章を発現したもう一つの場面が浮かぶ。

 

「確かどっちも、ダイが急に強くなって……」

「なんと!? ……もはや疑う余地は無いようじゃ」

 

それを聞いていたナバラはメルルと共に顔を見合わせ、そして頷き合う。

 

「その方こそ、我が祖国の伝説に記された(ドラゴン)の騎士に相違ない……!」

「……(ドラゴン)の……騎士……!?」

 

ナバラの発した耳慣れぬ単語をオウム返しにダイが口にしたときだった。

 

「ウフ……ウフフ……ウフフフフフッ!!」

 

抑えきれない程の哄笑が辺りに響き渡る。

 

――ついに出てきた……

 

その声だけでチルノは周囲を見渡し、ある者(・・・)を探し始めた。

ダイたちも周囲を見渡して声の出所を探るが、それよりも早く声の主が姿を見せた。

 

「はじめまして、勇者サマ」

 

その相手は壁の中から浮かび上がってきた。全身を道化師のような格好で固めている。あまりに得体の知れないその様子に、ダイたちは警戒度を一気に引き上げる。

 

「ボクの名はキルバーン。口の悪い友達は"死神"なんて呼ぶけどね……」

「キルバーン……? バラン、じゃないのか……?」

「おやおや、これは驚いた。どうしてその名前を知っているんだい?」

 

(ドラゴン)の軍団を相手にしたことで、自然と目の前の相手がバランであるとダイは思っていたようだ。キルバーンという名に少々困惑した様子を見せる。

対するキルバーンは、バランの名が出てきたことに驚かされていた。どうしてダイがそのことを知っているのかと一瞬不思議がるも、その疑問はすぐに解決する。

 

「……ああ、そういうことか。なるほどね」

 

キルバーンが視線を動かした先には、クロコダインの姿があった。なるほど、それならば魔王軍の陣容が割れていても不思議では無いと一人納得する。

そしてキルバーンの視線を受けたクロコダインは背中に一筋の汗をかいていた。その名は魔王軍に所属する者ならば――個人差はあるが――誰でも知っている。そして、その死神の役割も。

 

「死神……まさか、オレを殺しにきたのか……?」

「ウフフ……それこそまさか、だよ。もしも殺しに来たのなら、こうやってのんびりと姿を見せたりお喋りなんてしないさ」

 

クロコダインの言葉を、キルバーンはあっさりと否定してみせた。

 

「気配を消して、後ろからバッサリ。それだけですぐに終わる簡単なお仕事だよ」

「クッ……」

 

お前など苦戦するに値しない。簡単に息の根を止める事ができる。そう言外に告げられているようで、クロコダインは内心歯噛みしていた。だがそう理解していても動くことが出来なかった。

キルバーンから漂う異質な雰囲気が獣王と呼ばれた相手に二の足を踏ませる。

 

「今日のボクの仕事は使い魔。本当はすぐに帰る予定だったんだけど、流石に説明とお別れの挨拶の一つもなしじゃあまりにも可哀想だから、こうやって姿を見せたのさ」

「なん、だと……?」

「実は勇者ダイについて、魔王軍で話題になっていてねぇ……詳しい事情は省くけれど、超竜軍団から(ドラゴン)を借りてボクがキミの正体を見極めることになったのさ」

「おれの、正体……?」

 

その言葉にダイの中で、先ほどナバラから聞いた(ドラゴン)の騎士と言う言葉が重なる。

 

「でも、ウフフ……予想以上に大きな収穫だったよ。これは報告するのが楽しみだ」

 

満足げに笑うと、出てきたときと同じように、今度は壁の中へ沈み込むようにしてその姿を隠していく。だが突然、その動きをピタリと止めた。

 

「ああ、そうだ。近い将来、本物の超竜軍団長が現れると思うよ。キミを地獄へ誘うために、ね」

 

そこまで言うとキルバーンは、言いたいことを全て言い終えたとばかりに完全に壁の中へと消えていった。ちなみに最後の台詞は壁の中から顔だけを出して言っていたため、その見た目はかなりシュールである。

とあれキルバーンは。言いたいことを一方的に喋り、それが終わったかと思えばさっさと引っ込んでしまった。後に残った者たちに何とも言えない不気味な想いを残しつつ。

 

――どこにもいない!?

 

そしてチルノだけは、キルバーンへの警戒を向けながら別の事に意識を向け続け、そして目当ての存在がどこにも見つからなかったことに落胆していた。

その存在とはピロロ――キルバーンがその肩に乗せている一つ目ピエロのモンスターである。実はそのピロロこそが真のキルバーンであり、皆がキルバーンと呼んでいるのは彼が操る人形だった。

本来の歴史の知識からそれを知る彼女は、後の禍根を断つべくここでキルバーンと決着を付ける事を考えていた。だからこそ貴重品であるはずの"魔法の聖水"を使ってまで備えたというのに。

 

――警戒されていた? ……いえ、まだそれはありえないはず……

 

原因を考えるが、答えは出てこない。そしてチルノは気付いていなかったが、本来の歴史でも同様にこのタイミングでピロロは姿を見せていない。描写こそされていないが、どこかに隠れて様子を窺っていたのは間違いないだろうが……

とあれ「キルバーンはピロロを肩に乗せているはず」という固定観念が邪魔をした結果、チルノは千載一遇の機会を取り零していた。もしも事前に気付いていれば、スラリンに探させるなどの方法もあったかもしれない。

 

「バラン……やはり来るか……」

 

クロコダインが覚悟を決めたように呟く声で、チルノは正気を取り戻す。最高の機会を失ったことは確かに痛手だが、目先の事も大事である。次の手を考えるべく、チルノは思考を切り替えた。

 

「そうね……でも、ナバラさんの言っていた(ドラゴン)の騎士についても……」

 

そう言いかけて一行はようやく気付いた。見ればダイたちの周りを取り囲むように人々や衛兵たちが並んでいる。

キルバーンが去ったことで、殺気が完全に消えた事を理解したのだろう。ベンガーナの人間達が遠巻きにダイたちのことを見ている。彼らの表情は皆、引きつったような笑みを浮かべていた。

 

「な、なんだこいつら……?」

「あ、あの……(ドラゴン)の討伐をしていただいて、ありがとうございました……」

 

その中の一人――おそらく衛兵たちの代表だろう――が、怯えたような様子を必死で隠しながらそう言ってきた。

だがそれも無理も無かったかも知れない。

何しろベンガーナを攻撃していたのは、妖魔師団である。師団長のザボエラからして積極的な攻勢をしておらず、この国が攻められたのは世界的に見ても例が少ない。

加えてベンガーナはその国力から生み出された大砲や戦車という重武装の数々があるため、武力については魔王軍が襲来する前から世界に誇っている。

 

この二つの要素が原因で、この国の人間は大魔王軍との戦争をしていると頭で知っていても、どこか対岸の火事のように思っていた。

そこに来て、超竜軍団の襲来である。絶対安全と盲信していた人々からしてみれば、さぞ度肝を抜かれたことだろう。

 

「……怯え半分、感謝半分。ってところかしら?」

 

自分たちを取り巻く人々の様子を見ながらチルノは独りごちる。

だが、本来の歴史よりはマシかもしれない。本来の歴史のダイは今のダイと比較しても弱く、仲間も少なければ、敵の襲撃に気付くのも遅かった。そのため街中で(ドラゴン)の騎士となり、ヒドラを圧倒的な力で倒していた。

その結果、人々に恐怖の目で見られてしまう。それはダイ本人の心にも影を落とすこととなるため、今の状況の方がマシ、と思えなくも無いかもしれない。

遅かれ早かれ直面する問題であるとはいえ、本来の歴史と比べればまだパンチの弱い出来事なのだから。

 

「あの、おねえちゃん……」

 

そう思っていると、チルノに可愛らしい声が掛けられた。それに気付いてチルノが振り向くと、彼女が助けた少女が輪から抜け出して近くまで来ていた。

 

「たすけてくれてありがとう!」

 

少女の言葉にチルノが返事をしようとするが、それよりも早く輪の中から一人の女性が現れると、少女を抱きしめてサッと輪の中に戻ってしまった。その動きの早さは驚くべきものがあるほどだ。

声を掛けそびれ、ぽかんとしていたチルノに向けて、クロコダインが言う。

 

「オレの見た目が原因だろう……お前達といたから忘れかけていたが、普通の人間がオレを見れば恐れても仕方あるまい……」

「え! そ、そんなことないよ! クロコダインは仲間じゃないか!」

 

自虐するような言葉に反応したのはダイだった。慌ててフォローするが、それはダイなりに一生懸命に気を遣っているものの、どうにも下手だ。こういう行動に慣れていないのもあるだろう。

 

「その理屈だと、あの子はその辺の大人たちよりもよっぽど勇気があるってことね」

 

そんな弟の頑張る姿に、姉は助け船を出す。

 

「全員から恐る恐る感謝の言葉を伝えられるよりも、あの一言の方がその何倍も嬉しかったもの」

「……フフ。確かにそうかもな」

 

その言葉にクロコダインはニヒルに笑う。チルノにだけ伝えられた言葉ではあったが、それを聞いていた彼も決して嫌な気分にはならない。むしろ周囲の大人達の姿と比べてしまい、よほど価値のある物に感じてしまう。

 

「それじゃあ、話を戻しましょうか」

「ダイ君が(ドラゴン)の騎士、って話よね?」

「ああ、すまないね……」

 

チルノとレオナがそう口にすると、ナバラは申し訳なさそうに言う。

 

「詳しい話をするには、あたし達の国まで――テランまで来て貰うのが一番早いんだが、大丈夫かい?」

「テラン!?」

 

王女として各国についての知識も学んでいたレオナは、その目的地を聞いて驚く。その国は小国であり、人も少ないのだ。だが移動する分にはそれほど時間が掛かるものでもない。ベンガーナからならば一日もすれば到着する場所だ。

 

「ダイ君、どうする? 行く?」

「レオナはいいの?」

 

パプニカを抜けて来ている立場のため、レオナの事がダイは気に掛かってしまう。だがレオナ本人はそんなことを気にするような性格ではない。

 

「ええ、もちろんよ! みんなも異論は無いでしょ!? すぐに出発しましょ……」

「あ、待って!」

 

今すぐに出発しよう。そう言いかけたところに、チルノが待ったを掛ける。

 

「せっかく、滅多に手に入らない素材が目の前にあるんだもの。利用しない手はないわ」

 

彼女の視線は、倒されたヒドラへと向けられていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

鬼岩城の玉座の間――

そこに集まった者たち――ハドラー・ミストバーン・バラン・ザボエラの四人である――は、黙ってキルバーンの言葉に耳を傾けていた。だがその時間もようやく終わりが見える。

 

「――ということだったよ。まとめてドラゴンを倒すほどの呪文を使う魔法使いに、ヒドラを相手に時間を稼ぎ、そしてトドメにライデインを放つ勇者。これは、ちょっとやそっとじゃ打ち倒せないだろうねぇ。少なくとも、配下の(ドラゴン)たちでは無理だよ」

 

そこまで口にすると、キルバーンは少しだけ肩をすくめる。

 

「キミの意見はどうかな、バラン君?」

 

話を振られ、バランは重々しく口を開く。

 

「なるほど、そういうことかハドラー……ようやく貴様の企みが読めたわ」

「な、なんのことだバランよ……?」

「とぼけるな!!」

 

あくまで知らぬ態度を崩さぬハドラーに、バランの怒りを滾らせる。

 

「貴様はダイが(ドラゴン)の騎士だと知っていたのだ。そして、知っていながら、己の保身のためにそれを秘匿し続けたのだろう!? 違うか!?」

「なっ、何を言うか! そもそもダイが(ドラゴン)の騎士だという証拠などどこにも無い!!」

「いや、証拠ならばある!」

「な……っ!?」

 

根拠が無い、ということを盾に頑として首を縦に振らずにいたハドラーであったが、バランの突然の言葉に肩すかしを食らう。

 

「死神よ、再度問おう。ダイはライデインを使った……間違いないな?」

「もちろん、間違いないよ。なんだったら、バーン様の名に賭けてもいい」

「それが……どうかしたのか……?」

 

バランの質問の意図が読めず、ハドラーは続きを促すように言う。

 

「知れたこと……ライデインやギガデインは、ただの人間には決して扱う事が出来ん呪文なのだ! これを扱えるのは、(ドラゴン)の騎士のみ!」

「な……っ!?」

 

人間に出来るのは天候を操るまでである。雷雲を呼び寄せるまでは出来たとしても、それを操る事が出来るのは(ドラゴン)の騎士だけ。言い換えれば、ライデインを使えれば(ドラゴン)の騎士だという証左になる。

 

「そうそう、言い忘れていたよ。そこには人間の占い師もいてね。その占い師の口からも確かに聞いたのさ……ダイが(ドラゴン)の騎士、って言葉をね……」

 

バランの言葉に乗るように、いかにも"今思い出しました"とばかりのわざとらしい態度でキルバーンは援護の言葉を口にする。

 

「それに、彼らの話を信じるなら、(ドラゴン)の紋章を発現させたのは二回……クロコダイン君と戦った時とハドラー君と戦った時だそうだよ」

「おお、そう言われれば確かに! あの時、水晶玉に映ったのは竜の形に見えなくもなかったわい!」

 

ロモスでの戦いを見ていたザボエラも、思い出したとばかりに口にする。それがバランへさらなる援護の言葉となるとも自覚せずに。

キルバーンとザボエラの言葉に、ハドラーはギリリと歯噛みする。だが現状を覆すようなことは何も言えなかった。

 

「おやおや、そうするとおかしいね……順番としてはハドラー君が先のはず、だったよねぇ……? もしもハドラー君が『ダイが(ドラゴン)の騎士であることに気付いて、ダイ抹殺をクロコダイン君に依頼した』とかなら実にスムーズに話が進むんだけど?」

 

キルバーンからしてみれば、この議論はハドラーが勝とうがバランが勝とうがどちらでも良い。強いて言うならば、(ドラゴン)の騎士同士の戦いが見られるかもしれないバランが良い。その程度である。

必要であれば、いずれ順番は回ってくる。ならばそのときに備えて情報を収集するのが肝要だ。それまでの間は退屈しないように、精々この場を引っかき回し、楽しませて貰おう。

そんなことを考えていた。

 

キルバーンの言葉にバランはさらに強烈な視線を向け、ハドラーは恨みがましい視線をキルバーンへと向けるが、それ以上のことは何も出来ない。議論は、バランが出陣する流れへと一気に傾いていく。

その光景を、死神は冷ややかな目で見ていた。

 

――フフフ……皆そんなに(ドラゴン)の騎士が気になるかねぇ……

 

ダイのライデインを隠れ蓑とするようにして放たれた雷の魔法。そして事前に使った海水を生み出す魔法によるアシスト。かと思えば、風と冷気を操ってスカイドラゴンを瞬く間に倒してしまう。

そのどれか一つを取っても、聞いたことも無いものばかりである。

加えて全員がキルバーンに注目するなか、一人だけ注意を完全にキルバーンへ向けること無く別の何かを探しているような素振りまで見せていた。

おそらく、ミストバーンがそこにいたとしても気付く事は無かっただろう。魔王軍で唯一特別な立場を持つキルバーンだからこそ気付くことが出来た、どこか一歩引いているようなチルノの態度。

 

――勇者よりも、(ドラゴン)の騎士よりも……よっぽど気になるんだよねぇ……あの娘……

 

全員の興味がダイの素性へと向いている中、死神の瞳だけは新しい玩具を見つけた子供のようにチルノへと向けられていた。

 

 




竜の鱗を使った防具に、爪牙を加工した武器。
チルノさんの狙いはこれだったりします。ドラゴン素材が弱い訳がない(盲信)
竜鱗装備、もとい、天然のドラゴン装備が手に入るはず。
――え? 電撃で焦げてる? そ、そこはほら……ご、ご都合主義……(小声)

キルバーンが壁から出たり引っ込んだりしてたのって、どういう理屈なんでしょうね?
個人的にはアレ、幻影だと思っています。本当の壁の前にもう一枚幻影の壁を作って、そこでスタンバっていた。幻影だから水みたいに簡単に潜ったり出てきたり可能。原作でキルバーンが壁を背にし続けたのもそれが理由。
壁を作っているのはピロロで、その向こうに隠れていた。と思ってます。
(でもそれだとキルバーンの服に付いた傷跡とドラゴンキラーの刃の形が一致しないんだよなぁ……)

電撃呪文は「この世界だと竜の騎士しか使えない」という扱いにしています。
わざわざここで記載する必要も無いかも知れませんが、一応念のために。というのも、「デイン系は竜の騎士限定呪文です」のように断言された資料が見つからなかったのです。
「電撃呪文は真の勇者が使える」みたいな曖昧な表現はあるのですが……

そうなると「デイン系が使える=必ず勇者なのか?」と疑問になりまして。

竜の騎士限定だとすると、その割にライデインが知名度はあるみたい。そうなると「竜の騎士はどれだけホイホイ姿を見せているんだ? 呪文が知られている割には竜の騎士のことが伝わってないぞ」と思ってしまうんですよ。

仮に――
・ライデインまでは素質がある人間ならば使える。
・ギガデインは竜の騎士限定の呪文になる。
・ライデインを使う悪人もいれば、使えないけれど勇者として名を残した人間もいる。
(デイン系使えないからアバンは勇者じゃない、とか悲しいですからね)

――みたいな感じかとも思いましたが、そこまで行くとワケが分からなくなりそうで。シンプルに「デイン系は竜の騎士しか使えない呪文」という扱いにしました。

だってそうしないと、バランが来る理由にならないんだもん。



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LEVEL:39 竜の神殿

多分、次話辺りから更新速度が落ちます……ごめんね……



ナバラ達の発した(ドラゴン)の騎士という言葉。そしてダイの素性を知るべく、一行はテラン王国への旅路を進めていた。

幸いな事にというべきか、ベンガーナとテランは隣国同士である。大人の足ならば徒歩でも三日と掛からない程度の距離しか離れていない。ましてやダイたちはベンガーナへと向かう際に馬車を用意していたのだ。これならば飛ばせば一日で辿り着くのも決して夢物語ではない。

だが、それが叶うことは無かった。なぜならば――

 

「すまないな。オレがいなければ、馬車でもっと早く移動できただろうに」

「いや、おっさんは悪くねぇよ」

 

申し訳なさそうに口にするクロコダインに、並んで歩くポップがそう言う。

一頭立ての馬車ではクロコダインを乗せて引っ張り駆け続けるほどの馬力はなかった。ついでに言うならば、荷台にクロコダインを乗せるだけの余裕も無かった。

クロコダインだけガルーダで先行して移動し、一行は馬車で移動する。という案も出たのだが、合流に手間取る可能性や、分断したところを襲われたら問題だろうといった案もあり、結局全員で移動することになった。

仮にクロコダインがいなかったとしても、合計六名を乗せて走り続けるのは馬には少々酷だったので、それほど移動時間に違いはないのだが。

 

「ごめんなさい。私がキメラの翼を用意してくるのを忘れたから……」

 

二人の話を耳にして、馬車の荷台よりチルノがさらに口にする。

自分でそう言うように、彼女は今回に限ってキメラの翼を忘れてきていた。出発がわりと急だったことに加えて、今回は不要だろうとタカを括っていたがための落ち度である。

必要になったのだからデパートで買えば良いのでは? と思うかもしれないが、さにあらず。平和という名のぬるま湯に浸かっていたベンガーナの人々は、超竜軍団の襲来にそうとう肝を冷やされたらしい。

手軽に逃げられるようにと我先に道具を求め、とても購入できるような状況では無かった。

 

仕方なし、一行はキメラの翼の購入を諦めて出発することになった。全員が馬車に乗れないということもあって、男性は馬車を降りて徒歩で。女性は馬車に乗って移動を。ということになった。

 

「いや、それこそチルノのせいじゃねぇって……しかし……」

 

再びポップが口を開き、そしてチルノへと視線を移す。

 

「よく馬車の上で作業できるな……揺れて手元が狂わねぇのか?」

「大丈夫……いい加減、慣れたからね……」

 

そう言われた彼女は、下を向いたまま顔を上げることなく返事する。

手には、"鋼鉄(はがね)の剣"を、もう片方の手には(ドラゴン)から剥ぎ取った鱗や牙に、爪といった素材の数々を抱え込んでいる。

これらは全て、ベンガーナを襲った(ドラゴン)たちの素材なのだ。ベンガーナの領内で倒したモンスターなので、そのことを考慮してか多少なりとも国へ渡す分として残してはあるが、一番硬い部分の鱗や、数に限りがある爪牙は抜け目なくチルノが獲得している。

 

それらの素材を使って、チルノは現在ダイの装備の改良の真っ最中であった。

まず鱗はなめして、爪や牙は利用しやすいように加工し直す。それが終われば"騎士の鎧"に鱗を付与して防御力の向上に加えて、熱などの特殊攻撃にも耐えられるようにする――要するに"ドラゴンメイル"を作っているのと同じだ――基となっているのがダイの体格に合わせて装備箇所を絞った"騎士の鎧"のため、本物と比べれば些か装備面積や防御力は劣るが。

武器の方は"鋼鉄(はがね)の剣"に爪牙を合成させて、さらに――ダイが全力で剣を振るっても耐えられるように――頑丈さを重視するように別途調整まで行っている。ただこちらは"ドラゴンキラー"と呼ぶには少々首を傾げざるを得ないだろう。

彼らが知る"ドラゴンキラー"は手甲に刃を足した形状のものに対して、現在作っているのは剣に竜の素材を足しているものだ。殺し(キラー)の名前よりも、ドラゴンソードあたりの名前の方が適切だろうか?

 

まあ、名前の是非はともかくとして、どちらも完成すれば現在のダイにとって心強い装備となるのは間違いなかった。

 

「でも、この光景を見ているとつくづく思うわよね……やっぱりドラゴンキラーは必要だったって……」

「姫さん、まだそんなこと言ってるのかよ……」

「だってそうでしょ? ベンガーナを襲ってきたのは(ドラゴン)だし、この先に現れるのは超竜軍団の軍団長! どっちにも凄く効果的な武器になりそうじゃない!?」

 

ズバリと言い切ってから、レオナは少しだけ悲しそうに顔を伏せる。

 

「……それに、チルノがこんなに苦労する必要もなかったでしょ?」

 

生産技能による装備作成は、多少なりとも魔法力を消費する。たとえ魔法力を消費しなくとも休み無く作業し続ければ、誰だろうと疲弊する。

道中の移動時間はおろか、休憩時間までをも加工に費やす友の姿は、レオナでも見ていられないものがあった。そこで"ドラゴンキラー"があれば、少しでも手助けになるだろうという考えからだった。

 

「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よレオナ」

 

ポップの声に返事をしたときとは違い、顔を上げてチルノは言う。そこには友人の気遣いを耳にしたた、これ以上の心配はさせまいと笑顔を浮かべている。

 

「作業はもう終わるし……それに、ダイの短剣を作っている時に比べたら、よっぽど楽だったから」

 

キラーマシンの装甲を加工したダイの短剣は、彼女の自信作だ。とはいえ、生産技能にもまだまだ慣れていない頃に、素材から削り出して短剣を作ったのだ。三ヶ月近く時間が掛かっていた。それに比べれば作業にも慣れ、工程そのものは少なくなっている。彼女の言うように、それと比べれば楽だった。

 

「……ええっ!? もうできたの!?」

「本当!? 姉ちゃん!!」

「もちろん! ダイ、装備してみて?」

 

そう言いながら、剣と鎧を手渡していく。まずダイは剣を手に取ると、その具合を確認するように軽く素振りする。多少重くなったように感じるが、扱いにくいということもなく、手にしっかりと馴染む感触に満足したように頷く。

そして鎧を一つ一つ装備していく。見違えるように加工されたそれら武具を目にしながら、ナバラ達が驚いているのを横目で見ながら、ようやく作業が終わったことでチルノは固まった筋肉をほぐすように一つ大きく伸びをした。

 

「なあ、チルノよ……その、素材はまだ残っているのか……?」

「え……? う、うん……まだ残っているけれど」

 

――それがどうしたの?

 

その言葉をチルノは口にすることが出来なかった。なぜならば、次にクロコダインが言うであろう台詞がなんとなく予想出来てしまったからだ。

 

「疲れているところ、言い難いのだが……オレの装備にも頼めるだろうか? いや、無理にとは言わんのだが……」

 

とても申し訳なさそうな顔をしながら、クロコダインはそう言う。チルノは予想通りの言葉を耳にして、一度は輝かせた表情を暗くしてから、片付けようとしていた素材へ再び手を伸ばした。

 

再び始まる加工作業――

二度目ということもあってか作業は比較的スムーズに進んだ。ダイの装備を加工する経験を応用すれば良いので楽だったということもあった。

だが、作業がスムーズに進んだ一番の理由は、チルノの謎のテンションの高さだろう。何故か奇妙なほどのハイテンション――例えるならば徹夜明けの謎の高揚感――でめまぐるしい速度で加工作業を片付けていった。

 

少女が作業を行うその影で、一人の獣王がとある王女の説教を受けていたのだが……まあ、割愛しておこう。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――テラン。

ギルドメイン大陸に存在する四大王国の一つであり、そこは神秘の国とも呼ばれている。竜の神を信仰し、森と湖に隣接した静かな国――といえば聞こえが良いかもしれないが、その実態は小国。それもこの世界に存在する各国と比べても国力が最低といっても過言では無い。

 

その理由はこの国の持つ、自然主義や平和主義にある。

自然を愛して神を敬う国王フォルケンは、いずれ必ず人に災いをもたらすという理由で武器や道具の開発を禁じた。だがそれは同時に国力の衰退を促した。多くの人間は豊かな生活や刺激を求めるものだ。

ましてやすぐ近くにベンガーナという対照的な国があるのだ。すでに国の人口は五十人程度にまで減少しており、緩慢な滅びの道を歩んでいると言って良いだろう。

 

だがその国は、ナバラとメルルの故郷であり、同時に(ドラゴン)の騎士の伝説が眠っている地でもあった。

 

「おお~っ!」

 

竜の神を信仰する国、その国で聖域と呼ばれている湖がある。ナバラとメルルの案内でダイたちはその湖の畔までやってきていた。そして、改めて湖を見るなり、その雄大さにダイたちは思わず声を上げていた。

 

民家や建物が少なく、自然がそのまま残っている光景は、直前のベンガーナでみた人工的な景観とは真逆だった。湖の青色と木々や草の緑色のコントラストが何とも言えぬ光景を美しさを彩っていた。

 

「ほら、チルノ。起きて、着いたわよ」

「……ふにゃ?」

 

荷台で眠っていた少女へ声を掛けながら揺り起こす。

加工作業を完了させた途端、疲労が限界を突破したらしく、チルノはそのまま糸が切れた人形のように眠ってしまった。起こすのも忍びなく、目的地へ到着するまで時間に少しでも休ませてあげようということで彼女は今までゆっくりと眠っていた。

レオナの目覚ましでようやく起きたチルノは、何とも間の抜けた声を上げながらのっそりと顔を上げて辺りを見回す。

 

「……ここ、どこ? ……ええっ!? なにこれ!!??」

「この綺麗な景色は、目覚ましには十分だったみたいね」

 

起き抜けのぼーっとした頭に飛び込んできたその景観は、彼女の意識を覚醒させるには十分だったらしい。なんとも可愛らしいその反応にレオナは思わずくすくすと笑ってしまう。

 

「ああ、そっか……テランについたのね……」

 

実際に見たのは初めてであるのに、頭の中のどこかでは一度見たことがあるその景色をチルノは噛み締めるように眺め、続いて次に来る相手のことを思い出して気を引き締め直す。

完璧とは呼べないかもしれないが、それでも全力を出せるように場を整えてきたつもりである。

そして――

 

「…………」

「しかし、なんか寂しいねぇ……王国っていうより村だぜ、こりゃ」

 

不安そうな目つきで湖を見つめ続けているダイと、周囲の様子を見て感想を漏らしているポップを見ながらチルノは決意する。

彼らを犠牲にするような真似は絶対に起こさせない、と。

本来の歴史では、ダイはこの後の戦いの後に記憶を失う。そしてポップは、自己犠牲呪文(メガンテ)を使い、その命を失ってしまうのだ。友人の命がけの行動を見てダイは失った記憶を取り戻すのだが……

 

今の二人の状況では、それが再現されるとは思えなかった。

 

まずポップだが、魔法使いとしての技量(レベル)が本来の歴史よりも高まっている。ならばメガンテの威力も増すかもしれない。だが、本来は僧侶が扱うはずのメガンテの呪文を魔法使いのポップが操り、そして威力が高まっているのが問題だ。

本来の歴史では未熟だったためにメガンテは不発に終わり、命こそ失うが肉体の欠損などは起こらなかった。その結果に落ち着いたのは幸運以外の何物でも無いだろう。"ヘタをすればバラバラに吹き飛んでカケラも残らねぇ"と言ったのは他ならぬポップ自身である。

もしも、術者の肉体が耐えきれないほどの威力を発揮して、しかもメガンテの呪文が成功してしまったら……

 

それ以上は考えたくない未来を思い浮かべてしまい、チルノは慌てて思考をダイへと切り替える。

 

こちらはどちらかと言えば安全材料に近い。本来の歴史よりもレベルが上がり、強くなっているダイであれば、記憶を失わずに済むかも知れない。

理想は、この後のバランとの戦いでそのまま押し切って勝利してしまうことだった。そうすれば危険性はグッと減る。バラン相手にも有利に事を進める可能性だって十分にあるはずだった。

 

「ナバラさん! この国のどこに、おれの正体を知る手がかりがあるんですか!?」

 

ダイの声が響き、チルノは思考を中断する。そこには、不安げな目でナバラを見ている弟の姿があった。

 

「教えてください、お願いします」

 

どこか焦りを含んではいるが、冷静――少なくともチルノが知る本来の歴史よりも冷静な姿勢が見られた。ベンガーナで人々からの畏怖の視線を浴びていないことがその原因だろう。

だが同時に、急に訪れた自分の正体を知る機会に、焦りと不安が混じっているようだ。ゆっくりとナバラに頭を下げた弟の様子を見て、チルノはそう判断する。

 

「ついといで……」

 

ダイの様子を感じ取ったのだろう。ナバラは言葉少なくそう言うと、湖の畔を歩き出した。

 

 

 

やがて辿り着いたのは、湖の中央に位置する祭壇だった。浮島に道を作ったような場所に存在するそこは、大理石で作られたであろう簡素な神殿と、その中には台座に座する(ドラゴン)の石像がある。

そしてその台座には、見覚えのある紋章が刻まれていた。

 

「こっ、この紋章は……!?」

「ああ……間違いない」

「やっぱり見覚えがあるみたいだね。これが、(ドラゴン)の紋章だよ」

 

見た途端、ポップとクロコダインが揃って声を上げた。その反応から、ナバラは確信したように口にする。

 

「これが、おれの額に浮き出る紋章……?」

「ええ。そうよ」

「へぇ……ダイ君って、こんなのが浮き出るのね……」

 

ダイの確認するような言葉にチルノは頷き、そしてレオナは初めて見たその紋章の形を興味深そうに眺めていた。

 

「テランは竜の神をたたえる国……そしてこの紋章は、竜の神の力のあらわれとして敬われ、この紋章を額に抱く者こそ……!」

(ドラゴン)の騎士、かっ……!?」

 

ポップの絞り出す様な声に、ナバラはゆっくりと頷いた。

 

「……(ドラゴン)の騎士って、一体どんな人種なの?」

「…………」

「……人かどうかは、わかりません」

「!!!」

 

レオナの疑問の言葉にナバラは言いにくいのだろう無言のままおり、やがてメルルが後を継ぐようにゆっくりと口を開いた。だがその言葉はダイに大きな衝撃を与える。

 

「私たちは"神の使い"として受け取っています。伝説によれば(ドラゴン)の騎士さまは凄まじい力を誇り、あらゆる呪文を使いこなし、天と地と海をも味方に変え、全てを滅ぼす者とされているのです……」

(ドラゴン)の騎士さまが救世主なのか、破壊者なのかはわからない……ただ、竜の神の生まれ変わりの如き強さを持っていることしか、記されていないんだ……」

 

二人の言葉を耳にして、ダイは俯いたように表情を曇らせた。そしてポップ達は何とも言えない視線をダイへと向ける。

無理もないだろう。急に"お前は人では無い伝説の存在だ"などと言われ、それがましてやまだ二十歳に満たない子供では。受け止めることも折り合いを付けることも、出来るはずが無い。

押し黙ってしまった全員を見て、チルノはゆっくりと歩み出た。

 

「……ダイ、怖い?」

 

意気消沈する弟の頭へそっと手を当て、優しく撫でながらそう問いかける。

 

「姉ちゃん……うん。だって、急に(ドラゴン)の騎士とは言われてさ……おれ、わけがわかんないよ……もしかしたら、人間じゃないのかもしれない……そう思ったら……おれ、おれ……」

 

その言葉にダイは素直に自身の内に溜まった感情を語り始めた。それでも幾らかは遠慮しているのだろう、言い淀みがちなそれが何よりの証拠だ。

 

「……いい、ダイ。落ち着いて、よく聞いて……」

 

だったら自分が何をすべきか。そんなことはもはや考えるまでも無い。

 

「ポップもレオナも、クロコダインもヒュンケルも、パプニカの人たちはもちろん、私だって、今更ダイの正体が何であろうと気にしないわ」

「姉ちゃん、でも……!」

 

反論しかけたところで、ダイの口に人差し指を押しつけて強引に黙らせると、チルノはさらに言葉を続ける。

 

「言っておくけど、私の方がよっぽど得体の知れない存在なんだからね」

「え?」

 

弟へ向けて、珍しく勝ち誇ったような笑顔を見せる姉の様子に、ダイの思考が止まる。

 

「ダイは、デルムリン島でブラスおじいちゃんに育てられた子供で、(ドラゴン)の騎士」

 

ダイへ指を突き付けながらそう言うが、何が言いたいのか分からずぽかんとした表情を見せたままだった。その隙を逃さないように、続いて自分へ指を向けながら言う。

 

「私は、デルムリン島でブラスおじいちゃんに育てられた子供で、メラもホイミも呪文の一切が契約できなかったくせに、わけのわからない呪文みたいなものが使える」

 

そこまで言うと一拍だけ間を開け、さらに言葉を続ける。

 

「それだけじゃないわよ。ダイの持ってる短剣を作ったのだって、その剣や鎧を加工したのも私。マァムには武術の基礎を教えたし、ヒュンケルには"魂の貝殻"を渡して来た。ダイと同じ勉強をおじいちゃんから習っているのに、私だけ賢者とか呼ばれているのよ。なのに自分の正体なんて何にも分かってない!」

 

この頃にはダイも周りの仲間たちも、チルノが何を言いたいのか朧気ながら分かってきたようだった。

 

「……つまり、私の勝ち。お姉ちゃんに勝とうなんて、十年早い」

「いや、勝ち負けの問題じゃねーだろ……」

「あ、あはは……ものすごい理屈ね……」

「クッ、ハハハハッ!」

 

ポップは力なくツッコミを入れ、レオナは乾いた笑いを漏らす。そしてクロコダインは漂い始めた微妙な空気を吹き飛ばすように豪快に笑った。その笑いにつられるように、ダイの顔色もゆっくりと良くなっていく。

 

「……これだけ得体の知れない姉が身内にいるんだから、弟がちょっとくらい変わっていても、些細な事よ。天と地と海を味方に変える? 私だって、雷を落とせば風だって操れる。津波だって起こせるし、地震だって起こしてみせる! ダイが(ドラゴン)の騎士だって言うのなら、私はドラゴンそのものに変身してみせるわ!」

 

そこまで強気に言ってから一転、チルノは優しく微笑んだ。

 

「自分よりももっと正体不明の存在がいるんだもの、どっしりと構えてなさい……それともダイは、変な力を持っている私は化け物だから切り捨てる?」

「そんなことないよ! 姉ちゃんは……あっ!!」

 

慌てて反論しかけて、ダイはようやく気がついた。自分が姉の事を大切に思うように、姉もまた自分のことを思ってくれていた。それだけではない、仲間達だってそうだ。

考えてみれば、(ドラゴン)の騎士という正体が分かった自分の方が、姉よりもよほど恵まれているのかも知れない。

 

「あはは……でも、そうだね……ねえ、姉ちゃん」

「ん?」

「俺が倒れそうになったらさ、支えてくれる?」

 

ダイに取ってみれば、その言葉は彼なりに勇気を振り絞ったつもりの言葉だった。

 

「……今だけは、ね。次からはレオナに頼みなさい」

「え、姉ちゃん!」

「チルノ!?」

 

思わせぶりな視線と共にそう言う。それだけで何を言いたいのかをなんとなく察した二人は、慌てて声を荒げた。

 

「それに、ポップももっと頼ってあげなさい。私じゃあどうしても家族の視線になっちゃうから……男同士、言いたいことも簡単に言えるでしょ?」

「ああ、そうだぜダイ……頼りねぇかもしれないけどよ、おれだってお前の力になりてぇんだ!」

「そうだぞ。オレなど人間ですらないが、ダイの力になりたいと思っている。オレにそう思わせてくれたお前ならば、きっと大丈夫だ」

 

その言葉を後押しするように、ポップもまた力強くそう言う。クロコダインもまた同じように、ダイの背中を後押しする。その顔を見ているだけで、ついさっきまでダイの胸中にあったモヤモヤとした気持ちがどんどん霧消していくのが自分でもよく分かった。

 

「……なるほど、(ドラゴン)の騎士さまはどうやら良い仲間に恵まれているようだねぇ……」

「ええ、そうですね。おばあさま……」

 

ダイたちのやり取りを黙って聞いていたナバラ達は、いたずらに不安を煽ってしまったように思え、お互いに言葉少なく声を掛け合い自省する。

 

「ぼうや、もう少しだけいいかい?」

「ナバラさん?」

「……この湖の底には、誰も近寄る事を許されない神殿があるんだよ。竜の神の魂が眠る場所として、テランの聖域と化したところがね。もしも(ドラゴン)の騎士さまと関係があるとしたら、その神殿に立ち入る事が出来て、何らかの手がかりを得られるかもしれない……」

 

そこまで口にして、ナバラはダイの表情を見る。そして、自分がその話をしたことが間違いで無かったと確信を得た。

 

「……さっきまで、この話は言うべきかどうか迷っていたんだけどねぇ……その様子なら大丈夫そうだね」

「ああ、大丈夫! おれ、もう大丈夫です!」

 

吹っ切れた表情でそう言うと、神殿へと向かうべくダイは湖へと近寄っていく。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「なあ、一人で大丈夫か? おれたちも行った方が……」

「そもそも神殿には、(ドラゴン)の騎士さまに関係する者でないと入れてくれないと伝えられているのさ。無念に思うかも知れないけれど、あたし達は待っていることしかできないんだよ……」

「へ? そうなのか? いや、でもせめて、神殿の前までくらいは……」

「大丈夫だよ、ポップ!」

 

食い下がろうとするポップへ向けて、ダイは言う。

 

「みんなの事を信頼しているから、おれ、一人で行きたいんだ。だから、みんなはここで……おれが帰ってくるまで待ってて。自分の正体がなんだろうと、必ず戻ってくるからさ」

 

恥ずかしかったのだろう。ダイはそこまで言うと、顔を赤らめながら逃げるようにして湖へと飛び込んで行った。

ポップが慌てて近寄った頃には飛び込みの水しぶきも収まり、湖底へと潜るダイの姿はもう影も見えなくなっていた。

 

「ダイーーッ!! お前の帰る場所は、おれたちが守っていてやる! だから、お前の正体がなんだろうと……必ず帰ってこいよ!!」

 

湖面へ向けてポップは大声を投げかける。

その姿を仲間達は暖かく見守っていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「でも、驚いたぜ」

「……何が?」

 

無言で湖面を眺めていたチルノへ、ポップがそう声を掛ける。既に先ほどの興奮も幾ばくか沈静化する程度には時間が経過しており、それぞれの頭は冷静になっていた。

果たして何を言われるのか、そう思いながらチルノは声の方を向く。

 

「さっきのダイへの説得だよ。いや、なんつーか、チルノはもっとおっとりしているっていうか、優しく諭す印象があってさ。そこに来てあの無茶苦茶な言葉だろ?」

「ああ! それはあたしも思ったわ。チルノってダイ君には甘いのよね」

「やめて……結構恥ずかしかったんだから……」

 

二人の言葉にチルノは顔を赤らめて小声で反論する。

思い返してみれば、自分で口にした言葉でありながら、なんとも恥知らずな言葉だった。相手が反論する間を与えず、自分がどれだけのことが出来るかを並べた上で、勢いで強引に押し切っただけなのだ。彼女にしてみれば、痛みをより大きな痛みで消すような無理矢理な真似に過ぎないため、褒められる様なことには思えなかった。

 

「なんだよ~、照れるこたぁねぇだろ?」

「そうだな。あの場面で誰よりも先に動き、ダイを立ち直らせたのだ。誇っても良いことだ」

 

そう言う二人の言葉に、だがチルノは首を横に振る。

 

「それは、私が家族だからって理由も少なからずあると思うの」

「え?」

「さっきダイにも言ったけれど、私たちは家族だったから、無条件に味方になってくれるって甘えをどこかで思っている気がするの。家族だから伝わる言葉があれば、逆に他人だからこそ言える言葉もあると思う」

 

そしてレオナとポップの二人へ向けて、深々と頭を下げる。

 

「レオナ、貴方はダイが初めて接した人間で、異性の友達なの。そしてポップは初めての、それも同性の友達。だから、ダイのことはお願いね」

「当たり前だろ! 今更何を言ってんだよ!!」

「そうそう。むしろ、わざわざチルノからお願いされた事の方が心外よ。あたしたちのことを、そんな風に思っていたの?」

 

だがチルノの言葉を聞いた二人は憤慨していた。わざわざ言葉にしなくても、二人ともダイへの気持ちは同じだった。それを聞いたチルノは、当たり前のことを言ったことを少しだけ謝罪する。

 

「ううん、そういうわけじゃなくて……ただ、もしものことがあるかもしれないから……」

「はいはい! この話はもう、おしまい。別の話題にしましょう」

 

湿っぽくなった空気を吹き飛ばすような明るい声でそう言うと、レオナは真剣な口調で尋ねる。

 

「クロコダイン、バランってどんな相手なの?」

「……オレも多くは知らんぞ」

「構わないわ。あたしたちはそれ以上に情報が無いんだから」

 

次に来ると言っていたバランの情報。テランへの道中は(ドラゴン)の騎士についての情報が優先されたこともあってきちんとした話を聞けていなかったが、それらがようやく落ち着いたこともあってか、レオナは尋ねることにした。

 

その言葉にクロコダインは、少しの前置きを挟んでから口に出す。

 

「おそらく、軍団長の中でも最強だ。剣も呪文も、な。かつてオレは、各々が得意とする分野では軍団長は魔軍司令――ハドラーを上回ると言ったな?」

「あ、ああ……」

 

かつてネイル村でクロコダインと初めて対峙したときのことを思い出しながら、ポップは頷く。そのときのクロコダインは、確かにハドラーをも上回るほどの恐ろしい怪力を発揮して見せた。

 

「だがそれも、ヤツには当てはまらんだろう……おそらくだが、バランの地力はハドラーを上回っている。まともに戦えば、ハドラーは万に一つも勝てんだろう」

「そりゃ一体、どうして……?」

「それは……ムッ!?」

 

クロコダインが口を開こうとしたときだった。不意に湖に変化が訪れた。突如として湖面が暴れ出し、瞬く間に巨大な渦が湖に発生する。つい先ほどまでは波紋一つ起こっておらず、常に穏やかさを見せていた湖からは考えられないほどの変化である。

 

「な、なんだこりゃ……!?」

「なにが起きたの!?」

「ウ……ウムムムムッ! こ、これは……」

 

その急激過ぎる変化を目の当たりにして、ナバラとメルルの二人は身を震わせていた。占い師である二人は、邪悪な気配を察知する能力を持っている。それが彼女たちに警告を発しているのだ。

 

「……いる……! すさまじい力を持った何かが……この下に!!」

 

その警告に導かれるまま、常識では考えられない程の力を持った者の存在をメルルは口にする。その言葉が合図となったように、湖底から一筋の光柱が凄まじい勢いで立ち上った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

突然生み出された光の柱へその場の全員が目を向ける。そんな中、レオナが目聡く光の中の人影を見つけた。

 

「あ、あれを見て! 今、ダイ君が!!」

「えっ!?」

 

レオナの言葉にその場に全員がそちらを向く。そこには確かに、光の中を吹き飛ばされていくダイの姿があった。

 

「ダイッ!!」

「任せろ!」

 

一行の中で一番外側に位置取っていたクロコダインがそう叫ぶと、素早くダイの影を追う。その時にはダイは光の中から弾かれたように湖の畔へと吹き飛んでいた。鈍足のように思われるかもしれないが、クロコダインの足はそこまで遅く無い。

ダイへ手を伸ばすと、そのまま衝撃を殺すように上手く受け止めた。

 

「ナイスキャッチ!」

「むっ、これは……!?」

「どうした、おっさん! ……って、おいダイ! 一体何があったんだ!?」

 

腕の中のダイを一瞥するなり、クロコダインが怪訝な声を上げる。それに反応したポップが駆け寄り、そして叫んだ。

ダイは大きなダメージを負っていた。所々に見える傷が痛々しく、意識を失っているのか目を閉じたままだ。見た目からだけでも不調なことがよく分かる。

 

だがポップの声に目覚めたらしく、意識を取り戻すやいなや、湖の方へと鋭い視線を向ける。ダイの視線に促されるようにして、ポップ達もそちらを見て、そして気付いた。

未だ煌々と立ち上っている光の柱を背負いながら、一人の男が空中からダイたちのことを見下ろしていた。

黒目黒髪に加えて、立派な口ひげを蓄えている。簡素だが立派そうな鎧を身に纏い、背中には長剣を携えていた。左目にはどこか竜の横顔を連想させるデザインの片眼鏡――それは竜の牙(ドラゴンファング)と呼ばれる身分の象徴であり、武器でもあり、そして(ドラゴン)の騎士の最終手段を発動させる鍵でもある――を付けており、そこから覗く眼は冷ややかに一行を見ている。

そして、その男の額には、(ドラゴン)の紋章が光り輝いていた。

 

「あの紋章は、ダイと同じ!! そっ、それじゃあ……!!」

「あの男も……(ドラゴン)の騎士……!?」

「……バラン!!」

「ええっ!?」

 

苦々しく口を開いたクロコダインの言葉に、レオナとポップが揃って驚きの声を上げた。

対するバランは、久しぶりに再会したであろう元同僚の言葉を耳にしながらも、それらに何の感慨も浮かべることは無く、冷ややかな視線を維持したままだ。

 

「バランって、超竜軍団の……!?」

「じゃあ、魔王軍にも(ドラゴン)の騎士がいたのかよっ!?」

「そんなはずは……伝説によると、(ドラゴン)の騎士はこの世にただ一人しかあらわれないはずです」

 

メルルも加わり驚きの声を上げる中、チルノだけはダイへそっと近づくと回復魔法を唱えた。バランを刺激することのないよう効果の弱い魔法であったが、それでもダイの額から険が取れて穏やかなそれへと変わっていく。

しかしそれもダイの全快まで持つことはなかった。

バランは地に降り立ち、巨大な壁のように一行の前へと立ち塞がる。

 

「そう、この私こそこの時代ただ一人の……真の(ドラゴン)の騎士だ!」

 

バランが立ち塞がったことで、ダイもまたクロコダインから降りると剣を握り直す。

 

「だが、本来この世に一人しか産まれぬはずの(ドラゴン)の騎士一族にも例外が起こった……それがお前なのだ!」

「……ッ!」

「今こそ、(ドラゴン)の騎士としての使命に目覚め、私と共に人間を滅ぼすのだ!」

「そんなの、絶対に嫌だ! 何度も言わせるな!!」

 

チルノの治療を継続して受け続けながらも、闘志変わらぬ瞳でバランを睨みつける。

既に一度、湖底の竜の神殿でバランとダイは同じ問答をしている。そのときも今回も、どちらもダイの答えは"いいえ"である。痛い目にあったにも拘わらず、意見を少したりとも曲げることがないダイの姿に、バランは嘆息する。

 

「何故そこまで人間に肩入れする?」

「……っ!?」

 

その質問の意図が分からず、ダイは言葉に詰まる。その反応を心当たり有りとみたのか、バランはさらに言葉を続けた。

 

「今はまだ良い。子供の頃の(ドラゴン)の騎士は並の人間とたいして変わらん。だが、お前が成長し、(ドラゴン)の力が目覚め始めるにつれ、人間はお前を恐れ、疎み、迫害を始めるだろう!! そのとき、地獄の苦しみを味わうのはお前なのだぞ!」

「そんなことはない! 確かに人間の中には酷い人だっている! でも、ちゃんと話せば理解してくれる人だって、勇気を振り絞って正しいことをする人だって間違いなくいるんだ!! おれはそんな未来を信じない! そんな未来は変えてみせる!!」

 

そう言うダイの脳裏に浮かぶのは、彼が今まで経験してきた過去の出来事だった。ベンガーナでは恩師アバンの名を利用した詐欺にあい、(ドラゴン)たちを倒して街を救ったというのに、手放しで喜ばれることは無かった。

だがそれでも、お礼を言ってくれた幼い少女のことを忘れたわけでは無い。ヒュンケルに対する恨みを抱えながら、それでも不器用にも折り合いを付けて共に歩んでいこうとしたパプニカ兵達の姿を忘れることなどできない。

レオナを、ポップを、アバンを。そして、常に彼の隣にいて、味方でいてくれた姉のことを思えば、どんな困難だって克服できるとそう思えた。

 

「ああっ! そうだぜダイ!! お前はおれたちの仲間だ!! たとえ正体がなんだろうと迫害なんざするもんか!!」

「そうよ!! 人間を滅ぼすための手伝いなんて絶対させたりするものですか!!」

「ポップ、レオナ……!」

 

仲間のその言葉に、ダイは万の味方を得たように思えた。何よりも心強いその言葉に、ダイの表情が自然と明るくなる。だが同時に、仲間をこの戦いに巻き込む事に対する忌避感も覚えていた。

ほんの少し戦っただけだが、それでもバランの力は圧倒的だ。それはダイが骨身に染みてよく分かっている。

そしてポップは、そんな実力の差を理解した上で挑んでいるのか、それとも感じ取れないのか"輝きの杖"をバランへと突きつけて、いつでも攻撃呪文を放てるようにしている。

 

「待って、ポップ! 私にも、少しだけ言わせて!」

 

今にも飛びかかりそうなポップへ向けて片手で機先を制しながら、チルノが一歩前へと進み出る。立場を考えれば、バランの言い分に一番我慢がならないのは間違いなく彼女だろう。それを理解しているポップは、チルノへと前を譲った。

 

「何だ、貴様は?」

「私の事なんてどうだって良いでしょう? それよりもバラン、さっきの言葉……人間が(ドラゴン)の騎士を迫害するって言葉……まるで見てきたみたいに言うのね? ……過去に、何かあったの?」

「……ッ!! 貴様には、関係の無いことだ……」

 

――やっぱり、か。

 

一瞬だけ見せた苦々しい反応をチルノは見つめる。

本来の歴史を知るチルノは、バランが人間から傷を受けたことを知っている。その経験を未だ克服出来ていないのかどうかを確認したかったのが目的の一つ。

そしてもう一つの目的は、バランは並大抵の呪文を無効化することを知っている。ならばポップに無理に大呪文を撃たせる必要もないので、少しだけ話を進めるためだ。このまま口出しをしなければ、ポップはベタンの呪文を使っていただろう。そんな大呪文を無駄撃ちさせる訳にはいかない。

 

「そう……じゃあ、もう一つだけ聞かせて。ダイを連れて行こうとしているけれど、あなたにそんな権利があるの? ダイの意思を無視して連れて行く資格を持っているの?」

「そうよ! ダイ君は渡さないわ!!」

「そうだぜ! 同族だからって自由にする権利はねぇはずだ!!」

 

チルノの言葉に乗るように、口々に叫ぶ。だがバランは瞳を閉じて、その言葉が止むのを待ってから、口を開いた。

 

「権利なら、ある……! 親が子供をどう扱おうと勝手のはず……!」

「…………ッ!?」

「……は?」

「……なんて……? いま、なんて言ったの……!?」

 

それは、聞こえなかったと言うよりも、頭が言葉の意味を理解することを拒否していたのだろう。ダイもポップもレオナも、クロコダインもナバラもメルルもが、その言葉の意味を再確認するようにバランを見つめる。

無数の視線が集まるのを肌で感じながら、バランは再び口を開く。

 

「この子は私の息子だと言ったのだ。本当の名は……」

 

――その名前を、チルノだけは知っている。彼女だけは、別の意味を込めた視線を向ける。

 

「ディーノ!!」

 

 




水落ちは生存フラグ、なんて言います。
ならば説明は――

次回、育ての親のターン。


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LEVEL:40 実の親と育ての親

なんとなく、ここで切りたかった。
だから短くても仕方ない(普段の半分以下の分量)
遅れるよりはマシ(自己弁護)



――ガシャン!!

 

突如として、金属が強くぶつかったような音が辺りに響いた。音源へ視線を向ければ、ダイがそれまで手にしていた剣を取り落としていたようだ。彼の足下には剣が転がっており、つい先ほどまで剣を持っていた右手は、今は力なく漂わせていた。

 

「……そんな……うそだ……」

「嘘ではない。お前の持つ額の紋章が何よりの証拠だ。この地上に私以外で(ドラゴン)の紋章を持つ可能性があるのは唯一人、十一年前に生き別れた我が子ディーノだけだ……お前も、紋章を通じて感覚で理解しているだろう?」

 

バランの言葉にダイの顔は暗く沈んだ。決して否定や肯定の言葉を口にしたわけではない。だがダイのその反応は、何よりも彼の心の内を雄弁に物語っていた。

 

「てっ、テメェがダイの父親だってのか!? そんなの信じられるかよ!! チルノ! 黙ってないでお前も何か言ってやれ!!」

 

焦ったようなその口調から、ポップも心のどこかではバランの弁を信じてかけているようにも思える。そんなポップの気持ちを思いながらも、チルノはゆっくりと口を開いた。

 

「……ダイは赤ん坊の頃にデルムリン島に流れ着いたわ。身元が分かるようなものは何もなかったけれど、唯一残された手がかりにDの頭文字以外は読めなくなった名札があった。それは、ディーノという名前にも一致するわ……」

「な……!?」

 

少女の言葉に、ポップは絶句する。

彼が望んでいたのは、バランの言葉を否定する材料だった。ずっと家族としてダイと共に暮らしてきたチルノならば、そんな証拠の一つや二つくらいはすぐに出てくるのだろうとどこか楽観的にそんなことを期待していた。

 

だが蓋を開けてみればその逆。相手を肯定する意見が飛び出てきたのだ。まるで信頼していた仲間に裏切られたような気分となって、思わずダイの事を知る二匹へ目を向ける。

 

「ピィ……」

「ピィ~……」

 

だがゴメちゃんとスラリンは、肯定するように小さく頷く。二匹ともチルノと同じく、デルムリン島時代からのダイの仲間である。特にゴメちゃんはダイの相棒と言って良い間柄だ。

そんな二匹が揃ってチルノの言葉に異議を唱えないことが、ポップたちを追い詰める。

 

「一人しか存在していないはずの(ドラゴン)の騎士が二人いるのも、血縁関係があるというのなら納得できるわ。きっと、親子で遺伝したんでしょうね」

「…………!」

「ま、待てよチルノ……そんな、そんな理由で納得しちまうのかよ……!?」

「そんな……そうだ! お母さんは!? ダイ君を産んだお母さんはどうなの!? あなたのご両親は!? あなたの一族はどこにいるの!?」

 

さらに続いたチルノの言葉を耳にして、ダイはもはや言葉すら失ったように立ちすくむ。それだけ聞けば、まるでバランを援護しているようだ。そんなチルノをなんとか思いとどまらせようとポップは必死で訴えかけ、レオナもまた否定の材料を探るべくバランへと言葉を投げかける。

 

「多分、血縁者は他に一人もいない……違うかしら?」

 

だがレオナの言葉に口を開いたのはまたしてもチルノだった。その言葉にバランの目つきが少し鋭くなる。

 

「……なぜ、そう思った?」

(ドラゴン)の騎士は一人だけ――あなたの口ぶりとメルル達の言葉から推測するにそれは間違いないんでしょうね。世界に一人しか存在しない、特殊な力を持った一族の総称というよりももっと特別な――陳腐な言い方かもしれないけれど、神に選ばれた唯一の存在とでも言えばいいのかしら? それが(ドラゴン)の騎士」

「か、神だってぇ!?」

 

人間たちよりもスケールが大きな存在のことを言ったためか、ポップが驚きの声を上げた。神の介在など、普通ならば考えることすらないだろう。

 

「でも、あなたの時に例外が起きた。人間との間に子供が産まれた。それがダイ。自分以外で(ドラゴン)の騎士の力を持つのは、血を分けた子供だけ……それが血のつながりを持っていることの、何よりの理由にもなる」

 

そこまで口にしてから、チルノは一つため息を吐いた。

 

「認めるわ、あなたはダイと血の繋がりがある……」

「待ってチルノ! その考えが正しいのなら、お母さんは存在しているはずよ!?」

 

レオナの言葉にも、チルノは首を横に振る。

 

「理由は分からない。でも、ダイの母親はもうこの世にはいない……でしょうバラン?」

 

そう問いかけるとバランが一番苦い顔を見せた。だがまだ激昂するほどではないようだ。その表情の変化もすぐに元の鉄面皮に戻る。その表情から、チルノが知る本来の歴史と変わっていないことを確信する。

反面、ダイの顔がさらに深く沈む。見たことも無い自分の母親の話題が出たかと思った途端にそんなことを言われ、もはやどうしていいのか分からない状態だ。そんな弟の辛そうな表情を、何時までも見ていたくは無かった。

 

「な、なんで……どうしてそう言い切れるの!?」

「簡単な話よ……」

 

そこまで口にしてから、チルノが表情を変える。それまでの諦めたような表情から一転、射貫くような視線をバランへと向けながら、高らかに宣言する。

 

「だって、本当にダイの母親が生きていたら、バランが魔王軍になんて入るわけが無い。そんなどうでもいいことに時間を使うくらいなら、ダイのことを探すはずだもの」

 

大魔王の地上侵攻作戦を"どうでもいいこと"と一言で切って捨てる。その言動にバランは不快感を感じたように視線を鋭くしたが、チルノは怯む事も無い。自分がこれから口にすることが正しいという絶対の自信があるからだ。

 

「自分がお腹を痛めて産んだ子供の生存を、母親が最後まで信じないはずがない。でもバランは探すのを止めてしまった。諦めてしまった……それは多分、支えてくれる人がいなかったから。一人でいることに耐えられなくなって、そこに差し伸べられた手をつい取ってしまった」

 

本来の歴史を知る彼女に取ってみれば、今までバランに向けて来た推論は――身も蓋もない言い方をすれば全てが茶番だ。既知の情報をさも今気付きましたと演技しているだけだ。

だがそれが何だというのだ。

誤った道へ進み、実の子供にまで同じ道を強要しようというのであれば黙っているわけにはいかない。

 

「……聞いて、バラン。ダイはずっとデルムリン島にいたのよ。あなたが本当にダイの父親なら、どうして迎えに来てあげなかったの? たった一人の肉親でしょう? 奥さんの忘れ形見なんでしょう? 探すのを諦めなければ、ダイの隣にはあなたが立っていた。そんな未来もあったはずなのよ?」

 

相手は(ドラゴン)の騎士――神によって作られた、文字通り最強の存在だ。真っ向から力で対抗するのではまず敵わない。ならば勝てる戦いをするのが常道だろう。

チルノがバランを相手に確実に勝っている点――それは、この場の誰よりもダイと長く接してきたという経験。そして、本来の歴史を知るという知識くらいのものだ。

 

「それにバラン。あなたの気持ちも分かるの。あなたの過去に何があったか、詳しくは知らない。でもあなたは、人間から辛い仕打ちを受けたことがあったから、だからダイに同じ想いをさせたくなかったんでしょう? 奇跡的に再会できたからこそ、二度と手放したくない。辛い目には合わせたくない。だから強引にでも連れて行こうと考えているのでしょう?」

「……黙れ」

 

ならばそれを存分に使うだけ。

たとえバランにとってどれだけ耳の痛い話だとしても、口を噤むわけにはいかない。

我が子を授かるほどの深い愛情を注いだ相手だ。ならばどうしてその忘れ形見を探すことを諦めてしまったのか。生死をきちんと探し、見つかれば共に生きることを。死の証拠を見つければ、せめて遺品だけでも妻と同じ場所へ埋葬してやりたいと思うのは当然のことではないのだろうか。

バランに深い絶望を与えたのが人間ならば、大きな希望を与えたのも同じ人間なのだ。そんな希望を与えてくれた人間の、妻の遺志をどうして貫いてあげられなかったのか。

 

気がつけば、チルノの言葉はどんどん熱を帯びていく。バランの心を追い詰めていくとも知らず。

 

「……あなただって、ダイが産まれた時に子守の一つもしたんでしょう!? どうしてダイを失った時に、助けを求める小さな声に耳を傾け続けてあげなかったの!! バーンの言葉なんかをどうして受け入れたのよ!! 今になってそんな不器用な愛情を注ごうとするのなら、どうして最初っからそれを貫いてあげられなかったの!!」

「黙れえええぇぇっ!!」

 

そこまでが限界だったようだ。

弾かれたようにバランは目を見開き、そして感情の赴くままに声を荒げ、絶叫する。

それだけで屈強な魔物であっても脱兎の如く逃げだしかねない迫力があった。

 

「先ほどから黙って聞いておれば、私がディーノを探していないとでも思ったか!! 赤の他人の貴様に何が分かるというのだ!!」

「分かるに決まっているでしょう!!!!」

 

だがチルノも引くことはない。

 

「あなたと同じくらい……いいえ、あなたの何倍も分かる!!」

 

たとえどうなろうと、もはや彼女は言葉を止めることなどできない。

 

「あなたは知らないでしょう? 幼い頃のダイは、今よりももっとヤンチャだった。ちょっと目を離したら、すぐにどこかへ消えてた! そのたびに不安になって、島中を一生懸命探して、見つからないとどんどん不安が大きくなって……でもようやく見つけて……」

 

幼児特有のどこにでも行きたがる行動力と怖い物知らずの好奇心を遺憾なく発揮していたダイは、気付けばすぐにいなくなっていた。そんなことはしょっちゅうだった。

探し回ってようやく見つけてみれば、あばれ猿と一緒に木の上で昼寝をしていたり、大王イカに乗って遊んでいたり、四足歩行のモンスターたちとかけっこをしていたりと、様々だ。

 

ただ、いつも決まって、とても無邪気で幸せそうな笑顔を浮かべていた。

その笑顔を見てしまうと、チルノの心の中に浮かんだ不安がすぐに霧消する。続いてダイが見つかったことを喜び、怪我が無いかを心配して、少しだけ言い聞かせて終わる。

 

チルノはそんな喪失と安堵を知っている。

少なくともダイを相手に限定するのであれば、この地上で――いや、たとえ三界を見渡したとしても、チルノの上に立てるのはブラスだけだ。

 

「あなたは、ダイと血の繋がりがあるだけ! 今の(・・)あなたがダイのお父さんだなんて、絶対に認めない!!」

「ふざけるな! この子の名前はディーノだ!! ダイなどと、そのようなどこの誰とも知らぬ名ではない!!」

 

幾らチルノがダイとの思い出を共有しているとはいえども、バランとしても譲れないものがある。だがバランではチルノとの舌戦には勝てそうも無かった。

それも無理もないことだろう。相手はこのような出会いをすることを予め知っていた。そして、そのときには何を言うべきかも考えている。寡黙なバランでは勝負にもならない。

それでも一矢報いようと思ったのか、実の親の特権たる本来の名を呼んだ。

 

「いいえ!! この子の名前はダイ! 残っていたDの文字から私とおじいちゃんで付けた名前!!」

「え……っ?」

 

チルノの言葉にダイは驚かされる。いや、自分の名前の由来は知っていた。自分の祖父から直接聞いた話なのだ。そのときには恥ずかしくて照れくさくて、でも少し嬉しいような。そんな気持ちになっていた。

 

だがそれは、ブラスだけが考えて付けた名だとばかり思い込んでいた。しかし事実は彼の認識とほんの少しだけ異なっていた。彼の姉もまた、自分の名を考えるために考えてくれていた。その事実だけで、ダイの心は熱く燃え上がる。

先ほどから続くバランへの言葉についてもそうだ。誰もが萎縮しかねない相手を前にして、一歩も引くこと無く立ち向かっている。その全てが自分のためだと思えば、それだけで勇気が湧き上がる。

 

バランが不用意な策を用いた結果は、落ち込みかけていたダイが復活するという手痛いしっぺ返しが待っていた。

 

「いつか、ダイが本当のご両親と再会できたら、この名前の役目も終わると思ってた。でも、このままだったらこの名前が役目を終えることは一生無いってよくわかったわ!」

「ほざけ! 何がダイだ! 先ほど貴様は"何の権利があるのだ"と言っていたな!? その言葉、そっくり返そう! 貴様こそ、そのような権利があると思っているのか!!」

 

精気を取り戻したダイの様子を盗み見たバランは、更に追い詰められたように叫ぶ。それが悪手だったと気付くこともなく。

 

「……バラン、あなたそれ、本気で言っているの? だとしたら、(ドラゴン)の騎士は相当呑気な存在なのね」

 

感情をぶつけ合っていたはずのチルノが急激に冷めた表情を見せる。

当たり前だろう。バランの言葉が事実ならば、彼はチルノが何者かも知らずに今までの舌戦を繰り広げていたことになる。

それはあまりにも慢心が過ぎるというべきか、他者への無関心が過ぎるというべきか。表現に悩む。

 

だが同時に、バランならばそれもやりかねないとも思えてきた。

魔王軍は悪魔の目玉を使ってほぼリアルタイムに情報を共有することができる。そうでなくとも軍としての体を為している以上は、調べれば分かること。ましてや相手は魔王軍に煮え湯を飲ませ続けている勇者一行だ。

敵として立ち塞がる以上、相手の顔くらいは覚えておくのは礼儀だろう。それを怠ったのは、やはり自分が天下無敵の(ドラゴン)の騎士という慢心が原因に違いあるまい。

 

思い返せば、クロコダインが敗れた時点でハドラーはダイ対策として各軍団長を招集していた。もっともそのときは、バーンの勅命によりヒュンケルが既に動いていたため、会議はお流れに近かったのだが。それでも勇者ダイという存在については周知できていた。

 

バランがダイのことを知ることが出来た最速のタイミングはここだろう。

このタイミングでもしもバランがダイの顔まで知るように動いていれば、母親との繋がりに気付いていたかも知れない。バーンの命を無視し、遮二無二取り戻しに行っていただろう。

 

"顔は見たが気付かなかっただけ"と断言されればそれまでかも知れない。

だが、忘れ形見であり愛した妻の面影を残す息子の顔だ。心のどこかで気になり、自分で直接確かめようと動いたとしても不思議では無いだろう。

それを怠り、六大軍団が半壊するまで動くことも無く待っていた以上は、情報を調べていなかったと判断せざるを得ない。

 

それと同じことだ。

ダイのことだけを調べ、チルノがダイとどのような関係なのかを調べることなく出張ってきた。そう考えるとチルノは苛立ちすら覚える。ダイと自分の関係を知れば――バラン本人の思想はともかくとしても――最初に礼の一つくらいは口にするのが礼儀だろう。

バランが妻を失ったのも、ひょっとしたらある意味では自業自得なのかもしれない。事前に根回しや相談をしておけば、最悪の未来から逃れられたのかもしれない。

 

少女は高らかに叫ぶ。

 

「知らないなら覚えておきなさい! 私の名前はチルノ! ダイの姉よ!!」

 

 




実の親としての責任を果たせと説教。
すると逆ギレしてきたので「この子はウチの子!」と叫ぶ育ての親の図。
親権問題は更に波乱を呼ぶ展開に。
どなたか、弁護士と家庭裁判所に連絡をお願いします。

次回、法廷バトル(物理)


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LEVEL:41 対決! 竜の騎士!!

ペースがガメゴンで申し訳ない……



「姉、だと……?」

 

直前の言葉を口の中で繰り返しながら、バランは胡乱げな瞳でチルノを見つめてきた。

その反応を見ながらチルノは、やはり知らなかったのかと心の中で落胆する。確かに(ドラゴン)の騎士である以上、バランの敵は存在しないと言ってもいいだろう。だが、だからといってこれは酷すぎる。相手を侮りすぎだ。

少しでも調べておけば良いものを。そう思わずにはいられない。

 

「そうよ。と言っても、血の繋がりは無い義理の姉だけどね。でも、子供の頃からダイとずっと一緒に暮らしてきた。あなたが実の親なら、私は育ての親ってところかしら?」

 

少し考えれば、分かることだろう。当時のダイは一歳程度である。そんな子供が独力で生き抜くことなど絶対に不可能。ならばどこかに育ての親がいることくらいはすぐに考えつく。そんな相手がいることすらバランは思いつかなかったというのか。

 

「たとえ血の繋がりはなくても、ダイとの絆はあなたよりもずっと強い! ダイを連れていきたかったら、私とおじいちゃんの許可を取りなさい!」

 

そんなバランの浅慮を責めるように、チルノは声高に宣言する。実の親子よりも深い繋がりが自分にはあるのだと。それはなんら恥じることの無い、なによりの誇り。

親が子をどう扱おうと問題が無い。というバランの理屈に当てはめれば、チルノにはバラン以上の権利があるのだと言い返す。

 

そんなチルノの姿を、この場にいる全員が見つめていた。(ドラゴン)の騎士と恐れられている相手を前にして一歩も引かず、自らの正当性を主張するその姿はきっと、なによりも気高く強い姿に映ったことだろう。

 

「……なるほど。貴様とその祖父というのが、ディーノをここまで育ててくれたか。そのことだけ(・・)は礼を言おう」

 

チルノの言葉を飲み込むと、バランは微笑を浮かべながらそう口にした。彼女がいなければ息子と再会することは叶わなかったのだ。その程度は誰にでも分かる。

 

「だが随分と聞き分け悪く育ててくれたものだ。貴様に子育ての才能は無かったようだな」

 

だがそれとコレとは話が別だ。とでも言わんばかりに、バランは皮肉を言う。それは先ほどの言葉の中で『だけ』という単語に語気を込めたことからも明らかだった。再会させてくれたことに最低限の礼儀は尽くすが、それだけでしかない。

そんな感情が込められていた。

 

「そうでしょう? モンスターと子供っていう不慣れな親の下でも、これだけまっすぐ素直な良い子に育った自慢の弟よ」

 

そんなバランの言葉にチルノが黙っている訳がない。目には目を。皮肉には皮肉を。ダイがこう育ったのは何よりも持って生まれた本人の資質だと言外にそう言ってのける。それはバランという親がいなくとも問題ないと婉曲に宣言しているようなものだ。

チルノの皮肉を理解してか、バランの表情が僅かながら険しいものになる。

 

「……もう一つ言わせて貰おう」

 

だが表情の変化とは裏腹に、バランの声は一段トーンが下がる。それが逆に嵐の前の静けさを想起させ、思わずチルノは息を飲んだ。

 

「如何に恩があろうとも貴様とディーノは他人にすぎん! 貴様に意義を唱える権利などあるものか!!」

「……なっ!?」

「てめぇ、それで押し切るつもりかよ!! 血の繋がりがそんなに大事なのかよ!!」

 

更に強引な理屈を展開するバランの言葉にレオナは絶句し、ポップは怒り心頭に発して非難の言葉を叫ぶ。

 

「っ!! わからずや!! どうあっても今のダイは認めないっていうの!? 今ならまだやり直せるはずよ!!」

 

その反応はチルノも同様だった。

彼女自身、ここでバランを言葉だけで説得させることは不可能に近いと思っていた。だがそれでも、バランの心に楔を打ち込む事くらいはできるだろう。自分は間違っていたのかも知れないと、僅かでも思わせることができるだろう。

そう考えていた。

本来の歴史ではダイとバランは共闘する以上、その動きを少しでも加速させてやりたいと願っていた。

 

だがそんな期待とは裏腹に、バランが口にしたのはさらなる強硬論だった。自分が追い詰めすぎたのだろうか。それともどうあっても有無を言わさないという頑迷すぎる意思を持っているのか。

 

「くどい!! それとこれとは話が別だ!! 本来ならばディーノは私が育てていた子だ! そもそも貴様のような者に育てられたこと自体が誤りだったのだ! それを正しい形に戻すだけだ!!」

「ふざけるなあああぁぁっ!!」

 

三人の言葉にもバランは聞く耳を持たず、息子の過ちを正すと言ってのけた。独善的過ぎるその言葉は、ダイにとって黙って聞いていられるものではなかった。

そこには彼が何よりも許容することの出来ない言葉が潜んでいたのだから。それまで沈黙したまま二人の会話を聞いていたダイが、突如として叫ぶ。

 

「ディーノ……?」

「その名前でおれを呼ぶな!! おれの名前はダイだ!! じいちゃんと姉ちゃんから貰った立派な名前だ!! おれは二人からたくさんのことを教えてもらったんだ!! 人間を滅ぼす事が正しいだなんて思えない!! それを間違いだって言うのなら!!」

 

子供の頃から積み重ねてきた多くの絆。その全てを否定する発言をダイは認めることなど決して出来なかった。

 

「あんたなんか親じゃない!! おれが相手だ!! お前を倒す!!」

 

バランから受けたダメージはまだ残っているはずだ。だがダイは取り落とした剣をいつの間にか再び手にしており、それをバランへと突きつけて殺気を飛ばす。

ダイから発せられる闘気は実の親を相手に向ける様な物ではなかった。実の親だというのに、親の仇を前にした時のような強すぎる気配。それはダイの心を物語っている。

 

「……ダイ、本当にいいの? バランが実のお父さんなのは間違いないのよ?」

 

仕方の無いことだと分かっていても、親子同士の争いはできるだけ穏便に事を進めたい。ここでダイがバランを殺害するようなことになれば、何のために手を出し続けてきたのか分からなくなる。

それを回避するべく、チルノはダイへと問いかけた。

 

「かまわない! おれの親はブラスじいちゃんだ!!」

「そう、わかったわ。だったら……」

 

ダイの返事を聞いて、チルノは少しだけ付け加える。

 

「力づくでも言うことを聞かせて、バランを正しい道に戻してあげましょう!」

「……!」

 

決意を込めた顔でそう言うと、ダイの頬がほんの少しだけ紅潮する。それは僅かに浮かび上がった歓喜の感情だ。あれだけ身勝手なことを言われたというのに、だがダイの心には実の父親を慕う気持ちも存在していたようだ。

まだどこかで、正しい関係に戻りたいと願っているらしい。

それが実の親などいないはずのチルノには少しだけ羨ましく思えた。

 

「フン、力づくとは大きく出たな……だが、身の程を知らぬとは哀れなことだ。(ドラゴン)の騎士を相手にそれを行えると思っているのか?」

 

そう言いながら、バランから放たれる重圧が強くなっていく。どうやら戦闘態勢に入ったらしい。まだ武器すら抜いていないにもかかわらず、伝わってくる威圧感は下手な敵の全力を軽々と上回る。

 

「どうやら、オレの出番だな」

 

バランの闘気に呼応するかのような強い闘気を放ちながら、クロコダインが最前列に歩み出てきた。その全身から感じる威風堂々とした気配は、まさに百獣の王。相手が無数の(ドラゴン)を束ねる軍団長を前にしても、決して引けを取らない。

 

「ナバラさんたちは、離れてください!!」

「わ、わかったよ!」

「は……はい!!」

 

クロコダインが壁になったタイミングで、チルノはそう叫ぶ。戦闘能力を持たない一般人のナバラたちでは、この強すぎる気配を前に立っているだけでも辛いだろう。テランまで連れてきてくれただけでもありがたいのだ。この上さらに戦いに巻き込む様な真似は出来なかった。

チルノの言葉にナバラはすぐに反応して離れていく。メルルは一瞬だけ躊躇ったような姿を見せるが、やがて祖母を追うように動いた。

二人が離れることを確認すると、続いてスラリンとゴメちゃんにも同様に声を掛ける。二匹の仲間もまた、彼女の言葉に従ってそれぞれ動いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「クロコダインか……そういえば貴様は、先ほどから黙っていたな。てっきり私の言葉に共感しているとばかり思っていたぞ」

「そうではない。お前がダイを無理にでも連れて行こうとした時点で、戦いになるだろうと見越していた。そのため、無駄な口を開かずに備えていただけのことだ」

 

そう言うとクロコダインは全身から闘気を漲らせる。深く静かにため込まれた闘気は彼が通常の戦闘時に放つそれよりも遙かに強い。バランを相手にしても見劣りしないほどだ。

かつての同僚の気配を肌で感じながら、バランはクロコダインの言葉が嘘偽りではないことを察する。何しろ放たれる闘気からは怯えや迷いは一切感じられなかった。

それはクロコダインが完全に戦闘へと集中していることの証明だ。

 

「そして理由はもう一つある。ダイのことならばわざわざオレが何かを言う必要もない。何しろ最大の理解者が隣にいるのだからな」

 

少しだけ首を動かし、ちらりとチルノを見る。

彼女はクロコダインの予想通りに――いや、それ以上の成果を上げたと言っていいだろう。

 

「なるほど。もはや完全に人間の味方というわけか……残念だ。私は六団長の中では最もお前を買っていたのに……」

 

だがバランはその言葉を聞いて落胆する。

 

「そういえば、あのヒュンケルという男も嫌いではなかった。あの人間を憎む氷のような心がな……だが、私の気に入ったヤツは皆、魔王軍を去る……フッ、よほどハドラーに人望がないのかな?」

「それは違う!」

 

嘲笑気味に呟いたバランの言葉をクロコダインは強く否定する。

 

「……なにっ!?」

「ヒュンケルは違うが――少なくともオレは、ハドラーやバーン様の為ならば死んでも良いと思っていた。主の為に生命を捨てるのが真の武人! その対象がダイたちになっただけの話だ」

 

ヒュンケルが人間に剣を向けた理由を知るクロコダインは一瞬だけ言葉を詰まらせた。だがそんなことは関係ないとばかりに心の内を放つ。

 

「……それが、お前が戦う理由か?」

「ダイがいなければ、オレやヒュンケルはいつまでも魔道をさ迷っていただろう。ダイはオレたちの心の闇に光を与えてくれたのだ。まるで太陽のようにな!!」

 

――太陽……!?

 

クロコダインの例えた太陽と言う言葉に、バランは少しだけ過去を想起させる。かつて彼の愛した女性もまた、太陽のような女性だったのだ。暖かく輝き、自身に光を与えてくれた。

それを息子が受け継いでいるのかと思えば、複雑な気分にもなろう。

 

「そしてもう一人。その太陽の隣に寄り添う少女がいる」

「……む?」

 

思い出に浸りかけた心が、続くクロコダインの言葉に引き戻される。かつて認めていた相手にそれほどの事を言わせる相手が、息子以外にいるのかと驚かされた。

そして彼の言葉に、少しだけ嫌な予感を見せる少女が一人。

 

「ダイが太陽ならば、その娘は月――太陽の光に照らされて輝きその存在感を見せる。そして、ときには夜の安らぎを与えてくれる。あの二人の為ならば、たとえどのような相手であろうと戦うのみ!!」

 

太陽の光は確かに恵みを与えてくれるが、ずっと太陽が照りつけていてはそれは害にもなる。だからこそ夜が訪れ、人々は休息する。そして休む人々を月の光が優しく照らす。昼間、陽光の下で動く生き物を見守るように。

月は太陽が無ければ輝くことはないが、太陽の照らす事の出来ない場面を照らす。

 

月は女性との結びつきに強く例えられる。そして神秘的な表現にも使われる。ダイのことを陰に日向に守り、本来の歴史という知識を持って太陽を手助けを行い、その手段にこの世界には存在しない魔法を扱うチルノを評するには、中々どうして上手い例えと言えよう。

 

――もっとも、そのクロコダインの言葉を聞いて悶絶しそうになるのを必死で堪えている少女がいるのも事実なのだが。

 

なんにせよ、本来の歴史と比較して守る相手が増えたこと。そしてチルノの言葉によってクロコダインには覚悟を決めるだけの時間があった。もはや彼がバランを相手に怯えることなどない。

 

「ありがとう、クロコダイン! けど、これはおれの戦いなんだ!」

「ダイよ。悔しいかも知れんが、バランはお前一人で手に負える相手ではない。オレにも手伝わせてくれ」

「当然オレも戦うぜ!」

「あたしだって! 皆で力を合わせれば!!」

 

クロコダインの助力の言葉に、ポップとレオナも続く。

 

「気持ちはありがたいが、無駄だ。ここはオレとダイに任せておけ」

 

だがそれを制したのもまたクロコダインの言葉だった。

 

「どういう理屈かは知らんが、この男には呪文の類いが全く通じないのだ。素手か武器による直接攻撃以外はおそらくダメージを与えられまい」

「えっ!?」

「さすが獣王、見抜いていたか……」

 

やって見なければ分からない、そう反論しようとするよりも早く、バランが感心したように呟いた。

その言葉にポップが続く言葉を失う。それが事実だと言うことが、他ならぬ敵の手で証明されたのだから。

 

「わかったら下がっていろ。すまんが、お前達を庇いきるだけの余裕があるとは思えん」

「嫌」

 

引き下がりかけたポップたちであったが、チルノだけは言葉少なく否定するとダイたちに並ぶように前へと出る。

 

「チルノ、お前はオレの話を聞いていなかったのか?」

「あれだけ啖呵を切っておきながら後はだんまりなんて、恥ずかしくって出来ないわよ」

「しかし……!」

「大丈夫よ、見くびらないで。たとえ相手が常時マホカンタを使っていたとしても、戦う方法はあるの」

 

なおも心配そうな顔を見せるダイとクロコダインに向けて、余裕そうな表情でそう言う。

ダイたちから見れば、チルノは何かと隠し玉の多い存在だ。それだけでならばなんとかなるのではないかと考え、渋々引き下がった。

 

事実、彼女には考えがあった。

バランに呪文が無効化されるのは、(ドラゴン)の騎士だけが持つ竜闘気(ドラゴニックオーラ)というものが関係している。

(ドラゴン)の紋章が輝けば、(ドラゴン)の騎士はその身体に竜闘気(ドラゴニックオーラ)と呼ばれる生命エネルギーの気流を纏う。それは闘気の最上位と呼べるほどの性能を持ち、高めれば攻撃にも防御にもその威力を発揮する。

その防御力は凄まじく、全身を鋼鉄よりも強固にさせ、あらゆる呪文をはね返す防御膜になる。

だが、いかに竜闘気(ドラゴニックオーラ)といえどもそれ以上のエネルギーを叩き込めば打ち破る事が出来る。そして彼女が扱う魔法には、たとえ相手が反射魔法を唱えていようとも突き破るだけの強力な物がある。それを使えば、この世界の呪文返し(マホカンタ)であってもダメージを与えられるはずだ。

 

それに、たとえ通じなかったとしてもそれほど問題は無い。支援魔法を唱えたり、攻撃魔法で足場を崩したり敵の視界を遮ったりと、援護に徹すればいい。

馬鹿の一つ覚えのように直接ダメージを与えるだけが仕事では無いのだ。

 

「……相談は終わったか? ならば見せてやろう。完成された(ドラゴン)の騎士の力を!!」

 

戦いの火蓋が切って落とされる。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ディーノ……いや、もはや人間共の呼び方に従ってダイと呼ぼう」

 

バランは額の紋章を輝かせながら宣言する。

 

「ダイとその仲間たちよっ!! 人間どもに味方するお前たちを倒す!! もはや命がないものと思えっ!!」

「ぐっ、ううぅっ……!!」

 

殺気の籠もった視線に思わず飲まれかけたが、ダイは自らの気力を奮い立たせて立ち直ろうとする。チルノとクロコダインの会話のおかげで受けたダメージは回復していたが、ほぼ一方的にやられたことがダイの心に影を落とし、弱気にさせていた。

必死で剣を握り直し、アバンストラッシュの構えを取る。

 

「何をするのかと思えば、アバンストラッシュとか言ったな。その技が私に通じぬのは証明済みのはず」

「違うっ!!」

 

湖底の神殿でバランと戦ったとき、ダイのアバンストラッシュは無力化されている。だがバランの言葉をダイは否定する。あの時と今では何もかも状況が違っているのだ。

 

「さっきは使えなかっただけで、ここでなら使える技もある! ここにはみんながいる! なにより、アバン先生の最高奥義がそんな簡単に負けるわけが無い!! それに、おれだって(ドラゴン)の騎士なんだ! だったら!!」

 

――おれの身体の中に眠っている(ドラゴン)の力よ! 目を覚ましてくれ!! おれが本当に(ドラゴン)の騎士なら、アイツを倒すだけの力を!!

 

ダイは瞳を閉じて意識を集中し、自己の内に眠る力へと必死で語りかける。だがどれだけ訴え続けようとも、(ドラゴン)の力は応えない。

虚しく時間が過ぎていくだけだ。

 

「無駄だ。普通、(ドラゴン)の騎士は成人するまで己の意思で紋章の力をコントロールすることは出来ん。都合の良い奇跡は起こらんのだ!」

 

見かねたようにバランが口にする。(ドラゴン)の騎士として成長してきた彼の言葉は事実なのだろう。だが、本来の歴史であればダイはここで紋章の力を操っていたのだ。ならば何故か。

 

その答えは、彼の今までの経験にあった。

本来の歴史でダイが(ドラゴン)の紋章を操ったのは四回――デルムリン島でレオナを救うため・ハドラーとの初戦・クロコダインとの決戦・氷漬けとなったレオナを救うため――である。

だがこの世界では二回だけ――ハドラーとの戦いと、クロコダインとの決戦のときだけだ。紋章の力を操った経験が少なく、地力を上げてきたことで紋章に頼る必要もなかった。

その差異が、今の状況を生み出していた。

 

だがダイが紋章を操るまで待つ気などバランには無い。ダイたちへと攻撃を仕掛けんと動き出す。

 

「ウオオオオオッ!!」

「むっ!」

 

歩みを進めたバランに向けて、クロコダインが機先を制した。駆け出すと共に手にした斧を勢いよく叩きつける。だがただの攻撃であれば、それほど恐れることはないだろう。

そう判断した次の瞬間、嫌な予感を感じたバランは片手に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を集中させて斧の一撃を受け止める。

 

「ぐっ……硬いな」

「貴様こそ、なかなかどうして大した一撃だ。ハドラーと言えどもこの一撃を受けては無事では済まなかっただろう」

「その言葉も、無傷の相手からでは嫌味にしか聞こえんな」

 

バランと斧との間に、竜闘気(ドラゴニックオーラ)が光り輝く。初めて目にしたクロコダインは、斧から伝わってくるその感触と光景に少なからず驚かされていた。

だがチルノの言葉からバランに何かしらの特別な力があるいう予想を立てていたクロコダインは、それを見てもさほど驚かない。

神に選ばれたとまで言わしめた相手と戦っているのだ。そのくらいで驚いていては身が持たないだろう。

 

「それにその斧、何か細工がしてあるな?」

 

並大抵の武器であれば、竜闘気(ドラゴニックオーラ)に叩きつければ武器の方が砕け散る。それだけの防御力を備えているのだ。だが現実に"真空の斧"はヒビの一つすら入ることなく存在している。

 

「フフフ、さてな?」

 

訝しむバランに対して、クロコダインは不敵に笑う。

"真空の斧"はチルノが加工した竜の素材によって強度もあがり、何よりも対(ドラゴン)の力を備えていた。だがそれほど劇的な効果が期待できるわけでもない。あくまで(ドラゴン)に対して効果が高くなるといった程度だ。

だがクロコダインの豪腕で振るわれればその効果も何倍にも膨れ上がる。そして(ドラゴン)の騎士は竜の性質を備えているのだ。効果が無いなどとは言わせない。

バランは本能で危険を察知し、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を強くすることでダメージを防いだが、もしも慢心したままであれば手痛い一撃を受けていたことだろう。

 

「それよりも、そんなに余裕を見せていいのか?」

 

そう言うが早いか、再びバランへと攻撃を仕掛ける。だが今度の攻撃は先ほどとは比較にならない。理屈は大地斬のそれと同じ。最も自然な動きで全身から力を放ち、一気に振り下ろすだけ。

ただ斧という重量級武器がクロコダインの怪力によって放たれただけだ。

 

「大地裂断!!」

「なんとっ!!??」

 

その名の通り、大地を裂き断つと見まごう程の一撃。振り下ろされただけだというのに、空気が裂ける鋭い音が耳に響いた。

あまりに見事な一撃を前にしてバランは驚愕の声を上げながら、両腕に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全力で集中させて防御の姿勢を取る。そこへクロコダインの攻撃が襲い掛かった。

 

「馬鹿な……クロコダイン、貴様がこれほどの一撃を繰り出すとは……」

 

思わず賞賛の言葉すら漏れた。

再び攻撃は受け止められ、バランは無傷である。だが衝撃までは殺しきれず、バランの腕には鈍い痺れが走っていた。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を持ってしても完全に防ぎ切れなかった攻撃に驚かされる。

だがそれよりも驚かされたのは、今の一撃があまりにも洗練されていたことだった。バランの知るクロコダインの戦闘スタイルはよく言えば本能的。悪く言えば持って生まれた身体能力と実戦の中で磨いてきた戦い方しか知らない稚拙なものだ。

だがこの一撃は違う。確かに実戦だけで磨いてきた匂いもあるが、源流はもっと別の、研鑽された何かを感じる。

 

「フッ、ある人物の影響でな」

 

元々はダイが使っていた大地斬を真似たものであり、そしてヒュンケルと共に一時的に旅立った道すがら、暇を見ては習い練度を高めたのだ。元を辿れば、勇者アバンの影響を受けたと言ってもいいだろう。

 

「【ファイガ】!!」

 

動きを止めたバランを狙うように、続いてチルノが攻撃を仕掛ける。炎系最上級の魔法を放ち、バランへ攻撃を仕掛ける。巨大な火球がバランへと展開すると、一気に無数の爆発を起こして相手を攻撃していく。

クロコダインはいち早く距離を取って魔法の影響を受けずに済んだが、果たしてバランはどうか……?

 

「やっぱりこの魔法じゃダメか……」

 

爆発が止み、爆煙の向こうから姿を見せたのは、まるで傷を負っていないバランの姿であった。それを見たチルノは小さく呟く。

とはいえこちらもまだ様子見。ある意味予想出来たことではあったが、それでも無傷で凌がれるというのは少々精神を削られるものがあり、苛立ちが顔に出てしまう。

 

「その程度か? ならばこちらの番だな!」

「させん!」

 

防御の構えを解いたバランは、凄まじい速度でクロコダインへと襲い掛かる。そうはさせじと、カウンター気味に斧を振るうものの、バランはまるで意に介さない。少し身体を動かしただけでそれを避けると、お返しとばかりに抜き手を胸へと叩き込んだ。

 

「ぐっ!」

 

――馬鹿な!! 硬い!?

 

本来ならばその一撃は鋼鉄の鎧を貫き、クロコダインへダメージを与えるはずだった。だが現実にはそれと全く異なった光景が広がっていた。

鎧は貫かれる事無く無事で有り、本人は鎧の上からハンマーで打っ叩かれたような衝撃を受けただけだ。そのせいで息が詰まり、多少のダメージは入っているようだが、バラン本人が望んでいたのとはまるで違う。

 

これもまた、鎧に加工された竜の素材のおかげだ。防御力を高め、そしてクロコダインが闘気を持って立ち向かったことでダメージは低減していた。

 

――ならば、とバランは攻撃箇所を変更する。

 

「ぐおおっ!!」

 

鎧に覆われていない顔面へと狙いを定め、幾度となく拳を振るう。その速度はクロコダインが反応できるそれを超えており、されるがままに攻撃を受け続ける羽目になる。チルノが魔法を使おうにも、その隙を見つけるのも難しい。

 

だがクロコダインも無意味に攻撃を受けるわけではない。戦闘前から蓄え続けた闘気を使ってダメージを軽減し続け、バランの嵐の様な攻撃を受けながらも鋭い眼光を向け続ける。一発逆転の一撃を虎視眈々と狙い続けているかのようなその瞳に、バランの攻撃の勢いはほんの少しだけ緩む。

 

だが、それだけだ。

今のクロコダインがジリ貧であるのに変わりが無ければ、逆転の手段があるわけでもない。クロコダインは待っているのだ。自らが太陽と例えた人物が復活することを。

そして、彼が月に例えた少女はその意図をようやく汲んだ。彼女もまた、太陽が再び昇ることを願っていたのだから。

 

「くそっ!! なんでだ!! 何で操れないんだ!!」

 

未だダイは悪戦苦闘の最中であった。なまじ(ドラゴン)の騎士という強力な力の存在を知ってしまったからこそ、それに頼るという欲が出てしまっている。

 

「バランを倒さなきゃならないのに! どうしてなんだ!!」

 

だが操ることの出来ないジレンマから焦り、更に失敗を繰り返してしまう。経験不足に加えて、そんな精神状態ではとてもでは無いが紋章の力を操ることは不可能だろう。

 

「くそっ、こうなったら!!」

「待ってダイ!!」

 

やぶれかぶれという言葉がこれほどふさわしい表情もそうないだろう。ダイは焦燥感に満ちた様子で剣を握り、今にもバランへと飛びかかろうとする。それを慌ててチルノが止める。

そんな精神状態では、たとえライデインストラッシュを使おうともバランには通じないだろう。不用意で拙い一撃を繰り出せば、間違いなく手痛いしっぺ返しを喰らう。

もしかすればその対象は、今最前線で戦っているクロコダインとなるかも知れないのだ。

 

「ダイ、落ち着いて聞いて!! あなたは今まで紋章の力なんてなくっても、戦い抜いて来たでしょう!! 忘れたの!?」

 

今のこの状況を作り出した責任の一端は、他でもない自分だ。ならばその責任を取るべく、チルノは叫ぶ。

 

「紋章の力がないと戦えないの!? 勝てないの!? 違うでしょ!!」

「姉ちゃん!? でも、おれは……」

「アバン先生はダイが(ドラゴン)の騎士だったから鍛えたわけじゃ無いでしょう!? あなたは(ドラゴン)の紋章の力をどう使いたいの!?」

「……ッ!!」

 

姉の訴えにダイはようやく冷静さを取り戻した。そして、自分がどれだけ焦っていたのかを気付かされる。

自らの内なる想いを強く訴えながら再び紋章を発動させるべく集中していく。

 

――(ドラゴン)の紋章よ! どうか、おれに力を!! みんなを守るだけの力を!!

 

ダイの力の源は、純粋さ。大切な者を守りたいという強い想いこそが、(ドラゴン)の紋章を輝かせるための根源である。だがバランの言葉に怒り、相手の言葉を否定しようと思っていては、今のダイでは紋章の力を操ることなど出来ない。

元々が降って沸いた力の様な物だ。それに頼っていては、守れるものも守れない。ダイは、自分を信じてくれた人々の為にこそ力を発揮するのだから。

 

「うおおおおっっ!!」

「紋章が!!」

「輝いた!!」

 

ダイの額に、竜を形取った紋章が光り輝く。

奇跡のようなその光景にポップたちは思わず叫び、チルノは胸をなで下ろす。

 

「バカな! そんなバカなことが!!」

 

想像し得なかった事態に、バランは攻撃の手を止めていた。都合の良い奇跡など起こらない。バランが口にしたその言葉は、たった今覆されたのだ。

自身の考えが根底から否定されたその衝撃は、大きな隙をバランに与える。その好機を見逃すダイではない。

クロコダインを救うべく、最速の攻撃を繰り出す。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

(ドラゴン)の紋章の力を操り放たれたアロータイプのアバンストラッシュがバランへと襲い掛かった。

 

 




あれだけ言われても意見を変えない実の親。
とうとう息子にまで見限られる。
それでも親子仲を戻そうと苦心する育ての親。

まあ、バランの気持ちも分かるんですけどね。
妻子を失えば「もうどうにでもな~れ」状態になるのは仕方ない。
あんなの竜の騎士でなくても心が折れて絶望します。

とあれダイも竜の騎士にようやく覚醒。
これで反撃、勝利、改心のトリプルコンボですね。
(にっこり)


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LEVEL:42 途切れる絆

おかしいな……こんなに長くなるはずじゃなかったのに……



――アバンストラッシュだと?

 

額に(ドラゴン)の紋章を輝かせながらダイの放ったアバンストラッシュを見て、バランはほくそ笑む。その技は一度、湖底の神殿にて軽くやり合った際にバラン自身が直接受け止めて無力化した技である。

そんな技が今の自分に通用するなど、決してあり得ないことだ。

 

確かに、一度失敗したという焦燥感に苛まれながらも紋章を操ってみせたことは驚嘆に値すること。だがそれだけだ。繰り出した技を見て、自分には通じないと余裕を取り戻す。

頭の中でそう考えると一度目と同じように受け止めようとして――バランは慌てて防御姿勢を取り、ストラッシュの一撃を受け止めた。

 

「ぐ……っ!」

 

強めに竜闘気(ドラゴニックオーラ)を放って防いだにも拘わらず、かなりの衝撃を受けたことに驚かされる。湖底での場合と今の場合、違いがあるとすればダイが(ドラゴン)の紋章を発動しているかどうかだろう。

それでも未熟な(ドラゴン)の騎士が操る紋章だ。完成された(ドラゴン)の騎士である自分ならばこれほど入念な防御をする必要はないと考えていた。

 

だが本能に突き動かされて防御を行い、結果としてその行動は正しかった。あのまま通用しないと考えて防御をおろそかにしていれば、ダメージを受けていたかも知れない。

 

――まさか、そんなことがあるはずが……!!

 

心では否定しつつも、百戦錬磨の経験を持つバランは頭のどこかでその事実を受け入れる。

ダイの大きな違いは何も(ドラゴン)の紋章を操っているからでは無い。仲間達と絆を信じ、人を守るために剣を振るう。

迷いの無くなったダイはそれだけで幾らでも力を引き出す事が出来る。

 

「くそっ! ダメか!!」

「いや、助かったぞダイ!」

 

速度重視のアロータイプだったとはいえ、まるでダメージを与えられなかったことに歯噛みを見せるダイであったが、クロコダインにしてみればバランの攻撃を止めるだけの威力を伴った一撃である。

ストラッシュの攻撃に巻き込まれないようバランから少し離れた位置から声を掛けると、ダイはその言葉に少しだけ頷き、さらに闘志を高めていく。

 

――これが人の心……絆の力だとでも言うのか……!?

 

バランにしてみれば、それは認められることではない。だが事実は事実として認めざるを得ない。それも、よりにもよって実の息子の手で証明されたのだ。

 

――これなら、押し切れる……?

 

一方バランの行動を見て、チルノはそう独白する。

 

「勝ちの目が出てきたみたいね……それじゃあもう少し後押しを」

 

ダイが調子を完全に取り戻したことを確認するとチルノは用意していた魔法を唱える。同時に、自分の出すヒントにポップが気付いてくれることを願いながら。

 

「【シェル】!」

 

魔法攻撃に対抗する結界を生み出す魔法を唱え、ダイとクロコダインへと付与する。

 

「……あ、そうか!!」

 

うっすらと輝きを見せるそれを見ながらポップも遅れて気付き、慌てて呪文を唱えた。チルノより少し遅れて完成した呪文を彼もまた放つ。

 

「スクルト!」

 

たとえバランが全ての呪文を無効化するとしても、それは発動まで無力化しているわけではない。竜闘気(ドラゴニックオーラ)の影響を受けない呪文を選べば、魔法使いといえどもまだこの戦いに貢献することは出来る。

攻撃呪文を放つだけがやり方では無いのだ。

 

「これは!?」

「ほぉ、コイツはありがたいな」

 

二人から飛んできた魔法の効果を感じ、ダイたちは思わず言葉が漏れた。スクルトの呪文によって物理防御力も高められた。バランと直接対峙する二人からしてみれば、さらに盤石になったと言える。

 

「なるほど。私に呪文は効果が無いと知り、補助呪文に切り替える……それならば、確かに意味はあるな。頭を使ったと褒めてやろう」

 

後衛二人が見せた援護の様子を見て、バランは落ち着きを取り戻す。

 

「だが、今まで経験した戦いの中でその発想に到った相手が皆無だと思ったか?」

 

その行動は(ドラゴン)の騎士にしてみれば、慣れたものである。呪文の効果が無ければ、仲間を援護する。そして強化された仲間に戦いを託す。

そんな戦法は、バランにしていみればよく知った行動だった。既知の行動を相手が見せたということは、言い換えれば奇策に頼った戦い方はもう望めないということだろう。

 

「そんな相手を今まで打ち破れなかったと思っていたのか?」

 

相手の底が見え始めた影響か、バランの心は冷静になっていく。

 

「そしてダイよ、先ほどの一撃は見事だったと褒めてやろう――子供では紋章の力を自由に操れないという常識を覆して見せた」

 

そう宣言すると、バランは遂に背中から剣を引き抜いた。柄頭には竜の頭部を模した装飾が施された長大な剣。

 

「バランが、剣を抜いた……!?」

「ついに本気になった、ということか……?」

 

それは見ただけでも強い武器だと伝わってくる。決して今まで手を抜いていたわけではないだろうが、全力では無かったのだろう。だがそれもこれまで。

 

「だが中途半端な力は、むしろ己の身を危険に曝すことになると知るがよい」

 

当代の(ドラゴン)の騎士が全力をもって戦わねばならぬだけの相手とダイたちを認識したのだ。

 

「ぬううううっっ!!」

 

バランは剣を片手に一気に力を解き放った。全身から輝く闘気が迸り、その風圧だけでも気を抜けば吹き飛んでいきそうなほどだ。

 

「お前達には説明していなかったかな? これこそが(ドラゴン)の騎士が最強たる秘密、竜闘気(ドラゴニックオーラ)だ」

竜闘気(ドラゴニックオーラ)……」

「先ほどから見せているのだ。まあ、目新しさはないだろう……だが、その効果は貴様らも知っての通りだ!! そして!!」

 

続けざまに、バランは剣を大上段に構える。いや、それだけではない。バランの魔法力に呼応するように空には雨雲が集まっていく。

 

「ギガデイン!!」

 

天空より一筋の雷撃が降り注ぎ、その力がバランの持つ剣へと集まっていく。

 

「ライデインの上位呪文……これほどだなんて……」

 

ダイの放つライデインを間近で見たことがあるからこそ、より正確に比較出来てしまう。これと比べれば、ダイの操る雷撃はどうしても見劣りする。紋章の力を完全に操れるという言葉は伊達では無いのだ。

その圧倒的なパワーは、人間を一人二人黒焦げにしても余裕があるだろう。

 

「そっ、それを剣に落としたってことはよぉ……まさか!?!?」

「ダイ君のライデインストラッシュと同じ技!?」

 

自ら呟いた言葉によって、絶望が心を支配していく。剣も呪文も、(ドラゴン)の騎士としての力も、戦いそのものの経験も。全てがダイよりも上回っている。

 

「なまじ力を見せたから、要らぬ事を口にしたからこそ、この結果を招いたのだ。他の誰でもない、お前達自身が原因なのだ」

「ラ、ライデイン!!」

 

バランの闘気に押さえ込まれそうになりながら、ダイもまた自らの剣へと雷を落とす。だがそれはバランのギガデインを見た後では何とも頼りなく見えてしまう。普段ならば何物にも勝るほどの雄々しいはずのその姿が、今はなんとうことだろう。

クロコダインも同じように闘気を腕へと集中させ、いつでも獣王会心撃を放てるように備える。だがそれだけだ。獣王が最も使い慣れた技だが、根本的な力が違いすぎる。

 

たとえ二人の技を同時に放ったとしても、今のバランならば易々と防いでくるだろう。

 

「さあ、絶望しろ! 真の(ドラゴン)の騎士の力を、その目に焼き付けてな!!」

 

その言葉に呼応するかのように、天が震えた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――魔法剣。

呪文の効果を武器へと付与する技術である。だが、普通の人間は剣と呪文を同時に扱う事は出来ない。人知を超えた存在である(ドラゴン)の騎士のみが扱える。

そしてもう一つ。

天空より雷を呼び、敵を討ち貫く。その呪文の名はライデイン。そして上位呪文であるギガデイン。(ドラゴン)の騎士だけが操れる、文字通り天をも操る呪文である。

 

(ドラゴン)の騎士だけが許されたその二つを、共に最高レベルで扱う。それこそが竜騎将バランの最大奥義ギガブレイク。

 

その大技を前にして、だがチルノは前に進み出る。その場所はダイたちと肩を並べる程。バランと直接やり合えるだけの距離だ。

 

「どんなときにだって希望はある。悪いけれど、私はそう信じているの」

「姉ちゃん!?」

「危険だ! 下がっていろ!!」

 

今まで後ろに下がっていたはずの姉がここまで前に出て来れば、驚かないはずもない。だがダイたちの驚き顔を見ながら、チルノは言う。

 

「大丈夫、あれなら対策があるわ。同じ理屈で打ち破れるから」

 

――たぶん。

 

喉まで出掛かったその一言をチルノは必死で押さえ込んだ。

この本来の歴史を知る彼女が、この場面の対処法を考えていないわけがない。そして、思いついた対処法の検証をしていないはずがない。

だがそれはあくまで、練習レベル。失敗しても命に危険がないレベルでの話だ。バランの必殺技を前にして、万事が事前準備通りに事が進むとは思えない。

 

「まさか姉ちゃん、あれをやるの!?」

「……信じて待ってて。今はそれしか言えない」

 

ダイはチルノが何をしようとするのか、朧気ながら理解する。何しろチルノの練習に付き合ったのは他ならぬダイ本人だ。ならば気付かないはずがない。

 

「大丈夫、あんな分からず屋には絶対に負けない。こっちにも意地があるの!」

 

そう言うと腰から"パプニカのナイフ"を引き抜き、ギガブレイクに対抗するように構える。ダイだけは彼女の狙いと実力を知っているため、迷いつつも肯定しようとしている。だが他の者たちは違う。

 

「ダイ! チルノのヤツは一体何をするつもりなんだ!?」

「おそらく、自ら囮となることで反撃の隙を作る、と言ったところか。だがそんな底の浅い策で対抗できると本気で思っているのか?」

「いいえ。その大技を、(ドラゴン)の騎士でもない私が無力化して、ダイたちの攻撃があなたを倒す。そう言ってるの」

「ッ!?」

 

全員が言葉を失う。

バランからすれば、策をわざわざ口にした上に、自身の最強技であるギガブレイクを無力化するとまで言う。

ダイたちからすれば、無敵とすら感じるバランを相手にそこまでの事ができるのか。現に、切り傷の一つすら与えられていないのだ。

 

そんなことが、出来るはずがない――それが、全員の抱いた感想であった。

 

「……竜闘気(ドラゴニックオーラ)は完全無敵の技じゃない。(ドラゴン)の騎士だけが使える特別な技であっても闘気である以上、使える量に限界がある」

「なっ!?」

「それに、攻撃を防げる量にも限界がある。どれだけ強固な鎧であっても、それ以上の攻撃力があれば打ち破れる。だからクロコダインやダイの攻撃を防御した」

 

少しの沈黙の後に、チルノはそう切り出す。

本来の歴史という知識を持つ彼女にとって、この言葉は事前知識をひけらかしたにすぎない。だがそれを知らぬ者たちからすれば驚きだ。何しろこの短時間で秘密を看破して見せたのだから。

途端、先ほどの言葉にも俄然信憑性が出てくる。

 

「……確かにその通りだ。だが、理屈が分かったところでどうやって実現する? まさかそのチャチな短剣一本でどうにかするつもりか?」

「怖かった? じゃあこのナイフはしまっておく? 刃物は危ないものね」

 

挑発したつもりであったが、逆にチルノは不敵に笑いながらナイフを納めようとしてみせた。挑発されていると分かっていても、それがバランの怒りを刺激する。

 

「それほど死に急ぐか? いいだろう。ならば、その望み叶えてやる!!」

 

増大した怒りを込めてバランはギガブレイクを使おうとする。だがそれよりもチルノの魔法が早く発動させた。

 

「【ラスピル】!!」

「なっ……!?」

 

バランの持つ剣に紫色の光が収束していき、そして弾ける。光が弾け飛んだ後には、ギガデインの力を失った剣だけが残っていた。

ラスピルは相手の魔力を直接削り取る魔法だ。マホトラの様に相手から吸収するのではなく、魔力そのものにダメージを与える魔法、と考えてよいだろう。ならばこの魔法を、生物ではなく物質を対象として使えばどうなるか。バランのギガブレイク対策として、チルノは思いついた。

幸いにというべきか、マトリフと修行を繰り広げていた頃、ダイのライデインストラッシュを相手に実験を繰り返すだけの時間もあった。

 

そして結果はご覧の通り。ギガブレイクを不発に終わせる大金星である。

 

だが当然欠点もある。魔法剣に込められた力を全て削り取れるほどの魔力をラスピルに込めて使わなければならない。そして、戦闘中に素早く動き回る敵を相手に――それも相手の剣を目標にして放たなければならない。

魔力は先ほどの会話をしている間に十分に練っていた。相手が動き回るというのならば、行動を限定させた上で動き出す前に使えばいい。この時点で既に博打に近いものがあったが、ひとまずの賭けに勝ったのだ。

 

魔法剣を無力化されるというありえない出来事に、さしものバランも動きを止める。だが、この程度ではまだ足りないはず。絶対の信頼を置く必殺技を無力化するだけでは、立て直される可能性がある。

チルノの仕込みはこれだけではない。

 

「【魔法剣サンダー】!」

「バカな! それは!?」

 

バランへと突っ込みながら魔法剣を発動させて、パプニカのナイフに電撃を纏わせる。発動速度を重視するため、最下級の魔法となってしまったが、そんなことは問題では無い。

バランが驚くのを見て、チルノは次の賭けに勝ったことを知る。

魔法剣も雷撃を操るのも、どちらも(ドラゴン)の騎士だけの特権のはずだ。その常識が目の前の少女によって打ち破られたのだ。ならば正当な(ドラゴン)の騎士として生きていたバランの驚きはどれほどだろう。

 

これで隙は十分か?

 

チルノは首を横に振る。世界最強とまで呼ばれる(ドラゴン)の騎士を相手に、これで足りるとは思えない。

だからもう一手。

バランが――いや、過去の(ドラゴン)の騎士であっても誰一人思いつくはずがない方法を取れば良い。たとえ世界に比類する者がいないほどの強者であったとしても、初めて見るものには対処が遅れる。

 

「貴様ッ!?」

 

バランの前に迫り、いつでも攻撃を仕掛けられるタイミングで、チルノは殺気の全てを消して全身の力を抜いた。その行動にバランは更に目を見開き、混乱する。

当然だろう。バランの経験の中で、今から攻撃を仕掛けますという姿勢を取っておきながら、明らかに無防備な姿を見せた者などいない。

そもそもバランは常に強者だった。戦う相手は常に格下。(ドラゴン)の騎士という圧倒的な相手を前にして、全力と緊張を強いられなかった対戦相手はいなかった。どんな奥の手を隠し持っている相手であっても、程度の差こそあれそれは変わらなかった。

 

だが、相手が無防備な姿を見せるなら好都合だ。このまま攻撃をしてしまえばいい。そう思ったが、(ドラゴン)の騎士としての経験が待ったを掛ける。

既にあり得ないことが目の前で二度――攻撃をしない姿を合わせれば三度も起きている。ならばこれも何かの策ではないのかと迷ってしまう。だが同時に、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使えば耐えきれるとも考え、決断を鈍らせる。

 

「……スラリン(・・・・)!!」

「ピイイィィッ!!」

「な……っ!?」

 

チルノの声に呼ばれ、彼女の胸元からスライムが飛び出してきた。突然目の前に現れたスライムを見て、バランは完全に動きを止める。

スライムと言えば、最弱モンスターの代名詞と言って良い。それを何故この場面で呼んだのか。隙を突いて攻撃を仕掛けるのなら、あのままチルノ自身が攻撃を仕掛ければ良いのだ。スライムに任せる必要などどこにも無い。

バランではなくとも、この世界で少しでも腕に自信がある者ならば誰だろうと驚かされる。

 

誰もが力を込めるはずの場面で力を抜き、最弱のスライムを呼ぶ。チルノの狙いを看破出来るのは誰も存在しない。それはバランとて同じだ。スライムの攻撃など、わざわざ竜闘気(ドラゴニックオーラ)で防ぐ必要すらない。無視しても全く影響が無い。

圧倒的な強者であるが為に、そう考える。

そして、これもまたチルノが張った何かの伏線と考える。ありえないことが更に積み重なったのだ。どこかで本命が来るはず。そう信じてスラリンへの注意を消した。

 

途端、スラリンはバランの顔面目掛けて炎の息を吹きかける。

 

「うおおおおっっ!?!?!?」

 

チルノからしてみれば、スラリンこそが本命。

まさかスライムが口から炎を吐くなど、誰が想像するだろうか。完全に意識の外から襲い掛かってきた攻撃に、バランとて驚かされる。

生物にとって予期せぬ行動を体験したときに、取る行動はある程度決まっていると言って良いだろう。いかに無敵の(ドラゴン)の騎士と言えども、染みついた反射行動はそうそう変えられるものではなかった。

 

迫り来る炎を前にしてバランが取ったのは、両腕で顔面を防ぐことだった。

 

――上手くいった!!

 

バランが防御の態勢を取ったのを見て、全ての賭けに勝ったことを確信する。幾つもの仮定の上に考えた策だったが、それほど分が悪い物でもなかった。

 

(ドラゴン)の騎士であるバランは、相手を下に見る癖がある。自分に挑んでくるの格下だ。どのような策を使おうとも、大して問題にはならない。余裕とも慢心とも侮りとも取れる考えをよく見せる。

その結果、敵の策に嵌まり危機に陥ることも、本来の歴史を知る彼女は理解している。ならばチルノが取るべき策は、自身だけが持つ知識と能力で精神に衝撃を与え続け、あり得ないことを見せて動揺を誘えればと考えた。

それも生半可な物ではダメだ。バランの、(ドラゴン)の騎士の想定を上回るほどでなければ意味が無い。

 

ギガブレイクを無力化し、魔法剣をサンダーで使い、自身を囮に使い、スライムを本命に持ってくる。それも世界で一匹しかいないであろう火を吐くスライムだ。予想など出来ようはずもない。

スラリンは、ゴメちゃんと一緒に戦場から逃げるように見せかけておきながら、こっそりと胸元に仕込んでおいた。戦場からスライムが一匹いなくなったところで、一体誰が気にするだろうか。強くなるほどスライムを軽視し、いてもいなくても変わらないと思う。

ましてやそれがバランほどの強者ならば、例え千匹のスライムがいなくなっていたとしても気にしないだろう。

 

全ては相手が最も信頼を置く技――ギガブレイクを封じて隙を作るために。

 

「ダイッ!!」

 

未だ空中にいるスラリンを大急ぎで掴むと一気にバランの近くから離れていくチルノ。だが離れながら仲間に合図を送るのは忘れない。姉の言葉を受けたダイは、準備万端となっていた必殺技を繰り出そうとする。

動揺したまま守勢に回ってしまったバランは、対応が一手遅れる。今の彼にはそれを視認するのが精一杯だった。

 

「ライデインストラーッシュ!!」

「獣王会心撃ッ!!」

 

今か今かと待ち続けていたそれぞれの必殺技が、遂に放たれた。万全の準備を持って打ち込まれたそれは、バランへと牙を剥いて襲い掛かる。

本来の歴史ではこれだけでも――否、アバンストラッシュと視界を封じられたクロコダインの攻撃という今よりも劣る攻撃でバランにダメージを与えたのだ。

 

そして今は、それ以上の攻撃を積み重ねることができる。

 

「【コメット】!!」

 

十分に距離を取れるまで離れてから、ダイたちの攻撃に遅れてチルノがとっておきの魔法を放った。彗星の名を冠したその魔法は、文字通り天空から彗星を呼び寄せて敵を攻撃するという強力なものだ。

――とはいえ、隕石よりも質量が低いとはいえども、宇宙から彗星が降り注げばその衝撃で周囲一帯が無事であるはずもない。実際には、そう思わせるほどの速度と勢いを再現した魔法なのだろう。だとしても、個人が結界を張った程度で防げるレベルではない。天空から降り注ぐ巨大な牙を前に、耐魔の結界がどれほど役に立つというのか。

コメットはバランへ上空から襲い掛かり、その勢いも相まって凄まじい衝撃を与える。

 

「ぬおおおおおおっ……!!」

「ベタン!!」

 

今が好機とばかりに、ポップも手を出した。ベタンの呪文で更にダメ押す。

相乗効果で今までに無いほどの大爆発が起こり、大地が震える。爆煙の向こうの様子は、伺い知ることは出来ない。だが、魔法剣、闘気技、大質量、呪文という四つの大技を受ければ、バランとて無傷ではないだろう。

 

「き、決まったか……!?」

「手応えはあった……」

 

大技を使った影響か、ダイの額の紋章はいつの間にか姿を消していた。それでも油断なく剣を構えて、爆心地を睨んでいる。それはクロコダインも同じだ。戦士であれば、敵を倒すまで決して油断するべきではない。

目を皿のようにして見ていると、不意に爆心地から光が見えた。

 

「!?」

 

それは一体何か? そう思った瞬間には遅かった。

 

「うおおおっ!?」

「きゃあああっ!!」

「なんだぁぁ!?」

 

その光はダイたちの中心部にぶつかると、一気に爆発した。極大爆裂呪文(イオナズン)を彷彿とさせるほどの強力な爆発に、反応し切れなかった全員が吹き飛ばされてダメージを負う。

 

「う、ううう……」

「今のは、一体……?」

 

突然の爆発に受け身すらまともに取れず、地面に叩きつけられた。それでも痛む身体を起こしながら爆心地を見て、チルノは何が起こったのかを理解する。

 

――紋章閃!!

 

大地に描かれた(ドラゴン)の紋章。(ドラゴン)の騎士が扱う技の中、それを為す技が一つだけある。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を一点に収束させて撃ち出す技だ。最大の特徴として、受けた相手は紋章の形の傷跡が残る。

それが紋章閃と言う技だ。

本来ならばレーザーのように収束させて強い貫通力を持たせる技のはずだが、どうやら今のは拡散させるように放ったのだろう。そのため、広範囲に影響を及ぼしたようだ。

 

そして、紋章閃を放ったということは……慌ててチルノはバランのいた方向を見る。

 

「たいした……ものだ……」

 

そこには竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にしているバランの姿があった。だがダメージはあったようだ。つい先ほど発した言葉からも万全で無い事が覗える。

 

「バラン!!」

「あ、あれで倒せねぇってのかよ!?」

「いや……ダメージはある!」

 

ダイの言葉通り、今のバランはダメージを負っていた。身体の各所から出血しており、装備にも傷がついていた。その姿は痛みに耐えているように見える。竜闘気(ドラゴニックオーラ)の守りを突破するほどのパワーを叩き込んだ証拠だ。

 

「血だ」

「赤い血が……」

「これほどのダメージを受けたのはいつ以来か……だが、もはや同じ手は二度と食わん」

 

バランはチルノを睨みつける。

 

「ギガブレイクを無力化し、私の意表を突いた。それは見事だ。だが、速度は心許ないようだ。私が躱してしまえば同じ事はできまい?」

「……っ!」

 

見抜かれている。ダメージと引き換えに手の内を悟られるのは、果たして損か得か。

 

「それがどうしたって言うんだ! ダメージは与えられているんだ! 姉ちゃんの助けがなくたって、お前を倒してみせる!!」

「当然だ! この身、倒れるまで戦うのみ!」

 

ダイたちはやる気を失っていない。吹き飛ばされた身体を起こして、バランへ向けて闘志を燃やし続ける。

そんな姿を見て、バランは薄く笑った。

 

「太陽と月、か……クロコダインよ、お前の例えは中々に的を射ていたようだな」

「なんだと……?」

 

不意に何を言い出すのか。目の前の相手の狙いが読めず、困惑する。

 

「貴様らの快進撃は全て、ダイの存在があってこそだ。そしてその子は恐ろしい程の可能性を秘めている」

 

バランはダイたちの力の秘密を、絆の力だと分析する。ダイを想う仲間の気持ちが力を押し上げ、高まったダイの力が仲間達を引っ張り上げる。

特にその影響は姉弟の間で、飛び抜けて強い。ダイの為ならばと、自身の命すら懸けて力を尽くす姉の姿と、それを信じる弟の力。

それはバランが最も忌避したはずの、人間の心の力。そんな物は、断じて見過ごす訳にはいかない。

 

「だから私は、この場に残る全精力を傾けて、ダイの力の根源を奪う!」

「なにっ!?」

「!!」

 

何をするつもりなのか。それはチルノだけが瞬時に理解する。必死で立ち上がり、バランを止めようとする。だが今度はチルノが一手遅かった。

 

「と、闘気が消えた……!?」

「何をするつもりなんだ!!」

 

バランが凪のように静かになる。その異質さに驚けたのは僅かな時間。

 

「ぐうううっ……オオオオオッ!!」

「バラン! 止めて!! それは!!」

 

その訴えかけを無視するように、バランは額の紋章をこれまで以上に強く輝かせた。静まっていたはずのダイの額の紋章が勝手に動き出し、バランに呼応するように輝いてく。

そして輝いた紋章は互いに共鳴しあい、強烈な音を周囲に放つ。

 

「ぐ、ぐおおおおっ!!」

「なっ、なんだぁ!? この音は!!」

「共鳴……二人の紋章が、共鳴しているんだわ!!」

 

それは音だけで頭を揺さぶり、脳内に耐えがたい痛みを生み出す程だ。その痛みは外から与えられる痛みではなく、内側から叩かれる痛み。数多の戦いをくぐり抜けた者であっても、質の違う痛みに耐えきれないほどだ。

 

「サ、サンダ……あああっっ!!」

 

それでも痛みに耐えながら、チルノは魔法を使おうとした。今のバランは無防備な状態のはずだ。ならば外部から強引に影響を与えれば、止めることが出来るかも知れない。

集中すらままならぬ状態ながらも必死で魔法を使おうとしたが、それも失敗に終わる。響き渡る音波からの痛みは全身に響き渡り、もはや指一本動かすことも、何かを考えることすらも困難になる。

 

「ダ、ダイ……」

 

それでもなお、不屈の精神力で弟の名を呼ぶ。

そこにはチルノが知る本来の歴史の通り、痛みに堪えるダイの姿があった。頭を抱えるその姿は、痛みに耐えているようにしか見えない。

だがチルノは知っている。その奥でダイが感じているのは、過去の記憶。彼が今までの間、体験してきた想い出の全て。積み重ねてきた絆の証でもある。その全てが今、跡形も無く消え去ろうとしていた。

 

「カアアアーーッ!!」

「うわあああああっ!!」

 

ダイの額が最も強く輝き、そして光が止んだ。ダイは糸の切れた操り人形のように倒れ伏した。それを見たチルノは無力感に目を伏せる。

 

「バ、バラン……!! 貴様、何を……!?」

「息子には不要なものを奪っただけだ……」

「何!?」

「そのため、力を使いすぎた……この場はひとまず預けよう。だが、いずれ改めてディーノを貰いに来るぞ」

 

そう言うとバランはルーラを使い、姿を消す。

だがチルノはそんなものに興味は無かった。倒れたままのダイのところまで近寄り、弟を抱き起こす。

あり得ないと分かっているはずなのに、それでもゼロに近い可能性に賭けて。

 

「ダイ!」

「うううっ……」

 

少し呼びかけるだけでダイは目を覚ました。

 

「ダイ君!」

 

レオナもまたダイの様子に気付き、心配そうに覗き込む。だが当のダイ本人は寝ぼけたようなぼーっとした目をしたままだ。そして周囲を見渡してから、力なく呟いた。

 

「きみたち、だれ……?」

「!!!!!」

「どうして、こんなところにいるの……ぼくは……?」

 

ダイにはその目に映る全てが、初めてのものばかりだった。今まで体験した想い出も経験も、その全てが真っ白になっている。

 

「ダ……ダイ……」

 

――変えられなかった……!

 

こうなる可能性は分かっていた。だから、この場でなんとかするだけの準備はしてきたつもりだった。その準備は全て正常に作動したはずだ。

なのにどうして、この結果を防げなかったのか。一体どこを間違えたのか。

 

「ああああああああああああっっっ!!!」

 

静寂を取り戻したはずの湖畔に、チルノの絶叫が木霊した。

 

 

 




ダイの記憶喪失……本当はあのまま説得させてやりたかったです。
でもバランはこの時点では頭が硬すぎるイメージ。ついでにチルノが言葉で突っつき過ぎたせいで逆に反発して意固地になっていそうで。
それにこの時点ではバーンの真の狙いも明かされていないため、理由も薄い。
バランにミサイルをぶち込むくらいのインパクトのある出来事がないと。
(あと書いている人の都合もある。本当にごめんね)

……ミサイル(青魔法)を使うわけじゃありませんよ。

ポップにスクルトを使わせました。が、補助呪文は無意味な仲間が多いんですよね。
ダイ:竜闘気で弾きそう
ヒュンケル:鎧の魔剣で弾きそう
ラーハルト:鎧の(略)
マァム:(最終装備になると)魔甲拳で(略)
ヒム:オリハルコンボディで(略)

ヒムとダイは任意で可能かもしれませんが、鎧を付けている奴らは……


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LEVEL:43 おねえちゃん

「【ポイゾナ】! 【ブラナ】! 【ボキャル】! 【ストナ】! 【エスナ】! 【ディスペル】!」

 

どれか一つでも良い。

 

「【ケアルラ】! 【ケアルダ】! ケアルガ! 【リジェネ】! 【ホワイトウィンド】!」

 

ほんの少しだけで良い。

 

「レイズ! アレイズ! リレイズ! リターン!」

 

眼前の相手に効果があることを願って、チルノは彼女が知る限りの、思いつく限りの魔法を唱え続けた。自分の力量で扱える魔法か否かなどは、度外視である。このまま自分が魔法力の使いすぎで倒れても良い。

その覚悟を込めて、彼女は魔法を唱える。効果のありそうな物を片っ端から。単純に怪我を癒やすもの。状態異常を回復させるもの。戦闘不能者を蘇生するもの。

 

効果があるかどうかを吟味して取捨選択する時間も惜しいとばかりに、チルノは魔法を唱える。全ては弟の――ダイの失われた記憶を取り戻さんとするためだ。

だが、そう願って無数に唱え続けた魔法たちの全てが失敗に終わる。

 

「なんで……なんでよ……」

 

どれも効果が無い――いや、本来の効果を発揮しているものもある。ただ、彼女の望む結果に辿り着いていないだけだ。

そして、どれだけ魔法を唱えようともこうなることは、彼女自身がよく知っていた。知っていたが、それでも信じ切れなかった。

ダイの記憶喪失の原因は、(ドラゴン)の紋章の共鳴によるものだ。強い波紋が弱い波紋を打ち消してしまうように、押し寄せた波によって砂浜に書かれた絵や文字を消えてしまったように。

まるで、そうなることが自然の摂理とでも言うように。

レイズとリターンの魔法だけは、ほんの少しだけ期待があった。片や、戦闘不能を回復させる魔法。片や、時を少しだけ巻き戻す魔法。

記憶の喪失が蘇生の範疇に当てはまるのであればもしかしたら。

巻き戻る時間が、ダイが記憶を失うよりも前まで及べばもしかしたら。

だが、微かな期待を持って唱えたその魔法は発動することすらなかった。チルノの術者としての力量がまだ足りないのか、それともこの世界そのものが禁じ手としているのか。それはわかららない。

 

「どうして……こんな光景、みたくなかったのに……」

 

分かったことはただ一つ。

消えた記憶を取り戻す――そんな都合の良い方法など、彼女は持ち合わせていなかったということだけだ。

 

「ごめんね……ダイ……」

 

そう呼びかけられたダイは、チルノのことを不思議そうな目で見ているだけだった。

何も知らない無垢な瞳と言えば聞こえも良いだろう。だが汚れ無きその瞳が、更にチルノを追い詰める。本来の歴史という他者にはあり得ないはずの圧倒的有利な手札を持ち得ながら、起こりうる未来を回避できなかったという無力感。

 

「私は……誰を恨めばいいの……」

 

無力感と喪失感、加えて魔法の使いすぎによる疲労感が一気に肉体へと襲い掛かり、チルノは力なく崩れ落ちた。床の上にぺたりと座り込み、ダイを目の前にしながら俯いて下を向いてしまう。ダイを見つめることが辛くて仕方が無かった。

ほんの少しだけ、静寂の時間が流れる。

 

「……ねえちゃん……」

「……っ!!」

 

突然ダイから聞こえてきた言葉に、チルノは思わず顔を上げた。

 

「だいじょうぶ、おねえちゃん(・・・・・・)?」

「あ……」

 

だがそこにあったのは、チルノが下を向く前と同じ幼い瞳だった。もしかしたら、先ほど使った魔法が少しだけでも効果を取り戻したのかもしれない。そんな淡い期待は、瞬く間に打ち砕かれた。

ダイの言葉をきちんと聞き取ることが出来ず、自分の都合の良いことを言ったと錯覚してしまうほどに、追い詰められているのだと分からされ、チルノの心は更に深く沈む。

 

――おねえちゃん、か……私のことをそんな風に呼ぶなんてね……

 

呼ばれた言葉を反芻しながら、昔の記憶を掘り起こす。

幼い頃からダイはチルノを呼ぶときはいつも「姉ちゃん」だった。言葉を喋り始めた頃、まだきちんと回らない舌では「おねえちゃん」としっかり呼ぶことが出来ずに「ねえちゃん」と言いやすい呼び方をしていた。

とはいえこの呼び方はヤンチャ坊主だったダイの性質ともあっており、無理に直させることもないまま、ずっと「姉ちゃん」と呼ばせていた。

 

言うなれば、特別な呼び方である。チルノ自身もダイから「姉ちゃん」と呼ばれることが当たり前だと思っていた。そこに来て「おねえちゃん」と呼ばれたのだ。

彼女の受けた衝撃はいかほどか。

 

「うん、大丈夫。ありがとうね、心配してくれて……」

 

今にも泣き出したくなるのを必死で堪えて、チルノはダイを不安がらせまいと必死で笑顔を見せようとする。だが限界が近かった。いつ涙が零れるかもしれない。

そう直感的に察したチルノは、ダイをそっと抱きしめる。

弟に涙を見せないように。

 

「ねえ……その、ダイっていうのがぼくの名前なの……?」

「……ええ、そうよ。あなたの名前はダイ」

 

抱きしめられたことに驚きながらも、ダイはチルノに尋ねる。自分の名すら忘れてしまった事は、知っていたとしても受け入れがたいものがあった。遂に我慢仕切れず、大粒の涙を一筋こぼしてしまった。それはチルノも、そして彼女の傍で見守っているゴメちゃんとスラリンも同様だった。

それでも涙声を我慢できたのは奇跡に近いだろう。チルノはダイに自分のことを少しずつ話していく。

 

「私はチルノっていうの……覚えてないかも知れないけれど、あなたのお姉さんだったのよ」

「ぼくの、おねえちゃんなの? ……うーん、ごめんね。わからないや……」

「ううん……ダイは悪くなんてない。今は無理をしないで……」

「あ、でも……おねえちゃんに抱きしめられていると、なんだか安心する……なんでだろう……?」

 

その言葉の意味をチルノは考える。

記憶を全て忘れたとしても、本能的に自分の事を分かっているのだろうか? それとも、抱きしめられたことで人の温もりを感じて、ただなんとなくの安心感を得ているだけなのだろうか?

願わくば、前者であって欲しい。そう願った矢先、部屋の扉を遠慮がちにノックする音が聞こえてきた。

 

「どうぞ」

「あの、チルノさん……私です、メルルです。今、少し大丈夫でしょうか?」

 

扉を開けて、メルルが顔を出す。彼女の言葉から、理由をなんとなく察した彼女は一つ頷くとダイから離れる。そのどさくさに紛れて涙は既に拭っている。

 

「ゴメちゃん、スラリン。二人とも、ちょっとだけダイの相手をお願いね?」

「「ピィ!!」」

 

残った二人に合図を送ると、チルノは部屋を後にする。メルルが来たことで、少しだけ気分転換にもなったようだ。

 

「キミ、かわいいね。なんていうの? ぼくの友達になってよ……」

「…………ピエェ~~ン!!」

 

だが、去り際に聞こえたダイとゴメちゃんのやりとりに、再び影を落としていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ごめんなさい。私のワガママで……」

「いえ、そんなことは。私も、少しでも皆さんのお役に立ちたかったので」

 

廊下を進みながら、チルノとメルルは互いに言葉を交わし合う。

 

ここはテランの王城――より正確には王城内の一角である。

バランによってダイの記憶を消された後、無理を言って城へ逗留させてもらうように頼み込んでいた。記憶を失ったダイを少しでも安全な場所で休ませたいというチルノの願いを聞き入れたレオナが、同じ王族だという繋がりを使って交渉したのだ。

その結果はご覧の通り。

城内の一室を借りることは成功し、ダイの記憶が少しでも元に戻らないかと必死で抗っていたのだが、ついぞ効果がありそうな物は無かった。

仲間も心配していることは分かっているのに、ワガママを言ってダイと二人だけにさせて欲しいと言っていたにもかかわらずだ。

 

「王様の体調が良くなったそうなので、お話を聞きたいと。特に、姉であるチルノさんから」

 

テラン王フォルケンは齢にして八十という高齢である。年齢に加えて病床に伏せっており、ベッドの上から動くには他者の手を借りなければならないほどだ。

部屋を借りるときには直接のやり取りは行わず、兵士を通して交渉を行っていた。許可を得てすぐにチルノはダイの治療に向かったため、王に会うのは初めてである。

 

「あの……チルノさん、少しだけいいでしょうか?」

「なぁに?」

 

メルルに案内される道すがら、彼女は遠慮がちに口を開いた。

 

「もうお察しかもしれませんけれど、私、引っ込み思案で、勇気がなくて……」

「うん……」

「でも、チルノさんは(ドラゴン)の騎士様を相手にしても、臆すること無く立ち向かって、自分の意見をしっかりと言っていました。その姿が、とても素敵で……」

 

憧れの眼差しでチルノを見ながらそこまで口にすると、メルルは慌てて動く。

 

「すみません! 私ったら、チルノさんだってお悩みのところに自分のことを……わ、忘れてください……」

「あはは、大丈夫よ。要するに、自分の性格について悩んでいるって事でいいのよね?」

 

メルルは小さく頷いた。

その様子を見ながらチルノは少しだけ考える。本来の歴史では見なかった会話である。だが、メルルが何故そうなったのかも分からなくは無かった。

彼女は自分の言うように、どちらかと言えば内気で大人しい印象だ。そこに、絶対的存在とも言える(ドラゴン)の騎士相手にあれだけの意見を言った上に、戦って見せた。

そんな姿を見せられれば、こんな反応をしてもおかしくは無い。

 

「……私だって、そんなに勇気があるわけじゃないわよ。でも、あの場ではどうしてもバランに言ってやりたかった。相手が(ドラゴン)の騎士だとかは関係なしに、ね」

 

何を言うべきか、それを決めたチルノはあの時の気持ちを乗せて、メルルへ説明してく。

 

「多分、メルルだってそう。どうしても必要な場面なら、誰もが驚くような行動が出来ると思う。内気だとか損得勘定なんて理由は関係なしに、自分の感情の赴くままに」

「感情の赴くまま……そんなのが、私に出来るんでしょうか……?」

「大丈夫。毎日少しずつでもそう思って、機会があったら、ちょっとだけでも行動する。それを繰り返していけばいいの。急に変えるなんて、絶対に無理だからね」

 

本来の歴史を知るチルノにしてみれば、目の前の少女は後に誰しもが驚く行動を取ることを知っている。ならば太鼓判を押すことに何のためらいがあろうか。

 

「そうだ! 私がバランを相手に向かっていた時のことは覚えている?」

「え……あ、はい。確か、剣の電撃を消し去って……」

「そうそう。そこで最後にスライムを出したのよ。そんなの予想できたかしら?」

「いえ、まったく……」

「私がお願いしたとはいえ、スライムだって(ドラゴン)の騎士を相手に立ち向かえたんだもの。メルルになら絶対できるわ!」

「スライム……」

 

だが、メルルの反応はいまいち芳しくない。スラリンは炎を吐くことが出来る。そんな特殊な力があるのだから、あの場で前に出ることが出来たのだ、と考えてしまう。

 

「それでもまだ足りないのなら……そうね、こう考えてみたら? 自分は引っ込み思案だから勇気が無いんじゃなくて、勇気を出さないための理由として自分は引っ込み思案だと思い込んでいるんだ。本当はそんなことはないんだ、って」

「理由……いいわけ、ですか……?」

 

その言葉にメルルは視線を落として少し考え込む。

 

「ごめんなさい、参考にもならない話をしてしまって……」

「いえ、そんなことはないです。もう少し、自分の心と向き合ってみたいと思います」

 

見慣れたそれよりも幾分柔らかな表情に見えるメルルの言葉を聞いて、チルノは胸をなで下ろした。

 

 

 

「遅くなってしまい、申し訳ございません。フォルケン王、お初にお目に掛かります。ダイの姉、チルノと申します。まずはご無理を聞いていただいて、ありがとうございます」

 

メルルに案内され、王が待つ部屋まで辿り着く。既に中にはレオナ、ポップ、クロコダインにナバラまでいる。まさに自分が最後であったようだ。

そのことを侘びながら、チルノは王への挨拶と礼の言葉を口にする。

 

「いや、そうかしこまることもない」

 

チルノの態度を言葉で制し、普段通りで構わないと促す。齢八十というのは、現代社会でも中々の高齢だ。まして栄養学や医療などは遅れているのだから、これほどまで生きるのはとてつもないことだった。長く伸ばした髪を後ろになでつけ、豊かな髭も蓄えている。その両方とも、白く染まっていた。

だが高齢であっても、王としての威厳か、その衰えはあまり感じさせない強い瞳を持っていた。身に纏っている物も簡素だが上等そうな印象を受ける。

 

「さっそくだが、聞かせてくれぬか? (ドラゴン)の騎士様のことを……この国で、何が起こったのかを……」

 

フォルケン王はベッドの上より身体を起こしていた。だが辛そうな様子はよくわかる。

 

「分かりました。少し長くなりますが、ご容赦ください」

 

体調から判断するに手短に済ませてあげたいだが、王はそれを望んではいないだろう。気持ちを封じ込めると、チルノは今までの事を語り始めた。

 

 

 

「なるほど……そのようなことが……」

 

全てを語り終え、フォルケン王はため息を一つ吐いた。まさか自国で、そのような問題が起こっているなど、想像の埒外だった。歴史や見識の深いこの王であっても、あまりのことにどうしてよいのか、まるで分からずにいる。

 

「はい。そして今ダイは、お借りした部屋で休ませています」

「それで、ダイ君の様子は……?」

「そうだぜ……チルノなら、記憶を取り戻す隠し玉の一つや二つくらい、こうパーッと……」

 

ダイが休んでいる――そのことを口にすると、待ちきれなかったというようにレオナとポップが口を挟んできた。

それも当然だろう。今のダイの様子を一番詳しく知っているのはチルノなのだ。そして彼女が二人っきりにして欲しいと言ったのだ。ならばポップが期待するように、何か手立てがあるんだろうと思ってしまっても、誰も責められるものではない。

 

「…………」

「……そう、か……」

 

しかし二人の予想に反して、チルノは何も言うことが出来なかった。その態度だけで何があったかは十二分に察せる。消沈する姿に引っ張られ、二人どころか全員が暗く曇った雰囲気を漂わせてしまう。

 

「ただ、私が抱きしめたときに、ダイは安心するって言ってた。記憶はなくなったって思ったけれど、もしかしたら少しだけでも残っているのかもしれない……」

「本当!?」

「うん……でも、期待しない方がいいよ……私、ダイに『おねえちゃん』って呼ばれたの……子供の頃からずっと『ねえちゃん』だったのに、ちょっと呼び名が変わっただけで……すごく辛かった……でも、ダイにそれをぶつけるわけにもいかないから……」

 

そこまで口にするがチルノには精一杯だった。それを聞いたレオナもまた、彼女が言いたいことと、自分が抱いていた想いに気付いて言葉を失う。

 

「ああ、おれもよく分かるよ……ダイが記憶を失ったと思ったら、急に鎧が怖い剣が怖いって言い出した時は、おれも怒鳴りそうになったよ。でもよ、お前の姿を見てたら、何も言えなくなっちまった……」

「ああ、あの時のことか……」

 

本来の歴史よりも、バランとの初戦は有利に進んだと言って良いだろう。得意技を封殺し、ダイは剣も鎧も弾き飛ばされることもなく、そして負けた。

記憶を失い、意識を取り戻したかと思えば、自分が鎧と剣を装備していることに気付き、それが怖いと言って怯えていた。その姿は、勇猛なダイの姿を知るポップやクロコダインからすれば、信じられる光景では無かった。

ポップなどはそれに耐えきれず、怒鳴ろうとしてしまう。だが、それよりもチルノが感情の赴くままに、泣いていた。

自分よりも大きな反応をしている者がいると、逆に冷静になってしまう。などというが、ポップも同じだったようだ。なによりも、一番ショックを受けているのは姉として最も近い立場にいた彼女なのだ。

それに気付いたからこそ、ポップは怒りを飲み込むしかできなかった。

 

「だが、バランはいずれ戻ってくるはずだ。果たして、どうする……?」

「逃げる……ってワケには行かねぇよなぁ……」

「無理だろう。あの様子からすれば、紋章の力で居場所を特定されかねんぞ」

「そもそも逃げたら、腹いせにこの国を滅ぼす! なんてこともあり得るでしょ! そんなこと出来るわけ無いじゃ無い!!」

 

ダイの事も心配だが、バランの危機も差し迫っている。ならばどうするかと意見を交わし合うが、沈んだ状況では良案など産まれようはずもない。

 

「……バランの逆鱗に触れるだろうから、あの場では言わなかったんだけれど」

 

ならば自分がやるしかない。この非常事態では、遠慮をもう少し止めるべきだ。そう決意して、チルノは口を開いた。

 

「ダイのお母さんを……バランの奥さんを殺したのは、多分人間だと思う」

「何ッ!?」

 

突然の突拍子も無い意見に、誰もが驚きの声を上げる。しかしその反応は予想できていたことだ。

 

(ドラゴン)の騎士は基本的に一人だけ。となると、伴侶となる相手は(ドラゴン)の騎士ではない存在――候補となりそうなのは、魔族か人間かくらいでしょ? でもダイの身体に、魔族の特徴は出ていない。となれば相手は自ずと人間のはず」

 

本来の歴史から知った結論より逆算して導き出した理由を口にしていく。

 

「決定的だったのは、ダイに人間の汚い面を語ったときかな。その時の言葉が、変に力が入っていたのが気になっていたの。多分、実体験からだったんじゃないかな?」

「実体験……?」

「あの馬鹿みてぇに強いバランが人間に迫害を受けていたってのか!?」

「特別な存在である(ドラゴン)の騎士だって、別に木の股から産まれるわけじゃないでしょ? 生命である以上は、何か命を持った存在が産み落とすはず。それにバランだって、見た目は普通の人間だもの。ということは、人間の世界で暮らしていたんじゃないかな?」

 

仲間達の疑問に頷く。

(ドラゴン)の騎士は、聖母竜(マザードラゴン)によって生み出され、地上のどこかに産み落とされる。その地の人間は、その子を神の子として育て上げるのだ。

つまり子供の頃の(ドラゴン)の騎士は、成人するまでの間は人間の社会で育つと言って良いだろう。

 

「子供のうちはいいけれど、大人になるにつれて、紋章の力に目覚めることで頭角を見せていく。そうなるとその強さに畏怖して排除しようとする人が出るのも事実だもの」

 

神の子として祭り上げられたのだ。ならば特別な存在と思われても、仕方ないと思うかも知れない。だが、その神の子がどうして自分では無いのだ。バランだけどうして特別視されるのだ。

そう考えて、疎む人間が出ても仕方ないことだろう。

 

「過去にそんな経験をしたのであれば、バランは自分の力を上手く隠そうとすると思う。自覚しているのであればなおさら。だとしたら、原因は奥さんの方……」

「その女性が、バランのことを裏切ったというのか?」

 

クロコダインの言葉を、チルノは首を横に振る。

 

「ううん、それは無いと思う。もしもそうだったら、ダイは自分を裏切った相手の子供よ? バランから見れば自分の汚点の証……仲間にしたいなんて考えるかしら?」

「むぅ……」

 

些か冷酷な言葉だというのは自分でも分かっていた。クロコダインに聞かせるには、少々酷かもしれない。だが、仕方の無いことだと自分に言い聞かせる。

 

「だから逆に、バランにとってその女性は何が何でも信じ抜いてあげたい相手だったんだと思うの。ちょうど、私たちとダイみたいに」

「なるほどな……」

「ならば、何があったというのだ?」

 

早く続きを聞きたいと遠慮がちに促す獣王の姿は、どこか子供のようでもある。

 

「バランと奥さんの出会いは分からない。でも多分、その奥さんはすごく身分の高い人だったんだと思う。貴族の娘か、はたまた一国の王女か」

「え?」

「とにかく、そのくらい高貴な人。そんな人がバランと結ばれたらどう思うかしら?」

「なるほどね……チルノが言わんとしていることが理解できたわ……」

 

レオナは流石は一国の王族だということか。チルノの言葉から想像出来たことを、彼女の説明を補足するように口を開いた。

 

「周りからしてみたら、突然現れたバランに姫が取られる。そのまま何も無ければ、自国が乗っ取られかねない。だったら排斥しよう。私欲に塗れてそう考える人間が現れてもおかしくないわ……」

 

そう言うとレオナは「ウチでも過去にあったみたいだしね……」とマトリフの過去のことを僅かに呟く。その態度には、過去への嘆きが含まれている。

 

「付け足すと、ダイが産まれたのは約十二年前……倒されたとはいえ、まだハドラーの恐怖も記憶に新しい頃よ。そんな時期に『バランは人間ではない、ハドラーの手下の一人が化けて国を乗っ取ろうとしているのだ』なんて密告があったら、疑いの目を向けられてもおかしくないと思う」

 

決して私利私欲だけが理由では無い。時代背景という下地もあったのだ。と言外に訴えながら、チルノは更に言葉を続ける。

 

「そして疑いの目を向けられたバランを庇って、奥さんを失った」

 

結論の言葉を口にすると、全員が押し黙る。彼女の語ったあまりの内容に、何と言ったら分からない。と言ったところだ。

 

「さっきも言ったけれど、あくまで推論。証拠は何もない、バランの話と態度から考えた、創作物みたいなものよ」

「……その話を聞いて、二つ思い浮かんだことがある。良いだろうか?」

 

予防線のように口にした言葉を聞いて、フォルケン王が重々しく口を開いた。

 

「ええ、構いません」

「ありがとう。まずは一つ目、先ほどの(ドラゴン)の騎士様が成長するまでの話だ」

 

口元に手を当て、記憶を探り出すようにしながら王は言う。

 

「確かに、ごく希にだが、そのような神の子が産まれる記録があった。だがその子供は、成人すると勇者として活躍するか、人知れずにどこかに行くか……その最期についてはよく分かっていない」

 

伝承や記録に詳しいテランの王たる面目躍如といったところか。彼の記憶の中にも、(ドラゴン)の騎士と思わしき記録が存在していた。

 

「仮に神の子が(ドラゴン)の騎士様であったならば、人間の社会で暮らしたという推測も間違ってはいないだろう」

 

思いもよらぬ形での援護に、誰しもが言葉を失う。

 

「そして二つ目だが――アルキード王国、という名を聞いたことはあるかね?」

「アルキード……? 確か……」

 

何人かは記憶を絞り出すような表情を見せるが、ナバラなどは流石に年の功というべきか、それを聞いて顔を青ざめさせていた。

 

「まだ若いそなたらでは、馴染みが無いのも無理は無いだろう。かつて、このギルドメイン大陸の最南端に存在していた国だ」

「そういえば、昔聞いたことがあったような……」

 

説明されて得心がいったとばかりに、表情を軟化させた。だがそれも一瞬のことでしかない。続く王の言葉を聞いて、誰もがその表情を強張らせる。

 

「だがその国は、地図上から消滅したのだ」

「……!?」

「消滅、だと!?」

「うむ……国が滅びた、人々が疫病で倒れた。などという比喩では無い。文字通り消滅したのだ……かつてアルキード王国が存在していた半島ごとな……」

 

あまりにスケールの大きすぎる事に、静寂が室内を支配する。

アルキードのことを深く知らない者に取ってみれば、その衝撃的すぎる事実に驚かされるが、ナバラの様なある程度の年齢を重ねた者や、各国の王や重鎮はある程度知っている事実だった。

だが、一国が突然消えたなど、とてもではないが風聞出来る情報ではない。アルキードは滅亡したという結果だけが伝えられることとなり、その理由などについては秘匿された。

 

「その国の姫の名は……たしかソアラだったかな。年齢も二十歳前後だったはず。肉体的に子供を為すことも出来ただろう」

 

約十年前。その頃のバランと出会っていたならば――そう考えるには十分過ぎる内容であった。

 

「ワシの話はこれで終わり……彼女の言葉では無いが、何か証拠のあるものではない……じゃが……」

 

チルノの話と、フォルケン王の話。その二つが繋がる証拠は何も無いはずである。だが話を聞いた全員が、その二つを分けて考えられなくなっていた。語ったフォルケン王当人でさえ、否定したいという気持ちが湧かなくなっている。

 

(ドラゴン)の騎士と一国の王女の関係、か……何があったかは、想像に難くないな……」

「うん……レオナの言ってた様に、私利私欲でバランを追い落とそうとしたのかもしれない。本当に国を守りたくて、バランを追放しようとしたのかも知れない……こればっかりは、当事者に聞かないと分からないけれど……」

「つまり……バランがきちんと周りに自分のことを訴えて、身の振り方を考えていれば、今みたいな事は防げたかも知れねぇってことか……!?」

「もしくは、バランがダイをずっと探し続けていてくれたらね……」

 

あくまで仮定の話であり、真相は闇の中である。だが、バランにそんな事情があったのかもしれないと、そう考えると、やるせない気持ちしか浮かび上がらない。

だが、それを訴えたところで対抗手段になるかどうか。

 

「……その話が事実ならば、オレならばなんとか出来るかもしれん」

 

混迷する状況に光明が差し込むように、一人の男の声が聞こえた。その声に誰もが反応し、そして驚きの声を上げる。

 

「「「「ヒュンケル!?」」」」

 

そこにいたのはクロコダインと共に魔王軍の動向を探りに行ったはずのヒュンケルであった。鬼岩城が消えていたと言う事実は既にクロコダインの口から伝わっているが、彼は行方を探るべく更に単身調査へと向かっていたのだ。

本来の歴史ではもう少し後で合流するはずの男が、このタイミングで来たことに、チルノ自身も多少なりとも驚かされる。まあ、位置を判明させる道具とキメラの翼を渡していたのだ。早く合流するだろうとは思っていたが。

 

「無理を言ってしまい、すまなかった」

「いえ、こちらこそ。(ドラゴン)の騎士様のお知り合いの方と知らず、失礼を致しました」

 

ヒュンケルは彼を案内した兵士に声を掛ける。

彼もまた、キメラの翼で付近まで移動した後に、徒歩で直接ここまでやってきていた。だが間の悪いことにというべきか、ダイたちは城の中である。門番に直接交渉し、この場所まで案内してもらったのだ。

 

「いや、その行動は当然のことだ。気にすることはない」

「そう言っていただけると、助かります。こちらは、預かっていた剣です」

 

とはいえ、見知らぬ相手を易々と通すわけにもいかない。鎧の魔剣を預けること、さらに彼の後ろに一人の兵士が何時でも動けるように睨みを利かせることを条件に、ようやくここまで来ることができたのだ。

 

「すぐに顔を出すつもりだったのだが、話をしている途中だったのでな。悪いが、キリの良いところまで待たせてもらった」

 

だが更に間の悪いことに、丁度話をしている最中であった。そのため、話の腰を折らぬようにと待っていた結果、このように絶妙なタイミングとなっていた。

 

「すまなかった。オレがもう少し早く合流できれば、こんな事態は避けられたかもしれん」

「いえ、ヒュンケルが悪いわけじゃ無いわ」

「そうだぜ。剣の腕は買ってるんだ。遅れた分は精々働けってんだ」

「それよりも、さっきの言葉は、まさか……」

 

尋ねられた言葉に、ヒュンケルは力強く頷く。

 

「ああ、そうだ。オレもかつてはバランと同じ道を歩いていた。だが、お前達に気付かされたのだ。だから、今度はオレがバランに教えてやりたい……オレなら伝えられるかもしれん!」

「でも、バランの心は硬いわよ。それに、下手なことを言えば逆上して殺される可能性だってある……」

「安心しろ。不死身はオレの専売特許だ……それに、まだオレはこんなところで死ぬ訳にはいかん。果たすべき使命があるからな」

 

チルノの言葉にヒュンケルは少しだけ冗談を交えて、だが死ぬつもりは無いことを明確に宣言する。その言動は、レオナには少しだけ不安に見えた。

 

「ヒュンケル、あたしは確かに貴方に使命を授けた。でも、あなたのことを心から心配している人だっている事だけは忘れないで……」

「姫……ああ、心得た」

 

しっかりと頷くヒュンケルを見て、レオナも安心したようだ。続いてクロコダインが声を掛ける。

 

「合流に時間が掛かったようだが、収穫はあったか?」

「当然だ。それに、色々と野暮用が出来てな……そのせいで遅くなってしまった」

 

野暮用が出来た、と言う言葉にチルノは引っかかりを覚える。

本来の歴史での彼は鬼岩城の後を追ってカール王国まで向かい、そこでバランの情報を得てダイとの関連に気付く。だが既に滅んでいるカール王国では、それ以上に大きな収穫などあっただろうか。

彼女の予想では、関係性に気付いてすぐに戻るとすればもう少し早くても良いのでは無いかと思っていた。

 

「姫、少し良いだろうか?」

 

だが、幾ら考えても結論はでない。そもそも与えられた情報が少なすぎるのだ。チルノが考えを巡らせている間に、ヒュンケルはレオナを伴って席を外す。そこで何が行われたのか、彼女には知るよしも無い。

 

レオナたちが席を立ったのを見て、チルノはポップたちに声を掛ける。

 

「もしも、良かったらだけど……ダイに会いに行ってあげて。見ているだけで、耐えきれないくらい辛くなるかもしれないけれど……でも、皆との出会いがダイの記憶を呼び覚ますきっかけになるかも知れないから!」

「チルノ……」

「……分かった。だが、期待はしないでくれ」

「王様も、もしもですが、よろしければ……」

「ああ、わかった。(ドラゴン)の騎士様の子供なのだ、折を見て一度くらいは会っておこう」

 

そのまま、自然と話し合いは終了していった。

 

そして、全員がダイに会いに行くが結果は変わらず。

もしかしたら、デルムリン島に連れて行けば。ブラスや島のモンスターたちと出会わせれば、記憶が戻るかも知れないという案も出たが、徒に心配させるだけ。環境を急激に変えるのは問題なのでは。などの考えから、お流れとなる。

 

合間をみて、バランへの対抗手段を模索していたが――結局、これぞと言った妙手など何も浮かぶことの無いままだった。

 

そうして、ただ時間だけが流れていく。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「状況だけ見れば、初戦は痛み分け。けれど被害は勇者パーティの方が圧倒的に大きい」

 

鬼岩城にてバランの動向を見守っていたハドラー達であったが、バランが一時撤退したことで、彼の居場所を見失っていた。

現在の様子が分からないという事実が、ハドラーを更に不安がらせる。そんなハドラーの様子を見ながら、キルバーンは冷静に言う。

 

「どうやらこれでもう、チェックメイトだね」

 

チェックメイト――果たしてそれは、誰に向けられた言葉だったのだろうか。

打つ手の無くなったダイたちへ向けられたのか、それとも、後の無くなったハドラーを示した言葉だったのか。

死神へとその言葉の真意を問いただすよりも早く、配下である悪魔の目玉からバラン発見の報告が入り、映像が映し出された。

 

「な、なんじゃ!? あの巨大な三色の篝火は!?」

「あれは……やはり、竜騎衆を呼ぶつもりなのか!?」

「竜騎衆!? なんですそれは!?」

 

ザボエラの問いに、ハドラーが竜騎衆のことを答える。

曰く、バラン配下の特別な部下。それぞれが陸・海・空の(ドラゴン)を操る屈強の竜使いであり、バランと共に動けばその破壊力は想像を絶するほどだ、と。

 

念には念を。これほどの戦力を持ってすれば、ダイ奪還を失敗することはないだろう。

そしてバランとダイという二人の(ドラゴン)の騎士を手に入れれば、バーン軍は安泰。バランはその地位と名声をますます高め、反対にハドラーはその責任を取らされて失脚することになるのは目に見えている。

 

 

 

バランが儀式を続ける姿を見ながら、ハドラーは絶望していた。

ダイが記憶を失い、バランは竜騎衆という新たな力を持って襲い掛かるのだ。もはやバランの勝利は疑いようもない。

そして自分は、これまでの敗戦の失態に加えて、(ドラゴン)の騎士の事実を黙っていたことも併せて責任を取らされ、そして全てを失うのだろう。

 

全てを失った自分は、どうなるのだろうか。

バーンの超魔力によって生かされているこの肉体は、遠からず朽ちるのだろうか? それともそうなる前に死神に処分されるのだろうか?

 

そこまで考えて、彼の脳裏に浮かんだのは、彼と同じように全てを失いながらもそれでも勝利だけを追い求めたとある部下の姿であった。禁呪法を用いて作り上げた仮初めの命であったはずのそれは、命すら不要と言い切って勝利を求めた。ならば自分も……

そこまで考えて、彼は思考を打ち切った。

もはやどうにかなる問題では無い。ただ、せめてもう少しだけでも早くこの考えに到ることが出来れば……

自虐の笑みを浮かべながら、ハドラーは感情を隠すように拳を強く握りしめる。力を込めすぎたため、そこから――魔族の証でもある――青い血が一筋流れ出ることも気にせずに。

 

 

 

ハドラーを見ながら、ザボエラは歯噛みしていた。

取り入る相手を間違えた――彼の思考を一言で表すならば、これに尽きる。

既にハドラーは窮地に立たされている。ここからの逆転劇など、誰がどう考えても不可能であろう。遠からず制裁を受けて、そして失脚するはずだ。

そうなっては、自身が今まで散々ハドラーへ取り入ろうとしてきたその全ての苦労が水泡に帰すのだ。

 

せめてもう少し早く動くことが出来れば。そう、せめてバランが出撃するよりも早く何かできれば、まだ可能性はあったかもしれない。バランが行ったように、相手の記憶を消すような真似はザボエラの得意分野だ。今のダイのように全てを消すのではなく、バランに都合の良い記憶を流し込むこともできる。

では一体、何が悪かったのか。決まっている、考えるまでも無い。バランが出陣を表明する際に、現場に居合わせることが出来なかったのが原因だ。

では何故、居合わせることが出来なかったのか。決まっている、あの小娘から受けた傷が原因だ。

 

完全に逆恨みの憎悪を燃やしながら、忌々しげな表情を浮かべるが、だがザボエラにはそれ以上どうすることもできない。ヘタに手を出せばバランの怒りを買いかねない上に、そのバラン当人が襲撃するのだ。もはや命など残るまい。

彼はせめて、チルノの死体がまともな状態で残ることを願った。死体からでも、やりようはある。精々実験材料の足しにして、少しでも溜飲を下げる道具としてやろう、と。

 

 

 

バランの様子を見ながら、キルバーンは嘆息する。

最初にチルノのことを直接見たとき、自分が動く必要があるかもしれない。彼は直感的にそう理解していた。どこか不思議な立ち位置を見せる彼女を相手に出来るのは、自分だけだと思っていたのだ。

そして、彼女の操る未知の力はなんともそそられる。

キルバーンが得意とする戦術は、罠に仕掛けてはめる。それだけだ。どんな訓練を積んできた強者であろうと、自分の罠に掛かれば瞬く間に敗者へと落ちていく。自身の罠を使って、あの未知の力すら封じ込め、そして命を刈り取れれば、それはとても面白いことかもしれない。

 

だが、バランが全力で動く以上はそれも敵わぬ夢となった。ああなっては、もはやバランが全てを片付けてしまうだろう。ダイという切り札を失えば、もはや抗う術などない。

多少残念に思ったが、それだけだった。

精々が、面白い玩具を入手する機会を失した。その程度の認識しかない。ただ、自身が感じた違和感の正体を確かめる機会が永遠に失われたことだけが、少々気がかりだった。

 

 




記憶喪失。
FF的な表現をするならば、状態異常:忘却 辺りでしょうか? フォーグの魔法が冴えますね。(13や14にもありますけれど)
ただ基本、あの世界はエスナで治ってしまう。
でもバランがやったアレは、魔法による一時的な影響では無く、恒久的な扱いなのだから効果が無いとしています。
(そもそも竜の騎士があれだけ消耗して記憶消したのに「エスナですぐ治ったよ」とか……バランが怒鳴り込んで来ます)

メルルの立場から見れば、チルノさんハンパないよなぁ……と思い、気がついたら絡みが出来ていた。
嗚呼……ヘタをするとポップのフラグを持って行きそう。

竜の騎士の子供の頃の部分。
そうなると竜の騎士の使命やら倒すべき相手っていうのは、誰が教えてくれるんでしょうかね? 聖母竜が(夢とかお告げとかで)教えてくれる、とかでしょうか?
(じゃないと、地上にいたバランが魔界のヴェルザーの動向を知るなんて無理。湖底の神殿だって誰かが教えてくれないと気付かないだろうし……
 案外テランの民は、竜の騎士を世話するために設けられた一族だったのかもしれませんね。でも長い時間でそれを忘れたとかそんなの)

噛ませ犬二匹と優遇されてる一人(竜騎衆)まで出す予定だったのに……


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LEVEL:44 決死の覚悟

お話がね、進まないの……



「ただいま……」

 

ポップは戻ってくるなり、力なくそう言った。肩を落として絶望感を漂わせるその姿はまるで幽鬼のようだ。

 

「その様子では……」

「マトリフさんの助けは……」

「ああ……行ってはみたんだけどよ、留守だった……くそっ!! この一大事に師匠はどこに行っちまったんだよ……!!」

 

クロコダインとレオナの言葉に、ポップは吐き捨てるように言いながら手近な椅子へと乱暴に腰掛ける。

ダイが記憶を失ってから、既に二日が過ぎようとしていた。

 

バランが再び襲い掛かってくるのは果たして何時になるのか、その瞬間に怯えながら、一行は対策を考えるため頭を捻り続けていた。今も、ポップがマトリフの助力を得られないかとルーラで彼の元へ頼み込みに行き、そして戻ってきたところだった。

 

その結果がどうだったのかは、前述の通りである。

だが、ポップが頼みに行く前からチルノにはこの結果が見えていた。本来の歴史を知り、そしてマトリフにその歴史のことを伝えている。彼女の予想が正しければ、今頃マトリフはカール王国にいるのだろう。

そして、彼女はバランを相手に初戦でケリを付けると豪語していた。ならばなおのことだ。

 

「仕方あるまい。元々が引退した身でもあるのだ、無理に引っ張り出すこともできん。オレたちだけでバランを退けねばならんだろう」

「んなことは分かってるよ! でもよぉ……」

 

ヒュンケルの言葉に理性では一応の納得を見せる。だが、感情までは無理のようだ。バランという圧倒的な強者を前にして、マトリフという古強者に頼りたくなるのもまた無理もないことだ。

 

「なあ、チルノ……ダイのヤツは……」

「うん……知っての通り、まだダメよ……」

「案ずるな。ダイが抜けた穴はオレが全力で埋めてやる」

 

その言葉は、流石はアバンの使徒の長兄というべきか。絶大な信頼感を感じられる。ダイがいなくとも代わりを果たしてみせるという無言の気概が感じられた。

 

しかし、話し合いの時間もそろそろ終わりだった。

 

「あ、あああっ!!」

「メルル!?」

 

メルルが悲鳴を上げながらとてつもない恐怖を感じたように震え始めた。心配そうに声を掛けながらも、チルノにはその原因が分かっている。

 

「皆さん大変です! ベンガーナから巨大な火の手が……!!」

 

それに一瞬だけ遅れて、城の兵士が部屋に飛び込んで来るなりそう叫んだ。血相を変えた様子から、ただ事でないのは誰の目にも明らかだ。

 

「なに!?」

「まさか、バランが……!?」

 

兵士の姿に一行はそちらを見るが、チルノだけはメルルを見ている。心配していたこともそうだが、どうしても確認したいことがあったからだ。

 

「メルル……バランを察知したの?」

「はい……来ます! すごい憎悪のエネルギーが……この国めがけて!!」

 

バランが遂に来た。それは分かっている。聞きたいのはその次だ。

 

「もしかして、それ以外にもある……?」

「え、どうしてそれを……? はい、同じようなエネルギーが、ほかに三つ……!!」

 

なぜチルノにもそれが分かったのか疑問に思い、メルルは感じていた恐怖を一瞬忘れてしまう。だが、その疑問に答える余裕は彼女には無かった。

他に三つという言葉を耳にして、ついにこの時が来たかとチルノは覚悟を決め直す。

 

 

 

「三つって、どういうこと!?」

「配下の(ドラゴン)たちを連れてきた……ってんならもっと数がいてもおかしくねぇか……?」

 

バラン以外の三つ、という言葉にレオナたちは首を捻る。

 

「クロコダイン、ヒュンケル。バランの三つと聞いて、何か思い当たることはない? 例えば、配下の強力な相手とか」

「む……いや、オレは……」

「三つ……三人……まさか!?」

 

チルノの言葉に誘われて、元魔王軍の二人は少しだけ考え込む。そして、クロコダインは何かに気付いた。

 

「噂の竜騎衆か!?」

「竜騎衆!?」

 

耳慣れぬ言葉に反応して、だがクロコダインはその言葉に頷いた。

 

「バラン配下の最強の竜使い(ドラゴンライダー)たちだ。こやつらが(ドラゴン)を操った時の力は、我ら軍団長にも匹敵するという!」

「なん……だってぇ……」

 

軍団長に匹敵する。その言葉は更にダメ押しとなる。

 

「そんな配下を連れてくるということは……」

「多分、力づくの意思表示ってところかしらね……」

「見つけた! 捕らえたよ!!」

 

不意にナバラから声が上がる。彼女はメルルがバランの気配を感じた時から水晶玉を取り出し、意識を集中させていた。どうやらナバラの実力を持ってしても時間が掛かったようだが、ようやく見つけ出したようだ。

 

「南東の方角から真っ直ぐにこのテランに向かってきている!」

 

やがて、手にした水晶玉にその姿が映し出される。そこにはバランと轡を並べて進む三人の竜使い(ドラゴンライダー)たちの姿があった。

 

「こいつらが、竜騎衆か……」

「どいつも一癖ありそうな顔してやがんな……」

「だが、数の上ではこちらが有利だ」

 

姿を見ただけで威圧されかける。だがヒュンケルは静かに言ってのけた。

 

「それに、バランを倒すのではなく説得するのならば、命を賭する必要もないだろう」

「聞いてくれると思うのか?」

「わからん、だが……伝えてみせる」

 

確信があるわけでもない。だが自分ならばやれるかもしれない。確率としては五分あるかどうかだろう。だがそれを仲間に感じさせる事が無い様に冷静に振る舞う。

 

「……一応、説得が失敗したときのことも考えておこうぜ」

 

ヒュンケルを信頼していないわけではない。いや、それどこからポップからすれば認めたくは無いが絶大な信頼を寄せていると言って良いだろう。だが、それを素直に認めるのがなんとなくシャクであり、ポップはそんな言い方をしてしまう。

 

「そのときは、それぞれが竜騎衆とバランを押さえる。そして、勝利した者たちが協力していく。といったところか?」

「一人を集中攻撃して順番に潰していった方が良いんじゃねぇか?」

「相手がそれを許すと思うか?」

「う……」

 

至極当然のことを言われ、ポップは思わず口を噤んだ。

 

「ヘタに集中させれば乱戦になりかねない。そうなれば、こちらの数の利点が失われかねない。姫を遊撃要員として、確実に数を減らした方が確実だろう。情けない話だがな」

 

要するに一対一の戦場を複数用意して、勝った方が仲間の援護に加わるということだ。これならば数の差を活かせる。レオナはベホマによる回復が期待出来る上に、攻撃の援護も可能なのだ。

一国の姫までもを前線の戦いに借り出さねばならないという問題点はあるが、員数外としたところで大人しく聞くようなタマではないため、致し方ないといったところだろう。

そして軍団長と匹敵するという竜騎衆であれば、クロコダインたちが奮戦すれば勝てない相手ではないはずだ。そう考えた上での戦い方だった。

 

だが、未来の歴史を知るチルノは、あり得た可能性の一つを投げかける。

 

「……一人だけ突出して、奇襲するっていうのは?」

「それこそ下策だろう。数の差で何も出来ずに負ける可能性が高い」

「そもそも、オレたちがそんな戦法を許すと思うか?」

 

だがその考えはヒュンケルたちに瞬く間に潰される。だがそこまでは彼女も、そして本来の歴史では彼も予想していたことだ。

 

「わざと諦めたフリをして、一人だけ先走る……みたいなことは?」

 

チラリとポップに視線を向けながら、その手段を口にする。その意味ありげな視線にドキリとさせられたのか一瞬目をそらすが、すぐにポップは降参したように口を開いた。

 

「あー……わりぃ。白状すると、それちょっとだけ考えてた」

「む!?」

「ポップ!?」

「けどよ、一番辛いのはチルノのはずなんだ。そのチルノがこうして踏ん張ってるのに、一人だけ投げ出すわけにはいかねぇよ。それにこうして戦力も揃ってるんだ。なら精々、最期まで諦めずに足掻いてみせらぁ」

 

ポップはそう自らの心の内を語る。

本来の歴史では彼は、迫り来る敵と不足する戦力に板挟みにされ、一人でバランたちへ決死の挑戦を試みていた。途中、援軍に来たヒュンケルのおかげもあってどうにか竜騎衆を倒すことには成功していた。

だがこの世界では、既にヒュンケルが合流している。ならば今からポップが一人で特攻したところで、間違いなく力及ばず倒されるだろう。

 

「ああ、その方が良いだろうな。お前にはそんな役は似合わん」

「なっ! なんだと!!」

「その勇気だけは買うがな」

「……っ!」

 

ヒュンケルにそう言われ、嬉しいようなむず痒いような。なんとも言えない感情を味わってしまい、ポップは黙ってしまう。

そんな様子を見ながらチルノは、彼の特攻を防げたことに安堵し、そして気付いた。

 

「…………!!」

 

――つまり、バラン指揮下の竜騎衆が相手……

 

それは、この状況では考え得る限りで最悪の展開に近いかもしれない。

己の気付いた事実に頭痛すら覚え、チルノは無言で息を飲んだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

バランは名将と呼んで良いだろう。

(ドラゴン)たちが如何に強いモンスターといえども、人間の中にはそれを倒しうる力を持つ者がいないわけでは無い。

特に、彼が侵攻を行っていたリンガイア、カールの二国はこの世界でも指折りの強国――特にカールは勇者アバンの出身国でもあり、最強の騎士団を有しているのだ。

そんな音に聞こえた強国であれば、(ドラゴン)を倒すことの出来る実力を持った騎士は間違いなく存在していただろう。

そして(ドラゴン)は、どれだけ強くとも所詮は野生の獣――それでも普通の獣よりも高い知能は持っているだろうが、協力して一つのことを行う――いわゆる戦術や戦略という面では、人間と比べて遙かに劣ると考えて良いだろう。

伝説に名高いヴェルザーやボリクスと呼ばれる竜族であれば、その辺りを理解しているのだろうが。

 

そしてもう一つ。(ドラゴン)たちは個体が強い分、生息している絶対数は少ない。倒されれば、他の魔王軍の軍団よりも補充は困難だろう。

 

つまりこの二つの事実を組み合わせれば、(ドラゴン)を倒せるだけの実力を持った騎士を中心に、決死の覚悟で少しずつ数を減らしていけば、リンガイアであれカールであれ、もっと粘ることができたはずだ。

そして倒せば倒すほど、戦いは楽になっていくはず。少なくとも、これほど早く国が滅亡することはなかったはずだ。

 

――それを覆したのが、バランの指揮能力である。チルノはそう考えている。

 

(ドラゴン)の群れを手足の様に操り、巧みに敵を倒していく。本人の実力もさることながら、こうした将としての実力にも秀でているのだろう。本人の才覚か、それとも戦いの経験を次世代に継承できる(ドラゴン)の騎士の力が為せるのかはともかく。

 

どちらの要因にせよ、バランが指揮する軍団はある意味で本人以上に危険だとすら考えていた。竜騎衆との戦いもそうだ。本来の歴史では、バランが先行したため監視下から外れた竜騎衆たちが思い思いに行動したため、その油断を突いて倒せたと思っている。

だが今回は違う。

ポップが足止めに向かわない以上、バランたちは障害なくここまでやってくる。そしてバランの指揮下による油断のない竜騎衆と戦わねばらない。こうなれば、配下の三人の誰もが油断出来る相手ではないだろう。

 

――となれば……

 

「先に謝っておくわ。ごめんね、みんな。そして、私の言うことを疑わないで聞いて欲しいの」

「どうしたの、急に?」

 

急にそんなことを言い出すチルノを見て、全員が不審そうに見つめる。幾つもの視線を向けられながら、チルノは今まで秘密にしていた情報の一部を開示することにした。

 

「竜騎衆……敵は、空戦騎ガルダンディー、海戦騎ボラホーン。そして、陸戦騎ラーハルトの三人」

「!?」

 

全員が驚く。だがそれも当然だ。

魔王軍に在籍していたクロコダインですら、噂程度でしか知らない相手を何故デルムリン島にずっといた少女が知っていると信じられるのか。混乱して適当な妄言を口にしていると言う方がまだ信頼性があるだろう。

推測などでは決して知り得ない名前という情報。それを当たり前のように確信を持って話すのであれば、なおのことだ。

 

「文句や疑問があるのは当然のことよね。でもそれは、後で満足するまで付き合ってあげる。だから、今だけは何も聞かずに私の言うことを信じて欲しいの」

 

今は問答する時間すら惜しい。とばかりに一方的にそう宣言して、チルノはさらに言葉を続ける。

 

「ガルダンディーは、あの中の鳥人間みたいな相手よ。乗騎のスカイドラゴンは一緒に育ってきて、そのコンビネーションは決して甘くは無い。それに剣の腕も立つし、冠羽を相手に刺すことで体力や魔力を減少させる能力を持っている」

「お、おい……急にどうしたんだよ?」

「ガルダンディーにとってスカイドラゴンは弱点であると同時に逆鱗でもあるの。倒せば良くも悪くも戦局が変わるはず。注意してね」

 

ポップの顔を見ながら、チルノは言う。そのあまりにも真剣な眼差しに、ポップは言いかけようとした言葉をそのまま引っ込めてしまう。

続いてチルノはクロコダインへと視線を向けた。

 

「ボラホーンはトドマン種族の相手。ガメゴンロードを投げ飛ばすほどの豪腕を持っていて、武器は鋼鉄製の錨。鎖の付いたその錨を相手に叩きつけるのが得意技。そして、ボラホーンの放つ凍てつく息はマヒャド級の威力があるの。これで凍らせてから錨を叩き込むのが彼の必勝の策、だそうよ」

「む?」

「でも、単純な腕力だけならクロコダインの方がずっと強いはず」

 

豪腕、という言葉に反応してか、クロコダインは小さく呻く。そこには自身の腕力に絶対の自信を持つ獣王のとしての矜持が見て取れた。

 

「そして最後の一人、ラーハルト。あの魔族の青年よ。彼は竜騎衆の中でも別格の強さを持っているわ」

 

少女は残ったヒュンケルへと視線を投げかける。

 

「ヒュンケルの鎧の魔剣と同じ、鎧の魔槍というのを持っている。そして単純な実力だけでも竜騎衆最強。針の穴を通さんばかりに高められた槍の腕前もさることながら、特にそのスピードは閃光のように速い」

「…………」

「そして彼の放つハーケンディストールという必殺技は、アバンストラッシュみたいに二つのタイプがあるの。そのどちらもが一撃必殺の威力を秘めている」

 

チルノの言葉にヒュンケルは黙って耳を傾けていた。

 

「それに、ラーハルトはヒュンケルに近い存在よ」

「……なるほど、言わんとしていることはなんとなく分かった」

 

その言葉に、小さく頷いた。近い存在という曖昧なキーワードであったが、それが何を意味しているのかは彼自身の過去を振り返れば、自ずと見えてくる。

ヒュンケルの察しの良さに感心しながら、チルノは最後の言葉を口にする。

 

「私が竜騎衆について知っているのはこのくらい。皆にはそれぞれ、今言った三人の相手をして欲しいの」

「まて、それでは!!」

 

竜騎衆をクロコダインたちが相手をする。ではバランの相手は誰がするのか。簡単な消去方である。驚きの声を首肯してみせた。

 

「ええ、私がする」

「オレは反対だ。お前一人でバランを抑えきれるとはとても思えん」

「クロコダインの意見に賛成だ。その役目は、オレが代わった方がまだ安全だろう」

「二人の意見におれも賛成だぜ……幾らお前でも、相手が悪すぎらぁ……」

 

竜騎衆と戦って欲しい、と頼った三人の男達は揃って否定の意見を口にする。レオナたちもそうだ。口には出さずとも、チルノのことを心配する視線を投げかけている。

先の戦いでは多対一にも拘わらずその恐ろしさを見せつけたバランを相手にして、前衛職でもない少女が一人で戦うと言っているのだ。

心配しない方がおかしいに決まっている。

 

「そうね、みんなの意見は当然だと思う……でも、私にも意地があるの……ダイの記憶を全部不要な物だって消し去ってしまうような相手に退いたら、私はダイの家族だなんて言う資格は全部無くなっちゃう。どんな手を使ってでも、バランに自分のしたことを謝らせてやるわ」

 

だが育ての親という絆を持つ少女の想いは、バランとの肉親という繋がりよりもずっと強い。その絆を知る仲間たちは、チルノの言葉に押し黙ってしまう。

 

「それに、私の得体の知れなさはよく知っているでしょう? 大丈夫よ、みんなが勝って助けに駆けつけてくれるまでの時間なら食い下がれる程度には自信もあるし、手段もあるから」

 

その言葉は嘘であり、同時にある意味では真実だった。

バランが本気を出せば、仲間達の誰もがまともに戦えるはずがない。彼らは知らないだろうが、(ドラゴン)の騎士には闘いの遺伝子と呼ばれる、歴代の騎士達の戦闘経験を引き継いでいく能力がある。

その能力によって、個人としては初めて見る技術や呪文であったとしても、まるで熟練者のように最善の対処が可能となる。そして、この世界に存在するそれらを扱うポップたちでははっきり言って分が悪い。

だが、異世界の力を行使するチルノならば、(ドラゴン)の騎士の経験を上回る事が出来るかも知れない。

という賭けである。自信の根拠はその程度。これ以上の奥の手があるわけでもない。

 

「……わかった」

「クロコダイン!?」

 

誰が聞いたとしても疑わしく思える言葉を、だが最初に頷いたのは意外にもクロコダインであった。

 

「その言葉を全面的に信じたわけでは無い。だが、今は問答をしている時間も惜しいのだろう? それにチルノが心配ならば、オレたちがさっさと敵を倒せば良いだけだ」

「ありがとう。でも、竜騎衆はバラン選りすぐりの強者揃いよ。さっさと倒せるなんて慢心は絶対に捨てて。私が伝えた情報以外の奥の手があっても不思議じゃあないから……」

 

申し訳なさそうに言うと、ヒュンケル達が口を開いた。

 

「……戦いで未知の技を受けるなど、当たり前のことだ。そもそも戦いは不平等なものでしかない」

「ああ、その通りだ。それに竜騎衆はオレたちの戦い方を知っていてもおかしくは無いだろう? お前の情報でその不平等が多少なりとも是正されたのだ。感謝こそすれど、恨む様なことがあってたまるものか」

 

二人の言葉にチルノは涙があふれ出しそうだった。

武人として、敵の手の内を事前に知るのは彼らの矜持を傷つけるのではないか。竜騎衆の事を話ながら、それがずっと気になっていた。だが彼らは、そんな彼女の心を汲んでくれたのだろうか、そう言ってくれた。

 

「それと、もう一つ」

 

少女は気が重そうにそう呟いた。

 

 

 

「出して! ここから出してよぉ!!」

 

地下牢の中に閉じ込められたダイが、泣きそうな顔をしながらチルノ達に訴えかける。だが、今ダイを助ける訳にはいかなかった。

 

「い……いくらなんでも、牢屋に入れなくても……」

「しかし、ここがこの城で最も地下深く堅固な場所です」

「で、でも……」

 

ダイを守るために、牢屋に入れる。正直に言って、チルノはこの選択肢を選びたくは無かった。見た目だけでもあまりにも可哀想であり、バランを相手にしてはこの程度の妨害などあってないような物だろう。

 

「……私だって、こんなことしたくない……」

 

だがそれでも、やらないよりはマシだ。自分にそう言い聞かせながら、少女は喉の奥から声を絞り出す。

 

「でも今の……私の絆だと、紋章を持つという共通点を持ったバランを親と思ってついて行ってしまうはず……悔しいけれど……」

「チルノさん……そ、そうですよね……一番辛いのは……申し訳ありません」

 

記憶を失ったダイにしてみれば、同じ(ドラゴン)の紋章を持つバランこそが親と考えて間違いないだろう。幾ら多少なりとも絆が残っていても、それは無意識レベルに近い。紋章という動かぬ証拠の前には、容易く覆される可能性が高い。

自分が積み重ねてきた絆など無意味だったと、そう遠回しに証明されているような気分だった。

 

「ううん……情けない姉だって、笑われても仕方ないって思ってるわ……」

 

自嘲しながら、牢屋越しの弟へそっと近寄る。

 

「おねえちゃん!! 出して、ここから出してよぉ!!」

「おねえちゃん、か……」

 

この二日で、何度そう呼ばれただろうか。その言葉を聞くたびに、チルノの小さな胸が締め付けられる。だがその痛みに構っているだけの余裕もない。

 

「ダメなお姉ちゃんでごめんね……本当なら、こんな結果になるはずじゃなかったのに……」

 

ダイの手を優しく握りしめると、チルノはそう囁いた。

 

「ダイ、よく聞いて。もしかしたら、次に来るのは私たちじゃなくて、額に竜を象った紋章のある男が来るかも知れない」

「男の人……? その人なら分かる! ぼくを守ってくれる人だよ。今もこっちに来てくれてるんだ」

 

紋章を通じてバランのことを感じ取っている。その様子をまざまざと見せつけられ、全員が一瞬言葉を失った。

 

「そう……もしもその人が来たら、私たちはもうあなたには会えないの」

「え……そんなのヤダよ! おねえちゃんと会えないの!?」

 

バランが迎えに来るのがどういうことか分からないダイは、チルノに会えないという単純なことだけに反応して悲しむ。

 

「そうなったら、もう私のことは忘れてもいい……だけど、みんなのことは、ちょっとだけでもいいから、覚えておいてあげてほしいの」

「みんなのこと……?」

「ブラスおじいちゃんに、ゴメちゃん。スラリン。レオナたちパプニカの人達。アバン先生にポップにマァムにヒュンケル。クロコダインやロモスのみんな……今まであなたが出会ってきた全ての人達のことを……」

「そんなこと言われても、ぼく覚えてないよ……」

 

覚えてない。その言葉をチルノは首を横に振って否定する。

 

「覚えてなくても、あなたは勇者としてみんなと関わって、そして助けてきたの。あなたが忘れても、助けられた人達はみんな覚えてるわ」

「そんなことないよ。ぼくが勇者でみんなを助けたなんて……」

「ダイ君!!」

 

否定しようとしたダイの言葉を、レオナの叫び声が無理矢理割り込んだ。

 

「何を弱気なことを言ってるのよ!! 小さくても勇気があって明るくて、まっすぐで、元気いっぱいすぎてチルノのことを困らせている……それが本当のキミの姿なのよ!! 今みたいにビクビクした姿なんて、ダイ君じゃない!!」

「そ、そんなことないよ……」

 

レオナの剣幕に怯え、チルノの手を強く握りしめる。その姿すら情けなく感じてしまい、レオナは更に口を開く。

 

「それにキミが感じている、守ってくれるって人は、本当は敵なのよ!! キミの心からあたしたちとのかけがえのない想い出を全て奪った許せない敵なの!! 本当のキミなら、そんなヤツが来るのに今みたいな態度なんて絶対にしない!!」

「レオナ……」

「戦って!! ダイ君!! 戦って自分で取り戻すのよ!! 思い出と勇気を! かけがえのない絆を……!!」

「ゆうき……きずな……」

 

だがレオナの悲痛な叫びすらも、今のダイには届かないようだ。俯いた姿を晒す。

 

「……もういいわ。みんな、行くわよ!!」

「ああ……」

「心得た!」

「お、おい姫さん!?」

 

その姿に愛想が尽きたとばかりにレオナは立ち上がり、クロコダインたちを伴って出陣しようとする。だが去り際に彼女は、チルノへ向けて小さな声でこう伝えた。

 

「チルノ、あなたは優しいおねえちゃんでいなさい。怖いおねえちゃんは、あたしが引き受けてあげるから」

 

レオナが何を言ったのか、それが理解できずに一瞬呆けてしまう。理解した瞬間に振り返り視線でレオナを追うが、もうその頃には背中しか見えなかった。だがいつもよりも少しだけ下を向いたようなその姿勢から、どんな気持ちなのかはよく分かった

 

――ごめんなさい、レオナ……余計な気を遣わせてしまって……

 

あえて損な役回りを買って出てくれた親友の行動に、チルノは勇気を貰う。

 

「ダイ……これ、借りていい……? それと、これも」

「え……そ、それって!?!?」

 

そして、予め用意してきた剣をダイへと見せる。それはベンガーナで購入した"鋼鉄の剣" に(ドラゴン)の素材で加工した剣だ。ダイが記憶を失い、剣を怖がったために今までチルノが預かっていたもの。

そしてもう一本はダイの短剣だ。キラーマシンの素材を加工して時間を掛けて作り上げた短剣。どちらもダイ専用の武器である。

 

「やだ、こわいよ……! 勝手に持って行っていいから!!」

 

だがダイの様子は相変わらずだった。鞘に収まったままだというのに剣に怯える姿は、ダイのことをよく知る者ほど痛ましく見える。

 

「ありがとう……必ず返しに戻ってくるから……だから、怖いかも知れないけれど、少しの間だけここで待ってて」

 

そう言うとチルノは腰に巻いていた短剣を鞘ごと取り外す。

 

「代わりに、コレを預かってて欲しいの」

「これは……?」

「ダイの剣を借りていくから、その代わり……かな?」

 

それはレオナから貰った"パプニカのナイフ"だ。"ダイの短剣"と同じデザイン――というより"パプニカのナイフ"を模して作ったのだから当然だが――をしており、一見すると区別が付かない。

長い間チルノが肌身離さず身につけていたそれを、ダイは武器だというにもかかわらず当然のように受け取る。

 

「それと、コレも」

 

続いてチルノは"銀の髪飾り"を取り外すと、同じようにダイへと渡す。当たり前のようにそれらを受け取ったダイは、手に持ったナイフと髪飾りを見つめながら呆然としていた。

 

「それじゃあ、行ってくるわね……ナバラさん、メルル。ダイのこと、よろしくお願いします」

 

二人へ深々とお辞儀をすると、チルノも遅れてレオナ達を追って外へと向かった。

 

厳しいときに、言いにくいことであってもきちんと言ってくれる者こそ、本当に相手のことを想っているのだろう。ならば、あのような行動を率先して行えたレオナこそ、ダイのことを本当に想っているのだろう。

ならば、もう自分はいなくなっても問題は無いだろう。後のことはレオナに任せられる。

チルノは外への廊下を進む。その速度は、いつもよりもずっと速かった。

 

一方ダイは、手にした二つの装備をもう一度見つめていた。

"パプニカのナイフ"は、己があれほど恐れていたはずの武器である。だが何故か、これだけは恐ろしさを感じない。ナイフから漂ってくるのはダイが幸せを感じる微かな匂い。

"銀の髪飾り"など、ベンガーナで購入してからまだ一週間と経っていない。にもかかわらず、姉の温もりが伝わってくる様な気がする。

ダイは手にした髪飾りを無意識に握りしめていた。

 

 




竜騎衆とチーム戦とか、すごく……面倒です……
(でも展開的にこうならざるを得ない。ヒュンケルがいてチルノもいればポップが先走る理由も薄いからね……せめて一対一を複数にしようという苦肉の策……)

バランの相手を買って出るチルノさん。まあ、足止めだけなら……
一応、最強の足止め方法があるといえばあります。

チルノ「私のお腹には、ダイの子供がいるのよ!」
バラン「なっ……!?」
チルノ「ほら、おじいちゃんですよ~」(お腹をさすりながら)
ラーハルト「バラン様、おめでとうございます!!」(混乱中)

とやれば、多分足止めどころの騒ぎではないはず。
(ヤりませんけどね)


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LEVEL:45 激戦! 竜騎衆!! 前編

「出迎えご苦労、という雰囲気ではないようだな……」

 

ドラゴンに跨がったまま、バランはチルノたちを見下ろす。彼の背後には、ガルダンディー・ボラホーン・ラーハルトの三人がそれぞれ、自身の愛馬ならぬ愛竜に騎乗している。

アルゴ岬にて竜騎衆を呼んだバランは、テラン王国までの道のりをドラゴンに載って駆け抜けてきた。付き従う竜騎衆たちも同様だ。

それなりに長い距離にもかかわらず、誰一人としてその疲労を感じさせないのは、それだけでも彼らの強さの一端を窺わせる。

 

対するチルノ達が陣取るのは、テラン王城から少し離れた場所。例え戦闘になったとしても余波もギリギリ届かないだろうという位置だ。元々ナバラの占いで敵が進む方角が分かっているのだから、網を張るのは簡単な事だった。

 

「だが、一応言っておこう。大人しくディーノを渡せ」

「驚きね……そんな手勢を連れてきて交渉をするつもりだったなんて」

 

バランの強気な物言いに対して、チルノは小馬鹿にしたような態度で応じる。その行動に一瞬バランが怒気を纏わせる。

 

「そもそも竜に乗ったまま交渉なんて、馬鹿にしているのかしら?」

「……なるほど、一理ある」

 

だがその怒気もすぐに霧消した。チルノの言葉に素直に頷き、バランはドラゴンからひらりと体重を感じさせないほど軽やかに降り立つ。

 

「バラン様……!?」

「構わん。お前達も降りろ」

 

ラーハルトが疑問の声を上げるが、バランは取り合わない。簡潔に下された命令に従い、竜騎衆達はそれぞれの竜から降り立つ。

だがどこか満足していないような表情を見せる三人に向けて、バランは言う。

 

「最低限の礼儀は弁えるべきだ。そうでなければ己が誇りすら失う」

 

そして、口元に笑みを浮かべた。

 

「いかに相手が、滅ぼすべき人間が相手であろうと、な」

「なるほど……さすがはバラン様……」

 

その言い方から、バランの持つ絶対の自信が覗えた。竜騎衆までもを連れてきたのであれば、今の自分は決して遅れを取ることは無い。とそう言っているのだ。

その遠回しな表現に気付き、チルノは余裕の現れだと冷静に分析する。

 

「さて、これで満足か?」

「ええ……でも、何度聞かれても答えは"いいえ"よ。姉として、弟を見殺しにするような真似ができるものですか!」

 

バランの言葉に"姉"という言葉をことさら強調しながら、叩きつける。その言葉を聞いて、竜騎衆たちははっきりとした動揺を見せた。

 

「姉、だと……!?」

「まさか……!?」

「バ、バラン様! もしやこの娘も!?」

 

予想通り、というべきだろう。詳細な人間関係を知らぬ竜騎衆たちは全員が揃って同じ勘違いをする。すなわちダイ以外にもバランの子がいたのでは無いかという誤解だ。

だが当人達からすれば、迂闊にも傷つけるような真似など出来るはずも無い。動揺させられ、親子同士仲違いをしているのだと勘違いさせられれば御の字。そう考えていた。

 

「いや。この娘は我が子でも何でも無い。ただディーノの姉を気取っているだけだ。構わん、まとめて叩き潰せ」

「な、なんだ……驚かせやがって……」

 

ガルダンディーが汗を拭う。

せっかく生じたはずの動揺も、バランの冷徹な一言ですぐさま沈静化してしまう。劇的な効果を期待していたわけではないとはいえ、これだけあっさりと無効化されるのは逆に辛い者すら感じる。

 

「さて、交渉は決裂か? ならば……」

「待てバラン!」

 

一斉攻撃命令を出そうとしたバランよりも早く、剣士が声を上げる。

 

「……ヒュンケル、か……お前も来ていたとはな……」

「ああ、あいにくと野暮用で前回の戦いには参加できなかったがな……おかげでこの数日、随分と歯痒い想いをさせられたよ……」

 

前回の戦いでは影も形も見えなかった男が今回は参戦していることに若干の驚きを覚えつつバランは告げる。ヒュンケルもまた、事のあらましを聞いているがために忌憚ない言葉で応じる。

 

「ほう……お前がいれば、前回の戦いに勝利できた、とでも言いたいのか?」

「いや、違う」

 

あの場面にさらにヒュンケルがいれば、より苦戦は免れなかっただろうとバランは推測する。だがその予想は他ならぬヒュンケル本人によって否定された。

 

「バラン! 人間を滅ぼす事など間違っている! なぜならば……」

「ゴチャゴチャうるせぇなぁ!!」

 

だがヒュンケルの言いかけた言葉は、ガルダンディーの怒声によって無理矢理中断させられた。

戦いを前にして長々と話をすることに苛立ちが限界に達したようだ。元々竜騎衆たちは、バランがダイを奪還するまでにチルノ達を叩き潰すよう命令を受けている。特にガルダンディーは性格上、人間を軽視しており命を奪うことになんら痛痒を感じていない。

 

「バラン様、こいつらは敵なんでしょう!? どんな事情があろうが、敵なら殺す! 違いますか!?」

「ふむ……それもそうだな。竜騎衆よ、邪魔な人間と裏切り者たちを倒せ」

 

邪魔者を消し去る。ともすれば歪んだその思想ではあるが、今のバランには追い風でもあった。もはや語る舌すら持たない。語るべき事は前回に全てを口にしたのだ。バランの中ではそう結論が出ている。

 

「そう来なくっちゃ! なぁに、人間と裏切り者たちなんざオレ一人でも……」

「ガルダンディー……」

 

戦闘命令を耳にして、鬱憤の溜まっていたガルダンディー今にも飛びかからんほどの意気込みを見せた。だがそれは、バランの一言で瞬く間に止められる。

 

「出立前にも告げたはずだ。舐めて掛かるな、と……」

 

それはたった一言でしかない。

だが恐ろしく冷静な、それでいて腹の底にまで響き渡るような声だった。幾つもの視線をくぐり抜けた武人にしか発することの出来ぬ、威厳のある言葉。

散漫になりかけていたガルダンディーの意識が、その一言で引き締まる。いや、ボラホーンとラーハルトもだ。決して油断していたわけではない。だが今までの精神は言うなれば戦闘準備中といったところか。

それがバランの一言で瞬く間に、戦闘態勢が整う。

 

「わ、わかってます。敵には確実な死を。決して無様な姿などお見せしません!」

 

――これだから厄介なのだ。とチルノは心の中で毒づく。

格下を相手に油断する。勝利を積み重ねることで慢心する。それは誰しもが避けて通る事の出来ない道だ。特にガルダンディーはその傾向が強い。人間を見下しきっている。

本来の歴史でも相手をしたポップが勝てたのは、この油断のおかげが想像以上に高いと思っている。

だが今は、これ以上睨まれることのないように必死で主のご機嫌を取ろうと尻尾を振っているかのようだ。

 

「それでいい……竜騎衆よ、改めて命令する。やれ!」

「「「はっ!」」」

 

主の命に、竜騎衆達はそれぞれ動きだす。

 

「待て! バラン!! まだ話は……くっ!!」

「仕方あるまい! オレたちも戦うぞ!!」

 

話すら聞かず、有無を言わせぬバランの態度に歯噛みしながらも、ヒュンケルもまた剣を構える。クロコダインも斧を手に、ポップは緊張の面持ちで杖を掲げて、それぞれが事前に決めた相手へと襲い掛かる。レオナはその三人から等間隔の場所へと移動し、誰のところにでも何時でも援護が出来るように備える。

 

そしてチルノは、バランの眼前から動くことはなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「なるほど……」

 

ポップ、ヒュンケル、クロコダイン。それぞれが竜騎衆達に攻撃を仕掛ける。一対一ということに多少訝しむものの、竜騎衆たちは選りすぐりのエリートだ。即応し、それぞれの相手を始めていた。

 

「竜騎衆を一人ずつ抑える……大方、クロコダインとヒュンケルが勝利し、あの少年は時間稼ぎのための捨て石。その後、残った一人を倒してから私と戦う、といったところか?」

 

その動きを見ながら、バランはチルノ達の狙いを推測する。バランの狙いは、ポップを囮に使うという一点を除けば、概ね正解だ。

 

バラン達がテランに到着するまでの間、チルノは本来の歴史からの知識を駆使して、少々アドバイスを伝えている。とはいえ、付け焼き刃の生兵法だ。どこまで効果が発揮できるかは分からない。

それでもチルノは竜騎衆たちを相手に、それぞれが全勝すると信じている。

 

「その策は分からんでもない。だが、随分と残酷な策だな……そして何より、貴様程度で私の相手が出来ると本気で思っているのか?」

「当然でしょ? ……スラリン(・・・・)!」

「ッ!?」

 

相棒のスライムの名を高らかに呼ぶ。その名を耳にした途端、バランの動きが微かに止まった。それは、前回の戦いにおいて最もあり得ない動きをした忌まわしきスライムの名だ。

眼前の少女が再びその名を口にするということは、また何かあり得ないことをやってくるかもしれない。

 

だが、予想に反して何も起こることは無い。

ただ一人の少女が薄く笑みを浮かべただけだ。その意味に気付いた時には遅かった。

 

「【マイティガード】!!」

 

バランの隙を突いて、チルノは耐物理攻撃・耐魔法攻撃を兼ね備えた防御結界を全員に張る。これで勝率が――特に前衛職業ではないポップなどは――格段に上がっただろう。

 

「貴様……!!」

「さすがの(ドラゴン)の騎士も、スライムの恐ろしさが身に染みたみたいね」

 

やられた、とバランは胸中で吐き捨てる。

前回の反省を踏まえ、警戒しすぎが仇となったのだ。そのせいで、チルノ本人が動けるだけの隙を与えてしまった。

本物のスラリンは、ゴメちゃんやメルル達と共に地下牢にいる。あり得ないことだが、バランがそれを知っていればこんな失態を犯すことはなかっただろう。

 

薄絹のような結界が全員に生み出されたのを確認して、チルノは大きく息を吐く。

効果が強大なだけに、マイティガードの魔法は消費も大きい。ヘタなタイミングで使えば発動前にバランに潰されかねないため、スラリンの名前に引っかかるかは彼女にしても賭けだった。だが、まずは一勝。これでバランが少しでも冷静さを欠いてくれれば、それだけ付け入る隙も大きくなるはず。そう考えていた。

 

「今のはおそらく、スクルトのような補助呪文といったところか……」

「…………ッ」

 

バランの言葉に、今度はチルノが驚かされる番だった。

発動した魔法の効果など、バランが知るはずもない。というより、詳細を知るのはチルノだけだ。だが、似たような呪文はこの世界にも存在する。発動させたタイミングと現在の状況から効果を推察するなど、百戦錬磨のバランにとってみれば容易いことだ。

 

「だが、その程度で差が埋まるとでも思ったか?」

「いいえ、ぜんぜん」

 

射貫くようなバランの視線を受けながら、自分の持ち得る技や魔法の全てが見透かされているのではないかと錯覚に陥る。そんなことはあり得ないと自身へ言い聞かせながら、片手に握りしめていた剣を抜き放つ。

 

「その剣は……」

「そうよ。借りてきたの」

 

見覚えのある武器に思わずバランが反応する。

その手に持つのは、先日の戦いでダイが持っていた剣だ。チルノがダイのために手を加えた世界に一振りしか存在しない武器である。

 

――今だけでいい……少しだけでいいから、力を貸して!

 

彼女が得意としているのはどちらかと言えば取り回しの良い短剣だ。だがこの剣を使うことで、少しでもダイと共に戦っていると信じられる。

今はただ迷子になったままのダイの魂と共に立ち向かっているように感じられた。

 

「ぬぅん!!」

「うっ!?」

 

だが剣の腕前では、バランの方が圧倒的に上だ。チルノからすればいつ抜刀したのか分からないほどの速度で剣を抜き放ち、バランは振り下ろしてきた。視界の端のギリギリでそれを捕らえたチルノは、全細胞を総動員させるほど慌ててその攻撃を受け止める。

すんでの所で一撃を受け止められたことを確認して、チルノはその結果に疑問を持った。

 

剣の腕前では圧倒的に差があるはずなのに、バランの一撃を防げたことに。

 

「正直に言おう……」

「……?」

「貴様にはディーノを育てたという一応の恩義がある。それに貴様は女だ。女を殺すのは忍びない」

 

そこまで口にするとバランは剣を捻り上げ、強く弾き飛ばした。剣同士がぶつかり合う金属音が鳴り響き、チルノは身体ごと吹き飛ばされる。幸いにも倒れる事は無かったが、バランとの距離は開いた。

 

「ディーノを渡して、今すぐにここから去れ! 故郷の島へと戻り、二度と我々の前に姿を見せること無く隠れ潜むと言うのなら、私の口添えで見逃してやる! そこで、我々が人間を滅ぼす様を眺めているがいい」

「なっ……」

「人間一人ならば百年と待たずに絶滅するのだからな」

 

なるほど、先の一撃は様子見。バランなりの最後の情けといったところか。そしてそれは、とても甘美な誘いに思えてしまう。たとえ全世界の人を犠牲にしてでも、自分だけは助かりたい。そう思ってしまうのもまた、人なのだろう。

 

だが、バランの言葉が何の意味も持たないことをチルノは知っている。

何より、ここでその言葉に従うのは過去の自分が許さない。彼女は既に、今まで隠し続けてきた手札を晒すことを決意している。

 

「……【ファイラ】」

 

バランの言葉に、炎の魔法で返答を返す。だが、攻撃目標はバランでも竜騎衆でもない。

 

「……あれは、悪魔の目玉か? 何のつもりだ? 我々の目を潰したところで、今更何の得がある?」

 

目標としたのは、近くで戦いの様子を窺っていた悪魔の目玉だ。吹き荒れる炎に巻き込まれ、目玉の化物は瞬く間に絶命する。

だがバランにはチルノの狙いが読めない。抗うのならば、バラン本人に攻撃を仕掛けるはず。自身が口にしたように、今更伝令役たる悪魔の目玉を屠る意味が分からなかった。

 

彼女の狙いが、大魔王へ情報が伝わることの阻止であることなど、分かるはずも無い。

 

「バラン……貴方は本当に、その選択で後悔しないのね……?」

「……何が言いたい?」

「ダイの記憶を消して、自分に都合の良い記憶だけを植え付けて父親ゴッコをして、奥さんに誇れるのね?」

「貴様ッ!!」

 

亡き妻を愚弄されたことで怒りの感情が一瞬で湧き上がる。反射的に攻撃を仕掛けようとするが、それよりもチルノの言葉の方がずっと早かった。

 

「地上の全てが文字通り消え去り、強さだけで全てが決まる世界を自分の理想郷だってダイに胸を張って言えるのね!?」

「……なに?」

 

それは、湧き上がったはずの感情が一瞬で萎むほどの衝撃だった。思わずバランが聞く姿勢になってしまうほど。それを見て、チルノは更に言葉を続ける。

 

「それがバーンの真の望みよ。貴方たちが聞いているのは偽りの目的。地上に六つの黒の核晶(コア)で六芒星を描いて発火させて、その全てを消滅させる。人間も魔物も竜も魔族も。そして地上には巨大な穴が開き、太陽はそこから差し込んで魔界を照らす」

 

それは、バーンとその側近であるミストバーンにキルバーンを除けば、この地上では知る者は決して存在しないはずの情報だ。だが本来の歴史を知るこの少女は知っている。

魔王軍と呼ばれ、地上を征服しようと集まっている者たち全てをバーンは謀っている。

 

「それが終わったら、次は天界に攻め込むでしょうね。魔界を冷遇した神々を憎んでいるバーンにしてみれば、神は怨敵の一人。そして悲願を成就させたバーンには多くの魔界の実力者たちが付き従う。バーンの号令に従い、魔界と天界との戦争が繰り広げられ、勝っても負けても今とは比較にならないほど多くの血が流れることになる」

 

チルノの話を、バランは特に何も言うこと無く聞いていた。否定するわけでも肯定するわけでもない。ただ鋭い目をしたまま淡々と聞き続けている。嵐の前の静けさのような恐怖を背筋に味わいつつ、だがチルノは言葉を止めない。

 

「これがバーンの真の目的……これでもまだ、バーンの事を信じられる? それともバラン、貴方が止めてみせる? 今のバーンは(ドラゴン)の騎士を凌駕するほど強大な力を持っているわよ」

 

全てを語り終え、バランに答えを投げかける。

だがそれでもバランは口を閉ざしたまま、静かに時間だけが過ぎていく。

 

「…………なるほど。そういうことか」

 

それからどれだけの時間が過ぎただろうか。ようやくバランが口を開いた。

 

「よく出来た作り話だ。それを聞かせ、私を騙して引き入れる。そうでなくとも、時間を稼ぐ……それが貴様の策か?」

 

バランが導き出した答えは、否定だった。

 

「……そう、よね……そっちの立場から見れば、そう見えるわよね……」

 

人は、自らが信じたいものを信じるという。例え真実であっても、不都合なものからは目を背けてしまう。ましてや今のチルノの話を証明する物など何もない。幾つか、バランしか知らない事実を語る事は出来るが、その全てが今の話と直接結びつくわけでもない。

 

なにより、今のバランを止めることが出来るだけの決定的な手札とはなり得そうもない。

 

「そのような姑息な策に頼るとは……ほとほと見下げ果てたわ!」

「……その、雷は……!!」

 

それはギガデインの呪文だった。バランが操り、その雷撃を自らの持つ剣へ纏う。

今のバランが抱く感情は怒り。それを表すかのように、彼の額の紋章もまた強く輝きを放っている。

 

それを見ながらチルノは、性急に事を運びすぎたかもしれないと後悔する。だが今以上の妙手など、彼女には思いつかなかった。

彼女が知る本来の歴史で問題なかったのだから、この世界でもきっと大丈夫なはず。そんな甘い考えに頼る様な真似は二度としたくない。命を捨てれば奇跡が起こり、死者すら蘇る。仮に、そんな絶対の保証があれば、幾らでも知恵を絞って見せよう。

だがそんな保証はどこにも無い。

 

さしあたっては、目の前の危機を乗り越えなければ未来も何もあったものではない。

 

「以前の様な真似が通じるとは思わんことだ。少し考えれば、対処方など実に容易い。無力化される前に、貴様に叩き込めばいい!!」

 

そう叫びつつ、バランは斬りかかってくる。

ラスピルの魔法で魔法剣を無力化するには、ある程度の時間が必要だった。(ドラゴン)の騎士の呪文を一瞬で霧散させるのは、今のチルノの実力ではまだまだ厳しい。

妙な手段で対処されるよりも早く攻撃をするというのは、最も単純かつ合理的な回答だ。

 

バランの動きを見たチルノも慌てて剣を構え、魔法を唱えようとする。

 

「遅い!」

 

だが(ドラゴン)の騎士の動きは、その程度の反応など易々と上回る。剣で受け止めようとするチルノであったが、僅かに間に合わない。そもそも剣で受け止めれば防げるようなチャチな技では無いのだ。

 

「ギガブレイク!!」

 

バラン最強の一撃が放たれた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ぬおおおおおおっ!!」

「がああああああああっ!!」

 

海の王者と獣の王。二人の王が、それぞれ激闘を繰り広げていた。

かたや鎖の付いた巨大な錨を武器として振り回せば、もう片方は"真空の斧"と呼ばれる巨大な斧を振りかざしその一撃を受け止める。ただぶつかり合っただけでも凄まじい轟音が鳴り響き、動き回るだけで大地が揺れているかのようだ。

 

クロコダインとボラホーン。

竜騎衆でも最大の巨体を持つ者と、勇者パーティで最も巨大な体躯を持つ者。そのどちらもが己の肉体と怪力を駆使した、超重量級の戦士である。

その二人が互いにぶつかり合えば、この状況は必然だった。

それぞれが己の肉体の望むがままに武器を振るい、多少のダメージなど物の数ではないとばかり暴れ回る。

たとえこの場で二匹のドラゴンが命がけの戦いをしていたとしても、この二人の戦いを前にしては矛を収め、場を譲っていただろう。

 

「どうした!? 天下無双の怪力とやらはその程度か!!」

「ぐぐっ!! おのれえええぇぇっ!!」

 

だが当初は互角の打ち合いに思われた戦いも、時間が経つにつれて天秤が片方へ向けてゆっくりと傾いていった。

クロコダインの攻撃を受け止めるたびにボラホーンは少しずつ押されていき、反撃へと転じる速度が遅くなっていく。反対にクロコダインはボラホーンの攻撃を余裕を持って防ぎ、少しずつ獲得した優位性を殺すことのないよう、更に強烈な力を持って攻めていく。

 

その一撃を防ぐたびに、ボラホーンの腕には鈍い痛みと痺れが少しずつ走っていた。この結果は、単純に二人のパワーの差を表していた。重量もそう変わらない相手同士が互いに正面から押し合えば、力の強い方が押していくに決まっている。

それと同じように、ボラホーンの腕力ではクロコダインの攻撃を受け止め切れず、防御の上から少しずつダメージが蓄積していた。

言うなれば、完全なるジリ貧状態である。このまま同じことを続けていては、ボラホーンがクロコダインを上回ることはまずあり得ない。

 

「そらああああっ!!」

「ぐぅっっ!?」

 

ボラホーンの蓄積したダメージが遂に限界を迎えた。クロコダインの斧の攻撃を受け止めきれず、武器を手にしたまま右手が大きく弾かれた。衝撃は右手だけに留まらず、ボラホーンの巨体を大きく揺るがし、バランスを崩す。

クロコダインから見れば絶好の機会。これを逃すなどありえない。ボラホーンの肉体を断ち割らんと再び斧を翻す。

 

「なんのっ!!」

「むぅ!?」

 

その一撃を受けるわけにはいかんとばかりに、ボラホーンは凍てつく息(コールドブレス)を口から放った。不格好なのは百も承知であったが、ここでむざむざと負けるなどボラホーンの矜持が許さない。

彼の凍てつく息(コールドブレス)は必勝の技でもある。マヒャド級の威力を備えたブレスは、いかに不格好な体勢であろうともその威力を損なわない。

自身が力で劣っているのを認めることだけが癪だと、そう考えていたときだ。

 

「カアアアアァァーッ!!」

 

クロコダインもまた大きく顎を開き、焼けつく息(ヒートブレス)を放った。それはさながら、敵が冷気で来るのならば、こちらは炎で真っ向から迎え撃つとでも言わんばかりであった。

高熱の息が氷の息とぶつかり合い、互いに熱量を削りあって消滅していく。図らずも第二ラウンドはブレス対決となった。

だがどうやら、こちらの威力は同等らしい。本来の歴史ではポップのメラゾーマを無力化したはずの凍てつく息(コールドブレス)も、クロコダインのブレスを上回ることはなかった。

 

「な……」

「なるほど、聞いていた通りだな」

 

不意打ち気味に放ったはずのブレスを易々と防がれ、あまつさえ「聞いていた通り」などという聞き逃せない発言にボラホーンは我が耳を疑う。これまで竜騎衆の一人、海戦騎として常勝を誇っていた男に、この現実は少々受け入れがたいものがあったようだ。

 

「むぅん!!」

「ぬぐぐぐ……っ!!」

 

だがクロコダインにしてみれば、そんな気持ちを慮る必要などない。再び斧を振るい、ボラホーンを得意の力で追い詰めていく。勿論ボラホーンもなすがままにされるわけではないのだが、既に格付けは済んでいる。

つばぜり合いのように、受け止めたはずの斧によってぐいぐいと攻撃を押し込まれていく。

 

「このまま押し切らせて貰う」

「ぐぐ……ふん……馬鹿めが!!」

 

だが不利な体勢となったまま、だがボラホーンは不敵に笑った。それを見て今度はクロコダインが訝しむ番だった。チルノから聞いた話では、これ以上の隠し球は無いはず。ならば誰もが知らぬ情報かと判断し、気を引き締め直す。

 

「来い!! コイツを殺せ!!」

 

ボラホーンの叫び声に、初めクロコダインは何を言っているのか理解できなかった。だがその言葉の意味もすぐに分かる。

二人から離れた場所で待機していたガメゴンロードが、地響きを立てながら襲い掛かってきたからだ。先の言葉は、この竜への命令だったのだ。

 

ガメゴンロードは、見た目は凶暴な亀としか言いようがない。だが亀の持つ鈍重そうなイメージとは異なり、予想を超えた素早さで駆けてくる。そもそも竜騎衆が駆る他の竜たちに遅れることなく併走し、テランまで来るほどの速度を有しているのだ。決して遅くない。

 

そして、幾ら力で負けているとはいえ、ボラホーンを相手にしながらガメゴンロードの相手にまで手が回るはずもない。ボラホーンの相手をするかガメゴンロードの相手をするかの二択、どちらか選べばもう片方に良いように蹂躙されるということだ。

中々有効な戦術と言えるだろう。

 

――クロコダインが相手でなければ。

 

「そういうことか」

「何を強がりを……」

 

どんな奥の手が飛び出すのかと期待したはずが、蓋を開けてみればこの程度である。落胆しつつもクロコダインは斧を持ったままボラホーンに攻撃する(・・・・)

 

「フン!」

「ぐふ……っ!?!?」

 

自身の腹に突如として襲い掛るのは、大槌で殴り飛ばされたような衝撃。ボラホーンは一瞬何が起こったのか分からなかった。反射的に視線を下に向ければ、そこにはクロコダインの尾があった。

 

そもそもボラホーンには尾が無い。トドマン種族には存在しているのだが、彼だけは突然変異による物なのか、それとも何か別の要因があるのか詳細は不明である。とあれ、尻尾を持たないことだけは確かなことだった。そして、尾を持たぬが故に失念していた。

 

しまった!! そう気付いた時にはもう遅い。

 

ただ尻尾を叩きつけられただけであるが、バカにしたものではない。クロコダインの尾は鞭のように柔らかくしなり、それでいて丸太のような太さと強靱さを兼ね備えている。そんな物を意識の外から叩きつけられたのだ。あまりの衝撃によって瞬間的に呼吸が止まり、全身の力が抜けてしまう。

それは今この瞬間では致命的すぎる隙であった。

 

「無粋な真似をしてくれたな!!」

 

主を助けるべく、ガメゴンロードが炎のブレスを吐き出す体勢に入った。だがクロコダインはそのようなものなど意にも介さない。一時的に弱ったボラホーンを担ぎ上げ、ガメゴンロード目掛けて全力で投げつける。

 

「ぐわあああああああっ!!」

 

狙った通り、投擲した先はガメゴンロード――それも顔面であった。そこは今まさに猛る炎が放たれたばかり。そして、一度吐き出したブレスを引っ込めることなど出来ようはずも無い。

燃え盛る炎に全身を焼かれ、ボラホーンの口から絶叫が迸った。しかしその程度で投げられた勢いは止まらず、そのまま狙い違わず顔面に激突する。

 

「ぐ……くそっ……」

 

激突した衝撃で更にダメージを喰らい、続けて受け身も取れぬまま地面に激突する。だが仮にも竜騎衆に名を連ねる者である。まだまだ戦意喪失などしない。痛みを無視してボラホーンは起き上がる。彼の隣では、顔面直撃の衝撃でひっくり返って目を回している愛竜の姿があった。

コイツがヘタを打ったせいで、余計なダメージを受けた。そう考えると腹の虫がおさまりそうもない。明らかな八つ当たりだが、ボラホーンの思考はそう判断していた。

 

「ええいっ!! 役立たずめ!! 少しでもワシの役に立って見せろ!!」

 

未だ正気を取り戻していないガメゴンロードの甲羅を担ぎ上げ、クロコダイン目掛けて投げつける。目には目を、歯には歯を。投擲には投擲を、と言ったところだろうか。

 

「今度は八つ当たりか……見苦しい……」

 

凄まじい勢いと風切り音を上げながら、ガメゴンロードはクロコダイン目掛けて迫り来る。その様子は、岩石が飛んできたと錯覚しそうなほどだ。だが、クロコダインは臆することはない。

むしろ呆れたような声を吐き出しながら、殆ど亀の甲羅で埋まった視界に手をかざす。

 

「ぬぅん!!」

 

気合いの声を上げながら、クロコダインは襲い掛かるガメゴンロードを受け止めてみせた。

 

「な……バ、バカな……」

 

ボラホーンは眼前の光景が信じられず、呆けたように呟いた。

持ち上げるだけならば、実践してみせたように自分でも余裕である。だが受け止めるとなれば話は別だ。勢いがついた重量物を受け止めるのに、どれだけの力が必要になるのだろう。

受け止められたガメゴンロード本人ですら、あり得ない状況に驚き、手足をばたつかせている。しかし暴れるその勢いが伝わろうともクロコダインの巨体はビクともしない。

 

「お前の相棒だろう? そら、返すぞ!!」

「何っ!?!? ま、待て……うおおおおおっ!?!?」

 

ボールを受け止めたのだから、今度はクロコダインが攻撃する番だ――それだけ聞くとまるでドッジボールで遊んでいるようにも思えるが、現実は違う。

飛んでくるのは、人間を乗せてもまだ余りあるほどの巨大な体躯を誇る亀の化け物だ。

そして、何も投げ返されたそれを律儀に受け止める必要などない。だがクロコダインに度肝を抜かれた今のボラホーンでは、そういった考えすら浮かばなかった。

眼前に伸ばしたその腕は、受け止めようとする意思の現れだったのか、それとも迫り来る恐怖から身を隠そうとしていたのか。その理由は定かではない。

 

「ぐえっ!!」

 

わかったのは、ボラホーンは降り注いできた竜を受け止めることも避けることも出来ず、下敷きになったという事実だけだ。地面と亀の甲羅に押しつぶされて、カエルが踏み潰されたような情けない叫び声が口から漏れ出ていた。

 

「そ、そんな……こんな、こんなはずでは……っ!!」

 

普通の人間ならば間違いなく圧死、グロテスクな肉塊が出来ていたことだろう。だが彼の頑健な肉体は、これだけの目に遭っても気絶すら許さなかった。

衝撃で小さくくぼんだ地の底から力を振り絞り、ガメゴンロードを持ち上げて自分の上からどかすと、地面に手を着いたままヨロヨロと身体を起こす。受けたダメージよって彼自慢の牙は片方が折れており、左右非対称の不格好な様相を呈していた。

だがそれを気にする余裕すら今の彼にはない。まるで使い物にならなくなった愛竜を見ながら、ボラホーンは現実を否定するように言葉を漏らす。

 

自分に慢心や油断は無かったはずだ。だが、軍団長の一人であるクロコダインと戦い、こうして劣勢に立たされている。

魔王軍の軍団長になど、選ばれたエリートである自分たちが遅れを取るはずは無かったのではないか!? 話が違う!! そう叫びたい気持ちで一杯だった。

 

仮に魔王軍が結成したばかりの頃のクロコダインとボラホーンが戦っていれば、この結果は逆になっていただろう。ダイと戦い、技術の使い方を学び、信頼出来る仲間との絆を得た――劇的なレベルアップをしたクロコダインが相手だったのが敗因だった。

 

「ありえん……ありえん……ハッ!?」

 

恨みの言葉と共に這い出てきたボラホーンは、そこでようやく、日の光が翳っている事に気付いた。天気は晴れである。太陽光が届かないことなどありえない。それはすなわち、届くはずだった光を遮る巨大な何かがいることを意味している。

 

そして、この場所でそんな巨大なものなど、一つしか無いだろう。猛烈に嫌な予感を全身で感じながらも、ゆっくりと顔を上げていく。

 

待ち構えていたクロコダインとボラホーンの視線が絡み合う。

 

「ま、待て!! 話せばわか……」

「問答無用!!」

 

巨大な拳が、ボラホーンの顔面に深々と突き刺さった。上から下へ、単純に勢いよく振り下ろされた拳は残ったもう片方の牙を粉々に粉砕するだけでは飽き足らず、顔中の穴から血を流させる。

 

「貴様ごとき、もはやこの斧を使うまでもない」

 

拳を引き上げると、そこには見るも無惨な姿となったボラホーンがいた。戦闘前に見せていて余裕の表情などもはや微塵も見られない。倒した事を確認し、クロコダインはボラホーンに背を向ける。

 

「次は、せめて今の倍は力をつけてから来い」

 

もはや届くはずも無いその言葉を口にし、彼は次なる戦場を目指す。

 

 




ガルダンディーって優秀なヘイト役なんだなぁ……(他人事)

少女にギガブレイクを使うバランさん……クロコの見せ場が……

ボラホーンの扱いなんてこんなもんです。原作だと一番シーン少ない気すらします。
一応無理に頑張って評価をすれば、任務に実直な不器用すぎる男と評せなくも無い。
どんな手段を使ってもバランの命を厳守するため、人質を取ってでも勝利を優先した。
(あの場面では大怪我だしヒュンケルに勝てるかって感じでしょうから)

……いや、やっぱり無いですね。
どう考えても「調子乗りでピンチになったら卑怯な手段を使う敵」にしか見えない。
そもそも(親子関係で面倒なのに)そこまで気を回せない。
その瞬間、ボラホーンの扱いが決まりました。
何も考えずに、ただ派手に倒せば良いだけの敵って本当に素敵。

これを書いている途中、世界には色んな趣味があることを知りました。


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LEVEL:46 激戦! 竜騎衆!! 後編

「ハッ! お前みたいな雑魚がオレの相手をしようとは……笑わせてくれるぜ!」

「な、なんだと!?」

 

自身の前に立ち塞がったポップのことを頭の先からつま先まで見回すと、ガルダンディーはため息を吐いた。その安い言葉に、だがポップは過敏に反応する。しかしその反応すら、ガルダンディーにしてみれば興が削がれる要因の一つでしかなかった。

 

「事実を言ったまでだろうが? 裏切り者の元軍団長を倒せばまだハクが付くってのに、こんな人間一人殺しても自慢にもなりゃしねぇ……」

 

ポップの見た目は、どこから見ても強者という言葉が連想されるような物ではない。魔法使いという職業の為に多少貧弱なのは仕方の無いことであり、さらに悪いことに比較対象がクロコダインとヒュンケルなのだ。

その二人と比べては、ポップを弱そうに感じるのも無理は無い……というより、世界中の人間の大半が弱く見えるだろう。比較対象が間違っている。

 

他の二人の竜騎衆は、その強者の相手をしているというのに。なんでオレだけ……僅かに悲観に暮れるものの、ガルダンディーはすぐに気持ちを切り替えた。

 

「だがまぁ、バラン様からは油断するなって厳命されてるんでな! お前にゃ精々、人間って種族の限界を味わいながら死んでもらうぜ!!」

 

つい先ほどに味わった、底冷えするほどの恐怖。その時の感覚を思いだし、無様な姿など万が一にも見せられないとばかりにポップを睨みつけた。鳥人族であるガルダンディーが持つ猛禽類のような鋭い視線に射貫かれながらも、ポップも負けることはない。

 

「ふざけんな! こっちだって負けるつもりはねぇ!! メラミ!!」

 

手に持った杖を振るい、火炎呪文を浴びせかける。生み出された火球は一直線にガルダンディーへと襲い掛かっていくが、相手は軽い身のこなしでそれを回避する。馬鹿正直なだけの攻撃など、この辺りのレベルになってくるとそう簡単に当たるものではない。

 

「ヘッ、あぶねぇあぶねぇ……ルード!!」

 

そう口では言うが、その態度からは余裕がありありとにじみ出ていた。馬鹿にされていることを理解しつつポップが追撃の呪文を放つよりも早く、ガルダンディーは相棒たる空竜(スカイドラゴン)の名を呼んだ。

主が地に降りたため上空に待機していたルードであったが、その声を聞いてすぐさま降下する。反対にガルダンディーは自らの翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。

 

「逃げた!?」

「クハハハッ!! 違ぇな、こうする為よ」

 

そのまま空中でルードの上へ飛び乗ると、手綱を掴んで軽く振り回した。それが相棒への命令となり、ルードは大きく息を吸い込んだ。

 

「さあ、焼き殺せ!!」

「う、おおおおっっ!?」

 

主の命令を受けて、ルードは燃え盛る火炎を吐き出す。上空から放たれるブレスの攻撃は、地上にいるポップにしてみれば炎の壁が降り注いでくる様な物だ。少ない逃げ場を求めて必死で駆け出し、どうにか炎の直撃を回避する。

 

「汚ぇぞテメェ!! そんな場所から攻撃するなんて!!」

 

天空を悠々と舞うスカイドラゴンの姿は、端から見れば雄大な光景にも映る事だろう。だが今のポップにしてみれば、そんな呑気なことは一切考えられない。敵は距離を取り、しかも手の届かない上空から攻撃を行ってくる。

対してこちらは地上から空に向けて呪文を放たねばならない。三次元的な行動の取れる空中ならば、相手は簡単に攻撃を避けるだろう。ただでさえ強敵を相手にしているというのに、普段の戦いでは意識を裂かないことにまで注意して攻撃せねばならない。こんな不公平なことがあるだろうか。

 

怒りとやるせなさで思わず叫ぶが、ガルダンディーは涼しい顔であった。

 

「クハハハッ!! 吠えてろ吠えてろ!!」

 

彼からしてみれば、人間など取るに足らない存在でしかない。そして、これは戦いというよりも駆除という認識の方が強かった。邪魔な人間を殺すだけの行動は、害虫駆除のようなものだ。安全な場所から炎を吐いて殺すころに、何のためらいもない。

 

「そのナリから、お前が魔法使いってことはわかってんだよ! だったら、呪文も届かねぇ場所から攻撃してりゃ、そのうち死ぬだろ!!」

「そんなの、魔法使いだろうが戦士だろうが同じじゃねぇか!!」

 

手も足も届かない場所から炎のブレスを吹き続けていれば、相手がどんな職業であろうとも同じだろうと訴えるが、その言葉も今のガルダンディーにとってみれば何の痛痒も感じることはない。

 

「ハッ! やっすい挑発だなぁ!! 逆だよ、逆!! 貧弱な魔法使いだからこそ、安全な場所からちょいと焼けばすぐに殺せるって寸法よ!! そもそもお前は前座! そんな雑魚相手に無駄な労力は使えねぇなぁ!!」

 

体力のある戦士では、殺すのにもう少し手間が掛かる。場合によっては直接攻撃でダメージを与える必要があるだろう。だが肉体的に脆弱な魔法使いならば、ブレスだけで問題なく倒せる。そんな危険を冒す必要もないということだ。

完全にポップを下に見た発言である。

 

――ちくしょう!!

 

ガルダンディーの言葉を聞き、思わず心の中で毒づいた。敵が誇りを持っていれば、挑発することで正々堂々という戦い方を選択するかも知れないと、ポップは賭けていた。だが実際はまるで相手にされていないだけだった。

 

「そら、わかったらとっとと死ねよやぁ!!」

 

再びルードが鎌首をもたげ、眼下に向けて炎を吐き出した。上空から見下ろすポップの姿はまるで地を這う虫のようであり、その虫を相手に火を投げかけて追いかけ回す。その行動がガルダンディーは溜まらなく愉悦を感じる。

 

「くうぅぅっ!!」

 

飛翔呪文(トベルーラ)を使えば、ガルダンディーと同じ場所で戦うことは出来るだろう。だがそれは、逆に自らを不利に導くはずだと判断する。空戦騎と名乗っているのだ、空中戦はお手の物だろう。

そして相棒のスカイドラゴンもいる。チルノが話した事前情報によれば、ガルダンディーとこの空竜は子供の頃から一緒に育ってきた相棒のような関係だという――何故そんなことを知っているのかはさておいて。

 

そんな二人を前にして下手に空中戦を挑めば、逆にコンビネーションであっという間に殺されかねないだろう。幾らトベルーラに慣れたとはいえ、空を得意領域とする敵を相手にして押し勝てると思うほどポップは呑気では無い。

 

「ならこれだ! ヒャダルコ!!」

「おおっと!!」

 

迫り来る炎を大きく飛び退いて回避すると、その勢いを殺すこと無く立ち上がって冷気呪文を放った。だがその攻撃は、ガルダンディーが手綱を捌くことであっという間に無力化されていた。

空中を移動することで直撃など易々と避けてしまい、吐息を放つ場所を調整することでヒャダルコの冷気とぶつかり合って相殺してしまう。

比較的範囲が広いはずのヒャダルコでこの結果ということは、他の呪文であってもどれだけの効果をもたらすことが出来るのやら。

試しとばかりに放った呪文の結果に歯噛みしながら、再び天空を我が物顔で舞うドラゴンへと視線を向ける。

 

「無様だなぁ、その程度の冷気呪文でルードの炎を防ごうってのか!?」

「…………っ!」

 

ガルダンディーの挑発の言葉を聞きながら、ポップは必死で抗う術を模索する。

――問題なのは距離と位置関係だ。上空からではポップの行動の殆どが見るだけで手に取る様に分かってしまい、離れているために何か行動を起こしても余裕で反撃の手段を用意されてしまう。

 

――くそっ!! 情けねぇ!!

 

このままこの場所でやり合っていても、勝機どころか反撃の機会すらまずあり得ないだろう。そう考えたポップは、踵を返して近くの林へと駆け込んだ。

 

「おやおや~? なんだ、隠れちまうのか? オレを倒しに来たんじゃねぇのかよ!?」

 

そんなポップの行動を上から眺めながら、完全に逃げた見なしたのだろう。手綱を操るとゆっくりと後を追いかけていくようにスカイドラゴンを移動させていく。その様はまさに猫がネズミをゆるゆると痛めつけている姿を連想させる。

 

「おっと、木の陰に隠れたのか。まあ、そのくらいの頭はあるだろうなぁ……」

 

だが口ではそう言いながらも、ガルダンディーにしてみればその程度の考えは児戯にも等しいものだった。ルードとのコンビで戦っている時に、同じように遮蔽物の影に隠れた相手など無数に存在していた。

彼の中ではこの程度の抵抗など、あってないようなものだ。

 

「だが気付いてねぇのか? そんな細い木じゃ、何本用意しようとルードの炎の前にゃ、盾にもならねぇのさ!! あの街みたいに、林ごと焼き尽くしてやるよ!! クワーックワックワッ!!」

 

逃げ込んだはずの遮蔽物が壁となり、逆に追い詰められることになる。そうやって勝利を手にしたことなど、過去に幾らでもあった。今回もそれと同じことで勝利を得ることが出来るはず、そう思ってた。

 

「…………あの街だと!?」

 

隠れたはずのポップは半身ほどを見せながら、ガルダンディーへと叫ぶ。

 

「テメェ、ここに来る前に何かしたのか!?」

「あん? なんだ、気になるのか? たしか、ベンガーナとか言ったか? ちょっとしたウォーミングアップってヤツだ、目障りだったから焼いてやったのよ!! バラン様もお許しくださったぜ!! 開戦の狼煙には丁度良いってな、クハハハハッ!!」

 

その言葉でポップは思い出した。この戦いの前に、ベンガーナから火の手が上がったという連絡が入ったのだ。そのときはてっきりバランの仕業かと思っていたが、目の前の敵の仕業だったのだ。

彼とて、バランに言いたいことが無いわけでは無い。だがそれ以上に、今のガルダンディーにはもっと分かり易い怒りを感じている。準備運動代わりに人の命を奪うなど、とうてい許容できるものではない。

 

「なんだと……!? テメェ!!」

 

怒りに震えながら、ポップは頭の中で一つの対抗手段を思いついた。

ヒントはチルノが教えてくれたスカイドラゴンとのコンビネーションと、皮肉にもガルダンディー自身が口にしたベンガーナという言葉だ。今の自分ならば、下手に強力な攻撃呪文を連発するよりも有効だろう。

問題は、実行するポップ本人が少々胸くそ悪い想いをすることなのだが、先のガルダンディーの言葉でそんな気遣いはとっくに吹き飛んでいた。

 

「なぁに、どうせ人間なんざ全員滅ぼすのよ。少し早いか遅いかの違いでしかねぇ! それにお前もすぐに、あの世へ送ってやるよ!!」

 

再び大きく息を吸い込み、スカイドラゴンが強力な火炎を放った。扇状に広がっていくそれは、炎で作られた波のようだ。確かにこれほどの火力であれば、下手な樹木など飲み込んでしまうだろう。

自信ありげにしていたように、普通の相手ならば遮蔽物ごと焼き尽くして勝利を得てきたというのも十分に頷けるほどだ。

 

「バギ!!」

 

だがポップとて無力ではない。攻撃呪文やブレスの攻撃から身を守るために風を操るなど、彼の仲間が幾度となく実行していたのだ。あれだけのお手本があれば、真似ることなど容易いこと。ましてや彼は、世界一の大魔道士の弟子なのだ。

この程度は出来て当然だろう。

 

鍛え上げられた魔法力から生み出された真空の刃は、火炎の息を切り裂いて行く。だがそこまでで魔法力が尽きたのか、スカイドラゴンまでの通り道が空中にできあがっただけだ。

――目論見通りに。

 

「見えたぜ! そこだ!!」

 

自信があったはずの炎の攻撃を防がれて、ガルダンディーたちは僅かに動揺していた。驚愕に目を見開いたドラゴン目掛け、ポップは懐に入れたままの袋を思い切り投げつける。

 

「あん……?」

 

それに拍子抜けしたのはガルダンディーの方だった。

炎を防いだのであれば、次は必殺の呪文の一つでも放ってくるはず。だが実際に行ったのは、訳の分からない袋を投げつけると言う行動だった。

とはいえ、幾ら無駄に見えても敵の投げた物を無策に受けることなどありえない。何が狙いかは知らないが、この程度ならば少し身を捻るだけで簡単に避けられる。少しだけスカイドラゴンの身体を動かす。

 

「イオ!!」

 

それを待っていたのはポップも同じだ。彼は威力を抑え、代わりに速度を高めるように調節した爆裂呪文を小袋目掛けて放った。イオの光球は狙い違わず袋に激突すると、爆発して中の物(・・・)を空中一体に散布する。

 

「がっ! ゴホッ!! なんだ、こりゃ……!? くそっ、けむってぇ!!」

 

爆発と同時に噴煙が生み出され、それがガルダンディーに襲い掛かる。ただの爆発煙にしてはやけにまとわりつくそれを手で振り払いながら、一端距離を取ろうと相棒のスカイドラゴンに命令を下そうとしたときだった。

 

「ルード……?」

 

相棒から感じる大きすぎる違和感。その感覚は殺意となってガルダンディーへと襲い掛かってきた。

 

「ガアアアアアアアアアッ!!」

「ルード!? 落ち着け、何があった!?」

 

必死で手綱を操りながら言葉を投げかけて、どうにか制御しようとするがまるで上手くいかない。以心伝心と呼べるほどの相棒であったはずのスカイドラゴンは、今や殺意に満ちた瞳でガルダンディーを睨みつけ、自身の背に乗るそれを振り落とそうとすべく、空中で大暴れを始める。

 

「くおおぉっ!? し、仕方ねぇ!!」

 

そのあまりの暴れっぷりにもはや制御することを諦め、ガルダンディーは自身の翼を打ち鳴らして空へと逃げる。これで振り落とされる心配は無くなった。だが新たな問題が発生していた。

 

「ルード、止めろ!! オレがわからねぇのか!?!?」

 

空中へ浮かぶガルダンディー目掛けて、スカイドラゴンがその巨大な顎を開けて牙を突き立てんと噛みつく。相棒を傷付けたくないガルダンディーは、その攻撃をギリギリまで引きつけて避ける。その間も訴え続けるが、効果はまるで無い。

 

「すっげぇ効き目……」

 

自分でやらかした事とは言え、そのあまりの効果に思わずポップは呆然としていた。

彼が投げつけた小袋こそ、ベンガーナのデパートにて購入した"毒蛾の粉"である。その効果はメダパニ――つまり、吸い込んだ相手を混乱させて同士討ちを引き起こす。

どうやらガルダンディーには吸い込んだ量が少なかったのか、それとも耐性があったのか、効果が及ぶことは無かった。だがその相棒であるスカイドラゴンのルードでは抗うことは出来なかったらしい。

今のルードには、ガルダンディーの姿がおぞましい化け物に見えていることだろう。

 

「グワアアアッ!!」

 

相棒と呼んで差し支えない相手に襲われることは、想像以上に動揺を生み出していたのだろう。爪と牙に襲いかかれた幾度目かにて、遂に避け切れず、ガルダンディーは大地へと叩き付けられた。

だがそれだけで攻撃は終わらない。

弱り、地へ落ちた敵を前にして、スカイドラゴンは攻撃の手を緩めることなく、更に追撃を仕掛けようと突撃していく。

 

「畜生……!! 許せルード……ッ!!」

 

自らへと襲い掛かる相棒を前にして、ガルダンディーは覚悟を決めた。牙の攻撃をやり過ごしながらカウンター気味に素手の一撃を叩き込んだ。

スカイドラゴンはその空戦能力と引き換えに、ドラゴン種族の中では比較的肉体が弱い部類に入る。だがだとしてもドラゴン族の一員だ。半端な攻撃ではダメージとならないだろう。

そう考えたガルダンディーは、相棒の目を覚まさせるべく、全力の拳を叩き込んでいた。

 

「グアアアアアッッ!!」

 

絶叫と共に、スカイドラゴンが大地にその身を横たわらせる。

それは、互いに相手の事をよく知っているが為に起きた悲劇と言って良い。すれ違いざまに放たれた拳は、攻撃した本人の予想すら超えてルードに大ダメージを与えていたのだ。それは痛みで正気を取り戻すと言った範疇を大幅に超えてた一撃となっていた。

 

「ル、ルードッ!!」

 

自分の攻撃を受けて瀕死となった相棒を見ながら、慌てて駆け寄る。だが大地に倒れたスカイドラゴンはピクピクと全身を痙攣させ、ガルダンディーの言葉に反応すらしない。

 

「そ、そんなあぁぁっ!! うおおおおっ!! なんでお前が、あんまりだああっっ!!」

 

自身の手で相棒を瀕死にまで追い詰めたことが、予想以上にガルダンディーの心を蝕んでいた。涙を流しながら必死で相棒にすがりつくその姿は、人間が仲間を失った時のそれと何ら変わる事は無いように見える。

 

――これが、チルノの言っていたヤツか……

 

そんなガルダンディーの姿を見ながら、ポップは心の中でアドバイスを反芻する。弱点であると同時に逆鱗でもあり、倒せば良くも悪くも戦況が変わる。

相棒を失った悲しみと怒りを持って、今度は自分に襲い掛かってくるのだろうということは容易に想像が付いた。

だが同情することはしない。目の前の相手はベンガーナの街を焼き、ダイを連れ去ろうとする敵なのだ。

 

――そうだ! 今のうちに!!

 

「ギラ!!」

 

少女から託されたアドバイス従い、ギラの呪文を放つ。その閃熱は、未だ悲しみに苛まされるガルダンディーの頭部の羽を包み込む。

 

「なっ……!? ぐああああっ!?!?」

 

ルードにすがりついていたガルダンディーには、その一撃を回避することはできなかった。呪文で生み出された熱量はそのまま頭部の羽を燃やし尽くす。

 

「これでその厄介な羽は使えねぇだろ?」

「テ、テメェ!! なんでそれを知ってやがる!?」

 

ゆっくりと悲しみに浸る暇すらガルダンディーには与えられない。その目の端には涙を残しながらも、不意打ちをされた怒りと、自身の奥の手である二種類の羽の効果を何故知っているのかという驚きで、感情がまぜこぜになっている。

 

「ヘッ、大事なドラゴンを手に掛けたのはお気の毒だがな、お前だって何人も人間を殺したんだろうが!!」

「うるせぇ!! このルードは、オレが唯一心を通わせた兄弟なんだ!! それをよくも、ドブくせぇ人間どもなんかと一緒にしてくれたなぁッッ!!!!」

 

――おいおい、こりゃ聞いてねぇぞ……

 

ポップの言葉を聞いて涙を流しながら激昂するガルダンディーの姿を見ながら、少しだけチルノへ文句を言う。大事な相棒だとは知っていたが、ここまでの怒りを見せるのは彼にしても想定外だった。

だが、同時にチャンスでもある。冷静さを欠いた相手ならば、どんなに強い相手だろうと付け入る隙は必ずあるはずなのだ。

 

「ヘッ! ハゲ頭で何を言おうと、怖くなんかねぇんだよ!! んで、次は剣か? その腰に差してんのは飾りか?」

 

ビビりそうになる己の心を必死で押さえつけながら、余裕の笑みを浮かべて更に相手を煽ってみせる。そのポップの言葉通り、ガルダンディーは腰に差していた剣を抜き放つ。

 

「お望み通り剣だ!! コイツで切り刻んでやるよ!! 拾い集められねぇくらいバラバラにな!!」

「出来るもんならやってみろ鳥野郎!! 先にこっちが焼き鳥にしてやる!!」

 

激怒のあまり竜すら逃げ出すほどの強烈な眼光を浴びながら、ポップもまた杖を構え直してガルダンディーへと対峙しなおす。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「……なるほど。似ているというのは、やはりそういうことか……」

「何のことだ……?」

 

ヒュンケルの独白に向けて、ラーハルトは尋ねる。

 

「なに、お前達がここに来るまでの間、バランが人間を憎む理由について話し合っていたのだ。そのときに少し、な……」

「なんだと……?」

 

その言葉に耳にしてラーハルトは鼻で笑う。幾ら話し合ったところで、バランの心の痛みを理解することも、その原因を探り出すことも人間になど出来るはずが無い。そう思っていたからだ。

 

「バラン様が人間を憎む理由か……面白い、それで答えは出たのか?」

「ああ、おそらくでしかないがな……」

 

バカにしているとすら感じられる、相手を軽んじる口調だった。だがそんな態度を見せるラーハルトを無視して、ヒュンケルは続きを口にした。

 

「……アルキード王国」

「ッ!?」

 

たった一言でしかない。だがその一言を耳にした途端、ラーハルトは呼吸を忘れたように驚き、大きく動揺を見せる。

 

「バカな! 何故だ! どうしてそれを知った!?」

「あくまで推測でしかない、最初にそう言ったはずだ。だが、お前の言葉で確信が持てたよ。ありがとう」

「ぐ……っ!」

 

自身の態度が敵に大きなヒントを与えてしまった。バランに忠節を誓うラーハルトにとってみれば、それは耐えがたい屈辱であった。ぎりりと奥歯を噛み締めながらヒュンケルを睨みつける。

 

「そして、どうやら負けるわけにはいかなくなったようだ。ダイのためにも、バランのためにも、チルノのためにもな!」

「バラン様のためにだと!? どういう意味だ!?」

「オレもかつては、人間の世界に失望していた。だが、仲間達が気付かせてくれたんだ。人間の世界もそれほど捨てたものじゃ無いということを……今度はオレがバランにそれを教えてやりたい……いや、バランだけではない! お前にもだ!!」

「な……なにが、だ!?」

 

バランだけでなく、自分をも救う。そう口にするヒュンケルの姿は、ラーハルトからしてみれば未知の存在でしかなかった。その口ぶりから、推測でしかないと言っているが、バランの過去の傷のことを完全に知っているのだろうことが覗える。

そして、それを知った上でラーハルトをも救うということはどういうことかなど、容易に想像がついた。

 

「お前もまた人間の世界に絶望したのだろう? おそらくは、その特異な生まれのために迫害を受けた……違うか?」

「馬鹿な……なぜそれを知っている……?」

 

ラーハルトは魔族の父親と人間の母親との間に産まれた混血児である。だがラーハルト本人がそれを打ち明けたのはバランに対してのみ。他の者が、ましてや人間が知っているなど信じられようはずも無い。

 

「ある人物から聞いた、とだけ言っておこう……他には、お前の槍はオレが持つ鎧の魔剣とは兄弟のような物だ、とかな……」

「…………」

 

その言葉にラーハルトは押し黙る。

自分たちのことを知る人物がいると言う事実で、どう動くかを図りかねているのだろう。俯いたその姿勢を見ながら、ヒュンケルは更に口を開く。

 

「ラーハルト! オレは、お前とは戦いたくない! 今が、バランがやり直せる最後のチャンスかもしれんのだ!! お前が真にバランのことを想うのならば、頼む!!」

 

彼の精一杯の言葉であった。互いに口を閉ざしたままの時間が流れ、やがてラーハルトが重く口を開く。

 

「……鎧化(アムド)

 

それは鎧の魔槍を発動させるキーワードだった。その言葉に従い、魔槍は展開するとラーハルトの全身を包み込み、彼に鎧を纏わせる。

ヒュンケルが身につける全身鎧とはまた違ったデザイン。急所を重点的に防御しており、それでいながら動きやすさを兼ね備えた、重鎧といったところだろうか。

鎧を身につけたということは、彼の意思を改めて確認するまでもない。

 

「ラーハルト!!」

「お前なんぞに何が分かるというのだ!! バラン様もこのオレをも救うだと!? お前らなどに消せるほど、軽いものだとでも思ったのか!?」

 

槍を手にするとヒュンケルへと突きつけながら、ラーハルトはそう宣言する。

 

「さあ、鎧を纏え! そのような甘い考え、我が槍で打ち砕く!! 貴様だけではない! 貴様に余計なことを吹き込んだという相手もだ!!」

「くっ、やむを得んか……鎧化(アムド)!」

 

相手は思った以上に頑迷のようだ。既に戦闘は避けられないことを悟り、ヒュンケルもまた鎧を身に纏う。自分と似た相手と事前に知らされておきながら、説得することの出来なかった事に対する苛立ちを感じながら、ラーハルトの相手をすべく剣を手にする。

その瞬間、ヒュンケルの肉体は弾かれた様に剣を構えた。

 

「はぁッ!!」

 

剣を手にしたと言うことは、戦闘開始の合図でもある。ラーハルトはすぐさま動き、疾風のような速度で手にした槍を走らせる。穂先がヒュンケルを貫かんとする直前、無意識で動かした剣が槍にぶつかり、どうにか初撃を防ぐことに成功する。

 

「……速いとは聞いていたが、見ると聞くでは大違いだな……」

「ほぉ、オレのスピードを知っていたか。流石は元魔王軍の軍団長だけのことはある」

 

事前知識があったからこそ、今の一撃を防げたのだろう。ラーハルトはそう推察するが、実際はそうではない。彼の速度はヒュンケルの考えていたそれよりも遙かに速かった。

事前に闘気の技について学び、相手の殺気を僅かながらでも感じられたからこそ、無意識で身体が反応して防げたに過ぎない。もしも彼が闘気技について今よりも未熟だったならば、この一撃で命を落としていても不思議では無かっただろう。

 

「ならば、これも防げるか!?」

 

跳躍すると、手にした槍を大上段に掲げ高速で回転させる。

 

「ハーケンディストール!!」

 

そこから繰り出されるのは、弧を描いた衝撃波だった。

槍を振り回すことによって生み出された遠心力、鎧の魔槍の攻撃力、それらがラーハルト本人の凄まじいスピードによって放たれるのだ。組み合わさったその一撃は、生半可なものではない。

威力もさることながら、攻撃範囲を併せ持つ最強の一撃と呼んで良いだろう。大地を大きく両断するほどの衝撃波は、到底人の目に映るものではない。だが――

 

「……見切った」

「何ッ!?」

「いや、見切ったというのは語弊があるな……やはり、多少なりとも知っていると違うようだ。どうやらまた、命を救われたか」

 

何やら納得し切れないといった風体で、ヒュンケルは呟いている。

余波まではかわしきれなかったのか、多少なりとも鎧にダメージはあるようだ。だがヒュンケル本人は無傷のまま。なによりも直撃を避けられたのだ。ラーハルトにとってみれば屈辱以外の何物でもない。

そして何よりも聞き逃すことの出来ない事をヒュンケルは口にしていた。

 

「知っている、だと!? ハーケンディストールの一撃を貴様は知っていたというのか!?」

 

自分がスピードに長けた戦士だというのは、元軍団長という立場からすれば知っていてもおかしくは無いだろう。そう、ラーハルトは判断していた。

だがハーケンディストールについては話が別だ。吹聴されるような下手を打ったことなど、今まで無かったはずである。どこから情報が漏れたのかと、疑うのは当然のことだ。

 

「いや、教わったのだ」

「教わった、だと!? またそれか! そもそも貴様らの中にオレのことを知っている者がいるはずがあるまい!!」

「……いいや、確かに教わったんだ。チルノからな」

 

テラン城の外に出てバラン達を待ち構える間、ヒュンケルはもう少しだけラーハルトの技について説明を受けていた。特にハーケンディストールについては念入りに話されていた。

飛び上がり、衝撃波を放つこと。そしてもう一つは、突進しながら敵を切り裂くこと。その二種類の異なる攻撃方法から、アバンストラッシュのようにという表現を使ったこと。

そして彼女の言葉通りであった。

ハーケンディストールについて多少なりとも情報を得ることが出来れば、戦いの才能を持つヒュンケルにしてみれば、欠けた部分を想像で補うことは不可能ではなかったのだ。

そして、事前に見た神速の如き一撃から、想定していた攻撃速度を調節する。

 

その結果が、初めて見たはずの必殺技を回避するという事実となっていた。

 

「その名は確か……ディーノ様の姉などと、たわけたことを口にしていたあの小娘の名!? 馬鹿な事を言うな!」

「いや、事実だ。お前達の心の痛みを教えてくれたのも、チルノだ!」

 

自分よりも年若い少女が、どうして知っているのだろうか。そんなことを信じられるはずもない。だが事実は事実でしか無いのだ。

ヒュンケルはただただそのことを訴える。彼女から教えられたことを、そして、彼女が持つ可能性を。

 

「ラーハルト、お前は言ったな? バランの痛みも自分の痛みも、簡単に消すことなどできない! オレには消すことなど出来ないと!」

「それがどうした!」

「偉そうなことを言ったが、オレではバランに伝え切れんかもしれん……だが、チルノがいる。アイツはダイの姉であり、友であり、そして母でもあった。それだけの想いを持った者が、たとえ(ドラゴン)の騎士が相手だろうと負けるものか」

 

幼き頃より長き時間を共に過ごし、実の親よりも深い絆を結んできたのだ。時にそれは、血の繋がりよりもずっと尊い物になると、ヒュンケルは知っている。彼がバルトスに育てられたことで得た物を、損なうことの無かった二人ならば。

 

「ならば、何をするというのだ!? バラン様を前にして、何が出来るというのだ!?」

「知らん」

「なに!?」

「知らんと言ったのだ。だが、オレは信じている。人の心を、あの二人の絆を!」

 

具体的な事は何も聞かされていない。だがチルノがそう言ったのだ。ならば彼もまた、それを信じるのみだ。

 

「ふざけるな!! そのような曖昧な物など!!」

 

ラーハルトにしてみれば、それはただ盲信しているのと同じであった。散々くだらない説教を聞かされたあげくがコレでは、怒りも湧き上がろうというものだ。

ふつふつと高まる怒りを感じながら連続で槍を繰り出すが、ヒュンケルはその攻撃を一撃ごとに少しずつ対応し、避けていく。

 

「む……っ!?」

「これも教わったことだ。お前を相手に余力を残す事は難しい。避けるのなら、致命傷だけにしろ、とな」

 

凄まじい突きの速度によって衝撃が発生し、ヒュンケルの鎧を傷つけていく。だが、ヒュンケル本人は相変わらずダメージを受けぬままだ。

 

二人は知らないことだったが、この時のヒュンケルはチルノが使ったマイティガードの魔法の効果を受けていた。物理攻撃に対する結界が張られ、幸運な事にその後で鎧を纏っていた。そのため、肉体と鎧の間に結界が生じており、さらなるダメージを緩和していたのだ。それが無ければ、いかに最小限のダメージに抑えていたとしても、ジリジリと削られていたことだろう。

 

「……少しは、信じる気になったか?」

「おのれええぇぇっ!!」

 

認められないとばかりに、ラーハルトは再び槍を振るう。だがその穂先は、本人も気付かぬほど僅かではあるが、精細さを欠いていた。

 

――後は、反撃の方法だけか……そこは教えて貰っていないな……

 

魔槍に追い詰められながら、ヒュンケルはそう考えた自分を笑う。これ以上おんぶに抱っこでは、面目が立たない。強敵を前にして、彼の剣は少しずつその鋭さを増していた。

 

 




毒蛾の粉はスカイドラゴンに使う物です(DQ3のガルナの塔での稼ぎ方より)
無駄な買い物じゃないよ。最初からここで使う予定だったよ。
しかし、DQの混乱行動は作り込み凄いですよね(遊びもですけれど)
DQ4の各キャラの混乱行動とか感動すら覚えますよ。
(そのうち混乱してダークドレアム呼んだりしてくれないかなぁ(苦笑))

ラーハルトが緑川光さんの声で脳内再生されます。何故だろう?
でもあのイケボで「ハーケンディストール!」って言って欲しい……

この二人は(色々予定があるので)まだ勝負がつかないんです。
(ボラホーンは相手が悪かった)
もうちょっとだけ待ってあげてください。


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LEVEL:47 あなたへのおくりもの

「クロコダイン!」

「むっ、姫!?」

 

――時は、僅かに前後する。

ボラホーンを倒し、次なる戦場へ向かおうとしていた彼に、レオナからの声が掛かる。

 

「チルノを、チルノを助けてあげて!!」

 

そう訴える彼女の顔には、親友の少女を心配していますとありありと書かれていた。当然だろう、誰の援護も受けることなく(ドラゴン)の騎士を相手にたった一人で足止めをしているのだ。心配にならないはずがない。

 

「ぐ……っ」

 

レオナの訴えかけに、クロコダインは僅かに歯噛みした。懸念はポップである。非力な魔法使いが単身で竜騎衆と戦うなど、看過できることではない。

ボラホーンを相手にあまりに余裕で勝利したため忘れてしまいそうになるが、それぞれが選りすぐりの強者たちだ。彼とて、他の二人が相手であった場合にこれほどまで容易く勝利することができたとは思えない。

 

「……承知した!」

 

だが逡巡の末、クロコダインは肯定した。

竜騎衆は確かに恐るべき相手であるが、バランはそれ以上の怪物なのだ。加えて、それぞれが竜騎衆についての情報を持っている。簡単にやられるはずがないだろう。

戦友であるポップのことを信じ、クロコダインはバランへ向けて歩みを進めた。

 

 

 

「立て。狸寝入りなど無駄だ」

 

バランの冷酷な言葉に、チルノは身体をゆっくりと起こす。

 

「べつに……狸寝入りって、わけじゃ……ないんだけどね……」

 

ギガブレイクで受けたダメージは凄まじく、そう返してみせるだけで息も絶え絶えとなってしまう。衝撃でチルノの身体は吹き飛び、電撃のダメージと相まって少女の肉体は全身が十全に動いてくれない。衝撃で"魔道士のローブ"もボロボロになっており、あちこちが焦げ付いていた。

これでもしもまともに(・・・・)ギガブレイクを受けていれば、幾らマイティガードによってダメージを軽減していたところで命を失っていただろう。

 

――土壇場だけど、成功して良かった……

 

手にした剣に一瞬だけ視線を落として、チルノはそう安堵する。彼女が持つ剣には、【魔法剣ラスピル】の効果が付与されていた。バランがギガブレイクを使う瞬間、防御のため咄嗟に使ったものだ。

ラスピルの魔法は、相手の魔力を直接削り取る効果がある。ならばそれを魔法剣として使い、同じ魔法剣であるギガブレイクに当てればどうなるか。その結果がこれだった。

ギガブレイクの威力を軽減することに成功し、どうにか彼女は命をつなげることが出来たのだ。

 

――本来、彼女の知る世界には魔法剣ラスピルという技は存在しない。

類似するものとして、体力を吸収するドレインや魔法力を吸収するアスピルを魔法剣として扱うのであれば存在しているが。

だがそれがどうしたのいうのだ? 存在しないのならば、生み出せば良い。今この場面を切り抜けるためならば、そんな制約の一つや二つ、飛び越えてみせる。

そんな強い覚悟がチルノの行動を後押ししていた。

事実、魔法剣アスピルを選択していたら、返事することもできなかっただろう。

とはいえ、軽減してもこれである。

 

「何をしたかは知らんが、貴様がギガブレイクを無力化したのは事実だ。ならばそれが狸寝入りでなくてなんなのだ?」

「……これで無力化、ねぇ……」

 

今の彼女は、激痛で身体のあちこちが悲鳴を上げている。手にした剣を杖代わりにしなければ、まともに立ち上がれなかったほどだ。

この状況を見て無力化されたと思えるのならば、どれだけ辛口の評価だというのか。だがバランの立場からすれば、その表現もある意味順当だったようだ。

 

「ギガブレイクを耐えた、ならばこれが無力化でなくてなんなのだ?」

 

自身の必殺技で倒すことが出来なければ、それを無力化されたと評する。あまりにも厳しい評価であるが、前回の戦いでは完全に無力化されたのだ。その忌々しい経験を顧みれば、この評価は妥当だろう。

 

「だが、次は防げまい」

「…………っ!」

 

再びバランは剣を構える。彼の言う通り、次にギガブレイクを放てば間違いなくチルノを倒すことが出来るだろう。いや、ギガブレイクで無くとも普通の攻撃だけであってもバランの力ならば眼前の少女の命を散らすことができる。

迫り来る殺気にチルノが息を詰まらせたときだった。

 

「チルノ!!」

「うっ……なんてダメージ……」

「レオナ!? クロコダイン!?」

 

横合いから、二人が合流してきた。クロコダインは自然とバランとチルノの間に割って入るようにして前衛を請け負い、レオナはチルノの傷を癒やすべく彼女の隣へと並んだ。

その二人の様子を見て、バランは驚愕したように口を開いた。

 

「まさか、ボラホーンを倒したのか!?」

「ああ、オレが勝った。次があれば、もう少し腕の立つ相手を用意してくれ」

 

そう言ってクロコダインはニヒルに笑う。

 

「それともバラン。お前が相手をしてくれるか?」

「なるほど、どうやら事実か……だが!」

 

ボラホーンを倒して、自分の元まで来た。その事実を認めたバランは、額の紋章を強く輝かせた。

 

(ドラゴン)の騎士の力をなめるなっ!!」

「紋章が!?」

 

まるで太陽のように神々しく輝く(ドラゴン)の紋章を目にして、この場の全員がバランが大技を使うことを瞬時に予測し、身構える。

クロコダインは防御のために全身に闘気を充満させ、レオナはチルノへと回復呪文を唱えようとした。

 

「ベホ……」

「大丈夫、私は自分で回復できるから……その魔法力は自分のために残しておいて……」

 

だがその行動をチルノは抑える。そう言いながら【ケアルラ】の魔法を自分へと唱え、無駄な消費を抑えるように願った。発動速度を考慮してケアルラを選択したものの、ダメージは癒えていくが、それでもまだ完調には到らないようだ。

 

「バラン、来いっ!!」

 

上空には再び雷雲が集まっていく。その動作からギガブレイクが来ることを予測し、クロコダインはそれを防ごうと防御態勢を取る。だがそんなクロコダインの行動を見て、バランはニヤリと薄く笑った。

 

「いけない!!」

「ギガデイン!!」

 

チルノが慌てて剣を構えると同時に、天空から凄まじい稲妻が降り注いだ。それまでバランの剣へと落ちていた雷撃は、今度はチルノたちに向かって落ちていく。

 

「がああああっ!!」

「ぐううぅぅ!!」

「きゃああああ!!」

「悪いが、貴様らの誘いにはもう乗らん。ギガブレイクを無効化するようなヤツだからな。だがギガデインは防げまい? 雷撃の速度に対応することなど不可能だ……女を殺したくはなかったが、もはやそうも言っておれん」

 

その痛みに全員の口から悲鳴が漏れる。雷撃に身を焼かれる三人の姿を見ながら、バランは冷静に言う。天から落ちる雷の速度は、まさに光の速さのようなものだ。発動すると分かっていても、そう簡単に防げるものではない。

度重なるチルノの足掻きが、バランに着実にダメージを与える方法を選択させていた。そしてそれは彼の狙い通りにダメージを与えるはずだった。

 

「ごめんね、完全には……」

 

――防げなかった。

その言葉を続けることも出来ないまま、チルノは再び崩れ落ちる。

 

「チルノ!?」

 

レオナは、予想よりも自身が受けた衝撃が少なかったことの理由をようやく理解した。

チルノが庇ってくれたのだ。その証拠に、目の前の少女は先ほど癒したはずの傷と遜色ない――いや、下手すればそれ以上のダメージを負っていた。

そうでなければ、レオナは一撃で戦闘不能になっていてもおかしくはなかった。

 

伊達に二度もギガブレイクを相手にしたワケでは無い。伊達にダイのライデインを間近で見ていたワケでは無い。雷雲の様子の違いからバランの狙いを察知した彼女は、瞬時にレオナの上へ覆い被さるようにして剣を突き上げた。

クロコダインを見殺しにしたようで申し訳なかったが、それ以上にレオナが耐えられるとは思えなかったのだ。

未だ魔法剣ラスピルの効果は継続しており、その効果で再び呪文を削り取る事には成功していたが、それでも二人分のダメージを受けてなお意識を保っていたのは賞賛に値する。

 

「ちぃっ!! また貴様か!! どこまで邪魔をすれば気が済むのだっ!!!」

 

二度、三度と続くチルノの妨害には業腹であった。だが、ようやく決定打を与えられたことも確認できた。あの状態では、もはや防ぐこともできまい。とバランは判断する。

 

「だが、これで終わりだ!!」

 

雷雲が三度わななき、稲妻を大地に降り注がせようとする。もはやそれを防ぐ手段は誰の手にも無かった。しかし、予想に反して稲妻が落ちてくることはなかった。

なぜならば――

 

「ディーノ!!」

 

攻撃を忘れ、バランが名を叫ぶ。その視線の先には、テランの地下牢に閉じ込めていたはずのダイの姿があった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ダイ!?」

「ダイ君!! どうしてここに!?」

 

バランの言葉を耳にして、二人は振り返る。そして、この場には現れるはずのないダイの出現に、驚きの声を上げた。

 

――嘘、でしょ……?

 

チルノもまた、バラン達の反応からダイが来たことを理解して驚いていた。だが彼女の驚きだけは少々違う。

彼女が知る本来の歴史でも、ダイは確かにこの戦場に乱入してきた。それはバランが放つ紋章の力と共鳴することで、まるで操られたかのような様子を見せていた。無意識に自身の(ドラゴン)の騎士としての力を使い、牢を素手でねじ曲げて脱出していた。

だがそれでも、この場に現れるにはもっと時間が掛かり、そのときのバランは奥の手(・・・)を使っていたはずだ。こんなに速く現れるとは、考えてもいなかった。

 

「いかんっ!!」

「ダイ君、逃げて!!」

 

バランとダイが邂逅することを恐れ、クロコダインたちが叫ぶ。だが、ダイの耳にはその言葉など届いていないようだ。ただジッと、バランのことを見つめている。

バランもまた、もはやダイ以外は眼中に無いのか、ゆっくりとした足取りでダイの元へと歩みを進める。それを邪魔できるほどの余力がある者は、この場にはいなかった。

ダメージの度合いだけで言えばレオナが一番軽傷だろう。だが最も脆い彼女では、庇われてなおダメージ影響は大きかった。

 

「……おじさんなの? ぼくを呼んだのは?」

「そうだ」

「おじさんは、誰?」

「私は、お前の父親だ!」

 

――だめ、この状況は!!

 

心の中で叫ぶが、もはやチルノにすらどうすることも出来ない。

本来の歴史でも存在したこの親子の再会は、だがバランは竜魔人と呼ばれる化け物のような姿となっていた。そのせいで一時的とはいえ、ダイはバランの言葉を疑っていた。結局、その疑いも互いの(ドラゴン)の紋章を通じて解消する。

だが今のバランはまだ竜魔人の力を温存している。見た目は同じ人間同士であり、そこに(ドラゴン)の紋章を見せれば、ダイはすぐにでもバランのことを親と認識するだろう。

 

「おじさんが……? ぼくの父さん……?」

「ああ、そうだ。その証拠に……」

 

だが、分かっていてももはや誰にも止めることは出来なかった。バランが額の紋章を輝かせれば、ダイの額にも同じ紋章が輝き出す。互いに共鳴しあう紋章は、以前にダイの記憶を抹消したときとは違う、凪の海ような穏やかさがあった。

バランが伝えようとしており、ダイはそれに抗うことなく無垢に受け入れているためだ。穏やかな共鳴は、まるで心地の良い音色のように辺りに響ていく。

 

「ほんとうだ! おじさんは、ぼくの父さんなんだ!」

「ああ、その額の紋章こそが全ての証、私たちを繋ぐ無言の絆だ」

「くっ……」

 

その音色もゆっくりと静まっていく。そして音が完全に止むと、ダイはバランのことを受け入れていた。屈託の無い笑顔を浮かべててバランを見るその姿は、誰が見ても明らかだ。紋章を介して通じ会った親子が、この場に生まれてしまった。

 

「ダイ……」

 

それを指を咥えて黙って見ている事しかできない腹立たしさに、チルノは弟の名を誰ともなく呟く。だが、誰に向けられたわけでもないはずの声は、一人の少年の耳に届いていた。

 

「私はお前を迎えに来たのだ。さあ、ディーノよ」

「ディーノ……? それがぼくの名前なの?」

「ああ、そうだ」

 

ディーノという聞き慣れぬ単語に首を傾げると、バランは力強く肯定した。

彼にしてみれば、待ちに待った瞬間だろう。いなくなったと諦めていたはずの息子と再会を果たすことが出来た上に、その名を誰にはばかること無く呼べるのだから。

 

「でも、おねえちゃんは、ぼくのことをダイって呼んでたよ」

「…………ッ!?」

 

だからこそ、ダイのその言葉を理解することができなかった。驚愕に目を見開き、ダイが何を言ったのかを反芻しているかのように立ち尽くしている。

その場面だけを切り取れば、バランが史上最強の代名詞である(ドラゴン)の騎士だなどと、誰が信じられようかというほどだ。

 

「レオナ……」

「……! ……ええ」

 

その隙を見逃すことなく、チルノは言葉少なく告げてクロコダインの方を見る。言葉と視線だけでレオナはチルノが何を言いたいのかを察して、痛む身体を動かしてクロコダインの方へと向かった。それを見送りながらチルノもまた【ケアル】の魔法を使って少しでも傷を癒し始めた。バランに気取られる事の無いよう、控えめにゆっくりと。

 

「それは、人間がお前に与えた偽りの名だ! ディーノこそが真の名、私が名付けたのだ!」

「そう、なの……?」

 

まさか再びダイと言う言葉が息子の口から出てくるなど、バランにしてみれば信じられる物ではなかった。それも言い回しからして、忌々しきチルノが関わっていることは明白だ。

だが激怒の感情を必死で制御しながら、バランはダイに言葉を飛ばす。そのあまりの剣幕には、ダイですら多少面食らうほどだ。

 

「ああ、そうだ。ディーノよ、待たせて済まなかった。共に行こう。私と共に、愚かな人間を滅ぼすのだ」

 

自身の言葉を信頼する様子を見せたことで、バランは落ち着きを取り戻していた。冷静さを取り戻したバランの姿を見て、ダイは甘えるように口を開く。

 

「うん……ねぇ、父さん。それ、おねえちゃんも一緒じゃダメ?」

「ダメだ。その小娘はお前とは血の繋がりも何も無い、何の関わりも無い人間だ!」

 

再びチルノの名が出たことで、バランは不機嫌になる。何故こうも邪魔をするのかと怒りが増していき、その感情が表情へと漏れ出ていく。バランの怒りを鋭敏に感じ取ったダイは、だがそれに怯えながらも更に反論する。

 

「でもおねえちゃんはいい人だよ。ぼくに優しくしてくれたんだ。それに、一緒にいるとすごく落ち着いて……」

「ディーノ!!」

 

有無を言わさぬバランの一喝。これによりダイは完全に口を噤んでしまった。ダイの姿はまさに、親に叱られた子供のそれだ。

 

「よせ、バラン!」

「クロコダイン……? 貴様……」

 

さらなる言葉を発するよりも速く、バランの肩をクロコダインが掴む。ギガデインのダメージに苦しんでいたクロコダインが何故生きてきたのか、視線を動かせばそこにはレオナの姿があった。チルノの合図を受けたレオナが、ベホマの呪文を用いて回復させたのだ。

再起したクロコダインは再びバランへ食らいつく。

 

「お前はまだこのような真似を続けるのか!? 二人の仲を引き裂いてまで、ダイが欲しいのか!? そんなことをして手に入れたものに、どれだけの価値があるというのだ!!」

 

親の立場を笠に着て、ダイの意見を封殺する。それは他者から見ればとても見ていられるものではなかった。記憶を失いながらも再び絆を取り戻しつつある姉弟の姿こそ、クロコダインの目には血の繋がり以上に深い絆だと映る。

そのクロコダインの言葉を黙って聞いていたバランであったが、やがて口を開いた。

 

「――わかった」

「バラン!!」

 

――分かってくれたのか!!

 

クロコダインが二の句を告げるよりも速く、彼の顔面にバランの拳が突き刺さった。

 

「ぐうぅ……!!」

「不要な物を取り除いたはずのディーノの心にまたしても巣食っていたとは。記憶を失ったディーノに取り入り、私を懐柔しようとでもしていたのか!? つくづく人間とは愚かな生き物よ!!」

「バ、バラ……ン!!」

 

意識せず顔面に受けた一撃は、クロコダインに深くダメージを刻む。強烈な衝撃に意識を飛ばしそうになりながらも、バランの誤解を解こうと声を絞り出す。

 

「それとも、貴様らのいう心とやらが本当に存在するのなら、その心で守ってみせろ!!」

「と、父さん……?」

 

だがバランは聞く耳など持たない。片腕で更にクロコダインの顔面を殴り続けながら、そう叫ぶ。ダイからすれば、父と慕ったはずの男が見せるあまりにも衝撃的な光景に、どうしたらよいのか分からず、まごまごとしていた。

 

「バラン……クロコダイン……」

 

――どうすればいいの!? 私に、何が出来る!?

 

その光景を見ながら戸惑っていたのは、チルノも同じであった。どうしかせねばという気持ちを持ちながら、解決方法を必死で模索する。

彼女の脳裏に最初に浮かんだのは、メテオと呼ばれる最強の魔法の存在だった。未だ、その魔法を扱うには未熟な身ではあるが、自身の命全てを魔法力へと昇華させれば、おそらくは使えるだろう。

そして、それよりも下級魔法であるコメットがバランにダメージを与えていたのだ。ならばメテオの魔法ならばバランを倒すことは可能なはず。

 

だが、バランを倒してどうなる?

バランを倒してしまえば、ダイは父親と和解する機会を永遠に失うのだ。そんなことをすれば、チルノは自分で自分を許せなくなる。

 

ではどうするのか?

 

仲間を失いたくはない。バランを殺したくもない。でも、ダイは救いたい。そんな都合の良い方法がどこにあるのだろう。堂々巡りの思考を続ける間も、時間は止まらない。

 

「さらばだ、獣王よ」

「ぐ、ぐ……」

 

ひとしきり殴り続け、多少なりとも気持ちが晴れたのか。先ほどよりも冷静さを取り戻した様子で、バランは口にする。

そして片手でクロコダインの巨体を掴み上げ、もう片方の手に握った剣を突きつけた。対するクロコダインは、良いように殴られたままのダメージの影響か、ぐったりとしている。

 

――マズい!! アレはダメ!!

 

あのまま貫かれれば、いかに頑健なクロコダインといえども絶命は免れないだろう。だがダメージの残るチルノに何が出来るのだろうか? そして、父と慕う男が命を奪うシーンを目撃して、今のダイは果たして精神を壊さないだろうか?

 

そこまで考えて、クロコダインの死と同列にダイの心を案じていることに気付いた。そして、その気付きに連想したように、彼女の口からは自然と言葉が流れ出ていた。

 

「月が沈めば、太陽はまた顔を出す……」

 

日が沈めば月が出る。月が沈めば、日はまた昇る。子供でも知っている簡単な理屈だ。

前の戦いの際に、クロコダインは自分とダイをその二つに例えた。もしもその関係が正しいのならば、夜が明けて目覚めの時が来たと言うことだろう。

そして、幸か不幸か、彼女はそれを実現するだけの魔法を持っている事に今さらながら気付いた。

ダイが記憶を失っていた時に、散々試した様々な方法。だが忘れていたため、まだ試していないたった一つの魔法。だが、これならば、なんとかなるのではないか。そんな想いが彼女の中から湧き上がっていた。

 

彼女の脳裏に浮かぶのは、とある物語の一場面だった。

そこには、世界を支配せんとする邪悪と戦う年老いた男の姿があった。仲間が身動きの取れぬ中でたった一人、その命を燃やして抗い続け、孫娘に後を託した英雄の姿。

ほんの少しで良い。千分の一、いや、一億分の一でいい。

わがままな、都合の良い申し出だというのは分かっている。これから自分のやろうとしていることは、猿真似でしかないことも理解している。それでも、同じ世界の力を使う者のよしみとして、僅かでも良いから力を貸して欲しい。

これならばきっと、ダイも少しだけでも思い出してくれるはず。

 

「でも、太陽が寂しがっちゃうかな………」

 

――私は結局、ダメな姉だったみたい……

 

唯一の懸念点はそれだけだった。だが、それも仕方の無いことだろう。何の犠牲も無く理想の結果を掴み取ろうとしているのだ。

自嘲と謝罪の想いを同時に胸へ抱きながら、チルノは動いた。

 

「うあああぁぁっ!!」

 

未だ完治にはほど遠い身体を無理矢理操り、チルノは起き上がるとすぐさまダイへ向けて駆けだしていく。たったそれだけの動作が、今の彼女には酷く辛かった。身体を起こすだけでも痛みが走り、まるで動くことを拒否しているようだ。

ならばこれ幸いとばかりに、チルノは大声で痛みを口にした。そうすればバランからの注意が自分に向く。クロコダインが逃げ出す機会も得られるはずだと考えながら。

 

「貴様ッ!!」

 

そのチルノの狙い通り、バランは素早く反応した。手にしたクロコダインを無造作に投げ捨てると、ダイへと迫るチルノを阻止せんと駆け寄ろうとする。だがそれを由としない者がいた。

 

「ぐ、死に損ないめがッ!!!」

「貴様の思い通りになど……」

 

投げ捨てられたはずのクロコダインが力を振り絞り、バランの足を掴んでいた。予想だにしない邪魔が入り、バランの動きが遅れる。だが、妨害が出来たのは数秒程度のことでしかなかった。

邪魔だとばかりにクロコダインの顔を蹴り飛ばすことで、どうにか拘束から逃れる。しかしその僅かな時間を稼げたおかげで、チルノはダイのところへと辿り着けた。

 

「おねえ、ちゃん……?」

「ダイ……」

 

チルノはまるで恋人同士であるかのように、優しくダイを抱きしめる。

記憶を失った数日間、ダイの心を落ち着かせ、不安を和らげてくれた少女の香りがダイの鼻孔を擽る。暖かな温もりがチルノから伝わり、ダイの心が高鳴る。

 

「――と――ね……」

「え……? おねえちゃん、なにを……?」

 

耳元で囁かれたのは、小さな小さな言葉だった。ダイの耳以外には決して届くことの無いか細い声。だがそんな小さな一言は、ダイへ確かに届いていた。

だが、今のダイにはその言葉の意味が分からない。もしもダイが記憶を取り戻していれば、今のダイが抱いているのとは全く逆の意味合いで、理解が出来なかっただろう。

 

彼女が何を言いたかったのか、その意味を確かめるようにダイは聞き返す。だが、その疑問に答える者はもういなくなろうとしていた。

 

――英雄と呼ばれた皆と一緒にこれだけのことができたんだから……ああ、でも、やっぱり悔しいなぁ……

 

ダイとバランが肩を並べて、笑い合う光景を望んでいた。バランとブラスが腹を割って話し合う姿を、見てみたかった。人から見ればそんなちっぽけな夢を、彼女は諦める。

 

「――【ゆうごう】」

 

二人の身体が、光に包まれた。

 

 




メガンテ? じばく? この命、全てをMPにかえてメテオ?

いえ「ゆうごう」です。

(「ゆうごう」ってなんだっけ? という方の為にまずは説明を。
コイツはFF5、6、14(記載時点情報)に登場した青魔法です。
効果は「使用者は戦闘不能+対象のHPとMPを全回復する」と、早い話が命がけのエリクサーですね)

つまり、お話的な扱いは「自分の命と引き換えに仲間を救う」という事に。
……次話の展開がもうバレバレですね(苦笑)
例えるならバロムワ○か、仮面ラ○ダーWかって感じでしょうか?

……感想で「ガラフ」と書かれていたので、多分バレバレだった気がする。

ぶっちゃけた話、これがやりたかっただけです。
「DQで男だったらメガンテ。じゃあ逆(FFで女)だったら?」
そんな単純な思いつきが全ての発端。
あとはノリと勢いだけでここまで(ダラダラと)書きました。
(なので今回は割と良いようにバランにやられている)

ですが、もう心残りは無いと言っても過言ではありません。
これで(ハドラー達と決着つけて・キルを倒して・ミストを倒して・バーンに勝てば)エタっても悔いは無い。


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LEVEL:48 解き放たれた呪縛

"ゆうごう"ってよく調べたら、攻撃方法にもあったんですね……
(敵側の技だからセーフ)


「ええいっ!! まだか! 悪魔の目玉はまだ到着せんのか!!」

「も、もう少々お待ちくだされ! なにしろ遠くにいたもので……」

 

鬼岩城にハドラーの怒りの声が響き渡る。その声を背後から聞きながら、ザボエラが必死で悪魔の目玉へ急ぐように命令を降していた。

それまでバランたちの状況を映し出していた個体は、チルノのファイラの魔法によって倒されている。そのため、近くにいた別の個体を急遽向かわせる事になったのだが、あいにくと一番近くにいた個体であっても現場へ到着するまでにそれなりの時間を必要としていた。

 

この場で受信用の悪魔の悪魔やザボエラにどれだけ声を荒げたところで、時間が短縮されるわけでもない。そんなことはハドラーとて理解している。だがそれでも苛立ちを隠すことが出来ずにいた。

これまで情報の多くを即時仕入れることに慣れてきた魔王軍にとって、何が起こったのかがリアルタイムで分からない状況に不安を覚えさせられる。それでなくともこの戦いは、ハドラーの進退が掛かっていると言って良い。

よもや(ドラゴン)の騎士が負けるとは思えないが、それでもどうなることか……

 

「到着しました」

「おお!」

 

やがて受信用の悪魔の目玉からの報告が入り、映像が映し出される。

 

「な、なんと……」

「これは一体……何があったというのだ!?」

 

そこに映し出された光景は、これまでの経過を何も知らぬ彼らでは易々と理解できぬだろう。何しろバランは健在のままであったが、そのすぐ足下ではクロコダインが倒れており、バランから少し距離を置いた場所にはこれまで一切姿を見せていないはずのダイがいる。

 

そして、そのダイに抱きついたまま力の全てを失ったチルノの姿があるのだから。

 

 

 

「あん!? なんだこの光は!?」

 

ポップとガルダンディー。互いに死闘を繰り広げていたはずの二人は、突如として視界に飛び込んできた光に思わず戦いの手を止めた。

互いに肉体はボロボロと呼んでいいだろう。ポップはガルダンディーの剣を避けきれず、あちこちに裂傷が走っている。マイティガードの魔法が事前に使われていなければ、この怪我はもっと深くなっており、もはや勝負は付いていたはずだ。

ガルダンディーは、ポップが得意とする火炎系の呪文を受けてあちこちを焦がしており、その身に生やしていた羽毛が見るも無惨な状態になっている。

 

「この光は……まさかバラン様の身に何か!?」

 

両者とも、もはや相手以外のものに意識を向ければ、その瞬間にやられてもおかしくは無いだろう。だがそんな極限状態にあってでも、その光の事を確かめずにはいられなかった。

 

 

 

「む!?」

「この光は……!?」

 

時を同じくして。ヒュンケルとラーハルト、二人の闘士たちの戦いもまた、突如として飛び込んできた光によって強制的に中断されていた。

ヒュンケルの言葉によって僅かに動揺させられていたラーハルトであったが、やはり互いの実力差は大きかったようだ。ヒュンケルはジリジリと削られていき、彼が纏う鎧はラーハルトの槍技によって少しずつ砕かれていた。

対するヒュンケルも負けじとカウンター気味に剣を振るうが、ラーハルトの持つ圧倒的な速度によって攻めあぐねている。何度かに一度、掠める程度には当たるが、そんな慎ましやかな反撃ではいずれ押し負けることは明白だった。

ラーハルトが戦いの主導権を握ったままの戦場でありながら、彼は光の原因を求めて視線を外す。そしてそれにつられるようにして、ヒュンケルもまた警戒の姿勢を崩さぬまま視線を移す。

 

こうして、その場にいた者たち以外もまた、何が起こったのかを知ることとなった。

 

 

 

「おねえ……ちゃん……?」

 

突如自分に抱きついたかと思えば、何かを耳元で囁き、そして力の全てを失った。まるで一方的に押しつけられたかのようなそれに、ダイは困惑していた。だが困惑しつつも、力の抜けたチルノのことをダイは反射的に支える。

今のダイでは何が起きたのか分からない――いや、完全に理解出来る者はこの世界には存在しない――が、なんとなくそうしなければいけないような気がした。

 

「おねえちゃん、どうしたの?」

 

チルノのことを支えながら、ダイはもう一度彼女のことを呼ぶ。今のダイの幼い精神では、死と言うものが理解できないのだろうか。それとも死んだにしては余りにも綺麗すぎるために眠っている様にしか見えないからだろうか。

チルノのことを抱きしめたまま、ダイはチルノを起こすように軽く揺さぶる。記憶を失ってなお求めた姉のことを心配しながら。

 

「チル、ノ……?」

「どうした!? なにがあったというのだ……?」

 

光は勿論、レオナたちにも届いていた。彼女達からしてみれば、チルノがダイを抱きしめたかと思えば、急に光を放つとその光がダイへと注ぎ込まれた様に見えたのだ。そして、その光の全てが治まった後に見えたのがこの光景である。当惑するのは当然の反応だろう。

 

「どうやら、お前達には分からんようだな」

 

この場で唯一バランだけは――ゆうごうの魔法の効果は知らないまでも――長年の技術と経験からどうなったのかだけは理解していた。

 

「あの小娘が何をしたのかは、私にもわからん。だが、今の小娘からは生命力の一切を感じられない」

「……ッ!?」

 

その言葉にクロコダインは思わずバランを強く睨む。一方レオナは、何のことか分かりかねているのか不安げな表情を浮かべたままだ。対照的な反応を見せた相手に向けて、バランは更に残酷な言葉を紡ぎ出す。

 

「わからんか? ならばはっきりと言ってやろう。あの小娘は死んだのだ」

「死ん、だ……ですって……」

「やはり、か……!?」

 

明確に告げられたチルノの状態に、二人は驚きを禁じ得なかった。突如光を放ったかと思えば、命を落とす。そんなことが果たしてあり得るのだろうか。あまりに不可解な出来事に、クロコダインはバランの言葉を理解しつつも信じることが出来ずにいた。

 

「っ!! まさかあの子、メガザルの呪文を使ったんじゃ……!?」

 

だがレオナは、その現象にほんの少しだけ心当たりがあった。

 

「メガザル!? 姫、それは一体……」

「あたしも、チラッと聞いた程度でしか知らないわよ……」

 

果たしてレオナがそれを知ったのは、いつのことだったろうか。呪文の勉強中に教えられたのか、それとも古い書物に書いてあったのを偶然目にしたからだろうか、それすらも定かではない。

ただ、そんな古い記憶を奥底から引っ張り出しながらレオナは語り始めた。

 

「なんでも、その呪文を唱えた者は命を失う。その代わり、味方全員に奇跡を起こす呪文、らしいわ……」

「奇跡……? それは一体……?」

「わからない。一説には全ての傷を癒して、死者すら蘇らせるとか……ああもう! こんなことならもっとちゃんと勉強しておくんだったわ!!」

 

クロコダインの疑問にきちんと答えることが出来ず、レオナは苛立つように吐き捨てる。一方クロコダインは、初めて耳にした呪文の効果に驚かされていた。そして、そんな呪文に頼ってまで場の状況をひっくり返そうとしたこと。何より、命を捨てる覚悟を持ってでも仲間を助けようとしたその愛に。

 

「ほぉ、そんな呪文があったのか。まるでメガンテと対を為すような呪文だな」

 

バランですら、レオナの言葉を耳にして驚かされていた。博識であり、全ての呪文を使いこなすと言っても良いはずの(ドラゴン)の騎士であってもメガザルの呪文のことは知らなかったようだ。

 

「しかし、そんな呪文を使ったところで、この状況を覆せると思ったのか? 大博打に出た挙げ句、失敗するとは、とんだ無駄死(・・・)にだ。まだメガンテの方が逆転の芽があったものを」

 

その言葉は暗に、自分にはメガンテが効果があるということを知らせているも同然であった。だが、そんな事にも気付かないほどにレオナたちは動揺していた。そしてバランは、レオナ達がそんな精神状態になっていると理解しているからこそ、あえてそのような言い方をしたのだ。

彼らの心を更に揺さぶるために。

不思議なことに、そう言った途端に、自分の心の奥底で感じたチクリとした痛みから目を背けながら。

 

「馬鹿な……」

 

レオナ達の会話は、戦いの手を止めたヒュンケルたちにも届いていた。チルノが命を落としたことを知り、言い様もない絶望感が彼を襲う。現状を否定するような言葉が知らず知らずのうちに口から漏れ出ていたほどだ。

 

「たしかに、大博打をしたようだな。仮に成功していれば、状況はひっくり返ったかもしれん。奇跡を起こすというのであれば、ディーノ様を元に戻すことも出来たかもしれんな」

「だが……だがその為にお前が犠牲になってどうするというのだ……! それで、ダイが喜ぶとでも思ったのか……!!」

 

まるで戦友同士の会話のように、ラーハルトの言葉に反応してヒュンケルは自身の胸の内を吐き出す。チルノのことを信じていたヒュンケルであったが、こんな結末は望んでいない。たとえ命を救われようとも、残された者の悲しみを、彼は誰よりも知っているのだ。

 

――そう、だな。確かにお前の言う通りだ……

 

つい先ほどまで殺し合いをしていたはずの相手が、隙だらけで慟哭する。ヒュンケルのそんな姿を見ながら、だがラーハルトは槍を振るう気にはなれなかった。自身の心の奥底で彼の言葉に同意しながら、ただ黙って事態を静観しているだけだ。

 

「クッ……クハハハッ!! クワーックワックワッ!!」

 

ガルダンディーとポップたちにも同様に、レオナ達の声は届いていた。突如として戦場に輝いた閃光の正体が、そして何があったのかを知った途端、ガルダンディーは我慢することを忘れたように腹の底から大声で笑う。

深く静かな反応を見せているラーハルトたちとはまるで対照的な騒がしさだ。

 

その行動に最も苛立たされたのは、同じく近くにいたポップである。チルノが命を失ったという受け入れがたい事実を耳にした直後である。仮に自分がもっと速くガルダンディーを倒していれば、この事態は避けられたのではないか。そんな意味の無い仮定が彼の頭をよぎったかと思えば、この馬鹿笑いである。

仲間の死を悲しむ暇すら与えられないこの哄笑に、怒らない者がいるだろうか。笑い続けるガルダンディーへ殺意を込めて睨みつける。

 

「テメェ!! 何がおかしいってんだ!!」

「ああん!? うるせぇんだよ、人間風情が!!」

「ぐっ!」

 

状況を忘れて、飛び掛からんばかりにガルダンディーに詰め寄っていく。だがそれは悪手でしかなかった。すぐさま反応するとガルダンディーはポップの腹部を殴りつける。後衛のポップはその攻撃に反応することが出来ず、まともに喰らってしまう。

 

「うう……」

 

動きが止まったところで、さらに追撃の一発をポップの顔面へ飛ばす。流石にこれは必死でガードすることは出来たものの、勢いまでは殺しきれずに地面へと倒されてしまった。うつ伏せになったポップの頭をガルダンディーは片足を乗せる。

猛禽類の特色を持つガルダンディーの足は、爪が鋭い上にまるで手の様に物を掴める。彼はその特徴を存分に生かし、万力の如き力でポップの頭を締め上げる。

 

「ぐあああ……!!」

「これが笑わずにいられるかってんだ!! 一発逆転の呪文に頼った結果がこれ!! そんな何の意味のねぇ行動をして命を落としているんだ!! 恥さらし(・・・・)も良いところだぜ!! やっぱり人間なんざ、大バカの集まりよ!!」

「…………」

 

ガルダンディーの勝ち誇ったような声を聞きながら、バランは心の奥底で先ほども感じた痛みを再び感じていた。いや、先ほどよりももう少し大きな痛みを伴ったそれを、けれどもバランは意識して目を背ける。

 

「大体その女は、何様のつもりなんだよ!! ドブ臭ぇ人間の分際でディーノ様の姉貴取り!! 身の程知らずにもバラン様の挑んだ挙げ句、光って死ぬとはなぁ!! 光るだけならホタルの方がまだマシ、汚ぇ死体が残る分だけ人間ってのは本当にゴミ以下の存在だな、

クハハアハハハハハッ!!!!」

「て、めぇ……」

 

歯に衣着せぬ無遠慮な物言いに、ポップは地に這いつくばりながら殺意を向ける。いや、ポップだけではない。ヒュンケルもクロコダインも、レオナも同じ気持ちだ。目に余るほどの態度に、ラーハルトすら苛立ちを感じるほど。

 

「…………ったな…………」

「ハハハハハ……は……?」

 

小さな声が響いた。それは、本当に小さな声。

だがその声は、ガルダンディーの耳障りな馬鹿笑いを切り裂くほどの、とてつもない鋭さと冷たさを兼ね備えていた。仮に、声だけで人を殺せるならば、今の言葉こそがそれなのだろう。

この場の全員の耳に届いたその声に、ガルダンディー本人すらも笑いを止める。

 

姉ちゃん(・・・・)のことを、よくも笑ったな!!!!」

「ちょ……!?」

「ディーノ様!?!?」

 

瞳から涙をこぼしながら、ダイはガルダンディーへ向けて怒鳴る。それは誰の目にもはっきりと見て取れるほどの、強い強い意志に満ちあふれた瞳。そして額には、彼の怒りの呼応するかのように(ドラゴン)の紋章が輝いていた。

 

ガルダンディーは、ダイのことを味方だと認識していた。だがそこへ、突然当人から放たれたのは彼が今までで味わったことのないほどの強烈な殺意。その恐ろしさに全身が竦み、恐怖のあまりに言葉すら出てこない。

そんなガルダンディーの瞳には、ダイが拳を握りしめて、自身へと殴りかかってくる姿がはっきりと捕らえられていた。さながらスライムが攻撃してくるかのような遅い遅い一撃にしかみえない。だが、それを見ながらも彼の身体は動くことは無かった。攻撃を防ごうとするが、自身の身体はそれ以上に遅く動き、まるで言うことを聞かない。

それが死に直面した際の集中力――いわゆる走馬灯の体験の一つだということに、彼が気付くことはなかった。

 

「あああああああっっ!!」

「ぐがああっっ!?!?」

 

絶叫と共に殴り飛ばす。

恐ろしく鋭いその一撃はガルダンディーの力を一瞬で奪い取り、そのまま彼を吹き飛ばした。一度、二度と地面の上を水切りのように飛び跳ね、そして三度目の着地で勢いは殺され、ゴロゴロと地面を転がり、そして止まる。

そこにいたのは、くちばしが砕かれ、白目を剥いたまま微動だにしないガルダンディーだった。その様子は誰の目からでも絶命していると分かる。

 

「うお……っ……」

 

ポップはその光景を目にして、思わず呻いていた。

つい先ほどまで頭を捕まれていたはずの相手が、気がつけば吹き飛ばされて死んでいた。彼が理解出来たのはそこまでだった。見えなかったのだ、ダイが攻撃するその瞬間が。それほどまでの素早い一撃だった。

反応できていたのは、二人だけ。

ラーハルトと、そしてもう一人……

 

「ディーノ!?」

 

一瞬で倒された部下の様子を見ながら、バランは記憶を取り戻した息子の名を呼んだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

――青魔法"ゆうごう"

 

発動させることで、一人を完全に回復させる魔法である。

だが当然、そんな便利な魔法が無償で使えるわけがない。発動の際には術者の命を犠牲にする、いわば諸刃の剣である。

そしてこの魔法は、本来ならば負傷を癒し、失われた体力や魔法力を回復させるものだが、チルノはそこへさらに自身の記憶と想いまでもを注ぎ込んだ。自分の記憶が、少しでもダイの役に立つ様に。僅かでも記憶を取り戻すきっかけになってくれればと、願いながら。

 

自分がいなくなることに、後悔や恐怖がなかったわけではない。

本来の歴史についてはアバンもブラスも、マトリフにだって教えている。彼らならば、自分がいなくなっても大丈夫だろう。

そしてダイには、レオナがいる。自分と違い、きちんと律してくれる彼女がいれば、きっと大丈夫だろう。テランの地下牢での彼女の行動を見たときから、チルノはそう思っていた。

だったら、ここで全てを失っても良い。だって、後を託せるのだから。

 

「ダイ君!! その呼び方……」

「なんと、記憶が戻ったのか!?」

 

そんなチルノの願いは、どうやら成功していたようだ。チルノを聞き慣れた呼び方をしており、はっきりとした意思を持ってガルダンディーを倒すほどの力を見せた。それは、この場の全ての者にはっきりと伝わっていた。

 

「っしゃあ!! メガザルの呪文は成功していたんだ!! チルノは無駄死になんかじゃねぇ!!」

「違う……」

 

奇跡を起こす自己犠牲の呪文――不発だと思われていたそれが、実は成功していた。だからダイの記憶が蘇った。誰しもがそう考えるだろう。

事実、レオナたちは元よりバランたちですらそう見えていた。自身の命を糧にする呪文ならば、これほどの奇跡だって起こせるだろうと。そう考えていた。

だが、その考えは他ならぬダイ本人の口から否定される。

 

「え……?」

「違うんだよポップ……姉ちゃんはメガザルの呪文なんて使ってない……」

 

悲痛な表情でそう呟くダイの姿に、ポップとレオナはある事実を思い出す。

 

「そうか、そういや!!」

「忘れていたわ……チルノは、呪文が使えないはず……」

 

失念しかけていたが、チルノはこの世界の呪文は一切使えないのだ。メラやホイミといった初級呪文すら操れない彼女が、メガンテに比類するような高等呪文を使えるはずがない。そういった意味での発言だと捉える。

だがそれは間違いだ。

 

「そんな呪文なんか、関係ない! 姉ちゃんはただ、自分の命を犠牲にしてでもおれを助けてくれただけだった!! 目を覚ませてくれただけだった!! それに応えられなきゃ、おれは男じゃない!!」

 

ただ命を懸けて自分を救ってくれた姉の姿。そんなものを見せられては、どれだけ寝ぼけた頭をしていようとも目覚めずにはいられない。そこにあるのは、ただの意地だ。ゆうごうの魔法は確かに効果をもたらしていた。だがそんな事は、ダイにとってみればただの言い訳にしかならない。

大切な者を守れなかった無念と、自分を最後まで守ってくれた感謝。その二つが元の記憶を呼び起こしていた。

 

「……自らの、命を捨ててでも……う、あぁ……」

「……ラーハルト……?」

 

その光景を見ながら、ダイの言葉を聞きながら、ラーハルトの心は揺れていた。敵わぬと知りながらもバランに挑み、そして全てを投げ打ってでもダイのために尽くそうとするその姿は、彼の記憶の中に存在するとある人物を想起させるのに十分すぎるほどだった。

 

「どうやら、本当に記憶が戻ったようだな……」

 

そしてバランは、ダイの様子を見ながら受け入れがたい事実を口にする。だが自身で言った通り、その言動の全てが彼の記憶が元に戻ったことを表している。中途半端に思い出したのではなく、全ての記憶をだ。

 

「信じられん。完全に消去したはずなのに、ありえんことだ……だが!」

 

そう言うとバランは再び(ドラゴン)の紋章の強く輝かせ始めた。

 

「元に戻ったのならば、再び消し去ってしまえば済むことだ!! あの娘も無駄なことをしたものだな!!」

「待てバラン!!」

「テメェ、また!!」

「同じことをするつもり!?」

 

一度行ったことなのだ。ならばもう一度行うことに、もはや迷いやためらいなど存在しない。ましてや記憶を失った状態のダイとバランは短い時間ではあるが邂逅しており、その時にバランのことを父と認めているのだ。

その禍々しい出来事が、バランに再びダイの記憶を奪う選択を後押ししていた。だが――

 

「……な、何故だ!? 何故反応しない!?」

 

バランの予想も虚しく、ダイの紋章が共鳴することはなかった。一度出来たことが出来なくなる、そのことがバランから冷静な判断力を失わせる。

 

「探しているのはこれか? バラン!!」

 

そんなバランを嘲笑うかのように、ダイは右手の甲を掲げて見せる。そこには、(ドラゴン)の紋章が光り輝いていた。

 

「!! なんだと……!?」

「紋章が、拳に……!!」

 

その事実に、(ドラゴン)の騎士についての知識が深いバランたち二人は信じられないといった表情を見せていた。

 

「バカな、ありえん! 数千年に及ぶ長い(ドラゴン)の騎士の歴史において、額以外の場所に紋章の光が発動するなど、一度たりとてなかったはずだ!!」

「姉ちゃんのおかげだ……姉ちゃんが教えてくれるんだ……バランにはできなくても、おれはできるって。人間の血を引くおれにしか出来ないことだって……」

 

バランの言葉を、ダイは淡々とした様子で返す。

 

「こうすればバラン、お前にだって勝てる!!」

 

チルノはこの世界の歴史について知っている。その彼女の持つ知識が影響して、ダイに情報を与えていた。

バランの頭脳支配から逃れるためには、紋章の力をどこか一点に集中させれば良いのだということを。竜と魔の力を腕へと追いやり逆に支配すればいいのだということを。

人間の血と心を持ってすれば、それを可能にするのだということを。

 

「う、くうぅ…………バ、バラン様!!」

 

ダイの言葉を聞いていたラーハルトは、やがて感極まったように強く叫んだ。

 

「あの娘のことを……この者達のことを、信じても良いのではないでしょうか!?」

「なんだと!! 血迷ったかラーハルト!? そのような事を口にするなど……お前は自分の過去の経験を忘れたのか!?」

 

それはバランからしてみればあり得ない言葉だった。

腹心であるはずの竜騎衆の――それも、バランが息子のように思っていたラーハルトからのまさかの言葉である。彼の正気を疑うかの如き言葉に、だがラーハルトは努めて真面目に答える。

 

「いえ……そのようなことは。あの迫害の日々のことは、一日足りとて忘れたことはありません」

「ならば!」

「ですが!!」

 

バランが何かを言おうとしたが、それをラーハルトは更に強い言葉で強引に遮る。

 

ラーハルトは、魔族の父親と人間の母親との間に生まれたハーフである。だが父親とは彼が幼い頃に死別し、それ以降は母親と二人で暮らしてきた。しかしその暮らしも、決してお世辞にも平穏なものではなかった。

彼が生まれてからしばらくした後、ハドラーが地上を我が物とせんと暴れ始めた。そのため、ラーハルトの存在は、人間達からしてみれば迫害の格好の的であった。同じ魔族であるために、ハドラーと同じく自分たちを支配するかも知れないと考えたのか、それともハドラーによって不自由な暮らしを強いられる鬱憤を晴らしたかっただけなのか。

彼の母親は、その迫害が原因で病没。その後、ラーハルトはバランに拾われるまでの間、ずっと一人で生きてきた。

その胸には、母を奪った人間に対する憎悪と復讐心を滾らせながら。

 

「ですが……オレを産み、オレのことを最後まで案じてくれたのも、また人間だったのです……」

 

だが、その人間がいなければ自分は生まれてこなかった。そして、生まれてきたラーハルトは、人間に迫害されながらも、それでも母親の精一杯の愛情を受けて生きてきた。

 

「その娘は、命を捨ててでもディーノ様を元に戻そうとしました……その姿にオレは……オレは、亡き母を重ねたのです……」

 

死別する直前まで、彼の母親はラーハルトのことを気にしていた。自分の身が弱っていることを理解していながらも、それでも必死で彼の為に尽くそうとしていた。

ラーハルトのためにどんなことでもしようとする母親の姿と、ダイを元に戻す為に命を懸けて奇跡を起こしたチルノの姿。そのどちらもが、彼の目には同じように映っていた。

 

「そしてディーノ様の紋章にしてもそうです。拳に紋章が発現するなど、ありえないこと……それを為し得たのは、奥方様の……人間であるソアラ様の血ではないでしょうか? 我々の行いに警鐘を鳴らすために、このようなことが起きたのでは?」

 

それはダイにしてもそうだ。

ソアラという産みの親が分け与えてくれた人間の血。そしてチルノという育ての親が教えてくれた知識と心。それがあるからこそ、ダイは拳に紋章を発現させることができたのだろうと、ラーハルトはそう考えた。

 

「我々は、間違っていたのではないでしょうか……迫害され、大切な者を奪われたから、人間全てを滅ぼすなど……」

「そうだ、ラーハルト!! お前のその考えは、間違ってなどいない!!」

 

迷いながら言葉を紡ぎ、バランへと訴えかけていくラーハルト。そんな相手に向けて、ヒュンケルは迷いそうなその心を支えるように力強く声を掛ける。

 

「バラン! お前の悲劇は、ソアラ王女を失った悲しみと怒りは、痛いほどよく分かる」

 

続いてヒュンケルはバランへと言葉を投げかける。だがそれはラーハルトの時とは違い、明確な怒りをバランへと感じさせてしまった。

 

「知った風な口を利くな! 貴様が何を知っていると言うのだ!!」

「推測でしかないが、チルノが教えてくれたよ。アルキード王国のソアラ王女と出会い、ダイを産み、そして人間の手によって失ったのが原因ではないか、とな……確信を持てたのは、同じ事を話した時のラーハルトの反応からだが」

 

推測でそこまでのことが分かるのか、とバランはラーハルトに視線を投げかける。するとラーハルトは困ったような顔をしつつ口を開く。

 

「……もうしわけありません、バラン様。オレが話をしたようなものです」

「よせ、ラーハルト。お前に責任はない。オレが勝手に話をしたのが原因だ」

 

つい先ほどまでは互いに戦っていたはずの相手だというのに、今では庇い合っている。その姿もまた、人間の心の影響だというのだろうか。少なくともバランにはそう見える。

 

「バラン! お前はいつまで目を背けるつもりなのだ!! ラーハルトは自ら理解したぞ、人間は全てが悪ではないのだということを! お前の考えが間違っていることを!!」

「…………」

 

ヒュンケルの言葉に、バランは無言のまま微動だにせずにいた。押し黙ったまま、瞳を閉じているその姿は、彼ら二人の言葉を胸中で反芻しているようにも見える。

 

「そう、か……」

 

そして、バランはようやく口を開いた。

 

「ラーハルト……お前もか……」

「バラン、様……?」

 

言葉の意味が分からない、とラーハルトは聞き返す。

 

「貴様もこの私を裏切ると言うのか!!」

 

激情の叫びを上げながら、バランは片目に装着していた竜の牙(ドラゴン・ファング)を引きちぎるように乱暴に手にする。

 

「バラン様! 違います、それは……」

「黙れ!! 私は貴様のことを、もう一人の息子のように思っていた。だが、どうやら見込み違いだったようだ!!」

 

今のバランには、ラーハルトすら裏切り者としか見れなくなっていた。ラーハルトは真にバランを思うが為に、あえて苦言を呈していたにも関わらずだ。かつて確認し合った、自らの考えに賛同しないものは全て敵でしかない。とでも言いたげだ。

 

「バラン!!」

「人間を許したところで、ソアラが蘇るとでもいうのか!? 我が心を癒し、失った時間を取り戻してくれるとでも言うのか!? もはやディーノですら我が手を離れた!! そのようなものは、もう必要ない!!」

 

そう言うと、手にした竜の牙(ドラゴン・ファング)を強く握りしめる。鋭利な刃物でもあるそれはバランの掌に食い込み、やがて一筋の鮮血を生み出していく。

 

「うっ……あ、あれは……」

「バランの血?」

「だが、色が……赤から青へ……!?」

 

バランが何をしているのか、それが分かるのはこの場には二人だけだ。そのうちの一人、ラーハルトは、バランの行動を見て慌てて叫んだ。

 

「あ、あれは……逃げろ、お前達!!」

「ラーハルト、何か知っているのか!?」

 

だがヒュンケル達には何が起ころうと言うのか分からない。だがラーハルトにしてみれば、説明している時間も惜しい。彼の頭の中にあるのは、ヒュンケルやダイたちを一刻も早く逃がしてやりたいという想いだけだ。

 

「もう、遅い!」

 

そう叫び、竜の牙(ドラゴン・ファング)を天に掲げる。天から一条の雷撃が降り注ぎ、それがバランの肉体を包み込んだ。やがて、雷の中からバランが姿を現す。

だがその姿は今までのものとはかけ離れていた。背中から竜のような翼を生やし、全身に竜の鱗を兼ね備えている。半人半竜の姿と評するのが最も適切だろう。

そして、漂ってくる力は今までのバランとは比較にならない。

 

「なんだ、あの姿は!?」

 

クロコダインが叫ぶが、その疑問に答える者はいなかった。バランは殺気に満ちた瞳で、ラーハルトを睨みつける。

 

「まずは貴様からだ、ラーハルト!!」

「う、ああああ!!」

 

短くそう告げると、バランはそのまま襲い掛かる。その速度は、人間の姿をしていた頃のバランよりも遙かに早い。スピードに自信があるはずのラーハルトであっても、驚かされるほどだ。

 

――やられる!?

 

目に映ったのは、自身を攻撃しようとするバランの姿だった。バランの力はラーハルトもよく知っている。その攻撃を受ければ、助かるはずもない。死を覚悟し、観念したラーハルトは目をつむる。

だが死ぬ以上に、主と仰いだバランに誤解させたまま逝くことを彼は悔いていた。

しかし妙な事に、ラーハルトに襲い掛かるはずの痛みは、いつまで経っても訪れない。

 

「ディーノ、様……?」

 

疑問に思い目を開ければ、そこにはダイがバランの攻撃を受け止めていた。

 

「竜魔人……バラン、お前はそんな姿になってまで!!」

「むっ……!?」

 

ダイの口から漏れ出た、本来知り得るはずのない"竜魔人"と言う単語。そして、今のバランの攻撃を易々と受け止めるほどのダイのパワー。その二つに得体の知れない何かを感じたバランは、一端距離を離す。

 

「ラーハルトはお前にとって、息子みたいなものだろう!? なんでもっと大事にしてやれないんだ!! お前の事を本当に思っているから、逆らってでも説得しようとしたんじゃないか!!」

 

距離が開いたバランに向けて、ダイは自身の感情を余すところなくぶつける。もしも、バランがラーハルトの言葉に考えを改めれば、とダイは微かな期待をしていた。だが彼の選んだ行動は、ダイを最も落胆させたものだった。

 

「その姿になったのだって、余計なことを考えたくないからだろう!? 違うか!?」

「どういうことだ?」

 

バランが何故変身したのか。そして、その変身に何の意味があるのか。予備知識の無い仲間達に、ダイは語る。

 

「あの姿は、(ドラゴン)の騎士の最強の姿……"竜魔人"と呼ばれる姿だよ。戦闘力が更に強化されるのは勿論、あの姿になると(ドラゴン)の騎士が持つ魔物と竜の力がより強化される。ああなったら、目の前の敵全てを倒すまで決して止まることはない……」

 

バランが竜魔人の姿になったのは、自分の覚醒とラーハルトがバランに逆らったことが原因だろうとダイは推測していた。

実の息子と義理の息子、それぞれがバランを否定する言動を行ったのだ。それも、人間の心が原因で。それはバランにとって認められる物ではない。痛ましい負の感情に耐えられなくなり、より凶暴な感情でその痛みを消そうとした。

だから竜魔人になったのだろうと、ダイはそう考える。

 

「全ての者に裏切られたから、全部消そうだなんて……そんなこと、絶対にさせない!! バラン!! お前はおれの親でも何でも無い!! おれはお前を絶対に許さない!!」

 

そう言うとダイは、すぐ近くにあった剣を手に取る。

それは先ほどまでチルノが使っていた剣――元々は彼女がダイの為に生産技能を駆使して加工した物だ。握っただけで自分の手に恐ろしいほどよく馴染む。当然だろう、彼の姉がダイに合うように微調整を施した剣なのだから。

 

――姉ちゃんは、おれがここで戦うために剣を持って行ったのかな?

