SLAYER'S CREED (EGO)
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Prologue
Memory01 嵐の海で


どうも、懲りもせずに新作を放っていく作者、EGOです。

ゴブスレの二次創作を書きたくなってしまったんです、許してください。

『グレモリー家の次男 リメイク版』は、気が向いたら書いていく予定ですので、期待せずに待っていてくださると嬉しいです。





 ━━1761年、北大西洋。

 

 

 珍しく嵐に包まれたその海域で、二隻の船がフックによって繋がれていた。

 激しい雨と荒波により、普通なら立っていられないほどの揺れに襲われている二隻だが、その中で平然と斬り合う二つの影があった。

 

 片やフード付きの外套に身を包んだ壮年の男。

 

 片や黒を基調としたフード付きの制服に身を包んだ、まだ20歳にも満たない青年。

 

 若さを活かした勢いに乗せた剣技で攻める青年と、経験から来る動きで捌いていく壮年の男。

 二人の攻防はまさに互角に見えたが、ついにそれは崩れることとなる。

 壮年の男は、青年の剣を弾き飛ばし、切っ先を首もとに突きつけたのだ。

 荒れた息を整えながら、壮年の男は言う。

 

「なぜ、ここにいる。まだ子供だろうに」

 

「お前を殺すためだ」

 

 男の問いに迷うことなく返した青年に、男は額に青筋を立てながら言う。

 

「わかっているのか!テンプル騎士団は、世界を支配しようとしているのだぞ!」

 

 聞き分けのない子供を叱りつけるように叫んだ男に、青年は嘆息した。

 

「『真実はなく、許されぬことなどない』だったか。貴様らの信条は」

 

「それを知っていて、なぜ━━」

 

「━━だから、何の罪のない母を殺したのか」

 

 青年はまっすぐに、フードの奥に隠れた瞳を睨む。

 その瞳は、さながら獲物を見つけた鷹のようであり、絶対に逃がさないという意志が込められていた。

 青年から放たれる威圧感に圧され、男は黙ってしまう。

 青年は続ける。

 

「母は、父と、俺と、三人で暮らしたかっただけだ。その『平穏』を一方的に壊したのは、貴様らだろうが」

 

「貴様らの信条は、矛盾だらけだ。真実はないといいながら、自分たちが正しいと疑わず、許されぬことなどないと言いながら、破ってはならないという三つの掟を作る」

 

「確かに父は、貴様らを裏切り、騎士となった。そして母と出会い、俺が生まれた」

 

「百歩譲って、父が殺されるのは仕方ないとしよう。だが、父が騎士であることも知らなかった母が、なぜ死ななければならなかった。奴らはまだ幼かった俺まで殺そうとしたぞ」

 

 一切の感情を廃し、青年は男━━『アサシン』に向けて言葉を叩きつけた。

 妻を殺され、息子まで殺されかけた父は、そこから努めて避け続けていた戦うことを選び、息子に力を与える道を選んだ。

 

 ━━二度と失わないためには、戦うしかない。

 

 父はそう言い、仲間たちと共に息子を育て上げた。

 

 ━━無秩序は、人々を苦しめ、虐げるものでしかない。

 

 自由はいい。だが、平穏を望む人々は、法の下固められた秩序を望むはずだ。

 裏切りのアサシンの息子は、同じく裏切りのアサシンにより鍛えられ、今や騎士として、師と同じくアサシンを狩る仕事をしている。

 青年の言葉に信じられないというように口を紡ぐアサシンに、口の端を歪めながらこう告げた。

 

「どうした。『許されぬことなどない』のだから、誰が、誰を殺そうと、貴様らはそれを許し、肯定するのだろう?」

 

「……黙れ」

 

「自由と平穏は結び付くことはない。貴様らに俺の母は殺された。これから一体何人が死んで、不幸になる」

 

「…黙れ」

 

「人々は、仮初めでも『真実』がなければ社会を形成できない。仮初めでも『許されぬこと』がなければ、際限のない悲劇が起こるだけだ。貴様らは、それをわかっていない」

 

「黙れ!」

 

 どこか悟っている青年の言葉に、男はついに激昂し、剣を振りかぶり、大上段から振り下ろす。

 その刃は、寸分の狂いなく青年の頭蓋を砕き、脳髄を叩き壊すことだろう。

 だから、青年は動き出した。

 自身に迫り来る刃に向け左手を差し出し、小指を動かす。

 小指に嵌められたリングに引かれ、袖の中に仕込まれた小刀━━アサシンブレード━━が飛び出し、固定された。

 アサシンブレードと剣がぶつかり合った瞬間、青年は腕を右に流し、刃を受け流す。

 全力を以て振り抜いた男は前のめりに体勢を崩し、無防備な体を青年に晒した。

 それを見逃す彼ではない。

 左手と同じように右腕のアサシンブレードを展開、固定された勢いのまま、それを男の首に突き立てる。

 

「か……っ!」

 

 突き立てた勢いで男の体を起こし、左腕のアサシンブレードをトドメとしてこめかみに突き刺した。

 男は口を魚のようにパクパクと口を動かした後に、白目を向いて脱力していく。

 周辺の敵が降伏を始めたことを確認した青年は息を吐き、二本のアサシンブレードを男から抜き、騎士団の船に戻ろうとするが、風に紛れた砲撃音が耳に届いた。

 それを聞いた誰かが、望遠鏡を覗き、遠くを指差しながら叫ぶ。

 

臼砲(きゅうほう)だ!」

 

「ッ!」

 

 誰かの警告はもう遅く、繋がれたままの二隻に砲弾の雨が降り注ぐ。

 荒波に加え砲弾の雨が降り注ぎ、船は大きく揺れ、帆は折れ、火がつき始めた。

 

「船に戻れ!退却するぞ!」

 

 騎士団の船員が叫び、敵船に乗り込んでいた船員が慌てふためきながらも戻り始める。

 パニックに陥る仲間たちに舌打ちをしながら、彼も急いで船に戻ろうと駆け出す。

 

「火薬庫に火が!?」

 

「な……」

 

 誰かの悲痛な叫びに、思わず間の抜けた声が漏れる。

 

 

 ━━━瞬間、船が爆ぜた。

 

 

 青年は爆発の勢いのまま海に投げ出され、海面に叩きつけられる。

 身を切るほど冷たい海に沈みながら意識だけは繋ぎ止めた青年が、酸素を求めて海面から顔を出した時だった。

 再びの爆発とともに、木片や鉄塊が大量に飛び散った。

 そして、その中のひとつが何の不幸か、海面から顔を出した青年の顔を直撃したのだ。

 口元を切り、鼻から大量の血を流しながら、意識を失った青年は、真っ暗な海底へと沈んでいく。

 霞む視界の中、青年の耳には、聞き慣れた囁き声とも違う、まるでサイコロを振ったような奇妙な音を聞いたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

『幻想』と『真実』の神様は、「盤」である世界と、そこに生きる「駒」である様々な生き物を眺めながら、今日も今日とてサイコロを振ります。

 結果が成功(クリティカル)なら笑ってはしゃぎ、失敗(ファンブル)なら泣いて、時にはそのまま寝込みます。

 彼らのサイコロの結果が、その世界に生きる人々の命に直結するのですから、当たり前でしょう。

 最初にそれに気づいたのは、三連続でファンブルを叩きだし、村ひとつを壊滅させてしまった『幻想』でした。

 部屋に籠ろうとして、去り際に見た盤の上に、見慣れぬ駒が現れたのです。

 

 ━━誰かが新しく作ったのかな?

 

『幻想』はそう思い、知り合いの神様たちに聞いてみました。けれど、誰も彼のことを知りません。

 けれど、せっかく生まれてきたのだから、無下にするわけにもいきません。

 それに、神様たちが新しい刺激を求め始めていたのも事実です。

 

『まあ、新しいのは何でもウェルカムだよ!』

 

『幻想』はそう言って、その「駒」を見守ることにしました。

 他の神様も『異議なーし』と続きます。

 神様たちは、その「駒」を見守ることに決めました。

 その新しい駒が何をしでかしてくれるのか、楽しみにしながら━━━。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Sequence01 四方世界
Memory01 新天地


 目を開いた俺の視界に、真っ先に飛び込んできたのは見覚えのない天井だった。

 体を起こそうとは思うが、頭が割れるように痛い。

 海に落ちて無事なのは、幸運だったと言うしかない。

 まあ、そんな事を言ってしまえば、

 

『運は自分で掴むものだ』

 

 と、返されるに決まっている。

 いまだに頭は痛むが、ここがどこなのかを確かめなければならない。

 

「んぅ……!」

 

 痛みを無理やり押し返し、体を起こす。

 質素なベッドに寝かされ、看病でもされていたのか、血塗れの包帯が水桶に浸されていた。

 窓の外から降り注ぐ光の具合から、まだ昼間だということを理解する。

 ベッドに腰かけ、顔に触れる。

 ほとんどが包帯で覆われているのか、指先には布の感覚しかない。

 手荒ながら治療してくれたことに感謝しつつ、次に部屋を見渡す。

 ボロボロのズボンは履いているが、上着はなし。着替えもなし。

 装備も、アサシンブレードを含めて何もない。

 大きく息を吐き、痛む体に鞭を打って立ち上がり、歩き出す。

 一歩がここまで重いのは、人生で始めてだ。

 修行でボロボロになっても、ここまでではなかった。

 足を引きずるように歩き、音が出ないように扉を開け、部屋を出る。

 木造の建物はなかなかに広く、歩き回るのには苦労しそうだ。

 息を吐き、視界の端に見えた階段を目指し、壁に手をついて歩き始める。

 

「く……っ!」

 

 頭に残る焼けるような痛みと倦怠感に、壁に寄りかかって片ひざをついた。

 少し休み、だいぶ痛みが引いた時を見計らい、立ち上がる。

 忌々しい話だが、この体に流れる『アサシン』の血のお陰か、傷や病気の治りがだいぶ早く、生命力も高い。

 

 ━━それでも、死ぬときはあっさりと死ぬのだから何とも言えないが……。

 

 先ほどよりもだいぶしっかりとした足取りで廊下を進み、階段に差し掛かりそうになった時だった。

 

「あ!目が覚めたの?」

 

 階段を昇ってきた女の子と鉢合わせる。

 長い黒髪と太陽のような笑顔が特徴的な、元気な女の子。

 女の子に対する第一印象はそれだった。

 その小さな体に纏う、腰を帯で締めた短衣(チュニック)は、継ぎ接ぎだらけの年期が入ったものと思われる。

 

 ━━こんな格好をした子供、見たことがないな……。

 

 そんなことを思いながらまじまじと見つめていたせいか、女の子は自分の顔や服を確かめる。

 

「えと、あの……」

 

「ああ、すまん。ここはどこだ」

 

「村の孤児院だよ」

 

「……村、孤児院、か」

 

 村ということは、辺境なのだろうか。先住民、にしては色が白いように思える。

 孤児院ということは、この子の親はいないのか、それとも院長の娘なのか……。

 一人で考えても仕方ないと割りきり、女の子に訊く。

 

「どこの島か、わかるか」

 

「しま?しまって、なに?」

 

「海に囲まれた陸地だ」

 

「……うみ?」

 

「……大きな水溜まりだ」

 

 島や海を知らないとなると、内陸の村なのか?俺は海にいたはずだが……。

 子供相手に真面目に問答を繰り広げるなかで、下の階から誰かが昇ってくる。

 

「っ!」

 

 それに気づいた女の子は俺の後ろに隠れ、人差し指を口に当てた。

 黙っていてくれ、ということなのだろう。明らかに隠れきれていないのに気づくほど、彼女はまだ賢くはないようだ。

 隠れる時は最低二人の人混みに紛れるのが基本だ。一人の背中に隠れたところで、すぐにバレる。

 実際に何度かバレたことがあるのだから、間違いない。

 師に教えられたことを久しく痛感し、小さく息を吐くと、その誰かが俺たちの前に現れた。

 

「おや、目が覚めたようですね。三日も寝ていらしたのに、もう動いてしまうとは。無理はなさらないで下さいね」

 

 姿を現したのは、院長と思われる女性だ。

 やや歳がいった、険の強い顔立ち。だが、目に宿る優しさは、紛れもない本物だ。

 女の子を隠すように立ちながら、院長に問いかける。

 

「……あなたが、拾ってくれたのか?」

 

「いえ、村の男たちが。川を流れてくるあなたを拾ったそうですよ」

 

 院長の言葉に、内心で疑問符を浮かべた。

 

 ━━川。今この人は、川と言ったのか?

 

 俺が落ちたのは海のはずだ。海岸に打ち上げられていたわけでもなく、川を流れてきた?

 自分を落ち着かせるように瞑目し、一度息を吐くとゆっくりと目を開き、首を傾げる院長に訊く。

 

「この村は、海に近いのか?」

 

「?いいえ、海は山の遥か向こうですよ」

 

 困ったように笑う院長の表情から、嘘は言っていないと判断する。

 俺は海にいた。これは間違いない。だが、川を流れてきた?一体何がどうなっている……。

 

「━━し、もし、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ、申し訳ない。少し記憶が混乱しているようだ」

 

 心配げに声をかけられ、わざとらしく頭を押さえながらそう言うと、腕を組んで物思いにふける。

 そんな俺に、院長が訊いてきた。

 

「ところで、なぜ川に?流れこそ緩やかですが、あの川は深いのですよ」

 

「俺は━━━」

 

『騎士団であること、騎士団の秘密、任務の内容を決して漏らすな』

 

 師との誓いが頭によぎり、言葉が詰まる。

 この人たちが敵かどうかもわからない。『アサシン教団』だった場合、彼らについての情報を集めなければならない。

 

 ━━素性は隠さねばな。

 

 そう判断し、咳払いをして言葉を紡ぐ。

 

「俺は、『旅人』だ。あてもなく、まだ見ぬものを見るために旅をしている」

 

「ふふ、誤って川に落ちてしまうなんて、とんだ旅人さんですね」

 

 可笑しそうに笑う院長に罪悪感を感じながら、俺にとって重要なことを訊く。

 

「俺の装備はどこに。川に流されていなければ、返して欲しいのだが」

 

「保管庫ですよ。武器と思われるものがいくつか見られたので、厳重に保管してあります」

 

「申し訳ない」

 

 俺のような余所者のせいで、余計な気遣いをさせてしまった。

 礼節は大切だと頭を下げ、頭痛に襲われながら頭を上げる。

 表情をしかめていたことが包帯の隙間から見えたのか、院長は息を吐くと、できの悪い息子に言い聞かせるように言ってくる。

 

「ですが、場所を教えるのはもう少ししてからです。今は安静にしていなさい。いいですね?」

 

「だが、俺にはやらねばならないことが……」

 

「い い で す ね ?」

 

 有無も言わせぬ院長の気迫に、息を吐いて頷く。

 ここで無理やり聞き出すのは悪手だ。それ以前に、子供の前で殺しはしない。

 俺が渋々頷くと、うんうんと何度も頷いて返してくる院長。

 

「何かあれば、呼んでください。食事の時間になったら、誰かを呼びに行かせます」

 

「……いいのか?俺は見ず知らずの余所者だぞ」

 

 俺の問いかけに院長は優しく笑うと、足元━━正確にはその後ろ━━に目を向けてきた。

 そこには先程の女の子がおり、バレないかどうか冷や冷やしているように見える。

 

「その子が懐くのなら、悪い人ではないのでしょう」

 

「っ!」

 

 青年の足元で、女の子は息を呑んだ。

『まさか、見つかるなんて思わなかった……』━━とか、思っているんだろうな。

 そう思慮しながら、さっさと女の子を差し出して足早と部屋に戻る。

 後ろから女の子の泣き声と、怒る院長の声が聞こえ、やたらと甲高い女の子の泣き声で頭痛がぶり返す結果となったのは、俺だけが知ることである。

 

 

 

 

 

 頭痛を堪えながらどうにか眠りについていたはいいが、やたらと強い月明かりを感じて目を覚ます。

 体を起こし、窓から外を覗きこんだ俺の目は、有らん限り見開かれた。

 満点の星が浮かぶ夜空に鎮座する、()()()月。

 片や緑色に怪しく輝き、片や紅く輝いていた。

 

「……月が二つ……何がどうなっている……」

 

 あまりの衝撃に気絶しそうになるが、それを堪えてベッドに腰をかける。

 怪我のせいで、月が二つに見えるほどのダメージを脳におってしまったのか。

 いや、それだとしたら間違いなく死ぬだろうし、他にも様々な不調が出るはずだ。

 ……ふと、幼い頃に母から聞いたおとぎ話を思い出す。

 

「……まさか……いや、そんな、まさか……」

 

 あれも様々な理由があってだが、異なる世界に旅立つものがあったはず。

 

 ━━その当事者になるなんて、有り得るのか?

 

 おとぎ話はおとぎ話(フィクション)だ。現実に有り得るはずがない。

 混乱した自分を落ち着かせるように、深呼吸を繰り返す。

 だが、まったく考えが纏まらない。余計に混乱するだけだ。

 

 ━━海に落ちたはずなのに、川から引き上げられた。

 

 ━━夜空には、一つしかないはずの月が二つある。

 

「……駄目だ。ここが普通ではないことしか理解できん」

 

 ゆっくりとベッドに転がり、大きくため息を吐く。

 考えるのは、もっと情報が集まってからだ。今は、考えたところで何もできん。

 混乱しながらもそれだけははっきりと決め、眠りにつく。

 もちろん、まったくと言っていいほど寝つけなかったのは、言うまでもないことだ。

 

 

 

 

 

 翌日、登る朝日を眺めながら、俺は覚悟を決める。

 

 ━━よくはわからんが、この世界を知るべきだ。未知ほど恐ろしいものはない。

 

 だからこそ、この訳のわからない世界を実際に歩き、調べ上げる。

 もしも『かつて来たりし者』の遺跡があれば、戻るきっかけにもなるかもしれないし、いい土産話にもなる。

『教団』から先手を取れるというもの大きい。

 だが、下手に触ればリスボンのようなことになるかもしれない。

 

 ━━やるにしても、慎重に、だな。

 

 そう思慮し、自分を育ててくれた『マスター』たちに思いを馳せる。

 アサシンを追いかけ、そのまま行方不明になったバカを、彼らは思ってくれるだろうか。

 そうは思うが、次の瞬間に別のことが脳裏をよぎる。

 

 ━━あの戦いで死亡扱いになったのではないか?

 

 それはそれで構わない。顔を出せばいいだけだ。

 それに━━━、

 

『俺は広い世界に生きる一人でしかない。死んだところで、世の中は回るさ』

 

 いつかに、病気で痩せ細った父が、力尽きようとしているときに言ったことを思い出す。

 一人が死んだところで、すぐにその代わりの人物が選び出される。

 今ごろ、テンプル騎士団の別の支部から、別のアサシンハンターが派遣されていることだろう。

 大きな組織に所属していると、そこは深く考える必要がないので楽なものだ。

 問題があるとすれば、そのタイミングだ。

 命を助けられたのに「怪我が治ったので失礼」では、相手にいい印象はないだろう。

 

 示された恩は恩で返す。

 

 騎士として、その程度やらねば師たちに合わせる顔がない。

 体の調子はだいぶ良くなった。頭痛もそこまでしないし、頭以外に大きな怪我はしていない。

 

 ━━村というからには、畑仕事や狩りを手伝えばいいか。

 

 ぼんやりとそんな事を考えながら、廊下から響く足音に耳を傾ける。

 部屋の扉が開け放たれ、昨日出会った女の子と目が合う。

 

「朝ごはんだよ!」

 

「わかった。今いく」

 

 俺は立ち上がり、女の子の先導で廊下を進む。

 前を進む女の子が鼻歌混じりなのは、何か良いことがあったからか。

 

「何かあったのか?ずいぶんと機嫌が良さそうだが」

 

「今日は川に遊びにいくの!楽しみにしてたんだぁ!」

 

「川、か」

 

 俺が拾われたという川。そこに行けば、何か手がかりがあるかもしれない。

 院長に頼んで、この子と一緒に外出してみるか。

 朝食の席でそれを訊き、女の子が内緒で川に行こうとしていたことを知ったのは、もう少し経ってからだ。

 

 

 

 

 

「━━では、とりますね」

 

 院長の言葉に頷くと、顔につけられた包帯が外されていく。

 さっきの女の子は、監視という名目で捕まり、俺の視線の先で丸くなっていた。

 あの子には悪いことをしてしまった。孤児院の遠足か何かで川に行くものとばかり……。

 包帯が全て取られると共に、俺は大きく息を吐いた。

 汗ばんだ顔を今すぐ洗いたい衝動にかられるが、もう少し我慢だろう。

 院長は俺の顔を見つめ、申し訳なさそうに呟いた。

 

「私が『奇跡』を使えれば、すぐにでも治せますのに」

 

「『奇跡』?なんだ、それは」

 

 気になる言葉に反射的に食いついてしまい、自分の愚かさに内心で舌打ちをする。

 自分が無知であることを自白するとは、情けない限りだ。

 そんな俺とは対照的に、院長は苦笑混じりに答えてくれた。

 

「神々に祈りを捧げ、『超自然』の現象を起こすことです。人によっては傷の治療や光源を生み出すこと、雷を放つなんて芸当が出来ます」

 

「『超自然』を操る、か。興味深い」

 

 味方にそんな力を扱える者がいれば、だいぶ楽だろう。

 俺が一人で関心していると、院長が手鏡を差し出してきた。

 顔を見てみろということなんだろう。実際、その傷がどんなものか、俺も気になっていたところだ。

 手鏡を覗き、表情をしかめる。

 蒼い瞳に黒い髪であることは変わらない。無駄に伸びた髪は、後で纏めるなり切るなりそればいいだろう。

 問題は傷だ。

 口の右端から顎のラインにかけて、大きめの傷がある。だいぶ治ってきているが、下手に触れば、すぐにでも開きかねない。

 他にも小さな傷があるが、口元以外のものはそこまで気にする必要はなさそうだ。

 傷が出来るほど思い切りぶつけたようだが、歯が欠けていないのはありがたいことだ。食事をするためには、あってもらわねば困る。

 俺は手鏡を返し、院長に言う。

 

「怪我の治療から心配まで、申し訳ない。そうだ、何か仕事はないか。手伝わせてくれ」

 

「仕事、ですか……」

 

 院長は少し考えると、いくつか選択肢があるのか、迷いながら言う。

 

「畑仕事、狩り、家屋の修繕、子供たちの面倒を見る、挙げればキリがないわね……」

 

「あなたにも、この村にも大きな恩がある。何でも言ってくれ」

 

「では、やってもらいましょうか」

 

「任せろ」

 

 院長の言葉に俺は即答し、自分の胸を叩く。

 鈍い痛みが全身に駆け抜けたが、それを表に出すことなく、俺は院長の背を追って歩き出した。

 

 

 

 




ゴブスレさんと絡ませるのはもう少し先になりそう。

誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory02 冒険者

 二ヶ月後、とある森の中。

 優しい風に揺れる木々の音を聞きながら、俺は『エアライフル』━━その名の通り、空気圧で音もなく(ダート)を飛ばす銃だ━━を構え、視界を巡らせる。

 村での仕事は俺が怪我人なだけあり、畑仕事や子供たちの面倒━━と言いながら、一緒になって授業を受けていた━━時間が多かった。

 一ヶ月前に包帯が外れたこともあり、少し前に狩りに出ることが許された。

 邪魔になるほど伸びた髪を後ろで纏め、院長の夫が使っていたという衣装を借り、村の猟師たちと何度か森に繰り出した。

 最初こそ弓を使っていたのだが、慣れない俺には扱いにくく、院長と村長に頼み込むことでエアライフルだけを返してもらい、故障をしていないかの確認をするために一人で狩りに出たのだ。

『タカの目』を駆使し、隠れた鹿やウサギがいないかを探す。

 敵や野性動物が草むらに隠れていようが、肉眼では何もないように見える壁に描かれた絵であろうが、見えない痕跡を見ることが出来るこの力は、仕事以外にも役に立つ。

 実際は、その先にある『真実』を、もっと言うとさらにその先さえも見通すものらしいが、詳しくは知らん。

 そんな事を思いながら周囲を見渡し、タカの目で暗くなった視界に、強調された赤い影が映ることを確認した。

 

 ━━いた。

 

 足は四本、頭に角のようなものがある。雄鹿だろう。

 タカの目を解除し、音をたてないように細心の注意を払い、エアライフルの射程内に移動する。

 エアライフルに『スリープダート』━━相手を強制的に眠らせるもの━━を装填し、銃口を向ける。

 決して殺気を漏らさず、相手の不意を打つ。

 漏れた殺気は『囁き声』となり、相手に危険を知らせてしまうのだ。

 距離は十分。このダートなら、一発当てれば捕獲できるだろう。

 ゆっくりと息を吸い込み、止める。

 手振れを抑え、いざ撃たんとした時だった。

 

 パキ……!

 

「っ!」

 

 俺の背後で枝が折れる乾いた音がした。

 そんな異音を鹿が聞き逃すことはなく、その健脚を活かして逃げ出そうとするが、それを許すわけにはいかない。

 照準を僅かに修正、引き金を引く。

 音もなく放たれたダートは鹿の後ろ足の付け根に突き刺さり、鹿は構わずに走り出そうとするが、数歩歩いたところで倒れこんだ。

 ホッと息を吐き、鹿に近づく前に後ろに振り返る。

 

「あ……」

 

 ばっちり目があった黒髪の女の子は、慌てて草むらに飛び込む。

 またあの子か。俺が目が覚めて最初に出会ったあの子は、なぜかわからないが俺についてくるのだ。

 あとで説教されても知らないぞ……。

 今すぐ捕まえてしまったほうがいいのだが、今は鹿を仕留めてしまわなければならない。

 スリープダートは強力な分、効果時間がとても短い。

 一応強化は済ませているが、他の敵に気をとられていると、いつの間にか目を覚ましている。

 だが、先生は「長いだろう」と返してくるのだから、俺が未熟なだけなんだろう。

 エアライフルを背中に戻してナイフを取りだし、眠りにつく鹿の首に突き立てる。

 最初こそ暴れる鹿だったが、頸椎を折った頃には大人しくなった。

 後はこいつを解体するだけだ。

 

「とれた!」

 

「ああ」

 

 女の子が俺の横に来ると、不思議そうに鹿と俺とを見比べていた。

 

「どうかしたか」

 

「えとね、どうやって見つけたの?」

 

「目で見てだ」

 

 ━━タカの目で、な。

 

 女の子の質問に少し意地悪で返すと、女の子は首を傾げた。

 

「でも、ボクには見えなかったよ?」

 

「見ようとするから見えないんだ」

 

 鹿の解体を進めながら、女の子の質問に返していく。

 先生に動物の解体を教えられた時は驚いたが、山でのサバイバルを視野に入れての訓練だったのかもな。

 

「??」

 

 俺の返しに疑問符を浮かべる女の子をよそに、剥がした毛皮をたたみ、体をばらしていく。

 前まではもう少し苦戦していたのだが、手慣れたものだな。

 

「『感覚を研ぎ澄まし、形を聴き、音を見る』だそうだ。俺もよくはわかっていない」

 

「へぇ~」

 

 女の子が思考放棄するまで追い詰めたところで、解体した鹿の肉を袋に詰め、毛皮を担ぐ。

 この子はなんて言い訳をするんだろうな。前は「おにーちゃんが迷子になると大変だから!」と言っていた。

 いつの間に俺が「兄」になったのか聞きたいところだが、子供の言うことだ、気にしたところでどうにもならないだろう。

 二人で手を繋いで━━「はぐれたら大変だ!」と言ってきたからだ━━村に戻ると、村の入り口のところで、男たちが院長や村長と集まって何かを話し合っているところに遭遇した。

 女の子は首を傾げ、俺の手を握る力を強くした。

 院長や村長をはじめ、その話し合いに参加している者の中に、笑顔を浮かべているものはいない。

 何かしら、重大なことが起こったようだ。

 神妙な面持ちで話していた院長が、俺たちの姿を目にして安心したように笑みを浮かべると、こちらに駆け寄ってきた。

 

「いんちょーせんせー!」

 

 女の子もニコニコと笑いながら駆け寄り、そして抱き合うかと思いきや見事な拳骨をくらった。

 頭を押さえながら泣きじゃくる女の子をよそに、院長に訊く。

 

「何かあったのか?ただ事ではないことはわかるが」

 

「その話は、この子を部屋に戻してから、村長様のお家でよろしいですか?」

 

「構わない。この子を部屋に戻したらすぐに行く」

 

 足元で泣きわめく女の子を抱き上げ、孤児院を目指す。

 涙だの鼻水だので服が大変なことになっているが、今はそれどころではないようだ。

 

 ━━最悪、装備を返して貰わなければ。

 

 僅かな予感からそう思慮した。

 この村は森の真ん中にある、いわゆる『開拓村』だ。街道はおろか、行商人すら滅多に来ることはない。

 もしかしたら、山賊や野盗の類いが迫っているのかもしれない。

 そうなれば、俺は全力を持って戦うつもりだ。

 

『平穏』を望む人々を『秩序』のもと守ること。

 

 それが俺の使命なのだから━━━。

 

 

 

 

 

 その日の夜、村長宅。

 村にある他の家に比べて、一二回り大きめのその家に、村長、院長、各家の主人、そして俺が集まっていた。

 全員が全員真面目な顔をしており、問題の大きさを痛感させられる。

 この村で一番の猟師が、悲痛な面持ちで切り出す。

 

「山で、『ゴブリン』の足跡さ見つけただ……」

 

「ゴブリン……だと……?」

 

 突然出てきた単語に、思わず声が漏れる。

 おとぎ話にそんな名前の化け物が出てきた記憶がある。

 

 ━━村を襲い、人々を苦しめる害獣。

 

 月が二つあることを知ったとき並の衝撃だ。おとぎ話の怪物が、実在するとは……。

 俺の呟きを確認したと受けとったのか、猟師が頷く。

 

「んだ。見た感じ、たくさんおる。村さ戻ってくるまでに、生きた心地がしなかっただよ」

 

 額に流れる冷や汗を拭いながら、猟師は胸に手を当てた。

 装備も何もない状態で怪物に襲われるのは、想像もしたくない。

 そもそも、装備があったとしても、その『ゴブリン』の体格、急所、武器防具の有無、数もわからないのに挑めと言われても、流石に困る。

 猟師の言葉を聞いた村長は、蓄えた顎ひげをしごき、確認を取った。

 

「そこでだ、皆の衆。『冒険者』を雇おうと思うのじゃが」

 

 村長の言葉に波紋が広がっていく。

 

「娘に手を出さねぇか、心配だ」

 

「そだけど、十年前も、冒険者を雇った村が生き残ったべ」

 

「雇う前に、金はどうするべ。かき集めても、足りるかどうか」

 

 など、その『冒険者』なる人物について色々と意見が飛んでいく。

 纏めると、報酬と引き換えに、仕事を請け負う傭兵のような者なのだろうか。

 俺も『アサシン迎撃』や『艦隊戦』、『フロンティア戦』と、仕事の報酬で金を貰うことは多々あった。

 彼らも、そういう輩なのだろう。

 俺が思慮を深めていると、村人が俺を指差してきた。

 

「そこの『旅人』さんに頼めねぇか。怪我こそしてたけども、腕はたつんだろ?」

 

「確かに、先生に鍛えてもらった。町にいる暴漢には負けん」

 

「なら━━」

 

「熊や狼の相手もしたことはあるが、ゴブリンの相手はしたことがない。その道のプロを雇うべきだ」

 

 俺の一言に、村人は黙ってしまった。

 村としては出来るだけ出費を抑えたいのだろうが、それで村が滅びれば、元も子もない。

 村長が一度咳払いをし、村人たちに言う。

 

「では、冒険者に頼むとしよう。明日の朝一に、せがれにギルドまで走ってもらおう。頼めるか」

 

 村長の後ろにいた青年は嬉しそうに頷き、「そなら、早めに寝るだ」と部屋に戻っていった。

 親に頼られて嬉しいという気持ちはわかる。だが、空回りしないかが心配だ。

 

「村の若い衆に、見張りを頼みたい。各々がた、頼めるか」

 

 村長の頼みに、村人は一斉に頷く。

 彼らの息子たちが中心に、見回りをしていくことになりそうだ。

 

「『旅人』さんも、滞在中はお願いしてもよろしいですか?」

 

「ああ、問題ない」

 

 即答で返し、ついでに頼む。

 

「それで、装備を返してもらいたいのだが頼めるか。エアライフル(こいつ)だけでは不安だ」

 

 背中のエアライフルを担ぎ直しながらの頼みに、村長は複雑そうな表情になった。

 装備をもらった途端に行方を眩ますと思っているのだろう。

 俺は気付かれない程度に小さく息を吐き、村長に言う。

 

「━━服は後でいい。あれは父から譲り受けた大切なものだ、置いてはいかない」

 

 俺の言葉に、村長は少し考えを巡らせ、渋々と言った様子で頷いた。

 

「……わかりました。お返ししましょう」

 

「ありがとう」

 

 剣は弾き飛ばされたはずだから、あるとしてもフリントロックのピストル二挺と、アサシンブレードが一対だけだろう。

 ピストルのほうは火薬━━こちらでは火の秘薬と言うそうだ━━は湿気っている可能性がある。

 まあ、最悪鈍器程度には使えるはずだ。大抵のものは鈍器として使えるし、生物とは死ぬまで殴れば殺せる。

 装備を返してもらう算段もつき、動き出すのは明日から、と言ったところか。

 この日はこれで解散となり、俺は院長と共に孤児院に戻ることに。

 院長と二人で夜の道を進む中、院長が二つの月を見上げながらこう切り出した。

 

「ところで、旅の方。いつまで滞在するおつもりでしょうか」

 

「……傷も治り、痛みも引いた。この問題が片付けば、行こうと思う」

 

「留まっては、くださらないのですね」

 

 院長の言葉に、俺は無言で頷く。

 俺としては、長居しすぎたとも思っているほどだ。

 俺がいるせいで、院長や子供たちには余計な負担を強いてしまった。

 先程の会議から考えていたことを口にする。

 

「俺は『旅人』だが、先ほど話題に上がった『冒険者』になってみようかと思う。日銭を稼がなければ、飢え死にするだけだからな」

 

「そうですか。あの子は悲しむことでしょうね」

 

 院長は悲哀の表情を浮かべ、そう呟いた。

 あの子とは、いつも俺について回る女の子のことだろう。

 泣き虫だが、あの子はそれ以上に笑う子だ。

 

「短い付き合いの俺が言えた義理でもないが、大丈夫だろう。あの子は、想像よりもしっかりとした子だ。俺がいなくなったところで、腐ったりはしない筈だ」

 

 俺がそう言うと、院長も「そうですね……」と返してきた。

 親を失っても腐らず、好奇心の赴くまま行動するあの子は、確かに危なっかしいが、きっと大物になるだろう。

 何となくだが、そんな予感がする。

 

 

 

 

 

 会議から一週間ほど経った頃。

 太陽がほぼ真上から光を突き刺してくる時間帯に、俺は村の入り口に立っていた。

 いつ来るかもわからない冒険者を待つため、柵に寄りかかり、村の外へと伸びる道で待機しているのだ。

 件のゴブリンたちは夜中に村に忍び込み、収穫間近の作物や家畜を拐っていた。

 しかも、俺のいない時間帯を狙っての犯行だ。

 奴等は何故だか俺を脅威と感じているのか、俺の見張りの時間には何もしてこず、村人が見張る時間に犯行に及ぶ。

 一応だが、昨日村人が仕留めたというゴブリンを見せて貰ったが……。

 

「……厄介そうだ」

 

 子供程度の大きさで緑色の体色をした、人型の怪物。

 その醜い顔は、まさか死ぬとは思っていなかったのか、驚愕の色に染まり、黄色い眼球が半ば飛び出していた。

 解剖しようとも思えたが、流石に彼らや、興味本位で見に来た例の女の子の前ではそれは出来ない。

 

 人型ということは、急所も人間に似ているのだろうか。

 

 小柄だから、少々殺りにくそうだ。

 

 力はそれほどでもないようだが、数が多ければ厄介だ。

 

 夜中に犯行に及ぶということは、夜目が利くのか。

 

 殺された一匹は棍棒を使っていたそうだが、他にも何か武装はあるのか。

 

 戦闘中に背後からの奇襲を受けたらどうするか。

 

 群れを作り、物を盗むということは、死んだふりをする程度の知能はありそうだ。

 

 ゴブリンへの仮説を立ち上げ、対策を思慮する。

 やはり柵を作るように打診するべきか。

 それとも見回りの時間を変えるべきか。

 ひたすらに思慮を深めていくなか、村のほうから誰かが駆けてくる音が聞こえた。

 サイズの合わないサンダルでも引きずっているのか、土と擦れる音も一緒だ。

 

「おにーちゃーん!」

 

 機嫌のいい犬が尻尾を振るように、手をぶんぶん振り回しながら、太陽のような笑顔を浮かべた女の子が駆け寄ってきた。

 出来るだけ外出を避けるように言われているはずだし、院長が見張っていたはずだ。

 昼にしては服に汚れがついているし、もしかしたら、孤児院の壁にあった小さな穴を潜ってきたのかもしれない。

 子供の好奇心は、恐ろしいものだ。

 だからこそ、その子供たちが『自由』に安心して暮らすためには、その周りを囲む『規範』が必要不可欠だ。

 危険な場所に危険だとわかっていて子供━━この世界では15歳から成人として扱われるそうだ━━を放り込むなど、あってはならない。

 人々を縛り付けるだけの『規範』など、意味がない。それではただの『支配』だ。

『規範』の中である程度の『自由』を与え、そのなかで『平穏』を謳歌させる。

『マスター』たちは、それを目指していたはずだ。

 人々を無駄に縛り付けては、反乱を呼び、アサシンどもに付け入る隙を与えるだけだからな。

 だが、『自由』を与えるとは……。

 

 ━━まるで『アサシン』どもが言いそうなことだ。

 

 この世界に来て三ヶ月足らずだが、僅かに自分が変わっているように思える。

『アサシン』も『騎士団』もいないこの世界に来て、視野が広がったのかもしれない。

 もう少し、父からアサシンについて訊いてみるべきだったか?

 

「おにーちゃん、どうしたの?」

 

「いや、考え事をしていた」

 

 ━━こう思うようになったのも、この瞬間を『自由』に生きる、この子のせいか……。

 

「なんで笑ってるのさ~?」

 

「何でもないさ」

 

 女の子は俺の寄りかかる柵によじ登り、その上に座って俺の頬をつついてくる。

 二つほど注意するべきなのだろうが、この子がよじ登った柵は俺の身長よりも低いものだ。落ちても多少痛いで済むだけだろう。

 頬をつつかれるのも、無駄に喋られるよりはましだ。

 二人で日を浴びながら待っていると、道にそって近づいてくる黒い影を視認した。

 少しずつ確かになってくるそれは、一言で言えば『何か変なの』だ。

 年期が入っているのか薄汚れた革鎧に、片角が折れた鉄兜。

 腰には振りやすさを重視したのか、中途半端な剣を下げ、左腕には小振りな円盾(まるたて)

 装備に統一性は見られず、ありふれた数打ちものを適当に見繕ったように見える。

 その『何か変なの』は、俺たちの前で立ち止まり、開口一番にこう告げてきた。

 

「ここがゴブリンの出る村か」

 

 この『何か変なの』が、俺と女の子が見た、最初の冒険者だった。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory03 ゴブリン

「北は山、無理をすれば馬で通れる岩だらけの場所だ。前に狩りに出たが、洞穴の類いはない」

 

「そうか」

 

 村に来た冒険者の相手を任された俺は、村の周辺のことを教えていく。

 案の定、あの子は説教を貰い、おかげで村長への案内を頼まれてしまった。

 この冒険者、何を言っても基本的に「ああ」「そうか」で返ってくる。本当に理解できているのか不安だ。

 冒険者が言う。

 

「金は払う。余っている材木だの柵の材料だのと、後は細工道具を貸してくれ」

 

「それは俺じゃなく、村長に言え」

 

「ああ」

 

 基本無口な冒険者を横目に、こちらの様子を伺う村人たちにも目を向ける。

 娘が助けてくれた冒険者に惚れ、そのままついていってしまった。なんて話があるらしく、余り関わろうとしない。

 同じ余所者で、報酬を求めない俺は、冒険者の相手に都合がいいのだろう。

 それからお互いに話すことはなく、黙々と村を歩く。

 沈黙が痛いとは思わない。むしろ、仕事人というのはこのくらいのほうが良いだろう。

 マスターたちは時々下らない━━好みの女や、その出身地などの━━話をしていたが、やる時はやってくれるのだから何も言えない。

 それに、たまには息抜きも大切とも言っていたな……。

 村長の家の前に到着し、冒険者を中に通す。

 あの男がゴブリンをどう皆殺しに(スレイ)するか、見ものだ。

 

 

 

 

 

 村人たちが歌に合わせて作物を収穫していく。

 村人たちの表情はどこか嬉しげなものであり、その作物を育てる苦労を暗に告げていた。

 余所者である俺が参加することはないが━━、

 

「「…………」」

 

 その代わりに、冒険者と共にひたすら杭を作っていた。

 背中にあるはずのエアライフルを横に置き、万が一に備えてアサシンブレードを両腕に。

 院長に借りたナイフで材木を削り、両端をひたすらに尖らせていく。

 冒険者は時々手を止め、ぼんやりとすることがある。

 それでもすぐに手を動かし始めるのだが、疲れた様子なのはわかる。

 無理を押して来ているのなら、むしろ俺だけでやったほうがいいかも知れない。だが、これは彼の仕事、か。

 

「ねー、おにーちゃん。なんでこれ、両方のはしっこ削ってるの?」

 

 エアライフルに触ろうと俺の隙を伺っていた女の子は、気をそらすためなのかそんな事を訊いてきた。

 さっきまで泣いていたというのに、今はもういつもの笑顔を浮かべている。

 

「用水路に立てるそうだ。ゴブリンが渡って来られないようにな」

 

 黙々と木を削り、杭が出来たら次の杭に取りかかる。

 機械的な作業を黙々と繰り返すのには慣れている。

 慣れた頃に失敗するので、意識して作業することがコツだと教えられた。

 冒険者は少し悩み、俺にも聞こえるように言ってきた。

 

「手伝わなくて良いのか」

 

「ボクが手伝うまでもないと思うの」

 

「俺は余所者だ。訳あってここに滞在しているだけのな」

 

 妙に得意気に胸をそらす女の子と、苦笑混じりに返す俺。

 女の子の手がエアライフルに伸びたので軽く叩いて返し、次の杭に取りかかる。

 川のせせらぎ、村人の歌、木を削る音が混ざりあい、妙に落ち着いてしまう。

 こういった『平穏』の中で生きるのは、いいものだ。

 向こうでは、町を歩き回るだけで刺客に追いかけ回されることが多かった。心休まることなぞ、滅多なことではなかった。

 だからこそ、それを一方的に奪おうとする輩がいるのなら、それを許すわけにはいかない。

 制作中のこの杭は、数を用意したら畑の脇を流れる用水路に突き立てていき、ゴブリンの渡河(とか)を阻止するために使うらしい。

 全力で投げれば武器にもなりそうだが、それなら槍でもナイフでも使ったほうが良いだろう。少々重いからな、これは。

 エアライフルに触れようとする女の子を注意しながら、次の杭に取りかかる。

 

「触るな、危ないから」

 

「ぶー。おにーちゃんのケチ!」

 

「怪我するぞ。大人ならともかく、子供は致死量だ」

 

「それは、武器なのか」

 

 作業を進めながら、冒険者が訊いてきた。

 俺はちらりとエアライフルに目を向け、一度頷く。

 

「俺の故郷で使われていた武器だ。音を出さずに針を飛ばして、相手に毒を打ち込む」

 

「飛ばすとは、それについている太い筒からか」

 

 意外と興味が引かれたのか、さらに訊いてきた。

 気になることは追及する性格なのか。それとも自分でも扱えるようになりたいのか。

 俺は首を横に振り、木を削る。

 

「いや、細いほうからだ。太い筒からは爆弾が……火の秘薬が詰まった袋が飛び出す」

 

 銃口の下に取り付けられたものは『グレネードランチャー』というらしい。

 爆弾を飛ばし、相手を殺害するも良し、ガス弾を飛ばして無力化するも良しだ。

 これを作り出した男は天才であり、狂人であったに違いない。

 どんな人物であれ、天才と狂人は紙一重なのだから。

 

「うえっ」

 

 女の子は露骨に怖そうな顔をして、少し距離を開けた。

 ようやく触るべきではないものと気づいたのだろう。

 削り終えた杭を置き、エアライフルを持ち上げて見せ、レバーアクションで弾を込める。

 吹き矢や弓よりは、格段に扱い易いと思うのだが、先生以外に使っている騎士はいなかった。

 

「おにーちゃんって、『旅人』なんだよね?危なくないの?」

 

「旅には危険が付き物だ。山賊、盗賊、海賊、人拐い。目的も、正義もなく、ただ金のために人を殺す奴は多い。人間は、なろうと思えばどこまでも残酷にも、醜悪にもなれる」

 

「??」

 

 真面目な話をぶつけられたことで、完全にフリーズを始めた女の子に、ため息混じりに言う。

 

「考え過ぎないで、逃げたらどうだ。そろそろ院長が来るぞ」

 

「っ!」

 

 言うが早いか、女の子が脱兎の如く駆けていく。

 あの年であの健脚なら、どこかで転ぶなんてことはないだろう。

 転んだところで、泣きながら戻ってくるに違いない。

「院長が来る」なんて、適当な嘘を吐いたのだから。

 冒険者は杭を纏め、ゆっくりと立ち上がる。

 

「手伝ってくれて、感謝する」

 

「ああ、何かあったら呼んでくれ。余所者同士、助け合おう」

 

「……ああ」

 

 気のない返事。呼ぶつもりがないのか、返すのも面倒になるほど、疲労が溜まっているのか。

 危険だと判断したら、勝手にやらせてもらうしかなさそうだ。

 俺は苦笑混じりに冒険者に言う。

 

「設置するのはいいが、片付けは手伝ってくれるのか?」

 

「そのつもりだが━━」

 

 冒険者は俺に背中を向け、杭を持ったまま用水路を目指して、怠そうにゆっくりと歩き出す。

 

「━━手伝えるとも限らん」

 

 その呟きと、削り出された木片だけを残して━━━。

 

 

 

 

 

 翌日。

 収穫を終えたこの村で、ちょっとした祭りが開かれた。

 神々に感謝を捧げ、来年の豊穣を願う祭りだ。

 もはや見慣れた村の人たちが歌って騒ぎ、ちょっとした贅沢として獣の肉が振る舞われる。

 あの冒険者は、柵を設置しているはずだ。休み抜きで働き続けているが、倒れないのだろうか。

 

「おにーちゃん!これ、おにーちゃんが捕ったお肉だよ!」

 

「そうか。いただこう」

 

 差し出された鹿肉を豪快に焼いたものを受け取り、頬張る。

 溢れ出た肉汁が強烈に熱いが、食事の醍醐味の一つだろう。何かを感じるのは、生きている証拠に他ならない。

 

 ━━あの冒険者は、何か食べているのだろうか。

 

 脳裏にそんな事がよぎる。

 人間というのは、無理をしているのに気づかない時がある。

 あの冒険者が、そんな状態になっていなければいいのだが……。

 楽しい時間ほど早く終わるとは、よく言ったものだ。

 あんなに盛り上がりを見せていた祭りは、すぐに終わりを迎えようとしていた。

 出された食事は食べ尽くされ、煌々と燃えていた篝火は陰り始める。

 西の夕暮れ空には雲がかかり、小さく雷の音まで聞こえる始末。

 村の人たちは急いで片付けを始め、門戸を閉ざし始めた。

 夜にはどしゃ降りの雨とゴブリンの襲来。その二つが間違いなく、同時に訪れるだろう。

 あの冒険者、その雨の中でゴブリンと戦うことになるのか。

 膝の上で眠りこける女の子を抱き上げ、孤児院を目指す。

 この子を寝かしつけたら、装備を整え━━と言ってもアサシンブレードとエアライフルしかないが━━冒険者の加勢に向かう。

 幸い、酒は入れていない。思考もしっかりしているし、腹には満腹にならない程度に物を入れた。

 大事なのは、やれるかではなく、『やる』か『やらない』か。

 結果がどうだとしても、やらなければ結果は訪れない。

 成功するかしないかは、運次第。

 そこまで考え、思わず苦笑が漏れた。

 そうだ、先生がよく言っていたじゃないか。

 

 ━━運とは、自分で掴むものだ。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 真夜中では、月の輝きは太陽に勝ると言う。

 紅い月と緑の月と月が二つあるこの世界においても、それは例外ではない。

 だが、その二つを覆う厚い雲により、輝きが地上に届くことはない。

 小さな松明に照らされ、そのほとんどが闇に包まれた地上で、その冒険者は苦戦していた。否、はっきり言って殺されかけていた。

 四匹殺したまではいい。だが、不意に放たれた投石が兜に直撃し、倒れたところで袋叩きにあっていたのだ。

 うつ伏せに倒れる彼の背中に、棍棒、棍棒、時折斧や鉈が叩き込まれる。

 力任せのその乱打は、薄汚れた革鎧と、その下に着込んだ鎖帷子だけで防ぎきれるものではない。

 

「GOROGR!!」

 

「GRRB!GOORG!!」

 

 ゴブリンどもは、そんな冒険者を嘲笑う。

 一人で挑んできた冒険者を見下し、蹂躙する悦びに浸っている。

 

 ━━こいつを殺せば、大量の肉と女にありつける!

 

 基本的に略奪することしかしない彼らの脳内は、そんな事で埋め尽くされている。

 自分たちの森の中に村があるから、それは俺たちのもの。

 村が何かを作っていたら、それは俺たちのもの。

 俺たちが攻撃しているのではない。冒険者が俺たちを攻撃してくるのだ。

 自分たちのしてきたことを棚にあげ、自分たちを被害者としてしか考えない。

 冒険者を殺そうと、やりやすいように兜の角を持ち、無理やり顔を上げさせる。

 振り上げられる棍棒。あれを三回でもくらえば、兜ごと頭が潰れるだろう。

 冒険者はぼんやりとその事を自覚した。

 ゴブリンに故郷を滅ぼされ、目の前で姉を殺され、自分だけが生き残った。

 

 ━━あの夜が追い付いてきた。

 

 冒険者の脳裏によぎるのは、走馬灯か。

 彼の先生に当たる人物は、そんなものあってたまるかと言うだろう。

 ゴブリンたちは嘲笑う。

 下卑た笑いが雨音に混ざり、周囲の音をかき消した。

 だからだろうか、冒険者を含めて誰も気づかない。

 バシャバシャと音をたて、抜かるんだ畑を進む彼の姿を。

 彼が背中に回されたそれを構え、冒険者にトドメを刺そうとしているゴブリンに向け、引き金を引いたことを。

 音もなく放たれたダートがゴブリンに突き刺さり、強制的に眠らせたことを。

 

「GOB!?」

 

 棍棒を振り上げた一匹が倒れたところで、ようやく異常に気づいたゴブリンたちは慌てふためき、視界の端に捉えた彼のほうに目を向けた。

 それは冒険者も同じこと。彼もその人物に目を向けた。

 後ろで纏められた黒い髪に、背中に背負った妙な筒。身を包むのは鎧でも鎖帷子でもなく、一回りサイズの大きい狩り装束。

 昨日、杭の制作を手伝ってくれた男だ。

 余所者と言っていたが、冒険者という訳でもあるまい。

 どうして出てきたのか。

 冷静な冒険者に反して、ゴブリンたちは嘲笑う。

 間抜けな村人が、間抜けな冒険者を助けに出てきたのだろう。

 二匹のゴブリンが我先にも飛び出した。

 仲間を守るためなんて上等な理由ではない。

 

 ━━あの背中の筒は、俺のものだ!

 

 見たこともないものを欲しがった欲深さ。

 それが彼らの死因だった。

 正面からほぼ同時に飛びかかったその二匹に対して、彼は両腕を突き出す。

 両手首に巻かれた仕込み刀(アサシンブレード)が飛び出し、寸分の狂いなく飛びかかったゴブリンの喉を貫き、手首を捻って頸椎を折る。

 その二匹は、何をされたのかもわからないまま、痛みも恐怖もないままに死んだ。

 ゴブリンにしては、だいぶ上等な死に方だろう。

 彼らが与え続けたものを、最後まで知ることはなかったのだから。

 

「まず二、か」

 

 男はそう呟きながら死体を地面に叩きつけ、アサシンブレードを引き抜く。

 先程まで何も持っていなかった男の手元に、いつの間にか武器が構えられているのだ。

 正確には手首に仕込まれた刃を展開しているだけなのだが、ゴブリンどもはそれがわかるほど賢明ではない。

 彼は倒れる冒険者を睨み、感情を殺した声音で言う。

 

「どうした、冒険者。ここで死ぬつもりか」

 

「GOBR!!」

 

 飛びかかったゴブリンの鉈をアサシンブレードで受け流し、カウンターで首を一突き。

 ゴブリンの鉈を奪い取り、首に穴が空いたゴブリンの頭蓋に叩きつけ、砕く。

 

「三。次」

 

 飛び散る脳随を見ることなく、流れるように次のゴブリンの頭蓋を砕く(キルストリーク)

 

「四」

 

 ただ冷静に、数を刻んでいく。

 刃こぼれ激しい鉈を捨て、殺したゴブリンの斧を蹴りあげ、右手に掴む。

 

「まだ寝ているのか。そのまま何もしないつもりか」

 

 向かってくるゴブリンに一瞥くれ、右手に斧、左手にアサシンブレードを構える。

 

「まあ、そのまま眠れば楽になれるがな」

 

 斧で頭蓋を砕き、アサシンブレードで喉を貫く。

 喉を貫いたゴブリンを盾にし、放たれた矢を防いだ。

 手慣れた動きで、ゴブリンを殺していく男は、煽るように冒険者に声をかけ続けた。

 

「帰る場所はないのか」

 

 その言葉に、幾人かの顔が浮かぶ。

 

 ━━知ったことか。

 

 大きく息を吸って、吐く。

 彼が動き回っているおかげで、ゴブリンどもの注意はそちらに向いている。

 棍棒を持っていた正面のゴブリンは、なぜか眠りについている。

 

『俺の故郷で使われていた武器だ。音を出さずに針を飛ばして、相手に毒を打ち込む』

 

 ふと、男が言っていたことが過った。

 確かに、音は聞こえなかった。便利なものだ。

 

「GOBR!?」

 

「GRRB!」

 

 そんな事を思い出したところで、今さら何になる。

 その男は、視界の端でゴブリンを片付けている。

 一撃で急所を潰し、武器を奪い、勢いのまま次へと向かう。

 

 ━━武器庫は、向こうからやって来るということか。

 

 いまだに自分の兜を掴むゴブリンに目を向ける。

 目には怯えと悦びが混ざっている。

 仲間が死ねば、分け前が増える。そんな事を考えているのだろう。

 そのゴブリンの腰には、鷲の頭を模した柄頭の短刀。鞘はない。

 彼の右手が閃いたのは、その時だった━━━。

 

 

 

 

 

「これで、八」

 

 彼は錆びた刃の剣を片手に、周囲を見渡す。

 あの冒険者が何匹殺したかはわからないが、一人で押さえきれていた━━まあ、殺されかけていたが━━と言うことは、そこまで大規模な群れという訳ではないだろう。

 

「G━━!」

 

「む」

 

 彼を取り囲んでいたゴブリンの一匹が、後ろから首をかっ切られて血に溺れていった。

 横目で確認してみれば、先ほど眠らせたゴブリンの頭は踏み潰され、息絶えている。

 彼は口元に笑みを浮かべ、ゴブリンの背後の冒険者に目を向けた。

 

「ようやくか、遅かったな」

 

「すまん……」

 

 視線の先には、アンバランスに残されていた兜の片角までもが折れ、泥にまみれた冒険者。

 事情を知らねば嘲られるであろう格好だが、それこそが彼が戦い、立ち上がり、生き残った証拠だ。

 彼は錆びた刃を飛びかかってきたゴブリンの胸に突き刺し、一気に押し込む。

 それだけでは死なないのはわかりきっているので、斧を奪って頭をかち割る。

 

「九と━━」

 

 血まみれの斧を振りかぶり、投げ撃った。

 空中を回る斧は、後方で二人が死ぬのを待っていたゴブリンの頭にぶち当たり、命を刈り取る。

 

「━━十だ」

 

 無手になった右手のために、アサシンブレードを展開。警戒しながらタカの目を発動し、冒険者に問いかける。

 

「━━で、いくつ殺した」

 

「六だ。残りはわからん」

 

「合わせて十六。柵の外にもいるようだが、総数は三十いるかいないか、と言ったところか」

 

 柵の外を蠢く赤い影をざっと数えながらそう言うと、冒険者の兜が縦に動く。

 

「おそらく。次が来るぞ」

 

 冒険者の警告と共に、立てられた柵にわざと作られた隙間に、ゴブリンが殺到してきていた。

 数は最低でも十はいる。それだけ見れば、相手の数はこちらの五、六倍だ。

 

 ━━だが、それがどうしたと言うのだ。

 

「ゴブリンは皆殺しだ……!」

 

 冒険者はそう言い、手にした短刀を投げ撃った。

 鷲を模された柄頭のそれは、本物の鷲さながらに、一直線に獲物に襲いかかる。

 それは柵を越えた最初の一匹の喉に突き刺さり、ゴブリンは間抜けた顔をしたまま、血泡を噴いて息絶えた。

 先ほど喉を裂いたゴブリンの腕を踏み砕き、棍棒をぶんどる。

 

「十と七。残りは━━」

 

「十二だ。すぐに終わる」

 

 柵に殺到するゴブリンの群れを睨み、彼はそう言った。

 

 ━━まるで、闇の奥が見えているかのように、断言したのだ。

 

 冒険者がほんの一瞬彼に目を向け、すぐさま視線をゴブリンに戻す。

 冒険者と彼は同時に駆け出し、冒険者は柵の穴のほうへ。彼は柵に正面から突っ込んでいった。

 柵から顔を覗かせたゴブリンの頭を棍棒で叩き割り、彼は柵に乗り、ゴブリンの上から奇襲をかける。

 

「十八!」

 

 冒険者が一匹葬ったことを合図に、両手のアサシンブレードを展開し、飛び降りた勢いのまま二匹を同時に殺す(ダブルアサシン)

 

「二十だ」

 

 倒れたゴブリンの棍棒を奪い、両手で構えてフルスイング。

 棍棒で横殴りに殴られ、顔面がひしゃげたゴブリンは吹き飛び、声をあげることも出来ずに死に晒した。

 

「二十一」

 

 棍棒は血に濡れてなお形を保っている。

 冒険者が三匹仕留めたことを横目に、棍棒を垂直に振り下ろす。

 ゴブリンは手にした錆びた剣で防ごうとするが、棍棒の一撃はその剣ごとゴブリンの頭蓋を砕く。

 

「二十五……」

 

「二十六!」

 

 それと同時に冒険者が一匹仕留め、残るは三匹。

 

「GOBRGOBR!!」

 

 一匹が逃げようと背中を向けるが、その背中にダートが突き刺さる。

 エアライフルを構えた彼は一息吐き、撃ち込んだダートの効果を確かめる。

 

『バーサークダート』。撃たれた対象は激情にかられ、目の前にいるものを敵味方関係なく襲うようになる。

 

 そのダートが刺さったゴブリンは自分の頭を押さえると、狂ったように笑いながら残った仲間に襲いかかった。

 手にした棍棒を何度も振り下ろし、組伏せた一匹を撲殺する。

 狂った仲間と、それに殺された仲間。

 自らが辿る運命に恐れ、最後の一匹は逃げようとするが、

 

 バシャッ!

 

「ッ!」

 

 背後から聞こえた音に、そのゴブリンは振り返る。

 そこにいるのは、雨に濡れ、泥まみれになった、幽鬼のような冒険者。

 足元の水溜まりに足をつけ、斧を片手に見下ろしてきていた。

 自分たちを殺した冒険者に、ゴブリンは膝を屈して許しをこう。

 喚き散らすその言葉が冒険者に伝わることはないが、内容を要約すると、

 

『森の中でひっそり暮らすから、自分だけでも見逃してくれ』

 

 と言ったところか。

 どこまでも自分本位なゴブリンだが、その手はゆっくりと腰に差した短刀に伸びていく。

 

「二十七、八。こちらは終わったぞ」

 

 冒険者ではないほうが、先ほどの二匹を仕留めたことを告げていた。

 ゴブリンにはそんな事は関係ない。自分が助かれば、それでいいのだ。

 最後のゴブリンが顔をあげる。

 その瞬間、ゴブリンの脳みそが地面にぶちまけられた。

 斧を振り下ろした冒険者は、倒れるゴブリンに一瞥くれて、こう告げた。

 

「ゴブリンは皆殺しだ……」

 

「二十と九、か。中途半端な数だな」

 

 雨で返り血を流しながら、槍を片手に彼がそんな事を呟く。

 冒険者はその言葉に、何とも言えない違和感を感じた。

 

「二十九。二十九だと……?」

 

 冒険者は首を捻り、改めて死体の数を数え始める。

 最後の突撃で、数が狂った可能性があったからだ。

 だが、数は二十九から変わることはない。

 拭えぬ違和感を感じながら、二人で村に戻る。

 冒険者の後ろをついて歩き、周辺を警戒する。

 

「む……」

 

 その時、彼の耳に刺客たちの『囁き声』とも違う、『下卑た笑い声』が響いた。

 冒険者にそれが聞こえた様子はない。空耳、という訳でもない。

 彼は意識を集中させてタカの目を発動させると、視線を巡らせる。

 そして、それを見つけた。

 杭が設置された用水路。そこに小さな『赤い影』が見えるのだ。

 彼はそちらに歩き出し、それに気づいた冒険者も彼に続く。

 そこにいたのは、どうにか杭を避けながら用水路を越えたゴブリンだった。たったの一匹。されど一匹。

 たとえ最弱の魔物であろうと、魔物であることに変わりはない。

 用水路を越えるのに力を使い果たしたのか、そのゴブリンは四つん這いになって荒れた息を吐いていた。

 

 ━━だいぶ疲れたが、これで全部俺のものだ!

 

 ゴブリンは醜悪な顔をさらに悦びで歪め、顔をあげた。

 顔をあげたゴブリンの視界に入ったのは、食料でも女でもない。

 

 ━━そこには、二人の死神がいた。

 

 命乞いをする暇も、抵抗する暇もなく、そのゴブリンは死んだ。

 

「……これで、三……十……」

 

 仕留めると共に、冒険者の体が傾く。

 それを支えたのは、横にいた彼だった。

 冒険者はよほど疲れていたのか、気が抜けたのか、気絶したように眠っている。

 

「……院長は起きているだろうか」

 

 雨に濡れながら、彼はため息混じりに呟いた。

 だが、その表情はどこか嬉しそうなものだ。

 この世界における初めての戦いは、勝利で終えることが出来た。

 今回勝てたからといって、次も勝てるかはわからないが、今は目の前の結果を喜べばいい。

 

 ━━次がどうなるかなんて、神々ですらわからないのだから。

 

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory04 辺境から辺境へ

 窓から突き刺さる太陽の輝きに、冒険者は目を覚ます。

 倒れる前はゴブリンを殺した。現れたあの男と共にだが、何となくやり易さを感じたのは確かだ。

 いや、そうであったとしても、気を緩めてそのまま気絶するとは、情けない限りだ。

 あの男にここまで担がれてきたのか。あるいは村人に手伝ってもらったのか、あてがわれた部屋のベッドに、鎧も兜も外されて寝かされていた。

 寝転んだまま視線を巡らせ、装備を探す。

 それはすぐに見つかった。

 兜も革鎧も鎖帷子も、全てあの時のままだ。

 ゴブリンの鋭い嗅覚を誤魔化すため、そのままにしていた汚れが落とされていたらと想像したが、そんな事はなかった。

 

『━━━?━━━!━━━!?』

 

 部屋の外で、酷く驚いた声音の女の子の声が聞こえた。

 あの男について回っていた女の子の声だろうか。扉を挟んでいるため、何を言っているのかはわからない。

 子供が騒いでいるということは、あのゴブリンが本当に最後だったのだろう。

 これで依頼完了だが━━。

 

「あの男がいなければ、危なかったな」

 

「なんだ、俺の話か」

 

「ああ。……む」

 

 不意にかけられた声に反応してしまったが、冒険者はその声のほうに目を向けた。

 いつの間にか扉が開かれ、そこに盆を持った男が立っていたのだ。

 朝食なのだろうか。ここまで持ってきてくれたと判断する。

 

「起きられるか。いきなり倒れた時は驚いたが」

 

「問題ない。迷惑をかけた」

 

 冒険者は体を起こし、装備に手を伸ばすが、男がその手を掴む。

「む……」と声を出す冒険者を、男は鋭く睨んだ。

 

「食ってからにしろ。まったく」

 

「いつゴブリンが来るかわからん」

 

 冒険者の真面目な顔に、男は面をくらう。

 警戒することは大切だ。いつ敵の奇襲が来るかは、腕の良い斥候(スカウト)でもいなければわからない。

 だが、気を抜くことも大切だ。

 男はため息をひとつ吐き、冒険者の赤い瞳を見つめながら言う。

 

「警戒なら俺がやる。おまえは飯を食って寝ろ。町に戻る途中で倒れられたら迷惑だ」

 

 男の言葉に、冒険者は返せない。

 この男の実力と『敵を見つける謎の能力』に関しては、昨晩の戦いで理解した。

 

 ━━ここは甘えるべきだろうか……。

 

 冒険者が思慮していることを知ってか知らずか、男は再びため息を吐いて釘を刺す。

 

「いいから、さっさと食べろ。昼前に出れば、暗くなる前に町につくだろう」

 

 男はそう言うと、背中の筒を背負い直して部屋を後にした。

 

「……」

 

 残された冒険者は装備と机に置かれた朝食を見比べ、小さく息を吐き、木製の匙を手に取った。

 

「……いただきます」

 

 誰に言うわけでなく、そう呟いた。

 この冒険者、礼儀は心得ているのだ。

 

 

 

 

 

 朝食を終え、装備を身につけた冒険者は、村の入り口にいた。

 挨拶と礼をするために村長の家に顔を出した時、「少し待っていてくだせぇ」と頼まれたのだ。

 別に無視するなり断るなりしても良かったのだろうが、律儀にもこの男は待っていた。

 数分ほど待ち、村の中からそれがきた。

 黒と赤を基調とした、上質な革のコートを着た男。

 背中にはいつもの筒があり、腰にも背中のものよりも小さな筒が二つぶら下がっている。

 遠目で見れば、まるで『騎士』を思わせる風格だが、背中の筒を固定するベルトの十字架が、何となく『聖騎士(パラディン)』を思わせる。

 目深く被った黒いフードのせいで、口元以外はよく見えない。だが、その口元にある傷痕と背中の筒で、彼が誰かは判別できた。

 

「……おまえか」

 

 冒険者の確認に、男は苦笑混じりに頷く。

 

「ああ。冒険者になることにしたんだが、町がどこかわからなくてな。『旅は道連れ』と言うだろう」

 

「案内をしてくれと言うことか」

 

「そうだ」

 

 二人は手短にそのやり取りをすると、冒険者は顎に手をやって考える。

 格好からして、貴族出の『自由騎士』か何かだったのだろうか。

 腕も良く、戦いに慣れている。背中の筒も、何か━━もちろんゴブリン退治だが━━に役立つだろう。

 

 ━━二人いれば、やれることも増えるか……。

 

 冒険者は数秒でそこまで思い至り、口を開く。

 

「わかった。ならば━━」

 

「おにーちゃーん!!!」

 

 冒険者の声を遮り、いつもの女の子の声が響き渡る。

 冒険者はそちらに目を向け、男は諦めたように大きく息を吐く。

 

「院長。止めてくれと言ったのに……」

 

 男の呟きを他所に、女の子は泣きべそをかきながら男に飛び付く。

 避ける訳にもいかず、その子を抱き止めた男は、再び大きなため息を吐いた。

 

「おにーちゃん、本当に行っちゃうの……?」

 

 声を震わせ、必死になって紡がれた言葉に、男はゆっくりと頷いた。

 

「俺には、やることがある。そのためにも、ここを出ていかなきゃならない」

 

 子供に言い聞かせるような声で、女の子に語りかけた。

 だが、それで女の子が納得するかどうか別問題だ。

 女の子はぽかぽかと男の胸を殴りながら言う。

 

「一緒にいてよ!ボク、また一人ぼっちに━━」

 

「ならないさ。ここには院長がいる、村長がいる。それに、友達もたくさんいるだろう」

 

「でもさ、でもさ!」

 

 渋る女の子に、男はため息を吐いて眉を寄せた。

 大きく息を吸い、声を張り上げる。

 

「甘ったれるな!」

 

「ッ!」

 

 いきなり声を荒げた男に、女の子は━━横の冒険者も━━驚き、目を丸くする。

 男は女の子を下ろし、フードを取りながら片ひざをついて視線を合わせ、まっすぐにその瞳を見つめる。

 

「仮にも俺の『家族』を名乗るなら、笑って見送ってくれ。別に今生の別れではないんだ」

 

「でも……」

 

 涙と鼻水を拭いながら、女の子が何かを言おうとするが、男は首を横に振る。

 

「『でも』も『だから』も無しだ。おまえは強い子だ。俺がいなくても、やっていけるさ」

 

「むぅぅ……」

 

 ぐうの音も出ない女の子に、男は諭すように言う。

 

「俺はこの世に生きる一人でしかない。死んだところで、何かあるというわけでもないさ」

 

 女の子の髪を撫で、笑みを浮かべる。

 余所者でも、旅人としてでもない、兄としての優しい表情を浮かべ、『妹』に告げる。

 

「だからって、死ぬつもりはない。おまえを、自称とはいえ妹を一人残して逝けないさ」

 

「ほんと?」

 

「ああ、本当だ。そうだ、約束ついでに、これを預かってくれないか」

 

 男はそう言うと、懐から『指輪』を取り出した。

 それを受け取った女の子は、太陽に透かしてそれを見つめる。

 赤い十字架が彫られたそれは、大人に合わせて作られたのか、彼女の指には大きすぎる。

 

「なぁに、これ……」

 

 涙を拭い、鼻水をすすりながら訊くと、男は苦笑混じりに返す。

 

「死んだ俺の父から継いだ、大切なものだ。本当なら人に渡して良いものではないんだが、特別だ。無くすなよ?」

 

「……うん」

 

 渡された指輪を大事そうに握りしめ、頷く。

 男は女の子の頭を乱暴に撫で、力強く抱き締める。

 

「キミに、英知の父の導きがあらんことを━━」

 

「……ええ父の……?」

 

 女の子が首を傾げると、男は苦笑混じりに言う。

 

「神様におまえを守ってくださいって、お願いしただけだ」

 

「じゃあ、おにーちゃんにも……」

 

 女の子もギューと思い切り男に抱きつき、数秒して離れた。

 そこには、いつもの太陽のような笑顔を浮かべる女の子がいた。

 男も笑みで返し、フードを被って立ち上がった。

 

「━━さて、待たせたな」

 

「良いのか?」

 

 冒険者の確認に、男は頷く。

 

「今さら『やはり辞めだ』とは言わないさ。もう『行く』と決めた」

 

「そうか」

 

 冒険者は俯き加減でそう言うと、村の外に出る。

 男も彼に続き、村の外へ。

 まだ見ぬ世界が、未知をぶつけてきてくれる。

 そう思うだけでも、笑みが止まらない。

 

「おにーちゃーん!!!冒険者さーん!!!またねー!!!」

 

 不意に、小さくなった村のほうから声が聞こえた。

 振り向いてみれば、女の子がブンブンと両手を振っている。

 冒険者は何か言うわけでもなく前に向き直り、男は後ろ手に右手を振って返し、すぐに進み始める。

 

 ━━また会えるといいが。

 

 こちらにくる前でも、滅多に思うことのなかったそんな事が脳裏に過った。

 

 

 

 

 

「そんじゃ、俺たちの勝利に!」

 

『かんぱーい!!』

 

 西の辺境に位置する街の、入り口のそばに設置された『冒険者ギルド』の一角では、文字通りの宴が始まっていた。

 二日ほど前に行われた、鉱山に巣食う『岩喰怪虫(ロックイーター)』の討伐依頼。

 四、五十人の冒険者が集まり行われたそれは、多数の死傷者を出しながらも成功に終わった。

 神殿での治療を終えた冒険者たちは、勝利の喜びと死者の追悼のため、いつも以上にはしゃいで見せる。

 やれ「あの魔法は助かった」だの「それはこっちのセリフ」だのと、騒いでいた。

 そんな宴に誘われるように、彼らは冒険者ギルドの自由扉をくぐる。

 宴で騒ぐ冒険者たちが気づくことはないが、受付にいたその女性だけは二人に気づいた。

 片や薄汚れた革鎧に、両方の角が折れた兜を被った冒険者。

 片や変な筒を背負った、黒と赤を基調とした上質な革のコートを纏ったフードの男。

 その二人はまっすぐに受付に向かい、冒険者のほうから切り出した。

 

「終わった。報告をいいか」

 

「はい。お待ちしていましたよ」

 

 流れるような髪を三つ編みにしたその受付嬢は、疲れているだろうに笑顔を浮かべて冒険者を迎い入れる。

 手持ちぶさたの男のほうは、宴のほうに目を向けた。

 何があったのかはわからないが、空席にも置いてある酒の入ったコップの数からして、かなりの数が犠牲になったようだ。

 あの妙に耳が長かったり、寸胴だったり、小柄な子供にしか見えない人たちも、冒険者なのだろうか……。

 

 ━━世界は、広いな……。

 

 男がぼんやりとそんな事を思っていると、受付嬢が声をかけた。

 

「あの、あなたが冒険者になりたいという……」

 

「ああ、そうだ」

 

 受付嬢の質問に頷くと、カウンターに一枚の紙が置かれた。

 二ヶ月以上過ごすことになった孤児院で、タイミングを見て文字を習ったおかげか、一通り読み書きは出来る。

 ペンを受け取り、筆記事項に拙いながらもしっかりと文字を書いていく。

 季節外れの冒険者志望者に、受付嬢は困惑気味に顔を向けた。

 目深に被ったフードの奥から覗く蒼い瞳は、夜空を思わせるほどに暗い。

 口元の傷痕は出来て間もないのか、下手をすれば血が吹き出してしまいそうだ。

 

「書けたぞ」

 

「受けとる前に、確認のためにしっかりと顔を見せてください。決まりですから」

 

「む、それもそうか」

 

 受付嬢の言葉に、男はフードを外す。

 蒼い瞳に後ろで纏められた黒い髪。その整った顔立ちと上質な衣装から、何となく貴族のような雰囲気がある。

 

「……受付嬢。これでいいか」

 

「え?あ、はい!ありがとうございます!では、簡単に説明を━━」

 

 受付嬢の話を要約すると、こんなところだろうか。

 

 曰く『冒険者とは、報酬と引き換えに危険な依頼をこなす者をさす』

 

 曰く『冒険者には等級と呼ばれるものがあり、下から「白磁」「黒曜」「鋼鉄」「青玉」「翠玉」「紅玉」「銅」「銀」「金」「白金」の十段階で、認識票でそれらを区別する』

 

 曰く『「金」と「白金」は国家レベルの仕事を請け負うため、在野最高は「銀」である』

 

 曰く『認識票は、その重要性から絶対に無くしてはならない。再発行には別途料金がかかる』

 

「━━と、言ったところだったか」

 

 新たに冒険者となった男は、受付嬢の話を思いだしながら、首にかけた白磁の認識票を眺める。

 先程まで一緒だった冒険者━━彼も白磁だそうだ━━と別れ、たった一人で馬小屋に入る。

 文字通りの無一文である彼は、宿に泊まることは出来ない。そんな新米への救済措置として解放されている馬小屋が、しばらく彼の寝床となるだろう。

 視界を巡らせれば、よく鍛えられた馬たちと、山になった干し草が視界に入る。

 場所の指定はなかった。いわゆる『早い者勝ち』と言う奴だろうか。

 彼は何度か首を鳴らすと、近くの干し草の山に()()()()()

 久々に感じる暖かさと、もう慣れてしまった鼻先をくすぐる干し草の痒さ。

 その二つを感じながら、彼は目を閉じる。

 仕事を始め、等級をあげ、新たな仕事をこなす。

 そのうち『遺跡の探索』なんてものを受けることもあるだろう。

 だが、とりあえず等級をあげなければ。それまでは━━、

 

「……また、ゴブリン狩りに付き合うか」

 

 睡魔を誤魔化すようにそう呟くが、彼が負けたのはそのすぐ後だった。

 イビキを立てることなく、静かな寝息を繰り返す彼のいる干し草の山を、また別の冒険者がベッドにしたのは、仕方のない話だろう。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 冒険者となった彼が去った村。

 彼が使っていた部屋のベッドで、丸くなっている小さな影があった。

 彼に貰った指輪を握りしめ、あの後も散々泣いたのか、目元を腫らして眠りにつく女の子。

 その子はとある夢を見ていた。

 目が覚めれば忘れてしまう、朧気で曖昧な夢だ。

 事実、その子は夢の中で自分が聖剣を振っていたことなぞ覚えていない。

 その隣に、『雷を帯びた金色に輝く剣』を振るう兄がいたことなぞ、覚えているわけがなかった。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 翌日。辺境の街。

 彼が日の出よりも早く干し草を飛び出し、その上で寝ていた冒険者が転げ落ちたことを除いて、何もない朝だった。

 遥か彼方の山の輪郭が白くなり始めていることを横目に、彼は走り出す。

 音もなく馬小屋を抜け出し、冒険者ギルドの前へ。

 周りを見渡し、高い建物を探すが、ギルド脇の物見やぐら以外は見当たらない。

 手首を回し、足首を回し、ギルドの壁に手をかける。

 

 ━━これなら、行けるな。

 

 彼はそう考え、躊躇いなく壁をよじ登る。

 窓枠に手をかけ体を持ち上げ、足をかけて補強用の木版まで飛ぶ。

 さらに次の突起に飛び、また次へ、さらに次へと繰り返し、気がついてみれば屋根の上だ。

 さらにギルド脇の物見やぐらに飛び付き、さらに登っていく。

 ホッと息を吐く頃には、そのやぐらの屋根の上だった。

 屋根の上に腰をかけると街を見渡し、地形を頭に叩き込む。

 

 ━━初めてくる場所では、真っ先にこれをやるべきだ。

 

 あの村でもやりたかったが、周囲を確認出来るほど高い場所がなかったし、『妹』が真似をして怪我をされても困る。だから、やれなかった。

 ふと、山のほうから光がさした。

 太陽が登り、新しい一日が始まりを告げる。

 鶏が騒ぎ始める前に、下へ戻らなくては。

 彼は下を覗きこみ、笑みを浮かべた。

 誰が、なぜ置いたのかはわからない。荷台に満杯になるまで詰められた干し草の山。

 距離も問題なく、近くに人の気配はない。

 登り行く朝日を背にして両腕を広げて(イーグル)身を投げた(ダイブ)

 僅かな浮遊感の後にくるのは、強烈な重力と柔らかい干し草のクッションの感覚だ。

 手慣れたいつもの行程を終え、干し草の山から飛び出すと、なに食わぬ顔で馬小屋に戻り、もう一眠り。

 

 

 

 

 

 後日、ギルドに住み着く黒い亡霊の噂がたったとか、たたなかったとか………。

 

 

 

 

 

 

 

 




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Memory05 一党に加わって

 冒険者となったフードの彼は、連日依頼をこなしていた。

 と言っても休み明けに、

 

「「ゴブリンだ」」

 

 依頼帰りに、

 

「「ゴブリンだ」」

 

 昼を挟んで、

 

「「ゴブリンだ」」

 

 月をバックに、

 

「「ゴブリンだ」」

 

 と、ただひたすらにゴブリンを狩って戻る『作業』に励んでいるだけなのだが━━━。

 

 

 

 

 

 辺境の街の『ギルド』を担当する受付嬢は、その整った顔に疲労を溜めながら、人がいないことを良いことに机に突っ伏していた。

 

「あう~」

 

 彼女の脳内を巡るのは、ひたすらに「ゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリン」だった。

 危険な癖して報酬が安い『ゴブリン退治』は、ベテランから素人まで、冒険者たちには好かれない。

 それでも毎日のようにゴブリン退治の依頼が来るのだから、嫌になってしまう。

 ここ最近、黒曜級に昇格した『ゴブリンスレイヤー』と呼ばれるようになった冒険者と、彼に連れられて現れ、その日のうちに冒険者になったフードの彼。

 その二人が毎日のようにゴブリン退治を受けてくれているから、ギリギリやっていけているのだ。

戦士(ファイター)』であるゴブリンスレイヤーと、『斥候(スカウト)』として活動を始めたフードの彼のコンビは、周りからも周知されている。

 なぜか血ではなく煤を被っていたり、土を被っていたりと、何だか不思議なことになっていることが多いのだが、それを訊く勇気は、彼女にはなかった。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

「━━前情報だと、捕虜はなし。トーテムとか言うものもないなら、呪文使い(シャーマン)もいないか」

 

「だが、ゴブリンがいることに変わりはない。群れの長は、田舎者(ホブ)か何かだろう」

 

 夕暮れ時、ゴブリンスレイヤーとフードの彼は、茂みに身を隠しながら作戦を練っていた。

 ゴブリンと一言で言っても、意外と種類があるのだ。

 

 他のゴブリンに比べ大柄で、筋力が人間のそれを越える『田舎者(ホブ)』。

 

 背丈は変わらないが、魔法の類いを操ることの出来る『呪文使い(シャーマン)』。

 

 ━━と、今の二人が実際に遭遇したことがあるのはそのくらいだが、もちろん他にも、

 

 ホブより戦闘に特化した『小鬼英雄(チャンピオン)』。

 

 戦闘でも、呪文でもなく、統率力に特化した『小鬼王(ロード)』。

 

 なんてものもいる。紹介こそすれど、彼らがそれと遭遇するのは今ではない。

 基本的に夜行性であるゴブリンを相手に、ゴブリンスレイヤーは太陽の高い昼間を狙って襲撃していた。

 そんな時、フードの彼がこう告げたのだ。

 

『おまえが食事中でも兜を脱がないように、ゴブリンにも警戒心はあるだろう。俺なら自分が一番眠い時間帯には仲間に頼んで見張りをさせる』

 

『その見張りが出てくる前か、見張りも眠くなる時間。奴らにとっての早朝や夕方、深夜に攻めたほうがいいのではないか?』

 

 その二つの意見に、ゴブリンスレイヤーは首を縦に振った。

 どこか経験に裏付けられたフードの彼の提案は、すんなりとゴブリンスレイヤーに届いたのだ。

 その結果、日が傾き始めた夕暮れ時に、二人は攻撃を始めることにした。

『攻撃』と言っても、簡単なことである。

 フードの彼がエアライフルを腰で構え、グレネードランチャーに手を添える。

 そこから放たれた爆弾は、巣穴の入り口気持ち上に当たり、爆発した。

 爆音を響かせ、ゴブリンたちが根城にしていた洞窟の入り口が、文字通り潰れる。

 あの他に出入口がないこと、ここ周辺の地盤が、爪や斧程度で削れるほど柔ではないことを、昼間に確認を終えている。

 グレネードランチャーがなければ、入り口を潰すなんて作戦は取れなかっただろう。

 二人は崩れた洞窟の入り口に歩み寄り、耳をたてた。

 中からはガリガリと壁を削る音が僅かに聞こえてきた。

 塞いだ入り口に空いた僅かな隙間から、ゴブリンの瞳が覗いていることに気づく。

 その隙間にエアライフルの銃口を捩じ込み、『バーサークダート』を撃ち込んだ。

 壁を削る音に、狂った笑い声と断末魔が入り混ざり、肉が引き千切られる音と共に消えた。

 瞬間、入り口を塞ぐ岩が少しずつ動き始める。

 凄まじい力によって、少しずつずらされているのだ。

 二人は少しずつ下がり、フードの彼は左手のアサシンブレードを抜刀、固定し、右手に先日のゴブリン退治で手に入れた錆びた短刀を構える。

 金がなければ武器は買えぬ。

 世知辛いことこの上ないが、防具は衣装の下に着込んだ革のベストがある。それがあるだけ贅沢だろう。

 

「来るぞ」

 

「わかっている」

 

 フードの彼の警告に、ゴブリンスレイヤーは腰に差した中途半端な剣を抜く。

 その瞬間、岩が転がされ、五匹のゴブリンが飛び出してきた。

 フードの彼は右手の短刀を投げ撃ち、一匹のゴブリンの喉元に当てる。

 

「一つ」

 

 その直後、二匹のゴブリンが飛びかかる。

 左右に別れて躍り出た二匹は、時間差で飛び出していったが、それが不味かった。

 先に飛びかかった右のゴブリンが首を捕まれ、遅れて飛び出した左のゴブリンの棍棒を防ぐ盾にされる。

 冒険者を葬ろうと放たれた渾身の振り下ろしは、仲間の頭蓋を砕くだけにとどまった。

 そして、そんな盾にされた無様な奴を嘲笑おうとした瞬間、そのゴブリンの眼窩に刃が滑り込んだ。

 瞬きをする暇もなく脳を貫かれ、脳髄に突き刺さった刃を捻られ、そのゴブリンは死に絶えた。

 抜刀したアサシンブレードの刃を戻しながら、横目でゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 

「三つ。そっちは━━」

 

「合わせて五つ。問題ない」

 

 聞けば言い切る前に返答が返ってくる。

 ここしばらく、同じ依頼をこなすこの二人は、もはや『一党(パーティー)』と呼んで差し支えないほどだ。

 二人の視線は洞窟に戻る。

 

「GOBRGOBR!!!」

 

 群れのボスと思われるホブが一。

 その取り巻きのゴブリンが再び五。内約は、棍棒二、槍一、剣二である。

 ゴブリンスレイヤーは血に塗れた剣を逆手に握り、振りかぶると、それを投げ撃った。

 それは寸分の狂いなくホブの首を貫き、ホブは血泡を吹いて膝をついた。

 足元の斧を蹴り上げ右手で掴むと、フードの彼のほうにちらりと目を向ける。

 

「……棍棒は慣れんのだがな」

 

 血に混ざって髪の毛がこびりついた棍棒を手に、そんな事をぼやいていた。

 残ったゴブリン五匹がどうなったのか、それは語るまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

「工房長、頼んだものはどうだ」

 

 辺境の街に戻ったフードの彼━━流石に街中ではフードをとっている━━は、ゴブリンスレイヤーと別れてギルドに併設された武具屋に来ていた。

 彼の入店に『工房長』と呼ばれた男は、老いと共に蓄えられた髭をしごきながら、長年火を見続けても焼かれなかった右目を向ける。

 

「ああ、おまえか。出来たが、こんなちっこい鉄の球を何に使うんだ?」

 

 そう言いながら、その鉄球の詰まった袋をカウンターの上に置く。

『ジャリ……』と、鉄球がぶつかり合う音が僅かに漏れた。

 フードの彼は苦笑を漏らし、こう返す。

 

「物は何でも使いようだ。兜だろうが盾だろうが、相手を殴れば殺せるだろう?」

 

 飾られた武器防具には目を向けず、袋を開けて中身の鉄球をつまみ上げる。

 角度を変え、時には目を凝らしながら、数分に渡ってその鉄球を凝視した。

 その鉄球を袋に戻し、不敵な笑み。

 

「買おう、いくらだ」

 

「『作り直せ』とか抜かしおったら、ぶん殴ろうと思ったんだがな」

 

 工房長は冗談━━のはずだ━━を叩くと、金槌で凝り固まった肩を叩きながら、カウンターに仕舞われた算盤(そろばん)を取り出し、弾き始めた。

 と言っても、そこまで高額という訳でもなさそうだ。

 フードの彼も算盤の動きでそれを理解したのか、金貨を取り出しながら小さく首を傾げる。

 

「ずいぶん安いな」

 

「材料は鉄の削りカスだからな。こっちとしちゃ、無駄なゴミが減って助かったところよ」

 

「……大丈夫なのか」

 

「削りカスでも、鉄は鉄だ。溶かして固めりゃ、何にでも変わる」

 

「……」

 

 フードの彼は少し訝しげにしながら、手のひらの上で袋の重さを確かめる。

 そんな彼の様子に、工房長はため息を吐いた。

 

「何に使うかはわからんが、ギルドの裏で試したらどうだ?小せぇが、演習場になってるからよ」

 

「……そうしよう」

 

 踵を返すフードの彼の背中に、工房長は声をかけた。

 

「いい加減マシな武器でも持ったらどうだ?ゴブリン退治でも、身の入りはあるだろうが」

 

 腰のベルトに引っ掛けるように納められたのは、錆びが目立つ一本の剣だ。

 服は一丁前だが、剣がそれでは格好もつかない。

 

 ━━まあ、格好つけて死んだら元も子もないが……。

 

 多くの新人冒険者は、自分が『英雄』だの『勇者』だのになれると信じているものが多い。

 いきなり「魔剣や聖剣はないのか?」や「兜は格好がつかないからいい」と言うものがいるほどだ。

 そういう意味では、フードの彼は異端者だった。

 工房に顔を出しても、雑多の武器を見るだけで買わず、時折籠手は見るものの、それ以外の防具には目もくれず、いきなり『小さな鉄球』を作ってくれと頼んできたのだ。

 見本を見せられ、「金は払う」と言われてしまえば断る訳にはいかず、見繕いはしたものの━━。

 フードの彼は少し悩むように顎に手をやり、陳列された剣に目を向けた。

 その中の雑多の数打ちの片手剣を持ち上げ、振って見せる。

 一切ぶれることなく、正面に相手がいれば、間違いなく胸を真一文字に切り裂くであろう一振り。

 それだけで彼には心得があることを察せぬほど、工房長の目は腐っていない。

 声には出さずとも、工房長は感嘆の息を吐いた。

 常連であるゴブリンスレイヤーの話から、フードの彼はただの『斥候(スカウト)』かと思っていたが、貴族出身の『自由騎士』か何かなのかもしれない。

 だが、それにしては口調が素っ気なく、英雄譚に憧れているような様子も、貴族出だからとこちらを下に見るような様子もない。

 工房長の推理をよそに、フードの彼は首を傾け、先ほど振った片手剣を棚に戻す。

 

「……軽すぎるな」

 

 次に両手剣を手に取るが、それは持っただけですぐに戻す。

 

「……重すぎる」

 

 さらに他の武器に目を向けるが、手に持つ袋に目を向けて息を吐いた。

 

「また今度だな。こいつを試さないと」

 

 フードの彼はそう言うと工房を後にした。

 工房長は髭をしごき、ふむと息を吐く。

 彼が持ち上げたものは、どれかはわかっている。

 武器の使い方は、その使い手次第だ。だが、そもそも使われないのでは、こちらの沽券に関わる。

 

「まあ、ついでだな」

 

 誰に言うわけでもなく、工房長は呟いた。

 フードの彼が振った二振りの間を射抜ける剣を━━『片手半剣(バスタードソード)』を打ってやろうではないか。

 久しく忘れていたように思える、特定の個人のために武器を打つ感覚。

 それを、フードの彼は思い出させてくれたのだ━━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 辺境の街のギルド。

 その裏にある演習場に、フードの彼はいた。

 ギルドのカウンターで許可を取り、この時間は誰も使っていないことも確認を済ませた。問題ない。

 右腰に差した二つの筒━━フリントロックピストルのひとつを抜き、火の秘薬(かやく)を詰めて、先ほど買った鉄球(だんがん)をこめる。

 ゆっくりと息を吐きながら右手で構え、そっと引き金を引いてみれば、『バン!』という銃声と共に久しく感じることのなかった衝撃が腕を駆け抜け、上に跳ねあげた。

 弾は的に見立てた藁人形の胸に当たり、めり込んでいた。

 ピストルを肩に担ぎ、何度か頷く。

 大きな問題はなさそうだが、弾と火薬の補充が安定して出来るのか、そこが問題だった。

 工房長に頼めばどちらも買えるが、弾はともかく火薬の料金がバカにならないのだ。

 フードの彼はため息を吐き、天を仰ぐ。

 天高く飛ぶ鷹が、呑気に「キィー」と鳴いていた。

 思わず撃ち落としたい衝動に駆られたが、撃ったところで当たりはしないだろう。

 再び大きなため息を吐き、左手にもう一挺のピストルを取り出し、装填、構えて、撃つ。

 弾の命中を確認し、ピストルに不備がないことも確かめると、ジャグリングよろしく一回転させた。

 深い意味のない行動だが、気を紛らわす程度の意味はあるだろう。

 空になった二挺に弾を込め、腰のホルスターに押し込む。

 

「さ、さっきの音は何ですか!?」

 

 髪を三つ編みにした受付嬢が演習場に駆け込んできたのは、それとほぼ同時だった。

 荒れた呼吸と額に浮かぶ汗から、慌てて走ってきたことがわかる。

 フードの彼は何食わぬ顔で受付嬢に問いかける。

 

「何かあったのか。そんなに慌てて」

 

「さっき、二回ほど『バン!』って音が鳴りましたよね!?な、何の音ですか!?」

 

 慣れぬ事態に困惑しているのか、目をぐるぐる回しながら身ぶり手振りを交えて訊く受付嬢。

 フードの彼は「ああ……」と呟き、二挺のピストルを見せる。

 

「これの音だ。ようやく使えるようになったから、試しに使ってみたんだが……」

 

「……その小さな筒から、あんな大きな音が?楽器、ではないですよね?」

 

「『銃』という物だ。火の秘薬の爆発を利用して、鉄球を放つ武器と言えばいいのか、俺の故郷ではよく見たんだがな」

 

「銃、ですか……」

 

 受付嬢は恐る恐る手を伸ばすが、それより早くフードの彼はピストルをホルスターに押し込んだ。

 

「素人が触っていいものじゃない。怪我するぞ」

 

「……え、あ、はい。ごめんなさい」

 

 何となく残念そうに手を引っ込める受付嬢に、フードの彼は困ったように息を吐いた。

 

「……気になるか?」

 

「え!?いや、大丈夫です!危ないものなんですよね?」

 

「こいつを暴発させて、顔が傷だらけになった奴を知っている。おまえも女性なんだから、そうはなりたくないだろう」

 

「……まあ、そうですね」

 

 フードの彼の気遣いに、受付嬢は髪を弄りながら俯いた。

 聞いたことのない音の確認に来てみれば、まさか新しい武器を試していただけとは……。

 

「俺としても、おまえの綺麗な顔に傷をつけたくない」

 

「……え」

 

「父から『世話になる女性には優しくしろ』と教えられたからな」

 

「ああ……」

 

 いきなり口説き始めたわけでもなく、ただ心配しただけのこと。

 変に身構えていた受付嬢は、気の抜けた声を漏らした。

 フードの彼はそんな彼女の脇を通り、ギルドの中に戻ろうとする。

 その背中に、受付嬢は声をかけた。

 

「あ、あの!」

 

「む」

 

 反応したフードの彼に、受付嬢は何かを言おうと口をもごもごさせているが、肝心の言葉が出てこない。

 フードの彼は何かを察したように頷き、苦笑しながら言う。

 

「次からは音が出ることを伝える。それでいいか」

 

「……は、はい」

 

 言いたかったことを先に言われ、確認までされてしまった。

 もはや頷くことも出来ない受付嬢と、そんな彼女を心配するように見るフードの彼。

 その二人の姿を、歯ぎしりしながら覗いていた槍を担いだ男がいたことを、受付嬢は気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 ギルドに戻ったフードの彼は、ギルド端のいつもの席に腰をかけ、困ったように息を吐いた。

 まさかあれやこれやとやっているうちに、ゴブリンスレイヤーが一人でゴブリン退治に向かうなど、誰が思うだろうか。

 

 ━━そもそも、あいつに勝手についていったのは俺か……。

 

「来るな」とも「来い」とも言われたことがないが、もしかしたら迷惑だったのかもしれない。

 好んで単独行動をする奴に無理やりついて回るのは、むしろ危険だ。

 

 ━━グレネードの作り方は一通り教えたはずだから、大丈夫だろう。

 

 数が出てきても、グレネードをうまく使えば切り抜けられるはずだ。

 尤も、ゴブリンスレイヤーとフードの彼とでは、肝心のグレネードの作り方が根本的に違うところがある。

 ゴブリンスレイヤーは『多くの材料』を揃え、見繕った『作業台』の上で、爆発させないように『慎重に』製作しなければならない。

 それに対してフードの彼はと言うと、拾ってきた『骨五本』を『適当な場所』で、『大雑把に』弄るだけで製作が完了する。

 その結果にゴブリンスレイヤーは目を丸くしていたそうだが、残念ながら兜のスリットで見ることは叶わなかった。

 二人はしばらくその違いを考えていたのだが、その答えはいまだに出ない。

 

 ━━そもそも、二人は住む世界が別なのだから、『システム』が違って当然なところなのだが。

 

「むぅ……」

 

 一人で考えていても仕方ないと、フードの彼は依頼掲示板(クエストボード)に向かう。

 諸々と準備をしていたため、ほとんどの依頼書は無くなっており、白磁で受けられる依頼は、下水道の巨大(ジャイアント)(ラット)退治程度しか残っていない。

 ゴブリン退治は、彼の相棒が請け負ってしまったのだろう。

 

「むぅ……」

 

 顎に手をやり、僅かに唸り声をあげるフードの彼。

 クエストボードを眺めて悩むその姿は、どこにでもいる『冒険者』の姿だ。

 そんな彼に、恐る恐る近づいていく勇敢な人がいた。

 

「あ、あの~?」

 

「なんだ」

 

 フードの彼は返事をしながらも、邪気や敵意がなかったにしろ、接近に気づかなかった自分を恥じる。

 フードの彼は振り返り、その声の主を確かめた。

 そこにいたのは、銀色の髪の女性だった。

 長い髪を高く結い、その背は彼ほどではないが、同年代の女性にしては割りと高めだろう。

 その身長に反して、顔立ちには何となくまだ幼さを残り、キラキラと輝く希望に満ちた銀色の瞳をしていた。

 その豊満な胸には目もくれず、フードの彼の視線は彼女の四肢にいっていた。

 程よく筋肉のついた手足から、おそらく『武闘家』であると仮定して、身につける防具はどれも真新しい。

 首から下げた白磁の認識票が、自分と同じ『新人』であることは教えてくれた。

 彼の視線をじろじろ見られていると思ったのか、銀髪の武闘家は摺り足で右足を半歩下げる。

 蹴りでも放たんとする彼女だったが、その前に男の口から言葉が漏れる。

 

「よく鍛えられているな。それに、俺の故郷では余り見ない髪の色だ」

 

「え?えと、ありがとうございます……?」

 

 いきなり誉められた━━彼女はそう判断した━━ことへの礼が漏れ、構えを解いて表情を和らげた。

 フードの彼はそんな彼女の反応に首を傾げ、話が進むのを待つ。

 向こうから声をかけてきたからには、何かしら話があるのだろう。

 

「「………」」

 

 ━━だが、始まらない。

 じっとフードの彼に見つめられる女武闘家は、顔を赤くして俯くだけだ。

 二十秒程の沈黙を破ったのは、フードの彼のほうだった。

 

「━━で、俺に声をかけた理由は」

 

「その、実は、私たち、これから『洞窟探検』に行くんです」

 

「そうか、頑張れよ」

 

 フードの彼は短くそう返し、クエストボードに目を戻すが、後ろで括った髪を何度か引かれ、女武闘家のほうに振り返る。

 

「なんだ。俺の髪はドアノブではないんだが……」

 

「実は、組んだ一党(パーティー)の中に『斥候(スカウト)』と『前衛』が欠けていまして……」

 

 その言葉を聞いたフードの彼は、クエストボードと反対の位置にある座席のほうから、ちらちらとこちらの様子を伺う二人を見つけた。

 一人は仕事中の自分と同じようにフードを被っているが、そこから覗く犬を思わせる長い鼻から、『獣人(パットフット)』だと思われる。

 もう一人は長い耳の青年だ。その耳と芸術品のように整った顔立ちから『森人(エルフ)』か何かだと判断することが出来た。

 二人ともテーブルに杖を立て掛けているあたり、『魔法使い』か『聖職者』なのだろう。

 つまり、前に出て戦えるのは━━種族による身体能力の差はともかくとして━━女武闘家だけ。

 

「そこで俺に声をかけた、と」

 

 ちらりと受付に目を向ければ、書類を捌きつつも時々手を止め、心配そうに女武闘家の様子を伺う受付嬢の姿があった。

 

 ━━彼女、優しすぎるな……。

 

 冒険者を死地に送り込む手続きをする身分の人が、そんなそわそわしてどうするのだ。

 誰かが死んだ時、無駄に責任を感じているのではないか。

 フードの彼は小さく苦笑いをこぼし、「わかった。付き合おう」と答える。

 

「本当ですか!?」

 

「何を驚く必要がある。頼まれたなら、手伝うさ」

 

「ありがとうございます!二人とも、大丈夫だって!」

 

 女武闘家がそう告げれば、先ほど見つけた二人からも「おお!」と声があがった。

 即席で作られた白磁四人の一党(パーティー)に、黒曜級の若い男戦士が加わったのは、このあとすぐのこと。

 手早く準備を整えたその五人は、まだ見ぬ『洞窟』を目指して出発した。

 フードの彼の『始めての冒険』は、こうして始まったのだ━━━。

 

 

 

 

 

 

 




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Memory06 廃坑

「GOB━━━!」

 

 首を折られたそのゴブリンは、短い断末魔と共に、白目を剥きながら地面に倒れ伏す。

 死んだふりの可能性の考慮から軽く蹴り、死んだことを確認する。

 

「五つか……」

 

 暗い洞窟━━正確には廃坑━━の中で、フードの彼は息を吐いた。

 斥候(スカウト)としての役割を果たすため、一党(パーティー)より先行していた彼は、タカの眼で見つけ出した岩影に身を潜めるゴブリンに奇襲をかけ、仕留めたところだった。

 この廃坑に潜って何度目の遭遇かはわからないが、この程度なら問題ない。

 四六時中刺客からの襲撃を警戒することに比べれば、大概のことは楽に思えるだろう。

 敵がいないことを確認し、行く手に広がる二つに分かれた道を睨み、来た道を一旦戻る。

 足音もなく戻った彼を迎え入れたのは、ゴブリンスレイヤーではなく、松明を囲む四人の仲間だ。

 

「あ、お帰りなさい」

 

 女武闘家が、その銀色の髪を揺らして笑みを浮かべた。

 釣られるようにフードの彼も笑みを浮かべて応えると、顔を真剣なものに戻して話を切り出す。

 

「この先で道が二つに分かれていた。『地図の作成』が依頼なら、どちらを取る。両方に行くのは無理があるだろう」

 

「ふむ。右か左か、ですか?」

 

 彼に答えたのは、狼の獣人(パットフット)の魔術師だ。

 人間換算では高齢もいいところなのだが、獣人を基準にすればまだまだ若いとは本人の弁だ。

 今回の報酬が『作った地図』による歩合制なのだから、言ってしまえば書けば書くほど稼げる。

 もちろん、大雑把でも道の長さや数が正確ということが前提なので、嘘ででっち上げたら後でどうなるか、わかったものではない。

 地図役(マッパー)の彼が「無理」もしくは「危険」と判断すれば、今回はここまでと戻るだけだ。

 ここに来るまでに作った地図を眺め、森人(エルフ)の司祭━━地母神への信仰に目覚めたそうだ━━は顎に手をやって「ふむ」と唸る。

 

「どちらかに進んで行き止まりだった、なんてことになったら、赤字間違いなしだ」

 

「━━だが、無理は禁物。進む道は片方だとして、そこで道が続いているか終わっているかは、サイコロの出目次第だろ」

 

 森人司祭にこう返したのは、出発直前に一党入りした、黒曜級の男戦士━━種族は人間、只人(ヒューム)呼びが一般的な呼び方らしい━━だ。

『サイコロの出目』とは、神々がその都度振るサイコロの結果を言う。つまりは『運』次第と言ったところだ。

 少し前にそれを知ったフードの彼は、苦笑混じりに男戦士にこう告げた。

 

「何を言う。運は自分で掴むものだ」

 

「運は自分で掴むもの……」

 

 女武闘家が小さな声で反芻すると、フードの彼は頷く。

 

「先生によく言われたことだ」

 

「へ~」

 

 本当に聞いているのか不安になるような返し方だが、フードの彼は気にせずに立ち上がる。

 

「とにかく、前進でいいか。どちらに進むのかは、その時━━」

 

 ━━決めればいい。と言いかけた時だった。

 フードの彼の耳に、『下卑た笑い声』が響いたのだ。

 あの村での戦いで聞いてからというもの、ゴブリン狩りに行く度に聞くことになる脳に響く笑い声。

 つまり、これは警告なのだ。

 

「?斥候(スカウト)さん?」

 

「……静かにしろ」

 

 心配する女武闘家をよそに、フードの彼は進行方向に広がる闇を睨みながら、腰のベルトに引っかけられた錆びの目立つ剣を抜く。

 森人司祭と獣人魔術師も立ち上がり、各々の杖をとった。

 

「数はそこまで多くはない。やれるか」

 

「私の魔術の見せ所、ですな」

 

 勝手に話を進める三人をよそに、女武闘家と男戦士が遅れて立ち上がり、各々の武器を構えた。

 フードの彼は闇の奥をタカの眼光を放ちながら睨み、四人に告げる。

 

「━━数は通常が五、ホブが一の全部で六。獣人、魔術でホブを。武闘家はそれまで獣人の護衛。森人、合図で光を頼む。戦士と俺で通常を殺す」

 

 早口ながらも端的な指示にそれぞれが頷き、隊列を組む。

 本来なら黒曜級である男戦士がするところなのだろうが、闇の中ではフードの彼のほうが状況を理解できている以上、一党に指示を飛ばすのは、自然のうちに彼の役目となっていた。

 タカの眼に映る赤い影は少しずつ大きくなっていき、こちらに迫って来ていることを教えてくれた。

 光を発生させるための「詠唱」の時間を考慮し、少し早めに森人に合図を出した。

 

「光」

 

「よし。《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたくしどもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 上品な詩を詠むように紡がれたその言葉が、優しき神々に届かぬ道理はなく、それはすぐに起こった。

 前に出たフードの彼と男戦士の後ろから、強烈な光が発生したのだ。

聖光(ホーリーライト)』と呼ばれるその奇跡は、闇に包まれていた廃坑を照らし、前衛二人に活路を見せてくれた。

 

「仕掛ける。ホブは任せた」

 

「わかっていますとも!」

 

「守りは任せてください!」

 

 獣人魔術師と女武闘家の返事を聞きながら、フードの彼と男戦士は飛び出していった。

 突如として生まれた太陽の輝きは、夜目が利くゴブリンには強すぎる。

 現に、ゴブリンたちは自分の目を押さえてのたうち回っていた。

 ゴブリンに慈悲を持ち合わせていない彼らは、次々とゴブリンを屠っていく。

 取り巻きのゴブリン五匹が死んだと同時に光が止み、視界が回復した生き残ったホブが吠える。

 睨まれた女武闘家から「ひっ!」と怯えた声が聞こえたのは、おそらく空耳ではない。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》!」

 

 そんな彼女を励ますように紡がれた獣人魔術師の言葉は、彼の持つ柘榴石(ざくろいし)の杖に超自然の炎を生み出し、『火矢(ファイヤボルト)』として放たれた。

 火矢はそれることなくホブの頭に突き刺さり、肉の焦げる嫌な音と臭いを一党にもたらした。

 ホブが重い音と共に倒れ付したのは、その一瞬後。

 ホブが自分が死んだことに気づけたかどうかは、彼らにはわからない。

 ただ、女武闘家を睨み、その醜悪な顔を悦びに歪めていたことだけは確かだ。

 頭が吹き飛んだホブは、確認するまでもなく死んでいる。

 通常種のゴブリンは軽く蹴ってまわり、死んでいるかを確かめた。

 それを終えたフードの彼は、同じく前に出ていた男戦士に訊く。

 

「怪我は」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 額の汗を拭い、血に濡れた自分の得物を一瞥する男戦士は、自分が殺したゴブリンに目を向けた。

 雑多な棍棒を握っているが、それでも殴られれば死ぬことがある。どんな相手にも油断は出来ないのだ。

 手を出す間もなく戦闘が終わった女武闘家は、とことことフードの彼に近寄り、水袋を取り出した。

 

「飲みますか?」

 

「……貰おう」

 

 フードの彼が一口あおり、一党を確認する。

 戦闘後のひと休みと、獣人魔術師が取り出した水袋が一党内に回されていくなか、フードの彼はホブの懐━━と言っても、腰に巻かれたぼろ布だが━━を探り、それを見つけた。

 

「━━手紙、か」

 

 ゴブリンが文通なんて洒落たことが出来るとは思えない。なら、なぜ手紙を持っているのか。

 誰かの指示を受け取ったのか、或いは戦利品として持ち歩いていたものか……。

 こちらの文字を把握しているとはいえ、その手紙に何が書いてあるのかはわからない。

 

「どうかしましたか?」

 

 そんな彼の後ろから、女武闘家が手紙を覗きこむ。

 必死に考えているのか、ただ眺めているだけなのか。

 女武闘家は頭から煙を吹いて後ろに下がる。

 どうやら、無理に読もうとして熱を出したようだ。

 それに気づいた獣人魔術師が、後方警戒を森人司祭に頼んで手紙を覗く。

 フードの彼は獣人魔術師に見易いように手紙を差し出す。

 

「……わかるか」

 

「文字というよりは絵文字ですね。『指示を待て』というニュアンスなのは、何となくわかります」

 

「つまり、このゴブリンには上がいるということか」

 

「ゴブリンを兵として扱うのは、『混沌』の勢力に他ならないでしょう。この様式、書いたのは妖術師(ワーロック)か……?」

 

 ぶつぶつと考えふける二人の背中を、男戦士はため息混じりに眺め、切り出した。

 

「そろそろ出発するか。一歩も進まずに連戦は、無駄に消耗するだけだろ」

 

 男戦士の尤もな意見にフードの彼と獣人魔術師は頷いた。

 手にした手紙は獣人魔術師に渡し、「こっちだ」と先導を開始する。

 問題の分かれ道にたどり着いたのはすぐだった。

 一本道を進むだけなら子供でも出来るのだから、当然のことだろう。

 二つに分かれた道を睨み、そして足元に目を向ける。

 何もないその場所をタカの眼越しに睨んでみれば、小さな足跡がはっきりと浮かんで見える。

 フードの彼は足跡の先にある左の通路に目を向け、息を吐く。

 

「ゴブリンは左の通路を通ってきたようだ」

 

「となると、左が奴等の巣ということか?」

 

 森人司祭の質問に、フードの彼は首を傾げて見せた。

 

「わからん。ゴブリンが『戦力を分散させて攻撃』なんて作戦を取るとは思えないが……」

 

「ここはただの通り道だったと?」

 

「山を登って降りることに比べれば、だいぶ楽だからな。その可能性もある」

 

 ゴブリンが巣穴から巣穴、もしくは狙いの村に移動するために使い、ひと休みに使っていたかもしれない。

 この廃坑は、人の手から離れてだいぶ経つのだろう。壁もある程度だがしっかりしており、暗くても問題のないゴブリンたちが利用するには打ってつけだ。

 女武闘家は松明で左の通路を照らしながらその奥を見ようとするが「見えないや」と諦めた。

 

「……気になるか?」

 

「え?まあ、気になるけど……」

 

 フードの彼は考える。

 左はおそらくゴブリンの巣。

 右は詳細不明。何が出るかもわからない。

 依頼を完遂させるなら、ゴブリンの有無の確認のため、左を調べて見るべきか。

 だが、その何があるかわからない右の通路を考え始めると、調べたいと思ってしまう。

 騎士団の仕事の傍ら、各島々に残された洞窟画や先住民の柱を調べていた父の血故か。

 

「むぅ、どうしたものか」

 

「どちらにしろ、進まなければどうにもなりませんね」

 

 獣人魔術師は顎に手をやりながら鼻を動かし、風の臭いを探ろうと試みた。

 だが、感じるのは強烈な土埃の臭いのみ。

 もう少し清潔な場所であったなら、彼の鼻はフードの彼の眼よりも役に立つだろう。

 

「司祭殿、風を読むことは出来ますかな?」

 

「少し待て……」

 

 獣人魔術師の頼みに森人司祭は頷いた。

 瞳を閉じて集中し、僅かな風の流れを読もうとする。

 待つこと数秒のことだが、森人司祭は片眉を上げた。

 

「ほんの僅かだが、風を感じるぞ。右からだ」

 

「ならば、右は出口なのか?」

 

「おそらくとしか言えないが」

 

 フードの彼の確認に、森人司祭は重く頷く。

 森人は本来、その名の通り森に生きる種族だ。風を読むことは森人たちの基本中の基本なのだ。

 それでも、洞窟の中では何とも言えない。本来なら、土の中は『鉱人(ドワーフ)』の領域なのだから。

 

「出口を目指すか、奥を目指すか……」

 

 呪文の回数(リソース)は、魔術師と司祭がそれぞれ一回ずつの合わせて二回。

 フードの彼は確認を取るかのように、獣人魔術師と森人司祭に目を向けた。

 二人は自信ありげに頷き、左の通路に目を向ける。

 女武闘家と男戦士は、周辺を警戒しながら決定を待っている。

 フードの彼はため息を吐き、苦笑した。

 

「左の様子を伺い、危険と判断したら即脱出だ。いいか」

 

 フードの彼の確認に、各々が頷く。

 斥候(スカウト)である彼が先導しようと歩き出すが、左の通路を警戒していた女武闘家が僅かに先に進んでしまう。

 フードの彼が急いで追いかけようとした時だ、彼は気づいてしまった。

 彼女の頭上の天井が、まさに崩れようとしている。

 それに気づいた様子なのは彼だけだった。

 考えるよりも早く体が動く。突然駆け出したフードの彼に、男三人が驚いたのも束の間、女武闘家の頭の上の天井が崩れた。

 

「え……」

 

 その真下にいた彼女が気づいた時にはもう遅い。

 彼女の体重の何十倍とある土の塊は、彼女の体に降り注ぐ━━。

 

「ッラァ!」

 

「━━斥候さん!?」

 

 直前に、フードの彼に手を引かれ、男戦士のほうに投げられた。

 投げた本人は土砂の中に消えていき、瞬きする頃にはその姿は確認出来なくなった。

 

「これはまずい!」

 

「おい、こちらの声が聞こえるか!いや、そもそも無事なのか?!」

 

 塞がれた左の通路の入り口に駆け寄り、獣人魔術師と森人司祭は声を張り上げる。

 返答はない。土がほとんどとはいえ、大きな岩も混ざっている。この量の土砂に潰された人間の体がどうなるか、想像は難しくない。

 男戦士に抱き止められた女武闘家は、放心したまま彼の手を離れ、塞がれた通路のほうに手を伸ばす。

 彼があの下にいる。助けなきゃ。でもどうやって?

 自分のせいだ。自分が先に行こうとしなければ、進む前に崩落に気づいてくれたかもしれない。

 

 ━━違う、気づいていたんだ。だから、彼は私を……。

 

 それに気づいてしまえば、後は早いものだった。

 どうにか掘り返そうとする獣人魔術師と森人司祭。

 泣き崩れ、もはや動くことも出来ない女武闘家。

 そんな三人を見ながら、男戦士も膝をついた。

 

「……俺は、疫病神か何かなのかよ……!」

 

 誰に聞こえるわけでもなく、小さな言葉が漏れた。

 彼が初めて組んだ一党も、こんな洞窟での依頼に向かい、一人が死に、一人は片腕を失ってしまった。

 無事だったのは、自分と僧侶の二人だけだ。

 仲間を殺した岩喰怪虫(ロックイーター)の討伐に参加し、それをきっかけに割り切り、また一からやっていこうとした矢先にこれでは、呪われていると考えてしまっても仕方ないだろう。

 

「へぇ?何かすげぇ音が聞こえたと思えば、とんだ収穫だぜ」

 

 そんな時、聞いたことのない声が廃坑に響いた。

 いまだに泣き崩れる女武闘家を除いた三人が、その声の主に目を向ける。

 

「獣人、森人がそれぞれ一人に、只人が二人。しかも一人は随分な別嬪(べっぴん)さんじゃあねぇか」

 

 殺した熊か何かの毛皮を被り、大剣(グレートソード)を肩に担いだその大男は、女武闘家を眺めて舌なめずりをすると、後ろに控える二十人近い部下たちに指示を出す。

 

「野郎ども、待ちに待った獲物だ!だが、女を汚すな。初物かそうじゃあねぇかじゃ、価値が二倍も三倍も変わっちまうからな!!!」

 

 その言葉に、返事の代わりに下卑た笑い声が返る。

 構える冒険者たちに向け、大男は両手を広げて宣戦布告をする。

 

「てめぇらは、俺たち『百目団』の獲物だ!暴れてくれても良いが、死んでくれるなよ!死体は金にならねぇからな!」

 

 首から下げた複数の認識票は、殺した冒険者たちのものだろう。白磁に始まり黒曜、果てには紅玉まで含まれている。

 それは見せしめであり、力の誇示に他ならない。

 

 ━━人間とゴブリン。その身に秘められた残虐性に、大きな違いはないのだろう。

 

『冒険者殺し』と名高いその盗賊団が、たった四人の冒険者━━実際戦えるのは三人だが━━に苦戦する道理はなかった。

 男戦士は奮闘したものの、ゴブリン並の数の暴力に晒されれば、誰であろうとただでは済まない。

 盗賊団は捕らえた冒険者を連れて、縄張りである廃坑を後にする。

 

 ━━最も残してはいけない人物の存在に、気づくこともなく………。

 

 

 

 




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Memory07 例え、祈らぬ者なれど

 冒険者四人が盗賊団と戦い、そして敗れた廃坑。

 通路を塞ぐ土砂が小さく盛り上がり、そこからフードの彼の頭が飛び出した。

 その顔には驚愕が浮かび、額には汗で張り付いた土がこびりついている。

 荒れた息を必死に整え、体を引きずり出す。

 

「い、生きてはいる、ようだ……」

 

 四つん這いになりながら、打撲した脇腹を押さえる。

 女武闘家を助け、土砂の下敷きになった。なぜ自分は生きていて、こうして這い出てこられたのか。

 まるで()()()()()()()()かのような錯覚を感じながら、フードの彼は周囲に目を向けた。

 仲間たちはいない。仲間が死に、天井が緩くなっていることを報告するために、既に街に戻ってしまったのかもしれない。

 フードの彼はそう判断し、立ち上がった時だった。視界の端にそれを捉えたのだ。

 千切れて役に立たなくなった、小さな紐。見たところで何か起こるはずもないその紐には、見覚えがあった。

 先ほどまで一緒だった女武闘家が、長い銀色の髪を結ぶために使っていた紐だ。

 フードの彼は異常を察し、タカの目を発動した。

 

「━━ッ!」

 

 そして、気づく。

 戦闘でもあったのか、地面に乱れた足跡が大量に残されているのだ。

 ゴブリンではなく、おそらく人間のものであることは間違いない。

 だが、問題がひとつ。

 多過ぎる足跡のせいで、どちらに行ったのかが判断出来ないのだ。

 自分たちが入って来たほうにも痕跡が伸びているし、出口と判断したほうにも痕跡が伸びている。

 つまり、どちらから入り、どちらに抜けて行ったのかがわからない。これでは追いかけようがない。

 その時、フードの彼は父から聞いたことを思い出した。

 

『この力は、文字通り見えないものをみるものだ。極めた者が使えば、痕跡を残した対象が幻影として見えるほどらしい』

 

 冗談混じりに言ったことかもしれない。出来なくても、それを目指す気でやれと、ある種の指針としたのかもしれない。

 大事なのは出来るか出来ないかではない、やるか、やらないか。

 

 ━━試して、みるか。

 

 タカの目を発動させると、周りの音が聞き取りにくくなる。

 それは、視覚に意識を集中しているぶん、聴覚を切り捨てているからと彼は判断した。

 ならば、聴覚を完全に捨て、視覚のみに全神経を注ぎ込めば、父の言っていた領域に行けるのではないか。

 ならばやるだけと、目を閉じてゆっくり息を吐く。

 タカの目を発動しながら目を開き、息を止めて集中を深めていく。

 深く深く、さらに深く。

 不意に、聞こえていた砂利が転がる音が、消えた。

 音が無くなった世界で彼が見たのは、吹けば消えてしまいそうなほど朧気な、影だった。

 大柄な男に担がれ、どこかに運ばれていく女武闘家の姿だった。

 暴れた拍子に、髪紐が千切れたようだ。

 敵は彼らが出口と判断した方向から入り、そのまま入り口の方へと抜けていく。

 それを確認した時だった、フードの彼を凄まじいまでの頭痛に襲われたのだ。

 脳が、目が、焼けるように熱く、痛い。

 限界まで研ぎ澄まされた彼の目と、情報を処理する脳が、キャパシティーを越えたものに耐えきれなくなったのだ。

 

「━━ッ!━━!」

 

 口から声にならない絶叫を漏らしながら、フードの彼は目を押さえてのたうち回る。

 痛みが引いたのは、数分後だった。

 フードの彼からしてみれば、数時間にも及ぶ拷問に晒された後のようなものだが、彼はふらふらと立ち上がり、しっかりとした足取りで歩き始める。

 

「奪ったものを、返して貰おう」

 

 強烈な殺気を漏らしながら、彼は闇の中に消えていく。

 その足取りに、恐怖も怯えもない。

 

 闇の中こそが、彼の生きる世界なのだ。

 

 一度闇の中に入ってしまえば、後は沈んでいくしかない。

 

 這い上がることなど、彼の師ですら出来なかったのだから━━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 太陽が沈み、二つの月が登った頃。

 廃坑から離れた位置にある、盗賊団の夜営地。

 そこでは下卑た笑い声がこだまし、十五人ほどの野蛮な男たちが騒いでいた。

 彼らの視線の先では、服を剥かれて裸体を晒す、瞳から輝きを失った女武闘家が、両手を上で縛られて拘束されていた。

 鍛えられたその四肢と、隠すことなく晒された豊満な胸は、酒の肴には丁度良い。

 頭目の指示で、直接触れて堪能出来ないのだけは残念だが、そのぶん高く売れるだろう。

 その金で女を買い、溜まりに溜まったものをぶつけてしまえば、それで済むのだ。

 我慢すればするほど、爆発させる時の快感は何倍にも膨れ上がる。

 それを知っている彼らだからこそ、女武闘家に触れるものはいない。

 

「それにしても、あんな美人に手を出さないとは、とんだ間抜けだな」

 

 酒を飲む頭目は、捕らえた冒険者たちに目を向けながらそう蔑む。

 最後まで抵抗した腹いせか、顔が腫れ上がり、原型がわからなくなっている男戦士。

 口に猿轡を嵌められ、言葉を発することの出来ない獣人魔術師。

 一番軽症なのは、高く売れると言われた森人司祭だ。

 全員が武具を剥ぎ取られ、後ろ手に拘束されている。

 反応しない冒険者たちに、頭目は彼らから奪った認識票を見せびらかしながらこう告げた。

 

「まったく、機嫌を取ろうと思わないのか?俺を笑わせた奴は見逃してやってもいいぜ?」

 

 目の前に餌を垂らされても、彼らは反応しない。

 頭目はつまらなそうに息を吐き、顎髭を擦る。

 

「何だっけ。仲間の一人が生き埋めになったんだったか。ったく、女のために命を捨てるとは、見上げた根性だ。会ってみたかったぜ」

 

 その言葉に反応したのは女武闘家だった。

 身動ぎひとつしなかった彼女が、前触れもなく涙を流し始める。

 流れた涙を頬を伝い、豊満な胸へと垂れ落ちた。

 一滴垂れる度に盗賊たちから歓声に似た声があがり、盛り上がっていく。

 だからだろう。周辺の森に配置していた見張りが死んだことに、誰も気がつかなかったのは。

 だからだろう。近くの茂みから、彼らを狙う銃口が伸びていたことに気づくことがなかったのは。

 

「?……ああああああああああ!」

 

「おい、どうした!」

 

 部下の一人が、突然頭を押さえて叫びだす。

 頭目は酒瓶片手に立ち上がり、その部下に声をかける。

 周りの仲間たちも駆け寄るが、叫んだ部下が突然抜刀し、仲間に襲いかかったのだ。

 

「おい、止め━━━」

 

「ああああああああああ!」

 

「この、てめえ!」

 

「離せ!死ね!死ね!」

 

 狂ったように得物を振り回し、次々と仲間を斬り殺していく。

 頭目は盛大に舌打ちをすると、酒瓶を地面に叩きつけて怒鳴るように指示を出す。

 

「止めろ!殺して構わん!」

 

 頭目の指示に部下たちはそれぞれの得物を取りだし、構える。

 その時、茂みから飛んで来た何かが一人の盗賊の頭に当たり、炸裂した。

 小さな袋(グレネード)が割れると、中に詰められたガスがばら蒔かれ、パニックはさらに広がっていく。

 意味不明な叫び声をあげながら、目についた仲間(てき)を殺していく。

 二十人いた盗賊団は、同士討ちによってその数を減らしていく。

 正常なのは、捕らわれた冒険者たちと頭目、その横で晩酌していた二名の副官だけだ。

 状況も理解出来ないなか、同士討ちを繰り広げる盗賊たちの間を縫う一人の冒険者(アサシン)がいた。

 目深く被ったフードに、鼻から口に(ガス)かけてを覆う布(マスク)、手首に巻かれた仕込み刀(アサシンブレード)で、襲いかかる盗賊を最小限の動きで殺害していく。

 途中で振りやすそうな剣を回収するあたり、余計にたちが悪いだろう。

 混沌に支配された盗賊たちの間を抜けた彼は、頭目たちの前に姿を現した。

 

「………え?」

 

 女武闘家の口から声が漏れる。

 その姿は、今日会ったばかりなのに、もう二度と会えないと思った彼の姿だ。

 フードの彼は、その蒼い瞳を頭目と二名の副官に向けた。

 絶対零度の殺気を放つその瞳は、おおよそ冒険者が持つものではない。何度も死線を潜り抜けた戦士であっても、そんな瞳にはならないだろう。

 頭目はそんな彼を鼻で笑い、肩に担いだ大剣(グレートソード)の切っ先を向けた。

 

「おまえの仕業か!よくも俺の部下たちを狂わせてくれたな……!」

 

「……」

 

 フードの彼は答えない。

 ただ沈黙を保ちながら、左腕のアサシンブレードを抜刀するだけだった。

 頭目は二名の副官を顎で使い、副官たちも嫌がらずに指示に従う。

 現在壊滅状態の盗賊団は、頭目と二名の副官の出会いから始まったのだ。

 その三人はまさに血を分けずとも兄弟であり、信頼は絶対のもの。何が起きようとも、それが揺らぐことはないだろう。

 二名の副官の前進に合わせ、フードの彼は全身の力を抜いた。

 そして、副官二人は同時に仕掛けた。否、仕掛けてしまった。

 フードの彼は冷静だった。右から仕掛けた副官の懐に飛び込み、右手の剣で一閃。

 腹を斬られた副官が悶絶する中、左からもう一人が襲いかかる。

 彼の死角について瞬時に間合いに入った副官は、剣を振り上げニヤリと笑う。

 フードの彼は冷静に、腹を斬った副官の肩を掴むと、何の躊躇いもなく盾にした。

 袈裟懸けに振られた刃は、盾にされた副官の胸を切り裂いた。

 

「があっ!」

 

 倒れかけた副官を無理やり支え、返す刃で振られたもう一撃も防ぐ。

 

「━━」

 

 幸か不幸か、その一撃で首を斬られた副官は、血泡を噴きながら息絶える。

 仲間を殺してしまったと認識した瞬間、もう一人の副官の胸に刃が差し込まれた。

 骨を避けるように正確に放たれたその一撃は、副官の心臓を貫き、その鼓動を止めさせた。

 副官の体を蹴り飛ばし、剣を引き抜く。

 吹き出た血が顔にかかったことを気にすることなく、フードの彼は頭目を睨む。

 

「チッ!てめぇ、何者だ!」

 

 フードの彼は答える必要があるかと言わんばかりに、両腕を広げて肩を竦めた。

 明らかな挑発に乗るほど頭目もバカではない。

 頭目はあくまで冷静に脳をフル回転させ、目の前の敵を観察する。

 仲間を狂わせた謎の技や、殺すことに慣れたあの動き。冒険者であることを前提にすれば、それなりに高い等級であることは間違いない。

 兄弟たちは死んでしまったが、彼らの無念を晴らすためにも、そして再起のためにも殺さねばならない。

 そんな思慮を深める傍らで、フードの彼は襲い来る盗賊たちを次々と屠っていく。

 狂わせた相手に襲われるとは、何とも皮肉なように思えるが、フードの彼は手慣れた様子で捌いていた。

 左手に仕込まれた武器と、部下から奪ったであろう剣を振り、時には同士討ちをさせ、時には首を裂き、頭蓋を貫く。

 頭目が動き出そうとした時には、フードの彼の足元には大量の死体が転がっていた。

 返り血か自分の血か、黒い衣装には不気味な(まだら)模様(もよう)が浮かんでいる。

 

「いいねぇ。久しぶりに高ぶってくるじゃあねぇか」

 

 頭目はそんな彼の姿に怯んだ様子はない。

 むしろ、彼の認識票をコレクションに加えることを心待ちにしている節があるほどだ。

 フードの彼はゆっくりと歩き出し、頭目の元を目指す。

 

「てめぇだろ?あの嬢ちゃんを庇ったって野郎は。いやー、会いたいと思ってはいたが、本当に会えるとはな!」

 

「………」

 

 フードの彼は答えない。

 頭目は息を吐き、フードの彼の身長ほどありそうな大剣を、右腕だけで持ち上げた。

 常人を遥かに越えた筋力だからこそ、出来る芸当だろう。

 辺境の街の冒険者にもだんびらを振るう男がいるが、この大男はそれ以上であることは確かだ。

 

「行くぜ?一撃で死んでくれるなよ!」

 

 頭目が吼えて一気に踏み込むと、全体重を載せた振り下ろしを叩き込む。

 長年使われ続けたためか、刃が潰れてしまったその大剣でも、人を殺せることに変わりはない。

 鎧を着込んだ相手なら、打撃のほうがやり易いほどだ。

 だが、フードの彼はまともな防具を纏った様子はない。当たれば、それで仕舞いだ。

 頭目はニヤリと口の端を歪めるが、フードの彼は余裕を持って横に転がって避ける。

 空振りに終わった大剣は、地面に叩きつけられる。

 地面にめり込んでしまっているが、頭目は力ずくで持ち上げ、再び構えた。

 フードの彼は右手の剣を一瞥し、小さく舌打ちを鳴らす。

 いくらなんでも、あの一撃は受け流しきれないだろう。当たらなければそれでいいが、それだけでは勝てない。

 フードの彼はゆっくりと息を吐き、正面から突撃する。

 頭目は大剣を大きく振りかぶり、横凪ぎに振り抜く。

 フードの彼はスライディングの要領でその下を潜り抜け、すれ違い様に足に一太刀。

 足を断ち切るつもりの一撃は、頭目の妙に頑丈な骨を断てず、そのまま引っ掛かってしまった。

 

「ぐぅ!いいねぇ!いいねぇ!」

 

 だが、頭目はそれにさえ歓喜するように醜悪に笑い、右足に引っ掛かる剣を、左足で踏んで折る。

 どんな腕前の戦士でも、錆びた剣では何も斬れぬ。

 武器の質は、命の奪い合いでは大切なことだ。

 粗悪品のピストルなぞ売られた暁には、その売人を殺してやりたくなるほどに、とても大切なことだ。

 フードの彼は再び息を吐き、近くに落ちていた槍を手に取り、逆手に持ち替えるとそのまま投げ放つ。

 それと同時に頭目に接近し、途中で地面に刺さった両手剣を回収する。

 

「舐めるな!」

 

 頭目は大剣でそれを切り払い、接近してきたフードの彼に大剣を振り下ろす。

 避けたところを捕まえ、投げ飛ばし、トドメを刺せばいい。

 頭目のその考えは、次の瞬間に打ち砕かれた。

 フードの彼は両手剣を巧みに操り、大剣の振り下ろしを受け流して見せたのだ。

 頭目が目を見開いた瞬間、フードの彼の左手が閃いた。

 

「なあ!?」

 

 左手のアサシンブレードは、大剣を掴む頭目の指を綺麗に斬り飛ばし、持ち主のいなくなった大剣は地面に落ちる。

 フードの彼は切り返し、両手剣で頭目の頭蓋を砕きにいくが、

 

「ぬぅらぁっ!」

 

「ッ!」

 

 頭目はそれよりも早くフードの彼に体当たりを当て、そのまま押し倒す。

 その拍子に、彼の持つ両手剣はあらぬ方向に飛んでいってしまった。

 仕込み刀がある左手()()を押さえ、勝ちを確認した頭目は醜悪に笑む。

 

「はぁ……はぁ……残念だったな」

 

 指が無くなった手を睨み、その顔をさらに醜悪に歪める。

 

「これからおまえの手を砕いて、砕いて!二度と使い物にならないようにしてやる!!!」

 

 頭目は脅すように言うが、フードの彼は口元に笑みを浮かべた。

 死ぬとわかって開き直ったのか、やってみろと煽っているのか。

 

「チッ!まずはこの左腕だ!!!」

 

 頭目は額に青筋を浮かべ、注意を左腕に向けた。

 その瞬間、息が出来なくなった。

 鋭利なもので貫かれたかのように喉が熱く、血が溜まっていくことがわかる。

 

「……!?」

 

 頭目は視線を落とし、目を見開いた。

 右手首から飛び出た仕込み刀が、自分の喉を貫いているのだ。

 それを理解した途端、全身から力が抜けていった。

 フードの彼は右手のアサシンブレードを引き抜き、頭目の体を無理やり退かす。その時に、腰に下げた鍵束を掠めることも忘れない。

 わざと使わなかった右手のアサシンブレードが、読み通りの状況で役に立つとは、彼自身も思いにも寄らなかっただろう。

 荒れた息を整え、立ち上がろうとした時だった。

 血の泡を噴く頭目が、彼の胸ぐらに手を伸ばしたのだ。

 指の無くなった手では掴めるものはないが、多少ずらす程度なら出来る。

 フードの彼の服がずれ、その胸元から認識票が飛び出した。

 まだ駆け出し冒険者だという証明の、『白磁』の認識票が。

 

「━━ッ!!!」

 

 頭目の目が有らん限りに見開かれ、フードの彼の顔に目を向けた。

 倒れたからこそ見ることが出来た彼の顔は、まだ幼さが残る青年のものだ。

 頭目は自分を殺した冒険者の等級を知りたかった。

 紅玉級を殺した自分を殺したのだから、銅や銀のはずだと。

 なけなしのプライドを保つために、それを知ろうとして、白磁等級の駆け出しに負けたと知ったのだ。

 その頭目は、最期の最期でちっぽけなプライドさえも失った。

 絶望にも諦観にも似た表情で逝った頭目の顔を眺め、フードの彼の脳裏に父の言葉が過った。

 

『死に行く者には敬意を払え。この考え方には「教団」も「騎士団」も関係ない。一人の人間として、この事だけは忘れるな』

 

「………」

 

 前いた世界では、殺したアサシンやギャングたちに、敬意を払うことはなかった。

 フードの彼がそっと頭目の目を閉じてやると、心なしかその表情が和らいだように見える。

 

「━━安らかに眠れ。死した者たちと共に」

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 帰還

 名も知らぬ盗賊団を壊滅させたフードの彼は、一度フードを脱いで捕らわれた仲間たちを解放していく。

 周辺の警戒を頼むために男三人を先に解放し、最後に裸で拘束されている女武闘家の元へと向かう。

 

斥候(スカウト)さん……」

 

「……」

 

 声をかけられても返すことはなく、手早く彼女を解放する。

 いきなり拘束を解かれた女武闘家は倒れそうになるが、フードの彼はしっかりと支えてやった。

 先ほど回収した毛布を被せ、風に晒されていた体を温める。

 女武闘家は顔だけを出し、フードの彼の視線から逃れるように俯いた。

 自分のせいで、彼は死にかけたのだ。恨み事を言われても、受け入れるしかない。

 

「少しいいか……」

 

「……はい」

 

 不意に声をかけられ、女武闘家はゆっくりと顔を上げた。

 その瞬間、彼女の視界に飛び込んできたのは、無表情で左手のアサシンブレードを展開しているフードの彼の姿だった。

 

「ッ!……」

 

 彼女は一瞬驚きはしたものの、それを受け入れた。

 殺しかけたのだから、殺されても仕方がない。

 先ほど見せてくれた彼の動きや、頭目に向けた最期の祈りの言葉を見れば、きっと苦しませるなんて事はないだろう。

 彼の左手が閃いた瞬間、彼女はギュッと目を瞑った。

 だが、聞こえてきたのは首を貫く音ではなく、「ブチッ!」という糸か何かを斬った音だった。

 次に感じたのは、自分の髪が後ろで纏められ、何かで結ばれたことだ。

 

「……?」

 

 恐る恐る目を開けると、そこには微笑するフードの彼がいた。

 後ろで纏められていた髪が、だいぶ短くなっていることを除けば、いつも通りだ。

 フードの彼は優しく女武闘家の髪を撫で、優しく言う。

 

「この髪型のほうが似合っている」

 

「え……」

 

 髪紐が千切れて以降そのままとなっていた髪が、誰かの髪紐で止められている。

 目の前には髪紐が必要ないほど短髪になった彼がいて、自分の長い髪は後ろで纏められいる。

 つまり、彼は自分の髪を切り、使っていた髪紐を渡してくれたのだ。

 彼の笑みとその声音に、思わず涙が溢れそうになった女武闘家は、必死にそれを堪えながら声を出す。

 

「…あ、あの、斥候(スカウト)さん……?」

 

「どうかしたか?」

 

「私のせいで、あなたは━━」

 

「死にかけたが、こうして生きてる。問題あるか」

 

 大したことのないように言うフードの彼に、女武闘家は耐えきれなくなった。

 目から涙が垂れ、毛布を濡らす。

 

「でも、私……」

 

「気にするなと言ったんだがな。俺としては、必死になって這い出たのに、肝心のおまえらがいなくて驚いたぞ」

 

「……うん」

 

 反論は許さんと気迫を放つ彼の言葉に、女武闘家は頷いた。

 それですぐに涙が止まるわけではなく、もちろん流れ続ける。

 フードの彼は止まらない涙を拭ってやり、困ったように笑う。

 これでは、妹の相手と同じではないか。まあ、あの生活は嫌いではなかったが。

 

「あー、お二人さん?」

 

 そんな二人に、男戦士が控えめに声をかけた。顔の腫れがだいぶましになっているのは、森人司祭の奇跡によるものか。

 腰に差したマチェットは、盗賊の誰かからくすめたものだろう。

 フードの彼は気にする様子はなく、平然と「どうした」と訊き、女武闘家は顔を赤くして俯いた。

 男戦士は居心地悪そうに頬をかき、「いてっ」と声を漏らす。

 

「とりあえず、ここで夜明けを待って、街に戻るのは明日にしよう。あの司祭さんが、明日の朝一番にちゃんと供養してやりたいんだとさ」

 

「そうだな。少し、休むか……」

 

 どこか気の抜けた声を出すフードの彼の目は、僅かばかり目が虚ろになっていた。

 それに気づいたのは、至近距離の女武闘家だけだ。

 斥候(スカウト)として廃坑では誰よりも神経を研ぎ澄まし、生き埋めになった壁から自力で這い出し、僅かな痕跡を追って走り続け、そのまま戦闘を繰り広げたのだ。

 今日一日だけで、彼の負担は洒落にならないものになっている。

 肉体が誰よりも休息を求めているのに、彼は無理を通して立ち続けている。それだけで、もはや奇跡と言っていい。

 それでも彼は、男戦士に訊いた。

 

「……獣人は、どこに行った……。地図がなければ、依頼は失敗だ……」

 

「ああ、無事だよ。今は盗られた俺たちの荷物を探し回ってる」

 

「そうか……」

 

 フードの彼が返事をするが、その体が揺れる。

 咄嗟に女武闘家が支えたが、彼はもう限界だった。立っていられる気力もない。

 だが、無理をした結果仲間を全員助け出せたのだ。それでいいだろう。

 

 ━━運は自分で掴むもの。

 

 失敗(ファンブル)を叩きだしても、諦めずに次の行動で成功(クリティカル)にしてしまえばいい。

 成功すると思わなければ、何事も上手くはいかないだろう。

 フードの彼は満足そうに笑い、その意識を手放した。

 耳に響くのは、怪しげな囁き声でも、下卑た笑い声でもない。ただ優しい、こちらを心配する仲間たちの声だった。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 翌日、夕暮れ時の辺境の街のギルド。

 そこに勤める受付嬢は、内心穏やかではなかった。

 昨日の昼に『廃坑の地図製作(マッピング)』に向かった一党が、いまだに帰ってこないのだ。

 廃坑から街の距離を考えても、そこまで時間がかかるものでもない。何かしらのトラブルに巻き込まれたのではないか。

 

「はぁ……」

 

 深いため息を吐き、書類に目を落とす。

 今日も今日とて、様々な依頼が舞い込んでくる。

 早めに依頼を終えた冒険者たちが、併設された酒場で騒ぐ。

 そんな中、ギルドの自由扉が開き、とある一党が帰ってきた。

 その瞬間、騒がしかったギルドが静まりかえる。

 

「ふぅ。やっとたどり着きましたな」

 

「やれやれだ。あのような目には二度とあいたくない」

 

「ああ。もう洞窟に潜るのは止そうかな……」

 

「……でも、いい経験になりました?」

 

「ついた、のか……?」

 

 ボロボロのローブに、折れた杖を持った獣人魔術師。

 杖をその用途通りに使い、ふらつく足を必死に支える森人司祭。

 若干やつれた様子の、顔に痣が残る男戦士。

 出発時とはまったく違う装いだが、まだ軽症に見える女武闘家。

 そんな彼女に支えられ、今にも倒れてしまいそうなフードの彼。

 

「な、何があったんですか!?」

 

 強大な魔物にでも襲われたような装いの彼らに、堪らず受付嬢が声をかけたことを誰が責められよう。

 他の冒険者たちも、そんな彼らに注目していた。

 彼らの言葉に耳を傾けようと、集中しているのだ。もしドラゴンやデーモンに襲われたのなら、その付近の依頼は避けることを考慮しなければならなくなる。

 獣人魔術師が、再度作り直した『廃坑の地図の完全版』と、何かが詰まった袋を受付嬢に手渡す。

 

「依頼は完了しました。が、見てわかるように少々問題に巻き込まれまして」

 

「……あの、こちらの袋は?」

 

 地図を確認した受付嬢が袋を開けようとすると、森人司祭が待ったをかけた。

 

「見る前に覚悟を決めておいてくれ。刺激が強すぎるものだ」

 

 森人司祭の真剣な忠告に、受付嬢は表情を引き締める。

 そっと袋の紐を緩め、その中身を確認する。

 だが、それは受付嬢には重すぎた。

 彼女は声にもならない悲鳴をあげ、その袋を取りこぼす。

 カウンターから落ちた袋は、大きな音をたてながらその中身を床にばらまいた。

 

『━━っ!』

 

 それを見た冒険者たちも、顔を青くしたのは当然だろう。

 明日を心配するほど酔っていたはずなのに、それも一瞬で覚めてしまうほどの衝撃を、それは与えたのだ。

 それは認識票だった。志半ばで力尽きた冒険者たちの名残にして、彼らが危険に挑んだ確かな証拠。

 一つや二つなら、まだ納得出来ただろう。

 だが、彼らが持ち帰ったのは、十数個の認識票だ。白磁や黒曜に混ざり、鋼鉄や翠玉、果てには紅玉まで含まれている。

 

「……あ、あの、この認識票を、どこで……」

 

 獣人魔術師が落ちた認識票をかき集めるなか、受付嬢は放心しつつも問いかけた。

 それに答えたのは男戦士だった。

 ボリボリと不機嫌そうに頭をかき、簡単に説明を始める。

 

「例の廃坑にはゴブリンがいた。それは片付けたんだが━━」

 

 そこまで言うと、後ろの女武闘家とフードの彼に目を向ける。

 フードの彼は彼女に支えられ、もはや指定席となっているギルド端の椅子まで歩いていた。

 

「廃坑の一部が崩落して、フードのあいつがそれに巻き込まれた。で、救出しようとしたら、盗賊団━━『百目団』とかいうのに襲われた」

 

「盗賊、百目団、ですか……?」

 

 そんな名前を、都での研修中に聞いたような気がする。

 最近力を付け始めている盗賊団の噂が流れ、その名前がそんな奇妙なものだったような……。

 

「━━で、生き埋めになったフードのあいつ以外が捕まった。そんで、まあ……」

 

 言葉に詰まる男戦士。

 あの出来事を隠すことなく伝えたところで、受付嬢は信じてくれるかどうか。

 だが、伝えなければならないだろう。冒険者は、信頼が第一だ。

 

「そこから這い出たフードのあいつが、一人で壊滅させた。俺たちが手を出す暇なんかなかったよ」

 

 包み隠さず告げられた言葉に、ついに受付嬢はフリーズした。

 いつもなら、突飛な話を聞いても嘘だと聞き流すか、同僚と共に真偽を問いただすところだろう。

 だが、大量の認識票と彼らの状態が、それが事実だと告げている。

 フードの彼をよく見れば、黒い衣装に赤い斑模様が浮いているのだ。おそらく、盗賊たちの返り血だろう。

 

「ふむ、やはり刺激が強すぎたか」

 

「ですが、報告をしなければ報酬は貰えませんので」

 

「盗賊に懸賞金でもかかっていれば、また装備を揃えられるんだがな……」

 

 森人司祭、獣人魔術師、男戦士はそう言うと、受付嬢に目を向けた。

 瞬きをしているから死んではいないようだが、いまだにフリーズしていることに変わりはない。

 

「受付さん、大丈夫か?おい」

 

 男戦士が彼女の顔の前で手を振り、意識を確かめる。

 その行動でハッとして戻ってきた受付嬢は、獣人魔術師が集め直した認識票を確かに受け取った。

 

「……報告、ありがとうございます。依頼の報酬はお渡ししますが、その盗賊討伐の報酬は待っていてください。一度上に訊いてみないことには、わかりません」

 

 盗賊団の脅威度や規模によって、報酬は異なってくる。

 彼ら全員から調書をつくり、それをまとめて上に報告し、然るべき報酬を渡す。

 ただでさえ忙しいというのに、大きな仕事が出来てしまった。だが、それが仕事だ。割り切るしかない。

 ふと、冒険者たちの目がフードの彼に集まっていることに気づく。

 今の話が本当なのか疑い、もし本当なら引き抜こうとしているのだろう。

 話題の彼は睡魔と殴りあっているのか、薄く目を開きながら舟をこぎ、女武闘家に寄りかかっていた。

 その女武闘家の顔が真っ赤になっていることに、気づいた様子はない。

 受付嬢は地図製作の報酬を用意し、五等分してそれを手渡す。

 男戦士が三人分受け取り、それらをフードの彼と女武闘家に手渡す。

 その日、彼らは馬小屋ではなく、だいぶ安いが宿に泊まったそうだ。

 干し草では、取れる疲れも取れないだろうから━━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

「━━これが、俺のやったことだ」

 

 ギルドの一室で、フードの彼は椅子に腰掛けながら堂々とそう告げた。

 あの日なにがあり、なにをして、何人をどう殺した。

 訊いてもいないのに事細かく答えてくれたのは、彼の親切か、それともさっさと終わらせたいからか。

 それを聞いていた受付嬢は、口の端を引きつらせながら、助けを求めるように隣の同僚━━法を司る至高神に仕える監督官━━に目を向けた。

 この世界には、『看破(センス・ライ)』と呼ばれる奇跡がある。

 相手の嘘を見抜き、真実を口にさせるものだが、フードの彼には無意味だった。

 彼は、何人をどう殺したかに至るまで、何一つ嘘をついていないからだ。

 監督官は一度息を吐き「全て本当みたい」と返す。

 彼と一党を組んでいた他の冒険者に訊いたところで、返ってくるのは同じような内容だ。

 

『フードの彼が、盗賊団を単独で壊滅させた』

 

 この事に、嘘偽りはない。それが証明されてしまった。

 彼は銅等級でもなければ銀等級でもない、ただの駆け出し、白磁等級だ。

 盗賊団の討伐など、鋼鉄等級からの仕事だと言うのに。

 フードの彼は正面の二人を一瞥すると、苦笑した。

 

「もういいか?工房長に呼ばれているんだが」

 

「ああ、はい。大丈夫です……」

 

 酷く疲れたといった表情の受付嬢に、フードの彼は首を傾げる。

 ただ起きたことを正確に報告しただけだというのに、なぜ目の前の二人は困り顔なのか、わからないのだ。

 

「では、失礼する」

 

 フードの彼は端的にそう告げると、足早に部屋を後にし、まっすぐ工房に向かう。

 彼の去った部屋で、受付嬢と監督官がため息混じりに机に突っ伏したことを、知ることもなく。

 

 

 

 

 

 歩いて数分の工房に入ってみれば、そこにはいつもの工房長がいた。

 工房長はフードの彼の姿を認めると、睨んでいた書類の束をカウンターの下にしまいこむ。

 

「おお、来たか」

 

「何か用か。鉱石を取ってこいというのなら、依頼を出せ」

 

「……その言葉遣いは大目に見てやるとして、ほれ」

 

 言うが早いか、工房長はそれを取り出した。

 その剣は、ゴブリンスレイヤーのものとは別の意味で中途半端なものだった。

 柄は両手で持てるように長くなっているが、両手剣にしては剣身は細いし短く、片手剣にしては長すぎる。

 まさに『中途半端な剣(バスタードソード)』と呼んで、差し支えない一振りだ。

 いきなり剣を差し出され困惑するフードの彼をよそに、工房長は剣を片手で持ち上げ、それを差し出した。

 

「振ってみろ」

 

 フードの彼は無言で受け取り、僅かに目を見開いた。

 重すぎず、軽すぎず、柄もしっかりと手に馴染む。

 まるで、自分のために鍛えられたようなこの一振りは、一体なんだ。

 

「……工房長、これはなんだ」

 

 興奮しているのか、僅かに声を震わせるフードの彼に工房長は不敵に笑んだ。

 

「武器を持たない冒険者様に、武器を打ってやったんだ。金額はこんなもんだな」

 

 出された算盤で金額を確かめ、フードの彼はその分の金貨を差し出した。

 そこまで安いというわけでもないのだが、何の躊躇いもなく即決である。

 金貨を噛んで確め、本物とわかれば話は早い。

 

「鞘は?」

 

「いらん。邪魔だ」

 

「盾は━━いらねぇか」

 

「ああ。俺には合わん」

 

「他に何かいるものは?」

 

「……短剣はあるか」

 

「ほれ、そこだ」

 

 指差された先で、フードの彼は雑多の短剣を持ち上げ、すぐ次へ、すぐ次へと繰り返す。

 そして、手に馴染んだ短剣を手に取ると、それをカウンターにそっと置いた。

 

「いくらだ」

 

「こんなもんだ。まあ、数打ちものだからな」

 

「買おう」

 

 この短時間で二振りの剣を手にいれ、短剣を右に、バスタードソードを左に下げる。

 重いバスタードソードを左に下げ、右に二挺のピストルと短剣を下げることで、重心のズレを僅かにだが誤魔化す。

 今のフードの彼の姿は、歴戦の戦士にすら見えるだろう。そんな風格を放っている。

 これでまだ白磁等級なのだから、詐欺もいいところなのだが。

 フードの男は小さく笑むと、工房長に礼を言った。

 

「工房長、感謝する。弾まで作ってもらったというのに、この剣まで」

 

「そう思うなら、もっと防具を買うなりしてくれ」

 

「防具を着込むのは苦手なんだ。勘弁してくれ」

 

 フードの彼はそう言うと、工房を後にする。その足取りは僅かばかりに嬉しそうだ。

 工房長は肩をすくめ、他の冒険者から注文された品を作っていく。

 

 ━━あいつとは、長い付き合いになりそうだ。

 

 柄にもなく、そんなことを思いながら━━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

 それから一ヶ月ほど経った頃。

 

「……」

 

 ゴブリンスレイヤーは一人いつもの席に座り、指輪を眺めていた。

 仕事を共にすることになった、この盤の外を目指した魔術師が、その最後に渡してきた指輪。

 彼女がどうなったかを想像するのは、自分の役目ではないだろう。

 ふと、ゴブリンスレイヤーは顔を上げ、フードの彼の姿を探した。

 いつからか女武闘家と一党を組み、よく依頼に出ているそうだが……。

 見当たらないあたり、また、件の女武闘家と他の仕事に出ているのだろう。最近は、仕事の時間の影響なのか、話す機会がだいぶ減ったように思える。

 いや、なぜ彼を頼りにしているのだ。ゴブリン退治など自分一人でやれば、それで良いだろう━━。

 

「どうした、悩み事か?」

 

「む……」

 

 不意に声をかけられ、顔をあげる。

 そこにいたのはフードの彼で、短くなった黒髪と腰の左右に下げた剣のせいで、また違う雰囲気を纏っていた。

 フードの彼は、何も言わずに依頼書を見せつける。

 近隣の村に出たという、ゴブリン退治の依頼書。参加するメンバーは、彼とゴブリンスレイヤーの二人だけ。

 

仕事(ゴブリン)だ、行くぞ」

 

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは立ち上がり、その依頼書を確認した。

 数はそこまで確認されていないから、『渡り』と呼ばれる潰された巣穴の生き残りだろう。

 その渡りは数年も立てば上位種になるのだから、今のうちに潰すに限る。

 二人はギルドを後にして、街の外を目指す。

 そんな中、ゴブリンスレイヤーが口を開いた。

 

「……あいつはどうした。一党を組んでいただろう」

 

「女というのは、男に比べて繊細だ。おまえも気を遣ってやれ」

 

「……むぅ」

 

 どこか出来の悪い弟に言い聞かせるような言葉に、ゴブリンスレイヤーは小さく唸る。

 フードの彼は、ゴブリンスレイヤーの幼なじみのことを知っているのだろう。

 最近、その二人があまり話していないことも含めて、お見通しといったところか。

 

「今度はあいつも連れてくるか。女だが、優秀な武闘家だ」

 

「そうか。なら、()()をやらねばな」

 

「……?」

 

 盤の外を目指す者がいれば、盤の外から来た者もいる。

 奇妙なことに、ゴブリンスレイヤーはそのどちらとも面識があった。

 片や彼の元から去り、片や彼の隣を歩いている。

 

「たまには他の依頼を受けないのか?」

 

「俺がその依頼をこなす間に、ゴブリンが村を滅ぼすだろう」

 

「……おまえらしい答えだな」

 

 彼はゴブリンスレイヤー。後に『辺境最優』と慕われることとなる、最弱の魔物である小鬼を殺す者。

 

 隣を歩くのはフードの男。後に『辺境最強の一角』『ならず者を殺す者(ローグハンター)』と恐れられることとなる、まだ駆け出しの冒険者。

 

 

 盤の外から来た冒険者。

 

 

 これは、彼の物語だ━━━。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Sequence02 銀等級冒険者
Memory01 五年後の二人


「はぁ……はぁ……っはぁ……」

 

 その男は夜の森を走っていた。

 彼とその仲間が夜営に使っていた場所からは、まだ僅かに仲間たちの悲鳴と断末魔が聞こえてくる。

 仲間を置いて逃げたことへの罪悪感は感じない。自分さえ助かれば、それでいい。この状況で逃げない奴がバカなのだ。

 その男は仲間の断末魔も聞こえないほど離れると、息を整えるために近くの木に背を預けて座り込む。

 ここまで来れば大丈夫だろうと判断し、何がいけなかったのかを考える。

 名をあげるために西の辺境で流れる『噂』を確め、本当なら「そいつ」を殺してやろうと考えていた。

 そうすれば、無名の自分たちでも一躍有名人だと。バカにしてきた連中が恐れ(おのの)くに違いないと。

 その時、ガサ……と近く茂みが揺れた。

 

「ッ!」

 

 慌てて口を押さえて息を殺し、震える体を無理やり落ち着かせようと努める。

 額を流れる汗を気にする余裕はない。こちらも命懸けだ。

 

「……あれ?こっちに行ったと思ったんだけどな」

 

 そこに現れたのは、夜の森には似合わない一人の女性だった。

 流れるような長い銀髪を高く結び、遠目に見れば尻尾のようにも見える。

 鍛え抜かれたその四肢に無駄な肉はないはずなのに、触れば柔らかそうで、その胸は豊満だった。

 首から下がる認識票は、彼女の髪と同じ色。つまり、在野最高である銀等級。

 その事実を後押しするように、鋭い視線は空高く飛ぶ鷹のようであり、睨まれた獲物は死への直感から震え上がるに違いない。

 だが、もし街ですれ違えば、間違いなく声をかけただろう。それほどまでに彼女は美しい。

『美しいものには毒がある』という言葉を、この男は知っている。

 彼女の蹴りで仲間の首が飛んだ瞬間を、彼女の拳で仲間の胸が潰れた瞬間を、その目で見てしまったのだ。

 正確には仲間が殺られたと思ったら、彼女が蹴りや拳を振り抜いた体勢になっていただけだ。実際にその瞬間は見えていない。

 彼女の身に纏う鉄製の籠手や脚甲に付着する血は、彼女が屠った彼の仲間のものである。

 その彼女がここにいるということは、仲間たちが全滅したことは間違いない。

 だが、問題はそれではない。

 村人や酒場の冒険者が話していたあの噂は、本当だったのだ。

 同僚の中で見た者がいないのは、それを見た奴等が皆殺しにされたからに違いない。

 見つかっても、報告される前に全員殺せば、それは見つかっていないのと同じことだ。

 そんな狂ったことを、そいつは平然と行うことが出来る。きっと、たがが外れているに違いない。

 

「ん~、どっち行ったんだろ」

 

 銀髪の女性は首を捻り、男とは逆方向に進んでいく。

 男はその背中を眺めながらホッと息を吐いた。

 とりあえず、これで━━、

 

「『一安心だ』とでも言いたそうだな?」

 

「ひっ!」

 

 突然聞こえた謎の男の声に、男は情けない声を漏らして立ち上がる。

 周りを見渡しても自分以外の男はいない。先ほどの女性がこちらに気づき、拳を握りながらゆっくりと近づいてくることがわかっただけだ。

 男は逃げようと後ずさるが、木の根に躓いて仰向けに倒れこんだ。

 目の前に死が迫って来ている。それを理解した途端、情けなく下半身が温かくなった。

 

「━━汝、死の恐怖から解放されよ」

 

 謎の男の声は、詩を詠むようにそう告げる。

 その時になって、男はようやく声の主がどこにいるのかを把握した。

 自分が隠れた木の枝の上。只人ではまず立とうとすら思わないその場所に、そいつはいたのだ。

 黒と赤を基調とした上質な衣装に身を包んだ、目深くフードを被った男。首から下がる認識票は、あの女性と同じ銀色をしている。

 そのフードの男は腰に下げた剣に触れることなく、そのまま飛び降りた。

 落下と同時に手首の仕込み刀(アサシンブレード)を展開し、そのまま倒れる男にとどめを刺す(エアアサシン)

 男は恐怖に顔を歪めたまま血泡を噴き、そのまま息絶えた。

 フードの彼はそっと瞼を閉じてやり、消えてしまいそうなほど小さな声で、最後の一節を口にする。

 

「━━眠れ、安らかに」

 

 この男と仲間たちはあることを確めようとしていた。

 二、三年ほど前から、彼ら盗賊や山賊たちの間にある噂が流れ始めたのだ。

 

 曰く『西の辺境には、どんな獰猛な山賊でも住み着けない』

 

 曰く『西の辺境には血も涙もない殺人鬼がいる』

 

 曰く『俺たちを殺すために、天上の神々(クソッタレ)が「死神()()」を遣わせた』

 

「……あ、大丈夫だった?」

 

「問題ない。そっちも怪我はないか」

 

 本人たちが知らないうちに、その二人は裏社会でも有名人になっていた。

 その二人はお互いの無事を確めあい、抱擁をかわす。

 と言っても、銀髪の女性━━女武闘家━━が一方的に抱き付き、フードの彼がそれを抱き止めているだけだ。

 尤も、あれから五年も経ったのだ。二人が()()()()()()になっていても、何ら不思議ではない。

 二人は体を離すと、フードの彼が男の死体を担いで盗賊たちの夜営地に戻る。

 五人の死体が地面に転がり、別の二人の死体は首にロープがかけられ、木に吊るされていた。そこにフードの彼が降ろした一人が加わった。

 それを確認した女武闘家は、安心したように息を吐く。

 

「村に被害が出る前で良かったね。商人の荷物が奪われちゃったのは残念だけど」

 

