泣いたオーバーロード (cock-a-doodle-doo)
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はじまり
客観的に見て鈴木悟の人生は詰まらないものだ。
一昔前なら悲劇の一節でも綴れたかもしれないが、現代ではありふれ過ぎていてチラシの裏に書くほどの価値すらない。
だがそんな人生にも輝けるものはあった。
仲間と共に世界を駆け、洞窟を踏破し、身の程知らずに鉄槌を下す。
仮想現実であったとしても関係ない、人生で最も鮮烈だと確信できる瞬間が確かにあった。
しかし、それも今終わろうとしている。
その懐かしくも輝かしい日々を思い出しながら鈴木悟━━モモンガはゆっくりと目蓋を上げる。
来てくれた最後の友人━━ヘロヘロさんが帰ってしまった以上、円卓の間に居る必要もない。
最期の時は玉座の間で、と約束した友人達の姿は見えない。が、見えないからと言って約束を破るようでは友人失格だろう。
手に取るとおどろおどろしいエフェクトを発したスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持ちゆっくりと歩き出そうとした。
「……あれ?」
膝に力が入らず地面に崩れ落ちる。
それと同時に目頭が熱くなりポロポロと目から涙がこぼれだす。
「う、あ……なんで……」
目からこぼれ落ちる涙の数は増えるばかりで止まる気配はない。崩れ落ちた体に力も入らない。
首はしたに垂れて、口からはなんで……、という言葉がただただこぼれ続ける。
そして先程の自分の思考が頭をよぎる。
━━楽しかったんだ
そう、楽しかったのだ。
━━なら、なんで体が動かないのだろうか
涙を流す理由などないハズだ。
━━なら、なんで、涙が止まらないのだろうか
友人だって、居たハズだ。
━━なら、なんで、なんで、いまおれはひとりなんだ?
「あっ……」
ガラン、と音をたてて杖が地面に転がる。
それを掴み直そうと手を伸ばすが力が入らず地面に倒れこむ。
そのままモモンガは体を丸め、地面に蹲り、言葉をこぼし続ける。
「わかってる……わかってるんだよ……」
皆が来れない理由くらい。
メールに返信しない理由くらい。
皆にとって……ここがただのゲームの一つに過ぎないことくらい。
「うぅ……う゛う゛ぅぅ゛ぅぅ……」
だからと言って納得できるわけがない。
みんなにとってはそうかもしれないが俺にとっては唯一無二だったのだ。俺は……俺はただここでの繋がりを失いたくなかっただけなのだ。
なんで来てくれないんだと怒りを叩きつけたい。どうしてなにも言ってくれないんだと文句を言いたい。
でも、でも……仲間は仲間だ。恨めるハズもないし、本気で憎めるハズもない。
だからこそ、モモンガは━━鈴木悟は地面に蹲ったまま嗚咽する。
なにもぶつけられず、関係を現実に持ち込もうとしなかった……選択しないことを選択してきた故に訪れた当然の結果。それを受け入れられない愚者の姿がそこにはあった。
★
異常に重たい目蓋を上げようとする。が、接着剤でも付けられたかのようにくっついた目蓋は顔でも洗わない限りどうにかなりそうにない。
ヘッドギアを外し椅子から立ち上がると、寝起きの判然としない頭で洗面台に向かい顔を流す。
「うわっ、これ大丈夫か?」
鑑の中には腫れぼったい目をした男がいた。何時もなら平凡としか答えようのない顔だが今ならすぐに特徴をとらえられるだろう。
顔を洗ったことで頭がハッキリしてくる。昨日はあのまま寝落ちしてしまったらしい。
「うわー……キッツいわ」
センチメンタルな気分に浸っていたとはいえ、この年であんなことをしてしまうのはかなり恥ずかしい。
さらには決めていた玉座の間に行くという行動すらとれてない、これでは何のために残っていたのかすらわからなくなってしまう。
「……はぁ、いま何時だ」
時計を見て時間を確かめると出勤の時間まではまだまだある。妙な寝方をした分変に早く起きてしまったらしい。
明日の始業も早いが、今から寝ても問題ない程度の時間はまだ残っている。疲れがとれた感覚もないので二度寝しようとベットに近づいた。
「……」
目の前のパソコンが目に入る。