 

チルノは剣を使えないわけではないが、魔法と比べれば遙かに不得手だ。幼い頃からダイの稽古相手となっていたが、アバンから教えを受けて、数々の戦いを勝ち抜いてきた今のダイと比べれば比較にならない。

つけ加えるなら、この剣はダイの為の剣なのだ。彼女が使っても、使いにくいだけのはず。そんなことは加工した本人が分からないはずがない。

 

だがそんなリスクを知っていてなお、チルノはダイの剣を持って行った。それは何故だろうか? それはきっと、今この場で使えと姉が導いてくれたからだろう。

ダイは剣を握りながらそう確信していた。

 

「みんな……姉ちゃんを、頼む……」

「ダイ……?」

「これから、おれはバランと戦う……だから、姉ちゃんを……もう、姉ちゃんが……これ以上傷つくところなんて見たくないんだ……」

 

その言葉は、これから始まる戦いがどれほど強大な物になるのかをひしひしと予感させるものだった。その余波だけであっても、怪我人が出るのではないかと思うには十分過ぎるほどだった。だからダイは最も信頼出来る仲間達に頼んだ。

チルノがこれ以上傷つく事がないように。

 

「わかったわ! チルノのことは任せて! 毛の先ほども傷つけたりなんてしない!!」

 

レオナはダイの意図を正確に汲み、力強く頷いた。それを聞き、ダイはバランへと意識を集中させる。

 

「ダイ、オレたちは……」

「クロコダイン、分かっているのだろう?」

「ああ、わかっている……この戦いには、もはや誰も手出しは出来ん……」

 

一応声を掛けたものの、手助けが無用なことはクロコダイン本人も痛いほど分かっていた。ダイの無念を思えばこそ、この戦いに介入できる者はもはやいないだろう。

 

「む……」

 

それはラーハルトも同じだ。立場的にはバランに加勢をしたいが、今の彼はバランから敵視されている身である。ならばダイの為に戦うべきか。だが見捨てられてなお、ラーハルトの心はバランを慕ったままだ。

結論は出せないまま立ち尽くし、ヒュンケルに肩を叩かれて彼もまた邪魔にならないように大きく下がる。

 

そして、親子の二人だけが残った。

 

 




ガルダンディーさん輝きまくり。原作の言動などから鑑みても、こういう役目をさせたくて仕方ありませんでした。びっくりするほどハマる、とても良いヘイト役です。
ダイをブチギレさせて、バランの心をチクリとさせる。
ボラホーンより目立ってるぜ!!(このためだけに生かされていた)

バランさん、竜魔人になったのに微妙に手心加えているんですよね。
その辺は次回に描写しますので。

ラーハルト。
彼は魔族の父と人間の母のハーフ。
でも父を早くに亡くし、母の手で育てられた。けれど時期が悪くハドラーが暴れたとばっちりで、母は人間に迫害されて病没。これが人間を憎む理由。その後、バランに拾われる。バランを父親のように慕い、バランも息子のように思っていた。
(――ここまで公式)

つまり、母はラハやんを庇って必死で育ててくれた。守ってくれた。早くに亡くした父親のことは覚えていない(バランの記憶に置き換わった)が、母親のことは覚えていて、凄く大切に思っていた。母の温もりと献身を、彼は忘れられなかった。
(――ここまで妄想)

で、チルノが命を捨ててでもダイの為に尽くした。そしてダイは記憶を取り戻した。そんな彼女の姿は、ラハやんにしてみれば自分の母と重なるんじゃないかなぁ? と思った結果、ラハやんまでもがバランの説得に参加するという展開に。
書いている本人が一番びっくりです。
(すごく嫌な表現をすると「マザコンがバブみを感じて寝返った」と……)


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LEVEL:49 追体験

「この辺かい、姫さん?」

「もう少し奥に……ええ、その辺がいいわ……」

 

チルノの遺体を抱きかかえるポップに指示を出し、レオナは少女の亡骸をできるだけ戦場から離れ、下が柔らかい場所へと下ろさせた。

上手い具合に草が生い茂っているおかげで、見た目にも寝心地は良さそうに思える。少なくとも地面にそのまま寝かせておくよりもずっとマシだろう。それにバラン達から距離が離れたおかげで、戦いの余波に巻き込まれる心配もずっと少なくなったはずだ。

 

レオナは改めてチルノを見つめる。

バランを相手に足止めを続け、挙げ句にはレオナにも向けられたギガデインの呪文を庇ったのだ。外傷はある。だがそれを差し引いても、死んでいるとは到底見えない死に顔だった。満足と、ほんの少しだけ後悔が混じり合ったような表情だと、レオナには思えた。

 

「みなさん!!」

 

不意に聞こえた声に、レオナだけでなくポップも顔を上げる。

 

「メルル!? どうしてここに?」

「もうしわけありません、実は……」

 

そこには、テランの地下でダイのことを頼んだはずのメルルの姿があった。まあ、ダイがこの場にいる時点で何があったのかはなんとなく察する事ができるのだが。

レオナの言葉にメルルは、地下で何があったのかを語り始めた。記憶を失っていたはずのダイが、何かに導かれるように紋章の力を発動させたこと。そして、その力で吹き飛ばされてしまい、今まで気絶していたこと。目が覚めたときには、鉄格子が折り曲げられていたことなどである。

 

「私も、この子たちがいなければ、まだ気絶していたかと思います」

「「ピィ!」」

 

メルルの言葉に、ゴメちゃんとスラリンが得意げな表情を見せた。スライム族特有の水滴のような形状でなければ、きっと大きく胸を張っていたに違いないだろう。

 

「あの、それで……チルノさんは……?」

「それが……」

 

今度はレオナが答える番だ。彼女は言いにくそうにしながらも、この戦いの最中に何があったのかをメルル達へ簡潔に説明する。

 

「そ、そんな……そんなことが……!?」

「ピィ!? ピイイィィッ!!」

 

その内容を聞き、三人は絶句する。特にスラリンの狼狽振りは一番大きいものだった。一番接してきた時間が長かった、と言うこともあるだろう。彼女の遺体にすがりつき、目を覚まさせんと必死で飛び跳ね、揺り動かしている。

 

「私の予知も、まだまだですね……」

「え……どういうこと……?」

「気絶している時に、夢を見ました。チルノさんとダイさんが、共に戦う不思議な夢……もしや予知かと思って来てみたのですが……」

「共に、戦う……!!」

 

その言葉にレオナは気がつかされた。

先ほどダイは「チルノが教えてくれる」と口にしていた。それはつまり、彼女の力と意識がダイの中に入り込んでいるからではないだろうか。

ならば、チルノを蘇生させることが出来れば、その力は元の場所に戻るのではないか。

 

とても都合の良い考えだが、今はその都合の良い奇跡が起こることを願うしかない。

 

「チルノが命を懸けてでもダイ君を元に戻してくれたんだもの……あたしだって」

「姫さん、何をする気だ!?」

 

魔法力を集中させるレオナの様子に、ポップがいち早く反応した。ポップの言葉に、彼女は内心の不安をかき消すように笑って見せた。

 

「チルノはダイ君の記憶を取り戻して見せた。ダイ君は、男の意地で元に戻って見せた。だったら、あたしも奇跡の一つくらいは起こしてみせなきゃね……」

 

これから行使する呪文は、この世界でも一握りの僧侶や賢者しか使えない呪文だ。

その呪文の名はザオラル。死者の体内エネルギーを聖なる力で活性化させ、蘇生させる呪文である。だが使えたとしても成功率は良くて半々という大呪文である。未熟な賢者でしかない自分が満足に操れるとは思えない。

 

「おねんねの時間にはまだ早いわよ……ここで貴方が死んだままじゃあ、バランの時と同じになっちゃう!! 首に縄をかけてでも、あの世から引っ張って見せるからね!!」

 

だが、成功させなければ、もっと酷い結末になるであろうことはわかりきっていた。チルノの意識を無理矢理にでも覚醒させるために、未熟と知りながらレオナは呪文を使う。チルノへ向けた言葉は、全て自分で自分に活を入れるための言葉でもある。

 

「神よ! ご加護を!!」

 

精一杯の魔法力と意識を込めながら、レオナは呪文を発動させた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

剣を握り、自分を睨みつけるダイのことを見ながら、バランは現状を再確認していた。紋章の力を拳という一点に集中させた今のダイは、通常時のバランを上回る。だが、竜魔人と化した今のバランならば負けるはずがないだろう。

 

――なによりも。

 

右手に持った剣、あれこそがダイの弱点だとバランは見抜く。なぜならば――

 

「オリハルコンで出来た"真魔剛竜剣"でなければ、竜闘気(ドラゴニックオーラ)に耐えられる武器は存在しない……か?」

「!?」

 

考えていることをそのものズバリ言い当てられ、さしもの竜魔人と化したバランですら瞬間的にドキリとさせられた。

 

「だったら、試してみるか? 本当に耐えられないのかどうかを?」

「調子に乗るな! もはやこの姿になった以上、息子と言えども慈悲はないのだ!!」

「だからどうした!!」

 

バランの言葉に怒りを露わにし、ダイは突進して剣で斬りかかる。バランはその攻撃を手にした真魔剛竜剣で迎え撃つ。そして、二振りの剣は互いに攻撃を受け止めた。(・・・・・)

 

「バカな!?」

 

あり得ない結果に、バランの動きが一瞬鈍る。

ダイの言葉通り、(ドラゴン)の騎士が竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にして戦えば、そのパワーについて行ける武具は皆無と言って良い。ましてやダイの持つ剣は、多少強化してあるとはいえ地上で作られた唯の"鋼鉄の剣"でしかないのだ。そんな物を全力で振り回せば、攻撃を受け止める前に燃え尽きるはず。

それがバランの――(ドラゴン)の騎士の常識なのだ。

 

「あんたはおれの大事なものを、たくさん奪った……」

「グッ……!」

 

動きの鈍くなったバラン目掛けて、ダイは疾風のごとき素早さで剣を振るう。その攻撃は竜魔人となったバランの肉体を切り裂き、浅いが確実にダメージを積み重ねていく。

その事実が、またしてもバランを焦らせる。

竜闘気(ドラゴニックオーラ)に覆われた自身の肉体を傷つけられるのは、同じ竜闘気(ドラゴニックオーラ)を込めた攻撃か、それ以上の破壊力を持った攻撃でなければならない。そのどちらもが、ダイの持つ剣では一撃たりとて耐えられないはず。ダメージを与えるどころか、まともに振るっただけで消滅しているはずなのだ。

 

だがダイは耐えられることを知っていた――いや、耐えられると信じていた。と言う方がより正確だろう。ダイの中に存在するチルノは、無意識にダイの求める情報を与え、ダイの望む行動を行っていた。

武具の強度について言い当てられたのも、バランの視線から推測した答えに過ぎない。ダイの持つ剣が耐えられるのは、彼女が技能を駆使して必死で修繕を続けているからに他ならない。チルノがそうしていると本能的に理解しているからこそ、ダイは臆することなく戦えていた。

 

「なによりも姉ちゃんの命を……!! ただで済むと思うな!!」

 

今のダイならば、望めばチルノの操る魔法や技術を使う事も可能だろう。だがダイは微塵もそんなことは思わない。自分の持つ技術だけでバランを圧倒して倒すことが、チルノが信じてくれた事に対する何よりの恩返しになるのだと、そう思っていた。

これは、唯の感傷。言ってしまえば、ただの意地でしかない。だが、最愛の姉を失った悲しみと怒りが、ダイにこれまでにないほどの殺気を纏わせる。

 

「このガキイイイイイィィッ!!」

 

その恐ろしさは、今のバランですら僅かにたじろぐほどだ。だがバランはその恐れを誤魔化すように吠えると、再び剣を振るう。大上段に構え、勢いよく振り下ろされた剣は、威力はあるものの速度が殺されている。

 

「遅い!」

 

極限の戦いの中で、その行動は致命的だった。ダイはバランの一撃を最小の動作で素早く避けると、すれ違いざまに反撃を叩き込む。

 

「アバン流刀殺法! 大地斬!!」

「ガアアァッ!!!」

 

まるで攻撃とはこうするものだと言っているような見事な一撃だった。大振りな攻撃の隙を狙われたためまともに避ける事も出来ず、それでもバランは必死で身体を捻って直撃だけは防いでみせた。

しかし、その代償のように、バランの片翼が半ばから切断されてしまう。元々人間の姿をしていたバランのため、翼に向ける意識は少なかったようだ。それでなくと、自身よりも遙か

に広い横幅を持っている。こんなギリギリの回避では防ぎきれなくて当然だろう。

――いや、もっと言えば、竜魔人と化したバランの肉体を傷つけられる者が今までいなかったことも要因の一つだ。下手に回避せずとも、竜闘気(ドラゴニックオーラ)と肉体そのものの頑健さが殆どの攻撃を弾いてしまうのだから。

 

「浅かったか!? けど、翼がなければ空は飛べないだろう!!」

「グググ……おのれ……」

 

縦一文字に切断された翼はその強力な剣圧によって吹き飛び、残ったのは全体の三割程度でしかない。片方の翼は無傷だというのに、もう片方は千切れている。そのアンバランスさは見た目に異常に深刻だった。

それまで均衡を保っていたはずの左右のバランスが、大幅に崩れたのだ。それはこの戦いにおいては大きなハンデとしてバランに襲い掛かる。

 

「次は何だ!? 竜闘気砲呪文(ドルオーラ)か? それともギガブレイクか!?」

 

殺意の込められた目をダイに向けるが、ダイは平然としたまま挑発するように言う。バランが隠し持った大技を、当然の様に言い当てながら。

 

竜闘気砲呪文(ドルオーラ)のことはダイは知らないはずだが、それを知っているということは……先ほどまで口にしていたチルノが教えているということだろう。

事ここに到って、もはやバランですらダイのそれを妄想の類いとは片付けられなかった。真魔剛竜剣の素材にしてもそうだ。もはや自分の情報の多くはダイに漏れていると言って良いだろう。

ならば――

 

「その安い挑発……高く付くぞ!」

 

真魔剛竜剣を地面に突き刺すと、バランは両手を突き出し掌底を併せて指を組む。そこだけ切り取れば、まるで神に祈りを捧げる直前のような仕草だ。

それを見たダイは、トベルーラの呪文を使ってバランよりも高所へと飛び上がる。それは、万が一にも地上に被害を及ばせないための配慮だった。

 

「撃ってみろ!!」

 

両手の中で竜闘気(ドラゴニックオーラ)が圧縮されていく様子を見ながら、ダイは更にバランの注意を引きつけるべく口にする。

 

「おれは、お前の全てを打ち破って勝つ!!」

「図に乗るなガキがあああぁ!! 竜闘気砲呪文(ドルオーラ)!!!」

 

バランの両手が開いた。

手の甲に竜の顔のような意匠を持つ竜魔人がこの構えを取ったことで、両手が竜の口のように見える。それが開いたことで、まさに竜がブレスを吐くかのようだ。いや、実際にそれを意識しているのだろう。

両手から放たれたのは、魔法力によって圧縮された竜闘気(ドラゴニックオーラ)である。その一撃は、呪文の性質を持ちながら呪文ではない。すなわち、マホカンタのような耐呪文用の手段では防げないということだ。

耐えるか避ける以外に生き残る方法は存在しない特殊な攻撃方法だった。

 

「うおおおおおっ!! 竜闘気(ドラゴニックオーラ)!!」

 

それを見ながらダイは、自身の竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にして受け止める。竜闘気(ドラゴニックオーラ)同士がぶつかり合い、凄まじい大爆発が発生する――はずだった。

 

「何が起きた!?」

 

バランの放った竜闘気砲呪文(ドルオーラ)は、ダイを素通りしていた。まるでそこに何もなかったかのように、放たれた一撃は何物にも邪魔されることなく天を目掛けてどこまでも進んでいくだけだった。

 

竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を……貴様、一体何をした!?」

「あんただって(ドラゴン)の騎士だろ!? だったら自分で考えてみろよ!!」

 

国一つを消し飛ばすほどの威力と範囲を兼ね備えた一撃を完全に無力化されることなど、(ドラゴン)の騎士の歴史の中でも一度としてありえないことだ。竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を放ったことで勝利を確信していたはずのバランの表情はみるみる焦燥感に苛まれていく。

 

――ありがとう、姉ちゃん。

 

反対にダイは、己の中にいる姉に感謝の言葉を贈っていた。

ダイが行ったのは、竜闘気砲呪文(ドルオーラ)をすり抜けたのだ。同じ竜闘気(ドラゴニックオーラ)を持つ存在であるダイだからこそ、自身の竜闘気(ドラゴニックオーラ)の波長を併せて、反発させることなく受け流して見せた。

それは本来の歴史で、ダイが大魔王との戦いで見せた方法の一つと同じ方法である。チルノは無意識にそれを教え、ダイはその教えを受け入れた。口にするのは容易だが、それを行うのは微かなミスも許されないほどの精妙な調整が必要だった。

だがダイはそれをやってのけた。姉が教えてくれたのだからという、ただそれだけの理由でだ。

 

「さあ、どうするバラン! 竜闘気砲呪文(ドルオーラ)は何発撃てる!? 二発か!? 三発か!? おれが失敗するまで根比べをするか!?」

「う、ああぁ……」

 

ダイの言葉よりも少なく、バランが竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を放てるだけの余裕は一回だけだった。その一回で、ダイが今の躱し方を失敗するのを期待できるほど楽観できるはずもない。

 

「こないのなら、こっちから行くぞ!!」

 

再び剣を握りしめ、上空からダイが襲い掛かる。一方、翼を切り飛ばされたバランは、慣れぬ重心に苦戦しながらも真魔剛竜剣を手にして、ダイと切り結ぶ。

だがダイの攻撃は重く鋭い。バランがかつて戦った時とは比べものにならないほどだ。それに加えて、今のバランは重心が狂っているのだ。それまでの感覚で身体操作を行おうとすれば、容易にバランスを崩してしまう。

 

「くらえええっ!!

「グッ……!

 

それでも百戦錬磨のバランは、慣れぬ身体でダイの猛攻を凌いでいた。バランがダイに勝るのは、積み上げ続けてきた経験だ。その経験を存分に使い、バランは今の状況を覆そうとする。

ベホマのような回復呪文を使おうとも、欠損した一部を復活させることは容易ではない。時間が掛かるのだ。ダイがその間を大人しく待っていてくれるはずがない。

だがこのままではジリ貧で負けることは目に見えている。そこまで思考したバランの行動は早かった。

 

「ウオオオオオッ!!」

「何ッ!?」

 

ダイを蹴り飛ばし、僅かでも距離を離した途端、バランは雄叫びを上げながら残った自身の翼を自ら切断してみせる。

 

「ハァ……ハァ……なまじ邪魔ならば、ない方がマシだ……」

「なんて執念だ……」

 

自傷の衝撃は、バランが思っている以上に大きかった。それは竜魔人となった精神状態であってもカバーしきれる物ではなかったらしく、目に見えて疲弊が大きくなっている。いくらかはダイの攻撃で追い詰められていたことも影響しているのだろうが、それでもだ。

 

「ギガデイン!!」

 

続けてバランは、剣を掲げて雷を落とす。その構えは彼らが今までの戦いで幾度となく目にしてきた必殺剣の動作。

竜闘気砲呪文(ドルオーラ)は既に避けられただけでなく、範囲も広い。その威力が分散してしまうのだろう。ならば、何をやったのかは知らないが、同じ避け方が出来ないように直接斬り殺すことをバランは選択していた。

 

「だが思ったよりも消耗が激しいようだ……ならば一気に打ち砕くのみ!」

「ギガブレイク……姉ちゃんは策と技術で無力化していた。でもおれは、真っ向から打ち破ってみせる!!」

 

そう言うとダイはライデインの呪文を唱えた。バランと比べればランクの低い呪文だというのに、それは強大な雷のエネルギーを剣に纏わせる。

 

「先生が教えてくれた技、おれの技術、そして姉ちゃんの剣! 負けるはずがない!!」

「ほざけ!! この形態(フォーム)でギガブレイクを使った時の破壊力は私自身にも想像がつかん!!」

 

ダイがライデインストラッシュを使おうとしているのは明白だった。だがバランはそれを見ながら無駄な足掻きと断じて鼻で笑う。

 

「この一撃には、残る全ての魔法力と闘気を込めた。もはやこれを耐えられる者など、この世に存在せん!!」

「やってみろ! おれだって(ドラゴン)の騎士だ!! 今のおれは、あんたよりも強い!!」

「貴様……!!」

 

互いの全エネルギーが剣へと伝わっていくのを目にしながら、バランはダイの言葉に苛立つ。なによりも、自分よりも強いという事実を心の中で少しずつ認め始めていることに苛立ちを抑えきれずにいた。

 

「覚悟しろ!! もはや貴様が死のうともなんの感慨も湧かぬ!!」

「それはこっちの台詞だっ!!」

 

もはや小細工など必要ない。使い手の命すら削り取るほどの一撃同士が、互いに正面からぶつかり合う。

 

「ギガブレイク!!」

「ライデインストラッシュ!!」

 

全力で振り抜いた剣同士がぶつかり合い、エネルギー同士が反発することで凄まじい爆発が生じた。だがその大爆発すらも、二人の必殺剣の前ではそよ風のようなものだ。激突する二つのエネルギーは互いが互いを飲み込んでいく。拮抗したかに見えたのは、瞬きするほどの僅かな時間でしかなかった。

やはりバランの消耗の影響が大きかったようだ。

ダイの攻撃はバランの一撃を上回り、その衝撃によって真魔剛竜剣を折る。鋭い太刀筋はそれだけに留まらず、バランの肉体を切り裂いた。だがバランの一撃も唯では済まない。衝撃がダイへと襲い掛かるが、彼の持つ剣はまるで意思を持ったかのようにその大半を受け止める。

 

「ギガブレイクを、正面から打ち破った!!」

「剣も、呪文も、そして魔法剣をも上回る、か……」

「バラン様……」

 

戦いを見守っていたヒュンケルたち三人が、それぞれ言葉を漏らす。いずれも類い希なる戦士である三人は、この戦いの結末を見届けていた。ダイとバラン、二人とも衝撃に吹き飛ばされているが、その勝負の結果は明白だった。

 

「ハァ……ハァ……」

 

強い衝撃に吹き飛ばされながらも、ダイはギリギリのところで余裕を持って姿勢を制御して、どうにか着地して見せる。対するバランは、衝撃に吹き飛ばされるまま動くことなく、森へと突っ込んでいく。

 

「おれの、勝ちだ!」

 

バランの姿を目にしながら、ダイは力を振り絞って叫ぶ。やがて、彼が握りしめていた剣は、まるでその役目を終えたことを悟ったかのように一瞬にして燃え尽きた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ダイ、無事か!?」

「うん……でも、剣がッ!!」

 

クロコダインの言葉に、ダイは砕け散った剣を見ながら悲壮な叫びを上げる。バランとの戦いの中で、この剣がなければいつ負けていてもおかしくはなかっただろう。

 

「チルノが、守っていたのだな……バランとの戦いの中でも……」

 

その言葉にダイは力なく頷いた。何が起きたのかは、ダイがこの場の誰よりもよく知っている。文字通り、命を捨ててでも守り続けたのだ。

 

「姉ちゃん……」

 

ダイは満身創痍の身体を引きずって、チルノの元へ向かう。

 

「ダイ、くん……」

「ダイッ! 姫さんを責めないでやってくれ!!」

「え……何が、あったの……?」

 

ダイが見たのは、チルノの傍で力なく沈んだ表情をしているレオナたちの姿だった。突然の謝罪の言葉を聞いて、ダイは何のことかと首を傾げる。

 

「ダイさん、それは私から説明します」

「メルル!?」

 

朧気な記憶の中、ダイは(ドラゴン)の紋章に導かれるままに力を使い、メルルたちを吹き飛ばして気絶させていたのだ。それを思い出して少々バツの悪そうな表情を見せる。もっともメルルは気にもとめていないようだが。

 

「レオナさんは、チルノさんにザオラルの呪文を使いました」

「ザオラル……それって確か……!!」

「ええ、死者を蘇らせると言われる大呪文です」

 

記憶の片隅にあった呪文の名を聞いて、ダイは驚いた。だが同時に、何故レオナ達が暗く沈んでいたのか、その理由も理解してしまう。

 

「ごめんなさい……あたしの、力が足りなくて……!!」

「そっか……レオナはそれで、謝ってたんだ……」

 

もしも成功していれば、ダイのことは彼の姉が真っ先に出迎えてくれたことだろう。それが叶わなかった時点で、成否がどうだったか尋ねることすら野暮だろう。

レオナの謝罪の言葉を受け止めながら、ダイはチルノの手をそっと握りしめる。

 

「目を開けてよ……おれ、バランを倒したんだ……バランの技を全部、正面から打ち破れるくらい、強くなったんだ……ほら、預かってた銀の髪飾りだって返すから……」

 

それは、戦いに赴く直前にチルノから手渡された物だ。ダイの剣を借りていくからその代わりにと渡されて、今までポケットに入れたままだった。その銀の髪飾りをチルノの手へ握らせて、ダイは更に力なく訴え続ける。

意地のようにバランの全てを正面から叩き潰して見せたのも、ダイなりの願いだった。自分が一人でも大丈夫だと証明すれば、きっと姉は元に戻るのではないかと願い、ダイはバランと戦っていた。

 

「もう……こんな力なんて要らない……姉ちゃんに返す! 返すから……足りなかったら、おれの(ドラゴン)の騎士の力も持っていって良いから……だから……!!」

 

そう言い続けるダイの姿を、全員が静かに見守っていた。ラーハルトですら、少し離れた場所からその様子を見守る事しかできない。先ほどまで、天地をひっくり返すほどの激戦を繰り広げていた一人とは思えないほどに、その様子は弱々しい。

 

「お願いだよ、姉ちゃん……目を、目を覚ましてよぉぉっ!!」

 

どうしていいのか分からず、ダイはチルノの亡骸にすがりついて泣き叫ぶ。その涙がチルノへとこぼれ落ちるが、だが彼女が目を覚ますことはなかった。

 

 

 

――そう、か……そうだったのか……

 

ダイが泣き叫ぶ様子を遠目から見ながら、バランは静かに理解していた。受けたダメージは重く、竜魔人の姿を維持できないほどだ。身体を少し動かすだけでも全身に激痛が走り、意識を保っていられるのが奇跡に近い。

それほどの大怪我を負いながら、バランの心はそれ以上の痛みを彼に与えていた。

 

ダイが今感じているのは、最愛の者を失うという最も耐えがたい痛みだ。その痛みは、バランもよく知っている。そして、その痛みを感じた者が何を願うのかも。

 

かつて、バランも体験した苦い記憶。最愛の妻ソアラの命を懸けた行動に救われ、だがその行動は、よりにもよってソアラの実の父親が愚かな行動だと断じた。その言葉と最愛の者を失った喪失感に耐えきれず、バランは怒りに狂った。

その傷みと苦しみを、バランは息子に与えていたのだ。それも、自らがダイを苦しめる立場として。最初にそれに気付いたのは、部下であるガルダンディーの言葉だった。だがそれを不要なことと断じて、無視し続け、ようやく気付いた時は全てが遅すぎた。

これほどの皮肉があるだろうか。

 

バランはふと、先の戦いを思い返す。

ソアラを失った悲しみと怒りにまかせ、バランが王国一つを地図上から消し去ったのと同じように。ダイもまたチルノを失った負の感情で、途轍もないほどの殺気を生み出していたのだ。それは戦いの魔獣となった竜魔人ですら竦み、まともな思考と行動を封殺するほどに強烈なものだった。

そうでなければ、ポップたちがチルノの遺体を運ぶ時や、ラーハルト達が下がった時であっても、バランは無慈悲に攻撃を加えていただろう。

 

――私は、ディーノに殺されて当然だ……なぜなら、私自身が証人だからな……

 

そこまでを理解して、バランは森から姿を現す。そのやり場のない怒りを受け止め、最後の決着を付けるために。

 

「バラン様!? 生きて、おられたのですね……」

 

ダイたちの輪から離れていたため、ラーハルトが真っ先に反応を見せた。死を覚悟していたバランが生きていたことに対する喜びの言葉だったが、バランはそれを一瞥しただけでそれ以上の反応を見せることはなかった。

荒い呼吸を繰り返しながら、ダイの元へゆっくりと歩みを進めていく。

 

「な、なんだ……まだやろうってのか?」

 

鬼気迫る様子に及び腰になりながらも、ポップがバランを睨む。だがそんなポップをダイは手で制すると、ゆっくりと顔を上げる。

 

「生きて、いたのか……」

「ああ、そうだ……」

 

息子の言葉に、バランは力なく首肯した。本来ならば感動の再会のように思えるそれも、今の状況では最悪の再会に近いだろう。

 

「どうした? 私はまだ生きているぞ」

 

バランは挑発するように笑い、ダイに戦いを続けるように誘導する。既にバランは戦える状態ではないが、ダイはまだ多少なりとも余力がある。

 

「だったら!!」

 

再び怒りの声を上げながら、チルノの懐からダイは自身のナイフ――これもパプニカのナイフと交換でチルノが装備していた物だ――を抜き放ち、立ち上がる。パプニカのナイフを模して作られたチルノ謹製のこの武器は、キラーマシンの装甲を加工して作った名品だ。これで攻撃すれば間違いなくバランの命は尽きるだろう。

尤も、今のバランを相手にするのならば"ひのきのぼう"であっても倒すのに十分過ぎるほどだろうが。

 

「ダイ!」

「バラン様!!」

 

ナイフを手にしたダイの姿に、それぞれの仲間が名前を呼ぶ。だがそれ以上動く事はなかった。バランが何をしようとしているのか、ダイがどんな気持ちでいるのか。それぞれが痛いほどによく分かるからだ。

 

「バラン!!」

 

憎々しげに睨みつけながら、ダイはナイフを構える。

 

「うわあああああっ!!」

 

そして、やりきれない怒りと共に手にしたナイフを地面に叩きつけた。手にした武器を捨てる行為に、その場の誰もが、ダイですら驚いた表情を見せる。

 

「何故だ……どうして私を殺さない……!?」

「姉ちゃんが……おれの中の姉ちゃんが言うんだ……バランを殺すなって……だから……」

 

全身に力を込めて下を向き、唇を破りそうなくらいに強く噛みながら、ダイは武器を捨てた理由をゆっくりと語り出した。

姉が望んでいた。だから手を止めた。

言葉にすればとても簡単なこと。だがそれを実行することの何と難しく、勇気の要ることだろうか。

 

「なんでだよ……姉ちゃん……」

 

再び大粒の涙を目端に浮かべながら、ダイはぽつりと漏らす。

 

「最期の言葉が、なんで『おとうさんと仲良くね』なんだよ!! なんでなんだよおおおぉぉぉ!!」

 

チルノが命を捨てる直前、ダイの耳にだけ届くように囁いた言葉。その内容を一言一句そのまま口にしながら、ダイは力の限り叫んでいた。

――父親と仲良くして欲しい。

だがそれは、ダイとバランの親子にとってはもはや世紀の難題と呼べるだろう。最愛の者が最期に託した願いは、仇と呼べる相手を恨むなということだ。その言葉は、まるで呪いのようにダイの行動を縛りつける。

ほんの少し傷を付けるだけでも、仇を討てる。だが当の本人がそれをするなと願う。その板挟みに、幼いダイの心は荒海のように揺れる。

 

「おれには無理だよ……だってバランは、あいつのせいで姉ちゃんは……違う、おれのせいだ……おれが弱かったら、姉ちゃんが……」

 

頭を抱えて、自問自答を繰り返し続けるダイの様子を見ながら、バランはゆっくりと目を閉じた。

人間をうらまないで……みんな臆病なだけなのよ。

バランはソアラ王女の最期の言葉を反芻する。

 

――完敗、だ……ディーノは私と同じ体験をしながらも、その怒りと憎しみを飲み込んでみせた。それの何と難しいことよ……同じことをソアラに告げられながらも、私は……私は……!! 人間の心……最も不要だと思っていた物に……

 

お願い……ディーノを探して……二人で、幸せに……

自らの命の火が消えていくのを自覚しながらも、残された者の幸せを願い続けたソアラの言葉が、バランの心を強く苛む。

 

――実の親子が憎み合い、殺し合う……ソアラ。お前もきっと、こんな愚かな光景を見たくなかったから、ああ言ったのだろうか……

 

バランは閉じていた瞳をゆっくりと開く。

そこには、相反する感情に突き動かされ、今にも壊れそうなダイの姿があった。

 

――私は……私は間違っていたのか……だが、せめて……ディーノにだけは……私の見た地獄をこれ以上見ることのないように……

 

バランが過ちを認め、そう決意したときだ。

 

「あっ! い、いやだ!!」

「ダイ!?」

 

急にダイが虚空を見渡しながら、自分の身体を拘束するように強く押さえ込んだ。

 

「姉ちゃんが……姉ちゃんが消えちゃう!!」

 

不意にダイを襲ってきた喪失感を、彼は姉の力が消えるのだと直感的に理解していた。自分の中で感じていた暖かな気持ちが急激に冷めていくのだから、そう判断しても無理もないだろう。

そしてダイの推測は当たっていた。

ゆうごうの魔法には、そんな効果はない。元々無理と奇跡を積み重ねて、今の状態になっていたような物なのだ。効果が発揮するのは一時的な物でしかなかったとしても、無理もないことだった。

 

――もはや一刻の猶予もない!!

 

「バラン! 何をする気だ!!」

「騒ぐな!!」

 

バランは慌ててチルノへと駆け寄ろうとする。だが当然ヒュンケルたちが止めようと動くが、その行動をバランは一喝して止めてみせた。

 

「ほんの数秒でいい、黙っていろ。これが終われば、私のことを殺しても構わん!!」

 

それは先の戦いの時の迫力に勝るとも劣らないものだった。だが決定的に違うのは、殺意がなかった。チルノのことを本気で案じているという感情が端々から伝わってくるようだ。

その気配に負けたように、彼らはバランに道を譲る。ダイですら、飛び掛かろうとしていた手を引っ込めたほどだ。

 

「…………」

 

全員の見守るなか、バランはチルノの上で手を強く握りしめる。その手の中から光り輝く液体が漏れ出し、その一滴がチルノの口へ吸い込まれていった。

何の意味があるのか、問いただそうとしたときだ。

 

「……うっ! ゴホッ!!」

「姉ちゃん!!」

 

チルノが唐突に咳き込んだ。それに最も早く反応したのはダイだった。それまでの悩みを忘れ去ったような速度で、チルノの元まで近寄ると、彼女の手を握る。

そこには命の温もりがやんわりと感じられた。

 

「嘘!? そんな……」

 

レオナが慌ててチルノの胸へ自分の耳を当てる。そこには心臓の鼓動が確かに響いている。

 

「生き返った!!」

「何っ!!」

「ま、まさか……!?」

「う……みん、な……?」

 

蘇生したという事実に全員が驚きの声を上げる。その声に突き上げられるように、チルノはゆっくりと目を開けた。続いて全身へ襲い掛かってくる気怠さと鉛のような重さに驚かされる。それも当然だろう、何しろ先ほどまで死んでいたのだから。このまま再び眠ってしまいたいという強い誘惑に駆られる。

だが本来の歴史を知るチルノは、何が起きたのかを朧気に理解する。自身がバランの手によって蘇ったのだということを。

自分が倒れていた間、何があったのかはわからない。だがそれでも、バランに言うことがある。ならばこのまま倒れているわけにはいかない。

 

「バラン!」

 

無理に身体を操り、チルノは上体を起こすと呆然としているバランに呼びかけた。

 

「あなたのおかげよね……? まずはお礼を言わせて貰うわ」

「あ、ああ……」

 

チルノの余りに早い覚醒に、バランは度肝を抜かれていた。

バランが与えたのは、自身の血である。古来より伝説の竜の血を飲んだ人間は不死身の力を得るという。その言い伝えに違わず、バランの血には死者を蘇らせる効果があった。

だがどんな者でも蘇らせるわけではない。死の淵から生還できるのは、強靱な精神力を持った者のみである。加えて、蘇生までの時間も個人によってまちまちである。

そしてバランが知る限り、これほどまで早く効果が現れたことはなかったはずだ。

 

「私には、何があったのかはわからない。でも、これだけは言わせて……」

 

そんなバランの心境など知らず、チルノは必死で頭を働かせ、言葉を紡ぐ。ここで下手をすれば、ダイとバランは永遠にすれ違ったままになるはずだと、それだけは本能的に悟っていた。

 

「母親は、子供のためなら何だって出来る。反対に父親は、子供に自分の一番カッコイイ姿を見せたがるって言うわ」

「それが、どうしたというのだ……?」

 

突然の言葉にバランはチルノの言葉の真意を測りかねる。

 

「あなたはまだ、ダイにそんな姿を一度だって見せてないでしょう?」

 

それは言外に、ダイと共に戦えとバランに訴えていた。戦いしか知らぬ(ドラゴン)の騎士だからこそ、戦場で最も素晴らしい姿を見せてやれ。父親らしいところを少しは見せてやれと言っていた。

 

「そんな姿を見せる資格が、私にあると思っているのか?」

「わからない……でも、ダイも貴方も生きているんだもの。可能性はゼロじゃない。それにダイは良い子だから、今は無理でもいつか分かってくれるはずよ……」

 

そう言うとチルノは、自分にすがりついたまま嬉し泣きの表情をしている弟を見る。ダイはその視線の意味がわからずとぼけた顔をするものの、すぐに何を言いたいのかを理解して不機嫌な表情に変わる。

 

「……義理の家族だから半分。親代わり見習いだからもう半分」

「……? 何が言いたい?」

「併せて四分の一だとしても、ダイとは十年以上付き合っているのよ。一年しか付き合っていない貴方よりは、ダイのことをよく知っているわ」

 

不機嫌さを隠そうともしないダイの頭を優しく撫でながら、チルノはそう笑顔で訴えた。未熟な分を差し引いてもなお、バランよりもチルノの方がダイとの付き合いは長いのだ。だから大丈夫だと言っていた。それでも、今すぐには無理だろうが。

 

「……フン、くだらんな……」

 

チルノの言葉を一笑するような態度を取りながら、バランは彼らに背を向ける。

 

「だが、ディーノのことを真に案じている者の言葉だと思えば、不思議と受け入れられるようだ……」

「バラン……!」

 

その言葉は、バランの方から歩み寄った小さな一歩。だが記念すべき一歩である。親子の多難な前途を無想しながら、チルノはゆっくりと瞳を閉じた。

 

「姉ちゃん!?」

「大丈夫よ、気を失っているだけだから……」

 

再び意識を失ったチルノにダイは慌てるが、すぐにレオナが取りなすことで平静さを取り戻す。そんな大騒ぎをしている一行へ背を向けたまま、バランはゆっくりと歩き出した。

 

「バラン! どうするつもりだ?」

「チルノが差し伸べた手を、お前は受け取ったのではなかったのか!?」

「……今はまず、やることがある。それに、少しでいい……時間をくれ……」

 

去ろうとするバランへヒュンケル達が問いただす。だがバランはそう短く告げると、振り返ることなく歩みを続ける。

 

「……ラーハルトか」

「お供いたします、バラン様」

 

その先で待っていたのはラーハルトであった。彼はバランの前で、臣下の礼を見せるように跪いていた。そんな彼を、バランは複雑な眼差しで見つめる。

 

「まずは、ガルダンディーたちの弔いでしょうか? それとも、傷の手当てが先でしょうか?」

 

ラーハルトにとって、あくまで(ドラゴン)の騎士であるバランこそが仕えるべき相手である。チルノの行動に心を動かされこそすれど、バランと共に歩む事が彼の望み。バランが命じれば、喜んで死地に赴くだろう。

 

「いや、そのどちらでもない」

「では……」

 

続く言葉を言おうとしたラーハルトを、バランは遮る。

 

「はっきり言おう。ラーハルトよ、お前はもう私に付いてこなくてよい」

「…………!!」

「忘れたのか? 私はお前のことを見限ったのだ。もはやお前は竜騎衆でもない。私に従う必要もない」

 

そこまで告げ終えると、バランは努めて優しい口ぶりへと変える。

 

「もう、お前は自由だ。好きに生きるがいい」

「な……ッ!?」

「もしもお前が人間に負い目を感じているというのならば、それはお前を竜騎衆に選んだ私の責任だ。お前の責任ではない」

 

それはラーハルトの罪もバラン自身が被るという決意の表れだった。だが続くバランの言葉は、彼を更に驚かせる。

 

「私に構う暇があるのなら、お前が先の戦いでディーノたちに感じた直感に身を委ねれば良い。その方が遙かに有意義なものとなるだろう。お前にとっても、あいつらにとっても……」

 

人間の心が未熟な(ドラゴン)の騎士である自分よりも、人の心をよく知るダイたちと行動を共にして心を学んでほしい。そして自分の見ていない間、ダイが危険な目に遭うことの無いように、守ってやって欲しいのだ。バランがそう訴えているのだ。

少なくともラーハルトにはそう聞こえた。

 

「あ、ありがとうございます!! そして、了解いたしました。このラーハルト、一命を賭してでも!!」

「何のことだ? 私はお前を殺そうとしたのだぞ。恨まれこそすれ、感謝される覚えなどない」

「いえ、そんなことはありません! オレにとって、バラン様こそが――」

「言うな!!!」

 

ラーハルトの感謝の言葉を、バランは強い口調で遮る。

 

「その先の言葉を受ける資格は、今の私には無い……」

 

そう言うとバランは、ボラホーンとガルダンディーの亡骸を抱えてこの場から去って行く。だがバランは『今の私』と口にした。ならばいつの日か、再びそう呼べるだけの資格を手にして返ってくるのだろう。

 

「父上……」

 

遠くなるバランの背中に向けて、ラーハルトは小さく呟いた。

 

 




死んだままの方がよかったかなぁ……???
(当初はここで融合しっぱなしで、一気に終わりまで持って行く予定でした)

ダイ君、バラン相手に無双状態です。まあ、お姉ちゃんと二人で戦ってますから。
これが、スクウェア・エニックスの力……(違)
会社二つの暴力には竜の騎士も勝てなかったよ……
(でも映画でコケると負ける)

戦いの最中、中の人はアドバイスしながら、壊れそうになる剣を修復し続けていた模様。一瞬でも気を抜いたらきっと剣は蒸発していました。

原作でもそうですが。この時点で親子が完全和解は無理ですよね。
(というか原作よりも根が深いですよねこれ。どうしよう……)
バランが強くて、こじらせ過ぎているのが悪いんだ……

そしてラハやん……扱えるのか私!?


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LEVEL:50 お目覚め

「ん……ここは……?」

 

チルノはゆっくりと目を開いた。彼女がまず感じたのは、身体を包み込むような柔らかな感覚。続いて視界に飛び込んできたのは、どこか見たことのある天井だった。

 

「姉ちゃん!!」

「ピイイィィッ!!」

 

次に耳に飛び込んできたのは、嬉しそうなダイとスラリンの声である。

 

「よかった……目が覚めたんだね……」

「え、と……ダイ?」

 

歓喜の涙を目に浮かべているダイの姿を見て、チルノは自分がベッドに寝ていることをようやく理解した。上体を起こそうとすると、慌ててダイが手を貸してきた。その手を握りながらどうにかチルノは身体を起こす。

すると彼女の胸元めがけてスラリンが飛び込んでくる。開いていた方の手でスラリンを受け止めながら、チルノは自身の現状をゆっくりと理解していく。

 

「ここって、テランのお城?」

「ええ、そうよ。あの後、大変だったんだから」

 

つぶやいたチルノの言葉に返事をしたのはレオナだった。見れば、チルノが寝ていたベッドから少し離れた位置にレオナがおり、彼女の近くにはメルルもいた。どちらも眠ったまま目を覚まさないチルノを心配そうにしていたのだろう。彼女たちの顔には、疲労の色が感じられた。

そして、その二人からもう少し離れた場所にはヒュンケルと――

 

「ラーハルト……?」

 

予想だにしない相手がいたことにチルノは驚かされる。何しろ彼が仲間になったのはチルノが意識を失っている間の出来事だ。経過を知らないため、どのような経緯で仲間になったのかを含めて彼女は一切知らないのだから。

 

「ああ。色々とあったのだが、ラーハルトはオレたちの仲間になった」

「仲間に……?」

 

本来の歴史でも、ラーハルトは確かにダイたちの仲間として加わる。だがそれは今よりももっと未来での出来事。戦い続けて傷つき倒れたヒュンケルに代わり、大魔王との戦いに向けて参戦することになるのだ。

だというのに、それよりも遙かに早い加入にチルノは戸惑いを隠せなかった。

 

「驚きはごもっとも、そして疑われるのも当然かと思います。ですが、オレはバラン様から託されました。ディーノ様を守ることを。そして、人の心を学ぶことを」

 

チルノの態度を見て、ラーハルトは自分が信用できないと思われていると判断したのだろう。彼はチルノの前に移動すると、彼女へ向けて膝をつき、臣下の礼を弁えたような態度と口調でそう言い始めた。

 

「お願いです、どうか行動を共にさせていただけませんでしょうか!? チルノ様!!」

「チルノ、様……!?」

 

その呼称は、ある意味ではチルノの意識を最も覚醒させた一言だった。バランとダイへの忠誠心の厚いラーハルトから様付けで呼ばれるなど、予想だにしていなかったことだ。

 

「なんで私を様付けで……?」

 

だが驚くチルノに向けて、ラーハルトは当然のこととばかりに続ける。

 

「チルノ様はディーノ様の姉にして、人の心を教え、これまで導いてこられたお方です。そして、いざというときには全てを投げ出してでもディーノ様をお救いできる。まさに、ディーノ様の相手に相応しいお方です。そのような方を、どうして呼び捨てになどできましょうか?」

「あ、はは……」

 

ラーハルトの重すぎる忠誠心に、チルノは苦笑いすることしかできなかった。とあれ、ラーハルトの立場から考えればその結論に至ったのもわからなくはない。

 

「わかりました。それに、ラーハルトほどの実力者なら、こっちからお願いしたいくらいです」

「では……!!」

 

チルノの言葉に了承を得られたとばかりに、ラーハルトの顔が晴れる。

 

「ただ、ダイのことはダイって呼んであげてもらえるかな? ダイにとってその名前は、まだ色々と受け止めきれないだろうから……」

 

チルノのお願いの言葉に、ラーハルトは自身の思慮が足りなかったことを痛感する。なるほど確かに、親子同士で壮絶な死闘を繰り広げたばかりなのだ。そしてダイにとっても馴染みの薄いディーノという名前では、むしろ嫌なことの方が多いだろう。

 

「かしこまりました。では、ダイ様と呼ばせていただきます」

「だそうよ、ダイ?」

「うん……」

 

どこかくすぐったいような、居心地の悪いような、そんな態度を見せながらもダイは様付けで呼ばれることを受け入れる。

 

 

 

「そういえば、私の格好のことなんだけど。誰かが着替えさせてくれたの?」

 

少し動いて身体のだるさを解消しようとしたところ、周りから「まだ寝ていろ」と止められて、チルノはしぶしぶベッドへと戻った。そのときに、自分が"魔道士のローブ"ではなく簡素な服を着ていたことに気づいた。そして何の気になしに、そのことを尋ねる。

 

「あ……それは私です」

 

メルルが遠慮がちに声を上げる。

 

「チルノさんの着ていたのは、ボロボロでしたので。勝手ですが、処分させていただきました。今は、王様に手配していただいた物に着替えさせていただきました」

 

直撃ではないとはいえ、バランのギガデインを受けたのだ。魔道士のローブはあちこちが焦げ付き、穴が開いて、防具としての機能を失っていた。チルノにこのままこんなボロ布のようなものを着せるのは心苦しく思い、着替えさせていた。

チルノが着ているのは、分類すれただの"布の服"でしかない。それも意識のないチルノへとメルルが着替えさせたのだ。

 

「そう、ありがとうねメルル。気を遣わせちゃったみたいで」

「いっ、いえ! そんなことは!!」

 

にっこりと笑ってお礼の言葉を述べるチルノに対して、メルルは若干赤らがかった顔で答える。

 

「あ、一応言っておくけれど。男どもには覗かせていないわよ。あたしが部屋の前で見張ってたからね」

 

後に続けとばかりに、レオナが口を挟む。着替えの最中、部屋の中にいたのはメルルとチルノだけという念入りっぷりを彼女は発揮していたのだ。

 

「それで、服のこともそうだったんだけれど……私がいない間に何があったの?」

 

若干砕けた空気になったことを察しながら、チルノは本題を切り出した。

彼女が知りたかったのは、自身が意識を失っている間に何があったかだ。ラーハルトが仲間となった時点で、何か大きな変節があったことは間違いないだろう。

そして、彼女が意識を取り戻したのはバランが竜の血を与えた直後。その間に何があったのか、再び意識を失って先ほど目覚めるまでに何があったのか。

 

「それもそうね。じゃあ、チルノがダイ君にメガザルの呪文を使ったところから――」

 

メガザル? とレオナの言葉に一瞬何を言っているのか分からず首をひねったが、続く説明に何が起こったのかをチルノもようやく知ることができた。

そのままレオナは言葉を続け、ダイが記憶を取り戻してからバランが去るまでの間、何が起こったのかをとくとくと語り続ける。

 

「――それで、意識を失ったチルノをこの部屋まで運んできたの。テラン王の好意で部屋を貸してもらえたのよ」

 

長かった話も、ようやく終わる。ダイの記憶喪失の時も含めて、テラン王には少なくない借りを作ってしまったようである。

 

「後はあなたも知っての通り、目覚めるまでの間、ダイ君はずっとあなたの隣を動かなかったわ。ダイ君だって疲れているはずなのに、一睡もしないままね」

「そう……そんなことがあったのね」

 

一言一句聞き逃すまいと説明に集中していたが、それが終わったことでチルノもまた少しだけ息を吐いた。その説明を聞いて何より驚かされたのは、ダイが自分の記憶と力を使っていたことだった。

 

「言われてみれば、ダイと一緒に戦っていたことを朧気に覚えているような……?」

 

すでに眠気が限界に近いのか、とろんとした半目になっているダイの頭を少しだけ撫でながら、チルノはあのときの感覚を思い出そうとする。とはいえ、本人の主観でははっきりとした記憶など何もない。ただ、ダイの願いのままに行動していたような感覚の残滓が、彼女の意識の中に残っているだけだ。

 

「そうなの?」

「うん。でも、言われればそうだったかも、くらいの感覚でしかないわね」

「あのときのダイは、鬼気迫る物があった。それに姉と共に戦っていると自信満々に言っていたからな。間違いではないのだろう」

 

ヒュンケルの言葉を聞きながら、それでもチルノにはやはり自覚は薄いままだった。それは、自覚していない以上に、懸念点があったからだ。

 

チルノの懸念点は、なぜ彼女の力が戻ったかである。

あくまで一時的に貸し与えていたものだから。ダイが不要と願ったから。戦闘が終わったのだから自動的に効果を失った。など、いくつか理由は考えられる。

だが、思いつく限り最悪の可能性は……

そう考えながら、チルノは横目でチラリとゴメちゃんを盗み見る。ダイの隣で笑顔を振りまいているゴメちゃんを――正確には、記憶にあるゴメちゃんと今のゴメちゃんとのサイズ差を比べていた。

 

――変わってない……かなぁ?

 

しっかりと定規で計ったでもない。あくまで感覚だけの結論でしかないのだが、それでもゴメちゃんの大きさに差は見られないように思えた。ということは、ゴメちゃんの力――神の涙の力――を使っていないということだろうか。

チルノがこっそりと自分の中で確認した限りでは、使える力も記憶のどちらもゆうごうの魔法を使う前と違いがないように思えた。

 

そう考えていた辺りで、ついにはダイの眠気に限界が来たらしい。チルノの膝元に頭を乗せた体勢のまま、眠りについていた。

そんな弟の様子を微笑ましく思いながら、チルノはもう一つの疑問を口にする。

 

「そういえば、ポップとクロコダインは?」

「あの二人ならば、外の見張りに出ている。バランとの激戦が終わった後だからな、魔王軍が追撃してくるかもしれん」

 

この場にいない二人の名前を出すと、ヒュンケルが答えた。

 

「ダイはお前の傍を離れようとはしないし、そもそも本来ならば寝ていなければおかしいほど疲弊していたのだ。本当ならばオレも立つつもりだったのだが……」

 

そこまで言うとヒュンケルは一旦言葉を切り、ラーハルトに鋭い視線を飛ばす。

 

「その男が何かしでかさんかと、心配でな」

 

ヒュンケルの口ぶりは、あくまでラーハルトのことを信じ切っていないようだった。だが、その本心は違う。同じような立場でダイたちに受け入れられたヒュンケルは、似たような経緯で仲間になったラーハルトのことを心配していたのだ。

それは、少しだけ先輩だった者の意地とでも言うべきか。不慣れなことがあればフォロー程度はしてやろうという意思がそこにはあった。

 

「フッ、それこそいらん心配だ。それにチルノ様にも認められた以上、お前がオレを見張る必要もあるまい?」

 

ラーハルトもヒュンケルの気持ちが少しは分かっているのだろう。ヒュンケルの言葉を挑発するような態度で無用と言い切り、心配せずとも仲間の加勢に行ってはどうだと遠回しに忠告する。

 

チルノはその二人のやりとりを聞きながら、本来の歴史を思い出していた。彼女の記憶では、この場の見張りはポップ一人が立つはずだった。そこに襲いかかるのは、ハドラーとザボエラの二人である。油断していたポップはザボエラの姦計にはまり、危機に陥る。

今回の場合はクロコダインもいるのだから、本来の歴史よりは安全であるはずだ。だが決して油断はできない。

 

「でも、ポップたちだって疲れているんだろうし……交代で見張りに行った方が……」

「呼んだかい?」

 

どうにかポップたちを助けに行こうと口に仕掛けたところで、部屋の扉が突然開くとポップが顔を出した。その背後には、クロコダインの巨体も見え隠れしている。

 

「お、チルノじゃねえか! ようやく目が覚めたんだな!」

「ポップ君!? どうしてここに!?」

「見張りはどうした!?」

 

チルノが目を覚ましたことを喜ぶが、レオナとヒュンケルがポップを口々に責め立てる。何しろ今まさに、見張りに出ていたという話題になったばかりである。その当人がこうして顔を出しているのだ。何がどうなったかと問いただしたくなるのも当然である。突然の騒がしさにダイが目を覚ましたほどの騒がしさだ。

 

「いや、そう慌てるなって。まずは紹介したい人がいるんだよ」

「紹介したい人?」

 

その言葉を合図にしたように、ポップの後ろからのっそりと姿を現す。

 

「よぅ、おめぇら」

「マトリフさん!?」

 

そこには、かの大魔道士の姿があった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

マトリフの襲来を、チルノは驚きの目で見ていた。いや、マトリフ自身が来るのは彼女も知っていた事実である。

そのため、ここに来たことには驚かない。

彼女が驚いていたのは、マトリフが普通に現れたことだ。

本来の歴史でも、危機に陥ったポップを助けにマトリフが現れる。ハドラーのベギラマを自身のベギラマで相殺しつつポップにキアリーの呪文を使い、ハドラーが極大閃熱呪文(ベギラゴン)を放てば自身も同じ呪文で迎撃するという派手な見せ場があった。

 

その戦闘の一切がないまま、姿を見せたのだ。驚くなという方が無理である。

 

「ん? 誰だコイツは?」

 

そんなチルノの驚きを知ってか知らずか、マトリフはラーハルトに鋭い視線を向ける。

 

「名はラーハルト。ダイ様たちと共に行動することになった」

「ふーん……ま、お前らが信用したんだ。裏切られても文句は言うなよ」

 

ラーハルトは、その肌の色から魔族の血を引いていることは一目瞭然である。ついでに言えばマトリフはチルノから本来の歴史について聞かされているため、ラーハルトのことは知っている。

だが立場上知らないフリをした上で、裏切ることのないようにと釘を刺していた。

 

「大丈夫、ラーハルトはもう私たちの仲間ですから」

「へぇへぇ、甘いこって」

「チルノ様……」

 

チルノはラーハルトを信頼する言葉を口にすると、マトリフは軽く流しながらも注意するよう遠回しに訴え、ラーハルトは自分が受け入れられたことに感動していた。

 

「それよりよぉ、師匠! ダイが(ドラゴン)の騎士だって知ってたんだろ?」

「ああ」

 

ポップが我慢できなかったとばかりに口を挟んでくる。

 

「それならそうと早く教えてくれりゃよかったんだよ。それにダイが記憶喪失になった時もどっかに消えちまってたしさ! 全く、どこに行ってたんだよ!! 師匠がいりゃ、チルノがあんな目に遭わずに済んだかもしれねぇってのに!!」

 

最も大変な時期にいなかったマトリフに対する不満をありありと口にする。ポップからみれば、肝心な時に不在のままだったのだ。頼るべき相手がいないことに、不機嫌さを隠そうともしない。

だがマトリフはそんなポップの言葉をひと睨みで封殺すると、ため息交じりに口を開いた。

 

(ドラゴン)の騎士の運命があろうとも、こいつらなら大丈夫だと思ったんだよ。何しろ、ダイのためなら何でもするって存在がいるんだからな」

 

その言葉は、チルノが命を懸けたことを諫めていた。チクチクと針のむしろのような痛みを心で受けながら、チルノは誤魔化すように苦笑いを浮かべる。

 

「それに、オレが下手に手助けするよりも、もっといい物があったからな」

 

それを見て、とりあえずの警告は済んだとばかりにマトリフは懐から一冊の本を取り出してみせる。

 

「これを探してきたんだ」

「なんだい? この汚ねぇ本……」

 

マトリフから本を受け取ったポップは、まずその本の古めかしさに顔をしかめる。だがそれも一瞬のこと、表紙を見た途端に表情が一変する。

 

「こっ、このマーク! それに表紙の文字……まさかっ!?」

「あっ! そうだよ、これ!!」

「そう……これが有名な"アバンの書"だ」

 

ポップたちがまず気づいたのはマークだった。このマークはアバンが自身の物と証明する印である。続いて確信したのは文字だ。ダイたちの修行不足を補わせるために書いた"アバンの手記"を彼らは穴が開くほど読み返している。その文字を見れば、嫌でも気づいた。

 

「世界を救った勇者アバンが、その武芸・呪文・精神の全てを後生のために記した、この世に一冊しかない手書きの本さ……」

「そんな本があったなんて……ちっとも知らなかったぜ」

「じゃあ、マトリフさんはそれを探しに……?」

 

レオナの言葉に、マトリフは頷く。

 

「やつの母国・カールの図書館にあったよ。幸い宝箱に入っていたから、燃えずに済んでいた。カール王国の所有物だが……」

 

そこまで言うとマトリフは、どこか歯切れが悪そうに一瞬だけ言葉に詰まった。その謎の行動にポップたちは首を傾げるが、すぐにマトリフは二の句を継いだ。

 

「まあ、今はお前らが持っていた方がいいだろう」

「……?」

 

なぜそんな言い方をしたのか、チルノですら分からずに頭を捻る。だがマトリフはその疑問については何も言わぬまま、ダイにアバンの書を渡す。

 

「ダイ、空の章……192ページを開けてみな」

「うん」

「地の章は武芸、海の章は闘気の技や呪文について書かれている。そして空の章は……心の章だ」

 

本を受け取ったダイはペラペラとページをめくり、目当てのページを探す。そしてようやくたどりつくと、一字一字を確認するように読み始めた。

 

「えーと、傷つき迷える者たちへ……」

 

本来の歴史では難しい字が多くて読めず、レオナに代わってもらったダイであったが、この世界ではチルノらによって鍛えられている。確かに難解な文章ではあったが、今のダイならば読むことは可能だった。

 

「読んでいる間、ちょっと借りてくぜ」

「え、ちょっとマトリフさん……?」

 

ダイが読み始めたのを確認したところで、マトリフはチルノの腕を掴むと強引にベッドから立ち上がらせる。その様子にダイたちはマトリフを止めようとするが、彼もまた譲らない。

 

「聞いた話じゃあ、コイツはちょっととんでもねぇ無茶をやらかしたそうじゃねぇか。このオレ手ずから、変なところがねぇか見てやろうと思ってな」

 

そう言われれば、強く反論できなかった。何しろ世界最高の魔法使いであり、世界屈指の知識人でもある。少なくともこの場の全員と比較しても、知識面は比べものにならない。

 

「なぁに、取って食うわけじゃねぇ。安心しろ。健康診断だよ、健康診断」

「大丈夫だから、ちょっと行ってきます」

 

ややしまりのない顔を見せたマトリフの様子に一抹の不安を抱えながらも、チルノの言葉を信じてダイたちは見送る。そして部屋には、アバンの書を読むダイの声が再び響いた。

 

 




……え、50話!?
おかしい……予想ではとっくに終盤のはずなのに……

今回は(読み飛ばしても問題のない)現状の確認会でした。
(しかしバランがカール王国で"勇者行為"をしてなくて本当によかった)
あれ、ハドラーはなんで出てこなかったの?? みたいなのは次で。

多分そろそろ不定期更新になります。
(時期的な意味でも、展開的な意味でも)
(なので今回短くてごめんなさい)


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LEVEL:51 そして脚本は動き出す

マトリフに先導される形で、チルノは城内の別の一室へと入った。部屋に入るなり、マトリフは近くにあった椅子へどっこいしょと声を上げながら座ると、チルノをギロリと鋭い目つきで睨んだ。

 

「ポップから、大体のことは聞いた」

「あはは……やっぱりそのことですか……」

 

チルノもまた、近くにあった椅子に腰掛けてマトリフと正面から向き合う。嘆息混じりに吐き出された言葉を耳にしながら、少女は誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。

 

「すみません。でも、あのときにはそれ以上の手が浮かばなかったんです」

「……とりあえず、何があったのか。お前の口から聞かせろ」

「はい……」

 

虚偽は許さんとばかりの視線をその身に受けながら、チルノはバランと戦いの中で何があったのか、その一部始終をマトリフへと話していく。

やがて――その全てを聞き終えると、マトリフは軽く天を仰ぐ。

 

「なるほどな。だからか……」

 

どうしたものか。そう言外に語るような口ぶりで呟く。

 

「あの、何が……?」

「言いたいことは色々あるが、まずはお前からだ」

 

何を言っているのか、その理由を問いただすよりも早く、マトリフが口を開く。

 

「ダイは記憶を取り戻し、親子の仲は……まあ、最悪ではない。それどころか新しい仲間まで加わって万々歳――そう思ってるだろ?」

「え……ダメでしたか?」

「お前が死んでなけりゃ、オレだって文句はねぇよ」

「う……」

 

融合の青魔法を使い、ダイの記憶を取り戻させる。その目論見は成功したが、代償としてチルノの命を支払うことになった。マトリフはそのことを責めていた。痛いところを突かれたとばかりに、チルノは言葉に詰まる。

 

「で、でも! 本来の歴史ではポップが命を失う羽目になっていたんです! それに比べたら私の命くらい……」

「それだ」

 

なおも訴えようとするチルノの言葉を、だがマトリフは一言で切って捨てる。その力強い言葉に、チルノも半ば強制的に口を閉ざしてしまうほどだ。

 

「お前はこの世界という物語の脚本を知っている唯一の人間だ。そして人間は前例があるとそれに頼っちまう。つまりお前は、自分が知る展開と同じ道筋を無理矢理にでも辿ろうとしているんだよ」

 

チルノが黙ったことを確認してから、マトリフは説教を再開する。

 

「それが悪いとは言わねぇ。オレだって、そんな知識がありゃそうしてるぜ。ただ、その知識がそろそろ役に立たなくなって来ているってことを自覚しておけ」

「え……? マトリフさんは、何か知っているんですか?」

 

まるで見てきたかのような口ぶりで話すマトリフの様子に、チルノはたまらず口を挟んだ。だが当のマトリフは、その言葉に待ってましたとばかりに意地悪い笑みを浮かべる。

 

「ああ、お前の話ならばオレはハドラーと戦うと聞いていたが、いなかったぞ」

「え……!?」

「嘘じゃねぇさ。念のため周囲も探ってみたが、そんな物は影も形もなかった。仕方ねえからそのままポップたちに顔を出したんだからよ」

 

微かに遠い目をしつつ、マトリフは今もなお頭の一部分は緊張状態を維持させて敵襲に備えていた。近くに、探知用の魔方陣を設置した。だがそのいずれにも引っかからない。

だが今回の場合は、何もないことが問題なのだ。

ハドラーに果たして何があったのか。チルノはあれこれ可能性を考えるものの、情報が少なすぎるのだ。結局はどれも想像の域を出ない。

 

「他にも……おっと、何でもねぇ」

「ちょ、ちょっと! まだ何かあるんですか!?」

 

続く、明らかに知っていながら相手をからかう口ぶりに、チルノは更に焦らされる。すでにハドラーが不在という相違点を教えられているのだ。それに加えてこれ以上何があるのだろうかと、本人からしてみれば気が気でない。

 

「くくく、まあ、たまにはハプニングに身を委ねてみるのも良いんじゃねえか? 何せお前は、本来の歴史に介入しているんだ。どこかに歪みが出てくるのは当然だろうが」

 

だがマトリフはチルノの様子をどこか楽しそうに眺めながら、取り合おうとはしなかった。その言動から、何か未知の脅威などではないだろうとアタリをつけられはしたものの、こちらも情報が少なすぎるのだ。それ以上はどうしようもない。

 

「それともう一つ。お前は自分よりもポップが生き残ればそれで良いと思っていたんだろうが、それは違うからな」

「え……?」

 

頭を整理しなおそうとしたところで、更に続く言葉を投げかけられた。だが今度は至って真面目な様子である。その雰囲気にチルノも自然と背筋を伸ばす。

 

「お前がいなくなれば、世界に絶望しかねない相手はいるんだ。そのことだけは肝に銘じておけ」

「――そう、ですね。もう、いい加減……」

 

心当たりがないわけではない――というよりも、一人しかいない。自分の弟の顔を思い出しながら、同時にバランとの戦いのことを思い返す。朧気ながら感じたダイの感情は、大切な存在が命を懸けてくれた。自分はそれだけ強く思われていたという喜びと、そんな存在を守れなかった自分に対する怒り、そしてその原因を引き起こした眼前のバランへの強烈な怒りだった。

これまでチルノは、ダイのことを弟だと思っていた。本来の歴史ではレオナと結ばれたのだから、そうするのがダイにとって最良なのだとずっと思っていた。記憶を失ったダイに対して、厳しくも強い言葉を投げかけられたレオナの姿を見て、これならばダイを任せられるとさえ思っていた。

だがその想いはレオナもまた同じだったのだろう。ダイがチルノのことを想っていると理解しているから、あんな態度を取れたのだ。

今まで見ないようにしていた気持ちに向き合い、少女の心は大きく動く。

 

チルノのそんな思い詰めたような表情を見ながら、マトリフは一先ずは大丈夫だろうと判断していた。この世界はチルノの知る物語の中ではないのだ。出会いが変われば想いも変わる。そして何より、物語のために自己を捨てる必要はないということに気がついた。

 

「さて、そっちの方はもう問題ないようだな。じゃあ次は、お前が生み出した歪みの犠牲者についてだ」

 

問題の一つが片付いたことを確認しながら、もう一つの問題についてマトリフは向き直る。だがチルノは最初、その言葉の意味を理解できなかった。たっぷり十数秒ほど考えた後、ようやく口を開く。

 

「ひょっとして……ポップのことですか……?」

「ああ、そうだ。お前の一番の犠牲者かもしれねぇな」

「う……っ……」

 

含みを持った言い方に、チルノは思わず小さくなる。

本来の歴史では、命を落とすのはポップであった。そして、バランから竜の血を与えられ、蘇生すると同時に大幅な強化がされていたのだ。

だがこの世界ではチルノがその役目を負っている。一番の犠牲者というマトリフの表現も正鵠を得ているだろう。

 

「最初に会ったときは驚いたぜ。あの野郎、がむしゃらに力を求めていやがったからな。何事かと思ったが、お前の話を聞いて合点がいったぜ……」

 

外で警備をしているポップと再会したマトリフは、ポップの瞳の奥底に眠る力への渇望に気がついた。本人は隠しているつもりだろうが、マトリフから見れば一目瞭然であった。百年近く生きているのは伊達ではない。似たような事例など幾らでも見たことがある。

 

「ま、ポップの立場から見れば、激戦の中で何も出来なかったんだ。そりゃ、ああなってもおかしくはねぇよ」

「それって、やっぱり……私のせい、ですよね……」

 

マトリフの言葉に、チルノの様相は暗くなる。

 

「本当なら、ポップはダイの一番の親友としてあの戦いでも死力を尽くしたんですから。それが今回の場合は、私が全部持って行っちゃったんですから……」

「……お前、少し勘違いしてるだろ?」

「え……!?」

 

悲壮な表情を浮かばせるチルノを見ながら、マトリフは嘆息を吐きながら答える。

 

「お前の知る世界のポップだったらそうだろうな。良いところを全部持って行かれりゃ、腐りもするだろうよ」

「あ……っ!」

「けれどこの世界のポップは違う。お前という存在がダイの隣にずっといたことを知っているのだ。だったら、自分は一番の親友だなんてそうそう口に出来るもんじゃねぇ。まあ、友情だ仲間意識だって物は持ってるだろうが」

「じゃ、じゃあどうして!?」

 

そう、マトリフの言うようにこの世界ではダイとポップの出会いもまた異なっている。だがチルノは意識の中では、どうしても本来の歴史のポップを思い描いてしまうのだ。

 

「自負が無い分だけ、ダイの力になりてぇって感情が強くなってるんだろうよ。ダイの隣に並べるだけの男になりてぇってな。それが今回の戦いでは良いところなしで、その上これ以上強い敵が控えているんだ。焦りもする」

 

だがこの世界は違う。ダイの力になりたいと思っているのは同じでも、懸ける意気込みが異なっているのだ。ダイに影響を受けたとはいえ、その成り立ちが異なっている。

付け加えるならば、チルノにも多少なりとも影響を受けているのだ。同じアバンに教えを受けた者であり、ましてや彼女は卒業の証も受け取ってはいない。そういう意味では、ポップはチルノを自分とどこか同じように捉えていた部分があった。

だがバランを相手に見せつけたチルノの圧倒的な存在感にそれも吹き飛ばされていた。

 

「本来なら――竜の血だったか? それのおかげで底上げがされたみてぇだが、この世界じゃあそれもない。それに加えて今の精神状態だったら、近いうちにデカい失敗をするだろうよ」

「そんな! なんとかならないんですか……!?」

 

デカい失敗と言われて、チルノの脳裏に浮かんだのはメドローアを跳ね返されて消滅する一行の姿だった。さすがにそこまでの未来はそうそう起こりえないだろうが、それでも注意しておくに超したことは無い。

 

「まあ、仕方がねえだろ。オレがなんとかしてやるよ」

 

必死に訴えるチルノを見ながら、マトリフはにやりと不敵に笑った。

 

「ほ、本当ですか!? でも、どうやって?」

「それは――」

「それは……?」

「わからん」

 

あまりに落差の大きい間抜けな発言に、思わずチルノは椅子から転げ落ちた。

 

「ナハハハハ! まあ、しばらくポップは借りるぜ。何日かすれば、良い案も思いつくだろうよ」

「は、はぁ……とにかく、ポップのことはお願いしますね……」

 

よろよろと椅子に体重を懸けながら立ち上がる。その様子をマトリフは真剣な表情で眺め続けている。

 

「まあしかしなんだな」

 

そう言うが早いか――

 

「ひっ!」

「竜の血を飲んだ人間は力を得るっていうのに、お前は全然変化がないな」

 

まさに電光石火の早業。いつの間にかマトリフは椅子から立ち上がると、チルノの尻をなで回していた。さわさわと無遠慮な感触が這い回り、チルノは反射的に払いのけようとする。

 

「マトリフさん!!」

「おっと」

 

だが相手の方が何枚も上手だ。軽くよけられてしまう。

 

「まあ、迷惑料ってところだ。堅いこと言うなよ」

 

スケベな表情を浮かべてそういうマトリフを見ながら――それでも言っていることには一理あるため――チルノは必死で自身の内側から湧き上がる感情を抑えていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ただいま……」

 

どこか疲れたような様子を見せながら、チルノはダイたちがいた部屋へと戻る。マトリフとの話はアレで終わりであり、結局マトリフに触れられたのはあの一度だけだったとはいえ、その一度だけで精神的な疲労は相当なものだったようだ。

だがそんなチルノを見るなり、スラリンがその胸に飛び込んでいく。

 

「ピィ!!」

「ありがとうスラリン。心配させちゃったみたいね」

 

チルノも慣れたものであり、スラリンを一瞥しただけで受け止めながら、続けて部屋の様子に目を配る。椅子に座ったヒュンケルがアバンの書に目を通しており、ダイもその横で同じくアバンの書を見ているようだ。ラーハルトは少し離れた場所で壁を背にして無表情で目を瞑っている。クロコダインとポップはラーハルトを監視しているような様子を見せ、レオナはメルルと何かを話していたらしく、決意の込められた表情をしている。

 

「姉ちゃん、おかえり。大丈夫だった?」

「うん、まあ、それなりに」

 

退室間際にあったことを思い出すものの、余計な波風を立てるのもどうかと思い、ダイの言葉にチルノはスラリンを撫でながらそう返す。

 

「戻ったか、チルノ」

 

その騒ぎを聞きつけた、というわけではないだろうが、ヒュンケルが書から顔を上げる。

 

「後でアバンの書を見ておくと良い。色々と得る物があるはずだ」

「ええ、ありがとう……ヒュンケルは何か得られた?」

 

そう言うと再び視線を下に落としたヒュンケルへ向けて、チルノは何気なく尋ねる。アバン手記によって闘気技を学んだとはいえ、アバンの書は万人に向けて書かれた武芸の書物である。アバンから直接教わった以外にも得るものが色々とあるはずだ。

そう思っての、何気ない言葉にすぎなかった。

だがその言葉は、チルノの予想を超えてヒュンケルは強く反応する。

 

「ああ……いや、最初から学び直している途中と言ったところか。なにしろ、どこかの誰かに少々遅れをとったからな」

 

冗談めかした口調ではあるものの、その言葉の真意には遠慮や謙遜と言ったものは一切含まれていない、本気のそれが潜んでいる。そしてそれは、一人の男の興味を引くには十分過ぎたようだ。

 

「ならば、精々学び直しておくことだな。何度も無様な姿を見せては、師も浮かばれまい」

 

すぅっと、室内の温度が数度下がったような、鋭い気配が場を突如として支配する。ラーハルトの言葉にヒュンケルが少しばかり強く反応したためだ。

 

「ああ、当然だ」

 

その言葉に今度はラーハルトが少しだけ反応をみせる。室内は更に剣呑さを増し、知らぬ者が見れば一触即発だと思うことだろう。

その様子を見ながら、チルノは一計を案じる。

 

「だ、だったら二人で修行をしたらどうかな?」

「……なに?」

「ほら、ヒュンケルはラーハルトと似た境遇だし、似たような相手ならば打ち解けやすいんじゃ無いかと思って……ダメかな?」

 

それはある種の賭けでもあった。

ヒュンケルとラーハルトの二人は、本来の歴史でも激戦を繰り広げた相手同士。その二人で競わせれば、互いに互いを研鑽しあう良きライバルとなれるのではないかと。そう考えたのだ。

遠慮がちに尋ねるチルノの言葉に、はたしてラーハルトは無表情のまま口を開いた。

 

「かしこまりました。チルノ様がそう仰られるのでしたら、従いましょう。ついでにその男のことも、少々鍛え直しておきます」

「ああ、それは楽しみだ。早々にお役御免とならなければいいがな」

 

現状、確かにラーハルトの方が腕前は上だろう。ならばこそ、挑発めいた物言いも納得できる。そしてヒュンケルはそれを受け入れた上で、さっさと上達して追い抜いてやると返していた。

 

「姉ちゃん……本当に大丈夫なの……?」

「だ、大丈夫……多分ね……」

 

小声で尋ねてきたダイに対して、同じく小声でチルノは返す。二人のやりとりは、仲間同士で仲良くすることしか知らないダイたちには少々理解するのが早すぎたようだ。

 

「ついでだ、クロコダイン。お前も付き合え」

「む、オレか?」

 

いつの間にか室内の剣呑な雰囲気は消えていた。クロコダインもあの気配に少々飲まれていたのだろう。ヒュンケルの言葉に正気を取り戻したような様子でそう答える。

 

「ああ、アバン流には斧を使った戦い方も当然ある。奥義はそれぞれ豪地断・乱海断・崩空断というそうだが……どうする?」

「そうね。損はしないと思うけれど?」

 

ヒュンケルの言葉に渡りに船とばかりに、チルノが乗っかる。大変ではあるだろうが、間違いなく実力はあがるだろう。そしてなにより。

ヒュンケルとラーハルトとのマンツーマンでは、互いに意地を張って倒れるまで延々と続けかねないという不安が彼女の中にわいていた。ならば、常識人でもあるクロコダインがいれば、いくらかでも中和されるだろうという少々ずるい魂胆もあったりする。

 

「ふむ……確かに、ダイやヒュンケルといった戦士を育てたアバン殿の教えには武人として興味がある」

 

そんなチルノの少しだけ黒い部分を知ってか知らずか、クロコダインはヒュンケルの誘いに乗り気の様子を見せる。

 

「付き合おう。ただ、奥義を使うのは少々気が引けるがな……」

 

大地裂断と自ら名付けた技を使うときでさえ散々葛藤した程度には不器用な男である。たとえ術利や体捌きなどを学んだとしても、それを易々と使うことは無いのだろうその姿は容易に想像がついた。

 

「よっし、おれも師匠に修行をつけてもらうとするか!!」

 

そんなヒュンケルたちの姿に感化されたように、ポップもやる気を露わにする。そんな仲間たちの様子を見ながら、レオナは強く頷いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

大魔王バーンの座する玉座の間から、ハドラーはゆっくりと姿を現した。その表情には余裕がなく、思い詰めている。部屋の前で待機していたザボエラから見ても何かがあったと察するのには十分過ぎるほどだ。

 

だがそれも無理もないことだ。

つい先ほどまで魔軍指令ハドラーは、大魔王バーン直々に失態について咎められていたのだ。(ドラゴン)の騎士であるバランを失ったことだけではなく、今までの数々の失態について咎められていた。だが、勇者アバンを葬った功績によって首の皮一枚繋がり、どうにか退室を許されたのである。

 

「ハ、ハドラー様……いかがなされましたか?」

 

そのあまりにも静かな様子に耐えかね、ザボエラが声を掛ける。だが当のハドラーはお構いなしだ。自身に掛けられた声すら耳に入ることなく、先ほどの大魔王とのやりとりを反芻していた。

 

六大軍団はすでに半分以下まで減らすほどの大失態。そして、バーン自らが声を掛け、苦労して仲間に引き入れたバランの離反。それだけでも、ハドラーが処刑されるのには十分すぎる理由だろう。それは決して、かつての勇者アバンを葬った程度では相殺しきれるものではない。

 

ならばなぜ自分は生かされたのだろうか。ハドラーはその理由を考える。

 

少なくとも逆の立場であれば、並大抵の功績では帳消しに出来るものではない。

なにしろ世界に一人しかいないはずの無敵の(ドラゴン)の騎士を失うきっかけとなったのだ。ハドラーとて弱者ではないが、バランと比較すれば一枚――どころか何枚も落ちる。にも関わらずだ。

これは自身への期待の表れ――などと、砂糖菓子よりも甘いことは絶対にないだろう。窮地に追いやられたハドラーの頭脳はその理由を導き出す。

追い詰められた状態ではたしてどう動くのか、それを見極めるために泳がされている。そう考えるべきだろう、と。このままでは本当に命を失いかねない……いや、もうすでに殺されているに等しい状態だ。

 

――ならば、オレが得るものは……!!

 

そこまで考え、ハドラーの腹は決まった。

 

「ザボエラ!!」

「は、ははっ! なんでございましょうか!!」

 

突然の吠えるような言葉に、ザボエラは驚きつつも返事をする。だが続くハドラーの言葉は、ザボエラを更に驚愕される内容だった。

 

「オレは先ほどバーン様より、最後通告を受けた! 勇者ダイたちを全滅させられねば処刑する、とな……」

「なななななんと!!」

 

これまでずっとハドラーを相手に取り入り、自身の地位を高めようとしてきたザボエラにしてみればそれは寝耳に水であり、決して認めることの出来ない内容だった。ハドラーを失えば、自身のこれまでの苦労も水の泡となるのだ。

だが完全なる打算と自己保身により、ザボエラはハドラーの次の行動を予測する。

 

「すると、これより勇者どもを襲うわけですな。問題ありませぬ、奴らを葬るだけの策は幾らでも……」

「いや、そうではない」

 

嬉々として策を披露しようとしたザボエラであったが、それをハドラーは否定する。

 

「ザボエラ! 貴様が密かに続けている超魔生物の研究……今こそ、それをオレのために使え!!」

「は、え……はぁっ!? な、なぜそれを……いえ、それをハドラー様にですと!?」

「そうだ。もはやオレは死んだも同然の身……ならば、せめてやつらを倒さねば死んでも死にきれぬ!!」

 

なぜハドラーが自身の研究を知っているのかも驚きだが、それ以上にそれを自分に使えという内容にザボエラは驚かされた。それはハドラーがバーンより渡された肉体を捨て去るということなのだ。

ザボエラからすれば狂気に満ちたとしか思えない提案であったが、ハドラーは至って冷静だった。ただ、命よりも勝利を求めたかつての部下に感化され、燻っていたはずの気持ちを取り戻した。ただそれだけだ。

 

「嫌とは言わせん! 逆らえば、殺す! それに、貴様にとっても利はあるはずだ」

「わ、わかりました! ですが、利とは……?」

「決まっている。このオレの肉体を実験材料にすることができるということだ」

 

その言葉を聞いた途端、ザボエラには少々の落胆が浮かぶ。確かにハドラーの肉体を材料とできるのはまたとない好機ではあるが、自信満々に言った内容がこれでは……

表情には出すこと無くとも、その様子に気づいたのか。それとも最初からその反応を予想していたのか、ハドラーは更に自信を込めながら二の句を口にする。

 

「そしてもう一つ」

「もう一つ、ですか……? はて、それは一体……」

「おや、貴様は気づかなかったのか? まあいい、教えてやる。それは――」

 

そう言ってハドラーは、もう一つの利について話し出した。それは、ザボエラですら思いつくことの無かった悪魔の所業。

 

「――な!! 馬鹿な!! そんなことが、成功するはずが!!」

「構わん! やれ!!」

 

相手は(ドラゴン)の騎士――それも、完全に覚醒したとびっきりの相手だ。そんな相手に、もはや下手な小細工など通用しないだろう。

ならばどうするか。これは最後の機会、ならば、その機会を最大限に活用するだけだ。手段はもはや選んでなどいられない。

 

たとえ、どんな手を使ってでも……

 

 




まずは、あけましておめでとうございます。(時事ネタ)

まさかダイの大冒険が再アニメ化&ゲーム化とは驚きです。
だ、大丈夫なんでしょうか……その、出来映えとか……(封○演義という前例)
ゲームも似たような心配……む、無双ゲーとかかな?

それはそれとして。

今回、感想欄にあった斧での地・海・空の技の名前を使わせていただきました。
(問題でしたら該当部分は消します)
(でも結局、ワニさんがそれを口にする機会は無いんじゃないかなぁ……)


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LEVEL:52 伝説の武器を求めて

その日も空は雲一つ無い快晴に包まれていた。

テランにて繰り広げられた竜騎将バランとの死闘を乗り越えたダイたちは、レオナの母国パプニカへと戻ってきていた。

書を読んだレオナはアバンの教えに揺り動かされ、世界のために自ら率先して動くことを誓い、自国に戻るや否や家臣たちを巻き込んで精力的に動き回り続けている。すでにパプニカに戻ってからすでに一週間近く経過しており、その間にはダイたちはレオナの忙しい姿を見ているだけであった。手伝おうかとも申し出たが、レオナたちにやんわりと断られ続けていた。

――曰く、自分たちにしか出来ないことをするのだからダイたちは気にしないでくれとのことであった。

 

そしてヒュンケルたちは、パプニカに来るなりクロコダインを巻き込んで特訓を開始していた。アバンの書によって基礎から鍛え直そうとする剣の達人と、神速の槍の達人との修行は実践さながらであり、近くで見ているだけでも命がけとなるほどだ。巻き込まれたクロコダインはそんな二人に必死で追いつこうと必死である。

ラーハルトと人間たちとの交流についても、ある程度はスムーズに行われていた。ヒュンケルを受け入れたという土壌があったおかげだろう。もっとも、ラーハルトの仏頂面にパプニカの人々はおっかなびっくりの部分もあったのだが。

 

ポップはパプニカに戻るなり、マトリフに修行へ連れて行かれた。日が暮れても戻ることなく修行を続けており、滅多なことが無い限りは呼び戻したり様子を見ることもマトリフが禁じるという念の入れようである。

果たして、戻った時にどのような成長を遂げているのか。それは誰にも分からない。

 

そして、ダイはといえば――

 

「はぁっ!!」

 

気合いと共に右拳に力を込める。そこには(ドラゴン)の紋章が浮かび上がり、ダイの身体が竜闘気(ドラゴニックオーラ)に覆われていく。

 

「いつでもいいよ、姉ちゃん!」

「はいはい、それじゃあ……【ファイラ】」

 

姉に向けて軽く手を振りながらアピールする弟の姿を見ながら、チルノは火炎魔法を放つ。その途端、炎が踊るようにうねりダイの全身を包み込むが、それらは全て竜闘気(ドラゴニックオーラ)によって無力化していく。火の粉すら消え去った後には、焦げ跡すら残らないダイの姿がそこにはあった。

 

「さすが、結構強めに放ったつもりだったんだけど……」

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)は呪文をことごとく防ぐ――かつてのバランの戦いで身をもって知り、今回も予想通りであったとはいえ、その結果にチルノは思いがけず感嘆の声を上げる。

 

二人がしているのは、ダイの(ドラゴン)の紋章の効果確認である。どのくらいの威力に耐えられるのか、それは我が身を持って見極めるのが一番手っ取り早いとのことだ。

 

テランから戻ってから数日の間――ダイは紋章の力を全開で使い続けた反動を懸念して。そしてチルノは一度その身を捧げた影響を懸念され、大事にならないようにと二人は強制的に休まされた。幸か不幸か、その間は魔王軍の襲撃もなく平穏なものであり、休まされていた二人には少々退屈な時間でもあったのだが。

 

そしてダイは昨日、チルノは本日ようやく解放され、自由になった途端ダイに付き合わされて魔法を使う羽目になっていた。なお、剣や闘気を使った攻撃に対しての昨日しっかりと確認済みである。

 

「どのくらいの威力だったの?」

「最初に出会った時のポップのメラゾーマくらいはあった、かな……?」

 

弟の言葉に姉は少々首を捻りながら答える。バランの前例もあってその程度は余裕で弾くであろうと知っている。ましてやダイの紋章は拳に発現させた特別製である。そのため、チルノは放つ魔法にそれだけの威力を込められるのだ。

 

「へぇ、じゃあ結構強いんだね」

 

実際は結構などという表現では括れないほど強力なのだが。とあれ、ひとまずの確認が出来たことでダイは満足げに微笑んだ。続いて、頼まれたもう一つの確認へと移る。

 

「じゃあ、次の確認に行くわよ……【ブリザラ】」

「メラゾーマ!」

 

宣言から少し間を開けてから、チルノは冷気魔法を放つ。だが合図付きであり事前準備をするだけの時間もあれば、今のダイにはそれに対応することは容易かった――というよりも、それだけのわざと時間を与えているのだが。

チルノの放った冷却魔法を、ダイは火炎呪文にて迎撃する。

続いての確認項目は、ダイがどれだけの呪文を操れるかだ。メラやライデインといった呪文は修行を経て通常の状態でも操れるようになっていたが、今のメラゾーマのようにそれまで全く操ったことのない呪文であっても、(ドラゴン)の紋章による補助を得ることで扱えるようになっていた。

 

「わ! ……っと」

 

短い驚きの言葉と共に、チルノは自身に向けて飛んできた火球を避ける。

チルノの放ったブリザラの魔法には、先のファイラと同じくかなりの魔力が込められていた。だがダイの放ったメラゾーマはそれを迎撃するどころか、打ち破ってなお相手に襲いかかるほどの威力がある。

それはつまり、チルノの呪文を正面から打ち破る程度にはダイの呪文が強力だということを意味していた。

 

「うーん……わかっていた事とはいえ、こうもあっけなく押し負けるとちょっと落ち込むわね……」

「へへへ、今なら姉ちゃんにも負けないや」

 

その結果を見ながら、チルノは唸る。

いくら炎系呪文は比較的扱いやすい部類とはいえ、今まで使った事のない呪文を易々と操り、相反する属性の魔法を正面から打ち破るほどの威力を持つ。

知識としては知っていたが、(ドラゴン)の騎士という存在の異質さを彼女は改めて思い知らされていた。もっともそのダイは、姉の魔法を正面から押し切れた結果に驚いたのか、小さく喜んでいるのだが。

 

「やっているな」

 

そんな二人に声が掛けられる。声のした方を向けば、見知った顔が三つあった。

 

「あれ、ヒュンケル!? それにクロコダインとラーハルトも!?」

「ワシもいるぞい」

 

――訂正。クロコダインの巨体で隠れていたらしく、彼の陰からバダックがひょっこりと顔を覗かせる。

 

「チルノ様、お体の具合はもうよろしいのですか?」

「ええ、もうバッチリ。ところで、ラーハルトたちはどうしたの? 確か、この時間は修行をしているって話なんじゃ……?」

 

チルノが知る限りでは、彼らは朝は互いに武器を交えて修行を行っていたはずである。それが今日に限ってなぜここに来たのか、という疑問の声にクロコダインは口を開いた。

 

「ああ。本当ならば今日もここに来る予定ではなかったのだが、じいさんの頼みでな」

「すまんのぉ。何しろ宝箱二つは、ワシ一人で運ぶにはちと手間だったもんじゃから」

 

バダックは少しだけの申し訳なさと、たっぷりの感謝を込めて言う。その言葉通り、クロコダインは両手にそれぞれ宝箱を持っていた。

 

「気にすることはない。ことのついでというやつだ」

「昨日のダイ様に続いて、今日はチルノ様の元気な姿も見ることができたのだ。無駄足ではないな」

 

しみじみとそう語るヒュンケルとラーハルトの姿は、少しずつではあるが確実に人間との交流の成果が出ているようだ。

 

「……昨日?」

 

だがラーハルトのその言葉に、チルノは少しだけひっかかりを覚えた。確かにダイが解放されたのは一日前なのだから、おかしなことではないのだが。思わず口に出たその言葉に、ヒュンケルたちが反応する。

 

「ああ。昨日もこのくらいの時間に、ダイの力試しに付き合わされたよ」

「そのときは、オレたち三人が武器や闘気で攻撃をしたのだがな。手合わせとはいえ、まるで歯が立たなかった」

「なるほど。昨日は武器を、そして今日は呪文を試したかったのね?」

 

二人の言葉からダイがしたかったことを確認するように尋ねると、ダイは首肯する。

呪文を放つだけならば一人でも出来るが、呪文に対してどれだけの防御力があるのか、使った呪文がどれだけの威力を持つのかは、やはり他者と比較するのが一番手っ取り早い。

 

「うん、本当はポップに頼もうと思ったんだけど……ずっとマトリフさんのところに行ってるみたいだから頼みにくくってさ……」

 

ダイの言うように、ポップはマトリフのところへ掛かり切りとなっている。パプニカに戻らない日々が続いており、今頃何をやっているのかは不明のままだ。

はたしてこれはどのような影響を及ぼすことになるのか、チルノは未知の展開に注意するよう頭の片隅に刻みつける。

 

「それなら私じゃなくても、三賢者の皆さんとかレオナとかは?」

「いやいや、それも無理なんじゃよ」

 

反射的に脳裏に浮かんだ、パプニカにいる呪文の使い手をあげたが、だがそれはバダックによって否定される。

 

「今、姫は何か大きなことをやろうとなさっておる。その命を受け、三賢者は世界中を駆け回っとるからな。まだ詳しいことはわからんのじゃが……」

「あっ! そういえば……」

 

どうやらチルノは完全に失念していたようだが、バダックの言葉で思い出す。アバンの書によって感銘を受けたレオナは現在、とあることを実現するための真っ最中だったのだ。それも、三賢者に命じて世界中を巻き込むほどのもの。

 

「うん、具体的に決まったらおれたちにも知らせるって言ってたけれど……なんだか毎日忙しそうだったから。だから、姉ちゃんに頼んだんだ」

「なるほどね」

 

しっかりと気を遣う弟の姿に少々の感激を味わいながら、チルノは頷く。

 

「じゃが、そう悪い話ばかりではないぞ。クロコダイン、頼んだわい」

「やれやれ。やっとこれを下ろせるのか」

 

バダックの言葉を合図に、クロコダインは両手それぞれに抱えていた宝箱を地面へと下ろした。口ではようやく重荷を下ろせたと言わんばかりであったが、置いた時の様子からそれぞれの箱はそれほど重量は無いように見える。

 

「それは?」

「姫からのプレゼントじゃよ。ほれ、ダイ君!」

 

宝箱の一つを開け、バダックはダイを促す。ダイもその言葉に従い、箱を覗き込む。

 

「わぁ、服だ!」

 

そこにあったのは、青を基調とした服だった。

 

「今の姫はダイ君たちの直接の力にはなれん。じゃがせめてもの役に立てればと思い、姫はこの服を作らせたんじゃよ。こいつはパプニカの特殊な布と法術で編まれた服じゃからお前さんが大暴れしても大丈夫のはずじゃ! 本気を出した(ドラゴン)の騎士の力にはどんな武器も鎧も耐えられないという話じゃが、これなら多分……!!」

 

だが自信満々の表情もそこまでだった。不意にそれまでと比べて落胆したような表情となりながら、バダックはさらに続ける。

 

「ただ……残念ながら武器は用意できんかった。普通の剣ではその場しのぎにもならんじゃろうから、ならば用立てるだけ無駄だという結論になってしまってのぉ……」

 

本来の歴史では、ダイはバランとの戦いで持っていたパプニカのナイフを消失している。そしてこの宝箱の中には、三刀のナイフのうち、最後に残った一刀も入っていたのだ。

だが、この世界ではパプニカのナイフは消失していない。そのため、何かもっと相応しい武器を用意する予定だったのだが……バダックの言うような結論に落ち着いていた。

 

「まあ、早速着て見せてくれるか?」

「もちろん!」

 

聞くが早いか、ダイは箱から服を取り出して着替え始める。今までのダイの格好のイメージそのままに、だが金糸の刺繍などで荘厳な印象がより強まっていた。魔法の糸で作られたそれは服というよりも、闘衣と呼んだほうが適切だろう。

 

「なるほどね、みんながここに来たのは、これを運ぶついでだったってところ?」

「ああ、じいさんに頼まれたのでな。だが、お前たちが心配だったのも本当だ。元気そうな姿を見られて一安心だよ」

 

ダイの着替えの傍ら、チルノはクロコダインに話しかける。バダックが届け物をするところにクロコダインたちが偶然出会い、荷物を運ぶこととなったのは嘘では無い。だが、その用事が無くてもチルノの様子を見に来たのも、決して間違いではなかった。死の淵から蘇った者なのだ、心配しすぎても仕方の無いことだろう。

 

「ほれほれ、何をぼーっとしておるんじゃ? この宝箱はチルノちゃんの分じゃぞ」

「えっ!?」

 

そう言いながらバダックは残ったもう片方の宝箱を開ける。

 

「い、いいの……?」

「当然じゃよ。ワシは話でしか知らんが、先の戦いでは一番の功労者じゃと聞いておる。それに、女の子にいつまでもそんな格好をさせるわけにはいかんからな」

 

そんな格好と言ったが、別にあられもないような姿と言うわけでは無い。

何しろ彼女が元々身につけていた装備は、バランとの戦いでボロボロになってしまった。そこでメルルに用立てて貰った布の服――もっと言うならば無地の地味な服――を間に合わせとして着ていたのだ。

 

「わぁ……!」

 

宝箱に納められた服を取り出した途端、チルノの目が輝いた。

こちらもダイと同じく、一見すればそれまでのイメージを崩さぬようなそれであり、刺繍も同じように施されており、見ただけでも上位の魔道士という印象が伝わってくるようなデザインだ。

 

「パプニカの布は呪文との相性が良いからのぉ。それは防御力もさることながら、魔力を高める効果も期待できるそうじゃ」

 

一国の宮廷魔術師や賢者が身につけるローブだと言われたとしても、疑いようのないようなほどの代物だ。ダイの分と併せて作らせたため、なかなか時間が掛かっていたのだが、それだけの時間を掛けただけの価値は十分にあるほど。

 

「ささ、遠慮することはないぞ。着てみるといい」

「え……っと、こんな凄い装備をもらえたのはありがたいんだけど……」

 

思わず我を忘れ、手にしたローブを身体に当てていたのだが、バダックの言葉にチルノは申し訳なさそうに口を開いた。

 

「さすがにここで着替えるのは……」

「……は! そ、そうじゃな!! まあ、着替えは後でもいいじゃろ!!」

 

自分が男であること、兵士として男所帯が長かったこと、先ほどダイは迷うこと無く外で着替えたことなどもあって、チルノもそのまま着替えるのが当然のように考えていたようだ。バダックは自分の失言に気づき、慌てて咳払いをしながら何事も無かったかのようにその場を誤魔化す。

 

「と、とにかく! これで防具の問題についてはなんとかなるじゃろ!」

「問題はそれだけではないがな」

 

だがヒュンケルが空気を読まず、その言葉に待ったを掛ける。

 

「まず、使える武器がない。並の敵なら拳だけでもカタがつくが、本当の強敵が相手となれば素手では渡り合えん」

「それと、紋章の力を使う時間についてもだな。今のままでは長期戦はできん」

「紋章の時間?」

「……ああ、チルノ様はあの場にいませんでしたね」

 

付け足すように口を開いたクロコダインの言葉を、チルノは聞き返す。本当は知っている事柄なのだが、ここは知らぬフリをしておいた方が良いだろうという判断からだ。幸いなことに、それに気づいたラーハルトが説明する。

 

「昨日の、ダイ様との力試しの時です。紋章の力を発揮して、我々を相手に歯牙にも掛けぬほどの強さを誇りました。ですがそれも短い時間のこと。消費が激しすぎるのでしょう、すぐに紋章の力を使い切ってしまいました」

「へぇ、そんなことがあったんだ……」

 

昨日チルノが休んでいる間の出来事のため、知らないのも当然だった。だが、その場に直接いなくとも、三人の戦士たちを相手に戦っている姿は目に浮かぶようである。

 

「うーん……あのときは、もっと長く紋章の力を使えたのになぁ……」

 

昨日の事を思い出し、バランとの戦いのそれと比較しているようだ。ダイは紋章の発動時間の違いに首を傾げながら呟く。

 

「見た限りだが、拳に全闘気を集中するあまり無尽蔵にエネルギーを消費しているようだ。よほど上手く力を配分できるようにする必要があるだろう。そこはこれからの課題だな」

「その問題は訓練で解決するだろう。だが、武器の方はそう簡単には解決せんぞ」

 

クロコダインとヒュンケルが揃って口にする。彼らの言うように、紋章の扱いについては訓練でなんとかなる問題だ。だが武器についてはどれだけ特訓を積み重ねてもどうしようもない。

 

「ラーハルトは何か知らないかな?」

「いえ、あいにくと……ですが、バラン様が使っていた真魔剛竜剣のような、オリハルコン製の武器でなければ、(ドラゴン)の騎士の力には耐えられないでしょう」

 

藁をもすがる気持ちでダイはラーハルトに尋ねるが、彼もまたその疑問に対する答えは持っていなかった。

 

「そっか……」

「お力になれず、申し訳ございません」

 

所在なさげに頭を下げるラーハルトを見て、続いてダイは姉へと視線を移す。

 

「姉ちゃん……」

「――まさか、オリハルコンを作れって言うの?」

「ダメなの?」

 

これまで、いつか気づくだろうと期待を込めてチルノはあえて黙っていた。だがやってきたのは、オリハルコンを作れというある意味で彼女の予想を超えた言葉だった。さすがにこれ以上黙っているのも問題かと思い、チルノは答えを口にする。

 

「さすがにそれは無理よ。というかそれ以前に、ダイは伝説の武器を一つ知っているでしょう?」

「「「「なにっ!?!?」」」」

「うーん……そんなのあったっけ……??」

 

途端、ダイ以外の四人が一斉に驚きの声を上げた。そして当の本人は、チルノの言葉を頼りに自分の記憶を必死で探していたところだった。

だが予想通りというべきか、すぐには浮かばず、しかたなしチルノはため息交じりに口を開く。

 

「ロモスで王様から"覇者の剣"を下賜されるはずだったでしょ? もう忘れたの?」

「あっ!!」

 

答えを聞いて、ダイもようやく気がついた。

そもそも覇者の剣は、ダイがロモスにてクロコダイン率いる百獣魔団を撃退した際に、王様から勇者の称号と共に授与されるはずだった物だ。だがダイはそれらを『自分は勇者として認められるほど強くもないから不要だ。それはもっと別の世界平和のために使ってくれ』と言って受け取ることを断っていた。

 

「覇者の剣じゃと!? そりゃ、伝説に名高い最強の武器ではないか!!」

 

その名を耳にした途端、バダックは悲鳴のような声を上げる。おそらく、この世界で最も有名な武器の一つだろう。神から与えられたとまで言われるそれならば、(ドラゴン)の騎士が扱う武器としても相応しい。

 

「なんと……お二人はそんな武器をご存じだったのですね」

「うーん、でも良いのかなぁ? おれ、あのときに自分は要らないって言っちゃったし」

「大丈夫じゃない?」

 

自身の過去の言葉を思い返し、やはり必要になったのでくださいと言いに行くのは果たしてどうしたものかとダイは悩む。だがチルノはそんなダイの悩みを解決すべく口を出す。

 

「世界の平和のために使ってくださいってあのとき言ったでしょ? だったら、勇者が使うことが一番の近道だと思う。それに、今やダイは(ドラゴン)の騎士の力に目覚めて、ライデインだって使える。これで勇者と名乗れないってことはないでしょう?」

 

勇者としての実力は当然として、六大軍団を既に四つも打ち破っているのだ。これだけの実力と実績を積み重ねているのに勇者と認められないとあっては、過去に勇者と認められた多くの人間たちは揃って落第だろう。

 

「でも、もう剣が別の事に使われてたらどうするのさ?」

「それも大丈夫だと思う。だって王様は『さらなる成長を期待しているぞ』とも言っていたもの。あれは、いつか剣を持つに相応しくなったら改めて渡すって意味でしょうからね。覇者の剣だってきっと残っているはずよ」

「うーん……うん、わかったよ姉ちゃん!」

 

――本当に、残っていれば良いんだけどね。

 

チルノの説得でダイは得心がいったように朗らかな表情を浮かべる。だが本来の歴史を知る彼女は、覇者の剣が既に偽物とすり替わっていることを知っている。ならば行く意味はないかように見えるが、何も剣を手に入れることだけが目的ではない。

それ以外にも用事があるため、ここでロモスには向かっておくべきなのだ。

 

「じゃあ、早速行きましょうか?」

「でしたら、オレもお供させてください」

 

善は急げとばかりにロモスへ向かおうとする。だが、突然ラーハルトが口を挟んだ。

 

「お二人の身に何かあれば、オレはバラン様に顔向けができません。過保護、と思われるかも知れませんが、どうか!」

 

それは彼の立場からすれば、ある意味では当然の懸念であった。自分の目が届く範囲から離れた場所に、ダイたちが向かうのだ。ならばラーハルトからすればそのような行動に出たとしても不思議では無い。

 

「大丈夫よ、ロモスに戦いに行くわけじゃ無いから。ちょっと行って、剣を貰ってくるだけだから」

「しかし……!!」

「ラーハルトは自分の修行を進めておいて、ね?」

 

その申し出は、とてもありがたかった。だが、本来の歴史を知るチルノから見れば彼がついてくることは過剰だと判断する。既にポップがいない状況ではあるが、彼の代わりは彼女ができない訳では無い。

そしてもう一つ、修行の旅に出た彼女(・・)の気づきの一つともなるのだ。ならばここはラーハルトの力が無くともさして問題は無いだろうとの判断だった。

 

「……承知しました」

 

完全に納得した訳では無いだろうが、ラーハルトはそう言うと頷く。

 

「じゃあ、ちょっと準備してくるから待ってて」

 

それを見たチルノは、その場から駆け足で離れて行った。

 

「準備って、姉ちゃん何するんだろ?」

「……着替えじゃないのか?」

「あっ!!」

 

自分の発言の迂闊さに気づき、ダイは少しだけ頬を赤くした。

 

 

 

「お待たせ……って、どうしたの?」

「遅いよ姉ちゃん!」

 

チルノが再び戻ってくると、そこにはダイだけしか残っていなかった。そのダイも、待ちくたびれたように口を尖らせて不満を言う。

 

「ヒュンケルたちはもうとっくに行っちゃったよ。着替えにどれだけ時間を掛けてるのさ!?」

 

そこまで言ってから、ダイは少しだけ視線を逸らして小声で続きを口にした。

 

「……まあ、似合ってるけど」

「ふふ、ありがとうダイ。それに、着替えだけじゃなくて、これを取りに戻っていたの」

 

そう言うとチルノは道具袋からアイテムを取り出すとダイに見せる。

 

「キメラの翼?」

「ええ、まさか歩いて行く訳にもいかないでしょ? それと、この子たちも」

「ピィ!」

「ピーッ!」

 

チルノの言葉に、ゴメちゃんとスラリンが顔を見せる。

 

「ゴメちゃん! スラリンも!」

「二人とも、途中で出会ったの。二人で遊んでいたみたいだけど、話をしたら一緒に行きたいって言うから……ダメだった?」

 

少しだけすまなさそうな顔をするチルノとは対照的に、二匹のモンスターたちは連れて行けとばかりに偉そうな態度を取っていた。だが姉の言葉に対してダイは得意そうに言う。

 

「ううん、大丈夫だよ姉ちゃん! それにおれ、ルーラが使えるようになったんだ!!」

「え!? そうなの!?」

「うん! 紋章の力があれば、飛翔呪文(トベルーラ)だって使えるんだ! その前のルーラくらい楽勝だよ!!」

 

その言葉にチルノはずいぶんと驚かされた。

だがなるほど、この世界のダイは紋章の力を抜きにしてもライデインなどの呪文を扱っているのだ。ならば(ドラゴン)の騎士として目覚めた今のダイならば、そのくらいのことはやってのけてたとしても不思議ではない。

 

「じゃあ、お願いするわね」

「まかせて! ルー……」

「あ、まずデルムリン島に行って」

 

姉に良いところを見せようと張り切っていたところを止められる形となり、ダイは少しだけ恨めしそうな目を見せる。

 

「デルムリン島? いいけど、何の用事なの?」

「覇者の剣を貰うんだから、せめて覇者の冠は返還しておこうって思ったの」

 

その理由は虚実が混ざっていた。

仮に本当に覇者の剣が授与されるのであれば、覇者の冠は持て余している。ならばダイの言葉では無いが、覇者の冠は別途世界平和のために活用して貰った方が良いだろうという考えがある。

そして本来の歴史では、覇者の剣は既に奪われており、覇者の冠を材料として武器に打ち直すのだ。ならば今のうちから覇者の冠を手元に置いておき、武器に打ち直す許可も取っておこうという、もう一つの考えである。

 

「わかったよ、デルムリン島だね? じゃあ姉ちゃん、ちゃんとおれに捕まってて……いくよ、ルーラ!!」

 

言われるまでもなく、チルノはダイの手を強く握る。続いてルーラの呪文が発動し、パプニカの空に光の帯が描かれていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

その瞬間、デルムリン島の空が一瞬光った。

かと思えば次の瞬間には、すさまじい速度で光が降ってきた。その光はそのままデルムリン島へと降り注ぎ、轟音を上げて地面へと激突する。

 

「痛たたた……」

「ピィ~……」

 

薄く砂煙が立ち上がり、チルノたちが衝撃の痛みに声を上げる。唯一ゴメちゃんだけは空を飛んでいるためダメージを受けることは無かったが、他の三人はそういうわけにもいかなかったようだ。

 

「ごめん、姉ちゃん……おれまだ、自分一人でしか使ったこと無くって着地が……!?」

 

チルノと同じくダイもまた、痛みを堪えながら着地制御に失敗したことを謝りかけて、そして気づいた。自分の下にはチルノがおり、ちょうどダイがチルノの上に覆い被さったような姿勢になっていたのだ。

まるで姉を押し倒したような格好になっており、それに気づいたダイは慌ててチルノの上から退ける。

 

「ううん、平気だから……ん、どうしたの?」

「なんでもないよ!」

「ピィ~」

 

痛みに堪えていたためにそんな弟の心に気づかず、チルノは不思議そうな顔をしてスラリンと顔を見合わせる。そしてダイは顔を少しだけ赤らめ、そんな姉弟の様子をゴメちゃんは何かを悟ったような顔で見ていた。

 

「なんじゃ今の音は……!? おおっ、ダイ! それにチルノも!?」

「あ、じいちゃん。ただいま」

 

ルーラの着地点は、ダイたちの家の前だった。そしてルーラの衝突音に驚かされ、ブラスが何事かと顔を出していた。ブラスに続いて、彼の護衛役を担っているロモス騎士たちも姿を現してくる。

 

「ただいま、おじいちゃん。ちょっと、忘れ物を取りに来たの」

「忘れ物……? はて、何かあったかのぉ?」

 

チルノの忘れ物と言う言葉に、だがブラスは何のことか分からず首を捻る。

 

「覇者の冠のことだよ。じいちゃん、あれどこにあるんだっけ!?」

「ああ、それならチルノが作った台座の上にちゃんと飾っておるぞ」

「台座の上だね!?」

 

ブラスの言葉を聞くなり、ダイは弾かれたように飛び出して家の中に入っていく。

本来の歴史ではロモス王からせっかく頂いた覇者の冠であったが、家のどこかに放置したままだったらしく、必要になった時には家中をひっくり返すほどの勢いで探し回っていた。

 

チルノはそれを知っていたため、ロモス王より覇者の冠を賜った時点で木製の台座を作りそこに飾っていた。いつ必要になったとしてもすぐに手に入れられるようにするための備えである。

 

「やれやれ、何かと思えば……」

「急にごめんなさいおじいちゃん。ちょっと、覇者の冠が必要になったの」

「なるほど覇者の冠が必要でしたか」

 

ダイの様子をみてブラスとチルノは互いに苦笑いを浮かべる。だが、そんな親子の心など知らず、ロモス騎士の一人が急な来訪の理由に納得したように口を開く。

 

「ダイ殿に差し上げた物とはいえ、かつての国宝ですからね。きちんと扱っていただけているのは、我々としても嬉しい限りです」

「我々も時々ですが、手入れをさせていただかせているのですよ」

「あはは……ありがとうございます」

 

そのまま話は、冠の扱いへと変わっていった。きちんと手入れをされていることに彼らは感心し、勇者ダイへの印象を更によくしていく。

本当はそれをやったのはチルノであり、彼女がいなければ遊び飽きた玩具のような乱雑な扱いをされていたのだが――わざわざそれを言う必要もないだろう。自分の胸の裡に永遠にしまったままにしておくことを少女はひっそりと誓う。

 

「あったよ、姉ちゃん!」

 

見つけやすい場所にあるため、ダイは手に覇者の冠を持ったまますぐに戻ってくる。少しの間、話し合うだけの時間も無いことにチルノは少しだけ残念に感じる。

 

「姉ちゃん、早く行こうよ」

「はいはい。ごめんなさいおじいちゃん、なんだか忙しない感じになっちゃって」

 

チルノはせめて少しでもブラスと話をしたかった。特にバランとのことについて、ブラスへと一言だけでも謝りたかった。だがダイに急かされ、それもままならないようだ。残念に思いながら、別れの挨拶をする。

 

「なに、構わんよ。何やら大変なことがあったようじゃが、元気でやっとるならそれでいいわい」

「……うん、おじいちゃん。ちゃんと元気でいるから!」

 

だが、ブラスにはそれすらお見通しだったらしい。チルノの微かな様子の違いをブラスは読み取り、気遣うように言葉を掛ける。チルノもまたそれに気づき、短いながらも感謝の言葉を口にしていた。

そして、ダイの手を掴む。

 

「待たせてごめんねダイ。もういいわよ」

「それじゃ行くよ、ルーラ!」

 

再びデルムリン島からロモスへと旅立ちっていく子供たち。だが最初の飛行モンスターに乗って出発した時とは違い、今回はルーラの呪文である。とても立派になったその姿を、ブラスは誇らしく思いながら見送っていた。

 

 




(今回、全部書き終えた後で「あ、スラリンとゴメちゃんがいない!?」と気づいて慌てて付け足しました。あー恥ずかしい……)

ロモスには姉弟だけで行くことに。というか、ロモス王に一度「覇者の剣を授けよう」って言われているのですから、受け取りに行くだけです。
剣も冠も貰うのは流石に恐れ多いので冠は返還する、と見せかけた短縮行為です。
きっと冠は素材になる運命なんでしょうね。

覇者の冠。
この世界の場合、家を探すとあっさり見つかります。
原作では家中をひっくり返して探してましたね。大切にされない伝説の武具さん涙目……と思ったので、チルノさんに台座を作らせて飾らせました。
最初期(4話)の描写がようやく日の目を見ました。

ダイがルーラを使える。
まあ、このくらいは良いんじゃないかなと。事実原作でも後々使ってますから。
決してルラハラ(ルーラに不慣れを装い、異性にラッキースケベを期待するハラスメント行為。主に着地時に『組んずほぐれつ』する)が目的ではありません。


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LEVEL:53 ロモス観光案内

ダイのルーラによって再びラインリバー大陸へと姉弟は降り立った。

場所はロモス城外壁の門の前であり、先のデルムリン島へ移動したときのような着地時の制御ミスも無く、全員揃って見事な着地を見せていた。

こうしてロモスを外から見たのは、チルノは二回目――偽勇者でろりん達を追いかけた時以来――であり、ダイでも三回目――初回はチルノと同じであり、二回目はポップとマァムと共にロモスまでたどり着いた時以来――である。

 

「やや! 何事かと思えば……ダイ殿にチルノ殿、ですよね?」

「はい、兵士の皆さんお久しぶりです」

 

門の前に詰めていた兵士たちはルーラによって突然現れたチルノたちに驚きつつも槍を片手に近寄り、だが二人の顔を見るなり安堵して警戒心を解いていた。見知った相手――それもロモスを救った英雄たちなのだから、それも当然だろう。

チルノもまた、そんな兵士たちの気持ちを慮って朗らかな笑顔を返す。

 

「お久しぶりです。本日はどうされましたかな?」

「ええ、ちょっと王様に用事があって」

「おや? 王にご用事でしたか。自分たちはてっきり……ああいえ、何でもありません」

 

王に用事があると言うことをつげると、それを聞いた兵士は少しだけ意外そうな顔をしてみせた。わざとらしく言いかけて、そして口を閉ざすその姿に姉弟は揃って疑問を浮かべる。

 

「てっきり?」

「何かあるの?」

「いえいえ、ここで長々と話すよりも中に入っていただければすぐに分かりますよ。ささ、お通りください」

 

秘密を隠しながらも言いたくて仕方の無いような様子の兵士の姿に、姉弟は続けて疑問符を浮かべながらも、彼らに促されるままに門をくぐり、城下へと足を踏み入れた。

 

そして、歩いて数分もしないうちに、兵士達が何を言いたかったのかを理解する。

 

「うわぁ、すごい人の数だね」

「本当……前にロモスに来たときとは比べものにならないくらい……」

「ピィ……」

 

姉弟たちは揃って、人の数に圧倒されていた。ロモスの街並みや人の数を知らない訳では無いが、記憶に残るそれと比較しても倍近い差がある。驚くのも無理はない。

 

「何か事件でもあったのかな?」

「うーん、事件じゃないけれどあるみたいね。ほら、あれ」

 

そう言いながらチルノは、道すがらにあった立て札に貼られた一枚のチラシを指し示す。あれ、の言葉に誘われるままダイはチラシへと近づき目を通していく。

 

「えーと……ロモス王国大武術大会!?」

 

読み上げた途端、ダイが驚きの声を上げた。どうやら、チルノが知る通りの内容が記載されていたようだ。

 

「なるほどね。こんな催し物をやっているのなら、大勢の人がいても不思議じゃないか」

 

ダイの隣へとチルノも並び立ち、同じくチラシへと目を通していく。彼女が知る、本来の歴史とどこか差異が無いかを確かめるためだ。

 

「戦士・武道家・魔法使いなど誰でも職業は不問。武器の使用も可。そして大会の優勝者は――」

 

そこに書かれている文字を一つ一つ丁寧に読み上げ、ついに問題の場所へ目をやる。

 

「――望んだ褒美を取らせる、か……」

 

その一文を目にして、チルノは低く唸る。

本来の歴史では、彼女たちが求める覇者の剣が優勝者に与えられる予定だった。だがこの世界ではロモス王がダイの活躍によって剣を贈ろうとした過去がある。結局ダイが断ってしまったとはいえ、武術大会の賞品に覇者の剣を出さないところを見るに、チルノの予想通り剣を受け取るのに脈はアリと考えてよいだろう。

 

――もっとも、そのまま受け取れても問題がありそうなんだけどね。

 

そこまで考えてから、彼女は心の中で小さくため息をついた。ただ、その覇者の剣も本来の歴史では魔王軍によって奪われており、ロモス王は偽物とすり替わったことすら知らなかった。

剣がいつすり替えられたのか、それは彼女も知らない情報だ。だがおそらくは覇者の剣は手に入らないと思って行動すべきだろうと判断する。

 

「へぇ、望んだ褒美かぁ……美味しい物を腹一杯食べられる、とかでもいいのかな?」

「良いと思うわよ。というか、その程度の条件なら毎日だってかなえてくれるんじゃないかな?」

 

年相応というべきか、実にかわいらしい望みをダイは口にする。そんな弟の姿を、チルノは微笑を浮かべながらチラシの一部分を指さした。

 

「ほらここに『魔王軍に負けない腕自慢よ来たれ』って書いてあるでしょう? つまり、優勝者や良い成績を残した人は、魔王軍と戦う戦力として勧誘すると思う。だから優勝賞品は、文字通りご褒美でしょうね。そうやってハッパを掛けて、参加を促しているんだと思うわ」

「なるほど、王様も色々考えているんだなぁ……」

「他にも国威高揚とか国民のガス抜きとかあるんだろうけれど……まあ、私たちは気にしなくてもいいかな」

「ふーん……でも、どうせだったらちょっと見てみたいかも……」

「開催日は――明日!?」

 

何気なく日付をみて、チルノは驚かされた。彼女の記憶では、本来ならばロモスにやってくるのは当日――それも参加受付が終了する正午の少し前である。

 

「えっ! じゃあおれも参加できるかな?」

「もちろん参加できるとは思うけれど……」

 

勿体ぶった言い方をわざとして、チルノは視線を周囲へと巡らせた。武術大会と銘打っているが、ロモスの国民からすればお祭りのような物だ。そのお祭りを明日に控えて、観客達を目当てとした露天商や屋台があちこちに見える。

 

「その前にちょっと城下を見て回らない? せっかくの機会なんだし」

「うん、賛成!」

 

そんな見ているだけで興味をそそられるものを我慢することなど、できるはずも無かった。ダイは祭りなど体験したことはないし、チルノとてこの世界の祭りは初めてだ。ゴメちゃんとスラリンも、ダイに賛同するように声を上げる。

満場一致で決まった散策を、彼らは存分に楽しむことにする。

 

とはいえ、どこに何があるのかが分かるはずもなく、足の向くまま気の向くままではあったが、そんなことは気にならないほど、彼らは祭りの空気を楽しんでいた。

どこかで仕入れたのかはたまた個人の手作りか、怪しげなアクセサリーや見たことも無いような道具、子供がほしがりそうな玩具などが並ぶ露天を見て回る。

かと思えば、翌日の武術大会で誰が優勝するかの賭博が行われており、その周りに無数に存在する自称予想屋の解説を聞きながら揃って苦笑いを浮かべたりと様々だ。

 

そうして楽しみながら歩いていると、不意に良い香りがチルノたちの鼻をくすぐった。とても甘く、香ばしい香り。その香りに導かれるまま歩みを進め、ついにその正体と出会う。

 

「いらっしゃい! ひとつ3ゴールドだよ!」

「すみません、その焼き菓子を二つ……いえ、四つください」

「まいどっ! 12ゴールドになります!」

 

正体は、屋台で売っていた焼き菓子だった。屋台の店主は、チルノ達の顔を見るなり客と判断したらしく、愛想良く言ってくる。その言葉と、何より暴力のように漂ってくる香りに耐えきれず、チルノはまるで条件反射のように注文していた。

代金を支払えば、店主は上機嫌で菓子を手渡す。

 

「運が良いねぇ。ちょうど焼き上がったばかりなんだ。ほら、まだ熱いから気をつけな」

「どうも」

 

受け取った菓子は、言葉通りまだ暖かかった。持っているだけでじんわりと熱くなり、何もせずとも湯気が立ち上るほどだ。だが、屋台の中にはカマドや火の気配は感じられない。どうやら菓子そのものは別の場所で作っており、この屋台で売っているようだ。

ならば店主の言った『ちょうど焼き上がったばかり』と言う言葉も頷ける。焼き上がったばかりが運ばれて来たところに、運良く遭遇できたのだろう。

 

「はい、スラリン。熱いから気をつけてね」

 

チルノは受け取った菓子の一つを肩に乗るスラリンへと差し出すと、大きく口を開けて目の前の菓子にすぐさま噛みついた。その姿を見ながら、チルノも焼き菓子を頬張る。

 

「ゴメちゃんも食べる?」

「ピィ!」

 

なるほどだから四つ買ったのか。と姉の行動に納得しながら、ダイもまた友であるゴールデンメタルスライムに焼き菓子を差し出した。

 

「お嬢ちゃんたちも、武術大会を見に来たのかい?」

「ええ、そんなところです」

「へぇ……じゃあ、こんな話を知ってるかい?」

 

ダイたち以外に客はいないせいで暇なのだろう。話し掛けていた店主の言葉にチルノが相づちを打てば、予想以上に乗り気な様子を見せた。

 

「ちょっと前にこの街も魔王軍に攻撃を受けてよ。色々と大変だったんだぜ。あの時に勇者様がこの国を救ってくれなれば、オレもこうして商売どころか命がなかったかもしれないんだ」

「…………」

「その後は国主導の見事な手際で復興したんだが、魔物に滅ぼされていたら復興も何も無いからな。今回の武術大会も同じような目に遭わないためだとか言う話らしいが……まあ、なんにせよ救国の英雄様々ってところよ」

 

知ってます、だって当事者ですから。と言う言葉を姉弟は飲み込んだ。店主もまさか、話をしている相手がその英雄たちだとは思ってもいないのだろう。得意そうに話をする店主に二人は適当に頷きながら、菓子の味を堪能していた。

 

余談ながら、菓子は素朴ながらも上品な甘さがあり、全員に好評だったようだ。お昼時を過ぎた頃と言うこともあって、お腹も減っていたのだろう。ダイたちはもう一つ注文することにした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「やや!! あなたたちは!!」

「あはは……」

 

どこかで聞いたような言葉が、ロモス兵士の口から発せられる。

短い時間ではあったが街を十分に堪能したところで、ダイたちは王城へと足を伸ばしていた。だが城に入るのには城門を通らねばならず、そして武術大会開催直前で人が多くなっていることもあって、本来ならば城に入るには厳重なチェックが必要となるはずだった。

だが似たようなやりとりも二回目ともなれば慣れたというべきか、それともこの国におけるダイとチルノの信頼の高さの現れと言うべきか。いくつか簡単な質疑応答だけで、あっさりと王の下へと案内される運びとなった。

 

案内役の兵士に先導されながら手入れされた廊下を歩いていく。かつて百獣魔団から受けた傷跡はもうすっかりと無いようだ。その手際の良さに感心しながら進み、やがて姉弟は王の間へと通された。

 

「おお、ダイにチルノ!! 久しぶりじゃな、見違えたわい。そなたたちの活躍の噂はロモスにも入ってきておるが……いやいや立派になったのぉ」

 

王の間に入るなり、開口一番にロモス王シナナが喜色を浮かべる。シナナ自身、この姉弟のことは気に入っているのだ。なにしろ、兵士から二人が面会を求めているという報告を受けた時から、他の仕事よりも優先させたほどである。

 

「パプニカに旅だったあの日が、まるで昨日のことのようじゃわい。あの時と比べ、ダイは格段に凜々しく逞しくなっておる。男としての格が上がったようじゃな。それにチルノも、少し見ない間に聡明さと女らしさに磨きが掛かったようじゃ。女の成長は早いなどと聞くが、全くその通りじゃな」

 

まるで久しぶりに孫に会った祖父のようだ。立て板に水のように、再会と姉弟に成長ぶりを喜ぶシナナの様子には、ダイたちはおろか傍にいた護衛の兵士たちですら度肝を抜かれる。

 

「おっと、すまんのぉ。年を取るとどうも話が長くなってしまっていかん」

「いえ、お久しぶりです。王様もご壮健なようで」

「久しぶりです、王様」

 

だが自ら気づいたのか、自戒するような言葉と共にシナナは落ち着いた様子を見せる。それを見てチルノはようやく口を開き、丁寧に礼をする。ダイもそれに続いて、チルノの見よう見まねで挨拶をしていた。

 

「はっはっは、そのような堅苦しいことをせぬともよい。して、此度の突然の来訪はどういうことじゃ?」

「はい、実は以前断った"覇者の剣"のことです」

「ほう?」

 

シナナの目が細められ、それまでの好々爺然とした物から驚きの表情へと変わる。まさかそれとは思っていなかったのだろう。

 

「王様! おれ、あの時は覇者の剣を世界平和のために使ってくださいって言いました。でも、覇者の剣が必要になったんです! それに、おれも覇者の剣に負けないくらい強くなりました! だからお願いです!どうかおれに覇者の剣をください!!」

 

まず口火を切ったのはダイだ。覇者の剣を必要としているものの責任からか、必死で訴え出る。それを見て、チルノが続く。

 

「ダイはこれまでに魔王軍の六軍団を四つも退けています。秘められていた素質も開花して、今では普通の武器では成長したダイの全力に耐えられなくなりました。一度断っておきながら虫のいい話だというのは重々承知しています」

 

そこまで言うと彼女は、道具袋から覇者の冠を取り出す。持ち運びの最中、傷がつかないように布に包んでいたそれを解き、シナナへ見せるように差し出すと更に口を開く。

 

「せめてのものお詫びとして、以前頂いた覇者の冠は返還させていただきます! だから、どうか!!」

 

姉弟揃って頭を下げ、懇願の様子を見せる。その光景にシナナは少しだけ吹き出した。

 

「いやいや、そのように深刻にならずとも大丈夫じゃよ、二人とも」

 

あまりに真剣な様子に、見ていただけのシナナにはそれがどこか滑稽にすら思えてしまったようだ。薄く浮かべていた笑みを自ら律し、真剣な表情を浮かべる。

 

「おぬし達をパプニカへ送り出した時から、いつかはこのような日が来ることを待っておったわ。安心せい、覇者の剣は元々勇者ダイに渡すはずじゃったもの……そのダイが勇者の名に相応しいだけの活躍と実力を備えて戻ってきたのじゃ。その勇者に覇者の剣を渡す……かつてダイが言っておったように、剣を世界平和のために使うのであれば、これ以上に有効な活用方法がはたしてあるじゃろうか?」

「じゃあ……!!」

「ああ、何にも問題はない。覇者の剣、是非とも持って行ってほしい」

「よかった……」

 

その言葉を聞いて、ダイは安堵したように息を吐いた。いくら姉から大丈夫だという言葉を聞かされていたにしても、所詮は推論でしかない。本人から直接許可を貰えないのではないかという不安は常につきまとっていた。ようやく肩の荷が降りたらしい。

 

「あの、じゃあこの覇者の冠は……?」

「それも元々はダイに贈った物じゃ。そなた達が持っていることに何の不都合があろうか?」

「良いのですか……?」

「構わぬよ。この世界を平和にするために、覇者の剣と冠を是非とも役立ててくれ」

「ありがとうございます」

 

続くチルノの言葉にも、シナナは許可を出す。覇者の剣と覇者の冠は、ロモスに伝わる伝説の秘宝だ。それを惜しげも無く手放す度量。それはきっと、シナナが真に世界平和を願っている証拠なのだろう。

姉弟は深々と頭を下げながら、シナナの想いを感じていた。

 

 

 

「ではさっそく、ダイに覇者の剣を渡そう。と言いたいところなのじゃが……」

 

興奮も覚めやらぬうちにというべきか。シナナは剣を用意させようとして、だがその直前で自ら待ったを掛ける。

 

「二人とも知っているじゃろうが、ロモスでは明日に武術大会を控えておる。じゃが、かつての英雄が成長して戻り、伝説の剣を授与されるというのもまたとない機会。国民達も大いに喜ぶことじゃろう。そこで、武術大会の翌日に改めて場を設け、その場にてダイへ剣を渡す。としたいのじゃが……どうじゃろうか?」

 

シナナの考えは、ダイたちにとっても理解できないものではなかった。元々武術大会は魔王軍と戦うための戦力を見つけると同時に、内外に力を見せるという意味もある。

かつてロモスでクロコダインを退けた後に、ダイたちはロモス国民の前に勇者として紹介された。王の言うように、その勇者が伝説の剣を所持するほどの力を成長を遂げたとなれば、それもまた一大イベントとなるだろう。

 

問題があるとすれば、ダイにちょっと苦労が掛かる程度だろうが、逆に考えればその程度は安い物と割り切る事もできる。

 

「はい、それで問題ありません」

「そもそもこちらはお願いしている立場なので。異論はありません」

「いえ、どうせならばより大々的に行うべきかと思います」

 

ダイとチルノが揃って賛成の言葉を口にする中、突如として後ろから反対の言葉が聞こえてきた。不意に耳に届いた聞き慣れぬ声に、姉弟は反射的に振り返る。

 

――誰?

 

そこにいたのは、ダイたちにとって見覚えの無い男だった。学者のような出で立ちをしており、神経質そうなその顔立ちはうっすらと何かを連想させる。だが王の間に突然入ってきただけでなく、王の言葉に直接意見を言うことから見るに、どうやら高い立場にあると考えられる。

その証拠に、口を挟まれたにも関わらずシナナの表情は曇っていない。

 

「突然の無礼は申し訳ございません。ですが、面白そうな話が聞こえてきたものでつい口を挟んでしまいました。よろしければ、ご説明させていだけますか?」

「ふむ、聞かせてくれ」

 

はてさて、このような人物がロモスにいただろうかとチルノは心の中で首を捻った。だが思考するだけの時間は与えられず、二人の会話は止まらない。

 

「明日の武術大会終了後では、興奮が冷める恐れがあります。また、武術大会を見るために他国から来た人間は翌日の催しに参加しない可能性があるでしょう。ここは武術大会と同日――それも大会終了後に渡すのが良いかと。武術大会の熱気も加わり、国民は更に熱狂。他国民にも強いアピールの機会となるでしょうなぁ」

「なるほど、確かに言われてみれば……」

 

謎の男の言葉にシナナは心を動かされる。

 

「どうせならば、大会優勝者と勇者殿とで特別試合を行うのはいかがでしょう? 勇者の力を見せる良い機会となります。いや、いっそのこと予選から出場していただき、決勝開始前に正体を明かす。というのも面白いかと思います。もちろん、勇者殿がよろしければですが?」

「なるほどなるほど、確かにそれはダイが成長した姿を伝える良い機会になりそうじゃ。どうじゃダイ、参加してみんか?」

「えっ、おれ!?」

 

不意に水を向けられたダイであったが、それほど悪い気はしていなかった。

 

「うーん、わかりました。おれの存在が少しでもロモスの役に立つならば」

「おお、それはありがたい! では決まりじゃな! チルノもどうじゃ、参加するかの?」

「私もですか? ……せっかくの機会ですし、お邪魔で無ければ」

「ははは、邪魔なものか。よし、二人とも参加じゃな!」

 

続けてシナナはチルノへと意識を向ける。本来の歴史を知る彼女にしてみれば、この武術大会は出ても出なくても特に問題は無いと考えている。危機となる場面は知っているので、その瞬間を外さないようにすれば良いだけだ。

それに何より、どのような大会になるのか一度しっかりと見てみたかったという個人的な欲望もあり、控えめながらも参加の意を示した。

 

「でも、良いのですか? この大会には腕自慢を集めるという意味もあると思うですが、私たちが参加した場合、その妨げになるのでは?」

「なぁに問題は無いわい。たとえ決勝に参加できずとも、有望そうな者には声を掛ける予定じゃ。なにより、祭りは派手な方が盛り上がるじゃろう? ならばお主らには期待しておるわい」

 

ただ一点、自分が参加しても武術大会の目的にそぐわないのでは無いかということが気になっていた。そのため王へと尋ねるが、どうやらそういった心配は既に織り込み済みだったようだ。大会を盛り上げる役としても期待されているらしい。

 

「では、明日の用意が必要ですね。急な変更となりましたが、私が取り仕切っておきますのでご安心ください」

「む、言われてみればそうじゃったな。すまぬのぉ」

「いえいえ、私も噂に聞く勇者殿の力を直接見てみたかったものですから。このくらいなど苦労でも何でもありませんよ」

「いやはや、何から何まで頼りっぱなしですまぬのぉ……ザムザ(・・・)殿」

「……!!」

 

シナナの言葉に、チルノは一瞬だけ反応してしまった。だが意識的に何も無かったように自身を制御し、必死で抑える。

 

「それでは、明日の準備もありますので私はこの辺で。勇者殿、賢者殿。明日はよろしくお願いしますよ」

 

そんなチルノの内心に気づいたのか、それとも気づかなかったのか。ザムザと呼ばれた男はシナナへと一礼をするとこの場から去って行く。だが去り際にチルノのことを強い視線で一瞥だけしたことから考えるに、油断はできないだろう。

 

「王様。先ほどの方は……?」

「ザムザ殿のことか?」

「ええ、そうです。一体どのような方なのでしょうか?」

 

ザムザの姿が完全に見えなくなってから、チルノはシナナへと尋ねる。するとシナナは自らの手柄を誇るような上機嫌となっていた。

 

「知らぬのも当然じゃろうな。ザムザ殿はお主たちがパプニカへ旅だった後で、フラリとやってきたんじゃよ。何でも旅の学士とのことじゃ」

「へぇ、そんな人が」

「うむ。ザムザ殿はその深い知識で百獣魔団に襲われ、傷ついたロモスを救ってくれたんじゃ。傷ついた人や物に対しても適切な処置を施し、それどころか多くの人間に教えてくれたんじゃ。おかげで瞬く間にロモスは元の姿を取り戻せたのじゃよ」

「そういえば、手際よく復興したとか言ってたっけ」

 

街の屋台で戯れにしていた世間話であったが、なるほどアレはザムザのことを示していたらしい。

 

「特に魔物に対しては深い見識を持っているようでな、魔の森に住まう魔物それぞれの特徴や戦い方、弱点や対処方法などを教わっておる。中でも魔物避けの匂い袋は好評でな、これがあれば魔の森でも襲われることが無いと言われておるほどじゃ」

「あの人、そんな凄い人だったんだ」

「うむ。今回の武術大会もザムザ殿の着想でな。全く大したものじゃよ」

 

――なるほど、そうやって王様と国の信頼を得ていったわけね。

 

シナナの話を聞きながら、チルノはこっそりと納得する。彼女は本来の歴史を知っているが、その中でザムザがロモスに潜り込んだ手段については知らなかった。どのような方法を取ったかは知らぬが、ロモスに潜り込み王に進言して武術大会を開かせた。という事を知っている程度である。

 

だが、その裏にはこのような地道な努力があったようだ。しかし、考えてみれば上手い手段である。ザムザの出自を鑑みれば、建築学や生物学を学んでいたとしても不思議では無く、魔物について深い見識を持つのも当然だろう。

何しろ彼は、ロモスへ忍び込んだ獅子身中の虫。

魔王軍妖魔師団に所属しており、妖魔司教ザボエラの息子なのだから。

 

――気がつかなかったのは私の失態だもんね。

 

だが、無理もないことだろう。ザムザが人間のフリをしていたのは、彼女が知る中でも短い期間であった。魔族としての正体を現した時の方がよほど印象が深い――いや、それ以上に印象が強い姿があることも原因なのだが――ことに加えて、流石に時間が経過しすぎている。ザムザの事は覚えていても、人間に化けていた時の姿まで覚えていろというのは少々酷というものだろう。

 

だが、気づけたからといっても、対処は難しい。

 

そもそも証拠がないのだ。

仮にザムザが魔族だという証拠を用意できたとしても『自分は魔族だが人間の味方だ』と言われてしまえばそれまでだろう。そしてダイたちの仲間にはクロコダインを筆頭に元魔王軍に所属していた者たちがいる。彼らを引き合いに出されれば、それ以上強く言うこともできない。

 

伝えられるとすれば、魔王軍が出現するという可能性を示唆する程度。さてどうした物かとチルノは頭を悩ませる。

 

「王様、お話中申し訳ございません!」

「いったいなんじゃ?」

「パプニカより使者の方がいらしております」

「おや、もうそんな時間だったか。すまんな二人とも、これから別の用事があるのじゃ」

 

その口ぶりから、どうやら予め決められていた予定のようだ。シナナはもっとダイたちと話していたいという誘惑を絶ち、意識を仕事へと向ける。だが二人のことを忘れたわけではない。

 

「ダイ、チルノ。二人とも明日の大会に備えて、今日はここへ泊まると良い。誰か、二人を客室へ案内してやってくれ」

「はっ!!」

 

そう言うと兵士の一人が一歩前へ出る。どうやら彼が案内役を買って出たようだ。案内役の「こちらです」という声に急かされ、チルノは意を決した。

 

「王様、一言だけよろしいでしょうか!?」

「なんじゃ?」 

「武術大会となれば、多くの実力者が集まります。魔王軍が来るかもしれませんし、敵は外から来るものだけとは限りません」

「む、それは……いや、なるほどわかった。忠告、ありがたく受け取っておこう」

 

どこかでザムザが耳を立てているとも知れない。それを配慮しての、具体性に乏しい言葉であった。だがシナナはその言葉だけで理解したように頷く。それを確認すると、チルノは兵士に従って王の間より退出した。

 

 

 

「姉ちゃん、さっきのって?」

 

廊下を歩きながら、ダイは唐突にチルノへと質問する。さっきのとは、彼女が去り際に王へと言った言葉の内容である。あのタイミングで言った以上、何かがあるというのはダイはもちろん誰でもそう思ったのだろう。前を行く兵士も、会話に耳を傾ける。

 

「ああ、あれ? ……ダイはどう思った?」

「普通に魔王軍が攻めてくるかもしれないってこと?」

「他には?」

「えっと……参加者に化けて、魔王軍が忍び込んでくる?」

「そうね、常套手段かもしれない。他には?」

「ええっ! まだあるの!? えっと……」

 

ダイが歩きながら頭をフル回転させているときだった。

 

「あら?」

「あ!」

「え!?」

「ダイ君、それにチルノさんも?」

「エイミさん? どうしてここに!?」

 

ダイたちとちょうど反対側からやって来たのは、パプニカ三賢者の一人エイミだった。まさかこんなところで出会うとはダイたちもエイミにとっても予想外だったようだ。

視線がぶつかり、お互いがお互いを認識した瞬間に口をついて出た間抜けな言葉がその証拠だろう。

 

「そういえば、王様がパプニカからの使者が来るって。あれ、エイミさんのことだったんですね」

「そっか、仕事だもんね」

 

先ほどの王との会話の時に割り込んできた兵士を思い出し、納得する。レオナが何か大きなことをやろうとしており、三賢者がそれに従い世界中を飛び回っていることも事前に知っている。

ならばこうして出会う確率が無いわけではないのだ。

 

本来の歴史であれば、ロモスを担当していたのは彼女の姉のマリンだ。そして日付も一日後の武術大会当日であるが、どうやらこの世界では多少なりとも短縮されているらしい。

 

「でも、ロモスまで来るのも大変じゃない?」

「それなら大丈夫よ。ルーラの呪文を使えるようになったから」

「へぇ、すごいなぁ。さすがは賢者」

「…………あ」

 

ルーラを使えるようになった。それだけならば普通の事だろう。だがチルノはその言葉の裏に隠された意図に気づき、小さく声を漏らした。

ヒュンケルのことを慕うエイミは、過去に彼の力になろうとしたことがあった。だがその時にルーラの呪文を使えず苦い思いをしていたのだ。おそらくはその経験をバネにして、賢者として成長したに違いない。

ただの予想でしかないが、おそらくは事実であろうその事柄だが、わざわざそれを口に出すほどチルノは野暮でも無い。彼女は慌てて取り繕うように、別のことを話し始めた。

 

「どうかしたのチルノ?」

「い、いえいえ。それよりエイミさん、パプニカには今日中に戻りますか?」

「ええ、その予定よ」

「でしたら、ヒュンケル達に伝言をお願いできますか。私たちが戻るのは早くても翌日だってことを」

 

連絡なしでは心配するだろう、特にラーハルトが。だがあえて『ヒュンケル達』と言ったのは、そうした方が彼女がより動きやすくなるだろうと思ったからだ。大義名分があれば彼女が会いに行くのも簡単になるだろう。

 

「わかったわ、まかせておいて」

 

そう言うエイミの表情は、とても頼もしかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

空には夜の帳が落ちており、月と星々の柔らかな光が天より降り注ぐだけの刻となっていた。ロモス城内にはまだ働いている人もおり、もっと言えば夜回りの兵士がいるのだから完全に静まることはない。

だが今や城は眠りにつこうとしていると言っても過言では無いだろう。

 

あの後、客室へと案内されたチルノたちであったが、しばらくすると王に呼ばれた。何だろうかと思えば夕食ができたということであり、しかも王と共に食事をすることとなった。

何かと思えば、シナナはダイたちの武勇伝を求めてきたのだ。しゃべりながら食事をするのはマナー違反である気もするが、そのようなことを気にすることもなく、むしろ勇者の話を聞こうと隙あれば人がやってくるほどだった。

 

さらには風呂を用意されたかと思えば、そこでは侍女によって身体を洗われるという至れり尽くせりのもてなしである。入浴も済み、再びどこに案内されるのかと思えば寝室だ。

広い寝室に驚いていると、続いて誰かがやってくる。何かと思えばダイもまたチルノと同じ寝室に案内されたらしい。

案内の侍女は、こちらが何かを言う前にそそくさと退室してしまったため、室内には姉弟二人がいるだけだ。

 

「同室かぁ、異性とはいえ姉弟だからねぇ……ダイは個室の方が良かった?」

 

ベッドに腰掛けたまま、チルノはダイに尋ねる。チルノは別にダイと同室が嫌なわけでは無い。ついでに言えば、同じ部屋ならばザムザが何かを仕掛けてきたとしてもすぐに協力して対処できるという利点もある。

だが相手も同じ気持ちとは限らないだろう。もしもダイが不満であれば、すぐにでも申し出て別の部屋を用意して貰おうかと考える。

 

「ううん、別に気にしないよ」

 

だがダイは言葉通り、気にした様子もないようだ。長く姉弟として共に過ごした経験が長い影響だろうか。

 

「まあ、ちょっとは驚いたけれど」

 

姉に聞こえるか聞こえないか、その程度の声量でダイは呟いた。チルノも湯から上がったばかりであり、褐色の肌は火照ってうっすらと赤みがかっていた。頬も赤く染まり、見慣れていたはずの髪型も今は全てを解放したロングヘアになっている。

さらには寝間着としてネグリジェを着用しており、そのためダイがよく知る姉とは別人のように見えて思わずドキドキさせられる。

 

「何か言った?」

「え!? えっと、王様と食事するなんて思わなかったなぁって」

 

ダイの声が聞こえたのだろうチルノの言葉に、まさか聞こえるとは思っていなかったダイは慌てて別のことを口にする。

 

「あら、レオナだって王女様よ。忘れちゃったの?」

「だってレオナの時はあんまり堅苦しく無かったからさ」

「さっきだって、マナーとか気にしなくて良いって言ってくれたでしょう? それにまだ明日の朝食もあるんだから、覚悟はしておいた方が良いわよ」

 

そう言うとクスクスとチルノは笑う。それを見ながら、自分のつぶやきが聞かれていなかったことにほっと胸をなで下ろす。

 

「それじゃあ、明日も早いだろうしもう寝ましょうか? 明かり消すけれど、いい?」

 

そう言いながら頼りなさげにゆらゆらと揺れる蝋燭に近寄る。既にスラリンはベッドの枕元で船を漕いでおり、ゴメちゃんもいつの間にかベッドで休んでいた。

 

「大丈夫だよ。おやすみ、姉ちゃん」

 

ダイの了承の言葉を聞いて、チルノは明かりを消した。途端、窓から差し込む青白い月明かりだけが二人を照らす。薄暗い中、二人はそれぞれのベッドに潜り込む。

だがダイが寝付くよりも早く、チルノがダイのベッドに潜り込んで来た。

 

「ね、姉ちゃん!?」

「しーっ……そんなに大きな声ださないで。それに、昔は一緒に寝たでしょ?」

「それって子供の頃の話だろ……急にどうしたのさ」

「うん、なんていうか……こうしてダイとくっついてお話がしたかった……ってところかな?」

「なにそれ?」

 

チルノの言葉はダイには要領を得なかったが、それでも何か言いたいことがあるのだろうと思い、ダイはそれ以上姉を無碍にすることもなくするがままとしていた。自身の右半身から伝わる姉の温もりを、必死で意識しないようにしながら。

 

「ねえ、ダイ……バランとの戦いの時に私が力を与えたときのこと、まだ覚えてる?」

「当たり前だろ、忘れようとしても忘れられないよ」

 

それは未だ悔しさを忘れられない思い出だった。あの時のことを、チルノが命を懸けるきっかけをダイは自身の未熟さが原因だと思っている。ダイにとってもあまり聞かれたくないことだろうというのは容易に予測がつくことだ。

だがチルノはどうしても確認しておきたかった。よって、少々強引であると自覚しつつもこのタイミングで尋ねる。

 

「その時に、ダイの中の私はどんな感じだったの?」

「どんな感じ……って、聞かれても……うーん……」

 

当時の感覚を思い出そうと唸る。だがあの時は、様々な感情が入り乱れた一種のトランス状態にも近かった。そこを冷静に振り返れというのも中々難儀な注文である。しばらく唸った後に、ダイはようやく口を開いた。

 

「何でも教えてくれた、かな?」

「なんでも……?」

「うん。おれが何かしようとすると、それに先んじて色んな事を教えてくれたんだ」

 

拳に(ドラゴン)の紋章を発現させることも、真魔剛竜剣のことも竜闘気砲呪文(ドルオーラ)のことも。そして、(ドラゴン)の騎士が全力で戦えば剣が壊れるという事に至っては、それを教えた上で全力で剣が壊れる事の無いように生産技能を応用して修復を続けていた。

だがそれは全て、ダイの行動を受けての反射に近いものだった。動けばそれに対応するが、自分から何かをすることはない、言うなれば辞典のような物だったと言う。

 

「へぇ……じゃあ、もしかしてダイは……私の気持ちとか、記憶とか、そう言うのも聞いたりしたの……?」

「え、私のって……何言ってるのさ! そんなこと、聞くわけ無いだろ!」

「そうなんだ……その言葉が聞けて良かった……」

 

慌てて否定する弟の姿に、チルノは安心したように呟いた。

 

「ねぇ、ダイ……もう少ししたら、多分私は大事なことを話すと思うの」

「大事なこと、って……?」

「それはまだ内緒」

 

いたずらっぽく笑い、人差し指を口の前で立てて秘密のポーズを取る。

 

「ただ、自分の口からちゃんと伝えたかったの。もしもダイがあの時に知っていたら……結果は変わらなくても、ダイはきっと嫌な気持ちになると思うから……」

「それって……」

 

それまでなんとなく背けていた姉の方へと姿勢を戻し、言葉の真意を尋ねようとする。だがダイの質問に答えが返ってくる事は無かった。

 

「姉ちゃん……?」

 

気になり、もう一度尋ねる。だがやはり答えはない。

 

「……寝てる」

 

安らかな寝息を耳にして、ダイは姉が眠りについたことを悟る。だが今回の眠りは、明日の朝が来ればきちんと目が覚めるものだ。ならば心配することもない。

 

「おやすみ、姉ちゃん」

 

明かりが消える前に言った言葉をもう一度口にすると、ダイも瞳を閉じる。だが、姉から漂う甘い香りと感触がダイの思考能力をゆっくりと奪い続け、意識を研ぎ澄ませる。

感情に上手く折り合いがつけられず、ダイは中々寝付けなかった。

 

 




まさかのロモス武術大会の開催前。
お祭り開始前の賑わっているロモスを堪能する姉弟……ある意味デートですね。

屋台。
武術大会開催で人が来るだろうから、そういうお店も出るでしょう。開催前なので、街に出店してます。当日はコロシアムの前に出店することでしょう。

武術大会に参加。
原作は未参加だし、どうせなので。まあ、そんなに細かい描写はしないはずですが。
ザムザ的に「目の前で竜の騎士の生データが取れるし、上手くすれば捕まえられるかも!」と考えれば、ダイに参加を促すのも変では無いはず。
なおザムザがロモスに潜り込んだ理由は創作です。復興中のロモスへこんな風に自分を売り込んだのでは?と妄想。

夜会話。
実は最初は「チルノさん、ウチの息子の嫁に来ない?」とロモス王に言わせ、それを聞いたダイが姉を取られるかと心配して変な意地を張る、みたいな場面を考えていました。
(ロモス王も高齢っぽいので、跡継ぎ王子の一人や二人くらいいるはず)
ですが、相手がなぜか某8作目のボンクラ王子しか浮かばず。よって諦める。
代わりに同じベッドの中でちょっとだけイチャつかせることに。

武術大会予選と本戦。
ダイは参加するけれど、決勝戦は参加せず予選で負けた人が代わりに出場する。チルノは普通に決勝まで参加する。とする予定。
となると、原作と比べて1名多い。マァムとゴーストくんは確定。さて、原作の6名の中で誰が落ちるのでしょうか?
(多分誰も興味ない)


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LEVEL:54 武術大会予選

「らぁっ!!」

 

気合いの雄叫びと共に振り下ろされた剣を、ダイは余裕を持って避ける。その距離は極僅か、皮一枚あるかないかと言ったほどである。

既にこの太刀筋は何度か見ていた。そのためダイは回数を重ねるごとに回避が大胆になっていく。

 

「くっ! チョロチョロと!!」

 

振り下ろされ切った剣を今度は思い切り振り上げる。だが続く攻撃を、ダイはその腕で受け止めた。腕と剣とが激突し、だが金属同士がぶつかったような甲高い音が響く。見る者が見ていれば、剣を受け止めるその瞬間に竜闘気(ドラゴニックオーラ)が強く生み出されていたことが分かるだろう。

 

「なっ……!?」

「隙あり!」

 

だが相手はそれを見切れるほどの腕前でも無ければ、そもそも竜闘気(ドラゴニックオーラ)の事を知らなかった。彼の目にはダイが素手で剣の一撃を受け止めたとしか見えない。

あり得ない結果に動きが止まる。その隙を逃すダイではなかった。

勢いをつけ、相手を思いきり蹴りつける。それもただの蹴りではない。

今度は蹴りを当てる瞬間に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を発生させ、攻撃に利用していた――とはいえ相手は少々腕が立つ程度の普通の人間である。そのため生み出した竜闘気(ドラゴニックオーラ)もごく少数。だがこれでも十分過ぎるほどだ。

 

「があああぁぁっ!!」

 

小柄で体重も軽いダイが大人を蹴り飛ばしたとは思えないほどの勢いで、相手の男は悲鳴を上げて吹き飛んでいく。その勢い舞台の上にとどまり切らず、ついには場外にまで届いた。

場外の土の上に倒れ込んでいることを確認して、審判役が声をあげる。

 

「それまで! 勝負あり!!」

「ありがとうございました」

 

勝ち名乗りが響き渡り、観客達は大いに沸いた。見ただけの印象ならば、ダイの負けだと思うだろう。だが蓋を開ければ下馬評を覆す見事な逆転劇である。これが興奮せずにいられるだろうか。

ダイは相手の方を向くと礼の言葉と共に一礼をしてその場から去って行く。対戦相手の方には、大会運営と見られる兵士達が駆け寄り、ゆっくりと起き上がらせて肩を貸しているのが見えた。

 

「ダイ、まずは初戦突破おめでとう」

 

控え室へ戻るなりまずはチルノがダイに声を掛ける。彼女の周りにはゴメちゃんとスラリンがおり、その二人も祝福するように鳴いていた。

 

「へぇ……さすがね。でも、私も強くなったんだから負けないわよ」

 

続いてマァムが、先の試合でのダイと自分を頭の中で比べているのだろうか。腕前を褒めつつも闘志を燃やす。

 

「フ、フン。少しはやるようだね。ひとまずは、おめでとうと言ってあげるよ」

 

そして最後にチウが言った。台詞だけを見れば大物のように見えるが、その本心はダイの強さに驚きつつも精一杯に虚勢を張っているのが誰の目にも明らかだ。

三者三様の言葉を受けながら、ダイは次の戦いに向けて気を引き締め直した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「へぇ~……やっぱり、色んな人がいるんだね……」

 

時間は少しだけ巻き戻り、現在は武術大会当日の午前中である。ダイたちは揃って、武術大会の会場となる闘技場(コロシアム)へ訪れていた。

 

ロモス城にて一泊した後、王の好意によって再び揃って朝食を取り、そして支度を終えるといざ会場へと向かう。ここまでは特に何かがあったわけでは無い。

会場へ向かう途中でダイとチルノの扱いについて運営委員より説明を受けたことが、特筆すべき出来事といえなくもないが。

 

とあれ無事に闘技場へとたどり着いたものの、試合開始までの時間を持て余しており、チルノの提案もあって出場者の顔ぶれを見て回っていた。

時間は大体朝の九時を超えたところであり、この場にいるのは前日までに参加登録をした選手達がほとんどだ。武術大会の参加申し込みは当日正午の一時間前まで受け付けている。つまりこれから先、まだ増える可能性があるということだ。

とはいえ現時点でも、斧を手にした屈強そうな戦士や、聡明という言葉の似合う魔法使いなど様々な人間が見られる。

彼らが手にする武器も多種多様だ。一般的な剣や槍に斧は当然のこと、巨大なハンマーを持った者もいる。変わり種と言えば鞭や弓矢を手にしてる者もいた。

 

「わぁ、あの人カッコいいかも」

 

だがダイの目に止まったのは、"騎士の鎧"を全身に纏った男だった。全身鎧に加えてマントを羽織ったその姿は、まるで物語の登場人物の一人のようである。

どうやら実力というよりは、見た目で目についたようだ。とはいえ、かつてベンガーナのデパートにて彼も購入した鎧を見事に着こなした相手が目の前にいるとなれば、目につくのも責められまい。

 

「腕自慢が集まっているみたいだし……ダイも油断していると、足下を救われかねないわよ。予選で負けたらそれこそ面目丸つぶれになるからね」

 

集まった選手達を見ながらダイは思わず漏らした言葉を聞き取り、チルノは油断せぬように釘を刺す。ダイは――チルノもある意味では当てはまるのだが――いわゆる特別枠扱いである。かつての英雄が力をつけて戻ってきたとアピールするのに、その英雄が予選落ちでは笑い話にもならない。

 

「うぇぇ……そういうこと言わないでよ……」

 

一応、ダイの正体については秘密にしていた方が良いだろうと慮り、チルノは周りに聞こえないよう小さな声で今の理由を説明する。姉の激励ともプレッシャーともつかない言葉を耳にして、ダイは苦虫を噛み潰したように舌を出しながら呟いた。

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使えば負けないんだけどなぁ……」

 

(ドラゴン)の騎士の無敵の象徴ともいえる竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使えば、この世界の殆どの人間はダイに太刀打ちできないだろう。だがダイは、武術大会では使用を封じるつもりだった。

そもそもが強力すぎる力であるため、その考えは決して間違ってはいない。

 

「いいじゃない、使っちゃいなさいよ」

「ええっ! どうしてさ!?」

 

だがその考えはチルノにあっさりと肯定された。それはさながら公開殺人を推奨するかのような言葉だ――額面通りに受け取れば、という但し書きがつくが。

 

「もちろん、全力で使うのは禁止よ。そもそも普通に使うんじゃないの。たとえば、防御の時には相手の攻撃を受け止めるその瞬間にだけ。攻撃の時には、相手に攻撃が当たるその瞬間にだけ使うの」

「……え!?」

「言うまでもないかもしれないけれど、攻撃に使うときにも込める量は制限してね。相手を倒すギリギリ最小限の量に調節するの。見た目では分からないくらいの極少量の調節ができるようになれば、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操る練度も上がるはず。そういう戦い方を覚えれば、(ドラゴン)の紋章を使う時間も伸びるはずよ」

「うーん、それはわかるけれど、難しそうだなぁ……」

 

チルノが口にしていることは、本来の歴史でもダイが会得した戦い方である。

紋章を拳に発現させたときのダイは、力を常に全開にしていた。それでは瞬く間に力尽きるのは自明の理だ。

対してチルノが今からやらせようとしているのは、必要な瞬間のみに絞って竜闘気(ドラゴニックオーラ)の力を注ぎ込み、それ以外の時には無駄な力を使わないという方法である。発現しているだけでも無尽蔵に力を使ってしまうダイの(ドラゴン)の紋章にとっては、これが最も効率的なやり方となるのだ。

 

「だから、この大会はうってつけよ。戦う機会はいっぱいあるでしょ?」

 

そしてもう一つは、闘気を操る最低量の特訓だ。つまり"少しだけ"力を込められるようにする――言うだけならば至極簡単であるが、その"少し"こそが難しい。10かも知れないし、1かもしれない。はたまた小数点以下にまで及ぶかも知れない。

その"少し"の量を測るには、毎回相手も戦い方も異なる武術大会という舞台はある意味でぴったりの練習場だった。

戦う相手の強さはバラつき、知らぬ相手ばかりのため常に初見での対応が求められる。

防御のタイミングを練習するのに良い教材となるだろうし、攻撃を仕掛けるときにはどの程度の力を込めれば良いのかを見切る良い練習となるだろう。

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)の細かな制御に加えて、攻防でのタイミングの見切りと未知の戦い方への対処も訓練できる。戦う相手は基本的に格下ばかりのはずだから、そうそう負ける要素もない。

必要な時に、必要とされる力で攻撃や防御を行えば、無駄は圧倒的に少なくなる。

大会参加選手たちを相手に練習して完璧にできれば、これから先に待ち受ける魔王軍の強敵との本番を迎えたとしてもきっと優位に戦えるはず。

それこそがチルノの狙いだった。

まあ問題があるとすれば、練習相手とされる参加者に取ってみれば良い迷惑だろうが……元より怪我は当たり前の大会である。そこは運が悪かったと思って諦めて貰おう。

 

「それにダイの実力なら、相手を見極めつつ手加減して戦っても問題は無いでしょう?」

「……へぇ、なかなか面白いことを言ってくれるじゃねぇか?」

 

ダイをやる気にさせるべく、さらに口にした時だった。周囲にいた一人の男から声が掛かる。彼も出場選手の一人なのだろう。見た目からは戦士だと推測されるが、どうにもガラが悪そうな男だ。

その男は表情から苛立ちを隠そうともせずに、怒りの目でチルノを見ている。

 

「それはつまり、オレたちなんざ簡単に倒せるって言いたいのか?」

「あ!!」

 

――失言だった。

 

チルノがそう理解したときにはもう遅い。彼と同じように、チルノの言葉にカチンと来たのだろう。他に数名の男たちが、二人を囲むようにゆっくりと近寄ってくる。

 

「じゃあ、ちょっと強いところを見せて貰おうか?」

「試合前で気が立ってるんだ。ちょっと運動させてくれよ」

「ちょっと変わっているけれど、よく見たら綺麗な顔のお嬢ちゃんじゃないか。こんな大会に出て怪我でもしたら大変だぞ? どれ、おじさんが良いところに連れて行ってやるよ」

 

数が多いことに加えて、相手から見ればダイとチルノは少年少女にしか見えない。男達は圧倒的な余裕と思い込んでニヤニヤとした笑いを浮かべている。

そんな相手の様子を見たダイは少し緊迫した表情でチルノを庇うような位置に立つ。

 

「ダイ、いいから……」

「姉ちゃん?」

 

弟の心意気を嬉しく思いつつも、ダイの身体を押しのけて男達の前へと立つ。その途端、下卑た視線が突き刺さるのを感じながらもチルノはゆっくりと頭を下げた。何しろ悪いのは自分なのだから。

 

「弟にやる気を出させるためとはいえ、皆さんを侮辱するような物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした」

「おいおい、そんな謝罪の言葉一つで許されると思ってるのか?」

「そういうことだ。もっと誠意ってものを見せて貰わないとな」

 

誠意、などもっともらしいことを言ってはいるものの、舐め回すように肉体へ絡みつく視線の動きとゲスな笑みを浮かべていることから、男たちの狙いは明白だった。

 

まだ小娘でしかない自分を相手に、どこにそんな需要があるのだろうかとチルノは自問しつつ、だがこれ以上は流石に容認できそうも無かった――自分以上に、後ろにいる弟が。

仕方なし、力ずくで黙らせる選択もありかと考えた時だ。

 

「やめたまえ!!」

 

チルノたちを囲む男たち。それよりも更に外側から、怒鳴り声が飛んできた。チルノたちも男たちもが、思わず全員がそちらに注視する。

 

「一人の少女によってたかってなど、人間として恥ずかしくは無いのか!!」

「お、大ねずみ!?」

「なんで怪物(モンスター)がここに!?」

「しかも、喋ってやがる!?」

 

そこにいたのは武闘着を身につけ、人語を話す大ねずみだった。

正義感の強い騎士でもいるのかと思っていたところへ、そんな予想だにしない相手が登場したことで全員が驚愕の表情を浮かべる――まあ、一人だけ周りとは少々違う意味で驚いているのだが。

 

「何か文句があるのか!? "怪物(モンスター)は参加できない"なんていうルールは無かったぞ!! それと、ぼくが喋るのがそんなにおかしいか!!」

 

大ねずみは怯むことなく、むしろ堂々とした様子で男たちの言葉に言い返した。さらにそこへ援護が加わる。

 

「私も見ていたけれど、謝った相手に対して狭量すぎるんじゃない? それに、下手に暴れてお城の兵士が来たら大会前に失格になるわよ?」

 

そこにいたのは桃色の髪をお団子にまとめ、髪色に近い色の武闘着を身に纏った少女だ。その少女の顔を見た途端、ダイとチルノは更に驚かされる。

 

「それとも、荒っぽいのがお望みかしら? だったら……」

「ぎゃああっっ!! 痛てててててて!!」

 

驚いていたのは少女も同じだが、まずはこの騒動を鎮めるべきだった。そう判断すると彼女は、騒ぎの発端となった男に近寄ると間髪入れずに男の腿を抓り上げる。見た目に反して万力のような力が込められており、今にも肉が千切れそうな痛みが襲っていた。

あまりの激痛から逃れるように男が暴れると、彼女の方もあっさりと手を離した。

 

「まだやる?」

「ちくしょう!! 覚えてやがれ!!」

 

またあの痛みを味わうと思ったのだろうか、男はあっさりと引くとその場から逃げるようにして去って行く。最初に動いた相手がいなくなったことで、他の男たちもバツの悪そうな顔をしながらこっそりと散っていった。

 

「ダイ、チルノ! それとゴメちゃんにスラリンも。大丈夫だった?」

「マァム!!」

 

予期せぬ再会に、一行は喜色を浮かべていた。

 

 

 

マァムたちと合流したは良いが、先ほどの騒ぎもあって少々悪目立ちをしすぎている。そのためチルノたちは人気の少ないところへと場所を変えていた。

 

「まさかダイたちとこんな場所で再会するなんてねぇ……」

「それはこっちも同じだよ。おれもマァムに出会えるなんて思ってもみなかった」

「マァムは武闘家の修行のためロモスに来てたんだもんね。でも、修行はもういいの?」

「ええ、それはもう。前にも説明したかしら? 武術の神と呼ばれる拳聖ブロキーナ様に弟子入りをしたの。修行は大変だったけれど、乗り越えることができたわ」

 

そう語るマァムの表情は、長く厳しい修行の日々を思い出しているかのように遠い目をしていた――のだが、マァムがブロキーナに修行を受けてから、僅か二週間程しか経過していない。

いくらマァムが才能に溢れ、人を守るために武術を修めたいという強い信念があったとはいえ、これは驚異的な数字だろう。

 

「じゃあ、この子もそのブロキーナさんのところで出会ったの?」

「ええそうよ。私と一緒に一緒にブロキーナ老師に拳法を習った空手ねずみのチウよ。立場的には私の兄弟子(あにでし)になるの」

 

チルノの問いかけに、マァムはチウのことを簡単に紹介する。マァムの言葉を受けて、チウは二人の前に立つ。

 

「やあ、先ほどは危ないところだったようだね。ぼくが割って入らなければどうなっていたことか……とにかく、ぼくの名前はチウだ」

 

自信満々どころか、今にもふんぞり返りそうな印象すら受ける態度でチウは挨拶する。とはいえ、先の騒動を諫めてくれた相手の一人とため、それを口に出すのもどこか憚れた。そんなダイたちの葛藤などつゆ知らず、チウはダイのことを無遠慮にジロジロを眺める。

 

「君が噂に聞いた勇者ダイ君かね……なんだ、意外と小さいんだな」

「そ、そうかな……?」

 

実際はダイと比較すればチウの方が頭一つ以上小さい。自分よりも背の低い相手に小さいと言われればダイでなくても戸惑うだろう。

 

「そして君がチルノさんか。マァムさんからは君のことも聞いていたよ」

「さっきはありがとう」

 

続いてチウの視線はチルノへと移る。ダイもそうだが、チルノのこともマァムから聞いていたのだろう。ダイと同じように興味深げに見つめている。少々無遠慮が過ぎるようにも感じるが、それでも先の借りがある。

チルノは笑顔でお礼の言葉を口にした。

 

「いやいや、当然のことをしたまでさ。おおっと、だからと言ってぼくに惚れてはいけないよ?」

「え……?」

「ぼくにはマァムさんがいるんだから……まあ、どうしてもと言うのなら数年後に改めて来てくれるかい?」

「は、はぁ……」

 

その言葉に気をよくしたのだろう。チウは聞いてもいないことをベラベラと喋り始めた。どうやら彼の中ではチルノのピンチを助けたことで、惚れているというストーリーが出来ているようだ。

 

「まあ、試合でぼくの強さを見れば数年も待てないかもしれないけどね。まったく、モテる男は辛いねぇ……」

 

チルノの曖昧な返事をどう間違って捉えたのやら、チウは更に調子に乗っていた。その頃にはマァムも含めて全員から白い目で見られていたのだが、当の本人はお構いなしだ。

さらに続く大言壮語を耳にして、ついに怒りが頂点に達した者がいた。

 

「ピィ!!」

「むっ、なんだこのスライムは!?」

「ピィピィ!!」

「自分にはスラリンという名前があるだって? いや、そんなことはどうでもいい! それよりも今の台詞、もう一回言ってみたまえ!」

「ピィィィッ!!」

「なんと生意気なスライムめ! ええい、だったらぼくの強さを思い知らせてやる!!」

 

チルノの肩から降りたスラリンは、すぐさまチウに言い返す。チウもその言葉に煽られてヒートアップしたかと思えば、瞬く間に取っ組み合いのケンカが始まった。そのあまりの展開の早さは、見ていた誰もが手を出せないほどである。

 

「……ゴメちゃん、悪いんだけど危なくなったら止めてもらえる?」

「ピイーッ!?」

 

人それを無茶振りと呼ぶ。

まあ、傍から見ればじゃれ合っているようにも見えなくも無いし、大丈夫だろうとダイたちは結論付けるとマァムへと向き直る。

 

「ごめんね。でも、あれで結構良いところもあるのよ」

 

少々フォローが難しいと分かっているため、申し訳なさそうにマァムは言う。とはいえ最初に喧嘩を売ったのはスラリンの方である。痛み分けというところであった。

 

「どういうやつなの? チウって」

「兄弟子、って話だけど?」

「もともとは悪い怪物(モンスター)で、よく近くの村で暴れたりして迷惑をかけていたの。それをブロキーナ老師が捕まえて徹底的に修行して体質改善してくれたんですって。おかげで魔王の邪悪な意思もはねかえせるぐらいに強い心を持ち、言葉も勉強して話せるようになったの」

怪物(モンスター)を……すごい人だね……」

「でも、三年くらい掛かったそうだし、老師もずいぶん手を焼いていたみたいよ。簡単にはいかなかったみたい」

「そっかぁ……仮に半年くらいでなんとかなるなら、デルムリン島のみんなも鍛えてもらおうかと思ったんだけど……一筋縄ではいかなそうね」

 

大ねずみといえば、怪物(モンスター)の中では弱い部類だ。その大ねずみを魔王の意思に抗えるほど強靱に鍛え上げることが出来るのだから、デルムリン島の仲間たちにも同じことが出来ないものかと淡い期待があった。

だが逆に言えば、三年ほどで魔王に抗える程度には強くなれるということでもある。この先、再び似たような事が起きないとも限らないため、後日、ブロキーナ老師にお願いしてみようかとチルノは画策する。

 

「ところで、ダイたちはどうしてこの大会に? 私たちは修行を終えて腕試しのつもりで参加したんだけれど……」

「うん、そのことなんだけど」

 

思いがけない再会に喜んでいたマァムであったが、冷静になればダイたちと出会うのにロモスという場所は少々不可思議だろう。ましてや武術大会に参加するなど、何の目的があってのことかわかるはずもない。

 

「マァムは覚えてる? ロモス王にダイが"覇者の剣"を授与されるはずだったことを」

「ええ、覚えているわ。でもあの時は結局ダイが断って……もしかして!?」

「そうなんだ。覇者の剣が必要になっちゃって」

 

まずロモスに来た目的を。続いて、ロモス武術大会へ参加することになった経緯も含めて一通り説明していく。やがて全てを聞き終えると、マァムは納得したような顔を見せた。

 

「なるほど。ダイたちも大変だったのね」

「うん。でも王様にも世話になってるから、このくらいで恩返しができるなら安いもんだよ」

「そういえば、私たちが参加した趣旨から考えると、マァムも紹介されるのかしら?」

「私も!? でも、確かにそうかも……」

 

かつての英雄が力をつけて戻ってきた。というアピールのためならば、あのときロモスにいたマァムも十分その範疇に当てはまる。チルノの気づきに、目立つのは嫌そうな顔をしつつも不承不承頷き納得していた。

 

「それにしても、あの時は未熟だからいらない、なんて言っていた伝説の剣が必要になるなんて……私がいない間によっぽど厳しい戦いがあったのね……」

「あ、うん……そうなんだ……」

 

どこか過去を懐かしむように口にするマァムであったが、その言葉にダイは歯切れ悪く頷く事が精一杯だった。ダイが伝説の剣を欲するようになったバランとの戦いは、マァムが知るには少々衝撃的すぎる内容である。

ダイ自身ですらまだどこか忸怩たる気持ちの残るそれを、はたして心優しき少女に話すべきかという葛藤があった。

 

「(姉ちゃん、どうする……?)」

「(……黙っているわけにも、いかないでしょう。そのうち知る事になるだろうし)」

 

姉弟はマァムに聞こえないくらい小声でそうやりとりをすると、真剣な表情で彼女を見つめる。

 

「マァム、よく聞いて。あなたが言ったように、とても凄い戦いがあったの。これから話すのは、その一部始終……多分マァムの想像を超えて大変な話になると思うし、聞けばマァムは凄く悲しむと思う。それでも聞く? 何があったのかを」

「う、うん……わかったわ、教えて」

 

驚くほど真剣な眼差しをするチルノの雰囲気に気圧されつつも、マァムは覚悟を決めて首肯する。そしてチルノは、彼女が抜けた間に何があったのかを話し始めた。

 

 

 

「うそ、でしょう……!? そんなことが……」

 

全ての話を聞き終え、マァムは絶句していた。

竜騎将バラン・(ドラゴン)の騎士・父と子の確執・そして、チルノの死……どれか一つでも大事件と呼んで差し支えない話が立て続けに聞かされ、もはや彼女の理解の範疇を超えていた。

 

「ううん、嘘じゃない……全部事実……」

 

本能的に否定したくなるのも無理は無いが、それをチルノはゆっくりと首を横に振りながら事実であったことを認める。

 

「……一つだけ教えて。もう、ダイとバランは争うことはないのね?」

「え?」

「実の親子が殺し合うなんてことは、もう起こらないのよね!?」

 

瞳を潤ませ、今にも涙の粒をこぼしそうな表情で、マァムはまるで懇願するように問いかけてきた。そこには、これ以上ダイとバランが諍いを起こす事が無い事を願う、優しい少女として表情があった。

 

「バランの様子から察した限りだけど、わかってくれたはず。色々としがらみがあるみたいだけれど、少なくとも敵対することはもう絶対にないと思う」

「おれは……姉ちゃんがいなくなったときは本当に辛かった。でも、戻ってきてくれたし……完全に許せたわけじゃないし、普通の親子みたいに仲良くってのは難しいと思う。けれど……」

 

チルノは推測混じりにバランの事を話す。本人から直接聞いた事では無いが、もはや敵対することは無いだろうと言うことだけはほぼ確信していた。

 

対するダイの歯切れの悪い言葉は、そのまま彼の胸中を映し出す鏡だった。最愛の姉を失う原因となった存在でもあり、だが姉を蘇生させてくれたのも他ならぬバランである。そんな相手に対して姉は関係の修復を願っていたのだから、複雑な想いを抱いても無理はない。

 

ただ確実に言えることは、バランの強さを信頼しているということと、姉の想いを汲んでやりたいということだ。そうでなければ最後に「けれど……」と可能性を示唆するような言葉をつけるはずも無い。

 

「そう、よかった」

 

二人の言葉を聞いて、マァムはほっと胸をなで下ろした。

 

「でもね……」

 

だが、続いてチルノの方を強い視線で見つめる。チルノが何かと思うよりも早く、マァムは口を開いた。

 

「チルノ!! 命を懸けるなんてどう考えてもやり過ぎよ!!」

「で、でもそれは……」

「でもじゃないでしょう! ダイが悲しむって思わなかったの!?」

 

それはまさに青天の霹靂。

澄んだ青空の下に落ちた雷鳴のような怒声だった。チルノが弱々しく反論すれば、その倍の勢いで再び降り注ぐ。

 

「待ってよマァム!! 姉ちゃんのそれは、おれが弱かったのが原因なんだ! それに、二度と姉ちゃんにそんなことさせない!」

「ダイ……」

「だから、そんなに怒らないであげて。覇者の剣でおれは、姉ちゃんも、この世界を守ってみせる!!」

 

姉を庇うように懸命に訴えるダイの姿をジッと見つめ、やがてマァムは根負けしたように吹き出した。

 

「フフッ、大丈夫よ。怒ったのは事実だけど、そんなに怒ったわけじゃないから」

「え……?」

「二人とも十分に反省しているみたいだし、二人はお互いのことを思い合っているんだもの。もう同じような間違いをする心配はないでしょうね」

 

大変な試練を、誰よりも深い絆で乗り越えてきたのだということ、マァムは改めて理解する。いや、話を聞いていたときからうっすらと感じてはいたのだ。一度間違え、そして深く反省をした以上、もはやこの二人に心配は無いだろうということを。

 

「ここでバーンに世界を征服されたら、ダイが親子関係を修復する機会もなくなっちゃうもの。だから私も、改めて喜んでダイたちに力を貸すわ」

「じゃあ、また仲間になってくれるの……!?」

「当然でしょう? 何のために修行したと思っているのよ」

 

クスクスといたずらっぽく笑うマァムの姿は、とても魅力的だった。

そう笑い合っていたところで、不意に鐘が鳴り響いた。鐘の音に少し遅れて、遠くから参加受け付け終了という声も聞こえてくる。そして受付は本戦開始の一時間前まで、つまり武術大会が始まるまであと少しということだ。

 

「あら? もうそんな時間なのね」

「そうみたい……ほら、スラリン。チウも……」

 

いつの間にか過ぎていた時間に驚きながら、ダイたちは意識を予選へと向け直す。そしてチルノは、未だ戦いを繰り広げていた二人の間に割って入り、無理矢理中断させる。

 

なお肝心の戦いの行方だが、スラリン曰く「あの時点では六対四で少々負け越していた。だがあのまま行けば勝負は分からなかった」とのことである。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「続いての対戦は武闘家マァム選手! 対するは――」

「私の出番みたいね」

 

ダイが勝利を決めて戻ってきた後、しばらく経過したところまで移る。既にダイの試合から数試合ほど過ぎ、残る三人は自分たちがいつ呼ばれるのかと待っていた頃だ。ようやく待ち望んでいた大会実況者の声を聞き、マァムもまた意気揚々と武闘台へと上がっていく。

 

「マァム、勝てるよね?」

「大丈夫でしょ、ほら」

 

少しだけ心配そうなダイの不安を払拭するように、チルノは試合場を指し示す。そこには、戦士の風体をして斧を持った禿頭の大男を相手にしながら、持ち前のスピードと強烈なパワーで縦横無尽に翻弄し続けるマァムの姿があった。

相手はマァムの息もつかさぬ連撃に攻撃のタイミングがつかめず、破れかぶれに攻撃しようものならば手痛すぎる反撃を受けて吹き飛ばれる。

 

やがて試合は、マァムの圧勝で終わった。

 

「フフン、さすがはマァムさん」

 

なぜかチウが自分の事のように誇らしげにしており、スラリンがそれを横目でうさんくさそうに見ていた。

 

 

 

「あ、お前は!!」

 

次に出番が回ってきたのはチルノだった。ダイたちの声援を背中に浴びながら武闘台に上ったところ、なんと待っていたのは彼女へ最初に因縁をつけてきた男だ。

 

「あの時は邪魔が入ったが、ここじゃあそうも行かないぜ」

 

そう言いながら男は手にした槍を油断なくチルノへと構える。これが彼の武器なのは間違えがないだろう。そして胸当てを装備しており、あまり重くなく動きやすいようにしているのがよく分かる。

それらの情報から相手はスピード重視の槍使いだろうと、チルノはアタリをつけた。

 

「試合開始!!」

「おらっ!!」

 

開始の合図と同時に男は、手にした鉄の槍を思い切り振るう。その突きの速度は目を見張るものがあった――あくまで普通の戦士としては、だが。

 

「よっ、と」

 

チルノは相手の攻撃に合わせてバックステップをすると、槍の攻撃範囲の分だけ距離を取って避ける。彼女とて伊達に激戦をくぐり抜けてきたわけでは無い。相手も決して弱くはないが、相手が悪すぎだ。

 

「なにっ!? くそっ!!」

 

簡単に間合いを離されたことに驚き、だがすぐに追撃として遮二無二大きく踏み出しながら槍を横に振るった。だがその動きも遅い。体格差のためチルノは低くしゃがんだだけで簡単に攻撃を躱し、おまけとばかりに足払いを放った。

すでにバランスが崩れつつあった男は、その足払いで簡単に体勢を崩す。

 

「うぉっ!?」

「【ファイア】」

「ぎゃあああああ!!」

 

倒れた相手めがけて火炎魔法を放つ。突如として男を包み込んだ炎の熱と痛みに驚き、相手は絶叫を上げながら自身を包み込む炎を消そうと転がり、そして――

 

「うわあああっ!!」

「場外、それまで!! チルノ選手の勝利!!」

 

方向も分からず転がった相手はそのまま場外へと落ちていった。ずいぶんとあっさりとした戦いであったが、少女のチルノが勝利したことが意外だったらしく、観客はずいぶんと沸いていた。

 

 

 

「続く対戦は格闘士(レスラー)ゴメス選手! 対するは空手ねずみのチウ選手!! 両者舞台へ!!」

 

チルノの試合から更に数試合後、残るチウの名がようやく呼ばれた。その声を聞き、チウは嬉しそうに尻尾を立てる。

 

「おおっと! 遂にぼくの出番だね。最後になってしまったが、まあ主役は最後に登場すると言うし、我慢してあげよう」

 

そう不満そうに、だが待ちきれないと言った表情でチウは闘技台へと向かう。

 

「マァムさ~ん! 軽~くやっつけてきますからね~!!」

「大丈夫かなぁ……?」

「ピィ」

 

仮にも試合に挑む直前とは思えないほど、明らかに浮かれた態度を見てダイは不安に思い、そこに更にスラリンが追い打ちを掛ける。

 

「なんて言ったの?」

「自分に負けそうな相手が試合に勝てるわけない、だって」

「そんなことは……まあ、努力はするんだけど……」

 

マァムも必死でフォローするが、悲しい事に先ほどのスラリンとの激戦を知っている。まあ、チウも本気ではなかったのだろうが、それでもマァムが『強い』と言わない辺りが色々と物語っている。

 

そんなマァムの言葉を聞きながら、チルノは額にしわを寄せて険しい表情をしていた。

 

「うーん……?」

「どうしたのチルノ?」

「なにか忘れているような……」

 

――あ、チウの弱点!!

 

思い出した時には遅すぎた。既にチウは闘技台へと上がっており、試合は開始している。もはや誰にもどうすることも出来ない。出来る事と言えば瞳を閉じて祈るだけだ。

 

数分後、会場ではチウの負けが高らかに宣告された。

 

 




試合の場で竜闘気の練習を画策するチルノさん。
仮に相手が10で攻撃してきたとき、15で防御するより10で防御した方が無駄は減ります。つまり、瞬時に必要な数値を見極めさせる眼力と無駄なく10の力を生み出す制御力をつけさせる特訓です。
しかも相手は格下ばかりという好都合。実戦に近くて安全な練習ができます。後に本番も控えています。
(練習台にされる相手はたまったもんじゃ無いですね)

囲む男達。
格下と思っていても、口にしたらアウトですね。しかしチルノさんに向ける目が……ロリコンかな?(苦笑)
実際はマァムたちと合流させるためのイベントです。受付中ですし、偶然に出会うよりは騒ぎの中で再会する方がゲームっぽいかなと思って。

チウへのアドバイスが次回へ持ち越しになってしまった……(涙)


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LEVEL:55 怪傑大ねずみ

ある意味すっごいネタ回



「うーん……うーん……ぼ、ぼくの必殺技がなぜ負けたんだ……うーん……」

 

闘技場内に用意された救護室のベッドの上で、チウはうなされていた。

 

自信満々、勇んで試合に向かったものの、結果は完敗だった。対戦相手のゴメスには攻撃を当てられず、逆に相手からの攻撃は避ける事も出来ず一方的に殴られる。

一発逆転を狙い自身の必殺技窮鼠文文拳(きゅうそぶんぶんけん)を繰り出すものの、攻撃を当てる前に相手の拳を顔面にくらって勝負が決まった。

マァム曰く、大岩をも砕く必殺技とのことであり、確かに当たれば大岩をも砕きそうな勢いはあった……当たればだが。

 

「チウ……言いにくいことだけど、あなたの弱点がわかったわ……あなた手足が短いのよ」

「!!!!!」

 

申し訳なさそうに言うマァムの言葉に、チウは強く衝撃を受けた。

 

「そ、それは……」

 

顔を青ざめさせ、目に涙を溜ながら彼は自身の手足を見つめる。

チウは背丈ですらダイよりも小さく、大ねずみという種族のために手足は人間よりも短い。ずんぐりむっくりとした体型をしていた。そんなチウが、ましてや巨漢を相手にしていてはどうあがいても普通の戦い方では手も足も届かない――もとい、手も足も出ない。

 

「……一緒に組み手とかしたことくらいあったでしょう? 今まで気づかなかったの?」

「うん、組み手だからある程度は、その……相手に合わせるのも必要だから」

 

チルノが苦々しく口を開くと、マァムはさらに言いにくそうに返す。チウが組み手をしたことがあるのはマァムとブロキーナの二人のみ。ましてやその二人と比べて実力の劣るため、チウに合わせた戦い方をしていた。

マァムが気づかなくてもある意味では仕方の無いことかもしれない。

 

「うひーーん!!」

 

とうとう我慢できなくなったのか、チウはマァムへと泣きついた。マァムも気の毒に思ったらしく、チウの気の済むよう受け止める。

 

「あ、あのさ……元気出せよ……」

「うるさいな……ぼくはたった今、武闘家として死刑宣告に近い事実を知ったばかりなんだぞ。なぐさめはよしてくれ……」

 

しばらく泣き続けていたチウであったが、やがて落ち着いてきた頃を狙ってダイは声を掛けた。マァムから離れ、落ち着いた様子を見せていたため頃合いだと思ったらしい。だがチウの傷心は完全には癒えてはおらず、涙声で反論する。

 

「気にするなよ、そんなこと。いざとなったら頭突きとか体当たりで戦えばいいじゃんか。パワーはあるんだし」

「じゃあきみは、頭突きや体当たりで戦うヒーローをカッコ良いと思うのかね!?」

「そ、そりゃ思わないけどさ……」

 

ダイが何気なく言った一言に、チウは途端に力強く反論する。先ほどまでの落ち込みようもどこへやらといった様子だ。

 

「カッコ良くなくてはダメなんだよ! そもそもぼくがこの大会にでたのは……」

 

そこまで断言したところで、急に語気が弱まった。

本来ならばチウが大会に出場した動機も、マァムに良いところを見せたいがためだ。彼女に懸想しているため、そういった下心が秘められているのだが、さすがに本人のいる前で下心丸出しの理由を馬鹿正直に宣言するほど迂闊ではなかったらしい。

 

「……お、おほん!! と、とにかく!! カッコ悪いのはダメなのだ!!」

「頭突きや体当たりはそんなにカッコ悪い?」

 

何かを誤魔化すように強く言い切ったチウに対して、チルノが口を挟む。

 

「む、チルノさん? なぜかね!?」

「マァムが言っていたけれど、チウは当たれば大岩だって砕くパワーを持っているのでしょう?」

「まあ、そのくらいはできるけれど……それが何か?」

 

優しく尋ねるようなその言葉に、チウは疑問符を浮かべながらも素直に頷いた。

 

「それだけの強い力を持っているのに、つまらない理由でそれを活かせない方がもっとカッコ悪い事だと思わない?」

「え……? い、いやしかし……!!」

 

一瞬肯定しかけたチウであったが、やはりまだ未練があるらしく慌てて否定する材料を模索し始めた。

 

「そうね、チルノの言う通りだわ」

「そんな……マァムさん!?」

「おれもそう思う。本当に大岩を割れるくらい強いんだったら、なおさらだよ」

「ピィ」

 

だがチルノの意見に賛同するように、マァムとダイが。それに加えて戦った立場からということかスラリンまでもが口を開く。全員に――特にマァムに――そう言われては返す言葉も思いつかず、チウはたじろぐことしか出来ない。

だが押し黙っていても、心の底から納得したわけではないようだ。それを見抜いたチルノは、どうしたものかと少しだけ思案する。

 

確かにチウは、ダイやマァムと比べれば弱いだろう。だがそれでも彼もまた、本来の歴史ではダイたちと共に戦った仲間であり、存外バカにしたものではない活躍を見せるのだ。ブロキーナの下で長年修行したのも決して無駄ではない。

本当ならば彼はロモスでポップと協力して敵と戦い、自分の間違った考えに気づく。だがチルノはそのような展開を起こさせるつもりもない。

 

ならば何か別の手段が必要だろう。そこまで考え、彼女は口を開いた。

 

「……少し、昔話を聞いて貰える?」

「なんだい急に? まあ、構わないが……どんな話かな?」

「その名も、怪傑大ねずみ」

「「「かいけつ、おおねずみ……?」」」

 

急に告げられた耳慣れぬタイトルに、チウどころかマァムたちもオウム返しをするのが精一杯だった。なんとなく可愛らしいその様相を見ながらチルノは頷く。

 

「ええ、そうよ。その昔――ハドラーが魔王として地上で暴れていた頃よりも前に、とある地方に存在していたという伝説の怪物(モンスター)のことよ」

 

伝説の怪物(モンスター)という表現と、自身と同じ種族である大ねずみの名前が出たことで興味が沸いたのだろう。顔では興味のない素振りを見せつつも、チウは耳をピクピクと動かして早く話せと言わんばかりの様子が窺える。

 

「彼は普通の大ねずみだったけれど、誰よりも勇敢で仲間思いだった。自分の事は二の次で、仲間のことを凄く大切にしていた。困った事があれば誰よりも早く駆けつけて、一緒に悩んで解決方法を探したり。色んな仲間のところへ常に顔を出して、何かあれば遠慮無く言ってくれと声を掛けていたの」

「ふーん……ま、まあ、普通かな? というか、ありがちな話だね」

 

大層な呼び名の割には、大した活躍をしたわけでもないと思ったのだろう。チウは興味を失ったように言う。ただ多少なりとも動揺しているのは彼自身でも何か思うところがあるのだろうか。

だがもちろんチルノとしても、その程度で話は終わらない。彼女はその反応に微笑を浮かべてから続きを話し始めた。

 

「当然、それだけなら名前は広まらなかったでしょうね。でも彼の凄いところは、仲間の範囲を人間まで広げていたのよ。人間も怪物(モンスター)と同じように考えていたみたい。人間を相手にしても同じように声を掛けていたの」

 

人間を相手にしていた。という部分がチウと重なったのだろう。彼の失われかけた興味に再び火がついたらしい。まじまじとチルノが次の言葉を発するのを待っている。

 

「もちろん、最初は怖がられた。酷いときには攻撃も受けた。でも彼は諦めず、近隣の村や街へ何度も出向いては訴え続けた。人間と怪物(モンスター)という違いはあれど、同じ地上に住む仲間じゃないか、って」

「ふむふむ」

 

既に取り繕う事すら忘れていた。完全にチルノの話に聞き入り、興味深そうにチウは耳を傾ける。いや、チウだけではない。ダイやマァムも同じく、今まで聞いたことも無い話に興味津々だ。

 

「あるとき、その地方に凶暴な怪物(モンスター)が迷い込んできたの。その怪物(モンスター)は暴れて大きな被害が出た。困った人間たちは話し合いの末、討伐隊を組織した。そして大ねずみにも一緒に怪物(モンスター)を討伐してくれるようお願いしたの」

「おお!!」

「大ねずみは快くそれを引き受けて、人間の討伐隊と一緒に退治に向かったわ」

「なるほど! そこで彼は怪物(モンスター)を相手に大活躍するんだね!?」

 

もはやチウの中ではお話の大ねずみと自分が同調しているらしい。まるで我が事のように得意満面の様相で、チウは先の展開を口にする。伝説の大ねずみ、などという前情報があったがため、そうなることをどこかで期待していたのだろう。

だがチルノは目を伏せ、残念そうに首を横に振るう。

 

「それが全然。彼も普通の大ねずみよりは強かったけれど、さすがに相手が悪すぎたみたい。仮に、彼が上位種のおばけねずみでも勝てなかったでしょうね」

「なんだって!?」

 

怪物(モンスター)には種族内でもランクが存在する。チウの種族である"大ねずみ"は同種族の中では中位であり、下位には"やまねずみ"が、上位に"おばけねずみ"が存在する。基本的に上位ほど強いと考えてよい。

上位種たる"おばけねずみ"でも勝てないという、チウにとっては分かり易すぎる例えは彼を十分に驚かせたようだ。

 

「というより、人間たちも大ねずみには期待していなかったの。彼らは『適当におだてて怪物(モンスター)の矢面に立たせれば、自分たちの被害は減る。そのまま共倒れしてくれれば手間も減って万々歳』くらいにしか考えてなかったの」

「なっ! なんだとぉ!!」

 

信じていたはずの人間が、実は利用することしか考えていなかった。その事実が更にチウを驚かせる。義憤に燃える彼は、地団駄を踏むようにガシガシと足を鳴らす。

 

「そんなことを知らない大ねずみは、彼らにおだてられるまま先頭に立って戦った。でもその怪物(モンスター)は強かったわ。討伐隊はみんな怪我をするし、当然先頭の大ねずみは討伐隊とは比較にならないくらいボロボロに。でも彼はどんなピンチでも決して諦めなかった。自分の方が遥かに大怪我をしているはずなのに、倒れること無く常に先頭に立って、人間たちを鼓舞し続けたんだって」

「そ、そんな……だって人間は彼を騙しているのだろう!? なのになんでそんなに頑張れるんだ!?」

「利用しようとした人間も、大ねずみが常に立ち続ける姿を見て、いつの間にか奮い立った。そして討伐隊と大ねずみは全員で協力して、遂にその怪物(モンスター)を倒すことが出来たの」

「よかった……勝ったんだね……」

 

どうなる事かと思ったが、なんとか勝利することが出来たと聞いて、チウは安心したように落ち着きを見せた。騙されているとも知らずに戦っていたと言ったときなど、近くの物を手当たり次第に破壊しかねないほどの殺気を見せていたほどだ。

 

「怪我人は大勢いたけれど、奇跡的にも死者はなし。そして勝利の宴が、人間たちの街で催されたわ。その宴の主役はもちろん討伐隊の人たちと、大ねずみ。そこでは街中の人が、大ねずみに謝っていたわ。利用しようとしてごめんなさいって、真実を打ち明けながらね」

「真実を……? 一体どうして? 言ってはなんだけれど、人間達は黙っていた方が都合がいいだろう?」

「うん、普通はそうね。街に戻った討伐隊は、人々に大ねずみのことを話したの。彼は強くはなかったけれど、誰よりも勇敢で仲間思いだったって。彼の弱くても常に戦い続ける姿を見ていたら、自分たちがしようとしたことが恥ずかしくて仕方が無かったの。その話を聞いて、街の人たちも考えを改めたわ。特に討伐隊の家族の人たちは。だって大ねずみがいなかったら、全滅していてもおかしくはなかったんだから」

 

当然の疑問を口にしたチウであったが、その理由をチルノは答える。良心の呵責に耐えかね、一番の恩人をだまし続けることに人間たちは耐えきれなかったのだ、と。街の人たちも同じように、命を懸けて戦ってきた人たちの真実の言葉に、己の浅はかさを思い知ったのだ。

 

「人間達に利用されていたことを知った大ねずみだったけれど、彼は笑いながらその事実を許したそうよ。彼曰く『自分は富や名声が欲しくて戦ったのではない。あのまま放っていれば、この地に住まう誰もが被害を受けていただろう。それに自分の力では倒すことは出来なかった。あの場で自分に出来る最善のことをしたまでだ』って」

「うそだっ! そんなこと言うはずがない!!」

「うん、そうよね。街の人たちはその言葉に大層驚いたそうよ。普通なら怒られて当然、暴れられたとしても仕方ないと覚悟していたの。でも彼は許したの。理由はどうあれ、みんなが生き残ることが出来た。問題は解決した。そしてあなたたちは自分の行いを反省した。だったらどうして怒る必要があるのかって」

「なっ……!?!?」

 

チウは強い衝撃を受けたように表情を一変させていた。

なにしろ騙していたことがバレたのだ。怒り、批難の言葉を幾重も浴びせるのが当然だろう。だがその大ねずみは許したというのだ。

その行動が彼の常識を大きく揺らしていた。

 

「街の人たちはその大ねずみに、せめてものお礼の品と言ってマントを渡したの。その街は過去のとある勇者が使っていたマントを生産していて、織物で有名な場所だったから。その勇者が使っていたマントと同じデザインの物を贈ったそうよ」

「勇者が使ってたものと同じマントを……!? 怪物(モンスター)の彼が!?」

「マントを身に付けた彼の姿は、人々にはまるで伝説の勇者のように凜々しく頼もしく見えた。そして、彼はいつしか『怪傑大ねずみ』の名前で呼ばれたそうよ」

 

話はおしまいとばかりに、チルノは軽く一礼する。語りを黙って聞いていたダイたちは、その姿を見て拍手で労う。ただ、そんな二人とは対照的にチウの興奮冷めやらぬ。

 

「そ……そんな凄い怪物(モンスター)がいたのかい!? で、ではその男は一体どこに!? どうすれば会えるんだい!?」

「わからないわ。さっきも言ったけれど、彼が活躍していたのはハドラーが地上を征服しようとするよりも前の話。一説には、魔王ハドラーの軍勢と戦い続けて命を落としたとも言われているけれど……真偽は不明だそうよ」

「そ……そんな……!!」

 

同種族でありながら、人々に認められたことがよほど関心を持ったのだろう。いまにも飛びかからん勢いでチルノへと詰め寄る。だがチルノはその勢いを削ぐような言葉を口にする。

ずっと昔から伝わってきた話だから詳細は不明。その言葉に、チウは膝から崩れ落ち、肩を竦めて落ち込むものの、ふと気になって顔を上げる。

 

「しかし、どうしてそんな話を知っているんだ? 怪物(モンスター)のぼくですらそんな話は聞いたことがないぞ」

「あら、言ってなかったかしら? 私とダイはデルムリン島――怪物島って言った方が伝わるかしらね? そこで育ったの。そして私たちの育ての親のブラスおじいちゃんは、その昔魔王ハドラーの下で参謀として活躍していたほどの知恵者なのよ」

 

話の出所を尋ねれば、それはチウの予想を遥かに超えた答えだった。

 

「おじいちゃんは長年生きていて、色んな事を知っているの。今の話も、おじいちゃんから教えて貰ったのよ」

「なるほど……だったら、まだ若いチルノさんがそんな話を知っていても不思議じゃないか……!」

 

長年生きた知恵袋という言葉に強い説得力を感じたのだろう。チウは納得したように頷いた。

 

「最初、チウが私のことを助けてくれたときは、怪傑大ねずみが来たのかと思ったわ。もちろん、本人ではないと分かっていたけれど、でも彼の意志を継いだ大ねずみがいたんじゃないかって……」

「そうか、だからぼくに今の話を……?」

「ええ。偶然にもチウは彼と近い立場にいるでしょう? だから、チウのこれからのヒントに少しでもなればと思ってね」

「ぼくに、彼みたいな生き方ができるだろうか……」

 

大ねずみに助けられたという事実が、チルノの記憶を呼び起こしたのだと知り、チウは嬉しくなると同時に迷う。

話に聞いただけの彼はとても立派だった。チウが求める理想の格好良さと比べれば、その姿はまるで似ていない。だがその泥臭い生き方が、チウの心のどこかで強烈に輝いて憧れてしまう。そして、自分に同じことができるだろうか。話に聞いていた姿を汚してしまわないかという不安が襲っていたのだ。

 

「ま、まぁ……少女の頼みとあれば聞いてやらんこともない。それに先ほどの話は、ぼくもちょっとだけ思うところがあったからね」

「本当に!? それじゃ……」

 

だが、チルノがチウのことを見つめていたことに気づき、チウは気を取り直したような態度を見せる。その言葉を聞いたチルノは、嬉しそうにチウを頼ることにした。

 

 

 

「おい、これはどういうことかね?」

「ピィ」

「ピィ~?」

 

不満げに呟くチウの頭の上にはスラリンが乗っており、彼の近くにはゴメちゃんが飛んでいる。

 

「怪傑おおねずみは困ったことがあったら何でも引き受けたそうよ。私たちが出場している間だけでいいから、スラリンたちの面倒をお願いね」

「いや、確かに言ったがね……こういう展開は想像していなかったぞ!!」

 

――ァム選手! マァム選手!! 次の試合が迫っております!! いらっしゃいましたら……――

 

「ほら、そろそろ私たちも出場する頃だし。順番によってはスラリンたちの面倒を見切れない可能性があるから」

 

部屋の外から聞こえてきたマァムを探す声の援護を受けて、チルノは時間がないことを材料に、更に説得を続ける。

 

「まぁまぁ、いいじゃないの。これも社会勉強の一つと思えば」

「うん、お願いできるかな?」

「くくく……わかったよ!! 不本意だが、面倒を見てあげよう!!」

 

マァムたちの言葉もあって、チウはヤケクソ気味に了承の言葉を放った。それを聞いたダイたちは、スラリンとゴメちゃんの面倒をチウに任せて試合場へと急ぐ。

 

「はぁ……キミたち、人の迷惑にならないようにするんだぞ」

「ピィ!」

「む、嫌だけど従ってやるだと!? まったく、なんて失礼なスライムなんだ!! ぼくだって嫌だけど我慢しろ!!」

「ピィ~~!!」

 

さっそく口喧嘩を始めたスラリンとチウの様子に、ゴメちゃんが慌ててなだめ始めた。

 

 

 

「あ、さっきの話のことなんだけど……」

 

一方、試合場への道を急ぐダイたちであったが、そこでチルノが口を開く。

 

「あれ創作だから」

「あれ、って……大ねずみの話のこと!?」

「うん」

「「ええっ!!」」

 

あっさりと言ってのけたチルノの様子に、逆に聞いていたダイたちの方が衝撃が大きかった。思わず急いでいた足を止めてしまうほどだ。

 

「ほら、急がないと」

「え、ええ……じゃなくて!!」

「う、うそだったの??」

「嘘じゃなくて、創作よ」

 

嘘つきよばわりは心外とばかりに、ダイの言葉にチルノは頬を膨らませて抗議する。

 

「でも、だったらチルノはどうしてあんな話を?」

「少しでもきっかけになればと思ったの」

 

話をしたことの真意に対して、チルノはそう答える。

 

「マァムの言うように、チウは本当は実力があると思う。窮鼠って言葉があるみたいに、追い詰められたら本当の強さを発揮できるかもしれない。でも、出来ることならそんな土壇場に賭けるような真似はしたくなかったから」

「だから、あんな話を?」

「そう。子供が勇者の話に憧れて正しい道を志すように、少しでも良い影響を与えられればと思って」

 

チルノの言葉にマァムは唸らされた。

なるほど、確かに言われてみれば先ほどの話には子供が喜びそうな内容が詰まっている。誰にでも分け隔て無く接する正義の英雄を彷彿とさせるような姿。強敵を前にして、諦めることなく戦い続ける勇気。そして、騙されていたことを知っても態度を変えることのない高潔さ。少々都合が良すぎるとはいえ、心を動かされたとしてもおかしくない。

もしもチウが自分たちと共に魔王軍と戦うのであれば、もしかしたらそんな未来が訪れるのではないかと、錯覚したほどだ。

 

「でも、よくあんなにスラスラと話が出てきたね。あれ、姉ちゃんがその場で考えたんでしょ?」

「ばれた?」

「即興だったの!?」

 

元となった話はあるだろう。だがそれを下敷きにしていても、チウがあれだけ興味を引きそうな内容をとっさに考えたことにマァムは再び驚かされた。

 

「お話に出てきた、英雄となった怪物(モンスター)は実在はしない。でも、近い将来に、英雄の心を持った大ねずみが現れる、そんな気がしない?」

「え、それって……!」

「ふふ、そうかもしれないわね」

 

どこか予言めいたチルノの言い回しに、彼女が何を言いたいのかを理解してダイたちは笑い合った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

武術大会は続き、ダイたちは順当に勝ち上がっていった。

三人のうち、最も安定した強さを見せたのはマァムだ。対戦相手が力に頼った――いわゆる脳筋の傾向が高い者ばかりだというのが幸いしたのだろう。

スピードに翻弄され、大した見せ場を作ることも無く彼女の拳の前に倒れていった。

 

ダイの相手となったのは、怪力無双の戦士と鞭を使った者だった。

特に戦士の方は、今大会の優勝候補と目されるほどの実力を持っており、力も技も速度も兼ね備えた優秀な武人だった。

その実力はチルノから申し渡された、闘気の扱いの練習という枷があったとはいえ、ダイが苦戦するほどであり、闘気を込める量を読み間違えてダメージを受けることすらあった。

鞭使いは、戦士とは違った意味で苦戦を強いられることとなる。鞭という軌道が読みにくく、しかも素早い武器を前に予測が追いつかない。変幻自在の戦い方を前に勝利することは出来たものの、あるときは打たれ、またあるときは締め上げられる戦法に惑わされた。

 

そしてチルノは、ある意味では一番苦戦を強いられたと言える。

なにしろ彼女が相手をしたのは、弁髪の武闘家と、短剣二刀流の軽戦士だったのだ。

どちらも初戦で戦った槍を持った男とは実力が違う上に、二人とも速度を自慢とする戦い方をしてきた。

彼女も近接戦闘の心得はあるが、本業は後衛である。

息をもつかせぬ連続攻撃に苦労させられ、しかもこれは武術大会である。相手を殺すような魔法を使うこともできない。勝つには勝ったが、少なからずダメージを受けてしまう。

 

――試されている? 私だけじゃなくて、もしかしたらダイも……?

 

どうにか決勝進出を決めた戦い、その台上でチルノは自問していた。

これまでの戦い、ダイの相手と自分の相手は、どれも一筋縄では行かない相手ばかりだったのだ。ましてやダイが戦った相手の二人は、本来の歴史ではどちらも決勝に進出していたほどの強者だ。

そして戦い方も、まっとうな戦士として強さと鞭というテクニカルな強さ。そのどちらもがダイに多少なりとも苦戦をさせる。

 

逆にチルノの相手は、彼女が苦手とする接近戦の相手――それもスピードを重視して魔法を使う隙を与えないような相手ばかりだ。もしもチルノが、完全に前衛としての能力を持っていなければ、負けていた可能性もあったかもしれない。

 

「…………」

 

そもそもこの戦いは、ザムザが主催したもの。そしてこの武術大会は、試合開始一時間前まで参加を受け付けている。ならば対戦相手を調整するのも、そう難しいことではない。

(ドラゴン)の騎士たるダイの実力を少しでも白日の下に晒すために、実力を持った相手をぶつける。

そして自分の場合は、苦手そうな相手を当てることで決勝進出を阻み、横槍を入れにくくするといったところだろうか?

 

チルノは頭の中でそうアタリを付けながら、退場していった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

やがて予選の全試合も終わり、決勝に進出する八名の選手が出揃った。このまますぐさま決勝戦へ――とはならなかった。

 

「会場のみなさん!! ついにロモス武術大会も大詰め!! 決勝進出選手八名が決定いたしましたっ!!」

 

決勝進出を決めた選手達。そのそれぞれ八名の顔見せの場が設けられていたのだ。それは観客たちへ誰が決勝を進出したのかを分かり易くするための配慮でもあり、もうじき始まる決勝の戦いへの期待を高める意味もある。

 

「それでは、我が国で最強を誇るその八名のファイターたちをご紹介しましょう!!」

 

選手達はアナウンスの紹介と共に闘技台へと姿を現していく手はずとなっている。事前にそう通達を受けていた選手達は、自分の名が呼ばれる時を待っていた。

 

「まずは、パワーとレスリングテクニックに長けた格闘士(レスラー)ゴメス選手!!」

 

最初に呼ばれた髭面の大男は、闘技台へと上がるなり自身の筋肉を誇示するようにポーズを決めて観客達へとアピールする。

 

「続いて強大な呪文を使いこなす魔法使いフォブスター!! 百発百中の腕前を誇る狩人ヒルト!! 旋風のごとき剣の使い手、騎士バロリア!!」

 

魔道書を片手に持った魔法使い、弓矢を手にした野性的な男、全身鎧に身を包んだ如何にもという出で立ちをした騎士が、それぞれ台上へと上がっていく。

 

「強いのか弱いのか、全くわからない! 謎の実力者ゴーストくん!!」

 

顔を描いた布袋を被っただけという、明らかに怪しすぎる人物が出てくる。よく登録できたものだと言ってはいけない。

 

「今大会に咲く美しき二輪の花! 武闘家マァム!! 魔法使いチルノ!!」

 

やはり女性の参加者というのは珍しいのだろう。予選でも参加していたのは片手で数えられるほどしかおらず、そのいずれもが初戦敗退だった。残った二人はどちらも目の覚めるような美女であり、観客の男たちが盛り上がりを見せる。

野太い声の割合が多い声援を受けながら、マァム達は手を上げてそれに応える。

 

「そして最後になります!! 今までの試合をご覧の皆様の中には、お気づきになった方もいらっしゃるかもしれません!! かつてロモスを救った英雄! 勇者ダイ!!」

 

最後に姿を見せたのはダイだった。彼は少し緊張の面持ちを見せながら台上へと上がる。すると途端、観客達の声援がにわかに大きくなった。

だがそれも当然だろう。アナウンサーの説明通り、かつての英雄が立派になった姿を見せてきたのだ。観客の中には、城のテラスに現れたダイの姿を見たことがある者もいるだろう。その者は、かつての記憶にあるダイの姿と今のダイの姿を比べ、驚いていた。

 

「勇者ダイの強さは皆様も肌で感じられたかと思います。今大会の優勝者は王より望みの褒美が得られるということはご存じでしょうが、それに加えてなんと! 優勝者は勇者との特別試合を行います!!」

 

その言葉に、さらに観客達が沸き立つ。勇者の力を間近で見られるまたとない機会なのだ。しかも相手は大会優勝者ということもあって、その期待も高まっていく。

 

「そのため勇者ダイは決勝戦には参加しません! さて、勇者が特別試合を行うために選手が一人減ってしまいました。ですがご安心ください!! 厳正なる審査の結果、万能ムチの名手スタングル選手が参加することとなりました!!」

 

紹介を受けて、最後の一人である若い男が台上へと姿を見せる。彼もまた、ダイが最後に戦いを繰り広げたということもあってか記憶に残っている観客も多かった。いわゆる繰り上がり進出という扱いに不満はあるだろうが。

 

「さて、勇者ダイだけではありません! 彼の前に姿を見せたマァムとチルノもまた、ダイと共にロモスを救った英雄の一人なのです!! 今回、二人にも急遽武術大会に参加していただきました!!」

 

続くアナウンスに、観客達はもう何度目になるのかわからない驚きを味わう。だが言われてみれば確かにという声や、ダイが紹介された時点でまさかと思ったなどの声がちらほらと聞こえてくる。

 

「ですが彼女たちは特別参加枠ではなく一般枠です! このまま決勝へと進出していただきます!!」

 

あくまで一般枠だということを説明するが、台上に上がった他の選手たちの目はそれを信じていないと語っていた。なにしろ英雄相手に力を示せれば自分の強さを存分にアピールできるのだ。打算もあれど、純粋に戦ってみたいという気持ちもある。

特異な気配の漂い始めた闘技台の上で、チルノ達はほんの僅かに眉をひそめる。

 

「以上の選手達が決勝に臨みます!! 果たして優勝者は誰なのか!? より一層のご声援を……!!」

 

場を盛り上げるアナウンスの声が聞こえてくる。その言葉を聞き流しながら、ザムザは観客席の最上段、もっとも台上が良く見渡せる場所から各選手たちを見下ろしていた。

 

「これはいい……素晴らしい素材が集まったものだ! そればかりか、勇者の仲間まで飛び込んでくるとは、つくづく運が良い!」

 

多少試合相手を操作したとはいえ、決勝参加者達はいずれも彼の目にかなうほどの猛者たちであった。それどころか、彼自身思いもよらなかったマァムの参戦に、彼の心は更に高鳴っている。

 

「そしてダイ、お前の力は見せて貰った。さらにチルノも、まさか勝ち上がってくるとは……まあいい、決勝戦が今から楽しみだ! キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

 

ダイが(ドラゴン)の騎士としての力を抑えていたことはザムザも理解している。だがいくら抑えようともその力の一端でも知ることが出来れば、そこから推測することは彼にとってはそう難しいことではなかったようだ。

 

そして最後に、チルノのことを忌々しげな瞳で睨む。だがそれもすぐに歪んだ楽しみを含んだものへと変わり、邪悪な笑いをこぼしていた。

 

 




チウへ話した内容(タイトルもですが)
果たして知っている人がどれだけいるんでしょう「怪傑大ねずみ」です。
これはドラクエ4コママンガ劇場にて栗本和博先生が生み出したキャラクターで、見た目はマントをつけた大ねずみ。強くはありませんが人望はあります。
そのため同じ大ねずみのチウへ話したら面白いかなぁと思って。
(話の内容は嘘ですが、発破をかける意味で。
 まさかこんな長くなるとは……2回戦と3回戦カットです)

原作で「今大会優勝候補No.1!!」と紹介されていた怪力無双の戦士ラーバさんが落ちました。
なぜこの人を選んだかというと――
出場者(マァムと老師以外)を思いだしたところ「ゴメス・鎧着た騎士・魔法使い・鞭の人・弓矢の人……あと誰だっけ??」となりました。
(ラーバさんを完全に忘れていました)
ゴメスさんは割と目立ってる。一人だけ全身鎧で目立つ。一人だけ魔法使いで目立つ。武器が鞭に弓矢ってよく勝ち残れたなぁとある意味目立つ。というわけです。

予選は三回勝てば決勝へ、という認識で書きました。


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LEVEL:56 生体牢獄

決勝進出者紹介の場はつつがなく終了した。だが観客席は未だ熱狂に包まれており、歓声に混じって予想屋の怒声も聞こえる。それも当然だろう。かつての英雄の登場に加えてその英雄が決勝を辞退し、優勝者と特別試合を行うというのだ。何も知らない一般人は相次ぐ変更に混乱しかねない。

下手をすれば一騒動起こるのではという懸念があったものの、現在は休憩時間ということもあってかその兆候は見られなかった。

 

決勝参加者の紹介完了後、すぐさま決勝戦が行われるのかと思えばさにあらず。諸々の準備などが必要とのことで、三十分ほど後に開始されることになっている。そのアナウンスが行われ、各人はそれぞれ割り当てられた控え室――個室で待機となった。

この部屋は、決勝参加者それぞれに用意されたものであり、決勝戦開始までの間、自由に過ごすことができる。最後のウォーミングアップをするもよし、武器防具の手入れをするもよし。係の者に頼めば、食事や酒なども貰える。もちろん、外に出ても問題なし。

 

つまるところ、一人で行動する時間。そのはずなのだが――

 

「姉ちゃん、用事って何?」

 

控え室に備え付けられた椅子に座りながら、ダイが尋ねる。本来一人しかいないはずの彼女の個室には、今だけ二人分の影があった。

 

「ごめんね、急に呼んだりして。どうしても、ちょっと伝えておきたいことがあったから」

 

決勝進出者の顔見せ終了後、全員が一旦下がったところで、チルノは用事があるからと言ってダイを控え室へ無理矢理引っ張り込んでいた。

本来ならば優勝者との特別試合を控える身として、ダイはロモス王シナナと共に王族用の席で決勝を観戦することになっていたのだ。無理を言ってここに連れてきたことをまずは謝りながら、チルノは本題を切り出す。

 

「……ねぇ、ダイ。気づいている?」

「何を?」

「ザムザのこと。彼は魔族よ。それも、おそらくはこの大会で何かを仕掛けてくるはず」

「ええっ!!??」

 

突如として切り出された事実に、ダイは驚きを隠せなかった。まるで予想していなかった言葉に目を白黒させる弟であったが、チルノは構わず先を続ける。

 

「もちろん、ただ魔族ってだけで疑うつもりはないわ。親切で人間に協力しているだけの魔族かもしれない。私たちだって、ヒュンケル・クロコダイン・ラーハルトの力を借りているもの」

「じゃあ、何か疑うだけの理由があったの?」

 

善意を持った魔族の可能性を考慮に入れつつも、疑うだけの理由があることをチルノは述べる。対してダイは、それだけの理由があってどこを疑ったのかが不思議でならなかった。

 

本来の歴史を知るチルノは、ザムザが強靱な肉体を持つ人間を実験材料として集めるためにこの大会を開かせたことを。ついでに強い人間を減らすこともできるため、一石二鳥の作戦となっていることを知っている。

とはいえ今はそれを正直に話すことなく、彼女はもっともらしい理由を語る。

 

「最初に感じたのは、昨日王様との会話の席でザムザと出会ったとき。パプニカでザボエラと戦ったときに近い感覚を少しだけど感じたの」

「ザボエラ!! たしか、ロモスでじいちゃんを!!」

 

まだクロコダインが魔王軍に属していた頃、二人の育ての親ブラスを人質として使うように命じた相手の名前だ。その名に反射的に反応して叫んだダイへ向けて、チルノは首肯する。

未だ許しきれない相手の名前を出しただけに、ダイの中の信用度は上がったようだ。

 

「それと、予選試合の相手も疑わしい……これは気にしすぎかもしれないけれどね」

「相手が? どういうこと??」

「一回戦の相手は様子見――つまり私たちの戦い方や相性を見極めて、二回戦と三回戦でそれぞれに適した相手を当てられたんじゃないかと思うの」

「???」

 

何を言っているのかわからない、と首を捻るダイに対して、更にチルノはかみ砕いた説明を続ける。

 

「二回戦と三回戦で私が戦ったのは、早さと攻撃回数が得意な接近戦タイプの相手だったでしょ? 自衛手段があるとはいえ、後衛の私にはあんまり得意な相手じゃない」

「あ……」

「ダイの相手なんてもっと露骨だったわ。二回戦の相手はこの武術大会優勝候補の一人に上げられていた相手。三回戦の相手は、すごく巧みにムチを使っていた。あれはダイの力量を測るためだったと思うの」

 

ダイを相手には(ドラゴン)の騎士としての力量を試そうと、チルノを相手には予選で負かそうという意図がなんとなく見え隠れしている。だが、これだけでは説得材料として弱いのはチルノも承知だ。

 

「考えすぎかもしれないけれど、でもマァムの相手を思い出してみて。私たちが戦った相手と比べて、どうだったかしら?」

「……そう言われれば」

 

武術大会に参加している以上、どの参加選手も決して弱いわけではない。だがチルノの言葉通り、姉弟の戦った相手は参加者の中でもトップクラスの実力を持っていた。対してマァムが戦ったのは、二人の試合相手と比べれば一枚も二枚も劣る。

 

武術大会と銘打っているものの、祭りとしての側面も持っている。ならば祭りを盛り上げるため、そういった強い相手同士は出来るならば後半で戦うようにするのも、主催者の腕の一つだろう。そういった意味で考えても、ダイの対戦相手は異常すぎるのだ。

 

「そうだ! そういえば試合中に時々、変な視線を感じることがあったっけ」

「変な視線?」

 

ダイは突然、文字通り思い出したように声を上げる。

 

「気のせいかもしれないし、そのときは竜闘気(ドラゴニックオーラ)の制御に必死だったから。だから、ちょっとは変な目で見られても仕方ないかって思って忘れてたんだ。でも、姉ちゃんの話が本当なら……」

「おそらく、その通りでしょうね」

 

あくまで仮の話としてチルノは扱っているものの、ダイの言葉は真実だと判断する。手加減されていても(ドラゴン)の騎士の力を間近で見られる好機なのだ。ザムザの立場からすればそれを見逃すことなどありえない。

 

「そして、今まで何も変な動きは無かった。つまり、何か行動を起こすとすれば決勝戦」

「そんな!! じゃあ、このことを王様にも伝えて――」

「それは待って欲しいの」

 

すぐにでも動き出そうとしたダイをチルノは止める。

 

「今言ったのは、あくまで仮定の話よ。全部、私の考えすぎかもしれない。もしそうだったら、この大会を潰すことになっちゃうわ」

「でも事実だったら大変なことになるよ!?」

「だから、私たちがいるのよ」

 

心配するダイに向けて、チルノは安心させるように優しく語る。

 

「私は決勝参加の選手を守る。ダイは王様と観客たちを守る。決勝戦で闘技台に上がる私と、特別試合のために観客席に戻るダイとで、綺麗に分かれていると思わない?」

「ええっ、でもそれ大丈夫かなぁ?」

「もしも王様を狙っていたのなら、チャンスは幾らでもあったはず。つまり、狙うなら決勝進出者の方。狙う相手が分かっているのなら、ある程度後手に回っても対応できるわ」

 

そこまで言うが、ダイはまだ納得しきってはいない様子だ。

 

「でも、おれたち二人だけなんて……」

「マァムだっているし、お城の兵士たちもいる。何かあってもすぐに対処できるでしょ?」

 

――コンコン

 

そのとき、個室のドアがノックされた。二人とも会話を中断して扉の方を向き、チルノは返事をする。

 

「はい」

「失礼します。決勝戦の準備が整いましたので、もうじき開始となります。闘技台の方へ移動をお願いします」

「わかりました」

 

ノックの主は城の兵士だった。大会運営役も兼ねているらしく、要件だけを簡潔に述べるとすぐさま引っ込んでいった。だが伝えられた内容は、決断の時が迫っていることを告げる。

 

「迷っている時間はないみたいね」

「うーん……わかったよ。おれたちが率先して注意していればいいんだね?」

「ええ。ザムザにも王様にも、位置的に一番近いのはダイだから……お願い」

 

チルノの言葉にダイもまた覚悟したように頷き、姉弟はそれぞれの役目を果たすべく歩き出した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「長らくお待たせいたしました!! これよりロモス武術大会決勝戦を行います!!」

 

司会者の声が闘技場内に響き渡り、開始を今か今かと待ちわびていた観客達はそれを聞いた途端にわあっと歓声を上げる。その大声は、聞いているだけでうっすらと耳が痛くなるほどだ。

その声を合図としたわけではないだろうが、大扉が開き、中からは決勝参加者の八名が再び姿を現した。全員が落ち着きすら感じさせる悠々とした足取りで中央の武闘台へと集まっていく。

 

「ほら、キミのご主人様も出てきたぞ」

「ピィィ!!」

 

予選の短い間に多少なりとも打ち解けたのだろう。チウがチルノを指さすとスラリンもそれに追従するように声援を送っていた。

 

「おっ、いたいた……マァムさ~~ん!! ぼくの分まで頑張ってくださいね~っ!!」

 

そしてチウは、自身のごひいきであるマァムの姿を見つけると指笛を鳴らしながら歓声を上げた。まるでスラリンに対抗しているかのようなその行動に、ゴメちゃんは二人がまた争わないかと気が気でなかったが。

 

「隣の席、座ってもいいかな?」

「ああ、どうぞ……って、えええっ!?」

 

応援に夢中になっている三匹は、懸けられた声を特に注意するわけでもなく了承の返事をする。だがチウはちらりと横目で隣の席に座った相手を見て、大いに驚かされた。

 

「なっ……なんでキミがここに!?」

「ピィ~~!!」

「いやまぁ、確か優勝者との特別試合を行うと言う話だったから、ここにいても良いのかも知れないが……だとしても、特別な席が用意されるのではないのかね!?」

 

ゴメちゃんはダイとの再会に喜び彼の身体に飛び込んでいく。どうやらこの二人の面倒を見るのに解放されると思ったのだろう。

そしてチウは、ダイがこの場に姿を見せた理由を問いただす。

 

「うん、それもあったんだけど……せっかくだから、試合場の近くで見たくってさ。ほらほら、細かいことは気にしないで、今は楽しもうよ」

 

適当な理由を口にして、ダイは怪しまれないうちに意識を試合へと向けるように促す。

本当の理由は、ザムザが現在いる場所と王たちが試合を観戦しているテラスとの間の位置だったからであり、チウの隣の席に座ったのも、そこが偶然開いていて、しかも知り合いがいたからでしかないのだが……言わぬが花と言う奴だ。

 

「それでは! 今回の主催者ザムザ殿から、決勝トーナメントの説明をしていただきましょう!!」

 

アナウンスの声に、ダイは少しだけ身を強ばらせる。いつでも動けるように少しずつ姿勢を変え、ザムザの動きに注視して、さらに気配をこっそりと探り始めた。戦闘中などに代表される興奮状態ではないので即時性には欠けるものの、じっくりと時間を掛ければある程度は相手の気配の質を――善意と悪意を感じ取ることもできる。

 

「諸君、よく勝ち残った。想像以上のメンバーが集まり、私も大いに満足している。国王陛下にご提案申し上げ、この大会を開いた甲斐があった……」

 

ダイに探られていることなど露知らず、ザムザは観客席の中頃にて立ち上がり、仰々しく口上を述べていく。この武術大会の発起人でもあり、彼にしてみれば満願成就の瞬間なのだ。芝居がかった様子にもなろうというもの。

 

「さて、それでは最後のステージを整えよう。諸君らの立っている部隊の端々には合計八つの宝玉が埋まっている。一人一人、好きな物を選んで取りたまえ……」

 

――これは!!

 

ダイが感じ取ったのは、ドス黒い気配だった。普通の人間が悪事を働こうと思っても、ここまで強い意志には決してなり得ないだろう。それほどの強さ。

だが平時からこんな気配を発していれば、ダイが気づかないはずがない。おそらく普段はそれを必死で隠し続けていたのだろうが、どうやら気が緩んだらしい。その気配の存在は、決勝戦で仕掛けてくるという姉の言葉へますます信憑性を与えた。

もはやいつでも戦闘態勢に入れるほどだ。

 

「なるほど……こいつで対戦相手を決めようというわけか」

 

舞台上では、剣士バロリアが先陣を切って宝玉の一つを手に取る。

 

「私はAだ」

「オレはEだぜ」

「私のはO……」

「Mだ」

 

それに続いたように、参加者達はぞくぞくと宝玉を拾い上げ、刻まれたアルファベットを読み上げる。一名ほど無言でVと書かれた宝玉を見せつけている者もいたが。

 

「ちょっと待って、変だわ……!! 同じ文字の人が誰もいないし、アルファベット順にもなっていない……これじゃ、対戦相手なんて組みようが無いわ!!」

 

仮に同じ文字同士を対戦相手とするならば文字は四種類。文字の順番通りに戦わせるのであればAからHまでの八種類があれば良い。わざわざOやMの文字を用意する必要はない。

明らかな異質さにマァムは疑いの声を上げ、正体を看破すべく近くにあった宝玉を拾い上げた。

 

「もう一つEが……!?」

 

――ま、まさか!?

 

これで七文字目。そして初めての重複した文字である。マァムの脳裏に嫌な予感が走る。

 

「チルノあなたは!?」

「多分、マァムの予想通り……Gよ」

 

最後まで宝玉を拾わずにいたチルノであったが、マァムの問いかけに答えるように最後の宝玉を拾い上げて文字を読み上げる。

 

「やっぱり……みんな、持っている宝玉を集めさせて!!」

 

確信を得たとばかりに、マァムが叫ぶ。チルノはマァムへ自身の持っていた宝玉を渡すと、離れた場所へ少しずつこっそりと移動して事の成り行きを見守る。

その間にもマァムは全員の持っていた宝玉を集めていた。ゴメスが両手を受け皿のように広げ、その上にマァムが八つの宝玉をとある順番に並び替えていく。とはいえ、たった八文字だ。作業自体はものの一分と掛からずに終わる。

 

「……GAME OVER……!!」

 

浮かび上がった文字は、終わりを告げるものだった。

 

「こ、こりゃあ何の冗談でぇっ!!」

「冗談も何も……見た通りの意味さ。遊びは、ここで終わりだッ!!」

 

抗議の怒鳴り声などどこ吹く風と受け流して、ザムザは叫んだ。

 

――今っ!!

 

その声を合図に、チルノは軽く飛ぶ。

少女の動作に僅かに遅れ、闘技台の床を破って爪の様なものが突き上がってくる。奇しくもその位置は、八つの宝玉が置かれていた場所と同じ位置であった。

そしてただの爪ではない。浮かび上がったそれは関節を持ち、蝙蝠の羽のような皮膜で隣それぞれがつながっている。

 

「なっ、なんだ!?」

「うおおおっ!?」

「と、閉じ込められる……!!」

 

動いたのはほんの一瞬程度の時間。予期せぬ行動に頭が付いていかなかったということもあるのだろうが、手練れの選手たちは何も動けぬままだった。

そしてそれぞれの爪は闘技台の頂点で交差し、舞台を完全に包み込む。外から見れば、八枚の悪魔の翼が闘技台を牢獄のように覆い囲っている光景だった。

突如として現れた異質過ぎる物体に、観客達はどうして良いのか分からず困惑している。

 

「キヒヒヒヒッ!!」

 

牢獄の完成を確認すると、ザムザはこみ上げる笑いを隠そうともせずその上へと飛び乗る。

 

「ザムザ殿! これはいったい……まさか貴様は!?」

「おや、察しが良いですなぁロモス王! 気づかれましたかな? だが少々遅すぎた!! これで我が魔王軍も大いに助かる!!」

「魔王軍!? や、やはり……!!」

「キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

 

もはや隠す必要も取り繕う必要もない。ザムザはどこかで聞いたことのある特徴的な哄笑を上げながら、変身呪文を解除して自身の正体を明かす。

 

「!!」

「ま、魔族……!!」

 

それまでの学者のような目立たない格好から一点、派手な衣装に包まれている。だが何よりも違うのは肌の色。人間では決してありえないその色は、彼が魔族であることを何よりも雄弁に語っていた。

 

「我が名はザムザ! 魔王軍妖魔士団――うおおぉっ!?!?」

「くそっ、浅かったか!!」

「おおっ!! ダイ!!」

 

得意げに名乗りを上げようとするザムザであったが、それは飛び込んできたダイの攻撃によって無理矢理中断させられる。何よりも早く反応して、ザムザへと攻撃を仕掛けたダイの姿に王は歓喜の声を上げ、観客達も勇者が間に入ったことで落ち着きを取り戻しつつあった。

 

「馬鹿な!! 動くのが早すぎる!! 貴様、どうして!?」

 

慌てつつもダイの攻撃をどうにか回避したザムザであったが、その内心は驚きに包まれていた。

彼の計画ではここで名乗りを上げ、ついでにロモス王へと攻撃を仕掛ける。魔族が現れたことによる混乱と、王に攻撃が仕掛けられたという恐怖を演出することが目的だ。観客達はパニック状態になり、いかにダイが勇者であれど、まだ少年でしかない。異常な状況に即応しきれず動きは確実に鈍る。

少なくとも、ここまで迅速に反応されるはずがないのだ。

 

「ザムザ! お前が怪しいのはわかっていた。だから、動きは見張らせてもらった!」

「怪しい、だと……馬鹿な! 一体どこで見破ったというのだ!!」

「教えてやるもんか! さあ、姉ちゃんたちをあの変なのから解放しろ!! さもないと、ただじゃおかないぞ!!」

 

下手な動きも見せた覚えはなく、露骨な敵意を見せたこともない。彼の中では、ダイに疑われる要素など一切なかった。ならばどうしてとダイへと尋ねるが、ダイもまたそれを口にすることはない。

まあ、姉に教えられてようやく気づけたというのは少々言いにくい部分もあるのは仕方ないだろうが。

 

「……はっ! そ、そうじゃ、皆のもの!! 今のうちに観客達の避難を!!」

「そ、そうでした!!」

 

ザムザとダイのにらみ合いによって少し時間が出来たことで余裕を取り戻し、ロモス王シナナは兵へと命令を下す。兵士達はその命令に従って、闘技場のあちこちへと走って行った。

 

ザムザはその様子を一瞬だけ盗み見る。当初想定していた混乱はダイの登場によって一瞬にして沈静化していた。魔族が現れたかと思えば間髪入れずに勇者が姿を見せたのだからそれも当然だろう。

観客達はダイを応援しつつも兵士の誘導に従って、特に大きな混乱を見せることなく避難していく。大会でダイの力を見ていたため、彼が勝つと信じているのだろう。

 

「ちぃっ……認めたくはないが、中々見事なものだな……」

「魔族に褒められたとて、嬉しくなどないがのぉ……それに昨日チルノに注意を受けなければ、ワシとて未だに混乱しておったかもしれん……」

 

武術大会前日、王と謁見したときにチルノは遠回しに内側から敵が現れるということを告げていた。シナナはその意味に気づき、信頼できる兵士たちを中心に少しばかりとはいえ対策を練っていたのだ。幸いにもその効果はあったらしく、兵士達は多少の混乱を残しつつもスムーズに観客達の避難を行っていく。

忠告がなければ、重用してきたザムザの裏切りに呆然としていただろうとシナナは笑う。

 

「王様! 王様も早く避難を!!」

「わかっておる。じゃがそれは国民の避難が済んでからじゃよ。それに、この場はダイが守ってくれるんじゃろ?」

 

敵の近くにいながら国民の避難を優先させるその姿は、王としては立派かもしれないが、守る立場にいるダイとしては気が気ではなかった。こうしている間にも、ザムザが動くかもしれないのだ。

だがダイの不安とは裏腹に、ザムザは王の言葉を聞いて何やら考え込んでいた。

 

「チルノ、だと……? いや、なるほどそういうことか……あの小娘ならば……」

「なんだ? 姉ちゃんがどうかしたのか!?」

 

姉の名がザムザの口から出たことで、ダイは警戒の度合いを一段階引き上げる。

 

「なぁに、お前の姉ならば可能性はあると思っただけよ。なにしろあの小娘は、オレの父と戦ったことがあるのだからな」

「お前の父……まさか!!」

「ほう、どうやらその反応を見るに、当たりだったようだな! だがまあ、改めて名乗らせて貰おう!! 我が名はザムザ! 魔王軍妖魔士団長ザボエラが一子、妖魔学士ザムザだ!!」

 

姉の言ったザボエラと似た雰囲気という言葉であったが、まさか本当に関係者だったとは思わず、ダイは言葉を失う。対してザムザは、まさかの可能性が当たっていたことに自分自身驚いていたが、それはおくびにも出さない。むしろこの状況を利用してやろうと考える。

 

「父と戦ったことがあるが故、息子であるオレとの共通点を見いだしてもおかしくは無いかもしれんな。怪しいと疑ったのは褒めてやろう!! だが、オレの生体牢獄(バイオプリズン)を見抜けなかったのは致命的だな!! キィ~ッヒッヒッヒッ!! 」

生体牢獄(バイオプリズン)!?」

 

言葉の意味から、ドームのように闘技台を覆っているおどろおどろしい生物を指すのだろうと考えてダイは少しだけ視線を動かす。

 

「我が妖魔士団が進めている、とある研究の実験体として強靱な肉体を持つ人間が欲しくてな! 生体牢獄(バイオプリズン)はその選別に合格した人間を捕らえる檻! 武術大会を開かせたのも人集めと同時に、魔王軍に逆らおうとする人間を奪える! まさに一石二鳥の作戦よ!!」

「ワシを謀ったのか!? この恩知らずめが!!」

「恩知らずとは随分な言い草だな。ロモスにも散々と協力してやっただろう? いわばこれは手間賃、正当な報酬だよ!!」

 

忌々しげにシナナが言い放つが、ザムザの言うようにロモスに益をもたらしてくれたこともまた事実であった。実利を重ねて信頼を得ていたからこそ、シナナもこの武術大会を後援していた。

だが、どれだけ活躍していようとも人間の命と引き換えに出来るはずがない。ザムザの言葉にシナナは悔しそうに歯がみするのが精一杯だ。

 

「じゃあ、おれも捕まえるつもりだったのか!?」

「ヒッヒッヒッ! お前の力――(ドラゴン)の騎士の力は予選で見せて貰った。ずいぶんと実力をセーブしていたようだが、それも無駄なこと。あれだけデータが取れれば本来の実力を予測することも容易い!! 強敵を当てた甲斐があったというものだ!!」

 

チルノの予想通り、ザムザは予選の相手をある程度操作していた。その中には、モルモットとして捕獲したかった人間もいたのだが、ダイの力を測るために泣く泣く諦めていた。

 

「まあ、正直に言えばお前もサンプルとして欲しいが……欲に目が眩みすぎては元も子もない。今回はこの八人で我慢してやろう」

「勝手なことを言うな!! そんな不細工な牢、お前を倒してすぐに開けてやる!!」

「ほう、だが出来るかな? 生体牢獄(バイオプリズン)の中の人間の命はオレの手の中にあると理解しているのか?」

「うっ……」

 

仲間を人質に取られている。その事実を突きつけられて、ダイの動きが止まる。

 

「けれど、中には姉ちゃんたちがいるんだ! こんなのすぐに壊して出てくるに決まっている!!」

「それこそ不可能だ! 生体牢獄(バイオプリズン)は脱獄も破壊も不可能の牢獄! 一度捕らわれれば、中の人間が抜け出せる手段など存在しない!!」

 

必死で反撃の糸口を掴もうとするダイであったが、ザムザは自身の生体牢獄(バイオプリズン)にかなりの自信を持っているのだろう。言動の端々からそれが窺える。そしてダイを苛立たせるべく、更に舌を回す。

 

「特に貴様の姉が捕まえられたのは僥倖よ!! あの女だけはたっぷりと苦痛を与え、徹底的に実験材料として使ってやらねばな!!」

「それは嫌かな」

 

得意げに吠えた言葉に続いたのは、あまりに普通の言葉だった。だがそれは本来ならば決して聞こえるはずのない人物の声。ダイとザムザの二人とも、全てを忘れたように声のした方を向く。

 

「姉ちゃん!!」

「ば、馬鹿なっ!! オレの生体牢獄(バイオプリズン)からどうやって抜け出した!?」

 

チルノがその場に姿を現したことを驚く二人。だがその感情は正反対だ。片方はどこかに"やっぱり"という感情を含ませ、もう片方は"ありえない"という感情を全面に発している。

 

「直前で闘技台から逃げただけよ。あなたが何か仕掛けてくるって予想をしていたから。じゃあ誰にどこで仕掛けてくるか? 一番可能性が高いのは、決勝進出者。となれば決勝の舞台が一番怪しい。簡単な理屈でしょう?」

 

マァムたちが宝玉の文字を並べ替えている間に距離を取り、いつでも舞台から場外へ一足飛びで降りられるようにする。さらに決勝進出者たちの影に隠れるような位置へ移動することでザムザから見えにくく、気づかれにくくしていたのだ。

ザムザが、自身の策が見破られることはないと油断していたことも、理由の一つだろう。

もっともチルノが生体牢獄(バイオプリズン)から逃れることのできた最大の理由は知っていたからに他ならないのだが。

 

「き、気づいていたのか……!!」

「それよりも、あなたに何か恨まれるような真似でもしたかしら?」

 

魔王軍からすれば、自分たちが恨まれているのは理解できる。だがそれにしては、チルノ個人へ向けての憎しみが少々大きすぎるように感じられ、チルノは答えが返ってくることは期待せずに尋ねる。

 

「ふん、知れたことよ! 貴様は我が父に手傷を負わせただろうが!! 忘れたとはいわせんぞ! 捕まえて父の前に突き出し、生まれてきたことを後悔するような目に遭わせてやる!!」

 

かつてチルノは、パプニカでの戦いでザボエラに無数の針をぶつけていた。

その後すぐに相手が逃げたため、それ以降のザボエラがどうなったのか彼女は知らぬ事であるのだが、受けた傷が元で重大な場面に参加出来なかったり、ザボエラ主観で貧乏くじを引かされたことを恨んだり、単純に怪我を負わされたことを根に持ったりと、見えぬ場所で恨みを買っていた。

完全な逆恨みなのだが、そのような理屈が通じれば苦労はしない。

 

「そんなこと、させるもんかぁっ!!」

「ぐううぅっ!!」

 

だがザムザの言葉にダイは誰よりも強く反応した。最愛の姉の危機を感じて、無意識に動いたのだろう。その拳には(ドラゴン)の紋章が煌々と輝き、全身に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏わせてザムザの頬を思い切り殴りつけた。

その一撃はすさまじく強力であり、生体牢獄(バイオプリズン)の上に立っていたザムザが吹き飛んで壁にめり込ませる程の威力を見せる。

 

「ダイ!! 今日練習してきたことを思い出して!!」

 

だがその動きは、ダイがロモスに来る前に見せた、すぐに全闘気を使い果たしてしまう無駄の多い戦い方だった。チルノは激昂するダイへと声を掛けて、冷静さを思い起こさせようとする。

 

「えっ!? ……あっ!!」

「今までは練習、本番は今ここ……怒ってくれるのは嬉しいけれど、あくまでも冷静にね?」

 

姉の声にダイは我を取り戻し、チルノが何を言わんとしているかをすぐさま理解する。なにしろほんの少し動いただけでも大きく消耗しているのだ。慌てて竜闘気(ドラゴニックオーラ)を制御する。

落ち着いた様子を見せるダイの姿にチルノも安堵し、あくまで冷静に戦うように、武術大会の予選で磨き上げてきたことを全力でぶつけるように告げる。

 

「ごめん、姉ちゃん……おれ……!」

「気にしないで! それより、ザムザの相手をお願いできる? 私はあの生体牢獄(バイオプリズン)をなんとかするから!」

 

本来ならば、生体牢獄(バイオプリズン)をなんとかすると言われても、疑うだろう。なにしろザムザがあれだけ自信を持っていたものだ。容易に破壊などできるとは思えないだろう。

だがダイは疑う事無く頷いてみせる。

 

「もちろん! 決勝前にも話していたんだから!! 姉ちゃんはマァムたちをお願い!!」

「ふふっ! それじゃ、そっちはお願いね!」

 

互いに守る相手を分担する。

決勝が始まる直前に話していたことを思い出しながら、姉弟はそれぞれの相手に向かう。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「王様! 観客ならびに一般参加者たちの避難は完了しました!」

「残っているのは我々、城の者だけです! どうか安全な場所へ!」

 

兵士達の報告が飛ぶ。その言葉にシナナは頷き、だがどこか名残惜しそうに呟いた。

 

「わかった。これ以上ここにいては、ダイたちの邪魔になるからの。もっと離れた、安全な場所へ向かうぞ」

「はっ!」

 

本心としては、もっとここでダイの活躍を見たい。近くで応援したいという欲求がある。だが王としての立場がそれを許さず、シナナは不承不承その場を離れていく。兵士達はすぐに王へと続き、道行きの安全を確保するように先導し始めた。

 

そうして歩き出して、少し経った頃だ。

 

「……いや、まて!」

 

突如、思い出したようにシナナは叫んだ。そして、近くにいた兵士達へと真剣な眼差しで告げる。

 

「一つ、厳命を頼まれてくれ――」

 

兵は、生唾を飲み込みながら王の命令を聞いていた。

 

 

 

既に闘技場は避難が完了したようで、閑散としていた。つい先ほどまで漂っていた熱気を知る者からすれば、寒々しさすら覚えるほどだ。だがこの人の少なさは、避難がきちんと行われた証拠でもある。さしたるパニックなどもなく誘導されていったのであれば、忠告をした身としても冥利に尽きるというものだ。

 

「ごめんなさい、すぐに助けるからね……」

 

ザムザ謹製の生体牢獄(バイオプリズン)を見上げながら、チルノは小さく呟いた。

そして、心の中でマァムたちに謝る。この状況になることを知っていながら、マァムたちに告げることなく済ましてしまったことを。

決勝が始まる直前、説明しておけば彼女たちが捕まることは防げただろう。だがそれを、ザムザに自身の計画が上手く進んでいると思わせるため、彼女はあえて語らずにいた。それはザムザが魔王軍とつながっており、この武術大会に手出しをするというきちんとした証拠を掴むためだ。

そうでなければ、知らぬ存ぜぬを通され追及の手をのらりくらりと躱されかねない。そのままロモスに居残り続け、獅子身中の虫となるのがおそらくは最悪のパターンだろう。

 

だが、証拠は掴んだ。ならばもう遠慮する必要もないだろう。立場としてもそうだし、彼女がこれから放つ魔法についてもそうだ。これならば、影響が無いなどと決して言わせない。

チルノは強く集中し、影響範囲を極小に絞って魔法を発動させる。

 

「……【バイオ】!!」

 

チルノが狙ったのは生体牢獄(バイオプリズン)の天辺付近にほど近い一部分。そこに向けて放たれたのは、細菌を生み出す魔法である。それもただの細菌ではない。強い毒素を持ち、生物に悪影響を及ぼす細菌。しかもそれを異常繁殖させて暴れさせるのだ。

その特性ゆえに、おそらくはヒュンケルの纏う鎧の魔剣であろうと防ぐことはできず、(ドラゴン)の騎士を前にしても効果があっても不思議では無い。

 

命あるものであれば、動植物の区別なく強烈な効果を引き起こすこの魔法を、だがチルノは今まで使うことを封じていた。未熟な腕前で仲間にまで影響を及ぼす可能性を恐れ、そしてこれまで戦ってきた相手は彼女が救いたいと思っていた者が多かったからだ。

 

だが今この瞬間は、遠慮する必要もない。何しろ相手は物理攻撃も呪文攻撃をも無力化し、物言わぬ生体牢獄(バイオプリズン)なのだから。

とはいえ初めて本格的に使用する魔法のため、たっぷりと集中してから魔法を放つ。

バイオの魔法によって生み出された細菌は、生体牢獄(バイオプリズン)にすぐさま襲いかかると細胞を壊死させ、毒をまき散らし、命を喰らっていく。

肉が腐り落ちて、溶けていくような光景が繰り広げられ、やがて細菌はその強すぎる毒素に自身すら死滅させて消えていく。

全てが終わった後、生体牢獄(バイオプリズン)の一部分には歪な穴がぽっかりと開いていた。

 

「やった……!!」

 

思わず小さく叫ぶと同時に、チルノは強い爆発に襲われて吹き飛ばされた。

 

 




チウを活躍させようとした結果、色々面倒な展開になっています。
(彼を活躍させなければ、もうザムザ編が終わっててもおかしくない……)

チルノさん、実は妖魔士団のぶっ殺したい奴ランキングに入っていた模様。
まあ、親玉に【はりせんぼん】をぶつけましたからね……恨まれもします。

バイオ。
毒属性だったり無属性だったりよく分からない魔法。
個人的に細菌設定が好きなので、強い毒の細菌が細胞を攻撃する。でも強すぎてそのうち自滅する。というイメージに。
こんなの怖すぎてヒュンケルやバランに使えるわけがないですね。

ザムザさん。
実は原作と比べるとちょっとだけ強く……?
じゃない『厄介』になっています。
(理由はそのうち)


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LEVEL:57 英雄降臨

ダイは油断なくザムザを睨み付けていた。

姉と確認した分担作業――自分の役目はザムザの相手である。チルノが生体牢獄(バイオプリズン)に捕らわれたマァムたちを解放するまでの間、時間を稼ぐ必要があるだろう。

いっそのこと、ここで相手を倒してしまっても構わないはずだ。そう考えながら、同時にダイはザムザの異様な様子を見かね、攻めあぐねていた。

 

「ク……ヒヒ……」

「…………っ!」

 

つい先ほど建物の壁へ叩きつけるほどに強烈な一撃を、ザムザに与えていた。それも、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開で込めた一撃だ。普通の相手ならばそれだけでも大ダメージは免れず、ともすればこの一撃で勝負が決まっていてもおかしくは無い。

だがザムザは、壁に埋まり、血を流しているとはいえ、不敵に笑っている。そんなことは、(ドラゴン)の騎士の力を知るダイからすればあり得なかった。

 

「計算通り……まったくもって計算通りだ……(ドラゴン)の騎士の力、恐るるに足らず!」

「なに……!?」

「先ほども言ったはずだ。貴様のデータは予選の戦いで既に取得済みだとな! だがせっかくの実戦の場だ、どれほどのものかと実際に喰らってみたが……驚いたよ」

 

口の端から一筋の血を流しながらも、ザムザは不敵な笑みを浮かべており、反対にダイは攻撃を与えたにもかかわらずどこか不安げな表情を浮かべている。ここだけを見れば、どちらが優位であるかを勘違いしてしまいそうだ。

ダイの微かな違和感を感じながら、ザムザは更にダイへ向けて言い放つ。

 

「人間相手に手加減していたと思っていたが……本気を出してもこの程度か? ならば問題はない……全くもって問題はない!! 当初の予定とは異なるが、貴様の相手もしてやろう! 光栄に思うが良い!! キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

「当初の予定だと?」

 

埋もれていた壁からゆっくりとその身体を離し、ザムザは観客席へと降り立った。そのザムザの動きに対応するかのように、ダイも一足飛びに観客席へと飛び移り、すぐに動けるように身構える。

 

「ああ、そうだ。本物の(ドラゴン)の騎士の力をこの目で見ることが出来、データも取れた。実験動物(モルモット)として必要な人間は捕まえた。ならば長居は無用。なにしろお前達がいるのだからな、欲をかけば失敗しかねん。王への攻撃は会場に混乱を起こすのが目的で、成功せずとも問題は無い。その混乱に乗じて逃げるつもりだったのだ」

 

ニヤニヤとした笑いを浮かべながら、ザムザはゆっくりとダイに近づいていく。並の魔族ならば既に立ち上がれないほどのダメージを受けているにも関わらず、その足取りはしっかりとしていた。それが更に不気味で、ダイの動きはほんの少しだけ鈍る。

 

「お前の姉がオレの正体に気づいたと聞いたときは少々焦ったが、問題は無い。役目を分担すると聞いたが、その目論見はどちらも失敗するのだからな」

「そんなことあるもんか。姉ちゃんがああいうときは、絶対に何か考えがあるんだ! だからおれは、お前を倒すことに集中する!」

「ウヒヒヒ……それは人間いう、信頼だか情などというものか? だが生体牢獄(バイオプリズン)を破壊することは不可能だ。あれはオレの自信作よ。たとえ極大閃熱呪文(ベギラゴン)を放っても破壊することは不可能、つまり貴様の姉は失敗する。付け加えて――」

「むっ!!」

 

そこまで言い切ると、ザムザは片手に魔力球を生み出した。バスケットボールほどの大きさを誇るそれを見て、ダイはすぐさま反応し、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を生み出して防御の姿勢を取りながらザムザに突撃する。

 

「イオラッ!!」

 

だがザムザの反応速度と魔法力も大したものだった。ダイが動き出したのとほぼ同時に、イオラの爆裂球を撃ち出す。それは狙い違わず、チルノ(・・・)目掛けて飛んでいく。

 

「しまっ!!」

 

後悔の言葉を口早に走らせるが、既に遅すぎる。ザムザの攻撃はダイの視界の端を止まることなく悠々と通っていった。

 

「やった……!!」

 

一方、チルノは自身の放った魔法の効果を確認し、小さく歓喜の叫びを上げた時だった。

チルノはザムザの攻撃に気づく事は無かった。今までその威力と効果を恐れ、使うことのなかった魔法。ましてや対象の中にはマァムら仲間が捕らわれているのだ。万が一にも影響を与えないよう必要以上に集中しており、それが彼女の運命を分けていた。

 

「……っ!?!? うぅ……」

 

生体牢獄(バイオプリズン)に穴が開いたことを確認したところでイオラが着弾し、チルノは吹き飛ばされる。完全に意識の外からの攻撃を喰らい、何が起きたのかも理解できぬまま、それでも彼女は手放しそうな意識を必死でつなぎ止めていた。

 

「姉ちゃん!!」

 

イオラの攻撃を見逃した結果、自身の姉へと攻撃を許してしまった。そのことを悔恨しつつダイが叫ぶ。そしてザムザは姉弟の様子を見ながら、その結果に満足そうに笑った。

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ!! (ドラゴン)の騎士に呪文は効かない。その程度のことをオレが知らないと思っていたか? その程度のことも知らずに、お前に攻撃を仕掛けると思っていたのか!? だとすれば貴様はとんだ愚か者だな!!」

 

既にザムザはダイを相手に、何度となく(ドラゴン)の騎士のことを知っていると公言しているのだ。にも関わらず、呪文で攻撃を仕掛けると思い込んでしまった。チルノを狙うとは考えられずにいた慢心がこの結果を招いたと理解する。

 

「我が父に傷をつけるほど狡猾な相手が、任せろと言ったのだ! ならば何か奥の手があると考えて当然!! そんな相手に注意を払わないとでも思ったのか!? オレばかりを見ていたのが貴様のミスよ!!」

「なにを!!」

「さっきも言っただろう!? 人間の信頼だか情だか知らんが、そんなものに頼っているからこんな結果になるのさ!! 半人前の(ドラゴン)の騎士が、出来もしないことをやろうとするからこういうことになる!!」

 

ダイとチルノの裏をかいた。そのことに喜び、気を良くしたザムザは高らかに宣言する。その裏で、彼自身にも理解できない僅かな快感と充実感を味わいながら。

 

「ふっ、ふざけるなぁぁっ!!」

「キヒヒヒ……遅いんだよっ!!」

 

ザムザの言葉に怒り心頭に発し、ダイは感情の赴くままにザムザへ攻撃を仕掛ける。それでも姉の言葉によってギリギリ我慢して、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を無意味に全開にしなかったのは流石だと言える。

だがその攻撃は感情が乗りすぎており、これまでダイを研究していたザムザから見れば稚拙な動きにしか見えなかった。

 

「そこだっ!!」

「ぐっ!!」

 

攻撃を仕掛ける絶妙なタイミングで、逆にザムザはダイへと攻撃を仕掛ける。身体能力を活かしてギリギリ防御には成功するものの、今度はダイが大きく吹き飛ばされる番だった。

 

「そらそらそら!! 次はこちらが攻撃の番かな!?」

「このくらいの攻撃っ!!」

 

吹き飛ばされたダイを追いかけながら、ザムザはでたらめに拳を放ってくる。かなりの速度と威力を持つ攻撃であったが、その攻撃はでたらめでしかなかった。ランダムな連続攻撃であるとか、リズムが読めない攻撃などのように評されるものではなく、完全にでたらめ。武術の素人が力任せに放つそれと変わらず、おかげでダイも攻撃を防ぐ事は容易い。

 

不気味なのは、その速度と威力。一流の戦士に匹敵、ないしは凌駕するほどの攻撃を繰り出し、しかも疲れを見せない。高すぎる肉体能力と稚拙な技術のアンバランスさが、ダイの闘争本能に警鐘を鳴らしていた。

 

「くっ!」

 

たまらず、何度目かの攻撃を避けたところで距離を大きく取る。だがザムザは追撃を仕掛けてくることもなく、そのままたたずんでいた。

 

「どうした? オレが怖くなったか? ならば遠慮せず、姉に助けでも求めたらどうだ?」

 

ダイの様子を見ながらそう言うとザムザは「キヒヒヒヒ」と自嘲するように笑った。その所作に苛立ちを感じながらも、ダイは無言で相手を睨み付ける。その無言の抵抗すら心地よく感じながら、ザムザは余裕の態度を見せ続ける。

 

「まあ、どちらにせよ無理な話だがな……先ほど『貴様らの目論見はどちらも失敗する』とオレが言ったことを覚えているか?」

 

そう言うとザムザの額のサークレットが怪しく輝き、彼の顔面が魔獣のような凶悪なそれへと変貌する。

 

生体牢獄(バイオプリズン)に穴を開けられたのは随分と驚かされたが……結果は変わらん!! 貴様も貴様の姉も、お前達はオレに敗れるのだからなぁ!!」

「なっ……なんだこれは……!?」

 

変貌はザムザの全身に及び、その肉体は肥大化して作り替えられていく。同時に、ザムザの身体の奥底から、恐ろしいほどの闘気が生み出されていった

 

 

 

――場面は少しだけ巻き戻る。

 

マァムたちが生体牢獄(バイオプリズン)に捕らわれたかと思えば、ザムザが自分が魔王軍に属する魔族だと宣言する。そして王へと攻撃しようとしたがそれはダイの乱入によって防がれ、気がつけば城の兵士達が慌てながらもしっかりとした連携を見せて観客達の避難誘導を行い始めた頃だ。

 

「なっ……なんなのだあいつは……!!」

 

不意に現れたザムザの姿を見ていた途端、チウは全身を震わせていた。蛇に睨まれた蛙のように、ザムザの姿を見ているだけで震えが止まらなくなる。見た目はタダの優男といった印象しか受けないはずの相手になぜそのような反応を起こすのか、理由も分からずチウは混乱していく。

 

「ピィ!!」

「あんな弱そうな相手に何をビビっているのか、だと!? し、失礼な! ビビってなどいない!!」

 

すぐ隣にいるスラリンの言葉を耳にして反射的に反論するものの、本心は指摘された通りであった。だが必死の見栄でそれを否定する。しかしスラリンもチウの言葉が虚勢と察したのだろう。胡乱げな瞳でチウを見る。

 

「なんだねその目は!! 大体、どうしてこんなところに残らなければならないのだ!? キミはスライムだろう!? あの時一緒に避難していればよかったのだ!!」

 

そうチウが告げたように、今や闘技場内には観客は誰もいない。一般参加者も既に避難が完了しており、この場にいるのはダイたちを覗けばロモスの兵士くらいだ。ロモス王の迅速な避難命令によって一般人の姿は既に闘技場内には見られない。

 

ならばどうしてチウたちは残っているのか。

 

それは一言で表すならばスラリンのせいであった。

生体牢獄(バイオプリズン)にチルノが捕まったと思ったことでスラリンは避難命令を無視し、一人でもチルノを助けるべく残った。チウもまた同じくマァムが捕まっているために残って助けようとしていたが、結果だけ見ればスラリンの言葉に引っ張られた形で残ることとなった。そしてゴメちゃんは、二人が残るため強制的に残る羽目になっていた。

 

とはいえただ残ろうとしても、見回りの兵士達に見つかって強制的に外へ放り出されるだろう。一回戦負けの大ねずみとスライム二匹が戦力になるとは誰も思わない。

だが幸いにも現場は混乱しており、見落としも多かった。加えてチウ達は一般人よりも小さいので、陰などに身を隠しやすかったこともある。

そして兵士達もまさか「魔族が現れた場所で避難しようともせずに残るような奴はいないだろう」と考えていた。その結果、チウたちは見事に闘技場内に残る事に成功したのだ。

 

「ピィ!! ピィピィ!!」

「むっ、あれはチルノさんか……どうやら彼女は逃げられたようだね……」

 

死角から死角へと身を滑り込ませながら生体牢獄(バイオプリズン)に近づいていたチウたちは、その途中でチルノが出てきたことに気づく。それを見ただけでスラリンは嬉しそうに鳴き声を上げ、彼女へと近寄ろうとする。

 

「ピィーッ!!」

「ピィ? ……ピィ!」

 

走りだそうとしたスラリンを止めたのはゴメちゃんであった。まだ戦闘中のため、不用意に近づいては危険だと訴えるゴメちゃんの言葉に、スラリンも渋々従う。

だがそれも長くは続かなかった。

姉弟が分かれ、ダイはザムザの相手を、チルノが生体牢獄(バイオプリズン)へと攻撃を仕掛けた。かと思えば、不意打ち気味のザムザの攻撃でチルノが吹き飛ばされる。

そんな攻撃を見ては、スラリンが黙っていられようはずもなかった。

 

「ピィィィッ!!」

「あ……ま、待ちたまえ!! 一人で行って何に…………ああっ!!」

 

矢も楯もたまらずに飛び出し、すぐさまチルノの元へ向けて突撃していく。

慌ててスラリンを追いかけようとして、チウは見てしまった。ザムザの肉体がゆっくりと変貌を遂げていき、今まで見たことも無いほどにおぞましい怪物へと変わっていくその姿を。

スラリンと口喧嘩をしたことで忘れかけていた恐怖が再びチウの全身を襲う。彼の尻尾が別の生き物のように震えて暴れだし、チウの身体は無意識に距離を取っていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「グワアアアァッ!!!」

 

完全に変身を完了させ、ザムザは肉体の様子を確かめるように激しい雄叫びを上げた。たったそれだけの行動で、遠くにいたはずの兵士たちが身を竦めるような所作を見せた。

 

「これは……竜魔人……!? いや、違う……!!」

 

全く姿の変わったザムザを見ながら、ダイは呟いた。

肉体のボリュームだけでも数倍に増加しており、その外皮は時に分厚い筋肉に覆われ、かと思えば柔軟かつ剛性を備えた体毛に覆われている。明らかに堅そうな鱗に覆われている箇所も散見され、各所には攻撃に用いるのだろう角や棘が生えていた。右腕は人間のように指があるが、左腕は鋏となっており、器用さは劣るだろうが強力な攻撃を繰り出すのだろう。

背中には大きな翼を生やしており、それを巧みに使えば空中戦もこなせそうだ。

全体から受ける印象を見て、思わず竜魔人を連想したものの、それをすぐさま自身の言葉で否定する。確かに受ける印象は似ていなくもないが、目の前の相手は竜魔人よりももっと恐ろしい何かだ。

 

「ほぅ、中々察しがいいな……やはり同類というのは気づくものなのかな?」

 

だがダイの言葉に反応を見せたのは、他ならぬザムザであった。竜魔人という言葉がダイの口から出てきたことに、僅かに気を良くする。

 

「同類!?」

「そうとも。我らの研究目標は、(ドラゴン)の騎士の力を得ることなのだから!!」

(ドラゴン)の騎士の力を!?」

 

自分とバランしか存在しないはずの(ドラゴン)の騎士の力を得る。突拍子も無い発現に混乱しかけるものの、眼前のザムザの姿を見てあながちハッタリや夢物語では無いと思い直す。

 

「いかにも! 我が妖魔士団は妖魔力においては他軍を圧倒するが、パワーと生命力が無い!! それを補うために父・ザボエラの発案でオレが密かに研究を続けていたのが"超魔生物学"なのだ!」

 

話をしているうちに調子が出てきたのだろうか。ザムザの言葉に熱が入っていく。

 

「超魔――すなわち魔族を超えうる者!! 我々はありとあらゆる怪物(モンスター)の長所を移植手術することによって、人工的に超魔生物を誕生させることを思いついていたのさ。お前の父・バランが竜魔人の姿を見せた時、我々は確信した! これだ、これこそが超魔生物学の到達点なのだと!! まさに神が作りたもうた究極の生物兵器と呼べる存在だ!!」

「へ……兵器、だと……!?」

「何を怒っているんだ? 個人であれだけの力を発揮し、山をも破壊する! そんな物が兵器でないと本気で思っているのか!?」

 

兵器扱いされたことにダイは怒りを露わにするが、ザムザからすればその怒りは理解出来ないものであった。究極の力を持った存在を追い求めるが故の思考なのだろう。

 

「その力を再現するためにも、実験材料は必要だ。それがあいつらさ。いちいち実験のたびに我が魔族の手下を犠牲にするわけにはいかんのでな。使い捨てのモルモットには体力の強い人間がピッタリなんだよ!! グハハハッ!!」

 

ちらりと生体牢獄(バイオプリズン)を見ながら、更に笑う。だがその笑いも、すぐに止んでしまう。

 

「そして、超魔生物は既に九割近くまで完成していたのだ! このザムザ自身をベースとしてな!! 研究成果は見ての通り……だが、がっかりだ……まさか他ならぬ息子のお前の力がその程度とはな……バランと比べれば貴様の力はゴミクズ以下でしかない」

「ゴミクズ以下、だとぉ……!!」

 

バランと比べて劣るというのは、ダイ本人もある程度は自覚している部分もあった。だがゴミクズ以下などと揶揄されてはダイも黙っていられない。全身に闘気を発現させるが、その姿を見たザムザは更に笑いを強くする。

 

「グフフフフッ!! その通りだよ。お前の力は、未だ研究途中であるオレにすら劣る! まあ、変身も出来ない未完成な(ドラゴン)の騎士でも、超魔生物の実力の試金石程度には使ってやろう。精々ありがたく思え!!」

「なにをっ……!!」

 

ダイは殴りかかるが、ザムザの動きはダイのそれを上回って見せた。まるで消えたような速度ですぐさま背後へと回り込むと、左手の鋏でダイを挟み込もうとする。

 

「くっ!」

 

だがダイもその動きには対応してみせた。すぐさま身体を捻り、迫り来る鋏を両手で受け止める。幸いにも鋏そのものには鋭さがなく、切り裂くというよりも甲殻類のそれのように圧力で押し潰すタイプの物だったため、素手で受け止めても怪我をするようなことは無い。

だが込められた力はダイのパワーを上回る。多少なりとも余裕があったはずが、瞬く間に押されて鋏は胴体へと迫っていく。

 

「なんの……うおおおっ!!」

 

長期戦は不利と悟ったダイは、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を最大に込めて放つ。瞬間的に生じた凄まじいパワーはザムザの持つ鋏の耐久力を軽々と飛び越え、粉微塵にしてみせた。そのまま油断なくザムザへ向けて拳を構える。

 

「ほう、やるな……」

 

一方、片腕が砕かれたというのに何の痛痒も感じないと言った様子で、ザムザは自身の左手とダイを見比べる。そして、ニヤリと笑う。

 

「さすがだが、これまでよ」

「ぐ……がああっ!?」

 

その言葉が合図となったかのように、ダイが突如として苦しみだした。地面に膝を付き、片腕は胸元を押さえている。呼吸が荒くなり、大粒の脂汗をいくつも浮かべているその様子から、ダイの痛みが伝わってくるようだった。

事実、ダイは感じたことの無い激痛に襲われていた。あまりの痛みに全身から指先までも震えが止まらず、それが絶え間なく押し寄せてくる。呼吸をするだけでも痛みが走り続け、戦うことはおろか、満足に動くことすら出来ないほどだ。

そのダイの様子を見ながら、ザムザは静かに語った。

 

「効果は、まぁまぁといったところか。予想よりも効き目が悪いようだが、ぶっつけ本番の即興品にしては上等だ」

「な、に……?」

 

少し口を開いただけでも痛いだろうに、それでもダイは言わずにはいられなかった。ザムザの発した言葉があまりにも聞き逃せなかったからだ。

 

「気づかなかったか? だがそれも当然だ。なにしろ対(ドラゴン)の騎士用に開発した毒だからな」

「どく……?」

「そうだ。もっとも、しばらくすれば耐性が付くだろう。免疫が出来れば、次に使っても効果は期待できても一割程度――だが、お前の動きを止められれば十分よ」

 

苦しみのあまり単語でしか喋れなくなったダイを見下ろしながら、ザムザは淡々と語る。本人が語ったように、(ドラゴン)の騎士を研究した結果、その副産物の一つとして生まれた毒であった。彼は左腕でダイを掴んだ際に、その毒を噴霧していた。ザムザ本人には効果が無いよう免疫は既に持っている。

彼の腹に仕込まれたもう一つの口が、その毒の存在を誇示するかのように、ゆっくりと呼吸をしていた。

 

「貴様との力比べに興味がないわけではないが、まず始末すべきは貴様の姉からだ。オレの生体牢獄(バイオプリズン)を破壊した未知の力は看過できんからな」

「ま……ま、て……おれ、が……あいて……」

 

チルノが相手ということを聞き、ダイは倒れかけたまま必死でザムザ目掛けて手を伸ばした。だが既にザムザは歩み出しており、その手はどうやっても何も掴むことはできない。

 

「言われずとも相手をしてやるさ……貴様の姉を殺した後でな!! グワハハハハッ!!」

 

苦しむダイへ更に追い打ちを掛けるよう、そう口にしながらザムザはゆっくりと離れていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ピィ!!」

 

意識の外側から届いてくる聞き慣れた声と、頬に感じる柔らかな感触。それらを感じながら、チルノはゆっくりと目を開いた。

 

「うっ……スラリン……?」

 

目を開けると視界いっぱいに青色をした水滴のようなフォルムの相棒の姿が飛び込んできた。思わず身体を捻ろうとした途端、全身に痛みが走り、皮肉にもその痛みでチルノは自分が今どこにいるのか、そして何があったのかを思い出せた。

 

「そうだ、確か私は……」

 

バイオの魔法を唱え、効果があったことを確認したところまでは記憶がある。ならば自分が吹き飛ばされたのは、誰かの邪魔が入った――それも状況からすれば、ザムザだろう。

 

「【ケアル】」

 

そこまで考えると、自身に対して回復魔法を使う。本当ならばもっと上位の回復魔法を使うべきなのだろうが、痛みと混乱で集中できそうになく、応急処置のような意味を込めてやむを得ずといったところである。

 

「スラリンが起こしてくれたのね?」

「ピィ!」

「ええ、ありがとう」

 

身体を起こしながらスラリンに対してお礼の言葉を言いながら、チルノは気づいた。

 

「嘘、でしょう……!?」

 

視界に嫌でも入ってくる、ザムザの巨体。既に超魔生物へ変身しているのはある意味では想定の範囲内であった。だが、予定外の光景も同時に目に飛び込んでくる。ザムザがチルノへ向けて歩み寄ってくるその後ろではダイが倒れていた。ゴメちゃんが視界の端にも見えており、どうやらダイを心配して駆け寄っているようだった。

 

「なんで、どうしてダイが!?」

 

ダイには竜闘気(ドラゴニックオーラ)の使い方を教えてあり、苦戦することはあってもまさか負けるとは思っていなかった。だが、倒れたダイを無視して自分へと近寄るザムザの姿から、ダイに何があったのかをチルノは逡巡する。

 

「おや、気がついたか? グハハハハッ、運の良い奴め」

 

だが考え込む時間などは無かった。チルノが声を上げたことでザムザもまた気付き、凶悪な笑みを彼女へと向ける。

 

「だが逃がさん! 貴様はオレの生体牢獄(バイオプリズン)に傷を付けた。生かしてはおけん!」

「ピィィィィッ!!」

 

未だ十全に身体が動かずにいるチルノに対して、ザムザは今にも襲いかかろうとする。だがそんな二人の間に、スラリンは甲高い鳴き声を上げながら立ち塞がった。

 

「なんだ貴様は!?」

「ピィ!! ピィピィッ!!」

 

ザムザの鋭い視線を見ながらも、スラリンは怯むこと無く吠える。それがさらにザムザを苛立たせていた。

 

 

 

「な、なにをやっているんだアイツは……」

 

ザムザへと立ち向かおうとするスラリンの姿を、チウは離れた場所から覗いていた。今は先ほど別れた場所よりも更に離れた場所で柱の陰に隠れながら、その様子を見ている。

魔族の状態だったザムザを見ていただけでも、本能が恐怖を感じていたのだ。それがましてや超魔生物の姿へと変貌を遂げれば、強烈な見た目と相まって無意識のうちに逃げ出してしまう。獣のように本能が強いからこその行動だった。

 

「敵うわけが、戦える訳がないじゃないか!! あんな恐ろしい怪物が相手だなんて!!  誰がどうやったって……」

 

スライムという弱い種族では、どう足掻いても太刀打ち出来る相手ではない。そんなことは火を見るよりも明らかなはずだ。にも関わらず、立ち向かおうとするスラリンの姿を見ながら、チウの頭の中には全く別の光景が浮かんできていた。

 

「なぜだ……どうして、こんなときに……」

 

スラリンの主であるチルノ。彼女から聞かされた、遠き地にて活躍した名も無き同族の英雄譚。話だけで、どのような容姿をしていたのかも分からないはずのその英雄が、チウの心の中で小さく訴えていた。

 

「まさか、ボクがそんな……でも、ここで逃げたら、きっと後悔するだろうな……」

 

呟きながら、チウは自分のことを思い直す。自分はスライムよりは強い大ねずみ族であり、ましてや拳聖と呼ばれたブロキーナに鍛えられている。少なくとも、スライムが足掻くよりかはきっとマシなのだろう。

 

「……かつての同族の英雄よ! あなたの百分の一! いや、千分の一でいい!! ボクに勇気を貸してくれ!!」

 

恐怖の心と向き合い、近くにあった――観客が落としたのだろう――布を拾いながら、チウは叫んだ。

 

 

 

「お前のような雑魚がオレの邪魔をするな!!」

「待て!!」

 

スラリンを攻撃しようとザムザが拳を振り上げた瞬間、辺りに声が響いた。その鋭い声にザムザは振り下ろそうとした拳を止め、辺りを見回す。いや、ザムザだけではない。スラリンもチルノも同じく、声の出所へ視線を投げていた。

 

「悪党め!! ボクが相手になってやる!!」

「む、なんだ貴様は!?」

 

胡乱げな瞳でザムザは声の主を見つめる。だがそれも当然だろう。

その者は拾ったであろうハンカチやスカーフで覆面のように顔を覆っており、生身の部分が見えているのは目元くらいだ。背中には、旗か何かの布を破って即席で拵えたのであろうマントを背負っている。ふざけた格好としか言いようがないだろう。

だがその者は、恥じることなく大声で叫ぶ。

 

「怪傑大ねずみ!!」

 

後に伝説の英雄と呼ばれる男が、ロモスの地に降臨した。

 

 




風邪をひくと今の時期は、色々と面倒ですね。
なんだかんだで一週間近く不調でした。

がんばれ怪傑大ねずみ(悪乗りしすぎな気もします)


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LEVEL:58 閃華裂光拳

ご都合主義すぎて迷走している感まである。本当に申し訳ない。


「怪傑大ねずみ!!」

 

チウの勇ましい叫び声を聞き、マァムたちは思わず手を止めていた。彼女たちが現在いる場所は、ザムザ曰く生体牢獄(バイオプリズン)と呼ばれる場所――その中に捕らわれている。

 

蝙蝠などの翼に覆われた内側を想像すれば分かり易いだろうか、内部は仲間の顔や少し先の距離程度ならば判別出来る程度には明るく、どういう仕組みなのか外からの声もある程度は届いていた――とはいえ、内側からの声は外に届いていないことから、この牢獄は捕らえた物を逃がさない能力に長けているようだ。

その内側にて、彼女たちは捕らわれてからというもの必死になって脱出の方法を模索し続けていた。拳に剣、弓矢に鞭に呪文と多彩な手段が揃っているものの、だがそのどれを試しても脱出することは出来なかった。打撃、斬撃、刺突といった類いの攻撃は全て跳ね返され、頼みの綱であったはずの呪文もまるで効果が無い。

生体牢獄(バイオプリズン)の名に恥じぬ、生きた檻となって全員の脱出を拒み続けていた。

一時は、チルノの放ったバイオの魔法によって天井に穴が開いたことで、文字通り脱出のための光明が差し込んだかに見えたが、直後に彼女が吹き飛ばされたことでその想いには暗雲が立ちこめていた。

皮肉にも彼女が穴を開けたことで閉じていた時よりも外部の状況が分かるようになり、ダイの苦戦やチルノが狙われているということが音によってより強く伝わっていた。

 

「な、なあ……今の声って……」

「予選でオレが戦ったネズ公だろうな……」

「彼を悪く言うわけではないが、彼が出てきたところで……」

 

捕らわれた男たちは、声を聞いて落胆の表情を隠そうとはしなかった。勇者とその仲間が自分たちを助けようとしてくれている。という希望から一転、危機に追い込まれて助っ人として現れたのは予選で手も足も出なかった大ねずみである。

 

だが、暗くなる男達とは対象的に、マァムだけは彼の声を聞いて神妙そうな顔つきになっていた。

 

「チウ……」

 

戦おうという決意を認めると同時に、だが彼には武術家として致命的な弱点があると告げたばかりでもある。空手ねずみを心配するのはこの場には一人だけ――

 

「…………」

 

もとい、もう一人。二人の武闘家が外で奮戦しようとするチウを想っていた。

 

 

 

「誰かと思えば、予選で赤っ恥を晒していた下等生物か。見逃してやるからとっとと失せろ!! 貴様のようなザコを相手にしている暇はないのだ!!」

 

そう言ってザムザは雄叫びを再び上げた。その声を聞くだけで、怪傑大ねずみ――もといチウは、全身が怯えて竦みそうになる。このまま平伏して、逆らわないままの方が利口だと訴える自己の本能を無視して、チウは自分の怯えを吹き飛ばすように叫んだ。

 

「う、うるさいッ!! そこのスライムですら命を懸けて仲間を守ろうとしているのだ!! 英雄たるボクが逃げるような真似が出来るかッ!!」

 

――まさかこうなるなんてね……

 

チウの姿を見ながら、チルノは複雑な想いを抱いていた。チウに向けて語ったのはあくまで創作であり、彼女の中の予定では、この戦いでここまで苦戦するはずではなかった。だが蓋を開けてみれば、まるで本来の歴史を再現しようとするかのような光景が繰り広げられている。

ならば、せめてもの助言を。そう考え、チルノはようやく怪我の痛みが引いてきた身体を動かす。

 

「くぅ……チ、チウ!!」

「チウ? 誰だねその素晴らしい大ねずみのような名前は!? ボクは怪傑大ねずみだ!」

「じゃ、じゃあ怪傑大ねずみさん! アイツを相手にまともに戦ったらダメ! 今は防御と、余裕があったら妨害をお願い!!」

「わかった! それが今のボクに出来ることなんだね!?」

 

チウと呼ばれた途端、即座に訂正する辺りを見るに、彼の中でも譲れない何かの線引きがあるようだ。だがそれはそれとして、チウは存外素直にチルノの言葉を聞き入れて、ザムザの前に回り込む。

 

「チィッ!! アドバイスのつもりか? もうそこまで回復するとは……!」

 

その言葉に反応したのはチウだけではない。ザムザもまた、チルノの言葉から彼女が回復しつつあることに気付き、急ぎ彼女を始末しようとする。何しろチルノは彼の生体牢獄(バイオプリズン)を外部からとはいえ穴を開けた危険人物だ。

不確定要素は早々に潰すに限る、とばかりに行動を再会しようとして、彼は自分の片足の違和感に気づいた。

 

「む……?」

「行かせない、行かせないぞ! この悪党め!!」

 

ザムザの片足にはいつの間にかチウがしがみついており、必死の形相を浮かべてこれ以上一歩たりとも進ませないという決意を見せる。

 

「邪魔なザコめが!」

 

忌々しげな舌打ちと共にチウを振り払うべくザムザは蹴りを放つように片足を大きく動かしてみせるが、その目論見は失敗に終わる。かなりの勢いが付いていたはずの蹴りだったが、チウは未だ必死でしがみついていた。

 

「ええい! 鬱陶しい!!」

「ぐ、うううッ!! うああああっっ!!」

 

一度で振り払えなかったことがザムザを逆上させ、今度は片手で攻撃を仕掛けてチウを振り落とそうとする。幾度となく繰り出される張り手のような攻撃をまともに受けながら、それでもチウは未だ手を離す事無く張り付いたままだ。

まともに戦おうともせず、文字通り足止めを続けるチウの姿は、少し前の大会予選中に思い描いていたカッコよく戦う姿からは到底かけ離れている。だが今の彼はチウであってチウではない。伝説の怪物(モンスター)怪傑大ねずみなのだ。

 

「ハァ……ハァ……」

「ふ、ふふふ……どうした? もう攻撃は終わりかね? 究極の生物だとか口にしていたわりには、ちっぽけなネズミ一人すら倒せないとは……笑わせてくれるよ」

 

チウのタフさと一心不乱に張り付き続ける不気味さを感じ取ってか、ザムザは呼吸を乱して攻撃の手を止めた。攻撃が止んだ瞬間を見計らい、挑発するように笑ってみせる。

自身が超魔の存在であるという自負があるザムザにとって、この言葉は到底聞き流せるものでは無かった。

 

「何だと! ならば貴様は何だ!? そうやってオレにしがみついているのが精一杯ではないか!!」 

「あはは、確かにそうさ!! 悔しいけれど、ボク一人の力じゃあ逆立ちしたってお前を倒すことは出来ないだろう!!」

 

お前は無力でしかない。そう言われた言葉を、チウは笑いながらすんなりと受け入れた。だが決して自暴自棄になっているわけではない。

 

「けれど、これが今ボクが出来ることなんだ!! お前の邪魔をしていれば、チルノさんは起き上がる! マァムさんはあの変な牢を壊してすぐにだって出てくる!! だったらボクは、喜んで囮役を引き受けよう! これが今ボクに出来る精一杯だ!! でも、一人一人が

こうやってできる限りの事をすれば、どんな難局だって乗り越えられる!!」

 

チウは腹の底からそう叫ぶ。その声には一切の疑いの色は混じっていなかった。

人から聞いただけの、おとぎ話のような物かもしれない。だがチウにとってはチルノから聞いたその話を真実として受け取っていた。そして、信じた英雄の名を借りて動いている今、英雄の名に恥じるような言動をするなど、彼の中では到底許容できない。

 

「お前一人だけが強くても、それで絶対に勝てるわけじゃない!! みんなと力を合わせれば、お前なんてすぐに倒せる!! たとえボクがやられても、勝てるんだ!!」

「ヌウウゥ……減らず口を!!」

 

チウの言葉に自分でも理解できない苛立ちを募らせてながら、ザムザは渾身の一撃を放つべく再び手を振り上げる。

 

「チウ! 今すぐザムザから離れて!!」

「お、おうっ!!」

 

だがその拳が振り下ろされるよりも早く、チルノの声が辺りに響いた。その声に従ってチウは手を離すと、力を振り絞って素早くその場所から離れていく。

 

「【サンダガ】!!」

「グギャアアアア!!」

 

チウが離れたのとほぼ同じタイミングで、天空から一条の雷撃が降り注いだ。その雷はザムザの巨体すらすっぽりと覆い包むほどに太く、超魔生物と化しているはずの肉体すら易々とダメージを与えるほどに強烈だった。

 

「グガガガ……小娘ェェ!!」

 

想像以上のダメージを受けながらも、ザムザはいつの間にか立ち上がっていたチルノの姿を睨む。

そもそも超魔生物はあらゆる怪物(モンスター)の長所を無理矢理掛け合わせることで生み出す化け物だ。その細胞には、各種怪物(モンスター)から抽出したメラ系やヒャド系に代表される、各種の属性に対する耐性も備えている。

だが、今回ザムザが喰らったのはサンダガ――強烈な雷を落とす魔法である。それは(ドラゴン)の騎士だけが操れるというライデインと同じ属性だ。

いかに数多の怪物(モンスター)の特性を得ているとはいえ、選ばれた者だけが扱える伝説の呪文に対して強い耐性を持っている怪物(モンスター)は少なかった。耐性を持たない攻撃を受けたことで、ザムザは見た目以上のダメージを受ける羽目になっていた。

 

「す、すごい……なんて呪文だ……」

 

すぐ近くに雷が落ちたことで痛いほどの耳鳴りが響く。だがそんな痛みも気にならないほど、チウはサンダガの魔法の威力に驚かされていた。凄まじい威力と目が眩むほどの光景。

しかも雷撃の影響で麻痺でもしたのか、ザムザの動きが鈍い。

自分が信じて耐えた甲斐があった。これならば後を任せても大丈夫だろう。

 

「チウ」

 

そう思ったところで、彼の背後からチルノの声が聞こえる。

 

「ありがとう。そしてごめんなさい……損な役回りを頼んでしまって……」

「……えっ、ええっ!? な、なんでチルノさんがここに!?!?」

 

慌てて後ろを振り向き、続いてザムザの向こうにいるはずのチルノの姿を確認する。そのどちらにもチルノの姿があった。理解できぬ現象に混乱したように、更にもう一度前後に視線を走らせる。

 

「あれは幻影。ザムザを騙すためにちょっとだけ、ね」

 

チウの背後にいたチルノがそう口にする。

彼女が使ったのはブリンクという魔法である。分身を作り出すこの魔法を、今回は囮として使い本体はチウの元まで移動していた。もう少ししっかり観察すれば、目の前のチルノの肩にいるスラリンの姿が、遠く離れた方にはいないことからその結論に自力で気づいていただろう。

驚くチウへ向けて、彼女は回復魔法を使い、傷を癒やしていく。

 

「幻影……そんなことも出来るなんて! いや、ならばなおさらだ! ボクに構わず、今すぐにでも追撃をするんだ!」

「そのつもりだったんだけど……私が頼んだ事とは言え、やられっぱなしは癪でしょう?」

 

チウの言葉を嬉しく思いながらも、チルノは少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「敵に反撃する良い案があるの」

「そ、そんなことが出来るのかい?」

「ええ、聞いてくれる? とっておきの一撃のやり方を――」

 

なんだかんだ言いつつも、一度も攻撃出来なかったことに少なからず腹に据えかねていたものがあったのか、チウはチルノの提案にすぐさま乗ってみせる。その反応を見て、チルノは本来の歴史で存在していた戦い方を含めて手早く語る。

 

「な、なるほど。その技はなかなか良さそうだ。それに、せめて一発くらいは殴り返してやりたいとボクも思っていたところだよ。ご厚意に乗らせて貰おう」

 

どうやらチルノの提案した内容はチウのお気に召したらしく、そう言うと回復した肉体の具合を試すように肩をコキコキと鳴らしながら歩き出した。だが一歩進んだところでその足をピタリと止める。

 

「それと先ほどから間違え続けているようだが、ボクの名前は怪傑大ねずみだと言ったハズだ。気をつけてくれたまえ!」

 

どうやらその一線はまだまだ譲れないらしい。

 

 

 

「グググ、あの小娘め! ふざけおって!! あのザコに時間を使いすぎたわ!!」

 

サンダガの直撃を受けたことによる麻痺と痛みからようやく回復し、ザムザは忌々しげに叫ぶ。

 

「だが、先ほどの一撃でオレを仕留められなかったのは迂闊だったな!!」

 

本来、超魔生物はその圧倒的な生命力によって生半可な傷などあっという間に治してしまうという特性を持っている。本来の歴史では、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にしていたダイの攻撃すら治癒してしまうのだから、その回復力がどれだけのものか窺える。

しかしその回復力を上回りダメージを与えたチルノの魔法に恐れを持ちつつ、だがザムザは追撃を受ける前に倒してしまおうとチルノへ向けて一気に駆け寄り、左手の鋏を振るう。

 

「な……幻覚だと!?」

 

だが鋏は何にもぶつかること無く素通りし、チルノの姿はかき消えた。その現象を見て、いつの間に幻覚を受けたのかと瞬間的に混乱する。その隙をついて、チウはザムザ目掛けて駆けだしていた。

 

――まずは助走!! ある程度の距離を走ることで勢いを付ける!!

 

頭の中でチルノに教えられたことを思い返しながら、背後からザムザを狙う。

 

――そして回転!! 円の動きで勢いも威力も更に増す!!

 

「とおおおおっ!!」

「むっ!?」

 

雄叫びを上げながら飛び上がり、回転しつつ体当たりをする。その声に気付きザムザが振り返った時にはチウは既に眼前に迫まり、もはや回避も防御も不可能だった。

 

「グオオオオオオオオオオオッ!?」

 

それは本来の歴史にてチウが窮鼠包包拳(きゅうそくるくるけん)と名付けた技である。

本来、大岩を砕くほどのパワーを持ったチウである。その彼が助走と回転で勢いを付けて体当たりをすれば、生半可な力では止められる筈もない。激突した衝撃によってザムザは吹き飛ばされ、地面に倒れる。彼の肉体の一部にはひび割れが走っていた。

 

「やった!!」

「ピィ!!」

「こ、こんな威力が……」

 

その威力の高さを見て、ダイの下へ向かおうとしていたチルノは思わずガッツポーズをし、スラリンも思わず声を上げる。そして当人であるチウは、自分がこれほどの威力を放ったことが信じられないといった様子だ。

 

「グググ……ネズミがぁ!!」

 

倒れた身体を起こしながら、ザムザは叫ぶ。超魔生物の特性が受けた傷をすぐさま癒やしてはいくものの、再生能力では決して癒えることのない屈辱の痛みを彼は感じていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「チウ……」

 

天井に開けた穴から響くチウの声を聞き、生体牢獄(バイオプリズン)の中では変化が起きていた。

 

「へ、へへへ……! 確かにそうだな!! まさかあんなネズ公に気づかされるとは、オレは自分が恥ずかしいぜ!!」

「諦めるな、自分に出来ることをやれ、か……確かにその通りだな!」

 

ゴメスとバロリアが互いにそう言いながら、一時は止めていたはずの壁への攻撃を再開する。己の持てる力を最大限に発揮させ、僅かでも傷を付けて少しでも穴を開けてやろうという強い意志を感じられた。

 

「そうだ! フォブスター、あんたルーラは使えるか!? 上手くすればあの穴から脱出できるかも!!」

「使えるが、あのサイズではダメだな。だが、そのアイディアは悪くない。なんとか穴を広げられれば……」

 

一方、スタングルはチルノの穴をどうにかして利用できないかと考えていた。単純に穴から脱出できないかと提案し、だが一筋縄では行かないようだ。フォブスターと二人、天井近くに開いた穴を見ながら知恵を絞っていた。

 

「ふむふむ。どうやら、良い刺激を受けたようだね。この光景を見れただけでも、この大会に参加した価値はあったようだ」

「ええ、そうですね……それに、私も今は同じ想いです」

 

そんな生体牢獄(バイオプリズン)の中の様子を一歩離れた場所で眺めながら、ゴーストくんが呟く。その言葉にマァムは力強く頷き、そしてゴーストくんへ向き直る。

 

「修行で得た力、今こそ使わせていただきます」

「おやおや、何の話かな?」

「いえ……ただ、改めて気づいただけです。力の大きさと、その力を使う際の責任を」

 

わざとらしくとぼけたような口調を見せるゴーストくんであったが、マァムの表情は崩れることはなかった。

 

「みんな、ちょっとどいて貰えるかしら?」

「なんだなんだ?」

「何か、秘策でもあるのか……?」

 

脱出方法を模索していた各々はマァムの言葉にその手を止めて、彼女の方を見る。

 

「ええ、この方法ならおそらくは。少なくとも、力任せに破壊しようとするよりかは確率が高いはずよ」

「へっ! 言ってくれるじゃねぇか!! よしわかった! それがアンタの『今できること』なんだな? なら後は任せたぜ!!」

 

ゴメスは豪快に笑いながら場所を譲る。バロリアもそれに続き、生体牢獄(バイオプリズン)内側の壁に最も近い場所にはマァムは立つ。続いて手袋を外し、精神を集中させるように低く声を上げながら手を後ろに振りかぶり、僅かにタメの時間を作る。

 

「はーーッ!!」

 

渾身の声と共に、拳が放たれる。拳が壁へと衝突する瞬間、彼女の右手はまるで閃光のような輝きを放っていた。

 

 

 

――ビシッ!

 

突如として鳴り響いた異音に、チウへ報復を行おうとしていたザムザは動きを止めた。そして反射的に音のした方向――生体牢獄(バイオプリズン)を見つめる。その間にも生体牢獄(バイオプリズン)からは異音が断続的に鳴り響く。

 

「なっ……何事だッ!?」

 

視線を向けるザムザの視界には、外壁に無数の亀裂が刻まれ、内側から圧力が掛かっているような様子を見せる生体牢獄(バイオプリズン)があった。だが生体牢獄(バイオプリズン)がその姿を保っていたのはそれから数秒もなかった。

内側から爆発したように外壁が吹き飛び、その粉塵の幕の向こうからマァムの姿がうっすらと浮かぶ。

 

 

 

「ダイ! ごめんね待たせちゃって……」

「ね……ちゃ……」

 

生体牢獄(バイオプリズン)が吹き飛んだのと時を同じくして、チルノはダイの下まで辿り着いていた。ザムザの意識はそちらに向いており、ダイにまで注意は向いていなかった。そのおかげで彼女は割と容易く弟のところへ行くことができた。

ゴメちゃんが待っていましたとばかりにチルノに飛びついてくる。

 

「何があったのか知らないけれど、喋らないで! まずは回復を……」

「だめ……どく……」

 

それを片手で受け止めながら、まずはダイの回復を行おうとする。だがダイは痛む身体に鞭を打って、カタコトの言葉でチルノに注意を伝えようとする。

 

「だめ、どく? ……毒!?」

「どく……にげ、て……」

 

ザムザに毒を吐かれ、それがまだ辺りに漂っているかもしれない。自分があっという間に倒れた程の毒である。仮にそんなものを姉が吸ったとなればどうなるか……それを危惧したダイは、姉のことを遠ざけるべく必死で訴える。

チルノもまた、ダイの言おうとしていることをなんとなく察し、辺りをザッと見回す。

 

「……大丈夫みたい。安心して、そんな毒なんてすぐに治すから」

 

だが毒の気配は感じられず、仮に無味無臭だったとしてももはや時間が経ちすぎて自然に霧散しており、影響を与える程の量では無いのだろう。そう判断したチルノは、ダイを安心させるようにそう語り、とびきりの治癒魔法を使う。

 

「【エスナ】」

 

あらゆる状態異常を治す、と言っても過言では無いほどの治癒力を持った魔法である。多分に自信を持って使ったその魔法は、すぐにダイに影響を与えたらしく苦しげだったその表情が少しずつ和らいでいた。

 

――少し……ううん、随分と強い毒みたいね……

 

その様子を観察しながら、チルノは胸中で独白する。エスナの強力な回復力ならば、大抵の毒はすぐさま解毒してしまう。だがそれなりに時間が掛かることから、毒の強さが推測できた。

そしてもう一つ、毒の存在そのものについて疑問を持った。

本来の歴史を知るチルノは、ザムザが毒を使ってダイを倒していないことを知っている。いや、用意はしていたが使う間がなかったということも考えられる。だが、仮に本来の歴史でも毒を持っていれば、使って損するものでも無いだろう。

つまり、この毒はこの世界のザムザが用意したもの。彼女はそう仮定する。

 

そう仮定した場合、ダイに毒が効くのだろうかという新たな疑問が生まれた。

いかに人間との間に生まれた存在とはいえ、ダイは(ドラゴン)の騎士である。神が生み出した史上最強の生物であり、戦闘中のダイは竜闘気(ドラゴニックオーラ)をも纏っている。

あらゆる呪文を打ち消し、生半可な攻撃を跳ね返す竜闘気(ドラゴニックオーラ)であれば、体内に侵入した異物に対しても効果があってもよさそうなものだ。調べたわけでは無いが、(ドラゴン)の騎士は成長していくにつれて、抗体も強くなるのかもしれないが。

ともあれ、(ドラゴン)の騎士相手に毒が有効打となる未来が、チルノには信じられなかった。

 

――だったら、この毒は……?

 

仮にロモスに辿り着いた時点のダイを研究したとしても、時間的には一晩しかない。いかに妖魔士団といえど、そんな短時間でこれほど効果的な毒を作れるのだろうか? ならばもっと前から作っていた? それとも何か別の方法で?

治療を続けながら、チルノは無言で可能性を模索していた。

 

 




この話でザムザ戦の決着を付けるつもりだったのになぁ……。

そういえばザムザって尻尾ないんですよね。サソリの尻尾みたいなのがあって、強烈な毒素を注入する。みたいな展開もアリかな? と考えていたんですが。バランサーとしても使えるし攻撃にも使えるし、便利だと思うんですけどねぇ……


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LEVEL:59 二人の師

「す、すげぇ……なんて威力だ……」

「いや、これは単純な拳の威力ではないのだろう……何か隠された力があるような……」

 

ガラガラと音を立てながら、生体牢獄(バイオプリズン)は崩れ落ちていく。その様子はまるで、生物が朽ちていく様子を早回しで見せられているようだった。しかもそれは、マァムの放ったたった一撃によって引き起こされたものだ。

牢の中にいた男たちはその結果に驚き、何が起きたのかわからずに推論を口にするのが精一杯だった。

 

「見ての通り、牢は破壊した……次はあなたの番よ!」

 

生体牢獄(バイオプリズン)を破壊した当人のマァムは、自然体に立ったままザムザを睨みつけながらそう言った。

 

「次はオレの番だと……どうやって生体牢獄(バイオプリズン)を破壊したのかは知らんが、実験動物(モルモット)風情が調子に乗るな!!」

 

対してザムザは、自慢の牢獄を破壊されたことで怒りの感情に支配されて冷静さを欠いていた。感情の赴くままにマァムに襲いかかって行く。

だがその動きはマァムから見ればとても稚拙なものだった。己の身体能力の高さにあかせた乱暴な攻撃。そんなものが、武神流を学んだ今のマァムに通用するはずもない。

 

「甘い!!」

 

襲いかかるザムザを迎撃するようにマァムもまた飛びかかり、素早い動きでリーチの差をものともせずに一瞬にして懐に飛び込むと、相手の横っ面を目掛けて輝く拳の一撃をたたき込む。凄まじい勢いで放たれた攻撃はザムザ本人が突進していたこともあって、彼のの巨体をふらつかせるばかりか、そのまま吹き飛ばしてダウンさせるほどだ。巨大な身体が倒れて、辺りに土煙が立ち上る。

 

「チウ――じゃなくて……大ねずみさん、大丈夫かしら?」

「マァムさん――じゃなくて……名も知らぬ武闘家の娘よ、ボクのことを気に懸けてくれるのかな?」

「ええ、まぁ……」

 

ザムザがダウンしている隙にチウを回復しようと考え、その際に一応気を遣って怪傑大ねずみとは初対面である。という体で接したのだが、どうやら裏目に出たようだ。知り合い同士がお互いに初対面を装うという、なんとも面倒なやりとりとなっている。

それでも気を落とすことなく、マァムは当初の目的を口にする。

 

「回復呪文を使おうと思ったのだけれど……案外平気そうかしら?」

「いや! いやいや!! そんなことはありません!! 今も傷は残って……いや、残ってはいるが、こんなものはかすり傷!! 回復など必要ありません!!」

「そ、そうなの……? でも、一応は……ホイミ」

 

チウが窮鼠包包拳(きゅうそくるくるけん)を使っても問題ない程度にはチルノが回復させていたので、実は大方の怪我は治っている。

だがそれとこれとは話が別だ。

慕うマァムからの回復呪文を受けれると聞いて、チウは喜んでそれを享受しようとした。だがすぐさま、自分の中の怪傑大ねずみとしての意識がそれを拒否する。殆ど治っているのに、下心ありきで回復を受けるなど彼の中の英雄像からすれば言語道断だったようだ。

とはいえ加えて文字通りかすり傷程度の負傷しかしていないので、強がりというわけでもない。そんなチウのキャラに少々圧倒されつつも、マァムはとりあえずホイミ呪文を唱えて回復させる。

 

「おおっ! マァムさんの回復呪文!! ありがとうございます、マァ……武闘家の娘さん!!」

 

すでに"マァム"とそのものズバリの名前を言っているのだが、それを無かったことにする。その胆力は見習うべきなのかも知れない。

 

「だが、怪我を治して貰ったが……すまない、ボクの力ではアイツを倒すことは出来ないようだ……悔しいが、この戦いは任せるよ……」

「もちろんよ、任せて。あなたから貰った心は、決して無駄にはしない!」

 

実力差を理解して、引き下がるという発言であったが、だがマァムはその想いをしっかりと受け止める。そもそもマァムがこの場にいるのはチウの言葉に力を貰ったからである。

 

「ありがとう。じゃあボクは……牢に閉じ込められていた彼らと一緒に下がるよ。その方が、安心して戦えるだろう?」

 

マァムの言葉にチウも納得したように頷き、次に自分が出来ることを考え、彼女が戦いに集中できるように場を整えることを提案し、すぐさま走って行った。そんなチウの行動にマァムは心の中で短く礼を言う。

 

「ほら、キミたち! 何をしているんだ!! 巻き込まれないようにもっと下がるんだ!!」

「下がるだぁ!? 何を言ってる!!」

「そうとも! 全員で協力すれば……」

 

背後の方からはチウの声と、その言葉に反論するゴメスたちの声が響いてきた。彼らの言い分はむしろ当然だ。いかにマァムが強くとも、ザムザの姿を見てしまっては女性一人で戦える相手と思えるはずもない。

 

「大丈夫! マァムさんの最強拳があれば、あんな相手は敵じゃない!! むしろ、全力で集中して戦えるように、ボクたちは下がっておくべきなんだ!!」

 

だがチウは、そんな声を一喝して黙らせる。彼女が操る必殺拳の強さと危険性をよく知っているからだ。まずあり得ないことだが、万が一以下の確率で彼女の放つあの一撃が仲間に当たればどうなるか。そんな不安を抱かせないためにも、マァム一人で戦わせた方が良いと考えた。

 

「最強拳……?」

 

いまいち話の先が見えず、出場者たちは混乱する。だが、それが牢を打ち破ったあの一撃のことなのだろうということだけは自ずと理解出来た。

 

 

 

「この、小娘があッ!! 生体牢獄(バイオプリズン)を破壊しただけでは飽き足らず、オレを殴り飛ばすなど!! 殺す!! 貴様も殺してやる!!」

 

殴り飛ばされた衝撃から起き上がり、ザムザは殺意を込めた瞳でマァムを睨む。眼力だけで生物を殺せそうな力強さを持っていたが、だがマァムはそれらを悲しい瞳で受け止める。

 

「ザムザ……あなたのその力の一端は私も見せてもらったわ。でも、その力を得るのに、どれだけの人間の……怪物(モンスター)の命を犠牲にしたの?」

「犠牲だと? フン、くだらん!! これは崇高にして偉大な実験! 魔族が神に近づくための偉業の一つなのだ!! 人間や怪物(モンスター)風情がどれだけ犠牲になろうがオレの知ったことでは無い! いや、むしろ感謝すべきだ!! ゴミクズ程度の価値しかなかった命が、偉大なる実験の礎という意味を与えてやったのだからな!!」

 

拳を交えたのはほんの僅かな時間。だがそれだけでもマァムにも超魔生物の肉体的な恐ろしさは理解できた。あらゆる魔物の長所を取り込んだという言葉は嘘偽りなく、仮に修行によってこれだけの強さを得ようとするのであれば、どれだけの時間と練度が必要になるのか、彼女には想像もつかない。

それだけに理解できた。その強さを得るために、代償として(おびただ)しい数の命が犠牲となったのかを。そして、こともあろうに死んでいった命を粗末に扱い、犠牲は名誉だと口にする。

それは到底、マァムが許せることではなかった。

 

「神様がくれた生命を玩具のようにもてあそぶなんて、最低だわ! 絶対に誰にも許されないことよ!! 誰も教えないなら私が教えてあげるわ! 生命の痛みを……!!」

 

怒りの眼差しを覗かせながら、深く静かな闘気と自身の内へと凝縮していく。

 

「生命の痛みだと!? 不滅の肉体を持つ超魔生物を相手になにを……」

 

マァムの決意を笑い飛ばそうとして、だがザムザはその動きを止める。不意に自身の右半面から鋭い痛みが走ったからだ。猛烈な違和感に言葉を止めたザムザであったが、続いて角にヒビが走って行く。自身の肉体に起きた変調を信じられず、だが戸惑っている間にもヒビは瞬く間に広がっていく。

 

「ぐあっ!!」

 

ついには限界に達したように砕け散った。爆発するような衝撃を受け、ザムザは思わず顔を仰け反らせる。だが驚くべきところはそこではない。

 

「バ、バカな!! 再生が始まらない!? なぜだっ!?」

 

超魔生物はあらゆる傷をたちどころに治す。故に、このようなことはありえない。しかし現実にザムザはダメージを負い、再生が行われることもない。想定外の事態と痛みに戸惑うザムザを、マァムは強い瞳で見ていた。

 

「すげぇ……なんて威力なんだ……」

「なるほど、あれならむしろ一人の方が安全かもしれん……」

「あれが、まさか……」

「そう、あれこそが彼女の必殺拳――その名も閃華裂光拳!!」

 

腕を組み、得意げな様子でそう語るチウ。そのおかげで幸いにも、ゴメスたちの「確かに凄い技だが……お前が言うのかよ」という視線に気づくことはなかった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「閃華裂光拳……凄い威力ね……」

 

ザムザとマァムが戦っている場所から少し離れた場所にて、チルノはダイの治療を続けながら呟いた。彼女が知る本来の歴史において、超魔生物ザムザを相手に対して現時点で唯一といって良い有効な攻撃方法である。

 

――この世界には、俗にマホイミと呼ばれる呪文が存在する。人間の生体機能を魔法力によって促進するホイミの呪文だが、過度に使いすぎれば生体組織を破壊する劇薬となってしまう。そんな強力すぎる回復呪文を指す言葉だ。

対生物相手ならば致命的な効果を与えるが、その分だけ消費魔法力も多く、いつしか歴史から消えていった呪文。だがブロキーナは回復呪文と武神流拳法を併用して、インパクトの瞬間に爆発的な威力を生み出してマホイミと同じ効果を得る極意を編み出していた。

それこそが閃華裂光拳であり、使う際にマホイミの効果で一瞬だけ光ることからそう呼ぶようになったのだろう。

 

「マァム……すごいや……」

 

姉の言葉に頷くように、ダイもまた口を開く。未だ苦しげな表情を見せるが、それも治療前と比べて幾分と和らいでいた。毒の影響が減衰している証拠だろう。もしくは――マァムの戦う姿がよく見えるようにと――チルノがダイを膝枕しているからかもしれないが。

とあれ、閃華裂光拳を放つマァムの姿はこの場の誰よりも頼もしく見える。

 

「そうね。でもダイもこのままマァムに任せっきりってわけではないんでしょう?」

「……うん」

「じゃあ今は、マァムを信じて、あとは毒が治るように気を強く持っていなさい」

 

"病は気から"という言葉があるように、気の持ちようで効果も変わる。治ると自分が信じれば、体内の免疫機能が活性化して解毒も早く完了するだろう。

 

 

 

ザムザは自身の顔を手で押さえながら、信じられない事実を必死で受け止めていた。自らが必死で研究を進めてきた無敵の生物たる超魔生物。超魔生物学が完成すれば、敵となる相手など存在しない。そう信じてきた。だがそれが今、根底から崩れようとしていた。

 

「ガアアッ!! この力、この威力……なるほど、生体牢獄(バイオプリズン)を破ったのもこの力か……!!」

 

ギリギリ冷静な部分がマァムの力を分析する。何が起きているのかはわからなくとも、マァムの技によって生体牢獄(バイオプリズン)が壊され、自身も危機に陥っているのは分かる。

 

「あの小娘といい、貴様といい!! 貴様たちは生かしておくわけにはいかん!! グアアアアアアッ!!」

 

再び絶叫を上げながら、ザムザはマァムへと襲いかかる。殴りは分が悪いと考えたか、今度は蹴りだ。それも地面を蹴り飛ばし、同時に大量の瓦礫を放っている。超魔生物のパワーによって蹴り飛ばされたそれらは、かなりの勢いを伴ってマァムへと襲いかかる。

目眩ましと攻撃を同時に兼ね備えた一撃であったが、だがその程度の小細工でどうにかなるほど相手は甘い相手ではない。

マァムは斜め前に大きく跳び、すれ違うようにして攻撃をやり過ごす。

 

「そこかっ!!」

 

だがマァムの動きにザムザは鋭敏に反応して、着地点を狙うように拳を繰り出した。回避不可能のタイミングであり、ダメージは避けられない――相手がマァムでなければ。

 

「はっ!」

 

マァムはこのままでは回避不可能と悟るや否や、迫り来る拳を足場に高く跳躍してザムザへと迫る。まるで曲芸師のような軽やかな動きに驚かされ、ザムザの動きが一瞬止まった。その間にマァムはザムザの顔面に蹴りを放つ。

 

「ガフッ! だがこの程度では……」

 

 鞭のようにしなる脚から繰り出された蹴りは凄まじい鋭さを持っていた。それが顔面にたたき込まれれば、体力自慢の怪物(モンスター)でも倒れるほどだ。だがその一撃も、超魔生物の肉体には幾ばくかのダメージを与えただけに留まる。

不意を突いた攻撃が不発に終わったことを笑おうとして、ザムザの言葉が止まる。空中で更に体勢を立て直して、追撃の一撃を放とうとするマァムの姿が見えたからだ。

 

「武神流! 閃華裂光拳!!」

「ぐはああああっ!!」

 

胸元へと突き刺さった一撃が炸裂し、ザムザは大打撃と共に吹き飛ばされる。攻撃を終えたマァムはその場でくるりと一回転しつつ、危なげなく地面へと降り立った。

 

「バカなっ! こんなバカなことが、あってたまるか!!」

 

蓄積するダメージによってよろよろと起き上がりながら、ザムザは吠える。

 

――おのれ、おのれおのれ!! グズグズしていては……!!

 

彼の視界の端には、ダイを治癒しているチルノの姿が見える。ダイに使った毒は彼の謹製の毒薬であり、いかに解毒呪文(キアリー)を用いようとも簡単に解毒できるものではない。だがそれは時間を掛ければそのうち治療が終わるということだ。

そうなれば目の前のマァムだけでなく、ダイも同時に相手をしなければならないということだ。仮に二人を同時に相手にすれば勝率はガクリと落ち込むだろう。

つまり、この場でマァムだけでもなんとかしなければならない。そのためには――

 

「カアアアアッ!!」

 

――なっ……!?

 

「グフフフッ……このザムザ様の頭を舐めて貰っては困る……!」

 

起き上がったザムザへ更に追い打ちを掛けようと迫り来るマァムへ向けて、ザムザは十分に引きつけてから彼は特殊な粘液を口から吐き出した。予想だにしなかったその攻撃にマァムは回避しきれず、その粘液を両手へと受けてしまう。

 

「先ほどのお前の蹴りはあの光る技ではなかった。そもそも、自在に使えるならばオレの肉体に触れた時に遠慮無く使えば良い。つまり、あの技を使えるのは拳を使ったとき――しかも攻撃が命中した瞬間だけに限られると踏んだのよ」

 

完全に固定されているわけではないので、粘液に包まれていても指は動かせるのがせめてもの救いだろうか。両手を覆う粘液を拭い取ろうと両手を擦り合わせるが、一向に取れる気配がない。そうやって足掻くマァムの姿を見ながら、ザムザは逆転の芽が出たことに気を良くする。

 

「ならば元となる拳を封じてしまえば良い。実に簡単な対処法だ!」

「ふぅん……なるほどね。良い読みをしているわ……」

 

マァムがザムザの目の前で閃華裂光拳を見せたのは二回だけ。その二回で技の特性と必要な条件を推測し、自身が実現可能な対処を実戦してみせる。敵ながらあっぱれと言う他なかった。

 

「グハハハハッ、命乞いか? それとも時間稼ぎか? 予め言っておくが、それは特殊な皮膜粘液。ちょっとやそっとでは取れん!! そして!!」

 

ザムザは大きく息を吸い込み――

 

「ガアアアッ!!」

 

――そして吐き出す。

 

「うっ、これは……!! ゴホッ!!」

 

そこから吐き出されたのは、薄紫色をした不思議な吐息だった。迫り来る息を僅かに吸っただけで、マァムは強く咳き込む。その様子にザムザはニヤリと笑う。

 

「猛毒の息だ。この毒が貴様の身体を蝕む。いかに武術の達人といえど、吹きかけられた息を素手で防ぐ方法など持ち合わせていないだろう? その毒は立っているだけでもお前の体力を奪い、しかも容易に解毒は不可能。つまり……!! このオレの勝利は盤石ということだ!!」

 

確かにザムザの言うとおり、ただ突っ立っているだけでもマァムの身体を毒が蝕んでいくのが感覚で分かる。そして相手の言うように、解毒をしている暇など無いのだろう。悠長に解毒呪文(キアリー)を唱えていようものなら、その瞬間に襲いかかられる。

 

「……っ……はああああああああっ!!」

 

そこまで理解したマァムは、一度瞳を閉じて小さな声で何かを囁いた。だがすぐに目を開き、気合いを上げながら意識を集中させ、今までに見せたことのない独特な構えを取る。両手の掌を眼前で重ね合わせ、ザムザへ向ける。

 

「フン、なんだか知らんが無駄なことを!!」

「はっ!!」

 

気合いの声と共に、マァムの掌から光の奔流が放たれた。その一撃は余裕の笑みを浮かべて油断していたザムザに直撃し、彼の肉体を傷つける。

 

「ガッ!? なっ、なんだこの攻撃は!! 闘気砲だと!?」

「まだまだ、こっちもあるのよ!!」

「ム……!」

 

闘気砲を放ったかと思えば、続いてザムザに向けて一気に距離を詰める。その動きはまるで息をもつかせぬ連続攻撃を思わせるほどに早い。だがマァムのその行動を、ザムザは心の中で嘲笑する。彼女の両手は未だ粘液に覆われており、閃華裂光拳を使われる危険性は無いからだ。

先の闘気による一撃も、驚きはしたものの威力としては耐えきれないほどではなかった。その事実がザムザの油断を誘う。相手を攻撃できる確実な距離まで引きつけて、じっくりと叩けばよいと考える。

 

「死ねぇ!!」

 

十分に引き寄せたマァムへ向けて、ザムザは上から押し潰すように拳を振り下ろす。丸太よりも太い豪腕から繰り出されるは空気をも切り裂く鋭い一撃であったが、マァムは迷い無く突っ込み、さらにザムザへ近づくことでこれを回避する。

 

「せええいっ!!」

 

十分すぎるほど近寄ると、マァムはザムザの腹部目掛けて瞬時に連続して何発もの拳をたたき込んだ。今までマァムが見せてきた攻撃と比べれば、はっきりと弱いと断言できてしまう攻撃。だがその攻撃を叩き込むと彼女はすぐさまザムザから離れて距離を取る。

 

「くくく、どうした? その非力なこうげ……き、ききき……ブベエエエエッ!!」

 

それは超魔生物の肉体からすれば拍子抜けするほど弱い攻撃だったのだろう。わざわざ攻撃を掻い潜り、近寄って放った攻撃がこの程度の威力しかないのか。そう嘲ろうとして、だがその言葉は最後まで紡がれることはなかった。

ザムザは突如として苦しみだし、全身を小刻みに震えさせる。さらには慌てて口を抑え、懸命に堪えようとするも、その努力も虚しく盛大に吐血した。

 

「今までの光る技とは違う……なんだこの、身体の奥底にズシリと来る衝撃は……!! おおお……ググググ……!!」

 

闘技場の地に鮮血を撒き散らしながら、自分の肉体に何が起きたのか理解が追いつかずに混乱していた。閃華裂光拳の攻撃とはまるで異なった、身体の内側に爆裂呪文を叩き込まれたような衝撃とダメージは、超魔生物の肉体を持ってしてもそう簡単には耐えきれない。

 

そもそも傷というのは外傷――つまり皮膚に負うものだ。それを防ぐために生物は体毛や鱗を生やしたり、場合によっては皮膚そのものの柔軟さで傷を防ぐ。だが内側からやってくるダメージに耐える生物など、そうそう存在するものではないのだ。いかに超魔生物といえどもそのような特性まで兼ね備えているはずもない。

 

「馬鹿な……不滅の、無敵の肉体が……」

 

――光る技を封じたと思えば、なんだこの技は……それに、ヤツの身体は猛毒に蝕まれているはず……もはや立っているだけでも辛いはずなのに、なぜこれほどの力を出せる!?