「だが、荷物の略奪に夢中になった結果、その商人を見逃して俺たちを呼ばれたんだ。素人(ヌーブ)だな」

 

「そうだね~」

 

 フードの彼はともかく、女武闘家も誰かを殺したというのに心を痛めた様子はない。

 彼女はフードの彼と共に歩むと決めた時、覚悟を決めたのだ。生半可な覚悟では、彼と共に歩めないとわかったから、必死になって。

 最初のうちは大変だったが、その度に彼が寄り添ってくれた。そんな中で惹かれていったのは間違いない。

 片ひざをついて焚き火に当たるフードの彼の隣に、彼女は倒れた椅子を持ってくると腰かけた。

 二人で寄り添いながら火に当たる中、フードの彼は空を見上げる。

 二つの月に照らされた夜営地は、まるで昼間のように明るいが、間違いなく今は夜、つまり祈らぬ者(ノンプレイヤー)たちの時間だ。

 フードの彼はため息を吐きながら立ち上がり、木に吊るした二人を降ろす。

 頑丈に作られたロープの先端には、返しのついた捕縛用のナイフがついている。

 本来なら集団の一人を引きづり出すためのものだが、高所から使えば、縛り首にも使えるものだ。

 その『ロープダート』を回収し、まだ使えることを確めた。

 昔いた場所では、殺害即離脱が基本だったので回収するなんてことは出来なかったが、ここではその余裕がある。

 回収した二本をまとめ、一本をポーチに押し込む。

 

「壊れてなかった?」

 

 女武闘家の確認に、もう一本のロープダートを彼女に渡しながら頷く。

 

「問題ない。って、もう訊かなくてもわかるだろ」

 

「えへへ……」

 

 フードの彼の指摘に、女武闘家は誤魔化すように笑う。

 一党を組むようになってから、女武闘家も『フリーラン』を基本としたアサシン技能を覚え始めていた。

 尤も、そもそも世界の違うタカの目や、彼の分しかないアサシンブレード、エアライフルと各種弾薬を使うことは出来ない。

 そこで、彼女が武闘家であることも考慮して、フードの彼は余りに余らせていたロープダートを使わせ始めたのだ。

 結果はご覧の通り、何度も練習をこなしていくうちに、実戦でも扱える程度には使いこなせるようになっていった。

 フードの彼は落ちていた棒で焚き火の薪をかき混ぜ、女武闘家に告げる。

 

「まだ夜明けまで時間がある。見張りは俺がやるから、少し休め」

 

「え~、一緒に寝ようよ~」

 

 女武闘家がふざけたように言うと、彼はフードを取り払い、彼女を睨んだ。

 

「動物に噛まれるか、ゴブリンに拐われて目を覚ましても良いんならな」

 

「………」

 

 五年の歳月は、青年を大人へと変えた。

 まだ幼さの残っていた顔立ちは完全に大人のものとなり、目に宿る光の強さは更に強く、鋭くなっている。

 度々切るものの、自然と長くなった髪はいつも通りに後ろで纏められていた。

 そんな彼の顔を見つめていた女武闘家だが、近くの毛布を地面に敷き、その上に寝転んだ。

 

「風邪引くぞ、まったく……」

 

 フードの彼はため息を吐き、落ちていた毛布を彼女にかける。

 心なしか口調が砕けたのは、きっと間違いではない。

 かつての彼は、『騎士団』の規律の下で生きていた。父や先生、その同僚たちの言葉を信じ、行動に移す。言ってしまえば、視野が恐ろしく狭かったのだ。

 そして、あの海戦が切っ掛けで広い世界に触れる機会を手に入れ、今は冒険者となっている。

 この五年は、彼を大人にすると共に、固まった脳をほぐしてくれたのだろう。

『教団』の教えを、『騎士団』の教えの下ではなく、自分なりに解釈し直してみようと思う程度には。

 彼らが正しいとは言わない。だが、いくつかは肯定しても良いのではないか。

 

 ━━やはり、父から色々と聞いてみるべきだったな。

 

 今さら後悔したところでどうにもならないが、たまにはしても良いだろう。

 彼女のほうから寝息が聞こえ始めると、彼は意識をこちらに戻し、一気に集中してタカの目を発動する。

 この五年で使い続けたその能力は、更に研ぎ澄まされている。

 かつて使っただけで目と脳が焼けそうになった領域に、今では普通に踏み込むことが出来るほどだ。

 まあ、使ったところで何も起きなければ意味はないのだが━━。

 

 

 

 

 

 山の輪郭が白くなり始めた頃、女武闘家は目を覚ました。飛び起きると同時に、「しまった」というような表情になる。

 見てみれば、相棒であるフードの彼が土を被せて焚き火の鎮火をしている所だった。

 彼は相手が自発的に起きてこない限り、見張りを変わることがない。寝不足を心配しても「気にするな」と返ってくるのだ。

 

「起きたか」

 

「うん、おはよう」

 

 慣れてはダメなのだろうが、この状況に慣れてしまった。正確には、起きられない自分と起こさない彼に諦めてしまったというところか。

 深いため息を吐き、立ち上がって体を伸ばす。

 姿勢が姿勢なだけにその豊満な胸が強調されるのだが、フードの彼は気にしない。

 経費削減と一緒の部屋で寝泊まりしたこともあるのだ、今さら気にはならないのだろう。

 焚き火を鎮火し終え、商人が奪われたという物資を探す。たったの八人で行動していたのだから、そこまでの量ではないだろう。

 そして、それはすぐに見つかった。タカの目を通せば、相当巧妙に隠されていなければ、見ただけで見つけることが出来る。

 中身は確認しない方がいいのだろう。街に住む人に送られた、プライベートに関わるものかもしれない。

 フードの彼は箱を持ち上げ、女武闘家が周りを警戒する。物を運ぶ以上、タカの目に集中しきれないのなら、監視の目を増やすだけだ。

 

「疲れたら言ってね」

 

「このくらいなら問題ないさ。街に戻るぞ」

 

 二人は歩き出し、彼らの拠点である辺境の街を目指す。

 この箱に詰まった物資を届けるまでが依頼なのだから、しっかり手渡しをしないと報酬が貰えない。

 冒険者は信頼が第一。依頼された通りにしなければ、仕事が無くなってしまう。

 何とも世知辛いが、この世界はそういうルールだ。割りと自由にやれるが、一定の規則がある。

 それこそが、フードの彼が望むことではあるのだが━━━。

 

 

 

 

 

 辺境の街のギルド。

 新たな一年が始まり、四季の始め頃になると新たな冒険者志望者が訪れる。自分で道を選ぶ機会となる春先では、それが特に多い。

 約一名、何とも中途半端な時期に冒険者になった男を知っているが、彼は規格外だ。白磁で盗賊団を壊滅させられるような新人が、毎年現れても助かるが困る。

 話を戻して今年来た新人たちだ。

 彼らの書類を作成し、認識票を用意して渡す。

 五年が経過し、ベテランと言って良いほどになった受付嬢は、今まさに困っていた。

 

「ゴブリン退治さ!」

 

「ゴブリン、ですか?」

 

 傷一つない胸当てに鉢巻きを締め、腰に剣を吊るした若者が、今まさに冒険者になった女神官を勧誘していた。

 その新人剣士の後ろには、彼の一党(パーティー)なのか、武闘家の少女と魔術師の少女がいた。

 彼ら曰く『森に現れたゴブリンが、作物だけでなく羊や娘を拐っていった。手段を選んでいられなくなった村人たちが、藁にもすがる思いで依頼を出した』とのこと。

 女神官は唇に指をあてがい、考え込んだ。

 ゴブリンが村を襲うことは、よく聞く話だ。

 聖職者が単独行動など、自殺に等しい。一党を組むなら、早めのほうがいいのだろう。

 男性に誘われるとは思いもよらなかったが、他にも女性が二人いるのなら、安心だろう。

 

「わかりました。……私なんかで、宜しければ」

 

 ややあって女神官は素直に頷いた。

 それを聞いた新人剣士は喜ぶ。

 

「本当かい!やったな、皆。これでもう、冒険に出られるぞ!」

 

 新人剣士の言葉に一党の二人も頷き、まさに出発しようとした時だった。

 

「あの……四人で、ですか?」

 

 見かねた受付嬢が口を挟んだことを、彼らが疑問を抱いた様子はない。

 

「もう少ししたら、他の冒険者の方が来ると━━━」

 

 噂をすれば何とやら、ギルドの自由扉が開いたのはその時だった。

 

「あ~、やっとついた。何か食べよ~」

 

「だらしないぞ、まったく……」

 

 入ってきたのは二人組の男女。

 先に入ってきた銀髪の女武闘家は、腹の虫が鳴ったことを気にもせず、酒場の空席を探す。

 遅れて入ってきたフードの彼はため息を吐き、フードを取り払った。

 後ろで纏められた黒髪と蒼い瞳は、受付嬢としては見慣れたもの。

 彼女は嬉しそうに飾り気のない笑顔を浮かべ、彼を迎えいれた。

 

「あ、『ならず者を殺す者(ローグハンター)』さん。お帰りなさい!」

 

「ああ、戻った」

 

 女武闘家を席に座らせ、『ローグハンター』と呼ばれた彼は、受付の方に顔を出す。

 そして、彼の視線は件の新人四人に向いた。彼らのほうもローグハンターの方に、正確には彼の下げる銀の認識票に目を向けていた。

 いきなり自分たちの目標地点の一つ、在野最高の冒険者にこんなに早く出会えるとは、思いも寄らなかったのだろう。

 剣士、魔術師、武闘家、神官。四人全員の首には白磁の認識票がぶら下がっている。

 ローグハンターは彼ら四人の姿に、思わず笑みをこぼした。

 

「新人か。昔を思い出すな」

 

 思えば、彼がゴブリンスレイヤー以外で初めて一党を組んだのは、男戦士、獣人魔術師、森人司祭━━ようは神官━━、そして今も相棒となっている女武闘家だ。

 斥候(スカウト)がいないことを除けば、あの時とほぼ同じ。

 彼らとも時折交流があるが、等級が上がっていくうちに共に冒険に出る機会は減ったように思える。

 まあ、拠点となる街を転々とするのも、それもそれで有りだろう。

 報告書(アドベンチャーシート)を書く傍らで、新人たちに声をかけた。

 

「依頼に出るのか?」

 

 彼の問いに答えたのは、女神官だった。

 彼女が僅かな不安を表情に出していることに気づいたのは、ローグハンターだけだろう。

 

「は、はい。ゴブリン退治に━━」

 

「ゴブリン退治?」

 

 ペンを止め、その四人に目を向けた。

 その目に僅かばかりに非難の色がこもっているのは、気のせいではないだろう。

 ちらりと受付嬢に目を向け、彼女も心配そうにしていることに気づいた。

 やはり彼女は優しすぎると思いながらも、報告書を仕上げながら彼らに言う。

 

毒消し(アンチドーテ)は買ったのか。あいつらは毒を塗った武器を使うぞ。銀等級でも警戒するほど強力なものだ」

 

『ッ!』

 

 それを知らなかった新人たちが驚いたことを横目に、彼は続ける。

 

「巣穴に挑むなら、趣味の悪い『トーテム』に気を付けろ。それがあったら、呪文使い(シャーマン)がいる」

 

 自分たちへのアドバイスをしてくれていることに気づき、女神官と女魔術師がメモを取り出そうとするが、彼はそれを手で制する。

 

「メモを取っても見る時間はないし、奴らに盗まれたらことだ。読めるかどうかは別として、一度ゴブリンが手紙を持っていたからな。情報は頭に叩き込め」

 

「は、はい!」

 

 女神官は返事を返し、女魔術師はそっとメモを懐に戻す。

 ローグハンターは報告書を書き終えると、その四人を連れて受付前を離れた。

 受付嬢に絶賛片想い中の銀等級冒険者、『辺境最強の一角』と呼ばれる槍使いがいつ帰ってくるかわからない。

 因みに、『辺境最強の一角』なのは、ローグハンターのせいである。

 どちらが強いのか、仲間内の冒険者たちの間でも度々賭けになるほどだが、二人は滅多なことでは戦わない。

 槍使い曰く『受付さんを賭けて勝負だゴラァ!』と時々挑戦されるが、ローグハンターが努めて「依頼だ」とそれを避けているのだ。

 ━━話を戻して、新人たちへの情報提供。

 ローグハンターは相棒が取っていた席に向かい、新人たちも座らせる。

 

「ん、その子たちどうしたの?」

 

「ゴブリン退治を受けたらしいから、助言をな」

 

「キミは親切だね~」

 

 銀髪武闘家は人懐っこく笑い、新人たちに目を向けた。

 その表情は真剣そのものであり、値踏みをしているようにも見える。

 

「もう少し待ったら、彼が戻ってきそうだけどね」

 

「まあ、それもそうだが、依頼を受けたのはこいつらだ」

 

「それもそうか。すみませーん、注文いい~?」

 

 銀髪武闘家はそう言って肩をすくめると、獣人の給仕係に声をかけた。

 何とも適当に注文をしているようだが、その横で構わず新人たちに助言をしていく。

 

 曰く『一本道でも背後からの奇襲に気を付けろ。奴等は穴堀が得意だ』

 

 曰く『隊列は慎重に考えろ。間違えれば全滅する』

 

 曰く『洞窟内なら剣を小さく振れ。壁にぶつけたら殺される』

 

 曰く『一際大きな個体、田舎者(ホブ)がいたら近づかせるな。魔術で確実に潰せ』

 

 曰く『普通の奴なら、死ぬ気で殴れば殺せるわよ』

 

 ……最後の一つだけ銀髪武闘家のものだが、間違いは言っていない。

 銀髪武闘家は苦笑して、新人四人にこう告げる。

 

「まあ、死ぬ気で頑張りなさい。そうすればきっと運も掴めるわ」

 

「また会えたら何か奢ってやるさ。安いものならな」

 

 ローグハンターもそう続き、彼ら四人への助言を締めくくる。

 その後、その四人はどうにか予算を出しあって毒消しを買い、あれやこれやと話しながら出ていった。

 その日の夜に、その四人がゴブリンスレイヤーに連れられて帰ってきたのは、きっと偶然ではないだろう。

 土や返り血でドロドロになっていたが、彼らは運を掴んだのだ。

 ローグハンターの長話や買い物のお陰で、出発がだいぶ遅れたこともあり、深部に到達する前にゴブリンスレイヤーが現れた。

 様々な偶然の果てに、彼らは成功を掴んだのだ。

 運命というものは、割りとくだらない所で変わっていくものなのだろう。

 

 

 

 

 




ローグハンターの長話、買い物、話し合いながらの移動、トーテム発見による警戒などで遅延が重なり、ゴブスレさんの到着までに『ピンチ』にならずに済んだので、原作最初の三人は生存です。

誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。




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Memory02 新しい仲間

 西の辺境の街。

 その街の片隅には、冒険者たちや旅行客の団体が利用する大きな宿がある。

 丸くなって眠る狐のマークが目印の『眠る狐亭』と呼ばれるそこは、二階から上階を宿、一階を酒場兼小さな賭博場として冒険者だけでなく旅行客にも解放しており、朝だと言うのに様々な人物、種族で賑わっていた。

 そんな彼らをカウンター越しに眺める店主は、だいぶ稼げそうだなと内心喜ぶ。

 別に不正だのを働いてはいないが、賭博場を仕切る部下は彼が直々に技術を叩き込んだ男だ。

 言葉巧みに相手を持ち上げて煽り、勢いだけで無駄に勝負をさせる。数をやれば、いつか落ちるのだから。

 

「嬉しそうだな、店主」

 

 そんな店主に、不意に声がかけられた。

 黒と赤を基調とした上質な衣装に、腰には二本の剣。背中には長い妙な筒を背負った男━━ローグハンターだ。

 彼はカウンター席に腰掛け、簡単な朝食を頼んだ。

 二階から気配もなく降りてきたローグハンターに慣れた様子で、その店主は肩をすくめる。

 

「まあな。客が多けりゃ、取られた分も取り返し易いってことよ」

 

「悪いな、一方的に取りすぎて」

 

 ローグハンターの言葉とは裏腹に、何処となく嬉しそうにそう言った。

 彼が賭博をすると、毎度のように大稼ぎしていくのだ。その分この宿で宿泊を繰り返すことで金を回しているのだが、それでも中々回しきれない。

 それでも出禁をくらわないあたり、店主の心が広いのか、それとも裏があるのか。

 ローグハンターの言葉に店主は笑い、人差し指を立てた。

 

「ま、噂の『ならず者を殺す者(ローグハンター)』が贔屓にしてるってだけで、バカどもも静かになるからな」

 

 立てた人差し指を店の片隅に向け、そこでたむろしている男たちを指差した。

 ちらりちらりとローグハンターに目を向けているあたり、彼が何者かわかっているのだろう。

 ローグハンターはその男たちを気にする様子もなく、出された朝食━━パンやスープなどの簡単なもの━━に手を出していく。

 パンを噛み千切り、スプーンで掬ったスープをすすり、小さく笑いながら舌鼓を打つ。

 

「やはり、ここのスープが舌にあう。なぜだ」

 

「常連の好みがわからないようじゃ、その店もまだまだってな」

 

 店主のドヤ顔混じりの一言に、ローグハンターは苦笑で返す。

 その時、後ろの賭博場から大きな歓声が上がった。誰かが大当たり(ジャックポット)でもしたのだろう。

 それに店主は「やられたか」と舌打ちし、それを見ていたローグハンターはわざと音を出してスープを飲んで無視をする。

 そんな時、階段をバタバタと音を立てながら降りてくる人がいた。

 

「キ、キミ、起こしてって言ったじゃん!」

 

 彼の相棒、銀髪武闘家である。装備の籠手は、ジャマだからと腰にぶら下げているようだ。

 二人は経費削減と称して同じ部屋に泊まり、いつもローグハンターが先に降りてくる。

 会話からして彼女は起こして欲しいのだろうが、ローグハンターはそれをしないようだ。

 

「寝ている奴を叩き起こす趣味はない」

 

「別に優しく声をかけてくれればそれでいいじゃん!」

 

「そうやって起こしたら、寝ぼけて俺を掴んだまま二度寝したのはどいつだ」

 

「……私です。お水ください……」

 

 前言撤回。彼は痛い目を見たから、起こさないようにしているのだ。

 店主は二人の仲睦まじいやり取りを眺め、水を注いだコップを差し出す。

 銀髪武闘家がそれに口をつけた時、店主は怪しくニヤニヤと笑いながら呟いた。

 

「━━で、昨晩は楽しめたか?」

 

「ブッ!」

 

「……汚いぞ」

 

 店主の一言に銀髪武闘家は水を吹き出し、食事を終えたローグハンターがそれを注意する。

 だが、その短い言葉に僅かな動揺が混ざっていることに、五年近い付き合いの店主は気づいた。

 店主は邪悪な━━それでもどこか嬉しそうな━━笑みを深めると、目の前の二人に言う。

 

「なんだ、鎌をかけただけなのに図星だったのか?ああ、こいつが嬢ちゃんを起こさない理由ってそういうことか」

 

「ち、違います!私たちは別に、そんな、こと、して、ない、です……」

 

 言っていて恥ずかしくなったのか、銀髪武闘家は顔を真っ赤にさせながら俯いた。

 あうあうと口を動かしているのは、今の言葉が嘘だという証拠だろう。

 ローグハンターは大きくため息を吐き、食事の代金をカウンターに置く。わざとドン!と音が出るように置いたのは、威嚇か何かなのだろうか。

 

「ごちそうさん。行くぞ」

 

「う、うん。店主さん、違います!違いますからね!」

 

 足早に去ろうとするローグハンターと、顔を真っ赤にさせたまま彼の後ろについていき、店主のほうを向いて釘を刺す銀髪武闘家。

 そんな二人を、店主は「まあ待て」と呼び止めた。

 先ほどまでの笑みが嘘のように消え、顔は真剣そのものだ。

 そんな顔をされてしまえば、二人も頭を切り替える。

 二人の男女から冒険者の一党(パーティー)としての顔になった二人に、店主は内心で感嘆の息を漏らした。

 ここまで公私をすばやく切り替えられる者は、たとえ政治家であってもそう多くはないだろう。

 店主は二人に目を向け、応接室を指差す。誰かがいるということなのだろう。

 二人は顔を向かい合わせると頷きあい、そっと応接室に入る。

 

「む……」

 

「あれ?」

 

 そこにいたのは、ソファーに腰掛けた一人の少女。

 武闘家とは対照的な赤い髪に、丸眼鏡をかけている。魔術師なのか胸元が開いたローブを纏い、机の上には三角帽子、杖は自分の体に寄せていた。

 一つ問題があるとすれば、その彼女が寝ていることか。すやすやと寝息を立てるその寝顔には、年相応の幼さが残る。

 二人は彼女と机を挟んで対面の席に座り、顔を寄せて小声で話し始めた。

 

「この()、この前ゴブリンスレイヤーさんに助けられた娘だよね?」

 

「ああ、間違いない。あそこまで話したんだ、そう簡単には忘れん」

 

「だよね?私たちに用があるのかな?」

 

「でもなければ、たった一人でここには来ないだろう。依頼、というわけではなさそうだが……」

 

「ん~、一党に加わりたいとか?」

 

「それはそれで構わん。魔術師の対処法は魔術師が一番知っているだろう」

 

「そうだね~。起こす?」

 

「俺に━━」

 

「はいはい、私が起こしますよ~っと」

 

 ローグハンターが何かを言う前に、銀髪武闘家が身を乗り出し、女魔術師の肩を優しく叩く。

 それに体を跳ねさせて反応したのは、仕方がないだろう。誰だって寝ている時に肩を叩かれれば、驚くのは当然だ。

 女魔術師は慌てながら周囲を見渡し、ようやく正面の二人に気づく。

 

「あ、あの……」

 

「気にするな。俺たちが遅くなっただけだ」

 

 寝ていたことの謝罪を口にする前に、ローグハンターが先手を打った。

 実際、昨晩色々としたせいで何時もよりも遅く起きたのは事実だ。

 女魔術師は服のシワを伸ばし、改めて二人に向き合った。

 

「お二人に、学院でも噂の『ならず者を殺す者(ローグハンター)』にお願いがあって来ました」

 

「私も異名欲しいなー。話から省かれてる気分になるよ……」

 

「『お二人』と言ったのなら、それでいいだろうが。続けてくれ」

 

 茶々を入れた銀髪武闘家を注意しつつ、言葉を間違えたと少し慌てる女魔術師にフォローを入れ、続きを促す。

 

「不躾ながら、私を一党に加えて欲しいのです」

 

 改まったように言う女魔術師の頼みに、ローグハンターは首を傾げた。

 

「一ついいか」

 

「はい」

 

「俺たちは学院━━つまり都のほうでも噂になっているのか」

 

 ローグハンターの確認に、女魔術師は頷いた。

 彼としては吟遊詩人あたりが適当にホラを吹いているのだろうと考えていたので、続く女魔術師の言葉は意外なものだ。

 

「お二人が助けた私の学友である貴族のご令嬢から、話を伺いました」

 

「貴族令嬢なんか助けたっけ?」

 

 銀髪武闘家の気の抜けた言葉に、ローグハンターは困り顔で頷いた。

 

「貴族としては、旅行中の娘が拐われたなんて知られたら面子に関わる。国や軍、知り合いの貴族に知られないように、匿名で依頼を出したんだろ」

 

「ああ、山賊討伐と女の子の護送がセットの依頼って、そういうことなんだ。あと、その指定先にいる強そうな人たちも」

 

「そう言うことだな。……時々見知らぬ誰かから手紙が来るのもそのせいか……」

 

 小声で付け足した最後の一言は、銀髪武闘家に届くことはなかった。

 ローグハンターは咳払いをして、女魔術師に質問をする。

 

「魔術は何回だ」

 

「日に二回、得意なものは『火矢(ファイアボルト)』です」

 

「白磁で二回か。恵まれているな……」

 

「すごいね~。私たち使えないのに……」

 

 前衛二人は、割りと素直にそう口にした。銀髪武闘家のものは自嘲のような気もするが、誉めていることに変わりはない。

 突然銀等級二人に誉められた女魔術師は、赤くなった顔を俯かせる。

 帽子があれば隠れただろうが、今は脱いでいるから丸見えだった。

 そんな嬉しさと照れ臭さが入り交じった表情の女魔術師に、ローグハンターはこう切り出す。

 

「確か、新人たちと一党を組んでいなかったか?」

 

 女魔術師を顔を上げ、その表情を引き締めて頷いた。

 

「はい、彼らには話をしてあります。お二人を見つけられるまでの間と約束していました」

 

 その言葉に、ローグハンターは顔には出さないが面をくらう。

 つまりこの娘は、自分たちを探して辺境まで来たということなのだ。

 もっと他にも選択肢はあったはずなのに、ここを、自分たちを選んだ。

 ローグハンターは表情を引き締め、女魔術師に確認をする。

 

「……俺たちがどんな依頼を中心にしているかは、わかっているな」

 

「はい」

 

「その依頼で何を相手にするかも、わかっているな」

 

「はい」

 

「勝ったとしても、慣れないうちは心に嫌なものが残るぞ」

 

「承知の上です」

 

 すべての返答に迷いはなく、彼女の瞳もまっすぐなもの。

 将来有望な新人が、せっかく声をかけてくれたのだ。無下にするのも悪いだろう。

 ローグハンターは相棒たる銀髪武闘家に目を向ける。

 彼女は一党の頭目(リーダー)である彼に一任するつもりなのか、ボケッとしながら応接室の天井の木目を眺めていた。

 何とも適当な相棒にため息を吐き、女魔術師に視線を戻す。

 表情を強張らせた彼女に向けて、彼は優しく笑んだ。

 机に乗った女魔術師の帽子を手に取ると立ち上がり、そっと彼女に被せてやる。

 

「それじゃあ、よろしく頼む。辛くなったらいつでも言ってくれ、相談に乗る。こいつも最初はそうだったからな」

 

「む。昔を掘り返さないでよ~」

 

 弄られたことを察知した銀髪武闘家が拗ねた子供のように言うが、ローグハンターはそれを無視して応接室を後にしてしまう。

 遅れて銀髪武闘家も立ち上がり、一向に立ち上がらずに、僅かに驚いているように見える女魔術師に目を向けた。

 

「ん、どうかしたの?」

 

「い、いえ。その、すんなり認められたので……」

 

「ああ、そう言うこと」

 

 銀髪武闘家は苦笑して、扉の覗き窓から彼の背中を眺めた。

 五年も経って一回り大きくなった彼の背中は、色々なものを背負っているのだろう。

 彼と並んで歩くのは大変なことだし、ついていくのも一苦労だ。

 でも、彼は━━、

 

「誰よりも優しい人だからね。頼ってくれた人は無下にしないし、こっちが止まりそうになったら、ちゃんと手を引いてくれるのよ」

 

 ━━だから、彼と一緒にいられるの。

 

 彼女が満面の笑顔でそう付け加えると、ローグハンターが戻ってくる。そして彼は躊躇いなく扉を全開にした。

 目の前にいた銀髪武闘家は扉と激突した頭をおさえ、うずくまる。

 結果はこうなったが、中々出てこない二人を心配して戻ってきてくれたのだろう。

 

「どうした。仕事行くぞ」

 

「は、はいはい。ほら、行こ」

 

「は、はい!」

 

 ローグハンターの言葉に二人は返事を返し、彼に続いて歩いていく。

 店主は人混みを掻き分けて進む三人を、二人について歩く女魔術師の姿を認め、嬉しそうに笑った。

 

「頑張れよ、嬢ちゃん」

 

 酒場と賭博場の声にかき消され、店主の声が三人に届くことはない。

 

 ━━まあ、あいつがいれば大丈夫か。

 

 店主は知っているのだ。

 まだ二人が駆け出しだった頃、仕事終わりに張り詰めた表情の銀髪武闘家に寄り添う彼の優しさを。

ならず者を殺す者(ローグハンター)』と呼ばれているが、実際はこの街の冒険者で指折りのお人好しだということを。

 彼が賭博場で荒稼ぎしても手を出さないのは、怨敵と同じ名前を冠したバカ(ローグ)どもを片付けてくれたからだ。

 店主は苦笑し、入ってきた新しい客たちと、その客たちとすれ違いで出ていくローグハンターに目を向ける。

 彼の背中は、店主の知る強き鷹の若い頃に、何となくだが似ている気がする。口元の傷なんて、そのままではないか。

 

「ただ、『十字架(テンプル)』と『フード(アサシン)』の折衷案は罰当たりじゃないか?」

 

 先ほど大当たり(ジャックポット)となった客の悲鳴と、勢いよく膝から崩れ落ちる音がしたのは、その呟きとほぼ同時だった。

 その悲鳴に嬉しそうに笑った店主の左手薬指には、指輪のような火傷の痕が残っていた━━━。

 

 

 

 

 

 




そんなわけで、新しい仲間は女魔術師ちゃんでした。
なんだろう、主人公の回りには胸の大きな女性が多いような……。

??「んあああああああああああ!」

太 陽 の 爆 発 ! ! !




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。



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Memory03 労力は最低限で

 朝早くの辺境の街のギルド。

 冒険者たちで賑わうその場所は、彼らにとって重要な拠点である。

 依頼を受け、報酬をもらい、等級を上げ、さらなる依頼に挑む。

 このサイクルをこなすためには、ギルドそのものを始め、そこに優秀な職員たちがいなければこなせない。

 そんなギルドの中に、他の冒険者たちとは一線を画する冒険者が二人いる。

 

 片や最弱の魔物であるゴブリンを狩り続ける男、ゴブリンスレイヤー。

 

 片や『ならず者(ローグ)』とはいえ人間を狩り続ける男、ローグハンター。

 

 一見共通点のなさそうな二人だが、一時期一党を組んでいただけあり、割りと一緒にいる姿を目撃されている。

 現に今も━━、

 

「最近、野盗狩りの依頼が減っている気がする」

 

「そうか。だが、ゴブリンは一向に減る様子がない」

 

「手伝うか?」

 

「頼む」

 

 在野最高である銀等級冒険者二人が、ゴブリン狩りに行こうとしているのだ。

 だが、それを止めたり他の仕事に誘ったりする者はいない。嘲るものはいるかも知れないが。

 一日中兜を被って素顔も知れない男と、一歩間違えれば大量殺人鬼になりかねない男という、変わり者二人の会話に介入する勇気があるものは━━、

 

「あ、ゴブスレおはよ~」

 

 いた。ゴブリンスレイヤーを省略して呼ぶほどに、手慣れた様子で。

 透けそうなほど鮮やかな銀色の髪は、彼女の動きに合わせて揺れ、何となく尻尾のようだ。

 そんな銀髪武闘家は、口許に食べ滓をつけたままローグハンターの隣に腰を掛ける。

 

「いや~、ご飯はこっちのほうが好きだな~。向こうの店主さんは一言多いもん」

 

 不機嫌ですと言うように捲し立てる銀髪武闘家を気にする様子もなく、ローグハンターは彼女に遅れて現れたもう一人に声をかけた。

 つい最近一党に加え、既に何度か仕事を共にした駆け出しの冒険者。

 

「おまえは食べられたか?無理をしているなら言ってくれ」

 

「大丈夫です。もう慣れました」

 

 女魔術師はそう返し、銀髪武闘家の隣に腰掛ける。

 そしてハンカチで彼女の口許をぐりぐりと無理やり拭い始めた。

 

「この人の食べ方には慣れませんが……!」

 

「えー、美味しく食べられればそれでいいでしょ」

 

 明らかな怒気のこもった声だったが、銀髪武闘家は気にしない。彼女がショックを受けるのは、ローグハンターに何かしら言われた時ぐらいだ。

 ローグハンターはギルド内を見渡し、首を傾げた。

 

「ゴブリンスレイヤー。最近一緒にいたあの神官はどうした」

 

「聖職者としての務めだそうだ。ここ三日は会っていない」

 

 ゴブリンスレイヤーの相変わらずの端的な言葉に、ローグハンターは「そうか」と頷いて女魔術師に目を向けた。

 

「そう言えば、おまえはその()と一党組んでいたな。次の仕事はそちらに同行するか」

 

「いや、別に気遣いは……」

 

 ローグハンターの言葉に、女魔術師は遠慮がちに首を振る。

 だが、悲しきかな。この日は野盗退治の依頼がない。

 頭目である彼の指針故、優先順位は野盗の次にゴブリンだ。

 ゴブリン狩りの時はゴブリンスレイヤーに同行するのだから、その女神官とも一緒となる。

 

「あ、そうだ、牛飼さん元気?」

 

 そんなもの知らんと、銀髪武闘家がゴブリンスレイヤーに問いかけた。

 牛飼さんというのは、街の郊外にある牧場に住む娘のことだ。

 ゴブリンスレイヤーの幼なじみらしく、人一倍彼に気を遣っていると聞く。

 ゴブリンスレイヤーはいきなりの質問に驚いたのか、それとも困ったのか、僅かに沈黙してから口を開く。

 

「……問題ない」

 

「女の子に対してそれだけ~?」

 

「ああ」

 

 相変わらずの反応に、銀髪武闘家は処置なしと肩をすくめる。

 一方的かもしれないが、友人と思っている同年代の女性の幼なじみ(想い人)がこれなのだ。

 振り向かせるのは苦労しそうだね~。なんて、いくら他人事でも軽くは言えない。

 自分は恵まれている。隣にいる自分の想い人は人一倍他人の想いに敏感なのだ。そして、それに応えてくれる。

 

「ま、人ぞれぞれか」

 

 銀髪武闘家がそう言うと、ゴブリンスレイヤーが立ち上がって受付へ。ローグハンターも彼に続き、二人で受付嬢の前に立った。

 新人時代なら、その二人を前にすればまず間違いなく涙を浮かべていただろう。

 だが、これが五年続けば慣れるというもの。

 

「お待ちしていましたよ!」

 

 受付嬢の飾り気のない自然な笑みと共に、その表情通りの声が男二人を捉える。

 そして、この二人の返答はいつも決まっている。

 

「「━━ゴブリンだ」」

 

 

 

 

 

「なんでゴブリンは村を襲うんでしょうね?」

 

 ゴブリン退治の依頼書を引っ張り出しながら、受付嬢はそんな事を呟いた。

 別に返答を求めたものではないだろう。だが、目の前にいる相手が悪かった。

 

「……簡単な話だ」

 

 目の前にいるのはゴブリンスレイヤー。恐らく、ゴブリンに関する知識で彼を上回るものはそうはいない。

 彼はそう言うと、独白のように言葉を続ける。

 

 ━━ある日突然、自分たちの住処が怪物どもに襲われる。

 奴らは我が物顔でのし歩き、友達を、家族をなぶり者にし、玩具にし、最後に殺した、とする。

 連中はげたげたと笑って、その死体を投げ捨てた、とする。

 そして、それを最初から最後まで見ていた、とする。

 

 ━━許せるわけがない。

 

 あらゆる手を使って報復してやろうと、行動に移す。

 探して、追い詰め、戦い、襲いかかり、殺して、殺して、殺していく。

 もちろん失敗することもあるだろう。

 ならば次はどうするか考え、考え続け、機会があれば片っ端から試していく。

 そうしてくる内に━━━………

 

「『楽しくなってくる』か?」

 

「む」

 

 その途中で、ローグハンターが割って入った。

 彼の表情もまた真剣なものだが、若干の怒気が込もっていることも確かだ。

 なぜ彼が怒っているのかわからないゴブリンスレイヤーだが、ローグハンターはこう付け加えた。

 

「生き残ったそいつがどうこうは知らんが、おまえはゴブリンスレイヤーだ。()()()()()()()()

 

「……だが、似たようなものだ」

 

 ゴブリンスレイヤーが小さくそう漏らすと、ローグハンターと受付嬢はほぼ同時に息を吐いた。

 まず口を開いたのは受付嬢だ。頭に角でも生えそうな雰囲気を放ちながら、ゴブリンスレイヤーに言う。

 

「あのですね。その理屈だと、あなたに依頼を仲介してる、私たちはどうなります?魔神とか邪神に()()()()()()()ですか?」

 

「……そんなつもりは━━━」

 

「なら、俺はその仲間の魔物ということになるのか?」

 

「………そんなつもりは、ない……」

 

 不定期とはいえ相棒であるローグハンターからの追撃は、流石のゴブリンスレイヤーにも堪えた様子だった。

 その隙に受付嬢は取り出した依頼書をローグハンターに手渡す。

 

「そんな事を言っていると、依頼を斡旋してあげませんよ?ローグハンターさんがいますから」

 

「ああ。たまに俺が『ゴブリンスレイヤー』を名乗るだけだ。問題ない」

 

「いや、それは困る。おまえにも野盗狩り(しごと)があるだろう。迷惑はかけられん……」

 

 二人はその言葉を待っていましたと言うように笑い、ローグハンターは依頼書をゴブリンスレイヤーの鎧に叩きつける。

 ゴブリンスレイヤーがそれをしっかり受け取ったことを横目に、ローグハンターはこう告げる。

 

「おまえが俺に思うように、俺もおまえにそう思っているんだよ。おまえは誰かがやらなきゃならないことを、誰よりも率先してやっているだけだ。もっと堂々としろ」

 

「そうですよ。あなたは銀等級、在野最高の冒険者なんですから」

 

「………」

 

 二人のチームプレーに、ゴブリンスレイヤーはついに答えられなくなった。

 彼が黙る時は返答に困っている証拠。五年も付き合いのある二人は、その事を重々承知している。

 ローグハンターは肩をすくめ、受付嬢は小さく苦笑。

 そしてようやく返ってきた返答は━━、

 

「……それで、ゴブリンはどこだ。規模は」

 

 仕事に関する話だった。

 露骨に話題を逸らされただけだが、彼がそうすると決めたのなら乗ってやろう。

 何せ彼はゴブリンスレイヤー。小鬼を殺す者なのだから。

 

 

 

 

 

 今回の依頼の始まりも、よくあることだ。

 森に打ち捨てられた砦に、ゴブリンが住み着いたというのだ。

 既に村娘が拐われ、助けに向かった冒険者も帰ってこない。もう三日も前のことだ。

 そのゴブリンを殺すため、ゴブリンスレイヤー、ローグハンター、銀髪武闘家、女魔術師、そしてギリギリで合流した女神官の五人は、森を進んでいた。

 ローグハンターのタカの目が件の砦と、見張りのゴブリンである赤い影を捉えた。

 他の四人では、大きな砦はともかくとして、その上にいる小さな小鬼の姿を視認出来るような距離ではない。

 だが、五年で酷使と言っていいほど使われたタカの目は、さらに研ぎ澄まされている。

 本来の補足範囲を越えた先にいる小鬼の影すら、彼が見逃すことはない。

 

「見えたぞ。見張りのようだ」

 

「こ、ここから見えるのですか?」

 

 ローグハンターの報告に、女神官が驚きながら問いかけた。

 彼は一度頷き、少し目を細めて注視する。

 

「……サボっているな。他には見えん」

 

「ゴブリンに優等生っているのかな?」

 

 ローグハンターの報告に銀髪武闘家がそう返した。

 その疑問に答えたのはゴブリンスレイヤーだ。

 

「勤勉なゴブリンはいない。だが、探せばいるかもしれん」

 

 今回の作戦は単純だ。

 ゴブリンたちの根城になっている件の砦は、森人たちが打ち捨てたもの。森人の作り出すものは、森の木々の力を借りるものが多い。

 つまり、非常に燃えやすい。本来なら何かしら防火の術がかけられているのだが、砦は既に捨てられて長い。それも意味はないだろう。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターは、背中に回していた弓を構える。

 

「弓は苦手なんだがな……」

 

「ゴブリンに当てる必要はない。砦を焼くだけだ」

 

「そうだが、まあ、当たればいいか」

 

 弓を構える男二人をよそに、女性三人は自分の体を風避けにしながら火打石を擦る。

 地面に突き刺してある矢の(やじり)にメディアの油を染み込ませた布を巻き、火をつけていく。

 女魔術師は火の魔術を使えるが、ゴブリンスレイヤーに止められた。

 彼曰く『温存しろ。使いどころがあるかもしれん』とのこと。

 女魔術師はその事を重々承知している。

 ローグハンターからも言われているのだ。

 

『魔術は魔術でしか出来ないことに使うべきだ。魔術無しでもやれることも多いからな』

 

 ━━と、度々と言っていいほどに。

 

『魔術無しで魔術師五人をまとめて相手取り、無傷で殺してみせた』

 

 学院では「嘘」だと言われていた噂も、彼と共に行動すればその信憑性は増していく。

 

 ━━人を殺すのに、魔術は手段の一つでしかない。

 

 彼らが攻撃の準備を終えた時、見張りのゴブリンはようやく彼らの存在に気づいたのだ。

 

 

 

 

 

 そのゴブリンは、ただ退屈そうに森を見ていただけだ。

 彼が見張りをしている隙に攻めてきた冒険者を仲間たちが返り討ちにし、そいつらを見逃した罰としてその後のお楽しみに参加できなかった。

 なぜ自分だけが、あいつだってサボっていたじゃないか。

 自分が悪いとは考えない。仲間外れにするあいつらが悪いのだ。

 そのせいで、オレはこんなに退屈にしていると、そのゴブリンは信じて疑わない。

 その時、砦の近くにいくつかの火を見つけた。

 バカな冒険者どもが使う松明とかいうものに似ているように見える。

 ゴブリンはじっと目を凝らし、その顔を醜悪に歪めた。

 女だ。しかも三人。金髪の女は小柄だが、他の二人、特に銀髪の女の体はデカイし、強そうだ。

 きっと良い声で鳴いて、こっちを楽しませてくれるに違いない。

 あの強気な目が自分に屈服する瞬間を想像し、下半身に熱が集まることを感じながら下卑た笑い声をあげた。

 そして、その想像が本物になることはなかった。

 一際強い邪念のようなものを感じたローグハンターが放った矢が、その眼窩を貫いたのだ。

 彼を貫いてなお鏃の炎は消えることなく、砦に巻き付く朽ちた大木を燃やしていく。

 ゴブリンたちは慌てふためき、炎を放った敵を、ひっそり暮らしてきた自分たちを理不尽に襲う襲撃者の姿を探す。

 見つけたところでどうにもならない。

 次々と放たれる火矢が砦に、時にはゴブリンに突き刺さり、燃やしていく。

 敵がどこにいるかもわかっていないゴブリンに比べ、その火矢を放つ二人は楽なものだった。

 丸見えの砦に向かい、ひらすら火矢を放つだけだ。

 投石や投槍による不意な反撃に警戒こそすれど、接近には銀髪武闘家と女魔術師、女神官が警戒してくれている。

 防御は彼女たちに任せ、火矢をひたすら放ち、放ち、放つ。

 砦全体に炎が広がった頃、彼らは移動を開始した。

 砦の正面にある出入口の前に陣取り、ローグハンターと銀髪武闘家は布で口許を覆うと、出入口脇の物陰に身を潜める。

 その時、砦から逃げようとするゴブリンたちが出入口に殺到し始めていた。

 彼らの目には憎悪が宿り、視界に入った三人だけに向けられる。

 一人だけ男がいるが、女が二人もいる。あいつらをどう陵辱し、殺してやろうかと考える。

 憤怒に歪む先頭を走るゴブリンに向け、女魔術師がその杖を向ける。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》!」

 

 力ある言葉が紡がれると杖に填められた柘榴石に超自然の炎が灯り、『火矢(ファイアボルト)』が放たれる。

 先頭を走るゴブリンは避ける間もなく直撃し、火だるまとなって後ろのゴブリンを巻き込んでいく。

 女神官は大きく深呼吸をすると、神々への祈りを口にする。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》……!」

 

 一人の少女の真摯なる祈りによる守りの奇跡『聖壁(プロテクション)』は、何の問題もなく発動した。

 ゴブリンたちが殺到していた出入口が、不可視の壁で完全に塞がれた。

 多くのゴブリンたちがそれに阻まれるなか、二体だけが運よく脱出に成功する。

 ━━が、それまでだ。

 背後から伸びた腕に捕まり、一体は首をかっ切られ、もう一体は首をへし折られた。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターが頷きあい、銀髪武闘家もグッとサムズアップ。

 砦に取り残されたゴブリンたちは恐慌状態となり、悲痛な━━だが、同情する余地はない━━声で泣きわめく。

 だが、それもすぐに煙に巻かれて消えていった。

 

「━━ところで、奇跡の使い方あってるの?」

 

 周辺を警戒しつつ、口許の布を取りながら銀髪武闘家がそう呟いた。

 気にしていたことを直球で指摘され、女神官の口からやるせない吐息が漏れる。

 ゴブリンスレイヤーは中途半端な剣を抜き、ローグハンターに声をかけた。

 

「裏手、脱出路があるかもしれん。索敵を頼めるか」

 

「壁の向こうは見渡せないんだが、煙の向こうなら見つけられるか」

 

 だがその前に、とローグハンターはフードを取り払い、瞑目した。

 

「━━汝らの魂が、天上の神々へ届かんことを。眠れ、全てを忘れた安らぎの内で」

 

 ゴブリンたちにではなく、ここで汚され、死んでいった村娘や冒険者たちへの祈り。

 女神官も膝まずき、祈りを捧げる。

 ローグハンターの発した鎮魂の言葉がどこのものかはわからないが、噂ほど怖い人ではないことは確かだった。

 誰かの死に対して祈れるのだ。彼は、聖職者でもないというのに━━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……なんで追いかけてくるんだよ?!」

 

「少し聞きたいことがあるだけじゃない!なんで逃げるのよ!?」

 

 とある街のとある街角。

 吟遊詩人が並の冒険者以上の速度でひた走り、その後ろを外套に身を包みフードを被った小柄な女性が追いかける。

 吟遊詩人が道を曲がった瞬間、誰かにぶつかり転倒した。

 

「おや、これは失礼」

 

 ぶつかられたほうは気にする様子もなく、その吟遊詩人にギョロリと目を向けた。

 ぶつかった方である吟遊詩人は、その相手を見て「ひっ!」と情けない声が漏れる。

 吟遊詩人の前にいるのは全身を鱗で包まれた、二足歩行のトカゲのような異形の種族。

 その種族名はそのまま蜥蜴人(リザードマン)。だが、滅多に出会う種族でないことは確か、怯えてしまうのは仕方ない。

 蜥蜴人に驚き固まる吟遊詩人に、追いかけてきた女性がようやく追い付く。

 

「……わ、私からこんなに逃げまわれるなんて、只人のくせしてやるじゃない」

 

 口許には笑みが浮かんでいるが、その目には玩具を見つけた子供のそれが浮かんでいた。

 

「へぇ……へぇ……耳長の、捕まえたか!」

 

 そんな彼女のさらに後方から、寸胴の体躯が特徴の鉱人(ドワーフ)が現れる。

 息を絶え絶えにさせながら、腰に下げた酒瓶を煽り「ぷへ~」と酒臭い息を吐く。

「耳長の」と呼ばれた彼女はフードを取り払い、その顔を露にした。

 芸術品のように整った顔立ちは、森人ゆえか。だが、彼女はただの森人ではない。彼らの耳は長いが、彼女の耳はさらに長い。

 妖精の末裔と噂される(かみ)森人(エルフ)の少女は、声をかけた瞬間に逃げ出した吟遊詩人に詰め寄る。

 

「あ、あんた、なんで逃げたのよ!私たちは話を聞きたかっただけなのに!」

 

「ひぃぃぃっ!顔は止めてくれ!これでも芸人なんだぁ!」

 

「殴らないわよ!私がそんな暴力的に見えるの!?」

 

「だからって腹を蹴るのも止めてくれぇ!」

 

「な、何なのよもーっ!」

 

「只人の世には、なかなか面白い芸人殿もおられるのですな」

 

「こいつが一際可笑しなだけだわい。あー、無駄に走って腹減ったわい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory04 選択

「だから、『オルクボルグ』よ!オ・ル・ク・ボ・ル・グ!」

 

 冒険者も疎らな昼前の冒険者ギルド。

 朝に比べれば静かなその場所に、その声は妙に響いた。

 受付の前にいるその(かみ)森人(エルフ)は、困り顔の受付嬢を知ってか知らずか更に言う。

 

「この街にいると聞いたのだけど」

 

「えっと、冒険者の方でしょうか?」

 

 受付嬢と言えど、膨大な冒険者たちの名前を全て記憶しているかと聞かれると、首を横に振るだろう。

 後ろの書棚から分厚い名簿を取り出そうとしたところで、森人の隣にいた鉱人(ドワーフ)がため息混じりに助け船を出す。

 

「これだから耳長どもは。のっぽ(ヒューム)におまえさんらの言葉が通じるわけなかろう」

 

「あら。それならなんて呼べば良いのかしら」

 

 上品な上森人(ハイエルフ)らしからぬ表情で、その妖精弓手は鼻を鳴らして嫌味たらしく言った。

 それを受けた鉱人道士は自慢気に口髭を唸る。

 

「『かみきり丸』に決まっておろう!」

 

「あの、そのような名前の方は……」

 

 受付嬢は申し訳なさそうに言った。

 驚き固まる鉱人道士と、必死に笑いを堪える妖精弓手。

 妖精弓手が笑っていると気づいた鉱人道士は、すぐさま彼女に食って掛かった。

 彼女の平坦な胸を一瞥し、にやりと笑って「金床め」。

 妖精弓手も黙っておらず、「そっちは樽じゃない!」と言い返す。

 森人と鉱人は神代から仲が悪いと言われている。

 なぜかはわからないが、とにかく犬猿の仲なのだ。犬と猿の獣人のほうが、まだ仲が良さそうなものだが……。

 受付嬢が焦りながらも張り付けた笑顔(営業スマイル)を保つが、さてどう仲介したものか。

 

「すまぬが二人とも、喧嘩ならば、拙僧に見えぬところでやってくれ」

 

 割って入ったのは、巨大な影だった。

 見上げるようなその体躯は鱗に包まれ、シュゥッと鋭く生臭い吐息。

 蜥蜴人(リザードマン)の僧侶は不可思議な手つきで合掌し、受付嬢に頭を垂れた。

 

「拙僧の連れが騒ぎを起こしてすまぬな」

 

「い、いえ!冒険者の皆さんは元気な方ばかりですから、慣れてます!」

 

 とは言ったものの、その一党は奇妙なものだ。

 上の森人だけでも珍しいというのに、その森人と種族レベルで仲の悪い鉱人。そして滅多にお目にかかれない蜥蜴人。

 三人とも首に下げる認識票の色は銀。在野最高の証だ。

 もっとも、この辺境では余り珍しいものでもないかもしれない。

 少なくとも、七人の銀等級冒険者がいるのだ。ギルドにいれば、必ず誰か一人は目にするだろう。

 

「それで、どなたをお探しですか……?」

 

 とりあえずは落ち着いたものの、また喧嘩を始めそうな妖精弓手と鉱人道士を確認し、最終的に蜥蜴僧侶に問いかける。

 聞かれた蜥蜴僧侶も喧嘩を始めた二人を無視して、申し訳なさそうに頬をかいた。

 

「うむ。生憎と、拙僧も人族の言葉に明るくは━━」

 

 言いかけた時だった。

 ギルドの自由扉が豪快に開け放たれ、その一党が帰って来た。

 

「受付さーん、ただいまー」

 

 先頭を歩いていたのは銀髪武闘家だ。

 何かの返り血か何かを頬につけたままだが、本人は気にした様子もない。

 そういえばと、受付嬢は思案した。

 彼女は駆け出し時代に森人と一党を組んでいた。彼女のいた一党とは、すなわち彼のいた一党だ。

 僅かな期待を込めて続く人物に目を向けると、次に入ってきたのは女魔術師。

 

「ただいま帰りました。……報告の前に武闘家さん、血を拭いてください」

 

「え?ああ、うん」

 

 女魔術師の睨みながらの指摘に、銀髪武闘家は籠手を外してぐしぐしと頬を拭う。

 彼以外からの指摘を受け入れるとは、珍しいこともあるものだ。

 

「━━戻ったぞ」

 

 最後に現れたのは、フードを目深く被った男━━ローグハンターだ。

 彼は二人に「先に座っていてくれ」と告げると、そのままの足で受付嬢の下へと進む。

 妖精弓手は「なんか、見覚えがあるような」と首を傾げ、鉱人道士は彼の背中の筒と手首についた何かに気付き、蜥蜴僧侶は彼の放つ圧に感嘆の息を漏らす。

 幼い頃より鍛えられ、何度も修羅場を潜った強者(つわもの)だけが放つ圧。彼はそれを放っているのだ。

 

「……見ない顔だが、都から移って来たのか?」

 

 彼が用のある受付嬢の前には見慣れぬ三人。しかも全員銀等級。

 彼はフードを取り払い、一番真面目そうな蜥蜴僧侶にそう問いかけた。

 蜥蜴僧侶は奇妙な手つきで合掌し、頭を垂れる。

 

「辺境の同胞(はらから)よ。拙僧たちはある者を探しにこの街まで来たのだ」

 

「人探し、か……。何か情報は?」

 

「うむ、その者はこう呼ばれているそうな。こお━━」

 

「オルクボルグよ!あなた知らない?」

 

 何かを言いかけた蜥蜴僧侶に割り込み、妖精弓手はそう告げた。

 鉱人道士は「だから伝わらんじゃろ!」と声を上げるが、ローグハンターは顎に手をやって一瞬考え、ぼそりと呟く。

 

「……森人に伝わる武器だったか?確か『小鬼殺しの剣』の名だ」

 

「『小鬼殺し』……。ああ、ゴブリンですか!」

 

 受付嬢は合点がいったと笑みを浮かべた。

 駆け出し時代のローグハンターの一党には、森人司祭がいた。

 一党の相談役だった彼のことだから、一党内でのコミュニケーションは大切していた筈だ。特に、見慣れぬ種族となら尚更に。

 ようやく話が進んだ妖精弓手は、嬉しそうに笑って鉱人道士を見下ろした。

 

「ほら、伝わったじゃない」

 

「ぐぬぬ、なぜかみきり丸では伝わらんのじゃ!」

 

 また口論を始めそうな二人を他所に、ローグハンターは息を吐いた。

 

「おまえらの探し人はわかったが、まだ戻っていないぞ。……今日に限ってゴブリンと野盗が出てな」

 

 彼の一党は野盗討伐に、三人の目的の彼はゴブリン退治に。

 別行動をしていた彼らは、帰りの時間も変わってくる。

 

「まあ、しばらくしたら━━」

 

 そう言いかけて、彼はギルドの自由扉に目を向けた。

 外からはずかずかと迷いのない足音と、「ま、待ってください!」という女の子の声。

 

「噂をすれば、だ。帰って来たな」

 

 ローグハンターが笑うと、自由扉が開け放たれる。

 そこから現れたのは華奢な体躯に神官服を纏い、両手で錫杖(しゃくじょう)を握る女神官ともう一人。

 薄汚れた革鎧と鉄兜、腰には中途半端な長さの剣を吊るし、左腕に円盾を括った謎の男。

 怪訝そうにその男を見る三人を他所に、ローグハンターと受付嬢は慣れた様子だ。

 

「戻ったか、ゴブリンスレイヤー」

 

「お帰りなさい。ご無事で何よりです!」

 

 まるで迷子になった弟を出迎えるような二人だが、ゴブリンスレイヤーは気にした様子もなく、いつもの通りに頷いた。

 

「戻った。少し手こずったが、問題ない」

 

 噂の冒険者━━辺境勇士、小鬼殺しを見つけた三人は、少々驚いた様子なのは確かだった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

「どうかしたの?またため息吐いてるけど」

 

「いえ、何でもないです……」

 

 女神官と女魔術師が並んで座り、テーブルを挟んで銀髪武闘家が腰かける。

 先ほどからため息を吐く女神官に声をかけたのは、女魔術師のほうだ。

 銀髪武闘家はメニューを睨みながら、唸っていた。

 よく彼女と一党を組み続けた、もっと言うとそれ以上の関係になれたものだと、女魔術師はこの場にいない頭目を評価した。

 まあ、話を聞いた限りでは、彼の仕事に彼女がついていき、慣れない事をして気を落とした彼女を支えていたと聞く。

 自分に対して歩幅を合わせ、真摯に向き合ってくれる男性冒険者など、果たして何人いるものか。

 実際に女三人しかいないこのテーブルに、何かしらを含んだ視線が向けられていることは確かだ。

 気にしても仕方ないと割り切ってしまえばいいが、慣れるまでにはかなりかかりそうだ。

 そんな中、銀髪武闘家が獣人の女給を呼んで「リンゴ五つ」と頼んだ。

 食品ではなく明らかな食材なのだが、女給は慣れた様子で厨房に消えていく。

 

「━━で、神官ちゃんはさっきからどうしたの?」

 

「だ、大丈夫です。何でも……」

 

「あるよね?間違いなく」

 

 銀髪武闘家はそう断言し、女神官をまっすぐ見つめる。

 

「悩み事なら、相談してね。彼みたいなことは言えないけど、同じ女の子なんだし」

 

「女の子……」

 

 女魔術師は蹴りの一撃で山賊を即死させ、豪快に投げ飛ばす彼女の姿を知っている。

 その勇姿を見たあとに「女の子」と言われても、実感が湧かないのだろう。

 銀髪武闘家にその呟きは聞こえなかったのか、彼女は女神官の隣に座り直して切り出した。

 

「悩んでいるでしょ?『足引っ張ってないのかな』ってさ」

 

「……っ!」

 

 僅かに反応をしたのは、それが真実だからだろう。

 銀髪武闘家は何度も頷き、「わかるよ」と一言告げた。

 

「私だって、彼の足引っ張ってないか心配な時期があったから」

 

 僅かに憂いを帯びたその表情は、遠い過去を思い出している証拠か。

 

「彼は、初めて会った時から凄かったから。聞いたことあるかな?『白磁の冒険者が盗賊団を壊滅させた』って話」

 

「……はい。五年ほど前ですよね」

 

 女神官は頷き、その時のことを思い出す。

 物心つく前に孤児として預けられた地母神の寺院にも届いたその噂に、兄弟姉妹たちが色々と言っていた気がする。

 

「わかっていると思うけど、それ、駆け出しの頃の彼なのよ」

 

「……やっぱり、そうなんですね」

 

「いやー、凄かったよ。盗賊を千切っては投げ、千切っては投げってね」

 

 ━━ああ、言葉の綾だからね?

 

 彼女はそう付け加え、ニコッと笑う。

 そこで女神官は首を傾げた。まるでその場面を見ていたような言葉だ。噂では、彼は一人で冒険に向かい、盗賊団を壊滅させたと聞いたけれど。

 銀髪武闘家の表情に憂いの色が帯びたのは、その時だった。

 

「……私のせいで怪我して、いつ倒れてもおかしくなかったのにさ」

 

「え……」

 

「全部倒した後、彼こう言ったのよ?『生きてるなら、それでいいだろ』ってさ。私、泣いちゃったのよ?そんな事言われて」

 

 女神官だけでなく、女魔術師もその話に聞き入っていた。

 文字通り、彼女が語っているのはローグハンターの始まりの物語(イヤーワン)だ。貴重な機会に食いつかないほど、冒険者たちも甘くない。

 見れば、酒場に散っていた冒険者たちが何となく彼女たちに寄っている気がする。

 銀髪武闘家は肩をすくめ、話を続ける。

 

「それから本格的に彼と一党組んでさ、時々ゴブスレにも同行したけど、いっつも二人きりだった」

 

 その彼は、そのゴブリンスレイヤーと二階にいるのだが、妙に遠くにいるように思える。

 

「一回だけ聞いてみたの。『なんで野盗ばっかり相手するの』ってさ。そしたらさ、あいつ笑ったのよ?」

 

 ━━壊れかけた、無理やり作ったような笑顔だったけど。

 

 その一言を呑み込んで彼女は続ける。

 

『村の人々は世界に生きる小さな一人だ。彼らを助けても世界を救えないが、彼らには自由がある。冒険者になるか、そのまま村に残って子孫を育むのか、進む道を選べるだろう』

 

『だからこそ、俺は野盗を狩る。その道を理不尽に奪う者を、「誰かの未来を奪うという選択をした者」を、許すわけにはいかない』

 

『無理に付き合う必要はない。こんな事をするのは、俺だけで十分だ』

 

「━━あいつはそう言ってたけどさ、そんな事言われたら付き合うしかないじゃん。だから、私も選んだの」

 

 ━━彼と一緒に進むってね。

 

 銀髪武闘家はそう言って笑い、女神官の髪を優しく撫でる。

 

「だから、神官ちゃんも選ぶこと。付き合うかどうかね。ゴブスレは、足を引っ張ってるなんて考えるほど、悪い人じゃないよ?」

 

「……は、はい!」

 

 女神官の声に、僅かだが覇気が戻る。

 吹っ切れたというまではいかないが、彼女なりに何かを決めたのだろう。

 彼女の横の女魔術師もまた同じ。

 彼に触れ、彼と一緒に進むことで、自分はまた別の場所にたどり着ける。そう信じてここにいる。

 ああ、だからかと、女魔術師は小さく笑った。

 彼は『自分の下に来る』という選択をした私を、受け入れてくれたのだ。

 やはり、彼は噂ほど怖い人ではない。

 ならず者(ローグ)とは決定的に違う、確かな信条(クリード)が、彼の中にはあるのだ。

 その話を書類製作をしながら聞いていた受付嬢は、ほんの僅かな疑問を抱く。

 

 ━━ローグハンターさんは、どうしてそう考えるようになったんだろう……?

 

 誰かを守るために戦うことを選択した男だ。もっと身近な、血の繋がった家族を守るという選択をしても、おかしくはないだろう。

 なんて事を考えているうちに、冒険者たちは依頼を見つけて受付に出し始めた。

 結局受付嬢は、彼が「奪われた側の人間」だという答えにたどり着くことは出来なかった━━。

 

 

 

 

 

 ━━━━━

 

 

 

 

 

「━━で、話はわかったかしら」

 

 ギルドの二階、応接室で、妖精弓手はそう口にした。

 彼女の前には目的のゴブリンスレイヤーと、彼から同行を求められたフードの男━━ローグハンターがいた。

 ローグハンターは顎に手をやり、彼女の言葉を要約する。

 

「……つまり、俺たちにこの街を離れて『デーモン狩り』を手伝えと?」

 

「まあ、そんなとこ━━」

 

「「他を当たれ」」

 

 ローグハンターの確認に頷いた瞬間、その二人は同時にそう告げた。

 プルプルと体を震わせ、怒りに任せて何かを言おうとするが、それより早くローグハンターがこう切り出す。

 

「百歩譲ってついて行ったとしよう。その間、俺たちの仕事は誰がやる」

 

「その通りだ。俺たちがデーモン一匹を殺すまでに、ゴブリンは村を滅ぼす」

 

 引き下がる気のない二人に、鉱人道士は満足そうに笑った。

 お眼鏡に適ったというような笑顔なのに気づいたのは、ローグハンターだけだろう。

 

「この二人、肝が据わっとるわい」

 

「では、このまま頼む方向で宜しいかな?」

 

 蜥蜴僧侶の確認に、鉱人道士は頷く。

 では、と蜥蜴僧侶は話を切り出した。

 

「小鬼殺し殿、そしてその同胞(はらから)殿にも。拙僧らは、小鬼退治を依頼しに来たのだ」

 

「ならば請けよう。おまえは」

 

 即決したゴブリンスレイヤーは、ローグハンターに確認を取る。

 ローグハンターは頷き、不敵に笑んだ。

 

「折角だ、付き合うさ」

 

 ゴブリンスレイヤーは頷き、蜥蜴僧侶に問う。

 

「ゴブリン以外に興味はない。巣の規模と場所がわかっているのなら、教えてくれ」

 

「巣は大規模、地図はここに」

 

 渡された地図を二人で覗きこみ、ローグハンターは面倒臭そうに息を吐いた。

 

「……遺跡、か。どう攻める」

 

「やりようはいくらでもある。問題はない」

 

 ゴブリンスレイヤーはいつも通りにそう返し、地図を丸めて席を立つ。

 

「報酬の話はおまえに任せる。俺は準備を進めておこう」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、足早に部屋を後にした。

 

「俺はおまえの秘書か何かか……」

 

 取り残されたローグハンターはため息を吐き、目の前の三人に目を向けた。

 ゴブリンスレイヤーの行動力に、目を丸くしているようだ。

 

「すまないな。あいつは、ああいう奴なんだ」

 

「いや、あそこまでお堅い奴のほうが、こっちとしてもありがたいわい」

 

 鉱人道士がそう返し、腰に下げた酒瓶を一口煽る。

 ローグハンターは僅かに憂い申し訳なさそうな表情になると、三人にこう切り出した。

 

「俺たちは、目の前にいる人を助けることで手一杯だ。世界の命運は、勇者と俺たち祈る者(プレイヤー)の王たちに任せるさ」

 

 そこで三人は僅かに彼の評価を改める。

 彼は、自らの役目(ロール)をよく理解している。そして、他人の役目(ロール)も理解している。

 各種族の王たちが集まり、混沌の勢力に対抗しようとしているのは、割りと有名な話だ。

 ゴブリンたちが森人の領域で幅を利かせ、脅威となり始めている。それを、各種族から選ばれた冒険者たちで討伐する。

 この依頼には、そんな裏があるのだ。

 彼がそこまで見えているのかはわからないが、話は聞いてくれそうだ。

 

「━━で、報酬の話だが……」

 

 ローグハンターはそう言うと、清々しいほど邪悪な笑みを浮かべる。

 

「子供の駄賃では、満足は出来んぞ」

 

 稼げるときに一気に稼ぐ。

 それを心得ている彼が相場通りを要求したかと言われたら、答えは否。がっつり貰っていったのは間違いない。

 その時、三人はようやく彼の同行を要求された理由を理解した。

 ゴブリンスレイヤーがあんな感じの分、こっちが人間臭いのだ。

 

 ━━たとえ、それが仮初めの人間性だとしても。

 

 応接室を後にした彼に、銀髪武闘家が声をかける。

 

「あ、出てきた。おーい」

 

「ん」

 

 ギルドの端には、ゴブリンスレイヤー、銀髪武闘家をはじめ、女神官、女魔術師が既に集まっていた。

 彼らの手には、なぜかリンゴ。一人に一つずつ配られているようだ。

 ローグハンターは彼らに合流し、余っていたリンゴを受けとる。

 

「報酬はどうだ?」

 

「問題ない」

 

 ゴブリンスレイヤーの確認に頷き、リンゴをかじった。

 乾いた喉に、リンゴの甘酸っぱさが広がっていく。

 

「だが、あいつらも来るそうだぞ」

 

 後ろ手で二階を指差し、依頼人三人に目を向ける。

 

「そうか。だが、やることは変わらん」

 

「ああ、その通り」

 

「「━━ゴブリンは皆殺しだ」」

 

 ただゴブリンを狩るためだけに、八人の一党がここに結成されたのだった。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 夜営

ローグハンターをはじめ、八人が街を出発してはや三日。

二つの月が輝く夜空の下で、彼らは焚き火を囲んで夜営の体勢となっていた。

やることもなく暇なのか、妖精弓手がこう問いかける。

 

「そういえば、みんな、どうして冒険者になったの?」

 

「そりゃあ、旨いもん喰うために決まっとろうが。耳長はどうだ」

 

鉱人道士の解答ついでの返しに、妖精弓手は満天の夜空を眺めながら言う。

 

「……私は外の世界に憧れて、ってとこね」

 

「拙僧は、異端を殺して位階を高め、竜となるためだ」

 

「えっ。あ、いえ。宗教はわかります。私も、教えのためですから」

 

「ゴブリンを……」

 

「あんたは何となくわかるから良いわ」

 

蜥蜴僧侶と女神官も続き、ゴブリンスレイヤーが返そうとしてそう断じられた。

銀髪武闘家は顎に手をやり、少し考えて言った。

 

「んー、私は、お父さんとお母さんに『一旗あげてくる』って、飛び出してきたんだよね~」

 

「私は、どこまで行けるのか知りたいからってところね」

 

女魔術師は杖を掲げながらそう呟いた。

残るは火の番をしていたローグハンターのみ。

彼は焚き火をつつきながら、小さく笑んだ。

 

「人助けのためだ。世界を救えないのなら、目の前の誰かぐらい助けたい」

 

ふと彼も夜空を見上げ、タカの目を発動させる。

満点に輝いていた星が見えなくなり、その先にいるものさえ見えそうだ。

だが、見えない。そこに何かいるかもしれないが、人間では見ることが出来ないものなのかもしれない。

 

「━━それと、個人的に秩序を乱すならず者(ローグ)が嫌いなだけだ」

 

その言葉に宿った僅かな憎悪に気づいたのは、銀髪武闘家だけだろう。

誰よりも親密にこの五年一緒にいたのだ。ほんの僅かな感情の変化に気づけないようでは、一党はやっていけない。

今回の行程で最後の夕食となる今回の食事は、気持ち豪華なものだ。

肉が焼け、スープが出来ていくなか、ふと女神官がローグハンターに問いかけた。

 

「ローグハンターさん。あの、どこかの宗教に属していたことがあるのですか?」

 

「どうした、いきなり」

 

「いえ、この前の依頼でお祈りをしていたじゃないですか。それにその胸の十字架も。その、気になってしまって……」

 

「ああ、そういうことか」

 

ローグハンターは焚き火の番を銀髪武闘家に変わって貰い、苦笑しながら女神官に言った。

もちろん、一部本当のことは隠してだ。テンプル騎士となった時に、騎士団のことは口外しないと誓っている。

 

「……父から、死者には敬意を払うようにとも言われた。ただ、それだけだ」

 

「へー、良い父親ね。どんな人なの?」

 

興味が引かれたのか妖精弓手が問いかけると、ローグハンターは僅かに考え、そして言う。

 

「……俺に斥候(スカウト)の技術の基本を教えながら、洞窟に残された先人たちの遺産をよく調べていたな」

 

「やっぱり、強かった?」

 

「今の俺は、父となら良い勝負が出来る筈だ。先生には、俺が五人いても勝負にすらならないだろう」

 

真剣な顔の彼は、嘘を言っている様子はない。

彼の師匠に当たる人物には、奇襲がほとんど意味をなさない。その驚異的な反射神経で、完全な奇襲に反撃(カウンター)を当てられるのだ。

つまり真っ向勝負をするしかないのだが、実力が離れすぎている。

あっさり見切られ反撃で死ん(カウンターキル)で終わりだろう。

銀等級、もっと言うと対人戦闘のプロである彼がそう言いきった事実に、各々面をくらった様子だ。

ゴブリンスレイヤーだけは何かわかるものがあるのか、「そうだな……」と力なく呟いていた。

蜥蜴僧侶も二人の言葉にうんうんと頷き、焼けた肉を一党に回していく。

香辛料のおかげか香ばしい匂いが夜営地を包み、銀髪武闘家の腹の虫が鳴いた。

 

「ねえねえ、食べて良い、もう我慢できないんだけど!いただきます!」

 

「ほっ!銀髪のはわかっておるの。野菜しか食わん兎擬きとは大違いじゃわい!」

 

「だ、誰が兎よ!野菜だって美味しいでしょ!」

 

豪快に肉を食べる銀髪武闘家を鉱人道士は愉快そうに笑い、一切肉に手を出さない妖精弓手を弄る。

種族の掟なのか、それとも彼女が食わず嫌いをしているのか、妖精弓手は肉を受け取らずに隣の女神官に回してしまう。

その代わりと女神官の作っていたスープを皿に注ぎ、それを一気に飲み干してホッと息を吐く。

両手に串に刺さった肉を持つことになった彼女は、おろおろと隣のゴブリンスレイヤーに目を向けるが、既に彼の手には肉がある。

見かねたローグハンターがその肉を受け取り、既に肉を平らげた銀髪武闘家に「おかわりだ」として渡す。

彼女は何を言っているかはわからない、だが嬉しさを滲ませた声を出し、その肉に食いついた。

 

「……餌付けですか」

 

「まあ、大食いなのは確かだからな」

 

気持ち悪いものを見るように言う女魔術師と、苦笑混じりのローグハンター。

彼は女魔術師がお堅いと言って良いほど真面目なことを知っている。突拍子のない行動をする銀髪武闘家は、地味にストレスの原因になっているのかもしれない。

顎に手をやって小さく息を吐き、銀髪武闘家に目を向ける。彼女は手遅れ、打つ手なし。

 

「……すまないが、こいつにも慣れてくれ」

 

「はい……」

 

むすっとしながら頷いた女魔術師の頭を撫で、申し訳なさそうに笑った。

 

「頼む」

 

「……はい」

 

照れ臭そうに頬を赤くしながら目をそらし、そっぽを向いて返事をする。

肉を食べ尽くした銀髪武闘家が、二人がイチャイチャしていると見えたのか、「キー!」と変な声を出したのはすぐ後のこと。

彼らの横では鉱人道士が差し出した火酒が振る舞われ、妖精弓手が真っ先にダウンした。

野伏(レンジャー)が誰よりも早く酔いつぶれるなど、言語道断も良いところだ。

だが、幸いにもこの一党には銀等級斥候(スカウト)であるローグハンターがいる。彼女が倒れても、どうにかなるだろう。

鉱人道士もそれをわかっているのか、彼に無理強いはしない。その分ゴブリンスレイヤーが餌食になったが、彼はそれなりに強いのか、妖精弓手のようにはならなかった。

 

「あ、お酒飲んでる。私にも━━」

 

「駄目だ」

 

銀髪武闘家が火酒を受け取ろうと手を伸ばすが、ローグハンターに止められた。

不満げに睨む彼女をよそに、ローグハンターはかつて無いほど盛大なため息を吐き、鉱人道士に目を向ける。

 

「こいつに、酒を、飲ませるな」

 

「お、おう。そこまで言うなら止めとくわい」

 

目は口ほどにものを言うと聞くが、実感は湧いたことはない。だが、この瞬間にそれが事実だと、鉱人道士は理解した。

まあ、極端に酒に弱くて、飲むと次の日まったく動けなくなるとか、そんなもんじゃろ。

鉱人道士はそう推理し、彼女に出そうとした酒をゴブリンスレイヤーに差し出す。

ゴブリンスレイヤーは黙って受け取り、僅かに間を開けてからがぶりと一息で飲み干した。

その後も夕食は続き、ゴブリンスレイヤーの持ってきたチーズが一党内━━特に蜥蜴僧侶━━に大好評だったことを含めて、少し騒がしい夕食は進んでいく。

その横で、ゴブリンスレイヤーの装備の点検が終わった頃━━妖精弓手が手を出そうとして怒られた━━を見計らい、ローグハンターは黙々と装備の点検を始めていた。

ピストルに詰まりがないかを確かめ、あれば磨き、火薬と弾を込める。

エアライフルも同様に、細い棒で銃身の内側を磨いて、装填用のレバーが動くかを確かめる。

彼の淀みのない手つきを見ていた鉱人道士が、感嘆にも似た息を吐く。

 

「頭巾の。おまえさん、手慣れとるな」

 

「これの模型を弄るのは、子供の頃からやっていた。今なら、目を閉じていても出来る」

 

「私はその筒に興味があるのだけど」

 

妖精弓手がピストルに手を伸ばすが、銀髪武闘家に止められた。

 

「危ないから触らないほうがいいよ。指無くなっちゃうから」

 

「ッ!」

 

妖精弓手は慌てて手を引っ込め、僅かに後退り。

森人はそのほとんどが生まれながらの弓の名手だ。

弓手の指は、何ものにも代えられない大切なもの。吹き飛んでしまったら、弦が引けぬ。

大袈裟に反応した妖精弓手を小さく笑い、彼の横顔を眺める。

駆け出しの頃からだいぶ大人びたその横顔は、頼りがいのあるものだ。

彼の弄る小さな筒が、使えば一瞬で他人の命を散らせるものとわかっているのは、彼と銀髪武闘家と女魔術師、ゴブリンスレイヤーぐらいだろう。

そんな恐ろしいものを躊躇いなく触って弄るのは、彼以外には出来ないことだ。

鉱人道士は髭をしごき、ローグハンターの手首に目を向けた。

衣装の都合で見えにくいが、確かに何かがつけられているのだ。

 

「……頭巾の。その手首にあるものは、なんじゃい」

 

「む。ああ、これか」

 

ローグハンターはそう言うと、僅かに小指を動かす。

するとどうだろう。手首に隠された仕込み刀(アサシンブレード)が飛び出してきたではないか。

驚く鉱人道士と目を輝かせる妖精弓手を尻目に、ローグハンターはすぐさま納刀すると、優しくその鞘を撫でる。

 

「死んだ父から継いだ、大切なものだ」

 

「ほぉ。おまえさんの故郷の刀鍛冶は、面白いものを作るもんじゃな」

 

見せてくれと言いたいところだったが、親の形見という大切なものに興味本位で触れて、もし壊しでもしたら、首をへし折られそうである。

実際に、彼は躊躇いなくそれを実行する度胸と、成功させられる技量を持つ。

出来れば敵にはしたくない。

鉱人道士は髭をしごき、内心でそんな事を思っていた。尤も彼らは銀等級の冒険者。そう易々と私情で人は殺さないだろう。

そんな中、ふと蜥蜴僧侶がこう切り出す。

 

「気になるものついでに一つよろしいか」

 

彼は問いを口に出す前に、奇妙な仕草で合掌した。食後の儀礼だという。

 

「小鬼どもは、どこから来るのだろう。拙僧は、地の底に王国があると父祖より教わったが」

 

鉱人道士は大きくげっぷをすると、髭をしごいて言う。

 

「わしは、堕落した圃人(レーア)森人(エルフ)だと聞いておる」

 

「酷い偏見ね。まあ、私のところは鉱人(ドワーフ)の成れの果てって聞いたけど」

 

妖精弓手がそう言うと、鉱人道士と睨みあう。

また口論でも始まりそうだが、その前にと女神官が答える。

 

「私は、誰かが失敗すると一匹湧いて出る、と聞いてますね」

 

「あ、私も私も。だから失敗するな!ってね」

 

「躾の言い伝えだから、だいたいの只人(ひと)はそう信じているんじゃないかしら?」

 

女神官に続いて銀髪武闘家、女魔術師がそう続く。

それを聞いた鉱人道士が、小馬鹿にするように笑いながら妖精弓手を指差す。

 

「そこの耳長娘を放っておけば、うじゃうじゃ増えるということかいな」

 

「し、失礼ね!私の弓の腕を知らないくせして!」

 

「後ろから撃たれたらたまらんわい」

 

また騒ぎ始める二人だが、ゴブリンスレイヤーの「俺は」という呟きで口を閉じた。

点検を進めるローグハンターを除き、一党たちの視線は彼に集まった。

 

「……俺は、月から来た、と聞いた」

 

「月?あの空に浮かぶあの月か?」

 

蜥蜴僧侶の問いに、ゴブリンスレイヤーは頷く。

 

「緑の方だ。あの場所には、草も、木も、水もない。岩だけの場所だ。奴らは、そうでないものを欲しく、羨ましく、妬ましい。だからやって来る」

 

ゴブリンスレイヤーの淡々とした語りに、皆が聞き入っていた。

 

「……だから、人を妬むとゴブリンになる。姉から、そう教わった」

 

「珍しいな、おまえがおとぎ話を語るとは」

 

点検を終えたローグハンターが、エアライフルを担ぎ直しながら苦笑した。

なにかの返答を求めていたのか、無言のゴブリンスレイヤーに彼は首を傾げ、小さく鼻を鳴らす。

 

「……寝たか」

 

「火酒が効いてきたのかの。ところで、頭巾の。おまえさんの故郷じゃ、なんと躾られたんじゃ?」

 

ゴブリンの出所の話から若干逸れ始めているが、ローグハンターは顎に手をやった。

それもそうだろう。彼のいた場所にはゴブリンはいない。ゴブリン並のどうしようもない奴はいただろうが、そのゴブリンは空想上の生き物だ。

ローグハンターは暫し考え、父から聞いた話を口にした。父が熱心に調べていた『洞窟画』の話だ。

多少の改変を加えて、それっぽくすることも忘れない。

 

「俺は、地下の底に『邪悪なる魂』が封じられていて、その眷族が主人を探して闇の中をさ迷っていると聞いた」

 

躾に関してではなく、割りと本気のゴブリンに関する話に一党は耳を傾け、聞いたこともない話に妖精弓手が食いついた。

 

「え、なになにその『邪悪なる魂』って!」

 

「神様から生まれた双子のことだ。世界に言葉持つ者を作った『善なる魂』と、彼らを苦しませる化け物と病を作った『邪悪なる魂』。二つはそれぞれの眷族たちを率いて戦い、最終的に『善なる魂』が勝った。だが、戦いを生き残った『邪悪なる魂』の眷族たちは、復讐するために、人を襲って病気を振り撒いているとな」

 

「それが、ローグハンターさんの故郷に伝わるお話ですか?」

 

女神官の問いかけに頷き、少し作ったような悪い顔で笑って見せた。

 

「異教徒と呼ぶか?」

 

「い、いえ!そんなつもりは!」

 

勢いよく首を横に振る女神官に、彼は苦笑した。

 

「冗談だ」

 

「珍しいね、キミが冗談を言うなんて」

 

笑う銀等級二人に対して、女神官は不機嫌そうに頬を膨らませる。

女魔術師はそんな彼女に対して、可笑しそうに小さく笑った。

場の空気がある程度緩んだところで、ローグハンターが咳払いをして表情を引き締めた。

 

「見張りは、さっき決めた通りか。しっかり寝ろ、肝心の明日が失敗するからな」

 

起きていた面々は、それぞれ頷いて毛布にくるまっていく。

銀髪武闘家は最初の見張りとして起きているローグハンターの頬を撫で、ニコッと太陽のように笑う。

 

「……お休み」

 

「ああ、お休み……」

 

自然に綻んだ頬を気にせず、彼はそう返した。

彼女といる時だけは、彼も少しは人間臭くなれるのだ。演技でも無理やり浮かべるものでもなく、心の底から。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory06 その目で見えるもの

 広野の中にその遺跡の入り口はあった。

 入り口の両脇にはゴブリンが二匹、さらにその傍らには狼が待っている。

 片方は今にも寝てしまいそうなものだが、もう片方はまだしっかりと意識を保ち、見張りをしているようだ。

 狼は、休んでいるようで警戒を怠っていない。その証拠に僅かな音も聞き逃さんと、耳が立っている。

 その全てを、彼の目は捉えていた。

 視線の先に赤い影が三つ。一つはふらついているが、もう一つはしっかりと警戒をしている。狼は言わずもがな。

 

「……狼持ちということは、相当大規模な群れだな」

 

「加えて、余裕もあるということか」

 

 陽が傾きもうすぐ夜が訪れるという時間に、彼らはその遺跡の入り口を発見した。

 だが、その時間は夜行性のゴブリンからすれば『早朝』だ。つまり、見張りの集中力もだいぶ落ちている。

 

「━━はずなんだが」

 

「いたね。優等生ゴブリン」

 

 ローグハンターの呟きに銀髪武闘家が苦笑した。

 いつかに話していた勤勉なゴブリンが、こうもあっさり見つけられるとは。

 ローグハンターは特に反応せず、ゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 二人が言葉を交わすことはないが、何を思っているかはだいたい伝わる。

 ゴブリンスレイヤーは確かに頷き、妖精弓手に目を向けた。

 彼女は背の大弓を構え、矢をつがえる。

 森人は、武器に鉄を用いない。

 弓の弦は蜘蛛の糸。その矢はイチイという植物の枝だ。

 その枝が自然と形になったもの、鏃には芽、矢羽には葉が該当する。

 妖精弓手は長耳を動かして風を聞き、目を細めて照準を合わせる。

 誰も彼女に声をかけず、弓がしなる音だけが僅かに鳴る。

 右のゴブリンが欠伸をすると、妖精弓手は矢を放った。

 音もなく放たれた矢は、明らかに右に逸れている。

 妖精弓手がすぐさま次の矢をつがえて放った瞬間だ、一矢目が大きく弧を描き、ゴブリンの横顔を撃ち抜いた。

 その矢は勢いのまま二匹目のゴブリンの頭を貫き、遅れて放たれた二矢目が狼の眼窩を貫いた。

 

「━━遅い、と」

 

 文字通り人間技ではない。あり得ない軌道だ。

 ローグハンターは目を細め、優しく頬を撫でるものに気づく。

 

「……風、か」

 

 彼がぼそりと呟くと、胸を張っていた妖精弓手がムッとした。

 

「いきなりネタばらししないでくれる?そもそも、あなた風が読めるの?」

 

「一時期、先生に連れられて海の上にいたからな。風と潮の流れを読めなければ、目的地にいけん」

 

「ほお、斥候殿は船乗りだったのですな」

 

「いや、たまに乗っていただけだ」

 

 蜥蜴僧侶の言葉を若干否定しつつ、ローグハンターは立ち上がる。

 遅れてゴブリンスレイヤーも立ち上がるが、顎に手をやり何かを考えている様子だ。

 

「二。だが、妙だな」

 

「妙って、優等生ゴブリンのこと?」

 

 銀髪武闘家が訊くとゴブリンスレイヤーは頷く。

 

「奴らは怯えていたように見える。勤勉なゴブリンなぞ、いてたまるか」

 

「それもそうだね」

 

 呑気にそう漏らす銀髪武闘家の横では、女神官と女魔術師が青ざめていた。

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンの死体に歩み寄り、片膝をつくと短剣を取り出す。

 

「……何するの?」

 

「いつもの()()をやる」

 

 その言葉に更に青ざめる新人二人と短剣を取り出した頭目。そしていつものあれ。

 それに興味を引かれた妖精弓手は、彼の手元を覗きこんだ。

 その瞬間、ゴブリンスレイヤーは短剣をゴブリンの腹に突き立て、その臓腑をかき回す。

 

「ちょ、ちょっと!あんた何やって━━」

 

「奴らは臭いに敏感だ」

 

「……は?」

 

「特に女、子供、森人(エルフ)の臭いには」

 

「え、あ、あんた、それ、どうするつもり……?」

 

 ゴブリンスレイヤーの手元には、ゴブリンの血を滴らせるかつては白かったであろう薄汚れた手拭い。

 彼の鎧にこびりつく汚れ、そして青ざめた新人の女冒険者二人。

 その答えにたどり着いた瞬間、妖精弓手は逃げようとした。だが、彼女の背後には既に銀髪武闘家がいる。

 彼女は妖精弓手を羽交い締めにすると、耳元で囁く。

 

「はい、逃げないの。どうせ終わる頃には血まみれなんだから、慌てない慌てない」

 

 手慣れた様子の銀髪武闘家はそう言うが、妖精弓手は反論する。

 

「そ、それはあんたが前衛だからでしょ!?私は弓手、後衛よ!」

 

 その言葉の間にも、血まみれの手拭いは迫ってきている。

 妖精弓手は逃げ出そうとじたばたと暴れ、女神官と女魔術師に目を向けた。

 

「ちょ、ちょっと、こいつら何とかしてよ!」

 

「慣れますよ」

 

「慣れるわよ」

 

 子供や妹弟たちに言い聞かせるような優しい声音だが、二人の目は死んでいる。

 妖精弓手は最後の希望としてローグハンターに目を向けるが、

 

「うまく捌くものですな。これなら虫や獣も喰らいやすかろうて」

 

「この毛皮と骨があれば、何か作れるかもしれんな」

 

 狼の解体をしていた。しかも、作業は既に終わっており、蜥蜴僧侶がその手際に舌を巻いているほどだ。

 恥を忍んで鉱人道士に目を向けるが、あからさまに目を逸らされた。

 もはや、彼女を助ける者はいない。

 

「慣れろ。そいつも最初はそうだった」

 

「大変だったな、泣き出されて……」

 

「ふ、二人とも、過去(トラウマ)を掘り返さないでくれないかな!」

 

 手慣れた銀等級三人は軽口を叩きあう。

 しれっとトラウマ発言した辺り、銀髪武闘家も慣れるまで時間をかけたのだろう。

 

 

 

 

 

 先程のゴブリンの死体を隠し、一行は遺跡へと踏み込んだ。

 白亜の壁に囲まれた狭い通路は、僅かに下り坂になっている。

 タカの目を発動させたローグハンターを先頭に、一行は警戒をしながら少しずつ歩を進めていく。

 

「……ふむ。拙僧が思うに、これは神殿だろうか」

 

「この辺りの平野は、神代の頃に戦争があったそうですから」

 

 蜥蜴僧侶の問いかけに女神官が答え、壁に彫られた絵をそっと撫でる。

 女魔術師も周囲を見渡して目を細める。

 

「その時の砦が、今はゴブリンの巣。時の流れは残酷ね……」

 

「残酷と言えば……大丈夫かの、耳長娘」

 

 鉱人道士が思い出したかのように言うと、その目を壁から妖精弓手へと向ける。

 森人の伝統的な装束には、不釣り合いなほど赤黒い染みが残り、それを着る彼女の目にも涙が浮かぶ。

 流石の鉱人道士でさえ、今の彼女をからかわない。

 同じく血に濡れた銀髪武闘家は、自分の格好を見て苦笑した。

 

「慣れたら楽になるよ?」

 

「……慣れたくない」

 

 ゴブリンスレイヤーから言われたならば、まず間違いなく彼を睨んでいたことだろう。

 だが、同性の冒険者から言われてしまえば、その矛先も鈍るというもの。

 ゴブリンスレイヤーは剣を片手に警戒しつつ、唯一焚かれた松明を保持していた。

 森人の領域では火避けの呪いが各所に施されており、この捨てられた遺跡だとて例外ではない。

 気を抜けば消えてしまいそうな松明に、いつにも増して気をかける。

 鉱人道士、妖精弓手、蜥蜴僧侶の三人は、例え光源のない洞窟だろうと問題ない。タカの目で擬似的な暗視が出来るローグハンターも、多少暗くても問題はない。

 そのいつ消えても可笑しくはない松明が、闇を見通せないゴブリンスレイヤー、銀髪武闘家、女神官、女魔術師の生命線だ。

 

「随分深いな。緩やかにだが、この通路は螺旋状になっているようだ……」

 

 先頭を歩くローグハンターが、一党全員に聞こえるように、それでいてギリギリまで小さくした声でそう呟いた。

 遺跡は入ってからずっと緩やかに下り続け、それでいて徐々に曲がり、ひたすら下へと伸びている。

 平衡感覚を失ってしまいそうなものだが、ローグハンターとしては慣れたもの。

 伊達に洞窟の中や森の中を跳びまわってはいない。

 

「なんだか、塔の中にいるみたいだね。ひたすら降りてるだけだけどさ」

 

 銀髪武闘家が額の汗を拭い、そんな事を呟いた。

 蜥蜴僧侶はその逞しい尾を振ると、銀髪武闘家に答えた。

 

「古代の砦というのであれば、こういう造りもありうるのだろう」

 

「こんな状況じゃなきゃ、色々見てみたいんだけどなぁ」

 

 妖精弓手が小さくぼやき、女魔術師も小さく頷く。

 その反応に妖精弓手は嬉しそうに小さく笑い、再び正面に向き直った。

 そこからしばらく進んだ先で、左右に別れる通路にたどり着く。

 普通に見ればT字に伸びたただの通路だが、タカの目を通せば、一枚の石畳だけが白く光って見える。

 

「……罠、鳴り子か」

 

 ローグハンターはしゃがみこみ、白く光って見える石畳の隙間をそっと撫でる。

 

「真新しいな。遺跡は古く、罠が新しい。最近設置したにしても、トーテムは見当たらなかった」

 

呪文使い(シャーマン)がいないにも関わらず、罠が設置されている。気に入らんな」

 

「罠をわざと踏んで迎撃ってわけにはいかないね。シャーマン以外の何かがいるってことでしょ?」

 

「ああ、その手は止めておいたほうがいい。自分から危険に飛び込むことはないだろう」

 

 手慣れた銀等級三人が早口の応酬を繰り広げ、それについていけない五人は取り残される。

 五年間も付き合いがあるのだ、ある程度のことなら口に出さなくてもわかるのだろう。

 ローグハンターは立ち上がり、鳴り子を避けて奥へと進む。

 

「前進だ、気を付けろよ」

 

「しかし、斥候殿。どちらに向かうのだ」

 

 蜥蜴僧侶の問いかけに、ローグハンターは目を細めてT字路を睨んだ。

 端から見れば道を睨んでいるだけだ。だが、彼と付き合いのある者は彼が何をしているかを知っている。

 

「ねえ、あいつ、何やってんの?」

 

 妖精弓手が銀髪武闘家に問いかける。

 問われた彼女は苦笑混じりに全幅の信頼を寄せる彼の背中を見つめ、邪魔にならないように小声で返す。

 

「痕跡を見てるのよ。彼の目は特別だから」

 

「……?」

 

 妖精弓手が首を傾げたのも無理はない。いきなりそう言われれば、まず理解は出来ないだろう。

 そうこうしているうちに、ローグハンターが左を指差した。

 

「……足跡が多い。左が寝床で間違いないが━━」

 

 次に右の通路を睨み、その目に僅かな怒りを滲ませた。

 彼は見たのだ。そちらに誰かが引きずられていく幻影を。

 

「━━右からだ。まだ間に合うかもしれん」

 

 ローグハンターはそう言うと、反応を待たずに右へと進む。

 ゴブリンスレイヤーも彼へと続き、女神官、女魔術師が更に続いて奥へと消えていった。

 銀髪武闘家がいまだに進まない三人の背中を押し、その表情を引き締めた。

 

「早く。彼が言ったのなら、まだ助かるかも」

 

 彼女の言葉にローグハンターが何を見たのかをわからないまま、銀髪武闘家に促されるまま右へと進んでいく。

 少し進んだうちに、強烈な臭いが彼らを襲った。

 ねっとりとべたつく空気。妙な酸味が喉の奥に張り付く。

 

「……ひどい臭い。なんなの、これ……」

 

 どんどん強烈になる臭いに耐えながら、妖精弓手が口元を押さえてそう訊くと、ゴブリンスレイヤーは振り返らずに言う。

 

「鼻で呼吸をしろ。すぐに慣れる」

 

 そう言う彼の視線の先には腐りかけの木の扉と、それに罠がないかを確かめるローグハンターの姿があった。

 彼は小さく振り返ると一度頷き、躊躇なくその扉を蹴り開ける。

 鍛えぬかれた彼の脚力に腐りかけの扉が耐えられるはずもなく、その役目を終えて室内に倒れる。

 ローグハンターは室内を睨み、小さく舌打ちをした。

 その部屋はゴブリンどもの汚物溜めだった。食べ滓、肉のこびりついた骨、垂れ流された糞尿、死骸、がらくたの山。

 その中に異様なものが一つあった。薄汚れた金色の髪と、鎖に繋がれた脚。

 痩せ衰えた四肢には無惨な傷痕が残り、腱を断たれていた。

 汚濁にまみれ、憔悴しているとはいえ、彼女の左半身には美しい容貌を留めている。

 だが、その右半身は元の形がわからないほどに腫れ上がり、本来白い肌は青黒く腫れ、目も乳房も、潰されている。

 尤も、ローグハンターにそれはわからない。タカの目は本来見えぬものを見せるが、その代わりに本来見えるものを見えなくする。

 今の彼の視界には、敵ではないという証拠の青い人影でしか見えていない。その青い人影の正体が、『森人』であることもわかっていない。

 だからこそ、後ろで妖精弓手が嘔吐しても、彼には何故だかわからない。

 

「……して……ころして……ころしてよ……」

 

「む」

 

 微かに漏れた啜り泣きで、ローグハンターは目の前の青い人影が女性であることを知った。

 彼女に息があるとわかった女神官が駆け寄ろうとしたが、ローグハンターが手で制す。

 

「ローグハンターさん!彼女はまだ息があります!」

 

「見ればわかる。ゴブリンスレイヤー、後ろを頼めるか」

 

「ああ」

 

 焦る女神官を他所に、ローグハンターは冷静だった。

 ゴブリンスレイヤーに通路側の警戒を任せ、彼はゆっくりと汚物溜めとなった部屋に入り、左手のアサシンブレードを抜刀、固定する。

「ころしてよ」確かに彼女はそう言った。

 彼が一歩進む度に、びちゃりびちゃりと糞尿を踏みしめる湿った音が響く。

 武器を構えて「ころしてよ」といった女性に近付いていく。

 ローグハンターが何をするつもりなのか、女神官にはわかってしまった。

 慌てて駆け寄ろうとしたが、その肩を銀髪武闘家が掴む。

 

「は、放してください!あの人は━━」

 

「大丈夫。彼を信じて」

 

 彼女がそう口にした瞬間、囚われた森人を壁にして身を潜めていたゴブリンが、彼に向かって飛びかかる。

 片手に握られた短剣には毒が塗りたくられ、その表情は醜悪に笑んでいる。

 仲間を助けに出てきた間抜けな冒険者を、この完璧な奇襲で━━。

 ゴブリンはそう思いながら死んだ。おそらく、自分が死んだことに気づくことはなかっただろう。

 ゴブリンが飛び出し、間合いに入った瞬間に彼の左手が閃いた。

 アサシンブレードで首を貫き、勢いのまま床に叩きつけたのだ。

 流れるように淀みなく、一切の迷いのない反撃(カウンター)は、一瞬でゴブリンの命を奪い取った。

 

「━━敵影なし。神官、治療だ」

 

 彼は向き直り、念のためにゴブリンをもう一突きして死んだかを確かめる。

 

「ね、大丈夫だったでしょ?」

 

「……は、はい」

 

 銀髪武闘家の言葉に女神官は小さく頷き、囚われた森人の元へと向かう。

 ローグハンターには見えていたのだ。

 森人の後ろで息を潜め、こちらの事を狙っていたゴブリンの姿が。

 だから彼は自分を止め、一人で入っていったのだ。

 横にはローグハンター、後ろはゴブリンスレイヤーが押さえてくれている。その二人に守られるとは、何と心強いことか。

 女神官は錫杖を握り、空いている手を森人の胸元に添える。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 森人の胸元に添えられた手から優しい光が漏れ、彼女を包んで癒していく。

 だが、体の傷が癒えたところで、心の傷が癒えるのか。

 女神官のその問いには、神であろうと答えない。

 

「ローグハンターさん、あの……」

 

「気にするな」

 

 彼を疑ってしまったことへの謝罪を口にしようとして、苦笑混じりの彼に止められた。

 僅かに俯きながら、腰のバスタードソードを握る。

 

 ━━もう、慣れたことだ。

 

 抜刀する際のベルトと刃が擦れる音にかき消され、その呟きは後ろのゴブリンスレイヤーたちには聞こえない。

 

「え……」

 

 それが聞こえてしまった女神官は、思わず声を漏らした。

 だが、肝心のローグハンターは森人を解放しようと鎖と格闘を開始している。

 

 ━━心に残った傷はその者にしか癒せない。その者以外の人物が、気安く触れて良いものではないのだ。

 

 

 

 




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Memory07 静謐(せいひつ)なる眠りを

 先ほど助けた森人を送り届ける役目を買って出たのは蜥蜴僧侶だった。

 彼の奇跡による産物『(ドラゴン)(トゥース)(ウォリアー)』━━その名の通り、骨の竜だ━━に手紙を持たせ、彼女と共に近くの森人の集落まで運ばせる。

 一党の切れる奇跡(カード)は減ったが、まだ許容範囲といったところ。

 一人の命のために奇跡が二つで済んだなら、むしろ安いものだろう。

 いくつ使っても助けられない命もあるのだから。

 

「なんなのよ、もぉ……こんなの、わけわかんない……ッ」

 

 同胞(はらから)である森人が、ゴブリンに囚えられ、辱しめられた。

 その事実を突きつけられた妖精弓手の心は、乱れに乱れていた。

 この部屋が汚物溜めであることも忘れて啜り泣く妖精弓手の背中を、女神官が気遣って優しく擦り、女魔術師が周りを警戒する。

 鉱人道士は通路を見張り、蜥蜴僧侶は触媒の数を確認、銀髪武闘家はがらくたの山に何かないかと手を突っ込んでいた。

 女神官はちらりとゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人に視線を向けた。

 二人で何かを探しているのか、部屋の片隅でがらくたの山を探っている。

 そして目的の物を見つけたのか、がらくたを掻き分けてそれを引っ張り出す。

 冒険者向けと思われる帆布で作られた丈夫な背嚢だ。おそらく、先程の森人の所有物。

 ゴブリンに漁られたのかボロボロになっているが、その中身はまだ使えそうだ。

 ゴブリンスレイヤーは中をかき回し、乱暴に纏められた紙片を取り出した。ずいぶん古めかしく、やや黄ばんでいる。

 

「あ、見つかった?」

 

 銀髪武闘家の問いかけに、ゴブリンスレイヤーは確かに頷く。

 

「ああ。遺跡の地図のようだ」

 

 彼はそう言いながら紙片━━乾燥させた葉を拡げる。

 事細かに作られたその地図は、先程の森人の真面目さを物語る。

 ゴブリンスレイヤーは地図を指でなぞって確認し、ローグハンターに目を向ける。

 

「左の道の先は回廊のようだ。吹き抜けになっているようだが、寝床はそこだろう」

 

「距離はそこまであるわけでもないが、問題は高さだな。階段が崩れていたら、ロープで降りなければならん」

 

「その間は無防備だな。爆薬(グレネード)はあるか」

 

「ポーチ満杯に入れてきてある。おそらく問題ないだろう」

 

「最悪俺の用意した分も使って構わん」

 

「わかった。だが、音はどうする」

 

「それに関しては問題ない」

 

 相も変わらず二人は作戦を練っている。

 二人とも先程の森人を思っていないわけではない。

 だが、油断すれば彼らがこの汚物の仲間入りだ。助けた人物より、目の前のことへの打開策を考えなければならない。

 二人は早口での話し合いを終え、ゴブリンスレイヤーは地図を雑嚢に押し込み、ローグハンターは背嚢をいまだに泣いている妖精弓手に手渡した。

 

「おまえが持て」

 

 いきなりそう言われては、きょとんとなるのも当然だろう。

 泣くだけ泣いたのか、その目尻は赤く腫れていて痛々しい。

 だがローグハンターは気にもせず、入り口を見張る鉱人道士に声をかけた。

 

「先導する、行くぞ」

 

「あなた、もう少し……」

 

 その背中に思わず女魔術師が声をかけるが、すぐに口を閉じた。

 ここに留まるぐらいなら、何かしらの役目を与えて進ませたほうが良いだろう。

 鼻が慣れてしまったがここはゴブリンの汚物溜め。何かしらの病気の元があってもおかしくはない。

 女魔術師は妖精弓手に目を向けて、彼女の顔色を伺いながら問いかける。

 

「行きましょう。立てる?」

 

「大丈夫。行かないと、いけないものね」

 

 妖精弓手はふらつきながら立ち上がり、ローグハンターの背中を見る。

 鉱人道士の脇を通り抜け、ローグハンターは汚物溜めを後にしている。

 ゴブリンスレイヤーが彼の後に続き、汚物溜めに一瞥くれて外に出た。

 他の冒険者も後ろに続き、彼らは遺跡の奥を目指す。

 迷路のように入り組んだ構造も、地図があれば問題ない。

 要所要所に仕掛けられた罠に関してはローグハンターが即見つけ、警邏のゴブリンも見つけ次第妖精弓手が撃ち抜き、仕留め損なってもゴブリンスレイヤーとローグハンターが飛びかかる。

 一匹たりとも逃さずに進む彼らを、奥に待ち受けるゴブリンたちは察知してはいないだろう。

 問題は、妖精弓手が仕留め損なうことがあることだ。

 狙撃手には、いかなる状況でも冷静であってもらわねば困る。今の彼女には先程の混乱がまだ残っているのだろう。

 フォロー出来る前衛が多いとはいえ、接近戦というリスクは出来る限り避けたいところ。

 目的地である回廊を前にして、彼らは最後の小休止を取った。

 勢い任せでは、成功するものも上手くはいかないだろう。

 

「呪文は幾つ残っている?」

 

 壁に寄りかかったゴブリンスレイヤーが静かに問いかけた。

 女神官は妖精弓手に寄り添い、肩を擦りながら頷く。

 

「えっと、私は先程の『小癒(ヒール)』を使ったきりなので、あと二回です」

 

「拙僧も『竜牙兵』一度のみだ。三回はいけるが、『竜牙兵』には触媒がいる。これに限れば、あと一度」

 

「わかった。そっちの二人は」

 

 蜥蜴僧侶の報告に頷き、女魔術師と鉱人道士に目を向ける。

 

「私は二回ね」

 

「わしはまあ、物にもよるが、四回か五回。四回だと思ってくれたほうが考え易いかの」

 

 術師は成長すればその回数を増えていくと聞く。が、いきなり二回が十回になるような劇的なものではない。

 彼らの業界では、回数よりも質を見るほうが多い。一日一度でも、凄まじい術を行使する事ができれば、名は広まるのだろう。

 

「おまえはどうだ」

 

 ゴブリンスレイヤーはローグハンターに目を向け、そう問いかけた。

 彼は苦笑で返し、閉じた左目を優しく撫でる。

 

「別に術ではないから制限はないと言っているんだがな。まあ、たまに閉じて休ませれば問題ない」

 

 タカの目を術のようなものと解釈しているゴブリンスレイヤーにとって、それは何度言われても納得するものではなかった。

 だが、使っている本人が問題ないと言うのなら信じるだけだ。

 

「あの、飲みますか?……飲めますか?」

 

「……ありがとう」

 

 女神官が差し出した水袋に、妖精弓手は静かに口付ける。

 出立した頃には騒いでいた妖精弓手は、あの汚物溜めからほぼ無言だった。

 声をかけても、かろうじて笑みを浮かべる程度の反応しか示さず、明らかに無理をしていることは明白だった。

 

「あまり飲み過ぎるな。体が重くなる」

 

 ローグハンターは閉じる目を切り替えながら、一瞥もくれずにそう告げた。

 あくまで作業的に、単に物事を確認するような声音。

 横で水を口に含んだ銀髪武闘家にも向けた言葉なのだろうが、余りに素っ気ない。

 

「ローグハンターさん!もう少し……」

 

 たまらず女神官が声を出したが、横で水を飲んでいた銀髪武闘家は気にした様子はない。

 彼女は「ぷは~」と呑気に息を吐き、水袋を女魔術師に手渡した。

 彼女も湿らせる程度に飲むだけで、水袋はいっこうに軽くなる様子がない。

 ローグハンターに関しては水袋を受け取らず、妖精弓手に目を向けた。

 

「行けるか。最悪戻ってくれて構わん」

 

 睨まれた彼女は、彼に「邪魔だ」と言われているような錯覚を覚えた。

 否、鷹のような鋭い眼光を放つその瞳は、まさしくそう言っている。

 戦力としては過多とも言える程の人数がいる。術士も四人、うち二人は一度も使っていない、文字通りの万全。

 斥候にはローグハンターがいて、彼がいれば事足りる。

 銀等級とはいえ万全ではない人物を連れ回すほど、彼は優しくない。

 

「戻れるわけないでしょう!森人があんな事されて、近くには私の故郷だって……!」

 

 子供らしいとわかっている。

 だが、この状況で平然としていられる彼や銀髪武闘家、ゴブリンスレイヤーたちが、何か違うもののように思えて仕方がない。

 激高する妖精弓手の様子を確認し、ローグハンターは頷いてゴブリンスレイヤーに言った。

 

「まだ元気だな、行けそうだぞ」

 

「そうか。ならば行くぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーは小休止終了の宣言と共に立ち上がり、ローグハンターは一度瞑目して、ゆっくりと目を開く。

 その目に僅かな光が灯ったように見えたのは、妖精の末裔たる上森人に名を連ねる彼女だからだろうか。

 その光はどこかで見た覚えがあった。数百年前か数十年前かは覚えていないが、確かに見たことがあるのだ。

 彼はフード付きの白いローブを着て、よく分からない球体を大事そうに持っていたが、その瞳が似た光を放っていたように思える……。

 

「どうした、置いていくぞ」

 

 ローグハンターはそう告げると、遺跡の闇の中に消えていく。

 そのローブの彼も、ふと気がつけばいなくなっていた。

 急に怒りが収まった妖精弓手を心配してか、鉱人道士がその背を叩いた。

 

「大丈夫かいな、耳長の。急に静かになりおって」

 

「……ええ、大丈夫よ。鉱人(ドワーフ)に心配されるのは何か癪ね」

 

「む!なんじゃい、心配して損したわ!」

 

 言葉とは裏腹に、鉱人道士の表情には僅かな笑顔。ようやく調子が戻ってきた彼女を思ってだろう。

 立ち止まる二人の背中を蜥蜴僧侶が押した。

 

「お二人とも、本当に置いていかれてしまいますぞ。急がねば」

 

 彼らは先行したローグハンターたちを追いかけて出発する。

 問題の回廊にたどり着いたのはすぐだった。

 その場所は地図通りに吹き抜けとなっており、月の光に照らされていた。

 その壁には神代の頃を記した壁画が描かれているが、タカの目を発動中のローグハンターには見えていない。

 彼の目には、五十近い赤い影と、ゴブリンではない何かが奥へと消えていく幻影しか見えていないのだ。

 ゴブリンの寝床となった回廊の一番下を見下ろしながら、ローグハンターは、そっとエアライフルを構えた。

 その隣に妖精弓手が並び、下を覗いて小さく目を見開く。

 銀等級が六人いるとはいえ、あの数の相手は出来ない。正面から相手をすれば、間違いなく全滅するだろう。

 その横にゴブリンスレイヤーが並ぶと、下に続く階段を確認し、一度頷く。

 

「問題にもならんな」

 

 彼の呟きに妖精弓手は首を傾げ、ローグハンターは不敵に笑う。

 ゴブリン狩りに関して策を練る回転の早さは、ローグハンターでも彼には届かない。

 彼が「問題ない」というのなら、本当に問題ないのだろう。

 ゴブリンスレイヤーは一党全員を呼び寄せ、組み立てた作戦を手早く伝達していく。

 ローグハンターがこの奥に潜む敵の特徴を教え、大まかにその正体に目星をつける。

 下で眠るゴブリンたち。奥に潜む何か。

 その二つに対する作戦が立てられ、全員が頷いた。

 反論は、出なかった。

 

 

 

 

 

 最初に異変に気づいたのは、ふと目を覚ましたゴブリンだった。

 周囲を見渡してまだ見張りの時間ではないと気付き、欠伸を一つして再び寝ようとした時だ。

 回廊を見渡せる場所に、小さな人影がいることに気づく。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、我らに(あまね)くを受け入れられる、静謐をお与えください》……」

 

 女だ。格好から見て、おそらく神官。

 ゴブリンは醜悪に笑い、仲間たちを叩き起こそうとしたが、

 

「━━━?」

 

 声が出ない。そして、何かが刺さった感覚の後に強烈な眠気に襲われ、抵抗出来ずに再び寝転んでいびきをかき始めた。

 

「━━……」

 

 回廊を見渡せる位置を陣取ったローグハンターが、スリープダートによって眠らせたのだ。

 エアライフルのレバーを引いて、念のために次弾を装填することも忘れない。

 息を吐いても音は出ない。女神官が使った奇跡『沈黙(サイレント)』によって音を封じられたのだ。

 だからこそ、彼とゴブリンスレイヤーはそれらを躊躇いなく使うことが出来た。

 ローグハンターはグレネードランチャーに手を添え、ゴブリンスレイヤーはグレネードを構える。

 二人は目配せすると、それを連続で放っていた。

 音もなく爆発するそれは、爆破と同時に中に充填されたガスをばら蒔いていく。

 眠っていたゴブリンは更に深い眠りに、起きかけていたゴブリンは再び眠りへと誘われる。

 回廊の底にガスが充満し、霧のようになり始めると、ローグハンター、ゴブリンスレイヤー、銀髪武闘家、蜥蜴僧侶は口元を布で覆い、下へと降りた。

 彼らの視界には無防備に眠りこけるゴブリンたち。

 ローグハンターはバスタードソード、ゴブリンスレイヤーは中途半端な剣を、銀髪武闘家は籠手の具合を確かめ、蜥蜴僧侶は『竜牙刀(シャープクロー)』の奇跡で生み出した武器を握る。

 四人は手分けして、眠りこけるゴブリンを一匹ずつ丁寧に殺していく。

 ゴブリンたちの眠りを永眠へと変え、目を覚ますことは無くなった。

 ゴブリンスレイヤー始め、只人三人は途中で武器を変えて眠らせていく。

 本来その体を武器とする銀髪武闘家でさえ、棍棒を叩きつけることで効率よく「作業」を進めていた。

 それを上から見ていた妖精弓手は、その表情を曇らせた。

 彼らのやっていることは冒険ではなく、ただの作業だ。血に濡れながらひたすらとゴブリンを殺していく彼らの姿は、彼女の思う冒険者とは全く結び付かない。

 

『━━どうせ終わる頃には血まみれなんだから、慌てない慌てない』

 

 ふと、銀髪武闘家が言ったことを思い出す。

 その言葉通り、作業中の四人の体はゴブリンの血で赤黒く染まっていた。

 彼らの作業が終わったのは、二十分ほど経った頃。

 異常なまでにガスが散布されたことで、ゴブリンたちが目を覚ますことはなかった。

 口元を覆う布(ガスマスク)がなければ、作業中の四人も巻き込まれていただろう。

 回廊の底はゴブリンたちの血に染まり、その全てが死んだ事を教えてくれる。

 見張りとして上に残っていた妖精弓手、ローグハンターから受け取ったロープダート数本に細工をしていた鉱人道士、祈祷後の疲労を回復させていた女神官、この後に備えて集中していた女魔術師は、揃ってその血の海に足を踏み入れた。

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンから奪った剣の切っ先を広間の奥へと向け、その肩をローグハンターに叩かれた。

 その音が出たということは、『沈黙(サイレント)』の奇跡が解けた証拠だ。

 それと同時に、ずぅん……と重い足音が響いた。

 ゴブリンスレイヤーが差した広間の奥から、その足音の主が姿を現す。

 ローグハンターが見た巨大な幻影の正体。

 青黒い巨体に、額に生えた角。腐敗臭の漂う息に、手には巨大な戦鎚。

 それは決してゴブリンではない。だが、同じく鬼の名を冠した魔物。

 

人喰い鬼(オーガ)。予想通り、出てきたな」

 

 ローグハンターは驚いた様子もなく、不敵に笑んだ。

 準備は整っている。後はそれを実行するのみだ━━━。

 

 

 

 




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Memory08 人喰い鬼(オーガ)

「━━人喰い鬼(オーガ)。予想通り、出てきたな」

 

 ローグハンターは驚いた様子もなく、不敵に笑んだ。

 それを挑発と受け取ったのか、オーガは憤怒の表情を浮かべる。

 

「予想通り、だと。貴様、この我が魔神将より軍を預かったことも予想通りだと言うのか!」

 

「軍?ゴブリンしかいなかったが……」

 

 ゴブリンスレイヤーが首を傾げ、周りを見渡す。

 その軍とやらも、たったの四人が黙々と進めた作業によって全滅しているのだが、オーガは不敵に笑う。

 

「ゴブリンどもは全滅か。だが、三匹も連れてくればすぐに増える。幸い、目の前には女が━━━」

 

 言い切る前に、ローグハンターのグレネードランチャーが火を噴いた。

 僅かに放物線を描いて飛んだグレネードは、オーガの顔面に直撃し、スリープガスを直接叩き込む。

 途端にオーガは足をふらつかせ、頭を振って額を押さえる。

 

「……?な、なんだ……」

 

「効いたようだな。散れ!」

 

 効果を確認したローグハンターの号令で、一党は各々の持ち場を目指して走り出す。

 ローグハンター、銀髪武闘家は細工のされたロープダートを片手に回廊を駆け上がり、妖精弓手と女魔術師も二人に続き、オーガの顔を狙える位置についたら二人と別れて身を潜める。

 蜥蜴僧侶、ゴブリンスレイヤー、女神官、鉱人道士の四人はオーガの視界におさまりながら、戦鎚の間合いの外に出ることを意識して身構える。

 鉱人道士は赤い壷の中身をあおるとそれを吹き出した。

 飛沫は霧となり、意識がはっきりし始めたオーガの体を包み込む。

 

「《呑めや歌えや酒の精(スピリッツ)。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢をみせとくれ》」

 

酩酊(ドランク)』の術が、覚醒しかけていたオーガを再び微睡みへと導き、さらに時間を稼ぐ。

 ローグハンターと銀髪武闘家が作戦の要だ。二人が位置につくまで、何が何でもオーガをその場に釘付けにしなければならない。

 その時は、すぐに来た。

 フリーランを会得済みの二人は多少の瓦礫や段差、穴を気にせず走り抜ける。

 二人ともそれなりの装備重量の筈なのだが、それを感じさせないほどに動きは森人にも似て軽やかだ。

 女魔術師はオーガを警戒しつつも二人の動きを観察し、少しでも盗み、早く追い付けるようにと意気込む。

 ローグハンターと銀髪武闘家の二人がたどり着いたのは、オーガの上に位置する場所。

 二人は鉱人道士がロープダート数本を束ねて製作した『強化ロープダート』の端を柱に巻き付けて固定、さらに組み合わせて輪を作る。

 その輪は、オーガの首に見事に巻き付く大きさだ。

 

「━━ぬうわ!眠りの術とは、小癪なことを!」

 

 気合い一閃と共に覚醒し、オーガはその戦鎚を冒険者たちに向けるが、明らかにその数が減っていることに気づく。

 彼は「逃げ出した腰抜けどもと、それを守ろうとする愚か者ども」と判断し、目の前の四人に意識を集中させる。

 逃げ出した冒険者など、恐れるに━━。

 オーガがニヤリと笑った瞬間、女神官が錫杖を掲げて祈りを捧げた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたくしどもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 彼女の祈りに優しき地母神は応え、『聖光(ホーリーライト)』の奇跡は無事に発動した。

 余裕の笑みを浮かべていたオーガの視界を焼き焦がし、上から降下した二人の姿を覆い隠す。

 二人は腕で目を庇うオーガの肩に乗り、そのまま首にロープをかけると、何の躊躇いもなく飛び降りた。

 二人の行く先には蜥蜴僧侶。彼は強靭な両腕を大きく広げ、落ちてきた二人をしっかりと抱き止めると、ゴブリンスレイヤーに向けて一度頷いて見せた。

 

「チィ!冒険者どもが、何を考えて━━」

 

「泥だ、早くしろ」

 

「ほいきた!《土精(ノーム)水精(ウンディーネ)、素敵な(しとね)をこさえてくんろ》!」

 

 ゴブリンスレイヤーの号令に素早く応じ、鉱人道士は触媒である石を放って『泥罠(スネア)』を詠唱。

 転がった石はオーガの足元で止まり、それを中心に泥が広がり、足場を悪くしていく。

 

「潰せ!」

 

 再び飛んだゴブリンスレイヤーの号令に答えたのは、妖精弓手と女魔術師の二人。

 

「任せなさい!そっちも行けるわね!」

 

「大丈夫よ!《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」

 

 妖精弓手が矢を放ち、女魔術師は『力矢(マジックミサイル)』を射ち放つ。

 光が止んだのはそれとほぼ同時。オーガが目を庇った腕を退かした瞬間に、二つの矢が左右それぞれの目を撃ち抜いた。

 

「がぁあああ━━━ッ!」

 

 不意打ちのダメージに体が大きく後ろに仰け反った瞬間、重心がずれたことでギリギリでバランスを保っていた足を『泥罠(スネア)』に取られて滑らせた。

 その瞬間、強烈な力で首を締め付けられ、あれほど吸えていた空気が吸えなくなり、喉が潰れて言葉さえ発せなくなる。

 豪快に足を振り上げ、飛び散った泥がゴブリンスレイヤーたちに降りかかるが、彼らの攻撃はそれで終了だ。

 背中から倒れそうになったオーガの体重を、首にかけられた一本のロープだけが支える。

 オーガの首には強靭なロープがかけられ、両目を潰されて何も見えず、足を踏ん張ろうにも泥で滑ってそれが許されない。

 つまるところ、今のオーガは━━━。

 

「『絞首刑』と言ったところか」

 

 ローグハンターは安全な場所で体についた泥を払いつつ、じたばた暴れるオーガに目を向けた。

 手にした戦鎚を取りこぼし、両手で首のロープをどうにかしようとしているが、オーガの指で摘まむには余りにも細い。

 圧迫された首にロープが食い込み、血の巡りが一気に遅くなったからか、頭の各所に血管が浮かび始めた。

 死ぬまでかなりの時間がかかりそうだが、別に構わないだろう。

 妖精弓手と女魔術師が降りてくると、若干の同情の念が込められた視線をオーガに向けた。

 そのオーガはいまだに暴れているが、少しずつ大人しくなり始めている。

 ゴブリンスレイヤーは顎に手をやり、大きく息を吐いた。

 

「……見張りをたてて、休憩だ。少なくとも、動かなくなってからも数分待つぞ」

 

「生命力が高そうだからな。動かなくなっても、死んだフリの可能性もある」

 

 ローグハンターが頷くと、女魔術師に目を向けて優しく笑った。

 

「指示通り、完璧だったぞ」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 まっすぐ見つめられて照れたのか、女魔術師は顔を赤くしてそっぽを向いた。

 そんな彼女の反応にも慣れたもので、ローグハンターは苦笑する。

 銀髪武闘家は二人のやり取りに不機嫌そうに頬を膨らませると、ぶんどるようにローグハンターの腕に抱きついた。

 

「ちょっと、私には~?頑張ったでしょ~?」

 

「そうだな。よくやった」

 

 女魔術師に向けたものとはまた違う、親愛の情が込められた笑みを浮かべ、彼女の髪を優しく撫でる。

 

「ふへへ、もっと誉めて~」

 

 気持ち良さそうに目を細めてさらに催促しているが、ローグハンターは手を止めた。

 彼の視線の先には、ついに動きを止めたオーガの姿。

 死ぬと筋肉が仕事を辞めるため、内側にあるものが次々と垂れ出てくると言うが……。

 

「死んだのか?」

 

「確かめる方法はある」

 

 ゴブリンスレイヤーの問いかけに、ローグハンターはタカの目を発動させてオーガを睨む。

 本来はっきりと見える赤い影が薄くなっているが、まだ僅かに色が残っている。

 

「……もう少しと言ったところだな」

 

「ならば待つだけだ。不用意には近づけん」

 

 首を吊られたオーガを警戒しつつの小休止。

 ふと、ローグハンターが何かを思ったのかゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 目を向けられた彼も、何かを思っていたのか首を傾げる。

 

「……随分とあっさり終わったな」

 

「ああ。恐ろしい魔物と言われたが、オ……なんだったか……」

 

「『オーガ』よ。五分前のことくらい覚えなさい」

 

「ゴブリン以外に興味はない」

 

 妖精弓手のツッコミを気にすることなく、ゴブリンスレイヤーはそう断じた。

 この戦いから学んだものもない。今の作戦も一党がまだゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人だけで、ゴブリンへの知識が乏しかった駆け出しの頃に、何度かやったものだ。

 あの時はゴブリンが大量にいる洞窟で、ホブを確実に仕留めるためにやったことだが、あの時のほうが大変だった。

 

「━━ゴブリンのほうが余程手強いな」

 

 ふと、ゴブリンスレイヤーがそう呟いた。

 彼の切り札を切ることなく、仲間の協力があったにしろ思いの外あっさりと、その名前を忘れた魔物は倒せたのだ。

 これならば、ゴブリンの巣穴に挑むほうがまだ厳しいだろう。

 彼の言葉に一党全員が苦笑して、ローグハンターがフードを取り払った。

 彼が依頼先でフードを外すのは、祈りを捧げる前触れだ。

 タカの目に赤い影が写らなくなったことを確認し、一度棍棒で小指を殴って本当に死んだかを確かめる。

 その名前を忘れられた魔物が死んだことを確認した彼は、ゆっくりと瞑目して静かに呟く。

 

「━━汝の名は我が胸に刻まれり。眠れ、生まれ落ちた地獄の底で」

 

 人喰い鬼(オーガ)はこれ以上ないほどあっさりと、そして何も出来ずにその命を失った。

 数の暴力。ゴブリンたちが最も得意とするその戦法は、冒険者たちが使えば、恐ろしい魔物すら殺せるのだ。

 これを知らない若者たちは、ゴブリンを「数だけの雑魚」と呼ぶだろう。

 その数が、その言葉を言った彼らにとって最大の脅威になることも知らずに━━━。

 

 

 

 

 

 オーガの出てきた広間の奥には、たいしたものは何もなかった。せいぜいゴブリンだが、出会った個体は全て寝ぼけ眼で、戦意の欠片も感じられない。

 そもそも戦おうとするゴブリンはいなかったのだ。彼らの頭目だったオーガが死んだのだ、彼らに戦う理由はない。

 だが、こちらが逃がす理由もない。

 戦意が無かろうが、ゴブリンはゴブリンだ。その全てを屠ることが、ゴブリンスレイヤーの仕事(ロール)

 そして、彼を補佐することもまた、ローグハンターの仕事(ロール)なのだろう。

 遺跡のゴブリンを皆殺しにし、遺跡の入り口にまで戻ってきた彼らを待っていたのは、煌びやかな武具を纏った森人の戦士たちと、彼らが用立てただろう馬車だった。

 彼らこそが、竜牙兵が無事にあの森人を送り届けた証明だろう。

 

「お疲れ様でした!中の様子、ゴブリンどもはどうなり━━……?」

 

 ゴブリンスレイヤーたちは、無言で馬車へと乗り込んでいく。

 流石の彼らでも、疲労が溜まっているのだろう。

 

「……ともかく、我々は中の探索に入ります。どうぞ、街まではゆっくりとお休みください」

 

 怪訝そうにしながらも無粋に踏み込んでくることもなく、森人の戦士は遺跡の中へと潜っていく。

 彼らの背中を見送った御者が馬へ声をかけ、がたがたと音を立てて馬車を走らせる。

 彼らが遺跡に潜っている間に、陽は沈んでまた昇ろうとしていた。

 行きに三日をかけた行程も、馬車に乗れば一晩で済むだろう。

 一党たちは(ほろ)の中で各々楽な姿勢で休んでいる。

 否、ローグハンター一人だけが、いまだに警戒をしていた。

 彼の肩には銀髪武闘家が寄りかかり、無防備な寝息を立てている。

 女魔術師は、女神官と肩を寄せあって寝ているようだ。

 彼女はオーガを討伐した後、女神官を誰よりも気遣っていた。変に疲れが出たのだろう。

 

「………ねぇ」

 

「ん」

 

 他の一党メンバーが寝息を立て始める中、いまだに眠る気配のないローグハンターに、寝転んだまま妖精弓手が声をかけた。

 銀髪武闘家を起こさないように気を遣い、頭だけを動かして彼女に目を向ける。

 

「あんたら、いつもこんなことやってるの?」

 

「いつもではないが、毎回似たようなことはしている。俺はならず者(ローグ)どもを相手に、あいつはゴブリンどもを相手にな」

 

 彼はそう言うと、蜥蜴僧侶に過労を心配されたゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 ここ最近、ゴブリンスレイヤーは休んでいない筈だ。昔は無理やりにでも休ませていたが、ここ最近は無理強いはしていない。

 過労を心配されたのは彼にも言えることだが、それを棚にあげて相棒の心配をしていた。

 その目は弟を心配するように優しいもので、自分のことには余りにも無頓着だ。

 

「……あんた、冒険者よね?」

 

「ああ」

 

「冒険、してるの?」

 

「……ああ」

 

「嘘ね」

 

 ローグハンターの返事をそう断じ、彼女は息を吐く。

 彼女にとって、冒険とは楽しい物だ。

 未知を体験し、新たなものを発見する。そこにある筈の喜びも、高揚感も、達成感も、何もない。

 残ったのは気持ちの悪い疲労だけ。

 これではただ淡々と作業をして、その報酬を貰っているだけだ。

 だが、目の前の彼とオルクボルグはそれを許容しているし、変わろうともしていない。

 妖精弓手は決意を秘めた表情で彼に言う。

 

「いつか必ず、あんたらを『冒険』に連れ出してやるわ」

 

 ━━覚悟しときなさい。

 

 彼女はそう告げると目を閉じ、寝息を立て始めた。

 一方的な宣言にローグハンターは苦笑して、左手のアサシンブレードを優しく撫でる。

 

「━━『冒険』は、俺の役目(ロール)ではないさ」

 

 その呟きに応える者は、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 




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Memory09 休日 ローグハンター

 ローグハンターは目を覚まし、寝転んだままぼんやりと天井を眺める。

 その部屋は『眠る狐亭』の店主が冒険者用に用意した部屋の一つであり、彼らはそこを拠点に活動しているのだ。

 昔は馬小屋や安宿を拠点にしていたのだが、休日のとある時間に軽い気持ちで行った賭博が、まさか大当たり(ジャックポット)するなど、誰が思うだろうか。

 取りすぎた金は回さなければならない。ローグハンターはそんなことを思い、そのままこの宿を拠点に定めた。

 そんな回想を終え、彼は横に目を向ける。

 

「ふへへ……」

 

 彼の腕に絡みつくように眠る銀髪武闘家は、何か良い夢でも見ているのか、だらしない笑顔を浮かべていた。

 この部屋にはベッドが二つある。かつては一人一つで事足りていたのだが、今の彼らは二人だけではない。

 

「すぅ……くぅ……」

 

 静かに寝息を立てているのは女魔術師だ。ここ最近ローグハンターの一党に加わった駆け出し冒険者。

 彼女がベッド一つを使い、銀等級の二人が一つのベッドに押し込まれていると聞くと聞こえは悪いが、実際には違う。

 女魔術師も「床かソファー、いえ別の部屋で寝ます」と進言はした。だが銀髪武闘家が「私たちは二人で寝るからこっち使って」と明け渡したのだ。

 流石のローグハンターも初めのうちは驚いたが、今はもう慣れたもの。

 彼はそっと銀髪武闘家の体から離れ、ベッドを降りる。

 半袖の寝巻きを着ているが、それに包まれてなお、細いながらも鍛えられた筋肉はわかるほどだ。

 そして、その腕についた切り傷も露にしている。まだ若い頃につけられた傷は、戒めとして残されているのだ。

 彼は小さく息を吐き、いつもの衣装に手をかける。

 父から譲られた大切な衣装なのだが、サイズが合わなくなり始めたところだ。そろそろ別の服を━━。

 彼はそこまで考えると息を吐き、いつものそれ━━テンプル騎士団の制服━━を着る。

 袖にアサシンブレードを仕込み、動作に不備がないかを確認、腰のベルトにつけたホルスターに二挺のピストルを押し込む、

 部屋のカーテンを開け、朝日を部屋に落とし込みながら目をほそめた。

 それが合図となったのか、女魔術師が目を擦りながら目を覚ました。

 大きな欠伸を噛み殺し、彼に向けて一礼する。

 

「ふぁ……。おはようございます……」

 

「ああ、おはよう。受付嬢に呼ばれているんだろう、大丈夫か?」

 

「指定された時間は昼頃なので、まだ大丈夫です……」

 

 ボケッとしながらも答える女魔術師だが、まだ眠そうに瞬きを繰り返していた。

 あの戦いから三日ほど。流石に疲れが溜まっているだろうと、彼ら三人は休暇を取ることにした。

 幸い、あの依頼ではぼったくりと言われても仕方がない━━結果的には正解だった━━ほどの報酬を貰ったため、三日ほどの休暇なら問題ない。

 今日がその最終日なのだから、別に寝ていてくれても構わないのだ。

 彼は窓越しに外を眺め、街行く人たちに向けてタカの目を発動する。

 暗くなった視界で冒険者たちは青く見え、一般市民は輪郭を残して見えなくなった。

 問題ない。それがタカの目の能力なのだから。

 彼は瞬き一つでタカの目を解除すると、女魔術師に言った。

 

「何なら昼前に起こすが、どうする」

 

「大丈夫です、今起きます……」

 

 彼女は自分の頬を叩き、ベッド脇の机に置いた眼鏡をかけると柘榴(ざくろ)石の填められた杖を手に取った。

 

「それじゃあ、俺は下にいるから、準備が終わったら降りてこい」

 

「はい。こっちはどうします?」

 

 彼女が指差したのは、寝たまま彼を探して腕を動かす銀髪武闘家だ。

 彼はたいして気にした様子もなく、「寝かしておけ」と告げて部屋を出た。

 女魔術師が着替えを始めたのはその後で、彼女が着替え終わっても銀髪武闘家が目を覚ますことはなかった。

 

 

 

 

 

 女魔術師が下に降りると、彼はいつものように質素な朝食を口にしていた。

 店主とあれやこれやと話しているが、内容はいつもの通りだ。

 

「それにしても、おまえはもっと豪華なものを食べたらどうだ?金は入っているんだろ?」

 

「入ってはいるんだが、このスープが好きなんだ。理由はよくわからんが……」

 

「そうか。まあ、無理強いはしないさ」

 

「助かる」

 

 いつもそんなやり取りだ。金を回すためと言いながら、あまり食べないため回らない。

 そんな矛盾を感じつつも、彼はそれを止めない。そのスープが、それほどまでに彼の口にあったのだろう。

 

「おはようございます」

 

 女魔術師は朝の挨拶をすると、ローグハンターの左隣に腰かけた。

 そんな彼女に水を差し出しながら、店主は朗らかに笑う。

 

「おお、嬢ちゃんか。調子はどうだ」

 

「ゆっくり休めたので、万全です」

 

 女魔術師は微笑して、ローグハンターに目を向けた。

 

「この人は、そういうところがしっかりしていますから」

 

「……む。頭目として、仲間内の体調管理は基本だ」

 

「そこを評価していると思うんだが、まあ、いいか」

 

 店主は苦笑混じりにそう言うと、上階を見上げて二人に訊いた。

 

「……あっちは、まだ寝てるのか」

 

「ああ。すぐに起きてくるさ」

 

「……そうなんですか?」

 

 女魔術師は首を傾げて上を見る。

 あの銀髪武闘家は、起こさなければ昼まで寝ているような人物だ。

 朝一とまでは言わないが、昼というにはまだ早い。そんな時間に彼女が起きてくるのだろうか。

 噂をすれば何とやら。上からどたばたと騒がしい音を立てながら誰かが降りてくる。

 もちろん銀髪武闘家だ。寝癖が残っているが、装備はしっかりと着込んである辺り、伊達に銀等級ではないのだろう。

 

「ふ、二人とも、起こしてって言ってるよね!?」

 

「俺に━━」

 

「女を叩き起こす趣味はないのは知ってるから!魔術師ちゃんが起こしてくれればいいじゃない!」

 

「自分で起きなさい」

 

「……うぅ、あの頃の可愛い魔術師ちゃんはどこ行っちゃったの……」

 

 起こす気のない彼と、そもそも話を聞いてくれない女魔術師。

 会ったばかりの頃の初々しさはとっくに失せ、今や敬語すら使われない。

 使うほどの人物と思われていないのだろう。銀髪武闘家は、少々ずぼらに過ぎる。

 そんな女魔術師の内心を知らず、銀髪武闘家はローグハンターの右隣に腰かけた。

 この三人が一党になってから、もはや固定となった並び順。一人でも欠けたなら、凄まじいまでの違和感に襲われるに違いない。

 店主は顎を擦り、ローグハンターに問いかけた。

 

「で、今日はどうするんだ?休みは今日までなんだろう?」

 

「俺は工房に用があるから、すぐにでも出るつもりだ」

 

「私はどうしようかな~。とりあえず、ギルドに顔だけ出そうかな」

 

「私もギルドに顔を出して、受付さんからの話を聞きに行きます」

 

 三人の答えに、店主は小さくため息を吐いた。

 休日なのに仕事場に顔を出すとは、真面目なのか、逆にやることがないのか。

 

「二人は朝食はどうする。俺は済ませたぞ」

 

「ん~、向こうで貰うからいいや」

 

「私も向こうで済ませます」

 

「店主を前にそれを言うかね……」

 

 店主のぼやきにローグハンターは苦笑で返し、代金をカウンターに置いて席を離れる。

 二人も彼に続き、眠る狐亭を後にした。

 店から出ていく三人の背中は、いつかに見送った時と変わらない。

 その変わらないと言うことが大切だ。増えるのは良いだろう、減るなんてもっての他だ。

 いつ死ぬかわからない仕事を、彼らはこなしているのだから。

 

 

 

 

 

「あ、牛飼さんとゴブスレだ」

 

 街に繰り出してギルドを目指す中、銀髪武闘家が誰かに気づく。

 彼女の視線の先には短い赤髪の女性と、荷車を引くゴブリンスレイヤーが並んで歩く姿があった。

 向こうもこちらに気づいたのか、牛飼娘が笑いながら手を振る。

 

「ローグハンターさんに、武闘家さんも、久しぶりだね」

 

「ごめんね~、最近忙しくてさ」

 

「良いの良いの、そっちもお仕事でしょ?こっちの子は、新人さん?」

 

「ええ。魔術師よ」

 

「ほえー、魔術師さんなんだ、すごいね」

 

 綺麗な銀髪の女性と二人の赤髪の女性が話しているだけで、何となくその場に花がある。だが、問題は彼女らの隣だ。

 

「休めたか?おまえは顔色が見えんから、よくわからん」

 

「問題ない。そちらも大丈夫そうだな」

 

「ああ。野盗の連中も、最近は静かなものだ」

 

「ギルドに顔を出したが、この三日ゴブリン退治の依頼がなかった。どう思う」

 

「……ただの偶然か、息を潜めているのか。最悪を想定したほうが良いだろう」

 

「やはりそう思うか。むぅ……」

 

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーだ。

 二人は事務的な会話を繰り広げ、そこに流れる空気は独特なもの。

 横で笑顔混じりに話に花を咲かせる女性陣と、体調や装備の具合など、終始真顔で仕事の話をする男性陣。

 彼ら二人のおかげで女性陣に寄り付く男がいないことも事実だが、その二人の横で平然としている女性陣にも怪訝な視線が向けられ始めた。

 それに気づいたローグハンターが、彼らをギルド内に急かす。

 ゴブリンスレイヤーと牛飼娘は荷車を裏手に回すために別れ、三人は正面玄関からギルドの中へ。

 昼前のギルドというのは割りと空いており、酒場にも客は疎らだった。

 

「それじゃあ、俺は工房に顔を出してくる。またここで会おう」

 

「うん。魔術師ちゃん、ご飯食べよ~」

 

「ええ。綺麗に食べなさいよ」

 

「ん~、無理かな?」

 

「……あなた、どう思いますか?」

 

「慣れろ」

 

 ローグハンターは言葉短くそう告げると、足早に工房へと向かって行った。

 取り残された女魔術師は、既に席についた銀髪武闘家に目を向けてため息を吐いた。

 彼女の苦労は、絶えないだろう。

 

 

 

 

 

「工房長はいるか」

 

「はい?ああ、ローグハンターさん」

 

 工房の丁稚(でっち)の少年がカウンターから顔を出し、その顔に笑みを浮かべた。

 

「親方、ローグハンターさん来ましたよ」

 

「おう、来たか。ちょっと待て」

 

 呼ばれた工房長が店の奥から顔を出したが、またすぐに引っ込んだ。

 いきなり手持ちぶさたになったローグハンターは、店に飾られた武具に目を向ける。

 本格的な全身鎧はともかく、一部に板金を使った程度の物なら検討するべきかどうか、本気で悩み始めているのだ。

 先のオーガ戦は、一撃貰えば即死すると判断したので速攻を仕掛けたが、時には失敗することもあるだろう。

 そうなれば、正面切っての戦闘になる。そうなったら、今の装備では少々不安だ。

 彼の先生とて、時には鎧を纏っていたのだ。あれは確か、地図を元にレリックを探した結果や、島を巡って十字架を探した結果で手に入れたものだが、誉れ高い先人の残した鎧だった。

 先生は着たままいつも通りの動きをしていたが、着心地は良かったのだろうか。

 

「……鎧、か」

 

「お、ローグハンターじゃねえか。珍しいな、おまえが鎧を見てるなんてよ」

 

「む、おまえか」

 

 そんな彼に声をかけたのは、『辺境最強の一角』と名高い銀等級冒険者である『槍使い』だ。

 青い鎧に身を包み、魔力の込められた槍を担いだ彼は、その異名に恥じない強さを持っている。

 実際、デーモン相手に渡り合えるのだ。そちら方面の仕事は、ローグハンターより経験が多い。

 それでもローグハンターと並べられるのは、二人の技量がほぼ同じと思われているからだ。

 魔力の宿った武器を振り、魔術も扱える槍使い。

 対人においては、相手が魔術師であろうと負けなしのローグハンター。

 果たして二人のどちらが強いのか、いまだに賭けが行われているほどに注目されている。

 そのせいで一時期不仲説が囁かれたが、二人はお互いを尊重しあっている。そこまで仲が悪いわけではない。

 

「なんだ、相談になら乗るぜ?」

 

「鎧を見ていただけだ。軽さや動きやすさを考えると、なかなかな」

 

「おまえの戦い方はあんまり見ないタイプだからな。軽い鎧、ね……」

 

 槍使いは工房を見渡し、顎に手をやった。

 彼は戦いのプロではあるが、防具選びのプロではない。そこは経験則や主観によるものになるだろう。

 

「俺の鎧もだいぶ軽いが、木の上に乗れるかって聞かれるとな……」

 

「難しいものだな。まあ、焦って粗悪品を買うよりは良いか」

 

「そうだなぁ。ここに粗悪品は無いとは思うが……」

 

 槍使いがそう言うと、奥から工房長が戻ってくる。

 彼の手には打ち直されたバスタードソードが一振り。ゴブリンの血に濡れたその刃は、本来の輝きを取り戻していた。

 

「さっきから聞いてりゃ粗悪品粗悪品。錆びた剣が欲しけりゃ他所を当たれ」

 

 工房長に睨まれた二人は、額に嫌な汗を流しながら頭を下げた。

 

「申し訳ない」

 

「すまねぇ……」

 

 銀等級冒険者でも、裏で支えてくれる人物がいなければ力を発揮できないだろう。

 二人もそれは重々承知しているし、工房長も頼られていることを承知している。

 ローグハンターはバスタードソードを受け取り、じっとその刃を睨む。

 そして満足そうに微笑すると、その代金をカウンターに置く。

 

「弾は使ったか?」

 

「いや、これは文字通りの切り札だ。滅多に使わん」

 

 ピストルに一瞥くれながらの一言に、工房長は髭をしごいて息を吐く。

 

「必要になったらいつでも言え。いくらでも用意してやる」

 

「頼む。頼れるのはあんたぐらいだからな」

 

「そう言うなら、鎧も見繕ってやろうか」

 

 先ほどの会話を聞いて気を回してくれたのだろうが、ローグハンターは申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「人を待たせているから、また今度頼む」

 

 ローグハンターはそう告げると工房を後にした。

 

「そうかい。それで、おまえは何の用だ」

 

「ん?ああ、なんか良い物ないかなってよ」

 

「冷やかしか」

 

「ち、違うって……」

 

 後ろからそんな会話が聞こえてきたが、彼はわざと聞き流した。

 あれに首を突っ込むのは、流石に面倒だろう。

 せっかくの休日。彼にだってゆっくりしたい気持ちはあるのだ。

 

 

 

 

 




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Memory10 休日 女性陣

 ギルドに併設された酒場。

 そこの座席の一つに腰掛ける銀髪武闘家は出された骨付き肉を豪快にかじり、舌鼓を打った。

 

「あ~、染み渡る~」

 

 口の回りに食べ滓をつけながら、恍惚の表情を浮かべる。

 その対面の席に座る女魔術師は、バターを塗ったパンをかじり、小さくため息を吐く。

 頭目には慣れろと言われたが、そう簡単には慣れないだろう。

 都の賢者の学院を卒業し、晴れて冒険者となった彼女は、冒険者とはどういうものかを理解している。

 明日も知れぬ身だからこそ、その日を後悔のないように過ごす。

 そう、それは理解している。だが、

 

「あれ、魔術師ちゃんどうかした?全然進んでないけど」

 

「大丈夫よ。……だから綺麗に食べなさいって」

 

「む~。硬い、硬いよ魔術師ちゃん!美味しく食べられればそれで良いでしょ?」

 

「もう、いいわ……」

 

 女魔術師は再びため息を吐き、パンを頬張る。

 目の前の彼女の強さを知るからこそ、いわゆるイメージというものがあった。

 仕事に真面目な頭目と五年も過ごしてきたのだから、彼女もそれ相応の人物だと彼女は思っていた。

 蓋を開けてみれば、彼がいなければ必ず痛い目にあっていると断言出来るほど、どこか適当な人物だ。

 敵を威圧するその鋭い視線は、仕事中に限ったこと。休日は人懐っこい目をしていて、優しそうだ。

 頭目はよく五年も付き合ったなと思う。だが、驚くことに二人は一党の仲間以上の関係だ。

 

 ━━本当によく付き合ったわね。

 

 女魔術師は最後の一欠片を口に入れ、そんな事を思った。

 彼が真面目な分、相手が適当になってしまったのか。

 彼女が適当な分、相手が真面目になってしまったのか。

 女魔術師は小さく首を傾げ、僅かに思慮した。

 そして、ふと思ったのだ。

 

 ━━もしかして、両方なのかしら?

 

 相手が真面目なぶん適当になり、適当なぶん真面目になった。それを延々と続け、今に至ったとすれば……。

 その考えに思い至り、彼女は再びため息を吐いた。

 処置無しだ。こうなれば頭目も自分が支えなければならない。

 静かに覚悟を決めた彼女とは裏腹に、銀髪武闘家はその体のどこに納まっているのか気になるほど食を進めていた。

 金額は、言うまでもない。前回の遺跡のゴブリン狩りの報酬が異様に高かったから止めないだけだ。

 

「ぷへ~、ごちそう様~」

 

 大量の肉が山になっていたというのに、皿の上は綺麗になっていた。

 ほとんど野菜を頼まない辺り、本当に食べたいものだけを食べているのだろう。

 そこは冒険者らしいと言えばらしいのか。

 女魔術師は水を一口飲んでホッと息を吐き、戻ってこない頭目の姿を探す。

 衣装の見た目が見た目のため、ギルドに人が少なければすぐにでも見つけられる。

 その姿が一向に見えないということは、まだ工房にいるのだろう。

 

「あ、魔術師さん。来ていたんですね」

 

 カウンター裏のスペースから受付嬢が出てくると、女魔術師に小さく手を振る。

 彼女は小さく一礼で応えると、銀髪武闘家を残してカウンターへと向かう。

 受付嬢は優しく笑むと、時計を確認して苦笑した。

 

「おはようござい━━もう、こんにちはの時間ですかね?」

 

「ふふ、そうかもしれません。それで、用件は」

 

 女魔術師も苦笑で返し、そのまま話を切り出した。

 受付嬢は表情を引き締め、書類を彼女に差し出す。

 彼女はじっとその書類を隅から隅まで目を通すと、その目を輝かせた。

 

「う、受付さん、これは……」

 

「はい、『昇格審査通知』です。この後、大丈夫ですか?」

 

「はい、大丈夫です!むしろ今すぐにでも!」

 

 思わず声を張り上げてしまった彼女は、ハッとして赤面しながら振り向いた。

 彼女の視線の先には、嬉しそうにニヤニヤと笑う銀髪武闘家の姿。

 正面の受付嬢も、困り顔で笑っていた。

 三角帽子を目深くかぶり、つばを押さえて顔を隠す。もっとも手遅れなのだが、今の彼女は冷静さに欠ける。

 受付嬢は微笑しながら彼女に言う。

 

「では、審査は二階奥の部屋で行いますので、ついてきてください。大丈夫ですよ、質疑応答をするだけですから」

 

「は、はい……」

 

 顔を真っ赤にしたまま彼女は頷き、受付嬢に連れられてギルドの二階に消えていく。

 一人残された銀髪武闘家はその背中を見送ると、立ち上がって体を伸ばした。

 体勢が体勢のため、その豊満な胸が強調されて、一部の男性冒険者がちらりと彼女に目を向けている。

 そんなものお構い無しと、彼女はギルドの裏庭の演習場を目指して歩き始めた。

 食後に動かなければ太る。太ってしまえば、彼について行けなくなってしまう。

 彼女も在野最高の銀等級。自分の肉体的なコンディションを整えるのは自分の仕事だ。

 

 

 

 

 

 彼女がギルドの裏に出ると先客がいた。

 演習場で模擬戦をしているのは、彼女と同じ銀等級の『重戦士』と新人と思われる三人だ。

 一人目は彼の一党の斥候(スカウト)

 二人目はいつかに助言をした、頭に鉢巻きを巻いた新米剣士。

 三人目は、見覚えのない新米戦士。

 三人で果敢にも挑んでいくが、重戦士はものともせずに蹴散らしていく。

 

「相変わらず、力強いね~」

 

 彼女がそう言うと、観戦していた女性四人が振り返る。

 一人は重戦士の一党に属する銀等級冒険者の『女騎士』。銀髪武闘家とは対照的な金色の髪が風に揺れた。

 

「ん、ああ、おまえか。元気そうだな」

 

「勿論よ。お腹も一杯だしね」

 

 銀髪武闘家はそう言うと、他の三人に目を向けた。

 一人目は重戦士一党の巫術師(ドルイド)の女の子。

 二人目はあの新米剣士と一緒だった武闘家の少女。

 三人目は、またも見覚えがないが、天秤を模した剣を持っているから、至高神の神官だろう。

 

「久しぶりだね、武闘家ちゃん。あれからどう?」

 

「はい。彼と、この人たちと頑張ってます」

 

 女武闘家は横の新米神官の肩に手を置きながらそう言った。

 あれから新人たちは、新たな二人を加えた四人の一党を組んだようだ。

 銀髪武闘家はうんうんと頷き、優しく笑う。

 

「そうそう、はじめの内は色んな人と付き合うのよ。横の繋がりは大切だからね」

 

「ローグハンターとばかり仕事に行くおまえが言うか?」

 

 女騎士のツッコミに、銀髪武闘家はいたずらっぽく笑った。

 

「そのおかげで、私たちは一党の仲間以上の関係になれたけど?そっちはどうなの?ほれ、ほれ、秩序にして善なる聖騎士志望の騎士様?」

 

「ッ!お、おま、それを━━」

 

 女騎士は顔を赤くしながら重戦士に目を向け、聞かれていないことを確かめた。

 幸い、彼は模擬戦に集中している。聞こえていなかったようだ。

 ホッと息を吐く女騎士をよそに、銀髪武闘家はため息を吐いた。

 

「もう、冒険者歴だとそっちが上じゃない。彼だって、あなたより後輩なのよ?」

 

「し、知っている」

 

「年齢は、彼が上かな?確か二十四とか言ってたし」

 

「そうなのか?だとしたら、随分と中途半端な歳で冒険者になったのだな」

 

「はい、話題を逸らさない。で、何かアプローチしたの?」

 

 真剣な表情で問いかけるが、女騎士は気まずそうに目を逸らした。

 二人の会話は、それぞれの想い人に関するものだ。

 銀髪武闘家がローグハンターに惹かれたように、女騎士も重戦士に惹かれている。

 女冒険者は行き遅れるというジンクスがあり、女騎士はそれに見事に当てはまっているのだ。

 相手として重戦士に目をつけたは良いが、仲は全く進展しない。

 まあ、銀髪武闘家とローグハンターは常に二人だったことに対して、重戦士の一党は五人いるのだ。アプローチもしにくいのだろう。

 銀髪武闘家はわざとらしくため息を吐き、新人三人に目を向けた。

 

「キミたちも気をつけてね。銀等級になっても、勝てないものはあるから」

 

『はい……』

 

「はいじゃない!おまえに出来て私に出来ない事はない筈だ!証明してやる、勝負しろ!」

 

「ほー、言ったな?言ってしまったな?上等よ、やってやるわよ」

 

 二人で凄まじい気迫を放ち始め、それを感じた模擬戦中の四人も手を止めた。

 重戦士は冷や汗を流しながら二人に目を向ける。

 

「お、おい、おまえら……」

 

「邪魔をしないでくれ。これは決闘だ」

 

「ふふん。なら容赦はしないわよ?」

 

 女騎士は両手剣と盾を構え、銀髪武闘家は鉄製の籠手を嵌めて感覚を確かめる。

 二人の目は真剣そのものであり、若干の殺気まで込められているほどだ。

 在野最高の銀等級二人の決闘となれば、他の者たちには手の出しようがない。

 

「行くぞ!」

 

「ばっち来い!」

 

 掛け声と共に金と銀は動きだし、ぶつかり弾ける。

 それを眺める新人たちは、その戦いを焼き付けようとしっかりと見つめ、重戦士はため息を吐く。

 

「……あいつらを怒らせるなよ、命が足りねぇ」

 

 彼の一言に皆が頷く。

 女騎士の気合い一閃と銀髪武闘家の怪鳥音をバックに、ギルドの演習場はぼろぼろになっていくのだった。

 

 

 

 

 

 昇格審査から戻った女魔術師は回りから顔を見られないように俯きながら、歓喜にうち震えていた。

 彼女の首から下がる認識票は白磁から黒曜へと代わり、ようやく冒険者として新たな一歩を踏み出せたのだ。

 銀髪武闘家に報告しようと駆け足で戻ってきたはいいが、肝心の彼女がいなかった。

 探そうとも思ったが、とりあえず落ち着こうという気持ちが勝った。

 だが、落ち着かない。むしろ僅かに冷静になったことで、喜びが膨れ上がっていくのだ。

 ずっと俯いていたからか、彼女に近づく彼のことにも気づくことが出来なかった。

 端から見れば俯いて震えているのだから、頭目として心配するのは当然だろう。

 彼は彼女の対面の席に座り、首を傾げて声をかけた。

 

「……何かあったのか?」

 

「ふぁい?……!!」

 

 思わず間の抜けた声が漏れ、そこでようやくローグハンターが目の前に来ていたことに気づく。

 ローグハンターは苦笑して、女魔術師に問いかける。

 

「何か良いことでもあったのか?随分と嬉しそうだが」

 

「……はい。その、あの……」

 

 無意識に緩んだ頬を必死に押さえながら、黒曜へと変わった認識票を見せた。

 ローグハンターは僅かに目を見開いて、そして嬉しそうに笑った。

 

「そうか、上がったのか。この前のオーガのお陰か?」

 

「はい。銀等級が多かったとはいえ、オーガ討伐の実績は大きいですから」

 

「そうなのか」

 

 安全策を取って首を吊ったのだが、やはり強大な敵だったのだろう。

 それを相手に全員無事だったのは、幸運だったのか。

 いや、違う。確かに幸運だっただろう。だが、あのメンバーがいたからこそ勝てたのだ。

 彼らが訪れず、冒険者として同行してくれなければ、間違いなく負けていた。

 これまでのゴブリンスレイヤーの戦いが彼らとの出会いを持ってきてくれた。

 そして、そのゴブリンスレイヤーの仲間として、自分たちが同行した。

 だからこそ勝てたのだ。これこそまさに━━、

 

「━━運は自分で掴むもの、か」

 

「……?」

 

 ローグハンターの呟きに女魔術師が首を傾げた。

 彼は小さく笑い、彼女にこう言った。

 

「俺の先生から教わったことだ。覚えておいて損はない」

 

「はい。運は自分で掴むもの、ですか……」

 

 その言葉を復唱し、小さく笑う。

 ギルドの裏からぼろぼろの女騎士と銀髪武闘家が担ぎ込まれたのはその直後。

 一党メンバーが負傷したということで、彼らの休暇が若干延びたのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 




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Memory11 依頼

 一ヶ月後、辺境の街のギルド。

 ローグハンターはいつも通りにギルドの端の席に座り、手紙を読んでいた。

 時折届く救出した貴族令嬢からの手紙だが、内容はいつにないほどめでたいものだ。

 それを彼の肩に頭を乗せて見ていた銀髪武闘家が、「ほぇ~」と息を吐いた。

 都のほうで騒がれていた魔神王が、聖剣に導かれた『勇者』に討伐されたというのだ。

 その冒険者のことに関しては余り書かれていないが、向こうでは盛大な祭りが開催されたとある。

 そこまで読んで、銀髪武闘家が何か思い当たったのか口を開いた。

 

「この前、ちょっとしたお祭りがあったの、その勇者って人のお陰だったんだね」

 

「勇者はその役目(ロール)を果たしたということか。俺たちも頑張らないとな」

 

「変わりませんね、あなた」

 

 相変わらずのローグハンターの言葉に、女魔術師は苦笑した。

 そんな彼らの会話も、ギルドの活気の前にはあっさりと消えていく。

 辺境の街のギルドはいつになく騒がしく、冒険者たちでごった返していた。

 デーモン討伐のために都に拠点を移していた冒険者たちが、またこの辺境に戻り始めてきているのだ。

 もちろん、帰って来ない者もいる。だが、それを話題に出すのは無粋というもの。

 ある者はその戦いで死に、ある者は新天地を目指して旅立ち、ある者は様々な事情で引退していった。

 冒険者の最後というのは、そういうものだ。誰にも知られずに、あっさりといなくなる。そして、忘れられていく。

 そんな時、ギルドの自由扉が開いてベルが鳴った。

 ローグハンターは横目で誰が入ってきたかを確認し、すぐさま視線を手紙に戻した。

 彼にとってしてみれば、その男の目撃は日常の一部だ。

 

「ゴブリンスレイヤー……なんだ、生きていやがったのか」

 

 そうではない槍使いが、彼の姿を認めて毒づいた。

 他の冒険者の反応も、似たようなものだ。

 ローグハンターは最近姿を見なかったと思い出し、無事だったことに安堵した。

 いつも通りこちらに来ると思っていた彼は、ゴブリンスレイヤーの行き先に僅かに驚く。

 定位置の端ではなく、カウンターでもなく、ギルドの中央、冒険者たちが一望できる場所を陣取ったのだ。

 兜を被っているため、その表情はわからない。

 

「すまん、聞いてくれ」

 

 低く、静かな声。だが冒険者たちの喧騒の中でも、妙に響き渡った。

 多くの冒険者が口を閉じ、ゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 

「頼みがある」

 

 彼の言葉にまた騒がしくなるが、構わずに言葉を続ける。

 

「ゴブリンの群れが来る。街外れの牧場にだ。時期はおそらく今夜。数はわからん」

 

 再び冒険者たちが騒がしくなる中で、銀髪武闘家がハッとしてローグハンターに言った。

 

「……ゴブリン、牧場って、牛飼いさんが……!」

 

「………」

 

 友人でもある女性がいる場所をゴブリンが狙っている。

 その事実に気づいた彼女は慌てるが、彼は答えない。

 ただ静かに、ゴブリンスレイヤーの言葉を待っているのだ。

 

斥候(スカウト)の足跡の多さから見て、ロードがいる筈だ。……つまり百匹はくだらないだろう」

 

 百匹のゴブリンが、今夜にも攻めてくる。

 ゴブリンの恐ろしさ、正確には面倒臭さを骨身に染みて思い知っている。

 そのゴブリンの群れではなく軍隊。それが目の前まで迫ってきている。

 ローグハンターは顎に手をやり、ゴブリンスレイヤーの頼みをある程度理解し、彼の様子を伺う選択を取る。

 

「洞窟の中ならともかく、野戦となると俺一人では手が足りん。手伝って欲しい。頼む」

 

 彼はそう締め括ると頭を下げた。

 冒険者たちの中から色々と意見が出ているが、どれも否定的なもの。

 それを聞こえている筈なのに、ゴブリンスレイヤーは頭を下げたまま微動だにしない。

 横でおろおろしている銀髪武闘家を他所に、ローグハンターは立ち上がるとゴブリンスレイヤーに近づいた。

 彼ら二人の仲が良いことは周知の事実。ならば、彼は受けるのだろう。

 多くの冒険者はそう思うが、ローグハンターはただ静かに告げた。

 

「ゴブリンスレイヤー、俺はおまえを友人だと思っている。だが、一つ勘違いをしているようだ」

 

 彼はそう言うとゴブリンスレイヤーの兜を掴み、無理やり顔を上げさせた。

 

「俺たちは冒険者。例え友人からの頼みだとしても、タダで仕事をするほどバカではない……!」

 

 静かでありながら有無を言わさぬ圧の込められた彼の言葉は、騒がしかった周りの冒険者たちをも黙らせる。

 

「つまり、報酬を要求しているのか」

 

「当たり前だ。金も無しに命を懸けられるか」

 

 ローグハンターはそう言うと、横目で受付嬢に目を向けた。

 彼女も今の言葉で何かを察したのか、慌てながら奥へと姿を消したところだ。

 それを確認しつつ、彼は問う。

 

「それで、正面から百匹のゴブリンを相手にさせる報酬は、なんだ」

 

「すべてだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは即答し、冒険者たちが困惑するなか、ローグハンターはその額に僅かに青筋を浮かべた。

 ゴブリンスレイヤーの兜を掴む手に力を込め、僅かに軋む音が漏れ始める。

 

「俺の持つもの全て。正確には、俺の裁量で自由になる物だ。装備、財産、能力、時間、そして━━」

 

「命、か」

 

 ローグハンターの確認に、彼は一度頷くだけだ。

 その瞬間、ゴブリンスレイヤーの体が宙に浮いた。

 彼は自分が何をされたのか理解する前に、背中から床に叩きつけられ、兜のスリットの隙間にアサシンブレードが刺し込まれる。

 目に突き刺さる直前で寸止めされ、その刃に震えはない。

 その刃の先に見える一対の蒼い瞳には絶対的な殺気。これほどまでに死を近くに感じたのは、いつぶりだろうか。

 ローグハンターは感情を押し殺した声で、ゴブリンスレイヤーに告げた。

 

「なら、死ねと言われたらそのまま死ぬのか」

 

「いや、俺は死ねん。死んだら、あいつが泣くだろう。泣かせるなと言われた」

 

 文字通り心臓にナイフを突き立てられているような状況で、彼は淀みなくそう言いきった。

 死を目の前にして、死ねんと宣言する根性。それは彼の取り柄の一つか。

 二人の問答を見ている冒険者たちの空気は、これ以上ないほどに張り詰めていた。

 躊躇いなく殺しにいくローグハンターも怖いが、まるでその「あいつ」呼びされた人がいなければ、命を捨てても構わないと言わんばかりのゴブリンスレイヤーも十分に恐怖だ。

 どちらもたがが外れている。だからこそ、二人は仲が良いのかもしれないが。

 そんな空気をものともせず、ローグハンターは口を開く。

 

「……自分の命を軽く見すぎだ、バカ野郎が」

 

「よく言われたことだ」

 

「で、命以外の報酬は」

 

「………」

 

 彼の確認に、ゴブリンスレイヤーは言葉に詰まる。

「先ほど言った通りだ」なんて言われてしまえば、このまま刺されるだろう。

 まったく言葉を返さないゴブリンスレイヤーに苦笑して、アサシンブレードを引き抜きながら彼は言う。

 

「……何か奢れ。ゴブリン退治の相場はそんなものだ」

 

「そうか。すまん」

 

「こっちのセリフだ。怪我してないか」

 

「問題ない」

 

 ゴブリンスレイヤーがそう言うと、ローグハンターは彼の上から退いて銀髪武闘家と女魔術師に目を向けた。

 

「おまえらはどうする。別に受けないでも構わんが」

 

「受けるよ、あったり前じゃん!ゴブスレ、私にも何か奢ってね?」

 

「私も受けます。報酬は、お二人と同じで」

 

 ローグハンターは先ほどの事なぞ無かったかのように振る舞い、一党の面々も気にしていない。

 冒険者たちがドン引きするなか、ローグハンターは槍使いに目を向けた。

 

「おまえはどうする。『あの人』に良いところ見せるチャンスだぞ」

 

 本来そこにいる筈の受付嬢の席に目を向けながら、ローグハンターはそう告げた。

 聞くだけ聞いていた槍使いは跳ねるように立ち上がり、一度咳払いをしてゴブリンスレイヤーの革鎧を叩いた。

 

「ッ!ゴ、ゴブリンスレイヤー、一杯奢れ。俺はそれでいい」

 

 素直な槍使いに苦笑して、彼は銀等級冒険者である『魔女』に申し訳なさそうに頭を下げる。

 彼女は「気にしないで」と言うように笑い、立ち上がった。

 

「私も、受ける、わ」

 

「私もよ!」

 

 魔女に続いて手を挙げたのは妖精弓手だ。

 

「ただ何も奢らないでいいわ。私の冒険に付き合いなさい!それが報酬よ!」

 

「良いだろう」

 

 ゴブリンスレイヤーは至極あっさりと頷いた。

 妖精弓手は満足そうに頷き、くるりと後ろに振り返る。

 

「あんたたちも、来るでしょ?」

 

 問われたのは鉱人道士だ。彼はやれやれと髭を捻りながらため息を吐いた。

 

「仕方あるまい。……わしは酒樽を要求するぞ」

 

「手配しよう」

 

「それと、わしもその冒険に混ぜてもらおうかの」

 

 彼の確認に妖精弓手は笑いながら頷く。

 

「当然!一党じゃないの」

 

「となれば、拙僧も行かぬわけにはいくまいて」

 

 次いで答えたのは蜥蜴僧侶だ。彼はゆっくりと立ち上がり、鼻先を舌でちろりと舐める。

 

「友人の頼みとはいえ、斥候殿の言うとおり拙僧も冒険者。報酬を要求するが……」

 

「チーズか。あれは狙われている牧場で作られているものだ」

 

「まことか。なれば、悪鬼どもを許す道理なし」

 

 蜥蜴僧侶は頷き、大きな目をぎょろりと回し、奇怪な手付きで合掌した。

 

「これでも、手は足りないか……」

 

 ローグハンターがそう漏らすと、また誰かが手を挙げた。

 

「あ、あの!」

 

「む」

 

 ゴブリンスレイヤーが目を向けた先にいるのは、新米剣士と武闘家の二人だ。

 目には若干の怯えの色が見えるが、やる気はあるようだった。

 

「二人とも……」

 

 かつての一党の二人の挙手に、女魔術師は不安を滲ませながらも嬉しそうに笑った。

 新米剣士は大きく深呼吸をして、ゴブリンスレイヤーに言う。

 

「あの時の恩を返させてくれ」

 

「助けられるとは限らんぞ」

 

「承知の上です」

 

 ゴブリンスレイヤーの確認に女武闘家が頷く。

 ローグハンターは頭数を数え、顎に手をやった。

 

「これで、十一。もしかしたら十二かもしれないがな」

 

 ここにはいない女神官を勝手に数にいれたが、問題ないだろう。彼女は必ず来る。

 ローグハンターはゴブリンの数を思い出し、彼らに告げた。

 

「……およそ百なら、一人で十体か」

 

「いや待て、魔術師じゃその数を殺るのは無理だろ」

 

「なら、前衛が十五から二十やるだけだ」

 

 彼がさも当然の事のように言うと、妖精弓手はため息を吐いた。

 

「あんた、意外とバカよね」

 

「そうだよね~。ゴブスレの意志を確認するのに、武器突きつけなくてもさ~」

 

「何でもくれてやると言った奴に『死んでくれ』と頼むバカが出てくる前に釘を刺しただけだ。それに、目の前に俺の大嫌いな命を軽く見すぎのバカもいたからな」

 

「む」

 

 しれっとバカ呼ばわりされたことに気づいてか、ゴブリンスレイヤーは不満げに声を漏らしたが、状況が状況なので言及はしない。

 先ほどのは悪い冗談だったようだが、今はそれどころではない。

 ゴブリン退治とはいえ命懸けの戦いだ。駄賃で命を捨てろと言われて首を縦に振れるかは、人によるものだろう。

 もうひと押しが欲しい。ローグハンターが思ったそんな時だった。

 

「ギ、ギルドからも!ギルドからも、依頼が、ありますッ!」

 

 受付嬢が紙の束を抱えて戻ってきたのだ。

 三つ編みの髪を揺らしながら、荒れた息を整えていた。

 渋る冒険者たちに注目される中、受付嬢は抱えた紙束を高々と掲げた。

 

「ゴブリン一匹につき、金貨一枚の懸賞金を出します!チャンスですよ、皆さん!」

 

 彼女の言葉に、冒険者たちがどよめいた。

 懸賞金を出す。つまり、ギルドがゴブリン退治の依頼を出したということだ。

 彼女がどれほど苦労して上司を説得したのかは、語るまでもない。

 報酬が出るのなら断る理由もない。重戦士の一党を始めとして、次々と冒険者たちが手を挙げた。

 彼らの胸には夢がある。志がある。野心がある。守りたい誰かの姿がある。形は違えど、決して譲れぬ信条(クリード)がある。

 次々と立ち上がる冒険者たちの間を縫って、彼女が姿を現した。

 

「……良かったですね?」

 

 女神官はくすりと笑い、ゴブリンスレイヤーは「ああ」と頷いた。

 彼は振り返り、冒険者たちを眺めて苦笑しているローグハンターに目を向けた。

 

「少し良いか」

 

「ん、どうかしたのか」

 

 表情を引き締めつつ問い返すと、ゴブリンスレイヤーはまっすぐ彼を見て言った。

 

「報酬は出す。聞いてくれるか」

 

「……?」

 

 ゴブリン退治。この日、そのありふれた仕事に、多くの冒険者が殺到した。

 場所は洞窟でも、未知の遺跡でもない。街のすぐ近くの牧場だ。

 ローグハンターは友人からの頼みに頷き、唐突に自らの武器を抜き、掲げて見せた。

 

「━━行くぞおまえら!俺たち冒険者に勝利を!!!」

 

 彼に応え、冒険者たちは各々の武器を掲げて叫んだ。

 彼らは冒険者。自らのため、命を懸ける者たち。

 相手はゴブリン。自らのため、ただ奪い続ける最弱の魔物たち。

 彼らとの決戦は、近い━━━。

 

 

 

 

 




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Memory12 防衛戦

 二つの月が高く昇った、ほとんどの生物が眠りにつく時間帯。

 そんな時間に、ギルドの冒険者ほぼ全員が繰り出し、牧場の警備に当たっていた。

 細かな人数はわからないが、戦力としては十分だろう。

 ローグハンターは牧場にある小屋の屋根に登り、夜風に当たりながら森を睨む。

 森まではタカの目の認識範囲ギリギリの距離だが、そこから何かが飛び出せばすぐにでも見える位置だ。

 彼の横に立つ妖精弓手は長耳をひくつかせ、風の流れを読んでいた。

 

「風は問題なさそう。ま、風に嫌われても、私の弓は百発百中だけどね」

 

「………」

 

 ローグハンターは無言を貫き、表情を険しくさせながらその目を細めた。

 

「来たぞ。盾持ちだ!」

 

 彼の視界には、複数の青い影とその背後に隠れる赤い影が映っている。

 ゴブリンどもは捕らえた女を盾にくくりつけ、『肉の盾』として使うのだ。

 ゴブリンたちはその盾を前面に、ジリジリと距離を詰めてきている。

 ローグハンターは距離を計り、そして指示を飛ばした。

 

「作戦通りだ、やれ!」

 

 彼の叫びにとある魔術師と鉱人道士が応じ、『眠雲(スリープ)』と『酩酊(ドランク)』が唱えられた。

 二つの術により生まれた霧は盾を抱えたゴブリンたちを包み込み、昏睡させていく。

 その瞬間に茂みに身を潜めていた冒険者たちが動きだし、ゴブリンを無視して盾を回収、担いだまま戻ってくる。

 

「援護だ、早くしろ」

 

「うるっさいわね!やってるでしょ!」

 

 彼らを追いかけてゴブリンたちが駆け出すが、矢継ぎ早と放たれる矢の雨で次々と倒れ、反撃しようと杖を掲げた呪文使い(シャーマン)たちもその眼窩を撃ち抜かれる。

 横で矢をつがえる妖精弓手を横目に、彼は下で武器を構える冒険者たちに目を向けた。

 

「そろそろ突撃だ。おまえら、準備はいいか!」

 

 冒険者たちは各々応え、武器を握る手に力を入れる。

 ローグハンターも屋根から飛び降り、彼らの一団に加わった。

 新人たちに指示を飛ばす槍使い、重戦士の横に立ち、二人に告げた。

 

「あいつの作戦通りだ、こっちは頼んだ」

 

「おう。そっちもしくじんなよ?」

 

「死ぬなよ。この後の酒が不味くなる」

 

 槍使い、重戦士の言葉にローグハンターは無言で頷き、フードを被る。

 それと同時に冒険者たちの突撃が始まった。

 武器を構え、隊列を組み、一斉にゴブリンの群れに突っ込んで行ったのだ。

 彼はちらりと女騎士と並ぶ銀髪武闘家の姿を確認し、大きく迂回してゴブリンたちが出てきた森を目指す。

 軍を相手にするのなら、影で頭を潰す暗殺者(アサシン)が必要だ。

 彼はその役目(ロール)を受け持ち、槍使いたちが大群を相手する。

 心配はある。だが、彼らは勝つと信じている。

 五年、彼らの姿を見てきたのだ。何を経験し、何を倒してきたなぞ、それでわかるというもの。

 ゴブリンたちの断末魔が響くなか、彼はその姿を消した。

 

 

 

 

 

「イィィィィヤッ!」

 

 怪鳥音を響かせて、銀髪武闘家が横凪ぎの蹴りを放つ。

 本来は打撃である筈のその一撃は、ゴブリン三匹の体を纏めて切り裂いた。

 打撃を極めたら斬撃に届く。

 彼女のその理論は、彼女自身が証明している。

 

「ヤァッ!」

 

 飛びかかったゴブリンの顔面に拳を叩きこみ、その頭蓋を叩き潰した。

 

「いや~、減らないね~」

 

 彼女は呑気にそうぼやき、横の蜥蜴僧侶に目を向けた。

 爪、爪、牙、尾。彼の体は文字通りの凶器となって、次々とゴブリンの体を引き裂いていく。

 

「小鬼殺し殿もお手上げですからな。当然でしょうや」

 

「そうだけど、さっ!」

 

 言いながら蹴りを放ち、ゴブリンを空中にかちあげた。

 無様に地面に転がったゴブリンの頭蓋を踏み潰し、とどめを刺す。

 ホッと一息を吐いて周囲に目を向けると、森のほうに霧が発生していることに気づく。

 魔術によるものではない。彼女の相棒であるローグハンターがグレネードランチャーを使った時の煙だ。ほんのり赤いから、バーサークグレネードだろうか。

 そちらの方からゴブリンの断末魔に混ざって狼の吼える声が聞こえるのだが、気のせいではなさそうだ。

 

「……?」

 

 彼女が小さく首を傾げたのもつかの間、槍使いが森のほうを指さした。

 

「チッ!田舎者(ホブ)が出てきたぞ!って、やたらデカイのがいやがる!」

 

 彼の指さした先には多数のホブゴブリンと、それより更に大きな影。

 オーガのような巨体にいくつもの傷を刻まれてなお、その鍛えられた肉体は逞しい。

 ゴブリンでありながら、それを越えた文字通りの怪物━━『小鬼英雄(チャンピオン)』。

 並の冒険者を屠るのなら、一体でも十分だろう。それが()()

 

「あ~、多くない?」

 

 銀髪武闘家は苦笑混じりにゴブリンの首をへし折り、同じく銀等級の槍使いと重戦士、女騎士に目を向けた。

 彼らはやる気十分だ。槍使いが一体、重戦士と女騎士が一体として、あと一体は━━、

 

「しょうがない、やりますか!」

 

 自分の頬を叩いて気合いを入れて、後方に目を向けた。

 女魔術師と妖精弓手に向けて大きく手を振って見せ、チャンピオンを指さす。

 その意図を察したのか、二人は頷いて各々の武器を構え直した。

 彼女は瞑目しながら大きく深呼吸して、その目を開けた。

 

「……さて、英雄狩りね」

 

 その表情を引き締めて、いつになく真剣な声音でそう告げる。

 相手が相手なので、久しぶりにスイッチを入れたのだ。

 彼女とて誇り高き銀等級冒険者なのだ。やるときにやらねば、彼に合わせる顔がないだろう。

 

 

 

 

 

 ━━━どうしてこうなった!?