その中にはギルメンに連絡したメールアカウントがある。今、少し確認するだけなら大して時間もかからないだろう。
カチリ、と電源ボタンを押すと瞬時に起動する。
画面が表示されると同時にメールボックスの件数を確認すると……
「一件?」
最後にメールボックスを確認したのは昨日の夜。トイレにたったときついでに確認したのが最後だ。
流石にこんな時間に上司が連絡を入れてくる可能性は……低くはないが高くもない。だがギルメンからの連絡という可能性も大いにあるだろう。
恐る恐るマウスを動かし確認する。
それは念願というべきかギルメンからの連絡だった。
「茶釜さん? ……ふふ、特に忙しそうなのに連絡くれたのか」
意外な名前に少しテンションが上がる。ぶくぶく茶釜さんは特に返信を期待してなかったメンバーの一人だった。
売れっ子の声優と言うことで「ユグドラシル」以外のゲームに疎い悟ですら名前をチラホラと見るほどの有名人だ。
だからこそそんな意外な人物からのメールの内容が非常に気になり、何かに急かされるようにメールを開いた。
『モモンガさん、まずはお久し振りです。いかが御過ごしでしょうか。こちらはお陰様で中々繁盛しています』
『久しぶりの中いきなりで悪いのですが、本題に入らせていただきます』
『先程偶然時間がとれた為、ユグドラシルにログインして挨拶をしようと思ったのです。ですが、モモンガさんが何か大変な様子だったのですぐにその場を離れてしまいました』
『もし、今このメールを観ているときに余裕があり相談できることなら私に相談してください。私も出来る限り力になりますし、弟も力にならせます』
『どうか体を大事になさってください』
……。
「え゛」
見られていたのだ、よりにもよってあの醜態を。
かけてくれた言葉も、メールをくれたことも、時間があったから来ようとしてくれたことも嬉しかった。だが、あの恥ずかしいシーンを見られていたのだ。
「う、うわあああああ!!」
この瞬間悟にとって
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はじめてのてがみ
たっぷりとあった二度寝の時間、それを全てを返信を考える時間に費やした悟はしかし、一文字も書けないまま仕事に向かった。
それも当然と言えば当然で、昨日、悟は醜態を晒したのである。そのような、小中高大と登ってきたとしてもそうそうしないであろう高等な経験を、小卒社会人の悟が過去に持ち合わせているということは無論ない。
その初体験の衝撃はあたりまえに大きく、知人ではなく、赤の他人に見られたとしても開き直るにも相応に気力を要するだろう。
そんな羞恥に近い感情が心中で暴れまわる中、自分の醜態を目撃した過去の──悟にとっては今もなお──仲間だと認識している相手に返信できる勇気を、持ち合わせているはずもなかった。
かといって、ゲームという唯一の接点が無くなったからといって返信も関係も放棄するような不義理を働けるほど軽い関係だとは思っていなかったし、思いたくもなかった。
また、なにも言わず去って見なかったことにもできたのに、そうしなかったぶくぶく茶釜の心配を、なかったことにはできなかった。
そんな状態で職場に居ても本来ならば邪魔で仕方ないだろう。
事実、なんとか職場には辿り着いたものの、心ここにあらずといった風の悟だった。しかし、二十二世紀の卓越した労働配分AIによって、ギリギリこの程度ならこなせる仕事を割り当てられる内、少しずつ思考が仕事の方に傾かされていった。
ところで、小卒の悟の立場は、実の所、良い方に入っている。
小学校
だからこそ、ヘロヘロのように使い潰されるような会社には所属してない。ド平日にゲームがやりたいから、という理由で有給申請をしても通る、アーコロジー外で言えば相応に恵まれた会社に就職することが出来たからだ。
だが、そんな環境にあっても、今日の悟のおかしな様子に気付くものはいない。気付かないのだから当然、邪魔に感じることもない。
同僚はいつものように、椅子に座っては画面に釘付けで、人に呼ばれてはバタバタと走っていく。上司はいつものように、満足そうに椅子に腰かけては、時に書類を処理し、時に部下を怒鳴り付け、時に真面目腐って電話で話している。皆、自らの行いに夢中で、周りを気にかけているように見える人間でさえも、なにも見ていない。