 

理解できない攻撃に悩まされながら、マァムに恐怖の籠もった視線を向ける。自分の行った行動全てが裏目に出ているように感じてしまい、彼の心はさらに追い詰められていく。そのため、マァムの身体をうっすらと覆う膜のような光に気づくことはなかった。

 

「手を包んだ程度で戦闘力が鈍ると本気で思っていたのかしら? だとしたら、頭が良い割にあなたの想定は甘すぎるわね……これが、あなたが笑っていた人間の力よ!」

 

見る者によっては恐怖すら感じるほど、強い眼差しでザムザを睨み付ける。その視線に怖じ気づき、ザムザの脚は自然と一歩下がった。それを見たマァムはわざと大きく間合いを詰めていく。

 

「くっ、来るなああっっ!!」

 

無造作に近寄ってくるマァムの姿に生物の持つ根源的な恐怖を感じ、彼女を追い払うように左手を振るった。攻撃の意志など何も感じられない反射的なその動きは、今この場面では致命傷でしかなかった。

 

「これでっ!!」

 

迫り来るザムザの腕を目掛けて、マァムは再び両手で連撃を繰り出した。今度は先の一撃よりも強烈な威力を持ち、さらに彼女の手は闘気の光に包まれていた。

 

「ひっ! ガ、グアアアアアアアッ!!」

 

放たれた攻撃は僅かな間を置いてから、ザムザの左腕はズタズタになっていった。内側からの強い衝撃によって腕に幾筋もの亀裂が走り、そこから闘気が水蒸気のように吹き出して破壊してく。超魔生物の強力な再生能力を持ってしても、その傷は容易には治らないだろう。

 

そして、想定外の副次的効果ではあるが、拳と闘気による強烈な衝撃と熱に耐えきれず、マァムの手を覆う粘液が砕け散った。

 

 




嗚呼……今回でザムザ倒すまで行くはずだったのに……
(進みが遅くて怖くなって投稿してしまう私)

マァムが使ったのは「あの技」です。チルノさんがパプニカで教えていたアレです。
いくら教えたからって、ここまで使いこなすとか……やはり天才……


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LEVEL:60 狂う計算

「あれってまさか……」

 

両手を固められてなお大暴れするマァムの姿にはこの場の全員が十分に驚かされたのだが、チルノだけはそれ以上に驚くことがあった。それは彼女が手を固められてから使った技である。

 

――オーラキャノンに爆裂拳……いくら教えたとはいえ、もう完全に自分のものにしているなんて……

 

チルノの脳裏に、パプニカでマァムへ技を教えていた時の記憶が蘇る。

両手を重ねて放つ闘気砲に、内部から大ダメージを与える攻撃。そのどちらもチルノがマァムに教えた技だ。本来の歴史の知識より武闘家を目指すことを知っていたため、底上げの意味も込めて予め教えていた。

だが、久しぶりに見たその技はどれもチルノが知っているそれとはまるで別物のようであった。オーラキャノンの方は他の技の練度と比較すれば多少不得手にも見えるが、十分に実戦レベルまで上がっている。爆裂拳については、文句の付けようも無かった。

 

そして、最後に見せたのはチルノも知らない技だ。少し離れた場所から見ていただけなので確約は出来ないが、彼女には内部から破壊しているように見えた。内側から吹き出しているのは闘気だろうかと推測する。

 

「……あっ」

 

そこまで考えて、彼女はある結論に思い当たった。その気付きに、思わず声を漏らしてしまう。マァムが最後に使った技は、言うなればオーラキャノンと爆裂拳の複合技とでも呼べばいいだろうか。相手の体内へ衝撃と共に闘気を流し込み、内側で爆発させる。これならば闘気が噴出するのもおかしくはないだろう。

だが、言うは易く行うは難し。その二つの特性を併せ持つ技を、しかもこの短期間で実戦で使えるほどに昇華させるなど、並大抵のことではないはずだ。

それをこうも見事にやって見せたマァムの才能に、チルノは頼もしさと少しばかりの恐ろしさを感じていた。

 

「ふふふ、マァムの力はキミの目から見てどうかね?」

「えっ!?」

 

思わず息を呑んだ瞬間に声を掛けられ、驚きながらそちらを振り向く。そこにはいつの間に移動してきたのか、ゴーストくんがいた。大きな布を被った者に音も無く隣に並ばれていたという事実に、別の意味で驚かされる。

 

「すごいだろう? 本来の修行に加えて、キミに教わったのだから使いこなしたいと言って来てね。本来の修行だけでも普通の武術家が何年もかかるほど難しいというのに、あれらの技を使いこなす……もはや常人ではあり得ないほどの密度と量を持った修行だったのだけど、彼女はやりきったよ」

 

――そうか、この人がいたのか……なら、ここまでのレベルアップも納得ね……

 

修行の日々に想いを馳せるように、語るような口調でゴーストくんは口にする。その言葉を聞きながら、チルノはマァムが技を完成させた理由に思い当たった。

何しろこのゴーストくん。かぶり物の下に隠されたその正体こそ、武術の神とまで呼ばれたブロキーナである。マァムは覚えた技をブロキーナにも教え、そして二人で研鑽を積んだのだろう。天才と呼んで差し支えない二人の武術家が協力すれば、技の完成度を高めることも、そこから発展させた新しい技を生み出すことも、不可能ではあるまい。

 

「技の完成については多少の手伝いもしたけどね……ああ、安心したまえ。あれらの技は教えることも、不用意に誰かに見せることも絶対にしないと約束しよう」

 

そんなチルノの考えを肯定するかのように、ブロキーナはそう言ってきた。元々、彼が編み出した技ではないのだから、無許可で他人に教えず、むやみに広めない。という意味の約束であり、彼の人格が垣間見えるような言葉だった。

 

――とはいえ『人に教えない』『不用意に誰かに見せない』という言い方をしているあたり、裏を返せば『必要があれば躊躇いなく使う』という少々ズルい約束でもあるのだが。

 

「まあ、最初の二つはともかく……聖拳爆撃(せいけんばくげき)には苦労させられたよ」

「せいけ……? なんですかそれ?」

「おや、知らなかったのか……ああ、すまないね。そういえばアレはマァムが考えた技だったか」

 

突如言われた聞き覚えのない名前に、チルノは疑問符を浮かべる。その様子からブロキーナは彼女がなぜそのような反応を取ったのかを察した。

 

「彼女が最後に使った――相手の左腕を破壊した技、あれこそが聖拳爆撃(せいけんばくげき)だよ。キミから教わった二つの技を組み合わせた、いいとこ取りの技さ」

「そんな技を、いつの間に……」

 

ブロキーナの言葉を聞きながら、チルノは自分の予想が合っていたことを悟る。だが今度はいつそんな技を考えたのかと疑問に思った。

 

それはこの世界において、マァムがミストバーンと戦った際に切り札として使おうとした技だった。あの頃の彼女はまだ決定的な戦闘能力を有しておらず、ミストバーンを相手にまともにダメージを与えられなかった。

そのとき彼女が閃いたのが、二つの技を組み合わせることだった。とはいえその時は結局、技を使うことなく戦闘は終了してしまった。だが彼女はその時の無念から、こうして一つの技として昇華させるにまで至った。

 

「しかし、普段はここまで暴れるような子ではないのだが、今日はやけに張り切っているようだ……キミが後ろで見ているのが原因かな? ほら、見たまえ」

「あれって……まさか!」

「気づいたかな? あれもキミから教わった呪文の使い方だと言っていたね。熟達した僧侶ならば、同じ発想をする者もいるが……あんな使い方をするとは……」

 

続いてマァムの身体をうっすらと覆う呪文の光を指し示す。そこに張られているのは、回復呪文の膜。全身に張り巡らされたそれは、絶えずマァムの肉体を癒やしている。

 

これもまた、チルノが教えたリジェネの魔法を、彼女が自分なりにアレンジした呪文であった。一度に大量に回復させるのではなく、その回復量を分割して少しずつ回復させるようにしている。

後の世では"リホイミ"などと呼ばれる高等呪文である。

 

この呪文を使い、ザムザの放った猛毒の息をマァムは耐えていた。毒によって肉体を蝕まれる端から呪文によって回復すれば、実情を知らぬ相手からすれば無効化しているように見えるだろう。

 

「とあれ、このままマァムに任せても問題はなさそうだが――やはり、シメは勇者が行うべきではないかな?」

 

だが実際のところ、回復量よりも毒による減衰の方が強かった。マァムは表情に出すことなく上手く隠しているためザムザが気づいた様子はないが、ブロキーナの目はごまかせない。

自慢の弟子が大暴れしている内に倒してしまうかもしれないが、師としてはできるだけそんな無茶はさせたくはない。

ブロキーナはダイに向けて誘うようにそう言うと、ダイはようやく身体を起こした。

 

「ダイ? もう平気なの?」

「あ、うん……ありがと姉ちゃん、もうすっかり良くなったみたいだ!」

 

淀みなく起き上がった弟の姿にチルノは魔法を止め、本当に大丈夫なのか問いただす。

するとダイは、ほんの少しだけバツの悪そうな顔を見せたが、すぐに身体を動かして何の影響もないアピールをダイは始めた。解毒はチルノとブロキーナが会話をしている途中で完了していたのだが、姉の膝枕が心地よく、またマァムが優勢だったこともあってもう少しだけ甘えていたいという欲が出ていた。

それを自覚しているため、ダイは話題を逸らすようにさらに口を開く。

 

「それにマァムがあそこまで戦っているのに、おれだけ休んだままでなんていられないよ! チウも言ってたでしょ? 自分にできることをちゃんとしろって」

「わかったわ。それじゃあ……」

 

ダイの言葉を「ザムザに苦渋を舐めさせられたままではいられない」という強い気持ちからによるものだとチルノは判断し、だが同じ轍は踏ませまいと、とあるとびっきりの魔法を唱える。

 

「【レジスト】」

 

チルノの言葉に応じて無数の泡沫が一瞬だけ浮かび上がり、そのままダイの身体を包み混むようにして煙のように消えていった。それは一秒にも満たない幻想的な光景。

 

「今のって何……?」

「おまじないみたいなもの、かな? ダイがもう一度毒に負けないように」

 

何が起きたのか分からず困惑する弟に向けて、姉は優しい笑みを浮かべてそう説明する。

レジストの魔法は、発動時の対象の状態をデフォルト状態として固定する効果を持つ。つまり、解毒が完了した今のダイであれば、ザムザが再び毒を使おうともそれが効果を及ぼすことはない。それどころか、何かダイの肉体に影響を及ぼそうとしても、その全てが徒労となるのだ。

チルノ自身が言ったように、毒に負ける事は無くなったと言って良いだろう。

 

こうしてみればとても便利な魔法のように思えるが、いくつか問題もある。

まず、負の影響を受けない代わりに、正の影響――スクルトなどに代表される支援呪文効果――も同時に無力化してしまうのだ。もっともこれは、支援呪文を唱えた後でレジストの魔法を使えば解決する問題ではあるのだが。

もう一つの問題は、単純に消費魔力量が多いということだ。下手な攻撃魔法の倍以上は消費するのだから、おいそれと使うわけにもいかない。現にチルノの魔法力は今ので随分と削れていた。

 

「ありがと、姉ちゃん! それじゃあ、行ってくるよ!」

 

だがそんなことを知らぬダイは、姉の言葉に単純に喜び、すぐさまマァムと共にザムザと戦おうと動く。だがそれをチルノの言葉が止めた。

 

「あら? もちろん私も行くつもりなんだけど」

「えっ!?」

生体牢獄(バイオプリズン)はもう壊れちゃったし、それに私もできることがまだ残っているから、ね?」

 

その言葉にダイは何も言い返すことはなかった。

チルノへ対して了承の意味を込めて強く頷くと、すぐさまザムザへ向けて駆けだして行く。その後ろをチルノも少し遅れながら追っていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「グオオオッ!! オレの腕がっ! オレの肉体がっ!! こんな、こんなはずはっ!! 実験動物(モルモット)ごときが! ゴミ同然の……!?」

 

超魔生物の特性は強く、聖拳爆裂によって砕けた腕であっても再生を始めている。だが受けたダメージは彼の想像以上に大きく、自己再生能力を持ってしても完治には相当な時間が掛かりそうだ。そして閃華裂光拳で受けた傷は、未だ治ることなくザムザを苦しめている。

信じられぬ現実を否定するように騒ぎ立て、そしてザムザは自ら口にした言葉によって忌まわしき記憶を呼び起こしていた。

 

――父上……!!

 

かつてザムザは、実子であるザボエラから「お前は道具でしかない」と告げられていた。いや、彼だけではない。ザボエラからしてみれば、この世の全ては己が出世のための道具でしかなかった。そのため、実の子に対してすら「自分の役に立たない道具はゴミ以外の何でもない」とまで言い切った。

その言葉を聞いたのは、ザムザがまだ若かりし時分の頃。我が子を物としか見ない父親の姿は彼に強いトラウマを植え付けることとなる。

 

「違う! 違うぞ!! 超魔生物を生み出したこの頭脳!! 自らを実験体としてまで得たこの力!! オレはゴミなんかじゃない!! こんな、こんなことがあってたまるかぁぁっ!!」

 

超魔生物というとてつもない研究成果を上げながら、たった一人の人間に敗れようとしている。一度は封じる手段を思いついたものの、それすらも容易に突破された。

その事実は彼の価値観からすれば、自分が役に立たないと宣言されているに等しく、自らの負ったトラウマと相まってザムザを苦しめる。

 

「ザムザ……? あなた、一体どうしたの!?」

 

自分はゴミなのではないか? 心中に浮かんでしまった考えを必死で否定しようと、ザムザは全てを否定するように頭を抱える。

その様子は異様であり、戦っていたマァムですら思わず心配してしまうほどだ。

 

「うるさいっ! だまれ!! 貴様が、貴様が悪いのだっ!! 貴様さえいなければ!!」

 

だがその気遣いの言葉も、今の彼には耳障りな雑音にしか聞こえない。全ての責任をマァムへと押しつけ、それを排除することで精神の安寧を図ろうと再び彼女へと残った手を伸ばした。

 

「紋章閃!」

「ガアッ!? こ、この技は……!!」

 

襲いかかるべく動き出したところを、飛んできた竜闘気(ドラゴニックオーラ)の一撃によって邪魔され、脚を止める。

 

「マァム!」

「ごめんね、待たせちゃった? ダイの解毒が難しくって……」

「ううん、平気。チルノが教えてくれた必殺技もあったからね。あれのおかげで、戦い続けることができたわ」

 

遅れてやってきたダイとチルノが、マァムの元へと合流する。

勇者とその仲間たちが揃って自分へと挑もうとするその光景には、さしものザムザも無意識のうちに冷や汗を流し出していた。

 

――こ、このままではっ!! どうする!? 口惜しいが、逃げるしかないのか!?

 

明らかな劣勢――というよりもはや敗色は濃厚だ。思わず半歩ほど後ずさり、トラウマと死の恐怖との板挟みで動くことを忘れたように立ち尽くし、逃走と戦闘とを秤に掛けていた。

 

「それに、私一人だけだったらこのままだとコイツを逃がしていたかもしれないから。ルーラの呪文でも使われたら、悔しいけれど私には止める手段がないもの……」

 

仲間が増えたことで多少気が緩んだのだろう。マァムは不安に思いつつもそれまで口に出さずにいた言葉を吐き出した。しかし彼女のそんな言葉を、チルノは否定する。

 

「大丈夫よ。超魔生物は変身すると呪文が使えなくなるから」

「「ええ……っ!!!」」

「なっ……貴様なぜそれを……!?」

 

その場の誰もが知らなかった事実を平然と口にしたことに、ザムザだけでなくダイたちもが驚いてチルノを見つめる。

 

「自分で完成率は九割ほどって言っていたことでしょう? それに、あなたは妖魔士団のくせに、変身してから一度も呪文を使っていない――変身前は使っていたのに。それはどうしてか? そう考えればつじつまは合う……だけどまさか、敵が自分から答え合わせをしてくれるとは思わなかったわ」

 

本来の歴史から知っている超魔生物の弱点であったが、それを伏せて尤もらしい理由を彼女は口にする。だがそれはある程度の説得力を持っており、彼女の言葉に全員が低く唸る。

 

「ともあれ、ルーラで逃げるには魔族の姿に戻る必要がある。でも超魔生物の状態でも苦戦しているのに元に戻ればどうなるか……」

 

いわば、敵を逃がすかどうかの瀬戸際なのだ。彼女の言葉でそれを理解し、全員の緊張感が高まった。

 

 

 

「王様! 持って参りました!!」

「おお、でかしたぞ!!」

 

ロモス王シナナは、ようやく戻ってきた兵士たちの姿に心の底から喜んでいた。彼ら兵士たちにとあるもの(・・・・・)を大至急持ってくるよう言付けたが、闘技場からは少々遠く、戦いの流れによっては間に合わずに終わってしまうのではないかと心配だった。

だが兵士たちは、どうやら王の期待に応えるべく全力を尽くしたようだ。"それ"を運んできた兵士たちの顔には疲労の色が見える。

 

「見つけるのに難儀しました。ですが、なんとか間に合いましたかな?」

 

しかし疲れはあっても、彼らの顔にはそれ以上に名誉だという表情に満ちていた。それも無理もないだろう。この任務の内容を知れば、ロモスの兵士ならば誰しもが我先にと挙手をするに違いあるまい。

兵士達は闘技台へと視線を走らせ、その様子から自分たちがなんとか遅れずに済んだことを推察する。

 

「うむ、十分だ。すまぬが、それをダイのところへ届けられるか?」

「はっ! わかりました!」

 

王たちは闘技場の外に近い、比較的安全な場所にいる。そこにいる彼らがダイのところへ届に行くということは、この場で最も危険な区域に近づくことになる。しかしそんなことは彼らとて分かっていた。兵士たちは意気揚々と豪華な剣(・・・・)を手にし、他の者は護衛のように寄り添ってダイへと向けて駆け寄っていく。

 

「勇者殿!」

「えっ!?」

 

兵士達の叫び声に、ダイはそちらの方を向く。ダイの目には、遠くから駆け寄ってくる兵士たちの姿があった。

 

「来ちゃダメだ! 離れて!!」

「そういうわけにも行きません! これを受け取ってくだされ!」

 

ダメージを負っているとはいえ、敵はまだ健在なのだ。下手に巻き込むわけにもいかず、ダイは大声で離れるように叫んだ。しかし彼らにも使命がある。口で言っても離れないことを察したダイはすぐにそちらに向けて走り寄る。

だがその大きな声は、チルノ達はもちろんザムザの耳にも届く。ザムザの瞳が兵士の方を見る。その瞳はちょうど良い獲物を見つけたように輝いていた。

 

「……マァム!」

「ええ!」

 

考えることは皆同じだった。相手が兵士たちを狙うというのならば、彼女たちはそれを防ぐだけだ。一言にしか満たない短いやりとりを経て、誰よりも早くマァムが動き、そしてチルノが続いて魔法を完成させる。

 

「もう出し惜しみは無しよ……【トルネド】!!」

「こ、これは!? うおおおっ!?」

 

彼女の放った魔力に導かれて、大気が暴れ出した。

トルネドは竜巻を発生させ、相手を攻撃する魔法だ。瞬く間に空気が渦を巻き、強烈な竜巻となってザムザの自由を奪う。動くことはおろか呼吸すら満足に出来ないほど圧倒的な風の暴力に抗う事は出来なかった。水中で溺れた時のように手を動かし、どうにか脱出しようとするがその全てが無駄な努力となる。

風に揺さぶられ、ところどころは真空となっているため肌を傷つけるが、超魔生物には大したダメージとはならない。しかし足止めという意味では、この上なく役割を果たしていた。

 

ザムザが竜巻に足を取られているその隙に、ダイは兵士たちとの合流を果たしていた。

 

「さあ、これを!」

「これは……?」

「ダイ!! 遠慮はいらぬ! その剣を使うのだ!!」

 

詳しい説明はせずとも見れば分かると言わんばかりにダイへ剣を差し出す。続いてシナナ王の大声が辺りに聞こえ、ダイはその言葉に従って彼らが命からがら運んできた剣を手に取り確認するように掲げる。

 

「この剣……まさか!!」

「それこそ"覇者の冠"と同じく我が国に伝わる"覇者の剣"じゃ!! 約束通り、今こそ渡そう!!」

「これが!?」

 

手にした剣が求めていた物だと知らされ、驚きつつもその剣の感触を確かめるようにダイは柄を二度、三度と握りしめ直す。

 

 

 

「ヒ、ヒヒヒヒ……」

 

すでに竜巻は静まり、ザムザは自由を取り戻していた。所詮は魔法の力で強引に生み出されたものだ。長時間に渡って発生し続けられるわけもなかった。

動けるようになった彼はダイの様子を確認してこっそりとほくそ笑む。ダイが手にした覇者の剣が精巧に作られた偽物だとザムザは知っていた。なにしろ彼は、過去に一度宝物庫に忍び込んで直接確認したのだから間違いはない。そこで見た剣は、オリハルコン製ではなかった。

偽物の剣では、(ドラゴン)の騎士たるダイのパワーに耐えられず砕け散るだろう。威力も本来の物と比べれば大きく減衰するはずだ。だがダイはそうとは知らず、剣を手にして襲いかかってくることだろう。その瞬間こそが狙い目であると確信していた。

劣った一撃ならば、いくら弱っているとはいえ超魔生物の肉体で耐えられるはず。

 

――そこで、再びあの毒を使えば……

 

一度はダイを行動不能に陥れた猛毒だ。なまじ実績があっただけに、彼はそれに絶対の自信を持っていた。そう易々と解毒が出来るわけも無く、動きは止めらるはず。その後は、動けなくなったダイを人質として、逃げることもチルノ達の命を奪う事も出来るのだ。

逆転の可能性を見いだし、自然と笑いがこぼれ落ちる。

 

「あら、私を忘れて貰っちゃ困るわね……せえぃっ!!」

 

勝機を見いだしたことで弛緩した心に、マァムの声が冷たく突き刺さった。瞬時に冷静さを取り戻そうとするザムザであったが、それを待つ馬鹿はいない。マァムはしゃがみ込むほどに姿勢を低くすると、回転しながら思い切り脚を払う――いわゆる水面蹴りを放つ。

巨躯を誇る今のザムザであっても、重心の配分を上手く見抜いて放たれたそれを止めることはできなかった。常人が喰らえば骨折しかねないほど強烈な足払いを受けて体勢を崩す。

 

「今だっ!!」

 

バランスを崩したザムザの姿を好機と見て、剣を逆手に構えてダイが突撃する。額には既に(ドラゴン)の紋章が煌々と輝き、その身に纏う竜闘気(ドラゴニックオーラ)は出し惜しみなしの全力全開。加えて放とうとするのはアバンストラッシュという出し惜しみ無しの一撃だ。

ライデインの力も上乗せできればさらなる威力が期待できたのだが、攻撃タイミングを考慮すると呪文を発動するほどの時間的余裕がなく、諦める他なかった。

 

接近するダイに対抗するかのように、ザムザはこっそりと毒の息を吐き出して自身の周囲に蔓延させる。目に見えないそれはザムザに接近すれば否応なく吸い込むことなるだろう。加えてダメージを少しでも減らすために、防御体勢を取って待ち構える。

あとは獲物が罠の中に飛び込でくるのを待つだけだ。

 

「うおおおおおっ!!」

「ガハハハ、馬鹿めッ!! その剣は……!?」

 

毒の範囲内に入った瞬間、ザムザは歓喜の声を上げた。毒の影響を受けて弱まり、しかも手にしているのは偽物の剣である。それらの事実を突き付け嘲笑してやろうとしたところで、その言葉が止まる。

 

――まさか……本物の(・・・)覇者の剣……? そ、そんなはずは……

 

ダイが手にする剣は、ザムザがかつて見たものとはまるで違う。冷たくも美しい輝きを放っている。それは、金属の照り返しを見ただけで誰もが「これは別格だ」と口を揃えて言わんばかりのものだった。

 

「くらえええぇっ!! アバンストラッシュ!!」

 

驚き、戸惑い、混乱するザムザへ向けて、ダイはアバンストラッシュを放つ。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を爆発させて放たれたその一撃は、凄まじい威力を誇りザムザの肉体を真一文字に容易く切り裂いていた。

 

「ウオオオオオッッ!! ……そんな、こんなはずは……」

 

攻撃はザムザの心臓部にまで達し、血を吐きながら激痛の悲鳴を上げる。けれど、ザムザが声を上げたのはそんな理由ではない。

確かにダイは毒の範囲内で呼吸をしたはずなのに、その影響を受けた様子は微塵もない。強すぎる攻撃力と剣が砕けないことから、覇者の剣は本物なのではないかという疑念も加わり、混乱の度合いはさらに拍車が掛かる。

 

自分は一体どこで計算を間違えたのか。それを考えながら、ザムザは力尽き地に倒れた。

 

 




ちょっと前に王様が兵士たちに依頼していましたね。あれは「覇者の剣を持ってきて」ということです。ピンチの勇者に伝説の剣を渡せたらカッコいいですよね。
そこまで考えていたものの「はてどう渡そう?」と疑問に。
観客席から投げる? え、ロモスの秘宝を自国の兵士が投げるの? そんな罰当たりなことはしないよなぁ……という思考で、直接デリバリーになってしまう。

・"聖拳爆撃"
DQ10の格闘スキルより拝借。名前が無いと不便だったので。
本来(ゲーム中)の表記は"せいけん爆撃"(正拳突きの上位技)なのですが、オーラキャノン(聖属性)と絡めて、聖拳の表記にしてしまう私……

多分、もう出番のない技。


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LEVEL:61 覇者の剣

ダイの大冒険の旧テレビ版全話に加えて、劇場版も全部収録したブルーレイ……
欲しい……約5万か……でも欲しい……でも5万は……
(エンドレス悩み)



「勝ったわ……」

「や、やった! やったぞ! 勇者の勝ちだ!!」

 

ダイの一撃に、マァムや他の見ていた者達が歓喜の声を上げる。それだけ見事な一撃であった。覇者の剣によって肉体を切り裂かれ、大量の鮮血を吹き出しながら地面に倒れたその姿は、誰がどう見ても決着がついていた。

それが理解できるからこそ、周囲の人間達はポツリポツリと勝利を確信した声を上げ、その声は次第に全員の口からあふれ出ていた。

 

「ダイ……やったか……!!」

 

遠巻きに見ていたロモス王でさえ、勝利を疑うことはなかった。護衛の兵士を伴って闘技台へと歩み寄っていく。

最後の一撃を決めたダイ本人も同じ気持ちだ。オリハルコン製の武器の切れ味と(ドラゴン)の騎士の力とアバンの技。それらが合わさった今までで最高の一撃だったのだ。これで勝利を確信しない方がおかしいだろう。

 

「な……なぜだ……どうして……?」

 

勝利に沸き立つ人間たちとは対照的に、ザムザは自身の敗北を受け入れられずにいた。肉体はダイの渾身の一撃を受けたことで悲鳴を上げ続け、変身に必要となる核を破壊されたことでもはや超魔生物の姿を維持することもできない。魔族の姿へと強制的に戻され、ダメージが還元されたのかその肉体は大部分が黒く炭化したようになっていた。

 

誰が見ても負け。しかしそれだけの姿になってなお、ザムザは敗北を受け入れられなかった。最強であるはずの超魔生物の肉体を得た。(ドラゴン)の騎士を行動不能にするはずの毒を生み出し、ダイに浴びせた。覇者の剣は偽物だと、宝物庫の中(・・・・・)で自ら確認した。

 

「なぜ負けたのだ……!?」

 

勝てはせずとも、負ける要因はなかったはずだ。この場を切り抜けることは出来たはず。だが現実はザムザの計算の全てを裏切り、敗北という結果を齎した。怨嗟の声が自然と口から漏れ出て、それはロモス王シナナの耳にも届いた。

 

「ザムザ殿……」

 

地に横たわるザムザへシナナは労るようなトーンで声を掛ける。それを聞き、ザムザは視線を少し動かすと口を開く。

 

「お人好しの王様か……お前を騙していたオレを、笑いにでも来たのか……?」

「いや、そのようなことはせんよ。それに、そなたは覇者の剣が偽物だと知っており、なぜダイが本物の覇者の剣を持っていたのか。それを疑問に思っておったようじゃからな」

 

つい先ほどの戦闘中にも、ザムザはダイが手にした覇者の剣が偽物だ知っていたような発言をしていた。ならばシナナでなくとも、その程度の推測は容易いことだ。

しかし、ならばどうしてダイが本物の覇者の剣を手にすることが出来たのか。その問題を解けるのはシナナしかいない。

 

「そなたが見た覇者の剣は、宝物庫にあったものであろう? あそこに置いてあるのは、精巧に作った偽物じゃよ」

「な……に……!?」

「本物は別の場所に保管しておき、宝物庫には偽物を置いておく。普通に考えれば、剣は宝物庫にあると判断する。じゃがそこにあるのは偽物の覇者の剣じゃ。偽物を後生大事に警備するはずがない。となれば本物は失われ、ロモスの王はそれに気づかぬまま。ワシを見た者ならばそう推測するじゃろうな」

 

覇者の剣の偽物を用意しておき、如何にも大事な物を扱っている場所へダミーとしてそれを置いておく。仮に覇者の剣を狙った賊が偽物を見つけた場合、本物の覇者の剣はどこか別の場所に隠してあると思うだろう。

――その相手が切れ者と評される王であれば。

だがシナナの人柄を多少なりとも知った者であれば、善き王とは思っても切れ者という印象は抱きにくい。そのため、偽物にすり替えられたことにも気づかぬままと思い込んでしまう。自身がどう思われるかを計算に入れての防衛策である。

その効果の程は、ザムザが見事に引っかかったことからも明らかだろう。人が良いだけでは一国の王は務まらぬということか。自身の策が的中したことで、少しだけ得意げな表情を見せながらシナナはさらに続ける。

 

「なにしろアレはダイに渡すことを約束した大事な剣、万が一にも奪われる訳にもいかんからな。それに、とある人物から注意を受けたこともあってのぉ……急遽、そのように対策したのじゃよ」

 

とある人物(・・・・・)と言いながら、シナナの視線は一度だけチルノへと向けられた。彼女がロモスからパプニカへと船で移動していた際、下船したときに船長を通じてシナナへと宛てられた伝言。それを受けての行動だった。

 

「なるほど、そういうことか……」

 

シナナのその視線の意味を理解出来ぬザムザではない。詳しい理由は分からずとも、何かしらの注意をしたのだろうと推測し、またしてもこの小娘にしてやられたのだと思う。

 

「ヒヒヒッ……覇者の剣が偽物だった理由はわかった。だが、何故それをオレに言う? せめてもの意趣返しのつもりか?」

「いや、そのようなことは考えておらんよ」

 

なぜ偽物が本物の覇者の剣となったのか、その理由は分かった。だがそれを何故自分に教えたのかが理解できず、ザムザは憎まれ口のような言い方で尋ねる。偏屈な物言いだったが、これがザムザにしてみれば当たり前と思う理由なのだ。

だがそんな彼の予想を裏切るように、シナナは静かに首を横に振った。

 

「ザムザ殿、ワシらは確かに騙されておった。それは事実じゃ。じゃが、そなたのおかげでロモスの復興がとても早く進んだことも、また事実じゃよ。たとえそれが、ワシらからの信用を得るための手段でしかなかったとしてもな……」

 

ザムザに取ってみれば、自身を信用させて武術大会を開催させるに足るだけの信用を得ること。そして宝物庫に近づける程度の信頼を得ること。そのための手段でしかなかった行為に過ぎなくとも、シナナにして見れば違う。

彼からしてすれば、ふらりと現れて、ロモスの為に尽力してくれた恩人である。チルノの「身元の確認できない人間は信用しすぎるな」という注意の言葉を受けてなお、ザムザのことを信じたいと思ってしまうほど。

 

「怪傑おおねずみじゃったか? 彼の言葉を借りれば、あの時のそなたは自分に出来ることを一生懸命にやってくれたとのだと思っておる。そなたの知恵や見識、それらに基づいた指示があったからこそ、ロモスの民は飢えや寒さ、怪物(モンスター)の被害に苦しむことなく暮らすことができたのだと、信じておる。そんなそなただからこそ、なぜじゃろうな……ワシも、この秘密を話しておきたくなったのじゃ」

 

もしもザムザがいなければ、ここまで見事にロモスが復興できただろうか。傷跡の残る国を立て直すことができただろうか。魔の森に住む怪物(モンスター)たちに苦しめられなかっただろうか。

 

「これから言うことは、一国の王としては失格、許されることではないのじゃろう。じゃがワシは、あえてそなたにこう言おう。今までありがとう、とな」

 

シナナの言葉を聞き、兵士達すら言葉を失っていた。

彼らもまた、ザムザの手腕に直接的・間接的に助けられた者達だった。ザムザが薬草の効率的な治療法を教えたおかげで、深い傷を受けて命を救われた同僚がいる。怪物(モンスター)の弱点や苦手な物を事前に教えられたおかげで、窮地を乗り越える事が出来た仲間がいる。復興が早く進んだからこそ、家族に苦しい想いをさせることなく済んだ。

 

「そう、かもしれない……お前は魔族で、オレたちを騙していた。でも、今日までのことで助けられたのも嘘じゃない……」

 

一人の兵士がそう口にしたのをきっかけに、皆が言葉少なくとも感謝を口にし始めた。皆が皆、納得しているわけではないのだろう。それでも、言わずにはいられなかった。

 

「馬鹿な奴らだ……オレは人間のことなど、なんとも思っていないというのに……」

 

そんなロモス兵達の様子を見ながら、けれどもザムザは何の痛痒も感じることはないとばかりにそう言ってのけた。瞳の端から一筋の雫を零れさせながら。

 

「涙……?」

 

誰かがそう呟く。魔族であるはずのザムザの目から溢れ出た、人間を実験材料としかみていなかったはずの男の涙に誰もが驚きを禁じ得ない。

 

「そういえばザムザ、あなたは自分はゴミじゃないって言っていた……もしかして……」

「多分……その涙が答えなんじゃないかしら……?」

 

戦闘中、ザムザが突然狂ったように暴れ、自分はゴミでは無いと否定していた。マァムはその時の様子を思いだし、何か関係があるのではないかと呟く。そしてその言葉を、チルノは間違いないとばかりに肯定する。

 

「姉ちゃん!?」

「チルノ、どうしたんじゃその姿は!?」

 

ダイたち前衛組からやや遅れて、チルノもザムザの前へと辿り着く。だが今の彼女は苦しそうな表情を浮かべ、ロモス兵の一人に肩を借りて歩いている。そんな姿を見れば、ダイでなくとも心配する。

 

「少しだけ、魔法力を使いすぎたみたいで……それよりも、ザムザのことよ」

 

エスナの連続使用で毒を打ち消し、レジストの魔法で防毒対策を施し、トルネドの魔法で竜巻を起こして見せた。短期間に連続してこれだけの魔法を使えば、息切れの一つも起こすというものだ。

けれど彼女は、何でも無いとばかりに手を振って見せ、ザムザへの言葉を続ける。

 

「ザムザの父親は、あのザボエラよ。アイツなら、実の息子であっても道具としてしか見ていなくても、役に立たなければゴミでしかないと言われていても、不思議じゃない。もしも、実の親からそんな扱いを受けていたら……」

 

それは、彼女が知る本来の歴史の知識から推察した言葉。だがチルノは、それが間違いではないと確信していた。父親に認められたいという承認欲求を持つザムザにとって、シナナとロモス兵達からの言葉は、ザボエラからのそれに代わるものとして彼の心にきっと届いたのだろうと。

特にシナナ王とは――魔族と人間という種族差のため、実年齢こそザムザの方が上であるが――親子の関係に近い。そのシナナからの言葉であれば、なおさらだろう。実の父親からずっと言われたかった言葉を耳にして、涙を流してもおかしくは無い。

 

「ヒヒヒ、察しがいいな……ああそうさ。俺は、父ザボエラからはっきりと言われたよ。お前は道具だ、だから自分の役に立つ道具でいろ。でなければゴミでしかないとな……」

「なんと!! ザムザ殿、そのような者が親であろうはずもない!! 今からでも遅くはない、今日の遺恨はすべて水に流し、生まれ変わったつもりでワシらと共に歩もうではないか!!」

「いいや、もう遅いさ……」

 

ザムザがチルノの言葉を肯定したことを聞くと、シナナは血相を変えてそう語りかける。まるで我が子の事のように心配している姿に、ザムザの口から自然と「もう遅い」という柔らかな言葉が流れ出ていた。

それはきっと、ほんの少しであっても心を許した証拠なのだろう。それと時を同じくして、彼の発した「もう遅い」という言葉の示す通り、ザムザの肉体は少しずつ崩れていく。

 

「これは……!!」

「これが理由さ。超魔生物となった者は、死体すら残らず黒き灰となって散る定め……だが!!」

 

崩れゆく肉体に驚くシナナたち。しかしザムザはそれも当然だと言わんばかりに、残った最後の力を振り絞って身体を動かし、額の飾りを強引に毟り取る。

 

「いけない……ッ!!」

 

ザムザが何をしようとしているのか、すんでの所で思い出したチルノであったが、魔力不足で疲弊した身体では反応が鈍かった。手を伸ばし、なんとか止めようとするよりも早くザムザは次の行動に移る。

 

「死ぬ前に、これを!! ……届け! 我が父の下へっ!!」

 

そう叫びながら額当てを力いっぱい放り投げる。投げると同時に転送の呪文を使ったのだろう。手で投げたとは思えないほどの速度と飛距離で、瞬く間に空へと消えていった。

 

「今のは……?」

「あの中にはオレの知識の全てが詰まっている。超魔生物の研究の成果もな。それを、我が父に送ったのだ……あれさえあれば、残りの研究は妖魔士団が引き継いで完成してくれる……」

「なんと……ザムザ殿! 失礼だが、先の話を聞く限り、そのようなことをしても……」

 

どこか満足そうにそう呟くザムザの言葉に、シナナは言いにくそうに口を開いた。けれどもザムザはその言葉を全て聞かずとも理解したように、口を開く。

 

「わかっているさ、そんなこと……あの父は自分以外の者すべてを道具としか見ていない。オレが死んでも、涙一つ流さないだろう……だが、あんな父でもオレの父であることに変わりはない……」

「そんな……!!」

 

全てを知った上で、報われぬと理解していながら、最後の行動を取る。その悲壮な想いに、傍らで聞いていたマァムはやり切れない気持ちを吐き出した。

 

「キヒヒヒ……小娘、どうやら貴様には散々してやられたようだが、このオレの最後の行動までは読めなかったようだな……」

 

まるで当てつけるかのように言うザムザの行動を見て、チルノはある仮説を思い浮かべる。

もしかしたらザムザがチルノへ敵意を向けていたのは、ダイとの間に家族の絆を見ており、それに苛ついていたからではないだろうか、というものだ。

 

「そうね……最後のあれは、してやられたわ……」

 

あの時、自分は本当にザムザの最後の行動を止められなかったのだろうか? 本来の歴史という知識を持つ彼女にとって、邪魔することは容易なことだったはず。それなのに出来なかったのは、ザムザが生きた精一杯の証を消したくなかったという気持ちがどこかにあったのではないだろうか。

 

だがどれだけ考えても、全ては詮無きこと。死にゆくザムザに問いただす様なことでも無ければ、改めて確認するようなことでもない。

だから彼女は、少しだけ悔しそうにそう言った。

 

「ク、ククク……」

「ザムザ、どの……」

 

次々と肉体が崩れ落ち、灰が煙のように細かくなって霧散していく。そんな光景に耐えきれず、シナナはザムザの名を呼ばずにはいられなかった。

 

「どうしたお人好しの王様よ? もしかして、オレの冥福でも祈るつもりか?」

「そうじゃ……もしよければ、祈らせてくれ……そして、もしもそなたさえ良ければ、来世では共に……」

「キヒヒヒ……残念だったな。超魔生物となった以上、もはや魂すら朽ち果てるだろう。こんな俺が生まれ変わる可能性など、最初っからないのさ。だから、人間(・・)に生まれ変わることもないんだよ」

 

それを聞いてシナナは言葉を失う。

誰も人間に生まれ変わろうなどとは、一言も口にしていないのだ。それなのにザムザは人間に生まれ変わることを否定して見せた。それはきっと、彼自身が心のどこかでシナナの心に恩義を感じていた証なのだろう。

 

「超魔生物はいつの日か完成し、お前達を倒す……魔族がこの地上を征服する……あの世でその瞬間を見られないことだけが……こころ……の、こ……」

 

ついにはザムザの肉体は全て崩れて灰と化し、空へと溶けるように消えていく。その様子をこの場の誰もが無言で見つめる。その様子はまるで、ザムザへ黙祷をささげているかのようだった。

 

「姉ちゃん……」

「ん……?」

「ザムザを見ていたら……おれ、本当に恵まれていたんだって、そう思えたんだ……」

 

そんな光景の中、ダイはチルノに向けてポツリと呟いた。

 

親代わりのブラスに育てられ、チルノには姉として親として接してもらい、実の親であるバランとも悶着はあれども歩み寄ることができた。これが幸せでなくてなんなのだろうか。

同時に、この幸せを大切にしたい。これ以上壊したくないという決意が彼の中に固まる。

 

「そうね……」

 

チルノはダイの頭をそっと撫でていた。

 

 

 

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「ささ、皆の者! いつまでもしんみりした雰囲気ではおれんぞ!」

「王様……?」

 

つい先ほどまでのしんみりとした雰囲気を吹き飛ばすように、シナナは声を上げる。その変貌ぶりは、周囲の人間が思わず目を疑う程だ。

 

「ワシらはまだ生きておる。ならば、精一杯を生きねばならぬのじゃ! 違うかの?」

 

やり切れぬ想いを抱えているのは、シナナ王も同じであるはず――いや、ひょっとすれば彼の方が大きいかも知れない。にも関わらず、彼はこのように率先して人を導くような態度を見せた。

やはり王として人の上に立つ者である以上、このような能力も必要なのかもしれない。シナナの狙い通り、彼の言葉を聞いた面々は塞ぎ込もうとするような空気を払拭していく。

次第に活動的になっていく者達を後ろに、シナナはダイの下まで出向くと申し訳なさそうな顔をしながら言う。

 

「ダイよ。このような事があっては、いつまた同じ事になるかもしれぬ。覇者の剣はもはやそなたに預けていた方が安全かもしれぬな」

「えっ……?」

 

そう言われて、思わずダイは手にしていた覇者の剣を確認する。そこにはザムザを切り裂いたというのに刃こぼれはおろか、傷一つ付いていない刀身があった。これだけでもオリハルコンという金属がどれほどの強度を誇っているのか嫌と言うほどわかる。

 

「本来ならば明日、大々的に行う予定であったが……また今日の様な事が無いとも限らん。そなたらが立会人じゃ。限定的かつ簡易的ではあるが、この場で授与を行わせてもらうぞ」

「えっ、えっ!?」

 

武術大会の翌日、ダイへの授与式を行うはずであったのだが、もはや悠長なことは言っていられないと判断したのだろう。この場で授与式を行うと言うものの、その展開の早さにダイの頭は追いつかず、混乱したように辺りを見回すばかりだ。

 

「背筋を伸ばしてシャンとしていればいいから……それで構いませんよね、王様?」

「うむ。なぁに、元よりそのつもりだったのじゃから、心配することはないぞ」

 

弟のあまりの様子に見かねて、チルノが助け船を出す。そしてシナナもまた、チルノの言葉に頷いてそれでいいとダイに示した。それを聞いたダイは、素直に従って真摯な態度を見せる。

凄まじい力を持っていても、まだこういった部分では年相応の子供なのだとわかり、決勝進出者の面々は笑いを堪えるのに必死だったが。

シナナは仕切り直しとばかりに「ゴホン!」と一つ咳払いをしてから、朗々とした声で宣言を始めた。

 

「勇者ダイよ。そなたは先のロモス襲撃に続き、此度の闘技場の一件でも活躍を見せた。もはや名実ともに勇者の名を名乗るに相応しいと判断した。よってここに、ロモスの国宝たる覇者の剣を進呈しよう」

「はい! ありがとうございます!!」

「その剣を持って、どうかこの世界に平和を取り戻してくれ」

 

姉の言葉で何をすれば良いか直感的に理解し、少年のような素直さと勇者の如き凜々しさを兼ね備えた表情で返事をする。その様子にシナナは笑顔で頷き、周囲の兵士やゴメスら出場者たちは大いに沸き立った。

 

「ガハハ、伝説の剣を持った伝説の勇者様の誕生ってわけか」

「やったわね、ダイ!」

「うん……」

 

惜しみなく祝福の声が浴びせられるが、当のダイ本人は憂いを帯びた表情を浮かべる。探し求めていたはずのオリハルコン製の武器が手に入ったというのにだ。今の状況に余りにもそぐわない様子に、見かねてチルノが声を掛ける。

 

「どうしたの? 何か不満?」

「姉ちゃん……剣のことなんだけど……その、なんていうか、微妙?」

「「「微妙!?」」」

 

その言葉に、チルノ・マァム・シナナの三人が揃って同じ声を上げた。まさか伝説の剣を持った感想が『微妙』などとは、誰も想像しえなかった言葉だ。

 

「び、微妙って……どんな風に!?」

「まさか、その剣も偽物じゃったのか!?」

 

チルノ、シナナと矢継ぎ早にダイへ問い詰める。その物凄い剣幕にダイは目をパチクリさせながらも答える。

 

「ううん、この剣は本物だと思う。おれの全力の攻撃にも耐えたんだし、オリハルコン製なのは疑いようが無いよ」

「じゃあ、なんで? 何が微妙なの?」

「なんていうのかな……持った感触? 大きさが合わないっていうか、ちゃんと握れていないっていうか……」

 

自分の中で芽生えた違和感を上手く言葉にできないのか、ダイはしどろもどろであった。そんなダイの言い方に、一人の武人が声を上げる。

 

「なるほど、そういうことか」

「バロリア? お前、わかるのか?」

「ああ、当然だとも」

 

その主は武術大会決勝進出者の一人、旋風のごとき剣の使い手と評された騎士バロリアであった。彼はダイの言うことに我が意を得たりとばかりに頷き、ゴメスの質問にも当然だとばかりに口を開く。

 

「答えは簡単、その剣が勇者殿の手に合っていないのだ」

「手に合っていない?」

 

その言葉に何人かは首を捻るが、ある程度の人間――特にチルノは、それだけで何が原因なのかを理解する。

 

「人間は一人一人体格が異なれば、好みも異なる。そして店で売っている剣や鎧は、全ての人間が気に入る作りをしているわけではない。大雑把なサイズを決めてあるだけだ。サイズは大きくても小さくても、装備した者は違和感しか感じないだろう?」

「なるほど、言われてみればそうだな……」

「本来ならば鍛冶師が一人一人に合った物を作れれば最高なのだが、現実問題としてそうもいかない。覇者の剣も、同じ事が当てはまってしまったのだろう」

 

さすがは騎士と言ったところか、量産品と特注品を例に出して説明してみせる。その言葉を聞いてチルノは頷いた。

 

「多分それで正解だと思います。ダイは子供の頃から、握りの大きさや刀身の長さ、重心の位置なんかを細かく調整した物を使っていましたから」

「なんと、子供の頃から特注品とは……」

 

その言葉にバロリアは驚いて唸り声を上げるが、これはダイが特別なだけだ。

チルノの持つ特異な能力のおかげで、ダイが使う武器は常に彼専用に調整されていた。それこそダイの腕の長さ・指の長さ・握りの強さ・感覚的に好む刀身の長さ・重心の位置などなど、数々の情報を熟知しているチルノが作り上げている。

言うなれば常に手に馴染む武器こそが彼の基準であり、今回の覇者の剣のように未調整の武器を振るって戦った経験は殆どなかった。今まではそれが有利に働いていたが、どうやらここに来て足を引っ張ることとなった。

 

「ガハハハ! 伝説の剣を前にして微妙と来たか!! さすがは勇者殿だ、オレたちとは器が違うな!!」

「いやいや、笑い事ではないぞ。手に馴染まなければ、実力を発揮しにくい。極限の戦いになればなるほど、そういった細かな要因が勝敗を左右することになるのだから」

 

笑い飛ばすゴメスであったが、バロリアは至極真っ当な意見を口にする。続いてマァムがバロリアへと尋ねた。

 

「ねぇ、普通の戦士はそう言う場合にどうするの?」

「普通ならば、身体を剣の方に合わせる――つまり、その剣を振るっても違和感が無くなるくらいに、その剣の特徴を徹底的に自分に覚え込ませるのだ」

「なるほどのぉ……じゃが、出来ればダイの納得する物を渡してやりたい。手に合わなければきちんと直して渡してやりたい。そう思うのは、ワシのワガママじゃろうか……?」

 

シナナのその言葉も分からなくは無い。出来るのであれば最高の品物を渡してやりたいという気持ちは、大なり小なり誰にでもあるだろう。だがその気持ちも、今回ばかりは相手が悪すぎる。

 

「姉ちゃん、直せる……?」

 

覇者の剣を手に、不安そうに姉を見つめるダイだったが、チルノはその視線を受けながら首を横に振る。

 

「オリハルコンでしょう……? さすがに無理よ。こればっかりは、ちゃんとした鍛冶屋に頼まないと無理でしょうね」

「でも、オリハルコンを打ち直せるような腕を持った職人でしょう? そんな人がそう簡単に見つかるかしら?」

 

チルノの言葉にマァムが更に続く。

神の金属と呼ばれるオリハルコンは、現存することすら珍しい。ましてやそれを加工出来るほどの腕を持った鍛冶師となれば、果たしてどうやって見つければ良いのやら。どんよりと落ち込んだ気持ちをダイたちは見せる。

 

「伝説の武器を打ち直すには、伝説の職人が必要ということか……」

 

誰かの絶望的な呟きが聞こえてくる。

だがこれも、チルノの知る本来の歴史には該当する人物が一人だけいる。今ここでその人物の情報を言うのは簡単だが、はてさて一体どうやって切り出せばよいだろうか。悩むチルノであったが、助けは意外なところから現れた。

 

「いや、もしかすると可能性はあるかもしれん」

「ええっ!?」

 

それはシナナの声だった。彼の力強い声に、落ち込みかけていた全員の顔がパァッと明るくなる。

 

「偽物の覇者の剣の制作を依頼した鍛冶師……あれならば、もしかするかもしれん」

「それって、一体どこの誰なんですか!?」

 

思いもよらぬ救いの声にダイはシナナへと詰め寄っていき、対するシナナはダイへ向けて正面から向かい合う。

 

「うむ、あれは……誰じゃったかのぉ……」

 

シリアスな顔でそう言い放つと、ダイたち全員ががっくりと肩を落とす。これがコメディであれば、全員がずっこけていたことだろう。

 

「王様~……」

「すまぬすまぬ、すぐに調べさせるから、少々待ってくれたまえ」

 

少々茶目っ気が過ぎたかと謝罪の言葉を口にするシナナであったが、チルノだけは違っていた。真面目な顔で押し黙り、やがて意を決してゆっくりと口を開く。

 

「……ひょっとして、ランカークス村の鍛冶師ですか?」

「ん……? おお、そうじゃ! その名前じゃよ!! そんな名前の村だったはず! 少々田舎の村ではあるが、腕の立つ鍛冶師がいると一部では評判らしくての……」

 

恐る恐る尋ねた名前であったが、どうやら正解だったらしい。シナナは疑問が氷解したとばかりに饒舌となるが、チルノの方はそれを聞いているほどの余裕はなかった。

 

――まさか、こうやって繋がるなんて……

 

心の中でそう天を仰ぐ。

ランカークス村。それは彼女が知る本来の歴史にて、ダイがオリハルコン製の武器を作って貰うために向かった場所である。そこにいたとある鍛冶師(・・・・・・)の力を借りることで、ダイたちは戦力面で更に強化された。

とても頼れる相手のため、どうにかして接触を図れないものかと思っていたところへ、渡りに舟とばかりに情報が飛び込んできた。

 

「――しかし、よく知っておったのぉ」

「え?」

「村の名前じゃよ。各国の主要都市でも無い場所の上、昨晩聞いた話の中にも出てこなかったからの」

「……いえ。ポップの故郷の名前なんです。彼が武器屋の息子だと前に聞いたことがあって、まさかと思って言ってみたのですが」

「おお、ポップか! おしいのぉ、あの子もここにおれば、まるでかつての再現のようじゃったのだが……」

 

ランカークス村という単語が出てくることを不思議に思ったシナナの言葉に、チルノは咄嗟に「昔聞いたことがある」とばかりに言ってみせる。ポップの名を聞いたシナナは、以前のロモス襲撃事件を思い出したように懐かしい目を浮かべて、それ以上追求されることは無かった。

 

「あの、でもいいんですか王様?」

「何がじゃ?」

「覇者の剣のことです。剣が手に合わないのって、おれのワガママなのに……迷惑なんじゃないかなって……」

「なんじゃ、そんなことか」

 

本当に問題ないのかと不安そうに尋ねるダイに向けて、シナナはドンと胸を張って答える。

 

「勿論良いぞ。それが世界平和に繋がるのであれば、何が迷惑なものであろうか」

 

かつての国宝と呼べる物を作り替える、その言葉に何ら躊躇うことなく許可を出すその姿はなんとも心強い物があった。その姿を見たチルノは、恐る恐ると口を挟む。

 

「……では迷惑ついてで、もう一つ良いでしょうか?」

「ほほほ、今度はチルノか? 一体なんじゃ?」

「覇者の剣を打ち直す時に、材料が足りなくなるかもしれません。その時は、私が持っている覇者の冠を提供しても良いでしょうか?」

 

本来の歴史では、覇者の剣はザムザによって偽物とすり替えられており、覇者の冠を剣に打ち直していた。同じような事がこの世界でも起きないとも限らないと考えた彼女は、この時点で覇者の冠にも手を加える許可を取ろうとしていた。

 

「ああ、それについても何も問題はないぞ。以前も言ったかも知れんが、それらはもはやそなた達に渡した物じゃ。追加の素材として使うもよし、いっそチルノ用の武器に作り直すのもよし、遠慮無く使ってくれ」

 

チルノのその言葉にもシナナは躊躇せずに許可を出す。

 

「その代わり、必ずやこの世界を平和へと導いてくれ」

 

だが許可の言葉に続いて、絶対に破ることの許されない約定を口にする。それは今の状況が、世界の危機を救うためだからこそ許されたということでもあった。シナナの言葉にダイとチルノは強く頷く。

 

「はい、もちろんです!」

「ここまでしていただいたのですから、必ず」

 

元より二人とも――いや、この場にいる誰もが同じ気持ちなのだろう。姉弟の言葉にシナナはその言葉を待っていたと言わんばかりに笑顔を浮かべる。

 

「うむ、期待しておるぞ。さて、皆の者も今日は疲れたであろう? 決勝に進出した全員を含めて、王宮へ……」

 

――泊まるとよい。

 

シナナがそう言おうとしたところで、闘技場の外から「わぁっ!!」と大きな歓声が聞こえてきた。続いて聞こえてくるのは、地響きのような音と振動。それが大勢が移動しているから起きているのだと気づくのに数秒の時間を要した。

 

「おお、やっぱりだ!」

「勇者様!!」

「勇者様の勝利を我々にもお祝いさせてください」

「せめて一言、祝いの言葉を!!」

 

そうやって口々にダイたちの勝利を祝う言葉を投げながら、多くの人が集まってきた。それも今見える範囲だけでなく、奥の方を見れば更に人が続いているのが確認できる。

 

「これは……一体どうしたことじゃ?」

「申し訳ありません王様! 避難していた観客たちが、勇者様の勝利をどこからか聞きつけて……我々だけでは止められませんでした」

 

一人の兵士が、精根尽き果てた様子でそう答える。どうやら彼はこの大群衆をなんとか止めようと奮闘していたらしい。とはいえ、彼らがダイの勝利を知ったのは兵士たちのやりとりから推測したものであり、加えて兵士への直談判にきっぱりとした態度で断ることができなかったがために、このような状況になっているのだが。

 

「ふむ、なるほどわかった。後はワシに任せるがよい」

 

兵士の言葉にシナナはそう言うと、良く通る威厳を保った声で告げる。

 

「皆の者! そなたらの考え通り、勇者ダイとその仲間たちは見事勝利した。勇者の勝利に駆けつけてくれたことは誠に喜ばしい!」

「おおっ! 王様!!」

「やはり勇者様たちが勝ったのですね!!」

 

王の言葉に群衆は大喜びでダイを見つめる。一斉に向けられる無数の視線にダイは思わずたじろぎかけた。

 

「しっかりして」

「姉ちゃん、でも……」

「ほら、覇者の剣でも掲げて見せてあげなさいな」

 

こういう場合のよくある姿だと思い、チルノはそう助言すれば、姉の言葉に素直に従いダイは覇者の剣を片手で高々と掲げて見せた。その姿に、民衆たちからは歓喜の声が上がる。

 

「見ての通り、勇者ダイには我が国の宝である覇者の剣を授けた。この剣を持って、ダイは敵を倒したのじゃ……だがそのダイよりも、此度の戦いで活躍した小さな勇者がここにはおる」

「え?」

「へ……?」

 

このままダイの活躍を言うのかと思えば、シナナはその予想を裏切る言い回しを始めた。虚を突かれ、ダイたちは少し間の抜けた声を漏らしてしまう。

 

「それこそがそこにおる、おおねずみ――名を、怪傑おおねずみと言う。彼からは、我々一人一人が持たねばならぬ心構えを改めて教えられた。彼がいなければ、勇者達は負けておったかもしれん!」

「え……ええええっっ!?!?」

 

突如として指名されたことにチウは思わず悲鳴を上げ、目を白黒させてシナナと民衆とを忙しなく見比べる。それは集まった人々も同じだ。布きれを纏った大ねずみが勇者よりも活躍したと言われて素直に「はいそうですか」と信じろというのは無理な話だ。

 

「ああ、間違いないぜ」

「彼がいなければ、我々はきっと全滅していただろうな」

 

だがその流れを後押しする者達がいた。ゴメス達がそう口にすれば、スタングルたちはその通りとばかりに頷く。真面目な表情をしているが、隠しきれず口の端が微かに歪んでいる。

けれど幸運にもその微かな歪みは人々の目には届かず、逆に決勝進出者たちが口を揃えたことでようやく信憑性を増した。

皆が皆、そろってチウを見つめている。

 

「ちょ、ちょっと王様……!?」

「あいにくとダイは今日の戦いで疲れており、また世界の平和のために明日早くロモスを立たねばならぬ。もしもダイの活躍を聞きたければ、彼に聞くとよかろう」

 

その言葉が切っ掛けとなったように、人々はこぞってチウの所へ殺到していく。その隙を狙って、シナナはダイたちを伴って退散する。

 

「いいのかな……?」

「ふぉっふぉっふぉっ、こういうのも英雄の勤めじゃよ。それに、ワシは嘘は言っておらんぞ」

 

確かに嘘は言っていない。チウの言葉が皆を奮い立たせたのは事実である。だがどう考えても、やっかいごとを押しつけたとしか見えない。どうやらロモス王は中々したたかな面もあるようだ。

 

「いいんでしょうか、アレは?」

「うーん……まあ、何事も経験かな?」

 

マァムの言葉にゴーストくん(ブロキーナ)はそう答える。二人の視線の先には、大勢の人々に囲まれて困惑しつつ、少しだけまんざらでもない表情をするチウの姿があった。

 

 




色々と忙しくって……
今回から多分ペースはおそらく戻る……ったらいいなぁ……

・ザムザさん
ロモスのために頑張った結果、王様から気に入られていたようです。ザボエラ相手に全然報われなかった彼ですから、このくらいは良いんじゃないかと。
 
・ダイ君、伝説の剣に文句を言うの図。
なんて贅沢なんだ。でも考えてくださいな。伝説の装備が手に入っても、それが自分にジャストフィットするとは限らない。ゲームで言うなら必要パラメータが足りないって感じでしょうか?
(DQ5で息子勇者のサイズに天空装備が自動調節をしてくれましたがアレは例外で。
 え、ベンガーナで買った騎士の鎧? あれはギャグパートだからいいの!)


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LEVEL:62 世界会議に向けて

「おお、皆の者。よくぞ集まってくれた」

 

ロモス城の一室――主に大勢の人が集まり会議などを行う場所である――へ、ダイたちは集められていた。彼らが入室するなり、ロモス王シナナは歓迎の言葉で出迎える。

 

「食事の味は気に入ってもらえたかな? 本当ならばワシも顔を出したかったのじゃが、色々と準備が忙しくての。一人で先に済ませてしまったんじゃ」

「そんな王様、おれたちこそありがとうございます」

「あんなに美味しい料理に、文句なんてありませんよ」

 

ダイとチルノの言葉にシナナはカラカラと笑う。

 

怪傑おおねずみ――もといチウの献身的な犠牲によって悠々と闘技場から脱出できたダイたちは、シナナの計らいでロモス王城に集められていた。それもダイたちだけでなく武術大会決勝進出者たちもまとめて面倒を見るという大盤振る舞いであった。

城につくなりそれぞれが個室に案内され、しばらく寛いでいたかと思えば夕食に招待され、豪華な歓待を堪能する。そして食事が終わったかと思えば会議室へと案内された。

彼らはこうして集まったところである。

 

なお、チウも夕食を共に取っていた。王が兵に命じて手を回しており、同じように城での歓待を許可していたのだ。余談ながら兵の一人が彼を見つけたとき、柱の陰で変装を解いて小さく丸まって隠れていたらしい。

 

「ところで王様、私たちを集めた理由はなんでしょうか?」

「うむ。実はとても大事な話をしようと思ってな。特にダイ、そなたたちには他人事ではない内容なのだ。何しろレオナ姫が関わっておるからの」

「……それって、オレたちも聞いていい話なんですかい?」

「構わん。というより、お主達にも是非聞いてもらいたい」

 

マァムに質問に答え、ゴメスの言葉に頷くと、シナナはそれまでの好々爺のような表情から一変、神妙な面持ちを見せながら口を開いた。

 

「実はの、近く世界会議(サミット)が開かれる」

「「「世界会議(サミット)!?」」」

 

世界会議(サミット)という言葉のインパクトに、ダイたちは勿論のことゴメスら決勝進出者たちも驚きを隠しきれずにいた。そんな中、少しだけ自信なさそうに口を開く少年がいた。

 

「――って、確か……色んな偉い人が集まって会議する……んだよね?」

「そうじゃ! 世界中の王や最高指導者たちが一同に会して魔王軍と戦うために立ち上がるときがやってきたのじゃっ!!」

 

そもそも世界会議(サミット)など、そう易々と開かれるものではない。知識としては知っていたがイマイチ実感の沸かない言葉の意味を確認するように呟くと、シナナはそれを聞いて興奮したように言う。

一方のダイも、自分の考えが間違っていなかったことを理解すると同時に、先のシナナの言葉と今までの出来事から世界会議(サミット)の発起人が誰なのかを朧気に悟る。

 

「もしかして、それを……レオナが?」

「……ウム、その通りじゃ」

 

肯定の言葉を口にすると、けれどもシナナは申し訳なさそうな表情となる。

 

「今まで各国の王達はそれぞれの都合ばかりを考え、なかなか話し合いの場を持とうとしなかった。そこを魔王軍につけこまれた……そのため、もともと七つあった王国のうちオーザム・リンガイア・カールの三つの王国はすでに滅ぼされてしまった……」

 

そう言いながら壁に掛けられた世界地図を見る。それにはこの地上世界の全ての地形と、各国の王城の位置が記された貴重品である。だがその地図のうち、オーザム・カール・リンガイアの王城の位置は黒く塗られている。それは滅んだことを示す印であった。

仮にもっと早く、今回のように話し合いの場を設けて各国の連携を強化することが出来たならば、地図の黒印は今よりも少なく出来たのでは無いかと言わんばかりだ。

 

「だが!! 今やパプニカの若き指導者となったレオナ姫の声により、残る国の王達はその力を合わせ知恵を集めて魔王軍に立ち向かうことを決意したんじゃよ!」

 

今は地図上に三つしか存在しないこの黒印を、さらに増やすことになるのか、それともこれ以上増えることがないのか。その趨勢を決めるための世界会議(サミット)であると言っても決して過言では無い。

 

「すごいわ……」

「そうか、だからエイミさんがロモスに来てたのか」

 

姉弟がロモスに来たその日、偶然にもエイミと出会ったときのことを思い出してダイは一人納得した様子を見せる。

 

「そういえばダイたちはエイミ殿に出会っていたのだったな。その通り、あの日も世界会議(サミット)の打ち合わせのために彼女は来ていたのじゃ」

「それが、レオナにしか出来ないこと。言い換えるなら、レオナが今できることなのね」

「そうだね姉ちゃん。レオナも頑張ってたんだ……」

 

点と点が繋がって線になっていくように、自分たちの知らぬところで何が起こっていたのかが分かっていく。今まで見えなかったレオナの頑張りを実感したようで、ダイはしばらく顔も合わせられなかった友のことを誇らしげに思う。

 

「……そ、それはいつどこで開催されるのですか!?」

「オレたちにそれの話を聞かせたということは……ひょっとして……!?」

「魔王軍に漏れぬよう秘密にしていたが、もうよかろう。五日後にパプニカのある場所で行われる」

 

世界会議(サミット)の開催場所と日時を知っているのは、世界中でもほんの一握りの人間のみ。何しろ各国の王や重鎮が一カ所に集まるのだ。迂闊に狙われることのないように情報統制を強化するのは当然だ。

だがそれも開催間近であるため、話しても問題なかろうとシナナは判断した。

 

「そしてお主らにもこの話を聞かせたのは、問いたかったからじゃ。世界会議(サミット)が終われば、全世界の人間は魔王軍との戦いに否応なしに注力する。その際、お主らにもその決戦に参加してもらいたい……どうじゃ?」

 

そしてもう一つの質問――どうしてダイたち以外にもその話を聞かせたのか、その理由を口にする。だがそれを聞いた面々は、寸暇も悩むことなく返事をした。

 

「なんだ、そんなことですか」

「わざわざ尋ねられることもありません。魔王軍と戦い、世界に平和を取り戻したいという願いは皆同じです」

 

マァムとチルノとゴーストくんを除いた決勝進出者五名は皆が皆、口々にそう言って闘志を露わにする。激戦をくぐり抜け、共に困難を乗り越えたからか、彼らの士気と団結力は見違えるほどに強くなっている。

 

「ほっほっほ、それを聞いて安心したわい」

 

――やはり、武術大会を開いたのは間違いではなかった。

 

つい半日ほど前までロモスのために知恵を尽くしてくれた男の姿を思い返しながら、シナナは胸中で呟いた。

 

「さてダイよ。ワシは明日の夜、密かにパプニカに向けて出航するつもりじゃ。お主たちも一緒にどうじゃ?」

「うーん……覇者の剣は手に入ったわけだし、一緒に行ってもいいのかな……?」

「それもいいんだけど、エイミさんに伝言をお願いしたでしょう。忘れちゃった?」

「あ!」

 

「帰るのは早くても明日になる」と伝言をエイミに頼んだのが昨日。そして今や日は完全に沈んでいる。一応"早くても"という但し書きはあるが、それでも早く戻るに超したことはない。

 

「それにランカークス村のことをポップに尋ねるのも、早いほうがいいわ。もしも世界会議(サミット)が魔王軍に察知されていたら、それに対抗する意味でも」

 

そう言いながらチルノは本来の歴史を思い出す。その時には世界の要人がパプニカに集まりつつあるという人の動きから世界会議(サミット)を察知され、魔王軍に攻め込まれた。この世界でも同じ事が起きるとは限らないが、それでも動きが派手になれば魔王軍にバレるのも時間の問題だろう。

 

「いかんいかん、忘れるところであった。偽の覇者の剣を依頼した場所じゃが、記録を確認したところやはりランカークス村じゃったよ」

「そうでしたか……ありがとうございます王様」

 

思い出したように付け加えられたシナナの言葉を聞いて、ダイの心が傾いた。覇者の剣を打ち直すならば、早いほうがいい。姉の言うように、魔王軍が攻めてくるかも知れないし、そうでなくても武器は一刻も早く手に入れたい。

 

「それに世界中の偉い人が集まるのなら、ランカークス村がダメだったとしても他の情報が手に入るかもしれないじゃない?」

 

加えてマァムのその提案が決定打となる。

 

「王様! おれたちは明日、瞬間移動呪文(ルーラ)で一足先に帰らせてもらいます!」

「わかった。パプニカで会おう! その時には、ダイ用の伝説の剣が手に入っておることを祈っておるぞ」

「はいっ! 期待していてください!」

 

そう言ってダイは力強く返事をした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「しかし、まさか武術大会に参加したと思ったらこんなことになるなんてなぁ」

「だが、真の勇者たちと肩を並べて戦えたのだ。それだけでも参加した甲斐があった」

「違いない」

「自分の実力には自信があったのだが、上には上がいると言うことを思い知ったよ」

「勇者殿! 我々も修行を重ねて、来たるべき魔王軍との決戦には必ずお役に立つことを約束します」

 

シナナの話も終わり安穏とした雰囲気の漂う会議室の中で、ゴメスたち決勝進出者はこぞって今日の戦いの感想とダイたちへのお礼、そして未来への決意を口にする。ダイたち一人一人にお礼の言葉を述べたり握手を求めたりと、共に戦った戦友だからこそ通じる空気が一行の中には生まれていた。

 

もっともその輪の外で一人、後ろを向いていた空手ねずみ(チウ)がいたのだが。

 

「勇者たちがいなかったら、オレたちは全員やられていたかもな」

「いやいや、それを言ったらあの覆面マントの御仁だろう。彼がいなかったら、我々は諦めて実験動物になっていたかもしれん」

「本当だな。もう一度会いたいが、さてどこに行ったのやら」

「大切なことを気づかせてくれたお礼をしたいもんだ」

 

彼らはそんなチウの様子を理解した上で、わざとらしくそう口にしあう。

 

「そ、それなら……!!」

「ん? どうしたんだネズ公? ひょっとして、あの覆面男がどこに行ったのかを知ってるのか?」

「え……!? あ、そ、それは……」

 

それを聞いていたチウは大喜びで彼らに自分の正体を告げようとする。だがゴメスの言葉を聞いて勢いを削がれ、そして事実を悟って口ごもり、ついには黙ってしまった。

 

――そっ、そうか……!! みんなはボクが怪傑おおねずみだと気づいていない……くっ! なんということだ!! これじゃあ評判は全部あっちに行ってしまい、ボクの評価はガタ落ちに……

 

彼らの会話内容からそう判断したチウは、再び彼らに背中を向けてしまう。

なおそう思っているのはチウだけで他の全員は怪傑おおねずみの正体に気づいているのは、わざわざ言うまでも無いだろう。

 

「い……いやいや、これでよかったんだ……見返りなんか求めていないぞ……」

 

反射的に自分の正体を思いっきりアピールしたくなる衝動をグッと我慢して、チウは俯いて自分に言い聞かせるように独白する。その落ち込んだ様子を見かねて声を掛ける者がいた。

 

「ピィ! ピィィ!」

「ピーッ!」

「ん? いつか分かってくれる日が来るから落ち込むな? みんなボクに感謝しているって? なんのことだかさっぱり分からないよ。ははは……」

 

遠回しに「もうバレているから」と伝えているスラリンとゴメちゃんの言葉に、だがそれでもチウには通じなかった。二匹は思わず「どうしたものか」と思案顔だ。

 

「まあまあ、そう言うでない。せっかく二人が気遣ってくれたのだろう? その言葉くらいは素直に受け取っておきたまえ」

「ん? キミは幽霊小僧の……今は誰とも話したくないんだ。一人にしてくれないか? 」

「ほほう、それではワシからの言葉も受け取ってはもらえんのかな?」

 

そう言ってゴーストくんは、頭から被っていた布を脱ぎ捨てる。その下から現れた人物を見た途端、チウはそれまでの沈んだ表情もどこへやら、驚愕の表情を浮かべた。

 

「えええっっ!?!? ブ、ブブブブブ……ブロキーナ老師!?」

「チウ……気づいてなかったのね……」

 

そこにいたのは、白髪で白い髭をたくわえてサングラスを掛けた一見すればファンキーな老人。だが彼こそがマァムたちの師である拳聖ブロキーナその人である。

まるで気づいておらず驚くチウの様子に、マァムはどこかさもありなんと思いながら膝を折って控える。チウも遅れて、畏まった態度で土下座をするように頭を低くした。

 

一方、ゴーストくんの正体を知らなかった面々は、初めて見る拳聖ブロキーナの様子に驚いていた。どうみても枯れ枝のような肉体の老人にしか見えずとも、その強さは武術大会の予選で十分に見ている。加えて弟子のマァムの強さもあれば、ブロキーナの力量を疑う者など一人もいない。

 

「ろ・ろ・老師……なぜここに!? どうしてこんな事を!?」

「お主達の上達具合が気になってのぉ……老体にムチ打って紛れ込んでいたのじゃ。まさかあんな事になるとは思わなんだが……ま、結果的にはマァムの修行の成果が見れて良かったよ」

 

師の賞賛の言葉にマァムは思わず目尻を下げた。続いてブロキーナは、もう一人の弟子へと視線を移す。

 

「そしてチウよ」

「は、はいっっ!!」

「先ほどはよく我慢したのぉ」

「……え?」

 

ザムザとの戦いでは、チウは逃げ出した臆病者。怪傑おおねずみの正体がバレているとは微塵も思っておらず、そういう評価を受けていると信じていたチウだけに、ブロキーナの言葉は意外なものでしかなかった。てっきり怒られるとばかり思っていたからだ。

 

「今までのお主ならば、あそこで嬉々として自分の正体を口にして、名声を求めておったじゃろう。じゃがお主はそれを堪え耐え忍んだ。マァムからも聞かせてもらったが、良い影響を受けたようでなによりじゃ」

「え? え??」

「ワシの下で修行中はちっとも強くならなかったお主だったが、それはお主がカッコばかり気にしておったからじゃ。その証拠に怪傑おおねずみと名乗っていたときは、なりふり構わず戦い今までにないほどの力を発揮できたじゃろう?」

 

困惑するチウであったが、ブロキーナは気にすることなく続ける。

 

「良き出会いがあり、自らの限界に挑むことが出来たようじゃな……師匠として、出来ることならワシの力で気づかせてやりたかったが、これもまた経験じゃ」

 

少しだけ寂しそうな雰囲気を漂わせながら、それでもブロキーナはうんうんと首肯しながらチウへと告げていた。けれどもチウはそれどころではない。尋ねるべきか迷ったが、意を決して聞くことにした。

 

「あの、老師。ひょっとして老師は、その……」

「怪傑おおねずみの正体をどうして知っているのか、かな?」

「はい……」

「ワシだけではない、みーんな知っておるぞ」

「ええっ!?」

 

――いや、そりゃ当たり前だろう……

 

全員の心が一つになった瞬間であった。

 

「すまねぇな、ネズ公……いや、チウよ。ちょっとからかい過ぎたか?」

「怪傑おおねずみの評価は、貴公の評価だ。貴公の強さはこの場の誰もが知っている。胸を張りたまえ」

 

ゴメスらの言葉にチウは瞳に涙を滲ませかけて、そして気づいた。

 

「そういえば王様!! 王様も知っていたんですか!?」

「それは、すまんのぉ……じゃがまあ、大勢の人々に囲まれるのも悪くは無い経験じゃったろう?」

「うう……それは確かに……」

 

追いかけ回されながら、少しだけ大勢の人間に英雄視されていたことが嬉しかったためチウも強く否定はできない。

 

「それに、ワシも悪いとは思っておったんじゃ。そこで……」

 

そう言うとシナナは兵士の一人に合図をする。それを受けた兵は、部屋の隅に用意してあった物を持ってくると、王へと手渡した。

 

「お主のためにと急いで用意させた。どうか受け取ってくれるかな? もう一人の英雄よ」

 

シナナが手にしているのは、マントだった。素材は動物の皮だろう、見た目はいかにも丈夫そうであり、華美な装飾などは施されていないことが逆に実用性の高さを伺わせる。だが無骨一辺倒だけではなく、ワンポイントとしてマントの留め金は純金で出来ているのだろうか美しい輝きを放っている。さらには留め金にロモスの紋章が刻まれている。

 

「こ、これを……ひょっとしてボクに……!?」

「そうとも。お主にはこれを受け取る資格がある」

「い、いやぁ……でもなぁ……」

 

今すぐにでも飛びつきたい衝動を抑え込んで、チウは迷っていた。

彼の聞いた怪傑おおねずみ話でも、最後にマントを受け取っていた。それを思えば王からマントを貰えるのは願ってもいないことだ。だが同時に、あの戦いで間に合わせのために身に付けた布きれのようなマントと覆面。拾った布で適当にやったに過ぎないそれが、彼にはどうにも愛着が沸いてしまう。

 

「迷うことはないぞ、チウよ」

「老師?」

「その拾った布に愛着を持つのも理解は出来る。だがな、子供の頃の服がいつか着れなくなるように、生きとし生けるものは誰もが成長していくものだ。その時には、それぞれ自分自身の身の丈に合った服が必要になる。今のお主は、そのマントを受け取るに相応しい成長を遂げたということじゃ」

「……!! ろ、老師……老師~~っ!!」

 

師の言葉を聞き、感極まったチウは涙を流してブロキーナへと抱きつく。そして、泣き止むのを待って改めてマントの授与が行われた。

 

 

 

そして翌日、太陽が東の空からようやく全ての顔を見せた頃。

ダイたちはシナナや兵士達、そしてゴメスらに見送られながら瞬間移動呪文(ルーラ)でロモスを後にした。そこにはチルノ・マァムの他に、真新しいマントを誇らしげに身に付ける空手ねずみの姿があった。

 

 




ひざがしらむずむず病の描写をカットしてしまった……

さて、次はパプニカでサミット――の前に。
最近出番の無かった魔法使いなアバンの使徒さんのテコ入れ回を2話くらい挟む予定です(感想とかでバラしていましたが)

それと(最近ようやく)アンケート機能の使い方を(ちょっとだけ)知りまして。
も、もしも良ければ……ちょっと押していただくと嬉しいかなぁ……って。
(先の展開を考えていないことが丸わかりですね。多分、下の選択肢ほど活躍の場が増える(派手になる)と思います……)


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LEVEL:63 ポップ、奮戦ス

今回と次回はスルーしても良いです……いや、ホント……


時は、ダイ達がバランとの激闘を終えてパプニカへと戻ってきた頃まで遡る。

(ドラゴン)の騎士の秘密。ダイの出生の真実。チルノの死と蘇生。さらにはバランとの一応の和解に加えて、ラーハルトの加入。トドメにアバンの書の入手である。

 

様々な知識や経験を得た彼らは、それぞれがそれぞれの為に動いていた。

 

ダイとチルノは知っての通り、ロモスにて伝説と謳われた覇者の剣を手に入れ、マァムと共にパプニカへと戻ることとなる。戻ってくれば今度は鍛冶師へ会いに行くことになるのだろう。

レオナは世界会議(サミット)の準備に向けて大忙しであり、これが上手くまとまれば世界が一つとなって大魔王軍への反抗が可能となる。

ヒュンケルはラーハルトと共に人間世界に馴染む案内――と言う名の修行を繰り広げており、クロコダインもそれに付き合わされていた。三人が三人ともタイプは異なるものの世界全体で見ても指折りの戦士たちである。その彼らが互いに鎬を削り合えば果たしてどれ程のレベルアップを見せるのか。

 

そして、ポップは何をしているのかというと――

 

「むー……」

 

大魔道士マトリフの隠れ家にて、彼はうなり声を上げながら一冊の本と格闘していた。古めかしい装丁のそれこそ、アバンの書。勇者アバンがその武芸・呪文・精神の全てを後世のために記したこの世に一冊しかない手書きの本である。

 

この数日間はヒュンケルたちが目を皿のようにして読み込んでいたが、怪我も癒えて本格的に修行をするには不要と置いていったおかげで、今はポップが独占して読んでいた。とはいえ――

 

「はー……っ、ダメだ……イマイチ気持ちがノらねぇや……」

 

地に直接座り込み、胡座をかいて本を読み込んでいた彼であったが、その集中力は普段と比べて散漫になっていた。気付けば地面を閉じて、天を仰いでいる。

 

 

 

パプニカに戻ると、ポップはマトリフに連れられて特訓を付けられていた。それも「しばらくコイツを預かる。滅多なことでは戻らないと思え」とレオナたちに言付けるほどの念の入れようであった。

その言葉にポップは今までにないほど本格的な雰囲気を感じ取り、どれほど過酷な修行が行われるかと期待と不安を入り交じらせていた。破天荒ではあるものの、なにしろこの世界で一番の魔法使いの修行である。その効果の程は折り紙付きだ。

 

だがその期待は、悪い意味で打ち砕かれた。

最初の一日こそマトリフ直々にポップの特訓に付き合ってくれたものだが、二日目からは特訓メニューを伝えられて「それをこなせ」と言われただけである。本人はフラッとどこかに出かけたり、何か細やかな作業を行うだけでポップに構うことはなかった。

変化があったのは昨日のこと、ようやく別の修行内容が与えられたかと思えば「アバンの書を読み込め」であった。

それがマトリフに与えられた今のポップの課題である。どれだけ厳しい特訓が課せられるかと覚悟していた彼に取ってみれば、拍子抜けするようなものばかりだ。彼の言葉を信じて真面目に読み続け、今まで教えられた事もなかった呪文も知ることが出来た。効率的な呪文の技術も知ることができた。

だが、着実に成長しているのに反して今のポップの心は曇っている。

 

「考えてみりゃ、今まで修行はずっと誰かと一緒だったもんな……」

 

自分以外誰もいない中で、彼はポツリと呟いた。

一年ほど前、家出同然でアバンに弟子入りしてからというもの、修行は大抵アバンが見ていた。そしてデルムリン島にてダイとチルノの二人と出会い、パプニカにてマトリフに修行を付けてもらう。そのいずれのタイミングも誰かが彼の近くにおり、こうして一人で修行を行うことに慣れていなかった。

とはいえ世界中の武人・魔法使いが垂涎するアバンの書を読みながら口にするには、なんとも贅沢な悩みである。

 

「まあ、仕方ねぇか……師匠が何かやってるのは知ってるし、今はこうして真面目にやるだけだな……」

 

どこか心の中では納得しきっていないようだが、それでも気を取り直すように自分の頬を叩いて活を入れる。

 

「そうすりゃ、次の戦いではおれだって……」

 

――活躍できる。

 

そう断言しようとしてポップは自ら口を噤む。バランのことを思い出したからだ。

(ドラゴン)の騎士であるバランは、竜闘気(ドラゴニックオーラ)によって一切の呪文を弾いてしまう。魔法使いのポップが相手をするには荷が重すぎる相手だった。

 

「い、いや、大丈夫だ。呪文を無効化する相手なんて、そうそうポンポン出てくるわけがねぇんだ。次はしくじらねぇ……!!」

 

呪文が通じないため、彼が相手をしていたのはバラン配下の竜騎衆が一人、ガルダンディーである。だがそのガルダンディー相手にすら、まともに勝てなかったことを思い返して歯噛みする。

互角の勝負を繰り広げたと言えば聞こえは良いかもしれないが、ポップがなんとか食い下がれたのは事前のアドバイスのおかげが大きい。相手の戦い方と特殊な技を教えてもらい、その情報から自分なりに策や戦い方を考える時間があった。その前情報と猶予がなければ、一対一ではおそらく負けていただろう。

 

「……そういやチルノのやつ、竜騎衆一人一人の名前はおろか戦い方なんて、どこで知ったんだ?」

 

苛立ちと共に思い返していたところで、ポップはふと気付いた。彼がどうにか戦えた情報の出所についてだ。その情報の一切合切はチルノから伝えられた物である。

何故そんな情報を知っているのか? そう尋ねたときにも彼女は、この危機を乗り越えたら必ず説明すると言っていた。

確かにあの場では一分一秒を争う事態であったし、悠長に説明している暇がなかったのも分かる。だが今にして思えば明確な解答を避けていたようにもポップには見えていた。

 

「――まさか、敵と内通して!? いや、そんなわけねぇよなぁ……」

 

最もありえるであろう可能性の一つを口にして、だがすぐに自分で自分の考えを否定する。仮に本当に内通者だったのならば、裏切るタイミングは幾らでも転がっていた。アバンの使徒を全滅させるのが目的でも、ダイを仲間に引き入れるのが目的であっても。その全てをフイにしてでも隠し続ける意味が分からない。

そしてなによりも、ポップがチルノを信じるに足る理由がある。

 

「バラン相手にあれだけの啖呵を切って……考えてみりゃ、ずっとダイの母親代わりとして暮らしてきたんだよな。母は強しってヤツか……」

 

ダイがまだ赤子の頃から常に一緒におり、ときに姉として、ときに友として、ときに母としてダイに接してきた彼女が裏切り者などと、ポップには想像することもできなかった。加えてバランを相手に放った言葉の数々は、どれもダイのことを真摯に思っていた言葉としか聞こえなかった。

二人の途切れぬ絆を改めて思い返すと共に自分の家族のことを思い出し、ポップはほんの少しだけ感傷的な気持ちになる。

 

「ん、いやちょっと待て!!」

 

納得しかけたところを頭の冷静な部分が待ったを掛けた。

子供の頃からダイの面倒を見る。

口で言うのは簡単なことだが、実際の年月に換算すれば十年以上の長い時間が経過している。しかもそれを行った相手は子供――ダイより一歳上の少女なのだ。普通ならば面倒を見るどころの騒ぎではない。ダイと一緒にブラスに面倒を見てもらうのが当たり前だ。

いくら年長は下の子供の面倒を見るといっても、強制でもなければ限度がある。だがチルノはそれが当然だというように言ってのけ、あまつさえ赤ん坊の頃のダイのことすらよく知っているように言って見せた。

 

――そんなこと、可能か?

 

自問しつつポップは自分の子供の頃の記憶を掘り起こす。小さな村であり、隣近所の家々とは家族ぐるみの付き合いもちらほらとしていた。その中では当然、ポップ本人も年上の子供に面倒を見てもらったことも、年下の子供の面倒を見たこともあった。

だが――

 

「どう考えてもおかしいだろ……」

 

性格や環境などで多少異なってくるだろうが、それでも子供のすることである。丸一日中面倒を見続けることなど出来るはずがない。有り体に言ってしまえば子供らしくない(・・・・・・・)と結論づけた。

 

「じゃあ、どうしてそんなことが出来るんだ……? 普通の精神じゃ無理だろ……」

 

だがそれをチルノはやってのけたというのもポップの中では受け入れられた。出来ないはずのことが出来る、という矛盾した事実の答えを求めて彼の頭は思考を続け、そして一つの仮説を生み出した。

 

「いやまて、それなら普通の精神じゃなければ? 何か別の……もっと成熟した存在なら……ッ!!」

 

そこまで口にして脳裏に浮かんだのは、大人が子供に戻ったなら可能なのではないかということだった。成長した精神と蓄えた知識を持って子供の頃からやり直せたならば、きっとそんな感じになっていてもおかしくはないはずだ。それならば、赤ん坊の頃の記憶だって覚えていても不思議ではない。

 

「チルノはひょっとして……人間じゃない……?」

 

だがそれならば、ダイの強さにしても納得できる。チルノが小さな頃から稽古相手となっていたと聞いていたが、それも以前蓄えた知識と経験を活用したのではないだろうか。持って生まれた(ドラゴン)の騎士の素質に加えて稽古が加算される。だからあれほどまで強いのではないだろうか。

 

「それに呪文が一つも契約出来なかったくせに、今まで見たこともない不思議な力を使いこなしている……」

 

アバンの"特別(スペシャル)ハードコース"を瞬く間にクリアするほどの実力など、魔王ハドラーが倒され平和になった世界では必要ないだろう。だがチルノはダイがそれほどの実力になるほど鍛えていた。結果的にはそれがよかったものの、まるで未来を見ていたかのような準備の良さも彼の説を後押しする。

 

「いや、ないない。そんなことあるわけねーって……」

 

そう言うとアバンの書へと視線を落とす。全てを忘れるように一心不乱に集中するその姿は、どこか無理をしているようにも見えた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

――翌日。数日ぶりに顔を見せたマトリフは、ポップを隠れ家近くの海岸へと引っ張り出していた。空を見れば日が昇りきった頃であり、空は雲一つない快晴の兆しを見せている。

これから特訓が開始されるのだが、けれどもポップはどこか浮かない様子を見せていた。

 

「なあ……師匠……」

「あん? どうしたそんな腐ったツラして?」

「もしかして、なんだけどよ。人生をやり直せる呪文とかってあったりするのかね?」

「人生をだ? そりゃどういうこった?」

 

ポップの質問の意図が読めず、マトリフは首を傾げる。

 

「例えば、今のおれが知識やら記憶をそのままに赤ん坊になって、もう一度やり直せるようなそんな呪文とかがあるのかなって、ちょっと思ってさ」

「人生をやり直す呪文、ねえ……」

 

――チルノの何かに気付いたのか……?

 

顎に手をあて考えるフリをしながら、マトリフの頭に浮かんだのは一人の少女のことだった。というよりも、その情報から当てはまるのは世界広しといえども彼女以外に存在しないだろう。

 

「そんな呪文を探してどうするんだ? もう一度ママのオッパイでも吸いてぇのか?」

「マ……いや、そうじゃなくてよ!! その……」

 

下品な物言いにポップは一瞬顔を赤らめるが、それ以上の言葉をすぐに続けられず言い淀んでしまう。

 

「……そう! ちょっとアバンの書を読んでいて思ったんだよ。もしもそんな呪文があれば、もう一度アバン先生に会えるんじゃねぇかって!」

 

――どうやら、ようやく疑問に思ったってところか。

 

いかにもとってつけたような理由を口にしながら、上手いこと騙せただろうかと師の顔色を伺おうとする弟子を見ながら、マトリフはそう判断した。

チルノの存在は、彼女を知れば知るほど異質に思うだろう。そう判断するだけの材料が彼女には多すぎる。それでも仲間だから、良い方向に傾いているから、といった理由でなんとなく問題にはなっていないだけだ。

仲間だからと無条件に信じるのは危険すぎる。信じることは決して悪いことではないが、その信じるに値するだけの理由を探す者が一人くらいいても良いだろう。

そういった目が、ポップにもようやく芽生えて来たのだとマトリフは推測する。

 

「まあ、世界中を探せばあるかも知れねぇが……少なくともオレは聞いたことがねぇ。そんな夢物語みたいな存在を追い掛けてる時間は今のお前にはねぇぞ」

 

だがそれを指摘することはしない。

本人自身まだ疑い始めたばかりといった様子であり、ここで下手に口にしても何も良いことはないだろう。なにより、チルノ本人がいずれ自分の口から語ると言っているのだ。ならばその時を待ってやるのが現時点での最良と判断していた。

 

「わーってるよ、ちょっと聞いてみただけだ。それで、今日はどんな特訓をすりゃいいんだ!?」

 

そんなことを考えているだけの時間も余裕もない。そう言い含めれば、ポップはそれを鋭敏に感じ取ったらしく修行への前向きな姿勢を見せる。どうやらチルノに対する疑問は一旦考えるのをやめたらしい。

 

「ああ、まずは午前中の課題だ」

「午前中……ってことは午後もあるのか?」

「そういうこった。けれどまあ、この課題は出来なくてもオレはお前を責めたりはしねぇ」

「なんだそりゃ? いつもなら殺そうとしてるんじゃないかってくらい無茶な事させるのによ」

 

出来なくても責めはしない、という師の珍しい言い方にポップが驚きながら軽口を叩く。だがマトリフはその軽口を真摯に受け止めていた。

 

「こればっかりはオレがお前の尻をいくら蹴り上げようと、出来るもんじゃねぇんだよ。本人のセンスが問われるんだ」

「センス……? 怖えな、一体何をやらせようってんだ?」

 

普段とは明らかに違う言い方。そして本人のセンスが問われるという珍しい表現に、ポップは思わず息を呑む。これから何をやらされるのか、真剣な態度を見せた弟子に向けてマトリフはニヤリと笑う。

 

「簡単だ、これをやればいい」

 

そう言いながら、両手に火炎呪文(メラ)を生み出して見せた。それを見た途端、ポップの目の色が変わる。

 

「ど、同時に二つの呪文を……!?」

「できるか、これ?」

 

そう促され、ポップは自分の両掌をまじまじと見つめながら答える。

 

「わ、わかんねぇ……やったことねえから……」

「物は試しだ、やってみろ。失敗しても文句は言わねぇ」

「あ、ああ……それじゃ……!!」

 

師の言葉に背中を押され、物は試しとばかりにポップは火炎呪文(メラ)を発動させた。

 

――ヘッ、やっぱりか……

 

弟子の様子を見ながら、マトリフは心のどこかで信じていたのだろう。ポップの両手にも火炎呪文(メラ)の火球が生み出されている

 

「で……できた……?」

 

成功したことに一番驚いていたのは、当の本人であった。

 

「よし、出来るんなら話は早え。迎えに来るまでその練習をしてろ」

「練習って……これ以上何をすればいいだよ?」

 

簡単だと言われた課題を一発で成功させてしまったことに驚き、それ以上の発展がポップの頭には浮かばないようだ。もっとも、これはマトリフが本当にポップへ伝えたいことの事前準備に過ぎない。下手に頭を働かせて最終回答(・・・・)に辿り着かれても困るのだ。

今はまだ、実力は元より精神面での未熟さが目立ちすぎる。

 

「右手と左手、左右のどちらからもバランス良くエネルギーを操れるようにしとけ。どんな呪文を使おうとも自分が思った通りの調整ができるようにな」

「なんだそりゃ? 随分と難しい注文だな。どっちも今出せる全力をバーッと使うだけじゃダメなのか?」

「悪いとは言わねぇよ。これを操れれば、攻撃呪文と回復呪文を同時に使うことも出来る。自分が増えた様なもんだと考えりゃ、出来ることの幅が随分広がるだろ?」

 

ポップの言葉は、いかにも若さに溢れた言葉だった。自分も過去にそんな時代があったことを思い出しながらも、だがマトリフは真の目的を隠したまま理由の説明を続ける。

 

「けれど、所詮は自分の身は一つだけだ。魔法力だって自分の限界以上には使えねぇ。なら使う呪文の方を調節できるようにするんだよ」

「なるほど。確かにそうだな……」

「今日までお前に課した修行をキチンとやっていりゃ、問題なく実現できるはずだぜ」

 

そう口にした途端、ポップの顔色が少しだけ変わった。その反応からすぐさまどこかで手を抜いていたのだろうとマトリフは悟り、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。

 

「まあ午前中はこの特訓をしておけ。午後になったらイイところに連れて行ってやるからよ」

 

その迫力を受けて、ポップは本人でも気付かぬ程度に後ずさりしていた。

 

「まさか……この課題はそのイイところに行くための下準備なんじゃ……?」

「ほぉ、随分と勘が良くなったじゃねぇか。死にたくなかったら本気で考えておけよ」

 

そう言ってマトリフは踵を返す。残されたポップは、午後までの短い時間を使い必死で頭を悩ませ続けていた。

 

 

 

「おら、ご到着だ。ここがイイところだよ」

 

既に太陽は中天を過ぎていた。ポップはマトリフに連れられて移動呪文(ルーラ)でとある場所に来ていた。それは見たことも聞いたこともない場所だった。少しでも何か情報がないものかとポップは周囲へ忙しなく視線を走らせる。

 

「なんだここ、洞窟?」

 

目の前には、まるで獣が大口を開けたようにぽっかりと広がる洞窟があった。そして周囲には、金属で出来た柵がぐるりと洞窟の入り口を囲むように張り巡らされている。ルーラのおかげでフリーパス状態で内側に入ってしまったが、普通に歩いて来たのであれば乗り越えるのに多少手を焼かされることだろう。

 

「そうだ。破邪の洞窟って言ってな、名前くらいは聞いたことあるか?」

「うーん……有るような無いような……」

 

記憶を探るものの、これといった明確な情報は頭の中から引き出せなかったようだ。難しい顔を浮かべていたが、やがて恐る恐る口を開いた。

 

「っていうか、ここって柵とかあるし勝手に入っちゃマズいんじゃねぇのか?」

「ん? たしかカール王国が管理していたはずだ

「いいいいいっ!? 王国が管理って、それこそマズいだろ師匠!!」

「いいんだよ、カールは魔王軍に滅ぼされて今のところ管理人は不在だ」

 

いけしゃあしゃあとそう言ってのける師の姿を、ポップは苦々しい表情で見つめる事しかできずにいた。とはいえ何か言っても考えを変える訳がないことを知っているため、やがて彼は全てを諦め降参したように手を上げる。

 

「それで、おれはこの洞窟で何をすりゃいいんだ? 奥にすげぇお宝でもあるのかい?」

「ちょっと行って、帰って来りゃあそれでいい」

「へ、それだけかよ?」

 

疲れたように口にするポップであったが、マトリフは散歩でもしてこいと言わんばかりのトーンで言ってきた。予想外の反応に思わず聞き返してしまうほどだ。

 

「ああ、それだけだ。ほれ持ってけ、餞別だ」

 

そう言って大きめの背負い袋をポップへと渡す。受け取ったポップは、持った瞬間予想外のずっしりとした重さに思わず小さく蹈鞴(たたら)を踏む。

 

「重てぇな、これ。一体何が入ってるんだ?」

「開けてみろ。たいまつがあるだろう?」

「たいまつ? ……ああ、確かにあるぜ」

 

口を開けてごそごそと袋に手を入れれば、二本のたいまつが突っ込まれていた。他に、雑多な道具も詰め込まれているのが見える。

 

「そいつ一本で半日は持つはずだ。そのたいまつが一本消えるまでは潜り続けろ。二本目に火を付けたら戻ってきて良いぞ」

「一本消えるまで潜る……はぁっ!? 半日だって!?!?」

 

聞き流しそうになったものの、信じられない言葉にポップは思わず叫んでいた。

 

「良く聞いてるじゃねぇか」

「聞いてるもなにも、ここってそんなに深い洞窟なのか!?」

 

半日潜り続けられるという言葉に驚くポップであったが、マトリフは意にも介さない。

 

「ああ、そうだ。そもそもここは誰も最深部まで到達したことがない。古い文献によれば、この洞窟は人間の神が邪悪な力に対抗するための呪文の全てを納めた場所らしいぜ」

「神が作った洞窟……!?」

「さてな、オレはそりゃ眉唾だと思ってるが……だが、この洞窟に様々な呪文が眠っているってのは本当だ」

 

神、という想像のスケールを超える名前が出てきたことにポップは思わず息を呑む。だがマトリフはそれに取り合うことなく、あくまで冷静に事実だけを述べていく。

 

「ただし、実力に見合わない力を身に付けさせないように、この中は想像を絶するほど厳しい場所だ。さっきも言ったように地下何階まであるのか誰も知らねぇうえに、進めば進むほど迷宮が複雑になっていく。出てくる怪物も次々強力なのがわんさと沸いてくるぜ」

 

リターンはあるが、それとは比較にならないほどのリスクがあるということを理解して、ポップは知らず知らず冷や汗をかいていた。同時に、そんな無茶苦茶な洞窟に自分がこれから挑まねばならないことも理解する。

 

「そんな場所に潜って、一体何をすりゃいいんだよ……? 地下何階だかの強力な呪文を覚えてくりゃいいのか?」

「んなことは言ってねぇだろ。さっきも言ったとおり、潜って戻ってこい」

「それだけか? 他に何かウラがあるんじゃ……」

 

あれだけ恐怖を煽るような事を言っておきながら、ただ潜るだけのはずがないのだ。それ以外の狙いが絶対に何かあるはず。マトリフにしごかれているのは伊ではない。

 

「ああ、あるぜ。だがそれをわざわざ全部説明してやらなきゃ、理解できねぇのか?」

「け、けどよぉ……」

「オラ、文句言わずにさっさと行ってこい。奥に行けば行くほど、イヤでも理解できるはずだ」

「いやいやいや、無理だって!! 間違いなく死んじまうだろうが!!」

 

あれやこれやと注文を付けて拒み続けるポップの姿を見ていたためか、いつの間にかマトリフは今にも洞窟内へと蹴り飛ばしそうな剣呑な雰囲気を纏わりつつあった。

 

「安心しろ。その袋の中には、潜っていられるだけの道具が揃えてある。それに、今のお前の腕っ節ならこの洞窟から戻ってくるくらいなら問題ないはずだ」

 

その言葉通り、袋の中には薬草などの道具が詰め込まれていた。確かにこの量ならばポップ一人が二十四時間乗り切るくらいならばなんとかなりそうだ。

 

「それに、これを乗り越えられなきゃオメェはこの先、どこかで脱落するだろうよ」

「なっ……!!」

 

どこかで脱落する。その言葉にポップは過敏に反応をして見せた。

 

「それ、本当なのか……?」

「……おそらくは、な」

 

真剣な顔で頷くマトリフの様子に、ポップも覚悟を決めたように真面目な顔をして、たいまつを片手に袋を背負う。

 

「わかったぜ!! 行ってくりゃいいんだな!!」

 

そう言い残し、意気揚々と迷宮へと挑んでいく。

 

「死ぬなよ、ポップ……」

 

やがて、ポップが洞窟の中へと足を踏み入れてからある程度の時間が経過し、その姿は見えなくなった頃、マトリフは見えないはずの弟子の背中へ向けて祈るように呟いた。

 

 




本当ならさっさとお話を進めた方が良いんでしょうけどねぇ……
ポップがこのままだとメドローア取得失敗で消滅しそうで怖くて……
早い話がテコ入れです。だって竜の血ブーストもないですし、メルルフラグも立ってないんだもん……ごめんねポップ、私が悪いんです。
(ネタバレ:まだメドローアは覚えないはず……)

(そして前回に引き続いてアンケートは継続中。多分次話まで予定)


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LEVEL:64 ポップと不思議なダンジョン

「ちくしょうっ……いい加減にしてほしいぜ……!!」

 

ポップは思わず悪態を吐く。足下には、バリイドドッグと呼ばれる犬のような怪物(モンスター)の死体が転がっていた。それもついさきほど倒したばかり、火炎呪文を使ったらしく辺りには死肉の焦げたイヤな臭いが漂っている。

 

「……やべぇ!」

 

その臭いを嗅ぎつけたのか、それとも戦闘音に反応したのか、遠くから複数の足音が聞こえてくるのを察知し、慌てて逃げ出す。一息つく暇も無いとはこのことだろう。

 

だが、それは無理もない。彼が今いるこの場所は、破邪の洞窟。前人未踏の難所である。

 

周囲は薄暗く、彼が持つたいまつの光だけが唯一の光源と言って良いだろう。数メートル先も自由にならない闇を前にして、苛立ちしか感じない。耳を澄ませども、音は何も届かない――かと思いきや、時折怪物(モンスター)の遠吠えらしきものが聞こえてくる。それが耳に入ってくるたびに、否応なしに警戒して辺りに気を配らなければならない。

もっとも、そういった事前情報があるのはまだ優しい部類であり、中には魔法生物のように一定距離に近づくまでは決して身動き一つ立てず、獲物を待ち続ける狡猾な怪物(モンスター)もいる。事前準備もなし、身構える暇すらなく襲われては怪我も必至だ。

 

これでもしも洞窟内の壁と床が平らでなければ、歩いているだけでも小さな傷を無数に作っていたことだろう。天井には今だ手つかずの鍾乳石が無数にあることから、ここは元々天然洞窟であり、誰かがそれを整備して迷宮を作り出したことが窺える。それこそ、伝承の通りに神が作り出した洞窟である証の一つなのかもしれない。

 

「ハァ……ハァ……どうやら撒いたみたいだな……」

 

通路の陰に隠れながら、ポップは荒くなろうとする息を整えながら周囲の気配を伺う。そして何もいないことを確認するとようやく一つ、大きな息を吐き出した。

 

「少しは、休めるか」

 

そう言いながら座り込むと、背負い袋の中から水を取り出し、そのまま一口だけ含んで口内を湿らせる。

水と言っても入っているのは水筒などではなく、革袋に飲み口を付けたものだ。温度はぬるい上に皮の味が染み出しており、一言で言って不味い。だがこんな物でも今は命をつなぐ大切な水だ。なるべく節約のために飲む量を減らしていたが、それでも重さから判断するにそろそろ半分を切った辺りだろう。

 

「ついでだ、今のうちに食っておくか」

 

同じく背負い袋から、今度は小さな丸薬のような物を取り出す。これは師マトリフ謹製の携帯食料らしく、食べれば腹の中である程度膨れて満腹感を少なからず感じることができ、栄養価もある程度備えている――らしい。ということが同封された紙に記載されていた。

欠点は、食べた気が全然しないのと不味いことだろう。とはいえ、食料を持ち込めばそれだけ荷物が多くなる。こんな場所ではこれでもご馳走なのだろう。

 

「そろそろ半分、か?」

 

不味い水と不味い食事のことを忘れるように、先ほどまで手にしていたたいまつを見つめる。これは一本で半日ほど火が灯り続けるものであり、この一本目が消えるまでの間は潜り、消えたら戻ってよい。という試練の真っ最中だ。

だが一本目のたいまつに点火してから、どれだけの時間が流れたのか。ポップにはよく分からなかった。外にいれば太陽や月の動きや位置でおおよそが分かるものの、ここではそれすらもわからない。

今のポップにとって時間を知るための手がかりとなるのは、このたいまつだけだ。それも、蝋燭(ろうそく)が段々と短くなるように、なにかある程度の指標となるものもない。油の残り時間を推測するのも難しい。なにより――

 

「もらったは良いけれど、ちょっと邪魔なんだよなぁ……」

 

魔法使いであるポップにとって、たいまつを持って常に片手が塞がっているというのはハンデの一つに近い。というか、誰に持たせても同じだろう。戦士や武道家は言うに及ばず、僧侶や魔法使いもこの状況では嫌がるに違いない。

尤もポップは、マトリフから両手でそれぞれ呪文を操る術を教わっているために今のところはなんとかなっているものの、それが無かったら今頃どうなっていたことか。

 

「レミーラの呪文……いや、ダメだ。こんな状況じゃあ、何が起こるかわかったもんじゃない。節約しねぇとな……」

 

レミーラとは明かりを作り出す呪文であり、ポップはその呪文の契約を結んでいるため使うことは可能だ。だが直前で使用を思いとどまる。

何が起こるのか、まったく予測できないような洞窟の中を進んでいるのだ。加えて奥に行けば行くほど登場する怪物(モンスター)たちは強力になっている。万が一の時に備えるためにも、魔法力の消費はできるだけ控えた方がいい。

 

「よし、そろそろ行くか。次で……何階だ? 9階だっけか?」

 

息つく暇も満足に与えてくれない、一人きりの洞窟探索。それは現在が地下何階なのかの計算すらも覚え違いをするほどに過酷なものだったようだ。ぼやきながらポップは、地下8階(・・・・)へと続く階段を探すべく再び動き出した。

 

 

 

「ん、あれは……ひょっとして!!」

 

とぼとぼと探索を続けるポップの視界に、不意に四角い箱の姿が飛び込んできた。思いがけない発見に声色が高くなり、小走りで無警戒に近寄っていく。そこにあったのは彼の願い通り、宝箱だった。

 

「やっぱり、宝箱だ。へへ……これこそまさに天の助け! さーて、中身は何かな……?」

 

探索に加えていつ始まるとも知れぬ戦いという、気の滅入るようなことを延々続けてきたためか、どうやら警戒心が疎かになっているようだ。ポップは特に疑うこともなく宝箱を開けようとした。その途端――

 

「ばあああああ!!」

「うおおおぉぉっ!?」

 

宝箱は自ら動き出した。箱自体が奇声を上げながら大きく開いたその姿は、さながら肉食獣の顎のようだ。そこには鋭利な刃のような歯が何本も並んでおり、舌も見える。その奥――いわゆる喉の辺りには、相手を馬鹿にしたような瞳があった。

突然動き出したことに驚き、動きを止めてしまったポップの腕目掛けて、宝箱は力いっぱい噛みつく。

 

「ぎゃああああああっ!! ひ、ひとくいばこだと!!」

 

ナマっていた精神を強制的にたたき起こすほどの鋭く強烈な痛みが、腕を通してポップに頭に流し込まれる。手にしていたたいまつを思わず放り投げてしまうほどの衝撃だった。だが激痛を味わいながらも、敵の正体を看破していた。

人喰い箱――宝箱に擬態し、うかつに開けた者へと襲いかかる怪物(モンスター)である。こういったダンジョン挑む際には要注意すべき敵だと教わっていたのだが……

 

――教わったはずなのに、知っていたはずなのに、ドジった!!

 

ポップは胸中で無念の声を張り上げる。

だが反省するのは後回しだ。人喰い箱はポップの右腕を丸呑みように大きく食らいついており、そのせいで片腕が封じられている様なものだ。まずはコイツをどうにかしなければならない。その上、先ほどの絶叫を聞きつけたのか遠くの方からは何者かが近寄ってきている音が微かに聞こえてくるため、その対処も必要になる。

 

「まずはコイツから……イオ!」

 

噛みつかれたままの右腕に魔法力を集中させ、爆裂呪文を放った。イオの魔力弾はすぐさま人喰い箱の口内に着弾し、爆発を起こす。文字通り口の中で爆薬を破裂させられたようなものだ。予期せぬ衝撃を味わい、人喰い箱は思わず食らいつきを離してしまう。ポップの狙い通りに。

 

「ギラ!」

「ギャアアアア……!!」

 

殆ど間を置くことなく、続けて左手からギラの呪文を放つ。閃熱が一瞬にして襲いかかり、瞬く間に人喰い箱を焼いていく。ダメージを受けた直後、まだイオの衝撃から回復せぬ間にギラを受けては、耐えられなかったようだ。断末魔の悲鳴を上げながら事切れた。

敵を倒したことを確認するが、だが休む暇はなかった。続いては騒ぎを聞きつけて集まってきた魔物の群れの対処だ。これをどうにかしなければ窮地を脱することはできない。

 

「へへ、おあつらえ向きに来やがったな……」

 

集まった怪物(モンスター)たちは、ごうけつぐま・おおくちばし・ゴートドン・キラータイガーなどの獣族ばかりだった。場所が通路の途中だということもあってか、前後からわらわらと湧き出てくる。一見すれば完全に挟まれた状態ではあるが、だがそれらを見たポップは小さくほくそ笑み、左右の手をそれぞれの群れへと伸ばす。

 

「ベギラマ!!」

 

今まさに獲物へ襲いかかろうとする魔物の群れ目掛けて、強烈な閃光が放たれた。目も眩むような熱と光が集まった怪物(モンスター)たちを次々と焼き殺していく。

ポップがやったことは、敵の群れ目掛けて呪文を放っただけだ。

とはいえ相手は通路に殺到して一列に並んでおり、十分な広さが確保できない。そんな場所では満足に回避することもできず、加えて直線的に高熱波を放出する呪文を使ったことで相手を貫通して次々にダメージを与えられるという、地形と状況を上手く使った攻撃だった。

さながら将棋倒しのように、集まった獣たちは瞬く間に倒されていく。さすがに呪文の効果範囲は無限ではやく、生き残った怪物(モンスター)たちもいたが、それらはベギラマの威力を恐れたらしく矢継ぎ早に逃げていった。

 

「へへへ、ざまぁみろ! ……いってぇ……!!」

 

周囲に一匹も怪物(モンスター)がいなくなったことを確認して、軽口を叩くと同時に痛む右手を抑える。右腕は人喰い箱に噛みつかれてダメージを受けており、そこへさらにイオの呪文を使っている。爆発の余波を受けることは――出力を自在に調節する特訓のおかげもあって、威力控えめの呪文を放ったがそれでも――免れない。

トドメが両手で放ったベギラマだ。

この呪文は今のポップが使える呪文の中では高位に位置する。それを両手で使えば、魔法力をごっそりと削られるのも当然だった。体力も魔法力も一気に消費し、ポップは思わず倒れ込んでいた。

 

「くそっ……このまま意識を失えたら、どれだけ楽だろうな……」

 

悲鳴を上げる肉体に鞭を入れて、背負い袋から薬草や包帯を取り出し、治療を始める。とはいえ痛みと疲労に悩まされる身体では思うように動かず、随分と手間が掛かってしまう。

 

――ちょっと前に休んだと思ったら、またこんなかよ……それに回復だって、マァムがいてくれりゃホイミの呪文ですぐに治るのによ……

 

思い通りに行かない自分の身体に苛立ちが絶えない。それでもどうにか手当を終え、仕上げとばかりに袋から瓶を一つ取り出す。それは自身の魔法力を回復させる効果を持つ"魔法の聖水"だった。それを振り撒き、大きく減った魔法力を回復させる。

 

「これ、ベンガーナで買ったヤツか? そういや、あの買い物は楽しかったな……」

 

空になった聖水瓶を見ながら、ポップはふと気付いた。確証があったわけではないが、直近で手に入れたこともあってそう思っただけだ。だが思った事が切っ掛けとなって、仲間達の事を連鎖的に思い出す。

 

――あの宝箱の罠、チルノでもいりゃ気付いてくれたかもな。そうだよ……ダイでもおっさんでも、ヒュンケルでもいい。誰かがいてくれりゃ、もっと楽だったのに……

 

「こんな洞窟に目的もなく潜って、一体何の意味があるんだ?」

 

今だ答えの見えぬ問題に頭を悩ませながら、治療を終えたポップは立ち上がると落としたままだったたいまつを拾い上げ、再び歩き出した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

手にしたたいまつの明かりが、最初と比べると随分と弱くなっていた。明かりが弱いということはそろそろ一本目のたいまつが切れる証拠――それはつまり、ようやくこの洞窟から戻っても良いということだ。

 

 

――こりゃ、やべぇな……

 

だが今のポップはそれどころではなかった。壁を背にして張り付き、できる限りたいまつの光を遠ざけたまま、背中越しにそっと横目で部屋の様子を伺う。そこは今までの階層に存在したのとは比べものにならないほど大きな部屋だった。光が壁に届かぬほど広く、空気の音の反響からもその広大さがうかがい知れる。

内部にはその広さに恥じぬ無数の怪物(モンスター)が生息しており、さらには部屋の主でも気取っているのか青い肌をした単眼の巨人が鎮座している。

 

――サイクロプスかよ、なんだってこんな大物が……

 

忌々しさが湧き上がってくるが、同時にそれも仕方ないのかとも考えていた。なにしろ現在階層は彼の主観では、既に二桁を突破している。となれば、今までとは別格の大物が現れてもおかしくはない。

サイクロプスは巨体に見合っただけの怪力と生命力を持っている。一対一ならば今のポップならば負けることはないだろうが、周りの魔物の数が問題だ。サイクロプスと同時に相手取ればまず間違いなく押し負けるだろう。

先ほどのようにベギラマを放てばなんとかなるかもしれないが、その戦法に賭けるには魔法力を消費しすぎていた。同じ事をしても倒しきれる保証もない。

 

――まあ、無理に戦う必要はねぇか。どうにか上手いことやり過ごして、別のルートを探そう。

 

頭の中で簡単に算盤を弾き、戦闘はどう考えても得策ではないと判断したポップはそっとその場を離れようとする。

 

カチッ――

 

突然、ポップの足の下から音が聞こえた。それは踏んだ本人ですら聞こえたか聞こえないかというほどに小さな小さな音。

その正体は罠の作動音。それも地雷などと同じく、一度押したスイッチを離すことで罠が作動するタイプだ。だが不幸にも踏んだことに気付かず、ポップは足を上げてしまった。

 

「うおっ!?」

 

突然、耳が痛くなるほどの甲高い音が周囲に鳴り響いた。罠に気付かずにいたポップは予期せぬ怪音に驚き、たいまつを取り落としてしまう。甲高い警告音に加えて石造りの床からカランカランと乾いた音が響き渡る。これだけ騒がしくすれば、気付かない者は皆無だった。加えて床に転がったたいまつが細々とした光を放ち、そこに誰かがいることを明確に語っている。

 

「やっべええええぇぇっ!!!」

 

もはや室内を確認するまでもない。音と光を合図に怪物(モンスター)たちが雲霞のごとく殺到する。地響きすら感じる足音と迫り来る圧は、もはや室内を確認するまでもない。

ポップは慌てて元来た道を戻ろうとすると、そのタイミングでたいまつの火が消えた。瞬間的に明度が下がり、怪物(モンスター)たちは僅かな戸惑いを見せる。

 

「今なら……イオ!!」

 

追い詰められていたからこそ、その好機を逃すほど愚鈍ではない。ポップは狙いを付けることもなくやたらめったらに両手でイオの呪文を連発する。魔力弾が壁や床に炸裂して爆音が響き、辺りに粉塵と瓦礫を産み出す。

音と煙を目眩まし代わりに、ポップは全力で逃げ出した。

 

――情けねぇ!! こんな子供だましみたいな罠に引っかかるなんて!!

 

駆けながら自責の念にかられるが、同時に自分一人だけだったのは不幸中の幸いだとも考えていた。もしもここに仲間がいれば、自分のせいで足を引っ張り大怪我を、下手すれば全滅させていたかもしれないのだ。

 

「そんなことになっていたら……」

 

思わず浮かんだ仮定だったが、だが彼が知る仲間たちならばこの程度の危機など難なく片付けてしまうだろう。そう考えると、急に足取りが重くなっていた。

果たして自分がいる意味はあるのだろうかと、そう考えてしまう。気付けば駆け足は歩きとなり、ついには立ち止まってしまった。

 

「暗い……そういや、明かりがねぇな」

 

まるでそこで初めて辺りが暗闇に包まれていたことに気付いたように声を漏らす。背負い袋からもう一本のたいまつを取り出そうとして、だがその動きを止めた。

 

「ま、別にもう節約しなくてもいいか。レミーラ」

 

片手を掲げ、呪文で明かりを作り出す。途端に辺りが明るくなり、周囲の状況が手に取るように分かるようになった。

 

「マホトラ!」

「んなっ!?」

 

急に飛んできた呪文を避けることも反応することもできずに、まともに喰らってしまう。マホトラは相手の魔法力を奪い取る呪文だ。その直撃を受けたため、魔法力をごっそりと奪われてしまった。全身が鉛の様に重くなり、せっかくのレミーラが小指の先ほどの頼りない光へと小さくなっている。

呪文を唱えたのは、楕円形の不気味な仮面を被り未開の部族のような格好をした魔物(モンスター)だ。片手には牛の頭骨らしき装飾の杖を持ち、マホトラが成功したことが嬉しいのかケラケラと笑っている。

 

「コイツはゾンビマスター、だっけか? ってことは……!?」

 

かつてアバンから学んだ知識が呼び起こされ、嫌な予感が背筋を震わせた。その予感を肯定するように、ヌッと緩慢な動作で腐った死体が姿を現す。

 

「やっぱり! くそっ、もう魔法力が……でもやるっきゃねぇ!」

 

ゾンビマスターの名が示すとおり、敵はアンデッド系の怪物(モンスター)を呼び寄せ操る事も得意としていた。前衛後衛がはっきりと分かれる、相対すれば非常に嫌な相手だ。

対するポップはマホトラの影響で既に残魔法力はスズメの涙ほどしかない。それでも抵抗を諦めればその時点で彼の人生は終わってしまうのだ。頼るべき仲間はおらず、たった一人で乗り越えて生き延びて次に繋げなければならない。

魂すらも振り絞って、彼が得意とする火炎呪文を使おうとしたときだ。

 

「な、なんだ!?」

 

不意に後ろから羽交い締めにされ、さらには両足を万力のような力で掴まれる。間の悪いことにそれが原因で集中が乱れ、呪文が霧散してしまった。

 

ポップの動きを封じたのは、どくどくゾンビとグールだ。腐った死体にばかり意識を向けすぎていたのが敗因か、それともゾンビマスターの知略の勝利か。とにかくこうなってしまってはもはや非力な魔法使いにはなすすべもない。

 

「が、あああ……」

 

強烈な力で掴み上げられているため、敵の爪が肌へと食い込んでいく。衛生など皆無のその爪は、かすっただけでも恐ろしい毒となってポップの身体を蝕む。それどころかダメ押しとばかりにゾンビ達はポップの身体へと噛みついた。腐毒を伴った息が直接流し込まれ、急速に意識が闇へと沈んでいった。

 

――そういえば、前にもこんなことが……

 

沈みゆく意識の中で思い返したのは、ロモス城での戦いだった。敵の策略により、師アバンによく似たゾンビに惑わされ襲いかかられながらも、それでもあの時のポップはそれを偽物と断じて勇気を振り絞ることができた。

そこから反撃の起点として、逆転勝利を掴むことができたのだ。

 

――けど……今回はもう無理だぜ……

 

ポップの心がついに弱音を吐いた。

 

「アバン、せんせい……すみません……」

 

目の前の死体たちの姿と、ロモスで見た偽アバンの姿。そして本物のアバンの姿がポップの視界の中で混ざり合う。幻覚と現実とか渾然一体となった景色を見ながら、ポップは遂に瞼を閉じた。

 

「ニフラム!」

 

暗闇に包まれたポップの意識の最後の一欠片が、懐かしい声を耳にする。ニフラムは、聖なる力で邪悪な魂を光の彼方へと消し去る呪文だ。マホカトールを初めとする破邪の呪文を得意とするアバンにとっては初級呪文のようなものであり、同時に今のような状況であれば最も頼りになる呪文でもあった。

 

――そうだ……ニフラムの呪文……今みたいな場合に使えたら……

 

どれだけ助かるだろうか。

呪文を唱えたその声に促されるように、ポップは一度は閉じた筈の瞼をもう一度だけ開く。そして彼は見た。

 

「アバンストラッシュ!」

 

最も尊敬し、慕うアバンが剣を逆手に持ち、最大の必殺技を放つ姿を。ゾンビマスターを一撃で屠るその姿は、見間違えようはずもない。

 

「せん、せい……?」

 

思わず口から零れた言葉だったが、それがありえないことも知っている。

 

――でも、せんせいはもう……そっか、あっちからおれのことを、むか……え、に……

 

全ては死ぬ間際の自分が見ている妄想。都合の良い幻覚でしかないのだろう。けれど、幻でもいい。最後に一目だけでもアバンに会うことが出来たのだから。

 

そう考え、ポップの意識は完全に闇へと沈んだ。

 

 




本来この話で終わる予定がもう1話続いてしまう、計算の出来ないダメ人間……
展開とか場面とか悩みすぎたダメ人間……

満腹度が減ると倒れそうなタイトルですね。ポップも武器屋の息子ですから、このくらいは乗り越えてもらわないと(苦笑)

通路に一列に並んだ敵を貫通技で一直線に攻撃。まるでMAP兵器ですね(羽の某ガンダムのようにベギラマでローリングさせるとかもアリですかね?)
なお、ゾンビ出しちゃうのは私の趣味。

さて、ここでまさかの人物が登場。一体誰なんだ……?
きっと自粛に疲れて外に出たくなったのでしょう(時事ネタ)


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LEVEL:65 一番聞きたかった人からの言葉

彼が最初に感じたのは、怪物(モンスター)たちが騒がしく動き回っていることだった。

 

破邪の洞窟という閉鎖的かつ特殊な環境に生息しているため、奇妙な秩序が保たれているのだろうか、ここの怪物(モンスター)たちは互いに争い合うということが滅多にない。というよりも、まるで飲食すら必要ないかのような振る舞いを見せている。

時折転がっている、明らかに人間とは異なる白骨の存在だけが過去に何かがあったことの証左だった。

 

だが今感じるこの空気は、明らかに戦いの喧噪のそれだった。ここの怪物(モンスター)がそのような反応を見せる――すなわち、彼らにとっての(ニンゲン)が侵入してきたことに他ならない。

それをすぐさま理解した彼は、大慌てで階層の探索を行った。取り越し苦労であるならばそれでよし、だが反対に今にも全滅しそうであったならばなんとしてでも助けたいと思ったのだ。姿を隠している最中ではあるものの、人の命には代えられない。

 

洞窟を降っているときには無かったはずの奇妙な破壊跡を横目に見ながら、彼は遂に発見した。そこにはゾンビマスターと複数のアンデッドモンスターが一人の人間へと襲いかかっている光景があった。

 

「ニフラム!」

 

相手がゾンビ系統の怪物(モンスター)ならば、対処は簡単だ。彼は邪悪なる魂を光の彼方へと消し去る呪文を放ち、まずはアンデッドモンスターの一層を狙う。

この呪文は普通の人間には――よほど邪悪な罪を重ねた人間ならば話は別かもしれないが――まず効果がない。加えて念には念をとばかりに、人間には当たることのないように範囲を調整していた。

その結果、目論見通りアンデッドモンスターだけが崩れ去り、残ったのはゾンビマスターだけだ。そのゾンビマスターは、完全勝利を確信して油断していたところで、配下の魔物たちが一瞬で消え去ったことに狼狽え、隙だらけだった。

 

「アバンストラッシュ!」

 

剣を逆手に持ち、自身の必殺技を放って敵を一刀両断で屠る。一撃で絶命したのを確認してから、彼はようやく人影へと近づき、そして絶句した。

 

「せん、せい……?」

「ポップ……!! いったいどうしてここに……!?」

 

だがその疑問の声が届くことはなかった。ポップはまるで最後の力を振り絞ったように力なく崩れ落ちていく。その様子に、彼は慌ててポップを抱き留める。久方ぶりに再会した教え子だったが、それを喜んでいる時間はないようだ。

 

「おっと、これはいけない」

 

師の腕に包まれた彼は、全身の力が抜けており、毒と疲労と傷に苛まれている。このままではそう遠くない間に命を落としかねない。簡単な触診でおおよその状態を判断すると、手早くキアリーとホイミの呪文を唱え、解毒と治療を施す。

 

「ラリホーマ」

 

そして最後の仕上げとばかりに、催眠呪文を使う。既に衰弱しきっていたポップには呪文を抵抗する力も残っておらず、呪文の効果によってより深い眠りへと誘われた。痛みと毒が消えたおかげで、肉体が体力回復に専念しようとしているのだろう。殆ど寝息すら聞こえないほど深く眠っている。安定した小さな呼吸音だけが静かな迷宮内に優しく響く。

 

「本当ならば、こんなことはしたくなかったのですが……許してくださいね」

 

謝罪の言葉を口にしながら、ポップを背負う。催眠呪文を使って無理矢理眠らせるのは倫理的にどうかと疑うが、この状況ではそうも言ってられないだろう。なにしろまだポップに正体を明かすわけにはいかないのだから。

 

「何故ここにいるのかはわかりませんが、今のあなたを見ればおおよそ何があったのか、どんな修行をしてきたのかは分かります……本当に、よく頑張りましたね」

 

背負った教え子へ肩越しにそう呟くと、アバンは意気揚々と地上へ向けて進み出した。

 

 

 

それまで静寂を保っていた洞窟の入り口から、ゆっくりと足音が聞こえてきた。段々と大きくなっていくその音に反応して、マトリフはその方向へと首を向ける。

 

「おっ、ようやく戻ってきやがったか……っ!!」

 

既に外は深夜の時間帯だった。

ポップが洞窟へと突入したのは昼過ぎであり、そこから半日以上経過――渡したたいまつは半日ほど燃え続ける特殊な物である――しているのだ。既に夜の帳が辺りを包んでおり、マトリフは暖と獣除けの意味を兼ねて焚き火をしながらポップが戻るのを待っていた。焚き火には鍋がかけられており、その中からは何やら美味しそうな香りも漂っている。

だが、ようやく現れたその人の姿は、彼の予想を大きく裏切っていたのだ。

 

「久しぶりですね、マトリフ」

「ア、アバン!? どうしてお前がここに!! それに、背負っているのはポップか?」

 

現れたのは彼の旧知であるアバンだった。後ろには背負われたポップの姿もあり、一瞬はもはや死んでいるのかと肝を冷やしたが、すぐに生きているのだと悟り心の中だけで安堵の息を吐いた。

そして次に浮かんで来るのは、どうしてアバンがポップを助けて洞窟から出てくるのかということだ。

 

「……一体、何があった?」

「まあ、色々とありましたが……それよりもマトリフ、正直に答えてください」

 

洞窟の中で何があったのか、それを問いただそうとするが、アバンは曖昧に言葉を濁すとマトリフの瞳を正面から見据える。

 

「どうしてポップを、このような危険な目に合わせたのですか?」

 

それは、どちらかと言えば穏健な――もっと言えば甘い印象すらあるアバンが放ったとは思えないほど、冷たく研ぎ済まれていた。気の弱い人間ならばそれだけで背筋が震え上がり、失神しても不思議ではない。

 

だがそのような態度を取るのも無理はないだろう。久しぶりに出会った教え子が、今にも死にそうな目にあっているのだ。そして教えられた未来の知識によって、ポップがマトリフに師事することを知っている。ましてやその師が洞窟の外で待っているだから、これは彼がポップに課した特訓なのだというのは想像に難くない。

 

となれば、残る疑問はどうしてこのようなことを行わせたのかだ。助ける者も存在しない洞窟の奥深く、一歩間違えば間違いなくポップは死んでいたのだ。みすみす死んでこいと言っているような状況に突き落とした事実は見過ごせない。

虚言や半端な理由を口にしたら、たとえ旧友といえども決して許さないという強い意志が込められていた。

 

「おいおい、こちとら百歳近いジジイだぜ。そんな剣呑な殺気を叩きつけられちゃ、あっと言う間にポックリ逝っちまう」

 

だがマトリフとて海千山千の強者だ。そしてポップにその特訓を課したことにも、キチンと理由がある。口ではそう言っているものの、突き刺さる気配をまるで柳のように受け流しながら、ため息と共に二の句を継ぐ。

 

「お前と同じだ。色々あったんだよ、色々とな……」

「……でしょうね。私が教えてもらった未来の予定には、このようなことはありませんでした」

「だろうな。オレだってこんなことになるとは予想だにしなかった」

 

チルノから未来の予定について聞いているマトリフだが、このようなことになるとは想定外だった。そしてそれは、同じ知識を持つアバンとて同じ事だ。お互いがお互いにまさかと思うことがあったおかげで、今の偶然が生まれたのだろう。

何時の間にかアバンは纏っていた気配を解き、いつもの飄々とした態度を見せている。

 

「ここは一つ、お互いの情報を擦り合わせましょうか?」

「ああ、その方が良さそうだ。ヘタなことを口にして、また睨まれたら今度こそくたばっちまう」

 

 

 

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「ホレ、味は保証しねぇがな」

「いえいえ、助かります。何しろ洞窟の中ではまともな食べ物を摂る機会なんてなかったものですから」

 

そう言いながらマトリフは鍋の中身を木皿へとよそり、アバンに手渡した。受け取ったアバンは、同じく木製のスプーンで一匙(ひとさじ)掬う。どうやら中身はシチューのようなものらしく、具材はキノコやら肉やら香草やらが雑多に詰め込まれていた。

サバイバル料理というか、それとも野性的というべきか。それは分からないが、今のアバンにはそれでもご馳走だった。

 

「だろうな。潜ってどのくらいだった?」

「今回は長かったですよ……たしか、一ヶ月くらいですね」

 

久方ぶりに口にした食べ物の味に、舌鼓を打ちながら答える。

本来の歴史と同様に、アバンは破邪の洞窟に潜り続け修行を重ねていた。とはいえ洞窟に延々と潜り続けられるはずもない。アバンとして人間なのだ。水が無ければ、何か食べなければ、一週間と持たずに死ぬ。どこかで休憩を――もっと言えば睡眠を取らねば、疲労で死ぬだろう。

 

「一ヶ月とは驚いたな……それまでずっと携帯食料か?」

 

それを解消するのは、例えばポップが口にしていた丸薬のような携帯食料を持ち込むことだ。呪文が使えればヒャド系呪文で産み出した氷をメラ系呪文で溶かせば水を手に入れられる。魔物が嫌う臭いを発する草を焚いたり聖水を振りまいたり、マホカトールの呪文を唱えるなどして敵が近寄らない場所を作り出せば、安全に休む事も出来る。

幸いなことにアバンは、そのいずれの方法も実現可能だ。だがそうであっても、食料問題はそう易々と解消するものではないはずだった。

 

「そうですよ。ですが、一度目に潜ったときにこれを見つけられたのが幸いでした」

「なんだそりゃ? 汚ぇボロ袋にしか見えねぇが……?」

 

碌な物を食べていないのだろうと心配するマトリフに向けて、アバンは自身の鞄からやや大きめの革袋を取り出して見せた。それはマトリフの言う様に、どこから見ても古い袋だった。しかし袋を見せながらアバンは自信満々に告げる。

 

「ふっふっふ、聞いて驚かないでくださいよマトリフ。一見タダの革袋にしか見えませんが、この袋はなんと! 見た目よりもずっと多くの物を中に詰め込む事ができるのです!」

「なんだと!?」

「どういう仕組みになっているのかはまだ不明ですが、私が調べた限りでは大樽の四つや五つは優に超えるだけの許容量があります! しかも中に入れた物は保存性が抜群に良くなるようです!」

 

どうやらこの袋のことを誰かに自慢したくて仕方が無かったらしい。アバンの語りはどんどんと熱を帯びていくのがその証拠だろう。

 

「とりあえず、魔法の袋(マジックバック)と名付けました。これのおかげで以降の挑戦がずいぶん捗りましたよ!」

「……んな便利なものがあるのなら、もっと食い物でも詰め込んでおけばよかったんじゃねぇか?」

 

アバンの勢いに押されながら、マトリフは苦言を呈するようにポツリと言う。するとアバンはそれまでの勢いから一転、静かに頷いた。

 

「ええ、それでも良かったんですが。食べ物というのはこれで中々場所を取ります。それに袋の中は時間の流れが緩やかになっているだけで決して腐らないわけではない」

 

そこまで口にすると、木の匙にてシチューをもう一口含んだ。味わうように咀嚼し、ゆっくりと嚥下する。

 

「それに、奥に行けば超絶レアなアイテムが拾える機会もあったんですよ! ならばそれらを一つでも多く持ち帰りたいと思うのは当然です!! そのためには、食料を削ってでもスペースを確保せねば!!」

 

口元にはもはや無精を通り越し、手入れを怠った庭のように髭が伸び放題になっている。髪も伸びっぱなしで枝毛があちこちに出来ており、衣服は脂や汚れのせいでなんともみずぼらしかった。それらは全て、一ヶ月の苦闘の証である。

ならばせめて洞窟の中では食べ物だけでもマシな物を、と思わなくもないのだが、彼にとってはそれよりも迷宮内部で得た未知なるお宝の方が重要だったのだ。

 

――勇者アバン。本名、アバン=デ=ジニュアール3世。

ジニュアール家は学者の家系であり、どうやらアバンにもその血筋はしっかりと受け継がれていたらしい。ひとたびスイッチが入ると研究に没頭しすぎて、食事をも忘れて熱中してしまうようだ。今回はそれが、未知のアイテム群だっただけのこと。

普段は理性的で実に頼れる男なのだが。

 

「まあ、そういうわけでして。一回目の挑戦でこの魔法の袋(マジックバック)を手に入れられ、二回目の挑戦でおおよその目途がつきました。そして三回目の今回、破邪の秘法を得て戻ってきたのです」

「たしか、チルノの話じゃ三ヶ月近く掛かったって聞たぜ?」

 

マトリフが口にしたのは期間についてだった。

本来の歴史ではアバンは三ヶ月近い時間を使い、破邪の洞窟の地下百五十階へと潜り、破邪の秘法を得ていた。だがこの世界では、アバンが洞窟に潜り始めてからおよそ二ヶ月といったところである。

その時間のズレが気になったらしい。

 

「何も知らなければそうでしょうね。ですが、今回は地下百五十階にお目当ての物があると分かっていたのです。先がどうなっているのかも分からず、目当ての物があるのかもわからない状態で挑むのとでは、雲泥の差ですよ」

 

だがアバンは、当然のことのように言ってのける。

本来の歴史のアバンは、未知の洞窟に挑んでいた。複雑さを増し続ける迷宮に加えて世にも恐ろしい罠の数々。そこには強大な魔物も幾度となく立ち塞がったことだろう。

そのくせ、地下五十階以降はさしたる呪文もなくなっているのだ。ならばもはやこれ以上潜っても得るものは皆無ではないだろうか? そう弱気に考えても仕方ないだろう。

しかしそれも、明確な場所が分かっていれば話は違ってくる。先への希望があるからこそ、一階一階を降りていくことも励みとなるのだ。

 

「なるほどな、言われてみりゃそりゃそうだわ」

「それに聞いていたのは大雑把な知識だけでしたからね。洞窟内の経験はどれも得がたい物ばかりでしたよ。良い修行になりました」

 

精神状態はそのまま肉体に影響する。舞台裏を知った上で先を楽しみに進んだとはいえ、それもアバンの実力あってのことだろう。

 

「しかし、時間の余裕があるってわかったのなら、お前のことだ。てっきりもっと奥深くまで潜るもんだと思っていたが……」

「勿論、そうしてもよかったんですが」

 

アバンは少しだけ遠い目をする。

 

「少々約束がありましてね。あまり悠長にもしていられないのです」

「約束?」

「ええ、約束です。先約というべきですかね? それを片付けるためにも、すこししっかりとした時間が欲しかったのですよ」

 

約束とは一体何のことかと首を捻るマトリフであったが、アバンはそれ以上口にする気はなかった。

 

「さて、私の話はこんなところです。破邪の秘法を手に入れ、洞窟から外に出ようとしたところ、偶然にもポップと出会いました。とはいえ怪物(モンスター)の群れに襲われており、今にも命を落としていてもおかしくないほど――いえ、偶然私が気付かなければ、間違いなく死んでいたでしょう」

「…………」

「私がチルノさんから教えてもらった歴史の中には、このようなことはありません。破邪の洞窟に潜るのは、レオナ姫たちがミナカトールという呪文を覚えるときだけと聞いています。ではなぜ、ポップがここにいるのか? 一体彼に、何があったのか? 答えてもらいますよマトリフ」

「ああ。まずはポップに何があったか、そこからだな……」

 

そう前置きをしてから、マトリフはゆっくりと語り始めた。アバンが洞窟に潜っている間に何があったのかを。そして、チルノに教えられた歴史と、この世界で実際に起きた事に対してどのような剥離があるのか。それら全てについて、自分の知る限りを。

 

 

 

「……なるほど、そんなことがあったのですか」

 

全てを聞き終えたアバンは、息を吐き出しながらそう呟いた。

 

「そういうこった。んで、こっからがオレがポップを破邪の洞窟に潜らせようと思った理由についてだ」

 

二人が話し合うそのすぐ近くでは、ポップが寝かされている。元々の疲労に加えてアバンの催眠呪文(ラリホーマ)で強制的に眠らされたのだ。既に数時間は寝ているというのに、一向に目覚める気配がない。

だがそれは二人にとっては都合が良かった。こうして気兼ねなく会話できるのだから。

 

「バランとの戦いで、メガンテを失敗しておっちぬことがなかった。と言えば聞こえが良いかもしれねぇが、そのせいかコイツの中で妙なしこり(・・・)が出来ちまったらしい。とはいえ、事前に敵の能力を説明されておきながら仲間の中でただ一人だけダイに助けられたんだ。無理もねぇかもしれねぇがな」

 

本来の歴史では、記憶を失ったダイを守るためにポップが命を賭してメガンテの呪文をバランへ向けて放った。だがこの世界ではチルノがその命を賭けてダイを目覚めさせることに成功し、彼がその命を代価に払うことはなかった。

しかし、命を失わずに済んだものの、自信という別の物を失っていた。彼がそれまで少しずつ積み上げてきた小さな欠片は、その一戦で一気に崩されていた。

 

「今のコイツは、力に餓えていやがる。前回の失敗を払拭したい。同じミスをしたくないと強く願っている。とも言えるんだが、その方法が短慮すぎるのさ。おまけにどこをどう拗らせたのか、そうして手に入れた力をぶっ放せば後は仲間がなんとかしてくれると思っているフシがあるみてぇだ」

 

チルノから直接聞いたバランとの戦いの最中での行動と、本来の歴史でのポップの行動の差異。そしてポップ本人を観察した結果、マトリフが導き出した答えがそれだった。

 

「少なくともオレは、そう理解した。そういうヤツは遅かれ早かれ大失敗をやらかす。矯正するんなら早い方が良い。だから、ちっとばかり辛い地獄に叩き込んでやったのさ。自分一人だけで考え、行動する。なにしろ助けてくれる奴は誰もいねぇ世界だ、直接戦闘も呪文も援護も回復まで全部一人でやらなきゃならねぇ。そうすりゃ嫌でも気付くだろうよ」

 

たった一人で破邪の洞窟に挑む。だが魔法使い一人だけでは、足りない物だらけだ。戦士の様な強靱さを持たずに敵と対峙し、僧侶の様に治癒が出来ないことに苛立つ。盗賊のように罠を調べたり地形を記憶する事も出来ないことで苦労させられ、ないない尽くしであっても勇者のように自分という仲間の先頭に立たねばならない。

そうすることで自ずと見えてくるはずだ。

 

「仲間は自分の失敗のお守りをしてくれる存在でもなければ、自分は仲間の踏み台でもねぇ。互いに補い合うのが仲間だってことにな」

「……なるほど」

 

マトリフの話を黙って聞いていたアバンであったが、ここに来てようやく口を開いた。

 

「そうなった原因……その一端は、おそらくチルノさんでしょうね」

「は……? そりゃどういうことった?」

「簡単なことですよ」

 

なぜここでチルノの名が出てくるのか。その意味が理解できずに戸惑うマトリフに向けて、アバンは自身の考えを話し始めた。

 

「一言で言えば、順調に行き過ぎていたのです。事前準備があったおかげで、ダイ君はたった三日の修行であれだけ強くなれました。チルノさんという知恵袋のおかげで、魔王軍の軍団長たちを相手にしても、苦労はすれども絶望的な状況には陥らなかった。ダイ君たちがいれば、どんな強い敵が相手でもなんとかなる。ポップはどこかで無意識にそう思ってしまったのでしょう。そこから、少しずつ慢心が生まれていった」

 

それは本来の歴史において、デルムリン島を旅立つダイたちを見ながらアバンが危惧したことと同じだった。強い者に頼ってしまい、自分の歩みを自分で歩みを止めてしまう。尤も、アバンのように圧倒的な強者というわけではないため、旅の間に気付かぬうちに少しずつそういう意識が芽生えていたようだ。

 

付け加えるなら、彼が魔法使いだったことも一因だろう。未熟な魔法使いだったおかげで、仲間と協力することが多かった。そこでなまじ上手く行っていたために、表面化する機会に恵まれなかったのだ。そしてマトリフに鍛えられたことで、それに気付くことなく実力だけは上がっていた。

 

「ですが……ポップがそう思い悩む、その原因の本質はおそらくは……出自、でしょうね」

「出自だぁ?」

「おや、チルノさんから聞いていませんか? この子は、とある村の武器屋の息子です。普通に生きていたら、今のように魔王軍と戦うことは決してなかったでしょう」

「そういや、聞いた覚えがあったような気もするが……チッ、年は取りたくねぇな」

 

マトリフの舌打ちを聞きながら、アバンは続ける。

 

「ヒュンケルは私が子供の頃に育てました。マァムは英雄の両親から生まれた。ダイ君は(ドラゴン)の騎士の血を引いている。でも自分はただの村人。生まれからして他の四人とは違う、劣っている。このまま自分は、どこかで差を付けられて置いて行かれてしまう。仲間たちと一緒にいる資格が自分には無い。そういった感情が、妙な形で噴出してしまったんでしょうね」

「なるほど、いっちょ前に……いや、知らぬ間に随分と高尚な悩みを持ってやがったのか」

 

マトリフは、チルノからアバンほど詳細に内容を聞いていないのだ。前提となる事前情報の量が違うのだから、その差が生まれるのも当然だった。アバンの語った理由に、マトリフは感心したように言いながら、そして気付いた。

 

「……待て。今更気付いたってのも間抜けな話だが……アバン、お前はどうしてポップを生徒にしたんだ? 自分で言ったように、出会った頃のポップは武器屋の息子のガキでしかなかったんだろう?」

「ええ、そうですよ。ポップは家出同然に押しかけて弟子入りして来ました。それから一年以上は彼に修行をつけてきました」

「一年以上も修行をつけてアレだったのか、オメェの苦労が窺えるようだぜ……」

「ですから、貴方に修行をお願いしたでしょう?」

「まあな……って、んなことはどうでもいいんだよ。家出同然(・・・・)に押しかけて弟子入りする。つまり、まだ親元にいたガキを親の許可無く連れて行ったってことだ。それをお前が許したってのが、不思議で仕方ねぇぜ」

 

マトリフの疑問は、気付けば誰もが当然のことだった。アバンの話から逆算すれば、当時のポップは十四歳かヘタすればもう少し幼い頃だ。この世界ではそろそろ自立する年齢ではあるものの、それでも親に黙って出て行くのは問題以外の何物でも無い。

ましてやそれを許したのがアバンがとなれば、彼の性格からすれば不思議どころか異常と表現してもよいだろう。

 

「いやぁ、さすがはマトリフ……痛いところに気付かれました」

 

実際その言葉はアバンにとっても少々ばつの悪いことだったらしい。苦々しい顔をしながらも、それを説明すべく口を開いた。

 

「ポップとの出会いは、私が彼の村にたまたま訪れたのが切っ掛けでした。風の噂で、小さな村にしては腕の良い武器屋があると聞き、少し見てみよう。そんなことを思って向かったんです。実際、その時に持っていた剣が痛んでいたのでね。ですが、訪れたタイミングが悪かった――いえ、今にしてみれば良いタイミングだったのでしょうか」

 

アバンは当時のことを思い返すように、事実を確認するかのように一つ一つ懐かしむようにして話していく。

 

「ハドラーが倒れ、怪物(モンスター)たちは大人しくなっていましたが、それでもまだ気性が荒かったり乱暴な怪物(モンスター)は存在します。私が村を尋ねた時、ちょうどそんな問題が持ち上がっていました。乱暴な怪物(モンスター)が現れて、ヘタすれば村を襲うかも知れない。そんな不安に襲われているとき、間の悪いことに村の子供が森に入ったという事が分かったそうです」

 

そこまで話せば、誰もが察しはつくだろう。

 

「言うまでもありませんが、森の中は怪物(モンスター)領域(テリトリー)を兼ねている場合もあります。私は偶然にもその話を聞いてしまい、救助に行くことを申し出ました。そこで出会ったのが――」

「ポップだったってわけか……」

「ええ。見つけたときは、ポップは魔物(モンスター)に追い詰められていました。間一髪のところを、呪文で撃退して救出したというわけです。なにしろ剣は傷んでいましたからね」

 

概ねマトリフの予想通りの事柄だった。こう言っては何だが、そうそう珍しい事ではないとすら言える。だが、その予想は良い意味で大きく裏切られることになる。

 

「ポップは私の呪文に驚き、感動していましたよ。争いとは無縁の小さな村でしたからね、攻撃呪文を見たこともなかったのでしょう。助かったと自覚した途端、それまで恐怖に震えていたのも忘れて目を輝かせていました。今の呪文はなんだったのか。自分にも出来ないかと矢継ぎ早に尋ね、そして遂には見よう見まねで呪文を使おうとしましたよ」

「ヘッ、それで上手く行かずに弟子入りしたってわけか?」

 

まだ幼いポップがアバンにまとわりついて尋ね、必至で呪文を唱えようとする。まるでその時の光景が聞いているだけで目に見えるようだ。だがこの世界では呪文を覚えるには契約をしなければならない。契約を結ばなければどのような傑物であれ、呪文を操れないのが常識だ。

マトリフはそう考え、弟子入りの理由を推測した。だがアバンはそれを首を振って否定する。

 

「いいえ。驚いたことにポップはメラの呪文を発動させました」

「なにっ!?」

「正確には、メラとも呼べないお粗末な物でした。一瞬何かが発生したかと思えば、次の瞬間には消えていた。後にあったのはほんの少しの煙と炎の残り香だけです」

 

それはアバンの言うように、呪文とは呼べないだろう。だが多くの者は、その呪文とは呼べない状態に辿り着くのすら苦労を要する。間違ってもまぐれでどうにかなるものでは無いのだ。

ましてやそれを呪文について何も知らぬ小僧がやってのけるなど、あり得ることではない。

 

「驚くのも無理はありません。当時の私も驚きました。これは誰もが持つ才能ではない、育てればきっと歴史に名を残すような大魔法使いになる。そう考えた私は、彼の両親の所へ向かいましたよ。どうかこの子を私に預けて欲しい、とね」

 

そんな黄金の原石を見つけたときの当時のアバンの気持ちはいかほどだろう。同じ魔法使いたるマトリフには、その驚きが手に取るようにわかった。

 

「幸いにもポップも乗り気でしたが、彼のご両親は猛反対でした。魔法使いになるということは、否応なしに戦いに巻き込まれると言うことです。子供の身を案じたのでしょうね。仕方なし、私は引き下がりました。そしてポップには『もう少し大人になった時に、私の所へ尋ねてきてください』と言って別れました」

「そのはずが、当のポップ本人が家を抜け出してお前のところに来ちまったってことか?」

「その通りです。お恥ずかしながら、彼が追い掛けてきたのは私が村を出た後でして。それに、彼の才能に惚れ込んでしまい家へ帰そうとしなかった私も悪いのです……ああそうそう、結局剣は傷んだままでした。何しろその武器屋はポップの家ですからね。とてもそんなことは頼めませんでしたよ」

 

なるほど、これではばつが悪いのも当然の理由だった。勝手に家を出たポップにも非はあるが、アバンの非も大きい。教師の血が騒いだということなのだろうが。しかしアバンは、罪悪感こそ感じているものの、それ以上にこれが正しい行動なのだと心のどこかで直感していた。

 

「ですが、私の下で学び始めたポップは少しでも辛い課題を出すとすぐに投げ出してしまいました。それでも彼のことを信じて、教え続けました。いつか自分で気付き、努力して欲しいと。それが無駄ではなかったと、デルムリン島での貴方を見て心からそう思えました」

 

いつの間にかアバンはポップの方を向き、いつのも様な優しい瞳と柔らかな口調で彼へと語りかけていた。未だ目覚める気配すら見せないポップには、どれだけの言葉を尽くしても届くことはないだろう。だがそれでも、アバンは言わずにはいられなかった。

デルムリン島で不本意な別れをした際に、もっときちんと伝えられていたのならとそう思ったからだ。

 

「許されるのなら、私は声を大にして言いたい。貴方は他の仲間にも決して負けない……いえ、それ以上の才能を秘めているのだと。生まれの差など関係ない、貴方も立派な私の教え子なのだと」

 

故にアバンは語る。かつて見た生徒の可能性について。

 

「それにね、ポップ。私は貴方が羨ましいですよ。今の私では、もはや勇者という名が知られ過ぎています。私が何かをしても、常に"勇者"という二文字がついて回ります。何かをしても"勇者だから当然"だと思われ、"勇者にしか出来ないこと"と諦められてしまう」

 

教師と生徒という立場だからこそ、そう易々と見せるわけにはいかなかった苦悩を。

 

「ただの村人でしかない貴方だからこそ、人々は"自分にも出来るかもしれない"と希望を持ち、勇気を奮い立たせてくれます。多くの人たちと同じ目線だからこそ、貴方の声は誰よりも届くのですよ。貴方が悩んだ数だけ、ね」

 

今のアバンでは――いや、十五年前のアバンでもそうだろう。きっと彼にしか出来ない未来の作り方を。

 

「貴方は自分の力が足りないから、卒業できなかったのだと思っているのかもしれませんが、それは違います。卒業というのは、もはや師が傍で見ていなくとも自分の力で巣立つことが出来るようになったその証です。私から学んだ事を、自分の力で発展させる時期が来ただけのこと……自分の力に悩んで頑張っている今の貴方は、どこに出しても恥ずかしくない自慢の生徒ですよ」

 

眠り続けるポップへと向けて、そう語る。決して届く筈のない言葉。だがそれを受けたポップの寝顔は、気のせいか安らかなそれへと生じたように見えた。

 

「……直接言ってやればいいじゃねぇか。何もそこまで台本通りにする必要もねぇだろ? ここでお前が力を貸してやってもいいはずだ」

「ええ、それも実に魅力的な提案なのですが……どうやら私は、過分にも大魔王バーンにすら恐れられているようです。ならば私の存在はギリギリまで伏せた方が良いでしょう。何しろ私たちの最大の利点は、敵が人間を甘く見ているということなのですから」

 

それほどまで気に掛けているのならば、正体を明かしても良いのではないか。そう口にするマトリフであったが、アバンはそれを否定する。彼の口にした通り、相手が油断しているということは古今あらゆる状況において有利に働く要因の一つだ。

そして秘密を知る者は少なければ少ないほどよい。ヘタに知る者が増ることで差異が産み出され、やがて違和感となって感づかれる。

何より彼らには未来を知っているというアドバンテージがある。ならば変化は最少限度にとどめるべきだ。変化が増えれば、それは不確定要素となって予期せぬ結果を齎し、アドバンテージが崩れる事になりかねない。

 

アバンはそれを熟知しているがため、断腸の思いで身を隠し続けるという選択肢を選ぶことを決断していた。

 

「なにより、隠れていた場面で登場した方がカッコいいでしょう? まさに秘密兵器!」

 

……いや、ホントだから。ノリだけで決めたわけじゃないから。

 

「それに、私たちの道は未来で繋がっています。一人の少女が運命をねじ曲げてまで繋ごうとしてくれた道ですよ。再会出来ないわけがない……今、私たちがこうして話し合っているようにね」

「……難儀なヤツだ」

 

アバンの言葉に、マトリフは苦笑しながらそう答えた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ザメハ」

「ん……?」

 

マトリフの唱えた覚醒呪文を受けて、ポップは目を覚ます。しばらくの間、自分がどこにいるのかも分からずボーッとしていたが、やがて弾かれたように身体を起こす。

 

「こ、ここは……あの世か!?」

「いんや、この世だ」

「し、師匠!? ってことは……おれ、助かったのか!?」

 

キョロキョロと辺りを見回しながら、それでもポップは今の自分の様子が信じられずにいたようだ。辺りは未だ暗闇に包まれた夜のまま。マトリフ以外に人影もなく、それ以外には焚き火が燃える音が響くだけだ。

 

アバンは少し前に、ルーラの呪文を唱えて夜空へと消えていった。まるで語るべきことは全てを言ったと言わんばかりに、あっさりとした別れだった。騒々しくしていたかと思えば、まるで煙の様に消える。だが、マトリフが会話したという記憶と、なによりもポップの存在こそがここにアバンがいたという何よりの証でもある。

 

「ずいぶんと寝てやがったからな。いい加減退屈したんで、呪文で無理矢理たたき起こしてやったんだよ」

「寝ていた……?」

 

師の言葉に、自分が覚えている最後の記憶が蘇ってくる。そしてその記憶が事実ならば、自分が地上へと戻っていることなど決して無いはずだ。ましてや呑気に眠っているなど、どう考えてもありえない。

 

「おうよ。迷宮からお前が出てきたと思ったら、何も言わずにぶっ倒れたんだ。まあ、死なれても困るから最低限の手当はしたがな」

「ウソだろ!?」

「嘘吐いてどうすんだ?」

 

そう口にする師の言葉を聞いても、到底信じられるものでは無い。しばらくの間考え続け、やはりあり得ないという結論に達する。

 

「いやいやいやいや、そんなことあるわけがねぇって。隠さなくってもいいんだぜ、かわいい弟子が心配でこっそり洞窟の中まで助けに来てくれたって言っても」

「アホ抜かせ。オレは一歩たりとも迷宮の中には入っちゃいねぇよ。なんなら神に誓ってもいいぜ」

 

そのため、マトリフが照れ隠しで否定したのだと思っていた。だが、そのあまりの雰囲気に彼の言葉が決して嘘や冗談ではないのだろうと悟り、身震いする。心のどこかで、いつでも助けに入る準備をしているのだと期待していた。だがその思いが打ち砕かれたのだ。

 

「じゃ……じゃあ、死んでたらどうするんだよ!?」

「生きてるだろうが」

「いや、そうなんだが……じゃあなんでここにいるんだおれ!?」

 

そうあっさりと言ってのける。確かに生きてはいたが、自分がどうやって戻ってきたのかまるで思い出せないからだ。

 

「推測でしかねぇが、死ぬような目にあっても本能で戻ってきたんじゃねぇのか?」

「そ、そういうものか……?」

 

意識を失ってもなお戦い続ける武術家の話を聞いたことくらい、ポップだってある。だがそれを一介の魔法使いでしかない自分が行えるとは思えなかったのだ。混乱するが、それ以外に何か納得できる理由も思い浮かばない。

戸惑う弟子に向けて、マトリフは言う。

 

「んで、何か掴めたか?」

「何か……ああ、そうか!!」

 

何か掴めたか、という言葉に自分が何故洞窟へと潜っていたのか、その理由を思い出す。とはいえ「行けば分かる」と言っていたが、こうして戻ってきた今でもポップにはそれが何なのかさっぱりとは分からない。

 

「その、なんて言うか……洞窟の中で死にそうな目に遭ってよ。そこで意識を失ったんだ。それからのことはまるで覚えてねぇ」

 

だからポップは一番印象に残っていたことを話すことにした。自分でも夢か幻としか思えない、記憶すら朧気なそれについてを。

 

「でも意識を失った中で……上手く言えねぇんだけど、すげぇ良いことがあったような気がするんだ。洞窟の中では、足りないことだらけだった。もっと強い力が欲しいって思ってたけど、今ではそれでもいいんじゃねぇかって。心のどこかで引っかかっていた何かが、綺麗さっぱり消えたみたいな、そんな気持ちだ」

「ほぉ……」

 

――案外、馬鹿に出来ねぇものなのかね……

 

ポップの回答を聞きながら、思い浮かんだのはアバンの言葉だった。届くはずがない、と言った筈の言葉は、確かに届いていたのだ。今はまだしっかりとした言葉にも出来ないそれだが、もはやポップの心は大丈夫だろうと、マトリフにはそう見えた。

 

「これで、よかったのか……?」

「何がだ?」

「洞窟に入った理由だよ。納得したみてぇな声出してたけれども、こんな曖昧な答えで良いのか?」

 

言った自分ですら納得できるとは思っていない言葉だったが、マトリフはもはや興味なさそうな顔になっていた。それは決してポップの答えに興味が無かったからではない。マトリフが百万言を尽くすよりももっと大事なことが、既に伝えられていると思ったからだ。

 

「ああ、良いんじゃねぇの? お前が死ぬような目に遭って掴み取ってきた答えなんだ。ならそれがお前の中の正解なんだろうよ」

「なんだそりゃ!?」

「あとはソイツを大事にしていきゃいい。それになにより、良い経験だっただろ? 普段知らねぇことが痛いほど知れたはずだぜ」

 

だがまあ、それはそれとして。潜ったことも意味が有る。そこは現在のポップの師としての最後の意地だった。そう言うマトリフの言葉に、ポップは「まぁ……」と曖昧に頷いた。

 

「ほれ」

「なんだこりゃ?」

「待ってる間、暇だったんでな」

 

そう言いながらマトリフは鍋の中身を木皿へとよそり、ポップに手渡した。受け取ったポップは、同じく木製のスプーンで一匙(ひとさじ)掬って口にする。

 

「味は保証しねぇぞ」

「いや、助かるぜ。なにしろまともな食事は一日ぶりだからよ」

 

アバンとよく似たことを口にしながら食べていくポップの姿を見ながら、マトリフは気付かれないように薄く笑っていた。

 

 




さて、つい出してしまったアバン先生。でも色々なフラグを折ってしまった以上、もうこの方にお願いしないとポップが覚醒してくれそうにないんです……
ヒュンケルは先生に「誇りです」と言ってもらいました。でもポップだって言って欲しかったと思います。
でもどうやって言わせよう。悩んだ結果がこれです。

しかし、二ヶ月で150階……化け物ですかアバン先生……
(というか「ミナカトールを使ってくれたから決戦が近いことに気付いた」発言から、原作では下手すればずっと気付かないままだった可能性もあったんですよね)

(原作でもそうですが)彼は再登場までの間に破邪の洞窟で修行していました。
でも、三ヶ月間ずっと洞窟にいたわけではないはず。水と食料の問題があります。ついでに原作で「用意しておいた数々の回復道具や食料も底をつきかけ」と言っているので、アイテムの問題も出てきます。持ち込めるアイテム量の制限ですね。
(それらアイテムを手に入れる代金はどうやったのか? 実家は魔王軍の侵攻を受けていて、下手をすれば実家が焼かれていても不思議じゃない。という問題も出てくるのですが)

原作で描写されたアバンは、荷物と呼べるのは肩掛け鞄だけでした。それだけでどうやったんだ!? と考えて、結局のところいわゆる「無限に物が入るバッグ」に頼ってしまいました。
(入る時はもっと大荷物で、途中で捨ててきた。と言う可能性もありますが)
これがあればバーンパレスで再会後に「その格好のどこにあんなお弁当を持っていたんだ!?」とか「ミエールの眼鏡を掛けたとき、その手のハンマーはどこから出した!?」という疑問も解消です。

一日で潜って外に出て。というのも、特殊な力が無いとリレミト不可の洞窟ですし、150階まで潜るのに時間が掛かる。それに毎日洞窟に出入りしていたら、誰かが気付くだろうと思って。出入り回数は人目につかないように少なかったと判断。

しかし。
洞窟の中って普通は暗いわけで、そうなると明かりが必要なわけで。餌も太陽の光も必要なわけで……つまり魔物は暗視と飲食不要がデフォで装備されてるんですかね? この辺りはファンタジー永遠の命題ですね。
(洞窟の奥深く、秘宝を守るべく配置したドラゴンが餓死してた。とかギャグですから)

そしてアンケート協力していただきありがとうございました。
まさかの武器でしたね。さあ、武器に打ち直すように頑張ろう。



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LEVEL:66 世界会議開催

実はこの辺から、超見切り発車の展開です……



まだ朝日の燦めきがまぶしい中、ダイたちはパプニカの王城前へと辿り着いていた。

ロモスの武術大会を終え、ルーラで帰ってきたのだ。驚異的なバイタリティで復興を進めるパプニカは、もはや不死騎団によって一度滅ぼされたとは思えないほどの活気を取り戻していた。

時間的に、朝食の準備は終わっている頃のため煙が立ち上っている姿は少ない。精々がパン屋や食堂くらいだ。代わりに港の方まで目を凝らせば、多くの人々が忙しなく動き回っている姿が見られる。ましてや高台から見下ろしているため、その景色は絶景の一言だろう。

吹き抜ける潮風の心地よさと相まって、まるでこの場所が自分の為に拵えられたのだという錯覚まで覚えてしまうほどだ。

 

「わぁ、これがパプニカの街並みなのね……!」

 

そんな景色を眼下にしながら、マァムは感慨深くそう口にする。武術の修行のために、復興が開始されるよりも早くパプニカを立った彼女にしてみれば、記憶の中にあるのは傷ついた街並みだけだ。

それが今ようやく本当の光景を見る事が出来たのだから、喜びも一入(ひとしお)だろう。

「そういえばマァムは、見たことないんだっけ?」

「ええ、見る前にロモスに戻っちゃったから……でも、こんな素敵な景色が見られるんだって知っていたら、出発をすこし遅らせても良かったかもね」

 

チルノの言葉にマァムは少し悪戯っぽくそう答えた。

なるほど確かに、街が復興していくその様子は誰が見ても心躍るものがあるだろう。

 

「でも、見た目ほど簡単じゃなかったわよ。黙って見ていても街は元には戻らない、上が許可して指示してあげないと、回る物も回らなくなっちゃうから……」

 

だがチルノは淀んだ瞳でそう答える。ベンガーナのデパートへと向かうまでの数日間、事務仕事が出来るということで随分と書類仕事を回されていたのだ。パプニカのためでもあり、レオナの為でもあるのだが大変だったの一言に尽きる。

テランから戻った時には、色々と大変な状態だったために免除されていたのだが……

 

「な、何かあったの……?」

「……色々とね」

 

そんなことを知らぬマァムは、チルノの様子に驚かされる。チルノもわざわざ説明することでもないと判断して、曖昧な返事をするだけだったが。

 

「ふ~ん、なかなか綺麗な国じゃないか……ま、シティ派のぼくにはちょっとあわないかもしれないけどねぇ……」

 

なお、そんな復興の苦労はおろか滅ぼされていた状態すら一切知らないチウは、街を見下ろしながら呑気な事を口にしていた。

 

「おや……? これは皆さま、お帰りなさいませ!」

 

城門近くでわいわいとやっていたからだろう。一人の兵士が喧噪に気付き、近寄ってきていた。だがその相手がダイとチルノだと気付くと、彼はすぐさま姿勢を正し背筋を伸ばして挨拶をする。

 

「見回りですか? お疲れ様です。ただいま戻りました」

「いえそんな、当然のことですから」

 

チルノの言葉にも丁寧に対応する。何しろ彼からすれば相手は救国の英雄なのだ。いくら何日もパプニカに滞在して慣れ親しんだとはいえ、敬意を払ってしまうのも無理はない。

兵士はダイたちの顔を順番に見ていき、そして三人目で動きを止めた。

 

「失礼ですがそちらの方は……?」

「マァムよ、覚えてない?」

「……おおっ! これは失礼いたしました!! 以前お見かけしたときとは雰囲気があまりにも違うものでしたから」

「いえいえ、気にしないでください」

 

そう指摘され、彼はようやく得心がいったとばかりに大声を上げて頭を下げる。とはいえ、二週間近く前に初めて出会ったかと思えば、すぐに旅立っているのだ。しかもその時には今のような武闘家の格好でもない。

彼の言葉ではないが、纏う雰囲気があまりにも違い過ぎるのだ。マァムもそれは自覚しているのか、彼に言葉に気分を害するような素振りすら見せずにいた。

 

「ではこちらの方も皆さんの仲間なのでしょうか?」

 

残る一人――チウへと視線を動かし、兵士は少しだけ動きを止めた。

何しろ幾ら勇者のパーティにいるとはいえ、チウは大ねずみの怪物(モンスター)である。その姿を見ただけで懐疑的になってしまうのは仕方のないことだろう。

だが彼は、ダイたちが説明するよりも早く何かに気付いたように声を上げる。

 

「なるほど、クロコダイン殿と同じようにダイ殿の正義の心によって改心したのですね」

「へ……?」

「え……なんだねそれはっ!?」

 

チルノはその言葉に聞き覚えがあった――というよりもそれを言ったのは他ならぬチルノ本人である。パプニカにてザボエラとの戦いの最中、クロコダインが仲間になったことを説明する際に手っ取り早く信じさせるために使った言葉だ。

このままその理由でも良い気もするが、それではチウ本人が納得しないだろう。仕方なし彼女は誤解を解くために口を開いた。

 

「いえ、この子は――マァムもですが、二人ともブロキーナ殿に弟子入りしていたんですよ」

「そうです、私の兄弟弟子のチウと言います」

「なんと! あの拳聖ブロキーナ様の……!! 失礼しました、心強い仲間が増えていたのですね」

 

それを聞いてすぐさま謝罪する兵士の姿に、チウは溜飲が下がったらしくそれ以上追求するようなことはなかった。どうやら彼もブロキーナの弟子ということに誇りを持っているらしく、ダイの正義の心で仲間になったと思われるのが嫌だったらしい。

 

チウの機嫌が直り、兵士が顔を上げたのを見計らってからチルノは改めて尋ねる。

 

「ところで、レオナに戻ってきた報告をしたいのだけれど、王宮にいるのかしら?」

「はっ! いえ、姫様はあちらにいらっしゃいます」

 

そう言って、彼は王城ではないある場所を指さした。

 

「そうか、世界会議(サミット)のために……」

「あそこがその秘密の会場ってことか」

 

全員が見つめるその視線の先には、パプニカ大礼拝堂がそびえ立っていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

大礼拝堂の中は、世界会議(サミット)の会場になるということもあってか、完璧に復元されていた。隅々にまで手入れが行き届いており、もはやひび割れ一つとして見受けられなかった。窓ガラスにも豪華な物が設えられており、まるで透明な板がはめ込まれているかのようだ。

チリ一つとして落ちていない内部を案内され、ダイたちはある一室へと通される。

 

「姫様、失礼します。皆様をお連れいたしました」

 

その部屋はパプニカ関係者の控え室の様な場所らしい。中には椅子やテーブルといった調度品が並び、そのどれもが上品そうに見える。そしてその部屋の中ではレオナと三賢者が何やら話し合いをしている最中だった。

だが声が掛けられるやダイたちの方を向き、その表情を満面の笑顔へと変える。

 

「みんな! お帰りなさい」

「ただいまレオナ」

 

彼女は戻ってきた一人一人の手を取り無事を祝う。まずはチルノの手を取り、続いてマァムへと向かった。

 

「マァム、久しぶりね」

「レオナこそ!」

「随分強くなったみたいね。頼りにしてるわよ」

 

手を握り、その佇まいを見ただけでも以前のマァムとは違うということが感じられる。肌から伝わってくる闘気が違うとでもいうのだろうか。かつての彼女とはまるで別人のような感覚をレオナは感じていた。

 

「レオナの方こそすごいわ! 世界中の王様を一つにまとめちゃおうなんて……」

 

対するマァムもまた、自分では思いもつかないスケールの大きなことを為し得ようとしている彼女に賛辞を送る。だが、それを聞いたレオナの表情は陰りを見せた。

 

「……世界中……そうね、世界中だったらどれだけ素晴らしかったことか……」

「……!?」

 

言葉に詰まるレオナの様子に首を傾げると、後を引き継ぐように三賢者が口を開いた。

 

「我ら三賢者がそれぞれの国に向かいましたが、各国の国王を救出することは出来ませんでした……リンガイア王軍の猛将と謳われたバウスン将軍など、ある程度は救出できたのだが……」

「将軍が仰るには、リンガイア王とは離ればなれになってしまったとのことです。大国リンガイアの協力が得られれば、これほど心強い事はありませんでした……」

 

アポロ、マリンの言葉を聞いて誰もが沈痛な表情へと変化する。使者を任されたとはいえ、すでに滅ぼされた国を探すのだ。こうなることも十分予想できたのだが、やはり現実として突き付けられると自らの無力さを思い知らされているようで、心が痛む。

 

「でも、ダイ君が覇者の剣を手に入れて戻ってきてくれたのは嬉しい知らせだわ。勇者に伝説の剣が加われば、未来の材料として十分すぎるほど明るいもの!」

 

しかしレオナは、そんな暗い感情を吹き飛ばそうとことさら大きな声で口にした。確かに、勇者に伝説の剣が加われば鬼に金棒である。魔王軍との戦いにも拍車が掛かろうというものだ。

とはいえ、肝心の剣がダイにしてみれば未完成であるということを知る面々からすれば、必ずしも明るい材料とは言い切れないだろう。目下、手早く目的を片付けてしまおうとチルノは考える。

 

「実は、その剣に関わることなんだけれど……レオナ、ポップがどこにいるか知らない?」

「え、ポップ君? 彼なら……」

「誰か今、おれのことを呼んだかい?」

 

――そこにいる。という言葉と共に指を差そうとしたところでポップが隣の部屋からヌッと顔を出した。

 

「ええ、私が呼んだけれど……どうしたの? なんだか随分眠そうね」

「ああ……ちょっと部屋を借りて仮眠しててな……」

「ちょっと! まさかここで寝てたの……!? 呆れた……」

「堅いこと言うなよ、マァム……変な時間に寝たから、眠くってしかたねぇんだって……」

 

突然顔を出したことに驚かされるものの、その顔は瞼が重そうに下がっており誰がどう見ても寝起きのそれだった。どうしてそんなことになっているのか、チルノは本来の要件も忘れて思わず尋ねてしまった。

そして「仮眠をしていた」という彼の言葉にマァムが驚きと呆れたを混ぜた様子を見せる。なにしろここは世界会議(サミット)の会場となる場所だ。そんなところで眠りこけていれば、そんな反応をするのも無理はない。

その言葉を聞いてもなおポップは精彩を欠いた様に生返事を返し、かと思えば数秒後にはまるで飛び起きたかのように叫んでいた。

 

「って、マァムか!?」

「ええそうよ。おはよう、お寝坊さん」

「おいおい、そう邪険に扱わないでくれよ。何せ昨日死にかけたんだから、今くらいはゆっくり寝かせてくれって」

 

マァムの言葉にポップは飄々とした態度で言い訳をする。だが、その内容は少々聞き捨てならない内容であり、思わずダイは聞き返してしまう。

 

「死にかけたって、何やってたの?」

「んー……ダイたちなら知ってるか? ほれ、おれが師匠に特訓を申し出ただろ。それの仕上げみたいなもんだ。詳しくは省くけれど、それが原因で夜中過ぎに起きてよ。その後は眠れなくって結局朝まで起きてたんだ」

 

ポップの言う特訓とは、マトリフの手によって破邪の洞窟に叩き込まれた時のことである。アバンとの奇跡的な再会によって命からがら戻ってくることができた。とはいえ彼は洞窟内で意識を失っており、目を覚ましたときには既にアバンは去っており時間はもはや朝に近いほどであった。

その上、眠らされてときに回復呪文を受けたこともあってか眠れずにいた。そのため起きたままだったというわけである。

 

「今日が戻る予定日だって、エイミに伝言を頼んだでしょう? それを聞いてから、ポップ君はここで待っていたのよ。とはいえちょっと調子が悪そうだったから、待ってる間に寝ても良いって言ったのはあたしよ。だからあんまり怒らないであげてね」

 

あんまりポップが責められるのもどうかと思い、レオナが助け船を出す。その言葉を聞いて、マァムは納得したように矛を収めた。

 

「そうだったの。ごめんなさいポップ、ちょっと早とちりしすぎたみたいね」

「なぁに、わかってもらえりゃそれでいいぜ」

「でも、そんな大変な特訓をしていたなんて……」

 

本来の歴史では存在しないポップの特訓に、チルノは何が起こったのか知りたくて仕方が無かった。何しろ彼がそのような事になったのも、彼女が存在していたからである。責任感とほんの少しの好奇心からどんなことをしていたのか聞こうとして、そして気付いた。

 

「ポップ……その、変わった?」

「え? そうか??」

「なんていうか、一皮むけたみたいな……本当に、何があったの?」

 

思わずマジマジとポップのことを見つめてしまう。普通ならば人はたった数日で劇的に変わることなどない。だがそんな常識など軽々と飛び越えてしまうのがアバンの使徒というものである。

見た目はまるで変わらないが、その内側から滲み出てくるような何かをチルノは感じ取っていた。

 

「うーん……上手くはいえねぇんだけど、色々と胸のつかえが取れた。そんな感じだぜ」

 

――胸のつかえが取れた。

その言葉から何があったのか考えるものの、どうにもチルノの脳裏にはピンと来ない。少しの間考え込んでいると、やがてポップの方から口を開いてきた。

 

「褒めてくれるのは嬉しいけれどよ、おれに何か用事があったんじゃねぇのか?」

「あ、そうだった!」

 

言われた通り、ここで悩んでいる暇はなかった。本来の目的を思いだし、まずはそれを優先することにする。

 

「ポップ、いきなりで申し訳ないんだけれど、ランカークス村まで連れて行って貰えないかしら」

「ランカークス村? そりゃ、おれの故郷じゃねぇか……どうしてそんなところへ? こう言っちゃなんだが、何にもねえ小さな村だぜ」

「それは、おれが話すよ。実は――」

 

その理由については自分自身で話すべきことだと思ったらしく、ダイが前に出てきた。

そしてダイは全員に向けてランカークスへと向かうだけの理由を説明する。ロモスで何があったのか、そして伝説の剣を手に入れて何を思ったのか。

 

レオナたちはそれを黙って聞いていたのだが――

 

「ふ……ふふふ……あはははは!! もうダメ、お腹痛い!」

 

やがて耐えきれなくなったのかレオナが堰を切ったように笑い出した。

 

「伝説の剣がサイズが合わないから直して欲しいって! ドレスの仕立て直しをするんじゃないんだから!! あははははは!!」

「レ、レオナ! そんなに笑うことないだろ!!」

 

あまりの大笑いにダイは思わず顔を赤らめて反論する。だがレオナは、決してふざけていたり嘲笑うような気持ちは一切ない。むしろその逆だ。

 

「ごめんごめん。でもいいじゃない、だって覇者の剣が物足りないってことでしょう? 勇者のアピールには十分すぎるくらいだわ」

 

余人では予想もつかないようなスケールの大きさに笑うしかなかった、というのが最も正しいといえるだろう。そのまま姫とは思えないほどケラケラ笑い続けるレオナを横目に見ながら、ポップは言う。

 

「ま、姫さんの言うことも一理あるわな……で、おれはランカークスまで案内すればいいのかい?」

「ああ、それをポップに頼みたくて」

「よっしゃ、任せとけって!」

 

ドンと胸を張ってそう断言するポップのその姿に、チルノは一抹の不安を覚える。

 

「頼んでいる身でこんなことを聞くのも失礼だけど……ポップ、本当に大丈夫なの?」

「……ん? ああ、ひょっとして体調のことでも心配しているのか? なら問題ないぜ、もうすっかり目も覚めたしな」

 

まだ寝ぼけていないか心配されたと思ったのかポップはそうアピールするが、チルノの懸念点は別のことだった。本来の歴史では、ポップはアバンに弟子入りするために家出をしており、そのことを気に掛けている。大雑把に言えば、両親の前に顔を出しにくい。どの面下げて親の前に戻れるのか。といった心情である。

それが彼女の目の前にいるポップはどうだ。そのような態度は鳴りを潜めている。これも彼の言う特訓の成果なのだろうかと、チルノは気付かれないようこっそり首を捻った。

 

「大丈夫だってさ、姉ちゃん。もう出発する?」

 

ダイは姉のそんな内心など知らず、いつ立つのかと尋ねてきた。だがチルノはそれを片手で封じるような動作をしながら言った。

 

「あ、それなんだけれど。今回は私はパプニカで待っているから」

「えっ!?」

「剣を打ち直すだけなら、私がいなくても問題ないし」

 

当然一緒に来ると思っていただけに、残るというチルノの言葉はダイには衝撃的だった。だがチルノは構わず続ける。

 

「それに、まだ剣の問題が解決すると決まったわけじゃない。もしかしたら、空振りの可能性だってあるわ。だったら、誰かが残って情報を集めなくちゃ。幸いにも世界会議(サミット)のおかげで各国の王様が来るんだし、出来るだけ尋ねて回っておくから。ね?」

「うん……」

 

そう言われては、ダイも言い返すことは出来なかった。確かに姉の言う通り、それだけならばわざわざ大人数で行くこともない。空振りする可能性も考えれば、鍛冶師の情報は多ければ多いほど良い。

そして情報を集めるのであれば、ダイに近い人物の方が適切だろう。だが本人はランカークスへと赴くため、チルノが話をするしかあるまい。

頭ではその理屈が分かるため、ダイはしぶしぶ頷く他なかった。

 

「それじゃ、ダイにはこれも預けておくわ」

 

そう言ってチルノは弟へ袋を手渡した。ずしりとした重みのある袋を受け取ったダイは、初めてみたかのように興味深そうにそれを眺める。

 

「これって……?」

「中には覇者の冠が入っているわ。もしも剣を打ち直すのに材料が足らなかったら問題だし、持って行って。余ったら、交渉の材料にしてもいいから」

「交渉の材料……って? どういうこと??」

「たとえば、このオリハルコンを素材にして自分の作りたい武器を作っても良いから、剣を打ち直してくれ――みたいに頼むとかね。その辺は任せるわ」

「ええっ! そんな、受け取れないよ姉ちゃん!!」

「大丈夫大丈夫。知っての通りロモス王の許可は取ってあるし、それにダイの剣が完成しない方がよっぽど大事件よ。私の代わりだとで思って、連れて行ってあげて」

「姉ちゃんの代わり……」

 

そう呟きながら、ダイは手にした袋を強く握りしめた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「本当によかったの? 一緒に行かなくても」

 

ルーラでの移動による光跡が空へと上っていく。だがそれも一瞬のことだ。すぐに光の道筋は景色に溶けて見えなくなる。もはや粒子にも満たなくなったその光を、チルノたちは大礼拝堂のテラスから眺めていた。

 

結局、ポップのルーラによってランカークス村へと向かったのはダイ・マァム・チウに術者のポップを加えた四人だった。メンバーが決まれば善は急げとばかりに、すぐさまルーラの呪文で飛び立っていた。見送りはチルノ・レオナに三賢者だけだ。

 

チルノの横顔を見ながらレオナはそう尋ねる。だがチルノは一切気にした様子を見せない。

 

「うん。さっきも言った通り、私がいなくても問題ないから……それに、これからパプニカには各国の王様が続々と集まってくるんでしょう?」

「ええ……もう既に何人かは集まっているわ」

 

逆に真剣な顔で尋ね返され、彼女は少々戸惑いながらも答える。それを聞き、チルノは小さく唸り声を上げてから、慎重に言葉を選びながら言う。

 

「うーん……秘密裏にしようと思っているレオナには悪いとは思うけれど、この会議も魔王軍にバレていると思った方がいいかも」

「えっ、そんな!」

「世界中の人が動けば、敵はそれだけでも察知・推察してくると思う。それに攻撃するなら、一カ所に集まった方が都合が良いでしょ?」

「じゃあ、チルノはまさかその防衛のために残ったの!?」

 

まさか、といった様に驚くレオナに向けてチルノはしっかりと頷く。

 

「その狙いもあったわ。各国の王様が集まる中、一時的とはいえダイがいなくなる。だったら少しでも戦力の足しになればと思って……まあ、ヒュンケル達もいるんだし、その心配は無いかも知れないけれどね」

 

それは、かつては魔王軍として人間を滅ぼす側についていながらも数奇な運命によってダイたちと同じ道を歩むことになった大切な仲間達。今現在は修行のためパプニカ近郊にいるのだが、異変があればすぐにでも飛んでくることは疑いようもない。

 

「三人には開催の日程は伝えてある?」

「ええ一応……」

「それなら、問題ないとは思う。パプニカの兵士達もいるし、各国の王も護衛は連れてきているんでしょう?」

「そうね、いることはいるんだけど……あら?」

 

そこで会話は強制的に打ち切られる。外から聞こえてきたのは、ガガガガガという重量感のある音だった。その音を聞きに付けてレオナはテラスから階下を見下ろす、レオナに釣られるようにしてチルノも下を覗き、そして忘れていたことに気付く。

 

そこには何頭もの馬が車輪の付いた巨大な鉄の塊を引っ張り走る姿があった。音の正体は鉄の車輪が不整地の地面にぶつかり合う音だ。そして馬が引いているのは戦車――近代兵器のように自走こそしないものの、素早い動きで動き回り大砲を撃ち出すことを可能とする兵器だった。

 

「……ベンガーナ王」

 

――あー……忘れてた……

 

慌ててテラスから階下へと駆け下りていくレオナの後ろ姿を見ながら、チルノはこっそりと頭を抱えた。

 

 

 

「……困ります、ベンガーナ王! 行動は秘密裏にという約束を守っていただかなければ!!」

「そうですとも! ただでさえあのような軍艦然とした船で入港され、我々は困惑していたのです。さらにあんな武器まで……!」

 

チルノが階下に降りたころには、ちょうどレオナたちの悲痛な叫び声が聞こえてきた所だった。目立った行動を取ることを諫めているものの、相手は一切聞く耳を持たない。

 

「戦車だよ、君! 我が国が誇る精鋭戦車部隊だ。なぁ、アキームよ!」

「ハッ! 我がベンガーナ戦車部隊は世界最強の陸軍と自負しております!」

 

そう答えたのは、ベンガーナ王クルテマッカⅦ世と戦車隊長アキームの二人である。

クルテマッカは大国の王らしく服装も何やら相当な高級品のようだ。顔つきと態度に自信と豪胆さに溢れており、それは伊達に世界一安全と呼ばれた国の王をしてない。

アキームの方も、謹厳実直な軍人というような立ち振る舞いだった。鋭い目つきで油断なく王に付き従っている。鎧を身に付けているのは護衛役としては当然だが、室内で有るにもかかわらず兜を取ろうともしないのはこの場の警備を信頼していないことの現れだろうか。

 

「……ベンガーナ王、あなたは魔王軍の力を侮っています! 我々が勇者の名の下に力を集めねば、絶対に勝利は得られないのですよ!!」

「フッ……これからは兵器だよ、レオナ姫。大砲の前には剣も呪文も無力だ。私はてっきり、我が軍をどうやって使って魔王軍を倒すのかという会議だと思っとったんだがね……」

「……っ!!」

「(レオナ、抑えて)」

 

あまりに不遜な物言いに、レオナは思わず叫びそうになる。だがそれを見越したチルノは慌てて彼女の横に並ぶと肩を掴み、誰にも聞こえないほど小さく囁く。これから交渉を行おうという相手に対して、話し合いのテーブルにつく前から気分を害させるのはどう考えても得策ではないからだ。

心配しすぎかもしれないが、万が一のことを考えての行動だった。

 

「(ありがと、チルノ)」

 

レオナもそのことは分かっているらしく、吐き出し掛けた言葉をどうにか飲み込んで平静さを取り戻す。

しかし、その行動にクルテマッカの興味を持ったらしい。彼は珍しい物を見るような目でチルノを見つめる。

 

「おや、そこの少女はどなたかね? 珍しい肌の色をしているようだが、レオナ姫の召使いかな?」

「……」

「中々に舞台映えしそうな容姿をしている。どうだろう、我々が魔王軍を倒した後は我が国に来ないか? 踊り子としてきっと人気が出るぞ」

 

そう言うと「はっはっは」と笑いながらクルテマッカはアキームを伴い礼拝堂内を奥へと進んでいった。

 

「ちょっと待ち……お待ちください! ベンガーナ王!!」

 

レオナは思わず口を出かけた言葉を慌てて抑え、言い直しながらその後を追う。三賢者達はレオナが爆発せずに我慢できたことにホッと胸をなで下ろすと、続いてチルノへと頭を下げる。

 

「チルノ殿、もうしわけございません」

「いえいえ気にしていませんから。それに、相手をするレオナの方が大変でしょうし……本当に、爆発しなきゃいいんだけれど……」

 

そう呟きながらも、彼女はベンガーナ王の前に姿を現したことを少しだけ後悔していた。何しろ彼女が姿を見せたことで、不要な言葉を一つ引き出した様なものだ。あの場でレオナを抑えなくとも、彼女ならば自制できたはずなのだから。

とはいえ、これ以上自分に出来そうなことは何もないだろう。そう判断したチルノは、当初の予定を遂行することにした。

 

「そうだ、アポロさん。テランのフォルケン王はもうご到着していますか?」

「ええ。といってもお体の影響でここにはおらず、城の方に来ておられますが……ひょっとして覇者の剣のことで?」

「そうです、少しでも情報を集めておかないといけないので……本当はレオナの傍にいた方が良いのかもしれないんですけれどね」

「いえ、それは我らの役目でもあります。チルノ殿はお気になさらずに」

 

 

 

 

「チルノ!」

 

大礼拝堂から王城へと向かう道すがら後ろから名前を呼ばれ、チルノは思わず振り向き、そして絶句した。

 

「え! レオナ!?」

「……良かった……追いついたわ」

 

そこには大礼拝堂にいるはずのレオナがいた。ここまでの距離を走ってきたのだろう、息を切らせ額には幾つかの汗を浮かべている。

 

「どうしてここに?」

「アポロから、お城に行くって聞いたから、それでちょっとね」

「礼拝堂にいなくて良いの?」

「大丈夫よ、アポロたちに押し……頼んできたから。それにまだ全員揃っていないし、開催時間にも余裕はあるわ」

 

押しつけてきた。と言いかけて言い直した様子から、どうやら慌てて抜け出してきたのではないか。そう考えたものの、チルノはすぐに別の可能性に気付く。

三賢者たちがレオナの気晴らしにと考えて、意外と自発的に役目を買って出た場合だ。真相は闇の中だが、せめて後者であって欲しいと願う。

 

「それで、抜け出してまで私を追ってきた理由は?」

「実はチルノに会って欲しい人がいるのよ」

「会って欲しい人……?」

「そうよ。その人に会って、できれば力を貸して欲しいの」

 

はたして誰のことなのか、チルノは首を捻る。本来の歴史の知識と照らし合わせても、彼女には思い当たる人物が浮かばない。しかも口ぶりからするに、初対面の相手だ。

無理矢理に当てはめるとすれば、リンガイア王国のバウスン将軍といったところだろうか。だが、レオナがここまでして会わせようとする相手とはとても思えなかった。

 

「それって誰なの? それも聞かないうちには返事もしようがないのだけれど。それに、私だけでいいの? ダイたちが戻ってくるまで待った方がいいんじゃない?」

「それも考えたんだけれど、いつ戻ってくるかわからないから。だったら、先にチルノだけでも会ってもらおうと思ったの」

 

少し探りを入れてみるが、レオナの態度は変わりそうにない。どうやら「はい」か「いいえ」の返事以外では進まなそうだ。

 

「……わかったわ、会いに行く。ここはレオナの顔を立てておきましょう」

「やったぁ! さっすがチルノ!!」

 

その言葉がよほど嬉しいのか、チルノを軽く抱きしめるほどの喜びぶりであった。

 

そして二人揃って城への道を歩く。道中の話題はベンガーナ王の事で持ちきりだった。

 

「レオナ、ひょっとして、ベンガーナ王はずっとあんな調子だったの?」

「ええそうよ、まったく失礼しちゃうわね。大砲や戦車があれば、剣も呪文も無力だなんて。勇者は不要だっていうのかしら、まったく!」

 

ここぞとばかりに不満を吐き出すレオナをなだめつつ、だがチルノは自分の考えも口にすることにした。

 

「うーん。でもその考えも、あながち間違えとは言い切れないのよね……」

「チルノ? それは一体どういうこと!? まさか貴方までダイ君たちは要らないなんて言うんじゃ……!」

「違う違う、そうじゃなくて」

 

味方と信じていた相手に裏切られたと思ったのだろう、大げさ過ぎるほどの反応をレオナは見せる。そんな彼女を落ち着かせながら、チルノは自身の知識と考えから冷静に説得していく。

 

「確かに、大砲は少し訓練すれば誰でも扱えるようになる。呪文みたいに契約の必要もないし、剣みたいに連日稽古をする必要もない。兵士の数が足らなくなっても、一般人をすぐに戦力へと変えられる凄い兵器よ」

 

肯定する言葉はあまりお気に召さないらしい。とはいえ、お手軽に戦力を揃えられるという評価は為政者として興味をそそられるようだ。

 

「でも、勇者の代わりを務めるには荷が重すぎる。だってダイやポップが大砲を使っても、決して強くはならない。むしろ弱くなるわ」

 

その言葉にレオナはようやく喜色を見せ始めた。

 

「もしも本当に大砲が万能だったら、デパートでドラゴン達に襲われることはなかったでしょう? あそこはベンガーナなんだから大砲で武装くらいしていたはずよ。でも現にドラゴンは街中まで現れて、私達はそれを撃退したことからも明らかでしょう?」

「あ、うん……そう言われればそうね」

「つまり、大砲は全体の攻撃力の底上げにはなるけれど、突出した戦力の代わりにはならないの」

 

――今はね。

 

と、最後の言葉だけはチルノは飲み込む。この後、技術力が進歩していけば勇者の代わりを担うのも決して夢物語ではないだろう。だがわざわざここで言う必要もない。

チルノの総評を聞いて驚いたような表情を見せ、やがて言葉を絞り出した。

 

「……ねえ、チルノ。あなたも、世界会議(サミット)に参加しない?」

「ええっ!? いきなり何を言ってるの?」

「お願いよ、あなたがいればベンガーナ王もきっと考えを改めるわ! あたしだけじゃ、もしかしてってこともあるから、ね?」

 

そんな馬鹿騒ぎをしながら、何時の間にか二人は城のすぐ近くまで辿り着いていた。

 

 

 

「ここよ」

 

レオナに案内されたのは、パプニカ城内のとある一室だった。何日かここに滞在しているチルノであったが、それでも知らない部屋である。果たして中がどんな間取りだったのか、それすら一切答えられないくらいだ。

その部屋の扉をレオナは軽くノックする。

 

「どうぞ」

 

返事はすぐに返ってきた。それを聞き、レオナはゆっくりと扉を開けるとまず自ら部屋に入り、続いてチルノを先導する。

 

「これはレオナ姫、本日はいかがされました?」

「以前お話をしていた勇者ダイの姉、チルノを紹介しようと思いまして」

 

部屋の中に入ったチルノが見たのは、一人の男だった。黒髪を短く刈り込んでおり、鋭い眼光を湛えている。それは先ほど見たアキームよりもずっと力強く、明らかに手強いのだろうということは余裕で推測できる。

簡素な部屋着を着ており、部屋で寛いでいたように見えるものの、立ち振る舞いはどうにも油断ならない。

もしも自分が戦ったのであれば、そうそうに負けるのではないか。チルノはそんな未来を幻視するほどだった。

 

「お初にお目に掛かります。なるほど、貴方がチルノ殿ですか。ロモス王に未来の賢者と評され、レオナ姫が絶賛する……お会いできて光栄です」

 

――誰!?

 

丁寧な挨拶をされるが、今のチルノはそれどころではない。レオナがこのように敬意を払った物言いをする相手とは果たして誰なのか、思い出そうとするのに必死だった。

 

「紹介するわね、この方はカ――」

 

レオナもこの男のことを紹介しようとする。だがチルノの耳にはまるで入らなかった。

 

 




皆さんは"疾風の槍"という武器をご存じでしょうか? ダイの大冒険に出てくる武器なのですが、おそらく大半の方が「知らん」と言うかと思います。実はこれ、シグマが持っている槍の名前なんです。作中で名前は一切出てきませんでしたが(原作19巻の巻末に記載されています)
(私もちょっと前に知りました)

名前から判断すると「素早さを上昇させる?」とか「バギ系呪文を操れる?」とか「飛行に特攻?」みたいな妄想できますけれど、そういった描写も特になし……この「描写が特にない」というのもがクセモノでして。
なにしろ「全身オリハルコン人間なんだから、ヘタな槍で攻撃するより自分の身体で殴った方が強い」わけです。そんな彼らが身に付ける以上、呪文を跳ね返すシャハルの鏡のように「何らかの特殊能力」があれば装備する対象になるはずです。
でもそれがない。なので疾風の槍は「何の効果も持たない槍だけど、装備する価値がある強い武器」と考えられます。
となると選択肢は一つ、オリハルコン製です。そうなると「ハドラーもオリハルコンを持っている……!?」とも考えられて……
つまり「敵側にオリハルコン装備を出しても良いんだなぁ」ってことです。

……冷静に考えると"シャハルの鏡"もよくわからん装備ですよね。呪文を無効化する全身オリハルコン人間。マトリフとポップ以外の魔法使いは手も足も出ないのに、なんでそんなピンポイントメタな物を持っているんでしょうか……? カウンター狙いにしても自分で殴った方が強いだろうに……
(「メドローア → 勝った」みたいな感じで、話に緊張感がなくなるのを防ぐ目的なんでしょうけれど。そのくせマァムが殴ってもビクともしない防御力を持つ反則装備)
あ、ハドラーを守るための装備という理由なら問題ないのかな?

しかし、シャハルの鏡といい疾風の槍といい、ハドラーから装備を二つも与えられるとかシグマは贔屓されていますね。アルビナスが内心すっごく嫉妬してそうです。

(今回の話の解説とかしろよ私……)


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LEVEL:67 あの時歴史が動いていた

「――ノ……聞いてるチルノ?」

「……え、あっ……!」

 

レオナの声にチルノは、思考の海に沈み掛けていた意識を取り戻した。見ればレオナと男は揃ってチルノのことを心配そうな表情で見つめている。

 

「す、すみません! 私ったら……!!」

 

それに気付き、彼女は大慌てで頭を下げた。

なにしろ対話の最中にこのような状態を見せるなど失態以外の何物でもないのだ。ましてや相手はレオナが紹介したいと言っていた相手である。加えて現在パプニカ王城の一室に逗留していることを鑑みるに、世界会議(サミット)の参加者の一人だろうと推察できる。

そんな相手の前で取るべき態度ではなかった。ヘタをすればチルノ一人だけではなく、レオナにまで飛び火しかねない。そう判断しての行動だ。

 

「いやいや、お気になさらずに。名高い勇者パーティの一人とはいえ、まだ少女……たしか、レオナ姫とそう変わらぬ年齢だと聞いています。驚かれても無理もないでしょう」

 

だが相手の男は、不器用ではあるが穏やかな微笑みを浮かべていた。どうやら言動から察するに、チルノの行動について特に問題視するつもりはないようだ。器が大きいのか、それとも無頓着なだけなのか。

とあれ男は、チルノへと向き直る。

 

「改めて、名乗らせていただきます。自分の名はホルキンス、カール王国騎士団長を務めていました」

「ホルキンス……? カール王国の……??」

 

ホルキンスと名乗る男の言葉を聞き、チルノはその言葉を理解するのに時間が掛かった。自分の脳に改めて叩き込むように、オウム返しに口にする。それから更に数秒の間を置いて――

 

「ええっ!!」

 

ようやく全てを理解し終えた。

その時にはもはや驚きの声を上げる事しかできなかった。そんなチルノの様子を見ながら、レオナは良い物を見た、とでも言わんばかりの表情を見せる。

 

「驚くにしても遅すぎでしょ」

「え……だって……」

「でも、チルノの気持ちもわからなくはないわ。あたしも知った時は驚いたもの」

 

レオナの中では、どちらかと言えばチルノに対するイメージは冷静な方だった。その彼女がこうも取り乱している姿を見るのは、とても珍しいことだった。

予備知識なしで連れてこられれば、親友の少女もこのような反応を見せるのだと感心すると同時、その知識量にレオナは小さくうめき声を上げる。

 

「それにしても、その反応から見るにホルキンス団長のことも知っていたのね」

「多少は名が通っている自覚はありましたが、まさかご存じでしたとは。驚きましたよ」

「ええ、それは勿論……有名ですから……」

 

彼女のこれまでの出自と行動を振り返るに、一体どこでホルキンスの名を知る機会があったのかは分からない。事実、レオナも知らぬとばかり思っていたのだ。だが、チルノの反応から判断するに既知としか思えない。そのことに二人は驚く。

だが、チルノは苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。

 

――カール王国騎士団長ホルキンス。

彼は、隣国でもその名を知らぬ者はいないと評される程の英雄である。そもそもカール王国はかつての勇者アバンやマァムの父ロカの出身国でもあり、その騎士団は大陸最強と呼ばれている。ましてやその騎士団の団長を務めるとなれば、彼の腕前はカール王国最強――この世界全体で見ても上位と言って差し支えないだろう。

 

だがそんな彼は、本来の歴史においては超竜軍団がカールへと攻め込んだ際に、バランの手によって倒されていた。そのため、本来ならばこの場にはいない筈の男である。

 

本来の歴史という情報を知るチルノからすれば、出会えること自体があり得ない事だった。絶句し、言葉を絞り出すことすら困難になるのも仕方ないだろう。

 

「あ! じゃあ……まさか……」

 

本来の歴史ではカール王国の人間は世界会議(サミット)には不参加だった。生存者を見つけられなかったからだ。だが死んでいる筈の男が生きており、世界会議(サミット)の場に存在している。

これはこの集まりにカール側も積極的だということに他ならない。となればだ。

彼女の脳裏にはまるで連想ゲームのようにある人物の存在が浮かび上がり、キョロキョロと視線を動かし始めた。

 

「ふふふ、そりゃ気付くわよね」

「ええ、おそらくそのまさかですよ」

 

チルノの行動から彼女が何を気付いたのかを二人は察していた。レオナはチルノに落ち着くように言い、そしてホルキンスは室内のある扉――部屋の出入り口ではなく隣室へと続くものだ――の奥へと一端姿を消し、だがすぐに戻ってきた。

 

そこに、一人の女性を連れて。

 

「初めまして、チルノさん……いえ、チルノと呼ばせていただきますね」

「フローラ……様……」

 

予想通りの人物の登場にチルノは息を呑んだ。

 

 

 

「し、失礼しました。お初にお目に掛かります、チルノと申します」

 

驚き動きが止まっていたのは、時間にしてほんの一秒程度だった。予め予想が出来ていたのが幸いしたのだろう。チルノは同じ轍は踏まないとばかりに、慌てて名乗り頭を下げる。

 

「ええ、ご丁寧な挨拶をどうも。そちらは私のことをご存じなようですが、名乗らせてもらいますね。カール王国の女王フローラです。ですが、今や私は亡国の女王……不必要な気遣いは不要ですよ」

「ありがとうございます」

 

チルノの挨拶に対して、フローラは丁寧な礼儀作法で応える。栗色の短い髪が僅かに揺れ、物腰には優雅さすら漂っている。まさに大人の女性と言った風体だ。

 

――カール王国女王フローラ。

先の魔王ハドラーの地上侵攻の折り、病床に伏せっていた父親に代わりカール騎士団を率いて対抗していた女性だ。ハドラー対抗勢力の中では最も強大であり、その障害を排除すべくハドラー自ら狙ったことからも、その能力は明らかだ。

その後、アバンがハドラーを打倒後には彼女は正式に王位を継いで女王となる。各国の指導者たちと比べれば若いものの、確固たる実績に裏打ちされた指導力を持っている。

そして同じ国を統べる者として、レオナが彼女を強く尊敬していたりする。

 

だが彼女が姿を見せるのは、本来の歴史ではまだ先のことだった。

ダイたちが大魔王へと挑むものの、そのあまりに強大な力に敗北を喫する。自信も希望をも失い掛けたときに現れ、まるでアバンの代わりのようにダイたちをまとめ上げて反撃の体勢を整えてくれたのだ。

 

それを知っているからこそ、チルノはフローラがこの場にいることが驚きで仕方がない。むしろ「出番はまだ先ですよ」と言わなかったことを褒めてやりたいくらいだろう。

 

「ふふふ、私達がこの場にいるのがそんなに驚きかしら?」

「……はい。率直に言って」

 

そんな心情を読み取ったかのようなフローラの言葉に、チルノは失礼な言い方になると承知で頷いた。

 

「カール王国は、超竜軍団によって滅ぼされたと聞きました。現に、同じ軍団に攻め込まれた城塞都市リンガイアは王は行方不明。バウスン将軍をお助けするのが精一杯だったと聞いています……」

「ちょっとチルノ!?」

 

慌ててレオナが口を挟み、彼女を諫めようとする。

それも無理もないことだろう。今の言い方は端的に言ってしまえば「同じ軍団に攻め込まれたのに、片方の国は指導者が不在。なのにどうしてあなたたちは生き残っているのですか? 国を見捨てて早々に逃げたのではありませんか?」と尋ねているようなものだ。

直接言葉にはしていないものの、言葉の裏にはそのような意味が込められている。

 

実際、その言葉を聞いたフローラとホルキンスは沈痛な表情を見せる。

 

「そうですね……知っていれば、誰もがそう思うでしょう。ちょうど良い機会です。レオナ姫、貴方も聞いてください。カール王国がなぜ滅んだのかを」

 

だがフローラは無念の感情を飲み込んで、語り始めた。その口ぶりから、今まで誰にも語ったことの無い内容なのだろう。

 

「確かに我がカール王国はドラゴン軍団に襲われました。その勢いは苛烈であり、ドラゴン種族そのものの強さもあって苦戦を強いられました。また、よほど用兵に長けた人物が指揮を取っていたのでしょう。騎士団の中には竜を倒しうる実力者もいましたが、それらを嘲笑うかのような巧みな戦術を駆使してきました」

「実際、自分も竜は何頭も倒しました。だがそれ以上に敵は狡猾であり、我々は戦線を維持するのにも手一杯でした。まるで、我々の弱点を的確に看破されていたかのような印象を受けました」

 

女王の言葉を補足するように、ホルキンスが口を挟む。その言葉は、前線に立っていた者の言葉であり、何よりも信憑性がある。

そしてその内容はチルノの知る本来の歴史と照らし合わせても、おかしな点はなかった。なにしろ本来の歴史では、魔影軍団が苦戦していたカール王国をバランは僅か五日で壊滅させたのだ。そこには、竜が本来持つ強さに加えてバランの指揮能力が関係しているだろうことは想像に難くない。

 

「ですが、ある時を境に敵の攻め手が緩くなりました。突然、本能のままに襲いかかるようや粗暴な攻撃へと変わったのです」

「え……?」

 

だがここからチルノの認識と齟齬が生まれる。思わず口から言葉が漏れてしまったが、フローラは気にすることはなかった。

 

「敵に何があったのかはわかりません。ですが、私達はこれを最大の好機だと考えました。最初のような攻勢が続いていれば国は数日で滅び、私もこの場にはいなかったでしょう。ならば、たとえこれが敵の罠だったとしても賭けるしかない。私達はそう判断しました」

 

そういう彼女の表情は屈辱を耐え忍んでいるかのようだった。何しろ、真っ当に戦ったのでは勝てぬと判断した上で、敵に原因不明の混乱が生じている隙に逃げるという選択肢を選ばねばならなかったのだから。

 

「屈辱、でした……ですが、戦況を比較できたからこそ否応なく理解させられました。それに、リンガイアがドラゴン軍団に滅ぼされていたのは我々も聞き及んでいましたから」

「そういった情報を集めていたからこそ、私達は悟りました。このままでは勝てない、と。それに、もしも超竜軍団に勝利できたとしても、その後が続きません。カール一国だけでは遠からず息切れするでしょう。だから、私達は撤退することを選びました。勝てぬ戦いに全てを賭けるのではなく、一時の恥辱に耐えてでも、この世界に生きる全ての人々で協力して立ち向かおうと」

 

納得した上での敗北。そして力をまとめ上げての再戦を誓ったがための屈辱の敗北だった。だがそうは言うものの、やはりどこかに忸怩たる思いがあるのだろう。特にホルキンスは、あの場で自分が残って戦っていれば勝てたかも知れない。というもしもを強く意識せずにはいられないようだ。

ましてや彼は、本来の歴史においては――戦いを見ていた彼の弟の主観が入った評価とはいえ――剣ではバランと互角の戦いを繰り広げる程の戦士である。

 

「それでも少なくない人々が犠牲になりました……撤退を悟られぬよう、残って最後まで抵抗する役割を受け入れてくれた兵士たち。そして戦火に巻き込まれた国民の皆……その犠牲を無駄にするわけにはいきません」

 

戦いを続けるにせよ、退くにせよ、どちらにしても多くの血は流れる。フローラは為政者としてその血を無駄にすることなく戦うことを誓っているのだろう。そうしなければ、多くの人々に顔向けできないだろうから。

 

「これが、私が選んだ道です」

「ありがとう……ございます……」

 

話を聞き終えたチルノは、そう言葉を絞り出すと深く頭を下げる。

 

「フローラ様の決意も知らずに失礼な言い方をしてしまい、申し訳ございませんでした」

「いえいえ構いません。むしろはっきりと聞いてくれて感謝しているくらいですよ」

 

誰もが気遣うために聞きにくいことであり、そしてフローラの方からも言いにくいことだったため、その言葉通り忌憚なく問われたことが逆に心地よくすら彼女は思っていた。

どちらにせよ世界会議(サミット)に参加する以上は、同じようなことを各国代表の前で話すことになるのだ。そのための予行演習だったと考えれば良いだろう。

 

「貴重な言葉をありがとうございます……しかし、どうして超竜軍団は動きが鈍ったのでしょう?」

「それは私達もわかりません」

 

レオナもまた同じく、国を預かる者としてのフローラの決意と態度に感銘を受けていた。だが、ただ一つだけ気になっていたことがつい口に出てしまった。

なにしろ超竜軍団に関わっていたのだから、その原因が気になるのも仕方ない。レオナはこの中で最も詳しそうな親友へと矛先を向ける。

 

「チルノはどう? 何か思い当たることはない?」

「うーん……ごめんなさい、特には……」

 

それはレオナに問われるでもなく、チルノも考えていたことだった。本来の歴史の時系列を思い出しながら、可能性のあるであろう何かを探る。

 

なお、正解だが――フレイザードを本来の歴史よりも早く倒したため、カールへと向かったバランは攻撃を開始した少し後に、鬼岩城へとトンボ返りをさせられていた。そして鬼岩城に乗って移動し、新たな魔王軍の本拠地へと向かうまでの間は足止めさせられざるを得なかった。

つまり、バランの不在であったその期間だけは、カール攻略の手が鈍っていたのだ。

 

注意深く推察を重ねれば決してたどり着けない結論ではないのだが、チルノが思いつくことはなかった。言うなればこれは、彼女の行動が実を結び歴史を変えた大きな成果の一つなのだが、その事実に気付くことはなかった。

 

「わからないことをいつまでも詮索していてもしかたありません。今は、目の前に差し迫った問題に注力すべきでしょう」

世界会議(サミット)について、ですね」

「ええ」

 

レオナの言葉に、フローラは頷いた。

 

「実は、レオナ姫の提案は渡りに舟でした。我々も似たようなことを考えてはいましたが、三賢者からのお話を聞いて考えを変えました。魔王軍から国を奪い返したパプニカの方が国民の支持も高いでしょうから」

 

本来の歴史でもフローラは、魔王軍に対するレジスタンスを結成して徹底抗戦の姿勢を見せていた。ならば同じような事を考えていたとしても不思議ではないだろう。

世界会議(サミット)を発案したことについて褒められ、国を奪還したということを評価されたことでレオナは頬を赤らめる。

 

「ですがそれも、人々が一つにならねば意味がありません。この会議はなんとしてでも成功させねば」

 

真剣な表情を見せるフローラに、レオナは追従するように頷いて見せた。会議に参加する者同士、強い決意を新たにする。かと思えば続いてチルノへと視線を向ける。

 

「そして、仮に人々が団結したとして……この戦いの中心になるのは、アバンの教え子であるあなたたちになるでしょうね」

「あのフローラ様、私は……」

「ええ、レオナ姫から聞いていますよ。教え子のなかで、あなただけはきちんとした修行を受けていないことも。それに、アバンが既に亡くなっていることも」

「そうなんです。卒業の証も持っていない私では……」

「ですが、アバンが間違った人間を選ぶとは思えません。チルノ、あなたはアバンに師事する前から非凡な才能を発揮していたと聞いています。アバンに教わったダイが今や勇者として活躍しているのですから、あなたにもその力はあるはずですよ。その先見を信じて、尋ねます」

 

自分はアバンの使徒ではない。そう言おうとするチルノであったが、既にそういった一通りのことはレオナから聞いているようだ。彼女はアバンは命を落としたと思っている。だがそれでも、アバンのことをどこまでも信じているのだろう。そしてアバンの忘れ形見とでも言うべき教え子のことも。

 

「……私たちは魔王軍に勝利することが出来ると思いますか? あなたの率直な意見を聞きたいのです」

「私の意見で、よいのですか……?」

「かまいません。今、魔王軍と最も激戦を繰り広げているのはあなたたちです。その当事者の意見を聞きたいのですから」

 

チルノはレオナが何故ここに自分を連れてきたのか、その理由を朧気にだが理解する。彼女は紹介すると言っていた。なるほど確かに、フローラがアバンの生徒を見たかったという気持ちもあるのだろう。

だがそれとは別に、世界会議(サミット)にも影響するはずだ。

パプニカは開催国ではあるものの、国力や影響力などを考慮すれば本来ならばカールやリンガイア、ベンガーナと言った大国が音頭を取るべきだろう。

現に彼女は「似たようなことを考えていた」と言っていた。ならばフローラ本人が先頭に立つこともあり得るだろう。それが悪いことではないだろう。

ただ、ここで下手なことを口にすれば、パプニカの発言力が下がる。それは早い話がレオナに迷惑が掛かるということだ。

 

――つまりこれは、試されてる……?

 

そこまで考えると、少々卑怯な手を使うことをチルノは決意して口を開いた。

 

「そう、ですね……まず、必ず勝てる。とは口が裂けても言えません」

「それはどうしてかしら?」

「簡単です。必勝を約束されれば、人は自分でも知らないうちにどこかで心が緩みます。その緩みは人から必死さを奪います。それでは勝てる戦いも勝てないでしょう」

「なるほど……」

 

フローラがほんの少しだけ顔を顰めたような気がする。だがチルノはそれを見ながら不敵に笑う。

 

「でも、聞きたいのはそんな精神論ではないのでしょう?」

 

そう切り返すと、フローラの口元が微かに歪んだ。

 

――食いついた。

 

そう確信しながら、チルノは更に続ける。

 

「はっきり言います。勝率は限りなく低いでしょうね」

「ふふ……どうしてそう思うのかしら?」

「敵は――大魔王バーンは魔界の神とまで呼ばれるほどの超魔力を持っています。それは人間では想像もつかないほど強力です。たとえ人間が一つになったとしても、勝利する手立てなんて皆無に等しいでしょうから」

 

事実、バーンの力は強大だ。彼が本気を出せば、魔王軍など必要ない。効率を無視すれば、バーンとその側近だけで地上の生物を殺すことができるだろう。

そんなことはフローラとて理解しているはずだ。何しろバーンは超竜軍団の上に位置しているのだ。ならば圧倒的な力を有していることくらいは容易に想像がつくはずだ。

 

「なるほど。では、未来の賢者としては黙って滅ぼされろということかしら? それとも、他に何か考えがおあり?」

「ええ。簡単なことですよ。私達にできることは一つだけです」

 

――ここだ!

 

チルノは躊躇うことなく、ズルい言い方をする。

 

「ジタバタすることしかできないのだから、諦めずに全力でジタバタしましょう」

 

本来の歴史にて、まだカールの騎士団に所属していた頃のアバンが言った台詞である。ハドラーを相手に戦っていけるか不安がる人々の迷いを払拭させ、笑顔にしてみせた渾身の一言だ。

 

「チ、チルノ……?」

 

だがどうやらチルノには、アバンほどの器量はなかったのかもしれない。レオナは珍しい事を言ったためか不安そうに彼女を見つめ、フローラはホルキンスと共に訝しげな目で見つめている。

 

「それは、アバンから聞いたのですか?」

「……いえ。そもそも私はダイのような修行を受けていませんから」

 

ある意味ダイの修行よりも過酷だった。よって嘘ではない。

それにアバンから聞いたのでもない。知識として知っていただけだ。よってこれも嘘ではない。

 

「ですが、決して諦めず最後まで信じること。それは学んだつもりです」

 

これだけは真実だ。

ハドラーに立ち向かうその姿から。自分の秘密を話したときの言葉から。そして彼女が今まで知識として知っていたアバンの使徒の姿から。彼女は学んだつもりだ。

 

「ふふふ……懐かしい」

 

チルノの言葉を聞き、何かを待つかのようにフローラはジッと黙っていた。

だがやがて柔らかな笑みを浮かべた。レオナのように声を出して笑うのではなく、あくまで上品な雰囲気のその姿は、少女と女性の明確な差を見せているかのようだ。遠い昔を思い出し懐かしむように目を細めながら、フローラは口を開く。

 

「その言葉は、かつて私たちがハドラーの対策に悩んでいた頃にアバンが投げかけた言葉と同じなのです」

「えっ……!?」

「やはり、あなたもアバンの教え子なのですね。絶望的だと理解しても、それでも弱音を吐くことなく前に進もうとしている」

 

レオナはその言葉に驚いていたが、フローラはチルノの答えを聞いて満足そうな表情を浮かべている。

 

「あなたと出会うことが出来て良かった。そして、今度は勇者ダイに出会えるその時を心待ちにさせてもらいましょう」

「ええ。私よりもずっと良い――本当のアバンの使徒の姿を見られると思います」

 

どうやらフローラの試験は突破できたようだ。チルノは心の中で安堵の息を吐いた。

 

 

 

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「お久しぶりです、フォルケン王」

 

フローラと別れた後、チルノは当初の予定通りにテラン王の滞在する部屋を訪れていた。テラン王フォルケンは以前出会ったときと変わらず身体の調子は悪いようで、ベッドから身体を起こした状態でチルノと面会している。

 

「ああ、数日ぶりじゃな」

「お身体の調子はいかがでしょう……?」

「あまり良いとは言えんが、レオナ姫にハッパをかけられてな。この年寄りの知識が少しでも世界の役に立つならと思い、無理をして出てきたのだよ」

 

声色はテランで会ったときよりも、気のせいか幾分張りがあるようにも感じられる。どうやら気張って外に出たことが多少なりとも良い方向に向いたのか、それともレオナの言葉に彼もまた感化させられたのだろうか。

 

「して、本日は何の用かな?」

「はい、王様の知識のお力をお借りしたく……」

 

そう前置きをしてから、チルノは何があったのかを話し始めた。

本来の歴史では、フォルケンは覇者の剣以外にオリハルコン製の剣、ないしはそれに並ぶほどの強度を持った武器を知らないかと問われている。

それと比べて今回は、オリハルコンを打ち直せるような腕を持った鍛冶師を知らないかという問いだ。

人と武器、果たしてどちらが答えやすいかは人によるだろうが……

 

「なるほど、(ドラゴン)の騎士様は覇者の剣が手に入っても一苦労というわけか」

「ええ……そんな鍛冶師はご存じでしょうか……?」

 

その言葉に、フォルケンは渋面を作る。

 

「頼ってきたところをすまぬが、ワシではあまり力になれぬだろう。伝承などであれば大抵のことは答えられよう。だが腕の良い鍛冶師となれば、現在の情報が求められる。そういった知識には疎くての……流通の活発なベンガーナ王などの方が詳しいかもしれん」

 

フォルケンにとっては、答えにくい質問であったようだ。俗な例えをすれば、考古学者に昨今の芸能事情を聞くようなものだ。畑違いにもほどがある。人口も少なく小さな国であるテランよりも、人も物も活発に流れていたベンガーナの方がそういった情報は多く入ってくるのも道理である。

だが頼られた者の意地か、フォルケンは記憶の奥底から関係しそうな事柄を一つ思い出していた。

 

「そういえばベンガーナで思い出したが、あれはもう二十年程は前の事だったか……王宮随一の腕前を持ちながら問題を起こしてやめた鍛冶屋がいたと聞いたことがあったな。その者に頼ればもしかするかもしれん」

「あー……」

 

名案を思い出したのだろうが、チルノの反応は冷めたものだった。何を隠そうその鍛冶屋というのはポップの父親その人であり、ダイたちが現在向かっているところである。

 

「貴重なご意見ありがとうございます。ですが、申しあげにくいのですが……それはおそらく、今ダイたちが向かっていますので……」

「なんと、そうであったか……」

 

非常に言いにくそうに口を開くと、フォルケンは驚いた顔を見せる。とはいえ、こういった知識には疎いと自ら公言していたのだ。落胆した様子はないようだ。

 

「ならば、あとはワシでは力になれぬな。別の者に頼るとするか」

 

そう言うとフォルケンは近くにいた兵士へと声を掛ける。

 

「あの二人を呼びなさい」

「はいっ」

 

兵士は王の命令に従って別室へと歩いて行く。

 

「あの二人って、ひょっとしてナバラさんとメルルですか?」

「うむ、察しが良いな。その通りだよ」

 

――やっぱり来ているのね。

 

本来の歴史と同じく、あの二人がパプニカに来ていることを知ってチルノは少しだけ安堵した。

 

やがて部屋に戻ってきた兵士に連れられて、メルルたちが姿を見せる。

 

「チルノさん、お久しぶりです」

 

顔を見せるなり、メルルは嬉しそうな顔を見せる。心なしか言動もハキハキとしており、当初漂っていた物静かな少女というイメージはあまり感じられなくなっている。

 

「ナバラさん、メルル。その節はお世話になりました」

「いやなに、たいしたことはしとらんさ。それよりも王様、あたしらに何か用があると聞きましたが」

「ああ、そのことだが……」

 

そう言ってフォルケンは、ナバラたちへオリハルコンを鍛え直す事が出来るほどの腕を持つ鍛冶屋の場所を占って欲しいということを端的に伝える。

 

「なるほどね。そういうことだったら、あたしよりもメルルの方がいいでしょう――メルルや」

「はい、おばあさま」

「さっそく占っておやり……と言いたいところじゃが、チルノや。まだ時間はあるかい?」

「え、時間ですか……?」

 

このまま占いが始まるのだろうとタカをくくっていただけに、ナバラのその言葉にチルノは驚かされる。ナバラは聞き返された言葉に頷き、その理由を口にした。

 

「ああ。その鍛冶屋の場所を一番知りたいのはダイなんだろう? だったらあんたを占うよりも、ダイ本人を占った方が精度はぐっと高くなるのさ。占いってのはそういうものなんだよ」

「なるほど」

 

本当に求める中心となる存在を占った方が良い、というあまりに当たり前の理由を聞いてチルノは頷いた。

 

「だから、当人が戻ってくるまで占いは一時中断さ。そこで、だ。どうだいチルノや、メルルとでも暇を潰してきちゃあもらえないかい?」

「え……えっ!?」

「お、おばあさま!?」

 

あまりに突然の言葉にチルノだけでなくメルルも狼狽えるが、ナバラはそんな反応にもどこ吹く風と言った様子である。

 

「気にすることはないよ。何しろこの子は、少し前からあんたの話ばっかりでね。どうやらアンタに憧れてるみたいなのさ。ちょっとは構ってやってはくれないかい?」

「おばあさま!!」

 

顔を真っ赤にして叫ぶが、取り合うことはない。

 

「それに、この子はこの中で一番若いからね。棺桶に片足突っ込んだような婆さんと四六時中いるよりも気晴らしになるだろうからね」

「はははは、確かにそうかもしれんな。ワシも棺桶に片足を突っ込んだ爺さんじゃ。こんな年寄りの相手をするよりも若い者同士の方がよかろう」

 

ナバラの提案にフォルケンも乗ったようだ。いや、フォルケンだけでなく二人を除いたこの部屋にいる全員が、と言った方が正しいだろう。

チルノたちは背を押されるような形で部屋を出されてしまった。

 

「えーと……」

 

気晴らしだ、構ってやってくれだと言われても、突然すぎてどうして良いのかチルノは思いつかなかった。街まで降りていくことも考えたが、護衛役の自覚もある以上はそこまで離れるのもどうかと思い直す。

 

「じゃあ……お城の食堂にでも行く?」

「は、はい。お任せします」

 

結局チルノが思いついたのは、色気もないような場所だった。とはいえ、兵士が不定期に入ってくる場所でもあり、文官なども利用しているためほぼ一日中開いている。場所も近く、手軽な場所と言えるだろう。

遠慮がちなチルノの提案にだがメルルは気にした様子もなく賛同し、二人は城の廊下を歩き出す。

 

「すみません、祖母が急に……」

「ううん、気にしないで」

「ですがその、祖母の言うことも嘘ではないんです」

 

そう言うとメルルは俯いたまま、顔を真っ赤にする。元々白い肌を持つメルルは、まるで林檎のようだ。

 

「テランでダイさんを守り、命を懸けたチルノさんの姿は、私にはとても素敵に見えました。私はこんな性格ですからその……勇気がなくて……パプニカに来たのだって、チルノさんに少しでも近づきたい……少しでも力になれたらと思い、無茶を言って……」

 

ぼそぼそと呟くように語るメルルであったが、その真剣な気持ちはチルノにもしっかりと伝わってきた。

 

ただ、同時に罪悪感も感じる。

なにしろ本来の歴史では、メルルのこの気持ちはポップへと向けられたものなのだから。

テランにてダイを想い、バランを相手に一人で足止めに向かい、そして未熟を承知でメガンテの呪文を使ってまで助けようとする姿に、メルルは惹かれていった。

だが今は、まるでその立場を奪い取ったようなものだから。

 

「そんなことはないと思う。メルルはパプニカに来るのに、無理を言って付いてきたんでしょう? それだって勇気のしるし。やらないと後悔すると思ったからきたんでしょう? その気持ちを大事にしていけばいいと思うの」

「そういうもの、でしょうか……?」

 

だがそれはチルノが動いた結果だし、テランでのアレは間違ったことをしたと思っていない。ならば、彼女の気持ちを可能な限り受け止めよう。

チルノはこっそりとそう考え、メルルの想いを肯定するような事を口にする。

 

「きっとね。それに、メルルは占いとか予知の力を持っているんでしょう? それだって……あ!」

「? どうかしたんですか??」

「ううん、なんでもないの。メルルの力、頼りにさせてもらうわね」

「はい! おまかせください!」

 

急いで何でも無い様子を装い、メルルを頼る言葉を投げかける。幸いにも彼女は頼られたことに喜び、それ以上気にすることはなかった。

 

本来の歴史では、メルルの占いによってランカークス村へとダイたちは向かう。その際には彼女も同行しており、そこでメルルは道に迷ったときに正しい方角を感じたりパプニカの危機を予知したりと着実な活躍を見せていた。

 

だが今のダイたちには、彼女は同行していない。それで破綻することはないだろうが、面倒な事になるのだけは確実だろう。

 

――ごめんね、ダイ!!

 

決して届くことはない謝罪の言葉を、姉は弟に向けて送っていた。

 

 




前回の話を書いているときに「いくらベンガーナ王だからって、一国の姫(レオナ)の従者だと思っている相手(チルノ)に『キミ、エロい身体してるからこの職場やめてダンサーにならない?』と言うのは無礼か?」と悩んでました。
でも「レオナもデパートで踊り子の服を買っているからセーフ」と開き直りました。
(感想で突っ込まれるかな? と思ったら疾風の槍とラストの謎の人に目が行く皆さん……そりゃそうですよね)

上記を踏まえて。
そりゃ出てきますよね、カール勢……
フレイザードさんが出オチしたばっかりにバランさんの予定が狂い、その結果がホルキンスさんの生存ルートです。
(バランがトンボ帰りしたときの話の感想で「生存ルートですねわかります」とバレてて凄く驚きました)
でもホルキンスさんは騎士団長だし「命を懸けてでもここに残る!!」という生き方を選びそうだったので。
色々悩んだ結果、このような感じに。力のない私……
そして、勢いでフローラ様も出してしまいました。原作よりもカールの勢力もありますし。
ただ原作よりも切羽詰まってないので、アバンの使徒の実力を試す試練を与えさせてみたり。
(問題はバランが出てきた時なんだよなぁ……北の勇者もそうなんだけど……)

そしてテラン組。
原作を知ってれば、立ち寄る必要ないです。でもチルノさんが「仕事してました」という理由で向かうことに。
原作知っていれば占う必要なし。つまり占わせる必要もない。だったらメルルの好感度でも稼いでおこうと思って。
(原作と同じ占いやって「ランカークスにあります」って結果が出てもつまらないですからね)
メルルのポップへのフラグが折れてるので、受け入れるルートを選ぶお姉さん。友情エンドになるといいね……


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LEVEL:68 伝説の名工

ギルドメイン大陸に連なるギルドメイン山脈の(ふもと)にほど近く、地理的にはテランやベンガーナのやや東方に位置する地点。そこにランカークス村がある。

そして、村にほど近い位置へと光が天から降りてきた。その光跡はかなりの勢いを伴っていたものの、だがあわや地面に激突すると思ったその瞬間に見事な制動を見せる。

そこには大地にしっかりと立つダイたちの姿があった。

 

「ひゅう、危ねぇ危ねぇ。もう少しでミスするところだったぜ」

 

額に浮かんだ汗を拭いながらポップは呟いた。ルーラの呪文は高速で飛行移動する。そのため制御を誤れば着地に失敗して墜落したり、飛行中に障害物に激突するような無様な真似を晒す羽目になる。

四人と一匹を同時に運び、何事もなく着地できたということは十分にルーラの扱いに精通していると言って良いだろう。実際、ギリギリだったと口では言うものの、傍から見ればまだまだ余裕があるように見える。一緒に運ばれてきた仲間たちなど、高い場所から着地したという実感すら感じないほどだ。

 

「へぇ……いつのまにか、ルーラが随分上手になってたのね」

「当たり前だろ? おれは魔法使いだからな。戦闘が始まる前から仲間を無駄に怪我させるような下手な事はできねぇって」

 

過去にルーラで痛い目を見たのだろうか、マァムは見違えるように成長したポップへ賛辞の言葉を贈る。だがポップはそれを聞いても、調子に乗るようなマネはせずにむしろこのくらいは当然だと言ってのけた。

破邪の洞窟での試練にて、仲間がいることの大切さを嫌と言うほど教わったからこそだろう。ルーラの失敗などというくだらないミスをするような甘えはポップの中から消えていた。その意識が、彼の集中力や魔力制御というものを今までよりもずっと高めていた。

 

「フム……そこの魔法使いクン!」

「おれ、か?」

 

ルーラの見事さに驚いたのはマァムだけではなかった。続いてチウが口を開く。

 

「ああ、そうだとも。今のルーラは中々よかったよ。さすがはパーティを支える存在だけのことはある」

「そ、そりゃどーも……」

「自分の役目をキチンと自覚して実践している証拠だよ。素晴らしい」

「自分の役目、ね……チウだったか? ありがとよ、その言葉はもらっとくよ」

 

――自分の役目。

その言葉にポップは少々苦々しい顔を見せた。まるで今までは自分の役目を自覚していなかったと言われているようだからだ。なんとも胸に突き刺さる言葉ではあるが、だがそれも今のポップならば素直に受け止める事が出来る。

 

だが、それはそれとして、だ。

ポップはマァムとダイにだけ聞こえる様にこっそりとヒソヒソ声で話し始めた。

 

「なあ、アイツなんなんだ? マァムと一緒に武術の稽古していたってのは聞いたけれど、あの態度といい変に立派なマントといい」

「えーと、実はロモスで色々とあってさ……」

「ごめんねポップ、それは後で話すから。今は気にしないであげて」

 

チウとは初対面であり、名前と簡単な素性しか知らされていないポップに、チウのその言動は容易に理解できるものではなかった。一応、気を遣って当人には聞こえないようにしているが、尋ねられた方も一言では説明しにくいことのため、口を濁してしまう。

まあ「落ち込んでいたところを、創作話で元気づけたら妙なやる気を見せてしまい、結果として王様にまで評価されてマントをもらった」と言うのは、理解しにくいだろう。

 

「戦闘があったら任せてくれ。こう見えても武闘家だからね」

「ああ、わかったよ。精々頼りにさせてもらうぜ」

 

自信たっぷりの顔を見せるチウに、ポップも「気にするな」というアドバイスに従って苦笑しながらも答えると、気を取り直したように指を差す。

 

「さて、今さら言うまでもないかもしれないが、あそこがおれの故郷だ。案内させてもらうぜ」

 

その先――歩けばすぐにでも辿り着きそうな距離に、ランカークス村がある。村へ向けて、ポップは皆を引っ張るように先頭に立って歩き出した。

 

 

 

 

 

「なかなか良いところじゃないか」

 

村の中を見ながら、ダイは何気なく呟いた。

ランカークス村は良く言えば牧歌的な、悪く言えば何も無い田舎の村というところか。石造りの家が並び、宿屋や小さな商店なども見受けられる。

 

「小さい村だからな……一年以上経つってのに、何一つ変わっちゃいねぇ……」

 

ポップは先頭に立ち、仲間を案内していた。だが否応なく目に飛び込んでくる景色は懐かしいものばかりだ。それぞれの家や壁の一つ一つにも思い出があり、なんならば道一つとっても昔の記憶が呼び起こされる。

 

なお、小さい村とポップはいうが、マァムの故郷であるネイル村には木製の家々が立ち並んでおり、魔の森の中に存在するという立地もあって人通りも少ない。それと比較すればランカークス村は十分に発展していると言えるだろう。

 

「あれ……あんた、どこかで……! そうだ、ポップ!! ポップじゃないか!!」

「あん、一体何を……ああっ、本当だ!! ジャンクさんところの!!」

 

村に入って少し歩いたところで、やがて一人の村人が先頭を歩くポップの顔を見て、そして気付いて大声を上げる。その声を聞きつけ、近くで作業をしていた別の村人もまた叫んでいた。

 

「よう、みんな。久しぶりだな」

「久しぶりだな、じゃないぞ。今までどこに行ってたんだ!?」

 

さらにはその騒ぎを聞きつけて、わいわいと人が集まってくる。田舎の村のため、各家々との交流は都会と比べて深い。その交わりの深さは、仮に何か噂話が持ち上がった場合、三日もすれば村中の人間に知れ渡っているくらいだ。

村の人々はポップの顔も知っていれば、一年ほど前に家を出た事も知っている。

 

「おい、誰か今すぐ行ってジャンクさん()に知らせて来い!! スティーヌさんなんて泣いて喜ぶぞ!!」

「わかった、ひとっ走り行ってくる!!」

 

そして、ポップが――一人息子がいなくなったことで、残された彼の両親がどんな想いをしてきたのかも、村の人々は知っている。まだ若い村人の一人が全力で駆けて行き、やがて戻ってきたときには一人の女性の手を引いていた。

 

「はぁ……はぁ……なんだって急に、こんなところまで……」

「スティーヌさん、ほら見てください!!」

 

若い男の体力で引っ張られ、息も絶え絶えとなっている黒髪の女性。彼女こそがポップの母親のスティーヌである。彼女は言われるがままに顔を上げ、そして――

 

「ポ、ポップ……? ……ポップかい!?」

「ああ、心配かけてごめんよ……それと、ただいま。母さん」

 

信じられないものを見るように、スティーヌはポップのことをじっと見つめる。その視線を受け止めながらポップもまた目に少しの涙を浮かべ、少し照れくれそうに言った。

 

「……ポップ!!」

 

息子が無事に戻ってきた事に歓喜し、彼女は思わずポップへと抱きついた。ポップもまた母親を力強く受け止めてみせる。それは一年前の彼からでは考えられないほど成長した証拠でもあった。

彼女の記憶の中のポップとは違う、立派な男に成長したことに喜び、だがその成長の過程を自分で見ることが出来なかった微かな悔しさとが相まって、スティーヌはポップの胸で涙を流す。

 

「あ、ジャンクさん。良いところに! ほら、見てください!!」

 

そしてスティーヌに遅れることしばし、がっしりと立派な体躯の男が現れた。ポップの父親のジャンクである。武器屋を営み、また自身でも鍛冶を行うためにその体格は並の男よりも遥かに頑強そうであり、職人の名に恥じぬような厳つい顔をしていた。

 

「あれは……ポップか?」

「そうです。ほら、奥さんはもうあそこに」

 

村人に教えられずとも、ジャンクの目にもポップの姿は映っていた。一年以上の歳月が流れているために彼が最後に見たときよりも息子の姿はより成長したものになっていたが、とはいえ実の親である。子供の姿を見間違えようはずもなく、妻が抱きついているのも証拠の一つだろう。

 

「あなた! ポップが、ポップが帰ってきたんですよ……!!」

「親父……」

 

ジャンクが姿を見せたことに気付いたスティーヌはポップから離れ、夫へと視線を向けた。そしてポップもまたジャンクへと決意を込めた表情を浮かべ、父親と正面から相対する。

 

「本当に、ポップみたいだな……」

「……すまねぇ、親父!!」

 

開口一番、ポップは勢いよく頭を下げた。その行動に、思わずジャンクも動きが止まる。

 

「勝手に出て行ったことは謝る!! 連絡一つよこさなかったのも謝る!! この通りだ!!」

 

父親の前で地に膝をつき、深々と頭を下げている。ましてや周囲には村の者も大勢いて、ポップたちのことを取り囲んでいるのだ。衆人環視の中で土下座をする息子と、それを黙って見つめている父親。そんな光景に母親はどうしたものかとオロオロすることしかできなかった。

当人達がそれなのだから、周りにいる村人やダイたちはさらに困ったこととなる。止めるべきか見守るべきなのかの判断も付かぬまま、ただ事の成り行きに任せるので精一杯だ。

 

「おれは親父にぶん殴られても、いや、殺されたって文句は言えねぇような不義理なことをした!! それはわかってんだ!! でもそれを承知でここに来た!! 許してくれとは言わねぇ!! それでも謝らせてくれ!!」

 

そんな周囲の葛藤を知ってか知らずか、ポップは頭を下げたまま叫び続ける。その様子にジャンクは根負けしたようにため息を吐いた。

 

「はぁ……頭を上げろ、ポップ……」

「ダメだ……出来ねぇ!!」

「男がこれだけ謝ってるんだ。それに、自分のしでかしたことが、どれだけ心配かけたのかも理解しているようだしな。なら、おれがこれ以上何か言うようなことはねぇよ」

 

それを聞き、思わず顔を上げた息子に父親は手を差し伸べて立ち上がらせる。一年ぶりに叶った親子三人の再会に、周囲からは思わず安堵の声が漏れていた。

 

「それに……」

 

ジャンクはポップの肩へと手をポンと置く。

記憶にあったそれよりも手の位置は高くなっており、そんな当たり前のことに内心驚きながらも彼は息子の顔をマジマジと見つめる。

 

「ちったぁマシな面になったみてぇだからな」

「お、親父……」

 

マシになったのは面構えだけでなく、精神もだろう。彼の知る今までのポップであれば、文句を言うかはたまた逃げだそうとしていたか。父親など厳しいくらいがちょうど良いと思っているジャンクにしてみれば、まっすぐに謝って見せただけでも大した成長だと感じた。

思わず口元にニヒルな笑いがこぼれ落ち、ポップもまた父のそんな顔を見て自分が少しは認められたのだと悟る。

 

だがそれも長くは続かなかった。

 

「まあ、それはそれとして……だ!!」

「いってえええぇぇぇぇ!!!!」

「ケジメはケジメだ。自分で「殴られても文句は言わねぇ」って口にしてんだ、嫌とは言わせねぇぞ」

 

片手でポップの肩を掴み、逃げられないようにしたまま、もう片方の手で拳を握りポップの脳天へ全力で叩き込んでいた。鍛冶師の仕事を続ける男の拳である。その力は下手な戦士顔負けな威力を秘めていた。

あまりの痛みにのたうち回りたくなるのだが、万力のような力でがっしりと肩を掴まれているためそれも出来ない。両手で頭を抑えたまま不格好に暴れるのがポップにできる精一杯の行動だった。

そんな光景に「ああ、いつものことか」とばかりに周囲の村人からは笑いが上がる。彼らにしてみれば、ポップが悪さをしてジャンクに叱られるのは見慣れたものなのだ。

 

「んで、ウチの馬鹿息子の後ろにいるお前さんたちは?」

「あ……は、はいっ! 実は……」

 

ようやく気付かれたとばかりに声を掛けられ、ダイは少し緊張した面持ちで村へと来た目的を答えた。

 

 

 

 

 

「なるほど、そりゃおれの作った剣だろうな……」

 

椅子に座ったまま、ジャンクが渋い顔をしながらそう口にした。

 

あの親子喧嘩のような騒動の後、ダイたちは自己紹介や村にやってきた理由などを伝えたところ、込み入った話のためしっかりと落ち着いて話せるように場所を変えた方が良いということになり、今現在は彼の家――つまり武器屋の居住区――の居間へと移動していた。

そこで改めてダイたちの話を聞き、覇者の剣の偽物を作った人物を探しに来たことを告げられたところ、彼が答えたのがそれである。

 

「本当かよ親父!?」

「ああ。二ヶ月くらい前だったか、ロモスの役人ってのが来てな。こういう剣を作って欲しいって注文されたのさ。珍しい注文だとは思ったが、時間はあったからな」

「二ヶ月前……ロモスの役人……」

 

思わずポップはそう口にしていた。

確かに彼が言った情報は、ロモスで王から聞いた話と――時期は少々大きな幅ではあるが許容範囲内だろう――符号する。疑いようはなかった。

だがそれとは別に、ポップは驚かされていた。彼が知っている父の姿は、腕は良いが所詮は小さな村の小さな鍛冶屋にしか過ぎないと思っていた。それが、一国の王から依頼を受けて、その依頼に対して十分に満足させられるほどの技術を持っていたのだ。ましてや父の剣がなければ、ダイが持つ覇者の剣は魔王軍に奪われていたかもしれない。決して派手ではないが、なんとも見事な活躍ぶりであった。

父の仕事ぶりを間接的に知らされて、ポップは父のことをこっそりと見直す。

 

「デザインやら寸法やらを指定されて、それでいて超一流の剣士が見ても納得できるような出来映えにしろって注文だった。金払いは良かったが、なんとも面倒だったぜ」

「それって、こんな剣でしたか?」

「どれどれ……」

 

ダイが覇者の剣を抜き、ジャンクの前へと差し出した。彼はそれを受け取ると、一目見るなり「ほぉ……」と息をついた。

 

「なるほど。確かにおれが作ったのと瓜二つだな……いや、こっちが本物で、おれの方が偽物か……」

「わかるのかよ?」

「当たり前だろうが。鍛冶屋が自分で作った剣くらい見分けられねぇでどうするんだ」

 

ジャンクは当然のことのように口にする。実際、ロモスの使いが持ってきた情報は正確なものであり、仮に本物と偽物を並べられれば、一瞥して判別するのは困難だろう。見た目、と言う点ではそれほどまでに酷似していた。

 

「しかし……こりゃ一体何で出来てるんだ? 鋼は勿論、ドラゴンキラーだってコイツの前じゃあ安物のナイフみたいなもんだぞ……」

 

手にした剣の角度を変えながら、ジャンクは覇者の剣の正体を探るべく真剣な眼差しで見つめ続ける。

先ほど酷似していると表現したが、それはあくまで形状に限ってのこと。本物の覇者の剣と比較されては、どう頑張っても彼が作った偽物は劣る。なにしろ輝きが違うのだ。だが、それは仕方が無いだろう。何しろ素材の時点で勝負になっていないのだから。

 

「その剣はオリハルコンで出来ているんです」

「オリハルコンだと!? ……まさか、童話の中でしか聞いたことのないような金属を実際に見ることになるとは思わなかったぜ……」

 

剣の正体を知らされ、ジャンクは思わず息を呑む。そして、自分がオリハルコン製の武器の偽物を作っていたと理解し、さら驚いた。だが、彼が本当に驚かされるのはこれからだ。

 

「お願いします! その剣を打ち直して、おれに剣を作ってください!!」

「はぁっ!?」

 

ダイの言葉に、ジャンクは一瞬自分の耳がおかしくなったかと考える。だが彼の真面目な表情からそれが冗談の類いではないことを悟る。

 

「まてまて、おれにオリハルコンを鍛えろってのは無理だぜ」

「でも、その剣の偽物を作ったんですよね!? だったら、オリハルコンだってきっと……!!」

「ああ……それは実を言うとだな……」

 

魔族すら騙すほどの偽物を作れるのだから、本物だってきっと大丈夫だろう。そう考え、ダイは食い下がる。その勢いに根負けしたのか、ジャンクはやれやれと言ったように話し出した。

 

「偽物を作ったときに、普通の金属じゃどうやっても満足できる物は作れねぇって悟ってな……知り合いの魔族にちょいと力を貸してもらったのさ。森に住んでるロンって奴で……」

「なんだって!! 親父、ちょっと待った!!」

 

ポップは父の言葉を遮り、頭の底から記憶を引っ張り出す。

 

「えーと、確か……そうだ! ロン・ベルク!!」

「ん、奴の名前だな。なんだお前も知ってたのか……?」

「ポップ、知り合いなの?」

 

ジャンクとマァムの問いかけに、ポップは首を横に振る。

 

「いや、名前を知ってるだけだ。けど、ヒュンケルの鎧の魔剣に、ラーハルトの鎧の魔槍。それを作ったのが確かそんな名前だったはずだ」

「なんだって!!」

「ラーハルトが言ってたことの又聞きだがな、魔界最高の名工だって話だぜ」

「へぇ、あいつがそんなに偉えやつだったとはな……」

 

正体を聞いたダイは驚き、だがジャンクは少し意外そうな顔をするだけだった。

 

「なら話は早えぇ! 親父、そのロン・ベルクに会わせちゃくれねぇか?」

「変わった奴だからな、会えるかどうかもわかんねぇぞ。剣を打ち直して貰えるかもわからん。それでもいいなら……」

「お願いします!」

「親父、おれからも頼む!」

 

ダイとポップの眼差しをジッと見つめ、やがてジャンクはゆっくりと立ち上がる。

 

「……スティーヌ、ちょっと出かけてくるぞ」

「いってらっしゃい、あなた」

 

そう言って外に向かうジャンクの後ろ姿を、ダイたちは戸惑った顔で見つめる。

 

「何してんだ? ほら、ついてきな」

 

だが、誰も動かないことに気付き背中越しにそう言うと、ダイたちは慌てて彼の後を追っていった。

 

 

 

 

木々がうっそうと生い茂る森の中を、ダイたちは進んでいた。無数の葉に遮られて、晴天であるにも掛からず陽光は半分も差し込まず、ときおり聞こえる現住生物の声も相まってほのかな不気味さを漂わせている。

だがこの森の奥にこそ、伝説の名工ロン・ベルクがいるのである。案内役として先頭を歩くジャンクは、森の中をやや慎重に進んでいた。

 

「しかし、森の中ってのはどこまで行っても似たような景色ばっかりだな……」

「魔の森も似たような場所ばっかりだったわ。一度覚えちゃえば楽なんだけどね」

「おっ、さすがはマァム。森の中はお手の物かい?」

 

おどけた調子でそう言うが、彼女は買いかぶりすぎとばかりに首を横に振る。

 

「よく知ってる場所ならね。この森は土地勘もないし、私もお手上げよ。むしろ、ポップの方が良く分かるんじゃないの?」

 

元々住んでいた場所の近くなのだから、その分ポップの方が詳しいかもしれない。だが彼とてここまで森の奥に入った経験はなかった。

結局の所、彼らの命運はジャンク一人の双肩に掛かっている。下手をすれば延々とさまよい続けることになるかもしれない。まあ、仮にそうなった場合でもルーラを使える者がいるのがせめてもの救いだろう。

だが、そのジャンクは急に立ち止まる。

 

「…………」

「お、親父……?」

「さて、どっちだったか……」

 

森の奥を睨みながら、彼はぽつりと呟いた。その言葉に、ポップたちの表情が青ざめる。だが、一人違う反応をする者がいた。

 

「ここはおまかせを!」

 

そう言うが早いか、チウはスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいく。やがて、ある一点の方向を指さした。

 

「ボクの鼻によると、あっちが怪しいな……」

「ん? そっちだったか? まあ、他に指標もないしな……」

 

ジャンクは首を傾げつつも、チウの鼻に従って進んでいく。そして――

 

「違ってるじゃねぇか!!」

「あ、あれおかしいな……ボクの鼻は確かに……」

「ああうるせぇ!! ちょっと静かにしてろ!! 今すぐに思い出すからよ!!」

 

結論から言うと、間違った道であった。

行けども行けどもそれらしきものは影も形も見えず、気がつけばジャンクも来たことがないほど森の奥深くまで進んでいたのだ。

 

「本当に、たどり着けるのかな……やっぱり、姉ちゃんについてきてもらった方がよかったかも……」

 

――ごめんね、ダイ!!

 

不安から思わずそう漏らした時、ダイは聞こえる筈のない姉の声を聞いた気がした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「おう、ここだここだ」

 

紆余曲折を――本当に大変な道のりであった。何しろ一度ルーラで入り口に戻ったくらいなのだ――経て、ダイたちはようやく目的の場所へと辿り着いた。

 

「こ、ここが……?」

 

ポップが訝しげな声を上げる。それも無理もないだろう。そこにあったのは簡素な家。木製で、外観から察するに精々人間二人ならばなに不自由もなく暮らせるのではないかという程度の、取り立てて特筆すべき所もないような普通の家だ。下手をすれば、小屋と言い換えても良いかもしれない。

 

「おい! ロン!! いるか!?」

 

だがジャンクは臆することなく家へと声を掛ける。すると家の中から何かが動くような気配があり、そして入り口の扉がゆっくりと開き、中にいた人物が顔を覗かせた。

 

「どうしたジャンク、何かあったのか?」

 

家主の姿を見たダイたちは、反射的に身構えていた。何しろ中から出てきた男は魔族だったのだ。魔族の特徴の一つである人とは明らかに違う青い肌を持ち、眼光はまるで獲物を射貫くかのように鋭く、顔には十字の深い傷跡が刻まれていたのだ。警戒するなと言う方が難しいだろう。

 

「よう、ロン」

「困るな、ジャンク……お前以外の人間をここに連れてきては……」

 

だがそれも、ジャンクの一言で霧散した。ダイたちはロン・ベルクについて魔族だと聞いてはいたが、それ以外の特徴などについては何一つ聞いていないのだ。小屋の中から出てきたとしても、彼のことを魔王軍の刺客と判断しても責められないだろう。

 

そして当のロン・ベルクは、ダイたちの行動などまるで気にした素振りもなく全員へと視線を走らせ、そして再度――今度はダイとチウだけを見やる。

 

「フッ、まあ人間じゃないのも少し混ざっているようだが……」

 

チウは見ての通りだが、ダイを一見しただけで人間ではないと判断するのは困難だろう。なにしろ(ドラゴン)の騎士は見た目は普通の人間と変わらないのだ。だが、目の前の相手はそれをやってのけた――ダイの正体までは無理だろうが、それでもダイが普通の人間ではないと見抜いた――のだ。

その深い観察眼に、ダイは思わず息を呑む。

 

「あなたがロン・ベルク……伝説の名工と呼ばれた人なんですか……!?」

「……伝説の名工とは、こりゃまた懐かしい呼び名が出てきたな……おい、ジャンク。なんだいこいつら?」

「息子の友達なんだ。まあ、話を聞いてやってくれ」

「……わかった。とりあえず入りな」

 

ジャンクの言葉にロン・ベルクは頷くと、顎で奥へと入るような動作をする。それが入れという合図なのだろう。そして扉を開けたまま奥へと引っ込んだ。

 

 

 

 

ロン・ベルクに招かれ、ダイたちは家の中へと脚を踏み入れた。室内には、最低限の区切りしかなかった――というよりも、部屋の区別が無いという方が正しいだろう。壁掛け式のベッドがあるかと思えば、棚には保存の良さそうな食べ物を詰めた壷がある。

およそ居住性というものを最低限にしているのだろうその何よりの存在は、面積の半分は締めているであろう鍛冶道具だ。椅子やテーブルも幾つかあるが、その殆どはふいご(・・・)やハンマーなどの置き場所となっている。来客を持て成すなど間違っても期待してはいけないだろう。

 

「で、オレに何のようだ?」

 

部屋の中で唯一無事な椅子へ腰掛け脚を組み、その傍らのテーブルには酒のボトルが置いて一口呷る。誰がどう見ても客に話を聞く態度ではないだろう。

そんな態度を目にして少々あっけにとられつつ、ダイは持ってきた剣を鞘から抜いた。

 

「あの、まずはこれを見てください」

「それはジャンクが作っていた剣か? なんだ、お前が注文したものだったのか……いや、ちょっと待て!!」

 

一瞥し、最初こそ知り合った人間が以前作っていた剣だと判断する。何しろ彼に相談された際にロン・ベルク自身もこの剣を目にしていたのだ。ならば自分が出る幕はないだろう、とつまらなそうに視線を外しかけ、だが強烈な違和感を感じ慌てて視線を戻した。

 

「違う……違うぞ! この剣は……」

「それは覇者の剣、オリハルコンで出来た剣です」

「オリハルコン!! やはりか……」

 

以前見たときとは明らかに違う、圧倒的な力を剣から感じる。その疑問はダイの口から語られた単語によって氷解した。オリハルコンこそ、ロン・ベルクが鍛冶屋として追い求めていた伝説の金属なのだ。

長年待ち望んだ物が手の届く距離に存在し、彼の心は思わず震える。

 

「この剣を見せて、オレにどうしろって言うんだ?」

「覇者の剣を打ち直して欲しいんです。おれの手に合うように……おれの力を存分に振るっても壊れないくらいに!!」

 

切実に訴えるダイであったが、それを聞いたロン・ベルクはため息をついた。

 

「存分に力を振るっても壊れないように、だと? 馬鹿なことを……」

「なに? ダイの言うことのどこがおかしいの?」

「オリハルコンは、この世で最高の金属だ。それを破壊するほどの力を、このボウズが持っているとでも言うのか? 手に合わないというのも、単純に持ち手の力量不足だろう。自分の未熟さを剣のせいにされちゃ、剣も泣くってもんだ。お前には過ぎた代物だよ」

 

オリハルコンの武器を手にして、それでもなお不足していると訴える。そんな相手がそうゴロゴロといるわけがないだろうと考え、ロン・ベルクはダイの実力不足だと結論付ける。

だがそんなことを聞いて、仲間たちが黙っているはずもない。彼らはダイの力を間近で見続けた者たちなのだ。

 

「そんなことないわ! ダイが弱いなんてことはありえない!!」

「そうだぜ! さっきから黙って聞いてりゃなんて言い草だよ!! ダイは(ドラゴン)の騎士だぜ! 真魔剛竜剣をブチ折るくらいに強えんだ! 実力がないなんざ、おれが言わせねぇ!!」

「なにぃっ!!」

 

強く反論するポップとマァムの言葉であったが、その言葉にロン・ベルクはこれまでで一番大きく反応した。なにしろ聞き捨てならない言葉を聞いてしまったのだ。椅子から乱暴に立ち上がると、その発言者であるポップに刃よりも鋭い眼光を向ける。それを見たポップは微かにたじろいでしまうが、負けじと更に口を開いた。

 

「そ、それとも何か!? 伝説の名工といえど魔族だから、魔王軍の味方ってわけか!?」

「魔王軍など関係ない! それよりも、今なんと言った!?」

「あ? 伝説の名工といえど……」

「そこじゃない! もう一つ前だ!! 本当に真魔剛竜剣を折ったのか!? (ドラゴン)の騎士が!?」

 

もはやジッとなどしていられなかった。ロン・ベルクはポップの傍に詰め寄り、虚言は許さんとばかりに彼を見つめる。それを受けたポップは、さながら蛇に睨まれた蛙といったところか。身体を強ばらせながらも、コクコクと頷く。

 

「一体何があった!?」

 

そうダイに問いただすロン・ベルクは、まさに信じられないと言わんばかりの表情を浮かべていた。何しろ彼の知る限り、真魔剛竜剣とは地上最強の剣である。そしてそれは、代々の(ドラゴン)の騎士が手にするものだ。

だがダイはその(ドラゴン)の騎士であるといい、その真魔剛竜剣を折ったという。こう言われて素直に信じろと言うのは相当難しいだろう。

突然水を向けられたダイは、驚きながらも簡単な大筋を話し始めた。

 

「え、と……細かい説明は省くけれど、おれも(ドラゴン)の騎士なんです。それで、真魔剛竜剣を持った(ドラゴン)の騎士と戦って、それで……」

「なるほど。この覇者の剣で真魔剛竜剣を折ったのか……」

 

そう一人納得して、ダイが持つ剣を見つめる。彼の目にしても、覇者の剣は素晴らしい剣に見える。だが、良く言えばただの優等生。悪く言えば誰でも扱える面白みのない剣だ。(ドラゴン)の騎士専用とも言える真魔剛竜剣を相手にしては、物足りなく思えても仕方ないだろう――そう思っていた。

 

「いえ、あの時おれが使っていたのは……」

鋼鉄(はがね)の剣、だったよな? ベンガーナのデパートで買ったヤツ」

「馬鹿を言うな!! そんなことが出来るはずがなかろう!!」

 

今度こそ――なんだったらば、今日一番に驚かされた。自分の耳か目か、それとも頭がおかしくなったかと疑った程だ。なにしろ鋼鉄(はがね)とオリハルコンでは、素材の質からして全然違う。二つの間には超えられない壁があると言って良い。比べるならば、木剣で鋼鉄(はがね)の剣を切ったと言っているようなものだ。

ましてや(ドラゴン)の騎士が扱っているのだ、信じられるはずがない。

 

「あ、でもあの時は確かチルノがドラゴンの素材で武器の加工をしていたはずだ。だから純粋な鋼鉄(はがね)の剣とはちょっと違うか」

「加工をした、だと? そのチルノというのは……?」

「おれの姉ちゃんです」

「姉だと? ということは、お前の姉は鍛冶屋なのか?」

 

聞き慣れぬ名が出てきたことでその素性を聞き、ロン・ベルクは僅かな情報からチルノの姿を想像する。だが、そう問われて困惑するのはダイたちの方だった。

 

「鍛冶屋……? チルノが……???」

 

四者四様――それぞれが自分の知るチルノの姿を思い浮かべる。だが、四人の浮かんだ答えは一緒だった。

 

「鍛冶屋……じゃあねぇよな……?」

「そうね……」

「うん……」

「確かに……」

「なんだ? いったい、どういうことだ?」

 

チルノの知らないロン・ベルクからすれば、混乱は更に増すばかりだ。だが、説明しようにもダイたちも上手い言葉が浮かばなかった。おそらく、一言で表せと言われたら「よく分からない」というのが適切だろう。

それ以上の追求も問答もごめんだとばかりに、ポップは話を元の方向に戻すことにした。

 

「まあまあ、チルノの事が気になるなら今度連れてくるぜ。それより、今はダイのことだ」

「そうだったな。それで、その剣はどうなった?」

「消えちゃったんだ。戦いが終わったら、まるで全ての役目を終えたみたいに……」

「なんだと……いや、状況を鑑みればそれも仕方ないか……」

 

少々苦い経験でもあるため、ダイは若干言いにくそうにその時のことを口にした。だがその時のことを知らぬロン・ベルクは、ただ剣が失われたことを嘆いていた。何しろオリハルコンと渡り合った剣なのだ。一目見てみたいと思ってしまうのも仕方ないだろう。

 

だがすぐに別の考えが浮かんだ。鍛冶師としての腕を持つのならば、それ以外にも何か持っているかもしれないと思ったからだ。

 

「なら、お前の姉が作った何か他の物はあるか?」

「それなら」

 

ダイは腰に差していた短剣を引き抜き、ロン・ベルクへと見せつける。

 

「これ、姉ちゃんがおれに作ってくれたんだ」

「……少し借りるぞ」

 

短剣をダイから受け取ると、じっくりと見定め始めた。まず初めに目についたのは材質だ。地上ではまずお目にかかれないような不思議な光沢を放っている。普通の鍛冶屋ではまずこの正体も分からないだろうが、ロン・ベルクは知っている物だった。

 

「これは……まさかキラーマシンの金属か?」

「うん、そう」

 

そう簡単に手に入るものでは無いだろうに、どこで手に入れたのやらと軽く首を捻る。まあ、かつてハドラーが使っていたキラーマシンを加工したなど、想像出来るものではない。そもそも彼には材料の出所などさほど気にすることではなかった。

それよりも注意すべきは、短剣の造りである。二度、三度と上から下までじっくりと見ていくと、不意に口を開いた。

 

「手を見せてみろ」

「え? これでいい?」

 

その言葉にダイは、まるで手相を見せるかのように利き手を差し出して見せる。するとロン・ベルクはダイの手首を掴み、その手と短剣とを交互に見比べる。

 

「なるほど」

 

やがて、得心がいったとばかりに呟いた。

 

「この短剣、切れ味は悪くはない。だが、なによりも注目すべきはボウズ専用に作られていることだ。おそらく、件の鋼鉄(はがね)の剣も同じだろう。他の人間が持っても、この剣は真価を発揮できまい」

「……っ」

 

その言葉はダイを驚かせ、同時に納得させるのに十分すぎるほどの説得力を持っていた。なにしろチルノに聞いた説明と同じだったのだ。伝説の名工と呼ばれるのは伊達ではないとダイは改めて思い知らされる。

 

「こんな物を作れる鍛冶屋がいるのなら、真魔剛竜剣を折ったと言う話も多少は信じてやろう」

「多少は、かよ……嘘じゃねぇって言ってるだろ……」

 

未だポップは不満顔だが、譲歩したというところは大きな進歩だろう。だがこのまま交渉がまとまらなければ意味は無い。姉を連れてくるべきだろうかと考え始めたところで、もう一つ交渉材料があったことを思い出した。

 

「あ、そうだ! ロン・ベルクさん、これを」

「なんだこれは……?」

 

出発前に姉から手渡された袋を乱暴に手に取り、ロン・ベルクの前へと差し出した。ロン・ベルクは訝しげな顔をしながらも袋を受け取るとその中身を確認し、そして目を丸くした。

 

「こ、これは!!」

「覇者の冠です。これもオリハルコンで出来ています。お願いです、これを差し上げますからどうかおれに剣を……!!」

 

姉から渡された物とは言え、出来れば使いたくはなかった。だが、ここで交渉を破綻させるわけにもいかないと、ダイは断腸の思いを味わいながら頼み込むものの、もはや相手は話を半分も聞いていなかった。

 

――これがあれば……!!

 

まるで魅入られたかのように、ロン・ベルクは覇者の冠を見つめ続けていた。その理由は、彼が武器造りを行っている理由と関係している。彼が密かに持ち続けるとある望みのためにも、オリハルコンは追い求めて止まない物だった。

覇者の剣を見たときも、適当な理由をつけてどうにか巻き上げてしまおうと思っていたほどだ。

とはいえ、相手はジャンクの知り合いであるということと、なにより真魔剛竜剣を折ったというにわかには信じがたい話を聞いたため、一時保留としていた。彼も自らの鍛冶技術にはプライドがある。その話が真実ならば、剣を作ることもやぶさかではないと思ってしまったからだ。

 

だが、この覇者の冠は違う。ダイはこれを「差し上げる」と言ったのだ。ならば誰に(はばか)ることはない。夢にまで見た伝説の金属を自分の物として自由に使えるとなれば、その喜びはいかほどだろう。

まるで子供のように瞳を輝かせながら覇者の冠を見つめ続け、そして、彼はふと気付いた。

 

「いや、駄目だな。コイツは使えん……」

「ええっ!!」

 

 




気を抜くとゴメちゃん達の描写をすぐ忘れてしまう……まあ、武術大会編である程度目立ったし、いいよね……(なお、この枠にチウもエントリーされている模様)

ポップ。
心が割と強化された感じ。色んな事を素直に認められる様になった、って感じです。だから親父さんの怒りも抑えめな感じです。
そして小さな村だからポップの顔を知ってる人間も大勢いるだろうなぁと思って、入り口からワイワイさせる羽目に。原作ではコソコソ隠れていたから、ギリギリ見つからなかったんでしょうねぇ……

メルルがいないから、森で迷うランカークス勢……
(本当はここでダイが姉の「ごめんなさい」を感じる所まで前話に詰め込む予定でした)

ロン・ベルク。
ある意味一番面倒だった人。説得するにしても、鎧の魔剣で折ったのならともかく、鋼鉄の剣で折ったなんて話を誰が信じるんですか。
しかも原作とは違い、彼が追い求めていたオリハルコンを最初から持って来ている。彼にしてみればカモがネギ背負ってきた様なもんです。力づくで奪われる可能性も十分にあったわけです。
ちゃんと話を聞いてくれてよかったよかった。
でもって覇者の冠を上げると聞かされて「これで星皇剣が作れる!!」と思ったら……
ごめんね、もうチルノさん用の武器の材料になることがもう決まってるので……

オリハルコンはバーン様を襲ってチェスのコマを奪って手に入れましょう。


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LEVEL:69 覇者再誕

区切りが良かったのでついここで切ってしまう……



「いや、駄目だな。コイツは使えん……」

「ええっ!!」

 

ロン・ベルクの言葉に、ダイは驚きの声を上げた。それに続くように、ポップたちも口を開き始める。

 

「ど、どういうこと!?」

「まさか、これも偽物ってんじゃねぇだろうな親父!?」

「馬鹿を言うな。剣の方はともかく、そっちの冠については存在すらしらねぇよ」

「じゃあ、誰かがすり替えたとか!?」

 

蜂の巣を突いたように騒ぎ出す一向の様子を眺めて、ロン・ベルクは思わずため息をついた。確かに報酬として渡した物が偽物だったとすれば信用問題にも繋がる。このような事態が起きても不思議ではない。

 

「……おちつけ。オレの言い方が悪かったな、今説明してやる」

「お、おねがいします……」

 

己の言動を少しだけ反省しつつ、理由を語り始めた。

 

「これが使えないと言ったが、別に偽物というわけじゃない。これも正真正銘、オリハルコンだ」

「じゃあ、どうしてあんな紛らわしいことを?」

「簡単なことだ。こいつはオレには力を貸さない(・・・・・・・・・・)という意味だ」

 

ロン・ベルクとしては精一杯、分かり易い表現を選んだつもりだった。だが、それを聞いたダイたちは、それは一体どういう意味かと首を捻る。やがて、ポップがおずおずと遠慮がちに口を開いた。

 

「その言い方だと……だったら別の人間になら力を貸すってことかい?」

「ああ、そう言ったんだ。伝わらなかったか??」

 

理解に時間が掛かったが、どうやら問題なく伝わっていたと知ってロン・ベルクはニヤリと笑う。だが、その肯定を信じられなかったのは他ならぬポップ自身だった。まさか正解だったとは考えておらず、むしろ自分で自分の考えを否定し始める。

 

「い、いやいやいや! 馬鹿言うなって!! 覇者の冠が意志を持っているとでもいうのか!? そんな馬鹿なことがあるわけ……」

「いや、あるぜ」

 

だが、それに待ったを掛けたのは他ならぬ彼の父ジャンクであった。それまで沈黙を貫いていた男が口を開き、ましてやそれがありえないと思っている考えの肯定にポップは再び驚かされ、父の顔をジッと見つめる。

 

「お前は知らねぇみたいだが、武器が戦士に力を貸す、ってのはありえない話じゃねぇのさ」

「本当なのか、親父……? そんな奇跡みたいなことが……?」

「ああ、ある」

 

ポップの言葉にジャンクは力強く頷いて見せた。熟達の鍛冶師としての知識と経験を持つ彼の言葉だけに、その信憑性はグッと増す。

 

「といっても、普通の金属じゃあ無理だ。まず、特殊な金属によって打たれた、いわゆる魔剣の類いであること。これが最初の条件だ。そうでなけりゃ、人の感情に反応しないと言われている」

 

そう言いながら彼は指を一本立て、続いて二本目の指を立てた。

 

「次に、その魔剣の主になっていること――苦楽を共にし、その剣を己の手足の延長線のように扱えるようになり、武器の力を最大限に引き出せるようになっていること。それが第二の条件だ」

 

そして最後に三本目の指を、これはやや遠慮がちに立てる。

 

「だがその条件を満たしても、全ての武器が必ず力を貸してくれるわけじゃない。オレも詳しくは知らんが、相性みたいなものがあるんだろうよ」

 

その三つ目の条件は、色々と不確定な物だった。前述の二つと異なり、相性という明確に目では見えないものが条件だと言われては、素直に納得することもできないだろう。彼本人としてもそう思っているのだろうか、ジャンクの言い方も態度も最初の二つよりもどこか自信がなかった。

 

「とはいえ、概ね今の三つの条件が揃っていることが条件だって話だ。武器の出来映えでも左右されるそうだが……逆に言えば今の三つの条件さえ整っていれば、剣だろうが盾だろうが、なんだったら装飾品だろうと力を貸すらしいぜ」

「な、なるほど……伊達に武器屋やってたわけじゃねぇんだな親父……」

 

まさかの人物からの言葉に、ポップは思わず唸っていた。しかもその説明は、昔から伝えられた伝承やお伽話のような漠然としたものではなく、ある程度の具体性を持っている。それもまた話の真実味を増す。

黙って話を聞いていたロン・ベルクもまた、同じ感想を抱いた。地上では馴染みの薄い話を知っていたことに驚かされていたのだ。

 

「ククッ、昔取ったなんたらってやつか? 大した知識だ。普通の鍛冶屋は知らんぞ、そんなことは」

「ロン! 別にたいしたことはねぇよ。古い話だ……」

「……?」

 

ロン・ベルクとジャンクの二人だけでしか通じない会話に、間に挟まれていたポップは疑問符を浮かべる。だが二人はそれ以上の会話を交わすことはなかった。

どうやらこの世界では、自身の父親がかつてはベンガーナ王宮随一の鍛冶屋であったことを知るのはもっと後のことになりそうだ。

 

「それじゃ、その三つの条件にこの覇者の冠も当てはまるってことですか?」

「そういうことだ。これだけ強く想われるなんざ滅多にないだろう。まったく、大したもんだよ」

 

納得したように頷くロン・ベルクのことを見ながら、ダイは覇者の冠と先の話を比べる。

 

第一の条件は、考えるまでもないだろう。覇者の冠はオリハルコン製のため、並の金属とは比べものにならないほどの力を秘めている。持ち主の気持ちも、きっと容易に汲み取ることだろう。

 

第二の条件については、少しだけ頭を捻らざるを得ないだろう。今まで実戦どころか装備すらしたことのない覇者の冠が、どうして? と。だが思い返して欲しい。覇者の冠を渡されたものの、その手入れをしてきたのはチルノである。

手ずから台座を作り、日々掃除を欠かさなかった。今まで宝物庫の中という暗く狭い場所に閉じ込めれていた冠にとってみれば、彼女は広い世界と太陽の光を見せてくれた大恩ある相手なのだ。覇者の冠が自ら力を貸したいと思っても不思議ではないだろう。

 

そして第三の条件と言われている相性は、もはや言うまでもない。第二の条件がそのまま当てはまるのだ。

 

ましてや本来の歴史では、ダイのために作られたオリハルコンの剣はその強力すぎる力をむやみに使わせないために自身を封じていたり、持ち主の危機には自ら傷つくことも顧みず、迷うことなくダイを守っていた。

ラーハルトの持つ鎧の魔槍も――本来の歴史ではヒュンケルへと持ち主を変えたが――大怪我を押して戦おうとする主の元へ向かう、自身の力不足を痛感してさらなる改良を求めるべくロン・ベルクの所へと戻るといった行動を見せていた。

これらは、武器の出来映え――どちらもロン・ベルクが作ったためその出来映えは言うまでも無い――の条件とも合致する。

 

「じゃあ、やっぱりこれは姉ちゃんの物なのかな……?」

 

まるで最初からこうなることを見越して姉が覇者の冠を渡したような、そんな奇妙な感覚に襲われながらダイは呟く。その小さな呟きを、ロン・ベルクは聞き逃さなかった。

 

「なに!? コイツはお前の物じゃないのか!?」

 

覇者の剣がダイの持ち物である以上、てっきり冠も同じだとロン・ベルクは考えていた。それだけに、本当の持ち主が別の者だということは想像の範囲外である。

 

「はい、こいつは……覇者の冠はきっと、姉ちゃんに力を貸したいんだと思います」

「またお前の姉、か……」

 

ダイの剣を鍛え、鋼鉄(はがね)の剣で真魔剛竜剣を折れるほどの力を見せた。かと思えば覇者の冠が他の人間に使われることを拒む態度を見せる。果たしてダイの姉とは何者なのだろうかと、ロン・ベルクの中には純粋な好奇心が沸いていた。

一度会ってみたい、と。いや、それ以上の強い気持ちが彼を動かし始めた。

 

「ボウズ……いや、ダイだったな?」

「は、はいっ!」

 

急に名前を呼ばれて、ダイは思わず緊張した面持ちを見せる。

 

「作ってやろう」

「えっ……!?」

「聞こえなかったか? 打ち直しだ。その覇者の剣を、世界でただ一つの剣に……お前のためだけに作られた、地上最強の剣に生まれ変わらせてやると言ってるんだよ」

「ええぇぇっっ!?!?」

 

今まで難色を示していたロン・ベルクが突然剣を打ち直すことに了承の意を見せたことは、ダイを驚かせるのに十分だった。急に態度が変わったことで、むしろ訝しむ。

 

「急にどうして!? それに覇者の冠だって使えないんじゃ……」

「その覇者の冠が、最大の理由だ」

 

だがロン・ベルクはさして気にした様子もみせず、むしろ上機嫌に覇者の冠を指さして見せた。

 

「正直に言おう。オレはそれを……覇者の冠を報酬として貰えると聞いたとき、歓喜したのさ。とある目的のためにな」

「とある目的……?」

「それって、いったい……」

 

――とある目的。

それは、ロン・ベルクは伝説の名工と呼ばれるほどの鍛冶師になったことに関連することだ。魔界に生まれた彼には類い希なる剣の才能があり、十年も経たないうちに最強の剣技を極めた。だがその剣技はあまりにも強力すぎる技だった。

その強すぎる威力の反動は、手にした剣を破壊しただけでは飽き足らず使い手であるロン・ベルク本人の腕をも破壊するほどだったのだ。

身をもって剣技を体験したロン・ベルクは、自身の強さではなく武器の弱さを憎んだ。元々、強くなり続ける自分の力に武器が追いつかず、全力で戦えないという苛立ちに悩まされ続けていたのだ。自分が全力を振るっても問題が無いほどの武器を彼は求めていた。

七十年近い歳月をかけて腕を完治させたロン・ベルクは、武器作りの道へと進んだ。他でもない自分自身が全力で戦えるだけの武器を生み出すために。

 

そしてその目的を達成するためには、オリハルコンはまさに彼が追い求めた理想の金属だったのだ。それこそが目的であった。

 

「個人的な話だ、お前達に話す必要もない」

 

だがそれを彼らに語ることはしなかった。この場で話したところで何の意味もないことであるし、話してやるほどダイたちと深い付き合いがあるわけでもない。そもそも本来の歴史でも彼が今の事実を語るのはもっとずっと後のことだ。

 

「ただ、その目的の為にオリハルコンを欲していた、とだけ言っておこう」

「じゃあ、やっぱり覇者の冠が必要なんじゃ……」

 

オリハルコンが欲しい。となれば、やはり覇者の冠を渡すべきではないのだろうか。そう考えるダイであったが、ロン・ベルクは微笑を浮かべて首を横に振ってみせた。

 

「未練などない、と言えば嘘になるな。だが、この冠を素材に使い武器を作っても、出来上がるのはナマクラだ。そんな失敗作が出来ると分かっていて剣を作るのは、オレのプライドが許さん」

 

語るうちに、ロン・ベルクの顔が険しいものへと変化していった。元々は剣士であったものが、鍛冶師としての生を歩むウチに身に宿ったのか。それとも生来の完璧主義者が故なのだろうか。彼は不要だときっぱりと言い切った。

 

「それに、コイツはお前の姉の力になりたいと訴えているのさ。これだけ主人のためを思う武器――いや、防具か? まあ、いい。とにかく力になりたいと願っているんだ。道具にこれだけ思われる相手が作った剣だ。ならば、真魔剛竜剣を折ったことも真実だろうと思っただけだ」

「それじゃあ!!」

「さっきから言っているだろう。剣を作ってやるとな」

 

フッ、とニヒルな笑みを浮かべつつも、ロン・ベルクの瞳の奥には熱い感情が炎のようにじわじわと燃え上がっていた。長年の間燻っていた彼の心にじっくりと熱が入っていくのを、おそらくこの場では同じ鍛冶屋であるジャンクだけが理解し、小さく笑った。

 

「もっとも、二つほど条件を呑んでもらうぞ。嫌とは言わせん」

「二つ? それって一体……?」

「なぁに、簡単なことだ」

 

果たしてどのような無理難題を出されるのかと身体を堅くするダイであったが、ロン・ベルクはそんな緊張をほぐすように肩へと軽く手を置き、ダイをまっすぐに見つめる。

 

「一つは、オレの作った剣を完全に使いこなすことだ。さっきも言ったが、武器が意志を持つという話は嘘じゃない。だがそれには武器と人間、そのどちらもが進歩しようとしなければ意味が無いんだ……最強の人間と最強の武器が合わさった姿を見せてくれ」

「わかり……ました……」

 

ロン・ベルクの真剣な眼差しに圧倒されつつも、ダイは声を絞り出して強く頷いて見せた。オリハルコンの剣を持つに相応しいだけの覚悟と実力を兼ね備えて見せろという期待に応えるように。

ダイの返事にロン・ベルクもまた強く首肯してみせると、次の条件を口にした。

 

「もう一つは、お前の姉に会わせてくれ」

「姉ちゃんに!?」

「チルノにあって、どうするつもりですか……?」

 

その条件は、ダイたちが一人も予想していなかったものだった。ダイは驚きの声を上げ、マァムは友人に会って何をするつもりなのかと僅かに視線を鋭くする。

 

「そう構えるな。別に取って食おうというわけじゃない」

 

だがその視線を受け止めながらも、ロン・ベルクは涼しい顔を見せていた。

 

「この覇者の冠は、主の力になりたいと願っている。分かり易く言えば『今のままじゃ力不足だ、もっと活躍できるような姿に生まれ変わりたい』と願っているようなものさ。それを実現させてやりたいだけだ。そのためには、本人がいる必要があるんだよ」

「本人が? どうしてだ?? よくわかんねぇけれど、その冠で普通に武器を作れば良いんじゃないのか?」

 

どうしてチルノ本人が必要なのか理解できず、ポップはそう疑問を口にした。

 

「馬鹿を言うな。そうやって作っても出来上がるのはただの武器だ。コイツは主の力になりたいと強く思っている……意志が――魂があるんだ。だから使い手はその魂を呼応させ、主人と認めさせる必要があるんだよ」

「主人と認めさせる? それってさっき親父が言っていた、自由自在に使いこなせるようになることと違うのか?」

 

剣の主人と認めさせる、という表現にポップは首を傾げた。剣の主となるのならば、それこそ彼が口にしたように縦横無尽に使えるようになることがそうなのではないのかと。

 

「それも正解だ――コイツが普通だったらな。だがコイツはチルノのために生まれ変わろうと思っている。そう言う場合は、剣が生まれる瞬間を見届けて魂の声を掛ける必要があるのさ。それこそが主と認めさせる」

 

ロン・ベルクはその言葉を半分肯定する。

ポップの言ったことは、特定の誰かの為に作られた物では無い武器の場合には通用する理屈だ。ヒュンケルの持つ鎧の魔剣などであれば、その方法で問題ないだろう。

だがこの場合は違う。

ある特定の人物のためだけに生み出された武器の場合は、生まれる瞬間からしっかりと誰が主かを教える必要があった。そうしなければ、主を持たない専用の武器という中途半端な物にしかならない。

 

「これは、ダイの剣もそうだ。お前も、主人として打ち直された剣が完成するまでを見届ける義務がある。心しておけ」

「わ、わかりました!」

 

主になるという言葉に少々萎縮したものの、ダイは変わることない決意を見せる。

 

「なるほど……よくわからねぇが、わかったぜ。なら、今すぐチルノを連れてくればいいのかい?」

「いや、まずはダイの剣からだ。これはオレの生涯でも初めての大仕事、一気に二本も剣を打つことは不可能だろう」

 

ならば早いうちに連れてくるべきかとポップは提案するが、ロン・ベルクは首を横に振った。オリハルコンという稀少かつ扱いの難しい金属にて、専用の武器を作る。それがどれだけ彼の体力と魔力を――もっと言うならば鍛冶師としての魂を削ることになるのか。それはロン・ベルク本人にも想像がつかない。

ならば安全策という点でも、一本ずつ。この場に当人がいるダイ用の武器から作るべきと判断したのだ。

 

「それに、オレの予感が正しければ、もう一つの方は準備にも時間が掛かるだろうからな。そういう意味でも、ダイからの方がいい」

「準備に時間が? そりゃ、どういう意味だ?」

 

何気なく言った言葉であったが、同じ鍛冶師であるジャンクだけがその言葉に反応した。ロン・ベルクの鍛冶場は、武器を作るための様々な道具や鉱石なども揃っている。それを知っているジャンクからすれば、これ以上どんな準備が必要になるのかと問いただしたくなる。

 

「どういう意味もなにも、言葉通りの意味だよ。ちょいと、持ち主に話を聞く必要もあるだろうからな」

「……??」

 

ジャンクの問いかけに答えるものの、だがそれはジャンクを余計に混乱させるだけだった。

 

「後で教えるさ、今は気にしなくていい。それよりもジャンク、手を貸してもらうぞ」

「……わかった。今は目の前の大仕事に集中させてもらうぜ」

 

それを聞いたジャンクはニヤリと不敵に笑って見せた。

鍛冶師としての力量を頼りにされている。それも、自分よりも遥かに良い腕を持つ相手から直々のご指名なのだ。それも、知り合ってから今まで見たことも無いほど熱い目をしているロン・ベルクから。ならば同じ武器作りに関わる者として、燃えないわけがない。

 

「そう堅くなるな。心を乱さず、完成するまでの間に語りかけてやればいい。幸いにも、今の状態でも剣はお前の事を気に入っているようだ」

「えっ、本当に!?」

 

続いて、主人と認めさせるという言葉が気になったのだろう。不安そうな顔をしたダイを落ち着かせるべく声を掛けた。素直なダイは、ロン・ベルクの言葉を聞くとすぐさま顔を明るくした。現段階でも覇者の剣がダイのことを思っていると聞き、認められているという自信がついたのだろう。

 

――待ってて、姉ちゃん。剣を打ち直して貰ったら、すぐにでも戻るから! もしかしたら、オレと姉ちゃんで、オリハルコンの剣を持って一緒に戦えるかな?

 

期待に胸を膨らませながら、ダイは心の中でそう叫んでいた。

 

 




TVアニメのキャストが発表されましたね。全然知らない……
キャラのビジュアルも発表されましたね。ワニさんなんだかスマート?
ゲームもソシャゲ・ARPG・カードと発表されましたね。まさか3つとは。
単行本が新カラー表紙とかで刊行されるとか。全巻持ってるんで新規部分だけください。
Vジャンプでアバン先生の過去話をやるとか。そのまま魔界編もやって。

今のところ(2020年6月1日くらい)発表された情報はこんなところですかね?

あと、ちょっと思いついたんですけれど……
アバン先生が鞄を持って、かばんストラッシュ……なんでもないです。


(感想の返信で書いていたかも知れませんが)
覇者の冠は一途に相手を慕うタイプだと思ってます。原作ダイに家中ひっくり返さなきゃ見つけられないような酷い扱いをされていたのに、ダイの剣に生まれ変わってからの献身ッぷりときたら……
覇者の剣はわりとビッチ。原作で超魔ハドラーに黙って使われていることから、強い相手がいるとすぐに乗り換えるタイプでしょう(じゃなかったら、ハドラーに使われることを嫌がるでしょうから(でもそんな描写がないので))
(※個人的な感想)

なので、大事に扱われた覇者の冠はこのくらいの事はしますよ。どっかの死神漫画みたいに「卍解!」ってしてもおかしくないです(無茶)


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LEVEL:70 会議は踊る

何の伏線を張ったのか、自分でも忘れてきた……



――今頃ダイは、剣を打ち直してもらっている頃かな?

 

窓から外――正確にはロン・ベルクたちのいるであろう方角――を眺めながら、チルノはそんな事を考えていた。

 

彼女の知る本来の歴史と同じように進行していれば、ランカークス村でポップの父と出会い、ロン・ベルクの元へと赴くだけでも多少時間が掛かる。そしていくら剣を打つという了承を得ても、そう簡単に出来上がるものではない。良い物を作るには、それに見合っただけの時間も掛かるのだ。

ダイたちがランカークス村へと出発してから既に丸一日以上が経過しているが、未だに彼らは戻ってこない。それは逆に言えば、彼らが上手く行っている証拠でもある。それを知るからこそチルノはそう判断し、そのまま上手く剣が出来上がることを遠い空の下から祈っていた。

 

――さながら、嫌なことを忘れようとするかのように。

 

「チルノ、そろそろ入ってちょうだい」

 

一心不乱に祈り続けるチルノへ向けて、レオナの声が掛かった。それを聞いた少女は、祈りを止めると聞こえないように小さくため息を吐いた。

 

「ねえ、レオナ……やっぱり私も参加しなきゃ駄目なの?」

「当然でしょう? この世界会議(サミット)の目的は、各国の垣根を越えて協力しあって魔王軍に立ち向かうためのものよ! その最前線にいるチルノが参加しないでどうするのよ?」

 

これこそが、チルノが現実を忘れようとしていた理由であった。

 

ロモスにて覇者の剣を受け取りパプニカへと戻ったあの日、ベンガーナ王はレオナたちに向けて戦車という力を誇示し、さらには親友(チルノ)のことを「踊り子の方が似合っているのではないか」と侮辱したのだ。

とはいえ、戦車の力についてはチルノが利点と欠点を軽く説明しておいたし、失礼な物言いにも「気にしていない」という意思表示はしていたのだが――どうやらレオナの中ではその程度では溜飲が下がらなかったようだ。

本人の口からきちんとした言葉を引き出させようと画策した彼女は会議の当日に急にチルノを誘い、会場である大礼拝堂まで強引に連れてきていた。まあ、なんだかんだ言いつつも会議場隣の控え室までやってきたところから、チルノの人の良さが窺える……ひょっとすればレオナの押しの強さかもしれないが。

 

「そうですよ、チルノさん。凄く名誉なことじゃないですか」

 

そんな裏の事情を知ってか知らずか、メルルは疑う事を知らないような笑みを浮かべていた。彼女は本来ならば立場上はテラン参加者の控え室にいなければならないのだが、無理に頼み込んでチルノたちと同じ部屋にいた。もっとも、メルルがこうしたワガママを言うのは良い傾向だと判断され、フォルケン王やナバラが頼み込んだこともあってのことなのだが。

 

「でも、各国の指導者の前に出るなんて……」

「あら、何を言っているのかしら?」

 

なおも食い下がろうと、無駄な抵抗を試みようとするチルノに向けて、今度はフローラから援護射撃が飛んできた。彼女もまた、本来はカール王国用の控え室を用意する予定だったのだが、本人の希望もあってこの部屋にいた。勿論、護衛役のホルキンスもだ。

 

「貴方もアバンの使徒でしょう? それに、勇者ダイこそ不在ですが、魔王軍を相手に勝利を積み重ねてきた立役者の一人です。参加する資格は十二分に有していますよ」

 

そう信じて疑わないフローラの表情を見て、彼女はもう一度小さくため息を吐いた。

 

「ピィ……」

「ん、ありがとうスラリン。良い子だね……大丈夫、ハラは括ったから」

 

心配そうに声を掛ける小さな相棒を優しく撫でると、チルノは真剣な表情でレオナを見つめる。それを受け止めたレオナは、チルノが決意をしたと読み取った。

 

「参加してくれるの?」

「……ベンガーナ王を論破すればいいんでしょう?」

「そ、それは別に本来の目的じゃないのよ……チルノは魔王軍との戦いを最も多く経験した者としての意見をね、その……」

 

チルノの直球すぎる物言いに、レオナは慌ててしどろもどろに言い訳を展開し始めた。だが幾つかの理由を口にしたところで、はたと詰まったように言葉が止まって無言になり、やがて小さな声で呟いた。

 

「……うん。ホントはちょっと期待してる」

「フフッ、任せて」

「や、やりすぎないでね……」

 

親友の飾らない言葉を耳にして、チルノはとても良い笑顔で返事をする。少し前まで嫌がっていた彼女と同一人物とは思えないほどに頼もしすぎるその様子に、レオナは圧倒されながらも最低限の釘を刺すことだけは忘れない。

そんな少女二人のやりとりを、フローラは微笑ましく見守り、またメルルは少しだけ羨ましそうな瞳で見ていた。

 

「そうだメルル、ちょっとお願いしていいかしら?」

「お願い、ですか……?  構いませんが、一体なんでしょう?」

 

メルルの視線に気付いた、という訳ではないが、チルノは思い出したように口を開く。

 

「たいしたことじゃないの。ちょっとスラリンを預かってて欲しいんだけど大丈夫?」

「ピィ!?」

「スラリンさんを、ですか? でも一体どうして??」

 

そこから出てきたのは、スラリンを預かって欲しいと言う言葉だった。急に聞かされて、スラリン本人からは驚きの声が上がる。そしてメルルもその言葉に異論は無いが、驚かされていた。チルノとスラリンがデルムリン島からこっち、ずっと共に行動をしていた親友のような存在だということは、メルルも既に聞き及んでいる。

そんな相棒を預けるとはどうしたことかとメルルは疑問を浮かべる。

 

「うん、幾ら無害なスライムとはいえ怪物(モンスター)だからね。無用な誤解を招かないためにも、会議に出席するのは私だけにしておきたいの」

「あ……なるほど、そういうことですか」

 

何しろ厳重な警備の下で秘密裏に行われる会議である。ならばこの選択も仕方の無いことなのだろう。理由を聞き、メルルもスラリンも納得した表情になった。とはいえスラリンは少々不満もあったようだが。

 

納得して貰えたと判断したチルノは、スラリンをメルルへ手渡す。

 

「スラリン、メルルの言うことを聞いて良い子で待っててね」

「ピィ!!」

「短い間ですが、よろしくお願いしますね。スラリンさん」

「ピイィィッ!!」

 

受け取ったメルルは、チルノと同じようにスラリンを自らの肩へと乗せると優しい笑顔でそう口にする。それを見たスラリンは、気のせいかチルノの時よりも嬉しそうな声を上げていた。

 

「それとこれも、お願いできるかしら?」

「これは?」

「それ、パプニカのナイフじゃない。それも外しちゃうの?」

 

続いてチルノは、装備していたナイフを鞘ごと外してメルルへと渡す。今度は受け取った彼女ではなくレオナが驚く番だった。なにしろこれは、二人の最初の出会いの時に渡した思い出の品のような物だ。それを目の前で外され、彼女は少しだけ寂しさを味わっていた。

悲しそうな顔を見せるレオナに向けて、チルノは当たり前のように口にした。

 

「だって、これから各国の指導者の集まる場所に行くのよ。武器を外すのは最低限の礼儀でしょう?」

 

幾らアバンの使徒であり、レオナ・フローラ両名のお墨付きがあるとはいえど、チルノの社会的な立場は低い。王族やこの場に代表として正式に呼ばれた者ならまだしも、飛び入り参加のような立場の彼女が武器を持って入場するのは色々と面倒な事になるだろうとの配慮からだった。

 

「あ……」

 

理由を聞き、レオナは思わず呆けた声を上げた。どうやら彼女は王女としての立場が考え方の基準になっていたらしい。最低限の礼節を守ろうとするチルノの気遣いに、彼女は何度目かの衝撃を受けていた。同時に、これならば会議でも活躍してくれるだろうと密かな期待も持っていたのだが。

 

「わかりました。このナイフも、しっかりと預からせていただきます」

 

一方メルルは、大切な相棒だけでなく装備をも預けられた事実に心の中で歓喜していた。自分に対してそれだけの信頼を持ってくれているのだと思えば、それだけ嬉しくなっている。

 

「お願いね。それと……」

 

だが、彼女が本当に喜ぶのはこれからだった。チルノはメルルの耳元まで顔を寄せると、

 

「この会議の最中、きっと魔王軍が襲ってくるはずなの。だから、メルルの予知に期待させてもらっていいかしら?」

 

他の誰にも聞こえないほど小さな声でそう伝える。聞いていたメルルはその内容に目を白黒させる。だが、よくよく考えればチルノにこの場の誰よりも頼られているのだと気付き、軽い興奮で顔を赤くした。

 

「は……はいっ! 任せてください!!」

「ごめんね、勝手なことを言っちゃって。でも、頼れるのはメルルしかいないから」

 

やけに喜んだ様子を見せるメルルを少々不思議に思いつつ、チルノは念を押すようにそう言うと会議場へと足を運ぶ。レオナはすぐにそれへ続き、フローラは彼女たちを見守るようにゆったりとした足取りで向かう。

 

いよいよ会議が始まる。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

会議場は四角いテーブルを中央に配置し、それを囲むように六脚の豪華な椅子が配置されている。その豪華な椅子には各国の代表者がそれぞれ座しており、まずは開催国にして司会役を務めるレオナの事を見ている。

 

「これより、世界会議(サミット)の開催を宣言します」

 

集まった各国の王、代表の顔を見回してから、レオナは厳かにそう宣言した。堂々たるその言葉は、まだ二十歳にも満たない少女とは思えないほどだ。

 

「まずは、急な要請にも関わらず集まってくれた各国代表の方々に、開催国として感謝の言葉を述べさせていただきます」

 

レオナはそう言うと、集まった五名に対して深くお辞儀をする。

 

「ああ、礼には及ばんよ。力ある国として当然のことだ」

 

集まったそれぞれはレオナの言葉に礼を持って返すが、ベンガーナ王クルテマッカだけは一人違っていた。ここに来るのが、もっと言えば招かれて当然と言わんばかりの態度を見せている。

 

「それよりも、レオナ姫に尋ねたいことがある」

 

そう言うとクルテマッカはレオナの方――正確には彼女の少し後ろ――へ視線を向ける。

 

「確かそちらの少女は姫の侍女だったかと記憶しているが、どうしてこの場に参加しているのかな? 給仕役として呼んだのであれば、そのように座している暇などないでしょうに」

 

レオナの座る席の少し後方に、代表者たちが座るそれと比べれば普通の造りをした椅子があり、そこにはチルノが座っていた。彼女は内心ではその空気に圧倒されつつも、レオナの隣にいるのが当然といった表情を浮かべていた。

 

「ベンガーナ王にはご紹介が遅れたようで、もうしわけありません。それと、バウスン将軍も初対面でしたよね?」

「ああ……」

「既知の方もいらっしゃいますが、彼女のことを改めて紹介させていただきます。彼女の名はチルノ。勇者ダイのパーティの一人にして、彼女もまたアバンの使徒の一人です」

 

レオナは立ち上がりチルノの隣に立つと、彼女のことをそう紹介する。

 

「チルノと申します。今回はレオナ姫からの特別の依頼を受けて、この場に参加させていただきました。田舎育ちの礼儀知らず故にご無礼な言い方をするかもしれませんが、ご容赦ください」

 

チルノもまた立ち上がり、各国の代表者へと深々と頭を下げた。大半は彼女のことを知っている者たちであったが、知らぬ二人の人間の一人、バウスンは驚きの顔を浮かべていた。

 

「アバンの使徒……? あの勇者アバンの教え子だというのか……!?」

「はい。ただ、私は卒業の証を貰えるほど教えを受けてはいません。ですが、諸事情で今この場にはいませんが、私の仲間達はアバン先生から教えを受けて卒業の証を渡された者ばかりです」

 

バウスンはチルノの言葉に最初こそ落胆したものの、多くの仲間がいるという言葉を聞いて僅かながら希望を見いだした様な顔をしていた。

彼は国を焼かれた恐怖が精神的な傷となっているらしく、会議場に到着してからも常に弱気な表情を浮かべていた。それが変わっただけでも大した物といえるだろう。

 

「ハッハッハ!! 何を言うのかと思えば、このような小娘がアバンの使徒とな? しかも卒業の証を持っていない? 仲間は不在? それでよく使徒と名乗れたものだ。それが通るのであれば、小さな子供でもアバンの使徒と名乗れるわ!」

 

だがバウスンとは対象的に、クルテマッカはチルノの言葉を笑い飛ばす。確かに彼も言うこともあながち的外れではないだろう。

卒業の証を持たず、それを持っているはずの仲間達は席を外している。それを聞いてアバンの使徒だと言われて信じる方がおかしいと判断するのは決して間違いではない。

 

それが、この場でなければ。

 

「いいえ、ベンガーナ王。それは違います」

 

良く通る凜とした声で、カール女王フローラが口を挟む。

 

「彼女とは少し前に直接会い、会話させていただきました。確かに彼女は卒業の証こそ持ってはいませんが、確かにアバンの教え子だと確信しました。カール国女王フローラの名にかけて、保証しましょう」

「むっ……」

 

かつての大国が一つ、カールの若き指導者にそうはっきりと断言され、さしものクルテマッカも言葉に詰まる。

 

「我がロモスも同意見だ。ワシはチルノがまだアバン殿に教えを受ける前に会ったことがあるが、その時に我が国は彼女を未来の賢者と認めた。そして、我が国が魔王軍百獣魔団の攻撃を受けた日には、まるで天からの使いのように現れ、ロモスの為に戦ってくれたのだ。彼女のことはワシも保証するぞ」

「……テランも同様だ。我が国は侵攻を受けたわけではないが、縁あって少々彼女の面倒を見た。その時の彼女の様子を見るに、信用に値すると判断したよ」

 

ロモス王シナナとテラン王フォルケンが、フローラに続けとばかりに口を開く。カールと比べれば国力こそ劣るものの、他国の王からの言葉を更に受けてクルテマッカは完全に失っていた。

 

「ベンガーナ王、おわかりいただけましたでしょうか?」

 

そしてトドメとばかりにレオナが口を開く。

 

「彼女はロモス国の危機を救い、我がパプニカの国を奪還してくれました。それ以外にも魔王軍との戦いの最前線に常に身を置いています。その経験や、私達とはまた違った視点からの意見を期待して、私が参加を要請したのです」

「……なるほど。ならば精々、妙案を出してもらおうか?」

 

レオナの言葉にクルテマッカは、そう口にするが精一杯だった。

 

 

 

 

 

チルノの紹介を終え、議題は魔王軍と立ち向かうにはどうすれば良いかへと移る。だが、各代表者たちが話し合おうとするよりも、だれよりも早く口を開いた者がいた。

 

「簡単なことだ、レオナ姫よ。いつぞやも口にしたが、我が国の誇る戦車部隊を使えばよいだけのことだ。貴国らは我が国の援護をしておれば、それだけで魔王軍とて一網打尽にしてみせよう」

 

クルテマッカは自信満々にそう語る。

 

「何を言うかベンガーナ王! そのような考えでは魔王軍には勝てぬ!! 世界の国々が戦力を会わせねばならぬのだ!! 何のために集まったと思っておる!!」

「失礼ながらロモス王よ、貴国と我が国では国力の差が大きい。同列に考えられるのは止めていただきたいな」

「なんじゃと!? それはどういう意味じゃ!!」

「言葉通りの意味ですな」

 

シナナが真っ先に反論し、クルテマッカを諫めようとする。だが彼は聞く耳を持たず、逆にロモスを下に見た発言をする。その言葉にシナナはますますいきり立つが、それでもなお取り合おうともしない。

 

「ましてや我が国は、世界一安全な国と多くの民に評される国だ。その呼び名も、我が国の戦力あってのこと。他の大国が魔王軍に敗れた今、ベンガーナを置いて先頭に立つ国は存在せん。この会議も、その段取りを決めた方がよほど有意義というものだ。違いますかな?」

 

オーザムは滅亡し、この会議には代表者すら参加していない。リンガイアも超竜軍団に滅ぼされ王は行方不明となり、将軍が代理で参加している。カールも状況だけを見ればリンガイアと似たようなものだ。

なるほど、そういう意味では現在ベンガーナ国の一強と表現しても良いだろう。王の自信も理解できなくはない。

 

「なるほど、確かに一理はありますね」

「フローラ様!? ……っ、失礼しました」

 

クルテマッカの言葉に頷いたのは、フローラであった。予想外の言葉にレオナは大きな声を上げる。だが自分の失態を自覚した彼女は反射的に口を押さえ、謝罪を述べる。

その様子をフローラはジッと見つめ続け、場が収まったのを確認すると再び口を開く。

 

「ベンガーナ王の仰っていることも決して間違いではない。そうは思いませんか、チルノ?」

 

水を向けられ、チルノは気付く。なるほど、どうやらフローラ女王なりに場を整えてくれたということだろう。言うなればこれは女王なりの期待の表れでもあるようだ。ならば精一杯やってやろうと彼女は決意する。

 

「……ええ、そうですね。魔王軍を打ち倒すだけの力と意志を持った者が先頭に立つというのは、私も同意見です。その上で……ベンガーナ王、少々よろしいでしょうか?」

「うむ、何かな?」

 

フローラから賛同の意を得たと思い、クルテマッカの機嫌は良くなっていたようだ。チルノの言葉に尊大に頷いてみせる。同時に、各国の代表たちもチルノへと視線を向ける。

 

「王の自信の根拠となっているのは、パプニカまでやってきた巨大な軍船と戦車部隊。間違いないでしょうか?」

「いや、それだけではないぞ。最新の装備の数々に加え、それを操るは厳しい訓練によって統率された我が精鋭たちよ。これらが合わされば、まさに無敵と言えよう」

「なるほど、戦車部隊は私も拝見させていただきました。確かに素晴らしい戦力だと思います……相手が人間であれば」

「それは……どういう意味かな……?」

 

チルノの言葉もその意味を問うクルテマッカの言葉も、表面上は穏やかなそれだ。だがその言葉の裏では、空気がピリピリと張り詰めていくのが目に見えるようだった。シナナなどはこの僅かなやりとりだけでもチルノのことを案じるような瞳を見せているほどだ。

 

「今お話した通りの意味ですよ。人間相手には有効でしょうが、魔王軍を相手にするには力不足としか言い様がありません」

「なんだとっ!! 無礼にも程がある!! 貴様は我が国の実力を知らんのか!!」

 

そう叫びながらクルテマッカは机をドンと強く叩きつける。一国の王としての威厳が怒気と共に放たれ、チルノは内心で一筋の汗を垂らす。

 

「いえ、よく知っています。先ほども王自身が仰ったように、ベンガーナは世界一安全な国と評判です。魔王軍の侵攻を幾度も退けている、と……」

「その通りだ!」

「では、ベンガーナを攻めている相手の詳細をご存じですか?」

「敵の詳細、だと……?」

 

何を言いたいのか分からず同じ言葉を繰り返すが、それに対してチルノは大きく頷いて見せた。

 

「ベンガーナを攻めているのは妖魔士団――そして、その部隊を率いるのは妖魔司教ザボエラと言います」

「ザボエラ、だと?」

 

その名を聞き、シナナとレオナは思わず渋面を覗かせる。

一人は仲間たちからのその性格と性根について聞いており、もう一人は自国の城にて間接的にではあるがその卑劣極まりないやり口を直接目にしていたためだ。

だが、肝心のクルテマッカ当人はまるで初めて耳にしたとでも言うような態度を見せる。

 

「その様子では、ご存じないようですね。ザボエラは他の軍団長に取り入ることに熱心なため、侵略行為そのものには力を入れていません。必要最低限の攻勢しか行わずに自軍団の力を温存させているのだと思います」

 

事実、本来の歴史でもこの世界であっても、ザボエラはよほどのことが無い限りは前線に姿を現すことすらない。であれば、クルテマッカといえども敵の軍団長の名前すら知らない可能性があるとチルノは考えていたが、どうやら正解だったようだ。

 

そして、軍団を温存させているというは完全にチルノの推測でしかない。だが彼女はその考えを、そう外れた物では無いと確信していた。自軍団の戦力が多ければ――言い換えれば自分の手駒が多ければ多いほど、選択肢は多くなる。他人に取り入ることに力を注ぐザボエラにしてみれば、その手段を侵攻でいたずらに消費することの方が愚と考えるだろう。

 

「つまり、誤解を恐れずに言うのであれば、ベンガーナが世界一安全な国と評されているのは相手に恵まれただけ。侵攻する軍団が違えば、この場にはベンガーナ王の代わりにオーザムやリンガイアの王がいても不思議ではなかったでしょう」

「貴様!! 言うに事欠いて、相手に恵まれただけだと!! 取り消せ!!」

「では、バウスン将軍にお聞きします」

「私、かね……?」

 

意外そうな顔を見せるバウスンに向けて、チルノは頷く。

 

「ええ。超竜軍団と実際に戦った経験のある将軍に、率直にお聞きします。ベンガーナの全戦力があったとしても、超竜軍団に勝てたと思いますか?」

「超竜軍団を相手に……?」

 

問われたバウスンはしばし、瞑想でもするかのように瞳を閉じていたが、やがてその瞳に弱気な色を映しながら口を開いた。

 

「いや、おそらくは無理だろう……ドラゴンたちの強さ、おそろしさ……あれは戦った者にしかわからない……チルノ殿の考えに、私も賛成だ……」

「そうでしょうね」

 

フローラもまた、賛同の意を示す。

 

「我がカールにも超竜軍団は差し向けられました。ドラゴンたちの強さは当然ですが、我が国がそれ以上に恐れたのは、これが魔王軍の全軍ではないということです。仮にドラゴンたちを撃退したとしても、その他多くの怪物(モンスター)に攻め込まれれば壊滅は必定――早いか遅いかの違いでしかない。そう考えたからこそ、我が国は一時の屈辱に耐えてでも身を退いたのです」

「そのようなことは決して無い!! いかなる敵が攻めてこようとも戦車は負けん! 後詰めがいるというのであれば、我が軍が敵の主力を倒してみせよう! 貴国らはそのサポートに徹すれば問題ないはずだ!!」

 

一国の王が、自国を諦めるという屈辱的な体験を話してもなお、クルテマッカは考えを改めるつもりはないようだ。その様子にチルノは、しかたないとばかりに手札をもう一枚切る。

 

「話は変わりますがベンガーナ王。私は先日、ベンガーナのデパートに訪れました。建物自体もとても広く大きく、中には無数の商品の数々……一日中いても飽きないだろうと思いました。あんな素敵な場所があったなんて、今まで知りませんでした」

「ほう、そうかね……? まあ、あれは我が国の自慢の一つだ」

 

急な話題転換に怪しみつつも、笑顔でデパートへの賛辞を送るチルノにクルテマッカは少しだけガードを下げた。自国のことを褒められれば、誰でも悪い気はしないのだろう。

 

「では、そこがドラゴンたちに襲われたことは当然ご存じですよね?」

「む……っ」

 

風向きが悪くなったことを自覚したのだろう、言葉少なげにそう言う。

 

「偶然にも私達はその現場に居合わせました。そのとき襲ってきたのはスカイドラゴンとヒドラが一匹ずつ、そしてドラゴンが五匹でした」

「それがどうかしたのかな?」

「街中にドラゴンが突然沸いて出てくる、ということはまずあり得ません。あのドラゴンたちは超竜軍団に属する――つまり、魔王軍の手の者です。そしてドラゴンたちはベンガーナの防衛部隊の攻撃を易々と跳ね返したと聞きました」

「…………!!」

 

チルノが何を言いたいのか、クルテマッカには理解できたのだろう。無言ではあるが、その表情は明らかに焦りのそれになっていた。だがチルノがその手を止めることはない。

 

「防衛部隊には、大砲が装備されていたはず……おや? 確か、王ご自慢の戦車部隊も大砲を装備していましたね? ということは、ドラゴンの鱗に大砲の攻撃は効果が無いということになるのでは……?」

「そっ、そのようなことはない!! 戦車に装備させているのは最新式だ!! 威力の桁が違うのだよ!! あの場に戦車部隊がいれば、街に被害を出すことなく倒していたわ!!」

 

わざとらしい言い回しではあったが、効果は抜群だった。思い当たるところがあったのだろう。クルテマッカの反論はどうにも無理がある。本人自身も、後には引けなくなっているようだ。

ただ、最新式の大砲というのもあながち嘘ではないのだろう。技術は日進月歩、常に進化を続けているはずだ。戦車部隊の攻撃ならばダメージを与えることも、もしかすればあの時点でヒドラたちを倒すことも可能だったかもしれない。

 

――とある欠点を除けば。

 

「お忘れですか? デパートを襲ったドラゴンの中にはスカイドラゴンがいたのですよ」

「それがどうしたのだ!?」

「スカイドラゴンはその名の通り、空を飛び炎を吐き出すドラゴンです。そんな相手に、ご自慢の戦車部隊をぶつけたらどうなるでしょうか?」

「どう、なる……だと?」

「……誘爆か?」

 

それまで沈黙を守っていたフォルケンが口を開く。その言葉にクルテマッカはハッと気付かされたように目を見開いた。

 

「ええ。大砲の火薬に火がつけば、瞬く間に戦車は無力化します。爆発して兵士は大怪我を負い、火薬がなければ大砲もただの筒に。砲弾はただの鉄球になります」

「ぐ……」

「そしてもう一つ言わせていただければ、スカイドラゴンは空を飛ぶ相手です。つまり、戦車の砲弾を当てるには距離・方位に加えて、高さも計算に入れなければなりません」

 

当然のことだが、人間は空を飛ぶことが出来ない。

戦車部隊も厳しい訓練を行っているのだろうが、それはあくまで人間目線での訓練だろう。平地や森林などの場所に展開し、地上から攻撃してくる敵を想定したものばかりのはずだ。空から攻撃を仕掛けてくる敵を用意するなど、そう簡単に出来る物では無い。城や塔といった、大きな建造物を標的とするのが精々のはずだ。

 

「ベンガーナ王にお聞きします。戦車部隊は空を飛ぶ敵を想定した訓練は行っていますか? 兵士たちは天空を自在に舞うドラゴンに砲弾を当てられますか?」

 

とうとうぐうの音も出なくなったのだろう。その質問に、クルテマッカはついに力なく肩を落とした。

それを見たチルノは、どうにか一仕事を終えられたことにホッと胸をなで下ろす。話の成り行きを見守っていたレオナなど、こっそりと拍手を送っていた。

 

「……ベンガーナ王よ、わかったであろう? 確かに貴国は国力も戦力も群を抜いておる。それは誰もが認めよう」

「ロモス、王……?」

 

落ち込むクルテマッカに手を差し伸べたのは、意外にもシナナであった。当初、激しく言い合っていた相手からの言葉に信じられぬといった様子を見せる。

 

「だが、そのような考えでは……独りよがりの、他者を踏み台のように考えては駄目なのじゃよ。どれだけ強力であっても、一人の力では必ずどこかに穴が生まれてしまう。互いに支え合うからこそ、誰にも負けぬ力が生まれるのじゃ……」

 

まるで数日前のことを思い出すかのように、シナナは語り聞かせる。人柄の良い王と呼ばれるシナナだけに、その言葉は自己中心的な考えに凝り固まっていたクルテマッカの心をゆっくりと溶かしていくようだった。

 

「なるほど、とても興味深い考察でしたね……まとめると、戦車は確かに強力な戦力であるものの、まだまだ発展途上。戦車の力だけでは魔王軍に勝つことが出来ない。ということかしら?」

 

静寂に包まれつつあった会議場に、フローラの声が響く。

 

「ええ……ましてや大魔王バーンは、ドラゴンとは比べものにならない強さを持っています。ドラゴンに苦戦しているようでは、バーンを倒すことなど夢のまた夢……それに、魔王軍はまだまだ奥の手があります。まずはそれに打ち勝たないと」

「奥の手……? どうしてそんなことを知っているの……?」

「それは興味深いわね。一体何があるというのかしら?」

 

頷きながら口にしたチルノの言葉に、その正体は一体何かとレオナとフローラが反応を見せる。諸王たちも似たような物だ。何故そんなことを知っているのかという疑問と、その正体を知りたいという好奇心とがおり混ざっていた。

そんな視線の意味を理解して、チルノは立ち上がると窓際へと立つ。

 

「例えば――ベンガーナ王が乗ってきた軍艦、あれはここからも見えるほどの大きさですよね?」

 

窓ガラスを隔てた先にはパプニカの街並みが、その先には港までもが見える。そしてそこには彼女の言葉通り、ベンガーナ国所有の軍艦が停泊している。それは既存の全ての船を凌駕するほど巨大であり、港からかなり距離のある大礼拝堂からでもその大きさは容易に見て取れた。

 

「あの軍艦を、まるで船の模型のように持ち上げることのできる巨大な兵器――それが魔王軍にはあります」

「いやいや、さすがにそれは大げさ過ぎる。いくら何でもそのような相手など……」

「いえ、待って……たしか……!!」

 

少々弱気になりながらも、それをチルノなりのジョークと受け取ったのかクルテマッカは乾いた笑いを見せたるが、フローラだけはその言葉が記憶に引っかかっていた。そして彼女は、その正解を目にすることとなる。

 

――ドガァァッ!!

 

突如として轟音が鳴り響き、黒煙が立ち上る。その煙は会議場の諸王の目にも入るほどに濃い物であり、彼らは反射的に席を立つと正体を確かめるべく窓へと殺到した。

 

「あ……あああっっ!! うああぁぁ……!!」

 

そこで彼らは目撃する。

 

「こっ……こんなっ……バカなっ!!」

 

そこには、チルノの言葉通り軍艦を片手で持ち上げるほどの巨躯を誇った人影があった。海上に立っているにも関わらず、水面はその巨体の膝よりも下に位置していることから、どれだけ大きいのかが分かるだろう。

全身はごつごつとしたいくつもの岩塊で出来ており、傍目には出来損ないの土人形か何かに見えるかもしれない。だがその巨体を覆い隠すように濃い霧が立ちこめており、そこに浮かぶシルエットは悪魔そのものだ。

 

「……あれが先の奥の手の一つ、鬼岩城です」

 

チルノはどこか驚いたようにそう言った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

――鬼岩城がその姿を見せたのと同じ頃。パプニカへと向かう三つの人影があった。

 

「お前たち、もっと急げないのか?」

「チッ、そうは言うが時間を勘違いしていたのはお前の方だろう?」

「まてまて、言い争っている場合か! 確かに遅れはしたが、これほど分かり易い気配を纏ってきてくれたのだ。おかげでギリギリ気付く事が出来たのだ。それにこの速度ならなんとか間に合うだろう。違うか?」

「ああ……この暗黒闘気、決して忘れはせん……!!」

「オレはまだよくわからんが……だが、見えてきたぞ。どうやらお前たちの期待通りの大物のようだ」

「ハッハッハッ!! なるほど確かに大物だな!!」

「あれならば、準備運動には丁度良い。修行の成果を試させてもらう」

「やはり急ぐぞ! これ以上遅れてはダイ様たちに恥をかかせてしまう!」

 

一行は頷き合うと、その速度を上げた。漂う強者の気配をその身に押し込めながら。

 

 




この世界会議イベント、実は書いている人が作中の時間経過をよく分かってません。
・ダイたちがロモスからパプニカへの船旅は5日(実際はデルムリン島で3日加算して8日経過している)
・ザムザ戦後にロモス王の「5日後に開催される」と「明日の夜に出発する」という発言からパプニカへは4日くらいと推測(遅れそうという描写があったので順調なら3日くらい?)

というように仮定したところで

・覇者の冠が素材になると気付いてデルムリン島→パプニカ→ロン・ベルクの家とルーラで移動。このとき「丁度港に着いたばかり」というポップの言葉がある。
・ロン・ベルクの家を訪問してからダイの剣が完成までに2日くらい(問答して、冠を取りに行って、半日くらい手を見て、鍛えるのを合計してそれくらい?)

という上記二つがあるわけです。
ザッと考えると「ロモス王が港に到着したのは開催前日」で「VS鬼岩城にダイが間に合ったことから滞在は2日(1日半?)」と、計算は正しいと思うのですが……

結局、
・ダイたちがパプニカに戻ってきたのは何時のことなのか。
・各国代表がパプニカに着いたのは何時頃なのか。
・剣ができるあがるまでにはどのくらい時間がかかったのか。

の辺りが自分の中で上手く整理できず、いい加減にボカしてます。

あ、でも原作でポップの「ルーラの連発でヘトヘト」と「半日近くなにもしてない」の台詞が同じシーンで言われているのはミスですかね?
だって「ルーラの連発→ロン・ベルクが半日ダイの手を見る→その間ポップはずっとヘトヘト状態(何もしていないことを知っているので戻ってから半日以上経過している)」ということに……
(「デルムリン島へ冠取り」「ロモス王への許可取り」のどちらもダイとポップの二人がいるので「ルーラ移動はポップだけ。ダイは手を見せ続けていた。戻ってきたポップが冠を渡してぶっ倒れた」という可能性はない)

……幾ら世界を半周するような移動をしたとはいえ、半日経っても回復しない……ルーラって消費の激しい呪文なんですね(棒読み)


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LEVEL:71 猛攻! 戦車部隊!!

