双夜譚月姫 (ナスの森)
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双夜譚月姫
第一夜 幻想入り


リメイク版はにじファンに投稿すると言いましたが、こちらにも投稿する事にします。


 ――――そこは深い森の中だった。

 大凡人が通れるように植物を撤去された後はなく、あるとすればそれは獣道を呼ばれるものくらいだ。

 ……だからこそ、例えこの山奥に人が住まう里があるなど、誰が想像できようか。

 

 七夜の隠れ里

 

 古くから人でない者との混ざりものの暗殺を専業とし、近親交配を繰り返すことによって一代限りで終わるはずの超能力を血で伝えることに成功した一族。

 

 その一族が住まう隠れ里を覆う森には、幾多の罠――――俗に言うトラップと言うモノが仕掛けられている。

 それもその罠の一つ一つが並の人間を即死させるものであったり、一つの小さい罠に連動して次々と大小さまざまな罠が発動される物も数えきれない。

 ここは、並の人間――――否、この世界には『魔』と呼ばれる人から外れたモノが数多く存在しているが、そういう者達ですら生き残る事は難しいだろう。

 

 

 ――――だからこそ、この森の中枢に見える少女少年が只者でない事は察しがついた。

 

 

 単に迷い込んだだけなのでは、と思う者も少なくないだろう。だが先程も言ったとおり、ここは文字通り罠の巣窟なのだ。

 森の外から入ったとして、この罠地獄の中枢まで生きてやって来れるのだろうか、と聞かれれば答えは否だ。

 つまり、そういった者はまともな輩ではまずない。

 少女と思しき子供が――――正にそうだった。

 彼女に備わっている技量はもちろんの事。……更には彼女の能力がそうさせていたからだ。

 

 

 ――――『時を操る程度の能力』

 

 

 文字通りの意味だ。彼女が時を止めようと思えばいつでも止められ、遅らせようと思えば、遅らす事もできる。

 まあ時間回帰は――――さすがに不可能ではあるが。

 

 

 そしてもう一人の少年。

 彼がこの森の中にいるのはこの森の中にある里に住んでいる者であり、こういった環境には慣れている。

 さらには少年自信も人からかけ離れた体術を有しているため、この森など彼にとっては庭に過ぎない。

 つまり、この場においてはある意味少女よりも常よりかけ離れているという事になる。

 ……最も、そんな事など彼らの間では瑣末な問題であったようだ。

 

 少女は戸惑っていた。

 目の前の少年を除いて、自分にこんな風に笑いかけてくれた人間など誰一人としていない。

 先ほどのようにこの二人は異常者である事は述べたが、少女にとっては目の前で自分に当たり前のように接し、当たり前のように笑ってくれる少年こそが真の異常であったのだ。

 少女は人との触れ合いはなくとも、他人と他人が触れ合う光景ならば幾度だって見たことはあった。

 中には少年のようにその他人に笑いかけている所を見た事もあったが、それを直に受けた事のない少女はその“笑顔”と言うものがどういうモノかを知る術などなかったのだ。

 

 

 それどころか、周りは彼女を徹底的に嫌った。

 

 周りの人も、友達も、みんな彼女を“化け物”、もしくは“悪魔の子”と呼んだ。

 

 彼女の能力ならば、自分達が“止まっている間”に何かをしているかもしれないからだ。

 それは些細な悪戯であったり、大げさな事であったりと……。

 実際、彼女は時を止めた事は何度かあったとして、そんな事は一切していない。それでも“止まっていた”彼らはそんな事を知る術もいない。

 故に、周りは彼女を嫌い、人間として扱わない。

 

 

 ――――オマエは化け物だ。悪魔の子だ。生まれたはならぬ忌み子だ。何故生きる事を望む。貴様にとって世界など“止まっているだろう”。何故われわれに近づく。それ以上近づくな、化け物。ここから出て行け、そして死ね。

 

 

 自分の事をそう罵った人たちは皆、自分を他所に、互いに笑い合い、そして互いに助け合っていた。

 ――――そう、彼女を外において、だ。

 故に、少女にとって少年の“ソレ”はあまりにも眩しすぎた。

 心の底で望んでいながら、一生手の届かない物と言っても過言ではない程に――――。

 そして少女は戸惑いと共に確信を持った。

 目の前の少年はきっと、自分のような異常者でありながらそれでもこんな風に笑っているのは、きっと周りが少年を受け入れてくれるからだ。

 そもそも少年の家柄がまともでないだけに、当たり前といえば当たり前なのだが、周りの人達が“まとも”であったが故に、受け入れられなかった少女にとって、目の前の少年は憧れであるかもしれないと。

 だけど、それでも未だに理解できなかった。

 異常者同士は相容れるのかと問われれば、それは嘘だ。

 むしろ異常者同士こそ、相容れぬといってもいい。

 彼女が生きてきたのはそんな世界だ。

 故に、少女は戸惑う。

 

 自分の能力を知っても尚、しかも少年の命を狙って襲ったのは自分であるのにも関わらず、目の前の少年は自分に笑いかけ、そして当たり前のように自分を受け入れる。

 かつて心のどこかで望んでいた――――欲していたモノをずっと自分に向けてくる。

 

「志貴……?」

 

 目の前の少年に言葉に、少女はそう呟く。

 

「うん! 僕の名前!! 君の名前はなんていうの?」

 

 まただ、と少女は目を逸らす。

 自分が心のどこかで欲していたモノ。

 目の前にソレがあったから。

 そして、それを自分に向けていたから――――故に、少女は目を逸らす。

 それでも――――、とちゃんと顔を少年の方へと向け、答えた。

 

「ジル……」

 

 少女は呟く、己の名を……。しかし、少年には聞こえなかったようで、少年は首を傾げる。

 

「ジルよ……。それが私の名前」

 

 今度こそ、少女は、はっきりとは言わずとも少年に聞こえるように言った。そして帰ってきた言葉は―――――

 

「ふーん……なんか綺麗な名前だね!」

 

 初めて、そんな事を言われたのだ。

 胸が高鳴るを少女は感じ取った。気付けば頬も赤くなり、少女は俯く。

 

「そ、そう……ありがとう」

 

「……どうしたの? 突然顔を赤らめて」

 

 赤らめているという自覚はあったものの、まさかに他人に分かるまで赤らめていた事には気付かなかった少女は慌てる。

 ……こんな風に感情を表に出したのも何時ぶりだろうか、と思いながら――――。

 

「な、何でもないの!! で、で貴方の名前は何ていうの!!?」

 

「う、うん。僕の名前は……」

 

「名前は?」

 

 蒼に輝きし淨眼をもった少年は間をおき、その名をいった。

 

「七夜……七夜志貴」

 

 

 

 

 

 

 懐かしい夢を見た。

 自分がまだ紅魔館のメイド長――――十六夜咲夜でなかった頃の自分――――ジルにとってはあの時だけ、確かに自分は救われていたのだと実感していた。

 初めて“笑顔”というモノをくれたあの少年。

 今でも朧げながら思い出す事ができた。

 あの日を境に、私は壊れた自分から抜け出す事ができたのかもしれない。

 誰からも歓迎されず、非難され、誰からも受け入れられず――――殺し、壊すことしかできなくなった私に温もりを与えてくれたあの少年。

 

 あの少年と出会い、別れた所から『私』という時間は始まり、そして今があるのだ。

 

「……ありがとう」

 

 届く筈ない言葉を、口にした。

 

「……そういえば」

 

 何かを思い出し、ふわふわの布団から出て、ベッドから離れる。部屋の端にあるクローゼットに目をやった。

 一番上の段に――――ソレがある筈だった。

 それを思い出した時にはもう行動していた。

 机の椅子をクローゼットの手前まで運び、踏み台の代わりとする。

 引き出しを引き、ソレを探した。

 

 その中は、殺風景な彼女の部屋とは矛盾した――――完全に彼女の趣味の品でいっぱいだった。

 そして――――その中にで異質な存在を放つソレがあった。

 

「見つけた」

 

 一つ息を吐き、そう呟いた。

 

 ――――「七ッ夜」と刻まれた黒い鉄の棒。

 

 そしてその端の側面に小さなボタンのようなモノがある。私は何に躊躇したのか、ボタンを押すのをためらっていたが、それでも決心をしてそのボタンを押した。

 

 ――――シャキ、と刃渡りが五寸ほどの刃物が飛び出してくる。

 

 あの時、私があの少年と別れた時に、形見としてもらった飛び出し式ナイフだ。

 それはナイフというよりは飛び出し式ナイフの短刀版といった所か。

 割と古い物のくせに、飛び出し式という仕様は私の中でも未だに疑問だった。……後、その異常な頑丈さも含めてである。

 

 ――――”この短刀、あげるよ。僕はずっと君と一緒にはいられない。だから、せめてお守りとして、持っててくれるとうれしいかな”

 

 ――――”いいの? これ、志貴の大切な物なんじゃ……”

 

 ――――”いいのいいの!! ジルちゃんは僕の友達なんだから、大丈夫”

 

 ――――”友達、か……。うん、有難う、志貴。………………”

 

 ――――”…? どうしたの?”

 

 ――――”ねえ、また……会えるかな?”

 

 ――――”……会えるよ”

 

 ――――”本当に?”

 

 ――――”うん!!”

 

 ――――”じゃあ約束。 いつか必ず――――ここに来るわ。その時に、この短刀返すから。その……待ってて……くれる?”

 

 ――――”分かった!! ずっと……待ってるから。だけど待ち切れなかったら……こっちから会いに行くかもしれない”

 

 ――――”ふふふ……なるべく早く来るわ。……だから、待っててね”

 

 ――――”うん!!”

 

 

 ふと、私は思った。

 何故――――今頃になってあんな夢を見たのか。

 今ここにいるのは■■という薄汚い殺人姫などではなく、吸血鬼レミリア・スカーレットに仕える従者――――十六夜咲夜の筈なのに……。

 そう思って、ふと七ッ夜の刀身に映った自分の顔を見ていた。

 

 ……後悔していない顔ではなく、後悔がない訳でもない。

 

 そんな顔だった。

 

「ふふふ……バカみたい」

 

 そんな自分を私は嘲笑した。

 今更、ジルであった頃の未練を抱くなんて、私もまだまだ己の過去から吹っ切れていないのだと……己の未熟さを痛感した。

 それども……

 

 ――――あの少年は、今でも待ってくれているだろうか。

 

 ――――こんな約束の一つも守れない女を、待っているだろうか……。

 

「ホント……莫迦みたい」

 

 

 

 

 

 

 紅美鈴は花が好きである。

 まだ咲夜がいなかった頃、紅魔館のメイド長は彼女が務めていたが、メイドとしての才は咲夜の方が突出していた為にあえて門番という立ち位置にいる。

 しかしあえて言おう。

 ただ待っているだけという程、退屈な仕事もない。

 そのせいで、時折……というよりはほとんどの時は門の横の壁によりかかって熟睡している。

 が、熟睡しないために眠気をまぎわらす趣味として花の世話がある。

 最初はほんの趣味でそれも自分が寝ないようにするためであったが、しばらくやる内に“花”という自然の芸術品にいつの間にか我を奪われていたりする。

 咲夜がメイドとして頭角を現し始めてからは、門番の仕事が多くなってきた美鈴。

 たまにしかメイドの仕事をこなさなくなった美鈴は、最後のメイドの仕事として駆り出されたのが御使いだった。

 普通の御使いとなんら変わらなかったのだが、その頃は人里に花屋ができたという噂を聞き、美鈴は興味本位でその店に寄ったのだ。

 どうやらそこの店主は外来人であるようで、外の世界にある花の種やらをたくさん売っていた。

 話によると、これから幻想郷の花の種を売っていくそうではあるが。

 美鈴は花と言うものが一目で好きになった。

 別段花を見た事がないわけではないが、それでもあの時みたいに直に花と触れ合う機会などなかったからだ。

 おまけにメイドとしての仕事に忙しく、花ごときに気を配ってはいられないと思いもしていたが、そんなかつての自分を美鈴は後悔したほどだった。

 それでついに、花の種を多めに購入し――――

 

「~~~♪ ~~~♪」

 

 鼻歌を歌いながら花畑にある一つ一つの花に丁寧に如雨露で水をかける美鈴。

 まあ言わずもがな、殺風景でただ馬鹿広いだけだった紅魔館の庭はすっかり花の庭園と化してしまったのである。

 

「ふう、お花たちもすっかり元気になってよかったです」

 

 

 

 

 

 あの時は―――――本当にはひどかった。

 

 

 

 

 

“マスタ~~……スパーーーーーーーーークッ!!!”

 

“夢想封印ッ!!!”

 

「――――ッッ!!!」

 

 嫌な声が美鈴の中で脳内再生され、途端に顔を苦ませる美鈴。

 そう、紅霧異変の時である。

 幻想郷を紅い霧で覆い尽くし、主人であるレミリア・スカーレットが幻想郷を支配しようという、他の類を見ない大異変であった。

 レミリアの友人であるパチュリーはレミリアの野心に興味がなく、読書に没頭していたためにもちろんレミリアを止めようとは考えなかった。

 レミリアに完璧の忠誠を誓う咲夜はレミリアが幻想郷を支配することに大賛成だった。他のメイド妖精もそれに従うしかなかった。

 

 レミリアの幻想郷の支配計画に唯一反対したのが、美鈴だった。

 

 美鈴はとにかく人間関係が超友好の、言うなれば”いい妖怪”である。

 

 そもそも美鈴がレミリアに忠誠を誓うのは、もちろんレミリアという存在に魅了されたからだ。

 吸血鬼として強大な力を持ちつつ、その力で他者をねじ伏せる姿は圧巻であり、それが理由の一つでもある。

 しかしそれだけではなく、レミリアは吸血鬼の癖をしながら、多量の血は飲めないという少し特殊な吸血鬼である。

 

 外の世界にある死徒という吸血鬼たちとは異なり、妖怪としての吸血鬼である彼女は別段、血を吸わなかったところで力が弱まってしまうわけではない。

 

 ――――ちなみ、死徒というものは人間から吸血鬼になったものたちの総称である。彼らも吸血鬼として相違ない強さと驚異さを持っているが、所詮その元の器は“人間”である。

 “人間”の器でその力を持ち続けるのは極めて困難で、その為に彼らは“元”同族である人間の血を吸う。

 しかも長い時を生きた死徒ほどその質は悪く、長い年月をかけて強められた能力に比例して、その力を維持し続ける量の血も必然と多くなるわけだ。

 

 まあ、それを止めるために聖堂教会やら代行者やら埋葬機関やらが存在している訳だが、その話は除外しておこう。

 

 レミリアは高貴な吸血鬼だった。

 その圧倒的な力を持ちながらも、人間からは最低限の血しか吸わず(正確にはその量しか吸えないのだが)、他者の在り方を尊重し、あえて殺さない。

 その高貴で誇り高い姿こそが美鈴がレミリアに惹かれた一番の理由である。

 死徒のような吸血鬼たちとは違う、その手は牙は血に汚れながらも、決して穢れることのない彼女の魂。

 それを主として持つのは美鈴としてはとても誇り高い事であった。

 

 しかし、先ほども述べた紅霧異変にて彼女は変わってしまう。

 幻想郷を紅い妖力の霧で包み、幻想郷を支配。

 全妖怪を配下としておき、か弱き人間どもは皆殺し、という普段の彼女からは考えられない暴挙。

 

 彼女の誇りに惹かれて従者となった美鈴は、レミリアが自分自身の誇りに背いた事に怒りを覚えたのだった。

 

 しかし、彼女が全力を出したところで主たるレミリアにかなう筈もなく、もう一人の従者たる咲夜を相手にやっとといった所であろう。

 

 だから、美鈴は待つことにしたのだ。

 

 これから来るであろう博麗の巫女を待ち――――いや、博麗の巫女でなくても構わない。

 自分の主人の眼を覚まさせてくれる程の人格者と強さを兼ね備えた者を、待つことにした。

 自分の主人を守るという建前で、異変解決に来るであろう人物が自分の主人に仇名すに値する者であるかを試すために、紅い霧が立ち寄る中で門の前に立つ。紅い霧によって、いまやその生気すら耐えようとしている花達を見守りながら――――。

 

 ――――お望みの人材は来たといえばきたのだが……

 

“夢想封印ッッ!!!”

 

“マスタースパークッッ!!!”

 

「――――ッッ!!!」

 

 またもや嫌な声が美鈴の中で脳内再生される。

 

 そう確かに異変を解決するに値する人物が二人来たのだ。

 しかし、自分が話しかけようとする前に、先制攻撃をを容赦なく叩きつけられたのだ。

 

 まず初撃として、博麗の巫女の『夢想封印』。大きな威力を持った七つの大玉が執行に敵をホーミングする完璧に初見殺しの技だった。

 躱したつもりが、ホーミングしてまた向かってくるので結局全弾美鈴の体に命中し、そして怯んだ所に、白黒の魔法使いの『マスタースパーク』。

 強大な魔力をマジックアイテムに集中させ、極太の光線を放つ技であり、その技で美鈴は花壇にある花達ごと吹き飛ばさたのだ。

 

 

 

 結局、その後も『弾幕ごっこ』という名の『フルボッコ』を受け、花達も巻き添えに――――。

 

 

 

「――――――ッッッ!!!!!」

 

 

 

 思い出しただけで腹が立つ美鈴であった。

 結局、異変そのものは事なきを得て、主人たるレミリアも元に戻ってくれたが、あの異変は自分の心を深く抉った出来事だったのだ。

 まあ自分の主が元に戻ったと考えれば、辛うじて少量のおつりが帰ってくるだろう。

 

 しかしその苛立ちも花達の元気な姿を見れば、自然と癒されていく感じだ。

 

 美鈴は気を取り直して、花壇の花達に水を与え続けた。

 

「おや、水がなくなっちゃいましたねえ……」

 

 如雨露が軽くなったのを感じ、そう呟く美鈴。

 紅魔館の台所から注いできた予備の水もバケツの中を除けば空っぽだ。

 

「仕方ないや……また台所へ――――あれ?」

 

 その時――――美鈴の視界に変なモノが移った。

 花畑の花達に隠れていてよく見えないが――――紅い何かだった。

 何だろうか、と思った。

 妖力を使った低空を飛んだ。みすみす花畑の中を歩いて、花達を潰すわけにはいかないからだ。

 

 ――――紅いナニカの正体が露わになっていき、やがてそれが人影である事を美鈴は確信した。

 

 そして更に近づいていき――――。

 

 

 

「―――――ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 そこには――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――紅い和服を着た青年が仰向けに倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 旧作の一話目と随分違いますね……。


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第二夜 殺人貴と華人小娘

 美鈴は花畑の中で倒れていた男を花壇の外まで運び出し、現在――――俗に言う“膝枕”というモノをしている。

 運んだ感触で分かった事だが、その無駄のなく適度に筋肉が付いている事から体は相当に鍛えているようだった。

 ――――紅魔館への侵入者か?

 と、疑いもしたが、そもそも先ほどから侵入してくる気配などなかったのでそうではあるまい。

 例え彼女の目を盗んで紅魔館に潜入できたとしても、メイド妖精に撃墜されるか、メイド長たる十六夜咲夜にナイフのヤマアラシにされるだけである。

 つまり、この青年は突如、紅魔館の庭に現れたと推測した。

 そこからこの青年は外来人だと彼女は断定する。

 

 紅い和服に黒いブーツという和洋折衷の出で立ち。和服ならともかく、ブーツのような西洋物の靴を履いている人間などは、人里にはいない。

 

 顔は少し冷たい感じだが、十分美形で通る顔だ。

 その寝顔は銅像か、もしくは死人を思わせるようなものだった。

 一応、生きている『気』はあるので、生きているのだろうが、他のモノから見れば十分死んでいるようにしか思えない。

 

 そして――――何より気になったのが――――。

 紅色の和服の帯の色は青だ。

 そしてその帯の後ろ部分にあったのは―――――ナイフだった。

 

 ソレを確認した美鈴はおもむろに青年の帯に差されているナイフを柄から抜いた。

 

 ――――両端に金製の金属がつけたれた青色の柄。

 ――――刀身は六寸ほどあった。

 

 かなりの業物に見えるし、それなりに頑丈に作られているようだが、術式も施されていなければ、概念武装という訳でもなさそうだ。

 

 おそらく体術使いか暗殺者の部類かと美鈴は推測する。

 

「まあ、とりあえず返しておきますか」

 

 まだ得体のしれないこの青年に、得物を持たせたままにしておくのは門番としてどうかとも思ったが、幻想郷で生活するにあたって護身武器も持たせないのはさすがにどうかと思ったからだ。

 いくらスペルカードルールという不殺生決闘法があろうとも、妖怪の闘争心や人間を人を食べようとする欲求を根っから削ぐ事は不可能だ。

 ましてやここは人里ほど安全な場所ではないので、この人間の命の為にも今はあえて持たせて置こうと美鈴は思った。

 

「とりあえず――――目が覚めるを待――――」

 

 目が覚めるのを待とうと言いかけたその時、美鈴は男が眼を覚ました事に気付く。

 

 ――――その眼を見て、戦禍が走った。

 

 男の目を見て、美鈴は確信した。

 

 ――――まるで研ぎ澄まされた刃物のような……『今すぐにでも目の前の獲物を解体したいと嗤う眼』

 

 人殺しの眼だ、と美鈴は感じ取った。

 美鈴も中国拳法の使い手としてそれなりの修羅場は潜っている。接近戦だけなら主たるレミリアとも張り合える自信はある。

 自分でもそう自負している。

 そんな自分が、あの眼を見て――――戦慄したのだから。

 おそらくこの男は、相当な修羅場を潜っているだろうと美鈴は思った。

 

「……眠い」

 

 眼を開いて間もない男は気怠そうに、そう呟いた。

 

「……眼、覚めましたか」

 

 

 男は女性の顔を視界に入れ、認識する。

 どうやら自分は膝枕をされていたようだ、と多少の恥を抱いたのは内緒だ。

 とりあえず身体を起こし、男は美鈴に顔を向けた。

 

「ここは……俺がいた所と違うな」

 

 男は呟き、自分の状況を整理した

 

 ――――目が覚めてみれば、そこは見知らぬ場所と、見知らぬ女。

 

 ――――名前は、思い出せない。

 

 ――――記憶は、自分は誇り高き退魔・七夜家の生まれ。その証として淨眼と、そこから派生した直死の魔眼。

 

 名前は思い出せず、記憶のほとんどは抜けている。

 ……どうなっている、と男は考えたが、長くは思考しなかった。

 わからない事は考えるだけ無駄なのだ。

 

 とりあえず、淨眼、直死の魔眼、七夜の体術はちゃんと覚えているみたいだ。後は、日常生活に支障が出ない程度には残っているみたいである。

 

「……十分」

 

 そう呟き、男は初めて薄ら笑いを浮かべる。

 これだけあれば問題ないのだ。

 場所はどうあれ、記憶がどうなれ――――自分は『殺す』ことに変わりはないのだから。

 腰後ろの帯に差している得物もちゃんとある。……本当にそれだけで彼には十分すぎた。

 

「あの~~」

 

「――――ん?」

 

 考え事が終わったのと同時に横から女性らしき声が聞こえたので、何だと、思いながら男は振り返った。

 ああ、誰かと思えばさっきまで自分を膝枕してくれた人―――――いや……。

 

「魔、か……」

 

 七夜一族の人間は人から『外れた』者に対して、理由もなしに殺害衝動が湧く――――俗に言う『退魔衝動』というモノである。

 別に――――『退魔衝動』そのものは七夜家の特権ではなく、近くにいるものを人か魔かを判別するために、他の退魔の家にも微量の退魔衝動がある。

 しかし、七夜家の人間はソレを本能レベルまで奥底にソレが刻み込まれおり、本来「人」か「魔」を識別するだけのモノが、積極的に魔を狩ろうとする体質になってしまう。

 それは衝動という域を超えて“呪い”と言っても過言ではなかろう。

 

 ――――まあ、ソレに負けて理性を失くす程、彼の精神が弱くないのは不幸中の幸いと言った所か。

 

 彼の目の前にいる女性はその魔の類であるのだと、彼は己の内に抱える退魔衝動でそう感じ取った。

 

「(すぐ殺しにかかりたいが、まだ状況がいまいち掴めん。とりあえずはこの女から情報だけでも引き出しておくか……)

 ええっと……あんたが俺を看護してくれたのかな?」

 

 男はとりあえず殺しにかかりたい衝動を抑え、目の前の女性に問うた。……まあ、彼としては最低限できる友好的な接し方である。

 

「はいっ!! 私の名前は紅美鈴と言います。美鈴って呼んでくださいね。『美鈴』って……」

 

 やたら『美鈴』という自分の名前を強調してくるのは何でだろうか……。

 その思考を男は一秒たらずで破棄した。

 

 ―――――所詮は他人事。そんな事など瑣末事に過ぎないのだから。

 

 まあ、とりあえずわざわざ向こうから名乗り出たとあらば、こちらも名乗らなければ礼節に反するというものだが、如何せん名前が思い出せない。

 

 ――――何か適当に名乗る事にしよう。

 

「……七夜」

 

 とりあえず名前が思い出せないので男――――七夜は苗字だけ名乗っておく事にした。七夜一族の人間である事には違いないので、間違ってはいない筈である。

 

「――――え?」

 

「七夜。俺の名だ。それ以上でもなければそれ以下でもない」

 

 本来、下の名前でないのにも関わらず、まるで昔からこういう名前だと言わんばかりであるが、彼にとっては己の名前なども瑣末事であるのかもしれない。

 

「――――ふむ……、分かりました。七夜さんですね」

 

 美鈴と名乗った女性は、七夜から名前を聞けた事に満足をし、笑顔を向ける。

 その可愛らしい笑顔は、男性であるのなら、ほぼ百パーセントの確立で胸を打たれるだろう。

 

「――――さて、自己紹介が終わった所で……」

 

 ……相手が七夜でなければ。

 

「ここはどこだ? 俺がいた所とは違うようだが……」

 

 記憶は戻っていないが、なんとなく空気で今自分がいる場所は今まで自分がいた場所とは別であると認識できる。

 そもそも空気に異常に清潔で、しかしそれでありながら尋常ならざるナニカが漂っているような気もする事から、そもそも異世界なのではないかと錯覚してしまうくらいに……。

 

 そんな七夜の疑問を予想していたのか、美鈴は迷う事もなくそれに答える。

 

「ここは幻想郷という所ですよ」

 

「……幻想郷?」

 

 幻想――――一般的には、現実にありうる事のない事をあるかのように感ずる想念の事を指す。

 それが文字通りの意味であるとしたら――――。

 

「ハッ!! 如何にもまともじゃない奴らがうようよいそうな地名だな……」

 

 だとしたら――――面白い、と男は嗤う。

 まだ地名を聞いただけであるが、どうやら退屈はしなさそうだと七夜は思った。果たして自分がここにきてしまったのは運命という奴か、はたまた他の奴らが自分を呼び出したのか――――。

 今となってはどうでもいい事だ。

 

 そんな――――男の眼を見て、美鈴にまたもや戦禍が走る。

 この世全てを自分の獲物として見るような――――言うなれば狩り人もしくは殺人鬼の眼だ。

 しかし美鈴はソレを振り払って、男に向き直る。

 相手も自分の状況を把握したいようだし、自分はこの男の事は何一つ知らないのだ。

 

「で、どういう場所なんだ?」

 

 そんな美鈴の様子を無視して、幻想郷の詳細を聞く。

 大方の予想は付くものの、所詮は推測の域を出ない。できればこの世界について自分より詳しい人物から確実な答えを聞かねばなるまい。

 

「ここは――――現実世界から忘れ去られた存在が集う。文字通り――――幻想の郷という事です」

 

 ふむ、と七夜は納得した。

 どうやら推察通りであるようで――――となると、自分は忘れ去られたのか? いや、何か違うような気もするが、考えた所で仕方がない。

 

「ここは一種の異世界で、現実世界と幻想世界を隔たる境界とも言うべき結界――――博麗大結界というのですけれど、それによって現実世界とは隔離され、そして認識されない――――というモノらしいですよ?

 詳しい事はわかりませんが……」

 

 どうやら美鈴もそこまで詳しくはないようだった。自分は幻想郷の歴史については詳しく知らないし、自分に聞くよりも、人里の人達に聞いた方が、詳しく聞けるはずだと美鈴は思う。

 それでも美鈴は自分が言える限りの――――幻想郷の詳細を話す。

 

「幻想という名の通り、ここでは現実世界の常識というモノが通用しません。

 ここには人でない者達――――主に妖怪ですね。そんな妖怪たちと人間の共存を目的とした地でもあります。

 もちろん、妖怪だけではありません。

 妖精、魔法使いに神だってこの幻想の地ではいてもおかしくありません。……というか実際にいます。

 つまり――――」

 

「現実世界の常識は殴り捨てろってか? なら問題はない。自分で言うのも何だが、俺自身――――そんなまともな輩ではないしな……」

 

 まともではない。

 そんな男の言葉に美鈴は内心でそうだろうな、頷く。そもそも七夜に纏っている空気が他人とは違うのだから、その時点で十分に常軌を逸しているのだろう。

 

「となると――――あんたもその妖怪とやらって奴か?」

 

「ええ、そうですけれど……よく気付きましたね」

 

 そうか、と七夜は内心で呟く。

 『魔』である事は分かっていたが、まさか妖魔の類であるとは……。

 

「ならさ――――」

 

「……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こうしても――――構わないよな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 七夜は帯の後ろに差したナイフを抜いた。刃渡り六寸もの――――刀というよりは刃そのものの凶器を。

 その凶器は一直線に美鈴の喉元へと向かう。

 

「―――――ッッ!!?(早いッ!!)」

 

 美鈴は状態を後ろにそらしてソレをなんとか回避。さらにその体勢から体を縦の上に回転させ、サマーソルトを七夜の顎に見舞おうとしたが、七夜もソレを横に飛んで回避。

 そのまま美鈴の背後に回り、心の臓を貫かんと、ナイフを一直線に突く。

 しかしその一撃も美鈴は体を左に九十度回転し、腕を上げる事で、その突きは美鈴の脇の下を通る。

 その体勢のまま美鈴は後ろの3歩ほど後退しすることで、七夜の背後を取る。

 そのまま渾身の蹴りを見舞うが。

 

「―――遅い」

 

 七夜はソレを背面飛びで回避、そしてそのまま美鈴の後ろに飛び、美鈴の首後ろを切り付けようとするが――――。

 

「――――クッ……!!」

 

 美鈴は腕を首後ろの回して、その一撃を防ぐ。

 腕を切り付けられた事により、少量の血が噴き出るが、美鈴はその痛みを我慢し、身体を反転させてからの飛び蹴りを七夜に見舞うが、七夜は後ろに跳躍し、ソレを回避した。

 

 ――――一足で十数メートルもの距離を取って。

 

 その人間とは思えない身体能力に美鈴は驚いた。

 唯の人間が、霊力や魔力による身体強化も施さずにこれほどの瞬発力を見せる。間違いなく、異様だった。

 

「いきなり、何をするんですかっ!!」

 

 美鈴は怒鳴る。下手したら死んでいたかもしれないのだ。

 それも喉元や、首後ろ、心臓などを狙ってくるあたり、間違いなく目の前の人間は確実に自分を殺しにきていた。

 美鈴のような輩だからこそよかったものの、これが人間であれば間違いなく反応できず、初撃の時点で瞬殺されていた。

 

「何、ちょっとした準備運動みたいなものさ。あんたのような美女には“美しき鮮血の花”がよく似合いそうなもんでね……」

 

 七夜は邪悪な笑みを浮かべながら美鈴を見る。

 殺気はおおよそ人が放つモノではない。

 その殺気を浴びた者をある恐怖に陥るだろう。

 

 すなわち――――狩られる恐怖。

 

 美鈴の胸にナイフが刺さった。

 

 

 

 ――――否、実際に刺さった訳ではない。ただ強烈な殺気が形となって、ソレが美鈴にそう錯覚させただけだ

 

 

 

『気を操る程度の能力』

 

 その能力を持つ美鈴は、『気』という概念に関しては人一倍敏感である。故に、七夜の強烈な殺気が、美鈴にそう錯覚させたのだ。

 

 ――――認めよう。目の前の人間は自分よりも“殺し”に特化した存在である事を。

 

 しかし、美鈴はその恐怖を振り払い、まっすぐと七夜の眼を見る。

 “死”を覚悟した眼ではない。

 その眼は闘気に満ちる。

 相手が自分を殺す気でいるのなら、ソレに答えないのは武人としては得てして失礼というもの。

 単純に武人として、目の前の相手の先ほどの技に敬意を抱く。

 ならば今自分は、『修羅』となりて、目の前の敵を打ち破ろうではないか。

 

「いいでしょう。人間に手を上げるを気が引けますが――――そっちがその気なら。紅美鈴、貴方のその殺意に応えて、こちらも全力で相手をさせてもらいますっ!!」

 

「ハっ、いい眼だ。それでこそ殺し甲斐がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあ――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――殺し合おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




同じく旧作の二話目と全然違いますね……。


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第三夜 死者

第三話と投稿です。
もう旧作とはまったく別のストーリーと見ていいです。


 汗が流れる。

 とても――――冷たい汗だった。

 

 殺気が周囲を圧し、その空気にいるものは普通ならばそれだけで戦意喪失に陥る。

 そう――――”普通であれば”、だが。

 恐怖するものは前へ進めない。

 確かに、それも一理あるだろう。

 だが、恐怖を捨て去ってしまえば、ソレは生き物とは言えまい。

 かつて生き物たちはその原初で生き残るには、その強かさと恐怖を持ち合わせた者が多く生き残る。

 

 美鈴は感じる。

 今自分のこの肌に流れる冷たい汗は……恐怖しているのだと。

 

 だが、この恐怖心に助けられた事もあるのもまた然り。

 先達の『修羅』の体現者たちは、ただその修羅場で戦うばかりではない。時には、相手と己の実力差を感じ取り、ならばこそ退かずにどうやって格上の相手をねじ伏せ、勝利を勝ち取るかを考えるのだ。

 その実力差を教えてくれるのが“恐怖”という人間――――否、生物として持って当然の感情以前の本能である。

 

 ――――それは、七夜にしても同じ事である。

 七夜から見て、目の前の妖怪は確かに自分に恐怖しているが、それでも眼に宿る闘気に体さえも圧されそうな錯覚に陥る。

 殺し合いに恐怖しない者などいないのだ。

 ……しかし、それでも七夜は笑っていた。

 

 ――――そうだ、それでいい、と……。

 

 この恐怖、この昂揚……まさしく自分は生きているのだと実感できる。

 これから自分達は死合うのだという“恐怖”と、それ以上に満たしてくれる“昂揚”。

 脳は熱くなり、まるで美女に恋焦がれているような感覚と似ているような……。

 

 ――――そして、男は宣告した。

 

「その首、俺が貰い受ける」

 

 男は一瞬で美鈴の視界から姿を消した。

 

 無拍子――行動の際の予備動作を消し去り、相手に動くタイミングを掴ませない、彼に出来る最高の体術。そして四足で走る獣のごとき、地を這うような低姿勢で、最初の一歩で最速に乗せる。これが七夜の奥義とも言える戦闘移動法。たとえどれだけ強力な「魔」でも、容易にその動きを捉えられるものではない。

 

その出鱈目さに美鈴は驚きこそするも、動揺する様子は一切見られなかった。相手を見失ってなお、その闘気は真っ直ぐに七夜本人へと向けられている。

 ……眼を瞑った。

 

 この“恐怖”と自慢の“気探り”を頼りに――――七夜の殺気を感じ取った。

 

「――――疾っ!!」

 

 ソレを感じ取ったとほぼ同時――――銀光の凶刃が彼女の足元を薙ぐ。彼女は力も入れずにふわり、と軽く跳躍し、最低限の動きで、七夜の攻撃を回避。

 続いて繰り出される七夜の足払い。

 これは躱せそうにないと判断した美鈴はわざと“ソレ”を受け入れた。

 足に衝撃が入ると同時に、すぐさま片手で受け身をとる美鈴。

 無論、その隙を逃さぬ七夜ではない。

 地面のすぐ上に浮く美鈴の後頭部に刺突を見舞うが、美鈴は地面につけた片手を軸に体を回転させ、その斬撃を流した。

 

「ちっ」

 

 七夜の舌打ちとほぼ同時――――体勢を立て直した美鈴は、一歩――――七夜に踏み込んで拳を突きだす。

 一直線に、素早く放たれた妖怪の拳を人間の七夜が受け切る術など持たない。

 なので、ナイフで受け流しつつ、身体を右に逸らして回避したが――――

 

「ぐぅっ……!!」

 

 すぐさま、美鈴の左拳のよる裏拳が飛んでくる。

 後ろの身を退いたことにダメージこそ半減させたものの、それでも人外の拳は重かった。

 衝撃が体中を駆けまわり、体中が痙攣しそうになった七夜はその痛みを我慢し、何とか持ち直すが、そんな七夜にお構いなしに美鈴はラッシュをかけてきた。

 

 まず一発目の蹴り――――後ろに飛んで回避。

 

 続いて、もう一方の足による足払い――――しかしその動きを読んでいた七夜はそれよよりも先に足払いを繰り出し、ソレを阻止。

 美鈴の体術はパワーこそあるものの、ほんの――――ほんのわずかに予備動作がある。対して、七夜の体術は攻撃力こそ美鈴のソレに劣るが、まったくと言っていいほどにその予備動作を必要としない。

 ……だからこそ、できる芸当でもある。

 

 動きを先読みされた事に美鈴は驚きつつも即座に足払いの動作を中止し、上に跳躍して七夜の足払いを回避。

 

「せぇええいっっ!!」

 

 そこから拳の力を込めて降下――――七夜を潰さんと凶拳が迫る。

 

「ク、ハハハ……」

 

 七夜は嗤う。

 ――――さすがにこれを受けたら、本当に死んでしまうな、と……。

 そう判断した七夜の行動は早かった。

 あの勢い――――おそらく地面に数メートルぐらいのクレーターができそうではある。

 七夜は右方向に一足で六メートルもの移動し、それを避けた。

 

 ――――左方向から、大量の土埃が七夜に覆いかぶさる。

 

 おそらく美鈴の渾身の拳が地面に激突にしたことによる衝撃で飛んできたのだろう。

 

「ク、ククク……アハハハハ……っっ!! まさか開幕からこんなに盛り上がるとはね……いやはや、本当に楽しみだよ……この世界は……!!」

 

 七夜は笑いながら、事後の余韻に浸るがそれもすぐにやめる。

 土埃によって見えなくなった相手だが……それでもその闘気は未だ、刃となって七夜にそれだけで圧せられるような錯覚に陥らせた。

 だが、彼は歓喜する。

 

 ――――楽しい。

 

 それ以外の感情などなかった。

 土煙はまだ晴れていない。

 奇襲するには絶好のチャンスだが、果たしてソレがあの女に通ずるモノか……おそらく相手が『魔』でなければ、気配を読む術はコチラよりも向こうの方が高い筈である。

 だからと言って、正面からのタイマンなど人間の身としてみれば論外である。

 

 だとすれば、答えは決まっている。

 

 七夜はナイフを逆手に持ち直し、土煙の中へと突っ込んでいった。一切の予備動作を見せず、低姿勢で地面を這うかのように駈ける。

 徒手の人間は体の構造的に、腰から下の存在に対しては攻撃し辛い。

 美鈴には拳の他にも足技もあるので、死角などは見つからないが、こんな土煙の中、気配を読むだけならまだしも、視界が不安定な状態で、しかも腰から下の奇襲に応じる事ができるのか。

 

 七夜は音すら立てずに、気配を頼りに美鈴の周囲を地面を這うようにして疾走する。気配で大まかな位置は分かるが、それでもそんな不確かな勘だけでは相手の虚と弱点を突くことなど出来るはずもない。

 

 ――――うっすらと美鈴の姿が見えた。

 

「……十分だ」

 

 七夜はその速度を更に加速させる。

 直線移動ではない。

 左右に逸れながら、それでいて速度を落とさずに美鈴の懐へと疾走した。

 

「――――っ!! そこっ!」

 

 七夜の確かな気配を感じ取った、美鈴は振り返って一歩踏み込み、渾身の一撃を放つ――――が、その一撃は低姿勢を放つ七夜の上を空ぶってしまった。

 ただでさえ、最初から低姿勢であったのに、その状態でさらに下方向に逸れては、回避されるのも仕方ないのだろう。

 七夜はそのまま美鈴の喉元を見据えた。

 

 ――――一撃で、殺す!

 

 そう念じて、美鈴の喉元にその凶刃を走らせた。

 銀光の凶刃、美鈴の喉元へ迫る。

 しかし――――

 

「甘いですよ」

 

「なっ!!?」

 

 美鈴は見透かしていたように、七夜のナイフの持っている右手を掴む。

 その凶刃は美鈴の喉元を切る寸前のところまで――――いな、首にわずかに切れ込みが入っており、血もわずか滲み出ていた。

 

「本当に危ないですね。私を殺す領域に踏み掛けるなんて……本当に、死ぬかと思いましたよ」

 

 美鈴は引き攣った笑みで七夜を見る。

 本当に直前まで「死」を覚悟していたのだ。

 

「ハハハ……、今のも駄目かよ……いや、ホントに下手だねえ……俺って」

 

「下手なんかじゃありませんよ。貴方は強い。一歩間違えれば、死んでいたのは私ですから……」

 

「そんなおだて……言われても何も感じないがね。殺せなきゃ意味がないっていうのに……」

 

「……少し、眠っててください」

 

 瞬間――――七夜の体に強烈な衝撃が走り、断末魔を上げた彼は、そのまま門の前へと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

「終わり、ましたか?」

 

 拳に感じた手応えの余韻に浸りながら、そう呟いた。

 ――――自分の肌を、触ってみた。

 冷たい汗が所々に流れている。

 

 ――――本当に、紙一重の差だった。

 

 美鈴は自分の首元を触ってみる。

 確かに切れ込みが入っていた。

 

 そして触った手を見たら、血が滲みついていた。

 

「アハハハ……」

 

 自分が――――生きている事が未だに信じられなかった。

 あの瞬間――――本当に死を覚悟してしまった。

 己の命を刈らんとする凶刃――――一瞬、死神の鎌に錯覚してしまった程にだ。

 

 ガクン、と先ほどの緊張感が解けた美鈴は突然、膝を付いた。

 ……無理もない。

 

「本当、殺されるかと思いましたよ……」

 

 地面に手を付き、己の汗が地面にポタリと落ちていくのを美鈴はしばらく眺めた。

 そしてすぐに立ち上がり、七夜が吹き飛ばされた方向を見る。

 ……門の出口の前に、七夜は俯きに倒れていた。

 見る限り、ピクリとも動かぬ様子はなく、まるで死体のようである。

 

「生きて、いますよね?」

 

 一応、死に掛ける程度の打撃を与えただけで、死んではいない筈である。

 

「とりあえず、館内に運んで治療しましょうか」

 

 そう結論づけた美鈴は、すぐに七夜へと駆け寄った。

 そして、倒れていえる七夜の傍まで近づいたその時―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――七夜の姿が、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 一瞬、美鈴には何が起こったのか分からなかった。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 いや、そこには一瞬すら存在しなかった。

 そこには――――予備動作の一瞬すらも存在しなかった。

 それは彼の体術であるからこそ成せる極限の無拍子。

 俯せの体勢から四肢の同時連動だけで宙高くまで跳ぶ。

 美鈴がそれに気づく間もなく、蜘蛛は門の壁を音もなく蹴り、宙を飛んだ。

 美鈴の上を通り過ぎると思いきや、空中での慣性を無視し、急に、急速に直下する。

 背後から影が差し掛かってきていると美鈴が気付いた時には既に遅く。

 

「遅い」

 

 ――――ザシュンッ、と無惨にも美鈴の背中は右肩から左腰に掛けて大きく切り裂かれてしまった。

 ……まるで空から雷の刃を受けたような感覚。

 その正体が七夜のナイフによるものだと認めたとき、美鈴の反応は僅かに遅れた。

 

「な……――――ッッ!!!」

 

 ピシャーン、と大量の血が噴き出る。

 つい先程まで美鈴の体内の体温に触れ、生暖かい液体が両者に降り注ぐ。

 殺人鬼と華人小娘は赤い鮮血を浴びた。

 

「紅咲き舞うは鮮血の華――――あんたへの手向けの華だ。よく似合っているぞ」

 

 見惚れてしまうほどにな、と背後から付け加えられるような声が聞こえた。

 突如聞こえたその声に振り向けば、そこにはナイフを逆手に持った殺人貴の背中があった。

 

「そん……な……どうし……て……」

 

「どうしても何もな、どうせやるのなら中途半端に殺してくれるなよ。そうでないと、こうして化けて出てきちまう」

 

「勝負は……さっき……ので……着いた、じゃ……」

 

「悪いね。別に俺はあんたに勝とうなんて思っていない。殺せれば――――それでいいのさ」

 

 何の事だか分からなかった読者には説明しておこう。

 確かに七夜は美鈴の一撃を受けて、門の出口の前まで吹き飛ばされた。その衝撃と言ったら、腹を突き破られたかのような錯覚を感じてしまったほどだ。

 受けてしまった直後は、肺の空気は全て搾り取られ、まともな呼吸すらままならなく、全身を突きつけた痛みに体中が悲鳴をあげてるような状態であった。

 しかし、美鈴は七夜に歩み寄るまでに、動ける状態まで回復するには十分すぎた時間でもある。

 やがて、五体が満足である事と、自分の殺意を感じ取った七夜は、呼吸を最低限にし、それで気絶しているふりをしていたのだ。

 そして案の上、こちらを心配して歩み寄ってきた美鈴の隙を見て、俯きで倒れている状態から、一気に体を起こし、最高速まで加速させて、門の壁に跳躍して、ソレを蹴り、空をかけたのだ。

 そこには一瞬の予備動作もなかったために、美鈴には何が起こったのか分からなかったのだ。

 そして上から、七夜の移動法の一つである慣性を無視した急降下で、一気に上から美鈴の右肩から左腰にかけて、一気に切り裂いたのだ。

 右肩に限っては、ナイフが骨まで食い込んだために、美鈴は右肩がまともに使えない状態になったのだ。

 お分かりいただけたのなら、話を戻そう。

 

「ククク、惜しかったなぁ。あの時、俺を殺すつもりでやればよかったものを……最後の最後で情けを加えるなんて……あんたらしくもなかったな」

 

「クッ……!!」

 

 歩みよって来る殺人貴。

 美鈴にはもう立つ力など残っていない。

 間違いなく、あの一撃は致命傷だったのだ。

 妖怪の身である彼女とて、時間があれば回復するのだろうが、そんな猶予を与えてくれる相手ではない。

 

 ――――自分は、殺される。

 

 美鈴は己の軽率さを後悔した。

 

 ――――あの一撃で、仕留めるべきだったと。

 ――――情けなど、かけるのではなかったのだと。

 ――――最後まで、気を抜くべきではなかったのだと。

 

 コツ、コツ、コツと歩み寄るは己を見下す無慈悲な殺人鬼。

 

 首に、にナイフが突きつけられた。

 

「さて、このまま殺しては無慈悲にも程がある。何か言い残したいことでもあるかい?」

 

「……」

 

 ――――言い残したいこと、あるにはあるが……。

 

「少なくとも、貴方に言い残す言葉はありませんよ……」

 

「そうかい。ならここでさよならだ、紅美鈴。 もし来世というモノがあるのなら、そこでまた殺し合おうぜ?」

 

「……」

 

 七夜の言葉を美鈴は黙って聞いていた。

 いや、聞き流していたというのが正しい。

 ――――だって、自分はただ「死」を待つだけでいいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、いつまでたってもナイフは自分の首を刎ねなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――と、言いたい所だが。やれやれ、どうも浮世はそう思い通りにはさせてくれんらしいね……」

 

「――――ッッ!!」

 

 突然何を言い出したのかと思った美鈴だが、やがて周囲の異常さに気付く。

 

 

 

 

 

 

 ――――囲まれている。

 

 

 

 

「そんな……ッッ!! 私達に気付かれずいつの間に……ッッ!!?」

 

 さっきまでそんな気配などなかったのに、自分達に気付かれずに、囲むという異常さに美鈴は声を上げるが、七夜は至って冷静だ。

 

「おそらく転移魔術か何かだろう。俺達に気付かれずにこんな大がかりな事をするとは……術師も相当イカレタ輩のようだな」

 

 彼らを囲む人影たちは、この幻想郷では見ないような服装を着た者達ばかりだった。しかし、それでも普通の人間とは決定的な差があった。

 顔に表情はなく、虚ろな視線がはっきりと危険な物を感じさせた。

 

 しかし、七夜は一歩前に踏み出る。

 口に浮かばているのは薄ら笑い……いや、狂気笑いと言った方がただしい。

 

 

 

 

「此度は、この殺人貴と華人小娘の舞をご覧いたただき、有難うございます。お客様」

 

 

 

 

 ナイフを逆手に持ち、その鋭い眼光で、『死者』たちを見つめる。

 

 

 

 

「しかしながら当方、無断のご来場は禁止しております。そこを御理解いただけたら幸いです」

 

 

 

 ――――『眼』を蒼くし、七夜の視界は『死』に覆い尽くされる。

 

 

 

「つきましては、無断のご来場の罰として、お客様からは強制的に入場料金を支払っていただきます」

 

 

 

 

 

 ――――殺気が周囲を覆い尽くす。

 

 

 

 

 

「入場料金は――――あんたらの“首”だ」

 

 

 

 

 

 ――――直死の魔眼は、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 




七夜の口調……結構頑張ったつもりですが、どうかな?


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第四夜 紅い月と瀟洒なメイド

今回はバトルオンリーです。
ここまで旧作と違いますが。
この回が終わった後の展開、旧作と変わら……なくはないかな?


 肉に飢えた食人鬼は、七夜と美鈴の姿を目視した瞬間――――一斉に殺到した。

 人としての理性がないゆえに、身体能力のリミッターは解除され、その力とスピードは人並み以上。

 しかも彼らに食われた者は、例外なく彼らと同じ『死者』として死んでいながら現世を彷徨う事を余儀なくされる訳なので、そういう意味では妖怪よりも質が悪いというべきか。

 ――――そんな者たちが、一人の人間と、一人の手負いの妖怪に襲うという絶望。

 死者たちは声こそ聞こえない者の、その表情からは、今にも飢えた猛獣のような声が聞こえそうである。

 もし彼らに声というものがあるのなら――――それはとっても苦しくて、醜悪な声になっていただろうな、と――――充満する『死気』を感じながら美鈴は思った。

 彼女には彼らの声が聞こえるような気がした。

 その『死気』から感じ取れるのは――――

 

 ――――助けれくれ。

 

 ――――苦しいよ。

 

 ――――お腹……すいた。

 

 彼女には今にもそんな声が聞こえてきそうな錯覚を感じた。

 しかし、同情をは不要なのだと彼女は悟る。

 ――――彼らはもう『人』から外れてしまったモノ。

 ただ血肉を求め、彷徨う哀れなグールに過ぎない。

 ……やがて彼らはその飢えを暴走させるかのように一斉に美鈴の前に立っていた七夜に襲い掛かる。

 ――――ただ絶望的な光景でしかなかった。

 死者の数は軽く見積もっても三十――――しかも何者かが転移させているのか、後ろではその数が増え続けていた。

 こんな光景を目したら、誰もが戦意を喪失し、彼らの餌となってしまうだろう。

 

 ――――しかし、その男だけは違った。

 

 端から見れば、男は醜き食人鬼たちの獲物でしかない。

 

 ――――しかし、男は目の前の彼らを“獲物”として見ていた。

 

 十人ほどの死者が彼に飛び掛かり、それは七夜の視界を覆い――――そして刹那に、ソレは起こった。

 今にも七夜に密着するであろう距離

しかし――――死者たちは、何分割にもバラバラにされた。

 その肉片はもはや人の原型を残さずに――――塵となって消滅していく。

 

「やれやれ、あんたらも不運だよな。こんな醜き食いしん坊になるよりか、もう少しマシな形で死んでいればいい夢も見れただろうに……」

 

 男はただ思ったことを口にした。

 もちろん、その言葉が死者は死者達に届く筈もない……男は、単に思ったことを口しただった。

 その足取りはまるで夜の街を散歩するようなどこにでもいる普通の人ようだった。

 しかし、目の前の光景を目にしながら、なおそうしていられる事は、この空間においては男こそが一番の異常者であった。

 紅い和服を靡かせながら、その血に濡れる彼は――――美しかった。

 

 ――――そんな光景に、美鈴はただ心を奪われていた。見惚れていたと言ってもいい。

 

 血に濡れしその姿は醜悪という域を乗り越えて――――そこには“美”があった。

 

「来いよ、出来損ない共。貴様らに本当の“死”というモノを教えてやる」

 

 その赤みを帯びた蒼眼は――――ゆっくりと彼らの“死”を直視した。

 十人の仲間が一瞬で解体された事に怖気づく様子もなく、死者たちは七夜へと殺到する。

 しかし、七夜はソレよりも早く行動した。

 左右にスライドしながら、それでいて速度を落とさずに、驚異的な速さで死者たちの命を刈らんとその凶刃を向けた

 その動き方はまるで分身でもしているかのような……彼は自信の残像と共に死者たちに迫る。

 そして前線にいた一人の――――中年の男性くらいの死者にその凶刃が届いたと同時―――――。

 ――――その蹂躙は、始まった。

 獣じみた動き、速度を落とさずに、角度を変えての急な方向転換。それでいて舞う様に彼は、死者をバラバラにしていく。

 その動作にも、一切の無駄がなかった。

 ただ“殺す”事だけを念頭に鍛え上げられた肉体と、洗練された体術。

 その一つ一つの動作が完成された至高の芸術のようで、本来醜くみるべきその血に濡れた舞台そのものがその“醜さ”を極めた美しさに、美鈴は声も出なかった。

 

 ――――果たして自分が一生涯かけた所で……あの境地にたどり着けるのか。いや、おそらくは無理であろう

 正に、七夜だからこそ、たどり着ける境地。

 一人。二人。三人。四人。全て無駄のなく舞うように殺していく。

 それらの全ての動作が合わせても、刹那の如く行われているのにも関わらず、美鈴はその一つ一つに目を離せずにいた。

 

 ――――自分と戦っていた時のアレはなんだったというのか?

 

 先ほど、あの男に情けをかけた結果、自分は殺されかけた訳であるが。もし、彼が本気を出していたとしたら……自分は情けをかける暇もなく――――あの死者たちのように鮮やかに散っていくのではないのではないかと。

 

 ――――あんな鮮やかに殺されるのであれば、他の殺され方など眼中に留めない。

 

 

 

◇❖◇❖◇

 

 

 

 ……紅一色の館の中、その永遠に幼き紅い月はいた。

 見た目は十代にも満たない幼女……しかしその雰囲気や纏わせているオーラは幼女のソレや、人間のソレとも違う。

 銀がかった水色の髪に真紅の瞳。

 ピンク色の衣服とピンク色のナイトキャップを紅いリボンで占めたその姿はまさしく、幼い“美”と言えるだろう。

 

 ――――しかし、その背中に生えた黒い翼が、彼女が人から外れている者だという事を示していた。

 

 彼女の名はレミリア・スカーレット。

 紅き館――――紅魔館の主にして、絶対なる力を持つ――――吸血鬼である。

 

「……咲夜」

 

 彼女は紅茶のカップを向き、虚空にむかってその名を呼ぶ。

 

「ここに……」

 

 しかし、その虚空に向けられた呼び声が伝わったのか……彼女の前に――――銀髪のメイドが現れる。

 銀髪にセミロングに両方の揉み上げ辺りから、先端に緑色のリボンを付けた三つ編みを結った――――歳は、二十代に差し掛かった十代後半の少女。

 その青と白のカラーのメイド服は彼女によく似合っており、その美貌を引き立たせていた。

 彼女の姿を確認したレミリアは、紅茶はまた一口――――飲んだ後、カップを置き、目の前の従者に話しかける。

 

「……外が何だか騒がしいわね」

 

「……どうやら何者かが戦闘を行っているようですが……、美鈴ではなさそうですね」

 

「……咲夜」

 

「はい……」

 

 紅茶を飲みほしたレミリアは座から立ち上がる。その静かな威圧を発して、彼女もまた戦場に立とうとしていた。

 

「いけるわね?」

 

「はい、そのつもりです」

 

 咲夜と呼ばれたメイドはその戦意を誇示するかのように両手に三本ずつナイフを構える。その獲物に対する殺意を感じ取ったレミリアは、そう――――、と頷き、私室の扉へと眼を向ける。

 

「それはよかったわ。 じゃあ、行きましょうか」

 

 彼女ら出向く――――己の庭の塵掃除と言う名の、戦場に。

 

「誰だかは知らないけれど、人の庭を汚してくれた事――――血の涙で後悔させてやるわ」

 

 そう言って、『永遠に幼き紅い月』はゆっくりと静かにその歩を歩めた。

 銀髪のメイド――――十六夜咲夜もその小さき背中に続く。

 だが、咲夜は知らない。

 これから行く血だまり場の先に――――、思いがけない、再会が待っている事を――――。

 

 

 

◇❖◇❖◇

 

 

 

「――――ふん、数だけ多いな。その上――――これか」

 

 七夜は周囲を見渡す。

 “無”に返した死者の数はとうに三桁を超えている。それでも、出現した黒い瘴気からわらわらとソレが出てくる。

 数が減る様子は一向にない。

 もう聞くのも億劫なくらいの怨嗟でまみれた飢えの叫び、死んでいながらも必死に“生”にしがみつこうとする有象無象。

 こんな醜態をさらしだしてまで必死に生きようとする彼らの気持ちを――――七夜は理解しない。

 あんた姿になるぐらいなら――――生き地獄の方がよほど辛かろう。

 

 ――――突如、七夜の頭上に七つの黒い瘴気が出現する。

 

 そこから伸びてくる死者の手。

 まるで冥界に誘い込む“グールの魔手”のようだった。

 突如七夜の頭上のそれぞれの瘴気から死者が飛び出して来る。

 

「――――罠……」

 

 目前にも、大量の死者が迫ってくる。

 しかし、七夜はナイフを逆手に握り、ソレらに目も向けないまま静かに、対抗の意を敷いた。

そして彼に近づいた有象無象は――――。

 

「の……つもりか?」

 

 無惨にも、バラバラにされてしまう。

 鮮やかに肉片が舞い――――、そして塵へとかえってゆく。

 数で押した所で、その結果が変わるはずもなく、彼はただ――――日常作業をこなすかのように“殺”していく。

 そして、背後から、二十代の女性らしき死者が彼を襲う。

 もちろん、ソレに気付かない七夜ではない。

 彼はナイフを振るおうとしたが――――途中でその凶刃を止める。

 

 そして死者は――――はるかかなたに、吹き飛ばされる。

 

 背中でその存在は感じ取った七夜は、ほう、と一笑した。

 ついさっき感じたこの闘気――――誰かであるかはもう、確認する必要はない。

 

「ようお嬢さん。存外、治るのが早いじゃないか。――――まったく、これからあんたの体を解体できると考えると興奮してくる……クククッ……」

 

 そして、後ろの背中は紅い長髪を靡かせながら、答えた。

 

「貴方が何者であるかは、今は問いません。今は――――この状況を打破するのが先でしょう? その後で、さっきの借りは返させてもらいますので、覚悟してくださいね?」

 

 七夜と背中合わせで立つ女性――――七夜に致命傷を負わされ、ついさっきまで動けずにいた紅美鈴だった。

 その美鈴の言葉に男は振り向かずに、笑い、そして爆弾発言を言った。

 

「そうかい。なら精々、“死者”ごときに食われてくれるなよ? あんたは――――俺の“モノ”なんだからな」

 

 その言葉は――――美鈴の胸を打った。

 男と女が、背中合わせの状態で、この台詞。

 近くで聞いたら、胸が高鳴ってしまうのも無理はないだろう。

 その言葉をささやかれた美鈴は顔を紅くして、慌てた。

 

「な……何を言っているんですか!!? い、今はそれ所じゃ……、その、……ないでしょうっ!!」

 

「いや、俺は本気さ。この想い――――あんたに伝わるかは別にしてな……」

 

「~~~~ッッ……!!」

 

 その言葉に、更に顔を赤くしてしまう美鈴。

 だが――――彼女は知らない。

 彼が美鈴を『自分のモノ』と言ったのは決してそういう意味ではなく――――“獲物”という意味である事を……。

 

「――――っと、おしゃべりしている暇はないな……。奴さんたちも痺れを切らしたようだぜ? ――――来るぞ」

 

 二人を囲んだ――――数はとうに数百を超える死者たちの群れ。

 しかし、二人はそれにおじける事もなく、恐怖するわけでもなく――――二人の“狩り人”は死者たちを見据える。

 一人は静かな――――それでいて闘志を込めた目で、拳を構えた。

 もう一人は口元に笑いをうかべながら――――構えずただナイフを握り、しかしその目は『殺したい』と笑っている。

 どちらも――――類は違えど、“狩人”の目だった。

 

 そして更に――――“狩り人”は増える。

 

 

 

 

 

 

「――――神槍『スピア・ザ・グングニグル』」

 

 

 

 

 

 

 

「――――傷符『インスクライブレッドソウル』」

 

 

 

 

 

 

 

 ……真紅の槍だった。

 ソレはまるで、命を刈り取るためだけに生み出された流れ星の如く――――死者たちの群れへと向かっていく。

 さらにその流れ星に“色”を付けるかのように、無数の斬撃の嵐が飛び交い、死者達を切り刻んだ。

 刻まれて、怯んだ死者たちに――――紅い“死の象徴”は死者たちへと殺到する。

 

 ――――ドオオオォォォォンッッッッ!!!

 

 そして途轍もない地響きが――――大地を駆け巡った。

 その出鱈目さを見て――――七夜はいっそ、ひゅ~、と口笛を吹きたくなる。

 美鈴は攻撃の主の存在を感じて――――紅い槍が飛んできた方向に、振り向く。

 

「へぇ~、随分と醜い事になってるわね」

 

「同感です。漂ってくる死臭に鼻の感覚が麻痺しそうですわ……」

 

 そこには、背中に黒い翼を生やした銀がかった水色の髪の幼女――――レミリア・スカーレットと、銀髪のメイド――――十六夜咲夜の姿があった。

 その光景はまるで――――禍々しい紅い月と、ソレに照らされた銀色のナイフのようだった。

 

「お嬢様ッ!! 咲夜さんッ!!」

 

「やっほー、美鈴。面白そうだから来ちゃったわ。……そして来てみれば、知らない男性と心中真っ最中か……。いやはや、美鈴も女の子って事かしら?」

 

 手を顎に当てながら、悪戯そうに笑いレミリアはそう言った。

 またしてもの爆弾発言に、美鈴は顔を赤くして、必死に反論した。

 

「い、いやッ……!! 違いますよッッ……、私達はただ……」

 

 必死に言い訳しようとするが、赤面して慌てているために、呂律が回っていない。

 そしてソレに追い打ちをかけるかのように――――。

 

「これでもお互い曝け出し殺りあった仲だからな」

 

 ソレをわざわざ卑猥な言い回しで、七夜は言った。“ヤりあった”という発音は、聞く者からすれば、とんだ誤解を生むだろう。

 

「ちょ……ッ、そう言うと別の意味に聞こえますから、ちゃんと普通に戦ったって言ってくださいよ……ッッ!!!」

 

 その爆弾の追い打ちに美鈴は、更に慌てる。

 そんな美鈴に――――後ろから、頭にナイフを刺されたままの死者が美鈴に襲い掛かった。

 突然の事に――――、反応できなかった美鈴だが―――、

 その死者は、一振りのナイフによって解体され、塵となる。

 

「やれやれ、人の“獲物”を横取りするとは、無粋にも程がある」

 

「な、七夜さんッ!!?」

 

「ボサっとするな。まだまだ……来るぞ?」

 

 背中合わせの四人――――ソレを囲む数々の有象無象。

 時刻は昼で、日はまだ明るいにも関わらず――――、そこまるでアンデット・ワールドのようだった。

 

「ちっ――――、やっぱり日が出ている時に、外に出るものではないわね……」

 

 レミリアは自分の皮膚を見る。

 見た目だけでは分からないが――――レミリアは皮膚が異常な早さで乾燥していくのを感じ取った。

 

「(早く終わらせましょうか。幸いこちらは四人。私と、咲夜と、美鈴。もう一人は誰か知らないけど――――腕は立つっ!!)」

 

 まだ目障りな日光に苦渋しながらも、身体性能の劣化がないかを確認し、レミリアは背中を合わせている他の三人の号令をかけた。

 

「いけるわね、美鈴、咲夜。そして、貴方――――七夜と言ったかしら?」

 

 

 

 その呼び名に……ピクッ、と反応する者が一人いた。

 十六夜咲夜は……その名を聞いて、背中を合わせている七夜の方向を向いた。

 

「――――ッ!!」

 

 確かに、あの少年と同じ後ろ姿だった。

 しかし、そんな咲夜の反応を後目に、七夜とレミリアの会話は進む。

 

 

 

「ああ、その呼び名でいい。ちょうどこいつ等をバラすのも飽きてきた所でね……助太刀、感謝するよ」

 

「そう……。こちらこそ、ウチの館の“掃除”を手伝ってくれる事、感謝するわ」

 

 そう言って、両者はまた視線を死者たちの方へと向ける。

 全員、この場で話す事はもうなくなった。

 後は――――四者で蹂躙するのみ。

 

 ――――紅魔館の門番、紅美鈴から繰り出される打撃と、そこから出される『気』の弾幕で、敵を打ち飛ばしていく。

 

 ――――紅魔館のメイド長、十六夜咲夜から繰り出されるナイフの嵐。的確に、正確に敵の急所をに向かって、ナイフは殺到していく。

 

 ――――吸血鬼、レミリア・スカーレットの紅い弾幕と、紅い爪が敵を圧倒し、ねじ伏せ、蹂躙する。

 

 ――――殺人貴、七夜の獣じみた奇怪な体術と『死』を視る魔眼を持って、死者たちを次々と解体していく。

 

 年末年始までまだまだ先だというのに――――紅魔館での“大掃除”はそんな血腥さから始まった。

 

 

 

 十六夜咲夜は、次々と死者たちを串刺しにしながら――――その視線は七夜へとずっと向いてた。

 

「……志貴、なの?」

 

 そう、呟いた。

 




旧作の反省点

旧作は七夜×咲夜のタグを付けておきながら、日常編において、七×咲の描写が一つもなかった。
全ては作者が何も考えずに書いていたせいです。


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第五夜 七夜を名乗る

ちょっと展開が早いかもしれませんね……。


 ――――終わりは、あっけなかった

 

「――――ふんっ」

 

 七夜は鼻で笑い、身体を一回転させ、その遠心力でナイフを死者めがけて投げつけた。

 弾丸すらも凌駕したスピードで飛ぶソレは、死者の“死の点”を貫き、紅魔館の外壁に刺さって停止した。

 

 ……それで、残り一人となった死者は、塵となりて消滅した。

 

 七夜の眼は赤みを帯びた蒼から漆黒に戻る。

最後の死者の塵が完全に空気となって消えていくまでに沈黙が続いたが、やがてレミリアが口を開いた。

 

「終わったわね……」

 

 レミリアは自分の皮膚の状態を確認しながら、そう告げる。

 ――――多少焦げているが、これぐらいなら、館に戻った後で回復する。

 永遠亭で作ってもらった吸血鬼用の日焼け止めを付けておけばよかったとレミリアは今更ながら、後悔する。

 だが、ソレも今は瑣末な事。

 目の前の厄介事を片づけた今――――レミリアの視線は、七夜に向いた。

 ……ソレに続いて、咲夜と美鈴もまた七夜へと視線を向ける。

 

 ……紅魔館に庭、緊張の風が吹いた。

 

「さて、目の前のゴミ掃除も終わった事だし――――貴方が何者か、話してくれるかしら、七夜とやら?」

 

「……気が付いたらここにいた……じゃ、納得してくれないか?」

 

「……なるほど、外来人ね」

 

「……簡単に納得してくれたな」

 

 もっと侵入者だとか、怪しい物だとか言われれば、少しは楽しくなっただろうな、七夜は残念そうにした。

 ……もちろん、そういう素振りはレミリアたちには見せない。

 レミリアはじーっと、手に顎を置きながら、七夜をじぃーっと見た。

 ――――自分の顔に何かついているのか、と一瞬七夜は思った。

 

 その間に――――入った来る者が一人。

 

 

「――――ねえ、貴方」

 

 十六夜咲夜は七夜に問うた。

 まるで何かを確かめるかのように――――しかし、彼女は何故か、質問を切り出せなかった。

 まるで聞く事を戸惑うかのように……誰が何かを確認したいかのように……。

 

「うん、メイドのお嬢さんか? 俺に何か聞きたい事でも?」

 

「ええ、あるわ。……答えてくるかしら?」

 

「答えられる範囲ならな……」

 

 そう聞いた咲夜は、ならば――――、と目を閉じ、己の聞きたい事を確認する。

 昔――――七夜の里であったあの蒼眼の少年。

 もし、ソレが目の前の人物であるのならば――――。

 

「七夜、と言ったわね。貴方のソレは本当の名前かしら?」

 

 ピク、と眉を潜ませる七夜。

 そのわずかな反応を咲夜は逃さず、咲夜の中でソレは確信に変わった。

 

「……何故そんな事を聞く?」

 

「七夜……この幻想郷においてそういう曰く付きみたいな名前は珍しくないけれど、あなたが外来人であるというのなら、普通、そんな名前は付かないわ」

 

「……」

 

「……ソレに、私は知っているもの……。

 退魔における“混血”殺しにおいて……禁忌という域とすら言われた退魔一――――」

 

「もういい。その先の言いたいことは分かる。

 ……確かにあんたの言う通りだ。“七夜”の名は退魔一族の名から取ったものだ」

 

 その事実に、レミリアは不思議そうな顔で、美鈴は少し驚いた様子で七夜を見た。

 ――――何故、わざわざ自分の名前を名乗らないのか……その疑問が二人には湧いてきた。

 しかし、一番疑問に思っているのは質問している咲夜本人に他ならない。

 

「何故――――そんな事を?」

 

「……答える必要性が――――」

 

「答えなさい」

 

 咲夜が若干威圧を出して七夜に答えるよう強いる。

 七夜は半分ほど殺気を向けて咲夜を脅してみたが、咲夜の意思が強いのか退いてくれる様子がない。

 ――――やれやれ、こんなろくでなしの事を知って何の意味があるのか……。

 そう、悪態を心の中で付き、やがて降参の意を示した。

 ……が、果たして記憶喪失と言って信じてくれるのだろうか?

 

「実を言うとね――――名前が思い出せないんだ。……冗談抜きでな」

 

「「「――――は?」」」

 

「とは言っても、完全な記憶喪失ではない。退魔の一族・七夜の生まれ。

 ――――それだけが何故か、記憶に残っていた。いや、記憶というよりは『情報』と言った方が正しいかな?」

 

「ちょ……ちょっと待ってくださいっ!!」

 

 そんな七夜の返答に美鈴が声をあげた。

 さっき七夜はその一族の名をさも当然かのように名乗っていたので、彼女にとっては違和感もありありなのだろう。

 

「貴方はさっき自分は“七夜”だってさも最初かその名前だろ言わんばかりな言い草だったじゃないですかっ!!?」

 

「ああ、確かにそうだ。

 だが――――名前が何か問題か? たとえ俺の名がなかろうと“七夜”である事に変わりはない。名前なんてそんな物――――瑣末な問題なんだよ。

 どの道――――俺のやることなんざ変わりはしないさ」

 

「……」

 

 七夜の返答に美鈴は言葉を失う。

 記憶がないというのであれば、普通は戸惑ったり、何をやればいいかとお先真っ暗になるものだが、七夜にはそういうものがなかった。

 ――――たとえ自分が何者か知らなかろうと、自分が自分である事には変わらない。

 そう言わんばかりの七夜の態度に、美鈴はもう言うことはなかったのだ。

 

「ふふふ……」

 

 七夜の、美鈴の質問への返答を、どう取ったのか、レミリアは笑い始めた。

 

 ――――おもしろい。

 

「お嬢様?」

 

 急に笑い出した己の主に対し、咲夜はどうかしたのかという顔でレミリアを見た。

 

「面白い……面白いわ。貴方……ここで執事として働きなさい」

 

「「――――は?」」

 

 そのいきなりの爆弾発言に、二人はまた間の抜けた声を出してしまう。

 無理もない。

 どこの誰ともはっきりしていない人物を、やすやすと紅魔館に――――しかも執事として働かせるなど正気の沙汰ではない。

しかし、何故か咲夜は、すぐ納得したのか、主の言うことに従うことにした。

いや――――咲夜にはレミリアとはまた違う思惑があってのことなのだが、それは咲夜のみぞ知る。

 

「い、いいのですかお嬢様っ!! いくら相手が人間だとはいえ、名前も身元もはっきりしていない男を館に住まわせるなんて、正気の沙汰じゃ――――」

 

「じゃあ、逆に聞くわよ、美鈴? そもそもウチに――――正気な輩なんているのかしら?」

 

 ……返しようのない質問だった。

 美鈴は言葉を失う。

 無論、正気でない、という事については紅魔館だけでなく、幻想郷全体に言える事なのだが……。

 

「分かってくれたのなら、結構よ」

 

「やれやれ、こんな人でなしを迎え入れようなんて……アンタも随分と酔狂だね」

 

 レミリアに対し、七夜は邪悪な笑みを浮かべながら、言う。

 しかし、そんな七夜に対して、レミリアは少し威圧をかけ、七夜に言った。

 

「異論でもあるのか? 人間」

 

「いや、無いな」

 

「ならいい。貴方にも少し聞きたいことがあるし――――ここに来て、働きなさい、七夜」

 

「はいはい。これからよろしく頼むよ――――“ご主人様”?」

 

 

 

 

 

 

 ――――で、今はここに至る訳である。

 私の後ろを歩くのは、私と同い年くらいの青年。

 名前は――――七夜という、幼い時に私が会った、少年の苗字と字が同じである。

 

 ――――コツ、コツと紅い廊下を歩く。

 

 すれ違う妖精メイド達が、私と一緒に歩いてくる七夜に注目してくるが、そんなモノは気にしない。

 まるで和服以外が考えられないくらいに和服が似合っていた彼だが、いざ着せてみた執事服も似合いすぎるくらいに似合っていて、ちょっと顔を反らしてしまったのは内緒だ。

 七夜は普段着慣れない執事服を、別段気にする風もなく着こなしており、懐からみれば立ち振る舞いも問題なさそうである。

 しかし、その研ぎ澄まされ刃物ような目つきはまるで、『今すぐにでもお前を殺したい』と嗤っているようで、見る者によっては戦禍すら走らせた。……私もその一人である。

 

「それにしても……館全体紅尽くしか。いい趣味しているね、まったく……」

 

「人の館にケチを付けるのかしら?」

 

「まさか。紅色は好きなんだ。まるで血しぶきのような鮮さがある」

 

「いい趣味しているのは、一体どちらかしら?」

 

 心の底で思ったことを冷静に突っ込んでみる。

 そんなことを真顔で平然と言うのは、よほど狂った人じゃないとまず言わない。

 まあ、幻想郷にまともな人物を期待する方がお間違いなのだけれど……。

 私の皮肉を込めた質問に対して、七夜は悪趣味げに笑い――――こう呟いた。

 

「まともじゃないよなぁ、お互いさ――――」

 

 ――――その笑いは、とてもあの少年からは想像も付かない、邪悪な笑みだった。

 

「……」

 

「――――ん? どうした。人の顔をジロジロ見て」

 

「い、いえ……何でもないわ」

 

 どうやらいつの間にか顔を凝視してしまったみたいだ。

 ――――本当に、あの少年なのか?

 先ほどの死者たちと戦っている時にわかったが、彼の眼は確かに蒼かった。

 だけど、あの時の少年の純粋な蒼とは違う。

 七夜の蒼眼はあの少年とは違い、若干の“赤み”を帯びていたのだ。

 七夜家の人間は、超能力を受け継いだ一族の証として、『あり得ざるものを視る程度の能力』――――俗に言う、“淨眼”というモノが現われるらしいが、七夜の蒼眼はその類には見えなかった。

 それでも――――

 

「もし、彼が、あの七夜志貴だったら、私は……」

 

 私は――――

 

 その先は、浮かばなかった。

 

 懐にしまってある「七ッ夜」を見ながら、私はお嬢様の居間へと急いだ。七夜も私の背中に続く。

 今日は新しい執事として七夜が紹介される。

 居間には、お嬢様の他にも、パチュリー様と小悪魔が待っている筈である。

 

 

 

 

 

 

「来たわね――――」

 

 ギギギ……という重々しい音を立てながら、ドアは開く。

 ……それにしてもギギギ、はおかしいわね。 

 今度、妖精メイドに修理させようかしら?

 

「お待たせいたしました、お嬢様」

 

 そう考えていたら、咲夜の声が聞こえたので、思考を現実に戻した。

 後ろには――――執事服を着た七夜もいた。

 

 うん、結構似合ってい――――いや、似合いすぎてるわね。

 

 もしこんな執事が、優しい声で「お嬢様、起床の時間で御座いますよ?」って言われたら、私どうしましょうか。

 

「お嬢様、顔が赤くなっていますよ?」

 

 おっと、いけない私とした事が、らしくもない妄想を――――。

 ……あれ、妄想? 私が?

 そ、そんな事はないわよね、私の名はレミリア・スカーレット、誰よりも高貴で、誰よりも威厳のある吸血鬼。

 そんな妄想に私は屈しない。

 

「よく来たわね。紅魔館の住人として――――歓迎するわよ、七夜?」

 

 とりあえず、さっきの事は忘れて、いつもどおりに振舞うことにする。

 

「初めまして、私めの名は七夜と言います。

 こんな出来損ないを迎え入れてくれたことを、心の底から感謝いたします――――ご主人様」

 

 ……声もエロ……じゃなくてかっこいいわね。

 立ち振る舞いも悪くはないし、あとはその壊滅的に悪い眼つきがなければ、花丸もあげるんだけどまあ……浮世はそううまくいかないものね。

 他人の“運命”を捻じ曲げるにしても所詮、ソレは“運命”に過ぎない。

 運命というものはそう決まっている事を指すのではなく、何千本にも分かれている道筋の事を言う。

 私の能力は所詮、その道筋に行きやすくしてやれるだけで、本人にソレを拒絶する強い意思があれば、私の能力など意味はなさない。

 ……そう私はその行きやすくされた“運命”を拒絶する強い意思を持った人間は好きだ。

 他人に勧めたれた事をこなす人形よりも……眼の前の彼のように記憶がなくなるという運命を辿りながらも、自分は自分であるという意思を持つ人間は美しい。

 だから、私は彼を執事として雇いたくなった。

 ……貴方は、私の執事でありながらも、己の道を貫けるかしら、七夜?

 

「さて、自己紹介がまだだったわね。もう知っていると思うけど、私の名はレミリア・スカーレット。ここの館の主にして、誇り高き貴族、ツェペシュの末裔にして――――吸血鬼よ」

 

「ツェペシュ――――死徒でも、真祖でもなく純粋な吸血鬼の始祖か。

 確かに、貴女からはアイツらのような類の気配は感じませんね。

 いや、まったく――――こんな上玉を主人として持つなんて――――光栄の至りですよ、ご主人様?」

 

 やばい……声が、エロい。

 惹きこまれそうだわ……。

 

「人間としては礼儀を弁えているようね。

 アイツ等と一緒にされては、貴方の首は今頃私の足元よ。……あんな吸血鬼の面汚しのような奴らと、私達を聖堂協会たちは同列にみなしている。

 それは……これ以上にない、耐え難い屈辱だ」

 

 いつの間にか、拳を握りしめていた。

 それほどに私はアイツ等に対して憤っているのだろう。

 ――――人から血を奪えないと……力を維持できず、人から血を貪りつつ付ける死徒。

 ――――己の欲求を抑えるために、人間たちを食料とした真祖。死徒たちの始まりも彼らが原因である。

 どちらも、我ら“純”吸血鬼の誇りの面汚し。

 そして、ソイツ等と我等を同列とみなす聖堂教会。

 外は、我等の屈辱で埋まっていた。

 

「さて、私の自己紹介は以上よ」

 

 とりあえず、心の底から湧き上がる憤りを抑えて、私は自己紹介を終える。ソレに続いて、隣にいたパチュリーが自己紹介した。

 

「パチュリー・ノーレッジ、魔法使いよ。普段は地下の図書館にいるけれど……私はちょっと持病だから、長い距離は動いていられないわ。

 用があったら……私の図書館に来てね。

 ……それにしても、七夜――――ねえ?」

 

「? どうかしたの、パチェ」

 

 パチェが薄ら笑いを浮かべながら、七夜をみる。

 そんなパチェが珍しくて、つい声をかてみたくなった私。

 

「まさか同じナイフ使いで、しかも名前の“夜”の部分が咲夜と同じなんて……何か運命という物を感じるわね。

 そう思わない、レミィ?」

 

 悪戯げに嗤うパチェ

 私が運命を操ってこの男を館に呼び寄せたとでもいいたげな顔ね……。

 私の能力は正確にはそういった事には向いていないというのに……。

 

「まあ、貴方がそう思うのならソレでいいんじゃないかしら、パチェ?」

 

 私は適当にソレを返した。

 彼女――――パチェは時々、今のように“いい性格”になる事があるが、ソレもまたおパチェの魅力的な一面だ。

 

「ああソレと、私の傍にいるこの子――――小悪魔っていうんだけど、私の使い魔ね。私に用があった時は、主にこの子に言ってくれると助かるわ」

 

 パチェが言い終わると、傍にいた小悪魔がペコ、と七夜に頭を下げる。

 

「承知しました、パチュリー様」

 

 こうして、パチェの自己紹介が終わる。

 後は――――。

 

「貴女だけよ――――咲夜?」

 

 私の呼びかけに、咲夜ははい、と言い、七夜に向き直った。

 

「十六夜咲夜。ここのメイド長をしているわ。

 だからまあ、これからは貴方の上司になるわけだけど、依存はないわよね?」

 

「無いさ。衣食住を許してくれる手前、コチラから言うことは何もないよ、先輩?」

 

「……別に呼ぶときは咲夜でもいいわよ、し――――七夜」

 

 ……?

 咲夜、今何か言いかけたわね。

 そう言えば、私が七夜を執事にすると行った時も、反論してきた美鈴とは違い、咲夜はあっさりと了承していた。

 ……いくら私に忠実なメイドとはいえ、咲夜はあの男に対して何か思い入れでもあるのかしら?

 よく見ると、咲夜の表情は色々と複雑そうである。

 滅多に見れない咲夜の表情を見れた事に関して、私は七夜に感謝しながら話を続けた。

 

「さて、自己紹介も終わった事だし、そろそろ本題に入りましょうか」

 

「お嬢様。ソレは、あの死者たちの事ですか?」

 

 咲夜が私の考えを代弁してくれた。

 

「そうよ。紅魔館の庭に幻想入りした貴方と、貴方と美鈴の前に突如、大量召喚された死者たち。

 ――――貴方は何か心当たりはあるかしら?」

 

 私の勘が告げる。

 七夜が幻想入りした直後に同じ場所に召喚された死者たち。

 死者たちを殺してくれた辺り、七夜が加害者という訳ではなさそうだが、とても無関係には思えなかった。

 

「心当たりはありませんね。

 だが、強いて言うならば、アレは召喚させているというよりは、何者かが外の世界から“転移”させているような印象を受けましたが?」

 

「何故、そう思うのかしら?」

 

「所詮は、素人の推測ですが……まずは死者たちが着ていた服です。僅かな記憶から引っ張りだせる事ですが、アレは明らかに外にいた世界の人たちが着る類のものです。

 ソレに、死者たちは出現した黒い瘴気からワラワラと湧いてきた。

 そしてあの黒い瘴気から魔力の痕跡が見られました。

 とすれば、あの黒い瘴気を操っている術師がどこかにいる筈――――だからこれは、何者かが故意に死者たちをこの館の庭に転移したと言ったところでしょうか……。

 最も、俺がここに来た直後に転移されてくるなんて……タイミングも都合も良すぎるような気がするがね……」

 

 七夜、貴方……まさか……いや、考えるのはやめよう。

 そんな事を考えたら……眼の前の彼がソレに見えてしまうから……。

 

「パチェ、貴方からも聞きたいわ」

 

「私は現場にはいなかったけれど……もし七夜の言う通りだったら、その転移させた術師は相当の壊れモノよ。

 美鈴や七夜に気づかれず、そんな大袈裟な事をやってのけるなんて、一体何処の術師かしら?」

 

 ……なるほど、敵もかなり強敵だから油断はするなという事か……。

 

「咲夜は?」

 

「私も大体の推測は七夜と同じですが……。

 あの死者たち……銀のナイフを使っても、脳みそを突き刺したくらいでは止まりませんでした。

 別段、死者なので、ナイフを頭に突き刺されたぐらいでは止まらないのが常識ですが、銀のナイフでやっても同じ結果なのはいくら何でもおかしいです。

 ……おそらく、なんらか術を施されて“強化”されているのだと思います」

 

 今のは結構重要な事ね。

 彼らは並の死者よりも高い戦闘力を持っているということになる。

 私にとっては取るに足らない存在と言っても……ソレは少し厄介だ。

 

「今の所、わかるのはソレくらい、か……」

 

 まあ、何も収穫がないよりはマシ、か……。

 

「じゃあ、この話はこれでおしまいね」

 

「咲夜、七夜を部屋に案内してあげなさい」

 

「かしこまりました。来なさい、七夜」

 

「了解だ、咲夜」

 

 そう言って二人は扉を開き、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

残されたのは私とパチュリーと小悪魔のみ

 

「ねえ、レミィ」

 

 不意に、パチェが私に言ってきた。

 

「何かしら? パチェ」

 

「七夜って飛べるのかしら?」

 

 ――――あ。

 そういえば、思えばソレが一番肝心だったわね。

 私はしまったと思い、うしろ髪をかいた。

 そんな私に呆れたのか、パチェはハァ~、とため息を付く。

 ……というか、貴女も人のこと言えないじゃない。

 

「……飛べないんじゃないかしら。先ほどの死者たちの戦闘でも飛んでるというよりは、樹木の間を何か変態的な動きで跳び回りながら、死者たちと戦っていたし……」

 

「その”変態的な動き”というのが気になるのだけれど……。まあいいわ、後で聞いてみましょう。

 もし、飛べなかったら、アレを試してみましょうか……」

 

「アレって何?」

 

 ものすごく気になるわ……飛べない人間を飛べるようにするようなマジックアイテムをパチェは開発したのかしら?

 さすが私の親友ね。

 

「まあ、飛べるようになるわけじゃないんだけどね……」

 

 ……そんな私の考えを手折るかのように、言うパチェ。

 ズッコケそうになったじゃないのよ、まったく……。

 

「とある魔術研究をしていた時に、偶然できた副産物なのよ。

 私たちのように普通に飛べるような者には意味がないけれど、彼の身体能力なら出来そうね……後、問題は魔力か」

 

「ちょっと、一人で呟いてないで、私にも分かるように説明してよ」

 

「ああごめんごめん。

 その偶然の副産物……空中を歩けるようになるマジックアイテムなのよ」

 

 空中を歩けるように……ソレも面白そうね。

 空を飛ぶとはまた別の……空を散歩するような感じかしら?