悟もそれを気に掛けることはないし、そも、おかしな様子に気付かれる可能性など毛程も感じていない、脳にチラとすら浮かばない。
そんな無関心は、意識することも、されることもなく、泰然とこの世界に横たわっている。本質的に、ここの人間は一人で完結していた。
★
悟は空を見たことがない。
別にこれは悟だけが特別なのではなく、今生きている人類の過半は見たことがない。太陽を覆い隠すほどの煙が、常にこの地球に立ち込めているからだ。
それでも人類が未だ生存できているのは、皮肉にも自然を屈伏させる程に科学技術が発達し、この惑星を温めるも冷やすも自在で、光さえも自らで賄えているからだ。
故に悟は月も星も太陽も直接目にしたことはないが昼と夜は知っているし、仕事の時間もあって普段から意識をして生活をしている。
の、ではあるが、今日の悟は昼に帰ったのか夜に帰ったのかすら記憶していない。寝不足の眠気を忘れるほどに脳内に据え置かれた問題を解決しようと奮闘しながらの帰宅だったからだ。
部屋に帰ってからも問題は頭に残り続けた。解決するあてもないのに、返信しなくてはいけない焦燥感だけが悟に満ちていく。
入力画面を開いて、消して、思い付いた事を書き出して、消して、電源を着けて、消して。もはや自分でもなにがしたいのかわからない反復行動を繰り返して死にたくなる。
「なんて、書けばいいんだ?」
お久しぶりです? ──返信に? そもそも相手はこちらの誘いに応じてくれたからこそこのやり取りが成立しているのだから不適当じゃないか。
ありがとうございます? ──むしろこれはこちらから距離をとろうとしている挨拶じゃないだろうか
すみません? ──心配してくれた相手に送るには卑屈すぎて余計こちらの精神状態が疑われそうだ
文章の書き出しすら満足にできないことに、なにより恐らく相手を、仲間を、ぶくぶく茶釜さんを待たせているのではないか、という事実が悟を押し潰さんばかりにのしかかる。
それを解消できない自分に腹が立った。申し訳なかった。
頭をかきむしり、しめられたようにしぼられた喉から微かに声をもらす。喉が渇いたわけでもないのに、口の中はカラカラだった。
そこでふと、ぶくぶく茶釜さんからのメールの文面を細部まで覚えていない事に、思い至った。
悟は少し冷静になって、椅子に腰掛け、おもむろにメールを開いて、目を通して、内容を頭に染み込ませていく。その内容を呑み込めば呑み込むほどに悟の頭は落ち着きを取り戻していく。
(ああ……そうだよな)
悟には、この文面からは、純粋な心配しか読み取ることが出来なかった。
きっと彼女は時間を割いて思い出を懐かしみに来たんだろうに、それに水を差されて。しかしそれを見て無視するでもなく文を考えて送ってきて。
そしてその中からは心配しか汲み取れない。
ならば、ならば、悟はきっと、なんと返してもいいのだ。
悟はきっと、仲間を信頼していいのだ。
仲間を気遣うのではなく気遣われる側に今、立っているのだ。
そう思える文章だった。悟はそう思いたかった。
真偽はわからない。もしかすると大きな勘違いで、多大な迷惑で、この気持ちを抱いているこの状況は、仲間を失う瀬戸際なのかもしれない。
だが悟は、今は信じたかった、自分の都合の良い仲間の存在を、言葉を、状況を。
でも悟は踏み出した経験がなくて、意気地無しで。
だから少しだけ実を出した。腹を割って話せる度胸がなかったから少しだけ、腹の内を匂わせた。
そんな文章を送ることを躊躇って、でも諦めきれなかった。文章が、ぶくぶく茶釜の元に向かっている。
──ぶくぶく茶釜さん、ちょっとだけ、甘えても良いんですよね?
悟の心臓はいつもより速く動いていた。
久しぶりにハーメルンのページを開いて、感想を見て、小説を書きたくなった。
感想が励みになるって言ってる作者の気持ちが今ならわかる。
奮起するような激しい感情じゃないけど書こうかなって思えるのは心地がよかった。ありがとう。
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