人型モード鬼岩城は、全高145メートルだそうです。

これは、ヒルトン大阪やNTTドコモ品川ビルとほぼ同じ高さ。
(なおガンダムは18メートル)

でも元はお城に手足が生えた様なものですから、そのくらいの巨体も仕方なし。
それに戦艦大和(全長263メートル)と比べれば小さい小さい。



「会議は今、どうなっているのでしょうか……?」

 

大礼拝堂に拵えられた会議場のすぐ近く、パプニカ関係者の控えの間にて、メルルはどこか心細そうに呟いた。この部屋と会議場とは厚めの扉に隔てられているために声が聞こえることはない。

だがそれでも完全には遮断しきれず、ときおり怒声の様なものが彼女の耳に届く。それがメルルの不安をそこはかとなく煽り、ついには耐えきれずにそんなことを口に出していた。

 

「あまり気にしない方が良いでしょう。会議場にはフローラ様もレオナ姫もいらっしゃる……それに、貴女が気に掛けている少女も」

「そ、それは……」

「失礼、少々意地の悪い言い方でしたね。ですが、我々にできることは、会議の成功を信じて待つのみです。それを実現してくれる方が、あそこにはいるのでしょう?」

 

その言葉をホルキンスが聞きつけたようで、少々揶揄を含んだ言葉を口にする。チルノのことを話題に上げられ、メルルは頬を少々赤らめながら反論をしようとするが、何も口をついて出ることはなかった。

とはいえホルキンス側も、その関係性をどうこういうつもりは微塵もない。むしろその逆、彼の狙いはメルルの緊張を緩和させることだった。すぐさま謝罪の言葉を述べると、会議場へと続く扉へ向けて強い信頼を含んだ視線を向ける。

 

「ピィ……!」

 

その言葉に触発されたように、スラリンもまたメルルを元気づけるかのように力強く鳴き声を上げる。メルルにはスラリンの言葉は理解できないものの、だがその表情と声音から何を言いたいのかを理解していた。

 

「スラリンさんも……そうですね、私が浅はかだったみたいです。うん、私が信じなくっちゃ!」

 

そう言いながら彼女は、チルノに最後に言われた言葉を反芻する。この場にいる誰よりも、パプニカの兵士や精強そうなベンガーナ兵たちよりも誰よりも自分の占い師と腕に期待してくれているのだということをだ。

期待された役目を果たすべく、水晶玉へと意識を集中しようとしたときだ。

 

「伝令! 伝令!! 緊急報告です!!」

 

部屋の外、それも階下の方から怒鳴るような声が聞こえてきた。その声にメルルはおろかその場にいた誰もが動きを止めて、声のした方へと目を向ける。そんな中、真っ先に動いたのはパプニカの兵長の一人であった。

 

「どうした! 何かあったのか!?」

「ハッ!! それが、海上から突如として濃い霧が立ちこめて来ました!!」

 

彼は部屋から飛び出るとそのまま、階下へ続く階段から身を乗り出すようにして返事をする。そこには伝令の兵がおり、今にも倒れんほどの疲労を見せていた。だがそれほどの状態であっても息を切らせることなく、彼は自身の伝達内容を淀みなく口にしてみせた。

 

「濃い霧……だと……?」

 

その報告は、普段ならば取るに足らないような内容だった。平時であれば、その程度のことで緊急報告を行うなどあり得ないことだ。

 

だが、今は状況が違う。

パプニカには各国の指導者たちが集まっており、加えて開催前日にレオナから兵士たちに向けて直々に厳命が下っていた。その内容とは「会議中はどのような些細なことであっても変化があれば緊急事態として報告せよ」という物である。

これはチルノの「会議の開催は魔王軍に察知されている」という言葉を受けて、短時間で考えた苦肉の策だった。いかなる異変も全体が共有させ、住民はすぐにでも避難できるように状況を整えておいたのだ。

 

「ハッ!! 数メートル先も見えなくなるほどの霧です!! いかがいたしましょう!?」

「……第二種警戒態勢だ! 住民にはいつでも避難できるように呼びかけろ!」

 

霧の状況を伝令から聞いた兵士長の判断は素早かった。僅かな逡巡の後に、そう命令を下す。伝令の男はその命令を復唱すると、すぐさま元来た道を引き返していく。

 

緊急報告ではあったが、内容としては取るに足らないものだろう。霧に紛れて襲ってくる可能性があるのだから、住民はいつでも逃げ出せるようにしておけという至極真っ当なもの。

だがその報告を聞き、一人だけ違和感を覚えた者がいた。

 

「……霧」

「どうかなさいましたか、ホルキンス殿?」

「いえ、少し気になることが……」

 

口から零れた言葉を、パプニカ兵士長が尋ねる。彼は口を濁したように黙り掛けたが、やおら意を決したように開いて見せた。

 

「実は、我がカール王国が超竜軍団に襲われる前、相手にしていた魔王軍を思い出したのです」

「は……? と、申されますと……?」

「その名は、魔影軍団。奴らが攻め込んでくる時は、よくこのような霧を目にしたもので、つい……」

 

カール国が戦っていた相手についての知識を持たない兵士長は、ホルキンスの言葉の意味を理解することはできなかった。だがそれは、彼が"霧"というキーワードを口にした途端、見事な閃きを見せる。

 

「……っ!! まさか!!」

「う、あああっ!!」

 

彼が思わず声を上げたのとほぼ同じ瞬間、メルルが苦しそうに声を上げた。

 

「感じ、ました……巨大な、恐ろしい力を……!!」

 

恐怖に震えるように自身の頭を抑えながらも、彼女は気丈にも兵士長へとそう告げた。それを見た兵士長は直ぐさま決断して見せる。なにしろ彼もまた、メルルが非凡な才能を持つ占い師であることは間接的にではあるが聞かされていたのだ。

名高いホルキンスが感じた微かな"気付き"に加えて、占い師の"予知"の能力まで合わされば迷う必要はなかった。

 

「すぐに全兵に伝達!! 第一種警戒……いや、戦闘態勢だ!! すぐに会議場にも報告を……」

 

だがその命令が全て言い終わるよりも僅かに早く、爆音が鳴り響き黒煙が窓へと映り込む。思わず外を見た彼らの目には、隣の部屋にいる諸王たちと同様、屹立する鬼岩城の姿がはっきりと見えていた。

 

「なっ……なんだあれは!!」

「あれ、です……私が見たのは……」

「っ!! 御免!!」

 

鬼岩城を見た途端、ホルキンスはまるで弾かれたように動き出していた。まるで扉を蹴破るようにして、会議場へと躍り込んでみせる。

 

「うおぉっ!?」

「な、何じゃ!?!?」

 

まるで爆発したような巨大な音を立てて開いた扉に、中にいた諸王たちは再び驚かされた。だがホルキンスはそれを無視して、フローラの元へと赴く。

 

「フローラ様!! あれはもしや……」

「ええ、私も同じ事を考えていました。一月(ひとつき)ほど前の、あの事件ですね?」

一月(ひとつき)前? それは一体……何があったというのだ??」

 

その言葉にフローラは頷く。だが他の王たちはその意味が分からず首を捻るだけだ。混乱する王たちへ向けて、フローラは説明してみせる。

 

一月(ひとつき)程前に、カールの北海……いえ、死の大地に近い洋上と言った方が正確でしょう。そこで、一隻の大型船が沈没しました。その事件で生き残った船員たちは、恐怖に怯えながらも『海に巨大な人影が立っていた』と証言したそうです」

「そういえば、ヒュンケルたちからの報告にもあったわね。鬼岩城が、魔王軍の本拠地が消えたって……」

 

フローラの話で思い出したように、レオナもまた自身の持つ知識の中から合致するであろう事を悔しそうに零していた。

 

「フローラ様のお話とも、時期は一致する……軽く受け止めていたあの時のあたしを、怒鳴りつけてやりたい気分だわ……」

「いえ。それを知ったときは誰もが恐怖で錯乱していたのだと思っていました。勿論、私も同じでした。まさかあのような化物がいたなど、想像することもできなかった……」

 

互いに反省の色を見せる二人の女性。だが、このような展開を想像しろという方が無理だろう。成人男性の百倍近い身の丈の巨人が襲ってくるなど、誰が想定できるというのだろうか。よしんば想定できたとしても、対策など打てよう筈もない。

 

「ああっ、あれを!!」

 

苦心するレオナたちをまるで嘲笑うかのように、鬼岩城は手にした軍艦を放り投げる。それは最も手近な、港湾付近へと落ちた。地面に激突すると同時に――軍艦内にあった砲弾用の火薬に反応したのだろう――大爆発を起こす。その威力は家々をまるで模型のように簡単になぎ倒し、新たな炎を生み出して見せた。当然、軍艦内部に待機していたベンガーナ兵たちはただでは済まない。

 

唯一幸運なことがあるとすれば、パプニカの住民たちに死傷者はいなかったことだ。霧が出た段階で警戒を呼びかけ、住民たちはいつでも避難出来るように身構えていた。そこに来て鬼岩城の登場である。それを見た兵士たちは自己判断で民衆へ避難を強制させていた。

本来ならば縦社会であるはずの軍人にとってはあり得ないことだが、今回はそれが功を奏してたようだ。

 

「なんとっ!! 軍艦を投げ飛ばした!!」

「信じられぬ……もはや人智の及ぶ相手ではない……!!」

 

再び生まれた炎を見て、王たちは恐怖に戦く。敵の威圧的な巨体と、その巨体に見合ったパワーは単純な恐怖を彼らに植え付けていた。

 

「きっと私たちを全滅させるのが目的です。秘密裏のはずのこの会議が開催されることを知っていたんだわ……」

 

――どうやら、チルノの懸念が当たったみたいね……当たって欲しく無かったけれど。

 

当たって欲しくないと思いながらも、万が一には備えていたことが功を奏した。友人の先見性にレオナはもう何度目になるか分からない驚嘆を覚えていた。

 

「わ、我がベンガーナの軍艦が……兵たちが……うっ……ううっ!! おおおおっ!! おのれええぇぇ!!」

 

自国の最新鋭の軍艦が玩具のように破壊される。その光景を見たクルテマッカは、顔を怒りに染めてベランダへと駆け出した。落下防止の囲いから上半身を覗かせ、地上へ向けてあらん限りの声で叫んだ。

 

「アキィーーームッ!!!! 戦車部隊を出撃させろ!! 我がベンガーナ軍の真の力を見せてやるのだ!!」

「ハッ!! かしこまりました!!」

 

下にはベンガーナ自慢の戦車部隊が一糸乱れぬ統率で並んでおり、戦車隊長アキームは王の言葉に勢いよく返事をする。そしてひらりと体重を感じさせぬような動きで、馬へと飛び乗ってみせた。

 

「出撃だッ!! 行くぞッ!!」

 

部下たちへそう号令を下すと、彼は先陣を切って突撃していく。その姿はまるで恐れを知らぬ武人のそれだ。高潔な意志によって支えられたそれは部下たちへと伝播し、隊長に続けとばかりに進軍していった。

 

「ベンガーナ王!! 相手は軍艦を一撃で潰すような奴じゃぞ!! それに一人で突っ走るような無茶な真似をどうして……」

「黙ってもらおうかロモス王!!」

 

少し遅れてベランダへと出たシナナは、クルテマッカを諫めるようにそう言う。だがクルテマッカはそれを強引に遮ると憎々しげな瞳を鬼岩城へと向ける。

 

「あの軍艦には、多くの兵たちが乗っていたのだ……自らの手で魔王軍を倒すことを夢見ていたのだ!! そんな部下たちの無念をこの目で見ながら、勝ち目がないから逃げろというのか!? そのような腑抜けた行為など、出来るものか!!」

 

大礼拝堂からでは遠く、港湾部分がどうなっているのかまでは目視ではとても確認できない。だがそれでもクルテマッカは、無茶と分かっていても命令を下さずにはいられなかった。あの軍艦の船員に選ばれるだけでも、並大抵のことではない。そしていざ出港したものの、何の活躍も出来ずに散っていった、その部下たちの無念を汲み取ろうとしていた。

 

それに彼自身、怒りの感情に支配されてはいるものの、全く勝算が無いというわけでもなかった。

 

「それに、相手をよく見てみたまえ。あれはさながら岩石で出来た人間よ。素早い動きは出来ず、先の弱点として上げられていた空を飛ぶ(ドラゴン)もおらん。撃てば当たるような巨人が相手ならば、戦車の勝機は十二分にある!! そうは思わぬか!?」

 

決して無謀では無いと証明する言葉を口にし、同意を得ようとチルノの方を向く。チルノもまた彼の意志を理解し、口を開いた。

 

「ほぼ同意見です。ただ……」

「ただ? ただ、どうしたというのだ?」

「戦い方を知っていれば、勝率はより上がるでしょう。そこで――」

 

そう言うとチルノは、一つ博打を打つことにした。それは、本来の歴史では決してあり得ないこと。だがこの世界では何の因果か実現した奇妙な奇跡に、彼女は賭けることにする。この賭けに勝てば、結果は決して悪い方には転がらないはずだと信じながら。

 

「無茶と無礼をお願いで言います。戦車部隊の指揮権を、ホルキンス殿に渡してください」

「……なんだと!?」

 

チルノの言葉にクルテマッカは目を見開いた。だがそれも当然のことだろう。

ホルキンスは、カール王国の騎士団長にして隣国にも名が通った英雄だ。だがいくら英雄とはいえ、他国の人間に自国の兵の指揮権を渡すことなど、常識で考えればあり得ない。

 

それはチルノ本人も重々に承知している。だがそれでもなお、彼女は賭けたのだ。ホルキンスの将としての才覚に。そして、クルテマッカが――いや、世界中の国々と人々が本当に協力することの大切さを理解したということに。

 

「勿論、無理にとは言いません。ベンガーナ王とフローラ様、そしてホルキンス殿の三名が了承されれば……」

「構いませんよ」

「フ、フローラ様!?」

 

とはいえ、思わず弱気な発言が口をついて出ていた。だがその全てを言い切るよりも早く、フローラはまるで当然のことのように言ってのける。

 

「出来ますね? ホルキンス」

「問題ありません。カールでも大砲はありますし、あの数ならば我が手足のごとく指揮してみせましょう」

 

それはホルキンスもまた同じだった。先にフローラが了承したというのも背中を押したのだろう、その表情には迷いが無い。

二人の言葉を耳にしたクルテマッカは、苛立ったような様子を見せながらも叫んだ。

 

「……わかったわい!! 諸国に英雄として名高いホルキンスならば、下手も打たないだろう!! だが、無様を晒せばどうなるか、わかっているだろうな!?」

「当然です。自分の恥は、我が主の恥。ならばどうして、我が主の恥となるようなことができましょうか! 期待された以上、その期待を必ずや真っ当してみせましょう!!」

 

ホルキンスの名声は、クルテマッカとて耳にしている。それに、ロモス王に諭されたこともあった。だがそれを素直に認めきれず、半ばヤケクソのように叫んでいた。それでもホルキンスはクルテマッカの言葉に見事な姿勢と態度を見せると、先行した戦車部隊の後を追うべく塔の外に出ようとする。

 

「ホルキンスさん!!」

 

だがそれにチルノは待ったを掛ける。

 

「あの敵は、鬼岩城は城に手足が付いて動いているに過ぎません! つまり、これは城攻めと同じなんです! だから……」

「なるほど、そういうことですか。ご忠告感謝しますよ! 未来の賢者殿!!」

 

時間が無いことは理解している。そのためチルノは可能な限り手短に伝えようとしていた。だが、たったそれだけの言葉を耳にしただけで、ホルキンスは止めた足を再び動かすと鬼岩城へ向けて駆けていった。

本当に伝わったのかと不安になりながらも、今は信じることしかできない。

 

「チルノ、さん……」

 

その原因がメルルであった。ホルキンスが会議場に飛び込んで来たのにかなり遅れて、彼女は今にも泣き出しそうな表情でチルノの元へ顔を見せる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……私、せっかくチルノさんが頼ってくれたのに……気付くのが遅れてしまって……」

 

そう呟く彼女の表情は、まるで幽霊のようだった。チルノが会議場に入る前に見せた嬉しそうな表情とは雲泥の差である。スラリンがメルルの肩に乗り、必死で慰めようとしているがそれすらも耳に入っていなかった。

どうやらチルノの言葉を必要以上に重く受け止めてしまい、鬼岩城接近に気付けなかったことに自責の念を感じているようだ。

 

――これは、私のせいね。

 

「メルル、落ち着いて聞いて」

 

チルノは自身の発言からそう判断すると、まずは落ち着かせようと彼女の両手をそっと握りしめる。

 

「敵はおそらく、あの霧で身を隠しながらやってきたの。きっと、メルルの予知能力も騙すくらい強力な霧だと思う。そんな相手に、気づけたんでしょう? だったら、十分誇っていいはずよ」

 

本来の歴史を知るチルノは、あの霧がミストバーンの生み出した物だと言うことを知っている。鬼岩城を覆い隠すほどの大量の霧だ。そこに通常の霧以上に姿や気配を隠蔽させるための、なんらかの呪法的な処理が施されていたとしても不思議では無いだろう。

 

「それに、メルルの仕事はここからが本番よ……多分、敵はまだ会議場の詳細な位置までは分かっていないから」

「……えっ!?」

 

続く言葉に、メルルの表情がようやく変化する。

 

「もしもこの大礼拝堂に集まっていると知っていれば、掴んだ軍艦をこっちに向けて投げていたはずでしょう? そうでなくても、攻撃をこっちに向けていたはず。それをしないってことは、今はまだこちらを燻り出そうと動いているに過ぎないの」

 

その隙を逃すこと無く、チルノは本来の歴史の情報から推測という名の正解を語る。

 

「でも敵もバカじゃない。出方を探りながらも、同時にこっちの居場所を探そうと配下の怪物(モンスター)を放っているはず。だから――」

「――あっ!! わ、わかりました!! 今度こそ、それを見つけてみせます!!」

「ごめんね、損な役回りばっかり任せちゃって……」

 

ここからが仕事の本番という言葉に加えて、失点を挽回しようと思っていたメルルにしてみれば、チルノが語ったのはむしろ多すぎるくらいである。だがそのおかげで彼女は、チルノにまだ頼りにされているのだとはっきりと理解し、その表情を一変させた。

 

これで彼女のことも大丈夫だろう。そう判断したチルノは、続いてアポロたちへと目を向ける。

 

「三賢者の皆さんは、レオナたちの護衛をお願いします!」

「心得ています。ですが、チルノ殿? その言い方は、まるで……」

「え、チルノ……まさかあなたも……!?」

 

アポロの婉曲的な質問に、だがレオナもチルノがどうしようとしているのかを察した。

 

「うん、凄く怖いけれどね……でも、私もアバンの使徒だから」

 

レオナたちを心配させまいと、チルノは笑顔を見せる。それに、今この状況を招いた原因は自分自身だとチルノは考えていた。

本来の歴史ではランカークス村への旅路にはメルルも同行しており、彼女の予知能力のおかげでパプニカが鬼岩城に攻め込まれているという危機を知ることが出来た。だが今、メルルは彼女が原因でパプニカに残ったままなのだ。これでは彼らがパプニカの状況に気づけるはずもない。

ならば、せめてダイたちが戻ってくるまで敵の足を止めてやろうと責任を感じていた。

 

「それじゃ、行ってくるね」

「ちょ、ちょっと!?」

 

そう言うが早いか、チルノもまたベランダへと飛び出すと、そのまま囲いをヒラリと飛び越して見せる。レオナが制止の声を上げたがもう遅い。

会議の場所は大礼拝堂の塔の最上階に近い。そんな高所に、彼女の身体は空中に投げ出されていた。

 

「【レビテト】!」

 

だが彼女もバカではない。直ぐさま浮遊の魔法を唱えると、落下の勢いを消してみせる。

 

――こういうときは、飛翔呪文(トベルーラ)が羨ましいなぁ……

 

レオナたちが慌てて下を覗いた時には、彼女が地上にゆっくりと着地したところだ。続いて自身の意志で浮遊状態を解除すると、彼女は港へ向けて直ぐさま駆けだした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「発射用意ッ!!」

 

沿岸部に辿り着いたベンガーナ戦車部隊は、一列横隊で等間隔に並ぶ。丁度鬼岩城を中心として、左右へ翼を広げたような陣形を取っていた。

それを確認したアキームは、良く通る声で叫ぶ。隊長の号令の下、部下たちは砲撃の反動で戦車が吹き飛ばないようアンカーを下ろして地面に固定させ、砲身の仰角を調整する。ギギギという金属同士の擦れ合うような重々しい音が響き、砲口が鬼岩城を睨んだ。

 

「撃てぇぇぇぇッ!!」

 

号令一下、一糸乱れぬタイミングで砲弾が撃ち出された。砲弾はそのまま一直線に迫り、鬼岩城の腕に肩に、胴体にと確実に攻撃を与えていく。岩石に包まれた鬼岩城の防御力では砲弾の威力に耐えきれず、着弾するたびにまるで巨大な爆発が起きたかのように粉塵が立ちこめていた。

 

「攻撃を続けろ!! ベンガーナ軍の真価を見せるのだ!!」

 

アキームの激を受けて、戦車兵たちは更に苛烈な砲撃を加えていく。重い砲弾を装填し、発射用の火薬を充填させると直ぐさま第二射を放って見せた。一糸乱れることなく統率されたその動きは、今までの訓練の成果が着実に――いや、訓練の時以上の動きをどの兵士たちもしていた。

 

さらに、戦車の砲撃を見たことで触発されたのかロモスの船も動き出した。こちらは沖へと回り込むように操船しながら、装備した大砲で鬼岩城の背後を突くように砲撃を仕掛け始める。

 

――勝てるッ! これならば!!

 

この状況を見て、アキームは心の中でそう叫んでいた。魔王軍の巨大兵器を自身の指揮の下、見事に討ち取ってみせる。それは武人としての誉れだろう。

だがそんなささやかな彼の夢想は、背後からの大音声によってかき消された。

 

「攻撃を縮小しろ!! 砲撃の数が多すぎる!!」

 

思わずアキームは後ろを振り返り、そして訝しげな視線を向ける。彼にからすればその相手は会議の場でちらりと見かけた程度の存在でしかなく、素性も知らなかったからだ。部外者が、ましてや男が口にしているのは自分の考えと真っ向から反対するものである。

そんな命令を聞く必要などないだろう。

 

「貴様、何者だっ!! 我々をベンガーナ戦車隊と知らんのか!?」

「我が名はホルキンス! カール王国騎士団長を任されていた者だ!」

「カールのホルキンス!?」

 

作戦行動の邪魔だからと追い返そうとしたところで、アキームは信じられない名を耳にしていた。顔こそ知る機会に恵まれなかったが、遠く離れたベンガーナにも彼の名は届いている。各国に名を轟かすほどの英雄だと。

そんな相手が一体どうしてこの場に来たのか。続く言葉にアキームは更に驚かされる。

 

「先ほど、ベンガーナ王より戦車隊の指揮権を正式に一時譲渡された。よって、今より戦車隊を指揮する!!」

「ば、馬鹿な……そのようなことを、王がお認めになる筈が……」

「いや、事実だ!! 我が主の誇りに賭けて誓おう! 嘘だとわかれば、この首を差しだしても構わん!!」

 

その言葉は彼にとって信じられない内容であった。そもそも自国の部隊の指揮権を他国の人間に渡すなど、クルテマッカ王に果たして何があったのか、彼は知るよしも無い。

だが戦場のド真ン中で吐くような嘘でないことも理解できる。この場に近寄るだけでも並大抵の胆力ではないはずだ。

 

「わ、わかった……我が部下たちを、存分にお使いください……」

 

何よりも、僅かな時間すら惜しいこの状況である。アキームは根負けしたように力なくそう言ってのけると、ホルキンスは「承知した」という言葉と共に力強く頷いて見せた。

 

「聞け! ベンガーナの勇敢な兵士諸君!! 我が名はカール王国騎士団長ホルキンス!! 特命を受け、アキーム殿から一時的に戦車部隊の指揮権を譲渡された!! このことはベンガーナ王もご了承済みだ!! 以後、我が命に従ってもらう!!」

 

続けて、戦車隊の隊員全体へと向けてそう告げる。

突然の命令系統変更に兵士たちは僅かに浮き足立つものの、だがさしたる混乱すら起こることなく兵士たちは受け入れていた。

 

確かにホルキンスは名の知れた将軍だ。そんな人物が指揮をするのであれば心強く感じるのも当然だろう。

だがそれ以上に、兵士たちはホルキンスの声に圧倒されていた。未だ砲撃の音すら残る戦場において、彼の声はどこまでも良く響き、兵士一人一人の耳に確実に届いていた。雑音を切り裂き、人に聞かねばと思わせるほど、彼の声は兵士たちの胸に心強く響いていた。

 

「攻撃の量が多すぎる!! 噴煙で敵の姿を視認できなくするなど愚の骨頂だ!!」

 

その言葉だけで、戦車隊の攻撃は勢いを無くす。だがそれは勢い任せの大雑把な攻撃から、より効率的な戦い方へと遷移するための布石にすぎない。

 

「戦車部隊は右翼、左翼の部隊に別れ、それぞれ敵の足を狙え!! まずは敵の動きを止めるのだ!!」

 

命令を耳にした途端、戦車たちはまるで生き物のように活発に動き出した。ホルキンスの言葉に従い部隊は別れ、砲撃箇所を巧みに変更していく。

 

「敵は手足の生えた巨大な城だ!! ならば反撃の手段を持っていて当然だろう!? なのにどうしてお前たちは一カ所に固まっている!? まとまって砲撃を行うのではなく、常に有利な位置を取るように意識しろ!! だが攻撃は一点に集中させてみせろ!! 反撃の兆候があればすぐに逃げろ!! 大砲を素早く動かせるのが、戦車の利点のはずだ!!」

 

一台一台が機敏に、だがまるで機械仕掛けのように正確に走り回り、鬼岩城へ砲撃を続けていく。通常ならば複数の戦車が動き回るだけでも大変なのだ。自由自在に動き回れば、それだけ仲間同士で激突する可能性が増える。

だが戦車兵たちは、即席の指揮官の指示に従い見事にそれをやってのける。

 

――凄まじい……なんと、羨ましい光景なのだ……

 

アキームはその様子を、歯噛みしていた。ホルキンスの指揮の下で改めて動き出した戦車部隊は、彼が知る今までのそれと全く別物として彼の目には映っていた。

自身の統率能力を遥かに上回るほどの手腕を見せられながらも、だが彼は悔しさは微塵も感じることはなかった。あまりに圧倒的な光景に、嫉妬を覚える暇すらなかった。ただただ羨望し、そして、願わくば今この光景と同じものを、自分の手で生み出して見せたい。その想いに渇望していた。

そして、この英雄の位置に少しでも近づきたい。そう思いながら、彼もまた戦線に加わっていた。

 

 

 

 

「全軍攻撃停止!! いつでも動けるよう待機!!」

 

圧倒的有利かと兵士たちが思い始めたところで、ホルキンスは攻撃中止の命を下す。だが、すぐに動き出せるようにとの命を受けて、兵士たちは攻撃の手をピタリと止める。

 

ホルキンスが攻撃を止めさせたのは他でもない、鬼岩城の様子が変わったのを確認したからだ。もしも勢いに任せて苛烈な砲撃を続けていたのでは気付くのが遅れたであろう。

それまで棒立ち状態であったはずの敵が、ゆっくりと腕を動かすとさながら自身の胸元を引きちぎるような動きを見せたのを彼は見つけた。

 

「あれは……いかん!! 全員退けええぇぇっ!!」

 

反射的にホルキンスは叫んでいた。彼はバラバラと岩塊が剥がれ落ちていくその下に、強固な城壁のような輝きを見つける。それを見た途端、チルノから事前に伝えられた情報を思い出したからだ。

 

――手足の生えた城を相手にした、城攻め。

ならば城からの反撃も当然のことだと彼は理解していた。こちらがしているように砲撃に晒されるのではということも、城門が開き内側から兵士が雲霞のごとく湧き出てくるだろうとも、想定していた。

 

実際、彼のその想定は間違っていなかった。だが見積もりは甘かったようだ。

 

岩石の鎧を脱ぎ捨てたその下から、鬼岩城の真の姿が浮かび上がる。腹部に巨大な城門を備え、胸部に無数の大砲を構えたその姿は、まさに手足の生えた城そのものだ。その無数の大砲からは雷鳴のような轟音と共に砲弾が放たれる。

 

「い、いかん……っ!!」

 

自身の予測を遥かに上回る速度を持って放たれた砲撃に、ホルキンスは防御の姿勢を取りながら戦車隊の無事を祈ることしかできなかった。

 

だがどれだけ待っても襲ってくるだろう衝撃は感じられず、ベンガーナ兵たちの苦痛の悲鳴も何も起こらない。

 

「な、なんだ?」

「確かに撃たれたはず……なのに、どうして……」

 

違和感を感じたのは戦車兵たちも同じだった。彼らは恐る恐る辺りを見回し、やがて気付いた。自分たちがいる場所よりも更に前。最前線の位置で仰々しい槍を持った一人の男が立っていることに。

 

「危ないところだったな。全員、生きているか?」

 

背後の兵たちの様子を確認するように尋ね、だが続いて驚いたような口調を見せる。

 

「おや? パプニカの兵士ではないのか。ならば守る必要はなかったか?」

「ラーハルト!!」

「冗談だ、クロコダイン。第一そんなことをすれば、ダイ様に叱られかねん」

 

冗談とも本気ともつかない口調でラーハルトはそう言ってのける。気付けば戦車たちから少し離れた後ろに、いつのまにかクロコダインが立っていた。

 

「……守る、だと? 我々を、守ったというのか……?」

「ああ、そうだ。あのデカブツからの砲撃は全てたたき落とした。怪我は無いだろう?」

 

事もなさげに言ってのけるラーハルトの言葉に、だがそれを聞いたホルキンスは僅かに震えていた。何しろ砲撃が着弾するまでの時間は一秒にも満たなかったのだ。加えて撃たれた数も一発や二発ではない。

それをさも出来て当然のようにやって見せた目の前の男の実力は、彼の目を持ってしても底が知れなかったのだ。

 

「全て、ではなかろう。幾つか見逃しもあるようだが?」

「既に住民の避難は済んでいるのだ。無人の建物が壊されても、また建て直せば問題なかろう?」

「問題ないわけがなかろう! オレがなんとか防いだから良いものを!!」

 

ブツブツと文句を言うクロコダインであったが、ラーハルトがどこまで真面目に聞いているのかはいささか疑問だろう。

視界の端に映ったそんな光景に微かに笑みを浮かべてから、ヒュンケルは打って変わって鋭い目で鬼岩城を――いや、その奥に座する敵を射貫く。

 

「久しぶりだな、ミストバーン……」

「ヒュンケル……!!」

 

無言だった鬼岩城から、初めて声が上がった。

 

 




総員、第一種戦闘配置!! ってファンタジーっぽくない言い回しですね。ヤマトやガンダムとかの領分だと思います。
(でも他に上手い言い方が思いつかなかったので)

なんか、ホルキンスを活躍させたかったのでこんな展開に。
カールだって大国ですから、大砲はあるはず。それに戦車なんて、馬に乗ってクロスボウを撃つ兵士の延長みたいなものでしょう。そんな感じです。
アキームさんも弱くは無いけれど、器が違ったということで、どうかご容赦を。

さて、ずっと出番のなかった三人が、ようやくの再登場です。

修行していたから……仕方ないんです……でも約半年も間が開くって(滝汗)
(劇中では一週間くらいという恐怖。原作ヒュンケルの槍修行も5日……)

肝心の修行の成果ですが、大雑把にはそれぞれの得意分野を更に特化させた感じ。
とくにヒュンケルとラーハルトがやばい。なんていうか凄くやばい。
(ラーハルトはすでにその一旦が垣間見えてますし、ヒュンケルも……)

この二人と比べられるワニさんは泣いていい。イケメン二人の踏み台にされちゃう。
でもクロコ好きなので、活躍シーンもある予定(予定は未定)


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LEVEL:72 巨人 VS 巨頭

鬼岩城から響いてきた「ヒュンケル……」という言葉。それを耳にしたヒュンケルは、まるで自嘲するかのように薄く鼻で笑った。

 

「やはりお前だったか。確信が無かったわけではないが、どうやら間違ってはいなかったようだ……」

「なんだと……?」

 

それは自分自身に対して確認するような口調だった。戦場の最前線に位置していながら、敵のことをまるで見ようともしていない。その態度がミストバーンを僅かに苛つかせる。

 

「もう忘れたのか? オレは声を聞くよりも前から、お前の存在に気付いていたということだ」

「何……!?」

 

だが続くヒュンケルの言葉に、その苛立ちを気にする余裕は瞬く間に消え失せていた。事実、ミストバーンが声を発したのはヒュンケルの後だ。つまり、声を確認したことでその存在に気付いたわけではない。

ましてや鬼岩城が取った行動は、砲撃をした程度である。それだけで相手がミストバーンだと特定することなど出来るはずもない。

 

「今のオレには、貴様の姿がはっきりと見える。鬼岩城の頭部、と表現すれば良いのか? たしか玉座の間だったと思ったが……そこでデクの棒を操っているのだろう?」

「…………ッ!!」

 

続く言葉を聞き、遂にミストバーンは絶句した。

ミストバーンであると看破しただけならば、偶然だと思うこともできよう。なにしろ現在の六大軍団は壊滅状態である。加えて唯一生き残っているザボエラの性格を考えれば、ミストバーンが相手をしていると考えるのは妥当と言えるだろう。

だが居場所までを完璧に言い当てられたとなれば話は違ってくる。ヒュンケルたち裏切り者は、鬼岩城が動くところを見ていない。つまりどこで操っているのかの情報は持っていないのだ。

にもかかわらず、一切迷うことなく言ってのけた。それはすなわち、相手の居場所を探知できるほどの実力を積み上げたということに他ならない。

 

「しかし、無口なお前が一人で出張ってくるとはな。こういう交渉ごとはザボエラ辺りが嬉々としてやると思っていたが」

「……何?」

 

――交渉ごと。という単語に、ミストバーンは微かに反応する。

現在、鬼岩城内部にいるのはミストバーンとその配下である魔影軍団の怪物(モンスター)たちのみである。そう言う意味ではザボエラはこの場におらず、ヒュンケルはそれすらも見抜いていることになるだろう。

 

「大方、降伏して大魔王に忠誠を誓えば命だけは助けてやるとでも言うつもりか? 残念だが、鬼岩城を持ってこようとも、そんな脅しに屈するほど人間は弱くはないぞ」

「……フッ……フフフフフフフッ……!!」

 

毅然として言い放つヒュンケルの言葉に、だがミストバーンは耐えきれずに哄笑を上げた。それは先の一言で彼が感じた違和感をはっきりと肯定する材料だったからだ。

 

「何がおかしい?」

「これが笑わずにいられるか!? 命だけは助けてやる? 脅す? フハハハハ!! ヒュンケル、少し見ぬ間に随分と察しが悪くなった……いや、甘くなったな!!」

 

ヒュンケルの推察をミストバーンは嘲笑う。なにしろそれは、彼が魔王軍に属している頃を知るミストバーンからすれば噴飯ものの内容だったからだ。

ひとしきり笑った後に、ミストバーンは口を開いた。

 

「私は交渉に来たのでは無い……人間どもを皆殺しに来たのだ」

「なっ……!!」

 

その声を上げたのは果たして誰だったのだろうか。ヒュンケルたちの耳に届いたことから、おそらくは戦車隊の誰かが思わず声を上げたのだろうとは思う。だが同時に、大礼拝堂にいる諸王たちも上げたに違いないだろう。

そう思わせるほどの内容であった。

 

「命令する、死ね。お前たちには一片の存在価値もない。大魔王バーン様の大望の花を汚す害虫だ……降伏など許さん、死ね! この国ごと地上から消えよ!! バーン様のお耳に届くよう、精一杯大きな最期の悲鳴をあげろ……それがお前たちに許された唯一の行動だ!!」

 

そう宣言するミストバーンの声はどこまでも冷徹であった。人間はそうなる事が当然だと言わんばかりの気配を伺わせる。むしろ、今現在生きている人間たちに何故そうしないのかと理不尽な疑問を投げかけているかのようですらあった。

 

そして、それを聞いた者の反応も様々であった。恐れを抱く者もいれば、反対にあまりにも一方的な物言いに怒りを見せる者もいる。

そして――

 

「……なるほど。確かに、そうだな……」

 

ヒュンケルは、まるでかつてを思い出すように僅かに瞳を伏せた。ダイたちと出会う前、まだ自身が暗黒闘気に呑まれていた頃であれば、今にミストバーンとおそらくは同じことを言っていただろう。確かに、その頃を基準とすれば、先ほどの発言は甘いと評するのも当然のことだろう。

 

思わずそう自嘲していると、ふと横手から不機嫌そうな感情が漂ってくるのを感じ、ヒュンケルは視線を僅かに移動させる。

その正体はラーハルトであった。彼もまたヒュンケルと同じように瞳を伏せ、だがイラついたような態度を隠そうともしない。

 

「…………」

「どうした、ラーハルト?」

 

クロコダインもそれを感じ取ったようで、思わず声を掛ける。するとラーハルトは態度をそのままに、だが存外素直に胸中を吐露した。

 

「いや、少し前の自分もあのような態度を取っていたかと思うと、な……」

 

その苛立ちの原因は、ヒュンケルと同じく、自身の過去に鑑みてのことだったのだ。クロコダインはその言葉に思わず目を丸くし、そしてヒュンケルは同じ心境になったことを知って誰にも聞こえないほど小さな声で笑う。

 

「見ろ! 巨人が!!」

 

だが感傷に浸る時間はなかった。ホルキンスが声を上げると同時に、それまで止まっていた鬼岩城が遂に動き出したのだ。腹部の正門が重々しい音を上げながら開くと、その中からは大量の怪物(モンスター)が姿を見せる。

 

「あれは、魔影軍団か!」

 

そこにいたのは鎧兵士――地獄の鎧やキラーアーマーと呼ばれる、甲冑型モンスターの一種だ。妖魔士団の主戦力であり、魔王軍のカール攻略にも当然参加している。ホルキンスにとっては見知った敵であり、気がつけば彼は憎々しげに叫んでいた。

 

「鎧兵士どもよ!! 地上の小うるさい害虫どもを皆殺しにしろ!!」

 

鬼岩城は両腕を自身の腹部前まで動かすと、鎧兵士たちは次々に鬼岩城の手の上へと移動していく。どうやら鬼岩城の手の上に乗って地上へと移動するようだ。

とはいえ、直接地上への移動手段があるわけでもなし、かといって飛び降りようにもそこは、下手な塔よりもずっと高い位置だ。頑強な甲冑型モンスターと言えども着地に失敗すれば、ただでは済まない。

そのための、手を使った輸送手段であった。明らかな設計ミスであり、脚部に出入りの一つでも作ればすぐにでも解決するように思われる。もっとも、そうできない理由があるのだが……

 

「あの程度のザコでオレたちを倒すつもりとは……甘くみられたものだな」

「いや待て、まだ何か出てきたぞ!!」

 

鎧兵士の大群が出現したことを見て、実力を過小評価されたとラーハルトが吐き捨てる。しかしそれは早とちりだったらしい。鎧兵士たちが移動して正門の前からいなくなると、その奥から新たな影が姿を見せる。

 

「そしてヒュンケル……いや、裏切り者どもよ!! 貴様らの相手はこやつらだ!! 我が魔影軍団の強さと、この大魔王様からいただいた鬼岩城の恐ろしさを、たっぷりと思い知るがよい!」

「あれは……?」

 

現れたのは三つの影。その影はいずれも大門から空中へと身を投げ出し、だがその全てが見事な着地を見せた。

 

「……行けっ!! 我が軍最強の鎧兵士デッド・アーマーたちよ!!」

 

その姿形は、例えるならば全身鎧のアメフト選手とでも形容すれば良いだろうか。上背もクロコダインより頭一つ以上は高く、異質な雰囲気を纏っている。顔面部分にはまるで人魂を思わせるような不気味な灯火が輝いていた。

デッド・アーマーが地上へ現れたのに少し遅れて、鬼岩城の腕が地面へ到着した。乗っていた鎧兵士たちはすぐさま地上へと降りていく。

 

「鎧兵士どもがウジャウジャと……少々面倒そうだな」

「くだらん。全て倒せばいいだけだろう?」

「だが、デッド・アーマーという敵に加えて、あの鬼岩城の相手もしなければならんのだぞ。余力は残しておかねば、いずれ数で潰されかねん」

 

ヒュンケル、ラーハルト、クロコダインの三人は、地上に散開した敵を油断なく見つめる。だがその口ぶりは、鎧兵士など歯牙にも掛けていなかった。相手を道中の石ころ程度にしか感じていないのだろう。事実、それだけの実力差はある。

ただクロコダインだけは、少々慎重な意見を口にしていた。何しろ二人と比べ、クロコダインは総合的な実力で劣る。修行中に幾度となく痛感させられたその事実が、彼に一歩引いた物の見方を育んでいたようだ。

 

「ならば、我々が手を貸そう」

 

僅かな逡巡の後、彼らの背後から声が掛けられり。ヒュンケルたちは敵に動きに気を配ったまま、それでも僅かに身体を動かすと声の主を見る。

 

「ヒュンケル殿、久しいな」

 

声の主――ホルキンスはヒュンケルのことを見ながら、文字通り知り合いにあったように声を掛けた。対するヒュンケルは無言で頷く。

 

「知り合いか?」

「ああ。以前、少しだけな」

 

それは消えた鬼岩城の足取りを追っていた時の話だ。ギルドメイン山脈に存在していたはずの鬼岩城が忽然と姿を消したのを確認した後、残った手がかりである巨大な足跡を追ってヒュンケルはカール王国まで足を伸ばしていた。

鬼岩城の痕跡が無いかと調査するヒュンケルは、偶然にもホルキンスらカール王国の生き残りと出会っていたのだ。とはいえ、ヒュンケルはその素性から正体を明かすことはなく、ホルキンスたちも隠密活動中故に目立つことは避けたかったため、大きな騒ぎとはならなかった。

その過程で、ヒュンケルとホルキンスは互いの名と顔程度は知り合っていたのだ。尤も、カール王国の生き残りと出会ったと言う事実を、ヒュンケルはレオナにしか報告していなかったのだが。

 

その頃のことを思い出すようにホルキンスは目を細め、だが声を絞り出した。

 

「そなたたちのことはレオナ姫から聞いている……その素性も含めて、な」

「……!!」

 

それはどこか苦しそうな言葉だった。それも当然だろう。目の前の三人は、いずれも元魔王軍に所属していた者達――ましてや各軍団長である。ラーハルトに到っては、カール王国を滅ぼした張本人である超竜軍団に所属していたのだ。

本来ならば声を掛ける必要すらなく、背後から感情の赴くままに、怒りと憎しみに身を任せてヒュンケルたちに剣を振るったとしても、仕方の無いことだろう。

 

「自分とて、言いたいことはある。だが、今はそんなことを言っている場合でもない」

 

だがホルキンスは、その感情を必死で飲み込んでいた。同郷の仲間たちが死にゆく姿は、決して忘れたわけではない。だがレオナから素性を知らされ、今は魔王軍を倒すために共に戦っているのだということを聞いていた。

 

何より、不死騎団によって自国を滅ぼされたはずのレオナがヒュンケルのことを許しているのだ。自分よりも幼い少女が過去の遺恨を断ち切り、前を進もうとすることを知らされていた。

 

なにより鬼岩城からの砲撃を受けた際に、彼らはその全てを防いで見せた。その姿を見たホルキンスは、レオナと同じように、過去を乗り越えて見せようと思ったのだ。

 

「あの巨人を倒すため……いや、世界に平和を取り戻すためにも……過去は捨て、我々も協力させてほしい。これはその第一歩と考えてくれ」

 

そう言うホルキンスは、鬼岩城と敵兵の群れへと視線を飛ばす。

 

「それにあれは城に手足が生えたものと聞いている。そもそも敵の戦力があの程度のはずもない。城の奥にはまだまだ兵士が控えているだろう。ならば味方は多いに越したことはない、違うかな?」

「……なるほど、確かに道理だな」

「我々を受け入れて貰えるだけでもありがたいのだ。その提案、是非とも乗らせて貰おう」

 

魅力的な提案にヒュンケルは頷き、そしてクロコダインも、ラーハルトも異論はないようだった。特にクロコダインは喜色を隠そうともせずに笑みを浮かべている。

そして全員が了承の意を見せるや否や、ラーハルトが動いた。

 

「話はまとまったな? ならばザコの相手は任せたぞ! オレたちはまずあの大型鎧を叩く!」

 

そう言うが早いか、デッド・アーマーたちへ向けて突進していく。その足取りは軽く、今すぐにでも戦いたくてウズウズしているようかのようだ。

 

「ラーハルト!! くっ、まったく!!」

「すまぬ! だが、そなたらの力、当てにさせてもらうぞ!」

 

文句の言葉を口にしながら、ヒュンケルたちもラーハルトを追う形で後に続く。だがその足取りは、ラーハルトに負けず劣らず軽かった。口では仲間の勝手な行動を諫めているものの、どこか羨ましそうにも、ホルキンスには見えた。

 

三人が戦場へと飛び込んだのを確認すると、ホルキンスは戦車隊へと再び命令を下す。

 

「ベンガーナ戦車隊の勇者たちよ! これより部隊を二つに分ける!! 右翼の兵は我に続け! 剣を持ち、敵の鎧兵士たちを倒す!!」

「「「「はっ!!」」」

「もう半数はアキーム殿の指揮の下、引き続き砲撃を続行!! 巨人の足を止めろ!!」

「なっ!!」

 

驚きの声を上げたのは、アキーム本人であった。だがホルキンスはそれには取り合わず、更に声を張り上げる。

 

「たった一度、それも短い時間でしかなかった。だが諸君らは命令に従い、私の期待以上の働きを見せてくれた!! 一度でもあの動きが出来たのならば、それはもうまぐれではない! 諸君らはあのように、縦横無尽に戦車を操って戦えるだけの力を持っているのだ!! ならばもはや私の指揮がなくとも、やれるはずだ!! ベンガーナの勇者たちよ、存分に働いてみせよ!!」

「「「「う、おおおおおぉぉっ!!」」」」

 

さらに鼓舞してみせるホルキンスの言葉に、残された戦車兵たちは大声を上げる。だがその熱狂的な空気の中にあって、一人だけ不安げな表情を見せる者がいた。

 

「アキーム殿、今お聞きした通りだ」

「し、しかし……」

 

指揮を取るように命じられたアキーム本人である。本来ならば彼が戦車隊に命令を下すことが当然のはずである。だがホルキンスの指揮の下、まるで別人のような動きを見せた部下たちの姿を見たことで、気後れしてしまう。

あの動きを目標としてはいるが、こうもはやくその機会が訪れることになるとは予想だにしていなかった。

自信なさげに視線を逸らすアキームへと、ホルキンスはきっぱりと告げる。

 

「そう卑屈になることはない。先ほど戦車隊が活躍できたのは、個人個人の技量があってのこと。そしてあれだけの技量になるまで鍛え上げたのは、あなたの成果だ。誇っていい、あなたは優れた隊長だ。私が認めよう」

「わ、わかりました!! 不肖アキーム! ホルキンス殿のご期待に、応えてみせます!!」

「頼んだぞ」

 

ホルキンスの言葉に乗せられたのか、それとも覚悟の表れか。まだ弱気の目は感じられるものの、アキームはホルキンスをしっかりと見返しながらそう断言してみせた。力強いその言葉を耳にしたことで安心したのだろう、ホルキンスは腰に下げていた剣を一気に抜き放つと、天高く掲げる。

 

「右翼の兵よ、オレに続け!! 敵を味方に近づけるな!!」

 

一番生き生きとした大音声で叫ぶと、自ら先陣を切って鎧兵士たちへと突撃する。右翼の兵士たちは、突然のその様子に驚きながらも勝ちどきを上げながら後に続いていった。

 

その姿を見ながら、アキームはふと気付く。

先ほどホルキンスは、オレと言っていたのだ。そして今のホルキンスは、戦車隊を手足のごとく操り、見事な戦いを見せたのと同一人物とは思えないほど荒々しい。

だが敵へと切り込んでいく今の姿こそ、彼本来の姿のように見えた。知的な姿は仮面でしかなく、彼ほどの英雄であっても、他国の兵士を前にした虚勢を張っていたのではないかと、そんな考えが脳裏を過る。

英雄がほんの少し見せた綻びから連想した考えに、失礼とは思いつつも小さく吹き出してしまう。そしておそらく、当たらずとも遠からずなのだろうと、理由は分からないが確信できた。そんなことを考えているうちに、何時の間にか心には余裕すら生まれていた。

 

「ベンガーナ戦車隊!! 引き続きあの巨人を狙え!! 最優先目標は敵の砲台! まずは敵の攻撃手段を奪うのだ!!」

 

アキームは、残った左翼の部下たちへと強い口調で命令を下す。その姿はまるで別人のようだった。

 

 

 

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「どれ、コイツの実力は?」

 

微かに舌なめずりをするような態度と共に、ラーハルトは手にした魔槍を近くにいたデッド・アーマーへ向けて軽く振るう。完全なる様子見の一撃であったが、敵はそれに反応すらできず、無防備な一撃を受けた。

 

「……む、これは」

 

だが槍の穂先から伝わってくる感触に、その顔を僅かに歪ませた。どこかで感じたことのある、手に馴染んだその感触。一瞬、考えるような様子を見せた後、遅れてやってきた二人へ向けて注意するように叫ぶ。

 

「ヒュンケル!! どうやらコイツらはオレたちの鎧と同じ素材で出来ているようだ」

「なに!? お前たちの鎧だと!?」

 

だが反応したのはクロコダインであった。

ヒュンケルらの持つ鎧の魔剣と鎧の魔槍は、どちらもオリハルコンに次ぐ硬度を持った金属で出来ている。それはつまり、生半可な攻撃では傷も負わず、雷系の攻撃呪文以外は弾き飛ばすほどの防御性能を持っているということだ。

なるほどこれほどの相手ならば、ミストバーンが自信を持って繰り出すのも当然といえる。最強の名にも決して恥じぬ程の敵だろう――本来ならば。

 

「……では修行の成果を試すには丁度良い敵といったところか」

「ああ、同じ素材のよしみだ。本気で相手をしてやるとしよう」

 

ラーハルトの言葉を聞き、ヒュンケルは微笑する。いや、彼だけではない。ラーハルトもまた同じ反応を見せていた。二人は肩を並べるようにしてデッド・アーマーたちに立ち塞がると、剣と槍――それぞれの己が武器を手にし、叫んだ。

 

「「鎧化(アムド)!!」」

 

合い言葉(キーワード)に従って魔剣と魔槍が展開していく。一瞬の後、そこには鎧に身を包んだ二人の戦士の姿があった。

 

「これで互角」

「いや、腕はオレたちの方が上だ。ただ差が開いただけだろう?」

 

言いながら左腕の盾から槍を取り出し、ラーハルトは獲物を定める。

 

「左はもらうぞ」

「ならばオレは右のヤツを相手にしよう。クロコダイン、正面は任せたぞ」

「まったく、お前たちといるとオレの常識がおかしくなりそうだ……」

 

そう言うとヒュンケルらは返事を聞くこともなく、それぞれが敵と定めた相手へと飛びかかる。こちらの言い分も聞かず、勝手に行動していく二人の姿にクロコダインは思わず頭を抱えた。

だがその傍若無人な振る舞いは、それぞれの実力を信じていることの裏返しでもある。全員が全員、一対一でも問題無い腕前の持ち主だと確信しているのだ。

 

「まあ、オレも試してみたいという気持ちがあるからな……行くぞッ!!」

 

二人に遅れること少し。クロコダインもまた、デッド・アーマーへと躍りかかっていった。

 

 

 

 

「どうした!? その鎧は飾りか!?」

 

ラーハルトは手にした槍を変幻自在に操り、無数の刺突を繰り出す。相手はただの一撃たりとも避けることはおろか防ぐ事すら出来ない。いや、それ以前に反応すら出来ずにいた。

豪雨の方がまだ勢いが弱いだろうと錯覚するほどの連続攻撃。その全てをまともに食らい続けたせいで、デッド・アーマーはその姿をみるみるうちにみずぼらしく変貌させる。堅牢であるはずの金属が、まるで砂糖細工か何かで出来ているかのごとく削り取られていく。

 

普通の人間ならば、それだけの攻撃の前にとっくに命を失うか、はたまた生きていても再起不能なほどに戦意を刈り取られていることだろう。

だが、デッド・アーマーはそのような感情とは無縁だった。暗黒闘気によって生み出された命なき魔物であるため、言葉を喋ることもなければ、恐怖を感じることもない。自らの生命を心配することもないのだ。

 

閃光すら遅いと感じるほどの攻撃を間断なく受け続けながらも、デッド・アーマーはそれでもなお前へと進み続けていた。痛みを感じることもなく、自らの損傷すら省みる必要のない存在であるからこそ可能な、捨て身の攻撃とすら言える。

 

「ほぉ……」

 

その動きを目にしたラーハルトは、何を思ったのか槍を振るう手を止めた。前進することすら困難なほどの圧倒的な圧から解放されたことで、デッド・アーマーはそれまでよりも幾分早い速度で動き出す。

 

「そら、一回くらいは攻撃を見せてみろ」

 

ラーハルトは不敵な笑みを浮かべ、自らの胸元を親指でトントンと叩く。明らかな挑発――そこに攻撃をしてみろという意思表示なのだろう。槍を下ろし、棒立ちとなったその姿は隙だらけであり、少しでも知能のある者からすれば罠としか見えない。

 

だが恐れを知らぬデッド・アーマーはその誘いに愚直なまでに従い、拳を振り上げるとラーハルトの胸部目掛けて強烈な一撃を繰り出した。高さはデッド・アーマーの方が上である。打ち下ろした形で放たれた拳は勢いよくラーハルトへと襲いかかり、空を切った(・・・・・)

思い切り空振りを行った形となり、その勢いに思わず蹈鞴(たたら)を踏む。

 

「すまんな。あんまり遅いもんで、待ちくたびれた」

 

いつの間に移動したのか、見ればラーハルトはデッド・アーマーの背後に立っていた。攻撃が当たる直前の刹那までそこにいたにも関わらず、影すら見せぬほどの高速移動だ。

だがデッド・アーマーはその鎧を軋ませながら背後のラーハルトへと再び襲いかかる。金属同士が擦れるその音は、さながら感情なき魔法生命体であるはずのデッド・アーマーの叫び声のようだった。

――約束が違う。まるで、全力でそう叫んでいるかのような音だ。

 

「はあっっ!!」

 

だがその攻撃を二度も待つほど、ラーハルトはお人好しではない。気合いと共に、槍を下から上へと強く跳ね上げる。強烈なアッパーカットのような軌跡を描く槍は爆発的な勢いでデッド・アーマーに激突すると、だが止まることなくそのまま相手を打ち上げた。

重装甲であるはずのデッド・アーマーが、まるでボールでも投げたかのように天高く飛んでいく。

 

「これでは、弱い者いじめだな」

 

自嘲するようにラーハルトは笑い、僅かに空を見上げる。

ラーハルトの放った攻撃は、誰が見ても一撃にしか思えない。だがそこには、自慢の装甲を十文字に切断されたデッド・アーマーの姿があった。

 

 

 

 

クロコダインはデッド・アーマーと真正面からぶつかっていた。何があったのか、互いの両手同士を掴み合う手四つの姿勢のまま、単純な力比べの構図となっている。

だがこの勝負、普通ならばデッド・アーマーが有利なのは間違いない。クロコダインもかなりの巨体ではあるが、デッド・アーマーの大きさはその上を行く。つまり上から押し込む側の方が、腕力にだけなく体重を加えることができるのだ。

 

鎧はギシギシと音を立てながら、クロコダインをその身体ごと上から押し潰そうと震える。だがその腕は一向に動かず、そしてクロコダインの腕もまた下がることがなかった。完全に均衡状態を保ったまま、数秒の時が流れる。

 

「フフッ、どうした? それで精一杯か?」

 

挑発に乗ったのだろうか、その言葉にデッド・アーマーは肩を高く上げ、力任せに押し込もうとする。斜め上から押さえ込もうとしていたそれが、もはや垂直に近い位置にまで動いている。全体重を掛けるようにしてクロコダインを屈服させようとしているものの、それでもクロコダインは涼しい顔でそれを受け止めきっていた。

 

「なるほど。腕力も重さも、この程度ならば十分に押し返せるか」

 

それは誰に向けたわけでもない、言うなれば自身の頭に覚え込ませるための確認の言葉でしかなかった。敵と戦っているように見えてその実、まるで相手にしてないかのような言動に、感情無きはずのデッド・アーマーの気配が僅かに揺らぐ。

 

「無理に付き合わせて……すまんな!!」

 

それが口火となった。

クロコダインは掴んでいた指へそれまで以上の力を込め、握り込んでいった。均衡を保っていたはずの二人の位置が、徐々に変化していく。だがそれはどちらかが動いたことが原因ではない。

その強力な握力によってデッド・アーマーの小手の部分が潰れていき、じわじわと変形していった。形状を保てなくなったことで、下へと引きずり込まれる形で強引に動かされたというのが正解だろう。

 

このままでは不利と悟ったとのか、デッド・アーマーは慌てて頭突きを繰り出す。中身はつまっていなくとも、とてつもない強度を誇る装甲での一撃だ。受ければダメージは免れないだろう。

 

「甘いわぁっ!!」

 

だがその程度の悪あがきが、百戦錬磨の獣王に通じるはずもない。クロコダインは握り込んでいた両手をサッと離すと、逆に相手の頭部を両手で挟み込むように受け止めた。

 

「潰れろっ!!」

 

両側から恐ろしいまでの圧力を掛けられ、まるで粘土で出来ているかのように瞬く間にデッド・アーマーの頭部はグシャリと潰れた。

見るも無惨な姿となったが、その程度でクロコダインは止まらない。

 

「ぬおおおおっっ!!」

 

続いてはまるで抱きつくようにして両腕を相手の胴体へと回し、一気に締め上げる。それは相手を死へと誘う抱擁だった。分厚く作られているはずの胴体部分の装甲がメキメキと音を上げながら、瞬く間にひしゃげていく。

デッド・アーマーの胴回りは、僅か五秒にも満たない短い時間で半分以下にまで潰されていた。

人であればそのまま背骨が折れ、絶命することでこれ以上の苦痛から逃れる事も出来るだろう。だがデッド・アーマーには骨格も痛覚も存在しない。最後の瞬間まで、クロコダインの抱擁を受け続ける事となる。

やがて、デッド・アーマーは真っ二つに引きちぎられた。

 

 

 

 

ヒュンケルは、デッド・アーマーの攻撃をあるときは剣を使って受け流し、またあるときはギリギリまで引き付けてから身をかわしていた。まるで剣術の教本を見ているような戦い方を、彼は意図的に続けていた。

 

――クロコダインは力……ラーハルトは速度……

 

眼前の敵に集中しながら、頭の片隅ではこの数日間の修行の内容を思い出す。各々が得意分野を伸ばし、同時に戦力の底上げを行うようにしていたのだ。そういった意味では、アバンの書に記載されていた戦い方や修行方法は理想的とすら言えた。

さらには三人の中で頭一つ抜けた力を持つラーハルトと実戦さながらの戦いを繰り広げ、いわゆる戦闘の勘を磨き上げる。

 

ヒュンケルは修行の総決算を試すように戦っていたのだ。

そしてデッド・アーマーは、ある意味で最適な相手だった。動きは素早く力は強く、だが単調な動きしかしない相手となれば、これほど便利な相手もいないだろう。仲間内でも力試しは出来るが、試しはあくまでも試しでしかない。

誤って殺すような真似は当然できないし、なにより殺気が違う。相手を躊躇いなく殺すと考え挑んでくる相手と戦ってこそ、本領を発揮できる。

 

「ここか」

 

何度目かの攻撃を避けると同時、剣を振るう。まるで無造作に振るったようにしか見えないその剣は、デッド・アーマーの装甲をバターのように切り裂いていた。剣による傷跡は、この一つだけではない。見れば強固な筈の装甲には無数の傷が刻まれ、末端部分はまるで宝石をカッティングしているかのように幾つもの断面を晒していた。

 

「まだ動けるか、ならば……」

 

まるでボロキレのような醜態を見せながらも、それでもなおヒュンケルへとデッド・アーマーは攻撃をしかける。それを見た彼は、微かな感謝の念と共に一旦剣を鞘へと納めた。

 

「はっ!!」

 

そして気合いを上げながら剣を居合抜きのように振るう。剣閃と同時に閃光が走り、敵を打ち抜く。その一撃で、デッド・アーマーは糸の切れた人形のようにその身を投げ出す。

 

「これならば、問題はなさそうだ……」

 

その出来映えを確認するように小さく呟いた。

 

 

 

 

この場の状況を一言で表すならば、混戦というのが最も相応しいだろうか。

ミストバーン配下の鎧兵士たちとベンガーナの兵士たちが激戦を繰り広げていた。金属と金属とがぶつかり合う甲高い音があちこちで鳴り響く。

問題はその数だ。三十体近い敵を相手に、ベンガーナの兵士たちは十人ほどしかいない。数の不利はそのまま戦力の不利となる。だが三倍近い戦力を前にしてなお、ベンガーナ兵たちは持ちこたえていた。とはいえそれを為しているのは、個々の戦力が上回っているからではない。

 

「死角をできるだけ消せ!! 常に背後を取られないよう気を配れ! お前たちの背中を、仲間同士で補うんだ!!」

 

ホルキンスは戦い続ける兵士たちに向けて言葉を飛ばす。

その主たる理由は、彼の存在が最も大きかった。彼は乱戦の最中に身を置きながらもベンガーナ兵たちへの指揮を執りつつ、自身も戦いに参加していた。

怒鳴り声のような言葉を上げながら剣を振るえば、鎧兵士がその一刀を受けて崩れ落ちる。戦いつつ全体を見渡し、必要とあれば言葉を投げかける。それがどれだけ難問かは想像に難くないものの、ホルキンスはこなしている。

それだけではなく、彼は自ら戦況の厳しい地点へと飛び込み、可能な限り多くの敵を引き付けようとしていた。(ひとえ)に、彼の卓越した剣技がなせる技といえよう。

 

「今だ! 戦車隊、撃てぇぇっ!!」

 

だがそれだけでは彼の活躍は成り立たない。アキーム率いる戦車隊は、鬼岩城の大砲を巧みに潰しつつ、隙を見ては鎧兵士にも砲撃を撃ち込んでいた。遠距離攻撃を封じながら、仲間への援護も行う。

大砲の轟音が響くたびに、剣を振るう兵士たちは勇気づけられていた。

 

「ほぉ……」

 

そんなホルキンスたちの活躍振りに、ラーハルトは思わず感嘆の声を漏らしていた。デッド・アーマーを倒した後、ホルキンスたちの戦い振りが偶然にも彼の目に入ったのだ。

そこで視線を切らなかったのは、自ら「鎧兵士の軍勢を相手にする」と言ってのけたその実力を一目見ようという、気まぐれのような感情だったかもしれない。

だがその気まぐれな行動に、彼は驚かされていた。

 

――あの男、大した腕だ。剣術だけならば、バラン様が相手でも多少は手を焼くだろう。

 

ホルキンスの戦い振りを見ながら、口には出せない考えを思い浮かべる。その指揮能力や、広く周囲を見渡せる眼力も高いが、何より優れているのは剣術だとラーハルトは判断していた。それも、バランと少しでも戦えるほどの腕前だという、彼にとっては最上級の賛辞に近い意見でだ。

 

「フッ……」

 

戦場でそんなことを考えていることに気付き、意識を鬼岩城へと向けようとした時だ。ラーハルトの視界の端で、微かに動く者の姿があった。

それは、倒された筈の鎧兵士だった。兵士の一人が倒したと思い放置していたのだろうそいつは、完全に破壊された仲間の鎧を隠れ蓑としてホルキンスへと襲いかかろうとしている。

 

「チッ! 世話の焼ける!」

 

それを見た途端、ラーハルトは動いていた。風のような速度で動き、その鎧兵士を易々と切断して見せた。いや、それどころか、ホルキンスが相手をしていた鎧兵士たちをも、事のついでとばかりに屠るほどだ。

ラーハルトの突然の援軍にホルキンスは一見驚くものの、だがそれが自身を助けるための行動だと直ぐさま理解する。

 

「すまない、助かった。気付かなかったのはオレの落ち度だな。礼を言わせてもらおう」

「気にするな。お前の力はまだ必要だと思っただけだ」

 

とはいえ鎧兵士に不意打ちをするような機転を効かせる頭など無いため、本当に偶然の産物なのだろう。本来のホルキンスならば気付くことも出来ただろうし、仮に襲われていたとしても対処出来た可能性は十二分にあった。

だがそれでも、礼は礼だ。素直に謝辞を述べるホルキンスに対して、ラーハルトは無表情のままそう言ってのける。それはどこか、素直になりきれない子供のようにも見えた。

 

「ううん、そんなことはない。私からお礼を言わせてもらうわ」

 

そこへ、戦場にはどこか似つかわしくない柔らかな声が届いた。

 

「チルノ殿!」

「チルノ様!!」

 

突如として現れたチルノの姿に、ラーハルトたちは思わず声を上げていた。

 

「ごめんなさい、遅くなって……」

 

二人へ向けて謝罪するように頭を下げる。その騒ぎを聞きつけたのか、ヒュンケルとクロコダインも集まってきた。その三人の顔を順番に見ながら、チルノは口を開く。

 

「クロコダイン、ヒュンケル、ラーハルト。みんな、ありがとう。鬼岩城退治、ここからは私も手伝うから」

「手伝いはありがたいが、ダイはどうしたのだ? 確か、覇者の剣を取りに行ったと記憶していたが……」

「詳細は省くけれど、ダイはちょっと出かけているの。でもすぐに、戻ってくる! 覇者の剣よりももっと強い、地上最強の剣を持って!」

 

地上最強の剣。その言葉を聞き、三人の顔色が変わる。少しの驚きと、そして意地を張ったような気配を漂わせる。

 

「その剣があれば百人力だろうが、到着を指をくわえて待っている訳にもいくまい?」

「ああ。ダイには悪いが、その剣の出番は無さそうだ……」

「あのような玩具の相手など、ダイ様の手を煩わせるまでもありません」

 

チルノの言葉を、三人はダイがいなければ鬼岩城には勝てないと受け取っていたようだ。勿論彼女にはそのようなつもりは無かったのだが。

三者三様の闘志を自らの内に燃やしながら、鬼岩城を睨む。戦車の砲撃を受けて多少の損傷こそあるものの、敵の姿は依然として健在のままであった。

 

 




遅いわ進まないわ、本当に申し訳ない……
もうちょっとだけ、鬼岩城の相手にお付き合いください。

今回やりたかったこと。
・二人が肩を並べて「鎧化」って叫ぶ。
・ホルキンスをツンデレっぽく褒めるラーハルト。
・3人のそれぞれの修行の成果のチラ見せ。

残りのやりたかったことは次話で……


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LEVEL:73 崩れゆく巨人

「フフフ、地上最強の剣だと? それに加え、貴様らだけでこの鬼岩城を容易に倒せるような口ぶり……大きく出たな……」

 

チルノの言葉を聞き、それまで沈黙に徹していたミストバーンが再び口を開いた。

 

「そのどれもが貴様らには叶わぬ願いだ! この鬼岩城と魔影軍団が存在する限りな!」

 

ダイが地上最強の剣を持って戻ってくることも、ヒュンケルたちが鬼岩城を倒してみせるという決意も、そのどちらをも嘲笑う。尤もミストバーンにはそれだけの自信の裏付けがあるのだろう。彼らの抵抗などアリの反逆にも等しく見えていた。

 

「何を言い出すのかと思えば、ミストバーンだったか? 叶わぬ願いとは、お前の言葉の方がよっぽど大言壮語だな……貴様自慢の鎧人形たちは既に全滅しているぞ。次はその動きの鈍いデクの棒でオレたちを倒すつもりか?」

 

だがその言葉に黙っていられよう筈もない。ラーハルトは口を開くが、ミストバーンはそれに取り合うことはなかった。だが返事の代わりとでも言うように、鬼岩城腹部の正門が鈍い音を立てて再び開かれる。

 

「全滅させた? その程度で勝ったつもりか、愚か者どもめが……!!」

 

その奥からは、再び無数の鎧兵士たちがずらりと立ち並んでいた。いや、鎧兵士だけではない。さらに奥にはデッド・アーマーたちの影も見える。つい先ほど、倒したばかりの相手が再び姿を見せたことで、ベンガーナ兵たちの間に動揺が走り始めていく。

 

「我が魔影軍団は不滅の軍団!! 疲れを知らず、恐れを知らず、暗黒闘気ある限り何度でも甦る!! 貴様らがどれだけ強くとも、無限に湧き出る敵を倒し続ける事はできん!」

 

際限なく湧き続ける部下の存在が、ミストバーンの根拠の一つであった。どれだけ強い存在であろうとも不眠不休で無制限に動けるはずもない。いずれ疲弊しきって動けなくなるのは道理である。

ならば当然、相手はその発生源を止めようとするだろう。しかし――

 

「そして、いかに地上最強の剣といえどもこの鬼岩城を倒すことなど不可能だ! この城は魔王軍の技術の粋を集めて作られている。たとえオリハルコンの武器であろうとも容易には打ち砕けん!! 貴様らの攻撃などではビクともせんわ!!」

 

その程度のことは誰しもが思いつく。故に要塞である鬼岩城の堅牢さは群を抜いていた。魔王軍の――というよりも魔界の技術によって建造され、外壁も並の強度ではない。バーンを除けば鬼岩城の事を最も熟知しているミストバーンは、ヒュンケルら三人の誰がどのような技を繰り出そうとも問題は無いと判断していた。

続けて戦車兵たちが潰してきたはずの砲門が引っ込んだかと思えば、すぐさま新しい大砲が顔を覗かせる。

 

「貴様らが懸命に潰した大砲も同じだ! たった一門ずつしか装備していないとでも思ったか? 砲門も砲弾も、城内にはまだまだ予備がある。無限の兵士と無数の砲撃を前に、貴様らは惨めな屍をさらすこととなるのだ!! フハハハハ!!」

 

さながら必勝の策を誇るようにミストバーンは高笑いを見せた。確かに、無限の戦力があればその自信も理解できる。ラーハルトたちの攻勢にも動じることなく、殆ど反撃を行わなかったのもこれが原因だろう。

不利になったように見せかけ、余裕を見せたところへ見せつけるかのようにすれば、相手の戦意をより大きく削ることも出来るからだ。普通の相手ならば今の言葉を耳にしただけで温存策を取ろうとし、闘志や攻撃の手が鈍ってもおかしくはない。

 

「増援か。だが、同じ顔ぶれしか用意せんとは……芸のない奴だ……」

 

だが彼らにはその理屈は通用しなかった。新たに現れた、一度見た敵を前にしてラーハルトは若干げんなりとしながら呟く。

 

「魔影軍団の兵士は暗黒闘気で動いているからな。おおかた、城の内部で量産しているといったところだろう」

「なるほど。たしか、鬼岩城に開かずの間があったな……記憶に間違えがなければ、右胸の辺りだったはずだ。可能性があるとすれば、そこだろう」

 

ヒュンケルとクロコダインは、互いに持つ知識を補完するように話し合っていた。かつて暗黒闘気を操り不死騎団を率いていたヒュンケルだからこそ知りえる知識にて看破し、クロコダインもまた軍団長であったころの知識にて、鎧兵士たちの製造場所を推測してみせた。

 

「右胸の辺りだと? ならば、そこを潰せば無限の兵士とやらは止まるわけだ」

 

二人が推察してみせた潰すべき位置。ラーハルトはその場所を睨んでいた。未だ鬼岩城とは距離があり、一足飛びに飛び移るのは彼の身体能力を持ってしても困難そうに見える。目測を誤れば、そのまま海へドボンと落ちるだろう。

 

「だが、潰すにはまずあの鎧兵士たちを蹴散らして進む必要があるぞ」

「それだけではない。城内に侵入すれば今以上に敵が、それこそ雲霞のごとく襲ってくるはずだ」

 

そう言ってヒュンケルは鬼岩城腹部へと視線を投げる。そこでは正門前へ再度手が添えられ、鎧兵士たちが次々に乗り移っていた。程なくして先ほどと同じように、多くの雑兵がやってくるはずだ。時間は余り残されていない。

さらにクロコダインは、内部に侵入してからの厄介さを説く。鬼岩城内部は、決して攻め込まれる事など無いという自信の表れなのかそれほど複雑な造りをしておらず、比較的単純な構造をしている。

だが単純ゆえに身を隠す場所なども存在しないということだ。下手をすれば地上で戦う以上に危険となるかもしれない。

経験者二人の弁に耳を傾け、ラーハルトははやる気持ちを少し落ち着ける。

 

「なるほど。それは少しだけ面倒だな」

「ああ。正直な話、この程度の兵士ならば万の軍勢でも支障は無い。むしろ問題があるとすれば攻め込む方法だろう」

「あの巨体だ。ミストバーンの言葉ではないが、堅さはかなりのものだろう……さて、どうしたものか?」

「攻める方法、一応あるわよ」

 

三者三様に頭を悩ませていたところへ割って入り、チルノは声を掛ける。降って湧いたようなその言葉に、全員が思わず彼女の顔を見つめていた。

 

「なにっ、それは本当かチルノ!?」

「どうするつもりだ?」

「クロコダインとヒュンケルは、鬼岩城に入ったことがあるでしょう? だったら、当然その内部構造もある程度は知っているはず。そんな二人に、改めて聞くわね。あなたたちの知っている鬼岩城に、腕や足に該当する区画(・・・・・・・・・・)はあった?」

 

切羽詰まった様に答えを求めるクロコダインらへ対して、だがチルノは二人へ向けて謎かけめいた言い回しをする。だが彼女が口にした「腕や足に該当する区画」という言葉に、真剣に頭を悩ませ、そのような場所があったのかを思い返す。

 

「むぅ……いや、そんなものは無かったはずだが。ヒュンケルはどうだ?」

「オレも知らんな」

 

やがて出た答えは、どちらも否定である。だがその回答に、チルノはコクリと頷く。彼女が欲していたのはその回答だったのだ。

 

「でしょう? そもそも普通に考えたら、城に手足を付ける必要なんてないはず。だから、あの手足は後付け。移動する際に、周囲の岩石をくっつけて手足として利用しているに過ぎないと思うの。多分、関節部分に何らかの仕掛けがあるはず」

 

それもまた、彼女の知る本来の歴史からの知識であった。

そもそも鬼岩城には、手足など初めから存在していない。城として建造されているのは、言うなれば腰から上の部分――いわゆる上半身と、肩から肘までの部分だけだ。この状態の鬼岩城を遠目から見れば、さながら巨人が大地に埋まっている様に見えるだろう。

 

では腕や足はどこにいったのか? その答えは、鬼岩城の両腰部分と両肘部分。計四カ所に設置された魔法動力球にある。

バーンの鍵を使い鬼岩城の仕掛けを起動させることでこの魔法動力球が作動し、周囲の岩石を引き付けて手足を生成する。魔法動力球は、魔法力を物理的な動力へと増幅変換する装置であり、各種関節部分を構成する重大なパーツなのだ。加えてその魔法力で引き付けた岩石の硬度を補強する役目も持っている。ある意味では、鬼岩城を操作する玉座以上に重要な部分と呼んでも差し支えない。

 

「なんと、そんな方法であの城が?」

「あくまで推測だけどね。でも、可能性は高いと思うの。末端部分なら、城本体よりもずっと柔らかいはず……」

 

驚くラーハルトの言葉に、チルノは少しだけ否定しながらも推測という名の事実を口にしてみせる。だが彼の目には彼女が真実を言っている様にしか見えなかった。

普通の人間ならば鬼岩城の巨体と異様さに圧倒され、こんな推測をする余裕など無いだろう。怯えて逃げるのが関の山か、仮に戦うという闘志を持つ者ならば愚直に攻撃しようとするかのどちらかと言ったところだろう。それをこうもあっさりとやってのけたことに、ラーハルトは己の中のチルノの評価を更に上げる。

 

「なるほど、ならば……不可能ではないかもしれん」

「クロコダイン?」

 

チルノの話をジッと聞いていたクロコダインは、腕を組み頭の中で何かを考えるようにブツブツと小さな声で何やら呟いていた。その様子に思わずヒュンケルが声を掛けるものの、それすら耳に入っていないようであったが、やがてその目を見開いた。

 

「よし! あのデカブツに一泡吹かせられるかもしれん。オレに一つ考えがある。すまんが、少々時間を稼ぎ、ヤツの足を止めてくれるか?」

 

そう言うが早いか、クロコダインは返事を待つこともなく歩き出した。その様子に一番驚かされたのはチルノだ。

 

「あ、足止めって……ちょっ、ええっ!!」

「頼んだぞ!!」

「わぷっ!」

 

だが止めようと口を開こうにもその暇もなく、続くクロコダインの行動にチルノは完全に度肝を抜かれた。なんと彼は、そのまま海へと飛び込んだのだ。巨体が勢いよく沈んだ事で、噴水のかくやといった巨大な水柱が立ち上がり、チルノたちを大量の水しぶきが降り注ぐ。彼女はなんとか身を捻って迫る水滴をかわそうとするが、半数ほど被った。

 

「足止めとは、軽く言ってくれるな」

「だが、腕力はオレたちも知っての通りだ。鬼岩城を破壊するのにクロコダインほど適したヤツもいないが……さて、どうする?」

 

一方、ラーハルトとヒュンケルにも同じ程度の水滴が降り注いでいた筈なのだが、彼らはどうやったのか、その殆どを避けていた。鎧の表面に幾つか涙のように流れる水滴だけが、彼らの技量を持ってしても避けきれなかったということを知らせる。

 

「ねえ、それ……私がやってもいい?」

 

突然鬼岩城を足止めしろと告げられ悩む二人に向けて、チルノは水で張り付いた前髪を指で払いながら口を開く。褐色の肌と水に濡れた髪が不思議なほどよく似合い、このような思わず見惚れてしまいそうな色気を醸し出していた。

 

「それは構わんが……」

「何か手立てがあるのですか? それならば、オレたちも可能な限りお手伝いします」

 

だが相手はヒュンケルとラーハルトである。そのような洒落た様子に気付いた様子もなく彼女の言葉に頷くだけだった。チルノは二人の言葉に同意を得たと判断すると、続いて後ろに並ぶ者達へ向けて大きな声を上げた。

 

「アキームさん! 戦車隊の皆さん!! お願いです、少しの間だけ攻撃を抑えて貰えますか!?」

「誤射の心配か? ならばその気遣いは無用だ。砲撃に当たるほどクロコダインもオレたちもノロマではない」

 

少女の言葉を聞き、ホルキンスとアキームが揃って戦車隊に攻撃を控えるように指示を出した。とはいえ、戦車たちは度重なる砲撃を行ったせいで残弾は殆どない。彼女が口に出さずとも、自然と攻撃は止んでいただろう。

 

「ううん、そうじゃなくて。今から鬼岩城に向けて、かなり大きな魔法を放つから出来るだけ集中させてほしいの。お願いできる?」

「……それを使えれば、鬼岩城を止められるんだな?」

「もちろん、威力は保証するわ。勢い余って破壊するくらいのヤツだから」

 

問いただすようなヒュンケルの言葉にチルノは自信たっぷりに頷いて見せた。少女のその表情に二人の男たちは互いに顔を見合い、そして力強く頷く。

 

「お安いご用です!」

「わかった。鬼岩城の相手はお前たちに任せたぞ!」

 

――ヒュンケルとラーハルト。

共に魔鎧を身に纏った二人の戦士に、その身を守られる。この地上で最も頼りになる護衛だろう。贅沢すぎる待遇にほんの少しの笑みを浮かべると、チルノは魔法を放つべく集中していった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「何を企もうと、全ては徒労に過ぎん……そもそも、この私が指をくわえてみているだけだと思っているのか……?」

 

チルノたちが動いたのを確認してか、ミストバーンもまた動き出した。その言葉を合図としたように、鬼岩城の肩の辺りに位置する窓から無数の影が飛び出していく。その動きは中々に早く、やもすれば一瞬見逃しかねないほどだ。

 

「ホロゴーストどもよ、死を撒き散らせ! ガスト、お前たちは小娘の呪文を封じ込めろ!」

 

現れたのはまるで紫色をした煙の様な怪物(モンスター)と、緑色をした悪魔の影のような怪物(モンスター)だった。そのどちらもが飛行能力を有しているらしく、かなりの高さから空中へと飛び出したものの、我が物顔で空を飛び回っている。

 

「人形の次はハエか、鬱陶しい……チルノ様の邪魔になるな」

「ホロゴーストは死の言葉(ザラキ)の呪文を、ガストは呪文封じ(マホトーン)の呪文を得意とする……どちらもとっとと潰しておくべきだ」

 

ヒュンケルの言葉通り、ホロゴーストの方は空を飛びながらもザラキの呪文をベンガーナ兵たちへ向けて無差別に放ち始める。幸いなことにというべきか、距離が離れているおかげでザラキの呪文の効果もそれほど強力ではないものの、死へと誘う言葉を彼らは死に物狂いで抗い続ける。

どうにか発生源を止めようと無事なベンガーナ兵が苦心するも、相手は空の上。戦車の弾丸も心許なく、そもそも戦車の砲撃はホロゴーストのような小回りの効く小さな敵を相手にするのにはお世辞にも向かない。ホルキンスたちですら、まともな反撃の手段がなかった。

残るガストたちはミストバーンの命に従い、チルノへ向けて急降下を行う。

 

「下は任せろ」

「なら、上の相手は任されたぞ」

 

ヒュンケルの短い言葉を耳にするとラーハルトは天を睨み、高く跳躍した。そして当のヒュンケルは、前方へと駆け出す。

 

「鎧兵士どもよ! 裏切り者を殺せ!」

 

続いて鬼岩城の腕が地面へと到着した。地へと乱暴に下ろされたその巨大な手の中は、先ほどと同じように無数の鎧兵士とデッド・アーマーの姿が見える。だが、それを二度も黙っているほどヒュンケルは甘くはない。既に対処法は頭の中へと思い描いている。

 

「タネがわかれば、貴様のそれも大道芸に過ぎん!!」

 

弓を放つように剣を構えると全身の筋肉を引き絞り、照準代わりの左手を眼前の岩塊へと向ける。

 

「ブラッディースクライド!!」

 

強烈な螺旋を描く剣圧は、そのまま鬼岩城の腕へと突き刺さった。圧縮され、かなりの強度を誇っているはずの岩石だったが、ブラッディースクライドの威力はその堅さを物ともせずに抉っていく。岩石の腕は、まるでただの陶器のように脆く砕けていった。

だが、ラーハルトらと共に鍛え上げたヒュンケルの腕前はこの程度では収まらない。その破壊力は鬼岩城の腕を完全に粉砕しても止まることは無く、さらにはその手中に待機していた鎧兵士たちをも巻き込み、千々に引き裂いていった。

 

「……以前のオレでは、ここまでは出来なかっただろうな」

 

その身震いするほどの破壊力を見て、ヒュンケルは一人呟いた。自らを鍛え直し、闘気技の扱いをより習熟させた必殺剣の一撃は、彼の想像以上の物だったのだ。鬼岩城の腕はまるで大爆発でも受けたかのように削り取られており、手首から先は完全に消失していた。

デッド・アーマーらも直撃を受け、もはやどの部分だったのか確認が困難なほど細切れにになっている。当然、もはや動くことはない。

 

「鬼岩城の腕を破壊しただと……こざかしい真似を!!」

 

バーンからの預かり物でもある鬼岩城を破壊されたことにミストバーンは憤りを覚えるものの、まだ激昂するほどでも無い。チルノの言葉通り、両腕と両足はただの岩石の集合体――幾らでも取り替え可能な消耗品でしかなかった。

壊れたらまた直せば良いだけのことと思いながら、ミストバーンは鬼岩城を操る。

 

 

 

 

空中高く飛び跳ねたラーハルトは、すれ違いざまにガストたちを次々に両断していった。ガストたちは鎧兵士どもとは違いある程度の知識があるのか「ギョエエェェ!」と、さながら呪詛の様な断末魔を上げて絶命していった。

 

「まずは、ひとつ……!」

 

空中という全く足場のない不安定な場所ながら、手にした槍を巧みに振り回してガストを撃退していく。すれ違うと簡単に言うものの、ラーハルトは上昇中でガストは下降中である。すれ違えるタイミングはほんの一瞬しかない。その一瞬で攻撃を行うなど、普通ならばまず不可能だろう。

だがラーハルトはそれをいとも容易くやってのけていた。目に付いたガストどもは片っ端から切り裂き、距離があり直接槍の届かぬ相手には衝撃波を撃ち込んで仕留めていく。

たった一人の戦士によって、ガストの一団は全滅させられる。だが彼にしてみれば、こんなものは前哨戦にも過ぎない。本命は次の相手だった。

 

「クケケケケケッ!!」

 

ガストを倒したことで危険度が跳ね上がったのだろう、全てのホロゴーストたちがラーハルトへと意識を向けると彼を殺すべく呪文を唱えた。

 

「ザキ!」

「ザラキ!!」

 

上から雹のような密度で死の言葉が降り注ぐ。だがラーハルトは無数の死の弾幕を正面から受け止めると、何事も無かったかのようにそのまま突っ切った。無知なホロゴーストたちは自らの放った呪文がまるで効果の無いことに驚くが、あらゆる攻撃呪文をはじき返す鎧の魔槍を身に纏った彼ならばそれも容易い。

とはいえザラキの呪文を完全に無効化することはできず、耳障りな死の言葉にラーハルトは僅かながら顔を顰めていたのだが……逆に言えば、その程度の被害しか与えられなかったということだ。

やがて、跳躍は遂に頂点へと達した。鍛え直したラーハルトの脚力は、鬼岩城の胸元近くまで易々と到達したが、そこまでだった。跳躍の頂点まで達し、ラーハルトの身体は空中で一瞬だけ静止する。

 

「愚か者が……身動き取れぬ空中が貴様の墓場だ!!」

「……むっ!?」

 

狙い定めていた瞬間の到来に、ミストバーンは思わずほくそ笑んだ。ラーハルトがどれだけ素早く動こうとも、空中ではその動きは制限される。ましてや呪文を使っているわけでもないただの跳躍ならばいずれは限界が訪れ、落下のためにその動きは止まる。

ミストバーンはここぞとばかりに鬼岩城を操ると、その頭部をラーハルトへと向けて光線砲を放つ。

これもまた、鬼岩城に仕込まれた攻撃手段の一つであった。両目部分へと魔力を集中させて放つだけの単純な攻撃だ。斜角は制限され攻撃範囲も直線的ではあるものの、だがその威力は集約した極大閃熱呪文(ベギラゴン)並みの破壊力を誇る。身動きできぬ状態のラーハルトでは回避もままならず、直撃すれば鎧を纏っていようともただでは済まないだろう。

 

「舐めるな……はああっ!!」

「なにっ!?」

 

発射の予兆を見たラーハルトは、手にした槍をすぐさま力一杯振り下ろす。空気すら切り裂くほどの振り下ろしは強烈な反動を伴う。ラーハルトはその反動に逆らうことなく身を任せた。

その結果――空中で逆さまの体勢となり、反動の勢いはそれだけでは飽き足らずにラーハルトの肉体をさらに上空へと押し上げ、光線砲から間一髪身を躱すことに成功する。

ミストバーンからすれば、ラーハルトが空中で再度跳躍をしたように見えたことだろう。予測出来ぬ動きに、ホロゴーストたちも動きが止まる。

 

「失せろ!」

 

天地逆となった景色を見ながら、ラーハルトは両手で槍をしっかりと握り直すと、そのまま一閃させた。その速度は振るう槍の影すら見えないほど。常人には、気がつけばラーハルトが槍を振り終えていたとしか分からないだろう。

凄まじいほどの速度で振るわれた槍は驚く程の圧を生み出し、広範囲に放たれる。その勢いは音を置き去りにするほどだった。音の壁を打ち破った一撃は、そのまま衝撃波となってホロゴーストたちへ襲いかかり、そのかりそめの命を食い破っていく。

それだけでは飽き足らず、鬼岩城へと食らいつくとその両目の部分を切断せんほどに深々と食い込んでいた。これではもはや光線砲を放つ事は不可能だろう。

 

「たしか海鳴閃(かいめいせん)だったか……? 人間の技術としては最高峰だろうな」

 

既に体勢を整え直し、重力に従いラーハルトは落下していく。見上げるその先では、ヒュンケルらと共に鍛えた際に覚えた技が、その威力を遺憾なく――いや、発案者たるアバンですら想像もしないほどの破壊力を振るっていた。

 

 

 

 

ヒュンケルとラーハルトの二人が稼いだ時は、戦場全体からすればほんの僅か。だが彼らの戦いのおかげで、チルノにとっては十分過ぎるほどの時間を稼ぐ事が出来た。最後の仕上げとばかりに、少女は目標を見つめる。

 

――相手が鬼岩城だし、このくらいは平気よね?

 

悪戯っぽい笑みを浮かべながら、準備していた魔法を解き放った。

 

「【クェーサー】!」

 

それは彼女が以前使ったコメットの魔法に酷似していた。魔法の力によって天空に隕石が生み出され、鬼岩城へと激突し大打撃を与える。尤も、それだけならばコメットの魔法と違いはない。異なるのはその量だ。

今回生み出されたのは、瞬時には数えきれぬほどの量の隕石だった。その全てが、まるで行儀良く列に並ぶように、鬼岩城へ向けて猛然と襲いかかっていく。

 

「ぐ、ぬおおおっ!?!?」

 

ミストバーンの狼狽する声が鬼岩城から響き渡った。だがそれも当然のことだ。

たった一撃であってもバランの竜闘気(ドラゴニックオーラ)を貫き、手傷を負わせるほどの威力を誇る隕石が、此度はさらなる勢いを誇り、群れとなって激突していく。

鬼岩城が如何に魔界の技術を用いた堅牢さを誇ろうとも、無数の隕石の衝突を想定しているはずもなかった。

絶え間ない衝突によって鬼岩城全体が激しく揺れ、要塞部分の外壁すら次々に砕かれていく。外部に露出していた大砲の部分や、ホロゴーストたちが出撃する穴の部分は他と比べて一段階脆いらしく、見るも無惨な程に潰れていた。

無限にも思える隕石の激突によって鬼岩城の足は完全に止まり、ともすればその勢いに負けて今にも倒れそうだ。

 

「おお……さすがは大きな的ね……狙うのが楽でいいわ」

 

クェーサー――ようやく操れるようになった青魔法であったが、そのあまりの規模と破壊力は、想像を凌駕するほどのものだった。あれほど巨大な鬼岩城ですら、隕石が激突するたびにその身をよろけさせている。遠くから見ていることと相まって、それはどこか非現実的な光景のように感じられる。

同時に、それ以上が存在することを思い出し、思わず身震いする。

それはメテオと呼ばれる魔法――端的に言ってしまえばコメットの上位互換と考えて良い――であり、クェーサーと同じく無数の隕石にて敵を打ち倒すのだが、その威力はおそらく最高峰。クェーサーよりも広範囲かつ高威力を誇るだだろう。もはや個人に向けて放つような代物ではない。

 

――だけど、相手によっては……

 

その破壊力に見合うほどに消費も大きく、慣れぬ魔法を使ったことで強い疲労感を覚えながら、チルノは最悪の場合を想定し、その時が来たら使うことも辞さないことを決意する。

 

 

 

 

海中へと身を潜めたクロコダインは、その尻尾をくねらせながら泳いでいた。

元々彼の種族はワニ男(リザードマン)である。普通の人間よりもよほど水場には長けている。泳ぎも達者であり、呼吸も人間よりもずっと長く止めていられるのだ。

深く潜水し、彼には珍しく音も立てぬようにして鬼岩城へと忍び寄る。その動きは、地上よりもずっと素早く快活にさえ見える。筋骨隆々とした体躯に加えて重い鎧を着込んでいるにも関わらず、そんな影響など微塵も感じさせぬほどだ。

 

やがてクロコダインは、地上の激戦が嘘のようにすんなりと鬼岩城の足下近くまで辿り着いていた。とはいえそれは鍛え上げた怪力と、なによりも強靱な尾の存在あってのこと。それらが無ければ未だ泳ぎの途中か、はたまたこのようなことは考えもしなかっただろう。

 

「(この爆音は……!? いや、今こそ最大の好機!!)」

 

そしてもう一つは、彼の依頼通り鬼岩城が動きを止めていたことだ。もしも動き回っていれば強力な水流が巻き起こり、いかにクロコダインと言えども木の葉のように翻弄されていたことだろう。

突如として上空から響き渡る轟音を耳にした彼は、手近な岩礁へ尾を巻き付けた。

そして、完全に動きを止めた鬼岩城を前にして、彼は右腕の筋肉を肥大化させ、獣王会心撃を放つ。片腕から放たれた闘気流の渦は、海水をも巻き込んで眼前に位置する鬼岩城の左足を削っていく。

 

だが、それだけだ。削り取ってはゆくものの、これでは決定打にはなりえない。それは使い手であるクロコダイン本人が一番分かっていた。

 

――やはり、一つでは不可能か……ならば!!

 

不可能と悟るや否や、クロコダインはすぐさま左腕の筋肉を肥大化させた。右腕にも負けぬほどに力と闘気を蓄え、二つ目の獣王会心撃を放つ。だが、二つ目のそれは一つ目とは明確に異なる点があった。

それは渦の回転方向。一つ目とは逆回転の渦を放つと、二つの渦を激突させるように掌を捻り重ねる。

 

「(獣王激烈掌!!)」

 

さながら二つの闘気流による強烈な圧縮攻撃とでも言えば良いだろうか。重なる竜巻は海中に巨大な渦を巻き起こし、鬼岩城の左足をその半ばから一気に抉り取った。微細な砂粒にまで砕かれていく岩石の奥に、チルノの言葉通り魔法動力球があった。だがその球体すらも獣王激烈掌の渦は飲み込み、砕いていく。

 

前からの圧力に負けぬよう必死で堪えていたところで、片足が突然無くなればどうなるか。そんなものは、わざわざ考えるまでも無い。支えを失った鬼岩城は勢いに押されるまま、背中から倒れる。

 

「なっ!! う、うおおおおおぉぉっ!! 馬鹿なあああぁぁっ!!」

 

ミストバーンの悲鳴がパプニカに響き渡る。それは、思わず同情したくなるほどに悲痛な声だった。だが同情こそすれど、手を差し伸べる者は誰もいない。

鬼岩城の巨体は、海中へと沈む。

 

 

 

 

 

「海波斬!!」

 

ヒュンケルが剣を振るい、技の名の通り波を切断する。

 

「ふんっ!」

 

ラーハルトも同じようにして、沿岸部へと襲いかかる津波を切り裂いた。

鬼岩城は、高さだけでも優に百メートルを超えるほど巨大な移動要塞である。そんな物が海面を叩けば、当然強烈な波が生み出される。

二人はその被害を軽減させるべく、持てる技にて迎撃していた。

 

「【大海嘯(だいかいしょう)】」

 

その作業はチルノも同じだ。

いつぞや使った時には威力も範囲も小さく絞ったものだったが、今回は遠慮する必要もない。陸地へと襲いかかろうとする津波を相殺するようにして魔法の津波を生み出し、その被害を打ち消してみせた。

もしも彼女たちがいなければ、沿岸部分には多少なりとも被害が出ていたことだろう。

 

「すまん! 大丈夫だったか!!」

 

津波が静まった海面からクロコダインが顔を出した。非常に申し訳なさそうな顔をしており、この状況は彼に取っても誤算だったようだ。

 

「クロコダイン! まったく、この位は予期しておけ!」

「そうは言うがな、こちらもなかなか大変だったのだぞ」

「まあまあ……規格外の相手だったし、私達で被害も抑えられたから。このくらいは、ね?」

 

ラーハルトは余計な手間が増えたことに怒りを露わにするものの、チルノの取りなし言葉を耳にすると素直にその矛を引っ込める。

 

「出てこい、ミストバーン。よもやこの程度で死にはすまい?」

 

まるで凪のように静かになった海面へ油断なく視線を這わせながら、ヒュンケルは呟いた。

 

 




(残りの)やりたかったこと
・チルノさんの魔法、何を使おう……? 城相手だから大技の方が良いよね?
・原作ではポップにガスト。でもこっちに飛べるヤツがいない……あ、ラーハルトならいけますね? でも戦力が絶対足らないからホロゴーストも。あと海鳴閃を使わせる。
・クロコダインってワニ男だから、水中戦もある程度出来るよね? じゃあ、それで見せ場を作ろう。と思いついて鬼岩城の片足をぶち壊させました。

そして、鬼岩城について。
本文で書いた通り、手足は後付けなのが公式設定です。魔法で強度アップや圧縮して堅くしてあるでしょうが、元々は岩石です。ならクロコダインの全力で壊せぬ道理はないです。
(ブロックが船を担いで歩くような世界ですから)

次はヒュンケルさんの活躍。ミストバーンとの戦いですね。

……もう勇者いらないな……


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LEVEL:74 戦いの影で

片足を失い、鬼岩城が海中へと崩れ落ちていく。巨体が倒れゆくその姿は、遠く離れた大礼拝堂の諸王たちの目にも当然届いていた。

 

「おおおっ!! なんという光景じゃ!!」

「あの巨人を倒してしまうとはッ!!」

 

ロモス王シナナとベンガーナ王クルテマッカは、その姿を見るやいなや共に歓喜の声を上げる。だがそれも無理はないだろう。その巨体という分かり易すぎる恐怖の象徴として現れ、軍艦を一隻投げ飛ばすほどの暴れっぷりを見せた鬼岩城が、僅か数人の活躍によって倒れたのだ。

人間側からすれば、これほど痛快な見世物もそうそうあることではない。二人はまるで子供のようにテラスから身を乗り出し、奇跡の光景を少しでも近くで目に焼き付けようとしていた。

 

「あはは……王様たちを逃そうと思ってたのだけれど、必要ないみたいね……」

 

当然ながらレオナもその光景を目撃しており、隙を見て諸王らを脱出させようと画策していた彼女であったが、思わずその考えを投げ捨ててしまう。それほどに衝撃的な光景だった。

もはや笑うしかないとは、このことだろう。

 

「ええ、本当に。大したものですね、勇者ダイの仲間たちは……」

 

そしてカール女王フローラもレオナの言葉に首肯する。たった数人であの巨人を倒してしまう――その事実は、どれだけ多くの者たちの心を奮い起こさせるだろうか。

圧倒的とも言える彼らの姿は、フローラの目にもとても頼もしく映る。彼らならば、魔王軍を打ち倒し、大魔王バーンを倒す事も夢物語ではないだろうと考えてしまうほどだ。

 

何よりも、まだあの場には本命たる勇者ダイの姿はない。一行が最も頼りにする勇者がおらずともこれだけの活躍を見せるのであれば、果たして勇者はどれほどの強さを誇るのか。

フローラの心は、白馬の王子を待ち焦がれる幼い少女のように躍っていた。

 

「ですが、避難をさせるという考えは間違ってはいませんよ。常に最悪のことを考えて行動するのは、上に立つ者として当然です」

 

だがそれはそれだ。

彼女は自らも諸手を挙げて喜びたいという気持ちを押し隠し、あくまで毅然とした態度でレオナへと諭す様に言う。

 

「は、はい。そうですよね、申し訳ありません……」

 

レオナがフローラへ強い憧憬の感情を抱いていることは、直接伝えられたわけではないものの、彼女自身もレオナのその態度から気付いていた。だからこそ彼女は、年長者の勤めを果たすかのように自身を律することを心がけていた。

とはいえ、しゅんと気落ちしたような表情を見せるレオナの様子に、フローラは二の句を継げる。

 

「いえいえ、あの活躍を見て浮かれない者はいないでしょう。それにほら、あれに水を差すというのも少々野暮でしょう?」

 

そう言いながら指を差すその先には、各国の代表者たちが和気藹々と語り合う姿があった。

 

「しかし、あの巨人をああも容易く倒してみせるとは……」

「巨人が足を失う前に見せたあの攻撃、あれもおそらくは賢者殿の呪文だろうか? なんとも頼りになるものだ……それだけに、恐ろしい……」

 

世界会議(サミット)の最中、常に暗く沈んだ表情を見せていたリンガイア代表のバウスンも、何時の間にかその瞳に力を取り戻していた。テラン王フォルケンはといえば、チルノが放ったであろう力の正体に興味を見せていた。

 

「確かにチルノたちも活躍しておったようじゃが……ベンガーナ王よ、そなた自慢の戦車部隊も中々の活躍振りを見せていたではないか?」

 

諸王が口々に賞賛の言葉を述べる中にあって、シナナは戦車隊へと目を向ける。確かにチルノたちの奮戦振りと比較しては、目覚ましい活躍をしていたとは言い難いだろう。だが鬼岩城への砲撃を行い続けて行動を抑制し、半数は戦車を降りて鎧兵士たちを倒していた。

 

「いや、あれは……」

 

シナナの言葉に、クルテマッカは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「恥ずかしい話だが、戦車隊があれほどの動きをしたところなど見たことがない……おそらく、ホルキンスの指揮あってのことだろう。賢者殿の考えがなければ、はたしてあれほどの活躍ができたかどうか……いや、下手をすれば早々に敗れていたかもしれん……」

 

自国の部隊の練度は、クルテマッカも当然知っている。鬼岩城を相手に見せた動きは、最初こそ演習などで幾度となく目にしたそれであった。

だがその動きは途中から一変する。

ホルキンスが指揮を引き継いだと思われるその瞬間から、それまで見たことが無いほど活き活きとした連携を見せ始めたのだ。大礼拝堂という高い場所から俯瞰で見ているだけに、その差は痛いほどよく分かってしまう。

それらを理解しているからこそ、素直に喜ぶことなど彼はできなかった。

 

「ベンガーナ王、世界会議(サミット)の時の発言を、少しだけ訂正させていただきます」

 

そんなクルテマッカの姿を見かねたのか、バウスンがおずおずと口を開いた。

 

「戦車だけで戦いに勝利することは難しいかもしれません。ですが戦車は、運用次第ではどの様にでも化ける高い可能性を秘めているようです。もしかしたらと思わせるほどに」

「確かに、バウスン将軍の言うことにワシも賛同させてもらう。ホルキンス殿の指揮があっての活躍だとしても、それだけの兵を鍛えたのは誰じゃ? 他ならぬお主であろう?」

 

仮にホルキンスが戦車隊を率いていたとしても、超竜軍団に勝利するのは難しいだろう。だが、その攻撃力と機動性を上手く活用できれば、ドラゴンたちの猛攻にもなんとか耐えられるのではないかと。バウスンの目にはそのように見えていた。

 

彼の言葉尻に乗るようにして、シナナは更にハッパをかけるべく口を開く。

 

「ホレ、最初の自信はどうしたんじゃ? 自らの鍛えた兵士たちの力があってこそ、ホルキンスもあそこまで活躍できたのだ! そのくらいのことを言わんでどうする? もっとドーンと構えてみせい!」

 

やや挑発的な物言いであったが、その言葉は決して間違いではない。そのことに気付かされ、クルテマッカはようやく顔を上げる。

 

「そうだな……すまぬ、わざわざ気を遣ってもらって……」

 

そしてせっかく上げた顔を再び、今度は諸王たちへ向けて下げる。その様子にシナナたちは思わず笑みを浮かべていた。

 

「確かに、あの楽しそうな語らいを中断させるのは少し気が引けますね……」

「フフ……男性というのは、幾つになってもどこか子供のようなものだそうですよ。ましてや普段はそれぞれが重責ある身です。もう少しくらい、羽目を外させてもいいでしょう」

 

シナナらの様子を一歩離れた場所で見守っていたレオナはそう呟くと、フローラもまた余裕のある笑みを浮かべる。

 

 

 

 

王たちが口々に勝利の言葉を述べ、各人が思い思いに感想を言いあう。誰もが大戦果に酔いしれていた中でただ一人、メルルだけは鬼岩城が倒れた姿を見てもなお、安堵することなく気配を張り詰め続け、周囲に気を配っていた。

その理由は、彼女がチルノから伝えられた「こっちの居場所を探そうと配下の怪物(モンスター)を放っているはず」という言葉である。メルルはその言葉を愚直なまでに信じ、今度こそ少女の期待に応えようとしていた。

 

「……ピィ」

 

いや、そう考えていたのはメルルだけではない。彼女の肩に乗っているスライム――スラリンも同じ気持ちである。スラリンもまた、メルルの力になるべく目を皿のようにしていた。ましてやスラリンはモンスターである。ならば同族の気配には人間のメルルよりも敏感に察知してみせようという意気込みすらあった。

 

一人と一匹が気を張り続け、やがてメルルはある一点を見た瞬間、思わず目を見開いた。

 

「……っ!」

 

彼女の持つ予知能力が警鐘を鳴らしていた。メルルの気付きを肯定するように、スラリンもまた「ピィ」と小さく鳴く。邪悪なる者の存在を察した彼女は、誰にも気付かれぬほどゆっくりと、三賢者たちへと近寄る。

 

「三賢者の皆さん、少しよろしいでしょうか?」

 

そしてアポロたちにのみ届くように、蚊の鳴くような声で話し出した。

 

「反応せず、落ち着いて聞いてください。この付近に怪物(モンスター)が潜んでいます」

「「「!?」」」

 

メルルの言葉に、三人は声を出しそうになるのを必死で我慢していた。事前に彼女からの断りの言葉が無ければ、誰かが叫んでいてもおかしくはなかっただろう。

なにしろこの場所には各国の代表者たちが勢揃いしている。護衛役たる彼らからしてみれば、怪物(モンスター)が潜んでいるとなればそれだけで気が気では無い。鬼岩城が倒れた喜びなど吹っ飛んでしまうほどの衝撃であった。

 

「私がなんとか炙り出してみせます。ですから皆さんは、姿を現した敵の攻撃をお願いします」

「ま、待ちたま……」

 

メルルの言葉を聞き、アポロは反射的に口を開いていた。炙り出すという、それだけでも危険な行動を、戦闘の心得の無い少女にやらせるなど彼の矜持が許さない。ましてやメルルはテラン王に着いてきている立場なのだ。下手に怪我などさせるわけにもいかず、自らがその役目を買って出ようとさえ思っていた。

 

だが彼女の耳にはそんな静止の言葉が届くことはなかった。言ったが早いかチルノから預かったナイフを引き抜き、逆手に構える。

 

「そこです!!」

 

テラスの隅には柱があり、そこから床へと影が生み出されている。だが、その影の一部分だけが不自然に伸びていた。普通ならば見落としかねないほどの小さな違和感。そこへ向けてメルルは勢いよくナイフを突き立てた。

大理石の床にナイフを突き立てれば当然、堅い衝撃が返ってくるはずだが、彼女の手に伝わったのは紙に刃を差し込んだときのような感触だった。

 

「ムウウゥッ!! まさかこうも早く見つかるとは!! だが、見つけたぞ!!」

 

ナイフの突き立てられた位置から、怪物(モンスター)が姿を現した。姿形は鬼岩城から現れたホロゴーストによく似ているものの、体色は青い。加えてホロゴーストたちよりも知能が高いのだろう、流暢な言葉を操っている。

 

「うおおっ!? な、なんじゃこいつは!?!?」

 

突如現れた敵の姿に、諸王たちは驚きを隠せなかった。

この怪物(モンスター)は名をシャドーと言い、ミストバーンの分身体でもある。世界会議(サミット)の会場を見つけ出し、参加した代表者たちを亡き者とする命を受けて暗躍していたところであった。

本来の歴史ではシャドーはクルテマッカの影に人知れず取り付き暗殺の機会を窺っていたものの、メルルが気付いたことでそれは失敗に終わる。その後、ミストバーンへと王たちの位置を知らせると鬼岩城を操り大礼拝堂へ攻撃を仕掛けるという八面六臂の活躍を見せていたのだが――

 

「メラミ!」

「ギラ!」

「グワアアアァァッ!」

 

メルルの事前の忠告が功を奏し、アポロとマリンはシャドー目掛けて即座に呪文を放った。火球と閃熱がシャドーへと襲いかかり、その身を熱で焼き焦がした。青い色をした怪物(モンスター)の肉体が熱と炎によって赤く染まり、たまらず苦悶の声を上げる。

 

「ヒャダルコ!」

 

二人に一拍遅れて、エイミが氷系呪文を唱えた。吹雪が襲いかかり、熱と炎で焼かれたシャドーを急激に冷やしていく。極低温によってさらなるダメージを受けるシャドーであったが、彼女の狙いは攻撃ではない。

 

「ぬおっ!? う、動けん……!?!?」

 

雪と氷と低温の直撃を受け、シャドーは大礼拝堂の壁へとその身を貼り付けられていた。その結果に、三賢者たちは思わず安堵する。アポロたちの攻撃に遅れてエイミが呪文を唱えたのは、彼女が未熟だからではない。

初手の二人の攻撃は避けられるのも仕方なし、当たればそれはそれでよし。というけん制だった。エイミの攻撃こそ本命――攻撃を避けた所へ向けて、呪文を放つ。加えて冷気で動きを止めるというおまけつきだ。

シャドーはその連携に見事なまでにハマっていた。どうにか抜け出そうと足掻くものの、それを黙って許すほど甘くはない。

 

「まさか、こんな敵が隠れ潜んでいたなんて……」

「あ……ああっ!!」

 

身動きの取れなくなった敵の姿を見ながら、フローラは右手を掲げ掌をシャドーへと向けた。彼女の集中に呼応するようにして魔法力が集まり、それを見たシャドーは思わず恐怖の悲鳴を上げる。

 

「バギマ!」

 

だがそれを聞いたフローラが手を止めるようなことはなかった。彼女は真空呪文を放つと無数のかまいたちを生み出し、シャドーの身体を削り取っていく。

 

「ミ、ミストバーンさまああぁぁっ……!!」

 

真空の刃にその身を苛まれ、シャドーは自らの主の名を叫びながら絶命する。実体を持たぬ生命体故に、まるで煙がかき消えるように消滅していた。

 

「あ、ありがとうございます。フローラ様、それとメルルも……」

「いえ……まだです!」

 

憧憬を抱くフローラの攻撃的な面を初めて目にしたのだろう、レオナは珍しく借りてきた猫のような大人しい態度を見せながら二人に向けて礼を述べる。けれどもメルルはその言葉を聞きながら首を横に振る。

 

「まだあの海の中に、恐ろしい気配を感じます……上手く隠しているものの、底知れない邪悪な力が……!!」

 

テラスから先、鬼岩城の沈んだ辺りへ向けてメルルは指を差す。その表情は焦りと恐怖に満ちており、この場にいた誰もがただならぬその様子に思わず息を呑む。

 

「……避難を、急いだ方が良いかも知れませんね」

 

占い師の少女の言葉を聞き、フローラとレオナは互いに頷きあった。

 

 




本当ならこの後、ヒュンケル対ミストバーンなシーンもある予定だったのですが……

先日、ダイ大の旧アニメ全部収録ブルーレイが届きまして……私の興味が完全にそっちへ行ってしまいました。
(こ、更新しないよりはマシだから……(言い訳))

表面に勇者側・裏面に魔王軍側が描かれたボックスやら、ゴメちゃんラバーストラップやら、こんなのズルすぎます。見るに決まってるじゃないですか。
そしてブルーレイディスク6枚組、約1200分という暴力……


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LEVEL:75 過去への決別

鬼岩城が海中にその身を没してなお、ヒュンケルは油断することなく海面へと鋭い視線を投げ続けていた。

水面は巨大な物体が落水したことによる衝撃と、チルノが放った大波を生み出す魔法との衝突によって、目まぐるしいほどの賑わいを見せていた。流れと流れがぶつかり合い、熟達した船乗りであっても読み切れないのではないかと思うほど不規則な海流が発生している。仮に何かが起こるとしても、人の目ではとてもその兆候を捉えられそうにない。

 

「……来る!」

 

だがそんな海面を見続けていたヒュンケルは、やがて強い口調でそう呟いた。その言葉が一向に聞こえると同時、まるで竜巻が巻き起こったかのように海面が湧き上がる。巨大な水柱が立ち上がり、それを切り裂くようにしてミストバーンが姿を現した。

 

「貴様ら……!!」

 

海中に沈んでいたはずのミストバーンであったが、どうしたことかその姿には水滴の一つすら見受けられなかった。そんな異質な姿を晒しながら、ミストバーンは怒りに燃える瞳でヒュンケルらを睨む。

 

「バーン様の鬼岩城を、よくも……!! このような失態を、この私に……!!」

「鬼岩城は足の一本を失っただけ、完全に破壊されてはいないはずでしょう? 海中から引き上げれば、まだ使えるんじゃないの?」

「チルノっ!?」

 

まるで激怒して暴れそうになるのを必死で抑えているような雰囲気をミストバーンは見せていた。そんな相手に対して更に挑発とも取れる言葉をチルノは投げつける。クロコダインでなくとも声を上げるのは当然だろう。

 

「確かに貴様の言う通りだ。だが、完全に破壊されていないからと言ってそれがどうした? 足の一本を失い、鬼岩城を海中へと沈めた……!! それだけで十分、貴様らは万死に値する!!」

 

――これは、有利? それとも……不利??

 

ミストバーンの反応を見ながら、チルノは頭の中で考える。

本来の歴史において、鬼岩城はオリハルコンの剣を手にしたダイによって縦一文字に両断された。全ての機能を失いただの瓦礫の山へと悲しい変貌を遂げることとなり、それを見たミストバーンは激昂し、主の許可なく真の姿を見せて全員を皆殺しにしようとまでしていた。

 

対してこの世界では、片足を失い海中に没したとはいえ、鬼岩城そのものはまだ原型を留めている。隕石の衝突と着水の破壊力でかなりの大打撃を負っているだろうが、完全崩壊とまでは行かないだろう。

バーンの超魔力と魔界の技術があれば――それ相応の手間と時間が掛かるだろうが――復旧させることも、再び立ち上がらせる事も可能なはずだ。

 

「我が暗黒の力によって、貴様らに地獄以上の苦しみを味わわせ殺してやろう!! バーン様へのせめてもの償いだッ!!」

 

――まだ奥の手は使わない、か……

 

完全破壊とまでは行かず、だが復活させるにはとてつもない手間が掛かるといった案配。そんな絶妙なバランスが、ミストバーンを逆上こそさせているものの、真の姿(・・・)を見せることを僅かに躊躇わせている。

チルノはそのように感じていた。

 

「ミストバーンだったか? 安心しろ、すぐにそんな悩みからは解放されるさ。お前はここで倒されるのだからな」

「ラーハルト!?」

「わかっているとも。そら、ヒュンケル。お膳立てはしてやったぞ?」

 

敵の言葉を聞き、からかうような口ぶりを見せながらラーハルトはヒュンケルの肩を言葉で押す。味方からの乱暴なエールとも敵への挑発とも取れるその言葉を受け、ヒュンケルは苦笑を浮かべていた。

 

「まったく、勝手なことを……何よりも、同じことを考えていたことに腹が立つ」

 

相手を確実に倒せるという確固たる自信を持っているためだろうか。ヒュンケルもまた、ラーハルトが口にしたように「ミストバーンはここで倒されるため、悩む必要はなくなる」ということを考えていたのだ。

とはいえそれを口にすることはなく、未だ空中に佇む敵を睨む。

 

 

 

 

 

「あれが、魔影軍団を率いていた敵の軍団長の姿か……ミストバーン……」

 

いつの間にか、ホルキンスとアキームの二人がクロコダインたちのすぐ後ろへと寄ってきていた。両者ともに剣を手にし、油断の無い体勢を取っている。

ホルキンスはかつて祖国を侵略しようとしていた敵の姿を忌々しげに見つめており、アキームはまだ鬼岩城の恐怖が残っているのであろう若干の怯えはあるものの、使命感からそれを押し殺すことに成功していた。他のベンガーナ兵たちは、二人よりも離れた場所から遠巻きに見ていることがその証拠だろう。

 

「一つ聞きたい。戦うのならばあの剣士だけでなく、この場の全員で攻めるべきではないのか? 何故一人だけに任せるのだ?」

 

当然と言えば当然の疑問を、ホルキンスは口にする。その疑問の言葉に、クロコダインは重々しく口を開いた。

 

「すまんな。だが、許してやってくれ。これはアイツのワガママでもあるのだ」

「ワガママ……?」

「ああ、そうだ。ホルキンス殿だったな? そなたはオレたちの事情は聞いていると言っていた。ならば、ヒュンケルの事情も当然知っているだろう?」

 

返事の代わりにホルキンスは一つ大きく頷く。とはいえ知っているのはホルキンスだけであり、その隣のアキームは知らないはずだ。それを理解しているため、クロコダインは多少言いにくそうになりながらも二の句を継いだ。

 

「……やつは……ミストバーンは、ヒュンケルがまだ魔王軍にいたころに暗黒の闘法を教えていた男……アバン殿を光の師とするならば、ミストバーンは闇の師。いわばこれは闇の師弟同士の戦い……ヒュンケルによっては悪しき過去への清算なのだ」

「なっ……!!」

 

そう驚いたのはクロコダインの予想通り、アキームであった。かつて魔王軍に所属していたという事実を耳にしたことで反射的に身体を硬直させ、剣を持つ手に力が強く掛かる。

だがそれまでだった。

ヒュンケルたちの戦いを見て味方だと理解していたおかげか、アキームはそれ以上動くことはなかった。少なくともこの場ですぐにどうにかするという考えは持っていないようだ。

 

たったそれだけのことでも、クロコダインは感謝の念を抱かずにはいられなかった。

 

「ここへ向かう途中、ヒュンケルから直接オレたちに断りを入れられたよ。ミストバーンだけは自分の手で倒させてほしい、とな。事前に事情を聞かされていたこともあって、オレたちはそれに頷いた」

 

そこまで口にすると、ホルキンスたちへ向けて軽く頭を下げる。

 

「無理矢理に巻き込んでしまったのは、すまん」

「いや、自身の手で因縁にケリを付けたいという気持ちはオレにもわかる。そういうことならば仕方ないだろう……」

 

深い事情を知りつつも、だが同じ武人として気持ちが理解できるのだろう、ホルキンスのヒュンケルを見る目は、気持ちを慮ったそれに変化していた。

 

「……なるほど、そんなことがあったのね」

「ええ。だからこそアイツに本命を譲り、オレたちは鬼岩城というザコの相手をしていたというわけです。その証拠に、ヒュンケルは力を温存するためか随分と控えめな戦いをしていたでしょう?」

 

本来の歴史から、ヒュンケルの因縁については知っているものの、彼らが戦場に来るまでに何があったのかまでは知らない。思わず呟いたチルノの言葉にラーハルトは反応して、クロコダインの説明を補足するように口を開く。

 

「控えめ……? あれが……?」

 

剣一本で敵の拳を破壊するほどの活躍を見せておきながら、それのどこが控えめなのだろうか? アキームの呟きは誰に届くこともなく風に溶けていった。

 

 

 

 

 

「まずは貴様から死にに来たか!」

「ああ、そうだ。だが、死ぬのはお前だけだ! ミストバーン!!」

 

そう言うが早いか、ヒュンケルは手にした剣を最速で振るった。

 

「海波斬!!」

 

距離が離れているため、直接攻撃を仕掛けることはできない。そのため海波斬を放ち、剣圧で相手へと攻撃を仕掛ける。

 

「フッ……」

「むっ!?」

 

修行によって鍛え上げられたヒュンケルの海波斬は、かつてのそれよりも遥かに速い一撃となっていた。だがミストバーンは、その攻撃を鼻で笑うとまるで霧のように姿を消した。

不意に姿が見えなくなったことでヒュンケルは僅かに動揺するものの、だがそれも一瞬だけのことだ。

 

「そこだっ!」

 

力強く剣を振るう。その先には、消えていたはずのミストバーンの姿があった。まるで瞬間移動をしたかのような不可解な移動であったが、闘気を探知することによって敵の位置を予測し、ヒュンケルは敵の回避行動を反撃の手段へと転じさせていた。

魔王軍にいた頃よりも数段鋭さを増した剣閃を、それでもミストバーンはゆらゆらとした亡霊のような動きで避けていく。

 

やがて幾度目かの攻撃を避けきったところで、ミストバーンは大きく跳躍してヒュンケルから距離を取った。

 

「逃がすかっ!!」

 

当然、ヒュンケルは追撃するべく襲いかかる。だがミストバーンは既にヒュンケルのことなど眼中になかった。

 

「さて、この辺りならば良いだろう……」

「!!」

 

位置関係は、ミストバーンを起点として前方にヒュンケルが、後方にチルノら一行が存在している。その配置と、瞬時にして足下に張り巡らされた蜘蛛の巣のような線に気付いたチルノは反射的に動こうとしたが、一歩遅かった。

 

「闘魔滅砕陣!!」

 

ミストバーンが右手を強く握り締めた。瞬間、それを合図としたかのように全員に激痛が走った。

 

「ぐうううぅぅっ!! な、なんだこれは!?」

「ぎゃああああっっ!! か、身体が!!」

 

予期せぬ痛みを受けて真っ先に悲鳴を上げたのは、ホルキンスとアキームの二人だった。彼らはチルノたちの近くまで寄っていたため、滅砕陣の効果範囲へと入っていたことが災いしていた。

握りしめられた右手の存在を体現するかの如く、全身そのものをひねり潰されるような苦痛に苛まされる。

 

「これは、ヒュンケルの暗黒闘気と同じ……!?」

「闘魔傀儡掌を、広範囲に放ったか!! だが、範囲を広げていながらこの威力とは!!」

 

一方、クロコダインとヒュンケルの二人は同じ痛みを味わいながらも、冷静に技の正体を看破していた。

ヒュンケルの推測通り、蜘蛛の巣状に張り巡らされていた物の正体は、ミストバーンの放った暗黒闘気の糸だった。

そもそも闘魔傀儡掌とは、糸のような暗黒闘気を放つことによって相手の動きを封じる技だ。となればその糸を操ることにより練達していれば、このように陣を張り巡らせて一度に何人もの相手を封じ込めることも可能となる。そのまま力を込め続ければ相手の肉体を引き裂くことすら容易だ。

 

「……ッ!!」

 

そしてチルノは、技の正体を知っていながら対応が遅れたミスを悔いていた。仲間たちの苦痛の声を耳にしながら、自分もその痛みに耐えるべく全身を硬直させる。

 

「……あれ?」

 

当然、自分にも襲いかかると思っていた激痛であったが、意外なことに何も襲ってくることはなかった。肩すかしを食らったように驚き、辺りを確認するため恐る恐る目を開ける。

 

「大丈夫ですか?」

 

そこには少女を覗き込むラーハルトの顔があった。予想外の相手からの行動に、チルノは思わず呆然とする。

 

「ラーハルト……助けてくれたの?」

「ええ。怪しげな気配がしたので、勝手ながら場所を移させていただきました」

 

続いて、自分が彼に横抱き――いわゆるお姫様抱っこ――されていることに気付き、彼女は思わず顔を赤らめるものの、助けてもらったことは事実である。暴れる様な真似はせず、ただされるがままに待っていると、やがてラーハルトは、まさに姫への扱いのような丁重な動作でチルノを下ろした。

 

「チィッ、運良く逃げた羽虫が二匹いたか……まあいい、貴様らはそこで見ていろ! すぐに後を追わせてやる!!」

 

滅砕陣の効果範囲外へと退避した二人を猛禽類を思わせるほどの目で睨み付けるものの、だがミストバーンはそれ以上何かを行おうとする様子は無い。むしろ注意すべきは陣の内側ではなく外側だった。

 

「隊長ッ!!」

 

遠巻きに見ていたはずのベンガーナ兵たち。その中の半数以上が、苦痛の悲鳴を上げるアキームを救出すべくがむしゃらに駆けだしていた。

 

「今すぐお助けします!!」

「や、やめろ! 来るなお前たち!!」

 

アキームは滅砕陣の激痛に苦しめられながらも、喉から声を絞り出して部下たちへ離れるように叫ぶ。だがそれは遅すぎた。

 

「がああああっ!!」

 

滅砕陣に触れた途端、暗黒闘気の糸は瞬く間に兵士たちへと絡みつき全身を苛む。不可視の糸に身体中を締め付けられる痛みを味わい、彼らはアキームらと同じように絶叫する。

 

「アキーム殿……良い部下をお持ちだ……ぐううぅっ!!」

「ええ、命令に背き、自分の身を省みることもしない、自慢の部下……ぐああぁぁっ!!」

 

上官の命令に背くことは、軍人としては失格だろう。だが、苦痛に塗れた声を聞いてなお自らの動きを止められるほど、彼らは人の心を殺してはいなかった。

痛みで饒舌に喋る事も苦しい中にあってなお、ホルキンスとアキームはそう言い合う。自身らの肉体が動けば、すぐにでも部下たちの行動を評価してやりたいとすら願うほどだ。

 

一方、激痛に顔を歪ませる兵士たちの様子を見ながら、ミストバーンはほんの少しだけ溜飲が下がったような様子を見せていた。

 

「フッフッフ……文字通り、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のようなもの。どれだけ足掻こうとも、もはや脱出は不可能よ。とはいえ貴様ら人間では蝶のような美しさは期待できないが……」

「ぎゃあああああ!! 腕が!! オレの腕があああ!!」

「身体が……!! 身体がねじ切れる!!」

「お前たち!!」

 

断末魔の悲鳴かと思わせるほどの絶叫が響き渡り、それを耳にしたアキームは痛みを堪えながら気遣うように声を上げる。

 

「良い叫び声だ。だが足りん! もっとだ! もっと恐怖と苦痛の叫びを上げろ!! 自らの無力感を噛み締めるのだ!! 絶望の悲鳴を響かせてみせろ!!」

 

彼らの声を聞きながら、ミストバーンは愉悦の声を上げていた。

 

「貴様ら人間の負の感情を贄として、我が暗黒闘気は強化される!! 沈んだ鬼岩城を引き上げる程の絶望を私に届けてみせろ!! 血肉は漆喰として、外壁をより強固にしてみせよう!! そうでもしなければ、面目が立たぬわッ!!」

 

暗黒闘気にそのような効果があるなど聞いたこともないが、決して夢物語ではないと思わせるほど真に迫っていた。ミストバーン本人が口にしていたように、苦痛と絶望を味わわせることで己の暗黒闘気をより強化し、海中より鬼岩城を引き上げることすら可能であると本気で信じているのかもしれない。

 

「ミストバーン……オレとの勝負はどうした? まさか……臆したか?」

 

滅砕陣に動きを封じられ、痛みに耐えながらもヒュンケルは叫ぶ。だがミストバーンはその言葉を意にも介さない。

 

「お前の相手をすると言った覚えはない」

「なん、だと……っ!!」

「貴様らに地獄以上の苦しみを味わわせる! 私はそう言ったのだ!! 貴様一人にかまってなどおれぬ!!」

「……なるほど。オレのことなど眼中に無いということか? だが無理矢理にでもこちらを向いてもらうぞ」

 

 

 

 

 

「みんな!」

 

遠くから聞こえる苦痛の言葉にチルノは背筋を震わせながらも、なんとかして闘魔滅砕陣を破壊出来ぬ物かと手段を考えていた。だが彼女の肩にラーハルトの手が優しく置かれる。

 

「大丈夫です」

「え……?」

 

肩を手で掴まれる。とはいえ力など微塵も入っておらず、むしろチルノのことを安心させようと気遣う優しい手だった。どこか心地良いその感触に少女は考えることを止めてラーハルトの顔を見やる。

 

「アイツもこの数日間、遊んでいたわけではありません……いや、忌々しいがオレたちの中で最もレベルアップしたのがヒュンケルでしょう」

 

そう口にする表情は、全面的な信頼ではないがヒュンケルのことを認めてやってもよい、と言外に語っていた。実力では下だったはずの相手が怒濤の追い上げを見せて、自分とは異なる強さを何時の間にか手に入れていた。

素直に認めたくはないが、認めざるを得ないほど成長している。とでも言えばいいのだろうか。

ヒュンケル本人を前にすればラーハルトは決して口にしないだろうが、聞いているのがチルノだけのためか、彼はどこか素直な様子を見せていた。

 

「――ほら、見てください」

 

そう言って遠く離れたヒュンケルを指さす。その先では――

 

「オオッッ!!」

 

雄叫びを上げながらヒュンケルが輝きを放っていた。バリバリという何かを引き剥がすような音が響き、その音が鳴るたびにヒュンケルは身体の自由を取り戻していく。

光の正体は彼が自身の体内から生み出した光の闘気だった。内側から放たれる強烈な光の闘気が身体に絡みついた暗黒闘気を弾き飛ばしているのだ。鳴り止まぬ音の正体は、暗黒闘気が食い破られていくそれだ。

 

「なにっ!?」

 

瞬く間に滅砕陣を無力化していくヒュンケルの姿にミストバーンは驚愕の声を上げた。

膨大な暗黒闘気を込めて生み出した闘魔滅砕陣をこのように打ち破るためには、同量以上の光の闘気が必要となる。それはすなわち、ヒュンケルの光の闘気がミストバーンの暗黒闘気を超えていることの間接的な証明だった。

 

「そこだっ!!」

 

続けて、滅砕陣の中心部へ向けて光の闘気を放った。文字通り光速と見間違うほどの速度で放たれたそれは蜘蛛の巣状に張り巡らされていた暗黒闘気へ立ち所に襲いかかり、瞬く間に滅砕陣を破壊する。

 

「お、おお……?」

「身体が……動く……?」

 

一瞬前まで全身を絶え間なく襲っていた激痛が突如として消え去り、兵士たちは思わず面食らう。まだ自体が飲み込みきれぬ彼らに向かい、ヒュンケルは頭を下げた。

 

「まさかこんな技があったとは……面を喰らい、行動が遅れた。これはオレの落ち度だ、すまん」

 

一方的にそう口にすると、だが相手からの返事を待つこともなく剣を構える。

 

「もう一度、この言葉を言わせてもらおう……死ぬのはお前だけだ! ミストバーン!!」

 

そして、力強い宣言と共にヒュンケルはミストバーンへと斬りかかった。

 

「ぬかせっ!!」

 

だがミストバーンもすぐさま動き出した。襲いかかるヒュンケルを迎え撃つように左手を向けると、そのまま撃ち出す。

それはビュートデストリンガーと呼ばれるミストバーンの技の一つだ。魔力で自在に伸縮させることのできる鋼鉄の爪を操り、相手を打ち貫くことができる。その速度はかなりのものであると同時に、最も厄介なのは視認の難しさだろう。

指先から一直線に高速で伸び来る一撃は、相手から見ればさながら点が迫ってくるような錯覚を覚える。ましてや初見ともなれば、反応出来ずにそのまま刺殺されたとしてもおかしくはないだろう。だが――

 

「遅いっ!」

 

数日間の間、ラーハルトが放つ神速の槍を相手に修行を積み重ねてきたヒュンケルからすれば、ミストバーンの攻撃など止まって見えるも同然だった。顔面へ向けて襲いかかる鋼鉄の指を、ヒュンケルは十分すぎるほど余力を残して切断してみせると、返す刀でそのままミストバーンへと闘気の一撃を放つ。

 

「チィッ!」

 

ビュートデストリンガーを完全に見切られたことに軽い驚きを覚えつつも、ミストバーンもヒュンケルの攻撃を躱して見せた。だがその程度の攻撃が命中するとはヒュンケル本人も思っていなかったのだろう。瞬く間に間合いを詰めると、本命はこれだとばかりに力強く剣を振り下ろした。

 

「くっ!!」

 

その剣速もさることながら、ミストバーンにとって最も恐ろしいのは光の闘気である。暗黒闘気を操るミストバーンからすれば、空の技――すなわち光の闘気――を操るヒュンケルの剣は天敵とすら言える。迂闊に攻撃を受ければ、それだけで戦闘不能ともなりかねない。

やや大ぶりに見えるヒュンケルの攻撃を回避すると、温存していた右の掌を向ける。

 

「馬鹿めがッ!」

 

一瞬の隙を窺い、闘魔傀儡掌を放った。

それも通常のものとは込められた暗黒闘気の桁が違う。通常に使う傀儡掌が糸ならば、この一撃は縄か鎖といったところか。一瞥しただけで否応なく強烈と理解でき、人間一人に向けるには過剰が過ぎる。掠めただけで人体など瞬く間に肉片へと化してしまいそうだ。

 

「そうだ、それを待っていた」

 

だがそれを視認して、ヒュンケルは薄く笑う。

 

「はああぁッ!!」

 

そして魔剣に光の闘気を込め、自らへと襲いかかる暗黒の糸へ向けて微塵の躊躇いもなく斬りつけた。闘魔傀儡掌と刀身とがぶつかり合う。それはすなわち、光と闇の闘気の激突だった。滅砕陣を打ちやぶったと同量――いや、それ以上の轟音を打ち鳴らし、だが拮抗状態だったのはほんの一瞬だった。

 

「なにッ!?」

 

ミストバーンが驚きの声を上げる。

あれほどまでに強化したはずの傀儡糸が、ヒュンケルの剣によりあっさりと切断されたのだ。驚きもしよう。

一方、ヒュンケルはこの結果を冷めた瞳で見つめ、やがてぽつりと呟いた。

 

「願いが叶ったか……」

「……どういう意味だ?」

 

その言葉はあまりに唐突であり、ヒュンケル以外の誰にも真意が読み取れない。戦闘相手たるミストバーンは勿論、ラーハルトら修行相手も、本来の歴史を知るチルノであっても同じことだ。

 

「なに……お前を倒す前に、是非ともこの技を正面から打ち破りたかった……ただそれだけのことだ」

 

疑問符を浮かべる面々へ説明するように、ヒュンケルはゆっくりと口を開いた。

 

「忘れたかミストバーン? かつてお前に師事し、暗黒闘気の使い方をオレは習った。特に闘魔傀儡掌の扱いは、本家のお前をして"及ばない"と認めたことを?」

「…………?」

「貴様の闘魔傀儡掌を、かつて魔剣士と呼ばれていた頃のオレの傀儡掌と重ねたのさ。そして、それを光の闘気によって正面から打ち破ることで、過去への決別の証とした。ただそれだけのことだ……」

「貴様ッ!!」

 

何事も無い、ただただ当然のことをしただけのような口ぶりだった。

魔王軍時代の――まだ真実を知らず、人間全てを憎み冥府魔道を歩み続けていた頃の自分を、光の力によって超えることで過去への決別を、同時に師アバンへの顔向けとしていたのだ。丁度良いことに、かつてのヒュンケルをして完璧と言わしめた暗黒闘気の技量を持つ者も近くにいたのだから。

だがそれを聞いたミストバーンは目に見えて怒気を放つ。

 

「わざと隙を見せ、私に闘魔傀儡掌を撃たせたのか……!! この私を相手にして、そのような舐めた真似をッ!!」

 

それはつまり、ヒュンケルの踏み台にされたということだ。そんなことを聞かされれば、ミストバーンといえども冷静でいられようはずもない。まるで内から湧き上がる憎悪を凝縮させたかのように、右手へ暗黒闘気を集約していく。

 

「まあ、そう怒るな。弟子というのは、師を超えねばならんのだろう? ならば弟子の成長を喜んだらどうだ?」

「言わせておけば減らず口をッ!!」

「……尤も、貴様から見ればオレは不肖の弟子だろうがな!」

 

そう鼻で笑うヒュンケルの態度を見て、ミストバーンは切り札と化した右手を撃ち込むべく襲いかかる。だが遮二無二迫り来るその姿は冷静さを欠きすぎており、ヒュンケルの目には格好の的にしか見えなかった。

 

「アバン流刀殺法! 空裂斬!!」

「があああぁぁっ!!」

 

回避を忘れた迂闊すぎる攻撃を仕掛けた結果、空裂斬の直撃を受ける。内在する強大な暗黒闘気を吹き飛ばすほど膨大な光の闘気を真正面から喰らい、ミストバーンは勢いよく吹き飛ばされた。

 

「これで、少しは胸を張ってこの技の名を口にすることができるか」

 

かつて師であった相手が力なく吹き飛ぶ姿を見ながら、ヒュンケルは感慨深くそう呟いていた。ミストバーンを一撃で戦闘不能にするほどの光の闘気を操れるのであれば、誰に恥じること無く空の技を極めたと呼んで差し支えないだろう。

そしてそれは、ヒュンケルが過去の因縁を断ち切り完全な光の戦士へと生まれ変わった証明でもある。

それはとても喜ばしいことだが、そうそういつまでも感傷に浸る暇などなかった。戦いはまだ決着がついていない。

 

「が……お、おのれ……」

 

吹き飛ばされたミストバーンであったが、まだ絶命することはなかった。地に倒れ、うつ伏せとなりながらも、よろよろと腕を伸ばし必死で身を起こそうとする。その必死さ故にか、彼自身も気付くことはなかった。

空裂斬の強烈な一撃にミストバーンの纏う衣は耐えきれず、ボロボロとなっていた。全身のあちこちから出血の代わりとでも言うように暗黒闘気が漏れ出ているほどの大怪我。

だが最もダメージが大きいのは顔周りだ。大きく削られたその下には、本来ならば一寸先も見えぬほどの闇が立ちこめていたのだろうその下から、まだ年若く見える端正な顔立ちの男の顔が覗いていた。

 

「ミストバーン……貴様、その顔は一体!?」

 

その事実に真っ先に気付いたのは、ヒュンケルであった。トドメを刺そうとしていた手を止め、思わず立ちすくむ。

 

「顔……顔だとッ!?」

 

その言葉を耳にして、ミストバーンは慌てて両手で顔を覆った。支えを失ったことで起こしかけていた上半身が再び地面へと落ちるが、そんなことすら些事と思えるほどの必死さだった。

 

「ぐぐぐ……見たなッ!! 貴様ら……!!」

「その慌てぶり、どうやらお前には何か重大な秘密があるようだな!!」

 

異常な様子から何かを悟ったヒュンケルは、再度光の闘気による攻撃を敢行する。それを迎え撃とうとミストバーンは必死で身体を操る。

 

――もはやなりふり構ってはおれぬ!!

 

だが光の闘気による一撃は想像以上に深刻だった。少しでも気を抜けば動くどころか意識が飛びそうなほどだ。震える指先で自らの衣を掴み、正体を白日の下に晒そうとする。その時、ヒュンケルの眼前に一枚のトランプがひらりと舞い降ると、鎧に張り付いた。

 

「があああっ!!??」

 

途端、全身が炎で包まれる。

雷撃呪文以外の全てを跳ね返すと謳われる鎧に身を包んでいるにも関わらず、何故かその防御力の恩恵を受けることが出来なかった。全身に浴びせられた高熱の痛みにヒュンケルは思わず進撃を止めた。想定外の事態にミストバーンも――いや、一人の少女を除いたその場の全ての人間が動きを止める。

 

「はい、そこまで」

 

炎が燃え盛ったのは一秒にも満たない時間だった。だが鎧の隙間からは薄く煙が立ち上り、それが幻覚などではないことを教える。

やがて炎が静まったその後には、黒い仮面を付けた道化師のような男が何時の間にかミストバーンの隣に現れていた。

 

「貴様は死神キルバーン!! なぜここに!?」

「なにっ! ……こいつが!?」

 

ベンガーナにて一度顔を会わせた経験から、クロコダインはその男の名を叫んでいた。同時に、その名を聞いたことでヒュンケルもまた驚きの顔を見せる。彼もまたその存在程度は知っていた。

 

「い~けないんだ、いけないんだ~! バーン様におこられるぅ~!!」

「ミスト、キミとしたことが随分とやられたねぇ……でもその姿は、バーン様のお許しがなければ、いついかなる場合においても使っちゃいけないんじゃなかったのかい?」

 

だがキルバーンはクロコダインに目を向けることもなく、倒れ伏せているミストバーンへと目を向けていた。彼の肩に乗る使い魔ピロロは囃し立てるような口調を見せ、それが逆にミストバーンの責任感を煽る。

 

「……! そ、それはそうだが……」

「逆の立場だったらボクもそうしたかもね。でも生憎とそうじゃない。なら、キミを止めなきゃならない」

「だが奴らは!!」

 

なおも食い下がろうとするミストバーンであったが、キルバーンはそれを聞きながらレオナたちのいる大礼拝堂の方角を一瞬だけ見た。

 

「落ち着きなよ。ボヤボヤしていると勇者たちが戻ってくるよ。それも、彼らの言う地上最強の剣をひっさげてさ」

「……ッ!! そ、そうか……」

「そうそう。人数が増えれば、万が一ということもある。なら、ここは引いた方が良いじゃ無いの? キミの分身も退治されちゃったみたいだし」

「あやまっちゃえ! あやまっちゃえ!」

「そうそう、可愛い君がちゃんと謝ればバーン様も許してくれるさ。ボクも弁護してあげるよ」

 

クスクスと小さく笑い、だが口元を手で隠すようにしながらキルバーンはそう口にする。続けて腰を下ろし、膝立ちの姿勢になるとミストバーンに向けて小声で投げかける。

 

「それに何より、キミがパプニカへ攻撃を仕掛けたのは元々誰のお願いだったのか、もう忘れちゃったのかな?」

「!?」

「キミが暴走して無許可で本当の姿を見せても、バーン様はお許しになるとは思うよ。勇者たちにも勝てるだろうね。でもそんなことしたら、あんまりなんじゃないのかな? せめて彼にも、花を持たせてあげようじゃないか……死に花になるかもしれないけれどね」

 

そこまで口にすると、再びクスクスと笑いながらミストバーンへ向けて手を差し出した。

 

「キル……どこまで知っている……?」

「さあ?」

 

差し伸べられた手を掴み、身体を起こしながらミストバーンは尋ねる。だが黒の道化師は何も語ることはなかった。異様な静寂が辺りを包み始めた頃、新たな乱入者たちが姿を見せ始めた。

 

「姉ちゃん!!」

「おや、噂をすればなんとやら」

 

チルノたちの更に後ろにダイが姿を見せていた。ランカークス村からルーラで大礼拝堂まで戻り、そこでレオナたちに状況を聞いたのだろう。再びルーラの呪文を使い近くまで来ていた。

 

「お前は!」

「ダイ君、久しぶりだねぇ。本当なら感動の再会を祝いたいところだけれど、残念なことにスケジュールが詰まっていてね。ボクたちはお先に失敬させてもらうよ」

 

ミストバーンを引っ張り上げたキルバーンは、そのまま肩を貸す。そのため片側にピロロ、反対側にはミストバーンという少々異様な風体となっていた。だが、そんな二人を前にして誰も動こうとしなかった。

キルバーンが姿を現したときからずっと、ヒュンケルたちに見えない睨みを与え続けていた。視線と気配による金縛りとでも表現すればいいだろうか。下手に動けばそれだけで甚大な被害が出かねないと相手に思わせている。

 

「鬼岩城とミストを相手に、ここまで戦えるなんて大したもんだ。それも被害は限りなくゼロに近い。本当に……優秀だねぇ……」

「……ッ!?」

 

含みを持ったキルバーンの言い回しを耳にした途端、チルノの背筋に言い知れぬ悪寒が走った。反射的に身を竦ませ、死神から距離を取ろうと無意識に半歩退く。それもそのはず、それまで全員にまんべんなく向けられていたキルバーンの威圧が、一瞬だけとはいえチルノ一人に向けられたのだ。

 

「では……シー・ユー・アゲイン!」

 

だがそれだけだった。死神はそれ以上何かをすることも言うことも無くルーラの呪文を唱え、北西の空へと消えていった。

 

「今のは!? ルーラの呪文か?」

「あれってまさか、敵!?」

 

ミストバーンたちの撤退と入れ替わるように、ポップたちも姿を見せる。彼らもダイと同じくルーラの呪文で大礼拝堂から移動してきたのだが、ダイの場合は一人で移動した上に消費を考えないほどの速度を出していたため、彼らが到着するよりもずっと早かったのだ。

 

そして、殆ど一瞬すれ違うだけでしかなかったものの、それでもポップたちもキルバーンらの姿は捉えていた。敵の消えていった方角を彼らもまた睨む。

 

「あのスピードなら、まだ追えるんじゃ……!?」

「いや、止めた方が良いと思うぜ」

 

チウが呟いた言葉を、ポップは首を横に振った。

 

「あのスピード、逆に怪しいぜ。誘ってるんじゃねぇのか?」

「誘い!?」

 

その言葉を聞きながら、チルノは声に出さずに驚愕していた。

本来の歴史ではキルバーンの挑発的な台詞にまんまと引っかかり、単独で突出したせいで逆に大ピンチを招く結果となっていたのだ。それが――挑発を直接聞いていないにせよ――冷静に事態を見極めているとなれば、驚かずにはいられない。

 

「私もポップと同意見ね。アレは罠、下手に追ったら分断されて各個撃破されかねない。追う必要はないわ。それに――」

 

そう言いかけて、チルノは踏みとどまった。可能性としては非常に低いだろうが、調べておくに超したことはないと考える。

 

「ダイ、ヒュンケル。近くに悪魔の目玉とか、魔王軍のモンスターはいる?」

「えっ、ちょっと待って……」

 

姉の依頼にダイは精神を集中させ、空の技を使う要領で敵の気配を探る。数秒ほど探知に集中してから、首を横に振った。

 

「ううん、いないよ。ヒュンケルは?」

「オレも同じだ」

「よかった……」

 

その言葉にチルノは胸をなで下ろし、改めて口を開いた。

 

「死の大地に眠る大魔宮(バーンパレス)、それが敵の本拠地よ。場所を知っているのだから、わざわざ追い掛ける必要もないわ」

「し、死の大地だとっ!?」

 

突然語られた地名に、一同が騒然とする。

 

「いや待て! どうしてそれを知っているのだ!!??」

「ラーハルト、お前が教えたのか……?」

「いや、オレも知らん。そもそもオレは、鬼岩城に入った事すら無い。ましてやバーンパレスなど、聞いたこともない」

 

元々竜騎衆は魔王軍の管理下ではなく、バラン個人の戦力と言って良い。そして、竜騎衆が必要なほど苦戦を強いられたこともなかったのだ。呼ばれる機会が無ければ知る機会も皆無である。

 

混乱する一行だったが、チルノは一旦それらを無視してダイへと尋ねる。

 

「それがロン・ベルクさんが作ってくれたダイの剣なのね?」

「え、うん。そうだよ」

「鞘に収まっているだけなのに、凄い存在感……でも、今は抜けないんでしょうね……」

 

自らの記憶の中にあるダイの剣と照らし合わせるように、チルノはダイの背中――背負われた剣を見つめる。

 

「ちょっと待った! なんでその名前を知ってるんだ!?」

「え……?」

「オレたちは確かにロン・ベルクに会って、ダイの剣を作ってもらった。けど、それを知っているのはオレたちだけだ。そのオレたちだって、出発前にはロン・ベルクのロの字も知らなかったのに、どうしてチルノが知ってんだよ!?」

 

――さて、ここからが本番ね……

 

わざとらしい程の言い回しと態度を見せた甲斐があったというものだ。以前から想定してきた瞬間の訪れに、チルノは強く覚悟を決め直した。

 

 




ヒュンさん。
あれだけ積み重ねれば、そりゃ使えます。ミストへの皮肉な言い回しが素敵。

キルやん。
ご都合主義で止めることに。彼の立ち位置は「義理はあっても義務は無い」ので「勝手に真の姿を見せるという大魔王との契約違反なら動く」けれど「普通にミストが負けそうな場合は見捨てる」のでは?(バーン陣営の戦力も減るし、可能性は高そう)
と、大いに悩む。

ミストさん。
上記可能性に気付き、悩んだ結果、原作通りに真の姿を見せようとするに変更。
(大魔王が「真の姿OKだよ」と言う可能性については、バーン様は可能な限り真の姿を見せないスタンスであり、あと超魔ハドラーを見たかったから黙っていた。という理由で黙らせました)

ラハやん。
作中ではバーンパレスについて無知としています。でも違和感はないと思います。
・原作で魔宮の門を破壊していることから、バランもバーンパレスのことは知らない(知己ならルーラで行けるから)
・バランが知らないものを、部下のラーハルトが知っているはずがない。
という理由から
(じゃあどうやって最後の戦いに間に合ったんだ?という疑問が新たに出ますが……)

ワニさん。
当初は彼が滅砕陣を砕く(光の闘気で弱体化させる程度ですが)予定でした。冗長になりそうなので中止に。

勇者。
ダイの剣も含めて出番なし。泣いていい。

次でようやくネタバラシが出来そう。
(どうでもいいですが、ソウルキャリバー6買いました)


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LEVEL:76 貴女の秘密

無駄に長い(普段の倍くらい)ので、お時間と精神に余裕があるときにどうぞ。
(しかし内容は半分以上スルーしても問題無いという……)

何より、超が付くほどの独自設定が出てきますので……色々とご注意ください。



「大丈夫、全部話すから」

 

チルノが何故死の大地のことを知り、大魔宮(バーンパレス)の名まで知っているのか。どうしてロン・ベルクの名を知っているのか。ポップの上げた疑問の声に対して、チルノはそう答えた。

 

「全部……って……?」

「どういうことだ?」

「その意味も含めて全部を説明するわ。それと、これから話す内容はとっても重大なことだから、世界会議(サミット)に参加していた人たちも交えて話をしておきたいの……それでも良いかしら?」

 

だがそう答えられても理解が追いつかず、むしろますます困惑するばかりだった。戸惑うマァムたちの言葉を聞きながら、チルノはそう尋ねる。

 

「う、うん」

「ああ」

「勿論、私も問題ないわ」

「何を言いたいのか、いまいち理解が追いつかんが、それは必要なのことなのだろう? ならば異論は無い」

「それを望むのでしたら」

「各国のお偉いさんと一緒ってのは、ちょっと緊張しそうだけどな」

 

殆ど何も話をしていないにもかかわらず、けれども彼女の事を信用しているのだろう。ダイたちはそう素直に頷いた。最後に付け加えられた、からかうようなポップの言葉を耳にして、全員の緊張がほんの少しだけ緩む。

ひょっとして、重くなりすぎないように配慮してくれたのだろうか? そんなことを考えながら、チルノは仲間たち全員に向けて深く頭を下げていた。

 

 

 

 

 

舞台は再び、パプニカ大礼拝堂へと移る。

先の世界会議(サミット)が行われたのと同じ場所。だが異なるのは、今回は上階に用意された会議場ではなく、一階の大広間が会場となっていることだ。元々多くの人間が集まることを想定して作られたこの部屋の中には、外から急遽持ち込まれた椅子と机が並べられている。それらの席には各国代表者とそれに近しい者達と、ダイの仲間たちもが思い思いに座っている。

 

「まずは、諸王の皆様。私のワガママを聞いていただいて、ありがとうございます」

 

広間の最奥――つまりこの場の全員を見渡せる位置に立つと、開口一番、チルノはそう告げた。

 

「何か大切な話をしたいってことだけど? それって、あたしたちも……各国の王様たちも集める必要があるの?」

「まあまあレオナ姫、彼女の見識と知恵の深さは貴女もよく知っているでしょう?」

 

不思議がるレオナに向けてフローラは宥める様に言うと、彼女は当然とばかりに首肯する。

 

「だったら私たちを無意味に集めるわけではない、そうするだけの理由があるのでしょう。違いますか?」

「ええ、その通り。凄く大切な話です……だから、ずっと機会を窺っていました」

「ふむ……ではチルノや、そなたの話を聞かせてくれるか?」

「はい」

 

ロモス王シナナの柔らかな態度に微かな安らぎを覚えながら、チルノは口を開く。

 

「皆さんは、勇者アバンの伝説はご存じですよね? いえ、アバンの冒険でなくとも構いません。吟遊詩人が歌う英雄譚(サーガ)や、子供の頃に読んだ勇者や伝説の剣士の物語など……一度は耳目に触れた事があると思います」

 

大事な話をすると聞かされていたのに、突然別の話をされる。そのことに少々肩すかしを食らったような感覚を味わいながらも、だが誰も口を挟まない。

 

「そういった話を聞いて『もしも自分がその話に登場していたならば、もっと上手に英雄を助けることが出来たのに』『もしも本の中に入ることが出来たら、この辛い結末をもっと幸せな未来に変えてやるのに』……そんな空想に耽ったことはありませんか?」

「ああ、ある……な」

「ガキの頃にやった勇者ごっこの延長線みたいなものか? まあ、それくらいなら誰でもあるだろ」

 

不意に問いかけられて、数名が口を開いた。特にポップなどは、小さな村に住む普通の少年だったために、共感の度合いは顕著だった。

 

そして――意外といっては失礼かもしれないが――ヒュンケルも、声には出さないものの大きく頷いていた。彼の場合、育ての親バルトスにヒュンケル――かつて魔界を牛耳ったという伝説の剣豪――の名を授けられたため、父から名付け元となったヒュンケルの逸話をねだったり、城内の魔物たちとごっこ遊びに興じていた過去がある。そして、勘違いからアバンのことを恨んでいた過去があるため、そういった想いには敏感だったのだ。

 

「話は変わりますが、先ほど英雄譚(サーガ)について少し触れましたよね? 実は私も、一つとっておきの物語を知っているんです」

 

反応があったことに満足し、チルノは別の話を切り出す。

 

「南海にデルムリン島という孤島があり、そこは魔王の邪悪な意志から解放されたモンスターたちがひっそりと暮らす場所でした。ですがその島にはモンスターだけでなく、たった一人だけ、人間の少年も住んでいました。その少年が仲間たちと共に成長し、遂に大魔王を倒す……そんな物語です」

 

それはあらすじとしても端的すぎる内容だった。

だがそんな簡単な説明であっても、この場にいる誰もが何のことかを理解するには十分すぎた。

 

「えっ……? それってチルノたちのことでしょ? 大魔王は倒してはいないけれど……」

「まさか、もう勝った後のことを考えているのか? ワッハッハッ!! 気が早いというか頼もしいというべきか!!」

 

レオナが不思議そうに首を傾げ、そしてクロコダインはチルノの言ったことを、バーンを打倒してこの世界に平和を取り戻した後に伝えられる物語のことだと判断していた。

 

「いや、おっさん。ちょっと待った」

「ん? どうしたポップ?」

「おっさんだけじゃない、皆もだ。さっきのチルノの話、おかしいとは思わないか?」

「む……?」

 

そう聞き返され、クロコダインは思わず首を捻る。だが彼が口を開くよりも早く、シナナが叫んだ。

 

「わかったぞ! 先ほどの言い方ではダイだけで、チルノが出ておらん!!」

「そうよ! どうして『デルムリン島に一人の少年しか住んでいない』なんて表現を……?」

 

シナナの言葉でマァムも気付き、だが理解が追いつかないと言ったように考え込んだ。

 

「そもそも、急にこんな話を始めること自体がおかしいんだ。各国の代表を集め、全てを話すと言っておきながら、結論を言わずに別の事を話し始めた。ならば、この話に何か意味があると考えるべきだろう」

「つまり、先ほどの話もダイ様の名前だけでチルノ様の名が出ていない事にも何らかの意味がある……ということか?」

 

ラーハルトの言葉にヒュンケルは頷く。回りくどい言い方をしている以上、チルノに何らかの考えがあるのだろう。彼はそう判断していた。

そして、何か別の意味があるという観点を追加してチルノの言葉を思い返そうとして、唐突にポップが口を開く。

 

「な、なぁ……おれ、フッと荒唐無稽な答えが浮かんできたんだけどよ……これ、言っても良いのかな……?」

「ポップ君も? 実はあたしもそうなの……」

 

ポップが閃くとほぼ同時に、レオナも脳裏に一つの結論が浮かんでいた。

 

「……最初にチルノが言った話と合わせて考えると、嘘みたいなことしか浮かばないんだけど……でも、まさか……」

 

それはあまりに荒唐無稽な結論。常識で考えれば、まず有り得ないことだろう。

 

「うん。多分、レオナたちが考えていることで間違いないわ」

 

そんな荒唐無稽な結論をチルノは強く肯定してみせた。そして、その答えが間違ってないとばかりに更に材料を取り出してみせる。

 

「さっきの話だけど、タイトルは"ダイの大冒険"っていうの」

「えっ……おれ??」

 

突然出された自身の名前にダイは面食らう。彼の肩に乗っているゴメちゃんも、友の名が付いた題名を耳にしてか驚きを隠せずにいた。

 

「私は、その話がただの創作物として存在している……そんな世界からやってきて、物語の結末をもっと良くしてやろう……そう思っている人間です」

 

この世界に来てからこの事実を口にする機会が、チルノには数度あった。だが過去のそれらと比較しても、おそらくはこれが最も緊張する瞬間なのだろうと感じていた。

 

 

 

 

 

「遠回りな言い方になってしまったことは、ごめんなさい。でも皆に伝えるには。これが一番わかりやすいと思って」

 

そう言いながらチルノは頭を下げる。だが一世一代の告白を聞いてもこの場の全員は乾いた笑いにも似た、複雑な表情を浮かべるのが精一杯だった。だが彼らの気持ちの整理を待ち続ける時間すら彼女には惜しい。伝えるべき事は山ほどあるのだ。

 

「信じられない気持ちはわかるわ。でも、これは本当の話。何度も読み返した物語だからこそ、私は大魔王の本拠地の場所も名前も知っていたし、ロン・ベルクの名前も知っていたの」

「いや、いやいやいやいや! 冗談、だろ……?」

 

最も早く立ち直ったのはポップだった。彼は「有り得ない」と強調するように自身の顔の前で手を横に振りながら尋ねる。だが何度聞かれようとも、チルノの答えは変わらない。

 

「ううん、本当の話よ。さっき皆が推察した通り、物語の中でデルムリン島に住んでいるのはダイだけ。育ての親はブラスで、実の親はバランとソアラの二人だけ。あと家族と呼べるのはゴメちゃんと島のモンスターたちくらいで、チルノなんて名前の姉はいない……」

 

それは自己の否定にも似た言葉だった。誰よりも近くで、ダイを常に支え導いてきた少女の口から出たなど、とても信じられない言葉。

 

「でも、こう言ってもまだ信じられないわよね? だから――」

 

そう言って一人の王へと目を向ける。

 

「『賭けに勝利するコツは最後の瞬間まで勝利を疑わないこと』……でしたよね?」

「むっ……!」

「な、なんじゃそれは??」

 

シナナは何の事か分からず困惑し、だがクルテマッカはその言葉に大きく目を見開いた。

 

「……ワシの持論だ。それで代々の財産をさらに大きくしてきた、言うなれば必勝のコツと呼んでもよい」

「そ、そうなのですか!? ですが、そんなことは今まで聞いたことが……」

 

事実確認をするように、アキームが恐る恐る尋ねる。

 

「初耳なのも当然だろう。何しろ、今まで誰にも教えたことは無かったのだ。下手に口にすると御利益が落ちそうな気がしてな……しかしどうしてそれを知って……いや、知っていると、自身の口で言っていたな……」

 

誰も知らないはずの事実を知っていることに驚かされ、話の出所を尋ねようとする。だがすぐに自身でその答えを口にしてその言葉を引っ込めていた。

 

「勝手に公言してしまい、もうしわけありません」

「いや、かまわん。お主がその事実を知っているということは、おそらくはワシ自身が口にしたのだろうな。ならば、責めることもできん」

「……信じて、いただけるのですか?」

「信じろと言ったのは、お主の方であろう?」

 

クルテマッカの意外な反応に、今度はチルノが驚かされる番だった。だが彼は慌てる様子もなく、平然とそう言ってのけた。どうやらその事実を知っているということが彼の中では、相当な決め手となっていたようだ。

 

「なるほど、そういうことか。ようやく合点がいった。これは信じるしかないだろう」

「え……?」

 

二人の会話を聞きながら、今度はヒュンケルが納得したように頷く。その声にマァムが思わずそちらを見れば、彼もまた納得したような表情を浮かべていた。

 

「地底魔城に魂の貝殻が隠されているなど、オレは……いや、誰もが知らなかったはずだ。

仮にハドラーやバーンが知っていれば、真っ先に破壊していてもおかしくはないだろうからな。だがお前はあの時、それを持ってオレの前に現れた。それも、さして迷った様子も見せずに」

 

魂の貝殻には、ヒュンケルの父バルトスの最期の声が残されていた。それも、聞けばヒュンケルが反旗を翻しかねないほどの事実が込められているのだ。彼の言う通り、ハドラーたちが知っていれば、要らぬ禍根を断ち切るためにも真っ先に破壊しているだろう。だが現実にはそれが行われることが無かった。

 

いや、それどころか、そんな物があるなど誰も知らなかったのだ。

ヒュンケルが不死騎団長として地底魔城に本拠地を設けた時に、城内は調査されている。それ以前に、パプニカの調査部隊が入っていてもおかしくはないだろう。

もっと言うならば、ハドラーが倒れたのは今から十五年前だ。その時からチルノが入るまでの間、かつての魔王が根城としていた場所に一攫千金を夢見た命知らずの盗賊が足を踏み入れていないはずはない。

 

にも関わらず、今まで見つかっていない。それだけ難解な場所に隠されていながら、加えてチルノが潜入したときは不死騎団のモンスターたちも大勢いたのだ。だというのにあっさりと見つけてヒュンケルの前に持ってきた。

これを異常と言わずして、何が異常なのだろうか。

 

「それとテランでの竜騎衆の情報について教えられたときもそうだ。あの話を聞いていたからこそ、オレたちは多少なりとも楽に戦うことができた。どういうことか、ずっと気になってはいたのだ」

「ああっ!! そうだった、ずっとチルノに知ってた理由を聞こうと思ってたのに……」

 

ヒュンケルの言葉にポップも思い出したように声を上げる。同じことに気付いていたにも関わらず、今まで機会を逃し続けていたことに、悔しそうに唸る。だが、数秒唸り続けてから新しく気付いたように別のことを口にした。

 

「って、待てよ。なら、ダイが大地斬と海波斬を最初から知っていたのも……」

「うん……私が教えたの。素質があることは分かっていたし、修行の時間を可能な限り短くしたかったからね……」

 

記憶が連鎖して思い出されるように、アバンが家庭教師としてデルムリン島に来た時の記憶がポップの中に浮かぶ。となればその先にどうなるのかも、想像に難くない。

チルノは悲壮な様子でそれを肯定し、だが甘んじてそれを受けるためにも、次に繋がるであろうヒントを込めた言葉を口にした。

 

「修行の時間……ん? ……ってことは!!」

 

期待に違わずポップは聡明だったようだ。チルノのヒントの言葉を間違えることなく拾い上げ、気付いた瞬間に怒鳴り声を上げながら少女の胸ぐらを感情的に掴み上げる。

 

「チルノッ!! お前、どうして先生を見殺しにしたんだ!!」

「……ゥッ!」

 

――当然、そうなるわよね……

 

上背はポップの方が高く、魔法使いという職業といえども若者であり成人男性相応程度の腕力は持っている。強い力で締め上げられる苦しみを受けながら、だがこういった行動にでるのも当然だろうとチルノは心のどこかで達観したように感じていた。

 

「よせ! ポップ!!」

「やめて!!」

「なんでだヒュンケル!! マァム!!」

 

二人が慌てて声を上げる。

どちらかといえばお調子者の少年らしからぬ感情的な行動に、この場の全員が数秒間ほど呆気に取られていた。それに加えて、チルノが殆ど声を上げなかったのも大きかったのだろう。まるでそうなることが当然のように抵抗らしい抵抗も見せぬままにいたことが、彼らの気付きを遅らせていた。

 

「こいつは、アバン先生が死ぬとわかっていながら見捨てたんだぞ!! 本当に未来のことがわかっているのなら、どうして助けてくれなかった!? お前は、結末を変えようとしていたんじゃなかったのか!?」

「そ、それは……」

「先生がいれば、もっと犠牲は少なかったかもしれねぇ! マァムだってヒュンケルだってもっと救われたはずだ!! それにカール王国は先生の故郷だ! その人たちにお前は『お話でそうなっているから見捨てました』って本当に言えるのかよ!?」

 

ポップの言うことにも一理あると思ってしまったのだろう。マァムが言葉に詰まり手が止まる。だがそんなことは関係のない男が動く。

 

「チッ、これ以上は見てられん」

「ラーハルト!? てめぇ、離しやがれ!!」

「そういうわけにもいかん。これ以上はチルノ様に害を為すと判断した」

 

ラーハルトはチルノからポップを瞬く間に引き剥がすと、そのまま羽交い締めにして動きを封じる。なんとか脱出しようとするものの、地力の腕力が違いすぎるためビクともしない。

 

「けほっ……だ、大丈夫だから。ラーハルト、離してあげて」

「しかし!!」

 

まだ痛む胸元をさすり、少しばかり辛そうな表情を覗かせながらもチルノは告げる。

 

「大切な人と別れる未来を知っていたのに、それを阻止出来なかったら怒っても仕方ないわ。その感情は当然のことだから、私は甘んじて受け止める」

 

何でもない、当然事だと言ってのけるチルノの姿に、ラーハルトは拘束する力を少しだけ緩めていた。

 

「それに、ポップは自分のことだけで怒っているんじゃなくて、私達みんなの怒りを代弁してくれているんでしょう?」

「はぁ?」

 

突然有り得ないことを聞かされ、ポップの顔が困惑するように歪む。

 

「だってポップは、さっき自分のことよりもヒュンケルたちのことを口にしてた。それに、カール王国の人たちのことも。二人は優しいから、きっと怒りを飲み込んでしまう。フローラ様は立場があるから、感情的になることは難しい。そう思ったから、私にああやって詰め寄ったんでしょう?」

 

そう尋ねられて、ポップは力なく黙った。

それは果たして図星を付かれたからか、それとも

 

「それに本当は私だって、あの時に助けられるのなら助けたかった。でも先生は私たちの未来に賭けてくれた。ポップも覚えているでしょう?」

「ああ……忘れてねぇよ……」

 

苦い記憶ではあるが、だからこそ彼は忘れられない。ダイとチルノ、自分よりも年若い二人がアバンに並び戦おうとする姿を目にしていながら、何も出来ずにいた日のことを。思い出していくうちにポップの頭から怒りの感情は消え去り、同時に力も抜けていく。

 

「悪い、チルノ……おれ、頭が変になってたみたいだ。考えてみりゃ、お前はずっとおれたちを助けようとしてくれてたんだもんな。何より、あの時ハドラーを相手にして何も出来なかったおれが、お前を責める資格なんてねぇよ……」

 

何時の間にかラーハルトはポップから手を離していた。意気消沈したその姿を見て、もう大丈夫だと判断したのだ。俯きながら謝罪の言葉を口にする姿に、チルノは首を横に振った。

 

「ううん、そんなことはない。結局私は、先生がメガンテを使うのを止められなかったんだもの。ズルをしていたのに失敗していたら、怒っても当然だもの。覚悟はしていたし、気にしていないわ」

「ああ、悪いな……気を遣わせちまって……」

 

そう言いながら、彼女はポップを元気付けるように優しく声を掛ける。チルノの言葉にポップもまた、決まり悪そうな表情を見せながらもぎこちなく頷いて返す。

まだ本調子ではないものの、これで問題は無いだろう。そう判断したチルノは、ずっと心配していたもう一人の方を向く。

 

「それともう一人、謝らなきゃいけない人がいるの……ラーハルト」

「オレですか?」

 

まさか自分が槍玉に上げられるとは思っていなかったのだろう。意外そうな顔でチルノを見つめる。

 

「ええ……ううん、本当はバランに謝らなきゃいけないんだけど、ここにはいないから。だから、ラーハルトに判断を任せるわ」

 

そう前置きされ、ラーハルトは思わず息を呑んだ。それはつまり、バランの代役としてチルノの話を聞くということだ。

 

「バランから聞いたかしら? 私がバランにどうして信じてあげられなかったんだって文句を言ったことを」

「いえ、おおよそ程度でしか知りません」

 

その問いかけをラーハルトは首を横に振りながら否定する。バランから直接詳細に聞かされてもおらず、ヒュンケルたちとの会話からある程度は知っているものの、詳しく知っているかと聞かれれば答えは否だ。

 

「そう、だったらちゃんと話した方が良いわね――」

 

そう言うとチルノは、重く口を開いた。

話す内容はテランにてダイとバランが最初に邂逅したときの内容だ。少女は一言一句、丁寧にその時のことを思い出すようにしてラーハルトへと伝えていく。バランがどうしてダイの生存を信じて探し続けなかったのかを訴え続けたときの事を。

 

「――と言う具合よ。偉そうに説教していたけれど、結局のところは私はズルをしていただけ。信じ続けていれば出会えるってことをわかっていたから、大層な文句も言うことが出来たの」

 

やがて、全てを話し終えるとチルノはその全てを覆すようにそう告げる。今まで言ったことの全ては、自分が先の未来を知っているからこそ言えたのだと、自嘲するように。

 

「今すぐにバランの所に行って、この話をしてもいい。そうでなくても、その手の槍で私を突き殺しても文句は言わないわ。どんなに言い繕っても、私はただの嘘つきでしかないの」

 

そう言いながらラーハルトの前に無防備に立つ。だが、どのような結果になろうと受け入れようと決意の表情をしていた。バランに話をしたことは決して公平なことではないのだと訴えかけ、そしてそのバランの口添えによって仲間となったラーハルトにも、怒る資格はあるのだと。

 

「チルノ様……」

 

チルノの話にじっと耳を傾け続けていたラーハルトは、ようやくその重い口を開いた。待機状態となっている鎧の魔槍を握る手に力を込め――

 

「そのどちらも、お断りします」

 

彼ははっきりと断った。

 

「確かに、チルノ様は未来のことを知っていたからこそ、その言葉を言えたのかもしれません。ですが、あなたはダイ様を助けるために自身の命すら投げ打ち、見事記憶を取り戻させた。そんな方を、どうして手に掛けられましょうか? そしてもう一つ、貴方の知る物語の中にチルノという少女は登場しないと仰っていた。ということは、あの時の行動は物語に沿ったものではない、貴方だけの気持ちだったはずです」

 

青魔法"ゆうごう"の力により、ダイの消えたはずの記憶が甦った瞬間。その時のことを思い出しながら、ラーハルトは切々と語る。

人の想いの力が(ドラゴン)の騎士の力を破り、途切れたはずの絆をも甦らせた奇跡のような瞬間。そしてそれを実現するために、バランへと必死で食らいつき続け、命をも掛けた。

それを見た時に、ラーハルトの心は決まっていた。どのような事情があろうと、そんな相手を今さら疑う事も無かった。

 

「あの光景を見た時、オレの心は動きました。あの時よりずっと、貴方こそダイ様の相手に相応しいと思っています。その気持ちは、今でも変わっていません。おそらく、バラン様も同じ考えでしょう」

 

忠誠を示すようにチルノの前に膝を突き、臣下の礼を見せる。

 

「あり……がとう……」

 

湧き上がる感情を必死で堪えながら、チルノはそう呟いた。

 

 

 

 

 

「でも、どうして今になって話をする気になったの?」

 

ラーハルトの忠誠の言葉を聞いてから、数分の時間が流れている。その短い時間であったものの、チルノは落ち着きを取り戻していた。ポップはまだ少々所在なさげな表情を見せているものの、話し合いに支障は無いだろう。

そう判断し、レオナは沈黙を打ち破るように口を開いた。

 

「元々このタイミングで話をする予定だったの。今なら多くの人に私のことを知って貰えるから。手間も省けるし、足並みも揃えやすいでしょ?」

「それはわかるけれど、でもどうせならもっと早くに……それこそポップ君の話じゃないけれど、アバン先生に師事したときに話をしていれば、よかったんじゃない?」

「うん、それが出来れば最良だったんだけどね……」

 

彼女の当然の疑問に、チルノは苦心したように答える。

 

「まず、私が未来を知っていると言っても信じて貰える? 今でこそ、レオナたちから重すぎるくらいの期待と信頼を受けているけれど、私は元々デルムリン島に住んでいた世間知らずな小娘だよ?」

 

これが彼女が伝えなかった第一の理由である。

突然そう告げられたとして、はたして信じる者がどれだけいるだろうか? 全く知らぬ人の話を信じる者など、皆無と言って良いだろう。

 

「仮にレオナと出会った頃の私が『この島の奥に向かうと魔のサソリが襲ってくる。それはテムジンとバロンがレオナを亡き者として王位簒奪をするためで、最終的にはキラーマシーンで襲ってくる』って言ったら、信じてた?」

「え、それは……」

 

どこか懐かしく、だが実際は一年も経過していない思い出を振り返る。

 

「最初は信じないと思うわ。でも実際に魔のサソリは現れるわけだし、そうなったらチルノの話を信じて、儀式を取りやめるなり、何か別の手段を講じてたんじゃないかしら?」

「うん、そうだよね。そういう『未来を知っている』という証拠があれば、信じようって気にもなるでしょ? だから、私はその証拠を積み重ねる必要があったの」

 

続けて、第二の理由を口にする。

 

「でも、もしもレオナが別の動きをすれば、テムジンたちもきっと別の動きをするはず。だから、可能な限り状況を変化させたくなかったの」

「え、えと……? どういうこと??」

「なるほど、わかりましたよチルノ。貴方が言いたいのは、未来の知識と現在の状況との間に可能な限り齟齬を無くしたい――ということですね?」

 

説明に混乱するレオナの思考を導くように、フローラが口を開いた。

 

「未来の知識と現在の状況、この二つが一致していればいるほど、あなたの知っている展開となりやすい……もっと言えば、状況をコントロールしやすくなる。違いますか?」

「いえ、仰る通りです」

 

さすがは見識に長けて経験も多いカールの女王である。この世界の人間では馴染みの薄い考えであろうことを、あっさりと看破し分かり易い表現へと変えてみせた。

 

「私の知る物語では、最終的に勝利してこそいるものの、常にギリギリの戦いの連続でした。どこか一つ歯車がズレただけでも、敗北してしまうのではないかと思うほどの。そんな時に、私が未来を知っていることが知られたらどうでしょう?」

 

チルノはそう、皆へと問いかける。

 

「未来を知っている者がいる。ならば、必勝の策と看破されるのではないか? ならばもっと別の策を考え、別の力を使い、別の時期に実行しよう……こうなっていくと、私の知識は役立たずになります」

 

未来は決まっているものではない。

チルノが知っている知識も、あくまで『この道をまっすぐ進めばどうなるか』がわかっているだけだ。小さな変化でも積み重ねていくことで、大きな変革を齎す可能性もある。

 

「さっきのテムジンたちの話も、下手をしたら失敗を悟って証拠を隠蔽されていたかもしれない。そうなればパプニカは獅子身中の虫を常に手元に置くことになる。最悪を想定すれば、キラーマシーンをパプニカの王宮で暴れさせて強引に王権を奪っていた可能性だってあったかもしれない」

 

そう言われて、レオナは渋面を見せた。

まあ、二人の元々の狙いを考えればその可能性は限りなく低いだろうし、そうやって無理矢理に簒奪したとしても末路は国際的なお尋ね者だろう。だが追い詰められば、そうやって馬鹿をやる可能性は十二分にある。

功を焦りすぎれば、短絡的な行動を取るのは誰でも同じだ。ましてやそれが、相手に未来を知る者がいるとしられれば、どのような手段も不可能と判断されかねない。あくまで自分の作戦が水際で止められている程度に見せかけた方がずっと楽なのだ。

 

「だから秘密が漏れることも防ぐ意味もあって、今までずっと黙ってきました。このことを知っているのは、デルムリン島ではおじいちゃんだけ。ホルキア大陸では、マトリフさんだけです」

「その二人には、話をしていたのか」

「だから師匠はあんな無茶な特訓させたのかね……?」

 

そう告げる胸の中で、チルノはこっそりと謝っていた。

アバンのことは意図的に伏せていた。なにしろ彼は、大魔王バーンですら恐れていた地上世界随一の切れ者である。その生存を可能な限り隠匿しておくのは、取って置きの切り札の一つとなりえるからだ。

確かにデルムリン島では(・・・・・・・・)ブラスだけ。ホルキア大陸では(・・・・・・・・)マトリフだけだろう。だが、その二人だけしかいないとは明言していない。

それに彼女の推測が正しければ、アバンは今はギルドメイン大陸にいる。よって、嘘は吐いていない。そもそも今までの発言でも、彼が死んだなどとは一言も口にしていない。

 

「結果的に、見捨てることになってしまいました。謝って済む問題ではないですが、バウスン将軍には――いえ、()いてはリンガイアの方々には申し訳ありません」

 

アバンの事を隠したという後ろめたさを隠すように、続いてチルノはバウスンへと頭を下げる。急に話題を向けられ、バウスンは戸惑う様子を見せる。

 

「いや、お話はよくわかった。だが、例えそなたが我が国にやってきて、魔王軍が攻めてくると忠告したとしても、当時では信じる者はいなかっただろう。仮に信じたとしても我が国を襲ったのは超竜軍団だ。果たしてどこまで防ぎ切れたことか……」

 

それでもバウスンは冷静に、もしもの場合を考え、そして現実的な考えを口にしていた。この辺りは流石、滅んだとはいえ大国の将軍といえるだろう。

 

「だが、それら痛みを乗り越えて世界は一つとなろうとしている。その結果に向けて、そなたが頑張って来たことも教えてもらったつもりだ。ならば、どうかお願いしたい。その知識と経験を活用して、どうか世界に平和を齎して欲しい。そのためならば、命を落とした民たちも浮かばれるはずだ」

 

――何を勝手なことを言っているのかと、死した者たちからは言われそうだがな。と自嘲するような物言いをバウスンは自身の言葉の最後に付け加えた。

だがそれだけでも、チルノからすれば肩の荷が下りた気分だった。少し未来を知っているだけで、万能の活躍など出来るはずもない。恨み言の百や千を言われても仕方ないとすら覚悟していた。

 

「そう言っていただけると、幸いです……それと――」

 

万感の思いと共にそう口にする。

続いてカール王国の二人――フローラとホルキンスに声を掛けようとして、だが彼女は戸惑う。フローラはまだしも、ホルキンスは本来の歴史ではバランの手で瞬く間に倒されている。そんな事実を今の彼に告げるのは、野暮以外の何物でもないだろう。

 

「……それと?」

「ううん、何でもないの」

 

だから彼女は首を横に振った。

全ての真実を知らせることが最良とは限らないからだ。ただ、それとなくフローラに告げておこう。とそれだけは心に刻んでおく。

 

「今お話をしたように、私は自分の知識のことを可能な限り隠してきました。ですが、これから先の戦いはさらに激しさを増します。私一人で状況をコントロールするのも限界に近いはず。だから皆さんに未来の事をお話しました」

 

そして彼女は最後にそう告げる。

 

「ダイはオリハルコン製の剣を手に入れて、人々は互いに協力することの大切さを改めて学びました。このときならきっと、自分が知る未来とは異なることが起きても大丈夫だと思いました。どうか、皆さんの力を貸してください」

 

そう言って彼女はもう何度目かになる頭を下げる。その行動に対して、一行は当然だと言わんばかりに頷いて見せた。

 

 

 

 

 

「では、これから先が本来ならばどうなっていたのか。それをお話します」

 

全員の反応を確認してから、チルノはそう切り出した。ある程度は知っていた方が、対処もしやすいはず。そう考えてのことだ。そのため自身の知る本来の歴史のこれから、直近の出来事について、差異の生まれた点を交えて説明していく。

 

曰く――

本来ならば、鬼岩城の討伐にはポップとマァムも参加していたこと。そして城そのものはダイがオリハルコンの剣で倒していたこと。

キルバーンの挑発を聞き、ポップが先走っていたこと。それを追ってダイも死の大地へと向かい、死神の罠からポップを救ったこと。

そこに超魔生物となったハドラーが現れ、ダイとハドラーの戦いは痛み分けとなったこと。

 

ハドラーは超魔生物となりダイに匹敵するほどの力を得たことでバーンに再評価され、オリハルコン製のチェスの駒を貰ったこと。その駒に禁呪法を使い生み出した無敵の親衛隊員を手に入れたこと。

人々はカールのサババで死の大地へ渡る大型船を建造していたところ、親衛騎団が襲ってくる。その目的は死の大地へやってくる人間のふるいを掛けること。ダイたちはオリハルコンの騎士団と戦い、一旦引き分けにまで持ち込んだこと。

 

「――と言ったところかしら。これ以降もあるんだけれど、まずはこんなところね」

 

そこまで話をしたところで、チルノは一旦話を区切る。だが、話を聞いた者達の反応は様々だった。

多くは、ハドラーが超魔生物と化してまで勝利を求めようとする執念に驚く者と、オリハルコンの兵士という言葉に悲観的になる者が大半だった。尤も中には、本来の歴史では焦って飛び出していたところ冷静に堪えたことに感心する者もいたが。

 

「つまり、超魔生物になったハドラーと親衛騎団……それが当面の敵と考えて良いのかしら?」

「ええ、あくまで台本通りなら。という注意書きは付くけれどね」

 

マァムの言葉にチルノは但し書きがあることを告げる。

 

「ダイもポップもこの場にいるから、ハドラーはいつ出てくるのか? いえ、そもそもそれ以前に、ハドラーは生きているのかすら視野に入れた方がいいかもしれないわね」

「どういうことだ?」

 

クロコダインの上げた疑問の声も、当然だった。何しろチルノはその部分について説明をしていないのだから。彼女以外に誰にも理由がわかるはずも無い。

 

「ごめんなさい、その説明が抜けていたわね」

 

そして今度は、ハドラーがダイが(ドラゴン)の騎士と知っていながら保身のために黙っていたことを。

そのことをバーンに知られ、後が無くなったことを。

本来ならばテランでバランとの決着を付けた後、夜襲を仕掛けてでもダイたちを抹殺しようとしていたが、たまたま現れたマトリフと警護役だったポップの二人によって阻止され、瀕死の重傷となることを。

アバンの使徒を脅威と見なして、勝利のために超魔生物となる決意をしたことを。超魔生物の身で呪文を使うため、魔族の肉体を――明日をも捨てたことまでを告げる。

 

「少し駆け足だったかもしれないけれど、これがその理由。でもこの世界では、ハドラーは夜襲を仕掛けてこなかった……それどころか、何の動きも見せずにいる。予定通りに超魔生物へと生まれ変わっているのか、バーンに見捨てられて既に命を落としているのか。それとも、全くわからない第三の道を歩んでいるのか……」

「なるほど。その沈黙が、未来を知るチルノにしてみれば他の人間よりもずっと恐ろしいということか」

 

クロコダインの言葉に少女は頷いた。

 

「でも、可能性としてはまだ生きていると思った方が良いはずよ。ハドラーがどれだけ失態を見せても、バーンはまだこの程度では失望しないはず。ハドラーを追い込んで、生まれ変わるかも知れないとどこか期待していたから」

「ふむ……ザボエラが超魔生物の研究をしていることは知っていた。となれば、一足早く決意した可能性も高いのか? だが、そう決意させるだけの理由がどこかにあったはずだ……魔族の肉体をも捨てさせるだけの何かが……」

 

元魔王軍としてハドラーの事を知っているからだろう。ヒュンケルもクロコダインに並び、頭を捻り出す。何か見落としはなかったかと、頭を捻り続けるものの、妙案は何も浮かばなかった。

 

「そこは私も気になるけれど、でも一旦忘れて貰って良いかしら?」

 

難しい顔をする戦士二人に声を掛ける。本当ならばチルノもその話し合いに参加して、可能な限り可能性の模索と対策を立てておきたいのだが、そういうわけにも行かない理由があった。

 

「これから、大魔王バーンの目的と秘密について話すわ……」

 

そう告げた途端、室内の空気が一気に引き締まった。敵の総大将について、人々はその名前程度しか知らないのだ。元々魔王軍にいたヒュンケルたちですら、知っていることは皆無に近いだろう。

その謎が白日の下に晒されるとなれば、自然とこうもなろう。

 

「でも、正直に言ってスケールが大きすぎるの。もしかしたら、聞いただけで戦意を喪失しかねない。だから、この話を聞くには相応の覚悟が必要よ。絶対に諦めないっていう強い覚悟が……」

 

事実、これから話す内容はこの世界に住まう人々にとっては途方も無い事だ。そしてその途方も無いことを実現するだけの力をバーンは持っている。だからこそ、話を聞いても折れぬだけの精神を持っているかとチルノは尋ねる。

 

幸いなことに誰一人として席を立つ者はいなかった。全員が全員、この場にいる以上は地上を守る戦いの最前線にいると言うことを理解している証拠だろう。

 

「もう後戻りは出来ないわよ……まずは、大魔王バーンの正体から」

 

心強い味方の姿に胸を打たれながら、チルノは口を開いた。

 

「と言っても、クロコダインたちは知っているでしょう? 薄布の向こうにシルエットだけが浮かぶその姿を」

「そうだな。だが、薄布一枚隔てた先からも、強烈な圧が伝わってきたぞ」

「どのような化け物がいるのかと、興味は尽きなかったが……」

 

二人はかつて鬼岩城で顔を合わせた時のことを思い出し、それぞれ感想を口にする。言い方は色々あれど、正体不明だが相当な実力者だろうと言うことだけはヒシヒシと感じていたことだけは共通している。

 

「期待しているところ悪いかもしれないけれど、バーンの姿は老人よ。一言で表すなら、威厳のあるお爺さん。頭の左右から角を生やした白髪に白髭の魔族の老人なの。何しろ数千年以上の時を生きているんだから」

「老人? じーさんってわけかよ? なんだか拍子抜けだな」

 

少し話している間に元の調子を取り戻したのだろう、ポップがバーンの姿を想像してか気楽そうに声を上げる。

 

「ううん、その逆よ。老人なのに、当時のヒュンケルたちが萎縮するほどの強さを持っているの。魔界の神と名乗るだけあって内在する魔法力は天界の神々すら敵わないほどに強力よ……そうね――」

 

これは果たして言うべきだろうか? とチルノは一瞬言葉に詰まる。言えば多くの人間を絶望に招いてしまうかもしれない。だが、事前に言っておけば対処の仕方も思いつくはずだ。そう覚悟して続く言葉を口にする。

 

「――ポップはメラゾーマの呪文に自信があるでしょ?」

「ん? まあ自慢じゃねぇが、師匠にかなり鍛えられたからな。それがどうかしたのかい?」

「……そのメラゾーマの火球を、大魔王はメラの呪文で上回るの」

「いくらなんでも、そりゃ嘘だろ……?」

 

信じたくないと言うように問いただすが、チルノは否定するように首を横に振るだけだ。

メラ系の呪文は、火の玉を撃ち出す最もシンプルな攻撃呪文だ。その最下級と最上級の呪文とが衝突すればメラゾーマの方が勝つ。子供でも答えられる単純な結末の筈だ。

 

「本当よ。メラゾーマの火球とメラの火球がぶつかり合って、大爆発を起こす。それでもバーンのメラはなお健在のまま。これが大魔王の持つ超魔力よ」

 

だが大魔王が放つ呪文は、その単純な結末を容易に覆す。子供でも知っている事実を否定するほどの事例を語られただけに、それを聞いた一行の絶望感はいかほどだろうか。

 

「でもポップの言うこともあながち間違いじゃない。老人だけあって、体力や生命力は魔法力と比べて劣るわ――"光魔の杖"を使われなければね」

「光魔の杖……?」

「"理力の杖"は皆さん知っていますよね? 使用者の魔法力を吸い上げて打撃力に変える、非力な魔法使いや僧侶のための武器。原理はそれと同じです。ただ、光魔の杖にはその上限がないんです」

 

そう言われても、どうやら理解が追いつかないようだ。それは聞いた人々の曇った表情を見れば一目瞭然だった。いや、理解が追いつかないというよりも、具体的な強さが想像し難いという方が正確だろう。

 

「もっと分かり易く言いましょうか? 水鉄砲は皆さんご存じですよね? 水を吸い上げて、発射する子供のオモチャです。あれを理力の杖だと思ってください」

 

だからチルノは、己が思いつく限り最もシンプルな表現を語る。

 

「その水鉄砲が、水と言う名の魔法力を際限なく吸い上げることができたら? 吸い上げた水を全て撃ち出したらどうでしょう? バーンの持つ魔法力は海水のように底知れません。そこから吸い上げた大量の水を津波のように撃ち出せる……それだけの攻撃力を生み出すのが光魔の杖です」

 

今度ははっきりと、全員の顔が青ざめていくのがわかった。だが、この光魔の杖すら前哨戦に過ぎないことを語らなければならない。気が重くなることを実感しながらも、チルノは言葉を止めることは無かった。

 

「でも、この光魔の杖すらバーンにしてみれば護身用の武器。体力が落ちている老人が肉体技術で遅れを取らないための装備でしかないんです」

「ねぇ……話を聞けば聞くほど、大魔王に勝てそうにないんだけど……本当に勝てるの……?」

 

そこまで聞いて遂に根が尽きかけたのか、レオナが恐る恐る手を上げながら聞いてくる。その反応は至極当然だろう。何も知らなければ、絶望してこの場から逃げていてもおかしくないはずだ。それでも希望を失わずにいるのは、チルノが持つ未来の知識を信じていることに他ならない。

 

「ええ。だから、バーンが光魔の杖を使う前に――もっと言えば、本気(・・)を出すよりも早く倒すの。それが多分、手段を選べる唯一の道」

「本気?」

「ミストバーンの名前に違和感を感じたことはない? 総大将バーンの名を与えられている以上、特別な存在であることは想像に難くない」

 

良くある例としては、親の名から一文字取って子供に名付ける。だろう。他にも、君主の名を冠した物品を下賜されるなどだろうか。そこには特別な意味がある。

 

「でも彼はバーンの名前に、(ミスト)という言葉を足された名前をしている」

「どういうことだ? 影武者、とかか?」

「結論から言うわね。大魔王バーンは、限りなく永遠に近い生命を得るために、自分の肉体を二つに分けたの。叡智と魔力を残した老人の身体と、若さと力を持ったもう一つの身体の二つにね」

「なんと……!!」

「そして分離させた肉体には、凍れる時間の秘法という秘術を使ったわ」

 

話を聞き驚きを見せるが、これだけで話は終わらない。続く凍れる時間の秘法という言葉に、フローラが僅かに反応を見せた。

 

「これはあらゆる外部の影響を遮断するの。僅かな例外を除けば、どんな攻撃も呪文も影響を受けず、それどころか時間の影響すら受けない。秘法が使われた時の姿のまま――若いままの姿でずっといられるの」

 

凍れる時間の秘法という物の存在すら、知ってる者は皆無に近い。そこに大魔王が肉体を分けるとなれば、もはや話についていくだけでも精一杯なのだろう。

 

「そしていざという時には、二人のバーンが一人になるの。知恵と魔力、若さと力を兼ね備えた最強の存在になって敵を迎え撃つ」

「それが、バーンの本気……」

「ならばその若い肉体を今のうちに探しだし、封印すればいいのでは?」

「それも不可能です」

 

ホルキンスが妙案を思いついたとばかりに口にするが、チルノはすぐに否定する。

 

「正確には"探す必要がない"そして"簡単には出来ない"というのが正しいですね」

「む? どういうことですか?」

「若いバーンの肉体の場所は、私たち全員が知っています」

 

さながら謎かけのようなチルノの言葉。だが、その言葉にヒュンケルは目敏く反応してみせた。ここまでヒントが揃っていることもあるにせよ、流石は教えを受けた身というところだろうか。

 

「まさか、ミストバーンの正体とは……!?」

「ええ、秘法で凍っているバーンの肉体を覆い隠す黒い霧。それこそが本当のミストバーン。その正体は魔界の暗黒闘気の集合体が命を持った存在なの」

「暗黒闘気が、命を……?」

「人の様な姿形をしているのは、若いバーンの肉体が骨格のようになっているから。そこに筋肉のようにミストバーンが覆っているの。そしていざという時には、バーンの肉体に入り込み、敵を倒すことを許可されている」

「まさか、ありえません!!」

 

そこまで話を聞き、フローラが叫んだ。

 

「凍れる時間の秘法は外部からの影響を受けません! それをどうやって肉体を操るんですか!?」

 

かつて凍れる時間の秘法はアバンがハドラーを封じるために使ったことがある。その時は術者の力量不足もあって二人とも時間が止まったままだったのだが、そこからなんとかアバンだけを助けようとカール王国が試みなかったはずはない。

その時の苦い経験が今の疑問を生んでいるのだろう。

 

「それは、ミストバーンの持つ特殊な能力が原因です。暗黒闘気の集合体のため、生身の肉体を持たず、その代わりに他者の肉体に憑依して操る事が出来ます。その能力に加えて身体全てが暗黒闘気という特性、バーン自身も暗黒闘気の使い手という三つの要素が重なって、不可能を可能にしているんだと思います……」

 

この辺りは、本来の歴史でも曖昧な部分が残ったままである。そのためチルノは推論を交えつつ説明を行った。

 

「ミストバーンが無口だったのもそれが一因か?」

「そうか! 下手に喋れば同一人物だと気付く者が現れるかもしれない!!」

「だろうな。だがバーンが黙るわけにはいかない。ならば影が黙るしかない」

 

元魔王軍に属していた二人はやはり理解が早い。チルノが説明せずとも、補足するように言葉を交わすその姿に、彼女は少しだけ感謝する。

 

「話が長くなりましたが、結論を言わせていただきます――バーンは真の姿という奥の手を隠している。けれど、若さを失うためその手段は可能な限り取りたくはない」

 

バーンの強さを一通り語り終えた少女は、最後とばかりに自身の考えを口にする。

 

「逆に言えば、ミストバーンを倒せばバーンの若い肉体は無防備になる。老人のバーンの方は可能な限り準備を整えて対策を講じれば、ギリギリ勝利は出来るはず……」

 

はず、と言う言葉を使ったのは彼女の自信のなさの現れでもあった。

 

「相手が私達を侮って全力を出さずに、猫がネズミを甚振って殺すような真似をしている間に、勝利をもぎ取るしかないと、私は考えています……」

「なるほど。追い詰められたネズミは獅子よりも凶暴ですからね。その恐ろしさをたっぷりと教えればいいわけか」

 

ネズミと言う言葉が出来たからかチウが得意げに口を挟む。

 

――そんな(ことわざ)はねぇよ。

 

全員の心が一致した瞬間だった……一人(チウ)を除く。

 

「と、とにかく」

 

場の空気を取り戻すかのように、チルノは大慌てで言う。

 

「これがバーンの正体。そして最後に、バーンの目的についてお話します」

「それこそ、私達を殺して地上を征服するんじゃないの? ミストバーンも言っていたじゃない」

「ああ、オレたちもそう聞いている」

 

レオナとヒュンケルがそう口にする。

 

「ううん、それは過程でしかないの。本当の目的はもっと別にあるわ。真の目的は、魔界に太陽の光を差し込ませること」

 

そう言うとチルノは、指を下に向ける。丁度地面を指し示す仕草に、数名が意味がわからないといった顔をする。

 

「魔界は地上世界から地下深くにある。でも目的を達成するには、地上世界が邪魔。だから、地上の大地全てを吹き飛ばしてそれを実現しようと考えているの……それが、真の目的よ。大魔王軍やハドラーの復活も、もっと言えば私達の抵抗も全部、片手間の余興みたいなものでしかないの」

 

そう言われて、本日何度目かとなる絶望感にも似た何かが一帯を支配した。

家の日当たりが悪いからと言って、屋根を破壊する馬鹿などいないように、そんなことをすれば地上はおろか魔界もただでは済まないはずだ。だがその馬鹿を大魔王は本気で実行しようとしている。

これに無力感を感じない者などそうそういないだろう。

 

「勿論それは阻止するつもりですし、実現には大がかりな手順が必要です。防ぐ手立てはあります。これには諸王の皆様の協力が必要で……」

「無論じゃよ!」

「ああ、何をすればよい? 費用は全て我がベンガーナが出そう」

「私も微力なれどお助けしましょう」

「ワシの知識が少しでも役に立つのなら、この老骨にいくらでも鞭を打とう」

「当然、カールも協力を惜しみません。世界の危機なのですから」

 

遠慮がちに言った言葉ではあったが、だがその言葉に各国代表者たちは予想以上に食いつきを見せた。皆、世界の危機という事実とそれから逃れるための方法ということもあってか意気込みが違う。

 

「それならば、部下や知り合いの魔法使いにヒャド系呪文の特訓と、ルーラで移動できる範囲を可能な限り広げるようにお願いできますか?」

「どういうことじゃ?」

「地上の破壊に、バーンは黒の核晶(コア)を使います」

「黒の核晶(コア)じゃと!?」

 

耳慣れぬ言葉に、だがテラン王フォルケンは弱りつつある身体の事も忘れるほど大声で叫んだ。

 

「ご存じなのですか?」

「うむ。禁呪法よりも恐ろしい、魔界の爆弾と聞いたことがある。大きな物ならば、大陸一つを沈めるほどの威力を持つとか……」

「さすがはテラン王、博識ですね。その通りです」

 

チルノの知らぬフォルケンの知識量の片鱗を見せつけられ、少女は小さく唸る。伝承などに詳しいとは聞いていたが、

 

「ロモス・オーザム・リンガイア・パプニカ・バルジ島・カールの計六つに、黒の核晶(コア)が落とされます。その六つの爆弾を同時起爆させることで六芒星を描き、破壊力をさらに上げることで地上を消滅させる計画です」

「では、先の話はそれを防ぐ方法なのですか?」

 

その言葉にチルノは首肯する。

 

「そうです。黒の核晶(コア)といえども機械仕掛けですから凍結させれば動作を停止させられます」

「なるほど、それを行うためのヒャドとルーラですか」

「はい。ただ、タイミングが重要なのです。計画では、まず世界中に五つの爆弾を設置。そして最後の六つ目を設置すると同時に、全ての爆弾に仕掛けられた時限装置が作動して、六分後に同時爆発を起こします。ですから、この六分の猶予の間に全てを凍らせます」

 

そこまで聞いて、当然の疑問のように三賢者のエイミが口を挟む。

 

「だったら、その五つを予め凍らせておけば余裕が生まれるのでは……?」

「いえ、それをバーンが許すとは思えません。私達はバーンが黒の核晶(コア)を設置させる前に倒すつもりですが、もしも設置された場合は何も手を出さないでください」

「……どういうことですか?」

 

エイミに続き、今度はマリンが質問する。

 

「下手に動けば、黒の核晶(コア)による地上破壊計画が崩壊する。そうなればバーンがどんな手を使ってくるかわかりません。だから、あくまで私達は大魔王に"計画は順調に進んでいる"と思わせた方が楽でしょうから」

「なるほど。確かにそうですね」

「それと同じように、今まで私がお話をした内容も全て、実際に体験したときには初めて見聞きしたように反応するように心がけてください」

「……そうしなければ、黒の核晶(コア)の時と同じように警戒される。どこから綻ぶかわからない。そういうことでしょうか?」

 

アポロの言葉にチルノはゆっくりと大きく頷いた。

チルノが多くの人々に秘密を公開することを後回しにしていた理由の一つがそれである。知る者が多くなれば、それだけボロを出す確率も上がる。特にバーンという絶対強者がいるこの世界では、どんなミスが引き金となるかもわからない。それを回避するためにも、情報は可能な限り隠匿しておきたかった。

 

「聞いたあなたたち!? チルノの苦労を無駄にするんじゃないわよ!! 特にアポロ! マリン! エイミ! もしも黒の核晶(コア)が出てきた時はあなたたちが先頭に立って凍らせていくのよ!! 伊達に三賢者を名乗っているわけじゃないんでしょう!?」

 

それを合図としたかのように、レオナが威勢良く口を開いた。投げかけられる言葉は、おそらく最前線で闘うことになるだろうアバンの使徒たちへの注意と引き締めのため。そして、万が一のための準備を怠らせないための言葉である。

一国の頂点に立つ者として、アバンの使徒たちを導くリーダーとしての現れのようだった。

 

 

 

 

 

「最後に、自分のことを少し話しておくわね」

「自分のこと?」

 

チルノの言葉の意味が掴めず、レオナが頭上に疑問符を浮かべる。

 

「レオナだって最初は驚いていたでしょ? 私はメラもホイミも契約できない。でも、その代わりに不思議な力が使えるって。その理由についてよ」

「ああっ! そういえばそうだったわね。もうあまりにも当然のように使っていたから、気にならなくなってたわ……」

 

かつてデルムリン島で初めて会ったときのことを思い出して、レオナは郷愁を覚える。あの時はあれほど気になっていたことがもはや欠片すら疑問に思わなくなっているのは、チルノへの信頼の証でもあり、同時に人間はどんな異質な事であっても自分たちに便利な事ならば慣れていくということでもあった。

 

「でも、理由とは言ったけれど推測に近いから……知りたくないから、これは黙ったままにしておくけれど……どうする? やっぱりやめておいた方が良い?」

「ううん、聞かせてちょうだい。それにここまで来て黙っているのはズルいわよ。気になって夜に眠れなくなっちゃう」

 

確かに、バーン打倒に関してだけ言えば直接聞く必要は無いかもしれない。だがもはや、チルノが知りえる知識について全員が興味を持っている。レオナの言葉がなくても、誰しもが聞きたいと答えただろう。

 

「それじゃあ、話をするわね……と言っても、さっきも言ったけれど推測混じり。後になればなるほど但し書きが多くなるから、そこだけは覚悟しておいて?」

 

ある意味では全員の目が今日一番強く注がれる中、チルノは自身の事について語り始める。

 

「前にも言ったけれど、私はこの世界の出来事が物語として存在している世界から来たの。でもその世界には物語はそれ一つだけじゃない。他にももっとたくさんの物語があって、私が使っているのはその中の一つ、とある別の物語の中で使われている呪文なの」

 

その物語の中では魔法と呼ばれている、この世界のメラやヒャドとは全く大系の違う呪文なんだけれどね。と付け足す。だがそこにポップが口を挟んだ。

 

「……ん? なんでそんな面倒なことをしてるんだ? 呪文なんて統一した方が楽だし分かり易いだろ?」

 

彼が疑問として言いたかったのは、火炎を扱う呪文ならばメラ系で。治癒の呪文ならばホイミ系で統一すれば一目瞭然だろうということだった。実際に呪文という異能の技術が存在している世界だからこその認識といえるだろう。

 

「それはね、私のいた世界に呪文なんて存在していないからなの」

 

だがチルノのいた世界にそんな物は存在しない。存在しないからこそ、各人が自由に想像する余地が残されているとも言える。その結果が、作品毎に異なった呪文が生み出される一因なのだろう――権利関係とかそういった部分もあるだろうが、それは今言うことでは無い。

 

「モンスターもいなければ、魔王軍も存在しない。その代わり科学技術がすごく発達していて、例えば馬よりも早く動く鉄の箱に乗って移動したりしてるわ」

「鉄の箱……?」

「えーっと……」

「上手く想像が出来んな……」

「まあ、その話は置いておきましょう」

 

ある意味で今日一番頭を悩ませる仲間たちの姿に苦笑しながら、チルノは話を進める。

 

「それで、別の作品――ううん、異世界って言わせて貰うわね。その異世界の力を、私は使えるの。武器を加工していたり、(ドラゴン)の騎士しか使えないはずの魔法剣を使えたりは、全部その異世界の力のおかげ」

「異世界って凄いのね……自分の常識がおかしくなりそう……」

「常識がおかしくなっているのは、多分私が一番影響を受けているわね。だって、どうしてこんな力を使えるのか、自分でもさっぱりわからないんだから」

「わからない?」

「自分でも?」

「うん、そうよ。そもそも使えるって気付いたこと自体が偶然なの。だって自分の知っている物語の世界に来ているのよ? なら、その世界の呪文――つまり、メラやホイミを使えるって考えるのが自然でしょう? 異世界の力を使おうって発想が不自然、使えてしまうのははっきり言って異常よ」

 

極端に言えば、魚の世界に鳥の世界の常識を適用するようなものだろうか。ましてやその常識が現実に通用するなど、よく知っているからこそ逆に考えにくい。

 

「確かにそうね……」

「じゃあ、なんで使えるんだ?」

 

多分、会社が合併したからじゃないですかね? と言えればどれだけ楽だろうか。多分、口が裂けてもこれは言えない。

 

「……ここから先は推測だけよ。確証は何にもない、ただ私が知っている知識から推測しただけで、実際には絵空事かもしれない理由」

 

そもそもそんな不確かな理由で使えるようになるなど、信じられない。だから彼女は、自分の知り得る知識と現在の状況から、とある仮説を生み出していた。

 

「まず、私がこの世界に来た理由――それは多分、天界の精霊の仕業だと思うの」

 

そう言いながらチルノは少しだけ上を向く。とはいえ室内のため見えるのは天井だけしかないのだが、彼女が見ようとしているのはその先――天空に存在すると言われている天界だった。

天界には精霊たちが住まい、彼らは武力を持たない代わりに不思議な力を使うと言われている。かつてバランが魔界で冥竜王ヴェルザーを倒した際に魂を封じることで復活を阻止するなどを行っている。

 

「精霊が神に交渉して私を、正確には私の魂を連れてきたんじゃないかって思っているわ」

 

といっても、この世界とチルノの魂が元々存在していた世界は同一ではない。となれば、直接この世界に呼び寄せたというよりも、それぞれの世界の神々が何らかの交渉など行って連れてきたと考える方が自然だろうが。

 

「でも、何のために?」

「さっきも言った通り、バーンが強くなりすぎたから。それが原因だと思う」

 

本来の歴史でも(ドラゴン)の騎士の生と死を司る聖母竜マザードラゴンの口から、大魔王バーンは明らかに神の力を上回ると明言している。(ドラゴン)の騎士の力を持ってしても悪を制裁できないと諦めるほどに。

 

「おそらくだけど、この世界だけではバーンよりも強力な存在を生み出すことはできなかった――いえ、たっぷりと時間を掛ければ不可能ではないかもしれないけれど、それだけの時間を使えばバーンもより厄介になる」

 

だが(ドラゴン)の騎士はダイで最後。マザードラゴン自身はバーンとはまた別の邪悪な力によって命が尽きようとしている。そのため(ドラゴン)の騎士は新しく生み出せない。より強力な(ドラゴン)の騎士の上位互換のような存在を生み出すにしても、そう容易に出来るはずもない。

 

「だから、それを解決する方法を私に求めたんだと思う。この世界の本来の歴史という知識を持っていて、異世界の力という禁忌の操れる存在を」

 

だから、自分たちで解決できないので他者の力を借りる。そんな当たり前の行動を取ったのではないかと考えた。

 

「でも異なる世界の力を使う存在を招き入れるなんて、普通は許されることじゃない。逆に言うならば、それすら許容するだけの理由があった」

「だからそれは、バーンの力が強くなったからだろ?」

 

至極真っ当な意見のように聞こえるが、チルノはそれを否定する。その理由が正しければもっと早くに。バランがヴェルザーを討伐した頃にはバーンの恐ろしさもとっくに気付いていたはずだ。

 

「ううん、そうじゃないと思う。強くなったと感じても、実害は出ていないんだもの。極端な話、この地上世界に大魔王が姿を現したときに、バーンが何もしなかったらどうだったかしら?」

 

世界各地に大きなキズを受けて、ようやく人間たちは一丸となることを学んだ。だが危険な相手でも手を出してこなければ、果たしてどうだっただろうか。

 

「圧倒的な力を持っていても、何もしない。そりゃあ、何時かはその力が自分たちに向けられるかもしれないから、警戒と対策は行うでしょう? 何かチャンスがあれば動くかもしれないけれど、積極的に抗おうと思うかしら? 天界も同じだったんじゃなかと思うの」

 

例えば(ドラゴン)の騎士バランに命じてヴェルザーを倒させ、その隙に魂を封印したこと事例があるように、警戒はしていても積極的に攻勢に出るだけの力はない。だが隙は逃すこと無く対処する狡猾さを兼ね備えている。

 

「どこか油断していたんでしょうね。自分たちの所に攻め込んでくるはずがないって……でも大魔王バーンの力が実際に自分たちの喉元まで突き付けられた。多分バーンが天界に攻め込んで、精霊も神をも倒そうとしたんでしょう」

 

だがその狡猾さも、(ドラゴン)の騎士という最強の力に頼ったものだ。それよりも強いバーンを相手に抗う術は天界には無い。

 

「いわゆる手段を選んでいられない状態になった……手段を選んでいたら、自分たちまで滅んでしまう。だから、禁忌の力に頼った。そしてもう一つ」

 

天界から見れば魔界は地底の奥深く。そして間には地上世界がある。地上という住みやすい環境を得て、魔族も安心するだろうと。遠く空の上に存在する天界にまでちょっかいを掛けるようなことはないだろうと。

ましてや野心的な動きを見せるヴェルザーは既に封印済みだ。バーンの力は強大なれど、天界が危機になる可能性は低いはずと、そう考えたのではないだろうか。

 

だがその予想は裏切られ、尻に火が付いてようやく精霊たちはどの様な手段を使おうとも抗わなければならないと気付いたのではないか。

 

どうして自分が異世界の力を使えるのかの推論を終え、そしてもう一つの謎に対する推論を少女は口にする。

 

「その禁忌の力の持ち主といえど、すぐにこの世界に呼ぶことは出来なかった。強力な存在を召喚するには手間と時間が掛かり過ぎて、直前に迫る驚異には使えない。だから禁忌の力を扱える程度の存在を、バーンを倒しうるギリギリのタイミングに送り込んだ」

 

それは何故、赤子の時分にデルムリン島にいたのかという問題だ。

 

「勇者ダイの存在こそが、大魔王バーンを倒せるかどうかの最後の分水嶺。そのタイミングと合わせるように、送る時間を操作する。(ドラゴン)の騎士と異世界の力の持ち主が共闘するように生まれや立場を調整してね……つまり――」

 

物語の中ではバーンは倒された。勇者ダイを中心とした仲間たちの活躍によって。だが、物語の通りに全てが転がるという保証はない。

 

「――私の知る物語の中では大魔王バーンは倒された。けれども実際はバーンを倒すことが出来ず、世界は闇に包まれた……そんな未来こそが正史。その世界の天界の住人から、時を遡って送り込まれた存在が、自分なんじゃないか……私が出した仮説はこれよ。とはいえどうして私が選ばれたのか、そこまではわからなかったけれどね」

 

突拍子もなさ過ぎる推論に、全員が絶句する以外の反応ができなかった。

特に実はバーンによって地上は滅びていたのではないか、と言う考えは彼らの心を震え上がらせるのに十分な力を持っていたようだ。

 

「でも、これはあくまで想像よ。事実である証拠なんてどこにもない。もしかしたら、世界のどこかでミスがあって偶然ポロッと生まれてきただけかもしれなんだから」

 

そんな彼らを安心させるように、チルノはカラカラと笑いながらふざけた態度を取って見せる。口にすることの出来なかった最後の推論を胸中に浮かべながら。

 

――本当にこの推論が正しいのなら、バーンを倒せば私はお払い箱。異世界の力を使うのは、世界の理を乱す行為に繋がるのかもしれず、下手すれば世界そのものの法則が乱れ、崩壊する可能性すらあるのかもしれない。

 

バーンを倒した後に果たして自分が無事でいられるのか? その疑問をチルノは口には出せず、飲み込むことしか出来なかった。

 

「私が鬼岩城を相手に降り注がせた隕石も、異世界の力です。私が扱える力には、あれ以上に強力な力も存在しています。悪用すれば他国を簡単に制圧することも出来ます」

 

そして飲み込んだ言葉とはまた違う、もう一つの懸念点をチルノは口に出す。

 

「悪用を、するつもりなのかの……?」

 

シナナの言葉に、チルノはきっぱりと首を横に振る。

 

「そんなつもりは毛頭ありませんよ。ですが、どうにかしてこの力を利用してやろうと考える人間は必ず出てくるはずですし、そもそもそんな力の持ち主が存在しているだけでも人々は強すぎる力に恐怖を感じるはずです…そこで、諸王の皆様にお願いがあるのですが……」

 

 

 

 

 

再び会議場へと戻ってきた一同。

そこにいるのは各国代表者とチルノだけであり、それ以外の人々は全て外で待機している。いわゆる世界会議(サミット)開催時と同じ状況――だが決定的に違うのは、集まった人間全てが協力を惜しまないと考えていることだろう。

 

「すみません、ワガママを言ってしまって」

 

まずは開口一番チルノが頭を下げる。

「内密の話がしたい。ただ、とてもワガママな話なので各国代表だけにまずは話を通しておきたい」と告げられ、彼らはこの場所へと移動していた。ここならば話が誰かに漏れる可能性も低く、そして少々傲慢が過ぎるお願いのために、

 

「いやいや、構わんよ」

「そもそも世界会議(サミット)は改めて行うつもりだったのだ。そこに新たな議題が一つ二つ増えようとも、困るようなことはない」

「あなたの言葉を聞いて私達は皆、色々と考えることが出来ました。その重大な情報を齎してくれたチルノの願いなのですよ? 全力で実現することを約束しましょう」

 

フローラの言葉にチルノは破顔しつつも再度頭を下げる。

 

「ありがとうございます。ただ、これから話すことは戦後――つまり、バーンを倒した後の懸念なんです。気が早いと思うかもしれませんが、必要になるはずなんです。そして、そのためには皆様の協力が必要不可欠……だから、まずは皆様に話を通しておきたかったんです」

「その懸念とは?」

「ダイのこと、です」

 

ダイ本人には決して聞かせられない、聞かせたくはない内容のことだ。

 

「私の知る物語の中で、ダイはバーンに配下になれと勧誘されました。自分を倒しても人間はダイのことを間違いなく迫害すると。人間は最低だと。苦しい時だけ泣いてすがり、平和に慣れればすぐに不平不満を言い始めると。純粋な人間でないダイを英雄の座から追い落とすと」

「そんなっ! 私たちはそんなこと絶対に……!!」

「ええ、勿論。ダイはバーンの誘いを断ったわ。でも、レオナのその言葉は私たちがダイのことをよく知っているから。でも相手となるのは"国"や"人々"という不特定多数の存在。目に見えにくい相手にどう立ち向かえば良いのかしら?」

 

まるでダイとバーンが語り合っているシーンを再現しているかのようだった。

 

「バランがソアラさんを失った時とよく似た事になりかねない。ましてやパプニカで国賓となったはずのマトリフさんも、今では嫌気が差して隠遁生活しているの。同じ事が起こらないと断言できる?」

 

そう問われてレオナは言葉に詰まる。

特にマトリフのことは自国の臣下たちの行動であるため、本人に責は無いものの強く出られないのもまた事実だった。

 

「でもね、バーンの言葉を聞いてダイはこう答えたわ……『バーンの言うことも正しいけれど、それでも自分は人間が好きだ。もし本当に地上の人々がそれを望むのならば、自分はバーンを倒して地上から去る』って」

「な、なんと……」

「新たな(ドラゴン)の騎士様は、なんと高潔なお方なのだろうな……」

 

実際に聞いたわけではない、言うなれば伝聞のような言葉。ましてやダイが口にしたわけでもなく、これから口にする保証もない。だがチルノの語りに、諸王たちは絶句していた。

ダイの人柄を良く知る者ほど、強く信じてしまう。それだけの説得力があった。

 

「でも私はそんなのは絶対に嫌。だから、一つだけ考えたの。とってもとってもズルい作戦を――」

 

そしてチルノはその作戦を語り始めた。

とても単純な、けれども効果は間違いなくあるであろうと確信出来る。何しろその効果の程も恐ろしさもチルノはよく知っているのだから。

 

「なるほどね」

「確かに、ズルいと言うのもよくわかるのぉ」

 

話を聞き終え、諸王たちは一斉に頷く。

 

「ですが、有効な手ではあるでしょう」

「ええ、私もそう思います」

「ワシも同意見じゃな。よし! ならば実現に必要な資金もベンガーナが出そう!!」

「あの……発案者の自分が言うのも憚られますが、本当に良いのですか?」

「構わん! 世界を救った大英雄にそのような非業の未来が待っているなどあんまりではないか!! なあ、皆の衆よ!!」

 

芝居がかったクルテマッカの言葉に、だが一同は迷うことなく了承の意を示して見せた――いや、前言を一部撤回させていただこう。

ただ一人だけ、思案顔をしている人物がいた。

 

「でも、まだ弱いんじゃない?」

 

レオナが異を唱える。

先ほどマトリフの例を挙げられたためか、どうやら考えが慎重になっているようだった。とはいえ概ねは賛成であるのだが。

 

「現状でもダイ君たちとパプニカの仲が良すぎるのよ。そうなれば当然、不要なことを勘ぐる人間が出てきてもおかしくはない。念には念を入れる位で丁度いいはずよ。だから――」

 

それ以上の事態に備える意味でも、レオナは自身の考えを述べた。

このまま上手く交渉すればパプニカにダイとチルノという二人の英雄を招くことも不可能ではないだろう。

その可能性を全て捨ててでも、ダイたちの役に立ちたいという想いの方が強かった。

 

「それ……本当にいいの……??」

「あくまで案だけれど、問題はないはずよ。条件も満たしているはずだしね。とはいえ私の一存だけじゃなくてダイ君の意志も確認しなきゃだし、何より各国の王様の許可も必要だろうけれど……」

 

急に湧いて出たレオナの考えのため、色々と荒く問題を抱えていることも事実である。だがレオナの言葉を聞いてなお、諸王たちは難色を示すことは無かった。むしろ諸手を挙げて賛同しそうな勢いである。

 

「だったら、そこに更にもう一つだけいい?」

 

レオナの案に刺激を受け、チルノが手を上げながら考えを述べ始める。

 

「各国から、監視の役目を持った人間を用意して貰いたいのです」

「どういうこと?」

「ダイも私も、名誉は要らない。人間の敵になるつもりもなければ、危害を加えるつもりもない。私達の力は人々の危機のためにだけ使う。そう盟約を結んだ上で、各国の監査役が問題なく実行されているかを見張る。力を使うのにもその人たちの許可が必要だし、もしも違反していれば国元に報告をする。そんな役目を持った人たちを」

 

幾ら自分たちが「安全だ」と言っても、それが正しく行われているかを目に見える形で証明するのは難しい。ならばそれを外部の人間に頼れば良いのだ。

信用されていないと声高に喧伝しているようにも見えるが、だからこそ正常に機能しているとも言える。

 

「なるほど。分かり易く抑止力を見せるわけか。おまけに各国の人間が集まる以上、護衛なども必要になる。人が集まれば交流も生まれるはず。ならば発展していくこともそう難しくはないだろうな」

「ええ、最初のうちはちょっと辛い暮らしをさせてしまうかもしれないけれどね。でも、良い案だわ」

「さすがはチルノですね。抜け目が無いようです」

「え……あの、そこまでは考えていなくて……」

 

考えていた以上の効果があると指摘され、チルノは慌てて否定する。だが少女のその言葉を信じる者はどうやらいなかったようだ。

そのまま世界会議(サミット)は続き、チルノの知る本来の歴史の力を借りながらも、大魔王との戦いに勝利すべく知恵を懲らせていく。

 

話し合いは夜遅くまで続けられた。

 

 




――全部話すから。
そう言っておきながら、所々を伏せるチルノさんは悪女(断言)
だって黙っていた方が絶対面白いんですもの(下衆)

色んな所に遺恨が生まれているからその辺は抑えた……つもりです(自信なし)
事実、何を書けば良いのかすっごく困ってしまって……(当惑)
(実際、ラハに竜騎衆を救えず謝る予定でした。でもバランに言われたとしてもガルは離脱(最悪敵に回りそう)で、ボラは役立たず(ワニの下位互換)になりそう)

どこかミスや変な部分があったら、見逃してください(低頭)

さて次話は、某今回殆ど喋らなかった子と1対1でしっかり会話(する予定)
登場するのも二人と二匹だけで短い(だったらいいなぁ)


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LEVEL:77 ごめんなさいがいいたくて

大礼拝堂の上階へと消えていくチルノと各国代表たち。彼らの後ろ姿を見送り、やがてその姿が完全に見えなくなり、さらにしばしの時が流れる。

 

「ねえ……ちゃん……」

 

腹の奥底から声を絞り出したような、だがそれでもなおか細い声でダイが呟く。彼の視線は、もう既に影も形も見えなくなっているというのに未だにチルノのことを追っているように見える。

 

「あの、ダイさん……」

「……なに?」

 

そんなダイの背中を見かねたかのように、メルルが声を掛けた。ダイはメルルの方を向くと、どこか力の無い瞳で彼女を見つめる。

 

「その……あまり気を落とさないでください」

 

その瞳を見ながら、メルルは気を遣うように言う。ダイの落胆している理由は、メルルにも容易に推測できる。直前まで聞いていたチルノの話が原因だろう。その話の最中、ダイは殆ど口を開くことがなかったのだ。

その事実に気付いており、そしてダイがどういう気持ちになっているのか。メルルはなんとなく察していた。

 

「私も占い師ですから、お客さんに自分の将来を占ってくれ、みたいなことを言われる時はたくさんありました……でも占いの結果は、常に良いとは限りません。良い時もあれば、悪い時もあります」

 

そしてダイを元気づけようと、彼女は必死で言葉を紡ぐ。自分の過去の経験と照らし合わせながら。

故国テランを出立してからベンガーナでダイたちと出会うまで、彼女は祖母ナバラと共にあちこちを転々としながら占い師として生計を立ててきた。その殆どはナバラが占いを担当していたが、彼女自身が占いを行うときもあった。

 

「私はこんな性格ですから、悪い結果を伝えるのにも少し勇気が必要で……それに、悪い結果の場合は殆どの方が、怒ってそれ以上聞く耳を持たないか、信じないままで終わってしまうんです」

 

だが人間、都合の悪いことは聞きたくないものだ。

だから頭ごなしに否定するか、そうでなければ逃げてしまいそれ以上の言葉を自分から遮ってしまう。

 

「だから、その……」

「メルルや、その辺にしておき」

 

必死で伝えようとする孫娘の姿を見かねるように、ナバラが口を開いた。

 

「おばあさま! でも、私は……!」

 

だがメルルも素直に引き下がろうとはしない。ここでダイに言い聞かせることが自分の使命なのではないか。そう思わせるほどの必死さであった。

遠慮がちだった孫娘の成長した姿を目にして、ナバラは驚かされる。だが、全てを任せられるほどの域にはまだ達していないとも、彼女の目には見えていた。この大役を全うするほどの技量はないだろう。

 

「あんたが言いたいこと、伝わらないわけじゃないだろうけどね。けれどまあ、こういう話は年寄りに任せておきな。何しろ、今まで口八丁で生きてきたようなもんだからねぇ」

 

それに嫌われるのも慣れたもんさ。とまで口にすると、ナバラはヒッヒッヒッとどこか妖怪染みた自虐の笑い声を上げる。その口ぶりはつまり、ダイに不快な思いをさせることも厭わず話をするということを意味していた。

その事実に気付き、メルルは沈黙したままゆっくりと祖母へ場所を譲る。

 

「さて、と……」

 

そこへ入れ替わるようにナバラが入った。気を取り直したようなその言葉は、ダイに僅かな緊張感を与える。

 

「チルノのお嬢ちゃんが言ったことが信じられないんだろう?」

「……はい」

 

突然、遠慮無しに核心を突いてきたその言葉であったが、だがどこか気を遣われるよりもスッとダイの胸中へと入ってくる。気付けばダイは素直に返事をしていた。

 

「まあ、確かにそうだろうさ。未来だなんだって言われても、そう簡単に信じられるもんじゃない」

 

人の運勢や未来を見る占い師らしからぬ言葉だった。

けれども少し考えれば、それは決して不自然な言葉でもない。むしろそういった不確かなことに関わり続け、商売道具として扱ってきた占い師だからこそ、その言葉は重いとすら言える。

 

「それにあたしらだって、予知で見た未来の全部を全部、そのまま伝えているわけじゃないさ」

 

その言葉にダイ――だけでなく、近くで耳をそばだてているポップらも驚いた表情になる。まあ、人の集まった場所で声を潜めるわけでもなく話をしていたのだ。聞いていたとしても当然だろう。ましてや話の中心にダイがいるとなれば。

 

「例えばそうさね、火山が噴火して街が一つ全滅する。そんな未来を予知したとして、それを街中で声高に叫ぶような真似はしないよ。そんなことをすりゃ、たちまちパニックになっちまう。下手すりゃ、災いを呼び込もうとする魔女扱いで街を追われちまう」

 

呪文も占いも存在する世界ではあるが、それだけに偏見や迷信も色濃く根付いている。追い出される程度ならまだ優しいだろう。

 

「だからそういう未来が分かった時には、方法の一つとして……街の権力者に訴える。そこで権力者の口から穏便に避難する方法を用意してもらうのさ。そうすりゃ混乱も少ないだろう?」

 

占い師に出来ることはただ未来を占うことだけ。その結果を左右することはできない。だから間にワンクッション挟むことで話の信頼度も高くなり、無用な刺激を与えることなく穏便に人々に伝える事だって出来るようになるはずだ。

 

とはそれは理想論でしかない。

実際には、流れ者の占い師が街の権力者にそう簡単に会うことなんてできるものではない。運良く会えたとしても、そんな話を丸々信じてもらえるはずもないのだが、だがその事実まではナバラは語らなかった。

これもまた、全部を伝えるわけではない占い師の知恵という物だろう。

 

「そういう意味じゃ、あのお嬢ちゃんは落第だね。大勢の人間に伝えなくても良いことまで伝えすぎている。これが占いだったら、すぐに街中が大混乱して収集が付かなくなっちまうだろうよ」

 

ヒヒヒと商売を失敗した同業者を嘲笑うような声を上げる。だがそれは、大いなる自虐を含んだ笑みであった。

ナバラの表情はすぐに消沈したようなものに変わる。

 

「でも伝えているだけマシかもしれないね。あたしみたいに黙って街を逃げるよりはさ……あたしらが各国を渡り歩いている時は、難が来ることが分かったらすぐにでも街を移り歩くことにしていたんだ。誰にも伝えず、自分たちだけは助かるようにね」

 

そこまで口にして、彼女は慌てて二の句を継いだ。

 

「ああ、でも勘違いしないでおくれよ。メルルは違う。この()はただ、あたしの言葉に従って付いてきているだけだった」

 

それは孫娘を庇うための道化のような行動だった。いや、孫娘だけでない。メルルが信じるチルノをも案じたがための言動なのだ。自分一人で罪を被るような言い回しをして、怒りの矛先を全て自分へと向けようとしている。

 

「……じゃあ、姉ちゃんもおれたちの事を思って?」

「さて、ね……あたしはあの嬢ちゃんじゃないから、その真意まではわからないよ。けどまあ、そういった部分もひっくるめて一通りを伝えようとしたんだ。そこはあんたらを信頼しているってことじゃないのかい?」

 

ナバラは首を捻り、曖昧に答えるだけだ。

 

「内容が突拍子もなさ過ぎて、けれどもお嬢ちゃんのことは信頼している。それはあたしらで言うなら、客が悪い占いの結果を信じたい気持ちと否定したい気持ちが揺れ動いているようなもんだろう? そんなときは少し冷静になって考えりゃ、尋ねたいことはボロボロ出てくるもんさ」

 

実際そうだった。そう笑いながら口にする。

 

「あんたらは姉弟なんだろう? だったら納得できるまでトコトン聞きゃあいい。どこを悩んでいるのかは知らないが、口を動かすのはタダなんだ。納得するまで問い詰めてやりゃいいさ。あれだけ一方的なことを言ったんだ、そのくらいの事をしてもまだまだ許されるだろうよ」

 

そこまで口にすると、ちらりと天井へと視線を伸ばす。

 

「幸いにも、考える時間はたっぷりあるようだしね」

 

上階では会議が始まっているのだろう様子を想像し、ナバラはそう呟いた。何しろチルノの言葉を聞いてしまっては会議はやり直しだろう。新たな情報から戦略なども変わるはず。そしてそれら情報を最も熟知している少女がそう簡単に解放されるはずもない。

 

「……はい!」

 

ナバラの言葉で多少なりとも迷いは晴れたのだろう。ダイはそれまでよりも幾分精気の戻った顔で力強く頷いてみせる。

 

「あの、ダイさん」

 

その様子にメルルは遠慮がちに再び声を掛けた。

 

「その、これを……」

 

そして彼女は両手をダイの眼前へと差し出す。そこには一匹のよく知ったスライムと、彼が持っている物と非常に酷似したデザインの短剣があった。

 

「ピィ」

「あ、スラリン。それにこれ、姉ちゃんが持ってたパプニカのナイフ……」

 

ダイはその二つを丁寧に受け取ると、まじまじと見つめる。確かに記憶の中にあるそれと寸分違わないが、どうしてこれらをメルルが持っているのだろうか。疑問を口にするよりも早く、彼女が口を開いた。

 

「会議の前に、チルノさんから預かったんです」

「え? 姉ちゃんから??」

「はい……その時はただ、私を一番に信頼してくれたんだと思ったんですが、チルノさんは未来を知っていたから、だから私の予知の力も頼ってくれたんじゃないかって。そんな風にも思えます」

 

そこまで口にして、メルルは誤解の無いように慌てて続ける。

 

「あ、勿論それが嫌というわけではありません。あの場には私よりも強い方もいたのに私にスラリンちゃんとこのナイフを渡してくれたのも、ちゃんと意味があるんだろうって。その、上手くは言えないのですが、力を分けて貰えた気分なんです」

 

どこか誇らしげな様子でそう語る。

 

「本当なら、受け取った私から返すのが当然なんでしょうけれど、ダイさんにお願いしちゃいます」

「なんで……? そこまで分かっているのなら……?」

 

ダイの疑問の言葉に、メルルはその顔を赤らめた。

そこには勿体ないような相手のことを思うような、複雑な感情が入り交じっているのだが、だが生憎とダイはそこまで気付くことはなかった。

 

「それは、その……」

 

敵に塩を送るではないが、本来ならばここまでする義理はないのかもしれない。だがそれに目をつぶることが出来ないのもまた、メルルという少女の生き方なのだろう。

 

「何か切っ掛けがあった方が、声も掛けやすいでしょう?」

「あ……」

 

メルルの心遣いに、ダイは無言で頭を下げるだけだった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ん……っ」

 

長時間座り続けていたため凝り固まった筋肉をほぐすように、チルノは一つ大きく伸びをした。身体のスジが引っ張られ、少女の口から欠伸にも似た声が一つあがる。あまり行儀が良いとは言えないが、それも仕方ないだろう。

なにしろ今までの間ずっと諸王たちとの世界会議(サミット)に参加していたのだ。彼女の持つ知識を元に、どのように魔王軍に立ち向かうべきか。その論議の一員として参加していた。

会議を始めた時にはまだ天高く輝いていたはずの太陽が、今ではすっかり地平線の向こうに隠れていることから、どれだけ長時間だったのかが分かる。

 

とはいえそれもようやく終了し、彼女だけは諸王よりも一足早く退室していた。残る王たち――体調などの関係からテラン王はチルノよりも一足早く退出したため除くが――は未だ残って、細部を詰めるべく奮闘しているのだから、頭が下がる。

 

「あ、チルノ殿。お待ちしていました」

「はい?」

 

さてどうしたものかと思案しながら大礼拝堂の廊下を歩いていると、警護役のパプニカ兵の一人が声を掛けてきた。

 

「ダイ殿がお待ちかねです」

「ダイが?」

 

どういうことかと尋ねてみれば、一言で言えば「チルノに話があるため、ダイが待っている」ということだった。

事の起こりは会議中、ダイがチルノに話があるから部屋の前で待っても良いだろうかと尋ねたところからだ。とはいえ会議の終了時刻がわからず、加えてそもそもが個人的な話であることから、それならば大礼拝堂内の一室で待った方が良いだろうと兵士が提案。ダイはその提案に従った。ということである。

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

ダイが待っているという部屋の場所を聞き、兵士に礼を言うと彼女は小走りにその部屋へと急ぐ。広い建物でもないため、そこまではあっと言う間に辿り着いた。

 

「ダイ、いるの?」

 

コンコンコンとノックをしながら声を掛けると、内側から扉が開いた。

 

「あ……姉ちゃん」

「ごめんね、待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫」

 

実際には結構な時間を待っていたはずなのだが、それを感じさせぬようにダイは答える。

 

「入っていい?」

「うん」

 

そう言うとダイは扉を大きく開けてチルノを招き入れる。室内は小さな部屋であり、シンプルなテーブルに椅子が一脚だけ。それと仮眠用だろうかベッドが一つあった。簡素な待機部屋か何かといった様相である。

 

「それで、話があるって聞いたけれど……?」

 

長くなるかもしれないと考えて、チルノはベッドに腰掛けた。よく見れば彼女が座る前からベッドは少しだけシワが刻まれており、おそらくチルノが部屋を尋ねる直前までダイが腰掛けていたのだろう。

 

「えーと、その……これ……」

 

言葉に迷いながらもダイはチルノの正面に立ち、パプニカのナイフを差し出す。

 

「あ、それ!」

「それとスラリンも返すね」

 

続いてスライムを差し出す。こちらはダイの肩の上――普段ゴメちゃんが乗っているのとは反対側――に乗っており、常に視界に入っていた。

 

「ピィ」

「おかえりなさい、スラリン」

 

両方を受け取ると、ナイフは近くのナイトテーブルに置き、スラリンを自身の膝の上に乗せる。よく知った位置に戻ったことで若干スラリンの表情が緩み、反対にダイの表情はもう少しだけ引き締まった。

 

「ありがとう。でもどうしてダイが? スラリンは確か――」

「そのメルルに頼まれたんだ……」

「そっか……それで、話ってこれのことなの?」

 

それだけではないのだろうと心のどこかで思いつつも、チルノは意を決した様にダイへと尋ねる。そしてダイも、その問いかけに真剣に尋ねることを覚悟する。せっかくのメルルの気遣いを無駄にするわけにもいかない。

 

「あのさ、姉ちゃん……昼間の話って、あれ、本当なの……?」

「昼間のあれって……? 私が話したアレのこと?」

 

該当する物は一つしかないのだ。姉の言葉に弟はゆっくりと頷くことで返事する。

 

「……うん、そうだよ。幾つかは推測も混じっているけれど、本当のこと」

「じゃあ……じゃあさ……」

 

すがるような目でチルノを見つめる。二人の上背はチルノの方が少しだけ高いのだが、今は片方は座っており、もう片方は立ったままだ。そのため二人の目線は逆転しているはずなのだが、ダイの目はまるで怯えた子犬のようにチルノを見上げている。

少なくともチルノにはそう見えた。

 

「……おれも物語の登場人物の一人でしかないの……?」

「ダイ……?」

 

姉に向けて弟の口から発せられたのは、とても弱々しい声だった。とても口すら出したくない事を必死で言葉にしているようなものだ。

 

「全部神様が決めたことだから……姉ちゃんは、おれの姉ちゃんになってくれたの?」

「それは……」

 

ダイの言葉にチルノも何か言おうとするが、それよりも早くダイは次々に言葉を発する。

 

「おれが(ドラゴン)の騎士だって知ってたから! だからおれのことをずっと助けてくれたの!?」

 

感情が昂ぶっていったのだろう。何時の間にか弱々しかった筈の語気はどこかに消え去り、問い詰めるような強いそれへと変じている。

それは言葉だけでなく行動にも現れていた。最初こそダイは両手で拳を強く握りしめて、まるで何かを懸命に我慢しているような姿をしていたが、今やその両手はチルノの両肩へと移動していた。姉の両肩をしっかりと掴み、真剣な眼差しで見つめている。

その剣幕に押されたのだろう、スラリンはチルノの膝の上から素早く退いていた。

 

「もしもおれが(ドラゴン)の騎士でも……アバン先生の生徒でもなかったら……姉ちゃんは……おれを、助けて、くれなかったの……?」

 

一転して、再び弱々しい言葉となる。

というよりも、今の質問を投げかけるためにその直前の語気を強くしていたのだろう。その勢いの助力がなければ、とても口に出せていたとは思えない。

なにしろ、ダイ本人のチルノへの依存は考えているよりもずっと大きい。だが姉が助けてくれたその理由が、自分が特別な存在だから。特別な存在だと最初からわかっていたのだから手を貸した。そんな理由を素直に受け入れられるほど、ダイは大人ではない。

 

「おれ……デルムリン島にいたときは、姉ちゃんとずっと一緒にいるんだと思ってた……ずっと一緒にいたいって思ってた。いつか、大人になって島を出る時が来ても、ずっと姉ちゃんと一緒なんだって……それが当然なんだって……!!」

 

チルノはダイに待ち受ける運命を知っていた。魔王軍が襲ってくることも、生き別れた父親と再会することも。

だがダイはそんなことは知らない。ダイにしてみれば、ずっとデルムリン島での暮らしが続くと信じていた。ブラスが話していたこともあり、やがて年齢が満ちれば姉と一緒に島を出て、そして人間社会で暮らしていくのだろうと漠然と考えていた。

 

「でも、この関係も! おれの気持ちも!! 神様が作った物でしかないの!?」

 

そこまで言うのが限界だったのだろう。ダイの両手から――いや、全身から力が抜けた。糸の切れた人形のような頼りなさに驚いてゴメちゃんが肩から飛び上がる。そしてチルノは慌てながらも倒れそうなダイの身体をなんとか抱き寄せて支える。

 

「おれ、やだよ……そんなの、知りたくない……考えたくもない……でも、聞かなきゃもっと怖いんだ……」

 

抱きしめられた胸の中に頭を埋めながら、どうにか声を絞り出す。だがその声はくぐもっていた。単純に顔を埋めているからだけでなく、それともう一つ。感情が耐えきれなくなり、嗚咽の声が混じっているためだ。

 

「だから、姉ちゃん……お願いだよ……教えて……」

 

涙がじんわりとチルノの胸元を濡らし、染みを作っていく。

 

「ダイ……ごめんね……」

 

赤子のように泣きじゃくる弟を、姉はそっと抱きしめた。

何かを言ったところで理解できるとは到底思えないし、そもそも今のダイに何か声を掛けるだけ無駄だろう。そう判断し、チルノはダイの頭を優しく包み込み、心を落ち着かせるようにゆっくりと撫で続けていた。

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「…………」

 

やがて幾ばくかの時が経過し、ダイの泣き声も聞こえなくなった頃を見計らい、チルノは声を掛けた。立ったままは辛いだろうと思い、途中から体勢を変えている。彼女はベッドへ腰掛けており、ダイは依然としてチルノに抱きついたままの格好だ。

 

「そうだよね、ダイ……ごめんなさい。急にあんなことを言ったら、誰だって驚くよね……私の考えが足りなかったみたい……本当に、ごめんなさい……」

 

返事はなかったが、その代わりにダイの頭が少しだけ頷くように動いた。それを見てからチルノは口を開く。

 

「それとダイの質問の答えを言うね……」

 

ビクリとダイの全身が震え、全身が強ばる。抱きしめた感触からそれが伝わり、チルノもまたつられるように緊張で身体を強ばらせた。

 

「私はダイが(ドラゴン)の騎士だって知っていたから、だから助けたのは本当よ……でもね、それは理由の一つでしかないの」

 

ダイからの反応はない。

だが何しろこれは事実なのだ。ダイが(ドラゴン)の騎士であるということは予め知っていたのは動かしようがない。

 

「デルムリン島で暮らしていたときに、一度でもダイが(ドラゴン)の騎士だって私は言ったことあった?」

 

相変わらず反応は皆無のままだ。

だがチルノはそれに躊躇することなく話を続ける。

 

「ダイが(ドラゴン)の騎士でないから助けない。そう考えていたら、子供の頃に本当に(ドラゴン)の騎士かどうかを少しくらいは調べるものでしょう?」

「じゃあ、どうして……?」

 

ほんの少しだけ、上目遣いな目線が覗く程度に顔が上がった。

 

「ダイはずっと傍にいた大切な家族なんだもの、そんなの関係なしに助けるに決まっているじゃない」

 

その言葉にダイは、グッと顔を上げる。

 

「それに、島にいたときも、外に出たときも、(ドラゴン)の騎士とかは関係ないことでダイはいっぱい悩んできたでしょう?」

「……うん」

「私の知っている物語とは違うことで、ダイは悩んでいた。ロモスでも、パプニカでも、ベンガーナでもね。私はできるだけ、その悩みを聞いてきたつもりだよ」

 

本当に台本通りならば、そのような悩みが生まれるわけもない。新たな出来事に直面し、共に悩んでいく。そのやりとりこそが、ダイのことを考えているのだと言う。

 

「なによりも今、私の話を聞いて自分の在り方について真剣に悩んでいる……そうやって悩んで答えを求めているのは、人間の証だと思うの。ダイは神様の操り人形なんかじゃないし、決められた筋書き通りに動いているわけでもない証拠よ」

「ほんとう、に……? 信じていいの……?」

「勿論!」

 

まだどこかで恐れを見せるダイの心を後押しするように、力強く言い切ってみせた。

それを聞いてようやく安心したのだろうか、ダイはチルノからどこか名残惜しそうに離れ、彼女の隣に腰掛けた。

 

「あとね、ダイ。自分の言ったこと、ちゃんと理解してる?」

「え……? 何が……??」

 

少しだけ赤ら顔で自身の発言を思い出そうとする。その様子は惚けているだけなのか本当に思い当たらないのか判断が難しく、チルノは直接質問することにした。

 

「ほら、私とずっと一緒にいたいって言ってたでしょ? その言葉の意味をちゃんと理解しているかしら?」

「バ、バカにすんなよ! それくらい知ってるってば!!」

 

そう聞かれるとムキになったようにチルノに詰め寄り、薄く赤かったはずの顔をさらに真っ赤にする。

 

「お、おれは……姉ちゃんとケッコンしたい!」

「…………」

 

チルノは思わず目を見開いた。瞬間的に頭が真っ白になり、何も考えられなくなっていたほどだ。

 

「はぁ……結婚ねぇ……」

「だめだった……?」

 

だがどうにか言葉を絞り出す。すると間髪入れずにダイが尋ねてくる。どうやら絶対大丈夫だという自信があったわけではないのだろう。不安そうな表情を見せていた。

 

「そうじゃなくて! まさか好きとか恋人同士とか、そういう段階を一気に飛ばした言葉を聞かされるとは思ってなかったから……」

 

否定するように軽く手を振りながら、突拍子もない言葉を聞いて驚いていたのだということを伝える。

 

「私の知っている未来の知識だと、ダイはレオナと結ばれる筈だったんだけどね……」

 

そして、自らの知る知識を思い返しながら、チルノは小声で呟いた。小声とはいえすぐ隣にはダイがいる。聞こえないはずもなく、しっかりと彼の耳にも届いている。そう理解した上で、ダイの真剣な態度に対して失礼なことと思いつつも悪戯っぽい言い方で尋ねる。

 

「今ならまだ、取り消せるわよ? お姫様と結ばれる?」

「ううん、姉ちゃんじゃなきゃいやだ!!」

 

だが返事は彼女が思ったよりも早く、そして何よりも力強かった。それだけでもダイの中の凄まじいほどの決意が感じられる。

心がグラつくのを感じながら、もう一つだけ断っておく必要があると考え、チルノは更に口を開く。

 

「実はあの時は言わなかったけれど」

「なに?」

「私は、天界が関係しているかもしれない――って言ったでしょ?」

 

その言葉はダイも覚えている。とはいえ、姉の言葉にショックを受けて話半分程度で聞いていたためきちんと聞いていたとは言い難かったが。

 

「もしもよ、もしも。もしもバーンを倒したら、自分はもう用済みなんじゃないかなって思って」

「え……っ!!」

「神々ですら凌駕する力を持ったバーン……それを倒したということは、バーン以上の驚異が生まれたって言ってもいい。もしもそうなった時に、天界の精霊が自分を消すかもしれない……それでも、いいの?」

 

心の中は申し訳なさでいっぱいだった。だがそれでも、言っておかずにはいられなかった。

元々根拠もないただの妄想だと言い切ってしまえばそれまでかもしれない。けれども完全に否定する材料がないこともあり、伝えておく必要があった。

 

「だったら、おれが守る!!」

 

先ほどに負けず劣らぬ早さで、ダイが再び口を開いた。

 

「バーンだろうと天界だろうと神様だろうと、絶対に姉ちゃんを守り抜いてみせるから!! だから!!」

 

以前にも増して力強い決意の言葉。

そこまでがチルノの限界だった。

もうダイの言葉をまともに聞いていられない。なんの飾りも変哲もない、根拠のない言葉がチルノの心に入り込み、不必要な意地をスーッと消し去っていく。

 

「……こんな得体の知れない女を選ぶなんてね……」

 

身体中が紅潮していくのを自覚しながら、不器用な肯定の言葉を絞り出す。

 

「言っておくけれど、もう取り消せないからね」

 

そう言うと、今までのお返しとばかりにダイへと抱きつくとその胸へと顔を埋めた。ダイもそれを受け止め、先ほどまで自分が受けていたことをそのまま返すように抱きしめる。

それは、チルノが原作という物の存在を初めて、自分の手ではっきりと叩き壊した瞬間でもあった。

 

「皆にも、謝らなきゃね。気持ちを考えずに一方的なことを言ってしまって、ごめんなさいって」

 

やがて、思い出したようにチルノはそう呟く。

ダイが受けた衝撃だけでもこれだけの大騒ぎだったというのに、それがまだ複数人分襲ってくる可能性もある。唐突にそのことに気付き、どうしたものかと埋めていた顔を上げる。

 

「大丈夫だよ。きっと、みんな許してくれるはずだから……姉ちゃんは真剣に考えてたんだって、理解してくれるはずだからさ」

 

するとダイの顔がチルノの視界に飛び込んできた。

見慣れていたはずのその表情が、たった一言伝えただけで世界一の物へと早変わりしたように見えて、思いがけず頬を赤く染める。

だが、本当に赤くするのはこれからだった。

 

「それと……もしも怖かったら、おれも一緒に謝ってあげるよ」

 

不意にチルノの心臓が早鐘を打ち鳴らし始めた。

たったそれだけの言葉で無敵の軍勢を得たような高揚感に包まれ、だが突然のことにチルノは少しだけ冷静にもなった。

 

「ありがと……でも、急にどうしたの?」

「だ、だって! そういうのは男の役目だろ!? ……おれたち、ケッコンしたんだからさ……」

 

理由を尋ねれば、ダイも顔を真っ赤にして照れくさそうだ。そこまで言った途端、視線を大きくチルノから外し、明後日の方向を見つめている。

まるで子供が背伸びをするように、必死になって自身に訪れた新たな役職を全うしようとしているのだということに気付き、チルノは少しだけ吹き出した。

 

「じゃあまずは、私のことをお姉ちゃんじゃなくて名前で呼べるようになるところからかな?」

「え……それって……」

「頼りにしてるわよ……旦那様……」

 

別れていた筈の二つの影が、再び一つへと重なり合った。静寂の訪れた室内には絹ずれの音が微かに鳴り響く。

 

「ピィ……」

「ピ~ッ……」

 

スラリンとゴメちゃん。

それぞれの相棒たるスライムだけが、少し離れたところからそれを見ていた。だがやがて、耐えきれなくなったかのようにゴメちゃんが羽を使い、自身とスラリンの両方の視界を塞いでしまう。

二匹は、スライムベスと見違えるほど真っ赤に染まっていた。

 

 




前話でメルルたちを出し忘れたので、冒頭に急遽突っ込む。
難しいですね、ネタバラシのシーン。

とっくにご存じかも知れませんが。
ダイ大では基本的に一人称は子供がひらがな。青年以上がカタカナとなっています。
例えば、ダイやポップは「おれ」・ヒュンケルやラーハルトは「オレ」です。
ロモス王などは「ワシ」ですね(「私」とか「余」を使う人もいますが)
(ノヴァのみ例外で、自分で一人前だと思い込んでいるので子供だけど「ボク」とカタカナを使用しているとのこと)(※誤植は除く)

でもこの一人称、肉体的だったり精神的だったりな成長を遂げても「おれ」から「オレ」に変わりそうですよね。
なんていうかこう"大人になった"みたいな経験をしたら……


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LEVEL:78 存在しえぬはずの力

ダイの一人称がオレに変わる? ははは、ご冗談を(目が泳いでいる)



「…………」

「…………」

 

無言のまま二人の男女が向き合っている。

一人は伝説の名工と言われた男ロン・ベルク。そしてもう一人はチルノであった。互いに向き合ってはいるものの、その様相は対照的だ。

ロン・ベルクはダイの剣を作った時のように黙ったままチルノの手を見つめているものの、対してチルノは少々困惑の色を見せている。どうしたものかと乾いた笑いにも似た笑みを浮かべていた。

ただ黙って手を見続けられるというのは知識としては知っていたものの、実際に体験する側になるとこうも居心地が悪い物かとチルノは心の中でこっそり嘆息する。

 

そしてもう一つ、姉の手を取り見続けるという行為に複雑な胸中を見せる弟の姿も、彼女が落ち着けなくなる原因の一つだ。自身も体験しており、頭では必要なことと理解しているものの、頭と心はまた別だ。大切な――それもこれまで以上に意味合いが重くなった――大切な姉を独占されているのは、まだ少年のダイには受け入れがたいものがあったらしい。

 

――どうしてこうなった? と思わず叫びたくなるのを必死で我慢しながら、彼女は朝のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

事の起こりは今朝――ダイとチルノが結ばれた翌日の朝のことに端を発する。

前日の約束通り、チルノはダイと共に相手の気持ちも考えずに行き過ぎたことを口にしてしまったことをそれぞれへ頭を下げながら謝罪して回ったのだ。

幸いにも、というべきか、姉弟が揃って頭を下げたことと、前日にダイがチルノへ何かを言ったこと。そして一晩という一人でじっくりと考える時間があったこともあってか、二人の謝罪は素直に受け入れられた。

 

……そこまでは良い。

 

「そういや、ロン・ベルクがチルノに会いたがってたんだけど、どうする? 今すぐにでも会いに行くか?」

 

その後の会話中に、なんとなく発したポップの言葉が引き金であった。

ロン・ベルクがチルノに会いたがるというのは、彼女の知る本来の歴史から判断しても有り得ないことだった。どういうことかと聞けば、覇者の冠が力になりたがっているという予想もしなかった返事が返ってくる。

 

チルノの予想としては、覇者の冠はロン・ベルクの星皇剣を完成させる素材となると思い込んでいただけに、その言葉は驚かされると同時に、覇者の冠にそれだけ力になりたいと思われているという事実に対する戸惑いもあった。

 

「……わかったわ。それなら早いほうが良いだろうし、すぐに行きましょう」

 

だが、この場でオリハルコンの武器が増えることは戦力の底上げにも繋がり、そして覇者の冠の期待に応えたいという気持ちもある。完成まで時間が掛かることを考慮すれば、一刻も早く作って貰った方がいいだろう。

そう考えたチルノは、当然のようにポップへ返事をする。

 

「おっしゃ、まかせとけ! 早速、おれのルーラで……」

「えっ……! ま、待ってよポップ!!」

 

だが乗り気となったところへ水を差すように、ダイが慌てて声を上げた。突然不自然に言葉を遮られ、見知った相手の不可解な行動にポップは首を捻る。

 

「……ん? どうしたんだよダイ?」

「それなら、おれが連れて行くからさ。ポップは休んでてよ。ほら、おれだってロン・ベルクさんの場所は知ってるし、ルーラも使えるから問題ないでしょ?」

 

そう言いながらチルノの移動手段となるのを自ら買って出ようとする。

確かに理屈の上では、ダイの言葉も間違ってはいないだろう。というよりもロン・ベルクの家に行ったことがあってルーラが使える人間は、この二人だけだ。ダイが連れて行こうとポップが連れて行こうと、大差があるわけではない。

……普通の場合であれば。

 

「けどよ、チルノの話じゃハドラーが襲ってくる可能性もあるって言ってたじゃねぇか? もしも来る場合、居場所が分かっているパプニカの方が確率としては高いはずだぜ?」

「そうだな。チルノの武器が完成するまでの間に襲われる可能性が皆無とは言い切れんだろう。ならば、有事に備えるためにもダイは残っていた方が良いと思うが?」

 

ポップはそう反論し、ヒュンケルもまた当然のように頷く。

前日にチルノが不安要素として口にしていたように、ハドラーがどう動くか分からない。そうでなくとも、何が起こるのかは未知のままなのだ。

人間側の最大戦力であるダイが下手に動いて即応できなくなる状況を生み出すのは、非合理的だろう。

 

「けどさ、そこはほら……ポップがおれたちに知らせに来るとかすれば……」

「…………ッ」

 

ダイも無茶を言っているのが自分で理解している。だがそれでもなお、どうにかして食い下がろうとしている姿に、チルノはダイが何故そんな行動を取ったのかをなんとなく察した。

幼心の可愛らしい独占欲を感じながら、さてどうしたものかと考えを巡らせようとするよりも早く――

 

「……ははぁーん、さてはダイ君」

 

レオナが口を開く。

その表情はとびっきりの獲物を見つけた子猫のような活き活きとした輝きを見せていた。唐突に場違いな雰囲気を見せつけられ、無意識のうちのダイの心が萎縮する。

 

「な、なにさ……」

「チルノと何かあったでしょ!」

「ッ!?!?」

 

何の脈絡も無く繰り出された、あまりにも正鵠を得た言葉にダイどころかチルノまでもがその動きを完全に止める。恐れるべくは乙女の勘というものだろうか。

そして僅かでも反応してしまったのが運の尽きだ。それは「あなたの言う通りです」と肯定したのに等しい行為である。

 

「ふふふ……隠しても無駄よ! 二人のことは、あたしが一番よく知ってるんだから!! さあ、キリキリ素直に白状なさい!!」

「ダイ……」

「うん、実は……」

 

もはや言い繕うのは不可能だと観念し、チルノは弟の顔を見ながら頷く。ダイは姉のその様子を見て同じく観念すると、恥ずかしそうに夕べの事を語った。

 

「「「「「「「……えええええっっ!?!?」」」」」」」

 

何があったのか話を聞いた途端、一行は驚きの声を上げた。なんだったらば、昨日のチルノの告白よりも大声が響いていただろう。

――なお夕べのことと言っても、全てを事細かに説明しているわけではない。ただ、二人が夫婦となる約束をしたということを伝えただけ。昨日、二人がどの様な一夜を過ごしたのかを知っているのは、二人と二匹のみである。

 

「驚いたわ……まさかそんなことになっていたなんて……」

「ダイに先を越されるとは……なぁマァム?」

「わ、私に振らないでよっ!!」

「そうか」

「おめでとうございます! ダイ様!! チルノ様!!」

「ワハハハ! いつの間にか、そんなことになっていたとはな!!」

「チルノさん……よかった……」

 

各人各様の反応を見せながらも、概ね祝福の言葉を投げかけられる。そんな初めての体験に、ダイたちは顔を真っ赤にしながら精一杯の返事をしていた。

 

「あ……ありがと……」

「あんまり大事(おおごと)にはしたくなかったんだけどね……あ! 別に、黙っているつもりはなかったわよ。ただ、レオナが掘り返すから、機会としてはいいかなって思って……それに、今はまだバーンとの戦いに集中しなきゃいけないから……」

 

言葉少ないその言葉も、ワタワタとどこか言い訳がましいようなその言葉も、外野から見ればなんとも微笑ましいものだ。初々しい反応に見ている方が笑顔にさせられる。

とはいえ――

 

「お、お祝いとかしなきゃ! 結婚式!? プレゼント!? 名付け親!?」

「そういうのは多分、大魔王を倒した後でいいんじゃないかしら……? ほら、ダイたちも言ってるし……」

 

この事態を引き起こした主犯とも言えるレオナだけは予想外の事に混乱しており、目を丸くしたまま先の先の先くらいまで考えを巡らせ、ツッコミを入れられていた。

 

「ん……? じゃあ、ダイがさっき意固地になってたのって……」

 

やがて、少し冷静になって気付いたポップはニヤニヤとした笑みを浮かべる。結婚したことを合わせて考えれば、ダイがなぜ渋っていたのか。その理由は一つしかない。

 

「なーんだ! (ドラゴン)の騎士だオリハルコンの剣だって言っても、カワイイところあるじゃねぇか!! ま、そういうことなら仕方ねぇ!! ダイに譲るとすらぁ! けれど、何かあったらルーラですっ飛んで行ってすぐに連れて帰るからな!」

 

大切な女性を、たとえ仲間といえども一時的に目の届かない場所で二人っきりにさせたくない。ダイのそんな可愛らしい嫉妬心からついつい出てしまった言葉である。

重い運命を背負っていても、根本はまだ子供だということに改めて気付かされ、ポップは大笑いをしながら喜んでダイに移動役を任せる。

 

「みんなもそれでいいだろ?」

 

そう尋ねれば、仲間たちは程度の差こそあれダイの気持ちを慮ってか、異論を口にする者はいなかった。特にラーハルトなどは「ダイ様、ご安心ください。留守中に何かあろうとも、このオレが微塵の被害もなく食い止めて見せます」と、太鼓判を押すほどだ。

 

「ごめん、みんな……おれのワガママで……」

「すぐに戻ってくるつもりだから。何かあったら、頼むわね」

 

そこまで告げるとダイはルーラを唱え、空の彼方へと瞬く間に消えていった。一瞬で見えない所まで飛んでいった二人の影を追うように視線を向けていたポップたちであったが、一人だけ別の動きをする。

 

「ねぇ……二人のことなんだけど……」

「ん? どうかしたの?」

 

仲間たちから二歩ほど離れた位置に立っていたレオナに気付いたマァムが、心配そうに声を掛ける。

 

「その……レオナは……へ、平気なの?」

 

マァムの目から見ても、レオナがダイのことを憎からず思っているように感じていた。その相手が突然結婚したと言われれば、心中穏やかであるはずもないだろう。

とはいえ年若い彼女ではどう切り出したものか分からず、悩んだ挙げ句このように非常に抽象的な尋ね方となっていた。

 

「……ああ! それなら大丈夫だってば」

 

だが同じ若い女性同士、通じるところがあったのだろう。マァムの大雑把な質問から何を言いたいのかを直感的に理解した彼女は、気にしてないと訴えるように平然とした態度を見せていた。

 

「ダイ君はチルノしか見ていないし、チルノは満更でも無いくせにどこか遠慮してたのよねぇ……デルムリン島からパプニカに戻った頃には、なんとなくそうじゃないかって思ってたのよ」

 

最初にデルムリン島で二人と出会った時から、陳腐な表現ではあるが運命のような何かをレオナは感じていた。だが二人と交流を深め、二人について知れば知るほど、互いがどう思っているのかが彼女には分かってしまった。

それにマァムは知らないが、テランでダイが記憶を失った時にもレオナはワザと憎まれ役を演じてでも二人のことを後押ししている。思い返せば、あの頃にはもう吹っ切ろうと努力をしていたのだろう。

 

「未練はないわよ、ええ全く、これっぽっちもないわね」

 

だが、どれだけ言葉を並べようとも簡単に割り切れるほど達観しているわけでも人生の経験値があるわけでもない。未練はないと訴えるレオナの言葉は、精一杯の強がりのようにマァムには見えた。

 

「それに……」

 

だが、それが早計だったこともマァムは気付かされる。

 

「あの二人は今や、付き合い始めたばっかりの初々しい恋人同士よ? こんな面白そうなオモチャがあるのに、落ち込んでなんていられないわ!」

 

落ち込んでいないと言えば、嘘になるだろう。だがそれと同時に、二人を祝福したいという気持ちと、切ない思いを味わった分だけからかって遊んでやろうという遊戯心が彼女の中にはあった。

それぞれがレオナの偽らざる本心であり、おそらくはそうやって発散することで、レオナは今の気持ちを乗り越えていけるのだろう。

自分よりも年下の女性が愛というものを自分なりに必死で受け止めようとしている姿に、マァムは微かな疎外感を覚えていた。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

場面は再びロン・ベルクの小屋へと戻る。

いつまでも続くと思われていた手を見つめ続ける行為は、彼の嘆息と共に終わりを告げた。

 

「オレも、多少なりとも色んな人間を見てきたつもりだったんだがな……」

 

彼は信じられないものを見るような目つきで、眼前の少女をもう一度眺める。

そもそも鍛冶というのは重労働である。素材となる金属を熱して打ち鍛えるだけでも、ひとかたならぬ苦労だ。その上、金属というのは重い。そんなものを扱うには相応の筋力というものも必要になってくる。必然、並の戦士に負けぬほどの腕力を備えることになるのだが――

 

「まさかお前のような小娘が剣を作ったとは、とても信じられん」

 

チルノの姿はどう見ても、そういった技術に通じているようには思えない。以前ポップたちが彼女を「鍛冶屋ではない」と悩みながら言っていた理由はこういうことかと、ロン・ベルクは遅まきながら理解していた。

 

「嘘じゃないってば! 姉ちゃんは本当に――」

「ああ、わかっている。その話はもう既に聞いているからな」

 

自分のことのようにムキになった姿勢を見せるダイへ向けて、ロン・ベルクは面倒くさそうに答える。

なにしろ似たようなやりとりは既に一度行っているのだ。

ダイがチルノを連れて彼の元へとやってきた時に、一通りの紹介は済ませてある。だが疑念を完全に拭いきれないロン・ベルクは、手近な鉄鉱石を渡して「これで何でもいい、剣を作ってみせろ」と言った。受け取ったチルノが自身の技能にて簡素な剣へと加工してみせると、彼は目を丸くして驚いていた。

 

とはいえ、ダイという顔見知りの相手――それもオリハルコンの剣という非常に満足のいく仕上がりの仕事をした相手――からの紹介もあって、ようやくある程度は信じてもらうことができた。

 

「あれは鍛冶というよりも、錬金術に近いようだ。専門外だから詳しくは知らんが、そうでも思わんと、オレの頭がどうにかなりそうだ」

 

武器職人としてのプライドのあるロン・ベルクにしてみれば、このような訳の分からない方法で武器を作られるというのは理外のことだったようだ。どうやら専門外の技術を使っていると考えて納得することにしたらしい。

 

「まあ、いい。それよりも剣のことだ」

 

チルノの使う技術については些事とばかりに作業を開始しようとする。炉には既に覇者の冠が入っており、作業を開始するのはもはや秒読み段階というところか。

これから行われるのは、彼女の知る本来の歴史の知識にすら有り得ない、言い換えれば全く未知の事だ。誰もが感じる当然の不安感にチルノは軽く身を強ばらせる。

 

「どんな剣になるんですか……?」

「そう構える必要はない。コイツの場合は、こう生まれ変わりたいという感情が強く出ているんだ。オレの目にも見えるくらいにはっきりとな」

 

重圧感からつい尋ねれば、返ってきたのは気負いなど微塵も感じない言葉だった。一度ダイの剣を打ったことで加工できると自負しているのか。

 

「おそらくだが、お前さんが心の底で望んでいた形になろうとしているんだろう。明確な形になろうと望んでいるのだから、ダイの剣を作った時よりもよっぽど楽な作業だ……なにより、オレも似たような剣を作った経験がある。失敗することはありえねえよ」

「大丈夫だよ姉ちゃん。おれもついてるからさ」

 

既に経験している人間の余裕からか、それとも少しでもらしい(・・・)ところを見せようとしているのか、ダイは安心させようとチルノの肩へ手を掛ける。その手をチルノは無意識のうちに握りしめていた。

 

「さて、始めるぞ」

 

この世で二本目となるロン・ベルク謹製オリハルコンの剣の製造が始まった。

 

 

 

 

「――これで、完成だ」

 

額に浮かんだ大粒の汗を拭いながらのロン・ベルクの言葉にチルノは拍子抜けしていた。

なにしろ時間こそ掛かったものの、懸念していた妨害の類いは一切なかったのだ。これでは有事に備えて何時でも動けるようにと気を張っていたチルノの方が馬鹿みたいである。彼女がしていたことと言えば、ただ信じて待っていただけだが、それでも一方(ひとかた)ならぬ集中力を削られたような気がした。

 

「これが……」

 

とあれ自分専用の武器の完成には心躍る物があり、チルノは作業台へ置かれたそれを手に取る。流石はロン・ベルクの作った剣だけあって、持った瞬間からまるで腕の延長線に存在しているかのような感覚を味わいながらも、じっくりと観察を始めた。

 

出来上がったのは、片手用の広幅の剣(ブロードソード)といった形状の武器だ。かつてダイが使用していた鋼鉄の剣(はがねのけん)よりも刀身の幅が広い。その分だけ振り回して攻撃を当てやすいとも言えるが、身幅と反比例するかのように長さそのものは多少短めである。

覇者の冠を素材に打ち直したために絶対量が足りなかったらしく、オリハルコンが使われているのは刀身部分のみ。柄頭から鍔までの部分は別の金属が使われているらしく、一瞥しただけで輝きが違う。

鍔はダイの剣と比較してもやや大きめであり、まるで二等辺三角形のように根元へ行くほど太い。中心部には、元々の覇者の冠にも存在していた真紅の宝玉が埋め込まれている。

だが一番の不思議な点といえば、やはり刀身だろう。オリハルコンの輝きに隠れて見えにくいが、そこには幾重もの切れ目のような筋が入っていた。

本来ならば頑丈さを第一とするはずの部分を脆くするため、まったくの無駄としか思えないその線に、チルノは思い当たることがあった。

 

「これって、まさか……」

「軽く振ってみろ」

 

鍛錬中の動きを見ていればそうとしか考えられない。

――もしや、という思いを込めて彼女は剣を振るう。すると――

 

「わぁっ!!」

 

それまで剣だったはずが、まるで鞭のように伸びた。刀身は切れ目の部分で分割され、その一つ一つが細い鋼線のような物で接続されている。再び軽く剣を振れば、まるで彼女の意志を読み取ったかのように引き戻されて剣へと戻った。

 

「驚いたか?」

 

初めて見たであろうダイはその摩訶不思議な動きに目を丸くし、同時に魅了されたかの如く熱い眼差しを向ける。これほどの驚きと興味を見せられれば、鍛冶師としてはある意味本望なのだろう。いくらか上機嫌になりながらロン・ベルクは更に続ける。

 

「持ち手の意志に応じて自由自在に形状を変化させる特殊な鉱石を内部に組み込んである。基本は剣だが今使ったように鞭のようにもして操れることも可能だ。伸縮も自在だから、応用性は相当高い」

 

剣としての機能と鞭としての機能を同時に持つ武器――それはいわゆる、蛇腹剣や鞭剣などと呼称される物だった。一般的な剣としての形状を持つと同時に、刀身部分が数珠状に分割された刃を持つ鞭としての特性も兼ね備えている。

分割した刀身を繋ぎ操るのは――後にブラックロッドと呼ばれるポップ用に作成された杖にも使用されている――持ち主の意志でその姿を自在に変える金属線だ。本来ならば使用者に高い技術を要求するはずの武器だが、格段に扱いやすくなっている。

 

ロン・ベルクの言葉ではないが、似たような武器であれば過去を紐解けば事例は幾つか存在している。しかし、その両立を主目的としてここまでの完成度を誇った武器は古今例を見ないだろう。

いわばこの世界で初めて生まれた武器を見ながら、チルノは無意識に呟く。

 

「……ガリアン、ソード……?」

 

思わず口を突いて出てしまった言葉を、ロン・ベルクは聞き逃さなかった。

 

「ほう、良い名前だな」

「え? あ……!」

 

それは蛇腹剣などと同様にチルノが知っている呼称の一つだ。そしてこの世界ではまず生まれないはずの名前でもある。だがロン・ベルクからすれば当然初耳であり、同時に奇妙なほどにしっくりくる名でもあった。

 

「この剣の名が決まったな」

 

むしろそれ以外は考えられないとでも言いたげだ。そしてチルノも別にその名が嫌と言うわけではない。ただ一人、難色を示している者を除いては。

 

「おれが"ダイの剣"だったから、姉ちゃんのはてっきり……」

 

誰にも聞こえないほど小さな声で舌打ちし、ダイは異議ありとばかりに言い始めた。だがそこまで口にしたところで、ほんの僅かに言い淀む。

 

「チ、チルノの剣になるとばかり思ってたのに」

 

どうやら姉の名を呼び捨てにするのは未だ不慣れなようだ。そういえば昨日も。と、思い出してチルノは微かに目尻を下げる。

 

「まあ、その名でも構わんがな。コイツの場合は少々毛色が違う。持ち主が考えた相応しい名を付けるのもアリだろう」

 

どうやらお揃いの武器を持てるのではと密かに期待していたらしく、ロン・ベルクの説明を聞いて一応は納得した様子を見せていたものの、姉の目からすれば未練たらたらだ。後でこっそり慰めておこう。と、チルノは誓う。

 

「さて、チルノ。まずはそのガリアンソードを自在に操って戦えるようになってみろ」

「自在に……」

「その剣はお前が成長すればするほど、力を高めていく。そして全てを使いこなせるようになれば、ダイとはまた違った強さを得ているはずだ……お前を想う剣のことを、裏切るなよ?」

 

どちらかといえば後衛寄りの活躍を見せている少女である。それがどれだけ困難な道なのかは、枚挙にいとまがないだろう。だがそれを承知の上で、武器の期待を裏切るなとロン・ベルクは断じていた。

 

「あの、もしも……もしもですよ! 仮の話で良いんです」

 

有無を言わさぬ迫力に負けて、チルノは叫ぶ。

 

「私がこの剣の扱いに困ったら……いえ、もっと。ダイたちが自分の実力に悩んだ時は……武術の指南役として一肌脱いで貰えますか?」

「……どこで知った?」

 

鍛冶師の腕を知っている者はいても、武人としてのロン・ベルクの腕を知っている者はそれと比べて多くはないだろう。特に地上では皆無と言って良いだろう。にもかかわらず、チルノは武術を教えろと言ってきたのだ。その事実にロン・ベルクはニヤリと笑う。

 

「まあ、話の出所(でどころ)はどうでもいい。それとその質問の答えだが――」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

時計の針は、しばし時を遡る。

 

「おやおや、追ってこないかな?」

 

空中を飛翔しながら後方を振り返り、キルバーンは淡々と呟いた。

ミストバーンに肩を貸したキルバーンがルーラで逃走――いや、正確には逃走したように見せかけてアバンの使徒たちを誘いだそうとしていた。だが、その目論見は外れていた。

 

「ボクも自分のお仕事をしようと思ったんだけど、残念だねぇ……」

 

そう口にするものの、身に纏う雰囲気からは悲壮感が一切感じられない。誰かが引っかかれば幸運、と言った程度のことでしかないのだろう。

 

「奴らもそれほど迂闊ではない、ということか」

「まあ、来ないのなら仕方ないさ。このまま二人きり、空のランデブーというのも楽しいかもしれないけれど……」

 

ミストバーンの言葉に頷き、諦めて帰るという選択をするのもアリだ。だが、死神がそれを選ぶことはなかった。

 

「それよりもミスト、ボクはあそこに行きたいなぁ……せっかくここまで来たんだし」

「あそこ?」

 

せっかくここまで来た。とは言えども、彼らが今いるのは死の大地と呼ばれる大陸の外周部分だ。ここからどこへ行こうと言うのかとミストバーンは首を捻った。

 

「勿論、彼のところだよ。ボクたちは退いたんだし、()を届けてあげなくっちゃ」

「なるほど……お前も場所を知っていたのか、キル……」

 

だが続く言葉で彼は得心が行った。

その言い回しは、少し前にも同じ相手の口から聞いていたからだ。今に始まったことではない友人の得体の知れなさを感じながら、ミストバーンはルーラを唱えるとその目的地――死の大地にほど近いとある孤島へと瞬間移動した。

 

 

 

「お邪魔するよ」

「ぬおおっ!! ミッ、ミストバーン!! そ、それに……死神キルバーンまで!!」

 

気楽に声を掛けながら、孤島に拵えられた洞窟へと二人は立ち入る。そこはザボエラが潜む秘密の隠れ家の一つだ。天然の洞窟のように見せかけてはあるが、少し奥へと進めばそこには彼の研究道具や資料などが所狭しと並んでいた。

ミストバーンがここへ入るのは二度目――初回は所在の知れなくなったハドラーを探し、そして彼に時間稼ぎを頼まれていた。自身を完全なる超魔生物へと生まれ変わらせるまでの時間を稼いで欲しいという、命を賭した願いを。

その時とよく似た驚きを見せるザボエラの姿を眺めながら、彼は洞窟内の違和感を感じていた。

 

「まさか、ワシの命を……!?」

「それこそまさか、だよ。今日はプライベート、ハドラー君の激励に来たのさ」

 

死神が魔王軍幹部の前に姿を見せるというのは、凶兆でしかない。そのことを知っているザボエラは腰を抜かしたように驚いていたが、キルバーンはまるで取り合わなかった。むしろその飄々とした態度が怯えを半減させている。

 

「ハドラーはどこだ……?」

「お、奥におりますですじゃ……」

「いや、その必要はない」

 

洞窟の奥へとミストバーンたちが足を向けるよりも早く、その奥から声が聞こえてくる。声に遅れること数秒、威風堂々とした佇まいでハドラーが姿を現した。

 

「お久しぶりだね、ハドラー司令……いや、その姿だから初めましての方がいいかな?」

「死神か……だが先ほどの言葉を信じるならば……」

「そういうことだよ。パプニカに集まった人間たちを皆殺しにしようとしたけれど、裏切り者たちの活躍もあってそれは失敗。キミの主演舞台の出番が回って来たわけだ」

 

ギリリ、とミストバーンが拳を強く握り締める音が聞こえた。苛立ちや屈辱、自身への不甲斐なさといった感情を吐露しそうになるのを必死で堪えているらしい。親友のそんな姿を横目で一瞬見ると、キルバーンは更に言葉を続ける。

 

「こうしてハドラー君は完成したみたいだし……ミストが骨を折った甲斐はあったみたいだね」

「アハハ! 強そうだね~!!」

 

使い魔のピロロがハドラーを見ながら嬉しそうに呟く。

なるほど、とミストバーンはようやく違和感の原因に気付いた。以前来た時よりも洞窟内が幾分片付けられているのだ。その理由はただ一つ、ハドラーの改造が完了したことに他ならない。これから撤収を行おうと準備をしていた時と幸運にも時期が符合したようだ。

 

「それで? 今からパプニカに向かうのかい?」

「いや……出来れば二、三日は時間が欲しい」

 

その返事を聞き、キルバーンは仮面の下の瞳を意外そうに細めた。

 

「おやおや? キミのことだから、すぐにでもダイ君たちの元へ向かうと思っていたけれど……どういうことかな?」

 

超魔生物は確かに強力だが、その代価とでもいうべきか長生きは見込めない。そのことは知らぬ訳ではないだろうに、それでもなお時間をくれと言うからには、何かよほどの理由があるのだろう。

そう考え、その理由を聞き出すべく問い詰めていく。

 

「ロモスにあった覇者の剣の事から考えるに、勇者ダイ君はオリハルコンの剣を手に入れたと思っていいだろう。残念ながら実物は確認できなかったけれども……(ドラゴン)の騎士がオリハルコンの剣を操る……これはもう、彼はバランに匹敵する化け物だよ。いくら超魔生物となったからって、それだけで勝てるのかい?」

「オリハルコンならば少量だがオレも持っている」

「へぇ、これは驚いた……」

 

かつて魔王ハドラーと呼ばれていた時代に手に入れたのか、それとも魔軍司令となった際にバーンから渡されたのか。入手経路は不明だが、神の金属を持っていることにキルバーンはほんの少しだけ評価を改める。

 

「でもそれが時間を欲する理由じゃあないよね……?」

「……当然だ。オレには奥の手がある……あまり手の内を晒したくはないが……」

「ハドラー様!!」

 

慌ててザボエラが静止の声を上げるが、ハドラーはそれに耳を貸すことなく奥の手(・・・)を使ってみせた。

 

「お、おお……っ!!」

「なんと……」

「ええええっ!?!? すごいすごーい!!」

「これは確かに、時間が必要だろうね。何しろとんだじゃじゃ馬だ……」

 

それは全員の想像を遥かに超えていた。ザボエラは知っていたとはいえど実際に目にするのはこれが初めてであり、問題なく機能していることに感激すら覚えている。そして、予備知識の一切がなかったミストバーンたちは、ただただ感嘆の声を漏らすだけだ。

 

「これで納得できたか?」

 

ハドラーの言葉にキルバーンは大きく頷く。

 

「予定変更だね。ハドラー君の力と覚悟を評して、ボクも少しだけ手伝わせて貰うよ。いいだろう?」

「……好きにしろ。だが、オレの邪魔をすることは許さん!」

 

――言質は取ったよ。

最後の言葉を飲み込みながら、キルバーンは仮面に隠された顔を愉悦に歪ませた。

 

 




ガリアンソードって表現は、どのくらい通じるのですかね……?
ということで武器は蛇腹剣(鞭剣?多節剣?)です。
武器と決定した時に種類を悩み、FF各種から良さそうな物を探し、ロマン武器を選びました(以前「ソウルキャリバーを買いました」と書いたのはこのため)

昨今だと使用者は、アイヴィー(ソウルシリーズ)・天帝の剣(FE風花雪月)・甲斐姫(戦国無双)・アイリスハート(ネプテューヌV)・レギンレイズ・ジュリア(鉄血のオルフェンズ)とかですかね?
FF14に青龍蛇腹剣があり、DFFでガーランドが使用。FF零式は鞭剣カテゴリがあります。ダイ大ではヒュンケルが(剣を兜に装着時に)使ってます。
……問題ないですよね?
(作中で「使うよ」というフリが無かったので不安になっている)

一応、作中名称は"ガリアンソード"とし、固有名もそれします。
でもマズかったら(もしくはよさげな名前があったら)変えます。


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LEVEL:79 もう一人の勇者

パプニカの首都にほど近い、けれど安全といえる程度に離れた森林地帯にてダイとチルノは向かい合っていた。

普段から仲の良い姉弟である二人だが、今回ばかりは少し様子が異なる。二人とも真剣な表情を浮かべ、何も知らぬ者が見れば一触即発直前の状態といったところだろう。

チルノは完成したばかりのガリアンソードを構え、対するダイは姉の作った短剣を手にしている。

オリハルコン製の剣とキラーマシンの装甲にて作られた短剣。武器の材質だけで見れば、誰が見てもオリハルコンを持つ方が優勢だと思うだろう。だが、そんな有利な武器を持っていてもなお、チルノは押し潰されそうな圧力を感じていた。

 

――いつの間にか、こんなに強く……

 

最後にダイと腕試しをしたのは、いつの事だろうか? そう考えたときに、彼女の脳裏に思い浮かぶのはデルムリン島での記憶だった。あの頃はまだ幼く、そしてダイ自身も未熟であったおかげで、チルノの剣技でもダイに稽古をつけてやることはできた。

それがたった二ヶ月ほどの期間で、逆立ちしても埋められないほどに差が隔絶している。肌を通してピリピリと伝わってくる気配に(おのの)き、軽く息を呑む。

だが、それでいい。そのくらい差が開いていなければ、オリハルコン製の武器を持った相手の稽古相手など務まるはずもない。

 

「……いくわよ、ダイ」

 

その言葉を合図に、チルノは剣を振るう。だがそこは剣の間合いの遥か外だ。元々、対峙していた時点でダイとチルノの間には六歩程度の距離が開いている。一足飛びに攻撃を仕掛けるのならともかく、その位置からでは例え槍を使ってでも届かない距離のはずだった。

 

「むっ!」

 

しかしダイは小さくうめき声を上げながら身体を横にずらす。一瞬遅れて、ダイがそれまでいた場所にチルノの剣が降り注ぎ、地面を強烈に叩き揺らす。

本来ならば有り得ないはずの攻撃だ。それを可能とするのが、彼女の持つガリアンソードの特性だった。見た目は普通の幅広剣としか思えないそれは幾つもの節に分割させることができ、その一片一片が特殊な金属線で繋がれている。剣として扱えると同時に、刃の付いた鞭として操る事も可能な武器である。

先ほどの攻撃も、分割させた剣を鞭の如く叩きつけたに過ぎない。だがそれは座視できないほどの威力と攻撃速度を誇っており、事前にからくりを知っていたとはいえダイを慌てさせるには十分だった。

 

「やあっ!」

 

距離を取るのは不利と判断し、ダイは姉へと飛びかかり距離を詰めていく。だがそれを予期していたかのように、チルノもまた鋼線を引き戻して剣の状態へと戻していた。何しろロン・ベルク謹製の持ち主の意志によって瞬時に自由自在に形を変える金属を使用しているのだ。その速度はダイのそれよりもよほど早い。

むしろ飛び込んでくるダイは格好の獲物とばかりに、チルノは突きを放つ。

 

「わわっ!?」

 

空中の不安定な体勢でありながらも、襲いかかる剣先をダイは身体をよじって必死で躱す。すれ違いざま、再び剣が分割されていたのが見えた。

ならば、とダイは刃と刃を結ぶ鋼線部分をつかみ取り、力一杯引き倒した。

 

「きゃっ!?」

 

それは突きを放った槍の穂先を避け、柄を掴むような荒技である。思いがけない反撃に、チルノは思わず声を漏らしてしまう。反射的に踏ん張ろうとするが、相手の方が力も速度もずっと早く大きくバランスを崩す。

 

「今だっ!」

 

大きく踏み抜き、ダイは一瞬にしてチルノの懐まで潜り込んだ。その手に握られた短剣の刃は、チルノの喉元に――触れるか触れないか程度だが――位置していた。

誰が見ても決着がついた、いわゆる詰みの形だろう。

 

「ちぇっ、引き分けかぁ……」

 

しかしダイは残念そうに言いながら自ら剣を引き、見えないはずの自身の後頭部へと視線を――というよりも意識や気配を――向ける。そこには、チルノの持つガリアンソードの先端部分がピタリと止められていた。

突きを避けたまでは良かったものの、そこはチルノもタダでは起き上がらない。剣を引き戻す際に、普通に戻すのではなく切っ先を背後から襲いかからせるように操っていた。もしもそのまま攻撃が続行していれば言葉通り相打ちだっただろう。

剣に関してはもはや一日の長があると密かに自負していただけに、この結果はダイにしてみれば不本意だったようだ。

 

「でも私の場合は剣の強さも込みだから、どっちかって言えば私の負け。だからそう落ち込まないで、ね?」

 

そんなダイの姿に苦笑しながら、チルノは弟を諭すように言う。こちらも既に剣を引いており、手には幅広剣があるだけだ。姉の言葉にダイは、今はそれで仕方がないといったように頷いた。

 

 

 

 

ロン・ベルクに願い出た武術の指南役という依頼は、結局のところ保留という形で落ち着くことになった。

彼曰く「もしも必要になれば手を貸すこともあるだろう」とのことだった。

なるほど思い返してみれば、本来の歴史でロン・ベルクがダイたちを鍛えたのは彼らが手痛い敗北を喫したときだ。そこで稽古――というよりヤキを入れる名目で修行をつけていた。

ならばそういった事が今のところ起きていないため、彼もそこまで手を貸すつもりはないのだろう。

ロン・ベルクに直接剣技の手ほどきをして貰えれば、全体のレベルアップにもなるだろうと思っていたチルノだけに、当てが外れたことには少々がっかりしていた。

 

だが何時までも落ち込むわけにも行かず、パプニカに戻ったチルノは手にしたガリアンソードを使いこなすべく一人剣を振るっていた。そこにダイが現れ、先ほどの様に実戦形式の稽古が行われたというわけだ。

だが蓋を開けてみればその結果は、ダイがまだ慣れていなかった初戦で引き分け。以降は回数を重ねるたびにチルノが少しずつ劣勢に立たされていく結果となっていき、五本目にしてついに完全に一本取られる形となった。

 

「へへっ! やったね!!」

 

嬉しそうに声を上げながら、ダイは左手に握っていた鋼線を手放す。そこは切っ先に最も近い部分であり、この部分を抑えられるとガリアンソードの動きに大幅な制限が掛かる。それどころかチルノが動かそうとすればそれに反応し、妨害してくるほどだ。

彼女もダイに負けじと剣を土中へと隠して奇襲を仕掛けたり、螺旋を描くように回して攻撃を仕掛けるなど工夫を凝らすが、そのどれもが満足な成果を上げることはできなかった。

 

とはいえ、鋼線部分を握って動きを制限するだけであれば対策はある。例えば鋼線部分へ茨のような鋭い棘を無数に生やせば良い。持ち手の意志に応じて自在に姿を変える金属だけに、そのくらいの事はやってのけるだろう。

 

――でも、流石にダイ相手にそこまでは出来ないからねぇ……

 

だがこれはあくまで稽古。実戦ならばともかく、訓練で大切な弟にそんな真似ができるはずもなかった。

 

「はぁ……差があるのはわかっていたけれど、ここまでとは……」

 

どこか疲れたようにチルノは呟く。しばらく剣の稽古などしていなかったためか、ダイを相手にしていたためか、その身体は既に重い。対するダイはまだまだ元気いっぱいだというのに。

 

「でも姉ちゃんも凄く強かったよ。普通の戦いの常識が通用しないんだもん……攻撃が見えないし、気がつけばとんでもない場所から攻撃されてるし」

「そりゃ、ダイが相手だもの。ダイなら平気でしょ?」

 

感想とも文句とも付かない言葉を聞きながら、チルノはくすくすと笑う。

ガリアンソードの特徴は変幻自在にして縦横無尽な攻撃だろう。相手の予期せぬ場所から予期せぬ方法で仕掛けられる攻撃が襲われたかと思えば、剣による正当な攻めに突然切り替わる。

当然練習相手には自分よりも実力が上で、危機対処能力に長けた相手が必須となる。

 

「でもオリハルコンだよ? いくらおれでも無理だってば……!!」

「そこはちゃんと当たらないように心がけているもの」

 

ましてや武器の素材が素材だ。そういった意味では、最悪の場合は竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使ってでも防げるダイは訓練相手には最適だった。

だがそう判断していても、受ける方は怖いようだ。ダイは背負った剣をちらりと見ながら不満そうに口を尖らせる。

 

「おれもコイツが抜けたらいいのになぁ……姉ちゃんが羨ましいよ」

 

そう口にするのには理由がある。

ダイの剣もオリハルコン製であり、覇者の剣を材料としたことからある意味ではチルノの持つ剣とは兄弟のような物だ。だがチルノと違い、ダイの剣は完成してからこれまでの間、一度たりとも鞘から抜けたことがなかった。

元々、ダイの剣は魂があり自ら闘う時と場所を選ぶ剣なのだということはロン・ベルクから聞かされているが、だとしても同じオリハルコンの兄弟剣を相手にしているのだから、少しくらい力を貸してくれても良いだろうと文句を言わずにはいられなかった――加えてチルノの持つガリアンソードは制限もせずに簡単に抜けていることも、その感情に拍車を掛けている。

 

「ふふふ、どうして剣が抜けないんだろうねー?」

「……あっ! さては姉ちゃん、剣が抜けない理由を知ってるな!? ねぇ、教えてよ!!」

 

わざとらしい姉の言葉を敏感に察知し、ダイはチルノへ向けて縋るような目を向ける。まるで小動物がじゃれつい餌をねだってくるような様子に、チルノは根負けする。

 

「はぁ……じゃあ、ヒントだけね?」

「うん!」

 

一点の曇り無く素直に頷く弟を見ながら、チルノはどう口にしたものかと考える。

 

「ダイも知っているだろうけれど、その剣は魂を持っているの。そして、自分がどれだけ強力な力を持っているかも理解している。そして、持ち主がどれだけ強いかも知っている。だから迂闊に鞘から出てこないの」

「うん……」

 

そこまではダイもロン・ベルクから聞いた内容であり、想像できる内容でもあるだろう。

 

「そして私は、ダイよりも弱い。ダイの剣の助力なんてなくてもなんとか出来るくらいにはね……こんなところかしら?」

 

殆ど答えのような言葉だったが、ダイはその言葉を聞いて真剣に悩んでいたようだった。しばしの間思考を続け、やがて彼は顔を上げる。

 

「……それって、姉ちゃんがもっと強くなれば、おれも剣が抜けるかもしれないってこと?」

「か、可能性はね……」

「よしっ! じゃあ姉ちゃん、今からもっと修行しようよ!!」

 

はたして答えに気付いたのか気付いていないのか、判断の難しい様子でダイはチルノの手を引く。

 

「そういえばさ、アバンの書には鞭を使った戦い方も書いてあったんだぜ」

「へぇ、鞭……ねぇ……」

 

さも初耳だと言わんばかりに惚けてみせるが、チルノ自身もそのことはよく知っている。デルムリン島で僅かな日数だけ繰り広げられた大特訓の最中にて、他ならぬアバン本人から鞭の扱いについても仕込まれているのだ。

過密というのも烏滸(おこ)がましいような圧倒的な濃度の特訓ではあったが、それが回り回ってここで役に立っているのだから、アバンの読みは間違っていなかったということだろう。

 

「空裂斬とまではいかなくても、大地斬や海波斬くらいだったら姉ちゃんも覚えられるんじゃない? 剣だったらおれも教えられるし、鞭にしてもその応用だからなんとかなるってば! だからさ、一緒に特訓しようぜ」

 

明確に姉の力となれるのがよほど嬉しいのだろう。ダイは姉に手に剣を握らせ、今にも飛び出しそうな勢いを見せる。頼りになる面も見せたいらしく、語尾もどこか男らしさを感じさせるよう意識しているのだろう。

チルノもまた、弟の珍しい姿を見ながら、観念したように剣を振り始めた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「……ん?」

 

ダイ主導によるアバン流刀殺法と鎖殺法の並列特訓が開始してから小一時間が過ぎようとした頃、何かの気配を感じたようにダイは教えの手を止める。

 

「ふぅ……はぁ……どうかしたの……?」

「だれか、来る……?」

 

上がった息を整えながら尋ねると、そう呟く。その言葉が示すように、木々の奥から一人の少年が姿を現した。

 

「……えっ!?」

 

相手の姿を見てチルノは小さく息を呑んだ。

年の頃はポップと同じくらい、十六歳程度だろう。黒色混じりの青白い色をした髪を靡かせており、顔つきは整ってはいるものの険しい目つきとどこか不機嫌そうな表情が近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

戦闘用の服に肩当てをしており、背中には立派そうな長剣を背負っていることから、少なくとも彼に剣士の心得があることは明白だった。

初めて出会う相手。だがチルノだけは知っている相手だった。

 

「……ノヴァ……さん?」

「へぇ、ボクのことを知っているとは……少しは物を知っているようだね? それとも、父さんから聞いたのかな?」

 

思わず零した言葉を耳にして、相手は若干得意げな表情を見せる。だがダイは姉を守るように前へと出る。

 

「な、なんだお前はっ!?」

「ダイ、落ち着いて。この人は――」

 

ダイから見れば得たいの知れない相手なのだから、この反応もある意味では当然だろう。そんな弟を落ち着かせるように、チルノはダイの肩に手を当てる。

 

「先に名前を呼ばれてしまったが、改めて名乗らせて貰おう」

 

だがその行動に何の反応も見せず、相手は淡々と口を開いた。

 

「ボクの名はノヴァ――人呼んで、北の勇者」

「北の勇者……?」

「ダイも世界会議(サミット)でバウスン将軍に会ったでしょう? あの方のご子息で、リンガイア戦士団の団長も務めているの。その活躍から、彼は北の勇者と呼ばれているわ」

 

名乗られてもなお要領を得ないといった表情を見せるダイにチルノが補足するように説明する。とはいえ彼の説明だけではどのような出自の人間なのか分からず、ダイと同じく首を傾げる人間の方が多いだろう。

 

「そうなんだ。ごめんよ、おれはてっきり……あっ! そうだ、おれたちは――」

「知っているよ、勇者ダイと賢者チルノだろう?」

 

姉の説明にようやく合点がいったらしく、ダイは慌てて弁解と自己紹介を同時に始めようとする。だがそんな慌ただしいダイの反応を鼻で笑いながら、ノヴァは続く言葉を口にする。

 

「"自称・勇者"の御一行の、ね」

 

その言葉を耳にして、チルノは「ああ、やっぱりか」と叫びたくなるのを必死で押さえつけ、代替行為だと言わんばかりに額に手を当てる。

本来の歴史でもノヴァは自尊心が非常に強く、ダイに対する一方的な対抗心を燃やしていた。先ほどの言葉通りにダイたちを自称と言い放ち、自分こそが真の勇者だという傲慢さを見せつけていたのだ。

 

「自称……」

「ああ、そうだ。魔王軍を次々と撃退していく勇者ダイ――」

 

そこまで口にするとダイの顔へ視線を飛ばし、続いてチルノにも同じように視線を向ける。

 

「そして、先日の世界会議(サミット)を成功に導いた立役者であり、深い見識を持つ賢者チルノ……どちらも父さんから話を聞かされたよ」

 

タイミングからして、世界会議(サミット)が終わり国に戻った時にバウスンが息子に話をしたということは容易に想像が付いた。

 

「だが、父さんから聞いた評価なんてボクは信じられなかった。だから、こうして会ってみて、やはり噂は噂でしかないと改めて感じたよ。こんな相手と同列に扱われていたなんて、考えただけで腹が立つ」

 

ダイに見下すような目つきを向けるノヴァを見ながら、チルノは思考を巡らせる。

本来の歴史でも、最初に出会った頃のノヴァはダイに対して同じような態度を取っていた。だが、その様子を見せたのはもっと後だ。わざわざパプニカまで乗り込んできて、ダイたちの実力を見るような真似はしていない。

だがこの世界ではノヴァは単身やってきたのだ。おそらくは、父バウスンから聞いた話が本来の歴史よりもずっとダイたちを賞賛するような内容だったのだろう。それに腹を立て、自ら腰を上げることを決断させるほどに。

 

――それってつまりは……私のせいでもあるのよね……

 

チルノという人間の存在と、あの時取った行動が彼に影響を与えたのだと判断して、少女は自らの迂闊さに嘆息する。だがこれは自身が撒いた種でもある。故に解決の糸口を探るべく、彼女は口を開いた。

 

「それじゃあ……ダイが勇者失格だとしたら、どうすればいいの?」

「そんなもの、決まっているだろう?」

 

少女の問いかけに、そんなことも分からないのかと言外に口にしながらノヴァは言う。

 

「世界中であがめられる、真の勇者は一人で充分! 自称・勇者には大人しく退場してもらおう!!」

 

臆面無く言い切る様子に、さしものダイも面白くなさそうにムッとした表情を覗かせる。そしてチルノは、ある意味では予想通りの反応に再び頭を悩ませていた。

 

――さて、どうしたものかしら……?

 

本来の歴史と現状とを比較しながら、妙案が浮かばないものかと僅かな間、押し黙る。

 

「……ノヴァさん。ダイが本当に勇者の名にふさわしくないか、少し手合わせをしてもらえますか?」

「何だと?」

「私はダイを――勇者の姿を一番近くで見てきました。そのダイが、勇者に相応しくないとは思えません」

「だから、手合わせをしてその実力を証明しようということかい? フフフ、まあ構わないよ……逆に現実を知る結果にならなければいいけどね」

 

チルノが言わんとしていることを理解し、それでも自身の優位を信じて疑わないノヴァは態度を崩すことはなかった。それどころか逆に引導を渡せると思っているのだろう、上機嫌で手合わせの準備をするようにダイたちから少し距離を取る。

 

「ダイ、勝手に約束しちゃってごめんね?」

「ううん、それは別にいいけど……」

「迷惑ついでにもう一つだけ……少しだけ本気(・・)を出してもらえる?」

「えっ……!? ほ、本気、って……」

「お願い……ね?」

 

姉の"本気"という言葉に、ダイは焦りの様子を隠せなかった。少し前にダイとチルノが行っていたように、味方同士の手合わせには暗黙の了解としての制限がある。相手を必要以上に傷つけるような技を封じることや、目的にそぐわない手段は使わないなどといった事だ。

だが彼女は"本気"と言った。

そして、現状でダイが"本気"という言葉を聞いて思い当たるのは一つだけだ。まさかと思って問いただそうとするよりも早く、チルノは続いてノヴァに向けて口を開く。

 

「ノヴァさん、ダイはかつて超竜軍団の軍団長バランを退けた程の実力者です」

「ッ!?」

 

その言葉を聞いた途端、ノヴァの様子が一変した。どこか慢心を含んでいた雰囲気が消え、冷水のような殺気が漂い始めてくる。

 

「ダイと闘えば、その実力が見えてくると思いますよ?」

「……良いだろう。その下手な挑発、乗ってやる!!」

「え、と……どういうこと……?」

 

ノヴァとチルノのやりとりの意味が分からず、ダイは困惑したままだ。その様子を見かねて――というよりも元から説明するつもりだったのだが――チルノが耳打ちする。

 

「彼は、オーザム国を救うべく遠征している最中に、母国を超竜軍団に滅ぼされたの」

「ええっ!?」

「あの時もしも自分がいれば、魔王軍を撃退してリンガイアを守る事ができたとずっと信じているわ……実際、彼は弱くはない……でも、相手が相手でしょう?」

「……あっ!」

 

そこまで聞き、ダイはようやく姉が何をさせようとしているのかを悟る。同時に"本気"と言う言葉が何を意味しているのかも確証が持てた。

 

「なるほど、わかったよ姉ちゃん。わかったけどさ……気が進まないなぁ……」

「ごめんね……損な役回りを頼んじゃって」

 

だが理解しても気分が乗るかどうかはまた別問題である。何しろ大雑把に言えば、道化師役を頼んでいるようなものだ。気乗りしないのを自覚したまま、ダイはノヴァの正面に立つ。

 

「それじゃあノヴァ、さん? おれが相手をします」

 

続いて愛用のナイフを引き抜くと自然体に構える。だがそれを見たノヴァの顔に影が掛かった。

 

「……キミはボクを馬鹿にしているのか?」

「え?」

「短剣で相手をするなんて、愚弄するにも程がある!! その背の剣を抜け!! まさかそれは飾りなのか!?」

 

背負った長剣を一息に引き抜くと、その切っ先をダイへと突き付けながらノヴァは叫んだ。彼の立場からすれば、勇者失格と断じている相手が持っている立派な剣を抜く素振りすら見せずに、それどころか短剣で相手をしようとしているのだ。激怒したとしてもなんら不思議ではない。

 

――えーと、こういうときは……

 

ノヴァの剣幕を受け止めながら、ダイはとある人物(・・・・・)を頭の中で想像し、その相手が言いそうな言葉と態度を選ぶと口を開いた。

 

「だったら、おれに剣を抜かせてみせたらどうだい?」

「……後悔するぞ!」

 

どうやらその言葉は効果覿面だったようだ。

ノヴァは激しい怒りを内に秘めながら、勢いよく切り込んできた。その剣筋は鋭く力強い。彼が持つリンガイア戦士団の団長という肩書きは、決して親の七光りで得た物ではないということを如実に語る。

だがダイも負けてはいない。

天性の才能を持ち、アバンからの修行によってその才能を開花させ、加えて幾多の強敵との戦いによってその剣術は磨かれている。短剣と長剣というリーチの差を物ともせずに、相手の攻撃を受け止め、ある時は受け流し、隙を見つけては積極的に攻めていく。

 

「すごい……でも……」

 

一進一退の攻防が続く中、傍らで見ているチルノがそう零す。彼女の武術の腕前は、この三人の中で最も劣る。だがそんな彼女の見立ては、ダイの方が優勢という物だった。

確かに剣技は優秀であり、一流と呼んでも差し支えないだろう。だがそれでも、ダイには届いてない。それが彼女の出した結論だった。

幾度となく攻撃を仕掛けるも決定打を見いだせず、逆にダイの反撃を重心を崩しつつも避けているのがその証拠だろう。

 

「くっ!」

 

見ているチルノですら差を理解しているのだ。直接剣を打ち合わせている二人は彼我の実力差を彼女以上にはっきりと感じていた。やがて幾合かの打ち合いの末、ノヴァは憎々しげな言葉と共にダイから少し距離を取る。

 

「なるほど、ある程度は認めよう。だがやはり、背中の剣を抜くべきだ」

「……えっ?」

 

その言葉の真意を問うよりも早く、剣を握るノヴァの手が輝き、次いでその光は剣全体へ広がる。

 

闘気の剣(オーラブレード)……」

 

光の正体はノヴァが生み出した闘気だ。闘気を剣に纏わせることによってその切れ味は飛躍的に上昇する。

 

「どうだ!! これでもまだ、つまらない意地を張るつもりか!?」

「……だったら、おれは」

 

微かな逡巡の後、ダイが取った行動は腰の鞘へと短剣を納めることだった。それどころか、構えることすら忘れたかのように、棒立ちの姿勢を取っている。想定外の行動に、絶対有利であるはずのノヴァの方が逆に慌てさせられる。

 

「なっ! 何を考えているんだキミは!?」

「出来る物なら、やってみろ」

「なにを……!!!!」

 

淡々と言い放つその言葉に、消沈しかけていたノヴァの怒りが再び湧き上がる。完全に手を抜かれ、下に見られているのだと思い込んだ彼は、感情の赴くままに剣を振るった。

 

「はあああぁっ!! ノーザン・グランブレード!!」

 

跳躍すると同時に剣を大上段に構え、そのまま上空から一気に切りつける。全開で放たれた闘気が十字に輝き、まるで北極星のような存在感を見せる。それに対し、今まで不動だったダイは突如相手に合わせるように両腕を上げた。

ノヴァの秘技とダイの腕とが激突し――

 

「そっ! そんな馬鹿なっ!!」

 

あり得ぬ光景にノヴァは目を丸くし、声を荒げる。そこには、彼の剣を生身の腕だけで防ぐダイの姿があった。

いや、ダイは決して肉体的な頑強さだけで防いだのではない。気が動転しているノヴァでは気付くことがなかったが、瞬間的に腕へ竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏うことでその一撃を防いでいた。仮にノヴァがもう少し冷静であれば、ダイの両腕に輝く黄金色の闘気を目にしていただろう。

 

「ありえない……ボクの一撃が……」

 

ノーザン・グランブレードの一撃を直前になって避けるか、剣を抜いて防ぐかするだろうとノヴァは思い込んでいた。だが実際は、そんな想定を吹き飛ばすほどの衝撃的な対応を取られている。

竜闘気(ドラゴニックオーラ)の存在を知らぬ彼からすれば、単純な強さの差で強引に押し切られたと解釈する。それも圧倒的な力の差があるのだと明確に思い知らされる形でだ。

認めたくはないが、受け止めるしかない衝撃的な現実を突き付けられ、まだ手合わせの途中にも関わらずノヴァは顔を蒼白にしながらその動きを止めた。

相手が目の前にいるにも関わらず。

 

「……はっ!?」

 

ノヴァが動きを止めてもダイはその手を止めることはなかった。拳を握り、相手へ見せつけるように大きく引くと、そのまま殴りかかる。不自然な程に予備動作が大きかったおかげでノヴァは寸前でそれに気付き、慌てて防御を固めた。

 

「せええぃっ!」

「ぐううぅっ!!」

 

その防御へ合わせるようにダイは拳を放つ。いや、むしろ防御など関係ないと言わんばかりの強引かつ圧倒的な一撃だ。ノヴァ自身も闘気によって防御力の底上げをしているというのに、受け止めた衝撃に耐えきれず吹き飛ばされる。

 

「く、ううぅ……うっ!!??」

 

防いだはずの上からじんじんと襲ってくる痛みを堪えながら、戦士として鍛えられた肉体と精神は自身の身体をのろのろと起こす。そして顔を上げたところでノヴァは再びダイの姿を視界に捉え、反射的にその身を硬直させた。

 

「あ……ああ……っ!!」

 

ダイから伝わってきたのは、圧倒的な威圧感だった。自分よりも幼いはずの少年から発せられるとは信じられないほどの強い気配。

身を起こしかけていたノヴァに対して、ダイは立ったままのため、必然的にダイの方が高い視点からノヴァを見ることになる。それも影響しているのだろうか。腕を組み、無言のまま見下ろす姿は、彼の目には魔王すら凌駕する強者に映っていた。

剣を生身で受け止められたという未知の恐怖もそれを後押しした結果、彼はとうとうその身に纏っていた闘気を完全に消失し、尻餅をつく。

 

「わあぁっ!! ごめん、やりすぎた!!」

 

それを見た途端、ダイもまた自身の闘気を霧散させていた。申し訳なさそうな顔と共に謝罪の言葉を口にして、小走りに近寄ると手を差し出す。

 

「大丈夫? 立てる?」

「……へ?」

 

一瞬前までとの印象の落差に、思わず間抜けな声を上げてしまうほどだ。瞳に映る感情は、ノヴァの容態を真剣に心配しているとか思えない。戸惑いながらも彼はダイの手を取ろうとして、だがチルノが横から伸ばした手にそれを阻まれた。

 

「動かないで、まずは回復させるから――【ケアルラ】」

「これは、回復呪文……?」

 

ダメージを負っていることを考慮して無理に立たせようとはせず、まずは怪我の治療を優先させた。チルノの手から溢れる柔らかな光を受けて痛みが引いていくのを感じ、これが回復呪文だということは直感的に理解しながらもながら、けれども聞き慣れぬ言葉に首を傾げていた。

 

「ど、どういうことなんだこれは?」

「えーと、それは……」

 

困惑しながらも、ダイは事情を話し始めた。

 

 

 

 

 

「……なるほどね」

「本当にごめんなさい」

 

ダイたちから事情の全てを聞き終えたノヴァは抑揚のない声でそう言い、姉弟は揃って頭を下げる。

 

どういうことかといえば、つまりはこういうことだ。

自分がいれば超竜軍団を倒し、バランすら退けることが出来る。そう信じて疑わずにいたノヴァに対してダイが仮想バランとして相手をしてみせることで、彼の鬱憤を晴らさせると共に戦おうとしていた相手の強大さを教え、傲慢さを取り除こうとしていたのだ。

これは、同じ(ドラゴン)の騎士であるダイにしか出来ない仕事だった。

ただ、誤算があったとすればダイの行動である。手本として想像したのは、魔王軍にいた頃の――すなわち人間全てを滅ぼさんとしていた頃のバランである。加えて少々過剰にやり過ぎていた。その結果、ノヴァに必要以上の恐怖を与えてしまったのだ。

ある意味では、流石は実の親子ということでもあるのだろうが……

 

「ムシのいい話だとは思うけれど、発案したのは私なの。だから、ダイのことは許してもらえるかしら? 私になら、どれだけ怒りをぶつけても構わないから……」

「いや、謝る必要があるのはむしろボクの方だろうね」

 

ダイの謝罪に続き、チルノも言葉を続ける。二人の言葉を聞き、ノヴァは自身の胸中の想いを静かに吐露し始めた。

 

「キミのおかげで、ボクは自分が傲慢だったか思い知れたよ。手合わせの時に見せてくれたアレは、ボクが戦おうとしていた相手の強さを真似たものなんだろう?」

「う、うん……」

「やっぱり、か。竜騎将バラン……そんな底知れない化け物を相手に、ボクは勝てると一人で思い込んでいたんだな……」

 

その対象が実の父親であり、そしてまた自分自身も――幾ら真似たとはいえ――底知れない相手だと思われることに、ダイは少しだけ苦々しい気持ちだった。

だがダイの事情を知らぬノヴァは、彼のそんな感情に気付くことはなかった。

 

「そして、どれだけ狭量であるかも教えられたよ。ノーザン・グランブレードは間違っても味方に使うような技じゃない……手合わせだというのに、下手をすればキミを殺していたかもしれない……キミの見せてくれた強さに恐れ、そんな当たり前のことすら見落とすなんて……ほんとうに、もうしわけないことをした……」

 

続けて過去の行動を振り返り、自省する。口にしながらノヴァの声が段々と力なく、震えていくのが分かる。今にも泣き出しそうになるのを、必死に堪えているのだろう。

 

「ははは……こんな無様な姿を見せるようじゃ、ボクは勇者失格だな……」

 

自嘲するように笑う姿を見ていられず、チルノは口を開いていた。

 

「でも、今気付けたのなら、それでいいじゃないですか」

「……?」

「もしも、魔王軍との戦いの中で気付いていたなら、仲間を危険に晒したかもしれません。でも、今のは手合わせでした。お互いに未熟な部分に気付いたりするのが目的なんですから、何も問題ありませんよ。次に生かせば良いだけですよ」

「そう……なのかなぁ……?」

 

声を掛けるものの反応は芳しくはない。とはいえ、何しろ自分が信じていたことが根底からたたき折られた様なものなのだから、それも仕方ない。ノヴァの様子を見ながら、もう少し強めの言葉が必要だと思い直す。

 

「……北の勇者。この異名は、ノヴァさんが自分から名乗ったのですか? それとも、人々からそう呼ばれるようになったのですか?」

「そ、それは……」

 

問われるものの、ノヴァは返答に詰まった。今の彼の精神状態では、たったそれだけのことを言うだけでも恥ずかしく思えてしまうのだ。だがその返答が重要なのではない。迷うノヴァの心をこれ以上傷つけないよう、チルノは続ける。

 

「まあ、そのどちらかが重要なわけじゃないんです。大事なのは、そう呼ばれることを自分で受け入れたことだと思います」

「自分で……かい?」

「ええ、そうです。人に言われて仕方なく勇者と名乗るではなく、自分で名乗るようになっているんですから、途中で諦めたり投げ出したりするのは反則ですよ?」

「ははは……厳しいなぁ……」

「男の子なんだから、厳しくても当然ですよ。そのくらいの意地は残っているでしょう? 勇者様?」

 

最後の"勇者様"という言葉に、どこかからかうような抑揚を付けてチルノは言う。少女の励ましの言葉を耳にしながら、ノヴァは胸の奥が僅かに熱くなっていたのだが、それに気付くことはなかった。

 

「そうだよ! ノヴァさんの今までの活躍で救われている人だって必ずいる筈なんだから!」

 

姉に倣いノヴァのことを"さん"付けで呼んでいるものの、どこか息苦しそうなダイの言葉。それを聞いた当人は、微かに頬を赤らめ、照れ隠しのように頬を掻きながら言う。

 

「ありがとう……それと、ボクの事はノヴァと呼び捨てでいいよ、ダイ。それから……チ、チルノ……」

 

どうして彼女の名を呼ぶ時だけ、僅かに言葉が詰まったのか。だがその理由を議論するだけの時間はもはやなかった。

 

「――ッ!!」

 

何の前触れも無くダイが顔を勢い良く上げ、ある方角を向く。その視線の先には、パプニカの市街があるはずだ。

 

「なんだ!? この、闘気は……!!」

「こ、この気配は……!!」

 

ダイに続き、闘気の扱いに長けたノヴァもまた同じような行動を見せる。

二人の様子を見ながら、チルノは「まさか……」と口にしていた。

 

 




最初のシーン。稽古というか、書いている人の描写練習というべきか……
ダイ相手に意表を突ける程度にはあの時点でも操れて、武器性能も借りれば格上相手にトリッキーさでやり合えるはず。
(でも後に控えている格上すぎる敵を相手にどれだけできるやら)

北の勇者、ちょっと早めに参上。
父親がダイを持ち上げ過ぎたので腹が立ってパプニカまで直接乗り込んでくる。
そこまで考えて書いている人が困る。こうなると、彼が鼻っ柱を折られて自分の未熟さに気づくイベントが起きない。どうしよう。
……あ、仮想バラン戦に丁度良い相手がいる。これなら良い感じに現実を知れそう。
その結果がコレ……

ノヴァさんは剣も呪文も得意ですし、闘気の剣を使えて強い。
初期のクロコダイン・ヒュンケル・フレイザード辺りならなんとか戦えると思う。
(ザボエラは前線に出てこないので除外)
強いんですけど……多分、活躍させられなさそう…………


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LEVEL:80 魔神襲来

関・子安・岩田・奈良・速水・土師……なんというメンツだ……(時事ネタ)


――どうやら自分はつくづくこの大陸に縁があるようだ。

 

ホルキア大陸に降り立ったハドラーは、知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。

かつて地上世界を征服すべく侵攻に乗り出した際には根拠地として、自らの居城たる地底魔城を建てた。だがその結果は、勇者アバンの剣の前に敗れている。

それから十五年の時を経て再びこの地を訪れた時には、自身が禁呪法によって生み出したフレイザードの策に乗りダイたちへと奇襲を仕掛け、そして返り討ちにあった地だ。

三度(みたび)この地に降り立った今回は、ダイたちを打ち倒すべくこの地へと赴いている。だが過去のどの瞬間よりも、ハドラーの心は昂ぶっていた。

 

彼が立っているのは小高い丘の上であり、眼下にはパプニカの街並みがある。

一度不死騎団に滅ぼされたにも関わらず、僅かな期間でこれだけ復興してみせる人間に強さと恐ろしさを同時に感じていた。この底力の源泉は、かつてアバンやその使徒らが口にしていた互いに協力するということなのだろうと、朧気ながら理解していた。

仮に大魔王バーン配下の者達が、彼らの半分でも協力するということを学んでいれば……

そこまで考えてから、ハドラーはその思考を捨てた。これからすることと比較すれば、そんなことはもはや取るに足らない些事に他ならない。

 

「さて、まずは挨拶代わりとするか……」

 

自嘲するように口の端をつり上げると、彼は空中へと身を躍らせた。着地先は街の最外周部であり、狙いを外すことなくその姿を見せる。

 

「なんだ……!?」

 

文字通り空から降って湧いてきた魔族の存在に、近場にいた者たちは理解が追いつかずぽかんと硬直した様にハドラーを見つめるだけだった。

 

「イオラッ!!」

 

そんな人々の反応に構わず、彼は右の手中に光球を生み出すと、間髪入れずにそれを放つ。

 

「う、うわあああぁぁっ!!」

「きゃあああああ!!」

「魔王軍だああぁぁっ!!」

 

光球が大爆発を引き起こし、爆音に気付いた人々が悲鳴を上げながら混乱した様子を見せ始めた。人々もここに来てようやくハドラーが敵だと確信したのだろう。一目散に逃げ出し、近くにいた兵士へと助けを訴える。

 

「みなさん、落ち着いて!! 避難をお願いします!!」

「おい! 城へ緊急連絡だ!! 勇者様たちを呼べ!!」

 

兵士達も恐怖と混乱に襲われながらも、それぞれの役目を必死で果たすべく動いていた。良く訓練されたものだと敵ながらもその働きに感心しつつ、ハドラーは口を開いた。

 

「出てこい、勇者ダイ!! そのためにオレは帰ってきた!!」

 

かつての、魔王ハドラーと呼ばれた頃を彷彿とさせるような威圧感を持って語る。

だが彼自身ですら気付くことがなかった。自らが放ったイオラは街の上空で爆発し、屋根をある程度焦がした以外にまるで被害を出していないことに。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「これは!!」

「ハドラー……!」

「こうして直接相まみえるのは初めて、か……?」

「ほう、前座はお前達か?」

 

ハドラーによる混乱が生まれてから、時間にしておよそ数分と言ったところだろうか。真っ先にやってきたのは、ヒュンケル・ラーハルト・クロコダインの三人だった。逃げ惑う人々の流れとは真逆の方向に歩を進めているが、その流れに動きを阻害されることなく寄ってくるその姿に、ハドラーは彼らの実力の一端を推察する。

 

「前座だと?」

「ああ、そうだ。かつて魔軍司令と呼ばれていた頃のオレでは、貴様ら一人を相手にしても勝利するのは難しいだろう」

 

その物言いに苛立ちを見せるが、ハドラーは気にした素振りも見せずに続ける。

 

「だが、オレが理解しているように、貴様らもまた理解しているはずだ。今のオレに、貴様らでは勝てんとな。故に前座と言ったのだ」

「……なるほどな。確かに、以前のお前とは比較にならんほどの圧を感じる」

 

冷静なハドラーの言葉に、ヒュンケルは自身の内の警戒度合いを更に強めた。

相手の格好は、かつて魔軍司令と名乗っていた頃と殆ど変化がない。いつぞやも纏っていたマントに身を包んでおり、全身のシルエットを判別しがたい物にしている。唯一違いがあるとすれば、大仰な角のついた兜をかぶっている程度だ。

だが、格好ではなく見た目という視点でハドラーを見た場合は、大きく異なっていた。

かつて(まみ)えたときとはまるで違う鋭い眼光と、別人のように大きく成長した精神が、この僅かな邂逅だけでも手に取るようにわかってしまう。

ハドラーの強化については、チルノから事前に聞いていた。だが、その強大さは話で聞くのと実際に体験するとでは想定以上の差があった。

 

「だが、それがどうした!」

 

己を奮い立たせるように勢いよく剣を抜き放ち、正眼に構える。

 

「確かに、今のオレたちでは勝てんのかもしれんな。だが、相手が圧倒的な強者というだけでは、引く理由にはならん!!」

「ここに来た以上、ダイ様たちを倒すのが目的なのだろう? ならば、貴様はオレの敵だ!!」

 

残る二人も同じ気持ちを抱いていたのだろう。各々が自身の獲物を構え、内面の不安を吹き飛ばすように叫ぶと闘気を高まらせる。

 

「仕方あるまい……目的は勇者ダイだけだが、降りかかる火の粉は払わせてもらうぞ!」

 

彼らに呼応するようにハドラーもまた闘気を高め、迎え撃つ体勢を整える。その瞬間、三人は弾かれたように駆け出していた。

 

「おおおおぉっ!!」

 

先陣を切るのは、重戦士たるクロコダインである。自身の頑強さと剛力を最も生かすべく、戦斧による大ぶりな一撃を放つ。この一撃だけならば、躱すのはそう難しくはない。問題となるのは脇を固める二人の戦士の存在だ。

クロコダインの攻撃を避ければ、二の矢としてヒュンケルの一撃が襲いかかる。なんとかそれをやり過ごしたとしても、回避を続けた不安定な状態で最速を誇るラーハルトの攻撃を受ける羽目になる。

加えて三人の速度にバラつきがあることが却って対処を困難にしていた。別々のスピードによって生み出される攻撃の差が、相手のリズムを狂わせるのだ。

それぞれが異なったタイプの三人戦士だからこそ生まれ、共に修行をしていた相手同士だからこそ成立する、無意識の連携技と言っていいだろう。

格上であろうとも、充分に通用する攻撃のはずだった。

 

「ふんっ!」

「なっ!?」

 

ハドラーは一歩大きく踏み込むと、攻撃に移ろうとするクロコダインの腕を片手でつかみ取った。丁度相手の手首を強く掴まれたような状態となり、そしてそれだけで斧の動きが完全に静止する。

 

「ちっ!」

 

動きを止められたことに僅かに驚かされるものの、ヒュンケルは戸惑うことなくハドラーへと剣を振るう。その一撃は、クロコダインによって足を止めたハドラーの胴体へと吸い込まれていくはずだった。

だが相手は、迫り来るヒュンケルの剣を素手で掴み止める。

 

「どうした?」

 

片手でクロコダインの巨体を制したまま、もう片方の手では鋭利な刃を素手で掴み取り攻撃そのものを受け止める。だが流石に無傷とまではいかず、その掌からは青い血が流れ出ていた。

 

「そら! 返すぞ!!」

「ぐわっ!?」

「うおおっ!!」

 

さらにハドラーは大きく踏み込むと、傍目には無造作に両の手を振るう。それだけでクロコダインの肉体ごと吹き飛ばされ、ヒュンケルも吹き飛ばされるもののなんとか受け身を取って着地する。

 

「そして」

「なにっ!?」

 

ついでとばかりに視線を上へと飛ばす。そこには上空より刺突を放ったラーハルトの姿があった。もう一瞬ほどの時間があれば、その槍は間違いなくハドラーの肉体を貫いていただろう。

まさか気付かれるとは思わず、ラーハルトの攻め手がほんの一瞬だけ鈍る。そして今のハドラーはそれを見逃す程甘くはない。

 

「いい攻撃だ」

 

僅かに身体を捻りながら、伸び迫る槍の口金を掴んで止めてみせた。落下の勢いも含んだ重い一撃にもかかわらず、それを苦も無く受け止められたことはラーハルトに少なくない衝撃を与えていた。

 

「はっ!」

 

続いて口金を持つ手を横に振るう。それとほぼ同じ瞬間にラーハルトは槍から手を離すと、柄を蹴ってハドラーから距離を取る。主のいなくなった槍が振るわれ、空気を切り裂く音が虚しく響いた。

 

「どうした? 忘れ物だ」

 

着地した先を一瞥だけすると、ハドラーは掴んだ槍を無造作に投げる。槍を投擲して相手に攻撃しようなどとは微塵も考えていない、本当にただ相手に槍を投げ返しただけの軽い物だった。

ラーハルトはそれを受け取りながらも、忌々しげな表情を隠そうともせずにいた。戦闘中に自ら槍を手放したことは業腹だが、そうしなければ地面に叩きつけられて軽くはないダメージを負っていただろう。

 

「くっ!! これが、今のハドラーの実力!?」

「傷が……!」

 

吹き飛ばされた身体を起こしながら、クロコダインが叫んだ。それぞれが指折りの実力者だというのに、まるで赤子の手を捻るようにあしらわれるそれは悪夢にも近い。

そしてヒュンケルは、想像していた通りの光景に軽く舌打ちをする。剣を掴んだときの傷は重くはないが、すぐに止まるほど軽くもない。少なくともたった数秒程度でどうにかなるものでは絶対にないのだ。それを確認したことで、現在のハドラーの状態が事前に聞かされていた通りだという確信する。だが――

 

「これが、超魔生物の力か……!!」

「……ッ!」

 

口を突いて出来たラーハルトの言葉に、ヒュンケルは思わず身を硬直させた。彼だけではなくクロコダインもまた同じ事を考えていたのだろう、視線を声の主へと投げかける。

 

「ほぉ……耳が早いな?」

 

ハドラー本人もまた、たったこの程度で見抜かれる――それも、実際に超魔生物との戦闘経験があるダイたちならばともかく、初めて戦う相手に看破される――とは思っていなかったらしく、初めてその表情を僅かに変化させていた。

口にした本人自身、失言だったと自覚しつつも平然を装って口を開いた。

 

「ダイ様たちから聞いていたからな。事前に知っていれば、そのくらいの推測はつく」

「なるほど、奴らはロモスでザムザを倒していた。ならば伝わっていても不思議ではないか」

 

同じ考えを持っていながらも、チルノに懸念されていたことを口を滑らせてしまったことに対して、ラーハルトは臍を噛む。だが、一度口に出してしまった以上はもう取り返しが付かない。

幸いにもハドラーは特に気にした様子もなく、納得した様子を見せている。そして、ダイたちとの関係を考えれば充分にあり得ることだ。

 

――果たして今ので誤魔化すことができただろうか?