 

「だけど少し問題があってね、ソレなりの魔力を持ってないと使いこなせないのが欠点よ。……七夜にソレ相応の魔力があるかどうか……」

 

「最悪、その魔力がなかったら諦めるしかないって事?」

 

「……そうね」

 

 七夜にソレ相応の魔力がある事を願うしかない、か……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六夜 幻想指輪

目標、平均字数一万文字以上です。
とりあえず今回は八千字。


「――――と、言うわけで貴方をここに呼び出したわけだけど、実際の所どうなの?」

 

「無理だ」

 

 とりあえず、この馬鹿でかい図書館に呼ばれて何を聞かれるのかと思えば、七夜にとってはとても常識はずれな事を聞かれ、きっぱりと答えた。

 

「……ここの連中は皆、空を飛べるのか?」

 

「妖怪ならほとんどが飛べるわ。後は、ソレなりの霊力を持った人間も飛べるわよ」

 

「……」

 

 七夜はハァ~、とため息を付いた。

 翼を生やしていたレミリアならともかく、幻想郷のほとんどの者が空を飛べるなど……彼自身、常識に囚われないつもりであるが、それでも今回ばかりはその本当の“常識はずれ”を聞いてしまい、ちょっと呆れ顔である。

 ……別に彼は空を飛ぶことに憧れてはいないのだが、空中戦がメインとなるこの世界において、足場を必要とする自分の体術とは相性が悪いと思ったのが素直な感想である。

 

 ……ちなみにパチュリーからはタメ語でいいと言われているので、七夜はいつもの口調で話している。

 

「もし本当にここで生きていくというのであれば、空を飛ぶ方法を習得するのが手っ取り早いのだけれど、短時間でそんな事できるようになるわけがないし……そこでコレを用意してみたんだけど……」

 

「?」

 

「小悪魔、持ってきて頂戴」

 

「はい、パチュリー様」

 

 後ろにいた赤髪の少女――――小悪魔が何処からか赤い布に包まれた、手の平に少し持て余す程の大きさの木箱を取り出した。

 そして、その蓋が小悪魔の手によって開けられ、そこには――――

 

「……指輪?」

 

「ええ、幻想指輪《イリュージョン・リング》と言うの」

 

 何というか……重々しい外見の指輪だった。

 円型ではなく、正8角形でできた銀に、ちょうど七夜の中指は入る程度の円幅が開けれたその形状は、指輪というよりも、拘束具みたいなイメージを沸かせた。

 

「このマジックアイテムがあれば、空を飛べなくても空中に仮の足場を作って蹴ったり、歩いたりする事ができるわ」

 

「へぇ……」

 

 しかし、七夜はその形状を気にすることもなく、その指輪を手にとって見てみる。一見すれば、外見がちょっとアレなだけの普通の指輪だが……。

 

「だけど、この指輪は普通の人じゃ扱えないわ。ソレなりの魔力を持っていなければ宝の持ち腐れ。

 ……どのマジックアイテムにも言える事ね。例えば八卦炉とか……」

 

「”八卦炉”?」

 

「ええ……私の友人(仮)が使っているマジックアイテムを例に出すけれど、この幻想指輪とは違って、補助道具などではなく、携行できる手の平サイズの大砲とでも言うべきかしら……。

 補助などではなく、武器そのものになる八卦炉だけど、使用者が使い方を知らないと使えないし、また使用者にソレ相応の魔力がないと効果は発揮されないのよ」

 

「つまり……俺にこの指輪を使いこなせるだけの魔力がなければ諦めろと?」

 

「……そういう事になるわね」

 

 ……そうか、と七夜は眼を閉じる。

 別に魔力がなければその時はその時だが、得られる物があればソレに越したことはないだろう。

 それに、空中に足場を作るということは、障害物がない空間でも七夜の体術の本領が発揮されるという事。

 実際に相手の視界を遮る障害物はないので、本当の屋内でやった方が暗殺効率は上がるのだが、何もない空間で動きだけでもソレに似せる事ができるのは七夜にとってはありがたい事でもある。

 

「そこでこれから貴方の魔力測定と、魔力回路の有無を確認するから……ちょっと手を出してくれないかしら?」

 

「……構わないが」

 

 七夜は言われる通りに、手をパチュリーに預けた。

 

「さて、と……」

 

 パチュリーはその紫色の髪を全て肩より後ろに束ねて、精神と意識を集中さえ、両手で七夜の手を包んだ。

 ……フワリ、と手を毛布が包むような温かみを七夜は感じた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 ……緊迫した空気が漂った。

 七夜の魔力の有無によって、これからが左右されるかもしれないからだ。小悪魔も息を飲みながら、そんな二人の様子を見た。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――ッッッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 パチュリーの表情が驚きに染まる。

 そんなパチュリーの様子に小悪魔は少しびっくりし、七夜は首を傾げながら、パチュリーを見た。

 

「どうかしたのか……?」

 

「いえ、何でもないわ。少しビックリしただけよ」

 

「ビックリしたのはこっちなんですが……」

 

 パチュリーはハァ~、とため息を付いた後、七夜の手を離し、七夜に向き直った。

 その様子は……少し興奮している様にも見えた。

 

「結論から言うと……魔力が想定内を超えていてビックリしたわ。

 これぐらいなら、この幻想指輪を使うはおろか……普通に魔法を教えてもいいかもしれないわね……」

 

「つまり……その指輪は使える、という事でいいのかな?」

 

「ええ。それにしてもこの魔力……ただ指輪を使うためだけだとそれこそ宝の持ち腐れね……、貴方、私から魔法を習う気はない?

 大魔法とまではいかないけれど、投影とか強化ぐらいの補助魔法なら教えてあげられるけど……」

 

 パチュリーは誘惑するような眼で七夜を見ている。

 久々にいい人材が見つかったと言わんばかりの顔である。

 

「……まあ、気が向いたらご教授願うよ」

 

 そんなパチュリーの視線を適当に流しながら、七夜は答えた。

 ……断りはしないあたり、習っても問題はないと思ってはいるのだろう。

 

「ソレと、一つ気になったことがあるんだけど……」

 

「? なんだ?」

 

 パチュリーは七夜の魔力を測定している時の事を思い出して、気になる点があったので七夜に聞いてみる事にした。

 

「貴方の魔力回路……魔術行使を行った形跡はないけれど……使われた形跡はあったわ」

 

「……? ソレがどうかしたのか?」

 

「貴方……使い魔と契約した事があるわね? それも……小悪魔よりも高度な使い魔よ」

 

 その事実は、割と小悪魔の心を抉ったりする。

 

「パチュリー様っ!! ソレってどういう事ですかっ!?」

 

「言葉通りの意味よ、小悪魔。彼は貴方よりも高度な使い魔と契約ができるくらいに高い魔力を有している。

 ……結構、興味深い事よ」

 

「使い魔、ねぇ……」

 

 七夜は自分の手の平を見ながら呟く。

 こんな自分と契約してくれる使い魔が、以前の自分にいたとは想像も付かなかった。

 

「(まあ、おそらく暗殺目標の偵察にでも使っていたのだろう)」

 

 そしてまるっきり的外れな思考をする七夜だが、以前の自分を知らないのだから仕方ないといえば仕方なかった。

 

「まあ、とりあえず魔力面もクリア。後は、貴方にこの指輪が使いこなせるかね……七夜」

 

「……まあ、やってみせるさ」

 

 

 

 

 

 

「――――で、結局どうすればいいんだ?」

 

 俺は今、パチュリーと一緒に紅魔館の庭に着ている。

 ……美鈴が植えた花が少々目に付くが、俺は気にしない。

 問題はこの指輪の使い方だ。

 

「そうね、まずはその指輪を中指にはめ込んで頂戴」

 

「こう、か?」

 

 とりあえず、この形状は指輪と言えるのか分からないが、言われた通りに中指にハメた。

 

「そしたら、まずは目の前に階段があるようにイメージしながら、足を前に出してみて」

 

 ――――眼の前に、階段。

 

 うす暗い倉庫の中の階段を思い浮かべてみた。

 そして右足を前に出し――――浮いた。

 

「へぇ、これはすごいな」

 

 続いて左足を前に出し、俺の身体ごと、空中に立った。

 待てよ、階段を作れるということは、水平だけでなく、垂直にも足場を作れるという事ではないのか?

 ――――だとしたら、空中でも七夜の体術を生かした立体的な戦法ができるわけだが……。

 

「とりあえず上へ登ってみたらどう? 使い心地を確認してみてから、貴方がコレを使うかどうかを決めなさい」

 

「恩に着るよ。じゃ、行ってくるか」

 

 ――――予備動作をなしに一気に七メートルほど跳躍、それを繰り返し、一気に俺は上空へと跳び上がっていった。

 

 

 

―――――跳ぶ跳ぶ跳ぶ跳ぶ跳ぶ跳ぶ跳ぶ……。

 

 

 

「すごいジャンプ力ね……本当に人間かしら?」

 

 そんな呟きが聞こえたような気がしたが、気には止めない。

 

「――――っと」

 

 ……気がつけば、紅魔館は、手の平に収まるほどに離れていた。

 ソレを確認した俺は、この指輪のテストをしてみる。

 とりあえず水平に足場を出すことにはもう問題はない。

 問題は垂直の壁を出せるか……どうやら階段をイメージできるあたり、水平の足場に垂直に立っている壁をイメージすれば、できそうだ。

 ……そうと決まれば……。

 

 

 

 

 

 

 私は今、とても奇怪な光景を見ていた。

 人間とは思えないジャンプ力で空中を蹴りながら、空へと跳び上がっていく姿――――それだけなら驚くに値をしないのだが、その状態でナイフを使った戦闘訓練を始めたのだ。

 

「嘘っ……!!」

 

 足場とは言っても幻想指輪《イリュージョンリング》の名の通り、所詮は仮想の足場に過ぎない訳で、実際にある訳ではない。

 その為に、動くたびに足場のイメージに気をかけなければならぬというのに、七夜はソレをモノともせず、平然とナイフを振るっている。

 

「ちょっと待ちなさいよ……どうやればあんな早くナイフを振るえるのかしら?」

 

 自身も空を飛びながら、七夜の様子を見るが、そこで眼にしたのは、高速でナイフを振るい、そこから斬撃の嵐とも言える刃の軌道の残像を繰り出している七夜の姿。

 ……あんなモノを接近戦で食らったら、そこらの妖怪など一瞬でバラバラになってしまう。

 しかもそんな事を平然とやり続けるので、正直が底が知れない。

 

 ――――しかし、そんなモノはまだまだ序の口だった。

 

「嘘――――でしょ?」

 

 次に見たアリエナイ光景。

 なんと水平だけでなく、壁などの足場も作りながら……時には天井をも幻想して、空中を立体的な動きで飛び回る七夜を見てしまった。

 

「……気持ち悪い動きね。レミィが”変態的な動き”って言うのも分かる気がするわ……」

 

 しかもソレを最高速を維持したまま、しかも急な角度に方向転換しても、その速度が衰える事はなく、まるで空に巣を張った蜘蛛のようだった。

 たとえ空を飛べるモノでも、空中であの動きはおそらく実現できないだろう。

 彼には足場というブレーキと、そのイカレタ体術があるからこそできるが、他の者が幻想指輪を使用してソレをやった所で、七夜の地平には到底追いつけない。

 

「……こちらに降りてくるわね」

 

 どうやら、大方の使い心地はわかったのか、コチラに気付いた七夜は私の所まで降りてくる。

 ……なるほど、垂直に壁を作ってソレを蹴って降りてくる訳ね……。

 

「どう、使い心地は?」

 

「問題ない」

 

 アレだけ動いていながら、息一つついてない――――本当に問題ないみたいね。

 

「近くで見てたけれど、貴方のその動き、本当に人間?

 それに例えその動きが出来たとして、その指輪は足場を移動するたび足場を一々イメージしなければならないというのに……」

 

「七夜一族の人間に必要なのは暗殺能力だけじゃない。時には殺しに最適な場所を作り出す能力も問われてくる。

 ソレをただイメージするだけでいいのだったらこれくらい朝飯前さ」

 

「……殺しに最適な場所、ねえ……」

 

 何か……色々と物騒ね。

 まあ、見た感じ七夜のその動きの真価が発揮されるのは屋内なんだろうから……用はそこに敵を誘い込む……という事かしら?

 

「まあ、その指輪は貴方にあげるわ」

 

「……いいのか?」

 

「元々、空を飛べる私には必要のない物だし、指輪も相応しい持ち主に使われた方が幸せの筈よ」

 

 ……とりあえず、この問題は解決ね。

 それにしても本当……指輪を使うためだけだったら使い切れないくらいもったいない魔力量だったわね……。

 今度、本当に補助魔法くらい教えちゃおうかしら?

 

 

 

 

 

 

「――――で、初仕事は買い出し、と?」

 

「何か言うことでもあるのかしら?」

 

「いや、あまりに普通すぎて拍子抜けしただけだ」

 

 ……普通すぎるも、常識以前の日課だと思うのだが……。

 

「ちなみに……どんな仕事だと思っていたのかしら?」

 

「いや、どこぞの暗殺でも依頼してくるのかと思ってワクワクしていたんだが……」

 

「ここはそこまで物騒じゃないわよ……」

 

 ……無意識にベルトのホルスターにしまっているナイフの柄を手に握っているし……そこでもう彼の戦闘狂っぷりが伺える。

 しかもそのただでさえ悪い眼つきがその鋭さを増したのだから、戦禍を覚えざるを得ない。

 しかし、買い出し、という平凡な仕事を前に、火を灯していた『獲物を殺したいと嗤う眼』はただ眼つきの悪い、気怠い感じに戻ってしまった。

 そうでなくても、静かに滲み出てくる殺気が周囲を圧しているのだ。

 

「まあ、最初の内はそんなモノか……」

 

「最初の内でなくても、そんな仕事は金輪際来ないわよ? ……来ないとも言い切れなけれど」

 

 そう、あながち来ないとも言い切れない。

 稀にだが、隠形に長けた妖怪がこの館に侵入してくる事がある。

 隠形とは別にただただスピードだけが取り柄の野良妖怪が入ってくる事もあり、ソレだけなら時を止めて、先回りをしてナイフでヤマアラシにするだけなのだが、隠形と来ればまた話は違ってくる。

 中には、時を止めても隠形が解ける訳ではなし、むしろ隠形が発動したまま止まってしまう分、見つけるには余計苦労してしまう事がある。

 ――――ならばどうするか?

 力には力。隠形には隠形である。

 七夜一族の人間は隠形にも長け、ソレは隠形に長けた式神に匹敵するという。

 そして気配以前に、対魔用の生態センサーみたいな物――――退魔衝動が備わっているので、そういったモノを始末するのは私よりも七夜の方が適任だ。

 ……七夜一族は純粋な魔には弱いと聞くが、彼らが純粋な魔を討ち取らなかった例がまったくない訳ではないし、それに“混血”専門と言っても、相手は『鬼』との混血だ。

 そこらの中級妖怪すらも凌駕してしまう程の強さはあるし、七夜一族はそう言った者達を暗殺、時には正面からの暗殺で殺してきたのだ。

 よって、七夜がそこいらの妖怪に負ける保障はほぼ皆無と言っていいだろう。

 

「そうかい。まあ、期待はしないでおくよ。

 今は――――従者らしく目の前の仕事を全うするとしようかね……」

 

「……ソレが無難よ。たとえ些細な事であろうと主人の為に尽くす事。これは従者の基本ね」

 

「ソレで基本か……。やれやれ、つくづくあんたは従者の鏡だ」

 

「そうかしら? これでも貴方には期待しているのだけれど……」

 

「あんたのようになれる自信はないがね……まあ、せいぜい従者らしく振舞うとするよ」

 

「ソレは何よりだわ。……ほら、早く行くわよ」

 

 別段急ぐ必要もないが、仕事は早く、そして効率的に終わらす事に越した事はない。

 何より七夜は飛べない。

 パチュリー様から貰ったマジックアイテムで空中を気持ち悪い動きで移動できるようにはなったらしいが、足を使う運動である事に変わりはないのだ。

 ……今日は、久しぶりに徒歩で人里まで行きましょうかしら。

 そう考えながら、私と七夜は外出用のブーツに履き替え、玄関から出た。

 そういえば七夜って和服と一緒にブーツを履いていたのよね?

 ……そういえば七夜のあの和服……聖骸布で出来ていたようだけど、どの種類の聖骸布かは識別できなかった。

 幻想郷に聖堂教会だった者なんて一人もいないから、おそらく種類の判別はできまい。

 ……七夜の事だから知っていても話さないか、もしくは忘れている可能性がある。

 

 聖骸布と言う事は……七夜は聖堂教会の者と何か関係でも持っていたのかしら?

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 あの時……私は彼に殺されかけた。

 ――――いや、本当なら殺されていた。

 油断していたとはいえ……唯の人間に武で負けるという、これではお嬢様を守れるのか……。

 

「ハァ~……」

 

 溜息が漏れた。

 

“美鈴、相手が人間だからと言って油断しては駄目。彼らは私達妖怪の餌であると共に――――天敵でもあるのだから”

 

 昔、お嬢様から言われた言葉が思い出された。

 誰よりも人間を見下していると同時に、誰よりも人間を認めていると言ってもいいお嬢様らしい言葉だった気がする。

 無論、彼と戦っている時は油断しているつもりなどなかった。

 実質、彼のナイフは美鈴の喉元どころか、首を刎ねかける所だった。

 だが、それでも美鈴は間一髪で彼のナイフを止め、一撃を加えた。

 そこまではいい。

 問題は――――ソコで終わったと油断してしまったのだ。

 そのせいで、自分は彼の奇襲を食らい、致命傷を負い、結果あの様である。

 

 そう――――死者たちの乱入さえなければ、私は首を刎ねられていたのだ。

 

「――――ッッ!!!」

 

 しかも、彼が死者たちと戦っている時にわかった。

 彼は手加減していた。

 動きこそ変わっていなかったものの――――本来手足を捥いだくらいでは止まらない彼らをモノともせずにバラバラにしていく七夜の姿を見てしまった。

 

 ――――悔しかった。

 

 彼はおそらく人間の身でありながら、“殺す”事を突き詰めたような動きをする。

 おそらく自分は彼と同じ“境地”には立てまい。

 自分と彼の“境地”は根本から異なる。

 私の中国拳法は“気”の扱いと正面から敵を叩きのめすのに対し――――、七夜の暗殺体術は正面からの奇襲に特化させた“殺”の極み。

 

 ――――彼を、倒そうとする私。

 

 ――――私を、殺そうとする彼。

 

 違いはその時点であったのだと、気付かされた。

 

「美鈴、何か貴女暗いわよ?」

 

「想い人にでも振られたんじゃないのか?」

 

 いきなり後ろから声がしたので、背筋がビクリと震えてしまった。

 それと七夜さん……何貴方はキチガイな発言をしているんですか……。

 

「さ……咲夜さんと……七夜さんッ!!! 急に声をかけないでください。

 後七夜さん、私のどこかそう見えるんですかっ!!? 私が悩んでいたのは主に貴方の所為なんですよっ!!」

 

「ソイツはまたご苦労だな。

 こんな出来損ないの為に、あんたのような麗女が悩んでくれるなんて……男としては光栄だよ」

 

「断じてそういう意味ではありませんっ!! 後、そのわざとらしくエロい発言はしないでくださいっ!! 七夜の声だと余計エロく――――あっ……」

 

「美鈴……貴方、七夜に弄られてるわよ?」

 

「~~~~っ……!!!」

 

 やばい、凄い恥ずかしい。

 恥ずかしくて顔を手で塞いでしまう。

 そして指の隙間を除いてみれば、からかってくれた本人は済ました顔をしながらも、口元は愉快げに歪んでいた。

 ――――ソレが、余計にムカついた。

 

「おっほん。 ソレで、お二人はこれからどこに行くのですか?」

 

「買い出しとついでに七夜に人里の地形を把握させるの。これから私がいなくても、買い出しができるようにね……」

 

「まあ、一日限りの付き添いって奴さ……」

 

 ……そうか、七夜さんもこれで咲夜さんの部下か……。

 あ、でもメイドって訳じゃないから逆に執事長とか……、そんな事はある訳ないか。

 そもそも執事が七夜さんしかいないのに、執事長だなんて恥以外の何者でもありませんね。

 

「という訳で、門番は頼むわよ、美鈴」

 

「はい、咲夜さんも無茶はなさらずに……ソレと、七夜さんに言いたいことがあるので、ちょっと席を外してもらえませんか」

 

 私は七夜さんに聞いておきたいことがった。

 今、思えば突然私を襲った七夜さんが執事になんかなるなんておかしい。

 ――――まあ、ソレをお嬢様や咲夜さんに言わなかった私も私なんだけど……。あれ? というか、私が言い忘れていただけじゃ……いや、この事については忘れよう。過ぎた事は仕方ありませんから。

 

「? よくわからないけれど、貴女がそう言うなら……」

 

 そう言うと、咲夜さんの姿が消えた。

 何処にいるかは気配で分かるので問題はありません。

 時間もない事なので、七夜さんに聞くとしましょうか。

 

「で、俺に何を聞こうと言うんだい?」

 

「率直に聞きます。……どういうつもりですか?」

 

「……? 何を言っているのか分からないな」

 

「貴方は幻想入りしてから直後に、私に襲い掛かってきた。それも私を殺すつもりで……。貴方のような狂犬がお嬢様や咲夜さんを襲わない保障はありません。

 ……執事になったのは、貴方の獲物の傍にいたい為だからですか?」

 

 殺気を込めて、私は彼に問う。

 しかし、彼は私の殺気にも顔一つ変えず、平然とした表情で答えた。

 

「いや、違うよ。

 確かにあんたの主と咲夜も獲物としてみれば、面白そうだが、俺は返す義理は返す質でね……。みすみす恩人を殺すような真似はしないさ」

 

「ならば……何故?」

 

「……本当は、あんたとやりあってソレで死んでもよかったと思っていたんだよ」

 

 ――――死んでも、よかった?

 この男は、自分の命を殺し合いの玩具としか見ていないというのか?

 

「だけど、あんたと戦っている内にこの世界に余計に興味が湧いてね……。あんたに殺されて死ぬだけじゃあ、物足りないと思ってさ……。

 ほら、死んじまったらもう誰も殺せないだろ?

 生き続けたいとは思わんが、未練を残したまま逝くのは性分じゃないんだ。あんただけじゃ満足できない。

 他の料理の味も試してみたくなっただけさ」

 

「普通じゃ、ないですね」

 

 ただ思った事を呟いた。

 だけど、私は何故かこうも思った。

 何故だかわからないけれど……今の彼の言葉と、彼はとても不釣合いに見えた。

 彼は根っから殺し屋で、そのためだけに生きてきた事は薄々わかっている。なのに、何故こんなにも不釣合いに感じるのだ?

 

「聞きたい事はもうこれだけかい? なら、もう行かせてもらうよ。上司を待たせちゃ従者として失格ってもんだ」

 

「……」

 

 私と彼の間に沈黙が走り、ソレを会話の終と見たのか咲夜さんが再び現れた。

 

「話は終わったかしら」

 

「ああ、終わったよ」

 

「……そう。じゃあ、美鈴。門番、よろしくね」

 

「はい。行ってらっしゃい、咲夜さん」

 

 

 

 

 私は門を出て行く咲夜さんと七夜さんの背中を見つめる。

 

 

 

 

 ……二人の背中には、微塵の隙も感じられなかった。

 

 

 

 

 

 




補足説明

・七夜の和服
 一見、普通の赤色の和服に見えるが、実は聖骸布で出来ている。どの種類の聖骸布かは今のところ不明。

第六夜、如何でしょうか。
作者は弾幕を撃ったり、空を飛んだりする七夜はあまり想像したくありません。
やっぱり七夜は体術じゃないと……。
かと言って空を飛ばせない訳にもいかないので、あえてパチェさんのマジックアイテムで空中を歩けるようにしました。

 何か、感想でもあれば書いてくれるとうれしいです。


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第七夜 人里と記者のたまご

七話目、投稿。
いや~、記念の「七夜」目ですよ~。

今回はついに一万文字を超えてしまいました。
後、オリキャラが不快に思う方はブラウザをバックしてください。


 そこは人の活気で満ちていた。

 幻想郷において数少ない生き物ともいうべき人間。

 幻想郷の人口の八割はこの人里に集結しており、そこで外とは独自の生活を営んでいる。

 妖怪から見て彼らは、「群れた草食動物」に過ぎないだろうが、それでも人と人とのつながりがあってこそ、人々は今日まで生きてこれたのも事実。

 ……そうでなければ、人間などとっくの昔に妖怪たちによって滅ぼされている。

 それが人間の強さであり、そして弱さでもある。

 そんな人間たちに理解のある妖怪たちもこの人里の出入りをしている。

 外の世界の人間関係の深みが閉ざされた都会とは違い、空気も、そして活気も大違いであり、ある意味ここも人間たちにとっては理想郷と言うべきか……。

 

「あの……その……」

 

「ん……?」

 

 彼女は戸惑っていた。

 目の前の男に一目ぼれし、告白しようとする所まではいいものの……。

 男の傍にはあの吸血鬼・レミリアの狗として恐れられる女性――――十六夜咲夜がいるのだ。

 

「どうかしたのかい、麗しいお嬢ちゃん?」

 

「――――っ……!!!」

 

 鮮やかな着物を着た黒髪の女性は赤面してそっぽを向いてしまった。

 もじもじと手を合わせ、顔を逸らしつつも、視線を青年へと見つめる。

 

「(う~ん……声が気怠い感じでちょっと怖いけれど……そこがいいかも……)」

 

 上目遣い――――頬を赤くしながら俯き、そして視線だけを向ける。

 可愛い子がこれをやると、大抵の男性はコレで堕ちる。

 特に青春期真っ盛りの男ならほぼ百パーセントの確立で堕ちるとまではいかなくても、胸を打たれるだろう。

 その可愛らしい仕草にはさしもの七夜も――――

 

「……(容姿は問題ないが……バラすにはちと物足りん体つきだな)」

 

 訂正しよう。

 この男にソレを求めるのがそもそも間違いであった。七夜は女性の仕草など眼中になく、女性の体つきだけ凝視していた。

 すなわち――――解体する価値のない女。

 つまり、彼が興味を引くには値しない者と言う事。

 

「その……私と……付き合って…」

 

「やめておけ」

 

 勇気を振り絞って告白しようとした女性であったが、言葉を言い終わる前に七夜の声に遮られてしまった。

 

「……え? どうして……」

 

「お嬢ちゃんが俺と付き合うのはちと割に会わない。俺のような奴と付き合うのはやめておけよ。そこらの男と幸を育んだ方が、アンタの為だ」

 

「……」

 

 その、七夜の言葉に、女性は黙りこくり、しばらく茫然としてしまった。

 しかし、やがて七夜の言葉の内容を理解したのか、彼女は顔を背け、眼からこみあげてくる涙を手で必死に抑えた。

 そのまま背も七夜に向け、走り去ってしまった

 

「……」

 

「あれで、よかったの」

 

 やがて二人の会話を黙って聞いていた咲夜は、女性の背中が見えなくなるのを確認すると七夜に話しかけた。

 

「さてね。恋沙汰に付き合うだけの甲斐性など持ち合わせる気なんてないんでね。あれでよかったんじゃないか?」

 

「もっと言う事ぐらいあったんじゃないかしら? 気持ちはうれしかったよとか……。それくらいなら嘘でも伝えるものよ? あの子にとって、今の返事は未練が残るモノになったんじゃないのかしら」

 

「未練なんて、時が立てば自然と闇の中に消えていくモノさ。まあ、例外はあるがね……」

 

「ふぅん、まあいいわ。とりあえず、野菜は一通り買い終わったし、後は――――血の採取ね」

 

 咲夜は真顔で言うと、目を光らせながら、懐から血液採取器を取り出す。

 咲夜は真剣な顔をしながら言うが、はっきりいって言っている内容と雰囲気にギャップがありすぎた。

 

「聞く限り物騒だが、その道具を見るとそうでもなさそうだな」

 

「ええ、里の人達からは有料契約で、定期的に血を提供させてもらっているわ」

 

「ならわざわざ眼を赤くしてまで真剣にする事か?」

 

「ええ、人間の血は吸血鬼にとっては最高のドリンクよ。私達にはちょっと理解しかねるけれど……。お嬢様は主にB型の血が好みだから、主に契約者はB型の人達ね……」

 

 なるほど、と七夜は納得するが、それでも眼を赤くしてまで真剣になる事ではないと思った。

 まあ、所詮自分はまだ下っ端に過ぎないので、咲夜の意向には従う事にした。

 ――――が、ふと疑問が湧いてきた。

 

「ご主人様には妹がいると聞いたんだが……その妹とやらの分は取らないのかい?」

 

「……妹様の好みの血液型は……特殊なのよ?」

 

「特殊?」

 

「RH-型……と言えば分かるかしら?」

 

「納得した」

 

 RH-型――――人口の多い外の世界においても百人に一人しかいないと言われる極めて珍しい血液型。

 希少価値があり、売れば金が入るほどだ。

 人が少ないこの幻想郷において、そんな希少な血液が手に入る確率など、万に一つもない。

 故に、幻想郷の人間たちからレミリアの妹の好みな血液を採取することはほぼ不可能と言っていい。

 

「それじゃあ、七夜。貴方は買い出しを続行して。店の大体の位置はわかったでしょうし。私は契約者たちから血を採取してくるわ」

 

「了解だ。――――で、終わったらどこに行けばいい?」

 

「寺子屋前で待ち合わせましょ。多分、私は貴方より遅れると思うから、待っていてね」

 

 ――――寺子屋、七夜と咲夜の眼前にはもうソレがあった。

 つまり、待ち合わせ場所はここという事になる。

 気が付けば、咲夜の背中はもう人ごみの中に消えてしまい、七夜も咲夜からもらった地図を確認しながら、寺子屋から背を向けるが――――。

 

 

 ――――ドクン。

 

 

「……?(この気配……混血か?)」

 

 

 人里には出入りしてくる妖怪も多数いるので、頻繁に起こる退魔衝動はもう慣れっこだが、今まで感じていたよりも、強い退魔衝動だが……ソレでいて人間の気配も混じっていたのだ。

 七夜は気配がする方向に振り返ると、そこには――――

 

 寺子屋の子供たちと遊んでいる女性の姿があった。

 青のメッシュが入った銀髪で、頭に頂に赤いリボンが付いた青い帽子を被っていた。

 

「へぇ……」

 

 女性の姿を見るや否や、七夜はその口元を歪めた。

 

「まあ、今はよしておくか」

 

 そう言って、彼は再び寺子屋から背を向ける。

 おそらく、アレは彼女の人間としての姿だろう。

 いつかは自分に晒してくれのだろうか……魔としての彼女の姿……ソレをを想像した途端、七夜は自分の鼻息が荒くなっているのに気が付き、すぐに平然を装った。

 

「差し詰め花びらを閉じた魔花と言った所か……その花びらを開かせた時が――――狩り時かな?」

 

 七夜はそう呟き、咲夜からもらった買い物手帳を片手に寺子屋を後にした。

 

 

 

 

 

 今日はめずらしく子供たちが真面目に授業を聞いてくれたため、機嫌がいい私は子供たちを外に出して遊ばせてやることにした。

 おしくらまんじゅう、隠れん坊、鬼ごっこなど子供たちは楽しそうな表情を浮かべながら遊んでいた。

 ――――ふむ、やはり子供が元気が一番だな。

 そう思っていた時――――

 

 ――――ゾク

 

 急に背中に寒気を感じ、後ろを振り向いてみるとソコには――――

 黒い執事服を身に纏い、その執事服のメインカラーに合わせたかのように、髪も瞳も黒い男だった。

その男と眼を合わせた瞬間――――、先ほど感じた寒気の正体を知ってしまった。

 ――――男は、一瞬だけ不気味な笑いを浮かべるとそのまま背を向けてどこかへ行ってしまった。

 ……私はその背中を、ただただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「このお肉を……一番大きい奴と、後、そのデカイ鶏肉も十匹ほど頼む」

 

「兄ちゃん、ここじゃ見ない顔だねえ。そしてその執事服――――もしかして咲夜ちゃんのパシリかい?」

 

 パシリ、ねえ。

 当たらずも遠からず、と言った所か……。

 それにしてもよく執事服だけで当てる物だな、と若干の感心を抱きながら、俺は答えた。

 

「まあ、大体そんな所かな?」

 

「そうかい。つまり、あの悪魔の館の新しい執事って事だな。さてさて……、お前さんはいつまで持つかねえ?」

 

 肉屋の親父は顎に手を当てながら、そんな事を言ってきた。

 いつまで持つ、とはおそらくいつまであの館の執事をやっていられるか、という事だろうか?

 まあ、幻想郷には男性の実力者は女性に比べて少ないと聞く。

 俺をそこらの奴と一緒にされても困る者だが、仕方ないといえば仕方がないのか……。

 

「前回、紅魔館が雇ったという執事はたった一週間で倒れたらしい。これでもよく持った方だ。その前の奴は、三日。その更に前は半日だとか……」

 

 半日……となると大体俺が雇われてから、今ぐらいまでの所か……。

 その時点で倒れる奴がいるとは……やれやれ、この世界は男性には期待しない方がいいのかね……。

 

「参考までに聞くが、今までの最高記録は?」

 

「最高記録……ねえ、一人だけだが、三週間と六日持った大した野郎がいたな。……まあ、ソイツは、親御さんの元に帰って来た時はもう、感性がおかしくなっていたとかなんとか……」

 

 ……一般人があんな所で三週間と六日……ほぼ四週間だな。

 あんな所で一般人がそこまで耐えきるとは、中々見上げたものだ。そもそも、あんな所は普通の奴が入っていいような空気は漂っていないというのに……。

 

「まあ、兄ちゃんがどこまで持つか、拝見させてもらうぜ」

 

「俺は見世物じゃない。そういう台詞は本人の聞こえない所で言ってくれ」

 

「ハッハッハッ……!! 悪い悪い。んじゃ、お会計と行くかね」

 

 そんなこんなで俺の買い物は終わった。

 牛肉、鶏肉、ためねぎ、人参、たまねぎ、各種スパイス諸々も買い揃えた。……あとご主人様の為にプリンも。

 しかし何故だろうか……魚介類も少なからず売っているが、なんだあの詐欺とも疑いそうになる値段は……。

 幻想郷で魚介類は希少価値があるものなのか……後で咲夜に聞いてみるか。

 

 ……そんな事を考えていたら、寺子屋前に付いた。

 

 あの混血の気配は……建物の中から感じるな。

 やれやれ、咲夜が来るまでにこの気配に耐えなければいけないとは……俺の気が触れんといいのだが……。

 

「……遅いな」

 

 血液採取はそんなに時間がかかるものなのか……。

 話によると、一人一人の血を採取する度に、契約書に何グラム、誰から取ったと記入しなければいけないらしいが……。

 ソレを一週間分の血液を採取した後、ソレを何等かで加工して、血液を固まらなくさせ、吸血鬼にとっての最高のドリンクにするらしい。

 まあ、よくわからんがね……。

 

「……寝るか」

 

 たまには惰眠を貪るのも悪くはあるまい。

 ちょうど寺子屋の建物の脇にベンチっぽいものを発見した。

 咲夜が戻ってくるまで、まだ時間はかかりそうだ。

 俺はここで気持ちよく寝させてもらうとしよう。

 ……そう思い、ベンチに腰掛け、目障りな日光を腕で遮りながら俺は眠った。

 

 

 

 

 

 

 ……私の名は雨翼桜。

 生まれてからまだ三百年ぽっちの烏天狗です。

 文先輩の「文々。新聞」や、はたて先輩の「花菓子念報」に触発されて私も「桜雨羅刊」という新聞を初めてみました。

 私は文先輩や、はたて先輩と違い、消極的な性格なのでいつも取材を惜しんでいる内にお二人にネタを取られてしまいます。

 しかも文先輩に限っては、取材できなかった部分をねつ造で補ったり――――というかねつ造がほとんどのネタに改変してしまうので質が悪いです。

 私の新聞は出回りこそ少ないものの、取材者のプライベートはちゃんと守ったり、ねつ造はしないので、「文々。新聞」よりは一応信用されています。

 ……まあ、消極的な性格は新聞記者にはあるまじき性格ですよね……。

 だけど、今日はそんな私から抜け出すと決意しました。

 そう思ったきっかけもあの十六夜咲夜と一緒にいた執事服を着る男性です。

 銀髪美人の十六夜咲夜と並んであの執事服を着ている男性も結構な美男子です。

 歳も……だいたい十六夜咲夜と同じ位でしょう。

 その美男美女の絵面に周りの人達がみんな注目しています。

 ……十六夜咲夜の彼氏、でしょうか?

 だとしたら、これはスクープ――――と言いたい所ですが、まだ何もわかっていなのにソレは早すぎますよね。

 ……何より十六夜咲夜が懐にいる限りはスクープがし辛いです。

 

 ……おや、一人の女性が男性に話しかけました。

 

 あの娘は……確か、人里でもその美貌が有名な人ですね。

 名前は確か……伊村希恵だった気がします。

 とある八百屋の娘で、人里でもアイドル的な存在ですが、本人は至って普通の少女だそうです。

 その八百屋というのも、さっき二人が買い物していた所なんですけれど……。

 なるほど、俗に言う、「一目惚れ」って奴ですね。

 その娘は勇気を振り絞って、男性に告白しようとしいます。

 しかし……咲夜さんが傍にいるのにも関わらず……すごい根性ですね。

 その根性……なんか羨ましいな、私はいつも消極性が災いしてたいてい先輩の御二方に先を越されてしまいますし……。

 ……おや、女性が泣きながら、男性から背を向け走って行ってしまいました。

 振られましたね、あれは……。

 何ていうか……可愛そうですね、しかもあの男性は容赦なく振ったようですし、女性を泣かせるなんて紳士としてあるまじきです。

 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えていると、ある事に気が付きました。

 あんなにもきっぱりと女性の告白を断るという事は……やはり本命は十六夜咲夜ではないのだろうか?

 そう思えたきたら、やはり追跡をやめる訳にはいかない。

 ――――あ、どうやらここから別行動のようですね。

 寺子屋の前に付いた二人は何やら話をした後、別れました。どうやら、寺子屋で再び待ち合わせるそうですね。

 とりあえず、十六夜咲夜が消えた今――――今すぐにでも取材……したいけれど。

 

「うう……近づきがたいなあ~」

 

 そう、十六夜咲夜があの人の傍にいたせいで突撃しづらかったのもあるけれど、何よりあの人からも近寄りがたい雰囲気が漂っているのだ。

 声も遠くからでよくは聞こえないが、大分気怠い感じで、ちょっと怖いような気がした。

 ……というか人間相手に怯えるってどれだけ私は小心者なのでしょうか?

 ――――そう思いながら、追跡していると、男性は肉屋らしき所に足を運びました。

 ふむ――――、どうやら牛肉と――――鶏肉……鶏肉……。

 

「鶏肉……」

 

 うわ~んッ!! 鳥類を食べ物にするな~ッ!!

 私達烏天狗も烏――――鳥類の妖怪なんですよッ⁉ 店で売られている鶏肉を見る度に、目を逸らしてしまいます。

 うう……やっぱり、どの生き物をお肉にされちゃうんですね……。

 

「ハッハッハッ……!! 悪い悪い。んじゃ、お会計といきますか」

 

 むぅ、会話がよく聞き取れませんね。

 強いて言えば、肉屋のおじさんの笑い声が聞こえてぐらいです。……会話の内容まではよくわかりませんでした。

 会計が終わったのか、男性は肉屋から背を向けると、何やら買い物袋を地面に置いて、ポケットから取り出した紙と見比べています。

 ああ、買い物手帳でまだ買っていないものがあるのか確認しているのですね。

 やがて、確認が終わったのか、男性はまた寺子屋の方向に歩いていきます。……どうやら買い出しは全て終わったようですね。

 私もその後に続くように行った。

 で――――

 

「眠っちゃ……たのですか?」

 

 急いで寺子屋まで追いかけてみたら、ベンチに腰をかけて、腕で日光を遮りながら眠っている男の姿があった。

 ……荷物を置いたまま寝て取られないんですかね……あ、一人の子供が袋の中身を見ようとしましたが、傍にいた親が子供を引っ張って注意してどこかにいきました。

 さっそく取られそうになってるじゃないですか……。

 

「とりあえず、近づいてみようかな。幸い今は寝てるし、顔写真だけでも……」

 

 ……って何を甘い事を考えているのだろうか、私は。

 顔写真だけ取って帰るなんて新聞記者としてどうなのだろう。

 だけど……起こすのも、何かなあ。……気持ちよく眠ってそうだし。

 

「よし、まずは起きるを待ちましょうか。何事もコミュニケーションが大事って文先輩も言っていたし……」

 

 そう小言で呟き、決意をするのだが――――。

 

「へぇ、随分と張り切ってるじゃないか。人の安眠を妨害する事がそんなに楽しいか?」

 

 その小言が、彼を起こす結果となったのは、誰が予想できようか。

 

「――――あ」

 

 まずい、どうしよう。

 もしかたらだけど、この人――――眠りを妨げられるのがすごい嫌いなんじゃ……。ちょっと不機嫌そうだ。

 

「俺は眠りを妨げられるのと、獲物を横取りされるのが嫌いでね。……付きまとわれる分にはどうとも思わんが、まさかここまで迫ってくるとはね。男としては大変複雑な心境だよ」

 

 え――――?

 まさか、私が付けていたのを気付いていた? そんな……これでも気配の消し方は自信があるのに……・

 

「ああ、気付いていたさ」

 

 ……心読まないで下さいよ。

 

「お前がわかりやすいだけだ」

 

「うう……。いつから、気付いていらしたんですか?」

 

 ……今まで一人も気付かれたことないのに、あの藤原妹紅さんからも気付かれたことがないのに……。

 

「大体、俺と咲夜が八百屋で買い物をしている辺りからかな?」

 

 つまり、最初から気付いていたという訳だ。

 そんな――――事が……。

 

「まあ、咲夜が気付づかなかった辺り、お前の隠形は大した物だよ。しかし、気付いたのが俺だけでよかったね、お嬢ちゃん。

 咲夜に見つかったら――――ただじゃ済まなかったかもしれんぞ?」

 

「うう……」

 

 確かに、この人の言う通りかもしれない。

 この人のように気配に敏感な人もこの世にはいるという事を思い知らされました。

 

「――――で、何の用だい? 面白かったら聞いてやるが……」

 

 ええっと……私、ここに何しに来たんだっけ……あ、そうだ!! この人に取材しようと思ってきたんだ。

 

「ええっと……まず、自己紹介させていただきます……。わ、私に名前は……烏天狗の雨翼 桜。『桜雨羅刊』という新聞を書いている記者です……」

 

「――――へぇ、そんな小さき身で大した事をする。いや、妖怪だから俺よりも年上かな?」

 

「はい、こう見えても三百年ぽっちは生きていますよ?」

 

「――――で、その記者が俺に何を聞こうと言うんだい?」

 

「え……えっと、その……取材させてくださいッ!!」

 

 ああ……!! 私のバカ……ッ!!

 そこは「取材させてください」じゃなくて「取材させてもらいます」って言えと、文先輩に言われたばかりなのに……。

 しかし、相手は幸いにも――――

 

「……まあ、咲夜が来るまでの暇つぶしだ。答えられる範囲なら答えてやる」

 

「本当ですかっ……!!?」

 

 つい顔を突き出して叫んでしまった。

 ああ、嬉しい。

 今までは、私の自信なさげな態度から私を記者として見ないのか、断られるか、子供の遊びと勘違いされてスルーされるばかりだった。

 ……何か、久しぶりに取材をまともに承諾させてもらいました。

 

「やった~、取材ができるぞ~♪」

 

 あまりに嬉しくて、羽根をパタパタと羽ばたかせながら、舞い上がってしまった。だけど、それくらい嬉しいのです。

 お偉いさん達には売れない記者の気持ちが分からないんです。

 一部の人達から私の新聞は書いてあることは正確だ、と評価を受けているのに……。

 

「とりあえず、お前も座ったらどうだ?」

 

 そんな私を見ていた男性は――――私の首根っこを掴んだ。

 ちょっ……!! 痛いです、もうちょっと優しくしてくださいよっ!! こちとら妖怪とはいえ女の子ですよっ!!?

 男性は私の首根っこを掴んだまま、自分の隣へと運び、ベンチの上に丁寧に置いてくれた。

 丁寧に置いてくれるくらいなら、最初から丁寧に持ってくださいよ……。

 それにしても――――。

 

「何か、記者が取材者の隣に座りながら取材って……変だな~」

 

「まあ、大抵は有名人が座って、ソレを記者が立ちながら取材する印象は多々あるが……仮にお前も妖怪とはいえレディだ。

 それに、お前のようなちっこい奴が立ちながら上目線でベンチに座っている奴に取材する方がよほど不自然に思えるがね……」

 

「うぅ……」

 

 やっぱり、まだ私に記者は早いのかな……。

 まだ背もちっちゃいし、そこらの人間の子供とそんなに変わらないのが今の私の現状だ。

 三百年ぽっちの妖怪なんて、人間に例えたら五歳児にも等しいですよ……と、文先輩に言われたことがある。

 

「まあ、まずは自己紹介だな。仮にもお前から名乗ってくれたわけだしな……。俺の名前は七夜。『七』に『夜』と書く。わかるか?」

 

「七夜……わかりました、七夜さんですね。え、えっと……それじゃあ……イ、インタビュー……スタートですっ!!」

 

「やれやれ、元気なお嬢ちゃんだ」

 

 よーし、色々聞いて、立派な新聞を作るぞ~っ!!

 文先輩、はたて先輩っ!! 見ててくださいねーっ!!

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、これでだいたい全件回ったかしら?」

 

 大体数十件のB型血液保持者の家を回った。

 鞄にしまった契約書の量が多く、多少思いが、これぐらいなら問題はない。はぁ、それにしても何で血液採取する度に契約書を書かなくてはいけないのかしら……。

 まあ、血だから吸われる本人たちはいい気がしないだろうが、あれでは私も吸われる人達もいちいち契約書をかくのが面倒になってくる。

 いくらお嬢様が律儀だとはいえ、契約書をかくのは半年に一度の頻度でいい気がする……。

 そう考えながら寺子屋に行くと――――

 ベンチに座っている七夜と、もう一人――――アレは、妖怪の子供かしら? 

 気になって近寄ってみたら、どうやら烏天狗であるようだ。

 二人は何やら話をしているようであり、烏天狗の方はペンを持ってメモ帳に何かをメモっている。

 ああ、取材ね。

 あのブン屋に当たらなかったのは結構運がいい事だ。

 それにしても、烏天狗ってあんな歳で新聞記者をやるのもいるのかしら?

 まあ、おそらくまだ記者のたまごと言った所であろうか。

 

「おや、待ち人が来てしまったな。今日はここまで、か……」

 

「え――――? そんな~、まだ質問五つしかしてないじゃないですかーっ!!」

 

「お前の質問の切り出しが遅いのも原因だぞ? 記者に向いてるのか、お前」

 

「こ、これから向くようになるんですっ……!!」

 

 私の姿を見るや否や、七夜は烏天狗と別れようとするが、まだ取材し足りなかったのか……子供の烏天狗は七夜を引き留めている。

 ……せっかくの所可哀想だけれど……七夜は今はウチの執事だから、そういう訳にはいかない。

 

「お取込み中の所悪いけれど、私達はもういかなければならないわ。……用事なら取材なら今度にしてくれると助かるのですけれど……」

 

「そんな~、もたもたしていたら文先輩に取られちゃうよ~っ!! 七夜さん、取材と咲夜さん、どっちが大事ですか?」

 

 取材と私の価値を比べるとは……ちょっとムカつくわね。

 私の価値は取材以下とでも言うのかしら?

 

「悪いが上司の命令とあらば逆らえん。ここでお開きだ……」

 

「うぅ……」

 

 さすがに取材者に本人に断られては何も言えないのか、子供の烏天狗は顔を俯いたまま泣きそうになる。

 そういえば今さっき先輩にネタを取られてしまうとか何とか言っていたわね……

 そうだとしたら哀れね・

 だけど生憎、同情はするが、情けをかけている暇は持ち合わせていないので、諦めてもらおう。

 

「うぅ、ふええんっっ……!!」

 

 ……まさか本当に泣くとは思わなかった。

 

「やれやれ……」

 

 そんな子供の烏天狗を見ていた七夜は、両手を開いてヤレヤレと言ったポーズを取る。

 

「咲夜。明日、この時間あたりでちょっと休みが貰いたいのだが……。もちろん、休んだ分、こき使っても構わん」

 

 七夜、貴方……まさか……。

 

「え、ええ。休んだ分はきっちりと働いてもらうけれど、どうするつもりなの?」

 

 ……まさかね。

 七夜がそんな事をするような人柄には見えないが……。

 私から承諾をもらった七夜は悪いね、と一言言い、泣いている子供の烏天狗の頭にポン、と手を置いた。

 

「おいチビ。明日、この時間に来るといい。俺も気が向けばここに来てやる。取材の続きはその時にしてやるよ」

 

「ふぇ……、本当ですか……」

 

「ああ、本当だ。だからそんなにメソメソするな」

 

 ……えっと、今は私が見ている光景は見間違いなのかしら?

 それとも単に七夜が子供にやさしいだけなのかしら?

 

「本当? ホントの本当ですか?」

 

「さっきからそう言っている」

 

「――――ッッッ!! わ~いっ!!」

 

 子供の烏天狗は泣き顔から一気に輝かしい笑顔になり、羽根パタパタを動かし、身体を浮かせた。

 瞬間――――周囲に小規模な風が舞い起こり……気が付けば子供の烏天狗はもうはるか上空にいた。

 

「約束ですよー!!?」

 

 そう言い残して……子供の烏天狗は去って行った。

 

「……行ったな」

 

「……そのようね」

 

 これで帰れるわね。

 七夜が持っている買い物袋を見る限り、不備はなさそうだし、帰ってからお嬢様と七夜と三人で紅茶でも飲むとしましょうか。

 採取した血液も、今は凝固防止液で固まるのを遅らせているが、固まってしまうのも時間の問題だ。

 早く紅魔館に帰って、ドリンクに加工しなければ……。

 

「帰るわよ、七夜」

 

「了解だ」

 

 私達は、寺子屋を後にし、人里を出る。

 ……徒歩は面倒だが、こう見えても体は鍛えてあるので、問題はない。

 空を飛ぶことばかりに頼っていては体も鈍ってしまうのもあるが、単純に仕事仲間と帰りを徒歩で共にするのも悪くはないと思ったのだ。

 もし七夜が、あの少年であるのなら……猶更……。

 

 

 

 

 

 

 さて、人里を出てからはや数十分。

 氷の湖へと続く森道に差し掛かる所だ。

 咲夜に空を飛ばないのか、と聞いてみたが、どうにも飛べない俺の為らしい。……いや、レディに気を使われるとはね……。

 まあ、空を飛んでいてばかりでは体が鈍るという事もあるらしい。

 

「それにしても、貴方があんなに面倒見がいいとは思わなかったわ」

 

「何の事だ?」

 

「あの子供の烏天狗の事よ。あのブン屋よりマシだけれど、よく約束までして取材を受けてあげる気になったものね……」

 

 ああ……あのチビ――――雨翼 桜と言ったか――――の事か。

 まあ、確かに俺らしくもないが、まあ暇つぶしになってくれた事と、それなりに楽しませてもらった礼という奴か……。

 

「何、ただの気まぐれさ」

 

「まあ、せっかく休みまであげてやったのだから、ちゃんと行ってあげなさいよ?」

 

「レディとの約束を破る程堕ちてはいないさ。まあ……俺としてはおまえが休みをくれた事自体が不思議でならないがね……」

 

「……さすがに哀れだと思っただけよ」

 

「……そうかい」

 

 そんな会話をしながら、俺は咲夜から幻想郷について色々な事を聞いた。

 妖怪の山――――あのチビが住んでいる所らしい――――の事や、妖怪の事。どんな人間、妖怪が住んでいるか。

 ……特に妖怪の話は聞き甲斐がある。

 特に気になったのは、四季のマスターフラワーと言われる風見幽香――――そして旧地獄にいる“純血”の鬼共。

 混血なら幾度となく相見えたような気がするが、“純血”の鬼はおそらく俺の生涯で見えた事はないだろう。

 

 ……くくく、本当、面白そうな世界だよ、ここは……。

 

「もう森の目の前まで来たわね。どうする、このまま徒歩で行く? それとも空を飛んでいこうかしら? 貴方は空中を走る羽目になるけれど……」

 

「どちらでも構わないよ。あんたの好きすれ――――ッッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

――――夢想封印――――

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、背後から七つの霊力の大玉が俺に飛んできた。

 ……チッ、俺に向かって一斉に来ている事からおそらく追尾機能があるのだろう。

 障害物だらけの空間ならともかく何もないこの場所でソレが避けきれる筈もない。ならば――――。

 

「……視えた」

 

 魔眼を開き、その蒼き眼光を発す。

 向かってくる七つの大玉の死を直視しナイフを振るう

 

 七つの大玉は、七つの斬撃によって消滅していった。

 

「……誰だ?」

 

「貴方が今回やってきた死者ね。なら退治するのみよっ!! ここで消えなさいっ!!」

 

 そこには――――紅白の巫女服を身に包んだ少女が立っていた。歳は、俺や咲夜と同じ位か……。

 

「死者? 俺には何のことだかさっぱり分からないのだが?」

 

 いきなり他人に死人だとか言われても俺はこうして生きている。……なのに勝手に人を殺すとはな……。

 いや……待てよ。

 そういえば紅魔館の庭も大量の死者が転移されてきたな……ソレと関係あるのか?

 そう考えていたら――――

 

「一体どういうつもりかしら、霊夢?」

 

 咲夜が両手からナイフと取り出し、少女に敵意を向けながら話しかけた。

 

「おまえの知り合いか? 咲夜」

 

「ええ、博麗霊夢。博麗神社の巫女にして――――幻想郷のバランサーよ」

 

 ……ああ、さっき咲夜が話してくれた博麗の巫女。

 厳しい修練を重ねず、センスと才能と勘だけで幻想郷の異変を解決してきた、歴代の博麗の巫女の中でもイレギュラーな存在だと聞く。

 

「それで、霊夢。七夜が死者というのは――――どういう事かしら?」

 

「簡単な事よ。最近、幻想郷で死者が出現し始め、妖怪、人間問わず襲い掛かる事件が起こっているのよ。何かあると思って、閻魔の所を訪ねてみた所、どうも幻想郷の死の魂じゃなくて、外から死者たちが転移されてきている。そこで閻魔からコレをもらったのよ」

 

 そう言って、霊夢は懐から、紐が付いた鈴のようなモノを取り出した。その鈴は光を帯びながら、俺の方向に向いてチリンチリンと鳴っていた。

 

「これは死者に対してのみ反応する特殊な鈴よ。だからソイツは死者。咲夜、貴方はソイツから騙されているのよっ!!? とっとと、化けの皮をはがしたらどうかしら、そこの貴方」

 

「……何を言っているのかは知らないが――――あんたは俺の敵って事でいいんだよな?」

 

「ええ、そうよっ!! 咲夜から離れなさいっ!!」

 

 ……そう来るか。

 やれやれ、俺が何者かなんてそんなモノは世間に聞いてほしい物だが……まさか死人扱いされるとはね……。

 まあ、何であれ……。

 

「……楽しめそうだ」

 

 そう言って淨眼を開いた。

 いきなり魔眼を開いては詰まらないからな……。

 

「さあ、あの世に帰る準備は出来たかしら?」

 

「さてね。遊び相手は“あっち側”の方が多い事は否定しないが……」

 

 そう呟き、腰からナイフを取り出した。

 

「生憎そんな事に興味はなくてね。だけど、俺はたった今楽しみを見つけた所でさ……あんたにはソレに付き合ってもらうかな?

 ――――素敵な楽園の巫女さん?」

 

 

 

 

 

 

 ……私は、どうれすればいいのだろうか・

 七夜が――――死者?

 私を――――騙していた?

 そんな、彼は何を考えているのかはわからないが、少なくとも嘘を付いているようには見えなかった。

 霊夢が持っているあの鈴――――あの閻魔からもらったものであるのなら、七夜は間違いなく――――。

 

「いいえ、何を考えているの、私は……」

 

 彼が死者であろうが生者であろうが関係ない。

 彼は今は紅魔館の執事、お嬢様に使える紅魔館の執事だ。ソレに――――せっかくあの日の約束を、果たせるかもしれないのに……!!!

 

「七夜、私も戦う――――」

 

「邪魔はさせませんよっ!!」

 

「――――ッッ!!?」

 

 七夜を助けると決意したその時は、私の横から霊力の弾幕が飛んでくる。この蛇とカエルを模したような弾幕の形、まさか……。

 

「東風谷、早苗」

 

 そこには――――青と白を基調とした巫女服を身に包む少女は、東風谷早苗が立っていた。

 

「久々の妖怪――――じゃなくて死者退治に張り切っちゃいますっ!! 何故咲夜さんがあの死者の味方をするのかは分かりませんが、きっと騙されているんですよ。だから私が咲夜さんの目を覚まさせてあげます。

 そして一緒にあの死者を――――」

 

「お断りよ」

 

 やめろ、それ以上は聞きたくない。

 それに、たとえ七夜が死者だとしても、あの時は私、お嬢様、美鈴と一緒に死者どもを片づけくれた。

 あの烏天狗の子供とのわざわざする必要のない約束まで、面倒見よくも、その約束をした。

 そんな彼が――――私を騙しているですって?

 ソレに――――

 

「私が彼に味方をするのは、紛れもない私自信の意志よ。はき違えたら困るわ。

 ……何も、知らない癖に……七夜を、知ったような口で……死者と言うな……っ!!」

 

 彼を、死なせるわけにはいかない。

 あの日の約束を――――果たせるかもしれないのに、こんな所で、彼を死なせて溜まるものか……っ!!

 

 私は目を赤くし、その怒りを目の前の巫女にぶつけた。

 

 

 

 




補足説明
・八百屋の娘
七夜の傍に咲夜さんがいるにも関わらず、七夜に告白しようとしたある意味すごい人。名前は本編中で出た通り。
人里ではそれなりに有名で、嫁にしたいと思う近所も多い。
あの後、彼女を振った七夜は男たちに恨まれたとか……。

・肉屋の親父
肉屋を営んでいる気のいい親父。
あの後、七夜がいつまで紅魔館の執事を続けていられるか、おふくろさんと賭けたとかなんとか……。

・雨翼 桜
生まれたから三百年ぽっちのチビ烏天狗。見た目も結構可愛く、ロリコンならまず飛び付くべし。「桜雨羅刊」という新聞をかいているが、まだ出回っていなく、本人も至って未熟な記者のたまご。その消極的な性格から、記者に向いているとは到底思えないが、それでも一流の記者を目指してがんばっている。
 彼女の新聞は出回りこそ少ないものの、信用度は「文々。新聞」より高い。
 たとえネタを手に入れても、いつも文からネタを盗まれては、ねつ造物に改変され、嘆いている不運な子。
 射命丸文はこれでも彼女を可愛がっているらしい。

・鈴
霊夢が持っている鈴。
四季英姫からもらったもので、死者に対して、光を発しながらチリンチリンと鳴るらしい。




 第七夜、如何でしょうか。
 かっとなって書いた結果、一万文字を超えてしまったので、長いと思った方は申し訳ございません。
 そして七夜が死者であると告げた二人の巫女――――、果たして七夜の運命は――――?


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第八夜 幻想弾幕と蜘蛛之体術

今回もバトルオンリーで悪いね☆

七夜が強すぎだ、やりすぎだ、と思った方はブラウザをバックしてください。

文字数は一万以上あります。




「空が曇ってきた。太陽の片燐も感じさせぬ程に、か……。これは一雨来そうだな」

 

 空はいつの間にか雲に覆われ、灰色にそまった重雲から今にも雨が溢れだしてきそうだった。

 風も強くなり、辺りは緊張で覆われる。

 ……草は激しく揺れ、風は木々の葉っぱを揺らす。

 七夜の目の前に立っている少女はその紅白の巫女服を風に揺らせながら、七夜を睨んでいた。

 七夜も目の前の巫女に殺気を向ける。

 六寸ほどのナイフを逆手に持ち、その淨眼の色――――蒼の色を深くし、口を歪ませて笑みを浮かべる。

 

 ――――ああ、楽しみだ。

 

 胸が高鳴る、鼻息が荒くなる、無意識にナイフを振るいそうになる、理性は今すぐにでも目の前の彼女を殺したがっている。

 あくまで、理性が彼女を欲す――――。

 まるで目の前の美女に恋焦がれているような……そんな感情ですら、彼は殺意でしか表現ができないのかもしれない。

 目の前に立つ少女は別段、魔という訳ではない。

 よって、七夜が本能から彼女を殺したがる要素は本来なら存在しない。

 ならばこの殺人衝動は紛れもない、七夜一族としてでなく、純粋に彼自身の殺し合いへの“渇望”であった。

 暗殺者である以前に、殺人鬼である彼は、今――――己にとって最高の獲物をその淨眼に定める。

 

「すごい殺気ね。人間が放つ類のモノではないわ」

 

 無意識に殺気が漏らしていたらしい。

 ――――ああ、俺の想いに気付いてしまったか。

 なら目の前の彼女は自分のこの想いに応えてくれるだろうか。弾幕ごっこだとかそんなモノに囚われずに自分を殺しにかかってきてくれるだろうか……。

 

「……ああ、博麗霊夢。咲夜に聞いた時からずっとあんたを想っていたよ。あんたをどうバラすか、どう切るか、どう裁くか……いや、あんたのような美女にそれは似合わないな。もっとあっさり殺した方が一興かな?」

 

「なに貴方、変態? 死の魂がほざくんじゃないわよ……」

 

「連れないなあ……」

 

 七夜の発言に、霊夢は汚物を見るような眼で七夜を睨む。

 霊夢は今すぐにでも七夜を退治したいのか、手にはもうすでに博麗の紋章が入ったお札が握られていた。

 やれやれと言わんばかりに七夜は手を開く。

 どうやら相手は自分の想いを受け取らずに、このまま自分を消したいと思っているらしい。

 つまり、相手は自分の想いを受け止めてくれる気はないようだ。

 ――――だが、応えてくれぬのなら、こちらが一方的に想いをぶつけるだけである。

 

「ああ、もう我慢できない。俺の理性が一秒でも早くあんたを殺したいと言っている……!! その首……貰い受けるぞっ……!!?」

 

 そう言って、七夜は疾走する。

 ソレは一瞬で十メートルもの距離を縮めてしまう程の驚異的なスピード。

 更に、左右にぶれる事で、敵に分身がいるかのような錯覚を起こさせ、翻弄している隙に一気に仕留める。

 相手が魔でないにも関わらず、七夜としての身体性能を惜しみなく引き出す彼は正に、七夜一族の最高傑作と言っても過言ではない。

 たとえ相手が魔でなかったとしても、尚その殺意を退魔衝動以上に放つ……“生粋”の殺人鬼はソコにいた。

 

 

 

 

 

 ――――ドクン。

 

 

 

 

 

 しかし、ソレは直感か、それとも単なる勘か――――七夜は前進する事をやめ、すぐさま後ろ向きに後退する。

 ザ、という音を立て、七夜は一足で八メートルもの距離を七夜は跳んだ。

 その瞬間――――

 

 

 

 

 

 

 ――――霊夢の周り半径十メートルが、青い霊力の結界に閉ざされ、焦土と化した。

 

 

 

 

 

 

 ソレは一瞬――――刹那の出来事であった。

 本来、スペルカードである筈のソレを、博麗の札で行う事によって、その「封魔陣」の本来の威力を霊夢は地面に容赦なく叩きつけたのだ。

 その出鱈目さに、七夜は一瞬茫然としたが、ソレも刹那な事。

 体勢を立て直した七夜は、棒立ちになり、ハァー、と一息吐く。……彼から湧き出てくる感情は“呆れ”だった。

 

「やれやれ、規格外じゃないか。……本当に人間かい?」

 

「貴方こそ……死者であるとはいえ、スペックは人間と変わらない筈。なのにあのスピード……呆れるのはむしろ私の方なんだけれど」

 

「ククク……、スペックがとうに人間を超えいている奴に言われても嫌味にしか聞こえないんだが……」

 

 その規格外さに七夜はひゅ~、と口笛を吹きたくなった。

 今のを受けていたら、間違いなく自分はあの世逝きだ。つまり、この巫女を相手に、一歩でも間違えれば死んでしまう。

 いや、自分が上手く立ち回った所で殺せるかどうかも疑わしい。

 

「だけど、貴方の刃は私には届かない。……たとえ届いたところで、私の能力を使ってしまえば簡単に避けられる」

 

「……」

 

 七夜は、霊夢の言葉など聞いていなかった。

 その様子は呼吸を整え、緊張しているというよりは、むしろリラックスしているという感じであった

 ……そんな七夜の様子が気に入らなかったのか、霊夢はまた先ほどと同じ博麗のお札を手に取り、七夜に向かった。

 

「そう、実力差が理解できた。――――と、取っていいわよね? なら――――、おとなしく退治されなさい……!!」

 

 そして、間合い10メートル、七夜は棒立ちのまま目を瞑っていた。

 

 間合い9メートル、七夜は静かに、ナイフを逆手から正手に持ち替え、視線は霊夢に向けないままだった。

 

 間合い8メートル、霊夢は先ほどと同じように手に持った札を地面に叩きつけ、ふたたび「封魔陣」を放とうとしたが――――、それより先に行動したのは七夜だった。

 

「極死――――」

 

 ナイフを上に掲げた七夜は、そのまま身体を1回転させ、遠心力でナイフを飛ばす。

 吹いてくる横風すらその軌道をずらせず、その凶刃は銃の弾丸すらも凌駕したスピードで霊夢へと迫った。

 

「――――ッッッ!!?」

 

 突如放たれた凶刃は、霊夢の手にあった札に、ジャストヒット。

 ナイフはお札を貫き、彼女の後方にある木に刺さってしまった。

 

 ――――ドクン

 

 瞬間、霊夢の勘が告げる。

 彼女を襲う危機感――――霊夢は無意識に体から霊力による衝撃派を発した。

 衝撃が彼女の周囲を駆け巡り、地面にもクレーターらしきモノができる。

 

「ぐぅ……ッッ!!?」

 

 同時に、彼女の頭上から悲鳴のようなものが聞こえた。

 ……ソレに反応した彼女は、すぐさま頭上に向かって、手元に形成した霊力弾をぶつけた……!!

 

 ――――キィンッッ!!

 

 金属の手応えが響く。

 霊夢の頭上にいた七夜はすぐさま、もう一本のナイフを取り出し、霊夢の一撃を防いだ。

 

「ガッ……!!?」

 

 七夜はさらに2度目の悲鳴をあげ、衝撃で自分の投げたナイフが刺さっている木の所まで吹き飛ばされる……。

 このまま体勢では、後頭部から木にぶつかってしまい、最悪の場合は「死」に至ってしまうが――――。

 

「――――っと」

 

 しかし七夜は途中で宙返りをし、木に足を足場にし、受け身を取った。

 ――――その口元には、笑いが浮かんでいた。

 

「子供騙しとはいえ、まさか初見でこの奥義が敗北するとはね……」

 

 極死・七夜――――得物を投げつけると同時に相手の首の上に飛び乗り、相手の首を捩じ切るというとても残酷な技だ。

 投げたナイフを避けようとすれば首が取られ、飛び掛かってくる七夜を避けようとすればナイフで心臓を貫かれる。そしてナイフと七夜は、ほぼ同時に襲ってきて、実質回避は不可能という、七夜の暗殺術の境地とも言える技。

 その奥義を――――、目の前の少女は初見で、ソレも勘だけで対処し、見事その暗殺技を破ってしまった。

 しかし、霊夢の「封魔陣」の発動を抑えるという目的は達成したため、七夜は別段落ち込む様子は見せなかった。

 

 七夜は足場にした木を蹴り、すぐ隣にある木に飛び移り、蹴る。

 霊夢に吹き飛ばされた衝撃を利用しながら、木を蹴ることで、性能以上のスピードをたたき出し、霊夢の首へ斬りかかった。

 今度のスピードはさっきの比ではない。

 そう判断した霊夢咄嗟に結界を作り――――七夜の突きを防いだ。

 

 ――――キィンッ!!

 

 強烈な金属音が周囲に響き渡るも、霊夢が張った結界にはヒビ一つ入っていない。

 ――――だからと言って、猛攻をやめる七夜ではない。

 

 ―――――キキキキキキキキィンッッ!!

 

 瞬時に9連もの斬撃を寸分違わず同地点に繰り出し、霊夢の結界を切り刻もうとする。

 ……並の人体なら9分割になってしまうその斬撃さえも、結界を傷つける事は出来なかった。

 殺す事だけに磨かれた技は硬度の高い物質を貫く事には適さず、結界は無傷という結果で終わってしまった。

 

 

 

 

 ――――瞬間、七夜の周囲を弾幕が覆い尽くす。

 

 

 

 

 

 霊夢が周囲に七夜を囲むように展開した霊力弾。

 色とりどりの光を放ちながら、ソレらは七夜に殺到している。

 それも弾幕ごっこのように手加減された威力ではなく、隙間は限りなく無いに等しく、並の人間が一撃でも当たれば致命傷という――――人間の七夜からしてみれば限りなく荷が重すぎる状況だった。

 ――――そして、霊夢も霊力を使った瞬間移動で自分の弾幕の包囲網から脱する。

 

「はぁー」

 

 その出鱈目さに七夜は溜息を吐く。

 体勢を低姿勢に変え、ソレはまるで敗者が強者に対して降参の意を示すような――――懐から見ればソレは諦めだった。

 七夜はもう一度――――息を吐き、リラックスをする。

 ……もう、彼は抗う気など残っていない。

 所詮、彼はここまでであっただけの事……。

 周囲から隙間なく七夜を囲み、眩しい光が七夜の視界を照らし、更に彼の手元のナイフがその光を反射し、七夜の視界を一層白くさせる。

 ……彼にとって、ソレは何に見えただろうか。……己を断罪する煉獄か。……それともこの光景こそ天国というべきなのか……。

 ……彼に残された猶予は、もう間近で消えようとしていた。

 

 ――――終わりだと、その光景を見たら誰もが思うだろう。

 

「――――やべえ、楽しすぎだって……!!」

 

 ――――しかし、七夜はその口元の笑みを一層深め、その淨眼の蒼い眼光もその輝きを増す。

 瞬間、七夜は足を動かした。

 低姿勢のまま、蜘蛛の如く地上を這い――――弾幕の雨の中に、自分の身を投げた。

 ……何と言う無謀、何と言う無茶。

 しかし、七夜は興奮しながらも――――冷静に隙間なく向かってくる弾幕の海を見定める。

 普通に見ればソコに人の生きられる隙間など――――否、強力な魔ですら生きていられる隙間など見当たらない。

 しかし類まれなる戦闘センスの持ち主は――――

 

「――――見えた」

 

 それでも彼の淨眼は、生命道を見つける。

 霊夢が意図的に隙間を失くしていても、それでも、埋める事ができなかった僅か――――彼の生きる道であり、希望が残された道。

 ――――が、それはあまりにも細く、蜘蛛の糸よりもそれは複雑難解な道だった。そしてその道すらも、今にも消え去ろうとしている。

 

 ならば――――切り進むのみ……ッッ!!!

 

 

 

 

 

 ――――閃鞘・八点衝――――

 

 

 

 

 

 七夜は目の前の虚空を腕が10何本にも見えるような速度でナイフを振るいながら――――その細い道へと突っ込んでいった。

 そして細い道へと差し掛かり――――細い道への入り口は弾幕によって閉ざされようとした時――――彼はその弾幕を何重にも切ってその道へと入った。

 同時に、ナイフを持った右腕に、衝撃が走る。

 ナイフを通してのモノなので、直接的なダメージはないものの、それだけで右腕中が痙攣しそうな錯覚に陥る。

 しかし、七夜はソレを気にすることなく、高速でナイフを振るいながら、複雑難解な道を駆ける。

 

 ――――切る

 

 ――――駈ける

 

 ――――衝撃。

 

 ――――切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る切る……。

 

 ――――駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける駈ける……。

 

 ――――衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃……。

 

 切るたびに腕に衝撃が走り、それでも七夜はスピードを落とさずに駈ける。重なる斬撃が弾幕を斬る度に腕が悲鳴をあげ、それでも彼は笑いながら駈けた。

 

「ああ、本当に堪らない!!」

 

 そして彼はその笑みを深くし、獣すらも超えた速さで駈けた。

 七夜一族最高峰にして最高傑作――――人の身でありながら、鬼神と呼ばれた彼の者すらも凌駕した動きで、駈ける。

 

 

 そして彼は――――弾幕の海を抜けた

 

 

 途端に視界に広がるのは、さっきとまったく同じ風景と――――驚きに満ちた眼で七夜を見る霊夢の姿。

 

 ――――その出鱈目な光景に、霊夢は呆然としてしまった。

 

「やれやれ、ひどいじゃないか。誘ったのはソッチなのに、閉じ込めて逃げる事なんてないだろ?」

 

 ……霊夢は見た。

 ――――肉体のスペックも、才能も、実力もコチラの方が上だというのに……あの眼はなんだ?

 まるで殺し合う事しか楽しみを知らない。

 あれだけの事をされておきながら、尚深まるその殺意、および殺気。

 『今すぐにでもお前を殺したい』と眼は嗤い、その蒼き眼光は真っ直ぐに霊夢を貫く。

 ……相手が人間であるにも関わらず、ソレは……今までどれよりも感じてきた殺気よりも、濃く、そして重かった。

 唯の人間が、あそこまで狂えるというのか?

 

「――――いや、死者だったわね」

 

 そう、アレは人間じゃない。

 スペックは人間と相違ないが、アレは死者。

 ……尋常である筈がないのだ。

 

 ……そう考えていた手前、七夜の姿はもう霊夢の眼前にあった。

 

「――――甘いわッ!!」

 

 霊夢は霊力を体中に帯び、その体を――――空中に浮かせ、空を飛んだ。

 足は地から離れ、霊夢は上空20メートルほど浮かんだ。

 そのまま周りに無数の陰陽玉を形成し、さらに自信もお札の弾幕を七夜に向けて放った。

 

 ――――その一つ一つは普段、弾幕ごっこで威力を緩められたものではない。隙間も少なく、しかも本来、空で受けてこその弾幕を地上で受けたりしたら、弾幕ごっこ用の弾幕でも普通に死にかねない。

 

 曇天で覆い尽くされた空は更に、その霊力の弾幕によって、それすらも視界に少したりとも映させなかった。

 鈍重の弾幕嵐が、一斉に七夜に降り注ぐ。

 ……一発でも当たったらソレは死に繋がってしまう、絶体絶命の状況。しかし、それでも先ほど受けた弾幕の包囲網には及ばないのか、七夜は済ました顔で、それでいて口を歪ませたまま――――

 

 ――――跳んだ。

 

 いつまでも地上にいたら、地上にぶつかった弾幕の爆風で死にかねない。

 一気に7メートルほど跳躍――――、更に幻想指輪で空中に足場を作り、また跳んだ。

 ……弾幕の雨はもう彼の眼前まで迫っている。

 

「ククク……、痺れるねえ……」

 

 見る者を圧巻させる幻想的な光景。

 七夜はソレに目を奪われつつ、弾幕と弾幕の間の数少ない隙間を探す。

 ――――いくら隙間を埋めようとも、弾幕である以上、どこかでその歪みは出てくる。

 

 ソレにここは空。

 さっきのように弾幕そのものが彼を閉じ込めているような状況でもない。――――そう、霊夢の間違いはソコにあった

 相手を見失う程の弾幕――――その弾幕そのものが障害物となり、蜘蛛の巣になりえてしまう事を――――。

 

「ならコチラも――――ソレに相応しい遊戯をお見せしよう」

 

 相手がこれほど幻想的で、美的で、そして殺意を込めた見世物を放ってくれたのだ。そんな相手の意志に七夜が応えないわけにはいかなかった。

 まず七夜は、弾幕の海の内の――――一つの、僅かな隙間を見つける。ソレを見つけた途端、七夜は即座に行動した。

 ……まるで空に巣を張った蜘蛛の様……そして獣以上の速さを持って……。

 ――――まるでテーブルの下を潜るかのような感覚で、弾幕の隙間を通る。

 

 そして眼前に広がったのは、押しつぶす程の弾幕の海。――――否、彼はもうその内部に入ってしまった。

 だが、それでも持ち前の勘と経験で、わずかな隙間を見出し、そこに体を捻り入れる。

 霊夢に姿が見られそうになった時は、その弾幕すらも障害物として利用し、身を隠す。

 本来、人間では考えられない動き。しかし、七夜の肉体と、その体術がソレを可能にしていた。

 加えて、指にはめたマジックアイテム――――幻想指輪≪イリュージョン・リング≫は空中での七夜の体術の本領を発揮させる。

 何もない空間では屋内でやるより暗殺効率は落ちるが、弾幕に満ちたこの空でなら話は別だった。

 霊夢は何も知らないままに、彼に効率のよい蜘蛛の巣を生み出していたのだ。

 しかし、厄介な要素として、一度食らってしまったらそこから動けなくなり、拘束する結界まで混じって張られている事だ。

 なので七夜はできるだけ弾幕に混じって迫ってくる結界だけは触れないようにする。更に不可視の玉まで飛んでくるが、ソレは彼の淨眼で視認可能なので、まったく問題はない。

 ……一番厄介なのは、追尾機能を持ち合わせた弾幕がある事だ。

 しかし七夜はソレも誘導し、他の弾幕とぶつけさせ、消滅させる事によってやり過ごす。

 

 ――――ソレらは皆、神業だった。

 

 何の神秘に恵まれない彼だからこそ――――たどり着ける地平とも言える。

 

 

 その弾幕の雨は霊夢の視界すらも埋め尽くしていた。

 隙間はない訳ではない。しかし、視界が埋め尽くされては、それは隙間であるかどうかを判別するなど、もはや神業の域とも言っていい。

 彼女が展開した10何個もの陰陽玉から重ねて放たれる弾幕の雨は、彼女自身が七夜の姿を捉える事を不可能としていた。

 元より、命の危険に晒された事があっても、別段他者の手で殺されそうになった経験など彼女にはない。

 

 

 ――――だから、後ろから奇襲を防げたのも、彼女の勘が優れている証だったかもしれない。

 

 

 彼女は無意識に、後方に向けて結界を貼った。

 

 ――――キィンッ!!

 

 そして後方で響いた金属音。

 結界がナイフを押し返し、ナイフからは鮮やかな火花が飛び散った。その火花は霊夢の眼前まで飛び散り、霊夢の視界に映る。

 

「ちっ」

 

 後ろから聞こえた舌打ちの声――――霊夢は、冷たい汗を流しながら、ゆっくりと後ろを向いた。

 そこもう――――七夜の姿はいなかった。

 ――――空は曇っているため、影の特定はできない。

 殺気も、気配も、感じない。しかし霊夢は――――。

 

「――――そこっ!!」

 

 七夜の頭上からの刺突を、手に持ったお祓い棒ではじき返した。霊力を込めたソレは、七夜を7メートル程吹き飛ばした。

 七夜は体中に渡った衝撃でしばらく一時的に動けなくなったものの――――ドン、と自分の左腕を殴りつけ、身体に刺激を与える事で感覚を取り戻し、すぐに空中で受け身を取った。

 すぐに自分の足場を作り――――七夜が眼にしたその光景は――――

 

「いやいや、いつ見ても絶景だ。さっきの比ではないな、これは。密度も、速度も、量も全然違う……」

 

 霊夢は更に陰陽玉の数を倍増させる。

 陰陽玉そのものが空を埋め尽くし、それぞれの陰陽玉から違う類の弾幕が撃たれていた。

 ある陰陽玉は陰陽玉そのものを、ある陰陽玉は博麗の札を、ある陰陽玉は切れ味が入った結界。更には、自動的に七夜を追尾する光弾――――その中には不可視の光弾も入っている。

 ――――今度こそ、隙間という隙間が見当たらなかった。

 どれだけ凝視しても、感じても、隙間は見当たらない。――――ただ有象無象に空が光に埋め尽くされる程に、放たれている。

 

「――――けど、そろそろ見飽きてきたかな?」

 

 しかし、男は動じない。

 ――――その眼は、淨眼は、赤みを帯びた蒼に変わる。

 その眼に映すのは“死”。

 空を埋め尽くした弾幕は、眩しく、神々しいそれから――――禍々しい“黒い線”を所々に走らせた何かに変わった。

 

「――――ああ、世界が死に満ちていく。なんて――――愉快」

 

 万物にはどれも終わりがある。

 それは人間であれ、妖怪であれ、魔であれ、星であれ、大気であれ、意志であれ、時間にだって――――。

 ――――いつか“死ぬ”のであれば、ここで死んでも大差はない。

 彼にとって、全てなど捨石に過ぎない。だから彼は、以前の自分をどうとも思わず――――ただその場その場の舞台を楽しむ。

 

「さて――――」

 

 彼は迫りくる弾幕の雨を凝視する。

 “黒い継ぎ接ぎ”に覆われたソレらを見る。隙間など存在しない……人――――否、生き物が生きる道など何処一つ見つけられない。

 しかし――――彼はソコに突っ込んでいった。

 一足で7メートル程跳躍し、また空中に足場を作り、跳躍。

 そして、最前線に迫った、陰陽玉を―――――

 

 ――――“殺す”。

 

 続けて迫る弾幕を避ける。

 

 続いて隙間がなく迫る弾幕の海――――壁とも言っていい。

 眼前に迫った弾幕のみを殺して――――彼の体は壁を貫いた。

 そう、隙間がないのであれば――――隙間が出来るように弾幕を消滅させていけばいいだけの事。

 追捕機能が付いた光弾の弾幕も、ただなぞるだけで消滅させ、不可視の光弾ですら彼は視認し、避ける、または消す。

 都合よく隙間を作ることで、己にとっての理想的な移動空間を七夜は作り上げていった。

 適度よく弾幕を残す事で、霊夢から身を隠し、厄介な類の弾幕は消せばいいだけの事。

 

 そして七夜は――――霊夢の真横に、たどり着いた。

 

「――――ッッ!!」

 

 ――――狙うは霊夢の首を通る“線”。

 ナイフを逆手に持ち替え、横に一文字に霊夢の首の線へとその凶刃を走らせた。

 もちろん、ソレは結界によって阻まれるものの、七夜は即座にナイフの軌道を変え――――結界に走る“死の継ぎ接ぎ”をなぞり、バラバラにした。

 

「終わりだ……!!」

 

 そう呟き、霊夢の体をバラバラにせんと、ナイフを振るうが――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――霊夢の姿が、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

「な……ッ!!」

 

 彼の顔に浮かぶ表情は驚き。

 ――――手応えはあったのに、ソレは生き物を切った感触だったのに、肉片が残らず消えていくのはおかしかった。

 さっきまで感じていた霊夢の気配は――――後ろにあった。

 

「残念ね……」

 

 その時、霊夢の声が後ろから聞こえてきた。

 七夜はすぐさま振り返り、ナイフを霊夢の体へ走らせるが、そんな単純な攻撃に当たる霊夢ではない。

 霊夢は後ろに後退して、七夜の凶刃を回避。

 

「ソレは……私が霊力で作り上げた“分け身”よ。……そして――――」

 

 そう言って、霊夢は七夜の方へと向かっていった。

 弾幕を撃たずに、霊力で身体を強化する。

 その身体能力はおそらく並の魔を超えてるだろう……霊夢は弾幕を仕掛けずに、七夜へと飛び出し、お祓い棒や拳、蹴りなどの体術で攻撃をし始めた。

 霊力による身体能力強化。

 更に霊夢の霊力そのものもそこ等の輩より濃度も質も量も違うため、その霊力のほとんどを身体能力強化に回せば、驚異的な事になる。

 

「ぐぅッッ……!!」

 

 七夜は霊夢の動きなど見えていない。

 ――――だが、霊夢の動きや技は雑多であるため、勘でなんとか回避できる。

 しかし、それでも限界というモノはある。

 次々と繰り出される打撃、蹴り、拳。

 

「貴方の弱点も見破ったわ。むやみに弾幕を撃つからいけなかったみたい……」

 

 そう、霊夢はようやく気付いたのだ。

 無駄に弾幕を撃っていては、自分の弾幕そのものが相手の蜘蛛の如き動きを捉えるのに邪魔をしてしまうのだと……。

 七夜が弱いのは正面からの押しの強い相手だ。

 障害物の多い屋内での暗殺を得意とし、弱い魔であれば、正面からの暗殺にも特化している。

 生物として格段に優れる身体能力と魔としての能力を持つ者達を殺すために七夜一族の者達はどうやっていたか……

 答えは簡単だ。要はその2つを封じてしまえばいいだけの事だった。

 相手が上手く動けない複雑な足場に誘い込み、そして能力を使わせる暇を与えない。ソレが七夜本来の戦い方であり、同時に暗殺方法である。

 殺しに適した場所――――蜘蛛の巣を作り出し、ソコに敵を誘い込み、瞬殺する。

 弾幕という蜘蛛の巣を失った七夜はソレこそ、ただただ尋常ならざる身体能力を有するだけの人間に成り下がってしまったのだ。

 

 ――――ドゴォッ!!

 

 霊夢の蹴りが、七夜の腹を打ち飛ばした。

 

 あ、という断末魔の声が流れる。

 七夜は意識をほとんど失い――――その体勢は崩れ落ち、地へと落ちていった。

 

「終り、ね……」

 

 霊夢はそう呟き、落ちていく七夜を見つめた。

 ……七夜は、落ちてゆく身でありながら。朦朧とした意識で――――こちらを見下す霊夢を、見た。

 

 ――――ああ、美しいな。

 

 凛々しさ、強さ、己であろうとする自我。あんな輩と殺し合ってたなんて――――自分は何て幸せ者なのか。

 ……七夜はわずかに動く手を霊夢に向け、掴むように拳を握った。

 

 ――――自分が夢見ていた、届く事のない最高の獲物。

 

 届かなかった。殺せなかった

 

「殺…せ……」

 

 そういえば、ここに来て、自分は誰も殺していない。

 

 ――――誰も殺していない?

 

 ――――誰もバラしていない?

 

 ――――何も成せていない?

 

 ――――何も奪っていない?

 

 ――――このまま何も成せずに終わる?