 

 ゴブリンロードは森を駆け抜け、振り返ることはない。

 今回の奇襲は、街を襲うための前段階だ。その筈だった。

 結果はどうだ。冒険者どもがいつの間にか襲撃を察知し、準備をしていた。

 それでも大丈夫だと判断して攻撃させた。こちらには盾がある、狼どもがいる、チャンピオンどもがいる。

 だが、この戦いはもう駄目だ。どうやっても、勝つことは出来ないだろう。

 盾は奪われ、狼どもは()()()()()。先ほど出したチャンピオンどもが殺られるのも、時間の問題だ。

 だが、私が生き残れば、私だけでも生き残れば、次がある。この失敗を糧に━━、

 

「GOBR?」

 

 その時、ゴブリンロードはそれに気づいた。

 彼が進む先に打ち捨てられたゴブリンの死体。

 なぜこんなところに死体が……。

 ゴブリンロードが周囲を見渡し、警戒をする。

 冒険者は自分たちと同じように茂みに潜み、飛び出してくる。それは先ほど学んだことだ。

 

 ━━どこだ、どこにいる……。

 

 ゴブリンロードは必死になって周囲を見渡すが、敵の姿はどこにも見えない。

 確かにゴブリンロードは『相手が奇襲をしてくる』ことを確かに学んだ。

 だが、『どこから襲いかかるのか』を知らないという、致命的な失敗には気づいていない。

 冷や汗を垂らしながら警戒を強めるロードは、自分が木の上にいる死神に見下ろされているなど、考えもついていないのだ━━━。

 

 

 

 

 

「こんの!」

 

「GOBRGOBR!!!」

 

 銀髪武闘家の拳を受けながら、チャンピオンはその棍棒を振り下ろす。

 銀等級冒険者たちとチャンピオンたちの戦いは、文字通りの互角と言った様子だった。

 彼女の拳はチャンピオンの鎧に阻まれ、妖精弓手の矢は棍棒を盾に防いで見せる。

 ゴブリンにしては戦い慣れている。伊達に英雄呼ばわりはされていないということだろう。

 彼女は一旦飛び退いてゆっくりと息を吐いた。

 随分と上質な鎧を着ているようで、破るのは簡単ではないだろう。

 硬い相手にダメージを与えたい場合のセオリーは、比較的柔い箇所を狙うことだ。

 だが、チャンピオンの筋肉はそのまま鎧となって、その体を守っている。

 なら、どうするか。

 彼女は不敵に笑むと右拳を引いて腰の横に構え、左手をだらりと下げた。

 

「GOROGRGOBR!!」

 

 チャンピオンは一気に間合いを詰め、その棍棒を振り下ろす。

 彼女は右足を引いて半身になってそれを避け、渾身の力を込めた拳をまっすぐ放つ。

 ガキンッ!と金属同士がぶつかり合う音が響くが、チャンピオンは構わずに棍棒を振り回す。

 彼女はその全てを紙一重で避け、隙をついては拳を叩き込み続ける。

 甲高い金属同士の衝突音に異音が混ざり始め、何かが砕ける音が出始める。

 チャンピオンはその音を聞き、不敵に笑んだ。

 銀髪武闘家の籠手に大きなひびが入り、その隙間から血が垂れているのだ。

 がむしゃらに拳を振るい続ければ、武器にも肉体にも限界はすぐに訪れる。

 チャンピオンはその顔を醜悪に歪め、目の前の女に意識を傾けた。傾け過ぎた。

 妖精弓手がその隙を見逃す訳もなく、彼女の放った矢がその眼窩を貫いたのだ。

 

「GOBR!?」

 

 チャンピオンが大きく体勢を崩した瞬間、銀髪武闘家は大きく右拳を引き、

 

「イィィィィヤアァァァアアアアアッ!」

 

 気合い一閃と共にその拳を放つ!

 その拳が鎧にぶち当たった瞬間、彼女の籠手が砕け散り、チャンピオンの鎧には蜘蛛の巣状のひびが広がり、一拍開けて砕け散った。

 

「GO!?」

 

 その衝撃はチャンピオンの巨体を数メートル吹き飛ばす程であり、殴られたチャンピオンの表情に困惑が張り付いた。

 

 ━━なぜオレの鎧が砕けた!?壊れかけていたのはあいつの籠手なのに!

 

 彼女は息を切らしながら血まみれの右拳をだらりと垂らし、今度は無傷の左拳を大きく引いた。

 チャンピオンが気づくことはないが、彼女は腕一本を犠牲にして、鎧の同じ場所を殴り続けることで砕いて見せたのだ。

 彼女は一歩、また一歩とチャンピオンへと近づいていく。

 チャンピオンは取りこぼした棍棒を拾い上げ、それを杖代わりに立ち上がる。

 

 ━━そうだ、不利なのは向こうだ。バカな奴だ、腕を駄目にするとは!

 

 チャンピオンがその表情に再び余裕を浮かべた瞬間だ。

 銀髪武闘家の後ろから誰かが飛び出してくる。

 杖を持った赤い髪の女。つまり、女魔術師だ。

 彼女に目を向けた瞬間、銀髪武闘家が矢のようにまっすぐチャンピオンに飛び込んでいく。

 チャンピオンは棍棒を振り上げ迎撃しようとするが、女魔術師は『真に力のある言葉』を口にした。

 

「《アルマ(武器)……フギオー(逃亡)……アーミッティウス(喪失)》!」

 

 その言葉が放たれた瞬間、チャンピオンの手から棍棒がすっぽ抜けた。

 彼女が唱えたのは覚えたての魔術『無手(アクワード)』だ。

 ならず者(ローグ)ばかりを相手にする彼の一党に属する彼女だからこそ、必要と感じた魔術の一つ。

 相手の武器を落とさせるという、同世代の魔術師ならまず覚えないような地味な魔術だが、その効果は絶大だ。

 チャンピオンのその目を驚愕の色に染め、次にその色が恐怖に染まる。

 銀髪武闘家がチャンピオンの懐に飛び込んだのはその時だった。

 足を踏ん張って腰を捻り、左拳にありったけの力を込める。

 怪我がなんだ。武器の破損がなんだ。その心配は、勝って、生き残ってからすることだ。

 怪我したところで、世話を焼いてくれる人物を知っている。

 武器が壊れても、新しい物を用意してくれる人を知っている。

 だからこそ、彼女は「躊躇い」という言葉を捨てた。

 

「イィィィィヤアァァァアアアアアッ!」

 

 再びの気合い一閃。

 彼女は左拳を打ち放ち、それはチャンピオンの左胸に突き刺さった。

 彼女の籠手が砕け散り、その破片で左腕に傷が刻まれていくが知ったことではない。

 彼女はゆっくりとチャンピオンを睨む。

 相手は微動だにせず、ぐるりと白目を剥いて、そのまま仰向けに倒れる。

 彼女の一撃は骨を砕き、強すぎる衝撃で心臓の鼓動を止めたのだ。

 彼女が傷だらけの左腕を掲げると、冒険者たちの間から勝どきが上がった。

 槍使いも重戦士と女騎士も、既にチャンピオンの討伐を終えている。

 まさに彼女が倒したチャンピオンが、最後の一体だった。

 彼女は肩で息をしながら腕を降ろし、女魔術師に目を向けた。

 

「ありがとね。助かったわ」

 

 女魔術師が見たこともない、等級相当の凛々しさを放つ笑顔。

 彼女はその笑顔に一瞬見惚れ、そして素直に頷いた。

 

「……は、はい」

 

「む。どうしたの、顔赤いわよ?疲れた?」

 

「だ、大丈夫です!」

 

 顔を覗きこんできた銀髪武闘家の顔から逃れ、背中を向けた。そして、彼女への評価を改める。

 彼女は普段適当に過ごしているのではなく、気を抜いているのだ。ここ一番に集中力を持っていくため、力を抜いている。

 そんな事も知らずに自分は……。

 女魔術師は急に恥ずかしくなり、帽子のつばを押さえて俯いた。

 銀髪武闘家は苦笑して、背中から彼女を抱き締めた。

 そして泣き出しそうな妹をなだめるように、とても優しい声音で告げる。

 

「気にしないで良いよ。私は気にしないから」

 

「……はい」

 

 僅かに震える声。

 その日、女魔術師は本当の意味で知ったのだ。

 噂に名高いローグハンターは、こんな彼女だからこそ、側に置いているのだと。

 

 

 

 

 

 

 ━━どう、して……こうなった………。

 

 ゴブリンロードは無様に這いずりながら、森の中を進んでいた。

 あの怪物から逃げなければ殺される。死にたくない。死にたく━━。

 

「……おまえはそう思った人たちを、嬉々として殺してきたわけだ。わかるか」

 

「GOB━━━!」

 

 そのセリフと共に、ロードの左足が宙を舞った。

 痛みに悶える時間すら与えられず、体を仰向けになるように転がされる。

 ロードがその怯えきった視線を向けると、そこには斧を担いだローグハンターがいた。

 木の上から奇襲を仕掛けた彼はまず右腕の前腕部を落とし、その斧を奪ってその鎧を砕いた。

 ロードも抵抗はした。だが、その全てが無意味だった。

 何をしようにも絶妙なタイミングで斧が振るわれ、その全てを叩き潰された。

 生かさず殺さずのギリギリのラインでロードを殺さず、こうして這い回らせているのだ。

 このままいけば、間違いなく失血で死ぬ。

 ロードは目の前の怪物を、怯え一色に染まった瞳で睨んだ。それは命乞いのように見えるが、彼が気にすることはない。

 

「どんな命にも安らかに逝く権利があるというが、おまえらは例外だ」

 

 ローグハンターは斧を振り上げ、そして告げた。

 

「━━眠れ。その恐怖を抱いたまま、永遠に」

 

「G、GOB━━━!!!」

 

 ロードが何かをのたまう前に斧を振り下ろした。

 その一撃は頭蓋を砕き、ロードの命を一瞬で断ち切る。

 返り血を浴びた彼の体は血まみれだ。端から見れば、死霊か何かに思われるだろう。

 血の鉄臭さが辺りに広がり、静かな森に異様な雰囲気を醸し出させた。

 そこに近づいていく二つの人影があった。

 ゴブリンスレイヤーと女神官だ。二人はロードたちがいなくなって手薄となった巣穴を襲撃し、囚われた女たちを助け、ゴブリンの子供を全て殺して来たのだ。

 ロードにとっての最大の失敗は、この街を狙ったこととしか言いようがない。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターを初めとして、銀等級が七人いる街を狙い、彼らに動きを察知され、迎撃された。

 そして、自分自身さえも殺された。

 ゴブリンスレイヤーは頭の無くなったロードの死体を一瞥し、彼に問いかけた。

 

「怪我はないな」

 

「ああ、問題ない。この血も、全部こいつのだ」

 

 ロードが持っていた━━おそらく殺した冒険者から奪った━━斧を肩に担ぎ、彼はため息を吐いた。

 

「……神官や魔術師の気持ちが何となくわかった気がするよ」

 

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは小さく首を傾げ、女神官が乾いた笑みを浮かべた。

 そして表情を引き締めると、錫杖を両手で握って膝をついた。

 きっと祈っているのだろう。ゴブリンだろうが冒険者だろうが、死に行く者はみんな悼むべき死者だ。

 ローグハンターは二つの月を眺め、そして再び息を吐いた。

 

「……帰るか」

 

「ああ。終わったか」

 

「はい、大丈夫です」

 

 ゴブリンスレイヤーの確認に、女神官は頷くと立ち上がる。

 三人は並んで森を進み、皆が待つ牧場へ、そしてその先のギルドを目指す。

 勇者と魔神王の戦いのように、世界の命運を分けるものでもない、世界からしてみればちっぽけな戦いだ。

 だが、この戦いに参加した冒険者たち、誰一人としてそんな事は思わないだろう。

 彼らはちっぽけな牧場を、愛する街を救ったのだ。

 それで良いではないか。世界を救うのは勇者の仕事。目の前の人たちを救うのが彼らの仕事なのだから━━━。

 

 

 

 

 




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Memory13 宴

「私たちの勝利と、牧場と、街と、冒険者と━━……」

 

 妖精弓手は戦いを終え、ギルドへと戻ってきた冒険者たちを見渡し、最後にゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「いっつもいっつもゴブリンゴブリン言ってる、あの変なのにかんぱーい!」

 

 彼女の音頭に冒険者たちが応え、次々と手にした杯を掲げる。

 これで何度目の乾杯か数えていないが、そんな細かいことを気にしていては冒険者は務まらない。

 冒険者たちは返り血も乾かさないままギルドに集い、戦勝を祝って勝どきをあげた。

 そんな彼らを眺めるローグハンターは、いつもの衣装ではなく、平服だった。

 流石に脳みそや頭蓋骨の欠片がへばりついた服を着て、豪華な食事が出される宴に参加は出来ないだろう。

 それでも手首にアサシンブレードが填められている辺り、油断をしている訳ではない。

 だが問題はそこではない。彼の隣に座る銀髪武闘家だ。

 

「あ、そっちの頂戴」

 

「ん。ああ、これか」

 

「それそれ」

 

 先の負傷が響いてか、両腕に包帯を巻かれ、がっちり固定されてしまっているのだ。

 お陰で食べたいものが食べられず、飲みたいものも飲めない。

 そこで彼女はローグハンターに我儘を言い、彼を良いように使うようにした。

 ちなみに女魔術師は「お邪魔をしては悪いので」と言い残し、かつての一党の二人の元で談笑していた。

 銀髪武闘家は彼女の姿を眺めて優しく笑い、横に腰かけて食事を口に運ぶ相棒に声をかけた。

 

「良かったね、あんなに笑ってるよ?」

 

「そうだな。あの顔が素なんじゃないか?」

 

「そうなの?無愛想な顔しか覚えがないんだけど」

 

 彼女はわざとらしく笑って言うと、彼が食べていた霜降り肉に目を向けた。

 

「あ、一口頂戴」

 

「ん、ほら、口開けろ」

 

 彼は一口大に切られた肉をフォークで突き刺し、それを彼女の口の前に持っていく。

 彼女は大口を開き、一口でそれを頬張った。

 

「むふぅ、蕩ける~」

 

「蕩けているのはおまえの顔だ。流石にだらしないぞ」

 

「良いじゃん別にさ~。久しぶりにスイッチ入れたから疲れたんだよ~」

 

 だらしなくテーブルに突っ伏し、彼女はそう漏らす。

 彼は苦笑混じりにため息を吐き、自分の料理に手を出し、彼の稼いだ報酬を確認した。

 森に潜んでいた狼に乗ったゴブリンども━━冒険者たちにはライダーと呼ばれている━━を彼一人で潰し、その数は数えて二五匹。

 それに加えてロードの報酬である金貨一枚。

 つまり、彼はあの戦いで、誰にも知られることなく二六枚もの金貨を稼いで見せたのだ。

 さて、この金貨で何をしようか。武器は大丈夫だ、使っていない。ならば防具か。いや、あまり意味はない。

 彼は顎に手をやり、思慮を深める。

 

「銀髪の、火酒じゃ。この前は飲ませ損ねたが、ほれ」

 

「あ、いいの?飲んじゃうよ?」

 

 だからこそ、横でそんなやり取りをしていることに気づかなかった。

 銀髪武闘家が「ふへ~」と息を吐いたことを合図に、彼はビクリと反応し、その顔を青くしてゆっくりと振り向いた。

 その瞬間、その唇を目の前の人物の唇で塞がれた。相手は言うまでもなく、銀髪武闘家だ。

 鉱人道士は何かを言われる前に退散し、杯片手にくるくる回っていた妖精弓手が、ギルドの端でがっつりキスをしている二人を発見する。

 

「なあ!?あ、あんたたち、こんな所で何をやってるのよ!?」

 

 彼女は狼狽え、怒鳴りながら二人を指差した。

 それを合図に冒険者たちの視線が二人に集まり、そして騒いでいた彼らを黙らせる。

 二人の事情を知らない一部の女冒険者や女性職員たちが悲鳴をあげたが、一番の大ダメージを負ったのは女騎士だ。

 彼女も真似しようかと酒に手をかけるが、本気の表情の重戦士に止められた。

 銀髪武闘家はそっと顔を離して、無邪気に笑い、すぐさま妖艶な表情を浮かべる。

 

「あはは……。キミって、可愛い顔、してるよね~」

 

「……誰だ、こいつに酒を飲ませたのは」

 

 そんな彼女とは対照的に、ローグハンターはその異名に恥じない気迫を放ち、冒険者たちを睨み返す。

 睨まれた彼らは顔を青くしながら目をそらし、決して目を合わせようとはしない。

 そんな彼の口元の傷を彼女は舐めまわし、そして首を傾げた。

 

「あれ、治らないな~。唾つければ治るって聞いたんだけどな~」

 

「本当に誰だ、誰が飲ませた!?」

 

 ローグハンターの声に焦りが混じり、気迫がだいぶ弱くなりながらも冒険者たちを睨み付けた。

 彼らは一斉に鉱人道士に目を向け、視線を向けられた彼は気まずそうに目をそらす。

 

「おまえか!飲ませるなと言ったろ!」

 

「そうじゃが、今日は無礼講じゃろう?飲ませたっていいじゃろうが」

 

「そうだよねぇ?ぶれっこーだもんね~」

 

 もはや舌が回らなくなり始めているが、彼女に抱き着かれるローグハンターはそれどころではない。

 

「くそ!受付嬢、解毒薬(アンチドーテ)はあるか!」

 

「売り切れです」

 

 頼れる受付嬢に目を向けたが、笑顔の彼女にバッサリと切り捨てられた。彼女の隣には解毒薬をあおる槍使いの姿。あれが最後の一つだったのか。

 彼は視界を巡らせて、藁にもすがる気持ちで相棒に目を向けた。

 

「ゴブリンスレイヤー!おまえは━━」

 

「品切れだ」

 

「嘘つけ!おまえ予備も含めて持って━━」

 

「むぅ。無視するな~、妬いちゃうぞ~」

 

「後で構ってやるから、離れろ……!」

 

 絡み付く銀髪武闘家を剥がしながら苦し紛れに言うと、彼女は計画通りと言わんばかりにニヤリと笑った。

 

「後っていつ?あ、わかった、ベッドの上?」

 

「……鉱人(ドワーフ)!」

 

 顔を赤くして彼女の声をかき消そうと叫んだが、時既に遅し。

 冒険者たちは冷めた目で彼を睨み、小さな声で「爆発しろ!」だの「見せつけやがって!」だのと囁き始めた。

 彼が呼んだのは鉱人道士だけなのだが、彼の呼び方は基本種族名なので、他の鉱人たちも反応する。

 だが彼らは構うことなく、出された酒を次から次へと飲み干していった。

 鉱人道士は髭をしごき、火酒をあおって豪快に笑った。

 

「頭巾のの弱点は銀髪のか!これは良いことを知ったわい!」

 

「だ、誰のせいで……!」

 

「こ~ら~、無視するなぁ~。またキスするよ~」

 

 銀髪武闘家に捕まり、顔や髪の毛をもみくしゃにされるローグハンター。

 彼は頭をかきむしり、彼女を引き剥がすと席から転がるように離脱した。

 

「ああ、クソ!おまえら覚えてろよ!」

 

 そう言い残し、彼はギルドから退散した。

 

「もう、照れ屋さんなんだから~」

 

 彼女はご機嫌そうに笑い、彼が残していった食事をつつき始めた。

 両手の包帯を邪魔そうにしながら、どうにかフォークを持って食事を進める。

 この後何だかんだでゴブリンスレイヤーが兜を外すという大事件が起きたのだが、この場にいないローグハンターと酔っぱらっていた銀髪武闘家は、彼の素顔を見ることはなかった。

 

 

 

 

 

「ふへ~、お星さまが回ってるよ~」

 

「もう、しっかりしてよ!」

 

 ギルドから眠る狐亭までの道。酔ったまま夜空を見上げる銀髪武闘家を必死に支える女魔術師は、彼女の評価を再び改めた。

 彼女は戦闘中は間違いなく銀等級だ。それは間違いない。だが、日常生活ではずぼらな女性であることも間違いない。

 敬語で接しようとした矢先にこの醜態を晒されてしまうと、尊敬する気も失せるというもの。

 彼女は大きくため息を吐いて、そっと後ろに振り返った。

 先ほどから、何者かがつけてきている。そんなような気がするのだ。

 泥酔した女性をつけるなど、きっと録な奴ではない。彼女は警戒しつつも、眠る狐亭を目指す。

 

「♪~」

 

「……?」

 

 そんな時に、後ろから口笛が聞こえた。正確には路地裏からだ。

 誰かが誘っているのか、挑発しているのか。

 見に行こうかとも思ったが、すぐに辞めた。今は銀髪武闘家の介抱が優先だ。

 

「♪~」

 

 しばらく歩き、また口笛が聞こえた。だがこれも無視。

 

「♪~」

 

 また口笛。流石の彼女も額に青筋を浮かべ、その音の主を怒鳴ってやろうと考えたが、それはすぐに辞めた。

 

「遅かったな」

 

 いつの間にか、頭目である彼が正面に立っていたのだ。

 彼は気まずそうに頬をかき、女魔術師に謝った。

 

「すまない、面倒を押し付けたな」

 

「そうですよ、まったく……」

 

 彼女は緊張が解れたのか、安心したように息を吐いた。

 銀髪武闘家も遅れて彼に気付き、上機嫌そうに腕をブンブン振り回す。

 その腕を怪我しているというのに、何をやっているのやら。

 彼はため息を吐き、二人に歩み寄る。

 

「傷が開くぞ、まったく」

 

「ふへへ、おんぶして~」

 

 彼女の我儘に再びため息を吐き、背中を向けてしゃがみこんだ。

 彼が何かを言う前に彼女はその背に身を任せ、寝息を立て始める。

 女魔術師はそんな彼女に若干引きながら、先に進んだ彼を追いかける。

 月を眺めながら歩く彼らの表情は、心なしか晴れやかなものだ。

 彼らはゴブリンを倒し、街の平穏を守り抜いた。いつも通り、それだけだ。

 ただそれだけだというのに、ここまで嬉しいことがあるだろうか。

 だが、平穏というのは総じて長続きはしないもの。また、ゴブリンやならず者(ローグ)どもが騒がしくなるだろう。

 彼は横目で女魔術師に目を向け、小さく笑んだ。

 

「明日から、またよろしく頼む」

 

「はい、任せてください」

 

「ふへへ、がんばろ~!」

 

 酔いながらも銀髪武闘家が笑って返し、二人は少し驚きながらも笑った。

 毎日のように戦いに身を投じているのだ、一時の平穏を謳歌するぐらいなら、神様も多目に見てくれるだろう。

 彼はタカの目を通して、その二つの月を睨み付けた。

 暗くなった視界では、その二つは光源としか処理されない。

 タカの目をもってしても、その先にいる神々の姿は、いまだ見えない━━━。

 

 

 

 

 

 翌日、路地裏で気絶していた暴漢数名がお縄となった。

 そして、彼らは口を揃えて言ったのだ。

 

『口笛を吹く悪魔に会った』

 

 その日から、辺境の街の治安が僅かに良くなったのは気のせいではないだろう。

 

 

 

 

 




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Sequence03 水の街のか弱き乙女
Memory01 水の街へ


 いつも通りのギルドと、いつも通りの騒がしい風景。

 ローグハンターは相も変わらずギルド端の席に座り、それを眺めていた。

 

「………」

 

 ━━という訳でもなく、なにやら書類を凝視していた。

 その表情は険しく、話しかけるなという雰囲気を醸し出す。

 

「ねぇ、何かあったの?」

 

 だが銀髪武闘家には関係のないこと。

 相棒である彼が険しい顔をしている時は、大概は依頼に関することだ。

 昔は金の工面を考える時も険しい顔をしていたが、今ではそちら方面の問題は落ち着いている。

 横の女魔術師がため息を吐くが、彼は二人を無視してその書類を一言一句見逃さずに読みきり、最後に依頼人の名前と天秤と剣を組み合わせた意匠の判子が押されていることを確認した。

 流石に疲れたのか天井を仰ぎながら大きく息を吐き、姿勢を正して一党の二人に問いかける。

 

「依頼だ。だが、少し遠出になる」

 

「遠出、ですか?」

 

「お、珍しいね。場所は?」

 

「み━━」

 

「あ、いたいた!」

 

 彼が説明を始めようとして、いつの間にか正面の席に座っていた妖精弓手に声をかけられる。

 彼は彼女に一瞥くれて、依頼に目を戻すと再び説明を始めようとする。

 

「いら━━」

 

「ちょっと!無視しないでくれる!」

 

「………」

 

 それにも待ったをかけられた彼は、割りと大きめのため息を吐いて彼女に告げた。

 

「これから仕事だ、邪魔するな」

 

「仕事って、急ぎ?」

 

「急ぎではない仕事はないだろう」

 

 彼はそう言うと、もはや依頼書を見ずに一党の二人に告げた。事の重大さを教えるという意味で、妖精弓手にも聞こえるようにだ。

 

「先日、水の街で殺人事件が起こり、それから犯罪が急増しているそうだ」

 

「水の街。そこは確か、至高神の神殿のお膝元ですよね」

 

 女魔術師の確認に彼は頷き、さらに続ける。

 

「犯人は一向に見つからず、街の守衛たちもお手上げ状態。そこで噂に聞く辺境の街の冒険者、『ならず者を殺す者(ローグハンター)』とその一党に助力を願いたい。と書かれている」

 

「お~、珍しいね。ちゃんと私たちも含まれてるよ?」

 

「そうね。一党単位とはいえ、直々の指名だなんて光栄だわ」

 

 彼一人だけの名指しではなく、一党として呼ばれたことに喜ぶ二人。

 ローグハンターは依頼書を丁寧に畳み、懐に入れた。

 そして妖精弓手に目を向けた。

 

「━━わかったか。人命優先だ」

 

「そう言われると、何も返せないじゃない……」

 

 妖精弓手は気まずく目をそらし、長耳を垂らした。

 犬の尻尾のように、彼女の耳はその時の気分を教えてくれる。

 彼は「さて」と呟き、彼らにとって重要なことを口にした。

 

「元より受けないつもりもないが、報酬は相場より割高だ」

 

「おお、いっぱい食べられるね!」

 

「どうして、すぐに、あなたは……」

 

 報酬の話をしてすぐに食事を考える銀髪武闘家と額に手をやる女魔術師。

 だが、前までのように怒っているような表情ではない。彼女のもう一つの顔を知ったからこそ、若干とはいえ態度が軟化したのだろう。

 ローグハンターはそれを良い兆しと判断し、そして正面の妖精弓手に目を向ける。

 

「そういうわけだ。俺たちは準備が終わり次第出る」

 

「わかったわ、冒険は次の機会にしてあげる……」

 

 彼女は立ち上がると、先程に比べてだいぶ気力の無い足取りで離れて行った。

 銀髪武闘家はハッとして、ローグハンターに訊く。

 

「水の街までどのくらいかな?」

 

「俺も余りこの街から出ることはないからな。おまえはわかるか」

 

 彼に問いかけられた女魔術師は、腰に下げるバッグから大きめの地図を取り出した。

 彼女は辺境の街を指差し、水の街までの道のりをその細指でなぞり、頷いた。

 

「遅くても二日ほどですかね。馬車を使うのなら、もう少し早く着くかもしれないです」

 

 女魔術師がそう口にして、横のローグハンターが顎に手をやる。

 

「なら、途中で食べる軽食を買っておくか。軽い物だからな、わかったか」

 

 彼はそう言うと銀髪武闘家を睨む。

 彼女はわざとらしく笑い、サムズアップをして見せた。

 

「わ、わかってるよ~。大丈夫だって!」

 

「「………」」

 

 二人は疑うような眼差しを向け、銀髪武闘家は縮こまる。食事に関しての信頼が低い。その事実を改めて突きつけられたのだ。

 

 

 

 

 

 水の街。

 鬱蒼と茂った森の中、多くの支流を従える湖の中洲にそびえ立つ、白亜の城塞。

 神代の砦の上に築かれたというこの街は交通かつ交易の要所として、多くの荷物を抱えた旅人や行商人が集う。

 船が行き交い、様々な種族が入り乱れ、活気に溢れ、僅かに混沌の様相を醸し出していた。

 馬車に揺られながらその街に入ったローグハンターたちは、(ほろ)の隙間からその街並みを眺めつつ息を吐いた。

 辺境の街でここまでの賑わいは、祭りの時期でもなければそう簡単には起こらないだろう。

 それが、この水の街の日常風景なのだから、驚いてしまう。

 馬車が停留所に止められたことを確認し、ローグハンターはフードを被ると、先に降りた二人に続いて水の街に足をつけた。

 

「くあ~、体固まっちゃったよ」

 

「馬車も考えものね……」

 

 女性陣二人が強張った体を伸ばす中、ローグハンターはフード越しに天高く昇った太陽を見上げる。

 真昼時というのはまさにこの時間帯。周囲の出店も稼ぎ時だと騒ぎ始めている。

 銀髪武闘家が匂いに誘われるまま涎を垂らして出店に足を向けるが、ローグハンターに首もとを掴まれて前には進めない。

 

「依頼人に会うのが先だ。その後に街を見て回るつもりだから、何か買うなら後にしろ」

 

「うぅ、わかった……」

 

 銀髪武闘家は渋々と言った様子で頷き、ローグハンターはその手を離す。

 そして周囲を見渡して、女魔術師に目を向けた。

 彼女が都から辺境に来たという以上、この街を中継していると判断してだ。

 

「法の神殿は、どっちだ……」

 

「こっちだったと思います」

 

 彼女は記憶を絞りだし、二人の先導を開始する。

 人混みではぐれないようにお互いを意識しつつ、彼らは歩き始めた。

 道を行き交う馬車、縦横無尽に走る運河、店先に出された露店、それらを眺めながら彼らは進む。

 

「こんな平和な街なのに殺人事件、ね~」

 

「ここがどこかわかってやっているのなら、相手は正気ではありませんね」

 

「……だろうな、正気じゃない」

 

 ローグハンターはすれ違う人たちを流し見つつ、そう呟いた。

 街行く人は辺境と中央の流行を見事に織り混ぜ、洒落ている。

 だが、彼からしてみれば服装など知ったことではない。

 彼らの間から『囁き声』が僅かにでも聞こえれば、すぐにでも調査を始めるつもりだ。

 依頼でもなければもう少しのんびりと歩いていたことだろう。だが彼らは冒険者。依頼を受けてこの街にいる。

 すれ違う人々、特に男性は銀髪武闘家や魔術師とすれ違う度に思わず振り返るほどだが、その隣を歩く謎のフード男の放つ気迫に押されて声をかける者はいない。

 

「あ、見えましたよ」

 

 女魔術師が川沿いの建物を指差した。

 白亜の大理石を、何本もの円柱として築き上げた見事な(やしろ)

 初見である銀等級二人でも、とりあえずあれは神殿だと断言するほどの建物だ。

 依頼書の印と同じ天秤と剣を組み合わせた意匠の紋様が、あの神殿が目的地であることを教えてくれる。

 その神殿こそ、この世界における法と正義、光と秩序の象徴だ。

 

「ほぇ~、すごいね……」

 

「ああ」

 

 近づけば近づくほどその凄さを痛感し、二人はその入口で立ち止まって建物を見上げた。

 だが、いつまでも立ち止まっていては迷惑だろうと神殿の入口を潜る。

 待合室と思われる広い部屋には、多くの人の姿が見える。

 ここに務める神官をはじめ、「法」の象徴でもあるのだから、裁判を受けに来る者もいるのだろう。

 

「ところでさ、依頼人って誰だったの?」

 

「ん、ああ、言っていなかったか」

 

 彼は丁寧に折り畳まれた依頼書を取りだし、その依頼人にあたる人物を告げた。

 

「法の神殿の大司教(アークビショップ)だ」

 

「「……え?」」

 

「普通に入ってくれて構わんそうだから、行くか。待たせても悪いだろう」

 

 彼はそう言うと職員に声をかけに向かい、ぽつんと二人は取り残された。

 彼は何と言った。大司教?もしかしなくても、あの大司教なのか?

 二人は驚愕したまま目を合わせて瞬きを繰り返し、頭目が戻ってくるのを待つ。

 彼は親切に教えてくれた職員に一礼すると、二人の元に戻る。

 

「わかったぞ。奥の礼拝堂だそうだ」

 

「ねえ、キミって、バカ?」

 

「……いきなり失礼な奴だな。何か変なこと言ったのか?」

 

「失礼を承知で言いますが、バカ?」

 

「なんだ二人して。依頼人の確認を怠ったのは謝るが……」

 

 彼はいきなり二人に罵倒されても怒る様子もなく、むしろ申し訳なさそうに言った。

 仕事に出るのに伝達ミスをするという初歩的なミスをしたのだ。罵倒されて当然だろう。

 彼はそう思っている。だが、二人が罵倒した理由はそこではあるが、そこではない。

 銀髪武闘家が信じられないと言った様子で彼に問う。

 

「ねえ、『剣の乙女』は知ってるよね?」

 

「確か、十年前に魔神王を倒した金等級冒険者だろう?」

 

「そこまで知ってて、どうして……」

 

 ━━信じられない。

 

 彼女はそう付け加えてふらつきながら近くの座席に腰かけた。

 首を傾げるローグハンターに、女魔術師は嘆息して言った。

 

「その剣の乙女が、私たちに依頼を出した人なのですよ」

 

「そのくらいわかる。バカにするな」

 

「……もう、良いです」

 

 女魔術師も力尽き、銀髪武闘家の隣に腰かけた。

 二人は顔を寄せあい、小声で話す。

 

「彼って、すごいね。物怖じしてないよ」

 

「すごいです。今から緊張してきましたよ……」

 

「人を待たせたくないんだが、そろそろ良いか」

 

 そんな二人に構うことなく彼はそう告げた。

 そう、どんな相手であれ依頼人は依頼人。呼ばれているのなら、直接会うしかない。

 二人は大きく深呼吸をして席を立つ。

 今から彼らが会う人物は、文字通りの『英雄』だ。

 十年前に復活した魔神王を討伐した六人の一党の一人。

 六なる黄金、一なる聖女。至高神に愛されし乙女。

 四方世界に生きるのならば、その者を知らぬ者はいないだろう。

 

 

 

 

 

 待合室を抜け、長い廊下を進んだ更に奥。

 彼女がいるという礼拝堂は、法の神殿の最奥にあった。

 祭壇の前にひざまずき、長柄の杖にすがるようにして祈りを捧げる一人の女性。

 彼女の長い金色の髪は、窓から漏れる太陽に照らされて優しく煌めいていた。

 三人はその礼拝堂に入る前に足をとめ、身だしなみを整える。

 ローグハンターはフードを取り払い、銀髪武闘家は涎の痕を必死に拭い、女魔術師はローブのシワを伸ばす。

 そして三人は目配せすると、彼を先頭にその聖域と呼んでふさわしいその場所に足を踏み入れた。

 

「━━━?」

 

 彼らの存在に気づいてか、彼女は祈りを止めて顔をあげた。

 金色の髪を揺らしながら振り向いた彼女は、まさに絶世の美女と呼んで差し支えない。

 至高神を絵に描き表せと言われれば、まず間違いなく彼女のように描くだろう。

 だが、一つ不満をあげるとすれば、彼女の目元が黒い布で覆い隠されていることだ。

 だが、その目が隠されているおかげで他の部位の美しさがより際立っていることもまた事実。

 美しさとは、まこと難しいものである。

 だが、ローグハンターは彼女の姿に見惚れる様子もなく、彼女の正面に堂々と立つと、目の前の『依頼人』に対して言う。

 

「邪魔をして申し訳ない。あなたが依頼人で間違いないか」

 

「ええ、その通り。わたくしが此度の依頼人ですわ」

 

 優しい笑みを浮かべながら剣の乙女はそう返し、彼の後ろの二人に目を向けた。

 眼帯に隠されている筈なのに、柔らかな視線が二人の頬を撫でたのだ。

 その瞬間、二人はハッとして一礼し、慌てながら挨拶をする。

 

「は、初めまして!彼の一党の武闘家です!」

 

「お、同じく彼の一党である魔術師です。お、お会いできて光栄です……!」

 

 緊張しているのか、僅かに声が上擦っている。

 剣の乙女はそれを気にする様子もなく、優しく笑った。

 

「可憐な武闘家様に、可愛らしい魔術師様。そしてあなたが━━」

 

「俺はローグハンター。『ならず者を殺す者』。そう呼ばれている」

 

 多くの人々から、そして至高神からも愛される偉大なる『英雄』と、裏切りの血をその身に流す『暗殺者』。

 これが、後に長い付き合いとなる彼と彼女が、初めて出会った瞬間だった。

 

 

 

 

 




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Memory02 街の闇を駆ける(シャドーラン)

 ローグハンター一行は、剣の乙女に言われるがまま礼拝堂に腰を降ろし、彼らの前に彼女自身もゆっくりと腰を降ろした。

 剣の乙女は彼ら三人を見渡し、そして沈鬱な表情で話を切り出す。

 

「半月ほど前の事ですわ。夜分遅くに、神殿から使いに出した待祭の娘が、殺されました」

 

「……神殿の待祭。狙われていたのか?」

 

 彼が問いかけるが、剣の乙女は困ったように首を振り、「それはわかりません」と呟いた。

 

「ですが、生きたまま切り刻まれたようだ、と。見つけた者は、申しておりました」

 

 彼女の言葉には淀みはないが、ローグハンターの耳には僅かな怯えが含まれているように聞こえた。

 だが、追及は後だ。話を聞かなくては。

 

「……本当に、酷い事件でした。光と秩序は、それが世に生まれた時より、負け続けている……とは、申しますが」

 

「━━この世に悪の栄えたことはなくとも、潰えたことはない、か」

 

 ローグハンターはぼんやりとそう告げた。

 いくら法の神殿のお膝元とはいえ、ここはまだ辺境に属する場所だ。

 中央に比べれば、まだ悪と呼べる者が付け入る隙も多いだろう。現に事件は起きてしまっている。

 剣の乙女は彼の言葉に頷き、両手を組んで短く神へと祈りを捧げた。

 その祈りを終えると、剣の乙女は再び口を開く。

 

「その事件を皮切りに、犯罪が増えていきました。ささやかな窃盗、通り魔めいた傷害。婦女子への暴行や、子供の誘拐なども……」

 

「……酷い、ですね」

 

 銀髪武闘家は悲痛な表情で呟き、女魔術師も小さく頷いた。

 たった一人、ローグハンターだけが顎に手をやって思慮している様子だった。

 剣の乙女は彼の姿を一度見ると、更に言う。

 

「守衛に夜間の巡回をやらせておりますが、その犯人はいまだ見つからず、被害は大きくなるばかり」

 

「そこで、その手のものに慣れている俺たちに依頼を出したと?」

 

 彼の確認に剣の乙女は頷き、苦笑混じりに言った。

 

「わたくしも役職柄、よく貴族の皆様とお話しますので」

 

「「「ああ……」」」

 

 彼女の言葉に三人は間の抜けた声を漏らす。

 貴族たちの間に巡る噂が、まさか巡りめぐって彼女に至るとは、中々面白いものである。

 ローグハンターは咳払いをして気を引き締めると、剣の乙女に問う。

 

「この街の地図と何か目印になるものはあるか」

 

「すぐに持ってこさせます」

 

 剣の乙女はそう言うと、礼拝堂の脇に控えていた神官に目を向けて一度頷いた。

 その合図を受けて、その神官は音もなく礼拝堂を去っていく。

 武僧の類い、それもかなりの手練れだろう。

 彼は顎に手をやりながらそれを確認し、意識を戻して話を切り出した。

 

「相手を生きたまま切り刻むというのは、何となく儀式じみている。邪教徒か、黒魔術師か……」

 

「誘拐ならともかく、窃盗とかも起きてるんでしょ?邪教徒が、そんな盗みなんかやる?」

 

 銀髪武闘家の問いかけに、彼はその表情をしかめた。

 

「そこがわからん。夜の闇に紛れて盗みを働くのは、どちらかと言うとゴブリンのしそうなことだ」

 

「だよねぇ」

 

「相手が貴族で、遺跡から発掘した物を盗むならともかく、ささやかな窃盗ですからね……」

 

 彼らは何となしにそう言ったが、その会話で僅かに剣の乙女の表情が曇った。

 何かに怯えているのか、袖をぎゅっと掴んでいる。

 それに気づいたのはローグハンターだけだが、彼は何かを言うことはない。

 その犯人を見つけ出すのが自分たちの仕事なのだ。勝手な考えで犯人像を固定してしまえば、肝心な物を見逃すことになるだろう。

 

「お待たせしました」

 

 先程の神官が戻ってくると、街の地図とボードゲームの駒と思われる何かを複数個差し出した。

 剣の乙女はそれらを受け取り地図を床に広げ、駒をその脇に置く。

 ローグハンターたちは地図を覗きこみ、彼女に言う。

 

「どこで事件が起きたのか、わかる範囲で良い、教えてくれ」

 

「わかりました」

 

 剣の乙女は地図を指でなぞり、見えていない筈なのに何の迷いもなく駒を置いていく。

 インクと紙の質感の違いで、彼女は地図を読んでいるのだろう。

 一つ一つの事件の詳細を話し、駒を置き、また次の駒をと繰り返していく。

 一通り駒を置き終えた彼女は一息吐き、そして神殿の場所を指差した。

 

「わたくしたちがいるのは、ここです」

 

「街を一望出来る位置なんだな」

 

 ローグハンターはその事を確認し、剣の乙女は一度頷いた。

 

「はい。それが、どうかしまして?」

 

「……この神殿の一番高い場所はどこだ」

 

「?……裏の物見櫓でしょうか。そこからなら、遮蔽物もなく街を一望出来ますわ」

 

「そうか、登っても?」

 

「構いません。余り人は行きませんが、開放されているはずです」

 

 ローグハンターはその事を確認し、そして満足そうに頷いた。

 彼が何を考えているのかはわからないが、その彼は再び表情を引き締め、無言で地図を撫でると目を閉じた。

 相手は邪教徒か黒魔術師、もしくはゴブリン。

 襲われたのは一人で夜の街を歩いていた女性。

 盗みに入られたのは、ちょうど家の持ち主たちが外に出ていた時間帯。

 様々な要因を考え、切り捨て、組み込んでいく。

 そして最終的にたどり着いた答えは、何だかんだでとてもシンプルなものだ。

 彼は女魔術師に目を向けて小さく首を傾げた。

 

「魔術師、いいか」

 

「なんですか?」

 

 問われた彼は苦笑して、余った駒を手元で弄っていた銀髪武闘家に目を向け、女魔術師に訊いた。

 

「俺とこいつを、信じてくれるか」

 

「もちろんです。一党に入れてもらった時から、信じています」

 

 彼女の淀みのない答えに彼は満足そうに笑い、剣の乙女と神官に目を向けた。

 

「一着、神官服か何か余っていないか」

 

「余り、ですか?倉庫を探せば何着か見つかると思いますが……」

 

「なら良い。街の人たちに外出を控えるように言ってあるか?」

 

「神殿前の先触れに話させてはいますが、中々うまくは……」

 

「……不確定要素もあるのか。ならば━━」

 

 彼は銀髪武闘家が弄っていた駒を奪い、それを街の一角に置いた。

 

「━━この区画で仕掛ける。守衛はこの地区に近づかせず、他の地区の見回りを強化してくれ」

 

 街のとある区画を指し示した彼は、疑問符を浮かべる剣の乙女に目を向け、不敵に笑んだ。

 

「相手が見つからないのなら、相手から来てもらうだけだ」

 

「━━私は囮役、ですか」

 

 彼の作戦を察した女魔術師が言うと、彼は再び確認を取った。

 

「無理にやれとは言わん。駄目ならこいつか、また他の作戦を練るさ」

 

 その目には本気で心配している様子が現れており、彼も今も何か策を練っていることは確実だ。

 だが、彼女は頷いた。

 

「大丈夫です。お二人の強さは、私もよく知っていますから」

 

 そのセリフに銀髪武闘家は歓喜にうち震え、がっしりと女魔術師の肩を掴んで真っ直ぐ彼女の瞳を覗いた。

 

「任せといて、絶対守ってあげるから!」

 

「護衛は得意だ、安心してくれ」

 

 二人はそれぞれ言うと、女魔術師は笑う。

 

「では、私の命、お預けします」

 

 二人はその言葉にしっかりと頷き、ローグハンターが再び思慮を深める。

 

「そうと決まれば問題は衣装だな。在庫があるのなら、神官でいくか。それともこちらで用意して街娘でいくか……」

 

「神官服の在庫の確認行っとく?サイズが合わなきゃ動きずらいだろうしさ」

 

「そうね。大司教様、よろしいでしょうか」

 

「ええ、構いません。案内と、仕立てをお願いできる?」

 

 先程の神官は頷くと、ローグハンターが顎に手をやりながら言う。

 

「……なら俺は、物見櫓を登ってみる。仕立てが終わって時間があれば、視察ついでに街に出るぞ。夕暮れ時になったら本格的に準備をしたいから、どこか空き部屋はあるか。この際懺悔室でも良いんだが」

 

 彼の冗談混じりの言葉に、剣の乙女は苦笑しつつ言う。

 

「空いている部屋があるので、そこを使ってください。後程ご案内いたしますわ」

 

 剣の乙女がそう言うとローグハンターは頷き、二人に目を向けた。

 その意図を察した銀髪武闘家は頷いて、女魔術師と神官に声をかける。

 

「それじゃ、倉庫を見に行こ。私も神官服着てみようかな?」

 

「余り蔑ろにしない方がいいわよ?あの()に怒られるわ」

 

「それもそうだね。キミ、また後でね」

 

 彼女がそう言うと、神官に連れられて二人は礼拝堂を後にした。

 残されたのはローグハンターと剣の乙女のみ。

 彼は再び地図を眺めると「よし……」と呟いて立ち上がった。

 

「物見櫓は、一旦外に出てからか?」

 

「いえ、そこを曲がっていただければすぐですわ」

 

「わかった。では、また後ほど……」

 

 彼はそう言うと礼拝堂を後にしようとするが、途中では立ち止まり、振り返ることなく言う。

 

「……あんた、夜は眠れているか」

 

「……大丈夫ですわ」

 

「なら良いんだが……」

 

 それ以上詮索することはせず、彼は物見櫓を目指して歩き出す。

 

「………」

 

 一人残された剣の乙女は自分の胸に手を当て、激しくなった鼓動を静めようと努める。

『ゴブリン』。それは彼女にとって、決して忘れられない魔物の名前だ。

 

 

 

 

 

 法の神殿裏、物見櫓の屋根の上。

 そこに立つローグハンターは街の地形を瞬時に叩き込み、自分が示した区間に目を向けた。

 橋が複数と入り組んだ路地。敵が出てくるとすれば、どこからか。

 そこまで考え、諦めたように息を吐く。

 ここから見ていても仕方ない。実際に近くに行ってみないことには、対策も考えにくいだろう。

 降りようと彼が下に目を向けると、狙ったかのような位置にそれはあった。

 物見櫓の脇で、山になっている干し草。

 なぜそこにあるのかは考えない。ただそこにあるのなら、使うだけだろう。

 彼は周囲に目を向け、誰も見ていないことを確認してから両腕を広げて身を投げる(イーグルダイブ)

 僅かな浮遊感の後に、重力に引かれて背中から干し草の山に落ちた。

 彼はすぐさま転がり出ると体についた干し草を払い、なに食わぬ顔でその場を後にした。

 

 

 

 

 

 陽が沈み、二つの月に照らされる水の街。

 縦横無尽に走る運河は二つの月に照らされ、何とも不気味な光を反射していた。

 そんな水の街を、たった一人で歩く少女がいた。

 法の神殿の修道服に身を包み、赤い髪を夜風に揺らしている。

 彼女━━女魔術師は小さく息を吐き、そっと上を見上げた。

 彼女の視線の先にはフードを目深く被ったローグハンターと、黒い外套に身を包み、スイッチを入れた銀髪武闘家がいた。

 二人は屋根の上に乗り、銀髪武闘家は彼女に目を向け、ローグハンターは周囲を警戒している。

 そして、ゴーサインが出た。

 彼女は小さく頷き、一人で歩き始める。

 路地裏の闇を警戒し、道に積まれた箱の影を警戒し、時には背後も警戒する。

 たった一人でこれをやっていたら、間違いなくおかしくなっていただろう。

 だが、彼女は一人ではない。視界の上端を、二つの影が疾走しているのだ。

 彼らは屋根から屋根へと跳び移り、時にはぶら下がったまま窓から窓へと移っていく。

 自分も彼らのように動けるようにならなければならないのだから、頑張らねば。

 その時、二つの月が雲に隠れ、辺り一面が急に暗くなっていく。

 同時にローグハンターが足を止め、手で『止まれ』と合図をした。

 銀髪武闘家も足を止め、屋根の上から女魔術師の周囲を警戒し、彼女に大丈夫だよと言うように手を振って見せた。

 ローグハンターは耳を澄ませ、そしてそれを聞いた。

 この五年で聞き慣れてしまった『下卑た笑い声』。つまり、彼女を狙っているのは━━。

 彼は銀髪武闘家に目で合図を送ると、屋根から屋根へと跳び移り、女魔術師の視界から消える。

 ただそれだけだというのに、急に強烈な不安にかられる中、彼女の横に伸びる路地の奥から何やら物音がした。

 小さい何かが、懸命に足音を消しながら近づいて来ているのだ。

 彼女はゆっくりとその路地に目を向け、それを見た。

 闇の中に浮かぶ、一対の鈍く輝く瞳。それには獲物を見つけた悦びが浮かび、確実に自分を狙っていることに気づいた。

 次の瞬間、その何かは上から襲いかかった何かに潰され、断末魔もなくその命を摘み取られた。

 その時、風に流された雲が月の前から退き、再び辺り一面を照らす。

 そして、彼女は確かに見た。

 押し倒されて白目を剥いたゴブリンと、そのゴブリンの眼窩に短剣を、その首にバスタードソードを突き立てたローグハンターの姿だ。

 彼はその二刀を引き抜き、腰に戻すと大きくため息を吐いた。

 

「━━明日になったら、あの大司教に話を聞くぞ」

 

 ならず者(ローグ)退治かと思ったら、まさかのゴブリン退治。

 だが、その裏に何かいるのも確かなことだ。

 銀髪武闘家は女魔術師の横に降り立ち、彼女の肩に手を置き、ベタベタと触り始める。

 

「魔術師ちゃん、怪我してない?」

 

「大丈夫です。ちょっと、疲れました……」

 

「おんぶしてあげるから、ちょっと休みなさい」

 

「……はい、少し、お言葉に甘えます」

 

 彼女がそう言うと、銀髪武闘家は彼女に背中を向けてしゃがみ、倒れこんだ体をしっかりと支える。

 

「面倒なことになりそうだな……」

 

 彼はそう漏らし、二人に目を向けた。

 余裕のありそうな銀髪武闘家と、疲労困憊の女魔術師。

 

 ━━動き出す前に休憩だ。あいつを万全にしてやらないと……。

 

 頭目として、一党内の体調管理は基本中の基本だ。それを怠れば、間違いなく全滅する。

 

 ━━だが、あの大司教、何か隠していないか?

 

 ふと、そんな事が脳裏によぎった。

 だが、それを確かめる手段はない。とりあえず、目の前の障害を排除してからだ。

 

「とりあえず、お前は魔術師を連れて神殿に戻れ。ついでに待機している守衛も呼んできてくれ」

 

「わかった。気を付けてね」

 

「そっちこそ、気を抜くなよ」

 

 彼らはそう口にして一旦別れる。

 事が動き出すのは、月が沈んでまた陽が昇った時だ。

 

 

 

 

 

 

 




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Memory03 地下遺跡

 街でゴブリンを殺害したローグハンターは、翌日の朝一番に再び礼拝堂を訪れていた。

 女魔術師はまだ睡眠中であり、彼女には銀髪武闘家がついてくれている。

 太陽を模したと思われる祭壇を前にして、彼はただ何かをすることなく、立っているだけだ。

 剣の乙女は礼拝堂に入ると、僅かに驚いた表情を浮かべ、すぐに笑みを浮かべた。

 

「━━あら、随分お早いのですね」

 

「ああ、仕事の話だ」

 

 彼はそう切り出し、単刀直入に問いかけた。

 

「……どこまで知っていた」

 

「どこまで、とは?」

 

 彼はその鷹を思わせる鋭い視線を剣の乙女に向け、僅かな怒りを滲ませる。

 ゴブリンに捕まった女性がどうなるか、頻繁に巣に飛び込む彼は知っている。

 下手をすれば━━するつもりはなかったが━━大切な仲間である女魔術師がそうなっていたのだ。怒りを滲ませるのも、当然だろう。

 

「最初の待祭の殺害は、まず間違いなく邪教徒辺りの仕業だ。倒された魔神王の腹心か、または狂信者か……」

 

 彼はそう推理し、それでもって断言する。

 

「だが、その後に続いた犯罪、その大半はゴブリンの仕業だ。改めて訊く、どこまで知っていた」

 

「………」

 

 彼女は答えない。答えられないのか、答えたくないのか。

 彼は大きくため息を吐き、そして彼女に問いかけた。

 

「━━依頼を確認するぞ。俺たちは街の殺人犯を見つけ、捕縛または殺害すれば良いんだな」

 

「……ええ、そうですわ」

 

「ならば、依頼は続行するぞ」

 

 彼がそう断言すると、剣の乙女は「え?」と僅かに声を漏らした。

 その反応に小さく首を傾げ、彼は言う。

 

「居場所のわからない邪教徒のほうはともかく、ゴブリンにはすぐにでも対処できる。この街は遺跡の上に建てられているのだろう?」

 

「はい……」

 

「ならば、準備が整い次第、そこに潜る」

 

「あの、よろしいでしょうか」

 

 一人で話を進め、今後の行程を勝手に決めていく彼に、剣の乙女は待ったをかけた。

 彼は一度口を閉じ、彼女の言葉を待つ。

 

「相手はゴブリンです。あなた方に出した依頼はあくまで━━」

 

「『街で殺人をした者の捜索、殺害』だ。わかっている」

 

「でしたら」

 

「だから、その犯人であるゴブリンを殺す」

 

 何故か止めようとする剣の乙女の言葉を二度に渡って遮り、そして告げた。

 

「━━相手がならず者(ローグ)だろうが、ゴブリンだろうが、知ったことか」

 

 彼の鷹の眼光が彼女の瞳を射抜く。

 心の奥底まで見通すようなその蒼い瞳を、彼女ははっきりと、その見えざる瞳で見たのだ。

 僅かに強張る彼女を他所に、ローグハンターはこう言った。

 

「闇に生きる者は殺す。それだけだ」

 

 彼はそう告げ、彼女の脇を通りすぎて礼拝堂の外を目指す。

 そして、ふと立ち止まり、背中越しに彼女に告げた。

 

「手が足りないだろうから、友人に助力を頼む手紙を出してくる。ついでにギルドで地図も拝借するさ」

 

「……かしこまりました。ですが、出発する前に、わたくしに声をかけてください」

 

「わかった。あと、ゴブリン狩りが終わったら全てを話せ」

 

「……はい」

 

 彼はその返事を聞いて小さく頷くと、一度も振り向くことなく礼拝堂を後にする。

 彼の背中に向けて伸ばされた、か弱き乙女の腕にも気づかずに━━━。

 

 

 

 

 

 水の街の冒険者ギルド。

 彼は一人でそこに赴き、辺境の街に向かう冒険者に手紙を託す━━こうしたお使いのような依頼もあるのだ━━と、そのままの流れで依頼掲示板(クエストボード)の依頼書を確認した。

 だが、彼の探していたその依頼がない。

 地下に大規模な遺跡が残されてきるというのに、そこに巣食っているであろう巨大鼠(ジャイアントラット)退治を初めとした依頼が一枚もないのだ。

 彼は顎に手をやり、認識票を見やすいように位置を調整し、人混みを掻き分けて受付に向かった。

 いつもと違う受付嬢が、張り付けた笑顔(営業スマイル)で彼を迎え入れた。

 

「ようこそ、冒険者ギルドへ」

 

「少しいいか」

 

「はい、何でしょうか」

 

 受付嬢は彼の下げる銀色の認識票に気づくと、その表情を僅かに強張らせた。

 彼女からすれば、見たこともない銀等級冒険者に声をかけられたのだ。多少身構えるのは仕方がないだろう。

 そんな事お構い無しに、ローグハンターは彼女に訊いた。

 

「これから地下の遺跡に潜るんだが、地図はあるか」

 

「?いいえ、ありません」

 

「……誰かが持ち出したのか?」

 

「いいえ、無いんです」

 

『何言ってんだこいつ』という視線が、目の前の受付嬢だけでなく、ギルド中から突き刺さる。

 遺跡があるのに地図がない。これは、一体どういう事なのか。

 

『━━出発する前に、わたくしに声をかけてください』

 

 ふと、剣の乙女に言われた事が脳裏によぎった。

 ギルドに地図がないことは、彼女は知っている筈だ。

 

 ━━まさか、地図は彼女が持っているのか……?

 

 彼はそこまで思慮して、そして受付嬢に礼を言うとギルドを後にした。

 彼の事を「田舎者」と揶揄する声がギルドで囁かれ始めたのは、それからしばらく経ってからだ。

 

 

 

 

 

 再び法の神殿の礼拝堂。

 ローグハンター一行と剣の乙女は向かい合う形で腰をおろし、地下遺跡の地図を睨んでいた。

 その地図を確認し、ローグハンターは小さく舌打ちをすると、剣の乙女に確認を取る。

 

「まさしく迷路だな。この地図は正確なのか」

 

「随分と古い地図ですので、場所によっては通路が塞がっている可能性もあります」

 

「……一度地図作成(マッピング)をしないと駄目か」

 

 彼の呟きに、女魔術師が手を挙げた。

 

「それは私がやります。得意ですから」

 

「頼む。問題は、ゴブリンがどこを巣にしているかだ」

 

「遺跡全体に散らばっているとして、問題はその中心だよね~。群れの頭目が何かも気になるし」

 

 銀髪武闘家がそう呟き、頭を捻った。

 ここまで大規模なら、田舎者(ホブ)ではないだろう。呪文使い(シャーマン)か、小鬼英雄(チャンピオン)か……。

 ローグハンターは頷き、その地図を指で撫でた。

 

「あいつに手紙を出したから、五日もすれば来る筈だ。それまでに、出来る限り正確な地図を描くぞ」

 

「当面の目的はそれだね。彼が来て『何もしてないよ』何て言ったら、流石に怒るだろうし」

 

「そうね。紙とインクが足りるといいんだけど……」

 

「補充でしたら、こちらで用意しますわ」

 

 彼らが話し合いを進める中、剣の乙女がそう言った。

 彼はその言葉に頷き、その古びた地図を指で撫でる。

 

「それじゃあ、潜るとするか。無理はしないで行くぞ」

 

「了解っと」

 

「わかりました」

 

 二人の返事を聞くと、ローグハンターは剣の乙女に訊いた。

 

「━━それで、どこから潜ればいいんだ」

 

「神殿の裏庭の井戸から降りるのがよろしいかと思いますわ」

 

 剣の乙女は地図をなぞりながら答え、三人はその場所を確認する。

 

「ですので、しばらくはこの神殿を宿としてお使いください」

 

 ローグハンターは頷くと地図を丁寧に折り畳み、女魔術師に手渡す。

 それを受け取った彼女はカバンに隙間を作ると、そこに地図を押し込んだ。

 それを確認したローグハンターが最初に立ち上がり、二人もその後に続いて立ち上がる。

 しばらく座っていたため強張った体をほぐすと、三人は礼拝堂を出ようと歩き出す。

 

「あの……」

 

「む」

 

 不意に剣の乙女に呼び止められ、彼らは振り返った。

 僅かに不安を帯びた表情。こちらを心配しているのか、それとも別のことを心配しているのか。

 

「まだ何かあるのか?」

 

 彼が確認すると剣の乙女は僅かに俯き、顔をあげるとそっと呟く。

 

「どうか、ご武運を……」

 

 彼女の言葉にローグハンターは苦笑すると、いつものそれを口にした。

 

「━━運は自分で掴むものだ、大司教」

 

 彼はただそう言い残し、一党の二人を連れて礼拝堂を後にする。

 剣の乙女は彼の言葉に僅かに驚き、そして小さく笑う。

 神々に祈りを捧げる場所で、そこまで豪気なことを言える人物は、そう多くはいないだろう。

 

 

 

 

 

「GOB!?」

 

「……五つ。そっちは」

 

「ヤッ!」

 

「GO━━!?」

 

「問題ありません」

 

 地下遺跡という名の下水道に潜った三人は、本日何度目かの戦闘を無事に終了させていた。

 ゴブリンたちの装備は割りと整っており、どの個体も、簡単なものではあるが鎧を身に纏っている。

 彼ら三人が探索を始めて三日ほど、少しずつ調査を進める中で、地図もだいぶ形になり始めていた。

 それも街の地下という範囲での話。それより外に伸びる迷宮に挑むのは、勇敢ではなく無謀だ。

 そこをしっかりとわかっている三人は、確実に一歩ずつ歩を進めていく。

 女魔術師が持つ松明と、前衛二人が腰に下げるランタンだけが、彼らにとっての光源だ。

 銀髪武闘家はホッと息を吐き、不機嫌そうにしながらランタンに目を向けた。

 

「邪魔……」

 

 ぼそりと呟き、位置を調整。何度か蹴りを素振りして、また調整と繰り返す。

 ローグハンターはゴブリンたちの武器を改め、まだ使えそうな剣を拝借した。

 バスタードソードは、もう肉が斬れぬほどに血脂でべっとりだ。代わりを見つけなければ、最悪死ぬ。

 彼はため息を吐き、バスタードソードを近くの水路の中に投げ込む。

 ゴブリンの死体が沈んでいるのだ、剣の一本や二本増えたところで、問題はないだろう。

 その剣を打った工房長がこのことを知ってどう思うかは、彼には預かり知らぬことだ。

 ちょうど水路を見ていたためか、ローグハンターが真っ先に異変に気づいた。

 タカの目を発動し、じっと水路の上流を睨む。

 警戒する頭目にならって二人も周囲を警戒すると、彼らの耳に水が弾ける音が届いた。

 波ではない。下水の流れに乗り、何かが音を立てながら近づいて来ているのだ。

 その時、彼の視界に複数の赤い影が映った。

 タカの目を解除し、その方向にランタンを向けてみれば、そこにあったのは廃材を組み合わせただけの粗末な筏だった。

 隣の銀髪武闘家もそれに気づき、思わず声を間の抜けた声を出す。

 

「ゴブリンの船!?」

 

「そのようだな、隠れろ!」

 

 ローグハンターの号令と共に、近くの脇道に飛び込んで身を潜める。

 その瞬間、彼らのいた場所に大量の矢が降り注ぎ、下卑た笑い声が下水道にこだました。

 隠れたはいいが、見つかるのも時間の問題。見逃して撤退という手もあるが、彼らは一つの失敗をしていた。

 

「……隠れる場所、間違えたね」

 

「ああ……」

 

「せ、狭い……」

 

 三人が隠れた脇道はその先が潰れており、進むことが出来ない。三人がギリギリ押し込めるスペースしかなかったのだ。

 だが下手に飛び出せば、間違いなく矢の雨にさらされる。

 さて、どうするかと僅かに思慮し、ローグハンターは女魔術師に言った。

 

「『力矢(マジックミサイル)』だ。船底の、水面ギリギリを狙え。そこに穴が開けば、勝手に沈む」

 

「わかりました。ですが、ゴブリンたちが通路に跳び移って来たら━━」

 

 ━━どうするんですか?

 

 彼女がそういう前に、彼は口元を布で覆いながらエアライフルを構え、グレネードランチャーに手を添えた。

 

「マスクを。ゴブリンを眠らせる」

 

 彼の指示に二人はマスクをつけ、魔術師は杖を構える。

 

「大丈夫なの?上、街だよ?」

 

「問題ない。大気中に散れば、すぐに有害では無くなる」

 

 グレネードランチャーとは便利なもので、範囲外には一切効果を示さない。

 ガスグレネードなぞ、それが顕著だ。小さなグレネードに詰め込まれた微量のガスは、破裂と同時にすぐに空気中に散り、無害な濃度となる。

 

「行くぞ」

 

「はい!《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」

 

 杖に填められた柘榴(ざくろ)石が輝き、『力矢(マジックミサイル)』が放たれた。

 その輝きでゴブリンたちは冒険者たちがどこに隠れたかに気づき、そして嘲笑った。

 どこを狙っているのだ。あれでは、自分たちの矢の方がしっかりと━━━。

 

「GOB……?」

 

 そこまで思った瞬間、何かが彼らの頭を飛び越えて船上に落下、弾けると共にガスをばらまき始めた。

 同時に『力矢(マジックミサイル)』が船底を直撃、その穴から大量の水が船内に流れ込み、少しずつ沈み始めていた。

 ゴブリンたちは慌てて逃げようとするが、次々とガスを生み出す何かが降り注ぎ、ガスに包まれた彼らは眠っていく。

 深い眠りに陥った彼らは、音もなく沈む船と共に、下水の中に沈んでいき、浮き上がってくることはなかった。

 三人はホッと息を吐き、ローグハンターは顎に手をやった。

 

「……思いの外、群れは大規模だな。地図もだいぶ出来上がってきたから、後はゴブリンスレイヤーを待った方が得策か」

 

「そうだね。これ以上の無理は禁物かな……」

 

「毎回これでは、いずれ押し切られますね」

 

 そう話し合いながら彼らはその隙間から脱出し、銀髪武闘家が下水を見下ろした。

 ゴブリンたちが浮き上がってくる気配はない。

 だが、ごぽごぽと気泡が水中から上り、水面で弾けた。

 彼女が首を傾げた瞬間、それが飛び出してきた。

 思わず声を尻餅をついた彼女の視界に、白い鱗に包まれた巨体、その身に相応しいほど逞しい顎、どっしりとした四本の足を持った怪物が映った。

 ローグハンターは彼女を抱え起こし、そしてその怪物の登場に目を見張る。

 

「……沼竜(アリゲイタ)!?」

 

「ど、どうしてこんなところに!」

 

 驚いているのは女魔術師も同じ事。

 その沼竜は水中から打ち上げたゴブリンを空中で噛み砕き、ギョロリと動くその目でローグハンターたちを睨み付けた。

 

「「「………」」」

 

「………」

 

 三人と一体がばっちりと目が合わせると、僅かな沈黙が彼らの間に流れた。

 そして三人が目を合わせて頷きあったことを合図に、沼竜はその顎を大きく開く。

 

「AAAAARRRRIIIGGGGGG!!!!」

 

「逃げるぞ!」

 

「異議なし!」

 

「言われなくても逃げますよ!」

 

 三人は駆け出し、沼竜を振り切ろうと必死に足を動かしていくが、

 

「いや~、しつこい!すんごい追いかけて来てるんだけど!?」

 

「縄張りに船とゴブリンを沈めたから、怒ってんだろ!謝ったところで聞いてはくれないだろうがな!」

 

 彼らを追いかけて、沼竜は水路を突き進む。

 銀等級二人には話す余裕がある。だが、女魔術師にその余裕は無かった。

 息を切らし、痛む脇腹を押さえ、必死に足を動かしていく。

 彼女とて、この程度で疲れるほど柔ではない。

 だが、魔術を使った後という、最も消耗している時に走るのは、彼女にとってこれ以上ない苦痛だった。

 その事に気づいたローグハンターは僅かに減速し、女魔術師と並走すると、何の躊躇いもなく彼女の体を抱き上げた。

 

「ひゃ!?」

 

「我慢してくれ、撒けたら降ろす!」

 

 ローグハンターにいわゆる『お姫様抱っこ』された女魔術師は、その顔を耳まで赤くする。

 前を走る銀髪武闘家がそれに気づき、「いいなぁ!私も担がれたいな!」と叫ぶが、今はそれどころではない。

 結局彼らは沼竜に追いかけ回され、その日の調査はそれまでとなった。

 

 

 

 

 

「「あぁ~」」

 

 街に上がってきた二人は、神殿に備え付けられた大浴場━━と言っても蒸し風呂だが━━に訪れていた。

 二人で間の抜けた声を漏らし、浴場を包む暖かな湯気が、溜まった疲れを癒してくれる。

 女二人だからとタオルでその体を隠すことはなく、それは敷き布団代わりに尻の下に敷かれていた。

 夜遅くということもあってか、二人以外に利用者はいない。

 女魔術師は隣の銀髪武闘家に目を向け、小さくため息を吐いた。

 僅かに残された傷痕が時折見られるが、その肉体はある意味完成している。

 彼女も自分の肉体に不満があるわけではないのだが、横に更に上がいられると、流石に不安になるのだろう。

 銀髪武闘家はその体を伸ばし、隣に腰かけ、じろじろと見てくる女魔術師に声をかけた。

 

「……ちょっと良い?」

 

「何か?……っ!?」

 

 気だるそうに反応した女魔術師は、その目を僅かに見開いた。

 立ち上がっていた銀髪武闘家の手には、いつの間にか白樺の枝が握られているのだ。

 それで体を叩き、疲労で凝り固まった筋肉を解すためのものだ。だが、彼女はそれを鞭のように使って素振りをしている。

 彼女の動きに合わせて彼女の豊満な胸が揺れ、垂れていた水滴が弾ける。

 そして、彼女は清々しいほどの笑みを浮かべ、女魔術師に問いかけた。

 

「叩いてあげよっか?」

 

「いえ、結構です……」

 

「叩こうか?」

 

「結構です……」

 

「叩くね?」

 

「駄目です!な、何を言い出すんですか!?」

 

 彼女は思わず自分の体を抱きしめて身を守るが、銀髪武闘家はスイッチを入れ、若干の負のオーラを滲ませながら言う。

 

「彼にお姫様抱っこされて、無駄に疲れさせたんだから、お仕置きしないとさ……」

 

「うっ。そ、それは……」

 

 思わず納得しかけた女魔術師だが、すぐに反論する。

 

「けど、彼が勝手にやったことです。私だって驚いたんですよ!」

 

 思わず敬語になってしまっているのは、目の前の彼女がスイッチを入れたことに気づいてだろう。

 その彼女は、ただ冷静に告げた。

 

「でも、嬉しそうだったよね?顔真っ赤にしてさ」

 

「それは━━」

 

 ━━そうですけど……。

 

 その言葉をどうにか飲み込み、彼女はそっぽを向いた。

 銀髪武闘家は不敵に笑み、白樺の枝を振り上げようとして━━、

 

「あら、お二人とも、元気そうでなによりですわ」

 

「ッ!?」

 

 誰かに話しかけられ、咄嗟に白樺の枝を背中に隠す。

 女魔術師はホッと安堵の息を吐き、その誰かに目を向けると、再びその目を見開いた。

 女であろうと見惚れてしまう、熟れた果実のように豊満な、美しい肉体。

 そんな肉体の持ち主など、二人もいないだろう。

 

「だ、大司教、様……?」

 

「はい。勤めで遅くなってしまって……お隣、いいですか?」

 

「は、はい!どうぞ……」

 

 女魔術師は上擦った声で返事を返し、僅かに体をずらして場所を開けた。

 銀髪武闘家は、背中に隠した白樺の枝をどうしようか考えている。

 女であろうと見惚れるその肉体に、女魔術師は横目でチラチラと見てしまうことを自覚しながらも、それを止めることが出来ない。

 そして、何度か見ることでそれに気づいた。

 大司教━━剣の乙女の肉体にうっすらと走る、白い筋。

 それが幾重にも重なり、細いものから太いもの、短いものから長いものまで、様々だ。

 一度気づいてしまうと、気になって仕方がなくなる。

 女魔術師はさらに注視し、その白い筋━━傷痕がないところを探すが、見つからない。

 蒸し風呂の熱で肌がうっすらと桃色に染まったからこそ、見ることが出来るものだ。

 

「……気になりますか?」

 

「え、ああ、その……」

 

 思わず言い淀んだ女魔術師に、剣の乙女はその傷痕を撫でてぼそりと呟く。

 

「すこし、失敗してしまったのね」

 

 全身の傷が何でもないかのように、彼女は微笑む。

 

「うしろから、頭をがつん、って。……十年以上、前のことだけれど」

 

 十年以上前の失敗。つまり、彼女が駆け出し時代に失敗したのだろう。

 駆け出し時代に失敗し、こんな傷が残る仕事は、そこまで多くはないだろう。

 つまり、彼女は━━。

 

「それで、今は大丈夫なんですか?」

 

 銀髪武闘家が自分の傷痕を撫でながらそう言うと、剣の乙女は一瞬その仕草を止め、彼女に目を向けたると微笑した。

 

「ふふ、あなたは優しい人なのですね……」

 

 彼女はそう呟き、白樺の枝がある場所に手を伸ばすが、それは銀髪武闘家の背中だ。

 その彼女は僅かに考え、そして天井を仰いだ。

 

「あ~、彼の影響ですよ」

 

 その彼は、現在部屋で寝ている。女性とはいえ、人一人を抱えての全力疾走は堪えたのだろう。

 銀髪武闘家は苦笑して、そして言った。

 

「自分が誰かの失敗で死にかけても、それを巻き起こした張本人を前にして笑うぐらいですから」

 

 女魔術師には、それが彼らの出会いとなった依頼であることを、ローグハンターがそう呼ばれるようになった原因の一つであることを知っている。

 剣の乙女は「そうですか……」と呟くと、彼女に目を向けて淡々と続けた。

 

「それでもいつか、消えてしまうのでしょうね、彼も」

 

 眼帯の奥に隠された瞳が銀髪武闘家を射抜いたが、それでも彼女は笑ってみせた。

 

「当たり前ですよ。生きていれば、いつか必ず死ぬんですから」

 

 彼女は何てことのないように言い、そして続けた。

 

「『俺や村の人たちは、この世界に生きる命の一つというだけだ。死んだところで、何事もなく世界は回る』。彼はそう言いながら、死ぬ気で助けて、いつか本当に死ぬんです」

 

 僅かに憂いの色がこもった瞳。言葉の重さは、彼女が一番わかっているのだろう。

 彼女は大きく深呼吸をすると、再び笑って隠していた白樺の枝を差し出した。

 

「それでは、お先に失礼します。魔術師ちゃん、たぶん、明日いっぱいは休みになると思うから、しっかり休んでおいてね」

 

 彼女はそう告げると、滑らないように気を付けながら大浴場を後にした。

 女魔術師と剣の乙女はその背中を見送ると、その後数分に渡り、二人で気まずい沈黙を享受することとなった。

 

 

 

 

 

 ローグハンターが使用している部屋の前、髪も乾かぬうちに、銀髪武闘家はそこにいた。

 本来なら、女魔術師と相部屋だ。だが、やはり、彼と一緒の部屋で寝ないと落ち着かない。落ち着けない。

 彼女は扉をノックしようとして、躊躇い、またノックしようとして、また躊躇った。

 そんな事を何度か繰り返し、そこを後にしようとした時、不意に扉が開いた。

 開いたのはもちろん中にいたローグハンターであり、彼はいつもの衣装ではなく、寝間着姿だった。

 

「……どうかしたのか」

 

 相変わらずの声だが流石に眠いのか、その目は細められている。

 彼が小さく首を傾げる中で、彼女は彼に勢いよく抱きついた。

 彼は流石に面食らい、踏ん張る事も出来ずに部屋の床に倒れこむ。

 そして、何かを言う前にその唇を塞がれた。

 無抵抗の彼は一方的に舌を絡められ、二人の呼吸が混ざって消える。

 そして、銀色の糸を残しながら顔を離したところで、彼は小声で訊いた。

 

「……何かあったか」

 

 だが、彼女は答えない。

 そんな時、彼がやることは決まっている。

 

「……運ぶぞ」

 

「……うん」

 

 彼は静かに確認し、了承を得たところで彼女を抱き上げ、そっと部屋のベッドに寝かせた。

 そして一旦離れ、部屋の鍵を締める。

 彼女の隣に横向きで寝転び、優しく彼女の頬を撫でた。

 そんな彼の手に自分の手を重ね、彼女が口を開く。

 

「キミはさ。死なないよね……?」

 

 その問いかけに、ローグハンターは真面目な顔で言う。

 

「死ぬまで死ぬつもりはない」

 

 矛盾を孕んだ言葉だが、その言葉こそ真実だ。

 駆け出し時代から変わらないその言葉に、彼女は苦笑して、そっと彼の肩を押した。

 横向きに寝転んでいた彼はあっさりと仰向けに倒れ、その上に彼女は馬乗りになり、自分の服に手をかけた。

 彼は目を細め、僅かに批判的な目を向ける。

 

「ここがどこだか、わかっているか?」

 

「……うん。でも、『愛し合っている者同士』を止める法律はないでしょ?それに、ここは一応だけど宿だし」

 

 確かに、愛する者同士を抑圧する法律はない。

 確かに、この部屋は神殿への来客に宿として解放されている場所だ。

 

「まあ、確かに、その通りかもな……」

 

 俺も随分と甘くなったものだ……。

 彼は自分の変化に苦笑し、もはや彼女を止めるのを諦め、逆に自分の服に手をかけ始めた。

 駆け出しの頃、彼はどうにか元の世界に戻ろうと考えていた。

 だが、今は違う。

 確かに自分には『帰らなければならない理由』もある。

 前の世界では、組織の一員として、己を殺してでも組織を生そうと考えていた。

 

 ━━だが今はどうだ。

 

 今の自分は、目の前の彼女と共に生きようと、何が何でも一党の仲間たちと共に生き残ろうと考えるようになっていた。

 

 もちろん、テンプル騎士団の誓いを破るつもりはない。

 それに関しては、自分が口を開かなければいいだけだ。

 

 そう思えるほど、彼にとっては大きすぎるほどの『残らなければならない理由』が、いくつも出来てしまったのだ。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory04 地下墳墓(カタコンベ)

二日後の水の街、馬車の停留所。

陽が天上を僅かに過ぎた昼過ぎといった時間帯に、フードを被ったローグハンターはそこにいた。

建物の壁に寄りかかり、途中の店で買ったリンゴをかじりながら、馬車が来る度にそこから降りてくる人物に目を向け、目的の人物でなければすぐに視線を外す。

それを何度か繰り返し、リンゴが芯だけになった頃、ようやく彼らが水の街に降り立った。

真っ先に降りて来たのは、薄汚れた兜と革鎧を身に纏った彼の友人の一人。

彼と彼の一党━━いつもの四人だ━━は、停留所を見ていたローグハンターに気がつくと、人混みを避けながら彼の方へと近づいていく。

そして、彼の友人━━ゴブリンスレイヤーはいつものように話を切り出す。

 

「ゴブリンか」

 

「ああ、ゴブリンだ。それに、少々厄介なことになっている」

 

「そうか」

 

彼らは短くそのやり取りをすると、歩き出す。

彼ら二人に続く女神官は、見たことのない水の街の活気に、目をキョロキョロとさせていた。

そんな彼女に構わず、ゴブリンスレイヤーは彼に問いかけた。

 

「群れの規模はどうだ」

 

「大規模だ。船を使うほどには」

 

「船?船を使っていたのか?」

 

「ああ。だが粗末なものだから、まだ沈めやすい」

 

「そうか……」

 

街並みには一切目もくれず、淡々と報告をしていく。

フードを被った男と兜を被った男が並んで歩いているだけで、道行く人は皆道を開けてくれる。

そういう意味では、後ろの彼らは楽なものだった。

彼らの背中を眺めつつ、妖精弓手は大きくため息を吐いた。

 

「せっかく冒険に連れ出したのにそこにもゴブリン。水の街に呼ばれてきてみれば、またゴブリン……」

 

「前の遺跡は、お主がゴブリンがいそうな場所を選んだからじゃろうが」

 

「そうだけどさ……」

 

鉱人道士のツッコミに耳を垂らし、再びのため息。

蜥蜴僧侶は目をギョロリと回し、前を歩くローグハンターに問いかけた。

 

「して、斥候殿。ゴブリンの親玉は何と見る」

 

「わからん。邪教徒辺りと目をつけているが━━」

 

彼はそこで言葉を区切ると、一瞬言葉を選んでから続きを口にする。

 

「━━おそらくバカだな。下水道には沼竜(アリゲイタ)が住み着いていた。それなのに、ゴブリンに船を与えるのは、かなりのバカだ」

 

ならず者(ローグ)が相手となると辛辣な事を口にする彼に苦笑し、蜥蜴僧侶はその沼竜という言葉に顎に手をやる。

 

「……沼竜。拙僧の親戚にはそのような長虫(ワーム)はおらなんだ」

 

「別に襲わないように説得してくれとは言っていないが……」

 

「襲われたのか」

 

二人の会話に割り込む形で、ゴブリンスレイヤーがそう問いかける。

ローグハンターは頷き、その時の事を思い出す。

 

「あれが住み着いていたら、巨大鼠(ジャイアントラット)は住み着けないな」

 

「進むときは、出来る限り水路を避けたほうが良さそうだな」

 

ゴブリンスレイヤーは様々な思慮を深めながら、さらに訊く。

 

「遺跡に罠の類いはあったか」

 

「見た限り無かったが、あるだろうな。間違いない」

 

「そうか。一度神殿についたら、別れるぞ」

 

「む、何かあったのか?」

 

彼の突然の提案にローグハンターが首を傾げると、彼は一度頷いた。

 

「念のため買い物に行く。準備を怠るわけにはいかん」

 

「そうか。まあ、一度神殿だ。あいつらと、依頼人に挨拶をしておけ」

 

「わかった」

 

先頭の二人が話を終えると、女神官がローグハンターに声をかけた。

 

「あの、ローグハンターさん」

 

「ん、どうかしたか」

 

頭だけで振り返り彼女の方を向く。

女神官はさも当然の事を訊いた。

 

「その依頼人の方は、神殿の神官なのですか?」

 

「神官。神官と言われればそうだろうな」

 

彼は何かを含んだ声でそう言うと、女神官は首を傾げた。

数分後、依頼人である剣の乙女に出会った彼女が、顔を真っ赤にさせながら彼に掴みかかったのは仕方のないことだろう。

 

 

 

 

 

ゴブリンスレイヤーたちと合流し、初めての地下水道の探索を開始する。

ゴブリンスレイヤーの提案で、まずは群れの頭目を押さえるという方針に決め、戦闘は極力避けるということとなった。

いざ出発という時に、妖精弓手はゴブリンスレイヤーの腰元に目を向けた。

ローグハンターがランタンを下げるそこには、布を被った小さな籠がぶら下がっている。

布の隙間からは、淡い若草色をした小鳥が顔を覗かせる。

 

「……金糸雀(カナリア)、よね?」

 

「そうだ」

 

彼女の問いかけにいつものように答え、左手に持った松明に火をつける。

 

「……なんで、金糸雀?」

 

「金糸雀は僅かな毒気をも感知して、騒ぐ」

 

「確かに、吸ってからでは遅いか……」

 

ローグハンターは顎に手をやり「俺も考慮するべきだったな」と真剣な表情で付け足した。

ガスマスクがあるとはいえ、吸ってからでは手遅れになる時もあるだろう。

銀髪武闘家は熱心な彼に苦笑して、籠手の具合を確める。前に使っていたものよりだいぶ良いものだが、また砕けるかもしれない。

女魔術師は制作した地図を蜥蜴僧侶へと渡し、受け取った彼は何度か頷いた。

 

「ふむ、なるほど。よく作られておりますな」

 

「後はお任せします。そちらのほうが馴れていそうですから」

 

「承知した。では、参ろうか」

 

蜥蜴僧侶の号令に皆が頷き、そして進み始める。

ローグハンターたちが作り出した新品の地図は、行き止まり、崩れた橋、潰れた通路などが事細かに描かれ、彼らの進むペースを自然と上げてくれる。

ゴブリンを避けながら、ひたすら奥━━この場合は上流か━━を目指し、水路の脇を通る時には、沼竜との遭遇(エンカウント)にも警戒する。

ローグハンター、妖精弓手の二人が警戒しつつ先導し、早くも地図の末端となった頃、通路の雰囲気が一変した。

ただの石造りの水路は、壁画の施された歩廊へ。

苔の生えた床石が、朽ちかけの大理石へ。

流れる水も、汚水から清水に。

ローグハンターはタカの目を通し、その壁画を見た。

その奥に隠された本当の物語を教えてくれるかとも期待したが、そうではないようだ、

 

「……下水道から遺跡になったな。頭目も近いか」

 

彼が言うと、壁を調べていたゴブリンスレイヤーがそれに気づき、「む……」と声を漏らした。

 

「煤の痕がある。随分と昔に、松明がかけられていたようだ」

 

彼がそう言うと、蜥蜴僧侶が爪で壁画をかりかりと引っ掻き、その全貌を眺めんとしていた。

その壁画に表されているのは、統一感のない装備に身を包んだ、この世界に生きる祈る者(プレイヤー)たちの姿。

勇敢なる兵士、戦士たち、というわけではないだろう。

装備に統一感が無さすぎる。

その事を考慮して、蜥蜴僧侶は鼻先を舐め、顎を擦る。

 

「……傭兵か、あるいは冒険者か。はてさて……」

 

「この辺りも、ずいぶんドンパチやっとったそうだからのぉ」

 

鉱人道士がその壁画を指でなぞり、風化した塗料を調べると、髭をしごいた。

 

「四、五百年よりも前のもんかの、こりゃ……」

 

女神官は壁画を見渡し、そして何かに気づいた。

朽ちかけだが、かつては美しかったであろう通路。冒険者たちと思われる壁画。清らかな水がすぐそばを流れている。

聖職者である彼女がよく知る場所の雰囲気に、よく似ているのだ。

 

「━━……お墓、でしょうか」

 

地下墳墓(カタコンベ)

彼女には、この場所がそうとしか思えなかった。

秩序の名のもとに集い、戦い、散っていった人々の墓場。

女神官は多くの先達を悼むようにひざまずいて、両手で錫杖にすがった。

祈りを捧げる彼女の横には女魔術師と妖精弓手が、何かがあれば即援護に移れるように目を光らせる。

ローグハンターは壁画を撫でる銀髪武闘家に目を向け、再びその壁画を眺める。

 

「━━猛き者も終には滅びん……だったか」

 

「今は関係のないことだ」

 

彼の呟きをゴブリンスレイヤーはばっさりと切り捨て、ゴブリンの気配がないと判断すると再び歩き出す。

相変わらずの彼の反応に肩をすくめ、彼の後に続き、そのまま追い越した。

 

「あ、待ってよ~」

 

銀髪武闘家が二人を追いかけ、一党の面々も彼等に続く。

壁画に刻まれた、フードを被った戦士のことにも気づかずに━━━。

 

 

 

 

 

地下墳墓をさらに進み、地図の範囲を広げていく。

先程までとはうって変わり、道は複雑に捻れ、折れ曲がり、分岐を繰り返す。

不用意に踏み込んでいれば間違いなく迷い、陽の目を見ることなく、そのままのたれ死んでいたことだろう。

地図を作成する蜥蜴僧侶は、僅かに苦戦しながらも確かに作業を進めていく。

そして、彼らがぶち当たったのは重厚な扉だった。

黒檀に金枠をはめたその扉は、朽ちかけの周囲に比べて異様なほどしっかりとしていた。

ローグハンターはタカの目を通し、その扉が僅かに『緑色』に光っていることを確認する。

緑色は魔術の輝きだ。いつ頃からか、赤、青、金、白、無色で表されていた視界に映るようになった色。

武器や防具に魔力が込められているかどうか、すぐに判別できるというのも大きいが、魔術師の攻撃を感知しやすいというほうが、彼にとっては重要だった。

この扉が魔術でもって守られていることを知り、彼はため息を吐き出す。

見れば鍵穴が錆びているが、それ以外は立派な扉だ。

彼は針金で軽く鍵穴を探り、鍵がかかっていない事を確める。

 

「開いているな。罠が仕掛けられた様子もなく、グレネードなら撃ち抜けるか……」

 

彼はそう言うと、視線を横に向けて闇の奥を睨み付けた。

先程から喧しいほどに響く下卑た笑い声。

うまく避けてきたつもりだったが、自分達をゴブリンが見ているということだろう。

彼が無言で闇を睨むということは、そこに敵がいるという証拠だ。

彼らもそれをわかっているため、警戒を強める。

ローグハンターは腰の剣に手をかけ、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

入れば間違いなく戦闘になる。だが、中には重要な何かがあるかもしれない。

ゴブリンスレイヤーは僅かに思慮し、「入るぞ」と短く宣言した。

ローグハンターは頷くとその前を退き、銀髪武闘家に目を向ける。

彼女は足首を回しながら頷くと長く息を吐き、助走をつけて豪快な後ろ回し蹴りを扉に叩き込む。

蹴りの勢いのまま扉が開け放たれ、ローグハンターとゴブリンスレイヤーを先頭に雪崩れ込む。

全員が突入したところで、鉱人道士が扉の下に楔を打ち込む。

部屋は割りと広く、中には棺と思われるものがいくつも並んでいた。

ローグハンターはタカの目で室内を睨み、そしてすぐにそれを見つけた。

棺の一つが、白く光って見えるのだ。

他の棺には何も反応しないのだから、その棺だけに何かがあるのだろう。

 

「蜥蜴人、右手一番奥の棺、開けられるか」

 

「承知。斥候殿は後ろを」

 

「ああ。武闘家、ゴブリンスレイヤー、入口を頼む」

 

「任せといて」

 

「ああ」

 

ローグハンターの号令で動きだし、蜥蜴僧侶と彼は件の棺の前へ。

アサシンブレードを抜刀、蓋と箱部分の隙間に差し込み、ぐるりと一周。

罠がないことを確認し、蜥蜴僧侶と二人で蓋の縁に手をかける。

 

「いくぞ……」

 

「いつでも」

 

ローグハンターが「せーのっ!」と合図し、同時に力を入れて棺の蓋を無理やり動かす。

石が擦れる音と共に、少しずつその中を露にする。

 

「ほお、これは……」

 

「階段、か」

 

中に納められていたのは先人の遺体でも、名のある武器でも、満杯になるまで詰め込まれた宝でもない。更なる闇へと続く階段だった。

二人は顔を見合せ、互いに肩をすくめた。

ゴブリンに監視されている状況で、さらに奥へ進むというのは無理があるだろう。

戻るにしても、待ち受けているであろうゴブリンの群れをどうにか掻い潜らなければならない。

さて、どうしたものか。

二人が一党を集め、話し合おうとした時だった。

 

『GOROGRGOBRGOBRGOBR!!!!』

 

地下墳墓のどこからか、ゴブリンと思われる咆哮が響き渡った。

耳の良い妖精弓手は耳を押さえてうずくまり、入口を守っていた銀髪武闘家とゴブリンスレイヤーは、その後にそれを見た。

闇の奥に浮かび上がる、いくつもの鈍い輝き。

そして、それらとは一線を画する存在感を放つ巨大な影。

それらが、全力疾走でこちらに向かってきているのだ。

ゴブリンスレイヤーは舌打ちをすると、銀髪武闘家と共に部屋の中に戻る。

蜥蜴僧侶とローグハンターは棺の蓋を再び閉じ、退路であると同時に敵の侵入路でもあるそれを塞いでいた。

これで退路はなくなったが、背中を気にしないでいいというのは好都合だ。

この部屋で、迫り来る大量のゴブリンをどうにか迎え撃たねばならない。

ふと、ゴブリンスレイヤーはローグハンターに目を向けた。彼のグレネードには、同士討ちを誘うものがある。

次に女神官へと目を向けた。彼女には壁の代わりとなる『聖壁(プロテクション)』の奇跡がある。

ならば、やることなぞ一つだろう。問題は、妖精弓手に後で何か言われる程度か。

彼は耳を押さえて立ち上がった妖精弓手に目を向け、念のため断りをいれる。

 

「緊急事態だ、少し約束を破るぞ」

 

「え?なに!何て言ったの!?」

 

軽く耳をやられている彼女から視線を外し、指示を出す前にエアライフルを構えるローグハンター、怯えながら錫杖を両手で握る女神官に目を向ける。

そして、いつもと変わらない声音で仲間たちに告げた。

 

「━━何の問題にもならん」

 

その一言に彼らは笑み、各々の得物に手をかける。

 

「ね、ねぇ!何するつもりなのよ!?」

 

いまだに耳がやられている妖精弓手を除いて━━━。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 小鬼英雄(チャンピオン)再び

 地下墳墓(カタコンベ)の深部。

 ローグハンターたちは退路のない一室に陣取り、闇の奥から迫り来るゴブリンを睨む。

 ゴブリンスレイヤーは女神官に合図を出し、彼女は錫杖を握り直し、優しき地母神に祈りを捧げた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 彼女の真摯なる祈りに答え、『聖壁(プロテクション)』の奇跡は発動した。

 不可視の壁が部屋を横断し、彼らと迫り来るゴブリンたちとの間に立ちはだかる。

 妖精弓手は弓の弦の調子を確認し、矢をつがえ、闇の奥へと向けて放つ。

 闇の奥から断末魔の声が漏れ、一拍遅れて倒れた音が続いた。

 そして、ついに奴らは現れた。

 不気味な緑色の肌の上には、雑でありながら鎧が身に付けられ、手にも雑でありながら生物の命を容易く奪う武器が握られている。

 彼らの表情は醜悪な悦びに染まり、ローグハンター一行の女性陣に向けられている。

 女神官と女魔術師、妖精弓手は僅かな怯えと共に身構えるが、銀髪武闘家だけは凛としていた。

 彼女の隣にはエアライフルを構えたローグハンターの姿。彼がいる限り、彼女の心が折れることはないだろう。

 ゴブリンどもの第一陣がローグハンターたちに飛びかかり、

 

「━━GOBR!?」

 

 その全てが『聖壁』に衝突した。

 個体によってはそれで鼻がへしゃげ、早くも血を流しはじめる。

 それはまだ運がいいほうだろう。倒れた拍子に後続の仲間たちに踏み潰され、その体をぼろ雑巾に変えられる個体さえいるのだから。

 後続のゴブリンたちはそんな無様な奴を嘲笑い、不可視の壁をどう突破しようかと考え、変な筒をこちらに向けるフードの男に気づく。

 ローグハンターは口元に笑みを浮かべ、グレネードを放った。

 僅かに弧を描いて飛ぶそれは、群れの中央、部屋の入口まで飛び、ゴブリンの頭に当たって弾けた。

 中に充填されたガスが、霧となってゴブリンたちを包み込み、そして、混沌の様相を生み出した。

 

「GOBRGOBR!!」

 

「GRRBGOBR!!」

 

 意味不明な叫びと共に、ゴブリンどもは横にいる仲間(てき)に襲いかかる。

 時には抵抗され、傷をつけられて尚も暴れ続ける。

 仲間に頭を叩き割られ、その叩き割ったゴブリンの腹が裂かれる。

 まさに地獄。断末魔と雄叫びが入り交じり、地下墳墓に響き渡る。

 聖壁に守られたゴブリンスレイヤーたちは、その光景を眺め、その表情を僅かに歪める。

 目の前で凄惨な殺しあいを繰り広げられて何も思わないのは、それこそゴブリンだけだろう。

 ローグハンターは次々とバーサークグレネードを放ち、様子を伺う。

 

「これである程度は減るだろう。残りは直接叩くしかない」

 

「十分だ。『聖壁』を張り直し次第、飛び込むぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、錫杖を掲げる女神官に目を向けた。

 奇跡を使うにしても、彼女が呼吸を整える時間が必要だ。

 時間にして数十秒。その間に、ゴブリンが雪崩れ込まないように抑えなければならない。

 前衛をこなせるのは、ローグハンターをはじめとした四人。その四人が全員突撃したとして、後衛は誰が守るのか。

 鉱人道士が腰の手斧を振り回せば、牽制程度にはなるだろう。

 妖精弓手も、最低限なら捌ける筈だ。

 黒曜級二人、特に作戦の要である女神官を守らねば、その時点で間違いなく全滅する。

 ゴブリンスレイヤーは蜥蜴僧侶に目を向け、彼に告げる。

 

「『竜牙兵』の用意だ。二人を守らせろ」

 

「承知!《禽竜(イワナ)の祖たる角にして爪よ、四足、二足、地に立ち駆けよ》」

 

 蜥蜴僧侶が詠唱を言い切ると共に床に置いた触媒━━彼の父祖たちの牙だろう━━が、みるみるうちに形を変え、骨の竜となった。

 それとほぼ時を同じくして、ついにそれが姿を現す。

 

「GOORGGOBR!!!」

 

 田舎者(ホブ)よりさらに大きな体に、身につける鎧は重厚なもの、手にした棍棒も森の大樹をそのまま引き抜いてきたかのように太い。

 ゴブリンにしてゴブリンを超えた怪物━━小鬼英雄(チャンピオン)

 かつて牧場に現れた個体たちよりも、はるかに強い気迫を放っている。

 チャンピオンは群がってくるゴブリンを蹴散らしながら、確実に距離を詰めてきている。

 ローグハンターはエアライフルにスリープダートを装填し、構え、引き金を引く。

 音もなく放たれたダートは、チャンピオンの鼻先に突き刺さるが、

 

「━━!GOBRGOBR!!!」

 

「む、流石にチャンピオンまで来ると効果無しか」

 

 一瞬だけしか効果を示さなかった。

 グレネードで大量に吸わせればいけたかもしれない。だが、今それを撃ってしまうと、周辺のゴブリンを巻き込み、バーサークグレネードの意味が無くなってしまう。

 彼がエアライフルを背中に戻したとほぼ同時に、不可視の壁が揺らぎ始めた。

 見れば、女神官は呼吸を荒くしながらも、必死に錫杖を掲げている。

 

「一度切れ。息が整い次第、また張れ」

 

「は、はい……!」

 

 ゴブリンスレイヤーの指示に彼女は苦しそうに頷き、錫杖を降ろした。

 同時に不可視の壁が消え、彼らとゴブリンを隔てる壁がなくなる。

 だが、ゴブリンの数がだいぶ減っていること、そしてバーサークグレネードの効果で同士討ちが続いていることが重なり、雪崩れ込んでくるという事態は避けられた。

 問題はチャンピオンだ。今のダートが相当癪だったのか、その顔を憤怒に歪めてローグハンターを睨んでいる。

 ローグハンターは腰の剣を右手に、短剣を左手に握って抜刀。力を抜いた自然体で構える。

 

「行くぞ、俺は左からだ!蜥蜴人、合わせろ!」

 

「承知した!大いなる父祖よ、我が戦働きをご覧あれ!」

 

「わかった、私は右。ゴブスレ、行くよ!」

 

「ああ、ゴブリンどもは皆殺しだ……!」

 

 それぞれが怒鳴るように声をかけあい、左右に別れて突撃する。

 駆け出したローグハンターは、正面の二体の首に得物を突き立て、そのまま押し倒す。

 

「二つ……!」

 

 引き抜くと同時に飛びかかってきたゴブリンをバツ字に切り裂き、その流れで横のゴブリンの頭蓋に剣を叩き込む。

 

「四。……チッ!」

 

 頭蓋にめり込んだ剣を手放し、足元の斧を蹴り上げて右手で取る。

 

「イィィィヤッ!」

 

「三つ、四つ!」

 

「こんの!」

 

 他の三人も順調にゴブリンを狩り、相手の数を確実に減らしていく。

 

「GOBRRRR!!」

 

「!狙いは俺か」

 

 チャンピオンの大上段からの振り下ろしを転がって避け、代わりに四匹のゴブリンが潰された。

 

「息、整いました!」

 

『竜牙兵』に守られていた女神官の叫びに、ローグハンターを除いた前衛3人が跳ぶように下がる。

 その間にもローグハンターはチャンピオンの乱打を掻い潜り、周囲のゴブリンを巻き込むことで殺していく。

『聖壁』が張り直されたのは、前衛三人が無事に戻ったこととほぼ同時。

 取り残されたローグハンターとチャンピオン、取り巻きのゴブリン。

 部屋の半分を覆い尽くさんと向かってきたゴブリンの群れも、いつの間にか数えられる程度にしか残っていない。

 チャンピオンは知っている。目の前のフードの男がこの事態を生み出したことを。あの背中の筒が、この事態を生み出した道具だと。

 

「GOBRGOBRRRR!!!」

 

「………」

 

 怒りに任せて吼えるチャンピオンと、雑なつくりの斧を片手に無言を貫くローグハンター。

 ゴブリンたちも聖壁の向こうにいるゴブリンスレイヤーたちを警戒しつつも、ローグハンターの周囲を囲む。

 銀髪武闘家が援護に向かおうとした瞬間、彼はそれを手で制し、懐から手のひらサイズの球体を取りだし、床に叩きつけた。

 破裂音と共に煙が吹き出し、『聖壁』の向こう側を覆い隠す。

 彼が使ったのは『煙幕』だ。効果は単純、無害な煙を発生させるだけだ。

『聖壁』の向こう側は完全に煙が充満し、ローグハンターやチャンピオンの輪郭すら見えない。

 だが、その中からゴブリンたちの困惑し、怯えた声、そして断末魔が発せられていることは確かだ。

 只人(ヒューム)を除いて、ほとんどの種族は夜目が利く。それはゴブリンにも当てはまることであり、彼らが洞窟の闇の中や月のない夜に行動しても問題ないのは、それが理由だ。

 だが、一寸先も見渡せない煙の中では?

 夜目が利くほとんどの種族も、煙の中では何も見えない。

 そこに秩序の勢力も混沌の勢力も関係のない、ただひとつの事実だ。

 だが、物事には必ず例外というものがある。この場合は、たった一人の只人の存在だ。

 妖精弓手だけが、それに気づいた。

 尾を引く蒼い光が煙の中を駆け抜け、ぶれると同時にゴブリンの断末魔が上がり、流れるように再び移動する。

 彼女はその光がローグハンターの瞳が放つものだと知っている。

 その光を放つ瞳が、全てを隠す煙の先さえも見透せることはまだ知らないのだろう。

 

「GOBRGOORGGOBR!!!!」

 

 必死に煙を掻き分けて敵を探すチャンピオンは、ついに駆け回る人影を捉え、醜悪に笑いながら吼え、棍棒を振り降ろした。

 響き渡ったのは床が砕けた粉砕音と、肉が潰れる音、そして━━、

 

「がぁっ!」

 

 彼の断末魔。

 

「……え」

 

 銀髪武闘家が力の抜けた声を漏らした時、煙が晴れた。

 振り降ろされた棍棒の先には血溜まりができ、彼の纏っていた衣装の端が覗いている。

 チャンピオンは醜悪に笑み、その棍棒を持ち上げた。

 肉と骨の欠片がこびりつき、その一部を赤黒く染め上げ、鮮血が床に床へと垂れる。

 棍棒に張り付いていた彼の衣装も落ち、床の血溜まりに浸かる。

 

「嘘、でしょ……?」

 

 銀髪武闘家の目から覇気が無くなり、膝をついた。

 チャンピオンは棍棒についた血を撫で、彼女に向かってその血を飛ばした。

 その血は『聖壁』に阻まれ、彼女に届くことはない。

 ゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶は無言で頷きあい、『聖壁』の向こう側へ。

 鉱人道士が触媒を掴み、妖精弓手は矢をつがえた。

 聖壁を張り続ける女神官はぎゅっと錫杖を握り、祈りを続ける。

 女魔術師は優しく銀髪武闘家の背をなで、杖を握る手に力を込めた。

 チャンピオンは醜悪に笑い、敵一人一人に目を向ける。

 数は向こうが上だが、自分が負けるとは思っていないのだろう。

 まず男は殺す。仲間がほとんど殺されてしまったから、女たちには死ぬまで孕ませ、生ませ続けてやる。

 チャンピオンは目の前の敵たちにだけ目を向けていた。自分の後ろの壁を、音もなく登っていく影には気づいていない。

 

「GOORG、GOBRGOBR!!」

 

 チャンピオンは再び吼え、彼らを威圧する。

 彼らは構え、チャンピオンと対峙した。

 前衛の二人と耳の良い妖精弓手の三人だけが気づいているが、構えたのは戦うためではない。

 チャンピオンの注意を自分たちに向けるため。ただそれだけだ。

 壁をよじ登った影は大きく息を吐き、窪みに足をかけ、思い切り跳んだ。

 そして、チャンピオンの肩に着地する。

 

「GOBR?」

 

 チャンピオンは肩に乗ってきたその何かに目を向け、それを見た。

 自分の眼球に突きつけられた、短い筒。

 チャンピオンが不用心にその中をじっと覗いた瞬間、爆音と共にその視界が白く染まった。

 恐らく、チャンピオンは何をされたのかわからなかっただろう。

 その何かはピストルの銃口をチャンピオンの眼球に突きつけ、引き金を引いたのだ。

 放たれた弾丸はチャンピオンの頭部の半分を文字通り吹き飛ばし、昏倒させた。

 倒れたチャンピオンの体はビクビクと痙攣を繰り返し、微かにだが息があるようだった。

 その何か━━ローグハンターは発砲したピストルをジャグリングよろしく一回転させ、次弾を装填するとホルスターに押し込んだ。

 いつも着ている衣装は脱ぎ捨てられ、その下に着こんだ唯一の防具である革のベストが剥き出しになっている。

 彼はホッと息を吐いてアサシンブレードを抜刀、チャンピオンの脳髄に突き刺し、必要以上にかき回す。

 チャンピオンは一度大きく体を跳ねさせると白目を剥き、完全に動かなくなった。

 呆気なさ過ぎる決着に彼は息を吐き、ゴブリンの血に濡れた衣装を手に取り、その表情をしかめた。

 煙の中で殺したゴブリンの死体を一ヶ所に集めておき、晴れそうになったタイミングでその上へ移動。

 後は衣装を脱いでその上に置き、棍棒をギリギリで避けただけだ。

 父から譲られた大切な衣装が大変なことになってしまったが、服は直せるし洗える。

 彼は衣装をどうするか数瞬迷い、ため息を吐くと腰に巻き向けた。

 こんなゴブリンの血にまみれた服を着ることはないだろう。

 

「あ~、無事か?」

 

 彼は銀髪武闘家に目を向け、申し訳なさそうにしながらもそう口にした。

 その一言で気が緩んだのか、『聖壁』が解除される。

 女魔術師が彼に向けて僅かに批判的な目を向けるなか、俯いていた銀髪武闘家が籠手を外しながら立ち上がり、とぼとぼと近づいていく。

 ローグハンターは苦笑し、彼女を迎え入れようと両腕を広げ、

 

「こんのバカァッ!!」

 

「お゛う゛ッ!━━━………」

 

 渾身の正拳突きが鳩尾に叩き込まれた。

 息が出来なくなった彼は鳩尾を押さえながらうずくまり、息をしようと必死に口を開閉させている。

 その流れを見ていた一党たちは仕方ないと肩をすくめ、部屋の外や棺の影に打ち漏らしがいないかを探る。

 先程ので打ち止め、後は遺跡のどこかに残党がちらほらといるかどうかと言ったところだろうか。

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンの死体に剣を突き立て、本当に死んでいるかを確かめる。

 チャンピオンに潰され、ただの肉塊や肉片となったゴブリンや、体が半ばから無くなっているゴブリンは、もはや確かめるまでもない。

 ゴブリンスレイヤーは大きく息を吐き、問題の階段の隠された棺に目を向ける。

 いるとすれば、その奥だろう。

 呪文の回数(リソース)を確認し、進めるかを確認する。

 幸い、大きく消耗しているのは女神官だけだ。その彼女はあと一度使え、他の術士三人にも余裕がある。蜥蜴僧侶の出した竜牙兵も健在だ。

 ローグハンターはまだ倒れているが、すぐにでも立ち上がるだろう。

 蜥蜴僧侶はゴブリンスレイヤーの隣に行き、地図を見せた。

 

「小鬼どもの頭目がそのチャンピオンだったのなら、後は各個撃破するだけですな」

 

「ああ。だが、階段の先にまだいるかもしれん」

 

 蜥蜴僧侶はその一言に頷き、ローグハンターに目を向けると、舌先を舐めて苦笑した。

 彼は荒れた息を吐きながら立ち上がり、大きく深呼吸をして、銀髪武闘家を睨んでいる。

 彼女も彼女で不機嫌そうにしているが、彼が生きているとわかったからか口角が上がっていた。

 ゴブリンスレイヤーは一度頷き、ローグハンターに声をかける。

 

「行けるか」

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

 落ちていた剣を拾い上げ、軽く改めると、腰のベルトに吊るす。

 ゴブリンスレイヤーは頷き、件の棺の前に向かった。

 蜥蜴僧侶と『竜牙兵』が棺の蓋に手をかけ、一息でそれを退かして見せた。

 相も変わらず、階段の先には冒険者を呑み込もうとする闇が広がっている。

 彼らは頷きあい、ローグハンターと妖精弓手を先頭にその闇の中へ。

 その先に潜む者の存在を知ることもなく━━━。

 

 

 

 

 




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Memory06 目と目を合わせて

 地下墳墓(カタコンベ)、最深部。

 途中で遭遇するゴブリンの残党を片付けつつ奥へと進んだローグハンター一行は、最後の部屋を見つけて一様に困り顔を浮かべていた。

 女神官が通路の影から顔を出し、その部屋を眺める。

 石から彫り出された長椅子が並び、奥には祭壇。一見礼拝堂を思わせる雰囲気があるが、異様なものが二つ。

 

「……鏡、でしょうか」

 

「それもあるが、その手前の球体は何だ」

 

 女神官の言葉に、同じく部屋を覗きこんだローグハンターが顎を手をやった。

 壁に埋め込まれた大きな鏡と、部屋の中央に浮いている人の背丈ほどある謎の球体。

 鏡のほうは、石を放られた水面のように波紋が走り、写すものを奇妙に揺らめかせる。

 球体のほうは、特に動く気配はない。ただ静かに、浮いているだけだ。

 タカの目では敵の反応がある。だが、襲ってこない。寝ているのか、こちらに気づいていないのか。

 ローグハンターは引っ込んで思慮を開始し、代わりに妖精弓手が見張りについた。

 気になるのか、女神官はじっとその鏡を見つめている。

 

「とりあえず、あの球体を調べないとな。竜牙兵をぶつけるか」

 

 ローグハンターは蜥蜴僧侶の後ろに控える竜牙兵に目を向け、そう提案した。

 敵であることに変わりはないだろうし、あれには近づくなと本能が告げている。

 蜥蜴僧侶は一度頷き、竜牙兵に目を向けた。

 

「ここまで頑張ったのだ、最後に一つ頼むとしよう」

 

 彼の一言に竜牙兵は無言で頷き、部屋を覗いていた二人の脇をそっと通りすぎ、その球体に向かって歩き出す。

 一歩二歩と問題なく進み、部屋に足を踏み入れた瞬間、その球体が動き出した。

 球体に一筋の線が浮かび上がり、それが開いた。

 

「BE!!!」

 

 それは目だった。それをギョロリと動かし、遅れて口と思われる部位が開いた。

 肉食の猛獣のように鋭い牙が生え揃い、噛みつかれれば、間違いなく食いちぎられるだろう。

 その目玉は竜牙兵を見つけると、その体から幾本もの触手を生やし、その全ての先端に張り付いた眼球を向けた。

 次の瞬間、目も眩まんばかりの閃光が放たれた。

 それに晒された竜牙兵の体は一瞬で融かされ、後には焼き焦げ以外に何も残らない。

 

「あの触眼は『分解(ディスインテグレート)』の邪眼のようですな。彼の犠牲で、それがわかった」

 

 蜥蜴僧侶は奇妙な手つきで合掌し、横のローグハンターは瞑目して、

 

「……まあ、良いやつだったよ」

 

 そんな事をぼやいていた。

 女魔術師がそっと顔を覗かせ、目玉の怪物に目を向ける。

 怪物の眼球とばっちり目が合ったが、仕掛けてこない。

 

「部屋に入らないと、手を出して来ないようね」

 

「あの真ん中の目ん玉が何を出来るかじゃな。触眼が『分解』ときて、真ん中は飾りなんてことはないじゃろ」

 

 鉱人道士が髭をしごいてそう言うと、ゴブリンスレイヤーは顎に手をやった。

 今の装備であの怪物を仕留めるには、どうするか。

 だがまずは相手の手を知らねばならない。口はともかく、本体の目からも何かしらの術が放てる筈だ。

 ならば、目潰しをすることが第一だろう。視界を潰せば、多少の時間稼ぎになる筈だ。

 ローグハンターはそっと顔を出し、タカの目で目玉を睨んだ瞬間、ばっちりと目が合った。

 その時、目玉はその眼を一瞬細め、一気に見開く。

 その瞬間、不可視の何かに殴られたのか、ローグハンターの体が弾き飛ばされた。

 背中から床に叩きつけられた彼は、震える手で目を押さえる。

 銀髪武闘家が慌てて駆け寄り、目玉の死角へと引きずり込むと、彼の手を退かしてその目を覗いた。

 両目共に真っ赤に充血しており、その瞳は焦点が合わないのか、朧気に揺らいでいる。

 

「だ、大丈夫!?ちょっと、返事してよ!」

 

 抱え起こした彼の体を前後に揺さぶりながら言うと、ローグハンターはしっかりと彼女の腕を掴み、そして彼女の頬に触れながら告げた。

 

「参ったな。よく見えん……」

 

「嘘!?」

 

 銀髪武闘家をはじめ、驚く一党たちの様子を知ることなく、一番重症である筈の彼は構わず続けた。

 

「俺の目は術ではないんだが、『解呪(ディスペル)』の類いか……?タカの目も、使えないか……」

 

 視力の低下という死活問題を抱えながら、あくまで冷静に状況を整理する。

 焦点の合わない視線を巡らせ、朧気に見えるゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「何か目潰しの類いはないか。あれをやられると、魔術も放てんぞ」

 

「ああ、手はあるが……」

 

 ゴブリンスレイヤーは女神官に目を向けたが、ローグハンターが先に待ったをかけた。

 

「治療は後だ。上に戻ってからで構わん」

 

「で、ですけど……」

 

 女神官がそれでも治療しようと考えたが、ローグハンターがそんな彼女を睨んだ。

 

「優しさは長所だが、向ける状況を考えろ。今は怪我人を助けるよりも、あの目玉だ」

 

「目玉目玉って、何か名前でも決める?」

 

 銀髪武闘家は彼が一向に手を離さないことに気づきつつ、それは指摘せずに話題を逸らした。

 蜥蜴僧侶が顎に手をやり、「ふむ……」と呟いて人差し指を立てた。

 

「では、大目玉(ベム)と言ったところか。して、どう攻める」

 

「まず目を潰す。それに関しては手がある」

 

 ゴブリンスレイヤーは雑嚢から卵を取り出した。

 何かが中に詰まっているのか、後付けした蓋のようなものが被せられている。

 ローグハンターは見えてはいないだろうが頷き、朧気に見える女魔術師、妖精弓手に目を向けた。

 

「部屋に入ると仕掛けてくるのなら、入らなければいい。頼むぞ」

 

「ああ。遠距離から殺せるまで打ち続けろ。足りなければまた目を潰す」

 

 銀等級二人の言葉に、女魔術師はぎゅっと杖を握り直しながら頷き、妖精弓手は弓の弦を張り直す。

 

「言うだけで、俺は何もできんな……」

 

 ローグハンターは肩をすくめ、腰のピストルに手を添えた。

 先ほどのことで、一党内にその威力は知れている。使えればもっと楽だったことだろう。

 ゴブリンスレイヤーは顎に手をやり、ローグハンターの一党の二人に目を向けた。

 

「どちらかが使える、というわけではないのか」

 

 女魔術師は首を残念そうに頷き、銀髪武闘家も申し訳なさそうに頷いた。

 

「私は教えてもらっていません」

 

「私は使い方はわかるんだけど、下手くそで……」

 

 ローグハンターは僅かに首を傾げ、先ほどから掴んだままの腕の先にいる銀髪武闘家に目を向けた。

 

「照準合わせまでならいける筈だよな?」

 

「え、うん。手が震えちゃって狙い通りに飛ばないよ?」

 

「撃つのは俺がやる。狙いだけ定めてくれ」

 

 彼はそう言うと彼女から手を離し、二挺のピストルを手に持った。

 装填は済んでいるし、再装填も問題ない。

 銀髪武闘家は頷き、彼の隣に並んで肩に手を置いた。

 遠距離攻撃をありったけ叩き込む。

 作戦なんて、だいたいそんなものだろう。

 ゴブリンスレイヤーは立ち上がり、攻撃役である女魔術師、妖精弓手、銀髪武闘家、そして最後にローグハンターに目を向けた。

 

「━━やるぞ」

 

 その言葉に四人が頷いたのはほぼ同時。

 彼らも続いて立ち上がり、壁に体を隠しながらも大目玉を狙える位置を陣取る。

 ゴブリンスレイヤーは彼らが位置についた頃を見計らい、先んじて煙幕を投げて大目玉の視界を塞いでから、続けて卵を投げた。

 卵は大目玉に当たって割れると、その中身━━すり潰した唐辛子と長虫の粉末━━が飛散し、大目玉に襲いかかる。

 いくら魔物といえど、必ず痛覚はある。ゴブリンスレイヤー手製の『催涙弾』は、確かに通用した。

 大目玉は理解不能な叫び声と共に仰け反り、彼らから視線を外した。

 瞬間、冒険者たちの攻撃が次々と突き刺さる。

 矢、矢、鉄球、鉄球、とどめに『火矢(ファイアボルト)』。

 大目玉は痛みを耐えて無理やり視線を入り口に向けるが、そこには誰もいなかった。

 大目玉が周囲を見渡し、冒険者を追い返せたと安心した瞬間、再び炸裂する催涙弾。

 再び仰け反り、矢、矢、矢、鉄球、鉄球、『火矢(ファイアボルト)』、更におまけの矢と鉄球。

 大目玉はそれをどうにか耐え、再び冒険者を探すが、見当たらない。

 

「BE!!」

 

 物陰から飛来してきた何かを触眼から『分解』を放って防いで見せるが、瞬間広がったのは大量の煙。

 視界を塞がれた大目玉に催涙弾が投げつけられ、再びの目潰し。

 矢、矢、矢、矢、鉄球、鉄球、矢、矢、矢、鉄球。

 視界の回復、催涙弾、攻撃。大目玉は死ぬまでそれを続けられ、ついに事切れた。

 道具の消耗は激しかったが、まだ良いだろう。

 蜥蜴僧侶とゴブリンスレイヤーが警戒しつつ中へと入り、大量の矢と鉄球で体を貫かれ、体の二ヶ所が焼け焦げた大目玉に各々の得物を突き立てた。

 大目玉は一度ビクンと跳ね、ついには動かなくなる。

 二人は頷きあい、ゴブリンスレイヤーが後続に手で合図を送った。

 合図を受けた彼らは部屋に雪崩れこみ、妖精弓手が入り口を警戒、ローグハンターは銀髪武闘家に引っ張られるがまま、長椅子の一つに腰かけた。

 

「それで、大丈夫そう?」

 

「少しだけだが、見えるようになってきた……」

 

 彼はそう呟き、不器用に笑ってみせた。

 おそらく、不安なのだろう。いきなり目が見えなくなるのは、これ以上ない恐怖の筈だ。

 彼を気にかけながら、ゴブリンスレイヤー、蜥蜴僧侶、女神官、女魔術師の四人は、部屋に残された鏡の前に向かった。

 鏡面が水面のように揺らめき、ただの鏡ではないことを教えてくれている。

 

「ご神体か何か……でしょうか?」

 

 女神官はそう言うと、身を乗り出して祭壇に登った。

 蜥蜴僧侶は彼女に続きながら言う。

 

「迂闊に触れるのはまずいのではありますまいか?」

 

「とは言っても、調べないことには……」

 

 彼女はそう言うと、じっと自分の両手を見つめるローグハンターに目を向けた。

 斥候(スカウト)である彼があれでは、なんとも言えないだろう。

 ならばと彼女は手を伸ばそうとすると、銀髪武闘家の手を借り、彼は立ち上がった。

 瞳の焦点はまだ合っていないのか、いまだに揺らいでいる。

 

「神官、触るな。言わなくてもわかっていると思うが、かなりの魔力がこもっているぞ」

 

 どうにかタカの目が発動できるようになった彼は、それを頼りに足を進める。

 そして、鏡の前で足を止めると、ゴブリンから拝借した剣の切っ先で、そっとその鏡面を突いた。

 切っ先が触れた部分から波紋が広がり、鏡面がさざ波立つ。

 波打つ鏡面はやがて、奇妙な光景を映し出した。

 どこかはわからないが、緑色の荒野。

 その荒野を動き回るのは、彼らがこの場所に来るきっかけとなった魔物。

 

「━━ゴブリンか」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう確認し、ローグハンターはその目を細めた。

 

「赤い影だらけだな。数は、数えたくない」

 

「どこだろね、ここ」

 

 銀髪武闘家も一緒になって覗き込み、その目を細める。

 女魔術師はその光景を睨むと、そっと杖の石突きで鏡面を突いた。

 生まれた波紋は砂嵐のように乱れ、映された光景が変わっていく。

 映し出されたのは、どこかの遺跡だ。

 視力が回復しきっていないローグハンター、そんな遺跡に行った覚えのない銀髪武闘家と女魔術師は首を傾げる。

 女神官は何かに気づき、「あ……」と声を漏らした。

 ゴブリンスレイヤーも気づいたのか、小さく唸る。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、この遺跡、この前の……」

 

「ああ。やけに装備の良いゴブリンがいたところだ」

 

 話がわからない三人が首を傾げると、蜥蜴僧侶が目をぎょろりと回して言う。

 

「先日、小鬼殺し殿を連れてこの遺跡に向かったのだ。そこで小鬼に遭遇した」

 

「……ここから飛ばされたのか?」

 

 ローグハンターが再び剣の切っ先で鏡面をつつくと、さらに他の景色が流れていった。

 女魔術師がハッとすると、彼らに言った。

 

「『転移(ゲート)』を作り出す鏡。学院で、そんな遺産があるという話を聞きました」

 

「これが、それか……」

 

「おそらく、そうです」

 

 そう言った女魔術師の目は、いつになく輝いている。

 それもそうだろう。失われて久しい『転移』の呪文を宿した鏡など、一生に一度見れるかどうかだ。

 そんな彼女の横で、ローグハンターは顎に手をやり、そして言った。

 

「黒幕がこれでゴブリンを呼び寄せて、この街の住民を襲わせていたということか」

 

 焦点のずれた瞳に、確かな怒りの色が混ざる。

 そして横のゴブリンスレイヤーに問いかけた。

 

「どうする。このまま放置すれば、ゴブリンは絶えずここから出てくるぞ」

 

「ならばやることは一つだ」

 

 彼はそう言うと、悩んでいる女魔術師に目を向けた。

 これを学院などの然るべき場所に送れば、確かに秩序の勢力の技術は進歩することだろう。

 だが、下手をすればこの鏡からゴブリンが雪崩れこんでくるのだ。もしそうなったら、責任は取れない。

 ローグハンターは迷っている彼女に目を向け、そして言った。

 

「過ぎた力は破滅を呼ぶだけだ」

 

 まるでその光景を知っているかのような口振り。

 女魔術師は大きく息を吐き、仕方ないとばかりに小さく頷いた。

 ゴブリンスレイヤーは「良いんだな」と最終確認し、彼女はしっかりと頷いて返す。

 彼は頷き返すと一党の仲間たちを集める。

 その鏡が何なのか知るのは、とうに死に絶えた古代人だけ。

 その鏡がどうなったのかを知るのは、この場にいる彼らだけだ━━━。

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory07 眠れ、安らかに

 法の神殿に設置された庭園。

 そこに一人佇む剣の乙女は、その白く塗りつぶされた視界を巡らせると小さく息を吐き、口元に薄く笑みを浮かべた。

 真っ白な視界の中に、朧気な黒い影が現れたのだ。

 誰かに連れ添われているのか、その隣にも黒い影が。

 

「本当に大丈夫なの?治ってからでも……」

 

「大丈夫だ。済ませるなら早いほうが良い」

 

 その二人の話に、剣の乙女は無意識にその口を噤み、僅かに俯く。

 その二つの影は彼女の前で立ち止まると、連れ添う影が一度頭を下げ下がっていった。

 取り残された二人、剣の乙女とローグハンターは、お互いにその見えざる瞳で見つめあう。

 先に口を開いたのは、剣の乙女だった。

 

「ご無事で、何よりですわ」

 

 ローグハンターは小さく頷くと、彼女に告げる。

 

「聞かせてもらうぞ。今回の依頼の訳を」

 

「はい」

 

 全てが終わったら話をする。

 その約束をし、そして向こうから話を切り出したということは、地下のゴブリンは皆殺しにしたということなのだろう。

 剣の乙女は天秤剣を握り、そっと語り始める。

 

「今回の黒幕は、あなたが予想した通り、邪教徒です。正確には、例の魔神が率いた軍の残党ですが……」

 

 ━━もう、この世にはおりません。

 

 剣の乙女の言葉に、ローグハンターは僅かに唸った。

 自分たちがゴブリン退治をしていたこの一週間程で、尻尾も掴めぬ黒幕を見つけ出すなど、よほど優秀な冒険者だったのか、あるいは単純にたまたま(クリティカル)だったのか……。

 ローグハンターは一度息を吐き、そして告げた。

 

「それで、最初に俺を呼んだのは、相手がゴブリンだとわからせるためか」

 

「はい」

 

「ゴブリン相手なら俺は引き下がり、その魔神の残党探しに向かうとでも?」

 

 彼の問いかけに剣の乙女は一度頷く。

 被害が大きくなりすぎる前にゴブリンを見つけさせ、そこで手を引かせ、街の冒険者を討伐に向かわせ、最悪の場合は、

 

「その後に噂に名高いゴブリンスレイヤーに依頼を出し、討伐させるつもりだったんだな」

 

 辺境勇士、ゴブリンスレイヤー。

 吟遊詩人は好んで彼をネタにして、様々な街でその日の稼ぎにしていることだろう。

 彼の確認に、剣の乙女は再び頷く。

 魔神の残党とその配下の討伐など、本来は金等級である彼女がやるべき仕事だろう。

 だが、彼女は銀等級である彼らを頼った。

 なぜとは聞かなかった。女の冒険者がゴブリンと戦えない理由など、考えるまでもない。

 ローグハンターは口を閉じ、彼女の言葉を待つ。

 何秒や何分か、よくはわからないが、しばらく待つと剣の乙女が口を開いた。

 

「……人というのは、女というのは、弱いものです」

 

 彼女はそっと手を伸ばし、彼の頬を、偶然触れた口元の傷をその細指で撫でる。

 

「おかしいでしょう?剣の乙女ともあろう女が。魔神王を倒した六人のうちの一人であろう者が━━」

 

 最弱の魔物(ゴブリン)が恐ろしいなどと、誰に言えたことか。

 

「毎晩毎晩、怖くて、恐ろしくて、たまらないのですよ」

 

 目の前にある闇の奥から、ゴブリンが出てくるという恐怖。

 何度神に祈ったところで、その恐怖は拭うことが出来ず、むしろそれは大きくなるばかり。

 地下に現れる脅威を人々から遠ざける。

 彼らが遭遇した白い沼竜(アリゲイタ)。神々が使わせた使徒(ファミリア)も、所詮はそこまでだ。

 街を守っても、特定の個人を守れるほどではない。

 

「至高神の御使いが守ってくださるのは街だけ、なんて」

 

 その沼竜は、確かに使命を果たしていた。脅威であるゴブリンを殺し、冒険者であるローグハンターたちを追い返した。

 ローグハンターはただ黙っていた。

 天上の神々というのは、そんなものだろう。

 不意に天を見上げ、見えざる目を向ける細めた。わずかばかり回復したが、全快には程遠い。

 奇跡抜きでは、あと二、三日はかかるだろう。

 それでも、その目には見えるのだ。朧気ながら、しっかりと。目の前にいる、()()()()()()()()()()()()の姿が。

 そんなどこにでもいる女性が、『英雄』だと、『剣の乙女』だと言われているだけだ。

 彼女はそっと目を伏せて、弱々しい声で言う。

 

「あなた方を危険にさらしました」

 

「それがどうした。俺たちは無事に戻って来たぞ」

 

 かつて彼の一党の女性武闘家が言った通りの言葉が返ってきた。

 彼女は何となくだが、からかうような声音で問う。

 

「生きて戻って、わたくしを、どうするおつもりでしたの……?」

 

「どうもしない」

 

 ただ冷静で、どこか義務的な言葉だった。

 

「おまえはゴブリンでも、ならず者(ローグ)でもない」

 

 彼の端的な一言に、彼女は拗ねたように唇を尖らせる。

 

「理由を、お聞きにならないのですね」

 

「話すなら、聞くが」

 

 彼がそう言うと、彼女は気怠げな吐息を吐いた。

 

「……ただ、わかってもらいたかった。それだけです」

 

 風の音と揺れる草木の音で、消えてしまいそうなほどか弱い声だった。

 そう、彼女はただわかって欲しかっただけ。

 闇の奥に潜むものの恐怖を。すぐ側にある死への恐怖を。

 結局は、誰もわかってはくれなかった。所詮、死ぬのは『誰か』だ。自分ではないと思っているのだろう。

 

「……あの鏡を差し上げても、良いのです」

 

 精一杯強がるように、彼女はそう口にした。

 ローグハンターは下らないことを思い出したかのように、苦笑混じりに言う。

 

「あれは捨てた。過ぎた力と多すぎる金は、自分の身を滅ぼすだけだからな」

 

 ばっさりと言い捨てた彼に向かって、彼女は初めて驚愕を露にした。

 冒険者らしくもない、誇り高い騎士を思わせる言葉。

 彼は聞いてもいないのに言葉を続けた。

 

「鏡面を即席の混凝土(コンクリート)で固め、あの沼竜がいた辺りに沈めた。良い寝床になる筈だ」

 

 当然のことを言うように、その声に震えはない。

 むしろ、何か良いことをして誇らしげにしているような堂々とした声だ。

 

「……ふふっ。本当に、面白い御方」

 

 冷静な男だと思っていた彼が、意外にも子供っぽいところがあるなどと、知る人は少ないだろう。

 

「一つ、お聞きしても宜しい?」

 

「よほど変な質問でないのなら」

 

 彼は頷き、彼女の問いかけに耳を傾ける。

 

「世の人を救い、何か……変わりました?」

 

 両手を広げ、彼女はそう問いた。

 彼が助けているのは、彼の言うとおり世界の命運とは限りなく遠い人々だ。

 それでも彼は命を懸けて救い、いつか死ぬ。

 彼は勇者でもなんでもない。ただの一人の『冒険者』でしかない。

 彼は一度肩をすくめ、そして断言した。

 

「━━何も変わらないさ。だが、それで良い」

 

 彼は一度息を吐き、そして言葉を繋いだ。

 

「俺におまえの気持ちはわからない」

 

 再びの断言に、彼女はぼんやりと立ち尽くす。

 彼女の視界に浮かぶ朧気な影に、まるですがるように手を伸ばす。

 

「……わたくしを、助けてはくださらないのですか?」

 

「ああ」

 

 彼は素っ気なくそう返す。

 そして、その蒼い瞳で彼女に一瞥くれると背を向けた。

 その言葉に、彼女は(こうべ)を垂れて力なく笑った。

 諦めにも似た想いが渦を巻くが、「いつもの事だ」と慣れてしまった自分がいる。

 小鬼によって汚され、犯され、奪われ、蹂躙され続ける。

 夜が来るたびに、その光景が頭に浮かんでくる。忘れたくても、どうやっても忘れられない。

 その事を誰も知らず、知ったところで誰も手を差し伸べてはくれないだろう。

 結局、何も変わらない。また夜が来て、あの日を思い出すだけだ。

 

「だが……」

 

 不意に放たれた言葉に、彼女は顔を上げた。

 だいぶ離れた筈の彼の声は、まるですぐ隣にいるかのようだ。

 

「ゴブリンが出たなら、いつでも呼べ」

 

 彼は確かにそう言った。

 そして「ああ、そうだ……」と付け加え、彼女のほうに振り返る。

 

「その時はゴブリンスレイヤーも一緒に頼む。俺たち二人なら、何匹だろうが()()()()()()、ゴブリンは殺す」

 

 その言葉に、彼女はその場に崩れ落ちるようにしてひざまずいた。

 その美しい顔をくしゃくしゃにして、押さえた口元から嗚咽が漏れる。

 その頬を伝う涙を止める(すべ)を、彼女は知らない。いつも、その涙が枯れるまで泣き続けただろうか。

 

「例え、夢の中でも、ですか……?」

 

「言った筈だ。どこだろうが関係ない」

 

「来て、くれる、のですか……?」

 

「ああ」

 

 ━━なぜ……?

 

 嗚咽に混じり、自分でも何と言ったかわからなかったが、彼は確かに答えた。

 

「言った筈だ。俺は『闇に生きるもの』は必ず殺す。ゴブリンだろうがならず者(ローグ)だろうが、例外はない」

 

 彼はそう告げ、再び背中を向けると歩き出した。

 彼女は彼の背中に手を伸ばし、その手を自分の胸に当てた。

 何てことはない。壊れた女と壊れかけの男が話し合っただけ。

 いつからか抱くことを諦めていたある想い。それが、再び胸に戻ってきた。

 暖かい暖炉の火に似て、とても心地よい。

 

 ━━あなたの夜に、安らぎ有らんことを……。

 

 不意にそんな言葉が彼女に届いた。

 どこまでも優しく、それでいて心強い言葉。

 止めどなく流れる涙を必死になって拭い、切ない喜びを込めて声をあげた。

 

「わ、わた、わたくしは、あなたを━━━」

 

 不意に、天高く飛ぶ鷹が鳴いた。

 力強いその声にかき消され、最後の言葉は誰にも届かない。

 鷹の風切羽が宙を舞い、いまだに涙を流す乙女の頬を、優しく撫でた━━━。

 

 

 

 

 

 それから三日後、広野を走る馬車の幌の中。

 乗り合いの馬車らしく、乗客たちの表情は悲喜(ひき)交々(こもごも)といったところ。

 そんな乗客に紛れて、彼ら八人の冒険者はいた。

 ようやく視力が戻ったローグハンターは、久しぶりに思える仲間たちの顔に安堵しつつ、珍しく気を抜いていた。

 彼の肩に寄りかかる銀髪武闘家は、相も変わらず熟睡中。女魔術師は、寄りかかろうとしてすぐに身を引く。

 妖精弓手がチラチラと見つめ、弄ろうとしているからだ。

 鉱人道士はそんな彼女にため息を吐き、報酬である金貨の詰まった革袋を弄ぶ。

 蜥蜴僧侶は例の鏡の情報を纏めた帳面を確認し、ふむと息を漏らす。

 ゴブリンスレイヤーは、買ったは良いが活躍の場はなかった金糸雀(カナリア)と睨みあい、どうしたものかと息を漏らす。

 それを見ていた女神官は、おかしそうに小さく笑った。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、その子の名前、どうするんですか?」

 

「……金糸雀(カナリア)で良いだろう」

 

 彼の相変わらずの返答に女神官は苦笑し、当の金糸雀も反対なのか、「チチチ!」と鳴きながら暴れ始めた。

 いつもと変わらない仲間たちと、いつもと変わらない帰り道。

 そう、何も変わらない。今回の依頼も、結果としては一人の女性を助けただけだ。

 それでいいだろう。彼らは世界を救う勇者ではない。勇者が救った世界に生きる、ちっぽけな人々を守る、ごくありふれた冒険者の一党なのだから━━━。

 

 

 

 




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Sequence04 収穫祭
Memory01 誘い


 辺境にあるとある街道。

 陽が大きく傾き、沈み始める時間帯。

 季節はいつの間にか秋となり、冷たい風が優しく草木を撫でる時期だ。

 傾いた陽に照らされ、赤く染まった街道を見渡せる丘の影に、その野営地はあった。

 そこにいる男どもは野蛮な笑みを浮かべ、戦利品を出しあっている。

 先ほど通った商人の馬車の荷物と、その商人が持っていた金貨などの貴金属類。

 これらを売れば、良い酒を飲み、良い娼婦を抱けるだろう。

 ふと、その山賊の一人がぐるりと周囲を見渡した。

 彼の相棒である男が、「小便行ってくらぁ」と言って林に行ったきり、戻ってこないのだ。

 獣にでも襲われたか?