 

思わず生唾を飲み込みながら、真相に気付くことはないはずだと自身へ必死に言い聞かせ、彼らは平静を保とうとする。そこへ、三人分の足音が新たに近づいてきた。

 

 

 

 

 

「みんなっ!!」

「な、なんだコイツは……!?」

 

まず現れたのはダイだった。続き、戦士として鍛えられているノヴァがほぼ同時に姿を見せる。

ダイはヒュンケルらが苦戦していることを少し前から闘気を探ることで察知しており、現状では大きな怪我などを受けていないことに一応の安堵を見せた。ノヴァは、初めて見る魔王軍の大幹部に戸惑っていた。なまじ高い実力を持っているだけに、ただそこにいるだけでハドラーの恐ろしさを感じ取ってしまい、その身を僅かに震えさせる。

 

「ハァ……やっと追いつ……ハ、ハドラー!?」

 

そして少し遅れて、チルノが姿を見せる。純粋な身体能力でも二人に劣り、闘気を察知する能力にも未熟な彼女は――予想こそしていたものの――自身の目で見てようやく相手が誰なのかを悟った。

 

「現れたかダイ! この日が来るのを待ちわびたぞ!!」

 

待ち望んでいた相手との邂逅に、ハドラーは歓喜の叫びを上げる。なにしろ自らの身命を賭し、全ての誇りを捨ててでも勝ちたいと願った相手がようやく目の前に現れたのだ。これが喜ばずにはいられようか。口角が自然とつり上がることを抑えきれなかった。

 

「この日のためにつまらぬ誇りを捨て、魔族の身体すら捨て、この地に赴いたのだ! さあ、オレと勝負してもらおう!!」

「気をつけろダイ! ハドラーは、その身を超魔生物へと変えている!!」

「えっ!?」

 

ヒュンケルの叫びを聞き、そしてダイは初耳というように反応を見せる。

 

「フフフ……その通り! お前を打ち倒すことだけを願い、全てを捨てることで、オレは(ドラゴン)の騎士すら超える力を手に入れた!!」

 

ハドラーは叫びと共に、堪えきれなくなったかのように闘気を噴出させた。それを見て真っ先に反応したのはダイの背負う剣だった。意志を持つように宝玉を光り輝かせ、微かな金属音を響かせながら、ダイの剣は自らの戒めを解き放つ。

 

「剣が、勝手に!?」

「封印が……解けた!」

 

剣の持ち主たるダイと、そしてヒュンケルらダイの剣の事情を知っている者達は、その光景に驚きと歓喜の混じった視線を向ける。話としては耳にしているが、この世界では持ち主たるダイを含めてまだ誰も剣の力を見た者はいない。それを目にする機会に恵まれたとなれば、その反応も仕方ないだろう。

 

「ど、どういうことなんだ?」

 

ただ一人、剣が抜けたことがどういう意味を持つのか知らないノヴァだけが取り残されたような表情を見せる。そんな彼を見かねて、チルノは小声でその理由を伝える。

 

「(ダイの剣は魂を持っているの。自分が力を貸さなければ勝てないくらいの強者が相手でない限りは、決して抜けることはないわ)」

「(そうなのかい!? ……なるほど。じゃあ、次に会う時にはあの剣を抜かせるくらいにはならないと!)」

「(え……が、頑張って!)」

 

てっきり、手合わせ中に自分の力は剣を抜かせる事の出来なかった事に対する不満や落ち込んだ態度を取りそうなものだと思っていただけに、予想外に前向きな言葉を耳にしてどうしていいのか困り、とりあえずのエールを送る。

それを聞いたノヴァが心の中でこっそり闘志を燃やしていたりするのだが――それは置いておこう。

 

「それがお前の手に入れた新たな力か……ならばこちらも見せてやろう! オレの力を!!」

 

封が開いたことで漂い始めた剣の力をうっすらと感じながら、ハドラーは今まで潜めていた力を解放する。兜が内側から爆発したようにはじけ飛び、同じようにマントも内圧に耐えきれずに吹き飛んだ。

 

「ううっ!!」

「なんという力だ、あれは……!!」

 

その下から現れたのは、異形の肉体だった。

兜の装飾に見えていた角はハドラー自身の額に生える本物の角。同じ超魔生物であったザムザと比較しても、ハドラーはより洗練された姿となっていた。大きさだけでも、かつてはクロコダインよりも巨大であったはずの肉体は元の姿とそれほど変わらない。つまりそれだけ効率的に詰め込まれているということだろう。腕と脚部、そして胸部にはどこか鎧を思わせる造りをしているが、超魔生物はすべて生体部品が基本だ。何の怪物(モンスター)を取り込んだのかは知らないが、決して見かけ倒しではないだろう。

 

ハドラーの姿を見た二人の勇者は驚愕にも似た声を上げる。その力の一端をようやく目にしたのだ。これだけの驚きも当然だろう。

 

「オレたちを相手にしていたのは、文字通り前座でしかなかったということか!!」

 

そして先ほどハドラーと戦っていた者たちは、自身の体験と目の前の強さとの落差に憤りを隠せなかった。眼前の相手より感じる闘気は先に経験したそれよりもずっと強く、仮に加勢したとしてもどれだけの働きができるのかと戦士の矜持を微かに揺るがされていた。

 

「さあ、抜け!! 何も遠慮することはない!!」

「…………ッ!」

 

ハドラーに促されるまま、背からダイの剣を抜き放つ。白日の下に晒された刀身を初めて目にし、その輝きの強さに頼もしさすら感じる。ならば今の自分に出来ることは、地上最強の剣に恥じぬよう己を力を全て注ぎ込むだけだ。

 

「わかった、おれが相手をするよ……でも、もしもの時は頼む!」

 

決闘の宣言をする同時に仲間達へそう告げながら、ダイは姉から聞いていたことを頭の中で再度反芻する。

 

ハドラーは自身の肉体を超魔生物へと改造させた。欠点であったはずの呪文が使えないという点をも克服した、文字通り完全無欠の敵と呼んでも差し支えない。

その上、相手の胸には黒の核晶(コア)と呼ばれる史上最悪の爆弾が埋め込まれている。黒の核晶(コア)は超魔生物となったハドラーの溢れ出るほどの魔法力を吸収し、いつ爆発しても不思議ではない危険物へと変貌を遂げている。しかも、戦いの最中に呪文や魔法剣の類いを使った場合は誘爆の危険性もあるため、それらの使用は控えねばならない。

 

それだけを聞けば、どれもが絶望的なことにしか思えない。だがダイに有利な点もある。

それは本来の歴史ではハドラーが装備していたはずの覇者の剣が、今はその姿を変えて自身の手中にあるということだ。超魔生物の強さに加えてオリハルコン装備という最悪の組み合わせは避けられた。

ならば、ダイが取るべき戦術はただ一つ。

 

「ほぉ……」

 

剣を逆手に持ち、まるで駆け出すかのように構えるダイを見てハドラーは思わず低く唸る。それは彼が幾度も苦渋を舐めさせられたアバンストラッシュの構えだ。

 

――先手必勝! そして一撃必殺!! それしかない!!

 

全力のアバンストラッシュを放ち、一撃でハドラーの首を落とす。その後、すぐさまルーラを使って爆弾を可能な限り遠くまで運び、それが終われば再度のルーラで自身も安全な場所まで逃げる。

おそらくは、短時間で実現可能な手段はこれだけだろうと判断していた。敵に次の一手を悟られようともその上を行くべく、ダイは(ドラゴン)の紋章を全力で輝かせ、竜闘気(ドラゴニックオーラ)をその身に纏う。

 

「来いッ!!」

 

ダイの狙いを看破したのか知らずのままか、それを見たハドラーは楽しそうに構える。それがダイの心へ不信感を齎し、決め手を急がせた。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

十分な溜めを用意してから放たれたダイの必殺剣は、オリハルコンの剣の威力が加わったことで天地を揺るがすほどの威力を誇っていた。威力に優れる(ブレイク)タイプの一撃に加えて、(ドラゴン)の騎士の全力が上乗せされている。如何な生物でも、生身でこの一撃を防ぐことは不可能だろうと誰もが確信する。しかし――

 

「そんな!?」

「ダイの剣を……オリハルコンを防いだだと!?」

 

その一撃がハドラーの首を刎ねることはなかった。

いつの間にか両の手には自身の得意武器である地獄の爪(ヘルズ・クロー)を生み出しており、その爪がダイの剣を受け止めている。

 

「ぬわあぁっ!!」

「うわっ!!」

 

必殺の一撃、それも絶対の自信と必勝の気迫を持って放った攻撃を受け止められ、ダイは次の動作に移るのを一瞬忘れる。その隙にハドラーは腕をなぎ払い、ダイを吹き飛ばす。

 

「狙いは良かった。そして驚いたぞダイ、まさかお前がこんな戦い方が出来るとは……特にオレの首を刎ねんとするヒリつくような殺気は実に素晴らしかったぞ!」

 

離れたダイへ向けて、ハドラーは得意げに言う。

 

「だが残念だったな。このオレも、少しはオリハルコンを持っている。そしてそれをこの地獄の爪(ヘルズ・クロー)に組み込んだのよ。これがなければ、勝負は決していただろう」

「そんな! それはたしか、自分の肉体を魔力で硬質化させる技だったはず……!?」

 

覇者の剣がハドラーの手に渡ることもなく、戦いはダイの有利に運ぶはずだと信じていたのだ。その根底が崩され、チルノは思わず叫ぶ。それも、彼女が思いもよらぬ手段を使って差を埋められればそうもなろう。

 

「ああ、その通りだ。どうやら一部がオリハルコン化したようだが……さほど問題ではない」

 

チルノの嘆きの言葉を聞きながら、子細ないといった様子を見せる。自らの肉体の一部が金属へ変質しているにも関わらず、本当に頓着がないようだ。

 

――どうしたら……

 

その反応を見ながらチルノは逡巡する。

オリハルコンの剣を右腕に埋め込んだ本来の歴史と異なり、この世界のハドラーは地獄の爪(ヘルズ・クロー)をオリハルコンにするという荒技をやってのけている。リーチこそ剣には及ばぬものの、両手から生み出すことができる。ならば両腕ともオリハルコンとなっていると考えるべきだろう。

加えて、ハドラーは元々格闘術を得意としていた。本来の歴史でも剣を操りダイたちを相手に途轍もない強さを見せていたが、それが今回は元来得意とする攻撃を行ってくるのだ。ある意味厄介さでは、覇者の剣以上かもしれない。

 

姉が頭を痛めるその一方で、ダイもまた戸惑っていた。

全ての目論見が外れ、全力の一撃を防がれたことは彼の肉体と気力を少なからず消耗させていた。たった一度攻撃しただけだというのに大きな疲労感を感じ、だがそれでもハドラーを相手にどうにか戦おうと瞳だけは闘志を燃やす。

 

「そうだ! それでいい!! 貴様の持つ力の全てを引き出せ!! あらゆる手段を試してみせろ!! それを上回らなければ、勝利の意味がない!!」

 

その目が死んでいないことを見て取り、ハドラーは歓喜と共にダイを戦いへと駆り立てるべく叫ぶ。そして焦燥感を煽るようにゆっくりと歩みを進め、ダイへと近づいていく。

 

「ぐうぅッ!?」

 

そして両者の距離が四歩ほどになったところで、突如としてハドラーは雷に撃たれた。天空より降り注いだ一条の光がその肉体を包み、高圧電流がその身を焼く。まったく意識の外からの攻撃に思わずその動きを止めた。

 

「なんだ!?」

 

予想外だったのはダイたちも同じである。

 

「今のは、雷撃呪文!!」

「まさか……!!」

「あ……っ! ああっ!!」

 

だがそれは彼らからすれば天の助けだ。そして、その原因となる人物にも心当たりがある。

急ぎ周囲を探し始め、そしてラーハルトが声にならない歓喜の声を上げた。

 

「どうやら、好機に恵まれたか……」

 

その言葉と共にバランが姿を表した。

 

「怪我はないか?」

「あ、うん……」

「ならばここからは私が代わろう」

 

おそらくはルーラを使ったのだろうが、いつ姿を現したのかはこの場にいた誰の目にも見ることはできなかった。いつの間にかダイの隣へと並んで立っていたのだ。

そしてバランは、ハドラーなど眼中にないかのようにダイへと声を掛ける。その言葉にダイは戸惑いながらも返事をするのが精一杯だった。

一方、攻撃を受けたハドラーはバランの姿を見た途端、豪快に笑いだす。

 

「バランか……クククク……ワッハッハッハ!! どうやらオレも運が向いてきたようだ!!」

「フン、下手な強がりはそのくらいにしておくのだな」

「強がりなどではない。かつて貴様が部下だった頃は、いつオレの権力の座を上回るかと日々恐々としていた……ダイと共にオレを倒しに来るのだろうと考えていた」

 

かつての日々を思い出しながら、ハドラーは言葉を紡ぐ。

 

「だが今やそれを、お前達との戦いを望んでいるのだ……これを幸運と言わずして、何と言う!?」

「戯れ言を……どうやら雷撃呪文程度では灸にもならなかったようだな!」

 

再びハドラーへ手痛い一撃を加えるべく動こうとするバランだったが、だが急にその動きを止めた。

 

「まだ早いと思っていたが、どうやらそうも言ってられんな……抑え切れん!」

 

その原因はハドラーだ。

ダイとバラン、二人の(ドラゴン)の騎士を見たことで、まるで堰を切ったように闘気が溢れ出ていたのだ。

 

「まさか……!!」

「馬鹿な、それは……!!」

 

二人の(ドラゴン)の騎士が、同時に呻く。その口から流れ出るのは、絶対に有り得ない物を見たことによる驚きに満ちた声。

 

無理もないだろう。

ハドラーの全身を、黄金色の闘気が覆っていたのだから。

 

 




ハドラー様の纏った闘気……あれは一体……
バレバレだと思いますが、正体は皆様がご想像されているであろう"アレ"でございます。

その通り、スーパーサイヤ人です(大嘘)

伏線としては――
・命を賭けたフレイザードを見た結果
・ダイとバランの戦いの途中の出来事
・バラン撤退後、改造手術を受ける際のハドラーの言葉
・ザムザが使ったダイにだけ効果を発揮する毒
・ミストとキルの反応
辺りでしょうか。
(詳細は次回)


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LEVEL:81 竜を喰らう魔

スーパー……サイヤ人??
すみません、いったい何のお話でしょうか……?


竜闘気(ドラゴニックオーラ)……!?」

 

ハドラーの全身を覆う黄金色をした闘気を目にして、チルノが叫んでいた。だがわざわざ叫ばずとも、ここにいる殆どの者はその実物を見たことがある。彼女の言葉を口火にしたように、次々に口を開く。

 

「まさか、そんなはずはない! (ドラゴン)の騎士はバラン様とダイ様だけだ!! あれが本物であるものか!!」

「だが、あの闘気……そしてあの重圧(プレッシャー)には覚えがある……かつてバランと戦ったときのそれに酷似している……」

「お前もか、クロコダイン……そしてラーハルト。バランの近くにいたお前なら、あれが本物か偽物かの判断くらいはつくのではないのか?」

「くっ……ぐうぅぅ……!」

 

そう尋ねられ、ラーハルトは蛙が潰されたような呻き声を上げた。

(ドラゴン)の騎士に最も長く付き従ってきたのは彼だ。ヒュンケルにわざわざ問われるまでもなく、あれが竜闘気(ドラゴニックオーラ)だということは一目見た瞬間に理解していた。

だがそれを素直に信じ、受け入れることは彼の矜持が許さない。

彼は(ドラゴン)の騎士に仕えることを誓った身であり、その忠誠の対象にハドラーは間違っても入っていない。だが偽物と断じようとする気持ちとは対照的に、戦士の本能は本物だと訴え続ける。

どうにか否定の材料を探そうとするが、皮肉なことにそれが浮かぶことがなかった。

 

「あ、あれって……」

「ダイよ、お前も同じ意見か?」

「うん……どうしてかはわからないけれど、あれは……」

 

ラーハルトの感じている苦悩とよく似た感情を二人の(ドラゴン)の騎士も体験していた。こちらの場合、彼よりもずっと顕著だろう。各々が自信の身に纏い、活用し続けてきたそれをハドラーが操っているのだ。

その戸惑いは、誰よりも大きいだろう。

 

「ああ、間違いなかろう……腹立たしいことだがな」

 

肯定しつつもバランはハドラーを射殺(いころ)さんばかりに睨みつけた。

当代の(ドラゴン)の騎士として生を受けたバランにとってみれば、我慢できることではない。竜闘気(ドラゴニックオーラ)とは神の生み出した究極の存在だけが操る特殊な闘気だ。

それをただの魔族でしかないハドラーが操るなど、神域を土足で踏みにじるような行為に等しい。

 

「クククク……ダイにバラン。(ドラゴン)の騎士が揃ってオレに怯える姿を見られるとは!! これだけでも、我が命を賭けた甲斐があったというものだ!!」

 

ダイたちの反応を目にして、ハドラーは満足そうに笑う。

かつて己の地位と命を脅かしていた存在に対して度肝を抜くことが出来たのだ。溜飲も多少なりとも下がろうというものだろう。

 

「……ハドラーよ、一つ聞かせろ。その闘気、どうやって手に入れた?」

「気になるか?」

「当然だ。それは努力や偶然で手に入る物でなければ、お前のような半端者が使いこなせる物でもない!」

 

純粋たる(ドラゴン)の騎士ならば、その力の出所(でどころ)を気にするのは当然のことだろう。

ハドラーが竜闘気(ドラゴニックオーラ)を手に入れたということは別の魔族も――下手をすれば大魔王バーンが手にする可能性すらあるのだ。それは(ドラゴン)の騎士の絶対性を崩すことにもなる。

 

「大した自信だな。だが、そうだな……敬意は表さねばならん」

 

敬意――それは果たして何に対しての敬意なのか。

ハドラーはそれまで浮かべていた微笑を消し、真摯な表情で口を開いた。

 

「お前とダイ、二人の(ドラゴン)の騎士のおかげ、とだけ言っておこう」

 

そう、バランとダイ。二人の(ドラゴン)の騎士がいなければ、今のハドラーが存在することはなかっただろう。

 

かつてダイは、テラン王国にてバランと激しい死闘を繰り広げた。

激戦と呼ぶのも生ぬるいその戦いにおい、竜魔人と化したバランは、片翼をダイの手によって切断され、もう片方は己の手で切り裂いてまでも戦い続けた。

ハドラーが目を付けたのはそこだ。

 

彼は超魔生物の研究についてもある程度知っている。ならば、竜魔人の細胞をも組み込めばさらなる力を――(ドラゴン)の騎士の力を得られるのではないかと考えた。

本来ならば超魔生物へと変貌を遂げるだけでも自らの命を削る。その上で、竜魔人の力まで取り込もうというのだ。ノウハウなど何もない、完全なる暗中模索。

確かに成功すれば得られる力は天に届くだろうが、失敗する可能性の方が遥かに高い賭けのはずだった。普通ならば、そんなことはしないだろう。

 

その賭けに乗ろうと決意を後押ししたのは、フレイザードの存在だ。

ダイに敗れ瀕死となりながらも、その命を捨ててでも勝利を掴もうとハドラーへ懇願してきた。その姿が、自身の立場と重なったのだ。

命を捨ててでも、がむしゃらに勝利だけを追い求める。その覚悟と執念を、自ら禁呪法で生み出した仮初めの生命によって教わっていた。

 

――余談ながら、その一方でザボエラたちは(ドラゴン)の騎士に対する独自の対抗策を模索することも忘れていなかった。なにしろ最高のサンプルが手に入ったのだ。実験し、効果的な手段を手にするだけの時間はあった。

その成果の一つが、かつてザムザがダイに対して用いた毒である。竜魔人の細胞を研究した結果、(ドラゴン)の騎士にのみ効果を及ぼすように改良したものだ。

 

そして、超魔生物への改造は行われた。

切断された竜魔人の翼より細胞を取り出し、超魔生物の技術を使ってハドラーへと組み込む。その結果は知っての通りである。

唯一欠点と呼べるものがあれば、(ドラゴン)の紋章の存在だろう。超魔生物化による細胞の影響か魔族としての力の影響か、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を発しても紋章が発現することはなかった。

とあれ、超魔生物へと生まれ変わったことに加えて竜闘気(ドラゴニックオーラ)という新たな力を得たことにより、魔王軍の大幹部たるミストバーンとキルバーンすら驚かせる存在へと変貌を遂げていた。

 

ダイとバランという二人の(ドラゴン)の騎士が存在していたからこそ、今の自分が存在している。そう考えたからこそ、ハドラーは先ほどのような言い回しをしていた。

 

「よく、わかった。答える気はないようだな」

 

だがそのような背景など、バランが知るはずもない。そう言うとバランは背の剣を抜き放ち、宣戦布告のようにハドラーへと突き付ける。

 

「貴様の存在は見過ごせん!! (ドラゴン)の騎士の誇りに賭けて、今この場でなんとしてでも討つ!!」

 

そしてあらん限りの怒りを込めて叫んでいた。

 

「ましてや今の貴様には、(ドラゴン)の紋章すらない半端者よ! (ドラゴン)の騎士とは本来は一代限り! 例外は我が息子だけだ!! 竜闘気(ドラゴニックオーラ)は貴様の手には余る、過ぎた玩具だ!! どのような手を使おうとも、貴様だけは二度と甦らぬよう、魂もろとも打ち砕いてやろう!!」

 

味方をも萎縮させるほどの凄まじい闘気を発しながら、続いて剣を正眼に構えた。今すぐにでも飛びかかっていきそうな程の殺気だ。

 

「バラン様! 自分も!!」

「ならん!!」

 

すぐさま声を上げたラーハルトだったが、すぐさまバランに一喝される。

 

「ラーハルト、お前も感じ取っているだろう? どういう手段を使ったのかは知らんが、ハドラーの力は本物だ。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏った者を相手に戦えるだけの力を持っていない者は離れていろ! 邪魔だ!!」

「な……っ!」

「くっ、だが……!」

 

激怒したような荒々しい言葉は、逆に言えばバランの心の余裕のなさの現れでもあった。ハドラーを強敵だと無意識に認めたからこそ、戦いとなれば他者を気に掛けるのは実質不可能となりかねない。ならば最初から参加させないという手段を取るしかないだろう。

それを聞いた者達は、バランの言葉に不承不承頷く。概ね、彼らも似たようなことを考えていたからだ。

 

「う、うう……」

 

ただ、ノヴァだけはバランの言葉に押されて尻込んでいた。ハドラーだけでも初見だというのに、それに加えて竜闘気(ドラゴニックオーラ)まで体験させられたのだ。無理もないだろう。

背中に氷柱でも詰め込まれたかのように全身を震わせ、新兵が初めて戦場に出るときのように怯えていた。

だが、そんな彼の手をチルノは優しく握ってみせる。

 

「……えっ?」

 

不意に手を握られ、ノヴァは僅かに顔を赤らめながらその相手を見る。そこには、彼が今まで見たことがないほど真剣な表情をしているチルノの姿があった。

 

「私達が相手をする大魔王バーンは、あれ以上の化け物よ。今は恐れてもいい。その代わりに、今のうちに慣れておいて」

「は、はい……」

 

ハドラーがどのようにして竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操れるようになったのか、それはチルノには分からない。だが、過程は理解できずとも原因は間違いなく自分にあるはずだ。

そう考えた彼女は、内心の恐怖を押し殺して声を上げる。

何しろ、再び竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操る相手と戦うのだ。恐れぬはずがない。ノヴァの手を握ったのも、彼を落ち着かせるのと同時に、自分も心を落ち着かせるための方便のような意味合いが強かった。

 

「参加させてもらうわよ。だって、私はその資格を持っているものね」

「姉ちゃん!?」

 

まさか出てくるとは思わなかったのだろう。ダイが驚きの声を上げる。バランもまた、この戦いの主役はダイと自分だけだろうと思っていただけに、態度にすら出さないものの驚かされていた。

 

「バラン、あなたに痛手を与えたのは誰か、忘れたわけじゃないでしょう?」

「……なるほど、お前ならばその資格はあるな。いいだろう」

 

かつて、ダイを巡って戦い合った間柄でもあるのだ。ある意味でバランはチルノの力を一番よく知っている。僅かに躊躇ったが、背に腹は代えられぬとばかりに頷く。

参戦を認められ、彼女もまた鞘へ納めていたガリアンソードを引き抜き構える。

 

「三対一か、面白い!!」

 

そして、対戦相手を目にしながらハドラーは愉快そうに笑う。

かつてデルムリン島でも、同じように三対一で戦ったことがあった。その時はバランではなくアバンであったが、それぞれの絆という意味ではアバンに負けず劣らずだろう。

 

――まるであのときの焼き直しのようではないか!

 

巡り巡ってきた戦いの好機に、昂ぶる感情を抑えることなどできなかった。

 

 

 

 

「くっ……このような一大事に、オレは見ていることしか出来ないのか……!!」

 

チルノが声を上げる姿を見ながらラーハルトは叫ぶ。

彼が加勢すると言った時にバランは拒んだが、チルノは参加を認めた。それは、今のラーハルトではまだ(ドラゴン)の騎士を相手に出来ないと言われたように感じていた。

 

「そう腐るな。バランとダイという二人の(ドラゴン)の騎士を相手にするだけでも戦力は過剰だ。むしろ、下手に前衛を増やす方が危険だと判断したのだろう」

 

だがヒュンケルの読みは違った。

後方から呪文を放つ機会の多いチルノだからこそ選ばれたのだと。仮にダイがいなければ、バランはラーハルトの参加を許していたことだろう。現状で最も効率的な選択をしただけだろうと考えていた。

 

「それにまだ機会はある。竜闘気(ドラゴニックオーラ)は無限に使い続けることは出来ん……オレたちに出来ることは、闘気が切れた瞬間を狙ってそこに最大の攻撃を叩き込むだけだ」

 

クロコダインもまた、この戦いへの参加を諦めていない。

竜闘気(ドラゴニックオーラ)は確かに強力だが、完全無欠というわけではない。息切れの瞬間は必ず訪れる。三人の中で最も実力が劣るクロコダインは、その時を見極めるべく瞬きすら忘れたように注視していた。

その言葉に気付かされ、ラーハルトはハッと顔を上げる。

 

「この中で最速を誇るお前が諦めてどうするつもりだ?」

「いや、今のままの方がいいだろう。口やかましい言葉を聞かずに済むからな。コイツは多少落ち込んでいるくらいが丁度良い」

 

からかうようなそれは、彼へとハッパを掛けるべく放たれた言葉だった。

下手くそな台詞を耳にしながら、ラーハルトもまた参戦の時を待ち構え始める。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「行くぞ!!」

 

真っ先に動いたのはハドラーだった。

数の上で不利な以上、待ちの姿勢は愚策と踏んだのだろう。猛烈な勢いでダイたちへと飛びかかっていく。

 

「【マイティガード】!!」

 

ハドラーが動くと同時にチルノが全員に防御魔法を放った。超魔生物に加えて竜闘気(ドラゴニックオーラ)を持つハドラーの攻撃を前にしてどれだけ有効なのかは不明だが、何もしないよりは数倍もマシだ。

そもそも超魔生物は強い再生能力を持つのだから、このくらいの対抗策は備えてしかるべきとすら言えるだろう。

 

「来い! ハドラー!!」

 

バランはハドラーを迎え撃つように飛び出していた。

薄い結界のようなそれの効果を、バランはよく知っていた。かつてチルノたちと敵対していた時に彼女が使っており、その防御性能の高さは折り紙付きだ。ある意味で身をもって証明している。

 

「おおおぉぉっ!!」

 

右腕の地獄の爪(ヘルズ・クロー)による強烈な殴打の一撃を、バランは真魔剛竜剣で受け止めた。思わず剣が弾き飛ばされそうになるほどの衝撃だったが、マイティガードはその衝撃を緩和する。

だがそれだけでは終わらんとばかりに、ハドラーは右手へさらに力を込める。奇妙なつばぜり合いの格好となったそれは、ただの消耗戦に近い。

通常ならば無理に付き合う必要はないが、今は違う。むしろハドラーの気を強く引くかのように、バランもまた力を込めて剣を押し返す。なぜならば――

 

「今だッ!!」

 

動きが止まった瞬間を見計らい、ダイが飛び出していた。息子の動きを見たバランは、顔には出さずに微笑んだ。

多対一となったこの戦いでは、攻防の全てを一人で担う必要はない。むしろ一人がハドラーを押さえ込めば、他の仲間は攻撃に専念できるのだ。ならばそれを狙わない意味はない。

バランが率先して囮役を買って出たのも、最も戦闘経験に優れた自分ならば状況をコントロールできると考えたからだ。

 

「くくく、考えが甘いなバラン!」

「ッ!?」

 

考えを見透かしたかのような言葉に、バランは小さく目を見開いた。その反応に満足しながら、ハドラーは自由になっていた左手を振るう。ダイの迎撃を考えているとすれば、あまりにも動くのが早すぎる。不可解な動きにしかみえなかっただろう。

 

「なっ!」

 

驚きの声を上げたのはダイだ。なにしろ襲いかかっていた相手の左腕から、鎖が飛び出してきたのだから。

これもまた、超魔生物と化したハドラーの新兵器であった。地獄の爪(ヘルズ・クロー)と同じく自身の骨を魔力で硬質化させて鎖状にして放つ、地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)と呼ばれる攻撃法方である。

地獄の爪(ヘルズ・クロー)しか知らなかったダイは、初めて見るその攻撃に僅かに反応が遅れた。

 

「くっ!」

 

バランは言わずもがなである。地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)の存在を知らず、加えてハドラーの右腕に封殺されている彼は下手に動くことが出来ない。敵の動きを封じるつもりが、逆手に取られたのは自分の方かと臍を噬む。

 

「いけない!!」

 

だがこの中で唯一ハドラーの新兵器の存在を知っていたチルノは即応してガリアンソードを操っていた。すぐさま剣を分割して鞭状にすると、地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を絡め取るように飛ばす。

 

――あれ? ダイに教えてなかったっけ??

 

自身の記憶を必死で掘り返しながら、彼女は剣を操って鎖の動きを止めていた。さながら釣り人同士が釣り糸を絡ませ合ったかのようになっている。とはいえそのおかげでダイは迫り来る鎖から逃れる事が出来た。

 

「ありがと姉ちゃん!」

「ほぅ、コレを止めるか!」

 

結果として両腕を封じられた形となったが、それでもなおハドラーは不敵に笑う。一見して劣勢となったとは思えない態度に、(ドラゴン)の騎士二人は違和感を感じる。だが彼らが次の手を考えるよりもハドラーが動く方が早かった。

 

極大爆裂呪文(イオナズン)!」

 

僅かな動揺の隙にハドラーは魔法力を貯めると呪文を放つ。右手に生み出された光球はその場で爆発を起こすと、本人も含め周囲にいた全ての者に襲いかかる。

 

「えっ……!?」

「うわっ!?」

「むっ!?」

 

反射的にダイたちは竜闘気(ドラゴニックオーラ)で防御を試み、離れた場所にいたチルノは片腕で顔を庇うように防御する。爆風はハドラーが抱えていた拮抗状態を崩し、バランとダイを弾く程度の威力を持っていた。

だが意外な程にダメージは少ない。マイティガードの結界が防いだことを差し引いても軽すぎる攻撃を身に味わい、彼らは思わず疑念の声を漏らす。

 

「……いかん!」

「きゃあっ!」

 

ハドラー狙いに気付きバランが声を上げると同時に、チルノの口からも悲鳴が上がった。

周囲はイオナズンによって引き起こされた煙で一時的に視界が封じられ、決して低くはない威力の攻撃呪文を放った事で(ドラゴン)の騎士二人の姿勢を崩す。仕切り直しと煙幕を兼ね備えた攻撃である。

 

バランはてっきり、再び自分に攻撃を仕掛けてくると思った。だがその予測は覆され、狙われたのはチルノであった。ハドラーは左腕の地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を、その怪力を活用して力強く引っ張った。

チルノとて戦士としての鍛錬も積んではいるが、ハドラークラスの相手から見れば不足している。ましてやその相手は超魔生物のパワーを兼ね備えているのだ。あらがえたのは一秒にも満たない時間だった。

 

「くぅっ……!」

 

単純な引く力の前にチルノは強制的に動かされる。まるで石に躓いたかのように身体が前に投げ出され、ハドラーの足下目掛けて飛び込むような格好を強いられる。慌ててガリアンソードを操って戒めを解き元の剣へと戻すが、少し遅い。

いつの間にか彼女は、ハドラーの攻撃範囲へと足を踏み入れていた。

 

「姉ちゃん!!」

「チルノ様!!」

 

慌てて二人がカバーに入る。未だ視界は悪いままだが、チルノが動かされたこともあってか多少なりとも開けていた。加えて彼女が上げた声も、位置を知る一助となる。

ラーハルトは己の神速を活かしてチルノの傍まで移動すると、そのまま彼女を引っ張って攻撃範囲よりも外まで退避させた。

そしてダイは、地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を切断すべく剣を振るう。

 

「固い!?」

 

剣先が鎖に触れた瞬間、その手応えに彼は思わず口走る。

前述の通り、地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)地獄の爪(ヘルズ・クロー)同様ハドラーの骨を魔力で変質させたものだ。爪がオリハルコンと化すのであれば、ならば同じ呪法で作られた鎖もまた、オリハルコンとなっているのは道理であった。

 

「そこか!!」

 

チルノ()を狙えば、ダイ()が動く。視界が封じられ、悲鳴だけが聞こえればそれはより顕著になるだろう。よしんば動かなくとも、チルノはチルノで封じておく必要があるとは思っていたのだが――目論見が当たったことに笑みを浮かべ、ハドラーはダイ目掛けて攻撃を繰り出していた。

 

「逃がさんぞっ!!」

「うわああぁぁっ!!」

 

既に鎖は納め、地獄の爪(ヘルズ・クロー)を両手に生やしている。剣よりも短い分だけ取り回しに優れた攻撃が、まるで暴風雨のようにダイ目掛けて襲いかかった。まるで拳が壁のように迫ってくる絶え間ない連撃を前に、ダイは辺りを飛び回るようにして身を躱しつつ、剣で攻撃を受け流しながら反撃の糸口を掴もうとしていた。

 

――だが、ハドラーの攻撃は何の前触れもなくピタリと止んだ。

 

「ッ!?」

 

圧倒的有利と思われる攻勢から一転して不可解な動きのハドラーにダイも思わず動きを止めた。

 

「むっ!!」

「【バイオ】……えっ!?」

 

次の瞬間、ハドラーは宙返りするような動きを見せるとバランへ飛びかかった。続き、遅れてチルノのバイオの魔法が炸裂したが、すでにハドラーは狙いの場所から離れた後だ。何もない空間に細菌が虚しく放たれ、強すぎる毒素によって自滅していく。

 

「その呪文は! ……避けて正解だったか」

 

どうやら彼女が魔法を放つことまで予測していたらしく、タイミングを見計らって避けたようだ。とはいえ、放たれる魔法がどの様な物かまではわからなかったようだが、生体牢獄(バイオプリズン)を易々と破壊した魔法については彼も知識があったらしく、軽く冷や汗を拭う。

 

「次は貴様の番だ! バラン!!」

 

着地する前から待ちきれぬとばかりに拳を放ち、着地するや否やダイに見せた猛攻をハドラーは放つ。

拳のラッシュは嵐のような勢いだが、バランも竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にしながらハドラーの連続攻撃を冷静に見極めていた。

ダイよりも戦闘経験が豊富であり、(ドラゴン)の騎士に受け継がれる闘いの遺伝子による補佐もあってか、早々に攻撃の切れ目を見切ると機を逃すことなく動いた。

 

「同じ手が何度も通用すると思ったか!?」

「ぐっ!」

 

脇腹を抉るような蹴りを放つ。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を強く込めた一撃は、同じ闘気を持つハドラーの防御を打ち破りその動きを縫い付けると、続いて流れるような澱みない動作で続いて剣を振るう。

 

「アバンストラッシュ!!」

「【魔法剣ブリザガ】!」

 

ハドラーの動きが止まったのが好機と見たのは、バランだけではない。その瞬間を逃さぬよう目敏く(アロー)タイプのアバンストラッシュを放ち、チルノもまた剣に冷気を伝わせると、ガリアンソードを分割させ鞭のように躍らせる。

 

「ぬうっ!!」

 

だが敵も()る者。すぐさま動きを再開すると、バク転のようなアクロバティックな動きで闘気の込められた剣から距離を取ってみせた。

続くストラッシュこそ避けきれなかったが浅い。ハドラーの胸を僅かに切り裂いた程度のダメージにしかならなかった。

魔法剣ブリザガも同じことだ。大腿部へ傷を付けることには成功し、冷気によって追加のダメージを与えるものの、超魔生物を相手にするには心許ないダメージでしかない。彼女が狙っていた「冷気によって動きを止める」という効果は期待できそうになかった。

 

「ずいぶんと厄介な相手になったようだ……」

 

三人を相手に戦い抜くハドラーを見て、バランはそう吐き出す。

圧倒的な身体能力を持ち、最上級呪文を放つ。加えてまがい物――バランは認めていないので――ではあるが、竜闘気(ドラゴニックオーラ)までもを操る。さながら、毛色の違う竜魔人といったところか。

 

「……フッ」

 

そこまで考え、不意にバランは鼻で笑う。

かつて竜魔人となった自分を相手に息子は勝利を収めた。ならばこの闘いもあの時と同じことをやるだけだ――そう断じる。ましてや今回は、その闘いの勝利者たる二人がついているのだ。

ならば自分たちが負けることは、万に一つもないだろう。

 

「ギガデイン!!」

 

意を決したバランは、呪文を放ち自身の持つ真魔剛竜剣へと雷撃を落した。それを見た途端、全員の表情が一段と険しい物へと代わる。何しろ、彼がこの次に何を繰り出すのか理解できぬ者はこの場には皆無だからだ。

 

「口惜しいが、認めてやろう! そして、どうやら貴様を倒すには下手な小細工など無用のようだ!!」

 

帯電した剣を大上段に構える。バランの持つ最強の剣技たるギガブレイクを放つ準備は完全に整った。

 

「ほう! ギガブレイクか!! 父親はこう言ってるようだがダイよ、貴様はどうする!? ライデインストラッシュは撃たんのか!?」

「……ッ!!」

 

ハドラーの煽るような言葉を耳にしても、ダイは動けずにいた。バランが判断したように、ダイもまた同じ――このハドラーを倒すのに、強烈な一撃を持って屈服させるより他にはないという結論に達していた。

 

だがダイは、ハドラーの胸に黒の核晶(コア)が仕込まれていると姉から教えられている。大威力の魔法剣を放つということは、誘爆の危険性がつきまとうということを知っているのだ。その情報が、少年に必殺剣技たるライデインストラッシュの使用を躊躇わせていた。

 

「……ダイ、覚悟を決めましょう」

 

迷っているダイへ向けて、チルノが声を掛ける。誰よりも事情をよく知る姉からの、意外過ぎる言葉に弟は思わず彼女の方を見た。

 

「でも、姉ちゃん! だって!!」

「私を何だと思っているの? 一応、考えくらいはあるわ……タイミングはちょっと厳しいけれどね」

 

ダイがこれ以上何かを言うのを封殺して怪しまれることのないよう、チルノは口早に語ってみせる。

 

彼女の考えは、ラスピルの魔法を使うことだった。

魔法力を直接削り取るこの魔法は、かつてバランの魔法剣すら打ち消して見せた実績がある。それを今度は黒の核晶(コア)へと直接放つのだ。

黒の核晶(コア)の破壊力が蓄えられた魔法力に比例するというのなら、ラスピルの魔法で可能な限り削り取ることで威力を押さえ込む。

さらにダイとバランの二人掛かりで竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使って爆発を押さえ込めば、なんとか防ぎきれるはずという算段である。

そしてもう一つ、不確定ではあるものの嬉しい誤算があった。竜闘気(ドラゴニックオーラ)は呪文を弾く性質を持っている。だったらその影響で、コアが魔法力を吸うのを遮断している可能性がある。もしもチルノの目論見通りならば、威力は更に低くなるはず。

 

だが、これを今口頭で伝えるわけにはいかない。下手に不信感を持たせれば、黒の核晶(コア)の権限を持つバーンが気付き、遠隔操作で起爆させる可能性があるためだ。

 

「だから、安心して! 私も援護するから、全力で攻撃しなさい!!」

 

迷っているダイの背中を強く押し出すように、チルノはそう叫んでみせた。信頼する姉の言葉を受けた弟はコクリと大きく頷き、父親に倣うように呪文を唱えた。

 

「ライデイン!!」

 

ダイの剣に雷撃が降り注ぎ、魔法剣となる。親子が最大技の準備を終えたことを見て、ハドラーはようやく低く笑い声を上げる。

 

「魔法剣……だがもはやそれは(ドラゴン)の騎士の専売特許ではなくなった!」

「なんだと!?」

極大閃熱呪文(ベギラゴン)!!」

 

聞き捨てならない言葉に反応するが、その返事の代わりだとでも言うようにハドラーはベギラゴンを唱える。本来ならば強大な高熱のエネルギーが放たれるはずのその呪文は、だがダイたちの肉体を焼くことはなかった。代わりに――

 

「ああっ!!」

 

極大閃熱呪文(ベギラゴン)の全エネルギーは、ハドラーの地獄の爪(ヘルズ・クロー)に宿っていた。まるでダイやバランの持つ剣と同じように。

 

「馬鹿な……魔法剣まで操るだと……!?」

「超魔生物の肉体、(ドラゴン)の騎士の細胞、そしてオリハルコンの存在。これらが揃い、ようやく貴様らと同じ位置まで上がることが出来た」

 

驚愕にも似た呟きをバランが見せる。

ここまでことごとく(ドラゴン)の騎士のお株を真似され続ければ、どれだけ温厚な性格であっても反応せずにはいられないだろう。

ダイだけでなくバランもが度肝を抜かれ、攻めのタイミングを見失っていた。

 

「魔法剣まで操るなんて……本当に竜魔人を相手にしていると考えた方が良いみたいね……」

 

チルノもまた、ハドラーの一挙手一投足をつぶさに観察していた。ここまで似通ってくれば、同じ存在と判断しても良いような物だろう。

 

「でもお生憎様! 竜魔人を相手の経験だって多少はあるんだからね!!」

 

内側から湧き上がる感覚を振り払うべく景気づけのように叫ぶと、彼女は剣を鞘へと納めた。そして集中すると同時に、一気に魔法を放つ。

 

「【コメット】!!」

 

彼女が選んだのは、かつてバランに痛手を与えた魔法だった。魔力によって生み出された擬似的な流星を対象へと激突させるそれは実績もある。その名を聞いた途端、あの時のことを思い出したのだろうバランが僅かに顔を顰めた。

つまりは、その程度には効果的ということだろう。

 

「甘いわぁっ!!」

 

だが無策で放たれた攻撃を受けるほどハドラーも甘くはない。迫り来る流星は単純な軌道を描くため、見切りも容易だ。素早く落下予測地点から離れると、次に来るであろうダイとバランへと警戒を向ける。

普通ならばそれで正解だろう。だが、チルノを相手にするのにそれは誤りだった。

 

「【フレア】!!」

「がああああぁぁっ!!??」

 

大雑把に放ったコメットの魔法など、避けられるのは百も承知。そもそも、バランが顔を顰める攻撃を迂闊に喰らうわけにはいかない。これは完全なる誘い水の攻撃だ。

フレアの魔法こそが大本命。超高熱と閃光を伴った爆発による一撃は竜闘気(ドラゴニックオーラ)の防御を突き破ってハドラーの肉体を焼き焦がしていく。

攻撃時間は一秒にも満たない僅かな時間であったが、その破壊力は極大閃熱呪文(ベギラゴン)を上回るほどだ。

 

「今だッ!! ライデインストラッシュ!!」

「ギガブレイク!」

 

ハドラーの足が止まった瞬間を狙いダイは右から、バランは左から攻める。高熱の影響に耐えきったハドラーは左右から襲いかかる二振りの凶刃の殺気を感じ取り、それぞれの剣に向けて自身の必殺技を放つ。

 

「ちっ……超魔爆熱覇!!」

 

ハドラーの闘志に呼応するかのように爪に宿る高熱が一気に燃え上がり、二本のオリハルコンの剣――ダイの剣と真魔剛竜剣と激突する。その瞬間――

 

「ぐわああああっ!!!!」

「うわああぁぁっ!!」

「ぬおおおぉぉっ!!」

 

大爆発が巻き起こった。

魔法剣同士の激突と呪文による干渉の結果か、はたまたハドラーが魔法剣を制御しきれなくなったのが原因か。理由は不明だが、三人を巻き込んだ強烈な爆発が起きたことだけは確かである。

 

「ダイ!! バラン!!」

 

思わずチルノは叫んでいた。余波によるものか奇妙な痛みを感じるが、気にしている場合ではない。状況が一切わからず、かといって視界が開けないことには下手に動くことも出来ない。

だがその心配はすぐに杞憂へと代わった。

 

「ぐう……っ」

「いたたた……」

 

爆煙の向こうから二人が姿を見せる。

熱と爆風を受けたことで真新しい火傷や打撲の傷跡が全身に痛々しく刻まれており、ダメージは決して軽くはないだろう。だが命に別状はないようだ。

 

「よかった……」

 

無事であったことに安堵の息を吐くと同時に、続いてハドラーのことが気に掛かる。もはや爆弾爆発は秒読み段階に入っているかもしれないからだ。

 

「【エアロ】!」

 

一刻も早く確認すべく、チルノは風を操る魔法を最小限に放ち強引に爆煙を吹き飛ばす。

 

「む、ぐぐぐぅ……ッ!! がああァッ!!」

 

そこにはハドラーがいた。

負っている怪我の種類こそダイらと同じだが、その規模が違う。熱で全身が黒く焦がされており、その傷は痛々しい。額の角もヒビが入っている。ダメージは相当深いのだろう、膝を突いており今にも倒れそうだ。だが魔王としての最後の矜持か、雄叫びを上げながら懸命に身体を起こしている。

幸いなことに、黒の核晶(コア)は今だ爆発する素振りすら見られずにいた。

そして、彼の身を包んでいた黄金色の闘気はもはやどこにも見えなくなっていた。

 

「……ッ! 今だッ!!」

 

そのことにヒュンケルが気付いた。

彼は手にした剣を瞬時に構えると、ハドラー目掛けて飛びかかる。それに続くようにして、クロコダインとラーハルトも動き出す。

 

「このような闘いは腑に落ちんが、覚悟しろ!!」

「ぐぅっ……!!」

 

対するハドラーはまだ満足に動く事も出来ずにいた。強い再生能力を持つ超魔生物であっても、これだけのダメージでは即座に回復することなど不可能だ。

頼みの綱である竜闘気(ドラゴニックオーラ)も使い切ったらしく、今のハドラーには歯噛みしつつも、迫り来る戦士たちをただ見ていることしか出来ない。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)ッ!!」

 

だが、ヒュンケルたちよりも早く動く影があった。ルーラの呪文を唱え誰よりも先にハドラーの元へと辿り着き、手早く彼の身体へと触れる。

 

「お、お前は……!!」

 

突然現れた謎の影をハドラーは見つめ、そしてその正体に驚きの声を上げた。

いや、驚かされたのはヒュンケルたちも同じだ。ハドラーたちの前に姿を現した瞬間、相手の正体を確認することが出来た。

それはこの場の誰もが知っている相手であった。

 

「馬鹿な! 貴様は!!」

「一体どこから!!??」

 

思わず声を上げるが、それも当然だ。

何しろその相手とは妖魔司教ザボエラその人であった。

想像もしえなかった相手の突然の登場に、思わず誰何の言葉が飛ぶ。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)ッ!!」

 

だがザボエラの方はそんな些事に構っている時間などない。再びルーラの呪文を操ると、ハドラーを伴って瞬く間にその場から立ち去ってしまう。

 

「届けッ!!」

 

微かな可能性に賭けて、チルノはガリアンソードを分割させて目一杯伸ばした。だが彼女の剣速では、ルーラの移動速度に敵わない。そして彼女の剣とて無限に伸び続けるわけでもない。

 

「逃げられた……」

 

遙か彼方へと姿を消したハドラーたちの消えた方角を向きながら、チルノは力なく呟くのが精一杯だった。

 

戦場の様子を伺い続ける気配に気付かぬまま。

 




前回の答え合わせ。
・命を賭けたフレイザードを見た結果  → ハドラーの覚悟を上乗せ
・ダイとバランの戦いの途中の出来事  → 竜魔人のサンプル大量入手
・改造手術を受ける際のハドラーの言葉 → 覚悟をキメまくりの結果
・ダイにだけ効果を発揮した毒     → 研究の成果の一つ
・ミストとキルの反応         → この二人を驚かせるのは並のことではない

超魔生物からすれば、竜魔人は到達点のようなもの(ザムザ談)
ならばその到達点のサンプルがあるなら、当然使うというわけです。
ザムザの使った毒は、竜の騎士"のみ"が影響を受けるという特殊な物。つまり、あの時点で竜魔人の細胞を入手しており、解析と実用化を進めていた。
その成果の一例です。
(ただ、まだロモスでお仕事が残っているのであの時点のザムザは竜魔人細胞を埋め込んでいない(下手に失敗したらお仕事完了しなくなっちゃう)
 ロモスでさらった人間は竜魔人の細胞を埋め込む実験目的。毒はモルモットが暴走した時のために予め準備しておいた。
 ……という後付け設定)

・超魔爆『熱』覇
原作は超魔爆『炎』覇ですが、良い名前が浮かばず。極大閃『熱』呪文を使っているので、爆熱にしたという安直なネーミング。
メラゾーマなら爆炎覇。イオナズンなら爆爆覇……もとい、爆烈覇。
(マヒャド? バギクロス? いえ、知らない子ですね。
 魔炎気?? もっと知らない子ですね。
 ゴッドフィンガー? Gガンダムがどうしました??)

フレアにギガブレイクにライデインストラッシュまで受けておきながら、黒の核晶(コア)は何でピクリとも反応しないのかな? 不思議だね? おかしいよね? 爆弾が湿気っていたのかな??


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LEVEL:82 思惑

「くそっ! まさか、あそこでザボエラが現れるとは……!!」

 

突如現れたザボエラの助力より、ハドラーはダイたちから見事に逃げ失せた。なまじ戦況が有利だったこそ、あと一歩のところで取り逃がしたという事実が、ダイたちの心に重くのし掛かっていた。

何しろ、超魔生物としての特性に加えて竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操り、胸には黒の核晶(コア)が埋め込まれているという厄介極まりない相手なのだ。可能な限り早めに対処しておきたいと考えるのは、至極当然だろう。

 

「逃げる手段まで計算ずくで挑んできた、ということか……?」

「いや、それはどうだろうか?」

 

だが彼らは落ち込んでばかりもいられなかった。

特に眼前で取り逃したヒュンケルらは、憤慨しつつも先ほどの戦闘を振り返り始める。

 

「あの時……ザボエラが現れた瞬間のハドラーの表情から察するに、ヤツもまたこの事態は知らなかったと考える方が自然だろう」

「だろうな」

「バラン!!」

 

突然バランが話に加わり、彼らは驚きの表情を見せる。

 

「怪我はいいのか?」

「ああ、回復呪文(ベホイミ)を使っておいた。まだ傷は痛むが、この程度ならばもはや支障はない」

 

なるほど彼の言うように、先ほどと比べれば傷はすっかり癒えていた。少し離れた場所に目をやれば、こちらもバランが回復呪文を唱えたらしくダイも同じ程度にまで復活していた。

完全に傷を癒やすのならばベホマの呪文を唱えていたのだろうが、そうしなかったのは治療よりも復帰を優先させたためだ。

 

「もうしわけございません……バラン様らが相手をあそこまで追い詰めてくださったのに、取り逃がすような失態を……」

「いや、よい。アレは一人の手には余る化け物だ。それに、ザボエラのヤツが出てきたのも想定外だった」

 

自らの失態を謝罪すべくラーハルトは膝を突いてバランに伏す。だがバランは、彼を叱責するつもりなど毛頭なかった。敵の強さは直接刃を交えた彼の方が何倍も良く知っている。

加えてザボエラが戦場に隠れ潜んでいたことを見抜けなかったことも、自責の一因となっていた。

 

「お前達の話すように、ヤツが瞬間移動呪文(ルーラ)でハドラーを助け出したのは独断だろうな。それにしても……ザボエラが隠れているのを見抜けなんだとは……くっ! 自分が腹立たしい!!」

 

助け船を出したタイミングから察するに、この近くで様子を窺っていたのは明白だろう。だがそれを見抜けなかった。ハドラーの放つ圧倒的な闘気に邪魔され、気づけなかったと言ってしまえばそれまでかも知れないが、それで「仕方がなかった」と納得できてしまうほどバランは器用な性格ではない。

次の機会があれば、この雪辱はなんとしてでも果たすことを誓う。

 

 

 

――ザボエラが現れた? このタイミングで?? ……どうして?

 

一方、チルノはラーハルトたちから少し離れた場所で一人思考していた。議題は当然、先ほどの闘いについてだ。

大魔法を操ったことによる影響か、肉体が僅かに不調を訴えているが考えを止めるわけにはいかなかった。なにしろ、どう考えても先ほどのザボエラの行動は不可解なのだ。

 

よほどの理由がない限りは前線に姿を見せない相手が、部下も連れずにたった一人でこの場所に現れる。しかも相手は、ハドラーに埋め込まれた黒の核晶(コア)の存在だって知っているはずだ。

本来の歴史で「超魔生物への改造を施した際に気付いた」という旨の発言をしていることからもそれは明らかだろう。ならば、誘爆の危険性にも気付いていたと考える方が自然だ。

 

つまり今回の場合は、それらの要因を上回るだけの理由があったと言うことだ。

 

――……まさか!!

 

そこまで考えて、少女はある一つの仮説に辿り着いた。

 

 

 

「チルノ……」

 

思考を続ける少女を、ノヴァはどこか所在なさげに見守っていた。そもそもの事情を知らぬ彼から見れば今のチルノは、肝心なところで敵を取り逃がして落ち込んでいる少女の姿としか映らない。

加えて、ルーラで逐電したザボエラたちを追い掛けるべく最後に行動したのも彼女だ。鞭のような剣を操り、けれども届くことなく逃がしてしまったのを、責任に感じているのだろうと考えていた。

 

そこまで相手を慮っても、今のノヴァには彼女に掛ける言葉を知らなかった。

彼がもう少しでも女性の扱いというものを知っていれば、気の利いた台詞の一つでも言えただろう。

だがダイとの試合で落ち込んだ時も、ハドラーを見て戦慄したときも、彼を励ましたのはチルノだ。まだ若い彼では、そんな相手にどの面下げて声を掛ければいいのだと考えてしまうようだ。

仕方なし彼はそれ以上口を開くことも出来ぬまま、見つめ続けていた。

 

「……あれ?」

 

そこで彼は、ふと違和感を覚えた。

つい先ほどから見つめ続けてきた少女の周りの景色が、ほんの少しだけおかしくなっていたのだ。まるで目の焦点が僅かに合っていないような不可解な感覚に、ノヴァは自然とギュッと目を強く瞑り、再び開く。

 

「……ッ!!」

 

そして背筋を凍らせた。

見間違えでもなければ、目の錯覚でもない。チルノのすぐ後ろに、よく見えないがまるで道化師のような格好をした何かがいた。しかもその相手は巨大な鎌を振り上げており、今にも振り下ろしそうだ。

 

「チルノ! 危ない!!」

「ノヴァ!?」

 

気がつけばノヴァの身体は勝手に動いていた。駆け寄りながら背負った剣を抜き放ち、チルノを庇うようにその身を強引に滑り込ませる。

 

「……チッ!」

「くっ……!」

 

大鎌と剣とがぶつかり合い、甲高い金属音が辺りに鳴り響く。どうにか受け止めることに成功したものの、やはり僅かに遅かったようだ。

チルノの右頬から右腕に掛けて浅く線が走り、ズキンとした痛みが走った。彼女は小さく呻き声を零しながら傷口を押さえるように左手を当てる。無傷とはいかなかったが、とはいえノヴァが気付かなければチルノは確実に命を落としていただろう。

 

「な、何だお前は!!」

「フフフ、惜しい惜しい……キミが気付かなければ、間違いなく終わっていたのになぁ……」

 

その声と共に不鮮明だった景色がゆっくりと明確になっていき、相手が正体を現す。

 

「キルバーン!! お前ッ!!」

 

相手の姿を見た途端、今度はダイが動いた。まだ痛む全身の悲鳴を無視して身体を動かし、猛然とした勢いでキルバーンへと斬りかかっていく。だが、最愛の姉の命を狙われたことがよほどショックだったようだ。その動きは愚直なほどに真っ直ぐであり、キルバーンからすれば避けるのは容易い。

 

「おっと、怖いこわ……ッ?」

 

怒りと共に振り下ろされたダイの剣の一撃を余裕たっぷりに躱してみせる死神であったが、その言葉と表情は途中で驚きに代わった。

ダイの一撃を回避した先を狙い、いつの間にかバランが迫っていたのだ。なまじ挑発のために余裕を見せたのが(あだ)となり、それでもどうにか身を捻るものの片腕を半ばほどまで切り裂かれる。

 

「死神!! 貴様、ここに何をしに来た?」

「何、って……忘れたのかい? ボクの仕事は暗殺だよ? なら、何をしに来たかなんて決まっているじゃないか」

 

切り裂かれた左腕の傷は深く、傷口から滴り落ちる血が(おびただ)しく流れ落ちていく。にもかかわらず、死神はそんな怪我の事など意にも介した様子も見せずに、ただ淡々と答える。

 

「けれど、まさかしくじってしまうなんて、いささか腹立たしいね」

 

仮面のために表情こそ読めぬものの、クスクスと笑いながら語るその様子は気軽におしゃべりをしているとしか思えなかった。その異質さが、全員の警戒度を引き上げる。

 

「でもまあ、今回はハドラー君が主役だ。今日はこの辺で手を引こう」

「……まさか、逃げられると思っているのか?」

 

キルバーンがのうのうと口を開いている間に、ヒュンケルたちは抜け目なく動いていた。背後を抑えるように回り込み、正面のバランからの逃げ道を塞ぐように位置取る。包囲網は全周におよび、何か妙な動きを見せればすぐにでも対処できるほど距離も詰められている。

 

「勿論、思っているさ」

 

そんな状況にあってすら、キルバーンは余裕の態度を崩すことはなかった。彼の身体がこの場に現れた時と同様に不鮮明となったかと思えば、次の瞬間には完全に消え失せる。

 

「なにっ!!」

「馬鹿な、どこへ消えた!?」

 

幻術の類いかと判断したクロコダインが周囲をなぎ払うように斧を振るうが、虚しく宙を切るだけだった。

 

「そうそう、もう一つ伝えておかなきゃね」

 

周囲にキルバーンの声が響き渡る。

完全に逃げたと思った相手からの言葉に全員は周囲に視線を走らせて居場所を探ろうとするが、何か特殊な呪文でも使っているのかその声はどこから聞こえてくるのかまるで分からない。気配を探ろうにも、これだと断じられる様なものは感じられない。

 

「キミたちは、大魔王軍の本拠地へ攻め込もうと計画しているんだろう? 存分に準備してから来たまえ。ボク達も歓迎の準備を盛大にさせてもらうよ……ああ、でもあんまり時間を掛けすぎると今回のハドラー君みたいなことが起きるかもしれないから、早めにね」

 

一方的にそう告げると、再び声は聞こえなくなった。

ハドラーに続き、再び刺客を取り逃がしたことにラーハルトたちは歯噛みする中、チルノは別の事実に気付いていた。

 

「キルバーンがバランじゃなくて、私を狙ってきた……」

 

果たしてこれは、遅いと考えるべきか早いと考えるべきか。ただでさえハドラーの変貌に頭を痛めるというのに、厄介な事がもう一つ増えたのだ。

 

痛みに顔を顰めながら、少女はとりあえず今を乗り切れたことに感謝することにした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ザボエラ……どういうつもりだ?」

 

ハドラーはザボエラへと問いただす。

ザボエラの瞬間移動呪文(ルーラ)にて有無を言わさず連れてこられたのは、かつて自身を超魔生物へと改造すべく隠れ潜んでいたあの小島だった。

事前の打ち合わせも何もなく、死闘に不粋な横槍を入れる形で割り込んできた部下の行動に、彼は憤慨していた。ハドラー自身はあの場で決着が付くと思っていた。正々堂々とした闘いを求めていただけに、その怒りは一入(ひとしお)という物だ。

その言葉にザボエラは、ハドラーを前に土下座せんほどに頭を低く下げた状態で申し開く。

 

「余計なことをしたと言うことは、ワシ自身よく分かっております」

「理解しているのならば、何故あのような真似をした!? オレの考えは、貴様も知っていよう!? 返答次第では厳罰も覚悟せよ!!」

「そ、それは……」

 

僅かな逡巡する様子を見せると、ザボエラは言いにくそうに口を開いた。

 

「ハドラー様の……そして、ザムザのためですじゃ」

「ザムザのため、だと……?」

 

それはロモスでダイたちに敗れたザボエラの息子の名だ。予想だにしなかった言葉を耳にして、ハドラーの怒りがスーッと冷める。

 

「あやつは、超魔生物の研究に命すら捧げておりました。そして、ハドラー様が気付かれた(ドラゴン)の騎士の細胞を組み合わせるという研究もまた、短期間ながら着実な成果を上げつつありました」

 

事実、僅かな時間で(ドラゴン)の騎士の動きを阻害する毒などを作って見せたのだ。その手腕は賞賛に値するだろう。語気から怒りが和らいだのを感じ、ザボエラは更に口を開く。

 

「ハドラー様の今のお姿は、言うなれば亡き息子が叶えたかった夢の結晶!! 気にならぬ筈がありませぬ! どうして放っておけましょうか!?」

「む……っ」

 

その言葉にハドラーは思わず低く唸った。

己の保身と出世のことしか考えていないと考えていた相手の口から、まさかそのような言葉が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。ハドラー自身もまた、ザボエラが息子を失ったことは気に掛けていたこともそれを後押しする。

 

「そしてハドラー様自身も、アバンの使徒らと闘い勝利することを望んでいるはずですじゃ!! ハドラー様の勝利はザムザの勝利! そのためならば、ワシは喜んで汚名を被りましょう!!」

 

もともと額を地に着けるほど低く低くしていたザボエラが、さらに地面へと額を擦りつけながら叫ぶ。

 

「加えて、今のハドラー様はバーン様からいただいたお身体を勝手に改造した身! それをバーン様のご報告もせずに命果てれば、道理が通りませぬ! 此度のことを報告する義務があるはず!! 三対一、いえ六対一に加えて二人の(ドラゴン)の騎士を相手にあれだけの闘いを見せたという結果を持ってすれば、バーン様も決してハドラー様を処断はいたしますまい!!」

 

その言葉を耳にしたハドラーはしばし無言のまま瞳を伏せ、やがて口を開いた。

 

「……なるほど。お前の気持ちはよく分かった。確かに、あの場で命を落とすのはオレも本意とは言えん。それに、あまりにも不義理ということもそうであったな」

「でっ、では……!?」

 

ハドラーの言葉にザボエラは少しだけ頭を上げる。

 

「今回ばかりは不問としよう。だが一度だけだ。もう二度と、あのような真似は許さんぞ」

「は、ははぁーっ!!」

 

――ヒッヒッヒッ、上手くいったわ……!

 

再び額を地に着け、ハドラーから完全にその表情をうかがい知れなくなったことを確信すると、ザボエラはその表情を邪悪に歪ませた。

 

ザボエラからすれば、ハドラーとて己が出世のための道具にしか過ぎない。

そして、超魔生物となりながら(ドラゴン)の騎士の力まで行使する今のハドラーは、ザボエラから見ればまたとない実験動物なのだ。

殆どノウハウが存在しない状態で強引に(ドラゴン)の騎士の力を操り、挙げ句の果てには魔法剣まで操って見せた。それほどの成果を上げておきながら、たった一度の戦闘で使い潰すなど、彼からすれば有り得ない。

もっともっとサンプルとデータを収集して、次に繋げる必要がある。そのためにはハドラーには死んでも長生きしてもらい、有益な情報を提供する義務があるとザボエラは疑うことなく考えている。

そのためならば、ハドラーの命を自らの手で救うことすら手段の一つでしかない。息子の事を方便として信じ込ませることすら、何の痛痒も感じることはなかった。

 

――いや、あやつもあの世で喜んでおるじゃろうな。何しろ死してなお、ワシの役に立てたのじゃから……褒めてやるぞザムザよ。キィ~ッヒッヒッヒッ!!

 

「傷が癒え、身なりを整えた後にバーン様へ謁見する。ザボエラ、お前も準備しておけ」

「了解いたしましたですじゃ」

 

良いことは続くのだろうか。

ハドラーの言葉を聞き、ザボエラは更に歓喜していた。

 

――ハドラーの研究成果を下地とすれば、(ドラゴン)の騎士を量産することすら夢ではない。その成果を持ってすればワシは魔軍司令の地位に! いやいや、バーン様の右腕となることすら夢ではない!! そうなれば地上をだけでなく、魔界を! 天界すら我が物とすることも……まったく、笑いが止まらぬのぉ!! キィ~ッヒッヒッヒッ!!

 

まだ見ぬ薔薇色の未来を夢想し、彼の興奮は留まるところを知らなかった。

 

 




前話の最後にこの話を入れるべきか悩み、結局分割しました。

チルノさん。
厄介なのが遂に実力行使に出始める。
死神が姿を消したのはレムオルで、隠れた場所にいるピロロが使ったから気付かれない。というトリックでどうでしょう?(本筋に関係ないので何でもいいのですが)

ハドラーさん。
こんだけスペックあれば、そりゃ使い潰すには惜しい存在です。
超貴重なサンプルなのですから、骨の髄までデータ取って次に活かさなきゃ!!
そのためにはザボエラだって危険を掻い潜ってでも助ける。
(実は親衛騎団を出したい為の方便)


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LEVEL:83 真実のヴェールを剥ぐ時

時期的にTV放送もう来週くらいか……どうなることやら……



「ダイ君! チルノ!! みんな!!」

 

遠く、街中の方向から声が響いてくる。そちらを見れば、レオナが兵士達や三賢者を伴ってダイたちの元へと駆け寄ってくる姿が確認できた。

兵士達は全員が完全武装をしており、来襲したハドラーを相手に戦おうとしていたことが分かる。

 

「ごめんなさい、遅れちゃって……」

 

相当急いでやってきたのだろう、やってきた兵士たちは微かな疲労の色を見せていた。何しろハドラーとの激闘は、その内容こそ激しい物であったが実時間としてはそれほどでもない。

ハドラーがパプニカの地にやってきてという知らせを受けてからの僅かな時間で考えれば、十分すぎるほどに即応していると断言できる。

 

「すごい闘気を感じたのだけれど、あれはまさか……」

 

マァムもまた、レオナと同じタイミングで姿を現していた。彼女の場合、都市から少し離れた位置にいたのが災いしたようだ。移動呪文も持たない彼女からすればこれでも充分破格の速度といえるだろう。

 

「すまねぇ、気付くのが遅れた!!」

 

そして二人の登場に遅れること数秒ほど。瞬間移動呪文(ルーラ)によってポップが姿を現した。尤も彼の場合は、この中で目的地から一番遠くにいたことに加えて、戦士でもないため闘気の高まりを察知するのに時間が掛かっていた。むしろダイたちが放った大呪文の連発のおかげでようやく気づけた。

 

「ううん、来てくれてありがとう。レオナ、マァム、ポップ」

 

確かに戦闘には間に合わなかったが、今回は突発的な物だ。ついでに言うならば、チルノが事前知識を渡したために、こんなことになるとは考えにくかったというのも一因かもしれない。

何よりもやってきてくれたことが単純に嬉しいのだ。救援にやってきた仲間達へ向けて、チルノは痛みを押して笑顔で礼を述べる。

 

「……ってチルノ! あなた怪我してるじゃない!!」

 

だがその傷はすぐにレオナが気付くこととなった。というより、頬から血を流している時点で気付かない筈もない。加えて斜め振り下ろすように走った剣筋が彼女の右腕を切り裂いており、こちらも出血している。今は止血するように左手で押さえているのだが、流れ出る鮮血が少女の服を後から後から赤く染め上げている。

こうなっては気付かない方がおかしい。

 

「ああ、大丈夫よ。このくらいならすぐに治せるから……」

「ダメダメ!! 闘いに間に合わなかったんだから、せめて怪我の治療くらいはさせて!!」

 

大げさなほどに大きな反応を見せる親友の態度を見て、それを落ち着かせるようにチルノは回復魔法を唱えようとする。だがそれは他ならぬレオナ自身の手によって止められることとなった。

彼女はそう言うが早いかすぐさま患部へと手をかざし、呪文を唱える。

 

回復呪文(ベホマ)

 

使われた呪文にチルノは軽く息を呑んだ。

何しろベホマといえば、顔面に負った火傷の傷すら瞬く間に治癒させるほど強力な回復呪文である。確かに彼女も顔に傷がつけられてはいるが、さすがにベホマを使うほどの大怪我ではない。

単純にレオナの厚意と、闘いに間に合わなかった事に対するせめてものお詫びというところか。そこまで推し量ると、もはや口を出す方が失礼と考えてチルノは大人しく彼女の治療を受ける。

 

「忘れるところだったわ。ノヴァ、ありがとう」

 

治療を受けながら、チルノは思い出したようにノヴァへと礼を言う。

 

「あなたが飛び込んで助けてくれなかったら、下手したら今頃キルバーンにやられていたかもしれないもの。本当にありがとう」

「い、いやそれは、当然のことをしたまでで! そ、それよりも、傷の具合は……?」

 

チルノの言葉に慌てて返事をしながら、慣れぬ様子で返事をする。そう尋ねたところで丁度レオナの治療が終了したらしく、彼女は満足そうな表情で手を離した。傷自体はそれほど大したわけでもなし、短時間で完治させることができたようだ。

 

「そんなに深く斬られていないし、レオナが過保護にベホマを使ってくれたから。ほら、もうすっかり元通りに――」

 

渡りに舟とばかりに少女は何でもないことをアピールすべく、左手を離し右腕を元気よく振るって見せる。すると――

 

――はらり。

 

実際には決して聞こえることのない。けれども、この場にいた全員の耳には間違いなく届く。そんな音が響いた。それと同時にチルノは胸元に微かな違和感を感じていた。まるで今まであった物が突然なくなったような、心許ない喪失感とでも言えばいいのだろうか。

 

少女は感覚の赴くまま視線を下へと向け――

 

「~~~ッ!?!?!?!?」

 

声にならない悲鳴を上げた。

いつの間にかチルノが纏っていたローブが大きく切り裂かれており、彼女の胸元が露出していたからだ。ぱっくりと開いた裂け目からは褐色の肌が覗き、それどころかチルノの胸の膨らみまでが丸見えだった。となれば当然、その膨らみの頂点もだ。

 

今まで何ともなかったのは、チルノが左手で押さえていたことで偶然にもはだけることがなかっただけであり、完治したことをアピールしようとした結果がこのような事故を招いていた。

 

「こらぁっ!! 男どもは見るなぁっ!! 黙って後ろを向く!!」

 

さすがに同性、レオナの反応は早かった。居並ぶ男達に向けて有無を言わさぬ迫力で命じると、チルノの身体を隠すように彼女の正面に立つ。その場の男性全員が後ろを向いたことを確認すると、彼女は次の行動に移る。

 

「とりあえず布で隠せば良いのよね!?」

「姫様! だからといってご自身のお召し物を破るのはおやめください!! それならば私が!!」

「落ち着きなさいエイミ! あなた、その格好のどこを破る気!?」

「マントか何かがあれば……私、取ってくる!」

「待ってマァム! マントだったら私もマリン達も付けているから!!」

 

……どうやら、現場はほどよく混乱しているようだ。

 

とはいえ、一番混乱しているのはチルノだろう。彼女は座り込み膝を抱えるように身を小さくして、顔を真っ赤にしていた。

普段ならば彼女の持つ生産技能を使ってこの程度はすぐに直せるのだが、そうすることに思い当たらない辺り彼女の受けた衝撃は大きかったようだ。

――まあ、仲間たちを含めて、さらには大勢のパプニカ兵士達にも見られたとなればその反応は至極当然というものだろう。

 

「み、見ら……見られ……!?」

「大丈夫! 事故だから!! すぐに後ろを向かせたから!!」

 

マリンから奪い取るように引っ剥がしたマントを手にしながら、彼女を落ち着かせるように強く言う。そう断言してから、レオナは思い出したように呟いた。

 

「……あ、でもダイ君は見てもいいのか」

「ええっ!?」

「いやいやいや! ちょっと待ちたまえ!! いくら姉弟であっても、それはどうなんだい!?」

「こっちを見ない!!」

 

聞き捨てならない言葉とばかりにノヴァが反応を見せるが、レオナが即応して怒鳴ることで事なきを得る。

 

「なぁなぁ、今さら聞くのも間抜けな話なんだけどよ……」

 

一方、そんなやりとりを見聞きしながら、ポップが遠慮がちに口を開いた。

 

「コイツ誰なんだ??」

 

そう言いながらノヴァを指さす。それは、至極尤もな疑問だった。

何故か横一列に並んだまま、所在なさげに後ろを向いた男達の間ではノヴァの自己紹介が行われ、続いて何故ダイだけが例外なのか。その理由説明会が開催された。

 

 

 

 

「ふーん、北の勇者ねぇ」

「そんな……二人がまさか……」

 

ノヴァの出自についてはチルノから多少なりとも事前に聞いていたこともあり、ポップたちは特に不信感を持つことなく受け入れていた。それと対象的に、ダイとチルノの現在の関係を聞いたノヴァは落ち込んだ様子を見せる。

まあ、淡い想いを抱いた相手が既に婚約していたと知らされれば感情の処理が追いつかなくても仕方ないだろう。

 

「ノヴァ、姉ちゃんを助けてくれてありがとう! おれじゃ、きっと間に合わなかった……もしもノヴァがいなかったら……」

「いや、気にしないでくれ……」

 

相手のそんなの内心に気付くこともなく、ダイは命の恩人たる相手へと邪気のない礼を述べる。すっかりと消沈しながら、ノヴァはなんとか返事をするのが精一杯であった。

ちょっと前まであれだけ元気だったのに何があったのかと首を捻る者が散見されるなか、ポップだけは「ああ、なるほど。挑戦する前に失恋したのか……」と彼の内心を慮ってこっそり同情の涙を流していたりするが。

 

そして、ダイとチルノの関係を聞いて戸惑っている者はもう一人いた。

 

「ううむ……」

 

誰であろう、パーティにようやく合流したバランである。

彼からしてみればその報告はまさに寝耳に水。少し別行動をしていた間に息子が生涯の相手を決めていたとなれば、絶句するのも当然と言う物だ。

 

「まさか、そのような事になっていたとは……」

「申し訳ございません。最初にご報告しておくべきでしたでしょうか?」

 

思わず口から零れ出た言葉を耳ざとく拾い上げ、ラーハルトがバランの方へ視線を向けながら頭を下げた。その動作の間ずっと、背後のチルノを視界に捉えないよう気を遣っている辺りは流石の忠誠心といえた……間違った努力のような気もするが。

 

「い、いや、構わん。そもそもあの状況ではそんなことを話すことなど不可能だろう」

 

そんな忠臣の苦労を労るように、バランもまた声を掛ける。

仮に、ダイとハドラーが戦っている最中に割り込み、久しぶりに再開したかつての部下から開口一番聞かされたのが息子の婚約報告だったならば、果たしてその後の戦闘へのモチベーションは保てただろうか。

 

「はい。もう終わったから、こっちを向いてもいいわよ」

 

そんな意味不明な仮定を頭の中で真剣に考えていたところで、レオナの声が聞こえてきた。その言葉に従い彼らは再び振り返る。そこにはマリンが付けていた空色のマントをバスタオルで身体を隠すように身に纏っているチルノの姿があった。

既に混乱や羞恥の感情は鳴りを潜めたらしく、真剣な表情でバランを見ている。

 

「バラン、遅くなったけれどダイを助けに来てくれてありがとう」

「……礼には及ばん。そもそもやるべき事をやるだけの時間が欲しいと言ったのはこちらだ。それを考えれば、お前らに責められたとて文句は言えん」

 

突き放すような程に禁欲的(ストイック)なバランの態度を見て、チルノは一つ悪戯を思いついた。にっこりとした笑顔を浮かべながら次の句を口にする。

 

「父親らしく、ダイにカッコいいところも見せられたみたいだしね」

「むっ!?」

 

それはかつて、テランにてバランとの別れ際にチルノが口にした言葉だ。父親ならば息子にカッコ良い姿の一つでも見せてみろという言葉に対し、バランはダイの窮地に颯爽と登場して敵を追い払うという活躍を見せた。

父親の面目躍如と言う意味では、これほどのこともないだろう。

 

「あれは別に、そう言う意味の行動では……」

「照れなくてもいいじゃない」

 

そう言いながらくすくすと笑うチルノの姿に、ヒュンケルらも釣られるように笑顔を見せ始めた。ラーハルトも満足そうに笑い、けれどもダイだけは少し複雑な表情を浮かべている。

周囲からの反応に当惑するバランへ向けて、チルノは危惧していたことを伝えるべく口を開く。

 

「でも、ハドラーとはまた戦う事になるはず。だから、忘れないうちに話をしておくことがあるわ」

 

そう前置きしてから、ハドラーの肉体の秘密について述べていく。

超魔生物という存在とその強さと恐ろしさについて。

そして、バーンの手によってハドラーの胸に埋め込まれた恐ろしき爆弾の存在について。

 

「馬鹿な!! 黒の核晶(コア)だと!? それがハドラーに!?」

 

そこまで話を聞いた途端、バランは目を見開き叫んでいた。

かつて自身も体験したことのある悪夢の兵器の名を耳にして、それだけで思わず冷や汗を流すほどだ。

 

「ええ、そうよ。ハドラーの胸にあるのは拳大(こぶしだい)くらいの大きさの物。それも、超魔生物の魔法力を限界近くまで吸っているはずの物が……」

「ありえん!! そんなことがありえるはずがない!! ライデインストラッシュにギガブレイク、そしてハドラー自身の極大閃熱呪文(ベギラゴン)が激突したのだぞ!!」

 

先ほどの闘いを頭の中で繰り返しながら、バランは叫び続ける。

なるほど、ギガブレイクを使おうとした際にダイが戸惑っていたのはそういう理由かと今になってようやく合点がいった。

同時に、黒の核晶(コア)を平然と使用し、あまつさえそれを部下へと埋め込むというバーンの所業。なによりその爆発に自分とダイが巻き込まれる可能性があったという事実に抑えがたいほどの憤りを感じながら。

 

「私もダイも、爆発で軽くはないダメージを受けた。中心部にいたハドラーのダメージはそれ以上だ! それだけのことがあっては、限界間際の黒の核晶(コア)は間違いなく誘爆する!!」

「間違いない?」

「無論だ」

「やっぱり、そうなのね」

 

念を押すように尋ねると、バランは自信を持って首肯してみせた。それを見たチルノもまた、得心がいったとばかりに嘆息する。

 

「どういうことだ?」

「私達の中で一番詳しいバランが、あの闘いで誘爆しないのは有り得ないと断言している。となれば、結論は一つだけ」

 

勿体ぶるように指を一本立てると、チルノは自身の推論を口にする。

 

「ハドラーには、黒の核晶(コア)が埋め込まれていない。ということよ」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

ここで一旦画面は変わり、時計の針は僅かに進む。

 

傷を癒やし身なりを整え直したハドラーは、大魔王バーンへ目通りと申し開きをすべく、ザボエラを伴って謁見の間へと出向いた。処罰もやむなしとすら考えていたハドラーであったが、事態は彼がまったく考えなかった方向へと動く。

それは、大魔王バーンとの直接の目通りであった。

 

それまでカーテンによって仕切られその影と威圧感程度しか感じることが出来ず、果たしてあの薄布の向こうにはどの様な化け物が潜んでいるのかと戦慄していたハドラーであったが、意外にも正体は、年老いた老人だった。

豪華だが華美にはならぬ仕立ての良いローブとマントを纏い、頭部からは左右に大きな角を生やしている。だが髪も髭もが白く染まっており、衣服の下から覗く肌には加齢による深い皺が刻まれている。

 

どれだけの年月を生き抜いてきたのだろうか、その姿から漂ってくる存在感は凄まじい。瞳の奥にはまるで老獪さの影に若々しさが見え隠れしており、なんとも恐ろしい物だとハドラーは感じていた。

だがそれほどの迫力と畏怖を感じてなお、ハドラーは大魔王の実力に疑問を感じずにはいられなかった。魔界の神と呼ばれるだけの力を持っているようにはとても考えられない。

超魔生物となった彼からすれば、バーンの肉体は枯れ木のように細く、頼りないものにしか見えない。

 

バーンは大理石の椅子へと腰掛け、その前には同じ素材で出来たテーブルにてチェスを嗜んでいる。駒を手に持ち、しばし思考すると手を進める。だが対面に指し手はいない。仮想の相手と対決でもしているのだろうか、ハドラーへの注意などまるで向けていないようにしか見えない。

対してハドラーは、膝を付き臣下の礼の姿勢を取っているものの、その意識はバーンへ過剰なまでに注がれている。距離も一足飛びすれば届く程しか離れていない。

 

その気になれば、今すぐにでもへし折ることができるのではないか。そんな考えが頭を過り、彼は思わずマントの下の拳に力を込める。

 

「……試してみるか? ハドラー……」

「……ッ!!」

 

ほんの僅かに殺気が漏れ出たのか、ハドラーの微かな変化をバーンは即座に見抜くと相手の反応を窺うようにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。たったそれだけで、ハドラーの全身からドッと汗が噴き出した。

 

「は……はははああーッ!! ごっ、ご無礼を……!!」

「ふふふっ、よいよい……」

 

深々と頭を下げるハドラーであったが、もはやバーンはハドラーへと視線を向けてすらいなかった。まるで何事もなかったかのように再びチェスの駒を掴む。

 

「余はかねてより、お前のそういう所を気に入っておったのだ。その尽きることを知らぬ覇気と強さのみを信じる心をだ。最近少々、お前らしからぬ態度が目立っていたゆえ、そのように覇気があるところも見られて、余も安心しておる……」

 

――か、勝てぬわ……このお方には……器が違い過ぎる!

 

含み笑いを上げるバーンの言葉を耳にしながら、自身と大魔王との間の圧倒的な格差をハドラーは痛感せずにはいられなかった。

 

「それにその望み、叶えてやらんでもない」

「な……っ!?」

「おやおや?」

 

今度はミストバーンとキルバーンまでもが驚かされる。特にミストバーンに到っては、そうそう許容出来る言葉ではない。今のハドラーが相手では万が一がないとも言い切れないからだ。

思わず動こうとするが、彼の心配は杞憂に終わる。

 

「……ハドラーよ、一局どうだ?」

「は……?」

「なに、ほんの戯れにすぎん。もはや指す相手もいなくなって久しくてな。無論、勝敗に文句を付けるつもりもない。よもやルールを知らぬというわけでもあるまい?」

 

そう言いながら対面へと座るよう視線で促すが、ハドラーは突然のことに理解が及ばず呆けた顔を見せたかと思えば、すぐさま伏した。

 

「た、嗜む程度には存じておりますが、バーン様を満足させられるほどのお相手にはとてもとても! どうかご勘弁ください!!」

「そうか、残念だ。そなたが持つ(ドラゴン)の騎士の力……ならば闘いの遺伝子も持ち合わせていると思っていたのだが」

「た、闘いの遺伝子……ですか?」

「どうやら、その様子では知らぬと見えるな」

 

いささか落胆したような口調だった。

 

「闘いの遺伝子とは、歴代の(ドラゴン)の騎士が蓄積した戦闘経験を引き継ぎ、次代の(ドラゴン)の騎士へと継承させる能力のことだ。この能力があれば、どの様な強者であろうともいずれは対処法を編み出されかねん。それに加え、過去の経験と類似した攻撃などは即座に対応される。どのような手を繰り出してくるか、常に未知の物となるのだ。これと比べれば、竜闘気(ドラゴニックオーラ)竜闘気砲呪文(ドルオーラ)もかわいいものよ」

「そ、それとチェスがどのような関係が?」

「そもそもチェスは、六種類の駒を動かす盤上の戦争のようなもの。ならば受け継いできた経験の中を、遊戯にも活かせぬかと思ってな」

 

冗談とも本気とも取れる、なんとも判断の難しい様子だった。付き合いの長いミストバーンですら、その言葉が戯れなのか、それとも何らかの隠喩なのか判断が出来ないほどに。

 

「今になって思えば、失敗したな。まさかバランが余の元を去るとは……こうなる前に一局くらいは対局しておくべきだったか……」

 

そう呟かれ、ハドラーは一瞬ビクリと身体を震わせた。

なるほど、これを言いたかったのかと判断した彼は、一度は上げた顔を再び地へと擦りつける。

 

「も、申し訳ございません!! 我が失態が原因で」

「よいよい、気にするな。確かにバランは失ったが、お前は余の狙い通り殻を破って――」

 

そこまで言いかけて、バーンは言葉を止めた。

 

「――いや、余の予想すら超えて見せた。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操り、(ドラゴン)の騎士二人を相手にあれほどの闘いを見せたのだ……先の通告はこの際破棄する。そして、お前の魔軍司令の座もな」

 

先の通告とは、これ以上失態を重ねるようであれば必罰を与えるというものである。圧倒的な成長を見せた今のハドラーの姿を見てそれを破棄したのは理解できる。だが立場をも奪うとはどういうことか。

問いただそうとするよりも先に、バーンは言葉を続ける。

 

「六大軍団も今や形骸のようなもの……ならば、その総指揮はあえてお前が取らずともよかろう? ハドラーとその親衛隊には、今後はこの死の大地の守護を命じる……いずれ勇者どもは、余の首を取りにこの地へ来る。ならば何の問題もないはずだ。お前の目的にも違わぬはずだ。違うか?」

「ご温情、誠にありがとうございます!! ダイを、アバンの使徒を倒すのは私に残された最後の望み!! それが叶えば、もはや悔いはありませぬ!! ……仰せのままに」

 

格別の配慮をされたことを感じ、ハドラーは激しい感謝の念を見せる。そして、改めて忠誠を誓うかのごとく深く頭を下げた。その堂に入った態度は、バーンの心を満足させるに充分に足り得るものだ。

 

「そうそう、忘れるところであった。余の期待を上回ってみせたのだ、褒美の一つも与えてやらねばな……色々と考えたのだが、こういうのはどうだ?」

 

その姿を満足したように眺めながら、さも今思い出したかのように言うと、バーンはハドラーへ向けてチェスの駒を投げる。兵士(ポーン)騎士(ナイト)城兵(ルック)僧正(ビショップ)女王(クイーン)の五種類がまるでハドラーを(キング)と認め守護するように並び立つ。

突然目の前へと現れた五つの駒は、不思議な輝きを放っていた。下手な宝石など足下にも及ばぬ程の目映い光沢にハドラーは一瞬目を奪われ、だが次の瞬間にその正体に気付いた。

 

「これはまさか……オリハルコン!?」

「その通り……さすがに見抜いたな……」

 

それもまた、バーンの期待通りの反応であった。

 

「その五つの駒は、お前にくれてやろう。かつてフレイザードを生んだ禁呪法を使い、その駒からお前を(キング)と仰ぐ最強の軍団を生み出せたら……面白いとは思わんか? ん?」

「よ、宜しいのですか!?」

「余がやって見せよと申しているのだ。その言葉が分からぬわけではあるまい?」

「ははあぁーーっ!!」

 

身に余るほどの期待に加え、オリハルコンを与えるという望外の配慮である。神の金属と呼ばれ、絶対数に限りあるオリハルコンをチェスの駒へと加工し、かと思えば惜しげも無く部下へと与える。バーンのスケールの大きさを改めて感じ取っていた。

 

(ドラゴン)の騎士の力を持ったお前と、オリハルコンより生み出された最強の親衛隊。そなたらが勇者どもを打ち倒したという吉報を、楽しみにさせてもらうぞ……その時には、余のチェスの相手でもしてもらうとするか」

「畏まりました! どうかその日をお待ちください!!」

 

意気揚々とした返事をし、ハドラーは五つの駒を持って退出しようとする。

 

「あ、え……お……?」

 

その行動に驚かされたのは、背後にいたザボエラである。

超魔生物へと改造し、(ドラゴン)の騎士の細胞をも付け加えた、いわばハドラー強化の立役者だ。その自分のことを何故話題に出さないのか。ハドラーもバーンも、まるで自分がそこにいなかったかのような扱いを見せたことに腹の中では憤慨するものの、だがそれを口に出す度量など彼にはあるはずもない。

 

「で、ではワシもこれで……」

 

まるで場違いな道化師のようにその場に残され、バーンはおろかミストバーンとキルバーンからも冷たい視線を向けられる。その空気に耐えきれず、そそくさとその場を後にしようとした時だ。

 

「ザボエラよ、お主は残れ」

「ひょ……!?」

 

不意に投げかけられたバーンの言葉に、ザボエラはその身を硬直させた。

 

「お主には、少々聞きたいことがある」

「い、一体……なんのお話でございましょうか……?」

 

慌ててその場に伏し、声を震わせながらなんとか声を絞り出す。既に機会を失している以上、これ以上は碌な事を言われる物ではないだろうという判断からだ。

 

「まずは、先の話の続きからだ」

「先の話と……仰られますと……?」

「そう緊張せずともよい。余はお前のことを買っておるのだ。短期間で超魔生物へと改造し、(ドラゴン)の騎士の力をも操らせてみせた。ハドラーの胆力あってこそのものだが、それだけの技術力を持つお前も誇って良いだろう」

「ありがとうございます!」

「だがな……」

 

予想外のお褒めの言葉に、ハドラーとは別枠での報償も期待できるのかとザボエラは心を躍らせた。だがそれも、次のバーンの言葉によって凍り付かされる。

 

「黒の核晶(コア)……」

「ッッ!!!!」

「ザボエラよ、余が気付かんと思っていたのか?」

「バーン様、一体なんのお話でしょうか……?」

 

会話の意味が分からず、ミストバーンが口を挟む。だがバーンは僅かに笑みを浮かべる。

 

「それについては、もはや余よりもザボエラの方が詳しいであろう。さあ、遠慮はいらぬ。申してみよ」

「……ハドラー様の肉体には、黒の核晶(コア)が埋め込まれておったのですじゃ。超魔生物へと改造する際に、ワシはそれに気付きました」

「な、なんとッ!?」

「へぇ……災難だねぇハドラー君も」

 

その言葉に誰よりも驚いたのもまた、ミストバーンだった。ハドラーの肉体を改造する際に気付いたということは、爆弾そのものは以前から埋め込まれていたということ。そしてミストバーンがその事実を知らないとなれば、埋め込むことが出来たのは一人しかいない。

同じ結論に達したらしく、けれどもキルバーンは文字通り他人事のような態度を見せる。

 

「ハドラーの身体に、そのような物を仕掛けられたのですか!? 一体どうして!?」

「捨て駒にする気はなかった。ただ、ヤツを死の淵から救った時、万が一のために埋めておいたもの。それだけのことだ」

 

部下からの質問に、バーンは平然と答える。だが、万が一と言い張るには少々――いや、手に余るほど強力な物だ。それを知っていながら埋め込んでいる以上、その気が無かったという言葉は無理があるだろう。

 

「そしてザボエラ。まだ余に言うことがあるのではないか?」

「……気付いたワシは……それを摘出しました……ハドラー様の肉体と結合しかけていたため、少々手間取りましたが……」

 

全てを見透かすようなバーンの視線と圧力によって、下手な弁明は逆効果と悟っていた。おかげで、ザボエラを相手にしているとは思えないほどスムーズに話が進んでいく。

 

「なるほど。骨の折れる作業だろうに、よくぞ果たした。だが、今までのお前ならば気付いたとて放置していそうなものだが……どういう心変わりだ?」

「そ、それは……!!」

 

その問いかけに言葉を詰まらせる。

本当のことをそのまま口に言うのは容易いことだ。だが、それをそのまま伝えるのはこの場ではあまりに心証が悪いのではないか。そう判断し、彼は言葉を必死で紡ぐ。

 

「ハドラー……さまが、気兼ねなく全力を出して戦えるように……ですじゃ……」

「なるほど。そういうことにしておこうか」

 

普段の態度を見ていれば、いやそもそも最初に言い淀んだ時点で、ザボエラが本心では何を考えていたかなどは自ずと見えてくるものだ。

 

「取り出してしまったものは仕方あるまい……では、摘出した黒の核晶(コア)はどこへやった?」

「そ、それは……」

「忘れたのならば、早急に思い出した方が身のためだ。あれは余が魔法力を飛ばすことで起動する」

 

そこまで口にして、バーンは右手の小指を見せつける。その指先には五芒星のような形をした黒い染みのようなものがあった。だが何の変哲にも見えぬそれこそが、ハドラーに埋め込まれた黒の核晶(コア)を爆発させる鍵なのだ。

 

「あり得ぬことだが、うっかりと発動させてしまうやもしれぬ」

「ははあああーーっ!! すぐにでもバーン様へとご返却させていただきます!!」

 

下手な脅しよりもよほど恐ろしい言葉を聞かされ、震え上がったザボエラはそう返事をする。よほど恐ろしかったのだろう、元々老人のようであった容貌が更に年老いた様に見える。

 

惚け、隙を見て何かに利用しようと考えていたのだろう。そう判断したミストバーンは、ザボエラに向ける視線を一段階強める。今回は(バーン)のおかげで大事には到らなかったが、いずれ己の欲のために裏切りかねないとも考えたからだ。黒の核晶(コア)を摘出した理由を言い淀んだのも、その考えを後押ししていた。

 

「では、話を戻そうか」

 

唐突に話を戻すと告げられ、全員が何の話かと首を捻る。

 

「ハドラーは死の大地の守護者となり、魔軍司令の席は空となった。ミストバーン、お主が指揮官となれ」

「……はっ」

「そしてザボエラ、お主には魔軍司令補佐を言い渡す。両者とも、余の為に一層の尽力を期待する」

「は、ははぁっ!」

 

だが続くその言葉で、何を言いたかったのかをようやく理解した。

 

「キルバーン、お前は現状のままだ……だが、一つ聞いておきたいことがある」

「左様で――おやおや、一体何でしょうか?」

 

嘆息と共に返そうとして、予想外の言葉にキルバーンは思わず身を乗り出す。

 

「先の闘い、ハドラーが逃げた後のことだ」

「あれが何か?」

「あの時、誰もの命を取る機会があったはずだ。ならば、バランやダイの命を狙うこともできたはず……それが何故、一介の小娘の命を狙ったのだ?」

「ああ、そのことですか」

 

ようやくそのことに注意が向いたかと、奥底で嘲笑しながらその理由を述べる。

 

「確かに、(ドラゴン)の騎士は目に見えて強力な戦力だ。けれども、その(ドラゴン)の騎士に認められ手傷を負わせるほどの力を持っている。意外な伏兵と呼んでも差し支えない相手ですよ。狙う理由としては充分でしょう?」

「なるほど。理には叶っているな」

「それにハドラー君は(ドラゴン)の騎士二人にご執心のようですし、お邪魔するのも悪いですからねぇ……ああ、ご心配なく。ハドラー君の許可は既に取ってありますから」

 

尤もらしい理由を耳にして、バーンは納得したように頷く。

 

「わかった。好きにするが良い」

「仰せの通りに」

 

――これで、誰にも邪魔されない大義名分が出来たね……

 

従順な態度の裏で、キルバーンは密かに笑う。

 

「それともう一つ、気になることがありましてね。先の闘い、ラーハルト君がハドラー君を超魔生物だと断じたのが少々早すぎたのが、気になったんですよ」

「それがどうかしたのか?」

「ええ、とても大事なことですよ」

 

ダイとチルノは超魔生物の前身であるザムザと刃を交えている。そこから情報を得ているのであれば、その結論に達するのも不自然ではない。だが死神の瞳は、それを見逃すことはなかった。

 

「思い返してみてくださいな。勇者ダイ御一行の活躍振りは、まさに奇跡と呼べる。襲いかかる軍団長を相手に的確な闘いを繰り広げて次々になぎ倒し、遂にはバラン君まで仲間に引き入れてしまった」

 

突然、芝居がかった様子でそう言う。その所作は、まるでダイたちを称賛しているかのようだ。

 

「的確すぎる、と思いません? まるでこちらの手の内を知られているかのようだ」

「……向こうにはヒュンケルやクロコダインがいる。奴らが教えたのであれば、おかしくはなかろう?」

 

当然の反論に、けれどもキルバーンは自信を持って返す。

 

「それも考えました。でももっと――例えば、大魔王軍に誰か内通者がいる……とかはいかがでしょう?」

「馬鹿なことを言うなキルよ。そんなことは、決してありえん」

「そうだろうねぇミスト。そんな相手がいれば、ボクが真っ先に殺しているよ」

 

仮にその説が正しければ、それはバーンに近い位置にいる者でなければ不可能だろう。その様な者がいるはずがないとミストバーンが憤慨するのも当然だ。

キルバーンも自身で理解しているからこそ、肩をすくめるようにして、そう答える。

 

「あくまで仮定の話……ただ、気をつけておくに超したことはない。死神からの忠告ですよ」

「わかった。その忠告、心にとめておこう」

 

――そう。そんな命知らずがいるはずがないんだ。

 

魔界の神たるバーンを裏切ってまで人間に取り入る。そうまでして得られる対価など、おそらくはこの世に存在しないだろう。口にしたキルバーン自身、その可能性は皆無だろうと考えていた程だ。

 

――"チルノの存在"と"裏切り者の存在"

 

一見、どう考えても結びつくはずのない二つの事柄。だがその二つが、死神の中に不思議な警鐘を鳴らし続けていた。

 

 




・遅れて合流する仲間たち
人数多いとそれだけ描写が大変で……
(今気づいたけどゴメちゃんたち……)

・ノヴァさん
今日一日でテンションが乱高下、どころか最高値と最低値を更新する。
(ごめんね、こんな扱いで……)

・はらり
無くても良いシーン。人、これを趣味という。
まあ、大魔王に剥かれたお姫様もいるわけで……

・チェス
実はちゃんと一局勝負させたかった。
「キングをd3へ」
「ポーンをf6に」
0-0(キャスリング)
「ポーンをg8=Q(クイーニング)
「ルークb1(チェックメイト)
とか描写出来たらカッコいいだろうなぁ……って思いました。
(上記はチェスの棋譜の書き方。クイーニングは昇格して女王になった。の意味)


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LEVEL:84 竜騎士の決意

放送始まっちゃいましたね……(2020年10月03日並感)

……ずるぼんのくすぐりシーンが無いってどういうことですか!?



「黒の核晶(コア)が……!?」

「どういうことだ!? チルノ、お前の話じゃ、ハドラーの胸に埋まっているのではなかったのか!?」

 

――今のハドラーには、黒の核晶(コア)が埋まっていない。

 

そう結論を口にした途端、仲間たちから口々に驚きや根拠を求める声が上がっていく。それは、最初にハドラーの相手をした三人も同じ気持ちだった。

 

「事前に知っていたからこそ、オレたちの手でなんとか爆弾を取り除こうと考えていたのだがな」

「ああ、オレたちの技は呪文を使わない。ならば、誘爆の危険性が一番低く戦えるオレたちこそが適任だと思ったのだが……」

 

戦士として強大な力を持つ彼らは、自分たちこそがハドラーの相手をしようと考えていた。

自らの言葉通り、誘爆の危険性が最も低く戦えるからこそ適任だろうと。ダイに戦わせて――実力で敗れるならばまだしも――爆弾によって決着をつけられるくらいならば、自分たちが戦う相手だろうと考えていた。

 

「ですが、まさかハドラーがあれだけの強さになっていたとは……いえ、それ以上に竜闘気(ドラゴニックオーラ)までもを使えるようになっていたとは……オレたちの落ち度でした」

 

口惜しそうにそう告げるラーハルトであったが、誰も彼らを責めることなど出来なかった。

三対一でありながら彼らを圧倒するほどの強さをハドラーが持つとは、ましてや誰も知り得なかった力まで使うなど、まさに想定外というものだ。

事実、彼らでなければ早々に圧倒されていただろう。

 

「なんだ、お前らもか」

 

弟弟子(おとうとでし)の意外な言葉に、ヒュンケルは思わず顔を見上げた。

 

「ポップ……お前もか?」

「ああ。おれも似たようなことを考えててな……っても、おれの場合は黒の核晶(コア)対策の方だけどよ」

 

そう口にすると、得意げな表情を見せながら彼は左手から火炎呪文(メラ)を、右手から氷系呪文(ヒャド)を、別々の呪文を同時に発動させて見せる。

 

「その呪文って……まさか!?」

「へへ、ようやくなんとか覚えたんだ。黒の核晶(コア)がどれだけ強力な爆弾だろうと、爆発する前に消し飛ばしちまえば問題ないだろ? 師匠のお墨付きだぜ」

 

――いつの間に極大消滅呪文(メドローア)を……?

 

喉まで出かかったその呪文の名を、チルノは必死で抑える。

彼女は知らないことだが、ガリアンソードを作って貰いにロン・ベルクの所へ出向いていた頃、彼もまたマトリフに願い出て極大消滅呪文(メドローア)の修行を行っていた。

本来の歴史同様、マトリフが放った極大消滅呪文(メドローア)に対してポップもまた極大消滅呪文(メドローア)を放って相殺させるという、文字通り命懸け且つ効率的な修行方法であった。

とはいえ、事前に別々の魔法を操る修行と魔法力を精密にコントロールする修行を行わせられていたおかげで、本来の歴史よりも苦労せずに習得することは出来たが。

 

そして「師匠のお墨付き」という言葉から推察出来る通り、極大消滅呪文(メドローア)で黒の核晶(コア)を破壊可能かどうかも事前に聞いていた。

流石にマトリフ本人も試したことはないだろうが、呪文の特性と黒の核晶(コア)も機械仕掛けという点から判断すれば、充分可能だろうと言うのが彼の出した結論であった。

 

「そっか、みんなも色々考えてくれてたんだ……」

 

仲間たちもまた、自分たちの力で困難を打破しようと色々と方策を持ち出してくれていたのだと知り、チルノは思わず胸を熱くする。

 

「当然だろう?」

「まっ、結局その準備は無駄になっちまったみたいだけどな……で、どういうことだ?」

「ごめんなさい。その話だったわね」

 

少し話題が逸れていたが、ようやく本題に戻ることができたようだ。目頭が熱くなり、涙腺が緩みかけたことを隠すように少女は小さく頭を振ってから、口を開く。

 

「事前に断っておくけれど、これはあくまでも推測……本当に、本当に推測よ」

 

本当に、という言葉をわざと二回使うことで、それが彼女の知る本来の歴史の知識から逸脱した情報なのだということを暗に伝える。仲間達もその意図が伝わったらしく、表情が一段引き締まり、より真剣に話に聞こうと耳を傾ける。

 

「まず確定情報としては、もうハドラーに黒の核晶(コア)は埋め込まれていない。これは間違いないでしょう。バランにも確認したし、あれだけの大呪文が激突した中心にいても、それでも爆発していないことがその証明でもある……間違いないわよね?」

 

一度確認したことであるが、それでもなお念を押すようにバランへと水を向ける。その言葉にバランは再び、力強く頷く事で肯定の意を示して見せた。

 

「……最初っから埋め込まれていなかった、とかは?」

「それは、多分有り得ないでしょうね」

 

おずおずと手を上げながら可能性の一つを口にしたレオナであったが、チルノはその意見を捨てる。

 

「例えば――そうね、レオナがデルムリン島に最初に来たとき、あれはテムジンとバロンがいて王位の簒奪を計画していた、仕組まれたものでしょう?」

「ええ、今となっては懐かしいわね……それがどうかしたの?」

「この世界に私がいなくても、私がいてもそれは起きた。つまり、影響を及ぼすだけの何かが起こらなければ、変化はまず起きないはずなの」

 

テムジンの発言力がもっと低くなるような事件が起きたならば。

バロンがもっと真面目で王家に忠誠を誓う性格になるような出会いがあれば。

もし、キラーマシンを他の誰かが見つけて手に入れていれば。

あの計画は実現されなかっただろう。

 

「でも、その仮定が起こるとすれば、起こせる可能性が一番高いのは私関連だと思うの。でも当時の私は島にずっといて、パプニカに渡る手段も力もない。だから変わらなかった」

 

そういった仮定の事象を例に出しながら、チルノは理由を説明する。

 

「バーンのことも、それと同じ。ちょっかいを掛けたり、バーンの価値観を変えるような出来事なんて起こしていない。だから、そのまま同じように黒の核晶(コア)は埋め込まれていると考えていいでしょうね」

「なるほど……普通なら、世界を二つ作って比較するくらいしないと無理な考えだろうけれど、チルノだったら……」

 

本来の歴史を知り、この世界の歴史を作ってきた少女だからこそ出来る反則的な根拠の提示である。

 

「それじゃあ、元々埋め込んでいた物を誰かが取り出したってことになるの?」

「そういうことになるでしょうね。でも、埋め込んだ張本人のバーンはそれを取り外す理由がないの」

「……まさか!」

 

そこまで口にしたところで、思い当たったようにマァムが口を開いた。やはり、その出来事に直接触れた者だけあって気付くのも早いようだ。

 

「……超魔生物?」

 

今度はチルノが首肯する。

 

「ハドラーを超魔生物に改造したのは、ザボエラよ。そしてザボエラ本人も、爆弾の存在には気付いている。これは間違いのない情報なの」

「じゃあ、ザボエラが取ったんだろ? ……ん?」

 

気楽にそう発言してから、ポップは自分で自分の発言に疑問を浮かべる。

 

「いや、だったらこうして話題にしたり、深刻に話し合ったりしてねぇよな?」

「ザボエラのことだ。気付いた上で、放置しておいたのだろう。ハドラーを体の良い爆弾扱いでもしていた、といったところか……違うか?」

「ええ。その通りよ」

 

チルノの言葉に思わずクロコダインは苦虫を噛み潰したような表情を覗かせる。隠しきれないその表情は、かつての苦々しい経験に裏打ちされたものからだ。

 

「でも、あのハドラーにはそれがない。そして取り除けるのは、ザボエラ以外にまずありえない……だとすると、ザボエラが取り除いたとしか考えられないの」

「ヤツが……一体どういう風の吹き回しだ?」

「多分、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操れるのが原因ね」

 

ハドラーに生じた、もう一つの想定外。そこから逆算すれば、答えは自ずと見えていた。

 

「普通の超魔生物だったら、失っても痛くはない。ほぼ完成された技術だからね。でも、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使えるのなら話は別。貴重なサンプルとして出来るだけ長く生かしておいて、そのデータを隅々まで取れば、後々実用化も出来るはず! そう考えた結果、爆弾を取り外した……そんな所でしょうね」

「じゃあ、ハドラーが竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使えたのは……!!」

「以前、テランでダイとバランが戦ったでしょう? 血やら皮膚やらは取り放題だったでしょうね。それを、超魔生物の技術を応用して組み込んだ。そんなところだと思うわ」

「そんな、おれたちのせいで……」

「お前達のおかげ……ハドラーがそう言っていたが、そういうことか」

 

バイオテクノロジーと言う言葉を耳にしたことがあり、表層程度でもその技術について知っていれば、(ドラゴン)の騎士の細胞を利用したと考えるのは容易だった。

そしてチルノの言葉に、ダイとバラン――(ドラゴン)の騎士たちは対照的な反応を見せる。

ダイは自分が原因でハドラーを強化させてしまった事を悔やみ、バランはハドラーの言葉の真意をようやく掴み、新たな怒りを燃えさせていた。なまじ正当なる(ドラゴン)の騎士という自負があるだけに、その力を利用されていることは耐えがたい屈辱なのだろう。

 

「それと、言いにくいんだけど……この考えが正解だった場合、別の問題も出てくるの」

「別の?」

「何かあるのか?」

「ハドラーから黒の核晶(コア)が取り除かれたんだろ? それの何が問題なんだ?」

「じゃあ質問、取り除いた黒の核晶(コア)はどこに行ったと思う?」

「……ッ!?」

「ザボエラが隠し持っているのか、それともバーンに返したのか。もう処分されているのか、はたまたどこかに放置されたのか……」

 

そこまで説明すれば、誰もがその危険性に気付いたのだろう。バランですら、先ほどまで見せていた怒りが即座に冷え込み、冷静さな顔を覗かせている。

 

「ハドラーっていう分かり易い目印が無くなった分だけ、もしかしたら今の方がやっかいかもしれないの。いつ、どこに仕掛けられているかも分からないから、常に気を配っておく必要が出てくるかもしれない……」

 

明確な危険性は低くなったかも知れないが、場所が分からないというのは非常にやっかいなことである。本来ならばそういった事前知識など皆無なのが当然であり、今までの方がおかしかったのだが――

 

「まったく、黒の核晶(コア)問題だけでも厄介なのに……キルバーンが、まさか私を狙ってくるなんて……想定外のことが起こりすぎてて、頭が痛くなってきたわ……」

 

――予測の付かない未来という存在を相手に、思わず愚痴を吐かずにはいられなかった。それは、つい先ほど自身の命を狙ってきたキルバーンにも波及する。

もしもあの場で襲ってくると分かっていれば手の打ちようもあったのだろうが、あいにくと本来の歴史ではキルバーンはバランの命を狙って動いていた。その考えが邪魔をしてしまい、まさか自分が狙われるはずがないとチルノはどこかでタカを括っていたようだ。

 

そこまで考え、バランに襲われなかったのかを問いただそうとするが、それよりも前にノヴァから声を掛けられた。

 

「ねえチルノ、少しいいかい?」

「どうかしたの?」

「さっきからキミたちの言っていることがボクには今ひとつ理解できないんだけど……黒の核晶(コア)とか可能性がどうとか……説明してもらえるかい? いや、なんとなくは分かるんだけどね」

 

遠慮がちにそう言うノヴァに追従するように、バランも口を開いた。

 

「私にも頼めるだろうか? 先ほどまでは話の流れを断ち切るのもどうかと思い黙っていたが、何故ハドラーに黒の核晶(コア)が埋め込まれた事を知っているのだ? あの闘いで、そんなことに気付く余裕などなかったはずだ!?」

「……あ」

 

その言葉で、二人が今まで蚊帳の外だったということにようやく気付いたらしい。それはある意味ではチルノの事が全員に自然と浸透していたという証拠でもあるのだが……

とあれ彼らは、慌てて説明を開始した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「なるほど、理由は分かった」

「そんな……」

 

説明を終えると、バランは複雑な表情でそう答えた。ノヴァはどう反応して良いのか分からず、絶句したままだったが。

とはいえ全てを話したわけではなく、かいつまんでチルノについての説明を行っただけだだが、それでも彼女がいわゆるこの世界の歴史を知っているということは間違いなく伝わっていた。

 

「前にラーハルトにも尋ねたけれど……私が貴方に言った言葉は、未来を知っていたからこそ言えた言葉でもあるの。だから……」

「それ以上口にするな!」

 

だが伝えようとした言葉はその途中で他ならぬバラン自身の手によって遮られた。

 

「たとえ未来を知っていたとしても、お前に言われた言葉は決して間違いではない。そして、お前の言葉、それはソアラの願いでもあったはずだ……今さら考えを変えるつもりもない」

 

断言するような強い口調でそこまで語ると、バランは、チルノに向けて深く礼をする。

 

「ディーノを……いや、ダイを育ててくれたことをもう一度感謝する」

「バラン……ううん、こちらこそ、ありがとう」

 

感謝の態度を見せるバランに対し、チルノもまた受け入れてくれたことに対しての礼の言葉を述べる。意固地となっていた本来の歴史のバランと比べれば、今の状況はきっととても歴史的な事なのだろう。

 

「それと、ノヴァだったか?」

「は、はいっ!!」

 

やがてバランは顔を上げると、今度はノヴァへと視線を移した。差し向けられた視線に、ノヴァは萎縮したように声をうわずらせた。

かつて見習いとしての修行中、戦士団の先輩や父バウスンにしごかれた時ですら、初めて実戦に参加して怪物(モンスター)と戦ったときですら、これほど緊張したことはなかっただろう。

それほどの何かが、ノヴァに襲いかかっていた。

 

「お前のおかげで、息子の愛する人物を失わずに済んだ。改めて礼を言わせてくれ」

「息子……? それってまさか、ダイのことか……!?」

「そう恐れずともよい。今の私は……」

 

そんな相手の緊張は、すぐにバランへと伝わった。とはいえ、自身の素性が素性である。緊張されるのも無理はないと知りつつも、敵ではないということをアピールしようとして、バランははたと気付いた。

 

「いや、そうか……お前は確か、リンガイアの戦士だったな」

 

少し前にノヴァが自ら名乗っていたことを、バランはようやく思い出したように口にする。

もっと早く気付くべきであったのだろうが、何しろあの時は親の知らぬ間にダイとチルノの関係性が大きく前進していたり義娘(チルノ)の服が破れたりで、さながら蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。冷静な精神状態ではなかったために、取りこぼしがあっても無理もないだろう。

眼前のノヴァを射貫くような視線で見つめながら、やがてバランは意を決した。

 

「では改めて名乗らせてもらおう。知らぬ者も聞くがいい。我が名はバラン。かつては大魔王軍にて超竜軍団を率い、リンガイアとカールを滅ぼした者だ!」

 

それは、低いながらも良く響く声だった。たとえ喧噪の中で発せられたとしても、誰の耳にも一言一句違えることなく伝わるだろう。だが、その内容は衝撃的なものだ。

 

「やはり……やはりそうだったのか!!」

 

リンガイアの戦士団に属していたノヴァにとって、それは特に響くものだった。先ほどまでの戸惑いの表情は瞬く間にナリを潜め、彼は反射的に剣を引き抜いていた。刀身が光を反射して輝き、その冷たい光が周囲を一瞬だけ照らす。

 

「ノヴァ! 待って!!」

「止めないでくれ!!」

 

思わずチルノが悲痛な声を上げるが、それでもノヴァは止まることがなかった。手にした剣を正眼に構え、その切っ先をバランへと向ける。

 

「名前を聞いた時は、もしやと思った……けれどチルノやダイの仲間のようだったから、違うとボクはずっと自分に言い聞かせていた……」

 

苦悩するように呟く言葉は誰かに対して向けられた言葉というよりも、自分自身への言い訳の言葉のようにも聞こえた。

 

「でも、それでもダメだ!! お前は……お前だけは許すことが出来ない!!」

「……そうか」

 

強い意志と感情を込めた瞳でバランを睨みつけ、その身に纏う雰囲気は一触即発今すぐにでも爆発して襲いかからんほどに緊迫したものだった。

だが、それほど剣呑な空気を放ちつつもノヴァが次の手をなかなか繰り出そうとはしない。

バランに剣を向けた相手と認識して、ラーハルトが何かあればすぐさま飛びかかるべく身構えるが、相手が動かない以上、彼もまた動かずにいた。

 

剣を構えた相手に対して、バランは棒立ちのまま無防備な姿を晒したままだ。いつでも斬りかかれることは、相対しているノヴァがよく分かっている。

だがそれを理解した上でも、彼は攻め込めずにいた。

それはノヴァの戦士としての本能に近いものが原因だ。少し前にダイを相手に格の違いを思い知らされ、かと思えばそのダイが苦戦するほどの相手(ハドラー)が現れる。そのハドラーと戦って見せたバランが相手である。

襲いかかった瞬間、瞬く間に反撃されて命を落とすのではないか。

なまじ剣士としての技量を持つが故に、そんな未来が手に取るように見えてしまい、最初の一歩を踏み出すことすら躊躇してしまう。

 

「どうした? 斬らんのか?」

「なんだとっ!?」

 

やがて、にらみ合っていることに飽きたかのようにバランが口を開いた。挑発としか取れないその言葉に、ノヴァは声を荒げて威嚇してみせる。

だがそれだけだ。

声を上げることは出来ても、身体を動かすことが出来ない。

 

「私が憎くはないのか!? お前の目の前にいるのは、祖国を滅ぼし大勢の人間を殺した男だ。多くの竜を率い、国土を灰燼にした相手が憎くはないのか!? お前が手に持つその剣で、私に代価を払わせたいとは思わんのかッ!?」

 

そう言いながらバランは一歩ずつノヴァへと近寄って行く。バランが歩みを進めれどもノヴァは蛇に睨まれた蛙のように動かず、まるで構えられた剣の切っ先に向けてバランが歩いているようにしか見えない。

遂には、少し腕を伸ばすだけで剣が届くまでバランは接近する。上背があるため、ノヴァはバランを見上げる状態となっていた。恐るべき相手を見上げることとなり、内なる恐怖は更に増大していく。

 

「斬れッ!!」

「う、うわああああぁぁっっ!!」

 

ガチガチに身体が硬直したところへ怒鳴るような強い口調で命じられ、ノヴァは身体が爆発したような衝撃を受ける。それは緊張していた肉体が反射的に動いたことの証だった。

戦士として鍛練を積んだ肉体は恐怖の根源を根絶するかのように、彼に剣を振るわせることを選ばせた。

 

「ぐ……っ!」

 

緊張と恐怖で本来の実力の半分も発揮できていないような(つたな)い剣筋であったが、だがノヴァの剣はバランを切り裂いていた。

彼の顔面の右上から左下に掛けて剣閃が走ったかと思えば、瞬時にして赤い線が浮かび上がり、そこから鮮血が吹き出していく。鋭い痛みと斬撃を受けた衝撃にバランは小さくうめき声を上げながら、よろめきながら彼に一歩下がらせる。

 

「……ッ!!??」

「バラン様!?」

 

驚かされたのは周囲で見守っていた者たちである。バランの実力をよく知る者たちほど、竜闘気(ドラゴニックオーラ)で防ぐか直前で避けるかすると思い込んでいただけに、この結果に度肝を抜かされることとなった。

特にラーハルトの受けた衝撃はいかほどのものだっただろう。まさかこのような結末になるとは想像もしておらず、ノヴァを押さえつけるべく動こうとする。

 

「よさんかラーハルトッ!!」

 

だがそれは誰であろうバラン本人の言葉によって静止させられた。

傷口を押さえるように片手を顔に当てながらも、手の奥から覗く相貌は変わらぬ強い意志を秘めている。

 

「で、ですが……すぐにでも手当を!」

「いらん。この痛みは、傷は私が受けて当然のものだ」

 

なおも食い下がろうとするラーハルトであったが、バランは一言で切って捨てた。その行動はラーハルトからすれば当然の事であり、チルノたちも回復呪文を使おうかと動きだそうとしていたが、バランの言葉を聞いて躊躇する。

 

「先ほど宣言したように、私はお前たち人間を滅ぼそうとしていた。憎み怨んでもまだ足りぬだろう」

 

赤い血がバランの顔をゆっくりと染めていく。その異質な光景を目にしながらもノヴァを初めとした誰もがそれ以上動く事は無かった。それだけこの雰囲気に呑まれ、バランの放つ言葉に聞き入っているのだろう。

 

「お前達人間全ては、私を攻撃する権利がある。拳で殴り、剣で切り、槍で刺し、斧で潰し、弓で穿ち、呪文で吹き飛ばす権利を、等しく持っている! その権利を何時でも! いかなる場所でも使って構わん!!」

 

そう高らかに宣言すると、バランは顔を――いや、傷口を隠していた手を退かした。真新しい傷口が白日の下に晒され、赤く染まっていく。

 

「この顔の傷こそ、その証!」

 

だがその怪我を微塵も恥じることなく、むしろ堂々と見せつけるように胸を張って見せた。むしろ、傷を付けた張本人であるノヴァの方が気遣い、恥じるような落ち着かなさを露呈させているほどだ。

 

「だが、殺す権利はない。私は自らの罪を、大魔王バーンを討つことで償うつもりだ! その悲願を成就させるまで死ぬことは出来ん!! そしてバーンを討った後に、再度お前達人間に問う。その時になお私を殺したいと望む者がいれば、我が命はそいつにくれてやることをここに誓い、宣言しよう!!」

 

そこまで口にすると、すべてを言い切ったのだろう。バランは口を噤む。

唐突すぎるバランの宣言をどう受け止めたものか測りかねて静寂の訪れる中、その混乱を引き起こした当の本人たるバランはレオナの方へと向き直る。

 

「パプニカの姫よ。お前がこの場にいてくれて、手間が省けた。我が言葉を、各国の代表たちに伝えてはくれまいか? 特に、リンガイアとカール……この二国には、大魔王討伐後に正式に謝罪をさせてもらいたい」

 

そう口にしながら頭を下げる。だが頭を下げた状態でなお、バランはぽつりと呟いた。

 

「この程度で許されるとは、毛ほども思ってはいないがな……」

 

それは自らの罪と向かい合い、そして考えて出した結論だった。

おめおめとダイたちの仲間になることは彼の誇りが許さず、亡き妻との最後の約束を違える行為にも繋がると彼は考えていた。罪には罰を、そう考え続けた彼なりの答えである。

たとえ我が身が全身傷で塗れようとも、目的を成就するためには命を捨てることは出来ない。何よりバランは、バーンを倒すためならば自らの命を引き換えにすることも辞さない覚悟である。

そしてバーンを倒した後ならば、たとえ怨みを持つ人間に殺されたとしてもそれは仕方ないのない事。言うなれば天命のようなものだろうと、そう考えていた。

 

「バラン……わかりました。貴方の決意、パプニカ王女レオナの名に賭けて必ずや伝えましょう。ですが、その後の各国の態度までは関与できません。どうなろうとも、我が国は……」

「当然だ」

 

バランの願いを聞き、レオナもまた真摯な態度で応じる。彼の決意を辱めることのないように、そして一国の長として平等に、贔屓をすることもないことを宣言する。

だがそれはバランもまた、想定の範囲のことだった。言葉通り当たり前という態度で、レオナの言葉を聞き頷く。

 

「それにしても、考えたものね……」

 

続いてレオナは、他の誰にも聞こえない程度にバランへと近づくとそっと囁く。

 

「貴方が罪を償うために傷を付けても文句を言わないと口にしても、それを信じて実際に行動に移せる者が何人いるかしら? でも、北の勇者として名が通っているノヴァが貴方に傷を付けたとなれば、話は違う。名の通った彼が仇敵に傷を付けたとなれば、被害を受けた国の人々もある程度は矛を収めるでしょうね」

 

どれだけ傷を付けても文句は言わない。

口にするのは簡単なことだが、世界最強の(ドラゴン)の騎士を相手に――それも元魔王軍であり恐怖の対象でもあるバランを相手に、面と向かって行動を起こせる者が果たして何人いるだろうか。

どれだけ気高い決意であろうとも、実際に行動する者がいなければ有名無実となってしまい形骸化して意味を為さなくなってしまう。

つまるとこと、実績が必要なのだ。

 

「なにより、私達がどれだけ貴方が仲間になったと訴えたとしても、事情を詳しく知らない人たちからすれば、身内でかばい合っているだけの茶番にしか見えないもの。でも、彼ならば違う。ノヴァという外部から来た相手が傷を付けたとなれば、強力な証明になるもの」

 

そういう意味では、ノヴァの存在は幸運だったと言えるだろう。

ダイたちや、その勇者達と一番懇意であるパプニカ国の者達では説得力が低い。関係ない者が実行して見せたという強烈なインパクトのある出来事ならば、誰もが文句を言わないだろう。

ましてやそれが、バランに故国を滅ぼされた者の一撃ならば、話題性も充分だ。

 

「……知らんな」

 

果たして真相はいかなる物か。

バランはレオナの言葉に何も語ることはなく、興味を失ったように彼女に背を向ける。

振り向いた先には、チルノたちの姿があった。

 

「バラン……その、気持ちは分かったけれど……なんていうか、やりすぎでしょう? ノヴァが怯えてるわ……」

「フン! 誰しもが権利を持つとは言ったが、我が威圧に押し込まれ諦めてしまいような志の低い連中まで相手をする気はない。この程度で諦めてしまうならば、所詮はその程度の想いしか持たぬ、真の感情を持たぬ連中ということだ」

 

苦笑しながら止血のためにとチルノはバランにハンカチを差し出す。彼はそれを受け取ると、傷口へ包帯のように当てながら愚痴のように言葉を零した。

 

「そのような程度の低い連中にまで、一々付き合ってやるほど暇ではないのでな」

 

憤慨するような言葉だが、それはバランの求める基準が高すぎるのが原因だ。とはいえ、その程度の覚悟も無く他人を害するのは問題ということでもある。冷やかしや流されただけの者まで相手にするつもりは毛頭無いということなのだろう。

そこまで吐き出して多少なりとも気が晴れたのか、まずはダイを。そして僅かな逡巡の後にチルノへと視線を向けると、バランは思い出したように言う。

 

「すまんが、もう少しだけ付き合って貰うぞ」

 

 




バランさん正式加入です。
ご都合主義なのはわかってますが……

原作では割とあっさり目に受け入れられていますが、描写されていない裏で凄い葛藤とかあったんでしょうね。
彼を見て狼狽するノヴァとか、原作でもあってしかるべき描写だと思いますが……
まあ、あの時点で過去の因縁話を再び蒸し返しても、(少年読者が相手ですから)テンポが悪くなりそうです。
省略されたであろう原作ノヴァは泣いていい。

この世界でのノヴァは後世に
「バランに一太刀浴びせて顔に傷を付けた英雄。その心意気に打たれ、ダイたちと仲間になって世界を救うのに尽力した」
って感じで伝わりそう。


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LEVEL:85 おとうさん、おかあさん

……あ、またゴメちゃん達を忘れてる!!
(投稿直前の悲劇)


――すまんが、もう少しだけ付き合って貰うぞ。

 

バランのその言葉に首を縦に振ったダイとチルノは、彼の瞬間移動呪文(ルーラ)にてどこかへと向かっていた。とはいえ、流石は百戦錬磨のバランが操る呪文だけあって、ポップの操るそれよりも圧倒的に早い。

体感としてはそれこそ一瞬のうちに、彼らはとある場所へと移動していた。

 

「……ここは?」

「森の中、みたいだけど?」

 

呪文の効果によって降り立った場所の風景を見ながら、ダイたちはそんな感想を呟く。彼らの言うように、連れてこられた場所はどこかの森のようだった。ときおり鳥のさえずりが聞こえ、そよ風が木々の葉を揺らして天然のメロディを奏でている。

尤もそんな些細な共通点などどの森でも当たり前なのだが、どこか故郷――デルムリン島のことを二人に想起させていた。

 

「アルゴ岬の近くだ」

 

見た目ほど傷は深くなかったのか、はたまた(ドラゴン)の騎士は常人よりも回復力が高いのか。ノヴァの剣によって刻まれた傷はもう血が止まっており、包帯代わりに使っていたハンカチも既に外されていた。まだ見た目にも痛々しい斜めの赤い線が、バランの顔に刻まれているのがはっきりと見える。

現在の場所が分からずに落ち着きなく辺りを見回している二人に向けて、バランは手にしたハンカチをチルノへと返すように差し出しつつ告げる。

 

「アルゴ……岬……?」

「あれ、それって……」

 

父親からそう言われてもイマイチ要領を得られず、ダイは首を捻る。一方チルノは、血の染み込んだハンカチを受け取りつつ、聞き覚えのある地名から記憶を辿ろうとしていた。

 

「ついて来い」

 

だが疑問を浮かべる息子の言葉に答えることもなく、バランは率先して森の更に奥へと歩みを進め始めた。黙って付いてこいと言わんばかりの様子に、二人は仕方なし慌ててバランの後を追って森の中へと入っていく。

それからしばらく歩いた先で、急に森が開けた。

それまで視界には常に木々が入っており、若干の薄暗さも感じていたところへ陽光が差し込んできた。視線の先には泉があり、それが光を反射して飛び込んでくる。

 

――この泉が見せたかったのもなのだろうか?

 

そう声を掛けようとするが、泉のほとりに着いてもなおバランの足が止まる事はなかった。そこから泉に沿うようにしてほんの少しだけ歩くと、そこには小さな石が置かれていた。

小さな石と言っても、高さは子供の背丈程度はある。綺麗な長方形に(かたど)られたそれは丁寧に磨かれており、近くにはどこかから摘んできたのだろう花々が寄り添うように置かれている。

 

「それ、お墓?」

「ああ、そうだ」

「……ッ!」

 

それは誰が見ても石碑か何かだと思うであろう。事実、ダイも同じ感想を口にしていた。

ダイの言葉にバランは小さく頷きながら答える。その仕草とこの場所から、チルノはようやく思い当たり、小さく悲鳴のような声を上げる。

 

「この下には、ソアラが眠っている」

 

それはチルノが想像した通りの答えだった。

ダイたちを見ず、墓標へと視線を向けながら告げるバランであったが、その身の端々からは悲壮な決意が漂ってくるようだ。

 

「ええっ!?」

 

一方、予想もしていなかったのだろう。ダイはバランのその言葉に驚かされつつ石碑をしっかりと確認する。そこには確かにソアラと言う名が刻まれていた。

 

「ソアラ……って、それって確か、おれの……」

「ああ、そうだ」

 

記憶を掘り起こすように、確認するかのようにゆっくりと口に出していくダイの言葉を、バランが首肯する。

 

「私が唯一愛した女性であり、お前の母親が、その下に眠っている」

「そ……」

 

父の言葉を聞き、ダイは言葉を失っていた。何かを言おうとすれども言葉にはならず、水中の魚のように口をパクパクと開閉させるのが関の山だった。

対してチルノの方は、事前に察することが出来たのが大きいのだろう、心に少しだけ余裕があった。再び辺りを見回しながら口を開く。

 

「まさか、この泉は(ドラゴン)の騎士の……!」

「詳しいな。その通りだ」

 

チルノが知る、本来の歴史という知識の中にのみ存在する光景。ようやく正解に辿り着いたとばかりに紡がれる言葉を、バランは肯定していた。

 

「ここは奇跡の泉と呼ばれ、その水は(ドラゴン)の騎士の力を回復するのだ」

 

そこまで口にすると、バランは泉の方を眺めながら遠き過去へ想いを馳せるように目を細める。

 

「そして、私とソアラが初めて出会った場所でもある」

 

その瞳には、在りし日の妻と出会った時の光景が甦っているのだろうか。バランの纏う空気に微かに柔らかな物が混ざっていく。

 

「二人の思い出の地……だからここに、お墓を……?」

 

チルノの言葉をバランは無言で頷く。その反応を見ながら、少女は驚きと感動を感じながら周囲を見渡していた。

彼女の知る本来の歴史には、ソアラの墓という物は描写されていない。どこかにあるのだろうと推察することはできるが、真相は闇の中であり、知っているとすればバランだけだ。だがそのバランも、ようやく息子と同じ方向を向けたと思った矢先に力尽きる。

つまり、墓が存在していたとしてもその場所は誰にも分からなくなってしまうのだ。

 

「ダイはわかるけれど、そんな大事な場所にどうして私を……?」

 

バランにしてみればこの場所は、聖域と呼んでも差し支えないだろう。愛した相手との思い出が詰まった最後の場所だ。仮に誰かを連れてくるとすればそれはきっと家族――すなわち、ダイくらいしか当てはまることはないはずだ。

ふと疑問に感じ、チルノは口に出していた。

 

「本来の予定では、お前までここに連れてくるつもりはなかった。だが、想定外のこともあったのでな。お前も連れてくるよりなかった」

「……? ……あ……っ」

 

その言葉の意味を考え、チルノはすぐに答えに思い当たる。

本来の予定ではダイだけ――つまり家族だけだったのだろう。だが蓋を開けてみれば、家族が増えていたのだ。

なるほど息子が結婚していると知らなければ、確かに想定外だろう。

バランが自分をここに連れてくる前の事を思い出す。ダイに続いてチルノを見る前の、バランの僅かな逡巡の時間。その意味にようやく思い当たり、少女は小さく声を漏らす。

 

「でも、どうしておれたちをここへ?」

「ソアラに、きちんと報告したかったのだ……息子が見つかったことを。そして、私が息子と共に歩むということを……」

 

それはバランなりの決意の証であった。

妻の死を乗り越え、息子と共に新しくやっていこうという決意のための、(みそ)ぎの儀式のような物、心に踏ん切りを付けるためと言っても良いだろう。

バランはテランでダイたちと別れてから幾度となくここを訪れていた。傷を癒やしながらずっと、亡き妻への思い出と新たな想いを口にしていた。その総括とも言えるのが、息子と共に妻の墓前へ報告することだった。

 

「ねえ、だったらラーハルトも連れてきた方が良かったんじゃ?」

「心配はいらん。彼奴もここを訪れたことはある」

 

なんとなく浮かんだ疑問を口にすると、バランはそう告げる。だがその言葉は、ラーハルトを連れてこない理由としては弱い。一度訪れた事があるからと言って、再び訪れてはならない理由とはならないだろう。

 

――あ、ひょっとして……

 

いくらバランといえど、実の息子であるダイと息子同然のラーハルトとでは僅かに違いがあるのだろう。ましてやこれから妻に報告をするとなれば、気恥ずかしさが先に立ったとしても仕方あるまい。

その辺りの気持ちの折り合いはまだ完全に付けられていないのではないか? そんな理由を想像し、チルノは声に出さずに目尻だけを少し下げた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ソアラ……」

 

まず最初に動いたのはバランだった。ダイたちをここに連れてきた者の責任とでもいうべきなのだろうか、石碑を見つめながらそう口火を切ったものの、だがそれ以上の言葉が続くことはない。

 

「…………」

 

沈黙が辺りをゆっくりと支配していき、少しずつバランの顔に焦りのようなものが浮かび上がってくる。

 

「なんと、言うべきなのだろうか……いざ、お前の前に立つと、上手く言葉が浮かばん……本当ならば、言いたいことが山ほどあったはずなのだが……」

 

無言に自分自身で耐えられなくなったのだろうか、遂にはそう零す。その言葉を聞き、チルノはやれやれと言った心持ちで、バランよりも前に出る。

 

「ソアラさん、初めまして。チルノと言います」

「むっ!?」

 

墓前に跪き、祈るように両手を組んでみせた。

 

「バランが考え中のようなので、私から先に、あなたに伝えさせてもらいます。もっとも、あなたから見ればバランのそんな姿も素敵に映るのかも知れませんけどね」

 

微笑と少しばかりの揶揄を込めた言葉を聞いて、根負けしたのかバランは沈黙したままゆっくりと後ろに下がった。その行動が先に報告することの許可だと判断したチルノは、僅かに瞳を伏せてから続きを口にし始める。

 

「空の上から見ていてご存じかもしれませんが、私は、ダイが赤ん坊の頃から今まで、彼の姉として、友として、ずっと一緒に生きてきました」

 

記録の上でしか知らぬソアラという相手が目の前にいるのだと想像し、本当に相手と会話しているかのように心を込めながら少女は語る。なにしろこの場の三人――いや、ソアラを含めた四人の中で、チルノだけが血の繋がりを持たないのだから。

 

「それと……」

 

だが次の言葉を言うのは流石に躊躇われた。世界中でただ一人、彼女に告げるのだけはとても勇気の必要なことだった。だが意を決して、少女は口を開く。

 

「それと、本当ならあなたが担うはずだった、母親の代わりも、未熟ながら務めさせていただきました」

 

自身の背後でバランが僅かに息づいたのが、チルノの耳にも聞こえる。なにしろ相手のソアラは、国を捨ててまで愛するバランと結ばれ、ようやく子供が生まれたと思った矢先に息子と引き裂かれ命を失ったのだ。

それがこんな年端もいかぬ少女に母親代わりだと言われても、反応に困るだろう。侮辱していると取られてもおかしくはないかもしれない。

 

「実の親であるあなたから見て、私はダイを立派に導くことができたでしょうか?」

 

そう尋ねるものの、だがその答えが返ってくることはない。当人は既に天に召されており、今チルノが声を掛けているのは物言わぬ石碑でしかないのだから。

だがそれを理解した上で、相手が充分に返事をしたであろう時間だけ間を置いてから、チルノは再び言葉を紡ぎ始める。

 

「そしてもう一つ報告があります……ううん、これはちゃんと言わないとダメね」

 

後半は自分にだけ聞こえる程度の小さな声であったが、そよ風程度しか吹くことのない静かな森の中のため、バランはおろかダイの耳にも届いていた。

だがチルノ本人だけはそれに気付かず、しゃがんだ姿勢のまま横に――ちょうどバランとソアラの墓とか両方の視界に入るような位置へと移動する。

 

「ソアラさん、バランさん」

 

それまでバランと呼び捨てにされていた相手が突然、改まったように呼び方を変えたことで、バランもまた自然と姿勢を正す。

 

「私は、お二人の子……ダイと、将来を誓い合いました。私がご報告しなければならないのは、そのことです」

 

チルノの口から出てきたのは、バランが唐突に聞かされた事柄だった。それも、混乱する中で又聞きのように知らされており、今のように面と向かってしっかりと聞かされてなどいない。

言ってしまえば、ある意味では初耳と呼んでも差し支えないだろう。

 

「お二人から見れば、私は愛しい我が子を(かどわ)かした悪女に見えるかも知れません。母親代わりとして育てたと言っておきながら、恥知らずと思うかも知れません。ですが、私は世に恥じるような真似はしていません。ダイの気持ちを、きちんと受け止めたつもりです。そのことだけははっきりとお伝えしたかったんです」

 

バランは複雑な想いを胸に抱きながら、チルノの述懐を聞いていた。それと同時に、自分がソアラと出会った頃のことを思い出すように瞳を閉じて、少女の言葉を耳にし続ける。

だが、その言葉もやがて終わる。言うべきことは全て終えたといわんばかりに、チルノが立ち上がろうとした時だった。

 

「ま、待って姉ちゃん! おれも……!!」

 

そう言いながらダイが飛び込んできた。彼は立ち上がろうとするチルノの手を掴み、まだ言うことがあるとばかりに彼女の隣に並ぶ。

 

「えっと、初めまして……でいいんだよね? 母さん……あ、でもおれは母さんを知らないけれど、母さんはおれのことを知ってるのか……なんだかややこしいな……」

 

母は赤子の頃の自分を知っているが、ダイ本人は記憶が無く母親のことを覚えていない。ということを思い出しての言葉だった。照れ隠しのようにそう呟くと、ダイもまた表情を引き締めた。

 

「母さん、おれ、島のみんながいてくれたから……姉ちゃんがいてくれたから、寂しくなかった。姉ちゃんがいてくれたから、ここまで来られたんだ。だから、心配しないで」

 

墓碑を真っ直ぐに見据えたまま、チルノが尋ねた言葉に返事をするように、胸を張ってはっきりとそう告げる。空の向こうにいるはずの母に届くくらいに堂々とした様子だ。

 

「それと、結婚して欲しいって言い出したのはおれからだから、だから姉ちゃんは悪くないんだ!」

 

続くその言葉だけは、いつもよりもやや早口になっていた。そうやって面と向かって口に出すのは、まだまだ気恥ずかしいのだろう。父親とどこか似たような反応を見せるダイの姿に気付き、チルノは再び心の中だけで微笑ましさを感じる。

 

「それで、全部が終わったら、もう一回ここに来るから。そこでちゃんと、おれたちが大魔王を倒して、世界を平和になったって報告するから、だから天国で見守っていて欲しいんだ。すごく大変かもしれないけれど、平気だよ。だっておれには姉ちゃんと、バラ――」

 

そこまで言いかけて、ダイはふと言葉を句切る。

まだ心の中の(わだかま)りが完全に消滅したわけではない。最愛の姉が命を賭す羽目になった事に対する怨嗟はある。

だがそれでもだ。

バランが全てに踏ん切りを付けるためにダイたちをここに連れてきたという気持ちが分からないほど、ダイも狭量でも子供でもない。そして、初めて出会った母に格好を付けたいという若干の見栄もある。

心の中で気合いを入れ直すと、ダイは口を開き直した。

 

「――"チルノ"と"父さん"がいるんだから」

「……ふふっ」

「ディ……! ダイ!」

 

愛する相手を、名前で呼ぶ行為。

父を父と呼ぶ行為。

どちらも普通に過ぎないそれは、特異な生い立ちのダイにすればどうにも難問だった。だが難問は何時の日か解決せねばならない。それが今だった。

 

自分のことを名前で呼んだことにチルノは微笑みを返すことで答え、バランは歓喜と共に息子の名を呼ぼうとして慌てて訂正し、改めて呼び直す。

 

「……ダイじゃなくて、ディーノって呼ばれるのもいい、かな……?」

 

だがダイの返事は、バランが予想していなかった言葉だった。

 

「だってさ、その、父さんには悪いけれど……おれがダイって呼ばれたい一番の人は、他にいるから……その人がダイって呼んでくれるから……だから、おれのことをディーノって呼ぶ人がいても良いと思うんだ……」

 

バランへ向ける視線を僅かに逸らしながら、恥ずかしそうにそう告げる。バランとソアラが名付けたディーノという名を、ダイなりにかみ砕き受け入れた結果なのだろう。

息子の成長を心で感じ取ったバランは、二人に倣うように亡き妻の墓前へと向かい合う。

 

「ソアラよ、聞いた通りだ……」

 

目頭が熱くなることを自覚しながら、だがバランはその感情を楽しむように味わいながら告げる。

 

「ここに来る前、息子を連れてここに来ると言ったのだが、まさか妻を取っていたとはな………私達の息子には、驚かされてばかりだ」

 

パプニカへと来る直前まで、バランはここで妻と語らっていた。そして、ダイをこの場所へと連れてくると誓い、だが蓋を開けてみれば驚きの連続だったのだ。正当な(ドラゴン)の騎士たるバランですら予測できない事態に、思わず笑みを零す。

 

「ディーノが言っていたように、我々は大魔王バーンへと挑む。その闘いに勝利し、もう一度ここに三人で……いや、今度はラーハルトも含めた四人来ることを誓おう」

 

だがその笑みも一時の物でしかない。まだ笑顔を浮かべるには早く、倒さねばならない相手がいる。そのことを自覚しているバランは、亡き妻の前で改めて誓いを立てる。

そう宣言し終えると、ふぅとため息を一つ吐いた。

 

「しかし、ディーノに嫁か……お前たちの言葉で、ようやく実感が湧いてきた……ソアラの父、アルキード国王もこのような感情を抱いたのだろうか? 尋ねてみたいが、今となっては叶わぬ夢、我が愚かさが生んだ惨劇か……」

 

かつてのバランとソアラの二人の恋路も――バランが追放される前までは――紆余曲折あれども比較的満帆なものだった。だが、愛娘を男に奪われるというのは父親として忸怩たる想いがあったのも決して嘘ではないだろう。

バランの場合は息子であるが、子供が親の手から離れるという意味では同じだ。似たような気分を味わったであろう相手の顔を、遠く脳裏に浮かび上がらせる。

 

「尋ねることは出来ないけれど、償うことなら出来るわよ?」

「……何?」

「アルキード王国を復興させるの。ダイは王族唯一の生き残りよ。忘れたわけじゃないでしょう?」

「なんだとっ!?」

「えっ、おれ!?」

 

不意に口を開いたチルノの言葉を、バランはすぐに理解することができなかった。だが続く言葉を聞いてようやく償うことができるという意味がわかった。だがそれは、新たな混乱を生んだだけだ。

ダイもまた、突然出てきた自身の名前に何のことか分からずに戸惑いを見せる。

 

「だ、だがそのようなことを人間が許すはずが無いだろう!!」

「ええ、普通なら」

 

一度滅んだ王国を甦らせる。今さらとしか言いようがないだろう。各国の都合などもあり、普通ならば(・・・・・)実現はおろか計画するだけでも無謀と言うほかはないだろう。

だがチルノはそんなことは当然とばかりに言う。

 

「少し前に世界会議(サミット)をやったのだけれど、知っているかしら?」

「いや」

「そう? まあ、そこは重要じゃないの。大事なのは、その会議の中身」

 

当事者であるチルノからすれば随分と大騒ぎになっていたように感じるが、それを察知していればバランはあの時点でも駆けつけていたことだろう。

 

「簡単に言えば、大魔王を倒した後のダイの扱いについて話をしたの。バランの時と同じような結果にはしたくない、じゃあどうしようって」

「その話し合いの結果が、アルキード王国の復興だというのか?」

 

自身が体験したことだけに、バランはその問題がどのようなことかは直ぐさま察しが付いた。だがその問題とどう結びつくのかまでは、理解が及ばないようだ。

 

「ええ、そうよ。大魔王を倒した英雄が望んだのは、富でも権力でもなく、自身の故郷アルキード王国の復興だった。何も無い土地で耕作をしたり開墾したり、そういうのを全てゼロから始める。そうすれば、人々の妬みも少ないでしょう?」

「む……」

「それに加えて、各国からは監視役の人間を派遣してもらうことも取り付けてあるの。監視役のいる以上、ある程度の流通も必要になってくる。そうやって人が集まれば、交流が出来てくる。新しい商売の機会になるかと、商人も来るはずよ。人が来れば、ダイの本当の姿を知って貰える。多くの人の目に触れることで、ダイのことを遠くまで伝えて貰えるはず」

 

これこそが、世界会議(サミット)で話し合われていた内容の一つであった。

知る機会を増やすことで、ダイの正しい姿を多くの人に知って貰えるようにする。知った人間がダイの話をすることで話題は更に広がる。

ましてや大魔王を倒した英雄の姿となれば、一目みたいと思う人間も出てくるだろう。そういった多くの人々に知る機会を設けることで、バランの二の舞を防ぐという狙いがあった。

 

「そ……そんなの姉ちゃん考えてたんだ……」

「本当はもっと早く伝えてあげたかったんだけどね。色々バタバタしちゃってて……」

 

寝耳に水、とばかりに壮大すぎる計画を聞かされて、ダイはそう声を絞り出すのが精一杯だった。

 

「もちろん、ダイの意志が最優先だけどね。どうする?」

「えーと……か、考えておくよ」

「そうね、今はバーンとの決着をつけないと」

 

そう伝えられてもダイには未だ現実感というものが一切感じられなかったようだ。

 

「でも、そういう未来もあるんだってことは覚えておいてね。亡国の王子様(ダイ)?」

 

一目見ただけでもわかるその反応を見て、チルノは頭の片隅にでも置いておいて欲しいという願いを込めながらそう言った。

 

「それじゃあ、別の話でもしましょうか?」

 

性急に話を広げすぎたというのは、チルノ本人も理解している。

なので、もっと別の――彼女が一度で良いから聞いてみたかった話をしようと、バランの方をとても良い笑顔(・・・・・・・)をしながら向く。

 

「な、なんだ……?」

「ソアラさんって、どういう人だったのかを聞きたいなって思って」

「なにぃっ!?」

 

突然矢面に立たされ、思わずバランは声を上げる。

――どういう人だったのか。

言葉を額面通り受け取るならば彼女の性格などを話せば済むだろうが、そのような逃げ道をチルノが残す筈もなかった。

 

「別に問題はないでしょう。夫婦の――お母さんの話くらいは、息子にちゃんと聞かせてあげなきゃダメですよ、お義父さん?」

「うん、おれも……おれも知りたい! おれの母さんがどんな人だったのかを!」

「私としては、二人の馴れ初めの話とか気になるなぁ……一国の王女様の心を射止めるとか、是非とも聞いてみたいわね」

 

ダイという味方を得たことで、チルノは少しずつ要求を露わにしていく。とても断れる雰囲気ではなく、そしてバラン自身も息子(ディーノ)に母親のことを教えたいという気持ちも持っていた。

だがその話をすれば、義娘(チルノ)が食いつき掘り下げようとしてくるのは明白だ。

 

「む、むうぅ……」

 

この日バランは、ある意味で冥竜王ヴェルザーと戦ったときよりも苦戦を強いられることとなった。

 

 




原作でのダイが"夢見の実"を使って良い夢を見るイベントに相当。

ですが、まあ、こういうイベントがあっても良かったのではないかと。
母の顔も見たことがない。そんな息子が父親と共に一緒に母親のお墓を参って、両親の話を聞く。そんな普通のことをやってるだけですが、原作では叶わなかった親子です。
させてあげたかった。

アルキードは、サミットでチルノと各国王様が言っていた考えの部分です。
「ダイっていう英雄はここにいて、新しい国を作ってるんだよ。怖くないよ。権力の座も興味ないよ」と伝える狙いですね。
悲劇の王子様という話題性もあり、文字通り1から田畑を開墾して森を開くとかするので、苦労アピールもバッチリです。
さらに、バラン(肉親)が大量虐殺したというとんでもない負の遺産があります。それを受け入れ、バランも大魔王打倒に貢献したということでなんとか差し引きを軽くする。

……勇者にしか実現出来ない策ですね。
でも国が軌道に乗ってくると「自称・王族の親戚」みたいのが絶対来て正当な権利を主張すると思う。
(そんなことになったらまたバランがキレそう……)


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LEVEL:86 決戦に備えて

色々考え中……やりたいネタはあるが、どうやって持って行こう……



「まさか、こんなことになるとは……思いもよらなかったぜ」

 

目の前に並んだ二振りの剣を見つめながら、誰に向けてでもなくロン・ベルクはそう呟くと溜息を吐いた。彼にしては珍しい反応だが、とはいえ仮に同じ立場に立てば誰もが同じ反応をしていたことだろう。

 

「百年前の自分に言っても、信じないだろうな……」

 

もう一度呟き、彼の憂鬱の種になっている二振りのうちの一本を手に取るとその名を呼ぶ。

 

「……真魔剛竜剣。まさか、オレが手入れをすることになるとは」

 

その剣はロン・ベルクが鍛冶屋として目指した頂点の物だ。神の金属オリハルコンを素材に作られた、代々の(ドラゴン)の騎士が手にする史上最強の剣。彼自身が追い求め、そして追い抜く指標としていた存在だ。

名と存在は知っていたが、まさか自ら手に取ることが出来るとは思ってもみなかった。ましてや、それを直すことになるとは。

仮に触れる機会があったとすれば、それは自ら戦場に立ち(ドラゴン)の騎士と敵対した時くらいだろうとロン・ベルクは思っていたのだが――

 

――まったく、あいつらは次から次へと面白い事ばかり持ってきやがる……

 

満更でもない感情を味わいながら、彼は少し前の出来事を思い返す。

 

 

 

 

「いきなり尋ねてきたと思ったら、まさか、こんな客を連れてくるとはな……」

 

作業場にいたロン・ベルクは、急に押しかけてきた相手を前にしてそう零した。彼の前にいるのはダイとチルノの見知った二人。そして――

 

「初めましてだな、(ドラゴン)の騎士バラン」

「魔界の名工ロン・ベルク……まさか実際に会えるとは思わなかったぞ」

 

バランを前にロン・ベルクはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、バランもまた険しい表情でロン・ベルクのことを凝視していた。互いに名を耳にしたことはあれど、直接顔を会わせたことはない。

ましてやロン・ベルクにとってバランは、少々複雑な感情――それは一方的な物であると理解しているが――を抱く相手だ。いや、バランその者というよりも、真魔剛竜剣を持つ者という意味でだが。

とあれ素直に歓迎することも出来ず、どうにも挑発めいた物言いとなっていた。

尤もそれはバランも同じであり、傍で見ているダイたちからすれば徒に精神をすり減すような状況となっており、かといって漂う重苦しい空気によって口を開くのもなんとなく憚られ、それがまた悪循環を生み出す。

 

「それで、今日は何の用だ?」

 

そんな姉弟の内心の苦労など露知らず、ロン・ベルクの方からダイに尋ねてきた。彼はこれ幸いとばかりに、本日の目的を言う。

 

「剣を直して欲しいんだ」

「何……っ?」

 

その言葉を聞き、彼は少しばかり不機嫌そうな表情となった。

まあ、つい先日「地上最強の剣だ」と太鼓判を押して武器を渡した相手がやってきて「剣を直して欲しい」と言えば、どこか壊したのだろうと考えるのは当然だ。そういう反応を見せるのもしかたないだろう。

ましてや鍛冶師としての腕に自信を持つロン・ベルクともなれば、自分の作った剣が他人の剣に負けるなど許容できることではない。

今この瞬間にでも怒りを露わにしてもおかしくないだろう。

 

「待って待って! 違うから、そういうのじゃないから!!」

 

その雰囲気を敏感に察知し、チルノが慌てて口を挟む。

本来の歴史でも、超魔生物と化したハドラーにダイの剣を傷つけられて彼に修理を依頼しに行くことがあったのだが、そのときも深い怒りを見せていた。それを知っているため、彼女は二の舞とならぬように気遣っていた。

 

「本命はそっちじゃないの! ……ダイの剣も見て欲しいのも事実だけど」

「……本命は? どういうことだ?」

 

取りなしが功を奏したらしく、ひとまず落ち着いたらしい。興味を惹くような言い回しに反応を見せる姿に心の中で安堵して、チルノは言葉を続ける。

 

「見て欲しいのはダイの剣じゃなくて、真魔剛竜剣の方なの」

「……ッ!?」

 

その言葉を聞き、ロン・ベルクは思わず絶句していた。有り得ない言葉を聞き、思わず自分の耳を疑う。

 

「真魔剛竜剣を見ろ、と言ったのか?」

 

オウム返しの質問をチルノは首肯し、ダイも遅れて首を縦に振る。

 

「だが、真魔剛竜剣は自らの傷を復元できるはずだ。オレの出番があるとは思えんが?」

「それじゃあ間に合わないかもしれないから、こうしてお願いに来ているの」

「なにがあった?」

「一言で言うなら――魔界のマグマに剣を(くぐ)らせた、ってところかしら?」

「……見せてみろ」

 

魔界のマグマについては、彼も知っている。強い酸性を持ち、金属を容易く腐食させるそれを、だが地上で一体何があればそんな事が起きたというのか。理解の外の説明に軽く頭を抱えながら、だが鍛冶師としての好奇心に負けたのかロン・ベルクはそう切り出す。

 

「…………」

 

促されたものの、バランはすぐに動くことはなかった。

先ほどの焼き直しのように険しい瞳でロン・ベルクを凝視する。その視線を彼もまた真っ正面から受け止める。鍛冶師としての顔の影に隠れた、かつての魔界最強の剣士としての顔がバランの気配に呼応するかのように微かにその姿を見せる。

 

「バラン?」

「父さん?」

「いや、なんでもない」

 

それは時間にすれば僅か数秒のことだった。ダイたちの声が聞こえた瞬間、二人は探り合いを止めると何事もなかったかのように動き出した。

バランは真魔剛竜剣を抜くと作業台へと置き、ロン・ベルクはすぐさまその刀身へと視線を走らせ、食い入るように見つめていく。

 

「なるほど、言い得て妙だな」

 

ややあってからそう感想を述べる。だが彼の分析はこれで終わりではない。

 

「だがこれは、魔界のマグマよりも厄介だぞ」

「ッ!?」

「ええっ! そうなの!?」

 

続く言葉に、ダイだけでなくバランですら予想外とばかりに反応を見せる。

 

「普通にマグマに浸したのならば、もっと激しく腐食するはずだ。だがこれは見た目には殆ど影響がない。持ち主でも、実際に剣を振るわねば気付かないほどの巧妙な腐食……オレでも事前知識がなかったら、気付けたかどうか……」

 

ロン・ベルクの知識からすれば、これは異常と呼ぶ他なかった。

 

「もう一度聞くぞ……何があった?」

「……キルバーンは知っているかしら?」

「キルバーン……?」

 

原因を突き止めるべく尋ねたところ、聞き覚えのあるような無いような名を聞かされて彼は少しの間記憶を探り、使い魔を連れた黒づくめの道化師のような男の姿を思い出す。

 

「ああ、アイツか。一度くらいは顔を合わせたことがあったはずだが……それがどうかしたのか?」

「キルバーンの血液は、魔界のマグマと成分が一緒なの。それを斬ったのが原因なの」

「は……? どういうことだ?」

 

その説明で理解出来る筈がないことは、口にした本人がよく分かっていた。

チルノは改めて説明するようにキルバーンが実は人形であり、本体は使い魔の方であることを伝え、そして大魔王との決戦が間近に迫っているため剣の修復を依頼しにきたことを告げる。

 

「なるほど、よくわかった」

 

説明を聞き終え、ロン・ベルクは納得したように頷く。

 

「だが、肝心の当人はどうなんだ?」

「え?」

「ダイに連れられてここに来たってことは、剣を直す気はあるだろうよ。だが、初対面のオレに本当に預けられるのか?」

 

今度はロン・ベルクがバランに試すような視線を向ける番となった。

(ドラゴン)の騎士のために作られた真魔剛竜剣を本当に預け、修復するまでの間を待つだけの意志と覚悟があるのかと、ワザと挑発するような物言いをしてみせる。

 

「問題は無い」

 

だが、問いかけに対するバランの返答は早かった。

 

「お前がディーノのために作った剣の出来は見事だった。私が見ても、真魔剛竜剣に比肩しうるほど……いや、ディーノ専用という意味では真魔剛竜剣を上回ると言っても差し支えないだろう」

 

ダイの剣を、そしてチルノが持つガリアンソードを実際の目で見た時点で、腕前という意味ではバランは既にある程度の信頼をしていた。そもそもが彼は名工ロン・ベルクの名を知っているのだ。受け入れる下地は充分に出来ていた。

 

「それほどの腕前を持っているのだ。剣の修復はお前以外にはありえん」

「なるほど、お前がオレの腕前を信用してくれるのはわかった」

 

しかしバランの答えを聞いても、ロン・ベルクは態度を崩すことはなかった。むしろここからが本番と呼んで良いだろう。

 

「だが、人格はどうするつもりだ? オリハルコンは貴重だ。それにオレ自身、オリハルコン製の剣を求めているんでな。この剣を持って逃げるかもしれんぞ?」

 

そう言いながら不敵に笑ってみせる。だが、そうまでしてもなおバランの態度が変わることはない。

 

「それこそ問題はない。真魔剛竜剣は、(ドラゴン)の騎士が振るわねば真価を発揮できん。剣に主人と認められねば無意味だ。仮に打ち直したとしても、出来上がるのは目も当てられないナマクラが関の山だ。お前の程の腕を持つ者が、それを知らんとは言わせん。それに――」

 

どこかで聞いたような――それこそロン・ベルク自身がかつて口にし、本人もよく知っている――話を聞かされ、思わず笑い出したくなった。だが、彼が本当に驚かされるのはバランの次の言葉だった。

 

「何より、ディーノがお前の事を信頼しているのだ。ならば、これ以上の問答は無意味だろう?」

「……!!」

 

それは、息子が信じている相手なのだから親である自分も信じるという、なんとも人間クサい言葉だった。今まで子を為すことのなかった(ドラゴン)の騎士が口にしたとはとても思えない言葉だ。

ダイとバランが親子であるということは知っていたが、まさか(ドラゴン)の騎士がこうも変わるとは、彼にはにわかには信じられなかった。

 

「やれやれ、まったく可愛げが無いな」

 

珍しいものが見られたとばかりに肩をすくめると、バランへと視線を向ける。

 

「これなら直すのに一日ってところだ。明日、取りに来い」

「わかった、明日だな」

 

その言葉を聞き、必要な事は全て済ませたとばかりにバランは振り返る。だが、すぐに小屋を出るのかと思いきや彼は途中で足を止めた。

 

「……なるほど、そこそこ良い剣だ」

 

そう呟いた視線の先には、一本の剣が飾ってあった。この場にある以上、当然ロン・ベルク謹製の武器である。バランは手に取りしげしげと眺めたかと思えば、その剣を(おもむろ)に背負う。

 

「一応聞くが、何をしている?」

「我が身の分身とも言える愛剣を、一時的とはいえ手放すのだ。代わりの剣として貰っていくぞ」

 

悪びれもせずにそう言うと、先ほどと同じ要領で再び剣に手を出し始めた。それも複数本である。

 

「おいおい、そんなに必要なのか!?」

「次の予定に必要なのでな。ディーノの分と含めても、二本では足りん」

 

慌ててロン・ベルクがたしなめるが、当然とばかりにそう言ってのける。

 

「剣は明日取りに来る。戻るぞディーノ!」

「父さん!?」

「ちょっとバラン!?」

 

そのまま何本かの剣を担ぎ上げると、さっさと小屋から出て行く。ダイたちが声を掛けるが、止まる気配はなかった。

 

「ああもう!」

 

我が親の傍若無人な振る舞いに頭を抱えたくなる気持ちを必死で抑え、ダイもまた背負った剣を鞘ごと外す。

 

「ロン・ベルクさん、おれの剣も一応見て貰ってもいいかな? 父さんほどじゃないけれど、強敵と戦って傷ついているかもしれないから」

「ああ、構わんぞ」

 

ダイの言い方から実際に剣の様子を見たわけではないがそれほど酷い状態ではないだろうと推察し、二つ返事でそう答える。

 

「それと、私からもお願いしてもいい?」

「お前も剣を壊したのか?」

「違います!! そうじゃなくて――」

 

顔を紅潮させて力強く否定してから、彼女は改めて考えていたお願いを伝える。

 

「出来たらで良いんです。仲間のポップとマァムとクロコダイン……魔法使い用の杖と武闘家用の小手、それと戦士用の大斧を作って欲しいんです」

 

それは本来の歴史で彼らが身に付けていた新装備の発注だ。死の大地から大魔宮(バーンパレス)へと突入し、そのままバーンを倒すつもりでいるチルノからすれば、仲間の戦力を向上させる新装備は出来れば欲しい物だった。

 

「間に合わなかったらそれでも良いですし、タダのお願いだから無視しても問題ありません。それじゃあ、失礼します!」

 

だが、急な願いというのも理解している。そのため「可能であれば」という但し書きを付けて置くことも忘れなかった。本来の目的は真魔剛竜剣の修復であり、優先順位を間違えるわけにはいかない。

 

一方的な依頼をすると返事を聞くことすらなく、チルノとダイはバランを追うようにして外へと出て行った。続いてルーラの呪文が外から聞こえ、移動したのだろうやがて静寂が訪れた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

ロン・ベルクにそれぞれの剣の修復を依頼した後、二人の(ドラゴン)の騎士はパプニカへと戻ってきていた。

 

大魔王軍の本拠地への攻撃まで、残るは数日。

 

「はあああぁっ!!」

 

その僅かな時間を無駄にせぬように。

そして誰一人欠けることなく望む未来を迎えられるように。彼らは、各々の腕前を更に高めるべく修行に明け暮れていた。

 

「むんっ!!」

 

ダイの繰り出した渾身の攻撃を、バランは易々と受け止めて見せる。だがそれはダイも想定内だった。すぐさま連撃へと切り替えて、相手の反撃を封じる。

剣と剣とがぶつかり合う音はしばらくの間鳴り響いたが、いつしかそれも終わりを迎えた。バランは受けに回りながらも、反撃の機会を伺い続けていたのだ。

ダイの攻撃と攻撃の切れ目の一瞬の隙を突いて、剣を走らせる。攻撃しかけていたダイは反応できてもそれを防ぐことは出来なかった。

バランの持つ剣がダイに当たる寸前でピタリと止められる。

それを見て、降参の合図代わりにダイは剣を下ろした。

 

「今のは中々良い動きだったぞ」

 

それを見たバランも剣を下ろすと、そう口にする。それを聞いたダイは、苦笑するように答えた。

 

「けど完全に防がれてるんじゃ、父さんにそう言われても――」

「ディーノ!」

 

だがその言葉は最後まで紡がれるよりも前にバランの怒声が響き、ダイは思わず身を竦ませる。

 

「先ほども伝えたが、修行の最中は私のことを父と呼ぶな。私もお前のことを息子とは思わん」

「……わかった、バラン」

 

息子とは思わない。

厳しい言葉を耳にして、ダイは甘えを消したように表情を引き締め直し、再び剣を構える。

 

「それでいい。二つの技を同時にぶつけるというお前の考えは、悪くはない。だが実現させるのは至難の業だ。成功させるには、さらに地力を上げる他はないのだからな」

 

そう告げると、バランもまた剣を構え直す。

再び剣戟の音が響き始めた。

 

 

 

 

「そんなに気になるのならば、もっと堂々と見たらどうだ?」

 

修練相手が時折、心ここにあらずといった様子を見せたのはこれで何度目だろうか?

ヒュンケルはそんなことを思いながら、ラーハルトへと声を掛ける。

 

「む、すまん……だがオレとしてもバラン様としても、夢にまで見た光景なのだ……バラン様がダイ様へと、(ドラゴン)の騎士の闘い方を伝える。叶わぬと思っていた事が叶ったのだからな」

 

ラーハルトは素直に謝罪の言葉を口にするが、意識はまだダイたち親子の方へと向いていた。とはいえ事情を知るヒュンケルもそれを責める気にはなれず、ある意味では仕方ないだろうと思う気持ちでその言葉を聞いていた。

 

「親が子に教える、というには少々厳しすぎる気もするがな」

 

ヒュンケルの言葉を証明するように、彼らの周囲には折れた剣が落ちている。

何ということはない、二人の力の激突に武器の方が耐えきれなくなっただけのことだ。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を使用せずとも、それがロン・ベルク製の剣であったとしても、普通の剣では強度が足りない。

尤もそれを見越して、バランは多めに確保してきたのだが……

彼らが使っている剣は現在二本目。まだ予備として二本控えているのだが、この調子ならば夕方まで持てば御の字だろう。逆に言えば、それほど真に迫った修練を繰り広げていることになる。

 

「当然だろう? どの様な物でもそうだが、中途半端に身に付けるのが一番怖い。となれば、肉親相手であろうとも心を鬼にして技術を叩き込まねばならない」

 

苦言のような言葉をラーハルトはむしろ当然のことだと受け止めた。

修行相手に甘さを持って接した結果、取り返しの付かない事故や失敗を引き起こす。そんな事例はよくあることだ。ましてや戦闘技術となれば、どれほどの災難を引き起こすか分かった物ではない。

非情に見えるはずのバランの態度、その裏には誰よりも熱い愛情が存在しているのだ。

 

「バラン様が自分のことを父と思うなというのも、その決意の現れだ。オレにも覚えがある……」

「……お前の時もそうだったのか?」

「昔の話だ」

 

そう呟く姿を見ただけで、似たようなことがあったというのはヒュンケルでなくとも想像がつく。ラーハルトからすれば、バランという父からの掛け替えのない思い出なのだろう。

 

「そうか……少し、羨ましいな」

 

もしも父バルトスがもう少し長く生きていたら、自分に剣を教えてくれたのだろうか? その時は、今のバランのように厳しい情愛を持って接するのだろうか?

ヒュンケルはそう呟きながら、もしもの未来に少しだけ思いを馳せた。

 

 

 

 

ダイとバラン――(ドラゴン)の騎士親子の修行を見ているのは二人だけではない。

 

「はぁ……予想通り……いや、予想以上だぜこりゃ……!!」

 

ポップは二人の稽古姿に度肝を抜かれていた。

魔法使いである彼の目には、かつてテランで見た二人の闘いの再現――いや、それ以上に激しい闘いのように映ってしまう。このレベルが修行などとは、とても信じられなかった。

 

「ポップ? 何か用か?」

「いや、休憩がてら様子を見に来たんだよ」

「休憩……? お前ほどの魔法使いがか?」

「ああ、てか今日の修行はもう終わりだよ。なんせもう魔法力が空っぽでね、これ以上は逆さに振っても出るのは鼻血しか出ねぇぜ」

 

見学姿に気付いたクロコダインが声を掛ける。

陽気にそう言うポップの姿はまだまだ余裕そうにも見えるが、言葉通り既に魔法力を使い切っており、出来ることはそう多くはない。

本人の言うように様子を見に来ていたのだが、彼はそのことを少しだけ後悔していた。

 

「しかし、ダイをバランが育てるとはね。同じ(ドラゴン)の騎士同士、教えるには最適だろうが……」

 

そこまで口にすると、そう遠くない未来を想像して思わず苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

 

「魔法力もパワーアップすんだろうなぁ……うへえ、こりゃウカウカしてられねぇな!」

「そうだな。オレもせめて力くらいは、ダイに頼られるようになりたいもんだ」

 

一番年下のダイに追い抜かれることを悔しく思う半面、負けてなるものかという刺激にもなっていた。

クロコダインもまた同じ気持ちだったようだ。獣王と呼ばれ、その剛力無双を誇っていた頃を懐かしく感じてしまう。

 

「だいじょーぶ! クロコダインさんの怪力はボクが保証しますよ!!」

 

そんな気持ちを感じ取り、慮ったようにチウが自信たっぷりに言う。彼もまた修行をしていたのだ。

……活躍できるかはともかくとして。

 

 

 

 

さて、男性陣がそれぞれ最後の闘いに向けて特訓を繰り広げているのであれば、当然女性陣も厳しい修行を――

 

「それでチルノ? ダイ君とはどこまで行ったの?」

 

しているとは限らなかった。

 

「どこまでって……別にレオナが勘ぐるような真似はないってば!」

 

パプニカ王城内――その中のレオナの私室にて、チルノは軟禁されていた……いや、軟禁されているというのは語弊があるか。

扉に鍵が掛けられているわけでもなければ、見張りがいるわけでもない。一緒のテーブルに座り、人数分のお茶まで用意されているという歓待振りだ。

ただ、席から立ち上がって逃げ出すのが難しい空気の中にいるだけであり、そして話題の中心にいる少女(チルノ)が困り顔をしているだけだ。

 

「戻ってきてからの態度が全然違うのに、それはないでしょ! ほらほら、隠すとためにならないわよ?」

 

チルノの叫びも虚しく、レオナの追及の手は止まることはなかった。

まあ、バランがダイとチルノだけを連れてどこかに向かい、戻ってきたかと思えばバランの纏う雰囲気が柔らかくなっており、挙げ句の果てにはダイとバランがそれぞれ「父さん」「ディーノ」と呼んでいるのだ。

小さな子供とて、何かあったと考えるだろう。

 

「それにマァムだってメルルだって気になっているでしょう?」

「それは、まぁ……確かにそうですけど……」

「ねぇレオナ、私も付き合わなきゃダメなの? 私もダイたちと一緒に修行したいのだけど……」

「ピィ~ッ!」

「ピィピィ!!」

 

同意を促せば、メルルは消極的な肯定の言葉を。マァムは使命感が勝っているようで、窓の外を気にしながらそう答える。

そしてゴメちゃんとスラリン、バランの心情的な都合で置いて行かれた二匹のスライムたちは、何があったのか教えて欲しいと抗議の声を上げていた。

 

「ほら、ゴメちゃんたちもそう言っているわよ!? それにマァム、貴女だって気になっている相手くらいいるでしょう? だったら聞いて置いて損はないわ!」

「損って……別にそんな……」

「とにかく!! チルノ、何があったの!? はっきり白状してもらうわよ!!」

 

特に隠すようなことでもなし。その圧力に負けたように、チルノは諦め顔で何があったのか――ソアラの墓へと共に行ったことを、そしてその時に何があったのかを伝える。

 

「ほらやっぱり!!」

「うわぁ、そんなことがあったんですね! チルノさん素敵です!」

「それでそれで、どうなったの!?」

 

話が進むにつれて、彼女たちの表情が喜色へと変化していく。そして、バランが口を開いた辺りの話をする頃にはテンションがピークに達したらしい。最初の態度もどこへやら、マァムですら身を乗り出すようにしている。

 

「ど、どうって別に……」

「甘いわよ! これはもうご両親の許可も出ているの!! 冗談でした、じゃあもう済まないところまで来ているんだから」

 

ゴシップや惚れた腫れたの話というのは、いつの時代も話題の種というもの。当事者であるはずのチルノが気後れするほどに、女子会はヒートアップしていった。

 

 

 

…………あ、チルノとマァムはこの後にちゃんと修行しましたよ。レオナも忙しい間を縫って、少しでもレベルアップに勤しみました。

ええ、本当に。

 

 




決戦前の準備期間中にこんなことしてましたよ。
ってだけです。

もっと言ってしまえば、
ダイに稽古をつけるバラン(と、それを見て感涙するラーハルト)が欲しかっただけなのですが。
竜の騎士を育てるなら、竜の騎士が一番ですよね。

最後のはシーンは、そういう物ということで。
タマにはこういうノリが欲しくなるの。
(そしてゴメちゃんたちの無理矢理感)


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LEVEL:87 いざ、死の大地へ

大魔王軍との最終決戦に向けて、各々ができる限りの準備を行っていた。ある者は新たな呪文を修め、またある者は己の更なる実力向上に精を出す。

だがその準備は、最前線で戦う者たちだけが行う物ではない。矢面に立たない者達もまた、限られた時間の中で戦士たちの力となるべく、それぞれが辣腕を振るっていた。

 

ある者は資金面で。

ある者は技術面で。

またある者は皆を取り纏めることで、できうる限りの助力を見せる。

 

そして時は瞬く間に流れ、ついに死の大地へと乗り込む当日となった。

パプニカ王国には勇者ダイとその仲間たちが、各々の修行を終えて最後の戦いに向かうべく集結していた。大魔王バーンとその配下たちの強さはチルノから聞いており、鍛え上げた力と技が通用するのかと一抹の不安さを見せるようにそれぞれが厳しい表情を見せている。

 

そんな彼らの出立を見送るべくパプニカの兵士たちや、各国の代表者たちが集まっていた。

 

「ダイ君、いよいよ決戦よ。準備はいいかしら?」

「ああ、時間内で出来るだけのことはやったよ!」

 

まず口を開いたのはレオナだった。その問いかけにダイは、力一杯にそう答える。

本心を言えば、準備の時間などどれだけあっても不足することはあっても余ることはないだろう。相手は数千年の時を生きた魔族であり、それだけの実力を持っているのだ。

だが時間は有限であり、決して待ってはくれない。

それでも現時点のベストに持ってくることが出来たとダイは自負していた。

 

勇者の力強い言葉に、それを聞いた兵士たちは歓喜の表情を見せる。勇者が諦めずにそう言うのだから、なんとかなるかもしれない。ましてダイは奇跡の勇者なのだ。その発言力はパプニカでは大きい。

湧き上がる兵士たちの様子に息子がこれまで歩んできた人生の足跡を感じとり、バランは顔にこそ出さぬものの胸中では感涙していた。

 

「勇者ダイ、それに皆さん。本当に良く来てくれました」

 

続いて出迎えたのはフローラだった。いや、彼女だけではない。

同じくカールからホルキンスが。リンガイアからはバウスンとノヴァが。ベンガーナからは戦車隊隊長のアキームが参加している。

 

「もう既に聞き及んでいるとは思いますが、最後にもう一度この作戦の大まかな流れを確認します」

 

そう前置きしてから、彼女は一度ダイたちが聞いた作戦の内容を再び説明し始める。

とはいっても、作戦というほど難しい物では無い。

本来の歴史では、大型船を建造してダイたちと世界中から集めた勇者たちで死の大地に向かい、バーンの居城へと乗り込む。というものだった。

だがチルノの説明を受けたことでその方針は転換されており、大型船の建造は目立つということで中止となった。その代わり、移動手段としてダイたちを運ぶ特製の船を作成して死の大地まで直接運び、大魔王軍との決着を付ける。

 

……そのはずだったのだが。

バランの加入がその予定を良い意味で裏切ってくれた。彼は死の大地に訪れたことがあり、瞬間移動呪文(ルーラ)を使える。それが分かったことで計画は変更され、船を利用せずにダイたちを死の大地へ直接送ることとなった。

 

「本当なら、護衛として多くの兵士達を連れて送ってあげたいところなのだけど」

 

それらの説明を終えると、フローラは申し訳なさそうに頭を下げた。

同じ大魔王軍に刃向かう仲間として、ダイたちにばかり重荷を背負わせることに重責と不甲斐なさを痛感しているのだ。

 

「せめてもの助けとして、あなたたちが死の大地へ向かうのと連携してサババから船団を動かします。大魔王軍との決戦に参加するための強豪たちと、怪我の治療や援護に長けた者達を送り込む予定です」

 

とはいえ、ダイたちを死の大地に送ってそれで「ハイ、オシマイ」というわけではない。ダイたちが死の大地へ向かった時の後援はしっかりと準備されていた。ダイたちが最初に上陸してある程度の安全を確保した後に、後詰めの船団が上陸して支援活動を行う予定である。

そして――士気が下がりかねないためフローラが直接口に出す事は無かったが――同時に彼らには、ダイたちの撤退を支援する役目も兼ねている。

本来の歴史では、バーンに挑んだ初戦は敗退しているのだから、同じ轍を踏まないとも限らない。備えをしておくことは決して無駄ではないだろう。

 

「なぁに、心配いりませんって。おれたちの戦いは大体が不利な場面の連続でしたから」

 

そんなフローラの心の裡を知ってか知らずか、ポップが安請け合いをするように答えた。だがそのおどけた軽い調子は、不甲斐なさを感じていた彼女にとって多少なりとも清涼剤となりえた。

 

一方チルノは三賢者の一人――アポロへと頭を下げる。

 

「あの時はご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、なんのこれしき。直接の戦闘で力になれない以上、この程度のことはお安いご用ですよ」

 

彼女たちが話し合っているのは、バランが加入して瞬間移動呪文(ルーラ)で死の大地へと移動できると知った時の出来事だ。

前述の通り、当初は船で運ぶ予定であったはずが、決行数日前にして急遽その事実を知り、チルノは慌ててレオナと共に腹案を考え直すこととなった。とはいえ、利用しない手はないのだからそれも仕方ないことだ。直前の計画変更と打ち合わせのやり直し。

それらには、三賢者の瞬間移動呪文(ルーラ)が大いに活用されていた。人手を介すとはいえ、ほぼ移動時間を考慮せずに情報の伝達が可能となるのだから。

 

「……そういえば、ベンガーナ王は?」

「あれ、いねぇのか?」

 

フローラの話を聞きながら参列者を見ていたマァムがふと口を開いた。彼女の言葉に追従するように、ポップもキョロキョロと周囲を見回す。

 

「クルテマッカ王は今も後方で指揮を執っているわ。なんでも『自分が前線に出ても大した活躍は見込めない。ならば後方で補給を担当する』だそうよ」

 

その疑問に答えるべく、レオナが言う。

どうやら世界会議(サミット)の席にて起こった鬼岩城との戦いで、思うところがあったらしい。そして、大国であり商業国でもある自国の利点を最も活用できる手段を選んだようだ。

 

「でも、ベンガーナ騎士団と戦車隊はこっちに振り分けてくれたわ。それに後詰めの船団の用意と武装に、私たちのための装備。それらの資材や資金も出してくれたの」

「へぇ……大したもんだ……」

 

桁と規模が大きすぎるのが原因か、ポップもマァムも「なるほど……」とただ呆然と頷くだけであった。だがそれを口にしたレオナは、その裏のことを考えてしまう。

如何に大国だとしても、暴挙と呼んで差し支えないほどの大盤振る舞いである。世界の危機という尻に火が付いた状態であり、私財と国費をつぎ込んでいるにしても、これだけの消費は馬鹿に出来ない。下手をすれば没落も避けられないだろう。

王女として国の運営に携わる位置にいる彼女にとってみれば、ただただ頭の下がる思いだった。

 

 

 

 

 

「メルル、申し訳ないんだけれど……ゴメちゃんとスラリンを預かって貰えるかしら?」

 

――少し前の世界会議(サミット)の時に同じようなことを頼んだなぁ……

 

そんなことを思い出しながら、チルノは自身のことを慕ってくれる少女に大切な相棒をお願いをしていた。

メルルはここにいるが、死の大地に直接向かうメンバーではない。その予知能力を買われ、後詰め部隊の一人として参加することが決定していた。彼女に預ければ、当面の危険性は回避できるだろうと思ったからだ。

 

「ピィィッ!!」

「ごめんね、でも今度ばかりはダメ。スラリンが無事でいられる保証はないし、守れる余裕もあるとは思えないの」

「ピィ~!」

 

離れたくないと抗議の声を上げるがチルノの意志は固かった。逃がさぬとばかりに二匹のスライムを両手でそれぞれ掴むと、それでも貴重品を手にしたように丁寧に扱ってメルルへと渡す。

受け取る側のメルルもまた、二匹がどれだけ大切にされているかは知っている。万が一にも取り落とす事のないように慎重に手にして見せた。

 

「ゴメちゃんもいい? ダイが心配なのは分かるけれど、置いていくわけじゃないの。あなたたちが待っていてくれるって思えるから、私もダイも頑張れるのよ」

「ピ~ッ……」

 

もう一匹――ゴメちゃんの方にも忘れることなく、理と情の二つを用いた説得を行う。彼女の本心からすれば、勝利だけを考えるのならばゴメちゃんが来てくれた良いと思っていた。

何しろ彼の正体は伝説のマジックアイテム"神の涙"だ。所有者の願いを叶えるというその奇跡の力があれば、大魔王討伐には間違いなく有利に働くだろう。

だが力を使えば使うほど、代償としてその存在は小さくなっていく。それに生きたアイテムである以上は誰かに倒されることも考えられる。

ダイの友達を失わせたくはないという、過保護な親心だった。

 

「そういうことなら……わかりました。スラリンさん、短い間ですがまたよろしくお願いしますね。それにゴメちゃんさんも」

 

その説得はメルルにも効果があったようだ。

ゴメちゃんやスラリンが待っているからということ同じように、彼女も待っている人間に入るということを直感的に感じ取っていたのだろう。自分が信じて待つことで間接的にチルノの力になれると信じ、与えられた役目をしっかりと果たして見せようと内心奮起する。

 

「でしたら、お守りはボクに任せてください!」

 

二人と二匹の会話を近くで聞いていたのだろう。わざとらしくマントをたなびかせ、チウが割り込んできた。

 

「なぁに、このスライムたちとはロモス武術大会以来の仲ですから! ボクの言うことなら間違いなく聞きますよ!! なっ!?」

 

彼もまた、メルルと同じく後詰めの部隊である。戦闘経験もあるが、何よりその根性と精神性を認められたと言う方が正しい。物語の英雄のように振る舞う彼の姿は、少しずつではあるが確実に良い影響を与えていた。

そんな彼が、その契機になったとも言えるロモスでの出来事――すなわちスラリンたちのお守りというイベントを見逃すことはなかったようだ。

大船に乗ったつもりで任せてくれ、と言わんばかりに大きく胸を張り、スラリンたちに声を掛ける。

 

「「…………」」

「……ってコラ!! どうしてボクを無視するんだ!!」

 

だが二匹から返ってきたのは沈黙だった。特にスラリンに到っては、露骨に視線を逸らせて「異議あり!」と全身で訴えているようにしか見えない。

想像していたのと違うその反応にチウは顔を赤くしながら文句を言い、それを見た周りの人間たちに「決戦前の緊張感はどこへ行った?」と思わせる笑いを提供していた。

 

――これでついて来ちゃったら、その時はその時かしら?

 

そう思いながら、チルノはスラリンとゴメちゃんのことを見つめる。

 

 

 

 

 

「ちょっといいか?」

 

チウとスラリンたちの漫才が始まるよりも少し早い頃、別の場所にて。会話が途切れた頃を見計らい口を開くロン・ベルクの姿があった。

 

「あんたか。ダイたちの剣はもう直したんだろ? おれたちに何の用だい?」

 

その声の主に、ポップは意外そうな顔をしながら返事をする。なにしろ彼が声を掛けていたのはポップとマァムだからだ。

二人の職業は魔法使いと武闘家――呪文を操り戦う者と己の五体を武器として戦う者だ。

極端な話、どちらも素手でも戦える。武器造りを主とする彼からすれば、ダイの仲間たちで最も縁遠い相手だろうと思っていた。

 

「お前たちに、コレを渡しておこうと思ってな」

 

そう言うと彼は懐から布に包まれた二つの道具を取り出すと、ポップとマァムの二人へそれぞれ手渡す。

 

「なんだ、こりゃ……っ!?」

「えっ!?」

 

包みを手にした途端、二人はズシリとした重さを感じる。

それは直接的な重みというよりも、その道具そのものが持つ存在感からだ。稀少な宝石などを扱う際には誰しもが自然と慎重になるのと同じように、無意識に粗末には扱えないと二人の肉体が反応していた。

 

「"ブラックロッド"に"魔甲拳"と名付けた。チルノから依頼された、お前たち用の武器だ」

 

手にした小さな反応を見て微かに口角を上げると、ロン・ベルクは二人に渡した物の正体を語り、続いて二枚の紙を取り出す。

 

「使い方が少々特殊でな、詳しくはこの紙に書いてある。すぐに読んでおけ」

「チルノが?」

「聞いてないわ……」

 

開いた方の手で説明書きを受け取りながらも、ポップたちの心は突然渡された武器のこと――しかもそれがチルノからの依頼だということに更に衝撃を受けていた。

言葉通りに初耳だったのだ。事前説明が全く無いのにそんなことを告げられれば、驚くなと言う方が無茶だろう。

 

「文句ならチルノに言え。もう少し余裕があれば、事前に渡すこともできたんだ」

 

憮然としてそう言い放つが、ある意味では仕方の無いことでもあった。

元々ポップたちの武器は出来るかどうかも、それ以前に作ってくれるかどうかも不明だったのだ。

ダイの剣と真魔剛竜剣の修復が完了し、バラン達がそれを受け取りに行った時にも「武器は作るが、出来て杖と小手まで。それも完成するかどうかはわからん」という言伝はされていた。

されていたのだが、完成するかどうかが未定ということは、下手に伝えればぬか喜びにしかならないだろうと踏んだ少女が伝えなかったのだ。

 

「それに、未完成の分もある。オレとしては少々屈辱だ……」

「まあまあロン・ベルク殿、そう文句は言いなさるな。足らなかった分は、我々がちゃんと担当しましたぞ」

 

仕事を完遂できず愚痴を吐くロン・ベルクであったが、バダックが大きな箱を兵士たちと力を合わせて運びながら現れた。

 

「そもそも、ロン・ベルク殿がクロコダイン用の武器は間に合わないかもしれないと伝えてくれたからワシらが動けたんじゃ。それに期間も短い、お互い出来ないところは補い合う、持ちつ持たれつじゃよ」

 

魔族であるロン・ベルクよりも実年齢という意味でバダックは年下であるが、寿命が短いために精神的な成長は人間の方が上ということだろうか。円熟した言葉を口にしながら運んでいたそれを地面へ置き、腰を軽く叩いた。

そしてクロコダインは――ポップたちの会話を一応は聞いていたが自分には関わりがないので口を閉ざしていた――自分の名前が出てきたので、意識をそちらへと向ける。

 

「む、オレの武器か?」

「そうじゃとも! ほれ、開けてみい!!」

 

促されるまま箱を開ける。そこには彼が見慣れた真空の斧によく似た物が収められていた。

 

「どうじゃ!? 名付けて"帰ってきた真空の斧MARK(マーク)(ツー)"じゃいっ!! 今の腕力に合わせて大型化してあるが、材質にはキラーメタルを使っておる! 魔宝玉を移せばすぐにでも今までと同じように……いやいや、今まで以上に暴れられるぞい!!」

 

バダックの言葉通り、クロコダインが手にしている斧と比較して一回り以上巨大になっている。当然その分だけ重量も嵩んでいるのだが、ヒュンケルらと共に自らを鍛え上げた彼の今の腕力ならば存分に豪腕を発揮できるはずだ。

 

「それと、お主たち全員のために防具もあるぞい!」

「へ?」

「これもパプニカの特殊な布と法術で編んである。さらにコイツにも一部にキラーメタルも使っておるのじゃ!!」

 

さらに兵士達がそれぞれ宝箱を運んできた。そこには一見すればただの服や法衣でしかないような防具があった。

だが見た目とは裏腹に、特殊な製法で作られたこれらの装備は高い防御力と対呪文性能を誇るのだ。薄手にも関わらず下手な鎧など顔負けの性能を誇るそれは、パプニカの技術力の結晶と呼べる。

 

「たしかキラーマシンの装甲を利用したってあれだろ?」

 

キラーメタルはチルノがキラーマシンの装甲をなんとか利用できないかと説得した結果、パプニカで生み出された新素材だ。ポップも見たことはあるが、かつて見たそれは鎧などの厚手にしか利用されておらず、これほど薄く加工できるようにまでなっていたとは知らなかった。

 

「うむ、まだ以前は完成品とは呼べなかったのじゃがな。状況が変わったことでようやく日の目を見せることができたわい……これを実現できたのもベンガーナの豊富な資金力と技術力のおかげじゃよ」

「まあ、あの国なら不思議じゃねぇよな」

 

かつて訪れたベンガーナのデパートでも驚きの連続だったのだ。

そして先ほど聞かされた資金提供の話もあって、ベンガーナならばと出来るだろうとポップは単純な感想を漏らしていた。

 

 

 

 

仲間たちが新装備の話題に花を咲かせている頃、別の一角では触れれば怪我をするのではないかと思う程に冷ややかな雰囲気が漂っていた。

 

「竜騎将、バランだな」

「お前は?」

「カール王国騎士団長ホルキンスだ」

「カール王国……そうか」

 

手短な、自己紹介と呼べる必要最低限の情報だったが、それを耳にしただけでバランはホルキンスが何を言いたいのか、その大凡を察していた。

 

「お前の発言はオレも耳にした。ならば、どうするかはわかるな?」

 

そう口にすると彼は拳を力強く握りしめ、バランへ見せつけるように大きく振りかぶる。まるで野球の投手のようなその姿勢を見ながら、だがバランは微動だにすることはなかった。

むしろ当然だと考え、堂々と受け止めるべくそれまで組んでいた腕を解く。

 

「良い覚悟……だなっ!!」

 

相手の様子にホルキンスもまた感心したように呟きながらも、手を止めることはなかった。振りかぶった腕を大きく振り抜く。彼の拳は狙い違わずバランの頬へと直撃し、そのまま止まることはなく殴り抜いていた。

 

「ぐっ……!」

 

バランは思わず声を漏らす。

強烈な一撃を、竜闘気(ドラゴニックオーラ)はおろか闘気すら用いることのない生身ので受け止めたのだ。強い衝撃に思わず蹈鞴(たたら)を踏み、一瞬遅れて頬からは強烈な痛みと熱とが伝わってくる。

口の中も切ったのだろう、舌に感じる血の味でそれを理解する。外から見ればバランの口からは鮮血が一滴漏れていることで理解できた。

 

だがホルキンスのこの一撃に対して、バランが非難の声を上げることはない。

バランは「全ての人間は自分を攻撃する権利があり、その権利をいつ使っても良い」と宣言したばかりなのだ。文句を言えばそれは自ら口にした約束を違えることになる。

主人が殴られたことにはラーハルトも気付いていたが、彼もまたバランの言葉を知っているため必死で奥歯を噛み締めながら黙ってそれを見守り続ける。

 

「……まだ色々と言いたいことはあるが、オレの分はそれでチャラにしてやる」

 

だが意外にも、バランへの追撃はなかった。彼は自らの予想が外れたことに驚き眉をひそめる。

相手からすれば自らの祖国を滅ぼした憎き相手なのだ。たった一発の拳で怨みが晴れることなどありえない。むしろその両拳が赤く染まるまで殴っても足りることはないだろうとさえ思っていた。

 

「お前はこれから大魔王を倒しに行くのだろう? なら、これ以上は不粋だ。それに先ほどの一撃は、オレの思い切りを込めていた……仲間の無念の分も含めてな」

 

だがホルキンスからすれば、バーンとの戦いに向かうバランをこれ以上傷付けることは愚策以外の何でもない。バランをどれだけ殴っても、失われた命たちは戻ってこないのだ。

ならば必要なのは、冥界に向かった仲間たちが納得するような一撃。彼らが誇り、無念を晴らせるだけの一撃でよいのだ。

死んだ仲間たちの分はそれで問題ない。次は、まだ生きている者たちの分だ。

 

「それと約束しろ。戻ってきたら、一度だけで良い。オレと手合わせをしてくれ」

「手合わせ……?」

「そうだ。あの時オレは確かに祖国を滅ぼされた。だがそれはお前を欠いた戦いであり、オレたち自身も抵抗よりも生き延びて再起を図ることを優先としていた」

 

超竜軍団の力にカール王国は人間全てが力を合わせねば、いずれは大魔王軍にすりつぶされると悟り、未来に続けるために退いていた。

 

「だが、最後まで抗い続けていれば……お前と一対一で戦えばカールは負けることはなかったのだと証明したい」

 

だがそれはあくまで続く戦いに備えるための覚悟であり、超竜軍団――ひいてはバランを相手に自分たちが劣っていたのを示すことではない。

そう証明したかったのだ。

生き恥を晒してでも従ってくれた部下達のために。そして己のためにも。

 

「バラン、私からもお願いできますでしょうか?」

「お前は……たしかカールの……」

「フローラと申します」

 

さすがに攻め込んだ国の代表者の顔は覚えていたようだ。フローラの顔を見ながら、バランは怪訝な表情を浮かべる。

 

「ホルキンスのために、そして我が国の兵士たちのためにも」

「……私が憎くはないのか?」

「思うところがあるのは確かです。ですが、今はそのような事にかまけて足並みを乱していられるほどの余裕はありませんよ。それに――」

 

そこまで口にして、彼女は頼りがいのあるような視線を騎士団長へと向けた。

 

「それにもう、ホルキンスが私の分も動いてくれましたから」

「そうか……強いのだな、お前たち人間は……」

「そうでもありません。先ほども言った通り、思うところはありますから」

 

感情を制御していることに否応なく気付かされ、バランは目の前の女王にただただ感嘆の目を向けるだけだった。だがその気持ちも、不意に崩される。

 

「そうそう、バウスン将軍はどうされます?」

「なっ……!? わ、私か!?」

 

突然水を向けられてバウスンは当惑するが、だがフローラの言葉は止まらない。

 

「ええ、将軍もリンガイアのことがあります。遠慮なさることはないですよ?」

「私はその……バ、バラン殿の顔の傷はノヴァが付けたのでしょう!? ならばもう充分ですよ」

 

ホルキンスと比べて齢を重ね、活力が落ちているのが原因だろうか。バウスンは慌てて理由を探し、それで問題ないと口にする。まるでとってつけたような言葉に聞こえるが、それはバウスンの本心の一つでもあるのは間違いではなかった。

文句の一つも言いたい気持ちもあるが、既にホルキンスが動いているために後に続きがたい。それに息子を誇りたい気持ちも嘘ではないのだから。

 

「と、父さん!?」

 

槍玉に上げられたことで、その息子もまた声を荒げる。

いつの間にか、最初の空気はどこへやらどこかしら穏やかな雰囲気へと変わっていた。

 

 

 

 

 

親しい者たちとの語らいを何時までも続けたいが、そうも言ってはいられない。やがて誰からともなく話を終え、決戦に出発するべく彼らは集まっていた。

 

「準備はいいな?」

 

バランが声を掛ける。

その視線の先には、新装備に身を包んだ仲間たちの姿がある。決意を込めた面々の顔つきに頷くと、呪文を唱える。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)ッ!!」

 

目にもとまらぬ早さで移動していく彼らの姿を、残った人々は祈りを込めながら見送っていた。

 

 




出発前に装備を整えました。
そして色んな人に見送られながら、最後の決戦に挑みます。
人数多いと満足に喋らせられなくて大変です。

バランが加入したので予定修正に奔走する面々。
彼なら死の大地にルーラ出来るだろうし、じゃあそれを使おう。という結論に。
(何しろこのお話の中では、ダイたちの誰も死の大地に行ってないので)

この世界でも色々因縁があるバランさん。
ホルキンスさんと顔合わせとか、外せないですよね。
一応、某作品(ジョジョ)法皇の緑(花京院)銀の戦車(ポルナレフ)に仲直りの握手をした場面のパク……パクリです。

ロン・ベルクの新作武器。
本当は、グレイトアックスも作りたかったんです。
でも計算すると間に合わなさそう、なので本編の形に落ち着くことに。
(なお、読まなくてもよい脳内葛藤と理由付けが活動報告ページにあります)


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LEVEL:88 決戦への誘い

死の大地へと降り立った面々であったが、彼らは皆一様にその異質さに驚かされていた。

 

「初めて来たが、とんでもない所だな」

「寒々しい光景ね……」

「なんとも物寂しいものだ」

「世界の果て、なんて言われるわけだな」

 

自らが抱いた感想を、口々に言い合う。

死の大地は人間はおろか動植物が存在していないと言われている場所だ。地図上で見れば北西に位置し、緯度はオーザムに並ぶ――つまり北国のため体感温度はかなりの寒さである。一年中温暖な気候に包まれている中央や南方の出身者たちは、それだけでも少々酷に感じる程だろう。

加えて、辺り一面見渡す限りが岩と山しかない。目に付く限り寒々しくも退屈な景色がどこまでも続き、訪れた者たちの心をゆっくりと削る。

そもそも大前提として、訪れることが難しい。

この島の周囲は特異な海流が流れているため半端な船では近づくことすら容易ではなく、空には鳥すら寄せ付けないほどの乱気流が渦巻いている。そんな場所に好んで近づこうとするのは、よほどの変人か物好きくらいだ。

 

そのため、世界中の殆どの人間はこの島のことを調べようとすら思わなかった。解明しようと訪れた人間も皆無ではなかったが、その者達は皆まともに帰ってこられなかったという曰くが付いて回る。

まともな測量も行われず、地図上でも――対岸に位置するカールやオーザムから――見える範囲のみから推測の上で記載されている。本来ならば円形に似た形状をしているはずのこの島は、人間たちからは横に細長いと認識されているという有様だ。

いつしか人々はこの島のことを"魔の島"や"世界の果て"と呼び、近づく者はいなくなった。

 

そんな場所に自らの意志で降り立っているのだ。加えて周囲からは、なんとも言えない剣呑な雰囲気が肌ではっきりと感じられる。既にヒュンケルとラーハルトの二人は鎧化(アムド)を完了させており、いつ敵が現れても即応できる姿勢を取っていたほどだ。

 

「……なあ、やっぱり姫さんは来ない方がよかったんじゃねぇのか?」

 

魔法使いの自分ですら感じ取れてしまうほどの恐ろしい気配が漂う場所。そんなところに一国の王女が来るのはどうなのかと、ポップは今さらながら口にする。

だがレオナはそんな気遣いは無用とばかりの態度で答えた。

 

「あら、ポップ君はあたしを仲間外れにする気?」

「いや仲間はずれっつうか、もっとこう……危険な場所なんだし、王女なんだから後ろで待ってて欲しいっつうか……なあマァム?」

「わ、私に振らないでよ!」

 

マァムも思うところがあったのだろう。急に水を向けられ、しどろもどろになってしまう。その反応を見て、レオナは更に口を開いた。

 

「マァムはいいのに、あたしはダメなのかしら? それって差別じゃないの? それともマァムは守って貰えるアテがあるのかしらね??」

 

完全にからかうような態度と口ぶりであったが、その言葉にポップたちは一瞬押し黙ってしまう。確かにその理屈ならば女性であるマァムがいるのに異議を唱えてもおかしくない。

 

「いやマァムには戦闘能力があるし、それに……」

「冗談よ、冗談」

 

だがポップがそれ以上の言葉を言うことを遮るように、レオナがカラカラと笑い始める。

 

「確かにみんなと比べたら攻撃能力はないけれど、自分の身を守るくらいは出来るわよ。それに、回復呪文(ベホマ)だって使えるわ。足手まといにはならないつもりよ」

 

ここにいる誰よりも、自分が戦力とならないことは彼女が一番良く理解している。肉体的な戦闘力は言うに及ばず、今や攻撃呪文を操るのもポップの方が圧倒的に上だ。死の大地へ攻め込むまでの数日間の準備期間中、チルノたちと共に鍛錬は積んだものの、これから先の相手を考えれば目眩ましになれば上等というところだろうか。

だが回復能力ならば決して劣っていないと彼女は自負していた。連戦になればなるほど、彼女の操る回復呪文が重宝されるだろう。

だが、彼女が参戦を強行した理由はそれだけではない。

 

「なによりダイ君やチルノと最初に友達になったのはあたしよ、意地くらいはあるの。最後の戦いくらいは見届けさせてちょうだい」

 

それは彼女なりの意地であった。

チルノの知る本来の歴史の知識によって、自分は最終決戦に参加することは聞いていた。だがそんなことを聞いていなくとも、彼女は参加することを選んでいただろう。

デルムリン島で知り合った奇妙な姉弟の近くに少しでも居たいという、ワガママと言っても良い。だがそんなワガママを強引に押し通すほどに、彼女は二人のことを信頼していた。

尤も彼女が信じているのはその二人だけではない。

 

「それに、これだけ腕の立つ仲間が揃っているんですもの。信じているわよ、みんな」

 

現在の地上戦力としては、集められるだけ集めた最強の仲間に囲まれているのだ。王女としての立場もある彼女からすれば、これ以上ない護衛とも言える。最も頼もしい仲間たちに囲まれているのに、これ以上何を恐れることがあるのか――そう暗に口にしていた。

 

「そこまで言われちゃあ……なぁ、おっさん?」

「ああ、オレにも意地がある」

 

レオナのその言葉に力を与えられたように、ポップは表情を引き締めた。クロコダインは力強く答え、マァムは優しげな微笑と浮かべる。ヒュンケルとラーハルトも、口に出すことはなかったが口角を僅かに緩め、満足そうな気配を僅かに覗かせている。

彼女の持つカリスマ性――もっと言うならば、人を導く力を垣間見せた瞬間であった。

 

「そういえばポップ君、さっきは何を言いかけたの? マァムには戦闘能力はあるし、それに……の後には一体何が続くのかしら?」

 

だがそこで綺麗に終わるような彼女ではない。

自分で言葉を遮っておきながら、まるでそんなことは知らなかったとばかりに素知らぬ顔をしてレオナは尋ねる。何も知らないような無垢を装ったその姿は、まさに小悪魔のそれだ。

だが今この場で回答を得られるだけの時間は、残念ながらなかったようだ。

 

「……ッ!! おしゃべりはそこまでだ!」

 

今まで沈黙を守っていたラーハルトが焦りすら感じさせる口調で飛ばす。次の瞬間には、先ほどまでとは比較にならないほど圧倒的に強烈な気配が周囲を覆っていた。そして、その気配の主達が唐突に姿を現した。

 

「こいつらは……!」

 

今までその場所には、間違いなく誰もいなかった。近くに隠れ潜んでいたならば自分が気付かないはずが――もっと言えば、自分たちの誰かが間違いなく気付く。

喉元まで出掛かった言葉をラーハルトは飲み込む。一人は知った顔――ハドラーであったが、残る五名は見たことがない。けれども彼らは皆、その存在をチルノから聞かされていた。

一言で表現するならば、全身金属人間といったところか。金属特有の光沢を全身に身に纏い、白銀に似た輝きを鈍く放っている。

その正体は、オリハルコン製のチェスの駒より生み出された最強の兵士たち。

 

ハドラー親衛騎団である。

 

 

 

 

 

「待ちかねたぞ、アバンの使徒たちよ」

 

なんとも威風堂々とした立ち振る舞いのまま、ハドラーはそう口を開いた。敵の姿を確認した途端、ヒュンケル・クロコダイン・ラーハルトは手慣れたもので瞬く間に戦闘準備を整え、いつ動き出しても即応できるほどの状態へとなっていた。

一方、超魔生物へとその身を変貌させたハドラーから放たれる圧を初めて間近で感じるポップ・マァム・レオナの三人は、思わずその身を震わせる。だがそれを悟られまいとするかのように、彼らもまたハドラー達のことを強く睨む。

 

「なるほど、大した物だ。そうでなくては……む?」

 

好敵手として認めた者達の衰えぬ闘気に満足したように言う。

だがそこまで口にして、ハドラーは違和感に気付いた。本来ならばこの場にいるであろう存在――すなわち、ダイたちの姿が見えないのだ。

 

「どういうことだ!! ダイは、バランはどこへ行った!?」

「へへへ……さーて、どうしたんだろうかね?」

 

ハドラーの狼狽を煽り冷静な判断力を奪うため、ポップは勿体ぶった挑発を行う。

ダイたちの姿が見えない理由、それは至極簡単なことだ。この死の大地の南端部分、海中に存在する魔宮の門へと向かっている最中であった。

 

外部から大魔宮(バーンパレス)への進入路はその一点のみであり、堅牢なるその門も(ドラゴン)の騎士が二人掛かりならば破壊できることを本来の歴史の知識から分かっている。

ダイとバランが門を砕き、敵の本拠地を急襲する。チルノが周りの相手の足止めをしている間に、二人掛かりで大魔王バーンを倒す。ポップたちはハドラーたちの足止めを行い、少しでも彼らの負担を減らす。

という作戦である。チルノが本来の歴史を知っているからこそ可能な裏技である。

 

その作戦をハドラーが見抜くことなど、当然ながらできるはずもない。

肝心の相手がこの場にいないなど、自らの考えの中には欠片もなかった展開だった。あまりに予期せぬ状況にハドラーが動揺の色を見せる。

だがそれも一瞬の事にしか過ぎない。

 

「……まさか!?」

 

すぐさま精神を立て直したかのように呟く。

 

「まさか、あの時と同じ……!! バーン様の元へ向かったというのか!?」

 

ハドラーの脳裏には、十五年前の戦い――かつて勇者アバンと戦い、そして敗れた時の戦いの記憶が甦っていた。

その戦いにおいてアバンの仲間たちは、彼をハドラーの元へと無事に届けるべく魔王が差し向けた無数の配下の怪物(モンスター)たちと戦い続けた。勇者が勝利することを信じて足止め役を買って出て、一対一で戦えるようにするために。

結果的に、その行いは功を奏した。そのためハドラーは命を落とし、大魔王バーンの手によって救われることとなったのだ。

 

その手段を、遙かな時を経て再び同じように真似されるなど想像すらできなかった。

ましてや敵はアバンの教え子達であり、当時アバンの仲間であった戦士ロカと僧侶レイラの娘マァム、大魔道士マトリフの弟子ポップに加え、当時はハドラー配下として最終防衛を担当していたバルトスが育てた子供までいる。

これが運命だというのならば、これほどの皮肉はないだろう。

 

「ありえん! 一体どうやって……」

 

だがどう考えても、その行動は有り得ないとしか考えられなかった。

いくらバランが味方についたとはいえ、彼らの誰一人として大魔宮(バーンパレス)への侵入方法は知らないはずだ。

その方法を調べ、見つけ、侵入する手段を見つける。それほどの時間稼ぎをポップたちに頼むなど、どう考えても現実的ではない。本気で実現できると考えているのならば、愚かという言葉すら霞むほどの大愚策と呼べる。

けれどもポップたちの反応を見るに、ハドラーにはそうとしか考えられなかった。その大愚策を実現できると心から信じ、嬉々として足止め役を担おうとしているようにしか見えないのだ。

そんなハドラーの考えを後押しするかのように、死の大地が揺れる。

 

「くっ、もはや迷ってはおれん……!」

 

どれほど愚策だと分かっていても、この場にダイたちの姿が無いのは事実なのだ。最悪の事態に備えるべく、ハドラーは瞬間移動呪文(ルーラ)の呪文を唱えようとする。

 

――だが、果たして奴らはどこに……?

 

どこかから潜入したというのは理解できる。だがその場所に悩み、動作が緩慢になってしまう。

 

「察しが良いなハドラー! だが、お前を向かわせるわけにはいかん!!」

 

そして、その動きを黙って見送るほど甘い者はこの場に存在しない。呪文の完成を阻止するべくヒュンケルは抜剣したままハドラーへと斬りかかり、ラーハルトもまたヒュンケルの影を追うような動きで追従する。

 

「おおっと! ハドラー様の邪魔はさせないぜ!!」

 

その動きは親衛騎団の一人――徒手空拳の兵士(ポーン)が動き、ヒュンケルの足を止めるべく眼前へと立ち塞がる。

 

「ハドラー様! 行ってください!!」

 

ラーハルトの動きに対応したのは、親衛騎団の騎士(ナイト)だった。彼は手にした馬上槍(ランス)を操るとその神速の動きに対応してみせる。

 

「勇者どもが足止めを行うというのであれば、ワシらも同じことをするまでよ」

 

僧正(ビショップ)が残ったポップたちの動きを監視するように睨みを利かせ、城兵(ルック)は自らの身体を盾とするかのようにハドラーの前へと移動していた。油断なく動くその様子に、クロコダインらは出遅れる。

 

「ご安心ください。すぐにアバンの使徒たちを打ち倒し、ハドラー様の援護に駆けつけます」

「アルビナス、一つだけ言っておこう……侮るな」

 

そして残った女王(クイーン)は、ハドラーに後顧の憂い無く送り出すためにそう口にしていた。だがハドラーはその言葉を慢心と取ったのか、そう厳命する。

 

「はっ! 申し訳ございません!」

 

(キング)に位置するハドラーの言葉を耳にして、親衛騎団全員が気を引き締め直して見せた。その頼もしき様子と忠誠心に感動すら覚えながら、ハドラーは瞬間移動呪文(ルーラ)を唱えて姿を消した。

 

「ちっ! 貴様ら!!」

 

ハドラーを含めた全員を相手に足止めが行えるのが理想ではあったが、どうやらそこまで上手くはいかないようだ。

不敵な笑みを浮かべるオリハルコンの戦士たちと、アバンの使徒たちとの集団戦が開始される。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「よし、誰もいない!」

 

魔宮の門をくぐり抜け、大魔宮(バーンパレス)内部へと潜入したチルノは、無人の光景に思わず歓喜の声を上げていた。

 

ダイとチルノ、そしてバランの三人は、死の大地に瞬間移動呪文(ルーラ)で到着すると同時に、すぐさま魔宮の門の捜索を開始していた。大凡の位置についてはチルノの知識を参考にしてアタリを付け、細かな位置は直接探すというやり方である。

本来の歴史ではチウたちが海底の魔宮の門を見つけるものの、その事実を親衛騎団の僧正(ビショップ)にみつかってしまい、門を砕いてもその先でハドラーが待ち受けるという結果になっていた。

 

「当然だろう。ハドラーはおろかバーンたちの誰もが、我々がこの場所を知っているなど想像もつかんはずだ」

 

だがこの世界では、そのような事実はない。ダイたちが魔宮の門の存在を知っていることを予想出来る者など皆無である。当然ながら門を探している間も、(ドラゴン)の騎士二人が門を破壊するときも、一切の邪魔が入ることはなかった。

 

「ここから先はスピード勝負だよ! 父さん!! 姉ちゃん!!」

 

奇襲に成功し、通行自由状態となってはいるがそれが長く続くはずもない。侵入されたという情報は瞬く間にバーンに伝わり、迎撃の怪物(モンスター)が襲ってくるだろうことは想像に難くない。

ダイの言葉にチルノたちは頷き、その時間に少しでも進むべく全力で駆け出していた。

 

本来の歴史ではハドラーが待ち受けていたはずの祭壇のような場所を通り抜けると、そのまま前部から主城入り口付近――いわゆる大魔宮(バーンパレス)中央部までの直線通路が延びるだけだ。

無人の野を行くが如く、ダイたちは駆け続ける。

このまま誰に会うこともなく中央部まで辿り着けることをチルノは密かに願うものの、流石にそれは虫の良すぎる考えだった。

 

「待てっ!!」

 

彼らが進む通路、その先から声が聞こえてきた。

進行方向から響いているということは、待ち受ける何者かがいるということだ。彼らの足取りが速度を重視するものから警戒するそれへと代わり、遂にはその先にて待ち構えていた相手の姿を確認できるほどになった。

 

「ここから先を通すわけには行かんのだ!!」

 

ダイたちの道を塞ぐように現れた敵の姿に、彼らは警戒を強める。

 

 




人間側の地図上では、死の大地は横に細長い形でした。
でも魔王軍はここを丸い大陸と認識しており、チェス盤に見立てていました。
なんでこんなに差が出るのか?
人間側は「こんな所を調べたり測量なんて時間と金の無駄。危険な場所があるって認識してりゃそれでいい」のような大雑把な扱いを。
魔王軍は「大魔王の本拠地があるし、ちゃんと調べなきゃ」と正確な作業をしていた。
というのが真相なんじゃないかと。
(正式調査は金食い虫でしょうし、モンスターも襲ってくる。そんな場所まともに調べるとは思えない)

魔宮の門を砕いて、海底から突入する3人。
(脳内では「チームご親族様」と呼称していました)
一応出し抜けたので、原作よりは奥に進めます。

さあ、あの人の登場です!!


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LEVEL:89 激突! 集団戦闘

合計11人で5場面の描写……なんて手間が掛かる……(涙)



ハドラーが瞬間移動呪文(ルーラ)を操り、その場から姿を消す。その光景を苛立たしく感じながらも見送る以外に出来ずに声を荒げるものの、だがアバンの使徒たちには追う術がなかった。

 

「ちっ! 貴様ら!!」

「落ち着けラーハルト」

 

眼前でハドラーを取り逃がしたことに苛立ち、そしてラーハルトの動きを邪魔した親衛騎団を目にして、すぐにでも暴発して飛び出していきそうな気配を漂わせるラーハルトであったが、ヒュンケルが諫めるように叫ぶ。

 

「オレたちの役目を忘れたか? ハドラーには逃げられたが、まずはコイツらだけでも倒しておくぞ」

 

確かにハドラーをも含めた全員の足止めが出来れば、それは理想的な動きと呼べるだろう。だが完璧を追い求めすぎて目的を思い出しては元も事も無い。自分たちの本来の役目を思い出し、ラーハルトは動きを止める。

 

「仕方あるまい……貴様ら! オレの邪魔をした報いを受けてもらうぞ!!」

 

代わりにその苛立ちを受け止めろと言わんばかりに、親衛騎団たちへ殺気の籠もった視線を投げかける。

当然、親衛騎団の面々からすればそんな行動が面白いはずもない。

 

「へっ、面白ぇ! やれると思ってるのか?」

「先ほど私に邪魔されてなお、向かってくるか……その意気やよし!」

 

先ほどヒュンケルとラーハルトの動きに対応していた二人はその殺気に即答し、浴びせられたそれに負けぬほどの闘気を漲らせる。

すぐにでも飛びかかりそうなほどの戦意を見せる二人であったが、だがそんな二人へ向けて女王(クイーン)が声を掛ける。

 

「お待ちなさいヒム、シグマ。ハドラー様も仰っていたでしょう? 侮るな、と」

 

それはなんとも冷静な言葉だった。

熱くなりつつある二人へ冷や水を浴びせるような口調に、彼らは僅かにたじろいだ。続いて、効果があったことを確認すると、トドメとばかりに特大の言葉を放つ。

 

「それともあなた達は、ハドラー様のお言葉を無視するつもりですか?」

「……確かに、そうだな」

 

味方へ向けての言葉だというのに、微かに殺気すら含んでいた。ハドラーの命令に従えぬであれば、処罰も辞さないと言外に語っていたのだ。

ハドラーの命令と言う言葉に加えて恐ろしい気配を浴びせられば、落ち着かない者はいなかった。だが何より、自らがハドラーの言葉から目を背けているという言葉が彼らには効果的であったようだ。

それまでの熱が急激に冷めたかのように、二人は冷静さを取り戻しつつあった。

 

二人の返事に納得したのか女王(クイーン)は一つ頷いてみせると、続いてもう一手布石を打たんとばかりに、ポップらアバンの使徒達へと視線を向ける。その行動に、すぐにでも襲いかかってくるのかと身構えるものの、彼ら予想は完全に裏切られることとなった。

 

「初めまして、アバンの使徒の皆さん」

 

挑発的な微笑を浮かべてこそいるものの、どこか慇懃さを感じさせる態度で彼女は挨拶を始める。

 

「尤も、私達はあなたのことはよく知っていますが……こちらが一方的に知っているだけというのも不平等というもの。短い付き合いになるとは思いますが、遅ればせながら自己紹介させていただきましょう」

 

突然自己紹介を始めた彼女の言葉に一瞬訝しむものの、だがすぐにそれも当然の事と悟る。ポップたちはチルノから親衛騎団についての情報を聞いているが、本来ならば初めて相対する相手なのだ。

ここで「挨拶など不要」と言って始めるのは相手に余計な警戒を抱かせるかもしれない。そう判断し、アバンの使徒たちは警戒こそ緩めぬものの話だけは聞く姿勢を見せる。

 

「我らは魔軍司令ハドラー様の忠実なる下僕。死の大地を守護するハドラー親衛騎団。私はその行動を統括する女王(クイーン)・アルビナス」

 

まずそうやって名乗りを上げたのは、先ほど仲間を諫めていた彼女だ。親衛騎団の中央に位置していることからも、その立場は窺える。

女王の名を冠しているだけあってか、女性然とした姿を見せている。仰々しい王冠のような頭飾り(ティアラ)を身に付けており、全身を覆い隠すマントとローブを身に纏っているような意匠のため、一見すれば手足が無いと錯覚してしまう。

 

「ハドラー様の忠実なる兵士(ポーン)・ヒムだ」

 

兵士の駒を連想させる男が続いて口を開いた。

先ほどから親衛騎団の中で人一倍口数が多く、そしてその言動の殆どが荒々しいそれであることから、彼が最も好戦的かつ感情的であろうことは誰の目にも明らかだった。

五名の親衛騎団の中では最も人間に近しい造形をしており、丸みを帯びた身体は単純というよりも一切の無駄な装飾を削ぎ落とし兵士として戦いにのみ集中するという意志の現れのようにも見える。

 

「私は戦場を駆ける疾風の騎士(ナイト)・シグマ」

 

騎士の駒を元に生み出されただけあってか、シグマの格好はまさに騎士と言った格好であった。だが彼の顔は――これもまた騎士の駒から生み出されたためであろうか――馬であった。手は人間と同じく五指がしっかりと存在しており、"疾風の槍"と呼ばれる馬上槍(ランス)に似た形状の槍を握りしめている。

下半身も人間と同じく二本の足ではあるが、その足下には馬の蹄に似ていることから、両脚は馬のそれに近しいであろうことは想像に難くないだろう。

騎士という役割を得ている為であろうか、彼の言動はどこか武人のように正々堂々とした威風を感じられる。

 

「我が名はフェンブレン! 親衛騎団の僧正(ビショップ)にして完全無欠の狩人よ!」

 

僧正の駒から生み出されたフェンブレンは、ヒムとは対照的に鋭角の多い姿をしていた。まるで無数の刃を組み合わせて作られたような身体からは刃のような寒々しさを感じる。彼が動くだけで空気すら裂けているようだ。

刀身にパーツを貼り付けたような顔をしており、その表情はどこか偏屈に思える。

 

「ブローム」

「彼の名は城兵(ルック)・ブロック。残念ながら言葉を喋れないので私が代わって紹介します」

 

そして最後に、無骨な全身鎧を身に纏ったような姿の大男が、名乗りとも鳴き声とも判別の付かない声を上げた。すかさずアルビナスが部下の言葉を補完するように言う。

彼は他のメンバーと比べても頭二つは上回るほどの上背があり、両肩に円形大盾を装着しているためか横幅もかなりのものだ。横に並べればクロコダインすら小さく見えるだろう。

ブロックは城兵の名を冠するだけあって、まさに砦が人型になって動いているような圧倒的な力強さを誇っている。

 

「そして、ご覧になっておわかりとは思いますが、私達はハドラー様の禁呪法によって生み出された金属生命体です。私たちは皆、オリハルコンの駒から生まれました。すなわち、この身体は全てオリハルコン出来ている……いかなる攻撃も呪文も、この身を傷つけるには至りません」

 

一通りの自己紹介が終わると、再びアルビナスが口を開いた。

相手への揺さぶりのつもりなのか、自分たちには勝てないと遠回しに語っているようだ。だがアルビナスの言葉も言外に嘘や誇張というわけでもない。神の金属たるオリハルコンの肉体を持つのであれば、それだけでも大きすぎるアドバンテージだ。

チルノから事前に聞かされているとはいえ、アバンの使徒らは微かに表情を曇らせる。

 

「ついでだ、もう一つ教えてやるよ」

 

自信満々に口を開いたのはヒムだった。

 

「禁呪法で生まれた以上、どこかに(コア)があるはず。それを破壊すればオレたちを倒せる。お前らはそう考えているってところだろう?」

 

そこまで口にすると、彼は自らの左胸を右手で軽く叩いて見せた。

 

「オレたちの(コア)はここ、お前ら人間と同じ位置よっ!」

「あいつ、自分で弱点をバラした!?」

 

そんな行動を取るとまでは聞いていなかったのだろう。ポップが驚きの声を上げる。ポップだけでなく、ヒュンケルらも大なり小なり差異はあれど表情を変化させていた。

 

「ここに弱点があると知っていれば勝てる程、戦いは甘いもんじゃねぇよ。なにせ当てられなければ効果が無いんだからな」

 

それは、弱点を教えたところで決して不利になどならないという絶対の自信の表れからの行動だ。それだけ自分たちの強さを信じているといえる。

 

とはいえそれが面白くないと感じる者もいた。

 

「まったく……わざわざ言う必要もあるまい……」

「ですがこれで条件は互角。正々堂々に戦い、勝利してこそ、ハドラー様も喜ばれることでしょう」

「……フン」

 

フェンブレンが思わず溜息する。

仲間であるヒムの行動は彼の目には愚策としか捉えられなかったのだ。誰に向けたわけでもなく、思わず口からこぼれ落ちただけの言葉だった。偶然にもシグマがそれを拾い、彼もまた自身の想いを口にする。

仲間の言葉を聞きながら、僧正はつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

 

 

 

 

「みんな、事前の打ち合わせ通り頼むぜ。おれがまず一発かまして、やっかいな鏡の有無を確認するからよ」

 

一方、親衛騎団の絶対の自信を目にしながらも、アバンの使徒たちは小声で事前に打ち合わせた内容の再確認を行っていた。

 

ポップにはマトリフから直伝された極大消滅呪文(メドローア)がある。直撃すればオリハルコンであろうが大魔王であろうが一瞬にして消滅させられるという最強の呪文だ。

だがこの呪文は唯一、呪文返し(マホカンタ)にだけは無力である。術者の周りにあらゆる呪文を跳ね返す光の壁を生み出すこの呪文だけは、極大消滅呪文(メドローア)をも弾き返してしまう。

 

そして、親衛騎団のシグマは"シャハルの鏡"と呼ばれる呪文返し(マホカンタ)の効果を備えた伝説の盾を持っている。この鏡があるおかげで、極大消滅呪文(メドローア)はおろか迂闊に呪文を使うことすらできない。

 

そのため彼らの打ち合わせた行動は、まず「本当に鏡を持っているか?」を確認するところからだった。

鏡を確認できれば、それを引き剥がす。反対に鏡が無いと分かれば、その時点で極大消滅呪文(メドローア)を使ってまとめて片付けるように動く。それが大まかな内容である。

 

ポップの言葉に仲間達は小さく頷き、それを見たポップは作戦開始の合図とばかりに呪文を放つ。

 

「ヒャダルコ!」

 

中級の氷系呪文とはいえ、鍛え上げられたポップの魔法力によって放たれたそれは下手な術者の上級呪文を凌駕するほどだ。呪文によって生み出された吹雪が極低温の冷気を伴って親衛騎団へと襲いかかる。

 

「残念だが……」

「いえ、ここは全員回避を!」

「む……!?」

 

視界の半分以上が白に染まるほどの吹雪を目にしながら、シグマが親衛騎団を庇うように一歩前へ出た。シャハルの鏡を使うつもりなのだろう。

だがそれと時を同じくしてアルビナスが叫んだ。

回避しろという命令に訝しげな声を上げつつも、女王の言葉である。親衛騎団は全員がそれに従い、散開して呪文の効果範囲から逃れる。

 

「避けたっ!?」

 

この行動に予想外だったのはポップの方である。

オリハルコンで出来ているため――極一部の例外を除き――あらゆる呪文を無効化する親衛騎団だ。彼らにとってこの程度の呪文は避ける必要すらないだろうし、相手の出方を窺う為にも弱すぎず強すぎない中途半端な威力に抑えてある。

仮に鏡を持っていれば跳ね返すだろうし、鏡がなければ無視するだろう、という程度だ。

そのため回避を選ぶという選択肢は、想定していなかった。

 

「ちっ! 仕方ねぇ、当初の予定通り頼むぜ!」

 

作戦の練り直しをしたいところだが、既に戦端は開かれている。散開した親衛騎団はそれぞれがアバンの使徒たち目掛けて迫って来ていた。仕方なし、鏡があると仮定した上でそれぞれの相手と戦うようポップは伝える。

 

「オオオオッ!!」

 

その言葉を耳にし、クロコダインは雄叫びを上げながらシグマへと向かった。

親衛騎団との戦闘が予定通りならば、シグマを相手にシャハルの鏡を剥がす役目を担っていたのは彼であった。少々予定と違ってはいるものの、その役割は変わらない。自身に期待された役目を果たすべく、先陣を切って躍り出ていく。

 

「元百獣魔団の軍団長、獣王クロコダイン……私の相手は貴様か」

 

自身を狙い、向かってくることを察知しシグマは呟いた。

敵の持つ力は確かに強力そのものであり、真っ向からぶつかり合えば力負けすることは目に見えていた。

だがそれを理解していれば、わざわざ正面からぶつかり合うことはない。シグマは素早く飛び上がると、易々とクロコダインの上を取ってみせる。

 

「強烈なパワーが持ち味だそうですが、それも当たらなければ意味がない!」

 

どうやら相手は速度を活かして相手を撹乱し、スピード勝負に持ち込むことでパワーを封殺する腹積もりのようだ。

想定通りの行動に、クロコダインは思わず口の端を上げて笑う。

そう来るであろうと予想していただけに、迎え撃つのも難しいことではなかった。迫り来るシグマの相手をすべく力を込めたところで――

 

「悪いが選手交代だ」

 

という声が聞こえてきた。

その言葉に思わず身をすくめ、そしてクロコダインは見た。

 

「オレの邪魔をした報いは受けてもらう、そう言ったはずだ」

「貴様は!?」

 

そこには、目にも止まらぬ早さでシグマへと突撃していくラーハルトの姿があった。

跳躍したシグマに劣らぬ程の速度で飛びかかると、そのまま槍を振るう。突然の襲撃者に意表を突かれこそしたものの、シグマは超反応を見せて迫り来る槍を止めて見せる。

だがラーハルトは衝突の勢いそのまま、さらに押し込むようにしてクロコダインの近くから戦場を引き離してしまう。

 

 

 

 

 

「ええいっ、まったく!! ラーハルトの奴め!!」

 

突如として横槍を入れられ獲物をかっ攫われた形となり、クロコダインは思わず怒鳴り悪態を吐く。何の打ち合わせも断りの言葉一つすらなくこんなことをされては、文句の一つも言いたくなるだろう。

だが文句を言いつつも、クロコダインの顔はどこか愉快であった。

 

「仕方あるまい、ではオレの相手はコイツだ!!」

「ブローム!?」

 

偶然にも手近にいたブロック目掛け、クロコダインは勢いよく体当たりする。突如として真横から大質量が激突してきた衝撃にブロックは思わず足を止めるが、それだけだ。

吹き飛ばされるわけでもなければ、蹈鞴(たたら)を踏むわけでもない。ただ足を止めただけの敵の姿を見て、クロコダインは更に笑う。

 

「オレも武人の端くれ、かなわんと言われて素直に引き下がるほど聞き分けは良くないのでな!!」

 

そう叫びながら敵の顔面目掛けて拳を放つクロコダインの表情は、実に愉しそうだった。

 

 

 

 

 

ヒュンケルは当初の打ち合わせ通りにヒムと対峙していた。猛然と殴りかかってくるヒムの拳を剣で受け流し、切り結ぶ。そこへクロコダインの怒声が響き渡り、ヒムは手を攻めの手を一旦止める。

 

「おいおい、お仲間がもめてる様だが良いのか?」

「問題は無いな。こうなるだろうことは、予想できたことだ」

 

挑発するようなヒムの言葉に、けれどもヒュンケルは一切表情を変えぬまま言い放つ。

 

シグマを相手に戦いたいというラーハルトの気持ちも、ブロックを相手に戦いたいというクロコダインの気持ちも、ヒュンケルには理解できた。

そもそも彼らは皆、チルノから事前に「個々の能力では自分達より上であり、同じ能力で対抗しても勝てない」と教えられており、戦う相手もその前提を元に割り当てたものだ。

だが、そう言われて素直に従うほど彼らの気性は穏やかではない。ましてや彼らは、チルノが知る本来の歴史よりもずっと強くなっている。

 

――試してみたい。

 

その欲求が心のどこかで疼き続け、親衛騎団が呪文を躱したことでそれが爆発したのだ。

そう考えれば、ヒュンケルは割り当てられた相手がヒム――兵士で幸運だった。

チェスにおける兵士(ポーン)とは、退くことを知らず前進し続ける存在だ。それはどこか過去の自分と重なり、チルノの事前知識がなくとも戦ってみたい相手であった。そんな相手と、身勝手なワガママを見せることなくこうして戦えるのだから。

 

「それより、自分の心配をした方がいいぞ!」

 

ヒュンケルが剣を振るうと、オリハルコンのヒムの胴へ僅かに傷が刻まれた。かすり傷にも満たない程度の小さな傷だが、ヒムからすれば腹立たしい事この上ない。

 

「ちっ! テメェ!!」

 

中断していた戦いが再び開始された。

 

 

 

 

 

「ラーハルト! おっさんもかよ!?」

 

当初の段取りを無視して打ち合わせと違う動きを見せる二人の仲間の姿に、戦闘中だというのにポップは思わず頭を抱えてまう。

 

「事前の作戦が滅茶苦茶だぜ……」

 

愕然とそう呟いてしまうが、それも無理のないことだった。

そもそも対戦相手の組み合わせは、チルノの知る本来の歴史の知識を参考に決めたもの。言うなれば、面白みはないかもしれないが堅実な組み合わせだ。

それが他ならぬ仲間の手で崩されたとなれば、恨み言の一つでも言いたくなるというものだろう。

 

「……ホウ、今事前(・・)と言ったか?」

「ポ、ポップ君……」

「その言葉の意味を、ワシに教えてくれんか?」

 

だがどうやらのんびりと落ち込んでいる時間はなかったらしい。レオナの焦った声が響き、そして耳慣れないもう一人分の声が聞こえてくる。

その声の主を確認するために顔を上げ、ポップは微かに焦りの色を浮かべた。

 

「あんたはフェンブレン、だったよな?」

 

そこには親衛騎団の僧正(ビショップ)の姿があった。

直接戦闘能力を有する四人が飛び出していったため、現在残っているのはポップとレオナだけだ。そして親衛騎団は総勢五名。四人が一人一人の相手をしても一人残る、子供でも解ける簡単な計算だ。つまり、ポップも最低一人は相手をする必要があった。

その順番が回ってきただけのことと自分に言い聞かせながら、それでも僅かでも時間を稼げれば幸いと考えて、とりあえず口を開く。

 

「左様。魔法使いのポップと賢者のレオナ……どちらもオリハルコンの身体を持つワシらとの相性は最悪だな」

 

すると意外にも相手は乗ってきたようだ。脅しのつもりなのか両手の指をカチカチと打ち鳴らしている。

 

「素直に降伏すれば、楽に逝かせてやるぞ? ああ、その前に先ほどの言葉の意味も教えて貰おうか」

「へへっ。ありがたい申し出だけど、そういうわけにもいかねぇのが、正義の味方の辛いところでね……」

 

呪文を無効化する者と、呪文を得意とする者の戦い。

一見すればこれほど不利な事もないだろう。

だがポップは意地とばかりにレオナを庇うように前に立ち、フェンブレンと対峙する。

 

 

 

 

 

「みんな!?」

 

マァムもまた、当初の予定と異なる戦場に困惑していた。

本来の予定ならば彼女はブロックの相手をしていた筈なのだが、いつの間にかクロコダインが相手をしている。今からでも向かいクロコダインと共闘するべきかと一瞬思い悩むが、すぐにそれは不可能と悟る。

 

「私の相手は貴女ということですか……僧侶、いえ武闘家マァム」

「……アルビナス」

 

いつの間にか、すぐに近くに女王(クイーン)が姿を現していた。恐ろしいまでの殺気が突き刺さり、マァムは無意識のうちに構えを取る。だが構えを取るだけで、それ以上動き出すことが出来ずにいた。

アルビナスから感じる殺気に呑まれていると気付き、マァムは小さく息を吐く。

 

「奇しくも女性同士の戦い――とでもお考えですか? もしそうならば、全くの見当違いです。私は女王(クイーン)の役目を背負ったただの駒。駒に性別はありません。情けを期待しているのならば、そんな甘い考えは今すぐに捨てることです」

 

攻めずにいることを勘違いしたのか、アルビナスはそう口にし始める。

 

「チェスにおいて女王(クイーン)は迂闊に動かぬのが定石。ですが、数の上では我々が不利……睨みを利かせているほど暇はありません、早々に倒させて貰いますよ」

「ッ!?」

 

そこまで口にすると、それまでも恐ろしく感じていたアルビナスからの殺気が更に膨れ上がった。思わず息を呑み、マァムは僅かに距離を取る。

 

 

 

 

 

「竜騎衆ラーハルト……スピードに自信があるとのことだが、私にも意地がある。跳躍と速度でこのシグマに勝つのは天馬とて無理なこと!!」

 

戦線を強引に引き剥がされ、一対一の状態に無理矢理持ち込まれたことにシグマはいささか驚かされたが、すぐに気持ちを切り返る。

彼は――もとい、親衛騎団全員に共通していえることだが――戦場とは思い通りにならないものと本能で理解している。盤上の戦いを生業としてきた駒より生み出されたため、そういったことは基本として身についている。

そして騎士(ナイト)たるシグマは親衛騎団において速度に長けている。如何にラーハルトが噂に名高い相手であろうとも、一歩たりとて退くつもりはなかった。

 

「気が合うな。オレも、天馬ごときに劣っていると思われるのはいささか不愉快だ」

「むっ!?」

 

そこまで口にすると、ラーハルトの姿が消えた。いや、実際に消えたわけではなく、超速で動いたために常人の目では追い切れなくなっただけだ。

高速で動く音だけが響く中、シグマは手にした槍を振るう。

 

「そして、貴様にも劣るつもりはない!!」

「甘い!」

 

するとそこにラーハルトの槍がぶつかった。閃光のような槍の一撃を視認し、シグマが先んじて攻撃を防いだのだ。だが槍の振るわれた速度は凄まじく、オリハルコンで出来た身体をたじろがせる。

 

「くっ……!」

 

受け止めた勢いに押され、それを立て直すべくシグマは駆け出した。ラーハルトへ容易に攻められぬと思わせ、速度での勝負に持ち込むためだ。

 

「どうした、その程度か?」

「なっ!?」

 

全力で駆けているはずだが、ラーハルトは一瞬にしてシグマへと追いついてみせた。これほどの速度で動くとは思わずにシグマの手が僅かに緩み、そこへラーハルトの槍が容赦なく叩き込まれていく。

再び迫る槍をどうにか掻い潜るものの完全には防ぎきれず、シグマはオリハルコンの肉体に細かな傷を付けることとなった。

 

「そこだ!」

「なんのっ!!」

 

敵が受けに回ったのを攻めの好機と睨んだのだろう、ラーハルトは得意技たるハーケンディストールを放つべく大きく跳躍する。だが敵の動きを見た途端、シグマもまた飛んでいた。

 

「ハーケンディ……!?」

 

ラーハルトは一瞬、己の目を疑った。気付けば先に飛んだ彼よりも速く、そして高い位置へとシグマが移動していたからだ。空中でより高い位置を取られたことに気付き、ラーハルトは慌てて守勢に回る。

 

「ぐっ!?」

 

その切り替えはギリギリ間に合ったようだ。シグマから放たれた上空から降り注ぐ槍を彼はどうにか受け止める事に成功する。

 

「……あの一撃を受けていたら、危ないところだったよ」

 

空中戦は一瞬で終わり、二人とも地上へと降り立っていた。だがラーハルトは少し体勢を崩しながらも着地し、対するシグマは天馬のごとく舞い降りる。

 

「だが、跳躍力と速度には自信がある。そう教えたはずだが?」

 

シニカルな笑みを浮かべる騎士(ナイト)の姿に苛立ちを覚えたが、その感情を自制しながらラーハルトは口を開いた。

 

「速度はオレ、跳躍は貴様が上というところか……」

 

腹立たしくはあるが、証明された以上は認めねばならない。手強い相手の存在に、ラーハルトの心は躍っていた。

 

 

 

 

 

――どうする……いや、まだ駄目だ!

 

フェンブレンと向かい合うポップの脳裏に一瞬、極大消滅呪文(メドローア)を使って目の前の敵だけでも確実に倒しておくべきではないか、という誘惑が生まれた。

だが彼はそれを懸命に振り払う。

極大消滅呪文(メドローア)の存在は秘中の秘であり、迂闊に見せて良い呪文ではない。そもそも二発も放てば魔法力が枯渇するほどに消費する呪文のため、安易に使う事は自らの選択肢を狭めることになる。

加えて、何度も見せれば対策方法の一つや二つは考え出されてしまうだろう。極大消滅呪文(メドローア)の特性上、何度も見せるのは下策でしかない。

 

「とくれば、これしかねぇよな……」

 

そこまで考えると、覚悟を決めたように呪文を放つ。

 

閃熱呪文(ギラ)!」

「無駄なことを……」

 

ポップが放ったのはギラの呪文だ。威力は高く扱いは難しいものの閃熱呪文の中では下級であり、ましてやオリハルコンを相手にするとなれば心許ないことこの上ない。

対戦相手たるフェンブレンですら呆れたような様子を見せている。

そんなことは術者であるポップが一番よくわかっている。理解していたからこそ呪文を調整し、威力は弱くとも面のように広い範囲へ放っていた。

高熱エネルギーによって敵の視界が遮られた瞬間を狙い、ポップは出発直前に渡された杖を取り出すと、ギラの呪文を放つ手とは逆の手でそれを握りしめる。

そしてフェンブレンの胸元目掛けて、槍のように一気に伸びるようにイメージした。

 

「ぬおっ!?」

 

それだけで杖は持ち主の意志に従い、生き物のように伸びていく。ギラによって視界を遮られていたフェンブレンはその一撃をまともに食らい、大きく吹き飛ばされた。

 

「へへっ! どうだ、ブラックロッドの威力は!?」

 

反対にポップは、予想以上の結果に思わず喝采していた。

ロン・ベルク謹製たるブラックロッドは、持ち主の魔法力を吸収して打撃力に変える性質と持ち主の意志に従い伸縮自在に形状を変える性質を併せ持つ。現に拳三つ程度の長さしかなかったはずの杖が一瞬にして槍よりも長く伸びたことと、魔法使いたるポップの筋力で敵を吹き飛ばしたことから、その性能は折り紙付きだ。

後ろで見ていただけのレオナですら、その威力に思わず舌を巻く。

 

「貴様ッ!! 甘い顔をしてやればつけ上がりおって!」

 

だがその一撃で倒せるほどフェンブレンは容易い相手ではない。吹き飛ばされたダメージによって胸部がへこんでいるものの動くのに支障は無いらしく、それを感じさせない動作で雪辱を果たすべくポップへ襲いかかろうとする。

 

「もう一発!!」

 

だが距離が開いており、対応するだけの時間は充分にあった。ポップは続いて伸びたブラックロッドを横に払う。

 

「フン!」

 

その一撃はフェンブレンからすれば甘いものでしかなかった。足を止め右手を掲げると、打撃力の込められたその一撃を受け止めてみせた。すぐさまブラックロッドを引き戻し、第二撃目を放とうとして気付く。

 

「しまった!」

 

戻した先、ロッドに傷が付いていることを確認して思わず舌打ちする。フェンブレンは全身の八割以上が刃物で構成されているため、迂闊な攻撃は危険。その情報も事前に教えられていたはずなのだが、武器の性能にポップは少々慢心していたらしい。

とはいえ、大きめの傷がついているものの扱うには問題なさそうだ。そこまで確認したところで、レオナが叫ぶ。

 

「ポップ君、前!」

「うおおおおぉっ!?!?」

 

声に反応して視線を戻せば、いつの間にかフェンブレンがすぐそこまで迫ってきていた。手刀――文字通り刃の手を振るい、ポップへ攻撃を仕掛けてくる。それを認識した途端、考えるよりも先に身体が動いていた。

不格好に避けながらロッドを伸ばすと、地面に思い切り突き刺ささる。だがそれでも伸ばすのは止めなかった。そのまま勢いに身を任せることで、大きく距離を取って見せる。

さながらロッドに運んで貰ったようなものだ。どこか情けなさがあるが、命には代えられない。

 

「大丈夫!?」

「へへ、姫さんに心配してもらえるたぁ嬉しいねぇ……」

 

それでも完全に回避は出来ず、頬が切られていた。ズキリとした痛みと血が流れる感覚を味わいながらもポップは気丈に笑ってみせる。

 

「けどもうちょい下がっててくれ。姫さんに何かあったら、チルノのやつに怒られちまうからな」

「わ、わかったわ……」

 

そう言うとレオナは更に下がっていく。

下がりながら遠くに目をやれば、クロコダインとブロックが派手な戦いを繰り広げているのが見えた。激突する余波によってか周囲の大地に亀裂が走っている。

ヒュンケルとヒムにしてもそうだ。戦闘そのものはヒュンケルが優勢に進めているようだが、ヒムは野性的とも言える動きでヒュンケルに食らいついている。

どちらもすぐに援軍を頼むことは出来ぬと悟り、彼女はポップが無事に乗り切れるように心の中で祈る。

 

――呪文はダメージを与えられねぇが、目眩まし程度には効果がある。なら後は武器の性能便りの根比べか……

 

流れ出た血を軽く擦ると、生き延びるための策をポップは必死で模索する。

 

 

 

 

 

鎧化(アムド)!」

 

アルビナスの殺気に押されぬように気を張りながら、マァムは叫んでいた。その言葉に従って、彼女の左手に装着された魔甲拳が変化を始める。小手全体が生き物のように伸びると、マァムの身体へと巻き付き鎧を形成していく。

やがて――時間にすれば一秒程度の間を置いて――左半身を装甲で固めたマァムの姿がそこにはあった。

小手は小型盾のように広がって左腕全体を覆っており、肩には鎧のような段差が張り出ている。上半身は胸当てのように胸部を守り、下半身は腰からつま先まで左足全体を同じく包み込んでいた。さながら全身鎧を半身だけ纏ったような姿だ。

 

「おや、それは……」

 

敵の変化を見てアルビナスは驚いた、けれどもどこか余裕のある様子を見せる。

 

「情報にない装備――ですが、おそらくは鎧の魔剣や魔槍と同じ装備。私への対抗策というわけですね?」

「ええ、そうよ。これもロン・ベルクさんの武器。私も倒されるわけにはいかないの! 今ある全てを使ってでも、あなたに勝つ!」

「そう、その通りです」

「……?」

 

力強く言い放った言葉に対して、敵は全面肯定の言葉を返してきた。どこかかみ合わないその返事に、マァムはどこか拍子抜けするような感覚だった。

 

「どうしてあの魔法使いの少年は、ヒャダルコなどという中途半端な呪文を唱えたのでしょうか?」

 

だがアルビナスは言葉を止めない。

 

「氷系呪文はヒャダルコまでしか使えない、と言う可能性も確かにあります。ですが彼はメラゾーマのようなもう少し強力な呪文を操れることは知っています」

 

事前にアバンの使徒の情報は得ている。それらを照合するに、彼女はどうにも作為的な何かを拭えなかった。

 

「様子見とするにしても、少々不自然な選択です。オリハルコンの身体を持つということは、直前に伝えていたはず。ならば中途半端な攻撃が有効だと本気で思ったのですか? 今のあなたのように、最大の戦力を持って戦おうとは思わなかったのですか? よもや、あなたたちの目には私達は弱卒の集まりにしか見えなかったのですか?」

 

たたみかけるようなアルビナスの言葉を耳にして、マァムは顔を蒼白にしていた。その表情を見ながら、女王(クイーン)は表に出すことなくほくそ笑む。

 

――侮るな。ハドラー様のあの一言が無ければ、ここまでの考えを巡らせる事もなかったでしょうけれど。

 

女王(クイーン)であるアルビナスは、ハドラーに絶対の忠誠を誓っている。無論、親衛騎団全員がそうだが、その中でも彼女はひときわ飛び抜けており、盲信と呼んでも過言ではない。

そんな彼女が敬愛する主から「侮るな」と言われればどうなるだろうか?

敵の一挙手一投足すら疑いの目を持って挑み、それが先ほどの慧眼へと繋がっていた。

 

「その反応……どうやら当たらずとも遠からずと言ったところでしょうか? よかった、これで安心して、あなたを倒せます」

 

素直に反応を見せてしまった甘い敵に感謝しながら、アルビナスは姿を消す。そして次の瞬間には、マァムの目の前にいた。

 

「ニードルサウザンド!」

「ぐぅっ!」

 

マァムの前に姿を現すと同時に、アルビナスの全身が強く発光する。

ただの目眩ましの様にも見えるが、その光は極大閃熱呪文(ベギラゴン)のそれだ。本来ならば直線に放たれる閃熱のエネルギーを分散させ、針状にして全身から放射することで相手を焼き尽くす技である。

距離もタイミングも、どちらもほぼ完璧と言って良い出来で放たれた攻撃を、マァムは身体を横に――左半身を盾にするようにしてなんとか防いでみせた。呪文を無効化するという鎧の性能のおかげだ。

とはいえこれも、事前に聞いていたからこそなんとか反応できたようなもの。完全に初めて見る技だった場合、防御が遅れてダメージを負っていたのは間違いないだろう。

 

「ふむ、流石は鎧の魔剣と同じ装備……呪文では攻略できませんか……」

 

会心の一撃であったはずのそれを無傷でしのがれたが、アルビナスは取り立てて落胆することもなかった。ただ淡々とその結果を受け入れると、彼女はローブの下に封じていた両腕両脚を露わにする。

 

「やはり全力で行くとしましょう」

 

 




当初(超初期の「こんな感じかな?」程度)の予定では
・兵士 VS ヒュンケル
・騎士 VS クロコダイン
・城兵 VS マァム
・僧正 VS ポップ(時間稼ぎメイン。誰かが助けに来るまで耐える)
・女王 VS ラーハルト
でした。

まあ「原作で負けてたからお前コイツに勝てないぞ」と言われて「わかりました」って大人しく素直に言うこと聞くタマだったら武人なんてやってないです(偏見)
これ幸いと動き出すラーハルトさん。
クロコダインも力試しをしてみたかったんでしょうね。あれだけ鍛えていれば「ひょっとしてイケるんじゃね?」と思ってしまうのも仕方なし。

そしてこれだけやって、決定打を一切出さずに話を切るとか……
ご都合主義なんです……ごめんなさい。


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LEVEL:90 キングの軍記

感想でコイツだって思いっきりバレてましたね(苦笑)
じゃあもうタイトルから開き直ろうって……(その結果が回文である)


ダイとバラン――二人の(ドラゴン)の騎士が協力して放った一撃は海中の魔宮の門を砕くだけに飽き足らず、それどころか衝撃は死の大地まで伝わっていた。大陸をまるで地震が起きたかのように揺すり、その振動は発生源より離れた大魔宮(バーンパレス)――その奥深くまで響き渡る。

大魔宮(バーンパレス)の最深部、玉座の間にて戦況を見物していたバーンたちは、予想外の揺れに少なからず驚かされていた。

 

「この揺れは……!?」

「おそらくは、魔宮の門が砕かれたんじゃないかな?」

 

ミストバーンの呟いた言葉に、キルバーンが推論を述べた。信じられないと言った反応を見せるが、完全に当てずっぽうというわけでもない。

 

「さっきのハドラー君の反応と勇者様御一行の言葉を信じるなら、可能性は決して低くないだろうね。それに、今この大魔宮(バーンパレス)で外に面しているのはあそこくらいなものさ。他の出入り口を無闇に探すくらいなら、あそこを狙った方がよほど楽だよ」

 

ポップたちとハドラー親衛騎団の会話は、悪魔の目玉による中継を通して彼らも耳にしている。囮として目立つことで戦力を引き付けておき、本命の戦力が魔王を狙っているということも聞いていた。

 

「だが、どうやって魔宮の門の場所を知ったというのだ!? それにあの門はバーン様によって封じられている! 破壊することなど不可能だ!!」

「落ち着きなよミスト」

 

幾つもの有り得ないことを突き付けられ、激昂したようにミストバーンは叫ぶ。だがキルバーンはそんな親友の姿を見ながらクスクスとからかうように笑う。

 

「確かにあの門は封じられているけれど、絶対に開かないわけじゃない。ましてや相手には伝説の(ドラゴン)の騎士が二人もいるんだ。破壊するくらいの奇跡は起こして当然……違いますか?」

 

そこまで口にするとミストバーンはバーンの方へと視線を投げかけた。バーンは玉座に座したまま微動だにせず、ただ黙って二人のやりとりを見ていただけだ。沈黙を持って肯定の返事としているのか、それとも何か別の事を考えているのか、それはキルバーンにも伺い知ることは出来なかった。

 

「なんにせよ、まずは事実確認を急いだ方が良いと思いますよ。ボクの心配が取り越し苦労なら、それに超したことはありませんから」

 

だが、キルバーンはそのような事を気にすることはなかった。ただ淡々と、当たり前のようにバーンへ次の一手を求める。その言葉はどうやらバーンにとっても頷けるものだったようだ。

 

「すぐに悪魔の目玉を向かわせろ」

「ははあッ!」

 

バーンの命を聞き、ザボエラは低頭しながら叫ぶ。

魔軍司令補佐としてこの場に同席することを許され、当初はハドラーたちと勇者たちとの激戦を見物できるものだとばかり楽観視していた。それがまさかこのような状況になるとは思ってもみなかったことだ。

仮にキルバーンの言葉が事実だったとすれば、ザボエラ本人が迎撃に出向く可能性すら出てくる。そんなことになれば、確実に生きては帰れないだろう。

寿命の縮まるような思いに肝を潰しながら、妖魔士団配下である悪魔の目玉たちへ命令を下して魔宮の門方面の調査を厳命する。

一秒でも速くダイたちの居場所を見つけることを祈りながら配下からの応答を待てば、あっさりと反応が返ってきた。

 

「見つかりましたですじゃ!!」

 

すぐさま悪魔の目玉を介した映像を映し出す。

 

「……まさか」

 

ミストバーンが思わず声を漏らした。そこに映っていたのは、前部ドームから大魔宮(バーンパレス)中央部への通路を駆けるダイたちの姿だったからだ。

 

「おやびっくり……予想が大当たりしちゃったね」

「キルバーン、スゴイスゴイ!!」

 

使い魔ピロロが場違いに明るい声を上げ、手を叩く。そんな脳天気な雰囲気とは対照的に、ミストバーンは焦りの色を浮かべていた。

 

「バーン様、ここは私にご命令を!! ダイ共に大魔宮(バーンパレス)をこれ以上進めさせる理由はありません!」

「じゃあボクも一緒に行きましょうか? 何しろ相手の戦力を考えたら、戦力は多い方が良いハズ」

 

今すぐにでも飛び出したいという衝動を抑えながら、ミストバーンが進言する。するとキルバーンも乗ってきた。何か考えがあるのかと怪しさを抱えつつも、ミストバーンは主の言葉を待つ。

 

「……いや、ここはハドラーの本懐を遂げさせてやろう。その身を超魔生物へ堕としてまで、勝利を求めたヤツの執念……これは余からの手向けよ……叶う叶わぬはともかく、な」

 

バーンが下したのは、あくまでハドラーに任せるという結論だった。彼の忠誠心と決意を汲み取っているようだが、だが最後に付け足すようにして小さく呟かれた一言が本心を端的に表していた。

 

「だが、ハドラーはあの通路を直接訪れたことはあるまい。辿り着くまで時間が掛かる……そうなれば、ハドラーが到着するまでダイたちはこの主城目掛けて寄ってくることになる。それはいささか面白くない」

 

そこまで口にすると、バーンはニヤリと不敵に笑う。

ハドラーの願いを叶えてやりたいという理由は決して嘘ではない。そして、ダイたちに攻め込まれるが面白くないというのも真実だ。

 

「考えてみれば、今は大魔宮(バーンパレス)の緊急事態と呼べる。このような難事なればこそ、出番であろう?」

 

バーンは虚空へ向けてそう投げ掛ける。

ミストバーン達は一瞬その行動が理解できず疑問符を浮かべるが、だがすぐに合点が行ったようだ。ローブの下に素顔を隠した者と仮面で顔を覆う者、共に表情は分からないがどうやら愉悦のような表情をしていた。

そして、明後日の方向からは焦ったような気配が漂ってくる。

 

「どうした、本来ならば率先して出向くべきではないのか? それとも、余が手ずから尻を叩かねば動けぬか? 余の鞭は、少々キツいぞ……身を焦がさんばかりに」

 

ダメ押しとばかりに火球を生み出して見せる。それは火炎呪文(メラ)によって生み出された小さな火の玉に過ぎない。

だが効果は抜群だったようだ。

気配は更に焦りを帯び、同時にその場から大急ぎで離れていった。

 

「あいつに相手が務まるとは思えませんが……」

「かまわん。常日頃、自らを大魔宮(バーンパレス)最強の守護神などと名乗っておるのだ。ならば名を上げるこの好機を逃しはすまい?」

 

ミストバーンの言葉にバーンは皮肉の混じった表現を添えて答える。本心では、期待などしていないことが言葉の端々に現れていた。

 

「なに、耐えておればいずれハドラーもやってくる。ならば、案外粘るやもしれんぞ」

「なるほど……バーン様はお優しいようで……」

 

大魔王の気遣いを垣間見て、死神はつられたように哄笑を上げる。三名のやりとりを見ながら、自分が選ばれなかったことにザボエラは心の底から安堵していた。

 

 

 

 

 

「ここから先、貴様らを通すわけにはいかんのだぁ!!!」

 

一言で表すならば、自暴自棄(ヤケクソ)と評するのが最も相応しいだろう。行く手を塞ぐように現れた敵の姿に、三人は呆然としていた。

 

「コイツは……?」

「姉ちゃん!?」

「あー……忘れていた、ってわけじゃないんだけど……」

 

ダイとバランは少し遅れて着いて来ていた少女へと目をやり、その視線を受けたチルノは思わず頭を抱えていた。だが目の前の相手はそんなことなどお構いなしに続ける。

 

「我輩こそが大魔宮(バーンパレス)最大最強の守護神! (キング)・マキシマム!! 貴様らをこれ以上通すわけにはいかんのだ!!」

「キング……」

「マキシマム、それがお前の名か」

 

(キング)・マキシマム。

オリハルコンで出来た肉体を持った人型の金属生命体である。その姿はチェスの(キング)というよりもトランプの(キング)の方が近い。恰幅の良い巨体に鎧を纏ったような姿をしており、容姿は口髭を生やした壮年の男性といったところか。加えて王の象徴たる王冠を被っている。

同じオリハルコンの金属生命体であることと、チェスの駒をモチーフとしていることからハドラー親衛騎団を連想するかもしれないが、彼の場合は少々事情が異なる。

親衛騎団の面々は駒を元にハドラーが禁呪法によって命を与えた存在だが、マキシマムは生きている駒(リビング・ピース)と呼ばれる歴とした怪物(モンスター)なのだ。

 

「まさかここで出てくるなんて……ありえないってタカを括っていたわ……」

 

本来の歴史から敵の性格も知るため、まさか出てくるハズがないだろうと思い込んでいた自分をチルノは恥じていた。

マキシマムはバーンの所有する十六個のオリハルコン製のチェス駒のうち、(キング)の駒である彼のみが怪物(モンスター)として意志を持った存在である。

だがその性格は良く言えば狡猾、悪く言えば下劣にして姑息。

戦いで消耗しきっていたり弱った者を狙って刈るという、いうなれば「安全確実に勝てる場合のみ出陣する」戦法をとるのだ。

 

確かにそれもある意味では合理的な戦術の一つであり、弱った相手から潰すことで敵方の士気を挫く効果があるのも認めよう。チェスの戦術にも「弱い味方を囮に強い敵を潰す」「敢えて急所を見せることで逆に全体を操作する」といった手段は確かに存在するのだが……

この男の場合は別である。

どう考えても「味方の防衛」よりも「自尊心を満たすために勝利する」という闘い方を主眼に置いているとしかチルノには思えなかった。

そのため、(ドラゴン)の騎士を二人も相手にするという、通常ならば絶対に勝てない戦いに挑んでくるなど、最初っから想定外だったのである。

 

「ダイとバランがここにいることを知れば怖くなって絶対に近寄ってこないと思っていたのに、どういう風の吹き回しかしら?」

「ムウゥゥ? そ、そのようなことを思っているとは心外な!! 我輩は常にこの城を守護することを考えておる!! 強敵が強くて逃げるなどあ、あ、ありえんわ!!」

 

などと偉そうなことを言ってはいるものの、内心は真逆である。

 

――ここで退けば、その先に待ち受けているのはバーン様による制裁!! そうなれば我輩は確実に死ぬ!! ここはなんとしてでも、どんな手を使ってでも生き延びねば!! 

 

マキシマムの心の中では、恐怖と恐怖がせめぎ合っていった。まあ、バーンに「挑め。退けば我が手で殺す」と脅されれば、大魔王軍に所属する者は否応なく出撃せざるを得ないだろう。

進んでも死、退いても死であるが、退けば確実な死である。前者はまだハドラーが来るかもしれないという希望的観測があるだけ、生き延びる可能性はあった。

そのためマキシマムはこの場を無事に切り抜ける方策を必死で模索し続ける。

 

「えっと、姉ちゃん……コイツって強いんだっけ……?」

「い、一応はオリハルコンの身体を持っているし、部下を操る能力もあるんだけど……」

「馬鹿馬鹿しい、時間も惜しいのだ。さっさと倒して先へ進むぞ」

 

強がっているのを隠そうともしない、戦う覚悟すら決まっていないような相手がまさかこのような場に出てくるとは思ってもみなかった。ダイの呆れたような声にチルノはそれでも警告を促そうとするが、バランは必要ないと切って捨てた。

真魔剛竜剣を抜き放つと八相に構え、それを見たダイも背中から剣を抜こうとして――抜けなかったため、慌てて短剣を装備する。

 

「な、舐めるな!! 来い、我が最強の軍団よ!!」

 

敵が今にも襲いかかって来そうな様子に、そう叫びながら指先をパチンと鳴らす。それを合図として、マキシマムの影からは兵士(ポーン)が七体、騎士(ナイト)城兵(ルック)僧正(ビショップ)がそれぞれ一体ずつの計十体のオリハルコン兵が姿を表した。

彼らの姿は皆、地上でポップたちが戦っているハドラー親衛騎団とほぼ同じ姿をしていた。

唯一違う点があるとすれば、親衛騎団の面々はそれぞれが紋章(エムブレム)を刻んだ腕章を付けているが、コイツらはそれが無いということ位か。

突然敵が増えたことに、ダイたちは僅かに警戒色を強める。

 

「アレはマキシマムの命に従うだけの人形よ。融通も利かず、自発的に動くことはないけれど、命令には絶対服従だからそれだけは気をつけて!」

「なるほど、まさに盤上の王そのものの能力ということか」

 

だがその警戒もチルノの言葉ですぐに解かれた。

特に正式な(ドラゴン)の騎士として幾多の戦いを経験してきたバランからすれば、似たような相手など両手に足らぬほど知っている。今回もそれと同じような、言ってみれば作業のようなものでしかない。

 

「小娘! どこでそれを知った!? ええい、者どもかかれ!!」

「バカが! その程度で勝てると思ったか!?」

 

再びマキシマムが指を打ち鳴らすと、七体の兵士(ポーン)に加えて騎士(ナイト)が一斉に飛びかかり、ダイとバランもまた同時に動き出す。

機首通路は横にも広く、ダイとバランの二人が並び立ってもまだ余裕で戦えるほどの幅を誇っていたが、それでも八体の敵が同時に襲いかかってきては話は別だ。八対二という目まぐるしい乱戦が繰り広げられた。

 

「チェスって確か一度に動かせる駒は一つだけだろ!? インチキだ!!」

 

そう叫ぶものの、ダイの顔色はまだまだ余裕そのものだ。一度に複数を相手にするものの、敵の攻撃はどれも教科書通り――言ってしまえば基本ばかりで応用がない。馬鹿正直な一撃ばかりなのだ。

加えて、一度に襲いかかってくるものの連携というものも皆無である。数の利点を活かせず、言うなれば一対一の戦闘を幾つか同時に行っているようなものでしかない。

個々の能力で負け、補い合って戦うことすら出来ぬようでは、如何にオリハルコンの戦士といえども敵ではなかった。

 

ダイが短剣を振るうたびに兵士(ポーン)たちは傷ついていき、合間を見ては竜闘気(ドラゴニックオーラ)を込めた拳を振るう。その一撃によってオリハルコンの身体はまるで陶器を砕くようにあっさりと破壊されていく。

バランの戦いに至っては一方的という言葉すら生ぬるい。同じオリハルコン製の真魔剛竜剣では防ぐことも出来ずに兵士(ポーン)は両断され、飛びかかってきた騎士(ナイト)などは剣を振るうのも無駄とばかりに蹴り飛ばされた。吹き飛んだその先には別の兵士(ポーン)がおり、激突に巻き込まれて両者はボロボロにされていた。

 

――待って、確かマキシマムは……!!

 

ダイたちの圧倒的な戦いを前にして、チルノはあることを思い出す。

本来の歴史でもマキシマムは似たような危機に瀕していたことがある。ならば、取る手段も当然似通ってくるはずだ。

 

「……【魔法剣フレア】」

 

そこまで判断するとチルノは誰にも気付かれない用にガリアンソードを引き抜くと、魔法剣を発動させた。フレアの魔法を込められた剣は、その膨大な熱と爆発力をひっそりとその内に秘める。

時を同じくして、ダイたちが敵兵たちを全て倒していた。

 

「ふははははっ!! よくやったぞ兵士(ポーン)ども!!」

 

部下達が全滅してもマキシマムは気にした様子も見せなかった。

それも当然だろう。チェスとは王を取らぬ限り負けではない。(キング)である彼からすれば、部下達は全て自身の作戦遂行のための手駒に過ぎないのだ。

兵士(ポーン)騎士(ナイト)の全滅という犠牲を払ってでも、マキシマムには必勝と信じた策を用意してあった。

 

「やれい僧正(ビショップ)!! そいつを人質にしろ!!」

「やっぱり……」

 

王の命令に従い、通路の下から僧正(ビショップ)が姿を見せた。しかも場所はチルノの目の前である。

今までの行動は全て囮でしかなく、本命はこの奇襲攻撃だった。親衛騎団のフェンブレンと同じく、僧正(ビショップ)もまた全身これ刃物で構成されている。両腕をドリルのように回転させることで床下を掘り進むことが出来る。

兵士(ポーン)騎士(ナイト)を一度に飛びかからせたのも僧正(ビショップ)の動くを隠すための壁代わりであり、目的の位置まで掘り進むまでの時間稼ぎ、ただの目眩ましに過ぎない。

 

「何んだと!?」

「姉ちゃん!! コイツ、また!!」

 

さすがにこの動きにはダイたちも少々肝を冷やしていた。特にダイからすれば、今すぐにでも援護に飛び出したいところだろう。

だがそれが予期できないほどマキシマムもバカではなかった。僧正(ビショップ)が姿を見せると同時に温存しておいた城兵(ルック)へと命令を下し、王命を受けた城兵(ルック)は目立つようにことさら大きな音を立てながらダイたちへと襲いかかっていた。

 

チルノを人質にすることでダイとバランの動きを封殺し、確実な勝利を得る。倫理を無視すれば悪くない一手だろう。事実、チルノはどちらにとっても代えがたい存在になっている。彼女を抑えられては二人とも間違いなく攻めあぐねていたはずだ。

 

――計算通りにいけば。

 

「黙れ!! これはインチキなどではなく策略だ!! 二人とも、その小娘の命が惜しければばばばばばああぁ!?!?」

 

勝利を確信し、勝ち誇ったような叫び声はその途中で驚愕の声へと変わる。

誰にも気付かれぬ様に駒を動かし、密かに進めていた必勝の策。だがその希望はあっけなく打ち砕かれていた。

僧正(ビショップ)の動きを予期していたチルノは、敵が襲いかかってくると同時に剣を振るうと、相手を一刀両断にして見せた。同じくオリハルコン製というただでさえ高いガリアンソードの攻撃力は、魔法剣フレアによって底上げされている。

攻撃と同時に込められていた高熱が切断面を溶かし、一拍遅れて猛烈な爆発が巻き起こる。

 

「ど、どどどどどどういうことだこれは!?!?!?」

「やることは同じ、か……」

 

両断され、融解し、爆発四散していく僧正(ビショップ)の姿。それはマキシマムが夢想していた光景とは真逆の、悪夢のような光景だった。

だが、彼の災難がこれだけで終わるはずもない。

 

「……あ」

「今のは多少驚かされたぞ」

「覚悟しろ!!」

 

少し目を離した隙に、城兵(ルック)も倒されていた。それどころか、二人の(ドラゴン)の騎士に挟まれていた。

しかも――持ち主の怒りに呼応したのだろう――いつの間にやらダイは背中からダイの剣を引き抜いている。

真魔剛竜剣とダイの剣。二振りの剣に挟まれた恐怖からマキシマムは怯えたように一歩下がろうとして――盛大にすっ転ぶ。

 

王手(チェック)……いえ、詰み(チェックメイト)ね?」

 

チルノがにっこり微笑んだ。

いつの間にか彼の足にはガリアンソードが絡みついていた。僧正(ビショップ)を倒した後で、万が一の逃亡に備えて仕掛けていたものだ。それが功を奏したらしい。

 

敵の前で転び、無防備な姿を晒す。

現状、彼にとって考え得る限りの最悪な展開であった。部下を全て失い、満足に抵抗することも出来ない。裸の王となった今のマキシマムに出来ることは、もはやたった一つ。

 

「ま、待て待て待て!!! 違う!! 違うのだああぁぁぁっ!!」

 

――謝罪と弁明の言葉を並べることだけだった。

余談ながら、どうやら金属生命体も恐怖で泣くということが証明された。

 

 

 

 

 

「無駄な時間を取ったな」

「そうだね、早く先に進まなきゃ……」

 

時間にすれば、ほんの数分の戦い。だがそれでも足止めは足止めであり、その効果は決して無駄ではなかった。

 

「待てっ!!」

 

再び彼らの向かおうとする先から聞こえてくる声。どうやらバーンの取った策は妙手と呼んで良いようだ。

 

「まさか本当にここにいるとは、思わなかったぞ」

 

通路の先からハドラーが現れる。

 

 




ということで、出オチの王様マキシマムさんの登場&退場です。

原作からしてコイツの扱いは踏み台ですから。即退場させても誰も困らないですね。
能力的には弱くないはずなのに、345歳児はこれだから……
バーン様に脅されなかったら、間違いなくコイツは出撃しなかったでしょう。

しかし今回の話、読む必要も書く必要も本気で無いですね。
(ヒキが変わってないので)


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LEVEL:91 魔神倒れる

新アニメ、10話でワニさん撃破ですか。
漫画だと25話くらい。旧アニメだと18話くらいでワニさん倒してます。
……はやい。



「ハドラー……」

「やはり来たか………」

 

どうやら"足止め"という一点においてのみ、マキシマムは値千金の活躍をしたようだ。

再び眼前へと立ち塞がったハドラーの姿を見ながら、二人の(ドラゴン)の騎士は忌々しげに呟いた。

速攻でバーンを討ち取ることを目的としている彼らから見れば、今のハドラーは可能な限り戦闘を避けたい相手だった。超魔生物・オリハルコン・竜闘気(ドラゴニックオーラ)という考えうる限り最悪の要素を取り揃えている敵など、倒すのにどれだけ時間が掛かるというのだろうか。マキシマムがやってきたことで既にバーンに気付かれてはいるだろうが、それでも早く挑めばその分だけ準備の時間を削ることができるのだ。決して無駄ではない。

 

理想を言えば地上のポップたちにハドラーも合わせて引き付けて貰えれば、戦わずにやり過ごすこともできたのだろうが、どうやら物事はそうそう上手くは行かないようだ。

 

「む、コレは……?」

 

対してハドラーは、ダイたちの不自然な点に気がついた。全力で大魔宮(バーンパレス)へと向かっているのであればここで足を止めているのはおかしく、また彼らの足下にはここで倒されたであろうオリハルコンの残骸が転がっている。

ハドラーにはその残骸に見覚えがあった。

 

「ヒム!? シグマ!? ブロック!? フェンブレン!? いったいどうしたというのだ!!」

 

親衛騎団とよく似た――というよりも瓜二つの破片を見て、ハドラーは思わず声を荒げる。

 

「……いや、違う。よく似ているが別人か」

 

しかしそれも一瞬のことでしかなかった。すぐに別の個体と気付き、冷静さを取り戻す。

 

「とすれば、別のオリハルコン兵……ならばコイツが親か?」

「マキシマムって言ってたけど、知らないのか? お前らの仲間だろ?」

「知らんな」

 

バラバラになった残骸を目にし、マキシマムという名を聞いても、ハドラーにとっては覚えがない相手だ。つまり、大魔王軍全体で見たとしてもマキシマムはその程度の存在でしかないということでもある。

 

――じゃあ、マキシマムが来たのは独断……少なくともハドラーに知らせたわけじゃない?

 

ハドラーの言葉を耳にしながら、チルノはなんとか戦局を探る。

なにしろ本来の歴史に存在しない局面に挑んでいるのだ。台本に頼れない以上、少しでも相手に繋がる情報を求めるのは当然のことだ。何が役に立つのか分からないのだから。

 

「だがどうやらコイツのおかげで、貴様たちと戦うことが出来たようだ。その点だけは礼を言っておこう」

 

ハドラーが口にしたことは事実であり、ダイたちにとってみれば(いたずら)に時間を浪費しただけの、得るものが無い戦いでしかなかった。

マキシマムとの戦闘で唯一利点があったとすれば、ダイたち全員が戦闘態勢を整えているということだろう。

バランは言うに及ばず、ダイですら"ダイの剣"を手にしており、チルノなど魔法剣フレアを唱えたガリアンソードを抜いている。

戦闘をしたことで軽い興奮状態ともなっており、気力は充実している。加えて肉体的なダメージは皆無である。言うなれば充分に肉体が温まった状態でハドラーと戦えるのだ。

 

――そして、オレにあいつらの心意気を改めて感じさせてくれたこともな!!

 

だが利点があったのはダイたちだけではない。

前述の通りハドラーが彼らと戦うだけの時間を稼げた点もあり、そして親衛騎団に酷似した姿を持つオリハルコン兵を見たことで、彼の中に元々存在していた感情が更に気炎を上げていた。

決して口には出さないが、ハドラーはマキシマムへ向けて僅かに感謝の念を贈る。

 

「もはやオレは負けられん! 生か死か、二つに一つよ!!」

 

不退転の覚悟を叫びながら、両手にバスケットボール程の光球を生み出した。それを見た途端、三人の警戒心が一気に跳ね上がる。

 

極大爆裂呪文(イオナズン)!!」

 

先手とばかりに両手の光球をダイとバランのそれぞれへ向けて放つ。以前の戦いと同じく先手をとり続けることで流れを作り上げ、戦況を支配しようという考えからだ。

迫り来るイオナズンの呪文を、けれども二人はまるで申し合わせたように左右それぞれ別々に動くことで回避していた。彼らの耳に背後から届くのは、蛇が這いずる姿をイメージさせるような微かな音。それを聞きつけた途端、事前打ち合わせもなしにそう動けたのはやはり親子だからだろうか。

誰もいなくなった場所に光球が着弾し、虚しく爆発を起こす。

 

「そこっ!!」

 

二人が開けた道を通すようチルノはガリアンソードを振るう。呪文を放ったハドラーの隙を狙っての攻撃だ。鞭状に変化させたガリアンソードは爆煙を切り裂き、さながら無人の野を行くように猛然とした勢いでハドラーへと襲いかかっていた。

加えて左右に分かれたダイとバランの存在が注意力を分散させるのに一役買っている。二人とも避けたと同時に敵を挟み込んで攻撃することを狙っているのだ。

三点に意識を向けねばならず、どれだけの強者であっても動きに迷いが生じるであろう。

 

「甘いわっ!」

 

だがその期待は儚く消える。

ダイとバランには目もくれず、ハドラーは竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏うと迫り来るガリアンソードを真っ向から迎え撃つように進み、強引に蹴り返して見せた。それも先端部分をだ。

幾つかの節に分割しているために威力は少ない事に加え、竜闘気(ドラゴニックオーラ)でカバーしているものの、それでもオリハルコン製の刃を相手に肉体で弾き返すとは誰しも考えていなかった。機先を制するためのトリッキーな行動を利用され、反対に驚かされる結果となる。

 

「うそっ!? くぅ……!!」

 

幾らチルノの意志に従い自由自在にその姿を変えるガリアンソードといえど、強烈な蹴りで弾き返されてはたまらない。満足に操ることもできず、加えてこの中では小柄で最も非力であることが災いして、チルノは逆に剣に振り回されてしまう。

 

「姉ちゃん!?」

「大丈夫! ダイはハドラーに集中して!」

 

姉の悲鳴に思わず反応してしまうのは仕方のないことだろう。動きを鈍らせたダイを集中させるべくチルノは叫ぶ。

だがダイは見てしまった。

剣を力ずくで無理矢理に制御した影響か、膝を付いてどこか苦しげな表情を浮かべる少女の姿を。それまで見たことのない苦しんだ様子に、弟の動きが鈍る。

 

一方バランはそのような動揺は一切見せない。

いや、決して心配してない訳ではないのだが、今バランが心配したとて事態が好転するわけでもないことを彼はよく理解していた。この辺りは積み上げた経験の差だろう。

今できる最善の行動はハドラーを倒すことと信じ、真魔剛竜剣を振り下ろす。

 

「二対一……いや、三対一だが文句を言うな! こちらにも事情があるのだ!!!」

「当然だ! 文句も怨みも無い!!」

 

右腕から地獄の爪(ヘルズ・クロー)を生み出すと、その攻撃を受け止めて見せた。ハドラーのその行動に、バランは明確な理由こそないものの不可思議な疑問を覚える。

オリハルコンが埋め込まれており、ハドラーの操る武器も同材質であることはバランも周知の事実である。

だが何かが違う。パプニカでハドラーと戦ったときと何かが違うのだ。

疑問そのものを切り裂くように二発目の斬撃を放ち、それをハドラーが回避した瞬間にバランは違和感の正体に気付いた。

 

「馬鹿な、これは……!!」

「貰ったぁ!!」

 

気付きに驚かされ、バランの動きが止まる。それは一呼吸するよりもずっと短い時間でしかなかったが、今のハドラーには十分すぎる隙だ。絶好の好機と確信してバランへと攻撃を繰り出す。

 

「マ、【マイティガード】!」

 

続いてチルノが魔法を唱えた。かつての戦いでも使った防御魔法である。

だがいささか遅かったようだ。

直撃こそ避けたもののハドラーの一撃はバランの腕を掠め、左腕から出血する。続いて、まるでそれを確認するまで待っていたかのようにバランの身体に防御膜が張り巡らされる。

 

「父さん! くそっ!!」

「遅いぞダイ!!」

 

父がダメージを受けたことで迷いが晴れたのだろう。ダイが遅ればせながらハドラーへと挑みかかろうとするが、ハドラーの攻撃の方が早かった。

左腕に仕込まれた地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を伸ばすと、ダイを縛り上げるように操る。とはいえこの武器の存在を知っており、チルノを相手に似たような経験を積んでいるダイならばそれほど不安になることもない。

 

「なんの!」

 

迫り来る鎖を振り払うべく"ダイの剣"を打ち合わせた。それを見た途端、ハドラーの顔が邪悪に歪む。

 

「そこだぁっ!!」

「う、ぐああああぁぁっ……!!」

「馬鹿な! あれは雷撃呪文(ライデイン)か!?」

 

その瞬間を逃すことなく、ハドラーは電撃(・・)を放った。地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を伝わって走るそれは一瞬でダイの元へと届き、肉体を焦がす。それに驚かされたのはもうバランであった。

予期せぬ一撃を、それも電撃による攻撃を受けてダイの動きが止まってしまう。ハドラーからすれば絶好の好機だ。

 

「ダイ! ……うっ!」

「…………」

 

ダイを救おうと動こうとするチルノであったが、思わず動きを止めてしまった。

原因はハドラーに睨み付けられたためだ。それもただの睨みではなく、鋭利な刃で貫かれた方がまだマシと思わせるほどに鋭く、凍てついたハドラーの視線である。

 

――ううん、それだけじゃない……これは一体……?

 

それだけで射竦められるほど今のチルノは脆弱ではない。ならばどうして? とチルノは自問する。

思えば、先ほどマイティガードの魔法を唱えようとした時もそうだった。本来ならばもっと早く完成させられたはずのそれだったが、普段の状態と比べると今はどうにも集中できずにいた。

ただ、その原因が分からない。もしも病気などであれば、もっと早くに影響がでてもおかしくはないはずだが……

 

「ま、まだっ!!」

 

原因不明の不調に悩まされながらも、チルノは止めた手を再び動かした。

 

「【ファイラ】!」

 

集中しきれないため高位の魔法は操りきれないと判断し、中位の火炎魔法を操って炎の壁を作り出す。

 

「ほう……」

 

射線が遮られたにも関わらず何か思うところがあるのか、ハドラーは無反応であった。

 

「無事か、ディーノ?」

「大丈夫……驚かされたけれど、ダメージはそんなには……」

 

復活したダイの元へとバランが近寄る。軽く目で見るが、その言葉通りにダメージそのものは軽微らしい。それは喜ばしいことだが、バランにはどうしても捨て置けない事実があった。ハドラーに視線を飛ばしながら口を開く。

 

「あの時よりも強くなっているな……ハドラー! 一体、何をした!?」

「何をした、か……強いて言えば、人間ならば……いや、生物ならば当然のことをしたまでよ」

 

以前、パプニカで戦った時と比較してもハドラーは明らかに強くなっていた。戦闘技術が更に向上しており、至近距離で見たことで竜闘気(ドラゴニックオーラ)の質と量とが明らかに洗練されていることにも気付けた。だがどうしてそうなったのかが分からない。

 

「修練と、成長だ!」

 

訝しげに尋ねるバランに対し、ハドラーは事もなさげに答えた。

 

ダイたちが死の大地へと攻め込むまでの間に装備を調えたり、修行を重ねることで強さの底上げをしていたように、ハドラーもまた同じ事を行っていた。

超魔生物と化す前のハドラーであればガーゴイルやアークデーモンといった怪物(モンスター)を相手にするしかなかったが、今は違う。オリハルコン親衛騎団という、最高の特訓相手たちがいる。

親衛騎団の面々は皆、チェスの駒から生み出された存在。王の命令に従い恐れることなく戦闘を続ける、言うなれば生まれながらにして戦闘の天才ばかりだ。

実力そのものはハドラーの方が強いものの、生まれ持っての戦闘センスの塊を相手にすれば学ぶ部分は多かった。

ましてや今のハドラーは超魔生物だ。損傷をたちどころに修復するその肉体は、再生と同時に成長を行う。つまり、鍛えれば鍛えるほど強くなっていく。

ただそれは成長の前借り――言うなれば、寿命と引き換えに力を得ているに過ぎない。

 

そして、先ほどハドラーが放った電撃も雷撃呪文(ライデイン)などではない。

そもそも如何に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操れたとしても操れる呪文は生来決まっているので、後天的に増やすことなど出来ないのだ。

彼が操った電撃の正体は、いわゆる生体電流だった。魔物の中には体内で電撃を発生させることで稲妻を呼び寄せる者がいるが、これはそれに近い。

体内で電撃を生み出して相手を直接攻撃する。そのため雷撃呪文(ライデイン)よりもダメージは低いが、これもまた超魔生物としての能力と肉体の使い方をより詳しく覚えたことで生み出された結果の一つだ。

 

「見ろ! もはや貴様ら(ドラゴン)の騎士と遜色のない竜闘気(ドラゴニックオーラ)の輝きを!!」

「ぐ……なんと!」

「……っ!」

 

ハドラーと親衛騎団は互いに互いを研鑽させていき、その中で竜闘気(ドラゴニックオーラ)の扱い方をも進歩させていた。鍛錬の成果を見せつけるように竜闘気(ドラゴニックオーラ)を放ってみせると、(ドラゴン)の騎士たちは声を上げる。

言葉の数は少ないものの深い驚嘆の反応が、逆に言い様のない反応をよく表していた。

 

「う……こ、これって……」

 

同じく竜闘気(ドラゴニックオーラ)を見せつけられたチルノだけは、少しだけ違った反応をしていた。感覚としては立ちくらみというところだろうか? それを何倍も何倍も強烈なものへとすれば、今のチルノの状態に近いだろう。身体の内側から滾々(こんこん)と湧き上がってくる感触は、気持ち悪いを通り越して辛く苦しいものだった。

 

――ううん、それならバランとの戦いの時に同じ感覚になっているはず……そういえば、最近もこんな感覚を味わったような……いつだっけ?

 

ハドラーの闘気の影響を受けての、いわゆる悪酔いのようなものかと思ったが、すぐにその考えを自分で否定する。ヒントに繋がりそうな何かに思い当たりそうだったが、頭は正常な思考をしてくれない。ついにはまともに立っていることすら叶わず、膝を付いてしまう。

 

「メラミ!」

 

そんな明確な隙を狙われないはずもない。ハドラーは火炎呪文を唱えるとすぐさまチルノへ向けて放つ。片手で持つことは不可能なほどの火球が高速で襲いかかっていく。

 

「姉ちゃん!!」

 

隠しきれないほどの不調を見せている今のチルノでは、メラミの呪文に気付くことはできたもののそれを避ける素振りも防ぐ素振りすら見せることはなかった。先ほどから続く変調のせいで、思うように動く事が出来ずにいる。

 

迫り来る火球がチルノに激突よりもはやく、その射線上にダイが割り込んできた。姉が狙われたことで超反応を見せて、彼女を庇うために飛び出したのだ。メラミの直撃によって炎に包まれるものの、すぐに竜闘気(ドラゴニックオーラ)を放って防御したおかげでダメージは皆無だった。

 

「一体どうしたのさ!?」

「わ、わかんない……ただ、気を抜いたら変になりそうで……」

 

姉に――ついでに自分にも――ダメージがなかったことに一旦安堵するものの、だが原因不明の不調を目の当たりにして心配そうに声を上げる。しかし、チルノは弟の言葉に一言返すのが精一杯であった。

 

「卑怯だ、とでも言うか? だが弱っている者から狙うのは戦いの基本よ」

「ああ、そうだな。怨みも文句もない」

 

ハドラーとバランは、互いににらみ合ったまま動くことはなかった。交わされた短い会話は、まるで多対一の戦いを繰り広げていたことに対する皮肉のようだ。

敵からの言葉を当然のように受け止めると、バランは声を張り上げた。

 

「ディーノ! お前はそこにいろ!! この戦いにはこれ以上は手を出すな!!」

「ええっ!! ど、どうしてさ!?」

「今のお前では足手まといだからだ!!」

 

父親からの突然の戦力外通告にダイは動揺の色を隠しきれなかった。複数で戦った方が圧倒的に有利であることは誰しもが知っている常識だ。ならばバランの中の(ドラゴン)の騎士の誇りが、不平等な戦いをこれ以上続けることを嫌がったのだろうか?

一瞬そう考えるものの、真実は違った。

 

「……大切な者を失わぬように守ってやれ。私には出来なかったことだ」

 

先ほどの有無を言わさぬ強い口調から一転した、強さこそ変わらぬものの静かで優しげな言葉だった。それはかつてのバランの苦い経験をダイにさせたくないという気持ちの現れからの言葉だった。

何が原因なのかチルノはまともに戦力として数えられなくなっており、ダイはそれを気にしすぎて集中力が散漫になっている。先ほどのハドラーのようにチルノを狙って攻撃をされればダイがすぐに反応してしまい、そこから逆転されるという可能性は十二分にありえる。ならば、数の有利を捨ててでも一対一の方がまだマシだろうという戦略的判断の結果でもあった。

付け加えれば、チルノのすぐ傍にいさせてやることでダイの精神も安定するだろうという配慮もある。

 

「それは親子愛というやつか?」

「ああ、半分はそれだ。息子に同じ想いをさせたくない」

 

魔王軍時代のバランからすれば有り得ないほどの行動に、ハドラーは思わず声を掛けていた。とはいえ、今のハドラーならばバランの気持ちも分からなくはなかった。親衛騎団という部下との交流経験を得たことで、子を大事に思う親の気持ちが擬似的に理解できたのだ。

 

「……半分?」

 

自身の変化に気付いたことで微かな驚きを感じながら、だがハドラーはもう一つの事実に気付く。今バランは半分と言った。ならば、もう半分の感情は一体なんだというのだ。

彼が問い質そうとするよりも早く、バランは動いていた。

まるで消えたかのような速度で動き間合いを詰めると、相手の腹部目掛けて強烈な一撃を叩き込んだ。あまりにも目まぐるしい速度の攻撃を防ぎきれず直撃を受けてしまい、強烈な衝撃でハドラーの身体が僅かに浮かび上がった。

 

「がっ!!」

「もう半分は、貴様が知る必要はないことだ」

 

苦しげな声を零すハドラーに向けて、バランはそう呟いた。

尤も、ハドラーには――いや、世界中の誰であったとしても、バランがもう半分の理由を教えることはないだろう。おそらくこれは、一生胸の裡にしまっておくであろう理由。男の意地と見栄がせめぎ合った結果の行動だ。

 

――息子に良いところを見せたいからだ。など、口には出来んな。

 

そこまで考えかけて、彼は自身の思考を自ら打ち消した。

もしかしたら、この世界にたった一人だけ語れる相手がいるかもしれない。そう思い直したからだ。

鬼面道士ブラスである。

息子たちの親代わりとして育ててくれたという彼が相手ならば、自然と話すことができるかもしれない。一度で良いから、会って話をしてみたい。

それを叶えるためにも、是が非でもこの戦いに負けるわけにはいかないだろう。

未来を夢想し微かに唇を歪めると、バランは追撃を放った。

 

「ぐぅっ、おのれ!」

 

重い一撃を喰らいハドラーはうめき声を上げるが、それだけだ。追撃するバランを迎え撃つべく、右手を振るう。地獄の爪(ヘルズ・クロー)と真魔剛竜剣とが激突しあい、甲高い金属音が響き渡る。

 

「ふんっ!」

 

互いの攻撃同士の衝突によって、一瞬の拮抗状態が生まれた。そのまま力比べへと展開するかと思えばさにあらず。バランは絶妙な力加減で上手く捌くと、僅かに体勢を崩したハドラー目掛けて跳び膝蹴りを放った。

 

「くっ!」

 

猛烈な勢いで迫り来る膝をハドラーは大きく仰け反って躱し、その勢いを利用して距離を離そうとする。だが、そうはさせじとバランは更に距離を詰めてきた。

互いの呼吸音すらはっきりと聞こえそうなほどの超接近戦を挑むと、バランは連続で剣を振るっていく。

 

「おおおおおぉぉぉっっ!!」

「ぬっ! くううぅ……!!」

 

息もつかせぬ連撃に負けじと、ハドラーもまた拳を振るう。両手に地獄の爪(ヘルズ・クロー)を生み出すと、手数で勝負とばかりに高速で殴っていく。距離が近すぎるがためか、剣は当たれども致命傷にはほど遠く、爪の攻撃は剣の鋭さに押されてかバランの身体を掠めはすれども決定打とはならない。

だがそれでも両者は確実にダメージを受けていた。

竜闘気(ドラゴニックオーラ)による防御を上回る攻撃が互いに襲いかかり、少しずつ怪我が増えていく。バランから流れ出る赤い血とハドラーから流れ出る青い血が、霧のように戦場を少しずつ彩っていく。

 

そして――

チルノを守るべく戦線を離れたダイは、二人の戦いを見ながら首を傾げていた。超接近戦を繰り広げる二人の姿は、彼の目からすればおかしなものであった。

拳と爪を武器とするハドラーならばともかく、剣が最大威力を発揮するのはもう少し離れた位置のはずだ。あのような闘い方を見せるバランが不可解で仕方なかった。

それでも、姉をこれ以上の攻撃に巻き込ませないよう背中で庇いながらダイは二人の戦いに細心の注意を払っていた。

 

「ダ、ダイ……」

「姉ちゃん! 喋らないで安静にしてて!!」

「だいじょうぶ、それより……バランをよく見ていて……」

 

だが突然背後投げかけられた姉の言葉に彼は思わず視線を切り、振り返ってしまう。チルノは苦しそうな様子を我慢してそれを咎めるようにダイの視線を促した。

 

「父さんを?」

 

姉の言葉にダイは素直に従い、視線を不承不承(ふしょうぶしょう)に戻す。

 

「たぶん、バランは私たちから注意をそらすために無理をしていると思うの……」

「え……!?」

 

自分たちから注意を逸らすため。

そう言われて改めて見てみれば、なるほど確かにそう思えた。下手に距離を開ければ、ハドラーに呪文を使うだけの暇を与えてしまうかもしれな。そうなればダイは庇いに動いて余計な傷を負うかも知れない。

そういった可能性を極力排除するために、あえて不利な戦いを選んでいるように見える。

 

「でも、どこかで無理がでてくるかもしれない……だから、そのときは……私にかまわずにバランに加勢してあげて……」

 

生命力ならば、再生能力のある超魔生物が有利。バランにはチルノが張った防御結界があるため、防御力とならば良い勝負になるはずだ。だが超魔生物相手に良い勝負ではいずれは押し負けるのは想像に難くない。

それはバラン本人も分かっているだろう。どこかで勝負を仕掛けるはず。

 

「私はだいじょうぶだから……ね?」

 

そう考え、チルノはダイを援護に向かわせるべく自らの苦痛を押し隠すと促してみせる。返事の代わりに小さく頷くと、ダイは戦闘に目をやる。まだ姉を心配する気持ちは残っているものの、そこには先ほどとは比べものにならないほど鋭い眼を備えていた。

 

 

 

 

 

「ちっ!」

 

我慢比べに限界が来たのだろう。先に根負けしたのはなんとハドラーだった。吐き捨てるような舌打ちと共に、大きく下がって距離を取る。しかしバランはチルノの見立て通り、息つく暇すら与えないつもりで戦っているのだ。

離れたハドラーに二の矢を放たせまいとすぐさま接近してみせるが、それでも先に動いたハドラーの方が早い。二人の間に、剣一本以上の距離が開いた。

 

「今だッ!」

 

離れた瞬間を狙い済まして、地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)が放たされた。その動きはまるで生き物のようだ。蛇が身をくねらせるような巧みな軌道を描きながらバランへと襲いかかっていく。

だが複雑な動きを見せる地獄の鎖(ヘルズ・チェーン)を、バランは片手で余裕を持って捕まえていた。その動きにハドラーは思わず破顔する。

 

「この程度など!」

「甘いわっ! もう忘れたか!!」

 

バランが鎖を掴んだ瞬間、ハドラーは電撃を放った。

先ほどもダイにダメージを与えた確実な攻撃手段である。逆転の一手とはならずとも、流れを変えるだけの価値はあるはず、少なくともそう信じていた。

 

「バカめが! 甘いのは貴様だッ!!」

「うおおっ!? なんだと!?」

 

鎖に触れれば電撃が襲いかかる。

その程度のことを忘れるほど、バランは甘い相手ではない。ハドラーの放った電撃をその身に受けながらも眉一つ動かすことなく、逆に掴んだ鎖を自らの方へ向けて思い切り引っ張った。

ダメージを無視して動いてくるのは流石に予想外だったらしく、ふんばりが間に合わずにハドラーはバランスを崩してバランの元へと引き寄せられる。その視線の先にはバランの膝が再び迫っていた。

 

「……っぅ!!」

 

咄嗟に顔を捻って鼻先に膝蹴りを叩き込まれるのこそ回避できたが、それでもダメージは大きかった。蹴りの勢いに加えて引き寄せる勢いが加わった一撃は、声すら漏らすのを許さなかった。頭部を揺らされながら、ハドラーはなすすべも無く吹き飛ばされる。

 

「雷を操る(ドラゴン)の騎士が、こんな児戯に等しい電撃で動きを止めると思ったか!? 来ると分かっていればこの程度はものの数ではない!!」

 

距離が離れたことで呪文を使うだけの余裕が出来るのは、なにもハドラーだけではない。

 

「見せてやろう! 貴様のまがい物とは違う、本物の雷を!!」

 

真魔剛竜剣を天へと掲げるように構えながらバランは呪文を唱える。

 

雷撃呪文(ギガデイン)!!」

 

(ドラゴン)の騎士が最も得意とする雷撃を操る呪文だ。目も眩まんばかりの輝きと轟音を伴いながら降り注いだ一条の稲妻は、大地の岩盤を突き破り大魔宮(バーンパレス)の天井すら砕き、バランの剣へと落ちる。

 

「ギガブレイクか! くっ……極大閃熱呪文(ベギラゴン)!」

 

勝負を賭けに来たと理解したハドラーもまた、自身の最強呪文を唱えると地獄の爪(ヘルズ・クロー)へ閃熱を纏わせる。

しかしハドラーが呪文を唱え終えたときには、既にバランは動き出していた。ギガデインの超エネルギーが込められた剣を構え、ハドラーの命を奪うべく大上段から剣を振り下ろす寸前だ。ここからの反撃は絶対に間に合わない。

 

「ならば!」

「ギガブレイク!!」

 

一か八かの賭けとばかりに、ハドラーは両腕を十字に重ね合わせてギガブレイクの刃を受け止めた。反撃も回避も不可能ならば、出来ることは防御のみ。己の肉体でギガブレイクを受け止めてみせる腹積もりだった。

 

「ぐうううぅぅぅっ!!!!」

 

だがハドラーはすぐに、自らの決定がどれだけか細い道だったのかを思い知る。

真魔剛竜剣は地上最強の攻撃力を誇る剣だ。その鋭い刃は超魔生物の肉体を易々と切り裂いていく。加えてギガデインのエネルギーが剣から敵の肉体へ伝わり、細胞全てを焼き付くさんばかりの雷撃が体内を縦横無尽に走り抜ける。

まともな生物ならば、一秒と持たずに絶命するだろう。

 

「馬鹿な!?」

 

だがハドラーは耐え抜いた。

オリハルコンの骨があるにも関わらず片腕は半ば以上まで切断されており、切断面はギガデインの雷撃をまともに受けたために焼き尽くされて炭化していた。これではもはや超魔生物の再生能力があっても復元は不可能だ。

 

「ぐ、ふぅ……だ、が!」

 

奇妙なことに、高電圧によって全身を内側から焼き尽くされたにしてはハドラー本体のダメージは思った以上に少なかった。直撃を受け止めた本人ですら、耐えきれたことが予想外であったほどだ。

誰しもが驚かされた光景であったが、唯一ハドラーの肉体だけはこうなることを予期していた。生体電流を操り敵を攻撃できるようになったことで肉体は自然と絶縁体の役割を果たす細胞を生み出しており、本人すら知らない間に肉体は新たに電撃の耐性を獲得していた。

(ドラゴン)の騎士を超えんとする執念が生んだ奇跡だ。

 

「た……耐えた、だと……!?」

 

ギガブレイクをまともに受け止めたことに驚き、どちらもが無防備な姿を晒す。だが驚きの具合はバランの方が大きかった。片腕こそ破壊したもののハドラーの腕はもう一本残っており、そちらはほとんど無傷のままだ。動きを止めたバランを貫くべく、凶爪を振るわんとする。

 

「まだだっ!!」

 

ハドラーが片腕を残していたならば、バラン側にはダイが残っている。チルノの言葉を聞き入れた彼が今の窮地に黙っているはずもなかった。矢のような勢いで飛び出すと、剣を逆手に持ち構える。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

魔法剣を使っているだけの余裕はなかった。即座に放てる最強の技であるアバンストラッシュを選び、ハドラーへと叩きつけた。

 

「ぐ……ぐあああっ!!」

 

狙うは残ったもう片方の腕だ。万全の状態ならば充分に受け止めきれるが、ギガブレイクのダメージが残る肉体ではそれも叶わない。アバンストラッシュの一撃はハドラーの左腕へと突き刺さり、半ば以上まで食い込んだところで止まる。埋め込まれたオリハルコンが最後の意地とばかりに刃を食い止めていた。

 

「拳を!!」

「!」

 

それを見ていたチルノが本能的に叫ぶ。それが何を言いたいのか理解したダイは、姉の言葉に導かれるまま左拳を自身の持つ剣――その背へと叩きつけた。

 

「ぐわっ!!」

 

背中を押されるように力を加えられた"ダイの剣"はその勢いを取り戻した。それもただ殴っただけではない。かつて素手でアバンストラッシュを放った時と同じように、力と早さと闘気を込めて放ったのだ。

ストラッシュを重ね合わせた一撃に匹敵する破壊力を込められた剣は、ハドラーの腕を容易く切断するだけでは飽き足らず、その刃はハドラーの胴を切り裂いた。

そして、この瞬間を逃すバランではない。

息子に負けじと剣を振るい、重ね合わせるように剣閃を走らせる。

 

「がああああああああぁぁっっ!!!!」

 

両腕を失い胴体を切り裂かれる激痛に耐えきれず、ハドラーは断末魔の悲鳴を上げる。だが頭の中では別のことを考えていた。

 

――まるであの時の焼き直し……確かにそう思った……だが、結末まで同じとはな……

 

パプニカで戦った時には、デルムリン島でダイたちと初めて戦ったときを思い出した。そしてデルムリン島での戦いは両腕を失い、同じように斜めの傷を負わされた。

歴史の神というものがいるならば、その者はどうやら相当な皮肉屋なのだろう。

 

そんな腹立たしさと、けれどもどこか満足感を味わいながら、ハドラーはついに倒れた。

 

 




ダイたち対ハドラーの戦いはこれにて終わり。
ご都合主義の戦いの中で、ハドラー様は超頑張ったと思います。

デンキウナギ状態にされるハドラー様。超魔生物って便利ですね……

そしてチルノさん。
唐突に体調不良になってるように見えますが……一応、81話や82話で伏線らしきものは張ってるんです。
「内側から湧き出る感覚を振り払うべく~」(81)
「余波によるものか奇妙な痛みを感じるが~」(81)
「大魔法を操ったことによる影響か、肉体が僅かに不調を訴えているが~」(82)
の辺りです。
(気付くかこんなもん。もっと分かり易くしろよ私。ホント伏線張るの下手ですね)

――多分、何をやりたいかはバレてますよねぇ……


--ちょっと追記--

おそらく、12月中の更新は絶望的です。


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LEVEL:92 死神の取引

……あれ、もう「あけおめ」過ぎてる!?!?


「ディーノ!!」

 

ダイとバランの攻撃によって、ハドラーとの戦いに決着が付いた。

ハドラーへの最後の一撃を放ち、倒れたことを確認すると、バランは大急ぎでダイの元へと駆け寄る。

 

「腕は……手は無事か?」

 

彼が案じているのは息子の身――左拳についてだ。

いくら拮抗状態へ勢いを加える為とはいえ、両刃である"ダイの剣"を素手で殴ったのだ。ましてやその剣は地上最強の攻撃力をもつオリハルコン製だ。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏っていると理解していても、親であるバランからすれば、決して楽観視できない肝の冷えるような光景であった。

 

「大丈夫だよ、ホラ」

 

だがバランの心配をよそに、ダイは何食わぬ顔で左拳を見せた。

そこには、剣を殴ったことで刻まれたのだろう赤い跡のようなものはあったが、それだけだった。それ以上は何の異常も見受けられない。

オリハルコンを殴ったことで少々痛そうにしているが、それとて骨折はおろか怪我一つ負っていない。一時的な痛みを感じているだけだ。

種明かしをすれば、チルノが戦闘開始時に張ったマイティガードの効果である。物理攻撃と魔法攻撃の両方を軽減する結界を張ったおかげで、ダイが受けたダメージも最小限で済んでいた。これがなければ、いかに竜闘気(ドラゴニックオーラ)で拳を覆っていたにせよもう少し深い傷になっていたはずだ。

 

だがそれを説明してくれる者はこの場にはいない。そのためどうしてここまで軽傷なのかを少々不可解に感じながらも、息子の無事な姿に親はようやく胸をなで下ろす。

 

「それよりも、姉ちゃん!?」

「むっ……!」

 

今度はダイが慌てる番だった。

戦闘中に突然、これまでにないほど弱った姿を見せた姉の様子が気になって仕方がない。姉に言われ、戦闘に集中することで一時的に思考の外へと回していた感情が、彼の心中へ一気に押し寄せてくる。

一目散に駆け寄ろうとするダイの動きを制したのは、押しとどめるように掲げられたチルノの手だった。

 

「だい、じょうぶ……」

 

ダイの心配は徒労で済んだようだ。彼の目には、未だ膝をついているものの、先ほどよりも幾分と楽になった表情を見せるチルノの姿があった。

 

「ほ、ホントに大丈夫なの……?」

「ええ。さっきよりも、ずっと、楽になったから……」

 

そう告げる彼女の口調からは苦しさが随分と抜け落ちている。まだ不可解苦しさは体内に燻っているが、戦闘中と比べればその差は歴然としていた。ダイを安心させるようにぎこちなく微笑んで見せるチルノの姿に、彼はようやくその言葉を信じて一つ息を吐いた。

どうやら、これ以上の心配は無用のようだ。

 

「見事だ。ダイ、バラン……」

 

チルノの無事を心配していたダイとは対照的に、バランは倒れたハドラーへとその視線を向けていた。バランの視線に気付きハドラーは全身の苦痛を押し殺しながら口を開く。その声にダイもまたハドラーの方へと向きなおる。

 

もはや両腕を失った上、胸部にも夥しいほどのダメージを受けており、ハドラーの再起は絶望的だろう。それを裏付けるかのように傷口からは出血が見られていた。

彼の持つ生命力を大きく上回るほどのダメージを受けた結果なのだろう。彼が持っているはずの超常的な再生能力も働いておらず、もはや超魔生物としての死が訪れ始めていることの現れだった。

こうなっては回復手段などありはしない。ゆっくりと黒い灰となって朽ちていくのを待つのみだ。今のように口を開くことすら、残ったか細い生命を削る行為に他ならない。だがそれでもハドラーは告げずにはいられなかった。

自らの命を捨ててでも勝利を渇望した相手との決着がついたのだから。

 

「超魔生物となり、全てを捨ててでも……勝てぬか……いや、過去にこだわりすぎていたことが、オレの一番の敗因かもしれぬな……」

「ハドラー……」

 

その言葉にダイは思わず零していた。

過去にこだわっていたというのならば、ダイもまたアバンの仇という感情がある。それに、ハドラーが勝てなかったのはダイとバランの二人を同時に相手にしていたからという大きすぎる理由もある。

対等な条件とはとても言えぬ戦いだというのは、誰の目にも明らかだ。そして、不利な条件でいながらハドラーは恐ろしい程の強さを見せていた。一対一ならば勝算は十二分にあっただろう。

だがそんなものは何の慰めにもならなければ、そもそもハドラー自身が二人を相手に戦ってみせると公言している。決着の付いた今となってはそれは全て、戦いを後から汚すだけの雑音にすぎない。

 

ダイはハドラーの名前を呟くと、グッと奥歯を噛み締めるようにしてその口を噤んだ。

だがダイの胸中の感情をハドラーも理解しているのだろう。今にも苦痛に歪みそうな顔を努めて満足そうな表情へとし続ける。

 

「もはや、吹けば飛ぶようなオレの命だが……頼みがある。トドメを刺してはくれぬか?」

「えっ……!」

「お前たちに負けたと、胸を張ってあの世へと向かいたいのだ……」

「…………よかろう」

 

思わずダイはバランの顔を見た。

するとバランもまた、ハドラーの覚悟と気持ちに通じるところがあったのだろう。眉間に皺を寄せた沈痛な面持ちで、真魔剛竜剣を手にしていた。

 

「ディーノ」

 

そしてダイのことを視線だけで見る。一瞬の逡巡の後、ダイはその視線に首肯して返答すると"ダイの剣"を逆手に持つ。

 

「いくぞハドラー……覚悟はいいか?」

「ああ……」

 

ハドラーは瞳を閉じ、最後の瞬間を待っているようだった。後は二人が手にした剣を振り下ろすだけだ。だが――

 

「いやいや、それは困るなぁ」

 

何もないはずの空間から、突如として声が響き渡った。

 

 

 

 

 

「何だッ!?」

「この声は……キルバーンか!! どこにいる!?」

 

予期せぬ声にダイたちは手にした剣を構え直し、すぐさま臨戦態勢を取ってみせた。二人の視線はあちこちへと忙しなく飛び回り、闘気を探ってその気配を探知しようとする。

驚かされたのはハドラーも、そしてチルノも同じだ。

ハドラーは伏せた目を再び見開き、声のした方向――つまり通路の奥へ向けて睨み付けるような視線を向ける。チルノもまた同じように、頼りなくとも声の出所を探ろうと視線を走らせた。

 

やがて彼らの前方、ハドラーの横たわる場所よりも更に奥の空間が不意に大きく燃え上がった。まるで火炎呪文(メラゾーマ)を何発もつるべ打ちしたかのような巨大な炎が立ち上り、轟音が響く。

突然現れたその音と炎に反応して四人が凝視すると、真っ赤に燃える炎柱を切り裂くようにしてキルバーンが姿を現した。

 

「やあ皆さん、おひさしぶり。特にバラン君はいつぶりだっけ?」

 

剣呑な雰囲気が漂う渦中にいながら、けれどもキルバーンはまるで世間話でもしに来たかのような飄々とした態度だった。ダイとバランの二人の(ドラゴン)の騎士に剣を向けられているとはとても思えないほどの余裕ぶりだ。

 

「死神、何をしに来た!!」

 

剣を向け、闘志を滾らせながらバランは叫ぶ。

 

「いやだなぁ、助けに来たに決まっているじゃないか。ハドラー君のピンチなんだから」

「助けだと! ふざけるな!!」

 

いけしゃあしゃあと言ってのけるキルバーンの態度に、ハドラーは思わず叫んだ。これは既に決着がついた戦いだ。ならばこれ以上の手出しなど何の意味もない。それをどの面さげて助けに来たというのか。

ましてや出現タイミングを見れば、この瞬間を狙い澄ましていたことは想像に難くない。これで「助けに来た」などと言われては例えハドラーでなくとも素直に受け入れようはずもない。

 

「まあまあ、そう怒らないでよ。とっておきのプレゼントもあるんだ」

 

仮面に隠されてなお、他人を小馬鹿にしたような雰囲気を隠そうともせず見せつける様に放ちながら、キルバーンは指を鳴らした。パチンという小気味良い音が辺りに響き渡り――

 

「あぐうぅっ!!」

 

一拍遅れてチルノの苦痛の声が響き渡った。

 

「姉ちゃん!! ええっ!?」

「チルノ!? な、なんだと!?」

 

その声を聞きつけてダイが真っ先に反応し、一瞬我を忘れる。バランもまた視線を向け、だがこちらは驚愕していた。

そこにあったのは、どこから生み出されたのか無数の茨に全身を覆われているチルノの姿だった。彼女の四方から伸びる茨はまるで意志を持つかの様に手足へと絡みつき、動きを封じるように絡みついている。

加えて、チルノが纏っているのは特殊な製法を用いて編み上げられた衣服であり、下手な金属鎧よりも強固な防御力を誇っている。だが茨はそれを易々と突き破り、少女の柔肌へ深々とその棘を食い込ませていた。

動きを封じるよう茨が全身に絡みつき、ところどころ服が破れて素肌が見え隠れする。だが肝心の肌は浅く怪我をしており、うっすらと赤く染まっている。彼女の肌の色と相まってか、どこか退廃的かつ背徳的な匂いを醸し出しているようだ。

 

「ウフフ、二人とも良い反応だねぇ……ほら、ハドラー君。これがそのプレゼントの中身さ。これなら今のキミだってまだまだ逆転の目が有るんじゃないかな?」

 

二人の反応にキルバーンは笑いを噛み殺しながら"とっておきのプレゼント"の中身とその利用法について得意げに口にしていた。無論、決着の付いた戦いをさらに邪魔されたハドラーはますます渋面を深くするが、そのようなことを気にするキルバーンではない。

 

「アレはボクの死の罠(キル・トラップ)の一つ、その名も♣の4(クラブ・フォー)さ。こんなこともあろうかと、仕掛けておいたんだ」

♣の4(クラブ・フォー)だと?」

「そう。特殊な茨を呼び出して、相手の動きを封じ込める呪法だよ」

 

むしろその場の全員を煽るかのように、嬉々とした様子で罠の説明を初めていた。

 

「鋭い棘はどれだけ強固な鎧であろうとも簡単に貫き、相手を苦しめる。しかも、棘の先からは特殊な液体を分泌させて、それが生物に触れると感覚を鋭敏にさせるのさ――わかるかい? つまりアレに刺されると、とってもとっても痛くなる。激痛から逃れようと暴れれば暴れるほど、自分で勝手に傷ついていくんだ」

「ええーっ! 痛いのやだーっ!!」

 

不意に甲高い声が聞こえてきた。

声の主はキルバーンの使い魔ピロロだ。普段は肩に乗った姿をよく見かけるのだが、今回に限ってはどこに行っていたのか、彼の足下にいつの間にか現れていた。

 

「おやおやピロロ、どこに行っていたのかな?」

 

キルバーンはピロロを子供をあやすように抱き上げると、定位置である肩の上へと乗せる。

 

「大丈夫だよ。痛いのは、あの子だけだからね」

「それなら安心だね!」

「ふざけるな! 何が安心だ!!」

 

三文芝居には付き合いきれないとばかりに、ダイが口火を切った。

 

「アレが茨だって言うんなら、おれが全部ぶった切ってやる!!」

「待てディーノ!! 動くな!!」

 

手にした剣を構え、今にも飛びかかろうとしたところを怒鳴るような強い言葉を投げかけながらバランはダイの肩を掴んで止めた。

 

「父さん! なんで!!」

「動けるのならば、私が真っ先に動いている……!」

「さすがはバラン君、賢明な判断だね。色んな経験を積んでいるだけのことはある」

 

不満顔の息子の言葉に、バランは沈痛な面持ちでそう答える。だがバランの回答に満足そうな声を上げたのはキルバーンだった。その言葉を耳にして、完全に死神の手の上で躍らされていると理解しながら、バランは更に続けた。

 

「おそらくあれは他者を誘い込むための囮の罠だ。傷ついた獲物を餌とし、それを助けようと迂闊に近づいた相手を必殺の罠へと引っかけるためのもの……」

「なんという慧眼、素晴らしいね。ほぼ満点の回答だよ。その通り、あそこにはもう一つ、♥の2(ハート・ツー)の罠が仕掛けてある」

 

言いながらどこからかハートの2が刻まれたトランプを取り出して見せると、それを手の中で弄び始める。

 

「あれは最も単純な仕掛けでね。ハートの2、つまりハートが2つになる。相手の心臓を狙って剣が飛び出し、真っ二つにするのさ」

「こわいこわい♪」

「…………ッ!!」

 

余裕たっぷりに仕掛けの中身を喋るその姿に、バランは違和感を覚えた。そしてもう一つ、先ほどのキルバーンが口にした言葉を思い出す。

 

「……ほぼ(・・)、だと?」

「そうだよ、ほぼ満点。♥の2(ハート・ツー)が狙うのは迂闊に近づいたお馬鹿さんじゃなくて、あの子だからね」

「なにッ!!」

 

罠の定石に従うならば、先ほどバランが口にした通り弱った相手を囮として本命の罠へと誘い込むことだ。そのため、罠はチルノを救出に向かう者が掛かるのだと思い込んでいた。

だがそれは他ならぬキルバーン本人によって否定される。

 

「キミたち(ドラゴン)の騎士を相手に、その程度の罠じゃ防がれる可能性の方が高い。でもあの子ならばどうかな? 万全の状態ならまだしも、弱った今でも避けられるかな?」

 

キルバーンの言葉にダイたちは動く事が出来なくなった。

茨の罠によって視覚的な焦燥感を煽られ、だが見えざる第二の罠の存在が彼らの行動を躊躇させる。わざわざ罠の内容を説明したのも、明確な危機がその場にあると印象づけるためでしかない。

 

「それともう一つ、教えてあげよう。ダイ君の考えもあながち間違えってわけでもない。あの茨は剣や斧でも切断できるし、炎の呪文でも焼き尽くせる。結局、どこまで強化しても元は植物だからね、力尽くで解除できるのさ……罠の発動して命を奪うのとどっちが早いか、試してみるかい?」

 

さらに続けられる、明らかにダイたちへの挑戦とも取れる言動であったが、状況を理解しているために動くということはなかった。チルノを人質に取られ、生殺与奪の権利を握られているということを分からされては、大人しくそれに従うしかない。

彼らに出来ることは、キルバーンを殺意を込めた瞳で睨むくらいだ。

 

「おいおい、そんな怖い顔で睨まれ続けると、うっかり罠を発動させちゃいそうだよ。ほら、ボクって小心者だから」

「くっ!!」

 

そんなささやかな反抗を受け、キルバーンは愉悦するように笑っていた。

 

「う……くううぅぅ……いつ、のまに……こんな……罠を……あああっ!!」

 

一方、耐えがたい激痛に苛まれながら、チルノは己の迂闊さを悔いていた。痛みに身をよじりそうになりながら、だが罠の説明は彼女の耳にも届いていたため必死で耐え続ける。

 

本来の歴史では、死神の罠があるのは大魔宮(バーンパレス)の中へと突入してからだった。ましてや現在の位置は、魔宮の門を抜けた先。まだ大魔宮(バーンパレス)の本殿までは辿り着いていない。こんな辺鄙な場所に罠が仕掛けられているなど想像もしていなかった。ましてや長い通路の最中、これほど的確な位置に罠を仕掛けるなど、予想できるはずもない。

原因不明の不調と相まって、チルノはまともに動くことすら困難になりつつあった。

 

「ううん、心地よい悲鳴だね」

 

チルノの苦痛の声を耳にしながら、キルバーンは笑い続ける。

結論から言えば、罠が仕掛けられたのは彼が姿を見せてからであり、それまではこの通路には罠など一つとして存在していなかった。

その手法も、キルバーンが仰々しく登場することで全員の注目を集めている隙に、呪文にて姿を隠したピロロがこっそりと罠を仕掛けていただけ。奇術の基本とも言える単純な方法を活用していたにすぎない。ただ時間の都合で大がかりな罠を仕掛けることは出来なかったものの、その効果は十二分にあった。

チルノからすれば、まさに何もない場所から突然罠が出来上がった様に見えたのだから。

 

「姉ちゃん! なんとか助けるから動かないで!!」

 

耐え難きを耐えるよう拳を血が滲むほど強く握りしめながら、ダイはチルノへ向けて叫ぶ。チルノもまた、激痛に苛まされながらもダイの言葉に頷いてみせた。

 

「フフフ、良いねぇ……麗しき兄弟愛ってやつかな? これがいつ絶望の表情へ変わるか、今から楽しみで仕方ないよ。そうは思わないかい、ハドラー君?」

「死神! 貴様、一体何が目的だ!!」

 

ダイの悲痛な叫びを耳にしながらニヤニヤと笑い、そして未だ倒れたままのハドラーへと話の矛先を向ける。だが肝心のハドラーは激怒したままであった。

 

「何が……って、酷いなぁ。もう忘れちゃったのかい?」

 

ニヤニヤとした笑みを隠すこともないまま、キルバーンは心外だとでも言うようにおどけたポーズを取ってみせる。

 

「約束したじゃないか。ボクも少しだけ手伝わせて貰うって、さ。キミはそれを了承しただろう? だからこうして、手助けに来たんだよ」

「!!」

 

思わずハドラーは息を詰まらせた。その言葉には確かに聞き覚えがあったからだ。

超魔生物へとその身を変え、ミストバーンたちに竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操る所をみせた時のこと。確かにキルバーンは「手伝う」という旨の言葉を口にし、そしてハドラーはその言葉に対して「好きにしろ」と確かに返事をしていた。

 

「ふざけるな!! 確かにオレは貴様の言葉に頷いた。だがそれと同時に、オレの邪魔をするなとも言ったはずだ!! それすら忘れたか!!」

 

とはいえ、よもやあの時の口約束にも満たないようなやりとりを盾に介入してくるとは思ってもみなかったことだ。寝そべっていた筈の状態をゆっくりと起こしながらハドラーは更に叫ぶ。

 

「邪魔なんてしてないさ。まだ決着はついていない、戦いはどちらかが死ぬまで終わらないよ。だけど今からじゃあ逆立ちしたってハドラー君は勝てない。だから確実な勝利を得られるように助けに来たんだよ」

「ふざけるな! オレはそんなことを望んでいない! 戦いをこれ以上汚すな!!」

「そうつれないことを言わないでよ。全てを捨ててでも勝ちたかったんじゃないのかい?」

「黙れ!!」

 

言葉を紡ぐだけでも苦しいのだろう、そこまで言い切るとハドラーは肩で息をし始めた。そうしている間にも、彼の肉体は今にも崩壊してしまいそうだ。

 

「……ダイ、バラン……すまない、これはオレの落ち度だ……今さら何を言おうと、許されるなど考えてはおらん……だが!!」

 

どこにそのような力が残っていたのか、中途半端に上げかけていた上体を突然勢いよく跳ね上げさせると、その勢いを利用してハドラーは軽く飛び上がった。両腕を失いバランスを取ることはおろか立ち上がるのも難しいだろうに、それを感じさせないほどの見事な体術だ。

 

「せめてヤツを倒し、あの罠だけでも止めてみせる!!」

 

着地した勢いのまま中腰となり膝を曲げると、今度はそのタメを利用して強烈な跳び膝蹴りを放った。それも、いつの間に練り上げたのか再び竜闘気(ドラゴニックオーラ)を纏っての一撃だ。

戦いを開始した頃と比べればなんとも小さな光だが、尽きかけた闘気を全て集約しているのかその輝きはとても強い。

 

「おいおいハドラー君。狙うのはボクじゃないよ」

 

だがそれでも当たるかどうかは話が別だ。繰り出された膝蹴りはキルバーンには容易く見切られ、あっさりと躱されてしまう。渾身の一撃を避けられたものの、ハドラーはすぐさま体勢を入れ替えて第二撃の蹴りを放つ。

 

「……ディーノ」

「うん……」

 

ハドラーの奮戦ぶりを目に焼き付けながら、二人の(ドラゴン)の騎士たちもまた体内で竜闘気(ドラゴニックオーラ)を練っていた。隙あればキルバーンへと飛びかかり、その命を一瞬にして刈り取らんとするためだ。

その好機をただ耐えて待つだけという、一秒が何時間に感じられるほど長く苦しい時間を味わいながら二人はハドラーたちの動きを注視する。

 

「おやおや、無理をするからどんどん生命力が失われているじゃないか。その残った力は、勇者たちを倒すのに使った方が良いんじゃないかな?」

「やかましい!」

 

三発目の蹴りを躱しながら、キルバーンはハドラーへとそう警告する。既にハドラーの肉体は限界を迎えており、それを無理矢理に酷使しているのだ。もはや少し動くだけでも彼の肉体は大樹が腐り落ちるようにボロボロと端から崩れていく。

それでも次の攻撃を放とうとして、ついにハドラーの足は力尽きたのか動かなくなった。地に膝を着いた姿は、もはや二度と立ち上がることも出来ないだろう。

 

「ほら言わんこっちゃない」

「黙れ! 腕を失い、足が動かなくなったとしても、まだオレにはこの首がある!! たとえ噛みついてでも貴様を討つ!!」

 

犬歯を剥き出しにして吠えるその姿は、彼の言葉通り首だけになっても戦おうであろう気概が伝わってきた。

 

「まるで(しつけ)のなっていない狂犬だねぇ……その意気は立派だよ。でもいいのかい? このままじゃ犬死にだ。バーン様の為に死ぬこともできないよりかは、残った力で勇者たちを倒した方がよっぽどマシだろう? それもこれも――」

 

そこまで口にすると、わざとらしく唇を弧状に変える。

 

「――本来なら全て吹き飛んで勇者達と相打ちで散り果てるハズだったキミの最期を、勝利で飾ってあげようという親切心からじゃないか」

「なにッ!!」

「あらら、これは失言だったかな?」

 

言ってはいけないことを言ってしまった、とばかりにキルバーンは自らの口を手で押さえてみせた。いや、それすらもポーズなことは明白だ。

だがその言葉にハドラーは――いや、多少理由は異なるもののダイたちにすら衝撃が走っていた。

 

「嘘じゃないよ、ボクも聞いたもん。バーン様がキミの中に黒の核晶(コア)を埋め込んでいたんだ。でも、ザボエラの爺さんがそれを取り除いてくれたんだよ」

「なんだと!? 黒の核晶(コア)がオレの中に!? それをザボエラが!!??」

「信じられないだろうけど、事実さ……信じられないのなら、ほらそこ」

 

そう言って指し示した先には、悪魔の目玉が張り付いていた。それを見ただけでハドラーは何を言おうとしているのか理解する。大魔王軍の通信設備としての役目を担うこの怪物(モンスター)を通して、今も戦いを見物しているであろうバーンへ直接申し立てろと言っているのだと。

 

「疑うのなら、バーン様にお伺いしてみるといいよ」

「バ、バーン様……!」

「…………」

 

物も言わず、瞳には何も映し出さないままの悪魔の目玉へ向けてハドラーは声を掛ける。だが返事はなく沈黙を守ったままだ。何も答える気はないのかと訝しんだ瞬間、悪魔の目玉を通じて新たな声が届けられた。

 

「……キルバーンよ」

「ッ!!」

 

それはダイとチルノの二人だけが初めて耳にする声。すなわち、大魔王バーンの声だ。ダイたちがいることで未だ姿を見せる気はないのか、音声だけを送っている。そして当のバーンは、不可解なことに呼びかけたはずのハドラーではなく、開口一番キルバーンの名を出していた。

 

「お前にしては勝手な真似をしたな」

「申し訳ありません。断りも入れずに飛び出したことについては謝罪しますよ。ですがハドラー君と約束しましたので居ても立ってもいられずに、つい……なにしろ、契約を守ることは大事でしょう?」

「ふっふっ、なるほど……確かにその通りだ。ならば仕方あるまい、契約は守らねばな」

 

最後の一言にことさら力を込めながら、キルバーンは答えた。それを耳にしたバーンは小さく笑い、納得したように呟く。

 

冥竜王ヴェルザーと大魔王バーン。

魔界の実力者たる二人は、かつては互いに争い合う関係だった。だが最終的な目的は同じであったことから、ある時を境に敵対を止めた。互いに各々の戦略を進め、成功した者に従うという盟約を結んだからだ。

そしてキルバーン本来の立場はバーンの部下ではなく、ヴェルザーが監視役として送り込んだ者。バーンからすれば獅子身中の虫のようなもの。

 

先のやりとりも、言ってみれば二者間で取り交わした約束を仄めかすような言い回し。なればこそバーンはキルバーンへのそれ以上の言及を行うことはなかった。だがそれを知らぬハドラーは、二人の様子に気付かない。

 

「バーン様!! キルバーンの言っていたことは!!」

「事実だ」

「そ、そんなっ!!」

 

あっさりと肯定されたことで、ハドラーは落胆する。だが、更なる悲劇が襲いかかるのはこれからだ。

 

「だがザボエラのヤツがそれを取り除いた。それもまた事実だ」

「そうそう。だって竜の騎士を生み出せるかもしれない貴重な実験材料だもんね。なるべく生かしてデータをたくさん取りたいって言ってたよ」

「ッ!!」

 

ピロロのはしゃぐような物言いを聞き、今度こそ息を止めた。

 

「い、今のは……本当なのか……答えろ、ザボエラッ!」

「どうしたザボエラ? 答えてやれ」

 

バーンの声が聞こえ、やがて悪魔の目玉の瞳が新たな映像を映し出す。そこには望み通り、妖魔司教ザボエラの姿があった。だがハドラーを見つめるその目は、もはや興味の失せた実験動物を見るような色がはっきりと灯っていた。

 

「その通り、事実ですじゃ。何しろ超魔科学を駆使して竜の騎士を生み出せるかもしれんとなれば、その素材は疎かにはできんからのぉ」

「なん、だと……」

「パプニカで命を救ったのも、あの時点では実験データが足りなかったため。ですがそれも、連日の訓練と今の戦いのおかげで十分すぎるほどになりました。超魔生物のデータも含め、ハドラー様には感謝しても足りないくらいですじゃ! あとは時間と実験を重ねれば(ドラゴン)の騎士を量産することも夢ではないでしょう。その礎となれたのですじゃ、あの世でザムザにでも存分に誇ってくだされ! キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

「貴様ッ!」

 

信じていた全てに裏切られたような感覚にハドラーは陥っていた。大魔王からは最初から捨て駒としてしか見られておらず、部下もまた彼の事を便利な実験動物としか見ていなかったのだ。ましてやザボエラには、息子を失ったことに対する憐憫の感情すら持っていた。

加えてハドラーの危機を命懸けで救ったことで、何か裏があるとは考えつつもその全てを信じてやろうという気にすらなっていた。

それが蓋を開けてみればこの始末。

 

「バーン!! ザボエラ!! 許さん、貴様らだけは!!」

 

哀れみや情けなさなどはとっくに通り越し、全てを憎み滅ぼさんとするほどの途轍もない怒りの感情だけが彼の中から一気に湧き上がる。

 

そしてキルバーンは、怒り狂うハドラーの様子をそっと眺めながら溜息を吐いた。

 

「あらら、ダメか。せっかくお膳立てしたり、追い込んだりして勇者たちを殺すように仕向けたっていうのに……」

 

ヴェルザー陣営である彼の立場から見れば、勇者たちがバーンを倒そうと動くのは主命を果たす好機とも取れる。乱戦の最中、大魔王を倒す隙を見いだせるかもしれないからだ。ならば、ハドラーに不粋な横槍を入れる必要はないはずだ。

だがほんの少しの可能性が、彼にダイたちが敗北する未来を選ぶように仕向けていた。尤も、そのための準備は全て無駄だったようだが。

 

とはいえキルバーンから見ればここから先は、過程が異なるだけで勇者が死ぬという未来は変わることはない。ただ手を下すのがハドラーからキルバーンへと変わるだけだ。

邪魔するであろうハドラーはもはや死にかけており、恐れる事は何もない。そして肝心のダイたちは、彼の仕掛けた罠とくだらない情によってまともに動くことは出来ない。

 

「しかたない、ここからはボクが頑張ろうかな」

 

どこからか死神の鎌を取り出すと、ダイたちへ向けて殺意を向ける。

 

 

 

 

 

チルノは、今にも狂いそうな程の痛みを必死で耐え続けていた。

一瞬が永遠にも感じられるほどの激痛が途切れることなく襲いかかり続けている。もはや外の様子を把握するほどの余力もなく、ただただダイたちがなんとかしてくれることを願い続けること以外に出来ることはなかった。

 

――う、うう……なに、またこれは……?