 

「そんなのは……御免だ」

 

 自分は殺人鬼、誰も殺せぬなら、最後に自分自身すら殺して見せるし。目の前の最高の獲物を前に、殺意が薄れるなんて、殺人鬼としてあるまじき。

 七夜は体に力を入れる。

 ――――その眼には殺意が再び満ち、淨眼に蒼は戻る。

 

「――――このまま消え去るのは、頂けない」

 

 七夜は意識を再び戻した。

 ソレは七夜の血に流れる退魔衝動でも何でもない。……彼自身の、殺しへの“執念”。

 ここで何も成せず、殺せずに終わるなんて彼にとっては、なによりもあるまじき事だ。

 

 ――――五体は、満足。

 

 ――――殺意は、十分。

 

「殺すッ……!!」

 

 そう叫ぶと同時、彼は空中で体勢を立て直し、一瞬だけに垂直に足場を作り、蹴った。

 同時に七夜の体は、後ろ向きに宙返り。そのまま慣性を無視した急降下で、地へと落ちていく

 

「――――やれやれ、俺も飽きないモノだね」

 

 自分の往生際の悪さを自嘲し、七夜は地に足を付けた。

 これだけやられても、まだ自分はあの相手を殺す気でいる。あの相手を殺したいと思っている。あの女を解体したいと思っている。

 

「ああ、本当に堪らない」

 

 七夜はその口に笑みを取り戻す。

 ――――そのまま四足を獣の如く地に付け、霊夢から背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

「――――嘘ッ⁉」

 

 七夜のその行動に霊夢は驚いた。

 ――――あれだけやっても、まだ彼は動くのか。普通の人間なら、地に頭をぶつけてソレで終わりだというのに。

 

「ああ、もうッッ……!!」

 

 霊夢は七夜が逃げてゆく方向を見る。

 そこは――――森林だった。

 頑丈な大木が有象無象に立ち並ぶ――――紅魔館や氷の湖へと続く、大森林。

 紅霧異変によって、広まった妖力がつまった紅い霧の影響によって、木々に妖力が宿り、その生命力を強化させた木々たちが立ち並ぶ場所だ。

 そこに、驚異的なスピードで逃げていく七夜を見た。

 

「……逃がさないわよ」

 

 そう言って、霊夢もまた地へと急降下した。

 木の上から探しても、あの大木が立ち並ぶ深い森林の中では、七夜を探すことなど到底不可能だ。

 ならば、自分の森の中に入って探すしかない。

 そう思い――――

……霊夢は低空に停滞した後、身体を浮かせながら森林の方向へ前進する。

 相手はもうすでに手負いの獣だ。

 仕留めるだけなら容易いだろう。

 

 ――――森林に入るまで後、十メートル。

 

 ぽた、ぽた、と何かが自分の頭に落ちたのを、霊夢は感じ取った。

 最初は気のせいかと思いきや、今度は前進が下に押されるような錯覚に陥る。……上から、大量の何かが降ってきた。

 

「……雨。それもかなりの大雨ね」

 

 そう呟き、霊夢は再び森の方へと意識を向け、七夜の追跡を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 ――――木に、背中を付け、獲物を待つ。

 

 七夜は自分の体の調子をチェックした。

 

 まずあの弾幕の包囲網を切りながら進んだことにより、ナイフを持っている右腕の骨に、亀裂が入っていた。

 続けて、空中でうけた打撃により、肋骨が何本かイってしまったようだ

 

「ああ、なんて――――無様」

 

 そんな自分の惨状を七夜は自嘲した。

 だが――――

 

 (性能に問題はあるが――――殺す事に支障なし)

 

 彼の殺意は尚、失っていなかった。

 そしてここまで来て、むしろ彼の殺意は増してきていると言っていい。彼の殺しへの執念は、もうその身に宿す退魔衝動を超えていた。

 相手は魔ではない――――人間なのだ。

 魔でなければ、本来殺意がそのものが湧かない筈体質である筈なのに、今もこうして殺しへの執念だけが彼を地へ立たせている。

 

「ああ――――最高だ」

 

 そして彼は笑う。

 自分は手負いであり、自分はこれまで相手に傷を一つたりともつけずにいていた。ソレは殺し合いでもなんでもなく、ただの蹂躙。

 お互いを傷つけあい、命を奪い合うからこその殺し合いなのに、ああも一方的ではただの暴力にしかならない。

 

 ――――ソレでも、彼は殺意を失っていなかった。

 退魔衝動から沸き起こる殺意ではなく、自分の理性から沸き起こる――――明確で、鋭い殺意。

 

「――――ん?」

 

 ぽた、ぽた、と何かが頭に落ちる感触を七夜は感じ取った。

 ソレは次第に確かなモノになってゆき、やがて全身を地へ押されるような錯覚を七夜は感じた。

 ……七夜はゆっくりと空を見上げた。

 

「――――ああ、近いと思っていたが、まさかこんな時に降るとはね……」

 

 ――――ソレも、かなりザァーザァー降りだ。

 

「まあ、殺し合い前の舞台付けとしはちょうどいいかな?」

 

 ……七夜は、雨に降られた森の中を見渡す。

 数多くの大木。地には数多く、そしてかなり深い草むらまでもが揃っている。

 更に木々も普通の木とは比べ物にならないくらい固そうで、あの巫女の弾幕にも耐えてくれそうな固さである。

 ……これで、自分の巣が壊される心配はなくなった。

 あの巫女も自分を本気で退治しようと来るだろうし、この森の上を飛ぶことはしないだろう。

 この森の木葉はかなり根深く、少しでも森の上から離れてしまえば、自分の姿など目視できまい。

 だから相手はこの森の中を飛ばざるを得なくなる。

 

「――――来たか」

 

 音も、気配も感じない。

 自分には、敵が来たか来ないかなど感じる手段など既にないというのに、それでも七夜は敵の来襲を確信した。

 

 ――――七夜の眼前にある大木から、すり抜けるように、霊夢が出てきた。

 

 彼女に異変などはない。

 姿も、その凛々しい眼も、その綺麗な容姿も、何一つ変わって等いない。

 変わっているとしたらソレは一つ

 

 ――――“死”が視えなかった。

 

「――――おい、何の冗談だ。 周りに“死”はあれど、アンタにだけ無いなんてまるで――――」

 

 ――――『浮』いているようだ。

 そう思い、七夜は豪雨に打たれながらも――――霊夢の凝視する。

 ……こんなにザァーザァーと振っているのに、雨粒は彼女の体をすり抜けて、そのまま地へ振るだけではないか。

 ……ソレを見て、七夜は更に笑みを深くする。

 

「ああ、そうか。『浮』いているんだな、あんた」

 

「……」

 

 雨に打たれている七夜を見下す巫女は、答えない。

 ――――否定はしない。すなわち、肯定と七夜は取った。

 

「ああ、時を止める咲夜といい、運命を操るご主人様といい、気を操るあの門番といい――――この世界は、まるで宝の宝庫だなあ」

 

 そう言って、七夜は立ち上がる。

 ……その眼には未だ殺意が宿っている。

 懐からナイフをもう一本取り出し、両手に一本ずつナイフを構え、己を見下す巫女を見る。

 

「いいぜ、視えないのなら、視えるまで見てやるよ。俺は、ただ『殺す』だけだからな」

 

 

 ――――必死に、『浮』いた少女の“死”を理解しようとする。

 

 ――――ズキ、と頭痛が走った。しかし、まだ視えない。

 

 

 

 

 

 ――――視る視る視る視る視る視る視る視る視る視る視る……。

 

 

 

 ――――ズキ、と頭が痛む

 

 ――――脳が、熱くなる。

 

 ――――視界が、揺らぐ

 

 ――――寒気が、走る。

 

 ――――眩暈が、する。

 

 ――――だが、それ以上に昂揚、狂喜する

 

 

 

 ……まだだ。視えないのなら――――

 

 

 

 

 

 

 ――――脳髄ガ溶ケテシマウマデ、アノ女ノ“死”ヲ視ルノミ……。

 

 

 

 

 

 

「――――視え、た……」

 

 

 

 

 

 

 そして七夜は少女の”死”をついに理解し、ソレが視えた。

 黒い継ぎ接ぎ、黒い線、生き物の範疇を免脱し、ただ『浮』くだけの概念となった彼女にもまた――――”死”はあった。

 

 

 

 

 

 

 

 




……さすがにやりすぎたかも……。

批判、感想、指摘共々みんな受け付けます。

早苗さんと咲夜さんの戦いは同じ時系列で次話で書きます。


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第九夜 『時』を封じられたメイドと『固有結界』の巫女

今回もバトルオンリーです。

前回の七夜と霊夢の戦いと並行して、行われた咲夜さんと早苗さんのバトルです。

……それにしても、七夜以外の人物たちの戦闘は何故か、表現が鈍るんですよねぇ。どうにかならないものか……。それとも単に私が七夜を好きすぎるだけなのでしょうか?


 視界が――――おかしい。

 さっきまで眼前に広がっていた草原、と草が取り除かれ人里へ続くように出来た道や、紅魔館や氷の湖に続いている大森林さえも見えない。

 いや、見えるのだが、ソレは青白い半透明上の結界によって見えにくくなっているのだ。

 咲夜はきょろきょろあたりを見回す。

 この世界そのものから閉じ込められたような感覚――――そして、『時を操れない』。

 

「固有結界、か……。随分と大層なモノを使うのね、貴方」

 

「そんな……大層なモノじゃありませんよ。心象風景を具現化した訳ではありませんし……、そもそも本当に心象風景を具現化させるのなら神奈子様と諏訪子様の力が必要ですから……」

 

 ……なるほど、と咲夜は目を瞑って納得した。

 今、彼女が展開しているのは固有結界ならぬ……疑似・固有結界と言った所か……。性質こそまったく同じであるものの、心象風景の具現化には至らず……。

 だが――――

 

「――――厄介ね」

 

 心象風景の具現化に至らない為か、早苗自信の固有結界の能力は発動されないものの、それでも固有結界としては機能しているのだ。

 彼女の『時を操る程度の能力』は謂わば、世界に働きかける事象を引き起こす程であり、そしてここは彼女の世界。

 ――――早苗の『時間』は咲夜のモノにはならない。

 

「本当、霊力の消費も行わずして自身を『固有結界化』できる霊夢さんが羨ましいですよ。……彼女はアレは生まれつきで、しかもその固有結界の効果があらゆる圧力から『浮』くんですからね……」

 

「アレも固有結界なの? だとしたら、霊夢は相当な化け物ね。録に霊術や体術の修行もせず、才能だけで固有結界能力を開花――――本当、色々出鱈目な巫女ね、彼女は」

 

「アレはもう――――彼女自身が生まれつき固有結界そのものであったと言った方が正しいかもしれませんね」

 

「……否定したいけど、出来ないのが怖いわ」

 

 咲夜は霊夢の才能を考えて表情には出さないものの、ぞっとする。

 固有結界とは魔法に一番近いと言われる。幻想郷において、人間が固有結界を使う様になるには、莫大な霊力が必要となる。……妖怪であれば妖力。……魔法使いであれば魔力だ。

 幻想郷でそんな量の霊力を有している者など霊夢くらいだ。

 ……しかし、目の前の少女は何だ?

 確かに、巫女として、現人神として、多くの霊力を有しているものの、固有結界を――――心象風景がない空っぽの疑似物だったとしても、彼女に固有結界を展開できる程の霊力は備わっていない筈である。

 

「……私が固有結界を展開できる程の霊力を持っているか、て考えていませんでしたか?」

 

「……」

 

 ――――表情に出したつもりはないのに、感づかれてしまうとは……。

 いや、彼女は咲夜のそういった疑問はもう予測済みなのかもしれない。

 ……未熟者の自分如きが、未熟な霊力で固有結界を展開するなど、荷が重すぎていることなど、早苗自信がよくわかっている。

 ……となると――――

 

「なるほど。――――確か貴方は妖怪から妖力を奪う能力もあったわね……。だから、結界に霊力だけでなく――――妖力までもが充満しているのか」

 

 自分の考えが読まれても、咲夜は冷静に早苗の能力と照らし合わせ、早苗が固有結界を発動できている種を知った。

 

「……貴女、ここに来るまでに何匹の妖怪の妖力を奪ってきたのかしら?」

 

「奪うとは失敬ですね。……これまで退治してきた死者と化した妖怪を退治してきた結果です。……まあ、ソレもこの固有結界で、今日全部使い切りそうですけれど……」

 

 言って、早苗の体には汗が多く流れているのが見える。

 ……彼女自信も無茶をしているのだろう。

 だが、咲夜の『時を操る程度の能力』は封じておかなければ、まともな弾幕ごっこであるならばともかく、本気半分の戦いであれば、『止まっている間』に終わってしまう。

 早苗は今まで退治してきた妖怪から奪った妖力の余り分を全てと自分の霊力のほとんどを固有結界分に回しているため、今の彼女に長期戦は無理だ。

 ……だが、これぐらいのリスクは承知の上だ。

 現に、咲夜の能力を“外界”から閉ざすことによって封じるという役割を、固有結界は果たしてくれた。

 そう考えれば、おつりも返ってくるだろう。

 

「なるほど、外界に働きかける私の能力を封じるのなら、外界から独立した固有結界に――――閉じ込めてしまえばいい、か」

 

「……ずいぶんと冷静ですね。顔色一つ変えないなんて……」

 

 自分の能力を封じられてもなお冷静でいられる咲夜に早苗は苦笑しながらも不貞腐れる。そんな早苗を少し可愛らしいと思ったのか、咲夜は口元にくす、と笑いを浮かべた。

 

「安心しなさい。正直脅かされたわ、十分にね……。だけど、固有結界を“その為”だけに使うなんて、貴女も大概バカね」

 

「……馬鹿にしたような口調には聞こえませんね」

 

「ええ、馬鹿は褒め言葉っていうでしょ。……貴女のようなバカは、嫌いじゃないわ」

 

 そう言って咲夜は、両手に三本ずつナイフを持ち、構える。

 ――――同時に、眼は空のような青から血の赤に変わり、闘気を、殺気を、早苗にぶつけた。

 銀のナイフは真っ直ぐ早苗に向けられる。

 

「――――だけど、能力を封じられた程度で私に勝てると思うなんて……紅魔館のメイド長も舐めれたものね。……私にはまだ――――コレ(体術)がある……!!」

 

 咲夜は背後に結界を作り、更に霊力を身に纏って、空を飛ぶ、そのまま背後に作った結界を蹴り――――早苗に斬りかかった。

 早苗はソレを飛んで回避――――そのまま空中へと飛ぶ。

 

「まだよ」

 

 

 

 

 

――――傷符「インスクライブレッドソウル」――――

 

 

 

 

 

 咲夜はナイフの刀身に霊力を為、そのまま両手に持ったナイフを高速に振った。

 ……そこから出てくるのは斬撃の嵐がそのまま形となったもの。

 振るわれる度に三刃ずつ出てくる斬撃は、真っ直ぐに早苗へと向かっていく。……早苗は目を大きく見開きながらも、斬撃と斬撃の間をくぐって対処していたが、やがて追いつかなくなったのか、霊力による結界でソレを防ぎ始めた。

 

「……あまり、霊力を使わせないで下さいよ。……この結界を保つだけで精一杯なんですから……。ああ、せっかくの巫女服が破れたじゃないですか……」

 

 早苗の巫女服のスカート部分に三つ並べられた小さな、切り痕が付いてしまった。

 

「ソレは謝ります。弁償は必要かしら? まあ、してあげないけど……」

 

「思いっきり嫌味ですね。まあ、弁償なんて求める質じゃありません――――よっ!!」

 

 早苗はお祓い棒を取り出し、左右に振って見せる。

 ソレに連動するように発生する風。

 規則的に動いていく――――キレイで、美しい風だった。

 更に早苗はその風の中に霊力弾を乗せる事で、その威力を倍増させ、咲夜に向けて放つ。

 

「くっ――――!!」

 

 限りなく隙間のない弾幕群。

 たとえ弾幕そのものを避けようとしても、風圧によって、弾幕は再び咲夜に向かってくるし、咲夜自信もその風圧でバランスを崩されてしまう。

 そして、おそらく咲夜自信が霊力による弾幕を放っても、その風の軌道により咲夜自信に向かってくる事はもう眼に見えて分かる事だ。

 

「ならば――――切るっ!!」

 

 咲夜は視界に埋まる弾幕を目にし、それでもナイフを早苗に向かって投げた。時を止める能力は封じられている為に、投げたら回収はもう不可能と考えていい。

 つまり、使い捨てである。

 ナイフを投げる事は、すなわちそのナイフを使い捨てにする事だ。だからと言って、温存している戦える程の時間等、咲夜にはない。

 一刻も早く――――七夜の元に向かわなくてはならないのだ。

 

「切るという割には投げてますね……」

 

 そう言って、早苗は自分の頭部に向かってくる咲夜のナイフを頭で逸らす事で回避、そして風の軌道によってそのナイフは早苗の後ろを周り、そのままU字状に早苗の周りを動き、その凶刃は再び咲夜に向かわれるが――――。

 

 ――――スパっ!!

 

「――――え?」

 

 自分の頬がかすかに切られたような感触を感じ、早苗は自分の頬を触ってみる。

 ……確かに、血が滲んでいた。

 

「そんなっ……!!」

 

 確かにナイフを避けた筈だ。

 ……なのに、ナイフが当たっていないのに、何故、切れた?

 そして、早苗の風の軌道により、ナイフの凶刃は咲夜に向かわれるが――――、

 咲夜は、そのナイフを、キャッチした。

 

「普通の霊力弾が戻ってくるのは厄介だけど……ナイフのように物理的な物で出来た得物が投げても自分に返ってくるのは結構便利ね。

 ……そのかわり、そう一気には投げれないけれど」

 

 撃った弾幕が風の軌道によって、自分に向かってくるという事は、つまり投げたナイフは自然と向こうからやってくる訳だから、何もせずとも回収できる。

 咲夜は、本来自分にとって不利になるはずの敵の技の効力を逆に利用しているのだ。

 しかし、それでも一気に大量のナイフを投げてしまえば、その分も自分に返ってくるので、さすがに一気に十何本ものの飛んでくるナイフを、時を止める事ができない状態で回収する事は難しい。

 ……つまり、一度に投げれる本数は限られている。

 咲夜にとって劣勢である事に変わりはない。

 

「さあ、今度は三本よ。避けても何故か切れるナイフ。――――貴女に私の小細工が見破れるかしら?」

 

「小細工、ですか?」

 

 咲夜は、また両手に三本持ったナイフを、また早苗に投げる。

 この風の中――――しかも早苗の弾幕が飛び交っている中で、そういう芸当ができる事自体が神業だ。

 伊達に彼女は瀟洒なメイドなどと名乗っていない。

 彼女の能力を封じる事で勝率を上げたことは及第点だが、それだけでは終わらないのが、紅魔館のメイド長こと――――十六夜咲夜である。

 

「くっ!!」

 

 何とか咲夜の“小細工”を見破ろうとするが、如何せん事に、早苗にも時間は限られている。

 咲夜の能力を固有結界によって封じたはいいものの、力の大半はソレに回しているため、小細工を一刻も早く見破ろうとする焦りが、小細工を見破る事を不可能としていた。

 

「避けてばかりでは分からないわよ。もっと見なさい」

 

 ――――よく、見る。

 

 早苗の左脇に、三本の切り傷が入った。

 

「――――っっ!!」

 

 しかし、早苗はここである事に気付く。

 今さっき咲夜が投げた一本のナイフは自分が避けたと同時に、自分の“左”頬が切れた。

 そして今咲夜が投げた三本のナイフは自分が避けたと同時に、自分の“左”脇に切り傷が入れた。

 そして咲夜から見て、早苗がおこした右側の風は早苗の後ろをU字型に回って、左側の風が咲夜のナイフを手元に戻している仕組みとなる。

 つまり――――

 

 ……もう三本の、ナイフが飛んでくる

 

 早苗はそのナイフの――――正確にはナイフの軌道をよくみる、ナイフが通った軌跡を凝視する。

 

「……見えたっ!!」

 

 そして、早苗は咄嗟でお祓い棒で、その視界に見えた何かを――――衝撃波を発生させ、見えた何かを切った。

 

「……本当に、小細工なんですね」

 

 ……気が付けば、早苗の風によって投げられたナイフは咲夜の手元にある。

 

「まさか、私の風をここまで利用するなんて……」

 

 早苗はナイフが飛んできた時に掴んだ何かの正体を見る。

 ……それは、とても細くて、とても鋭利な、鉄の糸――――ワイヤーだった。

 ……そして、咲夜は戻ったナイフにワイヤーが付いていなことから、おそらく早苗は自分の小細工の正体を見破ったと取った。

 

「確かにナイフの柄の部分にワイヤーを付けて投げれば、たとえ私に当たらなくても私の風がその軌道を変えて、ワイヤーが私の体を切る、ですか……。

 まるで何処ぞの切り裂き王子みたいですね……」

 

 ……言って、早苗は自分が起こしていた風を止めた。

 そして手やお祓い棒に霊力を溜めこみ始め、ソレに対抗するように、咲夜もナイフに霊力を溜め始める。

 ……お互いの、眼が交差し合ったとき、第二の火蓋が切られた

 

 まず先手を取ったのは早苗の方だった。

 空中を横に飛びながら、蛇とカエルを模した弾幕を、撃った。

 続けて手に持ったお祓い棒で、放たれた弾幕は凄まじい風を帯びて、咲夜へと向かっていく。

 

「(風を帯びた霊力弾……さっきのようにフィールド全体に風が起こっている訳ではないからワイヤーを使った戦法はもう無理ね……。固有結界にほとんどの力を使っているため、向こうも本気が出せないのが、不幸中の幸いと言った所かしら)」

 

 咲夜はそう言って、ナイフにありったけの霊力を溜め、ソレを三本――――投げた。続けてもう三本ナイフを取り出し、両手に三本ずつ持ち、早苗の弾幕へと突っ込んだ。

 右に持った三本のナイフは霊力を溜めたまま弾幕を斬り――――左に込めた三本のナイフは溜めておいた霊力から、振るう事で斬撃を作り、飛ばす。

 それでも弾幕に纏った風は強いのか、相殺しきれないモノが出てきたときは、ナイフそのものを投げて相殺するより手はない。

 咲夜は七夜ほど、接近戦におけるナイフ裁きは得意ではない。

 いや、咲夜のナイフ裁きは接近戦においても尋常じゃないのだが、七夜のソレとはもはや病的と言っていい程に差がある。

 今度、七夜にナイフでの接近戦の戦い方を教えてもらおうか、と咲夜は考えたが、やはりやめようと思った。

 ……あんな病的なまでの解体技術を習おうなんて誰も思わないだろうし、おそらくアレはソレを極めた彼だからこそたどり着けた地平なのだろう。

 ……そう考えていたら、弾幕の勢いが緩んできた。

 

「(やはり……向こうも本気は出せない……か)」

 

 ならばチャンスは今しかないと、咲夜は判断した。

 ナイフをホルスターに仕舞い、手から霊力弾を咲夜は放った。

 その霊力弾は早苗に直接当てずに、ただ早苗の周りに空中で停止していく。

 

「何を……するのですか?」

 

「こうするのよ」

 

 言って、咲夜は手に持ったナイフを、先ほど放った霊力弾に当てた。

 ……そして、霊力弾に当たったナイフはそのまま跳ね返り、回転しながら早苗へと襲い掛かった。

 

「――――ッッ!!?」

 

 後ろから飛んできたナイフに反応してお祓い棒で弾いた早苗であったが、他に設置された霊力弾にナイフが当たり、跳ね返ってまた早苗へと襲い掛かる。

 

「まだよ」

 

 咲夜から懐からナイフを更に取り出し、次々と霊力弾に投げつけてゆく。

 ――――正にナイフが奏でる狂奏曲。

 咲夜が的確に操る霊力弾により、ナイフは弾かれ、早苗へと襲い掛かり、更にナイフ同士が弾きあう事で、火花が飛び散り、刀身に熱が増す。

 霊力弾で弾かれる度にナイフ自体の速度も加速していく。

 

「くっ、風を起こす暇も、霊力弾を撃つ暇も、ない……!!」

 

 時間が立つごとに威力も速度も熱も量も増してゆく、ナイフの狂奏曲。

 十六夜咲夜は――――能力を封じられたその身でありながら、戦闘の主導権を握っていた。

 ……とはいえ、早苗が本気を出せないというのも大きいが……。

 踊る凶刃たちは、はじかれ度に威力が増し、早苗の身体を切り刻んでいく。

 

「う……ああぁぁ……ッッ!!」

 

 何とか深い切り傷は避けているものの、何度も弾かれたことにより、刀身に帯びた熱が早苗の傷口にじわじわとダメージを与えていく。

 

「こうなったら……!!」

 

 早苗は自分自身を囲むように、四角形の結界を四面に貼り、その勢いで、彼女の一斉に襲っていたナイフも結界にはじかれ――――そのナイフの狂奏曲は崩れていった。

 

「――――ちっ……!!」

 

 咲夜は僅かに舌打ちをし、早苗の周りに設置した霊力弾を消す。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っっ!!」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 ……両者の、息が乱れた。

 

 早苗は、固有結界による霊力、および妖力の消費。そして、ナイフの猛攻によるダメージで……。

 咲夜は、霊力弾を遠距離から手動で操り、その時に要した霊力、そして集中力は半端な量ですまされなかった。そして何より、不利な状況で何とか主導権を握っているだけであり、『時』を封じられることは、彼女にとっては少しキツいハンデだ。

 

 ……そして、咲夜の懐に、ナイフはもう数本しかない。

 

 ――――両者に沈黙が流れたその時、空間が歪み始めた。

 

「うぅ……っ!!」

 

 途端に、早苗が悲鳴を上げながら苦しそうにするが、何とか踏みとどまった。

 

「まだです……もう少し、持たせてみせる……!!」

 

 ……そう、早苗の固有結界も限界が近付いていた。

 元より、固有結界を長時間保てるほどの霊力を持たない早苗は、今まで退治してきた妖怪たちから奪った妖力で補うことで、何とかここまで持ち応えものの、所詮は小さいき個人が作り上げた擬似・固有結界。

 しかもその状態で、紅魔館のメイド長との戦闘だ。

 

「私はもう長続きはしません。一気に……終わらせますっ!!(霊力も妖力も残り僅か……!! 固有結界ももう持ちそうにない……これで決めるしかない!!)」

 

「そうね。だけどその”(ナイフは残り九本、ワイヤーは残り十本、霊力もあと僅か……弾幕用の小ナイフは時を止めて設置しないと威力は発揮されないから除外……これらに全てを賭けるしかない……!!)」

 

 両者はお互いに自分の状態をそれぞれ確認し、そして、碧と紅の瞳は交差し合った……!!

 

「これで……決めるっ……!!」

 

 

 

 

 

――――秘法「九字刺し」――――

 

 

 

 

 

 早苗は最後の渾身の霊力を使い、ソレを放った。

 本来スペルカードで行われる筈のソレは、早苗がもつ限りの威力を高め、更に左右上下に張り巡らされた格子状は、スキマを限りなく小さくし、視界を覆い尽くす程の粒弾が咲夜を襲う。

 更に格子状のレーザー自体も動きながら、咲夜へと襲いかかってきた。

 

「来る……!!」

 

 決意を固めた咲夜はそう言い、赤い瞳に強い意思を宿して、両手に三本ずつナイフを持ちながら、早苗へと迫った。

 まず襲いかかってくる格子状の――――レーザーとレーザーの僅かな間を潜る。

 それと同時に――――粒弾が彼女に被弾。

 メイド服の一部が破れ、く、と痛む彼女だが、堪え、再び早苗を見据えて、突進する。

 

 ……そして、もはやくぐれるスキマもない格子状のレーザー

 

 咲夜はソレを手に持った三本のナイフにありったけの霊力を込め、切る。

 ……同時に、ナイフに亀裂が入る。

 一つは霊力を刀身に溜めすぎたことによる、刀身への負担。二つ目はレーザーの固さによるものだ。

 使い物にならなくなった三本のナイフを咲夜は捨て――――懐からまた三本のナイフを取り出す。

 ……ナイフは、残り七本。

 必死に僅かな間を潜り、多少の粒弾に当たり、ダメージを負うものの、レーザーを喰らうよりかは随分とマシなほうだ。

 次々と迫ってくる格子状のレーザーを潜り、多少の榴弾に当たりながら、次の関所へと迫った。

 極太のレーザーが3重にも重なって――――咲夜の行く手を阻む。

 

「邪魔――――するなぁっ!!」

 

 咲夜は叫び、両手に持った六本のナイフの刀身にありったけの霊力を溜め、ソレに対応する。

 そして、レーザーとナイフはぶつかった。

 

「はああぁぁぁ……っっっ!!!」

 

 ……ビキビキ、とナイフに亀裂が走っていくが、レーザーにも切れ目が入ってゆく。

 ナイフが砕けるのが先か……それともレーザーが切られるのが先か……。

 

 ――――ばりんっ!!

 

 ナイフが砕けると同時――――レーザーもまた切断された。

 

 ……ナイフは残り一本。

 

 残り一本となったナイフを懐から取り出し、再び空中を駆ける咲夜。

 残り一本となった得物で粒弾を一々切っていては、おそらくナイフは次のレーザーを切る時に持ってはくれないだろう。

 だから――――迫ってくる粒弾は、当たっても我慢した。

 

「うぅ……ああ……っっ!!」

 

 悲鳴が、上がる。

 ――――それが、何だ。

 必ず、七夜の元にたどり着いて、彼を、記憶が戻るまで紅魔館の執事にして――――約束を果たすのだっ……!!

 ……最後の行く手を阻むレーザーと、渾身の霊力を貯めた銀のナイフが激突。

 銀のナイフは砕き散り、レーザーもまた両断される。

 

 ……ナイフはもう手元にない。

 

「く……っ!!」

 

 眼前にはありったけの霊力を使って結界を貼った早苗の姿。

 結界に施された”拒絶”の術式を持って咲夜に止めをさすつもりなのだろう。

 結界で止めを刺そうとするあたり、殺すつもりはないようだが、得物がなくなった咲夜に手段は残されてなど――――いない。

 

 ――――どうすれば……。

 

 考えろ。

 まだ結界まで距離はある。

 

 ――――考えろ。対抗手段は必ずある。

 ――――考えろ、あの日の約束を果たすのだ。

 ――――考えろ、七夜があの少年であるのなら、“七夜の短刀”を返す……。

 

「――――あ」

 

 咲夜はメイド服のポケットの中にある鉄の棒を確認する。

 ――――そうだ、まだ七ッ夜があるっ!!

 咲夜はポケットから「七ッ夜」と刻まれた黒い鉄の棒を取り出す。その端にある小さいボタンを押した。

 シャキ、という音を立てながら、棒から五寸ほど刃物が飛び出しくる。

 

「これなら――――」

 

 言って、咲夜は眼前の結界へと集中する。

 

「……悪いけど、しばらく眠ってもらうわ」

 

「ソレは、コチラのセリフですッ!!」

 

 両者は相対する。

 ――――一人は、昔した約束のために……。

 ――――もう一人は、眼の前の知り合いの眼を覚まさせるために……。

 

 早苗の結界と、咲夜の七ッ夜が、ぶつかった。

 

 咲夜は七ッ夜の刀身そのものに霊力を宿さず――――ただ切っ先のみに渾身の霊力を集め、早苗の結界へとぶつける。

 七ッ夜の頑丈さは折り紙つきだ。

 わざわざ刀身そのものに霊力を貯めなくても、切っ先に一点に霊力を集めた方が、結界を破る勝率は上がる。

 

「「ハアアアアアアアアァァァ……ッッ!!!」」

 

 両者は覇気の声をあげながら、お互いの想いをぶつけ合う。

 

 ――――結界が七ッ夜を弾き、早苗が勝つか。

 ――――七ッ夜が結界を突き破り、咲夜が勝つか。

 

 霊力と霊力の衝突により、衝撃波が二人の間に殺到するが――――二人の意思は、ソレに負けることはなかった。

 ただ、お互い、向き合うのみ。

 そして――――

 

 ――――バリンっ!!

 

 ……咲夜の七ッ夜が、早苗の結界を突き破った。

 

 

 

 

 

 

 手に持った七ッ夜が早苗の結界を破ったと同時――――ソレを眼した早苗は、優しく微笑んで、眼を閉じた。

 霊力も使い果たしたのか――――疲労に満ちた、それでいて安心感を漂わせる表情を私はただ優しく眺めた。

 突き破った七ッ夜はあの激突の後であるというのに――――亀裂どころか、傷一つ、いや刃こぼれすらしていない。

 ……七ッ夜の頑丈さに私は呆れつつ、地へ落ちてゆく早苗の身体を私は抱いた。

 

 ――――ぼす、という軽い衝撃が、両腕に走る。

 

 ……早苗を抱いたまま、私はゆっくり地へ約束したと同時――――空間が歪み、周囲にヒビが入ってゆく。

 

 ――――ビキビキ……。

 

 まるでガラスが割れるような音を発しながら、背景にヒビが入っていった。

 

 ――――バリンッ!!

 

 そして割れたと同時、見覚えのある風景が私の眼前に広がったと同時――――上空から、押しつぶされるような錯覚を感じた。

 ……ザァーザァー、と私の頭上に落ちてくる。

 

「近いと思っていたけど……大降りね」

 

 自分達は早苗の固有結界の中で戦っていた為、外界の天気の変化に気づけるわけなどない。

 私はしばらく雨に当たりながら曇天の空を眺めるが――――

 

「……こうしている場合じゃないわ。早く、七夜を――――」

 

 私はそう呟き、時を止め、周りに落ちているナイフを回収する。

 早苗の固有結界が解かれたことにより、私の時を操る能力も戻ってきたらしい。

 ……砕けてしまった物以外のナイフを回収した私は、ゆっくりと森林の方へ振り返る。

 

 ――――とてつもない、霊力が、あの森から感じられた。

 

「あそこね……」

 

 言って、私は倒れている早苗に振り返る。

 

「……ごめんさない」

 

 そう一言、言って私は再び森に振り返った。

 おそらくあそこで、七夜と霊夢が戦っている。

 ……七夜の実力では霊夢に敵うかどうか……。

 

「……間に合って」

 

 疲労に満ちた身体を浮かせながら、霊力を感じるところへ向かった。

 ……ザァーザァー降ってくる目障りな雨に当たりながら、私は森の中へと急いだ。

 

 

 

 

 

「行きましたか……」

 

 ザァーザァーと目障りな雨に当たりながら、倒れている私は、森の中へ入ってゆく咲夜さんを見送り、そう呟いた。

 はぁ~、とため息を付き、曇天に包まれた空を見上げた。

 

「負けちゃったなぁ……」

 

 顔面にあたってくる雨を見つめながら、私は思い返した。

 能力を封じれば、勝てるなんて思い上がり、守矢の巫女としてはあるまじき事だ。

 心象風景の具現に至らないものの、固有結界としては機能する、擬似・固有結界を使って、咲夜さんを外界から閉じ込めることで、外界に働きかける咲夜さんの能力を封じたはいいものの、未熟者の自分は、どんどんとその霊力や妖力を、固有結界を維持するのに持って行かれてしまったのだ。

 

「……だけど、いいや」

 

 眼を瞑り、笑いながらそう呟く。

 不思議と、悔いはない。

 ……むしろ清々しい気分ですらある。

 咲夜さんは騙されていたとか、操られていたとかじゃない。

 咲夜さんの眼からは、きちんと咲夜さん自身の意思と、咲夜さんの想いが宿っているのを、あの瞬間に感じた。

 ……私の結界と咲夜さんのナイフがぶつかった時、咲夜さんの眼は、確かに咲夜さん自身の意思がはっきりと伝わってきた。

 お互いの想いをぶつけることができた満足感に、私は笑ってしまう。

 ……番長物のドラマや漫画で、番長同士が原っぱで喧嘩した時の気持ちってこんな感じでしょうか。

 

「きっと……そうですよね」

 

 彼らは喧嘩した末に、原っぱで力尽き、ソレで最終的には笑いながらお互いを認め合う。……その時の気持ちはとても清々しいものだ。

 現人神である以前に、人間である私は、そんな事に少しだけ憧れてもいた。

 私と咲夜さんの場合は少し違うけど、ちょっとだけ近いのではないのかと思ってしまう。

 ……そう思うと、痛快で仕方ない。

 

「そういえば、あの男の人……咲夜さんの何だろう?」

 

 ふと、森林の方に眼を向け、私は思う。

 ……咲夜さんをあそこまでさせる何かが、あの男にあるというのだろうか?

 

「まあ、私が知る術も、ありませんか……」

 

 そう言って、曇天に再び私は微笑んでみせる。

 

「しばらくしたら動けるようになるでしょうし……それまでこの雨にでも当たっていましょう」

 

 ……たまには、雨に濡れるのも……悪くはありませんよね?

 




補足説明
・早苗の固有結界
今回、作られた早苗の固有結界は、心象風景の具現化に至らない、擬似・固有結界と言ったところ。本当に心象風景を具現化させるには諏訪子と神奈子の力を借りるか、もしくは早苗自身がもっと精進しなければいけない。
 しかし、それでも固有結界としては機能し、”外界”から独立できる役割は果たしている。

・咲夜さんの能力
咲夜さんの能力が封じられた原因は、固有結界に閉じ込めれたことによるもの。”外界”に働きかけることによって『時』を止める咲夜さんの能力を封じるには、”外界”から独立した世界に閉じ込めてしまえばいいと早苗が思い至った結果である。


 第九夜、如何でしょうか?
 東方、型月ともににわかな俺が必死に頑張ってもこの程度ですね……www

 次回、「第十夜 『浮遊』する巫女と『死』を見る殺人貴」、お楽しみにっ!!


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第十夜 『浮遊』する巫女と『死』を視る殺人貴

先に謝ります。
霊夢ファンの皆様、ごめんなさいっ!!(土下座)

後、一部空の境界の描写をパクっている所がありますので、そこの所をご了承ぐださい。


 ――――頭が……痛い。

 ――――脳髄が溶けてしまう程……熱い。

 ――――寒気が……する。

 ――――視界がおかしくて……目眩がする。

 ――――息が、苦しい。

 ……だが、それ以上に――――昂揚、歓喜、狂喜する……ッッ!!

 

「ク……アハハハッッ……!!」

 

 ――――ああ、世界に死が満ちている。

 何も考えられない。何も見えない。何も感じない。……もう、何の感覚も分からない。

 ただ……手に届くことない最高の獲物との殺し合いを楽しむ

 ――――否、ソレは殺し合いというにはあまりにも一方的すぎた。

 ……視界を埋めてしまう程の弾幕。

 七夜はソレを木と木の間を跳びながら、時には空中をも高速で蹴り、回避し、ソレでも避けきれぬモノはナイフで受け流し、時には魔眼で“殺”してゆくものの、数々の弾幕が彼の身体を掠め、ソレが徐々に彼の体力を奪ってゆく筈である。

 ――――しかし、男は笑っていた。

 殺し合いとは、互いに殺すべきであると。

 殺し合いとは、互いに命を奪い合うべきであると。

 殺し合いとは、互いに傷付けあうべきだと。

 ……しかし、これまで一度たりとも彼の凶刃が眼の前の巫女に届くことはなかった。

 ――――それでも、男は笑っていた。

 身体に疲労が溜まり、身体に傷が増え、身体も限界に近づいている。

 ――――それでも、男は笑みを深くしていった。

 

「楽しい、楽しすぎだってあんたっ!!」

 

 ――――男は楽しげに、そして愉しげに笑う。

 本来、人が生きられる隙間など存在しない筈の弾幕を、蜘蛛の如き動きで、獣以上の速さを持って、木と木の間を交互に跳び、時には弾幕の“死”をなぞり、受け流す。

 ……そしてなお、男はその行為をしていながら、その眼はずっと己の獲物を見定めていた。

 ――――果たして自分はアレを殺れるのだろうか?

 ――――あの美しくて、綺麗で、強かな女をこの手でバラせるのだろうか?

 ……ソレを考えたら、限界に近づいている筈の身体が何故か弾けて、動いてしまう。

 ……この豪雨の中でも、この弾幕の中でも、彼は獲物の姿を見続けた。

 今も彼は彼女に惚れている。

 最高の獲物として、殺したい程に……彼女という存在に恋焦がれていた。

 

「届けてみせるさ。この刃を、想いを、手向けの花を、あんたに――――」

 

 弾幕を避ける事に集中していた男――――七夜はそう呟くと、豪雨の中を駆け出した。

 弾幕を切りながら、獲物――――博麗霊夢の真下を通過する。

 蜘蛛のような低姿勢で、草に隠れ、地を這いながら、それでいて左右にぶれながら速度を落とさずに、風の如く駆ける。

 ……そして、七夜がソコに踏み入れた瞬間、ソレは発動した。

 七夜の周囲に――――博麗の御札が短冊状に付けられた縄が十本、七夜の周りに出現し、七夜を捉えんと殺到する。

 

「……ああ、罠か。これまで四十近く“殺”してきたつもりだったんだが……まだあったのか」

 

 まるで狩猟用の罠のように七夜を捕らえんとする罠形の術式。

 ……罠にかかった狼は、そのまま捕らえられるのみ。

 

「……だけど、もう慣れたよ」

 

 七夜は一番最初に飛んできた縄に走っている“線”を切り、そして他の縄が彼を捕らえる前に、彼は地面にナイフと突き立てる。

 ……ソレはこの縄を発動させる術式の“死点”だった。

 ナイフが縄に突き立てられると同時、殺到していた縄が、ソレに連動するように消滅していく。

 

「ソコね……」

 

 同時に、何処からか声が聞こえる。とっさに七夜は後ろに、七メートル後退。

 七夜がいた所には、無数の御札が地面に刺さっていた。

 ……息をつく暇もなかった。

 

「蹴り穿つ……っ!!」

 

 七夜は地面に着地すると同時、身体を反転させ、虚空に向かい六度の蹴り上げを放った。

 ドン、という手応えを感じた。

 

「――――っ!!?」

 

 その手応えともに、影は再び『浮』き、また元の位置へワープした。

 

 ――――コイツ、なんで止まらないのよ……!?

 

 七夜を一度見失った霊夢は、自分が仕掛けた罠の術式が発動した事で即座に七夜のいる位置を特定し、そこにワープし、後頭部からかかと落としを見舞ったはずなのに、相手はそれすらも予測していたかのように反撃してきたのだ。

 霊夢は戸惑っていた、焦っていた。

 今、現状においては彼女が圧倒的に有利な筈なのに、何だこの恐怖は、この焦りは、この戸惑いは。

 少女との戦いで七夜はもう、身体的にも、精神的にも、限界が来ているはずだった。

 しかし、彼に反撃された時に彼の顔から垣間見えたのは、絶望でもなく、疲労でもなく、“笑み”だった。

 無論、一度夢想転生を解いての攻撃だったので、十分相手の反撃が自分に届いても物理的にも間合い的にもおかしかくはないのだが、ソレでも異常だった。

 ……それどころか、今は相手の刃が自分に届くはずのない状態であるというのに……あの“蒼い眼”が彼女に悪い予感を走らせるのだ。

 たとえ彼の刃が届いた所で、触れられる事は叶わない。

 ……なのに、あの“蒼い眼”を直視すると、何にも干渉されないはずの自分に嫌な予感を走らせる。

 

「ああ、ようやくだ。ようやく届いたな」

 

 そして彼は蹴りが、自分の想いが、彼女に触れたことに歓喜する。

 その蹴った感触を確かに感じ取り、そして忘れなかった。

 ……ああ、今、確かに届いた。

 自分の蹴りが、あの女に届いたのだ。

 

「まあ、届いたと言っても足だけだが……」

 

 ――――だが、次はこの刃を“死”に走らせてみせる。

 七夜は雨に滴れている己のナイフの刀身を眺め、その淨眼の蒼を一層深めながら、ふたたび木と木の間を交互に跳び始める。

 ……そうだ、自分はただ『殺す』だけ。

 ソレ以外にできる事なんて存在しないし、元よりこの身はそれだけしか取り柄のない出来損ないであり、人でなしだ。

 ……だから、そんな人でなしが眼の前の最高の獲物を逃す事など、ありえないのだ。

 霊夢の眼前にある木を蹴ろうとする七夜。

 霊夢も七夜が蹴ろうとする木を特定し、弾幕を撃つ用意をするが――――ソレはフェイク。

 七夜は即座に蹴る対象を木から、今この場にいる空中に切り替える。

 幻想指輪で足場を“幻想”し、そこから直線距離で霊夢へと突っ込んだ。

 

「――――ッッ!!?」

 

 突如、霊夢の予想を裏切る正面からの奇襲。

 霊夢の漆黒の瞳と、七夜の蒼の魔眼が相対する。……霊夢は呆れと焦りを抱きながら、……七夜は興奮し歓喜しながら。

 ……この距離では弾幕を撃ったところで消されてしまう。ならば、どの道相手の刃が自分に触れられないので、何もしないのが一番。

 ……しかし、霊夢の勘はあの凶刃を避けろと告げる。

 そして、七夜の凶刃がたどり着く直前に、霊夢の姿が――――消えた。

 

「やれやれ、また瞬間移動だなんて……これじゃあ、拉致が開かない。アプローチがきかない程つらい世の中なんてないね、まったく……」

 

 そう呟き、七夜は慣性を無視し、地へ急降下。

 そして七夜がいた所は結界で覆い尽くされた。

 ……あと一瞬でも遅れていれば、束縛結界が彼を捕まえ、その命を奪う所であった。

 

「ああ、なんて愉快ッ!!」

 

 それでも尚、愉しげな笑みが消えない七夜。

 元より修羅に身を投げた男――――生の実感よりも死を体験してきたこの男にとって、今この瞬間こそ生きているのだと実感しているのだろうか?

 ……ふと、七夜は霊夢が言ったことを思い出す。

 彼女は、自分のことを“死人”と言った。

 ――――ああ、そうかもしれないな。

 七夜は、今なら彼女が自分が死者と言っていたことが納得できた。

 この世界で眼が覚めた時から、なんとなく自分が出来損ないであることを感づいていた。

 そもそも以前の自分を知らない彼にとって、以前の自分とはどのようなものだったかと、この世界で目覚めてから何度か思った。

 きっと今のように殺し合いに明け暮れていただろうか、と思い続けたが、今思えばソレは違うような気がする。

 記憶を失う以前の自分は、本当に今の自分だったか。

 ソレを確認する術をもう彼には存在しないが、以前の自分が今の自分と違い、真っ当な人間であったとしよう。

 以前の彼が何らかの形で死を遂げ、ソレで何らかの要因で生き返ったと仮定しよう。……一度壊れた魂はもう元には戻らない。

 一度破損した機械が、壊れた部品を拾い集めて再構築されたモノ……ソレは元のままの機械と同じであるか、という例えで言えば分かりやすい。

 

「フフフ、アハハハ……」

 

 その考えにたどり着いた瞬間、七夜は自嘲の笑みを翻た。

 ――――そうか、自分は所謂、“ジャンク品”――――壊れ物という事だ。

 歯車は壊れ、砕き、もう二度と噛みあわない。

 そうなれば、後は戦い、殺し合い続けることでしか己を見い出せない。

 

「なら……とことん狂ってみせるさ。この刃が――――あんたの“死”に届くまで――――」

 

 その為ならば、修羅、出来損ないは愚か――――“餓鬼”にすら、成り下がってみせよう。

 ソレで己の意味を見い出せるのなら、いや見いだせなくても自分にはそうする事ぐらいしかできないのだから……。

 

「いい加減……止まってよッッ……!!」

 

 霊夢は困惑していた。

 これだけ追い詰められておきながら、木々を通してくる強烈な殺気は尚増しつつあり、ソレは敵がまだ己を殺す気でいるという事を暗に示していた。

 霊夢は過ちを犯してあり、霊夢自身もソレは十分に承知していた。

 ……この森林は視界が悪く、しかも日光を僅かにしか通さない。その日光でさえも、豪雨を降らす曇天によって遮られ、実質、月の明かりすらない“夜”に等しかった。

 ソレは、相手にとっては有利な場所であり、自分はソコに誘い込まれた。

 木の上まで逃げてしまっては、しつこいまでに根付いた木の葉が森の上空から彼の姿を隠してしまう為、実質的に彼の空間であるこの森という“蜘蛛の巣”で戦わなければいけない事を。

 おまけにこの豪雨の中では、ただでさえ視界の悪い森も、更にその視界の悪さを増幅させた。

 ……どれだけスペックがこちらの方が上であろうと、戦う者としての能力は彼の方が上であることを、霊夢は思い知らされていた。

 

 ――――それでも。自分の方が、強い。

 

 ソレは彼女の思い込みでも何でもなく、覆しようのない事実。

 男の服はボロボロ、所々から血を流し、更に雨によって体力も徐々に奪われ、精神的にも肉体的にも限界の筈である。

 それに比べて、彼女には傷は一切見られぬどころか、疲れすらも見られない。

 おまけに『浮』いている彼女に、彼の刃は通らない。

 いや、彼の直死の魔眼があれば切れるが、そもそも彼はその状態の霊夢の“死”を理解するのに、多大な負担を脳にかけ、その時点で体力の半分はソレに奪われた筈なのだ。

 おまけにこの森林に入る前の戦闘で、右腕の骨に亀裂が入り、さらに肋骨を二、三本イってしまっている。

 ……それでも、彼の殺しへの“執念”は彼の身体を止める事をよしとしていないのだ。

 “生粋”の殺人鬼は、ただ霊夢という届かぬ極上の獲物を求めて、その“死”を断たんと、迫る。

 その殺気は今まで感じていた殺気とは、“質”が違った。

 紅霧異変の時に、吸血鬼のレミリアから感じた自分を見下す高圧的な殺気とも違う。

 春雪異変の時に、西行寺幽々子の従者・魂魄妖夢の、主を守らんとその剣を振るう美麗な殺気ともまた違う。

 ――――“生粋”の殺人鬼としての、単純で、他の意が混じらぬ鋭くて、純粋な殺気。

 圧倒的に自分の方が有利な筈なのに、それでも霊夢は自身の背中に伝わる恐怖を拭えることができなかった。

 元より、純粋な殺し合いを体験した事など彼女はないのだ。

 彼女の方が圧倒的であるとはいえ、相手の殺意がソレであれば、その恐怖を拭える筈もなかった。

 『空を飛ぶ程度の能力』。世界の理さえも拒絶する究極の一手。

 その極地とも言えるのが、彼女の固有結界「夢想天生」である。

 己の身体そのものを『空を飛ぶ程度の能力』の固有結界とし、存在そのものを世界の理から拒絶させる――――解脱に至るものの極致と言っても過言ではない。

 ……しかし、物事には何事も“終わり”が存在する。

 “始まり”があるからこそ、“終わり”がある

 ソレは世界の理以前に、その物事が存在した時点で決められる事だ。

 故に、彼女の勘は感じ取るのだ。

 ……自分という“世界”すら殺しかねないあの蒼い眼を見て、彼女は無意識に自分の“終わり”を感じ取ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

――――夢想封印・瞬――――

 

 

 

 

 

 不可視の霊力弾

 八つの不可視の大玉は、普通の夢想封印と同じように、敵を執行に追尾する機能が付属されており、更に相手のスピード、動きに合わせて、それ以上の機動力をたたき出しながら飛んでいく。ソレでいて高威力。

 受ける側からすれば、逃れようのない必殺技。

 そして、不可視の光弾は、男を捉え、殺到していく。

 しかし、七夜は骨に亀裂の入った右手をそのままに、左手に持ったナイフを光弾の数に合わせて八回振るっただけで霊夢の“夢想封印”を無効化した。

 いや、殺した。

 

「――――ッッ!!?」

 

 その光景に霊夢は驚く。

 ――――やはり、視えている。

 消滅させる以前に、視えていなければ対処がしようのない事は覆しようがないので、十中八九、敵は自分の不可視の技が視えている。

 ……だが、おかしい。

 たとえ視えた所で、唯のナイフで消滅させられるような代物ではない。

 ――――能力。

 その結論に至るまでに時間は掛からなかった。

 だが、ソレがどんな能力かを考えている余裕など、向こうは与えてくれない。

 

「殺す」

 

 男が眼前に迫る。

 霊夢は至近距離から弾幕を見舞い、仕留めんと、霊力を前方に放つ用意をしたが――――七夜の姿が消えた。

 

「――――ッッ!!?」

 

 その時、どくん、と感じる嫌な予感。

 感じることも、見えることもなく、霊夢はただ己の勘に流されるように自然に体を後ろへ向け、霊力弾を放った。

 ――――ドォンッ!!

 ……同時に聞こえる、被爆音。

 ――――バキィ、ゴキュリッ!!

 ……同時に聞こえる、骨が粉砕する音。

 霊夢が至近距離から放った霊力弾は七夜の右腕の骨を容赦なく砕き、神経をズタズタにした。

 ――――が、七夜はただ己の右腕を盾にしたに過ぎなかった。

 七夜の右腕から噴き出た血が、霊夢の視界を遮った。

 

「――――ッッ!!?」

 

 瞬間、霊夢の勘が避けろと告げた。

 まただ。相手は自分に触れられない筈なのに……拭えぬ嫌な予感が自分の肌に付きまとい、汗となって流れる。

 霊夢は無意識に『浮』いた体を、右に逸らした。

 ……瞬間、霊夢の視界を覆っていた血しぶきを突き抜けるかのように、雨に濡れた凶刃が霊夢のすぐ左を通る。

 

「ちっ!!」

 

 同時に聞こえる舌打ち。

 七夜は霊夢のすぐ横を通り過ぎ、悲鳴を上げる右腕を抑えながら、空中に幻想した足場で受け身を取る。

 ……彼の右腕はもう、使いモノにならなくなっていた。

 

「消えてっ!!」

 

 同時に放たれる八つの色とりどりの大き目の光弾。

 ……おそらく、これが当たれば、決着がつく。

 そう信じていた霊夢の期待を裏切るかのように、七夜は無惨になった右腕を気にすることなく、八つの大玉を――――“殺”す。

 

「――――なッッ……!!?」

 

 今度こそ霊夢は驚きを隠せなかった。

 潰された右腕の痛みは尋常ではない筈なのに、七夜はソレを気にせず、自分の弾幕をナイフを振るって相殺してみせたのだ。

 ……気が付けば、七夜の姿はもうない。

 また、何処かの木陰に逃げ、身を潜めているようだ。。

 自分に襲い掛かる気配が一時的になくなった事を感じた霊夢はハァ、とため息を一息ついた。

 

「――――なんて――――」

 

 やつ、と霊夢は漏らす。

 霊夢は神経質に周囲の闇に気を配る。いつ、その中から七夜が飛び出し来るか分からない。

 霊夢は自分の左頬に手を当てた。……今の出来事で、自分の左頬に傷が出来ていた。四ミリほどの傷は、けれど出血はない。

 ……傷と言えるかどうかもあやしいが、それでも自分が相手に傷つけられたという事実に霊夢は恐怖する。

 ……彼の蒼眼と相対する度に付きまとっていた嫌な予感は、かくして的中どおりだった。

 だって、『浮』いている自分に傷をつけたのだ。

 その事実に、霊夢は今までかすかに感じていた恐怖が確かなものになっている事を感じた。

 

「腕を潰したのに、どうして――――」

 

 止まらないのよ、と。その疑問から来る恐怖に耐えられず、霊夢は呟いていた。

 今の一瞬が、忘れられない。

 右腕の骨を砕かれたにも関わらず、なお走ってくる七夜の目が。

 愉しんでいた。この、今さっきやっと左頬にナイフを掠められた程度で他は傷一つ付いていない自分を前にしても、それでも彼は、愉しげに笑っていた。

 もしかすると――――七夜にとっては、腕が潰された事は苦しみではなく喜びなのかもしれない。

 ここまで来て、霊夢はようやく確信に至った。

 あの男は殺し合いが好きなのだ。その状況が極限であれば極限であるほど、七夜は歓喜する。

 

「退治……いや、殺さなきゃ」

 

 ここまで来て、霊夢はようやく決意を固める。

 あの男の息の根を、ここで止めなくてはならない。

 いや、息の根を止めるぐらいでは駄目だ。

 全身をこなごなにしてもう二度と“死者”として復活せぬよう、己の手で木端微塵にしなければならない。

 そう決意した霊夢は、再び周囲の闇に気を配った。

 

「――――今のはまずいな」

 

 大木の陰に隠れて、七夜は豪雨に打たれながらぽつりと呟いた。

 森の中に入る前の一戦で、隙間のない弾幕を斬りはらう事に使った右腕の骨には亀裂が入り、使い続ければその内支障が出かねないのでいっそ盾にしてしまおう、と今の一撃に賭けたのだが、博霊霊夢の勘が思っていたよりずば抜けていた、という事実に失敗してしまった。

 七夜は執事服の上着部分を取り、そこから所々が少量の血に滲んだ白いYシャツが露わになる。

 薄いYシャツを通して、伝わる雨粒の凄まじい当たり様に寒気を感じたその時――――。

 

「七夜ッ……!!」

 

 前方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 七夜は顔を上げ、その声の持ち主を確かめる。

 

「おや、メイド長。こんな雨のいい舞台に何か御用ですか?」

 

 七夜はワザとらしい、芝居じみた声で、目の前の存在に問いかける。

 そこには――――雨に濡れたメイド服を着ながら、心配そうに慌てながらコチラを見る十六夜咲夜の姿があった。

 

 

 

 

 

 

「うっ……!!」

 

 ……あの巫女との戦いのせいで、全身がきしきしと痛む。

 メイド服も少し破れてしまい、身体の一部からも出血しているようだ。

 今は宙を浮きながら、豪雨が降り注ぐ森の中を急いで飛ぶ。

 霊力が感じる方向へと急ぐ。

 時を止めてから移動しては、霊力を感じる事ができなくなり、七夜と霊夢の居場所の特定できなくなる。

 

「お願い、間に合って……!!」

 

 そう木霊しながら、私は木々のヴェールを駈ける。

 周囲の木々をよく見ると、博霊の御札が所々に突き刺さっており、さらに霊力弾によって抉られた後がある。

 霊夢の霊力弾や、博霊の御札による弾幕を食らって尚、その形を保ち、生き続け、立ち続ける大木に感心すべきか、それともソレを気にせずに七夜を探し続ける己に対して呆れるべきなのか考える余裕など、私にはない。

 ……今は、七夜を探さなくては。

 ポケットの中にある七ッ夜を一回覗き、私は再び前を向く。

 うっとおしい豪雨により、視界が安定しない。

 それでも、私は目を真っ直ぐにしながら七夜を探し続けた。

 ……途中で、数々の妖怪が襲ってくる。

 

「邪魔よッッ……!!」

 

 そう言って、妖怪たちの額に一匹ずつ、ナイフを投げる。

 ……妖怪たちは悲鳴も上げずに地へ落ちていく。

 

「まだ、着かない」

 

 まだまだ距離はある。

 私は森の中を全速力で飛び、疾走する。

 ……ハァ、ハァと息が乱れる。

 ……体中に流れる汗は、降り注ぐ豪雨によって洗い流される。

 それでも、速度を緩めずに、私は木々のヴェールを飛び続ける。

 そして――――

 

「あ――――!!」

 

 この雨が降り交う闇森の中で、その一つの人影があった。

 所々に少量の血が滲んだ白のYシャツ。

 そして手元には敗れた執事服の上着がある。

 そして、漆黒の髪と、この闇の中で赤みを帯びた蒼い眼光を目から放つその人影はあった。

 間違いない、アレは――――

 

「七夜っ!!」

 

 七夜をすぐさま発見した私は、すぐに血に降り立ち、七夜の元へ急ぐ。

 木に背中を付け、無様に崩れ落ちている七夜は、私の姿を見るや否や、こうその口を開いた。

 

「おや、メイド長。こんな雨のいい舞台に何か御用ですか?」

 

 七夜はワザとらしく、芝居がかった口調で、口元に笑みを浮かべながらそう言った。

 ……こんな時に何悠長な事を言ってるのよコイツはっ!!

 

「いやいや、不甲斐ない姿を見られたな、まったく。これじゃあ、あの肉屋の親父が言っていた最低記録と並んじまう」

 

「そんな事言ってないで早く治療を……っっ!!」

 

 そう言って、私は懐から包帯を取り出す。

 そして治療しようとする私だが、ソレを止めたのは七夜だった。

 

「……七夜?」

 

「悪いが殺し合いの邪魔だ。観客に身を甘んじるのなら結構だが、邪魔するのなら……殺すよ?」

 

「そんな事言っている場合じゃ……っ!!」

 

「うるさい、今いい所なんだ。邪魔するのなら、まずお前から……バラすぞ?」

 

 その殺気に――――動けなくなってしまった。

 お嬢様の他者を見下す高圧的な殺気とも違う。

 美鈴のように主を守らんと拳を振るう殺気とも違う。

 その蒼い眼は正に、研ぎ澄まされた刃物そのものだった。

 体中は血に濡れ、限界が来ているというのに、この男は――――七夜はまだこれほどの殺気を放つというのか?

 感じ取ってしまった。

 七夜が“生粋”の殺人鬼なんだと。

 

「――――さて」

 

 七夜はそう言うと、手元にある執事服を足と地面に挟み、さらに端を口で掴んだ。

 よく見れば……七夜の右手はもうつぶれており、神経がズタズタだった。

 七夜は左手に持ったナイフで、執事服の上着の一部を切断する。

 

「何、するの?」

 

「決まってるだろ。こうするんだよ」

 

 七夜はそう言って、左手に持ったナイフを握る。

 ……まさか――――

 七夜はナイフを思いっきり振る、そして何を切ったかと思えば――――

 

 ――――彼は、自分の右腕を何の躊躇も、戸惑いもなく、切り落とした。

 

「――――なっ!!?」

 

 そのあり得ない光景に、私は絶句してしまった。

 自分の右腕を、容赦なく、躊躇なく、戸惑いなく、彼は切り落としたのだ。

 ……同時に、大量の鮮血が舞う。

 

「ぐっ……!!」

 

 悲鳴をあげる七夜……しかし、その悲鳴は小さすぎた。

 しかも、その悲鳴の中には喜びの感情も感じられた。

 ……私は、ショックから立ち直れないのか、ソレをただただ見ている事しかできなかった。

 彼は切断した執事服の上着を口で掴み、ナイフを地面に置いて、切断した執事服の上着のもう一方の端を左手で持ち、器用な手つきで、切断した自分の右腕の断面に包帯のように巻き付ける。

 ……そして、彼の切断された右腕の断面からの出血が穏やかになった。

 

「ククク……あははは……」

 

 それでも尚、彼は笑っていた。

 狂気じみた笑いから読み取れる感情はただただ歓喜。

 ……どうして、そんな歓喜していられるというのだ?

 

「いいよ博麗霊夢。お前は最高だ――――」

 

 まるで恋い焦がれているように、愛しいように、七夜は霊夢の名を言った。

 

「決着を付けようぜ。俺があんたを殺すか。ソレともあんたが俺を殺すか……」

 

 七夜は虚空に向かって、そう呟く。

 ……だから、何故そう笑っていらるのだ?

 分からない、理解できない、狂っている、この男は狂っている、いや狂っているとかそういう次元で表せるのか?

 そう考えている内に、七夜はもう立ち上がっていた。

 そして、再び戦地へと向かう。

 ……私はその背中を、ただただ見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 七夜がゆっくりと現れた。

 霊夢は自分の目を疑う

 こんな真正面、距離も随分と離れているのに、と

 

「……やっぱり。正気じゃないのね、貴方」

 

 そうとしか霊夢には思えなかった

 よく見ると、七夜の右腕は切り落とされていた。

 ……おそらく、もう使いモノにならぬと自分で捨てたのだろう

 七夜は跳びだした。まず空中に足場を幻想して蹴り、そしてまた蜘蛛の如き動きで木と木の間を交互に飛び、死角から霊夢を仕留めんと動く。

 ……まるで殺気の塊がそのまま蜘蛛の巣になったような感覚を霊夢は感じる。

 しかし、過程はどうあれ、敵は必ず自分に接近してくる。

 その事実は――――覆しようなく、揺るがない。

 

「――――捜索結界」

 

 霊夢は範囲十メートル以内に、見えない結界を貼る。

 ソレは結界に入った排除対象を認識するための術式結界。

 ……霊夢には、七夜がどこにいるかなど筒抜けだった。

 そして……周囲から感じる殺気とは別の、確かで一番鋭い殺気を、霊夢は感じた。

 後ろを振り向く事はなかった。

 ……手にありったけの霊力を溜め、それでいて迎撃の機会を待つ。

 

「来たわね……」

 

 霊夢は後ろから敵が驚異的なスピードで接近してくるのを……肌で感じた。

 自分の掌を見つめる。

 霊力をありったけに溜め垂れた手の平は、受ければ、妖怪の最強種族と言われる鬼ですら……一撃で倒しかねない。

 ……それほどの威力を持った掌だ。

 耐久力が人間レベルの七夜がソレを食らってしまうえば、跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。

 ――――さあ、来なさい。貴方の居場所は筒抜け、ここで仕留めてあげるわ。

 心の中でそう呟き、霊夢は七夜を待つ。

 ……しかし、七夜の気配が、遠ざかっていった。

 

「――――?」

 

 ――――真下へ、急降下している?

 霊夢は七夜の動きがそう感じ、下を向いた。

 ソコには――――

 

 ――――地面に、ナイフを突き立てている七夜の姿があった。

 

「――――っっ!!?」

 

 その瞬間、異変は起こった。

 七夜が突き刺した地面を中心に、辺り一帯の地面が崩れ始める。

 まるで、既に定められたかのような亀裂が辺り一帯の地面い走り、ソレが崩れ、崩壊してゆく。

 しかし、地面が崩れた所で元より『浮』いている彼女には何ら問題などない。

 そう、あるとすれば――――ソレは一つ。

 

「木々が、倒れていくっっ……!!?」

 

 そう倒れていく大木だ。

 大木によって直接、潰される事はないものの、大木が自分をすり抜ける瞬間に、自分の視界が遮られてしまう。

 次々と霊夢に向かって倒れていく大木。

 

「何処よ――――!!?」

 

 霊夢は辺りを見回し、七夜の姿を探す。

 張っていた操作神経の結界は、七夜によって殺されたのか、もう既に解除されていた。

 七夜を発見しようにも、倒れていく木々が視界を邪魔し、さらに自分の能力によって倒れていく木々が自分をすり抜ける瞬間で、視界が真っ暗になってしまう。

 ……そして、また一本の大木が、霊夢の体をすり抜けた。

 そして、すり抜けた先、視界が再び開けた時に目にしたのは――――

 

 ――――左手のナイフで、己を斬りかかる七夜の姿。

 

「――――ッッ!!?」

 

 迎撃せんとするが、間に合わない。

 七夜の振るわれた凶刃は。

 

 ――――霊夢の左腕を、切り落とした。

 

「――――え?」

 

 霊夢は間の抜けた声を出す。

 左側から吹き出す大量の血、突如なくなった左腕の感覚。

 霊夢は、己の左腕を見やった。

 

「あれ?」

 

 己の切断された左腕を見た霊夢。

 しかし、霊夢はその現実を受け入れる事ができなかった。

 ――――何処?

 ――――何処にあるの?

 ――――私の左腕、何処?

 ――――何処に行ってしまったの?

 不安そうな顔で、自分の無くなった左腕を探す霊夢。

 

「……ああ……」

 

 そして、ようやく霊夢は、その現実を受け入れいた。

 

「ああああああぁぁぁぁ……ッッ!!!!???」

 

 響き渡る絶叫。

 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いっ!! どうしてこんなに痛いのっ!! どうして左腕の感覚がないのっ!! 痛い、痛いよっ!!

 左腕を切断された事による強烈な痛みで、霊夢の“浮遊”は解除された。

 霊夢はそのまま、木々に押しつぶされるように、落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 ――――ハァ、ハァ、ハァ

 

 息が、あらい。

 霊夢は意識はもうろうとしていた。

 ……状況が、把握できない

 その意識はだんだんとはっきりし、そして、痛みも戻ってくる。

 ……そのはっきりしてくる痛みが何なのかと、霊夢は自分の左腕を見た。

 

「嘘、でしょ……?」

 

 左腕は、もうなかった。

 

「何処……? 私の……左腕」

 

 霊夢は辺りはを見回す。

 『浮』いている時には、気にしなかったが、世界の理に当てはまる今の状態では、うっとおしい程の豪雨が霊夢の視界を安定させなかった。

 ――――ザァーザァーと、うっとおしい雨粒が、霊夢の体に降り注いでくる。

 

「私の……左腕……」

 

 霊夢は切断された自分の左腕の断面に、霊力による結界を貼った。

 これで……出血することはもうない

 俯けに倒れた体を、霊夢は辛うじて動くもう一方の腕で、身体を引きずろうとするが――――。

 

「――――っっ!!?」

 

 ――――突如、左腕からの痛みからは別の、右足からの痛み響いた。

 霊夢は、俯きに倒れながら、後ろを向き、その痛みの正体を知った。

 

「あ、ああ……」

 

 ――――ソコには、倒れた大木に潰された自分の右足があった。

 

 だが、左腕のように、切断された訳ではない。

 潰されたぐらいなら、後で永遠亭で治療してもらえばなんとかなる。

 

「……探さなくちゃ、左腕」

 

 そう言って、霊夢は体に霊力を込め、身体を一時的に強化する。

 まずは、倒れた大木に挟まった、右足を引き抜かれければならない。

 

「――――っっ!!?」

 

 途轍もない痛みが右足から来る。

 自分の体を引っ張る事でしか、挟まった右足を抜く手段はない。

 それに加えて、今、ソレができるのは霊夢の右腕だけだった。

 

「あ……ああぁ……ッッ!!!!!!」

 

 悲鳴が、周囲に木霊する。

 ――――ズチュ、と生々しい音が聞こえる。

 辛うじて動く右腕で体を引きずることで、霊夢は自分の右足を倒れた大木から引き抜いた。

 

「左……腕……」

 

 霊夢はそう呟き。

 傍に会った、頑丈な……長さが霊夢の背の丈くらい枝を右手で拾い上げた。

 そしてその枝と左足で、ゆっくり……ズルリと立ち上がった。

 

「何処……左腕……」

 

 周囲を見渡す。

 見えるのはただ大量に倒れている大木と、うっとおしいほどの降り注ぐ豪雨のみ。

 霊夢の探し物は、なかった。

 ……そして、そんな時間を与えてくれる殺人鬼は何処にいようか。

 

「――――ッッ!!?」

 

 霊夢は今度こそ眼を大きく見開いた。

 ……血が滲んだボロボロのYシャツ姿。漆黒の髪に、蒼い眼光を放つ男の姿――――自分の左腕を切り落とした、張本人。

 豪雨で遮られた視界のそこに、その男の影があった。

 男はふらりと、よろめくような動作で霊夢に近寄ってくる。

 

「……ッッ!! 逃げなきゃ……!!」

 

 霊夢は男から逃げるように足を動かす。

 しかし、動くのは杖替わりにした枝を持つ右腕と左足のみ。

 対して、男は『浮』いた状態の彼女の“死”を理解するために、脳は溶けてしまう寸前。そして肋骨も二、三本折れ、おまけに左腕がない霊夢と同じように右腕を自分で切り落としている為に、総合的には男の方がはるかに重傷だった。

 それでも、男の両足は霊夢へと疾走する。

 ……そのスピードの差は、赤子と手負いの獣だった。

 男――――七夜はあっという間に霊夢のとの距離を詰める。

 ……そのまま、霊夢を、地面に押し倒し、その上にかぶさるように乗りかかった。

 触れられる程の“死”を前にして、霊夢は喉を震わす。

 

「私を――――殺すの?」

 

 七夜は答えない。

 

「いいの? そんな事をしてーーーー。私を殺したりしたら、幻想郷を囲む博麗大結界が崩壊して、この世界も、私も、貴方も、みんな消えてしまうのよ?

 それでも、いいの――――」

 

「知らないよ」

 

 そんな霊夢の言葉に、七夜はどうでもよさげに笑った。

 

「誰かが残るとか消えるとか、そういうのは俺の知った事じゃない」

 

 本当に、どうでもよさげに、そう笑った。

 そんな、と霊夢は言い淀む。

 そんな霊夢の様子を、七夜はただ殺気を込めながら見て、再び笑う。

 ――――ああ、ようやく届く、この刃が。

 ――――ああ、ようやく届く、この想いが。

 七夜の鼻息が荒くなるのを霊夢を感じた。

 ――――あんたは俺のモノだ、俺だけの獲物だ。

 ――――他の誰にも渡さない。

 ――――コイツは、俺が、殺す。

 七夜は、愛しい女を見るような眼つきで霊夢を見る。

 ――――ああ、恐怖に塗れたあんたの顔も、美しいよ。

 

「――――ッッ!!!」

 

 霊夢は目を瞑る。

 七夜の左手に持ったナイフが上に掲げれる。

 霊夢にはソレが、自分の命を刈る死神の鎌にしか見えなかった。

 そして――――

 

 無慈悲で、残酷で、冷たい凶刃は、彼女の首へ振り下ろされた。

 

 

 

 




・霊夢の左腕
旧作と同じく、七夜にぷっちんされた左腕です。
直死で切られたのでもうくっつきません。

・七夜の右腕
まず八夜での戦闘で、弾幕の囲まれた時に、弾幕を突破するときに、骨に亀裂が入る。
そして、この話で霊夢の霊力弾が直撃し、骨は粉砕、神経はズタズタになる。
挙句に七夜に使いモノにならぬと判断され、七夜自身に切り捨てられる。
……しかし、直死で切った訳ではないので、永琳の医療術ならくっつける事もできる。

・分からなかった人へ。
七夜はどうやって霊夢の左腕を切り落としたか。
まず”地面が崩壊した”という文から想像できる通り、七夜は地面にある死の”点”を突き、地面を崩壊させました。
 それによって地面に支えられていた大木たちも一斉に倒れていきます。
 結界、夢想天生を発動している霊夢は、木々はすり抜け、その度に霊夢の視界は真っ暗になってしまいす。
 つまり、七夜は霊夢の能力すらも利用して、奇襲したという訳です。


第十夜、如何でしょうか。
書いてる内に思ったことなのですが、もしこの小説が完結したら、IFとして、霊夢ルートも書こうかななんて思ったり思わなかったり……。



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第十一夜 月医師と賢者と閻魔

久々に空の境界が見たくなったので「矛盾螺旋」を見たぜ。

巴ェ……

らっきょの巴とMBAAの七夜ってどこか似ていると思いませんか?

二人とも違う形であれ”偽物”。
それでも、自分の道を走り続けた二人。
巴は家族の仇を取るために荒耶の所へ……。七夜志貴は「七夜の誇り」を清算するために軋間の所へ……。
 こういう救われないキャラ達を見ていると、二次創作で幸せにしたくなるのが、人の性って奴でしょうか?
 ……まあ、ソレはそうと、第十一夜、ご覧あれっ!!


 霊夢は何も考えられなかった。

 雨でドロドロになった地面に俯けに倒れた自分にのしかかっているのは、自分と同じくらいの年の男。

 ……右腕を切り落とされ――――否、自分で切り落とし、それでも私を殺す事をやめなかった、狂気的で、それでいて美しい男。

 自分には見えない何かを視ているような、その蒼に輝く眼光。

 そう、確かに美しいかも知れない。

 一つ事だけを突き詰め、ただ殺すことだけを念頭に鍛え上げられたその身体――――一瞬だけ、霊夢も美しいと思ってしまった。

 ……しかし、そんな感情も霊夢の頭から吹き飛ぶ。

 ――――男が、左手に持ったナイフを上に掲げた。

 ソレはただ切れ味がいいだけの六寸程のナイフ。

 何の術式も施されていなければ、それなりの年月をかけた概念武装でもない……ただ鋭いだけのナイフ。

 ……しかし、触れられるほどの“死”を前に、霊夢にとって、そのナイフはまさに死の象徴である事に他ならない。

 霊夢には、そのナイフが、死神の鎌にしか見えなかった。

 そして、冷酷で残酷で慈悲のない、雨に洗い流された、銀光に輝く刃が、振り下ろされた。

 

「――――ッッ!!」

 

 迫り来る“死”を直視できる精神を持たない霊夢は、怯えた顔で眼を瞑る。

 ――――やだ、もっと生きたい。

 ――――まだ、死ねない。

 ――――まだ、やりたい事だってあるのに。

 ――――もっと、生きたい。

 ――――もっと……生きたいよ……。

 

「お義母さん……」

 

 頭に浮かぶのは、青みが入った黒の長髪――――紅白の巫女服を纏った義母の背中。

 霊夢は今は亡き先代巫女の背中を思い出した。

 人間の癖に誰よりも超然としていて、巫女のくせに全然巫女らしからぬ事ばかりに手を付けていた、だけど巫女の仕事をきっちりと遂げていた――――霊夢にとって、唯一無二の家族にして、霊夢をただ一人大切にしてくれた女性の背中。

 瞑った目からは、かすかな涙が流れ出ていた。

 身体は動かそうにも、そもそも今の自分は五体満足ですらない。

 左腕は切り落とされ、右足は潰された。

 そして、俯けに押し倒された状態――――たかが右手一本と、左足一本で何が出来ようか。

 

「――――?」

 

 しかしいつまで立っても、己の意識が途絶えない事に霊夢は違和感を感じた。

 霊夢は眼を瞑ったまま、自分の首に手を当ててみた。

 ――――首が、繋がっている?

 それどころか血の匂いすらしなかった。

 右足から来る痛みも、切断された左腕から来る痛みも、確かにあった。

 左足が動かせることも、右手が動かせることも確認した。

 ……朦朧とした意識の中で、霊夢はゆっくりと眼を開けた。

 

「……ゆか、り?」

 

……この豪雨の中では似合わぬ出で立ち――――金髪のロングヘアーに、紫を基調としたドレスを身に纏う……あの胡散臭い女の後ろ姿……。

 その背中を最後に視界に入れた時、霊夢の意識はそこで途絶えた。

 

 

     ◇

 

 

「コイツね……」

 

 女性は自身が吹き飛ばして、気絶させた男を見て呟く。

 金髪のロングヘアー、この豪雨には不釣合いな日傘、紫を基調としたドレスを身に纏い、金色がかった紫の瞳。

 ……その端正な顔立ち、容姿は見る者の心を奪う――――魅了させると言っても過言ではないだろう。

 普段は胡散臭い彼女であるが、今回ばかりはその眼を見ただけで彼女の感情が分かろう。

 

 ――――怒り、憎しみ、嫌悪、憎悪。

 

 ソレ以外に表現できる彼女の今の感情などあろうか……。

 周囲は彼女の表現しようのない“圧”で覆われ、その空気の中にいたものはそれだけで発狂してしまうだろう。

 ……幸い、この場には意識を失った博麗の巫女と、女性によって気絶させられた殺人鬼しかいないので、実質的に彼女の“圧”を直に受けるものは一人もいない。

 

「この男が……霊夢の左腕を……」

 

 女性は指を突き出し、そこに妖力を収束させ、やがてエネルギーが女性の指先に溜まってゆく。

 見た感じは大した事がないというのに、その指先に溜まってゆく妖力のエネルギーは倒れている殺人鬼一人を木端微塵にするには十分すぎる程の威力を秘めている。

 ……しかし、女性の指先から光は消えてゆく。

 

「……」

 

 そして、女性は突き出した指を下ろした。

 女性は怒りを抑えて、倒れている巫女――――霊夢の方に向き直る。

 ……右足は潰され、左手は切断されている。

 気絶しているにも関わらず、切断された左手の断面に霊夢自身の結界が張られたままなのは、ソレは何よりも霊夢自身の才能を表していた。

 そして、気絶している霊夢の下に、一つの空間が現れた。

 俗に、スキマと呼ばれる空間。

 その空間を生み出したのも、もちろん金髪の女性である。

 霊夢はその空間に吸い込まれるように、落ちていった。

 

「まあ今回、半分はこの子の自業自得だから、今少し猶予を与えるわ。……最も、この場を生きられたらの話だけど……」

 

 女性は、倒れている男性に向き直り、そう言った。

 そうは言ったものの、男性はもう助かる様子などない。

 肋骨は2、3本折れ、身体中の所々から少量の出血、加えて彼自身が切断した右腕、そして彼自身の能力で負担をかけた脳髄。

 ……辛うじて、生きているという状態だった。

 

「……誰か来るみたい。行きましょうか」

 

 そして、女性は虚空に指をトン、と置いた。

 ……そこから、先ほどの同じような空間が現れた。

 女性もまた、ソレに飲まれるように消えてゆく。

 

「運がよかったわね……“殺人貴”」

 

 ……そう言い残して、彼女は消えていった。

 

 

     ◇

 

 

「何で……こう、なるのかしら?」

 

 雨でずぶ濡れになったメイド服を纏いながら、咲夜は愚痴る。

 地面が崩壊した後、最後に見たのは奈落へ落ちてゆく霊夢の姿だけだった。

 ……その後は、そんな余裕など残されていなかった。

 崩落する地面、それによって支えを失った大木達が次々と倒れてゆき、地面と共に崩落してゆく状況の中、足場のなくなった咲夜に襲いかかってきたのは落ちてくる大量の大木だった。

 足場がないだけなら、空を飛ぶだけでなんとかなる。

 しかし、上から一斉に降ってくる木々を避ける俊敏性など咲夜は持ち合わせない。だから一つ一つを時を止めながら避けていったいいものの。

 葉っぱという唯一、屋根の代わりに雨宿りとなるものが失われた今、メイド服はびしょ濡れ。

 今、メイド服の上着を脱いでしまえば、ワイシャツが透けて彼女の肌が見えてしまう程だった。

 おまけに早苗との戦いで、負傷しているため、息も荒かった。

 その上に七夜が地面を崩壊させた所を巻き込まれれば……とばっちりもいい所である。

 

 ――――ぐちゃ、ぐちゃ

 

 雨に濡れた地面は泥となって、咲夜の足音を嫌なモノに変えていく。

 そんな音に対してなのか、ずぶ濡れになった自分のメイド服に対してなのか、それともさっきから自分の頭に降り注ぐ豪雨に対してなのか……咲夜は不機嫌そうに顔を顰める。

 ……おそらく全てに対して鬱陶しいと思っているだろう。

 当たりを見回そうにも、倒れた木々と、視界を不安定にさせる程に降ってくる雨粒しか見えないのが現状である。

 咲夜は右手に持ったナニカ――――もとい七夜が自分で切り落とした右腕が握られていた。

 ……骨は砕かれ神経がぐちゃぐちゃになっているが、咲夜が時を止めているため、腐敗する事なく、あの永遠亭の医師なら綺麗に直してくっつけてくれるだろう。

 そんな希望を抱きながら、咲夜は崩れた地形を進んだ。

 

「――――っっ!!?」

 

 その時だった。

 横方向からとてつもない妖圧……もとい妖力を感じ取った。

 ……威圧して放たれるものではない……ただそこにいるだけでこれほどの圧を発させる何かが、ソコにいるのだと咲夜は感じ取った。

 ――――この気配、どこかで……。

 ただそこにいるだけで、視界にないのに感じるこの圧倒的存在感――――咲夜はこの気配に覚えがあった。

 

「……あそこね」

 

 ……あまりに自然に、そしてとてつもない妖圧に冷たい汗が肌に流れるが、それでも咲夜は行くことにした・

 ふと、その妖圧が止んだ。

 一体、あそこで何が起こっているのか、咲夜は確かめるために、空を飛び、その方向へと進んだ。

 ……下を見渡せば、無惨に倒れている木々。

 そして周りを見渡せば、崩れ落ちた地形が無惨にも広がっていた。

 それでも崩壊したのが森の一部分であっただけにまだマシな方である。

 

「……これ、七夜がやったの?」

 

 咲夜は見たのだ、七夜がナイフを地面に突き刺しているところを……。

 その瞬間、地形は崩れ落ち、この様になったのだ。

 こんな芸当……誰にも……。

 

「いや、妹様なら、もしくは――――」

 

 できるかもしれない、と咲夜は零す。

 ありとあらゆるものを破壊する彼女ならば、このような芸当も不可能じゃないかもしれない。

 ……となると、七夜の能力をあの妹様と同じ――――もしくは似たようなモノではないのかと咲夜は推測した。

 だけど……あの少年は、そんな能力など持っていなかったはず……七夜一族の異能はあってもせいぜい淨眼くらいだ。

 なら七夜は本当に……あの少年なのだろうか。

 ……そんな疑問を抱いたその時――――

 

「――――ッッ!!?」

 

 咲夜の視界に、一つの人影が入った。

 ……俯せに倒れているため、顔と表情は見えないが、見違えることはなかった。

 中身は変われど、昔からその面影を残していた後ろ姿……漆黒の髪。

 そして、血が所々に滲んだ白いワイシャツ姿。

 ……誰であるかはもう、特定できない方がおかしかった。

 

「七夜っ!!」

 

 咲夜は顔色を真っ青にして、すぐさま地へ降り立ち、倒れている七夜に駆け寄った。

 雨で濡れた地面は走りにくかったが、ソレを気にすることなく、咲夜はただただ必死に七夜へと駆け寄る。

 七夜の傍までたどり着いた咲夜は俯けに倒れた七夜を仰向けに寝かせた後、七夜の身体を抱き起こし、彼の名を呼んだ。

 

「……」

 

 しかし、七夜からの返事はない。

 まるで、死んでいるかのような穏やかさで、七夜の息は薄かった。

 まるで死人のような顔で、生気は宿っていないような、傍にいるだけで“死”を感じさせるように……動かなかった。

 

「七夜っ!! しっかりしてっ!!」

 

「……」

 

 それでも、七夜は眼を瞑ったまま、何も答えなかった。

 帰ってくるのは、木霊して帰ってくる咲夜自身の声だけ……七夜から帰ってくる言葉など、一つとてなかった。

 七夜はただ……光を、生気を、失った死人のような静けさで、動かなかった。

 

「目を……開けなさいよ。貴方は……紅魔館の……執事でしょう? ねえ――――志貴」

 

 そして咲夜はついに呼んでしまった。

 彼の本当の名前。

 ……幻想郷において、彼女だけが知っている彼の本当の名前だった。

 

「……」

 

 ……それでも、七夜からの返事はない。……ピクリとも動かない。

 

「――――ッッ!!」

 

 咲夜は七夜の左腕を手に取り、脈に手を当ててみた。

 まだ、死んだと決まった訳ではない。

 七夜の静かな脈とは正反対に、咲夜の脈拍度は上昇するばかりである。

 ……脈は、動いていなかった。

 いや――――

 ――――……クン……、ド…クン、ド……クン。

 ……まだ、かすかに動いていた。

 

「……生きてる」

 

 七夜の生存に安堵し、咲夜は呟くが、身体から力を抜く事はなかった。

 現時点で生きているというだけの話なのだ。

 ……これは、いつ死んでもおかしくはないのだ。

 幸い、ここから紅魔館までそんなに距離はないはずだ。

 

「……絶対、死なせないから」

 

 咲夜はそう呟き、七夜の身体を抱いた

 そして、七夜と咲夜以外の世界が、『止まった』。

 咲夜は七夜を抱いたまま、上空へ飛んだ。

 ――――時間はもう、残されていない。

 

 

     ◇

 

 

 妖精メイドが入れてくれた紅茶のカップを見つめる。

 ……その見た目と匂いはいつも咲夜が出してくれるモノと何ら大差はない。

 そう……あくまで見た目と匂いだけだ。

 紅茶の水面に映った地面の顔をしばらく見つめ、やがて紅茶のカップを手に取り、一口飲んだ。

 ……甘味と後からくる苦味がグっとくる味が、口の中に染み込む。

 これが妖精メイドが入れたものであるのなら、及第点――――否、大絶賛に値してもいいぐらいである。

 しかし――――

 

「駄目ね……」

 

 それでもレミリアは静かに紅茶のカップをテーブルの上に置き、不満そうに呟く。

 いや、これ以上の品のある紅茶を求めるこそ我儘であるのは分かっているのだが、やはり咲夜が入れてくれた紅茶が彼女には一番なのだ。

 十六夜咲夜――――私が唯一傍に置くことに決めた人間にして、神であろうと、妖怪であろうとたどり着けぬ次元――――「時を操る程度の能力」を持つ、レミリアにとっての満月。

 私が知る限りで、自分にとっての美しい人間は咲夜以上にはいなかった。

 

「何なの……この嫌な予感……。この雨のせいかしら……?」

 

 ……呟いて、雨つぶで外の様子が見えにくくなった窓を見やる。

 空は曇天、視界を覆うは鬱陶しいほどの豪雨。

 流水は吸血鬼にとっては天敵であるが、この豪雨に対する不快感は果たしてソレからくるモノとは思えない……まるで……

 この嫌な予感が……雨粒みたいに肌に纏わりついて……それでいて拭えないようなナニか……。

 

「早く――――帰ってきなさい、二人共……」

 

 そう言って、再び紅茶を啜るものの、甘味が足りない……。

 物足りない……あの二人は……何をしているの?

 

「お……、お嬢様っ!!」

 

 ……そう思っていたら急にドアがバン、と開き、何事かと思ったら、ドアを蹴り開けた美鈴が……って、ちょっと蹴り開ける事ないじゃないっ!!?

 ただでさえさっきギィーギィーいっていたのにこれ以上がドアがおかしくなったら修理が面倒になるじゃないっ!!