 その男は仲間に一言告げると、その相棒の入っていった林に足を踏み入れた。

 藪を掻き分け、枝を踏み割りながら進むこと数分。

 その男は首を傾げ、周囲を見渡す。

 

「♪~」

 

「あ……?」

 

 そんな時、どこからか口笛が聞こえた。

 山賊の男はその音の出た所、近くの藪に近づいていく。

 

「なんだ、からかって━━━」

 

 苦笑混じりにそう言った瞬間、藪から飛び出した黒い影に体を引き倒され、何の抵抗も許されずに左手首から生えた刃で首をかっ切られた。

 その男は文字通り自分の血に溺れ、その生涯を終える。

 黒い影の正体であるフードを被ったローグハンターは、その男の死体を引きずり、先ほど殺した仲間の横に寝かせる。

 

「これで二人。情報だと十人前後と言っていたから、もう十人と考えておくか」

 

「そうだね。それで、どうやって攻めるの?」

 

 彼の相棒である銀髪武闘家が問うと、ローグハンターはいつものように不敵に笑んだ。

 

「いつも通りだ、仕掛けるぞ。行けるか」

 

 彼は宣言し、その目を女魔術師に向けた。

 視線の先にいる彼女は、確かに頷く。

 

「はい」

 

 女魔術師が杖を握り直し、大きく深呼吸をした。

 ローグハンターは腰のバスタードソード、短剣を抜刀、銀髪武闘家は両手の籠手の具合を確かめる。

 そして、前衛の二人が走りだし、女魔術師が遅れて続く。

 途中で女性二人が左に進路を変え、ローグハンター一人で突き進む。

 木を避け、藪を突っ切り、そして勢いのまま野営地に突入した。

 

「なんだっ!」

 

 両手の剣で近くにいた男を突き刺し、そのまま押し倒すと、山賊たちが慌てて武器を抜きながら立ち上がり、彼を取り囲む。

 囲まれた彼は慌てることなく、全身の力を抜いて備えた。

 山賊たちは現れた間抜けな男を取り囲んで目配せすると、彼の死角に位置する山賊が斬りかかった。

 完全な死角からの一撃。それを放った本人は笑むが、ローグハンターは冷静だった。

 短剣を背中に回してその一撃を防御、バスタードソードを逆手持ちに切り替え、反転の勢いに任せて相手の体勢を崩し、その切っ先を山賊の首に突き刺した。

 刺された山賊は白目を剥き、その命を落とす。

 ローグハンターは引き抜いた勢いのまま順手に持ち直し、近くの山賊に向かう。

 バスタードソードを山賊の腹に突き刺し、ロープダートを別の山賊に飛ばす。

 それは寸分の狂いなく山賊の首に突き刺さり、巻き取れば捕縛用のフックが肉を削りとり、同時に山賊の命をも削り取る。

 腹部に突き刺したバスタードソードを引き抜き、念のためと頭を殴り抜くように斬りつけた。

 

「四。残り八……」

 

 彼が静かにそう告げると、山賊たちは(おのの)いた。

 黒い衣装にフードを被り、大きさの違う剣を使う剣士。噂に聞くあの男と特徴が一致している。

 

「ロ、ローグハンター……!?」

 

 山賊たちの言葉に、彼は不敵に笑んだ。

 彼らはお互いに目を合わせて策を練る。目の前の男がそうだとしたら、少なくとも敵はもう二人いる。

 とある一人が身勝手にも逃げようと振り向いた瞬間、その鳩尾を凄まじい力で殴り抜かれ、血を吐きながら崩れ落ちた。

 銀髪武闘家は長く息を吐き、倒れた山賊に一瞥くれる。

 

「仲間は大事にしないとね、痛い目にあうよ?」

 

 死人に言ったところでどうにもならないのだが、それはその山賊に言ったことではないのだろう。

 現に、彼女は生き残りに目を向けている。

 彼女の後ろには女魔術師。彼女は油断なく杖を構え、逃げようとすれば間違いなく『力矢(マジックミサイル)』が放たれるだろう。

 

「こ、この野郎が!」

 

 一人の山賊が無謀にもローグハンターに挑むが、その単調な攻撃は短剣で防御され、反撃(カウンター)の一撃で腹を斬られ、膝をついた瞬間にその顎を蹴り砕かれる。

 

「あわせて六。さっさと終わらせるぞ」

 

「了解。警戒お願いね」

 

「はい」

 

 彼ら三人はあくまで冷静に言葉を交わし、改めて武器を構える。

 もはやどう逃げるかを考える山賊たちだが、彼らがどうなったのかは、語るまでもない。

ならず者を殺す者(ローグハンター)』の一党に目をつけられ、無事に生き残ったならず者(ローグ)は、誰一人としていないのだ。

 

 

 

 

 

 辺境の街のギルド。

 相も変わらずの賑やかさに包まれたその場所は、冒険者たちの集合場所。

 夕暮れ時となったギルドの酒場は、仕事を終えた冒険者たちでごった返していた。

 そんな酒場の一角に、彼らはいた。

 仕事終わりのローグハンター、その隣には銀髪武闘家が腰掛け、彼女の反対、彼を挟む位置に女魔術師が座る。

 彼らに対面する形で腰掛けるのは、鉱人道士、蜥蜴僧侶、妖精弓手、そして珍しい事に槍使いと魔女、さらに制服姿の受付嬢━━もちろん仕事終わりだ━━もいた。

 

「だいたい、あいつもあんたも、もっと私の話を聞きなさいよ!」

 

 そう言って、妖精弓手は手にしたジョッキをテーブルに叩きつけ、その据わった目でローグハンターを睨む。

 当のローグハンターは葡萄酒をちびちびと飲みながら、横の銀髪武闘家が酒に手を出さないかを警戒していた。

 つまり、彼女の話を一切聞いていない。

 そんな事にも気づかずに、既に出来上がっている妖精弓手は愚痴る。

 

「オルクボルグに比べれば話しやすいけど、あいつみたいにもっと話に乗りなさいよ!」

 

 言っていることが先ほどとほとんど同じである。

 陽が沈んでしばらく経った夕食時。

 冒険を終えた後の一杯を楽しむのは良いが、酒に酔って絡まれるのは、彼が一番苦手とするところ。

 本気で妖精弓手を無視しようとするローグハンターに、槍使いは苦笑混じりに言った。

 

「おまえ、もうちょい聞いてやれよ。おまえの話題だぜ?」

 

「酒の勢いに任せた言葉は信用ならん」

 

 彼はばっさりと切り捨て、再び葡萄酒を一口。

 彼が頼み、出された料理の数々は、いつの間にやら銀髪武闘家の腹に納まっている。

 女魔術師はそんな彼女の食べっぷりに苦笑し、隣に腰掛ける魔女との話に気を向けた。

 身近にいる銀等級魔術師は彼女だけだ。色々とためになる話を聞かせてくれるのだろう。

 槍使いは処置なしと肩をすくめ、自分も料理に手を出し始めた。

 流石の鉱人道士もため息を吐き、ローグハンターに言った。

 

「だがな頭巾の。たまにゃ、耳長娘の冒険に付き合ってやったらどうじゃ」

 

「こいつは野伏(レンジャー)だ。斥候(スカウト)技能の一つや二つ、何の問題もなく使えるだろう」

 

「それでも、たまには付き合いなさいよ!野盗が出ない日だってあるでしょ!」

 

「確かに、最近減ってはいるがな」

 

「最近って言っても、二、三年前からだけどね~」

 

 銀髪武闘家が訂正し、ローグハンターは「む……」と僅かに声を漏らした。

 彼がローグハンターと呼ばれる由縁の依頼が、彼のせいでだいぶ減っているのだ。

 蜥蜴僧侶はチーズがたっぷりとかけられた肉の塊を切り分け、その一つに豪快にかじりつく。

 

「しかし斥候殿。たまにはハメを外すのも良ぉ御座いましょうや」

 

「一応だが、時々賭け事に興じることはあるぞ」

 

 その時ハメを外しているから良いだろうと言うように、彼は告げ、そして銀髪武闘家が食べようと手を伸ばした骨付き肉を一つ拝借した。

 銀髪武闘家はそんな事に構うことなく、また別の骨付き肉をかじり、何度か咀嚼して飲み込む。

 

「昔はあんまり休まなかったからね~」

 

「昔は野盗関係の依頼が多かったからな」

 

 彼の言葉に、思わず彼らは口を閉じた。

 つまり、彼は休む余裕が出来るまで野盗を狩り続けたということだ。いったいどれ程の数の盗賊、山賊の一団を潰してきたのか。

 彼らが次の話題を探して目配せしていると、ギルドの自由扉が開いた。

 そしていつも通りの、ずかずかと無造作で乱雑な足音が響く。

 人一倍聴力の強い妖精弓手はその長耳を立て、弾かれるようにそちらに目を向けた。

 僅かに遅れてローグハンターがそちらを向き、妙に柔らかい笑みを浮かべて杯を挙げた。

 

「ゴブリンスレイヤー、戻ったか」

 

 普段の彼ならまずやらないような行動に、銀髪武闘家は肉をかじりながら苦笑する。

 今のところ彼女しか知らないことだが、彼も彼で割りと酒に弱い。多分、微妙に酔っているのだろう。

 そんな彼女の苦笑にも気づかず、彼は上機嫌そうだ。

 そんな彼の言葉にその冒険者は頷いた。

 

「ああ。そちらも無事だな」

 

「当たり前だ」

 

「そうか」

 

 彼がそこまでして声をかけたのは、五年来の友人にして仲間、ゴブリンスレイヤーだ。

 もちろん彼の後ろから続くのは、錫杖を握る女神官。

 その彼女は疲れが溜まっているのか、うつらうつらと頭を揺らし、瞼を擦っている。

 ゴブリンスレイヤーは彼女に休むように告げ、彼女がふらふらと宿として使っているギルドの二階に消えていったことを確認すると、まっすぐに受付へ向かう。

 だが、その途中で何か思い出したのか、ローグハンターの方へと向きを変えた。

 そして食事中の彼に対して無遠慮に問いかけた。

 

「今回のゴブリンどもは、妙に装備が整っていた」

 

「む。前のが鏡で逃げ出していたのか?」

 

「そうかもしれん。だが、拐われた娘たちが、全員無事だった」

 

「無事。命は助かったということか?」

 

 ゴブリンに囚われた女がどうなるか、彼らはよく知っている。

 無事という本来めでたい筈の言葉を、命だけが助かったという意味で受け取っても、仕方のない話だろう。

 だが、ゴブリンスレイヤーは首を横に振る。

 

「いや、言葉の通りだ。誰一人、手を出されていなかった」

 

「むぅ……」

 

 葡萄酒を一口飲み、彼は小さく唸った。

 ゴブリンが女に手を出さぬなど、人を殺さぬ暗殺者のようなものだ。

 ローグハンターはその目を受付嬢に向け、問いかける。

 

「受付嬢、ゴブリンの出た場所は?」

 

「確か、鉱山です」

 

「ゴブリンが鉱山を狙うのか?」

 

「ああ。そこが妙だ」

 

「食料目当てではないってことですものね……」

 

 三人の空気についていける者は、世界広しと言えど滅多にいないだろう。

 受付嬢に想いを寄せる槍使いは、「俺もゴブリンに関して勉強するべきか……」と漏らす。

 ゴブリンが女性を狙うのは、繁殖のためか食料にするためか、あるいはただの鬱憤晴らしのためだ。

 そんなゴブリンの手にかかった娘たちが無事だった。

 本来なら喜ぶべきなのだろうが、どうにも納得がいかない。

 ローグハンターは空になった杯を弄りながら呟く。

 

「……何とも言えないな」

 

「そう、ですね……」

 

 受付嬢が頷いて続くと、ゴブリンスレイヤーは一度頷く。

 

「口頭報告は今済ませるが、後で詳細報告を仕上げる。確認を頼めるか」

 

「はい。でも、私の勤務時間は終わっちゃってますから、明日の朝一にお願いします」

 

「わかった」

 

 彼はそう言い残して彼らに背を向けるが、受付嬢がその背中を呼び止めた。

 

「あ、あの、ゴブリンスレイヤーさん」

 

「なんだ」

 

 呼び止められた彼は振り返り、兜越しに彼女に目を向けた。

 慣れぬ者なら、間違いなく萎縮することだろう。

 受付嬢は別段怯む様子もなく、逆に照れたように三つ編みの髪を弄りながら言う。

 

「ほら、えと、明後日、収穫祭が、あるじゃないですか」

 

「ああ」

 

 二人の言葉にギクリとしたのは、銀髪武闘家だ。

 とても大切なことの筈なのに、今の今まで忘れていたことを思い出したような表情。

 そんな彼女を他所に、受付嬢はその胸元に手を当て、大きく深呼吸をすると言った。

 

「━━━予定、空いてますか?」

 

 瞬間、ギルドの雰囲気が変わった。

 同じ卓の彼らはともかく、周りの卓の冒険者たちでさえ、その耳をそばだてる。

 槍使いが「俺なら━━」と言いかけた瞬間、銀髪武闘家の裏拳が炸裂し、その一撃で黙らせた。

 ゴブリンスレイヤーは小さく首を傾げ、いつもと変わらぬように言う。

 

「ゴブリンか?」

 

「あ、ゴブリン以外です」

 

「……ふむ」

 

 ばっさりと切り捨てられ、ゴブリンスレイヤーは困ったように俯いた。

 周囲の冒険者が固唾を飲んで見守る中、受付嬢だけは笑みを崩さない。隙を見せるわけにはいかないのだろう。

 ややあって、ゴブリンスレイヤーは言った。

 

「……恐らく、ないと言って良い、だろう」

 

「実は、私、午後から半休を貰っているんですよ」

 

 受付嬢は畳み掛け、もはや勢いに任せただけで言葉を続ける。

 

「よ、良ければ、い、一緒に見て回ってもらえません?」

 

「………」

 

 流石のゴブリンスレイヤーも面をくらったのか、黙りこむ。

 

「ほら、お祭りの時って、いろいろ物騒、ですし?」

 

 彼女は何ともなしに言った言葉だろう。

 だが、ゴブリンスレイヤーはその言葉に何か気づいたのか、酔っているのか、僅かに頬が赤くなっているローグハンターに目を向けた。

 

「なら、そいつのほうが━━━」

 

「か、彼は私と一緒に回るって約束してたのよ!久しぶりに、その、一党の仲間としてじゃなくて、恋人と、して、ね………?」

 

 銀髪武闘家が慌ててフォローに入るが、途中から恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にさせて俯いた。

 ローグハンターは疑問符を浮かべているが、たぶん理解していることだろう。

 ゴブリンスレイヤーは小さく唸ると、若干の間を開けて頷いた。

 

「……普段、世話になっているからな」

 

「あ、は、はいっ!ありがとうございますっ!」

 

 彼女はそう言って頭を下げると、その三つ編みが大きく跳ねて揺れる。

 ゴブリンスレイヤーは彼女が頭を上げると、「では、収穫祭の日、正午、広場。それで良いか」と確認し、それに受付嬢が頷くと、彼は足早にギルドを去っていった。

 ふと、ローグハンターが女魔術師に目を向けて言う。

 

「おまえは、初めてだよな?一人で大丈夫なのか?」

 

「そ、それもそうだね~」

 

 新しい仲間への気遣いの言葉に、銀髪武闘家は苦笑した。

 そこが好きなところであるのだが、時々その気遣いが傷となる。

 遠慮気味な表情となる女魔術師を見ていると、このまま放置しておくわけにはいかない。

 銀髪武闘家は額に手をやりながら必死になって考え、そして何かを思い付いたのか、その表情をパッと明るくした。

 

「それじゃあ、ゴブスレに倣うわけじゃないけど、私たちも分割しよう!」

 

「「……?」」

 

 女魔術師だけでなく、ローグハンターまでも首を傾げると、彼女はその豊満な胸を張って宣言する。

 

「午前中は魔術師ちゃんをエスコートして、午後は私。で、夜になったら合流しよ」

 

「い、良いんですか……?」

 

 恐る恐ると言ったように女魔術師が問うと、銀髪武闘家は大きく一度頷いた。

 

「大丈夫!彼と一緒なら、暴漢は近づいてこないから!」

 

「いや、訊きたいのはそこじゃなくて……」

 

 食い下がろうとする女魔術師にとどめを刺したのは、ローグハンターだ。

 若干据わった目を彼女に向け、そして笑んだ。

 

「先輩の言うことは聞くものだぞ。エスコートなら任せておけ」

 

「………はい」

 

 まっすぐ見つめられれば照れるというもの。

 彼女はいつものように三角帽子でその顔を隠し、銀髪武闘家は苦笑する。

 

「まあ、来年は一日貰うけど、良いでしょ?」

 

「それは、どうでしょう?」

 

 釘を刺そうと発した一言に返ってきたのは、まさかの挑発の言葉と不敵な笑み。

 銀髪武闘家が思わず固まる中、一切ゴブリンスレイヤーと話せなかった妖精弓手が受付嬢に目を向けた。

 

「ねぇ」

 

「はい?」

 

「……私も『ゴブリン以外で』って使っても良い?」

 

「ええ、いいですけど……」

 

 受付嬢は頷くと、銀髪武闘家に腕を掴まれるローグハンターに目を向けた。

 

「彼には通用しないと思いますよ?」

 

「そうなのよね……」

 

 話題のローグハンターは、銀髪武闘家に引かれるがままギルドの外へと消えていき、女魔術師が卓を囲む仲間たちに「それでは、また!」と挨拶をしてから慌てて追いかける。

 結局その日、妖精弓手はローグハンターへの『殺し文句』を思い付くことは無かった━━━。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory02 下準備

 辺境の街、眠る狐亭の一室。

 

「………」

 

 目覚めて間もないローグハンターは、窓際に腰掛けて、迫る収穫祭の影響で増えた街の人々をタカの目を通して睨んでいた。

 その目はいつにも増して鋭く、文字通り警戒している。

 収穫祭の時期は、旅行客に混ざってならず者(ローグ)も街に入り込む。

 流石に街中で殺るつもりは無いが、ちょっとした事件が増えるのはどうにも癪だ。

 そちらの対処は、本来なら街の番兵に任せるところだが、友人や仲間、特に恋人たる彼女を巻き込むと言うのなら、躊躇う理由はない。

 彼はそこまで思慮すると、一度息を吐いた。

 流石に祭りの最中に仕掛けてくるバカはいないだろう。だが、何事にも万が一というものはある。

 剣は置いていくとしても、アサシンブレードを忘れる訳にはいかない。

 再び大きめのため息を漏らし、タカの目を解除。

 窓から見た限り、赤い影は無かった。とりあえず、大丈夫だろう。

 彼は立ち上がり、いまだに寝ている二人に目を向ける。

 昨晩は妙にギクシャクしていたが、二人きりにして大丈夫なのか。

 ふと、二人を眺めていると、そんな疑問が脳裏によぎった。

 僅かな酒量で酔うとは、不甲斐ないことこの上ない。一応何があったのかは覚えているが、後でフォローしておいたほうが良いだろう。

 だがその前に、腹を満たさねば。腹が減っては戦は出来ぬとは、よく言ったものである。

 彼は二人を起こさないようにそっと部屋を出ると、そのままいつものように一階へ。

 常連客に旅行客も含まれ、賭博場の利用者がとんでもないことになっている。

 彼は構うことなくいつものカウンター席に腰掛け、いつもの朝食を頼む。

 

「よう、ローグハンター。明日が楽しみだなぁ」

 

 そんな彼に、上機嫌な店主が声をかけた。

 客が多ければ勝負が増え、リスクが高くなるがリターンが更に大きくなる。

 ローグハンター相手には多少贔屓をする彼も、根っこはそこら辺の商売人と同じいうことなのだろう。

 上機嫌そうな店主とは対称的に、ローグハンターの雰囲気は何となく暗い。

 そんな彼の雰囲気を察して、店主は苦笑する。

 

「なんだ、喧嘩でもしたか?」

 

「喧嘩。喧嘩、と言えば、そうなのか……?」

 

 パンをかじりながらそう漏らし、上階で眠る二人に目を向ける。

 二人のあの空気は、喧嘩なのだろうか……。

 もし喧嘩だとしたら、早急に問題を除去しなければならない。一党内のトラブルが影響して、そのまま全滅した例があるほどだ。

 自分と他人との付き合いは割りと得意な彼も、他人と他人の付き合いへの仲介は、まだ苦手なのだろう。

 珍しく悩み顔の彼の姿に、店主は言った。

 

「まあ、悩める時に悩め。時間があるというのは、若者の特権だ」

 

「確かに、そうかもしれんな。まあ、明日になったら、一日付き添いをするだけだ」

 

 何となく開き直った風に言った彼は、残りのスープを一気に飲み干した。

「ほぉ……」と息を吐き、代金をカウンターへ。

 それを受け取った店主は彼に問いかける。

 

「それで、今日の予定は何かあるのか?」

 

「ん?まあ、出店の位置を確認する程度か。やらなくても問題はないんだろうが、予定を組むぐらいは━━」

 

 彼がそこまで言うと、眠る狐亭の自由扉が開く。

 そこを潜ったのは、珍しい客だった。おそらく、この五年で彼が訪れるのは初めてなのだろう。

 彼もその珍客の登場に僅かに驚きを露にした。

 

「ゴブリンスレイヤー……?」

 

「ああ」

 

 驚く彼を他所に、ゴブリンスレイヤーは一度小さく頷いた。

 腰には見慣れぬ卍型の刃の剣を下げている。新しい武器だろう。

 それは良い。新しい武器とは良いものだ。

 それよりも気になるのは、彼が肩に担ぐ袋だ。そこからは、なぜかスコップやら木材やらが覗いている。

 その袋を眺めながら首を傾げる彼を他所に、ゴブリンスレイヤーは言う。

 

「少し手を借りて良いか」

 

「俺は構わんが……」

 

 ローグハンターはそう言うと視線を店主に向けた。

 店主は合点がいったのか、何度か頷きながら言う。

 

「二人が起きてきたら、ギルドにいるとでも言っとくさ。気にするな」

 

「助かる」

 

 ローグハンターは手短に礼を言うと席を立ち、ゴブリンスレイヤーを連れて店を後にする。

 

「で、何をするんだ?」

 

「俺とおまえの初仕事、覚えているか」

 

「あの村のことか?」

 

「ああ。やることはあの時と大して変わらん」

 

「了解だ」

 

 会話をしながら遠ざかっていく背中を眺め、店主は再び苦笑した。

 噂に名高いゴブリンスレイヤーとローグハンターが、端から見ればただの不審者である。

 現に二人の合流から店を出ていくまで、周りの客たちはその二人に注目していた。

 賭博場の客たちはそれどころではないと勝負に興じていた辺り、彼らも本気なのだろう。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、誰かが上から慌てて駆け降りてくる音が響く。

 そして現れたのは、女魔術師と銀髪武闘家だ。

 二人は息を切らしながらカウンターに身を乗り出し、店主に詰め寄る。

 

「て、店主さん!彼は!?」

 

 銀髪武闘家がそう問いかけ、店主は一度肩をすくめて言う。

 

「ギルドに顔を出しに行ったぞ。ゴ━━━」

 

「ありがとうございます!」

 

 店主の言葉を聞き終える前に、銀髪武闘家は店を飛び出していく。

 女魔術師はそんな彼女の背中を眺めてため息を吐き、苦笑混じりの店主に向き直る。

 

「続きをお願いします」

 

「ああ。ゴブリンスレイヤーに連れられて、何か作業でもするつもりらしい」

 

「作業をするなら、演習場かな……」

 

 彼女は顎に手をやって思慮すると、「とりあえず行ってみます」と言い残してその場を後にする。

 残された店主はため息を吐く。

 ベテランが話を聞かず、新人が最後まで聞いていくなど、普通は逆だろうに。

 

「……恋は盲目ってやつかね」

 

 店主はそう口にして、客たちを眺める。

 

 ━━さて、今日はいくら儲かるかな。

 

 その目は得物を見つけた鷹と言うよりは、誰かを化かす狐のような輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

「ギ、ギルドにいるって、どこだろう……」

 

 祭りの準備が着々と進む街の中を駆け抜けつつ、銀髪武闘家はそう漏らした。

 ギルドと一言で言っても、意外と広い。

 酒場に始まり工房、受付、二階の応接室、面接室などなど、様々な施設が併設されている。

 彼が行くとすればどこか。

 酒場ではないだろう。彼は必ず朝食をあの店で食べる。

 工房。そこだろうか。武器の修理や補充に、彼は必ずそこに行く。

 

「なら、そこでしょ!」

 

 彼女は更に加速し、人混みをすり抜けて突き進む。

 ギルドの自由扉を勢いに任せて突っ切り、ちらりと酒場に目を向け、彼がいないことを念のため確かめる。

 いない。ならば工房だろう。

 彼女は一人小さく頷いて、そのまま工房へ直行。

 

「おっちゃん!彼いる!?」

 

 扉を開けた勢いのまま、彼女がそう問いかけると、そこにいたのは彼でもおっちゃんと呼ばれた工房長でもない。

 そこにいたのは、銀等級冒険者であり、彼女の良き友人でもある女騎士だった。

 

「な……!?」

 

 彼女は銀髪武闘家の登場に驚き、慌てて見ていたものから離れるが、ばっちりと見られていた。

 銀髪武闘家は悪戯を思い付いた子供のような邪悪な笑みを浮かべ、腕を組みながらうんうんと何度も頷いて彼女の元へ。

 女騎士の前には、下着のごとき鎧(ビキニアーマー)が鎮座している。

 銀髪武闘家は彼女の肩に手を置き、そして言う。

 

「あなた、正気?」

 

「っ!?お、おまえ、いきなり失礼な奴だな!」

 

「だって、そうじゃない」

 

 彼女はそう言うと、その鎧の僅かしかない装甲部分をそっと撫でる。

 

「あなた、盾役(タンク)でしょ?そんなに死にたいの?」

 

「わ、私だってこんな格好で冒険するつもりはない!」

 

 女騎士の返しに、銀髪武闘家はニヤリと笑った。

 その笑顔のまま女騎士の顔を覗きこみ、挑発するようにその頬をつつく。

 

「じゃあ、何で見てたの?ねぇ、何でなんで?」

 

「お、おまえには関係のないことだ」

 

 女騎士は銀髪武闘家の肩を押して距離を離すと、再び件の鎧に目を向けた。

 その下着のごとき鎧(ビキニアーマー)が作られた理由としては、簡単に言えば『誘惑』のためだ。

 誘惑と言っても、祈らぬ者(ノンプレイヤー)相手にではない。仲間の男冒険者を誘惑するためだ。

 女の冒険者の間には、なかなか恋人が出来ない、結婚出来ないというジンクスがある。

 そのジンクスに囚われ続けた女冒険者たちの、最後の手段としてその鎧があるのだ。

 だが、実際にそれを着るものなど、まずいないだろう。

 何事にも例外はあると言うが、こんなところでも適用されなくても良かっただろうに。

 銀髪武闘家はニヤニヤ顔を浮かべたまま、女騎士に畳み掛ける。

 

「やっぱり彼?一途だね~」

 

「……うぅ」

 

 銀髪武闘家の指摘に、女騎士は両手で顔を隠して俯いた。その耳は赤い。

 女騎士が片思いしている異性は、彼女の一党の頭目である重戦士以外に誰もいないだろう。

 五年の付き合い━━一党として、だ━━がありながら、いまだに進展のない先輩冒険者を心配するのは、お節介だろうか。

 銀髪武闘家は顎に手をやり、「よし」と呟くと彼女は何となくお姉さんぶった口調で言う。

 

「では、私が助言をしてあげましょう」

 

「……なに?」

 

 そっと怪訝そうに銀髪武闘家に目を向けると、彼女は頷いて件の鎧に目を向ける。

 

「私さ、一回着たのよ、これ」

 

「そ、そうなのか……!?」

 

 突然の告白に驚く女騎士を他所に、銀髪武闘家は続ける。

 

「試着だけね。まだ翠玉とか紅玉とかだった頃の、出来心で、つい……」

 

「そうなのか……」

 

 何故か落ち着いた女騎士の様子を知ってか知らずか、彼女は遠い目をしながらぼそりと漏らす。

 

「その時、彼に見られたのよ……」

 

「………」

 

 彼女の言葉に女騎士は言葉には出さないが、その目を見開いて驚いた。

 だが、彼女の遠い目を見てその表情を曇らせた。

 

「……でさ、その日休日になって、一日無視されたんだよね」

 

「そうか……」

 

 思わずゴブリンスレイヤーのような返しになったことは気にせず、女騎士は件の鎧に目を向ける。

 あのローグハンターですら無視を決め込んだのだ、もし重戦士と自分の間でそうなれば、耐えられない……。

 彼女は目を伏し、その鎧から視線を外した。

 

「……辞めておくか」

 

「うん。平服とかにすれば?私もそうするから」

 

「そう、だな。へ、平服、うん。それなら、何着かある」

 

「頑張ってね」

 

「ああ。すまん、迷惑をかけたな」

 

 女が集まれば姦しいとは言うが、まだましだろう。

 その会話を聞いていた工房の新人である丁稚(でっち)が、初々しくその顔を赤くしていたことに、肝心の二人が気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 ギルドの裏手、演習場。

 いつかに二人の銀等級冒険者が激突し、ぼろぼろになっていたその場所も、ようやく修繕が完了したと言ったところ。

 その演習場の片隅にある一本の木の影に、ゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人は陣取っていた。

 その二人は黙々と短剣で木材を削り、手慣れた様子で杭を製作していく。

 銀等級冒険者の男二人が黙々と木を削っているその様は、はっきり言って不気味である。

 だが、その二人をよく知る人物なら気にならないというもの。

 

「おう、頭巾の、かみきり丸。昼前から二人して何しとるんじゃ?」

 

「杭でございましょうや。吸血鬼退治でもするおつもりかな?」

 

「む……」

 

「ああ、おまえらか」

 

 ゴブリンスレイヤー、ローグハンターの順で顔を上げ、声をかけてきた二人に目を向ける。

 目を向けられた鉱人道士は髭をしごき、蜥蜴僧侶はその目をぎょろりと動かした。

 ゴブリンスレイヤーはそんな彼らに向け、また視線を手元に戻すと手短に言う。

 

「色々と工夫をし、備えている」

 

「その手伝いをしているところだ。おまえらは」

 

 ローグハンターが僅かに場所を動き、二人も日陰に入れるように場所を開けた。

 二人はその場所に腰掛け、二人の作業を眺める。

 この二人が黙々と作業をしているのだから、間違いなくゴブリン関係だろう。

 ならば口を出すまいと二人は目で合図を送りあい、彼らも彼らで何かを作り始めた。

 だが、ゴブリンスレイヤーたちが作っているような単純なものではない。

 竹ひごを緻密に曲げ、その上に下手に触れれば即座に破けるであろう薄紙、そして油紙。

 ゴブリンスレイヤーはちらりと兜を向けると、「ふむ」と僅かに唸った。

 

「……天灯か」

 

「おう、その通りじゃ」

 

 手慣れた様子で天灯を作る鉱人道士は頷き、そっと作る蜥蜴僧侶は一息吐いた。

 ローグハンターは杭を作りつつ、ぼそりと呟く。

 

「死んだ人々の魂が迷わないようにする道標。確かそんなものだったな……」

 

 その目を細め、何かをぶつけるように木材を削る。

 命を奪い続ける側の彼としては、その魂が迷って悪霊にでもなられると困る。

 生前どんなに迷惑をかけたとしても、死ねば誰であれそこまでなのだから、せめて迷わずに天へと昇って欲しいものだ。

 彼の雰囲気が何となく変わったことを察してか、三人が目を合わせるのを他所に、その人物が現れた。

 

「あーっ!男四人が何か作ってる!」

 

 だが、それが彼の苦手とする人物なら話は別。

 露骨に嫌そうに眉を寄せたローグハンターを気にする様子もなく、その人物━━妖精弓手が四人に駆け寄った。

 

「……で、何作ってんの?」

 

 四人の手元を覗きこんだ彼女が訊くと、ゴブリンスレイヤーが杭を差し出す。

 

「杭だ」

 

「見ればわかるわよ。鉱人と蜥蜴人が何を作っているのか知りたいの」

 

「なんじゃ知らんのか。こいつは天灯と言うてだな」

 

 横であれやこれやと説明する鉱人を他所に、ローグハンターは杭を作り続ける。

 結局、彼らのその作業に妖精弓手も加わり、ローグハンター一党の二人が合流するまで続いたのだった━━━。

 

 

 

 




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Memory03 明日に備えて

 ギルドの酒場の一角にて。

 ようやく作業を終えたローグハンターたちはそこに集い、かなり遅めの昼食をとっていた。

 各々が好きなように注文し、好きなように食べ進める。

 鉱人道士と銀髪武闘家が豪快に肉をかじり、蜥蜴僧侶がチーズの塊にかじりつき、ローグハンターと女魔術師はもそもそと少しずつ食事を口へ運ぶ。

 野菜スティックをかじっていた妖精弓手は、そんな中でも兜を脱がないゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 彼は器用に兜の隙間に食事を押し込み、しっかり咀嚼している辺り、慣れているのだろう。

 彼女はその様子を眺めつつ、頬杖をついて訊く。

 

「……前から思っていたんだけどさ。食事の時くらい、それ、脱いだら?」

 

 ゴブリンスレイヤーの兜を指差した彼女の一言に、彼は食事を飲み込むと、小さく首を横に振った。

 

「いつゴブリンが出てくるかわからん」

 

「街中なのに?」

 

「街中でもだ」

 

 相変わらずの彼の返答にげんなりしつつ、彼女の視線はローグハンターへ。

 彼は一口は小さいながらも、黙々と食べているためか食事の減りは速い。

 彼の身なりはいつも通りで、その目には僅かな警戒の色。こっちもこっちで街中でも警戒しているのだ。

 彼女はその長耳をひくつかせると彼に問いかけた。

 

「でさ、あんたはいっつもそんな顔してるわけ?」

 

「顔は生まれつきだ。今日明日は特に険しいかもしれん」

 

 彼はそう返すと、ギルドに溢れる人混みに目を向けた。

 彼の視界に何がどう映っているのか、それを彼女が知ることは出来ないが、何かしら気になることがあるのはわかる。

 現に、彼の視線はギルドの端、そこにいる黒い外套に身を包み、目深くフードを被った誰かに向けられていた。

 細められたその目には、明らかな敵意。否、それを通り越した殺気すら宿っている。

 銀髪武闘家は彼の様子に気づいてはいるようだが、気にしてはいないようだ。

 ならば自分も気にしないと決め込み、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「ところでさ、あの子が買った装備見た?」

 

 妖精弓手が「あの子」と呼ぶのは、女神官と女魔術師の他にいない。その女魔術師が横にいるのだから、相手は間違いなく女神官の方だろう。

 ゴブリンスレイヤーは「装備か」と首を傾げ、首を横に振った。

 

「いや」

 

「そう……」

 

 何か含みのある顔をして、そして笑う。

 妹を気遣う姉のような表情をしているが、その妹扱いされているほうがしっかりしているだろうと、ローグハンターは思った。

 そんな彼の胸中を知らない妖精弓手は、空になった杯を弄びながら呟く。

 

「じゃあ、黙ってた方が良いかしら。知りたい?」

 

「知らせたいのなら聞くが」

 

「知らせたいけど、あの子から聞いてないんでしょ?」

 

「ああ」

 

「それなら内緒にしておくわ」

 

 そう言いながら、彼女はぱちりと片目を閉じる。

 彼女がすれば間違いなく一撃で男を落とす必殺技だろう。だが、相手はゴブリンスレイヤー。彼を普通の男と同じに扱うのは筋違いというもの。

 横の女魔術師もその話が気になるのかそわそわしているが、銀髪武闘家に声をかけられてその思考を切り替える。

 

「ところでさ、明日はどうするの?」

 

「明日。明日は、その……」

 

 彼女は横目でローグハンターに目を向け、真っ赤になった顔を隠すように俯き、ぶつぶつと言葉を漏らす。

 そんな彼女を軽く睨みつつ、怒りに任せて残りの肉にフォークを突き刺した。

 当のローグハンターは、先程の不審者がいなくなったからか、愛用のアサシンブレードの一つを鉱人道士に見せているところだった。

 目を輝かせる鉱人道士は、様々な角度からそれを眺めつつ、感嘆の息を漏らす。

 

「相変わらず、珍妙な武器じゃな。これを作った奴ぁ、何者じゃ」

 

「さあな。誰がどうやって作ったのかは聞いていない……」

 

「むぅ。おまえさんの父親を問いただしたいところじゃが……」

 

「俺が生まれるのと、この出会いが十年早ければな」

 

 唸る鉱人道士とやれやれと困り顔で首を振るローグハンターを眺めつつ、蜥蜴僧侶は苦笑を漏らした。

 

「はは。斥候殿の父上殿も、また優秀な斥候だったのですかな?」

 

「ああ。戦士としては俺が上だろうが、斥候としては、どうだろうな」

 

 懐かしむような声音で言う彼は、視界の端に映った自分を見つめてくる銀髪武闘家に気づいた。

 彼女は頬を膨らませながらそっぽを向き、彼女を眺めてローグハンターは首を傾げる。

 まあ、明日の午後は二人でのんびり出来るのだ。何かあれば、その時訊けばいいだろう。

 彼はそう判断して、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「それで、これからの予定はどうする」

 

「やることは変わらん」

 

「俺は、明日を迎える前にやることがある」

 

「そうか……」

 

「罠の設置はこれからだろ?」

 

「そのつもりだ」

 

「なら、途中で合流する」

 

「そうか」

 

 相変わらず二人で話を進める彼らに、一党たちは口を挟まない。

 この二人が五年で築き上げた信頼感は、他の追従を許さないのだろう。

 現在進行形で追いかけている少女がいるが、この場にはいないのが残念だ。

 ゴブリンスレイヤーは彼から視線を外し、その場にいる仲間たちに目を向けた。

 

「何か頼むことがあるかもしれん。その時は頼む」

 

 その発言に真っ先に反応したのは妖精弓手だ。

 彼女はその言葉を待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、その身を乗り出しながら長耳を立てて言う。

 

「良いけど、その代わり冒険に付き合いなさい!もちろん、ゴブリン以外でよ!」

 

「……」

 

 ゴブリンスレイヤーは押し黙ると、僅かに息を漏らす。

 

「わかった。それで、頼む」

 

「よぉし。あんたたちもついて来るでしょ?」

 

 彼女は嬉しそうに目を細めながら、鉱人道士と蜥蜴僧侶に目を向けた。

 二人は当然と言わんばかりに頷き、満足そうに頷き返した彼女は、その視線をローグハンターに向ける。

 彼は鉱人道士から返してもらったアサシンブレードをつけ直し、我関せずと言った様子だった。

 妖精弓手は長耳を垂らし、わざとらしく唇を尖らせるが、彼は気にしない。それよりも明日の予定が大切なのだろう。

 銀髪武闘家は仕方ないと肩をすくめ、小声で「ごめんね」と呟いた。

 聴力の高い妖精弓手にはしっかりと届いたようで、彼女は手を顔の前で振りながら「気にしないで」と返す。

 ローグハンターは水を飲み干し、一党の二人に目を向けた。

 

「それじゃあ、一旦離れる。また後でな」

 

「うん。気を付けてね」

 

「怪我しないでくださいね」

 

「ああ。そっちも気を付けろよ」

 

 彼は二人にそう告げ、足早にギルドを後にする。

 二人もその背中を見送り、次にお互いに見つめあうと、苦笑を漏らした。

 

「明日はもうちょっと愛想良いと思うよ?」

 

「あんなところが、あの人らしいような気もしますけど」

 

「ほう。まだ出会って一年足らずの()が、彼を語るつもり?」

 

「あ、いえ、そんなつもりは……」

 

 銀髪武闘家の気迫に押され、萎縮する女魔術師。

 ただ、周りの彼らには、二人がじゃれあっているということは理解できた。

 何だかんだで、二人は仲が良いのだろう。仲間と言うよりは、姉妹と呼んだほうがしっくりくる関係のような気がするが━━━。

 

 

 

 

 

 一足先にギルドを後にしたローグハンターは、街中であるにも関わらずフードを被り、タカの目を発動する。

 人でごった返す通りから、先程の不審者の痕跡というピンポイントの探し物をするためだ。

 そして、それはすぐに見つかった。

 光る線のように見えるそれは、ギルドから街の中央の方へと伸びている。

 彼は小さくため息を吐き、人混みをすり抜けながら進んでいく。

 その途中で準備が進む露店の位置や種類を見ておくことも忘れない。大事なのは目の前のことだが、明日のことも大切だ。

 何分ほどか歩き、痕跡は街の中央を通りすぎ、そのままギルドとは反対側へと伸びていく。

 祭りの準備で騒がしい場所に比べて、その近辺はとても静かで、人はいない。

 

「━━━━」

 

「━━━!━━━!」

 

 だからこそ、僅かな喋り声でも目立ってしまうのだ。

 密談をするなら、人が大勢いる場所で尾行されていないかを警戒しながらやったほうが、まだ盗み聞きされないだろう。

 何度、人が多い街中で尾行と盗聴を繰り返したことか……。

 

 ━━素人(ヌーブ)だな……。

 

 彼は相手がこの手の事に慣れていないと判断し、小さく息を吐く。

 だが、それが見逃していいという理由にはならない。むしろ、相手が自分でもどうにもならないほど上手になる前に潰す。

 妥協したところで、最終的に痛い目を見るのは自分や仲間たちだ。

 痕跡、さらに音を頼りに喋り声の主を探し、そして彼らを見つけた。

 見た目からして怪しさ全開の二人が、面と向かいあって何かを話しているのだ。

 彼は物陰に身を潜め、聞き耳を立てる。

 長身の男が頭目なのか、小柄な男にあれやこれやと指示を出しているようだった。

 

「━━我々の計画に失敗の可能性はない。報酬を出した以上、貴様にもその分働いてもらうぞ」

 

「あったり前だ!あいつらをぶっ殺してやる!」

 

「威勢だけでなければ良いが。とにかく、祭りに乗じて騒ぎを起こせ。そうすれば、勝ったも同然だ」

 

「絶対にぶっ殺してやる……!」

 

 会話が噛み合っていない。

 長身の男は何かしら目的があるようだが、小柄な男の方は、それとは別の何かに拘っている。

 よくあんな男を雇ったものだと、彼は音もなく苦笑した。

 騒ぎを起こすつもりなら、今のうちに叩いておくべきだろう。だが、証拠がない。下手に手を出せば、自分はお尋ね者の仲間入りだ。

 

「ではな」

 

「ああ……!」

 

 長身の男がその場を離れ、街の外を目指す。

 小柄な男はその場に残り、近くの小石を蹴飛ばし、ずかずかと大股で歩き出した。

 ローグハンターは物陰から出ると、再びため息を吐く。

 

 ━━どちらかを追うべきか……。

 

 彼は僅かにそう思慮し、そして首を横に振った。

 どちらかに異常があれば、もう片方が暴走する可能性がある。

 長身の男はともかく、小柄な男が何をするのか、検討もつかない。目標関係なしに、無差別に人を襲い始める可能性だってある。

 それに、何かが起こり、決着がつくのは明日か明後日だ。その時に備えておく方が、今は賢明だろう。

 彼は頬をかくと、ゴブリンスレイヤーと合流するためにその場を離れる。

 最終的に、件の二人が彼の尾行と盗聴に気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 やることは単純だ。

 相手の手を読み、対策し、裏をかく。

 陽が沈み、二つの月が登った頃、ゴブリンスレイヤーは街に程近い森の中にいた。

 彼は黙々と穴を堀り、その中に昼前に製作した杭を設置し、その上に布を被せ、続けて土を被せて穴を隠す。

 最後に目印として、鮮やかな色のついた小石を撒いておく。

 

「さて……」

 

 問題は残された残土。

 一応土嚢にするという計画を立ててはいたが、いかんせん多い。

 土嚢を藪の中に隠し、半円型に並べて陣をつくる。

 何に役立つかはわからないが、無くて困るよりは良いだろう。

 その困る瞬間とは、同時に自分の命が危険に晒される瞬間だ。対策をしておかなければならない。

 やることはそれだけではない。さらに罠を仕掛け、網を張り巡らせなければ……。

 網を張り巡らせると言っても、他の地点は終わっている。ここが最後なのだから、多少拘っても良いだろう。

 明日に響かない程度に、だが。

 

「急ぐか」

 

 彼はそう呟き、罠の配置に思慮を深めた瞬間、

 

「そこで何をしている!」

 

 斬りつけるような鋭い声の不意討ちに、彼は思考を切り上げる。

 ゴブリンではないことは確かだ。奴等は共通語を喋らないし、何より女はいない。

 彼が声のした方向、自分の背後に体ごと振り向いた瞬間、彼の首もとに刃が突きつけられた。

 

「……何をしていると訊いている」

 

 鋭い声の主は、背がすらりと高い人物だった。

 外套に身を包んでいるが、裾から垣間見える装備から、彼女が冒険者であることを教えてくれる。

 片刃の長剣使いの女性冒険者。おそらく手練れの剣士。

 彼はそう判断して、声を漏らす。

 

「止めておけ」

 

「なに?」

 

 目の前の女性剣士は彼の声に怪訝そうな表情を浮かべ、眉を寄せた。

 

「貴様、今なんと言った」

 

「止めておけ。そう言った」

 

 僅かに声を張り、周囲にも聞こえるように声を発した。

 それを挑発と受け取ったのか、その女性は額に青筋を浮かべた。

 

「ほう。貴様、私は眼中に━━━」

 

「おまえには言っていない」

 

 彼女の言葉を遮り、彼はそう告げた。

 兜の奥の赤い瞳が彼女に向けられたが、瞬間、彼女の意識が別のものに向けられる。

 彼らの近く茂みから、黒い影が飛び出してきたのだ。

 

「ッ!」

 

 女性冒険者は影に向けて剣を振るが、影の閃いた左腕に受け流され、大きく体勢を崩す。

 彼女が体勢を整える前に影の右腕が閃き、寸分の狂いなく彼女の首に伸びていくが━━。

 

「おにぃちゃぁぁああああんッ!!!!」

 

「!?」

 

 横っ腹に突っ込んできた小さな人影に、その勢いのまま押し倒された。

 女性冒険者に襲いかかった影━━ローグハンターは、自分を押し倒した人物を睨み、そして目を見開いて固まった。

 そんな彼を他所に「フォ~!!!!」と謎の声を漏らすその人物は、彼にとって大切な、この世界での一人目の家族。

 

「お、おまえは!?」

 

「うん、ボクだよ!久しぶり!」

 

 黒髪の少女は太陽を思わせる笑顔を浮かべ、彼女は再び頬擦りをし始めた。

 周囲の人物を置いてきぼりにしたまま、彼女は鼻息を荒くして彼を離さない。

 

「♪~♪~」

 

「………」

 

 知らぬ間に冒険者となっていた妹との再会に、ローグハンターの思考は停止したのだった。

 

 

 

 

 

 数分後。

 まったく離れる気配の無かった少女を、女性剣士、そして遅れて現れたもう一人の女性冒険者━━魔術師だろうか━━がようやく引き剥がし、話せる状態となった。

 当の少女はまだ余韻に浸っているのか、恍惚の表情を浮かべたまま戻ってこない。

 ローグハンターもローグハンターで、何と声を掛ければ良いのか迷っている様子だった。

 誤解があったとはいえ、妹の仲間に刃を向けたのだ。

 

「ああ……すまん。こちらの早とちりだったようだ」

 

「いや、それはこちらにも言えることだ。申し訳ない」

 

 ローグハンターと女性剣士がお互いに謝るという形で一旦落ち着き、彼はいまだに上の空状態の妹に目を向けた。

 あの頃に比べればだいぶ背は伸びたが、まだまだ小柄と言って良い。

 だが、その腰に携えた()()()()は何だ。

 タカの目を通して見れば、一目瞭然だ。

 片や女の子には似つかわしくないほどの力を放ち、神々しく輝いて見える。鞘に納まってこれなら、抜刀した刃を直視なぞすれば、間違いなく目を焼かれるだろう。

 片や女の子には似つかわしくないほど錆びだらけであり、何の力も感じない。刃は抜き身のままなのか、その錆の一部が剥がれて鈍い金色の刀身を覗かせる。

 なぜそんな二振りの剣を下げているのか、彼の疑問はそちらに向いていた。

 

「それで、二人は何者」

 

 氷のように冷え切った声を発したのは、魔術師だろう。外套のフードには、なぜか猫耳を思わせる装飾がついている。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターは目配せし、それぞれの認識票を見せながら同時に息を吐く。

 

「ゴブリンスレイヤー。俺はそう呼ばれている」

 

「ゴブリン。つまり、小鬼を殺す者ということか?」

 

 女性剣士の確認に、彼は若干面倒臭そうに頷いた。

 

「俺はローグハンターと呼ばれている。いちおう、そいつの兄だ」

 

「ローグハンター。つまりあなたは……」

 

ならず者(ローグ)を殺して回っている」

 

 魔術師の確認に、彼は何の迷いもなく頷いた。

 二人の素性が知れたからか、女性剣士は僅かに表情を和らげる。

 だが訊くことがあることは変わらない。彼女は再び表情を引き締めると二人に訊いた。

 

「それで、ここで何をしていた」

 

「用心していた」

 

「少々面倒なことになっていてな。万が一に備えてだ」

 

 ローグハンターが付け足しし、女性剣士は頷いた。

 少女が復活したのはその時だった。

 勢いよく立ち上がり、その平坦な胸を張る。

 

「ボクのお兄ちゃんが、まさか噂の人だったなんてね。妹のボクも鼻が高いよ!」

 

「……それで、何をしに来た」

 

 話についてきていない妹の発言を無視しつつ、横の二人に問うた。

 妹が話を聞かないのは五年前に理解している。

 彼の瞳に僅かな同情の色が込められていることに気づいた二人は、小さく息を吐く。

 そんな二人を気にせずに、少女が身を乗り出す。

 

「あのね、お祭りを見に来たの!ここのお祭り、もうすぐでしょ?」

 

「……ああ。もうすぐと言うよりは、明日だ」

 

 笑顔の妹の顔を見つめる兄の目は、何かに気づいたのか僅かに揺らぐ。

 

「ゴブリンスレイヤー。罠の設置を続けてくれ」

 

「わかった」

 

 ゴブリンスレイヤーは諸々道具を担ぎ上げ、森の闇に消えていく。

 ローグハンターは彼の背中を見送り、そして二人に目を向けた。

 

「この街で何が起こるのかは知らないが、妹のことを含めてよろしく頼む」

 

 その表情は真剣そのものであり、兄と言うよりは戦士といった具合か。

 そして、二人は気づく。

 何故かはわからないが、彼は感づいたのだ。自分たち三人が何故ここに来たのかを。

 当の妹は「心配し過ぎ、大丈夫だよ」と笑みを浮かべるが、ローグハンターの表情は硬いままだ。

 彼は妹の髪を撫で、優しく抱擁すると、その耳元でそっと呟く。

 

「頼んだぞ、勇者様」

 

「ッ!……うん」

 

 死地に赴く妹を送り出すなど、兄失格も良いところだ。だが、彼女は聖剣に選ばれ、魔神王を討伐した。白金等級の勇者だ。

 彼女がその役目(ロール)を果たすなら、自分は彼女を送り出すだけだ。

 五年前、彼女が自分を送り出した時のように。

 彼女の返事に満足そうに頷くと、彼はその身を離して彼女らに背中を向けた。

 

「また来年、平和になったら遊びに来い。歓迎する」

 

 そう言って、彼は闇の中に足を進めていく。

 その背中を見送る勇者は、その顔に笑みを浮かべた。

 

「何がなんでも来年来るからね!待っててね!」

 

 彼女の言葉に彼は軽く右手を挙げて応え、闇の中に消えていく。

 勇者は自分の両頬を叩き、気合いを入れる。

 

「お兄ちゃんに期待されたからには、絶対にやってやる!二人とも、行くよ!」

 

 勇者はそう告げ、ずかずかと自信に溢れた様子で歩き始める。

 女性剣士改め『剣聖』と、魔術師改め『賢者』の二人はいつになくやる気の勇者に苦笑し、彼女の後に続く。

 彼女の腰に下げた錆びだらけの剣が、僅かに震えている事にも気づかずに━━━。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory04 祭り

 眠る狐亭、一階。

 腰の剣がないことを除いていつもの格好のローグハンターは、いつもの座席に腰掛け、待ち人を待っていた。

 昨日の夜はだいぶ遅くなってしまったが、別に問題はない。多少徹夜した程度なら、支障は出ないだろう。

 店の外から聞こえる様々な楽器の音や人の声は活気に満ちていて、聞いている側を飽きさせない。

 いつも彼に声をかける店主は、珍しいことに賭博場を仕切っていた。旅行客が増えるこの時期は、稼ぎ時なのだろう。

 いつも以上に賑わう店を見渡していると、不意に誰かが隣に腰掛けた。

 

「お、お待たせしました」

 

「いや、それほど待ってはいない」

 

 出来る限り肌の露出を抑えた平服に身を包んだ女魔術師だった。その服は、見方によって質素なドレスのようにも見える。

 彼女が常に身に付けている三角帽子や杖はなく、その姿は年ごろの街娘にしか見えない。

 ローグハンターはいつもの格好のままである事が申し訳なくなったが、自分は目の前の女性を守らなければならない。そのためにも、この格好が最善だ。

 自分にそう言い聞かせて席を立つと、彼女に右手を差し出した。

 

「ほら、行くぞ」

 

「は、はい……!」

 

 勢いよく返事をしたは良いが、彼の右手に手を差し出そうとして引っ込める。

 彼の手をとって良いものなのか、彼女は迷っているのだろう。

 彼は小さく苦笑を漏らすと、引っ込んでいった彼女の左手を半ば強引に掴んだ。

「ひゃっ!」と彼女の口から上擦った声が漏れたが、彼は気にすることなく彼女の手を引いて店を後にする。

 二人の様子を横目で見ていた店主はニヤリと笑い、声をかけることなく見送ることにした。

 若い者は若い者同士で、その絆を深めれば良い。

 店主はそんな事を思いながら、自らが仕切る賭博に意識を戻す。

 その目が放つのは、まさに捕食者の眼光だ。

 この日、賭博場がいくら稼いだのかは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 辺境の街の中央広場。

 そこまでたどり着いた所で、ようやく女魔術師は解放された。

 ここに来るまで、彼にずっと握られていた左手を胸に抱きしめ、その顔は耳まで真っ赤である。

 流石のローグハンターも彼女の反応は意外なものだったのか、困り顔で頬をかく。

 

「……とりあえず、何か食べるか。何があるのかはわからんが」

 

「は、はい。お、お任せします」

 

 見る者によれば、二人は初々しいカップルに見えるだろう。

 だが、二人の関係はあくまで一党の仲間。その一線を越えられた人物は、今のところ一人だけだ。

 お互いに深呼吸をした二人は、広場を埋める人混みを掻き分けるようにして歩き始め、時には立ち止まり、冷やかし程度に店を覗く。

 だが空腹というのは強敵で、冷やかし程度に覗いた筈が、二人の手の上には分厚く切って炙ったベーコンと、いくつかの野菜のスライスをパンで挟んだもの━━いわゆるサンドイッチ━━が乗っていた。

 二人して思わず苦笑したが、そのサンドイッチは実に旨かった。

 

「このベーコン、牧場のか……」

 

「道理で美味しいわけです」

 

 そんな事を漏らしつつも食べ進めたサンドイッチは、あっという間に腹の中へと消えていき、最終的に残ったのは包み紙だけ。

 彼はそれをくしゃりと握りつぶし、隣の彼女は何故か丁寧に折り畳んでからごみ箱に押し込む。

 簡単な朝食を済ませた二人は街を進み、その賑わいの中に溶け込んでいく。

 森人の弓手が宙に放った皿を矢で射抜く曲芸に拍手を送り。

 鉱人と彫刻家の口論を横目で見つめて聞き流し。

 吟遊詩人の歌に耳を傾け、歌の途中で何故かイラつき立ち上がった彼を彼女が宥め。

 見慣れた筈の、歩き慣れた筈の街を、初めて来た街のように歩き回る。

 二人の空気はとても緩く、彼が噂に名高いローグハンターであることなぞ、忘れてしまいそうなほどだ。

 無意識に放っているであろういつも迫力が、今の彼からは微塵も感じない。

 

「お、ログハンの兄貴じゃんか!」

 

 だからこそ、顔見知りなら声をかけてくるというもの。

 不意に呼ばれた彼は足を止め、その声の主のほうに目を向ける。

 そこにいたのは重戦士一党の一人である少年斥候だった。

 その隣には圃人の少女巫術士(ドルイド)、その横には新米剣士と見習聖女、そして、

 

「あ、ローグハンターさん!お久しぶりです!」

 

「だぁ、くそ!入らねぇ!」

 

 いつかの女武闘家と新米戦士。

 武闘家のほうは彼に気づいて一礼し、戦士のほうは何かに夢中なのか気づいた様子はない。

 ローグハンターと女魔術師は目を合わせ、そして彼らの元へと近づいていく。

 その途中で、女武闘家が平服姿の女魔術師に気づいたようで、その目を丸くした。

 見つかった彼女のほうは、流石に恥ずかしいのか彼の後ろに身を隠す。

 

「……も、もしかして、お邪魔でした?」

 

 恐る恐るといった様子で女武闘家が言うと、ローグハンターは「気にするな」と首を横に振る。

 後ろの女魔術師が僅かに不機嫌そうな表情をしたが、当の彼女は彼の死角に入っている。

 少年斥候が身を乗り出し、新米戦士を指差して彼に言う。

 

「聞いてくれよ兄貴!これ、全然入らないんだぜ?」

 

「む」

 

 少年斥候が指差した方、つまり新米戦士のほうに目を向けた彼は、僅かに声を漏らした。

 そこにあるのは一軒の酒場、正確にはその入り口だ。

 疎らに人だかりがあり、その輪の中心には小さな卓。その上にあるのは口を開けた蛙の像。

 新米戦士は銀玉を握り、その蛙目掛けて放っていくが、どれも掠りもせずに地面に落ちるか卓に弾かれる。

 それらの玉が最後だったのか、彼は肩を落として後ろに下がった。

 そんな彼の背中に、酒場の店主は勝ち誇った笑みを浮かべ、声を張り上げる。

 

「さあさ、十玉銅貨一枚!一玉入ればエール一杯!酒が駄目ならレモネードだ!」

 

「それが入らねぇんだよ」

 

 子供のようにむっとしながら文句を垂れる彼の姿は、どう見たって十五には届かない。

 時々年齢を偽って冒険者となる少年少女がいるそうだが、彼もその一人なのだろう。

 まあ、それを指摘するほど、ローグハンターも鬼ではない。彼が選んだ道なら、むしろ尊重するべきだ。

 新米戦士に代わり、次に挑んだのは新米剣士。

 やれ「玉が歪んでる」「蛙が遠すぎる」と文句を垂れるが、店主は慣れた様子でそれらを捌いていく。

 結果的に入った玉は一つもなく、それが彼らの闘争心に火をつけた。

 ムキになる男子三人の姿に、連れの女子三人はため息を漏らす。

 そして成果無しで帰ってきた男子三人は、何を思ったのかローグハンターの腕を掴むと、三人がかりで無理やり引っ張っていく。

 

「おい……」

 

「こうなりゃ兄貴の手を借りるぜ。手本を見せてくれ」

 

「そうっすよ。いつかに助言してくれたじゃないですか」

 

「俺ははじめましてで悪いけど、少しだけ付き合ってください」

 

 少年斥候、新米戦士、新米剣士の三人は連続で彼に告げ、無理やり件の蛙の前の白線に立たせた。

 彼は小さくため息を吐き、懐から銅貨を取り出す。

 

「店主、一回だ」

 

「へい、毎度!」

 

 店主から銅貨と交換で銀玉を受け取り、手のひらの上で重さを確かめ、狙いを定め、一玉ずつ丁寧に、しかし素早く放っていく。

 一つ、二つと続いて三、四。僅かに間を開けて五、六、七。

 蛙像の奥からげっぷによく似た音が響き、絶えることなく鳴り続ける。

 そして十玉全てを蛙の腹の中に納めた頃には、少年たちからだけでなく、見物人たちからも感嘆の息と拍手が漏れた。

 彼はホッと息を吐き、硬い笑顔を浮かべる店主が言う。

 

「だ、旦那ぁ、ちっとは手加減してくださいや」

 

「勝負は勝負だ。手加減するわけにはいかん」

 

 彼は真面目な顔でそう言いきり、改めて人数を数える。

 

「……八人か」

 

 自分を含めて計八人。せっかく入れた二玉分が無駄になってしまう。

 その時、彼は見慣れた人物の姿を見つけた。

 人だかりに興味を引かれたのか、見慣れぬ青いドレスに身を包んだ牛飼娘に手を引かれ、ゴブリンスレイヤーが出てきたのだ。

 彼はフッと笑い、その二人に声をかけた。

 

「ゴブリンスレイヤー、牛飼娘、レモネードで良いか」

 

 話について行けない二人は首を傾げるが、牛飼娘はニコッと笑うと頷いた。

 

「店主、レモネード十杯だ」

 

「はいよ、十杯ね!ちょっと待っててくれよ!」

 

 店内に消えていく店主の背中を見送った彼は、少年たちに目を向け、何となくどや顔をしながら言い切る。

 

「習うより慣れろ。大事なことは練習だ」

 

 彼の助言に少年たちは「うえぇ……」とわざとらしく嫌そうな顔をして、女子たちは彼らの顔を見て可笑しそうに笑う。

 レモネードが出てきたのはその直後で、一人一つ受け取り、軽く乾杯をしてから口をつける。

 レモンと蜂蜜の垂らされた井戸水。

 ひんやりと冷たいその液体は、祭りの熱で火照った体にはちょうど良い。

 彼はゴブリンスレイヤーと牛飼娘に目を向け、小さく笑む。

 

「楽しんでいるか?」

 

「ああ」

 

「うん、割りと楽しんでるよ」

 

「そうか」

 

 彼は僅かに嬉しそうにしてそう返すと、新米戦士と女武闘家と談笑する女魔術師に目を向けた。

 時間もそろそろ真昼時。銀髪武闘家との約束の時間が近い。

 何か一言告げようにも、あの三人の会話に割り込むというのは流石に気が引ける。

 彼の様子に気づいてか、女魔術師は一旦会話を区切り、彼の元へ。

 

「午後は彼らと回ることにしました。再集合は、夜にギルドの前ですよね?」

 

「ああ。それじゃあ、楽しんでこい」

 

 ローグハンターはそう告げると、そっと彼女の頭を撫で、そして背中を向けると早足に進み始めた。

 人混みの間をすり抜けていく彼の姿は、誰かと重なった途端に見えなくなる。

 そんな彼の背中を見送っていた新米戦士が、女魔術師に言う。

 

「あの人、いきなり消えたように見えたんだけど……」

 

「あの人はそう言う人よ」

 

「そうなんだ……」

 

 彼女の言葉に、彼は諦めたように息を吐く。

 銀等級になると、あのくらい出来るようになるのだろうか。

 そんな疑問を飲み込んで━━━。

 

 

 

 

 

 再び辺境の街、中央広場。

 そこにいる銀髪の女性は、そわそわと落ち着かない様子で、周りを歩く人々に目を向けていた。

 彼女の待ち人は、いきなり目の前に現れることなんて普通だ。気を引き締めておかないと、心臓に悪い。

 たった一人でいる女性に声をかけようとする男は多い。だが人の波に呑まれ、ほとんどの人物はたどり着く前に彼女を見失う。

 そんな中、そんなものを一切気にすることなく、待ちわびた彼が現れた。

 彼女の表情はパッと明るくなるが、わざとらしくその表情に怒りの色を加えた。

 

「遅いよ、もう」

 

「すまん。思いの外、人が多くてな」

 

「むぅ。しょうがないから許したげる」

 

 そう言った彼女━━銀髪武闘家の格好は、いつもの冒険に出る格好からは程遠い質素な私服姿。

 髪型もいつも通りで飾り気はないが、彼女がこの髪型を崩すことは滅多にない。

 五年ほど前、初めての冒険の時、彼に似合っていると言われて以降、その髪型を変えたことはないのだ。

 寝るときや風呂に入る時などは流石に下ろすのだろうが。

 彼女はニコッと笑うと彼の手を取り、どこかを指差した。

 

「さあ、食べ歩くよ!遅れてきたんだから、キミの奢りでね!」

 

「……あまり食べすぎるなよ?」

 

 懐の財布に手を触れ、あとどれ程の金貨が入っているかを確かめる。

 三食豪勢なものを食べても、まだ多少のおつりが返ってきそうなほどだが、相手は大食漢の彼女だ。

 

 ━━頑張らないとな……。

 

 彼は密かにそう覚悟して、彼女に引かれるまま人混みに突っ込んでいく。

 途中で気になったものがあれば足を止め、彼女が定めた合格ラインを越えたものは買い、自慢の腹の中に納めていく。

 そのペースと言ったらかなり速いもので、ついていく彼も中々の苦労を強いられる。

 だが、それでもしっかりと彼女の後ろについて回り、決して見失うことはない。

 見失なったところで、タカの目で瞬時に見つけ、その身体能力を生かして即合流することだろう。

 

「ふへ~。幸せだな~」

 

 リンゴ飴を一舐めし、彼女は恍惚の表情を浮かべた。

 人が多い区間を抜けてからは、彼は彼女の隣を歩く。その手にはもちろんリンゴ飴━━ではなく、何も手を加えられていないリンゴが一つ。

 彼はそれをかじり、そっと彼女の表情を覗きこむ。

 彼女の幸せそうな表情は、見ているだけでもこちらも幸せになるものだ。

 それが彼女のものだから。彼がそれに気づいているかはまた別問題だが。

 二人は各々の手に持ったものに口をつけながら歩いていき、とある橋の上で小休止。

 橋の上という遮るものが何もないその場所は、優しい秋の風に当たるには最適な場所。

 二人とも橋の欄干(らんかん)に体を預け、銀髪武闘家は串を、ローグハンターはリンゴの芯を弄ぶ。

 

「平和だね」

 

「ああ。平和だ」

 

 二人は染々とそう呟き、彼女は彼の肩に身を寄せる。

 こうして収穫祭を楽しむのは、久しぶりなような気がする。

 この時期は旅行客を狙った野盗が増え、彼らはそれを狙って飛び回っていたからだ。

 だが、ローグハンターがその名を轟かせてからはその数はめっきり減った。この前の連中が最後の野盗だった。

 まあ、今度は帰りの旅行客を狙う輩が出るだろうから、また仕事で飛び回ることだろう。

 彼女は今この瞬間を、想像したくもないが、最後になってしまうかもしれないこの瞬間を、ただひたすらに享受する。

 それは彼とて同じ事。身を寄せる銀髪武闘家の肩をそっと抱き、僅かに力を入れて体を密着させた。

 彼女は嬉しそうに笑み、ローグハンターは照れ臭いのか目を逸らす。

 その視界の端に、私服姿の女騎士と彼女に連れ添う重戦士を見つけ、僅かに苦笑。

 

「ねえ……」

 

「どうかしたか」

 

 彼女に呼ばれ、顔をそちらに向けると、そこにあったのはいつもの笑顔。

 釣られて笑みを返せば、瞬時に唇を塞がれた。

 誰もいないとはいえ、街中でいきなりキスをする彼女の大胆さに思わず面をくらう。

 彼女はそっと顔を離すと、頬を赤くして彼に抱きつく。

 彼は彼女の頭をそっと撫で、優しく笑う。

 頭を撫でられながら、彼女は顔を上げて笑って見せた。

 

「前までなら夜にするんだけどね。今日はあの()が来るから、先取りさせて貰っちゃった」

 

「そう言うことか」

 

 彼は納得したのか頷くと、彼女の手を取り歩き始める。

 

「まだ回りきれていないからな。時間までに一回りするぞ」

 

「うん。何か美味しいものあれば良いけどな~」

 

 再び彼らは歩き始め、再び人混みに消えていく。

 祭りの賑わいは大きくなるばかり、その裏で暗躍している者の姿を隠すように━━━。

 

 

 




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Memory05 天灯に照らされて

 辺境の街、ギルド前。

 陽が沈み、空が朱色に染まり始めた頃、ローグハンター一党はその場所に集まった。

 いつものローブ姿に杖を持った女魔術師は、祭りから切り離されたような静けさに包まれたギルドを見上げ、何故か体をほぐしている銀等級二人に目を向ける。

 いつもの衣装に身を包んだローグハンターと、一度着替えに戻ったのか、いつもの軽鎧と籠手と脚甲をつけた銀髪武闘家。

 二人は手首を回し、足首を回し、ローグハンターは首を鳴らし、銀髪武闘家は髪紐を締め直す。

 

「あの、一体何をするつもりですか……?」

 

 何かの準備を進める二人の様子に、女魔術師が困惑したまま問いかけると、ローグハンターがストレッチを止めて彼女に目を向ける。

 

「これからギルドの壁を登る。今まで教えたことを生かして、しっかりついてこい」

 

「は、はい?」

 

 頭目の突拍子のない一言に、彼女は間の抜けた声を漏らした。

 彼の隣の銀髪武闘家はじっと壁を睨み、ある程度の道順を考えているようだ。

 ギルドを見上げながら、ローグハンターが言う。

 

「最初に俺が登るから、それを辿るように登ってこい。万が一に備えて下に武闘家を待機させるから、落ちても死にはしないだろう」

 

「え、あ、本当に登るんですか?この建物を?」

 

「ああ」

 

 女魔術師の確認に彼は当然と言うように頷き、彼女の言葉を待たずに窓枠に手をかける。

 そして何かに気づいたのか、手を離して女魔術師のほうに振り向いた。

 

「何なら杖を預かるが、どうする」

 

 止めるのか確認ではなく、まさか邪魔になりそうな装備の確認をされるとは。

 女魔術師は僅かに思慮して、首を横に振った。

 

「大丈夫です。自分で持ちます」

 

 彼女はそう言うと、杖を背中に回す。

 両手が開けられるように用意したベルトを、まさかこんなタイミングで使う日が来るなど、いくら彼女でも想像出来なかっただろう。

 彼は彼女の言動に僅かに嬉しそうに頷くと、再び窓際に手をかけ、ゆっくりと登り始める。

 窓枠に指をかけ体を持ち上げ、足をかけて次の窓へ。

 時には補強用の木板や、安全のためか窓につけられた柵に手をかけ、すいすいと登っていく。

 あっという間に登りきった彼は屋根の上へと消えていき、下からでも見えるように大きく手を振った。

 女魔術師は恐る恐ると言った様子で銀髪武闘家に目を向けて助けを求めるが、当の彼女はローグハンターに手を振り返している。

 もはや止める者はいない。この瞬間を見られていたら、後で何を言われるか……。

 だが、既に頭目は登り終えている。自分が行かなければ、銀髪武闘家は躊躇いなく登ることだろう。

 祭りの夜に、恋人関係の男女が、誰も来ない場所で二人きり。

 そこで何が行われるのかは想像に難しくない。

 

 ━━でも、ギルドの上なんだよな……。

 

 そんな事を思いついてしまった事を恥ながら、何故か冷静に思慮を深めた。

 その時、銀髪武闘家が彼女の顔を覗きこんだ。

 

「大丈夫?別に無理強いはしないよ?」

 

「大丈夫です。登ります」

 

 彼女は深呼吸をして体をほぐし、彼と同じ窓枠にその細い指をかけた。

 そして体を持ち上げ、次に足をかけ、次の窓へ。

 それを何度も繰り返し、腕の筋肉が僅かに悲鳴をあげても、それでも登る。

 彼に比べればだいぶ遅い。だが、その動きは正確で、一歩ずつ確かな足取りで登っていった。

 そして何分かかけて、彼女はようやくギルドの屋根の上にたどり着くことに成功した。

 ローグハンターは無事に登りきった彼女の頭を撫でると、再び下を覗きこんで手を振った。

 合図されてから二分ほど。銀髪武闘家も屋根の上に現れる。女魔術師ほど消耗している様子はないが、額には汗が浮かんでいる。

 三人は並んで屋根の上に腰掛け、沈み行く陽を眺める。

 朱色の空は紫へと変わり、陽が完全に沈む頃にはそれに代わって二つの月が大地を照らす。

 冷たい夜風に当たりながら、ローグハンターは白い息と共に呟いた。

 

「そろそろだ。始まるぞ」

 

 彼の呟きとほぼ同時に、街のある場所に生まれた灯火が、ゆっくりと天に向かって登り始める。

 何のことはない。この祭りはこの為にあるようなものだ。

 一つ、二つ、三つ、四つ。数えきれたものは、やがて数えきれぬ数へとなり、夜空の星にも負けぬように、優しく橙色に煌めき、街を照らす。

 天への登り行く天灯は、死者の魂を導き、あるべき場所へと送り出す。

 

「わぁ……」

 

 思わず女魔術師は声を漏らし、その目を輝かせた。

 ギルドの屋根の上という遮るものが何もないそこからは、その全てを一望できる。

 まさに特等席。彼は彼女らにこれを見せるために、少々無理をさせたのだろう。

 だが、その無理は報われた。これ以上ないほどに、見事な形で。

 ローグハンターは静かにその絶景を眺め、その目を細める。

 タカの目は必要ない。使ってしまえば、きっと見えなくなってしまう。

 何故浮いていくのか、この後天灯がどうなるかも、彼は知っている。

 だが、そんなものどうだって良いじゃあないか。

 目の前の景色は、そう思えるほどに素晴らしい。

 

 ━━しゃん。

 

 静寂に包まれた街の中に、静かな鈴の音が響く。

 それも一度だけではない。一定のリズムで繰り返されるその音は、場を清める為の神事の証。

 彼らはその音源を探し、そして見つけた。

 辺境の街の中央広場。

 今日一日だけで、何度も中に通った場所だ。

 そこには大勢の人が、様々な種族が詰めかけ、設置された円形舞台を囲むように設置された席についている。

 槍を担いだ青年やとんがり帽子の女性、私服姿の金髪の女性や筋肉質の男、まだ幼い冒険者やまだまだ新人の後輩たち。

 そして、汚れた鉄兜を被った男と、隣に腰かける三つ編みの女性。

 見慣れた姿をいくつか認め、ローグハンターは苦笑を漏らす。

 今日の祭りは、慈悲深き地母神への祈りの祭り。

 ならば、神にその想いを伝える巫女が必要だ。

 そして現れたのは、彼らに取って見慣れた少女。

 どういうわけか露出の多い真白の衣装を身に纏った女神官は、神器を模したフレイルを振るい、舞い踊る。

 フレイルに取り付けられた小さな鈴が、彼女が舞う度に音を響かせ、優しく観客たちを包み込む。

 いつかに妖精弓手が言っていたことは、きっとあのことだったのだろう。

 彼女の舞いは、きっと地母神にも届くことだろう。

 本来夜とは、祈らぬ者(ノンプレイヤー)の時間である。それでも、確かに、今この時だけは祈る者(プレイヤー)たちの時間だ。

 だからこそ、彼は動くことにした。

 やはり、視界の端で怪しげに動き回る影が、どうにも気になってしまう。

 彼は立ち上がり、そして歩き出す。

 そして背中越しに二人に声をかけた。

 

「少し用事を済ませてくる。あいつの舞いが終わる頃には、戻るつもりだ」

 

「……うん。ちゃんと戻ってきてね?」

 

 彼の背中に向け、銀髪武闘家は寂しそうにそう言った。

 女魔術師は何と声をかけるべきかを悩み、そしてそっと笑みを浮かべて呟く。

 

「気を付けてください……」

 

「ああ」

 

 彼は振り向くことなくそう返し、下の干し草の山に向けて何の躊躇いもなく(イーグル)飛び降りた(ダイブ)

 突然の彼の行動に二人は驚き、慌てて彼へと手を伸ばすが、肝心の彼は背中から干し草の山に落ちたところだった。

 彼はすぐさまその山から飛び出し、二人に向けて手を振ると、街の闇の中へと消えていく。

 取り残された二人は安心したのか、ホッと息を吐いて崩れるように腰掛けた。

 彼は行ってしまったが、彼女の舞いはまだ続いている。

 今なら、死に行く魂も無事に逝けるだろう。

 女神官が舞いと共に唱える歌は、『降神(コールゴッド)』の歌に他ならない。

 優しき地母神の力の一部を、その身にほんの一瞬だけ宿らせる、他のものとは一線を画す文字通りの『奇跡』。

 

「《大き、久き、(ひろ)き、厚き、大愛(おおうつくしみ)(かがふ)りて》」

 

 とある路地裏で、名のある一人の山賊が、奪い続けた代償として、その命を奪われた。

 

「《亦是(またこ)れ、盤上(おおつち)(あり)ては》」

 

 とある橋の下で、街で盗みを働いていた盗賊が、対価にその命を奪われた。

 

「《秩序、混沌、天秤の(あまね)くに(まざわい)なく、(つつが)なくあらしめ》」

 

 とある建物の屋根の上で、信条無き暗殺者の一人が、誰も殺めることなく暗殺された。

 

「《夜の守に護恵(まもりめぐみ)(さち)(たま)えと》」

 

 孤独な傭兵が、愛する家族が待つ場所へと送られた。

 

「《眞空遥(みそらはるか)(おろが)み、(まつ)らくを申す━━……》」

 

 狂った男が、狂った愛をぶつけようとした女の背後で、何の慈悲もなく殺された。

 そして、復讐に囚われた元冒険者が、目的の人物たちを目の前にして、闇の中に引きずりこまれた。

 その圃人(レーア)の元冒険者は、首を掴まれ壁に叩きつけられると、仕込み刀(アサシンブレード)の切っ先を、その見開かれた眼球に突きつけられた。

 その身長差から、その元冒険者の足は壁と空気を蹴るだけだ。

 捕らえた本人であるローグハンターは、感情が欠落した声で問いかける。

 

「お前の雇い主と、計画はなんだ」

 

「言うわけねぇだろ!あいつに消され━━!」

 

 言い切る前に、その右目を切り裂く。待っている時間も、聞き出すための駆け引きをする時間も惜しい。

 苦痛の絶叫は人々の歓声にかき消され、すぐ近くにいる筈なのに、誰にも届くことはない。

 

「……言わなければ、俺が消す」

 

「わ、わかった!た、たい、大将は南だ!それ以外の三方からゴブリンの群れをぶつける!」

 

「数は」

 

「い、一ヶ所十五匹そこらだよ!た、頼む、解放してくれ!」

 

「そうだな……」

 

 彼は元冒険者の首から手を離すと、地面に落下する前に左目の眼窩に刃を滑り込ませる。

 元冒険者は声にならない絶叫を最後に、そのまま息絶えた。

 

「確かに解放したぞ。醜い使命と、貴様の腐った信条からな……」

 

 彼はそっと呟くと、アサシンブレードを納刀する。

 両手とも、休まず殺し続けた為か、血で真っ赤に染まっている。

 血塗られた男に守られた優しき神への祈りは、きっと届いたことだろう。

 

「………」

 

 優しき暗殺者はフード越しに天をあおいで、そっと瞑目する。

 今もなお増えていく天灯に、この瞬間に消えていった魂たちも導かれているだろうか。

 いや、そうでなければ、救われないにもほどがある。

 

 ━━一体誰が?とは、とても聞けない。

 

 今日は死者たちに祈りを捧げる祭りの日だった筈なのに。

 今日は優しき地母神に祈りを捧げる日の筈なのに。

 それでもどこかで血は流れるものだ。

 

「天上の神々よ」

 

 目を閉じたまま、歯を食い縛り、湧き出る感情を押し殺し、力を込めて天に向かって告げる。

 

「どうか、我らを」

 

 ━━憐れみたまえ……。

 

 最後の一節は、周りの人々の歓声にかき消され、誰にも届く事はない。

 そんな誰かにかき消されるような声では、天上の神々に届くことなんて有り得ないだろうに━━━………。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory06 森に潜む

 女神官の舞いの終わりは、すなわち祭りの終わり。

 ギルドの屋根の上にいた銀髪武闘家と女魔術師は、彼が前もって準備していた改造ロープダートを使い、行きよりもだいぶ楽に降りることが出来た。

 二人が石畳の上に降りた頃、ちょうど良くゴブリンスレイヤーの一党が現れた。

 妖精弓手は二人が腰に巻いたロープを外している姿を怪訝そうに見つめ、自慢の長耳を上下させる。

 

「あ、あんたたち、今どこから来たのよ……」

 

 二人は笑って誤魔化す他ないのだが、ゴブリンスレイヤーは二人を気にせず兜を巡らせて彼の姿を探す。

 頭目の彼が、一党の二人を置いてどこかに行くなど想像出来ないのだろう。

 

「あいつはどうした」

 

「何か用事を済ませて来るって」

 

 ちいさく首を傾げての一言に、ゴブリンスレイヤーは小さく唸る。

 流石に彼に無断で彼女らの手を借りるのは、気が引けると言ったところなのだろう。

 だが、その心配は杞憂に終わる。

 路地裏から、見慣れた人影が音もなく出てきたのだ。

 真っ先に気づいた銀髪武闘家は、その表情をパッと明るくする。

 

「あ、おか……え……り……」

 

 そしてすぐにその表情を曇らせた。

 去ってから確実に何かあったのだろう。その両手が血で真っ赤に染まっているのだ。

 当のローグハンターはフードの下で苦笑を漏らし、その血に濡れた両手を見てため息を一つ。

 

「街にならず者(ローグ)どもが入り込んでいた。何かする前に対処したが、明日は面倒なことになりそうだな……」

 

 既に行動に移していた彼に仲間たちが驚くなか、彼は女神官に目を向けて申し訳なさそうに言った。

 

「……神聖な儀式を囮に使ってしまった。申し訳ない」

 

「い、いえ。気にしないでください」

 

 彼女は困ったように笑いながら首を横に振る。

「すまない」ともう一度謝ると、集まってくれていた仲間たちに目を向けた。

 

「街の北、東、西の三方からゴブリンが来る。数はそれぞれ十五前後だ。頭目は南、おそらくゴブリンを従えているだろう」

 

「あ、確かに、森のほうに何か見えたかも……」

 

 彼の情報に銀髪武闘家が自信なさげに続き、ゴブリンスレイヤーは一度頷いた。

 

「やはり来たな。行けるか」

 

 ゴブリンスレイヤーの確認に彼は即断で頷くと、一党の二人に目を向ける。

 二人も頷き━━銀髪武闘家だけ心配げだったが━━同意の意思を示す。

 たった八人の冒険者で街の三方を守り、敵の頭目のいる南側も迎撃しなければならない。

 だが、彼らは幸運だ。

 ここにはゴブリン退治のプロとその相棒がいる。

 その二人が考え抜き、森の各所に設置して回った大量の罠がある。

 何の準備もなく今日を迎えていれば、苦戦は必至だったことだろう。

 彼らは街の外を目指して駆け出し、そんな中でふと鉱人道士が女神官に目を向けた。

 彼女は先ほどの舞いを終えたまま合流したようで、その格好はおおよそ戦闘に向いたものではない。要するに、露出が多すぎる。

 

「にしても娘っ子。その格好で森に繰り出す気か?ちいと目の毒でないかえ?」

 

「え、あ、わたし、これはその神事だから……。着替える時間もないですし……っ」

 

 言われたことで改めて自覚したからか、その頬を赤くして彼女はそう言った。

 

「拙僧は似合っていると思いますがな」

 

「私も似合ってると思うわ」

 

「ええ。ホント、巫女って感じ」

 

「うん!似合ってる似合ってる!ゴブスレも、キミも、そう思うでしょ?」

 

 蜥蜴僧侶、女魔術師、妖精弓手、銀髪武闘家が彼女をフォローし、黙々と前を走っていた二人に同意を求めた。

 ローグハンターは僅かに振り向き、肩をすくめて見せる。

 彼のその動作が何を意味をしているかはわからないが、「俺に訊くな」とでも言いたかったのだろう。

 その隣のゴブリンスレイヤーは、ふむと一度小さく頷き、いつも通りに淡々と言った。

 

「悪くはない」

 

「ふぇっ!?」

 

 驚いたのは女神官だけではない。

 一名を除いて、彼の呟きが耳に届いた人物たちもだ。

 女神官は真っ赤になり、蜥蜴僧侶は言葉に困る。

 妖精弓手はゴブリンスレイヤーの体調を気にかけ、鉱人道士は弄ることなく凍りついた。

 女魔術師もその目を見開いて驚愕を露にして、銀髪武闘家はこの後の展開が読めたのか、苦笑を浮かべた。

 ローグハンターはゴブリンスレイヤーを横目で見つめると、わざとらしくため息一つ。

 

「それはこの状況のことか。それとも彼女の格好を含めてか」

 

「……状況()良いだろう」

 

 僅かに言葉を考えたのか、妙な間を開けての一言。

 状況「は」ではなく、状況「も」。つまり、彼は彼女の姿に対しても「良い」と判断したのだろう。

 その答えにたどり着いた女神官は、更に真っ赤になりながら俯いて僅かに減速。

 その手を女魔術師が掴んで半ば無理やり走らせる。

 ふと、妖精弓手が長耳を僅かに上下させると呟く。

 

「……嵐になりそう」

 

「嵐が来るとなると、多少の音と臭いは誤魔化せるな」

 

 ローグハンターは女性陣に目を向けて、苦笑混じりにそう返した。

 若手の二人と妖精弓手から乾いた笑みが漏れ、銀髪武闘家も思わず苦笑。

 そんな彼女らの横をその短い足を必死に動かして並走する鉱人道士は、前を走るゴブリンスレイヤーに問いかける。

 

「かみきり丸よ。今回はわしらだけで大丈夫なんか」

 

「ああ。どうやら今回のゴブリンどもは分散しているようだからな」

 

「街の三方を手早く対処出来れば、残るは南だけだ」

 

 ローグハンターがそう言うと、ゴブリンスレイヤーは一度頷いて同意し、南方にいる今回の首謀者の何者かに向けて言う。

 

「数が頼みのゴブリンを分散させるとは、素人(ヌーブ)め」

 

「ついでに口の軽い手下に情報を預け、隠密行動の仕方も雑。素人(ヌーブ)だというだけでなく、人を見る目すらないな」

 

 銀等級の二人からこれでもかと虚仮(こけ)にされるその黒幕は、きっと勝利を確信してほくそ笑んでいることだろう。

 だが、その黒幕は一つ大きなミスを犯した。

 まず、小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)がいる街に、ゴブリンで攻撃を仕掛けたこと。

 次に、ならず者殺し(ローグハンター)がいる街に、たった数人のならず者(ローグ)しか送り込まなかったこと。

 件の黒幕は、攻める上でとても重要なことをしていなかったのだ。

『情報収集』。単純にして、結果に直結するものの一つであるそれを怠っては、勝ち戦が一瞬で負け戦へと変わってしまう。

 それに気づかぬまま攻めてくるのだから、まさしく黒幕は素人(ヌーブ)なのだろう。

 それが手加減する理由にはならない。守る側が多少の楽を出来るだけだ。

 彼方で喉を鳴らす稲妻を聞きつつ、ゴブリンスレイヤーは宣言した。

 

「━━ならば、教育してやる。やることはいつも通りだ」

 

 彼の言葉に仲間たちは頷いて返し、ローグハンターはアサシンブレードの鞘をそっと撫でる。

 

「教師はしょうに合わないがな」

 

 

 

 

 

 辺境の街、西側の森。

 雷鳴が鳴り響く中、そのゴブリンたちは進んでいた。

 彼らの「大将」から禁欲を命じられ、溜まりに溜まったものをこれから爆発させられると思うと、その士気は高い。

 いつだって彼らは目の前に弱者を見つけると、それを蹂躙する瞬間を妄想し、その悦びに浸る。

 雑多な装備を身に纏い、雑ながらも隊列を組むゴブリンたちは、こそこそと茂みの中を進んでいく。

 そして、街の明かりを認めた瞬間、隊長気取りのゴブリンが手で合図して隊列を止める。

 彼らの下卑た笑顔を浮かべて目を合わせ、再び前進を始めていき━━。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》!」

 

 その隊列の右脇に放たれた『火矢(ファイアボルト)』が炸裂し、三体ほどが纏めて火だるまとなった。

 近くの茂みに身を隠す女魔術師の姿を探して慌てふためくゴブリンたちに、更なる悲劇が続く。

 

「イィィィイイヤアアアアッ!!!」

 

 隊列の左脇から、怪鳥音と共に躍り出た銀髪武闘家の飛び膝蹴りが炸裂し、ゴブリンの一匹の頭が割れた。

 着地の勢いのまま左足を踏ん張り、それを軸として渾身の回し蹴り。

 半月の軌跡の残した蹴りの一閃は、ゴブリン三体の首をはね飛ばす。

 

「GOB、GOORG!!!」

 

 隊長格のゴブリンが広がっていく混乱を抑えようと声を荒げるが、その最中にも銀髪武闘家の拳と蹴りがゴブリンを屠っていく。

 とあるゴブリンが女魔術師を見つけたが、彼女が杖を槍のように振るい、その頭を殴打。

 遠心力に乗せた一撃はゴブリンの頭蓋をへこませ、膝をつかせる。

 そこに石突きで追撃の突きを放ち、ゴブリンの頭蓋がもはや滑稽なほど見事に歪む。

 そのゴブリンは白目を剥き、ついに崩れ落ちた。

 生き残った三匹のゴブリンは戦々恐々とし、どうにか撤退しようと後退り。

 その時、一匹のゴブリンが足元の紐に足を引っ掻けた。

 瞬間、重石の外れた綱が滑車を勢い良く走り、彼らの頭上から死が襲いかかる。

 

「━━━!?」

 

「━━━!!」

 

 死とは、杭を丸く束ねて縛り上げた刺球であった。

 滑車の勢いのまま落下した刺球は、無慈悲にゴブリンどもを薙ぎ倒す。

 幸運にも屈んでそれを避けたゴブリンは、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべて起き上がる。

 そして、振り子の勢いで戻ってきた刺球がその頭をもぎ取った。

 西側のゴブリンたちは、たった二人の冒険者と事前に仕込まれていた罠のお陰で、何も出来ずに呆気なく全滅した。

 北と東の森のゴブリンたちも、似たような末路を辿っていることだろう。

 念のためとゴブリンたちの死体を調べて回り、死んだふりをしていないかを確かめる。

 結果的に全てのゴブリンは死んでおり、肉は森の獣たちの食料となり、残ったものも森の養分になることだろう。

 ふと、女魔術師は僅かに歪んだ杖の石突きを見て首を傾げる。

 

「刃物でも仕込もうかしら……」

 

「ん?でも、『金物は魔術を妨げる』とか言うんじゃないの?」

 

 籠手をつけ直しながら銀髪武闘家が訊くと、女魔術師は一度頷くと苦笑した。

 

「ですけど、半分迷信ですよ?先生方は本気でそう思っていましたけど」

 

「ふぅん。ま、その話は明日ね。まずは彼と合流しないと」

 

「そうですね。行きましょう」

 

 銀髪武闘家が先んじて走り出し、女魔術師がその後に続く。

 そのタイミングを見計らっていたのか、ゴブリンたちの死体に狼が群がり始めた。

 その血肉は彼らの生きる糧となることだろう。

 その血肉が、ゴブリンたちによって無慈悲に奪われた命で出来たものであったとしても。

 

 

 

 

 

 辺境の街の南。

 牧場の脇の街道をローグハンターは歩いていた。

 装備を取りに戻っていたのか、現在はフル装備だ。

 

ならず者(ローグ)を片付けたのだろう。少し休め』

 

 ゴブリンスレイヤーにそう言われ、一党の二人からもそう言われては、断る事も出来ない。

 彼らが負けるとは思っていないが、こうして街の外を一人だけで歩くのは、随分久しぶりなように思える。

 だが、仕事を頼まれたこともまた事実。

 ゴブリンスレイヤーが使っているという牧場の納屋の脇に、それはあった。

 彼の背丈ほどある樽。それが二つ。

 

「………話と違うぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーからの頼みは『樽を運んでくれ』というものだった。

 言葉から一つと判断してしまったのは自分なのだが、まさか休めと指示した男に重労働をさせるとは……。

 彼は盛大にため息を吐き、その樽の一つを横にすると転がし始める。

 ゴロゴロと雷にも似た音を響かせ、牧場脇の燻製小屋を目指す。

 嵐が近づいているのか、先程から叩きつける雨の強さは増すばかり。

 目深く被ったフードに雨粒が当たり、弾ける音が耳を殴り続ける。

 雨のお陰で両手の血は落ちたとはいえ、あまり気持ちの良いものではない。

 数分かけて一つを運び終え、駆け足で二つ目へ。

 ゴロゴロと音をたてて転がしていると、不意に声をかけられた。

 

「あれ、ローグハンターさん?」

 

「む……」

 

 彼は周囲を見渡し、そして牧場の小屋に目を向ける。

 そこだけ窓が開いており、そこから牛飼娘が顔を出しているのだ。

 

「何やってるの、風邪引いちゃうよ?」

 

「おまえの幼なじみに頼まれてな。何、この程度問題ない」

 

 幼なじみ。つまりゴブリンスレイヤーのことなのだが、それに気づいた彼女は苦笑した。

 ローグハンターは樽を押す前傾姿勢から体を起こし、一度腰を伸ばしてぐるりと肩を回す。

 

「風邪を引いても、面倒を見てくれる奴もいるからな」

 

「あ、なるほど……」

 

 彼の発言に、牛飼娘はベッドで倒れる彼と、甲斐甲斐しく世話をする銀髪武闘家の姿を妄想して苦笑した。

 この天気だから、もしかしたらその逆の可能性だってある。どちらにしろ、彼女が羨ましいだけだなのだが。

 ふと、ローグハンターが彼女に言う。

 

「ちょうど良い。あいつから伝言がある」

 

「伝言、彼から?」

 

「ああ」

 

 ローグハンターは頷くと、口元に笑みを浮かべて肩をすくめた。

 

「『明日の朝食はシチューが良い』だとさ。まったく、愛されてるな」

 

「あ、愛……。あぅ……」

 

 牛飼娘が顔を真っ赤にさせて窓枠の下に沈んでいったが、ローグハンターは構わずに告げた。

 

「確かに伝えたからな。それと、またあいつに構ってやってくれ」

 

 彼が頼むと、彼女の細腕が伸び、了承の意味を込めてか左右に振られた。

「良し。戸締りに気を付けろよ」と言うと、再び樽を押し始める。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。雷にも似た音を響かせて彼は進んでいく。

 決戦の時は近く、それが嵐の中になることは、間違いないだろう。

 

 ━━━嵐には良い思い出がない。

 

 彼はため息を吐き、僅かに疼く口元の傷跡を撫でた。

 それでも、やらねばならない。

 理由はこれ以上なく単純だ。

 

 ━━この街が好きだから。

 

 信頼できる仲間たちがいて、寝泊まりしている宿があり、そして何より、愛する人と一時的だが愛する妹がいる街だ。

 戦う理由には十分過ぎることだ。

 樽を運び終えたローグハンターは、燻製小屋の中に入り、釜に火をかける。

 薪が湿気っているから、中々火がつかない。

 火打ち石はあるが、燃やすものが湿っていては意味がないだろう。

 彼は再びため息を吐き、仲間たちの合流を待つ。

 彼の耳にとても小さいながらも『下卑た笑い声』が聞こえたのは、その時だった━━━。

 

 

 




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Memory07 孤独な刃

 牧場の燻製小屋の中で、ローグハンターは一度舌打ちをして外に出る。

 吹き付ける風と叩きつける雨。二つが合わさり、視界が非常に悪い。

 ゴブリンどもの『下卑た笑い声』がガンガンと耳に響き、それは少しずつ強くなっている。このまま接近してくれば、ゴブリンスレイヤーたちの合流より先に接敵することだろう。

 

「……仕方ない、か」

 

 迎撃手は自分一人。ゴブリンスレイヤーたちに異常を知らせる合図をしても、到着まで粘らなければならない。

 彼は一旦燻製小屋に戻り、各種グレネードをポーチから取り出し、床に並べる。

 それぞれ所持数最大の五発分だが、使いようによっては効果的にも無駄にもなるだろう。

 各種ダートも最大の十五発。こちらは、細かい数の対処に使うべきか。

 彼は手早く算段を纏め、ゆっくりと息を吐く。

 敵を殲滅出来れば良い方、時間稼ぎが最低条件、最悪死んでも……。

 彼はそこまで考え、ため息と同時に首を横に振る。

 

 ━━死んだら駄目だ。あいつらを泣かせる。

 

 五年前ならこんな事を思わなかっただろう。

 だが、今の彼には死ねない理由がある。

 こちらが安全で、敵に最大の打撃を与えるにはどうするか。

 

 ━━敵の通り道を予想し罠を張り、隠れ場所に潜み、敵の死角を突く。

 

 何だ、いつも通り簡単なことではないか。

 彼は不敵に笑むと、グレネードをポーチに押し込んで立ち上がる。

 念のため、小屋の中に彼らへの伝言を残し、その場を後に。

 罠の設置場所を考え、仕込んでいく中で、不意に下卑た笑い声に混ざって、サイコロを転がす乾いた音が耳に届いた。

 この世界の出来事は、神々が振ったサイコロの出目で結果が決まると言う。

 今頃神々は、自分という駒を相手にサイコロを振っていることだろう。

 

 ━━知ったことか……。

 

 運は自分で掴むものだ。神々のサイコロ一つで何もかもが決まってたまるものか。

 彼は嵐の闇の中にその身を進ませる。

 迷いも躊躇いもない。

 闇の中は、彼にとっても好都合だ。

 

 

 

 

 

 辺境の街、南方の草原。

 ゴブリンたちとその大将に当たる人物は、嵐のただ中となったその場所を、ゴブリンを率いて悠々と進んでいた。

 ゴブリンたちにとって、この夜の嵐は天恵であった。

 雨のお陰で音は響かないし、暗がりは彼らの姿を隠す。

 ゴブリンたちにとっては、今日という日はまさに襲撃日和。このチャンスを逃せば次は来ないだろう。

 その考えは、彼らの大将である闇人(ダークエルフ)にとっても同じ事。

 薄汚れた革の胴衣、雨を吸って重くなった外套。腰には細身の突剣。

 その肌が闇色で耳が尖り、髪が銀であったとしても、その闇人は冒険者に見えるだろう。

 それも、その手に握られた「腕のような何か」が無ければの話だ。

 何かしらの儀式に使うことは間違いない。その腕は命が宿っているかのように煌めき、脈動している。

 秩序に属する者が使うものではない。明らかに混沌の勢力が使う代物だ。

 闇人は騒ぎながらも指示通りに進むゴブリンたちの背中を眺め、不敵に笑んだ。

 一匹一匹が雑魚だとしても、三十もいれば脅威になろう。

 

 ━━最も、ゴブリンどもは囮でしかない。

 

 彼の真の目的はただ一つ。

 かつて混沌の神々が作り出したという百手巨人(ヘカトンケイル)の復活。

 それを成すために、今日という日まで生きながらえた。

 

「……しかし、上手く行く、か?」

 

 ある時混沌の神々より下された託宣(ハンドアウト)を疑うわけではないが、何か失敗したような気がしてならない。

 東西北のゴブリンからの連絡が無いことか。

 街に送り込んだならず者(ローグ)どもが騒ぎを起こさないことか。

 そもそもこの街に攻めこむことか。

 闇人はその思考を振り払い、ゴブリンたちに再び前進の指示を出す。

 その時、彼らの前方で『パンパンパン!』と何かが激しく弾ける音が鳴り響いた。

 

「GOB!?」

 

「GRRB!!」

 

 最前列の一匹が慌てふためき、後ろのゴブリンに頭を小突かれて無様に転がり回る。

 それを見た周りのゴブリンが、無様な姿を晒す仲間を嘲笑う。

 闇人は大きくため息を吐き、その音の発生源に目を向ける。

 雨の中でも何かが燃えて、それで音が出ているようだ。

 

「……調べろ」

 

 彼の指示に、とあるゴブリンがおっかなびっくりとその音源を槍でつつく。

 燃え尽きた『爆竹』は燃え滓となり、その使命は既に終えている。

 ゴブリンはその燃え滓をつまみ上げ、仲間たちに見せびらかす。

 子供のいたずらか何かのようだが、なぜこのタイミングで……?

 闇人は疑問に思うが、すぐさまその疑問を切り捨てる。

 何があろうとも、その手に握る呪物があれば問題ない。

 闇人は前進を指示し、ゴブリンたちはまた歩き始めた。

 そして、とあるゴブリンが僅かに盛り上がった土を踏んだ瞬間、

 

 ━━盛大に地面が爆ぜた。

 

「なんだ!?」

 

「GRRBGOBR!?」

 

「GOORGGOBR!!」

 

 慌てる闇人とゴブリンたちは、何が起きたのかを理解していない。

 今の爆発で、三匹のゴブリンが肉片へと成り果てる。

 一度混乱を起こせば、後はそれを広げ続けるだけだ。

 

「G━━GRRBGOBR!!!!」

 

 とあるゴブリンが突如として叫び、棍棒片手に暴れ始める。

 打撃というのは恐ろしいもので、剣撃に比べてやることは単純だ。

 ただ狙って、渾身の力で殴るだけ。鎧の隙間を突かなければならない剣に比べればだいぶ楽だろう。

 膂力(りょりょく)の低いゴブリンであっても、冒険者からしてみればその強打(バッシュ)は十分脅威だ。

 その冒険者よりも柔いゴブリンからしてみれば、どこだろうが一撃当たれば致命傷となる。

 暴れ始めたゴブリンは混乱する仲間たちを次々と殴り殺し、果てには大将でもある闇人にさえ襲いかかるが、

 

「フンッ!」

 

 突剣の一突きで、そのゴブリンの首を貫いて見せた。

 痙攣を繰り返すゴブリンを蹴り倒し、突剣を引き抜く。

 闇人は突如として暴れたゴブリンの死体を忌々しげに睨み、剣の血を払うと被害を確認。

 先程の爆発で三、今の暴走で死んだゴブリンは五匹を道ずれにして逝った。

 合計九体。街にたどり着く前に、三分の一が討ち取られた。

 まったく忌々しいことだが、同時に彼は周囲に気を配る。

 確実に、何者かが自分たちを狙っている。

 流石のゴブリンたちもその事実に気づいたようで、周りを警戒し、武器を握る手に力を込める。

 

「♪~」

 

「GOB!!」

 

 近くの茂みから、口笛の音が漏れた。

 気づいたのはそのゴブリン一匹だけで、仲間や大将も気づいた様子はない。

 叩きつける雨の音は、口笛のような小さな音を隠してくれる。

 そのゴブリンは仲間を呼ぶかと悩んだが、醜悪に笑んで手にした槍を構える。

 そこにいる奴を殺せば、きっと他の奴よりも多くの褒美を貰える。

 どこまでも自分勝手なゴブリンは、口笛を吹いた人物のいる茂みに飛び込み、そして二度と出てくることはなかった。

 

 ━━これで十……。

 

 ローグハンターは今殺害したゴブリンを茂みに引きずりこみ、その身と死体を隠す。

 常に考え、行動し、考えうる最善の一手を打つ。

 やることはいつだって変わらない。

 想像力は武器であり、足りない者は死ぬだけだ。

 次の罠の位置を確認し、タカの目で残敵を確認。

 禍々しく光って見える腕のような何かと、それを持つ闇人が今回の騒動の原因に違いない。

 だからと言って大将首をとっても、ゴブリンは構わずに殺しに来るだろう。もしくは怯えて逃げるかの二択。

 そのどちらも許されないのだから、手を考えなければならない。

 本来冷たい筈の頬を伝う雨粒が、何となく心地良い。

 火照った体を冷やす一方で、無駄に体力を消耗させてくるのだから、忌々しい限りだ。

 彼はまだ温かいゴブリンの死体を一瞥し、その腹を開く。

 切り開いた場所から湯気が漏れるのは、まだまだ熱を持っている証拠。

 彼は音もなく息を吐くと、手を温めるついでにその臓腑を手拭いに包み、懐にしまう。

 血が滲み出る気持ち悪さを気にすることなく、音もなく走り出した。

 そして再びの爆音が草原を駆け抜ける。

 僅かに聞こえたゴブリンの断末魔から、死んだのは二体ほどか。確認したいが、移動を優先。

 どこまでも冷静なローグハンターとは対称的に、闇人とゴブリンたちは文字通り慌てふためいていた。

 

 ━━足を踏み出すだけで死ぬかもしれない。

 

 その恐怖心を刻まれたゴブリンたちは進むのを止め、次に誰が進むのかを話し合って━━押し付け合って━━いる。

 闇人は歯を食い縛り、その姿を忌々しげに睨み付けた。

 ゴブリンの頭脳では、いくら話し合ったところでどうにもならない。

 無理やり進ませようにも、臆病なゴブリンがあっさりと承諾するとも思えない。

 闇人は仕方ないとばかりに息を吐き、その手に握る呪物を掲げる。

 

「《オムニス(万物)……ノドゥス(結束)……リベロ(解放)》……!!」

 

 闇人の口から紡がれたのは『分解(ディスインテグレート)』の術だ。

 真に力の込められた古代の言葉は、白い光の帯となって草原を駆け抜ける。

 巻き込まれたゴブリンとローグハンターが仕掛けた複数の地雷、そして降り注ぐ雨すらも塵芥(ちりあくた)へと変え、やがて消える。

 

「これで道が出来たな……」

 

 闇人は呪物を降ろし、幸運にも今の砲撃に巻き込まれなかった十体ほどのゴブリンをギロリと睨んだ。

 ゴブリンたちは怯え上がりながらも、再び前進を開始しようとして━━、

 

「GOB……?」

 

 草原に佇む人影に気づいた。

 両手に握る長短一対の剣を腕ごとだらりとぶら下げ、力を抜いているようだ。

 闇人も彼の姿を認め、ニヤリと邪悪に笑う。

 今の攻撃を目の当たりにし、戦う気力を失ったのだろう。

 彼は勝手にそう判断し、げたげたと嘲笑うゴブリンたちに指示を出す。

 

「奴を殺せ!生きていることを後悔するほど、残酷にな!」

 

『GOORGGOBRRRR!!!!』

 

 ゴブリンたちは一斉に吼え、そして彼へと殺到していく。

 ローグハンターは慌てることなく、両手の剣を投げ放った。

 高速で縦回転するその剣は、それぞれ一匹ずつの頭蓋を砕く。

 

「……二つ」

 

 彼はそっと呟くと、懐に手を入れて煙幕を数個取り出すと、ゴブリンたちを十分に引き付けてから地面に叩きつける。

 一寸先も見えない濃霧に包まれたゴブリンたちは、とりあえず彼のいた場所に各々の武器を振り下ろす。

 ━━が、全て空振り。誰一人として、彼に当てることは出来なかった。

 そして、何も見えない煙の中でそれは始まった。

 

「GOB!?」

 

「三……」

 

 煙の中で何かが動けばゴブリンが死に、恐怖はさらに広がっていく。

 アサシンブレードの鋭さは、どんな雨の中でも変わることはない。

 タカの目の鋭さは、どんな状況でも変わることはない。

 つまり、煙の中は彼の独壇場。

 追い詰めたと思った矢先に、その状況をひっくり返された。

 闇人は悔しさからか歯を食い縛り、再び呪物を掲げようとするが、一度舌打ちを打つ。

 あの術は確かに強力だ。だが、連発を出来ないという弱点があるのだ。

 

「GOORG!GR━━!!!」

 

 幸運にも煙を脱出したゴブリンも、黒い手によって再び引きずり戻され、そのゴブリンの断末魔が響いた。

 そして、一際大きな断末魔が響くと、煙の中から彼が歩み出てくる。

 返り血が黒い衣装に不気味な斑模様を浮かび上がらせ、僅かに揺れる体は、まるで亡霊のようにも見える。

 闇人はその目を細め、突剣を握り直す。

 その様を見て、ローグハンターはゴブリンから奪ったものだろうか、右手の直剣を握り直した。

 

「……頭目はおまえか」

 

「いかにも。我こそは混沌の神々より託宣(ハンドアウト)を受けたる無秩序の使徒よ!」

 

 右に突剣、左に呪物。その二つを構えたまま、闇人は高らかに叫ぶ。

 

「更に率いる四方よりのゴブリン軍とその名を馳せるならず者(ローグ)ども。貴様、楽に━━」

 

「全滅したゴブリン軍も、始末し終えたならず者(ローグ)どものことも、おまえのことにも興味はない」

 

 闇人の言葉を切り捨て、ローグハンターは直剣を肩に担いで顎を擦る。

 

「……ゴブリンロードのほうが手間だったな、間違いない」

 

「━━━」

 

 彼の言葉を理解するまで一拍。

 そして理解すると、その表情を憤怒に染めた。

 

「き、さまぁあっ!!」

 

 その怒りに任せ、闇人は一気に飛び出す。

 雨でぬかるんだ草原であったとしても、その足運びには何の障害もならない。

 不可思議な足捌きから繰り出されるのは、閃光のような突剣。

 僅かに煌めく刀身には、僅かながらに魔力が込められているのだろう。

 魔法の武具、いわゆる魔剣。珍しくもない。

 ローグハンターは直剣でその切っ先を逸らしにかかる。

 魔法も無しに銀等級まで上り詰めた彼の技量は、突剣の一突きを逸らすことなど他愛ないだろう。

 だが、一つ問題が起こる。

 突剣の細い切っ先が異様なまでにしなり、彼の頬に迫っていくが、咄嗟に出された左手のアサシンブレードに阻まれる。

 仕込み武器の存在に驚く闇人の腹に彼は膝蹴りを打ち込むが、異様に硬い感覚が脳に届いた。

 

 ━━鎧か……。

 

 彼は素早く後ろに転がって距離を取り、腹を押さえる闇人に目を向けた。

 打撃は鎧越しでもある程度のダメージを与えることが出来る。咄嗟に出した一手は、割りと効果的だったのだろう。

 闇人は何度かむせると、その瞳に確かな敵意を宿らせた。

 

「私を怒らせたな、只人風情が……!」

 

 自分が油断しただけだろう。

 彼はその言葉の代わりに大きく息を吐き出し、アサシンブレードを一旦納刀。

 闇人は呪物を高々と掲げ、天に向かって叫びをあげる。

 

「《おお、大腕の君、暴風の━━》!?」

 

 その叫びは、天に届くことはなかった。

 その言葉より早く、彼の左手に握られた短筒が火を噴いたのだ。

 雨で湿気る可能性を考慮すると、危険な賭けでしかないのだが、今回ばかりは神々は彼に味方したようだ。

 最も、これは彼が毎日整備を欠かさず、常に新品同然にしていたから起きた事。つまり、この結果は必然だった。

 だが、彼に一つの不運(ファンブル)が襲いかかる。

 

「《━━吹けよ風……!呼べよ嵐……!我に力を与えたまえ》……!!」

 

 闇人としてはまぐれ(クリティカル)も良いところだが、ローグハンターの放った弾丸が、ほんの僅かに急所を外れたのだ。

 いくら練習をしても、フリントロックピストルその物の命中精度に難がある。

 近距離ならともかくとして、僅かばかり距離が有りすぎたのだろう。

 

「……これだから銃は苦手だ」

 

 後悔したところでもう遅い。異変は既に始まっている。

 闇人の全身より異様な音が鳴り響き、体が捻れ、膨れ上がる。

 やがて、内から弾けるように()()は現れた。

 禍々しく異様な繋がりを見せる骨格に、強靭な筋肉が絡み付く。

 それが合わせて五本。生来の腕と合わせ、合計七本。

 

「き、さまぁ!楽に死ねると、思うな……!」

 

 血と共に怨嗟の声を吐き出し、血走った目でローグハンターを睨み付ける。

 彼は割りと大きめのため息を吐き、手首を回して直剣を構え直す。

 異形の敵の相手は、彼の苦手とするところだ。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 血も涙もないという言葉もあるが、あれは偽りだろう。

 傷を負えば血は出るし、何かあれば涙を流す。

 生物にとって、避け得ようのない一つの事実。

 

「━━血が出るのなら、殺せるか」

 

「舐めるな、只人が、冒険者風情がぁ!」

 

 七本腕の異形が飛び出し、たった一人の只人がそれを迎え撃つ。

 増援はまだ来ず、嵐は強まるばかりだ。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 兄の役目、妹の使命

 七本腕の怪物となり果てた闇人は、その増えた腕を振り回し、ローグハンターに襲いかかる。

 対する彼は、時折放たれる突剣の一撃を捌く程度で、まさに防戦一方という状況だ。

 

「どうした、只人!守ってばかりでは━━」

 

 闇人が言いかけた瞬間、ローグハンターの直剣の突きが頬を掠め、自慢の長耳にも僅かな切り傷が刻まれる。

 ローグハンターは小さく舌打ちをすると、後ろに転がって距離を取る。

 どうにも体が重い。体調管理を怠った記憶は無いが、今日一日で動き過ぎたか。

 だが、目の前の闇人はそんな事に構うことはない。むしろ、悦んで殺しに来るだろう。

 泥濘(でんねい)を五本の腕で叩いての跳躍━━むしろ飛翔と言って良い━━した闇人は、落下の勢いのまま組んだ手を叩きつける。

 鎧や兜を纏っていようが、諸とも叩き潰してくるであろう一撃は、ローグハンターを捉える事はない。

 彼は横に転がってそれを避けると、爆音にも似た音と共に泥が跳ね上がた。

 降り注ぐ泥をフード越しに浴びながら、彼は駆け出す。

 矢のように鋭く、速い。そこらの只人なら、まず間違いなく反応すら出来ないだろう。

 だが、相手は祈らぬ者(ノンプレイヤー)である闇人だ。

 背中から腕が生えているにも関わらず、その動きに淀みは無い。

 放たれたローグハンターの突きを突剣で受け止め、背中の腕で彼を捕まえようと伸ばしていくが、

 

「ぬぅ……!?」

 

 突然の痛みに思わず唸る。

 捕まれる寸前に左手のアサシンブレードを一閃し、その手のひらに傷をつけたのだ。

 闇人は後ろに飛んで距離を開けるが、その瞬間に腰のピストルを抜き、手早く照準を合わせて引き金を引く。

 再び放たれた弾丸は豪雨を切り裂き闇人に迫るが、当たる直前に盾代わりに差し出した背中の腕で防がれる。

 これで二発とも使ってしまった。装填する隙は、くれないだろう。

 彼はピストルをホルスターに押し込むと刃の欠け始めた剣を握り直し、長く息を吐く。

 ゴブリンから奪った剣では、魔剣と数度打ち合えばすぐに限界は来るだろう。

 一度か、二度か。どうやってもその程度だろう。

 アサシンブレードでも、下手に受けるのは危険だ。折れたら最後、直せる人物がいるのかがわからない。

 闇人は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、背中の腕を彼に向けて伸ばす。

 関節を外したのか、それとも魔術によるものか、明らかに本来の長さを無視し、異常なまでに伸びている。

 ならば、下がるのは悪手だろう。

 伸びてくる五本の腕を隙間を縫うように、ローグハンターは前に飛び出す。

 待ち受ける闇人の右手には突剣。ある程度の型はあれど、何より反射神経が物を言う武器。

 

「はっ!捨て身の突進か?甘いわ!」

 

 ひゅんと閃いた銀光を、ローグハンターは辛うじて避けるが、それはフードに掠めていたのか、彼の視界が急に広くなる。

 構わずに放たれた直剣一閃は、咄嗟に後ろに飛んだことで避けられる。

 それでも僅かに掠めたようで、闇人の胴衣が僅かに裂けるが、そこまでだ。

 

「━━ハァ……」

 

 ローグハンターは重く息を吐き出し、じっと闇人を睨む。

 やはり調子が上がらない。毒を受けたわけでもないのに、体が鉛のように重く、体の芯が妙に熱い。

 

「ハハハハハッ!!私の相手をするには、まだまだだ!」

 

 闇人は再び腕を伸ばし、彼を付け狙う。

 あれをされては、もはや前に出るしかないローグハンターは再び駆け出す。

 先程よりも複雑な軌道を描く五本の腕の隙間を掻い潜り、時にはその腕に傷をつけて気を逸らすことも忘れない。

 一歩進むごとに泥が跳ね上がり、彼の姿を汚していく。

 闇人はそんな無様な敵の姿を嘲笑い、突剣の間合いに入ってくる瞬間を待つ。

 横合いから伸びてきた腕を彼が転がって避け、勢いのまま立ち上がったその瞬間、闇人の突剣が閃いた。

 その表情には勝ち誇った笑み。もはや避けられるなんて事は一切考えていない。

 そして、何を貫いた感覚の後、闇人の視界が真っ赤に染まった。

 

「……っ!?」

 

 驚愕し、狼狽える闇人は何者かに押し倒され、赤く染まった視界に彼の影を捉える。

 右手を振り上げ、そこには宿るのは刃の閃き。

 それは何の躊躇いなく闇人の頸椎を貫き、そして断ち切った━━━。

 

 

 

 

 

 なかなか波乱万丈で、面白い冒険だと思う。

 復活しようとする百手巨人(ヘカトンケイル)を倒すため、勇者一行は霊体となって件の巨人のいる霊界(アストラル)へと乗り込んだ。

 ━━筈なのだが。

 

「……あれ?」

 

 真っ先に異変に気づいたのは勇者だ。

 一面真っ白のその空間は、なるほど霊界と聞けばそうなのだろう。

 だが、肝心の巨人はどこに。

 隣の剣聖や賢者も、どこか困った様子でお互いに目を合わせている。

 

「なぜ、なぜだ……!」

 

 突如として何もない空間に響いた声に、三人はそちらに目を向ける。

 そこにいたのは倒れる闇人と、彼を抱き抱えるローグハンターの二人だった。

 今の声は、おそらく闇人のものだろう。

 

「私は偉大なる混沌の神々から託宣(ハンドアウト)を受けた!なのに、なぜ……!」

 

「信じる神を間違えたのだろう」

 

 ローグハンターは冷たくそう言うと、ため息にも似た重い息を吐いた。

 闇人はローグハンターの胸ぐらを掴み、その血走った目で睨み付ける。

 

「……き、さまが、そうか。水の街で、我らの野望を砕いた冒険者……!」

 

 闇人はそう告げると取りこぼした呪物に一瞥くれると、邪悪に笑みながらその手を天に伸ばした。

 

「だが、もう遅い!百手巨人(ヘカトンケイル)は復活する!」

 

 勝ち誇り、狂ったように笑う闇人に、彼は冷たい視線を向けて右手のアサシンブレードを抜刀する。

 

「混沌の神々に勝利を、祈る者(プレイヤー)どもに滅びあれ!」

 

 賢者はその武器に何か思うものがあったのか、僅かに目を見開いて彼を見つめる。

 その視線に気づかぬ彼は、闇人とは対称的に、とても静かにそっと漏らす。

 

「……逝け、友たちの元へ」

 

 アサシンブレードを喉仏に差し込み、軽く捻る。

 コリッ……。

 何かが折れる乾いた音が静かに響くと、彼は瞑目。

 

「たとえ、そう呼ぶ者がいなくとも……」

 

 そしてそっと闇人の瞼を閉じさせ、地面に寝かせた。

 見たこともない兄の姿に勇者は僅かにだが狼狽え、そっと彼の背中に手を伸ばす。

 

「……後は任せたぞ」

 

 彼は小さく振り返り、背中越しに彼女らに言った。

 僅かに見える蒼い瞳には、力のある輝きが宿っている。

 タカの目は、様々な物を彼に見せる。

 近くにいる家族の魂ぐらいなら、見せてくれるのだろう。

 勇者は驚くも、すぐにその顔にいつもの笑顔を浮かべてサムズアップ。

 

「任せといて、お兄ちゃん!」

 

 勇者がそう返すと、彼も優しく笑んで一度頷く。

 その瞬間、彼女ら三人は嵐の直中(ただなか)に放り込まれた。

 そして、目の前には件の巨人。正確には、それになろうとしている何か。

 それは大量の魔術を編み上げ、勇者たちに襲いかからんとしている。

 剣聖は剣を抜き放ち、賢者に問いかけた。

 

「さて。今にも攻撃してきそうですが、どうします?」

 

 当の賢者はやる気の勇者に目を向け、苦笑を一つ。

 

「念のため、下がりましょうか」

 

 彼女の言葉に剣聖は頷くと勇者の後ろへ。

 勇者は魂で繋がる愛剣━━絶対の武器たる聖剣と、錆びてなお強力な雷を放つもう一本の剣を振りかぶる。

 この雷の剣を持っていると、不思議と()()()()()()()()()()()が夢に出てくる。

 時には傷つき、倒れ、裏切られ、それでも誰かを救わんと戦い続ける、まるで現実味のない英雄(アサシン)たちの物語。

 どうしてかはわからないが、きっと神様が夢の中でも退屈させないようにしてくれているのだろう。

 現に、その変な夢(流入現象)のお陰で、いくつか彼らの動きを自分の物に出来た。

 あの目の力はどうにもならなかったけど、壁を登ったり高いところから飛び降りたりは、普通に出来る。

 そうやって、ちょっと変な風に見て回った街の祭りは、とても楽しかった。

 三人でこっそり登った屋根の上から見た天灯は、これ以上ないほど綺麗だった。

 初めての三人で回ってこれだと言うのなら、慣れた兄に先導されたら、もっと楽しく、いや、最高の祭りになるに違いない。

 そのためにも、まずは目の前のデカブツをどうにかしないといけない。

 兄が復活のために暗躍していた何者かを倒してくれた。なら、後はこちらが頑張る番だ。

 

「いっくぞぉおおおっ!勇者、推参ッ!!」

 

 聖剣から放たれるのは太陽の如く優しく、それでいて力強い光の一撃。

 錆びた剣から放たれるのは、その一瞬の輝きで嵐を切り裂く雷の一撃。

 二つは混ざり合い、霊界を包み込んでいった━━━。

 

 

 

 

 

 ローグハンターは深く息を吐き、手にへばりついたゴブリンの臓腑を忌々しげに引き剥がす。

 懐にしまっておいたものを目潰しのために使っただけなのだが、まさかここまで見事に決まるとは……。

 

「………」

 

 彼は霞む意識を繋ぎ止め、自分の腹部に目を向ける。

 闇人の使っていた突剣が、物の見事に突き刺さっているのだ。

 急所を外れているとはいえ、刺さっているのだから痛いには痛い。

 だが下手に抜いて血が吹き出したら、その方が危険だろう。

 幸い毒が塗られているという訳でもなく、ただ魔術によって切れ味が異様に高い程度。

 幸い、ゴブリンスレイヤーたちもこちらに向かっている筈だから、彼らを待てば治療が出来る。

 ボケッと雨空を見上げ、目を細める。

 この空のどこかで、妹とその仲間たちが戦っているのだろう。

 ちらりと闇人の使っていた呪物に目を向ける。

 主を失ったためか不気味な輝きは失われ、今は気味の悪い置物としてしか存在しない。

 

「━━━!」

 

 雨音に混ざり、誰かの声が聞こえた。

 街のほうに目を向け、苦笑混じりに右手を挙げる。

 彼の視線の先には、こちらに駆け寄ってくる人影が複数。

 先頭を走るのは銀髪武闘家だ。

 彼女は必死になって走り、そして彼の前に滑り込み、

 

「だ、大丈━━……」

 

 そして固まった。

 合流しようと燻製小屋に行ってみれば『時間を稼ぐ。早く来い』と言った内容の置き手紙が置かれ、何かしらの爆発音が響き始めれば、彼が何をしていたかなぞすぐにわかる。

 駆けつけてみれば、彼は負傷していて、謎の闇人が白目を剥いて倒れている。

 彼女はあうあうと口を開閉させながら、後続の女神官に目を向ける。

 

「ししし、神官ちゃん、速く!彼、怪我してる!」

 

「は、はい!」

 

 慌てて女神官が彼の隣につき、他の面々は周囲を警戒する。

 銀髪武闘家だけは彼に付き添い、座り込む彼の膝に手を置いた。

 

「……抜くぞ」

 

 そう言ったのは、誰でもないローグハンターだ。

 彼は自分の腹に突き刺さる突剣に手を添え、女神官に目を向ける。

 彼女が確かに頷くと、大きく息を吐き、止めると同時に突剣を引き抜く。

 

「ッ!━━……」

 

 僅かに体を強張らせる程度で、後は息を荒くさせるだけ。

 何とも手慣れている彼の腹部に手を添えた女神官は、そのフレイルを両手に握って祈りを捧げる。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 優しく紡がれた祈りに答え、優しい光が彼女の手から漏れる。

 その光はローグハンターの傷を包み込み、そしてその出血を止めた。

 彼は大きく息を吐き、気怠そうに体を後ろに倒す。

 雨の降りしきる草原で大の字に寝転ぶのは、さぞや気持ちの良いことだろう。

 もはや沼地と言って良いほど、水浸しになっていなければ、だが。

 銀髪武闘家はため息を吐き、籠手を外して彼の頬を撫でると、その眉を寄せた。

 彼女は彼の顔を覗きこみ、額同士を触れ合わせる。

 

「キミ、熱ある?」

 

「……どうだろうな」

 

 呟きの後に漏れるのは、妙に怠そうなため息だ。

 その息を間近で受けた彼女は顔を離して顎に手をやり僅かに考え、蜥蜴僧侶に声をかけた。

 

「蜥蜴人さん、ちょっと手伝って」

 

「承知。小鬼殺し殿はどうするおつもりか」

 

「俺は残党がいないかを探す」

 

 ゴブリンスレイヤーの返しはいつも通りのもの。

 彼は寝転ぶローグハンターに僅かに目を向けると、僅かに息を吐く。

 

「……無理はするな」

 

「した記憶はないんだがな……」

 

 ローグハンターの返しもいつも通りだが、いつものような気迫に欠ける。

 相当の疲労が溜まり、当たり続けた雨でやられたのだろう。

 

 ━━俺も気を付けなくてはな。

 

 ゴブリンスレイヤーはそんな事を思慮し、蜥蜴僧侶に担がれたローグハンターに目を向ける。

 銀髪武闘家は突剣を忌々しげに持ち上げると、「これどうするの?」と一言訊く。

 ローグハンターは首だけでそちらを向くと、今度は女魔術師に目を向ける。

 

「一応だが、魔力がこもってる。売るなり調べるなり譲るなり、おまえらの好きにしてくれ……」

 

 心底面倒臭そうに言うと、彼はその意識を手放したのか、ぐったりと蜥蜴僧侶に身を預けた。

 蜥蜴僧侶は銀髪武闘家に連れ添われる形で一足早く離脱し、残されたゴブリンスレイヤーたちは目を合わせて苦笑を漏らす。

 ゴブリンスレイヤーは打ち捨てられた腕のようなものを見つけ、それを何の躊躇いもなく踏み潰す。

 結局、ゴブリンの生き残りはいなかった。

 きっと、彼が全てを殺してくれたのだろう。

 

 

 

 

 

 祭りから数日経ったある日の昼過ぎ。

 

「ひっきし!!!!」

 

 ローグハンターはベッドに寝転び、ぐったりとしていた。

 大丈夫だろうと思っていたが、自分の体は思いの外脆かったようだ。

 ちらりとベッド脇のテーブルに目を向ければ、山のように積まれた大量のリンゴ。

 毎日食べれば医者は遠のくとはいえ、病気になってから送られるとはまた違うだろう。

 それよりも、複数人から送られたお見舞いの品がリンゴだけとは、切なくなってくる。

 切ないと言えば、街で殺害したならず者(ローグ)どもやゴブリンの死体の処理をした新人冒険者たちは、一体どう思っていたのだろうか。

 そこまで考え、彼は天井の木目に目を向けた。

 つまり、考える気にすらなれないのだ。

 窓から差し込む優しい陽光は、暖かく心地よいのは良いのだが、眩しくて眠る気にすらなれない。

 彼は大きく息を吐き、仕事に向かった一党の二人の事を思う。

 二人して槍使いの一党について行ったり、新人たちの面倒を見たりと世話しなく動き回っているそうだが。

 

 ━━駄目だ、面倒臭い……。

 

 完璧に何もかもが面倒になっていた。

 風邪とは、ここまでキツイものだったか。

 無理やり目を閉じ、勝手に眠るのを待つ。

 その様子を僅かに開いた扉の隙間から覗く人物がいた。

 銀髪武闘家と女魔術師だ。

 リンゴの入った籠を片手に、彼の寝顔━━厳密には寝ていないが━━を眺めてお互い苦笑する。

 毎日面倒を見てくれている彼の面倒を見るというのは、何だか新鮮で、何だか面白い。

 たまにはこんな日常も良いだろう。

 天高く飛ぶ鷹だって、毎日その羽を休めているのだ。

 彼だって、長めの休みをとったところで誰も責めない。

 だからこそ、二人はここぞとばかりに普段見せない彼の顔を堪能する。

 か弱く放たれるタカの眼光に睨まれていることなぞ、知るよしもなく━━。

 

 

 

 




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Sequence05 魔の塔に挑め
Memory01 彼が復活する少し前の話


 水の街、法の神殿の裏庭。

 柔らかな木漏れ日差し込むそこは、穏やかで清涼な静けさに満ち満ちていた。

 そこにいるのは二人の人物。

 片やその名を轟かせる金等級冒険者、剣の乙女。

 片や元冒険者にして、今やこの国を纏める若き国王。

 二人は旧友に当たる関係であり、十年来━━つまり、若手時代から━━の付き合いである。

 国王はその整った顔立ちをしかめ、目下の問題に対して思慮を深める。

 辺境のとある荒野に、突如として象牙の塔が現れた。

 さらにそこから翼を持つ人型の魔物が現れ、近くを通りかかる商人や旅人を襲っているとのことなのだ。

 どうにか逃げ切った商人がギルドに駆け込み、その報告が王にまで届いたのだ。

 王に届いたからと言って軍が動くのかと訊かれると、その答えは否だ。

 軍を動かすには金がかかり、その金を出すのは国民で、送り出されるその兵士は国民の家族だ。

 いつにも増して税を課せられ、家族、友人、知人が死ぬかもしれないと考えると、国民の不満も溜まっていくだろう。

 それに、対処を急ぐ問題も多い。

 国を滅ぼしうる竜や魔神王の残党への対処のほうが、荒野に現れた塔よりも優先だ。

 国王はため息を吐き、旧友である剣の乙女に目を向ける。

 

「どうすれば良いと思うね」

 

 問われた彼女は艶やかな微笑を浮かべ、小首を傾げた。

 美しい金髪が揺れ、その豊かな胸の上に零れ落ちる。

 

「ゴブリンの時はお見限りになられたのに、随分と都合の宜しいこと……」

 

「個人にとっては悲劇としても、全体から見れば些末(さまつ)なことは、わかっていよう」

 

 王は短くそう言って、言葉を払い除けながら用意された椅子に腰を降ろす。

 荒っぽいにも関わらず、その姿は気品に溢れている。

 そう見えるのは、生まれついて持ち合わせた王気というものが故か。

 剣の乙女はその笑みを崩さず、国王に告げる。

 

「こういう時こそ冒険者の出番ではなくて、陛下?」

 

「やはり、そうなるか……」

 

 国王は眉間に手を当て、そこを揉みほぐすようにしながら頷いた。

 軍を動かせない小さな問題を対処するのに、無頼の輩に身分を与え、冒険者として送り込む。

 世の中はそうして回ってきた。今回もまた、そうすれば良いだけのこと。

 国王はため息を漏らし、椅子に体重をかけた。

 

「商人は悪魔と言っているが、実際はどうかわかったものではないのだ。素人目では、悪魔とガーゴイルの判別がつくとも思えぬ」

 

「では、悪い魔法使いの塔ね」

 

 剣の乙女は可笑しそうに笑うと、「まあ、怖い」と他人事のように呟く。

 国王は彼女を睨みこそすれど、言い返すことはない。

 街に蔓延る小鬼に関する案件を後回しにしたことを、こうしてちくりと突いてくる。

 だが、と国王は顔を上げた。

 

「ゴブリンよりはよほど危険だ。しかし、魔神どもに比べるまでもない」

 

「そうですわね」

 

「昔のように、剣を携え仲間と共に挑めれば楽なのだがな」

 

 国王はしみじみと、過去の事を噛み締めるように呟いた。

 剣の乙女も何か思うものがあるのか、そっと息を吐く。

 

「わたくしも、時々この立場を放り出して、一人の娘に戻りたくなりますもの」

 

「至高神の大司教ともあろう御仁でも、そうか」

 

 剣の乙女は頷くと、鷹の風切羽のつけられた首飾りをそっと撫でる。

 頬の色は薄い薔薇色で、唇を艶かしく緩める。

 そんな彼女の姿に国王は苦笑を漏らし、その重い腰を持ち上げた。

 

「では、そろそろ失礼させて頂こう」

 

「はい、陛下。お話できて嬉しゅうございましたわ」

 

「どうだかな」

 

 国王は親しみを込めた辛辣さで、軽やかに笑う。

 

「私よりも他の誰かを想っていそうな口ぶりだったぞ?」

 

 

 

 

 

「……へっきし!!!」

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

 辺境の街、眠る狐亭の一室。

 いまだに熱の下がらぬローグハンターは、盛大なくしゃみをして、面倒を見ている銀髪武闘家を困らせる。

 祭りの夜に風邪を引き、その後三日も寝込むなど、他の冒険者からしてみれば良い笑い話だろう。

 実際に笑っているのは、彼がどうしてこうなったかも察せぬ酔いどれどもだけだが。

 彼女はため息混じりに見舞いの品であるリンゴを剥き、それを彼に食べさせる。

 こうなってしまうと、その名を知られるローグハンターも、ただの子供と大差ない。

 慣れぬ風邪の辛さと、一向に引く気配のない頭痛に襲われ、今の彼の表情はもはや異様なほどにか弱い。

 そんな彼の面倒を見て、何故か嬉しそうに笑っている銀髪武闘家の姿は、年上ぶりたい子供のようだ。

 ローグハンターはリンゴを飲み込み、彼女に問いかける。

 

「……それで、あいつはどうした」

 

「魔術師ちゃんのこと?えっとね、キミが寝てる隙にお使いを頼んだの」

 

「お使い……?」

 

 寝ながら首を傾げる彼の姿に苦笑しつつ、彼女は頷く。

 

「キミの剣の換えと銃弾だっけ?その二つを取りにね」

 

「……別に俺が回復してからでも良いだろうが」

 

 彼の意見は尤もだ。道具があっても、使い手がいなければ意味がない。

 そんな彼の言葉に、銀髪武闘家は僅かな邪気の込められた笑みを浮かべる。

 

「だって、そうでもしないとキミと二人っきりになれないでしょ」

 

「……別に二人きりになったところで、することもないだろう」

 

「二人っきりになることが重要なの!」

 

「そうか……」

 

 会話をすることすら辛いのか、彼はそう返すと黙りこみ、差し出されるリンゴを黙って食していく。

 病気になった彼を介抱すること。

 それが彼女のちょっとした夢の一つだったなぞ、彼が知るよしもないことだろう。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド、工房。

 銀髪武闘家に頼まれそこに赴いた彼女は、その目を丸くして固まっていた。

 彼女の視線の先には、女神官と牛飼娘という珍しい組み合わせ。

 いや。その二人が工房にいるだけなら、別に驚くようなことでもないだろう。

 問題は、二人して下着のごとき鎧(ビキニアーマー)を試着していることだ。

 工房の丁稚(でっち)が努めて見ないようにしていることに、果たして二人は気づいているのだろうか。

 女魔術師はずれた眼鏡の位置を戻し、その二人に向けて言う。

 

「あなたたち、正気……?」

 

「え!?あ、いや、これは、その……」

 

 突然の物言いに狼狽える女神官は、何とかして誤解を解こうと口を動かしたが、思うように言葉が出ない。

 対する牛飼娘は、「あはは……」と諦めたかのように笑みをこぼしている。

 女魔術師は小さくため息を漏らし、牛飼娘のある場所に僅かに目を向けた。

 自分の体に不満があるわけでもないが、こうして見せつけられると、どうにも気になってしまう。

 彼女は深呼吸をするとカウンターのほうへと向かい、店番をしている丁稚━━その顔は真っ赤になっている━━に声をかけ、紙切れを差し出す。

 紙に書かれているのは、『いつもの剣のセットと銃弾』と、初見の人ではまずわからないような内容だ。

 後ろでは、女神官と牛飼娘が試着室に入って元の服装に着替えている。

 丁稚は困ったように首を傾げると、奥から工房長が現れた。

 今の今まで作業を進めていたのか、金槌で軽く肩を叩いている。

 

「ん?あいつのところの魔術師か。お使いでも頼まれたか」

 

「そんなところよ。それで、あるの?」

 

 彼女が問いかけると工房長は丁稚から紙を受け取り、「ちょっと待ってな」と返して再び奥へ。

 そうこうしている内に、試着室から二人が出てくる。

 牛飼娘はいつもの格好だが、女神官は珍しく私服姿だ。

 その二人に女魔術師は目を向け、何故か安堵したかのように頷いた。

 

「普通が一番よ。それで、二人はどうしてここに?」

 

 彼女の問いに答えたのは女神官だ。

 

「その、今日はお留守番だったので、外に出ようかと」

 

「私も伯父さんに言われて……」

 

 二人が言い終えると、戻ってきた工房長がバスタードソードと短剣のセット、そして銃弾の詰まった袋をカウンターの上に置く。

 剣のセットのほうは、彼女を気遣ってか布に巻かれていた。

 

「あいつには、もうちょい丁寧に扱って貰いたいね」

 

「伝えておくわ」

 

 彼女はそう言うと代金をカウンターの上に置き、「よいしょっ」と声を漏らした剣を持ち上げ、思わずふらつく。

 そんな彼女を女神官と牛飼娘が慌てて支え、どうにか事なきは得たものの、女魔術師はその重さに驚いた。

 彼はいつも軽そうに振り回しているが、武器とは金属の塊のようなものだ。

 その事実をこんな形で改めて知るのは、何ともみっともない気がしてならない。

 三人は工房を後にして、ギルドの酒場に移動する。

 お使いなのだから早めに帰ったほうが良いのだろうが、銀髪武闘家の思いを尊重してわざと遅めに帰ることにした。

 祭りの時も貴重な午前中を貰ってしまったのだ。こういうところで返していかないと、申し訳が立たない。

 三人仲良く相席して、あれやこれやと会話に花を咲かせる。

 そして、ふと女神官が問いかけた。

 

「ローグハンターさんの体調、いかがですか?」

 

「だいぶ良くなったわ、もう少ししたら復帰出来そうよ。それに、今はあの人がついてるし」

 

 女魔術師は苦笑混じりに答え、葡萄酒をちびりと舐める。

 頼まれ事をされているのだから、酔いつぶれるわけにもいかないのだが、多少なら怒られはしまい。

 牛飼娘はニコニコとしなかがら、頬杖をついて言う。

 

「武闘家さん、むしろ嬉しそうにしてるでしょ?私にはわかるよ」

 

「そうね。どうしてかわからないけど、生き生きしているわ」

 

『仕方ないなぁ』と笑いながら世話を焼いている銀髪武闘家の姿を思い出し、再びの苦笑。

 まあ、彼女がやりたくてやっているのだから、別に止める理由はないだろう。

 

「あー、また失敗したぁ!」

 

 そんな時、聞き馴染みのある声がギルドから響いた。

 声の主である妖精弓手は、自慢の長耳を不機嫌そうに上下させ、何やら机に突っ伏している。

 向かい合わせるように腰かけているのは受付嬢と監督官の二人だ。

 二人とも休憩中なのか、あるいは休日なのか、いつもとは違う笑みを浮かべている。

 その三人が囲む机には何かの駒が並べられている。

 女魔術師は遠目でその様子を眺め、そして合点がいったのか声を漏らした。

 

卓上演習(テーブルゲーム)ね。見るのは久しぶりだわ」

 

 聞き慣れない言葉に二人が首を傾げると、女魔術師は立ち上がって妖精弓手の元へ。

 二人も彼女に続いて立ち上がり、後ろに続いた。

 机の上には一枚の盤面といくつかの駒、カードにサイコロが広がっている。

 妖精弓手は自身の駒を弄りつつ、現れた三人に目を向ける。

 

「あら、あなたたちもやる?むしろ手伝って欲しいんだけど……」

 

 長耳を垂らしての言葉は、彼女がいかにその演習(ゲーム)に熱中しているかを教えてくれる。

 三人は顔を見合わせると笑みを浮かべ、頷いて空いている席に腰を降ろす。

 受付嬢と監督官は手慣れた様子で三人にルールを説明し、駒を選んでもらう。

 女魔術師の目に止まった駒は、魔術師でもなく騎士のものでもない。

 フードを被り、左手に短剣と思しき何かを構える暗殺者(アサシン)の駒だ。

 闇に生きる暗殺者に世界を救えるのかはわからないが、その駒に何となくだが彼女の頭目の姿を重ねる。

 その駒が、彼女が選んだ駒だった。

 彼女に続くように彼女らはそれぞれの駒を出しあい、村を救い、果てには世界を救う六人の旅路が、ここに始まったのだ。

 

 

 

 

 

 いつの間にか日が沈み、冷たい夜風が吹き始めた頃。

 時間を忘れて演習に熱中していた彼女らは、ようやく解散となった。

 結局世界は救えず、いくつかの村を救う程度になってしまったけれど、それで良いのだ。

 世界を救うのは勇者の役目。

 街を、村を救うのが冒険者の役目。

 彼女は失敗したとはいえ、いつもと違う一党で行った冒険を、決して忘れることはないだろう。

 夜風で体が冷えきらないうちに、彼女は眠る狐亭へと駆け込んで、店主に軽く会釈してから上階へと上がる。

 彼が復帰したら、またならず者(ローグ)を相手に駆け回ることになるだろう。

 もしかしたら、またゴブリン相手になるかもしれないが、それもそれで冒険のようなもの。

 彼女は笑みつついつもの部屋の扉を開け、

 

「ただいま戻り━━」

 

「あぅ……っ!」

 

 ひっくり返された水桶と、身を切るほど冷たい水を頭から被ることになった。

 荷物の剣などを咄嗟に庇ったのは、流石と言うべきか。

 彼女は口の端をひきつらせ、水を浴びせてきた銀髪武闘家を睨み付ける。

 何かに躓いたのか、はたまた普通に転んだのか、床に突っ伏す彼女は、やっちゃったと言わんばかりに固まっている。

 ローグハンターのほうはだいぶ顔色が良くなり、すやすやと寝息を立てているようだ。

 女魔術師は銀髪武闘家を睨み続け、そして怒気を込めながら言う。

 

「……あなたは、一体、何━━ひくちゅ!」

 

「あ……」

 

 その途中で漏れた、何とも可愛らしいくしゃみに、銀髪武闘家は顔を青くした。

 夜風に当たり冷えきった体に、とどめの冷水だ。

 

 ━━これは、ヤバイかも……?

 

 彼女の思いは的中し、翌日の朝にローグハンターは快復し、女魔術師が熱で倒れることとなったのだった━━━。

 

 

 

 

 




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Memory02 上を目指して

 辺境の街、冒険者ギルド。

 その受付で受付嬢は依頼書を確認し、内容を伝えられた銀等級冒険者である重戦士は、何とも言えない表情を浮かべていた。

『悪魔の塔』と呼ばれることとなった謎の遺跡の探索依頼。

 遺跡の探索と聞けば聞こえはいいが、そこにいるのは悪魔(デーモン)かそれに準ずる何物か。

 軽い気持ちで受ければ、間違いなく死ぬだろう。

 特に、()()()()()()()()()()

 内容を一言一句漏らさずに確認した重戦士は、きっぱりと首を横に振る。

 

「無理だな。今うちのが体調崩しやがったもんでな……」

 

 彼は渋い顔をしながら「申し訳ねぇ」と呟く。

 受付嬢も困ったもので、ため息混じりに眉を寄せた。

 重戦士は依頼書を受け取り、その内容をまじまじと見ながら言う。

 

「銀等級の呪文使い(スペルキャスター)と斥候の類いがいれば、話は変わってくるが……」

 

「あなた含めて三人ですか……」

 

「最低人数だ。出来れば前衛三、後衛三の六人は欲しいが……」

 

 その言葉を受けた受付嬢は真剣な表情で書類を確認し、彼の言った基準に合いそうな人物を探す。

 特に今回は国王からの依頼だ。下手な人材を送り出すわけにもいかない。

 銀等級で、前衛もこなせて呪文もたしなんでいる人材なんて……。

 

「受付さん、お困りですか?」

 

 ずいっと重戦士の後ろから顔を出したのは、銀等級冒険者、槍使いだ。

 そう言えばと彼女は思慮し、そして笑顔を貼り付ける。

 

「そういえば、呪文も習っていらっしゃるのでしたか」

 

「ありとあらゆる状況に対応してこその冒険者ですからね!」

 

 彼女の言葉にとても嬉しそうに返すと、重戦士は仕方がないと息を吐いて状況を説明。

 彼は二つ返事で承諾すると、受付嬢はちらりと彼の一党である魔女に目を向けた。

 魔女はひらりと片手を振り、「勝手にやって」と言わんばかりに微笑する。

 それはそれで受付嬢は困るのだが、そう言うのなら頼らせてもらおう。

 

「では、とりあえず二人……で宜しいですか?」

 

「俺は構わん。こいつなら信用できる」

 

 重戦士は頷くが、「まだ足りねぇぞ」とぼやく。

 槍使いも続いて頷き、そして依頼書を確認しつつ言う。

 

「あとは、斥候かね。腕っこきで、最低でも悪魔相手に自衛が出来るぐらいのな」

 

 彼の言葉に重戦士は頷き、顎に手をやってぼそりと言う。

 

「戒律は善に越したことはないが、せめて中立……」

 

「後で揉めるのはごめんだからな」

 

 斥候というのはその役職上、利己的で積極的な傾向が強い。

 宝箱の中身をくすねるなぞ、日常茶飯事だろう。

 必要となる人材を纏めてみると、こんなところか。

 斥候であり、前衛も出来る人物。

 実力もあり、人格も良好。

 公私混同はせず、戒律も善ないし中立。

 そんな人物、果たしているのか。

 人材を探す三人の脳裏によぎるのは、斥候なのに下手な戦士よりも強いあの男。

 だが、彼は先日の一件で体調が━━。

 彼らがそこまで思慮すると、その彼がギルドの自由扉を潜り、中に入ってきたのだ。

 彼は迷うことなく受付に向かい、重戦士、槍使いの後ろに無言で並ぶ。

 

「「「………」」」

 

 三人はそっと彼に目を向け、何度か瞬き。

 当の彼は懐からリンゴを取りだし、無言でしゃりしゃりとかじり始めていた。

 重戦士は二人に目配せし、そして彼に声をかけた。

 

「あー、ローグハンター?」

 

「━━邪魔なら下がるが」

 

 口に含んだリンゴを飲み込んだ彼は、困り顔の重戦士に対して小さく首を傾げる。

 

「おまえの一党の二人、どうした」

 

「魔術師が熱を出してな。あいつに面倒を見させている」

 

 ━━女同士のほうが良いだろう?

 

 彼はそう付け加え、リンゴを一かじり。

 受付嬢は苦笑混じりに彼に訊く。

 

「あの、もしかしてですけど、お一人で依頼を?」

 

「この際鼠退治でも構わんが、出来ればならず者(ローグ)退治はないか」

 

 彼はいつも通りの口調でそう返し、再びリンゴを一かじり。

 三人は目を合わせると、件の依頼書を彼に差し出した。

 彼は無言でそれを受けとると、じっと眺めて「ほぉ」と息を漏らす。

 悪魔の塔なる遺跡の調査と、余裕があればそこにいると思われる邪教徒か魔術師(ローグ)の討伐。

 報酬も良く、彼女らが数日休んでもどうにかなるだろう。

 それに銀等級二人が同行するなら、生存率も高まるというもの。

 いつの間にか芯だけになったリンゴを弄びつつ、彼は一度頷いた。

 

「俺は問題ないが、病み上がりだ。ある程度斥候の技量がある奴が居てくれれば安心だが……」

 

 専門でもないにしろ、斥候の技量がある程度ある人物。

 言い出しっぺの彼も、言いながらその誰かに目星を付けていたのか、視線はギルドの片隅に向けられている。

 重戦士、受付嬢もそれに気づいたのか、納得したように頷く。

 槍使いだけが察せていないのか、小首を傾げていた。

 受付嬢はそんな彼に構うことなく、その彼の元に依頼書を持っていく。

 彼女に声をかけられた彼は、そっと顔を上げていつも通り淡々と問う。

 

「……ゴブリンか?」

 

 

 

 

 

 辺境の街離れたらとある荒野に、何とも不思議な四人組がいた。

 一人目はだんびらを背負った筋骨隆々の男、重戦士。

 二人目は槍を担いだ猛々しい美丈夫、槍使い。

 三人目は目深くフードを被った謎の男、ローグハンター。

 そして最後の一人は、薄汚れた革鎧に鉄兜を被ったみずぼらしい格好の男、ゴブリンスレイヤー。

 全員只人、全員前衛という異色な一党は、目の前の塔を見上げてほぼ同時にため息を漏らす。

 

「ざっと見て、六十階と言ったところか」

 

「正面から突っ込むのは手間だな」

 

 ローグハンターが目測を漏らし、重戦士は顎に手をやり考える。

 槍使いはその意見に頷き、目を細めながら言う。

 

「この手の塔の中は、怪物と罠だらけだろうよ。作った奴はそのくらい性格の悪い奴に決まってらぁ」

 

 足元の潰れた転落死体に目を向けていたゴブリンスレイヤーは、ふむと唸って彼らに言う。

 

「ならば、壁を登るか」

 

 そう言う彼の手には、いつの間にか楔が握られている。

 それを突き立て、足場代わりにして登ろうと言うのだろう。

 ゴブリンスレイヤーは呆れる槍使いを一瞥し、各々に確認を取る。

 

登攀(とうはん)の経験はあるか」

 

「山登り程度ならある。崖もな」

 

「俺も大丈夫だ」

 

 重戦士、槍使いが肯定の言葉を漏らし、ローグハンターは目を細めて口の端を吊り上げる。

 

「このぐらいの高さなら、命綱無しで登ったことが何度かある」

 

 ━━ついでに、同じ回数飛び降りたこともある。

 

 流石にその言葉を飲み込んだが、その言葉を聞いた三人は、

 

「「「………」」」

 

 無言で引いていた。

 この塔は中々の高さだが、ローグハンターは特に怯えた様子はない。むしろ嬉々としていると言って良い。

 そんな彼は表情を引き締めると、顎に手をやりながら言う。

 

「問題は途中で敵に遭遇したらどうするか、だ。無防備にも程があるぞ」

 

「そこは槍使いの魔術に頼るしかないな」

 

 重戦士は槍使いに目を向け、彼は「任せろ!」と胸を叩く。

 

「最悪こいつを使うか。装填は無理だろうから、二発までだな」

 

 ローグハンターが腰のピストルを撫でながら言うと、ゴブリンスレイヤーは塔に楔を打ち込もうと金槌を振るっていた。

 が、再び唸るとその楔をローグハンターの手元に放る。

 それを受け取ったローグハンターは、先端の潰れた楔を眺め、困り顔で肩を竦める。

 

「まず楔を打ち込まなければな。どうする」

 

 彼が問いかけると、おもむろに重戦士が籠手と腕輪を外しにかかった。

 装備を背嚢に押し込み、赤い液体で満たされた瓶を取り出す。おろらく筋力上昇効果のある水薬(ポーション)の類いだろう。

 彼はそれを一息であおり、片手剣と紅玉が填められた指輪を取り出した。

 

「へぇ、身体強化(フィジカルエンチャント)の指輪か」

 

 槍使いが興味深そうに言い、ゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 

「見ろよ、ゴブリンスレイヤー。こいつが一流の冒険者の装備って奴だぜ」

 

 他人を見ながら自慢する槍使いに、重戦士は何か言いたげな表情になっているが、目の前の作業に集中する。

 言われたゴブリンスレイヤーは、ぼそりと言う。

 

「……魔剣の類いはないが、指輪ならあるぞ」

 

「へぇ?」

 

「水中呼吸だ。これならゴブリンどもの指に填まらんから、奪われても痛手にならん」

 

 ふと、三人の視線は黙りこんでいたローグハンターに目を向けた。

 彼が魔剣の類いを振るっている姿も、道具を使っている姿を見たこともない。

 三人の視線を受けた彼は、そっと視線を塔の頂上に戻した。

 触れないほうが良いのだろう。

 何せ彼が相手しているのはならず者(ローグ)だ。彼が負けた時、その装備全てが相手のものとなる。

 下手をすれば、ゴブリンスレイヤー以上に負けが許されないのだ。

 重戦士は何も言えない彼を気遣ってか、打ち込んだ楔を掴んでぐいと体を引き上げた。

 

「水薬は経費ってことで良いだろう?差っ引いて四等分だ」

 

 そして片腕で姿勢を保ち、次の楔を打ち込んでさらに上へ。

 ローグハンターの目からすれば「まだまだ」の一言なのだが、だんびら背負っての登攀だということを考慮すれば、そこまで無理は言えないだろう。

 むしろ、その筋力は称賛に値する程だ。

 本来なら板金鎧を着込んだまま跳ね回る彼の先生がおかしいのだが、彼の基準がその先生である以上、その異常さに気づくことが出来ない。

 

「構わん」

 

「問題ない」

 

「あいよ」

 

 三人は重戦士の言葉に即答する。

 報酬の分配で揉めるのは、酒場で飲みながらと相場が決まっている。

 ローグハンターは二人に目配せし、ゴブリンスレイヤーから予備の楔を受け取ると、重戦士に続いて登攀を開始する。

 続いてゴブリンスレイヤーが登り、最後尾に槍使い。

 手慣れた様子で登るローグハンターは、すぐにでも重戦士に追い付いてしまうほどだ。

 登りながらタカの目を発動し、周囲に気を配って時には下の二人にも気にかける。

 目が合う二人からしてみれば、「よく下見れるな」と思う他ないのだが、彼は高さに怯えた様子もなく再び上へと目を向けた。

 そして、左右に気を向けた彼は目を細めると、ピストルをホルスターから引き抜く。

 

「西から来るぞ。数は二。あれは……ガーゴイルと見るが」

 

 西の空に浮かぶ赤い影は、魔力で動く緑も混ざって不気味な輝きを放っている。

 つまり『飛ぶ石像』。これをガーゴイルと呼ばずに何と呼ぶ。

 彼の報告に重戦士もそちらに目を向け、下の槍使いに届くように声を張り上げる。

 

「来たな。頼むぞ!」

 

「おう!」

 

 槍使いは勢いよく返事を返し、魔法の発動体である耳飾りに触れる。

 無機物の筈なのに、まるで生きているかのように迫り来るガーゴイルは、登攀中の冒険者に狙いを定めている。

 しかし槍使いは慌てず騒がず、世の(ことわり)を書き換える真に力ある言葉を口にした。

 

「《ホラ()……セメル(一時)……シレント(停滞)》!!」

 

 途端、吹き付けていた風が止まった。

 槍使いの言葉が世界に満ち、その全てを遅滞させていく。

 風は止まり、音が途絶え、『沈黙(サイレント)』の奇跡とは違う静けさが辺りを支配する。

 彼が行使したのは『停滞(スロウ)』の魔術だ。

 全てが遅滞するその空間では翼が意味を成さず、ガーゴイルたちは重力に引かれて落ちていく。

 数秒かけて数十階分を落下し、微塵に砕けて塵へと還る。

 砕けた石像など、もはや石以外の何物でもない。

 ローグハンターはピストルをホルスターに戻し、槍使いに向けてサムズアップ。

 重戦士は冷静に、ニヤリと笑う槍使いに目を向ける。

 

「それで、あと何回だ」

 

「ああ。あと一回だな、本職じゃねぇ」

 

「それでも二回か。俺のところの魔術師も、まだ二回だけだ」

 

「そいつはまだ黒曜だろ?これからだ」

 

「それもそうだな。次に接敵、更にそれが一体だけなら俺が対処するが。……最悪降りることも考慮しないとな」

 

「そうだな。槍使いの呪文が切れたら、降りて正面から行くぞ」

 

 臨時の頭目である重戦士の決定に、首を横に振る者はいない。

 だがローグハンターが問いかけた。

 

「頂上付近なら、登りきるで良いか」

 

「ああ、その意識で問題ない」

 

 重戦士はそう返すと再び楔を打ち込み、無くなればローグハンターから補充を受ける。

 ふと、ローグハンターは黙々と登攀していく重戦士が背負う、左右に揺れるだんびらに目を向けた。

 下手に勢いがつけば、楔に引っ掛かりかねない。

 要らんお世話だろうなとも思うが、念のためだ。

 

「重戦士」

 

「なんだ」

 

「……引っ掛けるなよ」

 

「う、うるせぇよ……」

 

 何故か不機嫌そうに返されたローグハンターは首を傾げ、下の槍使いは憚ることなく爆笑し、ゴブリンスレイヤーはやれやれと首を横に振る。

 そう、この四人の中ではローグハンターが一番年長だが、冒険者歴では彼以外の三人が上なのだ。

 彼ら三人しか知らないことも、一つや二つあることだろう━━━。

 

 

 

 

 




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Memory03 頂きで待つ者

 塔の頂上は、いかにもといった風情があった。

 円盆状に窪んだ広間の外周を、ぐるりと円柱が取り囲んでいる。

 屋根は丸みを帯びた天蓋で、球体がすっぽりと収まりそうだ。

 柱も床も純白で、柱の狭間から望める青空は変わらず美しい。にも関わらず、その空間を支配する圧迫感は本物。

 真っ先に頂きへとたどり着いた重戦士と、彼に続いて登りきったローグハンターは、天井に描かれた星座を見上げて鼻を鳴らす。

 

「これは間違いなく混沌側だな。ならば、容赦はしない」

 

 ローグハンターはそう言うと辺りを警戒し、重戦士は彼に背中を任せてゴブリンスレイヤーと槍使いを引き上げる。

 ゴブリンスレイヤーは中途半端な剣を抜き、ローグハンターの隣に並ぶ。

 

「思ったより楽に登れたな」

 

「男だけだからな。女子供がいたら、まず登らないだろう」

 

 ローグハンターは肩を竦めつつそう返すと、槍使いが同意を示す。

 

「それは同感だな。アイツに登らせたくねぇ、っていうか、登れねぇよな」

 

 胸の前で両手で何かを持ち上げる仕草をする槍使いに、ローグハンターは僅かに唸って街にいる一党二人のことを思慮する。

 彼女らなら登れるだろうが、登らせたいかと訊かれれば答えは否。万が一落ちたらどうするのだ。

 重戦士は籠手を着け直し、背中のだんびらに手をかける。

 

「体力は問題ないな」

 

 彼の問いかけに三人は同時に頷き、その視線を落ち窪んだ盆の底にうずくまる何かに向けた。

 その何かは蠢きながら体を起こし、そのカビ臭い外套を(ひるがえ)す。

 

「おのれ。愚か者どもめ……!」

 

 枯れ木が風に軋むような音は、辛うじて声と認識できる程度。

 痩せさらばえ、捻くれ、沼地の朝露に浮かぶ蜃気楼のようなその姿。

 骨に皮だけの指先には、同じく古びた杖が握られ、外套の下には鬼火が燃える。

 見れば見るほど祈る者(プレイヤー)には見えないその姿は、まさに悪の魔術師だ。

 

「我が思索を妨げるとは━━━」

 

 ならば、喋らせないほうが良い。

 ローグハンターは一切の躊躇いなく、ホルスターからピストルを引き抜いて引き金を引く。

 爆音とともに放たれた銃弾は、寸分の狂いなく魔術師の眉間を撃ち抜いた。

 撃ち抜かれた勢いのまま、魔術師は体を仰け反らせてそのまま倒れる。

 念のためにも装填するローグハンターに、槍使いがため息混じりに声をかける。

 

「おいおい、喋らせてやれよ。これっきりだぜ?」

 

「魔術師を喋らせて魔術でも唱えられたらどうする。即発見(ファストルック)即殺害(ファストキル)だ」

 

 そう言う彼は油断なく魔術師を睨み、小さく唸る。

 倒れた魔術師は不気味に蠢きながら立ち上がり、口から何かを吐き出した。

 それは銃弾だった。一瞬のうちに錆びて朽ち果てた銃弾だ。

 

「儀式は、すでに……!」

 

「黙れ」

 

「━━━!?」

 

 無慈悲に放たれる銃弾は、寸分の狂いなく眉間を撃ち抜く。

 それでも魔術師は立ち上がり、銃弾を吐き出すと、ローグハンターをその鬼火の灯る瞳で睨み付ける。

 

「無駄だ!我はもはや、言葉持つ者の手には殺せない!」

 

 魔術師はそう宣言し、主に応えるように現れたガーゴイルがおよそ十。

 冒険者四人は心底面倒臭そうに息を漏らし、そっと目を合わせた。

 重戦士はだんびらを両手で構え、槍使いはひゅんと槍を振って重心を落として身構える。

 ゴブリンスレイヤーは中途半端な剣と小振りな円盾を構え、いつものように淡々と言う。

 

「殺せないが、死なないとは言わなかったな。ならば、やることは一つだ」

 

 ローグハンターは肩を竦め、ついでと言わんばかりに魔術師の眉間を撃ち抜いた。

 その瞬間、重戦士と槍使いが飛び出してガーゴイルを駆逐せんと暴れ始める。

 重戦士の一薙ぎがガーゴイルを砕き、槍使いの一突きがガーゴイルを貫き、その動きはまさに洗練され、二人が銀等級であることを証明してくれる。

 復活した魔術師は自らに接近してくる冒険者二人に目を向け、その杖を向ける。

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……》!」

 

 紡がれた真に力ある言葉に導かれ、高ぶる魔力が杖に集い、渦巻き始めた。

 三つ目が紡がれる前にローグハンターは警告を発する。

 

「『稲妻(ライトニング)』、来るぞ!」

 

「させん……!」

 

 ゴブリンスレイヤーは中途半端な剣を逆手に持ち替え、勢いのまま投げ撃つ。

 矢の如く放たれたそれは、寸分の狂いなく魔術師の喉に突き刺さる。

 お陰で魔術は不発に終わり、真に力ある言葉は無意味となった。

 

「これで、ラストだ!」

 

 重戦士の宣言通り、振り下ろされただんびらの一撃は最後のガーゴイルを粉砕し、ただの石片へと変える。

 瞬間、塔の頂きに疾風が吹き抜けた。

 ガーゴイルの全滅を見届けた槍使いが、その持てる全力を持って駆けたのだ。

 一迅の風となった槍使いは、耳飾りに片手を触れて真に力ある言葉を紡ぎ始める。

 

「《アラーネア(蜘蛛)……フォキオ(生成)……リガートゥル(束縛)》!!」

 

 迸った『粘糸(スパイダーウェブ)』が、立ち上がった魔術師を容易く絡め取った。

 対処しようと魔術師の鬼火が強まった瞬間、ローグハンターに引き倒されその首元にアサシンブレードの刃が突き立てられる。

 錆びる前に急いで引き抜き、傷口から吹き出た青黒い返り血を顔に浴びたローグハンターは、忌々しく舌打ちをすると魔術師の胸ぐらを掴み、そして━━。

 

「らぁっ!」

 

 塔の頂きから投げ捨てた(強制イーグルダイブ)

 いきなりの行動に三人は驚くが、非難することはない。

 言葉持つ者に殺せないのなら、言葉持たぬ重力に殺させようと言うのだ。

 魔術師は数秒間の浮遊感の後、地面に叩きつけられて青黒いシミへと転じる。

 ローグハンターは塔の上からそのシミを確認し、鼻を鳴らす。

 

「恐れを抱いたまま眠れ。永遠に……」

 

 一応祈ることは忘れずやると、待機していた三人の元へ。

 返り血を袖で拭うが、妙に粘着質のそれは異様にしつこい。

 諦めたのか、ローグハンターはため息を吐いて言う。

 

「宝でも探すか。主を倒したのだから、この塔もあと数分で消えるだろう」

 

「そうだった!ボケッとしてる暇はねぇ!」

 

 喜び勇んで駆け出す槍使いに、重戦士は苦笑を漏らす。

 気を抜ける時に抜いておくのは、とても大切なことだ。重戦士だってそれは重々承知だし、ローグハンターも銀髪武闘家のお陰で慣れている。

 ゴブリンスレイヤーは槍使いの背中を眺め、小さく息を漏らす。

 

「見習うべき所は多々あるな」

 

「確かに、そうかもな。槍使いも、あいつも、その辺り俺より上手い」

 

 ローグハンターは銀髪武闘家の事を想い、彼女が隣にいないことに何となく違和感を覚える。

 その違和感を拭うようにタカの目を発動し、屋上の片隅に安置された長持を発見した。

 三人は目を合わせると、それに近づいて片膝をつく。

 ローグハンターはアサシンブレードを抜刀、蓋と箱の間に差し込んでぐるりと一週。

 罠がないことを確かめ、鍵穴を覗いて針金を取り出す。

 ガチャガチャとピッキングを進めつつ、ローグハンターはぼそりと言う。

 

「……久しぶりに旅をした気分だ」

 

「確かに、戻ったら騒がれそうだな」

 

 周囲を警戒していたゴブリンスレイヤーもため息を漏らし、重戦士は苦笑を漏らす。

 彼ら二人を『冒険』に連れ出そうと躍起になっている妖精弓手がこの事を知ったら、その長耳を逆立てることだろう。

 彼らが囲む長持以外には何も見つからなかったのか、槍使いが残念というように息を吐いて戻ってくる。

 それでも彼らの会話は聞こえていたのか、肩を竦めて苦笑する。

 

「誘った俺らも怒られそうだがな」

 

「周りに騒がれながらの財宝分配と酒盛りは伝統だ。諦めろ」

 

 重戦士も彼に続き、ゴブリンスレイヤーとローグハンターは肩を竦めた。

 

「経費を抜いて四等分だったな」

 

 がちゃりと音を立てて長持の鍵が開くと、ローグハンターはホッと息を吐いて青黒い血が染みた汗を拭う。

 

「そのつもりだ」

 

 重戦士が答えると、ゴブリンスレイヤーがぼそりと呟く。

 

「財宝か。悪くはない……」

 

 いつものように淡々と、それでもどこか嬉しそうな言葉に、三人は顔を見合わせて思わず苦笑。

 ローグハンターはそっと宝箱を開き、その中身に目を向けた。

 

 

 

 

 

 辺境の街、眠る狐亭。

 顔の返り血を落としたローグハンターは一人で賭博場の脇を抜け、店主に軽く挨拶をして上階、彼の滞在する部屋へ。

 扉の前で立ち止まり、そっと耳を当てる。

 もう真夜中だ、二人とも眠っていることだろう。

 彼は四人で分配した宝の詰まった袋を担ぎ直し、そっと扉を開けて音もなく潜る。

 そして、その表情に僅かな驚きを露にした。

 女魔術師は熱も落ち着いたのか、規則正しく寝息を立てている。

 銀髪武闘家のほうは今にも寝てしまいそうだが、必死になって目を開いているのだ。

 

「……あ、おかえり~」

 

 彼女の眠そうな笑顔に彼の表情は無意識に緩み、柔らかな笑みが漏れる。

 

「ただいま……」

 

 その言葉を言える人物なぞ、彼女以外に誰がいる。

 彼に寄り添い、支えられる人物なぞ、彼女以外に誰がいる。

 きっと、ローグハンターは気づいていない。

 今の彼のその顔が優しき父が母に見せた笑顔に似ていることなど。

 父が母の前で笑う時は、決まってそんな柔らかな笑みを浮かべていたことなど。

 彼が忘れていた笑みが、ごくごく自然に漏れていることなど━━━。

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Sequence06 鷹を狩る者
Memory01 新たな出会いは突然に


 辺境の街、冒険者ギルド。

 寒さが強烈になり始めた冬の始めでも、人で溢れるギルドの中は暖かい。

 ローグハンターはいつものようにギルド端の席に腰を降ろし、机に置かれたリンゴには目もくれず、送られてきた手紙を睨んで何とも言えない表情を浮かべていた。

 いつもなら真っ先に声をかけるであろう銀髪武闘家も、何かしらの異常を察して声をかけない。

 彼女が無理だとしたら、女魔術師にも無理だ。

 まだ付き合いが一年にも満たない彼女には、まだ遠慮という言葉が脳裏にちらついているのだろう。

 手紙を読み終えたローグハンターはそれを畳んで机に置くと、額に手を当てながら大きめのため息を漏らす。

 一党の二人は目を合わせて目配せすると、銀髪武闘家が声をかけた。

 

「ねぇ、大丈夫……?」

 

「ああ……」

 

「そうには見えないけど」

 

「むぅ……」

 

 自分の顔を覗きこんできた銀髪武闘家の顔を見たローグハンターは、小さく唸りながら机に突っ伏す。

 いつになく悩んでいる様子の彼を心配してか、女魔術師が悩みの種である手紙を拝借し、その文面に目を通す。

 達筆ながら品のある言葉選びは、きっと助けた貴族令嬢からのものだろう。

 それは良い。いつもの事だ。

 冒険者として貴族令嬢からの好意を受け取るのは、まあ良いことだろう。……良いことだろうか?