 

そうして幾らかの時が流れた後、彼女は再び体内で暴れ出した途轍もない衝動を感じ始めた。ハドラーとダイたちが戦っていたときと同じ、いや今やそれ以上の勢いを誇っている。それが、気を抜けばまるで内側からはじけ飛びそうなほどに、強く強く彼女の中に膨れ上がっていく。

外から与えられる激痛を堪え、自分を保っているのすら精一杯だったところで内からも苦しめられては、もはやどのような人間であっても耐え続けることは不可能だった。

 

――もう……だめ……いし、き……が……

 

それが彼女が心の中で紡いだ最後の言葉だった。正気を保っていられる限界を超え、ついに意識を手放した。本来ならばそのまま床へと崩れ落ちるところだが、茨に絡め取られているためそれもままならない。

そして、チルノの肉体に変化が起こり始めた。

彼女の全身が微かに明滅したかと思えば、やがて目映い程の光を放ち始める。まるで光の繭が生みだされ、少女を覆い隠したような光景。

 

「何だ!?」

 

その強烈な光に気付かぬ者はいない。各員から誰何の声が上がる中、光は更に輝きを増していき、やがて瞬時に消え去った。

 

「……えっ!?」

 

全員の視線の先、そこには黒い鱗を誇る一頭の竜がいた。

 

 




「まいれ こくりゅう!」(鹿賀さんのめっちゃ良い声で)


キルバーンのオリジナル罠。無駄に頑張って考えました。
・クラブの4
 クラブ→クローバー→植物的なイメージ。あと四方を囲ってる。という連想から。
・ハートの2
 文字通り「ハート(心臓)を2(真っ二つ)」に。駄洒落っぽい効果がお気に入り。

しかし♥とか♣とか♢って文字も使えるんですね。
「んっ……♥」 みたいな。


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LEVEL:93 全軍集結

DQ11SをSteamで購入。
おお、喋る喋る!! すごいすごい!!
……あ、さ、サボってませんよ……



「これは……一体……」

 

最初に口を開いたのはバランであった。

冷静沈着を絵に描いたような彼にしては珍しく、非情に狼狽えた様子を隠そうともせず感情の赴くがままに言葉を漏らしていた。

とはいえ、それは何もバランに限ったことではない。程度の差こそあれダイもハドラーもキルバーンですらも、突如として現れた竜の姿に度肝を抜かれ、その動きを止めていた。

 

とはいえ一番驚かれたのは、間違いなくダイであろう。姉が光に包まれたかと思えばそこから竜が出てきたのだ。何かあったと考えるのは間違いない。だが果たして何があったのか、この場の四名の中で知識も経験も最も浅いダイでは思考がしっかりと回らず、何も言わなかったと表現するよりも、言葉すら出なかったと言う方が適切だろう。

 

「まさか、火竜変化呪文(ドラゴラム)か……?」

 

元魔王でもあるハドラーは流石と言うべきか、チルノが姿を変えた理由の一つを口にしていた。火竜変化呪文(ドラゴラム)はその名前が示す通り、術者を巨大な火竜の姿へと変身させるという幻の呪文だ。

チルノに対する詳細な知識を持たず、この世界の常識だけで当てはめるのならばその結論に辿り着くのは至極当たり前といえよう。

 

「いや、それは違うだろう」

 

だがその結論を耳にしたバランは首を横に振った。

 

火竜変化呪文(ドラゴラム)で変身した場合、基本的にその竜は真っ赤な鱗をしている。あのような黒い鱗を持った竜に変身することはない」

 

超高位の魔法使いであれば、火竜だけでなく自身の望んだ竜の姿へと変身できるように火竜変化呪文(ドラゴラム)を改良することもできるだろう。だがそれも、まずは呪文を契約できなければ絵空事だ。

チルノの秘密を――この世界に存在する呪文は扱えず、その代わりに異なる力を操ることを知っているバランはその可能性を捨てる。

 

「何より、あの姿形だ。あのような姿を私は知らん……」

「え、どういうこと……?」

 

目の前の黒竜の姿形は、スカイドラゴンなどに代表される蛇のように長い身体をしたタイプの竜ではない。巨大なトカゲに牙と爪と翼とを備えた形状である。この世界にも似たような姿を持つ竜族は存在しており、魔界に住まうレッドドラゴンやアンドレアルと呼ばれる竜たちがそれに最も近いだろう。

 

だがそれはあくまでも似た姿を持つというだけだ。

 

件の黒竜は、それらトカゲ型の竜と比較してずっと首が長く、なによりも頭部から伸びる一対の巨大な角が目を惹く。悪目立ちするその角は並の怪物(モンスター)など一刺しで屠れそうな異様を誇っていた。

翼もこの世界の竜よりもずっと大きく、その翼を羽ばたかせればどれだけの飛行能力を見せることになるのかは想像もつかない。ただ、並の飛行種怪物(モンスター)では相手にもならないだろうということもまた容易に想像できた。

漆黒に鈍く輝く竜鱗は見るからに堅牢そうであり、半端な攻撃では傷一つ負うこともないだろう。黒色でありながら威圧感と同時に王のような高貴さを兼ね備えている。これだけ見事な鱗もまた、この世界の竜では有り得ない。

ただ、大きさだけは並といったところだった。かつてベンガーナでポップが相手にしたドラゴンたちやラーハルトが騎乗用に使っていた竜よりも一回り大きい程度か。今は大魔宮(バーンパレス)へと続く通路の中にいるため、若干狭苦しそうだ。

 

「ディーノよ忘れたか? 私は元超竜軍団長として無数の竜どもを率いていた。魔界に乗り込み、冥竜王ヴェルザーやその部下の竜たちと戦ったこともある。だがそれら全ての竜と比べても……いや、私が今まで出会った竜の全てと比較しても、あのような竜は見たことがないのだ。それがどういう意味かは、お前もわかるだろう?」

「……あ! そ、そうか!」

 

そこまでヒントを出されれば、ダイもようやく仮説に辿り着けた。

つまりチルノが変身したこの黒竜は、この世界に存在するものではない――彼女が力を行使している別世界に存在している竜なのだということに。

 

「でも、だったらどうして……?」

 

彼女が竜を呼べる――もしくは竜に変身できる。ということは、ダイですら聞いたことがない。そもそも、そんな切り札があるのならば秘密にしておく必要もないだろう。仲間であるダイたちにまで手の内を隠す意味が分からない。

そもそもこの竜は、敵なのか味方なのか? はてさてどの様に接するべきか、ダイたちは頭を悩ませる。

 

 

 

 

 

「……これは、面白くないね……」

 

ダイたちが慎重に様子を見ているころ、キルバーンは一人舌打ちしていた。彼の視線はその竜の足下へと向けられている。そこには、茨の残骸が転がっている。

 

どのような方法を使ったのかは彼でも分からなかったが、だがあの黒竜はチルノが変身した姿だというのは忌々しいほどに理解できた。なにしろ、自慢の罠の一つである♣の4(クラブ・フォー)の茨が引きちぎられていたからである。

その切断面の状況を見るに、内側から膨張する圧力によって千切られたことは明白だった。つまり、茨が絡みついていた相手――チルノが変身したことで起きた結果であることは間違いない。

 

あの茨は特別製であり、繊維は固く、加えて一本一本が複雑に絡み合って強度と柔軟性を高レベルで維持している。そのため、刃物で切断しようとしても容易には破壊できない。単純強度ではオリハルコンには叶わなくとも、厄介さでは上回るほどだ。

 

「……仕方ないね」

 

自慢の罠をそのような力尽くで破られるなど、彼からすれば腹立たしくて仕方ない。本意ではないが、残った♥の2(ハート・ツー)の罠を発動させようと魔力を集中させようとした。

 

「グルルルル……ッ!!」

「……ッ!?」

 

キルバーンのその動きに先んじるように、黒竜が彼の方を睨み低く唸り声を上げた。獣が威嚇するのと同じような動作にすぎないものの、それだけでキルバーンは出鼻を挫かれたように行動を一瞬止めてしまった。

だが黒竜の方は止まらない。再び大きく唸り声を上げると、その長い首を天へと向けた。

 

「どうしたッ!?」

「姉ちゃん!!」

 

そこまで変化があればダイたちとて気付く。だが黒竜は止まることはない。天を向いたまま大きく顎を開くと、そこから一息にブレスを吐き出した。

竜が吐き出すブレスと言えば一般的には炎だが、黒竜が生み出したのは炎ではなかった。例えるならば極大閃熱呪文(ベギラゴン)に近いだろう。だがベギラゴンとはまるで比べものにならないほどの、もっとずっと途轍もない程の高威力な光と熱の奔流だった。

 

「なんだこれは……!?」

「うわあああぁぁっ!!」

「チッ! これはマズいかもね!」

 

ましてや今の場所は大魔宮(バーンパレス)へと続く通路――それも地に埋まったままの場所だ。地の底から天に向かって放たれたブレスは天蓋を突き破り、それだけでは飽き足らず周囲一帯に余波となって破壊の嵐を生み出していく。

近くにいたダイたちはたまったものではない。

天井は飴細工を溶かすよりも簡単に崩れ落ち、土砂と砕けた岩盤が降り注ぎ周囲を埋めていく。だが上から降り注ぐ何トンもの土砂や岩を物ともせずに光のブレスは突き進み、やがて地の底から天に向けて一本の光の柱を生み出してみせた。

 

もしもチルノが正気を持ったままならば、きっとこう呼んでいただろう。

 

――竜王バハムートのメガフレア、と。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

「トドメだ!」

「くっ……!!」

 

死の大地――その地上部分ではアバンの使徒たちとハドラー親衛騎団との激戦は続いていた。全員が全員、死力を尽くすような死闘。

 

だが、その戦いの一つにまもなく決着が訪れようとしていた。

 

ラーハルト対シグマという、速度自慢の戦士同士の戦い。この戦いは終始ラーハルトが優勢のまま進んでいた。地力はラーハルトの方が上であり、互いに使う武器も槍という似通った物。呪文に対する絶対的な耐性を誇るオリハルコンの肉体も、ラーハルトほどの戦士が相手では意味を為さない。

シグマにはそれに加えて"シャハルの鏡"と呼ばれる魔法の盾を持っていた。これは呪文を相手に跳ね返すという呪文返し(マホカンタ)の効果を持つ伝説の装備である。だがそれもラーハルトを相手にしては少々固いだけの盾にしかならず、シグマは使用する機会に恵まれることもなかった。

じわじわと押され続け、遂に最後の一撃が放たれるその瞬間、事件は起こった。

 

「う、うおおおおぉぉっっ!?!?」

「なんだアレは!!」

「光の……柱……!!」

 

最初に届いたのは目も眩まんばかりの強烈な光。それに少しだけ遅れて、全てを破壊しつくさんばかりの強烈な破砕音が衝撃波と共に襲いかかってきた。衝撃波そのものは距離もあるため既に弱まっており、棒立ちしていれば少し体勢を崩すかもしれない程度の威力しかなかった。

けれど、異質すぎる来訪者の襲来に先ほどまで戦っていたはずの誰しもが根源的な恐怖心を揺さぶられ、思わず戦いの手を止めて音の発生源へと視線を向けてしまう。

 

そして彼らは見た。

地の底から天空へと上る一本の光の柱。

それは死の大地上空の雲まで届くと瞬く間にそれらを蹴散らし、暗く重い雰囲気を漂わせ続けるこの大陸に太陽の光を降り注がせたほどだ。その美しくも幻想的でいて、その実とてつもなく恐ろしい光景に、何時しかその場の全員が戦おうということを完全に忘れたように見入っていた。

 

「……い、いけません!! あそこはまさか!!」

 

不意にアルビナスが口を開いた。その表情には不安と焦燥感に満ちあふれており、仲間たちがその狼狽えぶりを見て心配するほどだ。だが女王は構うことなく何か思い詰めたような表情を浮かべ続け、ブツブツと口の中で小さく何かを呟いていた。

まるで何かに葛藤しているような時間が数秒続き、やおら意を決したようにポップら全員へと視線を投げかける。

 

「……提案があります」

 

無理矢理絞り出したようなその声音からは、アルビナス自身がこのような行動に出るのは不本意だと全力で主張しているようだ。心の機微に疎い者であってもそれに気付くほど分かり易いものだったが「提案」という言葉を耳にしたことで、特に指摘することなく彼女の次の言葉を待った。

 

「一時休戦……としませんか?」

「むっ……?」

「なるほどね」

 

飛び出てきたのは意外な言葉だった。全員が息を呑む中、ポップだけは納得したようだ。

 

「あの光の柱の場所で何が起こったか調べに行きたい、ってところか?」

「ええ、そうです。あの場所へ向かい、そしてそこで何があったのか。真相が分かるまでは互いに一時休戦……協力、とまでは言いませんが、互いに不干渉。これでどうでしょう?」

 

大魔道士の言葉に女王は頷く。だが当然のように異を唱える者がいた。

 

「それを信用しろって言うの……?」

「口約束でしかありませんが、親衛騎団の名に賭けて誓いましょう。それに、この提案はそちらにとっても利がありますよ」

 

胡乱げな瞳で女王を睨むレオナに対しアルビナスは頷く。

 

「目算でしかありませんが、あの辺りには魔宮の門から大魔宮(バーンパレス)への通路があるはずです。ならばそちらの勇者に何かあったと考えるのが自然かと……」

「つまりハドラーもいるかも知れない。お前たちもボスの安否が気になっている、ってことろか?」

 

ポップはニヤリと笑って見せた。

 

「安心しろよ、姫さん。こういうこった。なんだかんだ理由を付けちゃいるが、本音を言えば向こうも今すぐにでもすっ飛んでいきたいだけさ」

 

言うなれば腹の探り合いに近い。

弱みを見せまいと、ダイたちのことを大義名分にして提案を呑ませる。自分たちの方が駆けつけたいという意識を悟らせないために。アルビナスら親衛騎団の面々は、ハドラーの魔法力によって生きている。そのため、ハドラーに何かあれば己の命で感じとることもできる。

だが現在はハドラーから送られてきている魔法力は微弱であり、それに加えて不可解な光の柱が立ち上った。何かあったと考えるのは至極当然のことだった。

 

「それにこっちとしても、アレがなんだったのかは確かめておきたいってのも嘘じゃない。なら、一時的に提案を呑むってもアリだと思うんだが……みんなはどうだい?」

 

その提案に異を唱える者はいなかった。どうやら仲間たちも気になっていたようだ。

そしてそれは親衛騎団の面々も同様だ。鉄の結束によって結ばれ、任務を確実に遂行するだけの非情さを持っているが、同時に仲間を思いやる面も持っている。今すぐにでも駆けつけたいと願うのもまた、ある意味では仕方ないことだった。

 

「よしっ、じゃあ早速行ってみるか。全員集まってくれ。見えている場所なら、瞬間移動呪文(ルーラ)ですぐにでも行けるぜ!」

「こちらも集まりなさい。移動しますよ」

 

こうして、二組の仲間たち(パーティ)が同じ呪文を唱えた。

 

 

 

 

 

視界が届く位置への瞬間移動呪文(ルーラ)のため、移動には一秒も掛かることはない。文字通り一瞬にして景色が変わり、アバンの使徒たちと親衛騎団たちは揃って件の場所へと移動していた。

 

「着いたぜ……って、うぉっ!! こりゃあ、また……」

「ッ……! まさかハドラー様……!」

「ものすごい光景ね……」

「なんだよ、こりゃ……?」

 

そこで飛び込んできた光景に、彼らは思わず敵味方同士であることすら忘れて感想を口にしていた。

地の底からブレスによって大量の土砂が吹き飛ばされ、円周状に降り積もっていた。小さな山が一つ出来上がっており、その勢いがどれだけ強烈なものだったのかが一目で分かる。加えて周囲の土など、砂になっていればまだ可愛いもので結晶化している箇所すら見受けられるのだから、とてつもない高温だというのも理解できるだろう――尤も、立ち上った光の柱を見れば細かな説明を抜きにしても自ずと想像はつくだろうが。

 

その山の天頂部近くには、一匹のドラゴンがいた。黒い鱗を誇るドラゴンはこの事態を引き起こしたというのに何やら落ち着いた様子を見せており、ポップたち大勢の人間がやってきたというのに動くことはなかった。ただ彼らを遠巻きに眺めているだけだ。

 

「あの竜……素直に考えるのならばアイツが犯人ということか……?」

「でもよ、おっさん。あんな姿の竜なんていたか? 先生に教わった覚えもねぇし……みんなはどうだ? なにか知ってるか?」

 

クロコダインの考えには賛成だが、ポップは相手の正体について気になっていた。それまで見たことがないため、敵なのか味方なのかそれとも全くの第三者なのか、判定する材料が少しでも欲しかったのだ。

 

「いや、オレは……」

「ううん、私も見たことないわ」

「あたしも……」

 

三人がそれぞれ首を横に振る。

 

「オレもだ……ラーハルト、お前ならどうだ? バランの下にいたのだ、少しは……」

「いや、オレも知らん」

 

残ったヒュンケルとラーハルトも、知らないと答えた。特にラーハルトには過去の経験から何か知識があるのではと淡い期待をしていたのだが、どうやら空振りに終わったようだ。

 

「……となると」

「いえ、生憎と私達も知りません。もし知っていれば、この局面に投入しないわけがないでしょう?」

 

残る可能性としてポップは親衛騎団に視線を向けると、アルビナスはその目線の意味を正しく理解して先手を打つ形できっぱりと否定してみせる。とはいえその答えもまたポップが求めていたものの一つだ。

 

「なるほどねぇ……つまりアイツは、既存の怪物(モンスター)とは違う存在……残る可能性はバーンが秘密裏に動かした新手か、それとも……」

 

チルノからある程度の未来の知識について聞いているため、親衛騎団たちより幾分と落ち着いてその正体について可能性を模索し始める。だがクロコダインが待ったを掛けた。

 

「出自を探るのも結構だが、あの竜にどう対応するつもりだ?」

「へ……どう、って、そりゃ……」

「このまま放置して逃げるか? 情報を少しでも探るか? それとも……禍根とならぬよう戦って倒すか?」

「ううぅ……」

 

今までの経緯から察するに、光の柱を生み出したのがこの黒竜であることは誰にでも予想ができたことだ。となれば、最悪の場合は戦わねばならないということだ。ポップたちが立つ今の場所、その場所を生み出した超破壊の力を操るほどの竜と。

 

「……ま、待って……」

「ダイ!」

 

思わずうめき声を上げていたところへ、か細い声が聞こえてきた。ポップはその声にいち早く反応し、仲間たちもすぐにどこから聞こえてきたのか探し始める。そして、最初に彼の姿を見つけたのはレオナだった。

 

「ダイ君!? どうしたのその姿は……」

 

彼女が見つけたとき、ダイはまるでモグラのように地中から這い出てきたところだった。土や砂で顔と言わず身体と言わず汚れており、何があったのかを尋ねずにはいられない。だがダイにはそれより何より伝えなければならないことがあった。

特に先ほどのポップたちのやりとりを聞いていれば、真っ先に伝えなければならないのは彼の中で明白だ。

 

「あれは、あの竜は姉ちゃんなんだ!」

「……ええっ!?」

「どうことだ!?」

「じつは――」

 

ポップたちだけでなく親衛騎団までもを驚かせる特大の爆弾発言だ。ダイはチルノに何があったのか、自分が知りうる限りの内容を説明していく。

 

「――ということなんだ」

「竜に変身……でも呪文でもない……ねぇ……」

「レオナは何か知らない?」

「ううん、ごめんなさい……あたしも特には……」

 

一通りの出来事について説明を終えたが、何が起こったのかその原因について理解できたものは皆無であった。

この中で最も詳しく事情を聞かされているはずのレオナでさえ、首を横に振っていた。それはつまり、チルノも予想していなかった現象が起きていることを意味する。

 

「だが、ひとまず急に襲われることはなさそうだな。それだけでも収穫はあった」

 

そしてヒュンケルは黒竜を見ながらそう呟いた。

チルノとおぼしきドラゴンは、周囲を窺ってこそいるものの先ほどから動くこともなく大人しくしている。ダイが合流した瞬間を確実に目撃しているはずなのに、まるで借りてきた猫のようだ。まだ警戒は必要だろうが、様子を見続けているその姿から下手に手出しをしなければ襲われる可能性は限りなく低そうだ。

 

「待ちなさい勇者ダイ!」

 

話を聞いていたのはポップたちだけではなく、親衛騎団の面々もだ。彼らはハドラーが敗れたという話を聞いて居ても立ってもいられなかった。今まで口を挟まなかったのが奇跡と言ってもいいだろう。

 

「その話が本当ならばハドラー様は! ハドラー様はいずこへ!?」

「ハドラーならばここだ」

 

ダイは初めて見たオリハルコン兵士たちの姿に思わず面くらいながらも「わからない」と返そうとしていた。だがそれを遮るようにして、土の下からバランが姿を現した。彼の傍らにはハドラーの姿もある。

 

あの時、大魔宮へと続く通路にて。

チルノが天井を崩すと悟った瞬間、バランはハドラーの元へと駆け寄っていた。そして彼を守るべく細心の注意を払って竜闘気(ドラゴニックオーラ)を放ち、防御膜のように張り巡らせることでなんとか救っていたのだ。脱出が遅かったのも、ハドラーを気遣い続けたせいで少々遅れていたためだ。

だがバラン自身、このような行動に出たことには驚いていた。

自身の立場から考えればダイを守りに行くのが当然と言って良いだろう。それなのにハドラーを庇ったのは、バラン自身が利用され続けていたハドラーを哀れに思ったからだろう。叶わぬまでも、せめて無念を可能な限り晴らしてやりたいと、心のどこかで共感していたからかもしれない。

 

「ああっ! ハドラー様ッ!!」

 

主の姿を見た途端、アルビナスがすぐさま駆け出しバランから奪い取るようにしてハドラーを受け止める。残る親衛騎団たちも後へと続き、バランは彼らの邪魔にならぬようそっと離れ、ダイたちの元へと戻る。

 

「父さん、あの竜は……」

「話は聞こえていた。おそらくだが、あれは正気を失っているのだろう。強すぎる力のせいで意識のコントロールが上手くいっていないのだな。とはいえ正気を失っているにも関わらず、暴れ回るでもなく大人しくしている……それがあの娘の本質なのかもしれんな」

 

ダイたち全員を安心させるように、バランは自身の推論を語る。最年長であり知識も経験も豊富な将たる器を持つ男の言葉は重みが違ったようだ。それを耳にした全員がそれぞれの想いを胸に抱きながらチルノを見つめていた。

 

「だが、こうして冷静になり改めて見てみれば、何か親しみのようなものを感じる……これは一体?」

 

誰にも聞こえないほど小さな声で、バランは独白する。

 

 

 

 

 

「ハドラー様! そのお姿は……なんと痛々しい……」

 

話には聞いていたが実際の傷を目にして、アルビナスは悲しみと怒りに震える。反射的にダイたちへと飛びかかろうとした彼女であったが、それを見越した様にハドラーは叫んだ。

 

「よせ! これはオレの敗北の証。超魔生物となり(ドラゴン)の騎士の力を得ても勝つことはできなかった……だが、悔いはない」

「ハドラー様……」

 

両腕を落とされ、胸元には深い傷を。そして生命力の限界によって肉体が崩壊しつつありながらも、それでもハドラーは対戦相手であるダイたちを責めることを許さなかった。

そして自分の不甲斐なさを恥じるように、親衛騎団一人一人の顔を見つめていく。

 

「ヒム、シグマ、ブロック、フェンブレン、アルビナス……思えば、生まれたときから貧乏くじを引かせてしまったようなものか……お前達からすればこれは最初で最後の戦い、出来れば勝利で飾ってやりたかった……」

「いえ! そのようなことは決して!!」

「そうです、時間など関係ありません!!」

「ハドラー様と共にいられただけで、我々は……!!」

 

弱気としか取れないハドラーの言葉を、親衛騎団の面々は強く否定してみせた。生まれたばかりのまま、まともに戦った相手はアバンの使徒達が初めて。その戦いも決着がつかぬままハドラーの命が潰えることで消滅していくことになる。

 

「ふっ、そうか……まだオレには、信じてくれる者がいたのか……」

 

自分を責めて当然のはずなのに、それでも悔いはないと言い切りハドラーについていく姿勢を見せる子供たちの姿は、親からすれば言葉に出来ないほどの喜びだった。

このような結果となってもなおハドラーを信じようとする部下たちに、何かしてやれることはないだろうか。そう考え、彼は口を開いた。

 

「お前達に最後の命令を下す! この近くにキルバーンが身を潜めているはずだ。ヤツを見つけ、葬り去れ!」

「……ッ!?」

 

やはりオレは良い親ではないらしい。と、心の中だけで自虐する。

そこまで考えておきながら、いざ出てきたのが、部下たちへ戦いを命じる言葉なのだから笑うより他はないだろう。

ましてやその内容が、味方であるはずのキルバーンを殺せというのであれば、如何に絶対忠実なる親衛騎団であっても困惑の色を隠すことは出来なかった。

 

「フム……了解いたしました」

 

いや、それも一名を除く。

ただ一人、僧正(ビショップ)だけは我が意を得たりとばかりに頷いて見せた。

 

「フェンブレン!?」

「ワシらのすることは、ハドラー様の命に従うことのみ。違うか?」

「……いや、しかし!!」

 

驚くヒムたちであったが、フェンブレンは態度を変えることはない。それどころか当然のように言ってのける。

 

「それに、キルバーンが何を行ったのかはワシらも聞いていよう? ならば相手にも同じ報いを受けさせてやるのみよ。正々堂々、手段を問わずにな……」

 

フェンブレンの中には、ハドラーが超魔生物と化したときに捨てたはずの残酷さや狡猾さ、虚栄心のような感情が僅かに備わっている。他の親衛騎団には存在しない、彼だけが受け継いだ感情だ。

平時はそれを隠し仲間たちと足並みを揃えているが、だがこの場ではそれを隠そうとすらしていなかった。貪欲に勝利を欲したい、相手をいたぶりたいといった仄暗い感情を味わう最後のチャンスなのだ。それを逃すなど彼には考えられない。

ましてや主の誇りを汚したという大義名分もある。ならば、何を躊躇う必要があろうか。

 

残忍さを隠そうともしない僧正の言葉に、ハドラーを含んだ仲間達が僅かに圧倒されるものの、その言葉も一理あるとばかりに頷いたときだ。

 

「おやおや、随分と恨まれたものだねぇ」

 

いつの間にかキルバーンが姿を現していた。彼もまたダイたちと同じように土砂が襲いかかっていたはずなのに、どのような手品を使ったのか小綺麗なままだった。

ハドラーたちの会話を聞いていたのだろう、軽口を叩くその姿に、ハドラーたちだけでなくダイたちですら一斉に身構えた。

 

「うえぇぇ、ペッ! ペッ! 口に砂が入っちゃったよ」

「大丈夫かいピロロ?」

 

だがそんな空気を壊すかのように、地面の中から使い魔ピロロが起き上がってきた。こちらは土中に埋まっていたらしく、あちこちが汚れたまま。唾を吐きながら文句を言う彼を、キルバーンは抱き上げて自らの肩へと乗せる。

 

「ボク見てたよ! あの竜のせいでこうなったんだ! だからお願いだよキルバーン! あいつをやっつけて!!」

「そうしたいのは山々だけどねぇ、そうもいかないのさ」

 

チルノを指差しながら叫ぶピロロであったが、その言葉に取り合うことなくキルバーンは虚空を指さした。

 

「ほら、見てごらん」

 

指し示した先は、空間が歪んでいた。まるで何も無い場所を力尽くでこじ開けているかのように不可思議な景色が広がり、その奥から影が覗く。かと思えば爆発したような広がりを見せ、そこには三名が姿を現していた。

 

大魔王バーン。

 

魔影参謀改め魔軍司令ミストバーン。

 

妖魔司教改め魔軍司令補佐ザボエラ。

 

地上に存在する大魔王軍の幹部達である。

 

「……バーン!!」

「アレが、大魔王……」

 

ハドラーは突然現れた大魔王を憎々しげに睨み、ダイたちは大魔王の容姿が伝え聞いていた内容と一致していたことで、敵の正体を確信したように声を上げる。

 

――あれあれ、どういうことだろう? 勇者御一行はボクの予想と違う反応をしている……不思議だねぇ……

 

そしてキルバーンだけは、ダイたちの反応が予想と違うことに一人疑問符を浮かべていた。

 

 




Q.こんな展開で大丈夫か?
A.大丈夫じゃない、大問題だ。
(ネタが古い)

というか今さら気付いたのですが、今のチルノさん全裸ですよね……?

……お客様の中に、いてつく波動を使える方はいらっしゃいませんかー!!


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LEVEL:94 大魔王からの言葉

二人の部下を伴い、大魔王バーンは遂にダイたちの前に姿を現した。

ミストバーンは衣を纏ったまま普段と変わらぬ様子を見せており、ザボエラはといえばこちらは圧倒的な強者がすぐ傍にいるという安心感からだろう。ハドラーたちを含め、ダイたち全員を見下したような余裕綽々という表情だった。しかしそれでも内なる性根を隠しきれなかったかのように、やや後ろに位置している。

当然バーンらはそれに気付いているが、既に諦められているのだろう。あえて異を口に出す者はいなかった。

 

「控えよ者ども、大魔王様の御前なるぞ」

 

最初に口を開いたのはミストバーンだった。身を挺してバーンを守るかのように僅かに一歩前に出ると、ダイたちの射線を遮るように姿を晒す。だがそう宣言されたところで、ダイたちもハドラーたちも態度を改めるはずがない。むしろ逆に、いつでも飛びかかれるよう視線に殺意を乗せる。

 

そして、肝心のバーンはと言えば――

 

「こうして直接顔を合わせるのは初めてか………」

 

見知った顔であるはずのダイたちの姿。初めて実際に目にしたことに、驚きと感銘を受けているような、そんな反応を僅かに覗かせるが、だがそれも一瞬のこと。

 

「余が大魔王バーンだ」

 

枯れ木のような老人でありながらも恐ろしいほどに深く、鋭い視線にてダイたち全員を射貫く。そこには数千年――いや下手をすれば万単位の年月だろうか。それほどの長き時間を生きたことによる大魔王としての威厳がそこにはあった。

最大最強の敵が現れたことにダイたちはさらに警戒を強める。

 

「……さすがは勇者たち、といったところか」

 

そのダイたちの反応を見ながら、バーンは微かに満足したような言葉を吐き出した。だがその言葉に驚かされたのはむしろダイたちの方だ。突然の称賛の言葉に話の流れが読めず、警戒色を更に濃くするものの、バーンは特に気にした様子もない。

 

「余を見た者は皆、多かれ少なかれ驚く。ハドラーとて、余の顔を初めて見たときはもう少し可愛げのある表情をしていたというのに……」

「……ッ!!」

 

瞬間、ダイたち全員が僅かに顔を(しか)めた。

バーンと出会った者は皆、老いた容姿と伝わり来る恐ろしさの落差に衝撃を受けていた。例外は皆無と言って良いだろう。

だがダイたちは違う。チルノから事前情報として聞いていたために心の準備が出来ており、驚きこそしたものの衝撃はそれほどでもなかった。むしろより一層警戒を強めたほどだ。

 

反応を見せたダイたち本人すら気付かぬようなそれを、敵である大魔王自ら指摘されたことで彼らは自身の失態を悟り、微かに動揺する。

 

「どうやら人間たちの生活というのは随分と刺激的なようだな。何しろこのような枯れた老人を前にして些かも隙を見せぬとは……のう? クロコダイン、ヒュンケル。そしてバランよ。どのような経験をすればそうなれるのか、余にも教えてはくれぬか?」

 

だがその表情の変化すら愉しむようにして、バーンは低く笑う。特に興味を持ったのは、かつて召し抱えていた三名についてだった。

元魔王軍の三名は、バーンと間接的に接していただけでも圧倒的な威圧感を感じていた。それが老人からそのまま感じられるというのは、果たしてどれほどの衝撃と恐ろしさを受けるのだろうか。

本来ならば見せていたはずの反応を見せなかったことで、不要な猜疑心の種を植え付けてしまったかと彼らは内心舌打ちする。

 

「ふふふ……よいぞ、その表情。ますます興味が湧いてきた。それに引き換え……」

 

そのような内面の機微すらも全て悟っているのだろうかと思わせるような態度を見せ、バーンは満足そうに頷くと、続けてハドラーへと視線を向ける。

 

「ハドラーよ。超魔生物となり、(ドラゴン)の騎士の力を得ても、勝利を得ることは叶わなかったようだな……余は失望した」

 

バーンにしては珍しくというべきか、本当につまらない者を見るような目をしていた。なまじダイたちに対する好奇の目が強くなった分だけ、天秤が大きく傾いたということだろう。

だが、その評価を受けた当の本人が黙っていられるはずもない。

 

「なにが……何が失望か!! バーンよ! 貴様が、オレの身体にしたこと!! 忘れたとは言わせんぞ!!」

 

親衛騎団に身体を支えられながらハドラーは叫ぶ。そこにはかつてバーンのことを盟主と仰いでいた姿はどこにもない。ただ、利用されたことに対する怒りだけが発露するのみだ。

その激情を耳にしてなお、バーンはハドラーに対する態度を崩すことはなかった。

 

「無論、忘れてなどいない。そもそも黒の核晶(コア)を埋め込んだのも、万が一のことを考えてのこと」

「万が一……だと……!!」

 

万が一に備えて。

そう言えば聞こえは良いだろう。だがその実情は、本人のあずかり知らぬ所で体内に爆弾を仕込まれるのだ。それも、史上最悪との呼び声高い爆弾を。それがハドラーの身を案じたための行為では決してないことなど、子供にも分かる理屈だった。

 

「ならば貴様は、オレのことなど捨て駒……今までのことは全て、ただの余興としか見ていなかったということか……!!」

「そう、万が一だ。そして、どうやら余の判断は間違いではなかったようだ」

「いやはやまったくもって、バーン様の仰る通り。こんなことなら黒の核晶(コア)を取り外すべきではなかったかもしれませんなぁ!!」

 

それでも敢えて口に出したハドラーの言葉を、バーンはあっさりと肯定してみせた。それは言外に「お前を失っても惜しくはない」と言っている様なものだ。

大魔王の意見に追従するようにして、ザボエラが調子の良い言葉で相づちをうつ。その言葉を耳にした途端、ハドラーは今まで一番巨大な声で叫んでいた。

 

「ザボエラアアァァッ!!」

 

なまじ情けと信頼を掛けただけに、それを裏切られたことでハドラーの怒りは凄まじいものを生んでいた。バーンへのそれを凌駕し最大級といっても差し支えないほどだ。

 

「おおっとぉ!!」

 

だがザボエラが何の保険もなくそのような行動を取るはずもなかった。ハドラーが動こうとすると同時にザボエラは手から光の綱のような者を生み出すと、それは瞬く間にハドラーの肉体へと絡みつき拘束していた。

 

「ぐっ! これは……動けん……があああぁっ!」

「キィ~ッヒッヒッヒッ!! 愚か者め、貴様の改造をしたのが誰かもう忘れおったか? この程度の備えはしていて当然! これも、万が一というものじゃよ!!」

 

それは超魔生物への改造を行った際、秘密裏に仕込んでおいた制御装置のようなものだ。動けなくなったハドラーを更に煽るように、ことさら「万が一」と言う言葉を強調する。

 

「よいぞザボエラ、そのまま抑えておけ。煩くてかなわぬ」

「キヒヒヒ、畏まりました」

 

バーンはどこか「やはりか」というような思いを抱きながら、ハドラーへ向けていた視線を切る。それは大魔王が見せた僅かな隙のように思えるが、それを放置するほど甘くはない。

 

「おやおや、ザボエラ君は怖いねぇ。これなら、非力なボクでもハドラー君の首を簡単に落とせそうだ。けど、忠実な部下がいるから難しいかな?」

「くっ……」

 

大魔王に変わるように、キルバーンがハドラーと親衛騎団たちに睨みを利かせる。特にその言葉は、親衛騎団へ向けた脅しのようなものだ。彼らは動きを封じられているわけではないが、それは動けぬ主を無視した場合だ。

そんな行動を取れば、すぐさまにでも命を奪えると告げることで、行動を封じている。

 

親衛騎団が忌々しげに吐き捨てたことで立場を理解したのだと確認すると、死神はバーンへと注意を向けた。

 

「しかし驚きました。わざわざご足労いただけるとは、思ってもみませんでしたよ」

「その竜のせいで悪魔の目玉を失ったのでな。こうして直接赴かねば、状況すらわからん。実に不便なものだ。それに――」

 

剣呑な雰囲気を見せる者達を意に介さず、キルバーンはわざとらしく(おど)けた様子を見せると、大魔王はやれやれと言ったように呟いた。状況が分からなくなったという理由、それがとってつけたような理由でしかないのは、キルバーンはおろかダイたちにすら容易に気付けた。

そもそも失ったのであれば、変わりの悪魔の目玉を派遣すればいいだけのことだ。

 

「――それにあの竜……あのような姿の竜は、余も見たことがない。ならば、一度直接この目で見てみたかった」

 

ようやくバーンはその瞳を黒竜へと向ける。

 

「少なくともこの地上で起こる出来事ならば、余の知らぬことなど存在せぬと。如何様なことが起ころうと、仮説や推測を立てることが可能と思っておった。だが、あれは知らぬ。皆目、見当すらつかん。余が今まで見聞きし、屠ってきた竜たちとも全く別の存在よ」

 

魔界の神とまで呼ばれるバーンの知識を持ってしても、黒竜の正体は謎でしかなかった。

そう口にすると彼はチラリとキルバーンへと視線を走らせる。冥竜王ヴェルザーの配下たるキルバーンならば、あるいはその正体に検討がついているのではないか。はたまたあれは、ヴェルザーの息の掛かった竜なのではないかと疑い、探りを入れるためだ。

 

だが予想は外れていたらしく、キルバーンは反応を見せることはなかった。

 

――ふむ、ならばアレは全く別の陣営と見るべきか……

 

無反応もまた回答の一つだ。

少なくとも可能性の一つは潰えたと結論づけると、黒竜をどうするべきか思案する。

 

「はてさてあの竜の正体について、じっくりと吟味したいところだが……ここは一つ、余が自ら竜狩りを行うのも一興か……」

「バーン様、そのようなお戯れはほどほどに……」

「ふはははっ! そう固いことを言うなミストバーン。偶には新たな刺激を味わわねば、この身もますます老いるだけよ」

 

黒竜の正体も戦闘能力も不明となれば、バーンの身を案じるのは当然のことだった。不覚や遅れを取るはずがないと頭では理解していても、感情はまた別の話である。

今にも一人、供をつけることなく戦い始めそうな(あるじ)に対し釘を刺すようミストバーンが告げると、大魔王はカラカラと愉しそうに笑った。

 

「それに、何よりまず歓迎せねばならぬ相手がおる。予定外の客の相手にかまけ、主賓を待たせるなど無礼であろう?」

 

予定外の客とは、黒竜のこと。そして主賓とは――

 

「のう? 勇者ダイよ」

 

――当然、ダイたちのことだ。

 

「我が大魔王軍の侵攻をことごとくはね除け、超魔生物となったハドラーを下してみせた。隠匿していたはずのこの大魔宮(バーンパレス)へと通じる門を見つけ、余の足下まで迫って見せたのだ。それもバランたち我が配下を味方に加えてな。その功績、まさに奇跡の勇者と呼ぶより他はあるまい」

 

一見すればダイたちを称えているように聞こえる言葉であったが、逆の立場から見ればそっくりそのまま邪魔され続けているということでもある。本来ならば口に出すことすら忌々しいはずの事柄を並べ立てながら、態度は至って平静そのものだ。

 

「そこで余は考えた。お前達の働きに報いるにはどうすれば良いか……お前たちが一番欲するもの、それはおそらく……余の生命(いのち)であろうな……?」

 

顎に指を掛けながら大魔王は不敵に笑う。

 

 

 

 

 

「ぐ、ぐぐ……あああぁぁっ!!」

「ハドラー様!!」

 

アルビナスから悲痛な声が上がる。

ザボエラの制御装置によって自由を奪われたハドラーであったが、それでもなお反抗の意志は消えることはなかった。本来ならば動くはずもない肉体をそれでも酷使し続けたおかげで限界などとっくに超えている。今この瞬間に崩壊し生命活動が停止しても不思議ではない。

 

それでもハドラーを動かそうとしているのは意地と誇りだ。主たる彼の姿を見ていた親衛騎団の面々は、自然と口を開いていた。

 

「ハドラー様、オレたちが戦う相手は大魔王でよいでしょうか? それとも最初の予定通り、死神から始末しますか?」

「なに!?」

「いやまずはあのザボエラの爺さんからだ。あやつは己の欲望の為にハドラー様を利用している、なにより現在では最も厄介だ」

 

遊戯盤上の駒の一つとして、使い捨ての道具としてしか見られていなかったという気持ちは、親衛騎団こそが最もよく理解できる。なにしろ彼らは元々、文字通り盤上の駒だった存在。道具として使われることも、主の為にその身を捨てることも彼らの役割として当然のことだった。

 

「我ら親衛騎団が力を合わせれば、その程度のことは造作もありません」

「ブローム」

 

ヒム、フェンブレン、シグマ、ブロックが次々に声を上げる。彼らは彼らなりにハドラーの心を汲み、その命が尽きるよりも前に、誇りを汚した連中に制裁を加えてみせると豪語してみせていた。

それがどれだけ無茶なことかは、言っている本人も良く理解している。叶わぬ夢であるのもだ。それでも、だ。

 

「ぐ……ぐうぅ……す、すまんな、お前たち……」

「ハドラー……様……?」

 

最後の最後まで共に歩まんとする姿を見せる部下たちに、ハドラーは思わず涙を流す。だがそのやりとりは決して、彼らだけが聞いていた物ではない。

 

「バカめ! 貴様らのマヌケな主の命はワシが握っているともう忘れたのか!? もう少し力を込めれば、その肉体は粉微塵に砕け散るのよ!!」

 

ザボエラが得意げな顔を見せる。どれだけ威勢の良いことを言ったところで、こう言えば押し黙ると思っていた。人質の命をチラつかせればどんな抵抗も失敗に終わると断じているからこそだ。

たとえどれだけ素早く動けたとしても、魔力を込めるだけの自分の方がよほど早い。ハドラーの命を盾とすれば親衛騎団は動くことが出来ない間抜けな連中と思い込んでいた。

 

「わかったか!? わかったなら、無駄な抵抗はせんことじゃ!!」

 

その思い込みは裏切られることとなる。

 

「!!」

 

突如ブロックが目から光を放った。

いや、目からというよりも彼の内部が発光したと表現するのがより正確だろう。溢れ出んばかりの膨大な光が放たれ、続いて彼の身体が縦一文字に割れた。

その光景に他の親衛騎団たちはブロックを見るが、心配することはなかった。左右に割れた身体の中から、一回り小柄な体躯のオリハルコン兵が出てきたからだ。

よく見れば二つに分かれたブロックの身体には内側に空洞があった。そこに潜んでいたのだろう。

 

「なんと!」

「おまえは!?」

「ブ、ブロック!?」

 

さながら全身鎧を身に纏った戦士が、自らの力で内部からそれを引き裂き出てきたようなものか。瞬時に姿を見せた新たなオリハルコン兵に親衛騎団たちは驚かされたものの、それがブロックであると直感で理解する。

 

だが驚くのはまだこれからだ。

 

真っ二つに分かれたブロックの外側――今や巨大な鎧のようになったそれは自分の意識を持ったかのように無数の細かな破片へと姿を変え、ハドラーを包み込んだ。まるで光の結界のように変じたそれは、ザボエラの光の綱を一瞬にして切断する。

 

「な、なんじゃと!!」

「ミンナ、タタカオウ! ハドラーサマノタメニ!!」

 

文字通り頼みの綱を失ったザボエラは困惑し、ブロックは不慣れな言葉で仲間たちに共闘の意志を叫ぶと、大魔王たち目掛けて飛びかかる。

 

「ブロック……貴方という人は……」

「あとでじっくり、話を聞かせてもらうぞ」

「アルビナス! あんたは死神を頼んだ!!」

「ひ、ひいいいぃぃっっ!!」

 

何が起きたのか、完全に理解することはできない。だが、ハドラーが解放されたということだけで彼らは充分だった。残る三名の親衛騎団はブロックに負けじとそれに続く。

そしてザボエラは、無様な悲鳴を上げて我先にと逃げ出していった。

 

「まだ勇者たちと話をしている途中だというのに、不粋な……」

 

ハドラーたちの動きはバーンも察知していた。だが大した抵抗も出来ぬと放っておいたが、どうやらその予想は裏切られたようだ。予定外の乱入者の存在に大魔王は嘆息する。

 

「おのれっ! 人形風情が!! ザボエラ、貴様もだ!!」

 

そしてミストバーンは憤慨していた。

親衛騎団の無遠慮な行動もそうだが、本来ならば命を捨ててバーンを守るはずが真っ先に逃げ出したザボエラのこともまた彼の怒りに一役買っていた。迫り来るオリハルコン兵士たちを全て破壊しようと目論む。

 

「いや、よいミストバーンよ。余が相手をしよう」

 

だが彼が動こうとするのを、大魔王は片手を上げて制した。

 

「し、しかし……」

「これから先、余は(ドラゴン)の騎士どもを歓迎せねばならんのだ。多少なりとも錆を落としておかねばな。それに、いくらかは手の内を見せてやらねば、勇者たちとの戦いはあまりにも不公平であろう?」

「……承知いたしました」

 

なおも食い下がろうとするミストバーンであったが、バーンは気にすることもない。彼からすれば、ハドラーたちとの戦いもダイたちとの戦いも全てが余興のようなもの。決して負けることのない格下との戦いに過ぎない。

余裕とも油断とも取れる言葉だが、そう言われては返す言葉もなくミストバーンは頷いた。

 

「ミストバーンよ、お前はダイたちの相手を適当にしてやれ」

「はっ」

「やりすぎぬよう気を付けるのだぞ。余の分も残しておけ」

 

バーンとミストバーンが動き出す。

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 

「おやおや、まさかバーン様がお相手なさるとはね」

 

少し離れた位置で見物をしていたキルバーンは、その行動を意外そうに見つめる。

 

「お人形遊びは嫌いじゃないんだけど、さすがに手を出すと怒られちゃうか」

 

一応彼は親衛騎団のアルビナスが相手を任されているのだが、律儀につきあってやるほどキルバーンは義理堅い性格でもなければ、興味があるわけでもない。ましてやバーンの言葉と比べれば、考えるまでもない。任せておけば、そのうちに終わってしまう。

 

――加えて。

ギロリと殺気を込めた視線で女王を睨めば、彼女は反応するものの襲いかかってくることはなかった。ただハドラーの身を守るように、その場を離れることがない。

 

「お人形さんがご主人様に情愛でも抱いちゃったかな? これじゃあつまらないね。ミストは勇者様御一行の相手だし……どうしたものか……?」

「キルバーン! キルバーン!」

 

戦場を見渡し途方に暮れるキルバーンであったが、その肩をピロロがペチペチと叩く。

 

「どうしたんだいピロロ?」

「あれあれ♪」

 

愉しげに一点を指さす。その方向には、未だ我関せずとばかりに欠伸をする黒竜の姿があった。つまらなそうな瞳を目にして、彼の中の悪戯心が目を覚ます。

 

「なるほどね。せっかくだし、やってみよう。はたしてどうなるかな?」

 

そういうとキルバーンはイオナズンの呪文を生み出し、黒竜を目掛けて投げつける。その光球はドラゴンの頭部へ狙い違わずに着弾して、大爆発を起こした。

 

「グオオオオオオッッッ!!」

 

痛みが原因か、それとも明確な敵対行動を取ったことが原因なのか。

黒竜はそれまでの大人しい様子から打って変わって凄まじい咆吼を上げる。激怒したような荒々しい声は、聞く者全てを恐慌状態へと陥らせそうなほどだ。

何より目が違う。

凶暴性しか見えなくなった瞳は、最も手近な生命を獲物として暴れたそうに見える。

 

「さてこれは、どうなるかな?」

 

 




本当はこの話には、チルノさんがどうやって変身したのかという(詐欺みたいな)理由までを書く予定だったんですが……

次回冒頭に回してしまう私。


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LEVEL:95 次元の違い

「いでよチョコボ!!」

 

しかしなにもおこらなかった。

 

「……レモラ! シルフ! セイレーン!」

 

気を取り直し、再び集中して叫ぶが、相変わらず何も起こらない。

 

「うーん、今回もだめか……」

 

一通り叫び終えると、半ば予想していた事実を再確認したように呟く。

それを行っているのは、大魔王へ挑んでいる現在よりもずっと幼い頃――きちんとした生年月日が不明なため正確な年齢ではないが、おおよそ四歳くらい――のチルノだ。

 

彼女が行おうとしているのは、召喚魔法と呼ばれるものだ。

その名の通り召喚獣または幻獣と呼ばれる存在を呼び出し、その力を借りる魔法である。単純な火力としても優秀であり、場合によっては物語の根幹を構成する大きな要素の一つとなることもありと、有り体にいえば花形と呼んで差し支えない技能だろう。

 

そんな召喚魔法を使いこなそうと少女は奮戦していた。

チルノが叫んでいたのは、いずれもその召喚魔法によって呼び出される者の名である。それも大別すれば簡単な部類に属する、いわゆる初心者用のそれだ。

だが、結果はお察しだった。

誰に見られることもないように、デルムリン島でも生命の気配のない場所を吟味した上で隠れて行っているため、無反応を笑う者が皆無なのがせめてもの救いだろう。

まあ、仮に誰かに笑われたところでチルノはどう思うこともなかっただろうが。というのも、彼女がこの行為を行ったのは今回が初めてではない。過去に何回か試行している。

それも初歩的な黒魔法や白魔法――この世界における攻撃呪文や回復呪文――を扱えるようになり、少なからずコツを掴んだと言える状態で試している。

これまでならば、なんらかの反応が返ってきていた。たとえ魔法を操るのに失敗していたとしても、魔力がさざめくなどの予兆のようなものが感じ取れたのだ。

 

だが今回に至っては、それが全く微塵も感じられない。

 

「使えないって考えた方がいいのかな?」

 

何度目かの試行を終えた彼女は、召喚魔法という技能についてそう結論づけた。それはとても残念であると同時に、ある意味では仕方ないとすら言える。

 

「そもそも迂闊に使えないよね……」

 

炎を操る魔神(イフリート)冷気を操る女王(シヴァ)雷を操る長老(ラムウ)大地を操る巨人(タイタン)額にルビーを持つ獣(カーバンクル)、等々…………

その名を上げれば枚挙に(いとま)がないほどであり、そのどれもがこの世界には存在しない者である。それを知った上で召喚魔法を使えば「いったいどこにいた? 何時の間に知り合った? どういう手段で呼び出しているのか?」などの疑問が新たに湧き上がる。

 

つまるところ、見た者に与えるインパクトが良くも悪くも大きすぎるのだ。そしてそれは、新たな問題を生む温床にもなりかねない。

 

「しかたないか。今は出来ることを増やしていかないと!」

 

ならばいっそ「不可能だ!」と、すっぱり現実を突き付けられたほうが諦めもつくというものである。

気持ちを切り替え、自身が扱える技能を更に増やすことへとチルノは思考を向ける。

 

「……バハムートとか呼んでみたかったんだけどね」

 

彼女が口にしたのは、最上位の召喚魔法。その口から吐き出すブレスは全てを灰燼へと変えてしまうほどの破壊力を誇り、竜王、幻獣王、幻獣神などの肩書きでよばれる巨大な竜の名だ。

どうやら口ではどう取り繕ったとことで、召喚魔法を使いたいという未練は断ち切ることができなったらしい。

 

チルノが、ほんの僅かに残していた未練。それが起点だった。

 

そもそも召喚魔法を扱うには「呼び出す対象と契約を結び」「召喚対象をこの場に呼び出すだけの魔力」が必要となる。

チルノが思い違いをしていたのはその前者、すなわち契約を結ぶと言う点だ。

そして契約を結ぶには、召喚対象に従っても良いと思わせるだけの力を示す必要がある。力と言っても、単純な暴力で打ち倒すことだったり、協力してやろうと思わせるだけの態度や行動を見せたり、単純に何か代償を支払う必要があったりと様々な形式をひっくるめて力と呼んでいるわけだが。

何者とも契約を結んでいなければ、そもそもが呼べるハズもない。そして、仮に契約を結んでいたとしても、望んだ召喚獣たちはこの世界を飛び越えた場所に存在している。どこにいるとも分からぬ相手を呼び出すには、人智を超えた魔力を求められる。

 

この二つの要素によって、少女は召喚魔法をまったく操ることができずにいた。だが、本人は断ち切ったつもりの未練は、諦めることをよしとしなかった。

無意識と呼び変えてもいいだろう。最強の竜王のことを微かに思い続け、なんとか呼び出す方法を模索する。そして幸運なことに、彼女の近くには(ドラゴン)の騎士と呼ばれるこの世界最強のお手本があった。

お手本と彼女の中の想いを糧に、日々の修行や生活の中でもゆっくりゆっくりと、彼女が気付かないほどの速度で出来ることを広げていく。

 

十年以上の歳月を重ね、彼女の負担にならないよう少しずつ少しずつ行われて来たのだ。それも本人が(あずか)り知らぬところで、彼女の中には竜が息づいていった。

なにより決定打となったのは、バランの存在だ。彼がチルノに自らの血を分け与えたことで、その情報を取り込み竜は完成形となる。

 

こうして彼女の中に生まれた竜は、召喚獣とはまた違う存在となっていた。契約に縛られることなく力を操れる存在、自分自身のもう一つの姿と言って良いだろう。

そしてチルノの身体は、その力を操るだけの技能を知らず知らずに身に付けていた。肉体が自然と覚えた防衛本能のようなものなのかもしれない。

その技能の名はトランス。

幻獣と人間の間に生まれた少女が、幻獣の力を存分に行使するために身に付けた技能だ。

 

――尤も、チルノ本人がそれに気付くことはなかったのだが。

 

そして、その強大すぎる力は、外部から無理矢理気付かされた。

先に述べたように、チルノの中の竜はダイとバランの影響が大きい。すなわち、(ドラゴン)の騎士の影響すら受けるようになっていた。ダイが(ドラゴン)の紋章の共鳴によって記憶を消された例のように、未熟な力は大きな力に影響されやすい。

ハドラーが(ドラゴン)の騎士の力を操れるようになり、その凄まじいまでの闘志と戦意をダイたちに向け、そして彼らもまた(ドラゴン)の紋章を全開に操り戦う。そんな戦場に居れば、影響を受けないはずがない。

 

例えば、貴方の"頭が痛い"とする。ではその頭痛はどのようなものなのか?

誰かに殴られたのか?

病気によるものなのか?

気圧が原因で一時的に痛いだけなのか?

放置していても自然と治るものなのか?

医者を頼る必要があるのか?

もう二度と治らないものなのか?

 

人間であれば答えられる。知識と経験があれば、対処法もすぐにわかる。

だがチルノにはそれがない。

(ドラゴン)の騎士の力の影響という未知の影響を初めて体験し、どうすればいいかまるで分からない。

そこにキルバーンの罠による激痛を受けた。

ハドラーの放った敵意の影響を受けていたところへ、苦痛によって意識を飛ばしてしまう。制御を失った肉体は闘気や戦意と言ったものに引きずられるように行動する。

 

その結果――

最強の力を持ちながら、自らの意識を失い本能のままに行動する竜王が生まれた。

 

バハムートへと変身した少女であったが、本能のままといえど元の人格の影響かその本質は大人しい。だがそれも時と場合による。誰が敵で誰が味方か分からぬまま、小さき者(キルバーン)に攻撃を受ければ、黙ってはいられない。

 

手近な場所にいる小さき者の仲間(ダイたち)へと向けて、最強の竜が牙を剥く。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

キルバーンの行動を視界の端へと捕らえ、バーンは一つ嘆息する。

 

「……まったく、仕方のないヤツめ」

 

まだ力量の分からぬ黒竜を挑発し、戦線に引きずり込む。場に混乱を生み出そうとしているとしか思えぬ行動だ。何が狙いか真意を探りたいところだが、大魔王は思考を切り替える。

 

「カクゴ!!」

 

ハドラー親衛騎団のブロックが目前に迫ってきていたからだ。

それまでの鈍重そうな姿から一転、筋肉質な中肉中背の青年のような姿へとその身を変えた彼は、かなりの速度でバーンへと迫る。何も武器を持たぬため徒手空拳ではあるが、オリハルコン兵である彼らは皆、肉体そのものが兵器となる。

突進の勢いを利用して繰り出された拳は、直線的な動きではあったが凄まじい速度と威力を備えて放たれた。

 

「そうか、お前は確か城兵(ルック)の駒であったな? ならばあの能力はキャスリングか? ……なるほど、余興としては少しは楽しめたぞ」

「ウッ……!!」

 

その拳の動きに合わせ、バーンは掌から超圧縮した暗黒闘気を放つ。それだけでブロックの身体を弾き飛ばし、攻撃そのものを封殺させる。だがバーンが口にしたのは、それとはまるで関係のない事柄――つい先ほど、ハドラーを救って見せたのが、誰のどういう仕業かということの推論だった。

つまり、戦闘とはまるで別のことを考えていても、反射だけで対応できるということになる。とはいえこれは、ブロックの動きがあまりにも直線的過ぎるというの原因ではあるのだが。

 

「我らハドラー親衛騎団の力を舐めるな!!」

 

後に続けとシグマが飛びかかる。こちらはブロックとは違い、速度と技術を活かして槍を振るう。本来ならば攻撃になっていたはずのそれは、だがバーンは槍を片手で掴んで止めて見せた。

 

「ハドラー親衛騎団……確かにそれは間違いではない。だが忘れたか? そなたらは元々は余の道具であった。飼い犬はおろか、道具にまで手を噛まれるとは……」

 

槍を掴む手に力が込められた。

 

「さしもの余も、少々腹が立つ」

「ウオオオォォッ!?!?」

 

そのまま槍が捻られた。

瞬時に強烈な回転に襲われ、シグマは抗えず力任せに吹き飛ばされる。それだけでは終わらるはずもない。バーンは無造作に間合いを詰めるともう片方の手でシグマに掌底を放つ。

 

「ガハッ!!」

「うおっ!?」

「クッ!!」

 

シグマの身体が砲弾の様に吹き飛んだ。それも、身体が地面と水平になって飛ぶほど強烈な一撃だ。吹き飛ばされたシグマは連携のため後に迫っていたヒムとフェンブレンを巻き込んで衝突する。その光景はさながら多重衝突事故現場といったところか。

 

「丁度良い、まとめて灰にしてやろう」

 

団子になって倒れているシグマを見て、バーンは片手に魔法力を集中させた。魔法力は炎を生み出し、それは掌中で瞬く間に燃え上がりとある形を作り出していく。

 

「想像を絶する威力と優雅なる姿から、太古より魔界では余のメラゾーマをこう呼ぶ……」

 

それは巨大な鳥の姿だった。一般的に知られるメラゾーマの呪文とは比べるのも烏滸がましいほどの熱量とすさまじさに親衛騎団たちは我知らずのうちに呑まれていく。

 

「カイザーフェニックス!!」

 

大魔王の手から炎の鳥が羽ばたいた。

 

「なんのっ!!」

 

最も早く正気に返ったのは、シグマだった。彼は放たれた呪文を見て、己の役割を思い出したのだろう。二人を庇うように前に立ち胸部の装甲を開いた。その奥からは鏡のように磨かれた美しい盾が現れる。

 

「攻めの手段を誤ったな大魔王!」

「ほう、呪文返し(マホカンタ)か」

 

その盾の名は、シャハルの鏡。

ハドラーより授けられた呪文返し(マホカンタ)の効果を持つ伝説の武具の一つだ。

如何にカイザーフェニックスが高威力であろうとも、それはメラゾーマの呪文だ。ならば跳ね返せぬ道理はない。そして、親衛騎団を襲う呪文を鏡を用いて打ち返すのはシグマの役目でもあった。

事実、シグマの狙い通りにフェニックスは鏡によって打ち返され、主へと牙を向けた。それを見ながらも、大魔王は余裕の態度を崩すこともなかった。迫り来る凶鳥を迎え撃とうとして、不意に動きを止める。

 

「む?」

「ウゴ、クナ……!!」

 

いつの間にかバーンの足をブロックが掴み、動きを阻害していた。超圧縮された暗黒闘気に打ち貫かれ戦線を離脱したとばかり思っていた彼だったが、残る力を振り絞ったのだろう。オリハルコンの肉体に細かな罅を幾筋も走らせながら、それでも腕の力を緩めない。

 

「なんと、健気なことか……」

 

ブロックの姿を目にし、バーンは感慨深く呟く。

そのままブロックに手を伸ばすと、しがみつこうとする彼の動きなど意にも介さずに持ち上げ、自身の前にずいと押し出した。

 

「ナ……!?」

「ありがたく使わせてもらうぞ」

 

迫り来る火の鳥へ向けて、彼の身を盾として利用する。宙釣りにされたブロックは足掻くがビクともしない。

 

「オオオオオッ!!」

「馬鹿な!!」

「ブロックーーッ!!」

 

ブロックとカイザーフェニックスとが激突する。

如何にオリハルコンで作られた身体であっても、バーンの超魔力の前には話が違ってくる。加えて既に大きなダメージを負っていた彼に、この一撃を耐えられるだけの余力はない。

無防備に攻撃を受け、そして砕け散った。

 

「卑劣な……! ブロックを盾とするなど……!」

「先ほども言ったが、元々は余の道具であった貴様らだ。それを使って何が悪い? まあ、あえて言うならば、近くにいたあの城兵(ルック)が悪かった。それだけのことよ」

 

仲間を失った悲しみと怒りに、シグマは叫ぶ。

だが怒りの言葉をどれだけ投げようとも、大魔王に届くことはない。むしろそれが当然のこととばかりに、バーンの心にはさざ波すら起こらない。

 

「さてその鏡、少しばかり邪魔だ。割らせて貰うぞ」

 

大魔王の右手より再び炎の不死鳥が放たれた。

 

「またそれか!」

 

先ほどの行動の焼き直しのように、シグマは再び跳ね返そうと動く。シャハルの鏡にて火の鳥を受け止めようとした瞬間、彼は見た。

 

「……!!」

「そら、もう一つ」

 

左手からもカイザーフェニックスを生み出し放つ大魔王の姿を。それも、さも当然と言わんばかりにだ。

 

「に、二連続だとぉっ!!」

 

対してシグマはようやく初撃を受け止めたばかり。そこへ、もう一羽の不死鳥が揚々と襲いかかる。

 

「ぐわああああぁぁっ!!!!」

 

二発分の超魔力を受けては、シャハルの鏡とて無事では済まない。跳ね返せる限界を超えた魔力量を受け止めきれず、鏡はその瞬間粉々に砕け散った。無論のこと、シグマもただでは済まない。

既にラーハルトとの戦いによって少なからずダメージを負っていた彼の身体は、二重の炎に飲み込まれ、消えた。

 

「シグマ……!」

 

無敵を信じたはずのハドラー親衛騎団が、瞬く間に二人潰えたのだ。しかもそのどちらもが、一矢報いることすらできずに。

悪夢のような光景に、ヒムは仲間の名を呼ぶことしかできなかった。

 

「……参った」

 

それは残ったフェンブレンも同じだったのだろう。だが彼の場合は、少々感じ方が違ったようだ。

大魔王を見ながら、誰の耳にも届くようなはっきりとした口調でそう告げる。

 

「お、おいフェンブレン! 何を言ってやがる!!」

「聞こえなかったのかヒムよ? ワシは参ったと言ったのだ!」

 

思わず耳を疑う仲間の発言に、ヒムはフェンブレンの肩を掴もうとした。しかしその手を躱すように動きながら、再びそう答えた。

 

「このまま残った戦力で戦いを続けたところで、勝ちの目などない。ならば、生き延びるためには至極当然のことよ」

「何を馬鹿なことを言ってやがる!! オレたちはハドラー様と一心同体だ!」

 

叫び続けるヒムの言葉に背を向け、フェンブレンは大魔王の近くまで歩を進めてから跪く。

 

「大魔王……いや、偉大なる大魔王バーン様。改めて忠誠を誓う。その叡智と超魔力で、どうかワシだけでも助けては貰えぬだろうか?」

「よかろう」

 

伏したまま告げられた言葉を、バーンはいとも容易く頷いた。それは傍で聞いていたヒムが一番強く衝撃を受けてしまうほどに、あっさりとしたものだった。

 

「ならば、余への忠誠心を試したい。残る兵士(ポーン)女王(クイーン)、そなたの手で始末をつけてみせよ」

「なるほど……それが望みとあれば……」

 

顔を上げ、背後に残る二人の姿を振り向きざまに見つめると、フェンブレンは腕を掲げ――

 

「その命貰った!!」

 

バーンへ向けて全力の一撃を振るう。

だがその攻撃が大魔王へと届くことはなかった。フェンブレンの動きなど予定調和、最初から全て分かっていたかのように、バーンは魔力球を放つ。

 

「ぎ……っ! やあああぁぁぁぁ!!」

 

攻撃に対してカウンターで放たれたそれはフェンブレンに衝突した途端、極々限られた範囲だけに猛烈な破壊の嵐を起こす。一定空間だけがまるでぽっかりと削り取られるようなその光景を見て、放たれたのが極大爆烈呪文(イオナズン)だと理解出来た者は果たしていただろうか。

 

「生憎だが、余もその手の猿芝居には慣れている。昔はまだ、余に逆らおうとする者も多くてな………昔を思い出し、少しだけ楽しめたぞ」

「や、やはり、慣れぬことはするものでは……」

 

身体の半分以上を削り取られ、もはや立つことも出来なくなった僧正(ビショップ)は、その言葉を最期に力尽きた。

 

「フェン……ブレン……すまねぇ……お前を疑って……」

 

だまし討ちは決して褒められたことではないだろう。だが、そうしてでも勝利を得たいという気持ちはヒムにも分かった。なにより、仲間が本気で裏切ったと信じてしまった自分が許せなかった。

ヒムは、本人すら気付かぬうちに一筋の涙を零す。だが、感傷に浸る間など存在しない。

 

「涙か……」

 

残るヒムへとバーンは接近していた。

 

「どうした? お前は兵士(ポーン)であろう? 兵士(ポーン)は恐れを知らず、愚直に前へと突き進むものだ」

「な……くっ!? 違う! オレは……」

 

彼が流した涙を恐怖によるものだと判断し、バーンは役に立たぬ兵士(ポーン)の存在を笑う。接近され、嘲笑されたことでようやく反応したヒムは、大魔王へと拳を振るう暇すらなかった。

 

「ぐはぁぁっ!!」

 

格闘術を得意とするヒムのお株を奪うように、正面から拳にてヒムを打ち倒す。たった一撃、それだけでヒムの肉体もまた砕け散ってしまう。

最初に襲いかかってきた四人。その全てを片付け終えたことを確認すると、バーンは虚空へ向けて呟いた。

 

「お前たちが万全の状態ならば、もう少し愉しめただろう」

 

全員がポップらアバンの使徒たちとの傷も癒えぬまま大魔王へと挑んだのだ。しかも戦いそのものは、親衛騎団が劣勢となっていた。加えてバーンは彼らを少々本気で潰そうという腹積もりで戦っていたとなれば、この結果も仕方のないことなのだろう。

 

そして残る二人の元へと向かう。

 

「ヒム……シグマ……フェンブレン……ブロック……」

女王(クイーン)は迂闊に動かぬが定石、お前もそれに倣っての行動か?」

 

仲間たちの名を呼びながら、アルビナスは信じられないものを見るような瞳で大魔王を凝視する。その姿は、既に心ここにあらずの状態だ。

少し離れた場所にいたことで、大魔王の実力を一端とはいえ垣間見せられた。そしてその力は彼女の想像を遥かに上回っていた。

さらにハドラーが崩壊寸前というのも彼女の心を追い詰める。

女王(クイーン)として、(キング)に位置するハドラーへ向けてゆっくりと心を注いでいた。ならば、ハドラーが死ぬと聞いてどうして平静でいられようか。

 

大魔王へハドラーの助命を懇願すれば、まだ可能性はあるかもしれない。だがその可能性も、このような状態になってしまっては不可能だ。

思考が空回りし、目の前にバーンが現れてもなお、アルビナスは動けなかった。

 

「戦いすら忘れた貴様には、もはやなんの価値もない」

 

つまらない物を。本当につまらない物を見るようにして、バーンは手刀でアルビナスの胸を刺し貫いた。

 

「ぁ……ハド……様……」

 

今にも消え去りそうな、かすれた声。それが最期の言葉だった。人間の心臓と同じ、左胸に納められた(コア)を貫かれ、彼女もまた果てる。

 

「すまん……」

 

親衛騎団全てが倒れ、最後に残ったハドラーはもはや虫の息でしかない。

 

「ダイ、チルノ……すまん……オレが迂闊だったばかりに……」

 

支える者もなく、大地に身体を横たえたままうわごとのようにそう呟く。もはや起き上がることすら出来ないハドラーなど、大魔王にとっては興味すら湧くことはない、路傍の石よりも無価値な存在だ。

もはやまともにハドラーを見ることもなく、バーンは暗黒闘気を放つ。圧縮すらまともにしていない、大魔王からすれば虚仮威し以下の技とも呼べない何かだ。だがその程度の攻撃であっても今のハドラーには致命傷となる。

 

「もしも……次があるならば……そのときは……この償いを……」

 

崩れゆきながらなおもそう口にする言葉を耳にしながら、バーンは「所詮は叶わぬ夢」と切り捨てる。

魔族の肉体を捨て、暗黒闘気による復活すら出来なくなったハドラーには「次の機会」など永遠に訪れないのだから。

 

 




冒頭、長々と書いていた説明文は、大雑把に言うとこんな感じです。

------------
ダイ大の世界にはチョコボすらいません。存在しないので呼べません。
つまり【召喚魔法】は使いこなせないとチルノさんは諦めました。

いらない子になった【召喚魔法】さんは考えました。
「召喚獣がいないなら、自分で契約して呼べばいいじゃない」
ということで、モンスターと契約すれば使えるようになりました。
「ほぉら、私はFFでメイン題材にもなった技能ですよ。私がいないなんてありえない。さあ使いましょうね」
とプライドの高い【召喚魔法】さんは待ち構えますが、それでも使ってくれません。というか気付いてくれません。

そこでさらに考えました。
「契約してくれないなら、召喚獣を自分で作ればいいじゃない」
と彼女の中に素材のような物が作られました。チルノのバハムート発言とダイが近くにいたことから竜になりました。

トドメにバランがくれた竜の血が召喚獣作成を一気に加速させました。
「まるで高速建造材のようだ」(艦これ)
ということで、バハムートさん爆誕。

しかし新たな問題発生。
「どうやって外に出すんだよ……」
と困っていたところに【トランス】(FF6)さんが
「あ、召喚獣さんいるんですね。じゃあ、僕も使えるようになっておきます」
と気を利かせてくれたおかげで、変身できるようになりましたとさ。
(しかも本人の知らないところで)

でも竜の騎士の影響受けるの。
だからハドラーの影響受けて引きずり出されちゃった(テヘペロ)
------------

という屁理屈です(むしろコレを下地に本文を書いた)
弟が竜の騎士なら姉は竜に変身くらいできないと(無茶)
(DQ1の竜王(変身後)も候補でした。あのシンプルさ大好き)

早い話が「俺自身が召喚獣になることだ」ってことです(ブリーチ)

ティナつながりで、ライオットソードを使っていたりとか。

アモス(DQ6)だって、魔物に噛まれたのが原因で変身するんだから問題なし!!
FF14には「トランス・バハムート」という能力があるから問題なし!!
現場プリズニャン(ねこ)も「ヨシ!」と太鼓判でしょう。


そして親衛騎団……
ごめんね、昇格とか活躍の場とか考えるのは私には無理だったよ……
でもハドラーと一緒のところに行けたから許して……


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LEVEL:96 怪獣大決戦

大魔王バーンがハドラーたちとの戦いを始めたのとほぼ同じ頃、ダイたちはミストバーンを相手に戦闘を始めていた。

 

「闘魔滅砕陣!」

 

先手を取るはミストバーンだ。彼にとって、大魔王の命令は全てに優先する。だが、(ドラゴン)の騎士二人を含む大人数を相手に彼一人では少々心許ない。ましてや敵方にはミストバーンの天敵たる光の闘気を操る者が複数いるのだ。

難問であることは自覚しつつ、機先を制するように最大威力で暗黒闘気の糸を放ち戦闘の主導権を握ろうとする。

 

「甘いッ!」

 

瞬時に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなそれをヒュンケルは瞬時に看破し、光の闘気を放って打ち破る。闘魔滅砕陣は一瞬地面に張り巡らされただけで、なんの効果も発揮することなく終わっていた。

彼からすればミストバーンの相手をするのも慣れたもの。戦士の才に溢れたヒュンケルにとって、闇の衣を纏ったままではもはや勝負にならなくなりつつある。

 

「くっ……!?」

「空裂斬!」

 

ヒュンケルが滅砕陣を止めたのと同時に、ダイが空裂斬を放つ。彼が手にする"ダイの剣"は未だ抜き身のまま、鞘に戻されていない。オリハルコンの剣にて放たれた空の技は、ダイ本人も驚く程の威力を伴ってミストバーンへと襲いかかる。

 

「ウオオオォォォッ!!」

 

直撃すれば戦闘不能は必至だろう。

凄まじい速度で迫る空裂斬をミストバーンは身をよじって躱すが、無理が祟り体勢が崩れてる。とはいえ必殺の一撃を避けた代償としては安いものだろう。この中ではダイとヒュンケルの攻撃が最も危険だと考えそう判断するが、それはどうやら誤りだった。

 

「ハッ!!」

「グ……ッ!」

 

動きが鈍くなった瞬間を見逃さず、ラーハルトが動いた。目にも映らぬほどの速度で移動し、閃光のように繰り出される攻撃はミストバーンとて避けることは能わない。仮に闇の衣を脱ぎ捨てたとて翻弄されるほどの速度だ。

ミストバーンの特性から、速度や衝撃波ならばダメージそのものは皆無に近い。だがダメージを受けなくとも、衝撃は受ける。足止めをされ、その場に縫い付けられる。

 

「やああああぁぁっ!!」

 

動きを止められたところへマァムが気合いの声を上げながら迫ってきたのを察知し、ミストバーンは瞬間的に判断に迷う。ロモスにてマァムが光の闘気らしきものを使用しているとの報告を受けていたからだ。ザムザを倒す際に使った――オーラキャノンや聖拳爆撃といった――技ならば有効打になりうる。どうするべきか逡巡する一瞬のうちに、マァムはほくそ笑む。

 

土竜昇破拳(どりゅうしょうはけん)!」

 

続く彼女の取った行動は、ミストバーンの想定外のものだった。絶妙なタイミングで襲いかかってきたかと思えば攻撃をせずに両腕を大地に叩きつけたのだから。何をしたいのか分からず判断にさらに迷わされる。その時間は命取りだった。

 

「グアアアッ……!?」

 

突如、ミストバーンの足下が爆ぜた。続いてそこから猛烈な勢いで衝撃が噴出する。

まるで――この世界には存在しないが――対人地雷を踏んだようだ。何が起きたか分からずまともに喰らってしまい、その足を完全に止める。

 

「やっぱり、この技は苦手ね……」

 

土竜昇破拳(どりゅうしょうはけん)も武神流拳法の技の一つであり、地面を殴ることで衝撃波を操り敵の足下を爆発させる技だ。その性質上、攻撃力というよりも相手の意表を突いて動きを止め、体勢を崩すことを目的とする。大技を確実に当てたり、仲間の最大攻撃を補佐するための下準備などに最も効果を発揮する。

とはいえ、狙った部分を爆発させるため、敵に移動されると途端に無力化されるという欠点もある。いわゆる"初見殺し"に分類されるため同じ相手には二度も三度も通用しない。

 

今回はその役割を充分に果たしていたが、技の効果を横目に見ながら、マァムは渋い顔を覗かせる。理想的な土竜昇破拳(どりゅうしょうはけん)ならば、ミストバーンの身体は爆発の衝撃で中空へと浮かび上がっている。爆発箇所ももっと足下近くだったはずだ。

一言で言えば練習不足。完璧とは言い難かったのだが――

 

「――でも、クロコダイン!!」

「ヌオオオオオオッッ!!」

 

前述の通り、役割は充分に果たしている。自分の仕事は終わったとばかりに、次の仲間へと順番を譲れば、獣王クロコダインは待っていましたとばかりにミストバーンへと突進する。

 

「クロコダインだと?」

 

口に出すことなく「舐められたものだ」という後半の言葉を飲み込む。確かに攻撃力は高いだろうが、それだけだ。ミストバーンからすれば、ダイたち勇者一行の中では警戒するに値しない相手の一人だった。

動きを止められた状態のために回避はままならず反撃するにも遅いが、クロコダインの一撃ならば怖くはない。そう判断して、振り下ろされた豪腕を受ける。

 

「がっ!? こ、これはっ!!」

 

その予想は瞬時に覆された。

本来ならばありえない、予期せぬ衝撃を受けてしまう。ダメージを受けると同時にミストバーンは吹き飛ばされ、今度こそ地面へと叩きつけられた。

 

「そう、光の闘気だ。アバン流の空の技に到るほど強烈ではないが、それでもお前には効くだろう?」

 

想定通りの結果にクロコダインは見せつけるようにニヤリと笑う。

 

テランでの戦いの後にヒュンケル、ラーハルトらと共に鍛錬を重ね、修行の際にはアバンの書というお手本があった。そんな環境であれば、一ヶ月に満たない期間であってもクロコダインの才を持ってすれば光の闘気に目覚めることも可能だった。

とはいえ、本人の言う通りにダイたちと比べれば弱い。だがそれも使い方次第だ。

 

ミストバーンとも矛を交える可能性は、チルノが正体を明かした時点で予想は出来ていた。

仮に予想が的中したならば、自分の攻撃に対して最も無警戒になるだろうということも。

ならば、敵がクロコダインが光の闘気を操れることを知らなければ、油断したところへ光の闘気による一撃をたたき込めないだろうか?

もしも実現すれば、下手な空の技よりもよほど有用に働くに違いない。

 

「よしっ! 今なら!!」

 

結果は見ての通り。

ミストバーンがクロコダインの攻撃を受けたところまでを確認して、ポップは小さく歓喜の声を上げた。そして、右手に火炎呪文(メラ)を左手に氷系呪文(ヒャド)を生み出す。

 

ここまでの連携は、あらかじめ打ち合わせ済みのものだった。

最も警戒すべき相手ではなく、敵が警戒を外した相手で効果的な一撃を与えることができれば、精神的にも大きなダメージを与えられる。

だがグズグズもしていられない。クロコダインの言葉通り、あの攻撃は空の技ほど強烈ではない。例えるならば、油断していたところに氷水を浴びせられたようなものだ。ダメージが皆無とは言わないが、そのうち起き上がってくる。

 

それを防ぐため、敵にトドメを刺すのがポップの役目だった。

師マトリフより伝授された極大消滅呪文(メドローア)を放ち、ミストバーンを消滅させる。それこそがこの連携の締めくくりとなる。そのためにミストバーンを地面にたたき伏せてまで動きを封じたのだ。

絶対に外すことのないように。

極大消滅呪文(メドローア)ならば、どれだけの耐久力を誇っていても関係はない。凍れる時の秘法すら例外としてしまう、文字通り当たれば最強の呪文。呪文返し(マホカンタ)に似た特技を持っていると聞いてはいたが、それも今の状態ならば関係ない。

 

文字通り必中の一撃となる……はずだった。

 

「アアアアアアアアアアアアァァァッ!!!!」

「うおっ!? って、やべっ! ドジった!!」

 

集中してたところへ突如、身を震わせるほどの咆吼が響いた。それを耳にした者は、思わず身を竦ませるほどの恐ろしい絶叫。驚きと恐怖のあまり、完成間近だったはずの極大消滅呪文(メドローア)を霧消させてしまった。

だがそのことでポップを責めることはできないだろう。

耳にした者は皆、一様に動きを止めてしまう。そしてその声の向こう、咆吼の主たる黒竜が動き出した。その瞳は怒りに燃え、手近な者たち――すなわちダイたちのことを睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

「……なんだ!? だが、今のうちに!」

 

ミストバーンもまた咆吼をまともに耳にしていたが、さすがの精神力といったところか。いち早く正気を取り戻すと、急ぎダイたちから距離を取る。どのような手段かはわからなくとも、あのままならば手痛い攻撃を受けていたというのは彼も直感で理解していたのだ。

それを回避するために距離を取ったのが理由の一つ。

 

そしてもう一つ。黒竜の攻撃対象とならぬために距離を取った。

こちらも詳しい事情は分からぬが、あの竜はダイたちの仲間の一人チルノだというのは分かっている。ならばこれは、敵同士が勝手に潰し合ってくれると言う絶好の好機だ。

 

「あ~驚いた。まさかあんな大声を出すなんて」

 

容易に攻撃が届かない程度に距離を取ったところで、キルバーンが合流してくる。

 

「キル、貴様の仕業か? まあ、よい。今だけは助かった」

「ウフフ、別にミストの手助けをしたつもりじゃないんだけどね。あの竜は勇者ダイの肉親だろう? だったら、内輪で争わせた方が面白くなるかと思ってね」

「だがこれは、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

問題があるとすれば、未だ黒竜の力が未知数ということ。どのような結末を招くのか、ミストバーンは思案顔を覗かせ、キルバーンは薄ら笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「なんとかして止めるんだ!」

「なんとか……って、アイツはチルノなんだろ!? どうすりゃ良いんだよ!?」

 

目前へと迫り来る黒竜を前にして、ダイたちはどのように動けば良いのか分からなかった。攻めあぐねる、というよりも防戦一方。相手の行動に反撃すらできず、ただ回避を選択し続けるのが関の山だ。

 

「うわっ!! やめてよ姉ちゃん!!」

 

チルノの横に回ろうとしたダイであったが、突如として大きく後ろに跳びすさる。それと同じタイミングで目の前を黒竜の尻尾が風を切って通り過ぎた。仮に直撃していればどうなるかなど、考えるまでもない。

ある意味では、今までの戦いの中で最大の戦力を誇る攻撃を掻い潜りながら、彼らはチルノを元に戻しうる方法を模索し合う。

 

「そうだ! マホカトールの呪文ならどうだ!? あれなら実績もあるはずだぜ!!」

「そうか、それなら姉ちゃんを!」

「でも、私たちに使えるのは誰もいないわよ!?」

 

妙案を思いついたとばかりに声を上げるが、使用者が誰もいないという新たな問題が浮上する。

 

「レオナは!? 使えないの!?」

「……ごめんなさい」

 

ダイの疑問にレオナは小さな声で謝罪する。

そもそもマホカトールを覚えるには、破邪の洞窟の深くまで潜り呪文を契約する必要がある。加えて黒竜は巨体を誇るため、肉体全てを覆う程の大きさの魔方陣を描かねばならない。を高位の術者でなければ、とてもそこまでの魔法力は持ち得ないだろう。

呪文を覚える可能性としては賢者のレオナが一番可能性は高いが、呪文の契約という意味でも術者の力量という意味でも、合格点には到っていない。

 

とはいえ、今回の場合は例えレオナがマホカトールの呪文を契約していたところで無駄なことだったが。

 

「どのみち無駄だろう。あれは我を忘れて暴れている状態だ。まだラリホーでも唱えたほうが大人しくなる可能性は高い」

「ああ、オレも同じ意見だ。野生の怪物(モンスター)の中には、ああいう目をした者が時折いる。本能で暴れているだけだろう」

 

バランとクロコダインがそれぞれ口を開いた。竜の群れを率いていた者と、獣王として無数の獣の頂点に立った者。二人は互いの得意分野という観点から、チルノの現在の状態を的確に看破していた。

 

「ラリホーったってよ! あのチルノに効果があるとは思えねぇぞ!!」

 

催眠魔法(ラリホー)のような呪文は、高位の相手や抵抗力が極端に高い相手には効果を発揮しない。そういう相手には無策で呪文を放ったところで徒労にしかならず、ポップはバラン本人も分かっているだろうことを叫ばずにはいられなかった。

 

「仕方あるまい……ディーノよ! お前も覚悟を決めろ!!」

「えっ!? と、父さん……!?」

 

バランは真魔剛竜剣を黒竜へと構え、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を滾らせる。その目は完全に、チルノを敵としてみているそれだった。声を掛けられたダイの方が、その真意について問い質したくなるほど殺気を漲らせる。

 

とはいえ勿論、バランは本気でチルノを害するつもりなどない。

抵抗力が高ければ、下げれば良い。暴れるならば、痛めつけて弱らせれば良い。ただそれだけのことだ。弱らせれば抵抗力も下がり、催眠魔法(ラリホー)も効果を発揮しやすくなる。それが狙いだ。

 

加えて、手っ取り早くチルノを無力化させなければならない理由もある。

今は動かずにいるが、ミストバーンとキルバーンが揃って様子を見ていたのをバランは鋭敏に感じ取っていた。それどころかぐずぐずしていればバーンまでもがこの戦いに参戦する。

そうなれば戦況はさらに悪化するだけだ。非情だ冷血だと文句を言われることになろうとも、最悪の状況となる前に手を打たねばならない。

 

「少々荒っぽく行くぞ! 我が息子の伴侶となるならば、このくらいは耐えてみよ!!」

 

言葉が届くことを願いながら、バランは黒竜へと挑む。その緊張感たるや、魔界でヴェルザーの相手をした時にも勝るほどだ。

 

 

 

 

 

「戦況はどうなっている?」

「はっ! バランが黒竜を相手に攻撃を仕掛け始めました。どうやら弱体化させるようです」

 

ハドラーと親衛騎団たちとの戦いを終え、バーンは悠然とした足取りでミストバーンたちの所へと歩み寄る。ミストバーンたちは未だ、ダイたちの行動を遠巻きに見物しているだけである。下手に手を出して黒竜の気を惹いてしまっては元も子もないからだ。

 

「なるほど……つまらんな……」

「は……?」

「バーン様、それは一体どういうおつもりで?」

 

ミストバーンから何があったのか詳細を告げられた後、バーンも戦線を眺め始めた。だがそれはバランを中心として黒竜を弱らせるように手心が加えられた、戦いに満たない何かでしかない。

少しの時間観測を続けた後に大魔王はそう吐き捨てた。だが言葉の真意が分からずミストバーンは疑問の言葉を上げ、キルバーンもまた直接問い質す。

 

「バランのことだ。あの顔の傷、そしてあの言動……余の元へと来た頃とは比べものにならん。どうやら完全に腑抜けとなったようだな。つまらんと思わんか?」

「確かに……魔王軍にいた頃とはまるで別人……」

「そうですかねぇ? ボクとしては、面白くなったと思いますよ。あのバラン君が……ウフフフ……」

 

チルノへと攻撃を仕掛けている間、バランは時々彼女の正気を促すように声を掛けていた。剣を走らせてはいるものの、必殺の気概というものが感じられない。つまるところ、相手を気遣っているのが見え隠れしている。

そして顔の傷もだ。テランにて離反した頃には、あのような傷は刻まれていなかった。そしてその傷を治そうともしていない。見せつけるような傷跡は、バランからすれば決意の証でもある。

だがそれもバーンからすれば、評価の対象には到らなかった。そのようなものはバランには相応しくないと考え、ミストバーンはそれに追従する。そしてキルバーンは、大魔王とは真逆の意見を口にした。

 

「キルバーン、何か意見があればはっきりと申してみよ」

「いえいえ、これはボク個人の感想なので。それで、次は勇者ダイたちを相手にすればよろしいので? それともこのまま高見の見物を続けます?」

「そうだな……」

 

キルバーンからすれば、あのような人間らしい感情を見せるのは付け入る隙へと繋がる。故に、面白いと評していた。先のハドラー戦での一件もあり、ああいった甘さを見せる竜騎将の姿が可愛くてたまらないようだ。思わず手を出してしまいたくなるほどに。

だがそれはそれ。

自身の立場ということもあり、次の動きについてお伺いを立てる。

 

「まずは、勇者たちからだ……"圧倒的"かつ"確実"に勝利を得るとしよう」

 

少しの思案の後、大魔王はそう口にした。

平時のバーンならば、この程度のことにここまで思考に時間を使うことはなかった。そして、どこか回りくどい言い方を見せる。

 

「……ま、まさか!?」

 

二人の部下のうち、最初に気付いたのはミストバーンであった。バーンが何をさせたいのか、忠誠心に溢れる彼はわざとらしい言い方からその心を察し、僅かな恐怖を見せた。

 

「ミストバーンよ……余は"許す"と言ったのだ」

 

その反応が望むべき答えだったとばかりに、バーンもまた頷いて返す。続いて、暴れ回るチルノへと視線を向けた。

 

「それとあの竜だが、捕獲しておきたい。上手くすれば、バランの代わりになるやもしれん。できるか?」

「……御意に。それが、大魔王様のご命令であれば」

 

恭しく一礼をすると、ミストバーンは自らが纏う衣へとおもむろに指を掛け、左右へ引き裂くようにして開く。それは彼が闇の衣を脱ぎ捨て、隠された本来の力を解放するためのものだ。

易々と使うことも衆目の目に晒すことも、今までならば控えていた本来の力。それを大魔王自らが率先して促しているという事実が、バーンが今の状況をどう思っているかを端的に表しているに他ならなず、ミストバーンはそれを僅かに危惧する。

 

「それにしても……竜か……」

 

だが部下の心とは別に、バーンはその視線を黒竜へと向けたままだ。

 

「あのような竜を、我が配下とするのもまた一興か」

 

――竜、ねぇ……それはつまり、ヴェルザー様へ向けての何か意図がある。と、解釈すべきなのかな?

 

どこか愉しそうな瞳のバーンの姿を、キルバーンはそう解釈した。

興味がそそられるというのは彼自身も同意見だが、バーンの立場からすれば地上征服計画の完遂に向けて不確定要素は可能な限り排除すべきではないのかと疑問に思ったからだ。もしもそうならば、この後の立ち回りに細心の注意を払うべきだと自らの心に刻んでおくのを忘れない。

 

そう考えている横で、ミストバーンはその衣を脱ぎ捨てた。その下から浮かび上がったのは、端整な顔立ちの若き男性魔族の姿である。眠っているかのように瞳は閉じられており、額には魔王軍の紋章をどこか想起させる漆黒の紋章のようなものが刻まれている。

これこそが、かつてチルノも口にした大魔王バーンの若々しき頃の肉体。全盛期の肉体を操るミストバーンの能力でもある。

 

「久しぶりにミストの素顔を見たよ」

「おおーっ! カッコイイー!!」

 

闇の衣を脱ぎ捨てたことで、キルバーンは思考を中断すると道化師のようなその立ち振る舞いを再開する。からかうような物言いに、けれどもミストバーンは口を開くことはおろか一切の反応をみせることもなった。

 

「さて、余も少々本気を出すとしよう」

 

ミストバーンが衣を脱いだ頃、バーンもまたある行動を起こしていた。右手に魔法力を集中させると、空間と空間とを繋げ、その中へと手を突っ込む。やがて、おもむろに手を引き抜いた先には、一本の杖が握られていた。

先端部分に三つ叉の刃を思わせる意匠が施された黒い杖。刃の下には閉じた翼を思わせる細工があり、中心部には真紅の宝石が埋め込まれている。その宝石からは蛇腹状の鎖が杖本体の石突き近くまで絡みついている。

 

「光魔の杖……こりゃもう勝負はあったようなものですねぇ……」

 

ロン・ベルク謹製、光魔の杖。

持ち主の魔法力を無尽蔵に吸い取り、それを破壊力へと変換する。ただそれだけの武器。だが、莫大と言う表現すら烏滸がましいほどの魔力を誇るバーンが握った場合にのみ、最強最悪の武器へと変貌を遂げる。

 

「行くぞ」

 

たった一言の言葉。

だが大魔王がそれを口にしただけで、周囲の温度が一気に下がり底冷えするような殺気が瞬く間に満ちあふれた。

 

 

 

 

 

「チィッ!! この気配は!!」

 

バーンたちが動き出したことを、バランはすぐさま察知する。戦場の空気が一変した、とでも言えばよいのだろうか。それは本能に任せて暴れ回る黒竜の相手をしていてなお見落とすことがないほどの、圧倒的な存在感だった。

黒竜の牙を大きめに避けながらチラリと気配のする方向を向けば、余裕のつもりだろうかゆっくりとした足取りで大魔王と二人の部下が歩みを進めている。だがその殺気は間違いなく、ダイたち全員の命を奪わんとしている。

しかも彼らから漂ってくる闘気はどうだ。

バーンは光魔の杖を手にしたことにより、ただでさえ恐ろしいはずの威圧感が更に増している。そして衣を脱いだミストバーン――気付くのにバランは一瞬の時を要したが――からは事前にチルノから聞いていたように、大魔王を上回るほどの闘気が伝わってくる。

 

「どうするのだ、バランよ」

 

このままチルノを正気に戻そうとすれば、間違いなく大魔王たちが割って入るだろう。混戦は必至となるはず。そうなれば最悪、共倒れだ。純粋な戦力差だけで鑑みても、大魔王たちが漁夫の利を得ることは想像に難くない。

 

そうなる前にチルノを正気に戻すか?

いや、ダメだ。実現できるという確証がない。少なくとも大魔王たちの足止めをする必要があるだろう。そう、誰かが……

 

「いや、何を迷うことがあろう」

 

そこまで考え、バランは思考を打ち切る。

 

――ソアラと出会い、ディーノを授かることが出来た。ラーハルトという義理の息子も出来た。もう二度と会えぬと思っていた実の息子、ディーノと再会することも出来た。絶縁したとしてもおかしくはなかった関係を修復し、共に横に並び戦うことも出来た。ディーノの大切な相手をこの目で見ることもできた。歴代の(ドラゴン)の騎士と比べても、私ほど恵まれた者はいないだろう。

 

「ここが、命の賭け時か」

 

自らの半生を走馬灯のように振り返り、納得したように頷く。悔いがないわけではないが、これ以上を望むのは贅沢が過ぎるというものだとバランは判断する。

 

「ディーノよ! そちらは任せたぞ!!」

「そっち、って……!?」

 

その言葉が何を意味しているのか。それを問い質そうとして、ダイは見た。

バランが左目に付けていた竜の牙(ドラゴン・ファング)を手に取り、強く握りしめている姿を。

 

「あれは……まさか……!」

「バラン、竜魔人になるつもりか!!」

 

一度見たことのある者たちが口々に声を上げた。

 

「って、ちょっと待った! 竜魔人は敵味方の区別なんかねぇって話だったよな!?」

「む! そ、そういえば確かに」

「だよな!? 下手したら、大魔王以外に手強い敵が増えるってことに……」

 

ポップが致命的な欠点に気付き、悲鳴を上げる。だが止まらない。

そうしている間にもバランの手からは人間の証明となる赤い血が流れ出し、やがてその色は魔族の蒼い血へと変わっていく。額の(ドラゴン)の紋章は直視するのが(はばか)られるほどに強く輝きを放ち、天空から一条の稲妻がバランへと降り注ぐ。そして、雷撃を切り裂くようにして、竜魔人の姿へ変貌を遂げたバランが現れた。

 

「と、父さん……」

「……こちらは、任せるがいい」

 

ダイにとっては忌々しい思い出すらある竜魔人の姿である。何を言って良いのか分からず、ただ父のことを呼ぶことしか出来ない。それはバランにとっても、同じだった。この姿はかつて死闘を演じた破壊魔獣の姿である。好き好んで息子に見せたい物では決してない。

 

だが、バランは敢えてその身を魔獣へと変えることを選んだ。そして、理性的な瞳(・・・・・)でダイに向けてそう告げると、真魔剛竜剣を構え直しバーンたちを睨む。

 

「ラーハルト! ディーノを頼む!!」

「まさかバラン様!! お一人で大魔王の相手を!?」

 

その問いかけに返事はなかった。返答の代わりだと言わんばかりに、バランはバーンらへ向けて全力で突撃する。その顔には決死の覚悟が宿っていた。

 

「ふむ……バランの奴め……」

 

迫り来るバランを見ながら、バーンは少しだけ満足そうに呟く。

 

「ありゃりゃ、こりゃ怖いですね」

「バーン様、ここは私が」

 

ミストバーンとキルバーンの二人が思い思いに口にするが、そんな言葉も彼の耳には入っていない。

 

「不抜けたとばかり思っておったが……よいぞ、まだそのような殺気を放てるか!」

 

目に映る全ての物を破壊せんとするほどの強烈な殺気。バーンが久しく味わっていなかった、どれだけの障害があろうとも相手を害さんとする強い意志だ。不抜けたと断じた相手からの思いも寄らぬ反応に、バーンもまた光魔の杖を構えると自ら立ち塞がってみせた。

 

 

 

 

 

バランが大魔王たちを相手に決死の戦いを挑んだころ、チルノの相手を任されたはずのダイは未だ迷い続けていた。

 

「姉ちゃん! おれだよ、ダイだよ!! お願いだから正気に戻ってよぉ!!」

 

彼はただ、姉へと向かって叫ぶことしかできなかった。

無論、それが普通の反応だろう。

同じ(ドラゴン)の騎士だとしても、バランほど経験もなければ非情な決断が出来るわけもない。ましてや姉として、家族として、そして恋人として大切な存在である。そんな存在に対して危害を加える様な真似が出来るほど、ダイは達観しているわけでもない。

出来るのは、ただ愚直に叫ぶだけだ。

 

「くっ……これは……」

「バランがいなくなっただけで、こうも苦戦させられるとは……」

「チルノ様! しばしご辛抱ください!」

「チルノ! さっさと目を覚ましなさい!!」

 

だが、どれだけ叫んでもその想いが必ず報われるとは限らない。

ダイが手を止めている間にも、黒竜の動きは止まらない。それを必死で止めていたのはヒュンケル、クロコダイン、ラーハルト、マァムの四人であった。バランが相手をしていた時にも彼に従い行動していたが、一人抜けたことで均衡が崩れたらしい。

それぞれ鋭利な爪の一撃を躱し、巨大な牙をやり過ごし、鞭のように迫る尾を受け止めて、チルノを弱らせようと攻撃を加える。だが強固な鱗は生半可な攻撃など全て弾き返してしまう。

それでもなんとか崩れずにいるのは、竜の動きが肉体能力まかせの単調なものだからだ。おかげで、ヒュンケルたちは持ちこたえ、攻撃を続けることが出来る。だが剣も槍も斧も拳も、ゆっくりと削ってはいるものの、このままでは遠からず均衡が崩れることだろう。

 

「くそっ!! ダイっ! 気持ちは分かる!! けど、ぶっ飛ばしてでもチルノを押さえ込まねえと、全滅しちまうぞ!!」

「ポップ君! ダイ君の気持ちも……」

「わかってんだよ! おれだってこんなことしたくねぇよ!! おれがダイの立場だったら、ビビって何にも出来なくなるに決まってるんだ!!」

 

叫び続けるダイの姿を見かねたようにポップが怒鳴り、それにレオナが口を挟もうとする。この二人は催眠呪文(ラリホー)を扱えるので控えていた。仮にチルノが弱まれば即座に呪文を唱え、無力化できるよう備えるためだ。

そして、レオナの言葉を遮るようにしてポップは更に、動かないダイに対して怒鳴る。

 

「けど、バーンの強さを知らねぇわけじゃねぇだろうが!! せっかくここまで皆で辿り着いたんだ!! ここで全滅すれば、地上は終わっちまうんだ!! そんなことは絶対にさせねぇ!!」

 

それはダイを説得するというよりも、自分の覚悟を改めて口に出しているようにも見えた。マトリフから魔法使いの心得というものを叩き込まれたポップは、必死で冷静に戦局を見つめて適切な行動を取ろうと注意してきた。その成果が花開いたといえよう。

 

「そうよダイ! 今は悩んでいるわけにはいかないの!! 心を鬼にしても、やるべきことをやらなくちゃ!!」

 

意外に――といってはなんだが、マァムがポップの言葉に賛同する。普段のマァムを知る者ならば、ダイと同じく手を止めていたことだろう。だが、かつてチルノの口から語られた決意や覚悟が、彼女を突き動かしていた。バランの言葉にも率先して動き、チルノを止めるべく奮戦していたのだ。

 

「お前が出来ねえんなら、恨まれたって構わねぇ! おれがやる!! 大魔王を倒せなきゃ、全部終わっちまうんだ!! いい加減、目を覚ましやがれ!!」

 

叫びながら閃熱呪文(ギラ)をチルノに向けて放つ。高熱の光線は一直線に突き進み、けれども黒竜の鱗を僅かに焦がしただけだ。

だがその言葉に、ダイもようやく覚悟を決める。

 

「う、うう……うおおおおおおっっっ!!」

 

――姉ちゃん、今だけは許して!!

 

右手の(ドラゴン)の紋章を燦然と輝かせながら、ダイは黒竜目掛けて突進する。そのまま巧みな動きで懐まで入り込むと、腹部目掛けて全力で殴りつけた。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」

 

途端、黒竜は顎を大きく開き全力で咆吼を漏らした。

だがそれは今までの恐怖を相手に植え付けるためのものではなく、苦痛を吐き出さんとするためのものだ。強烈な一撃によって、誰の耳にもはっきりと分かるほどに痛々しい悲鳴が吐き出され、動きを止める。

 

「姫さん、今だ!! おれもやる!!」

「ええ!」

「「催眠呪文(ラリホー)!!」」

 

少々気の毒に思いながらも、二人はたちは効果が出ることを願いながら呪文を唱えた。

 

 

 

 

 

――まさか、そういうことか!

 

バランは唐突に理解した。いや、竜魔人となり野性や本能が強くなったからこそ、獣に近くなったからこそ感覚的に理解できるようになったのかもしれない。

 

それは黒竜の正体についてだ。

今までは気付けなかったが、竜魔人となった今ではチルノが竜闘気(ドラゴニックオーラ)に影響されているのがはっきりと理解できた。だが何故、(ドラゴン)の騎士でもないはずの彼女が竜闘気(ドラゴニックオーラ)に影響されているのか、バランにも心当たりがあった。

テランにて自らの血を与えたときだ。その時以外には考えられない。

しかし血を与えたからといって、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操れるようになるなど聞いたこともない。一体なにが起きたのか、原因は分かっても過程についてはまるで理解がおよばない。

 

――ならば我が身を竜魔人へ変えたのは失策だったかもしれん!

 

だが、原因が分かったからこそ見えたこともあった。

あの黒竜が暴れたのは、ハドラーも含めた三名が竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操っていた時だ。三名分の竜闘気(ドラゴニックオーラ)に当てられ、悪酔いをしたように暴走したのだろう。かつてバランが、(ドラゴン)の紋章を利用してダイにしたのと似たように。

 

ただ、それでも何故竜へと身を変じたのか――それは現在では、チルノ本人ですら分からない。トランスという技能もチルノの中で作られた竜王(バハムート)のことも知らぬバランでは――その答えに辿り着くことはできないのだが。

 

とあれ竜になった理由は問題ではない。

大事なのは竜闘気(ドラゴニックオーラ)が影響しているということ。そして竜魔人の闘気を浴びては、再び暴走する危険性が一気に高まったということだ。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」

「!」

「むっ!」

「おや?」

「……?」

 

チルノの悲鳴が響き渡り、バーンたちは一瞬だけ反応を見せた。バラン自身も驚きこそしたもののその隙を逃すことなく回り込むように場所を動くと横目で何が起きたのかを確認し、そして今度こそ動きを止めた。

 

――なんだと!?

 

彼の目に映ったのは、ダイ目掛けてブレスを吐きださんとしている黒竜の姿だった。ダイたちの方で何が起こったのか、バランには分からない。それでも、推測することはできる。

 

激痛の絶叫が上がったことから、ダイがチルノを弱らせるために攻撃をしたのだろう。であれば、そこから動きを止めようと呪文を唱えただろうと推測できる。だが竜が止まっていない以上、作戦は失敗したらしい。

痛みから立ち直った黒竜が次に何をするか……それは自らに手を出した者への報復だろう。

ましてや今のダイは(ドラゴン)の紋章を発動させている。竜闘気(ドラゴニックオーラ)に引き寄せられ、自然と標的にしてもおかしくはない。

 

――ええい、ままよ!! (ドラゴン)の紋章や竜闘気(ドラゴニックオーラ)に反応しているのだとすれば!!

 

そこまで考え、バランは臍を固める。息子を失うのも義娘が息子に手を上げる姿も見たくはない。父としての矜持にも似た意地が彼の身体を突き動かした。

 

「これでどうだ!!」

「なっ……!?」

 

バランは更に(ドラゴン)の紋章を輝かせ、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全身から迸らせる。それはチルノの注意をバランへと引き付け、あわよくば標的までもを変えてしまおうという算段からの行動だった。

目論見は見事に的中し、チルノの標的はダイからバランへと移る。

その行動に驚かされたのは大魔王たちであった。黒竜が突如として標的を変えたのだから、詳しい事情を知らぬバーンらからすれば予想外の出来事である。しかも矛先はバランのいる方――そこにはバーンたちもいる。

 

だが、バランの策はこれだけでは終わらない。

 

「おおおおぉぉっ!!」

 

両手を竜の頭部を象るように組み、高めた竜闘気(ドラゴニックオーラ)を掌中にて圧縮していく。竜がブレスを放つのを模した(ドラゴン)の騎士の究極攻撃呪文、竜闘気砲呪文(ドルオーラ)である。

チルノがメガフレアを放つのに合わせることで、さらなるダメージを狙うつもりだ。

 

「くっ!」

「これはちょっとマズい気がするね……」

 

既に竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を止めることは不可能なことに気付き、思わず焦りの声が大魔王たちから漏れた。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)!」

「しまっ……!」

 

ブレスが放たれる直前、バランはルーラの呪文を唱えてバーンたちの後方へ移動した。ここまで来れば何を狙っているかなど、子供でも分かる。悔恨の声が上がるがもう遅い。

 

竜闘気砲呪文(ドルオーラ)!!」

「アアアアアアアァァッ!!」

 

メガフレアとドルオーラ。

世界が異なるとはいえ、最強の名を冠した二種類のブレスがバーンたちを前後から挟むようにして襲いかかる。

 

「や、やべぇ!!」

 

二頭の竜の吐息が激突すれば、大魔王とてただでは済まないだろう。だがその激突がどれだけの破壊力を生み出すのかは想像もつかない。

ポップの脳裏に浮かんだのは激突した余波だけでも全滅する仲間たちの姿だった。

 

「掴まれ!! 逃げるぞ!!」

 

そう考えた瞬間、行動を起していた。

離れていた仲間たちを命令するようにして呼び集めると、彼自身はダイの首根っこを掴む。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)!!」

「ポップ! ま……っ!!」

 

ダイが静止の声を上げるよりも早く、超高速の飛行が始まった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

周囲はまるで整地された土地のように綺麗になっていた。何も知らぬ者が見れば、ここが死の大地だとはとても信じられないだろう。それほどまでに全ての物が吹き飛び、何も無くなった真っ新な大地。

そこにチルノは一人、身を横たえていた。

 

限界が訪れたのか、今や少女の姿へと戻っているものの、その全身は痛々しい有様だった。

竜へと変じたのが原因だろう、纏っていたはずの衣服はボロ布以下。下手をすれば裸の方がマシかもしれない。その傍らには、意志を持ってここまでやってきたのであろうガリアンソードが突き刺さっている。

 

「……っ」

 

未だ意識は戻っていないにも関わらず、肉体が助けを求めているのだろう。本能的に息を吐きながら何かを掴むように手を伸ばす。

 

その姿を、バーンは見下ろしていた。

 

 




Q.もう一度聞くぞ、本当にこんな展開で大丈夫か?
A.……(目をそらす)


チルノ「やめて! 私に乱暴するつもりでしょ!? エロ同人みたいに!!」
バーン・ミスト・キル「しないしない」

ザボエラ「…………」←するかもしれない


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LEVEL:97 籠の鳥

「いやぁ、さすがに肝を冷やしましたよ。一張羅がボロボロだ」

「バーン様! ご無事ですか!?」

 

チルノを見下ろす大魔王の元へ、ミストバーンとキルバーンの二人が参じた。

 

あの極限状態の最中、二人は正面から迫り来るメガフレアを止めるべく動いていた。

ミストバーンはバーンを庇うように迫り来るブレスの真正面にその身を投げ出すと、超高速の掌撃(フェニックスウィング)を用いて上空へ向けて弾き飛ばしてみせた。尾を引くようにして襲いかかる攻撃であることと、背後にバーンが控えている状態であることから角度を変えて影響を無くすことを選んだようだ。

そしてキルバーンはといえば、ちゃっかりミストバーンの背後に隠れるようにしてはいるものの、完全に弾くことが出来ずに漏れ出たエネルギーを、自らの魔法力にて吹き飛ばすことで背後を守っていた。

つまり、ミストバーンが大雑把に方向を変え、キルバーンが細かな部分をフォローすることでなんとかメガフレアを防ぐことに成功していた。

 

とはいえ被害がゼロだったわけではない。

その身を以てバーンを庇うように動いたたため、身に纏っていた衣は上半身の部分が殆ど吹き飛んでおり、素顔を晒したまま隠せぬ状態だ。凍れる時の秘法によって外部からの影響を受けぬ身となっていても、その顔は土埃によって若干の汚れが目立つ。

対してキルバーンの方はといえば、自身の言葉通りに身に纏う衣装は熱線の影響であちこち焼け焦げていた。ただ、その顔を覆う仮面だけはまるで何事もなかったかのように綺麗なままだった。

 

「ふむ、無事であったか」

 

二人の部下が無事な姿を見せたことに、バーンは少しだけ安堵していた。

仮にキルバーンは失ったとしても痛くはないが、ミストバーンを失うことだけは絶対に避けねばならない。尤も如何に竜闘気砲呪文(ドルオーラ)やメガフレアと言えども凍れる時の秘法を解呪することも、打ち貫いて影響を与えることも不可能だろうが、それでも実際に無事な姿を見るまでは安心できない。

 

「余も問題はない」

 

少なからず手傷を負ったように見える二人の部下の一方、バーンは無傷であった。

二人が前面を防ぐために動いたのであれば、バーンは後方――つまり竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を防ぐために動いていた。彼は光魔の杖から生み出される光の刃を全開して放つことで完全に防いでみせた。無理に指摘するのであれば、巻き上がった砂埃によって法衣が若干汚れた程度だ。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)で逃げられなかったんですかね?」

「それも可能であったが、せっかくの余興よ。付き合ってやらねば無礼というものであろう?」

 

キルバーンの言葉に、バーンは淡々と答えてみせる。

 

「何より、ここは大魔宮(バーンパレス)に少々近すぎる。余の主城をこれ以上破壊されてはかなわん」

「なるほど……確かにそうですねぇ……」

 

命よりも建物が壊れることを心配してみせるその態度は、自身とその部下の強さに絶対の自信を持ち、必ず防ぎきることが出来るという傲慢さの現れのようでもあった。

 

それにバーンの言うことも一理ある。

瞬間移動呪文(ルーラ)で逃げ出せば竜闘気砲呪文(ドルオーラ)とメガフレアの激突でどれだけの被害が出ていたかは想像もつかない。下手をすれば地中の大魔宮(バーンパレス)にまで被害がおよび、無視できない被害が出ていただろう。最悪の場合は大魔宮(バーンパレス)が抱える黒の核晶(コア)が誘爆して大惨事になりかねない。

 

その秘密を知る者であれば、防ぐという選択肢を選ぶのは間違いではないだろう。最悪の事態を想像し、思わず身震いしながらキルバーンが頷いたときだ。瞬間移動呪文(ルーラ)にて彼らの元へやってくる影があった。

 

「バ、バーン様!! ご無事でしょうか!!」

「ザボエラか……」

 

そう呟いたのはバーンではなくミストバーンであった。

 

「誠に! 誠に申し訳ありませなんだ!! ですがワシの力では、あのような戦いに参加しても実力は発揮できず……ぐええっ!?!?」

 

姿を見せるやいなや、全力で土下座をしながら口早に弁明の言葉を並べ立てていく。だがそんなものには一切の聞く耳を持たず、ミストバーンはザボエラの頭を掴み引き起こすと、そのまま片手で首を釣り上げた。

 

「……戦えずとも、バーン様の盾になるくらいは出来るだろう? それとも今この場で、その失態を贖うか?」

「が!! あがぐぎげががががががああぁぁっ!!」

「やめなよミスト」

 

重ねて言うが、今のミストバーンは闇の衣を纏っておらず、全盛期のバーンの肉体を操っている状態だ。そんな状態の彼がザボエラの首を掴めばどうなるか。

少しでも強く力を込めれば、首の骨を折るどころではない。喉ごと握り潰すことすら容易にやってのけるだろう。

持ち上げられたことで首に全体重が掛かり、指先から伝わってくる底知れぬほどの殺気と恐ろしさを肌で感じ、ザボエラは意味不明な悲鳴を上げながらなんとか逃れようとしてみせる。無論その程度ではミストバーンの腕はびくともせず、だが意外なことに彼の腕をキルバーンが掴んだ。

 

「今や少なくなった大魔王軍の仲間じゃないか。無闇に減らすのは良くないと思うよ」

 

手首を掴み、力を抜くように促しながらそう口にすると、続く言葉をザボエラには聞こえぬよう、キルバーンは耳元で囁く。

 

「それに、キミだってザボエラ君の戦闘能力には期待していたわけじゃないだろう? 本当に使い道がなくなれば、バーン様のお言葉もあるはずさ」

「……フン」

 

説明に一応は納得が行ったのだろう。ミストバーンは乱暴に手を離す。

 

「ザボエラ。次はないと思え」

「がっ、ば……ご……ば、ばびっ! ぼうじわげございまぜん!!」

 

唐突に手を離されたことで受け身も取れずに尻餅を着き、さらには喉の痛みからまともに声を出すこともできない。だが刺すような恐ろしい気配を感じ、ザボエラは汚い声を上げながら再び平伏してみせた。

 

「おやおや? この()、まだ生きているんですね」

 

一方、キルバーンはもう興味の対象を移したのだろうか、解放されたザボエラには目もくれずに地に伏したままのチルノを見やる。

未だ意識は戻らず、それどころか力尽きたのだろうバーンが確認したときには上げていた手がいつの間にか落ちている。ただ、微かな呼吸音と胸元が上下していることから死んではいないことは確認出来た。

 

「どうします? ボクたちにこれだけ被害を与えたんですから……殺しちゃいますか?」

「よさんかキルバーン」

 

まだ生存していることが分かると、死神はこれ見よがしに大鎌を取り出すとその刃を彼女の喉元へと当てる。後は少し力を入れるだけで喉は切り裂かれ、大量の鮮血を吹き出しながらチルノは息絶えるだろう。

だがバーンはそれをよしとすることはなかった。

 

「そもそもその(むすめ)は捕獲すると言っておいたはずだ。ましてやこやつは、その身を未知の竜へと変貌させ、この大魔王バーンにこれだけの被害を与えるだけの力を持つ。この(むすめ)には何か秘密があるようだ。余は、その秘密を是非とも突き止めたい」

「で、でしたらその役目はこのワシに是非ともお任せを!!」

 

大魔王がそこまで口にしたところで「売り込むのは今だ!」と言わんばかりにザボエラが口を開く。

 

「妖魔士団の研究の一環として、人間相手に口を割らせる術には長けております!! ましてやバーン様は先ほどの戦いでお疲れでしょう? ごゆっくりお休みくだされ!! その間にこのワシが、必ずや! 必ずや秘密を突き止め、吉報をお届けしますぞ!!」

 

さながら立て板に水。淀みなく口を回し、自身が如何に有能かをここぞとばかりに強烈にアピールする。それもこれも先ほどのミストバーンの脅しが効いているのだろう。自ら率先して意欲を見せるその姿は、どこか哀愁すら漂う。

 

「いや、その必要はない」

 

だが、大魔王はその提案を一言で切って捨てる。そしてチルノへ向けて片手を向けると、呪文を唱えた。

 

精神混乱呪文(メダパニ)

「う……あ……」

 

それはかつてロモス城での戦いの際に、ブラスが使ったのと同じ呪文。神経を侵すことで対象を幻影に捕らえるものだ。だがそれは普通の術者が使った場合。

同じ呪文であっても、バーンが唱えれば効果はその程度に留まるはずもない。

 

「"立て"」

 

大魔王はただ一言、チルノに向けてそう命令する。

途端にチルノは、それまでが嘘のように勢いよく立ち上がって見せた。だが決して元気になったわけではなく、むしろ状態は悪化している。瞳は焦点が合わずに虚ろな影を映したまま、立ち上がった姿勢のまま微動だにすることもない。口は半開きのまま、閉じようとも開こうともする気配がなかった。

 

「これでよい」

「あ……ああ、こ、これはまさか……!!」

 

まるで人形のような立ち振る舞いを見せるチルノの様子に、バーンはさも当然だというように頷く。それだけで、ザボエラは何が起こったのかを理解していた。

 

これこそが、大魔王が放ったメダパニの効果である。その強大な魔力によって、術中に落ちた者を意のままに操ってしまう呪文となっていた。

ましてや今のチルノは精根尽き果て気を失っている。メダパニの効果は遮るものなく彼女の精神を侵し、その効力を更に高めていた。仮にバーンが「呼吸をするな」と命令すれば、チルノは躊躇うことなくそれを実行し、疑うことなく死んでいくだろう。

 

ザボエラが感づけたのは、彼もまた調合した毒によって人間を同じような状態に陥れていた経験があったからに過ぎない。

だがその毒とて面倒な調合の末にようやく生み出したものだ。それを呪文一つであっけなくやってしまう大魔王の恐ろしさに、ザボエラは改めて恐怖する。そして同時に、自らの申し出がまるで意味を為さなかったことも理解して、更に顔を青ざめる。

 

だが、意外なところから援護がやってきた。

 

「まあまあバーン様、ザボエラ君もさっきの失点を取り返したくて必死なんですよ。その気持ちも汲んであげたらいかがですかね?」

 

キルバーンは、チルノの喉元から外した大鎌を肩に担ぎながらそう提案する。

 

「それに、もしかしたらバーン様の呪文も打ち破るかもしれないですよ。そうなったら暴れられて、予期せぬ手間が掛かるかもしれない。だったら、まだ安全な場所に閉じ込めて部下に任せても良いんじゃありません?」

「ふむ……」

 

バーンは顎に手を当て逡巡する。

今のチルノの状態ならば、もはや脅威はない。メダパニの影響下に落ちた今となっては、暴れ回る危険性は皆無だと断言できる。だがキルバーンの言うように、ザボエラに失地回復の機会を与えても良いだろう。

自身の知りたいことを引き出せればよし。足らなかったとしても大魔王自ら幾らでも情報は引き出せるのだから、少々手間が増える以外に問題はない。

 

「よかろう。キルバーン、そなたの考えに乗ってやる」

「ありがたき幸せ……だってさ、ザボエラ君」

「ははーっ!! 必ず、必ずやり遂げてご覧にいれます!!」

 

キルバーンは恭しく、ザボエラは勢いよく頭を下げた。そして大魔王は、チルノへと追加の命令を下す。

 

「"この三名の命令にも従え"、そして、"問われたことには答えよ"」

「は……い……」

 

機械的に返事をするチルノ。だがこれで彼女は大魔王以外の言葉であっても従順に実行するようになった。尋問を任せたザボエラに対する、大魔王からのサービスのようなのだ。

 

「キル、お前があのような口添えをするとは……何を企んでいる?」

「心外だなぁ……ミスト、キミに脅されてザボエラ君は完全に萎縮しちゃってるよ? 一応キミの直下の立場なんだから、少しは気を遣ってあげなきゃ」

 

大魔王が新たな命令を植え付けている頃、ミストバーンはキルバーンの行動に少々驚かされていた。長い付き合いである二人だが、そのようなことを口にしたところなど見た記憶がない。不信の念を抱くが、真っ当そうな意見で返された。

とはいえ、キルバーンがそのような真っ当なことを述べることそのものが異常であり、ミストバーンの中の不信感が更に増すものの、それ以上口に出すことはなかった。

 

「もう良かろう。大魔宮(バーンパレス)へと戻るぞ」

「はっ……はぁっ!?」

「承知いたしました」

「は……い……」

大魔宮(バーンパレス)へ……? はいはい、なるほど。アレ(・・)を使うわけですか。ですが、計画には少々早いような」

 

突如として告げられた「戻る」という言葉に、ザボエラだけが頷きかけて疑問の声を上げる。だが大魔王本来の計画を知る者たちは素直に頷く。

 

「仕方あるまい。大魔宮(バーンパレス)の位置は人間たちにも知られておる。勇者たちもバランの奴もまだ生きていよう。ならばこのままでは、なんらかの邪魔をされんとも限らん」

「なるほど確かに。すぐにでもリターンマッチを挑んできそうですね」

「そういうことだ……余とて本意ではない」

 

それは大魔王としては珍しく――本当に珍しく、言葉の端に苛立ちが乗せられていた。その言葉通り、彼とて本意であるはずがない。バーンの想定では、全ての敵を片付けた後で行う予定だったのだ。

だが予定外のことは起こるもの。このまま座していては計画が潰されるかもしれないとバーンは危惧し、予定を早めた。ダイたちが余計な手出しを出来ないようにするために。

 

「え……えっ!? えっ!?」

 

今だ困惑し続けるザボエラのことを誰も気にとめることもなく、大魔王たちは大魔宮(バーンパレス)へと踵を返してく。そこまでで彼もまたようやく気付き、慌てて続く。

 

そして、大魔宮(バーンパレス)は天へと飛び立った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

 

天空を舞う大魔宮(バーンパレス)――その一角、重要な区画からは最も離れた場所に位置する牢獄にて、ザボエラは歓喜の笑いを上げていた。

手にした司教の杖を折らんばかりほどに強く握りしめながら、鎖に繋がれたチルノを嬉しそうに眺める。

 

「小娘め!! 貴様にやられた怨みをワシは忘れてはおらん!! よもやこうして、あの時の怨みを晴らす機会が訪れようとはのぉ!!」

「……………………」

 

彼女は竜の姿へと変じた際に衣服を全て吹き飛ばしており、そしてそのまま着替えるタイミングもなくここまで連れてこられた。

つまり、全裸のまま吊されている。

だが文句の言葉など出るはずもなかった。

未だバーンの術中に落ちているチルノは、何を言われようとも無言のまま。どれだけ罵詈雑言を浴びせられようとも、鎖に繋がれ強制的に立たされたままでいようとも、不満を口にするという考え自体がない。

 

「キエエエエェェェッ!! どうじゃ! 痛いかろう!! 悔しかろう!! ワシはもっと痛かったわ!! もっと腹立たしかったわ!! そら、なんとか言うてみい!! キィ~ッヒッヒッヒッ!!!!」

「は、い……いたい、です……」

 

かつてザボエラは、チルノから"はりせんぼん"という魔法によって手痛い怪我を負わされていた。

とはいえそれも過去のこと。既に怪我は完治しており、傷跡が残っている訳でもなければ生死の境を彷徨ったわけでもない。戦っている以上はこの程度の傷は当然のことであり、恨むのは筋違いというものだ。

だがそんな理屈はザボエラには通用しない。

 

狂気と呼んで良い程の絶叫を上げながら、ザボエラは杖でチルノの身体を殴りつける。胸、

腹、足、腕、顔、どこだろうとお構いなし。ただ衝動の赴くまま、かつての痛みを逆恨みし続けていた。己に手傷を負わせた以上、こうなるのが当たり前と本気で思い込んでいた。

 

固い杖が叩きつけられるたびに、彼女の柔肌に赤い傷跡が刻まれていく。当たり所が悪ければ、打撲では済まずに皮膚が破れ血が流れ出る。

だがそうなってもなおチルノは何も言うこともなく、無言のままだ。

痛みについて口にしたが、ただザボエラの「何か言ってみろ」という言葉を命令と解釈して返事をしただけだ。そんなものは彼が望むものではない。彼が望むのは、苦痛と絶望に満ちた反応なのだ。

せっかく怨みを晴らす機会が与えられたというのに無反応では、愉快なはずもない。

 

「ええい、面白みのない!! 操り人形となった分際で、ワシをイラつかせるとは!!」

「その辺にしておきなよ」

 

反応が無いことに理不尽な怒りを覚え、更に嬲ろうとしたところで、背後から声が掛かった。誰もここへは来るはずがないと思っていたため、ザボエラは思わず動きを止めて背後をそっと確認する。

 

「はひぃぃっ!! キ、キルバーン……様……!!」

 

そこにいたのは予期せぬ客であった。静止の言葉の内容から、ザボエラが何をしていたかも分かっているはずだ。

ばつの悪さから反射的に様付けで呼びながらも、ザボエラは必死で笑顔を浮かべ揉み手をして機嫌を伺い始める。

 

「先ほどはどうもありがとうございます……おかげで助かりましたですじゃ……」

「ん? ああ、ミストのことかい? そのくらいは当然だよ。キミにはまだまだ活躍してもらわなきゃいけないんだから」

「か、活躍ですか……?」

「そうだよ。せっかくバーン様からお仕事を任されたんだ。自分の趣味を愉しむのも良いけれど、ちゃんとお仕事をしないと怒られちゃうよ? そうなったら……」

 

活躍という耳慣れない言葉に疑問を浮かべるが、キルバーンは返事の代わりに死神の鎌をザボエラへと向ける。

 

「もうボクでも庇いきれなくなっちゃうからさ……」

「ひいいぃぃぃっ!!」

「そんなに怖がらないでよ、ザボエラ君。念を押すようだけど、ボクはキミの活躍に期待しているのさ……といっても、戦闘能力のことじゃない。キミの技術力についてだけどね」

 

その行動はキルバーンなりのおふざけだったのだろう。怯えるザボエラを落ち着かせるように鎌を担ぎ直すと、真摯な口調で語り始める。

 

「ねえ、ザボエラ君。この地上の王になりたくはないかい?」

「は……ち、地上の王、ですか……?」

 

技術力に期待している――そう言われれば、おそらくは超魔生物のことだろうとザボエラは推察する。だが、そこからどうやって地上の王へと話が繋がるのか? 死神の真意を計りかね、疑問に疑問を返す。

 

「キミたちには秘密にしているけれど、バーン様の真の目的は地上の征服じゃない。地上に大穴を開けて、魔界に太陽の光を届かせることさ」

「なんとっ!? いやいや、不可能ですじゃ。魔界へと繋がる大穴となれば、どれだけの手間が掛かることか……」

「それが出来るんだよ、地上の各所に黒の核晶(コア)を六芒星を描くように配置する。あとはそれに火をつければ……ドカン! って寸法さ」

 

そう言いながら、キルバーンは握っていた手を勢いよく開いた。それは爆発を表す手振りでしかない。だがそれを見た瞬間、ザボエラの脳裏にそのもしもの光景が浮かぶ。

なまじ知識に長けているだけにキルバーンが言っていたことを実行すればどうなるのか、実現可能かどうかを簡単に試算できてしまう。

そして、そんなことをすれば魔界がどうなるのかという、恐ろしい想像も。

 

「でも我が主、ヴェルザー様はそれが面白くない。どうやらあのお方は魔界も地上も、それに天界も手に入れたいみたいでね。」

「いや待て! 我が主……じゃと……!?」

「うんうん、ちゃんと聞いていたみたいで偉いよ」

「つ、つまりキルバーン、お主は……」

「そういうこと。ボクはヴェルザー様の部下にして大魔王の計画への協力を命じられた者であり、そしてバーン様の命を狙う獅子身中の虫でもあるのさ」

 

うっかり聞き逃しかけたそれを、聞き間違いだとばかりに問い返す。

だがキルバーンはザボエラの疑問をあっさりと肯定してみせた。あまつさえ自身の立場を獅子身中の虫だと平然と言ってのける。その胆力に、ザボエラは心底恐怖した。

同時に、嫌な想像も膨らむ。

 

「……はっ! ま、まさか……秘密を知った以上、従わなければこのワシを消すとでも……!?!?」

「ウフフ、流石はザボエラ君。自らの保身については勘がいいねぇ……でも心配しすぎさ。バーン様もミストも、ボクがヴェルザー様の陣営だということはずっと前から知っているからね」

「なんじゃ、それなら安心……できんわい!! なぜバーン様はそのことを知った上でお主を配下としておるのじゃ!!」

「そこがバーン様の器の大きさだよ。ボクが初めてご挨拶に向かい、素性を説明したときでさえも、全てを理解した上で"そんな物騒な死神を飼っておくのもまた一興かもしれない"って言うくらいだからねぇ」

 

そう口にし続けるキルバーンの話に、もはやザボエラは目を回しそうだった。キルバーンの立場もバーンの取った行動も、そのいずれもが彼の考えからすればありえない。理解の範疇を遠く外れている。

 

「さて、ボクの立場は理解して貰えたかな? それじゃあお話の続きだ」

「そういえば……そうじゃったな……」

 

原因不明の頭痛に頭を抱えながら弱々しく返事をする。だがここからが話の本番だとばかりに、心の底ではこっそりと気合いを入れ直す。

 

「ボクが注目したのは、超魔生物と(ドラゴン)の騎士の技術だよ」

「ほぉ」

 

やはりその技術だったか、ある意味では予測できたことにとりあえず頷いておく。

 

「キミも知っているだろうけれど、ヴェルザー様はバラン君に倒された。そしてその魂は天界の精霊に封印されて石化してしまい、復活することも叶わなくなってしまった」

「ふむふむ……む?」

 

その話ならば、ザボエラも概要程度だが知っていた。

石化したという細かなことは知らないが、そういうこともあるだろうと考えたところで、何かが引っかかる。

そしてその予感は正しかったことは、すぐに証明される。

 

「そして(ドラゴン)の騎士は神が生み出した生物兵器……天界は神に最も近い存在。なら、竜闘気(ドラゴニックオーラ)で封印を壊せるかもしれないと考えたんだ」

「なんじゃと!?」

「そうなればヴェルザー様の復活だ。それだけじゃない、ハドラー君への口ぶりから、(ドラゴン)の騎士は増やすことも可能みたいだからね」

「増やす……たしかにそれは……いや、ま、まさかキルバーン、お主は……!!!」

 

そこまで言葉を並べられれば、ザボエラでなくとも狙いに気付く。

 

「その通り、バーン様を倒すのさ」

「…………ッ!!」

 

自らが裏切り者だと言った時のように平然と、キルバーンは言ってのけた。

 

「ダイ君やバラン君――本家より多少劣ったとしても、(ドラゴン)の騎士を量産できれば大魔王といえども数で押しつぶせる。しかも素体に超魔生物も使えば、性能は折り紙付きさ。実績だってハドラー君で証明された。あんな状態になってもなお、あれだけ動けるんだ。捨て置く手はないよねぇ」

 

あまりにも当たり前に言ってのける姿に、ザボエラは息を呑む。

 

「そうやってバーン様を倒せば、魔界と地上が手に入る。なら次は天界だろうね。なにしろヴェルザー様は強欲で執念深いから、受けた屈辱を晴らすはずさ。そこでも量産した兵士たちが活躍する。そうして三界を征服した暁には、キミはヴェルザー様を救い出して、無敵の兵を作り出した最大の貢献者だ。地上の王にだってしてもらえるさ」

「む、むぅ……」

 

提示された未来に、思わず頬が緩みかける。確かに全てがキルバーンの言葉通りに進めば、このままバーンの部下でいるよりものし上がれるだろう。

だが、だからといって全てを信じてホイホイと尻尾を振るほどザボエラは阿呆ではない。

 

「それは、確かに魅力的な話じゃ……だが、もはやバーン様の計画は進んでおる!! 今さらどうやって止める!? まさか勇者どもに手を貸すとでも言うのか!? そもそもバーン様を裏切る腹積もりならば、どうしてハドラーに手を貸した!? 答えよキルバーン!!」

「あらら……それを言われると弱いなぁ……じゃあまずは二つ目の疑問から」

 

指を二本立てながら、キルバーンは続ける。

 

「あの時点では、まだバーン様に協力し続けるつもりだったんだよ。それがちょっと、計画変更の必要が出てきてさ」

「変更……?」

「それはね、その()の存在だよ」

 

そう言う視線の先には、吊られたままのチルノの姿があった。

 

「この小娘が? それは一体……」

「わからないのかい? さっきまで――」

 

そこまで言いかけて、キルバーンは口を噤む。

 

「――いや、なんでもないよ。とにかく、この()も必要だと思ってね。だから、無用な傷を付けられたり実験材料にされて殺されるのは困っちゃうのさ」

 

現在の状況でザボエラに考えの全てを話すのは得策ではないと考えたのだ。そのため死神は、チルノの身を出来るだけ大事に扱うよう促すだけに留める。

 

「そして第一の質問だけど、ボクとしてはバーン様とダイ君たちに相打ちになってもらうのが一番だって思ってる。勿論、どっちかが勝ってもいいけど、その時は命を削るような接戦になって、美味しいところを横から掻っ攫えれば最高なんだけどね」

 

第一の質問の答え、それは答えというよりも願望でしかなかった。耳にしたザボエラは開いた口が塞がらないとばかりに絶句しつつも、どうにか言葉を紡ぐ。

 

「ば……馬鹿なことを言うでないわ! そんなものは計画とは言わん!! 第一、今や大魔宮(バーンパレス)は空を飛んでおる! 手の届かん天空から攻撃を続ければ、彼奴らといえどもいずれは力尽きるわ!!」

 

極端な話、上空からバーンがイオナズン辺りの呪文を連発していれば、いずれはダイたちを倒すことも可能だろう。確実な方法を取るならば、黒の核晶(コア)を落として全滅させるという手もある。

 

「さらに周囲には大魔王様の結界が張られておる!! 瞬間移動呪文(ルーラ)は無論、直接乗り込むことも不可能! 攻め込むことも不可能となれば、どうやって大魔宮(バーンパレス)まで来られるというのじゃ!? 答えてみぃ!!」

「ミナカ、トールの……呪文ならば、可能です……」

 

列挙せよと言われれば、おそらく際限なく挙げられるであろう問題点を口にしたところで、不意に別の声が割り込んできた。唐突に横槍を刺された形となり、ザボエラは再び心臓を跳ね上げながら周囲をキョロキョロと見渡し始める。

 

「ッ!? な、なんじゃ今のは……!?」

「まさかチルノ、今の言葉はキミかな?」

「はい……」

 

一方キルバーンは、声の主を見抜いていた。確信を持って尋ねた言葉に、チルノは朧気な口調のまま、けれどもしっかりとした言葉で返す。

 

「ザボエラ、様が……大魔宮(バーンパレス)に乗り込む方法を答えろ、と質問なされました……なので、私は、それに答えました……」

「ふむ」

 

確かにバーンがメダパニの呪文を唱えた際に、そのような命令を下していた。それがこのような形で影響を及ぼすとは思わず、キルバーンは思わず唸る。

同時に、これは何かとっておきに繋がるのだろうと直感的に感じていた。かねてよりチルノのことを怪しいと感じ続けていたのは、間違いではなかったと思いながら。

 

「では続けて質問しよう。ミナカトールの呪文とは何か?」

「ミナカトールは、破邪の洞窟……地下二十五階で契約する呪文……光の五芒星を描き、広範囲に対して邪悪なる力を退ける聖なる光を放ちます……最大に効果を発揮するには、正しく強い心を持った五名が魔方陣の頂点に立ち、術者に協力する必要があります……」

「なるほど、勇者たちにはそんな隠し球があったわけだ」

 

話を聞き、それならば確かに大魔宮(バーンパレス)に乗り込むことも可能だろうと死神は納得する。

 

「し、信じるつもりなのか? このような話を……!?」

「信じるも何も、彼女はバーン様の呪文で操り人形になっているんだよ。オマケにこんな呪文の秘密までペラペラ喋っている。疑う余地はないさ」

 

一方、ザボエラはチルノの話に半信半疑といった様子を隠そうともしなかった。唐突にこのような話をされれば、罠かと疑うのも至極最もだ。だが、バーンが操る超魔力の恐ろしさをよく知る者からすれば、疑問を挟む方が間違っている。

 

「他には何かあるかな? 例えばバーン様を正面から倒せるだけの力や呪文、技術とか。隠しているのなら答えてよ」

 

ならばこの好機を最大限に利用してやろうと考えていた。

 

「バーン、様を……正面から、倒すなら……双竜紋(そうりゅうもん)……です」

「それはどんなものなんだい?」

「本来の歴史で……ダイの、両手の甲に浮かんだ(ドラゴン)の紋章……死したバランから、受け継がれた……竜魔人以上の強さを持つ力、です……」

 

飛び出してきたのは、予想以上の言葉だった。理解が追いつかない説明にキルバーンは驚かされ、ザボエラとて当惑している。

 

「……本来の歴史、というのは?」

 

だがめげることなく情報を引き出すことに注力してく。

 

「私が……チルノという人物の存在しない世界の、出来事です……その世界で起こったことを、本来の歴史、と私は呼んでいます……」

「……占い師や予言者が見た、起こりえるはずだった未来の一つ、のようなものかな? その未来を予め知った上で、キミは未来を変えようと動いていた。だから今の歴史と区別するためにも、そんな呼び方をしていると?」

「はい……その認識で、構いま……せん」

「なるほど、その結果が勇者様御一行の奇跡の快進撃ってわけか」

 

――この子の行動から感じた違和感はそれが原因だったのか。

 

理解に多少の時間を要したものの、自身が到った結論との相違の有無を問い質せば、チルノは首肯する。同時にキルバーンは長らく感じていた疑問が氷解したことに納得していた。

まさかあの疑問の裏にこのような真実が隠れているなど、誰も想像できないだろう。

 

「じゃあ、その本来の歴史ではバラン君は倒れ、バーン様は双竜紋(そうりゅうもん)を持ったダイ君たちに倒された。ということで良いのかい?」

「はい……バーン、様は、双竜紋(そうりゅうもん)を全開にしたダイに……敗れました……」

 

チルノの言葉に、今度こそ静寂が辺りを包んだ。仮にその話通りに事が運べばバーンは敗れ、ダイは大魔王をも超えた力を持つことになるのだ。そうなれば、キルバーンの計画どころの騒ぎではなくなってしまう。

 

「…………はっ! い、いやいや! 感心している場合ではない! それが事実ならば、今すぐにでも大魔王様にお伝えせねば!!」

「おや、ザボエラ君はバーン様側に着くのかい?」

「う……」

 

正気に戻り駆け出そうとしたところを、その一言で完全に動きを止める。

 

「それにキミにはボクの計画を話してしまったんだ。ここまで話を聞いて、裏切ったりはしないよねえ?」

「ぐ、ぐっぐぐ……」

 

加えて自らの命を天秤に掛けられれば、ザボエラとて迂闊な行動は取れなかった。それに、キルバーンの話を聞くにつれてバーンからヴェルザーへと心変わりしつつあるのも事実であった。

 

地上の全てを吹き飛ばしてしまっては元も子もない。その上、このままバーン陣営に協力し続けたところで、のし上がるのも難しいだろう。バーンが腹心ミストバーン以上に自分を重用することはまずありえないだろうと、ザボエラも薄々感づいていた。

ならば、選ぶべき道は一つしかない。

 

「ええい! わかったわい!! その代わり、ワシと貴様は一蓮托生じゃからな!! 裏切りは許さんぞ!!」

「勿論じゃないか。ボクたちは仲間だよ」

 

かつてこれほどまでに信用できない取り決めがあっただろうか。

獅子身中の虫と他者に寄生するダニとの間に交わされた約束。どちらも当然の様に相手を信じてなどいない。ただ、利害が一致しているために手を組むだけ。隙を見せれば即、出し抜くことしか考えていない。

 

「さて、それじゃあもっともっとお話を聞こうか。ボクらの輝かしい未来に繋がるお話をさ」

 

だがそれでも一応の同盟は成立し、キルバーンはさらに質問を続ける。チルノの知る本来の歴史の中に、そこへ到る道標が必ず存在すると確信めいた予感を感じながら。

 

「次はミストのことを――ミストバーンの秘密について何か知っているかい?」

「ミスト……バーン……その正体は、魔界に降り積もった暗黒闘気が命を持った存在……自らの肉体を持たない代わりに、他者の肉体に入り込んで操ることが出来る……」

「へぇ……」

 

親友だと思っていた相手の意外な正体に、思わず死神は声を漏らした。

 

「そして現在……ミストバーンは、大魔王バーンの全盛期の肉体を操っています……」

「どういうことかな? どうしてミストがバーン様の全盛期の肉体を操れるのさ?」

「大魔王バーンは、自らの肉体を二つに分けました……叡智と魔力、そして若さと力……その片方に凍れる時の秘法を使い、全盛期の肉体を常に保ち続けています……」

「な、なんと……そのようなことがバーン様に……!?!?」

 

盟主と仰いでいた相手の予想しえぬ秘密を聞かされ、二人は言葉を失う。

 

「ミストバーン、その正体は……大魔王の真の姿を覆い隠す霧……同時に、必要とあれば、自らの能力によってその肉体を操る魔王軍最強の存在にもなる……凍れる時の秘宝を維持したまま戦う、文字通り最強の、存在……」

「なるほどねぇ……時々ミストが素顔で戦うことがあったけれど、あの強さの秘密はそういうことだったのか……」

 

かつての出来事を思い返し、納得したように呟く。どれほどの敵を前にしても臆することもなく、傷一つ負うこともなかった親友に隠されていた事実。

 

「そうなると、また計画が狂ってきちゃったね……」

 

ままならないものだと思いながら、死神は嘆息する。

 

 




チルノ「今度は催眠術プレイとか、これが大魔王のやることなの!?」
バーン「違う違う」
チルノ「負けない! 催眠術なんかに負けないんだから!!」←なぜかノリノリ
バーン「もうコイツ捨ててきて(泣)」

書いてる最中、私の頭の中はこんな感じでした。
多分、頭パンパカパンなんだと思います。

あー今回で魔王軍パート終わらせる予定だったのに……


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LEVEL:98 策謀の死神

ちょっと期間が開いちゃったから、出来ている所までで投稿。
遅くなるよりは、マシだよね……?



「計画が狂う……? い、一体どういうことじゃ??」

 

チルノの説明を受け、吐き出されたキルバーンの言葉。その言葉の真意を捉えかね、ザボエラは疑問符を浮かべていた。

 

「ザボエラ君は聞いてなかったのかい? ミストは凍れる時の秘法の状態を維持したまま戦えるんだよ。つまり、無敵。倒すことはおろか、害することさえ出来る者はこの世に存在しないということさ」

「はっ!! ……そ、そういうことか」

 

そこまで説明されれば、ザボエラもキルバーンの意図を読み取ることは出来た。

 

「ワシらの計画のためには、バーン様の打倒は必要不可欠。じゃがその近くには、無敵の存在であるミストバーンが常に控えておる。このミストバーンをどうにかせぬ限りは、計画は完全には成就せぬということじゃな?」

「流石、慧眼だね」

 

倒すべき相手の厄介さを充分に理解した答えに、おだてるような言葉を口にする。

 

「ついでに言うなら、バーン様だけなら今すぐにでも倒せないことはないんだ。でもその方法だと、ミストは確実に生き残ってしまう。下手をすれば、バーン様を倒した仇とばかりに、無敵の身体を活かしてボクたちに遮二無二襲いかかってくるかもしれない。そんなのは面倒だからねぇ」

「な、なるほど……たしかにそれもそうじゃな」

 

飢えも疲れも怪我や死をも知らぬ、無敵の相手に四六時中つきまとわれるなど、悪夢と呼ぶのも生温いだろう。単純な力押しでは倒せぬ相手を、一体どうやって倒せばいいのか。

 

「それも含めて、答えを知っている便利な存在がいるだろう? さてチルノ、答えて貰おうかな。ミストを倒すにはどうすればいい?」

「ミスト、バーン……を、倒す……」

 

その解放を本来の歴史を知るチルノに委ねる。少女は問われた内容を復唱するように呟きながら、自身の知る知識を語り始めた。

 

「まずは、光の闘気……闇の、衣を纏って、いない場合……光の闘気による、攻撃で……ダメージを与え……られます……」

「なるほどね。暗黒闘気が命を持ったミストにとって、光の闘気は天敵ってわけか」

「じゃがワシらは光の闘気など扱えんぞ?」

「しーっ、まだあるみたいだよ? 黙って聞こうじゃないか」

 

まず挙げられた方法は、ある意味では予想通り。そしてある意味では期待外れの内容だった。キルバーンからすればもっと劇的な、特効薬のように作用する物が欲しかったのだ。

故に、続く方法はなんとも魅力的に映る。

 

「次は、極大消滅呪文(メドローア)……あれ、は、凍れる時の秘法を……無力化、します……」

「ほう! 凍れる時の秘法を無力化するとはねぇ!」

「メドローア!? それはどんな呪文じゃ!?」

 

凍れる時の秘法を無力化するという触れ込みと、聞いたことのない呪文の存在に二人のテンションが目に見えて上がる。

 

「ポップとマトリフ、二人だけが、使える……究極の、呪文です……両手に、それぞれ火炎呪文(メラ)と、氷系呪文(ヒャド)を宿らせ……合わせることで、相反するエネルギーを生み出し、放ちます……当たれば、一部の例外を、除き……消滅させ、ます……」

 

だがチルノの口から告げられた内容を聞いていく内に、ザボエラの顔は見る見る間に意気消沈した物へと変化していった。隣で聞いていたキルバーンも、この呪文が一筋縄では行かないことは容易に想像がつく。

 

「だってよザボエラ君、できそうかい?」

「む、無理じゃ……両手で別々の呪文を操るだけでも手間だというのに、メラとヒャドのエネルギーを合わせるなど……おそらく、制御を少しでも誤れば暴発して自爆するわい……それに、呪文である以上は呪文返し(マホカンタ)の危険が常につきまとう。一部の例外というのは、それのことじゃろう?」

「は、い……」

 

それでも有効打の一つであることには変わりがない。実現性の有無を確認したところ、返ってきたのはなんとも頼りない言葉だった。確かに強力なことには違いないが、扱いの難易度に加えて大きな弱点もある。

 

「そうか、残念だね」

「じゃが理論は使えそうじゃな。何か危険性のない、上手い手を考えることが出来れば……くぅっ! じゃがそれを考えるだけの時間が……」

 

ザボエラは妖魔学を修めた者として血が騒ぐのだろう。新たな可能性の模索に情熱を燃やしていた。反対にキルバーンは冷めた様子になっていた。これでは自分たちで使うのは難しいだろうと、思考を切り替えることにする。

 

「じゃあミストは、その極大消滅呪文(メドローア)で倒されたってわけか」

「いえ……ヒュンケル、に取り付き、光の闘気に……よって、消滅しました……」

「おや?」

「む?」

 

ミストバーンを倒す方法を口にしておきながら、全く予想だにしなかった最期の言葉に二人は思わず顔を訝る。確かに光の闘気については最初に候補として挙げられていたが、何がどうしてヒュンケルに倒されたのか、彼らにはさっぱり分からない。

 

「これはどうやら、聞き方を間違ったね。チルノ、ミナカトールの呪文を唱える辺りから、バーン様とミストがどうなったのかまでを教えてくれるかい? ああ、流れが分かる程度でいいよ」

「はい……」

 

この段階に到って、自分たちが歴史の流れというものを理解していないことにようやく気付いた。なにしろチルノから告げられた真実が色々と衝撃的過ぎたのだ。

バーンが倒されたという結論と、自分たちの求める答えを引き出したいという気持ちばかりが先行していたことを恥じながら、彼らは改めて何があったのかを尋ねる。

 

「本来の、歴史では……ハドラーの、黒の核晶(コア)を防ぐため、バランは命を落とし……その後の、バーン、様との初戦で、ダイたちは敗れます……ヒュンケルとクロコダインが人質と、なります……その後、数日を掛け世界各地に、黒の核晶(コア)を配置……二人を、公開処刑すると知らせ、人間が集まったところを……一網打尽、とする作戦……でした」

 

正気を失い操り人形となったままのチルノは淡々と告げていく。

 

「作戦は……失敗……五名の、アバンの使徒、が集まり……ミナカトールによって、ダイたちは……大魔宮(バーンパレス)へと乗り込みます……快進撃を続け……大魔宮(バーンパレス)の中央部まで、迫ります……ミストバーン、はそこでポップたちと戦い、ダイとレオナ、はバーン、様を倒すべく、先へ進みます……」

 

チルノの話を耳にしながら、キルバーンたちはその展開を頭の中で想像していく。操り人形となったチルノの話は融通が効きにくいという難点もある。

そのため、どのようなことがあったのかの細かなことは脳内で補完する必要があった。話を止めて逐一詳細を確認することも出来るが、話の流れが途切れることを嫌いそうすることはなかった。

 

双竜紋(そうりゅうもん)の力を、得たダイはバーン、様を圧倒します……危機に陥り、バーン、様はミストバーン、から本来の肉体を取り戻すことに……しました……」

「そうやって、真の姿に戻ったわけか」

 

相づちを打ちながらも死神は心の中で恐怖する。

傍目に見ても敵など存在し得ぬと思わせるだけの強さと叡智を兼ね備えたバーンをも圧倒するダイの力とは、果たしてどれほどのものなのだろうか。

ヴェルザー陣営である彼にとって、大魔王以上の敵が生まれるというのは絶対に避けたい事態としか思えなかった。

 

「そしてミスト、バーンは……失った肉体の、代わりにヒュンケルへと取り憑き、ました……元々、ヒュンケルを、育てていたのも、予備の肉体にするため……ですが、取り憑くことを相手も予想、しており光の闘気を体内に溜め続け……それに触れ、消滅しました……」

「!!」

「なんと……!」

 

続くミストバーンの最期と、彼がヒュンケルを育てていた理由を知らされ、二人は言葉に詰まる。

万が一に備えた代替となる肉体を求めていた以上、ヒュンケルの肉体にも凍れる時の秘法を使うだろうことは想像に難くない。下手をすれば、全盛期のバーンとヒュンケルの肉体を操るミストバーンとの二人を同時に相手にする可能性もあったかもしれない。

 

「本来の姿……に戻ったバーン、様も、ポップたちの協力で、追い詰められ……最終的にダイ、は二つの(ドラゴン)の紋章を全開に、することで正面から打ち破、ります……」

(ドラゴン)の紋章を全開にか……これは絶対に自分で相手にしたくないね。さて、どうしたものか……」

 

何があったのか、聞かされた大まかな流れと今までの話に出てきた事実を反芻しながら、キルバーンはどうやって動くべきか頭を働かせ始める。

この混沌とした状況こそ、バーンに仕えてからずっと待ち続けることで訪れた最大の好機なのだ。それを利用しない手はない。

 

「ならばワシはどうなった!? その話には出ておらんぞ!?!?」

 

一方、やはり気になるのだろう。話が終わった頃合いを見計らい、ザボエラは自らの結末について詰問する。

 

「ザボエラ、様は……クロコダイン、に、倒されました……」

「な、なななんじゃと!! ワシがあのようなオツムの足りんワニにだと!? い、一体何があったというのじゃ!!」

 

返ってきたのは信じがたい言葉であった。そもそもクロコダインに負けたという事実など、到底許容できるものではない。知恵比べをすれば決して負けるはずのない、踏み台としか見ていないような相手に命を奪われると聞かされれば、平静ではいられなかった。

 

「ヒュンケル、たちの公開処刑の際……ザボエラ、様は魔界の怪物(モンスター)を、率いて集まった人間、を倒そうとしました……ですが結果は失敗……超魔ゾンビ、を生み出して逆転を、狙いますがそれはロン・ベルク、に倒され……必死に逃げた、先でクロコダイン、に倒されました……」

「ん、超魔ゾンビ? ザボエラ君、それは一体なんだい?」

 

思考の途中、耳慣れぬ単語を聞きつけたキルバーンはその正体を尋ねる。

 

「い、いやそれは……」

「ここまで来て隠し事はなしだよ?」

「くっ……!」

 

二人は既に一蓮托生、手札は多いに超したことはない。

なおも何とか秘匿できないかと言葉を濁そうとするザボエラであったが、強い圧力を伴ったキルバーンの言葉に根負けしたようで、渋々ながら語り始めた。

 

「……超魔生物の究極形じゃ……超魔生物はどれだけ強くとも消費が大きすぎる。他者を改造するならともかく、自分がなるのは御免じゃからな……そこで考えたのが、無数の怪物(モンスター)の死体を合成することで生み出す新たな超魔じゃよ」

「へえ、そんな奥の手があったんだね」

「尤も超魔ゾンビという名はまだ決めておらんが……どうせこれのことじゃろう?」

「はい……」

 

知られており、問えば答えられると分かっていても、奥の手として隠匿していた内容をバラされるというのは決して気持ちの良い物ではない。無機質な肯定をするチルノの言葉に、一度は下がりかけていたザボエラの溜飲が再び上がっていく。

 

「それじゃお付き合いで聞いておこうか、ボクも誰かにやられたのかい?」

「キル、バーン、様は……マァムに、倒されました……」

「マァム……ああ、あの武闘家か……意外だね」

 

予想外の名前が出てきたことに死神は少々驚かされていた。

 

「おお……なんじゃ、キルバーンよ。お主も話に上がらぬところでやられておったようじゃな」

 

自分と同じく話に上がらぬところでやられていたことに、ザボエラの機嫌が若干良くなる。

だがそれは被害者同士が傷を舐め合い苦労を分かち合うような感覚というより「やっぱりコイツもやられていたかザマーミロ」といった陰惨なものに近いのだが。

 

「ウフフフ……そうだねぇ……」

 

そしてキルバーンは、このザボエラの反応に満足していた。

 

彼が狙っていたのは自身の正体を看破・周知に到るであろう話の流れを断ち切ることだ。あのまま話を続けていれば流れから「キルバーンがなぜ負けたのか」ということを聞かれる可能性は充分にあった。

それを防ぐために話題を変え、相哀れむ感情を利用することで正体を探ろうという思考に到らせないように誘導してみせた。

 

「まあ、その話を聞けばそこまで恐れることじゃないよ。知った以上は対処は可能、怖かったら身代わりでも何でも用意して自分の死を演出すれば切り抜けられるさ」

「フム……身代わりか、何か用意しておくべきかもしれぬな……」

 

案の定というべきか、目論見通りザボエラの思考は自身の保身のための手段の模索へと切り替わる。

 

キルバーン自身、人形を操り本体のように見せているという秘密はチルノが知っていると思っている。マァムに負けたというのも正体が露見した結果、偶々彼女がトドメを刺したに過ぎず、実際に人形と戦ったのはダイかポップ辺りが打倒と推測していた。

ザボエラを真似するわけではないが、万が一のための回避手段は用意しておくべきだろうとも考える。

 

だがそれよりもなによりも、彼らには乗り越えねばならぬ困難がある。それは――

 

「しかし、これをバーン様にどうやってご説明しようかねぇ……」

「む、そうじゃったな……」

 

探り当てたチルノの秘密を、バーンに知らせることである。

普通に知らせるだけならば何も難しいことではない。だが彼らの目的からすれば、真実をありのままに伝えることは何かと都合が悪い。

理想はバーンとミストバーンが倒れ、勇者たちも満身創痍となっている。そんな状態。

それを実現するためにはどうすればいいか、二人は頭を悩ませる。

 

「ボクたちの報告だけで満足していただければいいんだけど、チルノがいるからねぇ」

「確かに。どれだけ言い繕おうとも、バーン様にこの小娘に"真実か?"と質問された瞬間すべて水の泡。全く面倒くさい……」

 

ネックとなるのはチルノの存在であった。

今の彼女は、良くも悪くも全て正直に話してしまう。バーンへの報告の際に同行させないというのが一番手っ取り早いだろうが、それをすれば"何か後ろめたいことがある"と自ら宣言しているようなものだ。

かといって"バーンの言葉に返事をするな"と命令しても、彼女がそれを聞き入れることはない。命令者には優先権というものがあり、バーンの言葉が最上位。キルバーンやザボエラたちはそれより一段劣る。

どれだけ厳重に命令したとしても、バーンが"話せ"と言った瞬間に話し始めてしまう。

 

「何か上手い方法はないかな? ボクたちの幸せのためにさ」

「ムムムムム……おお、そうじゃ! 思い出したぞ!!」

 

嘆息するキルバーンの横で、ザボエラは記憶を引っ張り出そうと唸り続けていた。やがて、その奥底から一つの妙案を引っ張り上げる。

 

「何か良い考えでも閃いたかい?」

「うむ。大丈夫、上手くいくはずじゃよ。キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

 

勝利を確信したような、高らかな笑い声が牢獄内に響き渡った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

大魔宮(バーンパレス)が大空を翔る。

 

「まさか、この大魔宮(バーンパレス)をこうも早く飛ばすことになるとは……思っても見なかったことだ」

「…………」

 

天翔る居城――その中央部、玉座の間にて大魔王の語る言葉をミストバーンは無言のまま耳にしていた。

 

「事実、こうして地上の空を我が物としたにも関わらず、少しも心が躍らぬ。腹立たしいことだ」

「であれば――」

 

本来ならばダイたち全てを葬り去り、邪魔のなくなった段階で大魔宮(バーンパレス)は空へと飛び立つ予定であった。だがその計画はことごとく潰され、大魔王自ら出陣した戦いですら、予定外の出来事によって計画が狂っていた。

渋い顔を見せるバーンへ向け、ミストバーンは忠誠心から述べる。

 

「――であれば、なんなりとご命令を……私自ら地上に赴き、今度こそダイたち全てを抹殺してまいります」

「それは真の姿を使うということか?」

「……そ、それは……!」

 

痛いところを突かれた、とばかりにミストバーンは口ごもった。

彼が本気となれば、確かに無敵となるだろう。だがそれはあくまで借り物の力でしかない。若かりし大魔王の力を使い戦うのは、情報を隠す意味でも決して推奨されるものではないのだ。

だがその本分を忘れ、己の力のように振る舞いかけたことをミストバーンは猛省する。

 

「ふふふ、わかっておる。重ねて言うが、この状況は余とて本意ではない。だが本意ではないと駄々をこね、わめくほど幼稚でもない。予定外のことは起こるもの……それは此度のことでよく分かったはずだ」

「はっ! もうしわけございません」

 

言葉に詰まった部下とそう声を掛ける。

元よりミストバーンの言葉はあくまでバーンを気に掛けたが故の言葉であることは、何よりもよく分かっている。そのため大魔王はさして気にした様子も見せることはない。

 

「それにザボエラに任せたあの(むすめ)も、どのような話をするのやら。今はゆっくりと待とうではないか」

「そのことですが……バーン様、やはり私は納得いきません」

 

再び、だが差し出がましいながらも言わずにはいられないといった様子で口を挟む。

 

「ザボエラのような愚物に任せずとも、尋問程度ならば私でも充分に可能です。彼奴に任せれば、何かを企むであろうことは想像に難くありません。それに何よりも、キルの奴が姿を見せていないのも気になります。ザボエラを後押しするような言葉といい、どこか違和感を感じます」

「おやおや……ミスト、さすがにそれはあんまりじゃないのかい?」

「ッ!?」

 

そう、自らが感じていた不満や違和感を口に出したところで、室内にキルバーンの声が響き渡った。まるで狙っていたかのような、的確過ぎる瞬間の言葉にミストバーンは僅かに驚いたような反応を見せ、バーンはようやく来たかと言わんばかりに薄く笑う。

 

「ザボエラ君だって一生懸命やっていたよ……ちょっとお遊びはあったけどね」

「キル……」

 

正面から堂々と死神が姿を現す。

そのあまりに堂に入った姿に、先ほどまで口にしていた内容もあってかミストバーンは僅かに苦虫を噛み潰す。

 

「ようやく来たかキルバーン。それで、悪巧みは終わったか?」

「ええ、お待たせいたしまして申し訳ございません。ですが、お待たせしただけの価値はあると思いますよ」

 

慇懃無礼も此処に極まれりといったところだろうか。

直球な皮肉を聞かされてもキルバーンは一切怯むことなく、道化師のように芝居がかった動作で深々と頭を下げる。

 

「さあザボエラ君、チルノ、二人とも入っておいで」

 

そう告げると、奥からザボエラがチルノを伴って姿を現す。

ザボエラはどこか緊張した面持ちでバーンの前へと並び、そしてチルノは――

 

「……その姿は?」

「大魔王様の御前に出るというのに、何時までも裸では不敬でしょう? 僭越ながらボクがコーディネイトさせていただきました」

 

それは一言で表すならばゴシックロリータのような格好、とでも言えば良いのだろうか。

死のイメージすら連想させる黒を基調としたドレスのような服装。だが所々には純白のラインで彩られており、決して単調な色使いではない。

腕にはドレスと同じく黒のロンググローブで飾られていた。肩口近くまでを覆うそれは、だがドレスそのものが胸元が開いており、肩を見せるデザインのためチルノの褐色の肌が大胆に覗いて見える。

ブーツも同じく黒だが、長さは膝上の近くまでを覆う程度。そのため短いスカートと相まって太腿が丸見えだ。

褐色肌のチルノに黒のドレスというのは一見、同系色の色のため地味になりそうだが、濃淡を上手く活かしているためかそのような印象は受けない。むしろ肌の露出が多くなった分だけ扇情的な雰囲気すら漂っている。

全体的には見栄えの派手さよりも動きやすさを重視しているらしく、裾は短く揃えられ、この格好のまま戦闘すら出来るだろう。腰には彼女の専用武器たる"ガリアンソード"がその存在感を放つ。

 

そして耳元には黒い宝石をあしらったイヤリングが揺れていた。

 

「いかがでしょうか? こう見えても、お人形遊びや着せ替え遊びは自信があるんですよ、ボク。ただちょっと迷ってしまいましてね。おかげで時間が掛かってしまって……」

 

弁解するような言葉の途中、チラリとミストバーンへと視線を投げる。

 

「…………」

 

視線だけで「自分が姿を見せなかったのにはこのように正当な理由があるのだ」と言外に述べていた。その意味を理解したミストバーンは、だが何を言うでもなくキルバーンを見返すだけだ。

 

「では、この娘から聞き出したことについてご説明させていただきます」

「聞こう」

 

静かなる舌戦が始まる。

 

 




また私の悪い癖(性癖)が出てしまう。
「こういうこと」を考えるなら本編進めよって話ですよね……
(でもこれで悪堕ちネタも出来ると考えるとむしろお得なのでは??)


なんだか前話辺りから、チルノさんがザボエラとかバーン様にXXXXされるネタを。
みたいな意見が有ったり無かったりするのですが……
具体的には「本が薄くなる」ってアレです。

うー……R-18タグのお話を別途用意しようかしら……
if XXX みたいタイトルで。
どう思います?
ご用とお急ぎでない方は、活動報告にそれらしいのを用意したので。

活動報告ページ


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LEVEL:99 ゆさぶり

(´・ω・`)



「――以上が、この娘……チルノから聞き出した大まかな内容ですじゃ」

 

ザボエラはそう言って、バーンへの報告内容を一旦終える。

彼が説明したのは本当に大まかな内容――

チルノが占い師のように今とは違う流れの未来を知ること。

その世界では最終的にバーンが倒されていることと、そこまでの簡単な流れについて。

今まではその未来の知識からより良い未来になるようにダイたちが動いていたこと。

未来の知識は歴史書を眺めたようなもので(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)細かなやりとりまでは知らないこと(・・・・・・・・・・・・・・・・)

――そういった程度だ。

 

「無論、これよりも詳細な内容についても聞き及んではおりますが、まずは一刻も早くこの不吉な未来をお知らせせねばと思いまして、このような説明となりました」

「ふむ」

「…………」

 

低頭しながらいけしゃあしゃあと言ってのけるザボエラの言葉にバーンはそう一言だけ呟き、ミストバーンは無言のままである。

 

「その話に相違はないか?」

「勿論ですよ、嘘じゃありません。ボクもある程度は話を聞きましたからね。それに、偉大なる大魔王様に虚偽の報告なんて出来るわけないじゃないですか」

 

冷徹な瞳で二人を射竦めるような視線を向ける。嘘や偽りは許さんと言わんばかりの大魔王の恫喝にザボエラは思わず身を竦ませ、キルバーンは平然と言ってのけた。あまりにも堂々としたその態度は、それだけで思わず納得してしまいそうになるほどだ。

 

「何よりもこの()がいるんですから、嘘なんて言えませんよ。ねえ、チルノ?」

「はい……間違い、ありません……」

 

チルノの存在を見せつけるような言葉回しと共に、間違いの有無を確認するべく問い質す。彼女は、キルバーンの言葉に素直に頷く。

 

「ついでに言うと、ミストは極大消滅呪文(メドローア)という呪文で。バーン様は双竜紋(そうりゅうもん)の力に目覚めた勇者ダイの力に敗れたそうですよ。ねえ、チルノ?」

「はい……間違い、ありません……」

「…………」

 

率先して誤りがないことを見せつけるかのようにチルノへと問い質す。そのキルバーンの姿にミストバーンは微かな違和感を覚えたものの、だがそれを口に出すことはなかった。

彼女は大魔王の超魔力によって操り人形となっている。それをどうやってねじ曲げ、都合良く操作できるというのか。

バーンの持つ力の強大さを誰よりも近くで知るミストバーンであるがため、そんなことは不可能だと断じてしまう。チルノが肯定している以上、嘘ではない。そう判断してしまう。

ただ一つ、先ほどからチルノが同じ言葉しか話をしていないことだけが気がかりではあったが……

 

「それと、極大消滅呪文(メドローア)双竜紋(そうりゅうもん)についてですが――」

 

続けてキルバーンは、その二つの力についての説明を始める。大魔王を正面から圧倒し得るだけの力と、凍れる時の秘法すら例外としてしまう呪文。その術理や使い手について、チルノから聞いた話をさらに簡略化した内容ではあるものの、口にしていった。

 

極大消滅呪文(メドローア)、か……そのような呪文があったとはな……」

「……なんと……」

 

二つの力の説明を聞き終え、バーンは感心と驚きの入り交じった声を漏らした。ミストバーンもまた、言葉少なげでこそあるもののそこには驚愕の感情が在り在りと浮かんでいる。

大魔王を正面から倒し得る力の存在など、有り得ないと思っていたからだ。仮にそのような力の持ち主が存在したとしても、ミストバーンが真の力を発揮すれば倒すことは可能と思っていた。

 

だがその大前提がここに来て覆された。その驚愕はいかほどか。

外部から凍れる時の秘法を無理矢理解除する手段の可能性については、大魔王も危惧していたことだ。そのためミストバーンという霧に正体を隠させ、事前準備が出来ないように注意もしていた。

けれども相手は秘密を知り、対抗する手段を持ち合わせているとなれば、話は違ってくる。秘法を無理矢理解除されるだけならまだしも、全盛期の肉体を失ってしまえば取り返しがつかない。

 

「怖いですよねぇ」

 

そんなバーンたちの不安を煽るようにキルバーンは他人事のようなお気楽な口調で低く笑ってみせる。その態度に、ミストバーンが先ほど感じた違和感がもう少しだけ強くなった。

親友であるキルバーンにすら隠していた、ミストバーンの正体についての秘密。その秘密についても目の前の相手は知っているのではないだろうかと疑いが濃くなっていく。

 

「なんでもダイ君は大魔王様の相手をするために単身先に進み、ミストは残った仲間たちを先に片付けるために戦った結果、それぞれ倒されたとか」

 

だがそんなミストバーンの疑いを払拭するかのように、キルバーンは二人がどのような状況で倒されたのかの補足を口にする。それは「なるほどその状況ならばそうなっても仕方がないだろう」と思わせる程度の説得力は備えていた。

 

「それとボクとザボエラ君は……あれれ? ねえ、やられた相手は誰だっけチルノ?」

「ザボエラ、様はクロコ、ダインに……キルバーン、様はマァム……に倒され、ました」

「そうだったそうだった。バーン様たちの話の衝撃が強すぎて忘れていましたよ」

 

更にチルノの口から新たな事実を引き出させる。

自分たちの敗因を語らせたそれは魔王軍が負けたという話の説得力を増し、同時にチルノがキルバーンたちの話を肯定し続けるように操られているわけではないということの証明ともなった。ならば、真なる大魔王の秘密についても知られていないのかもしれない。

疑いの芽は完全には枯れぬものの、ミストバーンは現時点ではそう結論づける。

 

「あとは……そうそう、この()の正体ですかね」

「ま、待て待てキルバーン! 報告するのはワシの役目じゃ!!」

 

そう話を切り出そうとしたところへ、ザボエラが慌てて口を挟んできた。まるで自分の活躍の場を少しでも奪われたくはないと必死に主張しているかのようだ。

その勢いにキルバーンは嘆息しながら一歩下がり、ザボエラへと主導権を譲る。

 

「とはいっても、これについては詳細は不明でした。何しろ本人も分かってはおらぬようで……わかったことは未来の知識を知ることと、この娘が操るのは異界の力ということくらいですじゃ」

「異界の力!? ならばあの竜も……」

「やはりか……」

 

異界の力という言葉にミストバーンは再び驚かされ、バーンは平然と頷く。大魔王のその姿にキルバーンは少々の驚きを禁じ得なかった。

 

「ご存じでしたか?」

「余も知らぬ竜の姿であったからな。ならば残る可能性はそのくらいよ」

 

僅かな時間、逡巡するように瞳を閉じるとバーンはチルノがバハムートへと変身した時の姿を思い浮かべる。

漆黒の鱗を持ち、大魔王すら驚かせるほどの力を備えた竜の姿。

数千年の時を生き、あらゆる知識と経験を兼ね備えたバーンすら知らぬ以上、その程度の可能性は充分に予期できることだった。

 

「となればこの(むすめ)は天界か、もしくはその上――神々の差し金であろうな。それ以外には余の邪魔をせんと企み、実行できるだけの力を持つ者は思い当たらん」

 

そしてそう考えれば、正体についても推測はできる。大魔王は伏せていた目を開き、自身の考えを口にした。

 

不思議な力を使う天界の関係者と考えるのも自然なことだ。事実、天界の精霊たちは冥竜王ヴェルザーの魂すらいとも容易く封じて見せたのだ。ならばそのくらいのことはしてもおかしくはないと考えていた。

 

「しかし、この仮定が真実ならば、とんだ阿呆もいたものだ。こうしてあっさりと捕まり、本来ならば絶対に隠匿せねばならぬ秘密を話しておる。これを阿呆と呼ばずして何と呼ぼう?」

 

そこまで語ると、大魔王は顎に手を当てながらニヤリと笑みを浮かべた。

 

「天上の神々は、どうやら随分と親切な者たちのようだ」

「ククク、確かにそうですね」

「キヒヒヒヒ……まったくですじゃ」

 

バーンに追従するように、二人は低く笑い声を上げる。だが、その意味は大魔王の笑いとは若干異なった意味合いが含まれていた。

 

 

 

 

 

「さてさて、親切な神様のおかげで敵の秘密が色々と手に入ったわけですが……それじゃ我が魔王軍としては、これからどうしましょうか?」

 

話を切り替えんとばかりに、キルバーンは声を上げる。

 

「勇者様御一行がこれまで奇跡の快進撃を続けてこられたのは、あの()が持っていた情報のおかげ。なら、これを逆手に取るしかないとボクは思っているのですが」

「ふむ……何か考えがあるのか?」

「ええ、勿論ですよ」

 

持って回ったような言い方は腹案があると言外に述べているようなものだ。予め定められたやりとりのようにバーンが尋ねれば、待っていましたといわんばかりに食いつく。

 

「ボクたちの本来の予定は、この後(ピラァ)を世界各地に落とすことでした。ですがこれはもう相手にもバレちゃってますからね、予定通り落としたところで何かされるであろうことは明白です」

 

この話は冒頭、バーンに説明をした際にも話題として出された内容である。そのため、本来ならば秘密裏に進めていたはずの戦略がザボエラにも知れ渡っているのだが、もはやそれを気にする者はこの場にはいない。

バーンですらキルバーンのこの提案に口を挟むことはない。

 

「ならばどうする?」

「簡単ですよ、勇者たちをおびき寄せれば良い。面倒事はとっととまとめて潰してしまいましょう」

「なっ……!?」

 

キルバーンの意見にミストバーンは声を上げた。

彼はチルノが語った未来の知識を受け入れ、その上で「如何に安全にダイたちを倒すか」という方向で話を進めると考えていた。それだけに、おびき寄せるという考えは到底許容できるものではなかった。

なぜむざむざ危険度を上げるような真似をするのか。それでは敗れたという未来と似た流れになるのではないか、と問い質したかった。

 

「……聞こう。それをどう実現する?」

「ありがとうございます」

 

だがそれを口にする機会は訪れなかった。彼が異を唱えるよりも先にバーンが続きを促したからだ。

大魔王の言葉にキルバーンは一礼すると話を始める。

 

「まず、このまま勇者たちとにらみ合いを続けた場合、最悪の事態が起こる可能性があります。何しろ向こうは双竜紋(そうりゅうもん)という切り札を知っているんですから。下手をすれば、二つの紋章の力で強引にこの城を破壊するような暴挙に出るかもしれない。でも、それは面白くない」

 

起こりえる可能性のうち、最も厄介であろうものを提示して、だがキルバーンは続く言葉でその可能性を否定してみせた。

 

「だから、それを封じます。その上で、相手がこちらの意図に乗らざるを得ないようにすればいい」

「……大した自信だなキル」

 

あまりにも大言壮語な考えとしかミストバーンの目には映らなかった。

 

「そう言うからには、何か秘策があるのだろう?」

「当然だよミスト。なぁに、簡単なことさ。挑発してやればいい」

 

故に当然の疑問を口にすれば、相手もまた当然のことのように答える。

 

「キミも聞いた通り別の世界のボクたち、どうやらヒュンケルたちを捕らえて処刑しようとしていた。だったら、それと同じ日付だけ待てば良い。ついでに世界各地の(ピラァ)の投下予定地でしばし停止してやるのもいいでしょうね。そこまでやれば、どれだけ頭の悪い相手だって気付きますよ。これはメッセージだと」

「この娘の持つ秘密が我々に伝わったと暗に教えるわけか。それで?」

「メッセージに気付けば、相手はあの()が生存しているかもしれないと考えてしまう。何しろ別の世界ではヒュンケルたちは人質として生かされていたんです、似たように考えるのは当然のことですよ。人間は希望を持ちたい生き物ですからねぇ」

 

それこそがキルバーンの考える挑発の一つ。

ダイたちからすれば、チルノは行方不明となっている。あのままバーンらに倒されたのか、それとも竜の姿のまま世界のどこかを彷徨っているのか、そういった安否確認の一切が出来ていない状態だ。

そんな時に少女の生存を匂わせるような行動を取ればどうなるか。

目敏い者ならばすぐに気付くだろう。

 

「最後は、彼らの前に城を下ろせば良い。彼女が言う本来の歴史と同じ時間だけ猶予を与え、目の前に姿を現す。明らかな挑発、罠が待っているぞと言っているようなもの。でも勇者様御一行は、挑まずにはいられない。大切な姉が生きているかも知れないという希望を持ってしまった。ましてや、こちらの手の中にあるとなれば……ウフフフ」

 

それは「来るなら来てみろ」という余裕の現れ。バーンたちは何も伝えぬ、無言の圧力という名のゆさぶり。

だがダイたちはその挑発に乗らざるを得ない。

本来の歴史と比べて、圧倒的に危険だと理解した上でも、それでもだ。

 

「果たして、そう上手く行くか?」

 

だがキルバーンの考えに対し、当然の疑問をバーンは口にする。

 

「バランがダイの為に自刃し力を託す。その可能性は充分にあろう?」

「かもしれませんね。でもボクは、その可能性は低いと思っているんですよ」

 

十二分にあり得る可能性。その存在を肯定した上で、それでも有り得ないと考える根拠を死神は口にする。

 

「考えてもみてください。バラン君からすれば、せっかく手に入れた幸せですよ? なら、出来ることならば失いたくはない。人間はそう考えてしまう。ましてや向こうには未来の知識というアドバンテージもある。ならば、何とかなるのではないかと楽観的に――もっと言えば自分たちに都合良く考えても不思議ではありません」

「いや、今のバランならば、やりかねん。ヤツにはそれだけの覚悟があると余は睨んでいる」

「そうしてくれたら、むしろ好都合ですねぇ」

 

キルバーンの話はあくまで理想論であり、根拠としては弱いとバーンは判断していた。なにしろ実際に、戦場で敵として相まみえているのだ。その際に肌で感じたバランの印象、それがバーンの否定する根拠であった。

だが、彼からすればそれはむしろ好都合であると考える。なにしろ対策は非常に簡単になるのだ。

 

「確かにバラン君には、いざとなったらそれだけの覚悟はありますよ。でもダイ君はどうでしょうか? そして相手がこの()だったら?」

 

ダイの相手をチルノにさせればいい。

 

「せっかく和解できた父親を失ってまで力を得たダイ君に、果たしてもう一人の家族を失うという選択肢を取れますかねぇ? 賭けてもいい、ボクは無理だと思います。絶対に手出しなんてできませんよ」

 

ダイが双竜紋(そうりゅうもん)の力を得ていようとも、その力をチルノに向けられるはずがない。

 

「父親の命を糧に、せっかく何者をも凌駕するだけの実力を身に付けても、最愛の姉が相手となっては宝の持ち腐れ……バーン様の超魔力を解除するだけの暇を与えず、一気に倒してしまえばいい。姉の手に掛かって死ねれば、ダイ君も本望でしょう」

 

唯一の懸念点は精神混乱呪文(メダパニ)を解除されることだが、相手が迂闊な動きを見せる前に倒してしまえば問題も消える。

 

「そもそも、勇者たちの最初の相手にはこの()を使うつもりです。かつての仲間であれば勇者たちは手を出しにくい上に、失ってもこちらの腹は痛まない。最も使いやすい駒でしょう?」

 

相手がどう出てこようとも、キルバーンはチルノを先鋒として使うつもりだった。そうすることが最善であると言わんばかりに。

 

「そして、ボクたちが別の世界で負けた一番の理由は相手を侮っていたから。でも今回は違う。大魔王様にミスト、ザボエラ君もいますし、勿論ボクもいれば、魔界の怪物(モンスター)たちも控えています。窮鼠猫を噛む、確かにそれも事実でしょう。ですがこちらは猫ではなく虎、しかも相手を侮るような馬鹿はいない。敵の切り札も透けて見えているんですよ、これではネズミに負ける道理もないでしょう?」

 

そして、ダメ押しとばかりに勝利の根拠を口にする。

相手を決して甘く見ることはなく、執りうる手段の全てを選ぶことなく使えば、負けるはずはないだろう。

 

「バーン様、私はキルの意見に反対です!」

 

だがその尤もなはずの意見に、ミストバーンは異を唱えた。

 

「確かに道理は通っていますが、ならばわざわざ危険を侵す必要もありません!! 多少時間が掛かろうとも、勇者たちを確実に倒していくことを具申いたします!!」

 

この話の最中、常にキルバーンから感じていた小さな違和感。ゆっくりとゆっくりと大きくなっていたそれが棘のようにミストバーンの心を刺激し、警鐘のように存在を誇示していた。その得も言われぬ感覚に従うまま、彼は叫んでいた。

 

「ふむ……それもまた事実だな」

 

忠臣の言葉にバーンは再び思考を始めた。

確かに彼の言うこともまた事実である。むざむざ相手を招き入れずとも、他に手段はいくらでもある。わざわざ相手に時間を与えずとも、チルノが生存していることを主張する方法も同様にあるのだ。

 

「ミストバーンよ、確かに余もお前を失いたくはない」

 

下手をすれば二度と手に入らぬ大切なものを失うことにもなりかねない。大魔王は思わず「シャハルの鏡を砕いたのは少々早計だったな」と口の中でそう呟いて見せる。

 

「……ザボエラよ」

「はっ、はい!」

 

数瞬の無言の後、バーンはザボエラへと視線を向けた。まさか自分に矛先が向かってくるなどと考えてはおらず、萎縮しながらも返事を返す。

 

「そういえば、お前の意見をまだ聞いていなかったと思い出してな。それでどうだ? 余は地上を征服すると言いながら、その実、お前を騙しておった。そこに不満はないか?」

「は……え……はっ!?」

 

相手の質問の真意を測りかね、すっかり混乱した様子を見せる。それはザボエラだけでなくキルバーンもまた大魔王の狙いを読めずにいたが、それでもボロだけは出してくれるなと思わず祈っていた。

 

「不満、ですか……!? い、いえいえ滅相もない!! バーン様のお考えに不満などあろうはずも!! この地上など不要ですからな!!」

 

だがあまりに返事が遅いのもまた怪しまれる。そう考え、ひとまず最も無難と思える意見――すなわち、主の意見に賛成するということを選ぶ。

 

「あの、差し出がましいようですが、その……こういった場合、お二人のどちらの考えに賛成か? と尋ねられるのが普通ではないかと……??」

「確かにな。だがお前は現在、魔軍司令補佐の肩書きよ。ならばミストバーンの考えに賛成であろう?」

「あ、ああ、左様でございますか……」

 

だが好奇心が抑えきれなかったのだろう。恐る恐る疑問を尋ねたところ、返ってきたのはザボエラの意見など最初から頭数に入っていないとも取れる答えであった。

一応の納得の行く答えに、ザボエラは唖然と頷いてみせる。

 

「つまるところ、二対一か……だが此度は、キルバーンの策を採用しよう」

「なっ……! そ、んな……!!」

 

そして、大魔王が選んだのは死神の考えだった。

すでに相手の手札は割れている。切り札も自分たちが握っている。そんな状態で、大魔王軍が負けるはずもない。と、そう考えてしまうのもまた事実だ。

ならばどちらを選んでも大差はないだろうとの考えと、そしてもう一つの理由から、誘い込むことをバーンは選んだ。

何より、下手に攻め込まれて優位を崩されるよりかは、受け身となってでも主導権を握っていた方が良い。という考えもあったからだ。

 

「まあまあミスト、そんなに落ち込まないでよ」

 

自らの考えは理解しているだろうに、なぜ採用されなかったのか。愕然とするミストバーンに向けて、キルバーンは慰めるような柔らかな口調を見せる。

 

「なんだったら、呪文返し(マホカンタ)を張る罠でも用意しようか? あれなら確実にキミを守ってくれるさ」

「……いらん!」

 

だが口調とは裏腹に、投げかけた言葉は挑発に近いものだった。まるで死を恐れ、身を守る手段を模索していると思われたかのような言葉に、ミストバーンが苛立ちを隠そうともしなかった。

激しい口調と共に、強く拒絶する。

 

「ボクがいうのなんだけど、人の親切は素直に受け取った方が良いと思うよ。幸せになろうじゃないか、みんなでね」

「……チッ」

 

それを見たキルバーンは、不敵な態度で口を開いた。明らかに含みを持ったその言葉に、ミストバーンは軽く舌打ちをする。

 

「異論は無いなミストバーンよ?」

「……大魔王様のご命令とあれば」

 

最終確認だと言わんばかりの言葉に、ミストバーンは彼が幾度となく口にしたお決まりの文句で肯定の意を示した。それは決して心底から賛成しているわけではないという態度が誰の目にも明らかだ。

 

「ならば方針は決まりか」

 

それが鶴の一声であった。

 

「ええ、それでは失礼します。これからあちこちに罠を仕掛る必要がありますので」

「ワシもですじゃ。備えは幾らあっても損ではないですからのぉ」

 

話はまとまったとばかりにキルバーンとザボエラは退室しようとする。

 

「待て、ザボエラよ」

「はっ! ま、まだ何か……?」

 

もはや話は終わったと思っていただけに、思わず探るような目をザボエラは見せていた。何か不自然なことを言っただろうかと自らの言動を思い返すが、だがそれは全て杞憂だった。

 

「もはやその娘を尋問する必要もなかろう? 大魔宮(バーンパレス)内に部屋を用意しておく。無論、そこには誰も近づけさせぬ。来たるべき時が来るまで、チルノはそこで身体を休めよ。わかったな(・・・・・)?」

「ははああぁぁっ! 勿論でございます!!」

 

ただチルノを部屋で休ませておけというだけの命令。身構えていただけに思わず拍子抜けしてしまい、必要以上に仰々しい態度で了承の言葉を返してしまう。

 

その姿をバーンは愉しげな眼差しで眺めていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「……上手く行ったかの?」

「さて、どうだろうねぇ? 信じて貰えたとは思うけれど」

 

バーンとの話を終え、チルノを別室へと連れて行った後に、ザボエラたちは再び密会していた。議題は当然ながら先のバーンと交わした会話の内容についてだ。

一応、ある程度声を潜めて二人は会話しているが、そもそもこの部屋には外部へ会話が漏れないように工夫が施されている。

 

「じゃが、あの娘を隔離する羽目になるとは思わなんだわい」

「危なかったねぇ……一応、取り外しておいたよ」

 

そう言うとキルバーンは掌を見せる。

そこには、つい先ほどまでチルノの耳元を怪しく飾っていた一対のイヤリングがあった。

これこそが、先の会談にてチルノを自由に喋らせぬよう制限していた仕掛けの肝である。

 

このイヤリングを身に付けた者は、登録した相手以外の全ての音を遮断されるという効果がある。つまりコレを身に付けていたことで、あの時のチルノはキルバーンとザボエラ以外の会話は一切耳に入ってはいなかった。

 

加えて事前に彼女には「チルノ?」と名前を呼ばれた時には、その前の内容を肯定するように命令をしておいた。この二つの仕掛けによってバーンが命令しても耳に届くことはなく、キルバーンかザボエラがそれとなくサポートすることで彼らにとって都合の良い真実を作り出していた。

 

だが、キルバーンらが何かを尋ねても「はい」と肯定するだけでは疑われかねない。そのため時折どういう内容だったのかを尋ねることで、盲目的に肯定するだけの都合良く操られただけの存在ではないという印象も相手に与えていた。

そもそもバーンの超魔力に抗える者などまず存在しないという大前提が魔王軍の者たちには存在しているのだ。その前提条件の上でチルノの言動を見ていれば、おかしな点はないと判断してしまうだろう。

 

そうして準備を重ねたことで、二人は大魔王の真の正体を知らずにいると思わせていた。

そう、そこまでは上手く行ったと考えられた。

 

「しかし、今の状態では……下手をすれば全ては水の泡じゃ……」

 

問題は去り際、バーンが突然チルノに個室を与えると言ったことだ。

 

ゆっくりと休めるだけの部屋を用意する。

 

それだけ聞けば、普通にことにしか思えない。だがあの場でバーンが言い出したことが、猜疑心の表れなのではないかと考える。

加えて世話係の言うことを聞かねば不都合に思われるため、イヤリングは現在取り外してある。つまり、バーンの言葉を聞ける状態だ。そんな状態のチルノに改めて尋ねられれば、嘘が瞬く間に露見してしまう。

 

「それも大丈夫だと思うよ。もし本当に後日確認するつもりなら、あの時点で直接聞いていたはずさ」

 

だがキルバーンはそう考えることはなかった。

長年バーンの下にいるだけのことはあり、彼はバーンがどう動くかについてはザボエラよりもよく知っている。加えて大魔王としての矜持が邪魔をするため、もう一度尋ねるような真似をする可能性は極めて低いと判断していた。

 

「むむむ……まあ、確かに……もはやワシらにはどうすることもできん……こうなっては、残る策を成功させるよう全力を尽くすだけじゃな」

「そうそう、そのためにわざわざ勇者たちを引き込む作戦を進言したんだから」

 

ダイたちを大魔宮(バーンパレス)におびき寄せる。

バーンに進言したあの考えもまた、二人の計画の一部だ。最終目的としては、バーンもミストバーンをもダイたちの手で始末させるということで決定している。

 

ならばそのためにはどうすればいいか?

用意した筋書きが、それだった。ダイたちが大魔宮(バーンパレス)に攻め込む際に、チルノに先陣を切らせる。だがチルノが出てくれば、ダイはどうにかして正気に戻そうとするだろう。

その試みが成功したと演出してやるのだ。

イヤリングの効果によりバーンの命令もダイの声も聞こえなくした状態で、適当なタイミングで正気に戻ったように演技をさせる。

 

だがそれは当然見せかけ。

そうして大魔宮(バーンパレス)の奥深くまでダイたちを引き込んだところで、チルノを改めて人質として捕らえ、バーン討伐を命令するのだ。そのための仕込みは既に済んでおり、後は実現するだけ。

凍れる時の秘法についても、極大消滅呪文(メドローア)という切り札に加えて、未実証ではあるもののチルノに何か考えがあるという話は聞いている。最悪それらがダメだったとしても、まだ考えは残っている。

不死身の怪物を倒すことはできなくとも、戦場から遠ざけることは可能なのだから。

 

ミストバーンさえどうにかできれば、残るはバーンのみ。ダイたちがバーンが倒すのを見計らい、死神たちは逃げれば良い。そして魔界でザボエラの研究を再開して、改めて地上侵攻を行う。

 

それが彼らの考えた計画の概要だった。

 

「それでは、ワシも準備はあるのでな。そろそろ失礼させてもらうぞ」

 

ザボエラは自身の立場を鑑み、予め影武者を立てておくことを考えていた。策の最中、チルノが正気に戻ったと同時にザボエラの命を奪うことで、偽りの死を演出する。そうして身軽になった後は裏方に徹する予定だ。

そして彼の言う準備というのは、その影武者を用立てることに他ならない。

 

「上手く行くことを祈っているよ。それと、チルノはくれぐれも傷をつけないようにね」

「なんじゃ、もう本番の心配かの? わかっておるわ、大事な人質じゃからのぉ! キィ~ッヒッヒッヒッヒッ!」

 

――本当に、頼むよザボエラ君。

 

機嫌良く笑いながら去って行くザボエラの背を見ながら、キルバーンは胸中で独白する。

 

――何しろあの娘には、残ったもう一つの役割を期待しているんだから。

 

もう一つの役割、その可能性と実現した時のことを夢想し、愉しげに鼻を鳴らす。

 

だがキルバーンは気付くことはなかった。

彼は自身の正体を隠匿することを優先した結果、話を中途半端に切り上げてしまった。協力者として選んだザボエラにすら自身の正体を隠そうとしたため、勇者アバンは実は生存しているという人間側の最大級の切り札(ジョーカー)の存在を知る機会をみすみす逃してしまったことに。

 

 

 

 

 

「……バーン様! やはり私は納得ができません!!」

 

玉座の間に怒声にも似たミストバーンの声が響き渡る。感情を発露させている原因は、言わずもがな先のキルバーンの考えを承認したことに対する不満感からだ。

 

「そうムキになるな、ミストバーンよ」

 

対してバーンは平静そのものだった。

凪いだ海のように些かの感情も揺らすこともなく、大魔王は言葉を紡ぐ。

 

「余にも考えがあってのことだ」

「考え、ですか……?」

「そうだ。気付かなかったか? 奴らがあの娘に何やら細工をしておったのを」

 

平然と言ってのけられた言葉であったが、だがそれを耳にした途端にミストバーンは更に感情を昂ぶらせた。

 

「細工……ですと!? 馬鹿な、バーン様のお力に対抗するなど……」

 

バーンの力を誰よりも間近で、誰よりも長く見続けてきた彼にとって、そのような細工が出来るなど信じられることではなかった。

 

「対抗? いや、違うぞ。奴らがどのような手段を講じようとも、余の力には抗えん。その代わり、中々面白い手段をとっておったようだ」

 

それはバーンとて同じだ。ザボエラとキルバーンの二人掛かりであっても、あの短時間でバーンの魔法力を外部から無理矢理書き換えるような真似など決して出来ないと、そう確信するだけの自身があった。

故に別の方法を考え、それを確認するための罠を仕掛けていた。

 

「二人が去る間際、余が口にした言葉を覚えておるか?」

「確か……あの娘のために部屋を用意する、でしょうか?」

「間違ってはおらぬな。だが真に必要なのはその先よ……余はあの時こう言ったのだ、"身体を休めておけ、わかったな?"と」

「それが一体……?」

「もう忘れたか? 余がそう口にした時、返事をしたのは果たして誰であったかな?」

「……はっ!!」

 

そこまで言われ、ようやく気付いた。ミストバーンの反応に、バーンもまた満足そうに笑みを浮かべる。

 

「あの時、余はチルノに向けて命じたのだ。だが、返事をしたのはザボエラのみ。呪文(メダパニ)の影響下にあったのならば、チルノもまた返事をしていたであろう?」

「た、確かに……」

 

それは僅かなやりとりにすぎない。だが相手からすれば、騙し終わり安堵感からついつい出してしまった尻尾だ。ミストバーンですらそう言われてようやく気付けたのだ、ならば言われた方であるザボエラたちはこの罠に気付くことはない。

 

「つまり、あの時にチルノの耳には余の言葉が届いていなかったということだ。だが何故そのような真似をしたのか? なぜ偽りを口にする必要があったのか? キルバーンの立場を考えれば自ずとわかるであろう?」

「ヴェルザー……ですか」

 

返事代わりにバーンは僅かに首肯してみせた。

 

「ですが、どうして今になって……」

「ヤツは元々、余の命を狙うことが目的。大方、チルノの話から暗殺を実行に移すだけの算段がついたのであろうよ」

「算段が……それはまさか……!?」

「お前の正体と、預けていたものの秘密を知った。それが答えであろうな」

「ッ!!??」

 

最大の秘密が漏れたことに、ミストバーンは強い衝撃を受けていた。思わず蹌踉めき蹈鞴を踏む。

 

「そしてもう一つ、ザボエラも計画に噛んでいるようだ」

「……やはり、ですか」

 

キルバーンが知っていたという話の流れからある意味で予想通りであったとはいえ、感情はまた別の問題だ。ミストバーンは小さく「あのダニめ」と殺意を込めた言葉を吐き出す。

 

「彼奴は地上破壊計画の正体を知った上で、余の考えに賛同すると言った。確かにザボエラの性格ならばそう口にするであろう。だが同時に、多少なりとも未練を残そうともするはず……詰めが甘いわ」

 

先の会談を思い返し、含み笑いを見せる。だが落ち着き払った大魔王と反対に、ミストバーンは険しい様相のままだ。

 

「そのような場合ではありません! 知られた以上、即刻キルとザボエラの排除を!!」

「それも考えておった。だが、今動くのは少々面倒だと判断したのだ」

 

大魔王の真の姿が知られた以上、すぐにでも排除に動くには当然のことだ。だがバーンはそれよりも優先することがあると考える。

 

「彼奴らは計画が上手く行っていると思っておるだろう、ならば騙されたように見せかけておくのだ。その隙に奴らの動きを探れ。余を害しようというのだ、生半可な手立てではなかろう」

「……畏まりました」

「余とて、問題だとは思っておる。だが、全貌も見えぬまま対応を取れば却って面倒なことになるやもしれぬと判断した」

 

今や地上破壊計画の最終段階間近、ならば軽挙妄動は控えるべきかと判断したようだ。

 

「そしてもう一つ……ミストバーンよ」

「はっ」

「長年お前に預けていたものを、返してもらうことになるかもしれん。覚悟をしておけ」

 

腕を組み、もしもの可能性を見据えながらバーンは呟いた。

 

 

 

 

 

「……………………」

 

大魔宮(バーンパレス)に存在する一室。身体を休めるようにと命じられ、用意された部屋の中にて、チルノはただ何をするでもなく椅子に腰掛けていた。

部屋の外に最低限の見張りがいるだけ。室内にて控え、少女に注意を払い甲斐甲斐しく世話をするような者は誰もいない。部屋の中にただ一人いるだけ。

だが未だメダパニの影響から逃れられぬ彼女が、文句など言うはずもない。ただ与えられた命令に従うだけの人形のようなもの。来たるべきその時が来るまで、何ら変化は無いと誰しもが思っていた。

 

「キル、バーン……」

 

だがその予想は覆された。

一瞬だけだが、少女は怨嗟にも似た声を上げ、虚ろであったはずの瞳もまた強い意志を宿らせ、そしてすぐに元に戻る。

少女の変化に気付くものは、誰もいなかった。

 

 




誰だよこんな頭の悪い展開にしたの……
何のためにハドラーと親衛騎団を出したんだよ……
どうするんだよこの後……


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LEVEL:100 ジタバタしよう

Q.99話までには終わる予想と、ドラクエっぽさで話数をLEVEL表記にしたんですよね?
A.……はい。

Q.終わりましたか?
A.…………終わって、ません。

Q.何か弁明はありますか?
A.ディスガイアならまだ低レベルだからセーフだと思います!



「いたか?」

「いや……そっちはどうだ……」

「ううん、こっちも……」

 

死の大地に響く複数の声。だがその声色は、いずれも暗く淀んだ雰囲気を連想させるようなものだった。

さながら葬儀の途中で交わされる会話のように、喜色というものが一切感じられない。哀感だけが先走ったようなその声は、聞く側はおろか言う側の気持ちさえもゆっくりと沈ませていく。

 

声の主は、ダイたちであった。

ポップの瞬間移動呪文(ルーラ)によって、彼らは命からがらに窮地を脱することは出来た。だがそのおかげで、彼らは大魔王たちとの戦いがどうなったのか、その一切が分からなくなってしまった。

離れた場所から彼らが見ることができたもの。

それは、この世の全てを破壊しそうな程に強烈な閃光がぶつかり合い、大爆発を起こした光景。その後、地中よりバーンの城が浮上し、天高く飛翔していった光景の二つである。

 

幸いなことにというべきか、レオナが大魔宮(バーンパレス)が飛ぶということを知っていたことと、戦い気配の一切が感じられなくなったことから、彼らは再びあの激戦地に戻ってきていた。

 

目的は勿論、チルノとバランを探すため。

とはいえ、戦果については先の会話からもお察しであったが、それでもダイたちは諦めることなく、見通しの良くなった死の大地の探索を賢明に続けていく。

 

「まだあっちの方角は調べていなかったはずだ。可能性があるとすれば……」

「いや、気持ちはわかるけど……そろそろ時間切れみたいだぜ」

 

ヒュンケルがなおも捜索範囲を広げようと未探索の方向へと視線を飛ばすが、ポップがそれに待ったを掛ける。

 

「ほらあれ、見てみろよ」

 

そう言いながら指し示す方向には、船団の姿があった。ダイたちに遅れながら出発した彼らが追いついて来たのだ。第一隊は既に接岸を終え死の大地へと上陸しており、フローラ女王を始めとした部隊がダイたちへ向けて駆け寄って来ているのが見えた。

 

「さすがにあれを無視して捜索するって訳にもいかねぇだろ」

「そう、ね……」

「でも!」

「ダイ君、気持ちは分かるわ……でも、ここは堪えて頂戴……」

「…………」

 

一旦捜索を打ち切る。

そう言われた途端、ダイは弾かれたように叫んでいた。だがその感情は、レオナの悲痛な声によって抑えられた。

心配しているのは何もダイだけではない。この場にいる全員が――いや、遠く離れたフローラやメルルたちも同じ気持ちだ。それどころか、遠くに見えるフローラたちは何が起きたのかすら分からないまま心配だけが積み上がっている状態なのだ。

何が起きたのかを知るのはダイたちだけ。なのにその当事者たちが無視して捜索を続けるような無責任な真似など出来ようはずもない。

それを理解しているからこそ、ダイはグッと押し黙り、無言で頷いてみせた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「………………」

 

合流を果たしたフローラは、ダイたちの様子を一目見るなり、詳細を聞くこともなく一度船へと戻ることを宣言していた。着いて来た兵士たちは、驚きこそあれども女王の命とあっては不平不満を漏らすこともなく、素直に従う。

そしてダイたちもまた、彼女が何も聞いてこないことを疑問に感じながらも後に続いた。

 

人数が少ないことから、ダイたちに何かがあった事をフローラは直ぐさま看破していた。

ならば必要なのはどこか落ち着ける場所で何があったのかを詳細に確認することと、同じ失敗を繰り返すことなく次へと生かすための策を練ること。

そう考えての行動だったのだ。

 

だがそう考え、場所を船内の会議室に選んだは良いものの、着いたところでダイたちは重苦しいムードのまま誰も口を開こうとはしなかった。皆が皆、それぞれ譲り合っているような自ら率先して語ることを躊躇っているような、微妙なムードがダイたちには流れていた。

そんな気配を察し、フローラたちもまた切り出すタイミングを掴み損ねてしまい、どちらも口を開き難くなるという悪循環に陥っていた。

 

「あ、あの……」

 

だがその悪い流れを断ち切るように、遠慮がちに声を掛ける一人の少女がいた。

 

「教えてください、皆さん……一体、何があったのですか……? どうして、黙ったままなんですか!?」

 

声の主はメルルである。

彼女はチルノから預かったスラリンを肩に乗せたまま、ダイたちに何があったのかを意を決して尋ねていた。

 

「どうして……チルノさんがいないんですか……?」

 

チルノがいないのは一目瞭然なのだ。ならば彼女を慕う少女からすれば、今の状況はいてもたってもいられない。一刻も早く、安否を知りたいという感情が少女を突き動かしていた。

 

「すまない……なんと言えば良いのか、分からなかったのだ……」

「そう、よね……ごめんなさい」

「なんとなく、誰が言い出すべきか迷っちゃってて……」

「そこそこ上手く行ってたからな。なんだか言い出しにくくってよ……」

 

メルルの言葉を契機としたように、堰を切ったように――とまではいかないが、ポツリポツリと話を始めた。だがやはりまだ歯切れが悪いままだ。

 

「とりあえず、何があったかは私が話すわ。ただ、途中まで――」

「会議中、失礼いたします!!」

 

見かねたようにレオナがそう口にした所で、会議室の扉が力強くノックされ、焦ったような大声が聞こえてきた。

会議に割り込むようなこの行動は、一見すれば無作法そのものに見える。だがその実、会議に割り込んででも知らせる必要があると判断された、いわゆる火急の用件を伝えるためのものだ。

 

「どうしました?」

 

フローラはそのことを知っているため、特に罰することも咎めることもなく伝令の兵士へと声を掛ける。

 

「ダイ殿の仲間の方が合流しました! こちらへ案内しようと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「かまいません」

「はっ!」

 

短いやりとりを終え、兵士は姿を消す。

だがその短いやりとりを聞いて、沸き立つ者達がいた。

 

「仲間!?」

「それって、もしかして……!!」

 

一縷の希望に望みを託すかのように、ダイたちは顔を見合わせる。そうして兵士が戻ってくるのを今か今かと待ち続け――

 

「こちらです」

 

再びやってきた兵士に案内されて、会議室に一人が姿を現す。

 

「ありがたい」

 

その相手はバランであった。

 

「父さん!?」

 

バランの登場にダイは声を上げるものの、他の面々は沈黙を保ったままだった。いや、肉親であるダイですら、上げた声は驚きと期待外れな感情が混じったものだ。

 

「む……?」

 

何やら微妙――嬉しいことは間違いないのだが、ちょっとだけ違うとでも言えば良いだろうか――な空気を敏感に察知し、バランは思わず疑問の声を上げる。

 

とはいえ彼を責めるのは酷だろう。

チルノの話題を出していたところへ、まるで計ったかのように仲間がやってきたという報告である。当然、彼女が見つかったのかと思考が誘導されてしまっても、おかしな事ではない。勝手に期待しておきながら、勝手に裏切られた気分になっているだけなのだから。

付け加えるならば、バランがそう易々とやられるわけがないという無言の信頼の結果から、彼が来ることを予測出来なかったということも記しておこう。

 

「いいえ、何でもないの。むしろ、ナイスタイミングだわ」

「バラン様、ご無事で何よりです」

 

場の空気を引き締め直すようにレオナはそう口にし、ラーハルトは何食わぬ顔でバランの無事を喜ぶ言葉を述べる。

 

「父さん……姉ちゃんは?」

「……すまん」

 

恐る恐る尋ねられた息子の言葉に、父は首を横に振りながら言葉少なく答えた。

 

「そんな……!」

「ダイ君落ち着いて!!」

 

顔色を真っ青にしたところへ、レオナが強烈な檄を飛ばす。そうでもしなければ、ダイは今すぐにでも死の大地へと飛んでいってしまいそうに見えた。

 

「これからフローラ様たちに、死の大地で何があったのかを説明するの。だからバラン、貴方も教えて頂戴。私たちがルーラで逃げた後、何があったのかを……」

「承知した。だが、私も大したことは知らぬ。まずはそれを念頭に置いておけ」

 

まずはバランへと。続いてダイへと声を掛ける。

 

「ダイ君も、いいわね? 今はとにかく少しでも正確な情報を共有したいの」

「……うん」

 

まだ不安定にこそ見えるものの一先ずは大丈夫であろうと判断し、レオナは死の大地の戦いにて何があったのか、その一部始終を語り始めた。

彼女が語るのは、戦闘が始まってから何があったのかということ。そして、最終的に巻き添えを防ぐために瞬間移動呪文(ルーラ)で姿を消したところまでのことだった。

 

「――そこから先は、私の出番だな」

 

レオナの言葉の後を引き継ぐように、バランが口を開く。

彼が語るのは、ダイたちがルーラで戦場から姿を消した後のこと。そこで何が起きたかについてである。とはいえ彼自身もそこで知ったことは少なかった。

バランは最後に「強烈な余波に耐えきれず、吹き飛ばされた。はぐれてしまったが、ようやく合流できた」という事を告げて、一度話を締める。

 

「じゃあ、やっぱりチルノさんは……?」

「ピィッ!!」

「…………」

 

バランの言動から既に知ってはいたが、改めて行方が分からないという事実を告げられ、メルルとスラリンが絶望したように言葉を吐き出した。ダイもまた深い消沈の色を見せおり、無言で俯いたままだ。

そんな反応を横目に、バランは新たな話を切り出す。

 

「それと、ここからは私見――だが、限りなく正解に近いだろうことを言わせて貰う」

「バラン様、それは一体……」

「チルノが何故竜になり、暴れたかについてだ」

「……ッ!?」

 

あまりにも突拍子もない切り口に、この場にいた全員が瞬時にバランを凝視する。視線の集中したことを確認しながら、バランはゆっくりと続きの考えを口にし始めた

 

「結論から言おう。テランにて、私が紋章の共鳴を利用してディーノの記憶を揺らしたことがあっただろう? 原理としてはそれに近いもののはずだ」

「あれ、か……」

 

それは当時者たちにとってはなんとも苦い事件である。ポップらはおろか、バランすらも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

「あの時、大魔宮(バーンパレス)へと続く通路で戦った際には私、ディーノ、ハドラーと竜闘気(ドラゴニックオーラ)を操る者が三名もいた。私とディーノの竜闘気(ドラゴニックオーラ)だけならば耐えられていたかも知れぬが、そこにハドラーの操る殺気が籠もった闘気を叩きつけられては、未熟なチルノでは到底防ぎきず、暴走したのだろう」

 

本来ならば一人しか存在し得ぬはずの(ドラゴン)の騎士――だが当代ではバランとダイという例外が起こり、さらには紋章こそ持たぬもののハドラーという超特殊な例外までもが起こった。

その結果、三人分の強烈な竜闘気(ドラゴニックオーラ)に影響を受けて許容量を超えた事が暴走の原因であると推察していた。

だが、その考えには当然のように待ったが掛かる。

 

「待て! それではチルノが竜闘気(ドラゴニックオーラ)を宿していると言っている様なものだぞ!?」

「そう聞こえているのならば、クロコダインよ。お前の耳は正常だ」

「何……っ!?」

「正確には(ドラゴン)の騎士を真似た何かをその身に秘めている。私はそう判断した」

「ええっ!?」

「事実、あの場で竜魔人に変身したおかげでよりはっきりと分かった。さらに、竜となったチルノは竜闘気(ドラゴニックオーラ)に反応していたのだ。つまりあの竜こそが、その正体なのだろう」

「で、でもそんなことって……」

 

マァムが否定する材料を探すように呟くが、だがバランは一歩も譲ることはない。

 

「あの娘の出自を忘れたか? この世界には存在しない特殊な力を持ち、ディーノが(ドラゴン)の騎士であるということを知っていたのだ。だが、自らが竜へと変じることが出来るなど一言も口にしなかったのだ。ならば、無意識のうちに竜を宿していた。それが真相であろうな」

 

続いてメルルを――いや、正確には彼女の肩に乗るスライムへと視線を向ける。

 

「それと、そのスライムも証拠の一つだ」

「ピィ?」

 

注目の集まったスラリンであったが、本人は理由もわからず鳴き声を上げる。

 

「コイツは一度、私に向けて炎を吐いたことがあっただろう」

「あー……そういや……」

「え、そんなことがあったの?」

「マァムは知らねぇだろうけどな。あっ! そういやマトリフ師匠もそんなことを言ってたような……そんときは師匠の与太話だと思って聞き流してたけどな」

 

これもまたテランでの話である。その場に不参加であったマァムの疑問に答えつつ、似たようなことがあった事をポップは思い出していた。

 

「でもよ、スライムが炎を吐いたからってなんなんだ? 確かに、変だとは思うけども」

「炎を吐く。それこそが証拠なのだ。ただのスライムならば、そのようなことは起こらん。だが、スライムの中には環境や他者の影響によって性質を変える場合があるのだ」

「……つまり、チルノの中の竜の影響を受けた結果、火を吐けるようになったということか?」

 

ヒュンケルの言葉に、バランは一つ首肯してみせた。

 

「おそらくだがな。バブルスライムやキングスライムも仲間のようなものだ。魔界にはそれ以外にも、羽根の生えたスライムなど見た目はスライムに似ているが全く別の力を持つ者もいる」

「じゃあコイツも、そのうち竜みたいな姿になるのか?」

「ピィ?」

「かもしれん」

「ピイィ♪」

「だが、一代で見た目が変化するということは聞いたことがない」

「ピイィィ……」

 

一瞬、竜のような姿になれるかもしれないという期待にご機嫌な鳴き声を上げるが、すぐにバランの言葉によって落ち込んだ声に変わる。

 

「そもそも、私を驚かせるほどの炎を吐けるようになっているだけでもまずありえんのだ。逆に言えば、それこそが長期間に渡り、強い竜の影響を受け続けていたということ。チルノの中に、幼い頃より竜が眠っていたことの証の一つといえるだろう」

「あっ!! そういえば!!」

 

スラリンの話を聞きながら、頭の片隅に引っかかっていた何かを思い出そうとしていたマァムであったが、ようやく思い出したように大声を上げる。

 

「なんだマァム!? どうした!?」

「ずっと引っかかっていたのよ、スラリンのこと!! ほらポップ、忘れたの!? ロモスからパプニカに向かう途中の事!!」

「え? えーとその途中は……」

 

口で言われ、ポップもその時の事を記憶の奥から引っ張り出す。

 

「っても、その時はデルムリン島に寄ったくらいだろ?」

「そうよ。あの時、スラリンが着いていきたいってワガママを言っていたでしょ? で、チルノが凶暴化しなければ着いて来てもいいって条件を出して……」

「ああ、そういや……って、そうだぜ!! なんでコイツ、暴れてねぇんだ!? って話になって……!!」

「ピィ?」

 

ほんの三ヶ月にも満たないほど前の事なのに、懐かしさすら感じるやりとりのことを思い出し、そしてスラリンが何故無事なのかの理由を気にせぬままにいたことに気付く。

 

「そう言われれば、そうだったな。あまりにも当たり前にいたので、つい忘れていた」

「ええ、それがずっと気になっていたのよ。でもその原因も、もしかしたら……!!」

 

クロコダインの言葉に頷きながら、マァムはあの時には分からなかった理由についても、同じ事なのだろうと推測を述べる。

 

「なるほど、それもまた証拠の一つだろう。大魔王の暗黒闘気すら跳ね返すほどの強烈な力……いや、存在感とでも呼べばよいのだろうか?」

 

自身の知らぬエピソードを聞かされ、だがそれもまた十二分にあり得ることだとバランは太鼓判を押した。

 

ついでに言えば――バランでは決して分からぬ事例なのだが――本来の歴史では凶暴化していたはずのデルムリン島中の怪物(モンスター)たちが、この世界では抗うように必死で耐えていたのも、彼女の影響の一つである。

未完成ながらも竜王バハムートをその身の内に宿した少女の影響を受けていたのだ。圧倒的な強者の気配によって喝を入れられ、ギリギリのところで耐え続けていたというのが真相である。

スラリンの場合は、その影響を人一倍間近で受け続けていたということと、変質しやすいスライムであったことが幸いした結果である。

 

「なるほどな……チルノの中に昔から竜がいた。その竜は(ドラゴン)の騎士を参考にしたものだってことはわかったよ」

 

バランの推論とそれを裏付ける出来事を聞かされ、ポップは一通り納得したように呟く。

 

「でもよ、それだったらテランの戦いの時に暴走してるんじゃねぇのか?」

「うむ、そうだな……殺気を契機としているのならば、あの時のバランは充分に条件を満たしているのではないか?」

 

その上でなお分からない点を上げ、ヒュンケルが追従するように疑問を口にする。だがバランにとってはそれもまた想定の範囲内の疑問であった。

 

「かもしれんな。だが、忘れたか? テランで私がチルノに何をしたか」

「……そうだわ!! 竜の血!!」

 

少しの思考時間の後、レオナが一つの事実に気付く。それはバランが考えた事と同じものであった。

 

「ああ、私も同じ事を考えた。あの血を与えたことが、内に潜む竜が姿を現す要因となったのだろうな」

 

あくまで推論――その事、明確に的を射た考えなのだが――を聞き終え、一同は再び閉口していた。予想もしていなかった、だが違うと否定するには根拠の強い内容に、それ以上なんと言って良いのかが、分からないのだ。

だが、ただ一人だけ、そんなことは意に介さない者がいた。

 

「……でも、それがわかったからって、どうなるのさ……」

「ダイ、様……?」

「こうしている間にも、姉ちゃんは……もしかしたら、姉ちゃんはもう……そう考えると、ホントはジッとなんてしていられないんだ!」

 

ダイだけは、違っていた。そんな理由を考えるだけの時間があるのならば、今すぐにでも外に飛び出して姉の捜索を再開したいと強く願っていた。時間が経てば経つほど、最悪の考えが彼の脳裏へと色濃く刻まれていく。

焦燥感が強くなるにつれ、今にもこの場から文字通り飛び出していきそうなほどだ。

 

「わからんのか、ディーノ?」

 

興奮したようなダイの言葉を耳にしながら、バランは息子を諭す様な口調で問い質す。

 

「もしも、再びチルノと出会えたならば、今度は正気に戻す方法があるということだ」

「……っ!!」

 

それはダイからすれば寝耳に水の言葉。同時に、どうしてその程度のことも気付かなかったのだという強い自責の念が彼の中に押し寄せていく。

 

「まだ死したと決まったわけではない。亡骸を確認したわけでもない。可能性がほんの少しでもあるのならば、それを信じて探し続けろ……私はあの娘にそう説かれたぞ。なのに何故、お前が信じてやらん? 世界中の誰もが否定したとしても、お前だけは信じねばならんはずだ……違うか、ディーノよ?」

「あ……」

「そして、未だチルノは自身の中の竜を制御できずにいるやもしれん。ならばその時こそ、お前が救ってやらねばならんのではないのか? それとも、その大役をお前は別の者の手に委ねても良いというつもりか?」

 

バランの言葉に導かれるように、ダイの顔色に赤みが差していく。新たな希望を見つけたといわんばかりに表情を輝かせていく。

 

「そうだよ! ごめん、父さん。おれが馬鹿だった」

「……気にするな」

 

息子の言葉に父は言葉少なくそう応じる。

そして、影響があったのはダイばかりではない。

 

「あの、私……チルノさんの居場所を占ってみます!」

 

ダイに続けとばかりにメルルが顔を上げた。

 

「本当!?」

「大丈夫なの……? チルノがどこにいるかも分からないのに……」

「わかる、かもしれません。それに、時間も掛かると思います。でも、きっと大丈夫ですよ」

 

不安そうな仲間たちの言葉を受けながらも、メルルは未だ自信なさげに、だがはっきりとそう言い切った。

 

「何よりスラリンさんがいますから」

「ピィ?」

「先ほどのお話が事実なら、スラリンさんはチルノさんの影響を大きく受けているんですよね? だったらきっと、スラリンさんが導いてくれるはずです!」

 

肩に乗ったままのスライムに手をやりながら、根拠を口にする。彼女もまた、バランの推測は概ね間違っていないのだろうと信じており、であればスラリンを通じてチルノの居場所や今の状態を知ることができるかもしれないと考えたからだ。

失せ物探しなどとは違って人捜しの場合、捜す相手と関わりのある人物――例えば親子や兄弟など――がいる方が成功率は高くなる。そのため、ダイやバランよりも、最も影響を受けたはずのスラリンとの繋がりに賭けることにした。

そして、いずこからか水晶玉を取り出すと占いへと集中を始める。

 

「それじゃあメルルは占いに集中してて。結果を待っている間に、私たちはこれから先のことについて話をしましょう」

 

結果が出るまでの空いた時間を、ただ待っているのは勿体ないとばかりにレオナが声を上げた。とはいえ、突然のその申し出にダイたちを含めて多くの者たちが呆然と彼女を見る。

 

「時間は有限なの! もしかしたら、こうしている間にも大魔王が私たちを倒すべく襲いかかってくるかもしれないのよ!」

「まあまあレオナ姫。気持ちは分かりますが、そう興奮しても仕方ありませんよ」

 

気持ちを落ち着けさせるようにレオナの肩に手を置き、フローラが彼女の隣へと並ぶ。

 

「まずは、皆さんに同じ知識を与える必要があるでしょう」

「えっ……!! で、でもそれは……」

「いえ、こうなっては仕方ありません。特に、ここにいる皆さんには知る権利があると思っています」

 

フローラの言わんとしていることを理解してレオナは驚きを見せるが、彼女の意志は固かった。毅然とした態度でそう断言すると、ダイたちへ向けて居住まいを正す。

 

「これから皆さんには、世界会議(サミット)の席でチルノさんが私たちだけに話をしてくれた――あなたたちには、士気が下がることを考えてあえて話さなかった事について、お話します」

 

その前置きと共に、フローラは残る未来の話――チルノが敢えて語らずにいたことを、全員に向けて語っていった。彼女の知る歴史ではここでバランが力尽きることから始まり、如何にして大魔王バーンを倒したのかまでを。

 

双竜紋(そうりゅうもん)……まさか、そのような力があったとは……」

 

話を聞き終え、誰もが息を呑む中、まず口火を切ったのはバランだった。そして、その一言に過剰に反応した者がいる。

 

「バラン様、まさか……!?」

「落ち着けラーハルト。そのような事は考えてはおらん……いや、必要とあれば我が命を捨てることも辞さぬ覚悟ではあるが……」

 

自らの命を絶つことで、ダイへと(ドラゴン)の紋章を引き継がせるのではないか。

そんな可能性を不安に思ったラーハルトの言葉であったが、だがバランはその可能性を自ら否定する。そして一瞬だけホルキンスへと視線を向けると、続く言葉を紡ぎ始めた。

 

「そのようなことをすれば、死後になんと言われるか分かったものではないからな」

「……フッ」

 

冗談めかしたバランの言葉を、ホルキンスは鼻で笑ってみせることで応じた。

 

「あの……よろしいでしょうか?」

 

歴戦の勇士たる二人が言葉なく通じ合っているところへ、メルルが遠慮がちに割って入ってきた。だがそれは待ちに待っていた報告である。

 

「メルル!」

「どうだったの!! 結果は!?」

 

吉報となるか、それとも凶報となるか。ダイたちはメルルを囲むようにして集まり、次の言葉を待つ。

 

「はい、見つけました……チルノさんがいるのは……ここです……」

 

そう言ってメルルは水晶玉を見せる。そこに映し出されたのは、今なお天空を翔る大魔宮(バーンパレス)の姿であった。

 

「これは……!!」

「大魔王バーンの城!!」

「じゃあ、まさか……!?」

 

さすがは死の大地へと攻め込んだ者たちというべきだろうか。彼らは映し出された光景を見た途端、それが何かを瞬時に理解し、続いて水晶玉にそれが映し出されている意味を悟る。

 

「はい……このお城中にいるのは間違いありません。それに、反応があった以上は生きているのも間違いないかと……ただ、相手の力がとてつもなく強く、中の様子を覗き見ることまでは……」

 

肩を落とし、本当に申し訳なさそうにメルルはそう呟いた。

 

「ううん、全然そんなことないよ。ありがとうメルル!!」

「そうそう! 私たちじゃ居場所すら分からなかったんだもの! 文句なんてあるわけないわ!!」

「ええ、みんなの言う通りよ! じゃあ次は、その情報を前提として作戦を考えるわよ!」

 

だが仲間たちにとってみれば、彼女の見たそれは朗報以外の何物でもなかった。ダイが感謝の意を伝え、マァムが皆の気持ちを代弁するかのようにメルルの手を強く握りしめる。そしてレオナはこの情報を生かすべく話し合いを再開させた。

 

だが――

 

瞬間移動呪文(ルーラ)で直接乗り込むのは不可能だったか?」

「ああ、結界が張られている。そもそもオレたちの中で大魔宮(バーンパレス)へ行ったことのある者はダイたちくらい、それも外周部分だぞ? まともに行けるとは思えん」

「じゃあやっぱり……ミナカトールだっけか? それを契約しに行けばいいのか?」

「でもあれは設置するタイプの呪文よ。今みたいに空を飛び回っている相手に頼りになるとは思えないわ」

「む……オレたちが人質になっていれば……」

「今さらそれは言いっこなしだ」

「だが実際どうする? 」

「敵の動きがもう少しはっきり分かればいいんだけど」

「本当ならピラァを落とすってことだけど、私たちは全員生きているし……予定通りに行くとはちょっと考えにくいわね」

「最悪の場合、私が竜魔人となって大魔宮(バーンパレス)まで直接お前たちを運ぶことになるかもしれんぞ?」

「妙案かもしれんが、理性は持つのか? 運んでいる途中で殴られるのは御免だぞ」

「ダイ以外はまともに辿り着けんだろう。ならばいっそ、ダイとバランの二人でチルノの救出だけをしてくるというのもありかもしれんな」

「それを大魔王が見過ごすとは思えん」

「ミナカトールではないが、破邪の洞窟に行くってのは悪くないかも知れん。今から全力で潜っていけば、何か有用な呪文の一つでも覚えられるやも」

「なるほど……それは一理あるかもしれませんね」

「オレは反対だな。下手にジタバタしてバーンたちに即応できなくなるのは困る」

 

――会議の内容はまさに喧々囂々(けんけんごうごう)といった有様だった。

 

なまじ知識を増やしたことが仇となってしまったのか、皆は思い思いに考えを口にし始めていた。そのいずれもが有用ではあるが、大魔王を相手にするには心許く、妙案と呼ぶには遠い。そんな意見ばかりである。

誰もが真摯に未来のことを考えてはいるものの、頭の中は次第に熱を帯びていき煮詰まっていく。誰かが一声掛け、一度自体の収集を図ならねばならないだろう、その時だ。

 

「ノンノン、ダメですよ皆さん」

「え……?」

「この、声は……」

 

突如、聞き慣れぬ声が響き渡った。今まで聞いたことのない声、だが一部の者たちにとっては決して忘れる事の出来ぬ声を耳にし、議論を忘れて周囲を忙しなく見渡し始める。

やがて――

 

「ジタバタするしかない以上、我々は思う存分ジタバタしましょう」

 

会議場内にアバン=デ=ジニュアール3世――かつての勇者アバンが姿を現した。

 

 




「ジタバタするしかないなら、ジタバタしましょう」
って言いながら登場させたかったんです。


……(獄炎の魔王 1巻読み中)……

レイラさん……若い頃は随分とヤンチャだったんですね……
あんな格好しちゃって、あらやだまったく(悶)


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LEVEL:101 六つ目の証

お団子、狩り、お団子、採集、お団子、おだんご、オダンゴ……


「……おや、どうしたんですか皆さん? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「……っ……ぉ……!?」

 

不意に会議場内へ、文字通り湧いて出てきたアバンの姿に、一同は騒然と――いや、逆に静かになっていた。

悲鳴なり驚愕なりといったリアクションを取ればまだ可愛げがあるのだが、どうやら人間、驚き過ぎると声も出なくなるらしい。

アバンの顔を知らぬ者は突然現れた男の姿に警戒を見せるが、ダイたちの様子から彼が知り合いであることをなんとなく察し、それでも視線を切ることはなかった。反対にアバンの使徒の面々やフローラたちカールの軍勢に到っては、目を丸くしたまま信じられない者を見るような目でアバンの事を凝視する。

 

「おや、皆さん。どうしました? ここ、笑うところですよ? ……ひょっとして、詰まらなかったですか?」

 

そして、その場にいる全ての者達からの視線を一身に受けているにもかかわらず、当の本人たるアバンはそんなことはまるで意に介していなかった。

むしろ先の発言に対して誰しもが無言のまま、反応が無いことを気にしているようだ。

 

「むむ……やはり一度使ったネタですからねぇ。どれだけ良質なネタでも新鮮味が薄れるとウケが悪くなるものなのでしょうか……? どう思いますかポップ?」

「へぇっ!? そ、そうっすね……なんせおれは初めて聞いたんで……って、そうじゃなくて!!」

 

無反応であることの原因がネタの使い古しであるのかと思い、アバンは弟子の一人に意見を求める。話を振られたポップは戸惑いながらも感想を口にしようとしたところで、そんなことを言っている場合ではないと気付き叫んだ。

 

「あんたは先生、なのか……!? いや、そんなはずはねぇ!! どうせロモスの時みたいなオチが待ってるに違いねぇんだ!!」

「そう、かも……でもこの感じは……」

「おお! なかなかグッドなノリツッコミですよ。(二重丸)をあげましょう」

 

かつてロモス城でのクロコダインとの戦いの折りに痛い経験をしていたためだろうか。ポップは目の前のアバンを偽物だと決めつけ、疑うことはなかった。

マァムもまた、ポップと同じ経験をしていたために懸念こそしているものの、それを完全に拭い去る事は出来ずにいた。武闘家としての修行によって闘気を感じられるようになったことと、かつての僧侶としての修行によって(よこしま)な気配を鋭敏に感知できるようになったことで、ある程度見抜けるようになっていたらしい。その感覚が訴えるのだ。このアバンは邪悪な者ではない、と。

そして当のアバンはといえば、ポップから敵意を向けられているものの、先ほどの反応に気を良くしたのか上機嫌になっていた。そのなんとも場違いな言葉に気勢が削がれていくのがわかる。

そして、彼らのやりとりに触発されたのか、残る者たちもまた動き出した。

 

「アバン……なのか……!?」

「いや、それよりも貴様、いつどうやってこの部屋に入ってきた!?」

 

ヒュンケルは目の前の相手がアバンだと半ば確信しているものの、どうにも信じ切れずにいるようだ。償いこそしているものの、かつて自身がしてきたことを思い返せば、面と向かうのに少々抵抗がある、といったところだろうか。

そしてバランは、突然現れたことに疑いを隠せずにいた。なにしろここには地上でも指折りの強者たちが集っている。幾ら会議に集中していたとはいえ、その全員の目を掻い潜って部屋に入るなど易々と出来るものではないからだ。

 

「待ってみんな!」

 

剣呑とした雰囲気が漂い始めた事を察してか、レオナが声を上げた。その言葉にバランたちの殺気が少しだけ収まる。

 

「さっきの言葉、あったでしょう? アレは十五年前……先生がハドラーと戦っていた頃に言ったものなの」

「む?」

「は……? なんだと?」

 

続いて彼女の言葉の内容を耳にして、動きが完全に止まった。

 

――ジタバタしましょう。

 

その言葉は、かつてカールの重鎮たちに向けてアバンが投げかけた言葉であり、そしてつい先日、世界会議(サミット)のために各国の指導者たちがパプニカへと集まった際、チルノがフローラへ向けて口にしていた言葉でもあった。

レオナがその言葉を聞いたのは、二度目の時――すなわちフローラからアバンを語るエピソードとして聞いた時である。そしてこの話を知るのは、その場に居合わせた者たちくらいのものだ。

 

「それを知っているということはアバン先生本人、かもしれないわ……」

 

だがそこまで説明して、レオナは最後の最後でほんの少しだけ不安になっていた。

かもしれない、と言葉尻を弱気にしてしまったのは、前大戦の際のエピソードを耳にする機会が魔王軍の手の者にもあったかもしれないという可能性に気付いてしまったからだ。とはいえその可能性は低いと見積もってはいるのだが、今は大事な時である。

不確定要素は可能な限り避けたいと思ってしまっても仕方ないことだろう。

 

レオナの言葉を聞き、アバンは頬を掻きながら遠慮がちに口を開いた。

 

「あー……ひょっとして私、疑われていたんですか? なるほどなるほど……」

 

周囲の様子を改めてじっくりと伺い直し、ある人物(・・・・)の姿が見当たらないことを確認したところで、アバンはようやく合点がいったとばかりに独り言のように呟き、続いて手をポンと打ってみせる。

 

「では、もう一つ証拠をお見せしましょう。いきますよ……トヘロス!」

 

そして言うが早いか、呪文を一つ唱えた。途端、ダイたち全員の身体が穏やかな光に包まれる。

 

「こ……これは……」

「まるで光の結界の中にいるようだ」

 

有無を言わさず呪文の標的となったことに文句の一つでも言おうとした者もいたが、その言葉を飲み込んでしまうだけの柔らかさがあった。温暖な気候の昼下がり、木漏れ日を浴びているような、そんな穏やかな感覚が呪文を受けた者たち全員に湧き上がっていた。

 

「こんな感じでいかがでしょう?」

 

全員がトヘロスの呪文の効果を感嘆したように見入っているところを見計らい、アバンは少々得意げな表情と共に尋ねる。その問いかけに答えたのはバランであった。

 

「なるほど、考えたものだな」

「ありがとうございます」

 

たった一言の言葉であったが、それだけでアバンは満足したように笑う。バランが何を言いたいのか、詳細に説明せずともきちんと理解しているということだ。

だが、それだけでは理解が及ばない者も当然いる。

 

「バラン様はこの呪文をご存じで?」

「ああ、聖なる結界を張り敵を押さえ込む――いわゆる破邪の呪文に分類されるものだ。邪悪なる者では使うことが出来ぬ。つまり、この男は少なくとも魔王軍の手の者ではないということだ」

 

ラーハルトの質問は、呪文の詳しくない者たちにとっても知りたいことであった。

バランはそういった者たちに気を遣うかのように呪文の効果を端的に説明し、アバンが邪悪なる者ではないことを証明してみせる。

 

そして、バランの説明を聞き終え、いち早く反応したのはフローラであった。

 

「破邪の呪文を扱える……それはつまり……では、やはり貴方は……!!」

 

彼女は、感極まったような声を上げた。とはいえそれも仕方ないだろう。

なにしろ予期せぬタイミングで唐突に思い出深い言葉を述べながら、前触れもなく姿を表したのだ。

心の準備をしておけといった以前の問題である。

そもそもフローラは、アバンの死を受け入れてすらいた。未来の知識を知るチルノですら助ける事が出来なかったのだから、仕方ないことと割り切っていた。

だがそれも表面上のこと。

どうしてもアバンの死を受け入れきれないという気持ちが彼女の中に燻り続けていた。もしもアバンがここにいれば、という想いを捨てきれずにいた。

 

そこへ来て、戦況が悪く傾きつつあるところでアバン本人の登場である。フローラの驚きはいかほどのことだったろうか。

当初こそ、女王としての責任もあって素直に信じられずにいたが、それもアバンが破邪の呪文を使ったことで疑いは完全に晴れる。

 

「……っ……!!」

 

――アバンが生きていた!!

 

感情の昂ぶりが限界に達し、声にならない声を上げながらフローラは意識を失う。

 

「おっと危ない」

 

さながら糸の切れた人形のように力なく倒れかけた彼女であったが、まるで事前に知っていたかのように――実際、チルノから聞いて知っていたのだが――アバンは彼女のことを優しく抱き留めた。

 

「アバン……本当に、本当に貴方なのですね……? これは夢や幻術の類いでは、ないのですね……?」

 

肌で感じる力強い腕の感触と暖かな温もりによって自らの意識を取り戻したフローラは、感涙で滲む視界に映る相手へ目掛けて、一言一句を確認するかのように声を掛ける。

 

「ええ、勿論です。随分と心配を掛けたようで、申し訳ありません」

「アバン!!」

 

彼女の投げかけた全ての疑問を肯定するかのように、アバンは大きく頷きながら柔らかな笑顔を見せた。それだけでフローラの感情は再び頂点へと達し、だが今度は意識を失うような無様な真似をすることはなかった。代わりに、アバン目掛けて力一杯抱きつくとその胸元へと顔を埋める。

 

しばしの間、フローラの嗚咽の声だけが室内に響いた。

 

 

 

 

――数分後。

 

「……お恥ずかしいところをお見せしてしまい……皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 

顔を真っ赤に染めながら頭を下げるフローラの姿がそこにはあった。

皆、アバンがどうして生きていたのか、今まで何をしていたのか等々それぞれ――特にダイら弟子たちは――聞きたいことや話したいこと、言いたいことが山ほどあったのだが、フローラのことを慮り、何も聞かぬまま彼女が落ち着くのを待っていた。

正気を取り戻した彼女が開口一番に口にしたそれは、仲間たちに気を遣わせてしまったことに対する謝罪と感謝の言葉でもある。

 

「いえ、フローラ様に非はありません。悪いのは全てこの男です。何しろ生きていたというのに、今まで連絡の一つ寄越さずにいたのですから」

「あははは、相変わらず厳しいですねえ……」

 

だがその言葉に口を挟む者がいた。

彼はアバンを強く睨みながら言葉を放ち、アバンはその言葉に苦笑いで応じる。数秒ほどその拮抗が続くと、やがてどちらからともなく表情を軟化させた。

 

「アバン……生きていたのだな」

「ホルキンス……あなたも無事だったんですね」

 

アバンが生きていたことを喜んでいるのは、フローラばかりではない。彼はカール王国の産んだ勇者であり、騎士団に所属する者であれば大なり小なり尊敬の念を抱いている。

そしてそれは、ホルキンスも同じだ。

かつてハドラーとの大戦の折り、ホルキンスは新米騎士の立場でこそあったものの、その存在は知っており、アバンと肩を並べて戦ったこともあった。

やがて、世界が平和になってからも彼らは顔を合わせる機会もあったため、互いに人柄を知る関係でもある。

キツい物言いも旧知の間柄だからこそだ。

 

「ああ、色々と死に損なってな……こうして今も生き恥を晒している」

 

互いに生きていたことを喜ぶが、ホルキンスからすれば彼の命は多くのカール騎士たちの犠牲によって生きているようなものであり、素直に喜ぶことも出来ずにいた。

 

「あなたがここにいる……ということは、どうやら私が知っていることと色々と食い違いが生まれているみたいですね」

 

だがアバンにとってみれば、ホルキンスが生きているということはまた別の意味を持ってくる。

 

「どういうことだ?」

「そう焦らなくとも、お答えしますよ」

 

訝しげに尋ねるホルキンスに対して、アバンもまた真剣な表情で答える。チルノから教えられた未来の知識との剥離、まずはそこを埋める必要があると考えたからだ。

 

「ですがそれを話すにも順番というものがあります。まずは私がどうして生きていたのかを。そして、私が今まで何をしていたのかを教えてましょうか」

 

そう前置きをすると、アバンはデルムリン島でのハドラーとの戦いの終盤、メガンテを唱え終えたところから語り始めた。

 

カールの守りの存在によって一命を取り留めたこと。

チルノに助けられ、随分と早く復活できたこと。

そしてチルノから未来の知識を教えられ、短い期間ではあったが彼女を鍛えていたことまでを話す。

 

「そっか、姉ちゃんがデルムリン島に残ってたのは、先生を助けるためだったんだ」

「ええ、そういうことです。色々と相談しましたし、ダイ君よりも短い間でしたが色々と修行もつけました」

 

そこまで話し終えた所で、口を挟んだのはダイであった。自らの出立の際の出来事であるために関心も高かったようだ。その頃を思い出すような口調のダイに追従するように、アバンもまた頷いてみせる。

 

「もう皆さんもご存じかも知れませんが、彼女は色々と出来るそうですからね。短い期間でしたが、可能な限り詰め込ませていただきました。中々楽しい時間でしたよ」

「短い期間……って、おれたちが島を出てからロモスに付くまでの間でですか?」

「いえいえ。私も自分の役割を果たそうと思っていましたので、その半分くらいの時間ですね」

「…………」

 

平然と答えるアバンの言葉に、ポップが思わずあんぐりと口を開けていた。逆算すればそれはほんの数日であり、再会した時の強さから考えるにどれだけ多くのことが行われたのかが彼にもなんとなく見えたからだ。

 

「さて、思い出話に花を咲かせたい気持ちは私にもありますが、話を先に進めさせて貰いますね。まずは互いの状況と情報を共有しておきませんと」

 

コホンと咳払いを一つして後ろ髪を引かれそうな思いを払う。

 

「では、続きです。傷を癒やし、デルムリン島を出発した私が何をしていたかについて、お話しましょう」

 

次に語られたのは、アバンが島を出てから何をしていたのかについてだ。とはいえこれは列挙すれば非常に単純。

 

マトリフの元へ行き後を託したこと。

破邪の洞窟へ挑み続け、自身を鍛え上げていたこと。

輝石と聖石を生成し、シルバーフェザーとゴールドフェザーと呼ばれるアイテムを用意したこと。

そして、深部で破邪の秘法と呼ばれる秘術を会得し、一通りの挑戦を終えたことで少し前から地上に戻っていたことまでだ。

 

「破邪の洞窟、ですか……アバン、あそこは未だ底が何階かすら分からぬ場所なのですが、一体どこまで……」

「およそ二ヶ月で、地下百五十階といったところです」

「ひゃく……っ!? そんなに深くまで、だと!?」

 

カール王国の領内に存在することもあってか興味をそそられ、フローラが思わず尋ねる。するとアバンは自身の成果を平然と答え、その前人未踏たる深さを耳にしてホルキンスが声を上げた――いや、よく見ればカール勢は皆が一様に驚いている。一番驚きの声を上げたのが彼だと言うことだけだ。

 

「ええ、とはいえチルノさんから聞き及んだ決戦にはまだ時間がありましたからね。もっと深くまで潜ることもできたのですが……やることがありましたからね」

「やること、ですか? それは一体……」

「お話したいのはやまやまですが、それはまた後でのお楽しみということで……」

 

一体何をやるのかとフローラが尋ねるが、アバンは内緒とばかりに人差し指を立て、自身の口へと当てると、コホンと一つ咳払いをする。

 

「さて、次はそちらの番ですよ」

「こっちの、ばん??」

「ええ、そうです」

 

ダイが何を言っているのか分からないという顔を見せると、アバンは真摯な表情で頷く。

 

「聞かせていただけますか? 私が身を隠している間に何があったのかを」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ふむふむ、なるほどなるほど……」

 

アバンが身を隠していたその頃、ダイたちは今まで何をしていたのか。

長い話ではあったがその一部始終を聞き終えた彼は、感心したように呟きながら自身の中で耳にした話の内容を反芻し、吟味しなおす。

そして師として愛弟子たちに何を言うべきだろうかと逡巡し、やがて第一声はこれしかないと決断すると口を開いた。

 

「まずは、ダイ君!」

「は、はい!!」

 

彼らしからぬ程に強い口調で名前呼ばれ、ダイは思わず背筋を正して返事をする。だがアバンはダイの名を呼んだまま、しばらく無言であった。果たして次に何を言われるのか、一瞬とも無限とも思えるほどに緊張した時間が流れた後、アバンは破顔した。

 

「……ご結婚、おめでとうございます」

「へ……っ?」

 

満面の笑顔でそう告げられ、ダイは感情の処理が追いつかなかった。だがアバンはそんなものなどお構いなしとばかりに言葉を続ける。

 

「いやいや、まさかそのようなことになっているとは。そうと知っていれば、お祝いの品の一つでも用意したのですが……本当に申し訳ありません」

「えっ……えっ……?」

「これはもうダイ君と呼ぶのは失礼ですね。一人前の相手としてダイと呼ばねば」

「あのー、先生……?」

 

祝いの言葉かと思えば今度は謝罪の言葉やらダイを認めるような言葉である。言動の落差に着いていけずダイはオロオロとするばかりであった。それを見かねたように、ポップがおずおずと口を挟む。

 

「おれが言うのも何ですけど、こう言う時はフツーはダイの成長を褒めるとか、そういうことを言うんじゃないですかね……??」

「何を言うのですポップ!? お祝い事にはちゃんと祝辞を述べなければダメでしょう!」

「いや、それはそうですけど……」

 

アバンからすれば、話で聞いていた未来とは大きく違うことがそれ(結婚話)であった。ならば師として何よりもまず言わなければならないだろうと考えてのことだ。

その志は立派でありポップも理解できなくはないのだが、時と場合というものがあるだろうとツッコミを入れずにはいられなかった。

 

「ですが状況は私が思っていた以上にずっと複雑なことになっているようですね。お祝いは後日改めて、ちゃんと行いますので安心してください」

「あ、ありがとう、ございます……?」

 

そう言われても、今の状況では素直に喜んでいいのかどうか。ダイは困惑したままそう返事をするのが精一杯だった。

 

「それにダイの成長は一目見ただけでわかります。正直、想像以上でしたよ」

「……ッ!」

 

かと思えば、油断していたところへさらりと賛辞を聞かされ、嬉しいやら恥ずかしいやらでダイは思わず言葉に詰まる。

 

「なによりポップ、成長という意味ではあなたの方がよほど凄いと思いますよ。破邪の洞窟であなたを見かけた時と比べても、随分と成長したようで一安心です」

「破邪の洞窟……って……ああっ!!」

 

アバンの言葉にポップの中の記憶が甦った。

 

「じゃあやっぱりあの時のは!!」

「ようやく思い出しましたか?」

「せ、せんせい……おれ……おれ……」

 

マトリフによって破邪の洞窟に潜らされたときの出来事、夢か妄想の類いだと思っていたことが、すべて事実であったのだ。その嬉しさと感動にポップの瞳から涙がこぼれ落ちる。

そして愛弟子の喜びをアバンもまた自分のことのように噛み締めていた。

 

「そして、マァム」

「はい」

 

まだまだポップの成長を褒めてあげたい所だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。続いて、見た目という意味では最も大きな変化を遂げた少女へと向く。

 

「これまでの経験は、あなたをより良く成長させたようですね。優しさの中に強さがあるのが伝わってきます」

「先生……ありがとうございます……」

 

彼女もまた瞳から溢れる涙を指で拭いながら言葉少なく答えるだけだった。

本心ならばもっともっと話をしたい。自分がどんな経験を積んできたのかを話したい衝動に駆られるが、彼女はそれを心の奥底でグッと抑える。

ダイ、ポップ、マァムと順に声を掛けてきたのであれば、次にアバンが誰に言葉を投げるのかは自明の理だ。それを理解しているからこそ、彼女は限られた時間を譲ることを選ぶ。

 

「……ヒュンケル」

「…………アバン……」

 

最後に、アバンは彼が最も始めに弟子とした者の名を呼ぶ。その呼びかけにヒュンケルは、師以上に時間を掛けながらもようやく言葉を絞り出していた。

だがヒュンケルは、身体こそアバンの方を向いてはいるものの、その視線だけは横目に逸れていた。

唐突な登場の際には疑いの目で見て、だが本物だと分かってからはフローラの出来事もあってか多少なりとも冷静になることもできた。その結果が、視線だけを外すというなんともしまらない行動となって現れていた。

どのような事情があれ、ヒュンケルが人間たちに牙を剥いたのは事実であり、アバンに対する(わだかま)りが胸中に渦巻き続けていた。

 

「オレは……」

「いえいえ、大丈夫ですよヒュンケル」

 

それでも、語らずにはいられなかったのだろう。彼は今までで最大限の勇気を振り絞って言葉を口にしようとした。だがそれをアバンは首を横に振りながら遮る。

 

「あなたがこの場に生きて、ダイたちと共に力を合わせている。そして良き仲間に恵まれ、強く真っ直ぐに成長してくれている。それだけで私にはもう充分すぎます。今のその姿が、どれだけの言葉よりも雄弁に語ってくれています」

 

ヒュンケルが多弁ではないことは、彼に修行をつけていたのだから知っている。そして彼がどのような行いをしてきたのは、チルノから聞かされていた。だが実際にどの様に成長したのかまでは、目で見なければ決してわからない。

どのような姿になって出会うことができるのか、期待と不安を最も抱いていた相手がヒュンケルであった。そして、実際に出会った時に感じたのは、チルノから聞かされた姿よりもずっとずっと立派な姿であった。

 

「あなたは私の誇りですよ」

「……っ!! ……オレには随分と勿体ない言葉だ……」

 

お世辞や戯れを抜きに、アバンはヒュンケルのことを素直にそう評してみせた。

それを耳にしたヒュンケルは、ぶっきらぼうにそう口にすると、まるで耐えきれなくなったように後ろを向いてしまう。だが背中からは照れの感情が見え隠れしており、僅かに覗く肌は気恥ずかしさからか真っ赤に染まっているのが見えた。

そんな背中をアバンは愛おしそうに見つめる。

 

「最後になりましたが――」

 

何時までも見ていたいが、そうも言ってられない。名残惜しそうに視線を切ると、残る者たちの方を向く。

 

「あなた方がバラン、ラーハルト、クロコダインですね。チルノさんからお話だけは窺っていたので、なんだか初対面と言う気がしないのですが……初めまして、アバン=デ=ジニュアール3世と申します」

 

ダイたちにも全く引けを取らない――いや、それどころか上回ってすらいる――闘気を漂わせる者たちを前に、アバンは深々とお辞儀をしながら名を名乗る。

バラン・ラーハルト・クロコダイン。

名前とどのような活躍をする予定だったのかは耳にしているが、こうして実際に対面するのは初めてのことだ。特にバランなどは、当初の予定では顔を合わせることすら不可能だと考えていただけに、アバンの心中は期待と当惑が入り交じる複雑なものであった。

 

「地上の勇者アバン……ディーノたちから話は聞いている。こちらも初対面という気はあまりせんが……私がバランだ」

「……ラーハルト」

「クロコダインと申します。アバン殿には一度会ってみたいと思っていました」

「これはこれは、ご丁寧に」

 

アバンの言葉に対して三者はそれぞれが思い思いの返事を見せる。

それを受け止めながら、アバンは話に聞いていたそれよりも幾らか柔らかな態度を見せていることに驚いていた。特にラーハルトなどは、どこかヒュンケルを弟子にした直後のような懐かしさすら感じたほどだ。

 

「アバンストラッシュ――あれは見事な技だ。数日とはいえ、ディーノを鍛えてくれたこと、心から礼を言おう」

「おや……」

 

バランの言葉にアバンは小さく息を吐いた。

人に対する意識というものが変わったことはダイたちの話から聞いていたが、まさかこれほどとは彼も想像しえなかったほどだ。ダイと同じ時間を共有することで、自然と親としての成長を促された結果なのだろうかと慮る。

 

「いえいえ、私も大したことはしていませんよ。あれは元々の仕込みと彼の素質もあってのことです。むしろ、ハドラーを撃退することが出来ず、修行を完遂させることのできなかった私の不甲斐なさを謝らねばなりません」

「いや、それは親としての任を放棄した私に責がある。そなたに責はない」

「ふふ……でしたらここは、一つ痛み分けということで手を打ちましょうか?」

「……わかった」

 

互いに自身の非を認めるため、このままでは話は平行線となりかねないと判断したアバンは妥協点を提案する。バランは素直にそれに応じ、此処で話は一旦の決着を見せた。

……間に挟まれたダイはヒュンケルに劣らず顔を赤くしていたが、それはご愛敬。

そして話が終わった頃を見計らい、クロコダインが口を挟んだ。

 

「アバン殿、オレはあなたに一つ謝らねばならん」

「おや、なんでしょうか?」

「大地斬――あの技の術理を、勝手に真似させて貰った。弟子でもないオレが勝手に使ったのだ。そのことを一言、侘びたかった」

 

彼が口にしているのは、大地斬を無断で使用したことだ。

ヒュンケルら使い手たちからお墨付きを貰っており、またアバン本人はこの世にいないと思っていたために割り切っていたが、こうして生きていれば話は別である。

このままのうのうと使い続けることは彼の武人としての矜持が許さなかった。

 

「なるほど、そういうことですか……ですが、それなら構いませんよ」

 

アバンもまたクロコダインの心を汲み、そしてあっさりと許可を出す。だがそれもそのはず――

 

「あの技術も元はブロキーナ老師に教えていただいたものですから」

「ええっ!?」

 

その事実に驚きの声を上げたのはマァムであった。

 

「おや? 老師から教えてもらえませんでしたか?」

「そんなことは老師からは一言も……ねえ、チウは知ってた?」

「いえいえ、ボクも知りませんでした」

 

ブロキーナの弟子たる二人は、初めて知った事実に顔を見合わる。

 

「だから、てっきり先生が独自に生み出した技だとばかり……」

「まあ、私も若かりし頃は色々とあったのですよ。そうそう、大地斬を覚えた頃はレイラとも知り合ったばかりの頃でして、私は各地を周り刀殺法を鍛えてハドラーを倒すべく修行を……」

 

当時のことを懐かしむように口にしかけ、だが不意にアバンの顔が曇った。

 

「ですが、そのハドラーにはもう会えないのですね……話に聞くだけだった、生まれ変わった彼の姿を一目だけでも見てみたかっただけに、残念です……」

 

それは本当に残念そうな顔だった。

因縁の相手とすら呼べる相手が、果たしてどれほどの変貌を遂げたのか。チルノから話を聞いていた分だけ期待は上がり、その望みが裏切られたことに肩をすくめる。

 

「ですが、いつまでも落ち込んでいるわけにもいきませんね。我々はいつだって、今できることをやらなければ!」

 

だがそれもつかの間のこと。

ことさら大げさに胸を張り、気合いを入れ直してみせた。

それは周りの者たちを巻き込んで前向きに動かすため、ワザと道化のような(おど)けた態度を取ってみせる。アバンが昔からよくやる行動だった。

それを見たフローラは声には出さぬもののクスクスと笑顔を浮かべる。大切な者のよく知った態度に彼女の心はようやく平静を取り戻した。

 

「アバン、一ついいですか?」

 

そのおかげで彼女の中には新たな疑問が湧き上がる。

 

「突然あなたが現れたことでうっかり忘れかけましたが、本当ならばあなたはもっと後――大魔王の居城へと乗り込んでから姿を現すのですよね? それが何故、今このタイミングで……?」

「あ……!」

「言われりゃ確かにそうだ……いや、先生が来てくれるのは嬉しいんですけどね」

 

アバンが生きていたこと。そして味方についてくれることは、人間たちにとっては喜ばしいことこの上ない。その衝撃的な事実が強く表に出ていたために、どうしてこれほど都合の良いタイミングで彼が現れたのか。そんな当たり前のことすら疑問に思わないほどには、心が浮かれていたのだ。

 

「ああ、そのことですか……実は私を導いてくれた物があるんです」

「導いてくれた?」

「それは勿論これですよ」

 

一体何をやるというのかと首を傾げるフローラの疑問に対し、アバンは腰につけた道具袋からある物を取り出すと全員が目に出来るようにと少しだけ高く掲げて見せた。するとそれを見た全員の顔色が変わる。

 

「それは、輝聖石の……!?」

「卒業の証!!」

 

青く透き通った涙滴形の石を持つペンダント。輝聖石によって作られたそれは、アバンの修行を完遂した者に贈られる、いわゆる卒業の証だ。

そして、持つ者の力をほんの僅かながら上昇させる効果を兼ね備えた、この世に幾つも存在しない貴重品でもある。

本来ならば静かな光を放つはずのその石は、だが今はどうしたわけか忙しなく輝きを見せていた。

 

「これはチルノさんの分です。彼女にはまだ渡せていませんでしたからね。この石が、私をここまで導いてくれました」

「姉ちゃんの分?」

「ええ、そうです」

「でも石が導くって……??」

 

チルノのための卒業の証を用意したというのはわかった。だがそれがどうしてアバンを導いたというのか。それが分からずダイは首を傾げる。

 

「実はこれ、ちょっと特別品でして……最初から彼女へと渡すことが決まっている物でもあります。彼女へと渡すことを前提にして作りました。そのおかげか、どうやら見えない糸のような物で繋がっているようなのです」

 

何しろアバンはチルノと二日ほどとはいえ、文字通り四六時中つきっきりで修行を行っていた。密度の濃すぎる時間を共に過ごしたために、チルノの魔法力なども無意識のうちに記憶していた。

それが卒業の証を作る際にも反映され、魔力的な繋がりを持って生み出されたのだろうとアバンは推測する。

 

「石がチルノさんに異変が迫っていると訴えているように感じ、こうして来てみたところ、これが大当たりだったわけです」

 

実際、真魔剛竜剣のように持ち主との目に見えぬ繋がりがある武具は存在するのだが、それがまさか自身の作り出したアイテムでも起こるとは、アバンですら予想外のことだったのだが……結果オーライというやつである。

 

余談ながら、アバンが破邪の洞窟での修行を切り上げたのはコレを作る為というのも理由の一つである。

なにしろ輝聖石は完成までには時間が掛かるのだ。

チルノ用の輝聖石を最初に作り上げてから洞窟に挑むことも考えたが、それを優先した結果、修行が疎かになっては本末転倒だと判断していた。

まずはアバン自身がダイたちと肩を並べて戦える程度に強くならねば無意味なのだ。

最悪、卒業の証は「まだ用意できなかった」と謝ればいいが、アバン本人の強化が間に合わなければ全ては水泡に帰すのだから。

結果的には期間に間に合ったどころか、卒業の証を作成する時間も充分に取れた。しかもその過程で、シルバーフェザーとゴールドフェザーも本来の歴史よりも大量に用意できたのだから、これは怪我の功名のようなものだろう。

 

「私が思い描いていた予定ではこの場にはチルノさんもいて、この卒業の証を直接、首に掛けてあげられたはずなのですが……なんとも残念です」

 

チルノの危機を知ることが出来る。

だがそれは決して喜ばしいことではない。危機を察知して急いで来てみれば、チルノは大魔宮(バーンパレス)に囚われの身となっており、この場にはいないのだ。

思いがけない計算違いにアバンは表情を暗くし、つられるように何名かも表情を沈ませた。

 

「何も知らない皆さんの前に、私が颯爽と登場した後で、チルノさんと二人で"ドッキリだ~いせ~いこ~う!"と言うのを楽しみにしていたんですがねぇ……」

「……!?」

 

けれども続く言葉を聞きつけて、慌てて顔を上げる。

 

「チルノさんがちゃんと秘密を守っていてくれていたようで、感心です。ですが、こんなサプライズは御免ですね」

 

聞き間違いであって欲しいと願うものの、アバンの言葉から察するにどうやらそれは真実だったようだ。確かにアバンが生きていたというサプライズならば騙されても文句はない、どころか喜んで騙されよう。

だが、こんな消沈する驚きでは喜べるはずもない。

 

「あのアバン様、少し宜しいでしょうか……?」

「おやあなたは……メルルさん、でよろしかったですよね?」

「はい、名前を覚えていただけたようで、光栄です」

 

ふと、メルルが遠慮がちに声を掛ける。彼女たちもまた初対面――話の上では知ってはいるのだが――のため、軽い挨拶を交わしてから本題を切り出した。

 

「その、アバン様はその特殊な輝聖石のおかげでチルノさんの危機を知ったのですよね?」

「そうです。ですが何分(なにぶん)、私も初めてのことですから自信はありませんが、この輝きは何か彼女に異常があると考えて良いでしょう」

 

念を押して確認するように尋ねれば、アバンもまた確証こそないものの間違いないと答える。メルルとアバンの二人によって齎された断片的な情報。だがその二つを組み合わせれば、事の真相は朧気ながら見えてくる。

 

「私の占い、水晶玉では大魔宮(バーンパレス)が見えました……つまりチルノさんは捕らわれていて、その身が危険ということでしょうか……?」

「おそらくそうでしょうね……ですがチルノさんは回復呪文も使えます。囚われの身となっている以上、人質として使うと考えるのが当然のはずです。ならばこれほどハッキリと危機を訴えるというのは……」

 

メルルの推測を裏付けるようにアバンもまた考えを巡らせ、だがそれらの事柄を列挙していく内に彼の脳裏にある可能性が浮かび上がる。

 

「ええ、しかし……いや、待ってください……まさか……」

 

誰に向けるわけでもない、自分の考えを整理するための独白。思い浮かんだ可能性を否定しようとするもその材料が足らず、それでも一縷の望みとばかりに彼は叫んだ。

 

「メルルさん!」

「は、はい!」

「たしかあなたは水晶玉で遠くを見通すことが出来ましたよね?」

 

鬼気迫る様子に気圧されながらも、メルルは無言でコクコクと首肯した。

 

「では今現在、バーンの城はどこにいるか分かりますか?」

「え、と、お城ですか? 少々お待ちください……」

 

アバンの言葉に背中を追い立てられながらもメルルは意識を集中し、水晶玉へと念を送る。しばしの空白の時間の後、先ほどと同じように大魔宮(バーンパレス)が映し出された。だがその視点は一度目よりもずっと望遠――遠くから眺めているため、辺りの景色もよく見ることが出来る。

 

「ここは?」

「この白いのって、ひょっとして雪かしら?」

「じゃあこのチラついてるのは吹雪ってわけか」

 

遠くから眺めている光景のためか、映像は少々不明瞭になっていた。大魔宮(バーンパレス)は遠目から辛うじてその形が分かり、雪の白は逆にその場がどこか特定させるのを困難にさせる。

だが見ている人間は多く、各国に知識を持つ者もいる。

 

「オーザム周辺と考えて間違いないようですね」

 

彼らの意見をまとめ、代表したようにフローラがそう述べる。誰しもがその意見に頷く中、ノヴァだけが不思議そうに声を上げた。

 

「でもこのお城、動いてないみたいですよ」

「え?」

「ホラここ、見てください」

 

そう言いながら水晶玉の一点を指さす。遠目からのためわかりにくかったが、大魔宮(バーンパレス)の影は大きくも小さくもならず、下に見える木々と比較しても同じ場所に位置している。すなわち動かず、空中に静止している状態ということだ。

 

「なるほど、これは……もしかすると相当マズいかもしれませんねぇ……」

 

その指摘を耳にしながら、アバンは険しい表情で呟いた。

 

 




この人(アバン)に頑張って貰う。

しかし、話が全然進まないな。もう少し詰め込む予定だったのに。
「出会った以上、こういうやりとりはさせたい。でも先にも進めたい」
というジレンマ。


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LEVEL:102 最後の希望

「相当マズいって……一体どういうことですか先生!?」

 

アバンの呟きに真っ先に食いついたのはダイだった。話の流れからチルノが関わっていることは明白であり、そこに否定的な言葉を聞かされれば気にならないハズがなかった。

そして、ダイほどではないにせよ他の仲間たちも同じくアバンの独白が気になり、彼のことを真剣な表情で見つめている。

 

「いえ、これはまだ可能性の段階なんですけどね」

 

集中する全員の視線を受けながらも平然とした態度で、アバンは一言断りを入れると己の考えを口にし始めた。

 

「まず本来の歴史のおさらいです。その世界で大魔王は黒の核晶(コア)を仕込んだ(ピラァ)を世界各地の要となる地点に落とした……ここまではいいですよね?」

 

確認するように一度言葉を切る。そして全員が頷くのを確認して次の句に続ける。

 

「そしてこの世界でも、大魔王は居城を空に浮かべています。そしてオーザムまで行っておきながら、何も動こうとはしない……妙だと思いませんか?」

(ピラァ)を落としていないことが?」

「うーん、その答えではマルはあげられませんね」

 

ダイの回答にアバンは両手の人差し指を斜めに重ね合わせる――いわゆる指でバッテン印を作ってみせる。

 

「ダイの回答も間違いではありません。ですが、敵は魔界の神とまで呼ばれた大魔王ですよ。チルノさんの知る世界で(ピラァ)を落としたからと言って、単純に同じ行動を取るわけがない。相手も考えるわけですからね」

「そっか……」

「チルノの知る世界では、私は倒れディーノも死したと思っていた。それを知ったからこそバーンは計画を進めたのだろうな」

 

ダイの考えを補強するかのようなバランの推測に、アバンもまた頷いた。

 

「私もそれは同じ考えです。計画の邪魔になる強敵がいなくなったと断じたからこそ、行動を起こした。それも巨大な柱で地上を吹き飛ばすという大胆な方法を装いながら、その裏で全く別の狙いがあった……スケールの大きさに脱帽しそうですね」

「つまり今はその逆、邪魔者がいるから(ピラァ)を落とさずにいる」

「でもバーンは城を空に飛ばしたわよね……?」

「いやそれこそ、おれたちがいるからだろ? 居場所もバレてるのに呑気に待ち構えていられるほどおれたちは弱くねえよ」

「あ、そうか」

 

ヒュンケル、マァム、ポップがそれぞれ口を開く。そのやりとりを聞いていたレオナは弾かれた様に叫んだ。

 

「それよ! あたしたちの存在だわ!!」

「きゃっ!?」

「なんだなんだ!? 急にどうしたんだよ姫さん!?」

 

突然の大声にマァムは可愛らしい悲鳴を上げ、ポップも驚きの声を上げる。だがレオナはそれに返事をすることなく、自身の考えを口にし始めた。

 

「バーンが計画を進める気なら、あたしたちを無視するはずがないわ! ポップ君の言う通り、邪魔をする相手という認識は持っているはず……しかもこっちは後から船団が迫っているのよ? なのにその一切を無視してオーザムに向かった。それがおかしいのよ!」

「ええ、私も同じ結論です」

 

それは今までの全員の言葉をまとめ上げたようなものだ。だが逆に言えば彼らは、断片的な正解に辿り着いていたことになる。尤もその影にはアバンの補足的な説明があってこそなのだが、とあれ彼はレオナの意見を首肯する。

 

「現時点でオーザムに向かう必要性は薄い。そしてオーザムに向かったというのに、何もせずにただ留まっているだけ。何もしないのであれば、我々を攻撃すればいい。それこそ、上空から呪文を雨のように降らせるだけでも大打撃になるはず……なのにそういった建設的な行動を一切取らない。どう考えてもおかしいわけです」

「確かに、そうですね」

「攻め時は幾らでもあったはず。だがバーンは敢えてその機を逃したということか」

 

戦術や用兵といった知識に造詣の深いフローラとバランもまた、それは異質であると感じていたようだ。だが、後進の成長を促すためと、何よりアバンが持論を展開し始めたために彼の考えに追従する形を取っていた。

 

「つまり何か別の目的がある、と考えるのが自然でしょう。そして私が思うに、その目的は――」

 

まるで語り部が聞き手の興味を煽るかのように、そこで一旦言葉を切って無言になった。沈黙の時間が数秒間流れ、一体どんな答えが飛び出すのかと誰しもが気付かぬうちに続きを渇望し始めたところで、アバンはようやく口を開いた。

 

「――ズバリ、空から世界中を観光するため」

「……………………」

 

再び沈黙が場を支配する。

 

「……だったらこんなに悩まなくて済むんですけどねぇ」

「先生~……っ」

 

ポップの口から思わず漏れた短い言葉。だがそこからは「どうしてこんな大事な場面でボケをかますんだ」という強い想いがひしひしと伝わってくる。流石に自省したのか、アバンは少々顔を赤らめつつも仕切り直すように一つ咳払いをすると、改めて考えを口にした。

 

「コホン……では改めて。ズバリ、挑発です」

 

今度は先ほどのような沈黙が訪れることはなかった。

その代わりに訪れたのは困惑。

一体どうしてそんな結論に到ったというのか、誰しもがそこまでの思考の道標を見つけられなかった。とはいえそれはアバンもまた想定の範囲内だったのだろう。すぐさま次の言葉を言い始める。

 

「例えば魔界にはマネマネというモンスターがいるそうです。モシャスの呪文を使い相手そっくりに化けて戦うのが得意だとか」

 

チラリとバランの方を見ると、彼は無言で頷く。それを見たアバンは僅かに胸をなで下ろした。話には聞いていたものの実際にマネマネを見たことはなかったため、魔界にも詳しいバランのお墨付きが欲しかったのだ。

 

「これもいわゆる挑発行為の一つ。お前の出来ることは全部真似できるぞと行動で挑発し、相手の冷静さを奪うわけですね。ついでに言うと、自分が本物なのだから偽物に負けるはずがないという意地も邪魔をするわけです」

「なるほど、手の内を真似されるということか」

「偽物に負けるつもりなど毛頭ないが、確かに良い気はせんな」

 

実際に敵として戦った場合を想像したのだろう、クロコダインとラーハルトが若干苦い顔を見せる。

 

「他にも過去に苦戦した、あるいは敗北を喫した闘い方や戦術をなぞることで、お前の事は全て知っているぞと挑発して冷静さを失わせるという手もあります。今回のバーンの行動はコレに近いでしょう。あちらの世界と同じ行動を取ることで、私たちに圧力を掛けているんでしょうね」

「え……? せ、先生!! ちょっと待った!!」

「はい、どうしましたポップ?」

「闘い方や戦術をなぞるってのはわかりますけど、それをおれたちが知っているってのはどうやって……あぁっ!!」

 

ポップが口を挟んだのは、アバンの考えに疑問を持ったからだ。なるほど確かに、因縁のある事件などを再現されればどの様な相手とて少なからず感情は動くだろう。

だがそれを実現するには対戦相手のこれまでの経験を調べる必要がある。

しかも今回の場合、その行動の出所はチルノの知識という本来ならばどう頑張っても調べようの無い物が源泉だ。

だが、それを真似できるということは――

 

「そのまさかだと思います。考えたくはありませんが、チルノさんが大魔王に捕らわれている以上、思いつく理由は一つしかありません……」

「そんな……!?」

 

そこまで言えば誰しもが気付いていた。ダイが真っ先に悲痛な叫びを上げたが、それは偶然彼が一番早かったからに他ならない。この場の誰もが悲鳴を上げたかったのは間違いないだろう。

 

「そう……彼女が持つ知識を大魔王が知ったのでしょう」

 

全員が絶句する。それは絶望にも似た宣言だった。

 

 

 

 

「それじゃ……まさか、姉ちゃんはおれたちを裏切ったんですか!?」

 

真っ先に正気を取り戻したのはダイだ。アバンの話を聞き、どうしてバーンが知識を知ったのか、その理由を――その中でも最悪の可能性を思い描いてしまい、もはや黙っていることができなくなったのだ。

 

「いえいえ、安心してください。それは違うと思いますよ」

 

顔面を蒼白させ、不安そうな瞳を浮かべるダイを安心させるように、アバンは穏やかな口調でその可能性を否定してみせる。

 

「バーンがチルノさんから話を聞き、それを信じたと仮定しましょう。するとその場合、このような挑発を取ること自体がおかしいんですよ」

「それって……?」

「自身の計画が失敗するだけではなく、大魔王自体も命を落とす――そんなことを知れば、相手の動きはもっと違った物になるはずです。私たちを一気に殲滅に来るとか、魔界から山ほど戦力を連れてきて総力戦を仕掛けるとか……まあ、可能性は色々あると思いますが、少なくとも、のんびりとした動きは見せないでしょう」

 

自身の命が掛かっていれば、その動きはもっと激しい物になるはず。ましてやこの計画は大魔王バーンが水面下でじっくり時間を掛けて進めてきたものだ。その全てを潰されるとなれば、相応の反応があってしかるべきだろう。

 

「なのに相手は挑発したまま目立った動きを見せないという、おおよそ考え得る中で最も迂遠かつ異質な行動を選びました。それは何故か?」

 

だが相手は積極的な動きを一切見せずにいる。それどころか、こちらにヒントと時間を与えるという利敵行動を取っているのだ。

 

「もしも本当にチルノさんが知っていることの全てを伝えていたならば、こうはなりません。どのような手段が使われたのかは知りませんが、大魔王は知識を中途半端に伝えられたのでしょう。その結果、こうなった。誤った知識に誘導された結果と言ったところでしょうかね」

「誤った知識?」

「拷問して口を割った、という可能性もありますが……」

 

拷問という言葉を聞いた瞬間、ダイの内側から凄まじい怒気が発せられた。その勢いにアバンは一瞬気圧され言葉に詰まり掛ける。

 

「な、なんらかの秘薬や呪文を使ったと考える方が自然でしょう」

「秘薬……まさか、ザボエラか?」

 

毒によって操り人形にされかけるという嫌な未来を知らされたおかげで、クロコダインが吐き捨てるように言う。

 

「それはわかりませんが、とにかく正常ではないと考えておくべきでしょう。付け加えるなら、彼女には人質としての価値があるはずなので手荒なことはされていないかと」

「そっか……」

 

駆け足を思わせるように最後に付け加えられたアバンの言葉は、ダイを可能な限り安心させるためという意図があった。その試みはどうやら成功していた。

姉が裏切ったわけではないという根拠を語られ、ダイは少しだけ胸をなで下ろした。

 

「安心できましたか?」

「はい、ありがとうございます」

 

師の言葉にダイは素直に頷いた。未だチルノが危険な状態であることには違いないが、それでも今までよりはずっとマシだと思えるようになっていた。少なくとも闇雲に不安を撒き散らしていた頃と比べれば雲泥の差だ。

 

「ですがダイ、本来ならばあなたが最後までチルノさんのことを信じなければならない立場なんですよ」

「う……」

「そうだな。ディーノよ、そんなことでは愛想をつかされるぞ」

「…………」

 

大人の男二人にたしなめられ、ダイはさきほどまでの姿が嘘のように縮こまっていた。

尤もそのすぐ近くには、恨めしそうな目でアバンのことを睨む某大国の女王の姿もいたりするのだが、幸か不幸かそれに気付く者はいなかった。

勿論、気付いていながら知らん振りをしている者もいない。いないったらいない。

 

「人生訓を教育中のところ済まないが……」

 

いくばくか空気を読みながら、ホルキンスが声を掛ける。

 

「その目論見が分かったところで、どう対処するつもりだ? 大魔王にオレたちの戦力を知られたとあっては、打てる手などあるのか? そもそも、相手の本拠地に乗り込む手段すらオレたちにはないのだぞ?」

「ああ、確かにそうですね。ですが、あまり心配する必要はないと思いますよ」

 

その説明をし損ねていたことを反省しながらも、だがアバンは極めて平然と返す。

 

「まず、相手があちらの世界の行動をなぞっている以上、しばらくは手出しをしてくることはないでしょう。手出しをするつもりなら、もうとっくにやっているでしょうから」

 

本来の歴史ではヒュンケルたちを人質に取り、世界中に(ピラァ)を落とすという目的もあってか、合計すれば最終決戦までにおよそ十日間ほどの猶予があった。相手がそれをなぞっている以上、似たような期間は動きを見せないと考えて良いだろう。

 

「そして乗り込む手段ですが、これも相手がなぞってくれるのであれば悩む必要は無いでしょう。ミナカトールは私も契約しましたし、意外と向こう方から迎えにやってくるかもしれませんね」

 

――ただ、相手に時間を与えた分だけ罠には注意が必要ですが。

 

と最後にそう締めくくる。

 

「そして戦力についてですが、こちらは簡単です。相手の知識の源泉はチルノさん。ならば私たちは、彼女が知らない力を身に付ければ良いだけですから」

「知らない力、ですか?」

「奇策と言い換えても良いでしょう。個人個人の実力を高めるのも悪い手ではありませんが、大魔王バーンの自力に追いつくには到底足りません。ならば差を補うための手段として相手の意表を突くわけです。どこか一点でも大魔王に勝っている部分を用意し、それを磨き上げて己の牙とするのです」

 

かつてアバンがハドラーを相手にしたときと同じようなもの。

魔族のハドラー相手に人間のアバンではどれだけ研鑽を積んでも限界がある。その状況を打破した力こそが、かつて偶然撃ち出す事が出来たアバンストラッシュを初めとする刀殺法の数々だ。それを極限まで磨き上げたからこそ、ハドラーを倒すにまで至れたのだから。

 

「というわけで、これからの時間は最後の特訓に充てたいと考えていますが……いかがでしょう?」

「異論は無い。だが私はディーノを鍛えさせてもらうぞ」

 

確認のためにと、年長者であり最強の実力者でもあるバランへと提起したところ、意外なほどにすんなりとした答えが返ってきた。

とはいえその答えはアバンにとっても充分に予期していたこと。(ドラゴン)の騎士を鍛えられるのはバランを置いて他にはいないことは重々承知の上である。

 

ならば、とアバンは残る者たちの訓練役を買って出る。

話がまとまり、一度死の大地からギルドメイン大陸へと戻ろうとしたところで、アバンは言い出しにくそうにしながらも口を開いた。

 

「ホルキンス、ノヴァくん」

「何だ?」

「は、はいっ!」

 

突然名を出され、ホルキンスは意外そうに。ノヴァは緊張した面持ちでアバンを見る。だが彼はそのいずれにも反応を示すことなく、少しだけ思案顔になる。

 

「それとカール騎士団の皆さんも何人か、お願いしてもいいですか?」

 

お願い、と言いながらも何をやらされるのか。不安になりながらも、数名の騎士たちが頷く。それを見たアバンは、渋面をさらに渋らせながらも言う。

 

「……非常に申し訳ないのですが、皆さんには少々やって貰いたいことがあります」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

アバンの提案を受け、ダイとラーハルトはバランと共に。マァムは――いつの間にかこの場に姿を表していた――ブロキーナの手ほどきを受けて。残るアバンの使徒やクロコダインらはアバンの元にてそれぞれ修行を行っていた。

特筆すべきはレオナがアバンに手ほどきを受ける時間が多かったということだろう。彼女がアバンの教えを受けたのは、本来の歴史では半日も満たなかったのがこの世界ではある程度の日数を設けることが出来たのだ。

彼らは押し潰されそうな不安と、それに負けぬ希望を胸に抱きながら日々を過ごしていく。

 

なお修行場所は環境の問題から死の大地ではなく、一旦大陸に戻りカールの地にて行われていた。一度接岸までしておきながら、多くの人たちが何をするわけでもなく戻るという結果になったことに無力感すら覚えていたが、僅かながらそれに当てはまらない者たちがいた。

 

「死の大地……なんとも無味乾燥な場所ですね」

「自分の様なものがこうして足を踏み入れる機会があるとは、思ってもいませんでした」

 

数名のカール騎士たちが小さな声でそう呟き合う。彼らはアバンの要請を受け、すぐに戻ることなく死の大地に残った者たちであった。

動植物を含め、自分たち以外は一切の生命の気配すら感じない死の大地の光景に恐怖と興味を抱えながらも、力強い足取りで奥地へ向けて歩みを進めていた。

 

「無駄口は叩くな。居城が空に浮かんだとはいえ、ここは敵の本拠地であったのは間違いない。どこに魔物が潜んでいるか分からんのだ」

「申し訳ありません」

 

それを聞いていたホルキンスが注意の声を口にする。

危険性は大幅に下がったとはいえ、気を抜くには早すぎるというのに……と部下たちの行動に内心で溜息を吐き出しつつ、とはいえ彼の心中も同じようなものであった。

未知の大陸を進むという恐怖と好奇心。そして、どうせならば戦いの為にこの地を歩きたかったという僅かな無念を押し殺しながら。

 

「ホルキンス団長……やっぱりボクは……」

「不服か?」

「……ええ。音に聞こえた勇者アバン様の頼みだからこそ、引き受けましたが……」

 

しばし無言の時間が続いていたが、やがて同行者のノヴァが不安そうに口を開く。一見、素直に従い任務を忠実に実行しているように見えたが、やはりまだノヴァは若い。

ましてやこれから行おうとするのは、提案者のアバンですら渋面を作る程度のことなのだ。汚れを嫌う彼の感性をホルキンスはどこか懐かしく感じていた。

 

「それは、これから行うことへの不満か? それとも……自分もアバンに鍛えて欲しい。彼らと共に肩を並べて戦えない自分への不満か?」

「それ、は……」

 

そう尋ねられ、ノヴァは言葉に詰まる。だがそれもつかの間のこと、すぐに二の句が出てきた。

 

「両方、です……多分ですが……」

「ははははは! 案外素直だな! だが、その気持ちはわからんではない」

 

てっきり不満を押し殺すのかと思っていたが、どうやら彼は考える以上に貪欲でワガママだったようだ。リンガイアの地にて北の勇者と呼ばれていただけのことはあると感心しながら、ホルキンスは吹き出していた。

 

「なに、心配するな。この仕事を提案したのはアバンで、責任者はオレだ。いざとなったら全部オレたちに押しつければいい。それにこの仕事が終われば、ダイたちと訓練する時間もできるだろう」

 

そして若い彼の悩みを吹き飛ばすように、口早に告げる。本当はもっと大声で、励ますように伝えてやりたかったのだが、部下たちのおしゃべりを注意した手前もあってその声は小さめだった。

ただ、その代わりにと一つサービスする。

 

「ま、それでも足らなければ、オレが相手をしてやる」

「ええっ!?」

「倒れるまで付き合ってやろう。まあ、アバンに比べれば劣るかもしれんが……」

「いえっ! そんなことは!!」

 

ノヴァが北の勇者であれば、ホルキンスはカール最強の剣士とすら呼ばれた男だ。その彼に直々に稽古を付けて貰えることが、ましてや他国の人間である彼ならば、それはどれほどのことか。

 

「なら、この仕事をとっとと終わらせるぞ。たしか、話ではそろそろのはずだが……」

 

喜色を浮かべる少年の反応に満足しながら、ホルキンスは周囲を見回す。景色は相変わらず殺風景であるため、景観から目的地を捜すのは困難であった。そのため移動に掛かった時間から逆算していた。

 

「……あったぞ。これか」

 

その計算は正しかったようだ。目的の物はすぐに見つかり、だがそのいずれもが元の形を残していない。その光景から窺える凄惨さと、それでもなお輝きを放つ金属の姿。

また、これだけの量を目にすることなど一国の王であっても不可能である。それらの驚きが混ざり合い、全員が知らず知らずに声を上げていた。

 

「思ったよりも重労働になりそうだな。アバンめ、戻ったら覚えていろ」

 

そう口にしながらも、ホルキンスはニヤリと笑っていた。

 

 

 

 

「どうか、お願いします」

 

アバンは深々と頭を下げる。その先には、詰まらなそうに明後日の方向を向くロン・ベルクの姿があった。

 

「話はわかった。だが、結論から言えば無理だ」

「どうしても、無理でしょうか……?」

「無駄だ」

 

嘆息と共に断るロン・ベルクに向け、アバンはなんとか食い下がろうとする。だがどれだけ頼んでも答えは同じであった。

 

「まあ、少しでも強い武器を持たせてやりたいという親心はわからんでもない。奴らが武器の強さに恥じないだけの使い手であることも、オレは認めている。だがな……」

 

そこまで口にすると、ロン・ベルクはアバンの用意した物――とある手段(・・・・・)で手に入れたオリハルコン――を一瞥する。

 

「大魔王の強さの前には、少々の強化など無駄だ。たとえオリハルコンといえども、持ち手にあったそれぞれの武器を作らにゃ意味が無い。そして全員分を揃えるには時間が足りん」

「やはり、無理ですか……?」

「中途半端な物ならば出来るが、そんな物を作るのはオレのプライドが許さん」

 

アバンが頼み込んでいるのは、ヒュンケルやマァムらにもオリハルコンの装備を用意できないかということであった。その為の素材となるオリハルコンも用意している。

だが肝心の鍛冶師ロン・ベルクが首を縦に振ることがなかった。

 

かつてダイの剣を打つ際に「剣を振るう者の魂の声を聞かせなければただの剣へ成り下がる」と口にしていたように、一人一人の武器を用意するには鍛冶の最中に立ち会わせなければならない。となれば特訓を中断する必要がある。

それに加えてロン・ベルクの体力も問題なのだ。ダイの剣一振りを作り上げるだけでも魂を削るほどに疲弊していたというのに、それを更に複数人分となれば、到底決戦に間に合うはずもない。

 

アバンもそれを理解しており、苦肉の策として彼らが現在装備している武器にオリハルコンでコーティングするなどして強化できないかと尋ねたが、結果は前述の通り。

大魔王を相手にその程度の小細工は付け焼き刃にすらならず、そもそも伝説の金属を使ってそんな中途半端な仕事をするなど鍛冶師としての誇りが許さずにいた。

 

「しかし、こんな手段を取るとは……もっと甘い、優男のようなイメージを持っていたが……」

 

用意されたオリハルコンの素材(・・・・・・・・・)を見ながら、心底意外そうにロン・ベルクは呟く。

 

彼が持ってきた素材の正体、それはハドラー親衛騎団の残骸だ。

 

ホルキンスらに頼んでいた内容の正体がこれであった。

素材とするため、死の大地から親衛騎団の亡骸を回収してくるということ。だがそのようなことを告げられればノヴァが忌避感を示したのも当然の反応だ。

だが残骸となっていようとも、彼らはオリハルコンから生み出された存在。その肉体はオリハルコンであり、武具の素材としても充分に使える。

 

――倫理観さえ無視すれば。

 

それは喩えるならば墓場から死体を掘り起こし、まだ使えるパーツをより分ける行為とでも言えば良いだろうか。そんな口にするもおぞましい手段を、勇者アバンとまで呼ばれていた男が選ぶなど想像の埒外であった。

 

「そこはそれ、私も教え子たちを失いたくはありません。後世の人間に"悪鬼羅刹の所業"と罵られようとも、彼らの為ならば心を鬼とします」

 

何もアバンも自ら好んでそんな手段を選んだわけではない。それはホルキンスたちにこの仕事を頼む際の反応からも明らかだ。

だが敵は想定以上に強力になるというのであれば、ダイたちの生存の可能性を少しでも上げてやりたい。

進んでやりたくはないが、必要とあれば文字通り何でもやるという強い覚悟を持っていた。

 

「だがな……どれだけ頼まれようとも……!?」

 

目の前の相手からの決意を肌で感じつつも、実現は不可能である。

オリハルコンの素材(親衛騎団の残骸)を眺めながら返事を口に仕掛け、不意にその言葉が途切れた。

それ以外の全ての興味を失ったように、ロン・ベルクはただひたすらオリハルコンの素材(親衛騎団の残骸)を凝視し続け、やがてゆっくりと顔を上げた。

 

「気が変わった。これならやれるだろう」

「えっ!?」

「これらの素材はオレの小屋まで運ばせてもらうぞ。あそこなら道具も設備も揃っているからな。それと、奴らの武器を持ってこい。この大仕事に不可欠だからな。作業の間は、少しでもレベルアップするように厳命しておけ」

 

一体何を感じ取ったのか、突如として乗り気になったロン・ベルクの態度に驚かされるのはアバンの方であった。

 

「いえ、ちょっと待ってください。武器を作り上げるには、振るう者の魂の声が必要なのでは!? それに彼らの武器とは!? そのような中途半端な仕事では意味がないとご自身で仰ったはずでは!?」

 

鍛冶をやってくれることは喜ばしいが、ならばどうして使い手の協力が不要なのか。

どうしてヒュンケルらの武器が必要なのか。必要とするならば、それは自らが口にしたように、付け焼き刃程度の結果にしかならないのではないか。

 

「それはな――」

 

ロン・ベルクの一言で、アバンが矢継ぎ早に投げた質問の答えが氷解した。

 

納得したアバンは彼の元へとヒュンケルらの武器を届けた後、仲間たちの特訓へと合流する。その間、何を聞かれても「出来上がりを楽しみにしていてください」とお茶を濁すだけだった。

 

やがて、時は満ちる。

 




ある意味で禁断の方法によるオリハルコン強化を決断。
こんな風にオリハルコンの素材が取れるかは不明。
今回は「可能である」ということで、どうか一つ。

まあ、ロンが何を感じ取ったかバレバレな気がしますが……


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LEVEL:103 決戦開始

天空より巨大な居城が大地へ向けてゆっくりと降下していく。

その光景は、この一部分だけを切り取ってみればとても幻想的かつ神秘的なものに見えるだろう。

事実、その城は白亜の御殿と呼ぶに差し支えないほど優雅な外観をしており、全体を見渡せば巨大な鳥が翼を広げたような形状をしている。何も知らない者がこの瞬間を目にすれば、天からの使者が純白の鳥の背に乗り、地上を救済するために姿を現したと思ったとしても仕方ないだろう。

 

だが、この光景を間近で見ている者たちは皆、この城の正体を知っている。荘厳なる城の名は大魔宮(バーンパレス)と言い、魔界の神とすら呼ばれる男が座している。その目的は地上の救済などではなく――魔族の立場から見ればある意味では救済と呼べるかもしれないが――地上世界そのものを吹き飛ばす為だ。

 

ダイたちは、見る者を焦らすかのようにゆっくりと降下していく大魔宮(バーンパレス)を忌々しげに、そして同時に少しばかりの緊張を伴いながら眺めていた。

 

「まさか本当に向こうから、しかも迎えに来てくれるとは思いませんでしたね」

 

驚嘆の混じった声をアバンは零す。

十二分に予測の範疇だったとはいえ、実際に自らの目で確認すれば思うところはまた別にあるらしい。さも自信満々に言い放ち相手の狙いを正確に読み取ったように見せていたが、そもそもバーンたちが一定期日まで待ってくれる保証などどこにもない。

突然気が変わり、堅実な手段でダイたちを打倒にくる可能性もゼロではなかったのだ。

まあ、バーンの性格から判断すれば一度決めたことを容易に翻すことは無いだろうことも計算に組み込まれていたが、絶対がないことをアバンは良く知っている。

 

「それも私たちの居場所をちゃあんと把握していたようで……いやはや、大魔王軍の情報収集能力には毎回舌を巻きますよ」

 

とあれ、それを全員の前で悟られるわけにもいかない。

どこか戯けた口調でバーンたちの行動を評しているその姿は、内心の動揺を押し隠すためのものでもあった。

 

「お前の言う通りの結果になったな、アバン」

「さっすが先生!」

「いえいえ、このくらいは読み取れますよ」

 

教え子たちの声に手を上げて軽く応じながら、ここまでは順調とばかりにアバンは誰に気付かれることもなく胸をなで下ろした。

 

「それよりもこれが決戦です、もう後戻りはできません。皆さん、忘れ物はありませんか?」

「忘れ物って……」

「大丈夫です!」

「ああ、問題はない」

 

ダイとバランはいつでも行けるとばかりに声を上げるが、彼らには文字通り問題はなかった。だが彼らとは別に懸念となる者たちが存在している。

 

「お前ら、装備に違和感はないか?」

「無論だ」

「当然」

「自分の身体の一部に感じられるくらいには使い込んだつもりよ」

「正直、持て余しているほどだ」

「どこまで扱いきれるかわからねぇけどな」

 

ロン・ベルクの問いにヒュンケルらは、それぞれが感想を口にしていた。

彼らは皆、新たにオリハルコンによって補強された装備を渡された者たちである。この決戦となる日より数日前、完成した新たな装備を受け取り、それらを手に馴染む程に使い込んでいた。

時間からすれば短いものの、マァムの言葉ではないが腕の延長線となる程度には使い込んでおり、その攻撃力はクロコダインが恐れるように使い手たちが恐れるほどだ。正直、補強しただけとは思えないほどの性能を誇っていた。

 

「そうか、そいつは良かった。そいつらも喜んでいるだろうよ」

 

全員の感想を聞きながら、ロン・ベルクは薄笑いを浮かべる。だがその少々不可解な言い回しに違和感を感じたラーハルトが首を傾げた。

 

「……そいつらも?」

「そうだ。お前たちが今、手にしているだろう?」

 

我慢できなくなったのかとうとうクククと笑い声を零し始めた。だがロン・ベルクはそれ以上は語ることもなく、彼らに小さな棘のような疑問を残させてたまま今度はアバンの方を向いた。

 

「それとアバン、お前さんには特別な餞別だ。直前に渡す羽目になったのは悪かった」

「これは……?」

 

そう言いながら差し出されたのは一振りの剣だった。鞘の中に納められた、見た目だけで判断するのならば何の変哲もない剣。アバンはアバンで自分用の剣を用意してあるのだが、なにしろ名高い鍛冶師の打った物なのだ。困惑しつつもそれを受け取る。

 

「抜いてみな」

 

そして促されるままに剣を引き抜いた。

 

「これは!!」

「ええっ!?」

「うおっっ!」

「なっ……!?」

 

その刃を見た途端、アバンは我慢しきれずに声を上げていた。いや、アバンだけではない。この場にいた全ての者が、その刃の輝きに魅せられ、悲鳴のような声を上げる。

彼らが驚くのも無理はない。

何しろそれは、ダイの剣や真魔剛竜剣と同じくオリハルコンによって作られた剣であったのだから。

 

「しかし、どこかで見たことがあるような……」

 

刀身の形状は直刀、鍔の部分は手を保護するように丸くドーム状になっている。そこからさらにハンドガードの為の金属が伸びており、その先は柄尻にまで繋がっていた。柄の長さも相まって、両手で使うことを想定していない完全に片手専用の剣だ。

 

その剣をしげしげと眺めながら、アバンは誰に向けるわけでもなく呟いた。視点を変え角度を変え、些末な見逃しすら残さないように観察していく。そうしていく最中で、記憶の奥底から僅かに引っ張り出されたような武器の姿。

 

だがどこで見たのか詳細に思い出すことができない。心の奥がモヤモヤするようなそんな歯がゆさを味わいながらも、やがて何かに気付いたようにアバンは剣から目を離した。

 

「いえ、ですが私はこれを受け取る資格はありません! これほどの物があるのならば、他の者に渡した方が……!!」

 

剣を使うというならば、もはやヒュンケルの方が腕前は上だ。そうでなくとも、ホルキンスのような使い手もいれば、まだ若いが勢いのあるノヴァのような者もいる。もしもこの剣を最も効果的に使うのであれば、彼らに渡した方がよほど有意義だろう。

そう思い直し剣を突き返そうとしたが、だがそれは他ならぬロン・ベルク自身の手によって止められる。

 

「そいつはお前の為の剣だ。今さら他のヤツに回されても剣が泣く。精々使い潰してやれ」

「はあ、そうなのですか……? ありがとうございます」

 

その語り口調から、どうやらこれはアバンの為に作られた物だということはわかった。それは単純に嬉しいのだが、同時に小さな疑問も覚える。

 

――使い潰してやれ、ですか。 

 

噂に聞いたロン・ベルクの人柄からすれば、到底有り得ないはずの言葉。何故そんなことを口にしたのか、その真意を考えながらも今考えることでは無いと思考を切り替えた。

 

「さてそれでは……いえ、これ以上は私の出る幕ではありませんね」

 

全体に向けて声を掛けようとして、だがこれはもはや自分の役目ではないと思い直し、アバンはダイへと場所を譲る。

 

「さあダイ、はりきってどうぞ」

「えっ、おれ!? えーと……」

 

唐突にお鉢を回され、代表として全員の前に出されたことに当惑し目を白黒させながらも、ダイはやがて前を向くと叫んだ。

 

「行こう、みんな!」

 

力強いその言葉に全員が「おうっ!」と短く賛同する。たった一言だが、それだけで彼らの精神は高揚していた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「バーン様、大魔宮(バーンパレス)は予定通り勇者たちの近くまで降下いたしました」

「うむ」

 

大魔宮(バーンパレス)が降り立ったのはカール王国の北部、山脈地帯の裾野辺りだ。

 

老いた姿のバーンは玉座に座したまま、その報告に一つ頷いて応じる。彼の視線の先にはミストバーン、キルバーンとザボエラ。そして未だ精神呪文(メダパニ)の影響下に陥ったままのチルノの姿があった。

 

「キヒヒヒヒ、いよいよですなバーン様」

「どうやら勇者たちはこっちの意図を正確に読んでくれたみたいですね……まあ、それもすぐに無駄になるんですけど」

 

ザボエラとキルバーンは、これからの時間が待ちきれないとばかりに血気に逸った姿を見せる。その勢いは、味方であるはずのミストバーンが呆れるほどだ。

 

「当初の予定通り、このチルノを先陣として出撃させますじゃ! なぁに、あの正義ヅラをしたやつらのことですから、身内と分かれば途端に手を出せなくなります! あとはまとめて命を奪えば……キィ~ッヒッヒッヒッ!!」

 

それもそのはず、何しろ彼らは彼らで大魔王軍とは別の狙いをしているのだから。

その目論見が吉と出るか凶と出るかは、この時点では誰にも分からない。だが成功させねば、下手を打って露見しようものならば、彼らの命も無いのだ。

ならば否応にも気合いが入ろうというものである。

 

おさらいになるが、彼らの狙いはヴェルザー陣営としてバーンの討伐だ。

そのための第一の策として、チルノを埋伏の毒とすることを考えていた。今なお呪文の影響下にあって正気を取り戻せていない彼女とダイたちとを戦わせ、適当なところで正気に戻ったように演出する。

だがその実は操られたままであり、ダイたちを自分たちの意のままに操る為の人質として使おうというのが真の狙いだ。

 

そのための仕込みとして、今なお彼女の耳元には特定の相手(キルバーンとザボエラ)の声しか聞く事の出来ない魔法のイヤリングを付けてある。これには加えて遠距離から声を届けることの可能な機能も備わっており、ザボエラが事細かに司令を下すことで仲間として振る舞わせ、城内の奥深くまで誘い込ませる手筈となっている。

 

だが計画を実現させるには、兎にも角にも最初に出撃させてダイたちの元へチルノを仕込まなければならない。とはいえそれは既に進言済み了承済みのため、楽な仕事になるはず。

あとはこのまま出撃するだけと、そう考えていたときだ。

 

「余も異論はない。任せる……ただ……」

「なっ……何か……??」

 

ザボエラの顔色が途端に曇る。

今まさにこれから出撃準備に入ろうかというところでバーンの言葉を聞き、何か落ち度があったかと勘ぐりすぎた結果、かく必要のない汗を一つ垂らした。

 

「そう急くな、何も咎めるわけではない。ただ、戦いに出る者に手向けの品くらいは贈ってやろうと思ってな……ミストバーンよ」

「はっ!」

 

だがバーンはそのザボエラの様子など歯牙にも掛ける様子はなかった。興味なく視線を外すと、ミストバーンを呼びつける。

 

「これをあの娘の首に掛けてやるがよい」

「……っ! かしこまりました」

 

何事かと傍らまで寄ってきたミストバーンに向け、バーンは懐からある物を取り出す。

それはペンダントだった。

チェーンが付いており、先端の装飾品にはチルノの胸元を飾るには少々不釣り合いに感じさせるメダルのような物が付いていた。

かつてバーンが贈った暴魔のメダルをどこか連想させるそれは、だが暴魔のメダルよりもよほど禍々しい気配を放つ。漆黒に彩られたメダルには魔方陣のような文様が刻まれている。

手渡されたそれを見たミストバーンは一瞬動きを硬直させたのち、何ごともなかったかのように丁重な態度で頷き、そしてチルノの傍まで歩み寄った。

 

「どうした? 首をだせ」

「………………」

 

だがチルノは何も反応することはなく、ミストバーンの声を聞いてもなお動くことはなかった。一体どこを見つめているのか焦点の定まらぬ瞳のまま、ただ控えの姿勢を取り続けている。

 

「……チルノ、付けてもらいなよ」

 

内心で大きな舌打ちを一つしながら、キルバーンは声を絞り出した。

耳飾りの効果によって声を聞こえなくしたことが、ここに来て裏目に出ていたらしい。気付かれたかと己の行動の迂闊さを悔やみながらも、もはやどうすることも出来ない。

それはザボエラも同じ気持ちであり、滝のような汗を流しながら微動だにせずにいた。

 

やがてペンダントはチルノに掛けられ彼女の胸元を鈍く彩る。

彼女の仲間たちが身に付けるペンダント(アバンのしるし)が神秘的かつ神聖な光を放つのとは対照的に、なんともおどろおどろしい雰囲気を放つ。

 

「余が手ずから拵えた代物だ、光栄に思え。これを身に付ければ何者にも負けはせぬ(・・・・・・・・・)

 

だがバーンはチルノの無反応、そしてキルバーンの不自然な言葉を見聞きしているというのに何ら反応を見せることはなく、ただ口の端を薄く釣り上げただけだ。

 

「…………っ!」

 

キルバーンは思わずピクリと身体を震わせた。

バーンの無反応という反応、そして直前の言葉が繋がり、一つの推論が彼の頭の中に組み立てられる。

 

――まさか……!!

 

「どうしたキルバーンよ? 何か不都合でもあったか?」

「いえ、何も……」

 

今度ははっきりと、愉悦を含んだ微笑をバーンは浮かべていた。

 

――そういうことか……だけど、まだチャンスはある。

 

内心の動揺を悟られぬようにしながら、キルバーンは必死で状況の再整理を行う。

もしも全てが露見していたというのであれば、このような迂遠な方法を取るとは考え難い……ならばこれは、こちらの目論見を潰そうという布石……いや、ただ確実な手段を選んだだけに過ぎないのか……?