 その様子からして慌てているのは分かるけど、もう少し落ち着いて――――。

 

「美鈴、ドアは手で正しく開けてちょうだい。主の居間のドアを思い切り蹴り開けて……貴女はどこぞのお尋ね者にでもなるつもりなの?」

 

「す、すいません。だけど――――今はそれ所ではありあませんっ!!」

 

 私の注意を軽く流しやがったよコイツ……後でどう料理しようから……せっかく中国なんだから、「美鈴の麻婆肉」にでもしようかしら。

 ……とまあ、巫山戯るのはここまでにしましょう。

 

「咲夜さんと七夜さんが帰ってきました。だけど――――」

 

「……だけど?」

 

「二人共ひどい怪我。……特に七夜さんが――――もう、今にも死にそうで……」

 

 ――――バリン。

 その瞬間、頭が真っ白になり、何か落ちて割れるような音がした。

 ……意識をはっきりさせ、下を見てみる。

 そこには……割れた紅茶にカップの破片と……紅茶の液体がこぼれた床があった。

 

 

     ◇

 

 

「どうかしら、月の賢者さん?」

 

「……」

 

 布団に寝かせた博麗の巫女の切断された腕をよく見た……傍にいる妖怪の賢者さんの話だと切断されたからそう時間は立ってはいない。

 くっつけることは容易いのだと……さっきまでそう疑わなかった・

 しかし――――。

 

「……無理ですね」

 

「……」

 

 妖怪の賢者は表情を変えない。

 ……だけど、目を見ればその感情は分かってしまう。

 むしろ……普段胡散臭い彼女は目を見ても、その感情すら悟らせないというのに、目をみるだけでその感情が分かってしまうのもレア物だが……眼の前の事態は、そう思う程に穏やかではない。

 

「……どうしてからしら?」

 

「……切断されこの腕はもう“死”んでいます。僅かでも生きていればくっつければ機能しますけれど……この腕はおそらくくっつけてももう機能しない。ただ重荷になるだけですね……」

 

「……どういう事?」

 

「個体そのものとしては残っていますが、腕としての機能が完全に失われている。ただ個体だけが存在し、腕としての存在意義、神経組織、筋肉組織に至るまでのそれぞれが担っている機能が全て『死滅』しているということです」

 

 重い空気が……ただただ漂った。

 ……眼の前の賢者は表情には出さずとも、絶望しているのが分かる。

 それもそうだ。私にとってもこの事態は好ましい筈がない。

 幻想郷のバランサーたる博麗の巫女の左腕が落とされたなど……そんな事、幻想郷中に広まったらどうなるか……。

 今まで妖怪たちは幻想郷を囲む結界を保つを役割を持つ博麗の巫女を眼の敵にしようとも襲うことも、傷つけることも、触れることすら恐れ多くてできなかった。

 しかし、その巫女の腕を……何者かが切り落とした。

 しかも、その腕はもうくっつかないという……。

 

「……そう」

 

 やがて現実を受けれた妖怪の賢者――――八雲紫は静かに眼を閉じ、顔を伏せた。

 ……博麗の巫女の腕を直せないという後ろめたさに、私も顔を俯けてしまった。

 

「……一つ、聞いていもいいですか?」

 

 そこで、ふと浮かんだ疑問を聞いていみることにした。

 ……もちろん、間を置いてだ。

 八雲紫は顔を上げ、私を見た。

 ……整った丹精で美しい顔が私を見つめた。

 

「博麗の巫女は……能力を使わなかったのですか? 使ってさえいればこんな事にはならなかった筈では……」

 

「……それは……眼の前の本人に聞いてみないと分かりませんわ」

 

 ……本人も知らない、という事か。

 しかし肝心の霊夢本人は未だ現に目覚めない。

 だから現時点で分かることではないという事だ。

 もし、能力を使った状態で尚切り落とされたというのならば……腕が死んでいる理由も……なんとなく納得できるような気もするのだが……。

 

「とりあえず、潰れた右足に関しては処置を致しました。おそらく一日ほど経てば元通りになるでしょう。

 ですが……左腕だけは……どうにも……」

 

「……他に方法とかはないのかしら?」

 

「残念ながら……腕そのものが完全に“死んでいる”ので、もうくっつきません」

 

 再び、沈黙が支配する。

 

「紫……?」

 

「……大丈夫よ、月医師。……今回は、霊夢を野放しにした私に責任がありますわ。まさかこの子が、“あの事”をまだ引きずっているなんて……感づけなかった私の責任ですわ……」

 

 あの事……とは何の事であるかは聞かない方がいいのだろうか……そう判断した私は敢えて何も聞かなかった。

 眼の前の妖怪の賢者は幻想郷の創始者であるが故に、ソレを背負う責任の重さも、本人が一番身を持って感じている。

 ……幻想郷の住民として、少しでも手助けはしたい。

 だけど、結局の所、背負っている責の重さは彼女の方がはるかに大きいもの。

 不老不死という罪を犯した私が背負っているモノと比べることすらおこがましい……彼女の責を一緒に背負うことができないのが……後ろめたかった。

 ……そう思ったその矢先――――

 

「賢者殿だけの責任ではありません。……博麗の巫女に“鈴”を渡した私にも、責任を負う義務があります」

 

 障子が開く音がしたので、その方向に顔を向けてみれば、そこには、青を基調とした礼装服を纏った緑髪の少女と、その後ろに癖のある赤髪ツインテール……後ろに巨大な鎌を背負った死神が一人……。

 

「わざわざ来ていただき、感謝致しますわ、閻魔殿……」

 

「紫……この方は?」

 

「初めまして、噂はかねがね聞いています、月医師・八意永琳……私の名は四季映姫・ヤマザナドゥ。幻想郷の閻魔を担当している者です。ヤマザナドゥはただ単に役職名なので、本名は前者の方になります。

 後ろにいるのは、部下の小野塚小町と言います。

 以後、お見知りおきを――――」

 

 丁寧にお辞儀をする閻魔と名乗った少女……ソレに続いて後ろにいる赤髪の死神をペコと頭を下げてお辞儀をしてきた。

 

「八意永琳と申します。知ってのとおり、この竹林の中で医者を務めさせてもらっています。これからもよろしく――――」

 

 相手の丁寧なお辞儀に対してこちらもお辞儀で返した。

 ……性格はかなり真面目そうね。

 

「最初は、鈴を渡して、巫女が異変を解決してくれればいいと思っていました。……けれど、それがこのような結果を招くとは……完璧に私の失態です」

 

 申し訳なさそうに、映姫は顔を俯けた。

 このままでは……一向に話が進まさそうだ。

 

「とりあえず責任伝々は置いておきましょう。誰の責任だとか論じていても仕方ありません」

 

 このままだと両者とも自分の責任だとか言って、自分を攻め続けそうなので、とりあえず歯止めをかけることにする。

 今は……眼の前の状況について論じるべきだと思う。

 

「そう……ですね。今更、責任伝々言っていても仕方ありません」

 

 顔を俯けていた映姫は顔を上げて、未だ布団で目覚めない博麗の巫女を見つめた。

 

「基本的に、私は幻想郷そのものには不干渉ですが。今回の異変については別です。……死者が関わっているこの異変……私もできる限り力を尽くしましょう」

 

 罪悪感に塗れていたその目は、真っ直ぐになり、堂々と力を貸す事を表明した閻魔……おそらくこれが彼女の本来の性格なのだろう。

 

「お力添え感謝しますわ、閻魔殿。……月医師、貴女にもこの話は聞いて欲しいのだけれど……」

 

「はい、この巫女の治療に関わった以上、私にも話を聞く義務がありますね」

 

 むしろ、席を外された溜まったものではない。

 バランサーたる博麗の巫女がこの様では、幻想郷の住民たる私が無関係である筈がないのだから……。

 

「小町、少し席を外してもらえますか? 貴女にも後で話します」

 

「畏まりました、映姫様」

 

 席を外すように命じられた、赤髪の死神はそのまま障子を開いて、出て行った。

 ……この部屋に残さたのは。私――――月医師こと八意永琳と、幻想郷の賢者・八雲紫、幻想郷担当の閻魔・四季映姫。

 

「では、話し合いましょう。――――今回の、異変について……」

 

 

     ◇

 

 

「やれやれ、上達はみんな大変だね……。いや、映姫様が後で話すって言っていたから私も無関係じゃなくてなるって事かい……」

 

 本当に面倒だね……もちろん仕事をしょっちゅうをサボっているおかげで三途の川には死者の魂たちが溜まっているけれど、まさか外からゾンビが転移されてくるなんて……吸血鬼襲来異変以来じゃないか……。

 しかも、博麗の巫女はその死者の一人に腕を切り落とされたとかなんとか……ソイツって死者なのかって疑問が残るが、まあよく分からない。

 

「おや……」

 

 縁側に来てみたら、縁側に座っている月兎が一匹……。

 こんな雨を見つめてどうかしたんだか……。

 とりあえず見かけたからには、声をかけなきゃね。

 

「あんた、こんな雨なんか見つめてどうかしたのかい?」

 

 声をかけた。

 突如、その視線は雨から私に振り返られる。

 ……制服らしきモノを来て、頭に……つけ耳(?)らしきものがついている少女だった。

 

「貴女は……あの閻魔と一緒にいた――――」

 

「小野塚小町。死神さ。あんたの名前は?」

 

「……鈴仙・優曇華院・イナバと申します。師匠からはウドンゲだとか言われてますが、できれば鈴仙ってよんで欲しいです」

 

「そうかい。じゃ、鈴仙って呼ばせてもらうよ」

 

 そう言って、縁側で鈴仙の隣に腰掛けた。

 ……視界を覆うのは雨だけだが、退屈するよりはまだマシって所か……。

 

「今回の異変、相当面倒な事になりそうだね……、映姫さまがあんなに罪悪感を感じる所……見たことないよ」

 

「私も、博麗の巫女が腕を取られた状態で紫さんに連れてこられたときはビックリしました。……一体、何があったのだと、今すぐにでも聞き出したくらいに……」

 

 隣を見れば、顔を俯けている鈴仙の顔。

 ……まだそのショックから立ち直れないのか、目は澱んでいた。

 

「いずれお前さんの師匠が話してくるさ。映姫さまも話が終わったら私に話してくれるみたいだし……私ら下っ端はここで待っているしかないって事さ」

 

「……そうですか」

 

 ……しばらく、沈黙は続く。

 私も、相手も互いに思う所があるだろう。

 今回の異変について知りたくても今すぐには知れないもどかしさ、重傷を負った幻想郷のバランサー。

 色々な事がありすぎる。

 

「今回の――――」

 

「ん……」

 

 しばらくして、先に口を開いたのは鈴仙だった。

 

「今回の異変。外から死者たちが結界を飛び越えて、転移されてきています。今の所はまだ少数なのですが。

 幸いにも人里には被害がないです。しかし、何匹かの妖怪は死者たちに食われて、またその中の妖怪が死者として活動を開始してしまったケースも見受けられます。

 まあ、現時点でそのほとんどは退治されたようですが、まだまだ死者たちは幻想郷に来る。

 おそらくその数も増えていく。

 その時は――――私たちも、行くことになるんでしょうね……」

 

「そうなる可能性が高いね。

 今はまだごく少数しか来ていないし、その度に退治されているが、一向に来る傾向が止まない。

 ……まだ小事で済まされているが、今回の件で小事じゃなくなった。博麗の巫女の腕を切り落とした死者――――一体何者なんなんだろうね……」

 

「わかりません。……だけど、靈夢さんをアレほどにまでに傷を負わせるなんて、私達でどうにかできるレベルなんでしょうか……」

 

「できる……と思い切って言える自身は少なくともないね」

 

 むしろできないと言い切らないのは、私に備わった最低限の負けず嫌いの性分って奴なのか、敵さんを前にそんな事を言ったら映姫様に説教させられそうだ。

 ……いや、映姫様はああ見えて、他人の事を考えて説教している訳だから、むしろ自分の命を大事にしろって説教されそうだけど……。

 

「さてさて、これからどうなるんだろうねぇ……」

 

 そう呟き、空の曇天を見つめた。

 ……やっぱり、晴れ時じゃないといい気なんてしないモノだ。

 こんなザァーザァー振られては鬱陶しくて叶わない。

 

「あれ……?」

 

 突如……隣にいた鈴仙が声をあげた。

 

「どうしたんだい?」

 

「向こうから……複数の人影が……」

 

 冷静が竹林の向こうを指さした。

 ……それに釣られて、私も竹林の向こうを向いてみる。

 複数の人影が何処か慌てている様子で、コチラに向かっているのが見える。

 

「アレ……もしかして紅魔館の面子じゃないのかい?」

 

「そうみたいですね。永遠亭に何の用で――――」

 

 人影が、近づいてくる。

 戦闘にいるのは……紅魔館の主――――レミリア・スカーレットと言ったか。

 後続には彼女の仲間たちもいるようである。

 ……やがて、彼女たちは、コチラにやって来るや否や――――

 

「そこの月兎、月医師はいるかしら?」

 

「え、ええ……。いますけれど……」

 

「今すぐ中に入れて頂戴っ!! ウチの執事と、咲夜の治療をしてほしいのっ!!」

 

 叫んだレミリアの後ろには……怪我を負った紅魔館のメイド長――――十六夜咲夜と。

 ……紅魔館の門番と……、ソレに抱かれた一人の男が――――、

 

「「……っっ!!」」

 

 私と鈴仙はその男の様子に口を噤んでしまう。

 全身はボロボロ――――応急処置はされているようだが、それでもだ――――で右腕は切り落とされており、意識を失っていた。

 

「すぐに……っ!! 呼んでちょうだいっ!! コイツ、今にも死にそうなのッッ……!!」

 

「――――ッ!! 分かりましたっ!! とりあえず部屋に寝かせますのでこっちに来てくださいっ!!」

 

 ……ああもう、今日は厄日かね……。

 博麗の巫女に続いて、ソレに並ぶ重傷患者が運ばれてくるなんて……今日のここは大繁盛じゃないか。

 そう、溜息を付いた。

 

「小町さん、師匠を呼んでいただいていいですか?」

 

「あいよ、お安い御用だ」

 

 あんな気まずい話し合いの中を邪魔するのは気が引けるが、それ所じゃないねこりゃ……。

 とりあえず、頼まれた事をやりますか。

 ……そう自分に言い聞かせて、私は映姫さま達の所へ行った。

 

 

 




・”あの事”とは
要するに霊夢の過去。
まだ咲夜ルートでは明らかにしません。霊夢の過去は霊夢ルートで明らかになると思うので待っていただけると有難いです。

小町さん、鈴仙さん、実は目の前にいる重傷患者こそが、霊夢の腕を切り落とした張本人ですぜ……。


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第十二夜 過去夢と悪夢

 作業妨害BGMにしかならないACBGMを聞きながらもやっとこさかけた最新話。

 ……後、次の方はブラウザをバックした方がいいかもしれまん。

A、俺の霊夢を苛めるなっ!!
B、こんなの霊夢じゃないっ!!
C、霊夢の不遇さには心底うんざりさせられる。
D、霊夢こそ俺の至高!!
E、霊夢たん、ハァハァ……。

 等といった人たちはブラウザをバックしてください。


―――――/―――――

 

 

 ――――男はある一点だけを見つめていた。

 ――――男はそれだけしか見えていなかった。

 

 ……男が見つめる先は、王座にて、鎖に縛られながら眠っている美女――――■■姫。

 彼女を縛ったのは男でも、はたまたその他の第三者でもない、彼女自身が己の作り上げた鎖で、己を縛り、抑えていた。

 ……ただ愛する男を、■したくないから、■したくないから――――彼女は男を■ない為に、己自身を鎖で縛ったのだ。

 “好きだから、■わない”――――男の頭の中には、未だにその言葉が残っている。

 ――――ふざけるなよ、■■オンナ。

 そう想い、男は拳を力一杯握り締め、苛立ちのあまり歯をギリギリと噛んだ。

 彼女は今にも壊れそうだった。

 男はそんな彼女のためならば何だってするつもりだった。

 ――――ただ、彼女の笑顔の為に、男は何だってした。

 ――――時には罵倒し、頭に拳骨をかまして、説教だってした。

 ――――彼女に腕を引っ張られながらも、彼女に“楽しさ”を教えんと色々なところに、彼女が望む所に連れ出してやった。

 ……それが、彼女を一度■した彼の責任だった。

 しかし、そんな日常もある日、壊れてしまう。

 ――――■■衝動。

 寿命がない彼女にとっての、別の意味の寿命がもう、近づいてきたのだ。

 ならば男は、彼女に、自分の■を■えばいいと、言った。

 しかし、彼女は頑なにそれを拒んだ。

 ――――どうしてだよ……。

 自分の■を■ってしまえば、少しは楽になるかもしれないのに……、いっそのこと自分を■■にしてしまえば、これからも、ずっと一緒にいられるというのに、それでも彼女はは男の■を■わなかった。

 ――――嫌。

 彼女は、男の提案を頑として受け入れなかった。

 ――――好きだから、■わない。

 彼の■を■えば、彼女の衝動も、少しは弱めることもできるかもしれない。

 ……何より、彼自身がソレを望むのであれば、それをするのが妥当な選択であった。

 しかし、■■の姫君は、かれの■を■いたくないし、彼を■■■にしたくなかった。

 ■■の姫君は、彼に、人間のままでいてほしかった。

 ……だから、彼女は彼の■を■わなかった。

 ――――……ッッ!!!

 だから、男は、彼女の衝動を抑える方法を探し続けた。

 ……世界中を飛び回って、彼女の衝動を抑える方法を探し続けた。

 その途中で弱っている彼女討たんとするものは構わず殺していった。

 ■■狩りを目標とする■■、弱っている彼女を好機と見て隙を付かんとする■■■たち……彼女に、火を浴びそうとする者は道中で片っ端から殺していった。

 ……彼女の笑顔とともに生きる――――そんな日常を取り戻す為に、男はただ衝動を抑える方法を探した。

 時には、魔術師にも協力を仰いだ。

 時には、利害が一致した■■たちや、■■■とも手を組んだ。

 ■■林に飛び込んでは、■■の実と呼ばれるものを取り、彼女に食べさせたが、その不死の実も……彼女の衝動を抑えるには一時的な薬でしかなかった。

 そして、衝動と、衝動に抗う彼女の魂がぶつかり合い、やがて彼女の魂そのものが壊れそうになった。

 ……そして、とうとう限界な己を悟った■■の姫君は、男にある頼みをする。

 ――――私のまま、■してほしい……。

 ふざけるな、と男は吠えた。

 ……まだ、諦めていけない。

 まだ、抑える方法があるかもしれない。

 まだ、間にあるかもしれない。

 男は、姫君に木霊しつづける。

 しかし、鎖に繋がれた■■の姫君は静かに、首を横に振った。

 ――――もう、無理だよ。自分の体だもの。私が一番よくわかってる。だからせめて、■■の手で■してほしい。

 ――――……ッッ!!

 男は叫んだ。ふざけた事をいうな、と。

 ――――お願い、早く。このままじゃ、私でなくなってしまうから……

 ――――……。

 しかし、男は拒んだ。

 怖かった。

 彼女を■す事が、怖かった。

 彼女を失う事が、怖かった。

 守るものを失う事が、怖かった。

 もう彼女の笑顔を見ることができなくなるのが、とてつもなく怖かった。

 生まれたとき何の楽しみも知らなかった彼女に、もっと世の中の楽しさを教えてやりたかった。

 ――――ごめん、■■。

 姫君が呟くと、彼女の眼は、金色になり――――男の体を縛った。

 ――――……ッッ!!?

 瞬間、男は自分の体に異変が起こることに気づく。

“私を■して”

 ……頭の中に、そんな声が流れて――――否、それは命令、もしくは懇願にも聞こえた。

 概念的な神秘に対する耐性を対して持ち合わせない男は、必死にソレに抗おうとするも、体が言うことを聞かなかった。

 男の手は、腰にあるナイフに手をかけ――――

 ――――やめろ。

 男はそう念じて、暗示に抗おうとするが、いくら意思が抗ったところで、体が言うことを聞くはずもなく……。

 

 ――――やめてくれ。

 

 男はナイフを構え、そして、視線は彼女の脇腹にある“点”を凝視する。

 

 ――――止めろよっ!!

 

 男の腕はナイフを振りかぶり……。

 

 ――――お願いだ、やめてくれ。

 

 そしてナイフは、彼女の脇腹にある“死点”へと、その凶刃を――――振り下した。

 

 ――――やめろ、もう■いたくない

 

 ――――■したくない。

 

 ――――もっと、お前に教えてやりたい。

 

 ――――もっと、一緒にいたい。

 

 男は、必死に抗った。

 男は目を逸らそうとした、自分の手で、彼女を■す瞬間を見たくないから……。

 しかし、彼女は暗示に最後の力を振り絞ったのか、目を逸らすことすら、叶わず――――男のナイフは、彼女の脇腹にある点に――――

 

 

 

 

 

 ――――ありがとう、■■。

 

 

 

 

 

 ――――……■■■■■■……ッッ!!!

 

 

 

 

 

 ――――私を、■してくれて……。

 

 

 

 

 

 ――――■……■■■■■■■……■■■■■■――――■■■■■■……ッッッ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 そして――――男は、コワれた。

 

 

―――――/―――――

 

 

「――――ッッ!!?」

 

 まるで、深淵の闇から抜け出せたかのように、咲夜は目を覚ました。

 ……視界が開けば見えるのは、見慣れない木造建築物の天井。

 ……体の所々が何か締め付けられてる錯覚を感じ、ソレが包帯によるものだと知った彼女は静かに、体を起こした。

 今自分が寝ていたのはベッドの上ではなく、畳の上に敷かれた布団の上。

 慣れない感触だ、と思いながら体を起こし、天井を見上げながら思いに耽った。

 

「今のは――――」

 

 夢。とても、悲しい夢だった。

 一人の男と、一人の女の、悲しくて、切ない物語。

 ……その一端らしきモノが、夢として見えてしまった。

 しかし、咲夜が気になったのはそこではなかった。

 ……あの夢に出てきた男の方――――見間違えでなければ間違いなく――――

 

「アレは――――七夜なの?」

 

 夢に出てきた男の服装は、赤い和服を模した聖骸布――――ここに来たばかりの七夜の服装と一致していたし、顔も曇りがかったようによく見えなかったが、あの少年の面影があった。

 ならば自分が今見たのは――――七夜の、過去?

 否、それならば前提としておかしいではないか。

 自分は七夜の過去など知らないし、あの少年と出会ったのは、自分が幼少期の頃で一度きりだ。

 もし七夜があの少年と同一人物だというのであれば、今日こそが再会の日という事になるが……。

 

「今日……?」

 

 気がついたように、呟いた咲夜はすぐに布団から出ようとするが――――。

 

「――――ッッ!!?」

 

 突如、世界が歪んだかのように――――彼女の視界がグラっと揺れた。

 次に彼女を襲ったのは、吐き気がする程の目眩と、体が思うように動かぬ身重感だった。

 身体を立たせた瞬間、気を抜いていた咲夜はその身重感に耐えられず、バタンと、床に伏せてしまった。

 否、だるいだけなら、彼女なら我慢もできただろう。

 しかし、ソレに、身体中に響く痛みが加われば、気を抜けば倒れてしまうのは無理もないこと。

 

「う……」

 

 気が抜けていた自分を恥じながらも咲夜は必死に身体を立たせようとして――――。

 ガラン、と目の前の障子が開いた。

 

「失礼します――――て……」

 

 障子が開く音と共に、聞き覚えがある声だ、と咲夜は俯けに倒れたまま、声の主を見上げた。

 

「お、起きたんですか!!? 咲夜さん――――」

 

 仰向けに倒れた咲夜を見た女性――――紅 美鈴はすぐさま咲夜に駆け寄り、咲夜を仰向けに転がした後、状態を抱き起こした。

 

「無茶しないでくださいっ!! 貴女は七夜さんほど重傷ではないですが、安静にしている必要があります」

 

 ――――安静? そういえば、私はなぜ、布団で寝ていたのだろうか。

 咲夜が自分来ている衣装を確認してみる。

 ……ように慣れない着心地かと思えば、自分が今まとっているのは、病人用の白い寝巻きだった。

 胸の辺りには、ブラジャーの代わりに白い晒しが巻かれており、谷間は僅かに見える程度だった。

 

「美鈴……私は、何で寝ていたの?」

 

 ここで、ようやく咲夜は己の疑問を口にした。

 七夜を抱いてから、紅魔館まで運んだあと、応急処置を施し、すぐここ――――永遠亭に運んだところまで覚えて……。

 

「ここに着いた直後に、咲夜さんも倒れたんです」

 

「……私が?」

 

「はい、咲夜さんも相当無茶をしていたんですよ。 誰と戦ったかはわかりませんが、体中に弾幕に被弾した後が見受けられましたし、おまけにあんな寒気がする程の豪雨の中で七夜さんを紅魔館まで運んだんです」

 

「……そう」

 

 どうやら、あの守矢の巫女との戦闘ダメージが応えたらしい。

 ……たかが能力を封じられたくらいであの体たらく――――紅魔館のメイド長の名が聞いて呆れるものであろう。

 ……あの場で早苗が固有結界を展開してくる事自体が、想定外だった。

 あの巫女を速攻で気絶させた後、七夜と霊夢を止めに行くはずだったのに、守矢の巫女との戦闘で負傷し、あまつさえいざ止め行ったら七夜の殺気に威圧されて止めることすら出来なかったのである。

 ――――つくづく無能ね、私って……。

 心の中で咲夜はそう自重した。

 

「とにかく咲夜さん、無茶を――――」

 

 そう言って、美鈴は咲夜の体を抱き上げ、再び布団の上に乗せた、その上に掛け布団を咲夜の体に被せた。

 

「悪いわね……美鈴……」

 

「いえいえ、この位……」

 

 そう言って、美鈴は懐から取り出した氷袋を、咲夜の額の上に被せた。

 

「熱もありますから、安静にしてくださいね?」

 

「……りん……美鈴」

 

 咲夜は思い出したかのように呟き、美鈴の名を呼ぶ。

 

「はい、何でしょうか?」

 

「……七夜は――――あのバカは、無事なの?」

 

「……」

 

 彼――――七夜の安否を問う咲夜に対し、美鈴は顔を俯いて黙りこくってしまう。

 

「……美鈴?」

 

 まさか、と嫌な予感がした咲夜は、再度美鈴の名前を呼んだ。

 

「……一応、一命は――――取り留めたそうです。 けれど……」

 

「けれど……?」

 

 しばらく、両者の間に沈黙が続いた。

 間を置いた美鈴は、その口で、事実を言った。

 

「もう――――いつ死んでも、おかしくないそうです」

 

 

     ◇

 

 

「はぁ……」

 

 面倒な事になった、とレミリアはため息をつく。

 まさか七夜を執事にした事が、ここまでの問題に発展する事など、誰が予想できたであろうか……。

 何かしら嫌な予兆を感じてはいたが、まさかここまでになろうとは想像もつかなかったのである。

 しかし、反省はしても後悔はしないのが、彼女の信条というべきか……。

 

「非があるのは……向こうじゃない」

 

 そう、七夜は殺し合ったといっても、先に仕掛けてきたのは霊夢ではないか。

 あの八雲紫から事の次第は既に聞いていた。

 ……死者を強烈にまで憎んでいる霊夢は、何らかの理由で七夜を死者と勘違い――――否、死者に反応する玩具が七夜に反応したのだから、七夜は必然的に死者確定なのだろうか……。

 いや――――。

 

「だからって……」

 

 例え死者だったとしても、己が生きているか死んでいるかを決める権利があるのは本人だけだというのに、あまつさえ死者という理由で襲われ、結果、いつ死んでもおかしくない状態にされた七夜。

 霊夢は左腕を奪われるという大出血を受けたらしいが、比率的にみれば、明らかに七夜の方が重傷なのだ。

 しかし、霊夢は幻想郷を維持する――――謂わば、バランサーみたいなモノ。

 そのバランサーの左腕が切り落とされたとあっては、七夜はただでは済まされない。――――否、八雲紫直々の手によって消去されかねない。

 その八雲紫はまだ彼を生かすつもりではあるみたいだが……。

 

「あの目……危ないわよ……」

 

 あんな八雲紫を見たのは、レミリアは初めてだった。

 己を嫌悪するような感情と、憎悪が混じりあったような目だった。

 その憎しみが七夜に向けられている事は間違いなかった。

 だから、ここの月医師には感謝しているのだ。

 八意永琳――――根っから医者信条をもった彼女ならば、例え博麗の巫女の腕を切り落とした罪人だとしても、彼の傷を直してくれると希望を持っていた。

 そして案の定、永琳はソレを受け入れてくれた。

 しかし、一命を取り留めたはいいものの、それでもいつ死んでもおかしくない状態。

 

「巫山戯るのも大概にしてほしいわ……」

 

 ほとんどの者が……七夜に慈悲の視線を向けていなかった。

 みんな……霊夢の心配をしていた。

 確かに妥当であろう。

 ……霊夢は、かつてないほどに妖怪と人間との距離を縮めさせた、今では生きた英雄的な存在であるのも事実。

 確かに、気持ちは分からなくもない。

 ……しかし今回に限ってはどうだ?

 自分のモノにしようとした人間を、死者と勘違いされ殺されそうになり、あまつさえ傍で長年仕えていた従者も巻き添えを食らって、そして死にそうになった人間を助けようとここまで運んだら、八雲紫の憎悪の目はその人間ばかりに向けられて、そして周りは彼に慈悲の目を向けようとしないのも……全てレミリアにとって納得のいくものではなかった。

 カツ、カツ、永遠亭の廊下を歩く。

 縁側に座って、この苛立った気持ちを落ち着かせようと縁側の方向へ向かおうとするのだが――――。

 

「今、私は機嫌が悪いのだが――――何か用か?」

 

 突如、後ろから気配がし、振り向くまでもなく何者かを確信したレミリアは額に手を抑えながら、威圧するように言った。

 

「――――式神」

 

 ……言ったと同時、後ろを振り向いた。

 金髪のショートボブ、金色の眼、そして後ろに生えた九本の尻尾。

 八雲紫の式――――八雲 藍はそこにいた。

 

「……」

 

 藍はただ黙って、レミリアを見つめる。

 

「用がないなら、何処へでも消え去ってくれ。私は機嫌が悪い」

 

「……甘いな」

 

 黙っていた藍は、ただ一言、ようやく口を開いた。

 

「どういう意味だ?」

 

 若干、威圧するようにレミリアは聞いた。

 

「甘いと思わないのか? 自分の玩具にすると決めた人間に対して……」

 

「玩具、だと?」

 

「そうだ。あの死者は幻想郷のバランサーたる博麗の巫女を殺す事に、何の躊躇もなかった。己が消えることすらも当然だと受け入れるように、博麗の巫女を殺そうとしたのだぞ?

 それを知って尚、あの死者に対して心配する。

 常々妖怪らしくないとは思っていたが、ここまで甘いとは思わなかったぞ? レミリア・スカーレット」

 

「七夜が玩具? 私が甘い? ハ――――履き違えられるような事を言われたら困るな。 私のモノになるからには、最後まで私が守らなければ後味が悪いだろう?

 ソレに、アイツを死者だと言ったな。その言葉も訂正させてもらうか。

 例え奴が死者だとしても、私のモノになった事に変わりはないし、ソレに生きているか死んでいるかを決める権利を有するほどキサマらは偉くはないだろうに……」

 

「――――だとしてもだ。妖怪――――吸血鬼であるのなら尚更、玩具にしないにしてもそこまで情をかけるものか?

 妖怪は人を襲い、人間は妖怪を恐れなければならない。

 秩序なくしては我々と人間は共存できない事ぐらい、お前も理解できない程馬鹿ではないだろう?

 たとえ、その秩序が偽りだとしてもだ……。ただでさえ十六夜咲夜という人間を従者にしていたというのに、これ以上正気沙汰のない事をするつもりか?」

 

「その舌、直々に切り落としてあげようか? 私は咲夜を従者にはしたが、玩具にした覚えは一切ない。 咲夜は自分の意思で、私の懐にいてくれている。ならば、私は主人として恥じない振る舞いをするまでだ。

 七夜を死者扱いするどころか、私の咲夜まで侮辱してくれるとは……その口、我が紅魔館への侮辱として受け取るぞ?」

 

「それが甘ちゃんだと言っているのだ。

 確かに、オマエの従者やあの死者、博麗の巫女のように特別な力をもった人間がいる事も認める。

 ならばこそ、更本来懐に置くべきではない。懐に置くのなら情を抱かぬ程度に距離を保て。それすら出来ないのなら、早々に別れたほうが妖として正しい道だと言っている」

 

「何とでもいえ、甘いと言われようが、吸血鬼らしくないと言われようが、私が決めたことだ。お前に指図する謂れはない。

 甘いのなら、甘いと罵るがいい。ソレによって得られたものだってある。なら、私はソレを守り通すまでだ」

 

「……どうやら、何を言っても無駄なようだな。 後悔しても知らんぞ?」

 

「私が後悔する訳無いだろう。例えしたとしても、私が歩んでいた道に間違いはないのだと断じて言い切れる」

 

「……忠告はした。後は知らん」

 

 そう言って、藍をレミリアに背を向け、己が作り出した空間の裂け目――――スキマへと消えていった。

 痕跡すら残さず……美しき九尾はその姿を消していった。

 

「忠告、ね……」

 

 藍の言っていた言葉を振り返り、レミリアは呟く。

 幻想郷は、人の妖怪との共存を目的として世界から隔離された土地。

 ……されど、妖怪たちの心は根っから変わってしまう事などない。

 妖怪は人間を襲い、人は妖怪を恐れなければならない。

 そしてその人間の中の一部で力を持った者達――――俗に退魔を生業とする者達がソレを退治する。

 例え不殺生であろうと、この形――――藍の言っていた秩序――――は維持しなかれば人間と妖怪は共存できない。

 

「なら今回は何よ……」

 

 今回は妖怪と人間がではない。ましては妖怪同士の闘争でもない。

 四人の力を持った人間達によっての闘争。

 レミリアの従者たる咲夜は守矢の巫女の手と戦い、お互い体調に支障が出る程までに傷を負い、そして今日、レミリアの従者となった七夜と博麗の巫女が戦い、七夜は全身に傷を負い、および脳に命に支障が出るほどの負担をかけ、瀕死どころでなく仮死状態にまでされた。

 そして博麗の巫女は七夜によって一矢報われたのか、右足を潰され、そして左腕を奪われた。

 だが――――。

 みんな、七夜やソレに味方した咲夜を避難気味であるが、元より自分のモノたちに先に手を出してくれたのは霊夢だ。

 霊夢は殺されかけたらしいが、元より霊夢が仕掛けなければ何事も無かったわけだし、七夜だって霊夢を自分から殺そうとは思わなかっただろう。

 なのに、何故責められているのは、七夜と咲夜だけなのだ……?

 

「ホント、苛立つわ……」

 

 今にも、何かに八つ当たりしたい感情を抑えながら、レミリアは縁側に向かった。

 

 

     ◇

 

 

―――――/―――――

 

 

 ――――ハァ、ハァ、ハァ。

 ……息が激しくなる。体中の疲労も増してきていて、筋肉が何らかの縄で引っ張られているかのように、痛かった。

 しかし、そんな痛みを気にすることなく、私はただ必死に走った。

 ただ逃げることに必死で、他の事に意識が集中してくれない。

 ――――何故、私はここにいるのだろう?

 そんな疑問を抱く暇すらなく、私はただ奥に闇しか見えない木々のヴェールを夢中に走り続けた。

 ……何キロ、何メートル走ったかを気にする余裕などない。

 ……後ろを振り向く余裕などある筈がない。

 アレが、迫ってくる。

 周囲に気を配らなくても分かる。

 木々を伝って、全方位がから押し寄せてくる鋭い殺気に、どれが本物の殺気から分からなくなるぐらいに、それは鋭かった。

 ただひたすらに走った。

 逃げるために、ひたすら走った。

 ――――何故、空が飛べないのだろう?

 ――――何故、弾幕が撃てないのだろう?

 ――――何故、陰陽術式が使えないのだろう?

そんな疑問を抱く暇も、猶予もなく、ただ走り続けた。

 ……ただ己の命を狙ってくる――――蜘蛛から逃げるために。……この惨殺空間から――――抜け出すために。

 私は走り続けた。

 ……走り続けて何時間も立った。

 全ての感覚すらも麻痺してしまったのか、殺気が感じられない。

 ――――それとも、本当に殺気がなくなったのだろうか?

 そんな淡い期待を込めて、後ろを振り返ってみるとそこには――――獣以上の速さで、蜘蛛の如き動きで木々の間を跳び回りながら、こちらに迫ってくる殺人鬼のアオイ眼が――――。

 

「ひぃッッ……!!?」

 

 そして私は再び前を向き、筋肉の痛みの加速と共に、その速度も加速させた。

 体中の疲労よりも、恐怖の方が遥かに勝っているのか、私は体中の痛みすら気にかける暇なく、ただ夢中に走り続けた。

 いくら走っても、この森――――惨殺空間から抜け出せる様子はない。

 それでも、死にたくない一心で、ただ走り続けた。

 ……振り返る必要はもうなかった。

 どれだけ逃げた所で、この森にいる限り、相手は私の命を狩るまで、止めないだろう。

 どうせ振り返ったところで、見えるのは、『オマエを殺したくて堪らない』と嗤う蒼眼だけだ。

 このまま走る続ければ――――いつか抜け出せる。

 そんなちっぽけな希望を抱いたまま、走り続ける。

 しかし――――。

 

「――――ッ……?」

 

 恐怖と疲れで、感覚が麻痺しているというのに、それでも違和感を感じた。

 否、感じたのではなく己の勘がそう言っていた。

 まるで、希望が薄れていくような。

 まるで――――、今唯一の拠り所となる足場すらもが、“殺されて”いくような……。

 ……そのとき、周囲の地面に亀裂が入り始めていることに、初めて気付いた。

 

「え……ッッ!!?」

 

 

 まるでビキビキとヒビが入ってゆく硝子の如く、亀裂が入っていく。

 ……不規則で、それでいて既に“定められていた”かのように、亀裂が走ってゆく。

 亀裂が増えるたびに、霊夢は、自分の“死”が迫ってくるのを、霊夢は肌で感じた。

 そしてソレは――――崩壊した。

 

「きゃあァァァーーーーッッッ……!!!!!!」

 

 足場がなくなる、すなわち――――逃げ道がなくなる。

 逃げ道がなくなる、すなわち――――逃げる手段がなくなる。

 すなわち――――私の、死。

 ……地面が崩壊したことにより、重力に負けて私の体は奈落へと落ちてゆく――――前に、見てしまった。

 崩れた地面を足場にしながら、蜘蛛の如き動きで、私へと迫ってくる殺人鬼を――――。

 

「イヤ……来ないで……」

 

 ……“死”が迫ってくる。

 私の命を狩らんと、蜘蛛の牙――――ナイフは、私の眼前に迫ってくる。

 

「――――ッッ……!!」

 

 恐怖のあまりに眼を瞑ってしまう。

 ……目から、しょっぱい液体が、流れるのを感じた。

 ――――私、泣いているの?

 そんな疑問がふと湧いて、眼を開けたとき――――。

 

「あ――――」

 

 アイツのナイフが私の胸に突き刺さって――――そこでで、私の意識は途絶えた。

 

 

―――――/―――――

 

 

「――――ッッ!!?」

 

 ――――ふと、眼が覚めた。

 ……体が何かに包まれている感触を感じ、確認してみれば、自分は布団の中で寝ているようだった。

 すぐに両手を使い、体を起こそうとし――――。

 

「……?」

 

 おかしい――――上半身がうまく上がらない。いや、それ以前に布団に付いた掌の感触が、右手しかない。

 ……おかしい。

 そう思って、左腕を見て――――。

 

「あ――――」

 

 視界が、おかしかった。

 まるで、肘と肩の間らへんの下あたりから、左腕がないように見えた。

 ……自分の眼がおかしいのだと疑わなかった。

 だって、そうじゃないのよ。

 ……腕がなくなるなんてそんな事――――万が一にある筈がない。

 だから、自分はまだ寝ぼけているんだと思って、右手で頭を思いっきり殴ってみた。

 ゴチ、と衝撃が頭に響く。

 

「いった~。だけど、これで――――」

 

 そして、再び、左腕を見つめる。

 ――――腕がないままで、切断面には白い晒しが何重にも巻かれていた。

 

「……で、よ」

 

 ……呟く。

 何度も、左腕を凝視する。

 ……よく観察する。

 ――――無いはずがないのに……。

 ――――そんな事、あり得るわけがないのに……。

 ――――そんな事、あってはならないのに……。

 

「なんで……、よ……ッッ!!!!」

 

 しかし、どんなに見ても、腕はないままだった。

 ただ切断面に、鬱陶しい白い晒しが巻かれているだけ。

 ――――そんな事が、あっていい筈がない。

 ――――これは夢なのだ。

 ――――さっき見ていた夢の続きなのだ。

 だから――――。

 

「ふふ、ウフフフフ……」

 

 もう、やめよう。

 どれだけ私が否定しても、どれだけ周りが否定しても、神が否定しても、世界が否定しても……。

 

「ないんだ、私の腕……」

 

 そして、私はこの悪夢を受け入れた。

 ――――確かに、私の左腕はもうこの世には存在しないのだと。

 ――――もう、私の左腕が戻ることなんてないのだと。

 

「うふふふ、あははは……」

 

 思い出すのは、先ほど見た夢。

 アイツの、あの蒼い眼を思い出して、私はただ、ガタガタと震えるしかなかった。

 

 

     ◇

 

 

「咲夜さん、大丈夫ですか?」

 

「ええ、大丈夫よ。これくらい、気を抜かなければ……」

 

 現在、咲夜は多少フラつきながらも、体を立たせて、廊下を歩いていた。

 七夜を永遠亭に運んでから一日が経過していると聞いた咲夜は、七夜の様子を見たいと美鈴に頼み込んだのだ。

 美鈴は安静にしていろと言ったが、どうしても気になるらしく、無理を言ってここまで来たのだ。

 ちなみ美鈴も心配で、後ろに付き添っていた。

 覚束無い足取りで、咲夜は廊下を歩いていく。

 ……やがて、一つの人影を、咲夜と美鈴は視界に定める。

 白に近い銀髪のロングヘアーに、二人の主人たるレミリアとはまた違った感じの真紅の瞳。白い衣服に、袴のような形状の赤いズボンを履いた少女。

 不老不死の身にして――――負傷した七夜を運ぶ紅魔館勢を、永遠亭に案内してくれた少女――――藤原妹紅はそこにいた。

 

「咲夜っ!! 体調はもう大丈夫なのか?」

 

 妹紅は咲夜を見るやいなや、心配そうな顔で咲夜に詰め寄ってきた。

 

「大丈夫……とまではいかないけれど、平気よ……」

 

「け、けどなあ……」

 

「大丈夫だから。ちょっと確かめたい事があるだけ。それが終わったら――――」

 

「あの人間の事か?」

 

 咲夜が言い終わる前に、妹紅が口走る。

 

「……」

 

 咲夜も黙りこくってしまった。

 先ほど、咲夜は美鈴から七夜が何をしたのかはちゃんとわかっていた。

 妹紅も紫から話を聞かされ、七夜がした行為を信じられないと思いつつも、その事実は知らされていた。

 

「咲夜は、あの人間の何なんだ? 霊夢の腕を切り落とした人間――――紫やその式、閻魔は死者だと言っていたが――――」

 

「……」

 

 咲夜は口を閉じた。

 後ろにいた美鈴は首を傾げながら、二人の会話を聞いていた。

 

「あの人間の顔を見たときの、オマエの顔。どうにもいつものオマエとは思えない。私は、オマエとあの男に何かあるとしか思えないんだ」

 

 咲夜は答えない。

 ただ黙って、向こうに眼で意思表示をするだけだ。

 

「まあ、オマエが答えたくないならソレでいいさ……。それで、あの人間が寝ている部屋だったらこの先を左に曲がった奥にあるぞ。

 最も――――まだ永琳が治療中だけど、今ならまだ入れるかも知れない」

 

 妹紅はそう言い残し、咲夜と美鈴の隣を通り過ぎる。

 

「何処へ行くのですか?」

 

 美鈴が後ろを振り向いて問う。

 

「輝夜を起こしに。この時間帯でもアイツ寝てるからな。やれやれ、世話を焼くこっちの身にもなってほしいよ。永琳も何故私に押し付けるんだか……」

 

 妹紅はそう愚痴り、廊下の道角を曲がって、二人から姿を消した。

 

「行きましょう、咲夜さん」

 

「ええ……そうね……」

 

 二人は妹紅が行っていた通りに、まっすぐ廊下を歩いていった後、すぐそこにあった、左の曲がり道に曲がる。

 ……そこには、この木造建築に似合わぬ白いドアと、その上に治療中の点滅器があった。

 そして、「入室するときは、ドアをノックしてください」という看板が下げれたため、入ってはいいみたいだった。

 それを確認した咲夜は即座にドアをコン、コン、とノックした。

 

「どうぞ」

 

 中から声がし、咲夜はドアの取ってを引き、美鈴もソレに続いた。

 

「あら、もう立ち上がれるようになったのね」

 

 中に入ると、咲夜と同じような銀髪をした女性――――白衣を身にまとった女性、八意永琳が椅子に座りながら、七夜を看病していた。

 

「はい、お陰さまで……。それで……七夜の様子は……」

 

 咲夜は即座に七夜の容態を永琳に問う。

 ……その問いに、永琳は眼を瞑りながら。

 

「もう、かなり危険な状態よ。体中所々に弾幕のかすり傷が重なるに重なっていて、更に肋骨も何本か折っているわ。

 おまけ内出血している箇所も所々にある。

 ソレに加えて――――右腕の切断。

 ……これほどの重症患者は後にも先にもいないでしょうね」

 

「「――――」」

 

 永琳の発言に、絶句する二人。

 おそらく、紅魔館で応急処置すらしていなかったら、彼はそのまま息絶えていただろう。

 加えて、彼が永遠亭に運ばれるまでに生きながらえることが出来たのは――――。

 

「気を使った回復術。医者の規格からは少しズレた治療法ね。そのおかげでここまで彼は生きながらえた」

 

 そう、彼が永遠亭に運ばれるまでに生きながらえたのは、七夜の体に美鈴が気を定期的に気を送り込んでいたからだ。

 

「……」

 

「それで、助かりそうなのですか?」

 

 咲夜に変わり、美鈴が七夜の安否を問う。

 

「先ほど述べた傷だけなら…なんとかなるのだけど……」

 

 そう言って……永琳はおもむろに席を立ち上がり、七夜が寝ている更衣室のカーテンに手をかける。

 

「聞くより、見たほうが早いかしら……」

 

 永琳は、ジャ、とカーテンを開く。

 ……そこあったのは、全身を包帯で巻かれ、その巻かれた包帯の所々に少量の血が滲んでおり、更に――――。

 

「「――――ッッ!!?」」

 

 今度こそ、二人は声も言葉も出ず、ただ息をすることすらもできなくなるくらいに、目の前のソレは酷かった。

 まず肩と肘の間あたりにある右腕の切断面と、切断されて再度くっつけられた右腕の間に、傍にある医療機器らしき物から伸びたチューブが取り付けられていた。

 そして――――七夜の頭に、十数本の黒いチューブが脳みそに突き刺さるように、取り付けられているのだ。

 

「外傷もそうだけど。何よりもダメージを受けていたのは、脳よ。これだけは理解が及ばないわ」

 

「……理解?」

 

 永琳の発言に、咲夜は掠れるような声で呟く。

 

「ええ。まず霊夢は相手の体内に干渉、または攻撃する手段を持たないはず。だから、霊夢との戦いでこんな損傷はしないはずよ」

 

「え? それじゃあ……」

 

「ええ。だからこの脳の損傷は、霊夢以外の外部からによるものかもしくは――――」

 

 永琳は少し間を置き――――そして言った。

 

「一番考えられるのは――――彼自身による何か、と言ったところかしら」

 

「七夜、自身の……?」

 

「何か、ですか……?」

 

 二人が呟きに、永琳はええ、と頷き、また説明を続けた。

 

「ここからは私の推測に過ぎないのだけれど、おそらく彼の能力によるモノと考えるのが妥当ね」

 

 能力、という言葉に咲夜は反応する。

 思い当たるのは、昨日、七夜のナイフによって突きつけられた地面が一斉に崩壊していく光景。

 ……アレが関係している事に間違いない、と咲夜は直感的に思いながら、永琳の話を聞いた。

 

「まずは霊夢の能力ね。彼女の『空を飛ぶ程度の能力』はあらゆる次元から浮く事で、他からの干渉や圧力を受けなくなり、一方的に攻撃をする、というものね。

 霊夢が能力を使ったかどうかはまだ分からないけれど、私はおそらく使ったと思うわ。……でなければ、切断されてくっつかない腕にも納得がいくものにはならない」

 

「くっつかないって……霊夢の腕が、ですか?」

 

「ええこれはおかしい事よ。紫が運んできた霊夢の腕は、既に死んでいた。対して、あなたが持ってきたこの患者の腕は死んではいなかった。おかげでなんとかくっつけることができたのだけれど……」

 

 永琳は、七夜の右腕に取り付けられた赤いチューブを指さしながら、説明した。

 

「ここで一つの仮説が成り立つわ。おそらく彼は、あらゆる事象やモノを死なせてしまう、もしくは殺せてしまうような能力を持っているんじゃないかしら? そう考えれば、多少辻褄も合う」

 

「だけど、干渉そのもの不可能であるのなら――――そもそも殺すこと自体が不可能なのでは――――」

 

 美鈴がとっさに浮かんだ疑問を口にする。

 

「ええ、だけど――――もし、霊夢という”存在そのもの”を殺せるモノだとしたら?」

 

「――――ッッッ!!?」

 

「おそらく、彼が殺そうとしたのは、霊夢という人間ではなく、霊夢という”存在そのもの”。だけど、あらゆる次元から浮くことが可能である霊夢の次元は、私達では到底理解しかねる境地――――この男は、その境地すらも、無理やり理解しようとしたことで、脳みそがここまで壊れてしまった――――とまあ、ここまでが私の仮説ね。実際の所はどうなのかはまだ分からないわ」

 

「「……」」

 

 さすがは月の頭脳と言われる由縁であろうか、永琳の説明は、的を射ているかどうかはともかく、とても理に適ったものだった。

 故に、二人はこの医者の仮説に、顔を頷かせることしか出来なかった。

 二人が納得した様子を見て、永琳は今度は七夜の頭に取り付けれた黒いチューブを指さした。

 

「この黒いチューブには、月の技術によって作られた特殊な電気が流れているわ。脳の内出血を止めて、定期的に微量の電気を流すことで、脳に刺激を与え、脳波を少しずつ活性化させる。少しでも量を間違えれば、それでもう終わり。少なすぎれば、刺激が足りずに脳が死んでしまうし、多すぎれば、刺激が強すぎて脳がショック死してしまう。

 少しずつ……微量の電気を流し込んで、脳を活性化させて、この患者の脳を元通りの機能に戻す。

 彼が助かるには……この方法しかない。最悪、この方法で助かっても、植物人間状態がせいぜいかもしれない。

 だから――――そのあたりは覚悟しておいた方がいいわね」

 

「……」

 

 咲夜は顔を俯けたまま、何も言わなかった。

 ただ、黙々と、死人のように動かない七夜の表情を見つめるだけ。

 ……思い出すのは先ほどみたあの夢。

 

 ――――狂うしか、なかったのだろうか?

 

 ――――壊れるしか、なかったのだろうか?

 

 ――――ただただ最愛の人を救う方法を必死で探して、それでも見つからなくて。

 

 ――――その彼女の救いは、彼に■される事で。

 

 ――――彼は、己が最も望まぬ方法で彼女を救って。

 

 ――――何もかも失った殺人貴は、堕ちて……”殺人鬼”になるしか、なかったのだろうか。

 

 ポタリ、と何かが、七夜の体に落ちた気した。

 その正体が何だろう、と彼女はソレを探って、ソレが己の眼から出てくる液体である事を理解した。

 

「何で……涙が……」

 

 夢に出てきた彼が、まだ七夜であると決まったわけはないのに、咲夜の眼からはしょっぱい液体がポタポタと垂れていた。

 彼女は、この涙を他の二人見られまいと必死に、七夜の寝顔を見続けた。

 だけどソレは……眼から出る涙を増量させる結果にしかならなかった。

 

 




・咲夜がみた過去夢
なぜ咲夜が殺人貴の夢を見るかは伏線という事で……。

・霊夢がみた悪夢
単純に、第十夜のラストの所がトラウマになったから。

 月姫のリタとスミレの関係って、妹紅と輝夜の関係と似たようなものですかね?


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第十三夜 過去夢と目覚め

 やっと投稿できた……。
 久しぶりに書くので、文章が色々おかしくなっていると思いますが、ご了承ください。


 ふと――――少女の眼が覚めた。

 まるで闇の深淵から抜け出せたような、深い泥沼から引き上げられるような感覚を少女は感じ取るも、ソレが何であったかは少女は分からない。

 

「あ……」

 

 不意に、女性の声が聞こえたような気がした。

 まだ意識と視界がハッキリしていなかった故に、それが明確になっていくまでその正体は分からなかった。

 ……視界がはっきりしてくる。

 ぼんやりとした世界が明確になっていき、その範囲も広がっていった。

 

「……」

 

 ――――が、視界は赤い髪の女性のドアップで埋もれていた。

 

「……」

 

「……」

 

 両者の間に沈黙が走る。

 ……眼を覚ました銀髪の少女は、人形のような虚ろな視線を向けながら……。

 ……赤髪の少女――銀髪の少女との見た目の年齢は7か8は離れていそうだが、まだ少女と呼べる容姿だ――は、眼をパチパチさせながら、何度も銀髪の少女を凝視した。

 そして――――。

 

「ああああああぁぁぁぁーッッ!!」

 

「――――ッ!?」

 

 あろう事か、赤髪の少女は銀髪の少女は絶叫を部屋中に響かせ、眼を更に大きくしながら銀髪の少女を見た。

 一方、今まで人形のように表情が動いていなかった銀髪の少女は、体を若干引かせながら、驚きのあまりに眼を大きく開いた。

 感情あるなしの以前に、こうも眼前で大声を上げられては、誰しもが引くに決まっていた。

 

「ど、どうしよう……。 まさか部屋に私だけがいるタイミングで眼を覚ますなんて……。美鈴さんはいないし、パチュリー様もいないし、妖精メイドは一部を除いて大して役に立たないし……」

 

「……」

 

 赤髪の少女はオロオロさせながら何かを呟いているが、銀髪の少女にはよく聞こえない。

 ソレをよそに――――ふと、銀髪の少女は辺りを見回してみた。

 床、壁、天井と、三次元全てに血のような紅で染まっており、常人はそれだけで気が狂いそうであるが、そもそもそんな感性を持ち合わせない少女はただ単に“変わった部屋だ”という認識にしかならなかった。

 角っ子に置かれている数少ない家具が、辛うじてこの部屋の立体感を感じさせた。

 もし家具さえもなかったら、ドアを見ない限り、辺り一面に紅が広がっている空間にしか見えないだろう。

 

「あ、あのー……」

 

「……?」

 

 呟き事が終わったのか、赤髪の少女は銀髪の少女を見下ろしながら、声をかけた。

 銀髪の少女も見上げるように、視線を合わせるが、先に見られたような驚きの感情は既にみられず、また虚ろな眼で赤髪の少女を見つめ始める。

 ソレが、赤髪の少女の困惑を一層加速させる事になる。

 

「えーっと……」

 

 どうしよう、と心の中で吃る赤髪の少女。

 実際にまともなコミュニケーションを取った事があるのは、彼女の主たる魔法使いのみで、それゆえに彼女の主以外の者はおろか、“種族”さえもが違う者とのコミュニケーションを行うなど、彼女にとってはまだ経験なき事だ。

 ――――が、何かをしなければ始まらないのも事実。

 ソレを自分に言い聞かせた赤髪の少女は、再び銀髪の少女に向き直る。

 コホン、と息を付き、気持ちを仕切り直す。

 

「とりあえず、自己紹介からいきましょうか。私の名前は――――そういえばないんだった……」

 

 己に明確な名がない事に気付き、そんな自分を軽く小突く赤髪の少女。

 名前がないというのも、そもそも名前が必要なかった彼女にとって、今ほど己が無名である事を恨んだことはなかった。

 

「……?」

 

 いきなり吃った赤髪の少女に対して、その仕草に疑問を抱いた銀髪の少女は首を傾げた。

 とりあえず……とりあえずだ。

 名前がないのなら、普段使われている呼び名を名乗ることしか必然的にないわけだ。

 

「――――失礼。私は小悪魔と言います。ちゃんとした名前はないので、“コア”と呼んでくださいね?」

 

「“コア”……?」

 

「はい、こあです。貴女の名前は何て言うんですか?」

 

 言われて、銀髪の少女は、自分の名を思い出そうとする。

 ……そもそも、ここが何処で、今はどういう状況か頭の中で整理もついていないのだ。

 ――――自分は、どうしてここにいるのだ?

 ――――自分は、今まで何をしていた?

 他にも疑問に思う事はたくさんあったが、はっきりしない頭の中で記憶からかろうじて引き出せたモノ。

 自分の名は――――。

 

「……■■」

 

「“■■”……?」

 

「名前……私の……」

 

 ■■――――ソレが自分に付けられた名であり、自分が自分であるための寄り代でもあった事は確かだ。

 

「“■■”……覚えました、■■ですね?」

 

 コアと名乗った赤髪の少女の言葉に銀髪の少女はこくんと頷いた。

 そして■■と名乗った銀髪の少女は、再び自分が何をしていたのだろうと考える。

 ……確か、あの少年と出会って一周間を過ごして、その少年と別れて、その時に――――

 

 ――――あれ?

 

 その時だった。

 意識も現実感も戻ってきた少女は、ある事を思い出した。

 ……そう、その思い出したものが手元になかったのだ。

 

 ――――ドコ?

 

 少女は探す。

 自分が入っている布団の中、自分が来ている衣服の中――――くまなく探したが、それがなかった。

 

 ――――ウソっ!!? ドコにあるの……?

 

 手放していいものじゃない。

 手放したくない。

 手放してはいけない。

 ……ずっと、持っていなければいけないもなのに……!!。

 

「あ、あの……。どうしたんですか……?」

 

 そんな銀髪の少女の焦った様子に、小悪魔は少し戸惑っていた。

 今まで無表情だった銀髪の少女がいきなり何か焦り始め、周囲を見渡しては、自分の身の回りを漁っているのだ。

 銀髪の少女――――■■は小悪魔を視界に入れず、しかし小悪魔の声は聞こえていたのか、ある単語を口にした。

 

「七ッ夜……」

 

「え……?」

 

「“七夜”って掘られた鉄の棒……知らない?」

 

「“ナナヤ”……?」

 

 ナナヤ――――聞かない単語だ、と小悪魔は思った。

 そもそも横文字で聞くような単語ではなさそうだが、生憎と小悪魔は縦文字の学はあまりないため、その“ナナヤ”という読みはどういう字を書くのかは分からなかった、が――――。

 ――――もしかして、あれの事だろうか?

 この子の持ち物は大量の銀のナイフしか無かったのだが、その中に一つだけ、異様なモノがあったのを小悪魔は覚えていた。

 もしや、“アレ”が――――。

 

「■■ちゃん、その鉄の棒って――――飛び出し式ナイフですか?」

 

「……うん」

 

 どうしようか、と小悪魔は思う。

 後で、“洗濯”してあげて返そうと思っているのだが、今まで無表情だった■■がここまで目の色を変えたのだから、■■にとってはよほど大事なモノであるには違いない。

 

「……」

 

 小悪魔は胸ポケットの中にあった赤い布に包まれたソレを取り出した。

 ……小悪魔は少女の身に“何”があったのかはよくわからないが、それでも、見せてあげる事にした。

 ■■が大切なモノにしていたモノを持つべきは自分ではなく、■■である事は理解している。

 それでも、“ソレ”を見せることに躊躇いはあった。

 それでも、小悪魔は見せるべきだと判断した。

 赤い布に包まれれたソレが、現わになる。

 

「え――――?」

 

 そして、■■は絶句した。

 小悪魔が見せてくれた、飛び出し式ナイフは確かに、「七ッ夜」だった。

 形も、大きさも、「七夜」と彫られた柄の部分も一切遜色のない、正真正銘、■■があの少年からもらったあの「七ッ夜」だった。

 だがその七ッ夜の刃は――――

 

 

 

 

 

 

 ――――“真っ黒ナ血”デ濡レテイタ。

 

 

 

 

 

 

 ――――/――――

 

 意識が覚醒する。

 何か妙な夢を見た気がするが、まあそんな事は置いておこう。

 まず視界に入ったのは、木造建築らしきモノの天井だった。

 ……今現在の自分の状況を確認する。

 まず俺はあの博麗の巫女とやらに戦いを挑まれ、それはもう最高の時をベッド(殺し合い)の中で過ごしたていた筈なんだが……。

 確か、俺が地面を殺した後に相手が驚愕している隙を付いて、あの巫女の左腕を切り落とした後、あの巫女を地面に押し倒して――――。

 

「……漸くお目覚めかしら?」

 

 横から聞き覚えのある声がし、一旦思考を中断した。

 その声の主が誰であるかなど、振り向く必要もなく分かった。

 ……なので、そっけないジョークで返してみた。

 

「レディに目覚めを看取られるっていうのも情けない話だがね……」

 

 とりあえず、上体を起こす。

 まだまだ体中が疼くが、どうやら命に別状がない程度に回復はしたらしい。

 ……あんな事をして、あんな事をされたのに、こんな人でなしを助けるお人好しは一体誰なのか……。

 

「それで、“初仕事”の感想はどうかしら?」

 

 ……そんな思考に耽る間もなく、咲夜から皮肉交じりの質問をされた。

 よって、こっちも皮肉で返す。

 

「ああ。最高、絶頂、感嘆の初仕事だったよ。あれほどの極上な厄介事が舞い込んでくるのなら、雇った執事が早々にやめていく理由も頷けるね、まったく」

 

「そう……。生憎、本当にそうだったら真っ当な執事は辞めるどころか、生きて帰れないのだけれど……」

 

「生憎、真っ当であったつもりなんて一度もないさ。人でなしの人殺しが真っ当な人間らしく振舞うなんて、それこそお笑い者だろ?」

 

「そうね。未熟な忠犬が成し得ない荒業も、狂犬となればソレも成し遂げてしまう……。正にこの事ね」

 

「ハハハ、違いない」

 

 狂犬、か――――。

 言い得て妙だが、否定はしない。俺はそれだけの存在だからな。

 “餓鬼”と言われればそれまでだが……。

 

「まあ、その話は置いておくわ。貴方にいくつか聞きたい事があるけれど、まず最初に上司として貴方にする事があるわ」

 

「……? というと――――」

 

 

 

 

 

 

 ――――パシィンッッ!!

 

 

 

 

 

 

 左頬に凄まじい衝撃が走る。

 ……その正体が何であるかを知るには、さほど時間がかからなかった。

 左頬が凄まじくヒリヒリする。

 この腫れはしばらく引きそうにもないな。

 

「……まあ、予想しちゃあいたんだがね。やはり怒ってたか……」

 

「当たり前よっ!!」

 

 今日一番怒鳴り声が部屋中に響く。

 耳を塞ぎたくなるくらいの大声だが、あくまで目を逸らさずに俺は銀髪のメイド長――――十六夜 咲夜を見続けた。

 ……これは本気で怒ってるな。

 あの時の遊戯(殺し合い)が楽しすぎて、こういう事態は予想できなかった。

 我ながらつくづく下手である。

 

 

     ◇

 

 

「……まあ、予想しちゃあいたんだがね。やはり怒ってたか……」

 

 ……自身の手に未だ痺れが残るくらいに、思い切り私は、この馬鹿な殺人貴の頬を平手打ちした。

 ……なのに、その未だ飄々とした口調に苛立ちを隠せず、私は叫んだ。

 

「当たり前よっ!!」

 

 今日一番の怒鳴り声が部屋中に響く。

 七夜にとっては耳を塞ぎたくなるくらいの大声だが、それでも七夜は目を逸らさず、耳を塞ぐ素振りも見せずに私を見ていた。

 そんな彼に、言いたいことをありったけ言う。

 

「何故、あんな事をしたの?」

 

「……」

 

 答えは、帰ってこない。

 

「何故あの時、私の助けを拒んだの?」

 

「……」

 

 七夜は、能面顔のまま黙って私を見つめるだけ。

 

「あの時私が貴方を治療して、霊夢を説得すれば……貴方も、霊夢も、こんな目には会わなかった筈でしょう!!?

 なのに何故、あんな真似を……!!」

 

「……仮にお前があの巫女を説得したとして、向こうがお前の説得に応じてくれような玉に到底見えなかったがね……」

 

「それでも……!!」

 

 この馬鹿殺人貴は、ああ言えばこう言う……!!

 

「何故貴方は私の助けを拒んだのっ!!? 殺し合いに水を差されるのがそんなに嫌? たとえソレが自分の助けになるモノだとしても、貴方はソレを拒んでまで殺し合いをしたいのっ!!!!?」

 

「……」

 

 もはや感情の抑制ができないのか私は言いたいことを全て吐き出す。

 

「殺して、殺され合うのがそんなに好き?」

 

「……」

 

「それで理不尽に死んでも、貴方はどうとも思わないの?」

 

「……」

 

 そして、今の時点で言ってはいけない名前を口にする。

 

「志貴。貴方は殺し合いが、恐くないの?」

 

 それでも聞かなければいけない。

 この根本からズレた殺人貴――――七夜志貴に、私は聞かなければいけない。

 命の奪い合い――――たとえ人間達、いや、生物達の生存競争の歴史において繰り返されているモノだとしても。

 理由もなくただ楽しいというだけで、殺し合いを興じるこの男に聞かなければいけない。

 

「七夜志貴。貴方は、死ぬのが恐くないの?」

 

 脳表に浮かぶのは、お嬢様と会話したあの日――――

 

 ――――/――――

 

“咲夜。私に身を捧げるのは結構だけど、命まで捧げる必要はない”

 

“何故ですか、お嬢様。私にはお嬢様には返しきれない恩があります。ましてや貴女様は吸血鬼です。人間一人如きである私では命くらい捧げなければ恩返しにもならないでしょう?”

 

“……咲夜、貴女は一つ勘違いをしているわ?”

 

“勘違い?”

 

“そう。私は自身が吸血鬼である事を誇りに思っている。無論、貴女のように出来た従者を持つ事も誇りの一つだけど……。

 咲夜、貴女の誇りとは何かしら?“

 

“お嬢様の下で仕え、最後までお嬢様の下でお役に立つことだけが私の唯一無二の誇りです”

 

“唯一無二、か。ありがとう、咲夜。だけど、それだけでは不合格よ”

 

“え?”

 

“貴女は私の従者である事以前に、誇らなければいけない事がある”

 

“ソレは?”

 

“貴女が人間である事よ”

 

“私が、人間である事?”

 

“そうだ。私は吸血鬼として生を受けた事にこれ以上のない誇りを持っている。それと同じように、貴女はヒトとして生まれた事を誇らなければいけない”

 

“……”

 

“命令だ、十六夜 咲夜。ヒトとして生まれたのならば、最後までヒトであることの誇りを忘れるな。その誇りを、命を、オマエ自身が誰よりも大切にしなければいけない”

 

“……”

 

“自分を大切にしろ、死を恐れろ、最後までヒトとして生きろ――――ソレがお前の中で、お前自身が一番誇らなければいけない事。

 だから、咲夜――――“

 

“……”

 

“命を捧げるだとか、そういう言葉は二度と言うな。オマエが死んでも変わりなんていない。

 何より、オマエが死んで悲しむ者はもう私だけではないのだからな……。

 それでもオマエは、死を恐れずして私に命を捧げるとでも言うの?“

 

“私は――――”

 

 ――――/――――

 

「私は、恐いわ」

 

「……」

 

「死んで……お嬢様やパチュリー様、美鈴、小悪魔達と一緒にいられなくなる。

 そんなのは――――とても嫌だから……」

 

「……」

 

「貴方はどうなの、志貴?」

 

 返答を待つ。

 七夜は未だ能面顔のまま黙っていた。

 ……人の事を言えて義理ではないが、殺し合い以外でこの男は表情一つ変えないものなのだろうか。

 

「”死が恐い”、ね……。

 少なくとも、殺すだけの存在である俺にそんな事なんて関係ないがな……。

 まあ、少なくとも殺し合いは恐いな」

 

 一瞬、耳を疑った。

 ――――この男は何と言った?

 聞いたのがコチラとはいえ、聞かずにはいられなかったとはいえ、あっさりと“殺し合いが恐い”なんていう答えが返ってくるなんて、誰が予想していただろう。

 七夜一族は奇襲戦法に特化していると聞くが、日常会話においてもソレが反映されているのだろうか?

 

「だったら――――何故?」

 

「だからこそ、だよ。殺し合いっていうのは誰もが恐いもんだ。俺だって恐い。それこそ笑っちまう程にな……」

 

「……」

 

 恐いのだったら、何故――――?

 

「言っただろう、“だからこそ”だって? 生きている実感がない俺にとって、現在など鬱陶しいしがらみに他ならないからな」

 

 生きている実感が、ない――――?

 

「だが、殺し合いは違う。『生きている』という事を、生存本能が恐怖という形で教えてくれる。傷付けられる度に恐怖心が増し、その度に理性が弾けて昂揚して『生きている実感』を感じる事ができる。『生きている』獲物を『殺す』事で、残った自分が『生きている』という実感を味わう事ができる。『生きている』自分が『殺される』事で自分は『生きていた』という実感が味わえる……!!」

 

「……狂っているわ」

 

 ありのままの、本心を口にする。

 幻想郷に真っ当な者などいない。

 ソレは精々、人里に住んでいる何の異能も持たない人間くらいだろう。

 だが、彼はどうだろう。

 純粋な力量なら幻想郷の中の下あたりだろうし、まず弾幕が打てないから、そういう意味では彼は真っ当な人間に近いとも言えた。

 しかし、ソレを差し引いて幻想郷の住民と比べても、この殺人鬼が真っ当と言えるには到底思えない内面の狂いっぷりがそこにあった。

 ある意味彼は、幻想郷で霊夢を差し置いて真っ当でない人種なのだろう。

 

「そういう存在なのだから仕方ないだろう。元より、生の実感以上に死を味わってきたこの身だ。記憶が戻った訳じゃあないが、それだけは断言できる」

 

 ――――確かに、記憶がなくてもその言葉に偽りはないだろう。

 それでも反論せずにはいられない。

 だって、“前の貴方”は――――。

 

「例えそうだとしても、前の貴方は殺し合うために、殺してたの?」

 

「……なに?」

 

「貴方のその暗殺術は本来、魔を殺すために編み出されたモノ。ソレは覆しようがないわ。だけど、本当に貴方は殺すためだけに、そのナイフを振るっていたの?」

 

 思い出されるのは、一週間前にみたあの夢。

 あの中の“彼”は、確かに『彼女』を救う為に、守るために戦っていた筈だ。

 なのに、それすら失ってしまった彼――――“今の貴方”は、ただ殺すためにだけに殺し合っているようにしか見えない。

 ソレは、到底納得できるものではない。

 

「……」

 

「……」

 

 重い沈黙が走る。

 いや、ソレは私にとっては重いだけで、七夜にとっては瑣末事なのかもしれないが……。

 七夜は相変わらず能面に微笑を浮かべた程度の無表情だ。

 沈黙の中、先に口を動かしたのは七夜の方だった。

 

「シキ、と言ったな。俺のことを……」

 

「……」

 

「ソレが、俺の名前なのか?」

 

「……」

 

 七夜の疑問に否定をしない私。

 確証も、証拠もないが、おそらく目の前の彼は、私に「七ッ夜」をくれたあの七夜志貴と同一人物。

 例えどんなに変わろうとも、おそらくは……。

 

「……なあ、咲夜」

 

「……?」

 

 唐突に名前を呼ばれ、俯いていた顔を七夜の方へ見上げる。

 

「俺はお前が俺の何を知っているのか知らないし、俺は以前の俺が何者だったかなど知らん。

 お前が俺を知っていても、俺はお前の事を知らんが、それでも一つだけ言う事がある。

 ――――悪かったな」

 

「え……?」

 

 いきなりの事に、戸惑ってしまった。

 ――――七夜が、謝った?

 ソレが何を意味するのか。

 彼は自分がした事を後悔するような玉には見えないし、何より反省もしなさそうだったから……。

 

「ご主人様もさぞお怒りだろう。上司の命令を無視して、目の前の遊戯に興じるような真似、怒らない方が可笑しいわな……」

 

「……ええ、それはそうだけど……」

 

「お前は随分とお人好しだよ。それこそ人でなしのこの身とは正反対と言う程にな。

 俺がこの場で生きている事を考えれば、俺に応急処置を施したのはおそらくお前だろう? そして目が覚めれば、お前は俺に“上司として貴方にする事がある”と言った。つまり、お前はまだこんな人でなしを執事として見てるって事だ。

 お人好しもここまで来れば呆れるもんだが、ソレを無下にはできん」

 

「七夜、貴方……」

 

 何を言って――――、と言いかけたが、ソレを遮るように七夜を口を開き続けた。

 

「だから、罰は甘んじて受けよう。こんな人でなしでも俺を雇うのであれば、そのくらいの代償は必要だろう?

 さすがにさっきの平手打ちで済むと思うほど、おめでたい性分はしちゃあいない」

 

「……」

 

 先ほど、七夜については私が好きにしていいと言われていた。

 ……本来ならば、万死に値すべき罰を下すのかもしれない。

 ……本来ならば、慈悲をかけるべきではないのかもしれない。

 七夜の目を見る。

 相変わらず感情の読めない表情だが、それでも七夜の目をみて確信した。

 ――――きっとこの男は、どんな罰でも当然かと言わんばかりに受け入れるだろう。それこそ、己の命に関わるモノだとしても……。

 平然と自分の命を玩具の如く扱うこの男に対して、私は――――。

 

「今回は、さっきの平手で水に流してあげる」

 

「ハッ――――」

 

 その一言に七夜は何を思ったのか、一瞬唖然とした後に一笑した。

 ……きっと心の中で私の事をお人好しだと嘲笑っているのだろう。

 

「やれやれ、お人好しにも程がある。まるで誰かを思い出しそうだよ。誰かは知らんが……」

 

「案外、“前”の貴方自身かもしれないわよ? それと勘違いしないようにね。

 あくまで、今回は初めてだから、見逃してあげたのよ。次、同じような事を繰り返したら、只では済まさないわ」

 

「桑原、桑原。それじゃ、こっちも従者らしく振舞うとしようかね。何度も主人の期待を裏切ってちゃ、話にならない。

 ――――っとそうだ……」

 

 七夜は何かを思い出したかのように相槌を打ち、私にこう聞いてきた。

 

「そういえば、あれから何日立った?」

 

「ちょうど一週間ね……」

 

「……」

 

 七夜は何かを渋るかのように黙る。

 その理由に心当たりがあった私は、その心配はいらないと伝える為に口を開いた。

 

「もしかして、あの烏天狗の子供との約束?」

 

「……ああ」

 

「なら心配はいらないわ。貴方が倒れた翌日に、貴方の目が覚め次第伝えると言っておいたから」

 

「……そうか」

 

 そっけない返事で返す七夜は表情には出さないものの、どこかホッとしたような様子だった。

 

「それにしても意外ね。まさか本当にあの子の所へ行くつもりでいたなんて……」

 

「約束、だからな……」

 

 何故か顔を背けて返事を返す七夜に、クスリ、と笑いが漏れてしまった。

 一つだけ……彼の事がわかった気がする。

 先ほどの事といい、あの烏天狗の子供との約束と言い――――。

 

「本当、律儀な殺人鬼よね。貴方って」

 

「お褒めに預かり光栄ですってかい?」

 

 素直な感想を言う私に対して、そんな返事を返した七夜の口にも微笑が浮かんでいた。

 彼が幻想郷に来てから初めて――――私は彼と笑い合えたような気がした。

 だけど――――笑っていられるのは今の内。

 いくら紅魔館での処罰がなくなったといえど、七夜が幻想郷のバランサーたる博麗霊夢を殺しかけたという事実は変わらない。

 ……あの八雲 紫が、七夜を無事に返すなどと、とてもではないが想像がつく筈がなかった。

 

 

     ◇

 

 

 たくさんの目が視界に映る亜空間――――俗に“スキマ”と呼ばれるその空間世界に、八雲紫の姿はあった。

 普段胡散臭い彼女から垣間見ることのない真剣な表情。

 ……普段、感情を表に出す事のない彼女がここまで真剣な顔をするのは余程の事がない限りない。

 あの殺人鬼が霊夢の腕を切り落としたという点を除けば、事態はそこまで深刻化はしていない。

 だが――――彼女に付きまとっている嫌な予感が抜ける事はなかった。

 

「死者の大量発生、紅魔館……」

 

 今、幻想郷に起きている異変――――他者を食らって同族を増やす死者の発生である。

 しかし、被害はほんの一部の妖怪達が死者と化しただけで、死者は現れる度に天狗たち駆逐してゆき、被害も一番最初の時に死者たちに噛まれた妖怪達しかいない。

 だが、一週間前、異様な現象が発生した。

 紅魔館付近に今までにないほどの数の死者が出現したのだ。

 ――――何故、紅魔館だけ?

 紅魔館の主が吸血鬼だからと理由付けするにしても、ヒトから吸血種となった死徒とは違い、妖怪としての吸血鬼が眷族を増やすには主たる吸血鬼と対象の人間との同意が必要と聞く。

 そんな彼女があんなに死者を――――ましてやあんな出来損ない共を配下にする筈もないし、何より彼女の信念がソレを許さないだろう。

 ――――では、紅魔館に大量の死者を引き付ける何かがあったとしか思えない。

 となれば、その引きつけた何かとは……。

 この場合、大抵の者ならば彼と目星をつけるが、紫はその可能性は低いと言えた。

 ……そもそも、閻魔の証言から、彼はこの異変とは直接的な関係はない可能性が高い、となれば――――。

 ……思い当たる節はない訳ではないが――――ソレもまた先ほどと同じようにとてつもなく可能性は低い。

 しかし同時に現実性があるのも事実。

 だが、やはり確実な答えには行き着かない以上、手は出せない。

 あの男の事もある、今は様子を見るしかない。

 ――――ソレが今、紫が下した決断だった。

 

「紫様……」

 

「何かしら、藍」

 

 後ろから声がし、紫は後ろに振り向いた。

 金髪のショートボブ、紫に勝るとも劣らない美貌の持ち主、されど二人の間の上下関係ははっきりしていた。

 ――――八雲 藍、八雲 紫に付き従う九尾の妖怪。

 妖怪を象徴する伝説の九尾が他の妖怪に付き従うなど醜態に他ならないように見えるが、ソレは誤弁だ。

 ……事実、八雲 紫の力は九尾妖怪である藍よりも遥かに勝る力を持っている。

 そして藍も、そんな力の持ち主である紫に惹かれ彼女の式となった。

 本当に、それだけである。

 

「あの殺人鬼の目が覚めたようです。現在は、あの紅魔館のメイドと共に永遠亭の一室にて療養しています」

 

「……そう」

 

「では、これにて――――」

 

 式が仕事に戻ったのを確認しら紫は、再び思考に耽る。

 ……この異変の事ではない、あの“堕ちた殺人貴”についてだ。

 何かが幻想入りするには、二つの条件の内、一つを満たす必要がある。

 

 ――――一つ目は、この世から忘れ去られる事。

 

 ――――二つ目は、八雲 紫自身の手によって、『幻想』と『現実』の境界を操られる事によって、例外的に幻想郷に招かれる者。

 

 前者は俗に言われる正式な“幻想入り”と呼ばれているのに対して、後者は紫の故意による“神隠し”と呼ばれているモノであった。

 しかし、彼――――あの殺人鬼の場合はいずれもこの二つに属していないのだ。

 そして、もう一つ気がかりな事がある。

 ――――彼は、外の世界ではもう死亡している。

 つまり、霊夢が閻魔からもらった死者に反応する鈴の反応は間違いではないのだ。

 しかし、何故か今ではその鈴の反応が止んでしまっている。

 ……一週間の時を経て、彼の体が幻想郷に馴染んできたのか、それともはたまた別の要因があるのか。

 だが、これではまるで――――

 

 

 

 

 

 

 ――――『幻想郷』そのものが、彼を呼び出したみたいではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 




 とりあえず、異変自体はまだそんなに大きいモノではありません。
 あくまで日常を中心にしたいので……。

 余談
 作品によって設定やら性格やらが微妙に違う七夜さんですが、作者は無印のワラキア七夜が一番好きだったりします。


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第十四夜 殺人貴と紅い月

 今回の回は七夜が色々と決心したりする話、かな?


 七夜は己が切り落とした筈の右腕を見つめた。

 ……直死の魔眼を使っていないとはいえ、ここまで綺麗にくっつけてくれた医者は何者なのかと問いたくなる。

 右手をグーにしたりパーにしたりを繰り返す――――右手に不調はなし。

 続いて右肩を後ろ向きに回転させてみるが、不気味という程に不調は感じられなかった。

 しかし、体中は未だに痛み、性能的にはまだ女子供一人殺すだけでも一苦労だろう。

 一番治療に優先された部分は脳髄とこの右腕なのだろうが、ソレを差し引いても治りが先ほど述べた二箇所より遅れているのも可笑しな話だと七夜は内心で一笑した。

 自分の体の現状を大体把握した七夜はそのまま起こしていた上体をゆっくりと布団へ下ろし、やれやれ、と言わんばかりにため息を吐いた。

 ――――やれやれ、我ながら厄介なしがらみが付き纏ったもんだ。

 最初は――――あの門番と殺し合って、それで死んでもいいと思った。

 その次に――――博麗霊夢と殺し合って、それで死のうとも本気で思った。

 しかし、運が悪い事に自分はここまで生き残ってしまい、あろう事か重いしがらみまで背負わされているのだ。

 

「馴れ合いってのはあまり趣味じゃないんだが……」

 

 主従ごっこは嫌いではないが、長く続けていられる程彼の気は長くない。

 されど、今ここで縁を切ってしまうというのは、義理を果たすという自分の性分には合わない行為だし、未練がましい。

 されど、彼にとってはしがらみだが……。

 

「……いいぜ。『役目』が終わるまでは付き合ってやるよ」

 

 “役目”――――その言葉は、意識的にか、無意識的に出たのは定かではない。

 だが、少なくとも七夜は義理を果たすまでは、レミリアや咲夜達と共にいようという決心をした事を確かだった。

 ――――とは言うものの、どうしようかね……。

 今現在の自分の現状を概ね咲夜から聞いていた七夜は再び思考に耽った。

 死ぬ事自体はそんなに吝かではない。

 むしろこのしがらみから開放されていっそ楽になるというものだが、それでは未練がましいにも程があった。

 第一、自分はまだ誰も殺していないのだ。

 だからと言ってそこらの野良妖怪相手にしても、うまくない血が飛び散るだけだ。

 せめて一人くらいはレミリアレベルの上玉をこの手でバラしたいモノである。

 欲を言うのであれば、あの博麗霊夢ともう一度殺し合いたかった。

 ……とはいえ、あれは向こうが七夜の体術が初見であり、かつ森という狩場に誘い出し、更に豪雨を降らした曇天が日光を完全に遮断してくれたおかげで、何とか奇襲が成功したようなものだ。

 それでいながら、状況そのものは向こうが圧倒的に有利であった訳なのだから、真っ当に殺り合ったらコチラは抵抗も許されずに消し炭にされるだろう。

 博麗霊夢に限らず、まずここの住民達には真っ当な殺し合いではまず殺せそうにない。

 ……だが、だからこそ殺し甲斐があるというもの。

 どの道、幻想郷で獲物に困る事はまずなさそうだ。

 それにここの異能者共はそれぞれ違った特徴的な能力を持っているらしい。

 

「違った獲物に逢う度に、違った料理の味を楽しめるってのも唆る話じゃないか……」

 

 ……まあいい、この話は置いておこう。

 そう思い、七夜は今までの思考を放棄して、先ほどからこちらも眺めている視線の方向へ声をやる。

 

「そろそろ出て来たらどうだ? 気配を隠している事については合格点だが、こうも『衝動』が疼いてちゃ、オチオチ安静にしていられない」

 

「……」

 

 七夜は虚空に向かって、そう呟く。

 虚空とは字の如く――――そこには何も“無い”。

 だが、七夜の体に流れる“血”はその存在を認識していた。

 いや、たとえその“血”でなくとも、彼の淨眼にくっきりとその“境界”が視えていたのだ

 

「それとも、また一週間前のように背中からどん、と俺を突き飛ばすかい? だとしたら絶好のチャンスだ。生憎、今の俺には女子供一人殺せる余裕もない。ましてやあんた程の『魔』だ。その気になれば指先一つで俺を殺すくらい造作もないだろう?」

 

 蒼い眼が、歪んだ境界を直視する。

 その限りなく細い境界の穴の奥にある圧倒的な存在感を、何の恐怖心もなく、その蒼い眼光がソレを貫いた。

 

「……気付いていたか」

 

 境界の穴が現わになる。

 ……その姿を七夜は、淨眼の視界に収めた。

 ……金髪のショートボブ、金色の眼、美しくて端正な顔立ち、そして背後に見える九本の尻尾。

 その姿に、七夜は眼を大きく見開き、口には微笑が浮かんでいた。

 

「これは驚いたな。まさか妖怪でも伝説級の九尾にお目にかかれるとは……。本当、この世界には驚かされてばかりだ」

 

「……」

 

 九尾の女性は無言のまま七夜を見つめる。

 表情からは読めないが、彼女は本心からこの男を八つ裂きにしたいくらいに思っており、それでも私情を出さずに七夜を見つめた。

 しかし、七夜の次の発言に、彼女は僅かに眉を潜ませる事になる。

 

「そして……何より驚きなのが、あんたが使い魔に甘んじてる所か……」

 

「――――」

 

 ……表情には出していなかったが、正直な所内心では彼女はそれなりに驚いていた。

 九尾――――八雲 藍はしばらく無言のままだったが、やがて口を開いた。

 

「何故――――そう思った?」

 

「簡単な事さ。最初は俺を突き飛ばした奴と気配が似ているからてっきり同一人物かと思ったんだが、あの時感じた衝動より遥かに緩い。

 あんたからはあんた自身の気配と共に、何か別の気配を感じる。おまけにその目がたくさん見える空間――――どうにも“あんた自身”の力ではなさそうだしね」

 

 そう、勘混じりだが、七夜はあの空間を見るのはこれで二度目だ。

 ……なら、一度目は何処で?