 その話は置いておき、肝心の問題点は手紙の後半部分。

 

『━━家を飛び出した友人の一人が、出ていく前にあなたの一党に加わりたいという(むね)の話をしていました。無事に出会うことがありましたら、どうか()()のことをよろしくお願いいたします━━』

 

 その部分を読んだ女魔術師は、同情を込めた視線を頭目に向けた。

 机に突っ伏す彼の背中を、銀髪武闘家が擦っているようだ。それに意味があるのかはわからないが、きっと何かしら効果があるのだろう。

 女魔術師は小さくため息を吐き、その続きを読んでいく。

 どうでもいい身の上話を流し見て、その女性の情報を探して手紙を睨む。

 穴が開くのではと思うほど手紙を睨む彼女の姿を、他の冒険者たちはどう見たのか。

 そもそも目を向けるかどうかすら怪しいが、きっと見ていれば、さぞや滑稽に見えただろう。

 手紙を読み終えた彼女はぐったりとその身を机に預け、大きく息を吐く。

 女魔術師もダウンしたことに銀髪武闘家は驚きの声を漏らし、ローグハンターと彼女とを交互に見つめると二人を倒した問題の手紙に目を向けた。

 読めば最後、二人と同じ末路を辿ることは目に見えている。

 流石に見え見えの罠に飛び込むほど彼女は愚かではないし、そもそもローグハンターを苦しめる貴族令嬢(こいがたき)からの手紙なぞ、読む気にすらならない。

 ローグハンターは体を起こし、天井を見上げながらぼそりと呟く。

 

「……店主に言って、もう一部屋借りるか。余っていればの話だが」

 

「二二で別れますか?それとも一三ですか?」

 

 来る者拒まず、去る者追わず。

 問題の彼女を迎え入れるつもりの頭目に、女魔術師が顔だけを上げて問いかけると、彼は彼女に目を向けて顎を手をやりながら言う。

 

「俺はどちらでも構わないが……」

 

「ん。よく分からないけど、部屋を別にするなら彼と同じ部屋にしてね」

 

 いきなり話を進め始めた二人の間に、銀髪武闘家が割って入る。

 口にしたのはただの我儘(わがまま)なのだが、ローグハンターはそれを受け入れるつもりのようで、反論を口にすることはない。

 

「その話は後にしよう。実際にその令嬢が来た時にでも━━」

 

 ローグハンターはそう言いながら、ギルドの自由扉を潜った人物に目を向けた。

 入ってきたのは見知らぬ女性だ。

 蜂蜜のように艶やかな金色の髪を二つに括り、碧眼を煌めかせる年頃の娘。

 豊かな胸元を守る胸甲に、コルセット不要の細い腰を包むのは上等な革鎧。

 その腰に下げる鞘に納まった長短一対の突剣は、ローグハンターの振るう数打ち物ではなく、おそらく一族に伝わり続ける高貴な一振り。

 そんな戦衣装に身を包むよりも、ドレスで着飾りパーティに出るほうが似合う。

 彼女は無意識だろうが、ローグハンターにだけ感じ取れるそんな雰囲気が漏れ出ているのだ。

 その雰囲気を感じとったローグハンターが、瞬き一つでタカの目を発動してみれば、その人は金色に━━つまり重要人物として━━強調される。

 

「………噂をすれば、か」

 

「ん。何か言った?」

 

「いや……」

 

 ぼそりと呟いた言葉に銀髪武闘家が反応するが、ローグハンターはタカの目を解除しつつ適当に受け流してリンゴを手に取り一かじり。

 毎日食べれば医者が遠のくとは、誰が言った言葉だったか。

 騒がしい冒険者ギルドの中に、シャリシャリとリンゴを咀嚼(そしゃく)する音が僅かに響く。

 彼に続いてというわけではないが、銀髪武闘家と女魔術師もリンゴを手に取りかじり始めた。

 

 シャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリ。

 

 一つだった小さな音が、いきなり三つに増えるとなると、流石に騒がしいものである。

 流石の冒険者たちも気になったのか、ちらりと彼らに目を向けるのだが、すぐに目を逸らす。

 三人して真剣な顔でリンゴをかじり続けているのだ。その姿は滑稽を通り越してもはや不気味と言って良い。

 

「ところで、ゴブスレは?」

 

 リンゴを咀嚼しながら漏らした言葉に、真っ先にリンゴを食べ終えたローグハンターが言う。

 

「朝一に出ていったそうだ。少々距離のある雪山のほうにゴブリンが出たらしくてな」

 

「あの()も、いつもの彼らもついていきましたよ」

 

 女魔術師はそう付け加え、またリンゴをかじり始める。

 リンゴを両手でしっかりと持ち、小動物のように小さく連続でかじっていくその姿は、何となしに可愛らしい。

 銀等級二人はそんな彼女の姿に苦笑を漏らし、芯だけになったリンゴを弄ぶ。

 ローグハンターが目で追っていた件の令嬢剣士は、しばらくギルド内を右往左往。

 ついに諦めたのか困り顔で息を吐くと、運良く空いていた受付に直行した。

 彼女が自分たちを訪ねてくるまで、あと数十秒といったところか。

 彼はため息混じりに立ち上がり、二人からリンゴの芯を回収して近くのゴミ箱に叩き込む。

 その足で受付に向かうと、令嬢剣士と話し込んでいた困り顔の受付嬢がパッとその表情を明るくさせた。

 

「ローグハンターさん!実はこの人がお話があると……」

 

「ああ、話は聞いてる」

 

 彼は手短にそう返すと、令嬢剣士に目を向けた。

 当の彼女は彼の登場に酷く驚いた様子で、その体は固まっている。首から下がる認識票は、駆け出しを示す白磁のもの。

 彼は肩を竦めて苦笑して、体を強張らせる彼女に言う。

 

「とりあえず、話を聞かせてくれ。こっちだ」

 

 緊張を和らげようとしているのか、珍しく優しげなその声音は、兄のようでありながら父のようでもあり、二十代中頃という年齢以上の力がある。

 令嬢剣士の緊張も僅かに解れたのか、その表情を和らげた。

 それを見たローグハンターは彼女を先導し、一党の二人が待つギルドの片隅へ。

 令嬢剣士を含めた四人で卓を囲み、三人はそれぞれ目配せする。

 出来る限り険しい表情はせず、笑顔を心掛ける。

 令嬢剣士は一度深呼吸をすると、その碧眼をローグハンターに向けて単刀直入に告げた。

 

「わたくしを━━」

 

 ━━あなたの一党に加えてください!

 

 三人は次の言葉はそうだろうと目星をつけ、何と返すかを思慮する。

 だが、令嬢剣士の放った言葉は彼らの予想から僅かに逸れる。

 

「━━あなたの『弟子』にして欲しいのですわ!」

 

「………は?」

 

 非常に珍しいことに、ローグハンターの口から間の抜けた声が漏れた。

 聞き耳を立てていた冒険者たちも驚いたのか、酒を吹き出したり手を止めたりと、その反応は様々だ。

 銀髪武闘家と女魔術師も予想を外れた言葉に驚き、その顔を見合わせる。

 弟子ということは、彼と師弟関係を結びたいということだろう。

 驚き固まる三人を他所に、令嬢剣士は身を乗り出しながら言う。

 

「わたくしの友人から、貴方のお噂は聞いておりますわ。ですから、どうか、わたくしを弟子に━━」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 彼女の言葉に待ったをかけ、彼はゆっくりと確認を取るように問いかける。

 

「おまえは、俺の弟子になりたいのか?」

 

「そうですわ」

 

 ニコッと爽やかな笑みに裏はない。

 

「一党に加わりたいではなくてか」

 

「出来れば加えていただきたいですが、今のわたくしでは、その、足を引っ張ってしまうと……」

 

 彼は困り顔で一党の二人に目を向けるが、その二人は無言で目を逸らす。

 いつも助けているというのに、ここぞという時に助け船を出してくれないのはいかがなものか。

 彼は小さくため息を吐き、令嬢剣士に視線を戻した。

 彼に睨まれた令嬢剣士は僅かに狼狽えるが、すぐにその碧眼で蒼い瞳を見つめ返す。

 ローグハンターは不敵に笑い、彼女に告げる。

 

「弟子、か。まあ、たまには良いか……」

 

 折れたかのように呟かれた彼の一言に、令嬢剣士は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 そんな彼女を見つつ、銀髪武闘家が笑顔混じりに問いかける。

 

「一党に入れるの?それとも弟子にして街で待機?」

 

「一党には入って貰う。実戦の空気を感じるのは、訓練だけではどうにもならん」

 

 表情を真剣なものに変えての一言は、先程とはうって変わって頭目としての気迫に満ちている。

 ここからは他人としてではなく、一党の仲間として接するということなのだろう。

 令嬢剣士もそれを察してか、その表情を引き締めながら頷く。

 ローグハンターは更に続ける。

 

「貴族出身なら、多少剣の心得はあるだろう。剣術の他に何か出来るものはあるか」

 

「『稲妻(ライトニング)』の術が使えますわ。日に二度だけですけれど」

 

 彼女の言葉に女魔術師が感嘆の息を漏らし、思慮を深める。

 多少の剣術も扱え、術も二回。なるほど、白磁の冒険者にしては優秀と言えるだろう。

 自分も棒術を使い始めたとはいえ、まだ素人の域を出ない。ゴブリン相手になら、まだ牽制にはなるか。

 術を扱えるのが二人になるというのは、実際に良いことだ。後衛である自分の負担も減ることだろう。

 

「一党内で術が四回。やる事が増えたが、やれる事も増えたな」

 

 ローグハンターはそう呟くと、三人を残して掲示板(クエストボード)に足を向けた。

 令嬢剣士の技量の確認が出来そうな依頼。ようは試金石が必要なわけだ。

 

「むぅ……」

 

 顎に手をやり唸った彼は、一枚の依頼書を引き剥がす。

 いつも通りの野盗(ローグ)退治だ。書かれている文面を鵜呑みにすれば、大規模ではないだろう。

 他所から来た流れ者か、あるいは新参者か。

 どちらにせよ、今の彼らにとってはちょうど良い依頼に違いはなかった。

 依頼書が放置されていたのは、その野盗どもの拠点が少々遠い山間部に位置するからだろう。

 冬場の山を舐めてかかれば死ぬ。

 冒険者たちはそれをわかっているし、そんな危険に場所に赴くような輩は余りいない。

 野盗もそれをわかっているから、そんな危険な場所に拠点を置くのだ。

 ローグハンターもそれをわかっているから、そこに飛び込んで行くわけだ。

 彼は一党の元に戻り、その千切ってきた依頼書を三人に見せる。

 

「小規模の野盗の拠点だ。少し遠いが、ちょうど良いだろう」

 

 銀髪武闘家と女魔術師は慣れた様子で頷き、令嬢剣士も「お任せください!」とやる気十分に答える。

 確認を取ってもすぐさま出立という訳にもいかず、この依頼書を受付に渡し、諸々と準備を終えてようやく出立だ。

 

「それじゃあ、俺は受付嬢のところに行ってくるから……」

 

「目的地までの行程と、それに合わせた食料の確保でしょ?任せといて」

 

「それ、やるのはほとんど私じゃあないですか……?」

 

「あ、あの、わたくしは何をすれば……」

 

 いつものように話を進めていた三人は令嬢剣士に目を向け、ローグハンターが言う。

 

「二人に付き添ってくれ。最初はそこからだ」

 

「承知しましたわ」

 

 彼女の返答にローグハンターは「良し」と呟き、席を立つとそのまま受付へ。

 三人は目配せすると、女魔術師が地図を卓の上に広げた。

 依頼の山脈は徒歩ではそれなりにかかる距離だ。

 途中の村で補給を受けつつ向かうとしても、何も採れぬ冬の時期は食料が普段以上の値段にはね上がる。

 ギルドで買えるものは対して変わらないから、ここで多めに買うか。いや、それでは荷物の重量が……。

 女魔術師はそこまで思慮すると、令嬢剣士に目を向けた。

 

 ━━この人はどれくらい食べるのかな……。

 

 新たな仲間が増えたのなら、その分運ぶ食料も、それを買う費用も増えるということ。

 悩みの種と、冒険の種は減ることはない。

 女魔術師は大きくため息を吐き、首を傾げる二人に目を向ける。

 金繰りはローグハンターと女魔術師の仕事。

 実働はローグハンターと銀髪武闘家の仕事。

 援護はローグハンターと女魔術師の仕事。

 ……ローグハンターが働きすぎのような気がするが、果たして令嬢剣士はどこに組み込めるのか。

 頭目は今回の依頼を試金石にするつもりだ。

 そして、この一党での連携を確かめ、そこを突き詰めていくのだろう。

 女魔術師は戻ってきた頭目の笑みに頷いて返し、案を纏めていく。

 準備を整えた彼らが出立したのは、陽が天高く昇った真昼時だった。

 

 

 

 

 




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Memory02 依頼中止

 辺境の街を出発してから幾日か。

 いくつかの村を経由して、依頼の野盗狩りに赴くローグハンター一党は、その行程最後となる村の安宿の一室に集っていた。

 四人で床に腰を降ろし、女魔術師が広げた地図を睨む。

 今のところ予定通りだ。

 一番の心配であった令嬢剣士の体力は、彼らの予想を越えて高いものだった。

 次の問題は、件の野盗の野営地の場所がここから更に遠いこと。最低でも一度は野営が必要になることだろう。

 村で食料を補充して、薪か何かを買えれば御の字だが……。

 

「何を買うにしても、やはり金はかかるな」

 

「仕方ないよ。冬の時期はどの村もギリギリなんだから」

 

 ローグハンターのため息混じりの言葉に、銀髪武闘家がそう返す。

 冒険者になる以前にそういう経験をしたからこそ、彼女の言葉には説得力がある。

 女魔術師は顎に手をやり、僅かに唸った。

 

「報酬額から考えると、僅かに黒字、と言ったところですかね……」

 

「予想通りだ」

 

 ローグハンターはそう言うと、令嬢剣士に目を向けた。

 今回の依頼は彼女の試金石としての意味が大きい。

 報酬は多いに越したことはないが、無理をさせていきなり死なれたら、こちらにも嫌なものが残るだろう。

 当の彼女は女魔術師の言葉に表情を険しくさせているが、地図を睨んで何やら考えている様子。

 

「どうかしたのか」

 

「い、いえ、その、よくこの周辺を縄張りにしたなと、思いまして。こんな冬の山の中に拠点だなんて、可能ですの?」

 

 地図のある部分を指で示しながらの問いかけに、ローグハンターはこくりと頷く。

 

「おまえの思う通り、冬の山は危険が多い。だが十分な知識があれば問題はない」

 

「知識、ですか……?」

 

「ああ」

 

 首を傾げる令嬢剣士に、ローグハンターは「ついでだな」と呟いて目的地付近の地図の線を指で撫でながら言う。

 

「相手に腕の良い斥候や野伏の類いがいれば、狩りぐらいは出来るだろう。冬眠中の動物を仕留めるのは、森を追いかけるよりも楽だ。それに呪文使い(スペルキャスター)がいれば、簡単に暖が取れるだろう」

 

「貴重な呪文の無駄遣いかもしれないけど、命に関わるなら話は別ね。燃やし方にもコツがいるわ」

 

 女魔術師は壁に立て掛けた杖を見ながら笑んだ。

 学院でこんな事を口にすれば、教師からの説教は間違いなしだ。

 だが、ここは学院でもなければ自分は学生でもない。

 毎日安心して眠れるわけでもなければ、ある程度の安全が確保されているわけでもない。

 何もかも、自分や仲間たちとの力で手に入れなければならないのだ。

 令嬢剣士は何度も頷きながら言うと、そっとメモをとろうとするが、それを銀髪武闘家が手で制した。

 

「メモは禁止。いざって時に思い出せないようじゃ、死んじゃうよ?」

 

「わ、わかりましたわ!」

 

 慌ててメモをしまう彼女の姿に、女魔術師は苦笑を漏らす。

 ローグハンターと初めて出会った日に、令嬢剣士と同じ事を言われたのは記憶に新しい。

 尤もあの日からもう何ヵ月も経ち、もうすぐ今年も終わりだ。

 

 ━━出来ることなら、この四人で来年を迎えたいわね。

 

 彼女の脳裏によぎったのは、そんな事だった。

 いつ死ぬかもわからない冒険者にとって、明日の朝日を拝むのが、小さいながらも共通の目標だろう。

 そうだと言うのに、まだまだ先の新年を見据えるなど。

 息を吐く女魔術師の横で、ローグハンターは地図を見つつ、そっと目を細めた。

 出発は朝一、最低でも一度の野営を挟み、野盗の拠点を探して叩く。

 言葉だけにすると、冒険者たちにとっての十八番(おはこ)である強襲と殲滅(ハックアンドスラッシュ)のようなものだ。

 つまり、やることはいつもと変わらない。

 ローグハンターは不敵に笑むと、地図を畳んで女魔術師に手渡す。

 

「明日の朝一に出るぞ。それまではゆっくり休め」

 

 彼の指示に一党の三人は頷くと、各々の部屋に別れて早めの就寝を取る。

 明日は間違いなく野営だ。まともに休めるのは、これで最後になるだろう。

 

 

 

 

 

 とある山間部。

 捨てられた村なのか、あるいは焼かれた村なのか、どちらにせよそこがローグハンターたちが狙っている野盗たちの拠点()()()

 

「はぁ……はぁ……あぁ、くそ……」

 

 おそらくその野盗たちの頭目だった男は、その表情を恐怖に引きつらせながら駆けていた。

 立ち止まるな、止まったら死ぬ。

 振り返るな、振り返ったら死ぬ。

 ただ前だけを見て、ひたすら走れ。

 本能が告げている。

 逃げろ、走れ、死にたくない。

 仲間たちを置いて逃げた事を後悔することはない。

 その中にいた女の仲間たちがどうなったかなど、考えたくもない。

 走れ、走れ、走れ、走れ走れ走れ走れ走れ走れ走れ。

 近くの森の中に駆け込み、ひたすら走る。

 鋭い枝で頬を切ろうが、構っていられない。

 死が、すぐ側まで来ているのだ。

 死ななければ次がある。死ななければ、やり直せる。

 死ななければ━━━。

 

「ひぃ!」

 

 頭目は足を止め、突如として目の前に現れた小さな影を、怯えた視線で睨み付けた。

 小さな影は左肩に白いマントのついた、同じく白いローブを身に纏い、鳥の(くちばし)を模した装飾のついたフードを被っている。

 その細腕に無理やり大きさを合わせた籠手に仕込まれた刃は、既に複数人の血に濡れている。

 (いな)、血だけではない。おそらく脳の破片と思しき物をこびりついているのだ。

 頭目は、それらが仲間のものだと気づくのに時間はかからなかった。

 そして、そこに自分の物が加わることに気づくのにも、たいして時間はかからなかった。

 そして、その通りになるのには、それよりも時間がかからなかった。

 頭目はろくな抵抗も許されずに、籠手の仕込み刀で喉仏を貫かれ、文字通りに自分の血に溺れて死に絶えたのだ。

 その小さな影はフードを取り払い、汚物にでも触れるかのように動かなくなった野盗の頭目を蹴る。

 遠くから女の悲鳴が聞こえるのは、小さな影の仲間たちが、捕らえた女たちで悦しんでいるからだろう。

 その事実に小さな影は忌々しげに唾を吐き、森人もかくやという速度で木の上によじ登る。

 木の一番上まで登った小さな影の正体であるゴブリンは、その表情を引き締めて周辺を警戒し始める。

 下で()()()()()()()()()()()()

 あんなことをしている間に、()()()()()()()どうするのだ。

 ゴブリンにしては高い知能と、()()()()()()()()意識。

 ゴブリンにしてはあるまじき、勤勉さを持ち合わせた特異個体。

 尤も、彼がこんな事を思い始めたのは少し前からだ。

 正確には、殺した男からこのローブを奪った瞬間だ。その瞬間から、世界の全てが変わって見えた。

 剣と盾を振り回し、うまい具合に仲間たちを纏める()()()もそうらしいが、あちらとはまた違うことは僅かばかり理解出来る。

 理解出来たところで、何か変わるわけでもないのだが。

 ゴブリンは下から聞こえる汚い悲鳴と、それを笑う仲間たちにため息を漏らし、天にある緑の月に目を向ける。

 食料を確保し、しばらく仲間たちが暇にならない程度の女も確保出来た。

 戦果は上々、後は帰ってあいつに報告するだけだ。

 その時一際大きな悲鳴が上がり、ゴブリンは盛大に息を吐く。

 とりあえず、戦果が一つ減ってしまったのはどう説明したものか。

 誰だってそうだろうが、怒られるというのには、いつまで経っても慣れることはないのだろう。

 

 

 

 

 

 二日後の雪原。

 既に陽は沈み、二つの月が雪原を優しく照らしている。

 点々と足跡を残しながら進んでいたローグハンターの一党は、遠くに登る黒煙に気づく。

 地図を見た限り、付近に人の住む村はない。燃えているとしたら、野盗の拠点だろう。

 四人は目配せし、小走りで駆け出す。

 全力では走らない。もし戦闘になった時に息切れをしていたら、まともに戦えなくなるからだ。

 その途中で積雪で真っ白になった丘の影に身を潜める。

 ローグハンターは顔を覗かせる前に雪を口に含む。

 口内を一気に冷やすことで、息が白くなることを防ぐのだ。

 やりすぎると体の芯から冷えるため、細心の注意が必要なことではあるが、彼にとっては些細なことだろう。

 気配を殺し、白い息さえも消し、丘から僅かに顔を出しタカの目を発動。じっと村を睨んで状況を探る。

 何ヵ所かから火が起こり、それがゆっくりと燃え広がっているようだ。

 見た限りで敵を示す赤い影はない。かといって味方を示す青い影も、重要人物を示す金の影もない。

 打ち捨てられて数年が経っているであろう、地図からも消された廃村。人っ子一人はおろか、獣すらいない。

 ローグハンターは一党の三人に目配せし、慎重に村へと近づいていく。

 僅かに感じる肉の焼ける臭いは、そこに何かがいた証拠だ。

 慣れぬ臭いに表情を険しくさせる令嬢剣士に目を向け、ローグハンターは淡々と告げる。

 

「鼻で息をしろ。この臭いには慣れてもらわないと困る」

 

 令嬢剣士は彼の指導に頷き、一度深呼吸。

 銀髪武闘家と女魔術師は周囲を警戒し、万が一に起こるかもしれない彼の見落としに備えておく。

 誰だって完璧にはなれない。世界を救う勇者にだって、短所の一つや二つあることだろう。

 尤も、その勇者の短所━━この場合は弱点か━━である兄は、彼女らの目の前にいることには気づくことはない。

 廃村に忍び込み、近くの家屋に滑り込む。

 そっと窓から外を見れば、雪に隠れた何かがちらほらと見ることが出来る。

 ローグハンターは三人をその場に残して家屋を出ると、雪に隠れたその何かを探る。

 

「………」

 

 彼はそれを見て小さく息を吐く。

 それは死体だった。おそらく、彼らの目標だった野盗の一人のもの。

 恐怖に目を見開き、体はぼろ雑巾のようだ。手足も欠けている。

 生きたまま腹を切り刻まれ、解体されたのだろう。武器は見当たらない、何者かに奪われたのか。

 彼はわき出る疑問を一旦置いておき、そっとその死体の目を閉じさせ、祈る。

 

「安らかに眠れ。恐怖を忘れ、永遠に……」

 

 警戒しつつも三人を待たせる家屋に戻り、彼女らに言う。

 

「目標の野盗の死体があった。全員死んでいるかは知らないが、ここで何かがあったことは確かだ」

 

「これからどうしますの?」

 

 令嬢剣士の問いかけに、銀髪武闘家が顎に手をやり考える。

 

「一応依頼は達成だけど、何もせずに報酬を貰うのはね……」

 

「帰って何を言われるかわかりませんよ……」

 

 女魔術師もそう続き、小さく白い息を吐いた。

 銀髪武闘家が言うように、討伐すべき野盗は死んでいる。生き残りを探すにしても、この二日でだいぶ離されたことだろう。

 ローグハンターが思慮を巡らせる中で、その耳に聞き馴染んだ『下卑た笑い声』が頭に響き始める。

 野盗を襲い、必要以上に痛め付けてから殺す手口は、あいつらにしかあり得ないだろう。

 彼は指を口の前に持っていき、三人に静かにするように伝える。

 再び窓から外を見れば、そこにいたのは五匹のゴブリン。

 略奪後のおこぼれを狙っているのか、それとも自分たちのような冒険者が来ることをわかってか。

 三人もそっと外の様子を探り、各々の武器を改める。

 ローグハンターはいつもの長短一対の武器を抜き、銀髪武闘家は籠手の具合を確かめ、女魔術師は杖の石突きを取り外し、中に仕込まれた刃を露出させる。

 初めての実戦である令嬢剣士も、雷槌(いかづち)にて赤き宝玉より鍛えられた軽銀製の突剣を抜き放つ。同時に突剣と同じく軽銀製の短刀を抜き、ローグハンターと同様に構えを取った。

 ローグハンターは銀髪武闘家、令嬢剣士に目を向け、指示を出す。

 

「二人は正面から頼む。魔術師と俺で、上から決める」

 

 銀等級が一人ずつ後輩に付く。

 おそらくこれが最も安全で確実だろう。

 銀髪武闘家と令嬢剣士が同時に頷くと、家屋から飛び出していく。

 同時にローグハンターと女魔術師はそろりと抜け出し、近くの家の屋根の上によじ登る。

 

「イィイイイヤッ!」

 

「GRRB!??」

 

 銀髪武闘家の豪快な回し蹴りが、ゴブリンの首をはね飛ばす。

 

「こんのっ!」

 

「GB!」

 

 軽銀製の刃は柔軟かつ鋭く、教本通りの動きをするだけでもゴブリンを殺す程度なら造作もない。

 突き、突き、払う。三手もあれば、十分だろう。

 幸運にも残った三匹のゴブリンは、顔を見合わせて隙を伺う。

 数はこちらが上。こいつらの事を群れに伝えれば、きっと褒美が貰えるに違いない。

 だが、こいつらで楽しめる時間が減る。

 よく見てみれば、目の前の二人はどちらも女だ。しかも生き生きとしていて、きっと良い声で鳴くに違いない。

 三匹は醜悪な笑みを深め、舌舐めずり。

 ただですら娯楽が少ないのだ、ここら辺で一つや二つ贅沢しても良いだろう。

 彼らは自分たちが負けることを考えることはない。

 何故かは聞くまでもなく、ゴブリンたちは自分は上手くやれると信じて疑わないからだ。

 そして、その思いは一瞬で潰された。

 三体が背中を任せていた家屋から、二つの影が飛び降りたのだ。

 女魔術師は落下の勢いのまま杖の石突きに仕込んだ刃でゴブリンの脳天を貫き、その体をクッション代わりに着地。

 ローグハンターは落下の勢いに乗せ、長短一対の剣をそれぞれゴブリンに突き立て、声をあげさせることなく即死させた。

 二人は念のためともう一突きし、ゴブリンの死を確かめる。

 四人は周囲を警戒し、増援や伏兵に備えるが、一分程待ってもそれは来ない。

 タカの目を発動しつつ周囲を見渡し、赤い影を探す。

 

「……終わりか」

 

 それはどこにも映らず、ただ静けさが廃村を包み込むだけだ。

 四人は目配せすると再び移動し、まだ壁がしっかりとしている家屋に飛び込んだ。

 とりあえずここで一泊することは確定事項だ。

 ゴブリンが来る可能性を考慮すると、下手に火を焚くことは出来ないが、幸いなことにこの村は既に燃えている。

 火種には困らないし、小さな煙程度なら誤魔化せるだろう。

 四人は白い息を吐きながら身を寄せあい、床に地図を広げる。

 

「……野盗を襲ったのがゴブリンだとしたら、どこかに巣があるだろう」

 

「肉付き良かったからね。渡りじゃないのは確かだよ」

 

「問題は、その巣がどこにあるかですね」

 

 ゴブリンを潰す方向で話を進める三人に、令嬢剣士は疑問を口にする。

 

「これからゴブリンを追いますの?」

 

「ああ。ただ働きするぐらいなら、ゴブリンの巣を一つぐらい潰して帰ったほうが、評価はされるぞ」

 

「冒険者は評価と信頼が無いと、次の等級に上がれないからね」

 

 ローグハンター、銀髪武闘家の言葉に、令嬢剣士はこくりと頷く。

 女魔術師は地図を睨み、とある一点を指差した。

 

「ここに村があります。ゴブリンに関しての情報と、食料が貰えれば補充しましょう」

 

「……山の反対側か。一旦降りて、道に出るか」

 

「ゴブリンがいる山を突っ切るのは、流石に危ないからね」

 

「わかりましたわ。距離としては、どの程度でしょう?」

 

 令嬢剣士の問いかけに、ローグハンターは地図で距離を推し測り、小さく唸りながら言う。

 

「また朝一に出て、順調に行ければ夜までにはつくだろう」

 

 彼の想定に、三人は頷いて返す。

 木材やら取り残された箒やらで手早く焚き火を起こし、最低限の暖が取れるようにする。

 それが出来た頃を見計らい、ローグハンターは三人にこう告げた。

 

「良し。見張りは俺がやるから、三人は休め。手足をしっかりと揉み解すのを忘れるな。氷の精に目をつけられたら、最悪手足がもげるぞ」

 

 その言葉に小さく悲鳴を上げたのは令嬢剣士だろうか。

 彼女は慌てて手袋とブーツを外すと、その白く細い手足を揉み始める。

 既に手慣れた様子の二人も、優しく力強く手足を揉む。

 ローグハンターは白い息を吐きながら窓の外に目をやり、僅かに苦笑を漏らす。

 五年経ったが、こちらの例え方にはいまだに慣れない。

 昔なら『凍傷になる』で済んだ話も、長々と説明しなければならないのだ。

 表情を引き締めて、月に照らされた雪景色を睨み付ける。

 僅かに降り始めた雪は、先程のゴブリンの死体をすぐに隠してくれるだろう。

 結局その晩、ゴブリンが現れることはなかった━━━。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory03 一党合流

 朝一に廃村から出発したというのに、陽は既に沈んでいる。

 彼らの視線の先には、二つの月に照らされたぼろぼろの村があった。

 そここそが彼らの目的地だ。ゴブリンの縄張り近くの村ということで、最悪の場合も想定していたのだが……。

 ローグハンターは目を細め、その村の様子を探る。

 ちらほらと家に明かりが点いている所を見るに、少なからず生存者はいるようだ。

 

「流石に補給は無理そうだな」

 

「そうですけど、情報はどうにかなりそうですね」

 

 ローグハンターの呟きに、女魔術師が続いた。

 村が襲われて生存者がいるということは、おそらく相手はゴブリン。本来の目的だった野盗たちを潰した群れの一部だろう。

 大規模な群れでの攻撃を凌いだとなれば、村の狩人たちがそれなりに腕が良いのか、あるいは手慣れた冒険者の一党がいるのか。

 こんな僻地まで来てゴブリンを相手にする一党なぞ、彼の一党しか思い当たらない。

 確か彼らも、雪山に出たゴブリン退治に向かった筈だ。

 もしかしたら、謀らずも目的のゴブリンが同じ可能性が出来た。

 

 ━━それならそれで助かるが……。

 

 彼は小さくため息を吐き、一党を率いて件の村に向けて歩き出す。

 とりあえず宿でも取って休めれば御の字だろう。

 彼らはこの三日、ろくな場所で眠れていない。一番多く見張りに立っていたローグハンターはそれが顕著だ。

 一旦眠り、万全になってから探索を開始したほうが成功率も上がるだろう。

 

 

 

 

 

 村に入った彼らを迎えたのは、突き刺さるような視線だった。

 村人たちは一様に彼らを警戒し、何やら囁きあっている。

 ローグハンターと銀髪武闘家は慣れたものだが、女魔術師はいまだ慣れずと言った様子で小さく鼻を鳴らし、令嬢剣士も不機嫌そうに僅かに眉を寄せていた。

 ゴブリンに襲われて余裕が無いところに冒険者が来たのだ。どう考えても歓迎はされないだろう。

 ローグハンターは小さくため息を吐き、ちらりと村人に目を向ける。

 それを睨まれたと判断したのか、村人たちはさっと物影に身を隠した。

 

「……ここまで冷たいのは、久しぶりだ」

 

「そうだね~」

 

 苦笑混じりに漏れた言葉に、銀髪武闘家が同じく苦笑混じりに応える。

 

 ━━酒場か何かがあればそこに直行するのだが……。

 

 そう思慮したところで、場所を尋ねられる相手がいなければ意味はない。

 

 ━━地道に足で探すしかないか。

 

 ローグハンターがそう判断を下そうとした時だった。

 彼らの前に、見慣れた鎧姿の男が現れたのだ。

 薄汚れた革鎧に鉄兜、中途半端な長さの剣を腰に吊し、左腕には円盾が括られている。

 ローグハンターは僅かに苦笑して目を見開きながら足を止め、その男のほうも彼らとの遭遇に驚いたのか、足を止めて視線を彼らに向けている。

 静寂が辺りを包み込むなか、ローグハンターが切り出した。

 

「まさか本当に会えるとはな」

 

「なぜここにいる」

 

 彼の言葉に返ってきたのは、余りにも無愛想な言葉だった。

 その男━━ゴブリンスレイヤーは小さく首を傾げ、彼らの様子を伺った。

 負傷なし。欠員なし。見慣れぬ人物が一人。

 

「……新人か」

 

「ああ。俺が預かることになった」

 

 ローグハンターが後ろの令嬢剣士に目を向けながら言うと、ゴブリンスレイヤーは僅かに唸る。

 

「なぜここにいる」

 

 再びの問いかけに、ローグハンターは肩をすくめながら言う。

 

「途中でゴブリンに遭遇した。酒場か何かないか。その話も含めて説明する」

 

「そうか。ついて来い」

 

 彼は手短にそう返すと、踵を返して歩き始める。

 いつもの三人は流石に慣れているからか、黙って彼の後ろに続き、令嬢剣士は慌てて彼らに続く。

 ローグハンターに追い付いた令嬢剣士は、そっと彼に問う。

 

「あの、あの方は……?」

 

「ゴブリンスレイヤー。旅の道中に聞いたことぐらいはあるだろう」

 

 ローグハンターの答えに、令嬢剣士は思わず目を見開いてその足を止めた。

 噂に名高い小鬼殺しの英雄が、まさかあんなみすぼらしい格好だったなぞ、誰が思う。

 

「ほら、置いていっちゃうよ」

 

 銀髪武闘家にその背を押され、令嬢剣士は再び歩き出す。

 前を歩くローグハンターとゴブリンスレイヤーの二人は、ただ黙々と沈黙を保ったまま足を進めている。

 女魔術師のほうも黙々と二人の後ろに続き、時折遅れている二人にも気を向ける。

 

「ほらほら、足動かして。あんまり遅いと目立っちゃうから」

 

「わ、わかりましたわ」

 

 銀髪武闘家は令嬢剣士の肩を叩き、駆け足気味に彼の後を追う。

 令嬢剣士も慌てて駆け出し、四人の後ろへ。

 ローグハンターは彼女に一瞥もくれず、ゴブリンスレイヤーに問いかける。

 

「それで、酒場からここまで出てきたのか?」

 

「ああ。上から見張っていたら、どうにも村が騒がしくてな」

 

「それは申し訳ない。ゴブリンかと思ったか?」

 

「……いや」

 

「そうか……」

 

 ゴブリンスレイヤーの目を逸らしながらの否定に、ローグハンターは苦笑混じりに呟いた。

 こんな身なりだが、ゴブリンスレイヤーは嘘が大の下手だ。その表情を隠すという意味でも、兜は役に立っているのだろう。

 ゴブリンスレイヤーに連れられて村を進むこと数分。

 ようやく彼らの目的地である酒場にたどり着いた。

 中にはゴブリンスレイヤーの一党を除いて客はいない。冒険者を怖がってなのか、数日で興味も失せたのだろう。

 ローグハンターの一党の登場に女神官をはじめとして驚いているようだが、彼は構わずに軽く右手を挙げて挨拶とした。

 

「とりあえず、何か食べ物はないか。携行食はいくらかあるが、心許なくてな」

 

 彼の言葉に鉱人道士が「ちょっと待てぃ」と言うと、彼らが囲んでいた卓に置かれた蒸した芋の乗った皿を差し出した。

 彼はそれを受け取りはしたものの、一切手を出すことはなく後ろの女性陣に回す。

 受け取るか否か迷う三人に、「食っておけ」と急かして無理やり渡す。

 

「……それで、どうしてこの村に来た」

 

 ゴブリンスレイヤーは淡々とそう問うと、ローグハンターは「ああ」と一度頷いて説明を始めた。

 

「俺たちは野盗(ローグ)退治の依頼を━━」

 

「その前に、後ろのその子は誰?」

 

 話の鼻を折る形で妖精弓手が割って入り、ローグハンターは小さく唸って令嬢剣士に目を向けた。

 

「俺の一党に加わった新人だ。こいつの試金石がてら野盗退治に出たんだが、その目標がゴブリンに殺られていてな」

 

 彼はそう告げると肩を竦めた。

 ゴブリンスレイヤーは「むぅ」と息を吐き、卓の上に広げられた地図に身を乗り出す。

 

「そこがどの辺りかわかるか」

 

「ああ。確か、この辺りだ」

 

 山の一角を指差し、それを見たゴブリンスレイヤーは再び息を吐く。

 

「昨日の話だが巣の一つを潰した。ここだ」

 

「近いな。……待てよ、一つと言うことはまだいくつかあるのか」

 

「おそらくな」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、ローグハンターはため息を漏らす。

 冒険者の一党が出来る度にゴブリンは巣を作ると言うが、その話もあながち嘘ではないのだろう。

 蜥蜴僧侶はちろりと鼻先を舐めると、ローグハンターにあるものを差し出した。

 円環の中に瞳を模した紋様があるそれは、蹄鉄や何かしらの金属を組み合わせて作った焼印か何かなのだろう。

 

「ん?なにそれ」

 

 銀髪武闘家が顔を出し、芋の残りをローグハンターに渡す。

 彼はそれを一掴み分口に含み、何度か咀嚼してから飲み込む。

 女魔術師は焼印を細指でそっと撫でると、忌々しげにそれを睨んだ。

 

「外なる智恵(ちえ)の神。覚知神の御印……」

 

「知識神とは違う、混沌寄りの智恵の神ですわね」

 

 令嬢剣士の確認に、女魔術師は頷いた。

 銀髪武闘家が何とも言えない━━おそらく理解出来ていない━━表情をする横で、ローグハンターは顎に手をやる。

 多くの人々が信仰している知識神は、『学のある者』に『答えへの道』を示す神である。

 対する覚知神は『学の有無関係なし』に『答え』を叩きつける神だ。

 簡単に言えば、覚知神に目をつけられたら、どんな馬鹿でも世界を滅ぼせるようになる。

 祈る者(プレイヤー)である人々にすら滅多に手を伸ばさないというのに、祈らぬ者(ノンプレイヤー)であるゴブリンに手を伸ばすというのは、神々からの皮肉か何かだろうか。

 

「相手は小鬼(ゴブリン)神官(プリースト)か何かか」

 

「それもいるだろう。だが、おそらく奴等の頭目はまた別にいるだろう」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう返すと、女魔術師が調べる焼印に一瞥くれてから地図のある箇所を指差した。

 

「この山の奥に、古代の遺跡があるそうだ」

 

「十中八九そこでありましょうや」

 

 蜥蜴僧侶がそう続き、鉱人道士に目を向ける。

 

「おそらく鉱人のもの。して、どう攻めるが良いか」

 

「神代の、鉱人砦か。正面からは厄介だの。かといって火をかけようにも、岩の砦じゃ燃え広がらんの」

 

「それなら内側から、ですか?」

 

 女神官の遠慮がちの提案に、蜥蜴僧侶が肯定の意味を込めて頷く。

 ローグハンターは行軍ルートを検討しながら、誰に言うわけでもなくぼそりと呟く。

 

「砦、か……」

 

「何か嫌な思い出でもあるの?」

 

 他の種族ならまず聞き逃す小さな声でも、妖精弓手には関係ない。

 彼女は彼の顔を覗きこみながらの問いかけに、ローグハンターは肩をすくめながら言う。

 

「昔、先生がな……」

 

「大怪我したとか?」

 

「……一人で正面から突貫して、そのまま一人で陥落させた」

 

 遠い目をしながら告げられた言葉に、その場にいた冒険者たちの思考が一旦止まる。

 

 ━━砦を落とした?それもたったの一人で?

 

「……キミの先生ってさ、只人(にんげん)だよね?」

 

「ああ。それは間違いない」

 

 彼の断言に、問いかけた銀髪武闘家までも遠い目となる。

 

「……まあ、潜入が無難だろう。正面から攻めても物量で負ける」

 

 自ら作り出した空気を変えるため、ローグハンターはそう提案した。

 砦とは外からの攻撃にはめっぽう強いが、一度内側に入り込めば落とすのは容易い。

 外から攻めるのに比べれば、という話だが。

 ゴブリンスレイヤーも彼と同じ事を思慮していたのか、肯定の意を示した。

 妖精弓手は長耳を大きく立てて身を乗り出す。

 

「潜入ね!良いじゃない、良いじゃない!冒険らしくなってきたじゃない!」

 

 いつも以上に明るく、元気なのは、村を包む陰鬱な状況だからだろうか。

「それはそれとして」とローグハンターが呟き、仲間たちに目を向ける。

 只人が六人に、鉱人、森人、蜥蜴人がそれぞれ一人ずつ。

 潜入するにしては大所帯すぎる。

 彼も先生に連れられる形で付いていった記憶はあるが、それでも二人だけだ。

 ここまでの大人数での潜入というのは、これが初めてだ。

 

「それで、どう忍び込む」

 

「忍び込むというのは、いささか違うな」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、息を吐いた。

 

「敵はこちらの存在を認知しているかもしれん」

 

「かみきり丸よ。何かしら手があるみたいに言うの」

 

 鉱人道士が髭をしごきながら言うと、ゴブリンスレイヤーはぐるりと兜を巡らせる。

 その視線の先には二人の聖職者とローグハンター。

 表情はわからないが、何かしらの奇策が思い付いたのだろう。

 

「……偽装は教義に反するか?」

 

「さぁて。どうでありましょうかな」

 

 蜥蜴僧侶がそう言って、ぐるりと目を回して見せた。

 

「と、時と場合に、よると思います?」

 

 女神官が苦笑混じりに言うと、ローグハンターも続いて頷く。

 

「変装なら一度やった覚えがある。その時は、まあ、緊急事態でな……」

 

 再び遠い目をした彼に声をかける者は、今度ばかりはいなかった。

 だが、聞かなくて正解だっただろう。

 先生と共に街のギャングに変装し、衛兵たちの給料を盗み出したなぞ、聞いたところで余計に空気が悪くなるだけだ。

 ゴブリンスレイヤーは彼らの言葉に頷くと、女魔術師から焼印を返して貰い、それを卓の上に放る。

 

「奴等が残した手掛かりだ。乗っかってやらん手はない」

 

「なるほど、邪教徒になれってことか。まあ、俺は構わんが……」

 

「拙僧も構わん。となると、邪神に仕える竜人。その従者たる戦士、傭兵━━……」

 

 蜥蜴僧侶はローグハンターに目を向け、「ふむ」と呟き顎に手をやる。

 果たして彼はどう見えるだろうか。

 胸の帯の十字架を外し、それを焼印の模様に似せた物を張り付けるとして、後は━━……。

 蜥蜴僧侶は再び重く息を吐くと、ローグハンターは何とも言えない表情を浮かべながら言う。

 

「何なら別行動でもするか?砦に忍び込む程度なら造作ないが……」

 

 彼は一党の三人に目を向け、小さく息を吐く。

 

「……流石に心配だ」

 

「むぅ。どうしたもんかの……」

 

 鉱人道士がそう呟くと、不意に銀髪武闘家が提案する。

 

「……修道士とかは?衣装も黒いし、ゴブリン相手なら何とかなるんじゃない?」

 

「完全武装の修道士が居てたまるか」

 

 ローグハンターが自分の装備を一瞥しながら、僅かに不機嫌そうに言う。

 ゴブリンスレイヤーは「いや」と呟いて、鉱人道士に目を向けながら提案した。

 

「おまえの装備は俺たちの二人で分担して運ぶ。手の仕込み刀があればどうにかなるだろう」

 

「……まあ、最悪ゴブリンから武器を奪えば良いか」

 

 肩をすくめながら、無理やり自分を納得させるように言葉を漏らす。

 修道士に化けて忍び込むなど、忌々しいアサシンどもの手口ではないか。

 状況が状況でなければ絶対に断るところだが、今は仕方ないことだろう。

 

「……今回だけだ。修道士を名乗るのは、これっきりにしたい」

 

「考えておこう」

 

 ゴブリンスレイヤーはいつも通り淡々と返し、地図上の砦を指差す。

 

「相手の頭目は、おそらく小鬼(ゴブリン)聖騎士(パラディン)。俺の工夫も模倣する程度には智恵が回る」

 

 雑嚢から(やじり)と思われる鉄片を取り出しながら言うと、妖精弓手が露骨に嫌そうな顔をした。

 

「そして三十六匹を使い潰し、野盗の拠点を襲える程度には多勢」

 

「内側に忍び込んだら、食料庫と武器庫を潰すか。こういう時の定石(テンプレート)だろう」

 

「そうでございますな。腹が減っていては体は満足に動きませぬ」

 

 手慣れている三人が着々と話を進め、鉱人道士が彼ら彼女らの衣装をどうするかを思慮を深める。

 手持ち無沙汰の女性陣は、苦笑混じりに男性陣を見やった。

 

 ━━結局ゴブリン退治になっちゃった……。

 

 銀髪武闘家がそう思慮する横では、何かすることはないかと令嬢剣士がそわそわしている。

 仕事が無いのは不安だろう。

 だけどと銀髪武闘家は息を吐き、彼女の肩に手を置いた。

 

「ほら、リラックスして。後で死ぬほど働くことになるから」

 

「そ、そうですわね!今は、力を抜いておきます……」

 

 彼女は強張った笑みを浮かべながらそう返すと、何度か深呼吸を繰り返す。

 ゴブリンスレイヤーが「良し」と言ったのはその時だ。

 彼は仲間たちを見渡すと、いつもと変わらぬ口調で言う。

 

「いつも通り、ゴブリン退治だ」

 

 

 

 

 

「GRR━━……」

 

 白いローブをはためかせるゴブリンは、忌々しげに息を吐いた。

 先日襲った野盗たちのいた廃村。

 仲間が何人かいないと思ったら、案の定ここにいた。

 大方おこぼれを探していたのだろうが━━。

 

「GOBR」

 

 そいつらは既に全滅している。

 積もった雪に違和感を覚えて掘り返してみれば、あっさりと見つかった。

 積もっていた雪の量からして、殺られたのは昨日の夜。

 つまり、冒険者がすぐ側まで迫ってきているということだ。

 

「GOORG」

 

 今から家に帰るとしても、もうすぐ()━━ゴブリンたちにとってだ━━になってしまう。

 

 ━━雪山をたった一匹で進むゴブリンなぞ、格好の的ではないか。

 

 そのゴブリンは失敗する恐怖を知っている。

 根拠のない自信なぞ、あったところで無意味でしかない。

 少々不安だが、ここで一晩を明かし明日の()を待ったほうが、まだ懸命だろう。

 そのゴブリンはそう思慮すると、近くの廃屋に入り込む。

 誰かが焚き火を起こしていたようで、僅かに燃え滓が残っている。

 

「GOORG」

 

 やはり冒険者がいたようだ。

 ゴブリンはそう判断すると、家屋の隅で丸くなる。

 目を閉じ、開けばいつの間にか()だ。

 なんだ、あっという間ではないか。

 ゴブリンにしては勤勉で、仲間思いで、賢明だ。

 彼の纏う白いローブには、別段何かが込められていた訳ではない。

 纏っていたものの血と汗が染み付いているだけの、白いマント付きのローブだ。

 だが、ローグハンターがそのゴブリンを見つけたなら、きっとこう名付けるだろう。

 

 ━━小鬼(ゴブリン)暗殺者(アサシン)━━

 

 偽りの鷹(ゴブリンアサシン)鷹を殺す者(アサシンハンター)の戦いは、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 




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Memory04 潜入開始

「なっとくいかなぁーい!」

 

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターの一党が合流を果たした翌朝。

 山道を行く妖精弓手は、木柵の檻に入れられていた。

 もちろん入っているのは彼女一人というわけではなく、女神官、女魔術師、令嬢剣士もだ。

 彼女ら四人は申し訳程度のぼろ布一枚だけを身に纏い、手作りの檻に入れられている。

 その檻を運ぶのはゴブリンスレイヤーと鉱人道士だ。

 ゴブリンスレイヤーは薄汚れた鎧を更に汚し、『使役される死体』のような有り様である。

 鉱人道士のほうも何やら怪しげな紋様が描かれた外套に、顔にもそれと同じメイクを施している。

 二人の腰や背には、本来ローグハンターの装備であるものがぶら下がっていた。

 

「なんで私たちが戦利品扱いなのよ!もっと、こうあったでしょ!そっちみたいに!」

 

 吼える妖精弓手が指差した先にはいつもの衣装のローグハンターと、鉱人道士と似た格好をした銀髪武闘家がいた。

 ローグハンターは我関せずといった様子で周囲を警戒し、銀髪武闘家は怪しげな微笑を浮かべた。

 

「ふふ……。僧正様、冒険者が騒がしいわ……」

 

 壊れているかのように声に抑揚がないのは、彼女の演技によるものだろう。

 そんな彼女に声をかけられた蜥蜴僧侶は邪悪な笑みを浮かべてこくりと頷く。

 

「どんなに暴れようと、じきに外なる智恵の神への供物となるのです。むしろこれ程生きがあれば、智恵の神も満足してくださるでしょうや」

 

 そう言う蜥蜴僧侶も顔や鱗に紋様を入れ、邪悪な雰囲気を醸し出している。

 つまるところ、彼らは真っ正面から潜入することにしたのだ。

 敵陣に入るのなら、敵兵に化けるのが一番だろう。

 こそこそ潜入するにしても、相手の情報が無さすぎる。

 潜り込むのはローグハンターだが、流石に危険と一党の三人から待ったがかかったのだ。

 いまだに喚き散らす妖精弓手を無視する形で、ローグハンターは檻の中の三人に目を向けた。

 女神官と女魔術師は━━あまり良いことではないだろうが━━慣れていることだろう。

 問題はこれが初仕事である令嬢剣士だ。寒さに耐えているためか、体が小さく震えている。

 三人は寄り添ってお互いの体温で暖めあっているようだが、それでもすぐに限界が来るのは明白だ。

 ローグハンターは小さく唸ると、檻を運ぶ二人に声をかける。

 

懐炉(かいろ)代わりの何かないか。元気そうなそいつはともかく、三人が倒れるぞ」

 

 突然のそいつ呼ばわりに妖精弓手が長耳を逆立てる中、鉱人道士が髭を擦る。

 

「確かに風まで出てきたかんの。鱗の……おっと、僧正は大丈夫かいな」

 

「拙僧も厚着せねばまともに動けぬ故、なかなか……」

 

 外の五人の中で一番の厚着をしている蜥蜴僧侶は僅かに目を細める。

 

「恐るべき竜は、寒さによって滅びたとも言われているぐらいでありまして」

 

「ご先祖からの弱点なんて、大変ね……」

 

 銀髪武闘家は「ふふふ……」と怪しく笑い、横のローグハンターは小さくため息を漏らす。

 演技をしてくれと頼んだのは確かだ。だが、ここまで役に入り込まなくても良かっただろうに。

 

「まあ、寒いことには寒いか」

 

「な、慣れていますわね……」

 

 唇を震わせる令嬢剣士の言葉に、ローグハンターは頷く。

 

「……氷が大地になっている場所(北極圏)に行ったことがある」

 

「……想像もしたくありませんわ」

 

「俺の先生も『寒い』と断言したからな。まあ、相変わらず動き回っていたが……」

 

 彼は苦笑まじりにそう言うと、鉱人道士が『着火(ティンダー)』の呪文で石に熱を持たせて懐炉代わりに。

 それを布に巻いて檻に入れると、四人はそれを囲んで暖を取り始める。

 ゴブリンスレイヤーはその様子を眺めながら、雑嚢を探って何かの詰まった袋を取り出す。

 

「……城についてからと思ったが」

 

 そう言いながらローグハンターに向けて袋を放り、それを受け取った彼はその中身を確認して目を細める。

 見た目は青い貴石のついた指輪だが、タカの眼を通して見れると緑色に輝いて見える。

 

「なんだ、俺への当て付けか」

 

「深い意味はない」

 

 同じ銀等級で魔法の武具や道具を持っていないのは、世界広しと言えど彼の一党ぐらいだろう。

 ローグハンターはため息混じりに指輪を取り出し、それを隣の銀髪武闘家、前を歩く蜥蜴僧侶に手渡す。

 そのまま自分の分は取らずに袋を女魔術師に手渡した。

 ゴブリンスレイヤーはその様子を見ながら思い出したかのように言う。

 

「『呼気(ブリージング)』の指輪だ。多少なら、寒さも和らぐだろう」

 

「ほぉ、これは確かに。効きますな」

 

 蜥蜴僧侶は愉快そうにその目を細め、ちろりと鼻先を舐める。

 中の四人も僅かに楽になったのか、心なしか表情が和らいだ。

 

「キミはつけないの?」

 

「数に余裕がなさそうだからな」

 

 銀髪武闘家の心配を他所に、ローグハンターは視界の先に見え始めた砦の影を睨み付けた。

 

「そろそろ静かにしろ。演技でもおまえらは捕虜だ」

 

「わかりました。ほら、座りましょう」

 

「むぅ、わかったわよ。静かにしてれば良いんでしょ」

 

 女魔術師に肩を引かれ、妖精弓手は仕方ないと腰を降ろす。

 ついでにその表情を強張らせ、何となく負のオーラを放ち始めた。

 ローグハンターは小さく頷くと、檻の中の四人に目を向ける。

 

「……とりあえず牢屋に入れられるだろうが、外の誰かが近くにいる筈だ。手は出させん」

 

「ふふ、私が守るからね……」

 

 銀髪武闘家が怪しく笑いながら言うが、その笑みは言葉とは裏腹に不気味だ。

 檻の四人がむしろ不安になったのは、ここで言うことではないだろう。

 

 

 

 

 

「たのもう!」

 

 吹雪が吹き付ける城門の前で、蜥蜴僧侶の咆哮が響き渡った。

 いくらゴブリンとはいえ、これを聞き逃すほど愚かではないだろう。

 

「拙僧は外なる智恵の神、緑の月が僧正である!開けられませいっ!」

 

 銀等級まで昇り詰めた聖職者として、その振る舞いは堂々としており、なるほど相応の地位が相応しいだろう。

 

「流石だ。神官では、こうはいかないだろう」

 

「そうね。ふふ、流石……」

 

 銀髪武闘家の言動が本当に演技なのか不安になるが、ローグハンターは蜥蜴僧侶の後ろに控える。

 今の彼の姿は、蜥蜴僧侶の弟子のように見えるだろう。

 問題は、城門が開いてくれるかどうかだ。このまま開かなければ、女性陣がひたすらに辛いだけだろう。

 ローグハンターは肩をすくめ、大きく息を吸って声を張り上げる。

 

「外なる智恵の神の瞳にかけて!知を分かつ友たちよ、どうか我が声に応えたまえ!」

 

 蜥蜴僧侶に負けず劣らずの声量に、ようやく反応があった。

 隙間なく閉じられた城門が、重々しい音をたてながら開き始めたのだ。

 城門を開けるためにどれほどのゴブリンが従事しているかと考えると、相手の数はかなりのものだろう。

 今からその只中に飛び込むと考えると、まったく可笑しくなってくる。

 

「あ、あの……」

 

 ふと声を出したのは、令嬢剣士だろう。

 ローグハンターは小さく振り向くと、その不安に揺れる彼女の瞳をまっすぐに見つめ返す。

 ここで口を開いて敵に疑われる可能性を考慮すれば、下手なことは言えないだろう。

 

「……牢屋に入れたら、俺たちの誰かが見張りにつく。下手に逃げようなんて思うな」

 

 とても遠回しに『側にいるから大丈夫だ』と伝え、令嬢剣士は表情に僅かな余裕が浮かべると、とても小さく頷いた。

 妖精弓手が長耳を震わせ、鋭く言う。

 

「来るわよ」

 

「GROOOBR!」

 

 開かれた門の先にいたのは、小さな体躯。

 ぼろ布を組み合わせてつくられたであろう僧衣は、明らかに体に合っていない。

 威張り散らしているのか、本人は先程の二人のものよりも大きな声を出していると疑わない。

 

「GOORG!GRRB!!」

 

 ローグハンターたちに、小鬼司祭━━おそらくだ━━が何を言っているかを理解することは出来ない。

念話(コミュニケート)』の奇跡によって多少だがゴブリンの言葉を理解出来る蜥蜴僧侶の挙動に合わせ、ローグハンターをはじめとした邪教徒役の面々は頷いたり(こうべ)を垂れたりと、ある意味で忙しい。

 何言か言葉を交わすと、小鬼司祭の先導で城門を潜る。

 初めにたどり着いた砦の中庭には、数えるのが馬鹿に思えてくるほどのゴブリンがたむろしていた。

 かつては戦勝を祝って宴が開かれていたであろうその場所は、ゴブリンの遊び場として血や汚物にまみれ、もはや見る影もない。

 

「……神代の、鉱人の細工による建物。それを、よくここまで汚せるわね」

 

 女魔術師が小声で漏らすと、銀髪武闘家がそっと彼女を睨む。

 

「静かにしなさい。見られてるわよ」

 

 彼女はそう言うと、目だけで中庭を見渡す。

 庭、城壁の上、物見塔、僅かな隙間と、至るところにゴブリンは潜んでいる。

 ゴブリンにしては上等な装備を身に纏っている辺り、かなりの数の冒険者や野盗が襲われたことだろう。

 そのゴブリンたちが、好奇や好色が入り交じった貪欲な眼差しを向けてきている。

 下手に反応すればゴブリンを昂らせるだけなのだが、それがわかっていても令嬢剣士は身を強張らせ、女神官がそっと彼女を抱き締めた。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人は、砦の地形とゴブリンの数を限界まで頭に叩き込んでいく。

 この規模からすると、まだ影に潜むゴブリンや果てにはその子供、そして囚われた女性もいることだろう。

 さて、全滅させるにはどこからどう攻めるべきか。

 

「うむ。さあ、ついて参れ」

 

「わかった。おい、連れてこい」

 

 蜥蜴僧侶の指示にローグハンターが答え、後ろのゴブリンスレイヤーたちに伝達する。

 

「ほいほいっと。いくぞ、鎧の」

 

 鉱人道士はゴブリンスレイヤーに言うと、彼は檻を担ぐ手に力を込める。

 ゴブリンたちの隙間を通り抜けて廊下に進み、腐敗したゴミ汁で滑る階段を下る。

 たどり着いた地下室は薄暗くじめじめとしていて、壁には等間隔で檻がかけられており、地下牢と呼んで差し支えない。

 鉱人手製の牢屋など、これほど洗練されたものはないだろう。

 錆びてなお強固な牢屋と錠前、鎖は、下手な魔物であろうと捕らえられるだろう。

 秩序の名のもとに機能していたその場所は、既にゴブリンたちによって汚され、牢屋の中にいるのは哀れな娘たちだ。

 これからそこに放り込まれる彼女らの顔が、青ざめていく。

 見張り番と思われるゴブリンが、小鬼司祭に出された指示の元、錆びた錠前に同じく錆びた鍵を差し込んで弄くり回す。

 牢屋が開け放たれると、小鬼司祭は蜥蜴僧侶に何やら声をかける。

 

「承知承知。ほれ、我が弟子たち、この娘たちを牢に入れよ」

 

「了解した。ほら、手を貸せ」

 

「ふふ、は~い」

 

 蜥蜴僧侶の指示にローグハンターと銀髪武闘家が頷くと、鉱人道士とゴブリンスレイヤーが支える檻を開け、雑に━━けれど怪我をさせないように━━彼女らを牢屋に入れていく。

 外よりはましだが寒いその牢屋には、腐敗臭が立ち込めており、その臭いの源は十中八九用足し用の穴だろう。

 そこには腐りかけの人の腕が無造作に突っ込まれており、汚物が溢れかえっている。

 健康だけでなく、精神的にも長居はしないに限るだろう。

 四人を牢に入れたローグハンターと銀髪武闘家の二人は、蜥蜴僧侶に頷いて合図する。

 

「では、我が弟子の片割れたる女人と我が従者よ。この祭祀場の主に挨拶に向かうとしよう」

 

 蜥蜴僧侶は銀髪武闘家とゴブリンスレイヤーに目を向けながら言うと、二人は無言で頷く。

 

「ならば、俺はこの(にえ)たちの見張りをするとしよう。傭兵、手伝え」

 

「へいへい。たっぷり金は貰うかんの」

 

 鉱人道士は腰の隠したピストル二挺に手を触れながら言うと、ローグハンターは見張りのゴブリンを横目で睨む。

 蜥蜴僧侶とゴブリンスレイヤーがいれば、とりあえず彼女は大丈夫だろう。

 問題は小鬼司祭がいなくなり、牢屋の四人を出してからだ。

 三人が司祭と聖騎士を押さえてくれている間に、六人でやれることをしなければならない。

 どこにあるかもわからない武器庫を潰し、食料庫を潰し、捕虜がいれば助け出す手立てを考えなければ。

 彼が直立不動で思慮する横で、小鬼司祭と蜥蜴僧侶が何やら話し込み、「承知承知」と彼は何度か頷く。

 小鬼司祭に連れられて、蜥蜴僧侶とゴブリンスレイヤーが歩き出し、銀髪武闘家はそっとローグハンターに目を向けた。

 彼は小さく一度頷き、口だけで『大丈夫だ』と告げる。

 彼女はそれに反応を返すことはなく、彼に背を向けて足を止めていたゴブリンスレイヤーの後に続く。

 地上に伸びる階段の先に消えていって三人の背中を見送った彼は、下卑た笑いを浮かべて近づいてくるゴブリンに目を向けた。

 

「GRRB!GOORGGOBR!!」

 

 何やら喚き散らしているが、その身振り手振りで「そこを退け」と言っているのは理解できる。

 それは良いことなのかと思慮すると、ゴブリンは彼の前で立ち止まり、大量の唾と共に意味不明な言葉を喚く。

 大方「後で混ぜてやるから女をよこせ」とでも言っているのだろう。

 ローグハンターは横目で鉱人道士に目を向け、彼が確かに一度頷いたことを確認するとそこを退いた。

 ゴブリンはその笑みをさらに醜悪に歪め、腰の鍵束からその牢の鍵を見つけると、手慣れた手つきで錠前を開き、相手の恐怖心を煽るようにゆっくりと扉を開け放つ。

 令嬢剣士が思わず「ひっ!」と怯えた声を漏らした瞬間、ゴブリンの首が背後から伸びた腕によってへし折られた。

 ゴブリンを殺害したローグハンターは鍵束をくすめると、四人に目を向けた。

 

「作戦開始だ。行けるか」

 

 有無を言わせぬ確認に、彼女ら四人は確かに頷く。

 砦に入り込むのには成功した。見張りを殺した以上、後はスピード勝負だ。

 鉱人道士は檻の下に隠していた彼女らの装備を引っ張り出すと、それをローグハンター経由で渡す。

 ついでに彼のピストルを返し、二人で左右の通路を警戒する。

 後ろの牢屋の中では、女性陣が手早く着替えていく。

 着替え終えた合図の咳払いを受けた彼は振り返る。

 そこにいたのはいつもの格好の四人だ。

 頼れる相棒の二人がいないのは心許ないが、ここにいるのは六人という本来基本となる一党分の人数。

 かつて六人で世界を救った者たちがいたのだ。

 六人で砦の生命線を絶つことなど、容易いことだろう。

 

 

 

 

 




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Memory05 状況は覆る

 地下牢に残された工作組は、生き残った虜囚の人数と状態を確認し、助け出すことを確約すると上を目指して駆け出した。

 タカの眼で闇の向こう煙の向こうを見通すローグハンターでも、分厚い石壁の向こうを見通すことは出来ない。今回ばかりは、妖精弓手の聴力が頼りだ。

 鉱人道士が床の磨り減り具合で倉庫の位置を大まかに把握し、彼女の先導で少しずつ進んでいく。

 六人で固まって動くという都合上、目立つことには目立つのだが、幸いなことにこの一党で重々しい音の出る装備を纏った者はいない。

 石畳の廊下には、僅かな足音と吐息の音が響くだけだ。

 銀等級三人の先導があれば、未知の砦でも迷うことはない。息をすることと同じように踏破していける。

 その時、妖精弓手が長耳をひくつかせて足を止めた。

 

「……来るわよ」

 

 身をかがめ、大弓に矢をつがえて引き絞る。

 ローグハンターは万が一に備え、懐に忍ばせた投げナイフを取り出し構える。

 エアライフルを使っても良いが、これから先どうなるかわからない現状で補給が出来ない物を使うのは賭けになるだろう。

 ならばと投げナイフを構えた訳なのだが、彼の心配は杞憂に終わる。

 曲がり角の向こうから足音が二つ近づいてきて、音もなく弦が弾かれる。

 妖精弓手の放った矢は大気を切り裂きゴブリンの眼窩を貫くと、勢いそのままに壁に突き刺さる。

 

「GOB━━!」

 

 もう一匹が口を開いて声を出そうとした瞬間、間髪入れずに放たれたもう一矢が口の内側から脳を貫く。

 同時にローグハンターは駆け出すと、念のためにそれぞれのゴブリンの喉にアサシンブレードの刃を突き立てた。

 

「問題なさそうだな。死体をどうするか以外だが」

 

「それなら射たないほうが良かった?」

 

「いや、気づかれ包囲されるよりはましだ。それに、あいつらを危険に晒すことになる」

 

 そう言いながらゴブリンの死体から矢を引き抜き、服の端で血を拭うと彼女に手渡す。

 

「ありがとね」

 

「あと何度鉢合わせるかわからん。出来る限り使い回せ」

 

 術の回数は女魔術師、令嬢剣士が二回。女神官と鉱人道士が三回。それぞれ合わせて十回となる。

 他の一党に比べれば贅沢と言えるほど多いのだろうが、相手の数はこれを軽く越えている。

 使い回せる矢や投げナイフが、重要な役割を持つだろう。

 

「……慎重に行かなければな」

 

 彼はそう呟くと、目下の問題であるゴブリンの死体に目を向けた。

 隠し場所はない。地下牢に担ぎ込むにしても、これから戻るのは手間だ。

 この状況は、ローグハンターの経験でも余りないことだろう。

 彼の場合は、基本的に茂みや藁の山などに投げ込んでいたのだから当然だろう。

 後は、ベンチに腰掛けさせて休んでいるふりをさせる程度か。

 ……休んでいるふりをさせる。

 

「……」

 

 ローグハンターはふと鉱人道士が腰に下げる酒瓶に目を向けた。

 目の前にはゴブリンの死体。横には中身の詰まった酒瓶が一つ。これならば、やれるだろう。

 

「後で樽を奢る。その酒瓶をくれ」

 

「何に使うつもりかは知らんが、無駄にはせんでくれよ」

 

 鉱人道士は不安げに酒瓶を彼に手渡す。

 それを確かに受け取ったローグハンターは、きゅぽんと小気味良い音と共に栓を抜くと、その中身を床にぶち撒けた。

 

「ああ!?」

 

「奢ると言ったろ。我慢してくれ」

 

 この世の終わりを見るかのような表情の鉱人道士に、ローグハンターはもはや冷酷に思えるほど淡々と告げた。

 

「が、我慢って言ってもよお前。わ、わしの酒……」

 

 項垂れる鉱人道士の背を女神官が擦る横で、ローグハンターはゴブリンたちの腰巻きのぼろ布で血を拭い、壁際にそっと座らせる。

 傷口に見えないように細心の注意を払い、二匹の持っていた武器を適当に転がす。

 令嬢剣士は小さく首を傾げ、彼に問いかけた。

 

「あの、何をしていらっしゃいますの?」

 

「真面目なゴブリンはいない。こうすれば、酔いつぶれたように見えるだろう」

 

 彼はそう言いながら酒瓶をゴブリンの傍らに置き、何度か位置を調整する。

 

「こんなものか」

 

「隠せないなら、見つかっても大丈夫なようにするんですね」

 

「そんなところだ」

 

 女魔術師の確認に、ローグハンターは頷いた。

 どうせ隠した所で見つかる時は見つかるのだ。ならば、開き直って見せつけてやれば良い。

 人間相手には絶対に使えない手ではあるが、相手はゴブリンだ。間抜けではないだろうが、馬鹿ではあるだろう。

 鉱人道士が半ば放心して水溜まりを眺める横で、女神官は錫杖を両手で握り、そっと両膝をつく。

 時間は無いが、鎮魂の祈りは大切だろう。祈りを欠いてゴブリンゾンビになられても、後で困るというもの。

 頃合いを見計らい、ローグハンターが周囲を警戒しながら言う。

 

「終わったか」

 

「はい」

 

 女神官が頷くと放心中の鉱人道士の背中を叩き、無理やり意識を戻させる。

 

「ほら、行くぞ」

 

「酒……わしの、酒……」

 

 うわ言のようにぼやきながら、鉱人道士は歩き出す。

 流石の妖精弓手も嫌味を言うことはなく、肩をすくめるとため息を吐いた。

 

「なんなら私もお金出すわよ。それで良いでしょ」

 

「私からも出すわ」

 

 女魔術師もさらに続くと、鉱人道士はようやく表情を引き締めた。

 

「こんの頭巾の!酒場に戻ったら泣くまで奢らせっかんな!」

 

「俺がその程度で泣くと━━」

 

「そこに銀髪のを巻き込む!」

 

「それは勘弁してくれ身が持たん」

 

 不敵な笑みが一変、いきなり下に出るローグハンター。

 二人だけの男性たちのやり取りに、女性陣は思わず苦笑した。

 張り詰めていた空気が、何となくだが緩んだような気がする。

 

「こうなりゃ死んでも死にきれん!何がなんでも帰ってやるかんの!」

 

「その意気だ」

 

 俄然(がぜん)やる気となった鉱人道士の後ろに続き、ローグハンターは苦笑を漏らす。

 考えてみれば、ゴブリンスレイヤーを除いて男性冒険者とこうして行動するのは滅多にないことだ。

 

「何事も経験だな」

 

 彼はそう漏らし、後に続く女性陣に目を向ける。

 弟子希望者に教えることは多いが、自分も学ぶべきことはまだまだ多い。

 それを教え、生かすためにも、まずここを生き残らなければ。

 目的の武器庫は、思いの外すぐそこに迫っていた。

 

 

 

 

 

 六人がたどり着いた先にあったのは、重厚な鉄の扉だった。

 ゴブリンの小さな体躯ではノブに手が届かないのか、丁寧に踏み台が置いてある。

 タカの眼で扉を睨み付け、魔術による防御がされていないことを確かめる。

 後はいつも通り、簡単なことだ。

 ローグハンターは仲間たちを下がらせ、後方警戒を頼むと、鍵穴にそっと針金を差し込んだ。

 手元をミリ単位で動かし、時には髪の毛一本分という繊細な技量が要求されるのだが、今回の鍵は簡単なものだったようだ。

 三十秒程だろうか。ローグハンターが不敵に笑むと、ガチャリと音をたてて錠が開いた。

 

「開いたぞ」

 

 彼はそう告げると、アサシンブレードを抜刀。仲間たちが各々の武器を手にした頃を見計らって扉を蹴り開けた。

 反応なし。中にゴブリンが閉じ込められていたということは無さそうだ。

 間髪入れずに女魔術師が松明を点火━━もちろん火打石でだ━━すると、武器庫の中を見渡す。

 優しい橙色のあかりに照らされ、そこに集められた武具が怪しく光る。

 光源を確保したなら、奇襲を警戒して扉を閉める。鉱人道士はついでと言うように楔を打ち込み、外から破られないように細工した。

 武器庫を見渡したローグハンターは、目を細めながら言う。

 

「武器庫と言うよりは物置だな」

 

 彼の言葉は確かに的を射ていた。

 いくつも並べられた樽の中に、無造作に突っ込まれているのは錆びた剣や槍、そまつな盾、果てには鶴嘴(つるはし)円匙(スコップ)なんてものもある。

 

「……何か掘っているのかしら」

 

 女魔術師が土のついた鶴嘴を眺めながら言うと、妖精弓手が長耳をひくつかせながら言う。

 

「巣穴でも掘っているんじゃないの?ゴブリンなんだし」

 

 興味なさそうに言う妖精弓手は、長耳を立てて部屋の外を警戒しているようだ。

 ローグハンターは顎に手をやり、部屋の片隅に目を向けた。

 放置された台座には、何やら武器のようなものが転がっている。

 彼は足音もなくそこに近づくと、その目を見開いた。

 なぜこれがここにあるのか。そんな疑問は一瞬で除外され、感情のままにそれらを手に取った。

 端から見れば、ベルトのついた四角い何かだ。だが、それには見覚えがある。

 

「おい、頭巾の。どうかしたんか」

 

「………」

 

 いきなり部屋の片隅に行き、一向に戻ってこないローグハンターを心配してか、鉱人道士が声をかける。

 そして彼の手元に目を向けると、その目を細めた。

 それもそうだろう。今の彼の手に握られているのは、彼の手首に巻き付けてあるものとほぼ同一のもの。

 

「……おい、こりゃ、おまえさんの故郷の」

 

「ああ。だが、なぜここにある。この五年で同郷の奴に会ったことすらないんだぞ……」

 

 明らかな動揺の色の混ざった声音に、鉱人道士は眉を寄せた。

 

「……いけっか」

 

「ああ。だが、こいつは貰っておく」

 

 ローグハンターはそう言うと、手に入れた『アサシンブレード』を懐に入れる。

 僅かに手が震えていたのは、気づかれていないだろう。

 どこの誰のものかまったく見当もつかないが、騎士団のものではないだろう。

 否、そうであって欲しい。

 見ず知らずとは言え、同じ誓いの元に剣を取った同胞(はらから)が、ゴブリンに殺されたなぞ考えたくはない。

 

「……どうやら、今回のゴブリンは一味違うようだ」

 

 声に明確な殺気が宿ったことに気づいた鉱人道士は、思わず身震いする。

 ここまで冷たい圧を放てる冒険者など、世界広しと言えどそうはいまい。

 金等級ならあり得るだろうが、それもきっとごく一部。

 

「いくらか武器を持ち出せるか。ゴブリンスレイヤーと俺には必要なものだ」

 

「ほいさ。そんじゃ、適当に質の良いもん拝借するかんの」

 

「頼む」

 

 鉱人が選んだものならば、きっとこの雑多な武器の中でも選りすぐりのものだろう。

 この中にそんな上質なものがあればの話だが。

 

「ねぇ、ちょっと」

 

 鉱人道士が武器を選ぶ横で、妖精弓手がローグハンターを呼び寄せた。

 

「どうした」

 

「何かあったの?」

 

 単刀直入に問いかけられるのは、彼女の性格故だろう。

 彼は軽く肩をすくめ、首を横に振った。

 

「いや、問題ない」

 

「なら良いんだけど」

 

 彼の顔を覗きこむ彼女の視線は、どこか好奇心に引かれているように見える。

 まあ、いきなり部屋の片隅で殺気立たれれば、気になってしまうのだろう。

 

「おし、頭巾の。こんなもんじゃろ」

 

「わかった。おまえら、出られるか」

 

 ローグハンターの確認に、女魔術師と令嬢剣士が即答すると、女神官も「大丈夫です」と続いた。

 彼は三人に頷き返すと、鉱人道士に目を向ける。

 

「作戦通りだ。頼むぞ」

 

「ほいきた。《チックタック、巡れや巡れ、時の針(クロノス)よ。ねじ巻き振り子で動き出せ》」

 

 彼が呪文を口にすると、驚くことに武器庫に詰め込まれていた武具がゆっくりと朽ちていくではないか。

 妖精弓手を除いた女性陣が感嘆の息を漏らす中、鉱人道士は髭をしごく。

 

「『風化(ウェザリング)』じゃ、ちぃとばかし時間がかかんの」

 

「使えなくするだけだ。次行くぞ」

 

 鉱人道士の不満げな声に、ローグハンターは淡々と返す。

 時間は限られている。やれる内にやっておかなければ、後で辛くなるだけだ。

 いつの間にか陽は沈み、既に夜。

 今はゴブリンたちの時間なのだから。

 

 

 

 

 

 次なる目的地である食料庫を目指す一行の耳に、どこからか響く耳障りな音が届いた。

 おそらくゴブリンたちが力任せに吹いているのだろう。そこに本来ある筈の繊細さをまったく感じない。

 ローグハンターたちは回廊の窓から顔を覗かせ、中庭を眺める。

 そこにいたのは相変わらず大量のゴブリンたちだ。

 だが、彼らの視線の先にいるゴブリンは、何やら異様な雰囲気を醸し出している。

 薄汚れた鉄兜。全身を覆うのは継ぎ接ぎだらけの鉄鎧。カーテンか敷物を剥いで作ったのであろう真紅の外套を引きずっている。

 腰に下げる剣は柄頭に鷹の頭部を模した装飾のある『ヤターガン』と呼ばれる小剣だろう。

 その異様なゴブリンこそが、ゴブリンスレイヤーが危惧していた小鬼聖騎士(ゴブリンパラディン)であることは、見ただけで理解できた。

 問題は、その小鬼聖騎士の隣に蜥蜴僧侶とゴブリンスレイヤー、そして銀髪武闘家がいることと、見慣れぬ女性がその裸体を晒されていることだ。

 ここで下手に騒ぎを起こせば、あの四人が最も危険。

 何かが起きたら、三人がローグハンターたちに気づいていることを祈るしかない。

 それに、あの小鬼聖騎士が何をするつもりかはわからないが、隣に立つ小鬼司祭がげたげたわらっている辺り、良いことではないだろう。

 ローグハンターはその様子を眺めつつ、小さく息を吐く。

 

「……さて、どうしたものか」

 

「どう考えても下手に動かないほうが良いでしょ!」

 

「だが、奴らが中庭に集まっているのなら、この隙に食料庫に向かったほうが得策だとは思わないか?」

 

「それは、確かに、そうかもだけどさ……」

 

 食って掛かった妖精弓手は、あくまで冷静なローグハンターの意見に潰される。

 彼はそっと他の四人に目配せし、動き出そうとした時だ。

 

「GRRBGOBRRRR!!!!!!」

 

 とあるゴブリンの大咆哮が砦の中庭に響き渡った。

 ゴブリンたちは一様にその声の主のほうに目を向ける。

 そこにいたのは仲間の死体を担いだゴブリンだった。

 右肩から白いマントの垂れる同色のローブを身に纏い、両手にはサイズの合わない籠手を無理やり取り付けている。

 そのゴブリンは仲間の死体を落とすと、身振り手振りを交えて何やら騒ぎ始めた。

 蜥蜴僧侶が目を細めてゴブリンスレイヤーに耳打ちをしている辺り、きっとろくな事ではない。

 そして、中庭にいた三人はローグハンターに目配せすると、確かに一度頷いた。

 確かにローグハンターはその三人の動きをその眼で捉えていた。

 そして、その合図を待ちわびていた。

 目深くフードを被っている彼の顔は、横からでは伺うことは出来ないだろう。

 だが、ほぼ正面に立つ三人は気づいた。気づいてしまった。

 背中のエアライフルを構えるローグハンターが、まるで親の仇でも見つけた復讐鬼のように、狂気を孕んだ笑みを浮かべていることに。

 銀髪武闘家は女神官の発動した『聖光(ホーリーライト)』の輝きに視界が塗り潰されるまで、思わず彼の表情を見つめてしまっていた。

 

 

 

 

 




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Memory06 偽りの鷹(ゴブリンアサシン)VS鷹を狩る者(アサシンハンター)

 女神官の『聖光(ホーリーライト)』の奇跡の閃光が砦の中庭を包み込み、ゴブリンたちの視界を一様に焼き潰す。

 ゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶の二人は、同じく目潰しされた銀髪武闘家と張り付けにされていた女性を抱えると、ローグハンターたちの元を目指して駆ける。

 ローグハンターは援護のためにグレネードランチャーを使い、目についた弓兵や呪文使い(シャーマン)をまとめて吹き飛ばしていく。

 ゴブリンスレイヤーたちはすれ違い様に何匹かのゴブリンを殺しているが、どうせ戦闘は始まっているのだから、二三匹程度些細な問題だろう。

 彼ら四人がローグハンターたちのいる回廊に飛び込むと、『聖光』の奇跡が役目を終えたように消えていく。

 一拍開けて降り注ぐのは、ゴブリンたちが放った矢の雨だ。

 しかし、どれもこれも的外れであり、当たる気配はない。

 表情を引き締めたローグハンターは、グレネードからバーサークダートに切り替え、音もなく反撃を開始する。

 

「━━で、これからどうする」

 

 エアライフルを装填しつつ、同士討ちをするゴブリンたちに一瞥。順調に数は減っているが、実感が湧かない。

 ゴブリンスレイヤーは盾を掲げて流れ矢に警戒しつつ、いつも通り淡々と告げた。

 

「ふた手に別れる。戦力は四と五だ」

 

 ローグハンターは反撃混じりに「良し」と返すと、身を隠して仲間たちそれぞれに目配せする。

 

「俺とゴブリンスレイヤー、武闘家、神官━━」

 

 彼は最後に令嬢剣士に目を向け、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。

 

「神官の守りを頼めるか。俺たちだけでは捌ききれん」

 

 彼女は不安げな女神官に目を向けると、大きく深呼吸をして自分の得物に手を添える。

 

「わかりましたわ、お任せください!」

 

 帰ってきたのは強がりながらも力強い返事。

 そう言うのなら、頼らせてもらうだけだ。

 

「良し。魔術師はそっちについてくれ」

 

 彼がそう告げると、女魔術師は蜥蜴僧侶たちに目を向けて頷きあう。

 蜥蜴僧侶はちろりと鼻先を舐めると、ゴブリンスレイヤーに問う。

 

「して、拙僧らでこの虜囚と地下の虜囚を運び出せば宜しいか」

 

「頼む。ゴブリンどもはこちらで抑える」

 

「承知。では、お三方、参るとしましゃうや」

 

 彼の言葉に鉱人道士が虜囚を抱き上げて答え、妖精弓手が迷いなく頷くと、女魔術師が頭目であるローグハンターに目を向けた。

 彼は頷くと、その表情を強張らせながら言う。

 

「さっきの白いローブを着たゴブリン。奴に出会ったら気を付けろ」

 

 文字通りの警告に、女魔術師は頷く。

 何故かはわからないが、頭目はあのゴブリンを警戒している。何かあるのだろう。

 蜥蜴僧侶は頷くと、その身を盾にして三人を守りながら、這うようにして回廊を進んでいく。

 大きく迂回することになるだろうから、時間はかかることだろう。

 その為の囮。その為の陽動だ。

 

「それじゃあ、始めるか!」

 

 ローグハンターはそう口にするとエアライフルを背中に戻し、ホルスターから二挺のピストルを引き抜いてそれぞれ発砲。

 火の秘薬(火薬)が爆ぜる音と白い煙が回廊の一角から立ち上ぼり、不運にも頭を吹き飛ばされた仲間を嘲笑っていたゴブリンたちの注意がそちらに向く。

 目的はそれだ。陽動が目立たないでどうする。

 小鬼聖騎士は唾液を撒き散らしながら指示を出し、それを受けたゴブリンたちが武器を片手に動き出す。

 矢の雨はいまだに止まないが、ゴブリンたちは構わず突撃してくる。

 降り注ぐ矢に巻き込まれて何体か殺られていることに気づいているのだろうか。

 ローグハンターはピストルの装填を済ませるとホルスターに押し込みアサシンブレードを抜刀。

 不敵に笑んで隣に立つゴブリンスレイヤーに目を向ける。

 

「削れるだけ削るで良いのか。流石に殺しきれん」

 

「良くはないが、今は構わん。殺るぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーも腰に下げた中途半端な剣を抜き、女神官たちに目を向ける。

 

「行くぞ。姿勢を低くしろ」

 

「奇跡は……」

 

「温存しておけ」

 

「わかりました。お二人は大丈夫ですか」

 

「大丈夫!いつでも良いよ!」

 

「わたくしも、行けますわ!」

 

 ゴブリンスレイヤーは彼女らの返事を聞くと、火打石を叩いて松明に火をつける。

 

「行くぞ!」

 

 ゴブリンスレイヤーは松明片手に駆け出し、その後ろに女性陣が続き、ローグハンターが殿(しんがり)を務める。

 降り注ぐ矢は脅威にならない。ゴブリンの膂力(りょりょく)では大した火力にならないからだ。

 棍棒片手に飛びかかってきたゴブリンの喉元にアサシンブレードの刃を滑り込ませ、頚椎を外して即死させる。

 

「一つ」

 

 ゴブリンが取りこぼした棍棒を右手で奪い、上下左右と殴打(バッシュ)殴打(バッシュ)殴打(バッシュ)と繰り返す。

 一度振るだけでゴブリンの頭蓋が砕け、腕が逆に曲がり、胸が潰れる。

 鍛え抜かれた彼の膂力から放たれる何の変哲もない殴打(バッシュ)でも、それは十分凶器と成りうるものだ。

 

「五、六━━」

 

 頭蓋が潰れたゴブリンが落とした斧を蹴りあげて左手に持つと、手頃な一匹の腹を裂いて振りかぶり、投げ撃つ。

 

「━━七、八!」

 

 空いた左手のアサシンブレードを抜刀し、回転の勢いで刃を振るって斬り伏せる。

 その勢いのまま棍棒を叩きつけ、九、十、十一と討ち倒す(キルストリーク)

 ゴブリンの(とき)の声に、断末魔の声が入り交じり、砦に響き渡る。

 だが彼一人がどんなに倒した所で、ゴブリンたちの勢いが止まることはない。

 数の暴力こそがゴブリンたちにとっての戦略だ。

 どんなに個が強くとも、数には勝てない。

 確かにそれは正しいだろう。だが、その個が多ければ話も違ってくるというもの。

 

「イイイィィィヤッ!」

 

 銀髪武闘家の怪鳥音と共に放たれた回し蹴りが、ゴブリン四匹の体を寸断する。

 足を踏ん張り抜き手を振れば、それは剣の一撃と同義だ。

 ゴブリンたちは打撃によって体を引き裂かれながら死んでいく。

 

「はっ!そこっ!」

 

 令嬢剣士の軽銀製の突剣が振るわれれば、その数だけゴブリンが倒れていく。

 突き、突き、払う。三手で三匹殺れるのならば十分だろう。

 後ろの女神官を守る彼女の姿は凛々しく、まさしく神殿に仕える聖騎士(パラディン)のようだ。

 ローグハンターは横目で彼女らを確認し、また一つゴブリンを殺すとその目を細め、前方で暴れまわるゴブリンスレイヤーに告げる。

 

「後方、大量に来るぞ!」

 

「そうか」

 

 ゴブリンの喉元に刃を突き立て、粗末な槍を奪ったゴブリンスレイヤーは、雑嚢から何やら小瓶を取り出した。

 間髪入れずに放られたそれは、彼らの頭上を飛び越えてゴブリンたちの目前に落ちる。

 中身の粘りけのある液体が飛び散ると、ゴブリンたちはそれに足をとられて転倒していく。

 ローグハンターは手にした手斧を投げ撃つ。

 狙いはゴブリンではなく、液体が飛び散った場所だ。

 斧は石畳に弾かれ、ほんの僅かに()()()()()()()

 瞬間その液体は燃え上がり、転んだゴブリンやそれを乗り越えようとしたゴブリンを火だるまへと変えていく。

 ゴブリンたちが知るよしもないことだが、先程の液体はメディアの油と呼ばれる燃える水(ガソリン)だ。

 進路を一つ減らした程度でゴブリンが減るわけもなく、その数は増えていくばかり。

 いくら捌いてもすぐに次が来る。

 

「フッ!」

 

 ローグハンターは予備動作無しで投げナイフを投げ撃ち一匹仕留め、反転ついでにアサシンブレードを一閃。

 一拍開けて、彼の脇を抜けようとしていた二匹のゴブリンの首から血が吹き出る。

 それとほぼ同時にゴブリンたちの波が止まった。

 どんなに数がいたとしても、目の前で仲間を殺され続ければ躊躇いが生まれ、一匹が躊躇えばそれが伝播し、やがて群れ全体が止まる。

 気づけばローグハンターたちは城壁の端にいた。

 一思いにそこから身を投げれば、遥か下に待ち構える新雪に叩きつけられるだろう。

 彼が大きく息を吐くと、背筋に嫌なものが駆け抜けた。

 この五年で聞くことのなかった、忘れたくとも忘れられない『不吉な囁き声』。

 反射的にタカの眼を発動し、炎の向こうを睨み付ける。

 炎の向こうから、ゴブリンたちの第二波が近づいてきている。

 彼は舌打ちし、仲間たちに声をかける。

 

「不意打ちに注意しろ!」

 

 彼の声に各々の言葉でもって答え、再び身構える。

 ゴブリンの群れに潜んだ小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)の気配を探れるのはローグハンターただ一人。

 だからこそ、ゴブリンたちは彼を狙って殺到し始めた。

 

 

 

 

 

 砦のとある場所。

 扉を前に格闘する妖精弓手を守るため陣取る三人は、遠くから聞こえる怒号や断末魔から、外の五人がまだ無事であることを確かめる。

 

「ところでさ、これで良いの?」

 

 ふと、妖精弓手がそう問いかけた。

 これからやろうとしていることに、まだ疑問を持っているのだろう。

 鉱人道士は「わしに訊くな」と肩をすくめ、蜥蜴僧侶は満足げに笑いながら頷く。

 

「これこそが良いのだ。古今東西、相手限らず城を落とす定石は水攻めが一つ。もう一つは━━」

 

 彼の言葉を遮る形で扉が開かれ、そこに納められていたものを彼らに見せつけた。

 複数個並べられた樽の中に詰められているのは、獣かヒトか、何かの肉を団子状に固めたもの。

 女魔術師は肩を竦めると、不敵に笑んだ。

 

「━━兵糧(ひょうろう)攻めね」

 

 彼女の表情と言葉を聞いた妖精弓手は「まったく誰に似たんだが……」とため息を漏らす。

 鉱人道士も思わず苦笑し、蜥蜴僧侶は腕を組みながらうんうんと何度も頷いて見せる。

 瞬間、女魔術師の掲げていた松明が宙を舞い、樽にぶち当たった。

 松明の炎は闇を照らす道標から、万物を焼き尽くす業火へとその姿を一瞬で変える。

 

 ━━これが、外の皆の役に立てば良いけど……。

 

 女魔術師はふとそう思った。

 そして、彼女の願いは確かに届いたのだ。

 

 

 

 

 

「これで、三十……!」

 

 ローグハンターはそう告げると、ゴブリンの頭蓋にめり込んだ手斧をぶんどり、血振れをくれる。

 彼らを取り囲む炎を壁を越えてきた第二波を凌ぎ、続く第三波を捌いていた時だ。

 突如として、砦の一角から火の手が上がった。

 

「ORAGRA!?」

 

「GRRB!!」

 

 流石のゴブリンたちもこの事には驚き困惑しているようだが、ローグハンターがその隙を見逃すわけもなく、さらに三つの首を刈る。

 荒れた息を整え、ゴブリンスレイヤーに目をやる。

 

「そろそろか!」

 

「ああ、退くぞ。準備を━━」

 

 ゴブリンスレイヤーがそう告げようした時だ。

 ローグハンターの耳に聞こえていた『囁き声』が一気に大きくなり、危険を知らせたのは。

 

「ッ!」

 

 反射的だった。

 彼が手にした錆びの目立つ剣を一閃すると、飛びかかった白い影はそれを籠手で受け、受け止めようとはせずに勢いのまま弾き飛ばされる。

 白い影は転がるようにして勢いを止めると、僅かにへこんだ籠手を撫でた。

 

「GRR━━━」

 

 仕留め損なったことを腹立たしいと思う素振りもなく、小鬼暗殺者は唸る。

 何故失敗したのかを思慮しているのだ。

 ローグハンターは刃こぼれが激しい錆びた剣を投げ捨て、両手のアサシンブレードを抜刀する。

 小鬼暗殺者は彼にならう形で、両手の籠手に仕込まれた仕込み刀をそれぞれ抜刀する。

 ローグハンターは視界の端でゴブリンスレイヤーと小鬼聖騎士の戦闘が始まっていることを確かめると、深く息を吐いた。

 だいぶ疲労も溜まり、動きが精細を欠き始めたタイミングでの奇襲。相手はよくわかっているようだ。

 だが、それ以前に━━。

 

「俺の前でその武器を使う意味を、わかっていないようだな」

 

「GOORG……」

 

 小鬼暗殺者は低く唸り、摺り足で間合いを測る。

 奇襲が通じないのなら、正面から攻めることに切り替えたのだろう。

 銀髪武闘家はゴブリンを蹴散らし、手が空いていない二人の頭目に変わって女神官と令嬢剣士に指示を出す。

 

「二人とも、脱出の準備!急いで!」

 

「はい!」

 

「承知しましたわ!」

 

 女神官が静かに祈りを捧げる横で、令嬢剣士は魔術の発動体である指輪に籠手越しに触れ、真に力ある言葉を口にする。

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……》」

 

 ローグハンターが僅かにそちらに気を向けた時、小鬼暗殺者は動き出した。

 この小さな体躯を縮こませ、全力を以て跳んだのだ。

 ローグハンターは一瞬で間合いを詰めてきた小鬼暗殺者の一閃を、首を傾けて頬に掠めさせながら避け、カウンターを狙ってアサシンブレードを振るう。

 だが小鬼暗殺者は空中で体を捻り、無理やり一撃を避けて転がるようにして再び間合いを開ける。

 ローグハンターはしっかりと地に足をつけ、相手の一挙動に注意を向ける。

 

「GOB!」

 

「フッ!」

 

 一人と一匹は正面から向かい合い、斬り結び始める。

 互いの手首に仕込まれた武器の性能はほぼ同じ。ならば、リーチと膂力で上をいくローグハンターが有利か。

 だが、彼らの振るう武器は何より持ち主の技量が要求されるもの。力任せに振り回しても、すぐに折れるだけだ。

 二人はもはや他の冒険者、ゴブリンが入り込む余地の無いほどの圧を放ち、斬り結ぶ。

 小鬼暗殺者の突きを剃らし、反撃で放った一撃は小さな体躯によって避けられ、気を抜く間もなく次が来る。

 突き、剃らし、払い、突き。

 極小の刃を振るって戦う姿は、見る者が見れば、さぞや滑稽に見えるだろう。

 だがその極小の刃は、『骨』という誰しもが持つ防具をすり抜け、内蔵を傷つけるためのものだ。

 先に一撃入れられれば、それが致命傷になることは間違いない。

 地を踏みしめて構えるローグハンターと、跳び跳ねるようにして攻める小鬼暗殺者の姿は、ローグハンターが防戦一方のようにも見えるだろう。

 だが、彼は全ての攻撃を的確に捌き、反撃(カウンター)の突きを放っている。

 並のならず者(ローグ)なら、その回数分殺されていることだろう。

 それでも殺しきれないほど、小鬼暗殺者はすばやい。

 ローグハンターはひたすら凌ぎ、凌いで、そして━━、

 

「ラァッ!」

 

「GOB━━!?」

 

「鬱陶しい」と言わんばかりに、着地の硬直のタイミングを狙って小鬼暗殺者を蹴り飛ばした。

 刃同士の戦いでの突然の蹴りは、流石の小鬼暗殺者にも意外だったようで、それは文字通りの不意打ちだった。

 体をくの字に曲げて吹き飛ばされた小鬼暗殺者だが、すぐさま身を起こして血の混ざった唾を吐く。

 正々堂々の勝負かと思ったらこれである。

 

 ━━これだから『騎士』は嫌いなのだ。

 

 何故そう思ったかなぞ考えることはなく、小鬼暗殺者はそう思慮した。

 だからこそ、見落としてしまった。

 

「《……ヤクタ(投射)》!!」

 

 令嬢剣士の魔術━━『稲妻(ライトニング)』が完成するタイミングを。

 令嬢剣士が突きだした手の先にいるのは、押し寄せてくる大量のゴブリン。

 小鬼暗殺者は考える前に肉体を動かし、ギリギリで駆け抜ける『稲妻』の避けるが、

 

「GRRBGOBRRRR!?」

 

「AGARRA!?」

 

 避けきれなかったゴブリンたちが、一瞬にしてその身を焼かれ、弾けていく。

「狙ってください」と言うように固まっていたのだから、狙われて当然だ。

 実際、強力な術で群れを一網打尽にする戦術は、よく使われるほど常套手段だ。

 ゴブリンたちは、それを知らず、知ると同時に死に絶えた。

 

「皆さん、いつでもどうぞ!」

 

 女神官が叫んだのはその時だ。

 

「先に行け!」

 

 ローグハンターが反射的にそう告げると、ゴブリンスレイヤーが女神官を抱えて城壁から身を投げ、銀髪武闘家が令嬢剣士を担ぐとその後に続く。

 城壁の向こうから二人の悲鳴が聞こえるのは、きっと気のせいではない。

 城壁に固定された二つの鈎縄(かぎなわ)は、きっとそれぞれの持ち主を受け止めたに違いない。

 問題は、

 

「GRRBGOBRGOBR!!!」

 

 取り残されたローグハンターにゴブリンが殺到してくることだ。

 彼は小鬼暗殺者の姿を探すが、いないと見るやすぐ様ゴブリンに背を向けて駆け出す。

 止めようと飛びかかるゴブリンの喉を切り裂き、死体を障害物代わりにして追手を止める。

 途中で懐に手を入れ、取り出した煙幕を石畳に叩きつける。

 突如として生まれた煙は、ゴブリンたちを驚かせ、足を止めさせるには十分すぎる。

 

 ━━だが、縄を手繰り寄せる時間はない。

 

 これからやることは文字通りの賭けだ。

 運は自分で掴むものと言うけれど、今回ばかりは神頼み。

 

「俺は飛べないんだぁ!!!」

 

 彼はそう叫びながら助走の勢いのまま城壁に足をかけ、何の躊躇いもなく両手を広げて身を投げた(イーグルダイブ)

 下で待っていてくれた仲間たちが、驚愕に目を見開いているのが見える。

 それを視認した途端、強烈な重力に引かれて背中から()()()()()()に叩きつけられる。

 ボフッ!と何とも間抜けな音と共に、染み一つない雪原に綺麗な人型にくり貫かれた穴が開く。

 銀髪武闘家や令嬢剣士だけでなく、ゴブリンスレイヤーですら固まる事態に、もはや女神官の目も死んでいる。

 

「IGURARABORRRR!!!!」

 

 怒り狂った小鬼聖騎士が意味不明な叫びをあげると、巨大な城門がゆっくりと開き始めた。

 すぐに移動しなければ、先程となにも変わらない。

 すると、ローグハンターが落ちた場所とは別の場所の雪が盛り上がり、内側から弾けた。

 

「ぷへぇ。いやぁ、小鬼どもの穴蔵など嫌になるわい」

 

「ホントよね。まあ、穴の中に住んでる鉱人が言えたことじゃないだろうけど」

 

「なんじゃと!」

 

 相変わらず賑やかな二人を他所に、両脇に虜囚を抱えた蜥蜴僧侶と、ローブを土に汚した女魔術師が這い出てくる。

 

「とまれ、こちらは無傷でありますや」

 

 蜥蜴僧侶がそう言うと、ゴブリンスレイヤーが「……そうか」と僅かに間を開けてから返す。

 女魔術師は無事だった令嬢剣士の姿にホッと息を吐き、姿の見えない頭目の姿を探した。

 

「あの、彼は……?」

 

「えと、それが……」

 

 女神官がどうにか言葉を吐き出そうとするが、すぐに詰まらせる。

 名の売れた冒険者が「高所から命綱無しで飛び降りた」なぞ、誰が言える。

 いつもと違う様子の女神官や、もはや青ざめている銀髪武闘家を見て、女魔術師はその表情を曇らせる。

 まさか、あの頭目が、ゴブリンに……。

 彼女がそう思慮した時、不意に雪の中から伸びてきた腕に、彼女の足が掴まれた。

 

「ひっ!?」

 

「ん、ああ、すまん……」

 

 彼女が慌ててその場を飛び退くと、ローグハンターが自分で開けた人型の穴から顔を出す。

 妖精弓手は口の端をひきつらせ、眉間を押さえながら彼に言う。

 

「あんた、どこから出てきてるのよ……」

 

「思いの外雪が深くてな。お陰で怪我もなしだ」

 

 彼は悪びれた様子もなくそう告げると、蜥蜴僧侶の尾を借りて身を持ち上げる。

 衣装についた雪を払い、何故か固まっている仲間たちに目を向けた。

 

「……どうかしたか」

 

 彼がそう問いかけると、銀髪武闘家が俯いたまま彼の側に寄り、

 

「んあぁッ!」

 

「お゛ぅ゛ッ!━━……」

 

 籠手を付けたまま放たれた拳が鳩尾に叩き込まれた。

 いつかにも殴られた事はあるが、その時は素手だ。だが、今回は━━。

 彼は崩れかけた膝を無理やり支え、銀髪武闘家を睨んだ。

 当の彼女はそっぽを向き、頬を膨らませている。

 ゴブリンスレイヤーは安堵にも似た息を吐き、彼に問いかける。

 

「行けるのか」

 

「……ああ、何とか」

 

「そうか」

 

 彼はいつも通りの返事をすると、ここに集った仲間たちを見渡す。

 一人だけでは、ここまで上手くは出来なかっただろう。

 だが、やることは一人でやる時と変わりはない。

 

「━━ゴブリンどもは皆殺しだ」

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory07 白い鷹 黒い鷹

 夜明けの光が差し込む森の中。

 白銀の煌めきに照らされるその場所を、冒険者たちがひた走る。

 万が一転びでもしたらどうなるかは、もはや言うまでもない。

 

 ━━彼らの後ろには死が迫ってきているからだ。

 

「IGARARARARAU!」

 

「ORAGRA!!」

 

 小鬼聖騎士がヤターガンを掲げ、高らかに咆哮する。

 それに呼応するゴブリンたちの様子は、もはや異常だ。

 武器を奪われ、食料を奪われ、虜囚を奪われ、もはやこの群れはどうにもならないだろう。

 後がなくなって自棄になっているようにも見えるが、実際はそうではない。

 この世界の奇跡には、聖戦に関わるものが数多い。

 それは外なる神である覚知神であっても例外ではない。

狂奔(ルナティック)』と呼ばれるその奇跡は、小鬼聖騎士が使ったものに違いない。

 熱狂の渦にあるゴブリンたちに、本来ある筈の恐怖はない。目の前を走る仲間が死のうが、自分が死のうが、関係ないのだろう。

 

「これだからゴブリンって嫌なのよ!」

 

 振り向きざまに矢を放つ妖精弓手が語気を強めて言うと、ローグハンターも振り向きざまにピストルを抜き放ち、発砲混じりに返す。

 

「あれでも減らした!愚痴るな!」

 

「怒る暇あるなら走りなさいよ!あんたが一番遅いのよ!?」

 

殿(しんがり)だ!上も見ておけよ!」

 

「わかってるわよっ!」

 

 ローグハンターの警告に、妖精弓手は木の上に向かって矢を放つ。

 

「GR━━!」

 

 小鬼暗殺者はその矢を次の枝まで飛ぶことで避け、彼女の放った矢は木の幹に突き刺さる。

 反撃として放たれた投げナイフを避け、長耳をひくつかせて不敵に笑んだ。

 

「ゴブリンの癖してやるじゃないの!」

 

「言ってないで走れ!」

 

 二人は迎撃を止めて再び駆け出し、先を行くゴブリンスレイヤーたちの背中を追う。

 目的地は森の先にある谷だ。ゴブリンスレイヤーの立てた作戦を成功させるためには、そこしかない。

 白い息を吐き、必死に体に酸素を回して足を動かす。

 深い雪に足を取られ、普段以上に体力を持っていかれる。この際木の上を行った方が楽なほどだろう。

 現に、悠々と木の上を進む小鬼暗殺者との差が広がらない。ローグハンターを集中的に狙ってくることだけが救いだ。

 時折前方のゴブリンスレイヤーが援護として剣や鶴嘴(つるはし)を放ってくれるだけ、まだ楽だろう。

 虜囚を運ぶ蜥蜴僧侶の背を押す女神官と令嬢剣士の二人の負担も大きい。

 ローグハンターは彼女らの背を追いながら、ぼそりと漏らす。

 

「余裕はないな」

 

「あったり前でしょ、逃げてるんだから!」

 

 妖精弓手はぼやきながら振り向き、再び矢を放つ。

 小鬼聖騎士に向けられて放たれた矢は、その身を盾にするべく飛び出したゴブリンに阻まれた。

 

「ああん、もう!狙い通りだったのに……!」

 

「仲間を庇うか。なるほど」

 

 木の上からつけ狙う小鬼暗殺者にナイフを放って牽制し、ピストルを引き抜いて小鬼聖騎士に向けて発砲。

 ローグハンターの吐いた白い息と硝煙が混ざりあい、風に吹かれて消えていく。

 放たれた弾丸は再びゴブリンに阻まれるが、

 

「━━GOBR!?」

 

 その体躯を貫いて小鬼聖騎士の兜を掠める。

 ローグハンターは舌打ちし、強引にピストルをホルスターに押し込む。

 

「外れたか」

 

「弦の張り、もっと強くしようかしら?」

 

 自身の扱う大弓を眺めながらの一言に、ローグハンターは肩をすくめる。

 

「するのは良いが、おまえの細腕で扱えるのか?」

 

「そうなのよねぇ……」

 

 命懸けの撤退戦、しかもその殿を務めているというのに、二人の間にある空気はいつになく軽い。

 変に力んで失敗するのなら、むしろその方が良いだろう。

 まあ、そうでもしないとやっていられないような状況である事も確かだが。

 そして森を抜け、件の谷にたどり着く。

 一党たちはゴブリンスレイヤーを前衛として陣を取っており、彼とすれ違いざまにローグハンターは反転、横に並ぶ。

 荒れた息を整えながら、ローグハンターは彼に問いかける。

 

「あいつらの準備は」

 

「問題ない」

 

 ゴブリンスレイヤーは淡々と返しながら雑嚢を探り、小瓶を彼に差し出す。

 

強壮剤の水薬(スタミナポーション)だ。飲んでおけ」

 

「助かる」

 

 ローグハンターは荒れた息を無理やり整え、水薬(ポーション)を一息であおる。

 体中にじんわり広がる熱が心地よい。

 ローグハンターは空になった小瓶を森から飛び出してきたゴブリンに向けて投げつけ、同時に思い出したかのように言う。

 

「今のは、受付嬢から貰ったものか?」

 

「ああ」

 

「そうか……」

 

「そうだ」

 

 ローグハンターは大きめのため息を吐き、心の中で受付嬢に謝罪する。

 ゴブリンスレイヤーのために用意したものを、知らなかったとはいえ飲んでしまったのだ。こんな状況でも申し訳ないという気持ちは湧いてくる。

 だが、それが心に僅かなゆとりを生んだことは確かだ。

 ローグハンターは深呼吸すると、その眼に殺気を宿らせる。

 確実に殺しておくべきなのは二匹。この群れの頭目である小鬼聖騎士と、その補佐役である小鬼暗殺者だ。

 ゴブリンスレイヤーが聖騎士を、ローグハンターが暗殺者を。二人は言葉を交わさず、それだけを確かめる。

 

「仕掛けるぞ」

 

「ああ……!」

 

 ゴブリンスレイヤーの淡々とした言葉に、ローグハンターは獰猛な笑みを浮かべて返す。

 見たこともない彼の表情に困惑することはなく、ゴブリンスレイヤーは駆け出した。

 僅かに遅れてローグハンターも駆け出す。

 彼らの二人は捕虜を伴って距離を取り、二人の援護に回る。

 飛び出してきた二人を抑えられるのは、きっとあの二匹しかいない。

 

「IGARURUARA!!!」

 

「む……!」

 

 同じく飛び出してきた小鬼聖騎士とゴブリンスレイヤーが激突し、

 

「GR!!」

 

「フッ!」

 

 岩影から躍り出た小鬼暗殺者をローグハンターが迎え撃つ。

 もはやその奇襲は形だけのものだ。

 最初の激突で、彼にその手の小細工が通用しないことは知っているのだろう。

 ローグハンターと小鬼暗殺者は、その体躯の差をものともせずに斬り結ぶ。

 極小の刃でも相手を死に至らしめることは容易い。

 だが、その極小の刃の扱いに関して言えば、ローグハンターが数段上だ。

 小鬼暗殺者の突きを受け流し、アサシンブレードを振るふりをして無造作に蹴りを放つ。

 今回ばかりは避けられたが、別に問題はないだろう。

 一定の間合いを開けたまま、一人と一匹は摺り足でにじり寄る。

 彼らの振るう武器は、本来戦闘用のものではない。下手に長期戦となれば、破損の危険も高まっていく。

 ローグハンターは深く息を吐き、左腕を垂らして重心を落とす。

 もはや下がることは出来ない。決めるのなら次の一手だ。

 

「GROOO━━……」

 

 小鬼暗殺者も同じ事を考えてか、飛びかからんと膝に力を溜め始める。

 吹雪吹き付ける谷底で、彼らの周囲だけが静寂に包まれていた。

 冒険者も、ゴブリンも、誰も手を出すことはない。

 否、手を出すことが出来ない。まさに侵すことの許されない聖域のように、ぽっかりと穴が開いているのだ。

 

「GOORGGOBR!!!」

 

 小鬼暗殺者は持てる全ての力を持って跳び、ローグハンターとの間合いを一瞬にして詰める。

 本来なら引き倒し、刃を突き立てるのだろうがゴブリンの体躯と膂力では無理だろう。

 だからこそ、小鬼暗殺者は飛び付きざまの一撃に全てを賭けた。

 雪を巻き上げながら跳躍、右手のアサシンブレードを振り上げ、そして渾身の刺突を放ち━━━、

 

「━━━………!??!!!」

 

 伸びきった右腕が宙を舞った。

 ローグハンターが一閃したアサシンブレードの刃には、どす黒い返り血がついている。

 彼の右頬には一筋の赤い線がはいり、血が垂れる。

 それがどうしたと言うのだ。

 軽く頬を掠めただけだ。何の問題もない。

 

「GOORG!!GROOOBR!!?」

 

 小鬼暗殺者は肘から先の無くなった右腕を押さえ、悶え苦しむ。

 ローグハンターはその様子に一瞥くれると、ゴブリンスレイヤーが小鬼聖騎士の頭蓋を砕いたことを確認、そして彼の一党の後衛二人に目を向ける。

 

「━━撃て!」

 

 二人は返答の代わりに、真に力ある言葉を紡ぐ。

 

「《カリブンクルス(火石)……クレスクント(成長)……」

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……》」

 

 女魔術師と令嬢剣士は目を合わせ、息を合わせて最後の一節を口にする。

 

「「《……ヤクタ(投射)》!!!」」

 

 放たれた『火球(ファイアボール)』と『稲妻(ライトニング)』の二つは混ざりあい、山を脈動させた。

 大気を焦がす業火と、大気を切り裂く紫電。

 白銀の世界を駆け抜ける二つを、その場にいた全ての者が目で追いかける。

 その二つが穿ったのはゴブリンの群れではない。寸分の狂いなく、山の峰を撃ち抜いたのだ。

 雪の降り積もった山に凄まじい衝撃が走ればどうなるか。それは素人であろうとわかるだろう。

 轟音、震動、それが生み出すは白き死の軍勢。

 時には村を、街さえも滅ぼしうる、決して抗うことの出来ないもの。

 ━━それは、雪崩であった。

 

「……ッ!」

 

 冒険者たちは一様に表情を強張らせ、ゴブリンたちは意味不明の叫びを上げる。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターは互いに頷きあうと、全力を持って駆け出していく。

 足を止めればどうなるかは、雪に埋もれていくゴブリンたちが教えてくれる。

 そして一党は二人に向けて駆け出し、女神官が錫杖(しゃくじょう)を掲げる。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを━━━》」

 

 ふと、何かを感じたローグハンターは、その気配の主に目を向ける。

 戦場の傍らで倒れていた小鬼暗殺者が、残った左腕をゴブリンスレイヤーの背中に向けているのだ。

 口元から血を流し、何本か歯が欠けているように見える。

 目を細めて見れば、籠手から銃口のようなものが覗いているのが見えた。

 籠手に仕込めるほど小型の銃は、彼の時代でも作られていない。そんなものをゴブリンが持っている可能性など、まずないだろう。

 だが、もし、万が一にも、そんな武器があったとしたら。

 その武器が、自分の物よりも威力が高ければ。

 彼の脳裏には、背中を撃ち抜かれるゴブリンスレイヤーと、その動揺で女神官の奇跡が不発に終わる瞬間が映った。

 そうなれば、仲間たちは全滅するだろう。

 そこからは、もはや思考する余裕もなかった。

 ゴブリンスレイヤーと小鬼暗殺者の間に割り込み、その身を盾にしたのだ。

 

「《━━大地の御力でお守りください》!」

 

 女神官の奇跡が発動したのはその直後。

 そして━━━、

 

 バンッ━━━………!

 

 小鬼暗殺者の銃が火を吹き、銃声が谷を駆け抜ける。

 放たれた銃弾は、肉の盾となったローグハンターの左胸を撃ち抜く。

 その結果に、小鬼暗殺者はほくそ笑んだ。

 全てが狙い通り、計画通りになったからだ。

 崩れ落ちるローグハンターの姿を小鬼暗殺者は(わら)い、『聖壁(プロテクション)』に守られた銀髪武闘家は声にならない悲鳴をあげる。

 ゴブリンスレイヤーは反転し彼の救助に向かおうとするが、もはや全てが遅すぎる。

 全てが白に塗り潰され、消えていった━━━。

 

 

 

 

 

 それは痛む体を無理やり動かし、自分を埋める雪を掻き分けて外に出る。

 

「GRRB!!」

 

 冷たい酸素を懸命に吸い、小鬼暗殺者は雪から這い出した。

 仲間は全滅。帰る(いえ)もなければ、もはや帰る余力さえ残っていない。

 だが、それで良いだろう。

 小鬼暗殺者は口元を歪め、音にならない笑い声をあげた。

 あいつを殺した。憎き騎士を、末端だろうが騎士団の一員を殺せたのだ。

 これ以上の成果はないだろう。

 一人で壊れたように嗤う小鬼暗殺者は、次の瞬間信じられないものを見たかのようにその表情を固めた。

 十数メートル先の雪が盛り上がり、そこから何かが這い出ようとしているのだ。

 小鬼暗殺者は左手のアサシンブレードを抜刀し、ジリジリとその場所に近づいていく。

 たった数歩の距離なのに、果てない道を進んでいるかのような錯覚を覚える。

 ある程度の距離を詰めた小鬼暗殺者が、額に流れる汗を拭おうとした時だ、盛り上がっていた雪が内側から爆ぜた。

 

「GO━━━ッ!」

 

 もはや声を出す暇すらなかった。

 両腕があったとしても、きっと何も出来なかっただろう。

 雪の内側から飛び出したローグハンターが、その体躯の差を利用して小鬼暗殺者を組み伏せたのだ。

 ローグハンターは額から流れる血を拭うことなく、左手のアサシンブレードを抜刀する。

 

「例え、おまえがゴブリンであろうと、そうでなかろうと、知ったことか……!」

 

 怨敵を睨み合う一人と一匹の視線が交差する。

 ローグハンターは荒れた息を整え、小鬼暗殺者に告げる。

 

奴ら(アサシン)と同じ装備を纏っているのなら、おまえは」

 

 ━━俺の抹殺対象(ターゲット)だ……!

 

 彼はそう告げ、何よりも信じているその刃で小鬼暗殺者の首を貫いた。

 その瞬間、小鬼暗殺者の懐に仕舞われていた何かが光輝いたのだ━━━。

 

 

 

 

 

 空も、地面も、何もない真っ白な空間。

 そこにいたのは二人の男だった。

 片方は驚愕の表情を浮かべるローグハンター。

 片方はマント付きの白いローブを身に纏った見知らぬ男性だ。少なくとも、ローグハンターよりも年齢は上のように思える。

 ローグハンターに抱き抱えられた男性の精悍な顔立ちは、心なしか穏やかなもの。

 驚愕するローグハンターを他所に、その男性アサシンは彼に目を向ける。

 

「……ああ。あの方が言っていたのは、キミのことだったのか」

 

「あの方、だと……?」

 

 ローグハンターが思わず声を漏らすと、男性アサシンは首を横に振る。

 

「言ったところでわからんさ。だが、あの方は、こちらの世界を知っているようだ」

 

「ッ!そうか……」

 

 ローグハンターはその表情を強張らせ、重々しく息を吐く。

 こちらの世界のことは、アサシン側に既に知れていると判断したのだろう。

 男性アサシンは彼の瞳を覗き、苦笑を漏らす。

 きっと多くの道を示され、選択を迫られることだろう。

 

「━━どうか、悔いのない選択を。若き鷹よ」

 

 男性アサシンはそう言うと満足したか、眠るように息を引き取った。

 ローグハンターは彼の言葉に数瞬迷うと、再び重い息を吐く。

 

「安らかに眠れ。汝が刃は、我と共にあり」

 

 彼がそう言うと、周囲の景色が一変する。

 どこかの礼拝堂なのか、そこには白いローブを纏った人々が集まっている。

 礼拝堂の中央に立つ口元に傷のある男性が、その場にいる(みな)に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「世の人は真実を盲信しようとも、忘れるな」

 

『━━━真実はない』

 

「世の人は法や道徳に縛られるとも、忘れるな」

 

『━━━許されぬことなどない』

 

 彼の言葉に回りのアサシンたちが答えた。

 どこかの教団支部の、いつかの光景なのだろう。

 だが、ローグハンターは不思議とその光景を受け入れていた。

 自分の知るアサシンたちとは決定的に違う何かが、この場にいるアサシンたちから感じられるからだ。

 何が違うのかはわからない。だが、確かに違うのだ。

 呆然と立ち尽くすローグハンターの脇をすり抜けながら、口元に傷のある男が告げる。

 

「ローマ解放の時はきた。我らに勝利を!」

 

『勝利を!』

 

 彼の言葉にアサシンたちが応答する。

 いつかはわからない。どこかもわからない。

 だが、もしもこのアサシンたちに出会えていたのなら、また別の道があったのかもしれない。

 

「━━ミ!キミ!ねぇ、ねぇってば!お願いだから目を開けてよ……!」

 

 どこからか聞こえる声に耳を傾け、ローグハンターはハッとする。

 考えるのも、感傷に浸るのも後だ。

 

 ━━俺には、帰らなければならない場所がある……!

 

 彼はアサシンたちに背を向け、礼拝堂を後にする。

 口元に傷のある男が、彼の背を見送ったことも知らずに━━━。

 

 

 

 

 

「ねぇ、聞こえてるんでしょ!?ねぇってば!」

 

 銀髪武闘家は倒れるローグハンターに駆け寄り、彼の肩を揺する。

 一切の反応を返さない彼の衣装の左胸には焼け焦げた跡と極小の穴が開き、額からはおびただしい量の血が垂れている。

 そして、極めつけに右腕が本来とは逆の方向に曲がってしまっている。

 彼の横に立つ蜥蜴僧侶が『治癒(リフレッシュ)』の奇跡を使っているが、あまり効果が現れない。

 女神官は自分よりも上位たる彼の奇跡の効果が薄いとみるや水薬(ポーション)を取り出すが、果たして今の彼に飲み込む力が残されているのかどうか。

 念のためと周囲を見張るゴブリンスレイヤーをはじめとした面々は、ちらちらと彼の方へと気を向けていた。

 特に弟子たる令嬢剣士と女魔術師は、今にも泣き出しそうなまでに表情が青ざめている。

 奇跡が一向に効果を示さない事実に蜥蜴僧侶も目を細める中、銀髪武闘家が涙を滲ませながら言う。

 

「こんな所で終わりなんてやだよ!まだ一緒にやりたいことだって、行きたい場所だってあるんだから!」

 

 ━━だからどうか、お願い………。

 

 神にすがり付くように発せられたその言葉が、天上で見守る神々に届いたのかはわからない。

 だが、目の前にいる彼には届いたことは確かだった。

 

「━━ぁ゛」

 

「え?」

 

 ふと、彼の口から言葉が漏れた。

 疲労とダメージからかその声は掠れ、覇気に欠けるが、確かに反応したのだ。

 銀髪武闘家が見つめる先で、ローグハンターは薄く目を開き、苦笑を漏らした。

 

「うるさいぞ……まったく……」

 

「………!」

 

 銀髪武闘家は流れる涙に構うことなく、そっと彼の体を抱き締める。

 彼の耳元で啜り泣き、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を、愛する人に見せたくないのだろう。

 ローグハンターは肩をすくめ、他の仲間たちに目を向けた。

 ゴブリンスレイヤーをはじめとして、全員無事。女魔術師と令嬢剣士が涙を流しているし、女神官も泣きそうになっているから、余程心配をかけてしまったのだろう。

 他の銀等級冒険者たちは、まあ無事だろうなという謎の信頼を寄せているのか、ホッと息を吐く程度。

 兜を被っているゴブリンスレイヤーの表情は伺えないが、じっとこちらを見ている辺り、心配はしてくれたのだろう。

 だが、とりあえず無事だったと彼はホッと息を吐き、違和感を感じた自分の左拳をゆっくりと開いた。

 いつの間にか『金色に輝く三角の何か』が握られていたのだ。

 見る限り、何かの部品だろうか。

 無意識とはいえ掴んだのなら、何か意味のあるものの筈だ。

 彼はその三角の何かを懐にしまい、しまっておいたアサシンブレードをそっと撫でる。

 

 ━━これがなければ、心臓を撃ち抜かれていたな……。

 

 昇り行く朝日に照らされたローグハンターは、銀髪武闘家の耳元でそっと呟く。

 

「それじゃあ、帰るか」

 

「うん。うん……」

 

 彼女はくしゃくしゃになった顔を拭い、太陽のような笑顔を彼に見せる。

 

「帰ろう。皆で」

 

 

 

 

 

 神様たちは、珍しく困惑の表情を浮かべて顔を見合わせていました。

『幻想』や『真実』だけではありません、他の神様も、まるで信じられないものを見るかのようにサイコロと盤に並んだ駒を見比べます。

 ここ最近、()()()()()()()()()()が出て来ているのはわかっていますが、それが些細なことに思える程度に、神様たちには衝撃が走っています。

『幻想』の神様は、再びサイコロの結果と駒を見比べます。

 けれど、何度見たところで結果が変わらないことがわかるだけです。

 フードの彼(ローグハンター)を相手に振った()()()()のサイコロの結果は、端的に言ってしまうと、大がつくほどの失敗(ファンブル)でした。

 けれど、どういうことでしょうか。問題の彼は、仲間たちに囲まれながら平然と歩いています。

 きっと、神様たちは気づいていないのでしょう。そして、気づくこともないのでしょう。

 そもそも彼は、ここの神様たちが作り出した駒ではありません。

 彼を作り出したのは『外なる世界の神様(かつて来たりし者)』です。

 そして、彼の運命を決めるのはサイコロでもなければ、その神様の気紛れでもありません。

 そう、彼の運命を決めるのは彼自身。

 

 ━━運とは、自分で掴むものなのですから………。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 新たな年へ

「はぁい!一年間も無事に死なずに済みました!」

 

 受付嬢の快活な声が、夜明けの迫る冒険者ギルドの酒場に響く。

 

「宿命と偶然、秩序と混沌の神様に感謝して、今日はいーっぱい騒いじゃいましょう!」

 

「新年、おめでとぉーっ!!!!」

 

 冒険者たちが手にした杯を掲げ、打ち鳴らす。

 そう、この日は新たな一年の始まりを告げる一日なのだ。

 普段から騒がしい冒険者ギルドも、いつもより何割か増しで騒がしい。

 見知った冒険者や、興の乗った誰かが歌い出した歌を流し見つつ、平服姿のローグハンターは葡萄酒に口をつけた。

 あの戦いから幾日か経った頃でも、彼の傷は癒えきっていない。

 骨の折れた右腕を三角巾で吊るし、大きく切れた額には厳重に包帯が巻かれている。

 治療の邪魔だろうと短くした黒髪は、大して気にならないのだろう。

 彼はため息を吐き、隣で大量の肉を平らげる銀髪武闘家に目を向けた。

 しばらく神殿に通いきりで、構ってやれていなかったなと少しばかり反省。

 対面の席で食事を進める女魔術師と、何やら言いたげの令嬢剣士に目を向け、彼は肩をすくめる。

 

「それで、だいぶ遅くなったが、初めての冒険の感想はあるか」

 

「はい。とても、大変ですわね……」

 

 染々と、しかし誇らしげに、本当の意味で冒険者になった令嬢剣士は言う。

 銀髪武闘家は食事を口に含みながら笑い、正面の女魔術師に目を向ける。

 二人は満足そうに笑いあい、肉を飲み込んだ銀髪武闘家が令嬢剣士に問いかける。

 

「そりゃあ大変よ。でもさ、楽しかったでしょ?」

 

 ニコッと笑いながらの問いかけに、令嬢剣士も笑いながら頷く。

 

「はい。きっと昔の私なら、体験も出来なかったことでしょう」

 

 冒険者の証である白磁の認識票をそっと撫で、改めてローグハンターに目を向けた。

 

「ローグハンター様。改めて、お願いします」

 

 彼女の一言に、ローグハンターは手にしていた葡萄酒の入った杯を卓に置く。

 彼が聞く姿勢となった頃を見計らい、令嬢剣士は大きく深呼吸すると、真っ直ぐに彼の蒼い瞳を見つめながら言う。

 

「わたくしを、あなたの一党に加えてはくださいませんか」

 

 彼女はそう告げ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 ローグハンターはそっと一党の二人に目配せし、二人が頷いたことを確かめる。

 尤も、二人とも頭目である彼に一任するのだから、その行程はある意味様式的なもの。

 ローグハンターは小さく息を吐くと、令嬢剣士に言う。

 

「おまえは、少し勘違いをしているようだ」

 

「!」

 

 どこか冷たい彼の言葉に、令嬢剣士は体を強張らせる。

 ローグハンターはその様子に笑みつつ、肩をすくめた。

 

「俺としては、既に()()()()()だと思っていたんだがな」

 

「……え?」

 

 令嬢剣士がその言葉の意味を理解するのに、一瞬だが時間がかかった。

 その隙に銀髪武闘家がさらに続く。

 

「そうだよね~。前衛三人がやっと揃ったと思ってたのにね~」

 

「え、え……?」

 

 思わず顔をあげた令嬢剣士だが、女魔術師がわざとらしくため息を吐きながら言う。

 

「やっと術士が増えたと思ったのに、当の本人はまだ仮だったのね」

 

「……はぅ」

 

 彼らの意図を察してか、令嬢剣士が赤くなった顔を両手で覆う。

 つまりは、彼女の考えすぎだ。ローグハンターが一緒に冒険した者を『部外者』と断ずる訳がないのだ。

 ローグハンターは微笑して、令嬢剣士に言った。

 

「そういうことだ。おまえは何を言っているんだ?」

 

「……な、何でもないですわ!」

 

 開き直ったかのように声を張り上げた令嬢剣士は、ぶんどるように皿に詰まれた肉を奪い、頬張る。

 新人の思いにも寄らなかった反応に、三人は苦笑を漏らす。

 ━━かと思わせておいて、銀髪武闘家が負けじと肉をかじり始めた。

 女魔術師が目を細めながらそっと葡萄酒に口をつけると、ローグハンターは優しげな視線を三人に向けながら小さく笑う。

 

「……随分と、賑やかになったな」

 

「おう。頭巾のが随分と年寄り臭いことを言うとるわい」

 

 不意に彼らの隣の卓から、聞き馴染んだ声が発せられた。

 既に何杯も飲んだのか、頬を赤くしている鉱人道士はニヤニヤと笑いながら言う。

 

「それで、頭巾の。おまえさん、あん時の約束、忘れてないじゃろうな」

 

「ああ、あれか。いくら飲んだ」

 

 鉱人道士の言葉の意味を察した彼が懐に手をいれると、鉱人道士が待ったをかけた。

 

「おっとまだじゃ。まだ飲み足りん!」

 

「そうか……」

 

 彼は肩をすくめて言うと、財布を懐に戻す。

 鉱人道士の隣に腰掛ける蜥蜴僧侶は、彼の負傷箇所に目を向けて目をぎょろりと回した。

 

「拙僧の鍛錬が足りておれば、その程度の傷すぐなのですがな」

 

 腕を組みながら申し訳なさそうに言う彼に、ローグハンターは首を横に振った。

 

「神殿の神官からも『全然治りませんね』と白い目をされた。体質なのかもな」

 

 彼はそう言うと葡萄酒を口につけた。

 新年とはいえ、別にやることは今までと大差ないだろう。むしろ、四人になったのだからやることも増える筈だ。

 妖精弓手は僅かに酔っているのか、涙目になりながら肉にかじりつく令嬢剣士に後ろから抱きついた。

 

「あんたも大変ね~。こいつと一緒にやってくんでしょ?」

 

 ローグハンターを睨みつつの一言に、令嬢剣士は何度かむせつつ返す。

 

「それでも、わたくしはこの人の一党に加わると決めたのですわ」

 

「そう。なら、頑張りなさいよ~」

 

 上機嫌そうな妖精弓手は、令嬢剣士の蜂蜜色の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 鉱人道士は髭をしごきながら、やれやれと首を横に振った。

 

「ったく。また年上ぶりたい金床が騒いどるわい」

 

「誰が金床よ!この……樽!」

 

恰幅(かっぷく)が良いだけじゃわい」

 

 彼はそう言うと火酒をあおり、ぷへ~と酒臭い息を吐く。

 ふと、ローグハンターはこの場にいない女神官の姿を探した。

 華奢とはいえ、彼女を見つけようと思えばすぐに見つけられるだろう。

 だが、いくら探しても見当たらない。

 彼の様子に気づいたのか、蜥蜴僧侶がふむと息を漏らす。

 

「巫女殿なら、小鬼殺し殿の元に行かれましたぞ」

 

「ああ、そうなのか。あいつに伝言を頼みたかったんだが……」

 

 ゴブリンスレイヤーは新年の夜、必ず街の近くの草原にテントを張り、ゴブリンの襲来を警戒して見張りを行うのだ。

 例年通りならローグハンターも付き合うのだが、負傷者が隣にいると、いざというとき邪魔でしかないだろう。

 そんな訳で辞退したのだが、女神官が代わりに向かうとは━━。

 

「伝言と申しますと、怪我のことですかな?」

 

「いや。これのことだ」

 

 蜥蜴僧侶の問いかけに、ローグハンターは懐から先日入手したアサシンブレードを取り出す。

 銃弾を受け止めたからか鞘の一部が焦げているが、使う分には問題ないだろう。

 鉱人道士が身を乗り出し、まじまじとアサシンブレードを見る。

 

「……相変わらず珍妙な武器じゃな」

 

「して、この武器の何が問題なのですかな」

 

 二人の言葉に答えるように、ローグハンターは低く唸って重苦しい声を出す。

 

「これは左右一対で使う物だ。まあ、片方だけで戦う者もいるだろうが……」

 

「それの何が問題なのよ?」

 

 令嬢剣士の髪がぼさぼさになった頃、妖精弓手がローグハンターの言葉に首を突っ込んできた。

 彼は小さくため息を吐くと、彼らに向けて言う。

 

「俺が見つけたのは、この左手用の一本だけだ」

 

 ━━なら、右手用の一本はどこにある。

 

 彼の言葉に、銀髪武闘家を含めた仲間たちの中に衝撃が走る。

 彼はこう言いたいのだ。

 

 ━━小鬼暗殺者が、まだいる可能性がある。

 

「……確かに、そりゃかみきり丸案件だの」

 

「ふむ、今からでも伝言に走りますかな?」

 

 蜥蜴僧侶の気遣いに、ローグハンターは苦笑混じりに首を横に振る。

 

「伝えた所で今は動けないからな。俺も怪我が治ったら、仕事ついでに調べてみる」

 

「また野盗が襲われているってこともあるだろうしね」

 

 銀髪武闘家が言うと、ローグハンターは頷く。

 やるべきことが増えるばかりだ。

 妖精弓手は長耳を動かすと、彼に問いかける。

 

「ところでさ、あれはどうしたの?」

 

「あれ?ああ、これか」

 

 ローグハンターは懐から『謎の三角』を取りだし、掌の上で弄ぶ。

 横目で魔女に目を向け、ため息を吐く。

 

「鑑定不能の何か。お陰で売れんし、業者に頼んだら無駄に金がかかりそうだ」

 

「別に何かあるって訳でもないんでしょ?」

 

「そうだな」

 

 彼は端的にそう返すと、それを懐に仕舞う。

 今度知識神の寺院にでも行ってみるかと思慮し、そんな暇はないとぶん投げる。

 

「ねぇ……」

 

「どうかし━━━」

 

 銀髪武闘家に呼ばれて振り向いた瞬間、彼の唇が塞がれた。

 相手は言うまでもなく銀髪武闘家だ。僅かに香る酒の臭いから、彼女が酔っていると断定する。

 女魔術師は「またですか」とため息を吐き、慣れぬ令嬢剣士は赤面して目を(そむ)け、二人を見つけた一部の冒険者やギルド職員から悲鳴が上がった。

 ローグハンターは絡んでくる舌に応戦しながら、横目で鉱人道士を睨み付ける。

 睨まれた彼は悪びれた様子もなく、酒瓶を片手に豪快に笑っている。

 蜥蜴僧侶も可笑しそうに笑い、妖精弓手はまたがみがみと何やら吼えている。

 いつも通りの光景と、いつも通りの仲間たち。

 一年を生き抜いて、いつの間にか自分を囲む人数は増えたように思う。

 否、増えている。冒険者歴五年目にして、いきなり変わったものだ。

 銀髪武闘家はそっと唇を離し、優しく笑う。

 

「今年もよろしくね」

 

「ああ。よろしく頼む」

 

 彼が言うと、再び銀髪武闘家がキスをした。

 ローグハンターはしっかりと受け入れ、目を閉じて彼女のほうに身を寄せる。

 

『………』

 

 その瞬間、新年の祝いで賑わっていた冒険者ギルドが、静まりかえった。

 原因は言うまでもなく、ギルドの端でイチャついているいつもの銀等級二人組(バカップル)だ。

 この日、ギルドのコーヒーの売上が、始まったばかりだというのに、その年の最高額に達したのは、きっと無関係ではないのだろう。

 

 

 

 

 

「ふへぇ~。のんら、のんらぁ~」

 

「ほら、しっかりしろ。今は片手しか使えないんだ」

 

 ギルドから眠る狐亭へと向かう道中。

 ローグハンターは大きなため息を吐き、肩を貸している銀髪武闘家に言う。

 あのキスの後、二人して何故かギルドを追い出されたのである。

 女魔術師と令嬢剣士は、他の同年代冒険者たちと騒いでいることだろう。

 彼女を半ば引きずる形で眠る狐亭に入り込み、年越しで騒がしい賭博場の脇をすり抜ける。

 ほんのりと酔い顔の店主に目を向けて、そのまま彼女を連れて自室に戻る。

 令嬢剣士の加入で借りる部屋が増え、部屋割りも変更した。

 つまり、ローグハンターと銀髪武闘家、女魔術師と令嬢剣士が同室なのだ。

 彼女を半ば投げる形でベッドに降ろすと、どっと疲れが出たのか、大きなため息を吐く。

 懐にしまっていた諸々のものを取り出し、机の上に。

 そこに置かれているのは、その役目を終え、壊れてしまったアサシンブレードと、丁寧に畳まれたぼろぼろの白いローブ。

 どちらも小鬼暗殺者から奪い取った物だが、アサシンブレードのほうは引き倒した拍子に刃が歪んでしまったようだ。

 その二つを見せた時に店主が僅かに驚いていたのは、気のせいではないだろう。だが、気にする程のものでもない。

 彼はその二つも衣装入れに仕舞うと、自分のベッドに腰掛け、そのまま身を投げ出す。

 まず怪我を治し、体調と装備を整えたら、また仕事だ。

 眠ろうと目を閉じた矢先、ふと重さを感じて目を開ける。

 いまだ酔い顔の銀髪武闘家が、寝転ぶ彼に乗っかっているのだ。

 

「ねえ、まだ起きてる……?」

 

「ああ」

 

 彼女はそっと彼の体に倒れると、耳元で言う。

 

「死んじゃ、やだからね……」

 

「ああ」

 

 僅かに震える彼女の声に、彼はいつになく優しい声音で返す。

 あの時彼女の声が聞こえたから、あの場を去ることが出来た。彼女がいなければ、どうなっていたか……。

 銀髪武闘家は体を起こすと、僅かに邪悪を孕んだ笑みを浮かべながら、彼の体に手を伸ばした。

 

「お、おい……?」

 

「ちょっとだけ……ちょっとだけ……」

 

「俺、怪我人だぞ……?」

 

「ちょっとだけだから……」

 

 彼女はそう言いながら、彼の服に手をかける。

 

「おい!?」

 

 彼は思わず上擦った声を出したが、銀髪武闘家は聞こえぬふりを押し通す。

 少しずつ晒されていく彼の体には、無駄な肉がないぶん無数の傷がある。

 彼が今まで歩んできた証。彼にも未熟だった時代があった証だ。

 銀髪武闘家は彼の体を眺めながら舌舐めずりし、清々しいほど邪悪な笑みを浮かべる。

 

「ふへぇ。いただきます!」

 

「お゛ぅ゛!?」

 

 こうして、()()()()()()新年の夜は更けていく。

 戦いの火種は既に巻かれ、着々と世界を焼き尽くす業火に転じようとしている。

 彼が自分の運命と向き合うことになるのは、まだ先の話だ━━━。

 

 

 

 

 




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Sequence07 プライド オブ ノービス
Memory01 一年後の彼ら


 とある森の中。

 陽が天高く昇っているというのに、木々に包まれたその場所は夜のように暗い。

 僅かな木漏れ日だけが、そこを進む者たちにとっては生命線だろう。

 

 ━━彼を除いた場合だが。

 

「右。二人抜けたぞ」

 

 蒼い光を放つその瞳にかかれば、暗い森の中にいる盗賊団を視認する程度造作もない。

 タカの眼を通して闇を見通す彼の指示に答えたのは、赤毛の魔術師と蜂蜜色の髪をした剣士の二人だ。

 二人は慣れた様子で暗い森の中を駆け抜け、逃げた盗賊を追う。

 二人の背中を追う頭目がいるのは木の上だ。

 只人ではまず乗ろうとも思わないその場所に立ち、森人もかくやと言わん速度で次の木へ、さらに次の木へと跳び移る。

 洗練された彼の動きは、微かに枝を揺らすだけで一切の痕跡を残さない。

 逃げの一手だった盗賊たちは、森のある場所で足を止めて反転。各々の武器を抜き放つ。

 そこは森の中でも開けた場所。陽に照らされ視界も広く、遮蔽物がないため奇襲も受けにくい。

 だが、現実とはどこまでも非情であった。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……ヤクタ(投射)》!」

 

 盗賊たちが身構えた瞬間、森の暗闇を切り裂く二つの閃光が迸ったのだ。

力矢(マジックミサイル)』は寸分の狂いなく盗賊の心臓を撃ち抜き、『稲妻(ライトニング)』が無慈悲に盗賊の体を焼き焦がす。

 そんなものを諸に受ければどうなるか。もはや聞くまでもなく、結果は即死だった。

 一人はパクパクと口を開閉させながら血を吐いて崩れ落ち、もう一人は白眼を剥いたまま倒れる。

 それぞれの魔術を放った女魔術師と令嬢剣士は深く息を吐き、そっと木の上に目を向けた。

 そこにいる頭目であるローグハンターは、二人に向けて一度頷く。

 同時に木から降りると、周囲を警戒しながら盗賊二人の元へ。

 目を見開いたまま死に絶えた二人の目をそっと閉じさせると、瞑目しながら言う。

 

「安らかに眠れ。汝らが罪は罰されり」

 

 それだけ告げると、ローグハンターは無遠慮に心臓を撃ち抜かれた盗賊の懐や雑嚢を探り始めた。

 あれでもないこれでもないと、何かを探しているのかその手は休みなく動き続けている。

 令嬢剣士は彼の隣にしゃがみ込むと、その目を凝らしながら問いかける。

 

「先生、見つかりましたか?」

 

「ないな。そっちか」

 

 彼はそう言うと、隣に寝かせてあるもう一人を探り始める。

 金貨やら投げナイフやら、日常でもよく見るものが多いなか、ようやくそれを見つけた。

 

「……これか?」

 

 彼はそれを引っ張り出し、正解かを確かめると女魔術師に渡す。

 それは少し凝った作りの鍵の束だった。いくつかの鍵が下がっており、何やら記号が割り当てられている。

 ローグハンターは息を吐きながら立ち上がると、二人に目配せして来た道を戻る。

 いつも通り盗賊団の野営地を奇襲して頭数を減らし、向かってくる者がいれば殲滅し、逃げた者がいれば追跡して殲滅する。

 今回の流れもいつも通りだ。ある一点を除いては、という話だが。

 野営地に戻ってきた三人を迎え入れたのは、銀髪武闘家だ。

 彼女は背後にある檻を守るように周囲を警戒している。

 そして彼らが戻ってくると、僅かにその表情を和らげた。

 

「遅いよ!まったく、一人っきりになるのも久しぶりだったかな!」

 

 勢いよく彼らに指を突きつけながら言うと、ローグハンターは肩をすくめて苦笑する。

 

「下手にここで戦う訳にもいかなかったからな。そいつは無事か」

 

 彼は銀髪武闘家の背後に目を向けながら問う。

 彼女は「気絶してるけどね~」と気の抜けた声で返し、檻の中に目を向ける。

 その中に入れられているのは一人の少女だ。

 良く手入れされているその黒い髪は、流れるように滑らかであり、僅かに汚れた衣服も上品なもの。

 ローグハンターはため息を吐き、女魔術師に解錠を任せて周囲を警戒。

 令嬢剣士は僅かに震える手を押さえ、大きく深呼吸をしていた。

 

「大丈夫か」

 

「……まだ慣れませんわ」

 

 令嬢剣士がローグハンターの一党に加わって、まだ半年足らずだ。

 彼女はいまだにならず者(ローグ)退治に慣れきれていない。

 

「……まあ、慣れても駄目だが」

 

「何かおっしゃいましたか?」

 

 ローグハンターの呟きは、令嬢剣士の耳には届かなかった。

 彼はそれを好都合と判断し、野営地のテントの中に潜りこむ。

 盗賊団の戦利品だろうか、長持が鎮座している。

 重厚な南京錠がついているが、鍵は既に見つけたのだ。開けること自体は問題ないだろう。

 ローグハンターはテントから出ると、ちょうど女性三人が虜囚となっていた少女を介抱していた。

 彼は再びため息を吐き、今回の依頼を脳内で確かめる。

 旅行中の娘が拐われた。

 拐った盗賊どもを討伐し、娘を助けてくれ。

 要するに、今回は単なる討伐ではなく『救出依頼』だったのだ。

 まあ、その依頼も既に折り返しだ。後は依頼の娘を連れて水の街の馬車停留所に向かうだけ。

 街までは、歩いて一日程だろうか。嫌でも野営を挟むから、明日の夜までにはつく筈。

 それは通常の話だ。今回は護衛対象がいる。進みも緩やかになるだろう。

 つまり街までは二日か三日程と見積もって、帰りにさらに三日。

 

「……長旅になりそうだな」

 

「鍵です。どうぞ」

 

 女魔術師が鍵束を差し出し、ローグハンターは「助かる」と返して受け取ると、再びテントの中へ。

 手慣れた様子で南京錠を外すと、何を思ったのか立ち上がる。

 そして右足をあげ、長持の端に全体重を載せたストンプを叩き込んだ。

 長持は悲鳴をあげて蓋が割れ、緩んだことを確認して強引に抉じ開ける。

 彼はふむと唸り、中身を確認する。

 盗まれた宝石類から貴金属類。

 ローグハンターはそれらに目もくれず、埃まみれのある物に目を向けた。

 彼はそれを手に取り、じっと見つめる。

 彼としては見慣れているが、この世界では割りと貴重な物だろう。

 二挺の古ぼけたフリントロックピストルは、見た目相応に年期が入っているのか汚れと傷が目立つが、磨いて整備すれば問題ないだろう。

 それぞれのピストルに弾が入っていないことを確認し、ついでに火打ち石が僅かに欠けていることに気づいて思わずため息を吐く。

 ならず者(ローグ)同士の仲間割れか、縄張り争いか何かの戦利品だろう。

 

 ━━裏社会では、ピストルと弾丸は高値で取引されていると聞いたことがある。

 

 そんなものを二挺持ち、弾丸を投げナイフのような感覚で使うローグハンターは、そういう意味でも忌み嫌われているのだ。

 盗賊団もその二挺を売ろうとしたのか、あるいは使おうとしたのか、厳重に保管していたようだ。

 ……状態は最悪と言っても過言ではないが。

 

「準備出来たよー」

 

 彼が色々と思慮していると、外から銀髪武闘家の声が届いた。

 

「わかった。今いく」

 

 ピストルや諸々の貴金属を袋に入れて肩に担ぐ。

 これから辺境の街までは長旅だ。

 救出したご令嬢が、きっとうだうだ言ってくることだろう。

 

「……受けたは良いが、やはり面倒だな」

 

「ん?何か言った?」

 

「いや」

 

 彼の呟きに反応した銀髪武闘家の言葉を適当に受け流し、彼らは野営地を出発した。

 彼らが辺境の街にたどり着いたのは、それから一週間ほど経ってからだった。

 

 

 

 

 

 辺境の街、冒険者ギルド。

 新年を迎えた興奮も止んだ頃、職員たちは冒険者となるべく押し寄せる若者たちの相手なければならないのだ。

 様々な格好をした新人たちは、その胸に様々な夢を抱いてこの場にいることだろう。

 だからこそだろうか、その新人たちの視線はギルドの片隅に寄せられている。

 そこにいるのは薄汚れた革鎧と鉄兜を纏った異様な雰囲気を放つ男性冒険者━━ゴブリンスレイヤーと彼の一党たちだ。

 彼らは依頼━━もちろんゴブリン退治━━について話し合い、あれやこれやと策を練っている。

 今回の工夫は水薬(ポーション)の種類によって麻紐を巻くというものだ。

 そうすれば、咄嗟に雑嚢に手を突っ込むだけで何を掴んだのかがすぐにわかる。

 やること自体は地味なものだが、効果としては十分なものだろう。

 その作業を終えたゴブリンスレイヤーは、ふとギルドを見渡した。

 いつも隣の卓を陣取るローグハンターの一党を、ここしばらく見ていないのだ。

 彼らの事だから大丈夫だろうと見切りをつけると、その予想はすぐに的中した。

 ギルドの自由扉が豪快に開け放たれ、そこから銀髪武闘家が入ってきたのだ。

 

「受付さーん。たっだいま~」

 

 表情はこれ以上ないほど上機嫌そうで、キラキラと輝いている。

 その後ろに続いた女魔術師と令嬢剣士は、そんな彼女の様子に顔を見合わせて苦笑を漏らす。

 そして三人がギルドに入ってくれば、その後ろに続く人物も決まっている。

 ローグハンターはいつも通り最後にギルドに入ると、そっとフードを取り払う。

 年明けに切った髪はそれなりに伸びているが、まだ後ろで纏めるには短すぎる。

 という訳で、彼は髪をオールバックで纏めることにして、後ろで纏められる程度の長さになるまで待つことにした。

 額に出来た新しい傷痕は、小鬼暗殺者との決着前の雪崩に巻き込まれた時に出来たものだ。

 閑話休題(それはそうと)、新人たち━━特に少年たち━━はローグハンターに恨めしそうな視線を向けているのは、気のせいではないのだろう。

 何も知らない冒険者から見れば、彼は美人三人を侍らせているように見えるだろう。

 実際の所は女性陣のほうから声をかけたのだが、新人たちがそれを知る術はない。

 ローグハンターは一党の三人に座っているように指示を出し、受付に向かおうと足を止めた。

 どの受付にも長蛇の列が出来ているのだ。これでは報告どころではない。

 彼はため息混じりに肩を竦めると、報告を後にして一党と、友人であるゴブリンスレイヤーの元へ向かう。

 盗賊団の遺した物品を換金したお陰か、財布がいつも以上に重くなっている。

 何か食べれば、すぐになくなる量ではあるが……。

 ローグハンターは卓の上に襤褸(ぼろ)(ぬの)を広げ、その上に入手したフリントロックピストルを乗せる。

 それに食いついたのは鉱人道士だ。

 彼はその身を乗り出してローグハンターの手元に目を向けた。

 

「頭巾の。こりゃあ、どうしたんじゃ」

 

「盗賊団の宝箱に入っていた。諸々修理は必要だろうが、使えるだろう」

 

 彼はそう言うと布で丁寧に汚れを拭い、受付が空くまでの時間を潰し始める。

 修理道具は宿にあるため、この場では簡単な整備しか出来ない。

 薄汚れたピストルがピカピカになるまで丁寧に磨き、詰まりがないかを確かめ、銃身に歪みがないかを確かめる。

 長さはローグハンターの持つものより小振りだが、その分軽い。

 咄嗟の事態による扱いに関しては、こちらのほうが上かもしれない。

 もっと言うと、近距離ならさらに役立つ筈だ。

 つまり誰に持たせるかが問題になるのだが、不器用な銀髪武闘家には無理だろう。

 女魔術師がいざというときに使うのも有りだが、そんな状況になったら間違いなく終わりだろう。

 ならば令嬢剣士かという話になるが……。

 四人の一党になってから、考えることとやるべきことがだいぶ増えた。

 あの砦で見つけたアサシンブレードも、誰に使わせるのかが未定だ。

 まず実戦でも使いこなせるように育てなければならない。そこは先生の真似事でどうにか出来るだろう。

 まあ、それを考えるのは後だ。

 受付が空いたタイミングを見計らい、彼はいつもの受付嬢の元へ。

 

「あ、ローグハンターさん!お帰りなさい!」

 

「ああ、いつも通りだ。報告を良いか」

 

「はい!」

 

 受付嬢は自然な笑みを浮かべ、彼は差し出された報告書に手慣れた様子で筆を進めていく。

 そんな彼の手元を見ながら、受付嬢は思い出したかのように言う。

 

「そう言えば、もうすぐ訓練場が出来るのはご存知でしたか?」

 

「……訓練場。そう言えば、そんな話をいつかに聞いた気がしたが」

 

 彼は顎に手をやって数瞬考え込むと、何やら思い付いたのか不敵に笑んだ。

 

 ━━ちょうど良い。使わせて貰おう。

 

 脳内でそんな事を思慮しているとはつゆ知らず、受付嬢は笑顔で続ける。

 

「何でも、貴族の皆さんから少額ずつ寄付をしてくださったそうなんです。不思議なこともあるものですね」

 

「……そうだな」

 

 再び筆を走らせながら、彼は淡々とそう返した。

 その寄付してくれた貴族というのが、彼が助けて回った令嬢たちの親たちであるなど、考えてもいないのだろう。

 報告書を仕上げた彼は、「ではな」と呟いてその場を後にする。

 訓練場。なるほど、それは好都合だ。

 彼は様々な算段を纏めながら、いつもの席に腰を降ろす。

 銀髪武闘家はそんな彼の様子に何やら悪寒を感じながら、空腹の腹に肉を入れていく。

 女魔術師もサラダを食べ、令嬢剣士はサンドイッチを頬張っている。

 卓の上には彼の分と思われるリンゴが一つ。

 中々にシュールな光景だが、彼らにとってはこれが平常運行だ。

 彼はリンゴを掴み上げると、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「そっちはこれからか」

 

「ああ。手伝いはいらん」

 

 ゴブリンスレイヤーの単刀直入の言葉に、ローグハンターは慣れた様子で苦笑する。

 

「そうか。なら、お言葉に甘えて休ませてもらうさ」

 

「ああ。ではな」

 

「気を付けろよ」

 

「そちらもな」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、一党を伴ってギルドを後にする。

 取り残されたローグハンターと彼の一党は、今回の依頼の分配と食事で騒ぎ始める。

 その姿は、どこにでもいる冒険者の一党と変わらない。

 昨年よりも騒がしくなった一党の中心にいるのは、噂に名高いローグハンターだ。

 去年だけでやれることも増えたが、やることも増えた。

 彼が久しく忘れていた『頭目としての苦悩』に再び悩まされるのは、もはや言うまでもないことだろう。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory02 新米たち(ノービス)

 眠る狐亭の一室。

 ローグハンターは作業台に向き合い、黙々と手を動かす。

 既に陽は沈み、さらに二つの月さえも沈みかけているような時間だというのに、彼はただひらすらに手を動かしていく。

 手に入れたフリントロックピストルを修理し、一日でも早く使える物にしなければならない。

 と言っても、武器の修理など彼の管轄外も良いところだ。

 手慣れているピストルだからこそ、こうして作業を出来ていると言っても過言ではない。

 彼は弄っていたピストルを台に置き、疲労を吐き出すように息を吐いた。

 とりあえず目についた不備は直した。これで何か問題が起きれば、銃そのものの問題だろう。

 その判断には、そうであって貰いたいという彼の私情も込みだ。

 彼は座席の背もたれに身を預けると、再び息を吐く。

 件の訓練場が出来れば、試せる機会が増えることだろう。

 いきなり実戦で使おうと思うほど、修理に関する自分の腕には自信がない。

 天井を眺めながらボケッとすること数秒。

 いい加減寝ようと決め、ふと窓の外に目を向ける。

 そこから見える山の輪郭が、僅かに白くなっている。つまり、夜明けまであと僅かだ。

 思いの外作業に没頭していたことに気づいて苦笑すると、音を出さないようにベッドに転がり込む。

 今からでも二、三時間程度の仮眠はとれるだろう。

 眠れるうちに眠ること。

 それもある意味、体が資本たる冒険者の基本だろう。

 

 

 

 

 

 翌日の昼頃。冒険者ギルド。

 その一角には、並んで項垂れている女神官と女魔術師がいた。

 二人は一様に残念そうな顔をしており、女神官に限って言えば、今にも泣き出しそうな程だ。

 珍しく寝過ごしているローグハンターはその場にはいないが、銀髪武闘家をはじめとした一党の仲間たちは、残念と言ったような表情を浮かべていた。

 ゴブリンスレイヤーだけは兜に隠れて見えないが、たぶんそんな顔をしていることだろう。

 暗い雰囲気を放つ彼らに圧されてか、その周囲だけに妙な静けさが漂っている。

 今になって現れたローグハンターは、ギルドに入って早々にその事に気づき、僅かに眼を細めながら彼らの元へ。

 

「……何かあったのか」

 

「あ、遅かったね。おはよ」

 

 珍しく彼よりも早く起きていた銀髪武闘家は、何故かどや顔しながら朝の挨拶をした。

 ローグハンターは別に気にすることなく「おはよう」と返すと、女魔術師と女神官に目を向ける。

 

「で、何があった」

 

「昇級出来ませんでした……」

 

 女魔術師が消え入りそうな声で答え、ローグハンターは「ああ……」と息を吐く。

 毎日のように仕事をしているから、報酬金額や貢献度など、それらを纏めた「経験点」に関しては問題ない筈だ。

 オーガを倒して昇級してからというもの、水の街の地下を駆け回り、小鬼聖騎士率いる群れとの戦いを越え、それなりの金額と貢献度を稼いでいる。

 ならば、何が問題なのかという話になるが……。

 

「一党に銀等級が多すぎるか?」

 

「おそらく、上の方々はそう判断したものと」

 

 彼に応えたのは蜥蜴僧侶だ。

 今回昇級の話がきた二人は、言ってしまえば銀等級六人と一緒に冒険していることが多いのだ。

 報告書には事細かく記載したが、実際は銀等級六人におんぶに抱っこだと判断された可能性がある。

 この場にいる銀等級の面々がそう思っているかと訊かれれば、答えは間違いなく否だ。

 二人には二人の役目があり、しっかりとそれを果たしてくれている。

 だが、審査役の職員にはそれが伝わっていない。それを証明出来なければ、二人は昇級出来ないのだろう。

 諸々と思慮を深めるローグハンターを他所に、妖精弓手が名案を思い付いたかのように言う。

 

「ならさ、白磁と黒曜の子達と冒険させれば良いんじゃないの?」

 

「やっぱりそうなるよね。私たちの時は楽だったのに……」

 

 銀髪武闘家が染々と言うと、ローグハンターは肩を竦める。

 二人はほとんど二人きりで仕事をやってきた。

 昇級のタイミングもほとんど同じで、一段ずつゆっくりと登っていったのだ。

 ローグハンターはまだ若かった頃━━今でも十分若いが━━を思い出し、思わず苦笑。

 思ってみれば、昔から銀髪武闘家には精神的な意味で支えられている。

 支えているつもりが、いつの間にそうなったことやら。

 寝惚けているためか話に入ってこないローグハンターを無視する形で、他の面々が話を進める。

 

「わしら以外の、出来りゃ白磁、黒曜の新人ども」

 

「この時期は新参者が多いですからな。探せばすぐに見つかるでしょうや」

 

「でもさ、知らない人にこの()たち預けて大丈夫なの?」

 

「それなのよね。出来れば顔見知りが良いんだけど……」

 

「わたくしではいけませんの?」

 

「あなたは確定だとしても、女の子三人で冒険に行かせる訳ないでしょ?」

 

 問題の二人と、それぞれの一党の頭目を置き去りにした作戦会議は、あれやこれやと続いていく。

 話に入り込めなかったゴブリンスレイヤーが、何かを思い付いたのか女神官に眼を向けて言う。

 

「おまえの最初の一党ならどうだ」

 

 突然放たれた意見に会議を続けていた五人は黙り込み、その横にいたローグハンターは合点がいったように頷きながら言う。

 

「あの剣士と武闘家か。確かあの二人は白磁の二人と一党を組んでいた筈だ」

 

「内約は」

 

「その二人を含めて前衛三。後衛一の計四人。後衛は至高神の神官だったか……」

 

 ━━全員只人、男女二人ずつだったことには間違いない。

 

 いつかに祭りで出会った彼らの事を必死に捻りだし、彼はそう告げた。

 少々前衛が過多のように思えるが、今更なことだろう。

 ゴブリンスレイヤーは小さく唸ると、女神官と女魔術師のほうに兜を向ける。

 おそらく、二人の意志を確認しておきたいのだろう。

 二人は顔を見合わせると僅かに考え、女神官が「よろしくお願いします」と返す。

 方向が決まればあとは交渉だ。件の四人は見当たらないが、おそらく下水道に潜っているのだろう。

 

「まあ、話は戻ってきてからにでも━━」

 

 ローグハンターがギルドの入口に目を向けると、ちょうど良く件の四人が戻ってきたところだった。

 予想通り下水道に潜っていたのだろう。最低限の臭いは落としてきたとは思うが、まだ何となく臭う。

 ローグハンターはゴブリンスレイヤーと後ろの二人に目配せすると、四人の報告が終わるタイミングを待つ。

 いつかに会った時から少しは成長したのか、表情には仕事終わりだと言うのに僅かな余裕を感じる。

 余裕はいい。慢心は駄目だ、したら死ぬ。

 四人が何やら談笑して酒場の空席を探し始めた頃を見計らい、彼らの元に。

 

「仕事終わりで申し訳ないが、少し話しを良いか」

 

 いきなり声をかけられた四人は思わず身構えが、相手が彼とわかった途端に新米剣士と新米武闘家の二人は思わずホッと息を吐く。

 新米武闘家は彼のほうに向き直り、ニコッと笑いながら問いかける。

 

「ローグハンターさんから声をかけてくるなんて、珍しいですね」

 

「ああ。少し頼みたいことがあってな」

 

 彼は単刀直入に話を切り出し、ギルド端の女神官と女魔術師に目を向ける。

 意図を察せぬ新米四人組は、一様に顔を見合わせて首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

「つまり、私たちはそっちの二人と冒険に行けば良いんですか?」

 

 一通りの話を聞き終えた見習聖女の確認に、いつの間にか交渉役となっていたローグハンターは頷いた。

 

「報酬ならいくらか用意する。どうだ」

 

 その言葉の通り報酬として出せるものがあるが、流石の彼でも限度はある。

 新米四人の戒律が『善』寄りであることが前提となる交渉だ。

 尤も、法を司る至高神の神官が一党にいるのだから、『中立』ならともかく『悪』なんてことはないだろう。

 新人特有の金への執着はあるだろうが。

 四人は顔を見合わせて話し合い、あれやこれやと言っている。

 そのほとんどが報酬についての話であるから、おそらく受けてくれるのだろう。

 彼らの話し合いが終わるのを待つこと数分。

 ようやく話が終わったのか、新米剣士がローグハンターに言う。

 流石に喋り慣れていないからなのか、無駄に力が入っているように見える。

 

「と、とりあえず、受けてみようと思います!」

 

「それは助かる。で、報酬には何を出せばいい」

 

 冒険者にとって、それこそが大事だろう。

 いつかの牧場防衛戦の時にも言ったように、冒険者がタダ働きするなんてことはあり得ない。

 家族の命が懸かっていれば話は変わるかもしれないが、今回は単に顔馴染みの冒険者からの頼みだ。それ相応の報酬を貰わなければ、割りに合わない。

 新米たちもそれは重々承知で、ローグハンターは何を吹っ掛けてくるかを思慮しておく。

 まあ、「食事を奢ってくれ」「冒険に付き合ってくれ」程度のものだろう。

 新米戦士は大きく深呼吸すると、半ばやけくそで彼に言う。

 

「俺たちに剣術を教えてくれ!」

 

「………」

 

 思いもしなかった報酬の要求に、ローグハンターは表情には出さなかったが困惑気味となる。

 剣術を教えてくれと言われても、彼の剣術はそもそも我流だ。大まかな流れは喧嘩殺法と言っても差し支えない。

 困るローグハンターに追撃を放つ形で、新米武闘家が控え目に言う。

 

「……出来ればそちらの武闘家さんにもお願いしたいです」

 

「………」

 

 次々放たれる攻撃のダメージを悟られぬように気を付けながら、ローグハンターは思慮を深める。

 彼らはおそらく農村の出だ。剣術の基本すら知らない可能性がある。

 そこら辺を教えるのならどうにかなるだろう。そこから彼らなりの強さを引き出せるかはわからない。

 銀髪武闘家のほうは、流派は違えど何かしら通じるものがあるんだろう。正式な拳法はよくわからない。

 彼は今回の報酬で一番得のなさそうな見習い聖女に目を向け、目だけで「おまえは?」と問いかける。

 それが通じたからか、見習い聖女は困り顔でため息を吐く。

 

「……何か奢ってください」

 

 彼女だけ予想通りの返答だったのが、唯一の救いだろうか。

 どうしたものかとローグハンターが顎に手をやると、彼の隣にひょいと妖精弓手が腰掛けた。

 