 

「……?」

 

頭の中で凄まじい葛藤と推測を続けるキルバーンを余所に、ザボエラはこのやりとりの裏の意味までを読み取る事が出来ずに首を傾げていた。

 

「後は任せたぞザボエラ、そしてチルノよ」

「そ、それでは失礼いたします……吉報をお待ちくだされ……ホレ、行くぞチルノ」

「はい……」

 

ただ、やはりそのペンダントに思う所はあったのだろう。

正体不明の不気味さと薄気味悪さを感じながらも、それを特に疑問として口に出すこともないまま、チルノを伴って部屋から出て行こうとする。

 

――ザボエラ君はどうやら気付いていないようだね……困るなぁ、まだ二人には役割があるっていうのに……

 

もしも全てがキルバーンの想像通りであれば、それは彼にとってはとても面白くない結果になるだろう。

だがどれだけ文句があろうとも、この状態でバーンを相手に面と向かって文句など言えようはずも無い。

彼に出来ることは、歯噛みし、吐き捨てたい衝動を抑え込みながら出撃する二人をただ見送ることだけだった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「しっかし、何の反応もないってのはなんとも薄気味悪いな……」

 

緊張に耐えかねたようにポップが一つ愚痴を零す。

彼らは現在、大魔宮(バーンパレス)へ向けて進軍の真っ最中だった。彼らの後ろには更に続く、カール王国騎士団ら後詰めの仲間たちも大勢いる。

ダイたちは軍勢の先頭に立っており、その様相はまさに大軍を率いる勇者のような姿であった。

 

「油断しないでポップ君、敵がこうやって静かな場合は誘い込む罠の可能性が高いんだから」

「おっ、さすが姫さん。授業の成果が出てるみたいだな」

 

茶化すようなその言葉にレオナは少しだけ顔を誇らしげにする。

この数日間の準備期間の間、彼女は暇を見てはアバンから授業を受けていた。とはいえその内容は戦闘技術や新たな呪文ではなく、賢者としての物の考え方――ひいてはアバンの思考方法に近い内容だ。

期間こそ短かったものの、彼女の胸元にも卒業の証が揺れていた。

 

出発してから既に時間が経ち、既に大魔宮(バーンパレス)は目前まで迫っている。

呪文の一つでも唱えれば遠距離からも充分攻撃可能で、城の壁に焦げ目の一つくらいは作れる程度の距離にまで肉薄していた。

それはつまり、敵側からも攻撃を仕掛けられるということを意味している。

ましてやダイたちは現在、敵地に近寄っているのだ。

古来より「攻める側は守る側の三倍の戦力が必要」などと言う。

ましてやどのような罠が仕掛けられているか未知数であり、一歩足を踏み入れた瞬間に大勢の人間が命を落とす可能性もあるのだから、慎重になるのは当然だった。

 

先のポップをたしなめる言葉も、そうした授業の成果といえる。そして、その成果が確実に発揮出来た気がして、顔がにやけるのを止めきれなかった結果でもあった。

 

「いやいや、充分な時間が取れずに申し訳ない。この戦いが終わったら改めて時間を取りますので許してくださいね」

「褒めるのは良いんですが、先生……その姿は何とかならなかったんですか?」

「これですか? 一応用心の為にと思って」

 

そう声を掛けるマァムの視線の先には、アバンの姿がなかった(・・・・)

声はすれども姿は見えず、だがそれは決して不可思議なことではない。アバンは破邪の洞窟の奥地から見つけた特殊なマントを羽織い行軍に参加していた。

これは身に付けることでレムオルの効果を発揮し、装着者の姿を透明にすることが出来るというするという代物だった。

とはいえ音は消せず、激しい動きをすると透明化が解除されてしまうという欠点もあるのだが、使い方次第では不意打ちや暗殺に絶大な効果が期待できる。

 

「私は死んだと思われてますからね。まあ、チルノさんが魔王軍に話してしまった可能性もありますが……そうだとしても姿が見えないのは絶大な利点の一つですから、損はありませんよ」

 

明らかに何もないハズの空間からアバンの声が聞こえてくるというシュールな光景ではあったが、相手がアバンだと思うとダイたちの誰もが納得できた。特にフローラなどは、彼の行動にいち早く順応するほどである。

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ!! よく来たのう勇者どもよ!!」

「この声、ザボエラか!!」

 

不意に辺りに耳障りな甲高い声が響く。

その声がした途端ダイたちは当然、騎士団らも瞬時に警戒態勢を魅せる。そしてクロコダインは声の主に直ぐさま気付き、周囲を見回しながら叫んだ。

 

「じゃがここがお主らの墓場となる!! 無駄な抵抗などせず、自刃でもしたらどうじゃ!?」

「黙れッ!! オレたちがその様な言葉に屈するとでも思ったか!!」

「フン! 低脳トカゲが吠えるでないわ!! そもそも貴様らの相手はワシではない! こやつじゃよ!! やれいっ!!」

 

そう言うが早いか、空気を切り裂く鋭い音が聞こえた。次の瞬間、(やじり)のように鋭利で小さな刃が襲いかかってくるのが見える。

 

「ッ!!」

 

真っ先に反応したのはダイであった。彼は腰に差した短剣を瞬時に引き抜き、真っ先に前へと飛び出ると短剣で刃を受け止める。

その時には、誰の目にも明らかとなった。

蛇のように細く長い鞭に無数の刃が連なった異質な武器の姿が。

 

「この攻撃……この武器は!!」

 

ダイの言葉を裏付けるように、真っ赤な髪に褐色の肌を持つ、漆黒のドレスを身に纏った少女――

 

「姉ちゃん……!!」

 

――チルノが姿を現した。

 

 




ちょっと短め。キリが良かったの。


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LEVEL:104 今度はおれの番

チルノがダイたちの前へと姿を現し、攻撃を仕掛始めた。

その様子は悪魔の目玉を通じて大魔宮(バーンパレス)内部の大魔王たちも直ぐさま届けられる。

映し出されるその光景を見物しながら、バーンは微かに目端を緩ませた。

 

「ほう……ダイが迎え撃ったか。ならば少々面白いことになるかもしれんな」

 

最も関係の深い仲であるはずのダイとチルノとが争い合う。

その結末は果たして、ダイが愛する者を手に掛けるのか、それとも正気に戻ることを願いながら黙って討たれるのか。はたまた全く別の第三者がチルノを打ち倒し、ダイに深い憎悪の念を植え付けるのか。

それとも――最も詰まらない結果になってしまうのか。

いずれにせよ負けの未来(・・・・・)だけはないことを確信しながら、バーンはいずれかの未来に辿り着くのか思いを馳せる。

 

「……バーン様、質問を宜しいでしょうか?」

「なんだ?」

「あのペンダントはまさか……」

「気が付いたか?」

 

観戦中だった為に遠慮がちなミストバーンの言葉に頷けば、予想外の質問だった。自らの部下の目聡さにバーンはもう少しだけ笑みを深くする。

 

「そう、お前の想像通り。あの正体は黒の核晶(コア)だ」

「……ッ!!」

 

微かに息を呑む声が響く。予想通りのその反応に満足しながら、更に言葉を続ける。

 

「ザボエラがハドラーを超魔生物へと改造した際に取り外した物が余っていたのでな。使い道がなくなった道具の再利用というわけよ……尤も、一見しただけではそれと分からん程度には細工してあるが……」

「危険過ぎます! 大魔宮(バーンパレス)にも近すぎますし、最悪の場合あの娘が自爆を狙ってこちらに玉砕を仕掛けてくる可能性も……!!」

 

大魔王の言葉を遮る形で、ミストバーンは悲鳴のような声を上げた。

黒の核晶(コア)の恐ろしさは魔界に住まう者ならば誰であろうとも知っている。ましてや今回は、それを自分たちの膝元近くで使おうというのであれば、ミストバーンの言葉も十二分に頷けるものだ。

 

「案ずるな、あの黒の核晶(コア)はそこまでの破壊力はない。元々ハドラーが敗れた際に、万が一で用意した物だからな。あの辺りならば爆発したとしても大魔宮(バーンパレス)まで影響は及ばん」

 

だがバーンとてその程度は計算の上である。

本来の歴史ではバランが全竜闘気(ドラゴニックオーラ)を消費せねば押さえ込めぬほどの威力を誇っていたが、あれは超魔生物となったことで溢れ出るほど強力な魔法力を無尽蔵に吸収しつくしてしまった為だ。

本来の状態であれば、それほど絶大な破壊力にはならない。

 

「精々が、周囲の者を吹き飛ばす程度よ」

「で、ですが……気付かれてしまっては逆に利用される危険性が……!」

「故に一見しては分からんように小細工を施してあるのよ。何か危険が――こちらにとって不都合となる事が起これば、即座に爆破させる。それにあれは、装着すれば易々とは外れぬ呪いが掛けてある」

 

死の首飾りや呪いのベルト、破壊の剣などのように暗黒の祝福を受けた装備というものが存在する。それと同様に、あのペンダントは一度身に付ければ外せぬ仕組みになっていた。

 

「見つけることも外すこともできぬ爆弾をどうやって解除する?」

「…………」

「だから言ったであろう? 何者にも負けはせぬ(・・・・・・・・・)と。ま、少々惜しい気はするが……背に腹は代えられぬというやつよ」

 

その問いかけにミストバーンは返事ができなかった。

確かにこの難題は、そう易々と解けそうにない。ましてやダイたちのような人間ならば、叶わぬ希望に縋り続けて全滅するという可能性もゼロではないだろう。

バーンの言葉通り、確かに負けはない。

黒の核晶(コア)によってチルノ一人が犠牲となるか、それともチルノがダイたちを皆殺しにするのか。はたまた全員仲良く黒の核晶(コア)の犠牲となるのか。考えられるのはそのくらいだろうか。

ただ、少々惜しいという言葉の真意だけは図りかねていたが。

 

「のう、キルバーン?」

 

続いてバーンは、無言を貫く死神へと声を掛ける。

 

「お主ならば、この状況にどう対処する……? 忌憚のない意見を聞かせてくれぬか」

「ウフフフフ……バーン様もお人が悪い。ボクにどうしろって言うんです?」

「なに、ほんの戯れよ。ほんの、な……」

 

微笑を崩さぬままのバーンの姿に、キルバーンは言葉を濁すのがやっとだった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「姉ちゃん! どうして!?」

「…………」

 

ダイが悲痛な叫び声を上げるが、チルノは何も言葉を発することはなかった。無表情のまま虚ろな瞳を浮かべたまま、ガリアンソードを引き戻すと再び鞭のようにしならせてダイへと攻撃を仕掛ける。

 

「このくらいなら! ……えっ!?」

 

再び攻撃を受け止めようとするが、その直前でガリアンソードの節は直角に曲がり、ダイを無視したまま彼の背後目掛けて襲いかかる。

真の狙いは後ろに控えていたポップとレオナだ。

 

「うわああっ!」

「きゃあっ!!」

 

直接戦闘力では下から数えた方が早い相手を狙い、素早く回避しにくい方法で仕留めるという腹積もりだった。ヒュンケルやクロコダインのような腕前を持つのならば反応することも回避や受け止めることも可能だろうが、彼らではそれも望むべくもない。

ましてや変則的な動きを見せるガリアンソードの攻撃は、ダイであっても油断すれば傷を負う。その動きになれぬマァムらの反応は自然と遅れ、後衛であるはずのポップらに攻撃を許してしまった。

 

「ああ……っぶねえぇぇっ!」

 

だが寸前で攻撃は止められていた。

ポップが咄嗟にブラックロッドを構え、アタリを付けて振るう。それが偶然にも功を奏し、どうにか無傷で凌ぐことに成功していた。それもオリハルコンで細工を施した部分で。

仮に他の場所で受け止めていたならば、技量差でポップは少なからずダメージを受けていただろう。

 

「…………」

 

だがそんな幸運は何度も続くはずがない。何しろ受け止めた張本人ですらこの結果に驚き、目を白黒させているのだから。

二の矢を継げないその間隙を突いて、チルノは再び剣を戻す。

 

「ダイ! 忘れたか!! チルノが正気じゃねぇってことを!!」

「で、でも!!」

 

剣を戻させるのは再度攻撃の機会を許すことになるのだが、ポップはそれを止めることは無かった。彼の能力では上手く止められないというのも事実だが、それ以上にダイに向けて叫ぶことを選ぶ。

 

「もしも何らかの事情でバーンの手先になっているんなら、あの表情は不自然だ!! どんな手段かは知らねぇが、操られているのは間違いない!!」

「毒か呪文……その辺りが妥当なところでしょうね」

「どのみち、手荒な真似になるのは避けられねぇんだ! 乱暴な手段を使ってでも止めねぇと、どんどん被害がデカくなるんだぞ!?」

「う……」

 

レオナの分析も、ポップの言葉もどちらも信用出来る話だ。だがダイの心の中で最後の踏ん切りがつかない。

 

「ダイ様、ここはそうすべきかと……」

「ディーノよ、私も賛成だ。お前が出来んのならば、私がやるぞ?」

「うう……でも、どうすればいいのさ!?」

 

解毒をすればいいのか、それとも呪文の影響から解放すればいいのか。チルノが現在どうなっているのか詳細な状況を知らぬダイでは、迷いが出るのは仕方ないことだった。

そして、ラーハルトらの言葉も正論ではあることは理解できるが、それでも姉に手荒な真似をするのはどうしても抵抗が生まれる。だが同時に、自分でやらなければならないということも理解しているのだ。

 

「知らん! 四肢を縛り上げるか、それとも気絶させてでも止めるぞ!!」

「そんな!」

 

父の乱暴過ぎる言葉に抗議の声を上げるが、現状ではそうでもしなければ止められない。覚悟を決めようとするが、流石にチルノに時間を与えすぎた。

 

「……【魔法剣ファイガ】」

「むっ、マズい!! 注意しろ!!」

 

ヒュンケルが警戒するように声を張り上げた。

チルノの持つガリアンソードはメラゾーマの火炎にも負けぬほどの猛火に包まれる。その破壊力を知る彼は、仲間たち――特に詳しいことを知らぬ者たち――に対して警戒するように呼びかける。

変幻自在、縦横無尽の攻撃が更に恐ろしいものになったのであれば、それを驚異と感じぬはずはない。再び剣を分割させ、すぐさま攻撃を仕掛けてくると思っていたが、だがその予想は裏切られる。

 

「…………」

「接近してきただと!?」

「でもチャンスだ!」

 

今まで距離を取っていたのが一転、疾風のように駆け寄ってくる。突然の行動の変化に驚くものの、これを転機と捕らえたダイが迎え撃とうとした時だ。

 

「【ブリザラ】」

 

少女は唱えておいた魔法を解き放つ。大地に冷気が四方に向けて走り、それらは炸裂すると同時に周囲に極寒の空気を撒き散らした。あまりの寒さに小さな氷塊が幾つも出来上がる。

 

「うわわっ!!」

「さ、寒い……!?!?」

「ッ!?」

 

チルノの操る魔法に詳しくないノヴァやホルキンス、フローラたちはこの状況に驚き反応が遅れた。そしてある程度知識のあるダイたちですら、目的の読めない攻撃に一瞬戸惑ってしまう。

 

「…………」

 

ブリザラの冷気目掛けて、魔法剣ファイガの発動した剣を振るう。

 

「うおっ!?」

「なんだなんだ!!」

「こ、これって……あのときの!?」

「しまった!! これでは姿が見えん!」

 

瞬間、幾つもの爆発が巻き起こった。

極低温に対して高温の刃が衝突したことによる、いわゆる水蒸気爆発だ。周囲の温度と湿度が同時に上がり、蒸発した水分が濃霧のように立ちこめて全員の姿を覆い隠す。

レオナはかつてフレイザードとの戦いの時にも同じ事が起きたことに今さらながら気付き、目的を見抜けなかったことに悔しそうな声を上げた。

そしてホルキンスは視界が聞かなくなったことから、闇討ちの可能性を恐れてフローラの身を庇うように前に出る。

 

だがその霧はチルノだけに利するものではなかった。

 

「捕まえたぞ!」

「チルノ様、申し訳ありません」

 

バランとラーハルトが、二人掛かりでチルノの手足を掴み少女の動きを封じる。爆破と霧を目隠し代わりとして接近していたのだ。身体能力ではこの二人に勝る者は天地魔界を捜しても見つかるかどうかと言うほど。

力任せに抵抗しようとチルノは手足を動かそうとするが、まるで岩か何かに挟まれたようにびくともしない。

 

「……【テレポ】」

 

それを確認すると、チルノは再び魔法を唱える。途端に少女の姿は幻影のようにかき消え、気付けば少し離れた場所に移動していた。

 

「い、今のは一体……!?」

「わからん、だが一筋縄では行かんと言うことか……」

 

彼らの目にはチルノの姿が、文字通り煙のように消えて現れたようにしか見えないだろう。だがそれもそのはず、テレポは瞬間移動を行う魔法なのだ。今まで誰の前でも使っておらず、説明も受けていない類いの魔法なのだから、対処が遅れて当然である。

しかし魔法の効果は分からなくとも、何が起きたのかは分かるのだ。バランは今までの経験が通用しない相手にやりにくさを覚えながらも自身に喝を入れ直した。

 

「ポップ、レオナ。どうにか姉ちゃんを正気に戻す方法はないの!?」

「難しいわね……せめて原因が特定できれば……」

「じゃ、じゃあ……」

「…………」

 

そしてダイは、どうにかしてチルノを救う手立てがないのかと尋ねていたが、その成果は芳しくなかった。二人ともチルノの様子を窺いながら必死で知恵を練っているのだが、そう簡単に原因を特定出来ればここまで苦労はしない。

ならばとアバン――現在は透明状態になっているので目には見えないが――を見るも、彼もまた結論が出ていないようだ。首を横に振る気配が伝わってきた。

 

「呪文です! 操られているんです!!」

 

一体どうすればいいのか、悩むダイたちのところへ叫ぶような声が届く。

 

「メルル?」

「感じたんです、チルノさんの叫び声を……だから、呼びかけてあげてください!! ダイさん!!」

 

メルルは駆け込んでくると同時に、自身の持つ占い師としての力で感じ取ったチルノの異変の原因について伝える。

彼女が感じ取れたのは、言うなれば予知と占いを組み合わせた結果である。二つを組み合わせることによってチルノが操られていることを悟り、同時に彼女が何を求めているのかを導き出したのだ。

だがそのアドバイスを聞いてもダイは思案顔を崩せなかった。

 

「呼びかけるって、でもそれならさっきからずっと――」

 

何しろ先ほどまで何度も叫んでいたのだ。

呼びかければ良いのであれば、最初の時点で多少なりとも何らかの変化や反応があっておかしくはないだろう。しかし現実ではチルノはピクリとも反応することはなかった。

 

ならば声の大きさや回数が足りないのか、それとももっと別の方法でアプローチするべきなのか。そこまで考えて、ダイの脳裏に一つの可能性が生まれた。

 

「――あっ!!」

「何か閃いたの?」

「うん、多分これなら……今の姉ちゃんならきっと行けるはず!」

 

あまり良い思い出が無い方法なのだが、背に腹は代えられない。必要なのはやり過ぎない(・・・・・・)ように自分が気をつければ良いだけだとダイは己に言い聞かせると、精神を集中し始めた。

 

「なら、私たちの役目はそれまでの時間稼ぎね」

 

解決の糸口が見えたおかげか、マァムはどこかスッキリとした表情を浮かべると、言うが早いかバランたちに加勢するように前線に切り込んでいく。

丁度その頃、チルノの振るう剣をラーハルトが弾き返したところだった。伸びた剣もろとも吹き飛ばすように槍を操ったため、その余波を受け止めきれずにチルノは体勢を半ばほど崩していた。

 

「チルノ! ちょっと痛いわよ!」

 

今が好機とばかりにマァムは一気に距離を詰め、ハイキックを放った。

 

「うわぁ……容赦ねぇなマァムのやつ……」

 

遠目からそれを見ていたポップが思わず呟く。何しろ加減しているとはいえ、まともに当たれば行動不能は必死の一撃だ。下手すれば意識も吹き飛びかねないのだが、その辺は上手く加減しているだろう。

だがポップが本当に驚くのはここからだった。

 

「……【カウンター】」

 

不安定な姿勢から猫のようにクルリと身を捻ると、チルノはマァムの蹴りに合わせて自身も蹴りを放つ。

 

「いいっ!?」

「……ッ!」

「…………」

 

肉体的な鍛錬の度合いではマァムの方が明らかに上だ。だがチルノの方は攻撃を迎え撃つ形になっている。相手の動きに合わせて反撃を行うカウンターの能力と合わせて放たれた一撃は、マァムの攻撃と互角だった。

互いに衝突がぶつかり合い、二人の動きが僅かな時間だけ止まる。

 

蹴りを蹴りで、それも上段蹴りを迎撃したのだ。格好も相まって、二人の白い下着と黒い下着が一瞬だけ衆目に晒され、一部の人間たちはそれに視線を奪われる。

 

「姫さん、おれたちも!」

「ええ、バギ!」

「ヒャダルコ!」

 

とはいえそれに注視しすぎて動きを忘れる間抜けはここにはいない。動きの止まった瞬間を狙い、二人は呪文を放つ。真空呪文(バギ)氷系呪文(ヒャダルコ)のどちらもがチルノの行動を阻害するのが目的だ。

 

マァムは迫り来る呪文を察知するとすぐさま身を翻して距離を取り、だがチルノは手にしたガリアンソードを胸元に構えて待ち受ける。

 

「……【魔封剣】」

 

その言葉と同時に魔法剣は効果を終え、代わりに剣が淡い光を放つ。そこへ二人の放った呪文が襲いかかり、音もなく消滅する。

 

「消えた!? ううん、吸収したの!?」

「そんなのアリかよ!?」

 

有り得ない結果にさすがの二人も驚きを禁じ得なかった。

魔封剣は放たれた呪文や魔法を吸収して自らの魔力に変換するものだ。ただ、使用者は集中し続けなければならないことと、何より敵味方の区別なく打ち消し吸収してしまう欠点を持っている。

使いこなせれば便利ではあるのだが、バーンなどの敵の強大な魔法力を吸収しきれるか不安ということもあって、チルノは使うことを躊躇っていた。

だが今の彼女にはそのような迷いはない。あっさりと使用を決断し、自らの力とする。

 

「ピッ!」

「スラリンさん!?」

 

チルノが絡むために我慢が出来なかったのだろう。今度はスラリンが動いた。メルルの肩を踏み台に天高くジャンプすると、ボディプレスでもするかのように飛びかかっていく。

 

「……っ! じゃ、ま……!」

「ピィッ!!」

 

上空から飛びかかるスライムの姿にチルノは一瞬だけ何かを思い出したように動きを止め、苦しそうな表情を浮かべながら手で振り払う。だがそは、今までとはまるで違う弱々しい手つきだった。

命に別状はなさそうだが、スライムの肉体ではダメージは大きかったらしくスラリンは目を回してしまう。

 

「オオオオオッ!」

 

だがそれだけの価値はあった。

ダイは準備は完了したとばかりに右手に意識を集中させたまま、(ドラゴン)の紋章を強く輝かせる。

 

「ムッ! あれは……」

 

それに真っ先に反応したのはバランであった。それもある意味では当然だろう。何しろ彼がかつて行ったことなのだから。

 

「う、く、ああぁぁ……っ!!」

 

ダイの(ドラゴン)の紋章が輝きを増すと同時に、チルノは苦痛の表情を浮かべ始めた。そして少女の身体が微かに発光する。

ダイが行おうとしているのは、紋章同士の共鳴による記憶への干渉だ。過去にダイが受けた際にはその全ての記憶を消されたが、今回彼が行おうとしているのはその逆。

自身の記憶を流し込むことによってチルノへと呼びかけているのだ。

そして――ダイたちは知ることも無いのだが――イヤリングの効果によって声を遮断されているチルノにとってこれは最善の方法の一つだった。

 

バランが行ったのと同じ手段を用いながら、真逆の結果を齎すべくダイは奮闘する。

とはいえ紋章もなく、竜闘気(ドラゴニックオーラ)の量も微量なチルノを相手にするからこそ可能な手段であったのだが。かつて記憶を奪われた時の事を思い返しながらが、ダイは紋章を通してチルノに呼びかけ続ける。

だが、不思議な力に邪魔されてダイの呼び声は完全には届かなかった。紋章を通してダイ本人もそれを感じ、思うように行かない自体に苛立ちを覚える。

 

「なるほど。では私も、及ばずながら力になりますよ」

 

ダイの奮闘を見ながらアバンはマントを勢いよく脱ぎ捨てた。マントが外れたことで当然アバンは姿を現す。

 

「むっ! き、貴様はアバン……じゃと!? どうしてここに!?!?」

 

戦線を監視していたザボエラが悲鳴の様な声を上げる。傍から見れば本当に突然アバンが出現したように見えただろう。

アバンは五本のゴールドフェザーを取り出すと、それらを配置する。フェザーは互いに互いを光の軌跡で結びつけ、五芒星を作り上げた。目映いばかりの輝きに見ている者たちは思わず目を奪われるほどだ。

 

「シャナク!」

 

呪文を唱えると同時にフェザーは一斉に飛び出しチルノの周囲に降り注ぎ、地面へと突き刺さった。そこでも再び五芒星を描くものの、だがそこまでだ。

チルノの様子は何も変化することはなかった。

 

「おや、違いましたか……では、キアラル!」

 

手応えのなさに小首を傾げながら、アバンは再び同じ手順を繰り返す。だが今度は唱える呪文が違っていた。

キアラルは地上世界では遺失した呪文の一つだ。その効果は混乱した者を正気に戻し精神を安定させる効果を――つまり精神混乱呪文(メダパニ)を打ち消す力を持っている。

 

「あ……う……んっ……!」

 

目論見通り、その効力は絶大だった。破邪の秘宝によって増幅されたキアラルの呪文は、バーンによって込められた強大な魔法力すら打ち破り、彼女の心が正気を取り戻していく。

 

――ありがとう先生! 今だ!!

 

「チルノォォォッ!!」

 

紋章を通じて抵抗が消えたことを感じ取ったダイはここだとばかりに、姉のことだけを思いながら、雄叫びを上げつつチルノへ強い思念を送り続けた。

 

「あ……あああぁぁっ!!」

 

強烈な思念を叩きつけられ、チルノは悲鳴を上げた。その勢いに耐えきれず、彼女は思わず自分で自分の頭を抱えてしまうほどだ。

 

「……っ……!」

「あわわわわっ!!」

 

だがその抵抗も急に力を失った。

支えを失った人形のようにチルノは膝から崩れ落ち、それを見たダイは大慌てで駆け寄り、なんとか受け止めることに成功した。

 

「だ……大丈夫……?」

「ダイ……ありがとう……あなたの声、ちゃんと聞こえたよ……」

 

ダイの腕の中、チルノは瞳に輝きを見せながらそう呟く。

姉の柔らかな笑顔を見つめながら、少年は最愛の彼女をようやく自分の元に取り戻せたことを確信していた。

 

 




茶番です。
なんかもうキアラル使わせちゃって良いかなって。

……やっぱり前話と合わせて一つにまとめるべきだったかも。


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LEVEL:105 その胸元に絆の輝きを

「な、なななななんじゃとおおぉぉっ!!」

 

チルノの様子を眺めていたザボエラは、予定外の展開にただただ絶叫することしか出来なかった。

死したと思っていたはずのアバンが突然現れただけでも驚愕であり、正常な判断を出来ずにいた。そこへさらに追い打ちのように、チルノに掛けられていた精神混乱呪文(メダパニ)が解除されたのだ。

どれだけ呼びかけようともザボエラの命令を聞くことがないのが、その何よりの証拠だ。

 

「馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!! 大魔王様の呪文を解いただと!? ありえんぞ、そんなことはありえんわっ!!」

 

だがそれを信じられず、ザボエラは呪詛のように喚き散らす。そうすることで目の前の現実から逃れようとするが、どれだけ地団駄を踏もうとも眼前の光景が変わることなどあるはずもなかった。

これは当初の予定が完全に狂ってしまったことを意味する。

 

「そもそも精神混乱呪文(メダパニ)をどうやって解いたというのだ!! やつら人間の言う絆とか言うアレか!? キイイィィィッ!! 腹が立つ!!」

 

毒を消すのであれば解毒呪文(キアリー)を使う、のように対応する呪文は確かにあるが、精神混乱呪文(メダパニ)を解除する呪文など聞いたこともなかった。

人間たちが精神混乱呪文(メダパニ)を解く場合は、殴って無理矢理解除するというのが一般的に知られている。そんな野蛮な方法を常識のように行う種族が、まさか呪文で解除するなど想像の埒外であった。

 

だが人間の絆などという理由は、ザボエラからすれば認められない。

そんな何の足しにもならない不確かなものに打ち負けるなど信じたくはなかった。だが彼の目で見ても、ダイの呼びかけによってチルノが正気を取り戻したようにしか見えなかった。

 

実際は、アバンが増幅して放ったキアラルの呪文の効果で大魔王の魔法力が薄れ、ダイが(ドラゴン)の紋章を利用して強く訴え掛けたことによって元に戻れたのだ。

……広い目で見ればザボエラの言う"想像の埒外の方法"と"一般的で野蛮な方法"で打ち破った様なものなのだが……それは言わぬが花というものだろう。

 

「じゃ、じゃがどうする……? このままでは……」

 

しかしいつまでも喚き散らし、現実を否定し続けるわけにもいかない。チルノという手札を失った以上、次の手を用意する必要がある。

 

「退散はすべきか……い、いや! それはそれで困るわい! な、ならば仕方あるまい。当初の予定通りやるしかあるまいて!」

 

なんとも業腹だが、逃げるわけにも行かない。となれば――ザボエラはかねてから用意していた次手を用意することにした。

だが彼は知らない。

チルノの胸元で鈍く輝くペンダントが活躍の時を虎視眈々と狙っていることを。

 

 

 

「なんとっ! 大魔王様のお力を退けるなど!!」

 

ザボエラが驚愕の声を上げていたのと同じ頃、ミストバーンもまた悲鳴にも似た絶叫を大魔宮(バーンパレス)内に響かせていた。

バーンの信奉者たるミストバーンにとって、大魔王の力を易々と打破されるのは信じがたく屈辱にも似た感情が支配する。

 

「そう言うな、ミストバーン」

 

だが憤るミストバーンとは対照的に、バーン本人はさして気にした様子を見せない。

 

「確かに、なんとも詰まらん結果となった。それは事実として認めよう。だが、何のための仕込みだと思っておる?」

「!!!」

 

微笑を浮かべながら見せつけるように右手を軽く上げる。

その手の小指、その爪に刻まれた黒色の五芒星。それこそが、チルノの胸元に揺れる黒の核晶(コア)の起爆装置を意味している。

 

「余がこの指先から魔法力を飛ばせば、あの核晶(コア)は爆発する」

 

彼らが目にする水晶には丁度、チルノが力なく膝から崩れ落ちたところをダイが抱き留めた場面が移し出されていた。

 

「感動の再会か……丁度良い、その続きはあの世でゆっくりやるが良い」

 

ニヤリと意地の悪い笑みを深く刻み、バーンは小指の先を目標へと――水晶に浮かぶチルノの胸元に向ける。

 

「砕け散れッ! 黒の核晶(コア)よっ!!」

 

バーンの指先が輝き、室内を一瞬だが純白に染め上げる。魔法力が放たれた証だ。

そして、余人の目には感知することも不可能だが、魔法力は確実にチルノの胸元まで届くとゆっくりと起動する。

 

「これでもはや、何人も止めることは出来ん……」

 

――くっ! けれど仕方ないか……?

 

勝利を確信したように淡々とした表情を浮かべるバーンの様子を窺いながら、キルバーンは歯噛みしていた。

だが黒の核晶(コア)が起動してしまっては、もはやどうすることも出来ない。

自身の考えが破綻したことを理解しながら、それでもどこかで修正できないかと今までの出来事を必死で思い返す。

何かヒントや手がかりとなる物は無いかと。そして――

 

「ミス、ト……?」

「……どうしたキル?」

「……いや、なんでもないよ」

 

死神は言葉を飲み込んだ。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「姉ちゃん! 姉ちゃん!! 元に戻ったんだね!!」

 

自らの腕の中でどこか疲れたような表情を見せる姉の姿を凝視しながら、ダイは歓喜のあまりチルノのことを強く抱き締めようとする。

 

「待って! ちょっと待って! ……ああ、もう!!」

 

だがチルノはそんなダイの機先を制するように彼の腕の中からスルリと抜け出ると、大慌てで首に掛かるペンダントを毟り取るか引きちぎりでもするかのように、乱暴かつ強引に外してみせた。

 

「なにそれ?」

 

姉の行動も彼女が手に持つペンダントも、そのどちらも意味が分からずダイは疑問の声を上げた。とはいえチルノはそんな声など届いていないかのように――実際、今はまだ届いていないのだが――強く強く集中すると、魔法を解き放った。

 

「【デジョン】!」

 

これは対象を異次元へと送り込む魔法だ。

魔力によって生み出された異次元へと繋がる小さな穴が空間に開かれると、彼女は迷う事なく手にしたペンダントを投げ入れ、大慌てで穴を閉じる。

 

――次の瞬間。

 

「うわわわわっっ!?」

「なんだなんだ!?!?!?」

 

突然巨大な地震によく似た振動が周囲を襲い、仲間はたちは驚きの声を上げた。

だがこれは地震ではない。

本当に地震ならば揺れるのは地面だけ。決して空間全体(・・・・)が揺れることなどないのだから。

 

その正体は、黒の核晶(コア)が起爆した際の余波。それが、次元すら超えて伝わってきたのだ。

異次元に送り込んだとはいえ、黒の核晶(コア)は凶悪という言葉すら生ぬるいほどの破壊力を持っている。加えて完全に次元の穴が閉じきっていなかったことも遠因の一つ。

小指の先にも満たないほどの穴から漏れ出た破壊のエネルギーの残滓が、これほどの影響を与えていた。

 

「やっぱり……こんなことだろうと思ったのよね……」

 

揺れが収まったのを確認してから、チルノは額に浮かんだ大粒の汗を手で拭いながら呟いた。確信はなかったとはいえ、何らかの嫌な予感がしていたことは事実だった。何しろバーンが自ら用意したと豪語していたアイテムだ。

何にせよ碌でもない物には違いないと思っていたのだが……状況から察するに、猶予は限りなくゼロに近かったようだ。

 

もしも気付かずに正気に戻ったことを祝っていたならば。ペンダントの処理に時間が掛かっていたならば。

おそらく自分たちはまとめて全滅していたことだろう。

 

最悪の未来を想像して、チルノは内心胸をなで下ろす。

 

「な、なんなんだ今のは……」

「今のって……何?」

 

目まぐるしく変化していく事態に付いてこれず、仲間たちが呆然と呟く。だがそれはチルノの目にはただ口をパクパクさせているようにしか映らなかった。

 

「……あ、そうか。ついでにこれも」

 

まだ一つ外し忘れていた物があることを思い出し、残ったイヤリングを外す。とはいえこれは効果が分かっている(・・・・・・・・・)ので、焦る必要もない。毎朝の身だしなみを整える時のような気楽さと慣れた手つきで取り外すと――

 

「ヒュンケル! ラーハルト! 斬って(・・・)!!」

 

――それぞれのイヤリングを二人に向けて放り投げる。

 

言われた方は一瞬何のことか分からなかったが、それでもチルノの言葉に従い二人の戦士はそれぞれの獲物を振るい、中空で切断して見せた。

 

「これでいいのか?」

「良いのですか? 高そうな物ですが……」

 

縦一文字に両断されたアクセサリーの残骸を受け止め、それぞれがチルノに見せつける。

 

「ええ、問題ないわ。ありがとう。それを付けていると、みんなの声が聞こえなくて……外したままだと、声を盗み聞きされる可能性もあったから……」

 

完全に壊れていることを確認すると、安心したように彼女は呟く。だがそれは事情を知らぬ仲間たちからすれば、色々と聞き捨てならない言葉だった。

 

「えっ……? おれの声、聞こえなかったの……? そんな……」

「声が聞こえない? なんだそりゃ?」

「それって、そのイヤリングの効果なの?」

「あー……そっか。そこから説明しなきゃダメね」

 

彼らの反応に思わず苦笑いをチルノは浮かべる。

さてどう説明したものかと思案顔になりながら、それでも第一声はコレしかないだろうと思い立つ。

 

「みんなごめんなさい!!」

 

そして全員に向けて思い切り頭を下げた。

だがチルノの突然の行動にダイたちは困惑した表情を浮かべる。

 

「大魔王の精神混乱呪文(メダパニ)で正気を失っていたとはいえ、私……みんなのことを喋ってしまって……未来の知識も……」

「ああ、なるほど」

「だから大魔王たちはあんな行動を取ってたのね」

 

続く彼女の言葉でチルノが何を謝っていたのかを悟り、だがダイたちはどこかスッキリしたような納得した表情を浮かべていた。少なくとも、チルノが未来のことを話してしまったことを責めたり驚いたりしたような表情はしていない。

むしろその反応を見たチルノの方が驚かされるほどだ。

 

「……え? な、なんで……」

「いやぁ、そのな……」

「先生が予測してたんだよ。バーンたちが何らかの理由で姉ちゃんから情報を引き出していたんじゃないかって」

「さ、さすが先生……」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。今回の場合、相手も分かり易かったですから」

 

状況の変化によってアバンが早めに参加してくれたのだろうことはチルノも分かったが、まさかそこまで推察されていたのかと、アバンの頭脳に少女は舌を巻く。

だがアバンはそんなことは驚くに値しないとばかりに平然とした態度を崩さなかった。

 

「それに精神混乱呪文(メダパニ)で正気ではなかったのでしょう? ならば仕方ありませんよ」

「でも、そうなったのも元を辿れば私が竜に変身して暴走しちゃったからで……あ、そうだった!」

 

そして不可抗力だったのだから気にすることはないと責めずにいる姿に、思わず胸を打たれる。そして、そこまで口にしたところでチルノはもう一人、頭を下げなければならない人物がいることを思い出す。

 

「バラン……あの時は、本当にごめんなさい」

「……気にするな。若い頃の(ドラゴン)の騎士は、自らの力をコントロールできん。それと似たようなものだ。私にしてみれば、子竜のワガママを躾けたに過ぎん」

「子竜……あはは……」

 

だが逆に、謝罪の言葉など無用とばかりの姿を見せつけられた。

なるほど言われてみれば確かに、バランからすれば自分など子竜に過ぎないのだろう。そう思うと同時にそのスケールの大きさに軽く圧倒させられる。

 

「ところでチルノさん。大魔王に捕らわれていた間のこと、もう少し詳しく話していただけますか? 何か攻略の糸口が見つかるかもしれません」

「はい、それは勿論ですよ。ええっと――」

 

そう前置きすると、チルノはこれまで何があったのか。皆はその一言一句をも聞き逃すまいと集中する中で、その一部始終について語り始めた。

 

竜に変身したのは、自身の能力による物だという可能性が極めて高いこと。

大魔王に呪文を掛けられ、操り人形とされたこと。

けれども呪文の影響下にあってもその時の記憶は残っていたこと。

キルバーンとザボエラが別途、大魔王を打倒すべく独自の行動を開始し始めたことと、バーンらには偽りの情報を与えたこと。

出陣直前にバーンからペンダントを渡されたものの、ずっと怪しいと思っていたこと。

そして最後に、ここに侵攻するまでの間は閉じ込められていたことを告げる。

 

「――というわけです」

「なるほど」

 

一通りの話を聞き終えると、アバンは手を顎に当てながら思案顔を浮かべ始める。一方ポップは、チルノの服装に着目していた。

 

「その服装はそういうことか」

「ちょっと悪趣味な感じもするけれど、似合ってるんじゃない?」

「そうですね、印象が変わります。でも素敵です」

「ピィッ!!」

「でも危険じゃないの? 出所(でどころ)は敵側の物なのだし……」

 

レオナの言葉にメルルが賛同し、スラリンも同意の声を上げる。ただ、フローラだけはイヤリングとペンダントという前例もあってか、その服装を危険視する。

 

「あ、ありがとう。それとフローラ様のご指摘も尤もなのですが、でもどのみち着替えなんてないし……このまま行くしか」

 

竜から元に戻った後、しばらくの間全裸でいたのだ。アレと比べればマシである。

 

「オレとしては、操られていた時の戦闘力に驚かされたぞ。なんなのだアレは?」

 

そしてクロコダインはチルノの戦い振りに着目していた。

初めて目にする闘い方に、今まで見たことのない魔法や技能。彼女をよく知る者ほど、あれには驚かされる。バランらが賛同するように頷いているのもその証左だろう。

 

「あれはその……ちょっとした理由があって、隠していたというか……新しく使えるようになったというか……」

 

けれどもチルノは言葉を濁す。

確かに隠していた部分もあるが、竜に変身できるようになって自身の扱える魔法や技術が格段に多くなった。なにより空き時間に鍛錬できた(・・・・・・・・・・)のが大きい。

ただ、それをどう説明したものか。

 

「あ! そういえばダイ!」

「な、なんだよ姉ちゃん……?」

 

なので彼女は話題を逸らすことにした。

 

「さっき私のこと、チルノって名前で呼んでくれたよね?」

「ええっ! い、いやさ……って、ていうかさ!! そのイヤリングのせいで聞こえなくなってたんじゃないの!?」

 

急に矛先を向けられダイは言葉に詰まる。

ましてやそれは、彼がありったけの勇気とその場の勢いを借りて口にした言葉でもある。

だがイヤリングのことを知らされ、聞こえていないものとばかり思っていた。少しばかり落ち込んでいたところに、実は伝わっていたという事実を知らされ、恥ずかしさやら驚きやらで頭が混乱してしまう。

 

「でも口の動きくらいは見えるからね」

「姉ちゃ~ん……」

「あら? もう名前で呼んでくれないのかしら? 嬉しかったのに……」

 

狼狽える弟の姿にクスクスと笑いながら、さらにチルノはからかうように鳴き真似をしてみせる。その姿にダイは更に困惑し、思わず周囲の仲間たちから笑みが零れた。

 

「えー、チルノさん。お取り込み中の所、少し宜しいでしょうか?」

 

同じく笑顔となりながら、アバンが遠慮がちに口を挟んできた。

 

「すっかり忘れていたのですが、」

「これって……」

「貴方の胸元には、あんな危険な物よりもこちらの方が相応しいですね」

 

そう言いながらアバンはチルノの首に新しくペンダントを掛ける。それは青く透き通った涙滴型の石を持つペンダント。ダイたちは持っているのに、チルノだけが持っていないもの。

 

アバンのしるしだった。

 

 




ツイッターの使い方が分かりません。
原始人か私は……

当初はメガフレアで打ち抜こうと思ったけれど、絶対時間が足りないので。
怖い物はぜーんぶ、異次元送り(不法投棄)ー♪


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LEVEL:106 振り返らずに走れ

文字数少ないと申し訳ない病
とっと話を進めろよ病



「…………」

 

アバンの手によって首に掛けられたペンダント。チルノはそのペンダント――より正確にはぶら下げられた涙滴型の宝石――を掌の上へと大事そうに乗せながら、しばらくの間無言であった。

まるで宝石の輝きに目を奪われたかのように凝視を続けている。

なにしろそれは、アバンから教えを受け、アバンから認められた者という証なのだ。チルノからすれば決して手の届かないはずの外の世界から垂涎の眼差しを持って眺め続けていたようなものだ。

それが実際に手に入ったとなれば、延々と……それこそ何時間も眺め続けていたとしてもおかしくはないだろう。

 

「あの、アバン先生……!!」

 

けれども何時までもそうしているわけにも行かない。チルノはふと正気に戻ったように顔を上げると、恐る恐るアバンの方を見る。チルノの視線を受けたアバンは、にっこりと柔らかな笑顔を浮かべ少女へ向けて優しく語りかけた。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、待たせた甲斐はあったと思いますよ」

 

だがそう言われてもまだ、チルノの心には戸惑いが大きかった。

こうして実際に卒業の証を手にしてみると、嫌が応にも理解させられるのだ。アバンという偉大な人物に認められたという事実と、その教え子として生きていくというその重圧を。

片手で簡単に持てるほど小さいはずのペンダントが、今の彼女には重くて仕方なかった。

ヒュンケル、マァム、ポップ、ダイ。

彼女よりも前に受け取った者たちもまた、同じような気持ちを感じてきたのかと思い、そしてその重さを乗り越えてきたのだと改めて思い知らされる。

そんな中に、自分も混ざって良いのかとどうしても不安になってしまう。本当の英雄たちと肩を並べる資格があるのかと。たった一つの小さなペンダントの有無が、ここまで大きな差になるのかと。

 

「本当に私が……? これを……!?」

「ええ、勿論です」

 

恐る恐る尋ねれば、アバンは一切の淀みなくそう言い切ってみせた。

 

「みんなをここまで導いてきたのでしょう? 私が保証しますよ」

「ありがとう……ございます……」

 

たった一言、そう言われただけで手の中に感じていた重さはいつの間にか消失していた。

アバンたちとの絆がより強くなったような、重さは消えてもその存在感だけはますます大きくなったような。

そんな感覚を味わいながら、チルノは一筋の涙を垂らしながらアバンのしるしを優しく握りしめる。

 

「それに、今さら"やっぱりいりません"なんて言われても、こっちも困っちゃいますよ。なんと言ってもそれは特別製ですから」

「特別製……ですか?」

「何しろ最初から渡す相手が決まっている状態で作った代物ですよ。まだ見ぬ持ち主の危機すら私に教えてくれるくらいに、超スペシャルな一品に仕上がっています」

「ええぇっ!? そ、そんな凄いんですか……!?」

 

ニヤリと得意げな笑みを浮かべながら、アバンはチルノが持つ卒業の証について簡単な説明を行う。特別製という言葉に「一体何が違うのか?」と値踏みするようにペンダントを検分していたチルノであったが、続くアバンの言葉は流石に想像の域を超えていたようだ。

驚きの声を上げると同時に「そのくらいのことはあっても不思議ではない」と納得もしていた。

なにしろ輝聖石自体の性能もさることながら、持ち主の心に感応して光を放ってみせたり、かと思えばペンダントの鎖は攻撃を受け止めたりもするのだ。そのくらいのことはやってのけても当たり前だろうという認識がどこかにあった。

 

「そして、それを渡した以上はあなたも一人前です。これからは甘えは許しませんよ? わかりましたかチルノ?」

「はい……心得ました」

 

アバンは強調するように少女を名を呼んだ。それも呼び方を「チルノさん」から「チルノ」へと変えたことが誰の目にも分かるくらいにだ。

それは彼が宣言したように、これからはチルノのことを一人前の相手として扱うという心の顕れ――決意や儀式のようなものなのだろう。

そして、それが分からないほどチルノも愚鈍ではなかった。厳かに返事をしながら、少女はその言葉と覚悟を胸に強く刻みつける。

 

「やったじゃない! これでお揃いね」

「わっ、レオナ!? そっか、レオナはもう貰っているんだ」

 

禊ぎは済んだとばかりに、レオナがチルノに抱きつきながら祝いの言葉を口にする。突然飛びかかってきたレオナをなんとか受け止めながら、チルノはレオナの胸元にもアバンのしるしが輝いていることに気付き、賛辞の言葉を贈る。

 

「ふふっ、いいでしょ? これであたしの方が先輩よ」

「あはは……これからもよろしくね……」

 

抱きついていた手を離すと腰に当て、レオナは得意げに胸を張りペンダントを見せびらかすような姿勢を取った。同性相手とはいえ、男衆が圧倒的に多いというのに胸元を強調するポーズを平気で取るレオナの傑物っぷりにチルノは乾いた笑いを浮かべる。

 

「チルノ、おかえりなさい」

「マァム……うん、ありがとう」

 

レオナが気の置けない友達のような態度だとすれば、マァムの言葉には母性が込められていた。たった一言の言葉だけで優しく包み込んでくれるような暖かさがある。それこそが彼女の本質なのだということを再認識しながら、チルノは短くお礼の言葉を継げる。

そして――

 

「チルノさん、おめでとうございます」

「ピィッ!!」

「メルル、それにスラリンも……」

 

黒髪の少女は控えめに、けれども誰にも譲らせないほどに強い意志を持ちながらチルノを前へと出た。眼前の少女の相棒たるスライムを胸元に抱え、一緒になって祝いの言葉を贈る。

チルノはそれを少しだけ照れくさそうにしながら受け止めた。

 

「チルノさん、私……チルノさんが行方不明になって本当に心配したんですよ……」

「うん……ごめんなさい……」

 

メルルの言葉はレオナともマァムともまた違う、本当にチルノを慕い身を案じる者のそれだった。悲哀を含んだ小さな言葉は、どこまでも正論であり聞く者の耳に鋭く突き刺さる。

かつてアバンたちに事情を打ち明けた際、ブラスに怒られたときのような気持ちを思い出し、チルノは反射的に目を伏せてしまった。

 

「本当は私も、スラリンさんもチルノさんと一緒に行きたいんです。あなたの隣で、力になりたいって思っているんです。でも、私たちではこの戦いで戦力にはならないってことも、ちゃんと分かっています」

「メルル……?」

「だから、スラリンさんと二人で、チルノさんが戻ってくる場所はちゃんと守っておきます……だから、絶対に帰ってきてください」

 

だがその瞳はすぐにメルルを方を向く。

チルノのことを真剣に思い、自分の出来ることを精一杯やると言う言葉に彼女の視線は自然とメルルに吸い寄せられ、そして離れられなくなっていた。

 

「じゃないと私、チルノさんのことを一生恨みますからね!」

「そうね、ありがとうメルル。約束する、ちゃんとみんなで戻ってくるから」

 

トドメとばかりの精一杯の怒気が込めれた彼女らしからぬ強い言葉に、チルノは根負けしたように破顔すると、力強くそう返答していた。

絶対に破れない約束と絶対に裏切れない期待を胸に込めながら。

 

「再会の挨拶は済んだか? ならばそろそろ歩みを進めたいのだがな」

「バラン……もう少しだけ待って貰える? 伝えなきゃならないことがあるの」

「伝えること? まだ何かあるというのか?」

 

急かすバランに対し、チルノは小さな棘のように胸の裡で刺さり続けていた懸念点を口にする。

 

「ええ、キルバーンたちのことよ」

「それって、バーンを打倒するべくザボエラと手を組んで裏で行動を開始したって話だろ? 自分で言ってた話じゃねぇか」

 

ポップの言葉に、ダイたちは頷く。

 

「偽物の情報をバーンに伝えて、状況をコントロールしたいって話よね?」

「そのせいで、攻めるとも守るともつかない中途半端な状態になったんだってことでしょ?」

「うん、そうなんだけれど……ただ……」

「ただ?」

「上手くは言えないんだけれど、それだけじゃないと思うの……根拠とかは無いんだけれど、その……もう一枚裏があるような……」

 

キルバーンの言葉を直接話を耳にした者にしか感じ取れないような何か。裏の裏に隠された別の思惑のようなものがチルノの中で警鐘を鳴らしていたのだ。それを感じ取ったからこそ、注意を促す意味を込めて再度伝えるという行動を取らせていた。

だがそれも、ただこのように漠然とした注意喚起をするのが精一杯。

本来の歴史という知識が役に立たなくなったことを歯痒く思いながらも、その原因はチルノ自身がまいた種なのだからどうすることも出来ない。それでも伝えずにはいられなかった。

 

「だから、それに気をつけて欲しいの。漠然としたことしか伝えられなくて申し訳ないんだけれど……」

「くだらんな」

 

だがそんなチルノの懸念をバランは一言で切り捨てた。

 

「死神が何かを企んでいるのは既に承知のことだ。その内容も、おそらくはヴェルザーに利することだろうが、そんなものはどうでも良い。邪魔する者は私が全て斬って捨ててやる」

 

男らしいと取るか、はたまた強者の余裕と取るか。大概の者は今のバランの言葉をそう受け止めるだろう。

だがその本心はもう少し複雑だ。

かつてバーンに差し伸べられた手を取り、人間に弓を引いた事に対する後悔と慚愧を払拭するために。そして義理の娘(チルノ)の心配の全てを吹き飛ばしてやるという覚悟を込めた言葉であった。

 

「流石は竜騎将バラン、頼もしいですね」

「……身勝手な願いだということは重々に承知しているが、その呼称は止めて頂きたいのだ、カールの女王よ……」

「そうですね。失礼しました。(ドラゴン)の騎士バラン。ですがその言葉には期待させてもらいますよ」

 

ただ、少なくともフローラだけは内心を幾ばくかは把握していたようだった。

かつて魔王軍に所属していた頃の役職で呼ぶことでバランの心をくすぐりながら、続いて仰々しい呼び方をすることで少しだけ意趣返しをする。

 

「行くぞ! 先陣は私が切る!!」

 

そう叫ぶと同時、バランは駆け出す。その後ろを、ダイたちは絶大な信頼を感じながら続いていった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

さながら大地に降り立った鳥のように、大魔宮(バーンパレス)はその巨体を地に下ろしていた。各翼端と主城部分の合計六カ所に底面部分に存在する鋭利な柱を杭代わりに地面へと打ち付けることで固定させている。

だが腹の下を全て地面に接しているわけではなく、魔法力と空に浮かぶ特殊な金属の組み合わせによって幾らか地面から浮かび上がっていた。

それは丁度、魔宮の門へと通じる階段が大地に触れるか触れないか程度の高度である。傍から見れば客人を招き入れようとしているかのようだ。

 

「まるで歓迎されてるみたいだな」

「確かに、ある意味では歓迎されているんだろうけど……」

 

ポップの何気ない呟きにマァムが珍しく賛同するような言葉を返す。

城に近寄るまでの間――もっと言えばチルノを元に戻してからの間も含めて――ずっと、バーン側は沈黙を貫いたままだったのだ。

チルノを伴うようにして現れていたザボエラですらいつの間にか姿を見せなくなっており、まるで妨害の無いまま敵の膝元近くまで辿り着いていた。ならばここから先に何かが仕掛けられているのだろうと判断し、彼らは緊張の糸を張り巡らせる。

 

「あの時のままだな……」

 

先頭を進んでいたバランは当然、誰よりも早く魔宮の門の中へと足を踏み入れる事となる。そして内部を一瞥するなりそう呟いた。

 

かつてダイと二人掛かりで破壊したはずの門は修復こそされていたものの、再び見えたときにはかつて感じた威容など微塵も感じるのことない――有り体に言ってしまえばタダの金属製の門へと変わっていた。

少し力を込めて押せば簡単に開く門の存在に少々毒気を抜かれつつも、バランは油断することなく奥へと進んでいく。

 

「ここを通るしかないわけか」

「仕方ありませんね。我々は誰一人として、大魔宮(バーンパレス)の奥まで行った経験はないわけですから」

 

続いて内部へと踏み入ったのはヒュンケルやラーハルト、アバンと言ったいわゆる前衛を任される者たちだ。彼らは初めて目にする大魔宮(バーンパレス)の内側の姿に驚き、そして外側から想像できる長い道程を思ってすこしだけ溜息を吐く。

 

やがてダイらも門を通りぬけ、そしてポップら後衛の者たち全員までもが城内へと足を踏み入れ、少しした頃だ。

 

「キィ~ッヒッヒッヒッ!! まんまと掛かったか!! 愚かな人間共よ!!」

 

周囲に特徴な声が響き渡った。

もはや耳障りとすら感じるその声に、その場にいた全員が思わず顔を顰める。ダイたちはすでに門から奥へと入っているせいで直接視認することは出来ないが、それ以外の者たち――すなわちフローラやノヴァといった者たちは未だ大魔宮(バーンパレス)の外にいたため目にすることが出来た。

大魔宮(バーンパレス)の上でふんぞり返りながら、得意げになって哄笑を上げているザボエラの姿を。

 

一度身を隠しておきながら何食わぬ顔で再びその姿を見せる厚顔無恥さに多くの人間たちが思わず呆れるが、だがザボエラが無策で姿を現す筈もない。

 

「そら! 者どもかかれえぇっ!! 今ならば邪魔は入らんわっ!!」

 

その言葉を合図に無数の光の帯が大魔宮(バーンパレス)の各所から放たれた。それらは全て一直線に魔宮の門付近へと降り注ぐと、その正体を現す。

 

「こ、これは……!?」

怪物(モンスター)だと!? だが、こんな奴らは見たこともない!」

「それになんて殺気なんだ……」

 

そこにいたのは無数の怪物(モンスター)たちだった。

所狭しと並び立つ魔物の群れが、魔宮の門を取り囲むように半円状に集結している。その殆どが初めて見る魔物ばかりであり、加えて身の毛がよだつほど強力な気配を放つ。

 

「既に勇者どもは大魔宮(バーンパレス)の奥へと進んでおる! この事態に気付き救援に戻るとしても、到着するまでに果たしてどれだけの犠牲が出るかのぅ? しかもそやつらは魔界の怪物(モンスター)共よ!! 地上の雑魚どもとはレベルが違う!!」

 

つまるところ、ザボエラの策とはこういうことだ。

ダイたち地上の実力者を先に行かせ、手薄になったところを強力な魔物たちに後ろから襲わせるというものである。

細い通路は行き来し難く、仮に先に進んだ者たちが危機を察知しても戻ってくるまでに時間が掛かる。その隙に少しでも人間たちに被害を出そうという算段だ。

 

「なるほど、そう来るわけですか」

「予め知らされていなければ、連携も取れず足並みも揃わず、大きな被害が出ていたかもしれんな」

 

だがザボエラの言葉を耳にしながら、フローラとホルキンスは納得したように頷きあった。

いや、二人だけではない。この場にいる全員が頷きながら剣を手に取り、周囲を囲む魔物たち目掛けて闘気を漲らせている。

予想とは違う人間たちの反応に、むしろ怪物(モンスター)たちの方が面食らうほどだ。

 

「お前たちは先に行け!! ……予定通り(・・・・)に、な」

 

現時点で最も門の近くにいるのはホルキンスだった。

彼は門を両手で掴むと内側に向けてそう叫び、続けて勢いよく門を閉める。本来ならばここで更に鍵の一つでも掛けたいところであったが、生憎とそのような技術も呪文も彼は知らなかった。その代わりとばかりに、門が変形するくらいの力を込めて閉じるだけだ。

 

「な、なんじゃその態度は……!?」

 

訝しむザボエラであったが、彼らからすればこの事態もまた想定通りであった。

本来の歴史でも、同じような場面で魔界の怪物(モンスター)たちが襲いかかってきていた。ならば似たような事が起こる可能性も充分にありえるだろう。

そう判断した彼らは皆、予め襲われた時の対処方法や手順といったものを念入りに打ち合わせしていた。

 

「行くぞ者ども!! 我々の勝利を勇者たちに捧げるのだ!!」

「「「「「おおおおおぉぉぉっ!!!」」」」」

 

ホルキンスの威厳に満ちた声に、随伴していた多くの騎士たちが雄叫びを上げる。彼らは一切の怯えも動揺も見せることなく、魔物たちに挑みかかっていった。

 

 




もう2話くらい、文字数少ない短めの話が続く予定。
(短いって目算があるならとっとと書けよ私……)


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LEVEL:107 最終決戦開始

(前話でゴメちゃんの描写をすっかり忘れていたなんて言えない……
 冒険王ビィトを全巻買い直したりするから忘れるんだよ……)


翼を休める鳥のように大地へと降り立った大魔宮(バーンパレス)。その最外周、魔宮の門の周辺では、人間たちと魔物たちの戦いが繰り広げられていた。

 

視界を覆い尽くさんほど大量の魔物の群れ――その数は大凡四、五百体ほどにもなるだろうか。加えてその全てが、地上に生息する魔物とは比較にならないほど強力な力を持つ魔界の怪物(モンスター)たちだ。

彼らは全員、その圧倒的な力と数を活かして突撃戦法を取ってきた。半円状に包囲するような陣形からその中心点へ向けて一斉に駆け寄っていく光景は、上空から見れば黒い津波のように見えたことだろう。

 

対する人間側は、努めて冷静に対処していた。

ホルキンスを司令塔として隊列を整え、方陣を組み上げることで各員の死角を補うように戦わせる。個々人の力量では魔物たちに劣るものの、連携を重視させることで対応させるという狙いだ。

その後ろには交代要員の兵士を配置させ、疲労や怪我などの際にはすぐに入れ替えることで戦線を維持させる。

さらにその後ろには遠距離攻撃や呪文を使える者たちを配して、前線を援護させる。

そんな極めて真っ当な戦術で応戦していた。

 

「オオオオオッ!!」

「ぬううぅぅ!!」

 

頭部の一本角と口から飛び出るほどに巨大な牙を持つソルジャーブルが手にした剣で斬りかかったのを、カール騎士の一人が剣で受け止める。だがその威力は凄まじく、受け止めた側の手には衝撃で鈍い痺れが走るほどだ。

 

「今だッ!」

 

敵の意識が攻勢に回ったところを、別の騎士の一人が攻撃を加える。いくら身体能力は人間以上の魔物であっても、意識していない時に攻撃をされては反応しきれない。

刃は本来ならば強固であったはずの肉体を易々と切り裂き、ソルジャーブルは激痛に悲鳴を上げながら崩れ落ちた。

 

「すまん!」

「お気になさらずに!」

 

カバーに入った騎士に短く礼を告げるカールの騎士。一方、礼を言われたのはベンガーナの騎士だ。

 

「ケエエエッ!!」

「甘い!」

 

だが攻撃の隙を狙うのは何も人間だけではない。巨大な鎌を手にして蝙蝠のような翼を背に生やしたベレスが、空から襲いかかるべく急降下する。

その動きに反応したのは後列にいる戦士だ。彼は手にした弓を即座に放ち、敵の翼を打ち抜いてみせた。強襲する勢いはそのまま落下の勢いに代わり、地面へと無様に激突した。

 

「チッ!! 邪魔だっ!!」

精神混乱呪文(メダパニ)

 

目の前に落ちてきたベレスを蹴り飛ばしながら、二足歩行する(サイ)の姿をしたライノソルジャーが突進してくる。だが精神混乱呪文(メダパニ)をまともに喰らい、周囲の魔物たちに襲いかかり始めた。

 

呪文を唱えたのはパプニカ三賢者の一人マリン。そして先ほど弓を放ったのはロモス武術大会にも出場していた弓使いのヒルトだ。

所属の違う者たち同士だが、今この場ではそんなことに何の意味も無い。ただただ協力してこの場を切り抜けるべく、心を一つにして戦っていた。

 

だが、この場で最も活躍していたのは誰かと尋ねれば、おそらく多くの者たちが口を揃えてこう言うだろう。

 

――北の勇者と呼ばれた少年、ノヴァだったと。

 

「はあっ!」

 

巨大な翼竜のような姿をしたテラノバットが、ノヴァの一刀により倒された。

テラノバットは大型魔獣に属する魔物のため耐久力は凄まじいものがあるのだが、それを意に介さないほどの見事な剣技。その戦い振りに、魔物の群れも微かに怯えの色を見せたほどだ。

 

「おのれっ!」

「人間ごときがっ!!」

 

テラノバットの穴を埋めるように数体のシャドーサタンが前に出てきた。

真っ黒な体色を持ち、頭部の両端から突き出た角に背中には巨大な翼。何より額に輝く三つ目の瞳がなんとも不気味な特徴を持つ悪魔型の魔物である。

 

「ボクらを"ごとき"と侮るから、キミたちは負けるんだ!!」

「ほざけっ!」

 

しゃにむに突撃してくるシャドーサタンたちであったが、今のノヴァの目には隙だらけにか映らなかった。彼はその内の一体に狙いを定めると、縦一文字に剣を振り下ろす。

 

「がっ!!」

 

その剣速はかなりの物であり、シャドーサタンは反応することもできなかった。まるで身体を縦に分割されるかのような傷が走り倒される。

だがノヴァの攻撃はそれで終わりではない。振り下ろしの勢いを利用して今度は真横に剣を振るった。それは仲間の一人が倒された事に動揺し、動きを止めてしまった魔物たちに襲いかかった。

 

「ぐおっ!!」

「ひ、ひいい……!!」

 

一体は腕を切断されて怯えた声を上げ、もう一体は首を切り裂かれ倒れた。それだけの攻撃を仕掛けておきながらもノヴァはすぐさま正眼に構え直しており、油断は微塵も感じられない。

 

「ヒャ……氷系呪文(ヒャダルコ)!」

氷系呪文(マヒャド)!!」

 

片腕を失い戦意の大半を喪失したようだが、まだ戦う気力は残っていたようだ。シャドーサタンは得意の呪文を唱えた。

局所的な吹雪と氷の刃が生み出されノヴァへと襲いかかるが、彼はそれを同種の呪文で迎え撃つ。氷系最上位呪文であるマヒャドはヒャダルコの勢いなど物ともせずに巻き込み、それどころか完全に打ち消していた。

圧倒的な範囲を誇る冷気の嵐に多くの魔物たちが巻き込まれ――流石にシャドーサタンは氷系呪文を得意としているだけあって耐性を持っていたが――その寒さに大半の動きが目に見えて鈍る。

それは格好の攻め時となっていた。

 

「ふふ……ノヴァのやつ、大したものだ……」

 

後方で全体の指揮を執っていたホルキンスは、ノヴァの戦い振りに思わず目を奪われていた。手にした剣を振るうその姿は以前見た時と比べてまるで別人のように鋭く、無駄のない物へと変わっている。

 

「あなたが教えた剣技ですよね?」

「ええ、これほどまで上達するとは……さすがはバウスン将軍のご子息ですよ」

「あら? 師匠が良いからでは?」

 

フローラのからかい混じりの言葉に僅かに頬を紅潮させながら頷く。彼女の言葉通り、その技術の全てはホルキンスが教え込んだものだ。

 

かつての口約通りに彼は空いた時間にノヴァへと修行を付けていた。決して長い期間でもなければ四六時中付き合っていたわけではないものの、だがどうやら不思議と水が合ったらしく彼はぐんぐんと伸びていった。

かつて勇者ダイと手合わせをしたと聞いているが、今ならば剣技だけであれば勝てるのではないだろうか――そう考え、さすがに親馬鹿ならぬ師匠馬鹿すぎるかと思わず自嘲する。

けれどもそう考えてもおかしくないほど今のノヴァは確かな腕前を見せていたのだ。

 

「ノヴァ、突出しすぎだ少し下がれ!! 正面!! ノヴァの開けた穴を無駄にするな!! 右翼はもう少しだけ堪えろ!! すぐに援護を回す!!」

 

浮かれかけた心に活を入れて冷静さを取り戻させると、ホルキンスは指揮へと戻る。順調に進んでいるときほど、慎重にならねばならない。まだ行けるは油断のサインでもある。それを諫めるのは大人の役目、そして師の役目でもあった。

 

 

 

 

 

ホルキンスの言葉に全員が一糸乱れずに動き、戦略的に魔物たちを追い詰めていく。確かに大怪我を負う人々もいたが、この調子で行けばなんとか撃退できる目算は立つ。

 

――だが、戦場では常に予想外のことが起こる。

 

「フッ……少し遅れて顔を出してみれば、面白そうなことになっているじゃないか」

 

人々と魔物たちが激突しあう戦場。その最外周を眺めながら、一人の男が姿を現した。

 

「だが丁度良い、コイツらを相手にするならば誰も文句は言わんだろう。テストにも丁度良い」

 

視界に入る多くの魔物たちに懐かしそう(・・・・・)に呟きながら、男は二振りの剣を抜き放つと、最も手近な位置にいた魔物目掛けて心の赴くままに振るう。

それはただの攻撃に過ぎない。

だがその攻撃はまるで暴風のような威力を伴って放たれた。ただの斬撃がさながら必殺の一撃のような破壊の奔流を巻き起こし、標的とされた魔物が木の葉のように吹き飛んだ。

 

「なっ、なんじゃなんじゃ!?!?!?」

 

遠目から全体を見渡していたザボエラが真っ先に気付いた。魔物たちがまるで巨大な力で吹き飛ばされたような凄まじい光景に理解が追いつかず、混乱した声を上げることしかできない。

だがそうしている間にも魔物たちの被害は増えていく。包被型の野菜の葉を一枚ずつ剥いでいくかのように、外側から順番に倒されていく。

 

戦局は更に変化する。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「まさか人間どもの侵入を許すとは……ザボエラめ!! 使えん!!」

 

大魔宮(バーンパレス)内、玉座の間にて。悪魔の目玉から伝えられる情報を見ながら、ミストバーンは激怒し叫んでいた。

チルノという駒を失い、黒の核晶(コア)をあのようなよく分からない方法で回避されただけでも(はらわた)が煮えくり返るほどだというのに、勇者たちを足止めすることすら出来ないという失態を犯したのだ。

このまま直接出向いてザボエラをくびり殺したいという強い衝動に駆られながらも、ミストバーンは寸でのところで冷静さを保っていた。

 

「まあまあミスト、そんなに怒らないでよ。ザボエラ君だって、あれを想定しろっていうのは不可能さ」

 

キルバーン当人からしてもこの状態は予定外であり文句の一つ二つ言いたいが、そんなことは感情に乗せることもなくミストバーンをたしなめる。

だがミストバーンにはその言葉は届いていないようだった。

 

「バーン様、私にどうかご命令を!!」

「直接出向き勇者ダイどもを倒すと?」

「はっ! 奴らを皆殺しにし、その後は城にまとわりつく人間共を根絶やしにして参ります!!」

 

血気に逸るような態度を見せる部下の姿を、バーンは顎に手を当てながらしばし逡巡する。

 

「……問題はないか?」

「当然です」

「よかろう。出陣を許可する」

 

念押しするような言葉に返答する姿を見て、大魔王は頷く。

 

「ボクも付き合うよ、ミスト」

「ほぅ、珍しいなキルバーンよ。貴様がそんな殊勝な事を口にするとは?」

「いやだなぁ、バーン様ったら」

 

心外だとばかりにキルバーンはケラケラと笑う。

 

「ザボエラ君が失敗してしまったのは推薦したボクにも責任がありますし、それに協力しないとこのままじゃあ大変なことになりそうだ。何よりも内側に来てくれるなら好都合、城内にはボクの罠がたっぷり設置してありますからからねぇ、ククク……」

「……まあよかろう」

 

いかにも心配していますといった美辞麗句を聞きながら、バーンは不承不承頷く。

 

「それじゃあ一緒に行こうかミスト? 人間たちの言うところの、協力して戦うってやつだよ」

「……フン」

 

キルバーンは軽口を叩きながら機嫌よさげに退出していく。尤も、ミストバーンは不満げな態度ではあったが。

そして二人の部下が出て行き、一人になったところでバーンは呟いた。

 

「さて……余も少し、肩慣らしでもしておくか」

 

その視線の先にあるのは映像に映ったザボエラの姿……いや、そのもう少し先の姿。

 

 

 

 

 

「ハッハッハッ!! これがオリハルコンの力か!!」

 

乱入者――もとい、ロン・ベルクは剣を振り回しながら歓喜の叫び声を上げていた。彼が手にするのは、星皇剣と呼ばれる二刀一対の剣だ。自身の編み出したロン・ベルク流剣術を扱うのに最も適した武器であると同時に、彼自身が長年追い求め、試行錯誤を繰り返して完成形を模索し続けた武器でもある。

アバンによって持ち込まれた大量のオリハルコン、それらはヒュンケルらの武具に加工を施してもなお余るほどの量が残っていた。そしてそれだけの量が残っていれば、ロン・ベルクが手を出さないはずはなかった。

 

「なんだコイツは!?」

「こ、コイツは魔族だぞ!!」

「なんだと!? なぜ魔族がオレたちを襲うんだ!?」

 

背後から突然現れた闖入者に魔物たちは浮き足立つ。ましてやその相手は同じ魔界に住まう魔族なのだ。同じ地に住む者だからといって、必ずしも仲間とは限らない。だがここは地上であり、魔族は人間を襲うのだと思い込んでいた魔物たちにとって、魔族が敵になるなど信じられなかった。

ましてや取り囲んでいたはずなのにどうやって背後を取られたのか、疑問が恐怖に代わり、混乱が魔物たちにゆっくりと伝播していく。

 

とはいえ種を明かせばその理由は至極簡単かつ単純なことだった。ロン・ベルクは最初から包囲の外にいたのだ。大魔宮(バーンパレス)へ向けて進軍する面々には加わらずに眺めていただけのこと。

そして魔物たちを襲う理由も至極簡単。試し切りだ。

元々ダイたちの無理難題を片付けたことで義理立ては済んだと考えており、人間側の戦力も大幅に存在しているため、ロン・ベルクは戦いに手を貸すつもりはなかった。

加えて星皇剣を完成させているのだ。だがそれは出来上がったばかりで、まだ試し切りも済んでいない。早く戻ってその威力を試そうとしていたところで、魔物たちが群れで現れた。それも魔界の魔物たちである。

降って湧いたような好機にこれ幸いと便乗したに過ぎない――魔物たちからすればたまったものではないが。

 

「がっ……!!」

 

鎧を着込んだ蠍のような魔物――メタルスコーピオンから断末魔の声が上がる。

メタルの名を持つ通り金属のように強固な外郭を誇っていたはずだが、星皇剣はそれを紙切れのように易々と切り裂かれていた。

 

「ダイの剣や真魔剛竜剣で知っていたはずだが、やはりこうして直接試さねばな! 流石は伝説の金属と呼ばれるだけのことはある!!」

 

その声は歓喜を通り越して狂喜と呼んでも差し支えないだろう。

なにしろ夢にまで見た金属を用いて自身の理想たる武器を作るという、彼が鍛冶師を目指した根源たる理由を実現することが出来たのだから。

 

そしてその武器の威力は、彼の想像通り――いや、一部では想像を超えてすらいた。

剣を振るうたびに魔物たちが木っ端の如く散っていく。かつて若かりし頃、自身の剣術を編み出した頃にも同じ光景を目にしたが、現在のそれは規模が違いすぎる。

感情の赴くまま強力な技を放っていくが、星皇剣は持ち主の期待に充分すぎるほど応え続け、それどころかまだまだ限界が見えないほどの性能を見せていた。

 

――これは……これならば行けるか!?

 

手にした剣の強さに打ち震えながら、ロン・ベルクは遂に自身の持つ最大最強の剣技を放つ覚悟を決める。これだけの強度と強さを誇る武器ならば、己が描き続けた理想に届くはずだと確信していた。

 

「さあ、どうなる!?」

 

右手の剣を肩に担ぐ様に構え、左手は溜めを作るように右脇へと向ける。たったそれだけの構えであったが、身の毛もよだつほどの殺気が周囲に向けて放たれた。凄まじいほどの闘気が収束していき、魔物たちは金縛りにでもあったかのようにたじろぐ。

 

「……星皇十字剣!!」

 

そしてロン・ベルクは剣を振るう。

渾身の力を込めて右手を縦に、左手を横に放つ。剣が交差し、刃で十字を描かれる。

最初の一瞬だけは何も起こらない。だが数瞬遅れて凄まじい威力の衝撃が走り、魔物たちを群れごとまとめて切り裂いていった。

津波にでも押し流されたように包囲網の一角に大穴が空く。

 

壁となっていた魔物たちがいなくなったことで、ノヴァらはようやくこの騒動の現況がロン・ベルクであると理解する。

 

「素晴らしきかなオリハルコン!! 試作品(・・・)でもこれか!! くくく……はははは! はははははははっ!!」

 

そしてロン・ベルクは大満足の笑い声を上げた。

かつて星皇十字剣を放った時には、その強大すぎる威力に耐えきれずに剣は粉々に砕け散り、それどころか両腕の骨が粉々に粉砕されるという燦々たる結果を招いていた。

 

だが今回は違う。

技を放ってもなお、両腕は無傷のまま。そして剣もまた原型を留めている。なにより恐ろしいのは、これでまだ星皇剣は完品ではないということだ。ロン・ベルク本人の腕前に合わせた完全なる武器の領域にまでは未だ到っていない――少なくとも本人はそう思っている。

しかし同時に「これを完成させることが出来れば……」という可能性を感じさせるには充分すぎるほどの結果を残していた。

 

「オレは今! 未来を掴んだのだ!!」

 

極度の興奮状態に陥ったような様相を見せながら、再び魔物たちへと斬りかかっていく。二刀の剣が躍るたびに敵の数が減り、士気が下がっていく。

二刀の刃が交差すれば、まとまった数の怪物(モンスター)が物言わぬ骸と化していく。

 

その姿はさながら修羅。

 

「あれは、ロン・ベルク殿か……」

 

哄笑はノヴァたちに届いていた。そして、鬼神にも似たロン・ベルクの強さもまた、彼らに伝わる。チルノから教えられた未来の知識の中には、彼のこともあった。その知識と目の前の現実を照らし合わせ、一体何が起こったのかを朧気に理解する。

 

「なんという剣技……だが、羨ましくもある……」

 

ホルキンスはロン・ベルクの強さを見ながらそう零していた。

彼とて剣技では諸国に並ぶ者なしと呼ばれたほどの英傑である。だがその評価など露と消えてしまうほどに、ロン・ベルクは強い。少なくとも今まで浴びてきた称賛の声は、彼の前では何の意味も持たないように感じられた。

 

同時に、彼の中の武人の心が燃え上がる。

 

「フローラ様、申し訳ありませんが以降の指揮をお願いします。なに、ロン・ベルク殿の登場で浮き足立っている今ならば、それほど難しいことではありません」

 

気がつけばホルキンスは主君であるフローラに向けてそう懇願していた。一方、突然指揮権を譲渡すると言われたフローラは目を丸くする。

 

「ホルキンス……では、貴方はどうするのです?」

「オレも、一介の戦士に戻りたくなりました。申し訳ありません!」

 

そう矢継ぎ早に口にすると、許可の返事も待つことなく走り出していた。剣を抜き、戦場へと躍りかかる。

 

「はぁ……まったく……」

 

その気持ちは理解出来なくは無い。だが、全軍を預かる将としてその行動はいかがなものだろうか。フローラはそんな彼の行動に頭を抱えながらも見送っていた。

 

 

 

 

 

「おおおおっ!!」

「ホ、ホルキンス団長!? どうしてここに……!?」

 

ノヴァの横に並ぶようにホルキンスが切り込み、魔物の一体を屠る。だが突如現れた援軍――それも先ほどまで後方で指揮を執っていたはずの男の登場に、驚いたのは前線の兵士たちだ。

ノヴァの言葉を例に挙げるでもなく、多くの者達が異口同音にホルキンスの参戦に声を上げる。

 

「ロン・ベルク殿にあてられてな。オレも戦士としての腕を振るいたくなった」

「そ、そんな理由で!?」

 

なんとも私的な理由に絶句しかけたが、だが考えようによっては良い手でもあった。今は完全に攻勢に出るべき場面のため、攻撃の手は一人でも多い方が良い。ましてや先頭に立つのがホルキンスであれば、後に続く者たちの士気も相当上がる。

この勢いを利用するというのであれば、妙手と呼べるだろう。

 

「どうした? 行くぞノヴァ!! 稽古の続きだ、今度は実戦で教えてやる!!」

「は……はいっ!!」

 

ホルキンスの後を追うようにノヴァが続く。ノヴァ本人の持つ素質とホルキンスの技術、そして短期間でも行動を共にしたことで生まれた連携は、カール騎士たちが羨むほどだった。

 

彼らは、ロン・ベルクに続けとばかりに次々に魔物たちを打ち倒していった。

 

 

 

 

 

「馬鹿なぁ……こんな、こんなことが……」

 

瞬く間に数を減らしていく魔物たちの姿を見ながら、ザボエラは信じられんとばかりに呻いていた。なまじ高所に位置しているため、自分たちが劣勢に陥っていくのが手に取るように見えてしまう。

魔界の怪物(モンスター)たち、それも精鋭と呼んで差し支えないほどの質と量を誇り、少なくとも勇者ダイたちを相手にしないのであれば負ける筈が無い。

それが蓋を開けてみれば明らかな劣勢。

 

一体何処で何をどう間違ったのかじっくりと検証できれば良いのだが、生憎とそんな時間は欠片も残ってはいなかった。

 

「お前が頭だな?」

「なっ、お、お前は!?!?」

 

一体何時の間にやってきたのだろうか。

戦場から少し意識を逸らしていた隙に、ロン・ベルクがザボエラの所へ辿り着いていた。既に魔物たちの数は立っている者すら(まれ)なほどにまですり減らされており、救援は期待できようはずもない。

 

かといってザボエラが独力で切り抜けるというのもこれまた無理な話であった。既にロン・ベルクの剣の間合いに入っており、肉体的に脆弱なザボエラではその攻撃を躱すことすら不可能だ。

瞬間移動呪文(ルーラ)やキメラの翼といった手段があればまだ脱出の可能性もあるのだが、生憎と使うことは出来ない。そもそも下手な動きを見せた瞬間に剣が翻り、気付かぬうちに首を落とされるのが関の山だろう。

 

「キサマにゃ勿体ないが、特別だ。あの世で勲章代わりに誇れ……」

「ヒイイイイィィィッッ!! まてまてまてまて!!」

 

涙を鼻水を垂らしながら、拒絶するように何度も首を横に振る。恥も外聞も無く遮二無二命乞いをするが、聞く耳を持つはずもなかった。

 

「星皇……十字剣!」

 

剣閃が十字を描き、光跡がザボエラを貫いた。

 

「……はっ! なんじゃ、なんとも……な……」

 

当然激痛が襲いかかると思っていた。だが自身の身体は何事もなかったように無事であり、そのチグハグさがザボエラを恐怖に陥れる。

だがその疑問もすぐに解決する。

 

「な、ぎゃぐぉ、ぎょええええええぇぇっっ!!」

 

技を受けたことに気付かず、結果が遅れて到達するほど高速の斬撃。老いて脆くなったザボエラの肉体はその衝撃が襲いかかるやいなや、爆発四散するように絶命していった。

 

「おおおっ!! やった!!」

「どうやら美味しいところをロン・ベルク殿に持って行かれてしまったようだな」

 

大将格を討ち取ったことで人々から歓声が湧き上がるが、その当人はつまらなさそうな顔をしながらホルキンスたちのところへと戻ってきていた。

 

「凄まじい剣技、それにとんでもない武器……」

「どうした? 何か言いたいことでもあるのか?」

 

戻ってきたロン・ベルクへ向け、ノヴァは思い詰めた表情を見せる。

 

「今からでもチルノさんたちを追えば、間に合うはずです! 大魔王を倒すのに、戦力は多くて困ることはないはず!! どうかボクたちに力を貸してください!!」

 

意を決したように叫んだ。

本来ならばノヴァ本人が駆けつけて大魔王を打倒する力になりたいのだろう。だが自身が向かうよりも、ロン・ベルクが向かった方がよほど強いということは先の戦いで充分に証明された。屈辱と無力さを噛み締めながら、断腸の思いを込めた懇願である。

 

「そうしてやりたいのも山々だがな……」

「ああっ! け、剣が……!?」

 

だがロン・ベルクは溜息交じりに手にした剣を掲げる。彼が握っていたのは、全体に罅割れが走り今にも粉々に砕け散りそうなそれだった。

 

「これでは戦力にはなれん」

 

今の剣でも並大抵の魔物ならば倒せるが、大魔王を打倒するには圧倒的に力不足としか言い様がない。普通の剣ならばまだ売る程に残っているあるが、そんな武器ではロン・ベルクの放つ技には耐えられない。

中途半端な武器を持って大魔王に挑んでも邪魔になるだけだ。

 

「昔と比べれば雲泥の差とはいえ、奥義を数発放っただけでこれではな……コイツを完全な形にするには、まだまだオレ自身も腕を磨く必要がある。それと、このオリハルコンにも少し喝を入れてやらにゃならん」

 

自身でも試作品と口にしていたように、まだ星皇剣は完成形ではない。これが完成していれば、彼は大魔王討伐の中にも喜んで加わったことだろう。

 

「ゴールは見えたが、どうやらまだまだ先は長そうだ……」

 

だが決して嫌ではない。むしろその事実は喜ばしいことですらあった。

どれだけ遠く険しくても、確実に終着点へと続く道をようやく見つけることができたのだから。

 

「しかし、未完成ですら恐ろしい程の威力……ロン・ベルク殿、もしもその剣が完成したら、貴殿はどうするおつもりか?」

「完成したら、か……そうだな……」

 

ホルキンスの言葉にロン・ベルクは腕を組んで考える。

 

星皇剣はあくまでも、自身が生み出した剣術――その奥義たる星皇十字剣を放つために必要な武器でしかない。すなわち、最強の剣は通過点でしかないということだ。

そもそも鍛冶屋を始めたのも剣技を極めるために必要だったから。

そして今、鍛冶屋としてもより上を目指さねばならないと教えられたばかり。

 

その先の事など想像することすら出来ないのだが……少し考え、一つ思いつく。

 

「より剣士としての高みを目指しに、バランに腕試しでも挑みに行くとするかな?」

「おっと、それは遠慮してもらおうか?」

 

まさか突然そのようなことを言われるとは想像もしておらず怪訝な瞳を向けるが、だがホルキンスは胸を張り臆することなく言った。

 

「なぜなら先にバランに挑むのは、オレだからな」

「ククク、なるほど。ならオレたちはライバルと言う訳か」

 

――魔界最強の剣士であるオレと剣の腕を競い、(ドラゴン)の騎士に挑む、か……これだから人間は面白い。

 

自身の想像を超えた理由に驚かされると同時に納得し、そして感激すらしていた。

どうやらロン・ベルクが退屈を感じるのは、まだまだ先になるようだ。

 

「とりえあず、これで一息つきましたね」

 

ホルキンスたちが剣呑な会話を楽しんでいるころ、フローラは胸をなで下ろしていた。

周囲には残った魔物も存在せず、死者や命に関わる大怪我を負った人間もいない。怪我人はいるが、急ぐ必要もない。安全な場所でゆっくりと手当をしても問題ない程度だ。

 

そういう意味で「一息つける」と判断した彼女は、部下たちに次なる指示を出そうとしてはたと思い出す。

 

――そういえば……

 

「確か、超魔ゾンビ……」

 

チルノから伝えられた知識の中にあった、妖魔司教ザボエラの切り札。記憶が正しければここで切り札を切っていた筈だ。

肝心のザボエラは既に倒されており、気にする必要はないのかもしれない。

 

「まだ用心はしておくべきかも知れませんね……」

 

だが彼女は気を緩めることを由としなかった。

勝利のムードに水を差すべきではないと考え全体に伝えることはせず、一部の部下たちには周辺の警戒を厳しくするように伝えることで万が一に備えておくことにした。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「キヒヒヒ……星皇十字剣、なんとも恐ろしい技じゃわい」

 

悪魔の目玉によって撮影された映像を見ながら、ザボエラ(・・・・)は楽しそうに呟いた。そして視線は映像の向こうにいる、ザボエラの死体へと移動する。

 

「やはりあの場から逃げておいて正解じゃったな」

 

そこに映っているのは、おおよそ生物の死骸とは思えぬ程の肉塊。

下手をすればああなっていたと思えば、やはり自身の取った行動は最善かつ最良であったのだと自画自賛するように笑った。

 

「おおっと、いかんいかん。見入っておる場合ではないな。とっとと片付けてしまわねば」

 

そして彼は一時止めていた動きを再開する。

 

ここはザボエラの研究所。

超魔生物に関する研究や、劣化(ドラゴン)の騎士となったハドラーから取得したデータなど、あらゆる知識の集大成とも呼べる場所だ。

だが現在、ザボエラはたった一人の引っ越し作業に追われていた。この場所に集められたあらゆる知識を別の――もっと安全な場所へと移動させるためだ。

自らの命の次に大切な研究資料たち。

大魔王バーンを裏切った以上、もっと早く移動させたかったのだが、表向きには付き従っている以上、大規模な引っ越しという目立つ真似はできない。

勇者たちとの決戦が始まる、自らが死ぬことによって監視の目を緩ませる。そんな絶好の好機を狙っての、さながら夜逃げのような作業であった。

 

「それにしても、あの雑魚魔物たちを全て片付けてくれたのは人間にしては中々じゃったな。手勢の――いや残党と呼ぶべきか? とあれ数が減れば不安になり、降参する奴も増える……何事も次の手に繋がるように動かねばのぉ」

 

作業を進めながら先の戦いの結果を反芻する。

 

戦場に姿を現していたのは、ザボエラが自身の細胞から作り上げた影武者であった。

本体と同じような考えをするように調整してあり、だが外部から命令を下すことで強制的に従わせることが可能となっている。加えて呪文や逃走用のアイテムなどは一切持たせていない。

そのため逃げられる心配もなく――逃げようとしても本体の命令で不可能だが――自身の死を演出できるという、なかなか自信作だ。

 

そして影武者に行わせたのが単調な突撃作戦だったことにも意味がある。

 

本来、ザボエラがまともに指揮を執っていればもっと人間たちは苦戦していたはず。ロン・ベルクという例外が介入しなければ、勝利を掴むことも出来ただろう。

だがその結果をザボエラは望まなかった。

彼の中では既にバーンが倒れることまでは確定された予定となっている。そしてバーンという巨頭が倒れれば、彼に付き従っていた魔族や魔物たちは道しるべを失う。上手く交渉を行えば、ヴェルザー陣営に引き込ませる事も可能だろう。

敵対するのであれば数が少ない方が楽なのは言うまでも無い。

 

残党たちを改造し、ヴェルザーの元で辣腕を振るう。最初は地上の王に、やがては三界を手中に収めることも自らの頭脳を持ってすれば可能となるはず。

そんな見果てぬ明るい未来を夢想しながら作業を続けていたときだ。

 

「手伝いは必要か?」

 

突如耳に届いた声で愉快な妄想を中断させられ、ザボエラは不機嫌さを隠そうともせずに叫んだ。

 

「あぁん!? 決まっておろうが! ここから研究成果の選別に機材の搬出、やることは山……づ、み……」

 

最初に頭に浮かんだのは、一体誰が声を掛けたのかということだった。続いて、自分以外は誰も存在しないはずのこの場所にどうして他の者がいるのか。はてこの声はどこかで聞いたことがあるような……

猛烈に嫌な予感を感じながら、おそるおそる声のした方に視線を向ける。

 

「精が出るなザボエラよ」

「はうわあああぁぁっ!?!? バッ!! バババババババ、バーーン様ああぁぁぁっ!?!?」

 

絶対存在するはずがないと思っていたバーンの登場に、ザボエラは大慌てで平伏する。

 

「こ、こここここここここここれは!! そそそそそののののののっっ!!」

「よい」

 

ろれつすら回らなくなるほどの緊張と恐怖に包まれながら、それでも頭はフル回転で打開策を模索し続けていた。だがそれも無駄な努力でしかない。

 

「死神にそそのかされたか? 研究成果と余の首を手土産にヴェルザーへと寝返り、地上の王となる……そんなところであろう」

 

スッと血の気が引いていき、顔面蒼白となる。

 

――全てはお見通し。

言外にそう語るように笑みを浮かべる大魔王の表情と余裕の態度に、ザボエラは全てを悟った。所詮自分たちは掌の上で躍らされていたに過ぎないのだということを。

 

「事が露見した以上、どうなるかはわかっておろう?」

 

バーンはゆっくりと片手を上げると、そこへ炎の鳥を呼び寄せる。だが深い絶望に襲われたザボエラは、抵抗することすら諦めたようにそれを眺めているだけだ。

 

「余の手に掛かって死ねるのだ。あの世で誇れるぞ」

 

カイザーフェニックスが放たれ、ザボエラの肉体を包み込んだ。超高熱は一瞬にして喉を焼き、断末魔すら上げることができない。炎は皮膚を、肉を、骨までもを焼き尽くし、その一切をこの世に残すことはなかった。

 

黒い焦げ跡。それだけがザボエラの最期となる。

 

「さて次は死神か……なにやらコソコソと動き回っていたようだが、はてさて思い通りにいくかな?」

 

大魔王は不敵に嗤う。

 

 




ロン・ベルクさん暴れまくり。

ザボエラのガバガバ作戦。
結局バーンには全部見抜かれていましたが。

バアラックたちをチウの部下にしてあげられなかった……
てかチウの扱いどうしたんだっけ? ……あ、チルノ側にいるのか。
ってことは老師もあっちにいるのか!?
(今気付く無能)

……そりゃ原作も、瞳を使って数を減らしますよね。登場キャラ多いんだもん。


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LEVEL:108 煮え湯と辛酸

ダイ・ポップ・マァム・ヒュンケル・レオナ
チルノ・アバン・バラン・ラーハルト・クロコダイン
チウ・老師・その他(ゴメちゃんとか)
やっぱり人数多いよなぁ……とっとと瞳に入れたい……



魔宮の門の外で大乱戦が開始された一方、門の内側ではダイたちが大魔宮(バーンパレス)の中央部――主城部分目指して進んでいた。

長い長い通路を愚直に、唯々直線に駆けていくだけで、何の妨害もない。

 

「結構、距離があるんだな」

 

どうやらそれは各員の精神を少しずつ削り取っていたようだった。それに耐えかねたようにポップが愚痴を零すと、チウが反応する。

 

「疲れたのかね、魔法使いクン? だらしないぞ! なんならボクが担いで行こうか!?」

 

おおねずみというあまり強くない怪物(モンスター)ではあるが、拳聖ブロキーナに鍛えられた肉体は伊達ではない。ポップが少しだけ息が上がっているのに対して、こちらは未だ平然としたまま。

それどころか、ポップを元気づけるべく声を張り上げるほどだ。

 

「いや、まだ平気だぜ。けどよ、こうも景観が変わらねぇと退屈っていうか」

「確かにポップの言うことにも一理あるわね。少し不安になってくるわ……」

「ピーッ!!」

 

その申し出は丁重にお断りしながらもポップは続けて少しだけ愚痴を吐き出し、珍しくマァムもそれに同意した。大魔王の元目掛けてしっかりと進んでいるのは理解しているが、景色の変わらなさから実際は延々とその場で走っているだけなのではないかと錯覚する。

それは空を飛んで移動しているゴメちゃんも同じだったらしく――

 

「……ん?」

 

最初に違和感を覚えたのはダイだ。

 

「あっ、ゴメちゃん!!」

 

確認するように声の方向へ視線を向けて気付き、彼は思わず足を止めて叫んでいた。それにつられ、全員が立ち止まっていた。

 

「あらら、着いて来ちゃったのね」

「あんまりにも自然にいたから気付かなかったわ……」

「スラリンをメルルにお願いたことで気が緩んでたみたい。でも、ゴメちゃんを今から一人で帰すわけにも……ねぇ?」

 

女性陣が口々に言う。

本来の歴史ではゴメちゃんは大魔王がその正体に気付いたことで危険視され、命を落としていた。ならばこの世界でも同じようなことがないようにと、できるだけ前線から下げるように意識してきたはずなのだが……どうやらその警戒網も最後の最後で破られてしまったらしい。

どうしたものかと悩みながら、チルノはアバンに視線を送り意見を求める。

 

「仕方ないでしょう。ゴメちゃんのことは私も聞いていますが、目を離すわけにも行きませんし……レオナ姫、お願いできますか?」

「あたしですか? わかりました。よろしくね、ゴメちゃん」

「ピィ~!」

 

とはいえアバンも今からではどうしようもないと判断したようだ。ここまで来てしまったのならば、いっそ目と手が届く所にいてもらった方が何かと安全だろう。

加えてレオナに世話をお願いする辺り、アバンも色々と気を遣っているようだ。

 

「それともう一つお知らせです。皆さん、ここで足を止められたのはベリーナイスタイミングでした」

「……それはどういうことだ?」

 

ラーハルトが疑問の声を上げるが、アバンは返答の代わりにチウのことを手招きする。

 

「チウ君、えーっと……ここですね。ここまで来ていただけますか?」

「む? なんなんですか一体……??」

 

片手で手招きをしながら、もう片方の手では床のとある一部分を指し示す。何のことか分からぬまま、それでもチウはアバンに言われる通りの場所へと移動した。

 

「ひいぃぃっ!!」

 

途端、一本の剣がチウ目掛けて凄まじい勢いで飛び出す。

 

「ちぇいっ!」

 

反射と恐怖でチウは叫ぶが、アバンはむしろ余裕すら感じさせながら腰から剣を抜くと、あっさりと弾き飛ばして見せた。

 

「――とまあ、おそらくここから先には、このように罠が仕掛けられているはずなので。ご注意くださいね」

 

一部の者はその罠に見覚え――いや聞き覚えというべきか?――があった。キルバーンの仕掛けていた死の罠の一つで、確か♥の2(ハート・ツー)と呼んでいたものだ。

あの罠ならば単純明快、来ると分かっていれば対処は難しくない。

 

なるほど、随分と乱暴なやり方だがアバンは注意を促す意味でも実演させたのだ。

 

一応アバンの名誉のためにも言っておくが、彼は罠の存在を見破り自分一人でも対処できるという余裕を持った上で敢えて発動させたのだ。

さらにはバランも罠の存在に気付いており、いつでも飛び出せる状態で待機していた。アバンとバランという二人の守りは容易に突破出来るものでない。

加えて罠自体もチウほど小さな相手が引っ掛かることは想定しておらず、彼が少し頭を下げれば充分に避けられたということも記載しておく。

 

罠の存在に気付いたアバンにも驚かされたが、チルノにはもっと驚くことがあった。

 

「えっ!? アバン先生、その剣は!?」

「ああ、これですか? ロン・ベルクさんに作っていただきました。まさか私の分まで作っていただけるとは思いもよらず……ただただ驚きましたよ」

 

アバンが手にした剣は、彼女が知識として知り装備しているはずの物よりも数倍光り輝いていた。まさかと思いながら問えば、彼はあっさりと肯定する。

 

「それにオリハルコン製の剣なんて流石に私も手にしたのは初めてです。なんだか若い頃に戻ったようにウキウキしてきますね」

 

いつの間にそんな物を仕込んだのか。もっと言えば素材はどこから持ってきたのか。色々と気になる点はあったのだが、子供のように目を輝かせるアバンの姿にチルノはそれらの疑問を飲み込んだ。それに、今さら聞いたところでどうとなるわけでもない。

 

――その一方。

 

「チウ、大丈夫?」

「ピィーッ?」

 

驚きのあまりひっくり返り、目を白黒させるチウをマァムらが心配そうに見下ろしていた。かすり傷一つ負っていないので放置していてもその内起き上がるはずだが、それでも気に掛けるのは同門のよしみというものか。

 

「ははは、なんのこれしき。か、かわすこともできましたが、はじいてくれることはわかっていましたからね」

 

必死でそう言うが強がっているのは誰の目にも明らかだった。まあ、前知識無しで突然死にかけたのだから当然だろう。むしろ弱音を吐かず、アバンに文句の一つも言わないその姿勢は称賛にすら値する。

 

「いやいやチウ君、驚かせてすみません。ですが、実際に目で見ていただくのが一番確実だと思ったので」

 

チウが上体を起こしたところで、アバンは頭を下げながら謝罪する。

 

「そして先ほども言いましたが、この先には罠がたっぷり仕掛けられているはずです。ですがそれを恐れて歩みを遅らせるのも都合が悪い。よって、この必殺のアイテムを使います……」

 

神妙な面持ちを覗かせながらアバンは道具袋を漁り、やがて――

 

「でゅわっ!!」

 

――というかけ声と共に眼鏡を掛け替えた。

 

その見た目は瓶底眼鏡のようにレンズは分厚く、しかも何の意味があるのかご丁寧に渦巻き模様までが描かれている。横には立派な角が飾られており、誰かに「コレは呪いのアイテムだ」と言われればうっかり信じてしまうほどの格好悪さだ。

 

「破邪の迷宮で手に入れたこのミエールの眼鏡は、いかなる罠をもズバリ見抜いてしまうアイテムなのです! ですから先頭は私にお任せください!!」

 

極めて真面目な表情で自身の存在感をアピールしているのだが、ミエールの眼鏡を掛けているために色々と台無しである。ましてやアバンという二枚目の男が付けているのだから、そのギャップが生み出す破壊力たるや凄まじいものがある。

何より、アバン本人がそうすればウケると理解しているのだから始末に負えない。

 

ダイたちは自分の頬を必死で抓りながら我慢しているが、それでも僅かに吹き出してしまう。あのバランやラーハルトすら顔を背けたのだから、それがどれだけの破壊力だったかは想像に難くないだろう。

 

 

 

 

 

とあれアバンの先導によって一行は再び進み出した。

道中の罠は先導するアバンが注意するため、罠の意味を為さない。

簡単に解除できるものや、解除せねば確実に誰かが引っ掛かる罠だけは解除しながら進んでいるため、進行速度はそれまでと比べても少し劣る程度だった。

 

「罠を解除する際に最も大切なのは、仕掛けた側の心を読むことです」

 

罠の解除をしながら、アバンはこんなことを話し始めた。

 

「例えばワザと簡単に発見できる罠を仕掛けておくことで、本命の罠の存在を隠す……同じ場所に複数の罠があるわけがないという心理を利用するわけですね」

 

それは少しでも多くの者達に自分の教えを伝えておきたいという心からの行動だった。

 

「そして一度そのような罠に掛かると、疑り深くなるわけです。まだどこか他にも罠があるかも知れないと恐れて、動きが鈍くなる。追っ手の足止めなんかには有効な手ですよ」

 

アバンは言葉を濁していたが、もっとえげつない罠というのは存在する。

 

傷ついた敵を目立つ放置することで、より多くの敵を集めるための撒き餌にする。

などというのはまだ可愛い方だ。

捕らえた敵に毒や細菌を仕込んでからワザと目立つ場所で解放し、救出させる。救出された敵は敵陣深くへ勝手に招かれる上に、被害は内部から増大していく。

これもまた立派な罠の一つだ。

 

そして、罠というのは敵だけが触媒にされるという制限もない。場合によっては味方すら囮に使う場合もある。

心理の裏側に隠された意図を見抜いてこそ、超一流の罠と呼べるだろう。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

長い長い通路を抜け、主城入り口付近までダイたちは辿り着く。

 

「ウフフ、久しぶりだねぇ。勇者の諸君」

「…………」

 

そこに待ちうけるのは、大魔王軍最高幹部の二人であった。キルバーンは不敵に笑い、ミストバーンは無言のままであったが、その無言の仮面の裏側に凄まじい怒気を隠し持っているのが伝わってくる。

 

「そしてキミがかつての勇者アバン君か……せっかくボクが考えた歓迎の仕掛けをことごとく壊しちゃうなんて、まったくなんて酷いことをするのさ」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。あなたの罠は中々考えさせられました……色々と(・・・)ね」

「へぇ、色々と(・・・)ねぇ……」

 

既に普通の眼鏡に掛け替えているのでシュールな笑いは起こらない。死神の言葉にアバンは含みを持たせながら応じれば、キルバーン当人はさも面白そうに笑って見せた。

 

「キル、そのおしゃべりはまだ続くのか?」

 

だがミストバーンからすればそのやりとりなど面白い物では無い。不機嫌そうな言葉と共に自らの身体から暗黒闘気を立ち上らせると、ヒュンケルたちも呼応するように各々が武器を構える。それを横目に見て、チルノは再び驚かされた。

 

――みんなもオリハルコンの装備を!? 一体どこから……ううん、今はそれ以上は考えない! 強さが底上げされたことを素直に喜ぼう!!

 

アバンに引き続いたオリハルコン装備の登場に、彼女の意識は度肝を抜かれる。だが流石に二度目ともなれば自制するのも容易いものだ。すぐさま視線を切り、敵へと意識を向ける。

 

「そうだね、ゴメンゴメン……それじゃあ、始めようか?」

 

その言葉が引き金だった。

なんの予兆もなく戦場の中央が突如して爆発を起こし、突然の出来事に全員の集中が乱される。

 

「それは開始の合図代わりさ!」

 

そう言うが早いかキルバーンは動き出し、そしてミストバーンも僅かに遅れて動く。ダイたちも敵側に初動こそ遅れたものの、数の利を活かすため敵を分断するように動いた。

キルバーンを相手取るのはダイ、バラン、チルノの三名。そしてミストバーンには他の者達が向かい、レオナだけは戦場全体を見渡せる位置へと陣取るとチウとブロキーナが彼女の護衛をするように並ぶ。

 

それは彼らが初めて死の大地へと侵攻した際とほぼ同じ組み合わせだった。

 

 

 

 

 

「やあチルノ、久しぶりだね。元気だったかい?」

 

旧知の親友との再開でも果たしたかのような気安さで、キルバーンは声を掛ける。だが当然ながらチルノはその言葉を黙殺する。

何かを企んでいる以上、用心をするに超したことはないからだ。面と向かってではないもののバーンに反旗を翻している以上、死神がどのように動くかはイマイチ予測が付かない。単純に考えればミストバーン打倒に協力しそうなものだが、その裏があることも考えられる。

 

「その服、まだ着てくれているんだね。気に入って貰えたかな? キミに合わせて特別にコーディネイトした物だから脱がれたらどうしようかって気にしていたのさ」

「うるさい!!」

 

だがキルバーンは黙殺されてなおも言葉を投げかけ続けた。さながら軽薄なナンパ男のようなその言動と、なにより仕方なく着ている服を褒められたことが少々頭に来てしまい、思い切り睨み付けながらチルノは怒鳴る。

 

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。キミは裸だってボクに見せてくれた仲だろう?」

「な……っ!!」

 

その言葉に今度こそチルノは無視しきれなくなった。怒りと羞恥で顔を真っ赤に染めながら抗議代わりに魔法を放とうとする。

 

「うらあぁっ!!」

 

だがチルノが動くよりもダイが動く方が遥かに早かった。ダイの剣を抜き放つと、キルバーンを両断しようと力任せに剣を振るう。その攻撃には、今まで見たことがないほどの怒りと殺気が満ちあふれていた。

 

「おお、怖い怖い。旦那さんのお出ましだね」

 

流石にキルバーンも予測していたらしい。ひらりと間合いを取りながら回避してみせる。

 

「ダイ!! あれは、その、違うからね!! 見られたのは事実だけど、変なこととか全然ないから!!」

「落ち着けディーノ。焦れば敵の術中にハマるぞ」

 

チルノは慌てて釈明の言葉を飛ばし、バランは息子の成長を感じさせられつつもいつでも援護に動ける位置へと付いた。

いつぞやも見たような三名の並びを目にして、キルバーンは一枚のトランプを手にする。

 

「悪いけれどボクは弱いんだ。キミたち相手に正面から対決なんて遠慮させて貰うよ……そらっ!!」

 

そのまま天高く放り投げると、トランプは光に包まれ四散した。だがバラバラになったそれらはまるで流れ星でも見ているかのように尾を描きながら動くと戦場の四隅へと降り注ぐ。

 

「うわっ!」

「む、これは……!?」

「うう……」

 

途端に一面が吹雪が吹き荒れた。氷系呪文(マヒャド)を唱えたかのように雪と氷が乱舞し、身を切るような寒さを伴った突風が吹き荒れる。

 

♠の5(スペード・ファイブ)の罠さ。これだけ寒ければ(ドラゴン)の騎士と言えども動きは鈍るはず……フフフ、氷像にならないようにお互い注意しないとねぇ」

 

その言葉は半分ほど当てはまっていた。

人間ならばともかく、キルバーンは魔界のマグマをエネルギー源とする人形なのだ。超高温の血が流れる以上この程度の吹雪など苦にもならない。

そしてダイとバランも例外の一人だ。彼らは己の竜闘気(ドラゴニックオーラ)によってこの程度の攻撃など容易に弾いてしまい、足止めにすらならない。

現に――猛吹雪で視界が不鮮明ではあるものの――ダイらしき影が攻撃を繰り広げている姿が見える。

 

「…………」

 

ならば一体何が狙いなのか。少し離れた場所から大暴れする雪を眺めつつ、チルノは思考を巡らせる。

 

――そういえば、アバン先生が「罠は仕掛けた者の心理を読め」って言っていた。それにキルバーンはこんな単純な罠を使うような性格じゃない……だったら、この吹雪も何かの罠……!?

 

 

 

 

 

「死ね、闘魔滅砕陣!!」

 

ミストバーンは地面に蜘蛛の巣のように暗黒闘気の糸を張り巡らせると、アバンら目掛けて放った。触れれば即行動不能となるミストバーンの得意技だが、今の彼らがその程度で止まるわけもない。

 

「甘いっ!」

「ぐ……っ!!」

 

ラーハルトは持ち前の速度と跳躍力を活かして易々と飛び越え、すれ違いざまにミストバーンへ槍を一閃させる。咄嗟に鋼鉄の指を剣状に揃えて伸ばし刃を形成することで受け止めたが、強化された槍は容易に切断する。

 

「そこです! 空裂斬!!」

 

動きが鈍った所を突いてアバンが地面の一点へ向けて空裂斬を放った。核となっている箇所を打ち抜かれ、滅砕陣は瞬く間に効力を失っていく。そこに切り込んでいったのはヒュンケルだ。

 

「はあああぁぁっ!!」

 

さながら無人の野を行くように無人の野を行くかのように悠々と間合いを詰め、光の闘気を込めた剣を突き出す。ミストバーンは何とか身を捻って直撃を避けるが、衣の一部が貫かれ暗黒闘気が漏れ出ていく。

 

「ちっ、ヒュンケル!」

「ミストバーン……」

 

未だ攻撃の機会は残されていたはずだが、けれどもヒュンケルはそれ以上の追撃を行わなかった。動きを止めたまま何かを確かめるように忙しなく視線を動かす。

 

「どうしたヒュンケル?」

「……いや」

 

あまりの不可解さにラーハルトが声を掛けるが、ヒュンケル自身その何かを口にすることが出来ずに言葉を濁す。その隙にミストバーンは切断された鋼鉄の指を再生し、デストリンガー・ブレードを生み出す。

 

「はっ!!」

「小娘!」

 

マァムの連撃をブレードを使って受け止めやり過ごしていく。だが彼女の装備ももはやオリハルコンのそれだ。一撃一撃を受け止める度に鈍い音を立てながらじわじわと罅が刻まれていく。

やがて、何度目かの攻撃の後にマァムは大きく退いた。

 

「ぬおおおおおぉぉっ!!」

 

彼女と入れ替わるように、クロコダインが躍り出る。彼もまた、ダイたちと比べれば未熟なれど光の闘気を操る訓練は積んでいる。豪腕から繰り出される戦斧の一撃は、直撃すればミストバーンとてダメージは必死だ。

 

「邪魔だっ!!」

「ぐうっ!!」

 

だが圧縮した暗黒闘気を地面へ叩きつけるように放ち、炸裂させることでミストバーンはその攻撃を回避する。目眩ましと衝撃を利用した移動補助を兼ねた行動だった。

それは狙い通りにクロコダインの視界を遮り、斧が振り下ろされた時にはその場には影も形もない。好機を掴み損ねた形となったが、まだ彼らの連携は終わったわけではなかった。

 

「はっ!!」

「アバン!!」

 

連続攻撃の隙間を縫うようにして接近していたアバンが、これこそ本命とばかりに攻撃を繰り出した。再び光の闘気を纏った剣の一撃を、ミストバーンは両手のブレードにて十字に受け止めることで止める。

奇妙なつばぜり合いの形が生まれた中、アバンは唐突に口を開いた。

 

「あなたがミストバーンさんですね? 自己紹介でもしようかと思いましたがそれは不要のようで、手間が一つ省けましたよ」

「…………」

 

それは殺し合いの最中にしては恐ろしく不釣り合いな、世間話のような内容。そのミスマッチさが恐怖すら煽っていた。

 

「そしてもう一つ、あなたにはお礼を言わなければなりませんね」

「礼、だと……?」

「ええ。ヒュンケルを救い、育てていただいてありがとうございます」

 

たっぷりと皮肉の込められたお礼の言葉。同時にアバンの剣から恐ろしい程の圧力が掛かり、ミストバーンの腕が僅かに押し込まれた。

 

「ですが、あなたの教育方針には色々と不満がありまして……その責任は、しっかり取って貰いますよ!!」

 

アバンにしては珍しく、激しい怒りを見せながら剣を押し込んでいく。よもやというところで周囲を猛烈な吹雪が包み込んだ。

 

「これは!?」

「なんだこの吹雪は!?」

「ごめんよミスト! これはボクの仕業さ!!」

「ちっ、キルのやつめ……」

 

白い嵐の向こう側から届いた死神の声に対し、ミストバーンは舌打ちをしつつも僅かに感謝の念を送る。この吹雪によってアバンの攻撃の手が緩み、おかげで身を退いて仕切り直す事が出来た。

怪我の功名でしかなく、褒めるような真似は間違ってもしたくない。

 

「くそっ!! 舌打ちしたいのはこっちの方だぜ……」

 

アバンらがミストバーンに襲いかかる中、ポップは少し離れた場所から一撃必殺の機会を窺っていた。

何しろ彼の持つ極大消滅呪文(メドローア)は、直撃させることが出来ればオリハルコンの塊だろうと大魔王であろうと敵ではない。上手く放てばミストバーンを完全に消滅させ、加えて彼が守っている全盛期のバーンの肉体も同時に消し飛ばせるのだから、大金星を得られる。

 

だがその狙いは、猛吹雪によって困難になる。視界がかなり制限され、下手すれば味方に誤射しかねない。

せっかく予想外にミストバーンが追い詰められていたことで好機と思っていたのに、だ。

チルノが魔王軍に捕まったことで、極大消滅呪文(メドローア)のことは知れ渡っているはず。ならばこの吹雪は、射線を遮るための罠の一つか?

寒風吹きすさぶ中、ポップは機会を狙う。

 

 

 

 

 

「おっと、どうやら予定外に早く終わっちゃいそうだね。なら、こっちも急がなきゃ」

 

ダイとバランに攻め込まれながらも、キルバーンは戦う意志をまるで見せずにいた。ただひたすら回避に徹し、戦場を逃げ回り続ける。それは罠に誘い込む動きに感じられ、ダイたちも強気な攻めに出られなかったのだが、やがて死神は逃げるのを止めると、誰に向けるでも一人ごちる。

 

「ねえキミたち、この吹雪の罠の名前は覚えているかな?」

「……♠の5(スペード・ファイブ)だったか?」

「正解、良く覚えていたね」

 

唐突な質問を投げかけられ、訝しげになりながらもバランが答えれば、死神は軽い拍手で応じた。

 

「でもおかしいとは思わなかったかい? これは四隅から吹雪を生み出す罠、なのにどうして(ファイブ)なのか……四方を囲むだけならば(フォー)でも良いんじゃないかって、さ」

 

トランプの5のカードは、四隅と中心部にスートマークが描かれたデザインだ。だが現在吹雪は四カ所から発生している。気にならないと言えば気にならないのだが、キルバーンの言うように剥離がある。

 

「……まさか!」

「答えはこういうことだよ!」

 

全員の脳裏に悪寒が走り、自然と戦場の中心部へと視線を走らせた。そこにはミストバーンを相手にする仲間たちの姿があった。と同時に吹雪は止み、強烈な風が生み出される。

 

「うわっ!?」

「ぐ……っ!」

「何事だっ!?!?」

 

全てを巻き込む程の暴風はアバンらを巻き込んでなおも吹き荒れ、ミストバーンの周囲にいた者だけを(・・・・・・・・・)弾き飛ばす。不鮮明だったはずの視界は一気に開け、そこでは唯一ミストバーンだけが、まるで台風の目の中にでもいたように棒立ちしていた。

 

「さあ、どんどん行こうか!? ♠の7(スペード・セブン)!」

 

敵味方を含め全員が、何が起きたのかを理解するよりも早く、キルバーンは次の罠を発動させる。

次の罠によって生み出されたのは、ドロドロに溶けた飴のような液体だった。それは再び戦場の中心部――すなわちミストバーン目掛けて降り注ぎ、彼の身体目掛けてまるで意志を持つように絡みついていく。

 

「ぐっ!? これは……」

 

当然ながら、飴ではない。その正体は高熱によってドロドロに溶けた金属だった。加えて何か呪術的な処置を施されているのだろう。ミストバーンに付着した途端に凝固していく。関節部分を固められ、瞬く間に動きの自由が奪っていった。

 

「キル!! キサマ何の真似だ!?」

「ボクの立場を考えればわかることだろう? それ以上の説明が必要かい?」

 

半身ほどを金属像へと変じさせながらも、ミストバーンは叫ぶ。だが返ってきたのは、いかにも機械的で冷たい声だった。

それを耳にして彼は悟る。

ミストバーンが危惧し、バーンへと訴えた裏切りの罠。それが今発動したにすぎないのだということを。このまま全身を金属で固めて動きを封じ、戦力外とするのだろうと。

 

「なるほど、これがキサマの狙いか。だが使う罠を誤ったな! この程度では私は止まらん!!」

「だよねぇ、知ってたさ。だから……♣の10(クラブ・テン)!」

 

だがそんなことはキルバーンとて百も承知。彼は対ミストバーンのためのもう一つの仕掛を作動させる。

三度中心部が蠢き、罠が襲いかかる。今度のは吹雪でもなければ、溶けた金属でもない。

降り注いだのは完全な液体だった。

 

「ぐおおおおおおおぉぉっ!?!?」

 

珍しく――とても珍しく、ミストバーンは苦痛の悲鳴を上げた。暗黒闘気の集合体である彼には物理攻撃など意味を為さない。酸で幾ら溶かされようとも影響があるわけでもないし、ましてや彼が守る中身は凍れる時の秘法で守られているはずだ。

それがどうして? とミストバーン本人が最も驚愕していた。

 

「それは特殊な酸でね。キミも知っているだろう? 誰しもが気分を害するあれだよ」

「が……ががが……っ……!!」」

 

苦痛の最中に聞こえた声で理解する。

魔界からときおり出土される酸の中には、嗅げばどのような強者であろうと誰しもが体調を崩す特殊な物があった。強烈な臭気に襲われることがその原因だと思われていたが、その実は揮発した毒素の中に生物の反応を狂わせるものが含まれている。思考を乱し、生体機能に影響を与えるそれは、生物に内在する闘気をも散らせる効果をもつ。

ミストバーンにも有効な劇毒だった。

 

「よかったよかった、ちゃんと効果があるようで何より」

 

酸の有効性を自ら確認して、死神は満足そうに頷く。

 

むしろこの状況に着いていけないのは、ダイたちであった。

キルバーンを相手にしていた者たちからすれば、突然そっぽを向かれて仲間割れを始めたようなもの。だがそれはもう一方の強敵を間違いなく害する行為でもあるため止めにくい。

そしてミストバーンを相手にしていた者たちには、突然戦況をかき乱されたかと思えばあれよあれよという間に好機がやってきた。

 

「さあ、魔法使いクン。出番だよ」

 

多くの者がぽかんとしているなか、キルバーンはポップに目を向ける。

 

「どうしたのさ? キミだって知っているんだろう? なんとかって呪文があれば凍れる時の秘法を無視して倒すことが出来るんだよ」

「くっ……!!」

「大手柄を上げる絶好のチャンスだ。今を逃してもいいのかい?」

 

思わずポップは歯ぎしりする。

その言葉は抗いがたい魅力を持っていた。

確かに今は絶好の機会であり、ミストバーンはどう見ても無防備だ。だがそれすらも罠かも知れないという恐れと、なによりも敵にお膳立てられて手柄だけをかすめ取る事に対する気持ち悪さが胸中から拭い去れない。

 

仲間たちが無言で見つめる中、だが結局ポップは氷炎から光の弓矢を生み出すことを選択した。

 

「……極大消滅呪文(メドローア)!!」

 

ポップの両手から光の矢が放たれる。

 

それは動けずにいたミストバーンの肉体を狙い違わずに貫き、消滅させた。

 

 




思い出したかのようにチウらの描写をする私。
キャラの管理が追いつかないってばよ。影分身の術が欲しいってばよ。

ミストバーンにメドローア直撃。
よし、これで後の展開が格段に楽になりましたね。

今回のキルバーンの罠
・スペードの5
 吹雪の罠。スペードは冬の意味もあるので。
 本来は狭い範囲で、フレイザードの氷漬けの禁呪法みたいな効果を出す。
・スペードの7
 溶けた金属をぶっかけて固める罠。某トランプの効果から。
・クラブの10
 酸の罠。ミストバーンの動きを更に制限するための適当なでっち上げ。
 一応、10の絵柄は一番広がっているので気体や液体を連想した程度。

二つの罠でミストは「煮え湯(金属)を浴びせられ、辛酸を舐めた」というオチ。
お後がよろしいようで。


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LEVEL:109 身代わり

キル「永続罠カード【吹雪】を発動! 吹雪をリリースして効果を発動! 続いて罠カード【金属】を発動! さらに罠カード【酸】を発動! 魔法カード【極大消滅呪文】を発動! ……これでボクの勝ち、だね」

前話は大体こんな感じ。



「くっ……!! くくくく……あーはっはっはっはっ!!」

 

 極大消滅呪文(メドローア)によって消し飛ばされたミストバーンの残骸を眺めながら、キルバーンは狂ったように笑い声を上げていた。

 かつての盟友でもあった存在は今や人の形を為してはおらず、残ったのは首から上と両腕、そして腰から下の部分くらいか。つまるところ、胴体部分が丸々消えて無くなったことになる。

 

 だがミストバーン一人を打ち抜いた程度では極大消滅呪文(メドローア)が止まることはない。全てを消し去る光の矢は更に主城一階の壁を消し飛ばして大穴を開け、そのまま反対側までをも貫通すると虚空の彼方へと消えていった。

 

「残念だよ、ミスト……これでキミとお別れなんてさぁ……あれ、でもキミの本体はこのくらいじゃ消えないのかな?」

 

 ぽっかりと綺麗な穴が開き、風通しの良くなった居城を視界の片隅に納めながら、キルバーンは残ったミストバーンだった物に声を掛ける。

 正体が暗黒闘気の集合体である以上、ミストバーンには五体などあってないような物だろう。腕を失おうと身体を失おうと影響はないはずだ。例えそれが全てを消滅させる呪文によって吹き飛ばされたとしても、残った部分の暗黒闘気で補えばそれで済むことだ。

 

「まあ、いいや。どのみちキミが守っていた物は綺麗さっぱり吹き飛んだ。如何に大魔王の持つ力が強大でも、胴体全部消えちゃったら復活は不可能だよねぇ?」

 

 だが大魔王バーンは違う。

 バーンの魔法力ならば、例え片腕を失っても即座に再生することができる。本来の歴史ではライデインストラッシュの直撃を受けて全身黒焦げとなってもなお、あっさりと復活してみせたこともあった。

 それでも、如何に魔族の肉体――それも神のような実力を誇るほど強力であっても、内臓全てを失っては再生など出来るはずもない。

 

「これでバーンは永遠に全盛期の力を取り戻すことは出来ない!! これは完全勝利への大きな一歩だよ!!」

 

 完全に勝利を確信し、まだ戦いそのものは終わっていないというのにまるで芝居の役者にでもなったかのように大げさな身振りすら加えて、キルバーンは天に向かって吠える。

 だが彼が気をよくする一方で、完全に消沈する者もいた。

 

「…………」

 

 ポップである。

 彼はしばらくの間、極大消滅呪文(メドローア)を放った体勢のまま身体を硬直させ続け、まるで何が起こったのかが理解できなくなったかのように呆然と立ち尽くしていた。表情は感情が抜け落ちたように蒼白となり、何にも反応を見せることはなかった。

 

 しかし、それもやがて終わる。死神の笑い声が響く中、彼は不意に膝から崩れ落ちた。

 

「ポップ!!」

「マァムか……おれは……おれは間違ってないよな?」

「え……っ!?」

 

 慌ててマァムが駆け寄り身体を支えたことで、それ以上倒れ込むことはなかった。その代わり、今まで見たことのないような、まるで幽霊のような声と顔をしながらポップはマァムに尋ねる。そのあまりにも力ない様子を間近で見てしまい、彼女は驚きのあまりすぐに返事をすることが出来ずにいた。

 

「ポップ」

「…………」

「先生……ヒュンケル……」

 

 少し遅れて寄ってきた仲間たちの顔を、ポップは不安そうに見つめる。

 

「当たり前だ。倒せる時に敵を倒す、それがどうして間違っている?」

「勿論ですよ。あなたは間違ってなどいません」

 

 明らかにお膳立てされ過ぎた場面。それも敵と考えていた相手にそんなことをされた上にトドメだけを持って行くのは、彼の矜持が許さないのだろう。

 それを必要なことと割り切れないのは、ポップ自身の若さ故のワガママなのかもしれない。例え、今やこの世界でもトップクラスの大魔道士となっても、そういった潔癖さが見え隠れしている。こればかりは経験か年月を重ねる以外にはない。

 ポップの心中を慮りながら、二人は答えた。

 

「そうだ。少々腹立たしいのは事実だが、お前の手柄であることには違いない」

「もしも気に病むというのならば、味方の裏切りに気付かなかったミストバーンが間抜けだっただけだ」

「その通り! 裏切りは許せないが、魔法使いクンは良くやったぞ!!」

「……ありがとよ」

 

 クロコダインにラーハルト、チウまでもが口々に言葉を掛けていく。彼らの言葉にポップはどうにか心を取り戻したようだ。少し目を逸らし、小さな声で一言だけ礼を口にする。

 その様子をアバンはかつて自分がハドラーを相手に戦っていた若かりし頃と重ねて懐かしく思いながら、だが年長者として悩める生徒(ポップ)を導くべく新たな道を示す。

 

「皆さんの言う通りですよ……それに、報いを受けさせる相手はまだ存在しています。足らない分は、彼に払って貰うことにしましょう」

 

 その視線の先にいたのはキルバーンだ。さすがにもはや笑うのにも飽きたのか平静な態度を見せていたがアバンの所作を見るや、さも今気付きましたとばかりの様子を見せると、肩をすくめた。

 

「おやおや、ボクの相手をしていいのかな? ボクは言うなれば功労者の一人だよ? ボクがいなければミストは倒せなかった。そんなボクを倒すっていうのかい?」

 

 心外だとばかりにポーズを決めるその姿は、どこから見ても道化師のそれだ。語る言葉も命乞いと自分は仲間だと訴えかけるような主張。それは逆に全員の神経を逆撫ですると理解した上での行動だ。

 

「それに、まだ大魔王は消えたわけじゃない。本体が残っているのはキミたちだってわかっているだろう? なのに、ボクの相手をして余力を消費してもいいのかな?」

「ですが私にとってはあなたも倒すべき敵の一人。何より、卑劣な罠で不意打ちをしておきながら調子の良いことを言わないでもらおうか」

「敵討ちのつもりは毛頭ないが、ミストバーンはオレの手で引導を渡すつもりだった。せめてその代わりになれ」

「そうだぜ! 次はテメェに極大消滅呪文(メドローア)をぶち込んでやらぁ!!」

「ウフフ……これは困ったねぇ……」

 

 キルバーンは実に愉快な口調でアバンたち全員を見回す。全員が全員、血気に逸る様子を見せており今にも飛びかかってきそうなほどだ。

 その全ては、彼の計画通り。

 愉悦に歪む口元を隠そうと片手を上げたところで、耳慣れぬ声がどこからか響いた。

 

「なるほど、これがお前の狙いだったか……キル」

 

 途端、それまで考えていたことの全てを放り出して死神は辺りを見回した。

 なぜならば聞こえてきたのは明らかに聞き慣れた口調でありながら、初めて耳にする声なのだから。

 

 

 

 

 

「私を封印する策でも練っていたかと思っていたが、まさか勇者共の力まで利用するとは。キサマには恥という感情はないのか?」

「ミスト……生きていたんだね」

 

 僅かな逡巡の時間こそあれど、キルバーンにはすぐさまその声の主の検討がついた。とはいえ、口ではそう生存を喜ぶような文句を言うものの、あのまま消えてしまえばよかったのにという本心が見え隠れしている。

 

「このくらいでは死なない、それはキサマが言っていたことだろう?」

「ウフフ、確かにそうだったね」

 

 裏切った者と裏切られた者の関係性になったというのに平然と会話を続ける二人の様子は、なんとも異質な雰囲気が漂っていた。

 初めて耳にしたミストバーン本人の声色と、それをすぐさま聞き分けたキルバーン。そして前述の異質さに呑まれ、ダイたちは動けない。

 

「でも、生きていたにしても死んだふりを続けていた方が良かったんじゃないかな?」

「ほう……それはどういう意味だ?」 

「如何にキミがバーンから重用されていても、これは見過ごすことの出来ない大失態だってことだよ。処刑は免れないさ」

「大失態……?」

 

 まるで心当たりがないが、何かやらかしたか? と問うような言葉を投げかけるミストバーン。その姿をただの虚勢と判断したキルバーンは、彼を更に追い詰めるべく言葉を紡いでいく。

 

「そうさ。キミだって分かっているのだろう? それとも、そんな簡単な現実すら認められなくなっちゃったかな?」

「ならば教えてくれキル。私が何時、一体どんな失態を演じたというのか」

「それは勿論――」

 

 続く言葉を言おうとして、死神は何かを思いついたように動きを止める。

 

「――まさか!?」

 

 そして脱兎のごとく駆け出すと、ミストバーンであったものの残骸。その頭部を拾い上げ、フードを引きちぎるように乱暴に剥ぎ取り、そして驚愕した。

 

「こっ、コイツは誰だ!? どういうことなんだ!!」

 

 その下から浮かび上がってきたのは、かつてキルバーンが幾度か目にしたことのある全盛期のバーンの顔ではない。厳つい見た目の男だった。肌の色からそれが魔族であるということは容易に想像が付く。既に消滅しているために想像することしか出来ないが、残った部分からも筋肉質に感じられ、猛将と呼ばれるような立場だったのだろう。

 とはいえ今は完全に精気を失っており、物言わぬ死体でしかない。加えて、ミストバーンはすでにこの肉体から去りどこかに隠れているだろう。暗黒闘気の片鱗すら感じない。

 

 驚き様はダイたちにとっても同じ事だった。ミストバーンはバーンの肉体を操っているのだとばかり思い込んでいたため、その結果に言葉を失う。

 

「それは特別に用意した仮の宿だ」

 

 再び出所(でどころ)の分からぬ声が響く。

 キルバーンはこの男を見たことがなければ、一切の素性にも興味がない。ただ、ミストバーンのその言葉から何があったのかは容易に推察することができた。

 答えは単純明瞭、バーンの肉体からこの魔族の男へと操る対象を変更して、今まで戦っていたに過ぎないということだ。

 

「そうか、あの時感じた微かな感覚は……」

「……これが原因か」

 

 キルバーンとヒュンケル、二人が異口同音に同じような言葉を口にした。

 二人ともミストバーンをよく知る者同士。直接会って感じた、気にするほどでもないような小さな違和感。よく知らぬ者ならば疑問に思うことすらなく見落としてしまうほどの些細な変化を、彼らは鋭敏に感じ取っていた。

 

「キル、お前の考えなどバーン様はお見通しだったよ。先日の進言といい、この場所で待ち構えるよう私に提案したことといい、上手く行きすぎだと思わなかったか?」

「知っていて、泳がせていたってことかい?」

「……城内に泥棒が入り込み、我が物顔で歩いている」

 

 死神の疑問に、ミストバーンは答えることなく突然物語を語るように喋り出した。

 

「その泥棒は長年探し求めていた宝物の在処を突き止め、遂にその宝物に手を出すことを決意した。それを知った家主が、宝物を同じ場所に隠し続けると思うか?」

 

 それは現在の状況になぞらえた例え話だ。

 

「宝は同じ場所に隠されたまま……そう考え、ノコノコと姿を現した間抜けな泥棒は一体どうなると思う?」

「これはその偽物のお宝。そしてボクはその偽物にまんまと吊られた間抜けな泥棒ってわけか……ククッ」

 

 自嘲するような笑いを上げながら、身代わりにされた名も知らぬ魔族の頭部を握り潰さんばかりに力を込める。だがそれだけの握力を込めていながら、魔族の頭部は僅かにへこむことすらない。

 

「欲しければくれてやろう。偽物とはいえ手間は掛かっているのだ」

 

 影の身代わりを務めるのだから当然、生半可な仕掛けでは見抜かれる恐れがある。それを防ぐためにこの魔族には様々な処置が施されていた。まず、単純な戦闘力が無ければ話にならいため、比較的上位の実力を持つ者を選定。声や体型で悟られぬように肉体に物理的な改造を施した上で、一時的な凍れる時の秘法まで掛けてあるという念の入れようだ。

 数百年に一度の皆既日食を待たずとも、凍れる時の秘法は使えないわけではない。莫大な魔法力を用いて強引に術式を施すことは可能だ。ただそれはあくまで可能というだけであり、実用的というわけではない。効果は次の日食まで持たず、いつ自然と切れるとも知れぬ不完全な呪法。

 全ては偽物の罠として使うためのものであり、そう言う意味ではキルバーンのために用意されたものと言えなくもない。

 

「まったく、少々とはいえ痛い出費だったよ。そのため、補填が必要になってな」

「補填?」

「ああ、補填だ」

 

 どこから襲いかかってくるのかとキルバーンは周囲に目をこらす。だが、対象となったのは全く別の者だった。

 

「うわあああああぁぁぁっ!!」

「ダイ!!」

「ディーノ!?」

 

 物理的な効果を無効化する肉体を活用して、床の下を移動してきたのだろう。まるで煙か幻影のように突如として現れたミストバーンは、その闇のような腕をダイの中へ(・・)と伸ばしていた。自身の持つ、他者の肉体を乗っ取り操る力を行使するために。

 

「くっ! オレとしたことがダイ様を……!!」

「迂闊でした、キルバーンに意識が向きすぎていた……こんな初歩的なミスを犯すなんて……!!」

「ミストバーン! キサマはオレの身体をスペアとして欲していたのではなかったのか!? なぜオレを狙わない!!」

「ハハハハッ!! なるほどヒュンケル、身の程が分かっていたか。キサマにしては上出来……いや、チルノに聞いたか? まあそれはいい。確かにお前の身体を狙ってはいた。だが、それも今この場では話が別だ」 

 

 誰しもが口々に後悔の言葉を吐き出す中、だがダイが人質に取られているために迂闊に動くことが出来ない。唯一ヒュンケルだけは我が身を盾とするように挑発し、どうにか引き剥がそうと試みるものの、結果は芳しくなかった。

 

(ドラゴン)の騎士の力を持つ……それも、双竜紋(そうりゅうもん)などという途轍もない可能性を持つのだ。そんな存在を見逃すと思うか?」

 

 なぜならば、今この場で必要なのは最も危険な存在を潰すということだ。チルノの話からダイの凄まじい成長ぶりを聞かされていたミストにとって、最も警戒すべきはこの小さな(ドラゴン)の騎士。

 ならばこれを手に入れることが出来れば最強の駒となり、同時に驚異をも排除できる。ヒュンケルの肉体はその後でゆっくり手に入れれば良いだけのことであり、ミストバーンにとってみれば何よりも優先されるのはまず大魔王のことなのだ。

 

「ダイ君!! ああ、もう!! 何か、何かないの……!?」

「ピイイイィィィ!!」

 

 ダイの苦悶の声は戦場から少し離れたレオナたちにも届いていた。だが今の彼女たちにはどうすることも出来ない。ただ自身の知識と経験から、何か方策はないかと考えるだけだ。必死に知恵を巡らせながら、彼女はチラリと一瞬だけゴメちゃんの方を向き、だがすぐに頭を振って自身の考えを打ち消した。

 

――ダメダメ!! いくらゴメちゃんが凄いアイテムだからって、頼ってばかりじゃ何の意味もないんだから!!

 

「ピィ?」

 

 ゴメちゃんからすればレオナが急に謎の行動を取り始めたようなものだ。一体何があったのかと驚き、心配しながら彼女の顔を窺おうと場所を移動して――

 

「ピイイイィィ~~ッ!!!!」

「どうしたの、ゴメちゃ……っ!!」

 

 突如として叫び声を上げた。その表情はレオナを見て驚いているのではなく、そのもっと後ろの存在に驚いているようだった。反応からそれを察し、レオナもまた後ろを振り返ろうとして、そして絶句した。

 

「騒がしいな」

 

 何時の間に現れたのだろう。そこにいたのは、威厳に満ちた立ち姿の老人。

 

「だが、偶にはこうして一人で外を出歩くというのも一興だな。このような面白い場面に出会えるのだから」

「大魔王……バーン……」

 

 レオナは喉の奥からたった一言の言葉を絞り出すのに精一杯だった。

 

 




ミスト「甘いぞキル!! 私は魔法カード【闇の身代わり】を発動!!」

キルバーンやヒュンケルがミストバーンを見て一回だけ変な反応をしていたのは、中の人が違っていたから。よく知っていた彼らでも「気のせいかな?」と思う程度の微細な違和感だったわけですね。

ミストバーンの身代わりの人は6作目のデュランみたいなタイプの魔物を想定。人型だし強いし、良い感じかなと。でも描写する意味もないし、それ以前に正体が判明したときは死んでるので出番すらない(なので此処で設定を消化)

ヒュンケルではなくダイを狙うミストバーン。今この場ではダイを狙う。
そして大魔王様は「来ちゃった(てへぺろ)」しながら参上。

当初、色々とチルノさんに時の秘法を破らせる方法を考えていました。でも状況とやりたいことを整理していったら、策が不要になってしまった……
(ストップを使い0を0で打ち消す。クイックを掛けて無理矢理加速させる等。理想はゼロ除算エラーで外部から強制解除したかった)


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LEVEL:110 残った罠

「大魔王……バーン……」

 

 乾いた布から無理矢理水分を搾り取るような感覚で、レオナは声を絞り出した。だが、当のバーン本人はレオナに一瞥すらくれず、キルバーン目掛けてゆっくりと歩みを進めていった。

 

「この状況、なるほど。ほぼ余の予想通りといったところか」

 

 僅かに走らせた視線の先にあったのは、ミストバーンが身に纏っていた長套の残骸。ダイの意識を乗っ取ったミストバーンの姿。そして追い詰められたようなキルバーンの姿だ。それらを目にして、大魔王は呟いた。

 

「キルバーンよ、一つ教えておこう。ザボエラは余が始末した」

「なっ……!!」

 

 その言葉に死神は絶句する。それはつまり、彼がアテにしていた計画の一つが潰れたと言うことに他ならない。超魔生物の研究も(ドラゴン)の騎士の量産化も、実際の責任者であったザボエラがいなればお話にはなるまい。

 仮に研究資料が残されていれば可能性もあるだろうが、バーンがそのような可能性を残しておくとは思えなかった。少なくとも、そんな甘い考えに期待できる相手ではない。

 

「余の首と奴の技術を手土産にヴェルザー側へ引きずり込む、か。報酬としては悪くはないだろうな。余の計画を知れば、ザボエラの性格からして乗ってくるだろう。ハドラーに施した劣化(ドラゴン)の騎士の技術も、いずれは本物に負けぬほどの力を発揮しても不思議ではない。数が増えればいずれは確実に余の邪魔となるだろう」

 

 全ての計画を白日の下に曝け出すその語りを、キルバーンはただ無言で聞いていた。

 

「だが問題は時間だ。余がこの地上で何を行うのか、その計画の詳細を知るお前では、悠長なことはいっておれん――というより、もはや今このタイミングで手を打つより他はない。チルノというイレギュラーより得た知識を活用し、人間たちをも利用してでも余を倒さんとした大博打は中々見事であったぞ」

 

 蓄えられた髭を撫でながらのその姿は、どこか部下の成果を褒めるようにも見える。

 一方、人間たちはバーンの言葉に驚いていた。ただ、彼が想定していたのとは少々違う部分でだが。

 

「ザボエラをバーンが倒しただと!?」

「外周部に直接出向いたのか!?」

「まさか、フローラやホルキンスたちも……」

「ん? ……ああ、なるほど。お前たちはそう考えても無理はないか」

 

 どうしてそのように驚いているのか瞬時に理解することが出来ず僅かに首を捻るものの、その原因にすぐさま気付いたバーンは物のついでとばかりに答える。

 

「外にいるアレはヤツの用意した偽物よ。本物は別の場所で逐電の準備をしておったわ」

「偽物……」

「そういえば、そうよね。本来なら、私を正気に戻ったフリをして内部に誘い込むって作戦だったのに、それが崩れた。ならザボエラの性格から逃げていても不思議ではなかった……むしろわざわざ姿を現したのがおかしかったのね」

 

 特に当事者の一人となっていたチルノは、その可能性に到らなかった自分を恥じる。尤もそんな場合ではなかったという理由もあるのだが。とあれ、腹立たしいことに敵の手によって未来の危機の一つが去ったことで、少女は少しだけ悔しがる。

 

「ち、ちく、でん……?」

「逃げるという意味じゃよ」

 

 ただ一人、チウだけ別の意味で頭を捻っており、近くにいたブロキーナにこっそり教えて貰っていたが。

 

「さて、何の話であったかな……おお、そうであった。裏切り者の処分についてだな」

 

 わざとらしい前置きをしながら、大魔王は再びキルバーンに目を向ける。

 

「元々貴様はヴェルザー配下であることは承知の上。物騒な死神を飼っておくのもまた一興と思っていたが……この場面で明確な裏切りを見せた以上、もはや捨て置けん」

「フフ、フフフ。いいんですか……いや、いいのかいバーン?」

 

 もはやへりくだり言葉遣いを取り繕う必要性すらないと考えたのだろう。敬語を止めて対等な口調を使っていた。

 

「この場にはまだバラン君らがいる。ボクの始末よりも先に、貴様の討伐に動くことだって……」

「であろうな。それもダイが人質となっていなければ、だが」

 

 地上世界に大穴を開けることを目的とする――それも計画成就は寸での所まで来ている大魔王と比べれば、まだ地上世界の征服を画策しているヴェルザー陣営の方は後回しに出来るだろうという目算があった。

 必要であれば――どちらも本意でないのは言うまでもないが――共闘して大魔王を倒したって良い。天秤に掛けた物の大きさから考えれば、大魔王を先に倒すことを選ぶ可能性はあるはずだ。

 その考えは、ミストバーンの存在によってあっと言う間に無に帰した。

 

「余は奴らにこう持ち掛けようではないか。勇者たちよ、裏切り者の死神を倒せ。さすればそなたらの大事な仲間は解放してやろう。とな」

「バーン様!?」

 

 ミストバーンが流石に抗議の声を上げる。ようやく手に入った敵側の最強の駒をあっさりと手放すことなどありえないとばかりだ。だがそんなことは大魔王とて織り込み済み。続く言葉を勇者たちに向けて投げかける。

 

「勿論、この言葉を信じるか信じぬかはそなたらの自由だ。だが、信じねばダイが死ぬ。これだけは確約しよう。さあ、どうする?」

「…………」

 

 問いかけに対し、一瞬言葉に詰まった。

 提示された条件を、勇者たちが呑むはずがない。その可能性はほぼ確実と言って良い。だが呑まねばダイに危険が及ぶのは、それ以上に確実なことと印象づける。いわゆる不自由な二択というやつだ。

 当然、キルバーンも倒すべき敵の一人という認識ではあるがそれも今この場で、大魔王とミストバーンに操られたダイに挟まれた状態で不用意に動くのは避けたいという気持ちがあった。

 

「……バーン!!」

 

 問答に耐えかねたようにアバンが声を上げる。 

 

「あなたは知らないのかも知れませんが、キルバーンの正体は――」

「ああ、あの使い魔であろう?」

 

 だが続く言葉をバーンは予期していてかのように平然と答える。あまりに自然なその返答に、むしろアバンらが面食らうほどだ。

 

「初めて奴が余の前に現れた時から察しはついておった。そなたの言葉でより確信に到ったというところだ。感謝しよう、アバンよ」

「……くっ!」

 

 アバンの目論見としては、キルバーンの本体についての情報を共有させることで時間を引き延ばし、あわよくば人形の始末をバーンたちにさせてしまおうというものだった。ましてや人形には黒の核晶(コア)が仕込まれている。それを知らせれば、バーンとて動かざるを得ないだろうと、そう考えていた。

 

「安心しろキルバーン。あの使い魔――いや、アレが本体か。まあどちらでもよい。アレの居場所は余も既に把握しておる。すぐにそなたの元まで向かうが、勇者たちが人形を倒すまでの間は生かしてやろう。それどころか、勇者どもに勝利すれば多少の温情を与えてやっても良いぞ」

 

 だがそれも容易に水泡に帰す。

 大魔王は既にピロロの居場所を把握しており、生殺与奪の権利はおろかこの戦場における手綱のすべてはバーンの手中にあった。仮に人形内部の黒の核晶(コア)を作動させたとしても、バーンの力ならば本体の処分と爆弾の処理を瞬く間にやってのけるだろう。

 絶対的優位のまま、最後通告とばかりにキルバーンの反応を待つ。

 

「アハ……アハハハハ!! ハハハハハハハハハハ!!」

「な、なんだ!?」

「この状況で笑うだと?」

「絶体絶命の状況に狂った……とか?」

「アハハハ! 魔法使いクン、ボクは狂ってなんかいないさ」

 

 突如として狂気染みた笑い声を上げるその姿は、なんとも不気味であった。ポップの言うように、全ての計画が看破されたショックでおかしくなったと考えても不思議ではない。だがキルバーンにはもう一つだけ、策が残されていた。

 

「確かにチルノは正気に戻り、ミストへの不意討ちは失敗に終わったさ! でもね!!

ボクがこの状況を予想していなかったとでも!? まだ罠は残っている!!」

「ほう……」

 

 その言葉に大魔王は少しだけ意外そうな顔をする。

 全ての手を封じ、例え知らぬ罠が残っていたとしても全て対処できるとバーンは考えていた。だがキルバーンの様子から、この状況にあってもまだ有効な切り札を隠し持っているのが窺えたからだ。

 

「仮にミストを……若かりしバーンの肉体を消滅させることができても、ボクを狙ってくるのは当然さ! だから――」

 

――パチン。

 

 そこまで言うと死神は指を鳴らした。だが変化は何も起こらない。

 誰しもがそう思った時だ。

 

「……えっ!?」

 

 チルノは不意に、自身の視界がブレているのに気付いた。何が起こっているのか確かめるように周囲を、そして自らの身体を確認するように見回して、そして理解する。

 

「ちょっと、これ!? まさか……!?」

 

 声が聞こえたのはそこまでだった。その言葉を最後にチルノの姿は煙のように消える。

 

「チルノ!」

「いったい何処へ!?」

 

 仲間たちが見たのは、まるで蜃気楼かなにかに包まれたようなチルノの姿。ゆっくりとブレていくその姿はやがて何事もなかったかのように止まった。さながら彼女の姿を覆い隠したことで役目は終えたとばかりに。

 

「フフフ……さあ勇者たち! 命に代えてもバーンたちを倒すんだ!! チルノの命が惜しければねぇっ!!」

 

 その言葉で――いや、先ほどの言動でも充分に分かることだが――この事態はキルバーンの仕業だった。仮にミストバーンを倒したとしても、次にバランらに狙われることは十二分に考えられる。

 ならばそれをどうやって回避するか。

 その答えがこれ。弱みを握ることで動きをコントロールさせるということだった。

 

「チッ、頭の悪いことを……」

「だが無視するわけにも行かんぞ。見捨てるなど論外だ」

「ならばやることは決まっている」

「……案外チルノならなんとかしそうな気もするけどね」

 

 口々に文句を言うが、とはいえ取り合わないわけにもいかない。短絡的な策ではあるが、効果という点では充分に意味のあることだった。ヒュンケルらが困惑する中、レオナはぽつりと楽観的とも言えるような事を言う。

 

「なんとも醜いものだな」

「黙れ!! さあ、どうするんだいバーン。これでお前の言うことを聞く必要もなくなったよ?」

 

 短慮な行動にバーンは珍しく嘆息してみせた。だがキルバーンにはその言動をまともに取り合っている余裕もない。

 彼が普段目にし続けた、相手の命を弄ぶ残酷な死神の姿などもはや何処にも存在しない。ただひたすらにワガママを叫び続けてかんしゃくを起こす子供のような姿。その姿が更にバーンを消沈させた。

 

「目には目を、人質には人質を。とでも言うつもりか? 追い詰められ、無様にも敵の力に縋ってでも目的を果たそうとする……こんなものは策ではない。ただの悪あがきと呼ぶのだよ」

「何とでも言うが良いさ! お前を殺せるならねぇ!!」

「そうだな。だがまずお前が死ね」

 

 大魔王と死神。二人の会話に割り込む形で、ラーハルトが動いた。持ち前の瞬足を生かして音すら置き去りにするほどの速度でキルバーンへと肉薄すると、そのまま通り過ぎざまに槍を振り回す。

 穂先が描いた軌跡はキルバーンの首へと寸分違わず吸い込まれ、そして僅かな抵抗も見せずに通り過ぎていた。完全に刎ねたはず。だがその考えは槍から伝わってくる感覚によって裏切られる。

 

「っ! 手応えが……!?」

 

 軽い。あまりにも軽すぎる感触。抵抗が少ない(・・・)のではない、完全に無い(・・・・・)のだ。空気でも切り裂いたような予想外の感覚が、ラーハルトを驚かせる。

 

「アハハハ!! 馬鹿だなぁ、いつまでもボクがここに留まる理由はないんだよ」

 

 首が切れた状態でキルバーンが叫ぶ。いや実際には景色が歪み、首が切れたように見えているだけである。先ほどチルノをどこかへ転送したのと同じ技法を使い、今度は自身をどこかへ飛ばそうとしているのだ。

 

「安全なところからキミたちがバーンを倒す姿を見物させてもらうとするさ。勿論、バーンにも捕まらない場所でね! さあ頑張りたまえよ勇者諸君!!」

 

 言いたいことだけを口にして、キルバーンの姿はチルノの時と同様にフッと消えた。後に残されたのはバーンらとバランらのみ二組だけだ。

 

「ふむ……さてどうする勇者たちよ? キルバーンは姿を消し、残ったのは我々のみ。キルバーンを追うか? それとも余と戦うか?」

 

 少しだけ探るような様子を見せると、バーンは少しだけ残念そうに口を開いた。

 その様子から察するに、どうやらキルバーンの居場所を見失ったようだ。でなければ、このような台詞を吐くことはないだろう。

 

「余はどちらでも良いが……まあ、目に見えている方を優先すべき(・・・・・・・・・・・・・・)であろうな」

「承知しました!」

 

 再び逡巡するような仕草を見せ、やがて決断したようにバーンはミストバーンへ視線を向ける。それだけでミストバーンは全てを察し、残るアバンの使徒たち目掛けて襲いかかってきた。

 

「ディーノ!!」

「バランか」

 

 さすがに操られた状態ではダイの剣を抜くことは出来なかったようだ。移動の最中に一度だけ抜刀するような動作を見せ、そして動かなかったことを確認すると、ミストバーンはならばとばかりに拳を繰り出してきた。

 それも、どこから覚えたのか、当然のように竜闘気(ドラゴニックオーラ)を交えての一撃である。今までのダイよりも数段鋭い攻撃を、バランは真魔剛竜剣の腹で受け止めてみせた。

 

「まさか再び、我が子と本気で剣を交えねばならぬとは……」

「本気? なにか勘違いをしているようだな」

 

 思わず口を突いて出た言葉を耳にし、ミストバーンは嘲るように鼻で笑うと第二撃を繰り出した。

 

「ぐおっ!!」

 

 その攻撃はバランが反応に遅れるほどの速度で繰り出された。それでも何とか肩口で攻撃を受け止めはしたものの、攻撃力も想定よりもずっと大きい。手痛い衝撃にバランは苦痛の声を上げながら吹き飛ばされる。

 

(ドラゴン)の騎士の肉体を私が気兼ねすることなく全力で操れば……バラン、貴様をも凌駕するのだ。本気ではなく、殺すつもりで来い」

 

 ミストバーンに肉体を乗っ取られた者は、その暗黒闘気の影響なのか肉体が黒く染まる。極度に日に焼けたようなその体色は、今までのダイとは全く異なる印象を見る者に与えていた。体色だけ見ればチルノに近いものの、だが見た目からの印象は正反対であった。

 そして額には、暗黒闘気の集合体である姿を縮めたような黒い飾りが鎮座する。それこそがミストバーンの本体――だが今はダイの肉体の奥底まで入り込み、彼を操っているのだ。

 

「いや、貴様が死ねばこの肉体は双竜紋(そうりゅうもん)をも手に入れるのだったな……ならば此処で貴様を殺す方が先か」

 

 それまで一度も見せたことのないような邪悪な笑みを、ダイの顔は浮かべていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ここは……?」

 

 突然訪れた見たことのない場所に、チルノは慎重に周囲の様子を窺っていた。

 周囲は絵の具を溶かしたように真っ黒であった。上空には星々にも似た緩やかな明かりが明滅しており、一見すればどこか深夜のようにも感じられる。

 だが決定的に違うのは、周囲の気配だ。

 生き物の存在が一切感じられない。何もない空間にたった一人だけ放り出されたような、そんなうすら寒い感覚を覚えてしまう。

 

「たしか、あの時に景色が歪んで……多分、飛ばされたってことよね? ジャッジの異空間が確かこんな感じだったような……」

「ご名答だよ」

 

 頭の中の考えをまとめるように一人呟いていただけの声に、同意の言葉が加わる。彼女はその声のした方向を忌々しげに睨み付けた。

 

「……キルバーン」

「ジャッジのことも知っていたか」

「でも、鎌はなかったようだけれど?」

 

 ジャッジとは、キルバーンが所持している魔界の遺物の一つである。胸から上に腕と頭しか存在しない機械人形といったデザインをしており、両手でも余るほどの大鎌を持っているのが特徴だ。

 その用途は決闘による完全決着。

 鎌には空間を切り裂き異空間へと相手を引きずり込む力が秘められている。その能力で対戦相手と一対一となり、ジャッジそのものが審判役となり異空間に封印された両者の戦いを見守る。一切の邪魔の入らない異空間で戦い、敗者はジャッジに首を刎ねられるという判決で決闘が終了する。

 

 チルノが言っているのは、そのジャッジの鎌のことだ。大鎌によって引きずり込まれた覚えなど彼女にはなかった。

 

「当然だよ。なにしろ今回の場合は鎌ではなく、キミの着ている服が原因だからね」

「これが?」

 

 真っ黒に染められたゴスロリドレスのようなそれを鬱陶しそうに引っ張る。

 

「その服はジャッジの鎌に似た効果の発動体の役割を仕込んであったのさ。戻ってきた時に着替えていなくて本当によかったよ。気に入ってくれたのかな?」

「私だって着たくて着ていたんじゃないわよ! 着替えと着替える時間と状況が許してくれれば、とっとと脱いでいたんだから!!」

 

 こんな服を着ていたのはあくまで不本意ながらであり、ここまで連れてこられたのは偶然の産物でしかないと全力で抗議の叫びを上げ、ふとチルノは気付く。

 

「……発動体?」

「そうさ。キミだって感じただろう? ここに来る時に」

 

 言われて少しだけ記憶を引っ張り出す。視界が溶けていくようなあの感覚を、彼女は直接体験したことこそなかったものの、知識としては知っている気がした。さらに少しの間だけ熟考を重ね、突如、弾かれた様に顔を上げる。

 

「――旅の扉!!」

「ビンゴ! 流石だよ」

「褒められても全く嬉しくないわね……それで? 私を人質にして、何とかなると思っているのかしら? ここに連れてこられる前の状況から推測するに、私を捕らえることで大魔王を狙うように仕向けたってところ?」

 

 嘆息混じりに状況から判断した内容を尋ねる。だがそうやって言葉にすることで、キルバーンの現状が見えてきた。決して楽観視出来るような状況ではない。いやさ、もう逆転は不可能に近いのだろう。

 

「大魔王から逃げるのに、あなたも必死みたいね」

「ウフフ、ところがこの空間だけは違うのさ。ここはジャッジが作り出した特殊な空間だからね、外からこの空間の位置を見つけるとんでもなく困難なんだよ。それこそ、大魔王といえども容易に手出しできないくらいには……」

 

――なるほど。追い詰められていたには妙な自信があったのは、それが原因か……

 

「ふぅん……安全な隠れ家で私と一緒に勇者の大魔王討伐の観戦でもしようってこと?」

「それも楽しそうだけど。残念ながらキミには人質ともう一つ、重要な役目があるのさ。その役目を果たして貰わないと」

「役目? まだ何かあるのかしら?」

 

 役目という珍しい言葉に思わず疑問符を掲げた。果たして目の前の相手はこれ以上何を自分に求めているというのか。

 

「ヴェルザー様の依り代だよ」

「……えっ!?」

 

 死神の言葉にチルノは思わず我が耳を疑った。

 

「依り代!? 何を馬鹿なことを言うのかと思えば……ヴェルザーは魂を封じ込められて魔界で石になっているんでしょう? それをどうやって依り代にするのよ!!」

「確かにヴェルザー様は封印されているさ。でもね、キミの中には強大な竜の力が眠っている。いや、竜そのものが眠っていると言ってた方が良いかな? そしてヴェルザー様ならば例え封じられていても同じ竜という因子を利用してキミを乗っ取ることもできるはずさ」

 

――試したことは無いけれどね。と最後にキルバーンは笑いながら付け加えた。

 

「ダメならダメで、利用方法はある。単純にヴェルザー様が意のままに操れる肉体としても魅力的だからねぇ……異界の竜の力があれば、今度こそ天界の住人たちを皆殺しにもできるかもしれない」

 

 なるほど。と思わずチルノは頷いた。

 相手は仮にも冥竜王とまで呼ばれた魔界最強クラスの実力者だ。天界の精霊に魂ごと封じられて力を失っても、それでもまだ行使出来る力の一つや二つはあってもおかしくない。

 そしてそれが同族――つまり竜を意のままに操る力というのは、可能性はいかにも高そうに感じられた。

 

 尤も、やられる側からすればヴェルザーに肉体を渡すなど死んでもお断りだが。

 

「だけれども、依り代にキミの意志は不要。あのまま精神混乱呪文(メダパニ)で自意識を失われたままでいてくれたら、とっても仕事がやりやすかったんだけどね。目覚めてしまったのはとてもとても残念だったよ」

 

 そう言うとキルバーンはどこからか大鎌を取り出した。そして命を刈り取るように刃をチルノへと向ける。

 

「だから、今度はキミの精神だけを殺してあげよう。大丈夫、とっても痛くて苦しいから、すぐに諦められるさ」

 

 全然安心できない情報を口にするその姿に、チルノは余裕の笑みを崩さなかった。

 

「へぇ、でも私に勝てると思っているのかしら? 私の頭の中には、貴方の罠や能力は入っているのよ」

「フフフ……ダイ君やバラン君といった(ドラゴン)の騎士やらを相手にすればボクも勝てないさ。でも、キミ一人くらいならまだ実力で勝てる。それに、まだ見せてない奥の手は山ほどある。いくら何でもその全てを知っているはずは無いからねぇ……」

 

 確かにキルバーンの言う通りだった。

 彼が本来の歴史で見せた死の罠(キル・トラップ)は、♢の9(ダイア・ナイン)の一つだけ。それ以外にも罠や呪法は用意していただろうが、その全てはアバンによって無力化されていた。そのため、チルノが知っているはずはない。

 

「奇遇ね。私もまだ見せてない、奥の手があるの」

 

 だがそれは彼女も同じだった。

 キルバーンが――いや、この世界で誰も知らない奥の手がまだ彼女には残されている。

 

「それとも、私一人なら何とでもできると思ったのかしら?」

 

 珍しく不敵な笑みを浮かべながら、彼女はキルバーンに抗うべく精神を集中させた。

 

 




チルノさんまた捕まってるよ……
ただ今回は「やってやるぜ」モードです。凄く血気盛んです。
(多分もう読んでいる人にはバレている)

キルバーンがチルノを狙っていた理由。
チルノを変身させた時に「ヴェルザーなら同じ竜の属性持ってるし、チルノの身体を依り代扱いにできるんじゃなかろうか?」と思いまして。
異世界の竜の力を使える! これを献上すれば更に評価も上がる!
というキルさんの思惑です。
(バハムートの肉体なら冥竜王よりも強そうだし)

最後に。
"一番最初の頃に妄想していたアバンVSキルバーンのメモ書き"みたいなものを発掘したので、なんとなく活動報告に貼っておきます。
(小ネタにも満たない自己満足の塊みたいな物なので見る必要は全くありません。)

活動報告ページ


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LEVEL:111 マァムの意地

心の電池が切れてました。


「空裂斬!」

「フン!」

 

 邪悪な瞳をバランへと向けるダイ(ミストバーン)であったが、彼よりも先にアバンが動いていた。抜き身の剣に光の闘気を集約させ、空の技を放つ。狙うはダイの中に潜み、その魂を蝕むミストバーンの本体だ。だがダイ(ミストバーン)は、右腕を軽く振るっただけで空裂斬の一撃を弾き飛ばして見せた。

 

「並の怪物(モンスター)なら、今の技で倒れているだろうな。だが生憎、私は並ではない。その程度の光の闘気では相手にならん!」

「くっ……」

 

 狙い澄ましたはずの一撃をあっさりと跳ね返された結果に、アバンは思わず頷く。よく見ればダイ(ミストバーン)の右腕には(ドラゴン)の紋章が輝いていた。それも、暗黒闘気の影響なのだろうか純白に光り輝いていたはずのそれは、今では闇の様に黒く鈍い色を放っている。

 陳腐な表現だが、暗黒竜の紋章とでも呼ぶべきだろうか。ミストバーンがダイの根源的な部分すらも浸食され掌握されていることの証でもあった。

 

「……ッ!」

 

 バランが己の額へと(ドラゴン)の紋章を浮かび上がらせ、強く輝かせた。

 

「ディーノ……」

 

 紋章を僅かな時間輝かせた後に、黒化した(ドラゴン)の紋章を忌々しげに睨みながら、バランはダイ(ミストバーン)から視線を切ってバーンへと向き直る。

 

「おや? 余の遊戯相手をしてくれるのならば歓迎するが、良いのか? 息子の様子を確認せんでも?」

 

 以前、死の大地で戦った時と同じように自身へと凄まじい殺気を飛ばすバランの姿を見ながら、バーンは含み笑いを浮かべながら挑発するように言う。ダイに背を向け、

 

「構わん……腹立たしいが、私にはああなったディーノを救ってやれんようだ」

 

 本当に、本当に、今にも爆発してしまいそうな感情を押し殺しながら、バランは言葉を絞り出した。

 バランが先ほど紋章を輝かせたのは戦闘準備の為ではなく、かつてダイの記憶を奪った時のように紋章の共鳴現象でミストバーンを追い払えないかという試行だ。だがその結果は、バランの行動を見て分かるように失敗だった。ダイの紋章は手の甲へと移っており、ましてやミストバーンは他者の肉体を操っているだけ。器の肉体に影響を与えられても、その奥に存在する本体には届かない。

 

「ならばディーノのことはあやつらに任せ、私は私の出来ることをやるだけだ」

「その結論が、余の足止めか……」

 

 そこまでを瞬時に見極め、バランは別の行動を取ることにした。

 届かぬと分かっていても息子の名を呼び続け、その顛末を余すところなく見届けたい。そんな本心を鉄よりも強固な自制心で押し殺しながら。

 

「バランよ、一つ教えてやろう。ミストバーンに魂を掌握され、ああなってはもはや助かる(すべ)は無い」

「……その言葉を信じると思うか?」

 

 決意の心をかき乱さんとする大魔王の言葉を、バランは一言で切って捨てる。

 

「私はあの者たちを……息子の仲間を信じている! ディーノは任せたぞ!!」

 

 真魔剛竜剣を突き付け、全ての意識をバーンへと向ける。ダイへは一切の気を回さずにいるその姿勢は、アバンらがダイを間違いなくなんとかしてくれるということに一切の疑いを持っていない。

 

「ラーハルトよ、貴様は加勢しろ!!」

「はっ!」

 

 その言葉を待っていたとばかりに、ラーハルトはバランの横に並び立った。バランと最も長く時間を共有してきたのは、他でもないこのラーハルトである。背後を任せるのにこれほど頼もしい相手はおらず、またラーハルト本人もそれを理解していた。

 そしてもう一つ理由を上げるならば、ラーハルトには闘気を使う戦闘は不得手である。自身の速度を十全に活用する戦い方しか出来ない彼には、暗黒闘気を操るミストバーンは相性が悪すぎる。

 それぞれの得意手から瞬時に必要となる戦力を選び、そしてバランの隣で戦えるという誉れをラーハルトは胸に抱く。

 

 一方、バーンは僅かに瞳を細め、苛立たしげに二人の様子を眺めていた。

 

「その殺気……余の元から去ったのはやはり惜しい……」

 

 本来ならばバランもラーハルトもバーンと同じ方向を向き、人間たちを滅ぼすためにその力を振るっていたはずなのだ。一時は叶っていたはずのそれは、今は真逆となってバーンへと襲いかかって来ている。

 敵対したからこそ分かる圧力を堪能しながら、思わず嘆息していた。だがその未練も一瞬の物。

 

「ミストバーン! もはや駆け引きは不要だ。とっとと片付けよ!」

 

 大魔王は部下に向けて命を下した後、バランらと対峙する。

 

 

 

 

 

「承知いたしました」

 

 バーンの命にダイ(ミストバーン)は仰々しく頷くと、アバンらへ拳を向けた。ダイの主たる武術は剣術ではあるが、体術についてもある程度は学んでいる。専業の武闘家と比べれば当然のように劣るものの、現状を鑑みれば決して楽観視できるものではない。

 全員の緊張感が嫌が応にも高まっていく。

 

「まずは、貴様らからだ。それが済めばバランを……ああ、ヒュンケル。お前の命だけは助けてやる。なにしろ大事な代わりの肉体(スペア)だからな」

 

 ダイ(ミストバーン)はアバンら全員に向けて舐めるように視線を向け、最後にヒュンケルを――正確にはその肉体に傾注する。これだけは大切に扱わねばならぬと戒めるようなその言葉は、ダイの肉体を持ってすればアバンらになど決して負けないという自信の表れなのだろう。

 別のことを考えながら、手心を加えてでも勝利することが出来ると言外に言い放つミストバーンのその様子にヒュンケルが怒りを露わにしていた。

 

「そう簡単にオレたちが負けると思うのか?」

「思っているとも。仮に私が操っているのがダイではなくとも、貴様らは手出しが出来んよ。それが人間の限界だからな……ククク」

 

 本来の歴史でマァムの肉体を乗っ取られた際には、彼女を犠牲にしてでもやむを得ないという考えが出ていた。ミストバーンという強敵を相手に勝利を得るためには致し方ないと、ラーハルトらはそう口にしていた。

 だが、そうまでしなければ勝利を掴めない。犠牲の上に成り立つ勝利など、誰しも好んで得たくはないのだ。

 

「貴様こそ忘れたのか? オレたちには光の闘気がある。空の技を使えば、ダイの肉体の奥に潜む貴様だけを狙い撃つことも不可能ではない!」

 

 だがその考えに真っ向から立ち向かい、光の力による勝利に賭けたのは他ならぬヒュンケルだ。状況こそ変われど、ヒュンケルの本質までもが変わるわけではない。この世界でもまた、彼は光の闘気によって勝利できると信じて疑わない。

 

 その言葉を、ダイ(ミストバーン)が首肯してみせた。

 

「確かにな。だが貴様らにそれが出来るか? 空の技といえど、肉体へのダメージはある。打ち所が悪ければ、ダイの肉体が死ぬかもしれんぞ」

 

 そう言うとダイ(ミストバーン)は自らの首を絞めるようなポーズを取って見せた。片手で自らの喉を掴み、さらには同時に舌を出して自らかみ切るような仕草を見せる。

 これはメッセージ。

 このようにすれば自害できるということを分かり易く見せつけているのだ。加えて、ワザと防御を解くことで肉体に大ダメージを負わせることも可能だ。空の技がどのようなものかはミストバーンも身を以て知っている。

 

 迂闊な行動を取れば――もとい、迂闊な行動を取らなくてもミストバーンの気分一つでダイは命を落としかねない。

 そうなれば大魔王軍としてもしめたものだ。

 仮に双竜紋(そうりゅうもん)を手に入れることが出来なくとも、勇者ダイを葬り去ることが出来れば、それは大魔王バーンを倒せる者はもうこの世に存在しなくなったことを意味する。

 そういう意味では、これは本来の歴史よりも難易度がずっと上がっていた。

 

 明らかな脅しとも取れる言葉を耳にしながら、だがヒュンケルは顔色一つ返ることはなかった。

 

「ダイもまた光の力を信じているはずだ。そしてオレも、光に賭けてみせる!」

「いえ、ヒュンケル。私にやらせてください」

「アバン殿!?」

 

 動こうとしたヒュンケルをアバンが手で制する。

 

「バランに――ダイ君のお父様に、息子さんを任されてしまいましたからね。教師として彼を導いた手前、私にも意地があります」

「待てアバン、オレが――」

「アバン先生……私に、私にやらせてください!」

 

 ミストバーンを倒すには自分の役目だとばかりに食って掛かろうとするヒュンケル。だが彼の言葉を遮ったのはマァムだった。彼女にしては珍しくと言うべきか、強い決意と責任感に満ちた瞳を見せながら、アバンらよりも一歩前へと出る。

 

「マァム!?」

 

 予想外の立候補にポップは驚いていた。声に出したのは彼だけだが、アバンもヒュンケルもまた、口には出さないものの彼女の行動に目を丸くしていた。

 

「しかし……!」

「まあまあ、ここは教え子を信じてあげてよ」

 

 意を決したその姿に圧倒されながらも、だがまだ悩む姿をアバンは見せていた。ヒュンケルもまた、どうしたものかと戸惑う。そんな彼らに、予想だにしない者から声が掛かる。

 

「老師……?」

「あの子に未来の話を聞いて、マァムも色々と頑張ったのさ。ワシも修行を手伝ってあげてね」

 

 あの子、とは言うまでもないだろうがチルノのことである。彼女から話を聞き、マァムの心の中には一つの覚悟のようなものが生まれていた。その覚悟を是非とも叶えさせてあげたいという師の思いがそこにはある。

 

「だから、ここはマァムに譲ってあげてくれるかい?」

「……わかりました」

「マァム、任せたぞ」

「ダイのこと、頼むぜ」

「ええ、任されたわ」

 

 ブロキーナの言葉をアバンは僅かな逡巡の後に頷き、続いてヒュンケルとポップが彼女に声を掛ける。頼もしい声援を背中に受けながら、マァムは静かに頷いた。

 

「話し合いは済んだか?」

「あら、随分と優しいのね……待っててくれるなんて……」

「最期の晩餐、と言ったか? 死にゆく貴様らへのせめてもの手向けだ」

 

 ダイの顔を邪悪に歪ませながら余裕たっぷりに語るミストバーンを見ながら、けれどもマァムは奇妙なほどに心を落ち着かせていた。心情は凪いだ水面を思わせる程に穏やかなまま。どれだけの挑発、罵詈雑言を浴びせられようとも、まだ(・・)彼女の心が揺らぐことはないだろう。

 

「ミストバーン……私の事を覚えているかしら?」

「……?」

 

 その言葉の真意を測れず、ダイ(ミストバーン)は僅かに眉根を寄せる。

 

「武闘家マァム。ロモスにてダイたちの仲間となり、一時戦列を離れるものの再び合流。僧侶の呪文に加えて、格闘術を操る――」

「そう……覚えてないならもういいわ」

 

 発せられたのはマァムに関する情報、魔王軍が知る彼女の情報だった。バーンの配下であれば誰でも知り得る事の出来る共通した情報。それを耳にした途端、彼女は落胆し溜息を一つ吐き出す。

 

 ――今はこの程度、か……まあ、仕方ないわね!

 

「ダイ、聞こえる!? ちょっとだけ痛いかもしれないけれど我慢してね!!」

 

 心の中でそう吐き捨てるとマァムはダイに向けて叫び、続いて一気に闘気を高める。

 静から動への瞬時の転換。それは振れ幅が大きければ大きいほど、爆発的な威力を生み出す。マァムの心は先ほどまでの穏やかな心が嘘のように嵐のような激しさと、火山のような荒々しさを見せながら彼女へと力を与えていた。

 

「はっ!!」

 

 その勢いをも利用したまま、マァムは一直線にダイ(ミストバーン)目掛けて突進していく。傍から見ればイノシシの如き猪突猛進ぶりだが、そこには単純な突撃と思わせないほどのパワーが込められている。

 

「フン! その程度では!!」

 

 だがダイ(ミストバーン)はマァムの突撃に対して、余裕すら持ちながら迎撃を試みていた。そもそも徒手空拳の技術だけで比較すれば、マァムに軍配が上がる。如何に(ドラゴン)の騎士と言えども技能の差は容易に埋められる物では無い。

 その彼我の差を埋めるのが、ミストバーンの能力だ。肉体の損傷すら意に介さずに動き、圧倒的な力を発揮することで敵を容易に倒す。

 今回もそれを行うだけと断じながら、ミストバーンはマァムに向けて拳を振るった。

 

「そこっ!」

「ちっ!」

 

 繰り出されたダイ(ミストバーン)の拳は、彼女が知るダイの一撃よりもよほど速かった。だが、速くとも対処できなかったわけではない。

 突進の速度を緩めぬまま、マァムは見事な体捌きでダイの拳を寸前のところで避けた。拳が頬を掠めて擦り傷が生まれるものの、それ以上ダメージらしいダメージを受けることもなくダイの懐まで潜り込んでみせた。

 ミストバーンは自らの目論見が外れたことに舌打ちこそすれども、わざと大ダメージを負いマァムの心をかき乱すべく全身の力を抜く。

 

「はっ!!」

 

 互いの息づかいすら聞こえそうなほど接近した状態から、マァムはダイ(ミストバーン)の胸元に掌底を叩き込んだ。ミストバーンの考えを知ってか知らずか、その威力はマァムが普段放つ攻撃と比べれば雲泥の差。当たればダメージは皆無ではないだろうが、一般的な兵士程度に鍛えていれば充分に耐えられる程度のものだった。

 明らかに加減された一撃を見て、ミストバーンは表情を歪ませる。偉そうなことを言っておきながら、所詮は無策で突っ込んできただけかと嘲笑しようとしたときだ。

 

「ぐ……ぐぎゃあああああ!?!?」

 

 今まで生きてきた中で、一度とて感じたことのない"激痛"による衝撃。

 生まれて初めてと言っても良いほどの強烈な衝撃を体験し、その驚きのあまりミストバーンは苦痛の悲鳴を上げた。

 

 ダイ(ミストバーン)の反応にアバンらは驚きの声を上げる。自ら名乗り出たのだから、何かしら勝算があるとは思っていたが、実際に目にすると驚きの度合いはまた違う。

 そして当人たるマァムは、上手く行ったことで小さく息を吐き出して安堵していた。

 

「な、何故だ!? 一体何が!?」

 

 どうしてダメージを負ったのか理解が及ばない。耐えきれず悶絶していた。反射的にマァムに殴られた部分を抑えながら、ダイ(ミストバーン)はうずくまりながら叫ぶ。

 

「……パプニカでの戦い」

「パプニカ、だと……!?」

 

 ポツリと呟かれた言葉から連想される情報とは果たして何なのか。ミストバーンは必死で記憶を探ろうとするが、痛みが邪魔をして思考が上手くまとまらなかった。辛うじて思い出せたのは魔王軍時代のヒュンケルが占領し、ダイたちと戦ったということまでだ。

 

「まだ分からない? じゃあ、こうすれば思い出せるかしら!?」

 

 一撃を入れた後――追撃を放つつもりはなかったのだろう――距離を取っていたマァムは、今度は両手を見せつけるようにゆっくりと構える。

 その両手にはうっすらと闘気を纏っていた。

 

「ぐっ、よせっ!! やめろ!!」

「だぁ……めっ!」

 

 可愛らしい口調で――ただ、語尾には強い感情が込められていたが――ダメと言いいながら、続いては両手でそれぞれダイ(ミストバーン)の両肩を叩くようにして突く。

 

「ぎゃああああぁぁっ!!」

 

 この攻撃も速度こそあれど肉体が負うダメージは低かった。だが突かれた場所から再び激痛が走り抜け、ミストバーンに向けて襲いかかる。

 

「そうか、思い出したぜ! あの時か!」

 

 謎の技を繰り出すマァムと苦しむミストバーンとを見比べながら、声を上げたのはポップだった。横からだが、ようやく合点がいったとばかりの言葉にアバンらの注目が集まる。

 

「どういうことです?」

「いやその、おれとマァムはパプニカでミストバーンと一度やりあってるんですよ。とはいえ結果はボロ負け。使える技を乱発してどうにか食い下がって、最終的には逃がして貰えたって終わりだったんですが……」

「その通りよ」

 

 ダイ(ミストバーン)から視線は切らぬまま、ポップの弁に言葉だけで頷く。

 

「暗黒闘気の集合体――つまり闘気が生き物の中に潜り込めるのなら、私だって同じ様に闘気を送り込むことはできるはず! ミストバーン、貴方だけに許された特権なんかじゃないわ!!」

「聖拳なにやらという技か!? だがアレはザムザの腕をズタズタにするほどの破壊力があったはず!! ダイの、この肉体が耐えきれるはずがない!!」

「ええ、そうよ! もう一度あなたと戦う時のためにと編み出したのが聖拳爆裂(せいけんばくれつ)! でもそのままじゃあなたに有効打は与えられない!! だからこれは、それを更に進化させた技!」

 

 ロモスで見せたように、聖拳爆裂(せいけんばくれつ)は相手の体内に闘気を潜り込ませ、内側から爆破したような衝撃を与える技だ。だがこれをそのまま使うのでは、ダイの肉体を傷つけるだけでその奥に潜むミストバーンまでは届かないという、最悪の結果になるだけだ。

 元々がパプニカで戦った時の雪辱から編み出されたこの技は、マァムがミストバーンの正体を知ったことで更なる改良を加えられた。その奥に潜む暗黒闘気だけを狙い撃ちできるように、その牙を研ぎ澄ませながら。

 

「そっか。マァムのやつ、あの時の事をずっと気にしてやがったんだな……」

「やったぁ!! いいぞマァムさん!!」

 

 やっていることは単純にして明快。ただ相手の体内に光の闘気を浸透させるだけ。だが実際に行うとなれば難題だ。何しろ相手の肉体に傷を付けないように加減をしながら放つ必要があり、それを戦闘中にやってのけるのだから。

 苦労の甲斐あってか、その効果は抜群であった。

 

「なんと、こんな技法を……」

 

 アバンはマァムの成長ぶりに舌を巻いていた。彼の修行を終え、魔弾銃を授けたときの様子からは想像も付かないほど逞しく成長した姿には感動すら覚えている。

 

「ですが、あれだけでミストバーンを倒せるとは思えない……」

「うん、そうだろうね。ワシもそう思う。他の技術はともかく、光の闘気を操る。その一点だけを見ればマァムは未熟だよ」

 

 ブロキーナもまたその意見に追従する。

 とはいえこれはあくまでもアバンやヒュンケルというパーティ最上位の使い手と比較して未熟と言う意味であり、彼女自身の腕前は決して低くはない。加えてミストバーンという暗黒闘気の塊を相手にいつまでも戦うには不安が残る。

 

「では、その穴は師である私が埋めましょう」

 

 だがそれに何も問題はない。彼女は決して一人で戦っている訳ではないのだ。マァムを補うかのようにアバンが揚々と前に出る。

 

「……マァムだけで言えば、ワシも師なんだけど。尽力した方がいいかい?」

「いえいえ、老師は土ふまずぺたんこ病が悪化するといけませんので。ここは私にお任せください」

「アバン」

「当然、ヒュンケルにも手伝って貰いますよ。あなたの最強の技で、ね?」

「フッ……」

 

 お茶目に告げるアバンの言葉にニヒルな笑いで答えながら、ヒュンケルもまた参戦する。

 彼らの様子を見ながら、ブロキーナはどこか嬉しそうに呟いた。

 

「やれやれ……ワシの持ちネタ、取られてしまったか」

 

 

 

 

 

「光の闘気!! だが、技の仕組みさえ分かれば問題にはならん! 要はマァム! 貴様の手に触れなければ良いだけだ!」

 

 戦場はマァムの優勢から一転、ダイ(ミストバーン)はなりふり構わぬ反撃に転じていた。身体能力の差を利用して、徹底的に攻め続ける。堅実に、反撃不可能な攻撃のみを行うことでマァムの聖拳爆撃を封じる算段だ。

 

「ありがと。ようやく名前で呼んでくれたわね」

「ぬかせぇっっ!!」

 

 繰り出されるダイ(ミストバーン)の攻撃をいなし、時には避けながら思わずにやけそうになるのをマァムは堪える。かつてザムザと戦った際にも同じ事を行っていたからだ。

 考えることは皆同じ――というよりも、粘液を使っていた分だけザムザの方が頭を使っているとすら言える。本人の能力と、全盛期のバーンの肉体という最強の武器を使っていたために発想が少々単調になっているのかもしれない。

 とあれ、そう来るのならばまだ主導権はマァムが握ったままだ。

 

「だから……せいっ!!」

 

 完全に意表を突いたタイミングで、マァムはダイ(ミストバーン)目掛けて飛び上がった。狙いが読めずにダイ(ミストバーン)の動きが一瞬止まるものの、すぐさま迎撃するように動き出したが遅い。

 飛翔した勢いをそのまま利用し、ダイ(ミストバーン)の頭部を両脚――太腿辺りで挟み込んだ。

 

「はっ!!」

「ぐうぅぅっ!」

「うおっ!?」

 

 腿で頭部をがっちりと固定すると、その姿勢のままバク宙をするように身体を操ってみせた。振り子のように身体を揺らす勢いに負け、ダイの肉体は巻き込まれたまま投げ飛ばされる。

 いわゆるフランケンシュタイナーなどと呼ばれる大技の一つだ。とはいえ加減はしており、本来ならば相手の脳天を床に叩きつける技であるはずのそれをマァムは上手くコントロールして背中全体で落とすようにしている。

 一連の動きを見ていたポップが思わず歓声を上げてしまうほどに見事な、流れるような一撃だった。

 

 攻撃は光の闘気によるものだけだと思い込んでいたミストバーンにとって、これは完全に想定外であった。いやそもそも、相手の頭を両脚で挟んでから投げるなど彼にはそのような発想すら浮かばない。

 

 投げられた衝撃で動きを止めている間にマァムは素早く拘束を解き、追撃を放とうとしたときだ。

 

「えっ!?」

 

 彼女たちの周囲を囲むように天から降り注ぐ羽根(フェザー)に彼女は動きを止める。

 

「これは、先生の!?」

「よく頑張りましたねマァム。正義のために、仲間を救うために持てる力で戦う。あなたのそんな姿を見ることが出来て、私は満足です。ロカもきっと、胸を張って自慢できるでしょう」

 

 アバンの言葉にマァムは思わず言葉を詰まらせた。

 

「ですがあなたの攻撃だけでは、ミストバーンへの決定打にはならない。申し訳ありませんがここからは私も参加させて貰いますよ。なに、これだけ弱っていれば、効果はきっと大きいでしょう」

「この羽根……何をする気かは知らんが、させん!!」

 

 既に羽根は五芒星を描くように設置されており、後はアバンの呪文を待つばかりである。だがミストバーンは呪文の完成を待つほど愚鈍でもない。ゴールドフェザーを破壊すべく暗黒闘気を放つが、それよりも既に準備は完了しているアバンの方が速かった。

 

「トヘロス!!」

 

 唱えられたのは聖なる結界を展開し、邪悪なる者を寄せ付けなくする呪文だ。基本的には術者を中心として展開され、下級の魔物との戦いを避ける用途で用いるものなのだが。

 それを破邪の秘宝にて増幅して放てば、その効果は劇的に変わる。

 

「おおおおおぉぉぉっっ!?!?」

 

 ミストバーンはとてつもない力でダイの中から押し出されようとされるのを、全身全霊で踏ん張っていた。

 これこそが増幅されたトヘロスの効力。呪文の効果はダイの内側にまで及び、本来の効果通りに弾き飛ばそうとしていた。光の闘気を操るダイにとっては、どれだけ増幅されようとも全く影響は無い。マァムが力を弱めたこともあり、鉄砲水と正面衝突でもしたような気分をミストバーンは体験していた。

 影響はそれだけではない。

 

「で……てい……け……」

 

 ダイの口から、地の底から響くような声が絞り出させれた。

 弾かれようとするのを堪えるのに必死となったため、魂の支配率が下がっていたのだ。おかげでダイ本人の意識が浮かび上がり、少しずつではあるが身体を自由に動かせる様になってきていた。

 そして、肉体や意識を自由に動かせるということは、ダイ本人が光の闘気を生み出せるようになったということだ。

 

「おれの身体から出ていけええぇぇっ!!」

「ま、マズい!!」

 

 内側から光の闘気が溢れ出るように生み出された事を察知し、ミストバーンはたまらずダイの身体から抜け出した。トヘロスの効力に抗ったまま光の闘気の奔流に呑まれれば、消滅は免れない。

 それがアバンらの狙いでもあった。

 

「ヒュンケル!!」

 

 ミストバーンが抜け出したと同時にアバンが叫ぶ。だが指示の声を受けなくともヒュンケル本人もそれに気付いていた。ダイの中に潜んだ暗黒闘気を探知しながら、その瞬間を虎視眈々と狙い続けていたのだ。

 ――光の闘気を充填しながら。

 

「ひっ!!」

「グランドクルス!!」

 

 飛び出した瞬間、待ち構えていたヒュンケルとミストバーンの視線が交差した。瞬時に、相手が何をしようとしているのかを察知してミストバーンは小さく悲鳴を上げる。

 かつて師として仰いだこともある相手の、情けない声を耳にしながらヒュンケルは十字の光線を放った。

 

「ぐわああああああぁぁぁっっっ!!」

 

 大出力で放たれた光の闘気の奔流はミストバーンを飲み込んでいく。

 弱った黒は圧倒的な白によって塗りつぶされ、そして消えていった。

 




チルノさんが秘法を解除する予定だったのが崩れた結果。
マァムが頑張った。頑張ってしまった。
(聖拳爆撃は二度と出ないと言っておきながらこの体たらく)

本当なら凍れる時の秘法ミストバーンに打ち込ませてあげたかった。
(やってることはヒムのオーラナックルに近い。ただ体内に流し込んで暗黒闘気だけを攻撃するのでダイへのダメージはグッと減る。あと亡者系の魔物にも効果ありそう)
アバン先生の悪霊退散(トヘロス)
トドメはヒュンケルの光の技なのはお約束。
アバンと揃ってグランドクルスさせたかったけれど、流石に無理(アバンが覚える余裕があるとは思えなかった)

……何故私はフランケンシュタイナーを使わせたのだろう?
(マァムの太腿に顔を挟まれるとか性癖歪んじゃう)
次は、垂直落下式平等バスターだな。


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LEVEL:112 集いし者たち

やる気になったタイミングでリアルがアホほど忙しくなって気力が消えるパターン。
……あると思います。

あと、獄炎の魔王の2巻買いました。あの人に、あんな過去があったんですね。
(そして娘よりエチチチな若い頃のレイラさん)




 アバンらとミストバーンが熾烈な戦いを繰り広げる一方、バランはラーハルトを従えてバーンの相手をしていた。ミストバーンを相手にするには光の闘気の力が必要不可欠であり、その扱いだけを見ればアバンやヒュンケルらの方が彼よりも一枚上手だ。

 ミストバーンに支配された実子を救えないという口惜しさはあるものの、だがだからといってバランが出張っても出来る事は少ない。

 ならば、と彼はダイの救出という大役をアバンらに任せ、自らはバーンの相手――足止めに近いことになるだろうとことは自らも理解していたが――を敢行する。

 

 その戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

「行くぞ、大魔王!!」

 

 雄叫びにも似た声を上げながら、バランは火炎呪文(メラゾーマ)を放つ。片手で放たれた火球は、バーンの全身をすっぽりと覆い包んでなお余る程に巨大であった。いかに最上級の火炎呪文を操っているとはいえ、これほどの炎を生み出せるのは地上はおろか魔界にもそうそういないだろう。

 

「笑止」

 

 だが、高速で迫りくる火球に真正面から対峙しながら、バーンは微動だにすることはなかった。微笑を浮かべながら、まるで服についた埃でも払うかのように片手を軽く払う。たったそれだけの動作で、火炎呪文(メラゾーマ)は無力化される。

 迫っていたはずの炎はその全てをその場で燃え上がらせた挙げ句、弾け飛ぶようにして雲散霧消していた。

 

「余にその程度の呪文が効くと思ったか?」

 

 悠々と語るバーンであったが、次の瞬間、余裕を見せつけていたはずの瞳が僅かに揺らいだ。

 

「はっ!!」

 

 吹き飛んだ火炎呪文(メラゾーマ)の壁の後ろから、ラーハルトが飛び込んできた。巨大な火球を隠れ蓑として使い、その身を隠して強襲するのが狙いだ。とはいえ肝心の火球はバーンによって蹴散らされたものの、その程度で御破算になるような甘い相手ではない。

 ラーハルト本人の速度を持ってすれば、火炎呪文(メラゾーマ)の速度など亀の歩みのようなものだ。移動速度を抑え、背後に身を隠さねばならないという枷から解放されたラーハルトは、ここぞとばかりに全力で動き最速で槍を突き出した。

 奇しくもその緩急を付けた動きが自然の目眩ましとなり、バーンは反応を遅らせる。

 

「……チッ」

 

 小さな舌打ちの声が響く。

 見ればバーンの脇腹には裂傷が走っていた。突撃の勢いが上乗せされたラーハルトによる神速の刺突の一撃。加えて手にした槍はロン・ベルクによるオリハルコン加工が施され攻撃力が底上げされている。

 その結果がこれだ。回避も防御も能わず、バーンの肉体は深く抉られる。

 舌打ちだけで済ませているのは大魔王という立場に座する者としての矜持か。だが相当な激痛が走っているのだろう、その顔には余裕がなくなっており、眉間に皺が刻まれ渋面を浮かべていた。

 手傷を負わせたラーハルトに反撃を行おうと視線を向けるが、既に相手は突進の勢いを使って距離を取っている。狙い澄ました一撃だけを与える見事な動きと呼んで良いだろう。

 だが、このときバーンが注視すべきはラーハルトではなかった。

 

「何処を見ている!」

「!?」

 

 ラーハルトが火球を隠れ蓑としたのと同じ要領で、今度はラーハルトを隠れ蓑としてバランが動いていた。バーンがそれに気付いた時には、既に回避不可能な距離まで近づかれている。

 

「くっ!」

 

 仕方なくバーンは片腕を上げて防御を試みる。自身の暗黒闘気を集中させて受ければ、如何に真魔剛竜剣の一撃とて耐えきれるという目算があったからだ。

 そしてバーンの予想通りバランが手にした剣は振るわれ、それを腕で受け止め――

 

「ぐうっ!! ……熱い、だとッ!?」

 

 ――悲鳴を上げた。

 多少のダメージは覚悟していた。例え腕を切断されようとも回復呪文(ベホマ)を使えば即座に癒やすことも可能だ。

 だがこの痛みは想定していない。

 斬撃の痛みと、傷口が焼かれる痛みが同時に襲いかかられるのは、長き時を生きるバーンとて初めてのことだった。予期せぬ攻撃に思わず集中が乱れ、バーンの右腕は容易に両断された。

 

「魔法剣か!」

「ディーノは火炎大地斬と呼んでいたがな!」

 

 だが片腕と引き換えに、バーンはその原因を即座に気付く。

 おそらくは先ほど、火炎呪文(メラゾーマ)を唱えた際に同時に発動させていたのだろう。真魔剛竜剣の刀身は赤熱化しそうな程に燃え上がり、さながら竜が灼熱の炎を吐き出さんとしているかのようだった。

 バランの代名詞とも言えるギガブレイクを使わず、このような搦め手を用いて攻勢に出てきたことにバーンは驚かされる。そして同時に「この攻撃は素手では(・・・・)到底防げないだろう」と看破する。

 

「くっ……」

「させるか!」

 

 思わず身を退きながら回復呪文(ベホマ)を唱え、失った腕を再生させようとしたが、それはラーハルトが許さない。高速移動を繰り返しながら槍を幾度となく放ちつことでバーンの行動を阻害する。

 特に失った右手の側への攻め手は容赦と言う言葉を忘れたかのような勢いだ。

 

「おのれ……っ!」

 

 無視し得ぬ破壊力を持った攻撃にバーンは徐々に押されていく。片腕を失った今の状態では満足に防御することも叶わない。呪文を唱えようにも、それに集中するだけの僅かな時間すら与えられない。

 

「邪魔だっ!!」

 

 驟雨のような攻撃にその身を晒されながらも、一発逆転と状況の改善を狙い苦し紛れの大振りを放つ。だがそのような底の浅い攻撃などラーハルトに通用するはずもない。

 易々と見切られ、逆に多大な隙を相手に晒すことになった。

 

「貰ったぞ! 大魔王!!」

「おのれ!! バラン!!」

 

 その隙に切り込んできたのはまたしてもバランであった。既に剣は放たれており、刃の軌跡はダイの放つ大地斬のそれと同じ。先ほどバラン自身が口にしていたように、真なる(ドラゴン)の騎士による火炎大地斬といったところか。

 真魔剛竜剣が纏う炎もバランの闘気に呼応するように気炎を上げており、バーンの腕を切断したときよりも緋色に輝いている。

 

「……っ!!」

 

 攻撃を防ごうと反射的に腕を上げようとして、バーンは自らの過ちに気付いた。既にその腕はバランによって切断されており、今は存在していない。

 

「お、おおおおおおおおおおぉぉぉっっっ!!!!」

 

 そのためまともな防御も出来ぬまま直撃をその身へ受ける羽目となった。真魔剛竜剣はバーンの肉体を切り裂いたところで、バランは剣に纏わせた炎を全て解放する。

 斬撃の威力に加えて火炎呪文(メラゾーマ)の猛火が内側から爆発的に広がり、バーンの全身を真っ赤に染め上げた。炎はバーンの肉体を焼き上げ、その強烈な熱量のせいで中心部は黒い人影しか確認できないほど。

 あまりの熱さに、バランは距離を取る。術者であるバランがそれならば、中心部にいるバーンは果たしてどれだけの威力だったのかは、想像に難くない。

 

「やった、か……?」

「いや、油断するなラーハルト。大魔王がこの程度のはずがない」

 

 どこか拍子抜けするような感じを味わう両者であったが、だがバランの目には一切の油断はなかった。射殺すような視線をもって、炎の奥を睨み付ける。

 

「だが手応えはあった。少なくとも無傷――」

 

 そこまで口にした時だ。

 炎の奥の人影が動いた。思わず言葉を止め、バランは注視する。熱による錯覚か何かだろうかという考えが瞬間的に頭を過るが、その考えはすぐさま否定された。

 突如として火柱は真っ二つに裂け、人影は燃え尽きたように崩れ落ちる。そしてその奥からは――

 

「……どうした? 余の顔に何かついているか?」

「無傷だと……馬鹿な……」

 

 ――まるで何事もなかったかのように、大魔王バーンがその姿を現した。

 あれだけの業火にその身を晒してしたというのに、身に纏うローブはおろか頭髪や髭といった末端部にすら焦げ跡の一つもない。両断したはずの片腕も、切り裂いたはずの胴体も元に戻っていた。

 その姿に、バランは信じられぬ者を見るように呟いた。

 

「さて、仕切り直しと行こうではないか?」

「ハッタリに決まっている!」

「よせラーハルト! 迂闊だ!!」

 

 闘気の片鱗を見せたバーンの動きに反応したように、ラーハルトが再び突撃を敢行する。バランの静止の声すら耳を貸さず、先ほど腹部を抉ったそれと同じような一撃を大魔王へと向けて放つ。

 

「…………」

「な、にっ!?」

 

 だが今回の一撃は完全に空を切る。

 見ればバーンの立ち位置が僅かにズレていた。つまり、ラーハルトの槍をチラリと一瞥しただけで見切り、最小限の動きだけでそれを避けたことになる。それを理解した途端、先ほどまでとはまるでレベルの違う動きにラーハルトの額に冷や汗が浮かぶ。

 

「くっ!!」

 

 得体の知れない恐ろしさを感じてラーハルトは距離を取り直す。

 

爆裂呪文(イオ)

 

 だが大魔王はその動きにすら反応することはなかった。やれやれと両手を挙げるようなポーズを取ると、手の平の上に球体を浮かび上がらせる。それは魔力で生み出した物であり、バーンの魔法力によって自由自在に動く。

 生み出されるのは、両手からそれぞれ一つずつ。

 だが合計二つではない。 

 一つずつ(・・・・)ではあるが、子供がシャボン玉で遊ぶかのように無数に生み出されていき、それらは上空へと舞い上がる。

 見ようによっては、道化師がボールジャグリングしているかのような光景だ。だが決してそんな幻想的な物では無い。中空に浮かぶのは、一発一発が極大爆裂呪文(イオナズン)並の威力を誇る死と破壊を齎す魔力球たち。

 それらが一瞬のうちに視界を覆い尽くさんばかりに生み出されたのだ。さしものラーハルトとて反応できないほどの呪文の発動速度である。

 

「行け」

 

 その短い一言を契機(キー)として、魔力球が放たれた。四方八方へと飛び散ったように見えた球体たちは、だがすぐさま生き物のように動き回るとバランら目掛けて全方位から襲いかかっていく。

 

「うおおおぉぉっっ!?」

「なんとっ!!」

 

 触れれば爆発する球体たち。最下級であるはずの爆裂呪文(イオ)とてバーンが操れば中級呪文を余裕で超えるほどの威力を誇る。逃げ場なく迫り来る呪文の群れを、二人は全力で防ぐ事に集中していた。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい!」

 

 そう言いながらマァムはダイに回復呪文(ベホイミ)を唱え、傷を癒やしていた。

 つい先ほど――ミストバーンに操られていたダイを助け出すためとはいえ――仲間に大技を仕掛けたのだ。勿論手加減はしていたが、頭を太腿で挟み込んで投げ飛ばす(フランケンシュタイナー)のは流石にやり過ぎたかと反省している最中である。

 その場の勢いとは恐ろしいものである。

 

「い、いや、もう大丈夫だから……」

 

 マァムの治療を受けながら、ダイはダイで顔を赤らめていた。

 勇者だなんだと言われていても、お年頃の少年である。美少女のマァムに両脚で顔を挟まれて無関心でいられるはずもない。その一瞬の感触を無意識に思い出し、若干の後ろめたさを感じながら、治療も途中で逃げだそうとしていた。

 

 なお、レオナが二人の様子を遠巻きに眺めており、全てを悟ったような意地の悪い笑みを浮かべているのは言わぬが花というものだろう。

 

「…………」

 

 そして一方、ヒュンケルはミストバーンが消滅した跡を見つめ続けていた。

 

「ヒュンケル、貴方が気に病むことはありません」

「アバン……いや、そういうわけではない。ただ、因縁とでも言うべきか……オレの中の汚点を、ようやく少しは晴らすことができたのかと、そう思っていた」

 

 弟子の背中から何かを感じ取ったのだろう。アバンが気遣うように声を掛ければ、ヒュンケルはそう呟いた。

 ああ、なるほど。とアバンは理解する。どこまでも責任感の強い一番弟子の姿を嬉しく思いながら、師としての言葉を掛けようとする。

 

「ダイ! マァム! ヒュンケル! アバン殿! すまんがすぐに戦線に戻ってくれ!」

 

 だがそれら感傷の心は全て、クロコダインの切羽詰まった叫び声によって強制的に中断された。

 

「バランが……!!」

 

 続く言葉は、強烈な爆発音によってかき消された。

 丁度バーンの爆裂呪文(イオ)の群れが次々と衝突して、連鎖的な爆発を巻き起こし始めたのだ。目も眩むほどの閃光と耳が痛くなるほどの轟音が辺りを支配する。

 

「えっ!?」

「なんだっ!?」

 

 他の事に気を取られていた者が遅ればせながら声を上げる。が、その声も轟音にかき消されて他の者の耳には殆ど届いていなかった。彼らが目にしたのは、膨大な爆発の痕跡と立ち上った砂煙。

 

「ハァ……ハァ……」

「馬鹿、な……先ほどとは……桁がまるで、違う……」

 

 やがて煙がゆっくりと晴れていくと、そこにはダメージを負ったバランたちの姿があった。鎧の魔槍に竜闘気(ドラゴニックオーラ)という防御方法をそれぞれ持っていてもなお、防ぎきれないほどの破壊力を誇る。

 

「あれは、バーンの爆裂呪文(イオ)による攻撃だ……」

「馬鹿いうなよおっさん!! あれが爆裂呪文(イオ)だって!?」

「嘘ではない」

 

 クロコダインが先に気付けたのは、ミストバーン討伐後にバランたちの戦いに気を払っていたからに過ぎなかった。そして彼が見たのも、大魔王が無数の魔力球を浮かべて放つ姿空であり、詳細を知っているワケではない。

 

「父さん!」

「来るなディーノ!」

 

 思わず駆け寄りそうになったダイをバランは言葉で制した。

 

「大魔王は……バーンはどこかがおかしい……! その謎を解かねば――」

 

 ――全滅する。

 

 バランはその言葉を飲み込んだ。下手に口にすればその瞬間に実現してしまいそうだったからだ。

 

 本来ならばもう一人の(ドラゴン)の騎士であるダイの加勢は願ってもいないことだ。老いた姿のバーンを相手にするのであれば、彼ら親子が力を合わせれば届きうる。そういう目算であった。

 

 だが、今のバーンはどこかがおかしい。

 かつて死の大地で竜魔人と化して戦った経験もあるバランだからこそ、その違和感は余計に大きく感じられた。確かに強いが、それに加えてあの時以上の恐ろしさがある。

 つい先ほど、ラーハルトの槍に貫かれ真魔剛竜剣によって腕を切り落とされた者とはまるで別人のようだ。

 

「フ、フフフフ……役者が揃ったか。丁度良い」

 

 バランの戦慄を余所に、ダイらの注目が集まったところでバーンは口を開いた。

 

「バラン、そしてダイよ。一つ問おう。貴様らはミストバーンの話を聞いて疑問に思わなかったか?」

「なに?」

「ぎ、疑問!?」

 

 突然の言に、バランらは手を止める。

 

「本当に大事なものは、持ち主の目の届くところに置いておくものよ。そして万が一、他者が近寄ったとて危害が及ばぬよう、備えておくのもまた世の(つね)

「ッ!? な、何が言いたい……?」

「何が、か……とはいえ余は極一般的な話をしているだけだ」

 

 心外だとばかりに嘆息しながら、バーンは言葉を続ける。

 

「宝物庫から鍵は消え、守護者も失せた。ならば、そこに眠る宝物を放置しておく馬鹿はおるまい?」

「……??」

 

 大魔王の視線の先にはダイの姿があったが、問われたところで答えが出ることはなかった。先ほどと同じように、疑問符を頭の上に浮かべるだけだ。

 

「わからぬか? ならばもう少し遊んでやれば、回答に辿り着くやもしれんな」

「……まさかッ!?」

 

 再び動きだそうとする気配を見せたところで、一人の口から声が上がった。

 

「ほう、気付いたか? 流石は勇者アバン、地上一の切れ者よ。余としてはもう少し楽しみたかったのだがな」

 

 アバンが顔を青ざめさせながら、一つの結論を導き出した。バーンの言葉が果たして何を意味しているのか、その真意に気付いたからだ。

 

「ええ、つまりは――」

「よいよい、口にするな。興が醒める」

 

 だがバーンはアバンの言葉を遮ってみせる。

 

「千の言葉よりも一見、この姿を見せる方が雄弁に語るというものだ」

 

 そう口にすると、バーンの姿が揺らいだ。残像と錯覚するようにその姿は希薄になり、かと思えば突如ボワンと小さな爆発を起こした。白煙に包まれたものの、すぐに煙は薄れていき、やがて――

 

「そ……その姿は……!!」

「馬鹿な、ありえん!!」

「こ、これって!」

「まさか!?」

「やはり、か……」

「ふふふ……良い表情だ。散々と煮え湯を飲まされてきた貴様らがそのような顔を見せれば、溜飲も少しは下がろうというものよ」

 

 ――ダイたちは驚愕に目を見開かせていた。

 誰一人として直接目にしたことは一度もないが、その容姿については全員が聞き及んでいる。頭の中で想像していたそれとよく似た姿形から、何が起きたのかだけは理解できる。そして、彼らのその反応に満足気に頷く男が一人。

 

 全盛期の肉体を取り戻した大魔王――いうなれば、真・大魔王バーンの姿があった。

 

「なん……で……!?」

 

 目の前の光景を否定するよう、どこか絶望にも似た声が放たれるが、それで大魔王が消えるわけもない。

 

 老いた姿の頃には全身に刻まれていたはずの皺は一つもなく、その肉体は瑞々しさと活力に満ちあふれていた。ミストバーンが肉体を操っていた頃には感じ取れなかった、いわゆる精気に満ちあふれた状態だ。

 長い髪や突き出た二本の角は老いた時のまま、だが蓄えられていた髭は綺麗に消えており、それが一層若々しさを後押しする。

 それまでの儀礼用にも似た荘厳な装いから一転、動きやすい格好へと着替えている。体型すら覆い隠すようなローブの時には見えなかった肉体の様子が良く見て取れた。クロコダインやヒュンケル、ラーハルトと比較しても一切遜色がないほどに鍛えられた肉体からは、身体能力の高さが嫌が応にも窺える。

 加えてその身から漂うのは、若者特有の無鉄砲にも似た熱い勢いと、年月と経験を重ねた者にしか纏う事の出来ぬ冷徹な老練さ。本来は決して相容れるはずのないそれらが、同時に伝わってきていた。

 

「……変身呪文(モシャス)ですか」

「その通りだ」

 

 アバンの言葉にバーンは一つ首肯する。

 

「つまり、我々の前に姿を現した大魔王はずっと姿を偽り続けていた。全盛期の肉体を取り戻しておきながら、老いた姿のまま欺き続けていた。違いますか?」

「騙していたわけではない。事実、キルバーンが何かを狙っていたのは明白であったからな。その何らかの策から余の肉体を守るため、万一の事を考えミストバーンには仮初めの肉体を与えた」

 

 そこまではダイたちも知っている。ミストバーンが全盛期のバーンの肉体を守っているものという思い込みを利用した防衛策であり、何より本人の口からも語られた内容だ。

 

「だがそうなれば自然と、守り手がいなくなった肉体は無防備となる。凍れる時の秘法により外部からの手出しが出来る可能性は限りなく零に近いが……例外はあるからな。ならば引き続き、誰かが守らねばならぬ」

 

 例外について今さら説明するまでもないだろうが、極大消滅呪文(メドローア)だ。また、かの呪文のように直接消滅させずともどこか容易に見つけられぬ場所に隠すだけでも、バーンにとっては充分に恐怖となる。

 

「その役割を、余が行っていただけのこと。自分のものを自分で守る……真っ当にして至極当然のことよ」

 

 そう口にしたバーンはニヤリと笑う。表情からは若きその容貌に似つかわしくない老獪さが感じられた。

 

「だが、全盛期の姿に戻るつもりまではなかった。そもそも、チルノに仕掛けた黒の核晶(コア)が上手く作動していれば。ミストバーンが貴様らを倒せたならば。その"もしも"が実現していれば、余が元の姿を取り戻す必要はない。なにしろ次に皆既日食が訪れ、凍れる時の秘法を使えるのは数百年後。せっかく今まで時の流れから守ってきたのだ。不老の時間を長く続けたいと考えるのは当然ことだ」

 

 全盛期の肉体に戻る手段は秘中の秘、使いたくないと考えるのは当然だろう。

 だがそれは言い換えるのならば「元の姿に戻らなくとも温存したままダイたちを倒せる」という傲慢さにも似た考えに近い。

 

「だが黒の核晶(コア)による暗殺は失敗し、ミストバーンに授けた策も失敗が見えた。元の姿に戻ることを決意したのはその時よ。そして実際に入れ替わったのはバラン、貴様が炎の魔法剣で切り裂いた辺りだ」

 

 そう口にするとバーンは僅かに視線を動かす。今は何も無いが、少し前までそこには煌々と炎が燃え盛っており、その炎を割ってバーンが現れた場所。

 何より、ミストバーンが倒される少し前でもあった。それらを確認した時点でバーンは温存を諦めて元の肉体へと戻っていた。

 

「この場に最初に現れたあれは、余の影武者よ。変身呪文(モシャス)を掛け、その思考を真似させるように、少々ここ(・・)はいじったがな」

 

 ここ、と言う言葉を口にしながらバーンは自身のこめかみ――より正確に言うならば頭の中だろう――を指先で二、三度軽く突く。

 

「余の偽物との戦いはどうであった?」

「……どこか違和感はあった。奴には光魔の杖という武器があると聞いていたが、何故それを使わなかったのか。我が一撃で片腕を失ったのだ、ならば取り出したとしてもおかしくはないだろうと……気付いたのは、もっと後だったがな」

 

 そう口惜しそうにしながら、バランは数分前の戦いのことを思い返す。

 

「使わなかったのではなく、使えなかった。それが、答えか」

「その通りだ。如何に変身呪文(モシャス)でも、余の力の全てを真似させることなど不可能よ。光魔の杖を握った日には、数分と持たずに干からびていたのではないか?」

 

 光魔の杖は常に持ち歩いているわけでなく、必要となった時点でバーンが呼び出す。そのため、最初は手にしていなくとも特段おかしいわけではないが、あの時点であってもまだ温存したままというのはどう考えても不自然。

 バランが感じた違和感の一つがそれだ。

 いくら姿や思考を似せていても、本来の持ち主でなければ呼び出すことは出来ない。加えて、仮に偽物が呼び出せたとしても、使い手の魔法力を無尽蔵に吸い取っていく性質上、光魔の杖を使いこなせるのはバーン以外には存在しない。

 それゆえの「使わなかったのではなく、使えなかった」という結論だった。

 

「……どういうことだ?」

変身呪文(モシャス)には、相手の姿形だけでなく実力をも真似る効果があります。大魔王はその効果で、偽物の実力を自身に近づけていた。尤もあの口ぶりからして、本物には遠く及ばなかったのでしょうけれど」

 

 クロコダインが零した疑問にアバンが答える。

 ただ変身して相手を騙すだけと思われがちな変身呪文(モシャス)だが、高位の術者となれば相手の実力までを模倣できる。とはいえ、流石に大魔王の実力を完全に真似るにまでは到らなかったらしい。

 

「それじゃ、バーンがその気になっていれば、変身呪文(モシャス)で自分の偽物を大量に作り出して攻め込んできたかもしれないってこと!?」

「いや、その可能性は低いと思うぜ」

 

 同じように詳しくは知らなかったのだろう。アバンの説明を一緒に聞いていたマァムは、とある事実に気付いて声を上げた。だがその意見を冷静に否定したのはポップだった。

 

「自分の力をある程度とはいえ真似させるんだ。そんなことすりゃ、本体の闘い方なんかの情報が多少なりとも漏れちまう。大魔王の情報を可能な限り隠したい。ミストバーンと本体の繋がりを出来るだけ希薄にしたいって考えれば、下策だろうよ」

「ついでに言うならば、化けたとてその実力はミストバーンらに及ばんのだろう。そうでなければ、この場面でやつに変身呪文(モシャス)を掛けていてもおかしくはないはずだ」

 

 今までの大魔王軍の行動から、使わなかった理由を推察する。そしてヒュンケルもまた、こちらは戦いを専門とするものの視点から、使わなかった理由を口にした。

 

「なるほど、何が起こっていたのかは分かりました」

 

 全ての話を聞き終え、アバンはそう静かに言った。

 

「ですが大魔王! どうしてそんな回りくどい方法を取った!? 最初から全盛期の肉体に戻り、我々を相手にすることも出来たはずだ! お前がもっと早く元の姿に戻っていれば、ミストバーンを見殺しにしなくても済んだはずだ!」

 

 静けさは嵐の前触れだった。語気荒く、本気で怒りを露わにしながらアバンは叫ぶ。その中には、敵であったはずのミストバーンへの思いすらあった。

 ヒュンケルを利用しようとし、ダイの肉体を乗っ取ろうとしたことは確かに許しがたいものの、それはそれ。主君に見捨てられた形となっていたことを知れば、怒りと哀れみも湧いてこようと言うものだ。

 

「ミストバーンか……あれは確かに惜しかった。あれは魔界にも二人とおらぬ存在。おそらく、もう二度と同じような存在には出会えぬであろう」

 

 アバンの言葉にバーンは瞳を閉じて見せた。その感慨深い口ぶりから、どうやらミストバーンを失ったことは本当に痛手であり失いたくはなかったのだろう。

 

「だが奴の命と余の命、どちらが大切かは明白。下手に助けに入り、バランという強者を背を向けるわけにもいかぬ。それと、閃華裂光拳であったか? あれは余とて少々痛い。当たり所が悪ければ一撃で絶命しかねん。そんな危険とを天秤に掛けるわけには行かぬ。余が倒れれば、ミストバーンが生きていようとも関係はないのだからな」

 

 (キング)が倒れれば全てが終わる。

 それはチェスにおいても、現実においても同じこと。全てをまとめ上げるだけの頂点が存在しなければ、どれだけの勢力を誇っていてもただの烏合の衆でしかない。それと同じ。

 ミストバーン(部下)を助けるために大魔王(バーン)が倒れるなど論外だ。

 

「……ああ、それともう一つ。大切な理由があった」

 

 さらに数秒の沈黙後、バーンは思い出したかのようにわざとらしく口を開いた。 

 

「普通に現れては、つまらんだろう?」

「……ッ!!」

「バランよ、ラーハルトよ。中々楽しかったであろう? 鍛え上げた力は大魔王にも通用する。このままならば押し勝てるのではないか? そうは考えなかったか?」

 

 まるでそれが本当の理由だとでも言わんばかりの口ぶりに、ダイたちは言葉すら忘れて絶句する。

 明らかなる挑発だ。それと知っていながらなお、バーンはバランたちに言葉を投げる。その優勢だった戦いすら勘違いでしかないと。全ては演技でしかなかったのだと。嘲笑う。

 

「ふざけないで!! そんなことをして面白いっていうの!?」

「面白いとも」

 

 怒りに耐えかねて叫んだレオナの言葉を、バーンは平然と肯定してみせた。

 

「圧倒的な実力差を持つと理解している相手に戦いを挑み、勝ちの目が見えたと思わせた辺りで真実を明かし、絶望させる……キルバーンが好んでいたがな」

 

 完全に敵と見なした死神の、過去の所業を思い出しながら大魔王は語る。その口元を愉悦に歪めながら。

 

「とはいえ貴様らとて、似たようなことをしてきたのであろう? チルノから伝えられた知識を使い、予め準備した力を持って余の部下たちを打ち倒していく。知らぬ者からすれば、まさに勇者の所業よ。それとも、同じようなことを自分たちがやられるのは御免とでも言うか?」

 

 逆の立場から見れば確かに、バーンの言うようなことを感じていても不思議ではないだろう。今まで彼らがやってきたことが、回り回ってこの最終決戦で牙を剥いた。見ようによってはそうも見える。

 

「さて、おしゃべりはもう仕舞いよ。そろそろ戦いを始めようか?」

 

 そう言うと同時に、バーンの肉体から闘気が膨れ上がった。一瞬、空気が震えるほどの莫大な闘気を肌で感じながら、ダイたちは理解させられる。

 

 相手は今まで遊び程度としか認識していなかった。気を張るまでもなかったのだ。

 

 ようやく、大魔王が本気を出し始めたのだ、と。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「はああぁっ!!」

 

 とはいえまだまだ全開にはほど遠く、様子見に近い。大魔王は気合いの声を上げながら、魔法力を軽く解き放つ。それだけでも衝撃波が巻き起こりダイたちを襲う。

 

「うわ!?」

「ぐえっ!」

「きゃああぁっ!」

 

 すぐに気付けた者は回避したが、何名か――主に直接戦闘が不得意な者――は避けられずに直撃を受ける。

 

「ふむ、こんなものか。久しぶりすぎて感覚が掴めんな」

 

 当の本人は悲鳴など耳に届いてないように、全盛期の肉体の手応えを確かめていた。そしてその口調から察するに、予想よりも威力は低かったと見るべきだ。

 殆ど無意識のような行動でもこれ程の威力を誇ることに、改めて戦慄させられる。

 

「ならば」

 

 続いてはとばかりにバーンは片手を下へ――すなわち大地へと向ける。

 

重圧呪文(ベタン)

 

 その一言で呪文はあっさりと発動した。

 途端、ダイたち全員に強烈な重圧が襲いかかった。上から縦に身体を押し潰されそうなほど強烈な重さがのし掛かり、クロコダインとて容易に膝を付いてしまう。ヒュンケルら鎧の魔剣や魔槍を持つ者でさえも例外ではない。オリハルコンの補強で呪文に対してさらに強力な耐性を持つようになったものの、単純に重くなるという効果からは逃れられない。

 

「こ、この呪文は!?」

「ポップが使ってた呪文だ!」

「いえこれはマトリフのオリジナル呪文……ぐああああっ!!」

「先生っ!! う、ぐうううぅぅ……!」

 

 指一本動かすのも苦痛に感じられるほどの重さの中、彼らはこの呪文の正体をすぐさま看破する。重圧呪文(ベタン)は大魔道士マトリフとその弟子ポップのみが扱えるはず。それをどうして大魔王が操っているのか。

 

「バーン! テメェ、師匠の呪文をよくも!!」

「師の呪文、か。面白いことを言う」

 

 まるで師との繋がりさえも嘲笑われているかのように感じられ、動けぬ中にあってなお、犬歯を剥き出しにして怒りを見せるポップであったが、バーンは一笑に付する。

 

火炎呪文(メラ)回復呪文(ホイミ)とて、過去に編みだした者から伝わったものだ。ならば重圧呪文(ベタン)とておなじこと。誰かに知られた時点で、そしてその者に十分な技術があれば、操ることは容易い」

 

 それは確かに理屈としては間違っていないが、バーンはマトリフから直接教わったわけではない。他者が使っている場面を見ただけで術理を学び取り、再現してみせるのは並大抵のことではない。

 

「それに先ほどまでは変身呪文(モシャス)で姿を真似ていたのだ。ならば呪文を真似るというのも、なかなか洒落た趣向であろう?」

 

 オマケとばかりにクククと笑ってみせた。その顔を見ただけでも腹の底から苛立ちが湧き上がるものの、だがポップには今の超重圧を跳ね返すには到らない。

 

「みんなっ!」

「いかんチウ! 待て!!」

 

 縫い付けられたダイたちを見かね、呪文の範囲外にいたチウが突っ込むものの――

 

「あべべべべべべ!!」

「じゃから言ったのに……心意気は買うがお主の今の実力では……」

 

 ――完全に無策であったため、犠牲者が更に一人増えただけだった。

 

「せっかくこの姿に戻ったのだ。もう少しは楽しませてもらおう」

 

 動けぬダイたちを眺めながら、大魔王は仰々しく手刀を構える。

 

「カラミティウォール!」

 

 そしてなぎ払いを放つ。

 同時に光壁が半円状に立ち上り、津波のような衝撃波が生み出されると全てを飲み込むようにして直進していく。その先には、重圧呪文(ベタン)の影響下にあって動けぬダイたちの姿があった。

 

「安心しろ、かなり弱めに放っておいた。直撃しても死にはせんはずだ……死には、な」

 

 本人の目からすれば、それは技とも呼べないほどに弱々しい。これを自身の必殺技の一つであるカラミティウォールと呼ぶのは抵抗があるほどだ。だが今はこれで良い。

 

「さあ勇者とその仲間たちよ! この状況を乗り越え、余の元まで迫ってみるがよい! 余の不老を数百年分は奪ったのだ。今のそなたたちには、そのくらいのことはしてもらわんとな」

 

 さも楽しそうに叫ぶ。全盛期の姿を取り戻し、ダイが双竜紋(そうりゅうもん)を会得していない今ならば、負けることはないと。

 自身の圧倒的有利を確信し、高らかに宣言していた。そうすることがダイたちの義務だと信じて疑わないとばかりに。

 

「くううっ!!」

「この程度などっ!!」

 

 なんとか抜け出すことに成功したのはダイとバランであった。竜闘気(ドラゴニックオーラ)を放ち防御と移動に活用することで超重力の網から逃れ、カラミティウォールの範囲外にまで退避する。

 だが他の者たちが同じように行くわけではない。

 

「や、やべぇ!!」

「みんなっ!!」

 

 脱出できたのは(ドラゴン)の騎士たち二人だけ。残る者たちは全員が重圧に苦しめられ続けていた。

 迫り来る攻撃を避けることも防ぐこともできず、ただその身を晒して受け止め耐えるしか術はない。全員が覚悟を決めたように歯を食いしばり痛みに耐えようとして――

 

「え……ええっ!?」

「なんと……っ!!」

 

 ――惨劇が起こることはなかった。

 

「ったく、気が進まねぇな」

「お前は……」

 

 ヒュンケルを乱暴に掴みながら悪態を吐くのは、誰よりも先陣を切って戦う勇ましき兵士(ポーン)

 

「どうした? 私を遅いと断じた者がこの程度で動けなくなったか? ならば最速の称号は私が貰うぞ」

「……貴様」

 

 ラーハルトを抱え、勝ち誇った様な表情を見せるのは、かつて天馬よりも速いと誇っていた騎士(ナイト)

 

「フン! どうしてワシがキサマらの面倒など見ねばならんのだ」

「そ、そりゃコッチの台詞だ!」

「あははは……な、なにがおこった……んだ?」

 

 ポップのベルトに指を通して持ち上げながら、心底不本意だと口にする僧正(ビショップ)。ついでに彼の足下にはチウが転がっていた。

 

「……なんと、お前は!?」

「ブローム」

 

 クロコダインを持ち上げるのは、少ない口数とは裏腹に誰よりも仲間のことを思う城兵(ルック)

 

「これは……?」

「あたしたち、助かったの?」

「ええ、そうです。存分に感謝しなさい。二度目はありませんからね」

 

 マァムのレオナの二人をそれぞれ両肩に担ぎながら、済ました顔でそう口にする女王(クイーン)

 

 

 

 ――そして。

 

 

 

「まさか貴様に手を貸すことになるとはな」

「あなた、は……? まさか! いったい、どうして……」

 

 もはや命を落としたと聞いていたハズの相手に、どうやら危機を救われて助かったらしい。横抱きにされながらも、アバンは目の前の相手を見ながらそう理解し結論づけた。

 

「アバンよ、どうやら魔族にも神はいたらしい。死したはずのオレが再び貴様と再会する……いや、奇跡と呼ぶには色々と皮肉か」

 

 だがアバンの言葉には答えぬまま、彼は誰に向けるでもなく呟いた。

 

「貴様らは……馬鹿な、どうしてここにいる!?」

 

 震える声でバーンは叫んだ。さしもの大魔王とて、眼前の光景には驚きを隠す事は出来なかったようだ。

 なにしろ目の前で命を落としたはずのハドラーと親衛騎団たちが、再び彼の前に現れているのだから。

 

「奇跡……まさか!!」

 

 ハドラーが呟いた言葉から、アバンが気付く。いや、彼以外には正解に辿り着けないと言って良いだろう。そもそも彼が知る限り、こんなことができそうな人物は一人しかいない。

 その未知の可能性については、よく知っているのだから。

 

「遅れてごめんなさい。でも、どうにか間に合ったみたいね」

 

 少し遅れるようにして、一人の少女が現れる。その姿を見た途端、ダイは満面の笑みを浮かべる。

 

「姉ちゃん!!」

「お詫びに、とびっきりの援軍を連れてきたわ!」

 

 その場の全員に聞こえる様な声をチルノは響かせた。

 

 




モシャスって便利ですね……

実は割と、今回の展開に悩みました。というのも――
①:勝利だけを目的にするなら、老バーン様のみで倒す方が絶対楽。
②:ネタ的に考えると、若バーン様にした方が絶対美味しい。
 → じゃあもう若バーン様にするしかないじゃない。
――という前提。

そして「バーン様が裏をある程度とはいえ知ってしまった以上、若バーン様になる可能性は原作より高い。でも若バーン様は最大の切り札だし、出来れば使いたくはないハズ」という前提条件から、展開を組み立てていました。

最初は「バランと戦って、ミストが負けた段階で、バーン様がルーラで逃げて、若バーン様になって戻ってくる」という展開を考えていましたが「すごくダサい」と判断して没に。

次に「最初から若バーン様だったけど、モシャスで老バーン様に化けてました」展開。
これは無い。前提条件が崩れまくっています。あの時点ではまだ若バーン様が必須かどうかもわからないので。

ということで「モノマネ(影武者)していたら後ろからご本人さん(若バーン様)登場」という展開に。ただの折衷案とも言います。
ミストバーンの乗っ取りが上手く行けばそれでOK。若バーン様という切り札は封じたままで済む。ダメだったら切り札を切るしかない。
モシャスして騙していたのは……大魔王流のお茶目かな?

そして、多分バレバレだったと思われる親衛騎団とハドラー様の登場。ご想像通り「あのアビリティ」が満を持してようやくの出番です。
(親衛騎団が今さら味方になって嬉しいかは知らない)


光魔の杖「ワタシの出番は……?」


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LEVEL:113 閉鎖空間での決闘

お前が言うのか


「それとも、私一人なら何とでもできると思ったのかしら?」

 

 時と場面は少しだけ巻き戻る。

 

 ジャッジの決闘空間にて、チルノは不敵な笑みを浮かべながら精神を集中させる。

 

 ――ククク、愚かだねぇ。

 

 その行動を何らかの呪文を発動させるものだと判断したキルバーンは、どこからともなくトランプを取り出すと無防備なチルノへと投げつけた。トランプ自体には特別な仕掛など施されていない、手裏剣や投げナイフといった投擲具のようなもの。ましてや手加減して投げている。チルノの実力ならば間違いなく気付いて対応することも、無視して発動に集中することも出来るだろう。

 

 そのどちらとも取れる二択を突き付けるのがキルバーンの狙いだ。

 集中しすぎれば呪文は発動すれども回避が遅れてダメージとなり、また気付いて回避すれば呪文を発動させることはできなくなる。ましてや回避と集中を両立させようとすれば散漫な動きとなり、キルバーン本人から手痛い攻撃を受ける羽目になるだろう。

 一石二鳥どころか三鳥をも狙える、なかなか嫌らしい攻撃だ。

 

 ――なんとも良い機会が巡ってきたわね……

 

 だがチルノは動くことはなかった。

 代わりに、心の中で絶好の好機の訪れに感謝する。これでようやく彼らの不満(・・・・・)を少しは解消してやることが出来るからだ。

 

 ――【召喚】!

 

 発動に必要なだけの魔力を練り上げ、放つ。同時にチルノの身体から数条の閃光が走り、それらは全てキルバーンへ向けて襲い掛かって行った。

 何も知らぬ者から見れば光の矢を生み出して攻撃する呪文にも見えたことだろう。だが彼女が使ったのは、そんな簡単な物では無い。

 

「なっ……!? き、貴様らは……!!!!」

 

 襲い掛かる閃光を目にして、キルバーンは驚愕の声を上げた。彼が放ったトランプは先陣を切って襲い掛かってきた光によってあっと言う間に打ち落とされ、その勢いのまま牙を剥いてくる。

 その一撃こそ避けたものの、後に続くように襲い掛かってきた四つの光の攻撃に直撃を受けてしまう。合計五つの光――その光の正体を悟ったが故に動転してしまった。

 

「ぐっ……そんな馬鹿な……お前たちは確かにバーンの手で破壊されたはず……」

「だから言ったでしょう? 私一人(・・・)ならなんとか出来ると思ったのか……って」

 

 嘲笑するようなチルノの言葉を証明するかのように、彼女の傍にはヒム、シグマ、フェンブレン、ブロック、アルビナスが。

 ハドラー親衛騎団たちが、少々不満げな顔を見せながら整列していた。

 

「ガラクタ共が……」

 

 かつて共闘したことも、敵として戦ったこともある相手に憤怒を見せる。確かに壊されたはずの相手がどうしてこの場にいるのかについては疑問だが、それを疑問と思うよりも先に怒りの方が勝っていた。

 感情に任せて攻撃を行おうとしたところで、キルバーンは不意に手を止める。

 

「いや、待て! まさか……!」

 

 それは当然の結論だった。

 確実に倒されたはずのハドラー親衛騎団がこの場に復活しており、そしてチルノの味方をしている。ならば、彼らの親玉にも同じ事が起こらないとどうして言えようか。

 

「珍しいな、死を司る神と名乗るお前がそのような顔を見せるとは。もしや、死んだはずの相手が甦りでもしたか?」

 

 その考えを全面的に肯定するかのような声が、チルノの背後から聞こえてきた。

 途端、ヒムら親衛騎団たちは膝を折り臣下の礼の姿を見せる。まるでそうすることが当然のことのように一切の澱みのない流れるような動作。何も無い空間に畏敬の念がにわかに漂い始める。

 

 五名の部下たちが頭を垂れる様子を目にしながら、威風堂々とした立ち振る舞いでハドラーが姿を現した。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ハドラー君、生きていたんだね……」

 

 現れたハドラーを見ながら、キルバーンは声を絞り出す。だが平静を装っているのは誰の目にも明らかだった。

 

「馬鹿を言うな。オレはあの時に命を落とした。それは貴様も知っていよう?」

「……そうだね」

 

 あっさりと否定し、死したと口にするハドラーの様子に、むしろキルバーンの方が気圧される。そもそも生存を信じる方が難しいような状況だったのはその場にいた誰もがよく知っている。

 故に不可解なのだ。どうしてハドラーがこの場にいるのか。

 

「そもそも、超魔生物となった者は亡骸(なきがら)すら残らない。死者を蘇生させる呪文、暗黒闘気によって不死者(アンデッド)として操る、いずれも亡骸が無ければそもそも不可能……」

 

 自身の知識を総動員し、思いつく限りの手段を模索するが、その全てが不可能と結論付けられる。

 

「言えッ! 一体どうやって甦ったと言うんだ!!」

「フハハハ!! どうした死神、随分と乱暴な口を利くではないか。オレたちがいるのがそんなに不思議か?」

 

 焦りが余裕を失わせ、口調が崩れた。怨敵の変節にハドラーは高らかに笑う。

 

「簡単なことだ。あのままでは死んでも死にきれん! この想いを果たすため、オレは――オレたちは地獄の底から舞い戻ったのだ!!」

「そういうことだ死神さんよ」

「卑劣な罠を使いハドラー様を陥れたその罪、報いを受けよ!」

「泣き叫べども、許しはせぬ。覚悟してもらおうか?」

「ブローム」

「大魔王が後に控えているのです。お前が相手ならば前座に丁度良いでしょう」

 

 その言葉に親衛騎団は続き、それぞれがキルバーンへと恨み節を投げかける。そして最後にチルノが口を開いた。

 

「まあ、簡単に言えば……あなたはやり過ぎたのよ、キルバーン」

「やり過ぎた、だと?」

 

 何を馬鹿な。と小馬鹿にするような死神の言葉をチルノは首肯する。

 

 そもそも大前提として、ハドラーたちはあの場で間違いなく命を落としていた。老いた状態とはいえど大魔王バーンが手に掛けたのだ。そこに生存の余地など残ってはおらず、同時に――キルバーンが口にしたように――超魔生物となったハドラーでは遺体すら残らず、復活させることは不可能だ。

 

 世界樹の葉、蘇生呪文(ザオリク)、復活の杖。

 これらは伝説の中にのみ存在するほど稀少な道具や呪文であり、死者を蘇らせる効果を持っている。だがこれらを利用したとしても不可能――それこそ神の奇跡に縋っても不可能。

 ハドラーの肉体(・・)はあの時点で滅び、そして主が死したことで禁呪法によって生み出された親衛騎団たちもまた、倒れる運命にあった。

 

 だが、そこにほんの少しだけ、神の奇跡のような二つ(・・)の巡り合わせがあった。

 

 覚えているだろうか? 過去にチルノは召喚魔法の練習をしていたものの、まるで芽が出ることがなかったことを。あの時にも説明したが、召喚魔法を扱うには「呼び出す対象と契約を結び」「召喚対象をこの場に呼び出すだけの魔力」が必要となる。

 そしてチルノがデルムリン島にて召喚魔法を何度練習しても発動しなかったのは、何者とも契約を結んでいなかった事が原因だ。契約を結んでもいない、架空の相手を呼び出そうとしても失敗するのは当然のこと。

 

 だが逆に言えば「契約を結べば、召喚魔法を使える」ということでもある。

 

 死にゆく最中、ハドラーと親衛騎団たちは願った。戦いを侮辱した者(キルバーン)と、自らを侮辱した者(バーン)に一矢報いたいと。このままでは道化の様に果てるのでは、死んでも死にきれないと。

 その強烈な渇望は、チルノへの契約という形となって叶った。加えてその時のチルノは、竜王バハムートの姿に変身していたことも後押しとなる。まともに制御できぬとはいえその強烈すぎる力は、ハドラーの魂と親衛騎団のコアに宿る意志を捕らえて放さなかった。引きずり込んだと言っても差し支えないだろう。また、彼女の近くにいる事以外に雪辱の機会を得る事が出来ないということも理解できた。

 

 結果、半ば無意識に半ば強引に近い形で契約は結ばれ、彼らはチルノの召喚獣となる。つまり生き延びたわけでもなければ、蘇生したわけでもない。チルノの魂と共にいることで死への道程を先延ばしにしているに過ぎない。

 彼女が召喚魔法を行使すれば生前と寸分違わぬ状態で呼び出されて力を発揮できるが、その肉体はチルノの魔力によって構成されている。そのため、彼女の魔力が切れれば顕現していることもできない。

 ハドラーが「地獄の底から舞い戻った」と評するのも当然だ。

 

 そしてもう一つの奇跡は、ヒュンケルらの装備をオリハルコンで補強したことだ。

 装備の強化に使われたのは、死の大地に残されていたオリハルコンの残骸。それはすなわち、魂だけとなった彼らと肉体との繋がりを仲介する役目を果たした。

 全身オリハルコンである親衛騎団は元より、ハドラーとて自らの肉体にオリハルコンを埋め込むことで血肉と一体化させたのだ。触媒とするには充分に条件を満たしている。

 

 仮に、触媒の無い状態で召喚していたとすればどうなっていたか。おそらくだが、呼び出すこと自体は不可能ではないが、消費が大きすぎた。召喚したところで、まともに戦えるほど顕現させ続けるのは不可能だ。

 

 ――前述の二つの奇跡。

 すなわち、チルノの召喚獣として契約を結んだこと。そして、自身の肉体のカケラが近くに存在していたこと。この二つの要素が揃ったことにより、ハドラーたちは再び戦場に立ち並ぶ事が出来たのだ。

 キルバーンはおろか、例え大魔王バーンであれども正解に辿り着くことは出来ない、偶然と奇跡が生み出した結果。

 

「そうよ、やりすぎた。だから怒りが限界を超えて、彼らが出てきてしまったの」

「……ああ、なるほど。そういうことか」

 

 チルノの言葉を聞き終え、死神は突然冷静な様子を見せる。

 

「つまりこれはチルノ、キミが作り出した(まぼろし)というわけだ。そして幻影に攻撃を被せることで、さも本物がいるように見せかけて動揺を誘う。違うかい?」

 

 今の状況を自分なりに推理したのだろう、得意気にそう述べる。

 なるほど、理由が分からないのが恐怖であれば、そこに納得できるだけの理由があれば問題はない。つまるところ、彼はハドラーたちが復活したのをペテンにかけただけと判断したのだろう。

 もしかすればキルバーンの持つ死の罠(キル・トラップ)の中にそんな効果を持つ物があるのかもしれない。竹馬の友や不倶戴天の敵に見せかけて混乱させるような罠が。そういった手段を自身が使うからこそ、相手もきっと使ってくると、そう判断しての言葉なのだろう。

 キルバーンの言葉を耳にしたヒムが、嘆息しながら無造作に近づく。

 

「おやおや、まだ続ける気かい? 残念だけど、タネが割れたらおしまい……がっ!?」

 

 だがその動作も幻影だと思い込んでいる死神は特に対応することもなかった。傲慢とも言える余裕を見せつけるキルバーンの腹部目掛けて、彼は拳を叩き込んだ。

 

「死神さんよ、こんな攻撃が幻にできるかい?」

「まさか……本当に復活したのか!?」

「さて、なっ!! 真実はあの世でゆっくり考えろ!!」

 

 動揺するキルバーン目掛けてヒムは更に連続して拳を叩き込んでいく。元々近接戦闘ではヒュンケルと並ぶ程の男だ。これだけ近寄ってしまえば罠も策も関係ない。頼りになるのは自身の肉体だけ。

 キルバーンにも接近戦の心得はあるが、ここまで詰め寄られてしまっては話が別だ。途切れぬ連続攻撃をどうにか防ぐものの、防戦一方のまま。ダメージが着実に蓄積していく。

 

「愚かですね。このような相手にハドラー様が後れを取ったなどと……信じがたい」

「罠や奇襲だけに頼り、正面切って相手と戦えぬ者ではこの程度が限界でしょう」

「ええ、わかっています……わかっていますよシグマ……」

 

 そこまで呟くと、アルビナスは自身の身を震わせる。

 

「だからこそ、私は許せない! この程度の愚物がハドラー様の邪魔をしたことが!! なにより、それを救えなかった私自身が!!」

「アルビナス!?」

 

 悲鳴の様な絶叫を上げると、アルビナスはキルバーンに向けて飛びかかっていた。マント状の外甲の下に納めている両手両脚を解放し、女王(クイーン)の駒の持つ機動性を最大限に発揮させる。その速さは疾風と呼ぶにも生ぬるいほどだ。

 彼女は瞬時にキルバーンへと肉薄する。

 

「なんだっ!?」

「ヒム! そこをどきなさい!!」

 

 仲間であるヒムが驚くほどの速度と形相を見せつけながら攻撃を繰り広げていく。

 

「死ね! 今すぐに死になさい!! ハドラー様にその首を捧げ、謝罪するのです!!」

「人形風情が知った風な口を」

「アハハハ!! これは傑作ですね。よりによって貴方がそんな台詞を口にしますか!」

「なんと……」

「オンナの嫉妬というやつか? 恐ろしいものよ……だが、言っていることはワシも同意する。お主はどうだブロック?」

「ブローム」

 

 女王という駒や言葉が持つ性質と自身の感情とが噛み合ったのか、高慢な高笑いを上げる様は、他の親衛騎団の目から見ても新鮮なものだったようだ。

 仲間たちにも少々の畏怖を撒き散らしながらも、だが彼らもまた胸の裡に抱える感情は同じ。フェンブレンの言葉に鳴き声で答えるとブロックもまた動き、そしてそれに続くようにシグマたちも動いた。

 

「……愛されているわね、ハドラー」

「そうだな。オレには勿体ないほどの部下だ」

 

 ――そう言う意味ではないんだけれど。

 

 アルビナスの様子を見ながら交わされた二人の会話。そして、続く言葉をチルノは飲み込んだ。

 ハドラーがあくまで部下という視点で見ているのに対して、チルノは女性の視点でアルビナスの行動を見ていた。あれほどまでの激情を剥き出しにするのに、臣下の関係だけでは弱すぎるとしか思えなかったからだ。

 だがそれを指摘したところで、当人たちは決して認めないだろう。素直になるには、それぞれの立場や関係性が邪魔をしすぎている。

 

「ところで、本当に手を出さなくて良いの? キルバーンはあれで油断ならないわよ」

「心配はいらん。あいつらならば――」

 

 話題を変えるべく、目の前の戦いに視点を戻るチルノ。ハドラーはそう言い掛けて、一瞬だけ口ごもる。この表現では、少々正確性に欠けると感じたが為だ。

 

「――今の(・・)あいつらならば、死神相手に遅れなど絶対に取らん」

「でしょうね」

 

 どこか懐かしむようにチルノも同意した。

 

 前述の通り、彼らと契約をしたのはチルノがトランスによって竜王へと変貌していた頃である。そしてチルノ本人は精神混乱呪文(メダパニ)の影響下にあった操り人形となっていたが、心では正気を保っていた。

 魂に寄り添うような形で契約した彼らは、その心の中――表現するならば精神世界と呼称するのが最も近いだろうか――で、雪辱を果たすべく牙を研ぎ続けていた。

 仲間たちと共に競い合うのは当然の如く。そして契約主の意識を引きずり込んででも。その影響は大きく、操り人形となってなお、ときおり許し難い相手の名を呟くほどになった。

 

 ――訂正。

 懐かしむほど時は経過しておらず、確かに身動きが取れぬ状態で他にすることが無かったとは言え、四六時中付き合わされたのはチルノにとっては有り難いと同時に大変な記憶だった。

 

 とあれ、このように腕を磨き続けたのだ。オリハルコンの肉体は成長することはなくとも、闘い方を洗練すれば強くなれる。なにより彼ら親衛騎団最大の強みは連携だ。そこを重点的に鍛え抜いた今の彼らならば、キルバーン相手に勝利が揺らぐことはない。

 

「どうしました死神? 随分と旗色が悪いようですね」

 

 それぞれが得意分野で敵を圧倒し、不利な点をカバーするように戦い続ける。その戦法にキルバーンは確実に追い込まれていた。そして何よりも不利なことは、せっかく仕掛けた罠が使えないということだ。

 そもそもキルバーンの仕掛ける罠はその殆どが術者が指令を出さねば発動しない。そして今の状況――如何にキルバーンといえども絶え間なく襲い来る敵の軍団を相手に罠を発動させる隙を微塵も見いだせなかった。

 

「き、貴様らッ!! 一対一の神聖なる決闘を何だと思っているんだ!!」

 

 苦し紛れに言い放つ。だが舌戦を仕掛けようとも罠を発動させる隙が見られなかった。下手に発動させようとすれば即座に狩られるか、諸共餌食になりかねない。

 そもそもチルノと一対一の戦いを想定していたのだ。それが蓋を開ければ親衛騎団たちと戦うことになるなど聞いていない。多人数を相手にすると分かっていればそれなりの準備も出来たというのに。

 

「一対一、ねぇ……」

「滑稽だな死神よ」

「そのようなこと、一片たりとも思ってはおらんだろうに」

「自身のことを棚に上げて、よくもまあ、そのような事を言えますね。その精神だけは感服しますよ」

「そもそもこれは決闘なんて高貴なお題目ですらない。この戦い自体が私をヴェルザーへの贄とするための罠でしょう? それともジャッジの決闘空間にいれば全部が決闘だって言うのかしら?」

 

 嘲笑する親衛騎団の後に続き、チルノが嘆息する。そもそもが決闘の体裁すら為していないのだ。苦し紛れなのはわざわざ説明するまでもない。

 だがこのとき、キルバーンは別の事を考えていた。

 

 ――ジャッジだって?

 

「フ……ウフフフ! アハハハハハ!!」

「なんだ!? とうとう気でも違ったか?」

 

 突如笑い出した敵の様子にヒムが気味の悪そうに声を上げる。だが死神はそんなことを気にすることなく、ひとしきり笑い続けるとその哄笑をピタリと止めた。

 

「どうやら驚きすぎると視野が狭くなるようだね。一つ勉強になったよ」

 

 そこには勝利を確信した余裕が宿っている。

 

「チルノ、キミは知っているんだろう? ボクは本物のキルバーンじゃない。ただの人形さ。どれだけボクを追い詰めても、本体には何の影響もない……いや、それどころかボクの機嫌を損ねればキミたちはここから一生出られなくなるよ」

 

 彼が常に従えている使い魔ピロロこそがキルバーンの正体であり、仮面を被った黒衣の死神は彼の操り人形に過ぎない。文字通り人形と人形遣いの関係なのだ。そしてどれだけ人形を倒しても人形遣いが倒れることもない。

 

「……決闘空間は決着が付かない限り出る方法はない」

「その通り」

 

 ここから出られなくなる。その言葉が何を言いたいのかチルノはすぐさま察する。

 

「でもたしか、勝者はジャッジの決闘空間から出られるんじゃなかったの?」

「そんなことを本気で信じていたのかい?」

「いいえ、まったく」

 

 キルバーンの問いかけを笑顔で返しながら、ほんの少しだけ感心した。

 

 なるほど確かに、このような状態になってはもはや人形がどれだけ足掻こうとも戦って勝利することは不可能だろう。ならばいっそ、別の方法で勝利を模索するというのは充分にあり得る。

 なにしろ相手には手段のえり好みをしていられる程の余裕はない。

 

「でも意外ね。てっきりその人形に仕込んだ黒の核晶(コア)でも使って私たちを倒すんだとばかり思っていたのに」

「ああ、それも良かったね。けれど頭部に仕込んだ爆弾はバーンの暗殺に使わなきゃならない。キミに使うような無駄遣いは避けないと」

 

 だがてっきり黒の核晶(コア)を使ってくるとばかり思っていただけに、このような迂遠な、もっといえば消極的とも取れる策を取ることはかなり意外だった。

 

「……呆れたものだ。この期に及んでまだ勝つ気でいるのか?」

「なんとでもいいなよ。確かにボクの流儀じゃあないかもしれないけどね。それにキミは人間だ。その空間にしばらく閉じ込めておけば勝手に弱っていく。完全に衰弱したところで本来の目的を遂げさせて貰うよ」

 

 どうやらハドラーも同じ考えだったらしい。とはいえ彼の場合は、チルノの感想とは少々趣が異なるようだ。だがその言葉も今のキルバーンには届かない。

 

「そんなことをさせるとでも?」

「当然さ」

 

 逃がしはしないと意気込む親衛騎団たちに対して、キルバーンは自身の腕を大鎌で切断した。片腕一本を切り落とすと同時に、それを床に向けて力いっぱい叩きつけた。

 

「くっ!?」

 

 当然のように血液が飛び散り、それが親衛騎団たちを襲う。

 人形の肉体に流れている血液は、強酸性のマグマのような液体だ。触れればオリハルコンとて腐食させるそれを目眩まし代わりとする。

 痛みも感じず、四肢を失っても復元することが可能だから人形だからこその逃走手段だ。親衛騎団が液体に一瞬反応してしまったために、距離と時間は稼がれてしまう。

 

「それじゃ、さよならだ」

 

 その言葉を合図としたように、この空間にチルノが引き込まれた時と同様、キルバーンの姿が揺らいだかと思えばすぐさま煙のように消え失せた。

 

「くそっ!!」

 

 まんまと目の前で獲物を取り逃がした苛立ちから、ヒムは拳を手の平に打ち付けながら吐き捨てる。金属同士が衝突する甲高い音が何も無い空間に響いた。

 だがそれだけだ。

 それ以上何か反応が起こるわけでもない。親衛騎団たちもまた、同じように焦りを見せながら何か脱出の手がかりは周囲を探り始める。

 

「落ち着いてヒム」

「これが落ち着いていられるか!」

「大丈夫よ、まだ手段は残っているから」

「ほう、この空間から抜け出せる切り札があるのか?」

「多分ね」

 

 チルノの言葉にハドラーを含めた全員が手を止め、少女を注目する。

 

「キルバーン、聞こえている?」

 

 はたして一体どのような手段を取るのかと見守る中、チルノは虚空に向けて喋り始めた。

 

「返事はないけれど、多分聞いているんでしょうね。だから教えてあげる……あなたは少しヒントを出し過ぎた。あなたはここをジャッジの決闘空間だと言っていた。そして外からこの空間の場所を見つけるのは困難だってことも言っていた」

「それがどうかしたのか?」

「バーンの目から逃れるためらしいけれど、だったらピロロ――本物のキルバーンもこの場にいるはず。でもこれから戦いを始めるって場所に隠れるかしら?」

 

 意図が読み取れずにいたヒムの問いかけに、チルノは自身の考えを口にする。

 

「本体は本体で別の空間に潜んで、ここの戦いの様子を窺っている……そんなところでしょうね。でも準備のためには、本体もこの空間に最低一度は来ているはず。あとは賭けね」

「賭け……ですか。一体何の賭けを?」

「あんな面倒な相手を野放しには出来ないでしょう?」

 

 アルビナスの言葉に少し戯けたように反応してみせてから精神を集中させ、彼女はとある魔法を放った。

 

「さて、上手く行ったら拍手喝采……【リターン】」

 

 その瞬間、世界は巻き戻る。

 

「……え? ええぇぇっ!?!?」

「ここは!?」

「なっ!?」

「なん……だと!?」

「これは一体!?」

「よしっ!」

 

 親衛騎団は勿論、ハドラーすらも。そしてこの場に引きずり出された形となったキルバーン本人(・・・・・・・)その人形(・・・・)までもが、驚きの声を上げる。

 そしてチルノだけは、望んだ結果まで引き戻せた事に思わず感嘆の声を上げていた。

 

 リターンとは、大まかに言うならば「特定の空間ごと時間を巻き戻す」という効果を持った魔法である。もっとかみ砕いて表現するならば「最初からやり直す魔法」とでも表現すべきだろうか。

 例えば「強敵の攻撃を避けきれずに大怪我を負ったとしても、この魔法を唱えることで攻撃を食らう前まで巻き戻すことができる」といった具合だ。加えて状況は巻き戻されても、当人たちの記憶は残ったままとなる。相手がその攻撃を行うということを事前に知ることが出来る。

 

 チルノが使ったのは、その応用のようなもの。つまり、キルバーン本体と人形だけを対象とし、彼らがこの空間にいた時を狙って状況を巻き戻して見せたのだ。安全な場所に隠れていた本体と逃げた人形からすれば、この場に無理矢理連れてこられたに等しい。

 

 ただ今回の場合は特例、使用する度に狙って意図的な状況を作り出すことは不可能だ。先の強敵との戦いの例で言うならば「攻撃を受ける直前」に戻る可能性もあれば「攻撃を受けた直後」までしか戻らない可能性もある。

 これほどピンポイントに望んだ結果まで戻せたのは、此処が決闘空間という特殊で不安定な場所だった為に成功していたに過ぎない。もう一度やっても、同じ事が出来るという保証は何処にも無かった。

 本人の口から「賭け」や「上手く行ったら拍手喝采」といった事を言っていたのも、その現れだ。

 

「どうしてだ!! なんでボクがここに!? 一体何が起きたんだ!?」

 

 だがチルノはその賭けに勝利した。彼女の望んだ時間をたぐり寄せ、逃げたはずの敵を再び戦場へと引っ張り出してみせた。

 まさかこのような隠し技があるとは思わず、ピロロ(キルバーン本体)はオタオタと目に見えて取り乱す。

 

「っ!! すっとぼけている場合じゃねぇ!!」

「た、確かに!」

 

 最も速く正気に戻ったのはヒムであった。何が起きたかは理解出来ずとも、彼がやることは変わらない。二度と同じ手で逃がすような下手な真似はしまいと、キルバーン人形目掛けて殴りかかる。その行動に正気を取り戻し、アルビナスらも後に続く。

 

「ひ、ひいいいいぃぃぃっっ!!」

 

 その様子に、キルバーンは振り返ることなく脱兎の勢いで逃げ出した。人形が親衛騎団たちに蹂躙されていくのも構わず、反撃を指示することすら頭から抜け落ちているようだ。その姿からはキルバーンの頃に漂わせていた気配や恐ろしさは微塵も感じられない。

 それも当然、なにしろまともな戦いを経験したことすらないのだ。人形を身代わりにして自身は安全圏から戦いを眺めているだけ、命を賭けているのは相手だけだ。その戦いすらも罠を仕掛け、嵌めて殺すだけ。

 これでどうして、ピロロ(キルバーン本体)が勝負度胸を持てようか。

 

「逃げなきゃ……逃げなきゃ!」

「逃すか!」

 

 別の空間――元いた安全な場所――へと逃げようと必死で道具を取り出し、そこへハドラーが追撃を試みる。

 

「あ……アハハハ!! ちょっと遅かったねぇハドラー君!!」

「くっ!」

 

 だが僅かに届かず。その一撃は空を切った。転移の道具が発動し、キルバーン本体の姿は再び消えていく。

 ハドラーが動き出すのがもう少しだけ速ければ、あるいはリターンによって出現した場所がもう少しだけ近ければ、勝負は決まっていただろう。

 起死回生の一手を逃した結果となったものの、渋面を見せるハドラーとは対照的にチルノは薄笑いを浮かべた。

 

「なるほど、そこ(・・)ね」

 

 一連の様子をつぶさに観察し続けていた少女は、やがてそう納得したように呟くと、ある魔法を唱えた。

 

「【テレポ】」

 

 それは魔力によって物体を転移させる魔法。転移させる場所さえ術者が知っていれば、理論上は何処にでも移動することが出来る。

 チルノがキルバーンを観察し続けていたのは「一体何処に逃げるのか」その座標だ。この場で仕留められれば問題ないが、万が一ということもある。ならば追い掛けるための手段を確保しておきたい。

 幸か不幸かその備えは必要となり、彼女は逃げ出した死神を一人追う。

 

 消えゆく彼女の後ろでは、オリハルコンの戦士たちが物言わぬ人形を完膚なきまでに破壊する光景があった。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

 ジャッジの決闘空間とはまた別の、安全と思われる場所に用意した専用の空間内にて、キルバーンは荒い呼吸を繰り返しながら全身を恐怖で震わせていた。

 

「クソッ! なんなんだアイツは!! 得体が知れない!!」

 

 一体どの様な方法を使ったのかは彼にはまるで理解が及ばない。ただ唯一確信を持って言えるのは、あとコンマ数秒でもあの場所に長居していたら間違いなく命を落としていたと言うことだ。

 久しく味わっていなかった"自身が命を落とすかもしれない"という強烈な感覚に襲われ、未だに歯の根が合わない。うずくまって頭を抱えながら逃げ延びたことに喜んでいるその姿は、死神として傲慢に振る舞っていた者と同一とはとても思えない程に無様だった。

 

 だが、彼の受難は終わったわけではない。むしろ、ここからが始まりだ。

 

「……見つけた」

「ひいいぃぃっ! こ、この声は!!」

 

 自分以外には何者も存在しないはずの、絶対安全なはずの隠れ家。そこに響き渡るのは、先ほど撒いた少女の声だった。

 恐怖を振りまくように、無感情な低い声でゆっくりと紡がれたその言葉に、キルバーンは萎縮し竦み上がる。

 

「あ、ああ……ああああぁぁっ!! なんでだ!! どうしてここにいるんだ!!??」

 

 最悪の予感を抱きながら恐る恐る声のした方向を振り返り、そして予想通りチルノの姿があることに困惑する。もはやキルバーンの中に抗おうという気概は完全に消え失せていた。

 腰が抜け、へたり込んだまま。少しでも距離を取り逃れようと後ずさりを続ける。

 

「【召喚】」

 

 なんとも無様なその姿を眺めながら、チルノは魔力を練り上げ、そして放つ。

 

「……へ?」

 

 突如キルバーンの背中に衝撃が走り、それ以上下がれなくなる。まるで壁にでもぶつかったかのようだ。

 だがそんなことは有り得ない。この空間は言うなれば無限ループのような構造をしており、普通の移動ではどれだけ動いても端に届くことはない――つまり後ずさりを何百回続けてもチルノから逃れる事は出来ないのだが、そんなことすら頭から抜け落ちていた――のだ。

 

 では一体何にぶつかったのか。震えながら、錆び付いたゼンマイ仕掛けの人形よりも遅い速度で首と視線を背後へ向け――

 

「ハッ、ハハハハハハドラー!? なんでお前まで!?」

 

 ――そして絶望した。

 

 召喚魔法によって呼び出されたハドラーの足に背中をぶつけただけなのだが、そんな単純な事すら今のキルバーンにとっては恐怖の対象でしかない。

 

「知らなかったのか?」

 

 ハドラーが口を開く。

 同時に、キルバーンを取り囲むようにして親衛騎団が呼び出される。

 

「魔王から逃れることは出来んのだ」

 

 ――四面楚歌。もはや逃げることは絶対に不可能。

 

「ま、待て! いや、待ってくれ! いえいえ、待ってください!! お願いします! お願いしますハドラー様!! もう悪いことはしません!! ハドラー様に忠誠を誓います!! そ、そうだ! ここから、ここから出る方法もお教えします!! 出たら、一緒にバーンを倒しましょう!! だからどうか! ね、ね!?」

 

 それを理解した者に出来たのは、もはや命乞いだけだった。傍から見れば、小さな使い魔が魔王に必死で許しを請う光景にも見える。

 なりふり構わず、己が主すら捨ててでも必死で媚びを売り助命を嘆願し続けるその姿からは、死神を気取り他人の命を玩具のように扱っていた者の気配は微塵も感じられない。

 

「……キルバーンよ」

「は、はい! ハドラー様!!」

 

 そして、それに騙される者も情けを掛けようとする者も、この場には存在しない。

 

「ご……あっ……!!」

「そういう命乞いは、底なしの馬鹿かお人好しを相手にやれ」

 

 片手でキルバーンの喉元を掴み上げ、一気に捻り上げた。身長差によって体重が頸椎に掛かり、そこに握力まで加わり首は一気に締め上げられる。

 

「少なくとも、オレには通じん!!」

 

 掴み上げた手から火炎呪文(メラゾーマ)を放つ。接触した状態で放たれた火炎は寸分違わずキルバーンを焼き尽くしていく。

 

「が……あ……ぁ……っ……」

 

 だが喉を潰されたキルバーンには断末魔を上げることすら出来ない。許されるのは、全身を襲う激痛を甘受し、その肉体をゆっくりと黒い灰へと変えていくことだけだ。

 

 緩慢に忍び寄る死の影に向け、キルバーンは「速く来てくれ」と意識が途切れるまで願い続けていた。

 

 

 

 

 

「ここは……?」

 

 キルバーンは物言わぬ灰となり、人形は内部に仕込んだ黒の核晶(コア)によって空間ごと破壊し尽くした事を確認すると、再びテレポの魔法にて今度こそ通常空間――大魔宮(バーンパレス)へと帰還する。

 

「どうやら、狙い通りの場所に戻ってこれたようね」

 

 思わず満足の声を零した。

 戻ってきた場所は、戦場からは少し離れた位置だ。下手をすれば激戦のど真ん中に割り込む形で転移する可能性を考えれば、距離を取るのは当然だろう。

 また、ハドラーたちは召喚状態を解除してある。必要になればいつでも呼び出せる上に、呼び続ければ魔力を消費するのだ。少しでも節約したいと願うのもまた当然だ。

 

「あれは……!?」

 

 ダイたちと急ぎ合流しようとした駆け出したところで、チルノは目にした。

 

 どうしてそうなったのかは分からないが、何が起きているのかは彼女には分かる。真の姿を取り戻した大魔王カラミティウォールを放ち、それを仲間たちが無防備に受けようとしている光景だ。

 

「【召喚】!!」

 

 今から駆けつけても間に合わず、彼女一人の力で仲間たち全員は救えない。もっと多くの者の助力が必要だと判断すると、急ぎ、この日三度目となる召喚魔法を行使する。

 目論見は成功し、呼び出されたハドラー達は皆、それぞれがまるで狙ったかのように関わりのあった相手の救出に間一髪で成功していた。

 だが突如として現れたハドラーと親衛騎団たちの姿に、その場にいた全ての者達が驚愕の色を隠せなかった。

 

「遅れてごめんなさい。でも、どうにか間に合ったみたいね。お詫びに、とびっきりの援軍を連れてきたわ!」

 

 少し遅れて、一人の少女が再び顔を見せる。

 




バーン様に簡単に倒されたのも、残骸を仲間たちの武器強化に使ったのも。
ぜーんぶ、このため。召喚万歳。
FFのお話に関わるくらいメイン技能だから、派手に使いたくて。

本文でも書きましたが、召喚ができるようになった大雑把な経緯としては――

①親衛騎団が倒される→彼らの魂(コア的な物)が解放される→チルノと契約(このままでは死んでも死にきれないという想いと竜王の力を認めた。一時的な借宿みたいなもの)
②彼らの残骸を仲間の武器強化に使った→触媒(肉体)がある→容易に召喚可能に。

(ついでに精神世界的な場所で親衛騎団たちとトレーニングしました。メダパニ状態のときにキルバーンの名前を呟いたのは、内面世界の影響がちょっと漏れ出たから)

――という理屈です。

仲間たちの武器の補強には"偶然にも"それぞれ戦った相手の素材が使われています。なので親衛騎団がそれぞれ戦った相手の近くに召喚されました。
こうして、前話最後の「シグマに助けられて頬を膨らませて拗ねるラーハルト」や「ハドラーにお姫様抱っこされて頬を赤らめるアバン先生」という状況に繋がるわけです。

元作品でも魂だけで召喚獣になってくれるパターンもあるので、問題なしです。

そして禁断のリターンの使用。
だってこうでもしないと、キルバーン本体を引きずり出せないんだもん。
(なので「不安定な空間だから万能に使えた」という制限を付けています)

(ホントはファントムレイザーをフェンブレンが全てたたき落として「オリハルコンは元より皮膚すら切れぬナマクラよ」とか言わせる予定とかあったんですけどね)


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LEVEL:114 自らの誇りに賭けて

先に謝っておきます。


「姉ちゃん!」

 

 バーンとの戦いの最中、危機に陥ったダイたちを救ったのは、散ったはずのハドラーと親衛騎団たちであった。彼らの乱入により命からがら助かったものの、今度は斃れた者らが再び姿を見せたことで混乱させられることとなった。

 そんな中、遅ればせながら姿を見せたチルノの姿にダイは喜色満面で声を上げる。

 

「無事だったんだね!!」

「ええ、勿論。幽霊じゃないわよ」

 

 こうしてちゃんと足もあることだしね――と、チルノは胸を張ってみせた。その様子にほっと胸をなで下ろしかけて、すぐに思い出す。

 

「そうだ、キルバーン!! あいつはどうなったの!?」

「当然そっちも片付けてきたわ。頼りになる味方のおかげでね」

「そ、そうなんだ……」

 

 思わずダイは乾いた笑いを零す。

 チルノは事もなさげにそう言ったが、キルバーンはかなりの強敵である。心配していなかったはずがない。だというのに、このようにあっさりと「倒した」と言われては立つ瀬がない。

 突然姿が見えなくなり人質とされた相手が、自力でその犯人を倒して脱出してきました。と言われれば、感情の処理が追いつくはずもない。ましてや、とんでもない援軍まで連れてきたのだから、もはやダイには笑う他なかった。

 

「これで後は大魔王だけ、なんだけれど……細かい経緯はともかく、完全な状態に戻っちゃったみたいね」

 

 彼女が覚えている限り――精神混乱呪文(メダパニ)の影響下にあった頃――では、老いた姿だったはずの大魔王が、気がつけば若かりし頃の肉体を取り戻している。

 気配が感じられないことからミストバーンは討伐済みのようだが。どうやら老いた姿のまま倒すことはできなかったようだ。

 

「それは……」

「理由は後で聞くから。優先すべきはあっち、よね?」

 

 何が起きたのか、それを説明しようとするバランを手で制しながら、チルノは大魔王を見つめる。操られていたとはいえ、自分が未来の知識について話をしたことが影響したのだろうと思いながら。

 

 

 

 

「やはりチルノさんの仕業でしたか……」

 

 一方。チルノの言葉からアバンはある程度のことを察する。

 そもそもデルムリン島でたった二日間だけとはいえ、アバンはチルノに特訓を施していたのだ。その時に聞いた様々な技能の数々。その中に、このような奇跡のような結果を齎すものがあったとしても不思議ではない。

 彼にはそう判断するだけの下地は充分にあった。

 

「つまり、ハドラー。あなたは本物のハドラーなのですね!?」

「まあ、本物と言われれば本物だ」

 

 もはや叶わぬ願いと思っていた相手とまさかの再会を果たし、アバンは思わず歓喜の瞳でハドラーの顔を見る。一方のハドラーは、抱きかかえたまま少しだけ視線を逸らした。

 厳密には生きているわけではなく、召喚魔法という特殊な方法によって仮の命を持つ存在という事実が、彼に素直に「そうだ」と肯定させることを邪魔していた。

 

「もはや再び出会うことは決して出来ないと思っていましたが……嬉しいものですね。今のその姿からは、かつて魔王を名乗っていた頃とも、デルムリン島で出会った時とも違う、誇り高い気配が感じられます」

 

 超魔生物となり、精神的に大きく成長する。ハドラーがそうなると聞いていたアバンであったが、実際に目にしたその姿は彼の想像以上であった。立ち姿一つにとっても、威厳が感じられる。かつてアバンが勇者と呼ばれていた十五年前に、ハドラーが今の半分でもこのように成長していたのなら、過去の戦いの結末は真逆になっていただろう。

 そう思わせるほどだ。

 

「それと助けていただき、ありがとうございます。ただ、できればそろそろ放して貰えると助かるのですが……」

 

 そこまで考えて、彼はようやく現状に気付いた。ハドラーに抱きかかえられたままというのは、男として少々恥ずかしかったらしい。

 

「…………」

「わっ! ……っと。もうすこし丁寧に下ろしてくれも良いんじゃありませんか?」

 

 遠回しに放してくれということを告げると、ハドラーはまるで鞠でも軽く放るかのようにアバンを投げ捨てた。そしてアバンも、そのまま地面に落ちるような無様はしない。不安定になりながらも中空で体勢を整え、危なげなく着地してみせた。

 その際に、一言文句を言うのも忘れない。

 

「"放せ"と言ったのはお前だろう?」

「なるほど、確かにそうですね。これは一本取られました。次からはもっと丁寧に頼むことにします」

「次があればな」

「是非に、と言いたいところですが、大魔王がそれを許してはくれませんよね」

 

 まるで長年苦楽を共にしてきた相棒を相手にでもしているかのような軽快な口調で言葉を交わしながら、アバンはハドラーと肩を並べるようにして再び戦闘態勢を取った。

 

「……!!」

 

 ――その剣は……!!

 

 闘志を高め、アバンが構えた剣。その剣を見た瞬間、ハドラーの脳裏に過去の記憶が甦えった。それは懐かしく、そして少しだけ苦い記憶。

 今から十五年前――アバンとハドラーとの最終決戦でのことだ。

 地底魔城の最奥で繰り広げられたその戦いの最中にアバンが手にしていた剣と、今のアバンが持つ剣は全く同じ形をしていた。

 

 勿論それは同じ形状をしているというだけ。過去の剣と現在の剣ではまず素材からして異なっている。

 オリハルコンで作られた剣。それも――これは召喚魔法の影響によるものだろうか――ハドラーがその肉体に埋め込み一体化させた物を材料にしているのだということが直感的に理解できた。

 

 そこまで理解すれば腑に落ちる。

 魔王(ハドラー)を倒した勇者(アバン)が手にしていた剣。それも、死という抗いがたい恐怖を与えたそれは、魔王の瞳には世界最強の剣として映る。

 無意識のうちにその最強の力を欲し、その想いが形となり再び剣として生まれ変わったのも、ある意味では当然のことかもしれない。

 

 ――なるほど。

 

 アバンの使徒同士は、アバンのしるしによって結ばれている。ならば、自分とアバンとを結びつける物があるとすれば、それはきっとこの剣の様な物なのだろう。魔王と勇者との関係性を表すのに、これほど適した物は存在しない。

 再び勇者が手にした世界最強の剣を目にしながら、ハドラーは心の中で笑った。

 

 

 

 

「なるほど。どのような手段かは知らんが、貴様の仕業か」

 

 想像よりもずっと早く、バーンは落ち着きを取り戻していた。その様子にチルノは少しだけ残念がる。

 

「あら? あなたは驚かないの?」

「確実に殺したハズの相手が甦る……そのような経験は皆無ではない。まあ、その多くは影武者、幻術、不死者(アンデッド)化……そういった紛い物であったが――」

 

 バーンは再度、甦ったハドラーたちをつぶさに観察する。

 ハドラーがアバンを下ろしたように、他の親衛騎団たちも既にそれぞれが抱えていた者たちを下ろし終えていた。

 合計六人分の鋭い視線を正面から受けながら、やがてバーンは口を開いた。

 

「――どうやら貴様らは違うようだ。どのような技法かは知らぬが、そもそもお前は異界の力を行使する。であれば、このような手段を隠し持っていても不思議ではあるまい?」

「流石は大魔王……どこかの誰かとは見る目が違うわね……」

 

 キルバーンの狼狽した姿が思い出される。

 あれほどでなくとももう少しだけ冷静さを失ってくれていればどれだけ助かることか。と、ない物ねだりをしつつも、戯けながら称賛することで落胆した気持ちを押し隠した。

 

「その通り。詳しい説明は省くけれど、ハドラーと親衛騎団たち……全員が本物よ。幻術や見た目だけ変えた偽物なんかじゃないわ」

「やはりか」

「地獄の底から連れてきたんだから、もう少し驚いてくれてもいいのよ?」

「驚いておらぬわけではない。恐れる必要がないだけのことよ」

 

 淡々とそう言ってのけた大魔王の言葉に、ヒムが反応した。

 

「恐れる必要がない? オレたちをか?」

「何か間違ったことを言ったか?」

 

 凄んでみせるヒムに向け、大魔王はさも当然のことのように口にする。

 

「かつて余に完膚なきまでに破壊された者たちが援軍に来たところで、どうして恐れる必要があろうか」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 大魔王の言葉は、どこまでも現実的であった。

 かつて親衛騎団たちはバーンに挑み、手も足も出ぬまま敗れている。それも若い肉体を取り戻した現在のバーンではなく、今よりも弱い老いたバーンを相手にして。ならば同じ相手に後れを取ることはないと判断するのも至極当然。

 

「へっ! それがどうしたんだよ!」

 

 だがその程度で怯む様な弱卒はこの場に存在しない。ヒムらはむしろ闘気を漲らせ、大魔王に挑むように前に出て行く。

 その姿に追従するように、マァムが叫んだ。

 

「そうよ、今度は違う! 私たちも一緒に戦うわ!」

「誰が貴方たちと共闘すると言いました?」

 

 だがその言葉をアルビナスは止める。

 

「我々はこの男に――大魔王バーンに耐えがたい屈辱を与えられました。この恥は我ら親衛騎団の力のみで(すす)がねばなりません。助力を受けるような下世話な真似は不要です!」

 

 有無を言わさぬ、毅然とした態度にて他者の介入は受けぬと宣言する。

 これに驚かされたのはアバンの使徒たちだ。大魔王を相手に肩を並べ、共に戦うと思い込んでいただけに、その動揺も大きかった。

 

「馬鹿な! お前たちだけで戦うというのか!?」

「おれたちも戦うぜ!」

「そうよ! あなたたちなら、今のバーンがどんなに強い相手なのか分かるでしょう!?」

 

 天地魔界で最強と呼ばれるバーンを相手に親衛騎団だけで挑むとなれば、止めようとするのは当たり前だ。全員で協力して戦うことで、少しでも勝利の可能性を高めるのが利口な考えだろう。

 ポップたちは口々に声を上げる。

 

「みんな、やらせてあげて」

 

 だがそんな仲間たちの声を止めたのはチルノだった。

 

「詳しい理由は省くけれど、これは彼らが決めたことなの」

「決めた……って、あいつらだけでバーンに挑むことがか?」

「ええ、ハドラーも了承済みよ」

「そんな!! どうにかして止められないの!?」

 

 それを聞いた瞬間、悲鳴にも似た声が上がるが、だがチルノは顔色すら変えない。

 これは既に決まっていたこと。

 精神世界にてチルノ、ハドラー、親衛騎団たちとで話し合い決めた事だ。

 

 どれだけ練度を上げても、オリハルコンの身体を持つ親衛騎団は成長することはない。肉体を成長させられるとすれば、唯一ハドラーのみだ。

 対してアバンの使徒らは想像を絶する速度で成長していく。

 召喚魔法によって雪辱の機会は得られたものの、これでは「いざ戦おう」という場面では既に足手まといになっている可能性が高い。かといって「はい」と素直に認めて諦めてしまうほど親衛騎団たちは柔順ではない。

 

 彼らにもまた、譲れぬものがある。例え届かぬと知ってもなお、貫き通したい意地が。

 故に彼らは決断した。

 勇者たちと共闘するのはハドラーのみ。自分たちは少しでも大魔王を疲弊させるための駒となろうと。チェスにおいては王こそが最重要。それ以外の駒は全てが王のために動くのだからと。

 

 その気持ちはチルノにも分かる。故に彼女は、親衛騎団に一つだけ注文を付けた上で、彼らの意志を尊重することにした。

 

 

 

 

「自らの道具に二度も手を噛まれるとは……これは中々に得がたい経験よ。呆れや怒りを通り越し、むしろ興味さえ湧く」

 

 闘志を燃やす親衛騎団へ洒落た感想を口にしつつ、バーンは冷静に観察していた。

 一度倒れた相手が再び挑む以上、何らかの考え――すなわち策があると考えるのは当然のこと。ましてや大魔王とは、一朝一夕では絶対に埋まらないほどの差があるのだ。それを埋めるために、果たしてどのような方法を取ってくるのか。

 

「ハドラーに黒の核晶(コア)を埋め込み、そして先の戦いではハドラーの前で無様にやられたことに対する雪辱戦といったところか……余の力を知った上でなお挑もうとする、その心意気は見事なものだ。褒めてやろう」

 

 以前目にした時よりも更に洗練された様子を鋭敏に感じ取りながら、バーンは続ける。

 

「だが、実力が伴わぬようでは、それも無駄死によ……今からでも遅くはない。勇者たちに頭を下げ、共に戦おうと懇願しておけ。余に、真に勝ちたいと願うのならな」

「ふざけるな!! そんなカッコ悪い真似が出来るかよ!!」

「……格好はともかく、そのような真似は出来ん」

「我らの真価は全員が揃ってこそ。むしろ勇者たちと肩を並べて戦っても、邪魔になるだけですよ」

 

 気遣いという名の挑発を受けても、彼らの決意は変わることはない。そして最後の確認とばかりにアルビナスは後ろを振り返る。

 

「よろしいですね、ハドラー様」

「……ああ」

 

 ハドラーはぶっきらぼうにそう口にする。

 だが、腕を組み親衛騎団を見守るその姿からは、彼らの全てを見届けんとする熱い想いが伝わってきた。

 

「もはや迷いはありません! 全員、行きますよ!!」

「愚かな……」

 

 アルビナスの言葉を合図として、親衛騎団たちは動き出す。ただ、そんな彼らに向けて一人の少女が声を掛けた。

 

「わかっているとは思うけれど、節約はしてね!」

「わかっています!」

「貴様に言われるまでもない!」

 

 チルノの召喚魔法、つまり魔力によってこの世に顕現している以上、親衛騎団たちは動くのにも呪文を唱えるのにも――それどころか、存在しているだけでも維持のための魔力が必要となる。

 その魔力を払うのは当然、召喚士たるチルノだ。

 彼女の魔力が少なくなれば、肉体を維持しきれなり存在できなくなってしまう。それを防ぐ意味でも「節約しろ」と声を掛けたのだが――

 

「サウザンドボール!」

極大真空呪文(バギクロス)!」

 

 アルビナスとフェンブレンは、躊躇なく自身の持つ最大の呪文を放った。片手に収まりきらないほどの大きさの光球がバーン目掛けて襲い掛かり、それに遅れて真空の刃を伴った強風が吹き荒れる。

 

「節約しろって言ったでしょ!!」

「フン! ケチな事を抜かすな!」

「あなたは黙っていなさい!!」

 

 先ほどの言葉はどこへやら。舌の根乾かぬうちに――それどころか、当てつけとすら勘ぐってしまうほど分かり易い行動に、チルノは思わず頭を抱えてた。

 

 

 

 

「ハドラー! あなたは良いのですか!!」

 

 親衛騎団たちが動き出したのと同じ頃、アバンは声を荒げていた。

 彼にはとても信じられなかったのだ。親衛騎団が強いのは分かるが、それでも大魔王には届かない。みすみす部下を死地へと追いやるような真似をするなど、今のハドラーがそんな選択を取るようにはとても見えない。

 

「黙っていろ!!」

 

 だがハドラーはアバンの言葉を一喝して黙らせた。そして、続く言葉を喉の奥から絞り出す。

 

「……これは、あいつらから言い出したことだ」

「ハドラー……」

 

 その声を聞けば、ハドラーとて諸手を挙げて親衛騎団の行動に賛成しているわけではないということが如実に伝わってきた。

 腕組みをしたまま微動だにせずに見守り続けるハドラーの姿は冷徹にも見えるが、その内心は嵐より荒れ狂っていたようだ。

 よく見ればハドラーの腕から血が滴り落ちている。

 それは二の腕をとてつもない力で掴んでいるために流れ出たもの。全身に万力のような力を込めて、今にも飛び出しそうになる自分を押さえつけていたのだ。

 

「あいつらの気持ちを本当に汲んでやるつもりならば、手出しは無用。とっととその傷でも治しておけ」

「…………ええ。申し訳ありません」

 

 そして稼いだ僅かな時間で少しでも立て直し、反撃の準備を整えること。それこそが彼らの決意に報いる最大の行為だと告げる。アバンもまたそれを痛感し、短い謝罪の言葉と共に回復呪文を唱え始めた。

 

「はぁ……まったくもう……」

 

 不意に、チルノが乱入してくる。親衛騎団たちが戦い始めたことでバーンの注意が逸れ、その隙に合流してきたのだ。

 どこか疲れた様子を見せながらやってきた彼女だったが、アバンの顔を見るなり弾かれたように彼の元へと駆け寄って行く。

 

「先生! シルバーフェザーを何本か、いえ、出来ればかなり多めにいただけますか?」

「フェザーをですか? それは構いませんよ」

 

 突然の様子に少々気圧されながらも、断る理由はない。アバンはポーチから一抱えほどのフェザーを取り出すとチルノへと手渡しながら、気付いたことを尋ねる。

 

「……ふむ、ということはあの親衛騎団たちを呼ぶにはあなたの魔法力を消費する。ということですか?」

「そういうことです」

「なるほど……」

 

 十数本の羽根(フェザー)を受け取ると、少女はすぐさま一本を腕に刺した。体内に失われた魔力が満たされていくのを実感しながら、チルノは頷く。それを見て、アバンもまた納得した。

 魔力を消費するということは、魔力によって再誕させることも可能なはず。ならば彼らだけでバーンに挑ませたのも、何か考えがあってのこと。少なくとも完全な無駄死にではないのだろうと、そう推察していた。

 

 

 

 

「貰ったぜ! 大魔王!!」

 

 サウザンドボールと極大真空呪文(バギクロス)の援護を受けながら、やはりと言うべきかヒムが先陣を切り大魔王に襲い掛かっていく。対する大魔王は、極大真空呪文(バギクロス)の影響で動きにくくなっているはずだが、それを感じさせぬ動作でサウザンドボールを弾き飛ばし、迫り来る相手を迎え撃とうとする。

 

「へっ!」

 

 だがヒムは攻撃範囲に入る直前でひらりと身を躱した。一瞬怪訝な顔を見せるバーンだったが、すぐにその理由を察した。ヒムが道を譲ったその後ろには、今まさに飛びかかろうとしているアルビナスがいたのだ。

 

「初手に女王(クイーン)を切り込ませるか……定石外れだな……」

 

 ――定石が通じる相手ならば、そうしていましたよ!

 

 思わず苦笑いを見せるバーンへ向けて叫びたい気持ちを、女王(クイーン)はなんとか押さえ込む。

 ただ突っ込むだけでは大魔王に迎撃されることは百も承知。定石通り、まともにやっても通じぬ以上、奇策を用いるのもまた常だ。

 

「やりなさいブロック!!」

「ブローム!」

「ぐっ!!」

 

 雄々しい声を上げながらブロックは、アルビナスの背(・・・・・・・)へ向けて全力で体当たりを放った。

 凄まじい激突音が響くと同時に、アルビナスは大魔王へ向けて突撃する。

 原理は単純。背から衝撃を受けると同時に加速することで、限界を超えた速度を生み出そうというのだ。はたしてその目論見は成功し、彼女自身驚くほどのスピードで迫る。

 

「なるほど。多少は頭を使ったか」

 

 だがそれでも大魔王の想定を打ち破るほどではなかった。余裕を見せる大魔王だったが、その反応にアルビナスは笑いを浮かべる。

 

「甘いですねぇ!!」

「むっ?」

 

 遅れてバーンも気付く。

 迫り来るアルビナスの周囲に、細かな破片が無数に飛んでいたのだ。

 アルビナスはただ加速のためだけにブロックの突撃を受けたわけではない。加速に利用すると同時に衝撃によって自身の身体を細かく砕き放つことで、さながら散弾銃のような攻撃を同時に狙っていた。

 細かくなったことで回避は困難となり、射出された速度はアルビナスの動きと並ぶほど。何より破片とはいえオリハルコンだ。そんなものが高速で襲い掛かれば、激突しただけで肉を抉り骨を砕くことだろう。

 文字通り身を削った戦法だ。

 流石に正面から受け止めるのは下策と考えたのか、大魔王は別の動きを見せる。

 

「オレを忘れたか!?」

 

 だがそうはさせじとヒムが再び現れた。右手を赤熱化させ、バーンの動きを阻害するように巧みな位置取りを見せながら攻撃を繰り出す。同時にアルビナスの特攻がバーンへと襲い掛かった。

 

「ハアアアアァァッ!!」

超熱拳(ヒートナックル)!!」

 

 無数の破片とアルビナスの突撃、それにヒムが放った会心の一撃。それらは確かに大魔王へと届いた。そして――

 

「がはっ!!」

「ば……化け物、め……」

 

 女王(クイーン)兵士(ポーン)は同時に崩れ落ちた。

 

「この程度か。まあ、少々痛かったな」

 

 対するバーンはほぼ無傷のままだ。

 無数の破片が激突したことで多少の衝突痕が微かに見え隠れするが、それだけ。取った行動といえば、襲い掛かる攻撃を全身を闘気によって強固にすることで防ぎ、攻撃を喰らいながらも反撃を繰り出しただけだ。

 残念ながら女王の命を削った攻撃が実を結ぶことはなかった。

 

「まだ終わりではないぞ!」

「む……っ!」

 

 倒れるヒムの穴を埋めるように、シグマが飛び込んでくる。だがそれも反応できぬほどではない。バーンはすかさず呪文を唱えて迎撃しようとして――僅かに躊躇した。

 現れたシグマが、大きく胸を張るような異質な姿勢を取っていたからだ。

 およそ奇襲には不適切な格好。だがそれを確認した瞬間、バーンにとある可能性が浮かんだ。

 

 ――まさか、シャハルの鏡か!?

 

 かつてシグマは、呪文を跳ね返す効果を持つシャハルの鏡という防具を装備していた。

 とはいえその鏡は他ならぬバーンの手によって既に砕かれ、この世には存在しない。故に恐れることもないはずだが、チルノの存在がその考えに待ったを掛ける。

 

 なにしろ、破壊したはずの親衛騎団たちが甦ったのだ。ならばシャハルの鏡も同様に、何か知らぬ技能を使って復活しているのではないかと、そう疑ってしまう。その場合、このまま呪文で迎撃するのは手痛い反撃を受けることになる。

 勿論、ハッタリという可能性もある。チルノの存在に加えて、シグマ本人が分かり易い反応を見せることで、さも"持っている"ように思わせることで、バーンに呪文の使用を躊躇わせる。

 

 どちらの可能性も感じられ、疑念に手が止まった瞬間――

 

「引っ掛かりおったか!!」

「賭けは私の勝ちだ!!」

 

 その時を待っていたとばかりにフェンブレンが現れた。

 

 シグマがシャハルの鏡を持っているかも知れないと思わせることで僅かでもバーンの動きを止め、その間隙を狙って致命となる攻撃を放つ策だ。

 とはいえ成功する可能性はお世辞にも高いとは言えない。機会を窺ったとはいえ呪文を必ず唱えるわけでもなく、必ず躊躇するとも限らない。

 だが幸運にも好機は訪れた。というよりも、執念にてその好機をもぎ取ったというべきだろう。

 

 その好機を逃さず、フェンブレンはバーンの胸元目掛けてその刃の腕を振るう。

 彼が狙うは心臓。

 普通の生物ならば即死に繋がるはずの攻撃だが、バーンは複数の心臓を持つ。一つ潰されても致命傷とはならないが、それでも大幅なパワーダウンは見込める。

 

 シグマもまた動いた。

 彼は手にした槍をバーンの顔目掛けて全力で叩き込んだ。生物である限り、頭部は最も分かり易い弱点だ。そこを狙うのもまた最も分かり易い攻撃となる。

 

 だが、まだ親衛騎団は止まらない。

 

「ブローム!」

 

 ダメ押しとばかりにブロックが打撃を放った。シグマが注意を引き付けると同時に、彼もまたバーンへの攻撃を開始していたのだ。

 

 必殺を確信した三人の攻撃は――

 

「少し、侮っていたようだ」

 

 ――バーンに致命傷を与える事は無かった。

 

 ブロックの攻撃は止められ、シグマの槍は見切られていた。辛うじてバーンの頬が浅く斬れているが、その程度では何の慰めにもならない。

 唯一フェンブレンの手刀はバーンの胸へと突き刺さったが、穿てたのはほんの僅か。爪の先程度だった。

 

「お前達を強者と認め、褒美をやろう」

 

 あり得ぬ結果に戸惑う中、バーンは莫大な力を内へとため込む。即座に伝わってくる恐ろしいまでの殺気にシグマらは離れようとするが、それよりもバーンの方が早い。

 

「天地魔闘!!」

 

 瞬時にして、シグマたちは吹き飛ばされる。

 右手の手刀はフェンブレンを切り裂き、左手の掌底がブロックを打ち抜く。同時にカイザーフェニックスの呪文にてシグマを焼き尽くした。一瞬にして繰り出された三つの攻撃を、数名の目が辛うじて捉えていた。

 

 

 

 

「やはり、我々だけでは……届きませんでしたか……」

「何を言うか!」

 

 時間にすれば数秒にも満たない僅かな時間。

 その間に親衛騎団たちは全員が倒されていた。だが、悔恨の言葉を口にする彼らに向けてハドラーは叫ぶ。

 

「貴様らの心は、確かにオレに届いた!! 見事だったぞ!!」

「ああ……その言葉だけで……」

「私たちは……満たされます……」

 

 親衛騎団は皆、どこか満たされたような表情を浮かべていた。ハドラーの前にて自身の勇猛さを、力を示すことが出来たのだ。それも、真なる大魔王バーンを相手にして。

 彼らの想いは叶ったと言って良いだろう。

 

「ハドラー、様……あなたの勝利を……遠く離れた場所(・・・・・・・)より、祈っております……」

 

 その言葉を最後に、アルビナスたちの姿は消えた。

 




結局、即退場かよ!!
という怨嗟の声が聞こえてきそうです。

親衛騎団が若バーン様相手に活躍する? ……いや、どう考えても無理ですって。老バーン様にあれだけ負けたんですから。

それでも挑戦したのはあくまで本人たちのプライドの問題。
勇者たちと共闘する? それでは納得出来ない。あくまで親衛騎団だけで戦わないと意味がない。そんな不器用な武人たちなのです。
ハドラー様もそれが分かっているから、勝ち目は無いと知りつつも部下の気持ちを優先させたという。内心はグツグツ煮えてましたけれど。

結果だけみればちょっとダメージを与えた程度。
ですが彼我の実力差からすれば相当頑張ったのではないかと。

本命のハドラー様はちゃんと戦闘で活躍しますから。
部下達の決意を胸に刻んで暴れてくれますから。


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LEVEL:115 大魔王バーン -前哨戦-

「お前たちっ!! ああ、任せておけ。その願いはすぐにでも叶えてやろう!」

 

 感極まったように叫ぶハドラーの姿を見ながら、チルノもまた親衛騎団の行いについて感心していた。

 

 ――本当に、見事なものね。あれだけの覚悟と結果を見せるんだもの。

 

 心の中でそう賛辞を贈る。

 彼らの戦い。その結果を評するならば"大金星"といったところだろう。大魔王を相手に出し抜いて見せたり、小さな傷を与えたこともそうだが、何より敵の最大奥義を白日の下に晒してみせたことが大きいだろう。

 

 バーンがシグマ・フェンブレン・ブロックを一瞬にして葬り去ったあの技こそが、大魔王が誇る最大最強の必殺技だったのだから。

 勿論ダイたちもチルノからその存在は聞いていた。どのような技かについても知ってはいたが、百聞は一見にしかず。実際に目にするのとでは理解度を含めてまるで違うだろう。

 

 ――ハドラーの言葉じゃないけれど、任されたわ。だから、ね……

 

 少女は、ついに訪れた大魔王との戦いに向けて精神を集中させなおす。ダイたちもまた、自分たちが大魔王と戦うのだと闘志を漲らせていた。

 

「ようやく五月蠅いのが消えたか」

 

 だが肝心のバーンだけが、これから戦いが始まるというのに集中しきっていないような、そんなどこかぼんやりとした様子を見せていた。ダイたち全員へを視線を動かし、そして最後にチルノのことを見ながら、大魔王はゆっくりと口を開き始めた。

 

「答えは分かっている……だが念のため、聞いておこう」

「?」

「……なんだ?」

「まさか……」

 

 怪訝な顔を見せる中、チルノだけは続く大魔王の言葉が予測出来た。そしてその予測が正しいことをすぐに知る。

 

「そなた達に問う……余の部下にならんか……?」

 

 

 

 

「なにを馬鹿なことを……!!」

「またその言葉か、大魔王よ!!」

「そうだ! おれたちが"はい"って言うわけがないだろう!!」

 

 バーンの言葉を耳にした途端、堰を切ったようにダイたちは叫び出した。そのような甘言に乗る者は絶無だと口々に訴える。だがその反応はバーンも初めから予想していたことだ。

 

「もちろん、そう口にするだろう。それはわかっていたことだ。余とて、このような問いかけをするつもりはなかった。真の姿に戻ったのだ、ならばこのような問答は不要……不粋であろうと、そう考えていた」

 

 老いた姿の頃ならばともかく、バーンは既に全盛期の姿に戻っているのだ。ならばここでダイたちを勧誘すれば、果たして何のために秘法による封印を解除したというのか。万が一にもダイたちが首を縦に振れば、それこそ真の姿に戻った意味がない。

 故に、勧誘するつもりはなかった。

 

「だがチルノ、お前の見せた能力を見て少々気が変わった。親衛騎団とハドラーを甦らせるとは、実に大した物だ。何しろ、余をあれほどまで驚かせたのだからな」

 

 その意志も、一人の例外が姿を見せたことで綻びを見せる。

 

「お前はまだ余の知らぬ能力を隠しているのだろう? そのなかには凍れる時の秘法のようなものがあるやもしれん。余の肉体を再び時の流れから守ることもできるかもしれん」

 

 バーンからすれば、未だ底の見えないチルノの能力。その中に彼の問題を解消する手段が無いとどうして言い切れようか。バーンはまっすぐ視線をチルノへと向ける。

 

「そう考えれば、試す価値もあろう? たとえ可能性は低くとも」

「つまり、私の能力を買ってくれたってこと?」

「その通り。そして、それ故の誘いよ」

「それ故の……誘い……?」

 

 果たして、どういう意味で言ったのか。意図が読み取れず怪訝な顔を見せるチルノたちに向けて、バーンは堂々と言い放った。

 

「わからぬか? この誘いは、余なりの手向け……いわば救済よ」

「救済だと!? 大魔王! 一体何を持って救済などと口にするのか!!」

「アバン……そなたでも分からぬのか……ならばバランよ、そなたはどうだ?」

「愚問だな。どのような理由があれ、私は貴様を倒すと誓ったのだ。今さら決意は変えぬ」

「つまり、分からぬということか」

 

 見識の深い者へと問いかけたにもかかわらず望む言葉は返ってこなかったことに、バーンは嘆息を一つ吐いた。言外に「真意を汲み取れぬのか」と言わんばかりに。

 

「今の余を倒すことは出来ぬ。そもそも話に聞いた双竜紋(そうりゅうもん)が無ければ、老いた姿の余の力量にすら届かぬのだ。ましてや、この姿となった余を倒すことなど、夢物語にも等しいことよ」

 

 誰も勝てないという言葉に、負けん気の強い数名がムッと表情を強ばらせた。その反応に少しばかり口の端を緩めながらもバーンは続ける。

 

「しかし、そなたらは全員、この地上でも比類無き強者たちだ。それほどの力を持つ者が、余の手に掛かり、無為に命を散らしていく……そう考えたら、急に惜しくなってきたのだ。それ故の誘い、それ故の救済よ」

「なるほど、そういう事ですか……」

 

 大魔王の言葉を聞き終え、アバンは手にした剣を力強く握り締めた。表情には激怒のそれを浮かぶ。

 

「私たちを舐めるのも大概にして貰いましょうか! そのような救済、こちらから願い下げです!!」

「おれたちじゃあ、絶対にお前を倒せないって……そう言いたいのかよ! バーン!!」

「その通り――と言いたいが、夢物語も時として現実にもなる」

 

 続くポップの言葉を、バーンは首肯してみせた。

 

「いや、むしろ……現実となった時の方が残酷な結末となるだろうな……」

「なんだと?」

「どういう意味だ?」

「人間の愚かさ、醜さを知らぬわけでもあるまい?」

 

 何故勝利したことが残酷な結末となるのか――何を言いたいのかを理解し、数名が渋面を見せる。

 

「賭けてもいい。仮に余を倒せたとしても、お前たちは必ず迫害される。そういう連中なのだ、人間とは。勝った直後は少々感謝もしようが、平和になれればすぐさま不平不満を言い始め、そしてお前たちは英雄の座を追われることになる」

 

 そこまで語ると、大魔王はチラリと視線を移す。

 

「バランという実例もあるのだ。お前たちがそれを知らぬとは言わせん」

「…………」

 

 だが視線の先の相手は、何を口にするでもなくただ無言。無表情を貫いていた。その反応を詰まらないと思いながらも、言葉は止めない。

 

「だが、余は違う。余はいかなる種族であろうとも、強い者に差別はせん。たとえ敵に回ろうとも、強者への敬意は変わらん」

 

 そう言うと続いて、かつて彼の下で魔軍司令として働いていた男を見る。

 

「ハドラーよ。貴様は魔族であり余の部下でもあった。戻ることに何の躊躇いがあろう? 黒の核晶(コア)を埋め込んだ事についても正式に侘びようではないか」

「…………」

 

 続いて、軍団長だった者たちを。

 

「クロコダイン、そしてヒュンケルよ。貴様らもだ。六大軍団長をしていた頃と今とでは、強さは比べものにならぬ。それだけの力、再び余の下で振るいたいとは思わぬか?」

「…………」

 

 最後に、かつて人間に絶望した(ドラゴン)の騎士を見た。

 

「そしてバランよ……考え直せ。そなたは妻と子を失うような悲劇を、また繰り返すつもりなのか?」

「…………」

 

 そのいずれもが返答はなかった。貝のように口を閉ざすその姿は、大魔王の言葉を受け入れている様にも見える。

 

「そもそも人間は、純粋な人間でない者に頂点に立たれるのを嫌う、排他的な種族よ……いや、同じ人間であろうとも邪魔になれば引きずり下ろし、消そうとする……もはや手に負えぬな」

 

 その沈黙を肯定、あるいは同意と取ったのだろう。大魔王は最後に、ポップら人間に向けて苦言を呈する。

 かつてバランがそうだったように。マトリフがパプニカの重臣に煙たがられたように。ラーハルトが魔族と人間の混血であったために迫害されたように。

 

「もう一度言おう。人間とは最低の生き物だ。そのような連中のために戦うなど、そのような連中のためにその力を無駄遣いするのは、下らぬとは思わんか?」

「……言いたいことはそれだけか?」

 

 遂にハドラーが、耐えかねたように口を開いた。

 

「大魔王、お前はオレに対して侘びると言った。ならば我が部下、親衛騎団たちには侘びるつもりは無いと言うことか?」

「そのようなつもりは……」

「黙れっ!!」

 

 もとより聞く耳を持たないと言った方が良いかも知れない。バーンの言葉を強く否定し、自身の覚悟を述べる。

 

「口にすることを避けたのが何よりの証! それにオレは、あいつらの覚悟とオレ自身の誇りのためにも、貴様を倒す! 再び貴様の使い魔となるつもりはない!!」

 

 親衛騎団について言及することを避けたのは、彼らの覚悟を心に刻み直したばかりのハドラーにとってみれば何よりの侮蔑――もっと言えば、下に見ている証左だった。それは、既にマグマのように煮えたぎった感情を内に秘めたハドラーへ、更なる燃料を投下したに過ぎない。

 

「私からすれば、そのような事はもはや議論するに値せん。既に腹は決まっている」

「オレたちも、バランに同意見だ」

「うむ。今さら何を言おうと無駄なことだ」

 

 烈火のごとき姿を見せるハドラーと対照的に、バランたちは冷静に。さも当然のようにバーンの言葉を否定していた。

 そもそも彼らは、時間と覚悟の量が違う。今さらこの程度の事を言われようと、揺らぐことはない。

 

 そして何よりも――

 

「そもそも、その程度のことをどこかのお節介焼きが考えていないと思っていたのか?」

 

 ――そう口にするとバランはチルノへと視線を向けた。それが何を意味しているのかを察した少女は、その信頼に応えるべく一歩前へと出た。

 

「そういうことよ。バーン、そもそもあなたの言った言葉。それは絶対に本心なんかじゃないでしょう?」

 

 バーンの口にしたこともまた、状況の差違こそあれど、本来の歴史で彼自身が口にしたことだ。チルノはそれを知っている。

 そして彼女は、バーンが口にしたそれを現実の物としないために手を打っていたのだ。策を講じ、この舌戦に打ち勝つための言葉は、予め用意してある。

 

「数少ない例を見て、全てを知った気になって軽蔑してるだけ……もっと言ってしまえば人間には興味がない(・・・・・)

「ほう……なぜそう思う?」

「だってあなた、絶望できるほど人間を知らないじゃない。よく知らない相手の表面的な部分を――悪い部分だけを見ていれば、そりゃ絶望した気になって切り捨てるのも簡単よね」

 

 バーンとて、バランを自軍へと引き入れた時のように予め弁舌の内容は用意してあったのだろう。もしくは、彼が普段から思っていることをそのまま口に出しただけかもしれない。

 だがその程度の言葉ではチルノを止めることは不可能だ。

 

「あなたは人間全てを見てきたの? 全ての人間の意見を聞いたの? あなたが"こうであろう"という思い込みを、さも全体の総意みたいに言っただけ。違うかしら?」

「ク、クククク……ハハハハハハハッ!!」

 

 チルノに問われ、バーンは唐突に笑い始めた。

 彼女の指摘は真実であり、

 

「確かにその通りだ。お前の言う通り、余は人間を詳しく知っているわけではない……だがな、余の言ったことも完全に的外れというわけでもあるまい? 事実、バランは人間を一度見限ったのだ。それをどう覆す? 同じ事が起こらぬと――それ以上の悲劇が起こらぬとどうして言い切れる!?」

「……ぷっ! あはははは!!」

「うふふふ!」

 

 今度はチルノが笑い出す番だった。バーンの哄笑に対抗するように可愛らしく吹き出して見せた。いや、チルノだけではない。彼女に釣られるようにして、レオナもまた笑い声を上げている。

 

「もう忘れたの? バランが言っていたでしょう、私が考えてないと思ったのかって」

 

 ひとしきり――実際には数秒程度だったが――笑い声を上げ終えると、続いて不敵な笑みを浮かべて見せた。もう一度言おう、その程度の事は想定しており、対策済みなのだ。

 

「確かに人間は臆病で、よく知らないことを恐れて排除しようとする。でもそれはよく分からないから。知らないなら教えてあげればいい。知ってもらう機会を設ければいいの。敵ではないと理解すれば、迫害する理由にはならないでしょう?」

「ほう……だがどうやって知らしめる? まさか世界中の人間一人一人に説いて回るとでも言うつもりか?」

「いいえ、もっと簡単な話よ。歌や物語、お芝居にして広めるの。なにしろ大魔王を倒して、地上を救った英雄たちの物語よ。世界中の吟遊詩人や作家、役者たちがこぞって広めるわ」

「ええっ!」

「そんな話、聞いてないぜ……」

「言ってないからね」

 

 初耳だとばかりに、ダイやポップが驚きの声を上げた。彼らに向け、チルノは「ごめんなさい」とばかりに両手を合わせたポーズを見せる。

 

「でも考えてもみて。地上を救った勇者たちの話なんて、格好の題材よ。放っておいても勝手に広まる。だったら、それを利用しない手はない」

 

 分かり易く言ってしまえばメディア戦略だ。

 ダイたちの活躍振りを伝え、危険な人物ではないと伝える。口で言うのは簡単だが、伝え方は選ぶ必要がある。国が頭ごなしに「彼らは危険ではない。英雄だ」と伝えても一応は理解されるだろうが、それでは彼らがキチンと知ったとは言い難い。

 そこで考えたのが、もっと単純かつ娯楽性の高いもの。誰でも簡単に知ることができて、しっかりと見聞しようと思うもの。

 歌劇や演劇と言った手法だった。

 

 過去、時の権力者が自身の力を誇示するために無理矢理自身を賛美させるような歌や劇を流行らそうとしたことがあったが、そのようなものはすぐ廃れる定めだった。しかし彼らの場合は違う。多少の脚色はあれど、実際の出来事を伝えるのだ。民衆の注目度が低いはずがない。

 吟遊詩人たちは各地で英雄の物語を高らかに歌い上げ、大きな街では幾人もの役者が演劇として彼らの奮闘を再現する。本として広がれば、実際に足を運ぶことの出来ない遠くの人間も知る機会が得られる。

 

 勿論放っておいても勝手に広まるだろうが、そういった場合は噂のように伝わる可能性が高い。そして噂には尾ヒレ背ビレがつきものだ。身に覚えない話が事実と認識されて下手に悪い印象を持たれるくらいならば、いっそ自分たちでしっかり広めてコントロールしてしまえ。というわけだ。

 

「そしてもう一つ。これはダイたちには言ったけれど、アルキード王国の復興よ」

 

 その内容は、以前ソアラの墓所へとバランがダイたちを連れて行った際に、チルノが二人に伝えたのとほぼ同じもの。

 何も無い状態から人を集めて復興させる。家々を建て田畑を開墾し、人が住めるようにしていく。大変な苦労が待っているだろうが、その苦労は人々に伝わり、野心などを持たず清廉に過ごしていくことのアピールにも繋がる。

 

「歌や演劇でダイたちの存在を知り、その英雄が実際に今を過ごしている場所がある。だったら、一度見てみたいと思って人がやってくる。来訪者は自分の目で見た事実を持ち帰って、家族や友人に伝える。話が広がればまた人がやってきて、知る機会が広がるの」

 

 ――ただ、その時のためにちょっと良い人間を演じなきゃならないけどね。と最後にチルノは付け加えた。

 何しろ実際に評判を見に来た者に悪評を持ち帰らせるわけにはいかない。むしろ少し過剰なくらい親身になって対応する……嫌な言い方をすれば「恩を売る」わけだ。

 

「見世物になるのは、本意じゃない。でも、人間に絶望するくらいなら喜んで道化にだってなってみせるわ!」

 

 そして同時に、自らそう断言もしてみせる。そこにはダイのためならば労苦も厭わぬという確固たる決意があった。あまりの勢いに大魔王すら僅かに気圧される中、アバンはハッと気付いたように顔を上げる。

 

「……ということは、レオナ姫。まさか今の話を知っていたのですか?」

「ええ、そうですよ」

 

 思えばチルノと一緒にレオナも笑っていたが、その理由がコレ。つまり、チルノの考えを彼女もまた知っていたからだ。

 

「チルノが世界会議(サミット)の席で世界中の王や代表者たちにお願いしました。皆、特に反対する意見もありませんでしたよ。バランの時のような過ちを起こさせないために、と……」

 

 アルキードの件と共に合意は取り付けており、その時にはレオナも同じ場所にいたのだ。全てを知り、準備をちゃくちゃくと進めている者からすればバーンの言葉は滑稽。一笑に付するだけだ。

 

「馬鹿な! それでは貴様らは人間のために、愚者共のために自らを捨てると言うのか!!」

「英雄になって地位や名声を得たい、一生楽で贅沢をして暮らしたい。そんなことを私たちが思っているとでも考えていたの?」

 

 バーンは理解できぬように叫んだ。その怒りも尤もだろう。

 魔界という特殊な環境生まれ、大魔王と呼ばれる程の強者にまで上り詰めた者からすれば、そんな生き方が理解できるはずもない。

 あるいは、まだ未熟な頃のバーンであれば理解できたのかもしれない。だがその仮定を持ち出すには、バーンは王である時間が長すぎた。強者でありすぎた。

 彼が見られるのは、もはや山頂から見下ろす王の景色だけ。山の麓、下の者が目にする景色を理解することはできなかった。

 

「もう一度聞くわ。私が想定していないって本気で思っていたの? 国の中にという枠に嵌めようとすればどこかで無理が生じて、あなたが行ったような未来が訪れたかもしれない。でも、その可能性は事前に潰せる」

 

 もはや言葉は不要と、したり顔を浮かべる。

 

「なら、あとは勇者が魔王を倒すだけ。簡単な話よ……ね、みんな?」

 

 チルノは振り返り、仲間たちに問いかけるように言う。

 それがどれだけ難しいことかは、わざわざ口にするまでもなく誰もが骨身にしみて理解している。だが彼らは皆、良い表情を見せていた。

 




舌戦のみ。ここに突っ込むしかなかった。

チルノさんが考えていた「人間がダイを恐れないように」の案その2です。
(その1は以前にも言った「アルキード復興」の案)

身も蓋もない言い方をすれば、印象操作です。
・吟遊詩人や演劇、お伽話などを通じて、ダイたちは良い人間だと世論に宣伝する。
・(福次効果で)宣伝で興味を持った人が、現地に行って直接確認することで知る機会が増える(バランの二の舞の防止)
 人の交流が増えれば復興の足しにもなるので、よりお得。
 直接来た人のために「ちょっと英雄らしい良い姿」を演じる必要はありますが。まあ、ダイは良い子なので平気でしょう。
 そしてこれが上手く転ぶと、民衆が味方についてくれる(かも知れない)

次からずっと戦闘シーン……もうネタない……
(大雑把な流れはともかく、細かい戦闘の組み立てが限界)



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LEVEL:116 大魔王バーン -緒戦-

 ――だ、大丈夫……よね……?

 

 さも"してやったり"といった態度でバーンに啖呵を切って見せたものの、チルノの内心は冷や汗ものであった。先ほど口にした内容とて、完璧な物では無い――というよりも、完璧であり続ける体制などありえない。

 だが今はそれでいい。

 ダイたち全員に希望を持たせ、大魔王の心を少しでもかき乱せることを祈っていた。

 

「そうだね……うん! ありがとう姉ちゃん!」

「よかろう。私としても異論はない」

「へへっ、仕方ねぇ! 未来の英雄目指して、もう一踏ん張りするか!!」

「目立ちすぎるのは困るがな」

 

 ダイたちは皆、チルノの言葉に奮起させられていた。口々に未来を思い描きながら、大魔王へと戦意を新たにする。この時点で目的の半分は達成していた。

 

「……なるほど。考えてもみれば、貴様の知る未来でも余は同じようなことを口にしたのであろう? ならば、余の心遣いは最初から無駄だった、というわけか」

 

 だがそのもう半分の相手は、既に冷静さを取り戻していた。長きに渡り大魔王として君臨してきたのも伊達ではない。瞬く間にチルノの筋書きを読み切ってみせる。

 その様子を忌々しく思いながらも、少女は言葉を止めることはない。

 

「また精神混乱呪文(メダパニ)で無理矢理に操る、とか言わないの?」

「貴様たちを下手に生かしておけば、また何やら予測不可能なことをしでかしそうでな。もはや迷いは無い……」

 

 自らが口にしたように、もはや完全に迷いは断ち切っているのだろう。

 バーンは全身に力を漲らせた。それだけでダイたちの口から思わず声が漏れる程の闘気が満ち溢れる。身を切るほどの殺気が瞬時にして場の全体を支配する。

 

「即時粉砕!! それが貴様らの結末よ!!」

 

 そしてバーンは動いた。ダイたち目掛け獰猛に襲い掛かっていく。

 

 

 

 

 

「させん!」

「大魔王よ! 貴様の相手はオレだ!!」

「クロコダイン!! ハドラー!!」

 

 それに対応したのは、クロコダインとハドラーの二人であった。

 重戦士型であるクロコダインは――位置的に近くにいたことも幸いし――大魔王の動きに合わせて猛進し、巨大な戦斧を叩き込もうと迎え撃つ。

 ハドラーはバーンとの間に少々距離があったため、高速で移動することで補ってはいるものの、クロコダインの動きに半歩遅れた形となった。瞳には大魔王に対する激情を宿しながら攻撃を繰り出すそれは、偶然にもクロコダインと呼吸を合わせた連携のようなタイミングとなっていた。

 

「ぬおおおっ!! ……な……ッ!!」

「なかなか良い武器だが、真正面からでは余の肉体に傷を付けることはできん!」

 

 雄叫びを上げ、暴風のように振り下ろされた斧をバーンは自らの腕で平然と受け止めてみせた。渾身の一撃を、それもオリハルコンで補強された武器で放った一撃というのに、バーンの皮一枚傷つける事が出来なかったのだ。

 防がれるとは覚悟していたが、自身の怪力を持ってしてもこれか。

 予想を遥かに超えた大魔王の恐ろしさを目の当たりにし、クロコダインは動きを止める。そんな隙を大魔王が見逃すはずもない。

 

「そら!」

「ぐわあああああッ!!」

 

 受け止めたのとは逆の腕で、切り上げるようにして手刀が放たれる。動きを止めたクロコダインは無防備にその一撃を食らい、絶叫を上げながら吹き飛ばされた。

 身に付けていた防具などもはや紙切れ同然、手刀によって肉体ごと切り裂かれ、大量の血が流れ出す。それどころか、吹き飛ばされた勢いで地に打ち付けられ、そのまま動かなくなった。

 だが彼の犠牲は無駄ではない。

 

「【ヘイスガ】!」

 

 大魔王が動けば、勇者たちもまた動く。

 クロコダインが吹き飛ばされたところで、チルノは魔法を完成させた。ヘイスガは複数人を対象として行動速度を上昇させる魔法である。以前これを唱えた――正確には単体にのみ効果を及ぼすヘイストの魔法だが――時には、急激な身体能力の上昇によって感覚が追いつかずに想定と現実の動きにズレが生じるという欠点があったが、もはやそれも無い。肉体と同時に知覚能力も強化され、むしろ遅く感じるくらいだ。

 

 魔法の効果が発揮されると同時にハドラーがバーンに殴りかかる。行動速度の上昇にも即座に対応してみせ、一切動揺することなく攻撃を繰り出して見せたのは流石だ。だが、それが大魔王に通じるかどうかはまた別問題だった。

 

「ハドラーよ、貴様の相手はもう少し後だ」

 

 襲い掛かる拳を受け止めると、ハドラーにだけ聞こえる声で囁く。

 

「なにっ! ぐっ!!」

 

 その言葉の意図が読めず混乱したところに、バーンの蹴りが入る。辛うじて防御が間に合ったものの、その強烈な一撃にハドラーは弾き飛ばされ体勢を崩した。

 

「はっ!」

「なんと、余の想定を上回る速度よ。先ほどの呪文によるものか?」

 

 ハドラーとは逆側から、マァムが仕掛ける。ヘイストによる加速は、元々が素早い武闘家の彼女にとっては相性抜群だ。会心の速度で放たれた右拳の一撃を、バーンは極めて冷静に見ながら、驚きの言葉を口にしていた。

 

「うっ!?」

「閃華裂光拳は少々面倒なのでな」

 

 言葉とは裏腹に、バーンは僅かに身体を捻り自らの肩をマァムの腕にぶつけることで直撃を避ける。手足を使わずに横から衝撃を加えることで、攻撃を逸らしたのだ。

 攻撃を逸らすと同時、マァムの身体の内側へとバーンは潜り込んだ。互いの瞳がのぞき込めるくらい接近るとバーンは片手をマァムの腹部へ、触れるか触れないか程度に当てる。

 

「しま……っ!!」

極大爆裂呪文(イオナズン)

「きゃあああああっ!!」

「マァム!!」

 

 マァムがやられたことに思わずポップが声を上げる。

 避けようのない距離から放たれた呪文攻撃により、マァムは盛大に吹き飛ばされた。猛烈な爆発を直接浴びたのだ。そのダメージはとてつもない。爆風の影響をモロに受け、あちこちに火傷のような傷跡が刻まれていた。

 魔甲拳を纏っていなければ、この一撃で戦闘不能になっていただろう。

 

 相手が生物であるならば無類の効果を発揮する閃華裂光拳も、当たらなければ効果を発揮しない。そもそも腕や足に触れただけで問答無用で発動できるほど便利な技でもない。

 だが大魔王へ確実に有効打を与えられる数少ない攻撃法方の一つでもある。警戒するに超したことはない。呪文を放ったのは、万が一にも触れずに倒すためだろう。

 

「今だ……ッ!?」

 

 バーンは突如、それが当然というように後ろを向く。何の前触れもない自然な動きを見せ、そこでラーハルトと目を合わせた。

 驚かされたのはラーハルトの方だ。ヘイスガの効果で更に素早くなったというのに、バーンは彼の動きにすら対応している。老いた頃の大魔王ならば間違いなく不意を打てると確信していたが、その目論見があっさりと崩された。

 

真空呪文(バギマ)

 

 目を目が合うと、大魔王は呪文を放つ。風の刃を操る呪文によって局所的な嵐が生み出され、ラーハルトはその暴風に飲み込まれる。鎧の魔槍のおかげでダメージを受けることはないが、風圧に邪魔されて鋭かったハズの動きが若干鈍った。

 鈍ったとはいえども、影響はごくごく僅か。通常ならば全く問題はない。しかし、そのほんの僅かが大魔王の前では致命的となる。

 

「そこだ」

「ぐはっ!!」

 

 さながら止まった的に攻撃を当てるように淡々と、バーンは拳を突き出し闘気を放った。拳撃は狙いを違わずラーハルトへと襲い掛かり、彼を木の葉のように吹き飛ばす。

 幸いにもというべきか、ダメージそのものは今までの攻撃と比べれば軽い。痛みを堪えながらも姿勢を立て直すと無事に着地してみせた。

 と同時にラーハルトを――いや、ダイたち全員を対象に――結界が張られる。

 

「【マイティガード】!」

 

 続いてチルノが唱えたのは過去も幾度も使っている防御魔法だ。ヘイスガによる速度上昇に加えて、これで防御面も強化された。攻防両方を引き上げて敵との差を埋める、いわゆる強敵を相手にする時の定番とも呼べる戦術だ。

 

 ――これでどこまで耐えら……!?