 それが一週間前のあの出来事だ。

 殺し合いに昂揚していた自分の背後から突然現れた、女性らしき者の手。

 その手の出処であった空間と、今自分の目の前にいる九尾の背後にいる空間は正に同一の物であった。

 これだけ聞けば、自分の殺し合いを邪魔したのは目の前の九尾であると、単純な思考者ならそう思うだろうが、それにしては違和感がある。

 目の前の九尾を決して馬鹿にするつもりはないが、あの時に沸き起こった退魔衝動は今の比ではなかった。

 殺し合いに没頭し、高揚し、他の事など眼中に入らぬ程に夢中になっていた自分を振り向かせる程の衝動。

 ――――次元が違った。

 ――――格が違った。

 ――――住んでいる世界が違った。

 ――――自然とナイフの軌道はその手に行きかけた。

 それ程までの衝動を、目の前の九尾を前にして沸き起こる事はなかったのである。

 例え同族の妖怪だったと仮定しても、種族間にこれ程の力差があるとは到底想像が付かない。

 そして七夜は一つの仮説にたどり着いた。

 ――――おそらく、目の前のいる九尾すらも遥かに上回るであろう妖怪が、その九尾を使い魔として使役しているという事を……。

 そしておそらくその妖怪こそが、自分たちの殺し合いを邪魔してくれたであろう張本人である事を。

 目の前の九尾はその妖怪の力の一端を与えられ、ソレを使用しているに過ぎないという事を……。

 

「フン。 人間風情にしては勘がいいな」

 

 藍は一度、鼻で笑うと同時にそう呟いた。

 ……そこに、否定の意は見当たらない。

 

「で、実際の所はどうなんだい? 俺としちゃ、視野の狭い勘混じりの仮説だったんだが……」

 

「半ば確信を持っている癖してよくほざく……。その『眼』なら視えているのだろう?」

 

 そう、七夜自身が立てた仮説だけでは、確証には至らない。

 だが、正解はもう七夜の淨眼に映されていた。

 そう、藍の体に組み込まれているであろう〈式〉が、彼の蒼い眼に映っていから……。

 

「蒼い瞳――――淨眼、か。実物は初めて見るが……。その眼は何故か不快だ。

 どうだその眼。私が抉りとって、紫様に直々に献上してやろうか? 紫様の眼中に入る程の価値はないが、稀少ではある。

 少しは紫様の機嫌取りに使えるかもしれないぞ? 最も、そんな価値があればの話だが……」

 

 本心に潜ませていた殺意を、藍は少し引き出して、七夜を威圧する。

 その殺気は常人であればあまりの恐怖に足が動かず、逃げる事も、そして顔を逸らす事すらも出来ないだろう。

 ……しかし、七夜は違う。

 顔は能面に微笑が浮かんだ程度の無表情のままだ。

 

「おお、恐い恐い。生憎、取っても視えるもんは視えちまうんでね……。そのお気遣いは無用だよ」

 

「そうか。それは残念だ」

 

 “残念”……その言葉にどれほどの皮肉が込められているのか、それはこの場にいる二人のみぞ知る。

 無論、藍も本気ではない。

 事実、全ての非がこの男にあるわけではなし、自業自得という意味ではあの博麗の巫女にも非はあるし、彼女の主である妖怪も博麗の巫女を監視しておかなかった責があり、その式である自分もその責を負う義務がある。

 ……だから、今のは冗談混じりの脅しに過ぎないのだ。

 

「……長居も無用だ。貴様が私に感づいてくれたおかげで余計な時間を食った。私は行かせてもらうぞ」

 

「ああ、あんたの主とも何れ殺し合いたいね。もちろん、あんたも……。

 夜空に浮かぶ星を掴むような無謀であろうと、あんた等の力を見て死んでいくだけでも十二分に価値はある」

 

「……地に這う事しかできない殺人鬼風情が、紫様――――引いては私の相手に事足りる価値があるとでも思っているのか?」

 

「さあてね。価値だとか資格だとかそんな事は世間が決めればいい。だけど、自分より上の存在に手を出してみたくなっちまうのが人の性ってもんだろう?」

 

「ならば黄泉路を宛もなく這い回って朽ち果てろ。貴様にとっては本望だろう?」

 

 ……そう言い残し、藍は自身の身を後退させ、自らが開いたスキマへと身を投げる。

 何の痕跡も残さずに、彼女は空間の裂け目へと消えていった。

 ……静寂だけが、この空間を支配する。

 だがその静寂も束の間、今度は右隣の障子が開く音がしたので、七夜はそちらに眼をやる。

 障子にある人影のシルエットが映っている。

 ……まだ10かそこらにみたいない子供に蝙蝠のような翼が生えたような……シルエット。

 つくづく分かりやすいな、と七夜は思った。

 

「入るわよ?」

 

 ……障子の開く音がする。

 まだ十かそこらに満たない幼女の姿、背中に生えた蝙蝠のよう翼、他者を魅了する紅の瞳、水色がかった銀髪。

 レミリア・スカーレットはそこにいた。

 

「おや、ご主人様自らお見舞いとは、涙が溢れてくるね。いや、こんなにも素晴らしい主人に使えて誠に光栄でございますよ」

 

「……何故かしら。なんだか褒められているような気分がしないわ。貴方のそのエr――――じゃなくて飄々とした口調が原因かしら?」

 

「さあ? ご主人様の想像にお任せします」

 

 ……この時、レミリアは思った。

 自分が従者にしたこの人間は、自分が思っているよりも厄介で、ひねくれ者なのかもしれないと。

 ……まあ、その方が面白そうではあるが。

 

「それで誰かと話していたみたいだけど。一体誰だったの? まあ、気配からして想像は付くのだけれど……」

 

 想像は付く、という言葉は本当なのだろう。

 現に、レミリアの眼は嫌悪感に満ちたソレに変わっている。

 

「ええ、さっきまで九尾の妖怪と話していましてね。去り際の『傾国の美女』に片想いの告白をしたんですが、見事に振られました」

 

 そんな七夜の発言に、レミリアは更に機嫌悪そうな顔をした。

 七夜と話していたであろう人物が自分が想像していたのと同じであった事。

 そして、今の七夜の発言であった。

 レミリアは不快げに七夜に聞いた。

 

「主を差し置いて告白だななんていい度胸ね。それで、告白の内容とはどのようなものかしら?」

 

「まあ、簡潔に言えば『貴女と殺しあいたい。付き合ってください』ですかね……」

 

「……」

 

 レミリアは不機嫌そうな眼で七夜を睨んだ。

 当たり前だ。

 これ以上、自分のモノを壊されたくなどないし、自分の命を投げ捨てるような従者を咎めるのは当然の事。

 

「そんな恐い目で見ないでくださいよ。別に(向こうは)本気って訳じゃない」

 

「……だといいのだけれど。貴方って表情からじゃ考えが読めないから。そこの所がスキマ妖怪みたいで少しムカつくわね」

 

「おっと、コイツは少し嫌われましたかね?」

 

「私のモノにすると決めたモノを嫌いになる筈がないでしょ? ただ少しそう思っただけよ」

 

 レミリアは返答に七夜はそうですか、とそっけない敬語で返した。

 予想に過ぎないが、このレミリアという吸血鬼はその実妖怪らしからぬお人好しなのかもしれない。

 ……身内に甘いだけ、というのもあるかもしれないが。

 仮にも会って間もない男に対してここまで世話を焼くとは、咲夜に負けないお人よしな部類だと七夜は思う。

 ――――足元掬われなきゃいいんだがね……。こういった輩は……。

 ……そう思ったのは昔の誰かに心当たりがあったからなのか、それは七夜自身も分からなかった。

 

「……貴方、今の自分の状況は把握しているわね?」

 

「ああ。大体の事は、ですが……」

 

 顔色を変えて質問をしてくるレミリアに対し、七夜は答える。

 そう、とレミリアは相槌を打った。

 ……ならば、今これから話す事も理解してくれよう。

 

「八雲 紫っていう名は聞いた?」

 

「ええ。聞くところによれば、あの九尾の嬢ちゃんの主って話だな。そして、殺し合いの邪魔をしてくれた張本人って所ですかね?

 後は、この幻想郷の創始者であり、妖怪の頂点に立つ者であり、幻想郷一の賢者であったり、物質やら概念やらに存在するありとあらゆる境界を操る能力をもっているだとか……」

 

 聞く限りでは、出鱈目という域を超えているように思える。

 しかし、七夜はさほど驚かない。

 ……だって、あれ程の力の持ち主であるのなら、これくらい造作もないであろうと容易に思えてしまう。

 しかし、七夜にとってそんな事など正直『どうでもよかった』。

 そう、ある一点を除いては……。

 

「どうでもよさげに言った割には、“殺し合いの邪魔をしてくれた張本人”という所を地味に強調しているのは何故かしら?」

 

「美人とのベッドを邪魔されたら誰だって怒りますよ。それと似たような感覚で、その八雲 紫とやらには正直穏やかじゃないのですが……。まあ、今となってはもう些事ですね」

 

「気持ちは分からなくはないけれど、その前に貴方から時折出るその卑猥な言い回しなんとかならないかしら?」

 

「ん、もしやご主人様はこう言った言葉に反応しやすい類ですか? そんな形をしておきながら品に欠けますよ?」

 

「そ、そんな訳ないじゃない!! と、とにかく……話を戻すわ」

 

 レミリアは赤面しながら、コホン、と咳をすると、再び真剣な面持ちになる。

 ……その眼を、七夜は表情を変えずに真っ直ぐと見つめた。

 

「さっき、その八雲 紫と話し合ってきたわ……」

 

「……」

 

「今、幻想郷で起きている異変。そして“今の”貴方自身の事について、彼女がいくばか話してくれた。

 ……全てを教えてくれないのが癪なのだけれど」

 

 ――――全て、か。

 正直、七夜は“前”の自分がどのような人間だったかなどに余り興味はなかった。

 知った所で、“今”の自分がどうこうなる訳ではないし、何よりこれからの事を考えればしがらみにしかならないような気もするのだ。

 ……とはいえ、気にならないと言えばそれは嘘になる。

 何より――――先ほど、起きる前に見たあの夢の事もある。

 

「貴方は、幻想郷に迷い込むこと――――『幻想入り』についてどれだけ聞いているかしら?」

 

「一応、あの門番から聞いた話ですが、『誰の記憶にも残らず忘れ去られる事』と聞きますが……」

 

 そうね、とレミリアは七夜の返答にうなづく。

 ……大抵の幻想入りはこのケースに当たる。

 幻想に招かれるのではなく、幻想に迷い込む。

 

「美鈴が言っていたケースは、正式な幻想入り――――つまりよくある幻想入りという事よ」

 

「……まるで例外があるみたいな仰り方ですね」

 

 ええ、とレミリアは返答する。

 何事にも例外は存在する。

 例えば、中身は球場の空洞で、外はガラス製で出来た一つのボールがあったとしよう。

 そのガラスはとても強固なガラスで、どんな銃弾にも、どんな衝撃でも、どんな熱にも耐える正に強固さにおいては世界最強のガラスであったとする。

 しかし、フッ化水素という薬品が存在する。

 その薬品は強度に関係なく、ガラスという個体を見る間に腐食させ、やがてはボールの中にある空洞へあっさりと侵入してしまう。

 このガラス玉の空洞の中を『幻想郷』と例えれば分かりやすいのではないか。

 

「幻想入りするもう一つの方法――――それは八雲 紫自らが対象の『現実』と『幻想』の境界を操る事で、幻想郷に招かれる事よ。

 例外ではあるけれど、別段めずらしい事ではない。

 八雲 紫の気まぐれによってこの幻想郷に拉致された哀れな子羊だって存在する。まあ、私の所で三週間と6日間踏ん張った執事もそうなのだけれど、今頃どうしているからね……」

 

 ――――”まあ、ソイツは、親御さんの元に帰って来た時はもう、感性がおかしくなっていたとかなんとか……”。

 肉屋の男が言っていた言葉を思い出した七夜は、僅かながらその男は哀れんだのであった。

 そんな自分に、少し苦笑してしまう。

 ――――誰かを哀れむなんて、そんなおめでたい性分はしてない筈なんだが……。

 それは、ここに来てから自分が変わったのか、それとも“前”の自分がから受けた影響なのかは、記憶喪失の彼には分かる余地などなかった。

 

「まあ、貴方なら大丈夫だと信じているわ。初仕事早々、博麗の巫女の洗礼を受けながらも生きながらえたんだ。

 それどころか、貴方は一矢報いて相手の左腕を切り落とした挙句、押し倒して殺しかけた。

 無論、あの子を本当に殺されては私たちも困るけど、それくらいのハプニングはないと面白くもない」

 

 さらっと恐いことを言うレミリアであったが、心の底では七夜の無事を安堵しているには違いなかった

 ……それ故に、彼女は藍から“甘ちゃん”と言われているのだが、吸血鬼という肩書きがあるが故に、やはり彼女とまともに話したことがない人間たちにとってはあまり好印象が持たれていない。

 まあ、レミリアも一言に“甘い”とは言われたものの、それは誰に対しても甘いという訳ではないのだが……。

 

「……話が逸れたわね。

 それで、先程言ったように、幻想入りする方法は二つある。先に述べたのは“幻想入り”と呼ばれ、後に述べたのは“神隠し”と呼ばれている。

 前者は正式な幻想入りに対して、後者はスキマ妖怪――――八雲 紫の故意によるモノ。

 まあ、他にも博麗大結界を無理やりこじ開けて入る方法もなくはないけれど、よほどの力を持たない限りソレはないから除外するわ」

 

「……」

 

 七夜は表情を一つ変えずにレミリアの話を聞く。

 

「……だけど、スキマ妖怪曰く、貴方は先程の述べたどのケースにも属していないそうよ」

 

「――――」

 

 レミリアのその言葉に、七夜はピクリと眉を動かした。

 初めて八雲 紫について聞かされた時は、彼女が自分を呼んだ主犯だと思っていたのだが、状況から考えて彼女ではなさそうだ。

 となれば、レミリアが言ったように前者かと踏んだが、それにも含まれていないという。

 だとしたら――――。

 

「……まったく違う第三者に、俺は『呼ばれた』という事ですか?」

 

「……ええ。

 これもスキマ妖怪から聞いた話だけど、外の世界だと貴方は既に死んでいるそうだけど、何故か今はここにいる。

 だけど、死んでいるだけが忘れ去られる理由にはならない。現に貴方は外の世界では『忘れ去られていない』。

 かと言って、幻想郷の外から干渉して内部に直接、物体を転移させるなんて通常じゃ考えられない。

 必ず、幻想郷のどこかに貴方を『呼んだ』者がいる筈。……どんな目的があるかは知らないけれど……」

 

「ハ――――」

 

 七夜は初めて表情を変え、密かに微笑を浮かべた。

 ――――獲物が多すぎてどれから有りつけようか迷っていた所だが……。

 どうやら……先約ができたようだ。

 ……最も、七夜を『呼ぶ』という行為自体をしたのは他の何でもない『幻想郷』なのだが、ソレは七夜が知る由もない。

 だが、『呼ばれた』からには、呼ばれた『要因』というものがある筈である。

 

「……何が可笑しいのかしら?」

 

 表情をあまり変えなかった七夜が、邪悪な微笑を浮かべた事にレミリアは疑問を持つが、そんなレミリアの疑問に対して七夜はそっけない返事で返した。

 そんな七夜の返事にレミリアは気にする様子もなく、そう、とまたそっけない返事で返した。

 

「フフフ……」

 

「ん? どうか致しましたか、ご主人様?」

 

 突然、笑い初めてレミリアに七夜は首を少し傾げながら、そっけない質問をした。

 そんな七夜の質問を無視し、レミリアは右手を七夜の顔に差し出し、笑ったまま七夜の左頬を撫でた。

 

「随分と思いっきり引っぱたかれたようじゃない。……咲夜をあそこまで熱くさせるなんて、本当に面白いわ、貴方って?」

 

「おや。仕えて早々に褒め言葉を頂けるとは、至極光栄で御座います」

 

 七夜の左頬をなで続けるレミリア。

 ……七夜としては咲夜に平手打ちをもらった左頬がまだ若干ヒリヒリするので、できればご勘弁願いたかったのだが、曲がりなりにも自分の主は楽しそうだったので何も言わない事にした。

 

「スキマ妖怪からの名目で、『監視』という形で貴方を傍に置く許可を貰ったわ。あの胡散臭いババアから許可を貰うっていうのは癪に障るけど……。

 よろしくね、ナナヤ……」

 

「ババアかどうかは知りませんが、仮にも淑女ならその発言は控えた方いいですよ? いくら自分の形が幼女と変わらない事を妬んでソレを言っても惨めになるだけですから……。

 ……まあ、ソレはそうとコチラこそよろしくお願いします、ご主人様」

 

「フフフ、この私に面と向かってそんな冷やかしをぶつける執事は貴方が初めてよ……」

 

 七夜の発言にレミリアはこめかみを押さえながらも、小悪魔的な笑みを浮かべながら言った。

 ……別段、本気で怒っているという訳ではないのだろう。

 レミリアに冷やかしをぶつけた一方で、七夜はレミリアが言った事を思い返していた。

 ――――自分は、外の世界では死んでいる。

 ――――自分を呼び出した者は、この幻想郷の中に必ずいる。

 つまり、あの博麗の巫女が自分に死者といった事については間違いないのだ。

 にも関わらず、この身が何故かしがらみだらけの肉の檻に閉じ込められ、こうしてチグハグな『生』を謳歌している。

 

 

 

 

 

 

 いいぜ。誰かは知らないが、俺を起こしたって事は――――

 

 

 

 

 

 

 ――――“殺せ”って事だよな?

 

 

     ◇

 

 

 幻想郷に、死者が再び出現した。

 ――――その噂をどことなく耳にした霊夢の様子は、そこから一変した。

 本当に異変が起きたのならば、幻想郷の賢者たる紫が教えてくれる筈なので、霊夢はいつものように一人、神社の縁側でお茶を飲んでいた筈だった。

 なのに、“死者”という言葉だけで、心の闇の底から湧き上がる怒り……。

 その日、霊夢は珍しく、誰から頼まれた訳でもなく、スキマ妖怪に諭された訳でもなく自らこの異変に乗り出した。

 ……ただ心の底から湧き上がる怒りを静める為に、彼女は疾走した。

 無論、闇雲に探そうと思う程、彼女も馬鹿ではない。

 たとえ異変の首謀者を一発で引き当てる勘の持ち主であろうとも、死者の出現地帯が複数ある中を闇雲に引き当てようなどとは思わない。

 ならばどうするか、『餅は餅屋』ということわざの如く、死者ならばあそこ、と目星をつけた霊夢が向かったのは三途の川だった。

 そこには、ちょうどサボり常習犯の死神を説教しているお目当ての人物がいたので、説教を中断してもらい、事情を話したのだ。

 お目当ての人物は事情を把握してくれたのか、霊夢にある玩具を渡したのだ。

 ――――死応の鈴。

 既に死した個体に反応し、その方向に向けて鈴が勝手になってくれる代物だった。

 ソレを受け取った霊夢はその人物に軽く礼を言うと、鈴が反応する方向へすぐさま飛び立った。

 そこで偶然、人里から離れる途中の守矢の巫女――――東風谷早苗は霊夢の姿を見かけ、彼女を追いかけて、そして早苗は霊夢から事情を聞いた。

 やがて事情を把握した早苗は自分から異変解決に乗り出す霊夢に違和感を感じらながらも、自分も同行しようと決意したのか、霊夢に自分も同行させてほしいと願い出た。

 好きにしなさい、と霊夢はそっけなく返したが、決して拒否の意を示さなかった霊夢を見た早苗は、霊夢と同行する事にした。

 ……風圧をモノともせずに上空を真っ直ぐに疾走し、やがて紅魔館へと続く大森林付近までに着いた二人はある二つの人影を目にする。

 

 ――――一人は、二人共見知った人物。

 綺麗な銀髪に、頭に白いカチューシャを付け、メイド服を身にまとった女性――――十六夜 咲夜

 

 ――――もう一人、二人が知らない男だった。

 黒い短髪、顔立ちは整っており、少し冷たい感じだが地味ながらも美形の類に入るだろう。着ている服――――執事服のメインカラーも髪の色と合わせて黒かった。

 

 ……その光景は、端から見れば何ら不自然ではなかった。

 紅魔館が男手を欲して執事を募集しているのはよく見かけていたし、あの男はその経緯で雇われたに過ぎないと、端から見ればそう思うだろう。

 

 しかし、霊夢の手元にあった死応の鈴は彼に向けて反応していた。

 そして、霊夢は感じた。

 ……あの男から、他の誰かとは明らかに違う匂いが感じられると。

 そう感じ取った霊夢の行動は早かった。

 霊夢の勘を信じていた早苗もソレに続いた。

 しかし、急に襲撃したとて、傍にいる彼女――――十六夜 咲夜が納得する筈もなし。だから早苗はあの男を霊夢に任せ、早苗の足止めをする主旨を霊夢に伝え、霊夢もソレに乗った。

 そして、霊夢は男――――蒼眼の殺人貴と対峙する事になる。

 

 

 

 

 

 

 彼女の運命は、ここから狂っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――否、もしくは彼女の運命は、“あの時”から狂っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 




作者が好きな型月キャラランキング

1、遠野志貴/七夜志貴
2、アルクェイド
3、両儀式
4、ギルガメッシュ
5、軋間 紅魔
6、ハルオ
7、七夜黄理
8、セイバー
9、言峰綺礼
10、衛宮士郎


 最近、FF7のスピンオフシリーズに登場するジェネシスとヴァイスを幻想入りさせたいなあと考えたり考えなかったり。


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その、彼の胸の内(読み飛ばし可)

これは本編ではありません。
ななやさんのちょっとした独白なので、読まなくても構いません。


“――――ソレがお前の勘違いだ。■■■”

 

“――――命と死は背中合わせでいるだけで、永遠に顔を合わせる事はないものだろ”

 

 昔、どこかの誰かが、そう言っていた気がする。

 それを言ったのはまったくの第三者なのか、それとも“前の自分自身”であるかは定かではないが、何とも感慨深い言葉だと思う

『命』とはなんなのか、と問われれば生きている状態の物と答えるのが一般的な回答だ。

 『死』とはなんのか、と問われれば生きていた『命』が停止してしまう事だ。

 生きている事は即ち、これから死ぬ事である。

 死ぬ事は即ち、その個体はついさっきまでは生きていた『命』である事を意味している。

 『死』があってこその『命』であり、『命』があってこその『死』である。

 ……比喩的に表現するのなら、コインの表裏みたいな関係だ。

 背中合わせとは、そういう事で、命と死が顔を合わせる事は永遠にない。コインの裏表同士がどうして顔を合わせることが出来ようか。

 『命』が『死ぬ』時、両者は顔を合わせることないまま、『死』は背中を向けたまま『命』を『死』へと引っ張ってゆき、『命』はそれを知らぬがまま振り向かずにそのまま『死』へ引きずり込まれる。

 振り向かないのは、『命』は無意識に『死』を恐れ、知らないままに振り向く事をしないからである。

 そして『死』は何の善意も悪意もなく、ただ唐突に訪れるその時――――即ち寿命が来た時に、『命』を『死』へと連れ去る。

 つまり、『死』とは生きている『命』を停止へと導く概念なのだ。

 そして『命』は、『死』が訪れるその時まで『生』を謳歌する存在。

 『命』とは『生の状態』である。

 ならば『生の実感』とは何か――――簡単だ、『命』――――『生きている』全ての状態を表す。

 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に加えて、痛覚がいい例だ。

 生きているからこそ視覚で見る事ができ、生きているからこそ聴覚で聴く事ができ、生きているからこそ触覚で触感を感じる事ができ、生きているからこそ味覚で味を感じる事ができ、嗅覚があるからこそ匂いを嗅ぐ事ができ、痛覚があるからこそ痛みを実感する事が出来る。

 何気ない日常生活においてソレは常に機能されるが、ソレが最も刺激される時――――それこそが俺が最も好む生存競争――――即ち『殺し合い』だ。

 殺すべき相手を視覚で捉え、殺すべき相手の位置を聴覚または嗅覚で感じ取り、血の味を味覚で味わい、触覚で殺すべき相手に触れた事を感じ取り、痛覚で自分の生命が脅かされている事を痛みで感じ取る。自分は勿論の事、相手もまた然りだ。

 『死』に浸っている殺し合いは、『生の実感』を一番に感じることができる行為だと俺は思う。

 日常で常に感じているちぐはぐな『生』など既に死人である俺にとっては、鬱陶しいしがらみである事この上ない。

 餓鬼は餓鬼らしく『死』を味わいながら、刺激的な『生』を感じ取るのが妥当だろう。

 『死』を以て、『生』を味わうのはこの上ない恐怖である共に、この上ない喜びである共にこの上ない『生』であるのだ。

 ……所謂、俺はそれだけの存在なのである。

 以前の俺がどういう人間だったのかは定かではないが、この『眼』がある時点で真っ当な人生を送っていたかは非常に疑わしい所だ。

 咲夜は以前の俺と面識があるようだが、生憎今の俺には関係ない事だ。

 『壊れる前』と『壊れた後』じゃ、似てもにつかない。以前の俺と今の俺を同一にするのは非常に嘆かわしい事この上ない。

 まあ、咲夜が今の俺をどう思うのかは別にして……。

 ……まあ、そんな事は正直どうでもいい。

 殺し合いこそ、俺にとって最高の『生』を謳歌できる瞬間であり最高の『生』を実感できる唯一の行為。

 だが、死人である俺がいくら『生』を実感できようとも、得られる事は決してない。

 

 

 

 

 

 

 ――――そんな事は、とっくのとうに分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 『生』とは『命』であり、『命』は『死』とは背中合わせの存在である。

 いくら殺し合いで『死』を味わい、いくら『生』を感じ取ることがあろうとも……。

 背中越しにしか『生の実感』を感じる事しかできない故に、『生の実感』を掴み取れる日なんて永遠に来やしないのだ。

 ……だが、それでもいいさ。

 元より、この身は生き続けることなど望んでいない。

 この身は既に死した身――――既に燃え尽きた後の燃えカスにすぎない。

 だが、燃えカスが残っているということは、まだ『消える』まで燃え尽きていないという事。

 そんな中途半端な『生』など根っから願い下げである。出来ることなら誰にも邪魔される事なく、自殺することなく今この場で消えたいものだ。

 

 ……だが何も成さずにただ漠然と消えていくのだけは頂けない。

 生かされているのだというのなら、せめて最後まで自分の『役目』を全うして悔いなく消えてゆきたい。

 土壇場で力尽きて消滅、というオチは何がなんでも御免だ。

 

 

 

 

 

 

 だから、俺が『役目』を全うする、その日まで――――

 

 

 

 

 

 

 ――――よろしく頼むよ、ご主人様。

 




 感想欄を見ていると、どうも勘違いしている人がいるようなので、この際言いますが、この七夜はメルブラの七夜ではありません。
 そこの所を勘違いしないようにお願いします。


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第十五夜 鬼と退魔・上

 鬼、というモノがある。

 妖怪――――ひいては『魔』の中でもかなりの上位種族に分類されると言われる幻想種の一種だ。

 総じて勝負事が好きで、嘘嫌いで、酒飲みで、豪快な性格をしている彼らは正に、妖怪一の暴君一族と言っても、過言ではない。

 反面、情に厚く、仲間を裏切る事が決してないという人間らしく義理堅い所もあるが、その根は妖怪らしく気性は荒くて、獰猛であった。

 もう一度言うが、彼らは勝負事が大好きである。

 妖怪であった彼らが勝負事の相手とみなしていたのは、無論言うまでもなく妖怪の餌にして妖怪の天敵でもある人間たちであった。

 当時、百戦錬磨の陰陽師や鬼専門の退魔師、加えて古流剣術使いの侍たちがたくさんいた時代……日本は正に鬼達にとって勝負事に退屈しない最高の修羅場がそこらに転がっていたのである。

 しかし、いくら鬼と渡り合える力をもった人間がいたとしても、それでも元来のスペック差が響いているのか人間が勝利する場合は少ない。

 いくら並の妖怪と正面から圧倒する技術を持った者たちでも、その最高峰であった鬼たちに敵うことは簡単な事ではないのだ。

 

 百戦錬磨の陰陽師であろうと生半可な術式は通用しないし、隙を見出して大技を叩き込むしか選択肢はない。

 

 鬼専門の退魔師であろうと、その術式が通る前に殺されてしまえばそれでオジャンだ。

 

 そして、古流剣術使い――――当時では侍と言われていた彼らは戦闘狂という鬼に近い資質を持った者もいたので、実質、鬼達にとってのライバルは彼らであっただろうが、彼らにとってはそうでもない。宿敵は鬼よりも、同じ剣術使いが主であっただろう。同じ剣術使い同士ですら真剣でやり合う時もあるのだから、自ずとその数を減らしてゆく。

 

 ――――彼らですら鬼と渡り合うのが手一杯だというのに、そんな力すら持たない人間はどうなる?

 

 結果は透明ガラスを覗くように分かりきった事だった。

 ただひたすらに蹂躙され、どれだけ有象無象が群がろうとも勝てる道理などありはせず、ただ像が蟻を踏み潰すかのような結果という名の理不尽が重なるばかりである。

 そして人間に勝負を無理やり売って、当然のようにそれを勝ち取った彼らはそのまま人間達を攫う。

 自分たちより弱い人間を負かしては攫い、負かしては攫う。

 上記で述べた三者はともかく、何の力もない人間、もしくは並の退魔師、陰陽師では鬼になす術もなく、次々と任されて攫われるの繰り返し。

 

 そんな暴挙を続ける鬼達に、さしもの人間達も黙っている訳にはいかないだろう。

 だからと言ってまともにやり合えばそれこそ、像が蟻を踏み潰すが如く返り討ちにされるだけだ。

 だから――――人間達は一つの結論にたどり着いた。

 

 ――――奇襲、罠、追い打ちである。

 

 最初に述べたように、鬼は嘘を嫌う。

 その信念は自分たちにも課す程で、自分は相手に決して嘘をつかないし、奇襲も欺きもしない。

 正々堂々と真っ直ぐぶつかり合うのを是とする鬼達は――――そこを人間達に付け込まれたのだ。

 人間は次々と鬼を罠に誘い出してから、罠にかかった鬼を大勢で滅多打ちにした。そこに無論、その人間達に雇われた――――鬼と正面から渡り合える筈の人種――――百戦錬磨の陰陽師や、鬼専門の退魔師も含まれていた。

 卑怯を嫌い、真剣勝負を好むという鬼に近い性質を持っていた古流剣術使いはさすがに居なかったが、それでも人間のその醜い手段に失望する鬼は少なくない。

 

 ――――そんな鬼達に構わず、人間達はどんどんと鬼を一人ずつ罠に嵌めては、大勢で滅多撃ちにして弱らせて、破滅させる。

 

 ――――それでも、鬼は人間達を信じ続けた。

 

 妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治するのと同じように。

 鬼が喧嘩を売り、人間がその喧嘩を買うという“絆”がいつか戻ってくると信じて、鬼は人間に勝負を挑み続けた。

 

 ――――それでも、人間達の愚行は増すばかりであった。

 

 鬼が人間に喧嘩を売ろうとしたら、その人間は実は囮で、その直後に罠にハメ滅多撃ちにする。

 いつしか、鬼と人間との歪んだ絆の人は本当の意味で歪んでしまった。時代の流れの変化といえば、それまでであるのだが、それでも鬼達は人間達に深く失望する。

 

 ――――そして、鬼達はついに人間を見限った。

 

 ……奴らはもう駄目だ。……完全に腐りきってしまった。……我らを本当の意味で裏切った。……我らを侮辱した。……もう我らの相手に足る存在ではなくなってしまった。……興は完全に失せた。……もう腐りきった奴らにもう用はない。……ここにはもう我らの修羅場(いばしょ)など存在しない。

 

 鬼達は、次々と人間を見限ってはその姿を歴史から消してゆく。……まるで、最初からいなかったかのように、彼らは異世界へと消えていった。

 どことも知らぬ彼らの新たな修羅場に潜り込んでいった。

 

 ――――それでも、人間達を信じ続けた鬼達は僅かながらにいた。

 

 ……まだいるはずだ。……我らの相手足りうる人間が。……まだ残っているはずだ。まだ腐りきってなどいない筈だ。……奴らは簡単に廃ってしまうような者たちではない。……きっとどこかに残っている筈だ。

 ただ、そう想い続けて、彼は人間達に勝負事を売り込み続けた。

 

 ――――しかし、その鬼達が望むような人間は誰ひとりとしていなかった。

 

 そして、残った鬼達は捕らえられた。

 罠に嵌められ、畳み掛けられ、滅多打ちにされ、滅多切りにされ、いくら頑丈な皮膚を持つ鬼であろうと延々と続く暴行を加え続けられば、その身体も弱る。

 ……それだけで死んでいゆくのなら、失望した鬼達にとってはまだ不幸中の幸いだった。

 

 ――――しかし、人間達は更にその上をゆく屈辱をその鬼達に植え付けた。

 

 ……その鬼を捉えた人間達は、その鬼の力に魅せられた部類の人種だった。

 彼らは魅せられた。……鬼の圧倒的なる力、圧倒的なる能力、圧倒的なる豪腕、圧倒的なる異常性。

 その鬼の力に、魅せられた一部の人間達がいたのだ。

 人間達は男性体の鬼をそのまま殺し、弱った女性体の鬼をあえて弱らせたまま残した。

 そして、人間達はその女性体の鬼に自らの種を注ぎ込んだ。

 ……ソレも一度ではない。

 弱っていようとも強靭な生命力を持っている鬼達に、何度も異種交配を繰り返した。鬼達の命尽きるその時まで、人間達は弱った鬼達と無理やり異種交配をし続けたのだ。

 ……そして、ついに禁断の子が生まれた。

 

 ――――これが、『混血』の始まりである。

 

 やがてその混血達は姿を消した鬼達に変わって、猛威を振るう事になる。

 人の血が混ざっているせいで、元来、鬼や妖怪に有効だった退魔術や陰陽術が通じなくなり、更には鬼としての異能を行使する。

 そして純血の鬼に見られた卑怯を嫌う側面が薄れ、人間らしい卑怯で非道なやり方を平然と行う様を見ると、それはある意味純血の鬼よりも質の悪いモノであった。

 中には妖怪に対抗する力を欲する為に鬼と交わった者もいたが、そういった者たちも人間としての側面が鬼の血に負けてしまい、結果的に心が完全な『魔』なってしまう者もいた。……これは、俗に『先祖還り』、もしくは『紅赤朱』と呼ばれるモノである。

 多くの人間はソレを迫害し、それに対抗する手段を見出そうとするが、人の身でそれができるはずもない。

 いつしかいなくなった鬼達に変わって、畏怖の対象となってゆく混血たち。彼らという化物は好き勝手に振る舞い、その権力を手にしていった。

 もはや対抗する術を持たぬ人々はその恐ろしさに身を縮め、怯え生きるしかなかった。

 

 両儀、浅神、巫淨、七夜といった一族の先祖たちが現れたのはこのような時代だっただろう。

 弱き人の身でも、その一芸に特化させる事によって魔に対抗する手段を持つ。それぞれ一芸に特化した存在が現れたのだ。

 接吻や吸血、性交などによる儀式や祈祷などで他者へ何らかのフィードバックを可能にした〈巫淨〉。

 何十年間に一度生まれる超常的な超能力者が生まれ、その稀代の能力を行使する〈浅神〉。

 『 』に繋げる事により完璧な人間を作り出そうとし、更には過去に存在した古流剣術をアレンジして現代までその技を伝えてきた〈両儀〉。

 そして、親近相姦を繰り返す事によって一代限りで終わってしまう超能力を血で伝える事に成功し、人間の身体能力を限界まで高める事によって生身で化物を闇の中での暗殺を可能にした〈七夜〉。

 

 どれも、それぞれの方法で人を超える人を作ることによって魔に対抗しようとした一族である。

 無論、人の執念というモノは恐ろしいモノで、その努力はどれも功を成していた。

 その中でも、奇怪で華麗な体術を持って魔を直接暗殺する七夜、アレンジされた古流剣術を持って魔を正面から斬殺する両儀は特に異端とされた。

 どちらも手段は違えど、生身で魔を打倒しうる事ができたのだから。

 ……とりわけ七夜一族が使っていた人外的な体術は正に魔を殺すためだけに生まれたモノだった。

 人々は先を競って、彼らに化物退治を請う。

 苦しい思いと屈辱を味あわされた意趣返しとして、彼らに仇を取ってくれと懇願する。

 日々の生活を約束し、賃金を支払う。祖先は、それを迷うことなく引き受けた。

 空間を立体的に扱う巣を張った蜘蛛の如く三次元的な動きを展開し、獣と同等の速さを持って敵に気づかれる事なく、死角から一気に得物で瞬殺する。

 ……誰しもが出来る事のなかった化物殺しを、ソレは何の恐れも抱かず、清々しい程あっけなくソレを遂行してみせた。

 そう、人の身で、化物を狩ってみせたのだ。

 

 ――――その化け物を殺した先に、何があったか?

 

 化け物を殺す『化け物』。

 人の身で化け物を殺すことにより、その化け物から畏怖され、そして同族からも畏怖される『化け物』として扱われる事となる。

 人の身でありながら、人を超える能力を持った彼らを待ち構えていたのは、『必要とされなくなる恐怖』である。

 彼ら退魔四家は、その自分達の能力の有用性を示す事で、人々から畏怖されつつも、賞賛を讃えられていた。

 ……彼らは、全うな道を歩む事はできなくなってしまう。

 退魔をやめた超能力者など、傍から見ればもうただの『化け物』に過ぎないのだ。

 そう、彼らはその退魔という茨の道を歩み続けるしかなかった。

 

 ――――そして、『混血』という魔が皮肉にも必要悪とされる時代が来た時、彼らは絶滅の一途を辿る。

 

 もはや需要のなくなった退魔四家は、人間達にとってはただの化け物でしかなかった。

 とりわけ超能力者は迫害され、周囲から化け物として畏怖され、終いには無惨に命を奪われてしまう者までいた。

 それでも彼らは、それぞれ別々の形で、自分達の『遺産』を残そうとした。その遺産は今でも“血”という形でこの世に残っている。

 とりわけ両儀はその中でも特殊だった――――否、賢かった。

 超常的な超能力ではいずれ、文明社会から抹殺される事を予め予期していた彼らは、表向きでは普通の人間として生活できるチャンネルを加える事で、今でもまともに表社会に立派な家名として君臨していた。

 

 ――――では、七夜は?

 

 想像するに容易かったであろう。

 たとえ混血が必要悪な時代でも、反転してしまえば放っておく訳にもゆかない。とりわけ陰陽の理が通じない混血に対しての切り札は『七夜』を除いてはもういなかったのだ。

 元より、魔を殺すことだけを念頭に技を極めてきた彼らは、こうする事でしか家を存続する方法はない。

 ――――そして、現代においても暗殺業を営んでいた彼ら、その暗殺技を退化させるどころか、時代の流れに沿ってむしろ“進化”していった。

 それは彼らにとって喜ばしかったのかはともかく、その日に日に技を昇華させてゆく彼らに対して、混血も、そして彼らを保護していた退魔組織も、これまで以上に畏怖していた。

 そして、ある混血がその七夜の最高傑作の殺人技巧を直接目の当たりにしてしまった時、ついに、滅びの歯車が七夜へと向いてしまった。

 その混血は七夜を恐れた。

 ……自分と同じ混血であった者をいともあっけなく解体し、瞬く間に惨殺死体に仕立て上げてしまったその技巧を目の当りにし、正気でいられる筈がなかった。

 そして、気が狂ったその混血にも、その七夜の刃が向いてしまったのだ。

 その恐怖を脳の底まで刻み込まれた彼はついに、七夜一族を根絶やしにする事に決めた。

 

 ――――“最高の切り札”を持って、七夜一族を一人除いて根絶やしにした。

 

 ……七夜の最高傑作であった最後の当主も、その切り札の魔手によって一生を終えたのだ。

 かくして、七夜の歴史はここで幕を下ろす事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その最高傑作すらも超える、『最後の生き残り』をこの世に残して。

 

 

     ◇

 

 

 一週間前の雨が嘘のように病んでいた。

 気持ちいいそよ風邪が障子の隙間を通して伝わって来るのがよく分かる。こういう安らぎの場所も止まり木としては悪くはないだろう。

 ……少なくとも、常人からしてみれば紅まみれでノイローゼになってしまいそうな紅魔館とは大違いだ。

 生まれた家柄もあったのであろうか、体は紅魔館よりもこの永遠亭の方が遥かに馴染んだ。

 まあ、どうでもいい事ではあるが――――。

 

「……体も、問題ないか」

 

 レミリアとの挨拶から数日が立った。

 レミリアと美鈴は既に屋敷に帰り、実質、この永遠亭に居候している者は七夜と咲夜と霊夢の三人だけだった。

 ……七夜はまだ完全に完治した訳ではなかったので、ここで安静している訳だが、今では問題なく動いていた。

 咲夜は七夜の治療をしてくれた永遠亭へのお礼と七夜の看病、および監視と付き添いの役目を経て、永遠亭に滞在していた。

 霊夢は、未だに部屋から出ることはなく、ただ引き篭っていた。それでもその貧乏性だけは相変わらずのようで、口は聞かずとも、持ってこられた食事だけは食べているそうな……。

 霊夢が元気を取り戻すまでは、守矢神社の巫女である東風谷早苗が不在の霊夢に変わって留守番をしていた。

 あれだけの惨事の後に、ほとんどの者が心底パニックになっていたのにも関わらず、今回、一番の加害者にして、一番の被害者である当の七夜が一番、平然としていた人物である事は言うまでもない。

 ……何せ、彼は稀代の殺人鬼にして、稀代の『厄介事』好きでもあるのだから。

 

「――――」

 

 縁側でしばらく黄昏ていた七夜は、そろそろ約束の時間か、と思い立ち上がった。

 ――――体調に問題ないと感じたら、また私の部屋に来なさい。

 ここ、永遠亭の医師からそう告げられていた七夜は、その部屋へと向かった。

 何でも、彼の脳は一度、ほとんど脳死状態になったのだから、あの後に脳にまだ異常がないかを確かめる為らしい。

 ――――まさか、人でなしがこんな施しを受けるとはね。

 浮世というモノは本当にままならないもんだ、と心の中で皮肉りながら、七夜は医師――――八意永琳の部屋のドアの前と付いた。

 コンコン、とドアを叩き、奥にいる医師の返答を待つ。

 どうぞ、という聞こえたので、彼はドアの取手を引いてそのまま部屋へと入った。

 

「……調子はどうかしら?」

 

 ドアの奥にいた、いかにもアダルティな雰囲気を纏った銀髪の女性が椅子を七夜に向けて問いかけた。

 

「お陰様でな、特に問題はない」

 

 素っ気なく返したその返答は、それでいて正直な返答だった。

 そう、と永琳は目を一度目を瞑り、一つ息を吐く。

 

「脳がとてつもない損傷を負っていたから、私の医療をもってしても人間の生命力で持ちこたえられるか心配だったけど、その様子だと大丈夫そうね。まあ、紫にとっては喜ばしい結果ではないでしょうけれど……」

 

「……」

 

「それでも、貴方を心配してくれる者もいた事は忘れない事ね。それを無化にしてしまえば、私は医師として貴方を治療した意味がなくなってしまう」

 

「さて、どうだか……」

 

 若干、釘を刺すような永琳の言葉に、七夜は適当にはぐらかした。

 永琳は、心底で七夜の在り方を感じ取っているのか、その温厚で優しい目のそこに感じられる鋭さが七夜に突き刺さるが、七夜はそれを平然と受け流すような態度だった。

 そんな七夜の様子に永琳の目は更に鋭くなるが、これ以上は無駄と判断したのか、ハァ、とため息を付き、眼前に用意しておいた席に座るように七夜に促した。

 その厚意に甘えて七夜は座る。

 

「見た所、貴方に異常は無さそうだけど、万が一の事も兼ねてもう一度脳を検査するわ。何分、脳をあれほど中心的にダメージを受けていた患者は貴方が初めてだから、出来れば医師として今後の為にも再検査はしておきたい」

 

「……そうかい。まあ、女性との情事にしちゃあ、少し過激すぎたのは否めないね。――――まあ、それは置いておくとして、俺は結局何をすればいいんだ?」

 

「簡単よ、貴方がそこのベッドに横になってしばらく眠ってくれるだけでいい。起きたままだと、脳波が変化しがちだから、標準状態では測れないのよ。

 一応、麻酔をかけてはおくけれど、検査自体は早く終わるし、麻酔の効果もそんなに長くはないから目覚めるのも早い筈よ」

 

「……了解した」

 

 そう言って、七夜は永琳が用意した、ベッドへと横たわる。

 妙に寝心地が良いベッドは、彼の体を不思議と睡魔に誘い込むが、それ以上に永琳に注入された麻酔薬が止めとなって、七夜は意識を手放した。

 

「貴方を心配する人物がいる以上、医師として貴方を死なせる訳にはいかないわ」

 

 言って、永琳は、白衣に着替えた後、脳波計測機をから伸びるチューブを取り出す。

 一度、七夜の頭部に刺さっていたソレは、今度は前回と違い、簡単に入れられそうだった。

 

「貴方が死にたがりだって事はなんとなく見て分かる。それでも助けられる命は助けたい。誰が貴方を死者呼ばわりしようと、私や姫様、妹紅と違って――――」

 

 

 

 

 

 

 ――――貴方には、ちゃんと『終わり』があるのだから……。

 

 

     ◇

 

 

 あの時の雨が嘘のように、今日の天候は清々しかった。

 ……曇天から感じた重苦しい雰囲気も消え去り、空は開放感溢れる天使のような白い雲が漂い、まるで堕天使に堕ちた天使が戻ったかのようにも思えた。

 長年、吸血鬼の主人と接してきたせいか、その感性が映ってしまったのかは定かではないが、咲夜も日光というのはあまり好きではない。

 ……しかし、この間の鬱陶しいザァーザァー振りに比べれば幾分かマシなものでもあった。

 それでもあまり好きではない日光に当たって、慣れない庭のゴミ履きをするのはあまりいい気持ちではないが、七夜を治療してもらった事への恩返しもあって、七夜がここに滞在する期間はここで働くと咲夜は決めていた。

 主からもそのように言われていたので、咲夜も謹んでそれを受けた。

 ゴミ履きは慣れてないとは言うものの、ソレは彼女の瀟洒ぶりと比較すればとの話で、実際に咲夜の屋敷ゴミ履きは人並み以上ではある。

 それでもやはり彼女にとっては慣れない事だ。

 屋敷のゴミ履きは大抵は、門番である美鈴の仕事だからだ。

 屋敷の花畑を世話しているのだから、その周りの環境も綺麗にしようと努力するのは必然といえば必然だ。

 つまり、咲夜の出る幕はない訳である。

 ……だが、それでも他者から見れば例え慣れない仕事であったとしても、咲夜の瀟洒ぶりには簡単の一言を漏らすだろう。

 

「……すごい、ゴミがあっという間にないや……」

 

 咲夜と一緒に掃除をしていた鈴仙もこれには驚愕した。

 時を止めて自分が知らぬ間にやってしまったのではないかと疑ったが、咲夜は仕事と弾幕ごっこや戦闘以外で時を操る能力を行使する事は滅多にない。

 とりわけ仕事に関しては、本人が無意識に紅魔館の住民たちと少しでも長く居たいという思いがあるせいか、空間を操る事はあれ、時を止める事は滅多にはしない。

 多少時間はかかるが、レミリアも咲夜のそういう思いは感じ取っているようで、特に何も言及してはこなかった。

 

「これでも時間はかかった方よ。紅魔館は広いから、これくらいの作業は大体二分くらいで終わらせなければいけないのよ……」

 

 それでも今の紅魔館が保たれているのは、何より咲夜の能力よりも咲夜自身の手際の良さと瀟洒ぶりもあるのだろう、今の彼女をなくして紅魔館は成り立たない。

 そして、咲夜は人間だ。

 いかに神すら驚愕する異能を持とうとも、その血はまごうとなき人間のモノだ。

 蓬莱人のように死なないわけなどがないし、妖怪のように強い生命力を持っていたりもしない。

 彼女がいなくなった後、紅魔館がどうなるかは住民達は分かっている“筈”ではあるのだが……。

 

(パチュリー様は未だに魔道書以外にも本を集め続け本棚は増える一方。その度に私が空間を作らなければいけない。妹様のあの小さい部屋も私が広くして快適にしたもの。お嬢様の大食いも私がお嬢様の胃の中の空間を操って広げたもの……)

 

 ――――大丈夫かしら?

 今、思えば先行きがものすごく不安だである。

 思えば、あの時自分の主が蓬莱人になることを勧めてきたのも分かる気がしたのだが、自分が丁重に断った時のレミリアの顔がどこか安堵しているようであったのが咲夜の頭から離れなかった。

 

 ――――“命令だ、十六夜 咲夜。ヒトとして生まれたのならば、最後までヒトであることの誇りを忘れるな。その誇りを、命を、オマエ自身が誰よりも大切にしなければいけない”

 

 そして、あの時のレミリアの言葉を思い出し、咲夜はそっと笑った。

 それは、なるほど、という納得の笑いだった。

 今思えばあの永夜異変の時、レミリアは咲夜を試したのだ。

 あの時から咲夜の考えはどうかわっただのだろうかと、態と蓬莱人になってみないかと聞いた。

 咲夜は断った。

 

 ――――“私は一生死ぬ人間ですよ”

 

 そう、その回答は見事にレミリアを満足させた。

 その日の夜、レミリアは咲夜に特に何も言及はしなかった。紅魔館のテラスで、満足そうに私の淹れた紅茶を飲んで、お月見をするレミリアの姿があったのだ。

 あの時は、自分の主がなぜあんな満足そうな顔をするのかは分からなかったが、そういう事だったのかと咲夜は納得した。

 

「これでも時間はかかった方よ。それで、まだ何かやる事はあるかしら?」

 

 箒を片手に、咲夜は鈴仙に向かって聞いた。

 

「えっとそれじゃあ、夕飯の手伝いをしていただけたいのですけれど、それまで時間があるのでしばらく休んでいて結構ですよ。……まあ、貴女に疲れた様子は特になさそうですけれど」

 

「ふふふ、どうかしらね?」

 

 確かに、体力はまだ疲れていない。

 しかし、精神的にはそうでもなかったりするのだ。

 ……正直な所、七夜の事で少し頭を痛めている所である。

 七夜はレミリア好みの人間かそうでないかといえば、答えは無論前者となろう。自分も個人的な理由があるとはいえ、七夜が紅魔館の執事になるかを拒む事はなかった。

 問題は、七夜が自分の頭痛の種となるか、それとも役に立つ頭痛薬になってくれるかだ。

前者であれば、そこらの妖精メイド(一部を除いてだが)と同様に頭痛の種を増やしてくれる。

 逆に後者であれば、咲夜の仕事もある程度は減り、少しは安らぎの時間も得られるだろう。

 七夜の場合は、その両方の属性を持っていそうで困る。

 

「――――夕飯、ね……」

 

「……? どうかしましたか?」

 

 咲夜の呟きに、気になった鈴仙が聞いた。

 

「ねえ、鈴仙。居候の分際で悪いけど、貴女の師匠に、少しお願いしたい事があのだけれど、いいかしら?」

 

 

     ◇

 

 

 腕を切り落とされてから一週間以上が立った。

 霊夢は相変わらず永遠亭の寝室に篭っていながらも、精神面は完全とまでは行かないものの、一週間前よりはかなり安定していた。

 ……河童と永遠亭の医師が共同で作ってくれた義手のおかげで、なくなった左腕に関しても不自由はしていないのだが、それでも霊夢にはここの所違和感があった。

 本来、何にも干渉されない筈の彼女の能力が破られた事によって、彼女の体、もしくは心に歪みが生じているのではないかというのが、永琳の憶測であったが実際の所はわからない。

 だが、霊夢は確かに自分自身に違和感を感じていた。

 ……その違和感――――感情が何であるかを知るのは、また別の物語でという事になるだろう。

 

「――――?」

 

 その時、突如別の違和感を感じた霊夢は周囲を見渡す。

 辺りには何もないし、何も見えない。

 おかしな事なんて一つもない。

 ……僅かに見える霧を除けば、だ。

 

「萃、香――――?」

 

 霊夢はその名を呼んだ。

 その霧を発生させている者――――否、その霧自身になっている人物の名をゆっくりと呼んだ。

 

「……」

 

 霧は何も話さない。

 だが、気配だけはそこにあった。

 

「何か用?」

 

 それに構わず、霊夢はその霧に話しかけるが――――

 

「……」

 

 ――――霧は、すぅー、と晴れていった。

 ……同時に、感じていた気配も消えた。

 

 ――――一体、何だったのだろうか。

 

 一度疑問に思った後、霊夢はまあいいか、と思い布団から状態を起こした後、何もない天井をゆっくりと見上げた。

 

 

     ◇

 

 

 ……眼が覚めたのは、日が落ちる前――――丁度夕方だった。

 麻酔の効果は短いとは言われたが、思いの他長引いたのか、夕方まで寝てしまったようだ。

 まあ、すぐに目覚める麻酔に意味があるのかと問われれば、それはまったくない。

 故に、他の麻酔薬と比べれば格段に早いものだ。

 そう結論づけた七夜は、状態を起こした後、体を横に向けて自分が寝ていたベッドに座った。

 ……体に不調は見られない。

 すぐ傍にでも得物があれば、すぐにでも殺し会える程に好調だ。

 自分の体調の確認をした七夜は、そのまま着物の裾と袖を整えた後、ベッドの横にあった鏡に自分の体を映した。

 着物の帯を締め直し、ナイフのホルスターを二本、腰に差した。

 得物はやはり常に持っていないと落ち着かない。

 それは殺人鬼としてか、暗殺者としての性であるのかはよく分からなかったが、やはり彼ほどナイフに合う男もいないモノである。

 紅の和服――――に模した聖骸布――――の帯を締め終わった彼は、傍にあった置き手紙に気づく。

 大方、あの医師からだろうと予測し、その手紙を開けた。

 

『ごめんなさい、本当は一時間程度で目覚める麻酔なのだけれど、思いの他効いているせいかかなり長い時間眠っている事でしょうね。

 まず、体調についてだけれど、問題ないわ。脳波もすっかり正常、体の構造組織やくっつけた腕にも問題はなし。

 貴方の大きな古い胸傷について少し気になっていたのだけれど、そういえば貴方記憶喪失だったわね。

 この手紙を読んでいるという事は、かなり長い時間眠っていたでしょうけれど、起きたら夕飯まで自由にしてていいわ。

 明日からは紅魔館で執事の仕事で大変でしょうから、せめて今日までは体を休めておきなさい。

 

 永遠亭の医師:八意 永琳 より』

 

「ハ――――」

 

 何を思ったのか、七夜は鼻で笑いながら言った。

 

「やれやれ、有り難すぎて涙が出るね、こりゃ――――」

 

 言って、七夜は手紙を折りたたんだ後、元の場所に置いておいた。

 ――――やれやれ、咲夜といいご主人様といい、あの八意という医者といい、お人好しもいい所だ。

 ……悪い気はしないが、人でなしのこの身にはどうにも慣れないのが、厄介物である。

 七夜はそう自嘲し、再びベッドの上に座った。

 ――――さて、夕飯までお暇と言っても、暴れられないのは性に合わない。

 仮にも恩人の家の中で、血沙汰を起こす程、彼も人間が出来ていないという訳ではない。

 ひとまず、メイド長の所にでも行こうかと思った、その時――――

 

 ――――ドクン、と胸がなった。

 

「……ッッ!!?」

 

 突如、七夜は体の体温が上がっていくのを感じた。

 ――――時刻は既に逢魔が刻。

 ――――魔が現れるには丁度いい時間帯。

 ――――だから、ソレは七夜の血が最も騒ぐ刻。

 ……いる。……何処かにいる。……確かにいる。……この建物の近くの何処かにいる。……距離こそ離れているが、その威圧は確かに自分に向けられている。

 

「……」

 

 ……得物はもう腰にある。魔眼にも死ははっきりと映っている。……ならば、やる事は、一つ――――。

 

「ククク……」

 

 咄嗟に笑いが出てしまう。

 七夜は、医務室から出るためのドアを開く。

 医務室から出た七夜はそのまま、衝動の赴くままに、永遠亭の裏口を見つけ、そこから竹林へと出た。

 無論、七夜の暗殺術を使い、誰にもバレないようにしながら、だ。

 

「……」

 

 七夜は眼前に広がった竹林の壮大な光景を眼に焼き付けるやいなや、竹の枝の上にひとっ飛びした後、周囲を見渡した。

 ……魔の気配がする。……気配がするだけじゃない。……自分を呼んでいる。……それが余計に、この退魔衝動を刺激する。

 ――――ハァ、ハァ……。

 七夜は興奮している鼻息を押さえ、その方向へ見やった。

 

「あそこか……」

 

 呟いて、七夜は竹林の枝の上を飛び跳ねながら、その方向へと向かった。

 

 

 

 気配が、だんだんと近くなった。

 七夜は竹林から、物音を立てずに降り立ち、竹林の中を進んだ。

 ……延々と続く竹々のヴェールを眺めながら、七夜はその気配がする方向へひたすら歩んだ。

 ……やがて、何もないところにふと立ち止まった。

 

「あんたかい? 俺を呼んでいたのは……」

 

 七夜は虚空に向かって、話しかける。

 ……そこには何もない、何の個体も存在しない。

 それでも、七夜はその存在を感じ取っていた。

 ……肉眼で微妙に見える霧――――淨眼を通して見ればソレは紅色の霧にも見えた。

 そして、紅は魔という属性を表す。

 つまりは――――

 

 ――――この霧こそが、七夜を呼んでいた張本人。

 

「呼んではいたけど、まさか気付くとは思わなかったよ……。人間にしてはやるようじゃないか……」

 

 不意に、声が七夜の耳に響く。

 突如、淨眼を通して見えていた紅い霧が収束してゆく

 ……まるで、その密が濃くなってゆくかのように、ソレは形を成す。

 

 ――――現れたのは、頭に二本の角を生やした少女だった。

 

 薄い茶色のロングヘアー、レミリアとはまた違った真紅の瞳、白のノースリーブに紫のスカートを身にまとった一人の少女。

 ……レミリアは程ではないものの、その見た目は幼い――――が、その威圧はまさしく太古に存在したと言われる鬼そのもの。

 

「……あんたかい、霊夢の腕を取ったって奴は?」

 

「ああ、俺だな。――――で、要件はそれだけかい、紅赤朱?」

 

「“クレナイセキシュ”? 何だいソレは?」

 

 目の前の鬼は、首を傾げながら、七夜に問うた。

 ……その彼女の反応に、七夜は笑みを深くした。

 ――――混血が反転した時に使われる呼び名だが、知らないということは、目の前にいる彼女という鬼は、まさしく純血のソレだ。

 

「ああいや、こっちの話だ。気にしなくていい」

 

「……そうかい」

 

 鬼の少女はそんなに興味もなかったようで、威圧を込めた眼で七夜を見続ける。常人ならばそれだけで言葉が聞けなくなるにも関わらず、七夜は平然と彼女を見ていた。

 

「我ら鬼は相手に喧嘩を売る時は、余計な言葉を交わさない。この意味が、あんたには分かるかい」

 

「……ああ。言葉なんて交わさなくても、そんな熱い視線を向けられちゃあ、あんたがやりたい事なんて手に取るように分かっちまう」

 

 言って、七夜は腰に差していたホルスターからナイフを取り出した。

 思えば、呼び出したのが逢魔が刻というのも中々に洒落ている。殺し合いの舞台としては上等の部類だろう。

 

「……なら簡単だ。霊夢を傷物にした仇――――討たせてもらうよ」

 

 ……今までにない威圧が、七夜に圧し掛かる。

 肌に冷や汗が流れ、それとは裏腹に体温はどんどんと熱くなる。

 ――――ああ、殺したい。

 相手が相手なだけあってソレは困難を極めるだろうが、その分殺し甲斐があるというモノ。

 

「ククク、命をいくつ手折ればやってくるかと思っていたが、そっちから出向いてくれるなんてこれ以上にない大吉だよ!」

 

 言って、七夜は眼を蒼くする。

 ……映し出されるのは、鬼の少女の体に走る『死の線』。

 

「私の名は伊吹 萃香。密と疎を操る鬼さ。――――来なよ、殺人鬼。我が密の恐れにひれ伏すがいい」

 

「くく、ハハ、ああ、そうだ。脳髄が溶けちまう程、殺し合おうぜ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――――退魔と鬼が今、その牙を交える。

 

 

 

 

 

 

 



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第十六夜 鬼と退魔・中

「空の教会」の浅上藤乃と「るろうに剣心」の瀬田宗次郎を見て思ったことなのですが……。この二人って境遇は似ていますが、キャラとしては正反対だと思うのです。

二人共幼い頃に虐待を受け、後に藤乃は感覚を無理やり封じ込められ、宗次郎は感情を封じ込んだ。
 この2人の境遇はとても似ています。

 しかし、罪悪感を感じながら人を殺していた藤乃は、実は人殺しを楽しんでいた。

 対して、笑顔で人を切ってきた宗次郎は、実は心の中でずっとそれを悔いてきた。

 それぞれの作中でも、藤乃は罪悪に塗れた顔をしながらも本当は笑っていて、幼い頃初めて人を殺した宗次郎は笑っていたけど実は泣いていて……。

 違う作品のキャラ同士ではありますが、こうして比べてみると少し感慨深い気がします。


 〈七夜〉は退魔を生業とした一族である。

 魔を滅する際に陰陽術や法術、魔術といった神秘を一切使わず、近親相姦を繰り返す事で人間としての純度を高め、一代限りで終わってしまう筈の超能力を血という形で伝える事に成功した一族である。

 つまり、普通の人間よりも「魔」とはまったく対極の境地に立っており、それ故に両儀、浅神、巫淨を含めた退魔四家の中でもその筆頭として見られていた。

 彼らは何故、『七夜』なのか?

 彼らの一族の祖先の名が最初からそうであったのか、それとも混血という化け物を殺し続けていくうちに付いた名であるのかは定かではない。

 そして、『七夜』という名にどんな意味があるかも定かではない。

 おそらくは、彼ら自身もよく分かってはいなかっただろう。

 『七夜』を知るある者はこう言う――――七夜の「七」の字は完全数を表す。つまりは完全なる夜。……つまりは『夜の頂点に立つ者』、であると。

 ある者はこう言う――――七夜の「七」の字は「匕首」の「匕」の字をもじっており、切るという意味を表す。そして七夜の「夜」は魔を表している。……つまりは『魔を切る者』である、と。

 他にも彼らが七夜と呼ばれる由縁は諸説あるが、代表的な説はこの二つであった。

 ……そう呼ばれるほどに、彼らの魔に対する殺しの執念は並ならぬものだったのだ。人との純度が高まりすぎたが故にその血に宿してしまった退魔衝動――――近くに魔がいると過敏に反応し、それに対する殺害衝動を本能レベルまで奥深くにソレが刻み込まれたのだ。

 この退魔衝動こそが、七夜一族が背負う業にして呪い。

 七夜を『七夜』たらしめる呪いである。

 

 七夜が純粋な魔ではなく専ら混血を専門とする理由の一つにもこの呪いが関係している。

 相手が強い魔であればあるほど、この衝動は過剰に強くなる。

 時にはその強い衝動に飲まれて、魔を殺すどころか、人殺しそのものを快楽とし殺人狂と化してしまう者も現れた。

 如何に人を超える能力を持ち、如何に人外じみた技を駆使しようと、所詮は人の域を出ない。

 ただでさえ純粋な魔と相性の悪い七夜。

 理性でソレを理解しても、殺せと命令する本能に逆らえずに無謀にも向かってしまう者もいた。

 故に、魔への拒絶性を適度に起こさせ、相性のいい比較的魔性の薄い混血を専門とするのは必然であった。

 このように、七夜に望まれたのは過度な魔への拒絶性ではなく、如何に冷徹な暗殺者であるかであった。

 例を上げるのであれば、彼の最高傑作と、その兄、妹がいい例であった。

 

 まずは兄の方――――七夜家の長男として生まれ、彼の子供の頃の夢は人を混血の脅威から守り、人を守る――――そんな『七夜』になりたい。

 それが、兄の夢だった。

 子供ながらも七夜の里での人望も厚く、将来は、七夜を引っ張ってゆく立派な当主になるだろうと、期待されていた。

 しかし、初の殺しの任務でその夢は崩れ去った。――――否、狂気に塗り潰される事になった。

 初の殺し。命を初めて奪う感覚。

 長男がそれに対して抱いた思いは、達成感でも、罪悪感でもない。

 ――――快楽、昂揚だった。

 まだ少年だった長男には、それが何なのか分からなかった。

 現役となった長男は、その違和感を感じつつも、自らの夢に矛盾を感じつつも、己の信ずるがままに魔を狩った。

 ……そして、ある時ようやく気づいた。

 自分は、人間を守りたいなどという理想を建前にして、その実魔を殺すことを――――いや、『殺し』そのものを快楽としていた事に、長男は気付いた。

 しかし、長男はそんな自分に不思議と絶望しなかった。

 いや、むしろ自分の本質に気付けて良かったとさえ思った。

 ……中途半端な理想を掲げるという回りくどい事をしていては、殺しも中途半端にしか楽しめないのだから。

 そこから長男は狂っていった。

 魔は愚か、人殺しにすら快楽を抱くようになり、人間などの暗殺も進んでやるようになった。

 七夜に宿る過剰な退魔意思に飲み込まれ、凶悪な殺人鬼と化した。

 いや、もしくは退魔衝動だとか七夜だとかそういうのは関係なしに、彼という人間の本質はそういうものだったのかもしれない。

 ――――故に、当主として望まれるような資質を一切持たなかった長男は、当主候補から除外された。

 もし彼に抑制すべき理性があったというのであれば、当主になっていた可能性もあっただろう。

 

 次は妹の方――――七夜家の長女として生まれ、兄とは正反対に臆病な性格だった。普段は物静かで大人しく、あまり目立ちたがるような性格ではなかった。

 しかし、それでも彼女に備わっていた才能は本物だった。

 女性ならではの華麗な暗殺術は長男に勝るとも劣らず、当主候補として相応しい能力を持っていた。

 しかし、彼女も長男とはまた違った狂気を持っていた。

 臆病な性格であるがゆえに、退魔衝動に体どころか精神すらも過剰反応し、怯える。

 それだけならまだ可愛げがあっただろう。

 だが、その過ぎた臆病は彼女を狂気に変えるのだ。

 臆病な性格から来る魔への拒絶性が強すぎるあまり、恐怖に怯えて、逆に魔をメッタ斬りにしてしまうのだ。

 混血を死に至らしめるには充分な一撃を与え、絶命させた後も、その恐怖のあまりに必要以上にその魔をバラバラにしてしまい、跡形もない肉片へと変えてしまう事さえあった。

 その能力にそぐわぬ弱い精神を持っていた少女は、当主候補から除外された。

 もし彼女に臆病な気質がなければ、当主になっていた可能性もあっただろう。

 

 そして最後に弟の方――――後に七夜の最高傑作と呼ばれたその男は、七夜家の次男として生まれた。

 その男は、生まれながらにして『七夜』だった。

 生まれながらにして、七夜がどうあるべきかを頭で理解していた訳ではなく、本能がソレを悟っていた。

 故に、男は人としての情を幼い時に捨てた。

 いや、もしくは人としての情など生まれたその時から持っていなかったのかもしれない。

 いくら人の感情が分かる眼を持とうとも、自分にはソレがない。

 男は他人にはあって、自分にはないものがどういったものであるかをを理屈の上では理解していた。

 それでも、男は完璧な『七夜』となる事を選んだ。

 そこには目標も、志も何一つない。

 ――――如何にして人体を停止させるか。

 ――――如何にして自分達より優れた魔を解体するか。

 幼い頃からただそれだけを追求して、殺人技工を鍛錬、研究してきた殺戮マシーン。

 人としてあまりにも免脱した生き方であったが、彼はそれが『七夜』である事に何の疑いもなかった。

 兄のように殺人に悦を見出す訳でもなく、妹のように過剰に怯える事もない。

 ただソレが当然であるかのようにこなす……謂わば殺人に関して高度なAIを搭載した機械のよう。

 やがて七夜の枠から外れた規格外とよばれるようになった七夜の最高傑作は、いつの間にか当主となっていた。

 だが、それで男が変わる訳ではない。

 当主になった後も、鍛錬に余念なく励み、七夜の暗殺術を誰の追随も許さぬ域へ進化させてゆく。

 当主になろうと、ならなかろうとも、男は変わらずに鍛錬を続けるだろう。

 男はそれだけの存在だった。

 ……故に、彼が当主として選抜されるのは当たり前だった。

 

 このように、殺人を悦とする狂人でもなく、魔を過剰に拒絶する狂人でもなく、ただ殺人に対して恐怖も悦も罪悪も感じることなくただなすべき事としてソレを実行する――――そんな人物が、当主として望まれたのが分かるだろう。

 混血が必要悪になってしまった時代においては尚更の事であった。

 

 そんな最高傑作ですら、かの鬼の子を見た途端に理性を破壊されたのだ。

 ……その様を見れば、七夜が如何に純粋な魔と相性が悪かったか分かるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――彼の最高傑作は、ただひたすらに殺人技巧を追求する『七夜』。

 ――――その兄は、人を殺すことに悦を見出す『七夜』。

 ――――その妹は、魔を過剰に恐怖し拒絶する『七夜』。

 

 ならば、この幻想の地に立つ『七夜』は――――

 

 

     ◇

 

 

 逢魔が刻を過ぎ、日はとっくに沈んでいた。

 日光をある程度遮断していた竹林の中は完璧な闇に包まれ、大凡人が生きていけるような空間ではない。

 始まりが逢魔、そしていよいよピークを迎えようとする夜。

 その何も見えぬ竹林の中で、二つの人影が対峙していた。

 

 一人は、頭に日本の角を生やした幼めの少女。

 薄い茶色のロングヘアー。白いノースリーブに紫のスカートを身にまとった少女だった。

 見た目は幼いが、その堂々たる威圧感は見た目との矛盾さを思わせた。

 その威圧感はまるで太古に存在した鬼そのもの。それもその筈だった。――――何故なら……彼女は正真正銘の“純血”の鬼なのだ。

 

 そんな、少女から放たれる海に押しつぶされるような威圧を前にして、ソレを物ともせず――――否、むしろ歓喜すらしていたもう一つの人影があった。

 紅い和服。黒い髪。蒼く、鋭く、まるで『今すぐにでもお前を殺したい』と嗤う眼。

 整った童顔をしており、間違いなく美男子の類に入るが、その身に纏った尋常ならぬ空気は回りを寄せ付けない。

 片手に六寸ほどのナイフを逆手に持ち、あくまで構えずに無手のまま佇む青年。

 

 ただお互いを見つめ合ったまま動かないでいるにも関わらず、両者の緊迫した空気は闇夜の中に吹く心地よい風すらもその緊迫を吹き飛ばす事は出来きなかった。

 時は逢魔の出会いから既に日は沈んでいる。

 ……そんな両者立ち竦みの状態に、鬼の闘争心を長時間焦らされていた鬼の少女――――萃香はついに痺れを切らした。

 

「どうした。いつまでそこに立っている?」

 

「……」

 

 常人ならば恐怖を煽り、恐れのあまり体を束縛させてしまうその闘気を前方にいる殺人鬼に放ち、しかしドスの聞かない女性らしい声を放つ。

 

「お前の前に立っているのは誰だと思っている? 

 人か? 蠅か? 鼠か? 虎か? 像か? はたまたそこらの魑魅魍魎か?

 ――――否、そんな奴らなど比べるべくもない。

 ここに立っているのは私という“百鬼夜行”ただ一人。

 そんな私に先手を許そうというのかい?」

 

「……」

 

 しかし、そんな萃香の挑発に臆することも、動じることもなく七夜はただ立って萃香を見つめていた。

 美形の童顔から垣間見える表情は何を考えているのか読めぬ能面顔。暗殺者であるのならば、敵に何を考えているのかを悟らせない為にこの表情をしていると思われるが、実際は彼自身の性格から来ている物なので彼自身にそういった意図はない。

 ……あくまで無手の姿勢のまま彼は佇んでいた。

 

「鬼の染まる所に人も妖怪も居れない。あるのはただ私という百鬼夜行だけ。速く私を殺らないと、――――死ぬよ?」

 

 “死ぬ”――――その言葉を強調し、先程よりも増した闘気を七夜に放つ萃香。あまりの凄まじさに、周囲の木の葉が揺れ動いてしまう程にその闘気は尋常ではない。

 だが、七夜は動じない。

 その蒼眼を確かに萃香に向けていることから殺る気は確かにあるようだが、動じる気配は一切なかった。

 しかし、何を思ったのかいつもの薄ら笑いを浮かべ、口を動かした。

 

「――――ああいや、悪いね。ちょいと月が綺麗なもんでね、少しばかり眺めていた」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、七夜はナイフを掲げる。

 刃のように輝く蒼い眼の中には、どこか懐かしげな心情が伺えた。

 ……無論、それが何で、どういうものなのか。

 記憶喪失の彼には皆目検討の付かぬものであった。

 

 ――――夜の空に浮かぶ満月。

 ――――目の前にそびえ立つ鬼。

 覚えがない――――しかしデジャヴはあるという矛盾。

 

 ――――脳裏に映るあの光景。

 ――――脳裏に映るあの屈辱。

 ――――脳裏に映るあの恐怖。

 ――――脳裏に映る自身にとっての絶対的な死。

 

 本人にとっては覚えのない、しかしデジャヴ感によって脳裏に呼び起こされるあの日の夜の光景。

 

 ――――ま、どうでもいい事か……。

 

 しかし、七夜はその違和感を内心で切って捨て、目の前の鬼に向き合う。

 せっかくこんないい舞台を用意してくれたのだ。中途半端な舞では返って失礼というものである。

 それもただの舞では駄目だ。

 ただ観客が楽しめるだけの舞など言語道断。

 お互い始末が悪くならぬよう、派手に、優雅に、潔く散る。

 醜悪に、泥沼に、血沙汰に――――しかしそれでいて洗練に、華麗に、そして殺伐とした。

 お互いが血だまりに沈むまで止まることのない――――正真正銘の死合。

 想像するだけで、興奮が止まらない。

 

「鬼を前にしてよそ見といい度胸しているじゃないか。その図太い神経だけは認めてやる。――――が、私は焦らされるのが嫌いなんだ。いい加減来ないと、潰すよ?」

 

 七夜への憎しみと、先手は譲ろうという鬼としての妥協がぶつかり合い、それが余計に萃香の中に渦巻く憤怒を一層増幅させた。

 しかし、七夜はそれに対して表情を一切変えずに答えた。

 

「そう怒るなよ、仮にも鬼退治だ。吉備団子の一つでもあれば余興に食していたんだがね、生憎そんな代物持ち合わせている筈もなし。変わりの余興と言ったら――――月見ぐらいしか思いつきやしない」

 

 やれやれ困ったもんだ、と肩を竦めて薄ら笑いを浮かべる七夜。

 鬼を前にしてこの余裕――――と言った具合ではない。

 餓鬼でありながらも解脱したような精神の持ち主である彼は、例えどんな状況であろうと“彼”らしく有り続ける。

 例え周囲が何に“染まろうと”――――。

 

「それに、さ――――」

 

 七夜は上に掲げたナイフの刀身を月光が比較的明るい所へ持ってゆく。

 ……月光を反射し、美しく光る凶刃が萃香の目に映った。

 その月光すらも、自らを暗殺する手段として利用しようとしているとも知らずに――――。

 

「月明かりの元で、自らの全てを曝け出して舞った挙句に大往生……そんな浪漫もありっちゃありだろう――――さっ!!」

 

 瞬間、その異様な出来事は起こった。

 七夜が手元の月光を反射するナイフの刀身を動かし、月光の反射光を萃香の眼球へと注いだ。

 所詮日の光を反射しているおぼろげな月光をさらに反射するとなれば、その光は目晦ましにすらならない。

 多少はなっても、それは精々相手の意識を一瞬そちらへ逸らさせる程度の物だ。

 ――――だがその一瞬は、萃香の死角へ回るのに、充分すぎる時間だった。

 

「――――」

 

 萃香は目を見開いた。

 たかが月光、されどここは幻想郷。

 何が起こってもおかしくはない。

 むしろ期待すらした。

 故に、そこにつけ込まれた。

 非常識が常識の敵になり得るように、逆に言えば常識もまた非常識の敵になり得るという事を。

 

 月光だけでは何も出来ない――――そんな物は常識。

 月光すら油断ならない――――幻想郷における常識……すなわち非常識。

 

 まだ神秘が幻想ではなかった時代から生き、そして現在幻想郷の住民の一人である萃香はもちろんの事、後者を多く味わってきた。

 『月光すら油断ならない』という言葉自体は確かに今の状況にも当てはまる。

 だが、月光そのものは自分に何の影響も持たないという認識に欠けていた萃香は、そこにつけこまれてしまったのだ。

 幻想入りしてから一週間以上も滞在していた七夜は、この短期間で幻想郷の住民の常識非常識に対する認識をある程度ではあるが把握した。

 ……暗殺、引いては殺し合いにおいて相手の事を知ることは重要なアドバンテージにも成りうるからだ。

 七夜自身、常識か非常識かと聞かれれば間違いなく非常識寄りだ。

 しかし、常識に囚われる事もなく、非常識に囚われることもない精神の持ち主は、それを利用して、萃香の視界から己を見失わせた。

 

(――――何だい、こりゃ?)

 

 萃香は僅かに身を震わせる。

 まるで周囲の竹の群れが、殺気がそのまま形となった蜘蛛の巣のような錯覚。

 少なくとも、萃香が今まで戦ってきた人間の中では桁違いの殺気。

 訳あっての殺意ではない――――ただ単純に殺したいという純粋な殺気。

 稀代の暗殺者にして生粋の殺人鬼から放たれる――――ただ“殺す”という一念のみで放たれた純粋な殺気。

 

(――――恐怖しているのか、この私が?)

 

 ――――瞬間、背後から萃香の死を狙う凶刃が襲いかかる。

 まるで殺気がそのまま固有結界になったかのような錯覚の中で、七夜本人から放たれる殺気を捉える事は困難。

 相手の死角に飛び込み、相手の恐怖を僅かだが煽り、そして背後斜め上からの奇襲。

 理想通りの場所に到達し、理想通りの角度から音も気配を感じさせずに死を与える。

 

 ――――筈だった。

 

「……ッッ!!」

 

 だが、そこは四天王を名乗る鬼。

 並の鬼であれば今の一撃で終わったかもしれないが、同じ鬼だからといって萃香にも通じるという道理など存在する筈もない。

 ――――萃香の体が、薄紅い霧となって霧散するのを、七夜の蒼い淨眼が捉えた。

 

「――――ちっ」

 

 僅かな舌打ち。

 完璧なタイミングだった。

 ミスなどなかった筈だった。

 速度も、ナイフを振るう速度も、初速から全てを振り絞って奇襲を仕掛けた筈だった。

 

 『疎と密を操る程度の能力』

 

 霧、という個体としてあやふやな存在に姿を変えた事により、萃香の体に走っていた『死』の位置がずれ、神業の域に達していた奇襲は失敗という結果に終わった。

 初撃の必殺を逃す――――暗殺者にとっては致命的な失敗。

 だが、七夜の笑みは崩れなかった。

 確かに一撃で殺す気で掛かったが、心の何処かでは一撃で決まる筈などないという期待もあったからだ。

 ――――とはいえ、あの一撃を交わされたというのは暗殺者のプライドに傷が付かない事もなかったが……。

 だが、暗殺者というよりは殺人鬼という行動原理を持つ彼はそれ以上に歓喜した。

 ――――まだ続けていられる……この殺し合いを……!!

 ならば感謝しなければならない、この大凶(ダイキチ)を引いてしまった自分の境遇に……!!

 

(危なかった、一瞬でも霧になるのが遅れたら……!!)

 

 一方、霧から元の姿に戻った萃香は心の中でそう呟き――――。

 

「……“遅れたら”?」

 

 咄嗟に心の中で呟いた言葉を、再度口に出して呟く萃香。

 ……後一瞬でも遅れたら、あんな変哲もないただのナイフに、自分は殺されていたとでも言うのか?

 ――――否、そんな事は有り得ない。

 あのナイフとて業物であるかもしれないが、それでも何の法力も魔術も施されていないただ切れ味がいいだけの刃物に、自分が殺される事など有り得ない。

 それは彼女の思い上がりでもなく、覆しようのない事実。

 ならば、と萃香は思いつく。

 

(ナイフ以外の何かが、私にそう思わせた?)

 

 その考えに行き着いた途端――――。

 

「ク――――ふふふ……」

 

 その瞬間、彼女は僅かだが――――微笑んだ。

 ……周囲の闇へ気を配る。

 その闇の中で何時、何処から蜘蛛が飛び出してくるかわからない。

 周りには竹という名の殺気がそのまま蜘蛛の巣になったような素晴らしき惨殺空間。

 その殺気は自分すら恐怖に陥れる程。

 だが――――その恐怖は不思議と心地よかった。

 

「――――面白い」

 

 ――――この憎しみの憤怒を歓喜で染め尽くしてくれる程のモノが待っているというのであれば、それもいい、と……。

 

 

 

 

 

 

 ――――さあ、幾数百年ぶりかの人と鬼の殺し合いは、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 ――――時は遡って七夜と萃香が出会う前の夕方――――

 

 咲夜と鈴仙はそれぞれ買い物袋を両手に抱え、人里の中心部である市場にいた。

 既に夕方頃であったせいか、昼の時よりも人の賑わいは少なく、閉店しているお店もいくつかあった。

 それでも、まだ食材を買うのに困るという程でもなく、2人は店を回りながら今日の晩ご飯に必要な食材を買ってゆく。

 何故今頃買うのか、もっと早く買いに行けばよかったではないか、と2人の現状を察する者ならばこう漏らすだろう。

 それを一番理解しているのは無論本人達である訳なのだが……。

 だが、それ以前に気にする問題が一つ。

 

「さ、咲夜さん……」

 

「何でしょうか?」

 

 鈴仙が心底疲れたような目線で咲夜を見る。

 無論、それは咲夜も同じである筈なのだが、あくまで平静を取り繕いながら友禅と瀟洒なメイドは歩んでいた。

 ……あくまで取り繕っているだけで、実際はあまりの重さに嘆きたい気持ちであるのだが、こういうのは慣れっこである。

 さて、そんな2人を現状苦しめているのが何であるのかというと……。

 

「重いです……」

 

「……ごめんなさいね」

 

 不満を漏らした鈴仙に、心底申し訳なさそうに謝る咲夜。

 ……疲れながらも必死に体に力を入れるあまり、頭の上のうさ耳が立たせている様が少しだけ可愛いとおもった咲夜であった。

 そう、今現在2人を苦しめているのは、手に持った大量の食材が入った買い物袋だった。

 元々夕食を作るだけならこんな時間に食材を買いに行く必要なんてなかった。

 そして言いだしたのは咲夜である訳なのだが、こんな事に至った経緯は次話で明かそう。

 

「まったく。咲夜さんの頼みでなかったら……やりませんよ、こんな事……」

 

 全身が地面に引き寄せられそうな錯覚に陥りながらも、必死に喋る鈴仙。

 

「ふふ……、有難う」

 

 鈴仙の発言に、綺麗な笑顔を向けながらお礼を言う咲夜。

 そんな笑顔を直に向けられ、何を思ったのか鈴仙は顔を赤くしながら、プイ、とそっぽを向いてしまった。

 ……決して、同性愛意識がある訳ではない。

 鈴仙は単に人見知りをする性分というだけで、こういう事に慣れていないのだ。

 鈴仙の咲夜に対する認識は、“お人好し”の一言だった。

 

 ――――完璧で瀟洒なメイド。

 ――――紅魔館のメイド。

 ――――悪魔の狗。

 

 一番最初はともかく、後の二者には不穏な雰囲気を漂わせる肩書きを持つ咲夜。

 実際、表情はあまり変えず、その仕草からは隙が見えない。

 家事はなんでも完璧にこなす事が可能で、ナイフを扱った戦闘が得意でその戦闘能力は人間とは思えない程に高く、また料理の腕もそれに比例して一流。

 容姿、能力、家事スキル共に完璧で正に従者の鏡とも言うべき存在である。

 しかし、そんなクールビューティーな雰囲気とは裏腹に、厳しい性格をしながらも根はお人好しである。

 そして彼女と親しければ親しい者ほど、彼女のお人好しさを理解する事が出来る。

 上記で語った肩書きが災いしてか、彼女を忌避しがちな人間は人里には少なくないが、勇気を持って話しかけた男子達には、そんなクールで冷徹そうな雰囲気とは裏腹にある彼女の人間らしさにどストライクゾーンであるそうな……。

 

鈴仙の友人といえば、咲夜かもしくは白玉楼の庭師の2人くらいだ。

 

 ――――後者は、お互いに主に対する愚痴や不満を共有できる仲。苦労する主を持っているという共通点で互いにシンパシーを感じ取り、仲良くなった。

 

 ――――対して、前者である咲夜には友人感覚というよりは憧れに近い情を抱いていた。

 

 容姿に関しては、まあ鈴仙もそれなりに自信をもっているのでそれは置いておこう。

 自分や白玉楼の庭師と同じように、苦労するような主を持っているにも関わらず、それを不満に思う様子もなく、そしてさも当然かのように与えられた命令や業務を完璧にこなす技量と能力を持つその瀟洒ぶりに、同じ従者として憧れと尊敬の念を抱いていたのだった。

 

「それにしても、随分沢山買いましたね……」

 

 自分の手に、そして咲夜の手に握られた買い物袋の中にある大量の食材群を見て呟く鈴仙。

 咲夜曰く、「おそらく、この中の内のほとんどが買い損になる」との事。

 経費は全部永遠亭ではなく紅魔館で賄っており、しかもその余った食材は永遠亭に全て提供するというものだった。

 

「これくらいは買わないと、ね……」

 

 咲夜にとってはそこまでしてやらせたい(・・・・・)ものなのかと鈴仙は思ってしまうが、従者育てに余念のない彼女ならばこれくらいはする。

 ……もっとも、その余念のない厳しい従者修行のせいで何人の執事が心折れてやめていった事か……。

 無論、こういった問題を気にしない咲夜ではないのだが、それ相応の技量がなければ紅魔館で生きていくのは不可能だという事を彼女は誰よりも理解していた。

 故に、多少の失敗は許すし、チャンスだって何度もやるが、あまりにも下手すぎたり、レミリアの怒りを買ってしまったりすればもうそこでクビ決定だ。

 なまじ七夜を紅魔館から追い出したくない個人的な理由が咲夜にはあるため、余計に彼を従者として優秀な執事にしなければならないのだ。

 後は、少しでも自分の仕事を減らしてくれれば、文句はなかった。

 

(本当に大丈夫かしら?)