「もう、剣を教えるくらい良いじゃない。もうすぐ訓練場も出来るんだからさ」

 

「それもそうだが……」

 

「なら決まりね!でもあの娘を連れ出す前に、一応どんなものか試させて貰わないと」

 

「……そういうのは交渉役を挟んで貰いたいんだがな」

 

 ローグハンターの苦言を無視して、妖精弓手は問いかける。

 

「それで、あんたはどっちの面倒見るの?」

 

「四人をどう分けてのどっちだ?」

 

「剣士と武闘家、戦士と神官よ」

 

「ようは四人が組む前の一党に分けるんだな」

 

「そうよ」

 

 ローグハンターはため息を漏らし、四人に目を向ける。

 どうにか話にはついてこられているようで、彼らは一様に緊張の面持ちだ。

 前衛二を取るか、前衛一と後衛一を取るか。

 面倒を見るということは、ゴブリンスレイヤーの一党も絡んでくるだろう。

 どちらもこなせる蜥蜴僧侶がいるとはいえ、あちらは専門的な前衛がゴブリンスレイヤーただ一人だ。

 ならば、答えというのはほとんど決まっているようなものではないか。

 彼は肩をすくめ、新米戦士と見習い聖女に目を向けた。

 

「そっちの二人だ。俺の一党に前衛は足りてる」

 

「それじゃあ、そっちの二人はこっち来て」

 

 勝手に話を進める二人に困惑する新米たちに、ローグハンターは笑みながら言う。

 

「振り回して申し訳ないが念のためだ。報酬は弾ませてもらう」

 

「むぅ。そう言われると断れませんねぇ……」

 

 一党の財産管理を担当しているのか、見習聖女は隠しきれていない嬉しそうな笑みを浮かべた。

 一番しっかりしていそうな彼女が一番ちょろいという事実に、ローグハンターは何とも言えない表情となる。

 

「そうだ。二人はあの娘と一党組んでたんでしょ?久しぶりなんだし、挨拶しておけば?」

 

「そ、そうですね。では、お先に……」

 

「失礼します!」

 

 妖精弓手に連れられて、新米剣士と新米武闘家がその場を後にする。

 取り残されたローグハンターと新米戦士、見習聖女の三人は、顔を見合わせて思わずため息を漏らす。

 

「何か簡単な依頼を見つけてくるか。もしかしたら用意されているかもしれないが……」

 

「えと、しばらくの間、よろしくお願いします」

 

「お願いします!」

 

 ローグハンターの言葉に、見習聖女と新米戦士がそれぞれ返す。

 今年になってからも、新たな出会いというのが減る機会はなさそうだった。

 

 

 

 




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Memory03 模擬演習(チュートリアル)

 ギルドでの話し合いを終えたローグハンターたちは、それぞれの一党に別れて依頼に繰り出した。

 ゴブリンスレイヤーの一党は新米剣士と新米武闘家を連れて訓練場予定地近くに出没したゴブリン退治に、ローグハンターの一党は新米戦士と見習聖女を連れてまた別のゴブリン退治だ。

 新米二人の緊張を女魔術師と令嬢剣士の二人がほぐす中、ローグハンターの先導で道を進む。

 今回の依頼はまさに定石通り(テンプレート)だ。

 ゴブリンが出た。作物、家畜が盗まれた。使いに出た娘が拐われた。村の若者ではどうにもならない、助けてくれ。

 話を聞いた限りでは相手は巣穴持ちだ、油断は出来ない。元よりゴブリン相手だからと油断するつもりもないが……。

 銀髪武闘家が周囲を警戒しつつ、新米二人に目を向ける。

 

「焦らず慎重に、私たちの指示通りに動いてね」

 

「「は、はい!」」

 

 彼女の言葉に新米二人が緊張しながらもやる気十分に答えると、ローグハンターは道を外れて森の中へと入っていく。

 五人も彼の後に続いて森の中へ。

 端から見ればいきなり森に入っているように思えるだろうが、ローグハンターの眼にはしっかりと見えているのだ。

 ゴブリンたちの残した大量の痕跡。残り香とも言えるものが。

 森を進みながら、ローグハンターは背中越しに新米二人に言う。

 

「ゴブリンは夜行性だ。俺たちとは昼夜が逆になっている」

 

「……つまり、私たちの真昼が、あっちにとっては真夜中ってことですか?」

 

 見習聖女の確認に、ローグハンターは「そうだ」と一度頷く。

 そして新米二人と令嬢剣士に言い聞かせるように言葉を続けた。

 この五年でゴブリンスレイヤーと共に考え、実践してきた結果で手に入れた情報だ。ゴブリンの生態に変化がなければ間違いはない。

 

「だが、真夜中は警戒が厳重だ。あいつらにとっての早朝や夕方、深夜に仕掛けるぞ」

 

「つまり、わたくしたちにとっての夕方か早朝に仕掛けるのですね」

 

 令嬢剣士の言葉に、ローグハンターは満足そうに頷いた。

 考えてみれば、こうして純粋な洞窟に挑むのは彼女も初めてだろう。

 つまり、慣れぬ三人を連れての洞窟攻略。

 言葉にすれば負担も大きそうだが、経験者もまた三人だ。一人一人が気を配れば、うまく負担も減らせることだろう。

 ある程度森の中を進み、陽が山の影に隠れ始めると、ローグハンターは後続に待ったをかけた。

 彼の視線の先には、岩影にぽっかりと開いた洞穴。人が潜る分には問題ないだろう。

 森の中に続いていた痕跡がそこに伸びているということは、目標のゴブリンの巣穴であることは間違いない。

 もうすぐ日が暮れるが、それは好都合だ。

 今はゴブリンたちにとって早朝。見張りも眠気に襲われていることだろう。

 彼らは近くの茂みから巣穴の様子を探り、ローグハンターは目を細める。

 見張りが一匹。武器は()()()()()()剣だ。

 連れ込まれたのは村娘だけでない。不運な旅人か同業者か、どちらにしてもやることが増えた。

 タカの眼で周囲に他の見張りがいないことを確認し、彼は一党の五人に目配せする。

 各々は自分の得物を握り直し、具合を確かめると頷いた。

 新米二人の額には緊張の汗が流れているが、むしろ良い傾向だ。

 銀等級が二人いるから、相手がゴブリンだからと余裕の表情をされて、突っ込んで行かれても困る。

 彼は深く息を吐くと、懐から取り出した投げナイフを投げ撃った。

 放たれた矢の如く空気を切り裂く投げナイフは、見張りのゴブリンの喉を貫いて声を殺す。

 次いで飛び出したローグハンターが突き刺さった投げナイフで首をかっ斬り、とどめを刺した。

 この間僅か五秒足らず。今まで積んできた経験と、それを実行しうる身体能力があってこそなせる技だろう。

 彼は茂みに潜む一党に目を向け、巣穴を警戒しながら手招きする。

 銀髪武闘家と女魔術師は慣れた様子で音もなく茂みを飛び出したが、令嬢剣士は僅かに音を出し、慣れぬ新米戦士、見習聖女は大きくもたつく。

 想定通り。令嬢剣士も鍛えているとはいえ、まだまだ荒削りなのだ。

 一党六人が揃ったところで、ローグハンターはゴブリンの死体と女性陣に目を向けた。

 銀髪武闘家は気にした様子もなく、意図を察した女魔術師が僅かに表情を青くした。

 そんな先輩の様子に異常を察した令嬢剣士が、ローグハンターに言う。

 

「先生、魔術師さんの様子がおかしいのですわ」

 

「私がおかしくなったみたいに言わないで……」

 

 覇気に欠ける女魔術師の反論に、令嬢剣士は不思議そうな表情で「それは申し訳ありませんわ」と返す。

 ローグハンターはそんな二人に構うことなく、どうせ捨てると開き直って投げナイフを握り直した。

 本来切ることを想定していないだろう投げナイフは、下手に振ればあっさりと折れることだろう。

 そんな投げナイフでやることは、いつもゴブリンスレイヤーがやっていることだ。

 彼は躊躇いなく刃をゴブリンの腹に突き立て、切り開く。

 頭目のいきなりの行動に令嬢剣士と新米二人が声にならない悲鳴をあげるなか、彼はゴブリンの臓物をかき混ぜ始めた。

 

「意外に思うかもしれないが、ゴブリンは嗅覚が鋭い。特に新品の金物なんかを身に付けているとすぐに気づくほどだ」

 

 襤褸布で取り出した臓物を包み、血を染み込ませる。

 彼はそれを持ったまま、無表情で女性陣に目を向けた。

 幽鬼のように彼女らのほうに歩み寄っていくが、銀髪武闘家は慣れた様子で、背中を向けて逃げようとした見習聖女を羽交い締めにした。

 訳も分からぬまま捕まった見習聖女は、足をばたつかせながらローグハンターに言う。

 

「そ、その話とこれは何の関係が━━」

 

「奴らは臭いに敏感だ。特に女、子供、森人の臭いにはな」

 

 いつかにゴブリンスレイヤーが言っていた言葉を借りて説明し、安心させるためなのか、一周回って清々しい笑みを浮かべた。

 

「今からおまえらに血を塗りたくる。慣れろ」

 

 表情とは裏腹に感情の欠落した声を出し、見習聖女と銀髪武闘家に近づいていく。

 令嬢剣士は既に女魔術師に捕まっており、見習戦士に関しては諦めている。

 銀等級の冒険者に挑んだところで、即沈められるに決まっている。

 自分の実力と相手の実力がわかるというのは、とても大切なことだ。

 と言っても、男のローグハンターにやられるのでは余計に抵抗があるのだろう。

 銀髪武闘家に頼んで塗ってもらい、声に出さずに絶叫する見習聖女を横目に、涙目の令嬢剣士に目を向けた。

 目は口ほどにものを言うとは良くいったもので、彼の目は「次はおまえだ」と告げている。

 無駄な抵抗はただ疲れるだけと知るのは、この直後だ。

 

 

 

 

 

 薄暗い洞窟の中は、妙にじめじめとしていて蒸し暑い。

 列の先頭を行くローグハンターは、ちらりと後列を確認した。

 自分を先頭に新米戦士、令嬢剣士、女魔術師、見習聖女、銀髪武闘家の順に続く。

 出来ることなら銀髪武闘家にも前に出て欲しかったが、万が一背後からの奇襲を受けたら総崩れとなる。そんなリスクは負いたくない。

 小さくため息を吐き、目に覇気のない見習聖女と令嬢剣士に気をかける。

 いきなり血を被ったのだから、二人のテンションはいつになく低いものとなっている。

 ゴブリンがそれを知ったら、ここぞとばかりに攻めこんでくることだろう。

 それをさせるほどローグハンターも甘くはない。

 洞窟の暗闇の先に揺れる赤い影を見つけた彼は懐から投げナイフを取り出し、一息吐いてそれを投げ撃った。

 暗闇の奥から断末魔が響き、続いていくつかの足音が迫ってくる。

 タカの眼に映る影から敵の数と種類を特定し、後続に告げる。

 

「数は五。ホブなし、呪文使い(シャーマン)なし。やれるか」

 

 松明片手に表情を強張らせていた新米戦士に声をかけ、その肩を叩く。

 

「やることは鼠と変わらない。死なないように気を付けながら、相手を殺せ」

 

「は、はい……!」

 

 新米戦士は返事を返すと深呼吸して、命を預ける自分の得物を構えた。

 ローグハンターはバスタードソードと短剣を引き抜き、重心を落として構える。

 

「魔術と奇跡は温存。後ろは任せたぞ」

 

「まっかせといて!」

 

 打てば響くような返事。

 後ろに一瞥もくれずにやり取りを終える辺り、彼女への信頼が垣間見てる。

 前衛二人とゴブリンが激突した。

 

「GRB!?」

 

「GO━━━!」

 

 長短一対の刃を飛びかかってきた勢いを利用して突き立て、そのまま引き倒す。

 

「二つ」

 

 彼の脇をすり抜けたゴブリン三匹は殺された無様な仲間を嘲笑い、視線の先にいる女たちに目を向けた。

 いるのは弱そうな男が一人。余裕だろう。

 背後にいる死神は脅威ではないと勝手に決めつけ、襲ってきても問題ないと判断する。

 ゴブリンたちにある謎の自信は、文字通りの慢心でしかない。

 だが、新人相手にはその自信は効果的なものだ。

 

「こんの!」

 

 新米戦士が大上段から剣を振り下ろすが、ゴブリンはそれを避ける。

 最弱といっても相手は魔物。見え見えの攻撃を避ける程度のことは出来る。

 だが、そこから続く連撃を避けきれるかは、個体の能力によるものだ。

 型もなにもないただ力任せの連撃は、ついにゴブリンの胴体を捉え、腹を捌いた。

 聞くに耐えない断末魔と共に腹から臓物をこぼしたゴブリンは崩れ落ち、その先に進んだ二匹のゴブリンは。

 

「遅いですわ!」

 

「GOB━━!?」

 

「RBR!」

 

 軽銀の一閃のもとに屠られた。

 巣穴に潜り込んで最初の遭遇戦は、あっさりと終わった。

 新米剣士は肉を絶った感覚の残る手を見つめ、僅かに震えていることに気づく。

 彼にとって、人型の敵を斬ったのはこれが初めてだった。

 只人(にんげん)でないことはわかっている。相手は滅ぼすべき敵であることもわかっている。

 冒険者になった時に覚悟は決めていた。何を今さら考えているのだ。

 

「……大丈夫?」

 

 見習聖女が彼の顔をそっと覗きこみ、水袋を差し出した。

 彼は礼を言うとそれを受け取り一あおり。火照った体に冷たい水が心地よい。

 ちらりとローグハンターに目を向けると、念のためなのかゴブリンの死体をそれぞれ一突きしていた。

 死んだふりからの奇襲を警戒しているのだろう。

 

「巣穴がどの程度の規模かはわからないが、流石に三十も押し込める広さではないか」

 

「いるとしても二十前後ですかね。最悪三十居ると仮定しておけば……」

 

 女魔術師が杖の石突きに仕込んだ刃でゴブリンの死体を一突きしながら言うと、ローグハンターが頷く。

 

「何匹居たとしても、やることは変わらん」

 

 彼の確認に銀髪武闘家に頷いて後方警戒。

 異常がないようなら前方に目を向け、籠手の具合を確かめる。

 

「進もう。まだ奥にいるだろうから」

 

 彼女の言葉に頷くと、隊列を組み直して洞窟の奥へ。

 気を抜くと呑み込まれてしまうと錯覚するほどの闇の中に、彼らは進んで行くのだ。

 

 

 

 

 

 洞窟の深奥部。

 そこはゴブリンたちの根城となっており、虜囚となった女性たちの姿も見受けられる。

 

「通常が十。ホブが一、呪文使い(シャーマン)なし。頭目はホブか」

 

 洞窟の奥に座り込み、ゴブリンたちを顎で使っているホブを頭目と仮定して、作戦を組み立てる。

 ホブは魔術か奇跡で倒し、他の十はいつも通り死ぬまで殴って殺す。

 見習聖女に目を向け、小声で言う。

 

「あのデカイのはおまえが殺れ。一度限りの奇跡だ、外すなよ。合図は出す」

 

 彼女はそっと頷くと、天秤剣を両手で握る。

 次に銀髪武闘家に目を向けて、いつもとは違う指示を出す。

 

「おまえは後衛を守れ。俺と戦士、剣士の三人で切り込む。二人は固まって背中合わせだ、絶対に死ぬなよ」

 

「うん」

 

「はい」

 

「わかりましたわ」

 

 最後に指示を渡すのは女魔術師だ。

 

「おまえは状況を見て援護だ。頼めるか」

 

「任せてください」

 

 一党内に指示を出し終えると、ローグハンターは松明を受け取りそれを振りかぶり、空間の中央に向けて投げ放つ。

 弧を描いて飛ぶそれは狙い通りに空間の中央に落ち、そこに集っていたゴブリンたちを狼狽えさせる。

 

「行くぞ!」

 

 ローグハンターは真っ先に飛び出し、剣士二人がその後ろに続く。

 

「一つ……!」

 

 ローグハンターはすれ違い様にバスタードソードを一閃し、ゴブリンの首を刈る。

 

「二つ、三つ!」

 

 飛びかかってきたゴブリンに短剣を突き立てて頸椎を砕き、バスタードソードの刃を返してさらにもう一匹。

 視界の端で新米戦士と令嬢剣士の二人が奮闘していることを確認し、動き始めたホブに目を向けた。

 頭目が動いたからか、ゴブリンたちは下卑た笑みを浮かべて舌舐めずり。

 どうせ負けないだろう程度のことを思っているのだろう。

 

「任せたぞ!」

 

「はい!」

 

 彼らの余裕は、たった一人の少女の手によって粉砕されることとなる。

 見習聖女は天秤剣を両手で握り、法を司る至高神への祈りを捧げる。

 

「《裁きの(つかさ)、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し(さぶら)え》!!」

 

 次の瞬間、神鳴る『聖撃(ホーリースマイト)』が剣となって迸り、ホブゴブリンの胸を貫いた。

 肉の焦げる臭いが鼻につくが、まだゴブリンを殲滅しきれていない。

 

「あぁ、くそ!」

 

 血脂によってもはや鈍器となった剣を振り回していた新米戦士に、ローグハンターは足元の棍棒を拾い上げて「使え」と投げ渡す。

 何とか受け取った新米戦士は、渾身の殴打(バッシュ)でゴブリンの頭蓋を一撃で砕いた。

 彼の口から僅かに感嘆の息が漏れたのは、きっと聞き間違いではない。

 

「GRBGOBR!!!」

 

 とあるゴブリンが見習聖女を指差して、前衛三人を無視して彼女に向かっていく。

 想定通り。彼女を守る盾と矛の用意はしてある。

 銀髪武闘家が飛び出し、半月の軌跡を残す蹴りを放つ。

 蹴りの一撃は素人の剣の一撃よりも遥かに強力で、ゴブリンたちの体を寸断した。

 

「あれで八。残り二つ」

 

 ローグハンターが淡々と告げると、その二匹のゴブリンは一目散にある場所を目指す。

 それを察した彼は、投げナイフを取り出しながら女魔術師に向けて叫ぶ。

 

「行かせるな!」

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」

 

 返事の代わりに紡がれたのは、真に力ある言葉だ。

 放たれた『力矢(マジックミサイル)』は一匹のゴブリンの頭を吹き飛ばし、残りの一匹はローグハンターの放った投げナイフが膝裏に突き刺さって転倒する。

 そのゴブリンが目指していたのは虜囚の女性たちのもとだ。肉の盾にでもするつもりだったのだろう。

 その手さえも潰されたゴブリンは、体を転がして近づいてくるローグハンターに目を向けた。

 彼の瞳に宿る殺気はどこまでも純粋で、命乞いは通じないことをゴブリンに教えてくれる。

 そしてそれが本当か試す前に、そのゴブリンは死に絶えた。

 振り下ろされたバスタードソードによって、その醜い頭を叩き斬られたのだ。

 

「ホブ含めて合計十六。これで全てか……」

 

 タカの眼で索敵し、子供がいないことを確かめる。

 いたらいたで殺すだけなのだが、今回はいないようだった。

 彼は小さくため息を吐くと、緊張した面持ちの新米二人に目を向けた。

 

「その女性たちを村に届けたら依頼完了だ。油断するなよ」

 

 彼の言葉はどこまでも淡々としていて、指示も簡単なものだった。

 こうして、新米二人の初めてのゴブリン退治は一党に死者を出すことなく終了したのだ。

 この結果を元に、女魔術師が女神官と合流して色々と考えることだろう。

 今回はあくまで試金石。本番はこれからなのだから。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory04 訓練開始

 新米たちとの冒険から一週間程。

 初夏の暑さを感じ始めた頃、建設の進む訓練場の脇に用意された模擬戦用の円陣が真っ先に完成し、既に訓練が始まっていた。

 金属と金属のぶつかる音が響き、続いて稽古をつけられている誰かの声や、その誰かを応援する声援が草原に響く。

 普段静かなその場所も、いつの間にか活気に満ち始めている。

 その一角で行われているとある模擬戦は、既にその模擬戦という領域から外れようとしていた。

 

「盾を下げるな!頭割られたいのか!」

 

「はいぃ!」

 

「流しが早い!もっと引き付けてからだ!」

 

「は、はいっ!」

 

「短剣は飾りか!?もっと意識しろ!」

 

「わ、わかりましたわ!」

 

「そもそも返事をする余裕があるなら手と頭を動かせ!」

 

 ローグハンター指導の元、新米戦士、新米剣士、令嬢剣士が鍛えられているのだ。

 端から見れば新米三人が銀等級に苛められているようにも見えるが、彼が本気で戦えば、三人は間違いなく瞬殺されている。

 こうして持ちこたえられているのは、ローグハンターが加減をしているからこそなのだ。

 

「防ぎ方が甘い!」

 

 模擬戦用に刃の潰された剣でも、当たれば痛いし当たりどころによっては死ぬだろう。

 諸々を考慮して放たれた横凪ぎの一閃は、新米戦士の盾を腕ごと弾き、無防備な腹に柄頭が叩きつけられる。

 息を詰まらせた新米戦士が膝から崩れ落ちるのとほぼ同時、新米剣士が背後から斬りかかる。

 

「こんの!」

 

「不意打ちに声を出す馬鹿がいるか!」

 

 背に回された短剣で弾か(パリィさ)れ、反転の勢いのまま放たれた拳で顎を打ち抜かれる。

 一撃で脳が揺らされた新米剣士はそのままダウン。立ち上がろうにも力が入らないのか、膝が笑ってしまっている。

 残された令嬢剣士は荒れた息を整えつつ、師と同じ長短一対の剣を握り直す。

 勝つことは無理でもせめて一太刀。

 何がなんでも一矢報いなければ、倒れた二人と一党に加えてくれた目の前の師に申し訳ない。

 彼女は長く息を吐くと、真正面から挑みかかった。

 突き、突き、払う。

 教本通りのその動きは、本来の得物である軽銀の突剣ならば相手を死に至らしめるには十分なものだ。

 だが今回の得物は模擬戦用の突剣で、相手は対人においてのプロであるローグハンターだ。

 そんな教本通りの動きではあっさりと見切られ、いなされるのが関の山。問題はそこからどう切り込むかだ。

 流れるように淀みなく、連続で放たれる連撃を捌きつつ、ローグハンターは令嬢剣士に言う。

 

「動きに無駄は減ってきた。だが、まだまだだ!」

 

 突剣を突いた瞬間、ローグハンターが模擬戦用の剣を縦に一閃すると、その勢いのまま突剣が弾き飛ばされる。

 それでも残された短剣で挑むが、ローグハンターはわざと武器を手放して両手を空けると、短剣を握る令嬢剣士の左手の手首を掴み、捻って関節を決めると、そのまま叩きつけるように引き倒す。

 倒されたままじたばた暴れる令嬢剣士の後頭部に奪った短剣を突き付け、そっと小突く。

 

「実戦ならこれで終わりだぞ」

 

「うぅ……」

 

 決着を意味する言葉をかけられ、令嬢剣士は地面に突っ伏す。

 ローグハンターは彼女の上から退くと、令嬢剣士に手を差し出した。

 彼女がその手を借りて立ち上がると同時に、ローグハンターは言う。

 

「おまえは頭が堅いな。ある程度決まった型があるのは良いが、それに拘りすぎた」

 

「はい……」

 

 彼女を立ち上がらせると、いまだに倒れる新米二人に目を向ける。

 

「いつまで寝てる。仲間が時間を稼いでも、そのまま後を追うことになるぞ」

 

 倒れる二人はどうにか手を挙げることで答え、ローグハンターは肩をすくめた。

 誰かに何かを教えるなど、一切経験のないこと。こちらも手探り、先生の見よう見まねだ。

 彼は顎に手をやり、円陣を使う他の冒険者に目を向ける。

 重戦士の一党が何人かの若手を相手にし、片隅では銀髪武闘家が新米武闘家と組み手を行い、豪快にぶん投げていた。

 反射的に受け身をとるあたり、新米武闘家は基礎がしっかりと出来ていると見える。

 女魔術師は魔女の手解きで魔術書を読みとき、時折前衛たちの訓練を観察している。

 他の場所では槍使いが槍を片手に若手を追い回し、ゴブリンスレイヤーが投石紐(スリング)の使い方を手解きしている。

 こうしてみると、意外と訓練場の需要があることに驚く。

 若手は何も知らないまま冒険に出て、そのまま死んでいくのだ。ここにいるだけでも、まだ脈ありだろう。

 ローグハンターはそう判断すると、円陣の柵にもたれる弟子三人に目を向けた。

 必要以上に痛め付けても、次に繋がらなくなってしまう。

 訓練といっても四六時中やるのではなく、十分な休息というのも必要だ。

 昔いた場所では四六時中働いていたのだから、その意味がよくわかる。

 尤も、あの状況ではそうでもしないと逃がしてしまうから仕方ないのだが、その話はいいだろう。

 ローグハンターはため息を吐き、三人に休憩を言い渡すと、近くに放置していた袋を担いで円陣の外に出る。

 ゴブリンスレイヤーが投石紐の説明を終えた頃を見計らい、彼らの使っていた射撃場と思われる場所へ。

 おそらく弓や投槍の練習を考慮して造られたその場所にはいくつかの的があり、それには工房が用意した武具━━もちろん廃棄物だ━━が被せられている。

 彼は先日手に入れたピストルを袋から取り出すと、手慣れた様子で装填し、狙いを定めて引き金を引く。

 新調した火打ち石が火花を散らし、火の秘薬(かやく)を炸裂させて鉄球(だんがん)を吐き出させる。

 放たれた鉄球は的を直撃し、錆の目立つ鎧を見事にへこませた。

 貫通はしていない。威力はローグハンター自前の物より低いのだろう。

 彼はピストルを肩に担いで顎を撫でると、もう一挺も取り出して同じように試し撃ち。

 結果は同じ。使うなら近距離でということか。

 自分のものと同等のものを求めていたわけではないが、さてどうしたものか。

 

「ふふ、調子いかがですか?」

 

 考え込む彼に声をかけたのは、日傘を持った受付嬢だ。

 いつも通りの笑顔には僅かな汗が滲んでいる。

 ローグハンターは「まあまあだな」と返し、腰に吊るした水袋を一あおり。

 ホッと息を吐き、口元に垂れた水を袖で拭って彼女に問う。

 

「視察にでも来たか。ゴブリンスレイヤーなら向こうにいるが」

 

「はい。さっき挨拶はしてきました」

 

 彼女の言葉を聞きながらピストルを装填し、再び発砲。

 吹き出した白い硝煙は、優しい風に吹かれて消えていく。

 受付嬢は何かを思い出してか、可笑しそうに小さく笑う。

 

「どうかしたのか」

 

「いえ、昔を思い出しただけです」

 

「……ああ、あの頃か」

 

 ローグハンターも思い出してか苦笑を漏らした。

 五年、先日新年を迎えたから既に六年前か。

 初めて試し撃ちした時は、新人だった頃の受付嬢を困らせたものだ。

 

「もう六年になるのか」

 

「はい。あっという間ですね」

 

 二人は染々とそう漏らし、いつの間にか過ぎ去った日々に思いを馳せる。

 帰ってこなかった者がいた。

 帰って来た者がいた。

 去っていった者がいた。

 留まり続ける者がいた。

 この六年は、ほとんど出会いと別れの繰り返しだ。

 彼が思い耽っていることを察してか、受付嬢は苦笑混じりに彼に問いかけた。

 

「白磁や黒曜の冒険者さんたちはどうですか?」

 

「俺が面倒を見ているのは白磁だけだが、どうだろうな」

 

 彼は肩をすくめ、僅かに見える円陣のほうに目を向ける。

 未来ある若者たちが、先人たちに挑んでは転ばされ、立ち上がっては転ばされるを繰り返している。

 

「……どんな奴でも死ぬときは死ぬ。ここにいるだけでもまだ良い」

 

「辛口ですね」

 

「適当に繕っても意味がないからな。こういうのははっきり言った方が良いだろう?」

 

「まあ、そうですかね……?」

 

 ローグハンターの言葉に、受付嬢は何とも言えない表情で頷いた。

「ですけど」と呟いて彼に言い返す。

 

「こういう時は、もう少し当たり障りのない答えを言うものですよ?」

 

「知っている。だが、その当たり障りのない答えがよくわからん」

 

「不器用ですね」

 

「あいつの気持ちに気づくのに、三年近くかかった男だぞ」

 

「そうでしたね」

 

 受付嬢はまた可笑しそうに笑い、ローグハンターもつられて笑う。

 銀髪武闘家が見ていれば、さぞや嫉妬したことだろう。

 だが今回見ていたのは、とても不運なことに槍を振り回して新人たちを追いかけ回していたあの男。

 彼は声にならない怒鳴り声をあげ、新人たちを追う足を速めた。

 そして、待ったがかかったのはその直後。

 

「皆さーん!お昼にしましょーう!」

 

「牧場からの差し入れだよー!」

 

 がらがらと荷車を押して現れたのは、女神官と牛飼い娘。

 正式に運営されていない訓練場には、もちろん昼食が出されるなんてことはない。

 牧場主の純粋な善意によるものだ。二人は彼を手伝って運搬の任を任されているのだろう。

 受付嬢は「手伝いに行きますね」と言うとパタパタと駆け出し、その場にはローグハンターだけが残される。

 彼は数瞬思慮し、再びピストルの試し撃ちをしようとした時だ。

 

「おう、ちょっと良いか」

 

「どうした、新人にからかわれたか」

 

 声をかけてきた槍使いに返しつつ、再び発砲。

 ここまでやって不調が出ないのなら、問題はないだろう。

 使い終えたピストルを袋に戻し、肩に担いだ時に槍使いが切り出した。

 

「おまえ、知ってるか?俺とおまえのどっちが強いかで賭けになってるってよ」

 

「おまえが上で良いだろう。俺では悪魔(デーモン)に勝てないからな」

 

「そういう意味じゃねぇ」

 

 槍使いはそう言うと、彼の首もとを掴んでずるずると引きずり始める。

 運んでくれるとは楽でいいなと思いつつ、ローグハンターは言う。

 

「で、何故俺は運ばれている」

 

「おう、まずは飯だ。話はそれからで良いだろうよ」

 

「むぅ……」

 

 何故か獰猛な笑みを浮かべる槍使いに困惑しつつ、ローグハンターは小さく唸る。

 とにかく腹に物を入れなければ。空腹ではやれることも出来なくなってしまう。

 

 

 

 

 

 各々の弁当や出された昼食を食べる新人たちを眺めつつ、ローグハンターは袋に積めていたリンゴをかじる。

 乾いた喉に、リンゴの酸味がちょうど良い。

 彼の前で昼食にがっつく弟子三人の様子に苦笑を漏らし、彼はそれぞれに言った。

 まず餌食になったのは新米戦士だ。

 

「おまえは盾の扱いが雑だな。俺も専門ではないが、もっと盾で殴るぐらいの勢いで良いと思うぞ」

 

「た、盾で殴るんですか?」

 

「ああ。ゴブリンスレイヤーはよくやっている」

 

「そうなんですか……」

 

「それと、受け止めるではなく受け流すだ。相手の武器が戦槌(せんつい)なら腕ごと潰されるぞ」

 

 彼の言葉に新米戦士はわかりやすく体を強張らせ、盾を括っている左腕に手をやった。

 そんな彼を横目に次は新米剣士だ。

 流石の彼も苦笑混じりに指摘する。

 

「おまえは真っ直ぐすぎだ。不意打ちするなら静かにしろ」

 

「は、はい……」

 

「あと、なぜ大上段から振り降ろす。あれほど対処しやすいものはないぞ」

 

「うっ」

 

「前に言った筈だ、剣を細かく振れと。あれは洞窟内に限った話じゃないぞ」

 

「ぐぅ……」

 

 新米剣士は小さく唸り、がくりと顔を降ろした。

 フォローするのは後にして、最後に令嬢剣士に目を向ける。

 弟子でありながら一党でもある彼女には、少々辛口になるのも仕方ないだろう。

 

「おまえはさっきも言ったが堅い。もっと柔軟に対処しろ。実戦で教本通りの状況になることは稀だ」

 

「はい」

 

「それと短剣を生かせ。何も防御用のものでもないんだから、武器としても使え」

 

「………」

 

 自分の短剣を見つめ、思慮を深める令嬢剣士の姿に僅かに感心しつつ、ローグハンターは主のいないアサシンブレードを袋から取り出した。

 三人は首を傾げ、代表して令嬢剣士が問いかける。

 

「先生、それはなんですの?」

 

「俺の故郷で使われていた武器だ。去年の砦で見つけたものをくすねてきた」

 

「それをどうするんですか」

 

 興味を引かれた新米戦士が問うと、ローグハンターは何かを思い付いたのか三人に告げた。

 

「……使ってみるか?」

 

「「「え……」」」

 

 いきなりの提案に困惑する中、ローグハンターは一人でぶつぶつと独り言を口にする。

 

「ああ、そうだな。仮にも弟子を名乗らせるのなら、使い方を学んでもらうのも良いだろう」

 

「あの、先生……?」

 

「そうと決まればやるか。何、使い方はしっかりと━━」

 

「ローグハンター!!!」

 

 善は急げと立ち上がった彼を呼び止めたのは、昼食を終えた槍使いだ。

 彼は円陣の中央に模擬戦用の槍を担いで仁王立ちしており、ローグハンターを睨んできている。

 睨まれている当の彼は首を傾げ、不満げに言う。

 

「なんだ、俺はこれからやることを思いついたんだが」

 

「言ったろ、話があるってよ!」

 

「言われたが、また明日にしてくれ」

 

「いいや、今だ。今しかねぇ!」

 

 捲し立てる槍使いに困惑しながら、ローグハンターは円陣の中に足を進める。

 仕切りの柵を乗り越え、頭を掻きながら槍使いに言う。

 

「それで、なんだ」

 

「俺と勝負しろ!」

 

 槍使いが宣言した瞬間、野次馬で集まっていた冒険者たちの中に衝撃が走る。

 つまりどちらが『辺境最強』かを決める勝負をしようと言うのだ。

 冒険者たちのざわめきは伝播していき、誰かの掛け声で賭けが始まった。

 ローグハンターはその様子を眺めて肩をすくめると、やる気十分な槍使いに言う。

 

「辺境最強はおまえで良いと言ったろ」

 

「いや、称号よりも大事なもんがある」

 

 槍使いはそう言うと、わずかに心配そうな表情をしている受付嬢に目を向けた。

 それをローグハンターに向けていると判断したのか、彼はさらに捲しあげる。

 

「それと、今夜暇なら飲み行くぞ!銀等級の野郎二人は誘ってある!」

 

「それが本題じゃないのか。仲間はずれは寂しいぞ」

 

「負けた方が奢りだ、良いか!」

 

「本題はそこか。……なら、仕方ない」

 

 模擬戦用の武器が突っ込まれた樽を探り、手に馴染んだ物を適当に身繕う。

 長短一対の剣を素振りして、感覚を確かめる。

 

「一本先取で良いのか?」

 

「おう。そんじゃ、始めるか」

 

 槍使いはひゅんと槍を振り、両手で握って重心を落とす。

 トップスピードで突っ込んでくるのは目に見えている。それをどう対処して、どう攻めていくか。

 

「審判は私がやろう。秩序にして善なる聖騎士の私が、不正は許さん!」

 

 何故かやる気十分な女騎士が審判を申し出ると、銀髪武闘家が野次を飛ばす。

 

「で、あなたは誰に賭けたんですか~」

 

「難しい質問だ。槍という長い間合いと、それを手足のように扱いうる槍使い。対するローグハンターには対人戦における絶対的な経験がある。どちらが勝つかだと?実に難しい!」

 

 この女騎士、実に楽しそうである。そしてしれっと論点をずらしている。

 銀髪武闘家はやれやれと言わんばかりに首を振り、同じく困り顔でため息を吐く重戦士に目を向けた。

 女騎士はどこ吹く風で、槍使いとローグハンターに目配せする。

 

「では二人とも、用意は良いか?」

 

「おうよ」

 

「いつでも」

 

 対峙する二人は頷くと、そっと相手たる人物を睨む。

 槍使いが放つ猟犬の如き眼光と、ローグハンターが放つ鷹の如き眼光が交錯し、訓練場には場違いな空気が流れ始める。

 

「では、始め━━!」

 

「ラァッ!」

 

「フッ!」

 

 銀等級二人の戦いは、新人玄人関係なしに冒険者、建設ギルドの関係者たちを魅いらせる。

 二人の戦いは互いの武器が砕け散るまで続き、タイミングを見た受付嬢が待ったをかけたことで、結局は引き分けという結果に落ち着いた。

 本来新人たちが使う筈の訓練場で暴れまわった銀等級二人は、しばらく関係者からの説教を受けることになったのは、もはや言うまでもないことだろう。

 

 

 

 

 




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Memory05 男だけの夜

 眠る狐亭の一室。

 ローグハンター一党の拠点の一つとなっているその部屋では、ベッドに腰かける銀髪武闘家が不機嫌ですと言いたげに頬を膨らませていた。

 彼女の視線の先にはいつもの格好のローグハンターがおり、申し訳なさそうにしながらも黙々と外出の準備を進めている。

 槍使いの誘いに乗ったローグハンターは、これから飲みに行くのだ。

 相談もなしで決められ、このまま放置される銀髪武闘家が不機嫌になるのも仕方のないことだろう。

 ローグハンターはため息を吐くと、彼女に目を向ける。

 

「相談しなかったことは謝るが、そこまで不機嫌になる程なのか?」

 

「……ふん」

 

 わざとらしく声を漏らしながらそっぽ向く銀髪武闘家。

 ローグハンターは頭を掻き、彼女に歩み寄るとそっと頬に手を添えた。

 そっぽ向いていた彼女の顔を優しく正面を向かせ、笑みを浮かべて見せる。

 

「まあ、なんだ。埋め合わせはする」

 

「!……それなら、良いけどさ」

 

 露骨に嬉しそうな表情を浮かべる銀髪武闘家に苦笑し、軽く触れる程度に口付けをする。

 基本受け身な彼から仕掛けてきたことに驚愕する彼女を他所に、顔を離したローグハンターは勢いよく踵を返して、その表情を隠すためにフードを被った。

 黙りこんだまま部屋を後にして、勢いよく扉を閉める。

 不器用な彼の背中を見送った銀髪武闘家は自分の唇に触れると、頬を赤らめながら満面の笑みを浮かべてベッドに寝転ぶ。

 寝るにしては早すぎる。隣の女子たちと合流しようかと迷い、お邪魔するのも悪いかなと更に迷う。

 結局長めに寝ようという決断にたどり着き、頭までシーツを被る。

 先程の余韻が残って全く寝付けないのは彼女らしいことだろう。

 

 

 

 

 

 辺境の街には眠る狐亭をはじめとして、様々な酒場がある。

 時には冒険者、時には旅行客に利用されるその場所は、一年を通して安定した収入が見込めるのだ。

 槍使いに指定された『親しき友の斧亭』もまた、そんなありふれた酒場の一つだ。

 ローグハンターは自由扉を押し開け、耳に響くほどの賑やかさに包まれた店内を見渡す。

 見知った冒険者や疲れ顔の旅行客、果てには訓練場の建設に携わる職人までもが集まり、各々の友たちと杯を掲げている。

 そんな彼らの様子を流し見て、ようやく目的の人物を見つけた。

 酒場の隅に平服姿の槍使いと重戦士、いつも通りのゴブリンスレイヤーの姿があったのだ。

 三人も彼に気づいたのか、槍使いが「おっせえぞ、この野郎!」と僅かに赤くなった顔で怒鳴る。

 ローグハンターは足早と彼らの元に向かうと、空いている席に腰を降ろす。

 

「すまない。あいつの機嫌とりに時間をとった」

 

 彼が申し訳なさそうに言うと、重戦士が苦笑を漏らす。

 

「おまえも苦労してんだな。俺は一党ってだけなのに四苦八苦してんのによ」

 

 ローグハンターも彼の言葉に苦笑で返すと、通りすがりの女給━━若い馬人(ケンタウロス)だ━━にエールを頼み、他の三人もどうかと誘う。

 それに乗ってくれば、もはや真面目な話は終わりと言っても過言ではない。

 女給がその豊満な胸を揺らしながら杯を置き、尻尾を揺らして去っていく。

 彼女の逞しくも鍛えられた尻を眺め、重戦士が染々と呟く。

 

「……胸も良いが、尻が良いな」

 

「だからおまえ、あの騎士様が好みなわけ……」

 

「なんであいつが……いや、ギルドじゃねえんだし、こんな話も良いか」

 

「尻、か。むぅ……」

 

 反応したのは意外にもローグハンターだ。

 彼は真面目な顔で顎に手をやり、割りと本気で何やら考えている様子。

 ゴブリンスレイヤーが彼に目を向け、小さく兜を傾げる。

 

「どうかしたのか」

 

「いや、好みは人それぞれだろう」

 

「そう言うおまえは、やっぱ胸か?」

 

 槍使いが可笑しそうに笑いながら問うと、ローグハンターは小さく唸って首を捻る。

 彼女と初めて会った時、自分は真っ先にどこに目を向けただろうか。

 認識票だったか、あるいはあの透けるように美しい銀髪だったが、あの逞しくも柔らかい四肢だったか……。

 

「あいつと出会って、もう六年近くになるのか」

 

 どこか懐かしむようでいて、嬉しさを滲ませる笑み。

 仕事中やギルドではまず見せない彼の表情に、三人は面を食らったのか顔を見合わせた。

 ここで止めなければ無意識なのろけ話が始まる可能性まである。

 重戦士はそうなる前にとエールが注がれた杯を握りしめた。

 

「とりあえず乾杯だ」

 

「何にだ」

 

 そう問いかけたのはゴブリンスレイヤーだ。

 その手には余談なく杯が握られており、準備は万端と言って良い。

 

「まあ、面倒だし定番で良いだろ」

 

 槍使いの提案に否は出ない。

 一刻も早く飲みたいのだ、さっさと済ませてしまいたいのだろう。

 ならばと槍使いが杯を掲げ、音頭を取る。

 

「我が街に!」

 

「神々のサイコロに!」

 

「我らが信条に」

 

「冒険者に」

 

 ━━━乾杯!

 

 四人は声を揃えて杯をぶつけ合い、一気に飲み干す。

 ぷへ~と息を吐いた槍使いは、ローグハンターを軽く睨みながら問いかける。

 

「なんだよ『我らが信条に』って。聞いたことねえぞ」

 

「良いだろう、別に。酒の味は変わらん」

 

 僅かに赤くなった頬を気にする様子もなく、ローグハンターはそう返したついでのように、卓に並べられた料理に手を出し始める。

 彼に続くように他の三人も料理に手を伸ばし、次々と酒と料理を平らげていく。

 それでも一人あたりの量は銀髪武闘家に劣っているのだから、彼女がどれだけの大食漢なのかは想像も出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 酔い覚ましに少し歩こうと言ったのは、果たして誰だったか。

 様々な人でごった返す街を、何とも慣れた様子で四人は抜け出すと、いつの間にかとある石橋にたどり着く。

 酒と街の熱気で火照った体には、冷たい夜風が心地よい。

 ローグハンターは橋の欄干に体を預けながら、酔っぱらったせいなのか上機嫌そうに鼻歌を漏らす。

 聞いたこともない歌に三人は首を傾げるが、彼の出身が遠い異国であることを思い出して納得した。

 その歌が終わった頃を見計らい、槍使いはローグハンターとゴブリンスレイヤーをじろりと睨む。

 

「んでよ、おまえらはどうすんだよ」

 

「どうするって、何をだ」

 

 ローグハンターが問い返すと、槍使いは単刀直入に切り返す。

 

「おまえにはあの武闘家がいるだろ?ゴブリンスレイヤーはどうすんだって話だ」

 

「何がだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは淡々と返し、槍使いは盛大にため息を吐く。

 

「受付さんだよ受付さん。他にも森人だの牧場の子だの神官の子だの囲まれてぇ!」

 

 嫉妬の情を隠そうともしない彼の様子に、ゴブリンスレイヤーとローグハンターは目を合わせて首を傾げ、重戦士はやれやれと天を仰ぐ。

 ローグハンターはその蒼い瞳で二つの月を眺め、そっと目を細める。

 槍使いが何を聞きたいのかは何となくわかる。

 そして、稀にそれを考えることもある。

 黙る彼に代わってか、ゴブリンスレイヤーは低く唸るような声で言った。

 

「ゴブリンがいなくなるまでは、無理だろう」

 

 彼の返答に、三人は何とも言えない表情で目を合わせる。

 銀等級になって尚、ゴブリンを狩り続ける男だ。過去に何があり、何を背負っているかなど、おおよそ察しがつく。

 槍使いは肩を竦めると、重戦士が喉の奥で笑う。

 けれど彼なりに何か思うことがあったのか、「わからんでもないぜ」と言い出した。

 

「ほう。その心は」

 

 上機嫌なローグハンターがそう問いかけると、重戦士はそこにはない何かに向けて手を伸ばす。

 

「男なら、一国一城の主って思うだろ?」

 

「王か。良いじゃねぇか、剣闘士から王になった話とか、昔語りにあるしよ」

 

 槍使いは笑いながらうんうんと頷いた。

 その態度に馬鹿にした様子はなく、むしろ賛同の念が込められている。

「だが」と重戦士は言うと、自分の頭を叩く。

 

「俺には学がねぇんだよ」

 

「勉強すれば良い。金もあるだろう」

 

 ゴブリンスレイヤーが言うと、今度は「ところが時間もないんだ」と返す。

 ローグハンターは肩をすくめ、にんまりと笑いながら言う。

 

「上が馬鹿だと下が苦労するだけだ」

 

「だろう?なら勉強って思っても、今度は冒険に出られなくなる。そうなりゃ、一党に迷惑をかけちまう訳だ」

 

「……だな。何事も上手くはいかないさ」

 

 ローグハンターは染々と、懐かしむかのようにそう漏らした。

 だがすぐにまた笑みを浮かべると重戦士に問いかける。

 

「だが、今の生活というのも楽しいだろう?」

 

「そうだな。退屈はしない」

 

「俺もそうだ」

 

 ローグハンターはそう言うと、近くにいない彼女を探すように周囲を見渡す。

 今はいないが、いつも側に居てくれる。ただそれだけで、彼は支えられているのだ。

 

「……誰かが側にいるだけで、少なくとも『怪物』になり果てることはない筈だ」

 

「なんだ、身内に怪物になっちまった奴でもいんのか?」

 

 どうせ昔語りだろうと考えての槍使いの発言だが、ローグハンターは僅かに眉を寄せた。

 

『━━━今のおまえは怪物だ、シェイ……』

 

 とあるアサシンが、散り際にそう告げたことが脳裏に過ぎる。

 ローグハンターは自分の師が怪物だと思うことはなく、むしろその背中に憧れたものだが……。

 

「……そう呼ばれた人なら知っている。強すぎて、同じ人間と思われなかったんだろう」

 

 かつて兄弟姉妹と呼びあった者たちを、果てには心の内で惹かれていた女性を殺した彼の師は、確かに見る者によっては怪物として映るだろう。

 だが、それでも……。

 

「俺を育ててくれた人が、怪物な訳がない」

 

 僅かに怒気の込められた彼の言葉は、三人を狼狽えさせるには十分なものだ。

 まさか話題の人物が彼の師であったとは、思いもよらなかったのは当然だ。

 ローグハンターはそんな空気を察してか、三人に目を向けて苦笑した。

 

「尤も、何も告げずに飛び出してきた俺には本物の怪物さながらに怒るだろうがな」

 

 彼なりに冗談を言ったことはわかるが、何も告げずに飛び出してきたというのは流石にないだろう。

 重戦士は肩を竦め、彼に告げた。

 

「そこら辺は、うちのガキどもと変わらねぇんだな」

 

「いざ果てのない旅へ。男なら誰しもがそんな夢を見るものだろう?」

 

「夢、ね。それなら俺は最強になることだ」

 

 話題を広げようと気を遣ってか、槍使いが切り出した。

 

「おまえまでガキどもみたいなことを……」

 

「いいじゃねぇか。最強になりゃ、女にモテて、感謝もされて、世のためにもなる。そんで俺も強くなれる。悪いことなしだ」

 

「……?モテているのか」

 

「モテんだよ!」

 

 無遠慮に投げ掛けられたローグハンターの言葉に、槍使いが額に青筋を浮かべながら返した。

 今まで静かにしていたゴブリンスレイヤーは「ふむ」と呟き、僅かに間を置いてから言う。

 

「……そうは見えん」

 

「おまえらな!」

 

 同期一人と後輩一人に言われ、槍使いは不機嫌そうに欄干に身を預けた。

 

「で、ゴブリンスレイヤー。おまえの夢はなんだ」

 

「……そうだな」

 

 ゴブリンスレイヤーは黙って川の水面を見下ろし、幼い頃を思い出す。

 全てが失われ、二度と元には戻らないものだ。

 そして、少しずつだが確実に色褪せていくものだ。

 

「……俺は、冒険者になりたかった」

 

「……それは、難しいな」

 

 そう返したのはローグハンターだ。

 冒険者とは、世間一般的に言えば未知の遺跡に挑み、宝を手にし、時には姫を、時には国を救うために命を懸ける者たちだ。

 そこにいる二人は、果たしてそう呼べるのか。

 片やゴブリンを殺し続ける者、片やならず者(ローグ)を殺し続ける者。

 それはもはや冒険者ではなく、それ専門の『業者』と言っても良いだろう。

 重戦士はいつも通りの格好の二人の背中を眺め、深々と息を吐く。

 

「やりたい事とやらなきゃならん事、出来る事は違うな」

 

「嫌になっちまうよな」

 

 槍使いはそう言うと、夜空と二つの月を見上げる。

 四人を撫でるように冷たい夜風が吹き抜け、草花を揺らす。

 人にはそれぞれの夢があり、それぞれの物語がある。

 この広い世界においても、「なりたかった」で終わる者のほうが遥かに多いだろう。

 それでも、彼らは在野最高の銀等級の冒険者だ。そこにたどり着くまでに様々な修羅場を潜り抜けてきた。

 巡りたかった物語とは違えど、巡ってきた物語は確かにあるものだ。そこに誇りもある。

 

「……とりあえず、なんだ」

 

 ローグハンターは友人三人に目を向け、何ともなしに笑って見せた。

 

「目の前のことをやっていくしかないだろう」

 

 男たちは頷きあい、今日はそれでお開きとなった。

 言い出しっぺのローグハンターは、自分にとっての目の前のことはなんだと考えたのは、また別の話だ。

 

 

 

 

 

 翌日の早朝。とある街角。

 無造作に積まれた干し草の山を前にした銀髪武闘家は、額に手を当ててため息を吐いた。

 耳をすませれば、誰かの寝息が干し草の山の中から聞こえるのだ。

 彼女は気合いを入れるとそこに頭を突っ込み、再びため息を吐く。

 そこにいるのは彼女の恋人であり、一党の頭目でもあるローグハンターだ。

 彼には珍しく、何とも無防備な寝顔を晒している。

 その顔を見て頬が綻んだことは気にも止めず、銀髪武闘家は腕も突っ込んで彼の肩を揺らす。

 

「おーい。こんなところで寝るなんて風邪引いちゃうよ~」

 

「……んぁ?」

 

 彼にしては珍しい何とも間の抜けた声に、銀髪武闘家は軽く悶えながら続ける。

 

「よ、酔い潰れたのはわかるけど流石に危ないから、ほら、引っ張り出すよ」

 

「………」

 

 薄く開けられたその目にはいつもの覇気は宿っておらず、もはや別人なのではと思えるほどだ。

 だが、いつもと変わらない目の色と口元の傷が、正真正銘彼であることを教えてくれる。

 返答のない彼を無視して、銀髪武闘家がさらにもう片方の腕を突っ込む直前、彼女の体は干し草の山に引きずり込まれる。

 

「!?~~」

 

 流石の銀等級でも反応出来ない速度で引きずりこまれれば、何の抵抗も出来ない。

 そして寝ぼけた彼の抱き枕にされた銀髪武闘家は無駄な抵抗を諦め、彼に体を寄せて本格的に身を預ける。

 朝に弱い彼女が眠るのは当然のことで、寝息が一つから二つに増えるのはそれからすぐのこと。

 結局二人は、一党の女魔術師と令嬢剣士、弟子である新米たちの一党に見つけられるまで寝続けたのだった。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory06 訓練場の昼下がり

 辺境の街近くの訓練場。正午頃。

 まだまだ建設中といった様子のその場所は、いまだに建物の骨組みが剥き出しであり、足場や昇降機もいくつか設置されている。

 

「遅いぞ、しっかりついてこい!」

 

「はい!」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 そんな訓練場予定地を、ローグハンターは駆け抜けていた。

 足場をよじ登り、組み立て中の屋根の上を駆け抜け、隣の建物に飛び移り、そのまま流れるように建物の窓を通って内側に入り込む。

 そこまでたどり着くとホッと息を吐き、だいぶ遅れて続いてくる女魔術師と令嬢剣士に目を向けた。

 女魔術師はともかくとして、令嬢剣士はまだ慣れていないようで、時々転びそうになり、時には屋根から落ちそうにもなる。

 女魔術師はそんな彼女に気を取られ、いつもよりさらにペースが遅い。

 だが、それを責められるのかと問われると答えは否だ。切磋琢磨する仲間を心配して何が悪い。

 女魔術師に励まされながら建物に飛び込んできた令嬢剣士は、額に流れる大量の汗を拭う。

 

「お、お二人は、慣れていますわね……」

 

「伊達に鍛えられていない。おまえよりも幼い頃からやっていたことだ」

 

「私も、最初はあなたより酷かったわよ」

 

 ローグハンターは何てことのないように言い、女魔術師は苦笑混じりに言う。

 腰に下げた水袋を取り出して一口あおると、令嬢剣士に差し出した。

 それを受け取った彼女は何口かあおると、再び大きく息を吐く。

 その様子を横目で確認したローグハンターは、次のルートをざっくりと確定させる。

 

「次行くぞ、ついてこい」

 

「いつでもどうぞ」

 

「わかりましたわ」

 

 ローグハンターの一党としての基本技能、『フリーラン』。それを体得して貰わないことには、まだ一党の新人という域を出ない。

 女魔術師は許容範囲に差し掛かり始めているが、まだまだ遅い。せめて時間差を三十秒以内に収めて貰わないと、合格とは言えないのだ。

 ローグハンターは息を整えると再び駆け出す。

 まだ作られていない床の隙間から一階に降り、そのまま未完成の壁の隙間を潜り抜ける。

 彼の足はそのまま近くの森へと向かい、倒木を利用して木の上に登ると、そのまま枝伝いに跳び跳ねる。

 

「せ、先生は只人ですわよね?!」

 

「そうよ!あれを見せられると森人みたいだけど!」

 

 彼に続くこうとした二人は思わず足を止め、ローグハンターが僅かに揺らすだけで折れることはない木の枝に目を向けた。

 自分たちよりも重い彼が大丈夫なら、きっと大丈夫だろう。

 二人は自分にそう言い聞かせ、彼の背中を追いかける。

 ローグハンターに比べればだいぶ遅く、恐る恐ると言った様子だが、確かに一歩ずつ前進していく。

 先頭を行く彼は一度足を止め、後続の二人に目を向ける。

 まず一歩を踏み出すことが大切だ。怯えて立ち止まるだけでは、何も始まらない。

 二人とも距離がある程度埋まった頃を見計らい、次の枝へと跳び移る。

 時には枝に手をかけて振り子の勢いでさらに距離を伸ばし、登り、跳び、曲がり、また跳ぶをランダムで繰り返す。

 彼に翻弄されながらも二人は森の中を突き進む。

 ローグハンターの背中を追いかけること数分。

 突然足を踏ん張ったかと思うと、彼は思い切り明々後日の方向に跳んだ。

 その先には枝はなく、むしろ森なのに木すらない。

 女魔術師が僅かに狼狽えながらもそちらに方向転換し、令嬢剣士もその後ろに続く。

 そして女魔術師は気づいた。

 ローグハンターは、森の中に突然現れた小さな湖に身を投げたのだ。

 その仮定を証明するように、彼はずぶ濡れになったまま岸で衣装の水分を絞っている。

 女魔術師は慌てて止まるが、前が止まったからと言って後ろも止まれるかという話になると、結果は変わってくるだろう。

 つまり、急停止した女魔術師の背中に令嬢剣士が全体重をもって体当たりし、その勢いに押された女魔術師が盛大な水飛沫と共に湖に沈んだのだ。

 令嬢剣士は慌てて枝を掴んで落下することだけは回避し、ローグハンターは彼女の反応速度に思わず感嘆の息を漏らす。

 

「いい反応だ。落ちたら死ぬような場面では、何がなんでもしがみつけ」

 

「わかりましたわ……」

 

 令嬢剣士は枝にぶら下がりながら返事をすると、歯を食い縛って力を入れると体を持ち上げ、再び枝の上へ。

 そこに腰かけて息を整えていると、女魔術師が水面から顔を出す。

 

「し、死ぬかと思ったわ……」

 

 ずぶ濡れになった彼女にローグハンターは苦笑を漏らすと、ふと異変に気づいて声をかける。

 

「おい、眼鏡はどうした。落としたのか」

 

「え……?」

 

 彼の指摘にハッとしたのか、彼女は自分の顔に触れて少しずつ焦りの表情を浮かべ始める。

 湖に落ちてから妙に視界がボヤけると思えば、眼鏡を落としてしまっていたようだ。

 酸欠かもと思って焦った自分が恥ずかしいとは思えど、決して口には出さない。

 女魔術師は一旦岸に上がると、学生時代から愛用している黒いマントを取り外し、杖を側に置くと再び湖に飛び込む。

 水飛沫を浴びたローグハンターは顔を拭い、彼の隣にたどり着いた令嬢剣士に声をかけた。

 

「俺も手伝うとするか。装備を見ていてくれ。まあ、盗む物好きもいないだろうが……」

 

「よろしいのですか?あの人を落としたのは……」

 

「おまえだ。あいつが上がってきたら交代してやれ」

 

「わかりましたわ」

 

 令嬢剣士の返事を聞きながら、ピストルとエアライフル、長短一対の剣を女魔術師の杖の横に置き、勢いよく湖に飛び込む。

 その水飛沫を浴びた令嬢剣士は顔を拭い、念のためと軽銀の突剣と短剣を鞘から抜いて身構える。

 所かわって水中では、女魔術師が息継ぎに上がるのと交代でローグハンターが湖底にたどり着いた。

 水中でタカの眼を発動し、女魔術師の眼鏡を探す。

 魚一匹程度ならいてもいいだろうに、それも見当たらないとなると、人工的な湖なのだろうか。

 

 ━━そうだとしても、近くに村はなかったが……。

 

 湖の中で首を傾げ、息継ぎのために思考を切り捨てつつ一旦浮上。

 彼とは入れ替わる形で令嬢剣士が潜っていった。

 その隙に岸で服の袖を絞っていた女魔術師に目を向ける。

 

「……ところで、おまえの眼鏡はあれだけなのか?」

 

「いえ、替えはあります」

 

「無理して探す理由は?」

 

「強いていうなら、彼女への罰ゲームですかね?」

 

「……上がっていいか」

 

「どうぞ」

 

 女魔術師の一言に、ローグハンターは立ち泳ぎしながらため息を吐き、一旦岸に上がる。

 その後の令嬢剣士は、ローグハンターの指示のもと何度も潜水を繰り返し、数十分かけて件の眼鏡を見つけて陸へと上がる。

 潜水と浮上を繰り返した彼女は疲労困憊といった様子で座り込み、僅かに顔色が悪い。

 女魔術師は流石に申し訳なく思ったのか、その眼鏡を丁寧に拭ってかけ直す。

 二人の様子にローグハンターは肩を竦め、無造作に令嬢剣士を抱き上げると訓練場を目指して歩き出した。

 女魔術師がその後ろに続き、いきなりの事態に令嬢剣士の思考は止まる。

 ローグハンターは「女性とはこういうものなのか?」と心中で思いつつも口には出さず、そのまま令嬢剣士を運んでいく。

 

 

 

 

 

 訓練場に戻ってきた彼ら三人の目に飛び込んできたのは、なぜかぼろぼろになった新米たちの姿だった。

 新米剣士に始まり新米戦士、新米武闘家と見習聖女、あとは重戦士一党の少年斥候も()されている。

 完全に意識を刈り取られているのか、誰一人として微動だにしない。

 そんな彼らを他所に円陣の中央に立つのは、凛とした表情を浮かべる銀髪武闘家と、模擬戦用の両手剣を振るい彼女と激闘を繰り広げる女騎士だ。

 銀髪武闘家は素手に適当な布を巻いてグローブ代わりとしているだけだが、それでも十分に凶器足り得る彼女の拳は、あの新米たちを一撃の元で倒したのだろう。

 そこに女騎士が参戦したのか、それとも銀髪武闘家が挑発したのか、なぜかはわからないが二人の戦いが始まったことは見ればわかる。

 中々の激闘なのか、銀髪武闘家の髪紐が切れてしまったのか長い髪を流れるように揺らしていた。

 ローグハンターは僅かに非難の色を込めた視線を重戦士に向るが、その視線を受けた重戦士は処置なしと首を横に振る。

 秩序にして善なる騎士を目指す者が、疲労の溜まった戦士に挑むのはどうなのだろうか。

 ローグハンターはため息を吐くと令嬢剣士を木陰に降ろし、伸された新米たちを救出する。

 運び終えたら水をぶっかけ、無理やり意識を戻されるとローグハンターは問いかけた。

 

「━━で、何があった」

 

「えっと、私たちの模擬戦が終わったら、あの騎士さんが『いざ勝負だ!』と一方的に宣言しまして……」

 

 比較的軽症だった見習聖女の説明に、ローグハンターは小さく唸りながら天を仰いだ。

 再び重戦士に目を向けるが、彼もローグハンターと同じように天を仰いでいる。

 本来想定されていないであろう銀等級二人の激闘は、誰かの腹の虫が鳴ったことを合図に終了となった。

 

 

 

 

 

「うへぇ~、痛いよ~」

 

「……別段怪我をしているようには見えないが」

 

 わざとらしく痛がりながら頬擦りしてくる銀髪武闘家にされるがままになりつつ、ローグハンターは彼女の体に目を向ける。

 籠手代わりの布はもはや襤褸布となっており、彼女がどれだけ真剣に向き合っていたかを教えてくれる。

 それでも怪我をしていないあたり、女騎士が上手いこと手加減してくれたのか、あるいは銀髪武闘家が捌き続けたのか……。

 彼女の髪を優しく撫でながら、ローグハンターは懐から取り出したリンゴをかじる。

 時間は昼過ぎ。訓練に参加していた面々は、各々が用意した昼食をとりつつ談笑していた。

 彼らの集合する木陰は、端から見れば大規模な旅の一団にも見えることだろう。

 シャリシャリとリンゴをかじりながら、ローグハンターは隣で女騎士に説教していた重戦士に目を向ける。

 

「あまり怒ってやるな。こいつだって怪我はない」

 

「そうだがな、いきなり仕掛けるのはどうなんだ?」

 

「いや、体が勝手に……」

 

「『いざ勝負!』って叫んでたじゃん」

 

 言い逃れようとした女騎士を銀髪武闘家が追撃し、それを受けた彼女は縮こまった。

 ローグハンターはため息を吐き、懐から髪紐を取り出す。

 髪が長かった頃の癖で入れていたものだが、まさかこんな形で助かるとは。

 

「ほら、あっち向け」

 

「あ、やってくれるの?ありがと~」

 

 警戒することなく背中を向けてくる銀髪武闘家に苦笑を漏らし、手慣れた様子で彼女の髪を括る。

 新米武闘家は新米剣士に弁当を差し出しつつ、ローグハンターに言った。

 

「慣れてますね」

 

「まあ、六年目だからな」

 

「ふふ、キミとも六年の付き合いなんだね」

 

 銀髪武闘家が嬉しそうに笑む後ろで、ローグハンターは何やら思うことがあったのかハッとする。

 

「俺ももうすぐ二十五か。時間の流れは早いな」

 

「ふーん、もう二十五なんだ。身を固めるつもりは?」

 

 銀髪武闘家が僅かにいたずらっぽく笑いながら問いかけ、それを聞いていた二人を除いたローグハンターの一党や重戦士の一党、新米たちが苦笑する。

 ローグハンターは数瞬だけ間を開けると、フッと小さく笑みを浮かべた。

 

「準備が出来れば固めるつもりだが」

 

「だよね~。駄目だよ……ね?」

 

 銀髪武闘家は勢いよく彼の方に向き直り、真剣な表情を浮かべるローグハンターに目を向けた。

 

「……えっと、ホント?」

 

「?聞き直すようなことなのか?」

 

 疑問符を浮かべながら首を傾げるローグハンターに、銀髪武闘家は顔を真っ赤にさせながら正面に向き直る。

 耳まで真っ赤なのだから意味はないのだが、今はローグハンターと目を合わせられないのだろう。

 そんなことお構いなしにローグハンターは言う。

 

「だが実際にそうなると、住居や家具類、()()()()()()()()を考えると、もっと稼がなければならなくなる」

 

「こ、こど!?」

 

「その事を考えれば、拠点をここから水の街に移したほうが安全だろう。だが、その為にも金がかかる」

 

「あぅ……」

 

 一人で淡々と言葉を続けるローグハンターと、いつの間にか考えられていた将来の計画を聞かされる銀髪武闘家。そしてそれを聞かされる重戦士の一党などの面々。

 その中でも一番冷静なのは重戦士だろう。彼は石となった女騎士を気にかけつつ、昨日酔っ払ったローグハンターが言ったことを思い出す。

 

 ━━とりあえず、目の前のことをやっていくしかないだろう。

 

 確かに彼はそう言ったし、自分たちも同意を示した。

 だがしかし、それが冒険に関することではなく、恋人との関係についてだったのは予想外だ。

 話についていけない周りの面々を置いていき、ローグハンターは背中を向ける銀髪武闘家に問いかける。

 

「おまえはどう思う。この街に思い入れがあるなら、ここに拠点を置くが」

 

「あの、えと、その話は部屋でお願いします……」

 

「むぅ……。わかった」

 

 何故か残念そうに息を吐くローグハンターと、顔を真っ赤にさせて蒸気を吹き出している銀髪武闘家。

 重戦士たちは処置なしと決めて目を合わせると、無理やりにでも話題を逸らしにかかる。

 話を切り出したのは見習聖女だ。

 

「と、ところで、あの地母神の神官さんはどこに?」

 

「ん?知らないな、おまえは?」

 

「その話も、部屋で……」

 

「……?」

 

 思考停止した銀髪武闘家を心配するような視線を向けると、肩を竦めて女魔術師に目を向ける。

 

「知っているか?」

 

「確か、蜥蜴僧侶さんと一緒に怪我人を診ている筈です。工事には怪我が付き物ですから」

 

「なるほどな。そろそろ冒険に関して話を纏めて貰いたかったが……」

 

 いつの間にか責任者にされていたローグハンターも、いざ始めればしっかりとやる辺り、事務仕事にも慣れているのだろう。

 重戦士は水袋に口をつけ、口元の水を拭うと笑みながら彼に言う。

 

「で、どうだ。新人どもの面倒を見るってのは」

 

「別に何かあるというわけでもない。先生のやり方の見よう見真似だ」

 

「む。おまえの先生とは何者だ」

 

 食いついたのは女騎士だ。石化が解けたのか、一周回って元気そうである。

 ローグハンターは肩を竦めると、懐かしむように言う。

 

「幼い頃に母を亡くして、何年かして父も病気で死んで。一人になった俺の面倒を見てくれた人の一人だ。色々なことを教えてもらった」

 

「例えば」

 

「人体の急所。隠密方法。戦闘技法。全てが荒削りだった俺を、見事に削り出してくれた」

 

 隠すことのない尊敬の念が込められた言葉に、それを聞いた面々の表情は自然と緩む。

 内容は明らかに殺伐としたものだが、それでも彼にとってはかけがえのない人物なのだろう。

 

「まあ、習うより慣れろと言った感じだったのは違いないが……」

 

 苦笑混じりにそう付け足し、くつくつと可笑しそうに笑う。

 彼もそんな風に笑うのかと、僅かな驚きが銀髪武闘家以外の面々の間に流れる。

 ローグハンターはまた何かを思い出したのか、懐を探って舌打ちを一つ。

 そして新米たちに目を向けながら言った。

 

「おまえらに使わせようと思っていた物を忘れた。明日で良いか?」

 

「わたくしはいつでも構いませんわ」

 

「俺も大丈夫です」

 

「うっす」

 

 令嬢剣士、新米剣士、新米戦士の順に返すと、ローグハンターは申し訳なさそうに「すまん」と呟く。

 

「代わりと言ってはなんだが、これからは俺もこちらに加わろう。なに、加減はするさ」

 

 彼はそう告げると立ち上がり、一足先に円陣の中に入り込む。

 ローグハンターの一党と重戦士の一党、新米たちは目を合わせ、弁当をしまうと彼に続いて円陣の中へ。

 訓練場の昼はこうして過ぎていき、また活気に溢れた声が響き始める。

 その合間に断末魔にも似た叫びと誰かの怒号が混ざるのは、もはや訓練場のご愛敬。

 それを聞いた工事関係者たちは、「もうそんな時間なのか」と顔を見合わせ笑みを浮かべる。

 訓練場の完成は、まだまだ先だ。

 

 

 

 

 




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Memory07 夜の(とばり)

 数日後、訓練場予定地。

 冒険者たちが模擬戦に利用する円陣からいくらか離れた場所に、ローグハンターは赴いていた。

 そこには干し草の山や組み立てた足場が並び、その近くには案山子(かかし)が複数個用意されている。

 彼は諸々の安全性を確認しつつ、後ろに並ぶ新米たちと自分の一党の三人に目を向けた。

 

「約束からだいぶ遅れたが、ようやく用意が終わった」

 

 彼はそう告げつつ、持ち主のいない左手用のアサシンブレードと二挺のピストルを、あらかじめ運んでおいた机に並べる。

 

「以前に言ったように、これをおまえらに使わせる。俺が見込み有りと判断したら、このどれかはおまえらの物だ」

 

 彼の言葉に全員が思わず「おぉ……」と声を漏らすなか、ローグハンターは案山子に目を向けて見構えた。

 

「ピストルの方はともかく、『リストブレード』に関してはこれからいくつか技を見せる。出来るようになれとは言わないが、見本があったほうがやり易いだろう」

 

 ここで彼は、あえて『アサシンブレード』という名称を避けた。

 下手に暗殺者(アサシン)という名前を出して、要らない面倒に巻き込まれるということを(きら)ったのだ。

 実際に一部のテンプル騎士団の支部ではそう呼ばれているのだから、嘘は言っていない。

 

「リストブレード……?」

 

 新米剣士が首を傾げると、ローグハンターは「そうだ」と頷き、見せるように左手のアサシン(リスト)ブレードを展開する。

 

「慣れれば軽く指を動かすだけで済むが、はじめのうちは手首を捻る感覚でいい。文字通りの慣れが必要だからな」

 

 そう言いながらわざとらしく手首を動かして抜刀して見せ、次に指だけを動かして抜刀して見せる。

 

「慣れない内は手首ごとと言ったのは、抜刀に指を巻き込まない為だ。自分の武器で指を無くしたくないだろう?」

 

 彼が肩を竦めながら言うと、それを聞いた全員が一斉に頷く。

 奇跡を使えば治せるかもしれないが、誰だって指を無くしたくはない。それも冒険ではなく訓練で無くせば、一生笑い者だ。

 新米剣士と新米武闘家の二人は何か思うことがあったのか、他の面々に比べてより一層表情を強張らせる。

 ローグハンターが知るところではないが、前回二人が参加したゴブリン狩りで、彼らはゴブリンによって指を切り落とされた女性冒険者を救出した。

 彼女の痛みで見開かれた瞳と、血溜まりに浮かぶ細い指を思い出し、僅かに気分を悪くしたのだろう。

 だが、先ほど言った通り、ローグハンターが知るところではない。

 彼は緊張を解すように体を伸ばすと、再び説明を始めた。

 

「これは本来奇襲用の武器だ。打ち合うものではない」

 

「「「え……」」」

 

 彼の第一声に、一党の三人は一斉に声を漏らす。

 それもそうだろう。ローグハンターはその奇襲用の武器で、敵を正面から切り崩しているのだから。

 当のローグハンターは三人を無視する形で話を進める。

 

「背後から敵の急所、ようは首や胸を突き刺すのが基本的な使い方だ」

 

 彼はそう言うとおもむろに歩きだし、すれ違い様に案山子の首にアサシンブレードの刃を滑り込ませ、血管を断ち切るようにそっと振り抜く。

 そのまま流れるように近くの案山子に歩み寄り、僅かに勢いをつけて人間で言う心臓にあたる部分に刃を突き立てる。

 淀みなく行われたその動作に、新米たちは瞬きを繰り返し、ローグハンターが担いできた二つの案山子を凝視する。

 よく見なければわからない極小の傷だが、相手が人間であれば致命傷は免れない。

 素人目でもそう判断出来るほど、二つの案山子の傷は見事に急所を捉えている。

 ローグハンターは更に続ける。

 

「あとは、干し草の中でも茂みの中でもいい。身を隠し、息を潜め、相手に悟られぬように不意打ちをくらわせるのがベストだ」

 

 彼はそう言い終えると干し草の山に潜り込み、数秒してから身を飛び出させると、脇に置かれた案山子の首を寸分の狂いなく貫き、そのまま中に引きずり込む。

 

「……独創的ね」

 

 彼の動作に女魔術師がそんな言葉を漏らした。

 何年もかけて熟練させた技をこうして間近で見られる機会など、そう多くはないだろう。

 ローグハンターは干し草の山から飛び出すと、手慣れた様子で組み立てられた足場に登る。

 

「これはおまけのようなものだから、別にやらなくてもいい。慣れない内は危険だし、何より目立つからな」

 

 彼は苦笑混じりにそう告げると、下に設置された案山子に向けて身を投げた。

 新米たちから声にならない悲鳴が上がるなか、一党の三人は彼の一挙動全てに注意を払う。

 空中でリストブレードを抜刀。落下の勢いのまま相手を引き倒し、その首に刃を突き立てる。

 何度か見たことがあるものだが、あれが出来るようになるまで、果たして彼は何年の歳月をかけたのか。

 完成されたその行動は、まさに上空から獲物に向けて襲いかかる鷹の如くだ、

 ローグハンターはアサシンブレードを引き抜きながら立ち上がり、見物人たちに目を向ける。

 

「もう一度言うが、これを無理にやれとは言わない。危険だし、何より目立つ」

 

「そうですけれど、何か詩的な美しさを感じますわ……」

 

 令嬢剣士は感嘆の息を漏らし、彼の見本(エアアサシン)をそう評した。

 それを受けた彼は何となく照れ臭いのか、頭を掻きながら彼らに告げる。

 

「念のため、ピストルのほうも確認しておくぞ。まあ、狙って撃つだけだが……」

 

 彼はそう言うと自前のピストルを引き抜き、その勢いのまま発砲。

 弾丸は案山子に取り付けられた鎧に当たり、見事にへこませた。

 その威力に新米たちが感嘆の息を漏らす中、ローグハンターはピストルを装填しつつ言う。

 

「一度使えば、毎回装填が必要だ。その間はこの通り両手が塞がって無防備だから気を付けろよ」

 

 言い終えると共に再び発砲。今度は案山子に被せていた兜を吹き飛ばした。

 再び装填を開始し、ため息混じりに彼は言う。

 

「一挺で四発撃てる時代はまだまだ先だろうな。何かの拍子に逆になられたら困るが……」

 

 染々と呟かれた言葉は、彼が心底面倒に思っている時の声音だ。

 それに気づいた銀髪武闘家は苦笑して、机に置かれたリストブレードを手に取り、彼にならって手首につけようとするが━━。

 

「……どうしよ」

 

 彼女のつける打撃用の籠手と、リストブレードを手首に固定するベルトが噛み合わない。

 籠手を外すことも考えるが、それでは実戦で役に立たないだろう。

 彼女は渋々と言った様子でリストブレードを女魔術師に手渡し、新米たちを引き連れて射撃場へと向かう。

 ローグハンターは彼女らの動きを見ながら、顎に手をやる。

 これらの武器を託すということは、誰かに奪われるリスクも負うことになるわけだ。

 リストブレードの方を使いこなせる者はそう多くはないにしても、ピストルの方はやろうと思えば誰だって使える。

 裏の業界では弾丸が高価らしいから、滅多なことでは使われないだろう。

 工房長には自分と自分の一党以外が買ったら言うように頼んであるが、今度は新米の誰かが持つという可能性も増えてくる。

 そちら方面にも頼み込むとして、まずは使いこなせるようになって貰わなければ駄目だ。

 彼は大きめのため息を吐くと、慣れぬ武器に悪戦苦闘する新米たちの元へと向かう。

 誰だって最初は初心者だ。自分だって、よく失敗したではないか。

 下に干し草があると思って飛び降りて怪我をしたり、口笛を吹いたら肝心の相手に聞こえていなかったり、どれもこれも思い出しただけで赤面ものだ。

 あの頃の自分と違って、今は講師となる人物がいるのだから、彼らはまだ恵まれているだろう。

 

 ━━教えられることを教えられるうちに教えておく。

 

 それが弟子になってくれた彼らへの、最低限の礼儀というものだろう。

 

 

 

 

 

 陽が大きく傾き、山の輪郭が紫色に染まり始めた頃。

 ローグハンターは僅かに目を見開き、新米たちの飲み込みの早さに思わず息を吐いた。

 女魔術師は、リストブレードをそれなりに使いこなせているし、フリーランも扱えるからか、エアアサシンも擬きと呼んでいいのなら言った様子。

 途中でローブを鬱陶しそうにしていたから、明日にでももっと動きやすい服を買いにいけば良いだろう。

 令嬢剣士はそれぞれの武器を使いこなせてはいないが、この数時間で何故かフリーランの技術が格段に上がった。

 まずは動きからと彼女自身が意識したのだろう。その結果はローグハンターが満足するに足るものだ。

 そして、彼を最も驚かせたのは新米剣士と新米戦士の二人。

 二人はリストブレードの方を早々に諦めると、ピストルの練習に重点を置き始めた。

 ローグハンターからしてみればまだまだという他ないが、それでも仕事先で扱う分には問題はないだろう。

 鼠やゴブリンが相手なら、という意味でだが。

 もう少し練習をさせるかと判断し、ローグハンターはその場にいる全員を呼び寄せた。

 ピストルを持つ少年二人に目を向け、その目を細めながら言う。

 

「……なかなか筋が良い。まだまだだが、練習を繰り返せば依頼先でも使えるだろう」

 

 彼の素直な賛美に、新米剣士と新米戦士はお互いの拳同士をぶつけ合い、新米武闘家と見習聖女が顔を見合わせて苦笑した。

 続いて女魔術師に目を向け、確かに一度頷いて見せる。

 

「おまえもいい動きだった。だが、余り慣れない動きはするな、怪我をするぞ」

 

「はい……」

 

 疲労を隠せない様子の女魔術師が頷くと、次は令嬢剣士に向けてだ。

 

「走りに無駄が無くなってきている。続けろ」

 

「承知しましたわ」

 

 まだ元気そうな令嬢剣士は嬉しそうに返事をして、続いて安堵したのかホッと息を吐く。

 ローグハンターはその姿に苦笑を漏らし、銀髪武闘家に目を向けた。

 新米武闘家と組手をしながら、見習聖女に最低限の護身術を教えていたが、まだまだ余裕そうだ。

 

「おまえは余り無理をするな」

 

「えぇ~。だって、暇なんだもん」

 

 彼女はニコニコと笑いながらそう言うと、新米武闘家に同意を求めるように声をかけた。

 

「男子たちはすぐに武器に飛び付いちゃうんだもん。放置されるこっちの身にもなって欲しいよね~?」

 

「それもそうですけど、でも……」

 

 新米武闘家は新米剣士に目を向け、彼と目が合うと苦笑した。

 

「こうして一緒にいられるだけで、十分ですよ」

 

 僅かに頬が赤くなっているのは、気のせいではないだろう。

 ローグハンターは「ふむ」と息を吐くと、銀髪武闘家に目を向けた。

 

「……女の武闘家は拳だけでなく、そういう想いも正直なのか?」

 

「ん~。どうなんだろうね?」

 

 銀髪武闘家は苦笑混じりに首を傾げて返すと、新米武闘家の頭をそっと撫でる。

 

「ま、素直が一番。ぶつけなきゃ伝わらないからね」

 

「まあ、確かに……」

 

 笑顔で放たれた彼女の言葉に、ローグハンターは目を逸らしながら頷いた。

 彼女の好意に気づくのに三年。しかもそれは彼女が文字通りその想いをぶつけてきたからこそ気づけたものだ。

 女性との付き合いが上手い先生なら、もっと早く気付き、応えていたに違いない。

 自分もまだまだ未熟だと言い聞かせつつ、ローグハンターは女混じりに目を向けながら全員に告げる。

 

「いい加減依頼に出ないと、そいつの昇級にも━━」

 

 彼がそう言いかけた時だ。

 どこからともなく悲鳴があがった。

 ローグハンターはフードを被ると剣を抜き放ち、瞬き一つでタカの眼を発動する。

 周囲に敵影はないが、どこからか悲鳴があがったことは事実。

 銀髪武闘家も即座にスイッチを入れたのか、凛とした視線を新米たちに向けた。

 

「みんな、武器を構えておいて。言い方が悪いけど、私たちは孤立してるから」

 

 彼女の言葉を聞いた新米たちは返事代わりに各々の武器を構え、周囲を警戒する。

 口を動かす前に手を動かすことは、ローグハンターから習ったことだ。

 それを教えた当人はほんの僅かに笑みを浮かべ、すぐさま表情を引き締める。

 

「貸した武器はそのまま持っていろ。少年二人はこれを腰帯(ベルト)に吊るせ」

 

 そう言いながら袋から取り出したホルスターを二人に差し出し、自分のホルスターに目を向ける。

 

「俺と同じようにそこに銃を押し込め。落とすなよ」

 

 二人は表情を強張らせながらホルスターをベルトに取りつけ、そこにピストルを押し込んだ。

 女魔術師は左手首のリストブレードに手を触れると、ローグハンターに問いかける。

 

「これからどうしますか。街に戻るにしても、遠すぎますよ」

 

「確か、訓練場の事務所になる建物があったな。そこを目指す」

 

「そこら辺なら誰かいるかもしれないからね。相手が何かを探りたいけど……」

 

 銀髪武闘家がそう告げると、ローグハンターは眉を寄せた。

 耳に響くのは、ただ喧しいだけの下卑た嗤い声。続いて視界の端に小さな赤い影が映る。

 つまり相手はいつもの小鬼どもだ。

 ローグハンターは小さくため息を吐き、背中を預ける仲間たちに告げる。

 

「ゴブリンだな。右から八、来ているぞ」

 

「了解。備えて!」

 

 銀髪武闘家が構えると、新米たちも各々の武器を構えた。

 新米剣士と新米戦士はピストルを抜かずに手に馴染んだ剣を構えた辺り、与えられた強力な武器にいきなり頼るつもりはないのだろう。

 彼らのその姿勢に満足しつつ、ローグハンターは息を吐きながら投げナイフを取り出し、流れるようにそれを投げ放つ。

 

「まず一つ……!」

 

「GRB!?」

 

 放たれた投げナイフは茂みから飛び出したゴブリンの喉を貫き、血に溺れさせる。

 残り七匹は死んだ間抜けた奴には目もくれず、目の前にいる冒険者たちに挑みかかる。

 見れば女ばかりだ。あいつらを捕まえれば、しばらく退屈することはないだろう。

 ゴブリンたちの思考はいつもそこだ。自分たちが負けることは考えない。否、考えられない。

 

「イィィィヤッ!」

 

「GR━━!?」

 

 銀髪武闘家の蹴りで頭蓋を砕いて二匹目。

 

「ハッ!」

 

 新米武闘家の手刀で頸椎を砕いて三。

 

「オラッ!」

 

 新米剣士の一閃が腹を裂き、ゴブリンスレイヤーに習った通りに追撃の一撃で眼窩を貫いて四。

 

「こんの野郎!」

 

 新米戦士が飛びかかってきたゴブリンを盾で叩き落とし、倒れたところに馬乗りになって渾身の振り下ろしで頭蓋を割って五。

 

「遅いですわ!」

 

 ゴブリンの棍棒を軽銀の短剣で受け流し、突剣の反撃(カウンター)で首を断ち切って六。

 

「これ、使い方あってるのよね!?」

 

 見習聖女がそう叫びながら振った天秤剣は、剣としての役目として持ち主たる彼女を守る。

 いまだ慣れぬとはいえ、何の迷いもなく振るわれた天秤剣は、ゴブリンの体を見事に寸断して見せた。これで七。

 

「フッ!」

 

「G━━!」

 

 飛びかかってきたゴブリンに対して、女魔術師が突き出したリストブレードはその刃をもって首を貫き、彼女の手の動きに合わせていとも容易く頸椎を砕く。これで八。

 ローグハンターは全員無事であることを確かめ、タカの眼で索敵。

 ゴブリンが死んだふりをしていないことを確かめ、伏兵がいないことも確かめる。

 彼は小さくホッと息を吐くと、仲間たちに告げる。

 

「移動するぞ。途中で冒険者を拾えれば、出来るだけ連れていく」

 

 彼の端的な指示に全員が頷き、彼の先導で夜の闇に包まれた訓練場予定地を駆けていく。

 どこからか響く怒号と剣戟音、そして断末魔。

 救える命が刻一刻と減り、その数を確実に減らしている。

 ローグハンターは重々しく息を吐き、眼を細めた。

 

 ━━何を勘違いしているんだ。

 

 闇の中を駆け抜ける彼の思考は、一気に落ち着いていく。

 闇の中が彼の居場所だと思っているからか、あるいは戦場に飛び込むと覚悟したからか、理由はわからない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 

 ━━全ての命を救えるほど、俺は強くはない……。

 

 これから先、彼は様々な選択を迫られるだろう。

 誰を救い、誰を切り捨てるかという選択も、何度もある筈だ。

 かつての彼ならその時の最善の選択を、自分の個人的な感情を排して選択することだろう。

 走りながら思い詰める彼の視界の端で、透けるほどに美しい銀色の髪が揺れた。

 今の彼がその選択を迫られた時、選ぶものは決まっている。

 どんな危険を犯そうとも、どんなに責められようとも、彼が救える命に限りがあるのだ。

 

 ━━だからせめて、惚れた人の命くらい、優先して守らせてくれ。

 

 かつて復讐鬼(かいぶつ)だった彼を、人間らしくしてくれた彼女を。

 闇の中で生きていた自分に、光の中での生き方を教えてくれた彼女を。

 自分何かを好きになってくれた彼女を。

 

 ━━どうか、守らせてくれ。そして、許してくれ。

 

 個人の事情で誰かを見捨てるなぞ、きっと許されはしないだろう。

 

『━━許されぬことなどない』

 

 ふと、いつかに目にした光景が脳裏に過る。

 その言葉を鵜呑みに出来れば、どれだけ楽なことか。

 彼は変わっていきながらも変わりきれない自分に向け、自虐的に小さく笑むと、思考を切り上げて目の前のことに集中する。

 考えるにしても、まずはこの状況を切り抜けなければならない。

 今までの思慮は全て、自分と彼女が生きていることが前提なのだから。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 攻勢

 夜の闇を進むローグハンターの一党と新米たちの一党は、あれから目立った戦闘もなく訓練場の事務所予定地にたどり着いた。

 見た目はまだ廃墟と言った所だが、もうしばらくすれば見事な建物となることだろう。

 ローグハンターはピストル片手に周囲を警戒しつつ仲間たちに中に入るように指示し、最後尾の銀髪武闘家が転がり込んだことを確認してその後ろに続く。

 彼らの視界に飛び込んできたのは、建物の一角で縮こまる新米冒険者たちの姿と、外を警戒する玄人(ベテラン)冒険者の姿だった。

 

「あ、ローグハンターさん!」

 

 怪我人を見ていたのだろう女神官が、パッと表情を明るくしながら言うと、つられるようにゴブリンスレイヤーも彼に目を向ける。

 

「無事だな」

 

「俺と、俺の受け持った新米はな。途中でいくつか死体を見つけたが……」

 

 ローグハンターはそう言うと事務所を見渡し、ざっと人数を確かめる。

 無事にここまでたどり着けたのは決して少なくはない。喜ぶべきことだろう。

 だが彼らの表情は一様に暗く、不安と恐怖に呑まれかけている。

 

「戦力としては申し分なし。頭数だけを見ればな」

 

 肩を竦めながら放たれた皮肉に、槍使いが盛大にため息を吐くと言う。

 

「あんまり言ってやるなよ。ほとんど帰っちまって、こんだけ居るだけでもまだ良いんだぜ?」

 

「もう……真っ暗、だから……ね?」

 

 槍使いに続いたのは、彼の一党に属する魔女だ。

 男なら誰しも見惚れる肉感的な容姿の彼女だが、ローグハンターはそんな様子もなく告げる。

 

「夜間戦闘も練習して貰いたいがな」

 

「おう、頭巾のは新人どもに手厳しいわい」

 

 彼の呟きに反応したのは鉱人道士だ。

 彼の横にはいつもの様子の蜥蜴僧侶がおり、奇妙な手つきで合掌している。

 

「時には突き放すこともまた愛の形ですぞ、術士殿」

 

「そうかい」

 

 鉱人道士は腕を組ながら鼻を鳴らし、触媒を確かめる。

 あからさまに不機嫌そうなのは、この騒ぎで夕食を取り損ねたからだろう。

 銀髪武闘家が首を揺らし、いつも騒がしい妖精弓手がいないことに気づく。

 

「あれ、あの()は?いつもなら真っ先に無事か確かめてきそうだけど」

 

「待機させている俺の受け持っていた連中に伝言を頼んだ。そのうち戻ってくるだろう」

 

 ゴブリンスレイヤーは闇の奥を睨みながらそう返し、何かの接近に気づいてか剣を握る手に力を込めた。

 彼の様子に気づいた玄人たちもまた構えるが、現れた人物に気づいて構えを解く。

 

「おう、おまえらも無事だったか」

 

 何人かの新人を連れた重戦士が、ひらりと片手を挙げて現れたのだ。

 鎧と得物である大剣(グレートソード)に血がついている所を見るに、一戦交えてきたのだろう。

 ローグハンターが僅かに眼を細めながら言う。

 

「おまえの相方はどうした」

 

「あいつだって女だ。おまえなら後は言わなくて良いだろ?」

 

「……だな」

 

 横目で銀髪武闘家に視線を向けながら、彼はため息混じりに頷いた。

 一人でも多く戦力が欲しかったが、そういうことなら仕方ない。

 彼らを事務所の中に招き入れた所で、槍使いが話を切り出す。

 

「こんだけ銀等級が集まれば、面白いことが出来そうだな」

 

 猟犬を思わせる笑みを浮かべながらの一言に、銀等級の面々が頷いて見せた。

 ローグハンターが事務所を見渡しながら言う。

 

「まず拠点はここで良いのか。ゴブリンが火を放ってくるかもしれんぞ」

 

 彼の意見にゴブリンスレイヤーは僅かに思慮し、首を横に振る。

 

「おそらく奴らは、炎を使った戦術を知らん。だが、断言は出来ん」

 

 彼らのやり取りに、新人たちの表情がさらに青ざめる。

 二人の容赦のない言葉の応酬に慣れた面々はため息を吐き、銀髪武闘家が話を断ち切る。

 

「で、これからどうする?とりあえず、ゴブスレ組を待つの?」

 

「そのゴブスレ組ってのはわからねぇが、頭数を揃えなきゃどうにもならんだろ」

 

「ぜんぶ、合流……しましょう、ね」

 

 重戦士、魔女が続き、蜥蜴僧侶がゴブリンスレイヤーに問いかける。

 

「して、彼奴(きゃつ)ばらの大将はなんと見る」

 

「恐らく、そちらもゴブリンだろう。主力にゴブリンを使うのは、ゴブリンだけだ」

 

「そうなると本拠地はどこだって話になるが……」

 

 槍使いが頭を掻きながら言うと、鉱人道士が髭を扱きながら言う。

 

「穴が四方にあって、それがどっかで繋がっとるな。近場の穴から潜りゃ、本拠につくじゃろ」

 

「ならば潜るだけだ」

 

「それは良いが、こっちはどうする」

 

 ゴブリンスレイヤーの決定に、ローグハンターが新人たちを見ながら問いかけた。

 銀等級がこれだけいるとしても、流石に全員で殴り込む訳にはいかないだろう。

 ならば誰かがこの場に残り、面倒を見なければならない。

 

「ゴブリンスレイヤーは決定として、後は━━」

 

 ローグハンターはそう言うと、何かに気づいたのか顎に手をやった。

 ゴブリンは卑怯で、臆病で、弱者には容赦のない最弱の魔物だ。

 こんな銀等級、つまり格上ばかりの場所に、玉砕覚悟で飛び込んでくるだろうか。

 はっきり言って、自分でも願い下げだ。油断している所を奇襲するのならともかく、正面から戦うのは━━いけるかもしれないがやりたくはない。

 

「……先に帰った新人どもが出たのはいつ頃だ」

 

「あ?どうしたんだよいきなり」

 

 ローグハンターの発言に、槍使いが疑問を口にした。

 これから攻勢に出ると言うのに、一見関係のない話を始めたのだから当然だろう。

 だが、ゴブリンスレイヤーと女神官は何か思うことがあったのか、ローグハンターに目を向けた。

 

「そうか。そちらを見落としていたな」

 

「そうですよね。私がゴブリンなら、ここだけは襲いたくないです」

 

 ゴブリン狩りに関してはトップクラスの知識を持つゴブリンスレイヤーと相棒たる二人は、顔を見合わせると周りの面々にも伝わるように言う。

 

「街に戻る最中の新人が狙われているかもしれん。そちらは俺の一党と、こいつらで対処する」

 

 自分の一党である三人と、弟子たちに目を向けながら言うと、女神官が恐る恐る彼に進言する。

 

「あの、私も加えては貰えませんか?」

 

 彼女の進言にローグハンターは僅かに眉を寄せるが、すぐに仲間たちに目を向けた。

 これから救出に出る冒険者の中に、回復の奇跡が扱える者が誰一人としていない。

 もし、向こうで水薬(ポーション)の類いが意味をなさないほどの重症人がいたら、どうしようもないだろう。

 それに、もはや迷っている時間もない。

 ローグハンターは頭目であるゴブリンスレイヤーに目を向け、無言の確認を取る。

 ゴブリンスレイヤーは数瞬考え、そして確かに一度頷いた。

 彼はそのまま女神官に問いかける。

 

「やれるか?」

 

「や……」

 

 ゴブリンスレイヤーにしては珍しい、たった一言の質問。

 女神官は思わず言葉を詰まらせるが、唇を噛み締めて叫ぶように答える。

 

「……り、ますっ」

 

 ゴブリンスレイヤーは彼女の返答にゆっくりと頷くと、立ち上がる。

 

「なら、決まりだ」

 

 

 

 

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 闇夜に包まれた森の中を、ローグハンターの一党と女神官を加えた新米たちの一党が駆けていた。

 彼らの目的はとても単純で、やるべきことも明確だ。

 

 ━━一人でも多くの新人を助け、一匹でも多くのゴブリンを殺す。

 

 その為にも、まずは先に帰った新人たちに追い付かなくてはならない。

 訓練場の利用が始まり、さらに足の速くなった女魔術師と令嬢剣士の背中を追いかける新米たちの表情は、文字通り真剣なもの。

 銀等級斥候のローグハンターがいるとはいえ、彼でも見落とす時は見落とすのだ。常に不意打ちに警戒しなければならない。

 時折闇の奥から聞こえる断末魔の叫びを頼りに、彼らは駆ける。

 目印が一つあがる度に、誰かの人生が終わっているのだ。減速するなんてもっての他だろう。

 だが、ローグハンターは大きく舌打ちをすると銀髪武闘家に目を向けた。

 

「正面に一。見えるか」

 

「うん。あれって、もしかしなくても……」

 

 銀等級二人の視線の先にいるのは、ゴブリンにしては巨大すぎる影だった。

 ホブにしても大きすぎるゴブリンなぞ、あの個体しかいないだろう。

 銀髪武闘家が駆けながら籠手の具合を確かめる横で、ローグハンターが新米たちに指示を出す。

 

「俺とあいつで正面のあいつを殺る。おまえらは新人どもを助けに行け」

 

「ローグハンターさん!?」

 

 頭目から発せられたいきなりの指示に困惑する新米武闘家を他所に、彼は腰に下げた長短一対の剣を抜き放つ。

 同時にその巨体がローグハンターたちに目を向けた。

 その瞳に宿るのはゴブリンと同じ輝きながら、戦闘に関するものだけは洗練されている。

 

「━━英雄(チャンピオン)狩りだ」

 

「GOORGGOBRRRR!!!!」

 

 小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)は大木の如き棍棒を掲げながら天に向かって吼える。

 瞬間、放たれた矢のように突貫した銀髪武闘家が、その勢いのまま胸部に拳を叩き込む。

 金属同士がぶつかり合う甲高い音が森に響き渡り、チャンピオンの巨体を数歩後退させた。

 だが、彼女の拳をもってしてもそこまでだ。致命傷(クリティカル)には程遠い。

 チャンピオンの正面で深く息を吐く彼女を他所に、ローグハンターは森人もかくやと言う速度で木をよじ登り、すぐさま身を投げる。

 長短一対の武器を逆手に持ち替え、落下の勢いのままチャンピオンの頭蓋を貫きに行くが、

 

「GOBRGOBR!!」

 

 それを察したチャンピオンが空中の彼に向けて棍棒を振るう。

 直撃すれば間違いなく死ぬ。

 冷静にその事実を確かめた彼は、迫る棍棒に合わせて空中で身を捻り、紙一重で避けて見せる。

 

「GR━━!!?」

 

 チャンピオンが驚愕を口にする前に、バスタードソードでその右目を切り裂いた。

 本人は首を狙ったのだが、回避の勢いで思いの外ずれてしまったのだろう。

 彼は銀髪武闘家の前に降り立つと、バスタードソードに血振れをくれてその切っ先をチャンピオンに向ける。

 

「GOORGGOBRRRRGRBGOBR!!!!」

 

 右目を押さえながら狂ったように棍棒を振り回し、意味不明の咆哮をあげるチャンピオンを尻目に、銀髪武闘家が新米たちに目を向ける。

 

「今のうちに行って!ここは私たちでどうにかするから!」

 

 切羽詰まった彼女の声に新米たちは頷くと、すぐさま戦場から遠ざかっていく。

 銀髪武闘家は頼もしい後輩たちの背中を見送り、ローグハンターの隣に出る。

 彼女は嬉しそうに笑みながら、彼の顔を覗きこんだ。

 

「ふふ、久しぶりに二人っきりの仕事だね」

 

「そうだな。なに、いつも通りだ」

 

 ローグハンターは不敵に笑み、バスタードソードを降ろしてゆっくりと脱力していった。

 構えないことが構えと言える彼が準備を終えると共に、銀髪武闘家も深く息を吐いて身構えた。

 それを挑発と受け取ったのか、チャンピオンが唾液を撒き散らしながら叫ぶ。

 銀等級二人とチャンピオンの戦いは、誰にも知られることなく始まったのだ。

 

 

 

 

 

 森のとある場所。

 必死になって逃げ回っていた新人冒険者たちは、ゴブリンたちの猛攻でその場所に追い詰められ、その表情は絶望に染まっていた。

 十五人ほどいた彼らも、既に五人しかいない。

 そんな彼らを取り囲んだゴブリンたちは、下卑た嗤い声を挙げて各々の武器を構えている。

 男ばかりだが、見れば女が二人。さっさと済ませて威張り散らすあいつが来る前に悦しんでしまおう。

 ゴブリンたちはぎゃいぎゃいとそんなやり取りを終えると、我先にと新人たちに躍りかかる。

 槍で貫き、棍棒で叩き、剣で斬れば、それで終わりだ。

 とても単純で簡単な仕事に、ゴブリンたちは上機嫌だった。

 そして、うち二匹がその感情を抱いたまま死んだ。

 飛びかかった瞬間に何かが爆ぜる音が森に響き渡り、二匹の仲間が武器を取りこぼして崩れ落ちたのだ。

 ゴブリンたちはその音の主に目を向け、不機嫌そうに目を細める。

 彼らの視線の先にいるのは二人の冒険者だ。

 新米剣士と新米戦士の二人が、咄嗟にピストルを発砲してゴブリンたちを阻止しようとしたのだろう。

 結果は見事な即死攻撃(ヘッドショット)。付け焼き刃の技術だったが、どうにかなったようだ。

 二人は荒れた息を整えながら、ピストルをしまって各々の剣を抜き放つ。

 ゴブリンたちは悦しみを邪魔してきた怨敵を滅ぼさんがため、一挙に二人に殺到していくが、その前に一人の少女が立ちはだかる。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷える私どもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 女神官が祈りを口にした途端、奇跡が起こった。

 天に輝く太陽の如き光が、圧力を伴ってゴブリンたちに襲い掛かったのだ。

 汚い悲鳴をあげて悶えるゴブリンたちの只中に、前衛たちが飛び込んでいく。

 

「うっだらぁあああ!」

 

「こんの、よくも!」

 

 新米戦士が剣を振り回してゴブリンの腹を裂いていき、新米剣士が脳天をカチ割り体を両断。

 

「お二人とも、少し落ち着いてくださいな!」

 

「イイィヤッ!」

 

 令嬢剣士が愚痴を溢しながら軽銀の突剣でゴブリンを凪ぎ払い、新米武闘家が蹴りをもって頭蓋を砕く。

 

「逃げるわよ!早くこっちに来なさい!」

 

 女魔術師が愕然としていた新人たちに檄を飛ばし、彼女の周りに生存者が集まっていく。

 見習聖女が天秤剣片手に周囲を警戒し、伏兵に備えて身構える。

 女神官は『聖光(ホーリーライト)』の奇跡の維持に集中しながら、指示を出す。

 

「このまま広野に抜けます!狭い場所ではゴブリンが有利です!」

 

 彼女の指示に皆が頷き、移動を開始する。

 

「こんのっ!」

 

 殿(しんがり)を勤める新米戦士が血脂で切れ味の落ちた剣に舌打ちをすると、ローグハンターがしてくれたことを思い出す。

 

「GRB!!」

 

 飛びかかってきたゴブリンを盾で殴りつけ、取りこぼした棍棒を奪い取る。

 右手に握った剣を鞘に押しこみ、左手で持っていた棍棒を利き手に持ち直す。

 奪い返そうと襲い掛かってきたゴブリンの頭蓋を叩き潰し、残りのゴブリンを睨み付けた。

 

「ばっち来い!」

 

「ばっち来いじゃなくて逃げるんだよ!」

 

 新米剣士の言葉に思わずずっこけ、彼も急いで後退を開始。

 女魔術師は生存者に気をかけつつ、一党の皆にも気を配る。

 殿も追い付いてきたし、遅れている人物もいない。今のところは順調だ。

 

「……?」

 

 その時、彼女の耳に微かにだが誰かの叫び声が聞こえた。

 怒りに任せて発せられたその咆哮は、おそらく只人のもの。

 不意に、彼女の胸のうちに不安が過った。

 頭目である彼と、その相棒たる彼女を信頼していないわけではないが、もし、万が一にもどちらかが倒れたら━━。

 彼女は泥沼に填まりかけた思考を切り上げ、目の前のことに集中する。

 とりあえず生き残らなければ、彼らとも再会出来ない。

 街はもうすぐ。明日ももうすぐだ。

 

 

 

 

 

 ━━何を間違えたのだろう。

 

 彼はそう自問した。

 彼の短剣には伏兵たるゴブリンが突き刺さり、既に死亡していることは明白だ。

 だが、今の彼はそんな事はどうでも良かった。

 ほんの一瞬だ。伏兵に襲われた自分にほんの一瞬気を向けた彼女が、チャンピオンの一撃を諸にくらった。

 彼女の体が宙を舞い、木に激突して地面に落ちる。

 同時に自分も全身の力が抜けて、両膝をつく。

 

 ━━何を間違えた……?

 

 彼女と共にここに残ったことか。

 新米たち全員を向かわせてしまったことか。

 

 ━━違う。違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!

 

 自分が弱いからだ。自分が未熟だからだ。自分が……。

 不意に彼の耳に、チャンピオンが嘲笑う声と、サイコロが転がる音が届いた。

 次いで聞こえたのは、そのサイコロが叩き壊される音。そして、誰かが驚き、狼狽える声。

 次いで感じたのは、常に懐に入れていた『謎の三角形』が熱を持ったこと。

 そして、次いで聞こえたのは誰かの声だった。

 

『━━ロ、ロロロ━━━ディディディ━━ンググググ』

 

 雑音混じりに聞こえた物が、次の瞬間には僅かばかり鮮明になる。

 

『━━ロロローディン━━グ……』

 

 言葉の意味を考えることはない。今は、今だけは━━。

 

『━━ローディング。流入(シンクロ)開始』

 

 その声に感謝させて貰おう……。

 

 

 

 

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

「GRB!?」

 

 突如として立ち上がったローグハンターの姿に、チャンピオンはほんの僅かに狼狽えた。

 仲間を殺られて心が折れたのかと思ったら、いきなり叫んで立ち上がったのだから、驚きもするだろう。

 チャンピオンは数度瞬きすると、その表情に余裕の笑みを張り付けた。

 

 ━━どうせ弱い奴が自棄を起こしただけだ。オレが負ける筈が……。

 

 瞬間、チャンピオンの体が宙を舞った。

 強烈な力で足払いを受けたかのように、背中と地面が平行になっている。

 

「GOBR……?」

 

 訳もわからないチャンピオンは、その表情を驚愕に染める。

 自分の両足の膝から下が、綺麗さっぱりなくなっているのだ。

 視線を下に向ければ、大きく重心を落として長短一対の剣を振り抜いた格好のローグハンターの姿。

 

「GRB!?」

 

 表情が驚愕から恐怖に染まったのはその直後。

 ローグハンターが跳躍し、両手の得物を逆手に持ちかえる。

 チャンピオンの巨体が地面に落ちた瞬間、縫い付けるようにその体に得物を叩きつける。

 同時に二つの得物が砕け散り、その破片がチャンピオンの内側に潜り込む。

 

「GR━━━!」

 

 人間なら間違いなく即死。そうでなくても、再起不能は免れない。

 卓越した技量の元で放たれた一撃は、まさに『英雄の一撃』。

 チャンピオンはどす黒い血を吐きながら、渾身の力を込めた拳を振るってローグハンターを弾き飛ばす。

 それに直撃した彼は吹き飛ばされ、背中から木に激突するが、まるで効いていないかのように地に足をつけた。

 口の端から血が垂れているから、間違いなく効いている。だが、なぜか()()()()()()()()()()

 チャンピオンはその時になって、ようやく気づいたのだ。

 自分が手を出してはいけない相手に手を出してしまったことを。

 やってはいけないことを、してしまったことを。

 怯えから身を縮こまらせるチャンピオンを、ローグハンターは()()()()()鷹の眼光で睨みながら拳を握って近づいて行く。

 逃げようにも足を無くし、体が言うことを聞かない。

 チャンピオンは歯を鳴らしながら命乞いをするかのように彼にひれ伏した。

 反撃も奇襲も考えられない。ただ死にたくないという一心だ。

 ローグハンターがチャンピオンの目の前で足を止め、ただ静かに告げた。

 

「顔を上げろ」

 

「GR━━━!!????!」

 

 言われた通りに顔を上げた瞬間、チャンピオンの顎がローグハンターの拳によって砕かれた。

 それは事実上の処刑宣告だ。

 チャンピオンはもはや泣き叫ぶことも許されず、目の前に迫る死を受け入れるしかない。

 

「狙う場所と、相手を、間違えたな……!」

 

 再び握った拳に構え、渾身の力を込めて殴り抜く(オーバーパワー・アタック)

 チャンピオンの汚い悲鳴が骨の砕ける音に変わろうと、肉の潰れる音に変わろうと、ひたすらに殴る。殴る。殴る。殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 自分の手からも骨が砕ける音がしても止まらない。チャンピオンが死んだとしても止まらない。

 内から込み上げる激情が、怒りが抑えきれない。

 打撃音が湿った音に変わっても、彼の暴走は止まらない。

 まはや原型を留めていないチャンピオンの頭部をひたすらに殴り続け、倒れたなら掴み上げてでも殴る。

 返り血と飛び散った頭蓋骨と脳の欠片で顔を汚しつつも、彼の表情はなぜか嬉々としていた。

 

「んぅ………」

 

「!」

 

 不意に聞こえた誰かの声に、ローグハンターは手を止める。

 拳を振り上げたまま体を固め、視線だけでその声の主に目を向ける。

 倒れる銀髪武闘家の胸が、僅かにだが上下している。

 その事に気づいた瞬間、彼はもはや考える間もなく駆け出していた。

 

『エラー発生……』

 

 彼女の隣に滑り込み、脈を調べ、次いで息をしているかを確認する。

 どちらも正常。つまり彼女はまだ……。

 

『エラー……エラー……』

 

 ローグハンターは震える手を雑嚢に突っ込み、水薬(ポーション)を取り出す。

 震える手でどうにか蓋を外し、中身を口に含むと口移しで彼女に飲ませる。

 

『致命的なエラーが発生。流入(シンクロ)解除』

 

 急に痛みだした体を無視して、彼は彼女の両頬に手を添えて顔を持ち上げる。

 

「ん、んん……」

 

 小さく唸りながら、彼女の目がほんの僅かに開く。

 僅かばかり落ち着いた彼は、雑嚢から強壮の水薬(スタミナポーション)を取り出して再びの口移し。

 

「ん……むぅ!!?!?!?」

 

 口に流し込まれる液体を飲みつつ、彼女の口から確かな驚愕の声が漏れた。

 明らかに飲み終えているのに、彼が一向に離れてくれないのだ。むしろ率先して舌を絡めてきている。

 数分して顔を離されたが、驚愕と酸欠で視界が点滅する銀髪武闘家は、その視界の中で確かに見た。

 

 ━━安堵からか涙を流す彼の姿。

 

 銀髪武闘家は痛む体を動かして彼を抱擁すると、彼の耳元でそっと告げる。

 

「……私は大丈夫だよ」

 

「ああ。ああ……」

 

 ローグハンターは声を震わせながら彼女を抱き締め返し、涙を噛み殺す。

 二人は熱い抱擁を交わし、互いの無事を確かめる。

 ゴブリンスレイヤーに率いられた討伐組がゴブリンの巣穴を潰し、生き残りの冒険者の救出、ゴブリンの殲滅を終えたのはその直後。

 彼らは生き残り、訓練場を守り抜いたのだ。

 とある冒険者が、祈らぬ者(ノンプレイヤー)へとなったことも知るよしもなく………。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory09 変化

 訓練場攻防戦から幾日か。

 建設はその後も順調に進み、ようやく完成となった。

 訓練場の事務所となった建物の屋根の上に、珍しく一人きりのローグハンターは座り込んでいた。

 訓練の様子を一瞥し、彼は『金色の三角』を見つめて重苦しく息を吐く。

 小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)を撃破したことはわかる。だが、肝心のどうやって撃破したのかがわからない。

 そこを思い出そうとする度に、霧がかかったかのように霞んでしまう。

 死体の様子を見たが、頭がぐしゃぐしゃになるまで潰した覚えはないし、自分にそんな膂力はない筈だ。

 だが、ぼろぼろになった自分の拳が、それが自分の仕業であることを教えてくれる。

 彼はここ数日、そんな疑問を考えては切り上げ、また考えるを繰り返していた。

 

「あ、やっぱりここにいた」

 

 堂々巡りとなっている彼に声をかけたのは、慣れた様子で壁を登ってきた銀髪武闘家だ。

 彼女はひょこりと顔を出すと、いつもの笑顔を浮かべて屋根の上によじ登る。

 ローグハンターはちらりと彼女を一瞥すると、件の三角を懐にしまう。

 そんな彼の様子に小さくため息を吐くと、彼の隣に腰かけた。

 

「神官ちゃんと魔術師ちゃん。二人とも昇格が決まったってさ」

 

「そうか」

 

「お祝い、行かないの?」

 

「そうだな……」

 

 無愛想に返してくる彼に再びため息を吐き、銀髪武闘家は彼の肩に寄りかかる。

 あの戦いからというのも、彼は一人で考え込む時間が増えているように思える。

 それに、と彼女は問いかけた。

 

「最近大丈夫?眠れてる?」

 

「どうだろうな」

 

 ローグハンターはそう言うと、隈の残る目元を指先で撫でる。

 銀髪武闘家は、最近彼が寝ている間にうなされ、時には知らない人物の名を呟くこともあるのを知っているのだ。

 彼女にその原因はわからないが、あの戦いが一因であることは確かだ。そして、彼が常に懐に入れている謎のアイテムも、その原因の一つだろう。

 彼女は小さく息を吐くとそっと正面に回り込み、彼の蒼い瞳を覗き込む。

 そこに宿る鋭さはいつも通りだが、ほんの僅かに曇っているように見える。

 彼女は優しく彼を抱擁すると、耳元で囁く。

 

「キミはさ、一人で背負いこみ過ぎだよ」

 

 ローグハンターは言葉で答えることはないが、小さく唸る。

 

「もう少し、私に頼っても良いんだよ?」

 

 銀髪武闘家は構うことなく言葉を続け、そっと彼の体から離れる。

 彼の真面目で小さく笑顔を浮かべ、言い聞かせるように言う。

 

「悩み事があれば相談すること。一党組んでから、そうするって決めたじゃん」

 

 彼女の言葉に彼はほんの僅かに驚いたのか目を見開き、そして自嘲するように笑んだ。

 何を一人で悩んでいたのだ。自分はまだまだ未熟で、一人で出来ることなんて限られているではないか。

 

「そう、だったな……」

 

 彼はぼそりと漏らすと、苦笑を浮かべながら銀髪武闘家に向けて言う。

 

「どうにも、最近夢見が悪くてな」

 

「ほうほう。どんな夢かは覚えてる?」

 

 彼女が真剣な表情で問うと、ローグハンターは目を解しながら思慮を深め、僅かな悲哀の念を込めて言う。

 

「誰かが家族を失い、仲間を失い、それでも必死になって戦う夢だ。まるで、何もかもが自分のことのように思えた」

 

「でも、キミじゃないでしょ?」

 

「ああ、そうだ。……その筈だ」

 

 ローグハンターが何故か自信なさげに言うと、銀髪武闘家は困り顔でため息を吐いて身を乗り出した。

 

「筈じゃなくて違うの!」

 

「むぅ……」

 

 勢いよく身を乗り出しながらの一言に、ローグハンターは座ったまま後退る。

 そんな彼に詰め寄りながら、銀髪武闘家は更に続けた。

 

「で、夢の原因はその懐に隠してるやつでしょ?」

 

「知らん。だが、そうかもな……」

 

「なら、捨てちゃえば?」

 

「そうはいかない」

 

 ローグハンターが軽く肩をすくめながら言うと、服の上からそれをそっと撫でる。

 ここまで言われても取り出さないのは、下手に彼女にも触れさせて、不調が出ることを恐れてだろう。

 彼は瞑目し、微笑しながら言う。

 

「それでも、これはおそらく大切な物だ。無くすわけにはいかない」

 

「むぅ。キミがそう言うなら無理強いはしないけどさ」

 

 そう言って彼女は諦めたのか、不満げにため息を吐いて体を離す。

 ローグハンターは僅かに残念そうな表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情を張り付ける。

 

「もっと心を強く持たなければ駄目なんだろうな。下手をすれば潰される」

 

「なら、私も手伝ってあげましょう」

 

 銀髪武闘家は上機嫌そうに言うと立ち上がり、座る彼に向けて手を差し出す。

 ローグハンターは僅かに面をくらったのか驚いていたが、フッと小さく苦笑すると彼女の手をとった。

 彼女の手を借りて立ち上がりながら問いかける。

 

「不器用なおまえが何をしてくれるんだ?」

 

「ん~。添い寝程度なら?」

 

 銀髪武闘家がウィンクをしながら言うと、ローグハンターは困り顔でため息を吐く。

 何かを考えてくれていても、最も大切な部分が欠けている。つまり、詰めが甘い。

 まあ、こんな彼女だからこそ、こうして六年も付き添えているのだが……。

 ローグハンターは彼女の手を離すと、屋根の(ふち)ギリギリまで足を進める。

 

「過去と向き合うべきなのかもな……」

 

「ん、何か言った?」

 

 吹き抜ける風よりも弱く発せられた言葉は、誰にも届くことはない。

 銀髪武闘家の問いかけを無視して一度下を確認すると、ローグハンターは背中越しに彼女に目を向ける。

 

「これからもよろしく頼む」

 

「うん、まっかせて!」

 

 銀髪武闘家がサムズアップで答えると、彼は不敵な笑みを返して彼女に告げる。

 

「それじゃあ、下で待ってるぞ」

 

「え?」

 

 彼女の口から漏れた間の抜けた声を無視して、ローグハンターはいつものように身を投げた(イーグルダイブ)

 流石に慣れたのか、銀髪武闘家は狼狽えることなく屋根の縁から地面を見下ろす。

 そこにあったのは荷車一杯になるまで積まれた干し草だ。

 ローグハンターその山から飛び出すと、思い切り体を伸ばして屋根の上の彼女に目を向ける。

 銀髪武闘家は数瞬迷い、そして自分の両頬を叩いて気合いを入れる。

 その時、ローグハンターはハッとして声を張り上げる。

 

「おまえ、何する気だ!?普通に降りてこい!」

 

「とうっ!」

 

 彼の言葉はもはや届かず、銀髪武闘家も彼を見真似てその身を投げた(イーグルダイブ)

 ローグハンターはその目を見開いて驚きつつも瞬時に落下地点を予測。そして僅かに安堵の息を漏らす。

 その直後、重力に引かれた彼女は干し草の山に叩きつけられ、ローグハンターの時とは違う木材の軋む音が荷車から発せられた。

 そこから彼女は転がり出てくると、勢いよく彼に飛び付く。

 彼の胸に顔を埋めて一旦落ち着くと、涙を溜めたままの顔を上げる。

 

「こ゛、こ゛わ゛か゛った゛よ゛~」

 

「俺だって最初はそんなものだったぞ」

 

 彼はそう言いながら所謂お姫様抱っこで彼女を抱き上げ、ため息混じりに言う。

 

「あと、これは見た目の割りに技術が必要なものだ。二度とやるな」

 

「うぅ……もうやりません……」

 

「なら良い」

 

 彼は満足げに頷くと、彼女を抱き抱えたまま歩き出す。

 すれ違う訓練場の関係者や冒険者たちが二人の姿に驚くが、「ああ、あの二人か」とすぐに納得してそれぞれの持ち場に戻っていった。

 流石の銀髪武闘家も恥ずかしいのか、赤面しながら彼に上目遣いで言う。

 

「あの、流石に……恥ずかしい、かな?」

 

「気にするな」

 

「気にするよ!」

 

 じたばたと抵抗を開始する銀髪武闘家だが、ローグハンターは怯んだ様子もなく彼女を抱えたまま歩き続ける。

 アサシンが物を落とすというのは滅多にないのだ。

 ……第三者に殴られなければ、という話だが。

 

 

 

 

 

 辺境の街、冒険者ギルド。

 いつも通り騒がしいその場所の一角に、ゴブリンスレイヤーをはじめとしたいつもの面々と、新米一党の四人が集っていた。

 彼らの中心にいるのは女神官と女魔術師の二人であり、彼女らの下げる認識票は黒曜から鋼鉄へと変わり、ようやく駆け出し卒業と言ったところ。

 二人は嬉しさを隠す様子もなく表情を緩めており、回りの仲間たちもそれにつられて笑みを浮かべる。

 妖精弓手が上機嫌そうに長耳をひくつかせながら言う。

 

「訓練場が襲われた時はどうなるかと思ったけど、こうしてみればあれも冒険ね」

 

 彼女の言葉に女魔術師が苦笑混じりに答える。

 

「何がどう冒険なのかはわからないけれど、まあ、良い経験にはなったわね」

 

 彼女はそう言うと鋼鉄の認識票と、左手首のリストブレードに手を触れた。

 どちらとも、頭目である彼がいなければ手に入らなかったものだろう。なぜかはわからないが、そう思える。

 令嬢剣士がぐぬぬと悔しそうに歯ぎしりすると、声高らかに鋼鉄等級の二人に告げた。

 

「わたくしもすぐに追い付いてみせますわ!それまで待っていてくださいな!」

 

「待たないわよ、まったく」

 

「あはは……」

 

 肩を竦めながら冷たく返す女魔術師と、思わず苦笑する女神官。

 二人の反応が意外だったのか、令嬢剣士は狼狽える。

 

「そ、そこは嘘でも応援してくださいまし!」

 

「はいはい、頑張りなさい」

 

「露骨過ぎますわ!」

 

 女魔術師と令嬢剣士とのやり取りは下手な芸人よりも息ぴったりであり、女神官も思わず笑う。

 新米剣士もどうにか笑いを噛み殺すと、改まって二人に告げた。

 

「俺たちも、二人に追い付く━━いや、追い越せるように頑張るよ」

 

「そうだね。でも、無理はしないでコツコツと」

 

 新米武闘家がそう釘を刺すと、「わかってるよ!」と新米剣士は返す。

 ゴブリンから奪った棍棒をそのまま愛用武器とした新米戦士も、彼らに続いて頷く。

 

「同期が鋼鉄なのに、俺たちだけいつまでも白磁じゃ格好つかないしな」

 

「それに、昇級しないとお金の工面も大変なのよ……」

 

 見習聖女が算盤(そろばん)を弾くような仕草と共にそう言うと、先程までの和気あいあいとしていた笑みが乾いたものへと変わる。

 ゴブリンスレイヤーはそんな彼女の姿に駆け出し時代のローグハンターの姿を重ね、やれやれと首を振る。

 自分もそうだが、金の工面というのは慣れないうちは本当に難しいのだ。

 まだ、ゴブリンの巣に挑むほうが、気が楽に思える。

 

『ね、ねぇ!いい加減降ろしてくれないかな!?』

 

『足を怪我していたらどうする。あと少しなんだから我慢しろ』

 

『あと少しだから降ろして欲しいんだけど!?』

 

 ふと、ギルドの外から何やら話し声が聞こえた。

 喧嘩でもしているようだが、おそらく恐ろしく下らないことで喧嘩をしているのだろう。

 彼らがそんな予想をしたと同時に、問題の二人がギルドの自由扉を潜る。

 ギルドにたむろっていた冒険者たちの視線が一斉に彼らに向かい、そして「またあいつらか」とすぐに外される。

 銀髪武闘家をお姫様抱っこするローグハンターは、ゴブリンスレイヤーたちの姿を見つけてそちらに歩み寄る。

 そっと銀髪武闘家を空席に降ろし、集まっていた彼らに笑みを向けた。

 

「すまない。色々と考え込んでいた」

 

 笑みこそはいつも通りだが、彼の蒼い瞳に宿る鋭さはいつにも増して鋭くなっている。

 新米を除いた彼らは「何か良いことでもあったんだろう」程度に認識し、銀髪武闘家に目を向けた。

 顔を真っ赤にして机に突っ伏しているが、こちらにも何かあったのだろう。

 まあ、何があったのかは先程の登場を見ればすぐにわかる。

 妖精弓手はやれやれと首を振り、鋼鉄等級となった二人を手で示した。

 

「それで、この子たちに何か言うことはないのかしら?」

 

「む。ああ、そうだな」

 

 ローグハンターは銀髪武闘家への心配を一旦切り上げ、二人の冒険者に目を向ける。

 一年経ち、ようやく駆け出し卒業だ。

 

「昇級おめでとう。これからもよろしく頼む」

 

 遠回しに伝えるなんてことはせず、単刀直入に賛辞を述べた。

 それを受けた二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑むと、二人同時に「はい」と返す。

 ローグハンターは二人の返事に頷き返すと、新米四人に目を向けた。

 

「訓練場も出来たことだから、暇な時間があれば声をかけてくれ。俺も暇なら相手をする」

 

「あ、私もね~」

 

 銀髪武闘家が机に突っ伏したまま続くと、新米四人は面をくらいながらも顔を見合わせた。

 この申し出とは、つまり━━━。

 

「彼らも弟子ということですか?」

 

 令嬢剣士の確認し、ローグハンターは即答する。

 

「そのつもりだ。まあ、こいつらが嫌と言うなら━━」

 

「「「「よろしくお願いします!!!」」」」

 

「━━決まりだな」

 

 言葉を被せてきた四人を気にする様子もなく、ローグハンターは新米剣士と新米戦士に向けて言う。

 

「おまえら、銃は持っているな」

 

「はい」

 

「これですよね?」

 

 二人はそれぞれホルスターに手を添えながら頷くと、ローグハンターは真剣な表情で告げる。

 

「それはおまえらにやる。黒曜等級に上がるまでに使いこなせるようになれ」

 

「「ッ!」」

 

「貴重なものだ、絶対に無くすな」

 

「「はい!」」

 

 彼らへの話はそれで終わりだと言うように、ローグハンターはその場に集った仲間たちと弟子たちを見渡す。

 この六年で、周囲に集う人数が飛躍的に多くなった。

 だが、それでも、やることは変わらない。やるべきことも変わらない。

 

「━━さて、昇級一発目の仕事に行くか」

 

 ゴブリンスレイヤーたちはゴブリン狩りへ。

 ローグハンターたちはならず者(ローグ)狩りへ。

 新米たちは下水道へ。

 難易度、危険度の違いはあれど、彼らが『冒険』に向かうことに変わりはない。

 例えその先で死ぬことになっても、彼らは冒険者。出会い、別れて、また出会う定めにある者たちだ。

 ギルドを出た彼らは、青空の下でそれぞれの依頼へと向かう。

 天上にいる神々は、彼らの行く末を懸けてサイコロを振る。

 

「それでは皆さん、ご武運を」

 

 女神官が別れる仲間たちに目を向け、両手で錫杖を握りながらそう告げた。

 仲間たちを想っての言葉でも、彼が何と返すかは皆が知っている。

 

「まったく、何度言わせるんだ?」

 

 ローグハンターはわざとらしく不敵に笑み、女神官に言う。

 この世界の神々に喧嘩を売る一言を。

 この世界の神々に恐怖を植え付け始めている一言を。

 

「━━運は自分で掴むものだ」

 

 

 

 

 

 四方世界のとある場所。

 神々からも忘れ去られたその場所に、ぽつんと一つだけ椅子が置かれていた。

 そこにコツコツと足音をたてながら近づいた人物は、躊躇うことなく腰かけ、腰に下げていた()()()()を立て掛ける。

 鳥類の嘴を模した飾りのついたフードを被り、纏うローブは染み一つない純白。腰には血を思わせる赤い布。

 左手には三枚の板金が取り付けられた籠手をつけ、何故か()()()()()

 負傷で欠けたというよりは、何かの事情で切り落としたかのように根元から無くなっている。

 その人物は何かに気づいたのか顔を上げ、くすんだ金色の瞳を虚空に向けた。

 そして安堵にも似た息を漏らし、椅子に立て掛けられた愛剣をそっと撫でる。

 

「ようやく、見つかったか」

 

 その低い声は男性だろうか。まだ若いが、感情が致命的に欠けている。

 

「さあ、早く来い」

 

 彼の背後に立つのは、薄く透けながらも金色に輝く何者か。

 その何者かは不気味に笑むと、椅子に腰かける男性の肩に手を置いた。

 

『私はここで待っているぞ』

 

 声からして女性。その声は透き通るほどに美しく、聞いたものを狂わせる妖艶さに満ちている。

 男性と女性は同じく虚空を見つめ、そして同時に口を開く。

 

「『━━━継承者よ』」

 

 

 

 

 




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Sequence08 過去からの贈り物
Memory01 知識の集う場所


「待ってろ、すぐに医者に連れていくからな!」

 

 彼は女性を抱えあげ、野次馬を掻き分けてひた走る、

 抱きあげられた女性の衣服は、彼女の血で真っ赤に染まっており、その細く美しい肢体に張り付いていた。

 

「もう、駄目みたい……」

 

「そんな、嘘だろ!」

 

 力なく紡がれた言葉に、男性は怒鳴るように返す。

 彼女の冷たくなっていく体温を直に感じているのは彼だ。

 彼が、広い街の中の誰よりも、彼女が死ぬことを理解していた。

 彼は路地裏に入り込み、女性をそっと地面に寝かせる。

 女性は霞んだ視界に男性の姿を捉えると、彼の頬に手を触れた。

 

「あなたと、やり直す機会が欲しかった……」

 

 彼女の手を握り返した男性は、必死に涙を堪えながら頷く。

 女性は強がるように優しく笑って見せ、消え入りそうな声で言う。

 

「あなたを、愛してる……」

 

 彼女がそう言うと、伸ばされていた手が力なく落ちる。

 男性は彼女の頬に触れながら瞑目し、そっと彼女の目を閉じさせた。

 

「眠れ安らかに、恋人よ」

 

 ━━━永久に。

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 ローグハンターはハッとして目を覚まし、一気に覚醒した意識の下で自分の頬を伝っていたものを拭う。

 寝ているうちに、涙を流していたようだ。

 彼はそう判断し、天井を眺めながら額に手をやって小さく息を吐く。

 夢を見ていたことは覚えている。だが、内容が思い出せない。

 だが、自分が涙を流していたのは事実。余り良い夢ではなかったのだろう。

 彼は寝ていたベッドに腰かけると、僅かに震える自分の両手を見つめて目を細めた。

 寝る度に誰かが経験したことを夢に見て、時には瞼の裏に焼き付き、時にはすぐに忘れてしまう。

 ローグハンターは窓の外に目を向け、まだ陽が昇っていないことを確認した。

 彼はまたため息を吐くと、彼の隣で寝ていた銀髪武闘家が小さく呻くと目を開けた。

 彼女は背中を向ける彼に目を向け、寝ぼけながらも声をかける。

 

「眠れない?」

 

「いや、目が覚めただけだ」

 

 彼は上体を後ろに向けて笑んで見せたが、銀髪武闘家は不機嫌そうにむすっとして彼を睨んだ。

 

「それを眠れないって言うの。まだ夜でしょ?」

 

 目が覚めてしまったのか、彼女も彼の隣に腰かけると、僅かに腫れている目元に目を向けた。

 

「泣いてたの?」

 

「そうみたいだ」

 

「変な夢でも見た?」

 

「多分な」

 

 彼は曖昧に答え、ベッドに身を投げた。

 天井の木目を見つつ、瞬き一つでタカの眼を発動する。

 かつての彼ならば、ただ暗くなった視界に天井が見えていただけだ。

 だが今の彼には、天井の向こうにいる誰かや、壁の向こうにいる誰かの姿、隣の部屋にいる一党の二人の姿まで見ることが出来る。

 彼の知らないうちに、タカの眼がよく知るもの(4系)からよく知らないもの(ユニティ系)へと変わってしまったのだろう。

 性能が良くなったのは喜ぶべきことだが、問題はなぜ良くなったのかがよく分からないことだ。

 夢を見るようになってから妙に体が軽かったり、武器の扱いが上手くなったりと様々な変化があったが……。

 

「どうかしたの?」

 

 タカの眼の視界に、青い影が入り込み。

 彼はタカの眼を解除すると、寝転ぶ自分に馬乗りになった銀髪武闘家に目を向けた。

 

「別に、最近調子がな……」

 

「絶好調に見えたけど?」

 

「それが問題なんだが……」

 

 彼は寝転んだまま肩を竦め、机に置かれた自分の装備に目を向ける。

 ここ最近はバスタードソードとアサシンブレードによる二刀流が主だ。短剣は、完全な予備武器という扱いになり始めている。

 

「まあ、気にする程でもないか」

 

「うんうん、気にしない気にしない」

 

 どこか適当な銀髪武闘家の返事に、ローグハンターは小さく苦笑を漏らす。

 ギルドが開く時間はおろか、まだ朝日すら拝めない時間帯だ。

 彼はもう一眠りしようと目を閉じるが、布の擦れる音で再び目を開いた。

 状況を理解したローグハンターは、額を押さえてため息を吐く。

 

「おまえ、仕事があるんだぞ?」

 

「ふへぇ……我慢出来ない……」

 

 彼に馬乗りになっている銀髪武闘家が、自分の服に手をかけながら恍惚の表情を浮かべ、熱を帯びた息を吐いていた。

 添い寝を申し出てからというもの、彼女は彼へのスキンシップの一切を自重しなくなった。

 それが良いことなのかはわからないが、仕事に響かない程度で相手にする彼も彼だろう。

 頬擦りしてくる銀髪武闘家の耳元で、彼は苦笑を漏らして囁く。

 

「それは俺のセリフだ」

 

「ふぇ?」

 

 言うや否や、彼は彼女の肩を掴んで反転。上下逆となって彼女を押し倒す。

 目を丸くして驚く銀髪武闘家と、なぜか楽しそうに笑っているローグハンターという、いつもとは逆の構図となった。

 

「え、あ、ちょっと……?」

 

 目を泳がせて狼狽える銀髪武闘家に向け、ローグハンターは捕食者を思わせる獰猛な笑みを浮かべて見せる。

 

「火を着けたのはおまえだ」

 

 彼女は彼の目を見て、本気であることを悟る。

 彼女は「ちょっとからかってやろう」と考えた自分の浅はかさを恨み、最近の彼は妙に欲望に誠実なことを思い出し、それを忘れていた自分を更に恨む。

 結局その晩、二人が一睡もすることはなかった━━━。

 

 

 

 

 

 翌日のとある街道。

 フードを目深く被る男性に連れられて、()()()女性がそこを進んでいた。

 片方は一般的な魔術師をイメージさせるローブを動きやすいように改造したものを身に纏う、短く切り揃えた赤い髪の女性。

 もう片方は上等な革鎧を身に纏い、長短一対の剣を腰に下げ、蜂蜜色の髪を二つに括った女性だ。

 先頭を進むローグハンターは、申し訳なさそうにしながら後ろの二人に目を向ける。

 二人の表情には僅かな非難の色。視線だけでだが、明らかにローグハンターを責めているのは確かだ。

 彼は視線をさ迷わせると、小さく息を吐いて二人に言う。

 

「その、なんだ、申し訳ない……」

 

「その謝罪は何についてですか?」

 

「あいつを、行動不能にしたことについて、だ……」

 

「はぁ……」

 

 いつもの威厳はどこにやら、怒り心頭の女魔術師に対して、ローグハンターは何も返せない。

 彼の言うとおり、一晩中彼の相手をした銀髪武闘家は腰砕けとなり、今回の依頼に出られなくなってしまったのだ。

 一党のメンバーが減るということは、一人一人の負担が増えることと同義だ。

 頭目でありながら自らその事態を生み出した彼は、頭目失格と言われても何も返すことは出来ない。

 それ故に、今の彼は言われるがままの状態となっているのだ。

 

「今日は依頼をこなすと言ったのはあなたですよね?なんで、そんな日の前夜に限って、あの人と……」

 

「ああ、申し訳ない……」

 

 ローグハンターはろくに前も見ずに謝ると、彼らの行く手を阻むように複数人の男たちが現れた。

 

「やいやいやい、止まれ止まれ」

 

「あら、もう到着ですの?」

 

 話題を逸らすように令嬢剣士が言うと、それに合わせて女魔術師も立ち止まる。

 しかし、立ち止まらない人物が一人いた。

 

「だが、求めてきたのはあっちだぞ?ああ、そこは抑えてくれと言うんだろ?わかっている」

 

 ローグハンターだ。

 彼は一切前を向かずに前進を続け、そして、

 

「おい、兄ちゃん!止まれって言ってん━━━!」

 

 その山賊の言葉は、最後まで発せられることはなかった。

 ローグハンターが無意識下で左手を流れるように動かし、抜刀したアサシンブレードで道を塞いだ山賊の首を貫いたのだ。

 ローグハンターはハッとして視線を前に向け、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

 

「ああ、すまん。ぶつかってしまったようだ」

 

 そう言いながらアサシンブレードを引き抜き、腰に下げたバスタードソードを抜刀して身構える。

 

「テンメェ、よくも!」

 

 正面から降り下ろされた山賊の鉈をバスタードソードで受け流し、前のめりに体勢を崩した相手の耳の穴にアサシンブレードを滑り込ませる。

 直接脳を貫かれた山賊は即死し、白眼を剥いて崩れ落ちた。

 

「二つ」

 

 ローグハンターはいつも通りに数を刻み、ロープダートを飛ばして山賊の首にフックをめり込ませる。

 

「三つ」

 

 言いながらロープダートを巻き取り、首の肉を削り落として無力化。

 反転ついでにバスタードソードで突きを放ち、また一人の喉笛を貫いて殺害。

 

「四。ついでに━━」

 

 ピストルを引き抜いて発砲。眉間を撃ち抜いて即死させる。

 

「五だな」

 

 一分足らずで五人を瞬殺して見せた彼の姿に、山賊たちは恐れ(おのの)く。

 

「ま、まさか、ローグハン!?」

 

 言い切る前にバスタードソードの一閃で腹を裂かれ、臓府をぶちまけて死に絶えた。

 

「六。残りは━━」

 

「終わりましたわ!」

 

 残敵を確認しようときた矢先に、令嬢剣士の報告が届く。

 そちらに目を向けて見れば、既に伸されている山賊四人の姿。

 令嬢剣士の軽銀の刃と女魔術師のリストブレードに血が付着していることを確認して、接近戦で仕留めたことは間違いないだろう。

 ローグハンターは短く息を吐き出すと、バスタードソードを納刀する。

 

「お疲れさん。それじゃあ……」

 

 帰るかと言いかけて、彼は僅かに紫色になり始めている空に目を向けると、小さく唸った。

 

「近くに宿があれば助かるんだが……」

 

 言いながら倒れる山賊たちの懐を探って近場の地図を探し、血に濡れたそれを引っ張り出す。

 地図を睨みながらタカの眼を発動し、血で見えない部分も見られるようにすることも忘れない。

 周辺を警戒する二人に向けて、目的地の目星をつけたローグハンターは告げた。

 

「近くに知識神の寺院があるようだ。一晩泊めてくれるだろうか」

 

「先生は銀等級なのですから、大丈夫だと思いますが」

 

「だと良いんだが」

 

 ローグハンターは肩を竦めると、その地図を丁寧に畳んで懐に押し込んだ。

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

「承知しましたわ」

 

「はい」

 

 いつも通りの令嬢剣士と不機嫌そうな女魔術師の返事に、ローグハンターは苦笑した後にため息を漏らした。

 この調子の彼女らと一晩同じ部屋に押し込められるのは、流石の彼であっても避けたい。

 出来れば二部屋空いていることを祈りながら、彼は二人を引き連れてその場を後にした。

 野晒しとなった遺体の目を閉じさせることも忘れず、祈りを捧げることも忘れないのは、彼にもプロ意識があるからだろう。

 

 

 

 

 

 ほどなく三人は、件の知識神の寺院にたどり着いた。

 修道女たちに歓迎された彼らはそれぞれで部屋を借りることに成功したが、ローグハンターは荷物を部屋に置くだけおいて書庫に赴いていた。

 数えるのが馬鹿に思えるほどの書物が押し込められたそこは、窓から差し込む月明かりに照らされて幻想的に輝いて見える。

 彼はその光景には目もくれず、タカの眼を発動した。

 じっと細められたタカの眼には、いくつかの書物が金色に輝いて見える。

 彼は手近な一冊を手に取ると、何ページか確認して本棚に押し込む。

 それを何度か繰り返し、彼はとある書物を手にとって目を細めた。

 タカの眼を解除して表紙を見つめ、また発動して眉を寄せた。

 その本の表紙には、タカの眼でなければ見えない柄が描かれているのだ。

 その紋章は彼がよく知るもの。

 見た目はアルファベットの『A』のようでいて、よく見れば(やじり)や刃の切っ先のようにも見てとれる、元の世界における(アサシン)の象徴たる紋章だ。

 彼は無言でその本を開き、中身を確認しようとした時だ。

 品の欠片もない喧しい嗤い声が、耳に響き始めた。

 彼は瞑目して苛立ちをぶつけるように本を閉じ、それを元あった場所に押し込んだ。

 玄関のあるロビーまで移動し、タカの眼を発動。

 壁の向こうに蠢く赤い影を確認し、カウンターに本を置いたまま船を漕いでいた受付係に声をかけた。

 

「おい」

 

「……ハッ!は、はい、何でしょうか!」

 

 ずれた眼鏡を直しながら覚醒した受付係に、ローグハンターは淡々と告げた。

 

「俺の連れを呼んできてくれ。それが済んだら、ここにいる奴らを集めて倉庫か何かに隠れてろ」

 

「あ、あの……?」

 

 いきなりの指示の応酬に困惑する受付係の姿にため息を吐き、腰に下げたピストルを引き抜いた。

 

「っ!な、何ですかそれは!?」

 

「良いから、指示通りにしてくれ」

 

 言いながら彼は闇の向こうに向けて発砲。

 銃声に続いて聞こえたのは、醜いゴブリンの断末魔。

 それに気づいた受付係は体を強張らせたが、ローグハンターがその肩を叩いて告げる。

 

「早く行け。俺が抑える」

 

「ですけど……」

 

 言いかけた受付係は、彼が首から下げている認識票を見て何となく表情を和らげた。

 銀等級の冒険者がいるだけで、こんな状況でも余裕が生まれる。

 ローグハンターは不敵に笑むと、声の大きさを落として言う。

 

「頼んだぞ」

 

「はい……」

 

 彼に合わせて声を落とした受付係は頷くと、カウンターをすり抜けて奥へと消えていった。

 彼女の背中を見送ったローグハンターは、バスタードソードとアサシンブレードを構える。

 ゴブリンの数はおよそ二十。やれなくはないが、無理は禁物といった数だ。

 

 

 

 

 

 その日、ゴブリンたちは揚々とその寺院に忍び込んだ。

 間抜けにも放置されていた防壁の穴を潜り抜け、中にあるものを蹂躙し、こんなところに籠っている馬鹿な女たちが死ぬまで悦しむ。

 ゴブリンたちの思考はいつも通りだ。自分たちが一番上だということを信じて疑わない。

 そして先頭きって寺院に忍び込んだゴブリンの頭が、次の瞬間に吹き飛んだ。

 ゴブリンたちは驚きこそすれど、仲間の死を悲しむことはない。むしろ理不尽に仲間が死んだことに憤るほどだ。

 ゴブリンたちはその穴を通って寺院の中に雪崩れ込み、そして見た。

 窓から突き刺す月明かりを背にして立つ男の姿。

 仲間を殺したのはあいつだろうと決めつけたゴブリンたちは、その男に向けて一斉に向かっていく。

 その男はフードの下で不敵に笑むと、手に忍ばせていた球体を床に叩きつける。

 瞬間発生した煙がロビーを包み込み、ゴブリンたちの視界を潰す。

 困惑するゴブリンたちだが、次々と断末魔の声が上がり始めた。

 初めは気のせいかと聞き流していたゴブリンたちだが、すぐさま異変を察して何かの影が見えたら飛びかかって得物を叩きつける。

 だが上がるのはゴブリンの悲鳴だけであり、彼らは同士討ちでその数を減らしていく。

 物陰に身を潜めたローグハンターは、小さく肩を竦めて息を吐いた。

 ゴブリン狩りの定石(テンプレート)のようになっているが、もう少しバリエーションを増やすべきか。

 彼はそこまで思慮して首を横に振った。

 想像力は武器になるが、相手に大打撃を与えられるものが決まっているのなら、それは生かすべきだろう。

 

「先生、ご無事ですか」

 

 物陰に身を潜めながら近づいてきた令嬢剣士が問いかける。

 僅かに寝癖がついているところを見るに、寝ていたのだろう。

 彼は視線を動かして、同じく身を潜める女魔術師と、見慣れぬ女性━━おそらく旅人━━が剣を片手に息を潜めていた。

 ローグハンターは肩を竦めると、そっとゴブリンたちの様子を探る。

 流石のゴブリンたちも落ち着いてきたのか、それぞれで周囲に目を配って警戒していた。

 数は十。負傷は三。無傷は七。剣二、棍棒五、槍が三。

 

「仕掛ける。魔術師はその旅人を援護してやれ」

 

「はい。行ける?」

 

「だ、大丈夫です……」

 

 二人がそのやり取りを終えた頃を見計らい、ローグハンターと令嬢剣士が同時に物陰から飛び出した。

 困惑するゴブリンたちに対して、ローグハンターと令嬢剣士はそれぞれの両手に握った得物を喉元に叩き込み、一気に四匹討伐。

 

「こんの!」

 

 女性旅人が手入れの行き届いた己の得物を振り下ろして一匹追加。

 

「GRB!!」

 

 その背中に向かってゴブリンが飛びかかるが、

 

「フッ!」

 

 女魔術師の放った杖の仕込み刃の一撃で眼窩を貫き、即死させてもう一匹。

 

「残りは━━」

 

「そこですわ!」

 

 令嬢剣士の軽銀の突剣の一閃がゴブリンの首を跳ね、その横ではローグハンターがアサシンブレードで喉を裂いて一匹、バスタードソードで脳天をかち割ってさらにもう一匹屠る。

 

「残敵二。……で、どこだ」

 

「ッ!逃げようとしてますわ!」

 

 令嬢剣士が壁の穴を指差して叫ぶと、ローグハンターと女魔術師が同時に動く。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」

 

 放たれた『力矢(マジックミサイル)』がゴブリンの背中を撃ち抜いて貫通。

 間髪入れずにローグハンターが放った銃弾が残りの一匹の頭を撃ち抜いて弾け飛ばした。

 同時にタカの眼を発動して残敵を探し、それがいないとなれば納刀する。

 

「とりあえず終わったな。念のため俺は警戒に起きているが、おまえらも出来るならここにいてくれると助かる」

 

「はい」

 

 女魔術師が頷くと、彼は令嬢剣士と女性旅人に目を向けて指示を出す。

 

「おまえらは修道士たちの護衛に付け。念のためだ」

 

「わかりましたわ。行きましょう、旅人さん」

 

「え、あ、はいぃ!」

 

 疲労が滲む女性旅人を引きずる形で令嬢剣士がロビーを後にして、ローグハンターはその背中を見送って肩を竦めてため息を吐いた。

 ローグハンターと女魔術師が見張りについたその晩、ゴブリンたちが訪れることはなく、読書にはうってつけの静かな夜を過ごすことには成功した。

 ただ、その夜の中で読書出来たかどうかは別の話だ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory02 旅の予感

物語を始める前に、一つお知らせです。
鉱人道士のローグハンターの呼び方を「フードの」から「頭巾の」へ変更しました。
一応過去話は直しましたが、抜けがあった場合はよろしくお願いします。


 ゴブリンの襲撃から一晩。

 既に陽は昇り、血の海となった知識神の寺院のロビーの片付けが始まっていた。

 ゴブリンとは言え、死んだ者を蔑ろにしていいわけではない。知識の神を崇める場所だとしても、ここは寺院なのだからそれは当然だ。

 朝一から行っていたその作業も昼前には終了し、ローグハンターの一党は小休止を挟んで出発の手筈を整えた。

 

「あの、ありがとうございました」

 

 代表の修道女が頭を下げると、ローグハンターは苦笑して肩を竦めた。

 

「気にするな。報酬は貰った」

 

 そう言う彼の小脇に抱えられているのは昨晩見つけたきり、全く読むことの出来なかった本だ。

 思わぬ収穫に上機嫌な彼を他所に、謎の文字が刻まれた粘土版をバッグに押し込んだ女魔術師が、荷物の位置を調整しながら言う。

 

「次の仕事も決まったので、一旦ギルドに戻りましょう。本来の仕事の報酬もまだですから」

 

「そうだな」

 

 ローグハンターはタカの眼を通して本の表紙を睨み、アサシンのシンボルが描かれていることを確認。

 毎回タカの眼を使わなければならないのは少々面倒だが、別にデメリットがあるわけでもないから、問題はないだろう。

 端から見れば本の表紙を睨んでいる姿は、何とも不気味に見える。

 令嬢剣士は困り顔でため息を吐くと、あの戦いを共にした女性旅人に目を向けた。

 

「あなたも街までご一緒しますの?」

 

「はい。そうさせてもらいます」

 

 ニコニコと笑う女性旅人の姿に令嬢剣士も笑みで返し、本を睨む頭目と修道女と話し込む女魔術師に言う。

 

「お二人とも、そろそろ出発しませんと」

 

「ああ、すまない。行くぞ」

 

 ローグハンターはそう言うや否や踵を返し、寺院の出入口を目指して歩き出す。

 

「はい。では、お気を付けて」

 

 彼の号令に女魔術師は頷くと、修道女たちに声をかけて彼の背中を追いかける。

 令嬢剣士、女性旅人も二人の後ろに続き寺院を後にした。

 彼らの背中を見送った修道女たちはホッと息を吐き、ある一人が同僚に声をかける。

 

「それにしても、あの人はなんで()()()()()()()()()()なんかを報酬に要求したんですかね?」

 

「さあ?」

 

 声をかけられた側も困り顔で返事をすると、代表がパンパンと手を叩いてその場に集まる面々に言う。

 

「ほら、まだやることはあるのですから、仕事してください」

 

 それに差違はあれど皆が返事を返し、各々の仕事に取りかかる。

 本来崩される筈だったものは守られ、いつもと変わらない、緩やかな時間が流れ始める。

 

 

 

 

 

 翌日、辺境の街。

 冒険者ギルド端の指定席を陣取るローグハンターは、タカの眼を通して本の内容を熟読していた。

 尤も、書かれているのは暗殺法のコツを始めとした指南ばかりだ。

 その全てを理解している彼にしてみれば、退屈に他ならない。

 だが、今の彼は『師』でもあるのだ。技術の確認ついでに後輩に教えるコツも知れると言うのは、一石二鳥と言って良いだろう。

 彼の隣に腰かける銀髪武闘家は、そっと彼の本を覗きこんで首を傾げた。

 

「ねぇ」

 

「どうかしたか」

 

「何か書いてあるの?」

 

「俺の眼には文字が見えるが」

 

「そう、なんだ……」

 

 彼の眼が特別なことは知っているが、見えない字を読むことまで出来るとは予想外だ。

 銀髪武闘家は今回は首を突っ込むことを諦め、ギルドを見渡した。

 夏の始めとなったこの時期は、いかに冒険者と言えど冒険に出る人数はぐっと減る。

 誰が好き好んで炎天下の中歩き続け、魔物と切った張ったをしたがるのか。

 彼女の隣に好き好んでならず者(ローグ)と切った張ったをする人物がいることを棚に上げて、彼女は机に突っ伏してため息を吐いた。

 この二日はずっと安静にしていたのだ。いい加減体を動かしたい気持ちは山々だが、外に出たくはない。

 自分の内に渦巻く矛盾と戦いつつ、真剣な表情で本と向き合うローグハンターに目を向けた。

 戦闘中とはまた違うその表情は、眼鏡でもかけてやれば立派な学者にも見えるだろう。

 彼の横顔を見つめてニコニコしている彼女を他所に、隣の卓に座る妖精弓手は故郷からの手紙━━驚くことに葉に文が書かれている━━に目を通し、他人事のように告げた。

 

「━━結婚することになったみたい」

 

「なるほど、これはすごいな」

 

「でしょう?」

 

 ローグハンターの口から漏れた相づちに、妖精弓手は上機嫌そうに長耳をひくつかせる。

 やや間があって、彼女の言葉を理解したゴブリンスレイヤーとローグハンターの一党の面々は驚きを露にする。

 鉱人道士は口に含んだ酒を吹き出し、女神官は「おめでとうございます!」とパッと表情を明るくさせ、蜥蜴僧侶は興味深く息を吐いた。

 女魔術師は思わぬ事態に体を固め、令嬢剣士は何故か照れ臭そうに顔を赤くさせる。

 聞き耳を立てていた受付嬢は「はい?」と聞き返し、監督官は目を輝かせる。

 妖精弓手の言葉はギルドに伝播していき、他の冒険者たちの間にすら波紋を広げていく。

 ゴブリンスレイヤーだけはいつもの調子で淡々と言う。

 

「誰とだ」

 

従兄(いとこ)と」

 

「む、これは興味深い」

 

「でしょでしょ!」

 

 ローグハンターがまた相づちを入れ、妖精弓手は珍しく絡んできてくれるからか上機嫌そうに笑う。

 彼女を他所にローグハンターはページをめくり、再び読みふける。

 銀髪武闘家は彼の発言が本の内容に向いていることを理解して、苦笑混じりに染々と言う。

 

「でも、結婚か~」

 

「やっぱり、意識しちゃう?」

 

 妖精弓手の問いかけに、銀髪武闘家は顔を赤らめて俯いた。

 無言とは、時に言葉を発するよりも雄弁である。

 妖精弓手はいたずらっぽく笑みを浮かべると、ゴブリンスレイヤーとローグハンターの一党に向けて言う。

 

「まあ、それはそれとして、結婚式があるから皆も来ない?」

 

 彼女の提案に各々が肯定的な反応をするなか、ゴブリンスレイヤーが問いかけた。

 

「それで、その従兄と誰が結婚するのだ」

 

「私のねえ様よ」

 

『…………』

 

 悪びれた様子もなく返した彼女に、鉱人道士はため息を漏らし、蜥蜴僧侶は愉快そうに笑って見せる。

 黙々と本を読むローグハンターを他所に、ゴブリンスレイヤーは腕を組んで黙りこむと、低く唸り、難しそうな声を漏らした。

 

「俺は━━」

 

「駄目です」

 

 彼が何かを言い切る前に、女神官がぴしゃりと笑顔で割り込んだ。

 思わぬ事態に言葉を呑み込んだゴブリンスレイヤーに、ぴっと指を突きつける。

 

「せっかくのお誘いなんですから、行かないと駄目です」

 

「それはそうかもしれんが……」

 

「ゴブリン退治は他の人に回してもらうように頼んでみましょう」

 

「むぅ」

 

 出来の悪い弟の面倒を見る姉の如く、彼女はゴブリンスレイヤーの退路を次々と塞いでいく。

 そして「善は急げですね!」とゴブリンスレイヤーを連れて受付へと向かっていった。

 妖精弓手は二人の後を追おうとして、ローグハンターに目を向けた。

 彼は黙々と本を読んでいるが、相づちを入れたからには聞いていたのだろう。

 それでも話に入ってこなかったのは、恋人を前にして照れているから。

 彼女はそう推理して小さくため息を吐くと、彼の手から本を奪うと代わりに指を突きつけた。

 不満げなローグハンターに向け、彼女は矢継ぎ早に言う。

 

「あんたも来なさいよ!お誘いしたんだから」

 

「……何の話だ」

 

 困惑しながら首を傾げる彼に、銀髪武闘家が耳打ちで状況を説明した。

 それを受けたローグハンターは頷くと、彼女の持つ本に手を伸ばしながら言う。

 

「お誘いはありがたいが、後輩を預かっているから余り留守に━━」

 

「あいつらなら、俺に任せとけ」

 

 彼の言葉を遮って彼らの卓に腰かけたのは、彼と同じ銀等級冒険者の重戦士だ。

 彼は妖精弓手に「任せろ」と言わんばかりに目を向けるとローグハンターに言う。

 

「あいつらの面倒と、ついでに野盗狩りもやっといてやる。遠慮せずに行ってこい」

 

「だが、おまえらにも仕事が━━」

 

「だから、人の善意は受け取っておけって。今度酒でも奢ってくれりゃそれで良いからよ」

 

 一方的にまくし上げてくる重戦士に困る彼に向けて、妖精弓手は追撃を放つように告げる。

 

「その話は置いておいて。ちょうど良かった、あんたを故郷に連れていきたかったのよ」

 

「どうした、いきなり……」

 

 上の森人が真剣な表情をすれば、それはまさに誰もが見惚れる絵画の如くだ。

 だがローグハンターは一切そんな様子もなく問いかけると、妖精弓手が彼の眼を見ながら言う。

 

「昔ね、あんたと同じ眼をした奴が来たことがあるの」

 

「それがどうした」

 

 僅かに怪訝そうな様子のローグハンターだが、一旦水分補給と葡萄酒に口をつける。

 冷たかった葡萄酒はギルドの熱気にやられてぬるくなっているが、彼がそんな事を気にすることはない。

 

「私が森を出るときにね、爺様(じいさま)が言ってたのよ。『彼と同じ眼を持つ者を見つけたなら、ここに連れてきてくれ』ってね」

 

「念のためだが、そのおまえが会ったという奴は男か」

 

「そうね」

 

「特徴は?」

 

「ええと、どんな顔だったかな?」

 

 うんうんと唸る彼女を他所に、鉱人道士がローグハンターに言う。

 

「ま、耳長娘の昔じゃ、何百年も前のことじゃろうな」

 

「同郷の情報は欲しいが、流石に先祖の情報はいらないぞ……」

 

「そうは言っても、気になるのでしょう?」

 

 チーズをかじった蜥蜴僧侶が問うと、ローグハンターは何とも言えない表情で重々しく頷いて見せた。

 妖精弓手は思い出したのかパッと表情を明るくすると、彼の口元の傷を指差す。

 

「あんたみたいに口に傷があったわ!」

 

「怪我の一つや二つが特徴と言えるのか?」

 

 ローグハンターが肩を竦めながら言うと、隣の銀髪武闘家が「言えないの?」と小さく漏らした。

 彼の場合は独特な衣装が真っ先に目を引くが、次に視線を集めるのは口の傷だろう。それを特徴と言わずに何と言う。

 ローグハンターは一息で残りの葡萄酒を一気に飲み始めると、妖精弓手が「あとね」と付け足して目を細めた。

 

「そいつの名前も思い出したのよ?」

 

「名前、ね」

 

 どうせ聞いたところでと言わんばかりに息を吐くローグハンターに向けて、彼女は得意気にその人物の名を告げる。

 

「天に輝く鷲を冠する名前。そいつの名前は確か」

 

 

 ━━━アルタイル。

 

 

 彼女がその名を口にすると、ローグハンターは弾かれるように立ち上がる。

 その眼には確かな困惑の色が宿り、僅かに視線が泳いでいた。

 彼の反応が意外だったのか、妖精弓手をはじめとしたその卓を囲む面々は顔を見合わせて首を傾げた。

 何とも珍しい彼の反応に、銀髪武闘家は僅かに心配げに彼の手を引き、一旦席につかせる。

 ローグハンターは卓に肘をつきながら顔を両手で覆うと、大きめのため息を吐き出す。

 鉱人道士は髭をしごくと、ローグハンターに言う。

 

「頭巾の。随分と狼狽えとるが、何者じゃ、そのアルタイルとかいうんは」

 

 ローグハンターは落ち着きを取り戻すと、懐かしむように彼らに説明を始めた。

 

「父から聞いた事のある名前だ。『伝説』として、な」

 

「ほお、斥候殿のお国の英雄が、まさかこちらにも来ていたとは」

 

「なんじゃい、噂かと思っとったんか?」

 

 鉱人道士の問いかけに、ローグハンターは首を横に振った。

 

「冗談だったのか本気だったのかはわからないが、俺のご先祖だそうだ……」

 

「なんと!」

 

 英雄が先祖ということもあってか、蜥蜴僧侶の目が輝いた。

 彼もまた偉大なる父祖を持つ者。仲間に英雄の子孫かもしれない男がいたことに驚き、出会いに感謝を捧げるように奇妙な手つきで合掌し始める。

 妖精弓手は長耳を動かすと、何故かどや顔をしながら彼に言う。

 

「まあ、本当にご先祖様なのかは置いておいて、どうするの?」

 

 彼女の顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでおり、彼をからかっていることは見れば明らかだ。

 渋るローグハンターを妖精弓手は更に追撃する。

 

「ご先祖がどうして私の故郷に来たのか。どうして翁様が何百年もたっても約束を忘れなかったのか。気になるでしょ?」

 

 ローグハンターは重苦しくため息を吐くと、負けたと言わんばかりに首を縦に振った。

 

「なら決まりね!オルクボルグとあんたの一党と、あと受付さんも誘って、あとは━━━」

 

 彼女は本を彼に返すと、あれやこれやと決めながら受付嬢と話し込むゴブリンスレイヤーと女神官の元へ。

 ローグハンターは彼女の背中を見送ると、返して貰った本の最後のページを開いてタカの眼を発動。

 そこに書かれたおそらく筆者が残したメッセージを見つけ、小さく肩を竦めてため息を漏らした。

 

「過去と向き合う時、か……」

 

『この地に流れ着いた兄弟姉妹たちへ。アルタイル・イブン・ラ・アハド』

 

 伝説のアサシンが残した書物が、何かの形でこの時代まで残り、巡りめぐって自分の手に渡ることになった。

 その事に何か意味があるのか。アルタイルが帰還を果たしたと言うのなら、自分もまた帰還出来るのではないか。

 一人考え込むローグハンターの手に、誰かの手が添えられた。

 彼はタカの眼を解除すると、その手の主に目を向ける。

 心配顔の銀髪武闘家が、そっと彼の手を握ってくれているのだ。

 

「何かあったら相談すること。忘れないでね」

 

 その言葉にハッとして、彼は首を左右に振った。

 何を考えているのだ。あれから六年も経つと言うのに、今さら元の世界に戻ってどうなるというのだ。

 何より、帰りたくない理由が目の前にいるではないか。

 ローグハンターは彼女の手を握り返す。

 

「ああ、わかってるさ。これは俺だけの問題でもなさそうだ」

 

「それはどういうこと?」

 

 疑問符を浮かべる銀髪武闘家の頬を優しく撫でると、ローグハンターは微笑を浮かべた。

 

「おまえと添い遂げるためにも、この問題は片付けないとならない。そんな気がする」

 

「そ、そい……!?」

 

「何か変なことを言ったか?」

 

「ううん!全然変じゃないよ!?」

 

 上擦った声を上げて、顔の前で手を振る彼女の姿にローグハンターは小さく首を傾げた。

 上機嫌な妖精弓手が戻ってくると、彼女の一存で様々な予定が決められていく。

 ゴブリンスレイヤーは言葉もなく肩を竦めると、何ともなしにローグハンターに目を向けた。

 それを受けたローグハンターは、たまには長旅も悪くないかと肩を竦めて苦笑を漏らす。

 だが、休みに入る前に━━━。

 

「いくつか仕事をこなすとするか」

 

「そうだね~」

 

「はい」

 

「わかりましたわ」

 

 ローグハンターの号令に一党の三人が頷くと、彼は依頼を探して依頼掲示板(クエストボード)に向かった。

 とりあえず、今日はいつも通りに過ごす。考えるのは問題に直面した時だ━━━。

 

 

 

 

 

 とある自然豊かな森の中。

 そこには異様な光景が広がっていた。

 木から吊り下げられたいくつもの死体。おろらく冒険者のものだろう。

 種族から真新しいもの、死後数日経っているものまで、同じものは一つとしてない。

 

「GRRB……」

 

 そんな死体を見つめる者が一人いた。

 一人と言っては語弊があるか。正確には一匹のゴブリンだ。

 その体躯は大人の只人(ヒューム)ほどあり、そこに詰め込まれる筋肉には一切の無駄がない。

 白いローブを森を吹き抜ける風に揺らし、背中には吹き矢。腰には半月刀(カトラス)が下げられている。

 

「GOORG」

 

 だがしかし、そのゴブリンには左腕がなく、残された右腕にのみアサシンブレードが付けられている。

 ローグハンターが危惧していたもう一匹の小鬼(ゴブリン)暗殺者(アサシン)

 とある森を縄張りとし、近くを通りかかった冒険者や旅人、行商人を見境なく襲撃し、時には仲間たちへの娯楽を確保する。

 それが彼の仕事であり、役目(ロール)だった。

 彼もそれに異議を唱えることはなく、ただ黙々とそれをこなしていく。

 小鬼暗殺者は近くの木の根本に目を向け、邪悪に笑む。

 そこにいるのは捕獲した女性冒険者が一人。

 

 ━━━拠点に連れて帰る前に、悦しませて貰おう……。

 

 たまに息を抜くのがコツだと、彼は理解している。

 そして、バレたところで群れの頭目が許すことも知っている。

 威張り散らしていた頭目(シャーマン)の目をくりぬいた時は、周囲の仲間と共に爆笑したものだ。

 小鬼暗殺者は女性冒険者を担ぎ上げ、茂みを掻き分けて走り始める。

 これから起こる戦いは、かつてないほどの規模になる筈だ。それに備えておかなければ。

 小鬼暗殺者は森の闇に消えていき、そこに残ったのは死体だけ。

 天高く飛ぶ一羽の鷹が上空からその様子を眺めると、どこかへと向けて飛び去っていった━━━。

 

 

 

 

 




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Memory03 届け物

 西の辺境、水の街。

 辺境でも指折りの安全地帯であるその場所は、ゴブリンによる殺人事件が多発した場所とは思えない(のどか)さが流れていた。

 そこに降り立ったローグハンターは、フードを目深く被りながら馬車に目を向けた。

 自分の一党の三人とゴブリンスレイヤーの一党が全員いることを確認し、受付嬢もいることを確認。そして、

 

「どう、牛飼さん。ここが水の街だよ」

 

「す、すごいねぇ……」

 

 銀髪武闘家に手を引かれて馬車から降りた牛飼娘を確認した。

 彼女もまた妖精弓手の友人として招かれ、件の結婚式を見に行くことになったのだ。

 欠員無しで全員到着。

 たったの三日、されど三日。慣れない女性二人を連れているのだ、いつだって油断は出来ない。

 彼は一度息を吐くと馬車の後ろに回って荷台に取り付く。移動するにしても、荷物を降ろさなければならない。

 真っ先に厳重に密閉された木箱を降ろし、また次と続けていく。

 ついでに仲間たちの分の荷物も降ろし、それぞれを持ち主に手渡し、肩を回して首を鳴らす。

 

「ありがとうございます」

 

「気にするな。仕事と、そのついでだ」

 

 受付嬢のお礼に淡々と返すと、ぽつんと放置された木箱に目を向けた。

 森人の里に行くには船が必要で、その船に乗るには水の街に行かなければならない。

 ならばと駄賃目当てに配達依頼をいくつか受け、こうして荷物を整理したのだが、

 

「これは神殿まで運ばなければならないのか」

 

 肩を竦めて誰に言うわけでもなく愚痴をこぼした。

 彼の横では女性陣が何やら談笑しており、男性陣はゴブリンスレイヤーを中心に去年の戦いを振り替える。

 完全に話に乗り損ねた彼はため息を漏らし、受付嬢に目を向けた。

 彼の視線を受けた受付嬢は朗らかな笑みを浮かべると、回りの友人たちに言う。

 

「では、私はこちらのギルドの方にご挨拶と、依頼達成の報告をしてきますね」

 

 こうして段取りをしてくれる辺りが、役人としての気遣いというものなのだろう。

 今回はただ目的地に行き、対象を倒すだけではないのだから、尚更だ。

 

「後は荷運び、宿、船の手配、それとお土産ですね」

 

「お土産と言っても、新婦さんの好みがわかりませんね」

 

 女魔術師が言うと、妖精弓手が「それは任せといて!」といつも以上のテンションで返す。

 久々の里帰り、彼女もはしゃいでいるのだろう。

 ローグハンターはそう判断すると、木箱を持ち上げて小さめの荷車に乗せ始める。

 

「それじゃあ、こいつを神殿に運ぶとするか」

 

「あ、私も━━」

 

「いや、俺一人で十分だ」

 

 手伝おうと手を挙げた銀髪武闘家を一言で制すると、女性陣に目を向けると微笑を漏らす。

 

「久々に大きい街に来たんだ。買い物ぐらいしてこい」

 

「で、でもさぁ……」

 

 買い物をしたいという気持ちはあったのか、彼女は困り顔でもじもじと身を捩る。

 彼女の姿にローグハンターは苦笑を漏らし、受付嬢に目を向けた。

 

「しばらく頼めるか。ただし、酒だけは飲ませるな」

 

 真剣な表情で言う彼に、受付嬢は困り顔で頷く。

 蜥蜴僧侶はちろりと鼻先を舐めると、荷車の横棒を掴んだローグハンターに言う。

 

「では、拙僧らで諸々の手続きを進めておくとしよう。術士殿、小鬼殺し殿、宜しいか」

 

「わしゃぁ、構わんが、かみきり丸はどうじゃい?」

 

「ふむ……」

 

 問われたゴブリンスレイヤーは牛飼娘とローグハンターの姿を交互に追い、悩んでいるのか小さく兜を傾げて見せた。

 ゴブリンがいるかもしれないと考えると、女性陣の護衛をしたいという気持ちがある。

 しかし、ゴブリンが狙った寺院に納められた粘土板を、またゴブリンが狙っている可能性もある。

 くよくよ悩まずに行動せよと習ったが、いざこうなると中々に難しいものだ。

 そんな彼の姿にローグハンターは横棒を支えながら肩を竦める。

 

「俺のことは気にするな。ゴブリンに遅れはとらん」

 

「そうか。ならば俺も手続きを手伝おう」

 

「なんだ、女性陣の荷物持ち(ごえい)はしないのか?」

 

 ローグハンターのからかい半分の言葉に、ゴブリンスレイヤーは彼女らに目を向け、小さく唸る。

 冒険者は銀髪武闘家と令嬢剣士、女魔術師、女神官の四人。

 

「前衛二、後衛二。問題ないだろう」

 

「そうか……」

 

 どこに行っても仕事のことばかり考える友人の姿勢に困りつつ、彼は蜥蜴僧侶に目を向けた。

 

「それじゃあ、諸々決まったら神殿に誰か寄越してくれ」

 

「承知していますとも。では、各々参りましょうや」

 

 彼の号令一つで男性陣は諸々の仕事へ、女性陣は買い物へと向かう。

 一人歩き出したローグハンターの背中に、僅かな不安を孕んだ視線を向ける銀髪武闘家を差し置いて。

 

 

 

 

 

 運河を流れる水の音、人の営みの音を聞きながら、ローグハンターはひたすら荷車を引いていく。

 時折向けられる視線を無視して、彼は記憶を頼りに道を進み、視線の先に見え始めた法の神殿に目を向けた。

 昨年に訪れた時と何一つとして変わらない、白亜の円柱で構成された壮麗な神殿。

 正面玄関からは、神官らが何かの書類を抱えて忙しなく出入りしている。

 それに混ざる深刻そうな顔をした人々は、神殿で執り行われる裁判の関係者だろう。

 この世界における法、正義、秩序、光を尊ぶ、至高神の大神殿。

 西の辺境随一の安全地帯は、去年の今ごろはゴブリンと邪教徒の仕業で多くの血が流れた場所だ。

 ローグハンターは荷車を押して待合室に入り込むと、瞬き一つでタカの眼を発動。

 赤い影が写らないことを確認すると、ちょうど良くサンダル履きの若い神官が駆け寄ってくる。

 口の中で何やら言っていたが、『看破(センス・ライ)』の奇跡でも使ったのだろうと判断してローグハンターは切り出した。

 

「依頼の品を運んできた。ローグハンターと言えばわかると思うが」

 

「かしこまりました、少々お待ち下さい」

 

 若い神官は一礼すると奥へと消えていき、図らずも一人残されたローグハンターは困り顔で頬をかく。

 回りから向けられる視線は奇異の色が強く、警戒していることは明らかだ。

 何かしてきたところで即殺するだけなのだが、こんな場所で殺人事件を起こす訳にはいかない。

 彼はため息を漏らし、横棒を置いて荷台に寄りかかった。

 リンゴがあればかじるのだが、こういう時に限ってないのだから困るものだ。

 待つこと数分。先程の若い神官に連れられて、年かさの女性が現れた。

 念のためとローグハンターは彼女にも事情を話す。

 

「依頼の品を届けに来た。粘土板を何枚だったか……」

 

(うけたまわ)っておりますとも。大司教(アークビショップ)がお待ちです」

 

「わかった」

 

 彼は荷車の横棒を持ち直して歩き出す。

「お待たせしました」と頭を下げてくる若い神官に「気にしないでくれ」と返して横を通り過ぎる。

 年かさの女性━━侍祭(アコライト)は腰をくねらせ、歩く度に下品にならない程度に尻が揺れる。

 裁判での印象操作のために行われた鍛錬の賜物だろうと思えば、まったく気にならない。

 それ以前に、想い人がいるローグハンターが目移りするわけもないのだが……。

 

「それにしても、裏口に回ってくださればお待ちもしませんでしたのに」

 

「入ってもいいのなら、次からはそうさせて貰おう。機会があればの話だが」

 

 彼が苦笑混じりに返すと、侍祭はニコニコと笑い顔で言う。

 

「来てくだされば、きっと大司教様もお喜びになりますよ」

 

「そうか」

 

 それで話は終わりだと言うように、ローグハンターは口をつぐむ。

 侍祭は彼のいきなりの切り替えに困り顔で苦笑するが、ローグハンターは気にしない。

 審判の行われる法廷、書庫の並ぶ廊下を過ぎて更に奥。

 昨年と変わらない道順でたどり着いた場所は、やはり昨年と同じ場所。

 幾つもの円柱が立ち並び、隙間から注がれる陽光は祝福が如く。

 最奥には至高神の像を掲げる祭壇が一つ。

 そしてその祭壇に向けて祈りを捧げる女性が一人。

 彼女はふと顔をあげ、顔に柔らかい笑みを浮かべながら振り向いた。

 見えざるその瞳にも、はっきりと見える蒼い瞳。

 抑えきれぬ悦びを滲ませて、彼女は声を漏らす。

 

「来て、くださったのですね……?」

 

 僅かな布擦れの音を伴い、薄布一枚に包まれた豊満な胸が揺れる。

 見るものが見たならば、赤面しながら生唾を飲み込むことは間違いないだろう。

 しかし、ローグハンターは一切動じた様子もなく、フードを取り払って微笑を浮かべた。

 

「良く眠れているようだな、顔色が良い」

 

「はい……おかげ様で」

 

 大司教━━剣の乙女は赤くなった頬を隠すことも忘れ、あどけない娘のように微笑む。

 二人の様子を見ていた侍祭は問題なさそうなことを確認すると、頭を下げて音もなく退出していく。

 横目で彼女の姿を追ったローグハンターへ、剣の乙女は熱っぽい表情を向ける。

 

「あれからも、お変わりない様子で嬉しいです」

 

「色々とあったが俺は俺なのでな。あなたはあれからどうだ。眠れているのはわかったが……」

 

 彼は彼女が首から下げる鷹の風切羽に気付き、僅かに目を細めた。

 彼の視線に気付いてか、彼女は風切羽を細指でそっと撫でる。

 

「細やかな、お守りですわ。あなた様が去ったと同時に、わたくしの頬を撫でてくれたのです」

 

「そうか」

 

 ローグハンターは淡々と返すと、横棒を降ろして荷車を固定する。

 

「話は通っているだろうが、古文書と思われるものを運んできた」

 

「ええ、伺っておりますわ」

 

 自分のことをよく観察してくれたことが嬉しいのか、彼女の声音が僅かに良くなる。

 するすると危なげなく荷車の傍にやってくると、荷台に詰まれた木箱を撫でた。

 

「開けてくださるかしら?」

 

「ああ」

 

 ローグハンターは左手のアサシンブレードを抜刀すると、切っ先を隙間に差し込み、こじ開けた。

 物を断つには余りにも細い刃のどこに、それほどまでの耐久力が秘められているのか、それはローグハンターにもわからない。

 バキバキと悲鳴をあげてこじ開けられた木箱の中には、おが屑に埋まった粘土板。

 ローグハンターはそれを引っ張り出すと、そっと剣の乙女に差し出した。

 それを受け取った剣の乙女は、刻まれた楔文字を指で撫でて解読を試みる。

 

「……とても古い文字ですわね。魔術にまつわる言葉……かしら」

 

 見えざる瞳でも的確に言う辺り、鑑定にまつわる奇跡を使っているのだろう。

 奇跡とは便利なものだなと息を吐いたローグハンターは、ふとした疑問を剣の乙女に問いかけた。

 

「何か情報が書いてあれば知りたいんだが」

 

「情報、と言いますと……」

 

「俺のご先祖がこちらの方に来ていたことがわかってな。どういった経緯でこの地にたどり着き、帰っていったのかが気になったんだが……」

 

「それは、何とも言えませんわ。もっと詳しく、読んでみないことには……」

 

「そうか」

 

 ローグハンターは残念と言った風に頷くと、剣の乙女に言う。

 

「なら、しばらくしたらまた来る」

 

「……!わかりましたわ、確かにお預かりします」

 

 彼女は粘土板をその豊満な胸に抱きながら、露骨に嬉しそうに頬が緩んだことを気にもせずに告げる。

 

「あとで書庫の方へ運んでおきますわね」

 

「……自分でか?」

 

「言いましたでしょう?お預かりしますと」

 

 ローグハンターが「確かにそうだな」と返すと、舞踏のような滑らかな動きで、彼の間際まで身を擦り寄せる。

 微かに感じた甘い匂いに、ローグハンターは僅かに眉を寄せた。

 

 ━━女性とは、こうも良い匂いがするものなのか?