 

 マイティガードを使っても、大魔王の攻撃には焼け石に水かもしれない。それでも使わずにはいられなかった。一抹の不安を覚えながらも胸中で独白し、その言葉が急に途切れる。

 

「また呪文による強化か?」

「はや……っ!」

「姉ちゃん!」

 

 何時の間に移動したのか。先ほどまでラーハルトの相手をしていたはずのバーンが、今はチルノの目の前にいた。魔法へ集中していたとはいえ、まるで気付けず、少女は思わず息を呑んだ。

 ダイの悲鳴に似た声が聞こえる中、バーンはチルノに向けて攻撃を繰り出そうとし――

 

「伸びろ! ブラックロッド!!」

 

 狙い澄ましたように、ポップの一撃が放たれた。彼の魔法力に従って伸びた杖はチルノとバーンの間を切り裂くように走り、床に叩きつけられた。割って入った攻撃に反応した隙を逃さず、チルノはバーンから距離を取ってみせる。

 

「あ、ありがと! ポップ!」

「気にすんな!」

 

 気にするな、と言いつつもポップの内心は申し訳なさと苛立ちでいっぱいだった。

 先ほどから攻撃呪文一つ唱えることが出来ていない。

 呪文を完成させ、狙い放つ。彼がそれだけのことをする間に、バーンは縦横無尽に動き回る。つまり、呪文を唱えるだけの猶予がないのだ。

 マァムがやられたことによる焦燥感も手伝いながらも腐らずに機会を窺い続け、なんとかチルノを救うことには成功した。

 

「アバンストラッシュ!!」

「ブラッディスクライド!!」

 

 ポップに遅れること一瞬、アバンとヒュンケルが同時に動いた。どちらも放つ遠距離型の攻撃を選択し、闘気の込められた剣圧が大魔王へと襲い掛かる。

 

「まだだっ!」

 

 二人の攻撃に合わせ、ついに(ドラゴン)の騎士たちが動いた。

 

「くらええぇぇっ!!」

「バーンよ!」

 

 アバンら師弟が速度を重視した攻撃ならば、彼ら親子は威力を重視する。それぞれが剣を構えながら、直接斬撃を放つべく大魔王へと肉薄していく。

 

「ほう……」

 

 言うなれば四人連携攻撃といったところか。その光景にバーンは少しだけ楽しそうに口の端を細め、左手に力を込めた。

 

「フェニックスウィング!」

 

 そして全力で掌撃を放つ。

 そのあまりの速度のため摩擦で手に炎が上がり、不死鳥(フェニックス)が羽ばたくように見えることから名付けられたその技で、迫り来る四人の攻撃を迎え撃つ。

 

「うわっ!」

「ぐっ!」

「ちっ!」

「なんと……」

 

 不死鳥の羽ばたきは二人の人間を吹き飛ばしてなお止まることなく、アバンストラッシュとブラッディスクライドの攻撃をかき消して見せた。

 

「くそっ!」

「落ち着けディーノ! 焦るな!!」

 

 すぐさま反撃に転じようとしたダイを、バランが押し止める。バランとて気持ちはダイと似たようなものだが、無闇に挑んでも結果は変わらない。今はまだ決め手に欠けていた。

 ポップと同じく、ダイたちもまた大技を繰り出しあぐねていた。(ドラゴン)の騎士の最大攻撃である魔法剣は事前に呪文を唱えねばならず、大魔王の隙を窺って唱えようにもその隙が見つからない。

 かといって下手に呪文に集中すぎれば、途端に大魔王に襲われかねない。歯噛みしながらも、今はこの場を耐えるしかなかった。

 

「……天地魔闘」

 

 不意にバーンが呟く。

 その言葉を聞いた途端、隠しきれぬほどの緊張が周囲に走った。それだけでバーンの笑みが深くなる。

 

「余が"天地魔闘の構え"を取るのを狙っているのだろう?」

 

 全員の反応を楽しむように、バーンはことさらゆっくりと語る。

 

「そして貴様らは未来の知識にて、それを知っているはず。そして、どのような手段かは想像も付かぬが、破る方法もまた知っている……そんなところか。だが、わざわざ付き合ってやる義理もない……むしろ、貴様らが余に付き合え」

「ならば大魔王よ! オレに向けたあの言葉はどういうつもりだ!?」

 

 ダイたちの狙いを見透かしていたことは分かった。だがそうなるとハドラーに手加減したことの真意が読めない。

 バーンが戦いの相手を求めているならば、あの時点でまともに戦っても問題はなかったはずだ。

 

「それは言葉通りの意味に過ぎん。貴様は余を楽しませるだけの力を持っていると判断したのだ。良く言うであろう? ……楽しみは最後まで取っておく、と」

 

 つまり、楽しそうだから後に回したのだ。まだ壊してしまっては勿体ないと。ある意味では大魔王から最大級に評価されたとも取れるが、楽しい玩具だからまだ壊さずにいてやるという言葉は侮辱に他ならない。

 

「それと同じこと。付け加えれば、この場は少々手狭なのでな。邪魔な者を排除する、という理由もあった」

「貴様……!」

「力不足でも余と戦えたのだ。光栄であろう? それとも、こちらの方法がよかったか?」

 

 そういうとバーンはその額にある瞳――鬼眼から光線を放った。

 ダイやバラン、チルノたちといった未だ戦意に満ちている者らは当然として、倒れているクロコダインにマァム。戦闘区域から離れている相手にも平等に光は走り、全員を貫いていく。

 光が止んだ後には、手の平ほどの大きさをした宝珠が三つ転がっていた。

 

「レオナ! チウ!! ブロキーナ師範!!」

「ふむ……瞳になったのは非戦闘員たちだけか。喜べ勇者たちよ、余の見積もりが甘かった! まだ貴様らは余に挑む権利を持っているようだ!」

 

 すぐさま全員を確認し終えたチルノが犠牲者の名を叫ぶ。対してバーンは、予想外の結果に気を良くしていた。

 

 先ほどの光線は、単純に「レベルが低い」「ダメージを受けている」といった、大魔王と戦うに値しない者を瞳と呼ばれる特殊な球体に閉じ込める特殊能力。閉じ込められた者は「見る・聞く・考える」以外の行動が出来ず、それ以外の行動を取ることや、内側から瞳を破るのは――絶対に、とまでは言わないが――不可能に近い。

 レオナとチウは単純に力量不足、ブロキーナは実力はあれど流石に年齢が原因で疲弊していたと判断されたのだろう。そして意外なことに、それ以外の者たちは誰一人として瞳に封じられる事は無かったのだ。

 それはまだ大魔王に挑むに足るだけの実力を有している証拠。遊び道具が残っていると分かればバーンが気を良くするのも頷けるだろう。

 

「そら、どうした? 今の余は少々気分が良い。今度は呪文を使って攻撃するくらいは待ってやろう。回復か? それとも攻撃か? 好きに使え」

 

 明らかな余裕を見せつけながら、ポップらを挑発するように言う。先の攻防でチルノだけが、攻撃呪文に到っては誰も唱えなかったことから、彼らが何に苦心していたのかをすぐに看破していた。

 もはや慢心や傲慢としか呼べぬそれであったが、だが大魔王の力量からすればそれもまた当然とも呼べる。それだけの実力を見せつけたばかりなのだから。

 

「へっ! なら、乗ってやろうじゃねぇか!!」

「ポップ!?」

 

 思いがけぬ同意の声に、思わずチルノが彼の顔を見つめた。いや、チルノだけではない。ダイたち全員が彼へと視線を飛ばし、その真意を推し量ろうとしている。

 このまま大魔王の言葉通りに呪文を放ったところで、事態が好転するとは思えない。全員の目を一身に受けながら、意外にもポップは自信たっぷりの様相を見せた。

 

「どうせこのままじゃジリ貧なんだ。だったら……」

「……わかったわ。乗ればいいのね?」

「ああ、頼む」

 

 ポップは頷く。

 考えは読めなかったが、その言葉だけでなにか策があることをチルノは理解する。いつの間にか他の者たちは、驚いた気配を見せなくなっていたことが、理解を後押していた。

 

「じゃあ、強めので行くわよ」

「任せるぜ」

「よく考えることだ。知恵を使い、考えを巡らせ、余を驚かせてみせよ」

 

 何かがあることは大魔王も既に感じ取っているのだろう。棒立ちで無防備のように見えるが、自然体のまま。何があってもすぐに動き出せるように注意を払っている。

 泳がされているのを感じながらも精神を集中し――

 

「【ホーリー】!!」

極大閃熱呪文(ベギラゴン)!!」

 

 二人の呪文が完成する。

 ポップは突き出した両腕の先より、全てを貫かんとする極太の熱線を放つ。そしてチルノの放った魔法は、天より純白の光球が降ってきた。

 

「これはまた、知らぬ攻撃だな」

 

 ホーリーは大魔王の知識と照らし合わせても未知の魔法だ。はたしてどれほどのものか、値踏みするような視線を浮かべる。

 そして、二つの攻撃がほぼ同時にバーンへと放たれた。

 極大閃熱呪文(ベギラゴン)はその膨大な熱量によって目の前にあるもの全てを呑み込まんと突き進む。

 対してホーリーの光球は、バーンに着弾した途端に破裂し、一本の太い光の柱が生み出された。ただの柱にしか見えぬその正体は、悪しき者を討ち滅ぼさんとする聖なる光だ。

 

 地より生まれ天へと伸びる光の柱に包まれたバーンを、さらに熱線が牙を剥いた猛獣のような勢いで襲い掛かる。

 縦と横。異なる二本の柱に覆い隠され、大魔王の姿は完全に見えなくなった。目を開けているのが辛いほどの膨大な光の奔流。

 

「まだです! フェザーよ!!」

「!!」

 

 二人の攻撃に合わせ、アバンがゴールドフェザーを放った。五つの黄金の羽はバーンを取り囲み、破邪の秘法を発動させ呪文を増幅させる。

 ただでさえ強力な攻撃をダメ押しとばかりに強化するのだ。瞬時にして城をも消し飛ばさんほどに巨大な柱が発生する。

 これが狙いかと、チルノは感心する。これほどの攻撃ならばバーンが無力化できるとは思えない。

 

「なるほど、やってくれる……!」

 

 それが一瞬にして吹き散らされた。奥から大魔王が姿を現す。両腕が振り切られていることから、内側から二つのフェニックスウィングにてかき消したようだ。

 だがさしもの不死鳥も、これだけの攻撃を同時に無力化することは出来なかったらしい。肌や衣服からは煙が立ち上り、焦げた痕跡が至る所に残っていた。蒸し焼きにされたダメージはしっかりと刻み込まれている。

 

「うそ……!」

「ちっ! やっぱりこれだけじゃダメか……」

「流石は大魔王……タフですねぇ……」

 

 驚きの言葉を漏れた。発案者のポップすらも、もう少しダメージを負わせられるはずだと思っていたほどだ。だが、言葉とは裏腹にそれほど落ち込むこともない。なにしろ真の狙いは別にある。

 

 なにしろ、時間は充分に稼げた。

 

「「雷撃呪文(ギガデイン)!!」」

 

 バラン(・・・)ダイ(・・)、二人の(ドラゴン)の騎士が同時に呪文を唱えた。天空より二条の稲妻が降り注ぎ、それぞれの持つ剣へと絡みつく。

 ポップの目論見通り、彼ら親子に必殺剣を準備させるだけの時間を稼ぎ出していた。

 

「ギガブレイクか! だがよもやダイも雷撃呪文(ギガデイン)を操れるようになっていたとは予想外だな!!」

 

 楽しげな口ぶりとは裏腹に、バーンは二人を阻止する動きを見せた。

 ギガブレイク級の攻撃が二つ、それも親子という最強のコンビに使わせるのは流石に不味いと踏んだのだろう。個別に潰すことで危機を排除しようということか。

 

「ブラッディスクライド!」

「ハーケンディストール!!」

「ちっ!」

 

 注意が逸れた隙を逃すことなく、二人の戦士が襲う。彼ら大魔王の動きを止めるべく、手にした武器にて必殺技を直接叩き込んだ。気付くのに一秒以下の僅かな単位ではあったが遅れ、バーンは思わず舌打ちする。

 乱暴に拳を振るいヒュンケルたちを殴り飛ばしたものの、無傷とは行かなかった。脇腹と頬、それぞれから血が流れ出る。前後から挟み撃ちで放たれた二人の攻撃は、先の呪文によるダメージに加えてそもそもの反応の遅れもあってか、バーンの肉体を浅く切り裂き動きを止めて見せた。

 

「バーン!!」

「今度こそ、貰ったぞ!!」

「――ッ!!」

 

 ヒュンケルとラーハルト、二人の戦士によって大魔王の足は予定通り止まり、そこに二人の(ドラゴン)の騎士が当然の様に(・・・・・)切り込んできた。

 ここまでは完全にデザインされた連携、対大魔王戦に際し万が一のためにと幾つか考えていた動きの一つである。二人が手にした剣には雷撃呪文(ギガデイン)の魔法力がたっぷりと込められ、バランは上段に。ダイは剣を逆手に持っている。

 

 そこまで認識して、バーンは遂に息を呑んだ。

 

 ギガブレイクが、そしてライデインストラッシュ――いや、ギガデインを纏ったストラッシュが叩き込まれるのだと、容易に予測が付いてしまう。互いの超必殺技が同時に放たれれば、果たしてどうなるのか。

 

 それを考えるよりも早く、自然と肉体が反応し、動いていた。

 

「天地!! 魔闘!!」

 

 ――馬鹿な!!

 

 技を放つと同時に、バーンは自らの取った行動が信じられなかった。

 

 ――余は天地魔闘は使わんと口にした! それが何故……まさか、余が恐れたとでもいうのか!!

 

 天地魔闘を受け、ダイとバランの二人が吹き飛んでいく光景を見ながら、彼は自問する。不要だと、敵の手には乗らぬと断言して見せた技を使う。

 それもただ単純に死に恐怖したことが原因で。

 大魔王の地位に座し、自らを天地魔界に並ぶ者なしと(うた)ってきたバーンにとってそれは何よりの屈辱でしかなかった。

 戒めを破るだけの理由の一つでもあれば、まだ慰めにもなっただろう。だが言い訳の一つも思いつかぬまま、聡明なる頭脳は残酷にも瞬時にして自らに問いかけた謎の答えを瞬時に導き出した。

 

「大魔王敗れたりッ!!」

「くッ!」

 

 認められぬ事実を見せつけられ、バーンは気が抜けたように立ち尽くす。そこへ、今まで事態を窺っていたハドラーが動き出す。両手にオリハルコンを埋め込んだ地獄の爪(ヘルズ・クロー)を生成し、バーン目掛けて突撃する。

 さしものバーンも敵が来れば腑抜けてはいられない。愚直な突進するハドラーを見て、再び動こうとした。

 

「へへっ、お返しだぜ! 重圧呪文(ベタン)!!」

「【グラビガ】!」

 

 そこへハドラーの後押しをするように、ポップが呪文を放つ。放たれた呪文から今度は即座に理解し、チルノもまた魔法を放った。呪文によって生み出された超重力がバーンへと重くのし掛かり、反撃を邪魔しようとする。

 だがそれでもまだ、バーンの認識からすればハドラーの迎撃は容易なハズだった。

 

 ――これは! 動きが鈍い!! ……いや、動かぬのか!?

 

 だがバーンの意志に反し、彼の肉体は硬直したまま動かない。

 

 それは使い手であるバーンですら知らぬ、天地魔闘の構えの唯一の欠点。莫大なパワーをため込み、それを一度に解放することで攻撃・防御・呪文という三つの動作を同時に行うこの技は、放った後に使い手の身体が動かなくなるという大きすぎる隙が生まれる。

 致命的な欠点であるはずのそれは、皮肉にも強すぎたことが原因で今まで誰にも気付かれることはなかった。天地魔闘を一度放てばそれだけで勝負は決まっていたために。

 

「う、ぬ……おおおおっ!!」

 

 誰も知らぬはずの欠点は一人の少女によって勇者たちに伝えられ、オリハルコンで出来た生命体たちによって証明された。天地魔闘は平常通りに反動として使い手の動きを封じ、更にダメ押しとばかりにポップらの呪文によってバーンは縫い付けられる。

 それでもだ。

 雄叫びを上げながら大魔王は無理矢理にでも肉体を動かそうとする。その意志に応じるかのように、彼の肉体はギチギチと音を上げながら動き始めた。だが、それすらも見越していたかのように、更なる邪魔者が現れる。

 

「オレを忘れていたようだな!!」

「貴様はッ!」

 

 バーンは今日何度目かになる驚きの声を上げた。いや、これが本日最大の驚きであったかもしれない。

 現れたのは倒れていたはずの獣王クロコダインだった。

 

「ほんの少しで構わん! 付き合って貰うぞ!!」

「ぐっ、邪魔だッ!!」

 

 背後からバーンを羽交い締めにして、動かせまいと全力で抑え込む。

 本来のバーンならばこの程度は何の問題もないはずの障害。だが今は違う。天地魔闘の反動による硬直と呪文による重力。なにより意識から消していたはずの相手が現れた動揺が重なり、あり得ぬほど手間取る。

 それは、この状況においては致命的な遅れだった。

 

「オオオオオオッ!! 喰らえ! 大魔王ッ!!」

 

 完全に動きが止まった大魔王目掛け、ハドラーは地獄の爪(ヘルズ・クロー)による一撃を放つ。

 

「ぐ……あああっ!! ば、かな……!!」

 

 それは狙い違わず大魔王の左胸――フェンブレンが刻みつけた小さな傷跡をなぞるように突き刺さると、心臓目掛けて吸い込まれていった。

 

 




大魔王戦は、多対一にも限度がある……
もう(書くの諦めて)逃げていいですか?


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LEVEL:117 大魔王バーン -中盤戦-

「おおおっ!!」

「や、やった!!」

 

 値千金と呼ぶに相応しい一撃に、ダイたちは知らず知らず歓声を上げる。ハドラーの地獄の爪(ヘルズ・クロー)はバーンの胸元に根元まで突き刺さり、彼が持つ心臓の一つ――バーンは三つの心臓を持つ最上位の魔族である――を潰していた。

 

「ったく、流石だな! 即座に合わせて来やがった!」

「貴様らとの付き合いも長いのでな!!」

「ええ、とても頼もしいですよハドラー!!」

 

 話し合うような時間は完全になかったというのに、まるで綿密な打ち合わせを重ねたような息の合った動作を見せたことに、驚かされる。ダイたちの動きは天地魔闘を破るための連携の一つとして練習を重ねていたものだが、ハドラーのそれは全く知らなかったはずだ。

 言葉通り、ダイたちの動きを見ただけで狙いを察し、その場で合わせてきたのだろう。

 

「ハドラーも、とんでもないわね……」

 

 幾度も剣を交えた相手とはいえ、あれだけ見事に動きを合わせて結果を見せたとなれば、これはもう褒めるしかない。何とか爪を引き抜こうとするバーンと、抜かせまいと意地を見せるハドラー、そしてバーンを押さえつけようとするクロコダインの死闘に注目しながらも、"この隙に"とチルノはシルバーフェザーを一本取り出すと自らの腕に突き刺し魔力を回復させ始めた。

 

「ぐ、ぐう……っ!」

 

 如何に後二つ代わりが残っているとはいえ、心臓一つを失ってはバーンとてただでは済まない。左胸から絶え間なく走り続ける激痛により口の端から苦痛の声を漏らし、目に見えて鈍った動きを見せながら、それでも自らの胸に突き刺さるハドラーの腕を必死に引き抜こうとしていた。

 だがそうはさせじとクロコダインがバーンの動きを妨害し続ける。

 

「クロコダイン! 貴様ッ!!」

「死んだフリというやつだ! オレの流儀ではないが、この場で手段を選んでいられるほどオレは強くはないのでな!! 役立たずになるのは死んでも御免だ!!」

 

 動物の中には擬死をする者もいる。それを真似、死んだフリをしながらクロコダインは決定的なチャンスが訪れる瞬間を待ち続けていた。勿論、自身の言葉通り本来ならば彼はこのような手段を選ぶような男ではない。

 だがクロコダインの実力――というよりも戦闘スタイルでは、バーン相手に戦力となれるかは怪しい。実力差によって得意の怪力が封殺されてしまうのだ。かといって、壁となるにもバーンの攻撃力は大きすぎる。二度、三度耐えられれば僥倖だろう。

 流儀に拘りすぎて無能の烙印を押されるくらいならば――そう決意し、彼は自らの身を挺してバーンの動きを封じることを選んでいた。

 

「放せ!! 放さぬか!!」

「断る!!」

 

 その効果は絶大であった。心臓一つ潰されてなおバーンの力はクロコダインを上回っているものの、一時的にでも大魔王の動きを止められたのは大きい。既に天地魔闘を放った直後の硬直は解けており、二人の魔法使いが放った超重力の網も解けているが、まるでその代わりを務めているかのようだ。

 無論、二者の力の差は歴然。今もゆっくりと力任せではあるが拮抗が崩れ、バーンの腕が外側へと動いていくが、それを黙って見ているほど呑気な者はこの場にはいない。

 

「クロコダインばかりに気を取られていてよいのか、大魔王!?」

 

 ハドラーもまた、爪どころか拳ごと埋め込む程に力を込めていた。それでもじわじわと引き抜かれつつあることに驚愕しつつも、彼は呪文を唱える。

 

極大閃熱呪文(ベギラゴン)!!」

「がああああぁぁっっ!!」

「ぐ、ううううぅっっ!!」

 

 完成した呪文を自らの地獄の爪(ヘルズ・クロー)を対象として放った。

 やっていることは、彼がかつて操った超魔爆熱覇のそれと同じ。ただ違うのは爪が直接敵に触れた状態で発動させているということ。

 瞬く間に爪へと高熱が宿るが、それも一瞬のこと。

 次の瞬間にはバーンの肉体へと伝わり、大魔王が誇る無敵の肉体を内側から焼いていく。それでもなお有り余る極大閃熱呪文(ベギラゴン)のエネルギーは外へと噴出する。漏れ出た高熱がバーンを通じて、クロコダインにも襲い掛かる。

 まるで焼けた鉄柱を抱き締めているような気分を味わいながら、だがそれでも獣王が力を緩めることはない。

 

「お、おのれ……ここまでするか……!!」

 

 ――まずはこれを……ハドラーの爪をどうにかせねば!!

 

 極大閃熱呪文(ベギラゴン)の超高熱に内部から襲われながらも、バーンはこの状況を打破する方法を考えていた。

 これほどダメージを受けては、腹立たしいことだがどこかで一度回復を視野に入れねばならない。だがそのためには地獄の爪(ヘルズ・クロー)を抜く必要がある。

 突き刺さったまま、というのが非常に厄介なのだ。剣や槍で一度貫かれた程度ならば、回復呪文を唱えれば傷はすぐにでも癒える。だが異物が突き刺さったまま回復呪文を唱えれば、肉体と異物が一体化してしまう恐れがある。

 無論、ゆっくりと落ち着いて回復呪文を唱えればそのような事態は起こらない。だが今は戦闘中だ。焦りがミスを呼び、最悪の事態を招く可能性はある。そうなればむしろ癒やす前よりも面倒な事になってしまう。

 

「クロコダイン!!」

「オレに構うなッ! オレごと大魔王を――ッ!!」

 

 あまりの様相に身を案じ、思わずチルノが叫ぶ。だがクロコダインは弱みを見せまいと叫ぶ。それが拮抗の崩れる切っ掛けとなった。

 

「図に、乗るなああぁッ!!」

 

 叫んだことでクロコダインの拘束が僅かに緩まり、そのほんの一瞬を見逃すことなくバーンが動いた。渾身の力を込めると、膂力のみでクロコダインの巨体を力任せに引き剥がし、投げ飛ばす。

 

「う、うおおおおおっっ!?!?」

「おっさん!」

 

 あれだけのダメージを受けておきながらもなおこれだけの動きをやってのける。鞠のように軽々と宙を舞うクロコダインの巨体は、どこか現実離れした光景に見えた。

 邪魔がなくなり、続いてバーンは未だ突き刺さる腕を掴む。引き抜こうとするが当然、ハドラーは力を込めて抵抗する。

 

「ハドラーよ……この腕を放せ……」

「ふざけるな!!」

「そうか……ならば、もはやこの腕はいらんな?」

 

 冷ややかな目で見下ろすと、バーンは右腕を掲げた。その手の先で手刀を形作っているのが見える。その瞬間、次に何が行われるのかが全員の脳裏に一斉に浮かんだ。

 

「やべぇ!」

「さ、させるか!!」

 

 ポップたちが慌てて呪文を放とうとし、ラーハルトらがバーンを阻止するために動いた。ハドラーさえも、もう片方の腕を(かざ)して防御姿勢を取る。だがそれら全てよりバーンの方が早く動いていた。

 

「カラミティエンド!!」

「ぐあああぁぁっ!!」

 

 振り下ろされた手刀は一瞬にしてハドラーの腕を切断する。

 まるで真剣を使ったかのような見事な切断面が覗いたと思えば、そこから大量に血が流れ出ていく。片腕を失いバランスを崩したハドラーと、切断した腕を胸に生やしたままのバーンの姿がそこにはあった。

 

「間に合わなんだか!!」

「だが今ならば!」

「おっと、貴様にはまだ役目がある」

「ぐわっ!」

 

 迫り来る二人の戦士に向けて、バーンは隻腕となったハドラーを投げつける。いやらしい程に絶妙なタイミングで繰り出されたそれはラーハルトの移動を妨げ、思わず足を止めてしまった。

 

「くっ! ……なに!?」

「これは……!」

 

 一歩遅れてヒュンケルが追いつく。そこで二人の目に映ったのは、二羽の不死鳥がバーンの両手から生み出され、今にも飛び立たんとする瞬間であった。

 

「ぐっ! どけっ!!」

「何を……」

「カイザーフェニックス!!」

 

 ハドラーが渾身の力を振り絞り二人を突き飛ばしたのと同時に、バーンが不死鳥を解き放った。二羽の不死鳥はさながら比翼の鳥のように飛び立つと、ハドラー目掛けて一直線に飛来する。

 

「ぐあああああぁぁっ!!」

 

 元からそれが狙いだったのだろう。

 ラーハルトらを庇い、間一髪で効果範囲から逃がすことに成功したが、代わりにハドラーだけが不死鳥の狩り場に取り残される。灼熱の(くちばし)がハドラーの肉体を(ついば)み、その肉体を一片の灰すら残さぬ勢いで焼き尽くしていく。

 

「ちと、やりすぎたか……? まあ、これで復活してこれまい……!!」

 

 ――もう一度召喚を……いえ、どうしよう……?

 

 その様子を見たチルノは行動に迷う。

 再び召喚魔法を使えばハドラーを呼び出すことは可能。だがその場合に気がかりなのが、バーンの心臓へと突き刺さったままのあの腕だ。

 呼び出した場合、果たしてあの腕はどうなるのか。

 片腕はあのまま残り、そしてハドラー本人も完全な状態で呼び出せれば最高なのだが、そこまで都合の良い展開は考えにくい。試したことはないので想像だが、あの腕は消えてハドラーが再構成されるのだろう。その場合、心臓を一つ潰すという大きなアドバンテージを失う事になる。

 ならばここは攻めるべき。そう考えたところだ。

 

極大爆裂呪文(イオナズン)!!」

 

 全周囲へ向けて大魔王が両腕から呪文を放つ。狙いを付けずに無差別に狙ったそれは爆風の障壁を生み出し、更にはダイたち全員を吹き飛ばさんと襲い掛かる。

 

「もう一度だ!」

 

 再度、先ほどの同じように呪文を放つ。間髪を入れずに放たれた都合四発の極大爆裂呪文(イオナズン)は、勇者たち全員の動きを完全に止めていた。

 

「念には念、潰れておれ……重圧呪文(ベタン)!」

 

 トドメとばかりに全周囲に向けて超重圧を生み出す。先の――ハドラーたちが救助に割って入る前に使ったお遊びのようなものとは違う、五体全てをグチャグチャに押し潰さんとするほどの超重力だ。

 吹き飛ばされ、物理的に距離を取らされていたダイたちはこの重力の網に完全に捕らわれ動きを完全に封じられる。

 

「これで少しは時間も稼げよう……まずは……」

 

 やっていることはポップたちの真似に近い。バーンの動きを封じるためにダイたちがしたのと同じく、今度はバーンがダイたちの動きを封じるために行った行動だ。だが大魔王の次に取った行動は攻撃ではなく回復であった。

 

「ぐ……抜けん!?」

 

 正確には回復のための下準備、と言ったところか。何しろ心臓が一つ潰された今の状態では、バーンは天地魔闘を放つこともできない。五体満足である時と比較すれば、大きく戦力が低下しているのだから。

 

 胸元に突き刺さったままのハドラーの腕を掴み、引き抜こうとする。一刻も早くこの邪魔物を取り除こうと苛立ち混じりに力を込めるものの、微動だにしない。

 それはさながら魔王の呪いか、はたまた意地か。ハドラーの腕はまるで根でも生えたかのようにバーンに抗い続け、引き抜かれることを拒絶し続けていた。

 再び力を込めるものの結果が変わることはない。それを確認した途端、大魔王の表情に憤怒の色が現れた。

 

「ならば破壊し尽くすまで!」

 

 細胞の一片単位まで切り刻んでやろうと再び手刀を構える。そこにバーン目掛けて光の矢が飛んできた。

 

極大消滅呪文(メドローア)!!」

「むっ……ぐっ! はぁっ!!」

 

 その正体を見抜いたバーンは、攻撃に向けていた意識を防御へと瞬時に切り替える。フェニックスウィングにて極大消滅呪文(メドローア)を跳ね返そうとした途端、胸元から激痛が走った。

 万全の状態で放てば術者へと正確に跳ね返していたはずのフェニックスウィングであったが、苦痛を感じつつも放ったそれは光の矢をあらぬ方向へと弾き飛ばすのが精一杯だった。

 

「跳ね返させぬとは……どこまでも邪魔をしてくれる!」

 

 その原因となったのは間違いなく胸に刺さる腕。未だハドラーが抵抗し続けているのを忌々しく感じ、この場で破壊しつくしたい衝動に襲われる。だがそれは今すべきことではないと同時に理解して、バーンはポップの方を見る。

 

「ハァ……ッ……ハァ……ッ……!! 師匠の呪文を、勝手に使ってんじゃねぇよ……!!」

「貴様ら……!」

 

 肩で息をしながら呪文を放ったままの格好でいるポップ。その傍らには、彼を支えるようにマァムの姿があった。

極大爆裂呪文(イオナズン)重圧呪文(ベタン)の攻撃を受けたとは思えないほど軽症の二人の姿を見たことで、バーンの苛立ちが更に増していく。

 

「クロコダインの次は貴様か……」

「ええ、そうよ。二番煎じみたいで、ちょっとカッコ悪いけれどね」

「何をした?」

「当然、呪文を使ったのよ。でもざーんねん、大魔王なんだから気付いてくれると思ったのに……案外、物を知らないのね」

 

 人差し指を口元で立てる、いわゆる「ナイショ」のポーズを見せながらマァムは小悪魔のように微笑んだ。

 タネを明かせば単純、復活したのはリホイミの呪文のおかげだ。

 極大爆裂呪文(イオナズン)にて吹き飛ばされて一時的に気絶していたものの、意識を取り戻したのは比較的早かった。目を覚まし、現状を把握すると彼女はすぐさまこの呪文を唱え、ゆっくりと回復の時を待った。ベホイミのような回復呪文では目立ってしまうと考えたからだ。目覚めた時に聞いたクロコダインの「流儀ではないが」という言葉も、彼女の決断を後押ししていた。

 

 マァムは挑発めいた物言いをバーンに投げると、構えを取り闘気を漲らせる。

 

「さて、と……寝ていた分は働いて返さないと……ねっ!!」

 

 

 

 

「あいたた……緊急事態だから仕方ないけれど……」

 

 マァムたちがバーンを相手に戦いを挑んだその影で、チルノは身体を起こした。蹴り飛ばされた部分が痛むが、そのおかげで重圧呪文(ベタン)の影響範囲から一足早く逃れられたのだから文句は言えない。

 チルノを蹴り飛ばしたのもマァムの仕業だ。彼女はポップを助け、チルノを強引に呪文の影響範囲外に連れ出すと、すぐさまポップと共に大魔王に牙を向けていた。

 

「早くしないと……」

 

 何か指示や目配せをしたワケではないが、バーンの注意を引くような言動からチルノはマァムの狙いを察する。

 立て直しだ。

 さすがにあれだけの呪文を連発されては全員のダメージも深くなっている。チルノを影響外に出したのも、全体を回復させる術に長けているという判断からだろう。

 既に重力の影響はなくなっている。まだ痛みを訴える身体の悲鳴を無視して、彼女は回復魔法を唱えようとした。

 

「ケア――」

「すみませんが……私から先にお願いできますか?」

 

 その声にチルノは動きを止める。驚かされたのは声の内容ではない、その声の主に気付いたからだ。少なくとも彼女の中ではそういった独善的なことを口にするはずがないと、そう思い込んでいた相手だった。

 

「先生?」

「恥ずべき事を言っていると理解しているのですけどね。ですがどうかお願いしますよ」

 

 近くにいたらしく、短い距離を這いずり寄ってきた様子が見えた。アバン本人もワガママなことを言っていると自覚しているのだろう。無理を承知で願う。

 

「それに剣が……ハドラーが言っているんですよ。アバン、お前の力はその程度か、って。そうまで言われちゃ、元ですが勇者の名が廃るってものです……半分、意地みたいなものですが」

「……わかりました」

 

 単に、教え子二人だけで時間稼ぎをしていることが見ていられなくなったのか、それとも本当にハドラーに感化されたのか。少し茶化した言い方をしているので本心までは読み取れなかったが、アバンも何か考えがあるようにチルノからは見えた。

 

「【ケアルガ】」

 

 少女は操れる中で最上級の回復魔法を唱え、その傷を癒やしていく。

 

 

 

 

「やあああぁぁっ!!」

「無駄だ」

 

 気合いの声を上げながらマァムはバーンへと殴りかかる。その拳に込めるのは一撃必殺の気迫だ。援護魔法によって強化された速度で放たれた攻撃であったが、バーンは伸び来る腕を横合いから殴り飛ばして弾く。

 

「……くっ!」

 

 骨が折れたと感じるほど強烈な一撃であったが、チルノが張った防御魔法のおかげでそこまで大事には到らない。ただし、痛みはそのままだ。リホイミの効果によってゆっくりと癒えていくが、生憎と完治を待つだけの猶予はない。なにより守勢に回っては、バーンから追撃を受けかねない。

 

「まだまだっ!!」

 

 悲鳴を上げたくなるほどの痛みを無視して、さらに連続攻撃を繰り出す。だがバーンはその攻撃全てを打ち落としていた。幾度も強烈な力で弾かれ、マァムの手足が真っ赤に腫れていくのが遠目にも見えた。

 

「マァム!!」

「大丈夫よポップ……ようやく、見えたんだから……」

「みえ、た……?」

 

 何を言いたいのか分からず首を傾げるポップであったが、その返事を待つことなくマァムは再び拳を放つ。

 

「拳だけは喰らわぬように注意していたが、いい加減付き合うのにも飽きたわ!」

「うっ……!! ……あああぁっ!!」

 

 手足ではなく顔面を狙いを定め、バーンは攻撃を繰り出した。そこには閃華裂光拳を警戒する動きなどなかった。今までのマァムの攻撃から、仮に当たっても問題はないと判断したのだろう。

 振り抜かれた拳は、相手の顔面を確実に捉えていた。だがマァムは倒れるどころか怯んだ様子すら見せることなく、逆に殴られた勢いをも利用して回転蹴りを放ってみせた。

 

「なっ!? ぐっ!」

 

 想定外の結果に驚き、バーンは頭部を蹴り飛ばされる。勢いの付いた強烈な蹴りで視界が一瞬ブレるが、すぐに体勢を立て直す。

 だが、大魔王の胸中は驚きに満ちていた。

 マァムに直撃した拳は、本来ならば人間の頭などザクロのように容易に砕く程の威力がある。鍛えた人間であっても、耐えられるハズがない。どれだけ少なく見積もっても、戦闘不能は避けられない威力のはずだった。しかしマァムは無事なまま。まるで攻撃そのものを無効化されたようだ。

 

「……っ!? 面妖な!!」

 

 正体が掴めぬ薄気味悪さを感じながらも、バーンは再度攻撃を仕掛ける。今度は殴りではなく、ある意味でバーンが最も信頼を置く手刀での一撃だ。振り下ろされた一撃は吸い込まれるようにマァムの肩口から斜めへと滑っていく。

 身に付けていた魔甲拳の鎧が勢いよく吹き飛ぶ様子にダメージを確信し、バーンは口の端を釣り上げた。

 

「いやあああぁぁっ!!」

「ぐ、おおおぉっ!?」

 

 けれど、その期待は泡と消える。手刀による一撃を受けてもマァムは止まらず、バーンの懐へ潜り込むと思い切り肘打ちを打ち込んだ。衝撃と驚きで息が詰まり、動きを止めた一瞬で更にマァムは動く。

 先ほどのお返しとばかりに、バーンの頭部目掛けて下から突き上げるように膝蹴りを叩き込んだ。下顎を打ち上げように強打されては、さしもの大魔王とて空足を踏んでよろめき意識を失いかける。

 消えそうになる意識を繋ぎ止めながら、もはやこれはまぐれなどではないとバーンは確信していた。

 

「余の攻撃を……マァム、貴様……ッ!!」

 

 武神流には、相手の攻撃を吸収し受け流すと言うものがある。強力な攻撃を更なる頑強さを持って正面で受け止めるのではなく、一見無防備に受けた上で受け流す。マァムが使っているのはその技術である。極めれば、大魔王の攻撃とて無効化できるのだ。

 

「これが、武神流の極意よ!」

 

 と、大見得を切って見せたがまだマァムは未熟。

 マイティガードによるダメージ軽減とリホイミによる継続した回復効果の恩恵があってがあってようやく形に出来ているといったところか。

 技術に加えて防御結界の効果でダメージを最小限に抑え、受けたダメージそのものは継続回復効果によって癒やす。最後にやせ我慢で無傷を装えば、敵の攻撃を完璧に受け流したように見えるというわけである。

 加えて、実際に攻撃を受けて体験せねば受け流しのタイミングを掴めないという欠点もある。今までの戦いで一度もまともに使えていなかったのがその証拠だ。

 

「その極意とて、呪文までは防げまい!! カイザーフェ――」

「海波斬!」

 

 灼熱の不死鳥の再誕をオリハルコンの剣が阻止する。放たれた高速の剣技は呪文が完成する前の一瞬の不安定な状態を狙い、その首を掻き切ってみせた。

 

「むっ!? アバンか!」

「アバンストラッシュ!」

 

 さらにもう一撃、自身の最強剣技をアバンは放つ。狙うはバーンの左半身――そちらは右側と比べて僅かに動きが鈍っている。なにしろ今なお怨念の様に地獄の爪(ヘルズ・クロー)が突き刺さっているのだ。何の弊害もなく肉体が動くはずはない。

 

「遅い」

 

 だがそれでも通じるかどうかは別問題だ。狙い違わず放たれた攻撃を、バーンは己の肉体で受け止めてみせた。刃が僅かに食い込み皮一枚切り裂いてこそいるものの、それ以上押し込む事が出来なかった。

 

「……やはり私の剣だけでは通じませんか」

 

 狙い澄ましたかのような攻撃を防がれても、アバンは動揺する気配を一切みせなかった。

 

「ですがご心配なく。真打ちは私ではありませんから」

「むっ!?」

 

 真打ちはアバンではない。ならば一体誰だというのか。ダイか、バランか、それともまだ動かぬ誰かか。バーンは全員を警戒するよう意識を向ける。

 

「行きますよ! ハドラー(・・・・)!!」

「なにっ!?」

 

 自らの剣に向けて叫びながら、アバンは再び剣を持つ手に力を込めた。すると、ゆっくりとではあるが剣は押し込まれていく。その光景は、まるで誰かがアバンへ力を貸しているかのようだ。じわじわと食い込み、バーンの肉体を切り裂いていった。

 

「ぐ、があああっ!!」

「はあああああっっ!!」

 

 アバンの呼びかけに呼応するように、胸に突き刺さった腕が闘気を放つ。まるで今そこにハドラーが存在しているかのような力を見せ、激痛を伴ってバーンの動きを阻害する。それに引っ張られるようにアバンの持つ剣もその鋭さを増していく。そしてアバン本人も手にした剣に後れを取らぬよう、全力を込める。

 かつての勇者と魔王。その二人が互いに互いを高め合い大魔王に挑む姿だった。

 

「真打ちは、私ではなく……私たち(・・)です。とはいえこれが精一杯ですね」

 

 そのままバーンの腕を切断するかと思われたアバンの剣だったが、腕の半ばまで食い込んだところで完全に動きが止まる。そこで精力が尽きたらしく、アバンは力なく呟いた。

 

「今だ!! おらあああぁぁっ!!」

 

 半ばで尽きた師の想いを弟子が繋ぐ。ポップはブラックロッドへありったけの魔法力を込めると、大魔王へ向けて全力で投擲する。黒杖は持ち主の意を汲み取り、バーンの額――鬼眼目掛けて突き進む。

 

「マァム!」

「ええ!」

 

 ポップの援護に合わせるように、マァムもまた動く。

 

「くっ!」

 

 迫り来るブラックロッドを、バーンは首を傾け回避する。同時に迫り来るマァムを打倒しようとして、己が失策を取ったことに気付いた。彼女は再び攻撃を受け流すとバーンの片足目掛けて必殺拳を放った。

 

「貰ったわ! 閃華裂光拳!!」

 

 拳が当たると同時に回復呪文のエネルギーが炸裂し、強烈な光を放つ。続いて大きな亀裂が走ったような鈍い音が響く。

 

「まさ……か……!?」

 

 閃華裂光拳の効果により、バーンの片足はその大半が砕け散っていた。支えを失い、身体がバランスを崩す。その加重に耐えきれず、片足が完全に折れる。当然立っていられず、信じられないほどゆっくりと景色が傾いていくのを感じながら、バーンは砕けた自らの足に目をやっていた。

 

 だが、バーンが本当に目をやるべきは自らの傷の具合ではなかった。

 

 アバンが復活して戦線に加わったのだ。それはつまり、回復が済んだということ。ならばアバンの回復を終えて手透きになった彼女が次に何をするか。

 そんなことは、考えるまでもない。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

 片足を失い無防備となったバーン目掛け、ダイが仕掛ける。ストラッシュの一撃は左腕目掛けて放たれ、既にアバンによって傷つけられていたその腕を完全に切り裂いた。

 

「余の腕が……!?」

 

 マァムの一撃を受け、戦闘中でありながら呆けてしまった相手に深手を負わせるなど、オリハルコンの剣を手にした(ドラゴン)の騎士にとっては容易いことだ。

 そして、神の金属で作られた剣を手にする伝説の戦士はもう一人存在している。

 

「大魔王ッ!!」

 

 バランが渾身の一撃を放ち、剣閃が斜めの軌跡を描いた。バーンの胸に刀傷が刻まれ、切っ先が内臓に届くほど深く切り込まれる。バーンが持つ三つの心臓――その二つ目の鼓動を止めるほどに深く。

 

「ば、馬鹿な……!!」

 

 そう呟きながら、バーンは倒れていった。

 

 




ハドラー様がすごく身体を張ってる。


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LEVEL:118 大魔王バーン -盤外戦-

盤外なので短い。


 バランの一撃を受け、まるで力尽きたように大魔王バーンは地へと倒れ伏した。片腕片足を失い、三つある心臓のうち二つまでを潰される。それでもなお、バーンが死することはない。

 肉体は未だ健在であり、今の状態でも動き回ることは可能だろう。回復呪文を唱えれば、失った手足を再生させることも可能だろう。

 だが精神は違う。

 

 なによりも、それをダイたちが許すはずもなかった。

 

「大魔王!」

「まだだ、追撃を!」

 

 ダイたちの攻撃に続き、ヒュンケルとラーハルトが倒れたままのバーンに迫る。彼らは回復が遅れた分だけ動き出すのも遅くなっていた。しかしそのおかげで良きタイミングでの追撃という形が実現していた。

 そして彼らを回復させた当の本人はといえば、どうやらかなり魔力を消耗したのだろう。辛そうな表情を浮かべながら二本まとめてシルバーフェザーを腕に刺し、魔法力を回復させていた。

 

「く……くくくく……ふはははははっ!! はーっはっはっはっは!!」

 

 襲い掛かる二人の姿を見ながら、バーンは突如、我慢しきれなくなったように笑い出した。窮地に陥ったというのに哄笑を上げる大魔王の異様な光景に、思わず全員が手を止めてしまう。

 

「な、なんだ……」

「笑ってる……?」

「追い込まれすぎて、自棄になったか?」

 

 誰かが呟いたが、そう思われても仕方ないだろう。打つ手もなく、自身の敗北を悟ったが故の笑い。いわゆる"もう笑うしかない"という状態になったとしか思えない。

 

「ダイ、バラン、チルノ、そしてその仲間たちよ……見事だ。余を……大魔王バーンをここまで追い詰めた者は、過去に一人もいなかったぞ。褒めてつかわそう」

 

 ひとしきり笑い声を上げた後、バーンは寝そべったまま、身を起こすこともなく語り出した。

 

「そしてヒュンケルとラーハルトの攻撃による追撃を受け、余は更に傷を負う。そうなれば、ほどなくして貴様らは勝利を手にするだろう……無論、余とて抵抗はするが、貴様らの勝利という結果は揺らぐまい……」

 

 それは、己の敗北を受け入れたという宣言だった。

 

「だが、貴様らは一つ忘れているようだな」

「何!?」

「どうせ聞き及んでいるのだろう? この大魔宮(バーンパレス)に仕込まれたピラァのことを」

 

 ――ピラァ。

 その言葉を聞いた途端、ほぼ全員の表情が僅かに歪む。

 

「顔色が変わったな……実に察しが良いぞ」

 

 そしてダイたちの反応にバーンもまた愉悦にも似た表情を浮かべていた。

 

 ピラァ・オブ・バーン――通称ピラァは大魔宮(バーンパレス)に合計六本格納されており、それぞれが巨大な黒の核晶(コア)を内蔵している。本来ならばこのピラァは地上世界の各所に落とし、同時に起爆させることで魔界まで続く巨大な穴を開けるという目的のために用意された兵器だ。

 本来の歴史では既に地上の各地に落とされていたが、この世界ではダイたちの打倒を優先したためピラァはまだ大魔宮(バーンパレス)の各所に格納されたまま、息を潜めて眠っている。

 例えるなら、巨大な爆弾が仕掛けられた戦場で戦っているようなものだ。そしてその爆弾は、バーンの指令一つで起爆させられる。

 

「負けるよりはいい。余が長年準備を続けてきた計画が、このようなところで全て潰されて良いはずがない……」

「よ、よせっ!!」

「止めろおおぉぉっっ!!」

 

 バーンが何をするつもりか、全員が瞬時に理解していた。複数の黒の核晶(コア)を起爆させ、この辺り一帯をダイたち諸共吹き飛ばすつもりなのだ。

 

 言うなれば、追い込みすぎた。

 失ったのが腕一本だけならば、戦える者の数がもっと少なければ、バーンの脳裏に敗北の影がチラつくことはなかっただろう。だが、ダイたちは勝ちすぎた。その結果、バーンに自爆をも厭わないと決意させてしまった。

 

 そんなことを許せば、ダイたちはおろかメルルやフローラといった最終決戦に参加している者たちも確実に命を落とす。なんとか止めようとするが、起爆させる為にはバーンが少し魔法力を放つだけだ。一瞬で終わってしまう。

 

(ドラゴン)の騎士と地上の強者共を一掃すれば……残った地上を支配するのはヴェルザーか、それともあやつか……おそらくヴェルザーであろうな。その姿を見られぬのだけが心残りか……」

 

 起爆直前、バーンは自分たちがいなくなった後の世界を夢想する。

 

 魔界に残る実力者はあと二人。だが、地上征服の野心を燃やし続けているのはヴェルザーだけだ。遠からぬうちに地上に姿を現し、我が物とするのだろう。

 

 黒の核晶(コア)で吹き飛び、寂しくなった地上を。

 

 本来は黒の核晶(コア)を六芒星の頂点それぞれに配置することで、魔術的要素を加味させて威力を増す予定だったが、今となってはそれは叶わない。しかし、単純に集めて爆発させるだけでも充分すぎるほどの破壊力がある。

 つまり強力な爆風によって山や川が削れ、さながら地面を(なら)したような状態になることは想像に難くない。

 

 殺風景になった地上を見て、落胆するヴェルザー。その姿を見られないのだけがバーンの心残りだった。

 

「くくく……」

 

 せめて想像の中だけでもその様子を堪能しながら、バーンは黒の核晶(コア)を起爆させた。

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

 

 しかし、なにもおこらなかった。

 

「な、なんだ……?」

「馬鹿な……バーンの狙いは、黒の核晶(コア)を爆破させることではなかったのか?」

「オレたち諸共全てを吹き飛ばす……そう口にしていたはずだぞ!?」

 

 明らかに起爆させたにもかかわらず、何も起こらない。思わず身を固くしていたダイたちであったが、肩すかしを食らったように驚きつつも拍子抜けしていた。

 一人を除いた(・・・・・・)全員が、わけがわからないというようにキョロキョロと周囲を見回す。

 

「……爆発はっ……爆発はどうしたアァァッ!!」

 

 わけがわからないのは大魔王も同じだった。

 自分は間違いなく起爆させた。魔法力も放った。ならばこれで問題なく動作するはずだ。黒の核晶(コア)は大魔王の悔恨と怨念の感情を抱きながら爆発し、地上世界を舐め尽くすはずなのだ。

 それが何故、どうしてこのような結果になるのか。このような結果を認められるはずがない。

 

「よかった……どうやら間に合ったみたいね」

 

 混乱の最中、チルノは突然安堵したように呟いた。その様子は当然、全員の注目を集めることとなる。

 

「姉ちゃん、何かやったの……?」

「ええ、そうよ」

 

 恐る恐る尋ねたダイの言葉を、チルノはあっさりと肯定してみせた。もう何度目になるのか、数えるのも面倒なほどの驚きを味わう。そして当然大魔王もだ。

 

「チルノ! 言えッ! 貴様、何をした!!」

「何って……黒の核晶(コア)も基本的には機械仕掛けの爆弾だから、氷系呪文(ヒャド)で完全に凍り付かせてしまえば作動しない。これは前にも話した……っけ?」

 

 黒の核晶(コア)を外部から停止させる方法について、ダイたち相手に伝えただろうか? 一瞬不安になりながらも知っているという前提でチルノは話を続ける。

 

「と、とにかく、六つの爆弾を全部凍り付かせたの。そうすれば爆発することはない。ピラァに仕込まれた爆弾もそうやって止めたのよ」

「馬鹿なことを言うな!」

 

 呪文で凍り付かせれば止まる。その理屈は分かったが、それで納得できるはずがない。

 

「貴様はずっと余と戦っていた。それがどうしてピラァまで向かい、黒の核晶(コア)を凍らせる事が出来る!!」

「当然、私じゃないわよ。凍らせたのは別の人物」

「馬鹿を言うな! この大魔宮(バーンパレス)は余の庭! そのような者がいれば分からぬはずがない! 一体どこにいたというのだ!!」

 

 激昂するバーンを前に、チルノは小悪魔のような含み笑いを浮かべながらヒントを口にする。

 

「ふふふ、いるじゃない。私たちと同じくらい強くて、私たちよりもこの大魔宮(バーンパレス)の内部構造を熟知していて、丁度手が空いている人たちが。もう忘れちゃった?」

「い、いたっけ?」

「オレたちと同じくらい強い?」

「内部構造を熟知……?」

 

 ダイたちも該当する人物を捜すが、思い当たらない。そもそもそんな相手がいれば、是非ともバーン討伐に加わって欲しいくらいだ。

 

「答えは――」

 

 次の句を言う前に、チルノはほんの少しだけ意識を別の場所に向ける。そこには仕事を完遂させ、喜びの様子を見せる金属生命体たちの姿があった。

 

「――ハドラー親衛騎団よ」

「ッ!!」

 

 誰もが考慮の外に漏れていたであろうその名を耳にして、驚きを隠せなかった。

 

「倒されても、召喚魔法を使えばまた呼べる。でもバーンとの戦いにはそこまで貢献できない。けれども本人たちはまだ戦いたい。じゃあ、彼らが取れる中で最もバーンにダメージを与える方法は何か?」

「それが、爆弾を凍らせるということか……」

「そういうこと」

 

 バランの言葉にチルノは頷く。

 

 親衛騎団たちは皆、一人一人が火炎呪文(メラ)系や閃熱呪文(ギラ)系などの呪文を極めているが、だからといってそれ以外の呪文が使えないわけではない。全員が戦闘の天才であり、加えてチルノの精神世界にて修行するだけの時間もあった。下地と時間があれば、習得するのは容易いこと。

 修練の結果、全員が氷系呪文(ヒャド)系の呪文を覚えるまでに到った。勿論、個々が得意とする系統の呪文と比較すれば児戯のようなものだが、物言わぬ爆弾を凍り付かせるだけならば余りあるほどの完成度を誇っていた。

 

 前提となる呪文を覚えれば、後は打ち合わせ通り。

 バーンへと挑み、満足して倒されたという印象を植え付けたその裏で、チルノがこっそりと召喚する。

 呼び出された彼らはまず分かれて大魔宮(バーンパレス)の先端部――いわゆる羽根の部分に仕込まれた核晶(コア)を凍らせる。最後に中心部分へと全員が集まり、丁度ダイたちが戦っている下に位置する核晶(コア)を凍結させた。

 

 チルノが意識を飛ばした時に見たのは、その仕事を終えて喜ぶ彼らの姿だった。それを見られれば、シルバーフェザーを頻繁に刺して魔法力を回復させ続けながら大魔王と戦った甲斐があったというものだ。

 

「でも、本当に危なかったのよ。バーンがもう少し早く起爆させられていたら、地上ごと吹き飛んでいたはずだから……」

「うえぇぇ……マジかよ、おっかねぇ……」

 

 無事であったからこそ、その"もしも"を想像してしまい、思わずポップが身震いする。ポップだけでなく、誰もが自分たちごと地上が吹き飛ぶ光景を思い描いてしまい、恐怖で顔を引きつらせていた。

 

「馬鹿、な。あやつらが……余の道具でしかなかったはず……」

「バーン、あなたが得意なチェスのルールは、倒れた駒はそのまま。盤上から取り除かれた駒はその対局中ではもう二度と活躍することはない。でもね、私も似たような盤上遊技を知っているの。そのルールでは、倒した敵の駒を自分の駒として使えるようになる。なかなか面白いルールでしょう? 取り除かれた駒の存在を忘れていたのが、あなたのミスよ」

 

 チルノの言葉に、大魔王は何も応じなかった。ただ空虚な瞳であらぬ方向を見ている。

 

「それともう一つ、アルビナスからの伝言よ――『ただの道具に三度も手を噛まれた気分はどうですか大魔王? 顔を直接確認できないのが残念です』――だって」

「そう、か……」

 

 たっぷりと皮肉と悪意が込められたその言葉にすら一切の興味を見せることもなく、大魔王は残った手を(かざ)して顔に陰を作る。

 

「もはや……どうでもよい……」

 

 精気の抜けた声でそう零すと、指を自らの額――その鬼眼へと突き刺した。

 

 




実は、親衛騎団はもう一つ役割がありました。

召喚魔法が無言でも使えたり、再召喚すると復活したり、フェザー(おくすり)を何度も注射していたり、これが理由。
アルビナスが「遠い場所から祈っています」と変な台詞を言っていたので「こりゃまだ何かあるな」というのはバレバレだったかと思います。

チェスは敵の駒を取っても再利用できないけれど、これは将棋なので取った駒は使えますよ理論。
(なお「その理屈ならバーン様にやられてるんだから、親衛騎団はバーン側につくだろ」というツッコミは無しでお願いします)


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LEVEL:119 大魔王バーン -終盤戦-

ずーっと身体が痛かったり、熱が出たりして。一ヶ月くらい大変でした。
……まさかバーン様の呪い!?
(サマルトリアの王子もベラヌールで呪われたし)

※ 追記:鬼眼王の全高を5メートル→10メートルにしました。
  高さの感覚がホントわからない……


「ウォオオオオオッ!!」

 

 額へ指を差し込み、自ら鬼眼を抉り取ろうとする。眼窩に指を突き入れたことで激しく血が溢れ出ていき、流れる血がまるで仮面のようにバーンの顔を濡らしていった。

 鬼眼とはバーンの魔法力の源であると同時に、第三の眼でもある。眼球を自ら掴みえぐり出そうとする想像を絶する激痛に襲われ、獣の様な咆吼を上げながらもバーンは決して自ら手を止めることはない。

 

「ダメッ! アレは……!!」

「おのれ!! バーン!!」

「止めてみせる!!」

 

 バーンが何を行おうとしているのか、その行動から真の狙いを悟りヒュンケルらが動く。チルノから聞かされた、バーン自身ですら使うことはありえないと考えていた秘中の秘、それを使うつもりだろうことは彼らもすぐに想像が付いた。

 すぐさま阻止せんと襲い掛かるが、どうやらバーンの方が早かったようだ。大魔王は激痛と流血に塗れながらも鬼眼を抉り出すと、その力を全力で開放して肉体に上乗せする。

 

「ぐっ……! こ、これは……」

「間に……あわなかった……」

 

 チルノの口から思わず絶望的な声が零れる。

 バーンの肉体から黒い魔法力のような何かが漏れ出たか。それも、河川の堤が壊れたかのような膨大な奔流を伴い、後から後から止めどなく溢れ出てくる。外に出たかと思えばその黒い何かは瞬時にして岩石のような存在へと変化する。内側から次々と流れ出るそれは一瞬にして幾重もの層を作り上げていった。

 

「バーン……!?」

 

 誰かの口からそう声が漏れた。だがそれも仕方の無いことだろう。それは常軌を逸した光景に近い。

 溢れ出た黒い何かは今や小山ほどにも膨れ上がっている。それも漆黒に映える刺々しい岩石によって形成された山。見上げるほどに(うずたか)くなった山の頂上付近には、バーンが首だけを出していた。見ようによっては大魔王を封印しているようにも見える光景ではあるが、決してそんなことはない。

 本当に封印しているのならば、その黒山の奥からとてつもない波動が――身の毛もよだつほど悍ましい闘気が漂ってくるはずはないのだから。

 

「盛大に祝うがよい……」

 

 不意にバーンが口を開く。その言葉に呼応したかのように、山の中腹部分辺りに一筋の亀裂が走った。強烈な力で内側から無理矢理こじ開けたような亀裂、その奥から何かが蠢くようにして現れる。

 

「……魔獣誕生の瞬間を!」

 

 その正体は眼――瞳であった。内側より岩石を打ち破って瞳が現れる、その光景は瞼を見開いたかのようだ。瞳が開くと同時に岩石の山には大きな亀裂が幾筋も走り、山が崩れ落ちていく。

 山を内部から引き裂き破壊するようにして、大魔王曰く恐怖の魔獣が姿を現した。

 

「う……あ、ああ……」

「こ、これほどとは……」

 

 その姿は基本的には二足歩行の人型、バーンの姿そのままと呼んで良いだろう。だがその形状は今まで目にしてきた大魔王のそれとは大きく異なる。

 

 まず目に付くのはなんと言ってもその巨体だろう。全高が十メートルを軽く超すであろうその巨躯は、どのような生き物とて見上げざるを得ない。そこから感じる重圧は、筆舌に尽くしがたい。歴戦の勇士たるバランですら思わず声を漏らしてしまうほど強大だった。

 荒々しい岩山のような頭部を持ち、肩部にもまるで装甲のように岩山が鎮座していた。全身は鎧のような鱗に覆われ、胸には巨大な瞳――鬼眼を備えていた。もともと鬼眼があった額にはその代わりのように前のバーンの上半身が埋まっている。

 

 今でのバーンとはかけ離れすぎた、まるで生物の進化を無視したようなその姿は、超魔生物が可愛くみえるほどだ。となると先の巨岩に閉じ込められていた姿はさながら繭のようなもの――昆虫が成体へと変態するために一時的に(さなぎ)になっていたかのような状態だったのだろうか。

 

「さて、まず余の相手はお前かヒュンケルよ?」

 

 再誕したバーンは、まずヒュンケルへと目を付けた。ただ、偶々近くにいて偶然目に付いただけ。その程度の理由で、バーンは最初の相手を決めていた。

 

「ぐあっ!!」

 

 そして、巨腕を軽く振るい裏拳の一撃を放つ。それは無造作に等しい単純な動作であったが、ラーハルトの攻撃に近いほどの速度を持ってヒュンケルへ襲い掛かった。

 辛うじて防御姿勢を取ったものの、巨体に似合う強烈な威力を伴って振るわれた拳は力尽くで防御を打ち破り、ヒュンケルを木の葉のように軽々と吹き飛ばしてみせた。

 

「ヒュンケル!」

「くっ……おのれ……」

 

 猛烈な勢いで吹き飛ぶヒュンケルにマァムが追いつき、その身体を何とか受け止める。おかげで壁面に叩きつけられるといったダメージを受ける事は無かったものの、だがそれでもヒュンケルが受けた攻撃は深刻なものだった。

 たった一撃を受けただけでヒュンケルは口から血を吐き出し、すぐさま起き上がることが出来ない。しばらく休めば復活するだろうが、その休みの間にバーンがどれだけ暴れ、どれほどの負傷者が出るのかは想像に難くない。

 

「鬼眼王……」

「ダメよヒュンケル! 動かないで!!」

「ほう、良い名だな。気に入ったぞ」

 

 ダメージによって朦朧とした意識の中、虚ろな目をしながらも、それでもヒュンケルはバーンの方を向き立ち上がろうとするものの、それはマァムが抱き締めるようにして中断させられた。

 だがバーンはヒュンケルの行動よりも彼が呟いた言葉を拾う。

 鬼眼王という言葉を。

 

「余は今この時より、大魔王改め鬼眼王バーンと名乗ろう! ファッハッハッハッ!!」

 

 今の自身を表現するの相応しいその言葉を(いた)く気に入り、そう宣言する。

勿論その言葉も、本来の歴史においてバーン自らが名乗った異名である。自分が口にした言葉なのだから気に入るのは当然であり、チルノの知識を知っている以上はバーンとてそのことに気付いても不思議ではない。

 そんなことにも気付かないほど精神に変調を来しているのか、バーンは上機嫌に高らかな笑いを上げる。その哄笑は魔獣誕生の産声のように天地に響く。狂気にも似た異質さはダイたちの精神をも飲み込まんほどだ。

 

「おっと、いかん。忘れるところであった」

 

 堪えきれぬ笑みを隠さぬまま、バーンは視線を下――自らの胸元へと向ける。そこにはバーンが鬼眼の力を使い進化してもなお残り続け、バーンの心臓の一つを刺し貫き破壊し続けるハドラーの腕があった。

 

「いい加減不粋というもの。もう消えてもよかろう?」

 

 そう口にすると片手でハドラーの腕を掴み、力任せに引き抜こうとする。

 

「ぐっ……」

 

 当然痛みが走り、小さな呻き声が漏れる。

 だがハドラーの怨念が今も残り続けているのか、はたまた鬼眼王へと進化した際に細胞レベルで癒着したのか。バーンの剛力を持ってしてもなお腕は抵抗を続け、引き抜かれるのを拒んでいた。

 

「鬼眼王など何するもの!!」

「止めて見せるぞ!! バーンよ!!」

 

 さらにようやく正気を取り戻したのか、ラーハルトとクロコダインがバーンへと襲い掛かった。昆虫が人間に挑むような絶望的な差を理解しつつも、臆することなく鬼眼王へと飛びかかる。

 

「ハーケンディ……なっ!?」

「そこか」

 

 半端な技では効果は無いと踏み、初手から最大最強の一撃を放とうとする。だがラーハルトの神速の動きはバーンに軽々と見切られる。

 

「馬鹿なっ!! おのれ、放せ!!」

 

 眼にも映らぬほどのスピードを知覚すると、バーンは瞬時にしてラーハルトの下半身を掴み取り、握り締める。

 己を掴む巨大な手――その指を引き剥がそうと槍を突き刺そうとするものの、強固な肉体はその攻撃を易々と弾き返してしまう。どうにかして逃げだそうにも、速度を生み出す起点となる脚を封じられてはどうすることも出来ない。

 

「ラーハルト!? くっ!!」

 

 捕らわれた仲間の姿にクロコダインは思わず攻撃を躊躇する。

 バーンは、クロコダインから視線を外さぬまま、ラーハルトを掴んだ手だけを明後日の方向へと向けた。

 

「どうした、撃たぬのか?」

「……ちッ!!」

 

 視線は向けぬまま、だが声だけ別の方向へと向けられる。その声の先――ラーハルトを盾とするように向けたその先には、光の弓矢を完成させ終えたポップの姿があった。隙を狙うつもりが、完全に見抜かれていた事実に思わず舌打ちする。

 

極大消滅呪文(メドローア)ならば、今の余とて倒せるぞ。千載一遇の好機ではないのか?」

「撃てポップ! その程度の呪文、このオレが避けられんとでも思ったのか!!」

 

 バーンは挑発するように語り、そしてラーハルトは捕まりながらも語気荒く叫んだ。敵味方に分かれているはずなのにどちらもが攻撃を誘う言葉を口にする。その誘いにポップの心が僅かに揺らいだ。

 

「ち、ちくしょう……!! 畜生!!」

 

 だがまさかこのままラーハルトを巻き添えにして極大消滅呪文(メドローア)を放つことなど出来るはずもない。一瞬の逡巡の後、ポップが選んだのは天空へと向けて極大消滅呪文(メドローア)を放つことだった。

 

「なぜ撃たなかった!?」

「ば、バッカ野郎!! そんなこと出来るわけねぇだろうが!!」

「馬鹿は貴様だ! 大魔王を倒せねば全てが終わるのだぞ!!」

 

 空の彼方へと消えていく光の矢を背景に、二人は言い争う。その言葉はどちらも正しいのだが――

 

「そうか、撃たぬか」

 

 ――少なくとも鬼眼王にとってはつまらない選択だったらしく、興が醒めたような表情を浮かべる。

 

「ならば、これはもう不要だな」

「う、うああああぁっ!!」

「なんだって!?」

 

 バーンはラーハルトそのもの(・・・・・・・・・)をポップ目掛けて投げつけた。鎧の魔槍を身に纏い、かなりの速度で放たれたそれは、並の破壊力ではない。さながらラーハルト自身を砲弾として放つ大砲とでも言うべきか。直撃すれば非力なポップはタダでは済まないだろう。

 そして標的となった当の本人は、放たれた砲弾の前に身を躱すことすら忘れたように棒立ちになっていた。

 

「避けろ! ポップ!!」

 

 だが近くにいたクロコダインが割って入る。その声で正気に戻ったようにポップが慌てて軸線上から逃げ出したのと、クロコダインが砲弾(ラーハルト)を受け止めたのはほぼ同時だった。

 

「ぐはっ!」

「ぐ、ううぅぅぅっ!!」

 

 我が身を盾とし、己の肉体でラーハルトを受け止めたクロコダインであったが、その衝撃は凄まじい。堅い鎧を纏った物同士が強烈に衝突し合ったのだ。かつて鬼岩城と戦いを繰り広げた戦車隊の砲撃――いや、それ以上の破壊力が込められていた。

 激突のダメージを受けて二人の口からは苦痛の悲鳴が上がり、そればかりか衝撃に耐えきれず、ラーハルトは意識を失った。

 

「ま、まだだ……!! オレはまだ……」

 

 クロコダインも同じようなものだ。意識こそ失わずに済んだものの、ラーハルトを抱えたまま片膝を床に突けている。全身を小刻みに震わせながら何とか立ち上がろうとしているが、その姿は今にも倒れてしまいそうな程に弱々しかった。

 

 

 

 

 ――マズい! マズい! どうしよう……!!

 

 バーンの猛攻を目にしながらチルノは必死で考えを巡らせていた。鬼眼王となったバーンの力量も、本来の歴史という知識で知っていた。

 知ってはいたが、実際に目にしたそれは彼女の知識を大きく裏切る程の実力と恐ろしさを秘めていた。

 どうにか対抗策を捻りだそうとするが、恐怖と混乱に襲われて何も思いつかない。

 

「ヴェルザーがただのトカゲに見えてくるな……」

 

 それはバランも同じだったようだ。彼がかつて経験した激戦――冥竜王ヴェルザーとの戦い――がお遊戯に思えるほど、今のバーンは底が知れない。(ドラゴン)の騎士が持つ闘いの遺伝子。その歴史を全て紐解いても、これほどの強大な敵は存在しなかった。

 比べるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの実力差に、額から一筋の汗が流れ落ちる。

 

「だが恐れるわけには行かぬ!! 行くぞ、ディーノ!!」

「うん!!」

 

 だがバランは恐れることなくバーンに襲い掛かった。そしてそれはダイも同じだ。父の言葉に力強く頷くと、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にしてバーンへと挑む。

 

「バラン……ダイ……! そうよね、私だってまだやれるはず!!」

 

 その二人の姿にチルノは勇気づけられる。敵がどれだけ強くとも、それだけで諦める理由とはならない。そもそも、ダイと共に戦うことを選んだのはチルノ自身だ。ここに来てそれを諦めるような半端な真似をしては、仲間たちにも合わせる顔がない。

 

 ――中途半端な攻撃は無意味……使うのは、最大の技……!!

 

 チルノは勇気を振り絞るように胸元のペンダント――アバンの使徒の証たる卒業の証を握りしめながら覚悟を決め、魔法力を集中させる。

 一方、バランたちはバーンへと攻撃を開始するものの、その頑健なる皮膚はオリハルコンの刃を持ってしても簡単に切り裂ける物ではなかった。なにしろバーンがその巨体を高速で動かすだけでもバランたちにとっては脅威となる。

 なにしろ本来の歴史では、双竜紋(そうりゅうもん)を手にしたダイですら追い詰められた相手なのだ。一つしかない彼らの紋章の力では、今のバーンには半端な攻撃など有効打となりえない。

 まだ無事な仲間たちも武器を手に取りダイたちへの援護の機を窺ってはいるものの、暴風雨のような勢いに呑まれ、手が出せない。下手に手を出せば足を引っ張るだけというのが目に見えていた。

 

 そして、ダイたちが何度目かの攻撃が失敗に終わった時だった。

 

「二人とも!!」

 

 チルノが短くそう叫ぶ。それだけでダイとバランは察し、バーンから距離を取るように大きく飛び退く。

 

「【グランドトライン】!!」

 

 (ドラゴン)の騎士立ちと入れ替わるようにチルノは伝説の青魔法を放った。

 集約した魔法力はとてつもなく、チルノの周囲を発光させてなお足らぬほど。そしてそこから生み出されたのは、巨大な正三角形を形作るエネルギー体だった。だがただの三角形ではない。そこには次元すら超越するほどの力が秘められている。

 三角形の内側はまるで夜空を覗き込んだように暗く、そしてときおり流星の煌めきが見え隠れする。まるでこの三角形を境として宇宙空間が切り取られたかのような光景だった。

 

 それは錯覚ではない。

 そもそもグランドトラインとは三つの天体によって描かれる三角形のことを指す。

 その意味は完全調和。正中の円の中にピタリと収まるその形状は絶対なる安定・調和を齎してくれる。

 この絶対なる調和によって生み出された力を破壊へと用いるのがこの魔法。無限と呼んでも差し支えない力を攻撃へと転じさせれば、それは敵を飲み込み喰らい尽くしてなお足りぬほどの威力を生み出す。

 放たれた正三角形は星々の加護を力への糧としながらバーンへと襲い掛かった。

 

「またその力か……だがっ!!」

 

 自らへと襲い掛かる未知の力の奔流を目にしながら、バーンは胸部――鬼眼を怪しく輝かせた。

 瞬時にして竜闘気砲呪文(ドルオーラ)すら凌駕するほどの魔法力が鬼眼へと集約していく。だがそれを感知出来たのは、果たして何人いただろうか。

 

「消し飛べっ!!」

 

 そう思わせるほど僅かな溜めの後、胸部から強大な魔法力を波動として撃ち出した。放たれた一撃は目が潰れかねないほどの輝きを放ちながら暗闇の正三角形(グランドトライン)へと一直線に向かい、激突した。

 二つの超魔力同士のぶつかり合いに甚大な衝撃が生み出され、立っていられないほどの突風が吹き荒れる。

 

「う、く……っ!」

 

 暴風に吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えながら、チルノは戦いの行方を冷静に観察していた。一見互角に見える押し合いだが、ゆっくりとグランドトラインが押していくのが術者たる少女には分かった。

 だがチルノが分かるということは相手も分かるということだ。少女が勝利を確信したその一方で、バーンは大きく目を見開く。

 

「おおおおっっ!!」

 

 雄叫びを上げながらバーンは更に魔力砲の出力を上げる。放たれた波動は勢いを増し、眼前へと迫ったグランドトラインを押し返していく。そして――

 

「う……そ……!!」

 

 白い砲撃と黒い三角。二つの戦いは双方消滅という形で決着が付いた。つい一瞬まで大暴れしていたのが冗談としか思えぬほどの平静が訪れる。

 

「かき、消された……それも、技術や呪文なんかじゃない……単純な力押しだけで……!!」

 

 そんな静かな場面だからこそ、少女の漏らした声は何よりも良く響いた。

 なまじ自信のあった一撃だけにチルノが受けた衝撃は大きい。倒せるとは思っておらず、防がれることまでは計算の内。それでも大ダメージは与えられると信じていた。

 

 だが、この結果は考えていない。

 至近距離まで迫れたことで影響は与えられたらしく、バーンは幾らかダメージを負っている。ダメージは負っているが、この程度は直撃したときの破壊力と比較すればかすり傷にも等しい。

 

「どうやら、今の余の力を甘くみていたようだな」

 

 愕然とするチルノに対し、バーンは隠しきれぬほどの笑みを浮かべる。

 

「深遠なる叡智も、底知れぬ魔法力も、無敵を誇った技術すらも、この姿には不要! ただ力だ! 何者にも、どのような理不尽をもはね除ける力があればよい!! その他は全て雑味に過ぎぬ!! もはや余に敗北の二文字は存在せん!!」

 

 単純な身体能力でこの場の戦士たちを圧倒し、魔法力を放つだけでチルノの一撃すら消してみせる。力押しだけで無敵となれるのだ。勝ち誇ったその言葉は決して誇張ではない。純然たる事実といえるだろう。

 

「それがどうした!! まだ万策が尽きたわけではない!!」

「バーン! うおおおおぉぉっ!!」

 

 だがそれを見せつけられてなおも、彼らの闘志は萎えることはなかった。一旦離れたバランたちであったが、再度バーンへと攻撃を仕掛ける。

 

「邪魔だ!!」

「うわあぁぁっ!!」

「ぐ……っ!」

 

 強烈な攻撃であったが、今のバーンには届かない。両腕を強引に振るだけでダイを吹き飛ばし、周囲を殴り飛ばしながらバランの動きを封じて見せた。

 

「鬼眼の力を自らに上乗せし、二度と元に戻れぬ姿となった……」

 

 (ドラゴン)の騎士たち二人を瞬時に蹴散らし、バーンはチルノを睨み付ける。妄執すら感じるその鋭利な視線に彼女は思わず身を竦ませた。

 

「貴様が! 貴様の存在が余をそうさせたのだ!! 余をここまで追い込んだ貴様が! 貴様らが悪いのだ!!」

「チルノ!」

 

 全ての原因はチルノにある。そう口にしながら、鬼眼王は少女へと向けて動く。慌ててアバンが剣を手に庇うように前に出てくるが、だがそれは無謀というに他ならない。

 

「失せろ」

「うああッ!!」

 

 老人であったバーンですら、アバンの剣技では届かないのだ。ましてや鬼眼王となった今のならばなおのこと。アバンの振るった剣はバーンの外皮によって簡単に弾かれ、移動の勢いに任せた体当たりによって弾き飛ばされた。バーンからすればさながら、路傍の石を蹴り飛ばしたようなもの。

 あっさりとチルノの前へと辿り着く。

 

「ね、姉ちゃん!! 逃げて!!」

 

 殴り飛ばされたダメージに苦しみながらもダイが叫ぶ。ダイに言われるまでもなくチルノも距離を取ろうとするものの、それが通じる相手ではない。彼女が移動するよりも早く――それこそ瞬く間もなくバーンはチルノを捕えた。

 

「あ……うああぁぁっ!!」

 

 すぐさま全身を握り潰さんほどの力が彼女を襲う。

 ラーハルトを捉えた時と同じく、バーンの巨大な手にチルノは拘束されていた。だが彼の場合はは脚を掴まれただけであったが、チルノに到っては胸から下までをすっぽりと握られている。辛うじて両腕と首から上は自由になっているが、だからどうしたと言われればそれまでだろう。

 

「良い声だ」

「う……ううっ……」

 

 チルノの悲鳴を耳にして多少なりとも溜飲が下がったのか、手を握る力が緩まる。

 先ほどの全身を押し潰されそうな激痛から解放されたことで叫び声こそ上げなくなったものの、彼女が受けたダメージはそのままだ。激痛に意識を朦朧とさせながら力ない声を漏らす。

「だが、このまま楽に死ねると思うな。手を折り足を砕き、最後は胴体を握りつぶしてくれる。死体から首をもぎ取り、ダイたちの前に置いてやろう。貴様が死ねば次はダイたちを。それも終われば、次はこの地上の人間全てを同じ目に合わせてやろう!」

 

 地上の生物全てを殺戮せんと言うバーンの言葉を、チルノは遠き続ける意識の中で耳にしていた。それも、同じ目に合わせると。

 その事実に気付き、少女は少しだけ意識を取り戻す。

 

「……ああ、思い出した。確か、瞳になっていた者たちがいたな。そやつらだけは特別に生かしておこう。余が地上を死の大地とするのを特等席で見物できる栄誉を与えよう」

 

 やがて、今まで忘れていたかのようにバーンは足下へと視線を向けた。そこには彼が魔力によって生み出した瞳が三つ転がっている。

 

「だがそれは一人だけだ。三つは多すぎる」

「だ、め……」

 

 瞳を破壊せんとするバーンへ蚊の鳴くような声を上げる。声を出すだけでも耐えがたい苦痛に襲われながら、チルノは決意した。

 自分に眠っていた事に気付かず、操れるなど長い間夢にも思わなかった力。未だ完全に制御できるとはお世辞にも言えないその力を使いバーンと闘うことを。

 

「【トランス】」

 

 少女は再び、その身を竜王へと変じさせる。

 

 




ホントは決着まで書く予定だったのですが……
前回投稿から間隔が開きすぎていて、申しわけなさすぎたのでここで投稿。
一応コレでもキリはいいので。お許しください。
(平身低頭)

魂の絆、とりあえずチュートリアル完了まではプレイしました。


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LEVEL:120 大魔王バーン -決戦-

鎧の魔剣もパプニカのナイフもアバンの剣もガチャから出てきません。書けば出るなんて嘘ですね。
加えて主人公の転職先に青魔道士も召喚士もないし。
……不具合ばっかりだなこのゲーム(暴論)


「む……?」

 

 最初に異変を感じたのはバーンだった。

 チルノを掴む巨大な手。その手の内側から違和感が生まれた。指の一本一本がじわじわと外に押し出されていく感覚。

 鬼眼王となった今のバーンならば、喩えバランが全力で抗ったとしても握り潰せるだけの握力をもっている。ましてや彼が今手中に納めているのは肉体的には弱いチルノなのだ。少女一人がどれだけ力を込めようともビクともしないはず。

 

「な、なんだ! どうしたと言うのだ!?」

 

 瞳へと向けていた視線を改めてチルノへと戻す。そこでバーンは見た。チルノの身体から強力な光が溢れ出ていくその姿を。

 その光はまるで質量を持ったように膨らみ、バーンの手を内側から押し返していく。掴んでいた物が徐々に膨らみ巨大になっていく感覚。

 

「お、おのれっ!!」

 

 反射的にバーンは握る手に力を込めた。チルノの身体など一瞬で握り潰し、肉片へと変えてしまう程の力を込めながら、だがそれでも膨張が止まる事は無かった。鬼眼王の巨大な手を持ってしても掴んでいられないほど巨大になり、それでもなお止まることはない。

 

「ぐ……ぐうっ!」

 

 もはや握り締めてなどいられなかった。とてつもない衝撃を受けたような感覚にバーンは遂にその手を放してしまう。そして、力尽くでバーンの手中から抜け出した光は瞬時に消えた。

 

「貴様は……!」

 

 光の消えた場所――そこには竜王バハムートの姿があった。

 

 

 

 

 

「チルノのあの姿……アレってあの時の!?」

 

 竜王へとその身を変じさせたのは、バーンだけでなくダイたちも目にしていた。比較的軽症であったマァムは、巨竜へと変身した仲間の姿に目を丸くしていた。

 

「まさか、あの時みたいに大暴れするんじゃねぇだろうな?」

 

 ポップもまたダメージ自体はない。マァムと同じようにチルノが変身する瞬間を見ており、かつて死の大地で理性を失い暴れていた時のことを思い出して渋面を作る。確かにあの時にもとてつもない強さを誇っていたが、本能のままに暴れられてはある意味で敵よりも厄介になる。

 

「アアアアアアアアッッ!!」

「や、やっぱりダメ……か……?」

 

 その不安を煽るかのように、黒竜は恐ろしいほどの雄叫びを上げた。恐怖で身を竦ませそうな咆吼を耳にしながら頭を抱えるポップであったが、どうやらそれは杞憂だった。

 

「バーン!!」

 

 雄叫びを上げた後、竜はバーンの名を叫びながら鬼眼王目掛けて襲い掛かっていく。その言動にマァムたちは思わず喜色を浮かべた。

 

「今! 今バーンって言ったわよね!? それに見たポップ!? あれって!!」

「そうみたいだな! どういう理屈かはわかんねーけど、今回は正気か! 助かったぜチルノ!!」

 

 どうやら彼女は行動で自身が正気であると見事に示して見せたようだ。

 

「しかしまあ、おっそろしい声だよな……」

 

 味方であると理解はしたが、それでも恐ろしいものは恐ろしい。特に竜の咆吼は他の生物を圧倒するような何かが込められているかのようだった。その何かに本能的な怯えを感じて自然と腰が引けてしまう。

 

 と同時に、ホッとしたことで少し余裕が出たのだろう。ポップの脳裏にくだらない考えが過る。

 変身した状態では声帯も異なるのだろう、低く重々しい声を上げている。だがこれがもしも、あの巨大な竜の姿となっても少女の声のままであったなら――

 

「……ぶふッ!」

「ポップ?」

 

 ――そんな"もしも"を想像し、その"もしも"のとてつもないミスマッチ感にポップは思わず小さく吹き出した。

 

「おっといけねぇ! 笑ってる場合じゃねえや、今のうちに!!」

「何する気?」

「瞳を回収するんだよ。あの場にいて今まで壊れなかったのが奇跡だぜ」

 

 そう言いながらポップは一点を指さした。そこはチルノがバーンと闘っているすぐ近くであり、瞳が無防備に転がっていた。今のところ無傷だが、このまま無事でいるという保証はどこにもない。むしろ、今この瞬間に踏み潰されてもおかしくないほどだ。

 

「あ、そうね。じゃあ私も手伝……」

「いや、マァムはおっさんやヒュンケルたちを出来るだけ戦場から離してくれるか? 悔しいけど、おれじゃ怪我人引っ張るのに力が足りねぇ」

 

 なるほど尤もだと手伝おうとするが、ポップはやんわりとそれを拒否する。

 

「なぁに、あっちの方はおれが意地でも無傷で回収してやるから心配すんなって。だから、頼んだぜ……」

 

 得意気に口にするが、その声は若干の恐怖に震えているのをマァムは聞き逃さなかった。だけど、それも無理もないだろうとも思う。

 何しろ巨人と巨竜が熾烈な肉弾戦を繰り広げている戦場に割り込むのだ。直接闘うわけではないとはいえ、巻き添えを食ってもおかしくない。

 

「わかったわ……絶対無事に戻ってきてね」

 

 マァムは小さく頷いた。

 

 

 

 

 

「おのれ! そこまでするか!」

 

 巨大な竜と化したチルノの体当たりを受け止めながらバーンは叫ぶ。

 鬼眼王へと変じた自分に匹敵するほどの巨体と質量を持った存在の突撃に一歩下がらせられたものの、大魔王の矜持がそれ以上の後退を許さなかった。踏み込んだ衝撃で床石に巨大な亀裂を何本も走らせながら、バーンは至近距離からチルノを殴る。

 

「オォオオオオオォォッ!!」

 

 背中を殴られ、その痛みに悲鳴が上がる。何しろ(ドラゴン)の騎士すら一撃で弾き飛ばす程の破壊力を秘めているのだ。バハムートの強固な竜鱗でも無力化できるものではなかった。

 だが激痛に襲われながらもその動きは止まらず、反撃の心を失うこともない。お返しとばかりにバーンの頭部目掛けて尻尾の一撃を叩き込んだ。

 

「ぐわっ!」

 

 先細りするとはいえ、根元の太さは鬼眼王の豪腕を凌駕するほど。高密度の筋肉の塊でありながら鞭のように自由自在に動き、その速度は先端に行くほど早い。

 尾の攻撃は岩石のようなバーンの頭部を削り取り、額に位置するバーン本人にも手痛いダメージを与えていた。

 

「ぐ、舐めるなッ!! 竜の姿となったところでッ!!」

「グァッ!」

 

 無敵になったと信じていたはずの己がダメージを受けたことで激昂したのか。バーンは流れ出る鮮血も気にせずにチルノへの反撃を敢行した。

 再び背中に打ち込まれる鉄槌を打ち込まれたような攻撃。両手を組んで打ち下ろす、いわゆるハンマーナックルだ。さすがに片手での一撃とは威力が違い、チルノは動きを止めてしまう。

 

「今の余に、敵はないッ!!」

「アアアァァッ!!」

 

 さらに追撃とばかりに、バーンは膝蹴りを放った。チルノは反射的に腕でガードしようとするものの、悲しいかなその腕は巨竜が持つ四肢の中では貧弱な方だ。防御の上から胴体へと突き抜けるような一撃に耐えきれず、嫌な感覚を残しながら本体ごと弾かれてしまった。

 

 だがチルノとてタダでは飛ばされない。

 距離を開けられたのをこれ幸いとばかりにその巨大な顎を大きく開くと、そこから幾筋もの熱線を放った。

 さながら無数の閃熱呪文(ベギラマ)を同時に放ったかのような光景。空気すら焼き尽くさんとするその炎はバーンの肉体を焼き、その肉体に何本もの焦げ跡を刻みつける。

 

「ひえぇ……おっかねぇ。ベンガーナでドラゴンたちと戦ったことがあったけど、アレとは大違いだぜ……」

 

 その戦いを、姿勢を低くしながらポップは最前線で見守っていた。なんとか近くに寄り、隙を見て瞳を回収したいものの、その隙が見当たらない。加えてどこまで距離を詰めれば生き延びられるのか、その基準を慎重に見極めなければならない。

 

「どうにかチルノに伝えられりゃいいかもしれないが……けど、どうやって教える? 下手すりゃバーンに逆手に取られちまうぞ……考えろ……」

 

 必死で妙案を絞りだそうとするポップであったが、考え続けるその間にもバーンが手を止めることはなかった。

 

「余にここまで傷をつけるか……前にも見たがその姿、ほとほと厄介よ……しかし!!」

 

 熱線に焼かれながらもバーンはチルノへと追撃を続ける。

 がむしゃらに殴る蹴るの攻撃を放ち続け、チルノへと的確にダメージを積み重ねていった。チルノも負けじと竜王の肉体を操り反撃するが、バーンから受ける攻撃と比べれば些細な物だ。

 

「確かにその巨体は余と闘う上では利点となろう! 能力もかなりのものだ! だが不慣れな肉体でいつまでも余の相手ができると思うな!!」

 

 チルノがバハムートへと変身したのは決して間違いではないだろう。基礎的な能力だけでも他を圧倒するほどの力を持ち、その巨体は鬼眼王となったバーンを相手にしても決して見劣りしないほど。

 それだけ見れば同等の戦いができるかもしれない。

 だが残念なことに、チルノは前に出て戦うタイプではない。技能も経験もあるものの、バーンを相手にするにはまるで足りなかった。

 加えて人間の姿から竜の姿へと変わったことによる弊害もある。今まで尾も翼も持たずに生活してきた者が突然それらを使いこなせるわけがない。

 

「……ッ!! 黙りなさい!!」

「ふはははははっ!! どうした!? その程度の抵抗しかできぬか?」

 

 図星を突かれて思わず息を呑み、苦し紛れの攻撃を放つ。

 だがバーンは爪によるひっかき攻撃を弾き飛ばし、放たれた尾を掴み取って防ぐと、今だとばかりに拳を振りかぶり殴る。狙うは巨竜の頭部――もっと言えばその鼻先だ。

 なんとか防ごうにも尾を掴まれてバランスを崩したチルノにはどうすることもできなかった。

 

「グアァァッ!!」

 

 顔面を殴りつけられて視界がぶれ、チルノの意識は一瞬飛びかける。このまま倒れて楽になってしまいたいという誘惑を必死で押さえつけながら、バーンへと向き直ろうとしたときだ。

 

 ――えっ! 今のってポップ!? なんでここに!?

 

 竜の優れた肉体能力の恩恵か、流れる視界の中の僅かな時間だけ映った仲間の姿をチルノはハッキリと捉えていた。続いて彼の大魔道士が何を狙っているのか、その意図を探りたかった。

 しかしそんな時間など与えないとばかりにバーンが追撃を仕掛けてくる。

 

来るな(【フレア】)ッ!」

「むっ!?」

 

 条件反射のように叫んだ声によって魔法が発動した。竜王の能力と強大な魔力によって力尽くで無理矢理発動させたようなものであり、チルノ本人ですら狙って放った物ではなかったが、どうやらそれが逆に功を奏したらしい。

 予期せぬ一撃にバーンは攻撃の手を緩め、その隙にチルノは何とか戦闘態勢へと戻れた。

 

「今のって、そうか……【フレア】!」

 

 感覚で何が起きたか感じ取り、チルノはここぞばかりに二度、三度とフレアの魔法を発動させた。超高熱の爆発が断続的に巻き起こり、バーンからそれから逃れようと素早く移動する。当然、そうはさせじとチルノも後を追うように動き回り続けた。

 巨人と巨竜による乱暴なダンスとでも表現すればよいだろうか。その影響で床はさらに無残な姿を見せていた。

 もはや、いつ崩落してもおかしくないほどの様相になっているが、どうやらよほど強固な素材を使っているのか。はたまた建築技術が信じられないほど高いのか。

 

「あっ、そうか! だったら!!」

 

 必死で成り行きを見守っていたポップの脳裏にようやく一つのアイデアが浮かんだ。不安定な足場に加えて魔法の影響で周囲は高温になっている。それを活かすには――

 

「こうだっ!! 氷系呪文(ヒャダルコ)!」

 

 バーンの次の動きを予測し、その先――次に移動するであろう場所、その床へ向かって呪文を放つ。生み出された冷気は狙いを外すことなく周囲を氷で覆い尽くし、一拍遅れてそこにバーンが足を下ろした。

 

「ぐおぉっ!?」

「へへ、魔法力ってのは馬鹿みてぇに強いだけが能じゃねぇ。呪文も頭も使いよう、ってか!?」

 

 途端バーンは声を上げ、ポップはその結果に歓声を上げた。

 着地する場所に氷を張ることで滑らせることが目的。しかもワザと弱い氷系呪文を放ち、適度に溶けやすくしてある。薄い氷は周囲の高熱によって簡単に溶け出し、滑りやすさを倍増させる。

 溶けやすく、それでいて今のバーンが踏んだとて砕け散らない程度には強固という、なんとも微妙な加減の呪文を見事に操ってみせたのだ。その甲斐あって、狙い通りバーンは足を滑らせ体勢を崩す。

 

「今だ! チルノ!! バーンの動きを止めてくれっ!!」

「え、わ、わかったわ!!」

 

 チルノからすれば予想外にバーンが足を滑らせた所に飛んできた指示だ。戸惑いながらも頷くと、足止めならばこれとばかりにその豪腕へと全力で噛みつき牙を突き立てた。

 

「ぐっ! おのれ、こうも余の肉体に傷をつけるかッ!! 小癪な!!」

まがまがっ(まだまだっ)!!」

 

 強固な皮膚を突き破り、肉を噛み締める感触が。流れ出た血が口中に広がり、慣れぬその味に顔を顰めながらも顎の力を緩めることはない。さらには、ダメ押しをばかりに口を閉じたまま火炎の吐息を吐き出した。

 

「おおおぉぉぉっ!?」

「今だッ! 瞬間移動呪文(ルーラ)!」

 

 腕と口の間に生じた僅かな隙間から炎が溢れ出る。漏れ出た程度でも強烈な火勢に驚かされながらも、この隙を逃すまいとポップは呪文を唱え、戦場へと割って入る。

 

「一つ! 二つ! ……あと一つあったはずだ!! どこだ!?」

 

 短距離の瞬間移動呪文(ルーラ)で目的の位置まで瞬時に移動すると、手近にあった瞳を二つ掴み取り懐へと抱え込む。だがあと一つが見つからず、思わぬ焦燥感に駆られる。

 

「あった三つめ!!」

「そうか、それが狙いか!」

 

 大暴れで転がったのだろう、少し離れた場所に残る一つの瞳を見つけて手を伸ばすが、バーンもまたそうはさせじと手を伸ばす。

 

ひかへはい(いかせない)ッ!」

「ぐわっ!」

 

 だが彼は未だチルノに片腕を噛みつかれたままだ。彼女は更に噛みついたまま首を強く引っ張り、バーンをこれ以上は行かせまいと無理矢理に引き込む。ブチブチと何かが千切れていくような感触に辟易しつつも、その力を緩めることはない。

 

ほうひほつ(もう一つ)ッ! ほはへ(オマケ)ッ!!」

 

 引っ張り込むと同時に翼を強くはためかせ、竜巻を生み出した。魔力を纏った竜巻はバーンの肉体へと絡みついてその動きを制限する。

 ダメ押しとばかりのそれらの行動のおかげで時間が生まれ、ポップは無事に残った瞳を回収する。

 

「あばよ! 瞬間移動呪文(ルーラ)!!」

 

 もはや長居は無用とばかりに再度呪文を唱える。現れた時と同じく、ポップの姿は瞬時にしてかき消えていた。

 

 

 

 

 

「あっぶねぇーッ!! あの一瞬だけでも死ぬかと思ったぜ……」

 

 チルノの必死の時間稼ぎのおかげでどうにか逃げ出すことに成功した。離れた位置へと戻ってきたポップは開口一番にそう零す。とりあえず安全圏まで戻れたとはいえ、心臓は早鐘を打ち鳴らし続けている。

 

「ポップ! こっちも何とかしたわ」

 

 彼が戻ると時を同じくして、マァムもまた自分の仕事を熟していた。倒れていた仲間たちは一カ所に集められ、これなら巻き添えを受ける心配も少ないだろう。

 

「次は回復だな」

「そうね、私が……」

 

 回復呪文を唱えようとしたマァムであったが、それよりも早くずい(・・)とポップが前に出る。

 

「へへっ、任せろよ。回復呪文(ベホマ)!」

「えっ!?」

 

 マァムの口から驚きの声が零れ出た。

 片手で回復呪文――それも完全回復の呪文を唱え、ダイの傷を癒やしていく。だが彼女が本当に驚くのはこれからだ。

 

「もういっちょ、回復呪文(ベホマ)!」

 

 ポップは残る片手をバランへと向け、ダイと同じように回復呪文を唱えて傷を癒やしていく。その光景にマァムは絶句する他なかった。

 

「ええっ!! り、両手で呪文を!? それに回復呪文まで……」

「元々呪文の契約は師匠にやらされてたからな。それに両手でそれぞれ呪文を使えなけりゃ、極大消滅呪文(メドローア)は使えないんだぜ?」

 

 なるほど、と思わず納得する。

 

「でも、今までそんな素振りなんて一度も……」

「そりゃ機会がなかったからな。姫さんにチルノもそうだし、バランだって回復は出来る。おれまで回ってこねぇよ」

 

 回復呪文に明るい者がこれだけいれば、なるほど確かに出番はそうそうないだろう。ましてや攻撃呪文で魔法力を消費するポップならばなおさら、回復に回っている余裕はない。

 

「それよかマァムも回復を頼むぜ。ヒュンケルやらおっさん辺りはまだ比較的軽症のはずだ」

「そ、そうね」

 

 つまり逆に言えば、ポップが回復に回らねばならないほどには追い詰められているということだ。その事実に気付き、マァムは急いで他の者たちへの回復に向かった。

 

「助かった……礼を言うぞ」

 

 ポップの回復呪文を受け、バランが目を覚ます。それに続いてダイも目を覚ました。

 

「……うう!」

「ダイ! 気付いたか?」

「ポップ……っ!? そうだバーンは!? 姉ちゃんは!?」

「落ち着けよダイ。チルノならあそこだ」

 

 意識を取り戻すなりダイは弾かれたように飛び上がり、状況を確認しようとする。肩を掴まれたポップはその勢いに圧倒されながらも、チルノのいる場所を指し示す。

 

「いい加減に、放さぬかぁッ!!」

「ぐぶっ!」

 

 その時は丁度、バーンが攻撃を放った場面だった。片腕を噛みつかれたままなのが相当頭に来たのだろう。反対の腕でチルノの頭部を殴りつけ、その衝撃に彼女は遂に口から腕を放してしまう。

 

「姉ちゃん! それにあの姿って……」

「いつぞやの時の姿か。なるほどあの巨体ならば、少なくとも抗うことはできるか……しかし……」

 

 ダイもバランも一見しただけで看破していた。

 竜王の姿に変身することで鬼眼王に対抗は出来ているが、それでも決定打にまでは及んでいないことを。このままでは遠からずバーンが戦いを制するだろうという結末を。

 

「助けに行かなきゃ!!」

「待て! あれだけ大暴れしているのだ。迂闊には踏み込めん!!」

「でも父さん!!」

「下手をすれば均衡が崩れ、余計に足を引っ張りかねんのだ! やるならば一撃で……」

 

 助けに行きたいのはバランとて同じだ。だが二人が戦っている中に割って入るだけの隙がない。付け加えれば今のバーンを相手に長期戦は無謀以外の何でもない。

 つまるところ必要なのは、一撃で決着を付けられるような何か。

 

 僅かに逡巡した後に、バランは重々しく口を開いた。

 

「……仕方ない。もう一度アレをやる」

「ええっ! でもバーンには通用しなかったし、失敗の可能性だって! それに下手したら姉ちゃんに当たっちゃうよ!」

「だがこのままではジリ貧だ!!」

 

 ――アレをやる。

 

 その言葉だけでダイもまたバランが何を狙っているのか理解した。理解したが、それが通用するとは思えなかった。

 練習では成功した。威力も折り紙付きだ。だが相手が悪すぎる。鬼眼王となったバーンに成功させられる可能性は、果たしてどれだけ残っていることか。

 それを理解し不満を口にするダイに対して、バランは怒鳴る。

 

「声を荒げたのは悪かった。だが時間がない。チルノが抑えているが、それも限界に近い。他に方法もない……覚悟を決めるのだディーノ!」

「……わかった」

 

 バランとて不退転の覚悟でそれを口にしていたのだと。他の案を考えるだけの時間すらも惜しいと考えたが故の言葉なのだと理解し頷くと、バランもまた強い覚悟を見せるように首肯する。

 そして、決意を込めた表情で戦場に向けて叫んだ。

 

「チルノ! 一瞬で良い! 私が合図したらバーンの動きを止め、離れろ!」

「ちょ、ちょっと!?」

 

 ――それ! 一番の難問なんだけどっ!! しかもこんな大声で叫ぶなんて!!

 

 突然投げかけられた無茶な台詞を耳にして、大きく動揺させられた。内容もそうだが、何よりも大声で作戦を口にするという行動に驚かされる。というよりも、バランにあるまじき言動に驚かされぬ者などいないだろう。

 

「「雷撃呪文(ギガデイン)!」」

 

 それはバラン本人とて分かっていた。理解していてなお、それ以外に方法はないと断じての行動だった。チルノが止めてくれると信じながら、親子は再び手にした剣へと稲妻を落とす。

 

「余がそれを許すと思ったか!」

「ああもうっ! 抑えればいいんでしょ!!」

 

 バランの言葉はバーンの耳にも届いていた。何か仕掛けてくると分かれば、当然そうはさせじと妨害に動く。直接バランを狙わんとするバーンに対して、当然食い止めるべくチルノが動いた。

 遮二無二(しゃにむに)攻め続け、敵の体に爪を突き立てながらバーンの行動をなんとか妨害する。その隙に二人は魔法剣を完成させ終えたが、そこまでだ。

 

「何かと思えばギガブレイクか? もはやその程度では今の余に傷は付けられん。そもそも余の動きを止めることなど不可能よ!」

「ぐあっ……こ、のっ……!!」

「くっ……」

 

 これだけ戦えば流石に動きを見切られる。チルノの妨害を軽く避け、反撃で相手の動きを制限する。それどころかバランたちに気を回す余裕すらあるほどだ。手詰まり状態に焦燥感が募り、バランは思わず小さく呻いた。

 

「ならばその役目は、オレたちが引き継いだ!!」

 

 だが援軍は意外な所から現れた。

 

「ブラッディースクライド!!」

「ハーケンディストール!!」

「獣王激烈掌!!!」

「――――ッ!」

 

 マァムとポップの回復活動のおかげだろう。戦えるようになったヒュンケル・ラーハルト・クロコダインの三人は各々が誇る最強の技を放つ。

 神速のハーケンディストールと螺旋によって全てを破壊するブラッディースクライドに獣王激烈掌。同時に放たれた三つの技は互いに絡まり合い、それぞれがそれぞれを昇華させ、その威力を数倍へと引き上げながらバーンへと襲い掛かる。

 

 だがそれが通用するかは別問題であった。破壊の嵐が通り過ぎたそこ場所から、無傷のバーンが姿を現す。

 

「聞いていなかったのか? (ドラゴン)の騎士でも傷を付けられぬ今の余……を……!?」

 

 得意気に語ろうとして、そこでバーンは気付いた。自身の周囲に黄金色の羽根が五本突き刺さっていることに。

 

「気付くのが遅かったようですね。そう、本命は私です」

 

 バーンの反応に、満足したようなアバンの声が聞こえた。

 見ればマァムとポップに支えられながらも立ち上がり、今にも呪文を放とうとしているではないか。効果を増幅された呪文も厄介だが、それ以上に厄介なのはアバンの頭脳だ。何が飛んでくるか分かったものではない。

 さしものバーンもその場から離れ距離を取ろうとするが、既に呪文は完成している。

 

覚醒呪文(ザメハ)!!」

 

 ――フ、フハハハハ!!

 

 放たれた呪文、その名に思わずバーンは拍子抜けした。

 どれほどの破壊力を持った呪文が飛んでくるかと思えば、攻撃呪文はおろか相手に害を与える呪文ですらない。

 覚醒呪文(ザメハ)は眠りに落ちた相手に唱えることで意識を覚醒させて強制的に目覚めさせる効果を持つ。そんな呪文を受けたところで、何か影響が出るわけもない。ましてや眠ってもいない相手に唱えたところで、どうなるというのか。

 呪文の選択を誤ったアバンを嘲るように大笑いを上げながら殴りかかる。拳は一直線にアバンへと向かい、そして通り抜けた(・・・・・)

 

 ――なに!?

 

 予想外の結果に驚き、そしてバーンはようやく気付いた。

 ザメハの呪文は意識を覚醒させる(・・・・・・・・)効果を持つ。眠っている相手ならば、それが自然な睡眠でも呪文や毒薬などで強制的に意識を失わせていてもお構いなしに目覚めさせる。

 

 そんな呪文を破邪の秘法で極限まで増幅させて放てばどうなるのか。

 

 覚醒しすぎた意識は肉体の範疇を飛び出し暴走する。意識に肉体が追いつかず、こう動こうと思い描いた動作の数千分の一すら完了させられない。既に意識の中では一分以上の時間が経過しているのに、実際の肉体は一秒分すら動けない。

 

「私の実力では、どれほど強力な攻撃呪文を唱えてもおそらくダメージは与えられません……(たま)にはこんなのもいいでしょう?」

 

 バーンには聞こえていないだろうと確信しながらも、アバンはそう呟いてみせた。今こそ絶好の機会とばかりに、(ドラゴン)の騎士たちは肩を並べる。

 

「ついでよ! これも持って行きなさい!!」

 

 このままでは終われないとばかりに、チルノが大きく口を開ける。そこには無防備な状態になり、数秒掛けて収束させた強大な破壊のエネルギーが蓄えられており、放たれる瞬間を待っていた。

 ヒュンケルらとアバンの稼いだ時間と隙がなければ完成しなかったであろう一撃。

 

「【メガフレア】!!」

 

 その破壊の吐息を放つ。光弾は一瞬にして鬼眼王の肉体に激突し、その全てを焼き尽くし破壊せんと飲み込んでいく。まともに動くことすら出来ぬバーンには回避どころか防御すらまともに出来なかった。

 防衛本能でも働いたのか、唯一その胸の鬼眼だけは強固な瞼を閉じることで防ごうとしていたが、破壊の吐息の前には果たしてどれだけ効果があったことか。

 

「今だ!」

「行くぞ! ディーノ!!」

 

 動きを止め、大ダメージを受けた鬼眼王へ向けて二人の(ドラゴン)の騎士は駆け出した。一人は真魔剛竜剣を大上段に構え、そしてもう一人はダイの剣を逆手に構える。

 

「ギガ――」

「クロス――」

 

 数万分の一秒すら違わぬ息の合った動き。そして――

 

「「――ブレイク!」」

 

 二人の(ドラゴン)の騎士は、それぞれが持つ最大最強の技を同時に放った。それらは全く同じタイミングでバーンの肉体を切り裂いた。

 

「ギガクロスブレイク……」

「ギガブレイクとライデインストラッシュ……いや、上位呪文のギガデインを使っているから、ギガストラッシュか」

「二人の(ドラゴン)の騎士が誇る、最強の剣技の同時攻撃だ。如何にバーンとて耐えられるものではあるまい……」

「ああ、これなら……やったか……!?」

 

 おそらく、これ以上はないであろう最強の技を目にし、仲間たちは勝利の確信を持って口にしていた。

 




ギガクロスブレイク。

モンスターズ2やDQ10でこの名前自体は使われています。
ギガスラッシュを二人で連携するとか。
(どちらも未プレイの身)

それを上回るであろう(ドラゴン)の騎士二人がそれぞれの最強技で連携。
ギガブレイクとギガストラッシュの連携なんて、誰もが一度は妄想したかと思います。
(アバンストラッシュ(クロス)があるくらいですからね)

ロマン補正が大幅にあるので、耐えられる敵はいません。

一応、緒戦の回でダイとバランが仕掛けてバーン様が天地魔闘を使ってしまったのがコレです。当たったら多分あの時点のバーン様は耐えきれなかった想定。
(なのでそれを本能で悟り、ビビって全力迎撃したわけです)



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LEVEL:121 大魔王バーン -延長戦-

書いている人は完全に忘れていました。だからこうなりました。
……好きなだけ罵ってください。



「どう、なった……?」

「これは……?」

 

 (ドラゴン)の騎士が二人、それぞれの最強技を放つ連携技――ギガクロスブレイクの直撃を受けてなお、バーンは膝を付くことはなかった。

 ギガブレイクによる上段からの斬撃とギガストラッシュによる横一線の斬撃はバーンの身体を確かに切り裂いた。これを受けてなお耐えられる生物などいないはず。

 そう確信するに充分な一撃を受けてなお、ただ幽鬼のように呆然と立ち尽くすその姿に、ダイの仲間たちは怪訝な表情で様子を窺う。

 だが、ダイとバランだけは違った。ある種の予感めいた眼差しでバーンを見つめる。そして――

 

 ――ビシリ! そんな音が響く。

 

 音の発生源はバーンの肉体、その胸部の鬼眼からだった。続いて鬼眼の中心部分に亀裂が走ったかと思えば、その亀裂は縦へ横へと止まることなく一直線に広がっていく。

 

「こ、これは!!」

 

 まるで物理法則を無視したような光景に、思わず声が上がった。その間にも亀裂は内側から外側へと広がり続け、亀裂の広がりに比例するようにして肉体の奥深くまで切り裂かれていく。

 だが、無限に広がり続けるように思えた亀裂は急速に止まった。両端へと達し、これ以上切り裂けなくなったためだ。

 後には身体を十文字に切り裂かれたバーンだけが残る。

 

 だがそれも数瞬のことでしかない。

 

 肉体を四分割にされ、魔力の源たる鬼眼すらも潰されたのだ。生きていられる道理などない。その肉体は瞬時に石化したかと思えば、バランスを失ったように崩れ去った。

 

「倒した……のよね?」

「ぐえっ!?」

「え?」

 

 屍を晒すのではなく石と化して果てるという、どこか神秘的で現実味のないバーンの最期にマァムは不安そうに呟き、そして後ろから聞こえてきた何かに潰されたような声に驚き振り向いた。

 そこには――

 

「レオナ! チウ! 老師も!! ……あ」

 

 バーンの魔力によって瞳とされていたはずの者たちが元の姿に戻っていたのだ。思わず歓喜の声を上げ、それに遅れて彼女たちの下敷きになっているポップの姿に気付いた。

 

「あだだだ……すまねぇけどよ、どいてくれないか姫さんたち」

「あっはは、ごめんね。でも結構良い座り心地よ」

 

 申し訳なさそうに言いながらレオナたちが移動すると、ポップも続いて立ち上がる。

 

「みんなが戻ったってことは……」

「ああ、バーンを倒したことで瞳から開放されたんだろうな。にしても驚いたぜ、突然元に戻ったかと思えば、避ける間もなく潰されて……」

「そうそう! 瞳の中からだけど、ちゃーんと見てたわよ! みんなの活躍を!!」

 

 閉じ込められていた仲間たちが帰ってきたことで、彼らはようやくバーンを倒したのだということを実感し始めいていた。

 

 一方。

 敗れ、石となったバーンの遺体。その胸元に規則的に並んだ四つの穴を見ながらアバンは感慨に耽っていた。

 

「ハドラー……助かりました。あなたがいなければ、私たちは全滅していてもおかしくはなかった」

 

 その穴は、かつての宿敵が命懸けで刻みつけた誇りの証である。だが、その穴を開けた腕はもうここには存在していない。

 バーンが倒れたのと時を同じくして、ボロボロと崩れ去り消えてしまったのだ。まるで、自分の役目はここまでだと言外に告げるように。

 

 

 

「や、やった……!!」

「むぅ……一時はどうなることかと思ったが……」

 

 そしてダイは、バーンが倒れたことでようやく力を抜いていた。それはバランも同じで、精根尽きたように息を吐き出しながらようやく剣を鞘へと納めていた。

 

「バラン様、それにダイ様も……随分とお疲れのようですが……」

「ああ、さすがにあの技はな。失敗が許されんなどいつもの事だったが、あれほどの相手に放つとなればその疲労は段違いだ」

 

 ラーハルトの言葉とはいえ、バランが素直に疲れを認めているのだから、この戦いがどれだけ過酷であったのかは改めて言うまでもないだろう。

 

「よかった……これでもう……」

 

 その光景に、チルノもようやく胸をなで下ろす。鬼眼王バーンとの戦いのダメージで全身が激痛に襲われているが、そんなことも気にならないほど心は弾んでいた。

 未だ竜の姿のままであるが、嬉しさの余り踊り出したくなるほどだ。尤も、今までの戦いで周囲はあちこちが砕けており、瓦礫の山寸前といった有様のため自重する。こんな巨体で動き回れば、今度こそこの大魔宮(バーンパレス)が崩壊しかねない。

 

 ほら、そんなことを考えている間にも、床の一部分が崩れ落ちた。

 

 ――え……?

 

 その光景を目にしたチルノの脳裏に疑問が過る。崩れたにしては何かがおかしい。

 

「まずい!! みんな離れ……!!」

 

 チルノが叫び終えるよりも早く、床石を下から突き破りながら何かが一斉に飛び出してきた。

 

「なんだこりゃ!?」

「悪魔の目玉のような触手か!? だが、これほど巨大なものは見たことがない!!」

 

 その正体を見てダイたちは誰何の声を上げる。見た目は生物のような様相をしており、クロコダインが口にしたように悪魔の目玉の触手に近いだろう。だが問題はその大きさだ。

 一本一本が、細い物でも大木の枝ほどある。大きい物になれば、人間の腰回りを優に超えるほどの太さだ。それらが幾重にも重なり合い、巨大な幹のようになりながら床下から生えてきているのだ。まるで城の中に突然樹林が生えてきたかのようだ。

 

「ごめんなさい!! 私のミスなの!!」

「どうした!?」

「謝罪は後だ!! 知っているのならまずは話せ!!」

 

 誰しもが度肝を抜かれている中、チルノだけが謝罪の言葉を口にする。その異質さに、何か原因を知っていると気付いたバランが先を促すように叫んだ。

 

「あれは大魔宮(バーンパレス)の心臓部、魔力炉の触手なの!!」

「魔力炉!?」

「よく分からんが、炉とはこうも動く物では無いだろう!! ましてや炉に触手などあるのか!?」

「バーンが作った生物と機械の合いの子みたいなものなの!! バーンの魔法力を動力にするんだけど、これは……」

「なるほど。代わりの魔法力を求めて手を伸ばしてきた、というところですかねぇ」

 

 アバンの言葉にチルノは小さく頷いた。

 

「このような厄介な物ならば、どうして言わなかった!!」

「……忘れてたの!!」

 

 バランの言葉に反論しつつも、チルノは自らの迂闊さを改めて呪う。

 本来の歴史では大破邪呪文(ミナカトール)の影響を受けてバーンの魔力供給が断たれたことで餓えに狂い、魔法力を求めて触手を伸ばしてきた。今回の場合もそれと似たように、バーンが討たれたことで供給が途切れた結果、同じようなことが起こったのだろうと思っていた。

 だが事態はもう少しだけ異質だったらしい。

 

「ああっ!! 触手が!!」

「バーンの遺体を奪っていく……だと?」

 

 伸び出る触手たちは石となり四散していたバーンの肉体を絡め取ったかと思えばると、瞬く間に引き摺り込んでいく。まるで獲物を巣穴へと持ち帰るかのようだ。

 

「なるほど。魔法力の源である鬼眼は切り裂かれ、バーン本体も死にました。ですがそれでも、まだ莫大な力の残滓があっておかしくはありません。アレが魔力炉であるならば、真っ先に狙うのも当然ですね」

 

 その光景をアバンは冷静に分析していた。

 大半を使い切り、肉体が死してなお、並々ならぬ魔法力を宿していたとしても決して不思議ではないだろう。空腹ならばこそ、最も食べ応えのある物を狙うというのも、自然なことに思える。

 だが、対象があのバーンだ。ただ"腹が減った"という理由だけではない、別の理由があるようにも見えてしまい、アバンは眉根を寄せる。

 

「それとも敵討ちでもしようとしている? まさか、バーンの遺志でも感じ取りましたかね?」

「先生!! 呑気なこと言ってる場合じゃありませんよ!! それって要は、魔法力が強いのを無差別に狙うってことでしょうが!! それに、バーンの魔法力を奪うって事は……」

 

 ポップの危惧を後押しするように、床を突き破って更に触手が飛び出してきた。その勢いは最初のそれよりも遥かに強く、そして速く動き、チルノの肉体を絡め取った。

 

「うぐっ!!」

「姉ちゃん!!」

 

 なんとか踏ん張ろうとするものの、引き摺り込む力も強い。おまけに幾本もの触手が床を突き破ったことで耐久力の限界を迎えたらしく、足下が不安定で思うように身体を支えられない。

 

「引き千切れんのか!?」

「む、り……もう力が……残って……」

「くそっ! 離せえぇっ!!」

 

 剣を手にダイが触手を切り離そうと動くが、少しだけ遅かった。

 引っ張り合いに敗れたチルノは姿勢を大きく崩して前のめりに倒れる。同時に、抵抗のなくなった獲物を逃がすまいと触手は更に引き込む力を強める。その結果――

 

「うあぁっ!!」

 

 遂に床が崩れ落ちた。

 破壊されたことで生まれた大量の土砂と瓦礫を供としながら、チルノは地の底目掛けて落下していく。

 

「姉ちゃん!!」

 

 その後を何の躊躇いもなくダイは追う。

 

「ダイッ!!」

「ディーノ!!」

 

 バランたちが声を上げるが、既に遅かった。底の見えぬ穴。その奥底目掛けて、既にダイはその身を躍らせていた。

 後を追うようにバランも飛び込もうとするが、それは叶わなかった。バランたちの行く手を遮るように、無数の触手が立ち上ってきていた。

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 

飛翔呪文(トベルーラ)

 

 穴の中は真っ暗かと思いきや、それも一時のことだった。どこかに光源があるのか、意外にも外と変わらぬほどの明るさを誇っており、周囲の様子も観察できるほどだ。

 チルノを追って後先考えずに穴の中へと飛び込んだダイであったが、この明かりを見てどうやら冷静さは取り戻したらしく、適当な高さまで降りたところで飛翔の呪文を唱えて落下速度をコントロールしながら穴の底へと向かう。

 

「なんだこれはっ!?」

 

 やがて、底へと辿り着いたダイは驚きの声を上げていた。

 そこにいたのは巨大なシャンデリアのような生き物だった。いや生き物というべきか怪物(モンスター)と呼ぶべきなのか。ロモスの中庭よりももっと広いであろう空間に、複数本の根のような触手を生やしている。

 本体と呼ぶべき部分からは天上に向けて幾本もの触手を伸ばしており、その内の幾つかは竜の姿のチルノを掴み、引き摺り込もうとしていた。尤もチルノも翼を羽ばたかせてどうにか抵抗をしているものの、残り少ない力を振り絞っての行動のようだ。

 そうして抗うチルノの姿を、本体から覗く巨大な単眼がギョロリと睨んでいる。

 

 また、少し視線を動かせば先に動いた触手がバーンの遺体を包み込み、吸収していく様子が見えた。

 このまま放置していればやがてはチルノも同じ目に遭うかも知れない。そう考えて身震いする。そして最後に――

 

「ム~ン!! 止まらないム~ン!!」

「なんだコイツ!?」

 

 魔力炉から離れた位置にいる不可思議な怪物(モンスター)の姿をも目にしていた。

 丸形の太鼓の上に鬼の上半身をつけたような姿をしており、なにやら焦りながらも必死で自身の下半身たる太鼓を叩いている。

 

「いや、それよりも!!」

 

 ボォンボォンとどこか気の抜ける音を鳴らし続けるその様子に一瞬意識を奪われたものの、すぐさま気を取り直すと姉を助けるべく剣を振るった。

 

「海波斬!」

 

 狙うはチルノを掴む触手、そしてその奥にいる魔力炉本体もだ。

 それらをまとめて攻撃するようにして放たれた最速の剣閃は、まず触手を数本まとめて切断してみせた。なおも剣閃の勢いは衰えず、魔力炉本体にも襲い掛かる。

 だが直撃する直前、その攻撃は弾かれた。

 

「なんだ!? 見えないバリヤーみたいなのが!!」

 

 予想外の結果に舌打ちするダイであったが、とりあえず姉を助けるという当初の目的は果たせた。チルノはすぐさまその場から離れながれ礼を口にし、反対に太鼓男は抗議の声を上げる。

 

「たすかったわ……ありがとうダイ……」

「お前!! 何をするんだム~ン!!」

「姉ちゃん大丈夫!? それとコイツ誰なの?」

 

 チルノを追って移動すると、ダイは見知らぬ太鼓男について尋ねる。

 

「そいつは、えーと、何とかって名前のここの管理人よ」

「なななななんで竜がワシの事を知ってるんだム~ン!? あと、名前はドラムーンのゴロアだム~ン……」

 

 魔力炉のことすら直前まで忘れていたのだ。役割を思いだせただけでも立派な物だろう。そして当のゴロアは、何故自分のことが知られているのかという驚きと、名前を知られていない悲しみに少しだけ涙していた。

 

「管理人? じゃあお前、これはどういうことなんだ!!」

「しし知らないんだム~ン!! ただ、この暴走はただ事じゃないム~ン!! さっきも上の方で凄まじい音がしていて、怖かったんだム~ン!! それが止んだと思ったら、気がついたらこうなっていたんだム~ン!!」

 

 チルノの説明を聞いた途端、ダイはゴロアへと食って掛かる。だが返ってきたのはなんとも頼りない言葉だった。

 

「止められないのか!?」

「止まらないんだム~ン! さっきから頑張っているんだけれど、全然駄目なんだム~ン!!」

 

 そう言いながら腹の太鼓を何度も鳴らす。ふざけているようにしか見えないが、太鼓を鳴らすことで重力波を操り魔力炉を制御しているのだ。だが魔力炉の勢いの方がよほど強く、どれだけ重力波を発生させても止まる気配すら見えなかった。

 

「そんな……」

「これじゃあバーン様に怒られるんだム~ン!!」

「……え?」

 

 一縷の望みを賭けて尋ねるも、それもまた不可能と言われる。消沈しかけたダイの心であったが、聞き捨てならないゴロアの言葉に思わず顔を上げた。

 

「お前知らないのか? バーンはもうおれたちが倒したぞ」

「ええっ!! う、嘘を言うなム~ン! バーン様がお前如きに負けるわけがないム~ン!!」

「嘘じゃない! あれが証拠だ!!」

 

 そう言いながらダイは触手が集まっている部分を指さす。既に大半は吸収されているものの奇跡的にも頭部はまだ途中であり、触手が絡まる直前だった。尤もそういった直後に巻き付かれ見えなくなってしまったが。

 

「あれって……あの石像かム~ン?」

「そうだ! あの額の部分に魔族の姿があっただろう? あれがバーンだ!」

「馬鹿を言うなム~ン!! バーン様はもっとお年を召しているム~ン!! あんな姿じゃないム~ン!!」

「ああもう!!」

 

 話の通じなさに、ダイは思わず頭を抱えた。

 確かにバーンが若さを分離したのは最高機密であり、知っているのはミストバーンのみ。ゴロアが知らぬのも無理はないだろうが、この言い方から察するにバーンとの戦いを全く見ていない――どころか、戦いが起こっていたことすら知らなかったようだ。

 

「オ……オオオオオォォォォォッ!!」

「ヒイイッッ!! な、なんなんだム~ン……」

 

 魔力炉の方から悲鳴とも雄叫びともつかない、なんとも(おぞ)ましい声が響いた。その声を耳にしたゴロアは身を竦め、ダイたちは身構えながら声の出所に視線を向ける。

 

「ひ、ひえええぇぇっ!! ム~ンム~ン!!」

「うっ……」

 

 そこで目にしたのは、この世の物とは思えない光景だった。魔力炉に巨大な瘤が生まれ、激しく脈動を繰り返している。さながら赤子が母親の胎内から無理矢理外に出ようとしているような光景に、チルノは思わず吐き気を催していた。

 

「バーン……」

 

 外に出ようと脈動する度に、内側で暴れる者の姿が魔力炉の側面に浮かび上がる。その姿を見ながらダイは恐ろしげに呟いた。

 

「まるで亡霊になって甦ったみたいだ……先生が言っていた敵討ちっていうのも、案外間違ってないのかもしれない……」

「バーンを取り込んだはずが、逆に乗っ取られた。そんなところかしらね……」

 

 無数の触手に絡まれ吸収されたはずのバーンであったが、こうして生きていた――いや、生きているはずがない。自我すら持たず、取り込んだ遺体に残っていた妄執だけが歪に発露しているといったところだろう。

 その証拠に脈動の際に現れる姿は、時に若い姿をした真・大魔王バーンであり、時に年老いた姿の大魔王バーンとなり、時に鬼眼王バーンの姿となる。そうやって幾つかの姿を使い分けているのは、自己の姿の認識すら曖昧な証拠。意志と呼べるほどのものがあるかすら怪しい。

 

「あ、あの姿……ひょっとして、ホントにバーン様のなのかム~ン?」

「さっきからそう言ってるだろ!! バーンが取り込まれたんだ!」

「ならワシは逃げるんだム~ン!! 魔力炉を壊したらバーン様に怒られるけれど、もういないなら怒られないんだム~ン!!」

 

 現れた姿の内の一つ、老いたバーンの顔を見てようやく納得したらしい。ゴロアはならばもう用はないとばかりに身を翻して逃げだそうとした。

 

「ムムン!?」

 

 だが背を向けたゴロアに向けて一本の触手が走った。それは一瞬にしてゴロアの胸を貫き、その身体へと巻き付くとゆっくりと持ち上げる。

 

「うわ……」

「止めるんだム~ン!! 離せム~ン!! ム……」

 

 触手は魔力炉の元へと戻ると、それが当然のことのようにあっさりとゴロアを包み込み、そして吸収してしまった。一応は味方のハズの相手を真っ先に狙ったその行動に、再びチルノは絶句する。

 

「見境無し……それとも、目の前の餌は逃がさないってところ?」

「感心している場合じゃないよ姉ちゃん! なんとかしないと! 知っているなら、何か手はないの!?」

 

 既に触手の何本かはチルノへと狙いを定めている。だが未だに行動を起こさないのはダイだ殺気を放って牽制しているに過ぎず、その牽制も相手が本気なれば無意味になるだろう。チルノは記憶を引っ張り出しながらダイの疑問に答える。

 

「たしかコイツは、双竜紋(そうりゅうもん)を発動させた竜闘気砲呪文(ドルオーラ)で倒したはず……」

「え!? そんなのおれじゃ無理だよ! 竜闘気砲呪文(ドルオーラ)は父さんでないと!!」

「でもそのくらいの一撃でないと……」

 

 口論を続けようとする姉弟であったが、それを遮るように魔力炉が鳴き声を上げた。

 

「ヴァアアアアアァァッッ!!」

「う……こ、これは……」

「なんて魔法力……」

 

 その絶叫に二人は思わず耳を塞ぐ。バーンを取り込んだ影響だろう、凄まじい程の魔法力が立ち上り、魔力炉は更に膨れ上がっていた。それはパンパンに膨らんだ風船をチルノに想起させる。

 

「あれだけの魔法力……姉ちゃん、どうすると思う?」

「私たちを倒すために撃ち出す、ならまだマシかもね」

「マシって……?」

「あの魔力炉が耐えきれないかもしれない。そうなったら、この辺り一帯を巻き込んで全部吹っ飛ぶと思う」

 

 炉として利用している以上、耐えきって撃ち出す可能性もあるだろう。だが問題はそこではない。攻撃に成功しても、失敗して自爆したとしても、そうなれば周囲一帯に巨大な被害を起こしてしまう。

 フローラたちに伝えて逃げ切るだけの時間はないだろうし、自爆された場合は最悪、せっかく止めたはずの黒の核晶(コア)が誘爆しかねない。

 

「ええっ!! じゃあ早く倒さないと!!」

 

 最悪の未来を伝えられ、ダイはさらに焦りを見せる。そんなダイを急かすかのように、今まで様子見をしていた触手が攻撃を始めた。

 

「うわっ! このっ! 来るなッ!!」

「攻めてきたってことは、どうやら時間もそんなに残ってないみたいね……竜闘気砲呪文(ドルオーラ)が駄目なら魔法剣は!? 雷撃呪文(ギガデイン)は使えない!?」

「ううん、無理……もう魔法力がロクに残ってなくて……」

 

 剣を手に攻撃を切り払いながら、申し訳なさそうにそう返す。すでにバーンとの戦いで余力は空っぽに近く、魔法力を回復させようにも落下してきたのでシルバーフェザーも手元にはない。ましてや取りに戻るなど論外だ。

 悩むダイであったが、何かを閃いたように顔を上げる。

 

「そうだ姉ちゃん! おれと父さんが攻撃する前にやったあの攻撃! あれ、まだできる!?」

「メガフレアのこと? 出来なくはないけれど……」

「じゃあやって!」

 

 力強く口にする弟の姿に、チルノは何をするのか思い当たった。

 

「……まさか、あれを魔法剣に……?」

「大丈夫! 姉ちゃんを信じてるから!!」

 

 そんな一度も試したことのない合体技をこの土壇場で成功させられるなど、とても思えない。だが一切の迷いなく断言するダイの姿に、チルノもまた覚悟を決めて頷いた。

 

「……わかったわ。ただ、五秒だけ時間を稼いで。その間だけ無防備になるから守って頂戴!」

「任せて! 姉ちゃんには指一本触れさせない!!」

 

 そう言うが早いか、ダイは張り切って護衛につく。そんな弟の背中を頼りに思いながら、チルノは大きく息を吸い込んだ。

 

 ――5

 

 迫り来る触手を一本残らず切り払いながら、ダイはひたすらチルノのことを守り続けた。幸いにも攻撃は単調であり、肉体的には限界が近いがまだ対応できる。

 

 ――4

 

 だが対応できるという慢心が原因か、一本の触手を逃してしまう。悔恨の声を上げるものの勢いは止まらず、チルノの首に巻き付いた。だが次の瞬間にダイは切り落としてみせた。

 

 ――3

 

 一本の触手が絡みついてもチルノは微動だにすることなく力を集中させていた。圧倒的な破壊のエネルギーを蓄積、凝縮させていく。その姿を見ながら、攻撃に転じるためにはそろそろ動かねばと考え、ダイは前に出る。

 

 ――2

 

 前に出た途端、攻撃の余裕が一気になくなった。後ろで引き付けている時よりも攻撃の密度が段違いだ。それに加えて、先ほど一本攻撃を見逃してしまったことが思った以上にダイの心を追い詰めていたらしい。

 もうこれ以上失敗はしないとダイは歯を食いしばる。

 

 ――1

 

 チルノが蓄え続けたエネルギーの高まりを感覚で理解する。なるほど時間を稼げと言った意味を良く理解しながら、攻撃に転じるだけの時間を稼ぐためにダイは大きく剣を振り攻撃を一気に散らした。

 

「行くよ! 【ギガフレア】!!」

 

 たっぷり五秒を使い、その全ての時間を攻撃のみに利用する。一度鬼眼王に使った時よりも蓄積のための秒数が多く、加えて防御どころか思考すら捨て本能の赴くまま、身体に任せて放った一撃は、メガフレアの破壊力を優に超えていた。

 光弾は更なる破壊の力が込められているかのように怪しく光り、魔力炉へと向けて一直線に向かう。

 

「うおおおおぉぉっっ!!」

 

 その光弾をライデインストラッシュなどと同じように剣で受け止め、自らの闘気と合わせて一気に増幅させた。

 本来ならば自らが放った呪文でなければ魔法剣としては扱えない。だがダイは、まるで当然のことのようにギガフレアの一撃を受け止め魔法剣を完成させてみせた。

 それ言うなれば絆の力。二人で共に過ごした時間が何も言わずとも互いを理解し合っているからだ。

 

「喰らえバーン!! アバンストラッシュ!!」

「ギ、ギイイイイィィィッ!!」

 

 ギガフレアを受け止め、アバンストラッシュで放つ。ダイはアバンストラッシュと叫んだが、これまでの命名規則に従えば、これもギガストラッシュと呼べるだろう。

 ギガフレアのエネルギーはストラッシュの力を借りて指向性を持ち、一直線に魔力炉へと向かう。慌てて迎撃しようにももはや絶対には間に合わない。

 ギガストラッシュの一撃は魔力炉全てを飲み込み、その全てを消滅させながら天へと消えていった。

 

 




「ギガフレア」と「アバンストラッシュ」を合体させることで、これがホントの「ギガストラッシュ」です!
……などと。

え? バハムートは「メガフレア」だから「メガストラッシュ」ではないのか?
……ちょっと何言ってるかわからないです。

だって技名がメガじゃ型落ち感が半端なくて……
(私が謙虚なナイトなら「ギガ=雷、メガ=強い、だからメガの方が強い」って感じで押し切れるんですが)
あと「メガストラッシュ」だと爽快感が売りの目薬みたい。

……これでやりたいネタは全部やったはず。


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LEVEL:122 奇跡の大脱出

後はイベントシーンだけ。
コントローラーから手を離して鑑賞モード状態でOKです。



「やっ……た……」

 

 肩で息をしながら、ダイは会心の手応えを感じていた。つい先ほどまで漂っていた凄惨なまでの怨念も膨大な魔法力も、もはやその一切が影も形も感じられない。あれほどまでに暴れていたはずの魔力炉すら跡形もなく消え去っている。

 それはつまり、バーンの完全な消滅を意味していた。

 

「さようなら……バーン……」

 

 今際の際の言葉もなければ、最期を看取った者もいない。まるで煙が消えるように死んでいった大魔王へ若干の哀悼を表しながらそう口にする。

 

「はは……でも、勝ったんだ……」

 

 精根尽き果てたようにダイはその場に座り込んだ。同時に疲労感がドッと押し寄せて来て、指一本動かすのも面倒なくらいだ。それでもダイは自らの身体に鞭を入れ、剣を掲げる。

 

「へへ……」

 

 超硬度を誇るオリハルコンで作られ、この世で最強の剣と言われたダイの剣だが、今やその姿はボロボロになり、すぐにでも砕け散りそうなほど無残になっていた。

 鬼眼王バーンという超防御力を持つ者へのギガストラッシュに加え、そこから間を置かずにチルノとのギガフレアストラッシュ――紛らわしいので、ギガフレアストラッシュと命名しておく――まで放ったのだ。

 限界などとっくに超えている。ギガフレアストラッシュのエネルギーを受け止められたことすら奇跡に近い。

 

「おれの無茶に付き合ってくれてありがとう。おかげで姉ちゃんを守れたよ」

 

 最大限の感謝を込めながら、ダイは剣を鞘へと大事に収めた。

 

 そしてダイが限界だったということは、チルノもまた限界だったということだ。肉体の疲労も魔法力も限界に達し、竜の姿を保つことすら出来なくなった。彼女は人間の姿へと戻りながら床へ倒れ込んだ。

 

「姉ちゃん!」

 

 チルノが倒れ込んだ際の音を耳にしたダイは慌ててチルノの方を向き、そして――

 

「うわわわわっ……!!」

 

 ――慌てて横を向いた。

 

 お忘れかも知れないが、トランスによって竜の姿へと変じた際に着ていた服は全て吹き飛んでしまう。そしてそのまま元に戻るのだ。当然服など身につけているはずもない。

 予期せず一糸まとわぬ姿の姉を目にしたダイはすぐに視線を切った――訂正、顔は外を向いているが、視界の端ギリギリで見てはいた。

 

 これは何かあった時にすぐに動けるように様子を把握するためで、チルノの裸を見たいからではない。決してない。ないったらない。

 

「ね、姉ちゃん、大丈夫? 生きてる?」

「ダイ……? うん、なんとか……全身が、すごく、痛いけれど……」

 

 そう話す声はダイから聞いても辛そうだった。

 大魔法の連発に召喚術の維持、極めつきに巨竜へ変身して鬼眼王バーンとの肉弾戦だ。疲れない方がおかしい。その上、(ドラゴン)の騎士ですら苦戦した相手と真っ向から殴り合ったおかげで、今まででも一番ダメージを受けている。

 片腕は骨が折れているのかまともに動かせず、顔も殴られている。さらに、竜から戻った際のショックが影響しているのか、全身に力が入らない。上半身を起こすどころか顔を上げることすら困難なほどだ。

 

「と、とりあえずこれ着て!」

 

 ダイは慌てて上着を脱ぐと、チルノへと手渡す。斜め横を向き、精一杯手を伸ばしながら上着を渡そうとする。

 

「ありがと」

 

 ――でもこれ、入るかな?

 

 上背はダイよりもチルノの方が少しだけだが大きいし、胸のサイズがあるから着るのは無理かもしれない。とはいえ、そんな風に必死に気遣う弟の姿を姉はクスッと笑いながらそれを受け取ろうと手を伸ばした。

 

「いたたたた!!」

「姉ちゃ……あ……!」

 

 途端、腕から走った激痛に悲鳴を上げてしまった。なにしろ大怪我をした片腕で受け取ろうとしたのだ、そりゃ痛いわけである。

 おまけにダイがすぐに反応したかと思えば、見てしまったことの後悔と手助けしたいという気持ちの板挟みで動けなくなり、結果的に凝視してしまう。

 

「だ、大丈夫、気にしないから……それに今さら恥ずかしがるような関係でもないでしょう?」

「う……うん……」

 

 痛みを堪えながら、チルノは改めて比較的無事な方の腕で上着と受け取ると努めて平静に口にする。とはいえ耳まで真っ赤に染めていたが。

 一方、とりあえずタオルの代わりのように上着で胸元を隠している姉の様子を見ながら、ダイも生返事する。どうしたものかと所在なさげに瞬きを連発するのが精一杯だった。

 

「ダイーッ!! チルノーッ!! 生きているかー!?」

 

 と、そこへ文字通り天からの助けがやって来た。上の方からポップの大声が反響して聞こえ、ダイは助かったとばかりに上を向き、負けないくらいの声で返す。

 

「生きてるよーっ!!」

 

 場所が広いためぐわんぐわんと反響して響く音に若干顔を顰めながらも叫んだ甲斐があったらしく、その声は無事上まで届いたようだ。続けてバランの声が聞こえて来る。

 

「ディーノ!! チルノ!! 無事か!!」

「だいじょうぶ!!」

 

 ――そんな感じで、上と下とで大声でのやりとりを続ける。

 上としては「それまで襲い掛かってきていた触手が急に倒れて、同時に下から凄いエネルギーが放たれた。ダイたちの仕業だろうと思い、声を掛けた」とのこと。対して下からは「バーンは倒した。二人ともボロボロだけど、生きている」ということまで伝えた。

 どちらもお互いに無事であることを確認できたため、交わす声はどんどん明るくなっていった。

 そして締めとばかりに――

 

「少し待っていろ! すぐにそちらへ……むっ!?」

 

 バランがそう言い掛けたときだ。突然、言葉を遮るように大魔宮(バーンパレス)全体が大きく揺れた。同時に壁と言わず床と言わずに亀裂が走ったかと思えば、瞬く間に崩れ落ちる。大小無数の瓦礫がまるで雨のように降り注ぎ、周囲の様相を瞬時にして塗り替えていく。

 大魔宮(バーンパレス)そのものが崩壊していた。

 極大消滅呪文(メドローア)を初めとした極大の呪文が幾度も放たれ、その度に大穴を開ける。(ドラゴン)の騎士たちと大魔王の戦いは余波だけでも容易に周囲を砕き、鬼眼王と竜王との戦いでそれは限界を超える。そればかりか、ダメ押しとばかりに魔力炉を最大威力を持つ技で葬ったのだ。

 オリハルコンすらボロボロになる激戦に、城が耐えられるはずもない。

 

「逃……ディ……」

 

 天井の砕ける音に紛れて、上からそんな声が微かに聞こえてきた。

 

「何とか逃げるから! 父さんたちも逃げて!!」

 

 ダイはそう怒鳴り返すと身を翻した。

 次々に降ってくる瓦礫から逃れながら未だ倒れたままの姉の元へと向かうと、彼女を横抱き――いわゆるお姫様抱っこで抱え上げる。

 

「……っ!」

「痛いだろうけれど、もうちょっとだけ我慢してて」

「……うん」

 

 回復呪文の一つでも唱えたいところだが、今はその時間すら惜しい。こうしている間にも土砂と瓦礫に押し潰されかねない。

 腕の中から聞こえてきた小さな悲鳴に向けて申し訳なさそうにそう返す。頷くチルノの反応を確認してから、ダイは呪文を唱えた。

 

瞬間移動呪文(ルーラ)!!」

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

 

 ――しかし MPが たりない!

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

「え……う、嘘だろ!?」

 

 そう言うが、現実が変わることはない。

 何しろ雷撃呪文(ギガデイン)に始まり、ギガフレアストラッシュで魔法力を大幅に使っている。魔力炉の元まで降りてくるのに飛翔呪文(トベルーラ)だって使っている。並みの魔法使いがこれだけの呪文を使えば死んでいても不思議ではない。

 瞬間移動呪文(ルーラ)を使うだけの魔法力などとっくに使い果たしていた。

 

「くそっ……どうすれば……」

 

 肉体の疲弊に加えて魔法力不足でクラクラする頭に苦しめられながらも、ダイは必死で考えていた。

 頼みの綱だった瞬間移動呪文(ルーラ)での脱出はもはや不可能。姉を頼ろうにも、もはやそれほど魔法力がないのは腕の中で小さくなっているその姿を見れば一目瞭然だ。

 

「出口……! 出口はどこだ……!?」

「ダイ……」

 

 ならば走ってでも逃げ切ってやるとばかりにダイは出入り口を捜す。そんな弟の姿を見ながら、チルノもまともに働かない頭でどうにかしようと考えていたときだ。

 

 ――あれって……?

 

 不意に視界の端で何かが光った。

 

「ダイ……あれ……」

「え?」

 

 チルノが指さした方向へとダイたちは向かう。そこにあったのは卒業の証、アバンのしるしだった。

 

「これって……」

「私の、みたいね……」

 

 拾い上げるためにチルノを下ろしているため、チルノは膝に手を当ててバランスを取りながら立ち、ダイが拾い上げたそれを目にしていた。

 一目見るなり自分のものだと確信する。

 前述の通り、竜王バハムートへの変身をすると身に付けているものは耐えきれずに弾けてしまう。アバンのしるしもその例に漏れることはなかったようだ。首から外れ、魔力炉が開けた穴にでも落ちてここまで来た。そんなところか。

 ここまでならば、少々珍しくとも取り立てて驚く様なことではない。

 

 だが不思議なことに、吹き飛んだはずのアバンのしるしはどこも壊れていなかった。輝聖石には傷一つ付いておらず、鎖も千切れていない。誰かが事前に留め金を外さなければ、もしくは自ら留め金を外さなければ、こうはならないだろう。

 

「これ、姉ちゃんの剣も!!」

「え、うそ……!」

 

 続いてダイはガリアンソードを拾い上げる。それもまたアバンのしるしの近くに落ちており、チルノが光に気付かなければその存在に気付くことはなかった。

 

「そうだ! この剣なら!!」

「そうね、これなら……!」

 

 手にした剣の特異な性能を思い出し、ダイの脳裏に一つの可能性が浮かんだ。持ち主の意志に応じて自在に伸び縮みするこの剣をロープの様に扱えば、ここから抜け出せるかもしれない、と。

 チルノまた同じ事を考えたのだろう、同意の言葉を口にしたところで、はたと気付く。

 

「あなたが教えてくれたの……?」

 

 アバンのしるしを手にしながら尋ねる。だが当然、ペンダントは何も語ることはない。ただキラリと光っただけだ。そしてそれだけで充分だった。

 

「よし……もうひと頑張り……」

「駄目だよ! 今の姉ちゃんにそんなことさせられない!」

 

 力なく手を伸ばしガリアンソードを掴もうとするが、ダイがそれを拒否する。

 剣をロープのようにして脱出する以上、一人がもう一人を抱えるなり背負うなりして、二人分を支える必要がある。

 何しろ片腕がまともに動かなく、残った腕も力が上手く入らないのだ。立っていることすら辛い今のチルノには、とてもそんなことは任せられない。ダイが止めるのも当然だろう。

 

「でも!」

「おれがやる!」

 

 なおも食い下がろうとするその意見を封殺し、ダイはチルノを抱き寄せると片手でガリアンソードを握り、振るう。

 鞭のように伸びるよう願いながら振るったそれは、だが普通の剣のように虚しく空を斬っただけだった。

 

「そんな!!」

 

 ダイの剣がダイのためだけに生み出されたならば、ガリアンソードはチルノのために生み出された剣だ。持ち主以外が手にしても、その真価が発揮されない。いくらダイが(ドラゴン)の騎士であろうとも、これは覆らない。

 それを理解しているからこそチルノは無茶を承知で剣を取ろうとし、ダイは無理を承知で剣を取ったのだ。

 

「頼むよ! お前はおれのことを嫌いかもしれないけれど、でももうお前しかいないんだ! 今のおれの力じゃ姉ちゃんを守れない! だから……!」

 

 手にした剣に向けて、ダイは必死でそう懇願する。弟の姿を見ながらチルノは刀身に沿って指を這わせ、剣を慈しむように撫でる。

 

「お願い、ガリアンソード。今の私じゃ、あなたを使えないの……ダイを守れないの……今だけでいいから、力を貸してあげて……」

 

 その言葉に応えたかのように剣が動いた。刀身が幾つにも分かれ、ツタのように垂れ下がる。

 

「やった!」

「ありがとう……ごめんね、無理を言わせちゃって……」

 

 歓喜の声を上げるダイ。そしてチルノはもう一度だけ、剣を愛おしそうに撫でた。

 

「よしっ、しっかり掴まってて!!」

 

 離さないようにチルノを片手でしっかりと抱き締め直すと、ダイは剣を振るう。先端を伸ばしてまだ無事な壁に突き刺すと、そこから振り子のように移動する。いっぱいまで移動したら剣を抜き、再び同じよう別の壁へと突き刺して移動する。

 

 ――まるであの時みたいだ。

 

 子供の頃、デルムリン島で木に絡まったツタを使い、姉と一緒にこんな風に遊んでいたことがあった。

 ダイはそんな昔の事を思い出しながら大魔宮(バーンパレス)から脱出していった。

 

 




ターザンロープ代わりにされたガリアンソードさんは泣いていい。
(せっかく作った剣なのにイマイチ活躍の場がなかったので最後にちょっと出番を。二人がお互いを守るって言ってるのに心動かされた、みたいなイメージ)

感想で「ギガフレアストラッシュで良いのでは?」と突っ込まれました。
確かにその通りでした。何故気付かなかった私。多謝。
早速使わせていただきました(以降の出番はがあるとは言っていない)


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LEVEL:END そして世界は続いていく

やっと……やっとブラウザから、ドラクエ辞典とFF辞典のページを閉じられる……
資料用に買ったパーフェクトブックも付箋を外せる……
この三つには足を向けて眠れません。



「見えたッ!!」

 

 壁や天井を足場として何度移動を繰り返しただろうか。崩れゆく大魔宮(バーンパレス)の中、いつ建物全体が崩落するかの恐怖に襲われながらのそれにも、ようやく終わりが見えた。

 ようやく見えた外の景色にダイは小さく叫ぶと、最後の移動とばかりにガリアンソードの剣先を外壁に突き刺し、一気に外へ――そのまま地面へと降り立った。

 

「……やった!!」

 

 剣を巧みに操ることで勢いを殺しているとはいえ、人を一人抱えての移動は今のダイには想像上に大変だった。上手く着地できたのも奇跡のようなものだろう。竜の神の加護か、はたまた剣がそれとなく力を貸してくれたのか。

 

「やったよ! 姉ちゃん!!」

「うん……!」

 

 とあれダイは無事に脱出できたことを素直に喜んでいた。続いて腕の中の姉の様子を確認する。移動の衝撃で痛むのだろう、苦しそうな顔をしていたが命に別状はないようだ。

 ダイたちが脱出し終えた頃、大魔宮(バーンパレス)もまた限界だったらしい。天魔の塔と呼ばれる中心部までもが音を立てて崩れていく。地鳴りのような音と身を震わせるほどの地響きが、どれだけの衝撃を持っていたのか如実に語っていた。

 

「バーンの城が!」

「もうちょっと遅かったら、下敷きになってたのかもね……」

「そうだね。危なかった……」

 

 あり得たかも知れない結末を想像したのだろう。ダイよりも細い腕で彼に必死にしがみつく姉を、ダイは落ち着くように抱き締める。

 

「ありがとう……私の勇者様……」

 

 その心遣いを感じ取り、チルノはダイの頬にキスをした。

 

 

 

 

 

 大魔宮(バーンパレス)の外では、バランら突入組とフローラを初めとした支援組が既に無事、合流を果たしていた。命からがらではあったが崩れゆく居城から全員が――ダイとチルノを除く――脱出に成功していた。

 

「アバン! それに皆さんも!! よくぞご無事で……」

「ええ、フローラ……確かに我々は戻ってくる事が出来ました……ですが……」

「何か――」

 

 事情を知らぬフローラの言葉にアバンが歯切れ悪く応じる。

 てっきり無事に生還してきたことを喜び合うと思っていたところで沈んだ反応に、何かあったのか尋ねようとする。だが、フローラがそれを言い切るよりも早くバランの声が響いた。

 

「ディーノを助けに行く!」

「待て待て! 助けに行くのは賛成だけど、どこを探す気だよ?」

「どこでも構わん!」

 

 突入組と待機組が再開したかと思えば、一息つく暇もなく再び出発しようとするバランを、ポップたちが必死で止める。凄まじい剣幕と怒鳴るような言葉からは、フローラでなくとも何があったのかは容易に理解できた。

 

「そんな……まさか!」

「ええ、ダイとチルノの二人とはぐれてしまい、未だ見つかっていません」

 

 最後の時に何が起きたのかをサッと要点のみをアバンが説明すると、一瞬立ちくらみを起こしたようにフローラは額を抑えた。だが、それも一瞬のこと。すぐに立ち直ると近くにいた騎士たちに厳命を下す。

 

「すぐに捜索隊を編制します! 草の根わけてでも二人を探しなさい!!」

「「「はっ!!」」」

 

 乱れのない声が響く。瞬時に対応してみせたフローラとカール騎士たちの様子を、アバンは実に頼もしそうに見ていた。

 

「バラン様、お伴いたします」

「すまんなラーハルト。いざとなればこの瓦礫の山全てを粉微塵にしてでも――」

 

 一方、静止の声を押し切ったバランにラーハルトが加わった。二人はもはや残骸と化した大魔宮(バーンパレス)を睨み付ける。言葉通り、持てる力の全てを使い視界に映ったものを灰燼と変えそうな勢いだ。

 だが結局、その気勢は徒労に終わる。

 

「そこまで頑張らなくても大丈夫だよ、父さん」

「チルノさん!!」

「ディーノ!!」

「ダイ!!」

「「「勇者殿!!」」」

 

 ダイとチルノが姿を現した。

 互いが互いに身体を寄せ、支え合うようにしながらゆっくりと歩いてくる。辛そうな表情と疲れ切った声からは、少し動くだけでも大変そうだ。ダイたちの登場にバランが、ポップが、マァムがレオナがヒュンケルがメルルが、その場にいた全ての人間が歓迎するように駆け寄っていく。

 

「ピィッ!!」

「ピィ~ッ!!」

 

 その集団の先頭を行くのは、意外にもメルルだった。予知していたのか真っ先に駆け寄り、彼女が抱えるスラリンとゴメちゃんもまた、遅い帰還に嬉しそうな鳴き声を上げる。

 

「って!! ちょっと待った!! チルノ、どうしたのその格好!?」

 

 だが全員が駆け寄るその途中で、レオナが大声を上げて足を止めた。二人の格好に気付いたからだ。ダイの上半身が裸なのはまだいい。問題はチルノである。

 彼女は服も靴も身に付けておらず、ダイから受け取った上着を身体に当てて、肌を最低限隠しているだけだ。とても頼りなく、少しでも強い風が吹けば、たちまちその下までが露わになってしまうだろう。

 ダイたち二人の奇跡の生還という事象に酔いしれて、この格好に気付かなかったのは大きな落ち度だった。とはいえ他の全員も同じだったらしく、全員がチルノの姿に気付くや否や自然と足を止めて所在なさげに目を逸らす。

 

「ほら男たちは足を止める!! それとこっちを見ない!!」

「全員! 良しと言うまで後ろを向いていなさい!!」

 

 その点、女王二人は大したものだ。レオナとフローラの命に従い殆どの者が後ろを向く。残ったのは女性たちだけである。

 

「ど、どうしましょうか。何か代わりになる服を……わ、私の服を!」

「落ち着いてメルル! それよりもあたしのマントならまだマシでしょう? これを羽織れば……あ、でもこれじゃあ大きさが足りないわね」

「予備の装備の中に、鎧下か何かがあったはずです。とりあえずは、それで間に合わせましょう」

「私、取ってきます!!」

 

 フローラの言葉を聞き、マリンが動く。メルルは自分の身体を盾にするようにしてチルノの事を隠そうとする。その少し離れた所では、大勢の男たちが後ろを向いて聞き耳を立てているという、なんともシュールな光景であった。

 

「……なんだか、前にもこんなことあったわね」

 

 大魔王を倒した後とは思えない混沌とした状況にレオナは思わず呟く。

 

「ねえ、チルノってひょっとして脱ぎ癖とか、そういう趣味があるの?」

「あはは……」

 

 不名誉極まりないレオナの言葉に、チルノは曖昧に笑うのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

「ダイ、チルノ。よく無事で戻ってきてくれました」

 

 チルノの着替えが済んだところで、仕切り直しとばかりに一つ咳払いをしてからフローラが口を開く。何事もなかったかのように平然としたその姿は、伊達にアバンで鍛えられてはいないようだ。

 

「それで、大魔王バーンは?」

「はい! おれたちで倒しました!!」

 

 はっきりとしたダイの言葉に、周囲からは「おおっ!」という歓声が上がる。耳にした全員の顔にはっきりと喜色が浮かび、逸る気持ちを抑えきれないと言った様子で身を乗り出していた。

 

「なるほど」

 

 フローラは一言そう頷くと、やがて厳かに口を開いた。

 

「ではここに、僭越ながらカール王国女王フローラが宣言します。大魔王バーンとその部下たちは、勇者たちの手によって討たれました。地上は再び平和を取り戻したのです!」

 

 ――ワアアアアァァッッッ!!!!

 

 その言葉を聞いた途端、周囲から大歓声が湧き上がる。ある者は両手を天に掲げて喜びの声を叫び、またある者は隣の者たちと肩を組んで騒ぐ。ダイたち全員も囲まれ、それぞれが思い思いに、まるで洪水のように感謝の言葉を投げかけてくる。

 蜂の巣を突いたような大騒ぎであった。

 

「お疲れ様でした、チルノさん」

「ありがとメルル」

 

 そんな大喧騒を、チルノはスラリンを肩に乗せながら少し離れた場所から見ていた。疲労や怪我から座り込んでおり、彼女の傍らにはメルルが寄り添うようにして回復呪文を唱え続けている。

 チルノを着替えさせようとした際、彼女が大怪我をしていることがわかったため、まずは動かせる程度に回復を。着替え完了後には大事を取って休ませ、治療は継続させることとなった。

 ちなみにその際の治療役にはメルルが頑として譲らず、この為に覚えた回復呪文(ベホイミ)を嬉々として使っていた。

 

「とりあえずは終わったわね」

「とりあえず、ですか?」

「ピィ?」

「ええ」

 

 メルルの言葉に頷くが、まだその全てが終わったわけではない。

 

「後は、黒の核晶(コア)大魔宮(バーンパレス)の残骸よね。黒の核晶(コア)は残しておくとどんな火種になるかわからないし、残骸だってそう。地上にはない技術の集大成だもの。悪用しようと思えば幾らでもできるからね」

 

 楽しい気分に水を差すのを承知の上なので、声を低くして他の人には聞こえないよう注意しながらチルノは言う。また――これこそ大きな声では言えないが――魔界に残ったヴェルザーらが狙う可能性も考えられる。

 

「ふふふ、早速もう次の心配ですか?」

「フローラ様! アバン先生!!」

 

 話に夢中になっていて気付かなかったのだろう。アバンとフローラがチルノたちのところへ来ていた。慌てて立ち上がろうとする彼女をフローラは片手を上げて「そのままでいい」と伝える。

 

大魔宮(バーンパレス)の残骸については、いずれまた各国と協調して取り扱いを決めることにしましょう。それまでは各国で兵を出し合い厳重な管理を行えば、とりあえずは大丈夫でしょうね。問題は黒の核晶(コア)ですが……」

「黒の核晶(コア)ですが、凍らせていればある程度は問題ないと思いますよ」

 

 フローラの後を続けるようにアバンが口を開いた。

 

「本当ですかアバン?」

「ええ、勿論。私も少しは調べましたから。呪文の影響を受けると誘爆する恐れはありますが、物理的な衝撃では誤作動はしません。でなければ中央の塔が崩れた衝撃で爆発していてもおかしくないですからね」

「なるほど」

 

 アバンの言葉にチルノは唸らされた。確かに崩れた瓦礫の下敷きになり、黒の核晶(コア)が起爆する可能性は充分に考えられる。だが今になっても火の粉すら降らないのだから、今はまだ安全と考えて良いだろう。

 

「ああ、そうだな。大体合っているぞ」

 

 納得しているところに予想外の声が掛かる。

 

「ロン・ベルクさん? 一体どうしてここに?」

「騒がしいのも嫌いではないが、さすがにアレは喧しすぎてかなわん。逃げてきた」

 

 口ではそう悪ぶっているが、満更でもない表情を見せながらロン・ベルクは手にした酒瓶を軽く呷る。

 

「オレも詳細に知っているわけではないがな。アレはあくまで機械仕掛けだ、瓦礫が積もっても壊れるだけだろう」

 

 魔界の名工たるロン・ベルクのお墨付きを貰えたのだ。ならば当面は問題ないと、話を聞いていた者たちはアバンも含めて全員が胸をなで下ろす。

 

「あ! そういえば、ロン・ベルクさん。ダイの剣のことなんですけど」

「何かあったか?」

「戦いの影響で、ボロボロになっちゃって……」

 

 思い出し、先に謝っておこうとチルノはダイに代わって頭を下げる。だがそれを聞いたロン・ベルクは上機嫌を崩すことはなかった。

 

「だが、折れたわけでも柄が消滅したわけでもなかろう?」

「え、ええ」

「それに、バーンを倒したんだ。謝られる筋合いはないな」

 

 フッと鼻で笑うと、再び酒を呷る。

 

「どれ、オレの剣が最強と証明してくれたダイをいっちょ褒めてやるとするか」

 

 空になった酒瓶を手で弄びながら、ロン・ベルクは再び喧騒の輪の中に消えていった。

 

 ――オイ。

 

「?」

 

 ふと、突然聞こえた声にチルノは周囲を見渡す。

 

 ――黙っていたが、そろそろ良いだろう。オレたちとの契約を解け。

 

「ああ、ハドラーだったの。そうね、でも良いの? 最後のお別れくらいしてもいいじゃな……」

 

 ――構わん。オレたちがいては、邪魔になるだろう。

 

 自分の内側から聞こえてきたその声の主に気付きチルノがそう言っていると、アバンが過敏な反応を見せた。

 

「なっ、ハドラーですか!? ですが、大魔王との戦いを終えて消えたはず……生きているのですか!?」

「生きているというか、再召喚が出来るので……呼びますか?」

「是非!」

 

 がっつくようにそう言うと懐からシルバーフェザーを取り出し、チルノへと手渡す。受け取る方も慣れたもので、手にすると迷うことなく腕に刺し、魔法力を回復させる。

 

「【召喚】」

 

 ――よせ……っ!!

 

 慌てふためくハドラーの声を耳にしながら、チルノは召喚術を唱える。一瞬の後、そこにはハドラーとその親衛隊たちの姿があった。

 

「……よせと言っただろうが」

「ハドラー……」

 

 腕を組み、なんとも不機嫌な様子を隠そうともせずにハドラーが言う。同時に呼ばれた親衛騎団たちはどうしたものかと沈黙を貫いていた。

 だがアバンはもう会えないと思っていた相手との再開に心を躍らせる。その様子に根負けしたのだろう、ハドラーは面倒そうに口を開く。

 

「アバン、それに久しいなカールの王女……いや、もはや女王か」

「え、ええ……十五年振りですねハドラー」

 

 かつて、地上を征服しようとしていたハドラーとの面識もあるためそう返すフローラであったが、チルノが召喚魔法を使えることを知らぬため理解が追いつかず、目を白黒させていた。

 

「だが、これでもう用は済んだだろう? とっととオレたちとの契約を解け!」

「そんな! あなたたちもバーン打倒の立役者の一人でしょう!? せめて共に祝うくらいは……」

「くどい!」

 

 もはや語る言葉はないと、ハドラーはチルノを急かす。アバンはなおも引き留めようとするが、彼はそれを一言で切って捨てた。

 

「そもそもオレはお前たちの敵だった男だ。カールにはオレのことを未だ恐れている者もいるだろう。そこにオレが顔を出したところで、場をしらけさせるだけだ。契約を結び、召喚に応じたのもバーンという共通の敵がいたからこそだ。でなければ、オレたちがどうして共闘などしようか」

 

 バランは受け入れられたが、魔族である自分たちは違う。なにより未だハドラーのことを恐怖の象徴として目の敵にする者がいるかもしれない。共に闘ったのも、偶然の産物でしかない。そんな自分たちがあの場所に入っていくことなど出来ない。

 そう口にするハドラーであったが、それが彼なりの気遣いなのだということはアバンには――いや、誰の目にも明らかだった。

 

「何より、オレたちはもう死している身だ。死者がいつまでも残るものではない。大魔王を相手にあそこまで意地を見せたのだ。もはや思い残すこともない」

「わかり……ました……」

「ハドラー、詳しい事情はわかりませんが、あなたがアバンたちに力を貸してくれたことだけは理解しました。私からもお礼を言わせていただきます」

「……フン」

 

 アバンとフローラとハドラー。

 奇妙な縁によってまさかの再会を果たした彼らは、そう言葉を交わし合うことで別れの言葉とする。

 

「じゃあ、契約を解除するわね……」

 

 その言葉に、ハドラーたちはゆっくりと頷く。

 やがて、契約が解除されたことで解放されたのだろう。ハドラーとその親衛騎団たちは、ゆっくりと光の粒となって消えていく。

 アバンたちは瞬き一つすることなく、その光の粒の一つ一つまでを見つめていた。

 

「さて、それではアバン。私たちもそろそろ……」

「そうですね。もみくちゃにされてくるとしましょうか」

 

 そう言いながらフローラたちもまた、人の中に入っていく。そして――

 

「……良いんですか、行かなくて?」

「うん、今はいいの。もう少しだけ、この光景を目に焼き付けておきたいから……」

 

 

 

 

 

 ……これで旅も終わりかぁ。長かったような気もするけど、実はとんでもなく短かったんだよな。

 

 そうですね。ポップが私に弟子入りしていた期間よりもずっと短かったですよ。まったく、最初から本気で学んでいてくれれば、皆さんがどれだけ助かったことか……

 

 せ、先生! それは言わないお約束ってもんでしょ!?

 

 まあまあ。それよりもこれから先、みんなはどうするの?

 

 そうだな……オレは……

 

 ストーップ!! こういうのは、まずダイ君からでしょ!

 

 ええっ!! おれから!?

 

 当然でしょう? 世界を救った勇者様なんだから!

 

 それでダイ、本当にどうするの? 全てを捨ててデルムリン島に戻っても良いのよ?

 

 もう! からかわないでよ姉ちゃん!! ……えっと、その、おれは……オレは、チルノと父さんと、みんなと一緒に母さんの国を――

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 アルキード王国。

 

 かつて地図上から消滅したはずのこの国は、王女ソアラの子が生き延びていたことがわかり、名を新生アルキード王国と変えて再興を果たした。

 唯一王家の血を引く生き延びた息子ダイは、何もかも無くなった土地をアルキードの領地とし、そこから国を立て直していくことを宣言。各国の王や代表たちもそれを承認し、ダイは妻と共に国を栄えさせていく。

 

 この国には、ある一つの決まり事があった。

 

 それは人間・魔物・魔族であろうとも、助けを求め手を差し伸べられたのならばしっかりと握り返し、誤解なく相手を理解せよ。というもの。

 簡単な様に見えてなんとも難しいこの決まり事を、だがこの国に住まう者たちは常に心に留め、試行錯誤を伴いながら実践していく。

 

 もう二度と、かつてのアルキード王国のような悲しいすれ違いを繰り返さないために。

 

 




3年近く――そんなに時間掛けてたのか!? 馬鹿じゃないのか私!!――お付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。

昔、偉い人は「夢オチでも爆発オチでも何でもいいから、完結させろ。冒頭だけ書いて飽きてエタってたら、いつまでも上手くならん」と言いました。
うーん、耳が痛い。
ですがその言葉を信じて頑張りました。

正直疲れました。
次があるなら、一人称視点でメタなネタを多用する、頭を空っぽに出来る文章を書きたい。


Q.魔界編はどうした?
A.はははは、ご冗談を。



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その後の勇者たち

オマケです。
良くあるエンディング後にどうなったか、みたいな感じのを箇条書きにしただけ。

口語体の文章というクオリティ・整合性もへったくれもない内容・多分こうなるとは限らない妄想・思っていた未来と違っても泣かない。
これらがOKな人向け。



※基本的に「国がどんな感じになったか」→「その国にいる個人がどんな感じか」の順番で書いています。

 

 

 

■アルキード

 ダイが代表となって文字通り1から復興した。

 他国と比べると領土も国力もまだまだ小さいが、色んな人が集まっているのが特色。特に魔物や魔族であっても望めば受け入れてくれる。

 

 また、魔物達が(いつかまた第三の魔王が現れたときにその影響で)凶暴化しないように結界(マホカトール)を常に張っている。

 なので将軍や大臣以外に、結界を張れる人物が重用される。

(結界を張る人は最低でも城下町一つに張れる程度の実力が求められる)

 

 なお、この国に住む魔物たちは半数ほどが、デルムリン島からアルキードに引っ越して住むことを希望した魔物たち。ダイたちが島に戻った際に「一緒に行く?」と聞いた時に望んだ。大体ダイやチルノと仲良かったやつら。

 特化作業(力仕事とか水中作業とか)に秀でているので、割と役に立っている。

 

 この国を怒らせると(ドラゴン)の騎士と竜王(バハムート)が飛んでくる。

 

●ダイ

 チルノと結ばれる。

 アルキードの復興のために、代表として頑張る。ただ、お勉強が出来る方ではないので書類仕事とか交渉事は苦手。

 

 大魔王の影響から逃れられずに凶暴化したままの魔物とか、元々乱暴な魔物などを他国の要請を受けて討伐しに行ったりする。

 後にチルノとの間に子供をもうける。

 

 "ダイの剣"はロン・ベルクに完璧に修復して貰った。

 でも基本的にダイ以外は認めないし、必要にならないとダイでも抜けない。

 なので「この剣を抜ける者が現れた時、世界は再び混沌が訪れる。そしてこの剣を持つ者こそが、その混沌を吹き払う者なり!」とか言われてる。

 

●チルノ

 ダイと結ばれる。

 ダイが体力担当なので、アルキードの知能担当をさせられる人。とはいえ国の運営などという専門的な知識はないので四苦八苦している。

 

 クエイクで大地を耕して、ウォータで水まきとか出来るので、農作業やら開墾やらで(強制的に)かり出されることもしばしば。

 ダイとの間に子供が出来る。最初が長女で次が長男(とりあえず二人)

 

 ガリアンソードは(ダイの剣と比較すれば)かなり良い子なので、この剣が使える者が、次代のアルキード王の証。みたいな感じになっているかもしれない。

 

●バラン

 ダイたちと共にアルキードに住む。とはいえ国関係の仕事はせず、亡き妻ソアラに祈りを捧げる毎日――なんて暇が出来たばっかりの国にあるわけもなく、がっつりと仕事を手伝わされる。

 

 特に、魔王軍時代に彼が滅ぼしたリンガイアとカールの復興の手伝いを積極的に行う。現地の人間からすれば仇敵なので針のムシロ状態ではあるが、償うのに当然だと思って受け止めている。

 復興の手伝いに行った際、その時に向かった先の村や街で女性にキャーキャー言われる(見た目はちょっと怖いけれど渋いイケメンなので)が、心はソアラ一筋なので特に何かあるわけではない。

 クールでダンディでストイックな男。

 

 ……が。

 

 孫が生まれると、態度がすごく変わる。

 長男には自身の知る武術や呪文の全てを教えようと頑張る。厳しくも優しいお爺ちゃんという感じで接する。

 長女の方は「お前誰だ!?」レベルで甘やかす。その溺愛っぷりから、長女に「おじーちゃんきらい」などと言われたら自殺するのではないかと噂される。

 

●娘

 ダイとチルノの第一子。隔世遺伝なのか、ソアラに似ている。肌も白いし。

 おかげでバランがめちゃめちゃ甘やかしてくる。

 おじーちゃん大好き。

 

 その内に娘が「めておー」って言いながら隕石を呼ぶのではないかとヒヤヒヤしている母親がいるとかいないとか。

 

●息子

 ダイとチルノの第二子。こっちはチルノ似。褐色の肌でやんちゃ坊主という言葉がよく似合う。

 こっちもバランはわりと甘やかす。本人的には厳しくしているつもりだが「ダイの小さい頃はこんな感じだったのかな」と思っているので、かなり甘い。

 

 とある国の女王が色々と甘やかしてくれるので大好きになり「おおきくなったらけっこんしてね」と言ったとか言わないとか。

 

●ラーハルト

 バランに仕えているので、そのままアルキードに所属。一応、兵士長のような立場で新兵とかを鍛えたりもする。その特訓についていける者がいるかは知らない。

 魔族と人間のハーフなので、同じような境遇の者には優しく接する。またその生い立ちから人間と魔族の架け橋的な立場でもあるが、当人に自覚はあんまりない。考えていないわけではないが、そんな器用な性格でもないので。

 

 バランから「お前も嫁を貰うか?」と聞かれた際に本気で色々悩んだ。

 

●メルル

 チルノさんを追っかけて、アルキードに属してしまう。

 一応占い師としての立場からチルノにアドバイスする。その内に重用されてご意見番的な立場になる。私的にも良き友になっている。

 また、執念でマホカトールを契約して、初代の結界を張る人の任に着いた。

 どうしてこうなったのかは書いている人にも不明。

 

●ポップ

 ダイたちに着いて来た……のではなく、自分の意志でダイの手伝いをしたいと参加。

 その際にマァムも一緒に誘い、同時に告白もする。結論から言えば着いて来てくれることになった。

 国の運営では彼も頭脳担当で「実家が武器屋だから商人のツテがあるでしょ?」と言われて大変だったとかどうとか。

 

 後に(国運営が安定してくると)子供たちに勉強とか呪文とかを教えるようになり、いわゆる学校になっていく。

 ただ、呪文を下手な相手に教えると大変なことになる(子供が悪戯で「メラ」とやって大火事になるとか)ので、事前にその辺の精神的な部分はしっかりと叩き込む。

 色々苦労しただけあってか、精神的に弱い子や伸び悩む子に対する良き大人になった。

 

●マァム

 ポップに誘われてそのままアルキードに。

 ただ告白された際にはまだヒュンケルへの想いとかもあって中途半端なままだったが、ちょっとしたことがあって、ちゃんと吹っ切れたらしい。

 その後、ポップに改めてOKの返事をする。

 

 後にポップの学校を手伝い、物事を教える立場になる。特に運動系が得意(とはいえブロキーナの武神流は教えていない。もっと基礎的な部分とかを)

 学校でたまに起こるポップとの夫婦喧嘩は、一種の風物詩になる。

 

●クロコダイン

 アルキードが魔物も受け入れているので、その魔物たちの統率役として活躍する。

 何故か主婦と子供から人気。

 

 原作で口にしてた「嫁さんでも貰うか」の結果、黒いアリゲーターみたいな嫁さんを貰う……とかだったら面白いかもしれない。

 (「ええっ!? 旦那がピンクで嫁さんが黒ですか!?」と驚かれるので)

 

●チウ

 クロコダインと同じく魔物たちの統率役兼教育係になる。

 ブロキーナに邪悪な心を跳ね返せるほど鍛えて貰ったので、新しく加わった魔物たちにその辺(屈強な精神力を鍛えたり、人間と暮らす際のルールや常識)を教えている。

 

 子供たちに人気(精神年齢が近いから?)

 

 また、ときおり謎の魔物"怪傑大ねずみ"が現れて人々を手伝うらしい。

 

●スラリン&ゴメちゃん

 ダイとチルノの傍にいる。

 ゴメちゃんは(原作と違って)無事だったのでダイの良き友のまま。

 スラリンは、チルノの中のバハムートの影響を再び受けて成長。そろそろ羽根が生えたり、口から吐くのも"ひのいき"から"かえんのいき"になるかもしれない。

 

●デルムリン島から引っ越してきた魔物たち

 久しぶりにチルノと再会した時に、彼女の中のバハムートが凄いでっかい存在になっていたので、かなりビビった。

 

 

 

■パプニカ

 色々あったけれど、早いうちから復興できた国。

 

●レオナ

 パプニカ王国の女王として辣腕を振るう。周囲から結婚を勧められるも、本人が気乗りしていないため、色よい返事はなし。何かと言われるとフローラを例に出して(アバンのことを待ち続けたことを挙げることで)避けている。

 

 政務からも時々逃げ、アルキードで遊んだりする。ダイたちの子供の面倒も見る。年上のおねーちゃんということで、娘と息子からの評判も良い。

 最近になって「年下の男の子ってアリかしら?」と近しい者にだけ漏らしていたり、少年への贈り物を真剣に悩んだりしているらしい。

 

●ヒュンケル

 魔王軍時代に滅ぼしてしまった負い目もあって、パプニカへ力を貸す。けれどレオナから「パプニカだけじゃなくて世界中を助けなさい」と言われて、各国で尽力して罪滅ぼしを続ける。

 また、その旅には一人の少女が付き従っていた。

 

 時々戦士としての腕が疼くのか、ラーハルトと闘ったりもする。

 

●エイミ

 ヒュンケルへの押しの一手もあってか、見事に彼の隣の席を勝ち取った。新しい呪文も覚えて、ヒュンケルを公私ともに(戦いでも生活でも)助ける。

 パプニカ所属ではあるが、ヒュンケルに着いていったのでほとんど帰っていない。

 

●アポロ・マリン

 パプニカ所属の三賢者のまま。最近二賢者になった。

 

●マトリフ

 ポップに看取られて逝く……なんて殊勝なことはなく、ニセ勇者一行を振り回したりして、余生を過ごす。

 ある日、ポップへ自分が開発したオリジナル呪文をまとめた本を渡し、姿を消した。

 

 

 

■カール

 バランに滅ぼされた国の一つ。だが一時の屈辱に耐えてでも再起を図ろうと撤退を決意したこともあって、早期に復興を完了させる。

 

●アバン

 フローラと結ばれて、カールの王様になる。

 持ち前の知識や技術に加えて、破邪の洞窟で培ったアイテムも加わって凄いことになっており、アバンの書の増補版を書く。

 

●フローラ

 アバンと結ばれる。幸せ。たまにレオナの相談に乗る。

 

 どうでもいいけど、王家の血を引いているのは彼女なので、正当性はフローラが。地位ならば王になったアバンが。それぞれ上なので、下手したら国が割れそう。

 ……まあ、アバンならそんなことも無いとは思いますが。

 

●ホルキンス

 カール騎士団長として後進の育成に務める。育成目標に「竜の群れが来ても全て倒せるくらい強い騎士団」を掲げており、色々と大変そうである。

 ノヴァと個人的な付き合いがあり、彼が他国の人間であると理解した上で、自身の知る全てを伝えている。

 

 時々、バラン相手に剣だけの勝負を挑む。

 バランを圧倒するのと、ノヴァを(ドラゴン)の騎士に負けないくらい立派な男へ成長させるのが彼の密かな野望。

 

 

 

■ロモス

 特に大きな変化はなし。

 むしろザムザが教えた知識を体系的にまとめて共有したことで、国力が上がった。

 また、ダイたちが最初に訪れた国として人や物の流れが少し増えた。

 

●シナナ(ロモス王)

 覇者の剣も覇者の冠もダイたちに上げた事で、民衆からは名君と思われる。

 高齢だしそろそろ王位を譲ると思う。

 

●ブロキーナ

 持病の"つまさきかさかさ病"が原因――かどうかは知らないが、完全に引退する。

 マァムという後継者も出来たので色々肩の荷が降りたらしい。

 なんだかんで、すごく長生きしそう。

 

●ブラスの護衛をしていたロモス騎士の人たち

 大魔王が倒されたので、もう危険はないとロモスに戻った。

 勇者の祖父の護衛をしていたということで、評価や地位が上がる。

 (たとえ実情が「多分ブラスを守って闘うような場面がなかった」「むしろブラスのチェスの相手とかしてまったりしていた」としても。

 言わぬが花、知らぬが仏)

 

 

 

■ベンガーナ

 勇者たちを大規模に支援した国として、人や物の流れがより活発になった。

 

●クルテマッカⅦ世(ベンガーナ王)

 勇者たちを支援したことから、一部の商人などから商売の神のように崇められる。

 

●アキーム

 戦車隊をホルキンスが指揮した際の動きと、それを見たときの衝撃が忘れられず、彼のようになりたいと日夜頑張る。

 

 

 

■リンガイア

 こっちもバランが滅ぼしてしまったので、頑張って復興させている。結局王様は見つかっていないらしい。

 

●ノヴァ

 先頭に立って国を引っ張っている。

 その傍ら、ホルキンスに教えを請う。立派に成長している。

 

 民からはこのままノヴァが新しい王になって良いんじゃないかと思われている。

 

●バウスン

 息子(ノヴァ)が真っ直ぐに成長してくれてとても嬉しい。

 一度、秘蔵の酒を持ってホルキンスへお礼を言いに行った。

 

 

 

■テラン

 アルキード復興の影響を受けて、ぽつぽつ人が増えている。

 (竜の騎士の伝承とかが伝わっているし、ダイが立ち寄った場所でもあるので)

 

●ナバラ

 テランでひっそり暮らして生涯を閉じる。

 メルルの選択を尊重した。

 

●フォルケン(テラン王)

 シナナよりも高齢であり、登場時点で色々限界だった人。

 バーンに勝利したことの喜びを感じながらひっそりと天寿を全うする。

 

 家族もいないらしいので、テランの王制はもう終わり。

 

●カナル

 フォルケンに仕える近衛兵。記憶喪失のダイを牢屋に入れる際の案内とかした人。

 

 書いている人は、彼に名前があることを今知った。

 

 

 

■オーザム

 寒い国。

 フレイザードに滅ぼされ、僅かな生存者は他国に逃げた。

 今のところ人がいない。

 

 

 

■デルムリン島

 島から人間がいなくなった。また、ある程度の数の魔物はアルキードに向かった。なので少々活気はなくなった。

 

●ブラス

 アルキードに行きたかったが、デルムリン島に残ることを選んだ魔物たちのこと。人間と共に生きることが難しい魔物たちのこと。

 を考え、島を魔物が住みやすい場所とすることを決意して一人残った。

 

 瞬間移動呪文(ルーラ)やキメラの翼で会いに行けるので、そこまで寂しくはない。

 

 ブラスからすれば孫(娘と息子)を抱いた時に、滝のように涙を流した。

 

●魔物たち

 引っ越すのではなく島に残ることを決意した者たち。ブラスのことを慕っていた者たちでもある。平和に暮らした。

 

 

■無所属

●ロン・ベルク

 ダイの剣を修復後、星皇剣の更なる完成を目指す。目標は「鬼眼王バーンとも戦えるほどの武器!」と言っていたとか。

 ダイたちの装備を作ったことで彼の名が知られていき、依頼が殺到する。が、全て断っている。面倒なので、近々ヤサを変えようかと思っている。

 

●星皇剣

 実は作中でロン・ベルクが作った星皇剣のオリハルコン素材は、キング・マキシマムだという「誰が得するのか一切不明」な裏設定がある。

 作中で「根性ナシ」だなんだと言われていたのはコレが原因。

 鍛冶で散々ぶったたかれてすっかり卑屈で柔順になったが、そうなると「反抗の一つもしないのはつまらん」とかロン・ベルクに言われて今日も叩かれる。

 

 マキシマムの明日はどっちだ!?

 

●レイラ(マァム母)

 マァムがポップと婚約したと聞き、挙式に参加する。

 旦那(ロカ)とは死別しており(マァム)もアルキードに住むことにしたので、ネイル村に一人になってしまう。

 村人たちから引っ越しを進められ、少し悩んだ後に移住することにする。

 

 マァムに影女の服(※)を渡して「(ポップ)を悩殺しちゃいなさい」とアドバイスしたとか。

 

 ※ ぴっちり全身タイツのクノイチみたいな格好なので、そのスタイルと相まって目のやり場にとても困る。

 

●ジャンク・スティーヌ(ポップ両親)

 息子(ポップ)人様の娘(マァム)傷物にした(婚約した)と聞いて、アルキードまで怒鳴り込んでくる。その後、挙式には参加。

 

 こちらはランカークスに家もあるので引っ越しはしない。というよりジャンクが意地を張って拒否しそう(でも子供が生まれたら和解する)

 

 ……ポップとマァムの子供って凄そう。

 両親と祖父祖母から「魔法使い・僧侶・武闘家・戦士・盗賊」の才能を受け継いで……期待されすぎて、期待に押し潰されそう。

 

●偽勇者御一行(でろりん・ずるぼん・へろへろ・まぞっほ)

 マトリフに振り回された。

 後にまっとうなカタギになる?

 

 




感想をたくさん頂き、ありがとうございます。
読んでいて漏らすほど嬉しくなったので、ちょっとだけ書きました。
(この程度で恐縮ですが)

Q.娘と息子の名前は?
A.娘は頭文字がEから、息子は頭文字がFから始まる名前とかですかね。
 (エレーンとフェネスとか?(2秒で考えた名前)(書いている人はDQ5の子供の名前にピサロとロザリーと付ける程度のセンス))

Q.アルキード復興編は?
A.むーりぃー


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番外編 親の心、親の心

感想やメッセージで
「バランとブラスが話し合うエピソードについて全く触れないとか、あなたの頭の中には脳じゃなくてヨーグルトが詰まっているのですか?(超々々意訳)」
というありがたい内容を頂く

びっくりするほど納得する

書かなきゃ……

まさか3巻でレイラさんが危ない水着を着るとは(←今ココ)



瞬間移動呪文(ルーラ)!!」

 

 呪文を唱えると同時にふわりと身体が浮き上がり、かと思えば矢のような速度で空を飛んで移動していく。移動に掛かる時間は一瞬だ、一瞬にして目的地に着いた。

 

 そこはラインリバー大陸の南海に浮かぶ小さな小さな島。着地地点となったのはその島の沿岸部、海岸の辺りだ。そこから見える景色だけでも美しい浜辺が広がっており、木々や草が立ち並んでいる。未開のような、だけどどこか穏やかな雰囲気をバランは感じていた。

 

「ここがそうなのか?」

「ええ、そうよ」

 

 バランの問いかけにチルノが肯定する。それに続いて、ダイが胸を張って答えた。

 

「ここがおれたちが育ったデルムリン島だよ、父さん!」

 

 

 

 発端は些細な、けれども当然の事からだった。

 

 大魔王バーンを倒したことを家族に――ブラスに伝えたい。

 そしてもう一つ――ダイの育った場所をバランにも見せてあげたい。

 

 ダイとチルノが望んだ、そんな願い。

 

 バーンとの戦いが終わり、ある程度の余裕が出来たこと。そして、バーンを倒した英雄としてしばらくの間は忙しくなるのが分かっているからこそ、今のうちにその願いを叶えてしまいたかった。

 そのためフローラたちや最終決戦に挑んだ者と一時別行動を取り、ダイ・チルノ・バランの三名――それに加えてスラリンとゴメちゃんもいるが――はこうしてデルムリン島までやってきたのだ。

 本当ならばラーハルトも一緒に来る予定だったが、本人が「オレは構いません。家族だけでどうぞ」と固辞し続けたため、この三名と二匹での帰郷である。

 

「ここからあの道を少し歩くと、私たちが住んでいた家があるの」

 

 海岸から続く道をどこか懐かしそうに眺めながら、チルノがそう説明する。指し示すその道は彼女の言う通り、島の奥へと続いているのが見えた。

 

「ふむ、なるほど。しかし、ならば家の前まで直接飛べば良かったのではないか?」

 

 その道を見ながら、バランはふと思ったことを口にした。瞬間移動呪文(ルーラ)は目的地のイメージができれば、場所は関係ない。極論、相手の迷惑を考慮しなければ家の中に突入することだって出来る。

 

「あ、うん……それはそうなんだけどさ……」

 

 尤もな意見を言われ、ダイは少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら口を開く。

 

「どうせなら少しでも父さんに島を見て貰いたいって思って……」

「ディーノ……フッ、なるほど。そういうことか」

 

 せっかくの機会なのだから、自分の育った場所を少しでも知ってもらいたい。そんな息子の想いを無下にするようなことは出来なかった。

 ならばじっくりと景色を楽しませて貰おう。そう言おうとするよりも先に、ダイが続けて口を開く。

 

「それにみんな(・・・)にも挨拶したかったからさ」

みんな(・・・)?」

 

 何のことかと首を捻るバランを横目にダイは、

 

 ――ヒュロロロローッ!!

 

 と指笛を鳴らす。するとその音に釣られるようにして、草むらや木の陰から魔物たちが姿を現した。いや、近くにいた者だけではない。島の奥地から駆け寄ってくる者、空を飛び集まってくる者、海中から顔を覗かせる者など、様々な魔物たちが次々に集まってくる。

 

「これは!?」

「みんな、おれたちの友達! 島で一緒に住んでいた仲間だよ!!」

「なるほど……そういえば話には聞いていたが……」

 

 魔物が突然群れとなって現れた様子にさしものバランといえど面食らったようだ。ダイやチルノから話を聞いていなければ、剣を抜いていたかもしれない。とはいえ、魔物たちの邪気のない瞳を見れば早合点だと気付いただろうが。

 

「みんなー! 久しぶりー! 元気にしてた?」

 

 久しぶり――とはいっても離れていたのは三ヶ月程度のだが――の仲間たちの再開にチルノが手を振って挨拶する。

 

「あ、あれ……?」

 

 だが集まった魔物たちはほんの少しだけ、怯えた様子を見せていた。チルノたちとの再会は嬉しいようだが、笑顔が引きつっているとでも表現すれば良いだろうか。

 

「なんで?」

「ピィ?」

 

 島の仲間たちの反応にチルノとスラリンは顔を見合わせた。怖がられるような身に覚えがないからだ。どうしたものかと首を捻っているチルノを尻目に、ダイが近くにいた魔物へと声を掛ける。

 

「なあ、それよりも、誰でも良いからじいちゃんに帰ってきたって連絡して欲しい――」

「おーい!」

 

 ダイがそう言い切るより早く、奥の方から声が聞こえてきた。耳に慣れたその声色を聞きつけた途端、ダイとチルノは弾かれたように揃って同じ方向を向く。そして、現れた人物の姿を見ると叫ぶように声を上げる。

 

「じいちゃん!!」

「おじいちゃん!!」

「集合の笛の音が聞こえたので、まさかとは思ったが……ダイ、チルノ。やはりお主たちじゃったか……」

 

 小走りに駆け寄ってくるブラスに二人もまた駆け寄っていく。そして互いの手が届く距離まで近づくと、チルノがブラスの胸へと飛び込んだ。突然の行動に慌てつつも、ブラスは少女の事を受けとめながらダイへと視線を向ける。

 

「お主たちがこの島にやってきたということは、もしや……!?」

「うん! そうだよじいちゃん!! おれたちバーンを倒したんだ!!」

「そうかそうか、大変だったじゃろうなぁ……」

 

 ダイのその言葉に、ブラスは全てを理解したとでもいうようにゆっくりと頷く。それだけでダイはブラスに認められたように感じられ、破顔していた。

 そしてチルノは、ブラスに抱きつきながら感極まったように涙を流しながら嗚咽の声を漏らす。

 

「おじいちゃん! おじいちゃんにまた会えた……」

「チルノや、お主は人一倍大変だったじゃろう」

「私、私……」

「よいよい、何があったのかゆっくりと聞かせておくれ。ワシでよければ何時までも付き合うぞ」

 

 チルノの頭を撫でながらそう言った所で、ブラスはようやくダイたちの後ろにいた男の存在に気付く。

 

「はて、そこの御仁は……?」

「そうだった、紹介するね。この人はバラン」

「バラン!! なんと、その名はダイの……!?」

「うん、おれの父さん……本当の父さんなんだ」

 

 バランと名前を紹介された途端、ブラスの表情が驚きに染まる。チルノから教えられたおかげでバランのことも知識としては知っており、こうして直接会う機会がいつかは訪れるだろうと予想はしていた。ただ、その"いつか"がまさか今日、このような形で実現することになるとは思いもよらずに面食らう。

 

「お初にお目に掛かります、ブラス老。先ほどディーノ――いや、ダイから紹介されたが、私の名はバラン。この子の本当の父だ」

「こ、これはご丁寧に。ワシの名はブラス、ダイの育ての親をさせていただきましたですじゃ」

 

 バランとブラス、二人が互いに深々と頭を下げ合う。それを見た途端、二人は慌てて更に深く頭を下げる。

 

「いえ、どうか頭を上げて欲しい。私は結局、ディーノが生きていることを最後まで信じ続けられなかった不肖者です。そのような者がどうして、ブラス殿よりも頭を高くできましょうか」

「いやいや! バラン殿こそ頭をお上げください! ワシの方こそダイをきちんと育てられませなんだ!」

 

 互いに思うところがあるのだろう。遠慮しあう光景にダイはどうしたものかと額に手をやりながらゴメちゃんと視線を合わせ、チルノもブラスたちの様子にいつの間にか泣き止んでいた。

 そこへ――

 

「ブラス殿!! いったいどうし……ややっ! あなたは勇者様!!」

「おお、本当だ! 勇者様だ!」

「なんとお久しい! いつぞや戻ってきた時以来ですかな? はて、今日は何かご用でしょうか?」

 

 ――ブラスから遅れて、島に在中していたロモス騎士がやってきた。彼らはダイの姿を一目見るなり騒ぎ始め、この場の混乱にさらなる拍車を掛ける。

 

「む、これは……私の話は後回しにした方がよいだろうか?」

「ちょ、ちょっとお待ちくだされバラン殿! それに皆さんも! ダイが戻ってきて、色々と積もる話もあるようなのです! このような所で立ち話などせずとも、我が家の方で改めてお話をいたしましょう! 狭い所ですが椅子と粗茶くらいは用意できますので。それで宜しいですかな?」

 

 このままでは収集が付かなくなると危惧したブラスは、一度場を整え改めて話をするように提案する。

 

「そうですな。確かに、少し性急過ぎたようです……申し訳ない」

「確かに我々も、申し訳ございません」

 

 バランたちが頷いたことにブラスはこっそりと胸をなで下ろすと、先頭に立って歩き始めた。

 

 

 

 

 

「なんと! やはりそうでしたか!! 少し前に邪気が払われたことに気付き、もしやと思っておりましたが……」

「では我々の任務も、もう終わりということですかな」

「寂しくなりますなぁ」

 

 あの後、ブラスたちの住居へと移動した一行は、改めて話をすることとなった。とはいえ家には全員が入れるほどの空間はない。そのため外にテーブルを用意し、その周りに椅子を並べる。足りない分は丸太や石に腰を下ろしている。

 そして話をするのは主にダイが、ときおりチルノが補足説明のために口を挟み、バランは水を向けられて頷く程度。話の内容はバーンを倒すまでの冒険の軌跡についてだ。

 

 話の一部始終を聞き終え、世界が平和になった事を知ったロモス騎士たちは口々にそう言いながら残念そうな表情を浮かべる。

 

「アベル殿、ベイト殿、チャック殿。今までありがとうございましたですじゃ。皆さんには感謝してもしきれません」

「いえいえ、これも騎士として当然のこと。なによりブラス殿の護衛役を務められたのは誉れですから」

 

 三名の騎士たちの名を呼びながら礼を言うブラスに、騎士アベルが自らの胸をドンと叩きながら答えた。

 ザボエラが策略の為にブラスを狙ってからは結局何事もなく、それどころか護衛の仕事を疎かにしていたようにも見えるのだが……まあそれはそれとして。

 

「しかし、なんとも大変な旅だったようじゃな。話を聞いていただけなのに疲れてしもうたわい」

「ええっ!? なんでさ! おれまだまだ話したりないのに!!」

 

 そう口では言うものの疲れよりも話を聞く楽しみの方がよっぽど勝っているのだろう。ブラスは抑えきれないほどの笑みを浮かべる。

 

「まあまあダイ、気付いていないの? 話を始めてから結構時間が経っているのよ」

「え……あ、ほんとだ……」

 

 不満顔なダイを宥めるように、チルノが周囲に目を向けさせる。やってきた時はまだ日も高く、青々としていた空は今や赤く染まっていた。

 

「はて、そういえば今日はどうするんじゃ? もうそろそろ暗くなるが……」

 

 帰るのか? それとも泊まっていく程度には時間に余裕があるのか? ブラスがそう切り出すと、ダイとチルノは顔を見合わせる。

 

「そういえば、帰りはいつ頃になるかは言ってなかったよね?」

「でもまあ一日くらいは許してくれるでしょ? デルムリン島に行くことは伝えてあるんだから」

 

 世界は平和になっており、ついでにこちらには地上世界最強の戦力が揃っている。心配するだけ烏滸がましいというもの。少しくらい帰りが遅れても、文句は言わないだろう。チルノの言葉に、ダイは飛び上がるように喜ぶ。

 

「やった! それじゃじいちゃん! 今度はおれの父さんのことも――」

「まてまてダイ。話し足りないのはわかるが、もう日が暮れかけとるんじゃ。続きは夕飯でも取りながらにせんか?」

 

 先ほどと同じペースで話し続けられれば、次に終わるのは真夜中だろうか。さすがにそこまで飲まず食わずなのはキツいと席を立とうとしたブラスであったが、先んじてチルノが待ったを掛ける。

 

「それなら私がやるから、おじいちゃんはダイの話を聞いてあげて」

「む、しかしじゃな……」

「いいのいいの。久しぶりに帰ってきたんだし、このくらいはさせてよ。ね?」

「むむ……」

 

 そう言うと有無を言わさぬ勢いで立ち上がり、台所へと向かう。その様子に少し困ったような顔を見せるものの、やはり嬉しいらしくブラスは大人しく座り直した。

 

「では我々もお手伝いを」

「お気持ちだけ頂いておきますね。皆さんもダイの話を聞いてあげてください」

 

 ならばと今度はロモス騎士たちが続こうとしたが、チルノはそれも抑えて一人で台所へと入る。

 勝手知ったるなんとやら、全然変わっていない台所の様子にすら懐かしさを覚えながら、手慣れた様子で料理を開始する。なにしろ旅に出る前までは彼女もこうして食事を作っていたのだからお手の物である。

 

 やがて、出来上がった夕食を食べながら話は更に盛り上がる。ダイやブラスは懐かしい味を堪能しながら。ロモス騎士たちは初めて口にしたチルノの手料理の味に感動しながら。そしてバランは、ダイはこういう物を食べながら育ったのかと一人感心しながら、時は流れていった。

 

 

 

 

 

 月は中天をとうに過ぎ、辺りは暗闇に包まれていた。夜風が木々を揺らす葉音と、周りから響く微かな寝息だけが静寂を邪魔している。

 

 あの後、ダイの話はやがて宴の様相を呈するようになり、話題が明るいものということもあって参加した者たちは全員が大騒ぎを始めてしまった。別にお酒の類いは出されていないのだが、雰囲気に酔ったということだろう。

 ほとんどの者が騒ぎ疲れて眠っていた。

 そんな中、バランは酔い覚ましを兼ねて少し離れた場所で夜空を眺めていた。南海の孤島の星空はいつかソアラと見た物と良く似ており、どこか心に哀愁を感じさせられる。

 

「おやバラン殿。起こしてしまいましたかな?」

「ブラス殿? いえ、私は酔い覚ましでもと……そちらは?」

 

 起きているのは自分だけだと思っていただけに、不意に掛けられたブラスの声に驚かされた。

 

「ああ、ワシはダイたちに毛布を掛けていましたのですじゃ。まあ、この島では無くとも平気なのですがな」

 

 からからと笑いながら言う。とはいえこの島は南洋に位置するため、他国と比べても充分に暖かい。夜とはいえそのようなことが必要だろうかとバランは疑問を浮かべ、そしてその疑問はすぐに氷塊した。

 

「さて、ではそろそろあの時の話の続きをしましょうか?」

「あの時の……?」

「おやおや、もうお忘れですかな? 二人で頭を下げ合ったではありませんか」

 

 ブラスはバランの隣に腰を下ろしながら当然のようにそう言った。なるほど、先ほど口にしたのは二人で話をするための理由作りだったのかと少し遅れて納得する。

 

「ははは、叶いませんな」

「なんのなんの。あの場では結局ダイの話を聞くだけで終わってしまいましたからな。約束は守りませんと」

「約束……ですが、本当に宜しいのですか?」

「何がですかな?」

「ブラス殿と話をしたい、その気持ちは私の中に確かにあります。ディーノをあのように育てていただいた大恩あるあなたと、一度で良いから言葉を交わしてみたかった。ですがこれは、私の我が儘でしかない。事実、先ほどまでディーノと楽しそうに語り合う姿を見ていた身からすれば、日を改めた方が良いかと……」

「おやおや、何を仰るのやら。ワシらは共にダイの親ではありませんか。遠慮する必要はありませんぞ」

 

 自分の都合を押しつける形であることを自覚し、そして自分が親として到らないと感じているからこそ、バランは遠慮するような言葉を口にしてしまった。だがブラスはそんなことは関係ないとばかりにそう断言する。

 

「共に……親……ありがたい、私の様な未熟者をそう呼んでくださるとは。その言葉を聞けただけでも、ここに来た甲斐はあったと胸を張って言えます」

「いやいやいや! そんな大げさな!! ワシとしてはただ当然のことを言ったまでですじゃ! そもそもワシは実の親ではありません。このような言い方は、むしろワシの方が失礼じゃったかと――」

 

 再び頭を下げ合いながらそう言ったところで、ブラスは思い出したように動きを止める。

 

「――おお、そうじゃ! 忘れるところじゃった!! バラン殿、少々お待ちいただけますかな!?」

「え、ええ。構いませんが」

 

 返事を聞くが早いか、ブラスは家の中へと入っていった。それから十数秒程待っただろうか、一抱えほどの大きながある何かを手にしながら戻ってくる。

 

「いやはや、忘れたわけではありませんが持ち出す機会がなかなか無くて……」

「これは……いや、これは!!」

 

 手渡されたそれを受け取った途端、バランは全身に電撃を浴びたような衝撃が走る。

 

「ははは、やはり見覚えがありましたか。あの子が、ダイがこの島に流れ着いた時に包まれていた揺りかごですじゃ」

 

 驚きと感動で手をぶるぶると震わせながら、バランはその揺りかごを大事そうに抱える。彼の記憶の中にも確かにこの揺りかごは存在していた。まだソアラと共に暮らしていた頃、生まれたばかりのダイを寝かせていた揺りかごだ。そして同時に、バランの脳裏に親子三人で幸せだった頃の思い出が甦ってきていた。

 大切な、そして深い深い絶望へと繋がる思い出にバランは一筋の涙を零す。

 

「その揺りかごの真ん中辺り――そうそう、その辺りです。見えますか?」

「Dの文字だけが……」

 

 そこにはDのアルファベットだけが辛うじて残る木製のネームプレートがあった。

 

「ええ。そのDの文字以外は削り取られたらしく、読み取れませんでした。ならばせめて頭文字だけでも同じにすれば、本当の御両親にも喜んでいただけるのではないかと思いましてな」

「……かたじけない。その心遣い、どれだけ言葉を尽くそうとも感謝に堪えない」

 

 ブラスの想いは十年以上の時を経て、バランの心へと確かに届いていた。

 

「いやいやいやいや! もう何度も言っておりますが頭を上げてくだされ! ワシはただ、当たり前の事をしただけですじゃ。それにダイという名はチルノが言い出した名なので……」

「いや、あの娘がそう言い出したということは遠からずブラス殿もダイと名付けていたということでしょう。それに私は、頭文字だけでも汲み取っていただけたその心に感服したのです。私は今夜の語らいを終生忘れることはないでしょう。本当に良かった……ディーノがあなたのような立派な人物に育てられて本当に良かった……やはり、あなたには感謝しかない」

「ですから、その……」

 

 ブラスを下にも置かせようとしないバランの言動にむずがゆさを感じ、なんと言うべきかと思わず口ごもってしまう。そして、さも今思いついたかのようにブラスは続けた。

 ずっと以前から、こう言おうと決めていたのにもかかわらず。

 

「そうだ! バラン殿、もしよろしければその揺りかご、貰ってやってはくれませんじゃろうか?」

「これを……?」

「その揺りかごは元々はバラン殿の持ち物だったのでしょう? 随分と長い年月が経ってしまいましたが、ようやくお返しすることが出来ましたですじゃ」

「しかしこれはブラス殿にとってもディーノとの思い出の品物のはず。それを私が独り占めするような真似は……」

「いやいやご心配にはおよびません」

 

 だがその申し出を受け取るのをバランは躊躇する。これはブラスとダイとを結ぶ物でもあるのだ。それを自分が受け取って良いのかと。けれどもブラスは笑いながら手にした杖を指し示した。

 

「ほらあそこ、見えますかな?」

「……? なにやら少し傷ついているようだが……これは?」

 

 そう言って見せたのは、家の壁の一部分だった。夜の中、光源が頼りないためにちゃんと見るのは難しいが、そこには何か補修した痕跡の様なものが見える。

 

「アレはダイがまだまだ子供だった頃、木製の剣を振り回していた時に付いた傷なのです。もう直してしまいましたが、当時は壁に穴を開けてしまい、こっぴどく叱ったものですじゃ」

 

 ブラスは昔を懐かしむように遠い目をしながら、さらに語り続ける。

 

「その傷だけではない。この島を少し歩けば、ダイたちの思い出とは至る所で出会えます。むしろ、何の思い出もない場所を探す方が難しいくらいですじゃ」

「……ブラス殿!!」

 

 ――だからせめて、その揺りかごは貰ってはくれないだろうか。

 

 そう心に直接訴えかけられたような気がして、バランは滂沱の涙を流す。

 

「かたじけない。やはり、あなたのような傑物に育てられたディーノは幸せでした。自分のような過ちを犯した者では……決して……あなたのように育てられたかは……」

「ははは……傑物ですか……」

 

 傑物と言われ、ブラスは渋面を浮かべる。そして、どうしたものかとしばらくの逡巡を見せるが、やがて意を決したように口を開く。

 

「バラン殿……バラン殿はワシの過去について聞いてはおりますかな?」

「ブラス殿の過去、ですか……?」

 

 過去と言われ、バランは首を傾げる。ダイやチルノから聞いていないのか、はたまた知ってはいても頭の中で繋がらないのか。ともあれバランの様子を見ながらブラスは話を続ける。

 

「ワシは昔、魔王ハドラーに仕えておりましたですじゃ。それも、自らの立場や頭脳、呪文を駆使して多くの人間を害しまして……」

「なんと!! それでは……」

「ええ。そういう意味では、ワシもバラン殿と同じように脛に傷を持つ身。ですので、ここまで持ち上げられるような身ではありません」

 

 かつてバランが大魔王軍に所属していたのと同じように、自分もまた魔王の部下として仕えて人間を傷つけていた。そんな自分が、バランにここまでのことを言われる程立派ではない。自分はバランと何も変わらないのだと、そう伝えたかった。

 

「……ブラス殿」

「なんでしょうかな?」

「私の過去を知っているが為に、案じてくださったのですね……かたじけない」

 

 ブラスの心を受けとめ、バランは深く感謝する。

 それっきり、しばらくの間は沈黙だけが場を支配していた。だが、やがてそれも終わりが訪れる。

 

「それにしても、かつて魔王に仕えた者同士が、ダイという絆で繋がり、今やこうして言葉を交わしている。なんとも不思議な縁ですな……奇跡と言っても良いでしょう……」

 

 不意にブラスが口を開いた。

 

「……もしも魔界でヴェルザーが動きを見せなかったら、バラン殿がハドラーを倒しており、おそらくワシはこの場にはいませんでしたじゃろう。魔王ハドラーの部下として、(ドラゴン)の騎士に討伐されておったでしょうなぁ……」

「ブラス殿! 突然何を!?」

 

 急に語り出した話の内容についていけず、バランは慌ててブラスを見やる。

 

「ええ、分かっております。勿論仮定の話ですじゃ。そうなればバラン殿は救国の英雄、ダイと離れることもなく、ダイもまた(ドラゴン)の騎士として成長して……バーンを倒していたかも知れません。それこそ、各国はさしたる被害を受けることなくもっと簡単に」

「それは――」

「ですから、仮定の話ですじゃ。今は、奇跡によって叶った我々の出会いに。そして、ダイたちの未来を祝いましょう」

 

 仮定の話をいくら積み重ねても意味は無い。

 ダイという一人の少年を通じて出会った親と親。同じ立場と同じ目線で、息子の成長を見守っていきましょうと、そう訴えていた。

 

「未来……確かに、その通りですな……」

「二人はアルキード王国を復興させるという新たな目標を見ているようですし、どうでしょうかバラン殿も何か考えてみられては?」

「そうですね……いえ、私の願いは決まっています」

 

 一瞬だけ考えるような素振りを見せたが、だがバランの心は初めから決まっている。決まっているはずだった。

 

「まずは自らの犯した罪を償い続けることです。超竜軍団の長として二国を滅ぼし、人々を恐怖で震え上がらせた。その償いを……そう考えていました。ですが、この島に来てもう少しだけ欲が出てきました」

「ほほう、とおっしゃると?」

「いつの日か、この揺りかごにディーノの子供を寝かせてやりたい……その光景をこの目で見届けたいと言う物です……その夢の為には、私はどのような苦難の道であろうと歩むつもりです」

 

 ブラスから譲り渡された揺りかごを見つめながら、新たに湧き上がった欲望を、ゆっくりと吐きだしていく。その姿はただの親であり、そして孫を望む一人の父としての顔だった。

 

「ダイの子供ですか……それはちぃっとばかり気が早いように思えますが……」

 

 チルノと結ばれたことも聞いていたが、二人はまだ若い。余計な口出しをせずとも出来るだろうが、無事に出産を済ませられることを考えると、もう後数年くらいは母体の肉体的な成長が欲しいところだろう。

 

「ですが、素敵な夢ですなぁ……無事にそんな日が訪れるように、ワシも祈らせていただきますじゃ」

「何をおっしゃるのです!!」

 

 バランが強い口調で叫ぶ。それには一切の否定や反論を許さないほどの強い意志が込められていた。

 

「その時は、あなたも一緒です。我々は同じ者同士だと言ったのはブラス殿ではありませんか」

「ははは……それはそれは、なんとも嬉しいですな……」

 

 涙で潤んだ瞳を拭いながら、ブラスは静かに頷く。

 

 夜はゆっくりと流れていった。

 




こんな大事なイベントを忘れるなんて……自分が情けない……
突っ込んでいただき、本当にありがとうございました。

しかし、二人のシーンだけで良かったんじゃないかこれ?

●ロモス騎士の名前
騎士アベル()ベイト()チャック()
ネームドのように見えて、実はABC扱い。

●描写できなかったシーン
実は、ブラスとバランでお酒を酌み交わさせたかったのです。
でも上手く絡められなかった……非力な私……

「おやこれはワイン、ですかな?」
「申し訳ない、このような物しかなくて。何しろ急に出発が決まったため、このような物しか思いつかず……ディーノたちから事前にブラス殿については聞き及んではいましたが、私にはどうにも贈り物のセンスが無いようで……」
「いやいや、ありがとうございますじゃ。さっそく頂いても?」
「勿論」
「ほほう、これはまた深みのある味わいですな」

こんな感じの会話を準備していたのに……


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番外編 狂想曲をご一緒に 前編

※時系列・状況説明・注意書き等について。
・ED後から1年後くらい(なのでそれぞれ1年分くらい成長してる)
・登場はダイ、チルノ、レオナ、あとパプニカ勢が少々。
・ネタの性質上、オリキャラも登場。
・地味。



「泊めて!」

「あのね、ウチは駆け込み寺じゃないんだけど……」

 

 唐突な来訪者を出迎えるべく玄関を開けてみれば、開口一番にこの言葉である。どう応対したものかとチルノは頭を抱える。

 

「かけこ……? 何それ?」

「なんでもないの、気にしないで」

 

 とはいえ相手が相手だ。このまま突き返すわけにもいかないし、ここで立ち話を続けるわけにもいかない。来訪者を招き入れるべく、大きく扉を開ける。

 

「とりあえずは上がって頂戴。狭いところだけどお茶も出すし、話も聞いてあげるから……だから、突然やってきたわけを聞かせてもらうわよ、レオナ?」

「さっすがチルノ! やっぱり持つべき者は友よね!」

 

 そういうと二人はくすくすと笑った。

 

 

 

 

 ダイたちがアルキードの復興に着手し始めてから、およそ一年ほどが経過していた。

 各国から支援や技術者たちを派遣してもらい、土地にあった作物や農業、商売などの方法などについてもある程度の目途が付き、前年の反省なども活かして今年はもっと大規模に生産量の向上を狙おうと息巻いている。

 書類仕事も一通り纏まり、前年の使い回しや前回からちょっと数字を変えるだけでなんとかなるようになって手間も減った。

 有り体に言ってしまえば、大仕事が始まる直前の手空きの時期だ。そんなタイミングでなければ、連絡もなしにやってきたレオナをここまで真摯に対応できたどうか。

 そんなことを考えながら、チルノは執務室兼用の応接間へと案内していた。

 

「レオナには狭く感じるかも知れないけれど、ゆっくりしていって」

「だいじょーぶよ。お構いなく、ってね」

 

 目的地の扉を開け、二人は室内に入る。

 

「あらダイ君久しぶり! 元気だった?」

「あれ、レオナ!?」

 

 突如現れたレオナの姿にダイは驚きの声を上げ、レオナは久しぶりに再会した友人の変わりぶりに驚いていた。

 

「背、伸びたわねぇ……!」

「うん……あ、レオナもその、綺麗になったね」

 

 なにしろ一年ぶりの再会なのだ。彼女の記憶の中にあるダイの姿よりも背は伸びており、今はまだ彼女の方が上背はあるようだが、追い抜かれるのも時間の問題だろう。体はがっしりとした男の特徴が少しずつ現れている。顔つきも、母親似だと評されているもののやはりバランの息子なのか凜々しさが増していた。

 とはいえそれはレオナも同じだ。

 一年ぶりに見たその姿は、少女らしいあどけなさを色濃く残しているものの、その奥には女の妖艶さが感じられる。肉体も以前見た時よりも丸みを帯びており、女性らしい艶やかさと少女らしい初々しさが両立していた。

 慌てて着替えたのか比較的簡素な格好をしているが、それでもパプニカの女王として過ごしてきた経験がそうさせるのか、隠しきれない高貴さが滲み出ている。

 

「ふふふ、惚れ直しちゃったかしら?」

「ええっ!? そ、そうじゃなくて……」

「はいはい、あんまりからかわないであげてね。ダイ、レオナは何か用があって来たみたいなの。今お茶を入れるから、詳しい話はそれから一緒に聞きましょう?」

 

 確かに今のレオナは同性のチルノが見ても目を引きそうなくらいに美しい。ダイが慌てるのも無理はないだろう。

 

(負けてないと思うんだけどなぁ……やっぱり生まれから違うからかな……?)

 

 だがそれはそれ。乙女心は複雑なのである。ダイ()の反応に微かな嫉妬を覚えながら、チルノ()はお茶の準備を進める。

 

 

 

「「結婚!?」」

 

 二人の上げた声で、執務机に積んでいた書類が何枚か落ちた。

 四人用の椅子とテーブル――いわゆる応接セットに三人は腰掛けており、テーブルの上にはうっすらと湯気の立つティーカップが三人分並ぶ。喉を湿らせるためにか一口に含んでから語られたレオナの来訪目的に、ダイたちは目を丸くしていた。

 

「あらこれ、結構美味しいわね」

「ええ、安物だけど手間を掛けて入れてるから……って、そうじゃなくて!!」

 

 さらにもう一口、今度は香りも堪能しながらの感想を言うレオナに思わず突っ込みを入れる。

 

「えーと、察するに結婚話が持ち上がったけれど、それが嫌でウチに逃げて来た――って事で良いのかしら?」

「さすがね、よく分かってるじゃない」

 

 得意満面のレオナにチルノは再び頭を抱えた。

 

「……あのね、レオナは女王なんだし立場とか役割とかあるんだし、そもそもその縁談だって重臣の人たちが持ってきたんでしょう? 一人の我が儘で破談には……」

「それはわかってるわよ!」

 

 レオナの強い言葉に二人は肩を軽く跳ね上げる。

 

「あたしだって、いつまでも子供じゃないわ。そりゃあ、本音を言えば素敵な殿方と恋愛して結婚したいわよ! でも必要とあれば、パプニカのために身を捧げる覚悟だって出来てるわ!」

「じゃ、じゃあなんで……?」

「それはね――」

 

 妙な迫力に思わず生唾を飲み込み、次の言葉を待つ。

 

「――アレは無理!!」

「「……え?」」

「アレは絶対無理よ!! アレと結婚するくらいなら、ばくだんいわと結婚した方がマシよ!!」

「「ええ~……っ……」」

 

 予想外の返答に、このまま会話を打ち切ってしまいたかった。が、そういうわけにもいかない。気にくわないと言う理由だけで破談にはしない……しないはずだ! とチルノは自分に言い聞かせる。

 

「ま、待って待って! まず、レオナの婚約相手ってどこの誰なの? どういう人なの?」

「……ボナンデ家って知ってるかしら?」

「知らない、姉ちゃんは?」

「たしか、ベンガーナの有力貴族よね? クルテマッカ王に次ぐ国では第二位の実力者だとか」

「さすが! 勉強してるわね。そこの長男が相手なの」

「へぇ、そうなんだ。よく知ってるね」

「……ホントはダイも知ってなきゃ駄目なのよ? 代表はダイなんだから」

 

 今はまだ出来たばかりの村程度の規模しかないが、アルキードは形式上は他国にも認められた国家である。そのため王家の血を引いており王であるはずのダイには、こういう他国の知識も必要なのだが……

 その実情は推して知るべし。チルノにしわ寄せが行っているとも言う。

 

「でも、ボナンデ家なら相手としては問題ないんじゃない? 大貴族だしお金も持ってるし、結ばれたらパプニカも発展しそうだけど」

「ええ、家臣たちもそう言ってたの。それで先日、その婚約者――つまり長男が父親と一緒にパプニカまで挨拶に来たんだけど……」

 

(あ、まさか……!)

 

「長男はそうねぇ、一言で言えば……豚?」

「ぶ、豚……って……」

「もう少し言い方ってものがあったんじゃ……」

「だって本当にそうだったんだもの! オマケに性格も最悪でね、一応は取り繕ってたけれど、あたしのことを"結婚してやるからありがたく思え!"って態度が見え見えなの! 父親も父親で"この子は母親を早くに亡くして"とか"我がボナンデ家の商売は"とか、そんな話ばっかりだし!! あの父親の顔! 絶対なにか碌でもないこと企んでるわよ!! 気持ち悪すぎて途中で気分が悪いって言って逃げちゃったわよ!! なのに家臣たちは良い縁談だからって言うのよ!! 信じられる!?」

 

 よほど溜め込んでいたのか、雷が落ちたような怒濤の勢いで喋るその姿はダイたちを圧倒するほどだった。

 

「……なるほどね、ある意味ではホントに駆け込み寺だったんだ」

「ねえ、さっきからその、なんとか寺ってなんなの?」

「気にしないで」

 

 ちなみに駆け込み寺――本来の意味での駆け込み寺とは縁切り寺。夫との離縁のために妻が駈け込んだ寺の事である。最初に口にした時の駆け込み寺は、近代になっての"困った時に助けてくれる人や場所"の意味であり、二度目に口にした際は"縁切り"の意味である。

 

 まあ、それはそれとして。

 

(やっぱりそういう話なのね)

 

 先ほど浮かんだ予想は、当たらずとも遠からずだった。だがそれを喜んで良いのか悲しんで良いのか、チルノは複雑な心境だった。

 彼女が知る限り、本来の歴史ではレオナにこういった婚姻話が舞い込んできたようなことはない。自分が世界をかき回したことでワリを食わせてしまったようで、なんとなく心苦しい。

 

「……でも、そう言う部分を抜きにしても……駄目なの?」

「駄目! 絶対に無理!! どれだけ利益が出ようとも、あの親子は駄目!! 特に父親の方!!」

「そ、そんなに酷いの?」

「あってみればわかるわよ! あれは絶対に何か企んでいる顔よ!!」

「た……企んでいる顔……」

「まあ、言わんとしていることはわかるけれど……」

 

 決して譲らぬレオナの言葉に二人が思い浮かべたのは、ニセ勇者でろりんやパプニカのテムジンとバロンらであった。

 

「だから、お願い! アイツは何か隠してるわ! それを探してこんな結婚はとっとと破談にして欲しいの!!」

「ええっ!? そんなぁ……!!」

「自分がすっごい無茶なことを言ってるってわかってる!?」

 

 ――コイツはなんだか悪人っぽいからその証拠を見つけてくれ。

 

 如何に親交厚いレオナの頼みとは言え、流石にそれだけで動くのはダイたちでも無理だ。

 二人の言葉にどうやら多少なりとも冷静になったらしい。

 

「うーん、言われてみればそうよね……じゃあ! 今度ボナンデ家に向かう予定があるから、その時に一緒に行ってくれるかしら? 実際にあの親子を自分たちの目で見て判断して欲しいの!」

「まあ、それくらいなら……」

「待ってダイ!」

 

 OKを口に仕掛けたダイに待ったを掛ける。

 

「レオナ、幾ら個人的な親交があるとはいえ、私たちはアルキードの代表なのよ? それがパプニカの代表と一緒に軽々しく動くと、どこかで角が立つわ。少なくとも形式と建前くらいはしっかりしなくちゃ」

 

 一年前――大魔王たちと戦っていた頃とは少々状況が違うのだ。多少面倒でも、スジは通しておく必要がある。

 

「だから……"個人的な付き合いもあるレオナが婚約を結んだと聞いた。めでたいことなので、祝いの席に同席させてほしい"みたいな理由を先方に話しておいて。それで許可を貰ってくれれば私たちも……」

「つまり、相手がOKしてればいいのよね!?」

「え、ええ、まあ……?」

「それなら大丈夫! 向こうも機会があればチルノたちに会いたいって言ってたもの!! ゆっくりと親交を深めたいって言ってたけれど、善は急げよね!?」

「え、ええ……っ!?」

「それじゃ、早速行きましょう! 大丈夫! あたしも修行して、瞬間移動呪文(ルーラ)が使えるようになったし!!」

「あ、レオナも覚えたんだね」

「ダイ! そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 

 言質は取ったりトントン拍子に物事を進めようとする親友と空気も読めずに瞬間移動呪文(ルーラ)の習得を祝う弟の姿に呆れそうだった。

 

「レオナも! 仮に約束をしてても、いきなり私たちだけでボナンデ家に行くの!? それに私たち普段着の格好なのよ!? いくら何でも失礼過ぎるでしょう!?」

「大丈夫! パプニカに二人の正装も用意してあるから! まずはそっちからね!!」

「……え?」

「さあ、行くわよチルノ! ダイ君! まずはパプニカへ!!」

「おう!」

「……え!? ちょっと待って!? 今すぐなの!? 待って、せめて書き置き! 書き置きくらいは残させて!!」

 

 チルノの悲痛な悲鳴が響いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「やられた……」

「え、何がですか?」

 

 結局、チルノが書き置きを完成させるや否や拉致同然にパプニカまで連れて来られる羽目になった。案の定レオナは城を無断で抜け出ており、到着した途端に「あ、陛下! どこに行ってらしたのですか!!」と兵士や家臣たちで軽い騒ぎになった。

 その後、ダイたちを連れてきたということと、明後日のボナンデ家への挨拶に二人も連れて行くことを唐突に知らされて騒ぎが大きくなったのだが……その騒ぎもようやく沈静化し、ダイとチルノは案内されるがまま衣装部屋へと向かっている最中だった。

 

「レオナのことですよ」

「今回のことは、その……陛下が申し訳ありません」

「ああ、止めてください! アポロさんが謝らなくていいんです!」

 

 同行しているアポロが頭を下げようとするのを、チルノは必死に止める。

 いつの間にか臣下たちもレオナの呼称が王女から陛下となっており、瞬間移動呪文(ルーラ)の時に上空から見えたパプニカの街並みも一年前とは比べものにならないほど発展していた。これも、彼女が代表として辣腕を振るっている証拠なのだろう。

 

「だからよねぇ……最初に無理難題を提示してから、譲歩を引き出す……考えれば、交渉の常識じゃない……冷静に考えれば充分気付けたはずなのに……」

 

 "見たこともない大貴族の身辺を調査して、有るか無いかも分からない何らかの悪行の証拠を探してくれ"という無茶振りの後に"じゃあ、その代わりに同席して欲しい"と頼む。

 最初のお願いに比べれば至極真っ当な願いだし、難易度もぐっと下がって見える。

 それがレオナの狙い。

 後者が本命で、受けることまで織り込み済みだったのだろう。でなければ、予めダイとチルノの正装を用意していたり、二日後に迫った予定に急遽組み込むような暴挙はできない。

 

「女王になって、成長したってことかしら……良くも悪くも……」

 

 

 

「ダイ君はそっちの部屋ね。サイズはあるはずだし、わからなかったらメイドに聞いて」

「う、うん、ありがと」

 

 衣装部屋――そこには名前の通り色とりどりの衣服が山のように並んでおり、まるで小さな遊園地のようだ。部屋自体も広く、ダイは勿論知識としては知っていたはずのチルノも圧倒されるほどだ。

 二人の驚きを余所に、レオナはこんなものは見慣れた光景とばかりにてきぱきと指示を出していく。

 

「で、チルノはこっち」

「こっちって……これ?」

 

 そう言われた先には、色とりどりのドレスがあった。デザインも多岐に渡っており、これらが皆、何かしらの用途があるのだと考えただけでめまいがしそうになる。

 

「ど、どれを選べば……?」

「そうね……とりあえず今回は無難に、白とかブルーにしておきましょう。何か良い感じのを見繕ってくれるかしら?」

「かしこまりました」

 

 お付きのメイドに命じると、彼女は比較的シンプルなデザインのドレスを何着か選ぶ。

 

「男共の目もあるし、着替えはそっちの部屋でね」

「え、これ着て平気なの?」

「大丈夫! あたしが着られるからサイズもばっちりよ!」

 

(そういう意味じゃないんだけどなぁ……)

 

 うっかり破いてしまいそうで恐いという意味で"平気か?"と尋ねたのだが、どうやら通じなかったようだ。仕方なし、大人しく着せ替え人形になろうと諦めながら隣部屋で着替え始める。

 

 着替え始めたのだが……

 

「ねえ、レオナ……ちょっといい?」

「なになに、どうしたの?」

 

 少しして、扉の影からチルノが申し訳なさそうに顔を出す。

 

「これ、サイズが……」

「あら? 大きかったかしら?」

「ううん、そうじゃなくて、その、小さいの、胸回りが窮屈で……」

「……えっ!?」

 

 ――余談ながら。

 大魔王たちと激戦を繰り広げていた一年前、チルノの体型はレオナを一回り小さくした程度だった。一年という歳月の流れた現在の彼女はレオナと同じくらいの背丈に成長しており、目測だがスタイルもほぼ同じくらいに見えたのだが……

 

「ちょ、ちょっとチルノ! どういうことなの!? 説明! 説明なさい!!」

「きゃあああぁっ!? なんで入ってくるのレオナ!? 扉! 早く閉めて!」

「この胸ね! この胸が!! なに、やっぱりダイ君に大きくしてもらったの!?」

「なんでダイが出てくるのよ!? 私はただ……」

「問答無用!! ちょっと確かめさせなさい!! これね!? これが……へぇ……これはなかなか……」

「――――ッ!!」

 

 着替え部屋から喧騒が響く。

 なお、近くにいた臣下たちは顔を真っ赤にしつつも必死で笑いを堪えていた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 翌日。

 

 色々とあったが、一行はボナンデ家へ向けて出発していた。パプニカで一泊後、護衛の兵や同行する臣下たちと共に瞬間移動呪文(ルーラ)でベンガーナへ。そこからは馬車に乗って目的地までの移動である。

 

「お二人とも、この度は誠に申し訳ありません。陛下の我が儘に付き合っていただき、本当にありがとうございます」

 

 馬車に揺られる最中、目付役兼護衛隊長として同行していたアポロがダイたちに頭を下げた。昨日は結局バタバタしていてきちんと謝罪することの出来ず、また家臣の前もあって結局馬車内という人目の届きにくい場所で謝らざるを得なかった。

 

「そんな、オレたちも平気ですから」

「そうです。昨日も少し言いましたけれど、アポロさんが謝られることはありませんから」

 

 そう言って、何でもないとアピールするダイたち。

 これから貴族の屋敷を訪問するということもあって二人とも今は正装に身を包んでいる。着慣れぬ服が窮屈そうで、豪華すぎる馬車の乗り心地にも落ち着かない様子だ。

 

「むしろ、謝らなきゃいけないのはレオナよね」

「えっ! あたし!?」

「当然でしょう? 私たちを巻き込むためにあんな無茶苦茶な話をしたり、無理矢理パプニカまで連れてきたり……」

「あはは……バレてた……?」

「冷静になって思い返したら、だけどね」

「えっ、そうだったの!?」

「もう……それならそうとちゃんと言ってくれれば、私たちだって協力したわよ」

「ごめんなさい」

 

 流石に旗色が悪いと思ったのか、レオナは素直に頭を下げた。

 

「でも、まるっきり嘘ってわけじゃないのよ。向こうはチルノたちと顔を繋ぎたい様子だったのは本当だし、直感だけどなんだか変に思えたのも本当なの」

「うーん、その辺は今の段階ではなんとも……」

「じゃあチルノの知ってる未来の知識は? 何かある?」

「ごめんなさい、今回の件に関してはそっちは完全に力になれないわ」

 

 俗に言う"こんなイベント知らない"と言う奴である。

 

「ねえ、オレ思ったんだけどさ。先生を頼るのは駄目だったの?」

「「あー……」」

 

 ダイの言葉に二人の少女が残念そうな声を上げる。

 

「それはあたしも考えたんだけどね……」

「パプニカの女王がベンガーナの重臣と結婚しますが、カールの国王はどう思いますか?  ――って聞くのは、ちょっと気が引けちゃうわよねぇ……」

 

 現在のアバンはカールの王だ。彼に相談すればきっと良い知恵を授けてくれるだろうが、お互いの立場が邪魔をしていた。私的な悩みを相談するならまだしも、今回の場合は国益も色々関わってくる。

 要らぬ勘ぐりを避けたかった、ということでもある。

 

「そうなのよ……面倒な立場、よねぇ……」

 

 吹けば飛ぶような立場のアルキードに頼るのとでは重さが違う。

 そんな気兼ねなく何でも頼れた昔が懐かしくて仕方ない。

 レオナは嘆息し、馬車内の空気がなんとなく重くなる。その空気を払拭したのもまた彼女だった。

 

「や、やだなもう! そんな深刻にならないでよ! そんなことより……あ、ほら。見えてきたわよ!」

 

 そう言って窓の外を指さす。そこには巨大な屋敷と、裾野のように広がる街々が見えた。色とりどりの屋根が無数に並ぶその風景は、なるほど確かにベンガーナの次席と呼ぶに相応しく発展しているようだ。

 

「あれがボナンデ家――ボナンデ領って言った方がいいのかしら?」

「ふぅーん……」

 

 そうしている間にも馬車は走り続け、遂に街中へと入った。

 ベンガーナと言えばまずデパートが思い当たるかもしれないが、あれは首都に一店存在するだけ。規模も活気も世界最大級なのだが、それと比較できる程度には活気があった。店頭に並ぶ品々は素人目にも品質が良く見えて、種類も多岐に渡っている。武器屋や防具屋、宝石類などのアクセサリーに服、日用雑貨や書店などなど店舗の種類も豊富だ。

 

(この辺りだけ見るとまともそうだけど、果たして鬼が出るか蛇が出るか……)

 

 馬車に揺られ、窓から流れる風景を観察しながらチルノはそんなことを考えていた。

 

 

 

「おおレオナ女王陛下! この度は遠いところをご足労頂き、ありがとうございます!」

「いえ、キナン公爵も急なお願いに応じていただきありがとうございます」

 

 街中からさらに走ることしばし、馬車はようやく目的地であるボナンデ家へと到着した。既に先触れの使者が来訪を伝えており、現当主のキナン・ボナンデ自ら出迎えの先頭に立つほどの歓迎っぷりだった。

 当主自らのいきなりの出迎えに、レオナは女王たる毅然とした態度で応じている。

 

「いえいえ、いずれは家族となるのですから! 遠慮など無用ですな。それどころか――」

 

 キナンは女王の後ろへ視線を移す。

 

「――こちらがアルキードの?」

「ええ、ダイとチルノ……現アルキードの代表とその奥方です。世間的には勇者たちと言った方がよく知られているかもしれませんね」

「なんと! 確かに繋がりを持てるよう口添えをお願いしましたが、まさかこれほど早く連れてきていただけるとは……!!」

 

(ん?)

(あれ?)

 

 ダイとチルノの二人は同時に微かな違和感を覚えた。上手くは表現出来ないのだが、心のどこかで引っ掛かる。小骨が喉に引っ掛かるような、そんな微かな違和感。

 だがその違和感の正体に気付くだけの時間はなかった。驚いた顔を浮かべながらキナンは二人へ近寄り挨拶する。

 

「お初にお目に掛かります、勇者ダイ殿に。そしてその妻のチルノ殿でしたな。ワシの名はキナン・ボナンデ。当家の家長です。以後お見知りおきを」

「アルキードのダイです」

「同じく、アルキードのチルノです。共々田舎育ちに加えて、未だ礼儀作法も勉強中の身でして……お見苦しいかと存じますが、お許しください」

 

 ダイは礼儀知らずなりに心を込めて丁寧に、チルノはパプニカにて一夜漬けで学んだ礼儀作法を総動員し、ドレスを摘まみながら屈膝礼(カーテシー)で返礼した。

 

 と、ここまでは良かった。

 

「へぇ、お前が噂の勇者とその女か」

 

((うわぁ……))

 

 ダイとチルノ、二人の心の声が見事なまでにハモった。

 

「ボクの名前はニニット・ボナンデ。もうじきレオナと結婚してパプニカの王となる者だ。まあ、よろしく頼むぞ」

 

(これは、後でレオナに謝らなきゃね……)

 

 キナンの後ろから出てきたのは、丸々と太った青年だった。一目見た途端、予めレオナから伝えられていた"豚"という言葉がダイとチルノの中でピタリと当てはまる。

 肥満体はまあ、愛嬌があるともいえなくはないのだが、それでカバーしきれぬほどの尊大な態度を隠そうともしない。こちらを見下したような目で挨拶され、二人の中で珍しく嫌悪感が湧き上がる。

 

「よ、よろしく……」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 キナンの時と同じように挨拶する。だがニニットはダイには目もくれず――

 

(……うっ……)

 

 ――無作法にもチルノの手を突然握りしめた。

 

「なんだお前、ちょっと変わっているが美人じゃないか。どうだ、ボクの愛人にしてやろうか?」

 

 そう言いながらチルノの手をじっくりたっぷりと撫で回す。手にはべっとりと脂汗が浮かんでおり、そのぬるぬるとした感触がとてつもなく気持ち悪い。オマケにニニットの視線はチルノの胸や腰回りに向けられ、それを隠そうともしない。

 稀にチラリと盗み見られるくらいならば、経験もあるのでまだ我慢できるのだが、これはハッキリ言って不愉快そのもの。

 

「い、いえ……私はダイの妻ですので……」

「なんだ、もう手つきなのか。つまらんな」

 

 口では"つまらない"と言いながらも手を撫で回すのはしばらくの間続いた。その間チルノは精神力を総動員して必死に平静を装っていた。顔にも態度にも出さずに乗り切ったのは称賛に値するだろう。

 その傍らでは、ダイも同じく必死に堪えていた。こちらはまだ未熟なためか不機嫌な顔が隠しきれずにいる。

 とはいえ自分の女にこれだけ失礼な態度を取られては、その気持ちはご尤も。もう少し長く手を握られていたら、怒りのままに暴れ出していたことだろう。

 

「ニニット! まったく、お前という奴は……レオナ女王陛下の前で何という態度だ!!」

「ええー!? 良いではないですか父上」

「兄さん、いい加減にしてくれないかな。そういう事をすると当家の評判も悪くなる。上に立つ者としての振る舞いではない」

 

 叱責する父親の言葉もどこ吹く風、反省の色を見せずにいるニニットへ諫言(かんげん)するのは、彼らの後ろで今まで一言も発さずにいた青年だった。

 痩せ型で背も高く、とても凜々しい好青年に見える。

 

「そうだぞニニット、ロマネの言う通りだ。お前はレオナ陛下との婚約を控えた身なのだ。短慮な行動は慎め!」

「ちぇっ……はーい……」

 

 納得しきれないと顔に書きながらも、しぶしぶと引き下がった……とはいえ、謝罪の言葉一つないのだが。

 

「ああ、ご紹介が遅れましたな。これは――」

「次男のロマネ・ボナンデと申します。ご高名なアルキードの勇者様たちとお会いできまして、誠に光栄です」

「ど、どうも」

「初めまして」

 

 上が駄目だと下がしっかり成長するという見本だろうか。

 体格も態度も礼儀作法も、アレの弟とは思えないほど見事なものだった。予想外すぎてダイたちが面食らうほどに。

 

「ロマネはなかなか優秀でしてな。幼い頃から頭が良く、最近は武術の腕前が急に上達するほどでして。いずれ良い縁談をと思っているのですが、これがなかなか……どこか、良い相手と良縁を結べればと考えているのですが……」

 

 そこまで口にすると、演技がかった仕草でさも良案を思いついたとばかりに手を叩く。

 

「おお! そう言えばダイ殿とチルノ殿は婚礼の儀もまだだったとお聞きしています。どうでしょう!? ここは一つ、ニニットとレオナ陛下と合同で大々的に行うというのは!? ベンガーナとパプニカに加えて、アルキードも固い結束を結んだという良い宣伝にもなりますよ! いかがでしょうか!?」

 

 あまりに強引すぎる言葉にレオナたちも面食らう。言っていること自体は耳障りが良いことに聞こえるのがまたタチが悪い。

 ただ、これを素直に頷くようなレオナではない。

 

「えーと……そう、忘れるところでした。実は連れのチルノが体調を崩しておりまして、お誘いは嬉しいのですが……」

「ええ、レオナ陛下。お気遣いありがとうございます。なにぶん、田舎者ですので馬車にも乗った経験もなく、どうやら酔ったようで……う……っ……」

 

 一瞬のアイコンタクトを受け、チルノは即座にレオナの意図を見抜いた。口元を押さえ、顔色悪くふらついたような演技を見せる。

 

「なんと、それはいけませんな。でしたら、部屋を用意させましょう。しばらくそちらで休んでくだされ」

「ふん! 馬車程度で体調を崩すとかひ弱な奴だな。お前、本当に勇者の仲間だったのか?」

「兄さん、そういう言い方は失礼だとさっき注意されたばかりでは?」

「なんだと!! お前、兄にその態度はなんだ!?」

「やめんかニニット! ロマネもだ! ……これは、お客様の前で申し訳ない。はしたないところをお見せいたしました。ささ、レオナ陛下や皆様もどうぞ」

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

 

「あー、やっと逃げられたわ!!」

 

 休憩用にと用意されたボナンデ家の一室に通され、とりあえず相手の目はなくなった。女王としての仮面を脱ぎ捨て、深く椅子に腰掛けながらレオナは清々したように息を吐き出した。

 

「でもさすがチルノ! よく気付いてくれたわね!」

「あはは……まあ、気分が悪かったのも本当なんだけれどね」

 

 先ほど丹念に握られた右手をハンカチで何度も拭いながらそう返す。心情的には、石鹸で丹念に洗いたいところだ――手だけではなく、視線を向けられた部分全てを。

 

「ああ、アレね……気持ち悪かったでしょう? コッチが下手に出ていれば遠慮なくジロジロジロジロ!!」

「……ってことはレオナも?」

「……察して」

 

 目を逸らすその様子は、同類相哀れむというやつだった。

 

「なんなんだよアイツ! 勝手なことばっかり!!」

「そうよねダイ君! で、二人はどう思った? なんとかなりそう?」

「どう……って……」

「なんというか……色々と凄かったわね……」

 

 苦笑交じりに先ほどの三人を思い返す。

 

 ボナンデ家現当主、キナン・ボナンデ。

 髪には白髪が目立ち、体型も上位貴族らしくやや太め。だが年齢の割には目つき鋭く精力的な印象を受ける。そして、レオナの"何か企んでいる"という評も頷ける容姿をしていた。一言で言えば悪人顔なのだ。

 貴族らしく仕立ての良い上品な服装に上から下まできっちり固め物腰も丁寧なのだが、本人の印象の悪さが拭いきれない。

 

 キナンの息子にして長男のニニット・ボナンデ。

 背は低く、身体はたっぷりと肥えている。傲慢で他者を見下す態度は誰からも嫌われるだろう。礼儀も知らず、他国の代表を前にしても平然と無礼な振る舞いをする。言ってしまえば貴族の典型的なバカ息子としか思えない。

 

 そして次男のロマネ・ボナンデ。

 ニニットの弟とは思えないほど礼儀正しく、理知的な様子を見せていた男。この三人の中では容姿や性格を含めて一番まともそうに見えた。彼も上から下までをきっちりと着込んでおり、そのせいで悪い意味でニニットの格好が目立っていたのを覚えている。

 

「そういえば次男がいる、なんて話は聞かなかったけれど?」

「アレはあたしも始めて見たわね。アポロたちは聞いてた?」

 

 家臣たちに水を向けるが、全員無言で首を横に振る。

 

「誰も知らない……となると、厄介者を押しつけようって魂胆なのかしらね?」

「や、厄介者って、他人事だと思ってぇ……」

「でも、幾ら大貴族でもあれはないでしょう?」

 

 納得いかない様子ではあるが、レオナは少しだけ首を縦に振った。

 

「彼は長男だし、家督は長男が継ぐのが一般的なはず。でもアレに継がせたら多分だけどあっと言う間に家が傾くもの。なら、出来の良い次男に継がせたくなる気持ちも分からなくはないわ。でも出来が悪くても自分の子供、良い縁談を用意してあげたいって思ったのかしら……そう言う意味では、企んでいると言えなくもない」

「うーん、そう言われれば……」

「ロマネを連れて挨拶に行かなかったのも、案外先方に"こっちの方が良い"って言われない為の予防策でしかなかったのかもね。さっき話に上がった合同の結婚式っていうのも、まあ悪い話じゃない。仲の良さをアピールできるし、式を取り仕切ったのはボナンデ家だって宣伝も出来る。さすが、やり手よね。美味しいところを持って行くのに長けてるわ」

「じゃあ大人しくアレと結婚しろっていうの!? 嫌よ! チルノ、代わって!!」

 

 思わず想像したのだろう、レオナは身震いしながら悲鳴のような声を上げる。

 

「ただ……」

「ただ?」

「なんでアルキード――というか、私たちと仲良くしたいのかが不思議なの」

 

 大凡(おおよそ)のキナンの行動が腑に落ちる中、唯一引っ掛かったのがそこだった。

 

「え? そうかしら? 伝説の勇者が亡国の王家の血を引いていて、現在絶賛復興中でしょう? 新規市場の開拓とか狙ってるんじゃ……?」

「甘いわね。ウチに投資してどれだけ儲かると思う? 復興が軌道に乗って今までの援助を返せるようになるのは、何年も後の事よ? それに、新規市場って言っても狙うほどじゃないわ」

「そ、そうなの……?」

「手元にあれば、今年の決算表を見せてあげたいくらいにはね。マイナスが所狭しと並んでるわよ」

 

 それはそれはぞっとしない話である。レオナはおろかアポロや、臣下の何名かが青白い顔を浮かべる。赤字の帳簿を好き好んで見たい者などいない。口にした本人も思い出して顔に影を落とすほどだ。

 

「勿論、見落としている商機が転がっているのかもしれないけれど、それならそもそもウチとここまで仲良くしなくていい。人を出して安く商品を売ってくれながら"お互い良い商売をしたいですな"とか言えば、それだけでも十分な繋がりになるもの」

「なるほど、現場の意見よねぇ……」

「他にウチが他国よりも優れていることといえば……」

 

 チルノはゆっくりとダイの顔を見る。

 

「……え? 何?」

 

 その動きに釣られるようにレオナたちもダイの顔へと視線を集中させた。ただ、注目の的となった本人は訳が分からずぽかんとしている。

 

「ダイ君の存在?」

「それとバランもね。世界を救った伝説の勇者と(ドラゴン)の騎士という名声を利用して荒稼ぎしたいのかもしれないけれど、使いすぎると角が立つのよ。勇者は弱きを助けて強きを挫く存在だもの、イメージと違っちゃう。下手をすれば各国から非難囂々よ」

 

 そしてもう一つ残った可能性を口にする。

 

「あとは、まさかとは思うけれど、個人の戦闘能力をアテにしているのかもね」

「まっさかぁ! それこそまさかでしょう? 正式な依頼があればダイ君たちは解決に出向くし、仮に何か問題があったとしてもベンガーナの国力なら荒事にも対処できるでしょう?」

 

 軽い気持ちで否定しようとして、否定しきれなくなったのだろう。レオナの表情が真剣なものへと変わっていく。

 

 アルキードではバランらの罪滅ぼしと印象改善の一環として、各国の手伝いに出向く派遣業務のようなことも行っている。なお、依頼内容は力作業や凶暴化した魔物の鎮圧などが多く、勇者たちの等身大の姿を見られたり地上最高レベルの強さの一端に触れられることもあってそこそこ盛況だったりするのだが、それは余談として。

 

 つまり"何かあるのなら自国の力で解決できるはず。それが無理でもダイたちに正式に依頼すれば解決できないはずがない"ということなわけだが。裏を返せば"自国では手に余り、なおかつダイたちに依頼できないような何か(・・)"が今回の一件の裏に潜んでいるとしたら……

 

「……まさか、よね?」

「全部証拠は何一つない、妄想みたいな話だけどね」

「あの……」

 

 二人が顔を見合わせる中、パプニカ家臣の一人がおずおずと挙手しながら口を開いた。

 

「それらは全て考えすぎで、ただ勇者様たちのファン……ということは……」

「お気持ちはお察ししますが、それならもっと簡単に近づく方法が幾らでもありますよ。援助の名目でやってくるとか、さっきの依頼で"配下の兵を鍛えて欲しい"みたいなことを言えば良いわけですから」

 

 彼らからすれば、せっかく持ってきた縁談なのだ。国のためにも出来れば余計な波風なく穏便かつ円満にまとまって欲しいのだろう。がっくりと肩を落とす。

 

「……あ! 思い出した!!」

 

 ふと、ダイが声を上げる。

 

「姉ちゃんは感じなかった? ほら、オレたちが最初に挨拶した時……」

「あっ! そうだったわ!! なんだか不思議な感じがしたのよ」

「不思議な感じ? どんな風に?」

 

 えーと、と口にしながら二人はその時の感覚を思い返す。

 

「なんていうのかしら……歓迎されてるけれど、されてない?」

「喜んではいたみたいだけど、同時に邪魔に思われた……そんな感じかな?」

 

 だが思い返せど表現が難しいのだ。悪意と期待が入り交じったような独特の感情。

 

「つまりは邪魔に思ったってことよね? ほら、あたしの睨んだ通りじゃない! これはやっぱり調査が必要よね。お願いチルノ! ダイ君!!」

「陛下! しかし今の段階では推測の域を出ません!! あまり事を荒立てるのも!」

 

 我が意を得たりとばかりのレオナだったが、さすがに臣下たちが止めようとする。下手に動いて相手の印象を悪くするわけにもいかない。繰り返しになるが、証拠がないのだ。

 だが以外にもダイは賛同の意を示していた。

 

「ねえ、姉ちゃん。オレたちじゃ無理かもしれないけれどさ。レオナのためにもやるだけやってあげようよ」

「うーん……」

 

 ダイの言葉にチルノは悩む。

 気付けばダイだけでなくレオナもアポロも家臣たちまでもが全員、今度はチルノの言葉を待つように視線を向けていた。

 まるで最終決定権を渡されたようで、思わず溜息を零す。

 

「私たちが調べても所詮は素人、何も出てこない可能性の方が高いと思うんだけど、それでもいい?」

 

 

 

 

 

 結局、チルノたち二人が調査出来るだけ調査するという話で一旦落ち着いた。すぐさま動きやすくて目立たない格好に着替えると、屋敷をこっそりと抜け出して街へと潜り込む。

 なお抜け出す手段はベランダから飛翔呪文(トベルーラ)で出て行くというものである。貴族の屋敷らしく日中にも警備の目はあるのだが、今のダイの力量(レベル)ならば見つからずに逃げ出すなど朝飯前だ。

 

「大した物ね」

「うん、前に行ったデパートにも負けないくらいだ」

 

 ボナンデ領の街並みを歩きながら、そんな感想を述べ合っていた。馬車から眺めていたとき同様、活気に溢れていた。むしろその活気を肌で感じられる分だけ圧倒される。

 二人はロモスの方から来たという旅人を装い、買い物のついでや道を尋ねるついでに話を集めていく。とはいえ入手できる情報といえば「領主はやり手だ」「長男はボンクラだ」「次男は出来が良い」のような、さしあたりのない物ばかり。

 他には「低金利の金貸しを営んでいる」や「街道を整備して移動が楽になった」「先の戦乱の被害者を救済したり、孤児となった子供を養っている」「職にあぶれた者に働き口を斡旋している」「ときおり領民に炊き出しをするようになった」などの、領主の追い風となるような情報くらいだ。

 

「まあ、本当に何か企んでいたとしても、街中の人が知ってるわけないか。情報屋みたいな人がいれば、また話は別なんだろうけれど……」

「でもさ、なんだか楽しいよね」

 

 思案顔のチルノとは対照的にダイは顔いっぱいに隠しきれないほどの喜びを浮かべる。

 

「こうやって二人で並んで街を歩くなんて中々出来なかったし……それに覚えてるチルノ? ほら、オレたちが始めてロモスに行った時のこと」

「忘れられるわけないわ。ゴメちゃんを取り返しに乗り込んだ時のことでしょ」

 

 ダイも日々成長しており、私的な時には姉と、公的な場面や二人きりの時には名前で呼ぶように意識して使い分けている。

 今は"姉"ではなく"一人の女性"として接しているため、チルノと名前で呼んでいた。

 不意に名前を呼ばれ、顔を微かに赤く染めつつチルノは頷く。

 

 ちなみにゴメちゃんであるが、ウマが合うのかアルキードに来たチウと良く共に行動している。レオナが来た時もそちらに出向いていたため不在だった。

 

「そうそう、なんだかその時みたいでさ」

「言われてみれば、似てるかも。あの時は慣れないロモスで必死になってて……結局、井戸端会議から詳しい話を聞けたんだっけ」

 

 懐かしい思い出に思わず郷愁を感じてしまう。考えてみれば、まだあれから二年ほどだというのに。

 

「じゃあ、今回もそれでなんとかならないかな?」

「あれは建前上は"勇者が魔物の島から凱旋した"っていう祝い事だったからね。口も軽くなるし、色んな人が知っててもおかしくはなかったの。でも今回の場合は"隠してる秘密を探す"わけだからねぇ……知ってる人は限られるだろうし、簡単に話すわけがないし……」

 

 口には出さないが、そもそもそんな秘密があるかどうかも分からない。

 

「なにか後ろ暗いことをしているなら、証拠が残っていたり被害者に出会えるかも知れないけれど……」

 

 そんな都合の良い出来事が――

 

「ええい、黙れっ!!」

「だからっ! 何度も言ってんだろ!!」

 

 ――あったかもしれない。

 

 突如耳に飛び込んできたのは喧騒の声。そちらへ目をやれば、くたびれた格好の小さな子供と街の衛視らしき男が激しく言い争っていた。

 

「助けてくれって! ちゃんと調べてくれって!! 何かの間違いなんだ!!」

「そんなことがあるはずがないだろう! ご領主様のご采配を疑うのか!?」

 

(まさか、まさかねぇ……)

 

「あの、すみません」

「ん? なんだお前は?」

「何があったか存じませんが、小さい子供にそんな乱暴な態度はどうかと……」

「知らないなら黙ってろよ! こっちはこのおっさんと話をしてるんだ!!」

「……えっ……!?」

「お、おっさんだと……!?」

 

 助け船を出したつもりが、文句を言ってきたのはなんと子供の方だった。そのあまりの口の悪さにチルノの方が面食らってしまう。

 

「ん、んんっ!! ところでこの子供はあんたの連れか?」

「いえ、知らない子ですけど……」

「こっちだってアンタみたいなのは知らないよ! いいから引っ込んでろよ!」

「まあまあ、落ち着いて」

 

 野良犬のように噛みついてくる子供を宥めながら衛視の方を向く。

 

「関わってしまった以上、この子は一旦こっちで預かります。何か問題があれば改めて頼るかも知れませんが、この場はそれでどうでしょうか?」

「勝手なこと言うな! くそっ、放せ!」

 

 逃げだそうと暴れるが、力はチルノの方が上だ。子供の力ではビクともしない。

 

「街の治安を守るという重大な任務の最中に子供と言い争う姿を見せれば、住民も不安になりますよ。それに大声を出すと喉も痛くなるでしょう? 少ないですがこれで、何か飲み物でも頼んで英気を養ってから職務に励んでください」

「む? まあ、そういうことならば……」

 

 ゴールド硬貨を十枚ほどそっと差し出せば、相手はあっさりと受け取った。

 せっかくの気遣いを受け取らないのも失礼と思っただけかもしれないが、だとしても職務だと言って断るなど受け取るにしてもやり方があるだろう。

 

(つまり、賄賂を受け取る程度には規律が緩んでいる、と……)

 

「では後は任せるぞ」

 

 チルノの内心の評など露知らず、男は上機嫌に去って行く。それを見送りながらチルノは子供の手を握りながら一旦騒ぎのあった場所から離れ、ダイと合流する。

 

「姉ちゃん、なんでそんなことを?」

「お前! なんでこんな余計なことしたんだよ!」

「とりあえず、話だけでも聞いてあげようと思って」

 

 二人がほぼ同時に似たようなことを尋ねてきたのがおかしくて、少しだけ笑顔を浮かべながら、まずはとばかりにチルノはしゃがみ込んで少年の目の高さに視線を揃える。

 

「まずは自己紹介から。私はチルノ、こっちはダイよ。あなたの名前は?」

「……ラト」

「ラトちゃんね」

「ちゃん付けすんな!!」

「じゃあラト。あなたはどうして衛視さんに食って掛かっていたの? それも一人で」

「それは……」

 

 尋ねられた途端、ラトは目を逸らして口ごもる。

 

「ご両親も近くにはいないみたいだし……もしかして、ご家族に何かあったの?」

「…………」

「どこか、近くの村や街に住んでいたんでしょう? そこでご家族に何かがあった。近くの大人を頼ろうとしたけれど、駄目だった。だからここまで来て、領主に頼ろうと思ったのに衛視に話をした時点で断られた。でも納得出来なかった……違う?」

「な、なんでそこまで……!?」

「まあ、そのくらいはね」

 

 どういう状況なのかあっさりと見透かされ、ラトが驚きの眼差しを向ける。

 実際は先ほどの大声の内容から推測したものと、この子の衣服から少し離れた場所に住んでいるではと想定しただけの稚拙な推理なのだが……

 その横ではダイも似たような目でチルノを見ていた。

 

「もし良かったら、私たちに話してみて。もしかしたら力になれるかもしれないから」

「……やだ」

「……え?」

 

 このまま流れでなんとかなるかなと思っていたところへ、まさかのお断りだった。

 

「お前らみたいな子供に話をしたところで解決なんてするわけないだろ!」

「なっ! お前だって子供だろ!! オレたちは……」

「ダイ、落ち着いて」

 

 生意気な態度に苛立ったのだろう、思わず食って掛かろうとするダイを何とか止める。

 

「あのね、ラト。一年前に大魔王軍を倒した勇者って知ってる?」

「……しってる」

「このダイがその勇者なのよ」

「えー!? こんな弱っちそうなのが!?」

「よ、弱っちそうとは何だよ!!」

「だって背も低いし子供だし! お前みたいなのが勇者のわけないだろ!!」

 

(……どうしよう、コレ)

 

 わーわーと文句を言い合う二人を見ながら、チルノは途方に暮れていた。

 




長いので一旦ここで区切り。

後編は24時間後。


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番外編 狂想曲をご一緒に 後編

「それで、その子が収穫なの?」

「収穫……かも知れない、くらいだけどね」

 

 レオナの言葉にチルノは期待半分、諦め半分と言った面持ちで返す。

 結局あの後もダイとラトの言い争いを収めきれず、けれども何か情報を持っているかも知れないという己の直感を信じ、ラトを連れてレオナたちの下まで戻っていた。

 

「なあおい、ここってあの領主の屋敷だろ? こんなところ入って大丈夫なのかよ?」

「……とてもそうは見えないんだけど。ホントに大丈夫なの?」

 

 とはいえレオナの気持ちも当然だろう。

 ラトの見た目は十歳程度子供。古びた質素な服を身に纏い、如何にも普通の子供としか思えない。唯一、短く切り揃えられた金髪が目を引くものの、それとて珍しいというわけでもない。

 元気いっぱい生意気盛りの子供にしか見えないのだ。

 

 その本人はといえば、初めて見た貴族の屋敷の豪華さに驚きで頭がいっぱいのようだ。気まずそうにキョロキョロと辺りを見回している。知らない大人が大勢いるのも、きっと落ち着かない要因の一つなのだろう。

 

「でも、他に集まった情報って"領主はいい人"みたいな話ばっかりなのよ。やっぱり本職がもっと時間を掛けないとこれ以上は……」

「……あ! まさかてめーら、おれを誘拐するつもりじゃないだろうな!?」

 

 突然、今気付いたようにラトが大声を上げる。

 一応本人の許可は取り、簡単な説明もしたのだが、それでも内心の恐怖に勝てなかったのだろう。荒い口調は本心を隠すための精一杯の強がりといったところか。

 

「誘拐してどうするの? 誰か身代金を払ってくれるようなアテはあるの?」

「え……!? いや、ないけれど……」

 

 レオナの言葉に語気が弱くなった。だがそれも一瞬のこと。

 

「で、でも金がなくても浚われる人間はいるんだ! 現におれの父さん母さんだって――」

「ちょっと待って!!」

 

 聞き逃せない言葉にレオナはおろか全員が驚く。

 

「浚われたって、どういうこと!?」

「……浚われたんだよ。てか、お前は誰だ!? 偉そうに!!」

「な、なんと無礼な! 態度を改めよ!!」

「よいか小僧、この方はパプニカのレオナ女王陛下にあらせられるぞ!」

 

 子供の言うことであっても、見過ごせなかったのだろう。臣下たちが口々に怒りの言葉を上げる。

 

「えーっ!? これがあのパプニカの女王だって!? おい、嘘つくのもいい加減にしろよ!!」

「ちょ……!! なにそれ! だれがこれ(・・)ですって!?」

「そうやってすぐ怒るところがガキなんだよ! おれ知ってるぜ、女王ってのはもっと落ち着いててしっかりしてる人なんだからな!!」

「ぐぬぬ……」

 

 思わずレオナが唸り声を上げ、臣下たちは全員――死角で必死に己を抓って笑いそうになるのを堪えながら――そっぽを向く。

 

「急に言っても信じられないかもしれないけれど、本当のことなのですよ」

「この人はパプニカの三賢者の一人、アポロよ。知ってるかな? 太陽のシンボルの額冠(サークレット)がその証なの。それにほら、レオナはパプニカの紋章を刻んだアクセサリーを身に付けているでしょう? あれは国の代表しか身に付けられないものなのよ」

「……え? じゃあ、本当に、女王なのか……?」

 

 アポロとチルノの援護で、どうやらやっと信じたらしい。迷いを断ち切るように二人が趣向すると、レオナを見るラトの目が変わった。

 

「じゃあ、コイツも本当に勇者なのか……?」

「そうだよ。信じてくれた?」

「……わ、悪かったよ。二人とも、疑ってごめんなさい」

 

 ダイとレオナに向けて素直に頭を下げる。その姿は年相応の素直な子供だった。

 

「でもさ、なんでパプニカの女王がこんなところにいるんだ? 自分の国にいるもんじゃないのか?」

「あー、それはね……」

 

 そう聞かれては返事に詰まる。

 まさかあの長男と結婚する為に来ていると正直に言うのは癪に障るし、かといって直感で怪しいと思ったと言うのも何か格好悪い。

 

「……レオナはお仕事なの。国同士が仲良くするためのお付き合いで、この国に来ていたのよ。そこで悪事の臭いを嗅ぎ取って、調べているの」

「悪事の臭い……そんなの分かるのか!?」

「そりゃ、女王だもの。それくらいはね」

「すっげーっ!!」

 

 言い方に悩んでいると、チルノが割って入り説明する。子供にはこのくらいの方が良かったらしく、悪事の臭いを感じられるという説明を何の疑いもなく信じていた。

 

(ナイスよチルノ!)

 

「そうよ。それで、ラト、だっけ? もしかしたらキミの知っているのはとっても重要なヒントになるかもしれないの。だから教えてくれるかな?」

「わかった」

 

 一度認められれば素直なもの。ラトはそれまでの小生意気な態度が嘘のようにすんなりと話し始めた。

 

「おれ、ここの近くの村に父さん母さんと住んでるんだ。でも暮らしが苦しくなって、それで領主から金を借りた……でもそれは、みんなやってることなんだ! 友達の家も、借りてるって言ってた」

 

 その情報はチルノも聞いたものだ。

 領主が領民に金を貸す。珍しいかも知れないが、不自然なことではない。

 

「それからしばらくして、友達の家はお金が返せなくなって、そしたら特別な働き口を用意してやるって言って、それっきり会えなくなって……最初は仕事が忙しいのかと思ったけれど、村長に聞いても教えてくれないし!! あと兄ちゃんだっていなくなって!」

「ちょっと待って。兄ちゃんって、誰のこと?」

「近所に住んでる兄ちゃんだよ。家族を亡くして一人で住んでたんだ」

 

 子供の話なので、前置きもなしに急に新しい人物が出てくるのは良くあることだった。むしろ年齢から考えればかなり理解し易いほうだろう。

 

「……そのお兄さんも、領主からお金を借りてたの?」

「知らない。けど兄ちゃんも、急にいなくなった。誰も行方を知らないって……それから家にも突然兵士が来て"金を返せないから"って言って、父さんたちを連れていったんだ! おれはそのとき偶然外に出てて、話は後から聞いたんだけど……」

 

 その現場に居合わせなかったのは幸か不幸か。

 

「やっぱり誰に聞いても助けてくれなくて、だったら直接聞こうって思って、それでおれ、ここまで来て……」

「私に出会った、ってわけね?」

 

 チルノの言葉にラトはこくんと頷く。

 

「……ラト、幾つか教えて貰える? あ、分からなかったら分からないでいいからね」

 

 話の内容を反芻するようにしばらく押し黙った後、レオナは口を開いた。

 

「ボナンデ家――領主がお金を貸し始めたのはいつからか、分かる?」

「えーと……詳しくは分からないけど、魔王軍が暴れている頃には借りてる人もいたはず」

「ふむふむ、それでお金は今も継続して貸しているのね?」

「ああ」

「……その前は? つまりお金を貸すよりも前って分かる? 領主はお金を貸すような人だった?」

「あんまり……」

 

 ラトの首が横に振られる。

 

「復興がどうとか、戦争なんとかで、急にお金を貸すようになったって言ってた」

「なるほど。じゃあ、次の質問ね。そのお金が返せない家は全員が働きに連れて行かれるのかな?」

「知らない」

 

 再び首が横に振られた。

 

「確かに、考えてみれば他の家の借金事情なんて知らないわよね」

「でもそういえば」

 

 ラトの話に耳を傾けていたチルノが声を上げる。

 

「領主が働き口を斡旋しているって話があったわ。もしかして同じ職場なのかも?」

「へえ、そんな情報もあったのね」

「ごめんねレオナ、伝えるのが前後しちゃって。私が集めた限りの情報だと――」

 

 まずラトの話を聞いたのは順番的に間違いだったか、とチルノは軽く謝るとそれまで聞いた内容を簡潔に告げる。

 

「――というくらいかしらね」

「ふーん……その話だけだと、やっぱり良い人にも聞こえるわね。でもそれなら、働き先を教えないってのはちょっと不自然よ。そういえばチルノ、その働き口は具体的に何をするかって話はあった?」

「あ……! ごめんなさい、聞いてない……調査が甘かったわ」

「いいのよ。まさかこんな風に繋がるなんてあたしも思ってなかったし」

「えーと……つまり、言えない理由があるってこと?」

 

 置いて行かれないように必死で理解に務めていたダイであったが、既に頭から煙が出そうだった。彼の言葉に二人の少女は首肯する。

 

「危険な鉱山で強制労働とかさせてるのかしらね? ……でもそれなら、多少批難されるだろうけれど借金という負い目もあるんだし、為政者としてはタダ飯を食べさせるわけにもいかないし、順当っぽいけれど……」

「それでもラトが家族の行方を知りたいって言ってるのに、無下にされるのはおかしいと思うけれど? だって"借金が返せないから"っていう大義名分はあるんだから」

「「…………」」

 

 そこまで意見を口に出すと、レオナとチルノは不意に黙る。そして、まるで示し合わせたように同時に口を開いた。

 

「「やっぱり怪しい」」

「まさか!? ボナンデ殿がそのようなことを!?」

「でもねぇ……」

「陛下!! ならば連れて行った人々をどうしているのか、当主殿に直接尋ねるというのは……!?」

「他国には漏らしたくない研究に参加させている。だから、他人の目は困る。でも完成すれば全世界にお披露目する……とか言われたらどうします? 強行して調べますか?」

「う……そ、それは……」

 

 ここがパプニカならば強権を使うことも可能だろうが、生憎と他国なのだ。強引に動けば国家間の信用問題にもなりかねず、慎重に動くことを求められる。

 

「な、ならば逆にその、機密に関わる場所で働かせているから言えないという理由も成り立つではないですか!!」

「それならそれで、ある程度公開すればいいんですよ。ラトみたいな訴えは多分、今までにも何件かあったでしょうし。場所を知られないように目隠しをして連れて行って家族に合わせる、とかやり方もあったはずでは?」

「な……ならば――!!」

 

 なおも食い下がる家臣であったが、チルノは淡々と反論する。それでも負けじと口を開こうとした時だった。

 

「あー!! もう!!」

 

 レオナが立ち上がり、大声で叫ぶ。

 

「これ以上話をしていてもラチが開かないわ!! その謎の働き口がどこにあるのか、直接探すわよ!!」

「あははは! そりゃいいや。オレもレオナに賛成!」

 

 会議に疲れたのか、そんなことを言ってのける。ダイも同じく考えることに疲れたのか、諸手を挙げての賛同っぷりだ。

 そして二人を除く者たちはもはや諦め顔だった。こうなっては下手なことをいうのは逆効果だと経験で知っている者たちばかり。

 

「(な、なあお前、チルノだっけ? この人、ホントに大丈夫なのか?)」

「(大丈夫よ。あれで頭は良いし、頼りになるんだから)」

 

 唯一、ラトだけが付いていけず不安そうにチルノに尋ねていたりしたが。

 

「……ですが陛下。探すと言ってもどこを?」

「怪しい場所よ!」

「具体的にはどちらを?」

「そりゃあ、ここの地下……とか?」

「ボナンデ家の地下ですよ!? お気持ちは分かりますが確たる証拠も無しでは!!」

 

 軽挙妄動を諫めるアポロの問いかけにレオナの語気が段々と弱まっていった。確かに気持ちは分かるのだが……このままでは悪い方向に暴走するかもしれない。どうやら一肌脱がねばならないと悟り、チルノは嘆息する。

 

「……仕方ない。ホントは倫理的に問題になりそうで使いたくなかったんだけどね」

「チルノ殿?」

「これを使ったのは、内緒で皆さんお願いします……【サイトロ】」

「こ、これは!?」

 

 突如、まるで陽炎が浮かび上がったかのように、チルノの前へ地図が現れた。何も無い空間に浮かび上がるそれはまるで幻術のよう。そこに映し出されているのはこのボナンデ領周辺の地図だ。

 完全な縮尺と精緻に書き込まれた地図にアポロだけでなく全員が驚く。

 地理を知ることの出来る魔法サイトロ――戦略的な観点ならかなり悪用が可能だろう。

 

「基本的に、何か後ろめたい物を隠すなら手の届く範囲の方がいい。だから近隣の可能性が高いはず……あとは……確か、街道を整備したって言ってたわね? ……整備した街道に人を行き来させる。安全で通りやすい道なら誰もが通るから、古い道には目が届きにくくなる……注目が下がる?」

 

 目を白黒させる者たちを尻目に、チルノは地図に目を通しながら怪しい場所を絞り込んでいく。

 

「ラト、古い街道とか知ってる? 新しい道が出来たから使われなくなった道とか」

「え、ええっと……」

 

 突然言われ、驚きつつもラトはサイトロで浮かび上がった地図に指を這わせていく。難しそうな表情を浮かべているのは、頭の中では自分が知っているある道と地図上の道とを必死で重ね合わせているのだろう。

 やがてその指は一カ所で止まった。

 

「この道かな? たしか、行商のおっさんが楽になったとか言ってたし」

「それよ! ここの近くを探しましょう!!」

「……誰が?」

「そりゃあ勿論――」

 

 

 

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「――やっぱりこうなるのよね」

 

 ある意味予想通りの結果だったといえよう。

 ラトが導き出した怪しい道、そこの調査に行くことになったのはダイ・チルノ・ラト・レオナの四人だった。

 護衛に来た者やアポロなどはこぞって反対したのだが、レオナの「あたしが行ってこの目で確認するのが何よりの証拠でしょう!? それと護衛って、この中でダイ君たちより強いのなんているの!?」という身も蓋もない一声に黙るしかなかった。

 挙げ句、彼女たちが屋敷を抜け出したのを悟られないようにキナンらの相手をして時間を稼げという無茶振りである。

 

「何言ってるのチルノ? それよりもラト、この道でいいのね?」

「ああ、間違いねーよ」

「ダイ君、後ろは? 誰か来てる?」

「大丈夫みたい」

「チルノは? 何か怪しいところはあった?」

「うーん……」

 

 唯一土地勘があるラトを先頭に、ダイは誰か追っ手が来ないように後方の警戒を。そしてチルノはサイトロの魔法を引き続き使って地形の確認を続けていた。現在地と周囲の地図を何度も見比べ、やがて気付く。

 

「……ちょっと見て、ここ!」

「森みたいになってるけど、まさか……?」

 

 全員が魔法の地図を覗き込む中、チルノは一点を指さす。

 そこは今の道からもう少し先にある場所。その奥には木々が生い茂っており、野性動物や下手すれば魔物が住処としていそうだった。

 

「行ってみる?」

 

 レオナの言葉に全員が頷く。

 

 先を進み森の中へ。ここからはラトの土地勘も叶わず、チルノの持つサイトロの魔法が頼りだ。方角を何度も確認しながら奥へ奥へと進み続け――

 

「正解だったみたいね。ほら見て」

「こんな辺鄙な場所で、ありえない量よね……」

 

 地面には複数人の足跡が残っていた。人間以外に馬の足跡と馬車と思われる轍もあった。それらが幾つも刻まれている。それらを更に追っていくと、森の中には不釣り合いに大きな建造物があった。

 

「あれって……」

「明らかに怪しいわね」

 

 

 

 

 

「うわ……不気味……」

 

 四人は建物の中に忍び込んだ。手入れもされておらず、まず黴臭さが鼻につく。

 内部には窓がなく、薄暗い。呪文で生み出された光源が頼りなく照らしているだけだ。入り口には申し訳程度の玄関を兼ねた大広間があり、四方には扉が見える。

 外観と内観から察するに、この最初の広間から三方にそれぞれ大きな部屋があるようだ。下手をすれば地下室もあるかもしれないが、さすがにそれは調査しないと分からない。

 

 見える範囲には椅子とテーブルが乱雑に並んでおり、卓上には薄汚れた食器も見える。ここに誰か――それも複数人がいることは間違いないだろう。

 

「思ったより埃は立たない……これは正解かもね」

「……どういうこと?」

「つまり、この建物は誰かが頻繁に出入りしているってこと。埃が溜まらない程度にはね」

 

 レオナの問いかけにチルノが答える。

 やはり根っこは王族、掃除をサボって埃が積もるのは、頭では知っていてもすぐには結びつかなかったのだろう。人の通り道は汚れが見られない分、四隅には吹きだまりのように埃が溜まっている。

 

「ここに、父さんたちが……?」

「ええ、きっと待ってるわ」

 

 儚げに呟くラトの肩へ励ますように手を置き、レオナがそう断言する。彼らは慎重に奥へと進んでいった。

 

「う……っ、なに、この臭い……」

 

 進むにつれて鼻がツンとする特異な刺激臭が漂ってくる。嗅ぎ慣れぬ強い臭いにレオナやラトは思わず鼻を押さえるほどだ。

 

「薬品、かしらね……?」

 

(ううん、それだけじゃない。これって……)

 

 それに混じり、もう一つの臭いがあることにチルノは気付いた。一年前に何度か嗅いだことのあるその臭い――

 

(ひょっとして、死臭……!?)

 

「姉ちゃん……」

 

 ダイも感じ取ったんだろう。二人は視線を合わせると無言で頷き、気を引き締め直す。この奥には生きものを殺すような何かがいるのは間違いないのだから。

 

「ここ、一番奥の扉よね?」

「見た感じ、この部屋が一番大きいみたいだし……開ける?」

「……オレがやるよ」

 

 物音を立てないよう一層警戒しながら進み、やがて最奥の扉へと辿り着いた。作りから考えてもそこは一番大きい部屋で、同時に一番怪しい雰囲気を醸し出していた。

 ダイは明らかにおどろおどろしさを漂わせる扉に手を掛け、緊張を孕みつつもほんの少しだけ開ける。

 

「――――ッ!!」

「……う……っ!」

「……っ!!」

 

 室内に視線を走らせた途端、チルノは喉まで出掛かった声を押し殺した。同時にレオナとラトの口をそれぞれ手で塞ぐ。あと一瞬でも遅ければ、少なくともラトは恐怖に悲鳴を上げていただろう。

 

「あれは……妖魔士団の魔物たち……」

「しかも、あれって……」

「状況から判断するに、人間を使って実験しているんでしょうね……」

 

 妖術師や祈祷師などの、いわゆる魔法使い系に代表される魔物たちがひしめき合いながら作業を行っていた。ある者は人間を切り刻み、またある者は何本もの試験管を手に取る。人間と魔物の合いの子のような生物を檻に閉じ込め、暴れる様子を観察しながら何らかの記録を取り続ける者もいた。

 壁には魔族の言葉で書かれた実験結果レポートと思わしき紙が無数に貼り付けられ、床には血の跡だろう真っ黒な染みが所狭しと浮かんでいた。扉が開き空気の通り道が出来たことで、異臭もさらに強烈になる。一嗅ぎしただけで頭が痛くなりそうだ。

 さながら魔女の釜の底。

 心の弱い者が見れば、その瞬間に卒倒するだろう。事実、最年少のラトは歯の根が合わなくなったようにカチカチと鳴らし、身体は震えている。泣き喚かずにいるのは奇跡に近い。

 

「実験……って……?」

「まさか超魔生物?」

 

 ダイの言葉にチルノは無言で頷く。

 

「超魔生物は戦力を強化するのにうってつけだもの。隠れ潜んで実験を繰り返して力を蓄えて、私たちへの復讐の機会を狙っている――だけなら良いんだけど、事態はもう少し複雑そうなのよね……」

 

 遠回しな言い方、けれどもレオナはそれだけで彼女が何を言いたいのか気付いたのだろう。じわじわと顔が青ざめていく。

 

「まさか、ボナンデ家が協力を?」

「……可能性は高いと思う」

「え、なんで?」

 

 どうして魔物と貴族が繋がるのか分からず、ダイは目を白黒させる。

 

「いい、ダイ君。実験のために人間を浚う。でも人を浚うなんて目立つでしょう? 急に人がいなくなれば家族や知人が心配するし、調査もされる。そもそも魔物が動けば相当目立って話題になるはずよ。でも、チルノたちが調べた話にそんな物はなかった。おかしいと思わない? 誰かが真実を隠しているのだとしたら?」

「ついでに言うなら、ベンガーナの攻略は妖魔士団の担当だった。でもザボエラたちは目立った侵攻を見せていない。勿論、ベンガーナが頑張って防衛していたのもあるでしょうし、ザボエラが侵攻に熱心じゃなかったというのもあるけれど……」

 

 レオナの言葉に付け足すように言うと、チルノは心底言い難そうに一度言葉を切った。

 

「……もしも、ザボエラと取引した人間がいたとしたら? 命と財産を保証してもらう代わりに魔物たちの襲撃計画を教えて貰ったり、逆に人間側の情報を流したり。そんな都合の良い情報源をギリギリまで利用したいという理由もあって、侵攻していなかったとしたら?」

「まさか……そんな、そんなことって……」

 

 信じたくないといったようにダイは俯く。まさか魔王軍に協力する人間がいたなど、純粋なダイにとっては想像も出来なかったようだ。

 

「あたしもチルノの意見には頷けるの。現にああやって魔王軍の残党がいるのに、ボナンデ家は討伐に動かない。この建物や実験の様子から判断するに、昨日今日ここに来たってワケでもなさそう……となれば、なんらかの関係性があるのは間違いないと思うの。それと……」

 

 流石にコレは大きな声で言うわけにはいかない。レオナはできる限り声を潜め、ダイの耳元で他の誰にも聞こえないように注意しながら囁いた。

 

「(借金を理由にすれば人間を連れて行くのに都合がいいでしょう?)」

「……ッ!!」

 

 レオナの言葉でようやくダイの中でも一本の線に繋がった。

 

「ねえ、じゃあ父さんたちはここにいる……? それともまさかもう……」

「大丈夫。お父さんたちが連れて行かれたのは最近なんでしょう? なら、まだ無事なはずよ。お父さんお母さんを助けてあげましょう、ね?」

 

 レオナがダイに囁く一方、チルノはラトの相手をしていた。それはレオナの話を聞かれないためのアシストであると同時に、恐怖が限界に達したラトを慰める意味もあった。今にも泣き出しそうな顔を浮かべるラトを、チルノは優しく抱き締めて励ます。

 

「一旦調査はここまでにしましょう。多分、人質を捕らえておく部屋があるはずだから、そっちを探して無事な人たちだけでも連れて逃げるわよ」

「ええ。あと何か、出来ればボナンデ家と魔物たちとの繋がりを示す証拠も欲しいんだけど……そこまで無茶はできないわよね。まずは人命優先で」

 

 必要最低限の裏は取れた。

 レオナたちの証言に加え、確実性を増す意味でも物的な証拠が欲しいところなのだが、ラトの気持ちを慮る意味でも長居は無用。囚われの人たちだけでも救出して逃げるだけだ。

 

「……しかし、思った以上に大事(おおごと)が裏に潜んでいたのね」

「図らずも、レオナの予感は正しかったワケだ」

 

 小声でそんな会話を交わしながら戻ろうとした時だ。

 

「まったく、困った奴らだ。こんな所まで来てしまうとは」

 

 不意に、聞き慣れぬ声が聞こえてきた。方向はダイたちの後ろ、つまり入り口から。間違いなく閉めたはずの玄関はいつの間にか開いており、声の主はそこから姿を見せる。

 

「この声……!」

「キナン公爵!! どうしてここに!?」

「街で黒髪の少年と赤髪の少女の話を聞いてな、まさかと思い注意していれば……ここまで嗅ぎつけるとはまったく忌々しい!」

 

 突然のキナンの登場に驚くレオナたちであったが、キナン本人は吐き捨てるような口調と恨みがましい目を向けながらゆっくりと近づいてきた。

 

 

 

 

 

「何も知らず、余計なこともせずにワシの命令通りにしておれば良いものを……おかげで計画が台無しだわい! どうしてくれるのだ!?」

「……計画? 妖魔士団と手を組んで、人間を浚って……何が目的なの? 超魔生物を量産するつもり?」

「超魔生物……? なんだそれは?」

 

(……え!? 超魔生物を知らない……?)

 

 予想外の言葉に問い質したはずのチルノの方が面食らってしまう。

 

「ワシは確かに魔王軍と手を組んだ。だがそれはあくまで自衛のためだ!!」

「自衛……ですって!? 魔王軍に協力することのどこが自衛なのよ!?」

「そうだ! 大魔王を倒すためにみんなで協力する方がよっぽど大事だろ!!」

「何を言うか!! そんなことは綺麗事にすぎん!! あの時点で大魔王に勝てたという保証がどこにあった!? だからワシは取引をしたのだ!! 地上が征服されてもワシらだけは助かるように! 多くの人間は殺されるか奴隷とされるだろうが、ワシら一族だけは助かるようにな! そうすれば僅かでも人間は存続し、繁栄できる!! これがどうして批難されねばならんのだ!!」

「な……っ!!」

 

 あまりに身勝手なキナンの言葉に、ダイたちは絶句する。

 

(……ここにバランがいなくて、本当に良かったわ。こんな言葉、聞いた途端にベンガーナごと地図から消えていてもおかしくないもの)

 

 チルノは一人、こっそりと神に感謝する。

 同族を売っただけでも烈火の如く激怒していただろうが、この言葉はその火に油を注ぐようなものだ。怒り狂い、感情の赴くままに大暴れしても不思議ではないだろう。

 

「キナン公爵……どうしてそんな馬鹿な考えを……」

「レオナ……多分、大魔王の目的を知らないから……」

「……あっ!」

 

 大魔王バーンの真の目的は地上世界の破滅。六大軍団長であっても知らされていない事実である。必要以上の混乱を避けると言う意味でも、バーンの真の目的はしばらく口外しないようにと諸王たちは世界会議(サミット)で取り決めていた。

 勿論、あの大戦の傷が完全に癒えて、人々が新しい生活を過ごせるようになったと判断した時点で公開するつもりではあったが。

 世界会議(サミット)参加の権利を持たないキナンでは知らないのも当然だった。

 

 そもそも当初、人間たちは大魔王軍の侵攻をハドラーの時と同じく地上世界の征服だと思い込んでいた。ならば大魔王に取り入り媚を売ることで、特例で生き延びられると考えても不思議ではない。

 

「だがあの戦いは貴様らが勝った、それはいい! だがこやつらは大戦中の縁だといって当家に強引に入り込んできたのだ!! 隠れ家と実験用の人間を調達しろと!! 断れば大戦中の関係を公表すると言ってなぁ!!」

「そんなの自業自得じゃない!!」

「正直に言えば良かったんだよ!! そうすればオレたちだって――」

「馬鹿を言うな!! そんなことをすれば世界中から卑怯者の(そし)りを受ける!! そのような恥ずかしい真似がどうして出来ようか!! 仮に大戦中の責任にまで遡って請求されれば我が家は終わりだ!! ベンガーナの頂点に立つという我が野望も叶わなくなる!! こうなったのも全て、貴様らが魔物どもを打ち漏らしたのが原因だ!! どう責任を取ってくれる!?」

「ひ、ひどい……」

「なんて身勝手な……」

 

 まるで全ての原因がダイたちにあるとでも言うような口ぶりだった。

 醜聞を恥と考え、公にするくらいならば全てを闇に葬り去り真実を消してしまいたい。家名に傷を付けたくない。

 そんな、肥大化した欲望と自尊心が最悪の行動を取らせたのだろう。

 

「ふ、ふざけるな!! そんなことのためにおれの父さんたちは……」

「やかましいわ!! 貴様の親のことなど知るか!! 我が領内で暮らしている以上、民は全員ワシの為に死ね!!」

 

 ラトが怒りを露わにすればその数倍の勢いでキナンが怒鳴る。

 

「役立たずのニニットをパプニカへ婿に出すことで我が家の影響力と商売圏はもっと広くなる! そうなればいずれベンガーナだけでなくパプニカの実権を得られる!! それどころか他国を蹴落とすことも出来るのだ!! それをどうして諦められようか!!」

「……なるほど、なんとなくわかったわ。その計画に私たちがどう関係するのか」

 

 よほど鬱憤が溜まっていたのか、その後も言葉は止まらなかった。ベラベラと口にされる腹の内を聞きながら、チルノはようやく自分たち(アルキード)が関係する理由に気付いた。

 

「私たちは大魔王軍の残党を倒す役目だった……違う?」

「ほう、何故そう思う?」

 

 どうやらあれは対外的なポーズに過ぎなかったようだ。最初チルノたちを出迎えたときは真逆の態度を見せながら、キナンは不敵に笑う。

 その様子に自分の考えは間違っていなかったと確信しながらチルノは続ける。

 

「ああ見えても、妖魔士団の生き残りたちはそこそこ強い。下手に戦力を動かしたり強い相手に退治を依頼すれば、問題が露見しかねない。勇者を頼りたいけれど、今まで関わらなかった相手と突然つながりを持とうと動けば、それだけで疑いの目で見られかねない」

 

 案外、ダイたちと直接知り合いになるのはプライドが許さないという矮小な理由があるのかもしれないと思ったが、さすがにそれはどうでも良いので口に出さない。

 

「だからレオナを頼った。個人的な親交があるから、その繋がりで紹介されたといえば不自然じゃない。パプニカへの婿入りには、案外そんな理由もあったのかもね」

「え……っ!? うそ、最悪……!」

 

 レオナが苦々しい顔を見せる。自分の婚約話の裏にそんな下衆な欲望があったと知らされれば、仕方ないだろう。

 

「繋がりを持った後で退治させる。あくまで偶然を装うために、大魔王軍と繋がっていた証拠は時間を掛けて消しておく。魔物たちが何を言っても所詮は戯言と切り捨てられるし、勇者と言ってもまだ子供だから言いくるめられる自信があった……ってところかしら?」

 

 当初、ダイとチルノと出会った際にキナンの見せた複雑な感情。それを合わせて推理した結果である。だが、どうやら的を射ていたようだ。全てを聞き終えたキナンはニヤニヤと笑う。

 

「察しが良いな、その通りだ。そして(こと)が露見した以上、どうなるかは分かっているだろうな?」

 

 パチンと指を鳴らす。すると背後から彼の私兵と思わしき男たちがぞろぞろと現れた。

 彼らもキナンが裏で何をしているのか知っているのだろう、命令に従ってダイたちを部屋の中心として取り囲み、武器を構える。

 一気の濃度を増した殺気でラトが怯え、チルノは安心させるように背中で庇う。

 

「まさかレオナのことを利用しようとしていたなんて……覚悟しろ!」

「そうよ! ダイ君たちに勝てると本気で思っているの!? 馬鹿な真似は止めれば、まだ温情はあるわ!!」

「フン! まともに貴様らを相手にするつもりなど毛頭ないわ!!」

 

 数十名もの兵士たちが並ぶが、ダイたちを相手にするには力不足だ。それを理解するレオナはむしろ女王らしい毅然とした態度を見せ、罪人を説得するような強い口調を見せる。ダイも油断なく周囲を見渡し、相手を牽制するように圧を掛けていた。

 とはいえキナンも力量の差は計算の内なのだろう。懐から何かを取り出し投げつけた。

 

「ギイイイイイイィィィッッ!!!!」

「うわっ!?」

「何っ!?」

 

 突如として、奇声のような音が鳴り響いた。耳に痛いほどの高音はまるで超音波。予期せぬ五月蠅さに思わず耳を押さえながらも、音の出所(でどころ)を探す。

 

「……油断してた! しかもこれって警報!!」

 

 チルノは己の甘さに思わず舌打ちする。一年の間に平和ボケしたのか、この程度の備えはあってしかるべきと気付くべきだったのだ。

 警報音は侵入者の存在を建物全体に知らせ、閉じたはずの扉の向こうがにわかに慌ただしくなるのが聞こえてきた。

 

「いた! あいつだ!! 真空呪文(バギ)!」

 

 気配を探り、ダイはふわふわと天井近くを浮かぶ魔物を見つけた。ドラキーに酷似したそれに向けて風の刃を放ち真っ二つに切り裂けば音はぴたりと止んだが、建物内の慌ただしさは止まない。

 最奥の扉が内側から開き、妖魔士団の魔法使いたちが飛び出してきた。

 

「この警報は!? な、貴様は!!」

「ゆ、勇者ダイ! どうして此処に!?」

 

 あのドラキーのような生き物も妖魔士団が作った物の一つだった。蝙蝠の警報を聞きつけて現れた魔物たちは、予想だにしていなかったダイの登場に驚きを隠せない。

 

 混乱した時を見計らい、キナンが大声を上げた。

 

「おお妖魔士団の聡明なる方々よ、申し訳ない! 勇者ダイたちの侵入を此処まで許してしまったのは我が落ち度! どうか手を貸していただきたい!!」

 

 なるほど。これがキナンの狙いだったようだ。

 妖魔士団の魔物たちを巻き込み、矢面に立たせてダイたちと闘わせる。倒せずとも消耗させれば、勇者にトドメをさせると踏んでいるのだろう。邪魔な残党(魔物)たちを片付けられ、秘密を知った者(勇者)たちも消せる。

 実現できれば一石二鳥の策だろう……実現できれば。

 

 わらわらと飛び出してきた神官系の魔物たちはキナンのその言葉に目の色を変え――

 

火炎呪文(メラ)!」

「うわあああぁっ!!」

 

 ――近くにいた私兵の一人を炎で包み込んだ。猛火に焼かれ、悲鳴を上げて倒れる兵士の姿がキナンたちを怯えさせる。

 

「な、何故だ!! どうして味方を攻撃するのだ!?」

「クックック、何を言うのかと思えば……」

「我々は敵を片付けただけですよ」

 

 味方――使い捨てるつもりではあるが――だと思っていた相手から突然の奇襲に、キナンはおろか彼が連れてきた私兵たちも動揺の色を隠しきれなかった。中には小声で"話が違う"と吐き捨てる者や、今にも逃げ出しそうな者もいる。

 

「い、一体何が……?」

「仲間割れ? よ、よくわからないけれどダイ、レオナ、今の内に……」

 

 ダイたちすら想定外の展開に混乱し、手を止めてしまった。とはいえせっかくの機会なのだ。チルノは合図すると少しでも守りやすい位置――四方から襲われない様に壁を背にできるような場所へそっと移動する。

 

「て、敵だと!? 敵は我々ではない!! 勇者たちなのだぞ!?」

「無駄ですよ父上、もうあなたは用済み。彼らがあなたの言葉を聞くはずもない」

 

 必死に叫ぶキナンの更に背後から、もう一人の男の声が聞こえてきた。その凜とした声色はダイたちも聞き覚えがあった。

 

「ロ、ロマネ!! 何故お前がここに!? どうしてこの場所を知っているのだ!?」

「あれって、次男よね?」

「えぇ……」

 

 ボナンデ家次男のロマネが姿を現す。だが屋敷で見た時とは異なり、その顔色は邪悪そうに歪んでいる。狂気の表情を貼り付けていると呼んでも差し支えないだろう。

 

「簡単なことですよ父上。一年ほど前から、ときおりふらっと家から出かけていくあなたを尾行しただけのことです。領内が騒がしくなったことと合わせれば、何か関係があったと疑うのは当然でしょう」

 

 外様には注意を払えども、身内にはガードが甘くなるのは当然のこと。家族という近い立場にいたからこそ、親の異変に気付けたのだろう。

 

「それと、この場所を知っているのは私だけではありません……ほら、さっさと来い!」

「ひ、ひいいいぃぃっ!! やめろ痛い! 引っ張るな!! ……ぶべっ!」

 

 よく見ればロマネは手に縄の端を握っており、それを強く引っ張った。その先から現れたのは、長男のニニットだ。上半身を荒縄で拘束され、無理矢理歩かされたことでバランスを崩して盛大に転ぶ。

 

「ニニット!? ロマネ、ニニットを連れてきたのか!? どうしてだ!?」

「……だって可哀想でしょう?」

「可哀想、だと!? 一体何が……?」

「死に目にも会えなくなるなんて、可哀想ですから」

 

 ニタリ、とさらに顔を歪ませた。

 

「無能のくせに、ただ兄というだけでボクの邪魔を散々し続けた! 道具にもなれない出来損ないの癖に、態度ばかりはデカい!!」

「な、なんだと貴様! 兄に向かって!! なんだその態度は!!」

「黙れっ!! 勝手に口を開くな!!」

「ぶぶぶぶひいいいぃぃっっ!!」

 

 ロマネが剣を突き付けた。切っ先が眉間に軽く突き刺さり、僅かに出血する。かすり傷にも満たない怪我だが、それだけでもニニットは悲鳴を上げ涙を流して口を噤んだ。

 

「父上、あなたもだ!! 魔王軍という素晴らしい力をどうして捨てようとする!?」

 

 兄に剣を突き付けたまま、もう片方の腕を――正確にはその手首を見せつける。

 

「そ、その腕輪は……!!」

「そうですよ、父上。あんたも持っているだろう? 魔王軍と手を組んだ証だよ」

 

 ロマネの左手首には、禍々しい意匠の腕輪がはめ込まれていた。腕輪は怪しく光を放てば、その光に共鳴するようにキナンの左腕も同じように輝き出した。

 

「……あっ!!」

「くっ、い、いやこれは……!!」

 

 慌てて隠そうと思ってももう遅い。

 この腕輪こそ、大戦初期にザボエラと契約した証――妖魔の腕輪である。

 呪いにより外すことは出来ず、腕輪を通じて妖魔士団とやりとりを行なえる。先の会話だけでは辿り着けなかった絶対なる証拠だ。

 

 キナンがアルキードと繋がりを求めたのには、魔物退治以外にこの腕輪を外して欲しいという目論見もあった。何しろ腐ってもザボエラ謹製の道具、並の神官では解呪不可能な強力な呪いが掛けられている。

 

「何故それを隠そうとするのです!? 魔王軍は残党でも途轍もない力を持っている。なら、ボクたちが手を組めば地上全てを手に入れることだって出来る!!」

「ロ、ロマネ……お前と言う奴は……」

「なんて馬鹿なことを考えるの!!」

「そうだそうだ! そいつらがずっと協力するわけがないだろ!!」

「……あなたは新しい魔王の代わりになるつもり?」

「考え方の違いだね」

 

 キナンは信じられない者を見るような目を向け、先の戦いの最前線にいたダイたちはそんなことは絶対に不可能だと叫ぶ。

 だがその全てはロマネの耳に届くことはなかった。

 

「父上は所詮、金だけを求める俗物にすぎない。でもボクは違う。魔族と契約し、この世界をまとめ上げるのさ! 各国の王とも魔王とも違う新たな支配体制を築く! ボクにはそれだけの才能がある!!」

 

 呪いの証とも言うべき腕輪を、寧ろ誇らしげに掲げながら宣言する。自分は父親とは違うのだと言い放つその姿は、自己陶酔の体現者だった。

 ニニットという兄のことを疎ましく思い続けたことと、魔王軍という理外の力を手にしたことで、彼の中の歯車はどこかで狂ってしまったのだろう。どちらか一つが欠けていれば、おそらくはこうはならなかった。

 肥大化した自尊心と自己顕示欲が、彼を外道へと走らせたのだろう。

 

 いや、それ以外に一つだけ要因があった。

 

「ククク、貴様が我々を鬱陶しく思っているのは承知の上! だが寝首を掻かれるわけにもいかん。そんな折り、我らは素晴らしい理解者を得たのだ!!」

「これからロマネ殿と歩む!! 共に地上を手にするのだ!! そのための協力は惜しみませんぞ!!」

 

 妖魔士団の魔術師たちは彼を後押しするように言い放つ。その言葉にロマネは更に気をよくしていた。

 キナンが残党たちを切りたかったように、彼らもキナンを切りたかった。

 そんな時に盤上に現れたのがロマネだ。

 秘密裏に隠れ家を訪れた彼のことを言葉巧みに操り、自分たちに都合の良い駒として動くように洗脳する。魔王軍との関係を恥と考えるキナンよりも、進んで協力しようとするロマネの方が都合が良い。

 そして結果はご覧の通り。もはや隠す必要もない。

 

「人間よ――キナン、だったか? 貴様ももう用済みだ。死体は魔物たちの餌にでもしてやる!!」

「そして勇者ダイたちもだ! まさかここに来るとは想定外だったが、丁度良い。未だ途中であれど、貴様らを屠る程度ならば問題はないはずだ!」

「超魔生物はさらなる進化を遂げたのだ! さあ、ここで共に死ぬが良い!!」

 

 左右の扉が開き、中から異形の怪物たちが現れる。いずれも見たことのない魔物たちであったが、良く見ればそれらは皆、大魔王軍に所属していた魔物たちだ。超魔生物の実験の産物として生み出されたのだろうそれらは、理性を失った瞳で人間たちを睨む。

 

「ひ、ひいいいいぃぃぃっ!! こ、殺せっ!! 勇者も魔物どもも!! 全員殺すのだ!!」

「馬鹿馬鹿しい! 勝てると思っているのか!? やれっ!!」

「え……ちょ……!?」

 

 悍ましい怪物たちの登場にとうとう肝を潰したのだろう。キナンは配下の兵たちにそう命じると、自らは部屋の隅へと逃げ込んでしまった。ロマネもまた命令を下すと、妖魔士団と出来損ないの魔物たちが動き出す。

 

 そして――

 

「ああもうっ!! 状況が最悪過ぎる!!」

 

 ――チルノは今日何度目かになる頭を抱えた。

 

 この状況ならば、キナンの私兵たちを下がらせることも出来ただろう。

 だが彼らは下された命令に従い手当たり次第に攻撃を仕掛けている。いっそ全てを捨てて逃げてくれれば楽なのだが、何か弱みでも握られているのか全員が決死の覚悟すら見せていた。

 あっと言う間に残党たちと私兵たちが暴れ、チルノたちがそれに巻き込まれるというという三つ巴の戦局が出来上がってしまう。

 一人一人の実力ならば正面対決ならば問題ないだろう。だが生憎とここは室内、それに乱戦ともなれば、何が起こるか分からない。

 不意を突かれれば真・大魔王バーンとて傷を負うのは歴史が証明している。

 

(だったらまずは……)

 

「【ブリザガ】!!」

 

 魔法で冷気を操り、厚い氷の壁を生み出した。仕切りを作ることで戦場を幾つかに分断して、対応をしやすくする。

 

「レオナ! ラトを連れて出来るだけ安全な場所へ!! 私とダイは平気だから!!」

「ありがと!! ほらラト、こっち!」

「あ、ああ……」

 

 さらに冷気を操り、二人の下がった先に即席の避難所を作り上げる。正面以外は氷で塞いでいるので不意打ちも出来ず、仮にダイとチルノを突破してもレオナが対応可能だ。

 

「姉ちゃん! オレたちはどうする!?」

「レオナたちの護衛を最優先で! 人間の兵士は気絶させるだけに留めて! 魔物も証拠だから何体かは残して無力化するわよ! 出来る!?」

 

 チルノは矢継ぎ早に告げる。その間、襲ってきた異形の魔物を素手で殴り飛ばすと、ダイはニカッと笑って見せた。

 

「当然!!」

「さっすが! 前は任せたわよ!」

 

 短くやりとりを交わすと、ダイは敵集団の最も密集した部分へと突っ込んでいく。その動きの速さは、この場の誰もが反応出来なかったほどだ。

 

「やっ! はっ!! とうっ!!」

 

 敵に肉薄するとすぐさま、魔物たちは竜闘気(ドラゴニックオーラ)を込めた拳で殴り飛ばし、兵士たちは軽く闘気を込めただけの一撃で意識を刈り取っていく。

 その手並みの鮮やかなこと。さながら無人の野を行くかのようだ。

 

「馬鹿な! こうも簡単に!?」

「くそっ! 怯むな!! 火炎呪文(メラミ)!」

閃熱呪文(ギラ)!」

 

 まだ接敵していない妖魔士団の魔法使いたちは、味方ごと巻き込むのも構わず攻撃呪文を放つ。両手で抱えられる程巨大な火球が放たれ、熱線が一直線にダイを襲う。

 

「海波斬!」

 

 迫り来る攻撃呪文を一瞬だけ睨む。

 避けるのが一番手っ取り早かったが、それでは気絶させた人間を巻き込んでしまうため不可能だ。ならばこれだと、ダイは高速で手刀を振るう。一閃させた拳の一撃で衝撃波が生まれ、放たれたそれは呪文を見事に打ち落として見せた。

 アバン流刀殺法を極め、過去には素手でアバンストラッシュまで放ったこともあるのだ。この程度のことは容易い。

 

「なんてことをするんだ!!」

 

 味方すら巻き込んだ攻撃に怒りを露わにしながら、ダイは更に暴れる。

 

「やあっ!!」

「ぐっ……!!」

 

 襲い掛かる魔獣を蹴り飛ばし、複数の敵にまとめてダメージを与えるような動きを心掛ける戦法はさながら小さな嵐のようだ。ダイの暴れる姿に敵は怯む。

 

「【ホールド】! 【シェイド】! 【サイレス】! ごめんなさい、【エアロ】!」

 

 チルノも負けてはいない。

 ダイが注目を惹きつける間に麻痺の魔法で魔獣の動きを止め、沈黙の魔法で魔法使いたちを無力化していく。ときおり見える兵士には威力を弱めた風の魔法で吹き飛ばし、無理矢理戦線を離脱させる。

 

「もうっ!! こんなことなら剣を持ってくれば良かった!!」

 

 魔法で兵士を眠らせてしまいたいが、そうすれば魔物たちに襲われる危険性がある。相棒の剣(ガリアンソード)ならば変幻自在に動いて更に巧みに戦場を支配出来たのだろうが、所詮は無い物ねだり。

 

「【はりせんぼん】! 【ブリザラ】!」

 

 手が空けば、単体だけに狙いを定めた攻撃魔法で確実に止めを刺す。

 建物を崩壊させるような派手な戦法は決して取らず、けれど着実に数を減らして相手の戦意を削いでいく。その戦い方はなんとも賢く巧み(クレバー)なもの。かつて賢者だなんだと呼ばれていたのは、未来を知っていたからだけではない。

 

 少し離れた、氷の壁で作られた避難所ではラトが二人の戦いぶりに目を丸くしていた。

 

「すげぇ……」

「どう、ラト? これが伝説の勇者の力なのよ」

「すげぇ、すげぇよ……おれも、こんな風になれるかな?」

「ええ、きっとなれるわ。でも今は我慢して」

 

 あっと言う間に敵を倒していく姿に恐怖心すら吹き飛んだらしい。子供らしい無邪気な瞳で戦いを凝視する。今にも飛び出して行きそうなラトを押さえながら、チルノは万が一のことがないかと周囲を警戒していた。

 

「……ってチルノ! 後ろ!!」

「貰った!!」

「――っ!!」

 

 レオナの声に間一髪反応すると、背後から襲い掛かっていた兵士の一人を攻撃の勢いそのままに投げ飛ばす。硬い床に受け身も取れずに叩きつけられ、男の意識が飛んだ。

 

「ありがとレオナ!」

「どういたしまして!!」

 

 さすがに中衛を退いて久しいチルノでは、乱戦の最中の殺気を感じきれなかったようだ。汚名を返上すべく改めて敵に向かい直し――

 

「……えっ!! 嘘でしょう!?」

 

 ――そこで信じられない光景を目にした。

 

「危ないっ!!」

 

 

 

 

 

「さて……兄上、あなたには一番大事な役目があるんですよ」

「や……役目……!?」

 

 敵味方が入り乱れての乱戦が始まったのを確認すると、ロマネはそう告げた。彼の持つ剣の切っ先は未だニニットの眼前で揺れており、今にも眉間を貫きそうだ。

 怯えた目を向け、弟をなるべく刺激しないように注意しながら彼は小さく口を開いた。

 

「そう、生け贄になるんです」

「い、いいいい生け贄!? ななななんでボクが!?」

 

 縄で縛られ床に倒れたまま、逃げるように身体を揺らす。芋虫が這い回るようなその姿を見ながら、ロマネは心底軽蔑したような視線を兄へと向けた。

 

「あんたを殺せば、ボクは愚兄の呪縛から解放される! 勇者をも超えた力を持った証拠となるんだよおおぉぉっっ!!」

「うひいいいぃぃぃっ!!」

 

 いわゆる鍛冶場の馬鹿力というやつか、はたまた一生分の運を使い切ったのか。

 一流の剣士と見まごうほどの速度で放たれた刺突を、ニニットは必死に転がってなんとか避けた。切っ先が石で出来た床を貫く。

 

「ちぃっ! 豚が!! 大人しく殺されていれば良いものを!!」

「危ないっ!!」

 

 まさか避けるとは思ってもおらず、更に苛立ちを見せながら剣を振りかぶる。

 チルノが声を上げたのは、丁度そんな瞬間だった。

 

(間に合って!!)

 

「【ヘイスト】!」

 

 加速の魔法を唱えながら一気に駆け寄り、ニニットを掴んでその場を離脱する。

 

「うっ……重い……」

「くっ、貴様! 余計なことを!!」

「お、お前……!?」

 

 まさに間一髪、振り下ろされた剣は再び床を切り裂いた。後一瞬でも遅かったら間に合わなかっただろう。

 予想以上に重いニニットを引っ張り、少しでも距離を離しながらチルノは叫ぶ。

 

「なんてことをするの!! この人はあなたのお兄さんでしょう!!」

「こんな者が兄であってたまるか!! これは処分すべき豚! ただの汚点だ!! こんな豚と血が繋がっていると思うだけで吐き気がするわ!!」

「ひどい……」

 

 確かに、ちょっとだけ同意するところもあるが、それはそれだ。

 

「なんて言い方よ!! 家族は喧嘩したっていい!! 離れることだって、すれ違う事だってある!! でも殺すような真似は絶対に許さない!! 失った命はもう二度と戻ってこないのよ!!」

「綺麗事をほざくな!! ボクにはもう父も兄もいない!!」

「ひいいっ!!」

 

 まだやり直せる。まだ止められるはずだと信じて訴えかける。だがロマネからの返事は否だった。殺気に血走った目で睨み、その視線を受けたニニットは竦み上がってチルノの影に隠れようとする。

 

「ちょ、ちょっと! 離れて! 危ないから逃げて!!」

「お、おいお前!! ボクを助けろ! あの愚弟を殺せぇぇっ!!」

 

 少女を盾にし、身代わりのようにぐいぐいと前に押し出しながら、弟を殺せと命令する。その情けなさと身勝手さには、呆れを通り越して頭痛を覚えるほどだった。

 

「邪魔をするなら、二人まとめて死ねッ!!」

「チルノっ!!」

 

 三度凶刃が振るわれる。だがまたしてもその刃は届くことはなかった。割って入ったダイが竜闘気(ドラゴニックオーラ)で受け止め弾く。(ドラゴン)の騎士など相手にしたことのないロマネは、まるで鉄塊に剣を叩きつけたような感触に驚いている。

 

「ダイ……っ!! もう、レオナたちを最優先でって言ったでしょう!」

 

 口ではそう言いながらも、声色からは抑えきれない喜色が溢れ出ていた。自分を気遣ってくれるダイの行動に我慢できず顔が綻んでしまう。

 

「――と、喜んでばかりもいられないわね……【エアロラ】!」

 

 だが一瞬で気を引き締め直す。

 ダイがこちらに来た以上、役目を入れ替える必要がある。レオナたちを狙っていた魔獣を風の魔法で吹き飛ばし、同時にこちらに注意を向けることで一旦安全を確保する。

 

「あっちに逃げて!」

「む、無理だ! ほら、脚が竦んで……う、動かないんだよっ……!!」

「自分の命が掛かってるんでしょう!? 逃げるくらいはしてみせなさい!!」

 

 この期に及んでなお泣き言を口にするニニットへ尻を蹴飛ばしかねない程の勢いで文句を言えば、情けない悲鳴を上げながらチルノの指し示した方向――父キナンたちのいる方向だ――へ向けようやく、どすどすと音と立てながら逃げていった。

 

「これでなんとか……あとはこっちの片付けだけね!」

 

 とはいえほとんどの敵はダイが倒しており、残っているのはもはや片手で数えられるほどだった。魔獣に向けて攻撃魔法を放てばあっさりと倒れる。

 

「何故だ……!? 新技術を使ったはずだ……!!」

 

 目の前の現実を受け入れられぬとばかりに、妖術師がうめき声を上げる。どうやら彼が残党たちのリーダー役だったようだ。頭の弱気な言葉に、僅かに残った魔法使い系の魔物たちに動揺が走る。

 

「残念だけど、これはただの模造品。記憶だけを頼りに姿形を真似ただけの紛い物にすぎないわ。あなたたちはただ命を冒涜し続けただけよ!」

 

(ただ、新技術というのは本当みたいね……)

 

 それが強化に繋がるのかはさておき、超魔生物との対戦経験を持つチルノは微かな違和感を感じていた。

 超魔生物学の基礎となる他種族の長所を取り入れたというよりも、もっと別の何かがあったような――

 

(まさか、ね……)

 

 あるいはその違和感こそが、新技術の正体なのかもしれない。だが今は論じるべきではないと考えるのを止める。

 

「くっ……ええいっ! 出せ出せっ!! 使える物は全てだ!! 残っている物は全て投入しろ!!」

 

 最後の悪あがきか、それとも時間を稼ぐつもりなのか。妖術師たちはまだ諦めてはいないようだ。部屋の奥から文字通り引っ張り出してきたであろう魔物たちを押し出す。

 

「ヲ……アアアアァァァァ……!!」

「うっ……!」

「あれって……」

「ま、まさか……」

 

 現れたのはいわゆる腐った死体――実験に耐え切れず、死んだ人間を再利用したのだろう。怨嗟の声は死の安息すら許されぬ無念と苦痛からか。レオナはその非道さに吐き気をすら催し、チルノも思わず口元を押さえる。

 ラトだけが魔物を見て驚いたように目を丸くする。

 

「……父さん! 母さん!」

「ええっ!?」

「なんですって……!?」

 

 続く言葉に今度は二人が驚かされた。

 

「お願い、父さんを! 母さんを助けて……!!」

「う……」

「そ、それは……」

 

 そう言われても言葉に詰まる。

 助けてやりたいのはやまやまだが、そんな方法は誰も知らない。死者蘇生の呪文すら超高難度だというのに、魔物となった相手を救うような真似など不可能だ。

 安易に"きっと助かる"などと口にしたことが寧ろ裏目に出たのか、ラトの表情は絶望に沈んでいる。

 

「は、ははは……これは好都合! 実験動物としてはまるで役に立たなかったが、何が役に立つかは分からぬものだ!! 貴様ら、下手な抵抗はするなよ!? この腐った死体どもがどうなってもいいのならな!」

 

 予想外の反応に気が大きくなり、妖術師は勝ち誇ったように命じる。その態度と非道さに、我慢はもう限界だった。

 

「……抵抗じゃなければいいのね?」

 

 一言呟くと、朗々と声を上げる。

 

「――無窮の安息を彼らへ――聖なるかな――」

「……は?」

「……あ、これって!!」

 

 突然響く歌声に多くの者が困惑する中、レオナだけは反応した。直接見たわけではないが、話としては知っていたのだ。この歌が何を意味するのか。

 

「ウ……アア……」

「な、なんだこれは!?」

 

 腐った死体たちは乾燥し、風化するように崩れていく。

 少女が謳うのは死者の魂を鎮めて、穢れを祓い、安息を願う歌。亡者を元に戻すことが不可能な以上、彼女にできる精一杯のことだった。

 

「【鎮魂歌(レクイエム)】……せめて……安らかな眠りを……」

「ア……ア……イ……ガ……ト……」

 

 それは偶然の産物か、それとも最後の最後で己を取り戻せたのか。サラサラと肉体が砂のようになっていく中にあって、だが彼らはどこか満ち足りた表情を浮かべながら消えていった。

 うめき声ともお礼の言葉とも付かない言葉を残して。

 

「さて、次は貴方たちの番ね」

「ま、待て……!」

「【バイオ】!!」

 

 これほどの怒りを覚えたのは果たしていつ以来か。流石に無法が過ぎ、看過できない。残っている妖魔士団員は二名だけ。それらに向け、もはや使わないだろうと思っていた魔法を放った。

 

「ぐ、ぐぎゃああああああぁぁっっ!!」

「身体が!! 身体があああぁぁっ!!」

「実験台にされた人たちの気持ち、少しでも味わいながら逝きなさい……」

 

 生み出されたのは、命ある者の肉体を蝕み死へと追いやる強力な毒素。体内で異常繁殖し、肉体を腐らせ溶かしてく。身体が朽ちていく激痛と恐怖に悲鳴を上げながら、残党たちは潰えた。

 

「ラト……」

「父さんと母さん、最後に……ありがとうって言ってた……」

「ええ、そうね」

「おれ、おれ……」

 

 両親との死別。

 まだ十歳にも満たない子供には、とても受けとめられるはずがない。

 気丈に振る舞ってはいるが、悲しみで小刻みに震えている。声にも普段のような張りがなく、今にも泣き出しそうだ。

 そんなラトを元気付けるように抱き締めると、レオナは耳元で囁く。

 

「……あたしはお父様の最期に立ち会えなかったの」

「え……?」

 

 思い出すのは大魔王軍の侵攻時、不死騎団の攻撃を受けてパプニカ王――父親と離ればなれになっていた。その後、国の復興と平行して大々的な捜索が行われ、どうにか遺体だけは確保できたのだが……

 どれだけ覚悟はしていたとはいえ、死という現実を突き付けられたこと。そして死に目に会えなかったという事実は、レオナの心にほんの少しだけ影を落とした。

 

「でも、貴方たちは違う。最期の時に、最愛の息子の顔を見られたんだもの。悔いは……あるだろうけれど、満足して逝けたはずよ」

「う……ううぅ……」

 

 だからこそだろう。ラトの気持ちもよく分かる。レオナの心遣いを感じ取ったのだろう、ラトは声を押し殺して泣き出した。

 

 

 

 

 

「フン! 勇者ダイ、話には聞いていたが、今のボクには勝てんよ!!」

「速い!?」

 

 ロマネの斬撃をダイは身を捻って避ける。

 だがその一撃には驚かされていた。予想していたそれよりもずっと速く、鋭い一撃。流石にヒュンケルら超一流の戦士と比較すれば見劣りするが、目を見張るものがある。

 思い返せば石造りの床を切っていたのだから、剣術にも覚えがあるのだろう。

 

 だが、どこかおかしい。それだけでは目の前の敵の強さに足りない。鍛え上げた強さとは違う何かを、戦士としてのダイの本能が感じ取っていた。

 

「その速さ、その力……まさかお前!?」

「気付いたか?」

 

 今この場で思いつくのは、たった一つの回答。口には出さずとも、そのやりとりだけで理解できてしまう。

 

「超魔生物! 素晴らしい力だ!! 今までは屋敷の衛兵たちを相手に加減してなお圧倒していたが、本気を出せばこれほどとは!!」

「くそっ……!」

 

 想像以上に厄介な状況を前に、ダイは手を出せずにいた。

 ロマネは人間であると同時に、今回の騒動の重要な参考人物の一人なのだ。無傷で取り押さえねばという気持ちがどうしても働いてしまう。

 中途半端に腕が立つのも災いして、力任せに押し切るのも難しい。

 

「見ろ!! 世界を救った勇者が防戦一方だ!! ボクは今、伝説を超えた!!」

「もう止めろ! その力はそんな便利なものなんかじゃないんだ!!」

 

 己の力に酔いしれ、恍惚の表情を浮かべながら剣を振るい続ける。ダイの言葉も届くことはない。今のロマネの瞳には妖魔士団の残党たちが全て倒されたことも映っていない。頭の中にあるのは、自らが世界最強となり世界の覇者となる都合の良すぎる夢だった。

 

「あ……ぎ……!?」

 

 だが、夢は何時か覚めるもの。

 

「ぎゃ、ぎゃああああああああぁぁぁっ!?!? 何故だ、どうして!? どうしてボクの腕が!?」

 

 何度目かになる剣を振るった直後、ロマネの腕は"ぶつり"という鈍い音を上げ、動かなくなった。腕全体からズキズキと気絶しそうな痛みが押し寄せ、恐怖と混乱にうずくまる。

 

「一体何が……?」

「多分、身体が持たなくなったのよ」

 

 ダイの呟きに答えたのはチルノだった。

 

「不完全で強引な改造……しかも見た目は人間のままで力を発揮するようになっている。骨や筋肉が限界以上の動きに耐えられなかったんでしょうね。再生能力もないみたいだし」

「な、なんだと……!? まだだ! まだボクは……!!」

 

 推論を聞いてもなお立ち上がろうとするが、今度は下半身から鈍い音が上がった。一瞬でバランスを崩し、受け身すら取れずにロマネは倒れ伏せる。

 

「は……あはは……あはははは!!」

 

 手足がまともに動かず、這いつくばったまま。そんな状態を見て、もうこれ以上抵抗はないと思ったのだろう。おっかなびっくり様子を窺っていたニニットが笑い声を上げた。

 

「ざまぁみろ!! 愚弟のくせに! 愚弟のくせに!! ボクに逆らうからこうなるんだ!!」

 

 憎い相手が倒れていることがよほど嬉しいのだろう。満面の笑みを浮かべ、指を差しながら罵詈雑言を投げつける。そこへ――

 

 ――パシッ!!

 

 と、平手打ちが炸裂した。

 小気味良い音が響き、ニニットの頬に真っ赤な手形が刻まれる。一瞬、何が起きたのか理解できずにぽかんとするニニットであったが、やがて気付くと叩かれた頬に手を当てながら喚き出した。

 

「ぶ、ぶったな!! お前、なんでこんなことするんだよ!!」

「あなたはお兄さんなんでしょう!? だったら弟のことはしっかり守って、気に掛けてあげなさいよ!! あなたが、あなたがそんなだったから!!」

 

 文句の一切を歯牙にもかけず、チルノは鋭い目をして叫んだ。

 その迫力にニニット――と何故かダイも少しだけだが――怯えた表情を見せて押し黙ってしまう。

 

「ダイ、手伝って」

「あ、うん」

 

 もはやそれ以上は言っても無駄とばかりに背を向けると、ダイを伴ってロマネに回復魔法を唱え始めた。

 

 そして――

 

「い、今の内に……」

「まさか有耶無耶にして逃げられる、なんて思っていませんよね。キナン公?」

「レ、レオナ……殿……」

 

 騒ぎが収まり、こっそりとその場から逃げだそうとしていたキナンの前にレオナが立ち塞がる。

 

「事のあらましは私――パプニカ女王レオナが一部始終を見届けました。今回の事件は全て、ベンガーナ王に……いえ、各国にも子細残さず報告いたします。大人しく、法の裁きを受けなさい!」

 

 その言葉に、がくりと肩を落とした。

 

 

 

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 レオナの婚約拒絶騒動に端を発し、発覚した此度の事件。

 ベンガーナ王クルテマッカは即座に詳しい調査を命じ、レオナ女王の証言もあって迅速に処理が行われた。

 

 大戦中には止むに止まれぬ事情があったと分からなくもなかったが、それ以降も協力を続けたこと。大魔王軍残党という反逆の芽を育て続けたこと。領民を犠牲にし続けたことが問題となった。

 領地は全て没収され、ボナンデ家は取り潰しに。

 キナンは獄中へ。

 ロマネは一命こそ取り留めたものの後遺症が残り、ベッドから起き上がることすら出来ぬ身体となっていたため罪に問えなかった。

 何も知らぬニニットは無罪とされたが、それまで貴族として生きてきた者が野に下ったところでまともに生活できるのか。そもそも無事でいられるかどうかは、彼のこれまでの行い如何によるのだろう。

 

 そして魔王軍残党の情報は、世界を揺らすのに充分過ぎる衝撃だった。

 決して懸念していなかったわけではないが、今回のように明確な存在が見つかったのは初めてのケースであり、各国での調査が改めて行われた。

 

 合わせて、今回のように魔王軍に協力。または脅迫されている人間がいないかの調査も行われることとなった。

 

「――とまあ、大体はそんな感じね」

 

 アルキード王国。再び押しかけて来たレオナは、今回の事件の顛末を語り終えると、一息つかんとばかりに出されたお茶に口を付ける。

 

「ごめんねレオナ、後始末を押しつけちゃったみたいで……」

「元々巻き込んだのはこっちだし気にしないで。チルノたちはあくまで善意の協力者だったんだから」

 

 彼女の言う通り、元々巻き込んだ立場であること。そしてこれ以上面倒ごとに巻き込みたくないという考えから報告などはレオナが主導で行い、ダイたちが事の顛末を正確に知ったのはこの時だった。

 

「オレとしては、こっちの方が驚きだよ」

 

 そう言いながらダイがレオナの後ろへと視線を向ける。そこには、メイド服を着たラトの姿があった。

 

「ラトって女の子だったんだね」

「ホントホント、あたしも驚いたわ」

「二人とも気付いてなかったのね……まあ、確かに元気いっぱいだったけれども、それはあんまりでしょう?」

 

 性別を間違って接していた割りには、のほほんとした空気を見せながら二人は笑う。唯一チルノだけは気付いており、その証拠に初対面の時に"ちゃん"付けで呼んでいたのだが。

 

 あの事件の後、家族を失ったラトをレオナは引き取っていた。最初は兵士にでもさせようかと思っていたのだが、性別を勘違いしていた事で小さな騒ぎが発生。

 女の子に兵士の訓練などさせられないとの意見もあり、結局はレオナ付きの侍従見習いという形で一旦落ち着いた。

 案外良いコンビのような関係になっているらしい。

 

「チルノ様、お気にしなさらないでくださいませ」

 

 少女は遠慮がちにそう告げるが、悲しいかなまだ見習い。教育途中ということもあってどこか不自然な言葉遣いになっていた。

 まあ、一人称が"おれ"だった頃と比べれば雲泥の差。メイド服という格好もあって、よっぽど女の子らしいだろう。

 

「ま、これで五月蠅い家臣たちも"結婚しろ"って口やかましく言ってくることもないでしょうね。今回の事で痛い目にあってか、みんな顔色を悪くしてるし。フローラ様のことも引き合いに出せば当分は静かな日々を送れるわ」

 

 清々した様子をレオナは見せる。

 今回の事件の背景には婚約話を性急に進めすぎたからという負い目もあってか、当分は家臣たちも大人しくしているだろう。

 

「あのねレオナ、分かっているだろうけれど……それでも何時かは結婚しないとマズイ立場なんだから」

「わかってるわかってるってば。必要になったらちゃんと考えるし、いざとなったらまたチルノたちを頼りにさせてもらうから」

「頼りに……って、何をするつもりなのよ」

 

 この後、レオナはアルキード生まれのとある少年と運命的な出会いを果たす……かもしれない。

 




もう完結してるのに、誤字指摘やら感想やらを偶に頂きます。
それらに気付く度に「ありがとうございます」という気持ちになります。

なので、小ネタ程度のモノですが浮かんだので投下。
少しでもお礼になれば。そして皆様のお暇を一時でも潰せたならば幸いです。

……ほのぼの系な日常小ネタにすればよかったと、書き上げてから後悔。
題材間違えましたね(でも浮かんでしまったのがコレなので)

多分絶対にあったであろう同族を売る展開。口約束であっても、自分たちが助かるためならばと魔王軍に協力する裏切り者の人間たち。
本文でも触れましたが、バランがいたらブチ切れていたと思います。
(もう少しシンプルにすべきでしたね)

(あと「R18の方」ばっかり書いていたら、こっちもちょっと書きたくなったというのもあります。あっちはあっちで書いてて楽しいのですけれど(苦笑))

もう少ししたら、名前の元ネタとか公開しますかね。
名前の元ネタとか公開


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