 

 不安は募るばかり。

 七夜に執事としての才能があるかどうかは、ある程度時間をかけて色々な事をやらせた上で判断しなければならない。

 無論、戦闘能力、頭の回転の速さについては文句なしである。……そうでなければ、あの博麗の巫女を相手に生き残る事などできる筈がない。

 そして――少し悔しいが――接近戦におけるナイフ捌きや純粋な体術においては、彼は確実に自分よりも上の境地に立っている。

 お互い能力を除いた純粋なナイフでの戦闘ならば、自分は彼に確実に負けるだろう。

 だからこそ、咲夜は思う。

 

(料理の腕はナイフの腕に比例しますし。大丈夫よね、きっと……)

 

 いや何の根拠にもなってねえよ、と大衆は突っ込みたくなる所だが、そつがないようでどこか抜けている所もまた彼女の魅力の一つであるので仕方ない。

 

「……あれ?」

 

「どうかしたの?」

 

 急に声をあげて立ち止まる鈴仙。

 そんな鈴仙に声をかけた咲夜だったが、鈴仙の視線が遥か前方に向いていたので彼女も即座に同じ方向に視線を向けた。

 そこには――――。

 

「烏天狗――――しかもまだ小さいですね」

 

 コチラに歩いてくる子供の烏天狗を物珍しそうに見つめる。

 手にメモ帳とペンを持ち、キョロキョロしている様を見るあたり、この人里にネタが転がっていないか探し回っているのだろう。

 まあ、如何にもネタを探してます、みたいな仕草をされては新聞記者としてはまだまだ未熟である事が伺えるが……。

 そう思っていた鈴仙に対して、咲夜は――――。

 

「あの子、どうして?」

 

 その烏天狗の子供と面識があった咲夜は疑問の声を上げる。

 彼女は積極的に取材してゆくような性格ではないことは知っているし、そしてまだ七夜が目を覚ました事を伝えていないのに何故こんな所にいるのか……。

 

「あ、咲夜さーん!!」

 

 やがて向こうもこちらに気付いたのか、子供の烏天狗――――雨翼 桜は無邪気な笑顔で羽をパタパタさせながら2人に向かってきた。

 

「知り合いなんですか、咲夜さん?」

 

「……ええ、少しね」

 

(まあ、ちょうどいいタイミングかしら……)

 

 今の内にこの子と七夜の約束を済ませておけば、わざわざ休暇をとってまで取材させる必要だってなくなる。

 ただでさえ従者2人が一週間もの間、紅魔館に不在なのだ。

 これ以上面倒事の為に休暇を取らせる訳にも行かない。

 

「こんばんは、一週間ぶりですね。咲夜さん。えっと、そちらの方は……?」

 

「こんばんは、桜。 こちらは鈴仙・優曇華院・イナバ。 私の友人よ」

 

「よ、よろしく……」

 

 随分と控えめに挨拶する鈴仙。

 子供相手にすらこれだ、とそんな鈴仙を見て心の中でため息を吐く咲夜。

 まあ、よほど親しい者でない限り、彼女の態度はいつもこれなので慣れっこなのだが。

 

「よろしくお願いします。えっと、ウドン――――」

 

「鈴仙って呼んであげて」

 

 ウドンゲと言いかけた彼女の発言による鈴仙のよからぬ反応を即座に感じ取った咲夜は、即座にフォローを入れ、鈴仙が望む呼び名を呼ぶように言った。

 

「それじゃあ、鈴仙さん。よろしくお願いします」

 

(有難う御座います、咲夜さん)

 

 本当は自分で自己紹介しなければいけない事は分かっていた鈴仙ではあるのだが、やはり人見知りをする性格が災いしてしまった。

 そんな自分に代わって自分の名前を紹介し、あまつさえ呼び名を自分が呼ばれたい名に即座に訂正させる咲夜の気遣いと瀟洒ぶりに、心の中で涙を流した鈴仙だった。

 

「それで、お二方は何故ここに? 何か食材の量が多いですが、宴会でもするんですか?」

 

「宴会だったらもっと多いわよ。ちょっとやりたいことがあるだけ。貴女は何故ここへ? そんな積極的に取材するような性格にも見えないし、何より七夜が目を覚ましたってまだ伝えていない筈だけど……」

 

「……えっと、強いて言えば予行演習、という物ですね」

 

「「“予行演習”?」」

 

 一体何の予行演習なのか疑問に思う2人。

 

「七夜さんに取材する約束の時間が随分伸びてしまいましたし。私って緊張しやすいですから、取材する時の質問の切り出しが遅いんです……。前回は七夜さんにそれで呆れられてしまったので、その……」

 

「今の内に取材になれておこうと?」

 

「……はい」

 

「それで、少しは慣れた?」

 

「……」

 

「……慣れてないのね」

 

 咲夜の質問に急に黙ってしまう桜に、咲夜はやっぱりかと言わんばかりに目を瞑った。

 まあ、こうして自分に平然と話しかけられるという事は少しは進歩したのかもしれない。

 というよりは、二度の邂逅で、彼女の二つ名から来るイメージとは裏腹に、実の彼女が気さくで優しい性格をしている事を知ったためにこうして話しかけている、というのが正しいかもしれない。

 ……なのでまあ、進歩はほとんどない、という事でいいだろう。

 

「一応、言っておくわ。七夜、目覚ましたわよ」

 

「えっ?」

 

「ほぼ死んでいるのに等しいくらいの重症だったけれど、一命を取り留めて今じゃすっかり元気よ。彼も貴女との約束を忘れてはいない。取材するというのであれば応じてくれると思うわ」

 

「……」

 

 俯いてしまう桜。

 確かにこんな状態では、また彼女の言う『質問の切り出しの遅さ』で七夜に迷惑をかけてしまう事もありえる。

 彼女としてはもう少し積極的な取材に慣れておきたい所であろう。

 しかも相手があの七夜とくれば、緊張は自然と増してくる。

 そんな桜の気持ちを理解できない咲夜ではなかったが――――。

 

「こう言っては悪いけど、貴女の為にあまり時間は取っていられない」

 

「――――え?」

 

「私と七夜は紅魔館を一週間以上もの留守にしていたの。無論、今も現在進行形でね。特にメイド長たる私が一週間もいないとなると、妖精メイド達の仕事にそろそろ支障が出てしまう。

 七夜が完治したら、私と七夜で早急に一週間分の穴を埋めなければならない」

 

「……」

 

「だから、取材をするのなら出来れば今の内にしてほしいの。夕食が終わった後なら時間が取れると思うから、そこで――――」

 

「……分かり、ました」

 

 桜は、少し控えめになりつつも、今夜七夜に取材する事を了承した。

 実際の所、このままウジウジしていたは取材相手を先輩方に取られてしまうかもしれない懸念もあったが為に桜もこの判断に落ち着いた。

 桜の了承を満足げに受け取った咲夜は、申し訳無そうな顔で鈴仙に言った。

 

「ごめんさい、鈴仙。この子も――――」

 

「別に構いませんよ。あのブン屋でない限りは、師匠も姫様も了承してくれると思いますし……」

 

(文先輩、一体何をしたんですか……)

 

 自分の先輩の相変わらずの嫌われっぷりに呆れる桜であった。

 

 

 

 

 

 

「すっかり夜になってしまいましたね……。姫様、お腹すかせて待っているだろうなぁ……」

 

「蓬莱人でもお腹は空くんですね……」

 

 鈴仙の呟きを聞いた桜が率直な感想を言った。

 

「蓬莱人とて元は人ですから、肉体構造は人間と変わらないんです。だから人と同じように飢え死に近い状態にだってなりますよ。

 まあ、それでも死ねないから余計に辛いんだけど……」

 

「うわぁ……」

 

 三人が迷いの竹林を歩いている頃には、もう日は暮れてしまい、夜を迎えていた。

 竹と竹の間を掻い潜ってくる気持ちいいそよ風に吹かれながら、月光の刺す竹林を延々と歩いていた。

 目的地に近づいている気は全然しない桜と咲夜であったが、鈴仙曰く、「これでも永遠亭に近づいている」との事だ。

 

「それにしても、咲夜さん……」

 

 鈴仙が口を開いた。

 

「どうしたの?」

 

「貴方の主は何であんな男を執事にしようとしたんですか?」

 

 鈴仙は率直な疑問を咲夜にぶつけた。

 咲夜に向けれられているその視線の中には、彼女を心配しているような心情さえ読み取れた。

 鈴仙とて自分の住居に患者として居候している七夜とは嫌でも顔を合わせざるを得ない時もあったため、直に話さなかった事がなかった訳ではない。

 しかし、その中で言葉では言い表せないような恐怖を鈴仙は七夜に対して抱いていた。

 

「……何故、そんな事を聞くの?」

 

 咲夜はゆっくりと目を瞑りながら鈴仙に聞き返した。

 一方、桜は七夜がどんな人物であるかは深く知らないため、頭に?マークを浮かべたままである。

 

「一度、直に向かい合って話しました。無論、話題は他愛のないモノですが……」

 

「……」

 

「ですが、見てしまったんです。彼の波長を……」

 

「……“波長”?」

 

 鈴仙の能力を知らない桜は、波長という言葉に引っかかりを覚えるが、今の2人の話題は自分には蚊帳の外だと認識したのか、今はあえて聞かなかった。

 

「波長そのものは正常で歪みがなかったのに、波質の狂いが段違いで……。なんというか、その……」

 

 言いよどむ鈴仙。

 

「まるで、“狂っている事が正常である”かのような……」

 

「……」

 

 狂っている事が正常――――その言葉を否定することは、咲夜にはできなかった。

 だが、同時に驚く事もなかった。

 彼が狂っているという事なんてもう、霊夢の件で散々思い知らされている。

 今更、彼が狂っていると言われたところでそれを一番に理解している咲夜が驚く筈もなかった。

 

「咲夜さん、彼を従者なんかにして大丈夫なんですか?」

 

 咲夜は真っ直ぐに鈴仙の目を見た。

 ――――ああ、この子はこの子なりに自分の心配をしてくれているのだ。

 しかし、咲夜も、そしてレミリアも七夜を執事にする決断を既にしてしまっている。何より従者がこうたらの以前に咲夜の主たるレミリアが七夜自身を気に入っている節もあるので、今更心配してどうこうなる訳でもない。

 何より、七夜を紅魔館から追い出したくない個人的な理由が咲夜にはある。

 その為にも、自分の答えは必然的に決まっていた。

 

「大丈夫よ、鈴仙。覚悟は、とっくに出来てるわ……」

 

 まるで悟ったような笑顔を鈴仙に向ける咲夜。

 鈴仙もこれ以上は言う気がなかったのか、そうですか、と相槌を返してこの話題を終了した。

 まあ、すぐ後に咲夜は己の覚悟がまだまだ甘かったという事を思い知らされるハメになるのだが……。

 

(え~っと、つまり……。七夜さんは私が想像している以上の問題児で、そんな男を部下に持って咲夜さんは大丈夫なのか、という事かな?)

 

 一方、蚊帳の外にいた小さい烏天狗の桜は2人の会話を自分なりに解釈し、そして大まかにだが内容を理解した。

 

 

 

 

 

 

 ――――その時だった。

 

 

 

 

 

 

「――――ッッッ!!?」

 

 何を思ったのか、鈴仙は急に驚いたような表情で立ち止まった。

 そんな鈴仙を見て、咲夜と桜は思わず立ち止まった。

 

「「どうかしたの?(どうかしたんですか?)」」

 

「波長が……二つ……。それも、凄まじい狂気……。もしかして、姫様と妹紅が殺し合って――――いや、あの2人の狂気すら生温い……」

 

 怯えたように、小さい声で呟く鈴仙。

 

「「つまり?」」

 

 口を揃えて鈴仙に問う咲夜と桜。

 

「この迷いの竹林のどこか――――おそらくそう遠くない場所で、何者かが殺し合っています」

 

 殺し合っている――――そんな言葉に嫌な予感を覚えた咲夜。

 ――――まさか、ね。

 そんな筈はないだろうと自分の心に言い聞かせる咲夜であったが。

 ――――あの殺人貴なら、やりかねない。

 

「ちょ、殺し合いって!!? スペルカードルールが定められたこの幻想郷でそんな事って――――」

 

 殺し合いという言葉に、桜はそんな馬鹿なと言った表情で言った。

 

「この凄まじい狂気、私ではどうにもならない。早く永遠亭に行って師匠を呼んで――――!!?」

 

 咄嗟に、鈴仙の表情は更なる驚愕へ変化する。

 周囲に大量に感じる、多量の波長。

 虚無で、しかしまるで餓鬼のように飢えた波長が――――。

 

「残念だけど、お邪魔虫がいるようね……!!」

 

 咲夜もその周囲の異様さに気付いた。

 咄嗟に買い物袋を地面に置き、銀のナイフを取り出して構える咲夜。

 

「そんな、嘘――――」

 

 そして、桜は恐怖と驚愕が入り混じった表情でソレらを見つめているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 ――――彼女達の周囲は、いつの間にか死者の群れで埋め尽くされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 一週間前にも紅魔館の庭にて大量に発生した死者の群れ。

 既に死んだ血肉の中に存在するのは既に、他者の新鮮な血と肉を求める飢欲のみ。

 

「あ、あぁ……」

 

 いつの間に大勢で囲まれている絶望感。

 ……地上だけではない。

 竹から生えた枝に捕まって上から咲夜たちを飢えた目で見つめいている者。

 その絶望感に桜は怯えるしかなかったが――――

 

「桜!!」

 

 とっさの自分を呼ぶ叫び声に正気に戻された桜は、咲夜の方へ顔を向けた。

 

「貴女は逃げなさい!! それと悪いけど、私と鈴仙の足元にある買い物袋全部持って永遠亭に届けて欲しいの!!」

 

「えっ!!?」

 

 咄嗟に桜は咲夜と鈴仙の足元にある買い物袋に目を見やる。

 ……桜とてカラス天狗――――妖怪だ。

 そこいらの人間よりは力もあるし、頭の回転だって速い。

 だが――――人間でいうならばまだ10にも満たないこの小柄は体であんな量の食材を永遠亭まで運ぶのはさすがに萎える、が――――。

 

「頼めるのは貴女しかいないの。お願い――――」

 

 何故か必死に頼み込む咲夜のもの言わぬ迫力に何故か押され――――。

 

「……分かりました」

 

 渋々了承した桜は、翼を広げ、高速で咲夜と鈴仙の足元にある大量の食材が入った買い物袋を拾い上げた。

 

「永遠亭はそこから真っ直ぐ行った所にあります。さ、早く――――!!」

 

「はいっ!!」

 

 鈴仙の指示の元、桜は小規模な風を巻き起こしながら上空へ駆け上がり、真っ直ぐに永遠亭へと飛んでいった。

 

 

 

「それにしても、何で買い物袋を持たせたんですか?」

 

「一週間前に七夜と買い物に行ったとき、霊夢の弾幕に食材が巻き込まれてオジャンになっちゃったのよ……。メイド長として、二度目の失態は避けなければならないわ……」

 

「はぁ……」

 

 こんな状況にも関わらず、妙なプライドを持つメイド長に鈴仙は若干呆れめな表情で咲夜を見た。

 

 ――――そんなやり取りをしている間にも、彼女らの周りを囲んでいる死者が迫ってきている。

 

「背中、任せていいかしら? 鈴仙」

 

「勿論です!!」

 

 ――――咲夜の目の色が、空のような青色から血の赤色に変わる。

 

 ――――鈴仙の眼が、狂気を操る赤目へと変わる。

 

 

 

 

 

 

 ――――迷いの竹林にて、もう一つの舞闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、竹林の上空の夜空には、大量の食材を涙目で運ぶカラス天狗の姿があった。

 




 最後に、更新遅れてすいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!m(><)m


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第十七夜 鬼と退魔・下

明けまして、おめ――――
七夜「遅すぎるんだよ!」

遅れましたが、明けましておめでとうございます。
合計文字数25700文字以上、終始シリアス&殺伐のとんでも話となってしまいました。

そんな私の血生臭いお年玉を読んでくれるのであれば、どうぞ


※この小説の題名はついに「東方」の名を捨て、原作が東方Projectであるだけの何かになりました。


 鬼、とは何であろうか……。

 一見、単純明快に答えられるように聞こえるこの疑問。

 

 伊吹萃香は間違いなく“鬼”である。

 人の恐れこそがその誕生の原初とも言える存在――――妖怪の中でも最強種族と呼ばれ、まだ妖怪、はたまたその他の幻想種がまだ幻想とならずに世に蔓延っていた時代――――日本の魔の頂点に立った豪族。

 人は愚か、妖怪にすらその存在を恐れられた。

 ――――その怪力は人知を凌駕する。

 ――――その強力な異能は他の妖怪も凌駕する。

 酒飲みで豪快で仲間想い――だがそれでいて横暴で自分勝手で危険な存在。

 仲間想いである一面も、それは自らが認めた者に対してのみ見せる一面。

 弱者であれば見向きもせずに潰すし、たとえ強者であっても己と相容れぬ外敵であれば容赦なく潰す。

 そして妖怪の餌であり、また天敵である人間に次々と勝負事を仕掛け、負かしては攫い、負かしては攫う。

 一見理不尽とも取れるこの行為に文句を付けるものがいるであれば、彼らはこう答えるだろう。

 ――――『相手が弱かった。ただそれだけの事』

 自分(鬼)が強者で、相手(人間)が弱者だったから。

 ……彼ら自信は、その行為に何の悪意もなかった。

 昔、とある平行世界で大凡人知を超える数の人を切り殺してきた明治の剣客はこう言ったという。

 所詮この世は弱肉強食――――強ければ生き、弱ければ死ぬ。どんな綺麗事で覆い隠そうともそれがこの世の絶対不変の摂理だと。

 彼の理念は確かに今この現代社会においても当てはまらなくはない。

 会社を経営するに当たっても、その経営する能力は個人によって違い、そして経営する能力によって会社の経営具合も変わってくる。

 会社の社員になるにしても、そこの会社に入るだけの能力と実績がなければ入ることはできない。

 そして例え会社に入ったあとでも、同じ社内でとりわけ何かしらの能力に長けたものが多くの給料を貰え、自らが生きる糧を多く得ることができ、能力が平凡なモノには必要最低限の給料しか貰えなく、そして能力が乏しいモノはクビにされる。

 まさしくこれも、『強ければ生き、弱ければ死ぬ』の法則に当てはまるが、前者で言ったような『弱肉強食』に当てはまるかは微妙な所だ。

 何故なら、これには前者でいったものとは決定的な違いがある。

 前者――――『弱肉強食』は強い者が弱い者を食うというもの。弱い者は肉となり強者の糧となりて、強者は生きる為に弱者を食う。

 後者は、例え能力に乏しい弱者が失敗しても、強者に食われることは絶対にない。要は命のやり取りというものモノが存在しないのだ。

 だが、如何に根本的な違いがあれど、強い者が上に立つという点においては共通している。

 後者で言ったような、能力を持ちかつ実績を出せるような強者になるにはどうしたらよいか――――用は『仕事中毒者』になればいい。

 そして、こういうのは俗に『仕事の鬼』とも呼ばれることがある。

 このように、弱肉強食、またはソレに似たような摂理の中で上の立ち位置に属する者の事を、『鬼』というのもあながち間違いではないのかもしれない。

 ――――だが、それだけで〈鬼〉の定義を決め付けるのは些か早計だ。

 

 伊吹萃香ような『鬼』は即ち――――『妖怪の鬼』。つまりは妖怪の中でも更に化け物じみた者達という意味ももちろんある。

 

 また、心を鬼にして断行する、と言うようなときに使われる『鬼』という言葉には比較的悪い印象を感じない。

 他にも吸血鬼、殺人鬼、食人鬼、復讐鬼――――これだけ上がれば、用は人ならざる化け物、もしくは肉体または精神状態などが一般常識でいう『人』からかけ離れてしまった者、といったイメージが湧いてくる。

 だがよく考えれば、吸血にしろ、殺人にしろ、食人にしろ、復讐にしろ、絶対にできない行為という訳ではない。

 それこそ、心を“鬼”にして実行すれば、あっさりと出来てしまうものだ。

 そして、吸血、殺人、食人、復讐といった行為はその対象に“情け”というモノを持ってしまえばそれを実行するのは難しい。

 そして心を鬼にして断行する、という言葉は自分、もしくは相手の為にあえて自分の感情を無視して“非情”になるという事。

 ここまでの事を踏まえて考えれば、『鬼』というのは心を非情にして、普通の人間が敢えてやらない事を――――あっさりやってのけてしまう存在の事を言うのかもしれない。

 彼の〈七夜〉の最高傑作が、人としての『情』を持たずにただ殺戮技巧を研究、鍛錬していった結果、人の身で『鬼神』と呼ばれるようになったのも、また然り、だ。

 

 これだけ考察すれば、〈鬼〉の定義というのも必然と浮かんでくる。

 ――――一つ目は、人知を超えた人ならざる化け物。

 ――――二つ目は、その分野において化け物じみた技術、能力を持った者の事。

 ――――三つ目は、心を非情にして普通の人間が敢えてやらない事を、平然とやってのける存在の事。

 

 

 

 

 

 

 ――――そう考えれば、幻想郷に限らず、『鬼』なんてこの世にたくさんいるものだ。

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 死の肉の檻に押し込められた怨念の傀儡達は、2人の女性の肉を前に、その食欲を丸出しにしながら、2人へと迫った。

 そのスピードは並の人間を遥かに凌駕しながらも、獣の速さには程遠かった。

 ――――故に、咲夜と鈴仙にとっては止まっているも同然。

 背を向き合った二人はお互いを振り向く事なく、お互いを心配する事なく死者を迎撃する体勢を取る。

 ……振り向く必要などない。

 ――――自分の背中は、彼女が守ってくれる。

 お互いにそんな見識を埋め合いながら、2人はお互いの背中を任せ合った。

 

『――――――――ッッッッッッ!!!!!!』

 

 呻き声が竹林中に響き渡る。

 その殺意とも、悲鳴とも、慟哭とも聞こえるその呻き声に2人は、若干表情を歪ませながらも、飛びかかってくる死者を迎撃する。

 

「行くわよ、鈴仙」

 

「はい!」

 

 瞬間、鈴仙の背中にいた咲夜の姿がまるで瞬間移動したかのように消えた。

 ――――いや、瞬間移動ではない。

 実質的に瞬間移動に等しいだけ。

 むしろ瞬間移動よりも質が悪かろう。

 彼女だけの世界を渡り歩いて、上空へ移動するなど。

 もし死者たちに正常な思考があるとするならば、その理不尽さに嘆いているに違いなかった。

 飢えた人型は咄嗟に起こった不可解な現象を理解せず、標的を鈴仙のみに定めた。

 相棒の突如の失踪により、背中を守る後ろ盾を失った鈴仙はただ数の暴力によって蹂躙されるのみ。

 ……そう思われた。

 

「――――」

 

 だが、死者の魔手が鈴仙の身体へ届く前に、その異変は起こった。

 鈴仙の瞳が大きく見開かれる。

 ……そこから覗かれたのは、紅い瞳だった。

 吸血鬼が持つような魅了の魔眼でもなく、魔の属性を表す朱でもなく――――それよりも更に禍々しい『狂気の瞳』がそこにはあった。

 一方の標的が消失した事で、死者たちの獲物は一方に限られるため、必然と死者達は鈴仙のみを標的に定めざるを得なかった。

 ――――それこそが、2人の狙いである。

 

(既に狂わざるをえない状態にある貴方達には酷だけど……)

 

 顔を上げる鈴仙。

 その狂気の瞳には死者の群れをしかと捉え、集中する。

 ……そこから彼女自身の、そして彼女しか見えない、紅い狂いの波長がまるで蝙蝠の超音波のように鳴り出た。

 紅くて、激しくて、それでいて不可視なこの魔の波長を視る事ができる存在を上げるとしたらソレは、淨眼持ちの人間くらいだろう。

 

(すぐに楽になるから……少し我慢して!!)

 

 荒ぶる波長を鳴り出す狂気の瞳を大きく見開きながら、鈴仙は死者達の牙が自分に届く前に、身体を舞うように回転させ、自分の視界に入る限りの死者たちの虚ろな瞳に、その波長を注いだ。

 

『―――――――――ッッッッ!!!!??????』

 

 一瞬のブレ、一瞬の停止。

 自分の放った狂気の波長に当てられ、飢えの狂気に蝕まれていた食人鬼達は今度は別の狂気に蝕まれ、更なる苦しみのどん底に落とされる。

 その様は、満月を見ると狼に変身してしまうというオオカミ男の様と何処となく似ていた。

 

「――――ッ」

 

 そんな彼らの姿を見て、良心が痛んでしまう鈴仙だが、敵に情けをかける事は戦場においては致命的な弱点となる。

 ……そんな事は彼女自身が誰よりも理解している。

 だが、そんな苦しみも束の間。

 狂いという苦しみに蝕まれた彼らを次に待っていたのは、月光を反射して銀色に輝く銀のナイフの嵐だった。

 

『―――――――ッッ!!???』

 

 ……上空には満月の月を背に、ナイフの軍勢を率いた銀髪の美女がその紅い眼を輝かせていた。

 鈴仙の周りに集まった数十体もの人型。

 月光に反射しながら輝くそれらは、容赦なく、むき出しの殺意のように、一斉に殺到した。

 時間の境界を乗り越えて無数に現れたナイフは、死者達の四肢、五体、胴、胸、腹、脇腹、背中、アキレス健を次々と精確に射抜かれ、やがてその殺陣は串刺しから細切りという域にまで昇華する。

 一週間以上前に彼らと一度戦った事のある咲夜は、彼ら人体で言う急所の一つや二つを突き刺した所で、止めることが出来ないと悟ってか……紅魔館の庭で戦った時とは比べ物にならない程にナイフを水増しにしていた。

 ……実を言うと、彼女はあの四人の中で比較的、死者を仕留めた数が少なかったりする。

 対して、直死の魔眼という死者や吸血鬼に対しての天敵とも言える玩具を持っていた七夜は、四人の中でも彼らを確実に仕留める手段とその手段を最大限に使いこなす体術を持っていたために、実は仕留めた数が一番多かったりするのだ。

 だが、何よりその差を決めたのは殺す事に対する覚悟であろう。

 七夜は他人を殺す事に何の呵責も躊躇いも持たないが、七夜と比べて人としての情が深い咲夜はそういう訳にもいかなかったのだ。

 故に、前回の事を反省した咲夜は、一撃の元に急所を確実に狙い、楽に殺すという手段を捨て、一度に水増しされたナイフの弾幕で痛みを感じさせる暇もなく細切りにするという手段を取った。

 能力の濫用は己の体に負担がかからない訳ではないが、それを考慮してもそっちの方が死者を仕留めるには効率が良かった。

 

「見事です、咲夜さん。……けど、正直後一ミリ右にズレていたら当たっていました」

 

「ごめんなさいね。出来るだけ正確に狙ったとは言え、貴女と彼らの位置が少し近すぎたから」

 

「いえ、あの量のナイフを寸分違わず狙い通りに投げるなんて流石です。……ただ、少し心臓に悪かったです」

 

「私も、彼がここに来てからは心臓に悪い思いしかしてないわね」

 

「あははは……」

 

 咲夜が零した何気ない愚痴に鈴仙は引きつった笑いを浮かべながらも、死者を迎撃する体勢を崩さなかった。

 ……辺りを見回せば、先程死者達を細切りにして地面に刺さっていた大量のナイフはいつの間にか消えていた。

 おそらく咲夜が能力を使って回収したのだろう。

 

「今ので大体何体くらいでしょうか」

 

「ざっと34体かしら。一体に付き十七本のナイフで狙い、そして使ったナイフの総本数は518本だから。多分それくらい」

 

「仕留めた敵の数よりも使ったナイフの本数を覚えているとはこれ如何に……」

 

「気にしないで頂戴。それよりも――――来るわよ!」

 

 2人が会話している間にも、死者達はその飢えた食欲をむき出しにしながら、2人へと襲いかかる。

 数が多い上に、一週間前の時とは違い、あの時は四人で迎え撃った上に面子が面子であった為にあっさりと片付いたが、今回は話は別だった。

 鈴仙とて咲夜も認める実力者ではあるが、さすがにレミリアには及ばないし、ましてや七夜のように接近戦が得意な類では決してない。

 咲夜とて七夜には遠く及ばないものの、体術は中々の部類ではある――――が、彼女の体術はあくまで彼女の能力によって真価が発揮されるもの。

 ……つまり、直死の魔眼の効力を最大限に引き出すイカれた体術こそが真骨頂である七夜とは正反対。

 詰まる所、二人共接近戦があまり得意な類ではないという事だ。

 ……無論、ソレは他の面々と比較しての話ではあるが。

 だからこそ――――お互いの能力の性質を理解し、そしてソレらそれぞれを補い合う必要があった。

 

 

 

 

 

 

 そして、この戦いを長引かせれば不利になるのは自分達。だから――――多少無茶をしてでも、一度に多くを葬り去って決着を付ける!

 

 

 

 

 

 

 ――――無時限・フォーカスキラー

 

 ――――狂眼・凶弾増殖(モルトプライウェーブ)

 

 咲夜の手から放たれた一本のナイフ。

 たかが一本のナイフがどうしたのだろうか――――そもそも咲夜の弾幕の脅威は時の能力による「何処から現れるのか分からないナイフ」が無数の束となって襲いかかってくる所にある。

 時の壁による法則を無視して、未来から己のナイフを複数呼び寄せる事で、投げたナイフの量を倍増させる事によって、成り立つのが咲夜の弾幕だ。

 それがたかが一本のナイフで何をしようというのか――――いや、そのナイフに、纏っている空気と迫力が今までと比べ物にならないのは何故だろうか?

 

 ――――だが、そんな疑問を抱くのも束の間。

 

 放たれた尋常ならぬ空気を持つナイフが、今度は無数に増殖した。

 鈴仙から放たれた波長により、ナイフに篭っていた時の力が暴走し、狂い、それを最凶最悪の弾幕に変えた。

 咲夜の『時を操る程度の能力』と鈴仙の『波長を操る程度の能力』が合わさり、おそらく彼の本物の「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」にも勝るとも劣らぬ威力と規模になったソレは、鈴仙と咲夜の眼前とその遥か奥に群がる死者の群れを竹林ごと蹂躙した。

 

 無時元・フォーカスキラー――――戦闘における咲夜の能力の使い方は、未来から自分の得物を多数呼び寄せ、倍増させ、ソレを弾幕として放つもの――――この技はその応用。未来から無数のナイフを呼び寄せるのではなく、一つのナイフに未来の自分が投げたナイフの威力を、能力の限界まで集中させ、一撃必殺の威力を持たせた技だ。

 

 狂眼・凶弾増殖(モルトプライウェーブ)――――この技によって、咲夜の投げたナイフに篭った「未来のナイフの威力の結晶」に狂いの波長を送る事で、ナイフに篭った時の力を暴走させ、その限界を超えさせる。これによって、フォーカスキラーのナイフにこもる威力を分散させ、それを無数のナイフに変えるが、それだけではない。その無数のナイフの一つ一つが元となったフォーカスキラーのナイフの威力を多少犠牲にしながらも、一つ一つが爆発的な威力を持ったナイフの弾幕へと姿を変えたのだ。

 

『――――――――――――――――ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!??????????』

 

 ……声にならぬ絶叫を上げ、塵となってゆく死者たち。

 理不尽の塊とも表現しがたい虐殺の弾幕は方向を変えながら、咲夜と鈴仙の前方だけでなく、周囲にいる死者の群れすらもその威力、規模、余波に為すすべもなく塵になっていった。

 

 

     ◇

 

 

 ――――その頃、事の一大事さを理解せずに殺し合いに興じている『鬼』が2人。

 

 萃香の拳に異様ならぬ空気が纏った。

 外側からの要因ではなく、内側から彼女の能力によって拳の密を高め、それが尋常ならぬ熱を帯び、まるで高熱を纏った鉄槌のようなモノを七夜に思わせた。

 ……そんな様を見て、戦禍しない七夜でない。

 

「行くよ!!」

 

 掛け声の元、一直線に七夜へとかける萃香。

 相手が動いてから避けては、人間である七夜には到底避けれる速さではない。

 単純で、強力で、凶悪な拳がまるで鉄槌の如く七夜に襲いかかった。

 ……が、その軌道の先には既に七夜はいない。

 まるで蜘蛛が獣のスピードを得たかのような動きで避ける。

 しかし、先程も言ったように、獣程度の速さでは萃香の攻撃を避ける事は不可能。

 しかし、それでも七夜は避けてみせた。

 萃香が攻撃する前の僅かな間に見せた予備動作から、萃香の動きを先読みし、萃香が動くわずか前に、そのタイミングを見極め、避けた。

 

(へぇ……)

 

 その光景に、萃香は心底驚いた。

 アレは妖怪でも、神でも、幻想種でも、はたまた陰陽師の類でもない。

 何の霊力も、魔力の扱いさえ知らない普通の人間だ。

 その人間が、霊力や魔力といった身体強化を一切行わず、ただ実戦のためだけに鍛え上げたその技のみで、この鬼の逆鱗を避けたのだ。

 見事だ、と萃香は賞賛を送る。

 初撃の月光を利用して欺いての一撃の衝撃も萃香はちゃんと覚えている。

 ――――人の身で、よくぞここまで磨き上げたと。

 ……だから。

 ……だからだろうか。

 ――――こんなに残念な気持ちになるのは……。

 いくら技が洗練されていても、彼はその技の使い方を誤った。

 いくら彼の技が殺すためだけに磨き上げられた物であったとしても、他の誰に手を出そうとも、彼女にだけは――――霊夢にだけは、手を出してはいけなかったのだ!

 

(もし、霊夢の件さえなければ、私達は友になれたかもしれないね……)

 

 未練がましく心の中で呟く萃香。

 無論、そんな事を口にしていたら、当の七夜は嘲笑っているに違いなかったが、それさえも今となって些事である。

 時はもう既に遅し。

 ――――故に、あんたはここで死ぬ!

 ――――他の誰があんたを許そうと、私はあんたを絶対に許さない!

 心の中でそう呟き、地面に食い込んだままの拳を抜き、萃香は再び立ち上がった。

 

(はっ――――想像以上に、想像以上の相性の悪さだよなぁ、こりゃ……)

 

 常人では回避不能の一撃を、動きを先読みして難なく回避した七夜は、冷や汗を流しながら心の中で悪態を付いた。

 おそらく、ここが竹林という障害物の多い舞台でなければ、自分はとっくのとうに地獄行きだ。

 ――――見ろ、その証拠に……

 彼女が拳を突き立てた地面には――――半径十メートルくらいのクレーターが出来ていた。

 似たような光景は七夜が初めて幻想郷に来た時に目にした。

 そう、紅魔館の番犬――――紅 美鈴と殺し合った時に、彼女の拳によって地面に半径五メートル程のクレーターが出来ていたが、今回はその4倍の大きさだ。

 美鈴は七夜が幻想郷に来てから初めて殺し合って、見事彼を打ち負かした妖怪だ。最後の最後でその甘さが命取りになり、七夜に形成を逆転されていたものの、七夜は彼女を一人の殺し合い相手として、一人の武人として敬意と賞賛を抱いていた。

 自分が生きるか死ぬかという極限の状況の中で、七夜の一撃を冷静に対処してみせたその技量には七夜も感嘆した事だろう。

 ――――だが、あの鬼は何だ?

 何の体術も、何の法力も、何の魔術も、何の魔法も使わずに、ただ純粋な力のみであの惨状を生み出したのだ。

 しかもそれだけではない。

 密を高められて高熱を帯びたその拳は、巨大なクレーターを作るだけでは飽き足らず、クレーターの範囲内にある全ての地面を黒焦げにしてしまった。

 ……その光景を見て、理不尽だと嘆かぬ者など存在しないだろう。

 

「ククク……」

 

 七夜は笑う。

 元より〈七夜〉は純粋な魔とは相性が悪い。

 如何に人間の体を限界まで酷使する体術をいとも容易く使いこなす技があろうと、所詮は人の域を出ない。

 〈七夜〉はあくまで混血を専ら専門とする一族だ。

 故に、『退魔師』ではなく『殺し屋』と呼ばれている由縁であるのだが……。

 ――――そんな事は、充分に承知していた筈なのだが……。

 いくら何でもこれはないだろう。

 自分と相手の性能の差を突き付けたれたその現実に、七夜はいっそヒュ~、と口笛を吹きたくなる気分になった。

 

「……楽しいなぁ」

 

 しかしその口に浮かべる笑みは、恐怖でも、自棄でも、見せかけでもない――――正真正銘の歓喜の笑みだった。

 狩場に君臨する蜘蛛は、その死を視る淨眼を、己の殺すべき獲物に定めた。

 その殺意には、一篇の慢心も一切存在しない

 ―――相手が純粋な魔だからなんだ?

 そんな理屈――――〈七夜〉には罷り通っても、七夜には罷り通らない。

 人間? 混血? 魔?――――そんなものは関係ない。

 ただ極上の獲物が視界に存在する。

 ……彼が動く理由などそれだけで充分だ!

 ――――さあ、俺に生きている『実感』を与えてくれ!

 心の中で獲物にそう懇願した狩り人は、獣以上の速さで、蜘蛛の動きを持って、この竹林の中を跳び回った。

 

「集え、この密」

 

 虚空へ向かって放たれた萃香の言葉。

 静かに、無機質な発音で言われたその言葉には、ただならぬ迫力と嫌な予感を感じさせた。

 そして、それは異様な光景となった。

 先程、萃香の拳によって砕かれた地面、およびその周りの竹々の残骸が、まるで生きているかのようにざわめき始めた。

 

「……ッ?!」

 

 影からその動きを見張っていた七夜は、突如、ある違和感に襲われた。

 ――――退魔衝動のざわめきが、より一層激しくなった。

 衝動の“質”ではなく、衝動の“数”が……。

 新たなに感じた衝動そのものの“質”は萃香とは比べ物にならぬ程小さいが、感じる衝動の“数”が圧倒的に多くなった。

 ――――一体、どうなっている?

 そんな七夜の疑問などお構いなしに、その異様な光景を七夜は見せつけらた。

 ざわめき始めた萃香の周囲の残骸はやがて萃香の頭上に集まり、やがてそれは一つの大きな物体となった。

 『塵も積もれば山となる』とは正にこの事だろう。

 

(なるほどね……)

 

 七夜はこの殺し合いが始める前の萃香のいった言葉を思い出す。

“ここにいるのは私という百鬼夜行ただ一人”

“鬼の染まる所に人も妖怪も居れない”

 最初は何かの比喩表現かと疑っていた七夜であったが、それが正に言葉通りであったという事に七夜は気付いた。

 ……まあ、そもそも彼女は遠回しな言い方が嫌いで、思った事は率直に言う性格であるのだが、それを七夜が知るはずもなし。

 七夜が感じた違和感の正体――――それは、萃香が“萃”めた地面や竹の残骸が皆、“妖怪化”しているのだ。

 一人で百鬼夜行とはこういう事。

 元々、意思などが宿っていない物体だからこそ、彼女自身も染めやすいのだろう。

 その証拠に――――淨眼を通してそれらを見れば、僅かに紅く染まっている。

 つまりは魔の色に染まった証である事に他ならなかった。

 だが、問題はそこではない。

 問題なのは――――わざわざそんな事をしてどうするつもりであるかであった。

 

(まあ、予想は付いているがね……)

 

 先程の残骸の集まり方――――何となくだが、七夜が萃香と出会った時に、彼女が霧から個体へと姿を変えた様とよく似ている。

 そして、自分の初撃を自らの身体を個体から霧に変える事で避けてみた様を見るに、逆を行うことも彼女には造作もない模様。

 つまりは――――。

 

 ――――萃香の頭上に集まった大きな物体は、妖力という殺傷力を得て、辺りへ爆ぜた。

 

(やはり……弾幕とやらか……!!)

 

 辺りへ散らばった残骸はそのまま空中で静止。

 そのまま妖力のエネルギーを纏い、一つの意思で統率された百鬼夜行はそのまま七夜へと襲いかかった。

 一つ一つの弾の威力は魔を殺すには不十分だが、人間の体を消し去るには充分な威力を持っていた。

 ナイフで受けてしまったら、おそらくその衝撃は体中に伝わり自由を奪う程の威力を持ったそれは、明確な殺意を持って七夜に向かってくる。

 空を飛べぬただの人間にとっては、それはどうしようもない理不尽。

 ――――対して、七夜は動いた。

 上方向に七メートル程跳躍し、そのまま背後にある竹に張り付き、蹴る。

 逃げるのでも、避けるのでもなく、自殺行為を選んで弾幕群に正面から突っ込む。

 ――――そして、眼前で百鬼夜行が一人の人間を蹂躙しようかという距離で、横切る筈であった隣の竹を蹴り、急降下。

 空間を立体的に扱う獣の急な動きについて行けず、弾幕は七夜の髪を数本掠めるだけでその役目を終える。

 ――――が、まだ全ての弾幕を撒ききった訳ではない。

 先程避けたモノよりも後続の弾幕が地上にいる七夜を蹂躙せんと襲いかかる。

 第一群の弾幕を避け切った反動で隙ができ、七夜はそのまま第二群の弾幕に押しつぶされる……訳が無い。

 静の状態から瞬時に最高速へと姿を変える。

 静と動のメリハリの激しいその動きに弾幕はまたもやついて行けず、迫り来る百鬼夜行を突破した獣はそのまま跳躍。

 地面だけでなく、竹林中の竹、またはその枝を足場とし、まるで獣のスピードを得た蜘蛛の如き動き。

 空間を立体的に扱うその様は正に巣を張った蜘蛛そのもの。

 瞬時に最短かつ死角になりやすい場所を計算し、獲物を確実に仕留めるために疾駆する。

 人の域であるにも関わらず、しかし人の域とは思えぬその動きには呆れるの一言。

 確実に獲物を仕留められる状況にまでたどり着いた蜘蛛は、そのまま萃香の死角からその“死”を穿たんと迫る。

 音も、気配も、殺気さえも感じさせぬ死神の牙は――――

 

「……ッ?!」

 

 咄嗟に迫り来る獣に勘付いた萃香の腕によって防がれた。

 気付いて防いだのではない、とっさの勘行動が間に合っての防御。

 もしこれが並の鬼であるのであれば、とっくにあの世逝きだ。

 萃香の腕に生温い衝撃が走る。

 

(まさか、空も飛ばすにアレを突破してきたのかい!!?)

 

 己の意表を付いて奇襲を掛けてきた事に対してもそうだが、萃香は何よりその事実に驚愕した。

 何という出鱈目。

 目の前の男は何の法力も魔術も使わずに自分の拳を躱すだけでは飽き足らず、自身が殺意を込めて放った弾幕すらも、ただ己が鍛え上げた体術のみで躱しきった。

 これを出鱈目と言わずして何という。

 驚愕していただけに反応が僅かに遅れてしまったが、それでも萃香は自分の腕に突き立てられているナイフを振り払う。

 対して力が込められていないソレも、人の身である七夜にとっては致命傷になりうる一撃だ。

 七夜はその一撃を体を捻を捻ることで回避。

 一度ひねったその体勢は七夜にとって不利な状況に持ち込むと思いきや――――七夜はそのままの体勢で萃香の腕を足で蹴り、再び竹々の間を蜘蛛の如き動きで移動し始めた。

 

(なッ……あんな体勢から!!?)

 

 体勢を崩してしまうという行為は、勝負事においては致命的な失敗となる。

 それは喧嘩にせよ、殺し合いにせよ、弾幕ごっこにせよ変わらない。

 空を飛んでいる者であっても、一度体勢を崩してしまえば、立て直すまで結構時間がかかってしまう。

 頼りになる足場が存在せず、己の感覚だけにしか頼れない状況であるのならば尚更の事だ。

 ――――だが、あの人間は何だ?

 地に足がついていない状況から萃香の拳を体を捻って躱すだけでも見事であるのに、更にそこから体勢を立て直すことなく、そのままの体勢のまま萃香から距離を取ったのだ。

 ただ敵の攻撃を避けたというだけの動作であるにも関わらず、それは神業だった。

 

「なるほど……」

 

 萃香はため息を吐く。

 

 ――――決して呆れているからではない。

 むしろ、先程の弾幕で決着が付くと思っていた自分を殴りつけたくなる気分であった。

 

「あんたには……」

 

 咄嗟に、片手に持っていた伊吹瓢を捨てた。

 拳に力が篭り、それは激っているように見えた。

 

 ――――だが、あの殺人貴は、自分の予想の斜め上を言った。

 ただ己の鍛え上げた体術と人外と渡り合ってきた経験のみで己の殺意の込めた弾幕を躱し、あまつさえ傷を負わせていないとは言え、この伊吹萃香の体に刃を届かせた。

 

「こんなモノ(弾幕)よりも……」

 

 袖を巻き、そこから年不相応の幼き肌を覗かせる。

 

 ――――だから、自分も応えなくてはいけなと思う。

 霊夢や魔理沙、咲夜といった自分が知っている人間とはまた違った強さを持つこの相手に、鬼としての闘争本能が揺さぶられぬ訳がなかった。

 

「コッチ(拳)の方が、面白そうだね……!!」

 

 拳をボキボキと鳴らし、その戦意をさらけ出した!

 

 ――――ならば、応えよう!

 向こうが己の体で全力でぶつけてきているというのに、自分がソレをしないのは不公平だ。弾幕ごっこならぬ……久々の殺し合いだ!

 私を失望させてくれるなよ、人間!!

 

 そんな萃香の熱意に、反応したのか。

 それとも余韻に浸って興奮している萃香に隙を見出したのかは定かではない。

 だが、影が飛び出してきた。

 空間を最大限利用した動きは、変幻自在、かつ予測不可能。

 その存在を誇示するかのように、萃香の周りをその動きで跳び回った。

 

「その意気や良し!」

 

 ――――しかし、下手だねぇ。どうも……。

 そんな自分の行動に、七夜は心底自嘲した。

 自分は確かに殺人鬼だが、同時に暗殺者でもある。

 美鈴の時も、霊夢も時もそうであったが、暗殺とは本来一撃で決めるモノである。

 ソレを外して戦闘に持ち込んでしまえば、不手際以外の何者でもない。

 殺し合いができるのであればソレに越したことはないのだが、七夜とて“七夜一族の誇り”というモノがないわけではない。

 一度は死に、己の名を忘れ、記憶はなくし、それでもなお体から染み付いて離れなかったこの七夜の暗殺術。

 誇りに思わない訳がないのだ。

 ……そんな自分が今、相手の誘いに乗って宴を興じようなどと思っているのだから、これを下手と言わずして何と言おうか。

 いや、もしくは”七夜一族の誇り”故に、こんな真似に出たのかもしれない。

 さっきから脳表に――――あの“隻眼の鬼”が浮かび上がる度に……自分の中の、何かがせり上がってくる!

 

 七夜のナイフが死角から萃香を狙う。

 音も、気配も、殺気すら感じさせぬ暗殺者の刃が萃香の死を狙う。

 だが、そもそも初撃の失敗の時点でそもそも暗殺は失敗している。

 それでも暗殺の刃と呼ぶことができるのは、単に七夜の暗殺術は正面からの暗殺にも特化しているという事だ。

 

 刃が細い腕(かいな)に防がれる。

 並の魔であれば、脳天を串刺しにしているであろう力で振るわれているにも関わらず、その肌には一ミリも刃が食い込んでいない。

 防がれるのであれば腕の“線”をなぞってしまえばいいと思える程の余裕など存在しない。

 

 ……七夜の頭蓋を潰さんと魔手が迫る。

 鬼の腕力によって振るわれたソレは、防御も回避も不可能の威力と速さをもっていた。

 

 ……が、七夜はソレを躱す。

 相手の筋肉の動きから次の攻撃を予想し、相手の眼をみて自分の何処を狙っているかを先読みし、紙一重で躱した。

 

 躱すと同時のカウンター。

 一切の工程を介さず、瞬時に繰り出された刺突。

 

 ……が、防がれる。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 刺突が防がれると同時、七夜は腰後ろの帯びに差したナイフをもう一本抜き、そのまま萃香の首に走る“線”へとそのナイフを走らせる。

 

 敵が得物をもう一本持っていた事を予想していなかった萃香は慌ててもう一方の腕で防ぐ。

 

(二刀流……そうか、ようやく本気になったって訳かい……! いいねいいねぇ、本当に面白いよ、お前)

 

 かつて七夜の最高傑作が二本の撥を使用して隻眼の鬼と戦ったように、彼もまた両手に二本のナイフを持ち、密を操る鬼と乱舞を繰り広げる!

 

 萃香は両腕に突き立てられた七夜のナイフを振り払った。

 ただ振り払うだけの動作であるにも関わらず、それは暴風の如き衝撃を放つ――――が、そこに七夜は既にいない。

 動きを先読みし、また躱した。

 

 萃香から距離を取った七夜はそのまま、四脚を付き、そして地を這うような低姿勢で萃香へと接近した。

 人の域で見れば速いが、萃香からしてみればその動きは赤子同然の速さ。

 

「遅いよ!」

 

 確実に潰せるであろう状況の中で、萃香は七夜とは比べ物にならない速さで接近し、その拳で七夜を押し潰さんとする。

 

 ……が、七夜の姿が消えた。

 ――――否、加速した。

 静と動のメリハリの激しいその動きに、萃香の眼はついて行けず、萃香は七夜の姿を見失った。

 

「寝てな」

 

 閃鞘・八穿。

 萃香の上斜め後ろに現れた七夜は、そのまま萃香の背中に走る“線”へとナイフを走らせる。

 

「このぉッ!?」

 

 舌打ちと共に、七夜の奇襲を防ぐ萃香。

 そのまま後ろにいる七夜に向けて裏拳を繰り出す。

 鬼の腕力によって繰り出されたそれは、人の身である七夜には、回避も、防御も不可能な攻撃。

 

 ……だが、動きを先読みし、躱す。

 

 

 

 

 

 

 ――――斬る。

 

 ――――防ぐ。

 

 ――――殴る。

 

 ――――躱す。

 

 ――――斬る。

 

 ――――防ぐ。

 

 ――――殴る。

 

 ――――躱す。

 

 ――――斬る、躱す。

 

 ――――防ぐ、殴る。

 

 ――――斬る、防ぐ、殴る、躱す。

 

 ――――躱す、斬る、防ぐ、殴る。

 

 ――――殴る、躱す、斬る、防ぐ。

 

 ――――防ぐ、殴る、躱す、斬る。

 

 

 

 

 

 

 大凡、四十回近くにも及ぶその攻防。

 己の“死”を狙う蜘蛛の牙を防ぎ続ける萃香。

 己を潰さんとかかる鬼の魔手を躱し続ける七夜。

 

 伊吹萃香は冷や汗をかきながらも、死角から来る七夜の牙を防ぎ続けた。

 ――――何だろう、この恐怖は?

 あの人間の一撃は、自分の肌を傷つけてすらいないというのに

 ――――何故、こんなにも、“死”を感じるのだろう?

 

 七夜は己の体を限界まで酷使しながら、萃香の魔手を躱し続けた。

 ――――凄まじいパワーだ。

 相手に能力を使わせる暇を与えていないからいいものの

 ――――この攻防で仕留めきれなければ、自分は即あの世逝きだ!

 

 お互いにそんな焦燥を抱きながら、2人の『鬼』は舞う。

 

 

 

 

 

 

 ――――だが/――――だが

 

 

 

 

 

 

 ――――そうでなくては/――――そうでなくては

 

 

 

 

 

 

 ――――殺し甲斐がない!/――――喧嘩し甲斐がない!

 

 

 

 

 

 

 小さき身でありながら、大地をも揺るがす力、他の妖怪、鬼からすらも恐れられる力と身体能力のみで戦う萃香。

 動きに無駄が多く、攻撃は大振りで、しかしその攻撃の威力とスピードはまさしく四天王に数えられる鬼。

 

 人の身でありながら、己の肉体を限界まで酷使する体術をいとも容易く扱う殺人鬼、七夜。

 その動きに無駄はなく、本来有り得ない姿勢からの攻撃、一足で最高速に達し、スピードは獣かそれ以上。

 純粋なスピードなら萃香より劣っているが、静と動のメリハリの激しい動きで、止まったと思ったら動き、動いたと思ったら止まっている。

 単純明快さを無視したその動きは正に、稀代の殺人鬼というべき技。

 

 人と鬼。

 男と女。

 技と力。

 何から何までもが反している2人。

 しかし、そんな事はお構いなしに2人は、笑い、楽しみ、愉しむ。

 どれだけ反していようと、所詮お互い『奪い合うことしかできない生き物』であることに変わりはない。

 技と力がぶつかり、それが殺し合いや喧嘩という域を乗り越え、2人の『鬼』の戦いを神秘的なそれをへと昇華する。

 もし、この聖戦に観客がいるとすれば、誰もが感嘆し、驚愕し、そして憧れたであろう。

 

 

 

 

 

 

 ――――が、その『聖戦』は突如、終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 ほんの一瞬、七夜の眼前の景色が歪んだ。

 それはほんの刹那の瞬間。

 これが通常の殺し合いであるのであれば、こんなモノ、支障の内に入らないだろう。

 ……だが、今回に限っては話は別だった。

 この極限の状況の中では、そのほんの一瞬こそが命取りになってしまう。

 そのミスを、あろう事か七夜自身が犯してしまったのだ……。

 

 “死”の象徴たる魔手が迫る。

 

 ――――ほんの微かに、その魔手が、数ミリ程掠ってしまった。

 

 ただ、それだけなのに、体中に衝撃がひし渡る。

 ……あの時食らった美鈴の拳と、同等の衝撃が襲った。

 その強い衝撃が、七夜の体を蝕んだ。

 

「がぁっ!!?」

 

 それでも七夜は痛みを我慢し、己の体の限界まで酷使して萃香から七メートル程距離を取った。

 そのまま片膝を付き、苦渋の表情を浮かばながら萃香を見つめた。

 

「限界か……」

 

 そんな七夜を見つめ、萃香は息を吐いた。

 

(何だ、どうなっている?)

 

 七夜は即座に自分の体を確認し

 ――――体中の所々から、少量の血がにじみ出ている事に気付いた。

 ……一週間前に霊夢と戦った時の傷が、開いてしまったのだ。

 霊夢と戦った時の傷は確かに、“ほぼ”完治していた。

 だが、元より七夜の体術は人間の体を限界まで酷使する暗殺術。

 それを長時間使用した事により、“ほぼ”完治していた筈の傷口が、ほんの少し開いてしまったのだ。

 今はまだ大事に至らないが、このまま続けていれば無事では済まさないだろう。

 

「ぐっ……!!」

 

 それでも、ただ殺し合いという渇望のみで立ち上がる七夜。

 両手にもったナイフをしっかりと離さず、未だ殺意に満ちた蒼い瞳で萃香を見た。

 しかし、そんな七夜を見かねてか、萃香は口を開いた。

 

「もう、やめにしようか……」

 

「……何?」

 

 その発言に、普段は滅多に憤慨する事のない七夜は、密かに、訝しげに眉を潜めた。

 ――――こんな、楽しい殺し合いをやめろとでも言いたいのか、この鬼は……?

 そんな七夜に構わず、萃香は言葉を続けた。

 

「私は、あんたの事が心の底から憎いさね。霊夢の左腕を落としたあんたを今更許すつもりも、助けるつもりもない。

 ……だけど、同時にあんたにこれ以上のない敬意を評している」

 

「……」

 

「これ以上続けるのは、人の身には酷だ。敬意を評した相手が、死ねずに苦しんでいる姿なんて……私は見たくない」

 

 

 

 

 

 

 ――――ドクン。

 

 

 

 

 

 

 その発言を聞いた途端、自分の中の何かが、弾けそうになるのを、七夜は感じた。

 

 

 

 

 

 

 ――――このまま、終わり?

 

 

 

 

 

 

 ――――このまま終わったら、あの“鬼”は何処へ行く?

 

 

 

 

 

 

 ――――何処へ消える?

 

 

 

 

 

 

 ――――……“消える”?

 

 

 

 

 

 

 ――――消えるのか、また、“あの夜”のように……

 

 

 

 

 

 

 ――――亡霊のように、消えやがるのか!!!

 

 

 

 

 

 

「……どうかな?」

 

 己の中に込上がってくる感情が何なのかを理解できずに、それでも表に出さずに七夜は口を開いた。

 

「何?」

 

「『生き物』としては、あんたの方が上でも―――」

 

 七夜はナイフを構え直す。

 

「それが『殺し合い』なら――――」

 

 殺意がそのまま形になったような鋭利な眼で萃香を睨み……

 

「俺の方が、優れている」

 

 静かに、しかし堂々と宣言した。

 

 両者の間に、静かな風が舞った。

 月光は2人の姿をよく映し、七夜の手元にある二本のナイフはその月光を反射して美しく輝く。

 ……だが、両者は微動だにしない。

 しばらくの静寂の後、先に口を開いたのは……

 

「ク、フフフ……」

 

 何を思ってか、萃香は込上がってくる笑いを押し殺し、やがて……

 

「フ、ハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハッッ……!!!!」

 

 やがて、堪えきれなくなったのか、その幼き声を竹林中の響かせ、周囲を圧した。

 

「ハハハ、いや、本当に面白いな、人間。今まで幾度と変わり者の人間を相手にしてきたつもりだったが、これ程愉快な奴は初めてだよ!!」

 

 まるで、面白い玩具を見つけたような、子供のような笑みで言う萃香であったが、その眼は笑っていない。

 次の瞬間、彼女の、鬼としての本性が覗かせた。

 

「あんたの方が私より優れている……だと?

 呆けるのも大概にしろよ、殺人鬼。お前のような脆弱な身ではソレが限界だ。嘘が大嫌いな鬼の前でそれを言うとは……覚悟は出来ているんだろうな?」

 

「知らないよ、そんなもの。俺はただ『殺す』だけ。そして殺すべき獲物は目の前にいる……それだけで充分だ」

 

「そうかい……」

 

 自らの殺気に臆することなく、平然と答えた七夜に、萃香は眼を瞑り……

 

「なら、身を以て教えてやる。

 これが、私(鬼)と、お前(人間)の、差だ!!

 

 

 

 

 

 

 ――――“霧散”」

 

 その瞬間、萃香の様子が一変する。

 ……七夜の淨眼にはハッキリとソレが映った。

 萃香の体、徐々に消えて、それは紅い霧へと姿を変える。

 『密を操る程度の能力』――――この能力を用いて、彼女は自らの体の密を薄め、自らを“霧”へと変えた。

 ……七夜の周囲に漂う、紅い霧は正に萃香そのもの。

 その霧の中に君臨するのは、袋の中の鼠と化した蜘蛛のみ。

 

『あんたも私と出会った時に見ただろう? 私が霧が個体となって姿を現すのを……』

 

「……」

 

 どこからもなく聞こえてくる萃香に対し、七夜は表情一つ変えずに、その声に耳を傾けていた。

 

『密という物は高まれば温度が上がるが、逆に下がれば“霧状”になる! 霧となった私にはもはやどんな攻撃も無意味! この勝負、もらった!』

 

 瞬間、七夜の周りの世界が……変わった。

 周囲に見える光は正に、彼女の殺意そのもの。

 ――――ああ、数えるのも馬鹿らしくなる。

 

「弾幕、か……」

 

『そうだ。いくらあんたでも、私の弾幕を延々と躱し続ける事は出来ないだろう。鬼は嘘が大嫌いだ。自分の発言に責任が持てないなのなら――――“死”を以て全うしな!!』

 

 萃香自身である“霧”の範囲内に出現した、大量の光弾が、殺意を持って七夜に襲いかかる!

 スペルカードルールに基づいて放たれたものではない、すなわち終わりのない永久の耐久弾幕。

 一つ一つの威力は弾幕ごっこ用に加減されたモノではなく、七夜を葬るためだけに練り上げられた妖力エネルギーの塊。

 ……それらが一切に、七夜を囲み、襲った。

 しかし、これしきでやられる七夜ではない。

 周囲の竹を利用し、空間を最大限利用した動きで躱す。

 

『さすがに、あの弾幕を突破してきただけの事はあるね。なら――――これならどうだ!!?』

 

 萃香の掛け声の元、その弾幕に込めれた殺意は更に増す。

 弾幕の数も、弾幕の質も、今度は先程よりいっそう強化されたモノが、七夜に襲いかかった!!

 ……が、当たらない。

 その体はとうに限界が来ているにも関わらず、蜘蛛は萃香の予想を上回る動きで躱してゆく。

 ――――これでも当たらないか!!

 心の中で、七夜を賞賛した萃香は、更に弾幕の質と数を高める。

 よもや“殺し合い”ではなく、“蹂躙”の域となった舞台でも、蜘蛛は楽しげに、愉しげに笑いながら避けていく。

 

『ならば――――!!』

 

 更なる脅威。

 またもや弾幕の質と数が増え、その理不尽さを一層増してゆく。

 もはや破壊の塊と化した弾幕は、七夜の足場となる筈の竹々を根こそぎ取られてゆく。

 

「――――ッ!!」

 

 だが、それでも蜘蛛には当たらない。

 もはや隙間がどこであるかすら分からないこの極限の状態の中で、七夜は蜘蛛の巣より複雑難解な生命道を迷わずに駆ける!

 

『まだまだぁ!!』

 

 しかし、そんな七夜をあざ笑うかのように、弾幕は更なる質と数を増す。

 空でやってこその弾幕を地上でやれば被害甚大。

 地上に最早、逃げ場など存在しない!

 

「――――」

 

 それでも、蜘蛛は生き延びた。

 まだ最後の最後で使っていなかった奥の手――――幻想指輪(イリュージョン・リング)。

 空中に仮想の足場を作り、足場の有無を関係なしに、七夜は蜘蛛の如き動きを見せて、萃香の弾幕を避けていく!

 

『ハハハ、凄い凄い! あの暴言もあながち嘘のつもりで言ったみたいではなさそうだね。……だが、それもこれで終わりだ、殺人鬼!! せめて最期くらいは極彩と散って見せろ!』

 

 そして、その世界はついに煉獄へと姿を変える。

 妖力のエネルギーの発する光に染まった。

 本来は美しさを競う為に生み出されたスペルカードルールが、この舞台ではみる影もない。

 破壊の化身と化した一つ一つ弾幕は七夜に襲い掛かり、もはや理不尽という域では済まさない。

 所詮は蜘蛛。

 いくら足掻いても、その牙は、鬼には届かない。

 ――――これではもう逃げ場がない。

 巣を壊され、無様な孤立無援状態となった七夜は、ここで果てることしか道はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そんな理不尽を体現したような“煉獄”の中で……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――殺人貴は、その蒼い瞳に“死”を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

「わ、我らながら派手にやりましたね……」

 

「そ、そうね……」

 

 鈴仙と咲夜は、自分達が作り上げたその惨状に、ただ息を呑むしかなかった。

 お互いに指示して出した技ではない。

 ましてや、お互いに出した技なんて知らない。

 ただ2人の間に存在した『信頼感』だけがその惨状を作り出してしまったのだ。

 ……竹々は根こそぎ薙ぎ倒され、辺は焦土とも言うべき光景が広がっている。

 以前、七夜に、未熟な忠犬が成し得ない荒業も、狂犬となれば成し遂げしまうと皮肉った咲夜であったが、まさか今度は自分達がソレを実践するとは思わなかった。

 

(まあ、アレよりはマシ……よね?)

 

 思い出すのは、一週間以上前に見た光景。

 自分と鈴仙の能力を組み合わせることによってやっと作り上げたこの惨状であるが、コレよりももっと大馬鹿を仕出かした男を咲夜は知っている。

 博麗の巫女との殺し合いの最中、その男はたった一本のナイフを地面に突き立てただけで、コレ以上の地獄絵図を作り上げていた。

 ……あれに比べたら幾分かマシだろう、と現実逃避を選びたかった咲夜だが、それは無責任も程があった。

 

「今更こう言うのも何だけど、周囲にいた兎達は大丈夫かしら?」

 

「あ、それは大丈夫だと思います。兎って臆病な生き物ですから……危機察知能力が非常に高いんです。戦っている途中で周囲にそれらしき波長は一つも感じませんでしたし……おそらく死者たちの来訪を察知して遠くへ避難したかと……」

 

「そう……良かったわ」

 

 そうと分かれば、もうここに用はない。

 

「鈴仙、さっきの二つの波長とやらは……?」

 

「……」

 

「鈴仙?」

 

 だんまりしてしまった鈴仙に、咲夜は嫌な予感して再び鈴仙の名を読んだ。

 ……まさか、もう間に合わないなんて事はないだろう。

 それに――――こう言ってはもう一人の方に失礼だろうが、あの一週間前の体験からして、殺し合いで彼が負ける姿など正直想像が付かないのだ。

 

「鈴仙!」

 

「……波長が、二つとも止んでいます」

 

「……」

 

「そ、そんな顔しないで下さいよ! 波長の届く範囲はその激しさに左右されるんです。まだ彼が死んだと決まった訳ではありません!」

 

 表情には出してなかったが、若干目が暗くなった咲夜を、鈴仙は慌てて慰めた。

 ……慰めではあるが、同時に鈴仙が言ったことは事実である。

 まだ彼が死んだと結論を付けるのは早すぎる――――という以前に、彼が死んだという前置きをまず捨てるべきである。

 そう考えた鈴仙は、マイナス思考になりがちな咲夜は慰めた。

 

「……そうね。有難う、鈴仙」

 

 鈴仙の言葉になんとか持ち直した咲夜は、静かに礼を言った。

 そんな咲夜に鈴仙は静かに微笑み……

 

「さあ、行きましょう。何事も前向きに、です!」

 

「貴女の口からそんな事が出るなんて夢にも思わなかったわ」

 

「あ、それは、その、えっと……と、とにかく行きましょう! うん!」

 

「フフ……そうね」

 

 咲夜が悪意もなく本心から言った皮肉に、鈴仙は慌てて話をはぐらかした。

 自分から積極的に人と関わろうとしない鈴仙から、そんな口が出るとは夢にも思わなかったのだ。

 その場の勢いで言っただけかもしれないが、彼女には何故か似合わない言葉である。

 鈴仙にもそんな自覚があったのか、その場の勢いで言ってしまった自分らしからぬ言葉に、しまった、と思った事だろう。

 そんな彼女が何故か可愛く見えて、少しであるが笑ってしまった咲夜。

 

「有難う。少し、気が軽くなったわ。行きましょう」

 

「はい」

 

 そう言って、2人は歩み始める。

 ……とは言っても、前には先程自分達が作り出した焦土が広がるのみ。

 竹林と言える領域に入るには少し歩く必要があろうか……。

 

「……」

 

 ふと、咲夜は後ろを振り向いた。

 前を後ろを向いても、そこには同じような風景が広がっていた。

 そもそも考えても見れば、自分達が倒した……否、殺した死者の数は何人に上るのだろうか。

 あの数を見る限りでは、一週間前に紅魔館の庭に現れた数すらも上回っていた。

 それだけは確かだ。

 現に、自分たちが作り出したこの焦土の範囲が、死者の数が如何に多かったことかを証明していた。

 

「――――ッ!!」

 

 それを考えた途端、咲夜は歯を噛み締めた。

 やがて、再びを前を向いて、前を歩く鈴仙に続いて咲夜は歩み始めた。

 分かっている……“アレ”はもうヒトではない事くらい、充分に承知している。

 ……なのに、何故こんなにも胸が痛む。

 いくら一週間前の反省を踏まえているとは言え――――

 

「……いえ」

 

 気にしてはいけない。

 自分は誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットに仕えし従者であり、自分はその主の為ならば、いざとなる時には人としての情を捨てなければならない。

 ……無論、こんな事を主の前で言えば、レミリアはまずは自分の情を大切にしろとお叱りになるだろうが、そこだけは咲夜も譲れなかった。

 尊敬? 崇拝? 畏敬? ……そんな情だけを抱いているようでは彼女の従者など今頃やっていない。

 ただ単純に……“大切”なのだ。

 だから……、だから……

 

 ――――こんな事で、罪悪感を抱くな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“あら、自分の犯した罪から逃げるつもりなのかしら?”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ッッ!!?」

 

 突如、咲夜の背後から、何かが聞こえた。

 何の声かは分からない。

 後ろから聞こえるのは確かに分かる。

 その言葉が、自分に向けられている事だって分かっている。

 ただ……

 

 

 

 

 

 

 ――――ただ、その何故か懐かしい声に、振り向くのが怖くなっただけ。

 

 

 

 

 

 

 ……“怖い”?

 何が怖いのだ。

 後ろに敵がいるのであれば、切ればいいし、そもそも耳を傾ける必要がないのではないか?

 何を躊躇する必要があるというのだ?

 ――――背後にいる者が、自分の敵だというのであれば……やられる前に殺すだけ!

 そう思い、時を止めようとして――――

 

“あの日の雨の中、貴女は……あの少年から貰ったナイフで……”

 

“人を■したじゃない”

 

「……え?」

 

 その言葉に、咲夜は完全に動きを停止した。

 誰が?

 何を使って?

 何をした?

 

「貴女……誰?」

 

 振り向かずに問う咲夜。

 いや、振り向いている所か、その視線はまるで後ろにいる“何か”から逃げるかのように前を向いていた。

 しかし、そんな咲夜の質問にはお構いなし、後ろにいる何かは言葉を続けた。

 

“なら、ちょっとだけ思い出させてあげる♪”

 

 

 

 

 

 

 ……その瞬間、咲夜の視界の……世界が変わった。

 

 

 

 

 

 

 ……何処かの田舎町のようだった。

 まるでイギリスの絵本に乗ってるかのような、のどかで、美しくて、それでいて人々の生活感を思わせる建物が並んでいた。

 ……が、そんな豊かな街の様子は何故か見る影もなかった。

 

 道中には、血を流した“ナニカ”がまるで粗大ゴミのように転がっていた。

 ……それは紛れもないさっきまで“生きていた”血肉以外の何者でもない。

 

 そんな血だまりを洗い流すかのように、曇天の空から雨が降っていた。

 それはまるで大惨事の後の、余韻を象徴しているようにも見えた。

 

 ――――そんな赤い池の中心に、ポツリと立っている少女が一人。

 

 体中は血に濡れ、その鮮やかだった服の染色は、今や見る影もなく、赤い血に染まっていた。

 そして……

 

 

 

 ――――そして、右手には、“血に濡れたナイフ”を持っていた。

 

 

 

 ――――そのナイフは西洋のモノを思わせぬ雰囲気を放っていた。

 

 

 

 ――――何の装飾もなく、その柄にはただ二文字……

 

 

 

 ……“七夜”と掘られていた。

 

 

 

 

 

 

「ウソ……ナニ……コレ……」

 

“何って、貴女がやったものでしょ? 他の何者でもない、貴女が――――”

 

「……違う」

 

“違わないわ。これは間違いなく貴女が――――”

 

「違う!!!!」

 

 

 

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……ッッッ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

「あ…ああ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー……ッッッッ!!」

 

 

 

 

 

 

「さ、咲夜さんッ?!!」

 

 突如、自分に続いて歩いていた咲夜の豹変に、鈴仙は驚愕した表情になる。

 その悲しみとも、恐怖とも、嘆きとも聞こえるその絶叫は、この焦土中に響き渡り、空をも穿っているようだった。

 

「咲夜さん、どうかした――――なッ……?!!」

 

 鈴仙は絶叫をあげる咲夜から出ていたその異常な波長を見て、吐き気すら感じた。

 何だ、この波長は?

 何だ、この波質は?

 何だ、この見たこともない乱れは?

 

「あ、あぁ……ッッ!!」

 

「咲夜さんッ!!」

 

 鈴仙は心配そうな顔で咲夜に駆け寄り、咲夜の体を抱き止め、その顔と見合わせた。

 

「咲夜さん、しっかりしてください!!」

 

「あ、あ、あああぁぁぁぁ……ッッ!!」

 

 駄目だ!

 声がまるで届いてない!

 このままこんな波長を出し続ければ、何の要因かは分からないが彼女が壊れてしまう!

 

 ――――ならば、と鈴仙は思い付く。

 

 自分のこの“眼”で、彼女を正気に戻すしかない!!

 彼女の眼は本来ならば相手を狂わす為にあるものだが、逆に言えばそのアベコベを実行することも不可ではない

 

「咲夜さん。私の眼を見て……早くっ!!」

 

「ア、 アあぁぁぁァッッ!!!」

 

 なんとか咲夜の眼を視界にいれた鈴仙は、すぐさま“静”の波長を自分の限界まで、送り込んだ。

 もうこれしか手段はない。

 ――――お願い、何とかなって!!

 そう懇願した鈴仙は、必死に咲夜の眼を見て、その能力を行使する。

 

「ア、 あぁ……」

 

 それが功を成したのであろうか、咲夜の様子が段々穏やかになってゆき、それに連れて波長も少しずつだが収まってきた。

 やがて……。

 

「あぁ……鈴、仙……?」

 

 やがて、咲夜の眼はようやく鈴仙の姿を認識し、そして彼女の名を読んだ。

 

「咲夜さん……よかったッッ……!!」

 

 彼女が正気に戻った事に、安堵した鈴仙はそのままヘナヘナと地面に座り込んでしまった。

 要因は二つ。

 ――――一つ目は、能力の行使のしすぎによる負担で、体が疲れてしまった事。

 ――――二つ目は、咲夜が元に戻ってくれた事によって、安堵のあまり腰が抜けてしまったこと。

 

「鈴仙、私……」

 

 未だ息が整まらないまま、咲夜は鈴仙の名を呼ぶ。

 自分の身に何が起こったのかをうまく把握できていない咲夜は、何をしていいのか分からない表情で地面に座り込んでいる鈴仙を見る。

 

「咲夜さんが……急にすごい波長を出しながら、大声を上げたので、急いで逆の波長をぶつけて正気に戻したんです」

 

「……ッッ!?」

 

 言われて、咲夜は先程の事を思い出した。

 

 ――――突如……背後から聞こえた謎の声。

 ――――そして、突如見せられたあの”映像”

 

 それを見てから……おかしくなった自分。

 

「……そう」

 

 全て思い出した咲夜は、そう言って眼を瞑り俯いた。

 やがて……

 

「……鈴仙」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 

「……有難う」

 

 

 

 

 

 

 お礼と共に言われたその笑顔は、間違いなく、紅魔館のメイド長としての彼女ではなく、唯の少女の、彼女の素の笑顔が覗かれた。

 

「どう致しまして」

 

 そんな彼女を見て、鈴仙も釣られて笑ってしまった。

 

 咲夜は眼を瞑り、再び俯く。……その笑顔を浮かべたまま

 

 ――――本当、この頃彼女に助けてもらってばかりね……。

 

 自分を必死に助けてようとしてくれた友人に、咲夜は嬉しい気持ちで一杯になり、涙が出そうになったが、今は堪えた。

 

 ……今は、こんな事をしている場合ではない。

 

「急ぎましょう、咲夜さん」

 

「ええ、そうね!」

 

 そう言って、2人は立ち上がり――――空高く飛んだ。

 彼の元へ急ぐ為に……。

 

 

     ◇

 

 

「カ、ハ――――」

 

 突如、己に襲ってきた未知の感覚に、萃香はその姿を“霧”から元の姿へ戻してしまった。

 否……戻ってしまった。

 ……気がつけば、周りには自らの弾幕で竹々が根こそぎ薙ぎ倒され、それは跡形もなく消し尽くされ、正に地獄絵図のようだった。

 仰向けに倒れた萃香は、自分の体を起こそうとして――――。

 

「ナ、二――――?」

 

 起きなかった。

 否……起こせなかった。

 体に、力が入らない!

 いや……それ以前に感覚そのものを感じない!

 辛うじて動く首と頭を動かして、自分の体を観察する。

 ――――見る限りでは外傷も負っていないし、ナニカをされた形跡もない。

 なのに……まるで体中が“死んだ”ように動かない!

 

「くそ……!」

 

 ――――一体、何が起こったのだ?

 まさか、あの殺人鬼が自分に攻撃を加えたとでも言うのか?

 いや……ソレは絶対におかしい。

 霧となった自分にはそもそも攻撃が通らない筈だし、例え通ったところであの人間の力では自分の肌に傷一つつけられない筈。

 それなのに……

 

「何故だ……なぜ動かない……!!」

 

 ……いくら動かそうとしても、動かない。

 手も、足も、胴体も、指も、全てが動かない。

 

 何故だ。

 

 何故だ。

 

 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ……ッッ?!!!!

 

「何を、したぁ……殺人鬼ッ!!」

 

 そして、未だ原因が分からぬ事に痺れを切らしたのか、萃香は己ができる限りの声の大きさで叫ぶ。

 おそらく近くにいるであろう、自分の殺し合い相手に、必死に叫んだ。

 叫んだと同時……覚束無い足音で歩いてくる、一つの影が迫るのを、萃香は見上げた。

 ここで誰かと聞かれて答えられぬ者はいない。

 紅い和服、蒼い帯び、両手に二本のナイフを持つ殺人鬼――――七夜。

 

「答えろ……殺人鬼ぃ!! 一体、私に何をしたッ!!?」

 

「……殺した」

 

 己を見上げるその憤怒の視線に、七夜は一言、そう答えた。

 

「“殺した”……だと!!?」

 

 その訳の分からぬ回答に、萃香は驚愕の表情で七夜を見上げた。

 辛うじて動く、首と顔だけで、七夜を力強く睨みつけた。

 

「そう吠えるなよ。いらぬ煩悶を抱いては黄泉路に迷う。だからこそ死ぬ時は無知であるべきだろう?

 ……とは言っても、あんたは納得しないだろうな」

 

 仕方ない、と七夜は咳き込む。

 そこからは少量の血が吹き出ており、紅い着物に隠れて見えないが、体中からは血が所々からにじみ出ていた。

 ただでさえあの状態で、そしてあの極限の状態の中で、ただでさえ人間の体を限界まで酷使する七夜の体術を、する所まで酷使しすぎた反動であろう。

 今の彼は、立っているのがやっとだ。

 外傷だけを見るのなら、七夜の方がよほど見るに耐えなかった。

 

「俺には直死の魔眼というモノがあってね、あの月兎と同じで特別製でさ。……まあ、あんたら風に言うのであれば、差し詰め『死を視る程度の能力』と言ったところかな……」

 

「死を……視る……?」

 

「ああ……」

 

 律儀にも答えようとする七夜。

 

「死は……万物の結果。あらゆる存在は発言した共に死を潜在する。そこに……ナイフを通しただけだ」

 

「……?」

 

 萃香は七夜の言っている意味が分からなかった。

 死は万物の結果だと、この男は言った。

 何だそれは?

 この男は何を言っている?

 そんな事は有り得ないし、その理屈はおかしい。

 『死』とは『生』があってこそ成り立つ概念だ。

 生きてすらいないモノに『死』があるなんて事はおかしいだろう。

 萃香の思考は、七夜の言うとおり、“黄泉路に迷って”いた。

 

「ああ、悪い。あんたには分り辛いか。……まあ、簡潔に言っちゃあ、ありとあらゆるモノに存在する、物理的な法則を無視した概念的な『弱点』が視える、と言えば分かり易いか……。無論、たとえ“霧”となったあんただって例外じゃあない。

 とりあえずそれで納得できるか? というか納得しろ。出来なかったら知らん」

 

「出来ないね」

 

「そうか。なら知らな――――」

 

「そこじゃないよ」

 

「何?」

 

 なら知らない、と言おうとした七夜の台詞を、萃香が遮った。

 ……そうだ、今の話を聞いた限りでは、納得できない疑問点がもう一つ湧いてくる。それは……

 

「とりあえずさっきあんたが言った事は納得した事にする。……だが、仮にそうだとして……何故、初めからソレをしなかった?」

 

「初めから……とは?」

 

「私があんたの挑発に乗って“霧”になった時だよ。あんたの言うことが本当なら……なぜ最初からその『弱点』とやらを斬らなかった?

 何故……わざわざ私に弾幕の密度を高めさせてまでしてから、ソレを行使したんだ?」

 

「……」

 

 そう、萃香が感じた一番の疑問。

 霧となった自分にすら『ソレ』が視えるというのであれば、最初からそうすれば良かった筈。

 さすがの七夜であっても、“驕り”などという理由でそんな真似はしないだろうと直感したからだ。

 それが人間であるのなら、尚更の事である。

 

「最初は、あんたが“霧”になった時は、“死”なんてこれっぽっちも視えなかった。……いや、あんたの能力から考えるに、あんた自身の“密”が薄すぎるせいで、たとえあったとしても細かすぎて“見”えなかったんだろうな」

 

「……まさか、お前――――!」

 

「ああ、後はあんたの察する通りだよ。あんたが弾幕を濃くする度に、徐々にではあるが“死”が見えるようになってきた。いや、正確には“死”が収束して視えるようになったんだろうな。ここからは仮説の域を出ないが、おそらく弾幕の密度を高める為には、あんた自身の“密”も濃くする必要があったんじゃないのか? 密が濃くなれば、“霧”自身の体積が小さくなり、収束していく。それに比例して、あんたの“死”もまた収束していくという訳だ」

 

「……」

 

 萃香は、何も言えなかった。いや、言い返せなかった。

 七夜が言っていた仮説は、全くもって的を射ていたからだ。

 

「最も、この仮説も、あんたの弾幕を避けている内に確信に変わったがね……」

 

「……何?」

 

 萃香は体が動かずとも、表情で七夜に突っかかった。

 これ以上……何があるというのだと。

 

「あんたさっき言ったよな、“密”というモノは高まれば熱を帯びるが、逆に下がれば“霧状”になると。あんたの弾幕を避けている最中に、ほんの僅かずつではあるが、温度が高まっているのを感じた。湿気がほんの少し上がっていくくらいの違いだが、確実に上がっていた。最初はあんたの弾幕の熱気に当てられて空気が熱くなったのかと思ったが――――どうにも“霧”自身の温度が上がっているみたいだった。

 だから確信に至った――――こいつは徐々に自身の“密”を高めている、とな……」

 

「ハ、ハハハ……」

 

 萃香はもう、笑うしかなかった。

 この殺人鬼は――――そんな些細な違いで、自分の能力の実態を見抜いたとでも言うのか?

 あんな極限の状況の中で、自身の身を守るのが精一杯な状態にありながら、それ以外の事にこんなにも気を配れたとでも言うのか?

 ……だとしたら出鱈目を通り越して呆れてくる。

 

 ――――ああ、そうか。

 

 萃香は思う。

 こいつは虎視眈々と待っていたのだ。

 まるで木陰で獲物を待ち構える獣の如く、待っていたのだ。

 自分に降りかかる弾幕の雨――――一発でも当たれば死んでしまうような弾幕の雨の中で、それでも身を低くしながら待っていたのだ。

 萃香が自身の“死”を曝け出してしまうまで……。

 案の定、萃香の“死”をその魔眼に捉えた七夜は、即座に動きを変えた。

 最高密度の弾幕が辺りを蹂躙しきってしまう前に、萃香の“霧”に走っている“死の線”を次々となぞっていったのだ。

 “死”をなぞる度に、萃香の身に異常が生じ、その度に少しずつであるが弾幕が弱まっていき、その度に“死”をなぞる難度も下がってゆく。

 これをある程度繰り返せば形成はもう逆転するだろう。

 “霧”の外側に走る“死”をなぞられた訳ではないので、外傷はなんともなくても、内側から“死”を次々となぞられれば、それは内蔵の殆どが殺されてしまうだろう。

 その為、萃香の体は見た目はなんともなくとも、その実、治癒不可の致命傷を負ってしまったのだ。

 

「あんたのミスはただ一つ――――俺を殺したければ、あんな挑発なんかに乗らずに、あのまま攻防を続けていればよかったんだよ。だが、直情的なあんたは、それに乗ってしまった。

 結果、自分の“喉元”を晒しちまったんだよ――――最も晒しちゃいけない相手にな……」

 

「ハハハ、何だい何だい。手玉に取ったつもりでいたのに、実の所、手玉に取られていたのは私の方だったのか……。

 まったく――――どっちが『鬼』か分かったもんじゃないよ」

 

「言っただろう――――『生き物』としてはあんたの方が上でも、それが『殺し合い』なら、俺の方が優れているとな」

 

「全く以て、その通りさね……」

 

 ――――ああ、あの時言われた挑発が、まさか本当の本当になってしまうなんて、嘘を嫌う鬼の四天王と謳われた私も墜ちたモノだね……。

 萃香は心の中で、そんな自分を嘲笑った。

 

「さて――――俺から言える事はあらかた言い尽くしたが、“憑き物”は落ちたかい、お嬢さん?」

 

「ああ、落ちたよ。霊夢の仇を取れなかったのは少し残念だけど、あんたがそんなに強いのも、何故私が負けたのかも――――全部、納得したよ」

 

「――――そうかい。なら、そろそろ頃合いだな。あんたとの時間は、たとえ二分間の刹那でも、今までの人生じゃ到底及ばない――――“最高の時間”だったよ」

 

 

 

 

 

 

 ――――そう言って、男は両手に持っている内の、左手に持っているナイフを地面に投げ刺した。

 そんな体では、得物を二本持っていては私を仕留めるには不自由だからだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――――男は、ナイフを振りかぶる。

 刀身に反射して美しく輝く月光は、おそらく私にとっての、最期の酒の肴になるに違いない。

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、お嬢さん。地獄に落ちたら、閻魔によろしく言っておいてくれ」

 

 

 

 

 

 

 そして男は、私の首筋に、ナイフを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 




 ……何か、七夜ってこんな律儀に説明してくれる性格だっけ?


余談:書いてから気付いた事だけど、この「鬼と退魔・上~下」の三話を通して黄理ぱぱの話をしなかった回がない。やっぱり型月において鬼、混血、七夜を語る上で黄理パパの話は外せませんね……。


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第十八夜 キャラ崩壊とその経緯・前

最近気付いた事なんですが、自分ってどうやらパチモノキャラを好きになる傾向があるようです。

「ロックマンX6」の影ゼロとか、「ロックマンゼロ3」のオメガとか、「F‐ZERO」のブラッドファルコンとか、「ドラえもん」のキレイなジャイアンとか

七夜を好きになったきっかけも今思えば、そんな理由だったかもしれません。


 日は落ちて、普段ならば白く点っている障子の和紙は今はその役目を休めている。

 壁と天井を見れば、一目でソレは木造建築のモノであると分かる。

 障子の隙間から流れる風は心地よく、まさしく自然の風流を感じさせた。

 床は畳に敷かれ、どこか気分を落ち着かせる雰囲気を漂わせている。

 障子を開いてすぐそこに見えるのは広大に広がる竹林と夜空に浮かぶ満月だ。

 畳の上に一つポツンと置かれたランタンから出る灯りはその落ち着いた雰囲気に、一途の風情さえ感じさせた。

 幻想郷と言えど、ここまで和風建築に徹した建物など一つしかない。

 ……『永遠亭』だ。

 幻想郷一の医療施設にして、幻想郷一の薬師が住むと言われている場所。

 人里から出向くには、迷いの竹林を通っていかねばならぬため、ここに直接来る患者という者は少ない。

 あくまで永遠亭から人里まで唯一、日常的に出入りをしている月兎を通して、薬の予約をし、医師本人が薬を提供しに行くという特殊な営業方法である。

 ……そんな患者が滅多に来ない永遠亭の一室に、三つの人影があった。

 一人は男性――――童顔の美形ではあるが、その刃物を思わせるような目付きは他者を寄せ付けない。髪は黒。年は大体19かそこらと言ったところだろう。

 一人は女性――――白と青を基調としたメイド服を身にまとい、まるでナイフのような煌きを感じさせる銀髪。年は男と同じくらいだろう。

 一人は妖女――――見た目は3歳ほどの少女と変わらないが、その背中から生えている小さい烏のような翼が彼女が人間でない事を証明している。少し青みがかったロングヘアーで、まだその見た目相応のあどけなさを感じさせた。

 ……男は、女性に一方的に語りかけ、女性はソレをただただ眼を瞑って聞いているのみ。

 妖女はソレをただただ静観しているだけ、と言った所だ。

 男は、布団に寝ながら、女性に語りかける。

 体中に包帯が巻かれ、彼がさっきまでどんな状態であったかを想像させるには容易い。

 実は男は一週間前も、とある事情でこの永遠亭に入院したのだが、また同じテツをやらかし、またもや永遠亭の寝室に運び込まれてしまったというのが現状であった。

 それでも、男性は飄々とした口調で女性に話しかけ、女性は腕を組み、眼を瞑りながら、延々と男性の話を聞いていた。

 

「相手の最初の一撃は、まるで鉄槌のようだった。拳には熱を帯び、それで地面に半径十メートルもの窪みを作りやがった。……いや、定義を壊すとは正にあの事だろうな。まったく、楽しすぎるったら、ありゃあしない。アレが鬼のパワーか、と痛感させられたよ……」

 

「……そう」

 

 楽しそうに語る男性に、女性はただそう相槌を打つだけ。

 何を言われても動じず、そこから漂うクールビューティーさは、女性が見たら憧れ、男性が見たら興奮する事だろう。

 

(うわぁ……鬼ってやっぱり恐いなぁ……。ソレを相手に勝っちゃうこの人もだけど……)

 

 一方、妖女の方は彼の話を、体をビクつかせながら聞いていた。

 かつて、彼女の一族たちの上司が鬼だったこともあり、彼女ら天狗一族は皆、その恐怖を脳の根底まで刻み込められている。

 無論、その時代、彼女はまだ生きていなかったが、同族の先輩たちからたちまち聞かれるその恐怖話に、彼女も幾ばか共感させられた事だろう。

 

「次に、その鬼によって砕かれた地面、竹の残骸が弾幕となって襲いかかってきた。無論、博麗の巫女とやらの弾幕に比べれば、朝飯前のようなモノだったから軽々と避けたさ」

 

「……そう」

 

「問題はここからだった。弾幕を掻い潜った後、意表をついて奇襲したまでは良かったんだが、防がれちまった。笑えるよなあ、暗殺者が二度も奇襲に失敗するなんて、さ……。奇襲に失敗したから即座に木陰に隠れたさ。鬼の一撃なんて食らったら、それこそ一瞬で地獄逝きだからなぁ……。

 ……だが、もっと下手に出ちまったのはここからだった。相手が片手に持っていた瓢箪をいきなり捨ててね、拳を鳴らして宣戦布告をするのさ。あろう事か、俺はソレに乗っちまった。暗殺者よりも、殺人鬼としての性が出ちまったらしい。

 そのまま鬼とドンパチやった。俺が斬り付けたら、相手が防ぎ、相手が殴りかかったら、動きを先読みして躱す。……その繰り返しさ。

 そんな単純な攻防ではあったが、アレは最高だったね。一度でもタイミングを間違えれば、相手の魔手によって殺される。常に死と隣り合わせという極限の状況は、俺にとっては極楽だった」

 

「……そう」

 

 女性は、繰り返しそれだけを言って相槌を返す。そこにはどんな意図があるかは彼女のみぞ知る。

 心なしか、その腕は僅かに震えているようにも見えた。

 

(うわ、極楽とか言っちゃいましたよこの人!!? それも鬼との殺し合いで!!? M!? Mなんですか!!?)

 

 一方、至極的外れな思考を巡らす妖女であったが、ソレは彼の相手をした鬼にも一理言える事である。

 

「……まあ、そこまではよかったんだが。途中から、一瞬だが眼が眩んじまってね。どうやら俺の体も相当ガタが来ていたらしい。痛みはともかく、性能が落ちてしまうのは問題だった。相手はそんな俺を見かねたのか、俺を苦しまずに死なせたくないという理由で、降参しろ、とか言ってくるんだぜ? そういう勧めだけはお断りってもんだ……どちらかが食われるまで咲き誇るのが殺し合いってもんだろうに……。

 ああ、もちろん断ったよ。それで負けじと挑発したんだが……まさかあそこまで乗ってくれるとは思わなかった。鬼ってもんは存外直情的な性格をしているらしい」

 

「……そう」

 

 女性は相変わらず同じ言葉で相槌を打つ。まるでまだ自分が口を出すのは今ではないと言わんだ。彼の語りが終わったあとに彼女が何を言い出そうとしているのかは、彼女のみぞ知る。

 

(ど、どんな挑発だったんだろう……?)