 

 ふとした疑問を口には出さずに飲み込むと、代わって剣の乙女が問いかける。

 

「またすぐに戻られるのですか?」

 

「いや、これから船旅だ」

 

「……そう、でしたか」

 

 彼女はぎゅっと天秤剣を握りして、僅かに唇を尖らせる。

 

「今回はどういったご用件で?」

 

「仲間に誘われた。どうにも、俺のご先祖がそいつの故郷に訪れたことがあるらしくてな」

 

「ご先祖様が行かなければ、自分も行かないと言う風に聞こえますわね」

 

「実際に行く気はなかった」

 

 相変わらずに淡々と、事実だけを口にする。

 肩を竦めながら発せられた彼の言葉に、剣の乙女はくつりと鈴が転がるように笑うと、そっと彼の口元の傷痕を撫でた。

 確かに刻まれたその傷が、どうやって刻まれたものかは定かではない。

 だが、ここまでの傷が残ったいうことは、重症であったことには変わりあるまい。

 誰が彼を助け、癒したのかはわからないけれど……。

 傷痕を撫でながら思慮を深める剣の乙女は、ローグハンターが僅かに顔を背けたことを合図にハッとして指を離す。

 

「も、申し訳ありません。痛みますか……?」

 

「いや」

 

 彼は短くそう返すと、一度咳払いして身なりを整えた。

 

「では、そろそろ失礼させて貰おう」

 

「はい。船旅をするというのなら、お気をつけて」

 

「なんだ、誰かが交易神を怒らせたか」

 

 彼の口から放たれた突然の冗談に彼女は微笑むと、「違います」と首を横に振る。

 

「しかし、船が沈んだという(しら)せがいくつか入っております」

 

「そうか。では、失礼する」

 

 彼はそう言うと踵を返して振り替えることなく歩き始める。

 少しずつ小さくなっていく彼の背に向け、剣の乙女は指先で聖印を切って微かな声で告げた。

 

 ━━どうか、ご武運を。

 

 その声は彼に届いたのかは定かではない。

 だが、彼ならきっと、苦笑混じりにこう返すだろう。

 

 ━━運は自分で掴むものだ。

 

 出来るのなら、面と向かってそう返して欲しい。

 出来るのなら、自分の手を取って欲しい。

 出来るのなら、また会いに来て欲しい。

 剣の乙女は思慮を切り上げ、彼から託された粘土板をかき抱く。

 粘土板に潰された豊満な胸は形を歪め、彼女の心を押さえつける。

 出来るのなら、彼と共に━━━━。

 

 

 

 

 

 ローグハンターが法の神殿を出ると、陽は既に傾き、空は怪しげな青紫色に染まり始めていた。

 思いの外滞在していたことに驚きはするものの、たいした事ではないと割りきる。

 得てして、時間とはあっさりと過ぎていくものだ。それを長いと感じるか短いと感じるかは、個人次第。

 

「あ、いたいた!」

 

 空を見上げていた彼に向け、いつも通りに声をかける者がいた。

 その声で相手を断定したローグハンターは笑みを浮かべ、彼女に目を向けて問いかける。

 

「待たせてしまったか?」

 

「ううん。今来たところ」

 

「ベストタイミングでしょ」とどや顔で胸を張った銀髪武闘家の姿に苦笑を漏らし、ローグハンターは彼女の手を取った。

 

「ん……。どうかした?」

 

 突然の行動に首を傾げる銀髪武闘家に、ローグハンターはいきなりフードを被ると顔を背けながら言う。

 

「その、なんだ。買い物に付き合ってくれ」

 

「……!うん、うん!行こっ!」

 

 彼の言葉を理解した瞬間、銀髪武闘家は逆に彼の手を引いて走り出す。

 いきなり彼がフードを被ったのは、照れ臭かったからだろう。

 そして、ゴブリンスレイヤーの同行を許さなかったのは、使いに出されるのは自分だと分かっていたから。

 彼女はどうにか二人きりになろうとする不器用な彼に向けて苦笑を漏らすが、それをすぐに満面の笑みへと変える。

 

「『デートしよう』って言ってくれれば、いつでも良いのに」

 

「………」

 

 銀髪武闘家が隠すことなく言うと、ローグハンターはたまらず目を背ける。

 この五年で在野最高の銀等級に登り詰めた彼でも、デートの誘いはまだまだ白磁等級(しろうと)と言ったところ。

 

 ━━ま、そこが彼らしいところなんだけどね。

 

 上機嫌そうに笑って頭目をリードする銀髪武闘家と、フードを被って懸命に表情を隠すローグハンター。

 普段では見られない二人の姿は、人に溢れる水の街に消えていったのだった。

 

 

 

 

 




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Memory04 船旅

 白い帆を張った(いかだ)二隻が、穏やかな風に押されてゆっくりと上流へ進んでいく。

 森人が住むという集落は、言い方が悪いが外の世界と断絶されていると言っても過言ではない。

 川沿いに開拓村があるにはあるが、そことの繋がりがあるかないか微妙なところ。あったとしても、深い繋がりではないだろう。

 そんな森人の集落を目指す物好きは、鬱蒼と茂る森の中よりも川を進むことを選ぶ。それは彼らとて例外ではない。

 上手く風を捕まえて筏を速度に乗せたローグハンターは、フード越しに憎たらしいほど快晴の空に目を向けた。

 天気が良いのは良いことだ。しかし、日陰もなにもない川の上では、世界を照らす陽の光は体力を奪う代物へと早変わりだ。

 彼は愚痴を言っても仕方ないとため息を吐き、筏の端で顔を青くしている令嬢剣士に視線を送る。

 慣れぬ船旅は確実に彼女の体を蝕み、朝食を吐き出させんとしている。

 彼女の背を撫でる女魔術師が言う。

 

「……一思いに吐けば多少は楽になるわよ?」

 

「そ、それは出来ませんわ……!」

 

 令嬢剣士は無理やり表情を引き締めながら言うと、女魔術師はやれやれと首を横に振る。

 ローグハンターは意地になって我慢する彼女の姿に苦笑を漏らし、僅かに遅れて続くゴブリンスレイヤーたちの乗る筏に目を向けた。

 蜥蜴僧侶が巧みに長竿を操り、付かず離れずの絶妙な距離感を保っているようだ。

 

「ところでさ、何で私は木を削ってるわけ?」

 

 僅かな不満を滲ませた銀髪武闘家の言葉に、ローグハンターはそちらに目を向けながら肩を竦めた。

 

「念のためだ。ここで襲われたら、前衛は手を出せないからな」

 

「襲われたらって、あの話だよね?」

 

 木を削りながら、彼女は眉を寄せて渋い顔となった。

 剣の乙女から告げられた警告。

 ここ最近、この川を通る船が沈没することが増えている。

 不運な事故だと楽観的に考えることも出来るが、彼らを率いるのはローグハンターとゴブリンスレイヤーだ。

 二人はあくまで「何者かの襲撃」という事態を想定し、対策を考え、後は実行あるのみ。

 真っ先に行うのが投げ槍を作ることだという辺り、二人は戦闘になることを考慮したのだろう。

 銀髪武闘家は黙々と槍を作っては、船酔いの令嬢剣士に気を配るを繰り返す。

 筏は進み、やがて渓谷の間へと流れ込んだ。

 永い年月をもって削られたその場所は、幾重もの連なった積層となり、見る人に時の流れとその強さを物語る。

 女魔術師は真剣な面持ちでこの光景を目に焼き付け、令嬢剣士も顔を青くしながらも目を向けて感嘆の息を漏らした。

 それはローグハンターとて同じ事。かつて多くの時間を船の上で過ごしたとはいえ、こんな光景を見たことがあるかと問われると答えは否。

 代わり映えしない海を眺めるというのも好きではあるが、これもまた乙なものだ。

 

「すごいねぇ……」

 

「ああ……」

 

 同じく感嘆の息を漏らした銀髪武闘家の言葉に返し、ローグハンターは頷いた。

 そして僅かに目を細め、瞬き一つでタカの眼を発動する。

 美しい渓谷から色が失われ、その向こうから赤い影が迫ってきていることを視認する。

 数は二十ほど、馬ではない何か、おそらく狼に乗っている。

 次いで認識したのは耳障りな下卑た嗤い声。つまり、相手はおそらくゴブリン。

 彼は手早く帆を降ろすと、左手を左右に振って後続に合図を送る。

 返答代わりに後続の筏の帆が下ろされ、受付嬢と牛飼娘に毛布が被せられた。

 それを確認したローグハンターは、銀髪武闘家と女魔術師に目を向ける。

 

「槍を用意と『矢避(ディフレクト・ミサイル)』だ。備えろ」

 

 二人は頷くと共に、各々の持ち場につく。

 銀髪武闘家は肩を回して槍を構え、女魔術師は杖を構えて詠唱に入る。

 

「《サジタ()……サイヌス(湾曲)……オッフェーロ(付与)》」

 

 静かに紡がれた真に力ある言葉は、彼らの乗る筏を囲う半球体の力場を生み出した。

 次いで令嬢剣士に目を向けたローグハンターは、何とも言えない表情を浮かべて言葉を絞り出す。

 

「……この際吐いてしまえ」

 

「うぅ……」

 

 師からの容赦のない言葉に令嬢剣士は目に涙を浮かべ、次の瞬間にはプライドを捨てて、今朝の食事の全てを吐き出した。

 後続には悪いが、今は事態が事態だ。後で謝ることにして、ローグハンターは崖上に目を向けた。

 瞬間、矢に混ざって(つぶて)や木片が降り注ぐ。

 矢に関しては『矢避』の魔術でどうにかなるが、それ以外はどうするか。

 彼が肩を竦めると、銀髪武闘家が籠手の具合を確かめ、降り注ぐ礫と木片を鍛え抜かれた拳をもって迎撃していく。

 

「いくつかは何とかするけど、あんまりもたないかな!」

 

 彼女の言葉にローグハンターは厳しい表情で頷くと、後続に目を向けた。

 あちらは女神官が『聖壁(プロテクション)』を張り、その全てを防いでいるようだった。

 

「減速して『聖壁』に入り込む!それまで耐えろ!」

 

「それぐらいなら……!」

 

 減速を始めた彼らの意図を察してか、後続は逆に速度を上げて彼らの筏に接近。

 二隻の筏が『聖壁』に入り込むのには、思いの外時間はかからなかった。

 二隻は横並びになると、無言で乗組員の無事を確かめる。

 妖精弓手は揺れる筏を気にした様子もなく矢をつがえ、弦を引き絞って垂直に矢を放つ。

 守りの壁をすり抜けた一矢は天頂に至り、落下の勢いに乗ってゴブリンの頭蓋を撃ち抜いた。

 濁った悲鳴と共に落狼して、崖の上から転がり落ちる。水面に叩きつけられた骸が波を起こし、筏が大きく揺れるが、蜥蜴僧侶とローグハンターは巧みに長竿を動かして持ち直す。

 ある程度安定したところで、銀髪武闘家は槍を持ち上げ、大きく息を吐いてから投げ放つ。

 だが、僅かに崖上には届かず、壁に突き立つだけに留まった。

 彼女が舌打ち一つすると、ゴブリンスレイヤーが何やら木で作られた物を投げ渡す。

 それを受け取りながら目を丸くした彼女に代わり、蜥蜴僧侶が「ほう」と息を漏らす。

 

「投槍器とは、また懐かしゅうものをお使いになられる」

 

「これなら、なんとか……!」

 

 銀髪武闘家はそう言うと、投槍器に槍の石突きをあてがい、狙いを定めて投げ撃つ。

 尋常ではない速度で放たれた木製の槍は、直撃したゴブリンの頭を吹き飛ばす。

 その威力に思わず驚く彼女をよそに、ゴブリンスレイヤーも続けて放ってもう一匹仕留める。

 だがゴブリンスレイヤーは不満げに声を漏らす。

 

「これでは殺しきれんな」

 

「今は脱出優先だ。何か手は!」

 

 ローグハンターの怒鳴り声に答えたのは鉱人道士だ。

 彼は何やら液体で満たされた小瓶を引っ張り出し、栓を抜いてその中身を川に流し込んだ。

 

「《宴の時間ぞ水精(ウンディーネ)、気ままに歌いて舞い踊れ》!」

 

 瞬間、二隻の筏の速度が上がる。

 水に引かれるように、風もないのにみるみるうちに加速していくのだ。

 正確には『使役(コントロール・スピリット)』の術により、筏の回りの川の流れを反転させただけだ。

 ローグハンターは不敵に笑むとタカの眼を再発動。

 片手で長竿を操りつつ、ピストルを引き抜いて僅かに顔を出したゴブリンの頭に向けて撃ち放つ。

 銃声と硝煙が渓谷を駆け抜け、間抜けなゴブリンの眼球を吹き飛ばした。

 

「後一発。こうなるなら、あいつらから回収しておけば良かったな」

 

「今言っても仕方ないでしょっ!」

 

 言いながら放たれた槍が、今度は狼を撃ち抜きてゴブリンを川に叩き落とす。

 ゴブリンスレイヤーは女神官に目を向け、彼女の限界が近いことを確認。

 

「『矢避』は張ってあるか」

 

「まだ効果時間内だから大丈夫よ!」

 

 女魔術師の言葉に頷くと、女神官の奇跡が終わりを告げた。

 神々に嘆願する奇跡の使用は、魔術とは比べ物にならないほどに消耗する。

 それを行使し続ける女神官は、それでも足に力を入れて錫杖を握る。

 

「もう一度いきます……!」

 

 彼女が言った直後、ローグハンターと蜥蜴僧侶は操舵に意識を集中する。

『聖壁』が張られるまでの数秒、筏を安定させなければならない。

 跳ね上がる水飛沫が降り注ぎ、筏上の彼らを濡らす。

 令嬢剣士は筏上の瓦礫を片っ端から退かし、少しでも軽くなるように努めた。

 問題は、川にも瓦礫が増えてきていることだ。

 無傷の樽や木箱は、おそらくゴブリンが予め設置していたものだろう。

 

「座礁させて、ゆっくり殺すつもりか。嫌な趣味だ」

 

「しかし、斥候殿!これでは速度が出せませんぞ!」

 

この程度の(・・・・・)障害物がどうした!隙間があるなら突っ切れ!」

 

 有言実行。

 ローグハンターは長竿を巧みに操り、瓦礫の隙間を縫って上流に向かっていった。

 タカの眼をフル活用し、障害物の位置や水深を計って深い場所を的確に突く。

 そこに恐れも躊躇いもない。まるで何度も経験があるように(・・・・・・・・・・・)、手慣れた様子だ。

 

「なんとぉ!?」

 

 蜥蜴僧侶が思わず驚愕し、妖精弓手は矢を放ちつつ「あんたも行けるでしょ!」と渇を入れる。

 そんな中、女神官は周囲の状況を見渡して思慮を深めていた。

 自分に出来ること、今までで学んだこと、全てが脳裏を過っては消えていく。

 そして彼女がたどり着いた答えは、もはや一瞬の閃きと言っても過言ではない。

 だが、その閃きが、時には仲間たちを救うのだ。

 

「《慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、我らの穢れをお清めください》!!」

 

 ローグハンターが聞き慣れぬ祈りの言葉。しかし、その祈りは確かに天に座する神々に届いた。

 錫杖から優しげな光が漏れ、その光が触れた端から水が透き通り、水面に浮かぶ汚物がかき消されていく。

 女神官の新たな奇跡、『浄化(ピュアリファイ)』は、文字通り穢れた川の全てを清めたのだ。

 崖の上からゴブリンたちの色めきたった声が聞こえるが、いちいち気にしてはいられない。

 ローグハンターは残りのピストルを抜き放ち、身を乗り出してきたゴブリンの頭を撃ち抜く。

 落ちてきた死体も、水面に触れると共に浄化される。

 

「奴らの巣はいずれ見つけて殺しきる。今は逃がして構わん」

 

「承知!」

 

 ゴブリンスレイヤーの指示に蜥蜴僧侶が応じると、彼はその顎を開く。

 息を吸い込み、力を溜め、発動されるは恐るべき竜の力。

 

「《偉大なりし暴君竜(バオロン)よ、白亜の園に君臨せし、その威光を借り受ける》!!!」

 

 瞬間、『竜吼(ドラゴンロアー)』が渓谷に轟いた。

 突如として放たれた竜の咆哮にゴブリンと狼たちは怯え狂い、我先にとバラバラに逃げ出す。

 ローグハンターはタカの眼でゴブリンたちの退散を見送ると、ホッと息を吐いて川に目を向けた。

 きっとここには、多くの屍が沈んでいることだろう。

 

「名も知らぬ同胞(はらから)よ、安らかに眠れ……」

 

 

 

 

 

 ぱちぱちと散った火花が、舞い躍りながら天へと昇って消えていく。

 渓谷を抜けてから僅かばかり後、憎たらしいほどに青かった空は、いつの間にか赤く染まっていた。

 冒険者たちは森人の里があるという樹海を前にして、強行軍よりもひとまず野営と決め込んだ。

 ローグハンターは熱を持った石を見つめ、どうにかして気を逸らそうと努めていた。

 彼がそこまで必死になっている理由は、先程まで着替えていた女性陣だ。

 彼女らは先日の買い物で手にいれたという水着を纏い、川に繰り出して魚を取ろうと躍起になっている。

 彼は横目でちらりと水着姿の銀髪武闘家に目を向けるとすぐに視線を外し、また視線を向けてまた外すと繰り返す。

 そんな彼の姿を認めた蜥蜴僧侶と鉱人道士は、何やら怪しく笑って彼の両脇に座る。

 

「なんじゃい、頭巾の。さっきまでの威勢はどうしたんじゃ」

 

「左様ですぞ。先程までは生き生きとしておりましたのに」

 

「その、なんだ、まあ、うん……」

 

 いつになく弱々しい彼の視線は、時折銀髪武闘家に向けられ、すぐに外されてはまた向けられる。

 女魔術師や令嬢剣士には目もくれず、ただひたすらに銀髪武闘家のみに目を向ける辺り、彼の一途さを教えてくれた。

 両脇を固める二人は顔を見合わせて苦笑すると、彼を真似るように横目で水着ではしゃぐ女性陣に目を向ける。

 男なら誰しもが見とれる美人たちが、水着━━つまり最低限の布だけの━━姿でいるのだから、目を向けてしまうのは当然のことだろう。

 受付嬢は傷一つない白い肌を晒し、牛飼娘は日焼けした健康的な肌を晒してはしゃいでいる。

 女魔術師と令嬢剣士の二人にはまだ恥じらいがあるのか赤面しているが、徐々にそれも解けて、いつもと違う年相応の笑みを浮かべていた。

 女神官は周囲の女性たちの━━どことは言わないが━━豊満な部分に目を向け、次いで自分の物に手を触れてため息を漏らし、妖精弓手に慰められていた。

 そして話題の銀髪武闘家は、いくつかの傷痕を残す白い肌を晒して、時折その豊満な胸を揺らしながら魚を捕まえようと躍起になっている。

 

「眼福じゃな……」

 

「眼福ですな……」

 

「……眼福なのか?」

 

 染々と漏らす鉱人道士と蜥蜴僧侶に続き、ローグハンターが小首を傾げながら呟いた。

 そんな野郎三人の姿にゴブリンスレイヤーはやれやれと言うように首を横に振り、「寝床を用意するぞ」と声をかけて呼び寄せる。

 それを受けた三人はゴブリンスレイヤーのもとに集い、諸々と準備を整えていく。

 危険だらけの森の入口に直接雑魚寝をするという訳にもいかない。簡易的な高床式の寝床が必要だ。

 各々が作業を進める中で、ローグハンターはちらりと銀髪武闘家に目を向けた。

 瞬間、幸か不幸か彼女と目があってしまう。

 ようやく彼に見られていることに気づいた銀髪武闘家はその場でくるりと回り、ニコッと微笑む。

 ローグハンターは赤面しながらそっと目を逸らし、フードを被って表情を隠す。

 いつも通りの彼の反応に苦笑を漏らし、足元を通りかかった魚を掴み取った。

 あれなら、夕食には困らないだろうと一安心。

 更に時間は流れ、赤かった空は暗くなり、星が輝き始めた頃。

 食べない筈の妖精弓手の分の魚も確保した女性陣は川から上がり、『着火(ティンダー)』された火石を囲んで毛布を被っていた。

 銀髪武闘家は狙ったかのようにローグハンターの隣に腰掛け、当の彼は目のやり場に困ってか視線が泳いでいる。

 滅多にお目にかかれない照れる彼の姿に仲間たちは苦笑し、それを受けたローグハンターは更に赤くなる。

 彼は無理やり話題を変えるためか、妖精弓手に声をかけた。

 

「それで、お前の故郷までどのくらいだ」

 

「ん?まあ、もうすぐよ。ここなら向こうから見つけてくれるかもね」

 

 誰しもが見惚れる笑みを浮かべながら言うと、ローグハンターは「そうか」と返して焼き上がった魚を手に取った。

 銀髪武闘家は彼の手からその魚を掠め取ると、それを頬張って頬を緩めながら言う。

 

「森人のお嫁さんって、綺麗だろうなぁ……」

 

「そうだよねぇ。どんな格好するんだろ……」

 

 銀髪武闘家と牛飼娘が言うと、妖精弓手は「どっちも綺麗に決まってるじゃない!」と何故かどや顔で返した。

 

「問題は、俺たちが歓迎されるかという事だがな」

 

 ローグハンターが今度こそと魚を取ろうと手を伸ばし、僅かに速く鉱人道士に奪われる。

 睨まれた鉱人道士はそっぽを向いて魚をかじって舌鼓を打つ。

 妖精弓手は「うーん」と唸りながら首を傾げると、ローグハンターに目を向けながら言う。

 

「あんたなら大丈夫じゃない?アルタイルの子孫なんでしょ?」

 

「いや、本当にご先祖なのかはわからんぞ」

 

 彼が肩を竦めながら返すと、妖精弓手は昔を懐かしんでか頬を緩めた。

 

「ま、大丈夫でしょ。爺様たちは『彼はわしらの同胞(はらから)じゃ』とか言ってたくらいだし」

 

「一体何をすりゃ、只人がそこまで懐かれるんじゃ」

 

 鉱人道士のツッコミに妖精弓手は「さあ?」と返し、自前の食料を口に放り込む。

 

「それで、結婚相手はどんな人なんですか?」

 

 受付嬢の問いかけに、妖精弓手は何とも言えない表情を浮かべて苦笑した。

 

「あに様は、森人森人(エルフエルフ)してるのよ……」

 

「堅物ってこと?」

 

「そうね……」

 

 女魔術師が問うと、彼女は何か思い出したのか、吹き出して声を震わせる。

 

「森人は歌って求愛するんだけど、その内容が自分の武勲詩だったのよ。思わず引っ叩いちゃったわ」

 

「それは、あなたが添削しましたの?」

 

 令嬢剣士が確認を取るように訊くと、妖精弓手は首を左右に振るとニヤリと笑った。

 

「ねえ様にぶん投げたわ」

 

 彼女の回答に、一同の間に笑いが広がった。

 そこからは、妖精弓手の昔話が繰り広げられる。

 下らない事から今の彼女を作り上げた一コマまで、内容は様々だ。

 話を聞けば聞くほど、彼女がどれだけ故郷を、家族を愛しているかがよく分かる。

 そして、ローグハンターとゴブリンスレイヤーの胸中は、ほぼ一致していた。

 彼女が愛する場所の近くに、ゴブリンが住み着いている。

 ならば、殺さねば。彼女の故郷を守るために。彼女の家族を守るために━━━。

 

 

 

 

 




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Memory05 森を抜けて

 昇りかけた日に照らされ、地平の彼方から白い光が漏れ始めた頃。

 見張りに立っていたゴブリンスレイヤーと、眠れずに起きてきたローグハンターは、別段何かを話すこともなく、鬱蒼と茂る森を睨んでいた。

 背後の簡易寝所からは、鉱人道士の物と思われるいびきが聞こえてくる。

 蜥蜴僧侶の方はそろそろ起きてくるだろうが、鉱人道士はまだ出てこないだろう。朝食の準備が終わる頃には起きるだろうが……。

 女性陣は、女神官は朝の祈りのために起きているとして、他はどうだろうか。

 少なくとも、銀髪武闘家と妖精弓手が起きてくることはない筈だ。二人は極端なまでに朝に弱い。

 ローグハンターは小さくため息を吐き、ちらりとゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 昨日のゴブリンとの遭遇戦のことを考慮しているのだろうが、その答えにたどり着いた様子はない。

 再び正面に向き直った瞬間、ローグハンターはその表情を引き締めた。

 何かから見られている。相手はわからないが、確実にそう言える。

 彼は瞬き一つでタカの眼を発動し、周囲に目を配る。

 木に隠れる赤い影が一つ。体躯からして、ゴブリンではない。

 気付かれないようにこちらの様子を伺っているようだが、仕掛けてはこない。

 ローグハンターは対応を思慮し、そちらの方に体ごと振り向いた。

 瞬間、ローグハンターは反射的にその場を飛び退く。

 一拍開けて、彼の立っていた場所に、凄まじい速度で放たれた矢が突き立った。

 彼は冷や汗を流して近くの木の影に滑り込もうとした瞬間、彼らの野営地を風が吹き抜けた。

 同時にローグハンターはアサシンブレードを抜き放ち、眼前に迫ってきた黒曜石の刃を受け流し、甲高い金属音を響かせながら転がって退避。

 その勢いで被っていたフードが取り払われたが、今回ばかりは無視をして、敵対者を鷹の如き眼光で睨み付ける。

 若く美しい森人の戦士の手には、黒曜石で作られた大刀が握られており、背中に回されているのは大弓だろうか。

 革の鎧を身に纏い、額を守る兜はまことの銀(ミスリル)で作られたもの。

 輝ける兜の森人は、心底驚いた表情をしてローグハンターに目を向けていた。

 対する彼はバスタードソードを右手に構え、左手のアサシンブレードを抜刀したまま固定する。

 ゴブリンスレイヤーも油断なく身構え、ローグハンターの背後を守る。

 輝ける兜の森人は、そんなゴブリンスレイヤーには一瞥もくれずにローグハンターにのみ意識を向けていた。

 

「その武器、その瞳の輝き。貴様、何者だ……!」

 

「俺は━━」

 

「何事、敵襲か!」

 

「なんじゃい、なんじゃい。朝っぱらから騒がしくて堪らんわ」

 

 ローグハンターが名乗ろうとした瞬間、高床式の簡易寝所から蜥蜴僧侶が飛び出し、鉱人道士が欠伸を噛み殺しながら歩み出る。

 彼らの出現に、輝ける兜の森人は面をくらいながらも凛として言った。

 

「蛮族の戦士に、鉱人、蜥蜴人。冒険者の類いか」

 

 

「……む。そこに俺は入っているのか?」

 

 あからさまに無視されたローグハンターが肩を竦めて言うが、輝ける兜の森人はそれすらも無視する形で咳払いして彼らに告げる。

 

「ここは我らの領域ぞ。貴様ら、何の用でここに来た」

 

「何の用と訊かれてもな。肝心の相手がそこで寝ているんだが……」

 

 ローグハンターが女性陣の簡易寝所を指差すと、輝ける兜の森人は跳躍してその場所へ。

 何の躊躇いもなく虫除けの布を剥がそうと手を伸ばした瞬間、

 

「イィィヤアアアアッ!」

 

 それよりも速く放たれた剛拳を持って弾き飛ばされた。

 空中で体を翻し、優雅に着地。森人とは得てして着地が上手いのか。

 ローグハンターは僅かに感心し、しかし侮蔑の色を込めた視線を送る。

 咄嗟にまことの銀(ミスリル)の兜で受けたのか、見た限り怪我をした様子はない。

 それを確認すれば後はどうでも良いと、ローグハンターは女性陣の虫除けの布の前に足を進めた。

 

「……怪我は?」

 

 一言で行われた確認は、誰かの呻き声と女神官の『小癒(ヒール)』の嘆願で返される。

 彼は仕方ないと肩を竦め、寝ているであろう妖精弓手を起こすように誰かに頼む。

 輝ける兜の森人も流石に脳が揺れたのか、着地を決めたとしても視線が定まっていない。

 着替えを済ませた妖精弓手が出てくるのと、輝ける兜の森人の意識の混濁が消えたのはほぼ同時。

 

「なぁによぅ。まだ朝になったばっかじゃないの……」

 

 寝起きの猫のように欠伸を噛み殺し、くしくしと両目を擦る。

 そして輝ける兜の森人に目を向け、パッと表情を明るくした。

 

「あに様!なんだ、迎えに来てくれたんだ」

 

「……護衛か?」

 

 相変わらずローグハンターには目もくれずに言うと、妖精弓手がそれを否定する。

 

「私の仲間よ、あに様。それと、爺様が探してた人を連れてきたの」

 

 輝ける兜の森人は優雅にため息を漏らして肩を竦めた。

 下らない動作にも気品を感じるのは、相手が上の森人だからゆえか。

 ローグハンターはタイミングを見て女性陣の簡易寝所に入り込み、まことの銀(ミスリル)の兜を殴って負傷した銀髪武闘家が涙目でうずくまっていた。

 外で談笑する妖精弓手と輝ける兜の森人の言葉を聞き流しつつ、ローグハンターは再びため息を吐く。

 ここまで来て負傷するとは、旅とは本当によく分からない場所に危険が潜んでいるようだ。

 

 

 

 

 

「昨日のゴブリンと戦っていたのは、貴様らだったのだな」

 

「ああ。そのゴブリンは、その後どうなった」

 

「我々で仕留めたが、問題あるまい」

 

「むぅ……」

 

 昨日のゴブリンの事に関して確認していたゴブリンスレイヤーは、輝ける兜の森人の言葉に低く唸った。

 緩めた(やじり)を打ち込み、巣に病気を持ち帰らせようとしたのだが、失敗に終わったようだ。

 だが、ゴブリンが死んだのなら良しとしようと息を吐く。

 

「あ、話終わった?それでさ、あに様。ねえ様元気にしてた?」

 

「ああ。旅立ってたかが数年だろう?その程度で変わらんさ」

 

「そうよねぇ」

 

 嬉しそうに笑んだ妖精弓手を横目に、輝ける兜の森人はローグハンターに目を向けた。

 目深く被ったフードの奥に隠された蒼い瞳、そこに宿る金色の輝きは、色こそ違えど数百年前に見たものと似ている。

 村の長老が探す人物が彼だとしたら、星風の娘━━妖精弓手の呼び名だ━━が森を出たのも良いことであったのだろう。

 当のローグハンターは隣を歩く銀髪武闘家に気をかけつつ、タカの眼で森を見渡す。

 物陰に潜む獣たちも、森人がいるからか襲ってはこない。

 襲ってきたら迎撃して肉は夕食に、毛皮は防寒着代わりになることだろう。

 ローグハンターが周囲の様子を探っている事を横目に、蜥蜴僧侶が鼻先を舐める。

 

「拙僧の故郷もなかなかでありましたが、森人の住まいもまた凄まじいですな」

 

神代(かみよ)の頃から育ち続けているのだ。定命(モータル)の者では、たとえ入ったとて帰ることは敵わぬよ」

 

「アルタイルは一人で入り、誰にも知られず出ていったのだろう?」

 

 輝ける兜の森人が得意気に言った側から、ローグハンターの横槍が飛んだ。

「それはそうだが……」と僅かに語感を弱めた彼の背中に苦笑を送り、天然の迷路を見渡す。

 横槍を入れたとはいえ、輝ける兜の森人が言ったように気を抜けば一瞬で方角と来た道を見失い、永遠に出ることはできないだろう。

 アルタイルはどこから入り、どうやって出ていったのか。

 ゴブリンスレイヤーと輝ける兜の森人が話している様子を眺めつつ思慮を深め、気分転換に後ろを確認。

 女魔術師と令嬢剣士の二人は、日頃の成果か悪路には慣れている。

 問題は受付嬢と牛飼娘、他の種族に比べると手足の短い鉱人道士の三人だ。

 彼らは他の面々よりも息を切らしており、足の進みも僅かに遅い。

 森人二人は歩きやすい道を選んでくれてはいるのだろうが、それでも森の中というのは舐めてかかれば死ぬほどに険しい道だ。

 ローグハンターが小さく肩を竦めると、不意に服の袖を引かれた。

 引いたのは銀髪武闘家だ。

 彼は苦笑混じりに彼女に声をかける。

 

「どうかしたか」

 

「何か、久しぶりに冒険してるね」

 

 彼女は楽しげに笑みながらそう漏らし、ローグハンターも同意を示して頷いた。

 

「たまには、こういうのも良いかもな……」

 

「ふふ。でも毎日じゃ飽きちゃうよね」

 

「ああ。たまにだから楽しいんだろう」

 

「だよねぇ」

 

 二人で楽しそうに談笑する背中を見つめ、女魔術師と令嬢剣士は苦笑して顔を見合わせた。

 こうしている姿を見れば、二人はただの恋人だ。

 しかし、二人は在野最高の銀等級冒険者。

 ローグハンターの一閃は人の命を容易く奪い、銀髪武闘家の拳は人の命を容易く砕く。

 ある意味で、西の辺境で最も怒らせてはいけない人物は彼ら二人だろう。

 不意に輝ける兜の森人が、後ろを歩くローグハンターに目を向けた。

 腰のバスタードソードと二挺のピストル、背中のエアライフル、両手首の仕込み刀と、彼の装備を一通り確認し、ふむと息を吐く。

 

「アルタイルに比べると、随分と重装備なのだな」

 

「ご先祖に比べて、やることが増えたからな」

 

 フードの奥で不機嫌そうに目を細めながら、ローグハンターは肩を竦めた。

 輝ける兜の森人は再び息を吐き、五本の指が揃った左手に目を向ける。

 

「それに、奴には左手薬指がなかった。邪魔だからと落とされたそうだが……」

 

「ああ……」

 

 ローグハンターは合点がいったかのように息を吐くと、左手のアサシンブレードを抜刀して見せる。

 

「何百年も前の話になるが、ご先祖たちはこの武器を十分に扱うために左手薬指を落としていたそうだ」

 

「……え」

 

 彼の言葉に思わず反応したのは果たして誰だろうか。

 声からして女性なことを理解しつつ、ローグハンターは更に続けた。

 

「生涯を戦いに捧げる誓いという意味でもあったらしいがな」

 

「斥候殿の父祖らは、中々に物騒なのですな」

 

 蜥蜴僧侶が何故か楽しげに笑みながら言うと、ローグハンターは表情をしかめた。

 

「自分は敵だと相手に教えるだけだが」

 

「おや、手厳しい」

 

 蜥蜴僧侶はぐるりと目を回し、上機嫌に笑みを浮かべる。

 対するローグハンターは瞳に僅かな殺気を宿らせていたが、ため息を吐いてそれを緩めた。

 

「今では巡り巡って、左手薬指に焼印を入れるそうだがな」

 

「左手薬指……」

 

 銀髪武闘家はその位置に火傷がある人物の顔が一瞬過ったが、気のせいだろうと思考を切り上げる。

 

「━━でもさ、キミにはないよね?」

 

 そのついでに黒いグローブに包まれた彼の手に目を向けながら言うと、ローグハンターは頷いてアサシンブレードを納刀して左手を撫でた。

 

「俺は一人前として認められなかったからな」

 

 ━━━そもそも、その儀式を行う教団に属していない。

 

 その言葉は飲み込んで、何故か驚愕している仲間たちに目を向けた。

 彼は小さく首を傾げながら問いかける。

 

「何か変なことを言ったか?」

 

「キミが一人前じゃないって、えぇ……」

 

「六年も前の話だぞ?それに、先生に比べればまだまだ半人前だ」

 

 銀髪武闘家の引き気味の声にローグハンターはそう返すと、令嬢剣士が問いかけた。

 

「もしかして故郷から逃げてきたのですか……?」

 

「いや、逃げてはいない。修行の旅に出たと言ったほうが正確だ」

 

「……なら良いのですけれど」

 

 ━━言い方が違うだけでは?

 

 そんな疑問を飲み込んだ令嬢剣士の肩に、女魔術師の手が置かれた。

 彼女の表情には安堵が浮かんでおり、何故か手が震えている。

 

「どうかしましたの?」

 

「いえ、その、昔のものじゃなくて良かったわ……」

 

「ああ……」

 

 耳元で囁かれた言葉に令嬢剣士は僅かに同情が込められた声で返し、前を歩くローグハンターの背中を追いかける。

 輝ける兜の森人は彼の「先生」に興味を示したのか、顎に手をやりながら言う。

 

「貴様の師と言うのは、父親か?それとも母親か?」

 

「眼の使い方は父からだが、戦闘技術は先生からだ」

 

「ふむ、やはりそんなものか」

 

 納得したように言う輝ける兜の森人の様子に、妖精弓手はやれやれと首を横に振る。

 

「どうせよくわかってないんでしょ?素直に聞けば良いのに」

 

「話は爺様から聞いている。十分にわかっているとも」

 

「ホントかしら……」

 

 妖精弓手はため息を吐き、知ったかぶる輝ける兜の森人をじと目で睨む。

 二人の様子を眺めていたローグハンターは肩を竦め、自分の左手に目を向けた。

 父の左手薬指には、件の火傷があったことは覚えている。

 それはつまり彼の父がアサシンであった証拠だ。上手い具合に指輪で隠していたが、見ようと思えば見えてしまうのが難点だろう。

 彼が小さくため息を吐いた時だ。

 不意に彼らの頬を優しい夏の風が撫でた。

 木々の間を駆け抜ける風の源は、地下から天へと広がる大空洞。

 否、街の形をした森だ。彼らの眼下には、まさしくそれが広がっていた。

 何一つとして金属が使われていない、木がそのまま家屋となったものが、蔦や枝葉が絡まった空中通路で繋がっている。

 冒険者たち、受付嬢、牛飼娘の口からは、もはや声が出ない。

 この世のものとは思えない光景が、確かに目の前にあるのだ。

 どうにか復活した鉱人道士は、髭をしごきながら問う。

 

「なかなかやりおる。手を加えてはおらんのだろう?」

 

「無論、精霊があつらえてくれるのだよ」

 

「かぁーっ、ずっこいなぁ。手前でやらんか」

 

 彼に続く形で客人たちが思い思いの感想を漏らしていくなかで、ローグハンターだけはふと空を見上げた。

 天高く舞う鷹が彼らの頭上で円を描くと、森人の里の一角となる大木へ向けて飛び去っていく。

 鷹の影を目で追いかける彼に、銀髪武闘家が興奮を隠すことなく言う。

 

「すごいよ、すごいよ!本当に来ちゃったよ!」

 

「……ああ、すごいな」

 

 遅れて感嘆の息を漏らした彼は、改めて森人の里に目を向けた。

 先程あげた家屋の外には、洗練された衣装を纏った森人たちや、いまだ幼い━━それでも彼よりは年上だろう━━森人たちが、友人たちと弓の腕前を競って騒いでいる。

 かつてアルタイルが見た風景。

 かつてアルタイルが訪れた場所。

 ひたすらにその光景に魅入る彼にも言うように、妖精弓手がその薄い胸を張りながら歌うように言葉を紡ぐ。

 

「良き昼と長き夜、一つの陽と双つの月にかけて、星風の娘より我が同胞(はらから)へ!」

 

 両手を広げてくるりと回る。括った髪が箒星のように尾を引いた。

 

「ようこそ、私の故郷へ!」

 

 咲き誇るような笑顔を浮かべて彼女が言うと、どこからか鷹の甲高い鳴き声が森に響き渡るのだった。

 

 

 

 

 




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Memory06 森人の里

 森人たちが住むのは、大木に開いた(うろ)だ。

 客人であるローグハンターとゴブリンスレイヤーの一行が通されたのも当然その一つだ。

 (すだれ)の如く垂れる蔦の扉を抜け、真っ先にたどり着いたのは大きな居間だ。

 透明に思えるほど薄い葉で作られた窓からは、優しい午後の日差しが入り込む。

 部屋にあるほぼ全てのものが植物で形作られ、数少ない人工物も森人手製の飾り布(タペストリ)程度だ。

 ローグハンターは独特な木の臭いを肺一杯に吸い込み、前の世界で立ち寄った先住民の集落を思い出す。

 あちらはあちらで戦争中の訪問という中々に面倒な状況だったが、今回は良い方だろうと思慮する。

 ゴブリンが迫っていることに目をつぶれば、という話だが。

 

「おおぅ、おお、お?」

 

「変な声を出さないでください。おぉ……」

 

「お二人とも、だらしないですわよ?あぁ、これは良いですわ……」

 

 キノコの傘をクッション代わりとした椅子に腰掛けた銀髪武闘家、女魔術師、令嬢剣士の三人が唸る中、牛飼娘や女神官、受付嬢も似たような反応を見せた。

 ローグハンターは女性陣の反応に肩を竦め、輝ける兜の森人に目を向ける。

 

「あれも精霊とか、そちらの力を借りるのか」

 

「おおよそその通りだ。森が好意で形を変え、力を貸してくれているのだよ」

 

「頑健な屋敷ならば鉱人、心地よき家ならば圃人(レーア)、砦は蜥蜴人に任せよとは言いまするが」

 

 輝ける兜の森人の言葉に興味深げに頷きながら、蜥蜴僧侶は苔の絨毯を踏みしめる。

 彼の重い体を受け止め、尾を引きずっても跡を残すことはない。

 蜥蜴僧侶は安堵の息を吐き、目玉をぐるりと回す。

 

「森人の住居というのも、趣深きものですなぁ」

 

 蜥蜴人は戦好きだが、何よりも父祖を、古きを尊ぶのもまた蜥蜴人だ。

 輝ける兜の森人は彼に敬意を称してか一礼して見せた。

 

「そう言って頂けるのはありがたい事だ。だが、祭事のため急ぎで用立てたもの故、いささかお見苦しいところもあると思うが……」

 

「あに様、それちょっと厭味(いやみ)っぽい」

 

 妖精弓手が容赦なく肘で小突き、半眼になって輝ける兜の森人を睨む。

 

「どうせ何ヵ月もかけたんでしょーが」

 

 ふんと鼻を鳴らし、窓際の特等席に座ろうとそちらに目を向けたが、

 

「あぁ!」

 

「……む」

 

 そこにはいつの間にかローグハンターが腰掛けており、窓枠に頬杖をつきながら外の様子を眺めていた。

 その姿には冒険者の持つ荒々しさは微塵もなく、まるで貴族や騎士を思わせる。

 そんな事お構い無しに、妖精弓手は彼に指を突きつけながら言う。

 

「あんた、そこは私が狙ってたのよ!」

 

「狙ってたでは駄目だろう。狙ったのなら確実に取れ」

 

 思いの外キノコの座り心地が気に入ったのか、口外に退く気はないことを伝えると、彼は再び窓の外に目を向けた。

 異種族であろうと魅入らせる美しく若い森人たちが、洗練された衣装を纏い、集落を慣れた様子で跳び回っている。

 子供であろうが大人であろうが、彼らの見せる木々の合間を跳び回るフリーランは、纏う衣装同様に無駄がなく洗練されている。あそこまでたどり着くのに、自分はあと何年かかるのだろうか。

 彼は思わずため息を吐き、居間を注意深く観察していたゴブリンスレイヤーの姿を認めて肩を竦めた。

 

「おまえはどう思う」

 

「滅多に見れるものではないだろう」

 

「……おまえらしい返答で安心したよ」

 

「そうか」

 

 どこに行っても変わらない友人の姿に思わず苦笑を漏らし、妖精弓手とあれやこれやと話し込んでいた輝ける兜の森人に問いかける。

 

「……で、これからの予定は決まっているのか?」

 

「まずは長旅の疲れを癒してもらうとしよう。沐浴と昼餉(ひるげ)の支度をしてある」

 

 妖精弓手との会話をぶったぎった輝ける兜の森人はそう返し、返答を求めて冒険者たちに目を向けた。

 

「どうなさるね?」

 

「俺は荷解きをする」

 

 ゴブリンスレイヤーは即答し、「ゴブリンが来るかもしれん」と付け加えた。

 驚愕する輝ける兜の森人をよそに、ローグハンターは慣れた様子で言う。

 

「なら、俺も手伝うとするか。余り腹が減っていなくてな」

 

「そうか」

 

「……なら、私も残るわ。ねえ様がくるかもしれないし」

 

 相変わらずの二人の頭目に、妖精弓手は処置なしと天を仰いでそう告げた。

 彼女に続いてそれぞれの一党の仲間たちは頷くが、銀髪武闘家だけは不満げに言う。

 

「だったら私も。キミだけに仕事なんて……」

 

「汗流してこい。荷解き程度なら問題にもならん」

 

「でもさぁ」

 

 渋る彼女の姿にローグハンターは困り顔になると、女魔術師がため息混じりに助け船を出す。

 彼女はわざとらしく鼻を引くつかせると、表情をしかめながら呟いた。

 

「少し汗臭いですね」

 

「…っ!わかった入ってくる、今すぐに!」

 

 打てば響くとはこの事だろう。

 先程まで渋っていたというのに、銀髪武闘家は即断して荷物を漁り始めた。

 

「となら、娘っ子どもが水浴びしとる間に何か食うかの」

 

 鉱人道士が髭をしごきながら言うと、蜥蜴僧侶は同意を示して頷いた。

 令嬢剣士が投げられた自分の荷物を捕まえる姿に苦笑を漏らし、牛飼娘が荷解き組に言う。

 

「女の子の荷物、特に着替えには触らないでね」

 

 流石のローグハンターもそこは弁えているためか当然のように頷くが、ゴブリンスレイヤーは荷物の山に目を向けた。

 

「……どれだ」

 

 応じる声の調子は、彼が困っているときのそれだ。

 ローグハンターはそんな彼の姿にやれやれと首を横に振ると、僅かばかりの手伝いとしてタカの眼を発動した。

 森人二人が彼の瞳に金色の輝きが宿ったことに気付き、弾かれるように彼に目を向ける。

 ローグハンターは金色に見える荷物を確認し、指を差して確認する。

 

「それとそれ、あとそこのそれだな」

 

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは頷くが、兜の中で小さく唸る。

 能力の無駄遣い以外の何物でもないのだが、ローグハンターは気にした様子はない。

 敵の居場所から痕跡まで、呪文も制限もなしに使えるその能力は、ゴブリンスレイヤーはいまだに理解しきれてはいない。

 ローグハンターがタカの眼を解除すると、妖精弓手は首を捻った。

 

「前と色が違うのよねぇ……」

 

「色が変わるのか?」

 

「何でかわかんないけど」

 

 妖精弓手は輝ける兜の森人にそう返し、二人はその瞳にローグハンターを映す。

 当の彼は男性陣の荷物を集め、どれから始めようかと首を捻る。

 どうせ誰から始めても同じだろうという結果にたどり着くのに余り時間はかからず、無難に自分の荷物に手をつけ始めた。

 彼に続くようにゴブリンスレイヤーも作業を始め、その他の面々は邪魔にならないうちに洞を後にする。

 

「それじゃ、また後でね」

 

「ああ。のんびりしてこい」

 

 最後に退出しようとしていた銀髪武闘家が振り向きながら言うと、ローグハンターは片手を挙げて笑みを浮かべた。

 相変わらずの笑みに彼女は頷いて、仲間たちの背中を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 ど、ど、ど、と。音を立てて水が流れ落ち、白い飛沫を上げた。

 滝かと言われれば確かにそうだが、それは地上に流れるものではない。陽の光を浴びるものでもない。

 それは地の底の川であり、滝であった。

 先程とはうってかわった石の洞。こちらは植物が形を変えたのではなく、流れる水によって削られ、形を変えたのだ。

 さらに滝によって削られた結果、湖を作り出している。

 地下深くにあるにも関わらず、淡く金緑(エメラルド)の輝きを放つのは、湖の底に敷き詰められた苔の仕業だろう。

 その神秘的としか形容出来ない光景を前にした女性陣は、口を開けたまま言葉を発することが出来なくなっていた。

 だが湿気の混ざった地下の冷気で意識も戻し、タオルで隠した裸体をぶるりと揺らした。

 脱いだ衣服は森人の侍女が預り、彼女らは既に退去を済ませている。

 その場に残された彼女らは、不安げに目を合わせた。

 牛飼娘は湖を眺めつつ、慣れているであろう冒険者たちに問いかける。

 

「こ、これ、入っちゃって良いんだよね……?」

 

「沐浴の場所なら、大丈夫じゃないかしら……」

 

 女魔術師が興味深げに洞の中を眺めつつ言うと、銀髪武闘家がそっと爪先で水面を撫でた。

 湧き水特有の冷たさが突き刺さるが、我慢出来ない程ではない。

 

「んー、いつかの雪山に比べれば?」

 

「比較対象がおかしくありませんか?」

 

 受付嬢が苦笑混じりに言うと、令嬢剣士が遠い目をして染々と言う。

 

「あれは、大変でしたわ……」

 

「寒かったですね……」

 

 女神官も同じような表情で続くと、銀髪武闘家が両頬を叩いて「よし!」と気合いを入れた。

 その勢いのままに足から湖に身を沈めていき、足裏に感じる柔らかい苔の感触に僅かに驚く。

 苔なのだから滑るのかと思いきや、逆にしっかりと足を支えてくれるのだ。

 銀髪武闘家は肩まで浸かると後ろを向き、未だに入ってこない仲間たちに笑みを浮かべながら言う。

 

「うん、大丈夫。慣れれば気持ちいいよ」

 

 彼女の言葉を受けた受付嬢らも湖に身を進め、始めは冷たさに身を強張らせたが、すぐに表情を和らげた。

 令嬢剣士は力を抜けたのか、隠す気もなく間の抜けた息を吐く。

 そんな彼女の姿を諌めることはせず、皆一様にそんな様子だ。

 牛飼娘が湖の水を手で掬いながら言う。

 

「井戸水とかよりは温かいかもね。なんでだろ」

 

「地の底に炎の川が流れているって、学院で聞いたわ」

 

「へぇ~」

 

 気の抜けた返答だが、女魔術師は気にした様子もなく洞の中を見渡す。

 冒険者になってから、こんな場所に来たことがあっただろうか。

 彼の一党に加わったことに不満はないが、こうして見ると、なるほど世界は広い。

 そんな彼女の様子に気づいてか、受付嬢が苦笑を漏らす。

 

「あの森人さんが、お二人を連れ出したい気持ちがわかったんじゃないですか?」

 

「何となく、ですけどね……」

 

 女魔術師も苦笑で返すと、銀髪武闘家が「でもさ」と呟く。

 皆の視線が一斉に彼女に向けられたが、気にした様子もなく言う。

 

「彼って、故郷だと結構冒険してたみたいだよ?未開の洞窟を探索したり、手付かずの森を調べたり、氷で出来た大地(北極圏)に行ったり……」

 

 彼女の言葉に仲間たちが「そうなんだ」と似たような反応を示すなか、銀髪武闘家は首を捻る。

 

「こうやって言うと、彼って昔どんな仕事してたんだろ。貴族出の騎士?探検家?」

 

「それにしては、物騒ですよね……」

 

 里に入る直前の話を思い出してか、女神官がそう漏らした。

 いくら貴族だとしても、一人前の印として指に焼印を入れることなんてないだろう。

 探検家だとしても、それならもっと遺跡の探索なんかを受ける筈だ。

 

「先生は探検家というよりも、騎士という方がしっくりきますわ」

 

 令嬢剣士は得意気にそう告げ、更に持論を展開する。

 

「弱きを助け、悪を討ち、非情というわけでもなく後進の指導にも余念がない。本人も都の強者よりも腕がたつだなんて、騎士としか言えませんわ」

 

「キミが彼のことが大好きなことはわかったけど、確かに、騎士、ね……」

 

 銀髪武闘家はそう言うとボケッと洞の天井を眺め、彼の言動を思い出す。

 仲間や友人には優しいが、敵対者には容赦ない。

 剣術は我流ではあるが、先生と呼び慕う何者かから教わった。

 あの吸い込ませるほど美しい蒼い瞳と、闇に紛れる黒い髪。

 時折見せる柔和な笑み、凛々しい表情ときたら……!

 

「ふぇ~」

 

「自分の世界に行ったわ」

 

「先生のことを考える時は、あんな表情をしますわね」

 

 だらしない表情をする銀髪武闘家に向け、慣れている二人はそう評した。

 牛飼娘、受付嬢、女神官はそんなローグハンターの一党に苦笑を漏らす。

 

「ですけど、あの人が騎士だとしたら」

 

 受付嬢はそう言うと、いまだ放心状態の銀髪武闘家に目を向けた。

 

「助けを待つお姫様が、少しアクティブ過ぎませんかね?」

 

 男子が勇者や騎士に憧れるように、女子もまたお姫様や花嫁など、憧れるものも多い。

 所詮のところ夢でしかないのだが………。

 

「良いよねぇ、お嫁さんって」

 

 この中で一番それに近い銀髪武闘家に目を向けながら、牛飼娘は染々と言った。

 次の瞬間にはハッとして赤面すると、わざとらしく笑う友人たちに目を向けた。

 彼女をはじめとして、その場にいるのは全員年頃の女性だ。

 夢だとて、その想いを言葉にしたって良いではないか。

 

 

 

 

 

「店を広げるぞ」

 

 ローグハンターと協力して荷解きとそれらの運搬を終えたゴブリンスレイヤーが、唐突にそう告げた。

「え」と思わず声を漏らしたのは妖精弓手だ。

 彼女は女性陣の荷物━━正確には着替え、特に下着だ━━を眺めていたからか、全くと言って良いほど荷解きが進んでいない。

 

「私、まだ片付いてないんだけど」

 

「俺は触るなと言われているからな」

 

「それ以前に、他人の服を眺めてどうする」

 

 自分が使う予定の奥の部屋から戻ってきたローグハンターは、困り顔でそう言った。

 

「これなら俺とゴブリンスレイヤーだけで十分だったかもな」

 

「それでは服に触れないがな」

 

「そこが難しいところだ」

 

「そうだな」

 

 野郎二人が話す中で、蚊帳の外になった妖精弓手は急いで片付けを始め、その途中で思い付いたかのように言う。

 

「二人とも、喉乾いてない?」

 

「どうしたいきなり」

 

「そろそろ飲み物欲しいかなーって」

 

「そうか」

 

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーの相槌を同意と受け取ったのか、彼女は台所に向かう。

 その途中でくるりと振り返り、二人に提案した。

 

「ね、お茶淹れたげよっか。試しに(・・・)

 

「貰えるなら貰おう」

 

「……おまえ、今そいつが何と言ったか聞いていたか?」

 

 即答したゴブリンスレイヤーに、ローグハンターは待ったをかけた。

 妖精弓手の明らかに不穏な一言に、流石の彼も狼狽えたのだろう。

 そんな二人に構うことなく、彼女は既に作業に入っていた。

 棚に押し込められていた香草や薬草の類いを適当に選び、黒曜石の小刀で大雑把に切り刻む。

 それを目分量でドングリを繰り抜いた杯に入れ、水を注ぐ。

 まことの銀(ミスリル)で作られた水差しは、いつまでも冷たさを保つ特別製のもの。

 森に住む彼らとて、冶金の技がないわけではない。現に輝ける兜の森人の兜は、彼らの見せる手で作られたものだ。

 妖精弓手が指を立ててくるりと宙に円を描くと、本来ならあり得ない速度で杯の中の水には色がついている。

 術士でなくとも、彼らが頼めば万物が形を変える。彼らの故郷だからこその技だろう。

 彼女は三つの杯を用意し、ゴブリンスレイヤーと渋い顔をするローグハンターに手渡した。

 

「味は保証しないけど」

 

「ああ」

 

「……おう」

 

 ゴブリンスレイヤーは躊躇いなく、ローグハンターは何とも言えない表情でそれをあおった。

 二人は感想もなくそれぞれの作業に戻り、ゴブリンスレイヤーは何やら作業を始め、ローグハンターはエアライフルの整備を始める。

 黙々と作業する二人に彼女は噛みつこうとするが、邪魔したら悪いかと一瞬躊躇い、ゴブリンスレイヤーの作業に興味を引かれてかそちらに目を向けた。

 これ幸いとローグハンターは作業に没頭し、詰まりや歪み、錆がついていないかを徹底的に調べ上げる。

 次いでピストルを取り出したが、そこでふとある事に気づく。

 森人の里の周辺には、まず間違いなく火避けの(まじな)いが施されている。

 つまり、火打石を打ったところで火花は散らず、火の秘薬に着火できない。つまり━━。

 

「これは鈍器代わりか……」

 

 彼が肩を竦めてホルスターに押し込むと、居間の外にだれかの気配を感じてタカの眼を発動した。

 壁越しに見えるのは二つの青い影。敵でないのなら良いかと、彼はタカの眼を解除してアサシンブレードの整備を始めた。

 尤もやることは刃に錆や欠けがないかを確認し、仕掛けに不備がないかを確かめる程度だ。

 それが終わると同時に、こほんと咳払いがされた。

 

「……なんですか、この有様は」

 

 苛立たしさを隠す気もない筈なのに、その声は歌うように清らかだ。

 それにびくりと反応したのは妖精弓手だ。彼女はそっと居間の入り口に目を向け、驚愕を露にする。

 彼女の視線の先にいるのは、笹葉のように長い耳を持ち、星を散らした銀河を思わせる髪は花冠で更に彩られ、気品溢れる金色の瞳の女性。

 銀糸のドレスを纏った白く細い肢体は、しなやかに高い。

 その顔立ちは、何となくだが妖精弓手に似ているが、彼らの一党に属する妖精弓手とは対象的に、その胸は豊満だった。

 

「……ねえ様!?なんで!?」

 

 妖精弓手が飛び上がりながら言うと、花冠の森姫は気品溢れる所作でため息を漏らす。

 

「なんでも何も、あなたがお祝いに来てくださったというから、挨拶に……」

 

 ふと、花冠の森姫とローグハンターの目が合う。

 金色の瞳と蒼い瞳が一瞬交差して、蒼い瞳が先に視線を逸らした。

 花冠の森姫は妖精弓手に目を向け、そして問いかけた。

 

「彼は、もしかして……」

 

「そうなのよ、ねえ様。多分だけど、爺様が探してた人」

 

 妖精弓手が言うと、彼女は再びローグハンターに目を向けた。

 じろじろと見られる彼は居心地悪そうに彼女らに背を向け、ゴブリンスレイヤーは黙々と作業を進める。

 そんな二人に向けて、花冠の森姫は優雅に一礼して見せた。

 

「妹がいつもお世話になっております。ご迷惑をお掛けしておりませんか?」

 

「いや、いつも助かっている」

 

「まあ、腕は確かだからな」

 

 ゴブリンスレイヤー、ローグハンターは揃って妖精弓手に目を向けながら言うと、今度は彼女が居心地悪そうに視線を泳がせる。

 ローグハンターは彼女の姿に肩を竦め、視界の端に映るもう一人の森人に目を向けた。

 花冠の森姫の侍人と思われる森人の女性が(ひざまず)いて控えていた。

 右半身を隠すように伸ばされた髪から覗く顔立ちに、ローグハンターは僅かに目を細める。

 そして思い当たったのか、同じく彼女に気づいたゴブリンスレイヤーに目配せした。

 ゴブリンスレイヤーは任せると言わんばかりに鉄兜を縦に揺らし、ローグハンターは了解と口の動きだけで伝えると立ち上がる。

 彼は音もなく森人侍女に近づくと、片膝をついて彼女と視線を合わせた。

 

「約束は果たしたぞ」

 

 侍女が顔をあげ、揺れる瞳で彼を見た。

 ローグハンターはその瞳をまっすぐに見つめ、そしてもう一度告げる。

 

「奴らは、皆殺しにした」

 

 それを聞いた侍女の左目から、ほろりと涙が一筋零れ落ちた。

 髪が揺れて、隠されていた右頬が露になる。葡萄のような腫れの名残は、もうない。

 妖精弓手らと出会い、彼女らと始めて挑んだ仕事。その戦いの過程で助けた、一人の森人。

 そう、彼女はかつて、冒険者であったのだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory07 森人(エルフ)の森の獣と小鬼

「これは、どうすれば良いんだ?」

 

 ローグハンターが困り顔で言うと、視線の先にいるゴブリンスレイヤーは黙りこんだ。

 それは彼が困っているときの癖であることを把握しているローグハンターは、小さくため息を吐いて目の前で泣いている森人侍女に目を向ける。

 憔悴しきっていたあの時の面影はないが、その心に刻まれた傷まで癒えてはいないだろう。

 とりあえず泣き止むまで待とうと、ローグハンターはそっと彼女の髪を撫でる。

 森人侍女は僅かに顔をあげ、必死に涙を拭いながら震える声で言う。

 

「ごめんなさい……」

 

「気にするな。泣きたいだけ泣け」

 

 ローグハンターは出来るだけ優しい笑みを浮かべて見せ、彼女にそう告げた。

 ゴブリンスレイヤーは彼の背を見つめ、すぐに兜を逸らした。

 彼女の相手はローグハンターが行い、妖精弓手と花冠の森姫は外のバルコニーで何やら話し込んでいる。

 彼は部屋の隅にポツンと残されている事に気づいたが、やることがあると自分に言い聞かせて再び作業に取りかかる。

 牛革の紐を三本束ね、それらを複雑に組み合わせる。

 ある程度の強度を確保したなら、その両端に重石をキツく縛り付ける。

 それが完成したら具合を確かめ、得心がいったのか何本か同じものを作っていく。

 それも終わる頃には森人侍女は落ち着いたのか、ローグハンターは「大丈夫か?」と問いかけ、森人侍女は「はい……」と嗚咽を必死に抑えながら頷いた。

 彼はそっと彼女の手を引いて、キノコの椅子に座らせた。

 

「お茶でも出せれば良いんだが、悪い。いまいち勝手がわからん」

 

「大丈夫です。お気遣いなく」

 

 目元に溜まった涙を拭い、森人侍女は頷く。

 ようやくまともに話せそうだと彼はホッと息を吐き、何か話題はないかと首を捻った時だ。

 

 ━━地の底から響くような、けたたましい叫び声が轟いた。

 

 雷鳴にも似たその音は、何かの鳴き声であることは間違いない。

 その咆哮に続いたのは、樹海の木々が力尽くでへし折られる音だ。

 

「こいつを頼んだ!」

 

「ああ!」

 

 打てば響くような返事。

 ローグハンターはその返答に弾かれるように妖精弓手の大弓と矢筒を手に取ると、扉を蹴り破らん勢いでバルコニーに飛び出す。

 そこにいたのは花冠の森姫を庇う妖精弓手だ。

 彼は彼女らの隣に滑り込むと、妖精弓手に大弓を手渡し、それと同時に問いかける。

 

「何があった」

 

「わかんないけど、向こうの方ね」

 

 妖精弓手は言いながら大弓の弦の張りを確かめ、矢筒を腰に巻いて固定。

 彼女が指差した方角を確認すると、彼は手摺(てすり)に足をかける。

 

「おまえは姉を守れ。俺は様子を探りに行く」

 

 彼は返答を待たずにその身を投げ、近くの大振りな枝に飛び移り、更に次の枝、また次にと繰り返し、途中で幹をよじ登って更に進む。

 只人である事に加え、剣二本と諸々の装備を担いだ状態の重装備だ。それでも一本たりとて枝を折らないのは、彼の技量によるものだろう。

 飛び回る森人に混ざるように進むこと数十秒。ようやく問題の何かを発見した。

 大振りの枝に乗り、幹に手をかけて立ち上がる。

 同時に彼の目は見開かれ、その表情に乾いた笑みを張り付けた。

 彼の視線に居たのは巨大な獣だった。

 柱の如き足が二対の計四足。綱の如き尾が風切り音を唸らせる。

 背に生えた扇の如き板を動かし、壁の如き胴は分厚い皮で守られている。

 角は槍を思わせるほど鋭く、その背は軽く十メートルは越えている。

 蔦の如く長い首を巡らせ、巨獣は鋭い牙の生え揃った顎を開いた。

 

「MOOOOKKEEEEEEL!!」

 

 ビリビリと大気を震わせる咆哮に、ローグハンターはたまらず耳を塞ぐ。

 それが止まった頃を見計らい、彼は近くのまだ若い森人に問いかけた。

 

「……で、なんだあれは」

 

「モケーレ・ムベンベ」

 

「モケ━━なに?」

 

 いきなりの森人語にローグハンターは首を傾げると、その若い森人は落ち着くためか深呼吸をして言う。

 

「我々は川を堰き止めるもの(モケーレ・ムベンベ)と呼ぶが、只人(ヒューム)の言葉ではなんと言ったか。確か、レルニアン・ヒュドラだったか?」

 

 その森人が言うと、再び川を塞き止めるものが咆哮を響かせる。

 再び耐える森人を他所に、ローグハンターはタカの眼を発動させた。

 川を塞き止めるもの自体は無害を示す白い影として映るが、問題はその背中。

 

「……む」

 

 ローグハンターはそれを見つけ、僅かに唸る。

 背板の隙間に頼りなく揺れる黒い影。

 必死になって川を堰き止めるものの背中につけられた鞍にしがみつき、何やら喚き散らしているようだ。

 その正体に気づいた彼は、思わずため息を漏らした。

 巨体の背中に乗っているのは、体色が緑色の醜い魔物。

 最弱と呼ばれるその魔物でも、あの巨体に乗られると一気に強敵に成り代わるというもの。

 

小鬼の乗り手(ゴブリンライダー)。いや、竜騎兵(ドラグーン)……か」

 

 彼は顎に手をやってそう漏らし、本物の竜騎兵に失礼だなと肩を竦めた。

 将を射んとするなら馬。しかしその馬が強大となるのなら、真っ先に将を射った方が楽だろう。

 だがしかし、まずはあの巨体の上を取らなければならない。

 必要な高さは最低でも十八メートル。その高さなら、何の備えもなく落ちれば流石に死ぬだろう。

 出来れば落下死なんて間抜けな死にかたはしたくはないが、やるだけやるしかないだろう。

 

「おーい!」

 

 一人覚悟を決める彼に、樹の下から声がかけられた。

 彼はそっと下に目を向け、そこに集っていた仲間たちと、こちらに向けて手を振る銀髪武闘家の姿を確認する。

 遠目でも女性陣の髪が湿っていることがわかる。沐浴の途中で飛び出して来たのだろう。

 彼の隣の枝に妖精弓手が飛び移り、その大弓を構えた。

 

「それで、どうするの?」

 

「あの怪物の背中にゴブリンがいるようだ」

 

「え、どこどこ」

 

 彼の言葉に目を凝らすと、しばらくして件のゴブリンを見つけて悪態をついた。

 

「あーもうムカつく!昨日も今日も、私の家の近くで威張ってくれちゃって!」

 

 彼女の言葉を無視する形でローグハンターは下のゴブリンスレイヤーに声をかける。

 

「何か策はあるか!」

 

「あの何とかいう奴はこちらで押さえる。上のゴブリンをどうにか出来るか」

 

「ちょっと待て……」

 

 何やら紐の用意をしているゴブリンスレイヤーから視線を外し、周囲の木々に目を向ける。

 川を堰き止めるものの進路を予測し、いい高さの木を探す。

 

「あそこからなら狙えるか」

 

 彼は目を細め、ちょうど良さそうな樹の枝に目を向けた。

 川を堰き止めるものを迂回してその位置につかなければならない訳だが、果たして無事にたどり着けるのか。

 ローグハンターはちらりと銀髪武闘家に目を向け、「死ぬなよ!」とだけ告げて移動を開始する。

 目についた枝に飛び移り、時には手をかけて振り子のように勢いをつけて次へと飛ぶ。

 森人たちでさえ舌を巻くその動きは、彼が長年培ってきた鍛練の賜物(たまもの)だ。

 僅かに枝を揺らす程度で決して折ることはないが、彼が折らなくとも、その樹を根元ごと折る存在がその場にはいる。

 

「MOOOOOKKKEEEL!!」

 

 川を堰き止めるものが吼え、木々が凪ぎ払われた。

 

「うおッ!」

 

 丁度凪ぎ払われた木の枝に降り立ったローグハンターは、大きく体勢を崩しながらも無理やり飛ぶ。

 僅かに飛距離が足りなかったが、どうにか次の枝に手を伸ばして掴むことには成功。

 

「ちょっ、大丈夫!?」

 

 下から発せられた心配の声に、彼は枝をよじ登ることで答えると、そのまま次へと飛んだ。

 

「GOORGGOBR!!」

 

 ようやく川を堰き止めるものの背中で喚くゴブリンの姿を認め、彼はその瞳に殺気を宿す。

 決して外に漏らすことはなく、相手に気取られることはない。

 漏れ出た殺気は、囁き声として相手に危険を教えてしまうからだ。

 途中で樹の幹をよじ登り高度を確保、そこから更に枝伝いにゴブリンを目指す。

 距離は十分、高さも言わずもがな。

 後は躊躇いと恐怖を捨て去り、やるだけだ。

 覚悟を決めるのは刹那の事であり、もはや彼の脳内にあるのはどう殺すかのみ。

 最後の枝に足をかけ、アサシンブレードを抜刀すると共に躊躇いなく身を投げる。

 地上からの高さは約二十メートル。翼のない生物なら、飛ぶことを躊躇い、諦めて幹伝いに降りる高さだ。

 それでも彼は飛び、そして、

 

「GR━━━!?」

 

 詩的な美しさの空中からの奇襲(エアアサシン)でもって、ゴブリンの喉に刃を突きつけた。

 おまけと言わんばかりに眼窩にもう一突きすると、ローグハンターはふとある事に気づく。

 ゴブリンにしては上質な革鎧に、腰に帯剣されているのは手入れの行き届いた剣だ。

 その死体は、妙に装備が整っているのだ。

 彼は悩ましげに小さく唸ると、川を堰き止めるものに踏まれないようにと遠くへ投げ飛ばす。

 

「ゴブリンスレイヤー、あとは━━━」

 

 ローグハンターが仲間たちに合図を出した時だ。

 いつかの砦での戦い以降聞くことのなかった囁き声が耳に響き、首筋を冷や汗が伝う。

 

「ッ!」

 

 咄嗟にその場を転がり離れると、彼のいた場所にそれが降り立った。

 纏うローブは年期が入りながらも白く、その身に包まれた細い肢体には無駄なものが一切ないが、左腕は上腕から欠損している。

 

「GRッ!」

 

 その小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)は隠す気もなく舌打ちをすると、右手のアサシンブレードを納刀した。

 ローグハンターがゴブリンを殺した後の隙をついての空中からの奇襲(エアアサシン)は、彼の鍛練と持ち前の直感によって回避された。

 今まで失敗なしだったゴブリンアサシンは、奇襲を諦めて帯剣していた半月刀(カトラス)を抜き放つ。

 ローグハンターはそっと目を細め、バスタードソードを抜いた。

 

「MOOOOOKKKEEEL!!」

 

 背中で発せられる殺気に当てられてか、川を堰き止めるものが森中に響き渡る咆哮を放つ。

 それを合図として、二人のアサシンが正面から激突した。

 バスタードソードとカトラスがぶつかり合うが、火避けの(まじな)いによって火花が散ることはない。

 それでも樹海に不釣り合いの金属音は鳴り響き、周囲の森人たちもどうするかと目を合わせた。

 援護するべきだろうが、彼らのいる場所は神獣でもある川を塞き止めるものの背中だ。そこに向けて矢を放つなど、罰当たりにも程がある。

 水平に振られたカトラスを上半身を後ろに流して避け、バスタードソードを振り下ろす。

 ゴブリンアサシンは後ろに飛んで避け、着地と同時に再び突貫。

 カトラス特有の軌跡を残す剣撃は、ローグハンターを捉える事はない。

 バスタードソードやアサシンブレードで受け流し、時には避け、時には反撃(カウンター)を挟む。

 斬ることに関しては抜群の効果を発揮するカトラスの一撃など、鎧を着ない自分が食らえば間違いなく致命傷になる。

 それを重々承知しているからこそ彼は防御を重視し、反撃は最低限で済ませていた。

 その牽制ついでの反撃はゴブリンアサシンを捉える事はないが、極小の予備動作から振られたアサシンブレードが頬を掠め、緑色の肌に赤い線が刻まれた。

 

「GRB!!」

 

 そのイラつきを抑えるようにローグハンターの腹を蹴るが、彼はそれを半身ずらす事で避け、左脇に挟み込んで捕まえる。

 慌てふためくゴブリンアサシンをローグハンターは蔑むように睨むと、何も告げることなく川を堰き止めるものの背から投げ落とした。

 

「GRRRRRRR━━━━…………!!!」

 

 小さくなっていく悲鳴を他所に、ローグハンターはどうするかと首を捻った。

 先程の奇襲で脱出の機会を失ってしまった。

 飛び降りるかと考え、十五メートルだぞと苦笑する。

 

「おーい!」

 

 いきなり呼ばれた事に気付き、彼は近くの樹に目を向けた。

 妖精弓手に支えられながら樹を登ったのか、銀髪武闘家が大きく手を振っていた。

 呑気にも手を振り返すと、銀髪武闘家は声を大にして言う。

 

「そのおっきいの転ばせるから、踏ん張ってね!」

 

「……は?」

 

「あとマスクつけて!」

 

 切羽詰まった表情の銀髪武闘家に急かされるがまま、彼は首もとの布をずらして口元を覆い隠す。

 それを確認した妖精弓手が下に指示を飛ばした。

 

「良いわ!」

 

「ほいきた!魔術娘、合わせろい!」

 

「わかってるわよ!」

 

 彼女に答えたのは鉱人道士と女魔術師だ。

 二人は息を合わせ、鉱人道士は『酩酊(ドランク)』を、女魔術師は『眠雲(スリープ)』が唱えられる。

 眠りの力が込められた霧が川を堰き止めるものと、その背に乗るローグハンターを包み込む。

 うつらうつらと船を漕ぎ始める川を堰き止めるものと、表情をしかめるローグハンターだが、下の彼らは知ったことではない。

 ゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶の二人は、先程ゴブリンスレイヤーが用意した綱を、無造作に川を堰き止めるものの足元に放り出す。

 見上げる程の巨体に踏みつけられた綱は踊り、柱の如き足に絡み付くと、その勢いのまま樹々へと絡む。

 その様子を眺める蜥蜴僧侶は、得心の言ったように顎を撫でた。

 

「放って置くだけとは、良き手でありますな」

 

「まだわからん」

 

 ゴブリンスレイヤーが淡々と告げると、川を堰き止めるものの巨体が大きく揺れる。

 その背中から誰かが必死になってしがみつく声が聞こえたが、今は目の前の巨獣を止めることに集中しなければならない。

 そして、すぐにその時が来た。

 巨体は絶妙なバランスで立っている。それが僅かでも揺らげば、後はそのまま一直線だ。

 川を堰き止めるものは大地を揺るがす轟音と共に、横倒しに崩れ落ちる。

 ━━直前にローグハンターは身を投げた。

 

「お゛ぅ゛!」

 

 着地と共に汚い悲鳴が漏れるが、四肢をもって着地したからか怪我をした様子はない。

 舞い上がった土煙に包まれ、樹上の銀髪武闘家からは見えなくなるが、その中で問題視なさそうに立ち上がる影を確認してホッと一息。

 ゴブリンスレイヤーは構わず後ろに控えていた女神官と、彼女の護衛を務める令嬢剣士に目を向けた。

 

「後は頼めるか」

 

「はい!」

 

「では、先導しますわ」

 

 錫杖を握る女神官が頷くと、令嬢剣士が先導して走り始めた。

 途中で鉱人道士と女魔術師が合流し、再び微睡みに落とす準備は整えてある。

 おとなしくなりつつある巨獣を横目に、ゴブリンスレイヤーは初めに投げ落とされたゴブリンライダーの死骸に歩み寄るが、

 

「む……」

 

 ゴブリンスレイヤーは小さく唸った。

 纏っていた筈の革鎧も、腰に下げていた筈の剣も見当たらない。誰かが持ち去ったのか。

 森人ではないだろう。彼らの装備に比べれば、ゴブリンの装備はどれを取っても劣っている。

 

「ゴブリンスレイヤー」

 

 背後から話しかけられ、体ごと振り返った。

 彼を呼んだローグハンターは、衣装の土汚れを叩きながら機械的に告げる。

 

「あのローブのゴブリン、生きていたようだ」

 

 じっと地面を睨む彼の視界には、装備を剥ぎ取り持ち去るゴブリンアサシンの幻影が映っているのだろう。

 あの高さから落ちて無事とは、なかなかに運の良い個体だ。

 ゴブリンスレイヤーは「そうか」とだけ告げて、残された死骸を観察する。

 痩せ細った様子もなく、遠目から確認した装備はそれなりに上質なもの。

 先日遭遇した狼持ちと同じ群れだとしたら、相手は相当大規模なことだろう。

 ローグハンターは腕を組むながら、じっと森の奥を睨み付ける。

 

「準備が整い次第、追うぞ」

 

 彼は淡々とそう告げ、ゴブリンスレイヤーは「ああ」とだけ返す。

 ゴブリンスレイヤーはずかずかと無造作な足取りでその場を去り、その(むね)を伝えるために女神官らと合流する。

 一人残されたローグハンターは不機嫌そうに息を吐き、苛立ちを隠そうともせずに目を細めた。

 

「━━(もど)きめが」

 

 発せられたその言葉には、明確な怒りが込められていた。

 発言と共に彼はハッとして、なぜ怒りが湧いたのかを思慮する。

 数秒ほど考えたどり着いたのは、『無駄な仕事が増えたから』という当たり障りのないもの。

 その答えが本心からなのかは、彼自身にもわからない。

 

 

 

 

 

 




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Memory08 出立前夜

 神なる獣、川を堰き止めるもの(モケーレ・ムベンベ)の暴走を鎮めた日の夜。

 年長の森人たちが集い、里の行く末、とるべき行動を議論する。

 白熱する会議場を他所に、月下のバルコニーは何とも静かなものだった。

 

「……で、これはどういう趣向だ」

 

 不機嫌そのものといった様子の輝ける兜の森人が、優雅でありながらその鬱陶しそうにそう漏らした。

 彼の視線が向けられているのは、車座になった男性冒険者一同と、その中央に置かれた酒瓶と揚げた芋が盛られた皿だ。

 鉱人道士が髭をしごきながら当然のように言う。

 

「独身最後の夜は男衆集まって酒盛りっつーのが定番じゃろうが」

 

「婚礼の儀式は幾日も先だし、会議の最中なのだがな」

 

 口外に一刻も早く立ち去りたいと告げる彼に、服と体の汚れを落としたローグハンターは告げる。

 

「あの様子だと、会議は相当長引くだろう。それに、おまえが居なくとも問題ないだろう」

 

「只人にあの会議の重要さはわからんだろう?」

 

「長々と会議をして動かないほうが問題だろうに」

 

 鋭く放たれた言葉に輝ける兜の森人は答えず、ローグハンターはフッと笑って既に空になった杯を弄ぶ。

 その頬が僅かに赤らんでいることを横目で確認し、「こりゃ酔っとるの」と鉱人道士が漏らし、蜥蜴僧侶は「愉快愉快」と目玉をぎょろりと回すと、杯片手に不機嫌そうな輝ける兜の森人に言う。

 

「我らの壮行会と思うてくだされ。森人にもそのような風習はなかろうか」

 

「ある。が、行くつもりなのか?」

 

「無論だ」

 

 輝ける兜の森人の確認に、ゴブリンスレイヤーは迷いなく答えた。

 どこであろうと脱ぐことのない兜が縦に揺れ、更に言葉を続ける。

 

「ゴブリンは皆殺しだ。問題は奴らの巣を陸路で目指すか、水路で目指すかだが……」

 

 ちらりと赤ら顔のローグハンターに目を向け、「駄目だな」と漏らす。

 だがそれが肝心の本人には届いていたようで、ローグハンターは不機嫌そうに眉を寄せながら言う。

 

「何が『駄目だな』だ。俺だけで目指すなら、森を突っ切るぞ」

 

「おまえだけならそれで良いだろう。だが……」

 

 僅かに気の抜けたローグハンターの言葉にゴブリンスレイヤーはそう返し、早めに休むように告げた女性陣のいる洞に目を向けた。

 ローグハンターの一党ならどうにかなるだろうが、女神官にゴブリンが待ち伏せているだろう森の中を進ませられるかと問われると、答えは否だ。

 蜥蜴僧侶は頷き、ローグハンターにも━━理解出来るかは別として━━聞こえるように言う。

 

「地の利は敵にある。下手に密林を踏破よりは、川を行く方が目もありましょうや」

 

「問題は筏だな」

 

「矢盾もなく、加工する時間もありませぬか」

 

「ああ。こちらの存在は向こうにも知られている。策を練られれば面倒だ」

 

「然り、然り」

 

 酒を他所に手早く策を纏め始める二人にため息を漏らす鉱人道士は、目の据わったローグハンターに目を向けた。

 

「頭巾の。あんまり呑み過ぎんなや」

 

「もーんだい、ないっ!」

 

「駄目じゃこりゃ」

 

 上機嫌そうにへらへらと笑うローグハンターの姿に困り顔で髭をしごき、ある程度話が纏まった頃を見計らってゴブリンスレイヤーに杯を差し出す。

 

「にしても、小鬼どもが森人の里を襲うかんの?」

 

「ゴブリンは愚かだが、間抜けではない。だが……」

 

 差し出された杯を受け取り、がぶりとあおる。

 

「ゴブリンが森人を脅威と判断できるのか?」

 

 彼の尤もな意見に、ローグハンターを除いた三人は小さく唸る。

 ゴブリンらにとってすれば、目の前にあるものは全て略奪の対象だ。相手との戦力差など、たいして考えもしないだろう。

 ローグハンターは後ろに倒れかけた体を腹筋と背筋でもって支え、据わった目で話し込む四人に視線を向ける。

 

「……とにかく、あのローブ野郎は俺が殺す」

 

「斥候殿は、あの異様な小鬼を随分と敵視しておるようですな」

 

 蜥蜴僧侶が顎に手をやりながら言うと、ローグハンターは胸を張って不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「父と似た格好でな。侮辱されたように思えてならないんだよ」

 

「頭巾のの故郷からの流れ者が、ゴブリンに殺られたってことかの?」

 

「知るか……!」

 

 吐き捨てるように返し、酒をあおる。

 ゴブリンスレイヤーはその様子に小さく息を吐き、最悪解毒薬(アンチドーテ)を飲ませれば良いだろうと思慮を一旦止めた。

 蜥蜴僧侶は目玉をぐるりと回し、持ち込んできたチーズを一かじり。

 味わうように何度も咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。

 

「……彼奴らの欲望は、底無しですな」

 

「欲が強いという意味なら、只人(にんげん)も大して変わらん」

 

 ローグハンターが口を挟むと、蜥蜴僧侶は「然り」と腕を組んで頷いた。

 

「生きるとは即ち欲し望むことなればこそ、生命は草葉に虫とても猛々しく生きねばな」

 

「……だが、際限のない欲望は他人を不幸にする」

 

 いつの間にか酔いが覚めたのか、ローグハンターは重々しく息を吐いて頭に手をやった。

 彼は目を細めていつも通りの眼光を瞳に宿し、ふと夜空を見上げる。

 天に居座る二つの月は、昼間の太陽のように大地を照らしている。

 

「仕事をこなして雨風の凌げる家に住み、贅沢にならない程度に毎日食べ、家族や隣人、友人たちと言葉を交わす。それだけで満たされないのが難しいところだ」

 

「現に、おまえさんも銀髪のと毎日べたべたしてるかんの」

 

「その話は置いておいてくれ……」

 

 鉱人道士がわざとらしく笑みながらの横槍に、ローグハンターは困り顔で目を逸らし、話題を戻すために咳払い。

 

「満たされない者は、他人から、自分よりも弱いものからあらゆる物を奪い、搾取する」

 

「ゴブリンのようにか」

 

「ああ。下手すればそれよりもたちが悪いかもしれん」

 

 ゴブリンスレイヤーの問いかけに、ローグハンターは真剣な表情で返す。

 そしてその表情のまま続ける。

 

「秩序や法があるのは、奪われるばかりの人々を守るためだ。無秩序が生むのは、誰かを妬み、奪い、奪われるを繰り返す混沌だけでしかない」

 

 蜥蜴僧侶は彼の言葉を一言一句逃さずに聞くと、ローグハンターに問いかけた。

 

「その言葉は、父上からの受け売りですかな?」

 

「……いいや」

 

 対するローグハンターは、とても懐かしむように、そして僅かに悲哀の色を籠った瞳で首を横に振った。

 

「とても世話になった恩人の教えだ。もう、二度と会えない場所にいる……」

 

 悲哀の込められた瞳が向けられているのは、天上にいる神々だろう。

 目があっているかはわからないが、そうだとしたら困っているに違いないと勝手に想像する。

 

「……あの人に、誇れる自分になれただろうか」

 

「なんじゃい、銀等級でも飽きたらないんかいな」

 

 鉱人道士が髭をしごき、酒を一あおり。彼の言葉を聞いていた他の三人も黙り込んでいた。

 銀髪武闘家がいればすぐにでも判別してくれるのだろうが、おそらく酔った彼は口が軽くなる。

 ゴブリンスレイヤーはいつかに飲みに行った時の彼を思い出し、小さく唸って息を吐いた。

 彼らを他所に、ローグハンターは自分の認識票を引っ張り出し、月明かりに晒す。

 鋭い銀色の輝きは、彼の想い人の髪と瞳の色を思わせる。

 彼はそれをじっと見つめ、重くため息を吐いた。

 

「今の俺は、目の前の人を助けるのに手一杯だ。先生のように世界を救うために戦うのは、そんな人たちを手伝うために戦うのは、無理だろう」

 

 自身の半身たるアサシンブレードをそっと撫で、懐かしむように、噛み締めるようにぼそりと漏らす。

 

「自分はただの武器だと言い聞かせていた頃は、随分と楽だったが……」

 

 彼はそう言うとタカの眼を発動し、部屋で寝ているであろう彼女に目を向けた。

 壁を抜け、置物を越えた先にいる青い影は、規則正しい寝息を立てている。

 安心したと安堵の息を吐き、黙って聞いてくれている友人たちに目を向けた。

 

「今の俺には、守りたい人がいる。あいつの為なら、相手が誰だろうと躊躇うつもりはない」

 

 まっすぐ向けられた蒼い瞳に宿るのは刃の如き鋭さ。それだというのに、殺気や敵意はまったくと言っていいほど感じられない。

 万が一にも彼女に手を出そうものなら、抵抗も弁明も、命乞いすらも許さずに相手を殺しきるだろう。

 そう判断出来るほどに、酔っている筈のローグハンターの瞳には揺れがない。

 だが、それも一瞬で失せて、覇気を失うと共にすぐに俯いて黙り込んでしまった。

 いきなり酔い潰れたローグハンターの姿に三人は目を合わせると、やれやれと言うように肩を竦めた。

 

「言いたいだけ言って寝たのか、こいつは」

 

「最終的に惚気(のろけ)話じゃったの」

 

「しかし、武闘家殿が聞いていたら昏倒ものでしょうな」

 

 輝ける兜の森人が苛立ちをぶつけるように酒をあおり、鉱人道士はやれやれと首を振り、蜥蜴僧侶は相変わらず愉快そうに笑う。

 ゴブリンスレイヤーだけは、座ったまま眠る彼の姿を見つめ、居心地悪そうに視線を逸らした。

 ゴブリンスレイヤーの内にある信条(クリード)は、どんな手を使おうとも、ゴブリンを殲滅(スレイ)することだ。

 ローグハンターの内にある信条(クリード)は、どんな手を使おうとも、彼女を守りとおすことだ。

 この六年で、ローグハンターは確実に変わっていった。

 だが、自分はどうだ。六年で変われただろうか。

 ゴブリンスレイヤーは兜の下で瞑目し、杯をあおる。

 目を閉じたからか、喉を降りていく酒の熱をより強く感じる。

 それが視界が潰れた分を他の感覚が補っているだけだとわかっていても、その事を反復して確認する。

 それでも閉じられた瞼の裏に映るのは、果たして誰の姿だろうか━━━。

 

 

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーらが酒宴を開くバルコニーからは見えない位置に、その森人はいた。

 森人が好む狩衣装の上からフード付きの外套を纏い、腰に下げているのは黒曜石の大刀。身の丈はありそうな大弓を背負っている。

 フードに隠れて見えにくいが、普通の森人よりも長い耳は、彼が上の森人であるからだろう。

 口元に蓄えられた髭は彼が上の森人でも年長の枠組にいることを周囲に知らしめ、フードに隠されたその表情を更に覆い隠していた。

 老年の上森人(ハイエルフ)は耳を済ませ、僅かに聞こえるタカの眼(ローグ)を持つ者(ハンター)の言葉に意識を集中させる。

 背中の筒を支える帯にある赤い十字架は、友人から警告として告げられたものと一致する。

 だが━━と、老年の上森人は顎に手をやって目を細める。

 彼の言葉には裏がない。私利私欲のために誰かを利用し、蹴落とし、搾取するといった邪な感情を一切感じないのだ。

 友人は相手が騎士なら、この世界のために討ってくれるかと頼まれたが……。

 老年の上森人は困り顔でため息を吐き、思わず寄せてしまった眉間のシワを指で伸ばす。

 

「アルタイルよ。寄越すなら、もう少しわかりやすい者を寄越してはくれなかったのかの……」

 

 遠い過去の友人に向けて不満げに愚痴り、フードの中で長耳を揺らす。

 尤も、思慮深い彼はアルタイルがローグハンターを寄越した訳ではないことを知っている。

 ローグハンターを寄越したのは、この世界の神々とはまた違う何者か。文字通り世界を作り上げた別次元の者だ。

 アルタイルは『果実』をもってそれを知り、後に来る者たちのためにあるものを残していった。

 それを託すか否かは、自分の一存に任された訳だが……。

 老年の上森人はほとほと困り果てた様子で、遠くで語らう花冠の森姫と星風の娘の姉妹に目を向けた。

 花冠の森姫の姿は、遠目からであれば母親の面影を残している。星風の娘のほうは、まあ語るまい。

 気分転換を済ませた彼は、再び冒険者らに意識を向ける。

 酒宴も終わった様子で、片付けの音や誰がローグハンターを運ぶかで話し込んでいるようだ。

 老年の上森人は再びため息を漏らし、慣れた様子で木々の合間を飛び回り、自身の家である洞を目指す。

 

 ━━とにかく、彼と言葉を交わしてみなければわからんか。

 

 彼が騎士だというのなら、討たねばならぬ。

 彼がアサシンだというのなら、導かねばならぬ。

 全ては友との約束を果たすため。タカの眼を持つ者たちを守るため。

 

「しかし、あの小鬼は何者……」

 

 友と似た格好をした小鬼の姿が脳裏に過り、思わず足を止める。

 もしかしたら、導くべき人物は既に死んでいるのかもしれないと想像し、その予想が外れているように願う。

 如何せん、森人らしくもなく、アルタイルの件は自分一人に一任されている。

 お陰様でこの数百年で一気に老け込んだ気がするが、気にはならない。

 何よりも、小鬼に関してはあの冒険者たちがどうにかするだろう。

 老年の上森人は『神々のサイコロの出目次第』というどこか適当な━━この世界とっては基本的な━━答えへと落とし込む。

 彼が本当にアルタイルの残した物を託せる者ならば、この程度の試練、越えて貰わねば困る。

 老年の上森人は再び眉のシワを伸ばすと、自宅を目指して再び進み始めた。

 いつの間にか自分がいなくなり、余計に荒れた会議場の騒ぎ声を都合よく聞き流して━━━。

 

 

 

 

 

 森のどこかにあるゴブリンたちの巣のとある場所。

 

「GRRBGOBRRRRGRB!!!!」

 

 隻腕の小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)は頭を抱え、悶え苦しんでいた。

 懐に入れていたお宝が禍々しいまでに輝き、熱を持っている。

 

『ローディング。ローディング。ローディング。ローディング』

 

「GOBRGOBR!!!」

 

 謎の声と共に、何かの知識を無理やり頭に流し込まれる。

 自分が自分でなくなる恐怖と、殻を破る快感に襲われ、小鬼暗殺者は唾を撒き散らしながら更に暴れまわる。

 悶え苦しむ仲間という、ゴブリンなら爆笑必至の光景だが、それを見るゴブリンたちの表情にはそれがない。

 彼を怒らせた場合にどうなるかは、片目を抉られた群れの頭目の姿を見れば、嫌でも理解出来る。

 

流入(シンクロ)完了』

 

「GBR━━━」

 

 謎の声と共に小鬼暗殺者が固まると、ぐったりと床に突っ伏した。

 とあるゴブリンが仲間に押されるがまま声をかけた時だ。

 

「じゃ……ま………だっ!」

 

「B━━━!?」

 

 小鬼暗殺者の口から共用語(コモン)が漏れた。

 声をかけようとしたゴブリンは思わず驚き、慌てて後ろに下がる。

 小鬼暗殺者は荒れた息を整えると、その場にいるゴブリン(手下)たちに指示を出した。

 

 ━━備えろ。

 

 

 たった一言。ゴブリンたちには、それだけで十分だ。

 

 

 

 

 




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Memory09 森を往け

 酒宴の翌日、森人の里より更に上流。

 朝露に呑まれた川を、寝ぼけ(まなこ)のゴブリンが武器を片手に警戒していた。

 他の奴が寝ているのに、なぜ自分が見張りなんぞをしなければならないのだ。

 ゴブリンは欠伸を噛み殺し、その不満も酸素と共に飲み込む。

 不満を漏らしてあいつに知られようものなら、殺されるに決まっている。そんな下らない理由で死にたくはないし、威張り散らしているあいつにだけは殺されたくない。

 ゴブリンは何も来ない川を睨みつつ、この際寝てもばれはしないかと思慮した時だ。

 僅かに聞こえた風切音と共に何かが首に突き刺さり、強烈な力を以て後ろに引きずられた。

 首に突き刺さった何かのせいで喉を潰され、声を出すことが出来ない。

 どうにか助かろうと武器を捨てて手足をじたばたと振り回すが、次の瞬間には真上に引き上げされ、近くの木の枝に首を吊るされる。

 必死になって酸素を吸おうとぱくぱくと口を開閉させるが、それが結果に結び付く事はない。

 

「……一つ」

 

 淡々と告げられた言葉は、ゴブリンの意識を暗闇へと引きずりこみ、浮上させることはない。

 ゴブリンを吊るしたロープダートをそのままに、ローグハンターは茂みから茂みへとゆっくりと進んでいく。

 茂みの中でタカの眼を発動し、川からは死角となる場所で眠りほうけるゴブリンたちと、その配下たる狼たちに目を向けた。

 彼らの色は全て赤、いつもの事ながら敵しかいない。

 音を出さないようにそっとエアライフルを構え、その照準を比較的大柄な狼に向けた。

 小さく息を吐き、吸い、止め、引き金を引く。

 音もなく放たれたバーサークダートが狼の腹部に突き刺さり、狼は一瞬体を強張らせると、猿轡(さるぐつわ)によって封じられた唸り声をあげながら、愚かにも眠るゴブリンたちに襲いかかった。

 鋭い爪がゴブリンの喉を切り裂き、腹を裂く。

 二匹殺された頃には流石のゴブリンたちも騒ぎに気付き、暴れる狼を抑えようと武器を取る。

 流石に一匹では()が悪いかともう一匹追加で暴れさせた。

 茂みに身を潜めて事が終わる頃を待ち、ゴブリンと狼が動かなくなった事を確認。念のためとタカの眼で死亡したかも確かめる。

 それも済んだらホッと一息吐き、茂みから飛び出した。

 

「ゴブリン、狼、合わせて二十。これが斥候の類いなら、相手は相当な大規模、か」

 

 確かめるように情報を言葉にし、ゴブリンの死体を担いで川の音のする方へ足を進める。

 その間にタカの眼で索敵をすることも忘れない。取りこぼしがいて、本隊に報告されたらことだ。

 ゴブリンの死体を川に落とし、狼は皮を剥ぎ、骨と血肉はそのまま土に還る事を祈ってその場を去る。

 改めて川の見える岸にまで出てくると、周囲の安全を確かめて口笛を一吹き。

 風に乗った音色が、川の向こうで待つ仲間たちに届く。……少なくとも、妖精弓手には届くことだろう。

 しばらくして、ぎぃ、ぎぃ、と木が軋む(かい)の音と共に、朝露の奥から筏が現れた。

 即席の矢盾をとりつけた不格好なそれには、ローグハンターを除いた冒険者たちが身を潜めている。

 櫂を操る蜥蜴僧侶に手を振って合図を送り、先導するように川岸を歩き始める。

 敵陣であるというのに迷いも躊躇いもなく進んでいく彼の背中を見つめ、銀髪武闘家はため息を吐く。

 

「一人で大丈夫かな……」

 

「先生が負ける姿を想像出来ませんわ」

 

「けどさ、万が一って言葉もあるじゃん」

 

「誰か援護につきますか?」

 

 女魔術師が問うと、ゴブリンスレイヤーがふむと唸って顎に手をやる。

 

「女が近づけばゴブリンに気づかれる危険が高まる。だが、ふむ……」

 

 問題は誰が援護につくのかということだ。

 操船が出来るのはローグハンターと蜥蜴僧侶のみなのだから、彼は無理だ。

 鉱人道士では彼の動きについていけない。女性陣ではゴブリンに気づかれる可能性が高まる。

 残るは自分だけだが、自分でも彼の動きに追従しきれない。ゴブリンを殺す分には問題ないが。

 合流するかと用意する彼を他所に、ローグハンターは迷いなく川岸を進んでいく。

 タカの眼をもってすれば、不意討ちをされる危険性はほぼないと言っていいだろう。

 ローグハンターの先導である程度進んだ頃、彼は筏を手で制して先行し始めた。

 鼻につく花のような甘気に、彼は忌々しげに舌打ちを一つ。

 滅多な事で嗅ぐことはないが、一度嗅いでしまえば一生脳裏にこびりつく臭い。

 彼は音もなく駆け出し、その臭いの元を目指す。

 そして、それらはすぐに見つかった。

 

「ッ!……(くず)どもが」

 

 眼を見開いて驚きを露にさると、その憎しみを隠すことなく毒を吐き、息を吐きながら首を振る。

 彼の視線の先にあるのは、一言で言えば人の死体だ。

 彼のよく知る凶器(ロープダート)で首を吊られたものから、木を削っただけの粗雑な槍で足の間から貫かれ、穂先が口から飛び出したもの。

 どれもこれも腐り、汁を噴き、腹に溜まったガスで腹部が盛り上がったものや、既に破裂してしまっているものまで。

 体内のアンモニアが染み出したからか、体は陽に照らされて不気味にテカっている。

 元の種族が何であったのかすらわからないほど、腐敗が進んでいた。

 

「生きたままか、あるいは死んでからか……」

 

 どちらにしても、まともではないだろう。

 ロープダートによる首吊りに関してはとやかく言うつもりはないが、串刺しに関しては、もはや悪意によるものでしかない。

 理由なぞ考えるまでもなく、ここは自分たちの領土であると宣言するためと、相手に恐怖を植え付け、混乱に誘うための戦利品(トロフィー)

 流石に全てを降ろしている時間はないし、長居は精神衛生的にもよろしくはないだろう。

 ローグハンターは小さくため息を漏らし、瞑目した。

 

「汝らの魂に安らぎあらんことを……」

 

 そう呟くとゆっくりと目を開き、踵を返して待たせている筏の元へと戻る。

 表情を険しくさせながら戻ってきたローグハンターに、銀髪武闘家が問いかけた。

 

「何か見つけたの?」

 

「……進む前に、覚悟を決めておいてくれ」

 

 目を細めながら告げられた言葉に、冒険者たちは目を合わせて頷きあう。

 そして、数分もしないうちに彼らの視界にも件の死体たちが映った。

 女神官はぎゅっと錫杖を握りしめ、何とか堪えようとしたが、耐えきれずに今朝の食事を吐き出した。

 彼女につられる形で令嬢剣士も胃の内容物を吐き出し、僅かばかり川を汚す。

 だが、それを誰が責められよう。

 冒険者として人の死に慣れていたとしても、それを実際に目の当たりにして耐えきれるかは別問題。

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーだけは、いつも通りに淡々と与えられた仕事をこなしていた。

 静かに燃える怒りの炎を抑えるように。

 

 

 

 

 

 さらに川を進むことしばらく。

 ローグハンターは一切集中力を落とすことなく警戒を続け、ゴブリンスレイヤーたちの消耗は最低限で済んでいた。

 元よりその為の布陣なのだが、休みなくぶっ通すとは誰が思っただろう。

 そして、その彼の視界の先にあるのは、白亜の時代に築かれたと思われる神殿か、寺院か。

 

「……川を堰き止めるものって、そういうことか」

 

 それを視認した妖精弓手が、ひどくぼんやりとした声で呟いた。

 川を堰き止めるもの━━それはつまり、古い時代の要塞であり、堤防であった。

 時の流れに襲われ、もはや本来の姿は失われている。

 壮麗な彫刻は無惨に削り取られ、代わりに苔が一面を彩り、蔦が這い回っているが……。

 

「ゴブリンの城塞にしては、贅沢なものだな」

 

 ローグハンターが肩を竦めながら言うと、ゴブリンスレイヤーは頷いて兜を巡らせて周囲を探る。

 

「船を止めろ。霧が晴れるぞ」

 

「承知、承知」

 

 蜥蜴僧侶は頷くと、長竿を操り筏を川岸へと寄せる。

 岸で待機しているローグハンターに縄を投げ渡し、受け取った彼はそれを引いて根がしっかりと張っている木に縛り付けた。

 ゴブリンスレイヤーたちは久々に思える大地の感覚を足の裏全体で感じながら、各々の装備を確認していく。

 ローグハンターは彼らの無事を確かめると、視界の端で膝をついて顔色の悪い令嬢剣士に声をかける。

 

「大丈夫か」

 

「何とか、大丈夫ですわ……」

 

 彼女は気丈に振る舞って見せ、立ち上がった。

 気合いだけと断ずるのは簡単なことだが、本人が行けると言うのなら行って貰わねば。

 ローグハンターは小さくため息を漏らし、無言で女魔術師に目を向けた。

 彼の視線に気づいた女魔術師は小さく一度だけ頷くと、杖を握り直して令嬢剣士の脇についた。

 

「いつも通り無理はしないで。フォローはしてあげるから」

 

「申し訳ありませんわ……」

 

 銀髪武闘家は二人をやり取りを見終えると、ゴブリンスレイヤーに視線を送る。

 

「それで、もうすぐ夜になりそうだけど、どうするの?」

 

 霧のせいで感覚がおかしくなっていたが、時間帯は既に夕暮れだ。

 空は赤を通り越して既に青紫へと変わり始め、気の早い星が空に輝き始めていた。

 ゴブリンスレイヤーはふむと小さく唸ると、女神官に目を向けた。

 

「……行くぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーの返答はいつも通り淡々としたもの。

 女神官は錫杖を握りしめていつも通りに頷いた。

 どんな状況であれ、いつも通りに振る舞うこと。それが何よりも大切な事なのだ。

 

 

 

 

 

 念のための小休止を挟み、天の頂きに二つの月が登り詰めた頃。

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーの一党は、闇に包まれた森の中を進んでいた。

 下生えを踏み越え、枝葉を掻い潜り、影と同化してゆっくりと、しかして急いで突き進む。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、(あまね)くものを受け入れられる、静謐(せいひつ)をお与えください……》」

 

 僅かに漏らされた女神官の囁きを最後に、葉を踏みしめ、枝を折る音さえも消えていった。

 走りながら祈りを捧げる女神官は額に汗を滲ませ、懸命に錫杖を掲げてひた走る。

 目前まで迫ってきた堤防を築き上げたのは、鉱人の技だろう。

 木々を利用して更に強固にしたのは森人の技。

 戦に備えた佇まいは、蜥蜴人と只人の知恵だろう。

 かつては優美な装飾が施されていたであろうが、それらは永い年月によって風化し、ゴブリンによってとどめを刺されていた。

 ローグハンターは短く息を吐き、タカの眼で茂みの向こうの様子を伺い、敵がいなければまた進む。

 敵に気づかれる事なく、察知される事もなく進んでいった冒険者たちが、城塞に乗り込まんとした時、ローグハンターの合図で一斉に足を止めた。

 タカの眼に映るのは赤い影。入り口と思われる通用口には、見張りと思われるゴブリンが三匹と狼が一匹。

 ローグハンターが妖精弓手に目を向けると、彼女は大弓を構えて狼に狙いを定める。

 彼女の曲射ちとて、木々が茂る森の中では生かしきれないだろう。

 狼を仕留めるとしても、残りのゴブリン三匹はどうするか。

 ローグハンターは仲間たちにその場で待つように手振りで伝えると、近場の木の幹にしがみついてよじ登る。

 その後ろに続くように銀髪武闘家もよじ登り、樹上にて待機。

 女神官が嘆願し続ける『沈黙(サイレント)』の奇跡によって、その動作が音になることはない。

 そもそも音が出るのかという話だが、どちらにしろ出ないに越した事はないだろう。

 二人は音もなく枝の間を飛び回り、位置についた。

 優れる視力によってそれを認めた妖精弓手が弦を弾き、木芽の鏃によって狼の眼窩を撃ち抜いた。

 突然の事態に狼狽えたゴブリンたちの頭上から、ローグハンターと銀髪武闘家が襲いかかる。

 ローグハンターは両手のアサシンブレードを抜刀し、慌てふためくゴブリン二匹を同時に暗殺(エアダブルアサシン)

 残る一匹は銀髪武闘家に引き倒されるとその拳をもって喉を潰され、声をあげることも出来ずに頭を叩き潰された。

 二人は目を合わせて頷きあうと、戸口を叩いてすばやく脇に身を潜める。

 

「GBR……?」

 

 穂先の錆びた槍を構えたゴブリンが、不満顔で顔を出した。

 ローグハンターはタカの眼で他に伏兵がいないことを確かめ、仲間の死体に気づいて体を強張らせたゴブリンを壁から奇襲(カバーアサシン)し、アサシンブレードで眼窩を貫いて影の中に引きずり込む。

 全ての見張りを無力化したことを確認すると、銀髪武闘家が大きく手を振って仲間たちに合図を送る。

 合流する僅かな間に狼を解体し、骨と毛皮を確保する。

 本日二十一枚目の毛皮。そろそろ服の一着や二着作れるだろう。

 どこに入っているのかは、聞いてはいけない。考えてもいけない。

 合流と共に『沈黙(サイレント)』の奇跡の効果が終わったのか、彼らの周囲に音が戻る。

 令嬢剣士とゴブリンスレイヤーに連き添われた女神官が二人に駆け寄った。

 

「お二人とも、どこかお怪我は?」

 

「問題ない」

 

「大丈夫よ」

 

 女神官は二人の返答に安堵の息を吐き、薄い胸を撫で下ろした。

 殿を務めた蜥蜴僧侶と鉱人道士、妖精弓手と女魔術師が合流する。

 最後尾にいた妖精弓手が、ローグハンターに向けて言う。

 

「今の、斥候(スカウト)ってよか暗殺者(アサシン)よね」

 

「……褒め言葉として受け取っておこう」

 

 明らかに不機嫌な声音でローグハンターが返すと、妖精弓手は「なんで怒るのよ?」と首を傾げた。

 彼女をよそに、女魔術師がゴブリンスレイヤーに問いかける。

 

「それで、この後はどうするの?」

 

「気に喰わんが、正面から乗り込む」

 

 ローグハンターと銀髪武闘家が殺したゴブリンから使えそうな鉈を拝借し、予備として腰帯に吊るす。

 

「行けるか」

 

 それを済ませると、ローグハンター、銀髪武闘家、女神官に問いかけた。

 三人からの返答は同じく是。問題ないのだろう。

 蜥蜴僧侶は鼻先を舐めると、念のためと術的資源(リソース)を確認。

 

「巫女殿以外は(みな)消耗なし。重畳(ちょうじょう)ですな」

 

「その為に俺が働いたからな」

 

 ローグハンターが肩を竦めながら言うと、鉱人道士が髭をしごく。

 

「ま、こっからはわしらも働くかんの。頭巾のはちと休んどれ」

 

「遺跡に潜るというのに斥候に休めというのか?」

 

「あー、もういいわい」

 

 フッと鼻で笑われた鉱人道士は不満げに鼻を鳴らし、ひらひらと手を振った。

 突入直前でも空気が軽いのは、彼らがそうなるように努めているからだろう。

 ゴブリンスレイヤーはふむと小さく頷くと、短剣を逆手に握ってゴブリンの死体の脇に片膝をつく。

 彼の行動に銀髪武闘家を除いた女性陣はハッとし、わずかに後退り。

 だがしかし、悲しきかな。これから潜るのはゴブリンの素穴となった要塞だ。

 腹を裁き、湯気が出るほど温かな臓物を布に包む。

 涙目で逃げ出そうとした妖精弓手を銀髪武闘家が捕まえ、令嬢剣士は女魔術師に捕らえられる。

 女神官は既に諦めたのか、光を失った瞳で虚空を見つめていた。

 ゴブリンスレイヤーを除いた男性陣は一様に肩を竦める。

 

「諦めが肝心じゃな」

 

「肝だけに、という奴ですな」

 

「この大量の毛皮はどうしたものか……」

 

 他人事だからと適当に言う鉱人道士と蜥蜴僧侶。もはや別の事を考えて始めるローグハンター。

 

「この際被せるのはその毛皮にしてよ!」

 

 妖精弓手が妙案を思い付いたと言うように、毛皮を広げる彼を指差しながらそう告げた。

 ローグハンターは視線を彼女に向け、また血が乾ききっていない毛皮を見せた。

 

「獣の血を被った挙げ句に『やはりゴブリンのものもだ』と言われるのと、ゴブリンの血だけを被るの、どちらが良い」

 

「……そ、それは……!」

 

 何とか食い下がろうとした妖精弓手だが、彼女以外の女性陣は既に血を被っている。

 残された彼女だけが被らないのは、それこそ不公平というやつだろう。

 結局ゴブリンの血を塗りたくる事となった妖精弓手だが、悲鳴を漏らさなかったのは流石の一言だろう。

 それこそ、慣れただけかもしれないが………。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory10 闇の中へ

 音もなく遺跡へと乗り込んだ冒険者たちは、まず立ち込める腐敗臭に眉を寄せた。

 ゴブリンの巣穴と、長年人が立ち入らなかった遺跡の臭い。二つが入り混じった独特なそれは、彼らの嗅覚を容赦なく痛め付ける。

 その中でも女神官は、遺跡に施された森人による火避けの加護の影響で消えてしまいそうな松明を気にかける。

 只人は夜目が利かない。暗闇とはすなわち敵。掲げられた消えかけの明かりだけが、彼らの生命線だ。

 その闇の中を、迷うことも躊躇うこともなく進んでいくローグハンターだけは例外。

 彼の持つ闇を見通す力(タカの眼)は、どこであろうといつであろうとその力を発揮する。

 

「壁も床も天井も、見た目の割にはしっかりしている。抜いてくる事はないだろう」

 

「隠し扉がなければな」

 

 ローグハンターの言葉に、ゴブリンスレイヤーはいつも通り淡々と応じた。

 いつものようすの二人に仲間たちは思わず苦笑を漏らす中、ゴブリンスレイヤーは更に言う。

 

「それに、あの━━━」

 

 と思わせておいて、いきなり口を閉じた。僅かに兜を巡らせているのは、何かを思い出そうとしているからか。

 妖精弓手はやれやれと首を横に振り、長耳を動かして警戒しながら言う。

 

「モケーレ・ムベンベでしょ?」

 

「それだ。それに鞍をかけた奴と、かけられるまで時間を稼いだ奴がいる。油断は出来ん」

 

「鞍をかけたのがあのローブを纏った小鬼だとして、その時を稼いだのは呪文遣い(シャーマン)あたりでありましょうや」

 

 蜥蜴僧侶が言うと、「おそらくだが」と低い声で返される。

 先頭を進むローグハンターは、そっと目を細めた。

 

「ローブ野郎はともかく、あの怪物を一時的に沈めるということは、『惰眠(スリープ)』ぐらいは使えるか」

 

「なら、私が『抗魔(カウンターマジック)』を使います」

 

 女魔術師が言うと、彼はフードの下で小さく頷いた。

 つまり、女魔術師に術を使わせていいのは一度だけ。使い所を間違えば、この中の誰かが死ぬことになる。

 手早く算段を纏めていく彼らを他所に、鉱人道士はため息を吐いた。

 

「お前さんらは、もうちょい他の事にも興味を持つべきじゃないかの?」

 

 言いながら彼が見つめるのは、砕かれた絵画と思わしき物。

 この遺跡の来歴を記したものか、あるいは警句が刻まれていたのか、どちらにしても今はゴブリンたちの手によって塗り潰されていた。

 道の端には同じように破壊された絵画の破片や、ある程度の原型を留めている幸運なものまで、無秩序に投げ捨てたかのように並べられている。

 否、実際に投げ捨てられたのだ。ゴブリンにとってしてみれば、目の前にあるものは彼らにとっての食料か玩具でしかない。

 食えないものなら、玩具にされて当然だろう。

 もし、その玩具に向ける悪意が命あるものに向けられればどうなるかは、彼らは重々承知していることだ。

 ローグハンターは砕かれた絵画の破片に一瞥くれると、心底興味なさそうに視線を正面に戻した。

 鉱人道士が諦めたようにため息を吐き、銀髪武闘家は思わず苦笑。

 彼にだって見たこともないものに目を輝かせたり、感嘆の息を吐いたりなど、最低限の反応をする程度に好奇心はある。だが、今は状況が状況だ。

 妖精弓手がいるとはいえ、斥候である彼が気を抜けば一党を危険に晒すことになり、場合によっては全滅もあり得る事だ。

 警戒を続けるローグハンターと妖精弓手の耳に、僅かな水音が聞こえたのはその時だった。

 二人は僅かに目を合わせると、警戒を強める。

 水路が通っているということは、何かしらが居てもおかしくはない。今回は間違いなくゴブリンだろうが、警戒するに越した事はないだろう。

 二人は川に掻き消される音ではなく、確実に視認出来る敵の姿に警戒をしていると、令嬢剣士が「え……」と小さく声を漏らした。

 周辺を警戒する二人を除いて、一党たちの視線が彼女に集まった。

 尊敬する頭目が振り抜いてくれなかったのは少々ショックではあったが、彼女はその碧眼を細めながら言う。

 

「……今、前の方から声が聞こえましたわ」

 

「確かか」

 

 ゴブリンスレイヤーの確認に、令嬢剣士は僅かに自信なさげに頷いた。

 視界による警戒をローグハンターに任せ、妖精弓手はぴんと長耳を立てて耳を澄ませる。

 聞こえる音に集中し、微かに長耳を揺らして聞き入るこばし。

 

「……聞こえたわ。男か女かはわかんないけど、人の声ね」

 

「ゴブリン以外にも誰かいるんだ。助けなきゃだけど、ねぇ……」

 

 銀髪武闘家は思い切り顔をしかめて小さく唸る。

 生存者がいることは良いことだ。だがしかし、今回ばかりは助ける余力があるかどうか。

 だが、それでも、

 

「助けないと、ですね」

 

 女神官はそんな迷いを振り払うように、両手が白くなるほど錫杖を握りしめた。

 彼女の呟きに冒険者たちは同時に頷き、各々の得物を改める。

 ほどなくたどり着いたのは、遺跡の天井から地下深くまで続く吹き抜けと螺旋の回廊。

 そしてその回廊を中心とした、アリの巣のように四方八方へと伸びていく通路の入口。

 ここまでくれば、件の誰かの声は一党全員に聞き取れた。

 それが発せられているのは、彼らを飲み込まんと口を開けている奈落の底。

 彼らが目指すのもまた、その場所だ。

 ローグハンターは身を乗り出し、タカの眼を以て奈落の底を睨む。

 闇を見通す力とて限界はある。底が深すぎて、様子は探れない。

 彼は困り顔で肩を竦めると、僅かに聞こえる水が落ちる音に耳を傾けた。

 どこからか落ちた水が、溜められた水に叩きつけられる音。下にはそれなりの量の水が溜まっているのだろう。

 何度か瞬きを繰り返し、顎に手をやって思慮を深める。

 下に水が溜まっているのなら、飛び降りても問題はない。

 だが、斥候が減るというのは、一党にとってはデメリットが多すぎる。ここから先は不意な遭遇も増える筈だ。

 色々と悩んでいる彼に気づいてか、銀髪武闘家が小声で声をかける。

 

「どうかした?」

 

「いや、どう下に降りるかを考えていた」

 

「そこの回廊を辿ればいいんじゃないの?」

 

「それだと時間がかかるだろう」

 

 二人の会話が聞こえていたのか、妖精弓手が長耳を立てながら問いかけた。

 

「……あんた、何するつもりなのよ」

 

「飛び降りる」

 

 即答した彼を除いて、冒険者たちの目が驚愕で丸くなる。

 この男は何と言った。飛び降りる?この底も見えぬ高さから?

 驚き固まる仲間たちを他所に、ローグハンターは続けた。

 

「下には水が溜まっている。飛び降りたところで死にはしないだろう」

 

「……斥候殿、流石にそれは同意しかねますぞ」

 

 蜥蜴僧侶が困り顔で頬の鱗を掻くと、ローグハンターは残念そうに肩を竦めて見せる。

 

「まあ、音で気づかれる可能性があるから、元よりするつもりはない」

 

「気づかれてもいいなら飛ぶみたいに言うわね」

 

 妖精弓手が痛む頭を押さえながら言うと、ローグハンターは心底不思議そうな顔を彼女に向けた。

 

「飛ばないのか?」

 

 彼の言葉に冒険者たちは押し黙り、各々目を合わせた。

 女魔術師は僅かに曇った眼鏡をローブの裾で拭うと、僅かに非難の色を込めた声音で言う。

 

「あのですね、高さもわからないのに飛ぶんですか?」

 

「高さは問題になるのか?着地が一番問題だろう」

 

 ローグハンターはそう返し、再び奈落の底を覗きこむ。

 着地点が見えないのは少々怖いところだが、行けなくはないだろう。

 ゴブリンスレイヤーは小さく唸ると、奈落の底へと続く回廊に目を向けた。

 ここに留まり過ぎている。ゴブリンと遭遇する危険と、下の何者かの事を考えると、一刻も早く行かねばならない。

 いまだに下を覗きこんでいるローグハンターの背中を一瞥し、仲間たちに告げる。

 

「時間が惜しい。行くぞ」

 

 

 

 

 

 石造りの内壁に螺旋状に絡み付く階段を、冒険者たちは降りていく。

 一度に降りられる人数を制限するためか、足場は極端に狭く、手すりもない。

 自然と壁に手をつく形となるが、その壁にも苔がびっしりと生えている。

 水分を含んでいるからか妙に滑りやすいそれは、いつも以上に神経を磨り減らしていく。

 その中で、ローグハンターだけは何とも異様だった。

 壁に手をつくことなく、階段を見ることもなく、周囲を警戒しながら降りていく。

 何とも慣れている彼の背中を追いかける銀髪武闘家は、籠手のせいでうまく壁を捉えられずに四苦八苦。

 女魔術師は杖を邪魔そうにしながら、ぼそりと言う。

 

「……短くしようかしら」

 

「この際ですから、発動体そのものを変えるというのはいかがでしょう」

 

 後ろに続く令嬢剣士が言うと、女魔術師は小さく唸る。

 学院の卒業の証たる杖だ。出来れば手放したくはない。

 武器を仕込んで短くしてしまったら、もう見る影もない気がするが、それはそれだ。

 ふと、ローグハンターがエアライフルに手を添えた事に気付き、冒険者たちは足を止めた。

 彼はエアライフルを構えると、タカの眼の視界に映る赤い影に照準を合わせる。

 ダートはスリープを選択。寝たままこの高さから落ちれば、誰だろうが死ぬ。

 音もなく放たれたスリープダートは視界に映るゴブリンを捉え、急激な眠気を誘う。

 抵抗することなくそれに身を任せたゴブリンは眠り呆け、奈落の底へと身を投げた。

 受け身もなしで水面に叩きつけられれば、重症は免れない。そして重症を負えば浮上は困難となる。

 助かったところで、そいつはただ寝ただけだ。ゴブリンのことだから対して調べもしないだろう。

 ローグハンターはエアライフルを手に持ったまま歩き出し、仲間たちを先導する。

 ローグハンターの背中を追いかけながら、蜥蜴僧侶がゴブリンスレイヤーに問いかける。

 

「外の死体の数や遭遇した小鬼からして、今回はかなりの大規模でありますかな」

 

「だろうな。だが、ここを完全に維持できるほどではあるまい」

 

「でありましょうな」

 

 ローグハンターは足を止め、その場にしゃがんでエアライフルを構えた。

 何故かは、妖精弓手には明らかだった。彼女の聴覚には二匹のゴブリンが喚いている声が聞こえているのだ。

 つまり、ローグハンターは妖精弓手の射線を開けたのだ。

 彼女は大弓を構え、小声でローグハンターに言う。

 

「私は左、あんたは右」

 

「ああ。三、二、一」

 

 ローグハンターの号令に合わせ、ダートと矢が空気を切り裂いた。

 息を合わせて放たれた二つは寸分も狂いなくゴブリンを撃ち抜き、頭を撃ち抜かれた一匹は昏睡し、眼窩に矢の生えた一匹は即死。

 二匹は揃って体を奈落の底へと落とし、だいぶ間を開けてから二つの水音が響いた。

 一年以上の付き合いの彼らだからこそ出来る同時射撃(シンクショット)

 二人はそっと目を合わせて頷きあうと、後続に目を向けて再び歩き始めた。

 螺旋を描く回廊は、どこまでも続くかのような錯覚を覚える。

 ここにたった一人で挑んでいたのなら、疲弊し、憔悴し、どこかで奈落の底に落ちていたことだろう。

 だが、後ろには頼れる仲間がいて、その中には愛する人がいる。

 ならば、折れるわけにはいかない。

 彼の瞳に力が宿り続ける限り、剣を振るうことが出来る限り、折れるわけにはいかないのだ。

 

 

 

 

 

 あれならどれ程の時間が経ったのだろうか。

 月も陽も拝めぬ遺跡の中では、自然と時間の感覚がおかしくなっていく。

 それでも冒険者たちは毅然としており、底にたどり着くと、水分補給のための小休止となっていた。

 妖精弓手は長耳を立てると、その目を閉じて小さく息を吐く。

 

「声、聞こえなくなったわね……」

 

「手遅れだな」

 

 ゴブリンスレイヤーは低い声でそう断ずると、妖精弓手は弓の弦を張り直しつつ顔をしかめた。

 ローグハンターは狼の骨からダートを製作し、使用した分を手早く補充。

 彼の一党の三人が各々の武器を改め、僅かとはいえ水分を補給を済ませる。

 女神官は次の松明に火を灯し、鉱人道士は触媒の詰まった鞄を改める。

 彼らの用意が一通り終えた頃を見計らい、蜥蜴僧侶がその(あぎと)を動かした。

 

「では、参ろうか」

 

 彼の一言に冒険者たちは一斉に頷き、足を進める。

 薄暗い闇の中は、ゴブリンたちにとっては好都合だろう。

 だが、それはローグハンターとて例外ではない。警戒を深める彼のほうが、まだ上を行く。

 現に、ローグハンターはその視界に赤い影を複数捉え、仲間たちを手で制した。

 

「数は六。食事か何かをしているようだ」

 

「術を使うな。片付けるぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーの淡々とした指示に、ローグハンターと銀髪武闘家、令嬢剣士、蜥蜴僧侶、妖精弓手が頷く。

 妖精弓手が矢を(つが)えた事を合図に、五人は各々の得物を片手に飛び出していく。

 その事にゴブリンたちが気づき、声をあげようとしたその瞬間、開かれた口を貫くように矢が生えた。

 口の内側から脳を貫けたゴブリンは、おそらく痛みもなく死んだ事だろう。

 仲間が目の前で死んだことで一瞬そちらに視線を向けた時、運命は決まった。

 

「フッ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの投じた鉈が頭蓋を砕いて二匹目。

 

「イィィィィィヤッ!」

 

「イィィィィィヤァァァアアアッ!」

 

 銀髪武闘家の蹴りと蜥蜴僧侶の爪によって、二匹のゴブリンの体がバラバラに解体される。これで四。

 

「フン!」

 

「ハッ!」

 

 ローグハンターのバスタードソードが首を貫き、令嬢剣士の軽銀の一閃が首を断つ。合わせて六。

 ゴブリン六匹程度に遅れを取るわけもなく、冒険者たちは負傷なしでその場を切り抜けた。

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンの手を踏み砕いて手頃な武器を拝借し、ローグハンターはバスタードソードの血をゴブリンの側に落ちていた襤褸布で拭う。

 ついでにそのゴブリンの首に下がっていた何かしらの鍵を拝借しておく。

 銀髪武闘家はゴブリンたちが集まっていた場所に目を向け、僅かに眉を寄せた。

 食い散らかれた男性と思われる死骸。脇に落ちていた認識票は青玉を示している。

 彼女はそれを拾い上げると汚れを拭い、そっと懐にしまった。

 ローグハンターは彼女の背中に目を向け、次に臼のような何かに目を向ける。

 圧搾機と呼べばいいのか、車輪状の取っ手を回して機構を動かし、オリーブや葡萄を押し潰し、汁を搾る道具だ。

 そんな馴染み深い道具もゴブリンの手にかかれば、一瞬にして邪悪なものへと変わる。

 装置の隙間から覗くのは、びくびくと痙攣する細い手足。

 硝子(ガラス)球のような瞳で宙を見、だらりと舌を垂らした少女の首。

 ゴブリンが何を圧搾していたのかは一目瞭然。拷問にしては意味はなく、処刑というには回りくどい。

 つまり、ただの娯楽として、彼女の命は奪われた。

 ローグハンターは彼女の側に寄ると、汚れることもいとわずに片膝をつき、彼女の目を閉じさせる。

 その表情に安らぎが戻ることはなく、痛々しいだけだ。

 歯を食い縛るように表情をしかめ、ぼそりと呟く。

 

「汝の魂に、安らぎあらんことを……」

 

 彼は立ち上がり、搾り出された赤黒い汁が水路に滴り落ちている事に気づいた。

 同じくそれに気づいたのか、女魔術師が水路を覗きこみながら顎に手をやる。

 水路を沿って川に流れ出ているが、周囲の森に影響があった様子はなかった。

 

「毒ではないわよね……」

 

「いや、ある意味では毒だ」

 

 ローグハンターが彼女の隣につきながら言うと、水路に流れ込む何かを短剣の切っ先で掬う。

 川に流すにしては少なすぎるが、人一人を殺したにしては多すぎる量だ。

 

「おまえらは仲間の糞尿と血の入った水を使って生活しているのだ、とでも言いたいんだろう」

 

 女魔術師が僅かに目を細めると、同じく水路を覗いていた蜥蜴僧侶が言う。

 

「一種の呪いと見たほうがよぉ御座いますな」

 

「ならば、相手にはシャーマンがいるな」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、「なかなかの使い手だ」と付け加えた。

 確かに、こんな回りくどい事を考え付くのはシャーマンだけであろうし、ここまで考え付くのはあまりいないだろう。

 先ほどの死体を見つけて表情を青くしていた令嬢剣士に気をかけつつ、鉱人道士が呟く。

 

「お前さんら、よく平気だのう……」

 

「慣れているからな」

 

 ローグハンターは端的にそう告げると、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「ここで休憩か?」

 

「ああ」

 

 ゴブリンスレイヤーは小さく兜を縦に振り、女神官にゆっくりと言う。

 

「弔ったら、少し休め」

 

 ゴブリンはまだいる。むしろ本番はここからなのだ。

 

 

 

 

 




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Memory11 頂きへ

 冒険者二人の遺体を水葬として川へと流し、各々が休息を取るなか、ランタンの脇に腰かけたローグハンターはバスタードソードを傍らに置き、狼の毛皮を広げて小さく唸っていた。

 二十枚は流石に多すぎる。どうにかして減らしたいのだが……。

 彼はふと何かを思い付いたのか、壁際で休んでいるゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「ゴブリンスレイヤー。これから登るんだよな?」

 

「ああ。奴らの頭目がいるのしたら、この遺跡の一番下か、一番上だ」

 

「そうか……」

 

 ゴブリンとは単純なもので、一番偉い者が洞窟なり遺跡なりの最奥か頂上にいる。

 彼らのいる場所が遺跡の最奥、つまり一番下だとしたら、残る選択肢は頂上。

 ローグハンターは「ふむ」と顎に手をやると、ロープダートを数本取り出す。

 

「頭巾の、何をするつもりじゃ」

 

 何やら作業を始めようとしているローグハンターに、鉱人道士が声をかけた。

 

「いや、念のための備えを用意しておくかとな」

 

 言いながら、ローグハンターは毛皮とロープダートを組み合わせて何やら製作を開始した。

 淀みなく行われるそれは、鉱人道士が入る隙を与えない。

 彼は手元を動かしたまま、食い入るように見てくる鉱人道士に言う。

 

「術士が休まないでどうする。見張りは立てているから、仮眠くらいなら問題ないだろう」

 

「まあ、そうだけんどよ」

 

 現在見張りをしている妖精弓手に目を向け、渋々と言った様子でごろりと寝転がり、腕枕で体を支え始めた。

 数分もしないうちにいびきをたて始め、すんなり眠れたようだった。

 ローグハンターは小さくため息を漏らすと隅のほうで毛布にくるまっている女神官、女魔術師、令嬢剣士の三人に目を向けた。

 三人とも仮眠をとっているようで、静かな寝息を漏らしている。

 更に視線を巡らせて、あぐらをかいて瞑想している蜥蜴僧侶、見張りを続ける妖精弓手、兜のおかげで寝ているのかよくわからないゴブリンスレイヤーの姿を確認。

 そして、

 

「なにやってるの?」

 

 寝ぼけ(まなこ)で彼の隣に腰かけた銀髪武闘家と視線を合わせる。

 ぼんやりとしているようだが、彼女の銀色の瞳が陰っている様子はない。

 そっと彼女の頬を手を触れ、「おまえも寝ておけ」とだけ告げて再び手元に集中。

「ん~」と息を吐きながら肩に寄り掛かってきた事を気にも止めず、彼女を起こさないように作業を続ける。

 人数、体格、重量、枚数制限を考慮して、無駄と失敗を徹底的に削り、丁寧にかつすばやく製作。

 人数分を揃えたところで、ローグハンターは大きく息を吐いて肩に寄り掛かる銀髪武闘家の顔を覗きこむ。

 僅かに強張った寝顔は、眠ってはいるが休まってはいない証拠だろう。

 彼はそっと彼女の肩を抱き、僅かに体を密着させる。

 固かった表情が僅かに和らぎ、心なしか呼吸も規則正しいものとなった。

 これなら大丈夫だろうと見きりをつけて、瞬きと共にタカの眼を発動させる。

 暗くなった視界に映るのは、頼りがいのある仲間たちの青い影。

 それに混ざって見える二人の幻影は、先ほど水葬とした冒険者の最期の姿だろう。

 ローグハンターは眉を寄せ、傍らに置いたバスタードソードの柄に手をかける。

 何かあったとしても、すぐにでも反応出来るように。

 何かあったとしても、仲間たちを守るために。

 二時間ほどの休息の中で、ローグハンターは一睡もすることはなかった。

 そして、ゴブリンたちが現れることもなかった。

 

 

 

 

 

「━━で、なにこれ?」

 

 休息終わりの妖精弓手はローグハンターから()()を受け取り、小さく首を傾げた。

 仲間たちも言葉にはせずとも困惑の表情を浮かべており、それをじっと見つめている。

 ローグハンターはそれが全て行き渡った事を確認し、自分のものを差し出しながら言う。

 

「いわゆる『パラシュート』だ。これがあれば、最悪塔の頂上から落ちても死にはしない」

 

「パラ━━なに?」

 

「船の帆と似たようなものだ。落ちた時にこれを広げて、風を捕まえられれば落下の勢いを殺せる」

 

 ローグハンターがパラシュートを広げながら言うと、鉱人道士が髭をしごきながら感嘆の息を漏らす。

 

「即席とはいえ、随分手の込んだもんを作りおったの」

 

「おまえの術があれば問題ないだろうが、念のためだ」

 

 広げたパラシュートを折り畳み、雑嚢へと押し込む。

 ずっしりとくるが、大量の毛皮に比べればまだましだ。

 女魔術師は自分用のパラシュートを眺めると、ローグハンターに向けて微笑を浮かべる。

 

「それにしても、よく思いつきましたね」

 

「………夢の中で、これを使っている奴を見ただけだ」

 

「はい……?」

 

 思わず間の抜けた声を漏らした令嬢剣士を他所に、銀髪武闘家がため息を吐いた。

 

「また誰かの夢を見たの?」

 

「誰なんだろうな、あの男は」

 

 僅かに疲れたように言うローグハンターだが、蜥蜴僧侶が顎に手をやって目玉をぎょろりと回す。

 

「斥候殿の見た夢の中の道具。なかなかに面白い代物ですな」

 

「気になるところそこなの?」

 

 妖精弓手が肘で小突きながら問うと、「今は場所が場所ですからな」と笑み混じりに返される。

 ゴブリンスレイヤーはパラシュートの具合を確かめ、雑嚢に押し込むと仲間たちに指示を出す。

 

「いくつか細工をしておきたい。頼めるか」

 

 彼のやる事なら何かしら意味のある事だろう。

 令嬢剣士はともかく、最低でも一年の付き合いがあるのだ。それは仲間たちがよく知るところ。

 ゴブリンスレイヤーは、こういう状況ほどやらかすのだ。

 

 

 

 

 

 細工を済ませて再び遺跡の進み始めた冒険者一行は、延々と階段を昇ることとなっていた。

 降りたら昇るというのは、遺跡探索でなくとも基本的なことだ。

 ローグハンターの一党は毎日()んだり()ねたりしているから、この程度は問題にもならないが……。

 

「なんで昇降機(エレベーター)がないのかしらね……!」

 

 妖精弓手は地団駄を踏みながら愚痴をこぼした。

 ローグハンターはわざとらしくため息を吐くと、振り向き様に彼女を睨む。

 

「敵陣だ、静かにしろ」

 

「そうだけどさ、探そうともしてないじゃない」

 

「時間が惜しい」

 

 隊列の後方から、ゴブリンスレイヤーと思われる声が発せられた。

 取り付く嶌もなかった妖精弓手は「ふん!」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 銀髪武闘家は苦笑を漏らし、後ろに続く女神官に目を向けた。

 

「それで大丈夫?辛かったら言ってね?」

 

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 

 額に汗を滲ませながら笑みを浮かべる女神官の姿に、銀髪武闘家は一度だけ頷くことで答える。

 女魔術師は周囲を警戒しつつ、ゴブリンスレイヤーに告げた。

 

「それにしても、嫌に静かね」

 

「ああ。今が昼間ならまだわかるが、気に入らんな」

 

 ゴブリンスレイヤーは掲げた松明に気をかけながら、そう呟いた。

 遺跡に潜ったのが真夜中で、それから探索と休息で数時間。今が朝なのか深夜なのか、あるいは真昼なのか、今の彼らにはよくわかっていない。

 長時間にも及ぶ探索によって、時間感覚がおかしくなり始めているのだろう。

 ローグハンターは僅かに思慮し、外に出れば問題ないかと早々に切り上げる。

 同時に足を止め、後続にも待ったをかけた。

 いつまでも続くと思われた階段が、彼の足元からさっぱりなくなっているのだ。

 経年劣化によるものか、あるいは人為的なものか、とにかく螺旋状に続いていた階段が崩れてしまっている。

 下から響く水音からある程度の高さを推測し、落ちたら死ぬことを確認。

 次いで目測で距離を計り、行けるか否かを判断する。

 自分たちならともかく、ゴブリンの体躯では無理だろう。ならば、安全な回り道があるのかもしれない。

 だがそちらを通るなら、戦闘は免れない。多少の無理をしてでもここを通るべきか。

 ローグハンターは目を細め、壁となっている石材の何枚かが僅かに浮いていることに気づく。

 指がかかるのなら何の問題もない。行ける。

 指を動かして軽くほぐしながら、後続に言う。

 

「俺が先に渡ってロープを通す」

 

「ロープですわね!」

 

 彼の言葉に反応したのは令嬢剣士だ。雑嚢を引っ掻き回し、鈎縄を取り出した。

 ロープダートを使ってもいいが、あれはあくまで武器だ。ここで壊して一つを無駄にはしたくない。

 ローグハンターは鈎縄を腰に巻くと躊躇いなく跳び、僅かに浮いている石材に指を引っ掛けると体を持ち上げる。

 足を踏ん張り体を支え、次の石材に向けて跳ぶ。

 一瞬でも気を抜けば滑落を免れないが、ローグハンターからしてみればこの程度児戯のようなものだ。

 何度壁を昇り、崖を昇ってきたと思っている。

 尤も、今の彼は弓兵からしてみれば良い的も良いところだ。

 妖精弓手は矢筒に手を添えながら長耳を立てて周囲を警戒し、その最悪の事態(ファンブル)に備える事も忘れない。

 何の問題もなく崩れた階段の崎に降り立つと鈎縄を固定し、外れないかを確かめるために何度か引く。

 

「良し、来い!」

 

 彼の合図に真っ先に答えたのは銀髪武闘家だった。

 ローグハンターが固定した鈎縄の反対側を体に巻き付け、跳ぶ。

 籠手や脚甲など、諸々重石となるものが多い彼女でも、飛距離は十分。何より行き先には彼がいるのだから、心配することは何もない。

 着地と同時に彼の体に抱き止められて急停止。

 お互いの息が耳元に当たるほどの超至近距離だが、今は敵陣の真っ只中。ここで何かあるほど惚けてはいない。

 ローグハンターは背後の守りを彼女に任せ、次々と飛んでくる仲間たちを受け止める。

 流石に蜥蜴僧侶の巨体を止めるのは無理だが、彼は爪をもって壁に張り付くという荒業で穴を越えてきた。

 女神官と鉱人道士の二人は流石に危ういかと、蜥蜴僧侶がその背に背負って往復することとなった。

 最後に跳んだゴブリンスレイヤーを受け止め、互いに頷きあって無事を確認。

 

「あ、ほら、あったわ!」

 

 そんな二人の耳に、妙に上機嫌な妖精弓手の声が届いた。

 揃って彼女の方に目を向けると、何やら必死になって壁を指差していた。

 仲間たちもその場所を覗きこむ、何やら興味深げに息を吐いている。

 ゴブリンスレイヤーとローグハンターもまたそこを覗き、仲間たちと同じように息を吐く。

 

「昇降機、で良いんだよな?」

 

 ローグハンターが確かめるように問うと、鉱人道士が「間違いあるめぇ」と返す。

 彼らの興味を引いたのは、昇降機と思われる装置だ。

 両開きの引き戸が壁に埋没しており、すぐ傍らには何やら操作板と思われるものが鎮座している。

 あまり遺跡に潜る機会のないローグハンターは見慣れていないが、この世界の遺跡にはよくある類いの昇降機だ。

 タカの眼越しに昇降機を睨み、出入りする幻影が見えないことを確認し、長い間使われていないと判断する。

 

「これは、面倒ね……」

 

 操作板を前にした女魔術師が、目を細めながらそう呟いた。

 階層を指定するだけならまだしも、操作板に備わった鍵盤には、マス目で区切られた数字が羅列しているのだ。

 正解を打ち込むことでようやく動作し、昇降機としての役目を果たす仕掛けなのだろう。

 

「鍵ではなくて暗号。何かしらのヒントは……」

 

 そう言いながら操作板をまじまじと見つめ、あるいは側面や上面を覗きこむ。

 想像を絶するほど放置されていたのか、タカの眼でも指紋を見ることは出来ない。

 ローグハンターはため息を漏らし、ふと懐に入れていた鍵を引っ張り出す。

 下にいたゴブリンが持っていた、何やら三桁の番号の刻まれた何の変哲もないただの鍵。

 もし鍵がフェイクで番号が本命だとしたら………。

 

「この番号はどうだ」

 

 うんうんと唸っていた女魔術師に鍵を手渡し、それを受け取った彼女は「やってみます」と笑みを浮かべた。

 じっと見て番号を確認し、慎重な面持ちで数字を入力。

 三桁全てを間違いなく打ち込むと、僅かな振動と共に唸り声があがり、やがて軽やかな音色と共に機械が止まる。

 昇降機の扉が音もなく開き、石造りの箱型の中には誰もいないことを冒険者たちに教えてくれた。

 

「正解、でしたね」

 

「ええ」

 

 女神官がホッと息を吐くと、女魔術師は三角帽子を脱いで額の汗を拭う。

 棺桶を思わせる昇降機だが、全員が乗れない訳ではない。……少々狭いかもしれないが。

 

「罠はどうだろうな」

 

「少なくとも、ゴブリンが弄くり回せるほど、簡単な構造ではあるまい」

 

 ローグハンターが昇降機を睨みつつ問うと、ゴブリンスレイヤーは剣の切っ先で昇降機の床を突き、昇降機自体には問題ないと結論づける。

 問題があるとすれば、昇降機を支える装置に何か仕掛けられていないかだ。

 乗っている最中に仕掛けが発動し、最下層まで落下は流石に笑えない。

 

「……行きましょう」

 

 女神官が、緊張の面持ちで決断的にそう告げた。

 表情は僅かに青くなり、声も震えてはいたけれど。

 

「ゴブリンは、やっつけないと……」

 

 彼女ははっきりと、仲間たちに届くように言葉を続けた。

 ゴブリンスレイヤーは「ああ」と即答し、ローグハンターは思わず苦笑を漏らす。

 

「こいつの影響を受けすぎだろう。まあ、その意見には賛成だが」

 

「ふふ、神官ちゃんが立派になって嬉しいよ」

 

 銀髪武闘家は微笑を漏らし、そっと彼女の髪を撫でる。

 銀等級二人に弄られ顔を赤くしながらも、銀髪武闘家の手を振り払う事はない。

 仲間たちは各々の得物を検め、ゴブリンスレイヤーに視線を集める。

 彼らの信頼の念の込められた視線を受けたゴブリンスレイヤーは、自らの盾、鎧、兜、剣を検めると、たったの一度頷いた。

 

「行くぞ。ゴブリンどもは、皆殺しだ」

 

 彼の指示の下、冒険者たちは昇降機へと乗り込んで行く。

 音もなく扉が閉まり、唸り声と共に冒険者たちを上へ上へと運んでいった。

 速度はよくわからないが、床に押し付けられる独特の感覚が彼らを襲う。

 箱の中に押し込められた冒険者たちは、各々緊張の面持ちだ。

 天井が開いてゴブリンが降り注ぐなんて事が、絶対にないとは言い切れない。

 銀髪武闘家が拳を開閉させると、ローグハンターに問いかけた。

 

「後どれくらいだろうね」

 

「外から見た限り、中々の高さだった。もうしばらくかかるだろう」

 

「途中で止まったら、縦穴を昇るのですか?」

 

「そのつもりだ」

 

 令嬢剣士の問いかけにゴブリンスレイヤーが答え、女神官は「うぅ……」と嫌そうな顔となる。

 そのやり取りを最後に、冒険者たちの間には嫌な静寂が昇降機を呑み込んだ。

 昇降機が動作する唸り声と、僅かに聞こえる水の音が、混ざっては消えてこだまする。

 

「……ごめん」

 

 不意にぽつんと零れた声は、妖精弓手のものだ。

 冒険者たちの視線が一斉に向けられた彼女は、居心地悪そうに身動ぎをする。

 

「それから、ありがとね」

 

 照れ臭そうに頬を染め、はにかんだように微笑んだ。

 面と向かって誰かに礼を言うのに、照れない人物などいないだろう。

 

「結婚式だーって呼んだのに、こんなことになっちゃって」

 

「まったくだ」

 

 ローグハンターは腕を組み、不機嫌だと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

「これだけやって報酬もなしだぞ、赤字も良いところだ」

 

 肩を竦めてそう言うと、妖精弓手は「報酬ねぇ……」と力なく呟く。

 ローグハンターは彼女の様子を気にする事もなく、「だから……」と言葉を続ける。

 

「無事におまえの故郷に帰れたら、アルタイルの話を聞かせてくれ。それだけで十分だ」

 

 フードの奥でふっと小さく笑みを浮かべると、話は終わりだと言わんばかりに視線を逸らす。

 銀髪武闘家はやれやれと首を左右に振ると、妖精弓手に言う。

 

「ま、大事な友達の頼みだからね。森人料理を食べられればそれでいいよ」

 

「ばかでかい虫ばっかりだったがの……」

 

「うそぉん」

 

 鉱人道士の横槍に、銀髪武闘家は表情を青くした。

 いくら大食らいの彼女とて、虫にかじりつけるかと問われると答えは否。流石に抵抗はある。

 蜥蜴僧侶は愉快そうに笑みを浮かべ、「中々に美味でしたぞ」と付け足す。

 女神官は柔らかく笑むと、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「私としましては、ゴブリンと聞いてゴブリンスレイヤーさんが飛んでいかなくて良かったです」

 

「む?」

 

 いきなり話題を振られたゴブリンスレイヤーは小さく兜を揺らし、女神官に目を向けた。

 令嬢剣士は口元に手を当てながら小さく笑った。

 

「わたくしは、森人の里に来られただけでも満足ですわ。ついでに冒険も出来ましたから」

 

 女魔術師は彼らの姿に苦笑し、妖精弓手に言った。

 

「この通り、誰も気にしてないわよ」

 

「……まったく」

 

 妖精弓手は肩から力が抜けたように息を漏らし、頬を緩めた。

 

「お人好しよね、あんたたち……」

 

 言うや否や両頬を叩いて気合いを入れ、弓を手に取る。

 天を睨んで長耳をひくひくと揺らし、真剣な面持ちとなった。

 

「風の音。足音。ざわめき。屋上か吹抜。数はたくさん」

 

「一気に突っ切りたい所だ」

 

 ゴブリンスレイヤーは剣を片手にそう告げる。

 蜥蜴僧侶はしゅーと鋭く息を吐き、算段を纏める。

 

「小鬼殺し殿、武闘家殿を前衛として、拙僧と剣士殿が脇を固め、野伏殿の後ろに巫女殿と術士お二人が」

 

「……待て、俺はどうする」

 

 アサシンブレードに不備がないことを確かめつつの問いかけに、蜥蜴僧侶は意味深な視線を彼へと向けた。

 

「斥候殿は、後衛の護衛をしつつあのローブの小鬼を頼みまする」

 

「任せろ」

 

 ローグハンターはバスタードソードを抜き放ち、瞑目しながら深呼吸を数度。

 そしてゆっくりと目を開き、瞳に絶対零度の殺気を宿らせる。

 

「初手は剣士の『稲妻(ライトニング)』辺りで良いか」

 

「ああ、術を使うのはそれだけにしろ。奇跡は惜しむな」

 

「わかりましたわ!」

 

「うむ」

 

「はいっ!」

 

 三人は頷き、昇降機の速度が緩んだ事を合図に詠唱に入る。

 

「《伶盗龍(リンタオロン)の鈎たる翼よ。斬り裂き、空飛び、狩りを為せ》」

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)》」

 

 やがて、扉が開き━━………。

 

「《……ヤクタ(投射)》!!」

 

 ━━━雷光が迸った。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory12 鷹、墜つ

 昇降機の扉が開くと共に、令嬢剣士の『稲妻(ライトニング)』の術が炸裂━━……。

 

「GBRGOBRRRR!!!???」

 

 した瞬間に、彼女の視界にゴブリンが飛び込んできた。

 発射と同時にゴブリンを貫いた『稲妻』は、大きく勢いを落としながらも円盤状の屋上を駆け抜け、さらに多くのゴブリンを焼き焦がしていく。

 視線を奥へと向ければ、杖を持った隻眼のゴブリンと、白いローブを纏った隻腕のゴブリンが並んでいた。

 隻腕のゴブリンは、何かを投げたかのような体勢になつている。

 手頃なゴブリンを投げ飛ばしたのだろう。ゴブリンにしては良い反応だ。

 

「進め!」

 

 ローグハンターはすぐさま指示を出し、冒険者たちは矢の如き陣形でもって数十というゴブリンからなる群れに切り込んだ。

 バスタードソードで一匹二匹とすれ違い様に切り伏せ、振り向き様に大上段から降り下ろして頭蓋を砕く。

 

「イィイイイイヤッ!」

 

 前衛を務める銀髪武闘家は、蹴りと拳をもってゴブリンを屠り、屍で道を作っていく。

 その死体から鉈を拝借したゴブリンスレイヤーが、手慣れた手つきでゴブリンの腹を裂いて首を叩き斬る。

 前衛のおかげで楽なものだが、後ろから迫るゴブリンに対処するのは彼だ。

 

「フッ!」

 

 飛びかかってきたゴブリンに向けてバスタードソードを一閃。首を落として即死させ、死体の影から飛び出した左手のアサシンブレードで喉を突き、血に溺れさせる。

 妖精弓手は三本の矢を同時に放ってゴブリンを牽制すると、ローグハンターに向けて言う。

 

「杖持ちよ!」

 

 ゴブリンの喉にバスタードソードを突き立てると手放し、刺したまま蹴り倒す。

 足元の手斧を蹴りあげ、無手になった右手で取ると同時にタカの眼を発動し、金色に輝くゴブリンの姿を確認した。

 

「見えた!」

 

 手斧でゴブリンの頭蓋を砕き、隙を見て飛び出してきたゴブリンの棍棒をアサシンブレードで受け流し、反撃(カウンター)でその喉を切り裂く。

 

「狙えるか!」

 

「厳しい!」

 

「なら、援護頼む!」

 

 言うや否や手斧を投げ放ち、矢を放とうとしていたゴブリンを屠ると、エアライフルを右手に構える。

 武器を捨てた間抜けな冒険者に挑んだゴブリンをエアライフルのストックで殴打し、その流れで構え、引き金を━━。

 

「させ、るかぁ……!」

 

「ッ!」

 

 引こうとした瞬間、エアライフルの銃身がずれた。

 何の事はない。ローブのゴブリン━━小鬼(ゴブリン)暗殺者(アサシン)のカトラスによって、その銃身を切られたのだ。

 驚くのも一瞬のうちで、腕が持っていかれなかっただけましと見きりをつけると銃身部分を投げ捨て、残されたストック部分で小鬼暗殺者に殴りかかる。

 

「シャッ!」

 

 カトラスで殴打を受け流し、返す刃で真一文字に一閃。

 上体を逸らして避けたローグハンターは、鼻先を通りすぎた銀光に一瞥くれて、左手のアサシンブレードをアッパーカットの如く鋭く放つ。

 小鬼暗殺者は後ろに跳んでそれを避け、着地と同時に背中の吹き矢を構えて放つ。

 音もなく放たれたダートを小首を傾げることで避け、横目でシャーマンの位置を確認。

 

「爆破する!」

 

 炸裂グレネード入れから一発取り出し、無造作に放り投げる。

 

「爆破、備えろ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉への返答代わりに冒険者たちは姿勢を低くし、一拍あけて爆音とゴブリンの断末魔の二つが混ざって天へと響く。

 爆破と共に空中に打ち上げられたシャーマンの眼窩に、絶妙なタイミングで放たれた矢が寸分の狂いなく突き刺さった。

 小鬼暗殺者は無惨な死を迎えた仲間の姿に嘆くことはなく、僅かに唸り声をあげるのみ。

 その仲間の片目を抉り死角を増やしたのが過去の自分であることと、護衛の任を捨ててローグハンターに挑んでしまった自分の未熟さの二つを、何とも驚くことに悔いているのだ。

 

 ━━必ず仇を討ち、森人の里を征服する………!