 

「そこから奴は本気を出した。――――いや、本性を表したってのが正しいかな? まあ、身体を霧に変えやがってね、俺に弾幕を避けさせておきながら、霧となった自分は高見の見物だとさ。まったく、いい趣味してやがるよ。こっちは避けるのに精一杯だったってのに……」

 

 その台詞を言い終わったあとに、七夜は、だが、と続けて口を抑えた。

 ソレは笑いを堪えているようであり、そして耐えられなくなったのか、プハ、と吹き出して台詞の続きを言った。

 

「ありゃあ不味いよなあ、まったく抑えがなってない。扇情的すぎるね」

 

 思い出したらもう止まらないかのよう勢いで話してゆく男性。

 本当に、殺し合いの事となれば表情豊かになる男だと、つくづく女性は呆れながらも、黙って男性の話を聞き続けた。

 

「だって俺の前で“喉元()”を晒け出してしまうんだぜ?

 あんな“ツギハギ”を見せつけられたら、ほら、ついナイフも軽くなるというか。……おかげでこの様だ」

 

 最後に皮肉げに肩を竦め、男性は笑みを浮かべる。

 本当に楽しかったのだろう。

 やっていた事の危険さは比べるべくもないが、男はその危険さすらも己の快楽として楽しんでいたに違いない。

 ……まったくもって、狂っている。

 

「――――呆れた。誰彼構わず誘いに乗って、誰彼構わず殺しにかかるからそうなるよ……」

 

 冷めた眼で男を見下す女性。

 ……その眼に光はなく、ただ微かにその瞳は何かで潤っていた。

 

「……なら、私からも一言貴方に言うことがあるわ……」

 

「ん? メイド長から?」

 

「……ええ。さっきからずっと言いたかった事――――」

 

 途端に、メイド長と呼ばれた女性は大きく息を吸い、深呼吸をする。

 ……まるで気持ちを落ち着かせるような動作で、胸を抑えすぅー、と息を吐く。

 それが女性がこれから言おうとしている事の重さを物語っていた。

 やがて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰が殺し合いの感想なんか言えと言ったぁッッ!!? 他にも言うべき事くらいあるだろうがぁッッ!!!! こんの――――ダメ殺人貴がああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女性、十六夜咲夜はこの日、人生最大のキャラ崩壊を起こした。

 もはや今まで溜まった憤怒が爆発し、それはまる彼女の今までの慟哭を表すかのような叫びだったかもしれない。

 後に、「アレはまるで阿修羅の咆哮のようだったよ」と、男性――――七夜は平然とした顔で言ったという。

 ちなみに幼女、烏天狗の雨翼 桜は彼女のあまりの迫力に気を失ってしまったという。アッパレ。

 ……まあ、何故こうなったかは前話の最後の場面あたりまで遡ろう。

 

 

     ◇

 

 

 金属と地面がぶつかる音が響いた。

 何者かが地面にナイフを投げさしたのだ。

 地面に刺さったナイフは月光を反射し、とある2人の影を映していた。

 一人は男――――紅色の単衣を身にまとい、暗闇の中でその蒼い眼光を光らせている。……が、着物で隠れてよく見えないが、体中の所々から血が流れ出ており、男も立っているのがやっとの状態のようだった。

 一人は女――――まだ10か12と言った見た目だが、それにしては少し背が高い程度。見た目に外傷はないが、それでもその首と顔以外はまったく動かずに地面に伏していた。

 地面に刺さっているナイフは、先程男が投げ捨てたものだ。

 ……何故、自らの獲物を捨てたのか?

 答えは単純明快。

 今の男は、立っているのがやっと。そんな状態で得物を両手に二本持っていたら、重荷以外の何者でもない。

 目の前に倒れている幼女に止めを刺すのであれば、彼女を殺す為だけの得物以外は全て不要。

 それがきっと……自分に“最高の時間”を与えてくれた目の前の少女に対する、敬意。

 

「じゃあな、お嬢さん。地獄に落ちたら、閻魔によろしく言っといてくれ」

 

 その宣言の元、月光を反射し、輝くナイフは少女の首筋に到達……する前にソレは起こった。

 

「ウワァァァ~~~~ン、もう駄目ェェェ~~~ッッ!!!」

 

「「ん?」」

 

 突如、頭上から聞こえる悲鳴。

 得物を振り上げた七夜も、大の字に横たわっている萃香も、その悲鳴に気を取られた。

 ナイフは萃香の首を跳ねる寸前で寸止めされ、その上空から聞こえた謎の悲鳴に、萃香と七夜は思わずその方向へ視線を向けた。

 

「だ、だれか、助けてくださァァァァいィィィ~~~~」

 

 何かが悲鳴をあげながら、七夜に向かって落下してきているではないか。

 しかし、七夜と萃香にとっては何か白い大きな物体が悲鳴を上げながら、落下してきているようにしか見えなかった。

 ……だが、そんな事は今は両者にとってはどうでもいい。

 問題は、その物体が七夜に向かって落下しているという事だった。

 

「?」

 

 突如、萃香は自分の首筋で感じていた金属の感触がない事に気付く。

 七夜が寸止めしているナイフを引いたのだ。

 もう、立つのがやっとである筈の体を、更に酷使して、身を引いたのだ。

 

「ウワァァ~~~~~ンッッ!!」

 

 頭上から聞こえる悲鳴を他所に、かろうじて動く足を跳躍させて身を引く七夜。

 身体が、内蔵が、血管が……疼くような悲鳴を上げるが、それでも七夜は回避行動を優先した。

 やがて、落下の加速力を相まって、殺人的な威力を伴ったソレは、真っ直ぐに、萃香の頭の傍に落下した。

 

「――――ッッ!!?」

 

 瞬間、途轍もない量の砂埃が萃香の視界を覆いかぶさる――――が、かろうじて視界が生きているだけで、そのような感触は一切感じなかった。

 ――――ハ、とうとう頭部の感覚まで鈍ってきたか。こりゃあ、あの殺人鬼が止めを刺さないまでも死んじまうね……。

 せめて、あの殺人鬼の名前くらい知っておきたかったと後悔する。

 彼女に時間があるとすれば、あと持って数時間くらい。

 むしろこの状態でも生きていられるのは、単に鬼としての驚異的な生命力の贈り物という奴だろう。

 ……だが、その時間は萃香にとっては余分なモノだ。

 どうせ死ぬのなら、さっさと殺して欲しいモノである。

 ソレを、見事に邪魔してくれた先程の白い物体に、心底恨めしく思った萃香であった。

 

「ちぃっ!? なんだ、新手の奇襲か!?」

 

 一方、七夜は突如の乱入者に、普段の彼からは想像できないらしくない口調で、驚愕の声を上げる。

 見つめる先は、落ちてきた大きな白い物体。

 その中には、一体どれほどの狂気が積まれているのか、想像しながらその正体を見る七夜。

 そして……

 

「……食材?」

 

 脱力した。

 米やらトマトやら人参やらジャガイモやら玉葱やら葱やらナスやら豚肉やら猪肉やら牛肉やら鶏肉やら魚介類やらその他調味料やら……。

 ――――こんなモノが、自分達の殺し合いに水を差したとでも言うのか?

 落下の衝撃でほとんどの食材は潰れて駄目になっているが、上の方に積まれた食材は比較的被害が少なく、まだ調味する分に問題なさそうである。

 とかどうでもいい事を考えた矢先――――

 

「うぅ~、どうしよぉ~。咲夜さんに怒られる――――いや、下手したら殺される……」

 

 そして、その白い物体――――大きな買い物袋の集まりの頂上にて、子供のような涙を流しながら、項垂れている小さな烏天狗が一匹。

 見た目は3才程の少女。青みがかった黒のロングヘアー。そして天狗の証たる青い天狗帽子を被っている。

 ……その容姿に、七夜は見覚えがあった。

 

「こんな所で何をしているのかな、チビ?」

 

「――――へ、七夜さん? あれ、そういえば何でここ、こんな滅茶苦茶になっているんですか?」

 

 暗闇の中、月光で自分に話しかけてきた人物が七夜だと分かった小さい烏天狗――――雨翼 桜は、途端に辺りを見回す。

 この惨状は自然で出来たものではない、明らかに何かの争いごとがあって荒れたものだ。

 おそらく地上で放てば被害甚大の筈の弾幕を地上で使用していたと考えるのが妥当だ、と桜は即座に思考をする。

 ――――だとしたら、誰が?

 咄嗟に犯人の候補として、目の前にいる七夜が浮かび上がるが、彼にはそんな『力』は感じない。

 とすると――――

 

「あの~、七夜さん? この惨状の犯人に覚えは?」

 

「……お前の後ろにいるよ」

 

「後ろ?」

 

 言われて、振り向く。

 そこには、見た目が12才程の少女が大の字に横たわっている。

 ……ここまではいい。

 薄茶色いロングヘアー、白のノースリーブ、紫のロングスカート、頭の後ろには大きな紅いリボンを付けている。

 ……これもまだいい。

 これだけなら純粋に可愛らしい少女という一言で片付ける事が出来る。

 だが、天狗である桜にとって、少女の”ある部分”に目が止まった。

 それは――――

 

「――――角?」

 

 そう、少女の頭の左右から生えた、その身長とは不釣り合いの長く捻れた二本の角。

 最近、外の世界で言う所の“こすぷれ”という訳でも、はたまた変装という訳でもない。本当に、頭からソレが生えていたのだった。

 これらの特徴から、推察するに……この少女は、まさか……まさか――――

 

「鬼の……伊吹、すい……か――――?」

 

「ハ……ハ……、そう……か。お前…天狗、か……。なら……私の事を、知っていて……も、おかしくは……ない……か……ぁ」

 

 脳髄以外のほとんどの内蔵機能を“殺され”ても未だ生命を維持する驚異的な生命力はまさしく鬼。

 ……されど、そこから発声される声には力のチの字も感じず、その姿はとてもかつて四天王に数えられた鬼とは言えない。

 

「――――う……そ……?」

 

 その光景が、信じられなくて、桜は目の瞳を虚ろにしながら絶句した。

 

 ――――誰が?/――――かつて妖怪の山を支配し、天狗達を支配した鬼が、

 

 ――――何をされて?/――――ここまで弱らされて、

 

 ――――ここで何をしている?/――――ここで死にかけている。

 

 もはや吐血する血すらないのか、血の一滴も出ていないその姿は逆に弱々しく、おそらくもはやかつて人間や天狗を恐怖に陥れたその『力』は今や一介の妖怪にも及びやしないかもしない。

 ……怯える。

 ……足は震えて動けない。

 ……怖い。

 ――――何が怖い?

 今、自分の目の前で無様に倒れ伏している鬼に対してか。――――否、そんな筈がない。

 そもそも彼女のそんな姿、とても『鬼』と言える様ではないし、そんな姿を何処に恐れる必要がある。

 ――――否、怖いのは、彼女の後ろにいる――――誰、とは言えなかった。

 

「……あ……な、七夜……さん……」

 

 さっき、桜の傍にいた2人の内の一人――――鈴仙は言った。

 この竹林のどこかで誰かが殺し合っていると。

 最初は到底信じられなかった。

 確かに、ここ幻想郷で定められた非殺傷ルール決闘『スペルカード決闘』とて命の危険がない訳ではない。

 いや、むしろ危険と言えた。

 いくら妖怪と人間の力の差を無くすためにそのようなルールが設けられたとしても、所詮、それでも妖怪と弾幕で張り合えるのは一部の力を持った人間のみ。

 それでも、以前、妖怪と人間の因縁の間にあった“殺し合い”は禁止され、『命の危険』というのもある程度は緩和され、幻想郷は楽園の地となったのだ。

 だから、もうこの幻想郷で殺し合いだなんて万が一にも有り得ないと思っていたのに……ソレを否定する事実が、目の前にあった。

 

「七夜、さん……」

 

 だけど、受け入れられる光景ではなかった。

 スペルカードルールですら妖怪に勝つという事は到底至難の業である筈なのに――――あまつさえ、その相手を、しかも鬼を、“殺し合い”で勝ってしまう。

 だが、何よりも信じられないのが、ソレを実行した“人間”が――――

 

「な、七夜……さん。これをやった犯人は、アナタ……です、か?」

 

 分かっていた。聞くまでもないという事など分かっていた。

 男の右腕に握られた六寸ほどのナイフ。

 紅い単衣に隠れて見えないが、着物の袖から赤い液体が流れ出ており、少なくとも並の出血量ではない。

 周囲がこんな焦土と化しているのは、おそらく自分の後ろに倒れている伊吹萃香が放ったであろう弾幕の跡。

 おそらく目の前の男はソレを掻い潜って、そのナイフで伊吹萃香に致命傷を与えうる何かをしたのだろう。

 ……そんな事は、聞くまでもなく分かっていたのに……それでも――――信じたくなどない!

 

「……」

 

 返ってくる答えは、無言。

 しかし、その無言の中に浮かべられた、薄ら笑いは、答えが何なのかを言わずとも物語っていた。

 その邪悪な薄ら笑いには、一周間以上前に、自分の取材の続きに応じてくれると約束してくれた彼の面影など何処にもない。……その刃物のような目付きを除いて。

 

「何故、こんな事をしたんですかっ!!?」

 

 それでも、その答えを否定したかった桜は吠える。

 許容できるものではない。

 “殺す”という行為がどれほどのモノであるかという事についてもそうであったが、何より、“七夜”がソレを行ったという事実がだ。

 ……しかし、そんな桜の叫びを嘲笑うかのように、七夜は口を開く。

 

「何故こんな事を……だと? 決まっているだろう、ソイツは俺を呼び出し、殺し合いを仕掛けてきた。あんな眼で誘われたら断れない。

 それに、ソイツは俺を“呼んだ”。自らを呼ぶモノを殺すなんて、全く以て俺の『本分』じゃあないか」

 

「そんなの……おかしいです!!」

 

 桜にとっては何もかもが理解できないその返答に、桜はさらに大声で否定する。

 ――――鬼に殺し合いを仕掛けられ、そして“断れなかった”?

 そんなのはヒトとして、いや、生き物としておかしい。

 普通は何が何でも御免こうむるものであろう。

 たとえソレがどんなに逃げられない状況でも、自分ならば殺し合わずに、なんとかに生き残る策を模索する。

 だが、この男は、嬉々とその誘いに乗り、あまつさえ今はその鬼を現に殺しかけている。

 そんな事実を、さも当然かのように答えるこの男が、桜には理解できない。

 だって……。

 

「おかしいですよぉ、そんなの、そんなの……!! ……七夜さんは、そんな――――」

 

 そんな人じゃない、と言いかけたその刹那、桜の胸に――――ナイフが刺さった。

 

「――――ッッ!!?」

 

 胸が軋むように傷んだ。

 足がワナワナ震えて動かない。

 恐怖のあまりに体中の血液が逆流しているかのようだ。

 ……そして、自分はナイフで刺された。

 だから、ソレが意味をするのはすなわち……――――アレ?

 

(死んで、ない?)

 

 正気に戻った桜は、まだ自分の体に何の異常もない事を認識する。

 ……という事は、今のは――――

 

(今のは――――殺気?)

 

 その答えにたどり着いた桜は、ゆっくりと七夜を見上げる。

 ……まるで妖刀のような目付きだった。

 〈七夜〉は退魔の一族――――彼らは妖刀、一度抜かれれば、眼前の魔は斬られるが道理。

 そこに居合わせてしまった彼女は正に不運以外の何者でもなかった。

 ここで殺されるのであれば、彼女の境遇はまさしく、彼の七夜の最高傑作の殺害現場に居合わせてしまった混血とどこかに似ている。

 

「さて、いつまでそこに立っているつもりだい? 生憎今の俺は自制が効かなくてね。そんな所にいちゃ、恐い恐い殺人鬼に、傷物にされちまうぞ?」

 

「――――ぁ、な……や、さんは……」

 

 必死に口を動かす桜。だが、恐怖に支配された彼女の心中が、その動きを麻痺させ、ただ唇を震わせながらも、必死に発音するにがやっとであった。

 ……そんな桜の様子をお構いなしと言わんばかりに、七夜は口を開き続けた。

 

「殺されたくなければ退くといい。これ以上の焦らしは、お前にも、俺にも、そして――――そこに倒れている鬼にも酷だろうよ」

 

「――――え?」

 

 顎で桜の後ろの方向を指す七夜。

 同時、桜は後ろから圧を含んだ視線が注がれている事に気付き、桜は思わずその方向へバッ、と振り向いた。

 

「退け……天、狗ぅ――――」

 

 後ろから聞こえる、死んだ導管を通るような呼吸を挟んだ、痛々しい声が、桜に向かって発せられる。

 ……鬼としての圧はもう微塵も感じられないが、それでも幼き烏天狗の桜を一歩退かせるだけの迫力はあった。

 

「こ、れは……私が売って、私……が、負け……た、勝負事、だ……。あんた……如きに、止められ……る、筋合い……も、義理も……な……ぃ。

 ハ……ハ……、こんな、状態……になっ……ても、生きて……ぅ……なんて。今……だけ、は……鬼の、……生命力……とやらに、呪おう……か……な……ぁ」

 

 その姿は果たして、かつて妖怪の山を支配した鬼であったのか。

 その姿は果たして、かつて天狗社会を恐怖で支配し、人間達から最も恐れられた妖怪の最強種族なのか。

 その姿は果たして、鬼の四天王を歌われた者の一人なのか。

 ……否、それ故のこの様なのかもしれない。

 太古の幻想郷において、多くを『奪ってきた』彼らの所業に報いを受け、そのツケがただ返ってきただけなのかもしれない。

 ただ、喧嘩をして、奪い、潰し、血を浴び、そして最後にその報いを受ける。

 それが、『鬼』の背負いし業であるのだから……。

 

「いずれ死ぬのであれば、ここで殺しても大差などない。むしろ、ここですぐに殺したほうがその鬼は楽に行けるだろうさ。

 元より真っ当な奴が居ていい現場じゃない。この事は忘れ、後は天狗らしく生きていくのがお前の為だ」

 

「――――な、な、や……」

 

「分かったならさっさと退くといい。

 前にも言ったよな、俺は眠りを妨げられるのと、獲物を横取りされるのが嫌い(・・・・・・・・・・・・・)だと」

 

「――――や、です……」

 

「ん?」

 

 桜は思う。

 人殺しはいけない事だ……それもある。

 昔自分たちを力で支配した鬼だとしても、それでも殺すのはお間違いだ……それもある。

 だが、何よりも許容できないモノがある――――ソレは、他でもない彼が“殺し”という行為をする事。

 初めて会った時は、怖い人だと思った。

 陰のある雰囲気を漂わせ、その鋭い目付きは他者を寄せ付けず、そのくせ性格は捻くれている。

 それでも……、それでも彼は、今まで誰もが付き合ってくれなかった自分の取材に……

 

「――――嫌、です……」

 

 だから、断った。

 恐怖のあまりに麻痺した口が無理やりその束縛を抜け出し、控えめながらも、意思の篭った声で、断った。

 七夜の蒼い淨眼とは違った――――雨を彷彿とさせる青色の目で、己に向けられる刃物を突きつけるような視線を、真っ直ぐに睨み返す。

 

「ここは、退きません」

 

 一周間以上前、再取材の約束をしてくれた時。

 今はこんなにも冷たい空気を放っているけれど、あの時自分の頭を撫でてくれた彼の手には、確かに、ほんの僅かではあるが温もりがあった。

 そのほんの僅かの温もりを、何故か忘れられないから。

 

「……やれやれ、困った子だな」

 

 しかし、七夜はそんな桜の思いすらもあざ笑うかのように言う。

 相変わらずの飄々とした態度。

 その薄ら笑いを浮かべた能面顔は、相手に何を考えているのかを悟らせない。

 

「言う事を聞けない悪い子には、少しお仕置きが必要だね」

 

「――――ッッ!!?」

 

 瞬間、先程とは比べ物にならない視線が桜に突き刺さった。

 ……まるで胸を刃物で貫かれたかのような錯覚が襲いかかる。

 が、体中が冷たくなっていくような錯覚に陥るが、それでも桜は負けじと真っ直ぐに七夜の眼を見つめ、構えた。

 

「怖がらなくていい。殺し合いにせよ、餓鬼の躾にせよ、終わるのは“一瞬”だからね。

 丁度いい、ここで一周間前の約束を果たすとしよう。――――“密着取材”と洒落こもうじゃないか」

 

 桜に向かって一歩踏み出す七夜。

 立つのがやっとの状態であるにも関わらず、新しい標的を見つけた蜘蛛はゆっくりと、その獲物を淨眼に定める。

 

「な、な、や、さん……」

 

「そうだな。鶏肉というモノは得てして笹身が一番うまいんだが、やはりバラすとなれば腿肉の部分に限る……!」

 

 桜の制止も虚しく、その“お仕置き”は始まった。

 

 




 AA七夜からRe七夜に豹変したワイルドなお兄ちゃんでした

追記
すみません、七夜の台詞が一部抜けていたので修正しました。


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第十九夜 キャラ崩壊とその経緯・後

警告:萃香ファンは即座にブラウザをバックするように。ハッキリ言って霊夢の時よりひどいかも……。


 ザ、ザ、と歩み寄ってくる足。

 暗殺者であれば、本来足音すら立てずに獲物に歩み寄るものだが、それでも七夜は足音を立てて桜に歩み寄った。

 いや、足音を立てざるを得なかった。

 彼も萃香ほどではないとはいえ、重傷を負っている。

 その状態ではいくら幼いとは言え烏天狗たる桜に勝てる道理などある筈もない。

 ……それでも、桜はその足音が自分が死ぬまでカウントダウンにしか聞こえなかった。

 鬼との戦いで重傷――――というよりは霊夢と殺し合った時の傷が開いただけだが――――を負い、それでも七夜は桜に殺意を込めて歩み寄ってくる。

 萃香はもはや“殺された”のも同然の体であるために、鬼の威圧や迫力を失ってしまったが、七夜はまだ肉体の性能が大幅に低下して尚、その殺人鬼としての性が剥がれることがなかった。

 文字通り、“死”が、桜に歩み寄ってくる。

 

「――――ッ」

 

 七夜が3歩進んだ後、桜はようやく半歩下がる。

 そして、ふと、後ろに倒れている小さき鬼をチラ、と振り返る。

 ……そこには、かつて自分たちの社会を恐怖で支配した鬼の一角が倒れている。

 ――――逃げたい。

 元々、桜は臆病な性格である。

 状況的には有利であるのにも関わらず、七夜から漏れる静かな殺気だけでこの体たらくである。

 ――――だが、それでも……。

 逃げられない。いや、逃げる事は許されない。

 確かに烏天狗の速度をもってしてなら、この場から逃げることなど容易い――――が、ここで逃げてしまえば、自分が初めて慕ったであろう人間が、この鬼を殺してしまうだろうから。

 だから……

 

「――――行きます」

 

 突如、桜の目付きが変わる。

 ……姿勢を低くする。

 上半身を前に突き出し、両手を後ろへ真っ直ぐ引く。

 全体的に横向きにする事で空気抵抗を減らし、地面と平行する姿勢で漆黒の翼を広げ、低空を飛んだ。

 七夜の誇る最高速の数倍はあろう速度を持って、七夜の胴体に向かって一直線に突っ込む。

 ……が、七夜は身体を逸らし、躱す。

 動きを先読みして、躱した。

 瞬間、七夜の横を細く鋭く凄まじい風が通り過ぎ、烏天狗たる彼女の速さを物語る。

 

「っつつ……」

 

 七夜は全身の傷から出る流血に痛みを感じながら、自身の横切る風だけを感じ取った。

 ――――第二撃、上方向斜め前から一直線に風が突っ込んでくる……が、頭を逸らし回避。

 それだけの動作であるにも関わらず、全身に痛みが走り、ソレが七夜を蝕む。

 力そのものは先程の鬼と比べるべくもないが、持ち前の速さで必然と彼女の当身の威力は高くなる。

 もはや人の眼に映る速さではなく、横切る風だけが七夜にその危機を知らしめる。頼れるのは一寸先の先読みのみ。

 回りの竹々は先程の鬼が弾幕で根こそぎ持っていてしまったため、七夜の体術の真骨頂である立体的な戦闘術も使用不可。

 加えてコチラの体は立っているのもやっと。

 七夜の技もあと一回しか行使するのが限度。

 戦況は圧倒的に絶望的。

 ――――だが……

 

「――――!」

 

 七夜は虚空に向かってナイフを振るう。

 位置は自分の左の足元。

 あまりに無意味、無謀の刃。何のために振るわれたのか分からぬと思われたナイフは、確かに、何かを切り裂いた。

 

「――――え?」

 

 咄嗟に聞こえる、間の抜けたような声。

 ナイフを振るった虚空の位置には、僅かに切り裂かれた羽から舞い出た十数枚の羽。

 それが何を意味するのか言うまでもあるまい。

 七夜の先読みが、桜のスピードを上回ったという事実に他ならなかった。

 

「……そんな、どうして?」

 

「言っただろう、“密着取材”だって。口で聞かず、自分の体で理解した方がいいんじゃないのか?」

 

「――――ッ!!?」

 

 七夜の冷たい返答に、桜は口を歪めた。

 ここだけの話ではあるが、七夜はただ単純に桜の動きを先読みしたのではない。七夜が読んだのは桜の動きではなく、“思考”。

 まず、桜から殺気を感じない。……つまり、ソレは己を決して殺しには来ないという事だ。

 それだけでも、桜の動きは必然と変わってくる。七夜を殺しに来るのではなく、あくまで七夜の戦力を削ぐために動く。

 速度こそは手加減していないだろうが、七夜の戦力を削ぐのに一番身近になりうる方法があった。

 ……先程、七夜が投げ捨てたナイフだ。

 七夜の戦力を削ぐであれば、まず彼の足元の地面に刺さってあるナイフを回収しつつ、攻撃すれば一石二鳥の意味で戦力を削ぐ事になる。

 確かに、一番思いつきやすく、そして効率的な方法ではあったが、それを予想できない七夜ではない。

 だから七夜は桜の動きを予測できた。

 自分の左足元近くの虚空に向かってナイフを振るったのも、丁度自分が投げ捨てたナイフが刺さっている位置だからだ。

 殺し合いにおける頭脳では誰よりも上回る七夜だからこそ、できた芸当である。そうでなかれば、鬼の四天王とまで謳われた伊吹萃香にあそこまでの致命傷を負わすことなど到底叶わない。

 

「なら……これならどうです!?」

 

 しかし、その事実を桜が知ることはない。自分の思考が読まれたのではなく、ただ単純に動きだけを読まれたと勘違いした桜には、それを理解する術などない。

 宣言と共に、桜は動きを変えた。

 

舞符「散り際の水桜」

 

 その水流と散り桜の魅力が合わさったソレは今、体現されようとしていた。

 まず空中に静止したような状態で現れるのは、桜の花びらを模した妖力の塊。まるで散っている桜がそのまま静止したかのよう。

 

「……ほう」

 

 七夜は、一瞬だけ感心したような笑みを浮かべる。

 これは中々に幻想的だ、と。

 だが散る時こそが美しい筈の桜の花びらを態々静止させるのは頂けないな。桜は散る瞬間が美しいのではない。

その一瞬に映る、散る様こそが美しいというのに。

 そう嘲笑うかのように、七夜の周囲に現れた桜の花びらのみ、自分のナイフの届く範囲で死をなぞっていった。

 ……そんな、七夜の失望を打ち破るかのようにソレは体現される。

 そんな桜の花びら達を覆い隠すように、青い半透明の大きめの弾幕が姿を現す。ソレが横向きに川のように流れて桜状の弾幕を運ぶようにして七夜に襲いかかる。

 更には横向きから徐々に縦向き、そして180°回転するようにして流れが逆向きになってゆく。そしてまた流れが元の向きに戻ってゆく。

 それはまるで桜の花びらを運ぶ水流のようではないか。

 ……ああ、なんて風情があって、幻想的なのだろうか。

 博麗の巫女の弾幕も幻想的で派手な美しさがあったが、アレはそもそも美しさではなく殺傷力を重視した弾幕であったが故に、その美しさも自然と薄れていた。

 一方、烏天狗・桜の放った弾幕には、派手さではなく風情的な美しさがある。

 美しさという一点においては、後者の方が七夜好みだった。

 故に……。

 

「コチラも魅せないと、失礼だよなあ?」

 

 立つのもやっとの七夜は自身に迫る弾幕を体を僅かに逸らす事で回避し、それでも避けきれないモノは、手元のナイフを振るい、死をなぞり弾幕を消してゆく。

 今の状態ではそれだけが精一杯……だが、むしろ七夜にとってはこの方が都合がいい。

 これほどの疲労が客観的に見ても表れない筈がない、ソレを相手が見てくれれば必然と油断がしてくれるものである。

 ……無論、その相手が殺し合いの心得を知らぬ、真っ当な精神の持ち主であればの話だが。

 ――――チャンスは、一度きり!

 七夜は咄嗟に、ナイフを上へ掲げた。

 ソレは、七夜一族の奥義を放つための構え。

 そして低姿勢でしゃがむと同時にナイフを投擲。

 ナイフは弾丸の如き速さで、七夜の上斜め右方向へ、桜の放った弾幕の死を貫きながら真っ直ぐ飛んでいった。

 

「――――え」

 

 咄嗟に聞こえる声。

 投擲されたナイフが、烏天狗の小さき漆黒の翼を貫いた。

 先程、七夜が弾幕を対処している間にも、桜は七夜の周囲を飛び回っていた。……が、いくら人の眼には映らぬ速度とはいえ、弾幕によって苦戦する七夜の様子をみれば自然と油断ができ、動きに無駄が生じる。

 それに先程とは違い、距離が離れているがゆえに、ほんの僅かではあるが七夜には桜の動きが見えない訳でもなかった。

 弾幕を対処している間に、周囲を注意深く観察していた七夜は、朧げながらも桜の動きを掴み、動きを先読みしてナイフを投擲したのだった。

 

「――――」

 

 翼をナイフで撃ち抜かれ、訳も分からず地へ落ちてゆく桜。

 ……が、これで驚くには些か速すぎた。

 桜は見てしまった。

 自分が地面に落ちる寸前、自身の弾幕と地面の間――――大凡ちゃぶ台よりも少し低めの高さの隙間から、這い出る蜘蛛の姿を。

 到底信じられぬ光景だった。

 二本足の人間が、四足を付き、ちゃぶ台よりも低い低姿勢で、獣の如き速さで移動するなど。

 ……その奇怪かつ奇跡的な動きに、度肝を抜かれぬ筈がなかった。

 距離は七メートル。

 そのくらいまで縮んだ途端、蜘蛛は瞬時に猛獣へと姿を変えた。

 両足をバネに前方へ跳躍、低空を平行するように跳び、地面に落ちた桜の身体にそのまま乗りかかった。

 

「――――あ」

 

 先程の一戦で状況は確実に自分の方が有利であったと思っていた彼女は、それをあっけなく覆された状況を把握できず、言葉さえも失った。

 翼で羽ばたこうにも、片翼に風穴を開けられたせいで風をうまく起こせず、四肢は七夜の手足に拘束され、身動きが取れない。

 そして、七夜の左手に握られているのは――――

 

「や、やめ、て――――」

 

 ナイフ。

 得物を投擲した事によって武器を失ったと思われた七夜であったが、地面に刺し立ててあった――――先程桜が回収し損ねた彼のもう一本のナイフが握られていた。

 月光を反射して輝くソレを目の当たりにした桜は、怯えるような掠れた声で、命乞いをする。

 だが、七夜はそんな言葉に興味などない。

 七夜はナイフをそのまま突き下ろし。

 

 いつかと、何か、似ていた。

 

「――――え?」

 

 驚きの声は桜と、七夜自身の物だった。

 七夜は――――桜の喉元まで迫っていったナイフを、ピタリと止めてしまった。

 

「な…………」

 

 訳も分からず、七夜はナイフを握った左手に力を込める。

 ……が、ナイフは桜の喉元を突きつけるに留まり、その一線を越える事は決してなかった。

 何故だ、と脳表で呟く七夜。

 獲物に情けでもかけたか、蜘蛛よ?――――否、そんな事は有り得ない。

 〈七夜〉は百代にも渡って魔を殺すための技を鍛え上げてきた一族、その血族の鎖ゆえ、体は今にも目の前の彼女を殺したいと騒いでいる。

 いや、そんな事は関係なしに、自分はそもそも“殺人鬼”だ。

 獲物を眼前にして手を止める道理などどこにある?

 

 道理――――あの時と、どこか、似ていたから。

 

「――――?」

 

 瞬間、七夜の脳表に、ある光景が映った。

 ソレは覚えのない、しかし途轍もなく懐かしい光景だった。

 ……血濡れの、路地裏だった。

 無残にバラバラにされた死体が、まるでボロ雑巾のように転っている。

 そんな無惨な惨状の奥で、二つの人影があった。

 一人は、男。

 ……紅い単衣ではなく、シャツの上に青いジャケットを羽織った青年。

 もう一人は、女性。

 ……首元まで伸びた金髪のショートヘアー、赤い眼をした美女。白いハイネックに紫のスカート、黒いパンストにハイヒール。

 そんなのは問題でない。

 問題なのは、自分が金髪の女性にやっている行為。

 

“いっ……や、ふざけ――――”

 

 嫌がる女性。

 そんな女性に構わず、青年は女性の衣服をずらしてゆく。

 

“落ち着いて! ソレは貴方の意思では――――”

 

 女性は男性に話しかける。

 ……が、男性はソレを意にも介さない。

 ただ彼女の■■が、欲しかった。

 ――――涙も唾液も。

 ――――罪も罰も。

 ――――血も肉も。

 ――――欲望も焦燥も。

 彼女の全てを、奪いたかった。

 

“……ッッ!!”

 

 言葉にならぬ喘ぎ声を出す女性。

 その喘ぎ声を聞いた青年はある事実に興奮、高揚した。

 ――――あれほど強靭な命が、いまやこの腕一本すら解けずに、自分の思うままになっているという事に……。

 女性の体を犯しゆく青年。

 ――――殺しても殺し足りない程、コイツは……。

 

“――――あ、……ん”

 

 喘ぎ声をあげる金髪の女性。

 だが、それでも男性に必死に呼びかける。

 

“……ぅや……めて。■■は、私の……事が好きじゃない……のに……”

 

“――――ウルサイ”

 

 しかし、そんな女性の声すら目障りであるかのように、青年は女性の喉元を押さえつける。

 ――――勝手に囀るな。

 ――――その音色すらすら俺のモノだ!!

 

“……っ!!”

 

 苦しそうに、青年の腕を振り解こうとする女性。

 しかし、体にうまく力が入らないのか、それすらもままならなかった。

 ――――そんな女性の瞳から流れる、一筋の涙に、青年は何故かそれから眼が離せなかった。

 女性は、泣いていた。

 

「何だ……これ、は――――」

 

 脳裏に走るその光景に、七夜はただ疑問の声を上げた。

 ……ズキ、と頭が痛んだ。

 まるで何かを掘り起こされるような錯覚。同時に感じる嫌悪感。

 覚えのない光景なのに、何故か懐かしく、嫌悪の刺すあの路地裏での出来事。

 ――――その女性の泣き顔が、何故か、頭から離れなかった。

 

「な、な、や、さ、ん……」

 

 ふと聞こえた声に、七夜は意識をソチラへ戻される。

 ――――泣いていた。

 ヒトより、遥かに超越した種である筈の烏天狗が、殺人鬼を前にして、泣いていた。

 その状況と、泣き顔が、あの日の彼女と重なって。

 

「――――下らない」

 

 吐き捨てるように、呟く七夜。

 まるで自分じゃない自分がいるような錯覚を、めざましきものと捉えた七夜は、心の中でソレを一切に切り捨てた。

 手を止める道理などない。

 獲物はもう眼前にあるのだから、一気に殺ってしまえばいい。

 先程見た覚えのない光景はきっと、ほんの気違いで見た幻に違いない。

 そう結論づけて、七夜は桜に突き付けたナイフを、そのまま喉元に押し込もうとして……。

 

「――――っ!!?」

 

 桜の顔に、血液が飛び散った。

 ソレが何を意味するのかは言うまでもなかった。

 七夜のナイフが、桜の喉元を突き刺し――――……アレ?

 

(私――――生きて、る……?)

 

 いつまでも自分の意識が途切れない事に違和感を覚えた桜。

 ……手足を動かしてみる。

 自分の手足を拘束していた七夜の力が弱まっていたのか、すぐに解けた。

 ……そして、自分の顔に飛び散った返り血が、自分のモノでないと気付いたとき、桜は咄嗟に七夜の方へ顔を向けた。

 

「……ちっ」

 

「七夜、さん?」

 

 七夜の体から、多量の血が流れ始めた。

 今までは開いた傷口から少量がにじみ出ているだけであったが、七夜の体術を限界まで酷使した反動で、体にガタが来てしまった。

 いや、ガタが来た程度ならまだ可愛いものだったかもしれない。

 元々ガタが来ている状態で尚、あの動きをやってのけたのだから、いい加減限界の限界まで来てしまうだろう。

 

「やれ、やれ……ちと、はしゃぎ……過ぎた……、か」

 

 途切れ途切れの声で呟く七夜。

 左手にはもうナイフを握る力は残ってなく、右手もまた同様だ。

 手放されたナイフの刃先は桜の喉元へ突き立てられるが、この至近距離からの落下力で妖怪の喉元を貫ける筈もなく、ナイフはカランと、桜の顔面のすぐ横の地面に横たわった。

 同時に、七夜の体もまた、己を支える力すらなくなったのか、まるで燃え尽きたかのように桜の横にそのまま横たわってしまった。

 

「……ったく、極……上の、獲物……を……用意して……くれた、かと……思えば……次々と……邪魔が……ハ……ハ……、浮世ってのは……存外、意地が……悪い、な……ぁ……」

 

「な、ナナヤ、さん!!」

 

 もはや体液を出すことしか出来ぬ蜘蛛と化した七夜に、桜は慌てて彼の名を呼ぶ。

 片翼の風穴から来る痛みを我慢しながら、己よりも遥かに重傷の男に呼びかけた。

 

「七夜さん。どうして、どうして――――!!」

 

 私を殺さなかったのですか、と桜は泣きながら七夜に問う。

 確実に、自分を殺せた筈なのに、それでもソレをしなかった殺人鬼に、桜は問いかける。

 ――――戯け。

 ――――そんなのはこっちが聞きたいくらいだ。

 心の中でそんな悪態を付いた七夜は、途切れ途切れの声音で、ゆっくりと。

 

「かん……ちがい、する……な……、メイド長……との……約束、を……思い出した……だけ……だ…………」

 

 自分でも答えの分からぬその疑問に、七夜は適当に思いついた理由で誤魔化した。

 ――――まったく、今夜はなんて厄日だ。

 心の中で、せめて愚痴る七夜。

 せっかく極上の獲物をバラす寸前までいったのに、直前で邪魔され、その邪魔者を殺そうとしたら今度は訳の分からぬナニカに阻まれる始末。

 己の不手際で招いた結果だったとしても、今回ばかりは自分の境遇を呪わざるを得ない。

 ――――人でなしに相応しい未練にしても、こればかりは頂けんよなあ……。

 そんな悪態を最後に、七夜の意識は途切れた。

 

 

     ◇

 

 

 あの後、どうなったかと言えば、結果的には誰にも死なずに済んだ(七夜に殺し合いを仕掛けた鬼に関してはまだ分からないが)

 急いで現場へ到着した咲夜と鈴仙がそこで見たのは、意識を失った鬼の伊吹萃香と、片翼に大怪我を負った桜と――――全身から血を出し、無様に倒れふしていた七夜の姿だった。

 唯一、意識のあった桜は、自分が何をすればいいのか分からずただ泣いていて、到着した私たちを見た途端、彼女は咲夜たちに縋ってきた。

 自分はどうしたらいい。

 自分はどうすればよかったのだと、泣きながら縋ってきた。

 ただ、それ以上に我を失ってしまったのは多分、咲夜であっただろう。

 動かぬ有象と化した鬼と、片翼に風穴を開けられた桜。

 おそらく皆七夜の手によって負わされたものだ。

 そして、当の七夜は全身にあった霊夢との殺し合いで負った傷口が開いてしまい、更には伊吹萃香の時に殺し合った分も相まって、結果的にまた最大の加害者にして最大の被害者となった。

 ……憤りと安心を覚えた。

 自分との約束を破ったが、何とか最後の一線を超えずに踏みとどまった七夜に対する怒りと安堵。

 そして、七夜が死なずに済んだことに対する安堵。

 そして、そんな七夜を二度も止められなかった私。

 そんな複雑な感情が絡むに絡み合って、自分でもこの気持ちをどうすればいいのか分からなかった。

 ……だが、それでも眼前にある自分たちのやるべき事まで見えない訳ではない。

 意識不明の状態だった七夜と萃香。

 桜も烏天狗の命たる翼をやられていたため、空での機動力を活かせず、手間を三度かけなければならぬ状況だった。

 しかし、空いている手数は咲夜と鈴仙の2人のみ。

 とりあえずは最も命の危険性の高い七夜と萃香を永遠亭まで運ぼうという結論に至り、咲夜は七夜を、鈴仙は萃香を担ごうとした時、思わぬ助っ人が現れてくれた。

 永遠亭のかぐや姫――――蓬莱山輝夜。

 輝夜曰く、迷いの竹林のホームレス――――藤原妹紅。

 騒ぎに感づき駆けつけてくれた2人のおかげで、無事全員を永遠亭へ運ぶことができたのだ。

 ちなみに妹紅だけ手数あまりであったため、桜が落とした買い物袋を持ってもらった。

 そして今、私たちは永遠亭の病室にて、ベッドの上で意識を失ったまま眠っている伊吹萃香の容態を看ていた。

 ……永琳の診療で。

 

「……どうなのよ、永琳。見かけでは傷なんて一つもないけれど、貴方がそこまで深刻な顔をするようでは、そう気楽にはしていられないわ」

 

「気楽にすること自体どうかと思いますが、姫様? そもそも普段引き篭もりニートである筈の姫様が外に出ること自体が不思議なのですが……」

 

「ひどい言い草ね。……否定はしないけれど。妹紅を誘って部屋でテレビゲームをしていたのだけれど、中々勝負が付かなくて、勝ち越せなかったのよ。だからタイマンで決着を付けようという事で外に出たのだけれど、途中で凄い音が聞こえたから面白そうだと思ってそこへ向かったのよ。

 そうしたらそこの鬼と、あの吸血鬼の所の執事が倒れていた訳」

 

「動機が凄まじく不純で情けないですが、まあ姫様が外に出ただけでも良しとしましょう。……今問題なのは、ソコではないですから」

 

 呆れた眼で、己の主である輝夜たちを見る永琳。

 その視線は妹紅にも向けられており、ソレに気付いた妹紅は慌てて輝夜の方を指差し、弁解し始めた。

 

「わ、私は違うからな? ちゃんと深刻な問題だと思って慌てて駆けつけたんだから、コイツと一緒にされては困るぞ?」

 

「人を指差してコイツはないでしょう、竹林の年中もやしホームレスさん?」

 

「お前にだけは言われたくないな、永遠亭の年中だらけニートさん?」

 

「ふ、2人とも、落ち着いて……」

 

 いがみ合う妹紅と輝夜、そしてソレを諌めるようとする鈴仙。

 ここまでならいつもと何ら変わらない光景であるのだが、だからと言って今この重い空気がどうこうなるわけでもなかった。

 いがみ合う2人を他所に、咲夜はただ一人、永琳に問うた。

 

「それで、どうなのですか? 伊吹萃香の容態は……」

 

「……とりあえず、命の保証だけはするけれど、容態だけを言うのなら絶望的と言ったところかしら」

 

「……絶望的? 見たところ回復はしているようですし、そう見えませんが……」

 

「ええ、確かに。回復はしているわ。回復はね……」

 

 永琳は深刻そうな表情を変えずに、しかし口調は淡々とソレを告げる。

 

「何か含みのある言い方ね。回復しているのならソレで上々じゃない?」

 

 妹紅と取っ組み合いの姿勢を取りながら、永琳に問う輝夜。

 妹紅も輝夜に合わせて同じ疑問を持ちながら、永琳を見つめた。

 

「確かに医者としてならソレで上々なのですが、状況的にはそうも言えません。見てください、コレを――――」

 

 そう言って、永琳は鬼の角に頭に巻かれていた包帯の端を手に持つ。

 角から額にまでにかけて巻かれたソレを手に取り、器用な手つきでそれを外していった。

 ――――?

 この時、この場にいる永琳以外の全員が違和感を感じただろう。

 萃香の角の長さ、形状――――包帯の巻かれていた範囲。

 包帯を外されたソレからは角が見えず、ただ包帯だけが角の形状となるように巻かれていたみたいだった。

 ……そして、本体がようやく下まで取れていった時――――ソレは、現れた。

 

「――――ッ!!?」

 

「ちょ、これって――――」

 

「ど、どういう事だよ!?」

 

「えっと……」

 

 それを見たそれぞれは三者三様。

 咲夜は言葉すら出ないかのように黙り込み、鈴仙は口元を押さえ、妹紅は疑問を口に叫び、輝夜は何を言っていいのか分からないかのような様子だった。

 そんな四人の反応を予想していた永琳は表情を一つ変えず、淡々とその事実を述べる。

 

「見ての通り。鬼の証である筈の角が、手のひらサイズまでに縮小しています。これが何を意味するのか、姫様達なら、分かるでしょう?」

 

 そう、四人が目にしたのは、もはや近視しなかれば見えぬ程に小さくなった萃香の角。

 頭の左右から生えたソレは、本人の頭上から突き出ぬほどまでに小さくなり、鬼の誇りであるソレは失いつつあった。

 

「鬼の証たる角が小さくなり、そしてソレに比例して回復してゆく。つまり――――」

 

「鬼の力と引き換えに、自身の体を治癒している、という事ですか?」

 

 永琳の言葉に続けて、咲夜が萃香の体が回復してゆく訳を答えた。

 ……が、その答えに永琳は若干首を横に振った。

 

「……その認識でも問題はないけれど、“治癒”というには語弊があるわね。正確には“再構成”しているというのが正しいわ。

 そもそもこの鬼の体は、外傷はなんともないけれど、内側にある内蔵のほとんどが殺されていた。脳を除くほとんどの内蔵組織が、一周間以上前に運ばれた貴女の所の執事の脳みそと同じかそれよりひどい状態だったと思っていいわ。

 ここまで内蔵が完璧に死んでしまえば治癒などでは到底追いつかない。そもそも治癒で済むのなら鬼の力までを犠牲にする必要もない。

ほとんど死んでしまった体を蘇生させるために、鬼の力と引き換えに体内構造を再構成させているのよ。

 命は保証できるでしょうけれど――――少なくとも“鬼の四天王としての伊吹萃香”はもう完璧に“殺された”わ」

 

『…………』

 

 その、突きつけられた事実に、一同が黙ってしまった。

 その様子を見た永琳はやがて、ハァ、とため息を付いた。

 ……正直、呆れを通り越して憤っている。

 自分の忠告を受けておきながら、僅か数時間後にそれを清々しいほどに無視してくれたあの殺人鬼に対してもそうだが、何より仇討ちという理由だけで考えなしの行動を取ってくれたこの鬼に対してもだ。

 憤る気持ちは分かる。

 だがあの男は殺してしまう事は少なくとも幻想郷にとっても最善ではないだろうし、何より自身の身に何かあった後の事を考えなかったのだろうか。

 いや、そもそも相手が人間出会ったがゆえに生まれた慢心ゆえなのかもしれないが、それでも考えなしにも程があるのではないだろうか。

 ……そう考えていたら、突如、咲夜が一同から背を向けた。

 

「……すみません。少し、先に失礼させて頂きます」

 

「……」

 

 永琳も、一同も、その背中を見届けた。

 ……やがてドアの所まで辿りついた咲夜はゆっくりとした動作で、ドアの取っ手を掴み、そのままドアを開けて部屋から出てしまった。

 

「……無理もないわね」

 

 項垂れて呟く永琳。

 次々と殺到してくる問題に、頭を痛める永琳だが、こんな事で頭を痛めてはならないと心の中で自分に言い聞かせた。

 一番頭を痛め、心臓に悪い思いをしているのは他でもない、たった今部屋を出て行った銀髪のメイドなのだから……。

 彼女はきっとこれからも、自分の部下の事で頭を悩ませていくだろう。

 ……あのメイドと青年の間に、何があったのかは自分の預かり知らぬ所であるが……。

 

「直死の魔眼、か……」

 

 永琳の呟きは、他の一同には聞こえてなかった。

 

 

     ◇

 

 

 痛む頭と胃を引きずりながら、咲夜はある永遠亭のある部屋を目指していた。

 ……今回の件について頭を悩ましながら。

 七夜とあの鬼の件だけではない。

 ――――あの時、自分の意識に介入してきた謎の声。

 聞き覚えがあった。懐かしみすら感じた。だが覚えていない。

 あの声――――知っているのに、知らない。

 まるで自分の触れていはいけないパンドラの箱に呼びかけるような声。

 そして見せられた――――あの“光景”。

 ……そしてその光景の中心に立っていた、銀髪の幼き少女。その手に握られた血濡れの七ツ夜。

 

「――――ッ!!?」

 

 ズキ、と頭が痛んだ。

 あの光景を見せられ、あそこまで壊れてしまった自分が理解できなかった。

 ――――何故、あそこまで壊れたのか?

 あの光景に覚えがあったからなのか、それとも別の要因があるのか、ソレは彼女にも分からない。

 

「……やめましょう」

 

 途中で、咲夜はその事について考えるのをやめた。

 考える時間は後でいくらだってあるし、今はそれよりも行くべき所がある。

 咲夜は足音を立てず、しかしどこから気怠げな足取りでその部屋へと向かって。

 やがてその部屋の引き戸の所まで着いた咲夜は、ゆっくりとその戸を開けた。

 落ち着いた畳の部屋が目に入った。

 ……そこにいたのは、布団に入って未だ意識を取り戻さぬ七夜と、幼き烏天狗の姿があった。

 

「貴女、こんな所にいたの?」

 

「咲夜、さん?」

 

 部屋に入ってきた咲夜を目にした桜は、ゆっくりと彼女の名を呼んだ。

 その背中から生えた烏の翼の内の片方が、包帯で巻かれており、ソレが咲夜には痛々しく映った。

 

「七夜はまだ目を覚まさないのね」

 

 言いながら、咲夜は桜の横に正座し、桜と同じように目を覚まさぬ七夜を見つめた。

 全身に包帯が巻かれており、まるで銅像のような寝顔をしながら眠っていた。

 

「……あの時」

 

「……?」

 

 咄嗟に口を開いた桜に、咲夜は疑問符を浮かべて耳を傾けた。

 

「あの時、七夜さんが私に取材の約束をしてくれた時、すごく嬉しかったんです。私は臆病で、恥ずかしがり屋だから、とても記者には向かなくて、取材の切り出しが遅くて、いつも呆れられるばかりでした。あの時、人里に買い物に出ていた七夜さんと咲夜さんを追って、七夜さんが一人になった所をチャンスとばかりに取材しました。まだ初対面なのに、怖い人だと思いました。目付きは刃物のように鋭くて、気怠げで暗い雰囲気を漂わせて、爽やかだけどどこか陰のある口調で、今まで見たことのないタイプの人間でした。私は怯えつつも、彼に取材しました。

 彼に抱いた印象もあって、ただでさえ質問の切り出しが遅い私の取材は更に怠いものとなりました。

 ――――ああ、これは呆れられたな。私は心の中でそんな自分を殴りたくなりました。きっといつものように呆れられ、もうお前の取材は受けないと断られると思いました。

 ……けど、彼は違ったんです。落ち込む私の頭にそっと手を置き、あまつさえ再取材の約束をしてくれたんです。

 ……その時、私がどれだけ救われたのか」

 

「……貴女」

 

「だけど、さっき会った七夜さんはまったく別人でした。あんな暖かい手を自分の頭にポンとおいてくれた人が、あんな殺気を放つ人だなんて――――あの鬼さえも打倒しうる卓越した殺人鬼だなんて、信じられませんでした。

 だから、それが許容できなくて、止めたんです。

 案の定、彼は私に襲いかかってきました。決着はあっという間でした。

 スペルカード発動中の私の一瞬の隙を付いて、七夜さんは形成を瞬く間に逆転させて、私は殺されかけました」

 

「……」

 

「だけど、彼は、私を殺しませんでした。

 いくら鬼との戦いで体にガタが来ていたとはいえ、あの距離ならば私を殺す事は充分にできた筈なのに、彼は急にナイフを止めて、少し様子がおかしくなったんです」

 

「……七夜の、様子が?」

 

「はい。よく分からないんですが、まるで私だけが見えない何か阻まれたみたいで。……まるで、ソコには彼ではない彼がいたかのような……」

 

「……」

 

「そして彼は、そこで力尽きて、倒れました。私は泣きながら必死に七夜さんに問いかけました――――何故殺さなかったのかと。

 彼はこう答えました――――メイド長との約束を思い出しただけだって」

 

「――――ッッ!!?」

 

 桜のその言葉を聞いた途端、今まで表情を変えず、ただ黙って桜の話を聞いていた咲夜は初めて驚愕の表情をした。

 メイド長との約束を思い出した――――ソレは、自分との約束のために最後の一線を超えなかったという事。

 たったそれだけの事が、咲夜にどれだけの希望をもたらしたかは、彼女のみぞ知る。

 

「咲夜さん。私は、彼に取材できるのでしょうか? 彼の、殺人鬼としての本性を見てしまった私は、また彼に、いつもの情けない自分を晒し出してしまうのでしょうか?

 せっ……かく、私の取材に……あそこまで、付き合うと……言って、……くれた人に……向き合えるんでしょうか?」

 

 朧げで、今にも泣きそうな声で咲夜に話しける桜。

 その表情は、まるで行き場をなくした子供のようで、それが咲夜には少し哀れに見えてしまった。

 ……だからだろうか。

 咲夜は、あの時七夜が彼女にしたのよ同じように、また桜の頭上にポンと手を置いた。

 

「咲夜、さん?」

 

「大丈夫よ、貴女は強い。七夜を……あの殺人貴を止めようとした貴女は、それだけで彼と向き合う資格があるのだから。

 資格がないのは……むしろ私の方よ」

 

「え……?」

 

 そんな咲夜の言葉に桜はただ呆気に取られたような声を出した。

 ……何故だ?

 一番、彼に近しい筈の彼女が、何故そんな事を言うのか?

 

「私は、止められなかった。あの時も、そして今回も。このバカの凶行を止められなかった。本来、止めるべきなのは私である筈なのに……止めらなかった。

 だけど、貴女は止めた。このバカがやろうとした過ちを、ちゃんと防いでくれた。

 ……貴女は――――十分、この男と向き合える強さがある」

 

「私、が……」

 

「桜、さっきまで気が混乱して言えなかったけれど……七夜を、この馬鹿を止めてくれて――――ありがとう」

 

「――――っ!!?」

 

 それは、本心から出た、感謝の言葉だった。

 その言葉をきいた桜は咄嗟に咲夜の方を向く。

 ……普段、クールな筈の彼女が、自分に……混ざり気のない純粋な笑顔を向けていた。

 そんな彼女の表情に釣られて、桜もまた。

 

「えへへ♪ はい!」

 

 彼女もまた満面の笑顔で返した。

 それは、どこにでもいる子供の無邪気な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一日たっての夜、七夜は再び目を覚まし、そして冒頭へ戻る。

 

 

 

 



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第二十夜 萃香と紅葉

パズドラの新しい降臨ダンジョン「ソニア・グラン降臨」に先程挑んできた所です。
8コンとか、初見でいった「サンダルフォン降臨」依頼のトラウマですよ、まったく……。
手に入れた光ソニは能力はあまり自分には使えそうにありませんでしたが、ビジュアル的な意味でも手に入れた価値はあるかも。


 遥か、昔の話。

 幻想郷が博麗大結界に囲まれる前よりも、ずっと昔の話。

 まだ科学が発展しておらず、世界がまだ神秘で満ちていた時代。

 まだ非常識が非常識になる前の、魑魅魍魎が蔓延る妖怪たちがまだ常識から追われていなかった時代の日ノ本。

 日の刻は人間達の楽園となり、夜の刻となれば魔が騒ぎ出す。

 ……そんな、現代では御伽噺で片付けられている事が、世の常として当たり前のように、日常茶飯事のように起こっていた時代。

 妖怪――――日本の「魔」を代表する幻想種。

 人ならざる化物である「魔」。

 自然の法則にありながら必要とされず、総じて正当な流れにある者には邪に映る輩――――故に、魔であり必然として魔を嫌う「退魔」もまた生じた

 退魔が全盛を振るう時代があるのであれば、間違いなく魔が全盛を振るう時代に他ならない。

 魔が生じれば、退魔もまた生じる。

 魔が現れれば、退魔もまた現れる。

 魔が暴れだせば、退魔も退治しにやってくる。

 

 ――――妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。

 

 ヒトと妖怪という一種の犬猿を通り越して、ある種の絆を表す格言として成り立ったソレは、ヒトとある妖怪の種族の間で崩れ去りつつあった。

 否、絆そのものは崩れていない。

 ただ、絆の在り方が変わってしまった。

 「鬼」というモノがいた。

 妖怪の中でも飛び出て化け物と謳われる最強種族。

 彼らは酒と、喧嘩と――――人間が大好きだった。

 自分たちとは比べるべくもなく弱々しく、愚かで、貧弱。

 だがそれでも、彼らは人間を自分たちの喧嘩の相手に相応しいと認めていた。

 腕の立つ人間に勝負事を挑む。その人間はもちろんの事、鬼たる自分を楽しませてくれる。そしてその人間を負かし、攫い、食らう。

 それで終わるのか――――終わる訳がない。

 当時、腕っ節の強い人間は特に村人たちから慕われる傾向があった。

 ソレもそうだっただろう、退魔の技と術を身に着けしものは、唯一、自分たちを妖魔から守ってくれる存在だったのだから。

 だから、ソレが食われてしまった時――――今まで自分たちを妖魔から守ってくれた殻を奪われた時、彼らは二つに別れる。

 ――――一つは、恐怖に怯えるか、事実から逃避し続けるか。

 ――――二つは、後悔と憎しみの念を抱き、人間という『鬼』になるか。

 そう、後者が正に鬼の待ち望みし人間達である。

 ……ただ一人の猛者に任せきりにしてしまった事を。……その猛者が死ぬはずがないという過信を抱いておきながら死なせてしまったことを。……そして、その猛者に任せきりにしなければ生きていけなかった自分たちの弱さを。

 それら全てを悔いた人間たちは、立ち上がるのだ。

 たとえその『力』が自分達の足元にも及ばなく、比べることすらおこがましい力差であったとしても、失った仲間の無念や悔いを背負い、強くなる。

 その無念や悔いが僅かな強さの糧にしかならないとしても、塵も積もれば山となるという諺の如く、ソレはやがて大きな弾丸となりて自分達の脅威となる。

 ……ソレが、鬼たちには堪らなかった。

 ……ソレが、ヒトと鬼の絆だった。

 ――――少なくとも、鬼たちにとっては……。

 

「……不味い酒だね」

 

「そう思うのなら、酒屋さんに返してあげたらどうかしら? 盗みを働いた後味の悪さが付き纏っては、せっかくの酒も不味くなるばかりよ」

 

「いや、ちゃんと酒屋の用心棒と正面から挑んで打ち破ったよ。景品としてこの酒を譲り受けたのさ」

 

 そこは何もない丘。

 雲一つない夜空に浮かぶ月の下で、2人の女性が酒を飲み交わしていた。

 一人は幼き容姿の少女――――赤みがかった茶色のロングヘアー、魔の属性を象徴する紅い目、頭の左右からは身長と酷く不釣り合いな長く捻じれ曲がった角が生えていた。

 もう一人は黒髪の美女――――流れるような黒いロングヘアーに、少女と同じく紅い目をしており、頭の左右から短い三日月状の角が生えていた。

 頭から角が生えている――――それだけで、この2人がヒトから外れているか、もしくはヒトならざる化け物である事が伺えた。

 彼女たちもまた、鬼だった。

 

「なら盗みじゃなくて、強盗と言うべきかしら?」

 クスクスと妖美な笑みを浮かべながら、手に持った酒瓶でゆっくりと幼き姿のもう一人の鬼に酒を注いだ。

 

「……あんたはそんなに私を悪者にしたいのかい?」

 

 黒髪の鬼女から注がれた酒を自棄のようにグイ、と一気飲みし、酔いながらも口調だけはしっかりとしてその同胞を睨んだ。

 

「冗談よ、冗談♪ だけど萃香が正面から挑んだ人間だと言うのであれば、その人間だって中々だったのでしょう? なら、この酒だって必然的に美味しくなるのではないかしら?」

 

「逆だよ。私が命を取るに値する人間だったのであればそうだったんだろうけどね。……その人間はただ武器を構えるだけで、私の前で足腰を震わせながら棒立ちするだけだった。あまりに情けなくなってさ、命ではなく、その人間が用心棒をしている酒屋の酒だけで勘弁してやっただけさ……」

 

「――――そう。ならせっかくの美味しいお酒も、不味くなるわけだわ。……少なくとも貴女にとっては」

 

 妖美な笑みを崩さず、しかし幼き姿の鬼――――伊吹萃香の話を聞いた後にゆっくりと瞳を閉じた様は、何処か落胆しているようにも見えた。

 萃香もそんな鬼女の気持ちを感じ取ったのか、同様にため息を吐いた。

 ――――最近はいつもこんな感じだ。

 鬼と正面から向き合った人間は、恐怖のあまり気を失うか、逃げ腰の背中しか見せることしかなくなった。

 鬼が油断している時に罠にはめ、そこを大勢で滅多打ちにし、最後には強力な術式で仕留めるだけ。鬼を真っ当な方法で討ち取らんとする人間が急速にその数を減らしていっているのだ。

 萃香や目の前の黒髪の鬼女のように、鬼としても異端じみた能力を持ったような輩には容易にその罠から抜け出せるか、もしくは罠にかかる前に気付いてその人間達を葬れるのだが。

 

「そうそう、話は変わるんだけどさ――――」

 

「その顔からしていい話ではなさそうね」

 

「そう言わずに聞きなよ。私もあんたも異端児とはいえ同じ鬼である以上、知る義務はあるよ」

 

 萃香はお返しにと酒瓶を手に取り、黒髪の鬼女の差し出した盃にドボドボと酒を注いだ。

 

「異端児、か……。そう呼ばれるのはもう何回目でしょうね。貴女も鬼らしく喧嘩が好きだけど、その割には誠実さに欠け、どちらかといえば他者の反応や行動を見て楽しむ方よね。私も闘争は嫌いではないけれど、どちらかといえばこうやって騒がず静かに酒を飲んでいた方が性に合うわ」

 

「うぅ……誠実さにかけるってのは余計――――いや、否定しないけれど……――――とにかく話を戻そう。

 勇儀が――――やられたよ」

 

 ……一筋の風に、木の葉が舞った。

 その一言に――――黒髪の鬼女の口にゆっくり流し込んでいた酒をピタリと止め、しばらく微動だにしなかった。

 嘘かと思って、萃香の顔をみればそれは本気だった。

 黒髪の鬼女はゆっくりと盃を足元に置き、目を瞑りながら冷静に聞いた。

 

「……それは真っ当にやりあって? それとも嵌められて?」

 

「無論、後者だよ。その首謀者の人間なんだけど、どうやらその人間にとって勇儀は母方の怨敵だったそうだ。ソイツと一緒に酒を飲んでいたら奇襲を食らって、次々と加勢に来た人間にメッタ斬りにされて、終いには鬼退治用の陰陽術式まで叩き込まれたらしい」

 

「……自分を憎んでいる人間と盃を交わそうだなんて如何にも勇儀らしいわね。……おそらく、宿敵としての誓いか、自分の首はその人間だけのモノだという誓いで交わしたんでしょうね。……少なくとも、勇儀にとっては」

 

「ああ、その通りだよ。確かに勇儀はその人間になら首を譲ってやってもいいと思っていたんだろう。だけど、ソレは正面から勝負で打ち取れたらの話だ。あくまでソレを誓うような盃の場で不意打ちされるのは不本意だっただろう。……自分が憎いなら、何故正面からその憎しみをぶつけないってね……。

 他人の勝負事に介入する程、私は野暮ではないけれど、毎度の事ながら私はこう思うよ」

「――――アイツ等は、わたし等を何だと思っているんだっ。私たちは騙される為に勝負事をしているんじゃないだぞっ……!! 正々堂々と私たちを討ち取ってこそ、誉れだっていうのにっ、最近の奴らはっ、私たちをただいいカモとしか見ないっ!!

 鬼を名乗る者として――――これ以上の屈辱などあるものかっ!」

 

「……」

 

 今までただ酔顔でいた筈の萃香が急に、その幼き顔を鬼の憤怒のそれへと豹変させ、叫んだ。

 なまじ鬼の中でも、鬼の『格』にこだわる程に鬼としての誇りを持つ彼女にとっては、怒るのも尚更の事だったのだろうか。

 黒髪の鬼女はただ小さき鬼の慟哭をただ黙って聞いているしかなかった。

 そしてその憤怒の瞳は、その鬼女本人にも向けられた。

 

「そして、ソレをどうとも思わないあんたもだよっ。我らが、あれ程好きだった人間に裏切られ、罠に嵌められ、大勢にメッタ斬りにされ、鬼とヒトの絆は崩れ去ろうとしているっ。

 ……なのに、なんであんたはそんな平静と静かに酒を美味そうに飲んでいられるんだい――――紅葉っ!!」

 

 まるで吐き出すかのような口調で萃香は、黒髪の鬼女の名を呼ぶ。

 紅葉と呼ばれた鬼女は、萃香のとっさの叫びに、不意に盃を手から離し、萃香の方へ顔を向けた。

 ……盃に注がれた酒は、彼女の顔を水月としてその水面に映していた。

 

「……勇儀は、その後どうなったのかしら?」

 

「……結果的に勇儀は助かった。手酷くやられてはいたけれど、元より勇儀が人間の作った三流の罠を前にくたばる訳がないからね。最後の最後に地力を出して、周囲の土地ともども巻き込んで人間達を一人残らず消し飛ばしたそうだ。

 最後に、勇儀が認めた筈の人間の肉片だけがひっそりと残って、何を思ったのかソイツの墓を作ってやったそうだ。ただその人間を自分に振り向かせる為だけにその人間の母を遊戯感覚で食べてしまった事に、多少なりと罪悪が芽生えたんだろう。

 ……卑怯を働いたとはいえ、その卑怯を働いた原因は自分にもある、と。そんな形で無理やり納得しようとしたんだろうさ」

 

「……」

 

「因みに、他の鬼たちにはこのことは知れ渡っている。いや知れ渡らない筈がない。それを知ったアイツ等が、どんな屈辱的な気持ちになったか。

 知らないのはあんただけだよ、紅葉っ!! 勇儀だけじゃない。あいつと同じ目に遭って、卑怯なやり方で首を獲られていく鬼たちは今も増えている。

 なのに――――どうしてあんたはそんな平然と酒を飲んでいられるんだいっ!!」

 

「……私を酒に誘ったのも、態々そんな事を言うために?」

 

「ああそうさっ! 他の鬼が知っていて当然の事を、あんたはさも当然かのように知らない。そして現に私がこうして伝えに来ても、あんたは表情をほとんど変えないっ!

アンタのそのどうでもいいような顔が―――――私は気に入らないんだよっ!」

 

 射殺すような眼で紅葉を睨んだ後、萃香はハァ、と息を吐き、深呼吸を一回した。

 気づけば、盃に注がれていたはずの酒がなくなっていた。

 癇癪を起こして当たりへぶちまけてしまったのだろう。

 ……いい酒ではあったが、こんな気分ではいい酒も酔える筈もなく、ただやりきれない虚しさと憤怒が空回りするばかりだ。

 しばらくして、少し気持ちを落ち着かせた萃香は、ゆっくりと紅葉の顔を見て。

 

「……ごめん。少しムキになりすぎた。アンタは、ただアンタらしく生きているだけなのに……」

 

 謝罪した。

 確かに萃香は本心から紅葉に憤った。

 だが、自分でもここまで憤慨してしまうとはさすがに思わなかったのだろう。良くも悪くも彼女は相手にも、そして自分にも嘘をつけない性格なのだ。

 ソレを分かっていたのか、紅葉はそれに対しては特に責める気もなかったし、何より彼女の言う事は最もだった。

 

「謝る事はないわ。貴女の言ったことは紛れもない本心なんでしょう? 四天王とまで謳われる鬼に対してこういうのも何だけど、適当に取り繕って話されるよりはマシだわ。

 ほら、盃を出しなさい――――注ぎ直してあげるから」

 

「――――はいよ。

 ……アンタは、やっぱり変わらないね。昔からそうだった。私もあんたも異端児と言われているけれど、私はあくまで鬼の中の異端児と言われていた。だけど、アンタはそもそもが鬼らしくないという事で『異端児』と呼ばれていた。唯一、私や他の鬼と共通している事があると言えば――――酒好きと嘘嫌いな所くらいだった」

 

「……そして、その酒好きの趣向も他の鬼たちとは合わなかったわ。私はあんなうるさくどんちゃん騒ぎしながら飲みまくるのは御免よ。こうしてゆっくりと、静かに酔い浸った方が好みね」

 

「おまけに度が強い酒は苦手と来たもんだ。初めてアンタを見たときは本当に私と同じ鬼かと疑ったくらいだった。だけど、アンタとこうして酒を飲んでいる内に、こういう飲み方も悪くないとは思ったよ」

 

「それは何よりだわ」

 

 萃香の悟ったような言葉に微笑みで返し、紅葉は再び盃を手に取り、酒を少量、口に流し込んだ。

 同時に、萃香も盃を口にゴクゴクと豪快に流し込んだ。

 そんな2人の様子は、遠くからみればさぞかし対照的に映るだろう。

 

「まあ、アンタを誘ったのは他にも話しておくべき事があるからなんだ。さっきのは私の私情に過ぎないからね。いや、鬼たちの気持ちを代弁していたようなモノではあるけどさ……」

 

「何かしら?」

 

 先程まで口に付けていた筈の盃を地面に置き、萃香は上半身を乗り出す姿勢で紅葉に話しかけた。

 萃香はよほどの事がなければ酒を手から離すことはない。

 顔は相変わらず陽気に笑っているが、眼が真剣そのものだったので、紅葉も盃を地面に置き、萃香を見た。

 

「我ら鬼は闘争、勝負事こそが全てだ。いや、もう本能とすら言っていい。そしてその勝負事の相手はもちろん人間だ。人間は強い。例え我らと力の差があってもそれを乗り越えて強くなってくる。

 ……だが、最近のやつらはそんな事はなくなった。鬼と聞いただけで震え上がり、逃げ出すものばかり。……鬼に真正面から挑むモノはいなくなり、ただ鬼を策謀へ嵌める卑怯者だけが勇気あるものとしてみなされるばかりの世の中になくなりつつある。そうなってしまえば我らがもう、ここ(現世)にいる意味などない。我らの望む修羅場など存在しないのだから……」

 

「……」

 

「そこで異界に、私たちの新しい修羅場を求めて移住しようという鬼たちが増えている。既に何人かの鬼たちはもう異界へ潜っている。……まあ、一部の者はまだ人間の可能性を否定しきれないのか、残る所存の奴らも多少いる。……だけどソレも少数派だ。我らはここから次々とその姿を消していくだろうさ、これからもな。

 ――――紅葉、アンタはどうする気だい? アンタは他の連中とは気が合わないし、積極的に闘争を求めるような性格でもないけどさ。こんな所に居ても、もっとつまらなくなるばかりだと私は思うんだけど……」

 

 アンタはどっちを選ぶんだい、と聞いてくる萃香。

 ……紅葉はその言葉に何を感じたのか、口元に浮かべていた笑みをなくし、少し寂しそうな表情で俯いた。

 彼女の心情がどんなであるかは、それは萃香であっても察する所ではない。

 

「――――さっき、何故私がこんなにも平然と美味しそうに酒を飲んでいるかって聞いたわね……」

 

「……?」

 

「貴女の言うとおり、私はヒトの鬼の絆とかそういうのは心底どうでもいいわ。……もちろん、思う所がないという訳ではないのだけれど。今まで私を一篇たりとも理解してくれなかった奴らの絆なんて知ったことではなかった。

 ……つい、最近まではね」

 

「……紅葉」

 

 紅葉の少し暗そうな表情に、萃香もまた表情を少し曇らせた。

 思えば、異端児というただ一つの共通点で、唯一紅葉と接点を持った同族が萃香だった。

 それに紅葉も、萃香も、それに何も感じぬ筈がない。

 

「だけど最近、その鬼とヒトの絆というものが、少しだけわかった気がするのよ。だから、私はここに留まり続けるわ」

 

「――――ハ?」

 

 その言葉に、萃香は耳を疑った。

 ――――あの闘争を積極的に好まない紅葉が?

 ――――あれほどまでに、同族達から遠ざかっていた紅葉が?

 ――――あれほどまでに、他人と関わることを避けていた紅葉が?

 鬼とヒトの絆を少し理解した程度で、ここに留まる選択をするのかと聞かれれば、大抵の鬼は否だ。

 理解した所で、ソレが崩れ去っているというのであれば、ここに留まる意味などないのではないか?

 いや待て。

 もしソレを理解して、ここに留まる意味もあるのだとしたら。

 

「あんた。面白い人間でも見つけたのかい?」

 

「……ええ、そうよ。強くて、不器用で、そして――――唯一、『私』を見てくれる人」

 

 内心興奮して身を乗り出しながら聞く萃香に、紅葉は愉快げに、優雅に笑いながら答えた。

 紅葉がこんな笑い方をするのを、萃香は見たことがなかった。

 

「さっきも言ったけど、どうでもよくはあるけれど、別に思う所がない訳ではないの。それだけなら確かに、酒は不味くなったかもしれないわ。現に貴女は不味そうだったし……。

 だけど、その不味さを埋めてくれる余りあるヒトが私にいるとしたら、貴女はどう思う?」

 

「おいおい、自分だけ歓酒に浸っていたのかい。こっちは自棄酒だっていうのに、随分といいご身分じゃないか」

 

 コイツこんないい性格していたのか、と思いながら萃香は半目で、静かに興奮している紅葉を睨んだ。

 通りで自分と違って美味そうに酒を飲んでいた訳だ。

 だが――――。

 

「だけど紅葉。その人間から離れた方がいい。いや、そもそも人間と勝負をするべきじゃないんだ。そのまま付き合っていたら、アンタもいずれ勇儀の二の舞になるよ?」

 

「――――何も知らない分際で彼を語らないでくれないかしら?」

 

 ――――その冷たく、凍りつくような声音に、萃香は押し黙ってしまった。

 紅葉は鬼の四天王ではない。

 ソレに匹敵するかもしれない力はあるが、それでも呼ばれるに至るほどの力はあるかどうかは疑わしい。

 純粋な腕力や力では、勇儀や萃香にも劣る筈の紅葉が、迫力だけで萃香を黙らせた。

 

「初めて彼と会ったのは、十年前だったわ。当時、人間たちはまだ私の性格をそんなに理解していなかったから、他の鬼から孤立し、闘争を好まない私に遠慮なく退治しにかかってきた……大勢でね」

 

「……」

 

「この時、私は今まで以上にこの世を恨んだわ。同族である鬼たちも、人間たちも、誰も私を理解してくれないと、そんな憤りと虚しさが空回りしていた。私は視界にいれた人間達を殺す一歩手前の所まで『奪って』やったわ。退治屋たちは私の前に為すすべもなく倒れた。……その中には、彼もいた」

 

 萃香は押し黙ったまま、紅葉の話を聞き続けた。

 

「その時、私は彼に見向きもしなかった。当たり前よね、あの中にいた人間の一人が、私をここまで変えてしまうなんて、思いもしなかったから。

 それから数年後、彼は私の前に再び立ち下がってきた。あの一件でもう懲りたと思っていたのに、彼だけがまた立ちふさがっていのよ。

 闘争を好まない私は、また奪ってやった。だけど、彼もあの時より随分と腕を上げていて、一筋縄に奪うことはできなかった。それでも私は彼を地に伏せさせ、見下してやったわ」

 

 段々と憎々しい顔つきなりながら語りゆく紅葉。

 だけど、その表情は急に静まり、一転してまた穏やかになり、語り続けた。

 

「――――だけど、私は気付いたのよ。彼が私に向けている視線は、憎しみでも、怒りでもなかった。まるで一つの事しか――――純粋に私の事しか見えていないような純粋な輝きを宿して私を見ていた。

 それに気付いて苛立った私は彼に怒鳴りつけたわ。何故自分を憎まない。……私を一篇たりとも理解していない貴方が、何故私をそんな目でみるのかって……」

 

「紅葉、アンタ――――」

 

「彼は答えたわ。あの一件、私に叩きのめされた退魔師の集団の中に、自分もいたという事を、私の能力の前に次々と倒れふしていった中で、彼だけが僅かに意識があったみたい。

 彼は、こう言ったわ――――確かに、仲間を次々と奪ってゆく貴女を心底恨んだりした。だけど、そのおぼろげの意識の中で、自分は見た。貴女が寂しそうな表情をしているのをって」

 

「――――ッッ!!?」

 

「その言葉を否定しようとして、私はふと黙ってしまったわ。あの時、自分はどんな表情をしていたのかって。そして確かに、寂しそうな顔をしていかもしれないと、この時ハッキリ自覚した。

 彼は言った――――あの時から貴女の事しか考えられなくなっていた。だから自分は強くなろうとした。貴女と対等に向き合える力を手にするためにって」

 

 その事実に、萃香は内心驚愕した。

 ――――まだ、そんな人間が残っていたのかと。

 ――――まだ、そんな面白いヤツが残っていたのかと。

 ――――そして、その人間が、闘争を好まなかった筈の紅葉の宿敵だと。

 

「結局、あの後、彼の言葉に何も言えなくなった私はあのまま彼を気絶させたわ。

 ……だけど、彼は何度も私の前に立ちふさがってきた。鬼としての私ではなく、『遠野紅葉』という私を見る純粋な目で、私に挑んできた。その度に、少しずつだけど彼は強くなっていて、私も段々と隠し事をする余裕がなくなってきたの」

 

「……」

 

「そして、ある時、気付いてしまったわ」

 

 紅葉という鬼女は、一層笑みを濃くした。

 いつの間にか黒であった筈の長髪は、鬼のような紅に染まり、ソレが彼女の興奮を十二分に表していた。

 

「――――彼と一緒に奪い合える時間が、楽しいって。

今まで一方的に奪う事しかできなかった私。その行為はとてもツマラナイ事なのに、奪い合う行為がこんなにもタノシイだなんて思わなかった……っ!

 奪った『彼』は私の中に入ってきて、奪われた『私』は彼の中へと入ってゆく。そう思うと、これ以上にないくらい、興奮してくるの。いえ、もう『心』の方は既にお互い完全に奪われているのかもしれないわ……私も、彼も」

 

 それは果たして、今まで闘争を好んでこなかった紅葉であっただろうか。

 今まで、ヒトは愚か同族も避け、一人でいる事を望んでいた鬼女であっただろうか。

 いや、萃香は知っていた……他者から理解されず、他とは馬が合わなかった彼女は――――本当は、寂しがっていたのだと。

 今まで自分を理解してくれる、自分を見てくれる者がいなかったのに、突如その存在が現れたその時から、彼女は壊れたのだ。

 だが、その愛情を真っ当な方法で受け取る術を知らなかった彼女は、こうして彼と闘争を繰り広げている。

 結局、どんな異端児と蔑まされようと――――彼女もまた、『鬼』である事に変わりはないのだ。

 

「――――あら、もうこんな刻ね。行かなくちゃ……」

 

 ふと、月の位置を確認し、スッと優雅に立ち上がった紅葉は、萃香へと背を向けた。

 

「――――何処へ行くんだい?」

 

 聞くまでもないと分かっても、萃香はあえて紅葉に聞いた。

 紅葉は、まるで先にある遊戯に今か今かと待つような子供のような様子で、静かに興奮いした笑いで答えた。

 

「決まっているでしょう? 彼との約束の時間――――月が昇り切る手前の刻で、草原にて待ち合わせをしましょうってね♪」

 

 紅葉は一度、萃香に振り向き、お酒美味しかったわ、ありがとう、と一言言って暗闇の中に消えていった。

 その消えゆく背中は二度と萃香に振り返る事なく、これが彼女と萃香の最後の邂逅となった。

 

「ヒトと鬼の絆を少しは理解できたような気がする、か――――。残念だけど紅葉、ソレは私達が思ってきたようなヒトと鬼の絆ではないよ。

 アンタとその人間の関係はそんな絆じゃなくて」

 

 

 

 

 

 

 ――――歪んだ愛情と言うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 月明かりの元で囁かれた萃香の一言は、暗闇に消えた背中には聞こえていなかった。

 

 

     ◇

 

 

 その後、紅葉はその人間と相打ちになって、互いに命を落としたらしい。

 その人間の想いは彼女には届ききれていなかったが、ある意味ではもう既に届いていた。

 自分を見てくれた、理解しようとしてくれたヒトに、奪い、奪われながら、一緒に死ねるというのは――――ずっと孤独で寂しい思いをしていた彼女にとっては、幸せな最後だったかもしれない。

 結末を聞いて知った私はこの事実を異界に潜った仲間たちに伝えようと思って――――やめた。

 最後まで彼女を理解しなかった同族たちにこの事を伝えたって、彼女は決して喜ばないだろうと思ったからだ。

 誰にも見られず、たった二人きりで逝けたという幸福に彼女は満足しただろうから。

 

 結局、私はあの後、他の鬼たちと同様、異界に潜るという選択肢を――――取ったかと言われれば微妙だった。

 確かに異界には潜った。

 そこは嫌われ者が集う場所で、鬼がその腕力を振るうには最適な場所だったが、そこに彼女の姿はない。

 もし私が、彼女を完全に理解し、彼女と同じ趣向を持って、酒にいつも誘っていたのなら、彼女はまた別の形の幸せを得られたかもしれないと、ふと思いながらその異界で過ごした。

 だけど、その異界にも何故か満足できなかった私は地上を回り、時には異界に帰ったりを繰り返した。

 ――――謂わば、流れ者という奴だ。

 鬼が人間を見限ってゆく中で、最後の最後に闘争を好まなかった筈の彼女が、鬼らしいとも、そうとも言えぬ幸福を手にして死んでいったのだ。

 ソレは、真っ当な鬼としての幸せはなく、紛れもなく彼女自身の幸せだった。

 彼女を完全に理解しきれていなかった私は、その幸福が何なのかを知るために流れ者になったのかもしれない。

 ――――そして、その幸福を、少しだけ理解する事ができた日が来ようとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――あの殺人鬼に、出会うまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回、主役のヒーローヒロインの出番はなし。
萃香の回想が主でした。

Q.紅葉って誰よ?
A.本名は遠野 紅葉。
 月姫読本に、「昔、遠野には紅葉という鬼女がいた」との記述があったので、半オリキャラ化して登場させてみた。
 遠野の直接の祖ではないが、月姫の遠野秋葉の起源は彼女あたりにあるのかもしれないとの事。


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第二十一夜 殺人貴と月兎

この間友達に誘われて初めてカラオケに歌いました。
一曲目に何か歌えと友達に急かされました。
とりあえず『MELTY BLOOD』を歌いました。
92点取れました

これって高いんでしょうか?


「やれやれ、まさか殺し合いの後に上司から傷を負わされるとは思わなかった。ハハハ、曲がりなりにも医療機関じみた所に居座っている筈なのに傷が増えていくって一方ってのもどうかと思うね、まったく」

 

「どう見て全面的に貴方が悪いですよ。というかあの状態でよく咲夜さんのナイフから生き残れましたね」

 

 感情の抜けた能面顔で愚痴る七夜に、鈴仙が呆れ目な表情で答えた。

 七夜の見た目は昨日よりも更に痛々しい状態となっていた。

 そのおかげで体中に巻かれている包帯の数は増え、入院期間が更に延びてしまった。

 普段冷静な咲夜でも沸点を超えてしまったのだろう、阿修羅の如くブチ切れた咲夜からナイフ弾幕による応酬を受けた七夜。

 だが七夜とて伊達に暗殺者などやっていない。

 初撃の咲夜のナイフを掴みとり、そのまま己の武器として使用し、己の致命傷を与えるうるナイフだけを次々と弾いていった。

 だがさすが全て弾くのは無理であったようで、結果この様である。

 狙いが正確であったのが救いだっただろうか。

 なんとか致命傷は避け、カスリ傷や刺し傷を増大させる結果に留まった。

 

「それにしても、まさか月兎がヒトの治療をするってのは今思えば奇妙だな。てっきり餅を付くことしか脳がないかと思っていた」

 

「……」

 

 言われて、七夜の包帯を取り替える手を止めた鈴仙は考えた。

 そう言えば、ココでは月の兎は餅を付くという伝承があるそうではないか。

 あいにくそんな俗事などした覚えなどないが、それをネタにされてか巨大なボタ餅の上に落っこちるという罠に嵌められた事があった。犯人は誰かは言うまでもないが。

 

「ん、何か気に触るような事でもいったか?」

 

「あ、いえ、なんでも……」

 

 ちょっとした苦い経験を思い出して作業を中断していたようだった。

 いけないいけないと内心で呟きながら、七夜の腕の包帯を巻き直した鈴仙。

 反対側の腕も同じように巻き直し、続いて胴体の包帯を取替え用として、既付の包帯を外したその時――――鈴仙の目が、そこへ釘付けになった。

 それは、見るも痛々しい胸の刺し傷だった。

 元々七夜は体中所々が古傷だらけだ。

 化け物共を相手にその生身の人間の体の限界を駆使しながら渡り合ってきた男だ。

 いくら人間を片足踏み越えたような体術を持っていようと、七夜は肉体的には普通の人間なのだ。

 その身で修羅場に投じれば治りきらぬ傷は古傷として残ってしまう。

 伊達に鈴仙も月で兵士をやってきた訳ではない。

 例え常人が視認できないような古傷も嫌という程簡単に視認できてしまう。

 七夜の場合は勿論、今まで見てきたどの人間よりもその古傷の数は多かった。

 しかし、その古傷に言える共通点はその殆どが致命傷に至るものではなく、掠り傷とかそういった類である事。

 鈴仙がこの刺し傷を見るのは一度目ではない。

 初めて七夜がここに運ばれた時もその傷の存在を認めはしたが、あの時は治療に専念していたおかげで気に留める事がなかった。

 だが、今にして見れば痛々しいにも程があった。

 

「あの……この傷どうしたんですか?」

 

 故に、聞かずにはいられない。

 こんな傷、唯の人間が付けられて生きているなど到底有り得ない。

 目の前の男が死者である、という理屈からすれば辻褄も合うかもしれないが、何故かそれで片付けてはいけないような気が鈴仙はした。

 

「さてね」

 

「さてねって……こんな傷――――あ……」

 

 言いかけて鈴仙は思い出した。

 そういえばこの男、記憶喪失であるそうだ。

 なんでもこの幻想郷にくる以前の事を思い出すことが出来ず、紅魔館に拾ってもらったという話ではないか。

 

「すいません。そういえば記憶喪失、でしたよね?」

 

「謝罪される謂れはない。むしろ俺があんたを感謝する立場だと思うがね」

 

「……そうですか」

 

 七夜の返答に一瞬、呆気に取られた鈴仙だったが、すぐにそっけない返事で返した。

 人殺の鬼、殺人鬼、ひとでなし。

 卓越した殺人技術。

 万物の脆い部分を映し出す眼。

 記憶喪失であったにも関わらず、これらの事だけが何故か残っていた事から、目の前の男が如何に卓越した殺人鬼であるかを改めさせられる鈴仙。

 博麗の巫女の腕を落とし、伊吹萃香さえも力を失う程にまで殺しかけた男。

 殺しに関しては未遂であるとはいえ、目の前の男は間違いなく生粋の殺人鬼だ。それはもう疑いようがないだろう。

 

 だが、鈴仙の七夜に対する評価は多少違うモノになっていた。

 

 確かに、この男は生粋の殺人鬼だ。

 記憶を失って尚、体に染み付いて離れなかった殺人技術。

 如何に相手を殺すかを常に考えて戦う冷徹な思考。

 何より一度獲物に定めた相手に対しては何がなんでも殺すという、殺すことに対しての並ならぬ執念。

 

 だがこの男、そういう部分さえ除けば、少なくとも幻想郷の面々と比べればまともな人物なのではないだろうか。

 本人も己の異常性をちゃんと認めているし、少なくとも人の話を聞かない類の者ではない。

 何といえばいいのだろうか――――一言で言えば常識に囚われない常識人とでも言えばいいのか。

 少なくとも『この幻想郷では常識に囚われてはいけないんですね』っと笑顔でたまうどこぞの巫女に比べればずっとマシな類の人物に見える。

 ……そう考えている内に、胴体の部分の包帯を取替え終わっていた。

 

「はい、包帯の取替え終わりましたよ。これからくれぐれもあのような問題は起こさないでくださいね」

 

「ククク、殺人鬼に殺しをするなって、息をするなと言っているのと同義なんだが……」

 

「咲夜さんにまた半殺しにされますよ?」

 

 半目で睨む鈴仙。

 

「それはそれで面白そうだ。メイド長のあの陶磁器のような肌、特にあのそそられるような首筋は是非とも一度犯し尽くしてみたい」

 

「――――ッ!」

 

 聞き流しならない言葉を吐いた七夜に、鈴仙は立ち上がって睨んだ。

 もし数少ない自分の友人に手を出そうものなら、さすがに自分とて黙ってはいない。

 

「そう睨むなよ。少なくとも『役割』を果たすまでそんな事はしないさ。望まれぬ役者でもそれくらいは心得ているよ」

 

「……その役割とは、なんですか?」

 

「さあてね、特にハッキリしている訳じゃないんだが、強いて言うなら俺を呼び出した者を解体するって所かな」

 

 目星はこれといって付いてないがね、と付け加える七夜。

 まるで自分はそれだけの存在だと言っているかのよう。

 一番危険なのはこの男の卓越した殺人技術でもなく、万物の脆い部分を映し出す眼でもなく、その精神性。

 

「……どうして、そう殺すとか、殺し合うとか、そういうのに拘るんですか?」

 

「それだけの存在だからさ」

 

「七夜さんは間違ってます。どうしてそう自分を捨て鉢にするような生き方しか出来ないんですか? そんなの、人間として、生き物として間違ってる」

 

「いや、俺にとっては全てが捨て石さ。だからその場その場の死合を楽しむ」

 

「そんなのおかしいです。自分を蔑ろにするなんて、そんなの……」

 

 鈴仙は、この男の全てが理解できなかった。

 平然と死にたがるこの男の思考。

 平然と殺し合いを楽しむ嗜好。

 元々鈴仙は地球の生き物たちが月へ攻めてくる事を恐怖して地上へ逃げ込んだ月兎だ。

 無論、それは死を恐れての行為であり、自分が生き延びるために選んだ選択肢なのだ。

 故に臆病な鈴仙は生への執着が人一倍強い。

 だからこそこの男が余計に理解できない。

 例え人間が儚い命だとしても、それすらもどうでもいいとするようなこの男の思考が理解できない。

 

「やれやれ、引っ込み思案な可愛らしい兎かと思えば、いやに突っかかるじゃないか。発情期か何かかい?」

 

「ちゃ、茶化さないでください!」

 

 陰のある声音で厭らしい事をいう七夜に、鈴仙は顔を少し赤くしながら怒鳴り返した。

 この男はセクハラという言葉を知らないのか。

 

「ようは真っ当であるか真っ当でないか、それだけの違いだろ。なら俺は真っ当じゃない奴で、あんたは真っ当な奴であるだけの話だよ。

 そんな奴らの間に理解も糞もないだろうに」

 

「……」

 

 至極正論。

 至極簡潔。

 だが、鈴仙にとっては納得できるモノではない。

 医師の弟子として鈴仙は多くの患者を治療してきた。

 中には命の危険に関わる病や傷を持った患者もいたが、鈴仙は彼らを積極的に生かそうとした。

 だって、生きたという気持ちが伝わってしまうから。

 寿命も真っ当せずして死ぬなんて無念すぎるだろうから。

 理不尽な死に方なんてしたくないだろうから。

 用は鈴仙は、自分が手がけてた患者の一人である七夜に自分を蔑ろにしてもらいたくないのだ。

 

「おかしいです、あの鬼も、七夜さんも。ただ強さや殺し合いで優劣を付けようとするなんて、絶対におかしいです! せっかく師匠が、七夜さんを助けてくれたのに、また同じことを繰り返すようじゃ――――」

 

「一つ言っておく。優劣で殺し合いの結果が決まるくらいなら、俺は今頃ここにはいないよ」

 

 鈴仙の言った言葉を遮るように、七夜は冷たい声で言い放った。

 今まで飄々としていた口調とは違う、ただそれだけを淡々と述べるかのような。

 

「七夜、さん?」

 

「それに――――」

 

 七夜は鈴仙から視線を外し、天井を向く。

 その何もかもがどうでもいいと言ったかのような表情は、見るものによっては解脱しているようにも見えた。

 

「例えば、さ。俺の手は殺すだけもので、お前の手は人を治すためにある。この場合、優劣はどちらにあると思う?」

 

「……」

 

 その言葉に、鈴仙はどう答えればいいのか分からなかった。

 『殺す』という一点においては確かに七夜の方が遥かに優れている。

 だが人を『治す』という点にはおいて七夜はその心得すらないのだ。

 一方、鈴仙は『治す』一点において並以上の技術があり、更には死にたくないという人間の気持ちに理解がある。

 

「優劣を競うのなら、俺は最初からあんたに負けているさ。あんただけでなく、あの巫女にも、鬼にも、メイド長にもな」

 

 それはまるで、殺す事を楽しんでいるというよりは、他の生き方を諦めているかのようにも、鈴仙には見えた。

 人でなしの殻の中にある何かが、鈴仙は一瞬見えた気がした。

 結局、この会話は咲夜が部屋に入ってきた事で中断する形となった。

 

     ◇

 

■ ■ ■

 

 鬼は蜘蛛に食われた。

 なんていう話を誰が信じようか。

 事実そんな事は有り得ない。

 まず体格差からしてそんな事は有り得ないだろう。

 その気にならなくともナニカの拍子で鬼は蜘蛛を踏み潰してしまうこともあるし、たとえ蜘蛛の牙が鬼の皮膚に届いたところで何の意味も為さない。

 そもそもお互いの存在が違いすぎるあまり、相手にしない。

 蜘蛛が捕食できるのはあくまで同格の生き物だけで、鬼が相手をするのは自分の同等の力を持つ者だけだ。

 そんな鬼と蜘蛛が殺し合い、食い合い、果てにソレに勝ち残ったのが蜘蛛の方だと言われて誰が信じるだろうか。

 

 だが、考えてみればたった一つの『事』が加わる事でソレが覆ってしまう事は多々ある事だ。

 例えば、厚さ0.1mmの紙に鉄のような硬度が加わればそれこそ名刀さながらの切れ味になったりだとか、鋼のような硬い物質がそのままガラスのような透明さを持てば最強の防弾ガラスになったりだとか、豹に馬並みの持久力が加われば誰にも止められない最速の獣になったりだとか、そんな感じにだ。

 

 今回にもそれが言えたこと。

 ただ、踏みつぶせばそれで済む筈のちっちゃい蜘蛛に、獣のスピードと、何でも殺せる毒が加わっただけの事。

 

 たったそれだけの事が、鬼と蜘蛛の食い合いの結果を覆してしまった。

 

 たったそれだけの事だったのだ。

 

■ ■ ■

 

「ハハ、お笑い物だねこれは」

 

 眼を覚ました萃香はゆっくりと呟いた。

 自分が何をされたかを忘れている訳ではない。

 ただ、思ったとおりの事を口にしただけ。

 嗚呼、食われ損なったな。

 ため息を吐き、萃香は愚痴った。

 果たして、今の自分は鬼と呼べる状態か。

 少なくとも、かつて妖怪の山の頂点に立った鬼の四天王を名乗る事はもう出来まい、許されまい。

 鬼の社会とは力が全てだ。

 今このような状態でかつて天狗共を支配したお山の大将などと名乗る事などおこがましい。

 ――――ああ、恨めしいな。

 あの八意の医師によると自分の力はもう戻らないそうだ。

 何故なら、自分は倒されたのではなく、『殺』されたのだから。

 殺されたモノが今更戻ってくるわけがない。

 萃香はあの殺人鬼が憎かった。どうしようもなく憎かった。

 別に殺し合いに負けた事を恨んでいる訳ではない、それは自分の慢心、そしてあの人間にそれが出来る実力があったからだ。

 ならば霊夢を傷つけられたことか、それも勿論あろう。

 だが、元々その怒りを理由に正面から殺し合いを仕掛けて、自分は負けたのだから、文句は言えない。

 ならば、なぜあんなにもさの殺人鬼が憎いのだろう。

 憎むのなら、あの殺人鬼にではなく、肝心な所で邪魔をしてくれたあのチビ烏天狗の方ではないか。

 正直、あの天狗も憎い。

 だけどその憎々しさも結局はあの殺人鬼に対するモノには及ばない。

 ならば、何の理由で自分はあの殺人鬼を憎んでいるのだ。

 ――――ふと、萃香は顔を俯け自分の体を見渡した。

 普通に動く分にはまったく問題ない。

 ただ、腕力、妖力、その他全ての能力が大幅に低下している。

 『疎と密を操る程度の能力』は短時間しか使用できない程に弱まっている。

 詰まる所、今の自分は並の鬼以下か並の妖怪以上の力しかない。

 鬼の誇りたる二本の禍々しい角をとうに縮小し、近くで見ないと分からない程になってしまった。

 ……それでも、あの殺人鬼を恨む理由には足りえない。

 常人ならば恨んでも憎んでも足りないくらいモノであるが、鬼である萃香は仕方ないとソレを受け入れる。

 なのに、あの殺人鬼がどうしようもなく憎いのは何故だ?

 分からない。

 分からない分からない

 分からない解らない判らないワカラナイわからない……!

 

「ああ、もう……!」

 

 混乱する頭を抑えて、萃香は叫んだ。

 分からないなんてことはないだろう、ああそうだ、本当は分かっているんだ。ただ、少し飲み込めないだけでさ、まったく、鬼らしくないったらありゃしない。

 ……鬼ってのは、基本的に嫌われ、恐れられる存在だ。

 それでいい。

 鬼とは恐れられてナンボだし、その恐れこそが人を立ち上がらせ、自分達に立ち向かってくるのだ。

 それは鬼としてはこれ以上にないくらいの誇りなんだ。

 だけど、あの殺人鬼は違った。

 ――――『あんたとの時間は、たとえ二分間の刹那でも、今までの人生じゃ到底及ばない――――“最高の時間”だったよ』

 恐れられたのではなく、自分との時間が楽しかったと、あまつさえソレを人間に言われた。

 昔に見限った筈の人間に、自分を負かした人間に、そう言われたのだ。

 それはある意味鬼の誇りを傷付ける発言であったかもしれない。

 恐れられなくなった鬼はもう鬼じゃない。

 鬼と一緒にいて幸せだとか最高だとかいう人間はいない。

 鬼という恐怖と戦ってそれを乗り越え、打ち負かす姿こそが、鬼が人間に魅入られた理由だ。

 ただ楽しいだとかそんな理由で鬼と殺し合うなどよほどの狂人しかいない。

 だけど、それでも――――

 

「ああ、ようやく、ようやく分かったよ紅葉、あんたの気持ちが――――」

 

 細く笑い、肉薄する。

 かつて同族から理解されない幸せを手にして死んでいったかつての盟友を萃香は思い出す。

 自らを恐れる人間と争うのではなく、自らを愛してくれる人間と殺し合う幸せ。

 他の鬼が決して手にする事ができなかった形の、歪んだ恋心を成就して死んでいった檻髪の鬼。

 何故ここで彼女の事が思い出されるのかと考えれば、そういう事だった。

 ――――ああ、憎たらしいくらいに、あの殺人鬼が……。

 だけど、それはもう叶わぬ願いだった。

 もう自分に、先のような力は残されていない。

 次、彼と殺し合ったら、まずい血と吐き捨てられバッサリと斬られてしまうに違いないから。

 力が戻らない自分はもう……あの殺人鬼と同じ土俵にすら立てないから。

 

「ああ、あんたが、あんたが羨ましいよぉ、紅葉」

 

 今は亡きかつての同胞の幻影に向かって萃香は呟く。

 最後に想い人と一緒に尽きるまで殺し合って冥土へ旅立った彼女が、心底羨ましかった。

 私も、自分を見てもらいたい相手が見つかったんだ。

 蒼い、綺麗な眼をした男だったさ。

 そいつは今までの人間にはない戦い方をしてさ、とにかくひたすら私を殺しにかかってきたんだ。

 強かったよ。

 人間のくせに、いや、あれはまさしく人間という『鬼』なんだろうね。

 いや、殺人鬼だから結局は鬼に変わり無いか。

 だけどさ、だけどさ……こんな状態の自分はもう、彼に獲物としてすら認識されないだろうから……。

 

「嗚呼……畜生ぉ……」

 

 嗚呼、鬼は蜘蛛に食われた。

 いや、食われ損なった。

 

 こんな思いをするくらいなら、いっそ最後まで食ってくれれば良かったのに……。

 

 

     ◇

 

 

 十六夜咲夜は今、無性に腹が立っていた。

 もちろん、その怒りを表に出さないよう努力しているものの、隠すには程遠い程にその悪鬼のような空気は漏れていた。

 表情はには出さずとも、七夜をして阿修羅と言わしめたその怒気は周囲に霧散していた。

 

 少しでも自らの怒りをはぐらかさんととするために永遠亭の台所にて、輝夜、鈴仙、てゐ、永琳、萃香、霊夢の六人分の食事を作っていた。

 はて、七夜の分はと言えば――――知らない。

 そんな奴知らない。

 あんなひねくれ者の事なんて知らない。

 あんな狂犬の事なんて知らない。

 あんな殺し合いジャンキーの事なんか知らない。

 あんなダメ殺人貴の事なんて知らない。

 そう、あんなダメ殺人貴の事なぞ知るか。

 コチラの都合で彼を紅魔館の執事として引き入れたとはいえ、初仕事早々に従者としての矜持を捨て去り、博麗の巫女と殺し合う。

 結果、自分の制止すらも振り切って興じあい、死んでもおかしくない程の重傷を負った。

 それだけでも自分は心臓が凍るような思いをさせられた。

 そしてもう自分の心配をさせないと約束した矢先、鬼の勝負事の誘いにノリ、結果霊夢と殺し合ったときの傷が開いてしまい、更に三日の養生が必要になった。

 これが何を意味するのか想像も容易い。

 七夜が意識を失ってから眼を覚ますまで一周間。萃香が七夜に勝負を挑むまで二日間。そして七夜の養生で三日間。

 一周間と五日間――――つまり約二週間の間、自分達は紅魔館を留守にしているのだ。

 つまり、自分は紅魔館へ帰ったら、その約二週間分の穴を埋めなければならないのだ。

 そこらの妖精メイドが役に立つはずもなく、精々副メイド長とその他の賢い類の者たちだけ。

 かろうじて男手一つが増えたところで、その男手は未だ従者としての才が未知数な殺人貴だ。

 ……前途多難だ。

 たとえその問題が片付いたとしても、自分はこれからこの幻想郷で起こっている異変と、そしてあのひねくれ者と一緒にやっていかなくてはならないとでも言うのか。

 ……そう思うと頭痛がする。

 ……心臓なんていくつあっても足りたモノじゃない。

 内から湧き上がる苛立ちに心臓と脳みそが破裂しそうだった。

 

「バカ」

 

 思わず鍋の取手から手を離し、呟く。

 

「……バカ、バカッ!」

 

 次第にその声は大きくなり始め。

 

「バカ、もうすごいバカ、ありえないくらいバカ、信じられないくらいバカ、許せないくらいバカ――――宇宙一の、バカッッ……!!」

 

 叫んだ。

 目の前に立ちはだかる紅い和服の青年の幻影に精一杯罵倒した。

 ……余所者の家の家具に当たらないのはさすがと言ったところか。

 今なら平行世界にて同じ人物に苦労する白猫の使い魔とも意気投合ができよう。

 今の彼女の苦労を理解する者がいるのならその白猫の使い魔以外にいまい。

 ……まあ、そんな奇跡も第二魔法の使い手が現れない限りは実現しないだろうが。

 

「はぁ……」

 

 言って、咲夜はため息を付いた。

 こんな事で憤慨するとは自分も未熟、か。

 ナニも憤慨するべき対象は彼だけではないだろうに。

 そもそも引き金を引いたのは霊夢だ。

 いや、正確には『七夜』という引き金を霊夢が引いてしまったのが正しいというべきか。

 そのせいで事情を知らなかった萃香が七夜に殺し合いを挑み、両者とも重傷を負ってしまった。

 結局の所、最も被害者たりうる筈の人物が、最もの加害者になってしまったという結果であっただけで、逆の結果であれば七夜は一方的な被害者になっていた。

 加害者という名の被害者になるか、それとも一方的な被害者になるか。

 七夜に狭められていた選択肢はその二択であったのだ。

 だが、それでも自ら嬉々としてその状況を楽しむ狂人は、狭められる前に自らその煉獄に身を投じた。

 その“加害者という名の被害者”となれる可能性すらゼロに近い程の力差があったにも関わらず、彼はただその殺すためだけに鍛え上げた体術と、死神にも等しい魔眼――――つまりは何の魔術も法力も使わず己の特異性のみでそれを成し遂げたのだ。

 ……それが、とてつもなく悲しかったのだ。

 『殺す』というただその一点において特化した七夜の特異性。

 彼は七夜一族だ。

 兼ねてから混血の暗殺を生業としてきた一族の生まれであるし、殺しに特化した術を身に付けたっておかしくはない。

 それだけならまだよかった。

 問題なのは、本人がソレを受け入れてしまっている事だ。

 『殺す』事しかできないから何だというのだ。

 それしか出来る事がないのだったら、他に出来る事を作ればいいだけの話じゃないのよ。

 腹が立つ。

 最初は七夜が本当にあの七夜志貴であるかを確認するために七夜を紅魔館の執事にしようと決めた咲夜であったが、今ではその動機が別のモノになりつつあった。

 純粋に『殺す』事しか考えないあの殺人貴に、さも自分は『殺す』事しか出来ないように振舞うあの殺人鬼に腹が立ったのだ。

 紅魔館の従者の仕事は多種多様だ。

 それこそ殺し以外の仕事なんてたくさんあるし、殺し以外の技能だって身に付いてくるだろう。

 あわよくば、彼が殺人鬼から足を洗う事だって……

 

「そんな、都合がいい事はないか……」

 

 そうだ、そんな事であの殺人貴が殺しをやめる道理はないだろう。

 一応、まだギリギリのラインで彼は殺しをしていないが、実際はかなりまずい。

 というのも、殺しかけた相手が問題なのだ。

 博麗霊夢、伊吹萃香。

 伊吹萃香が殺されれば地底の者たち(特に鬼)は黙っていないだろうし、博麗霊夢が殺されれば七夜は幻想郷に敵対するにも等しい状態になる。

 そんな絶望という言葉すら生ぬるい状況の中でも、彼は楽しんで逝くに違いなかったから。

 そんな事が容易に想像できてしまう自分にもまた腹が立った。

 昔、志貴から聞いた事があった。

 七夜一族の人間は元々退魔衝動という魔に対しての殺害衝動を持ち、それによって化け物を前にして萎縮する事を克服した一族であると。

 だけど、七夜は見るとソレは本当に、魔に対してだけであろうか?

 七夜は萃香だけでなく、人間である霊夢に対しても尋常ならぬ殺害執念を見せた。

 もし七夜が歴代の七夜一族の者達よりも遥かに強い退魔衝動を持っていたとするならば。

 そもそも七夜一族がソレを会得するに至ったのは、近親相姦を繰り返す事によってヒトとしての純度を高めた所にある。

 それはつまり、ヒトとしての純度が自分より比較的低い普通の人間に対しても、もしくは何かしらの特殊な能力を持った人間にも反応してしまうのだろうか?

 いや、そうなると彼が自分に殺しにかからなかった理由が付かないだろう。

 ……そこまで考えて、咲夜は己の無能さを嘆いた。

 

「なんて、無知」

 

 ――――結局私は、志貴の事も、七夜の事も、そして私自身の事も何一つ分かっていない。

 火を止め、咲夜は鍋の蓋を開けずにしばらく俯いた。

 

「お嬢様、私は――――どうすればいいのでしょうか?」

 

 今この場にいない自分の主に向かって咲夜は呟いた。

 

「ねえ――――」

 

「私は、どうすればいいの――――志貴」

 

 ポケットの中にある七ッ夜を手に取りながら、哀しげな表情で咲夜は呟いた。

 

 

     ◇

 

 

 博麗霊夢の人生というモノは、それはもう常人と比べれば虚ろと呼べるものだっただろう。

 先々代の巫女であった実の母をまだ物心が付かぬ間もなく亡くし、彼女と霊夢の間を補う形で次代に選ばれた巫女が、後の霊夢の義母だった。

 ここで詳しく語るべくもないが、唯一霊夢に親身に接し、愛情を注いだ霊夢の義母さえも“ある異変”をきっかけに亡命してしまった。

 唯一、『空を飛ぶ程度の能力』を持つ虚ろな心の少女に語りかけてきた義母すら失った霊夢は、本当の意味で空を飛ぶようになった。

 唯我独尊――――彼女を形容するのならまさしくこの言葉が当てはまる。

 人間妖怪問わず惹きつけ、あの『境界を操る程度の能力』を持つ八雲紫ですら成し得なかった種族間の境界を取り払い、かつてない程まで人間と妖怪の距離を惹きつけた人物だ。

 もちろん、その和の中心には必ずと言っていいほどに彼女がいた。

 ……だけど、その中心にいたとしても、彼女自身がその和に入ることは決してない。

 いや、もしくは浮いていたが故に中心にいる事が出来たのかもしれない。

 故に、彼女は他人を腐れ縁や友人と認識する事はあっても、『仲間』とみなす事は絶対にない。

 『空を飛ぶ程度の能力』とは能力そのものを指している訳ではなく、まさしく彼女自身の人間性を指していると言っても過言ではない。

 彼女の起源は『■■』。

 まさしく博麗の巫女にふさわしい資質そのものを持って生まれてきたのだ。

 何物にも囚われない、何事にも拘らない、何者にも頼らない。

 周りに誰が寄ってこようとも、回りとの距離がどれだけ短ろうとも、彼女は常に一人だった。

 彼女はそれで幸せだったのだ。

 ……ただ一つ、母親の喪失という虚無を除けばの話だが……。

 

 母を失った“あの異変”の時も、死者が次々と現れた。

 

 母を失った異変だ、霊夢の脳裏には嫌でも焼き付いている。

 だから、今回の異変、霊夢は自分から積極的に動いた。

 それは異変解決に向かう巫女というよりは、ある焦燥に囚われたどこにでもいる少女だったのだ。

 思えばこの時から、博麗の巫女としての彼女は崩れたのだ。

 唯一、彼女を振り向かせる事ができるのは母が関連するモノのみだ。

 故に、あの時と同じ光景がチラついた霊夢はその焦燥に従うままに動いた。

 気付いたら、霊夢は博麗の巫女ではなく、『霊夢』というただ一人の少女に戻っていたのだ。

 そして、あの殺人鬼と出会った。

 その殺人鬼は今までの的とはワケが違った。

 『力』は間違いなく霊夢が戦ってきた相手の中でも最弱だろう。

 だが、その最弱こそが霊夢にとってのジョーカーだったのだ。

 そして彼は、『浮いた』自分に切りつけた。

 今まで誰もが彼女に触れられなかったその能力、いや彼女自身を象徴するその能力を見事に破ってくれた。

 今まで彼女を形作っていたモノの象徴であったモノが破られたとき、霊夢はもう、命乞いをする、普通の少女に戻っていた。

 あの日、母の膝に寄りすがり、眼を瞑っていた少女に戻りきってしまったのだ。

 

 憎んだ。

 猛烈にあの殺人鬼を憎んだ。

 アイツさえいなければ、自分は壊れなかったのだと。

 アイツさえいなかれば、自分は博麗の巫女として幸せであったのだと。

 その殺人鬼に対する憎悪とそれ以上の恐怖を抱きながら霊夢は永遠亭の畳の上で過ごした。

 考える事は何もない。

 ただ、とある単語が耳に入るたびに思考は現実へ戻らされた。

 蒼い眼、ナイフ、蜘蛛、殺人鬼。

 

 ある日、あの殺人鬼が眼を覚ましたとか。

 

 ある日、殺人鬼が萃香を殺す直前まで追い込んだとか。

 

 ある日、あの殺人鬼がまた倒れたとか。

 

 ある日、あの殺人鬼のせいでメイド長が阿修羅の如く憤慨したとか(ちなみにあの叫びは霊夢の耳にもしっかりと届いていた。普段の彼女からは想像も付かない憤慨っぷりだと思った)

 

 とにかく、あの殺人鬼の事を耳にするたびに霊夢の中にあるナニカが鼓動するのが分かった。

 

 

 

 

 

 

 そして気がついたら彼女は、あの殺人鬼の事しか考えられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 




我ながら久しぶりに書く文章は色々と酷いですね。
何か咲夜が七夜一族に詳しすぎるような気がしなくもない。


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第二十二夜 新聞記者の決意と深まる疑問

とりあえず簡単なキャラ紹介?

七夜
主人公。
レミリアが新たに雇った執事。幻想入りする前の記憶がないが、七夜の暗殺術と眼は覚えていた。メルブラの七夜ではないが、メルブラの七夜をリスペクトする形で性格はメルブラ準拠となっている。
思考が七夜寄りの遠野志貴本人?

十六夜咲夜
もう一人の主人公。
幼い頃、能力のせいで虐待されていたが、七夜志貴との出会いが彼女を変えた。
これ以上はネタバレになるので無言級。


「……ごはん出来たわよ、鈴仙」

 

 昨日よりも多くの数の包帯が巻かれている七夜を一瞬だけ見て、視線を逸らした咲夜はすぐそばにいた鈴仙にそう告げた。

 

「あ、有難うございます、咲夜さん」

 

 咄嗟に会話が中断されて思考がまだ切り替われないのだろうか、

 気まずいような、不貞腐れたような複雑な表情だなっと、こちらを見てきた咲夜の表情を見た七夜は思った。

 ふむ、真っ先に見切られるような眼をされると思ったのだが、そこまでは行かないようだった。

 ――――まったく、お人好しにも程がある。

 あれは呆れに留まっている。

 自分を見切ろうとはまったく考えない眼であった。

 ……と、こちらも呆れの視線で一瞬見返したら感づかれて睨まれた。さすがメイド長。

 

「……言いたいことがあるのなら言いなさい」

 

 それは、感情の篭ってない声だった。

 いや、その感情のこもっていない声こそが今の彼女の心情を表している。

 どうやら、しばらくマトモに口を聞いてもらえそうにないらしい。

 今まで完璧にこなしてきた分、こうも思い通りにいかなくなると調子が狂ってしまうのだろうか。

 初めて見たクールビューティーな印象が薄れ、今では見るだけで彼女の心情を察することができてしまう。

 ……まあ、原因はいまこの場にいる自分に他ならない訳だが。

 

「いえいえ。メイド長のその誘蛾灯のような美しいお姿に目を奪われただけで御座います」

 

 爽やかな、それでいて何処か陰のある声でそんな戯言を七夜は口にしてみた。

 ちなみに誘蛾灯とは走行性の虫を灯り火で誘い出して駆逐する装置の事を指し、この場合は誘蛾灯にように男を誘い、その美しさのあまりにその男らを視死させるという七夜なりの世辞だったりする。

 鈴仙は内心でよくそんな恥ずかしい事を言えるなと感心しながら咲夜の様子を伺った。

 

「――――」

 

 もっとも、そのいかにも芝居じみたような口調でソレを言われても逆効果だったのだろうか。

 表には出さないが、咲夜は僅かに眉を潜めた。

 芝居じみた口調もそうだが、それが様になっていたのが余計油に火を注いだのだろう。

 

「ナイフが何本必要か言いなさい。大丈夫、二千本くらいは軽いモノよ」

 

「さ、咲夜さん!?」

 

 反省の色がまったく見えない七夜。

 自らの過ちを認めてないのではなく、過ちとかそんなモノなどどうでもいいといったような態度は余計質が悪い。

 

「そのナイフもメイド長のイメージに似合って大変美しいのですが、私めとしてはその誘蛾灯に当たられて果てるの性分でして、どうか一つ、私と一緒にダンスでも踊っていただけませんか?」

 

「そんな毒々しい輝きを放った覚えはないわ。あるのはナイフの煌きが奏でるオンパレードだけよ」

 

 両者の眼が澄んでゆく。

 咲夜は紅く、七夜は蒼く、対照的にその色を覗かせる。

 両者の状態を見ればどちらが有利であるかは明白である筈なのに、ソレを思わせないナニカがその男にはあった。

 いや、そもそも七夜からしてみれば咲夜の相手など相性最悪もいい所だろう。

 

「ああ……」

 

 無音の剣戟を前にして、少し怯えてしまう鈴仙。

 蒼紅の視線がぶつかり合い、それが不可視の剣戟を作っていたのだ。

 

「一つ言っておくわ。あまり自分を抑えられないような輩は、紅魔館では生きていけないわよ?」

 

「“幻想郷では”の間違いじゃないのかい?」

 

「……そこまで分かっているのなら、これ以上、血沙汰を起こすのは……やめて」

 

 自分を抑えていたら逆に死を早めかねない状況の方が多かった気もするがね、と内心で突っ込みたくなった七夜であるが、咲夜の眼を見てやめた。

 最近分かったことなのだが、このメイド長、自分に対する執着心が半端なモノではない。

 言動からして以前の自分を知っているようだが、はてさて、今の自分には関係のない事だ。

 

 今の自分は“アイツ”のようなキレイナソンザイデハ――――

 

「――――」

 

「言いたいことはそれだけよ……七夜?」

 

「な、七夜さん?」

 

 咄嗟に、鈴仙と咲夜は七夜の様子がおかしいことに気付いた。

 咲夜は単純に勘づいただけだが、鈴仙は七夜の波長が一瞬乱れた事で七夜の異変に確信を持てた。

 

「……ん、ああ、何だ?」

 

 一瞬の間の内に正気に戻ったのか、七夜はいつものような微笑を浮かべた能面顔で2人に向けた。

 七夜の波長がいつものに戻った事を確認した鈴仙は、何が起きたんだろう、と疑問を持った顔で。

 咲夜は少し違和感を感じたような表情で。

 七夜自身も今自分に起こった違和感に疑問を抱いたのだが、今はこの場をなんとか取り繕うと努める事にした。

 

「何だ、じゃないでしょ。ちゃんと聞いてた?」

 

「ああ」

 

「……なら、いいわ」

 

 納得した、とうよりはとりあえずは引き下がろうというような表情で咲夜は七夜から視線を逸らした。

 一回や二回の説得でこの殺人貴が変わるワケもなし。

 時と時間をかけてこの男を更生させるしか方法はない。

 もっとも、生粋の殺人鬼に更生も糞もあるのかという話なのだが……。

 ――――本当にナイフが何本あればこの男は考えを改めてくれるのだろうか

 割と本気でそんな事を考えた咲夜だったが、それをしたところでこの男は狂喜乱舞して躍りかかるに違いなかったのでやめた。

 この殺し合いジャンキーに、そんな事は無意味なのだ。

 それに、これ以上彼の傷を増やすと入院期間がまた伸びて、永遠亭の住民たちにこれ以上の迷惑をかける事になる。

 それは避けなくてはならない。

 

「ハァー……」

 

 そこまで考えて、咲夜は怒りを通り越してため息を吐いた。

 もうどうにでもなれ、という思いまで渦巻くようになった。

 

「さ、咲夜さん……」

 

「大丈夫よ、鈴仙……」

 

 多分その内慣れ……るのかしら?

 出来ることなら慣れたくない。

 それこそどこぞの白猫と同じ道を辿ってしまうだろう。

 本当に、このバカは始末に困る。

 ここまで自分を不安にさせたのだから、せめて執事としては優秀な素質を発揮してもらいたいと切に願う咲夜だった。

 

「そ、それじゃあ咲夜さん、今師匠たちを食卓へ呼んできますね」

 

「……霊夢も、呼べるかしら?」

 

「え?」

 

 咲夜の突然の要求に、鈴仙は固まってしまった。

 それもそうだ。

 まず前提として鈴仙は霊夢の事が苦手である。

 人付き合いが苦手の鈴仙と、人付き合いなどどうでもいいといったような性格の霊夢は一見反りが合わなくもないように見えるが、どうやらそんな見解は彼女には通じないようだ。

 それに加え、ただでさえ今の彼女は“あのような状態”だ。

 今まで誰の口も聞いていなかったのに、今更自分ごときの存在に耳を傾けてくれるかすら分からない。

 

「さ、咲夜さん、それは……」

 

「分かっているわ。こればかりは気まずいって事くらい。だけど、あのまま部屋に篭っているようじゃ、この問題は何の解決にもなりはしない。ただでさえ今ややこしい異変が起ころうとしているという時に、こんな気まずい問題を後回しにしておくのは良くないわ」

 

「……」

 

 咲夜の言っている事は正論だった。

 確かに、あの調子ではあの巫女はこれからの異変解決にもまともに動いてくれそうにない。

 せめて彼女が立ち直るだけのナニカをしなくてはならないのだ。

 これは弾幕ごっこだとかそんな力技で解決できるようなモノではなく、霊夢がちゃんと納得できるように話し合いの場を儲けなくてはならない。

 もっとも、向こうが話し合いに乗ってくれるかすらも怪しい訳だが。

 

「うぅ~ん……」

 

 それでも、鈴仙は渋ってしまった。

 唯の友人の頼みだ。

 断る訳には行かない。

 だからと言ってその頼みを承諾しようという決心も中々付かない鈴仙であった。

 

「フフフ……冗談よ♪ 元々、このダメ殺人貴とあの横暴巫女の問題だし、私が呼ぶわ」

 

「やれやれ。其方が正論であるとはいえ、その言い草はレディとしてあるまじき、じゃないのかい?」

 

「貴方は黙ってなさい」

 

「はいはい」

 

「“はい”は一回でいいのよ」

 

 懐から見れば、ただの真面目な上司と駄目な部下のコンビに見えなくもない。

 いや、実際そうなのだが、はっきりいってそんな言葉で済ませていいようなモノではなかった。

 

 鈴仙は思う――――思えばこの2人、何もかもが正反対ではなかろうか。

 

 銀髪と、黒髪。

 青いメイド服と、紅い和服(素材的に厳密には違う)。

 戦闘時に眼が紅くなる女と、戦闘時に眼が蒼くなる男。

 真面目なメイド長と、不真面目な執事。

 唯一、共通点なのは武器が2人ともナイフである所と、精々名前に「夜」の名前や月の名前がある事くらいだ。

 そしてその共通する得物であるナイフも、咲夜は投げナイフで相手を串刺しにする事が主体であるのに対し、七夜は卓越したナイフ捌きを持って相手を解体していくのが主体である。

 ここまで正反対だといっそどこかで縁があったのしか思えない程のナニカがあった。

 

(大丈夫かなぁ、この2人……)

 

 大丈夫じゃない、問題だ。

 

 

     ◇

 

 

 よち、よちという擬音を響かせながら廊下を歩く妖女が一人。

 青みがかった黒のロングヘアー、背中に生えたカラスのような翼、頭にかぶられた青色の天狗帽子。

 雨翼 桜。

 新聞記者見習いの烏天狗であった。

 新聞記者らしく彼女は今日も肝の据わった度胸で廊下を……千鳥足で歩いていた。

 それも当然だ。

 新聞記者ではなく、新聞記者のたまごでしかない彼女に肝が据わっている道理などある筈もなかった。

 本来、彼女は今回の件にはまったくと言っていいほど関わりがないのだが、ここまで来ればもはや無関係とは言い切れない。

 ……左腕を失った博麗の巫女。

 ……力を失った四天王の鬼。

 ……それらの張本人である殺人鬼。

 とにかく、本来幻想郷に知れ渡っては一大事になる程のこの事件の全貌を知ってしまった桜は、もはや無関係では済まされなかった。

 何故博麗の巫女が七夜を襲ったのかについては依然誰も知らぬままだが、何故こうなってしまったかという経緯は桜は全て知ってしまった。

 そして、七夜の“眼”の事も……。

 

「……」

 

 状況も状況であったのであろうか、七夜はあの件を自分との“密着取材”という形で果たそうと本気で思っていたらしい。

 いや、“密着取材”というのもあながち間違っていなかったが――――

 

(とりあえず、すぐ生死の方向へ頭が働く七夜さんの思考が特殊なだけですよね、そうですよね? あんなのが密着取材である訳がない、うん。

 ――――というか……)

 

 桜は立ち止まる。

 元よりこの屋敷の広さの割に人数が少ないこの永遠亭において、彼女の立ち往生を目にする者は一人もいない。

 そして、これから彼女が嘆く声も彼女の内心で盛大に吐かれる物なので、屋敷中に響く事もない。

 すぅー、と心の中の擬音が響く。

 

(なんで私こんな重い空気が充満するような場所にいるんですかっ!!? いや、それはまあ、関わってしまったのが運の尽きと言われればそれまでですけれど、こんな雰囲気明らかに私場違いじゃないですかっ!! というか帰りたい! 盛大に帰りたい! 妖怪の山に帰って一周間くらい心臓を休めたいのに何で、私こんな所まで関わっているんですか!!? 文先輩だってこんな殺伐とした雰囲気は好きじゃないって言っていたのに~~~~……!!)

 

 桜は振り返る。

 どうしてこうなった。

 何が間違ってこうなってしまった。

 自分が運悪く七夜と萃香の殺し合いの現場に居合わせてしまってからか?

 いや、そもそも自分が咲夜と鈴仙の2人と付いていってしまってからか?

 いや、それ以前に自分が彼を取材する事に余計なまでの気合を入れてしまってからか?

 いや、そんな事ではなく、自分があの時執事に容易に近づいていってしまったのが原因か?

 否――――あの時、自分が噂のメイド長と共にいたあの執事を発見してしまった時からか……。

 ――――あれ、これって……。

 桜は一瞬間を置いた後に。

 

(全部七夜さんの所為じゃないですかーーーーーーッッッッッ!!!!!)

 

 桜は目の前で悪趣味げに笑う殺人鬼の幻影を見て、盛大に心の中で嘆いた。

 いや、分かっている。

 確かに自分がこうなってしまったきっかけはあの時だったかもしれない。

 だけど、彼だって元はといえば被害者だ。

 彼は自分に降りかかった火の粉を振り払って、そしてその振り払った人物が人物であったがためだけに周りから警戒の視線を受けているに過ぎないのだ。

 いや、もちろん警戒すべきだ。

 これが自分の命惜しさにやった行為であるのならばまだ周りも納得してくれるのだろうが、本人がソレを嬉々としてやってしまった事が問題だ。

 ――――あまつさえ、自分も彼に殺されかけたのだから。

 今は辛うじて被害者という形で見られているが、あれは間違いなく生粋の殺人鬼である。

 そんな人物に自分は自ら近づきになったのだから、こればかりは自分にしか文句が言えない。

 ――――だけど、――――だけど。

 

「うぅ……どうしてこんな事に……」

 

 実は桜はここまで後悔するような気持ちになったのには訳がある。

 数時間前の事。

 昨日の疲れもあってよく眠れたせいなのか、朝一に起きた桜はそれより先に起きていたこの永遠亭の主、八意永琳――――実際の主は彼のかぐや姫、蓬莱山 輝夜というお姫様ななのだが、明らかに永琳の方が人当たりもよくしっかりしている為、里の人間たちは完全に永琳を永遠亭の主として認識している――――に呼ばれたのだ。

 

“雨翼 桜、でよかったかしら? ちょっと申し訳ないのだけれど後で私の部屋に来てくれないかしら。ちょっとばかり重要な話よ”

 

 この時、桜は思った。

 いや、確信してしまった。

 まずそれだけの事で確信できた理由としては、あの月医師の顔が真剣であったという事だ。

 無論、常人から見れば平常時と変わらないように見えるが、桜とて烏天狗。

 こう見えても普通の人間よりは長く生きている。

 故に分かってしまったのだ。

 だから確信した。

 

 ――――あ、これ絶対、奥まで首を突っ込んでしまうパターンですよね。

 

 冗談、では済まされないだろう。

 確かに、自分は結果的にはあの伊吹萃香が七夜に殺される所を阻止した。

 しかもそこにはただ結果的にという事ではなく、確かに自分の意思も込めてソレを阻止した。

 その理由は伊吹萃香が殺されてしまうからではなく、自分が慕った人間が殺してしまうかもしれないという危機感からだったのだが。

 だけど、果たして自分がここまで関わる必要はあるのだろうか?

 自分のような一介の烏天狗如きが、ここまで……。

 

「あはは……はたて先輩なら、喜んでこの空間に突っ込むだろうな……」

 

 ――――文先輩はこの手の事を記事にするのはあまり好まないし。

 もう桜のもう一人の先輩であるはたては殺伐な出来事を記事にする事を好む。

 無論、そればかりではないが、とにかく刺激的な記事が書ければなんでもいいという思考の持ち主である。

 彼女の言う文先輩の方も根本は同じなのだが、こういった殺伐とした雰囲気の中で取材するのはあまり好まない主義だ。

 だけど、そんな文先輩も他にいいネタがなければ、迷わずにこのような事も記事にするだろうなとは思う。

 ――――ならば、自分は何とする?

 なるべくこの件に関わらず尻尾を巻いて逃げてしまうのが賢明な判断だとは分かっている。

 だが、その判断をしてしまうにはもう遅すぎるような気がしてならない。

 四天王と歌われた鬼ですらあの惨状となっていたのを見てしまっては、もう。

 そして何より――――。

 

「七夜さん……」

 

 自分が初めて慕った人間。

 自分の取材に律儀に付き合ってくれると言った人間。

 そして、見えざるモノを映す、蒼い、淨眼の殺人鬼。

 まだ、彼の事すらほとんど知れていないというのに、ここで退くという選択肢が何処にあろうか。

 

「……」

 

 新聞記者としても、桜自身としても生涯最大の悩みどころであろうだろうこの選択。

 新聞記者とて真実を知るためには危険すら惜しんで行かねばならぬ時も、本当に危ないと悟ったら引きねばならぬ時だってある。

 だが、今回の場合は本当に危なくなる前に引けなくなってしまう恐れがある。ソレはおそらく、桜の意思には関係なくだ。

 

「うぅ……どうしよう……」

 

 ここで退くのが最善かつ賢い。

 いや、実際に退くべきなのだろう。

 自分はまだ幼いし、そこらの一介の烏天狗以下なのだ。

 この件に深く関わるべきではないと思う。

 ――――だけど、ここで退いてしまったら、自分はきっと。

 

「……何も、変わりませんよね」

 

 先程とは打って変わって、憑き物が落ちたような笑いで桜は呟いた。

 そうだ、このままではいけない。

 どんな事でもいい。

 一度はこのような無茶苦茶な状況に自分が変わるきっかけを見出さなければいけないと思う。

 幸い、今回の件の中心人物にして最大の加害者であり最大の被害者は、他でもない彼だ。

 これでもう自分がこの一件から退くという選択肢など何処にあるというのだ。

 むしろ今まで迷っていた自分が馬鹿馬鹿しい。

 

「よし、とりあえず八意さんの所へ行こう」

 

 単なるヤケクソかもしれない。

 だが、ヤケクソでもそれでいい。

 雨翼桜はこの一件に首を突っ込む決意を固めた、その事実さえあればいいのだ。

 ……そう考えている間に、いつの間にかその部屋のドアまで来た。

 間にゆっくりとした深呼吸を置き、桜はゆっくりと八意永琳の医務室のドアをノックした。

 

 

     ◇

 

 

 咲夜と鈴仙は永遠亭の住民、および居候たちを昼食の食卓へ集める為にそれぞれの部屋を回っていた。

 鈴仙は輝夜、妹紅、てゐの部屋へ。

 咲夜は霊夢と萃香の部屋だ。

 永琳と桜はどうやら取り込み中らしいとの事。

 萃香はまだ動ける状態ではない為に、咲夜はお粥を片手に最初に萃香の部屋へ行くことにした。

 ちょうど、彼女とは少しが話がしたい所もあり、丁度いいタイミングだとは思う。

 障子の前に立ち止まり、コンコン、とノックした。

 ――――障子のノックの仕方ってこれでいいのかしらね。

 とりあえず障子の和紙に傷を付けないように木製の格子の部分にノックをした咲夜はふとそう思った。

 

「入るわよ」

 

 一声かけて、咲夜は障子を引き、そこに角が小さくなった小さき鬼の姿を確認した。

 

「おや、レミリアの所のメイドじゃないか。その手に持っている物は……」

 

「お粥を持ってきたわ」

 

 咲夜は何食わぬ心で萃香にそう告げた。

 ゆっくりと萃香の布団に歩み寄り、熱いお粥を乗せたお盆を萃香の傍へ置いた。

 紅魔館のメイド長の料理はそれはもう絶品の味だと聞く。

 例えお粥一杯であろうと期待はしてしまうモノ。

 咲夜が来た直後には少し暗い表情をしていた萃香だが、咲夜のお粥を見て少しソレが緩んだようだった。

 

「お、酒まで持ってきてくれたのかい♪ 気が利くねぇ~」

 

「度は普段アナタ達鬼が飲んでいる物には及ばないけれど、今の貴方には適度な度の強さの物を選んだつもりよ」

 

「……今の私には、か。確かにそうさね。今の私は、今まで飲んできたような酒はもう飲めない。今まで付き合ってきた酒虫ともお別れかなぁ~……」

 

「……」

 

 やはり自分がきた直後にみた彼女の暗い表情は気のせいではなかったらしい。

 自分の状態について話題を上げた途端、彼女はすぐにその表情に戻った。

 やっぱり鬼だけあって、嘘を付かないその性根は口だけでなく表情にも表れるようだ。

 無理もない。

 彼女は力を奪われたのではない、彼女は力を殺されたのだ。

 あの、死神の眼によって。

 

「ホントに、私はどうかしていた。アイツとの攻防では、ちゃんと自分の『死』を感じ取れていたっていうのに、アイツの挑発に乗って能力を使った所から変わってしまったよ。その『死』を感じ取る感覚こそが大事だったってのに、自分が霧になった途端慢心してこの様だよ……」

 

「……」

 

「私ってさ、結構『鬼の格』というのに拘る性質なんだ。だから人間と仲良くしたいっていう想いはあっても、それは私が認めた人間じゃなきゃ駄目だ。だから私を打ち負かした霊夢の事は好きだし、その霊夢に追いつこうと努力して強くなった魔理沙の事だって気に入っている。勿論、お前さんの事だって気に入っているさ」

 

「ご好意の程、有り難く受け取りますわ」

 

 ――――それが、果たして気に入られた人間にとって良い事なのか分からないけれど。

 少なくとも、自分が強者に認められているというのは悪い気持ちではなかった。

 自分はあの駄目執事とは違って、厄介事はあまり好む質ではないが。

 

「だけどさ、鬼と人間の間では、もうどうしようもないっていうくらいの差がある。霊夢のような特別過ぎた存在はともかく、人間が鬼に勝つって事はすなわち、鬼が人間に勝ちを譲るっていう事なんだ」

 

「……だけど、ソレを覆されてしまったと?」

 

「……」

 

 咲夜の言葉が図星だったのか、萃香は黙ってしまった。

 無理もない。

 萃香を打ち負かした人間は、お世辞にも『有り余る力』を持った類の人間ではない。

 ましてやその『力』など幻想郷の面々に比べれば底辺に位置する程度だろう。

 そう、『勝つ力』と『殺す技能』は別なんだと、萃香は思い知らされた。

 もしアレが殺し合いではなく純粋な力比べならば萃香は七夜を跡形もなく消し去っていてただろう。

 だが、『殺し合い』は別だ。

 殺し合いは力の優劣で決まる物ではない。

 ――――何よりも勝敗を決するのは一瞬一瞬の“駆け引き”だ。

 力の優劣だけでなく、思考速度、嗅覚、視覚、勘、触感、状況判断能力、心眼、それら全てが求められる、『勝つか負けるか』ではなく、『殺すか殺されるか』の二択だけ。

 なまじ、技を鍛え上げただけの人間と侮っていただけに、萃香は殺し合いの途中にソレを失念してしまった。

 だから、萃香は自分が負けた事に文句が言えない。

 それでも力を失ってしまった自分に対して後悔し、その鬱憤を七夜にぶつけたい気持ちと、それでも負けたのは自分の油断のせいという諦めの気持ちがぶつかり合っているのだろう。

 咲夜は知らぬ事だが、それに加えて彼に対する淡い想いも抱き始めてしまったが為に、萃香の心境は今、非常に複雑なのだ。

 

「あんた、私にお粥を持ってくる事だけが目的じゃないだろう? 聞きに来たんだろう、『私から見たアイツ』を」

 

「……ええ、出来れば教えてくれないかしら。事情は話せないけれど、私は今、何か一つでも七夜の事を知らなければいけない。上司と部下だからとかそういうものじゃない。『私』は、彼の事について一つでも何か……」

 

「へぇ。アイツ、七夜って言うのか。よし、覚えた!」

 

 何がよし!、なのかは咲夜には皆目見当も付かなかったが、それはまあいいとした。

 

「まあ、どのような事情があるかは聞かないよ。“だんまり”と“嘘”では意味が違うからね。それで、私から見たアイツは……」

 

「……」

 

「……まあ、とりあえず『ぶっ壊れた奴だ』とは思ったね。鬼を前にして恐怖するのではなく、鬼と殺し合える事に歓喜するような奴だ。あの時のアイツ、七夜は私を……なんだかイッたような眼で笑いながら見ていた」

 

「あの殺し合いジャンキー……」

 

 自分を心配させないと約束した矢先から、そんな眼で彼女を見ていたのか、今一度咲夜はあの殺人貴に苛立ちを覚えた。

 

「だけど、一番ぶっ壊れていたのは何よりアイツの精神性だと思った。確かにアレは紫も危惧するわけだよ。『力』が弱いんだったら警戒するに値しないと思っていたけれど、紫が危惧していたのはアイツの『力』ではなく何よりその『精神性』なんだろうね。なんていうかさ、全てが捨て石、みたいな感じだった。全ての事がどうでもよくて、そこにはアイツ自身も含まれているといっていいのか。とにかくあの化け物じみた精神はある種の達観と言っていいだろうね。過ぎた精神力は狂っているに等しいと言うけれど、正にそんな感じさ。霊夢と似ているように見えるけれど、霊夢はちゃんと自分自身を天秤においた『人間』だよ、だけどアイツは自分自身すらも天秤に置いていない。精神性だけを見れば、私や霊夢よりも、アイツの方がよほど『化け物』だとは感じたね」

 

「七夜が……化け物……」

 

 その言葉は、咲夜の臓腑に深く染み込んだ。

 確かに、七夜のあの精神性は化け物に通じうるかもしれない。

 如何なダメージを負おうとも、体が動く限りはとにかく痛みなど気にせずに殺しにかかる精神力。

 全てをどうでもいいと言い捨てる達観性。

 思えば、ある意味では解脱した精神性の持ち主と言っていいだろう。

 

「もしくは、天秤すら七夜の中には存在しないのかもしれない。だって、全てがどうでもいいのなら、天秤すら必要としないだろう? アレは筋金入りの世捨て人だよ。人間らしい一面も持っているだろうけれど、その根っこにあるモノは全てをどうでもいいとする冷徹でクールな人間性なのさ」

 

「……」

 

 咲夜は何も言えなかった。

 萃香が言っていることは、全て真実味があった。

 どうして、七夜はああなってしまった。

 確かに根っこが世捨て人じみていても、それは所詮根っこに過ぎない。

 何が、彼をそうさせたのかと思って、思い浮かんだのが一つ。

 

「直死の、魔眼」

 

 万物の死を映し出す魔眼。

 どれだけ頑丈なモノでも、どれだけ強靭な生命でも、線や点をなぞるだけでいとも容易く殺せてしまう魔眼。

 故に彼にとって世界は脆い物に映り、故に彼はあんな世捨て人な殺人鬼になってしまったのかもしれない。

 だけど、七夜は見た限りではその魔眼、および淨眼はちゃんと制御できているように見えた。

 普段から見えないようにしているのなら、そのような事にはならないのでは?

 それとも制御できるようになったのが極最近の事なのか。

 それとも、まったく別の要因があるからなのか。

 今のところ浮かぶのはこれしかなかった。

 

 ――――とりあえず、聞けるのはこれくらいかしら。

 

 そう思い、咲夜は萃香に礼を言おうとして、それは発せられる前に萃香の言葉によって遮られる事になる。

 

「……ああ、だけど。戦っている途中に、一度だけ人間らしい眼をした気がする」

 

「?」

 

 その萃香の言葉に、咲夜は少し目を丸くした。

 先程の言葉を聞く限りでは、少なくとも七夜からは真っ当な人間性を感じることができなかったのだが。

 

「アイツの傷――多分霊夢と戦った時の傷だろうね――ソレが開いたとき、アイツは苦しそうに息をしながら膝を付いたんだ。私はさ、それがあんたの限界なんだと言い放って、降参しろと言ったんだ。それをすれば、少なくとも苦しまずに死なせてやるってね」

 

 そこまでは七夜からも咲夜は聞いていた。

 そのあとに七夜が言った挑発にこの鬼は乗ってしまったらしいが、はてさて。

 

「その時だよ、アイツの眼が変わった。その色こそ変わりはなしなかったけどさ、今思えばナニカが乱れていた気がしたね。アイツ、負けじと私を挑発したんだ。その時は真っ直ぐに挑発に乗ってしまった私だけど……」

 

「……だけど?」

 

 そこで言い淀む萃香。

 あの時の七夜の眼がどういった類だったかを、戦っている時を振り返って思い出そうとしているらしい。

 

「何ていうか、“憎悪”に近い眼だった。相変わらず刃物のように鋭い眼だったけど、その時だけは僅かに“憎悪”が含まれていた気する」

 

「憎悪って、七夜が……?」

 

 あの七夜が他人を深く恨むような性格だろうか。

 全てをどうでもいいというあの殺人鬼が、そんな感情を抱くような時があるとでも言うのか。

 咲夜が見る限り、七夜は他人にそんなに執着するような性格ではないはず。

 それがどんな形であったとしてもだ。

 

「あの時の奴の眼は確かに、ナニカを見ていた。確実に私に私でない何かを見出して、それを憎悪している眼だった。

 『鬼』を憎む蒼い光を、その眼は確かに放っていた気がするよ」

 

 一体何があったんだろうね、萃香は天井を見上げ呟いた。

 萃香との殺し合いを確かに楽しんでいた七夜であったが、一時的に彼から憎悪を感じた事に心境が複雑になったのだろう。

 

「鬼を憎む、光……」

 

 咲夜は萃香の言葉を繰り返し、呟いた。

 一体、以前の彼は本当に何者だったのだろうと、余計彼に関しての謎が深まった。

 

 




最近、あるMUGENストーリーの主人公である志貴(七夜ではない)がかっこよすぎて仕方ないです

更新はとっくの昔に停止していますが、更新再開しないかぁ~


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番外編
if 殺人鬼二人


注意:この番外編はpixivにて四季と七夜のコンビに定評のある想さんの小説の影響を受けています。四季が登場します。なぜいるかはあまり考えないでください。ただ、無性にこの兄弟が書きたくなりました。本編の投稿は未だ未定。


 ある日の紅魔館。

 時刻は逢魔が時を迎え、魔が騒ぎ出す時間。夜に潜在的な恐怖を覚える多くの人間は家という殻に籠り安穏と恐怖が過ぎ去るのを待つ時間であるが、この屋敷は違った。

 多くの妖精メイドが屋敷の出入りを繰り返し、館内は天上に設置された黄金の輝きを放つシャンデリアとソレに照らされる赤一色の床、壁、天井により毒々しい色彩を放つ。

 館内の空気は完全に、外の世界で言う所の『出勤ラッシュ』に近いものになっていた。

 何故ならここは、人でありながら悪魔に仕える者、人でありながら魔を退ける退魔一族の末裔、魔との()()()()()、吸血鬼、魔法使い、悪魔等……多くの人外魔境が住み着く館なのだ。

 この日が沈むこの時間は、魔の血と、退魔の血が騒ぐ時。

 

 そんな紅い館のエントランスにて、ある二人の男がにらみ合っていた。

 一人は黒髪の青年。黒い燕尾服を着用し、ナイフを思わせるような蒼い輝きを放つ目。そして、右手には一振りのナイフが握られていた。

 もう一人は黒髪の男と同じ燕尾服を見に纏った白髪の青年。微笑を浮かべている事と鋭い目付き以外はほとんど無表情な黒髪の青年とは対照的に、ニヤリと食えぬ笑いを浮かべ、左手に己の血で形作った巨大な爪を構え、そして右手には黒髪の青年と同じく一振りのナイフが握られていた。

 

「……おい」

 

 第三者がいれば息が詰まりそうな沈黙の中、白髪の青年が先に声をかけた。

 

「何だそのしけた面は。せっかくこうして現実と幻想の垣根を越えて会いに来てやったのによぉ」

 

「俺は会いに来てほしいなんて一言も言ってないけどな。完全に殺した後も出て来るなんて、いや、単にアイツが仕損じただけか?」

 

「ソレはテメエもだろうがこら殺人鬼。死にぞこない同士で、しかも野郎二人でこんな趣味の悪ぃ館にいたくなんかねえわ」

 

「ソレは此方の台詞だよ。せっかく殺り甲斐のある心地のいい夜を迎えそうな時だってのに、よりにもよっていの一番にお前の面なんざ拝む事になろうとはね」

 

 これがご主人様だったら何兆倍も眼福だったんだが、と半分冗談めかして言う黒髪の青年。対して白髪の青年は小ばかにするように鼻で笑う。

 

「相変わらずだなテメエは。真祖の姫を17分割した次はお嬢様にご執心かよ。やっぱオメエの方がよっぽど化け物だぜ!」

 

 まだ自分が目の前の男と繋がっていた時の事を思い出し、犬歯をむき出しにしながら悪態を付く白髪の青年。

 ソレに対して黒髪の青年は変わらず抑揚のない応酬で応える。

 

「ソレは俺じゃない前の志貴の事だろう。ソレに、化け物云々についてはお前にだけは言われる筋合いはないよ。拒死性肉体だけでも面倒なのに、その上点を突いてやった後も出て来ると来た」

 

 割に合わない事この上ない、と肩をすくめて付け足す黒髪の青年

 よく言うぜ、とソレに対して白髪の男は悪態を吐く。

 この男の前に、物理的な耐久力など何の意味も成さない事を、白髪の青年はよく理解していた。まだ吸血鬼分が抜けてなかった頃に味わった、何もかもを、その意味すらも殺し尽くす理不尽さを、白髪の青年は鮮明に覚えていた。

 今もこうして無機質に己を睨み付ける、蒼い眼を。

 

「……黙ってろやこら! ソレに俺がこうして化けて出てくるのは千パーセントお前の技量不足だって思うんだよ。博麗の巫女の腕ぶった切ったり、あのロリ鬼の中身バラシ尽くした割には全然殺せてねえって言うしな。クハハッ、殺人鬼自称してる割に幻想郷に来てから誰も殺せてねえとか傑作だぜ!!」

 

 挑発する白髪の青年の言葉に、黒髪の青年の眉間の皺が僅かに寄る。

 前の“志貴”ならともかく、曲がりなりにも七夜を名乗る“志貴”である彼にとって今の発言は琴線に触れたようだった。

 

「下手なのは自覚してるがね。お前に言われちゃ、いよいよおしまいだな」

 

 一息つき、黒髪の青年はナイフを握りなおす。

 白髪の青年もナイフを握る力をより一層強めた。

 

「いいぜ。そこまで宣うのなら、今度こそ後腐れないように殺してやる。二度と帰ってこれないよう懇切丁寧徹底的に解体(バラ)してやるから、感謝して死ね」

 

「ぎゃはは、そりゃあいい! こんな出来の悪い可愛くないくっそムカつく親切な弟分を持てて、お兄ちゃんは幸せ者だぜ」

 

「……」

「……」

 

『殺す』

 

 暫しの沈黙の後、両者から同時に発せられた言葉が、死合開始のゴングとなった。

 黒髪の青年の姿が消える。いや、動いた。

 蜘蛛を思わせる低姿勢、大凡人間がまともに動けるとは思えぬような体勢から、一気に人間の限界と言える最高速へと達する。

 あたかも空間を扱う蜘蛛のような動きを前にして、白髪の男は笑みを深めながら、己に接近してくる黒髪の青年に対して血刀や魔術の雷撃を弾幕のように放つ。

 しかし、そのどれもが悉く躱され、一瞬にして蜘蛛の接近を許してしまった。

 

 ちっ、と舌打ちした白髪の青年はカウンターに右手のナイフで切り付けようとするが、寸での所で相手のナイフに弾かれた。元よりナイフ裁きでこの稀代の殺人鬼に敵うと思っていなかった白髪の青年は、メイド長から頂いたお下がりのナイフをあっさりと放棄し、己の首筋へ向かうナイフを寸での所で鬼の爪で受け止める。

 その瞬間、二人の足下に魔術式の陣が展開される。

 ニヤリと笑う白髪の青年の口元を一瞥した黒髪の青年はすぐに白髪の青年の腹を蹴り飛ばし、その反動で魔術の攻撃範囲から一瞬で逃れた。元より力で勝る混血の爪とまともに鍔競り合う腹は持ち合わせていなかったようで、その動きには一陣の乱れもない。

 

「志貴ぃ!」

 

「四季ぃ!」

 

 お互い、同じ発音の名前を呼び合い、両者は再びにらみ合う。

 紅と蒼の、魔と退魔の瞳が交差する。

 

「せっかく司書様の知恵も借りて普段から執事業に精を出す先輩執事にサプライズしてやるっていうのに!! ソレをナイフの一振りで台無しにしやがって!! 少しは嬉しい表情の一つでも浮かべろや!!」

 

「そのサプライズに営業妨害してくる後輩執事が何処にいる!? せっかく吸血鬼分が抜けたってのに、残った知識でやる事がソレか! つくづく救いようのない脳みそをしているな貴様っ!」

 

 互いに罵倒し合いながら、二人はこのメインホール中を駆け回る。

 ナイフと血刀が剣戟による火花があちこちで散る、迸る雷が蜘蛛を襲うが避けられる、混血の身体にまたナイフの切り傷が出来上がるが、そこから更に新しい血刀が精製される。

 混血の宗主の末裔たる白髪の青年こと遠野四季と、退魔の一族の末裔たる黒髪の青年こと七夜志貴の夜は、こうして幕を開けたのであった。

 

 故に、二人は気付かなかった。

 今こうして殺し合っている二人が放つモノとは比べ物にならないくらいの、デカイ殺気が近づきつつある事に。

 互いに殺す事に夢中であったがため、その存在の介入に気付かなかった。

 

――――メイド秘技『殺人ドール』

 

 ただ単に高速のナイフが広範囲に大量にばら撒かれるだけの、単純なスペルカード。

 互いを殺す事に意識が向かっていた二人は突然の奇襲に対処する事ができず、そのままナイフの弾幕に押しつぶされていった。

 

 

 

「それで、何か弁明はあるかしら? ねえ、七夜、四季?」

 

 損壊した器物が散乱する紅魔館のエントランスの端っこにて、七夜と四季の二人は腕を組むメイド長の前で正座をさせられていた。

 二人して着用していた燕尾服はボロボロになり、その舌には幾重にも包帯が巻かれていた。七夜の体術を極めていた七夜はともかくとして、特に四季の方は最初から避け切る事はできないと判断して魔術をぶつけて相殺しようという脳筋戦法で対処しようしたが、結果はご覧の有様であった。

 

「相変わらず下手な捌き方だ。見ていて苛立って仕方ない」

「うるっせぇ!! テメエみたいな気色悪い体術こちとら持ってねえんだよ!!」

「お前の生き汚さと面倒臭さに比べれば何倍もマシだと思うがね」

「お前にだけは言われたくねえぞソレっ……!!」

 

 見下ろしてくる咲夜を余所に、正座したまま二人はまた一色触発の火花を散らす。

 自分が除け者にされたからか、それとも未だに懲りない二人に対して苛立ったのか、咲夜は組んだ腕をプルプルと震わせ、やがて爆発した。

 

「だからやめなさいと言っているでしょう!? また串刺しにされたいのかしら!?」

 

 咲夜の剣幕に2人は渋々と互いを睨みながらも口喧嘩をやめ、咲夜の方に向き直る。そんな二人に呆れかえった咲夜は一旦、溜息を吐いて己の昂った感情を押さえつけ、続けた。

 

「多数のメイド妖精たちから、貴方達が暴れているから助けてくれ、と言われて来たけど、もう何回目だと思っているのかしら? 従者達を管理するのもメイド長の役目とはいえ、こうも頻繁だとやっていられないわ」

 

 再び、溜息を吐いて眼下の二人を見下ろす咲夜。普段の蒼穹の瞳は今や真紅に染まっており、怒りと呆れが混じった表情だった。

 

「それで、今度の経緯は何かしら? 妖精メイドたちから聞いた限りでは、急に大きな魔術結界が発動したと思ったら突然消えて、気が付いたら突然殺し合い始めて手が付けられなかったっていう話なのだけれど。なに? 私に対する嫌がらせかしら? そうなのかしら? ねえ!?」

 

 背後にかの『王の財宝』のごとく空中にナイフの弾幕を大量展開して待機させながら、静かな怒気を放つ咲夜に対し、四季と七夜は揃って肩眉を上げた。

 やがて七夜は待て待て、と両手を上げて降参の意を示す。

 脚を震わせつつも、先に口を開いたのは四季だった。

 

「ま、待ってくれメイド長! これには一応訳がある」

 

「そうだ、こいつが悪いという」

 

「あぁん!?」

 

 シュパパッ!

 

 再び火花を散らす二人の足下に、数十本のナイフが突き刺さる。ソレを見た二人は、お互いに掴みかかる前に止まった。

 

「発言を許した覚えはないわ。私はどうしてこうなったかを聞いているのだけれど?」

 

 何ならナイフの本数をもっと増やしてもいいのよ?、と脅す咲夜。それがハッタリでも何でもないことを理解した四季と七夜は、エントランスの階段を上った先にある方を指さした。

 そこには大きな魔術結界の跡が存在していた。

 

「分かったから落ちついてくれ。そろそろ執事業務の時間だと思い立って部屋を出た所にあそこでコイツと出くわしてたんだ」

 

「そう、それで?」

 

「如何にも何かあるぞ、っていう感じの気色悪い笑みを浮かべていたんでな、何かよからぬ事を企んでるっていうのが一瞬で見て取れたんで、念のため淨眼で周囲を見渡してみたんだ」

 

 四季が続けた。

 

「うんでよ、せっかく淨眼でも視えにくい引っかかったら丸焦げサプライズの魔術結界を用意してやったっていうのに、コイツ妙に疑い深いのか、淨眼で視えない事を確認しても未だに警戒して動きやがねえんだ」

 

「……それで?」

 

「俺がお前如きマシラ並の単細胞の手に乗っかってやるか、と思いつつ再度淨眼で集中して視たら俺のすぐ一歩手前に結界がある事に気付いた」

 

「そしたら、コイツ。何も言わずにナイフを取り出しやがって、その結界を殺そうとしやがった。せっかく司書様から借りた知恵と蛇の知識捻りだして作った不可視の魔術結界をそう易々と消されたら溜まったもんじゃねえ」

 

「そんな事情知るか。そしたらコイツは俺のナイフが結界の死に触れる前にヤケになって結界を暴発させやがった。あやうく丸焦げになりそうだったが、ギリギリ発動した魔術を結界ごと殺して、ついでにと他の結界も探し当てて殺してやった、最初は視え辛かったが、段々慣れて視えるようになってきてな、存外楽勝だった」

 

「そしたら、俺は『チッ、今日も失敗か』っていう具合で勘弁してやろうとしたらこの野郎、『お前ホント救いようのないアホだなあ』というような眼つきで鼻で笑いやがった」

 

「事実その通りだろ。そしたらあんたを待たせる訳にもいかなかったし、さっさとコイツを放ってあんたに仕事を仰ぎに行こうとしたんだが、眠気覚ましにもなりやしない不快な面をこれ見よがしに拝ませてくるもんだから」

 

「うんで、お互い苛立って冒頭の罵り合いが始まったんだが、そうしてる内に司書様の知恵や使いたくもない蛇の知識使ってまでコイツに無駄な労力割こうとする自分に腹が立ってきてな。そしたら殊更苛立ってきたから」

 

『だから、面倒になって殺すことにした』

 

 最後の台詞は、二人同時だった。

 昂る苛立ちを抑えつつ、咲夜は腕を組みながら静かに二人の言う事を頭の中で何度も反復し、やがて。

 

「第三メイド隊、用意は出来たかしら?」

 

『は、はい!!』

 

 咲夜がそう言うと同時、妖精メイドの部隊が様々な荷物を持って、七夜と四季の前に置いた。

 それぞれ『ゴタッシャデ、ナナヤサン』、『ツヨクイキテ、シキサン』と、意味の分からない言葉を放ち、七夜と四季は悪い予感を感じながら、顔を見合わせ、再び咲夜の方を見上げた。

 

「あ、あの~咲夜メイド長ぉ? この荷物は一体何でございましょーかー?」

 

 恐る恐る、といった風にあざとい丁寧語で咲夜に聞く四季。

 

「口で言わないと分からないかしら? その荷物を持って、ここから出て行きなさい。今まで貴方達がこの屋敷に与えた損害額の清算と、および貴方達の間で決着が付くまでここには入れないわ。それと―――」

 

 咲夜はポケットから、カードの束を出し、ソレを広げて四季に見せつける。

 

「これは没収させてもらうわ」

 

「なッ、それはッ!?」

 

 ソレを見せつけられた四季は突如として狼狽える。

 

 そのカードに映っていたのは、とある少女の似顔絵だった。赤ちゃんの頃、大体7歳くらいの頃、そして最も記憶に新しい16歳くらいの頃の、少女の似顔絵が描かれていたのだ。赤ん坊の頃を除いて、これらの似顔の共通点としてあるのは皆『黒いロングヘアーの少女』であった。

 

「うわ……」

 

 隣にいた七夜も思わずドン引きする。

 ――――コイツまだ妹に御執心だったのか……。

 しかも、その似顔絵のクオリティーは半端なものではなかった。正直そのまま写真でも撮ったのかと、ドン引きするくらいには。

 そんな風に呆れながらメイド長に必死に懇願する惨めな兄貴分を七夜はじっと見つめた。

 

「お、おいそれだけはやめろ!! お願いです返せこのアマ下さい!! 何か月かけて描いたと思ってやがる!?」

 

「アナタ、この絵見てる時ろくに仕事捗らないじゃない。妹愛は結構だけれど、あまりにも度が過ぎれば仕事にも支障が出るわ。今の内に慣れておきなさい」

 

「慣れるかぁ!! 分かった、この通り反省してる! お嬢様に誓って反省します! だから秋葉(の似顔絵カード)を返してくださいこの鬼! 悪魔! メイド長!」

 

 最早懺悔なのか懇願なのか罵倒なのか分からない滅茶苦茶な懇願を繰り返す四季。

 よくまあここまでプライドを捨てられるもんだと、七夜はある意味四季に関心していた。ソレは周囲の妖精メイドも同じ心である。

 

「五月蠅いわね。今まで散々迷惑をかけてくれた罰よ。だから……

 

 

 

 

さっさとここから出て行けこのダメ殺人鬼ども!!」

 

 そんなメイド長の溜まりに溜まった怒号が吐き出されたと同時、二人の執事兼殺人鬼は紅魔館の門の外へ追い出された。

 途方に暮れる四季。

 そんな中、四季に背を向けて「参ったね、どうも」、と満月をバックに肩を竦める七夜に四季はなんとなく苛立ち、その背中を蹴飛ばした。

 それがトリガーとなり、二人はまた紅魔館の庭で殺し合いを始めるのだが、再び怒気を発して飛んできた咲夜によって紅魔館の敷地内から完全に追い出されたのであった。

 

 

     ◇

 

 

「アハハハッ、何それ面白い!」

 

「ホントねお姉さまッ!!」

 

 二人が追い出されてから暫くして、キッチンで咲夜から先ほどの騒ぎを聞いたこの屋敷の主、幼い女の子の姿をした吸血鬼のレミリア・スカーレットとその妹であるフランドール・スカーレットは腹を抱えて笑っていた。

 

「笑い事ではありません。はぁ……」

 

 七夜が幻想入りして直後の時と同じくらいの心労を抱えながら、咲夜は二人に目覚めの紅茶を振舞っていた。彼女の主であるレミリアと妹のフランは棺から目覚めていの一番にそんな二人の執事の面白おかしい話を聞いて上機嫌だった。

 

「あはっ、本当に面白いよね、お兄様たちって……」

 

 バカにするように言うのではなく、心の底から幸せそうな笑みでそう言うフランの姿に咲夜の心労は幾ばか和らいだ。依然として胃がキリキリする事に変わりはないが。

 

「それにしても、お互いはそんなに子供っぽい訳でも、馬鹿でもないどころかむしろ頭が切れるのに、どうしてあんなに喧嘩するのでしょうね……。七夜に至っては普通の人間に比べて異常に達観しているレベルなのに」

 

「この間なんか、宴会で二人が着流し着てる所を魔理沙から『お前らお揃いだなぁ』って言われてそれで殺し合いに発展したもんね」

 

「その次はお互い違う出で立ちで宴会に出ようとして同じ燕尾服を着て、『俺と同じ服着て来るんじゃねえ!』とか言い合ってまた殺り合ったわね」

 

「その前は確か――――」

 

 遠野四季、という男が幻想入りしてきてから、紅魔館はまた変わった。

 ある日の事である、咲夜と共に人里に買い出しに出かけていた七夜は、紅魔館へ帰る途中、突然「懐かしい気配がする」と言い出し、咲夜の言い付けを無視してその気配がする方向へ走ったのだ。

 倒れていたのは、七夜と同じ年くらいの、着流しを着た白髪の青年であった。

 その後、なんやかんやあって、その白髪の青年――――遠野四季はこの紅魔館の執事となった。

 

 しかし、やって来たのは、咲夜にとっては七夜が幻想入りして直後以来の心労の連続だった。七夜も自分との時を過ごして多少大人しくなったが、この遠野四季という男が紅魔館の日常に介入してきた事で、幻想入りした直後と同等かそれ以上に七夜が暴れるようになった。

 とにかく、遠野四季という男が絡むと、七夜志貴という男は普段から見せている飄々とした態度や常に相手を小ばかにするような、そんな堂々余裕とした言動を一変させる。

 

 ――――まるで、悪友、いや、久しぶりにあった兄弟との喧嘩を楽しんでいるかのように。

 

 ギリッ。

 いつの間にか歯ぎしりをしていた咲夜。

 

(馬鹿みたい……)

 

 あの二人の執事の殺し合いを止めに行く度に、咲夜は自分の仕事を妨害させられる事に対する怒り以外の感情を抱いている事を、自覚していた。

 あの二人が心底から嫌いあうように、楽しそうに殺し合う所を見る度に、咲夜は自分の中にある胸焼けを感じていた。

 

 ――――何なの、あの男は。

 ――――七夜に、あんな顔をさせるなんて。

 ――――私には、一度もそんな顔を向けなかったのに。

 

 そんな醜い感情が、湧き上がってくる。

 

 咲夜はふと、自分のメイド服の胸ポケットを覗く。大切に持っていた筈の七ッ夜は、そこには入っていない。

 あの日、記憶を取り戻した七夜に、咲夜は七ッ夜と共に、自らの想いを告げた。

 

『俺はアイツじゃない』

 

 だの

 

『俺は所詮、真夏の溶け残り。冬に積もり、今日まで無惨に溶け残った真夏の雪に過ぎない。あの日君が出会った七夜志貴は、もうこの世にいないんだよ』

 

 だのと捻くれた理屈をつけてきたが、それでも咲夜は伝えたのだ。自分が今惹かれているのは昔会った七夜志貴ではなく、この幻想郷で出会った、馬鹿で、捻くれていて、けれど少しだけ優しい、そんな貴方なのだと。

 自分の想いを真摯に告げた。

 

 それに対する七夜の返事がどうであったかは、ここでは語らないようにしておく。

 

 ――――なのに、あの男は……。

 

 咲夜は遠野四季という男の美点を、多少なりとも知っている。

 同じ館で働く従者としての情だって抱いている。

 けれど、その一点だけ、気に食わないのだ。

 

「あー、まあ、何だ、咲夜」

 

 己の主の呼び声に、咲夜の意識は再び現実に戻った。

 

「今回ばかりは私も止めはしない。面白いとはいえ、最近度が過ぎているようだしね。あの二人には、少々お灸が必要だろう」

 

「お姉さまの嘘つき。本当はお兄様たちが幻想郷で何を仕出かすかが楽しみなだけのくせに」

 

「あらバレた?」

 

「うん、バレバレ。だって私もそうだもん!」

 

 太陽のような無邪気な笑顔でそう答えるフラン、レミリアも、咲夜もつられて笑う。

 

「という事で咲夜」

 

「はい、お嬢様」

 

「あの二人をいつ連れ戻すかはお前に任せる。だが、出来るだけ早めにしておけよ。何を仕出かすか分からん二人だしな。それに、パチェもお前も、()()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

 言われて、咲夜は少々赤面して俯いてしまった。

 あまりにもの羞恥。自分の主には全てお見通しのようであった。

 七夜をあの男に取られた気がして、寂しく感じている事。あの混血の男に対する嫉妬の感情を、見抜かれていたのだ。

 

 

     ◇

 

 

「あ~、ざみぃ」

 

 氷の湖の畔で、四季は焚火に手を近づけてあったまっていた。

 自業自得とはいえ、まさか愛しの妹の力作似顔絵すらも没収されてしまうとは、少々やり過ぎてしまったかと四季は反省した。

 

 ふと、星空を見上げていた。

 ――――小せえ頃、よく秋葉や志貴、翡翠と一緒に眺めたっけなあ。オレと志貴があれは何座だの何星雲だのと言い合ってる内に喧嘩になり、秋葉がおろおろしている所を翡翠が止めて二人そろって説教されてたっけか。

 

 そんな日常が、ほんの少しだけ、戻ってくるとは今じゃあ考えられなかった。

 遠野志貴によって、ロアの18代目の転生体こと遠野四季は、直死の魔眼で点を突かれて、完全に消滅した筈だった。

 だが、遠野四季は何故か生きていた。

 遠野志貴が無意識の内にかつての親友に手心を加えたのか、それとも四季の魂とロアの魂がまだ完全に混ざり切ってなくて、遠野志貴が突いた点がたまたまロアの魂のみのものだったかもしれない。

 

 まあ、過程はともかく、遠野四季は生きていたのだ。

 

 秋葉や琥珀、翡翠に謝り、志貴に自分を殺してくれた礼を言う機会も与えられずに、この幻想郷に来てしまった。

 その先で会った、もう一人の志貴。

 本人曰く、遠野志貴の燃えカス、真祖の姫のために己の残り少ない命を燃やし尽くした殺人貴の成れの果て――――七夜志貴。

 後悔のない人生を歩み切った弟分に対する誇らしさ。今この幻想の地にて生きる弟分はもうほとんど別人である事は理解している。

 

 それでも、懐かしかった。

 あの日、遠野の屋敷にやってきたばかりの七夜志貴。そこに手を差し伸べ、親友となった自分。

 まさか、今度は自分が差し伸べられる側になるとは思いもしなかったが。

 

 紅魔館での日々は悪くなかった。

 可愛くない弟分がいるのが玉に瑕だが、それでも四季は第二の人生を謳歌していた。

 

「クシュンッ、ああ、くそ、こんな時に志貴の奴は何処にいきやがった」

 

 先ほどまで共に行動していた弟分の事を思い出す。

 ふむ、状況から考えるに、我慢できなくなって獲物を探しに行ったか。ソレは残念だ。この幻想郷で殺しを行えば間違いなく御法度。

 奴は博麗の巫女を始めとしたこの幻想郷の人外魔境どもにものの数秒で駆逐されるであろう。

 本当は自分の手で殺してやりたかったが、まあそこは仕方がない。あの殺し合いジャンキーにとっては幸せなくたばり方だろう。

 

「ぎゃはは、テメエの死に様を見られないのは残ね―ぶべらッ!?」

 

 思わず昂揚した口走った台詞はしかし、四季の顔面に投げつけられて来たナニカによって遮られてしまう。

 混血の四季は大した痛みを感じなかったが、顔面に飛んできたソレを手に取った四季は不機嫌そうに、暗闇の奥にいる下手人を見つめる。

 

「何だ、飲まんのかコーヒー」

 

「あぁ?」

 

 影に言われて、四季はふと投げつけられた物体を見つめる。

 ……聞いた事もないメーカーの、缶コーヒーであった。

 呆然とする四季を余所に、影……七夜は背中合わせにするように座る。手には自分の分の、これまた聞いた事がないメーカーの勘コーヒーが握られていた。

 

「……おめえ、これ何処で手に入れたよ?」

 

「物好きの混血が開いている店でな。ただで譲ってもらった。部屋の冷蔵庫に入れていたのを思い出して、一旦紅魔館に忍び込んで取って来た」

 

「そうかよ」

 

 コイツにしてはやけに気が利くじゃねえ、と缶を開けて一口飲み。

 

「マズッ!?」

 

 四季は吐き出した。

 おかしい、缶コーヒーとはこれほどまでにマズイ代物だっただろうか。もしや志貴の奴が俺に外れを寄越したわけではあるまいな、と背中合わせに座っている七夜の方へ振り向く四季。

 

「……不味いな」

 

 七夜も、四季ほどではないにせよ、少々顔を歪めていた。

 

「おい志貴。コーヒーってこんな不味かったか!? それともオレの舌がおかしくなっちまったのかこれ?」

 

「後者だろうよ」

 

 即答する七夜。あぁ?、と訝しむ四季。

 

「考えてもみろ、俺達はいつもあのメイド長が入れた紅茶や珈琲を頂いてる。そして俺達もあの領域には及ばないにせよ、メイド長から仕込まれている」

 

「……あぁ、そうか」

 

 言われて納得する四季。

 あのメイド長の紅茶や珈琲をいつも飲み、そして自分達もそのメイド長から入れ方を仕込まれていたら、そうなれば無駄に舌も肥えてくるものだろう。

 二人の舌のレベルに缶コーヒーが追い付かなくなってしまったのである。

 

「それにしてもよぉ……」

 

 缶コーヒーの味を楽しめなくなってしまった悲しみ、センチメンタルな気分を誤魔化すため四季は話題を変える事にした。

 

「お前、メイド長の事どうすんの?」

 

「……うん?」

 

「とぼけんな。ありゃあ完全に、その、アレだろ。殺ししか取り柄のないオマエの何処に惹かれたのか知らねえけどさァ……」

 

「さてな、そういうのは本来アイツの役目だ。俺に言われても知らないよ」

 

 何も思うことなく、あっけらかんと言ってのける七夜。

 この朴念仁が、向こうの志貴の余計な所だけは受け継いでやがる、と四季は内心で悪態を付く。

 だが、まあ。

 

「まあ、見ている分にゃあ楽しいけどな! 俺とお前と殺り合っている時のあの女の顔、傑作ったらありゃあしねえ! ぎゃはは!」

 

「ソレに巻き込まれる此方の身にもなって欲しいがな。おかげでそろってこの様だ。いい加減大人しくて殺されて欲しいね、まったく」

 

「んだとコラ殺人鬼っ! こちとら数か月かけてせっせと描いた秋葉(の似顔絵)没収されてんだぞ!! テメエの方がよっぽどマシじゃねえか!」

 

「営業妨害してきた分際で戯言言うな! 大体貴様まだ秋葉を諦めてなかったのか! 何だあの絵のクオリティーは!? 俺でも引くぞ!」

 

「テメエこら!! 俺の妹愛を理解できてねえってか!? あー秋葉会いてーな秋葉……あれから結構立ってるし、もっと綺麗になってるんだろうなあ。相変わらずナイチチに悩まされてるだろうけれど、そこも含めてああ可愛い可愛い可愛い我が妹よ!!」

 

「やかましい!! そんなに言うのならスキマ妖怪にでも頼んで会いにいけばいいだろう!というか行ってください帰ってくるなそして死ね!!」

 

「何言ってやがるテメエも道ずれだこら!! 秋葉の前に引きずり出して説教地獄味合わせてやる。つーわけで一回殺されてくねえか? 秋葉の所まで連れてくから」

 

「御免被る。第一、お前が会いに行ったところで殺されるだけだろう。既に存在しない上に過去に反転した混血なぞ当主の手で葬られるのがオチだ。という訳でオマエだけ潔く殺されてこい」

 

「いいやお前が死ね!」

 

「貴様が死ね」

 

「お前が――」「貴様が――」

 

 そこから数十分くらい罵り合った二人はさすがに疲れたのか、息を荒げながら再び焚火の前で向かい合って座った。

 

「まあ、冗談抜きにしてよ、心配なんだわ本当に……」

 

「……」

 

 急に真剣になり始めた四季の言葉を、七夜は黙って聞く・

 

「……秋葉、お前……じゃない方の志貴のことが……クソっ、何か納得いかねえ!」

 

「一人で悶えてないで続けろ」

 

「るせぇ、それでな、志貴の奴、出て行っちまっただろう? 真祖の姫追ってよ。となると、あの屋敷にはヒスコハと秋葉の三人しかいねえんじゃねえのか? 勿論、志貴の事だ。秋葉達に何も言わずに行くわけねえけどよ……いや、どうだろうか……」

 

「……」

 

 悩み続ける四季の言葉に、七夜は空を見上げた。

 遠野志貴だった時の記憶は、既に取り戻している。だが、所詮は赤の他人の記憶だ。

 勿論、遠野志貴が秋葉たちと別れた時の記憶も……。

 だが、ソレを四季に言うつもりはなかった。どうでもいいというのもあるが、自分が遠野志貴の記憶を持っている事を知らない筈がない四季が聞いてこないという事は、そういう事なのだろう。

 

 四季とて理解はしているのだ。

 所詮、自分も目の前にいる義弟と同じような存在なのだと。

 帰る事など許されない亡霊なのだと。

 

「ああもうやめだやめだ! 今はどうやってあの屋敷に帰るかを考えるぞ!? テメエも何か考えろ!」

 

「……存外、早く帰れるんじゃないのか?」

 

「馬鹿! オメエはそうかも知れねえがこっちは違ぇんだよ。こちとら散々お前の事であのメイド長からかって来たからな、ぜってぇただじゃ帰らしてくれねえ……」

 

「自業自得だ戯け。それに、それもおそらくないだろう?」

 

 頭を抱えて割と本気で悩む四季に対し、事もなく言ってのける七夜。

 七夜とて、上司からの、咲夜からの好意に応えなかった訳ではない。むしろ、応えてなかったら今もこうして執事などやっていない。

 自らを呼びだしたモノを殺すだけの存在でしかない筈の七夜が、紅魔館に居続けている事。それが七夜の、咲夜からの想いに対する遠回しの回答なのだから。

 

 故に――――

 

「お前、ノーレッジとはどうなんだ?」

 

 誰かさんが、誰かさんに抱いている好意だって、ちゃんと理解できている。

 

「あぁ、司書様か? ケっ、ありゃあ単にオレの知識に目を付けてるだけに過ぎねえよ。それも俺じゃねえ、『蛇』の知識をな」

 

「クク、ハハハハ」

 

 あからさまな四季の回答に、七夜は思わず笑いをかみ殺す。

 蛇の知識が欲しいだけなら、魔法なり何なり使って読み取ればいいものを、あの魔女は未だにそれをしていない。

 四季の中にある、ロアの知識を、態々四季の口から聞いているのだ。知識はあってもそれの理解には乏しい四季は必死に頭を振り絞ってあの紫もやしに伝えているようだが、その時の彼女は存外楽しそうなのだ。

 

「あんたも大概だな、兄弟」

 

「お前に言われたくねえよ、兄弟」

 

 背中合わせの七夜からは見えないが、おそらく必死に照れを隠そうとしているであろう四季は、誤魔化すように缶の中に残ったコーヒーを飲み干し、ただ一言呟いた。

 

 ――――ああ、糞不味い。

 

 




以上、遠野四季を書きたくなっただけの番外編でした。


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