 

 小鬼暗殺者は大きく息を吸い、そして、

 

「殺せぇええええええええ!」

 

 唾を撒き散らしながら叫んだ。

 ゴブリンスレイヤーたちが思わず目を見開いて驚くことを他所に、ゴブリンたちは各々の武器を掲げて吼える。

 何のために仲間を集めたのか。

 何のために今までやってきたのか。

 何のため?そんなものはわかりきっている!

 

「冒険者は殺す!森人の里を奪う!何よりも━━━」

 

 カトラスの切っ先をローグハンターに向け、怨嗟の念を孕んだ鷹の如き眼光で睨み付ける。

 

「━━貴様を、()()を、逃がすわけにはいかん!」

 

 音を発する度にはっきりとしていく言葉に、冒険者たちは僅かに眉を寄せて困惑を隠しきれない様子だ。

 それでも彼らを取り囲んだゴブリンは迫ってきている。

 思慮するのは後だと割り切り、各々の得物をもって捌いていくが、銀髪武闘家はゴブリンを迎え撃ちつつローグハンターに視線を向けた。

 今確かに騎士と呼ばれていたが、彼が騎士だったなんて話は聞いたことがない。

 問いかけたいところだが、その彼は小鬼暗殺者との戦闘に突入している。

 

「りゃっ!」

 

 カトラスが残像を残しながら空を切り、ストックによる殴打が大気を殴り付ける。

 大上段から振られたカトラスをストックで受け止め、互いの息がかかるほどの距離で睨みあう。

 生臭い小鬼暗殺者の息に眉を寄せながらも、力を抜くことはしない。

 小鬼暗殺者はローグハンターの蒼い瞳を睨み付け、唾と共に吐き捨てる。

 

「二度と、貴様ら(騎士団)には負けん!」

 

「悪いが、俺は何度だろうが貴様ら(アサシン)を殺す……!」

 

 競り合いながらローグハンターは小鬼暗殺者の腹に蹴りを放ち、無理やり間合いを開けさせた。

 腹を押さえてうずくまった隙を狙い、ストックを両手で構えて踏み込むが、そんな彼に向けて無数の影が飛びかかる。

 そう、これは一対一の決闘ではない。大きな群れの中で起こる戦いの一つでしかないのだ。

 小さく舌打ちをしながら飛びかかってきたゴブリンの頭蓋をガンストックで叩き潰し、左手のアサシンブレードを一閃。

 三匹のゴブリンの喉を纏めて切り裂き、振り抜いた腕の勢いのままに半回転。遠心力を乗せたガンストックを振り抜き、足元に忍び寄っていたゴブリンの脳髄をぶちまけさせる。

 数えるのが馬鹿に思える程の量に囲まれているわけだが、彼はゆっくりと息を吐いて重心を落とす。

 前後左右、見渡せばそこにいるのはゴブリンのみで、仲間たちからはだいぶ離されてしまっていた。

 視線の先に映る仲間たちは、上手くフォローしあって捌いている。それでも援護を頼む余裕はなさそうだ。

 

「GBR!!」

 

「フッ!」

 

 槍を構えて突撃してきたゴブリンの槍を受け流し、血に濡れたガンストックで腕を叩き折る。

 濁った悲鳴を無視して槍を奪い取り、膝で半ばからへし折った。

 穂先を右手、石突を左手に持って身構える。

 殺られた仲間を嘲笑っていたゴブリンが左右から同時に飛びかかり、その後ろに続くようにゴブリンが続く。

 先頭のゴブリンの降り下ろした鉈を石突側で受け流し、穂先側で喉を貫き、飛び出た側を掴んで貫通させる。

 一瞬で血に(まみ)れた穂先を逆手に握り直し、後続のゴブリンの脳天を貫いて左回転。

 ゴキリ……!と骨の砕ける音が僅かに響き、石突側で背後に回っていたゴブリンの腹を殴り付け、うずくまったところで頭を踏み砕く。

 脚の裏に感じる不快な感覚を努めて無視し、更に次のゴブリンに備えようとした瞬間。

 

「!━━━………」

 

 首筋に鋭い痛みが走った。

 痛い筈なのに意識が霞み、眠気に襲われて足元が覚束ない。

 沈みかける意識の中で、ローグハンターは何が起きたのかを朧気ながら認識した。

 実験の一環として、限界まで弱めたスリープダートを使ったことがあるのだが、その時と同じだ。

 視界が歪み、耐えきれずに片膝をついた瞬間、ゴブリンが波となって襲いかかった。

 棍棒に頭を殴打され地面に転がり、錆びの目立つ剣で斬られ、ナイフで刺され、槍で突かれ、足蹴にされる。

 左手のアサシンブレードを振り回して抵抗してみるものの、体に異常がある状態で相手するには数が多すぎる。

 ゴブリンたちの隙間から醜悪に笑む小鬼暗殺者の姿を認め、奴が原因なんだろうと消えかけの意識で思慮し、もう自分にはどうしようとないと、重い瞼を閉じかけ、

 

「キミ………!」

 

 どこからか聞こえた愛する人の声を最後に、彼の意識は暗い闇の中へと落ちていった。

 何て事はない。ただ戦いの中で、不意打ちを貰っただけだ。

 冒険者たちにとってはよくある、とてもありふれた結末だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『シンクロ率の慢性度を確認中。流入(シンクロ)開始。刻印「不死」接続完了』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな、そんな……!」

 

 ゴブリンの返り血で頬を濡らしたが銀髪武闘家が、引き倒され、ゴブリンに寄って集って殴られているローグハンターの救助に向かおうとするが、

 

「なりませぬ!ここからではどちらにしろ……」

 

 爪、爪、牙。ゴブリン三匹を纏めて屠った蜥蜴僧侶が、残された尾で銀髪武闘家の止める。

 女魔術師はリストブレードでゴブリンを討ち取りつつ、歯を食い縛り、令嬢剣士は涙を堪えて軽銀の突剣を振るう。

 ローグハンターに仕込まれた剣術はより実戦に向いたものへと変わり、相手の急所のみを捉えて無駄がない。

 だが、それを教えてくれた人物を救えないようでは意味もないだろう。

 

「ゴブリン、スレイヤーさん……」

 

 落としかけた錫杖を懸命に手繰り寄せた女神官が、弱々しい声で問いかけた。

 何かを期待してのだろうが、ゴブリンスレイヤーは押し黙り、目の前のゴブリンを盾で殴り付ける。

 

「オルクボルグ……」

 

 妖精弓手は黒曜石の短刀で接近を許したゴブリンを牽制し、矢を奪い取ると流れるようにつがえて放つ。

 そうしながらも、彼女はゴブリンスレイヤーの手が僅かに震えていることに気づいていた。

 鉱人道士は怒り任せに手斧を振り回し、ゴブリンの体を文字通りばらばらに解体する。

 顔についた返り血を気にする様子もなく、ゴブリンスレイヤーに視線を向けた。

 

「そろそろ、時間じゃい……」

 

「……ああ」

 

 彼らが陣取っているのは天井の端。見ようによっては追い詰められているとも取れる位置だ。

 ゴブリンたちは勝ち誇るようにニヤリと笑い、小鬼暗殺者に関しては満足げな表情だ。

 銀髪武闘家は膝から崩れ落ち、光の消えた瞳で彼のいる場所を、ゴブリンが団子になっている場所に目を向けた。

 今のなお攻撃は続いており、もはや死体さえも残らないだろう。

 

「嘘……うそ………」

 

 戦場の真っ只中で涙を流す彼女の姿に、ゴブリンたちは猛ったかのように一斉に嘲笑う。

 天に、森に、ゴブリンたちの下品な笑い声が響き渡る。

 小鬼暗殺者がカトラスを掲げ、その切っ先を冒険者たちに向けた。

 

「終わらせろ」

 

 頭目からの端的な指示にゴブリンたちは答え、各々の武器を手に構えた。

 男は殺し、女は死んだ分より多くの仲間を産ませて、更に群れを大きくする。

 自分に屈服し、嘆き、苦しみ、許しをこいて泣き叫ぶ姿を妄想し、ゴブリンたちは熱が勝手に下半身に集まり、興奮しているからか涎を垂らしている。

 

「GOORG!GBR!GO━━━━」

 

 そんな中、一匹のゴブリンの喉に槍が生えた。

 背後から喉を貫かれ、血に溺れて死に絶える。

 後ろが急に静かになったとゴブリンが振り返ると、そこにいたのは、

 

「…………」

 

 虚ろな金色の瞳をゴブリンに向ける一人の亡霊。

 纏っていた衣装は体に張り付くだけの襤褸布と化し、見る影もない。

 フードは千切れたのか切れたのか、首もとの残骸を残して無くなっている。

 額から垂れる血で顔を真っ赤に染め、最後まで暴れていたため滅多打ちにされた左腕は、力なくだらりと下がる。

 体には幾重もの切り傷と刺し傷、打撲痕。もはや怪我をしていない場所を探すほうが難しいだろう。

 足は絶えず痙攣し、武器を握る右手の指も何本か異様な方向に捻曲がっている。

 黄泉帰り(ゾンビ)もかくやというその姿に、そのゴブリンは驚きすくみ、悲鳴をあげた。

 その悲鳴につられ、小鬼暗殺者をはじめとした他のゴブリンたち、そして冒険者たちがそちらに目を向けた。

 皆が一様に驚く中、とあるゴブリンが彼に挑む。

 彼を殺せば褒美が貰えると踏んだのだろう。死にかけた男を殺す程度造作もない。

 勝利を確信し、助走をつけて飛びかかった瞬間、ローグハンターは武器を落とし、空いた右手でゴブリンの首を掴む。

 

「GB!GBR━━━」

 

 逃げようとしたばたと暴れるが、ローグハンターは一切気にした様子もなく右手に力を込め、

 

 ゴキャ!

 

 片手で首をへし折った。

 首が明々後日の方向に向いたゴブリンの死体を落とし、手にしていた槍を回収。

 

「はぁぁぁ━━━………」

 

 深く息を吐きながら腰を落として両足を踏ん張り、目を見開くと共に槍を突き出し雄牛の如く(ブル)駆け出した(ラッシュ)

 ゴブリンたちを次々とはね飛ばし、あるいは貫いて即死させる。

 急停止と同時に槍の穂先を床に突き立てると、謎の衝撃波が天井を駆け抜けた。

 

退()けッ!」

 

 事態を重く見た小鬼暗殺者が仲間たちを掻き分けながら突撃し、ローグハンターに挑む。

 仲間を踏み台にして飛び上がり、落下の勢いを乗せ、大上段から降り下ろすが、

 

「フッ!」

 

「!??!!」

 

 片手で振るわれた槍で弾か(パリィさ)れた。

 大きく体勢を崩し、無防備な姿を確認晒す小鬼暗殺者の腹に槍を突き立て、一気に押し込む。

 

「GBRA!?」

 

 思わずゴブリンとしての声が漏れるが、小鬼暗殺者は槍の柄を斬ることで無理やり勢いを殺し、腹に刺さった穂先を残したままその場を飛び退く。

 ローグハンターは残された石突を投げ捨て、右手のアサシンブレードを抜刀。左手のアサシンブレードは、刃が半ばからひしゃげていた。

 

「GOORG!!」

 

「GBR!!」

 

 左右から二匹のゴブリンが襲いかかるが、ローグハンターはそれらに一瞥もくれることはない。

 右のゴブリンには相手の突撃の勢いを利用して喉を貫き、左のゴブリンには無理やり左腕を振って血を飛ばす。

 いきなり視界が真っ赤に染まったゴブリンがパニックを起こして転倒すると、その頭を踏み砕いた。

 右手のアサシンブレードを納刀し、突き刺さったゴブリンの死体から抜く。

 ローグハンターは幽鬼さながらに体を揺らすと、鈍く金色に輝く瞳を小鬼暗殺者に向け、対する小鬼暗殺者は腹に刺さった槍の穂先を引き抜き、負けじとローグハンターを睨み付ける。

 二人に巻き込まれては堪らんと、ゴブリンたちは勝手に道を開け始めた。

 ローグハンターは再び重心を落として構え、小鬼暗殺者はカトラスの刃に血払いをくれて切っ先を彼に向ける。

 一触即発。二人が何かしらの行動を起こせば、間違いなく勝負が始まる。

 

「駄目、戻ってきて!」

 

 誰かの声に一切反応を示さず、ローグハンターは駆け出した。

 同時に小鬼暗殺者も動きだし、二人は円盤状の屋上の中央で、激突。

 

「跳べ!」

 

 誰かの指示を無視し、ローグハンターと小鬼暗殺者は互いの得物で切り結ぶ。

 残光を残すカトラスの一閃をアサシンブレードで逸らし、反撃(カウンター)の突きを放つ。

 その瞬間、昇降機の扉が弾け、噴き出した濁流がゴブリンと、ローグハンターを吹き飛ばす。

 鉄砲水に押し出され宙に放り出されたこれらの姿を、ゴブリンスレイヤーたちは『降下(フォーリング・コントロール)』の術でゆっくりと降下しつつ見ていた。

 地下に『隧道(トンネル)』の術で穴を開け水を流し込み、それを溢れさせた。

 その結果がこの状況なのだが、彼らにとってはどうでも良いことだ。

 銀髪武闘家は目を凝らし、そして彼らを見つけた。

 満身創痍のローグハンターと小鬼暗殺者。一人と一匹は掴み合いながら落下し、場所もお構いなしにアサシンブレードで競り合っている。

 ローグハンターの突きが小鬼暗殺者を貫き、対する小鬼暗殺者のアサシンブレードが彼の首を掠めた。

 凄まじいまでの速度で落ちる堕ちる彼らを見ていることしか出来ない銀髪武闘家に、その五感が無慈悲なまでに彼の命が消えるまでの時間を、地面に叩きつけられるまでの時間を教えてくれる。

 

 ━━━迷っている場合じゃない!

 

 銀髪武闘家はぎゅっと拳を握り、仲間たちに振り返る。

 

「行ってくる!」

 

 そこに反論を挟む余裕も与えずに、銀髪武闘家は『降下』の術の範囲外へと身を投げた。

 彼女を捕まえた重力に引きずり込まれながらも、落ちていくローグハンターの元を目指す。

 

「――!」

 

 風の音に負けないように声を張り上げ、下で戦い続けているローグハンターに向けて、彼の名を叫んだ。

 風に巻かれたその声は肝心の彼には届かず、一切反応を示さなかったが、小鬼暗殺者はほんの僅かに彼女に注意を向けた。

 ゴブリンとしての本能が、女ばかりを狙う悪質さが、僅かに残っていたのだろう。

 感情を廃したローグハンターと、欲望に悪い意味で誠実なゴブリン。

 その違いが、勝負を決めた。

 小鬼暗殺者がほんの一瞬、銀髪武闘家に注意を向けた瞬間、ローグハンターのアサシンブレードが閃く。

 必殺の細き刃は寸分の狂いなく小鬼暗殺者の喉笛を捉え、手首を捻るとそれに合わせて頸椎を断ち切る。

 瞬間、小鬼暗殺者のローブの懐に仕舞われていた()()が、光輝いた。

 

 

 

 

 

 空も地面も全てが白く染まった謎の空間。

 何故か無傷のローグハンターは、白いローブを纏う男性━━アサシンを抱き抱えていた。

 二度目という事で慣れたのか、前回のように驚いている様子はない。

 むしろ、先程まで落ちていたというのに、確かに地に足をつけている感覚があることに驚いているほどだ。

 アサシンは血を吐き出し、ローグハンターをまっすぐに見つめる。

 

「私は、また、負けたのか……」

 

 アサシンはそう言うと瞑目し、「いや……」と呟いて言葉を続ける。

 

「こちらに来た時点で、奴の手のひらの上。既に私は……」

 

 朧気な視線をローグハンターに向け、アサシンは言う。

 

「貴様は、負けるな。例え騎士だとて、同じ世界から来た者だ……」

 

 彼はそう言うと血を吐き出し、白眼を剥いて息絶える。

 

「汝の魂が、我らの故郷(せかい)に戻らんことを。安らかに眠れ」

 

 そっと目を閉じさせ、その場にアサシンの遺体を置いた。

 その瞬間、景色が一変した。

 白一色だった世界が暗くなり、何やら森林を思わせる場所となった。

 そこを進む二人の人影に気付き、ローグハンターは目を細める。

 フードを被った男が、隣を歩く金髪の男に問いかける。

 

「信条についてはどうだ?」

 

「言葉にするのは難しい。真実が存在しないのなら、なぜ何を信じる?全てが許されるのなら、なぜ欲望のままに生きない」

 

「なぜだろうな?」

 

 金髪の男だけでなく自分にも問われている錯覚を覚え、ローグハンターは眉を寄せた。

 

「何年も前に来た男とは別人のように思える進歩だな、()()()()()()()

 

 フードを被った男の言葉に、ローグハンターは目を見開く。

 その男の隣に歩く金髪の男。そいつはケンウェイと呼ばれたのか?

 その疑問も落ち着かぬ内に、何やら法螺貝の笛の音が響き渡った。

 ケンウェイ船長と呼ばれた男はフードの男に向き直り、確かな信念を込めた視線を向けながら言う。

 

「俺がもたらした災いだ。俺が共に戦う」

 

「少し善行を積むくらいでは、真のアサシンにはなれんぞ」

 

「一歩ずつ進むさ」

 

 フードの男の言葉に、ケンウェイは不敵に笑んで返すと、目深くフードを被った。

 その姿は、まさにアサシンだ。

 

 ━━━ああ、そうか。

 

 走り出したケンウェイの背中を見送り、ローグハンターは何故か笑みを浮かべた。

 マスター・ケンウェイの父はアサシンだった。つまり、あの男がそうなのだろう。

 聞いていた話とは違う、自分の父にも似た雰囲気の、頼れる背中。

 ローグハンターはその背中が森の中に消えていくまで見つめると、苦笑混じりに肩を竦めた。

 

「俺と同じ疑問を持ちながら、アサシンとして進んだのか……」

 

 進む道を選ぶことさえも出来なかった自分とは違う。

 もし、あの男と出会っていたら、自分は何か違ったのだろうか………。

 

『━━!――!』

 

 どこからか聞こえる誰かの声。

 否、この声が誰のものかは

わかりきっている。

 愛する人の姿を思い出した瞬間、懐にしまった謎の三角が光輝く。

 

『エラー発生。シンクロ中断。シンクロ率確認中……………完了。シンクロ率五十パーセント』

 

 何やら不穏な声が聞こえてきたが、今は良いだろう。

 瞬間、回りの景色が崩れていき、そして広がるのは━━━。

 

「キミ!大丈夫!?」

 

「………大丈夫じゃあないな!」

 

 眼下に広がる密林と、水を噴き出す塔の姿だった。

 強烈な重力に引かれながら、血塗れ傷だらけの自身を抱き寄せる銀髪武闘家に視線を向ける。

 

「パラシュートだ、急げ!」

 

「うん!」

 

 答えるのとほぼ同時にパラシュートを展開、強烈な衝撃と共に風に捕まり一気に上昇。

 支えるもののない小鬼暗殺者の死骸は、重力に引かれるがままに落ちていく。

 銀髪武闘家はホッと息を吐き、慣れぬパラシュート降下に悪戦苦闘。

 ローグハンターは彼女の姿に冷や冷やしながらも、全身を駆け抜ける激痛に歯を食い縛って耐える。

 

「お二人とも、ご無事ですか!」

 

 彼らの僅かに上から、令嬢剣士の声が届いた。

 風に押し上げられるがまま、二人は『降下』の術の範囲内へ。

 銀髪武闘家はそっと空中に足をつけると、役目を終えたパラシュートを回収し、畳んで雑嚢へと押し込んだ。

 ローグハンターはどかりと座り、息を整えると仲間たちに目を向ける。

 

「全員無事か。上手くいったな」

 

「「「どこがですか!」」」

 

「どこがよ!」

 

 女神官、令嬢剣士、女魔術師、妖精弓手の異口同音に、ローグハンターは肩を竦める。

 蜥蜴僧侶はそっとローグハンターの背中に手を触れ、何やら詠唱。鉱人道士はやれやれと首を横に振る。

 そしてゴブリンスレイヤーは、

 

「無事、だな……」

 

 珍しく不安げな声で確認を取った。

 

「ああ、何故かな」

 

 ローグハンターは苦笑混じりにそう返し、ひしゃげた左手のアサシンブレードに目を向ける。

 

「……仕方ないか」

 

「治療中ゆえ、あまり動かないでくだされ」

 

「ああ」

 

 ローグハンターは大きく息を吐き、視線を銀髪武闘家に向けた。

 彼女は視線を泳がせ、何かを堪えているのかうずうずと身動ぎしている。

 

「まあ、帰ってからだな」

 

「……うん」

 

 何をするかはともかくとして、今の彼は妙に元気そうだが文字通りの瀕死だ。

 動くことも許されず、手持ち無沙汰の彼は、ふと視線を他所に向けた。

 同時に感嘆の息を漏らし、今日一番の笑顔を浮かべる。

 

「おまえら、虹だ」

 

 塔から噴き出した水が雨となり、空に虹を掛ける。

 冒険者たちもつられるようにそちらに目を向け、各々反応を示す。

 天に掛かる虹は彼らの勝利を祝福するように、死んでいった者たちを弔うかのように、キラキラと輝いて見えた━━━。

 

 

 

 

 

 神様たちは珍しくその手を止めて、目を真ん丸く見開いていました。

『今何が起きたの?』とか『え?うそ~』とか、何やら騒がしい様子です。

『真実』の神様は目を閉じて、先ほど起きたことを思い出します。

 フードの彼(ローグハンター)の駒が消えた(死んだ)と思ったら、すぐさま現れた(甦った)のです。

 神様たちは神妙な面持ちで顔を見合せ、うんうんと唸っています。

 すると、ある神様が言いました。

 

『今回ばかりは、何かおかしくない?』

 

 他の神様たちも続いて『そうだそうだ』と続き、再びフードの彼に視線を向けます。

 彼らの背後にいる、妖しく微笑む人影に気づくことなく━━━。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory13 語らい

 ゴブリンたちとの激闘の翌日。森人の里。冒険者一同が宿泊している洞の中。

 里に帰還した直後に気絶したローグハンターと、彼の看病をしている銀髪武闘家を除いた冒険者たちと牛飼娘、受付嬢は一室に集い、とある森人と対面していた。

 皆が若い姿の森人にしては珍しい、(しわ)と髭をこさえた老年の森人。

 それらを隠すように目深くフードを被る姿は、何となく仕事中のローグハンターを思わせる。

 荷物らしい荷物は、彼の隣の席に置かれた大きめの袋だけだ。

 老年の上森人は茶をあおると、渋い顔をして妖精弓手に目を向けた。

 

「星風の娘よ、もう少し丁寧な味には出来んのか?」

 

「爺様はいつもそう言うわよね。割りと丁寧に淹れたつもりなんだけど」

 

 その茶を淹れた妖精弓手は、ふんと鼻を鳴らして不機嫌そうに長耳を上下させる。

 老年の上森人はため息を吐き、やれやれと首を左右に振った。

 

「お主の母上の淹れた茶は、それはもう━━━」

 

「はいはい、その話はいいから。それで、何をしに来たの?」

 

 何やら言いかけた老年の上森人を遮り、妖精弓手が話を切り出した。

 いきなり現れて「彼と話をさせてはくれまいか」と言ってきたのだから、その質問は当然だ。

 老年の上森人は僅かにうざったそうに髭をしごくと、その目を細めた。

 

「先ほど言った通り、彼と話をしに来ただけじゃよ」

 

「話って、アルタイルの事?」

 

「まあ、無関係ではないの」

 

 老年の上森人が再び茶をあおると、牛飼娘が首を傾げてゴブリンスレイヤーに耳打ちする。

 

「ねえ、アルタイルって、誰?」

 

「あいつの先祖だそうだ。本人も半信半疑だったがな」

 

「ほお、アルタイルの血統は無事に続いておったか。一安心じゃな」

 

 老年の上森人が嬉しそうに笑みながら言うと、その場にいる面々を見渡す。

 

「あやつは中々の堅物じゃったの。初めのうちはまともに話もしてくれなんだ」

 

「その辺どうなのだ、野伏殿」

 

 蜥蜴僧侶が問いかけると、妖精弓手は顎に指を当てて小さく唸る。

 

「抜き身のナイフって言うのかしら。でも、何だかんだで打ち解けてたわよね?」

 

「儂が根気よく話したからの。お陰さまで千年分老けたわい」

 

 そう言うと老年の上森人は「ほっほっほっ」と笑い、静まり返る客人たちを見て咳払い。緩んだ表情を引き締めた。

 

「それで、彼はどうじゃ」

 

「無理ね。まだ目を覚ましていないわ」

 

 鷹を思わせる眼光に一切怯むことなく、女魔術師は言いきった。

 老年の上森人は困り顔で髭をしごき、女神官に目を向ける。

 

「容態はどんなもんじゃ?」

 

「え、えと、怪我はどうにか治りました。森人の皆さんがくれたお薬のお陰です」

 

 いきなり話を振られた女神官は、僅かに狼狽えつつもしっかりと答えた。

 受付嬢は深刻な面持ちの老年の上森人に目を向け、真剣な表情で問いかける。

 

「あの、ローグハンターさんに何かご用なのですか?」

 

「むぅ、これは言ってしまって良いものか……」

 

「せっかくここまで連れてきたのよ?理由ぐらい教えてくれたって良いじゃない」

 

 妖精弓手が言うと老年の上森人は小さく息を吐き、そしてどこか遠い場所を見つめながら、懐かしむように言う。

 

「そうじゃな。アルタイルからの伝言があっての」

 

「伝言?」

 

「そう、伝言じゃ」

 

 老年の上森人は噛み締めるようにそう言うと、ローグハンターのいる部屋の方に目を向けた。

 

「『次に来る者が赤い十字を持つ騎士ならば、気を付けてくれ』。アルタイルの故郷においての、敵だったそうじゃ」

 

「騎士。そういや、あのローブの小鬼がそんな事言っとったの」

 

「彼は、やはり騎士か……」

 

 老年の上森人の声音に、ほんの僅かに殺気が宿ったのはその時だ。

 それをいち早く察知した冒険者たちは、そっと自身の得物に手を伸ばす。

 老年の上森人は声音を変えることなく、冒険者たちに一瞥くれるとそっと告げた。

 

「お主らと戦うつもりはない。じゃが、彼を見定めなければならん。これはこの里の、否、この世界の行く末に関わることじゃ」

 

 彼の言葉に冒険者たちは警戒しつつも顔を見合せ、視線だけでどうするかと話し合う。

 そんな事関係なしと、老年の上森人は冒険者たちと牛飼娘、受付嬢を見渡した。

 

「誰でも良い、彼がどんな人物なのか教えてはくれまいか」

 

 頼むと頭を下げる老年の上森人の姿に、冒険者たちは目配せして一旦得物から手を離す。

 だが、どうしたものか。話すといっても、この中でローグハンターと一番付き合いが長いのは━━━。

 老年の上森人を除いた部屋にいる面々は、ほぼ同時にゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「……む」

 

 当の彼は思わぬ事態だったのか、僅かばかりに兜を揺らす。

 そう、この中でローグハンターと一番の付き合いがあるのはゴブリンスレイヤーだ。

 冒険者ギルドまで彼と同行し、その後しばらく一党として行動していたのだから、当然だろう。

 ゴブリンスレイヤーは押し黙ると、兜越しに老年の上森人に視線を向ける。

 

「俺の主観になるが、構わないか」

 

「構わんさ。彼がどういった人物なのか知りたいだけじゃからの」

 

「じゃあさ、その代わりにそっちはアルタイルの事を話してよ。私だってあんまり一緒にいた訳じゃないし」

 

 妖精弓手が身を乗り出しながら言うと、老年の上森人は困り顔でため息を漏らした。

 

「……ああ、仕方あるまい。思い出話程度ならの」

 

「よし!さ、オルクボルグ、始めて始めて!」

 

 勝手に進行役となった彼女の姿に皆が一様にため息を吐くと、ゴブリンスレイヤーはぽつぽつと話し始める。

 彼とローグハンターの出会いの物語を。

 

 

 

 

 

「うぅ………!」

 

 ローグハンターは苦しげに唸りながら目を覚ます。

 背中に感じるのは柔らかなベッドの感覚。鼻に流れてくるのは、気持ちの良い木々の香り。

 それらを感じながら見慣れぬ天井を睨み、一拍開けて森人の里に来ていたことを思い出す。

 同時にあの戦いの後、すぐに気絶したことも思い出した。

 首だけを横に向け、自分の装備━━尤も、残っているのはピストル二挺と右手のアサシンブレードだけだが━━が机に置かれていることを確認し、重々しく息を吐いた。

 あの状況は、しくじったとしか言いようがない。自分の未熟さが招いたことだ。

 いまだに痛む体を気にしつつ、包帯に包まれた左手を掲げ、ゆっくりと開閉させる。

 動かす度に走る鈍い痛みは、まだ傷が治りきっていない証拠だ。

 ついでに、視界が妙に狭い。左半分が黒く塗り潰されている。

 ゴブリンの攻撃で目が潰されたのか、あるいは包帯にでも包まれているのだろう。

 ローグハンターは目を細めて息を吐くと、最後の最後に寝転ぶ自らの体の上に乗っている何者かに目を向けた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 もはや言うまでもなく、銀髪武闘家だ。眠っているのか、規則正しい寝息を立てている。

 理由は不明だが、何故か裸。シーツに包まれているとはいえ、ローグハンターに対しては無防備にその肢体を晒している。

 彼は何度か瞬きを繰り返し、視線を外すと自分を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。

 添い寝するにしても、いつもは寝間着を着ている。今回は何故裸なのか……。

 直に感じる彼女の温もりと、筋肉質でありながら、力を抜いている時特有の柔らかさをしばし堪能すると、そっとベッドから這い出ようと体を動かす。

 寝ている彼女を起こさないように気遣い、何かしら反応を示したらすぐに止まる。

 普段なら数秒で終わる行程に何十分もかけ、彼はようやくベッドから這い出た。

 苦しげに肩で息をしながら、部屋の姿身に視線を向ける。

 ズボンは履いているが上半身は裸。服の代わりと言わんばかりに厳重に包帯が巻かれているが、所々に血によるものか、赤黒い染みが出来ていた。

 新たに出来た傷をそっと撫でると、ようやく気づく。

 左眼が開いていないのだ。力を入れてみても、指で無理やり開こうとしても、鍵のかけられた扉のようにびくともしない。

 ここでも数分を費やしてから諦めると、彼はため息を吐いた。

 服がない以上、このままでいるしかない。ゴブリンスレイヤーたちは洞の中にいるだろうか。

 瞬き一つでタカの眼を発動し、彼は眉を寄せた。

 壁を無視して青い影が見えるのはいつもの事だが、その影が一つ多い。しかも、青に混ざって赤い輝きを放っている。

 

 ━━客人、いや、刺客か……?

 

 彼は部屋を見渡して着替えを探すが、装備はあるのに服が見つからない。

 仕方ないかとため息を吐いてタカの眼を解除。調子を見るために軽く肩を回し、駆け抜けた激痛に表情をしかめる。

 そっと肩に手を触れ、荒れた息を整えると右手用のアサシンブレードだけをぶんどるように机から取り上げると、同時に何かが机の上から転げ落ちた。

 いつも持ち歩いていた『謎の三角』だ。だが、いつの間に増えたのやら、同じものが二つ。小鬼暗殺者が持っていたのだろう。

 ローグハンターはため息を吐き、痛む体に鞭を打ちながらそれらを拾い上げる。

 角度を変え、窓から差し込む光に透かし、ズボンのポケットに押し込む。

 一仕事終えたと言わんばかりに額の汗を拭うと、壁に左手をつきながら歩き出す。

 痛みに耐えながら一歩一歩を踏みしめ、出来る限り音を出さないように、慎重に。

 数分ほど歩いて、彼は仲間たちが集まる部屋へと続く曲がり角に身を潜めた。

 耳を澄ませ、問題の客人が何を言っているのかに注意を払う。

 

「そうさな。アルタイルが言うには、破ってはならぬという掟があったそうじゃ」

 

「掟?なんだっけ、『教団』とかいうやつの?」

 

「そうじゃ。まあ、一つだけなら言っても良いかの」

 

 年老いた男性の声に妖精弓手の声が続く。

 相手はおそらく森人だろう。それも『教団』に関してはある程度の知識を有している。

 

「絶対にして第一。汝、己が刃を━━━」

 

「━━━罪なき者に振るうな」

 

 ローグハンターは、無意識の内にその続きを暗唱していた。

 言葉を発した本人さえも驚くなか、老年の上森人は彼の潜む曲がり角に目を向けた。

 

「さて、若き騎士よ。出てきてはくれまいか」

 

 ローグハンターは一度瞑目し、ゆっくりと息を吐きながら目を開くと曲がり角から身を出した。

 

「先生!お怪我は大丈夫なのですか!?それよりもその眼は!?」

 

 真っ先に令嬢剣士が動きだし、彼に肩を貸そうとしたが、

 

「どっちも大丈夫だ。それよりも、俺に用がありそうだな」

 

 彼は片手で制し、老年の上森人を僅かな殺気を宿らせた右眼で睨み付ける。

 隙を探すが、今の状態では満足に動けない。見つけたところで、どうにもならないだろう。

 ローグハンターは深く息を吐きながら壁に寄りかかり、老年の上森人に言う。

 

「━━で、俺を殺しに来たのか?」

 

「随分といきなりじゃの。そんな殺気立っているのはそちらだけじゃ」

 

「どうだかな。暗殺者(アサシン)風情が」

 

 確かな嫌悪の感情の込められた言葉に、老年の上森人だけでなく、彼をよく知る友人たちさえも表情を強張らせた。

 彼がここまで相手を嫌悪するなど、今までにないことだろう。

 老年の上森人は髭をしごき、不敵に笑んだ。

 

「騎士に言われたくはないの。それに、儂はアサシンではない」

 

 彼の言葉に、ローグハンターはそっと目を細めるだけだ。

 相手を見定めようとしているのか、或いは言動全てを疑ってかかっているのか。

 老年の上森人は髭をしごき、冒険者たちを見渡しながらローグハンターに言う。

 

「お主のことは彼らから聞いた」

 

「……あまり他人に教えてほしくはなかったがな」

 

 非難の色のこもった視線を仲間たちに向けながら言うと、頭を掻いて老年の上森人に問いかける。

 

「で、どうする。殺ると言うのなら、刺し違えてでも殺すが」

 

「血の気の多い騎士だの、まったく。殺し合うつもりはないと言うたじゃろうに……」

 

 そう言うと茶をあおり、ホッと息を吐く。

 だが、ローグハンターはその蒼い瞳から殺気を消すことはなく、むしろ警戒を強めている。

 全くと言って良いほど、彼は老年の上森人を信じていない。

 どう見ても話が進むことがない二人に嫌気が差したのか、妖精弓手が咳払いと共に睨み合う二人の間に割って入った。

 

「二人とも、落ち着いて。爺様から話があるんでしょ?」

 

「そうなんじゃがな、星風の娘。とりあえず、若いの、話を聞いてはくれまいか」

 

 老年の上森人から視線を外すことなく、ローグハンターはとても嫌そうに、とても小さく一度頷いた。

 老年の上森人は冒険者たちに目を向けると、申し訳なさそうに言う。

 

「すまぬが、彼と二人きりにしてはくれないだろうか」

 

「悪いがそれなら話をするつもりはない。負傷した状態で一対一になれるか」

 

「頑固者だの……。では、お主の一党は残ってくれて構わんよ。話が進まん」

 

 ローグハンターは女魔術師と令嬢剣士に視線だけで確認を取り、二人が頷いた事を確認。

 女魔術師が彼の部屋の方に目を向け、確認を取る。

 

「あの人はどうしますか?」

 

「……寝かせておけ。疲れてるんだろ」

 

 ため息混じりにそう返すと、ゴブリンスレイヤーと受付嬢に目を向ける。

 

「すまないが、しばらく良いか」

 

「俺は構わん」

 

「私も、大丈夫ですけど……」

 

 不安げに言う受付嬢が心配しているのは、ローグハンターの容態を気にしているのだろう。

 ゴブリンスレイヤーは息を吐き、ローグハンターたちに向けて言う。

 

「だが、何かあったら呼べ」

 

「助かる」

 

 ローグハンターは素直に心配してくれた友人に手短に言うと、老年の上森人を睨み付けた。

 

「それじゃあ、話すとするか」

 

「そうじゃの。やれやれ、ここまで苦労するとは思わなんだ」

 

 

 

 

 

 老年の上森人とローグハンターが机を挟んで対面するように座り、頭目たる彼の後ろに女魔術師と令嬢剣士が起立している。

 ローグハンターは不機嫌さを一切隠すことなく頬杖をつき、老年の上森人に問いかけた。

 

「……で、どこまで話した」

 

「『教団』と『騎士団』に関してを、ほんの僅かにじゃが」

 

 老年の上森人が悪びれた様子もなく言うと、ローグハンターは額を押さえてため息を吐いた。

 瞳に宿った殺気を抑えながら、一党である二人に目を向ける。

 

「どんな感じの話だ」

 

「簡単に言いますと、アルタイルという人物が『教団』の人物であることと、『騎士団』とは敵対していたこと」

 

「どちらも()()()()()()()()()と思っているのは同じだと話も聞きましたわ」

 

 令嬢剣士の付け足しに、ローグハンターは眉を寄せた。

 世を良くしたい?あんな野郎どもが?

 彼が放つ殺気が再び鋭くなり、老年の上森人を睨み付けた。

 

「こいつらに何を教えた」

 

「儂が思う『教団』と『騎士団』の目的と違いをじゃが?」

 

「世を良くしたい、ね……」

 

 ローグハンターが嘲笑うかのような声音で言うと、老年の上森人は眉を寄せた。

 

「何かおかしな事を言ったかの?」

 

「いや、守るべき人々から略奪するような奴らが、世を良くしたいと思っていたとはな」

 

「騎士とて同じ事じゃろうが」

 

 今にも口論が始まりそうな雰囲気を察してか、女魔術師が咳払い。

 ローグハンターは肩を竦め、老年の上森人に言う。

 

「手短にいこう。アルタイルはなぜこの里に来た」

 

「敵に友の事を売るほど、儂は老いてはおらんぞ?」

 

 再び睨みあいを始める両者だが、老年の上森人は不敵に笑んだ。

 

「じゃが、今回ばかりは仕方ない。アルタイルがこの里に来た理由じゃったの」

 

「ああ」

 

 額に青筋を浮かべながら頷くと、老年の上森人は苦笑した。

 

「いきなり森の中から現れたのじゃ。本人も『ここはどこだ』と言っておったし、儂らも驚いたわい」

 

「あの森を、たったの一人で踏破したのか」

 

「おそらくの」

 

 老年の上森人は髭をしごき、その目を細めてローグハンターに向けた。

 

「他に聞きたいことがあるのではないか?」

 

 試すような声音の質問に、ローグハンターは小さく苦笑を漏らした。

 

「アルタイルが何を持ち、何を為したのかは知っている。だが、とうの昔に死んだ、もういない人物だ。どうやって故郷に帰ったのかも、ある程度察しはつく」

 

 アルタイルの名は、様々な形で知ることが出来た。

 父から聞かされたお伽噺。テンプル騎士団の所有していた書物。アサシンから奪った歴史書。

 それらが総じて教えてくれたことは、アルタイルは『リンゴ』を手に入れ、現在のアサシンたちの根底を築いたと言っても過言ではないことだ。

 いまだ謎の多い『リンゴ』の力を利用し、戻ることが出来たのだろう。

 だが、自分の手元には『リンゴ』をはじめとした『欠片』はない。その可能性があるものもあるが、使い方は不明だ。

 否、それ以前に━━━。

 

「俺は故郷に帰るつもりはない。騎士としてでもなく、一人の男としてやるべき事がある」

 

「ほう、それは?」

 

 老年の上森人が試すように問うと、ローグハンターはタカの眼を通し、そっと自分の部屋で眠る銀髪武闘家に視線を向けた。

 

「彼女を、俺の生涯を懸けて守る」

 

 金色の輝きを放つタカの眼光を見た老年の上森人は、その瞳を見つめる。

 ローグハンターは包帯に包まれた自分の手のひらを見つめ、握りしめながら言う。

 

「こちらには『教団』も『騎士団』もいない。だからと言って、俺は騎士である事を捨てるつもりはない」

 

「お主が騎士団を立ち上げるつもりか?」

 

「いや」

 

 老年の上森人の問いかけにローグハンターは即答し、背後に控える一党の二人に目を向けた。

 志を同じくする騎士たちとはまた違う、志こそ違えども、信頼出来る仲間たち。

 二人と視線が交差するとローグハンターは苦笑を漏らし、老年の上森人に面と向かって言う。

 

「今の俺は『冒険者』だ。世界をどうこうする力はない。それこそ、辺境の治安維持だけで、名も知らぬ誰かを何人か助けるだけで精一杯だ」

 

 嘘偽りなく放たれた言葉に、老年の上森人はほんの僅かに笑みを浮かべて見せた。

 世界の平和を目指す騎士とも、アサシンとも違う。目の前の人を救いたいと願う、只の冒険者らしい発言だ。

 アルタイルが言っていた、いつか来る同胞(はらから)とは、やはり彼の事だったのだろう。

 まあ、例え違ったところで、誰に責められる訳でもない。

 老年の上森人は髭をしごき、ローグハンターに言う。

 

「アルタイルはこの里にあるもの(・・・・)を残し、この世界を見て回るために旅に出た。見送ったのは数人だけじゃ」

 

「その途中で残した本なら見つけた。この様子だと、他にも何冊かありそうだな……」

 

「あるじゃろうなぁ」

 

 わざとらしく臭わせた発言に一切反応を示さず、ローグハンターは額を押さえて「面倒だな」とため息を吐く。

 老年の上森人は苦笑を漏らし、ローグハンターに言う。

 

「して、気にならんのか?」

 

「……? 何がだ」

 

 小首を傾げる彼の姿に、老年の上森人だけでなく、女魔術師と令嬢剣士の二人も揃って小さく息を吐いた。

 この頭目は仕事と恋人に関しては熱心だが、それ以外となるとどこか適当な所がある。

 老年の上森人は髭をしごき、眼を細めながら言う。

 

「アルタイルがこの里に残した物じゃよ。お主にとっても意味のある物だと思うが」

 

「ああ、それか。まあ、気になりはするが」

 

 ローグハンターは肩をすくめ、「騎士である俺のための物ではないだろう」とため息混じりに付け加えた。

 騎士であるのなら力ずくでも奪うとでも言うと思っていたが、この男にそんな気はないようだ。

 

 ━━テンプル騎士にしては何とも無欲な、アサシンにしては人間臭すぎる男。

 

 老年の上森人は彼の事をそう判断し、気が抜けたかのように大きくため息を吐いた。

 

「アルタイルからは、『自分と同じ眼を持つものに託してくれ』と言われておる」

 

「まあ、貰えるのなら貰うが……」

 

 余り乗り気でないローグハンターの姿に、老年の上森人はその眼を細めながら言う。

 

「もしかしたら、お主がこの世界(こちら)に来た理由がわかるかもしれんぞ」

 

 老年の上森人の突然の発言に、ローグハンターは僅かに目を見開き、すぐさま表情を引き締めた。

 本当の事を言うわけにはいかない。いらない面倒に飛び込むこともないだろう。

 

「旅に出たのは自発的なものなんだが……」

 

 咄嗟に当たり障りのない発言をすると、老年の上森人は首を左右に振る。

 

「もし、誰かに(・・・)そう思い込まされている(・・・・・・・・・)としたら、どうじゃ?」

 

「なに……?」

 

 意味深な笑みを浮かべた老年の上森人の言葉に、ローグハンターは眉を寄せた。

 老年の上森人は「ようやく食い付いたの」と満足げに笑い、窓の外に見える里の中で一番の大樹に目を向けた。

 

「アルタイルが言っておった。闇の中にいる何者かが、自分をここに呼んだのだと。もしお主もそうだとしたら?」

 

「何者かに、呼ばれた……」

 

 ローグハンターは瞑目し、僅かに物思いに更ける。

 その隙を見てか、女魔術師がそっと手を挙げた。

 

「あの、一つよろしいですか?」

 

「なんじゃ?一つと言わず、訊きたいことがあるのならいくらでも訊いとくれ。むしろ座らんのか?」

 

 僅かに辛そうな表情になっている令嬢剣士を見ながら言うが、女魔術師は「大丈夫です」と返し、ローグハンターに一瞬だけ視線を向けて言う。

 

「そのアルタイルという人物は、どうやってそれを知ったのですか?里から出て、また戻った来たというわけではないのですよね」

 

「余り詳しくは言えんが。……あやつにだけ操れる『聖なる遺物(リンゴ)』が、それを教えてくれたそうじゃ」

 

「あまりその話は聞かないことをお薦めする」

 

 ローグハンターが横槍を入れ、無理矢理に話題を終わらせた。

 

「その遺物に関わると録なことにならん」

 

「そうじゃな、儂も危うかったわい。もしかしたら、こんなに老け込んだのも、あれに触れたせいかもしれんの」

 

 ローグハンターが表情を厳しくしながら言うと、老年の上森人は痛みを堪えるかのように、自身の頬を撫でながら続いた。

 その遺物に触れた時に、殴られでもしたのだろう。

 老年の上森人はハッとしたかのように眼を見開くと、慌てて窓の外を眺め、陽の傾き加減で時間を確認する。

 

「いかん、そろそろ挙式の準備をせねば……」

 

「なら、続きは挙式が終わってからで良いだろう。どうせそれまでは滞在する事になっている」

 

「そうしてくれるとありがたいわい。まったく、最近の連中は人使いが荒くてのぉ」

 

 老年の上森人はそう言うと、眺めていた窓を開け放ち、そこから出ていこうとするが、何かを思い出したのか、座席に放置されていた袋を指差した。

 

「忘れる所じゃった。それを渡しておこうと思っての」

 

「……これか?」

 

 ローグハンターが立ち上がり、手早くそれを回収すると、老年の上森人は意味深な笑みを浮かべた。

 

「なに、只の着替えじゃよ。それでは、またの」

 

 言うや否や、老年の上森人は窓から飛び降りた(イーグルダイブ)

 一拍開けて聞こえた草木に受け止められた優しい音からして、怪我をしたわけではないだろう。

 袋を持ったまま固まるローグハンターを他所に、令嬢剣士は限界と言わんばかりに盛大なため息を吐き、空いた席に腰かけた。

 

「妙に疲れましたわ。これなら、まだ依頼をこなしている方が楽です」

 

「そうね。何だか気疲れしちゃったわ」

 

 令嬢剣士の隣に女魔術師が腰かけると、ローグハンターは申し訳なさそうに二人に言う。

 

「すまん、無意識に殺気立っていたのかもしれん」

 

「気にしないでくださいな、先生。わたくしは貴重なお話を聞けただけで満足ですわ」

 

「私は、素直に嬉しいです」

 

 女魔術師が微笑しながら言うと、ローグハンターは首を傾げた。

 何か喜ばれるような事を言っただろうか?

 彼の胸中に浮かんだ疑問が音になる前に、女魔術師は答える。

 

「やっとあなたの強さの秘密がわかりましたから。ええ、未知のものが解明されるというのは、私からすればとても嬉しいことですよ」

 

 何かを隠すかのように笑い、何かを抑えるかのように早口で彼女はそう言った。

 

「まあ、もっと早く教えて欲しかったというのが本音ですけどね」

 

「それは、すまんな」

 

 ローグハンターはわざとらしく視線を外すと、部屋で寝ているであろう恋人の姿を想った。

 そう、この話はこの場にいる誰よりも彼女にしなければならないではないか。

 彼は困り顔でため息を吐き、袋を脇に抱えて立ち上がる。

 

「それじゃあ、俺は部屋に戻る。あの森人━━あいつらで言う星風の娘が訊いてきたら、話してくれて構わない」

 

「良いんですか?」

 

 女魔術師の確認に、「そこまで重要な話もなかったからな」とだけ返して部屋を後に。

 気が抜けたからか、全身に張り付く倦怠感に不快そうに眉を寄せつつ、自室を目指して歩き出す。

 タカの眼を発動し、彼女が寝ている事を確認。起こさないようにそっと扉を開き、体を滑り込ませる。

 いまだに規則正しい寝息を立てる彼女の寝顔を堪能すると、袋を机の上に置いてベッドに腰を降ろした。

 アサシンの関係者を前にして、随分と落ち着いていられたものだと自分の変化を確認し、フッと小さく笑う。

 変われたのも、側で寝ている彼女のお陰だ。

 感謝の意味を込めてそっと彼女の銀色の髪を撫でると、彼女の口から「んぅ……」と小さな唸り声が漏れる。

 ハッとした所でもう遅い。銀髪武闘家の眼がゆっくりと開き、視線が交差した。

 

「すまん、起こしたか……?」

 

「ん~?だいじょうぶぅ?」

 

 彼女は体を起こし、寝ぼけ眼のまま彼の背に抱きついた。

 彼が抵抗しないことを良いことに、彼の頭をくしゃくしゃと撫で回す。

 背中に感じる柔らかさを努めて意識から外し、ローグハンターは言った。

 

「なあ、少しだけ話を聞いてくれるか」

 

「真剣な話?」

 

「ああ」

 

 彼が頷くと、銀髪武闘家は一旦彼の体から離れて自分の服に体を通す。

 最後に解いていた髪をいつも通りに一纏めにすると、彼の隣に腰かけた。

 

「よし!で、話って?」

 

「━━━俺の故郷と、素性についての話だ」

 

 面と向かって放たれた言葉に、銀髪武闘家は「わかった」と呟いて一度頷く。

 ローグハンターは自身の胸に手を当て、一度深呼吸。

 

「さて、どこから話したものかな」

 

 こうして始まったローグハンターの一人語りは、夜遅くまで続くこととなる。

 だが、銀髪武闘家は一切集中を切らす事なく話を聞き終えると、そっとぼろぼろの彼の体を抱き寄せた。

 物心ついた頃から訓練に明け暮れ、成人するころ━━この世界の基準でだ━━には今と同じ、否、今よりも凄惨な戦いに身を投じてきた。

 彼は冒険者になっても、騎士であった頃と変わらずに戦っている。

 

「キミは、凄いね」

 

「凄くはない。自分一人じゃ何も出来ない。誰かに支えられてばかりだ」

 

「それでもさ、キミは戦っていたんでしょ?」

 

「何のために戦っていたのかなんて、どうでも良くなる程度にな」

 

 ローグハンターは自嘲するように言うと、「だが、今は違う」と呟き、そっと彼女の体から離れると肩に手を置いた。

 至近距離で真っ直ぐに見つめてくる蒼い瞳は、心の奥底さえも見透してしまいそうだ。

 

「お前を守りたい。俺の戦う理由は、いつの間にかそうなっていた」

 

 自分の瞳を真っ直ぐに見つめ返してくれる銀髪武闘家に向けて、彼は告げる。

 

「出来ることなら、生涯共に居て欲しい」

 

 これを愛の告白と言わずに何と言う。

 突然の告白に思わず赤面した銀髪武闘家は、そっと彼の視線から逃げるように目を逸らした。

 ローグハンターも自分の発言の意味に気づいたのか、頬を赤く染めながらも無理を通す。

 色恋沙汰に関してはほとんど教えてくれなかった先生が、珍しく教えてくれたこと。

 

 ━━勢いのままに押せ、だったか……。

 

 再び大きく深呼吸し、銀髪武闘家に向かって言う。

 

「俺と━━━」

 

 その先を言おうとした時、口を塞がれた。

 塞いだのは誰でもない、銀髪武闘家だ。鼻先が触れ合う程の距離で、唇に感じるのは彼女の唇の柔らかさと温度。

 銀髪武闘家はそっと顔を離し、赤面した顔を俯かせる。

 

「今は、これで我慢して。それで、今度、私の故郷に行こ。キミと二人きりで、ね?」

 

「あ、ああ……」

 

 そう、ここは森人の里で、主役は新郎新婦だ。彼らは只の客人でしかない。

 そういう話は街に戻ってから、ゆっくりとすれば良いではないか。

 ローグハンターは何故か積極的だった自分に苦笑を漏らすと、銀髪武闘家の頬を撫でた。

 彼女の熱を感じながら、彼は優しく笑う。

 夢で見た男たちは、愛する人を、仲間を、家族を失い続けていた。

 俺は家族を失った。俺は大佐(おんじん)を失った。だから、俺は、何がなんでも━━━。

 

「お前を守る。俺の生涯をかけて」

 

 愛する人に向けて、彼は頑としてそう告げた。

 その愛する人は、短時間に二度も告白されたからか、幸せそうな顔で気絶したのは余談である。

 

 

 

 

 

 深淵の闇に閉ざされた地底世界。

 地獄と呼んで相違ないその場所を、稲妻が駆け抜けた。

 稲妻に貫かれた悪魔(デーモン)たちは塵へと還り、魂さえも消失させる。

 暗黒に包まれた大地に立ち、大地を埋め尽くさんと立ちはだかる赤黒い悪魔たちと相対するは、鳥類の嘴を模したフード付きのローブを身に纏った一人の男。

 金色の稲妻を纏う剣の切っ先を悪魔たちに向け、男はそっと背後に気を向ける。

 先日訪れた勇者たちが地上へと通ずる門を閉じたはいいが、門とは閉じても再び開くものだ。

 だからこそ彼はそこに出向き、そして━━━。

 

「フンッ!」

 

 一閃と共に稲妻を迸らせ、その門を()()()()

 悪魔たちは地上に続く唯一の出入り口が崩れ、無くなっていくことを見つめながら、前に出ることはない。

 彼らの前に立ちはだかる男には勝てないと、本能が告げているのだ。

 剣を腰帯に戻した男は、薬指の欠けた左手を振り、悪魔たちに向けて言う。

 

「さらばだ、混沌の者たちよ。願わくば、汝らの咆哮が、二度と地上へと届かんことを」

 

 言うや否や、ローブの男は崩れかけた門へと飛び込み、出口であった森に飛び出すと、門が完全に塞がる瞬間を見届ける。

 悪魔たちの怨嗟の咆哮が聞こえなくなると男はホッと息を吐き、目を閉じた。

 そして開くと、そこは森の中ではなく神殿の中だった。

 石造りのその場所には、金色に輝く幾何学的な紋様が駆け回っている。

 男は広い空間にポツンと置かれた椅子に腰かけると、疲れを吐き出すかのように息を吐いた。

 そんな彼を労うように、金色に輝く人影が、彼の肩に手を置いた。

 男はその手に自分の手を重ね、言う。

 

「また一つ、この世界の神々の影響(シナリオ)を崩して参りました。ですが、あなたの目的を果たすには、まだ足りない」

 

『ええ、けれど、必ず私は成し遂げてみせる』

 

「我が刃、我が命はあなたの悲願のために使います」

 

 ローブの男が言うと、金色の人影は嬉しそうに笑んだ。

 

『そう、全ては私の、いえ、私たちの悲願』

 

『「━━━エデン再興のために」』

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory14 森の祝福を

 数日後、森人の里。

 ローグハンターは痛みの引いた体の具合を確かめるように首を鳴らし、軽く肩を回す。

 剥がした包帯を丁寧に丸め、雑嚢へと押し込んだ。

 自分の血が滲んだものだ。捨てるとはいえ、この里に捨てていくこともないだろう。

 一通りの片付けを終え、ローグハンターは机の上に放置された袋に目を向けた。

 老年の上森人が残していったもの。気になりはしていたが、一度も開くことはなかったものだ。

 指の運動がてらと乱暴に袋を開け、中身を引きずり出す。

 まず入っていたのは森人手製の上下一式の服。これは深くは詮索すまい。

 問題なのは、その次に出てきたものだ。

 

「む……」

 

 一言で言えば、それはローブだった。

 動き易さを重視したのであろうそれは、外套(コート)にも似たデザインをしている。

 先日幻の中で見たケンウェイ船長のものとに似ているが、青を基調としていたあちらに比べ、こちらは黒を基調としていた。

 アクセントとして胸やフードの付け根が赤く染色されており、よく見れば裾の端に複雑な紋様━━おそらく森人たちが好むものだろう━━が刻まれている。

 腰帯代わりに使うであろう赤い布は、新品なのか汚れ一つない。だが、よく見れば、より濃い赤色で裾のものによく似た紋様が刺繍されていた。

 只の服だと言っていたが、これのどこが只の(・・)服なのだ。

 これは、どう見ても━━━。

 

「アサシンの衣装だろう……」

 

 苦笑混じりに呟き、触り心地を確かめる。

 上質な布を使っているのか、何とも優しい肌触りだ。森人手製のものということは、戦闘にも耐えうるものだろう。

 ローグハンターは数瞬迷い、ため息を吐き出す。

 見た限りアサシンの紋章はない。まあ、先生とてアサシン時代の服を着ることはあったのだから、そこまで気にすることではないだろう。

 自分にそう言い聞かせて森人の服に袖を通し、赤い布を腰に巻く。

 彼はそのローブを身に纏い、腰帯で纏めて固定。

 狙ったかのようにサイズがぴったりなのは、まあ目を瞑るとしよう。着心地は、前の服とは段違いに良い。

 試しにフードを被り、具合を確認。嘴の装飾がないのならそれで良いかと、すぐさまフードを取り払った。

 首をゴキゴキと鳴らすと右手首にアサシンブレードを仕込み、抜納刀に支障が出ないかを確認。

 次いでピストルを手に取り、眉を寄せた。

 銃身が歪み、火打石をはじめとした部位が欠け、もはや銃の形をした鉄屑と成り果てているのだ。

 ホルスターも、(かろ)うじてそうであったとわかる程度にしか形を留めていない。

 ホルスターの方はともかく、ピストル本体は専門家でない自分では整備は出来ても修理は不可能。

 工房長に頼むとしても、どれほどの時間と金がかかるのやら……。

 考えても仕方ないと壊れたピストル二挺とホルスターを纏めて雑嚢に押し込み、問題の『謎の三角形』二つを手に取る。

 ほのかに金色に輝くそれらは、心なしか熱を持っている。

 距離を離せば輝きが失せ、熱が下がっていく所を見るに、この二つが共鳴でもしているのだろう。

 二つの掌の上で弄びながら軽く肩をすくめ、最終的にはいつも通りに懐へとしまう。

 二つが共鳴したというのとは、似たものがもう幾つかあるという事だ。アルタイルの書物と同時進行で、それらを探さねばならないのかもしれない。

 再びため息を漏らすと、部屋を出た。

 前に出たときよりもしっかりとした足取りで、迷うことなく廊下を進んでいき、彼らの元へとたどり着く。

 

「あ、先生!おはようございます!」

 

「もう、朝からはしゃがないの。おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 彼の到着に真っ先に気づいた令嬢剣士と女魔術師との挨拶を済ませると、つられるように他の冒険者たちも彼に挨拶をする。

 

「おお、衣装を変えたのですな。似合っておりますぞ」

 

「頭巾の!あの壊れた仕込み刀を見せろい!」

 

「遅かったじゃないの。ま、気持ちはわからなくもないけど」

 

 蜥蜴僧侶、鉱人道士、妖精弓手が言うと、ローグハンターは空いている席につきながら困り顔で頬をかいた。

 

「とりあえず、誉めてくれたことには礼を言う。あとあれは後で見せるから落ち着いてくれ。最後にお前と一緒にするな」

 

 三人に順を追って返答し、蜥蜴僧侶は目玉をぎょろりと回して笑みを浮かべ、鉱人道士は「そうだの」と一旦深呼吸、妖精弓手は「なにおう!」と食ってかかる。

 そんな彼女を無視し、女神官、受付嬢、牛飼娘に目を向けた。

 

「そっちもおはよう」

 

「おはようございます。あの、お怪我の具合はどうですか?」

 

「問題ない。心配かけたな」

 

 彼が微笑混じりに言うと、受付嬢が「そうですよ、まったく」と不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「帰って来たと思ったら、いきなり倒れたんですからね」

 

「武闘家さんが慌てちゃって、大変だったんだよ~?」

 

 牛飼娘が言うと、「そうか」と返してゴブリンスレイヤーの方へと目を向ける。

 

「で、あれからどうだ」

 

「ゴブリンは来ていない。お前はどうだ」

 

「大丈夫だ。って、何度言わせる」

 

「すまん」

 

「いや、別に良いが」

 

 ローグハンターは苦笑混じりにそう返し、部屋を見渡して彼女がいない事を確認した。

 誰かに聞くまでもなくタカの眼を発動し、とりあえず部屋で寝ている事だけを視認する。

 いつも通りの彼女の姿に肩を竦めると、妖精弓手が机に頬杖をつきながら言う。

 

「それにしても、あんたが騎士ねぇ……」

 

「何か不満でもあるか」

 

 バレたからには仕方ないと開き直り、不満そうな声音で妖精弓手に返す。

「別にないけどさ」と呟くと、蜥蜴僧侶が逞しい尾を一度振り、ローグハンターに言った。

 

「ふむ、これからは斥候殿ではなく騎士殿と呼ぶべきか。しかし、騎士でありながら斥候も出来るとは」

 

「いや、斥候呼びで構わない。むしろその方が気が楽だ」

 

「それならば、いつも通りに呼ぶとしよう」

 

「にしても、頭巾のが騎士のぉ……」

 

 鉱人道士が髭をしごきながら言うと、ローグハンターは「まだ何かあるのか?」と問いかける。

 

「いや、鱗のが言ったけんど、騎士にしちゃ、随分と斥候してんよな」

 

「騎士と一括りに言っても、仕事は様々だ。会計担当の非戦闘員だとしても、騎士団の一員なら騎士と呼ぶだろう?」

 

「ああ……。そんなもんか」

 

 何かを懐かしむように放たれた言葉に、鉱人道士はそれ以上掘り下げるのを止め、残り僅かな火酒をあおった。

 もうすぐ式だというのにほんのり顔が赤くなっている彼の姿に苦笑を漏らすと、ローグハンターは再び彼女がいる部屋に目を向ける。

 壁を透過する無慈悲なタカの眼が、彼女が既に起きている事を教えてくれた。

 なぜ出てこないのかと目を凝らすと、なにやらベッドの上で頭を抱えて悶えている様子。

 ローグハンターは仲間たちに一言入れると彼女の部屋の前に足を進める。

 ドアの前に立ち、ノックしようと手を挙げるが、

 

『出来ることなら、生涯共に居て欲しい』

 

『お前を守る。俺の生涯をかけて』

 

 先日言った事を思い出し、赤面しながら手を引っ込めた。

 何を迷っている。いつも通りに声をかけて、いつも通りに起こせば………。

 

 ━━いつもは勝手に起きてくるのを待っているんだったな……。

 

 そのいつも通りとは何かを考え始め、一旦ドアに背を向ける。

 そして彼女が既に起きている事を思い出すのに時間を費やし、ようやくドアを開けた。

 

「すまん、起きてるか」

 

「あ……」

 

 そして、着替え中の(・・・・・)銀髪武闘家と目があった。

 下着を着ているとはいえ、鍛えられつつも女性的な柔らかさを保つ彼女の体は、男なら誰しもが見惚れるものだろう。

 先日告白をした恋人同士なら、特に。

 お互いに目を合わせて固まること数秒。

 ローグハンターはそっと視線を外し、銀髪武闘家は勢いよくベッドのシーツを剥ぎ取って体を隠す。

 何を今さらと思うが、先日の一件で妙に互いを意識している彼らからしてみれば、少々ハードルが高いのだろう。

 ローグハンターは視線を泳がせ、シーツにくるまった銀髪武闘家に言う。

 

「お前が最後だ」

 

「だよね。ちょっとだけ聞こえたよ」

 

 その短いやり取りを最後に、二人は再び黙りこんだ。

 いつもなら更に二三やり取りをするのだろうが、先日の一件で妙に互いを意識している二人にはハードルが高いのだろう。

 シーツの隙間から彼の姿を見つめ、銀髪武闘家はため息を吐いた。

 

「傷、また増えたね」

 

「ああ……」

 

 元からあった口元や額の傷に加え、顔や首には大小様々な傷が増えている。

 見える範囲でそれなのだから、ローブの下は酷いものだろう。

 銀髪武闘家はシーツから顔を出すと彼に歩み寄り、そっと頬を撫でた。

 温かい彼女の手に自分の手を重ね、ローグハンターは微笑を漏らした。

 

「だが、まだ生きてる。それで良いだろ」

 

「ま、そうだねぇ」

 

 彼の微笑に微笑み返し、銀色の瞳と隻眼の蒼い瞳が見つめ合う。

 そのまま少しずつ顔を近づけ━━……、

 

「……何をしているんですか」

 

 触れ合う直前に聞き馴染んだ声が聞こえた。

 ローグハンターは肩を竦め、首だけで振り向いて声の主に目を向ける。

 そこにいたのは半目でこちらを睨んでいる女魔術師。

 やれやれと言うように首を左右に振る彼女の姿に、ローグハンターは申し訳なさそうに言う。

 

「ただ起こしに来ただけだったんだが、遅くなった」

 

「式は夜なので多少遅い程度なら気にしませんが、せめて扉を閉めてください」

 

 開け放たれたままのドアに手を添えながら言うと、銀髪武闘家が顔を赤くしながら俯いた。

 

「それはすまん」

 

 悪びれた様子もなく言うと、女魔術師は思わずため息を漏らす。

 何だかんだで、この銀等級二人はいつも通りだ。

 それはまさしく素晴らしい事だろう。

 見せつけられる側の気持ちはさておいて━━━。

 

 

 

 

 

 二つの月が天の頂きへと昇り、満天の星が輝きを放ち始めた頃。

 里中の森人と冒険者たちが大広間へと集い、高座に視線を集めていた。

 地べたにあぐらをかいて腰を降ろし、葉の皿の上には料理━━何かの虫を蒸したものだろうか━━と果実、酒杯は巨大な木の実。

 それらを囲む客人たちを見下ろす高座は、大きく張り出した大樹の根の上にあり、そこには本日の主役たる新郎新婦の姿がある。

 皆が集まった頃を見計らい、里の古老が二人に向けて恭しく頭を垂れた。

 

「では各々方、誓約の御言葉を」

 

 古老の言葉に新郎新婦ははにかむように視線を交わらせ、そっとお互いの手を握り合う。

 

「━━━━━━━」

 

「━━━━━━━」

 

 輝ける兜の森人は堂々と、花冠の森姫は薄く染まった頬を隠すように俯いての言葉。

 森人の言語で紡がれた言葉の意味はわからぬけれど、きっとめでたい事に違いない。

 それを証明するように、ざわり、ざわりと大樹が枝を揺らして笑って見せる。

 

「森からの言祝(ことほぎ)、聞かれましたかな」

 

 歩み出た祭祀の言葉に、二人の男女は幸福そうに目配せし、頷いた。

 

「では、答礼を」

 

 祭祀は大弓と矢を二人へと差し出す。

 この日のためだけに(あつら)えられた、イチイの弓と木芽鏃の矢だ。

 輝ける兜の森人が弓を取り、花冠の森姫が矢を手に取る。

 祭祀が一礼して退くと、二人は寄り添い、弓を構えた。

 夫となる輝ける兜の森人が持ち上げた弓に、妻となる花冠の森姫が矢を(つが)え、二人で弦を引き絞る。

 狙いは天に。二つの月と星々の煌めく空へ。

 広間の屋根であった枝葉が独りでに道を開き、吹き抜けとなっていく。

 輝く星々は神々の瞳であると言ったのは、果たして誰だっただろうか。どちらにしても、これほどの祝福は他にはあるまい。

 森と神々からの祝福を受けた二人の手から、堅琴の如き音色を立てて矢が放たれた。

 星空へと消えていった矢は、落ちてくる気配はない。

 いずれ、ここの誰も知らぬ場所に落ち、新たな森を作り出す事だろう。

 

「誓約はここに成った!」

 

 放たれた矢を見送った祭祀が、高らかに宣言する。

 森人と、森と、神々の下、婚礼は認められ、祝福されたのだ。

 

「今宵は上の森人が結ばれた日として、長く語られる事となろう!」

 

 途端、森人たちは盛大に声をあげて手を打った。

 どこから取り出したのか、森人たちは各々の楽器を片手に持ち、無い者は音に合わせて歌を唄う。

 先ほどまでの静謐(せいひつ)さはどこにやら、飲めや歌えやの大騒ぎである。

 森人とは長命だ。否、その一生は長過ぎる。

 精神は老成したとしても、祝祭を口実に騒ぎたいのは変わらないのだろう。

『何もない日』が減るほど宴は増え、それを祝ってまた騒ぐ。

 世に特別でない日はないのだと、ある森人は言ったそうだ。

 大広間の端で歌い踊る森人たちを眺めつつ、ローグハンターはちびりと葡萄酒を舐めた。

 鉱人道士は見た目は若い森人に囲まれ質問攻めにあい、蜥蜴僧侶は出された料理を次々と平らげていく。

 ゴブリンスレイヤーは会場の端で美しく着飾った牛飼娘と受付嬢となにやら話し込み、女神官は妖精弓手と女魔術師、令嬢剣士と談笑している。

 つまり彼だけポツンと孤立しているわけで、何やら疎外感を感じさせる。

 と言っても、森人たちとて彼を放っておこうと思っている訳ではない。

 だがしかし、かつて里を訪れた(アルタイル)を思わせる彼の雰囲気は、何とも話しかけにくいものだ。

 そして、その雰囲気を断ち切るのはいつだって彼女だ。

 

「こんな端っこで、何やってるの?」

 

「ん?」

 

 料理を乗せた葉皿片手に、女性森人たちの手で着飾られた銀髪武闘家が彼の隣についた。

 いつも一纏めにしている銀髪は三つ編みとなり、唇には薄く紅が塗られ、纏うドレスは彼女の髪と同じ色。

 筋肉質とはいえ、その立ち姿はどこかの国のお姫様のようだ。

 酒は飲んでいない様子だが流石に恥ずかしいのか、その頬は赤い。

 ローグハンターは何度か瞬きすると、フッと小さく笑って見せた。

 

「綺麗だ」

 

「はぅ……!」

 

 ド直球に告げられた言葉に銀髪武闘家は顔を隠すように頬を押さえて俯くが、真っ赤に染まった耳が彼女の気持ちを教えてくれる。

 尤も、ローグハンターは見てなくともわかるかもしれないと思ったのだが、その話は良いだろう。

 彼は上機嫌そうにニコニコと笑い、大広間に視線を向けながら言う。

 

「どうにも、俺の居場所はまた違うと感じてな」

 

「ま、まあ、ここは森人の里だし?」

 

「そういう意味で言った訳じゃあないんだが、まあ良い」

 

 そう言うとまた葡萄酒をちびりと舐め、ホッと息を吐いた。

 今回の目的であったアルタイルの話をある程度だが聞くことが出来た。ついでに結婚式にも参加した。

 だが━━━、

 

「今回は、無くしてばかりだな……」

 

 本来そこにあるべきアサシンブレードのない左手首と、様変わりした衣装を見ながら言うと、銀髪武闘家がその手を取った。

 

「でもさ、私もキミも皆も、こうやって生きてるでしょ?」

 

「そうだな。生きていればどうとでもなるか」

 

「そうそう」

 

 ぎゅっと互いの手を取り合い、満面の笑みを浮かべる二人は、結婚式の主役以上に夫婦をしているように見える。

 

「うむ、若さは良いのぉ」

 

「ッ!」

 

「ふぁい!?」

 

 いきなり告げられた言葉に二人は反射的に手を離し、ローグハンターはすばやく身構え、銀髪武闘家はすっとんきょうな声をあげた。

 

「む、驚かせてしまったかの」

 

 いつの間にか二人の背後にいたのは、フードを目深く被った老年の上森人だ。

 彼は申し訳なさそうに言うと、銀髪武闘家の持つ葉皿から果実を一つ拝借し、咀嚼し始めた。

 

「アルタイルですら見ていない景色じゃぞ?もっと楽しまんでどうする」

 

「そう言われると光栄なのだろうが、こういうのにはどうにも慣れなくてな」

 

 ローグハンターは肩を竦め、葉皿から果実を拝借。

 それを手の上で弄びながら、老年の上森人に問いかける。

 

「で、小言を言いに来たわけではないだろう?」

 

「おうともさ。何、次にいつどこで会うかを言いに来ただけじゃ」

 

「なるほどな」

 

 そう言いながら果実をかじり、強烈な酸味に眉を寄せて咳き込んだ。

 銀髪武闘家がそんな彼の背を叩く中で、老年の上森人は言う。

 

「この宴が終わり、陽が天頂に昇る頃、この大樹の根元で会おう。良いか」

 

「━━ゲホッ!あ゛あ゛……!わかった。宴が終わるのはいつだ」

 

「三日か、あるいは四日か。あやつらの気が済むまでじゃな」

 

 冷める気配のない宴の熱を眺めつつ言うと、ローグハンターはやれやれと左右に首を振る。

 銀髪武闘家は葉皿の上に残された虫の蒸し焼きをどうするかと手をさ迷わせる。

 そんな彼女に助け船を出すためか、老年の上森人が輝ける兜の森人と並び立つ花冠の森姫━━今や森の(きさき)となった女性の方を示した。

 

「そろそろ始まる頃合いじゃろう。行ってこい」

 

「何が始まるんだ」

 

 ローグハンターが小首を傾げて問いかけると、「儂ら森人も、只人(ヒューム)も、やることは変わらん」と返すのみ。

 その言葉で察しがついたのか、銀髪武闘家は遠慮気味にローグハンターに目を向けた。

 

「でも、私は出会いも告白も済ませちゃいましたし……」

 

「形だけでも良いから行ってこい」

 

「何をするのかはわからないが、俺の事は気にするな」

 

「むぅ、わかった。行ってきます!」

 

 渋々と言った様子で頷くと、葉皿をローグハンターに手渡し、慣れぬドレスで駆けていく。

 彼女の背中を見送ったローグハンターに、老年の上森人は問う。

 

「こちらに来た理由を知ったとして、お主はどうする」

 

 突然の問いかけにローグハンターは眉を寄せるが、すぐに表情を緩めた。

 

「何もかも終わらせて、あいつと━━」

 

「それが許されぬとしたら?」

 

 ローグハンターの言葉を遮り、老年の上森人の鋭い声が放たれた。

 有無を言わさぬその言葉には、数万年と積み重ねてきた年季と、友との誓いを果たさんとする確かな意志が込められている。

 

 ━━━彼女と共にいることが許されないとしたら?

 

 そんな事、今まで考えた事もなかった。

 誰に許されないのか。なぜ許されないのか。そんなもの決める権利が誰にある。

 

「まあなに、もしもの話じゃよ。お主が彼女と共に歩みたいと言うなら、きっとあれ(・・)は役に立つ」

 

「……そうだと良いんだが」

 

 ローグハンターが力の抜けた声音で言うと、会場から歓声があがった。

 見てみれば森の后が投げた花冠に、女性たちが手を伸ばしている。

 そう言えば、結婚式にはあんな儀式もあった気がするなと、ローグハンターの脳裏に過った。

 

「愛はさだめ、さだめは死。悔いのない道を選ぶと良い、若者よ」

 

 老年の上森人は詩を唄うようにそう言うと、大広間に背を向けて闇へと消えていく。

 ローグハンターは横目でその背を見送り、また大広間へと目を向けた。

 花冠は、果たして誰の手に乗ったのか。それは、ここで語ることではないだろう。

 

 

 

 

 




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Memory15 タカの道

 輝ける兜の森人と花冠の森姫の婚約から四日後。

 森人の里、天を貫かんと伸びる大樹の根元。

 里そのものを支えていると言っても過言ではないその大樹の根は、一つ一つが太く、堅い。

 ローグハンターはその一つに手を添えながら、周囲を見渡した。

 老年の上森人の指定した約束の時間には、遅れていない筈だ。

 だが、肝心の老人がいない。木の周辺をぐるりと一周したが、それでも見つける事は出来なかった。

 雲一つない空から降り注ぐ陽光に、ローグハンターは額の汗を拭うと目深くフードを被った。

 陽が天頂に至る頃と言っていたのだから、早すぎたという訳ではないだろう。宴会で飲み過ぎて潰れた、という可能性もあるか。

 腕を組んで小さく唸ると、ふと視線を感じてタカの眼を発動し、周囲を見渡す。

 そして、すぐに見つけた。

 成長し過ぎたが故に、地面から剥き出しになった大樹の根の影に隠れる小さな青い影。

 敵ではないようだが、こちらの事を警戒はしているようだ。

 彼は小さく肩を竦めると、タカの眼を解除して青い影に近づき、そして、

 

「俺に何か用か」

 

「ひゃ!?」

 

 何の躊躇いもなく声をかけた。

 声をかけられた側は変な声を出しながら尻餅をつき、驚いた表情でローグハンターを見上げている。

 そこにいたのは子供森人だった。ワンピースを思わせる服と顔立ちからおそらく女の子。

 加えて普通の森人よりも耳が長い所を見るに、上森人であるようだ。

 新芽を思わせる優しい緑色の髪と同色の瞳が、何とも美しい。

 上森人の少女は立ち上がる様子もなく、目に涙を溜めて少々怯えている様子だ。

 考えてみて欲しい。気づかれていないと思っていたのにいきなり声をかけられ、その男の顔は傷だらけ。

 しかもそれが彼女が初めて見る異種族だとしたら、むしろ怯えるなと言う方が無理だろう。

 ローグハンターはとりあえず安心させようと出来るだけ優しい笑みを浮かべ、少女に訊く。

 

「驚かせて申し訳ない。その、上森人の爺さんを知らないか?」

 

「じーさん?じーさまの事?」

 

「多分な。どこにいるか━━━」

 

 知らないかと続けようとした時だ。

 不意に「キィーッ!」と何かが鳴いた。

 同時にローグハンターの頭の上に何かが乗り、フード越しに頭を啄んでくる。

 地味に痛いそれをどうにかしようと頭を振ると、頭の上の何かがばさりと羽ばたいて地面へと降りた。

 そこにいたのは一羽の鷲だった。

 上森人の少女も突然の登場に興味を持ったのか、意識は完全にそちらを向いている。

 

「すまぬ、待たせたの」

 

 次いで聞こえたのは老人の声。

 木の根の上にいたようで、声は上から聞こえてきた。

 ローグハンターは僅かに不機嫌そうに息を吐くと、鷲と戯れる少女から視線を外し、根の上を見上げた。

 

「若者よ、その子が迷惑をかけたようじゃな」

 

 根の上に立つ老年の上森人はそう言うと飛び降り、ローグハンターの前へと立った。

 

「いや、そこまで迷惑でもなかったさ。それよりもどこにいた」

 

 上森人の少女に一瞥くれてから言うと、老年の上森人は髭をしごきながら言う。

 

「色々と準備と確認をな。さて、行くとしようか」

 

 老年の上森人が言いながら腕を挙げると、少女と戯れていた鷲がその腕にとまる。

 

「随分と、なつかれているんだな」

 

「なに、こやつとは長い付き合いでの。この木の上に巣があるんじゃよ」

 

 ローグハンターが余り興味なさそうに「ほぉ……」と息を吐くと、老年の上森人は「よくいなくなるがの」と付け加えて果実を一つ差し出す。

 鷲がそれを一呑みにする様を眺めつつ、老年の上森人は髭をしごいた。

 

「元より自然の中にいるものじゃ。儂の意志は関係ないのじゃろうて」

 

「そんなものか」

 

「それに、少し前に子供が産まれての」

 

「森人の少しは、何年前だ」

 

「はて、何年前かのぉ……?」

 

 最後の最後で首を傾げた老年の上森人の姿にローグハンターがため息を吐くと、二人の話を聞いていた上森人の少女がローグハンターのローブの裾を引いた。

 

「ん、どうかしたのか?」

 

「これからどこいくの?」

 

「俺にもわからん」

 

 ローグハンターが肩を竦めると、老年の上森人が優しく上森人の少女の髪を撫でながら笑う。

 

「ほっほっほっ!なに、ちょっとした儀式をしに行くだけじゃよ」

 

「みにいっていい?」

 

「駄目じゃ。そこに行くまでが危険での」

 

「そっか……」

 

 しゅんとする上森人の少女の姿に、ローグハンターはふと既視感を感じた。

 まだ幼かった勇者(いもうと)も、院長に釘を刺される度にこんな顔をしていたような気がする。

 ローグハンターは困り顔で頭を掻くと、片膝をついて少女と視線を合わせた。

 そしてニコッと優しげに笑うと、そっと髪を撫でる。

 

「おまえが大きくなったら、その場所を見に行けば良い。知らない場所に行くのも、良いものだ」

 

「……うん」

 

 少々照れた様子で頷く上森人の少女に頷き返すと、ローグハンターは立ち上がった。

 

「よし。で、どこに行くんだ?」

 

 老年の上森人に問いかけると鷲が飛び立っていき、「こっちじゃ」とだけ告げて歩き出した。

 ローグハンターはその背に続いて歩き出そうとするが、一旦止まって少女の方へと振り向く。

 

「それじゃあ、またな」

 

「……うん」

 

 上森人の少女が頷き、どこかへ駆けていくのを見送ると、老年の上森人の背を追いかけて走り出す。

 尤もゆっくりと歩いてくれていたようで、そこまで距離は離されていない。

 すぐさま追い付くと、老年の上森人は髭をしごきつつ言った。

 

「今いる上森人の子供はあの子だけでな。周りのと少しばかりの距離があるのじゃよ」

 

「まあ、かなり人見知りしていそうではあったが……」

 

 女の子の姿を思いだしながら言うと、老年の上森人は根と根の間に隠された洞へと潜って行った。

 ローグハンターもその後に続き、洞へと体を潜り込ませる。

 そして一歩目を踏み出した瞬間、足を滑らせた。

 

「ッ!?」

 

 声をあげる暇もなく闇の中へと引きずりこまれると、滑り台に乗った子供のように斜面を滑り落ちていく。

 途中で体が宙に放り出されたかと思うと、次いで感じたのは重力に引きずり込まれる感覚。

 しばしの浮遊感を感じると、今度は慣れ親しんだ干し草とは似て非なる感覚に受け止められた。

 何重にも絡んだ蔦の山。今回はそれが体を受け止めてくれたようだ。

 はるか頭上に見える陽の光を眺めつつ放心していると、先に到着していた老年の上森人が咳払いをした。

 その声にハッとして、蔦の山から這い出る。

 

「せめて一言説明が欲しかったが、どこだ」

 

「洞の底の、また底じゃ」

 

 老年の上森人が言うように、そこは岩肌が剥き出しの洞窟だった。

 光る苔や茸が生えている為か、中は思いの外明るい。

 

「では、付いて参れ」

 

 老年の上森人はそう言うと、返事を待たずに走り出した。

 ローグハンターは小さく肩を竦めると走り出し、慣れた様子で洞窟内を進んでいく老年の上森人を追いかける。

 途中にある穴を飛び越え、足場代わりに剥き出しとなった木の根の上を疾走する。

 完全にフリーランが出来る前提で作られた道は、人為的なものだろう。天然ではここまで見事なものにはならない筈だ。

 剥き出しの根に手をかけて反動をつけて飛び、大きめの穴を飛び越える。

 この程度なら慣れたものだ。何の問題もない。

 そんなフリーランを続けること数分か、あるいは数十分か、老年の上森人が目指している先に、一条の光が見て取れた。

 

「あそこか」

 

「そうじゃ。ほれ、ちゃんと付いて参れよ」

 

 老年の上森人はそう言うと、更に速度を上げて駆けていく。

 負けじとローグハンターも速度をあげ、食らいつく。

 森人と只人の身体能力には、埋められない程の差があるのだが………。

 

「到着じゃ」

 

「……ふぅ」

 

 ローグハンターは一切遅れることなく、老年の上森人の後ろにつき続けた。

 僅かな疲労を吐き出すように深呼吸すると、突如として広がった広めの空間を見渡す。

 岩の洞からいつの間にか木の洞の中になっていたようで、彼らがいるのは大樹の中のようだ。

 その割には明るく、陽光に晒されているかのように蒸し暑いが。

 ローグハンターは額に浮かぶ汗を拭い、同じく汗を拭っていた老年の上森人に声をかけた。

 

「それで、次は何だ」

 

「あれじゃ」

 

 老年の上森人はそう言うと、空間の一角を指差した。

 壁の一部がへこみ、そこには何やら凝った装飾の杯━━おそらく真の銀(ミスリル)製だろう━━が鎮座している。

 へこみの天板から伸びる根から一滴ずつ垂れる水滴を受け止め、中にはかなりの量が溜まっているようだ。

 ローグハンターは(いぶか)しながらも杯に近づき、そっと中身を覗きこんだ。

 溜まった水分はかなりの透明度なのか、水面を走る波紋以外は何も見えない。

 

「……これは?」

 

「分かりやすく言えば、霊薬かの」

 

「霊薬と言われてもな……」

 

 ローグハンターが警戒しながら肩を竦めると、老年の上森人はため息を吐き、「ふんぬ!」と気合い一閃と共に杯を持ち上げた。

 落とさぬように両手で杯を支えつつ、詩を唄うように言う。

 

「汝が血に刻まれた使命を知りたくば、この試練を受けよ」

 

「汝が光から闇へと堕つる覚悟があるならば、この試練を越えよ」

 

「汝が正義をなさんとするのなら、己が正義を示せ」

 

 その三節を口にすると老年の上森人は杯を差し出す。

 古強者の気迫と共に放たれた詩に、ローグハンターは思わず後退る。

 試練とは何か、そもそもその霊薬とは何だと聞きたいことは山ほどあるが、その疑問はすぐに失せた。

 霊薬を飲めば全てがわかる。彼の第六感が、そう告げているのだ。

 ローグハンターは自分の胸に手を当て深呼吸すると、杯を手に取った。

 僅かに揺れる水面から、一息で飲み干せる量であると判断する。

 そもそも全て飲む必要があるのかもわからない。

 だが、彼はその中身を、一息で全てをあおって見せた。

 最後の一滴に至るまで飲み干した瞬間、彼は目を見開きながら喉を押さえ、膝から崩れ落ちた。

 視界が霞み、全身に力が入らず、意識もはっきりとしない。

 

「汝が運命を己が決めると言うのなら━━━」

 

 自分の心音さえも霞んで聞こえる中で、老年の上森人の声だけが妙に澄んで聞こえる。

 どうにか体を転がして仰向けになると、神妙な面持ちの老年の上森人と目があった。

 そして、最後の言葉を口にする。

 

「━━━タカの道を行くと良い」

 

 その言葉を最後に、ローグハンターの意識は暗闇へと落ちていった━━━………。

 

 

 

 

 

 空を飛ぶとは、こんな感覚を言うのだろうか。

 ローグハンターは自分が鷹になったかのような錯覚を覚えつつ、風を切り裂き飛ぶ感覚を堪能していた。

 夢を見ているだけなのだろうが、たまにはこんな夢もいい。最近は嫌な夢ばかりを見る。

 眼下に広がる森を川を見下ろし、好奇心のまま雲の中に飛び込ぶ。

 

『……━━━ごめんな』

 

 ふと、とても懐かしい声が聞こえた。

 瞬間景色が変わり、どこかの家の一室となる。

 強盗にでも襲われたのか家具が散乱し、血の気の失せた女性が倒れている。

 そして蒼い瞳の幼い子供を抱き寄せて、男が涙を流していた。

 

 ━━━この時から、全てが始まったのだ。

 

 再び景色が変わり、どこかの島。

 

『あー、大佐?この少年は?』

 

『そうか、マスターコーマックには紹介していなかったな。少年、挨拶してくれ』

 

 自分にとっての恩人の二人が、見るからに無愛想な少年に目を向けていた。

 結局少年は『よろしく』程度の挨拶しかせず、大佐と呼ばれた男性とマスターコーマックを困らせる。

 再び景色が変わり、氷によって作られた大地の上。

 

『二人とも、待ってくれ!』

 

 男性と少年がとあるアサシンにとどめを刺そうとした時、待ったがかかった。

 二人は刃が喉を裂くギリギリで寸止めすると、マスターコーマックが慌てて駆け寄り、二人に言う。

 

『何の慈悲もなく、一体どんな世界がつくれると言うんだ!もうこいつに従う者はいない、それに、遺跡の事を知る人物を残しておかないと、また同じことが繰り返される!』

 

『……一理ある。おまえも剣を下げろ』

 

『……わかった』

 

 マスターコーマックの言葉に男性と剣を納め、少年は悔しがるように歯を食い縛りながら刃を下げる。

 

 ━━━俺の戦い(復讐)は、ここで終わっても良かった筈なのに。

 

 また場面が切り替わり、桟橋の上。

 

『お別れだな、少年』

 

『そう、だな』

 

 マスターコーマックと少年が向き合い、何かを話していた。

 僅かに俯く少年の頭を乱暴に撫で、マスターコーマックは『じゃあな』と一言告げて船に乗り込む。

 少年は撫でられた頭に自分の手を置くと、想いをぶつけるようにマスターコーマックに言う。

 

『先生!また会えるかな!』

 

 初めて先生と呼ばれたからか、珍しく少年が声を張り上げたからか、マスターコーマックは一瞬驚きながらも笑みを浮かべた。

 

『! ああ、お互いに運が掴めれば』

 

『そうか。そうだな……』

 

 再び俯いた少年に、先生は言う。

 

『忘れるな、少年。運は自分で掴むものだ』

 

『ああ、忘れない。必ず』

 

『なら良い。出航だ!』

 

『『『『ヤッター!!!!』』』』

 

 先生の号令に、愉快な船員たちが応えた。

 

 ━━━果たせる訳もない、約束をしていた。

 

 場面が切り替わる。

 嵐に襲われた船の上で切り結ぶ二つの影。

 忘れるわけがない。自分がこちらに来る前の最後の戦いだ。

 

『真実はなく、許されぬこともない』

 

 場面が切り替わる。

 どこかの礼拝堂に集ったアサシンたちが、彼らの信条(クリード)を口にし、団結を強める場面だ。

 

 ━━━正義の反対は悪とは限らないのかもしれない。

 

 場面が切り替わる。

 

『真実が存在しないのなら、なぜ何かを信じる。全てが許されるなら、なぜ欲望のままに生きない』

 

 夢ばかりを追いかけていたならず者(ローグ)が、信念を身に纏い、一人の男として、アサシンとして戦う場面だ。

 

 ━━終わりなどない、未完全な信条なのだろう。

 

 場面が切り替わる。

 フードを被った男が、たった一人で戦う場面だ。

 悪を斬り弱きを助け、また悪を斬り、斬って、斬る。

 助けた人々からも恐れられ、仲間からも恐れられ、自ら進んで孤独となっていく男に、一人の女性が寄り添った。

 透けるように美しい銀色の髪。希望と想いのこもった銀色の瞳。

 彼女は太陽のような優しい笑みを浮かべ、血に塗れた男の手を取った。

 男は不器用に笑みを返して見せると彼女の手を離れ、再びどこかへと歩き出す。

 

 ━━━いつの間にか、俺の帰る場所になっていた。これから先も、そのままだろう……。

 

 場面が変わる。

 石とも大理石とも違う珍妙な材質に囲まれた一室に、あるのはたった一つの玉座だけ。

 玉座に腰かけるのは白いローブに身を包んだ一人のアサシン。

 その背後にいるのは金色に輝く人影。

 

 ━━━ああ、おまえが……。

 

 二人とローグハンターの視線が、本来交わる筈もない視線が、ほんの一瞬だけ、確かに交わった━━………。

 

 

 

 

 

「━━……ッ!?」

 

「おお、戻ってきたの」

 

 ローグハンターは目を覚まし、老年の上森人を睨もうと顔をあげるが、その瞬間に身を固めた。

 なぜ自分が自分を見ている。そもそも、なぜ爺さんの肩に乗っている。

 混乱するローグハンターを他所に、老年の上森人は言う。

 

「落ち着いて、深呼吸じゃ。気をしっかり持て」

 

「あ、ああ……」

 

 掠れた声を漏らしつつ、目を閉じて深呼吸。

 ゆっくりと目を開き、瞬きを繰り返して視界が元に戻った事を確認。

 ホッと胸を撫で下ろし、笑う膝を叩いて気合いを入れ、軽く唸りながら立ち上がる。

 

「い、一体、何が……」

 

 震える自分の手を見つめ、それを抑えるようにぎゅっと握り締める。

 老年の上森人は髭をしごき、「何を見た」と問いかけた。

 

「俺が戦い始めた動機。先生との出会いと戦いの終わり。先生との別れ、あいつへの想い」

 

 血が滲むほど拳を握り締め、殺気を込めた瞳をどこかへと向けた。

 

「俺を呼んだ奴の姿が、ぼんやりと」

 

「そうか」

 

 老年の上森人が言うと彼の肩に乗った鷲が騒ぎ始め、ローグハンターはハッとして彼に言う。

 

「ああ、すまん。怖がらせたか」

 

「いや、それが聞きたかった。やはり、アルタイルが言っておったのはお主だったか」

 

 僅かな悲哀の色が込められた言葉に、ローグハンターは首を傾げる。

 

「何を考えている。まあ、どうでも良いが」

 

 そう言うと肩を竦め、「これで終わりか?」と問いかけた。

 

「いや、まだじゃ」

 

「むぅ。早くあいつの所に戻りたいんだが……」

 

「すぐに終わるとも。こっちじゃ」

 

 老年の上森人はそう言うと洞の壁を這う蔦を登り始めた。

 その姿を目で追ったローグハンターは、そう言えば視界が広いなと左瞼を撫でる。

 頑なに開かなかった目が、今は普通に開くようになっている。先程の霊薬は、強力な水薬(ポーション)でもあったのだろうか。

 老年の上森人が行ってしまった為か、ローグハンターの肩に乗った鷲が急かすように耳元で鳴く。

 

「キィッ!」

 

「ああ、すまん。すぐに登る」

 

 慣れた動作で蔦を伝って壁をよじ登り、老年の上森人に追い付くのには余り時間はかからなかった。

 壁をよじ登って足場にたどり着くと、それ(・・)はあった。

 それを目にしたローグハンターは言葉を失い、そっと手を伸ばす。

 

「アルタイルが残した『鎧と剣と弓』じゃ。あやつのリンゴの力を込めた結果なのか、黒く変色した真の銀(ミスリル)を使ったもの。鎧の方は冗談だと思えるほどに硬く、軽い。剣の方は柔らかく、鋭い。弓のほうも同じくじゃ。弓だけでものが切れるほどじゃぞ?手伝った儂ですら、本当によく分からない代物じゃよ」

 

 そこに鎮座していたのは、鈍く光を反射する鎧と鷲の頭を模した柄頭の黒い剣。

 そして獲物に向け襲いかかる鷹を思わせる形の弓と、何も入っていない革製の矢筒。

 ローグハンターは鎧に手を触れ、金属特有の冷たさを感じとる。

 

「アルタイルからの贈り物。受け取るか否かは、お主が決めると良い」

 

 老年の上森人はそう言うと、壁伝いに下へと降りていった。

 洞の奥へと消えていった彼の背中を見送ると、ローグハンターは改めて鎧を見た。

 部位は胴鎧と籠手━━指が露出するものだ━━と脚甲だけ。見る限り防げない部分も多いが、動きを阻害しないようへの工夫だろう。

 全てが黒で統一され、縁には暗い赤色の線が刻まれている。よく見れば、何やら複雑な紋様が刻まれているようだ。

 だが、何かが足りない。何か大事なものが欠けて……。

 

「ああ、そういうことか」

 

 ローグハンターは苦笑を漏らし、自身が纏うローブに目を向けた。

 色合いから大きさまで、この鎧はこのローブの上から付けることを前提としているのだろう。

 服だけ貰い、鎧を持っていかないというのは、遺してくれたアルタイルにも失礼だ。

 

 ━━━なら、貰うとしよう。

 

 そう判断するが早いか、ローグハンターは初めての筈なのに淀みなく鎧を纏っていく。

 ローブ越しでも妙に体にフィットするそれは、彼のために用意された錯覚を覚えさせるが、どうせ偶然だろうと思考を切り上げる。

 ローブごと手を覆うように取り付けた籠手の具合を確かめ、右手のアサシンブレードの抜刀に支障がないかを確認。

 そして、左手の籠手を━━刻まれたアサシンの紋様は気にしないで━━着けるとハッとした。

 それを確かめるように小指を動かすと、籠手から音もなく刃が飛び出す。

 しばらく『四方世界で造られた最初の刃(アサシンブレード)』眺めると、今度は刃の根本に目を向ける。

 雪山の小鬼暗殺者が使っていたものと同じように、とても小さな筒がついているのだ。

 それを確かめるのは後だと意識を切り替えるとアサシンブレードを納刀し、ローブの下に胴鎧をつけ、肩を回して具合を確かめる。

 最後に脚甲を履き、とんとんと爪先で床を叩いて微調整。

 鎧を着込んでも動きを妨げる事はなく、ローブの裾がマントのようにどこからか入り込んだ風で揺れる。

 アルタイルはそれを狙って設計したのだろうか。

 最後に壁に立て掛けられた黒き真の銀(ミスリル)の剣を手に取り、軽く素振り。

 黒くなっているとはいえ、真の銀(ミスリル)であることに違いはない。とても軽い筈なのに、不思議な事に手に馴染む。

 満足げに頷くと腰帯に吊るし、弓の弦を調子を確かめて矢筒と共に背に回す。

 準備完了、いざ来た道を戻ろうと下を覗き込むと━━………。

 

「む……?」

 

 出入口が見当たらず、ローグハンターは小さく唸った。

 ローグハンターは困り顔で頬を掻き、タカの眼を発動させた。

 誰かの幻影が壁をよじ登り、はるか上に見える穴へと消えていく。

 あそこからなら出られるだろう。

 ローグハンターは肩を竦め、壁を這い回る蔦へと手を伸ばした。

 いつも通りに上へ上へと登り、時には左右に体を揺らす。

 幻影に追い付き穴へと潜ると、突き刺さる陽光に目をやられる。

 目を腕で庇いつつ一歩ずつ進み、そして彼は見たのだ。

 こちらに振り向き、不敵な笑みを浮かべるアルタイルの姿を。

 彼に導かれるように、ローグハンターはアルタイルの背を追いかけた。

 

 

 

 

 

 森人の里の大広間。

 昨日まで宴の会場となっていたその場所に、里中の森人と出立の準備を整えた冒険者たちが集っていた。

 いまだ婚礼の余韻に浸る輝く兜の森人は、上機嫌そうに冒険者たちに言う。

 

「またいつでも来ると良い。我々はいつでも歓迎する」

 

「もう、あに様ったら。格好つけちゃってさ」

 

 妖精弓手が茶化すが、輝く兜の森人はどこ吹く風と気にした様子はない。

 他の冒険者たちが彼の変化に苦笑を漏らすなか、銀髪武闘家が周囲を見渡して訊く。

 

「ねえ、彼知らない?起きたらどこにもいなかったんだよね」

 

「彼?ああ、あのタカの眼を━━━」

 

「彼ならすぐに戻って来るじゃろうよ」

 

 輝く兜の森人の言葉を遮り、老年の上森人がそう告げた。

 噂をすればなんとやら、一際大きい鷲の鳴き声が大広間に響く。

 風と共に舞い込んだ一羽の鷲が、彼の腕にとまる。

 

「おっと、予想以上に早いの……」

 

 老年の上森人はそう言うと、大樹のはるか上を見上げた。

 他の面々もつられるように見上げると、その多くは目を見開いて驚きを露にする。

 

「ちょ!何であんなところにいるの!?」

 

 銀髪武闘家が、大きく取り乱しながら老年の上森人に詰め寄った。

 彼らの視線の先。大樹の頂に程近い枝の上に、彼の姿があったのだ。

 もはや黒い点にしか見えまいが、それが彼である事はなぜかわかる。

 細い枝の上に仁王立ち、両手を広げて全身で風を受けている。

 彼を見守るように鷲が大樹の回りを飛び、再び鳴く。

 その声を合図として、老年の上森人が声を張り上げた。

 

「汝が運命は己が決めよ!汝が何を成すかは己が決めよ!」

 

 彼の声にあわせてざわり、ざわりと森が騒ぎ始め、大きく木々が揺れる。

 老年の上森人は空気を吸い込み、更に声を張り上げた。

 

「皆のもの、刮目せよ!若き鷹の巣立ちの時だ!」

 

 彼の姿を見る全ての者が、森が、森人が、冒険者が、そして天上の神々が、息を呑んだ。

 老年の上森人は不敵に笑むと、高らかに宣言する。

 

「行け、若き鷹よ!この世に真実などなく、許されぬことなどないのだから!」

 

 その声は、ローグハンターにも届いただろう。

 大樹に立つ彼は答礼をするように、両手を広げて(イーグル)身を投げた(ダイブ)

 彼と共に飛ぶアルタイルの姿を幻視し、老年の上森人は微笑みを浮かべ、何も知らぬ誰かの口からは声にならない悲鳴があがる。

 その時、不思議な事が起こった。

 大広間の天上となっている枝たちが独りでに動き、彼を受け止めんとしているのだ。

 枝により彼の姿を見ることは叶わないが、「バサッ!」と何かが落ちてきた音だけが彼らの耳に届く。

 枝たちが役目を終えたとばかりに元の位置に戻って行くなかで、彼は大広間の中央に降り立った。

 爪先から膝までを覆う脚甲。

 手首と手の甲を重点的に守る籠手。

 心臓と臓器を守る胴鎧。

 獲物を狙う鷹を思わせる形状の弓を担ぎ、極めつけは柄頭に鷲の頭を模した装飾の施された『黒き鷲(アルタイル)の剣』。

 その全てが黒き真の銀(ミスリル)により鍛えられ、上森人の鍛冶師により様々な加護の施された、この世界に二つとない希少な武具。

 それらを身につけた彼は目深くフードを被っているが、右の瞳は蒼の、左の瞳は金の輝きを放っている。

 不意に挙げた右腕に天高く飛んでいた鷲がとまり、一声鳴いた。

 ローグハンターはフードを脱ぎ、仲間たちに言う。

 

「すまん、遅れた」

 

 いつものように悪びれた様子もなく言うと、冒険者たちは目を合わせてぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 受付嬢と牛飼娘に関しては、完全に放心していた。

 銀髪武闘家だけがふらりと歩き出し、ニコニコと笑うローグハンターに抱き付いた。

 空気を読んでか、鷲は飼い主たる老年の上森人の元へ飛ぶ。

 銀髪武闘家は彼を離さないようにぎゅっと力を入れ、耳元で囁いた。

 

「流石に、今のはヒヤッとしたよ……?」

 

「すまん」

 

 そっと彼女の肩を抱くと僅かばかり体を離し、老年の上森人に目を向けた。

 

「色々と世話になった」

 

「おうともさ。いつでも戻って参れ」

 

「それはどうだろうな」

 

 彼の本当の居場所である銀髪武闘家の顔を横目で見ながら言うと、仲間たちにも目を向ける。

 

「それじゃあ、帰るか」

 

「うん!」

 

 こうして、冒険者たちは森人たちの大歓声を受けながら里を去っていった。

 小さくなっていく彼らの背中を眺めつつ、老年の上森人は自分の腕にとまる鷲に目を向けた。

 

「お主も行くのか?」

 

「キィ!」

 

 鷲は一鳴きで答えると、彼らを追って飛び立った。

 ローグハンターの頭に止まった鷲の姿に苦笑を漏らすと、彼に誰かが話しかける。

 

「じーさま、じーさま」

 

「ん?どうした、幼き娘よ」

 

「あの頭巾の人、何て言うの?」

 

 好奇心に駆られたのだろう。上森人の少女が老年の上森人にそう問いかけた。

 老年の上森人はしばし迷い、そして少女の髪を撫でながら言う。

 

「なに、あの若者は冒険者(・・・)。ちょいと特別な、どこにでもいる冒険者の一人じゃよ」

 

「ぼーけんしゃ……」

 

 上森人の少女はその言葉を噛み締め、彼の背中を目に焼き付ける。

 

「私も、なれるかな?」

 

「なれるとも。言ったじゃろう?この世に許されぬことなどないと」

 

 少女の問いかけにわざとらしく笑いながら答え、老年の上森人は疲れ顔でため息を吐く。

 

「━━友よ。約束は、ここに果たしたぞ」

 

 もうこの世界にはいない。きっとこの世にもいない友人への、たった一言の報告。

 彼を労うように、森が優しく笑い、ローグハンターの頭の上に乗った鷲が天へと飛び上がった。

 まるで、アルタイルが里を去っていった時のように。

 何百年経っても変わることのない優しい風が、冒険者たちの背を押した。

 

 

 

 

 




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sequence09 シティ・アド
Memory01 ローグハンター、海へ


 辺境の街、眠る狐亭の一室。

 がさごそと布の擦れる音と共に、彼は目を覚ました。

 蒼い右目と金色の左目が開き、すぐさま焦点を合わせるとタカの眼を発動し、部屋を見渡す。

 誰かが入ってきた様子も、誰かが出ていった様子もない。

 まあ、寝ている最中でもどちらかが起きればすぐさま目を覚ます自信はあるが、念のためだ。

 小さくホッと息を吐き、自分の胸に顔を埋める想い人に目を向けた。

 

「んぅ……んっ、んぁ……」

 

 妙に艶っぽい声を漏らす銀髪武闘家の髪をそっと撫で、起こさないように気をかけながらベッドから滑り出る。

 二度目の小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)との戦いで増えた傷を隠すことなく晒すその姿は、歴戦の戦士のそれだ。

 拳を開閉させて具合を確かめ、昨晩の疲労が残っていない事を確認。

 老年の上森人から受け取った服の袖を通し、ほつれが無いことを確かめ、丁寧に畳んだローブを手に取った。

 遥か昔の先祖から託された大事な品だ。雑に扱うのは許されないだろう。

 音もなくローブを身に纏い具合を確かめ、その上から鎧を着込んでいく。

 胴鎧を纏うと肩を回し、籠手を着けてアサシンブレードの抜刀に支障がないかを確かめ、脚甲の履き心地を確認する。

 剣の刃に歪みや欠けが無いことを確かめると腰帯に吊し、弓の弦の張り直し、矢筒の中身を確認すると二つ纏めて背に回す。

 それらを終えるとホッと息を吐き、いまだに眠る恋人に目を向けた。

 抱き枕の自分がいなかなったからか、その代わりに枕を抱き締めて無防備な寝顔を浮かべている。

 相変わらずな彼女の姿に思わず苦笑を漏らし、額に口付けすると音もなく部屋を後にした。

 いつものように一階まで降り、いつものようにカウンター席につく。

「よう」と挨拶してきた店主に向け、ローグハンターは小さく笑みながら挨拶を返した。

 

「おはよう、狐。調子はどうだ」

 

「だから、店主と呼べ店主と!」

 

「ああ、すまん。最近どうにもこの呼び方がしっくり来てな」

 

 店主の鋭い眼光と共に放たれた訂正に、ローグハンターは申し訳なさそうに返す。

 ここ最近になって、妙に言い間違えが増えた。

 店主を『狐』と呼び、受付嬢を『シニョーリーナ』と呼んで引かれるのはしょっちゅうである。

 受付嬢に関しては、あのイーグルダイブを見てから当たりがキツいのだから、余計に気を使わなければならないのだか……。

 ローグハンターは顎に手をやりながらため息を漏らし、「いつものを頼む」とだけ告げて水をあおった。

 目を閉じて冷たい水が喉を通る感覚を堪能すると、いつものパンとスープだけの質素な朝食が出される。

 それを一口ずつ味わいながら、ローグハンターは店主に問いかけた。

 

「それで、きつ━━店主。最近はどうだ」

 

「ああ。常連が呼び間違える以外は、いつも通りだ」

 

「むぅ……」

 

 店主の皮肉にローグハンターは拗ねたように唸ると、最後のパンの一欠片を口に放り込んだ。

 

「それじゃあ、あいつらが降りてきたらギルドにいると伝えてくれるか」

 

「了解だ。今日も頑張れよ」

 

「おう」

 

 ローグハンターは一言でそう返すと、足早と眠る狐亭を後にした。

 彼の背を見送った店主は額に浮かんだ汗を拭い、小さくため息を吐く。

 最近どうにも彼の様子が可笑しい。

 いつ自分の呼び名を知ったのだ。

 自分がアサシン側であることは知っているのか。

 もし自分がアサシン側だと知られたら、彼はどうするのだろうか。

 様々な疑問が浮かんでは消えを繰り返す中で、狐はやれやれと首を左右に振った。

 

「……久しぶりにあいつに会いに行くか」

 

 ぼそりと呟かれた狐の声は誰に届くこともなく、朝から騒がしい賭博場の声に消えていった。

 

 

 

 

 

 辺境の街、冒険者ギルド。

 いつもの賑わいに包まれるその場所の一角に、彼はいた。

 黒いローブの上に漆黒の胴鎧を纏い、両手には鎧と同色の籠手。脚を守る脚甲は膝までを覆い隠し、それだけでも凶器足り得る代物だ。

 腰帯に下げる鷲頭の装飾の施された剣は影を思わせる黒さだが、黒曜石とは違う独特の輝きを放つ。

 背中に回された同色の弓は、獲物に狙い降下する鷹を思わせる形状をしている。

 下手な聖騎士よりも聖騎士然としたその風格は、彼を見慣れた者でも声をかけることに僅かに躊躇う高潔さを滲ませる。

 その彼が、書類を片手に険しい表情をしていれば尚更というもの。

 更にその頭の上に鷲が止まっていれば、余計に無理というもの。

 だがしかし、そんな彼に声をかけられる人物は何人かはいる。少なくとも、彼の隣に腰かける彼女がその一人だ。

 その彼女は朝食を平らげ、彼が穴が開きそうな程睨む書類を覗きこんだ。

 

「それで、依頼?」

 

「……ああ。そのようだ」

 

 銀髪武闘家の問いかけに、ローグハンターは険しい表情で頷いた。

 国からの依頼証拠である印が押された依頼書には、中々に面倒な事が書かれている。

 

「随分と考え込んでいますわね、先生」

 

 彼の左斜め前の席に座る令嬢剣士が蜂蜜色の髪を揺らしながら首を傾げると、ローグハンターは小さく唸る。

 彼女の隣に座る女魔術師は、サンドイッチの一欠片を呑み込むと問いかけた。

 

「どんな依頼なんですか?」

 

 彼女の質問を合図に、彼女らの視線が頭目であるローグハンターに集まる。

 彼は自身に向けられた視線一つ一つをしっかりと確めると、鷲に餌を与えて不敵に笑み、彼女らに告げた。

 

「良し、海行くぞ」

 

 

 

 

 

 辺境の街から幾日か。

 ローグハンターの一党は海に面した街にいた。

 水の街とは似て非なる活気に満ち溢れたこの街は、諸外国との交易の中心となっている街だ。

 多くの交易船が港を行き交い、人と物資が行き交い、出会いを喜び、別れを惜しむ人々の姿も見てとれる。

 そんな彼らの間をすり抜けながら進むローグハンターを追いかけながら、女魔術師は依頼書を確認しながら言う。

 

「最近この街の近くの海域に海賊が出没している。討伐の為に冒険者と共に船を出したが帰らず、海賊行為はいまだに続いている。そこで船と船員を提供するから、噂に名高いローグハンターに討伐をお願いしたい。━━━と言った所でしょうか」

 

「そんな所だ。まったく、面倒な依頼だな……」

 

 依頼の内容を確認した女魔術師に、ローグハンターは割りと大きめにため息を吐いた。

 彼らの遥か頭上を飛ぶ鷲は、人混みなど知らんと言うように悠々と飛んでいる。

 そんな鷲の姿を憎々しげに睨むと、照っている陽から隠れるように目深くフードを被った。

 銀髪武闘家は露店で購入した軽食を口にしつつ、ローグハンターに問いかける。

 

「それで、その船の人とはどこで集合なの?」

 

「五番港だそうだ。そこに停泊しているらしいが……」

 

 そう言いながらローグハンターは右目を閉じ、金色に輝く左目だけに意識を傾けた。

 瞬間、視界が空高くから街を見下ろすものに切り替わる。

 天を舞う鷲と視界共有し、対象を追う。

 森人の里で飲んだ霊薬がもたらしたその力を、ローグハンターはある程度だがものにしていた。

 鷲の視界を通し港街を俯瞰し、件の船と乗組員と思われる一団を発見した。

 同時に船の船長と思われる男性と話し込む、だんびらを担いだ冒険者と━━見た目は━━聖騎士に連れられた一党の姿も視認する。

 右目を開いて視界の共有を切ると、ローグハンターは瞬きを繰り返して首を傾げる。

 

「……なんであいつらが」

 

「あいつ?」

 

 銀髪武闘家の問いかけに「行けばわかる」と答え、足早に目的の船を目指して歩き出した。

 人混みを掻き分け後ろの三人の通り道を作りながら、初めて進む道なのに迷うことなく、ものの数分で船の元にたどり着いた。

 

「だから、船に乗せて欲しいと頼んでいるんだ!」

 

「だから、出せねぇって言ってるだろうが!」

 

「なぜだ!?」

 

「さっき説明しただろうが!」

 

 船長と思われる無精髭の男性と、女騎士が何やら口論を繰り広げていた。

 銀髪武闘家は「あらら……」と力なく呟く。

 ローグハンターはため息を漏らし、二人の口論を諦め顔で傍観する重戦士とその一党に目を向けた。

 不意に頭目同士の視線が交差し、互いに軽く手を挙げて挨拶を済ませる。

 

「それで、何があった」

 

 手頃な樽に寄りかかりながら重戦士に問うと、彼は小さく肩を竦めながら返す。

 

「おまえらが街を空けている内に、俺らも山賊退治の依頼を受けたんだがよ」

 

 重戦士はため息混じりに口論中の女騎士と船長に目を向けた。

 

「そいつらが船で逃げやがってな。どうにも、只の山賊って訳じゃなさそうだし、依頼も中途半端だしで、どうにか船を借りようと思ったんだが━━━」

 

「私たちも依頼を済まさなければならないんだ!そこはわかるだろう?」

 

「わかりはするが、船は出せねぇって。俺たちにも理由が━━━」

 

「━━━あの通りだ」

 

 重戦士は困り顔で首を左右に振ってため息を吐き、そこらで買ったのであろう軽食を口に放り込んだ。

 彼の一党である半森人の軽戦士もまた何かを口に含み、少年斥候と圃人の少女巫術師の二人は、いつの間にか到着していた鷲に構っている。

 誰か仲介してやれとも思うが、あの間に割り込むのは中々に勇気がいるものだろう。

 口論する二人の熱は少しずつ上がっていき、いまだに平行線。いつ終わるかはまったく検討もつかない。

 

「……止めないのか?」

 

「止めはしたが、あいつが妙に熱くなっちまってな」

 

「なぜだ」

 

 念のため確認すると、重戦士は半目になりながらローグハンターと銀髪武闘家に視線を配る。

 

「どっかの二人組が、休みとって両親に会いに行ったからじゃねぇか?」

 

 彼とて別に批判するつもりはないが、日が照りつける中で長いこと待たされているからか、言葉には妙に棘がある。

 銀髪武闘家は頬を赤くしながら気まずそうに視線を逸らし、ローグハンターは疑問符を浮かべながら首を傾げる。

 確かに彼女の故郷に行き、両親に会った事は事実だ。

 彼女の父親から何度かぶん殴られたが、最終的には認めてくれたのなら安いものだろうと思う。

 

「それで、なぜあそこまで熱くなる」

 

「ホント、おまえって奴は……」

 

 重戦士は恋人と一党以外の女性には興味が薄いローグハンターの姿に思わずため息を漏らし、額を押さえながら天を仰いだ。

 横目で彼の行動を見守りつつ、ローグハンターは懐から取り出したリンゴを一かじり。

 程よい酸味と甘さが口の中を駆け抜け、思わず頬が緩む。

 今回買ったリンゴは当たりだったようだ。前回のは、言い方が悪いが不味かった。

 しゃりしゃりと無言でリンゴをかじる頭目を他所に、女魔術師は鷲に餌を与えながら問いかける。

 

「それで、いつまで待ちます?むしろ横槍を入れる方が良いのでは?」

 

「それはそうなんだが、ふむ……」

 

 顎に手をやって僅かに思慮すると、女騎士が勢い良くこちらに振り向いた。

 

「くそ!おまえも何か━━━」

 

 そしてローグハンターと銀髪武闘家の姿を視界に納め、石化の魔術でも食らったかのように固まった。

 今まで元気だった彼女が動かなくなったからか、船長が一口酒をあおると彼女の視線を追った。

 先程までいなかった冒険者が四人増えている。一人を除いて全員が女性。見る限り頭目は唯一の男性だろう。

 船長は目を僅かに目を見開き、頭目と思われる男性を凝視した。

 自分にとって、とても馴染みのある男と似た雰囲気を放つ冒険者。

 目深くフードを被ったその姿は鎧を着込んでこそいるが、多くの交流があったアサシンを思わせる。

 船長は石化している女騎士を退かすと、ローグハンターの元へと歩み寄った。

 船長の接近に気づいたローグハンターはフードを取り払い、ローブや鎧の埃を叩いて姿勢を正した。

 

「依頼があってきた。ローグハンターと、その一党だ」

 

 そう言いながら銀色の認識票を取り出し、彼にならう形で仲間たちも認識票を取り出して船長に差し出す。

 それらを受け取った船長は認識票を一つ一つ丁寧に確認すると、それをローグハンター越しに返す。

 

「良し、確認した。だが、一つ問題がある」

 

「何だ」

 

 一党に認識票を配り終えた頃を見計らい、船長はため息混じりに船を指差した。

 

「操舵手がいねぇ」

 

「……致命的だな」

 

「何だと!?それを早く言ってくれれば……」

 

「言っただろうが!ああ、もう、突っかかってくんじゃねぇ!」

 

 復活した女騎士の言葉を適当に受け流し、船長はローグハンターに説明を始める。

 

「最近この回りじゃ海賊だけじゃなく山賊もいてな。山賊はそこの冒険者があらかた片付けたらしいが、何人が生き残りが居やがってよ」

 

「殺されたのか?」

 

「ああ。酒飲んで街をふらついていたら、背中をぶすりだ。金目のもん全部取られて、ボートもいくつか盗まれちまった」

 

「船があるだけましだろう」

 

「そうだがな、動かせねぇんじゃ意味がねぇ」

 

 船長はそう言いながら酒をあおり、酒臭い息を吐き出す。

 ローグハンターは眉を寄せながら咳き込み、僅かに涙目になりながら船長に言う。

 

「フリーの船乗りぐらいならいるだろう。ここは港街だ」

 

「この船はそんじょそこらの奴じゃ操れねぇ。足は速いがな」

 

「やれやれ、また面倒な船を寄越してくれたものだ」

 

 ローグハンターが腕を組んで肩を竦めると、船長は「聞こえてるぞ」と軽く彼を睨み付ける。

 そして、腕を組んだからこそそれが見えた。

 左手の籠手に刻まれた、アルファベットの『A』を思わせるアサシンのシンボル。

 船長は僅かに目を見開き、ついでローグハンターの顔を確認した。

 多くの傷が目立つものの顔は整っており、その瞳は鷹を思わせる鋭い輝きを放っている。

 自分の顔が見られている事に気づいてか、ローグハンターは自分の頬に手を触れた。

 

「何かついているか?」

 

「いや、何でもねぇ」

 

「……?」

 

 船長の言葉にローグハンターは首を傾げるが、まあどうでも良いだろうと思考を止める。

 

「それでどうする。受けたからには何かしなければならない、だが船を動かせる者がいない」

 

「そこでなんだが、おまえさん」

 

 船長はニヤリと笑い、ローグハンターの肩に手を置いた。

 

「船を動かした事はあるか?」

 

 

 

 

 

 四方世界、海上。

 空も海も青一色の世界を、鷲を模した船首像を拵えた一隻の船が白い帆を張り、白い波を立てながら突き進む。

 

「はっはっはっ!やるじゃねぇか船長!」

 

 船長、否、航海士である男が、舵を取る船長(ローグハンター)の姿を見ながらそう評した。

 ローグハンターは右手を舵を握りつつ、速度を上げていく船と過ぎていく景色を見渡した。

 

「……随分と速いな」

 

「この国一番の俊足だぞ?このくらい当たり前だ。それに、まだまだこれからよ」

 

「そうか。ならば全ての帆を張れ、全部だ!」

 

「聞いたなおまえら!フルセイルだ!」

 

 風が出始めた頃を見計らい、畳んでいた帆の全てを張る。

 船は更に速度を上げ、さながら風のようだ。

 慣れた様子で舵を握るローグハンターの背中を見つめながら、銀髪武闘家は自身の腕に止まる鷲を構いつつも感嘆の息を漏らす。

 

「……彼って、逆に何が出来ないんだろ」

 

「料理とかはしませんよね?」

 

 彼女の言葉に女魔術師が続き、便乗させてもらった重戦士も首を捻る。

 少年斥候と圃人巫術師が揃ってキラキラと輝く海面を眺め、半森人戦士が二人が落ちないかを気にかけるのを他所に、女騎士と令嬢剣士は強烈な船酔いと戦っていた。

 彼らの様子を横目で確認し、小さくため息を漏らす。

 

「吐くなら外にしてくれ。掃除係の手を煩わせるな」

 

「……うぅ」

 

「わ、わかっている……!」

 

 令嬢剣士の口から呻き声が漏れ、女騎士は無理やりにでも凛として答える。

「本当に大丈夫か……」と困り顔で漏らすと、航海士はやれやれと首を横に振る。

 

「あんなに乗らせろ乗らせろうるさかったのに、乗ってみりゃあれか」

 

「出港出来ただけましだろう」

 

 ローグハンターはそう返し、舵を両手で握り直す。

 

「警戒を緩めるな!海賊がいつ来てもおかしくはない!」

 

 彼の言葉に乗組員たちは一斉に答え、各々の持ち場についていく。

 だが海はとても静かなもので、呑気にカモメが鳴いている程だ。

 沈黙に耐えかねてか、あるいは気を紛らわす為か、女騎士が銀髪武闘家に問いかける。

 

「それで、おまえの両親の元に行ったのだろう」

 

「それでって、まあ、うん」

 

 銀髪武闘家が髪を指で弄りながら頷くと、女騎士は悔しそうに歯を食い縛りながら唸り声をあげた。

 

「で、どうだったんだ」

 

「まあ、何とかって感じかな。入っていきなり『こいつは俺が貰う』って言ったのは驚いたけど……」

 

「悪かったな。初めての事で何を言うべきかわからなかったんだ」

 

 舵を操りながらローグハンターが補足すると、銀髪武闘家は額に手をやってため息を漏らす。

 

「まさか、それでごり押すとは思わなかったけどね」

 

「俺は通った事に驚いたけどな」

 

 正面を向いたままローグハンターが言うと、銀髪武闘家は困り顔で、しかし嬉しそうな声音で言った。

 

「何はともあれもう公認だからね!」

 

「そうだなぁ」

 

 テンション高めの銀髪武闘家とは対象的に、ローグハンターはどこか気の抜けた返事をした。

 しかしその視線は鋭く研ぎ澄まされ、ある一点を睨んでいる。

 航海士は単眼鏡を取り出し、それを見つけた。

 

「いたぞ、海賊船だ!」

 

「総員戦闘配置!酔い潰れている奴がいたら口にホース突っ込んででも叩き起こせ!」

 

 ローグハンターの号令に乗組員たちは大砲や旋回砲につき、最終点検を行う。

 その姿を眺めつつ、後ろの冒険者たちに言う。

 

「おまえらはどうする。下の方が安全だが」

 

「冗談よしてくれよ。俺たちは戦いに来たんだぜ?」

 

 重戦士が鮫のような獰猛な笑みを浮かべると、冒険者たちは彼に続くように各々の武器に手を添える。

 ローグハンターは「良し、それでこそだ」と答え、航海士に問う。

 

「敵は何隻だ」

 

「一隻だけだな。待て、どっかの商船を襲っていやがる!」

 

 航海士の報告にローグハンターは隠すことなく舌打ちをすると、少女巫術師に目を向けた。

 

「『追風(テイルウインド)』は使えるか」

 

「は、はい!あまり得意ではないですけど」

 

「頼む」

 

「《風の乙女(シルフ)や乙女、接おくれ。我らの船に幸ある為に》……」

 

 返答代わりの少女巫術師の祈祷。

 彼女の言葉に答えるように、風の精たちが舞い踊る。

 風の精たちが帆を押した瞬間、船は更に加速して海賊船へと迫っていく。

 

「これなら間に合うか」

 

「わからん!だが、あんまり時間はなさそうだぞ!」

 

 海賊に攻撃される商船を視認、距離を推し測り始めた時だ。

 商船を一方的に砲撃していた海賊船が旋回し、こちらに向かい始めた。

 

「気づいたな。来るぞ!」

 

「よぉし、おまえら!久しぶりの実戦だ!この船が最高の船だって事を教えてやれ!」

 

 航海士の号令に、乗組員たちは怒号にも似た返事を返す。

 士気は十分。装備も十分。人手も十分。

 

 ━━━なら、やれる!

 

「帆を畳め、減速しろ!」

 

「砲手は弾を込めろ!通常弾で構わん!」

 

「命令撤回!連鎖弾装填!どこの海賊か聞き出す!」

 

「了解だ、船長」

 

 ぐんと勢い良く速度を緩め、砲手たちは鎖により繋がれた二つの鉄球を砲口に押し込む。

 

「冒険者どもは乱戦に備えておいてくれ。乗り込むからな!」

 

 航海士が楽しそうに笑みながら言うと、冒険者たちは一斉に頷く。

 乗り込めさえすれば後はいつも通り、切った張ったをするだけだ。

 お互いの船首に飾られたシンボルが睨み合うなか、ローグハンターは思い切り舵をきった。

 左舷側を海賊船に晒すように操舵し、射線を確保。そして━━、

 

「片舷斉射!」

 

「撃てぇ!」

 

 ローグハンターと航海士の号令を元に、砲声が響き渡った。

 鎖の擦れる音と共に砲弾が弧を描きながら放たれ、海賊船に突き刺さる。

 この程度では止まらない。お返しと言わんばかりに、船首に取り付けられた大砲が火を噴いた。

 

「衝撃に備えろ!」

 

「総員伏せろ!」

 

 乗組員たち、冒険者たちが指示の元一斉にしゃがみ、ローグハンターはそれを見届けると舵を手に取りながら姿勢を低くする。

 彼らの頭の上を砲弾が通りすぎていき、海面に水柱を上げながら着弾した。

 

「被害を報告しろ!」

 

「掠めた程度です!問題ありません!」

 

 航海士の確認に砲手の一人が答えると、ローグハンターは舵を操りながら言う。

 

「次弾装填、次が来る前に足を止めろ!」

 

「急げおまえら!」

 

 お互いの左舷を晒すように平行に並ぶ直前、ローグハンターは叫ぶ。

 

「ってぇ!」

 

 生物というのは、指示に反応するのに僅かながら時間差が生じる。

 それ込みで考えられた砲撃のタイミングは、まさに完璧(クリティカル)だった。

 放たれた連鎖弾は見事な弧を描き、海賊船のマストに絡み付き、半ばからへし折っていく。

 マストの折れた船など、もはや浮かぶことしか出来ない木の塊と同義だ。

 ローグハンターは大きく息を吐き出し、舵を操って船首を海賊船の左舷に垂直に突き刺さるように向ける。

 

「突っ込むぞ!フルセイル!」

 

「衝撃に備えろ!」

 

 風の精の加護はまだ消えていないのか、思いの外勢いがついていく。

 白い波しぶきを上げながら海賊船の横っ腹に、船の衝角が突き刺さった。

 突撃の勢いのまま船は弾かれ、再び平行の横並びとなった。先程と違うのは、船の距離が触れ合うほど近いということだ。

 

「良し!おまえら、ロープを使え!捕まえたなら離すな!気張っていけ!」

 

「旋回砲は援護だ!切り込むぞ!」

 

 航海士の号令の元、乗組員たちが鉤爪付きのロープを海賊船へと投じ、固定していく。

 手持ち無沙汰の者は武器を手に取り、旋回砲はここぞとばかりに火を噴いた。

 ローグハンターは舵を航海士に任せ、腰に下げた黒鷲の剣を抜き放った。

 陽の輝きに照らされながらもその輝きは鈍く、影を思わせる。

 だがしかし、鈍く輝くその剣は並大抵の鎧を切り裂く業物だ。はるか過去から彼に渡された贈り物。

 

「行くぞ!」

 

「おう!」

 

「よぉし!」

 

 彼の号令に重戦士と銀髪武闘家が答え、三人は同時に海賊船のデッキに跳び移る。

 

「フッ!」

 

 黒鷲の剣が振るわれれば、海賊の上半身と下半身が泣き別れ、突けば二人をまとめて穿つ。

 隙を見て振るわれたカトラスを左手のアサシンブレードで受け流し、体勢が前に崩れたところに黒鷲の一閃が放たれる。

 海賊の首が宙を舞い、海へと落ちて沈んでいった。

 

「イイイィヤッ!」

 

 怪鳥音と共に放たれた蹴りが海賊の首を断ち、正拳突きが頭蓋を砕く。

 

「うぉらっ!」

 

 重戦士の体の重心ごと叩きつける一撃が、甲板を砕きながら海賊の体を叩き潰す。

 

「さあ、聖騎士様のお通りだっ!」

 

 ようやく復活した女騎士の盾殴り(シールドバッシュ)が海賊を叩き潰し、両手剣の一閃が腹を裂く。

 銀等級四人による一方的な蹂躙に、他の冒険者たちは瞬きするのみでやることがない。

 

「シッ!」

 

 ローグハンターが一際派手な格好をした海賊の首をはねると、海賊たちは一斉に武器を捨てて両手を挙げた。

 ようやく降伏する気になったのだろう。

 すでに二十人近くの屍がデッキに転がっているが、海賊にしては随分と大所帯だったようだ。

 ローグハンターは黒鷲の剣とアサシンブレードに血払いくれると、目に留まった海賊に問いかける。

 

「で、おまえらは何者だ」

 

「た、只の海賊だよ!頼む、殺さないでくれ!」

 

「素直に答えたら考えてやる。で、何者だ」

 

 アサシンブレードの刃を喉に突き付けながら問うと、海賊は怯えた声を漏らしながら答えた。

 

「お、俺たちは元軍人だ!お、おまえらとは違う国のな!」

 

「本当に、()軍人なのか?」

 

 突き付けるアサシンブレードに力を込めながら問うと、「そう言っただろうが、この野郎」と上擦った声が漏れた。

 

「………」

 

 ローグハンターは冷酷なまでの瞳で海賊を睨むと、何の予備動作もなくアサシンブレードを納刀する。

 

「俺が聞いても仕方ないか。後は国の尋問官に任せる」

 

 彼はそう告げると、次々と縛られていく海賊たちを睨み付けた。

 元軍人にしては動きがお粗末。一人一人の技量も低く、玉砕する覚悟もない。

 雇われの傭兵か、私掠船か、海賊が苦し紛れに吐いた嘘か。

 これにやられたという冒険者と船というのは、随分と失敗(ファンブル)をしてしまったのだろう。

 考えても仕方ないとため息を漏らし、海賊たちの装備を没収して船倉へと放り込んでいく。

 奪われた物資を回収し、襲われていた商船の生存者を乗せると港を目指して出発。

 警戒をしていた行きに比べれば、帰りは精神的にも余裕が出来る。

 港に帰りつく頃にはだいぶ暗くなっていたが、それでも全員無事に帰ってこられたのは上出来だろう。

 行きと同じ港街に停泊し、冒険者たちは船から降りる。

 久しぶりに思える陸地の感覚は、慣れている筈なのに気持ちが悪い。

 

「そんじゃ、船長。捕まえた馬鹿どもの事は任せておいてくれ。俺たちが責任をもって軍に引き渡す」

 

「頼んだ。あと、船長呼ぶな」

 

 今日の宿を探しに行った仲間たちを見送ったローグハンターは、航海士と一対一で話していた。

 宿を見つけたなら、また銀髪武闘家が呼びに来てくれるだろう。

 航海士は豪快に笑い、ローグハンターの肩を叩いた。

 

「いや、おまえは船長だよ。こいつを乗りこなせる冒険者は、世界広しと言えどおまえさんぐらいだろうからな」

 

 折れぬ航海士の姿に、ローグハンターは額を押さえてため息を吐く。

 

「もう好きにしてくれ……」

 

「おう、そうするぜ。また何かあったら呼ぶからよ」

 

「報酬が貰えるのならな」

 

「それと、何かあったら俺と、この船を頼ってくれ」

 

「ああ。まあ、頼る機会もあまりないだろうが……」

 

 ローグハンターが肩を竦めながら言うと、「おーい!」と背後から銀髪武闘家が近寄って来ていた。

 首だけで彼女の方に振り向くと、ローグハンターは軽く手を挙げて答える。

 

「では、また縁があればな」

 

「おうよ、またな」

 

 ローグハンターと航海士はそのやり取りを最後に背を向けあい、各々の場所に戻っていく。

 

「何を話してたの?」

 

「どうやら、気に入られたようだ。また仕事をしようとさ」

 

「そっか」

 

 銀髪武闘家の問いかけに、ローグハンターは苦笑混じりに返した。

 

「まあ、あの人ならまた一緒でも良いかな」

 

「確かに、そこまで悪い奴ではないだろう」

 

 銀髪武闘家が笑み混じりに言うと、ローグハンターは軽く船の方に振り向きながら頷いた。

 だが、人混みの中で彼女と共に歩く事に気を傾けていたからか、彼は気付く事はなかった。

 船尾に刻まれた船の名が『アキーラ』であることに。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory02 朝日と共に

 辺境の街、冒険者ギルド脇の見張り塔。

 街を一望できるその場所に、ローグハンターはいた。

 朝一ということで左手の籠手以外に鎧は着ていないが、黒いローブを纏い目深くフードを被る姿は、立ち込める朝露も相まって亡霊のようだ。

 その朝露のおかげで極端に視界は悪いが、彼のタカの眼を持ってすれば何の障害にもならない。

 屋根の上の設置された風見鶏の上に仁王立ち、白くなり始めた山の輪郭を何ともなしに眺めた。

 修理に出したフリントロックピストルは今日にも返却されるとしても、アサシンブレードの方はきっと無理だろう。

 あれは設計図もなしに弄れるほど、単純な作りではない。

 流石の工房長でも、あれを直すのは無理だ。刃の歪みを直してくれたとしても、完全に砕かれた抜刀納刀の機構はどうにもならない筈だ。

 ローグハンターはため息混じりに天を仰ぎ、気分転換をするように指笛を吹いた。

 数秒して彼の頭上を鷲が舞い、宙に円を描き始める。

 そっと目を細めてその軌跡を追うと、右目を閉じて左目に意識を傾ける。

 広がる景色が見張り塔よりも更に上のものへと変わり、朝露を切り裂いて天を行く。

 街を見下ろしながら空を進み、外れにある牧場の元まで飛んだ。

 相変わらず牧場近くで訓練を行っているゴブリンスレイヤーの姿を確認し、思わずため息を漏らす。

 鷲の視界を借りてまで友人の訓練を覗くなど、誰かが知れば間違いなく変態呼ばわりされるだろう。

 だが、何事にも練習が大事なのもまた事実。ゴブリンスレイヤーに言えば許してくれるだろう。多分……。

 苦笑混じりに流石に見続けるのは失礼かとその場を離れ、街道の方を目指す。

 念のため道中の森に飛び込んで何か潜んでいないかを確認していく。

 高速で木々の隙間をすり抜け、夜行性の動物たちが巣穴に戻ろうと急ぐ中、鷲は枝葉の隙間を突っ切り空へと身を投げる。

 

「む……」

 

 視界が広がり、街道を見渡せる位置まで飛び上がると、何やら馬車が街に入ろうとしている場面に出くわした。

 更に意識を研ぎ澄ませ、馬車を注視する。

 扉にあたる部分に剣と天秤の意匠が施されている所を見るに、至高神の神殿の遣いのようだが……。

 

「……行ってみるか」

 

 直に見るに限ると判断したローグハンターは一旦視界の共有を切り、見張り塔の下を覗き込む。

 何故かある荷車一杯の干し草の山を確認し、いつものように身を投げた(イーグルダイブ)

 一瞬の浮遊感の後に強烈な重力に引かれ、勢いのままに干し草の山に背中から叩きつけられた。

 すぐさま干し草の山から飛び出すとローブについた干し草を叩き落とし、なに食わぬ顔で音もなく歩き出す。

 朝日も拝めぬ時間帯に出歩く物好きが居るわけもなく、いつも活気ある街並みも人っ子一人いなければ不気味なものだ。

 ローグハンターはその雰囲気に呑まれる様子もなく、街の入り口を目指す。

 途中ですれ違うのは、朝から仕事がある各ギルドの職員だろう。

 それなりに顔と格好の知れている彼を見た通行人は、驚きこそすれど声をかけることはない。

 せめてフードを脱いでくれと思うのは共通意見だろう。

 そんな彼らの視線を気にする様子もなく、影のように街を進む事数分。

 件の馬車が停留所に止まるのとほぼ同時に、ローグハンターはそこにたどり着いた。

 立ち止まったからか肩に止まってきた鷲を右腕に移すと、御者台に乗る女性は手綱を降ろし、慣れた様子で馬車の脇に回る。

 時間が時間だからか、音を出さないように扉を開き、中に乗っていた誰かに一言声をかけた。

 そのまま二三やり取りをすると、その何者かに手を貸してそっと降ろす。

 ローグハンターは無駄な心配だったかと頬をかき、鷲を放って踵を返し、軽く一眠りしようと宿に戻ろうとした時だ。

 

「もし……」

 

 その背中に声をかけられた。

 聞き覚えのある、今にも溶けてしまいそうなほどに熱のこもった、蕩けるような声。

 前に聞いたのはつい昨日の事のように思えるし、ずっと昔の事のようにも思える。

 ローグハンターは小さく息を吐くと振り返り、声の主の方へと向き直った。

 同時に陽が山から顔を出し、街を照らし出す。

 朝日を背に立つ彼女の姿は、地母神もかくやという雰囲気を醸し出す。

 外套に包まれているとはいえ、その豊かな体の線は隠せるものではなく、隙間から覗く白い薄衣は前に会った時と変わらない。

 外套のフードの中に隠された顔は一切日に焼けておらず、白を通り越してもはや透けてさえ見える。

 逆光で見ずらいが、ほんのりと頬が赤く染まっているのは朝日によるものだろうか。

 手に握られた剣と天秤を組み合わせた天秤剣は、この世界の正義と公正の象徴だ。

 それにすがるようにして体をしならせる彼女は、どこか不安そうな表情で黒い布に包まれた見えざる瞳で彼を見つめる。

 

「ローグハンター様でございますか……?」

 

「ああ。久しぶりだな、大司教」

 

 彼が笑みながら言うと、法の神殿の大司教、この国に生きる者なら誰しもが知る英雄たる剣の乙女は、ようやく柔らかな笑みを浮かべた。

 彼女の後ろに控える年かさの女官は、何となく驚いて見えるのは気のせいではないだろう。

 ローグハンターは僅かに目を細めて周囲を警戒すると、剣の乙女に言う。

 

「立ち話もなんだ。とりあえず、ギルドまで送ろう」

 

「は、はい……!ありがとうございます」

 

 ぱぁっと嬉しそうな笑みを浮かべる大司教に思わず苦笑を漏らし、足音を一切立てることなく彼女の前へと歩み寄る。

 

「では、お手を。シニョリーナ」

 

「あ……」

 

 ローグハンターは優しく笑みながらそう言うと、そっと剣の乙女の手を取った。

 英雄と呼ばれてはいるものの、女性的な柔らかさを持つ彼女の手を、ローグハンターの武骨な手が包む込む。

 いきなりの事態に剣の乙女は耳まで真っ赤にしながら僅かに俯き、年かさの女官は全く反応出来なかった自分の未熟さに眉を寄せた。

 二人の反応に小首を傾げると、ローグハンターはハッとして慌てながら剣の乙女から手を離した。

 

「す、すまん。どうにも最近おかしくてな……」

 

 自分の額に手をやってため息を吐き出し、名残惜しそうにローグハンターの繋がれていた手を胸に抱く剣の乙女に目を向ける。

 

「とりあえず、ギルドまでは送る。……ギルドまでで良いのか?」

 

「は、はい……」

 

 ローグハンターが確認が取ると、先程とは打って変わって弱気な声を漏らす。

 やってしまったと後悔するにはもう遅い。既に事は起きてしまっている。

 ローグハンターが小さく肩を竦め、剣の乙女と年かさの女官に向けて言う。

 

「とりあえず、ついてきてくれ。なに、すぐに着くさ」

 

 さっと二人に背を向けて歩き出そうとした時、不意に背後から声をかけられる。

 

「あの」

 

 声からして呼び止めたとは剣の乙女だ。

 ローグハンターが体ごと振り向くと、彼女は迷子の子供のように不安そうな表情で、僅かに震える手を宙でさ迷わせていた。

 先程言ったことが尾を引いているのは明白だった。

 

「………」

 

 ローグハンターは数瞬迷うと、躊躇いがちにその手を取った。

 先程と同じ柔らかい指は、今度は離さないと言わんばかりにぎゅっと握り締めてくる。

 

 ━━俺の無責任な一言で、こいつをここまで不安にさせてしまった。

 

 僅かな自責の念を孕みつつ、そっと彼女の手を引く。

「あ……」と僅かに剣の乙女の口から熱っぽい声が漏れるが、ローグハンターは気にすることなく彼女の脇につくと、

 

「失礼する」

 

「━━!!!」

 

 そっと彼女の腕を取り、自分の腕と絡ませた。

 盲目の女性をエスコートするのだ。手を引くだけでは転倒する可能性があるから、ここまでしなければ安心出来ないだろう。

 ローグハンターからしてみればその程度だ。だが、密かに彼を想っている━━少なくとも本人はそう思っている━━剣の乙女はどうだろうか。

 彼の気遣いだということがわかりつつも、今の自分は彼とかなり密着し、服越しとはいえ彼の体温を僅かに感じ取れる。

 彼の息遣いが耳元で発せられ、組まれた腕は籠手をつけているからか妙に固いが、それは腕を組んだのが年かさの女官でないことの証拠だ。

 その事実を自覚する度に彼女の顔は赤くなっていき、僅かに足から力が抜ける。

 それをいち早く察知したローグハンターは、彼女の腰に手を添えて体を支えてやると、安堵にも似た息を吐いて顔色を伺った。

 

「……大丈夫か?」

 

「は、はぃ……」

 

 ローグハンターの確認に、剣の乙女は気の抜けた声を漏らして足に力を入れて立ち上がる。

 年かさの女官はもはや諦めたのか、ため息混じりに剣の乙女を挟むようにローグハンターの逆についた。

 剣の乙女に気をかけつつ、念のためとタカの眼を発動して周囲を確認する。

 時間が時間だからか、赤い影も青い影も映ることはない。

 いまだに家内で眠っている街民の白い影はいくつか見られるが、脅威になることはないだろう。

 だが、念には念を入れて警戒を強める。

 今のところ敵影はないが、いつ物影から刺客が飛び出してくるかはわからないし、ゴブリンが潜んでいないとも限らない。

 そこまで思慮を深めると、ローグハンターは思わず苦笑した。

 その僅かな笑い声が聞こえたのか、剣の乙女が問いかける。

 

「どうかされましたか?」

 

「いや。我ながら友人の影響を受けたなと思ってな」

 

「友人と言いますと、ゴブリンスレイヤー様ですか?」

 

「ああ。まあ、六年も付き合いがあるんだ、似ても来るさ」

 

 ローグハンターが言うと、剣の乙女は返答を「そうですか……」と小さく呟くだけに(とど)めた。

 その表情がほんの僅かに不機嫌そうに見えた年かさの女官は、やれやれと言うように首を左右に振る。

 彼女が知らないことを知っている人物が多くいるというのが、酷く嫌なのだろうとあたりをつける。

 そんな事露知らず、ローグハンターは「行くぞ」と告げて歩調を合わせて歩き出す。

 男性と女性とでは歩幅には大きな差が出来る。それを無意識の内に修正し、最善の歩幅で一歩を踏み出す彼の姿は、それこそ護衛の騎士のようだ。

 いつも以上にゆっくりとしたペースで、もう慣れた石畳道を進む。

 慣れぬ剣の乙女に気をかけながら、年かさの女官との距離感を保ちつつ一歩を踏み出す。

 街の入口からギルドに行くまで、ここまで時間をかけた事はないだろう。

 彼に付き添われる剣の乙女は頬を朱色に染めながら、見えざる瞳でローグハンターの表情を伺った。

 朧気に揺れる影に浮かび上がる蒼い輝きは、彼の瞳の色だそうだ。

 ただ、片方だけ色が違って見えるのはなぜだろうか。

 剣の乙女の視線に気づいてか、ローグハンターは自分の左目を瞼越しに撫でながら言う。

 

「色々あってな。片目だけ色が変わった」

 

「そう、なのですか?」

 

 聞きはしたものの、それを確かめる術を彼女は持たない。

 苦し紛れにそっと彼の目の辺りに細指を当てると、ローグハンターは小さく肩を竦めた。

 

「詳しい話は聞くな。俺としても、あまり思い出したくはない」

 

「では、そうします」

 

 剣の乙女はそう言うと、彼に触れていた指を名残惜しそうにそっと離す。

 ローグハンターは彼女の姿に小首を傾げると、絡めていた自分の腕を離した。

 

「着いたぞ」

 

「あ……」

 

 小さく溢れた彼女の声を知ってか知らずか無視すると、ローグハンターは年かさの女官に目を向けた。

 

「後は頼む」

 

「ああ、待ってください」

 

 欠伸(あくび)を噛み殺しながら背を向けた彼を、年かさの女官が呼び止める。

 

「どうかしたのか?いや、大司教自ら出てきたという事は、何か依頼か」

 

 振り向きながら一人で納得したローグハンターが言うと、年かさの女官は「その通りです」と頷き、剣の乙女は彼に向けて優雅に一礼した。

 

「辺境勇士、ローグハンター様。わたくしから貴方(あなた)に、とても重要な依頼があって参りました」

 

 山から顔を出した陽を背に紡がれた剣の乙女の言葉は、今度こそは確かにローグハンターへと届いたのだった。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド二階、応接室。

 ローグハンターと剣の乙女が机を挟んで対面する形で席につき、彼女の背後には年かさの女官が控える。

 ローグハンターはちらりと時計を一瞥して時刻を確認すると、剣の乙女に問いかけた。

 

「それで、依頼というのは何だ。また街に何か入り込んだのか」

 

「いいえ。あれからというもの、水の街は平和そのものですわ」

 

 彼の問いかけを剣の乙女はどこか嬉しそうに笑みながら否定すると、年かさの女官が咳払いをして話を急かす。

 それを受けた剣の乙女はわざとらしくそっぽを向きつつ、「地図を持ってきてくださる?」とだけ告げた。

 年かさの女官は小さくため息を漏らしながらも「はいはい、こちらになります」と丸めた地図を優しく手渡す。

 机の上に地図を広げつつ、剣の乙女は話を切り出した。

 

「わたくしは、これから都で行われる会議に出席するのですが……」

 

 愛する人の頬を撫でるように、そっと地図に描かれた街道をなぞる。

 水の街から都への伸びる街道を、寸分の狂いなく指先で示すと、ある一点で手を止めた。

 

「道中に、野盗やゴブリンが出没しているとの事ですの」

 

「野盗とゴブリン、か。なら、俺と、俺の一党だけでは手が足りんな」

 

 ローグハンターの一党は彼を含めて四人のみ。一党の基準となる六人にはまだ足りないのだ。

 尤も、四人でも野盗やゴブリンに遅れを取ることもないだろうが、念には念を入れておきたいのだろう。

 

「確認する。野盗とゴブリンは別々なのか、それとも裏で手を引いている奴がけしかけているのか」

 

「それはわかりません。ですが、野盗もゴブリンも、奇妙な入れ墨をしているそうですわ」

 

「入れ墨……」

 

 剣の乙女の言葉におうむ返しすると、ローグハンターは目を瞑って机に頬杖をついた手を組んだ。

 野盗とゴブリンが手を組んでいるとしたら、裏には何かしら━━おそらく邪教徒あたりだろう━━がいる筈だ。

 二つが偶然同じ場所を縄張りにしているとしたら、確実に戦闘になり、どちらかが全滅している筈。

 思慮を深める彼の様子を流し見つつ、剣の乙女が問いかけた。

 

「依頼というのは、私的な護衛をお願いしたいのです。野盗だけならまだしも、ゴブリンが出る街道を行くのは━━」

 

 ━━恐ろしくて、とても通れません。

 

 と、剣の乙女は消え入りそうな声で呟いた。

 その一言を合図に目を開けたローグハンターは、僅かに肩を震わせる彼女を一瞥くれると立ち上がる。

 

「出発はいつだ。諸々準備を整える必要がある」

 

「出来るだけ早い時間に出たいのですが、そちらの準備が整い次第ですわ。何事にも、万全を期しませんと」

 

「その通りだ、大司教。そこまでしないと運は掴めないからな」

 

 ローグハンターが肩を竦めながら言うと、大司教は満足そうに笑んだ。

 前に会った時と変わらない彼の姿勢に安堵したのだろう。

 

「では、一時間後で良いか」

 

「はい。ここでお待ちしております」

 

 立ち去ろうとした彼の背中に投げられた声は、まるで囚われの姫がどこかにいる救い主に向けて言う言葉のように、親愛の色が滲んでいる。

 ローグハンターはその声に軽く右手を挙げる事で答え、応接室を後にした。

 残された剣の乙女はほっと息を吐き、朱色に染まった自分の頬に手を当てた。

 年かさの女官はやれやれと首を左右に振ると、彼女に向けて言う。

 

「水の街の冒険者でもよろしかったでしょうに、仕方ない人ですね」

 

「だって、彼が一番信頼できる御方ですもの」

 

 剣の乙女が拗ねたように言うと、バン!と音をたてながら勢いよく扉が開かれた。

 中の二人は同時に体を跳ねさせるのを無視し、何の合図もなく戻ってきたローグハンターは剣の乙女に問う。

 

「すまん、報酬を聞きそびれた」

 

「あぁ、はぃ……。報酬、ですね……」

 

 剣の乙女は激しくなった鼓動を気にかけつつ、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

「報酬は前金に金貨一袋。成功報酬でもう一袋。相手は野盗とゴブリンのそれぞれか、あるいは両方。受けるか」

 

 冒険者ギルド端の卓。

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーたちの指定席となって久しいその場所に、それぞれの一党が揃っていた。

 ローグハンターの早口での確認に、彼の一党は迷いなく頷き、ゴブリンスレイヤーはしばし考えると頷いた。

 

「……ゴブリンが出るというのなら、俺も行こう」

 

「なら、私も行きます」

 

 彼に女神官も続くと、他三人もまた頷いた。

 

「金貨二袋か。そんだけありゃ、好きなだけ食えるし飲めんの」

 

「それは重畳ですな。チーズを腹一杯に食えまする」

 

「二人は食べることばっかりねぇ」

 

 食い意地を見せる鉱人道士と蜥蜴僧侶に、妖精弓手は呆れた様子で首を振った。

 まだ出発もしていないのにその後の話をするとは少々気が早い気もするが、ゴブリンスレイヤーもローグハンターもそれを嗜める様子はない。

 

「金貨二袋と今まで貯めた額を合わせれば、()()()住む程度の家くらいなら買えるか?」

 

 ローグハンターが銀髪武闘家を見つつ首を傾げると、関係のなかった冒険者たちも巻き込み、周囲の空気が固まった。

 突拍子もなく、彼は将来計画について話したのだ。

 彼の発言の真意を理解した銀髪武闘家は、真っ赤になった自分の顔を両手で覆った。

 三人で。彼は三人でと言った。つまり、そういう事だろう。

 卓の下で回りに気付かれないようにそっと自分の下腹部を撫でながら、銀髪武闘家は言う。

 

「わ、私の貯金もあるから、大丈夫じゃない?」

 

「むぅ。まあ、足りなければ稼げば良い話か」

 

「そうだよ。うん、この話は終わり!ね?」

 

 気恥かしさに負けてか、途中から語気が強くなってしまったが、ローグハンターは気にした様子もなく「そうだな」と呟いた。

 女魔術師は眼鏡の位置を直しつつ、ローグハンターに問いかけた。

 

「それで、出発はいつですか?」

 

「一時間後。俺は装備を取りに戻らないとならないし、工房長からも呼ばれているから、おまえらは━━」

 

「━━朝食を済ませて、食料や諸々の備品を用意しておきますわ」

 

 慣れた様子で令嬢剣士が言われる前に言うと、ローグハンターは僅かに嬉しそうに笑みながら「頼む」とだけ告げて席を立つ。

 立ち上がった自分を見上げてくる仲間たちを見渡すと、一度だけ小さく頷いた。

 

「では、一時間後に再集合だ」

 

 彼の確認に仲間たちが各々返事を返すと、ローグハンターは足早と冒険者ギルドを後にした。

 道に出るや否や、慣れた様子で人混みを掻き分けながら走り出す。

 人と人の間をすり抜け、迷うことなく宿を目指す。

 一時間と言えば長いようにも思えるが、何かしているとあっという間に終わる時間だ。

 出来る限り急ぎ、時間に余裕を作らなければならない。

 流れるように宿へと滑り込み、そのまま自室を目指して階段を上がろうとして何かに気づく。

 妙な違和感を感じたのだ。そう、いつもそこにあるべきものがない時に感じる、胸に引っ掛かる気持ち悪さ。

 そして、すぐに気づいた。

 ローグハンターは近場の店員━━只人の男性だ━━を呼び止め、単刀直入に問いかける。

 

「狐……じゃなくて、店主はどうした。昨日まではいただろう」

 

「店長なら友人に会いに都に行きましたよ。昨日の夜遅く、だったかな……」

 

「そうか……。すまん、時間を取らせたな」

 

「お気になさらず」

 

 男性店員はそう返すと、また別の客に呼び止められてそちらへと駆けていった。

 その背中を見送り、ローグハンターは駆け足で自室を目指した。

 到着したならいつも通りに鎧を纏うと弓の弦を張り直し、矢筒に矢を押し込んで纏めて背に回す。

 壁にかけた黒鷲の剣を腰帯に吊し、忘れたものがないかを改めて確認。

 装備は良し。道具は仲間たちが用意してくれている事だろう。

 用意を終えた事を二度に渡って確認すると退室し、しっかりと鍵を締める。盗まれるようなものは置いていないが、念のためだ。

 尤も、万が一盗みが入った場合には考えがある。タカの眼から逃れられる者など、誰一人としていないのだ。

 

 

 

 

 

 時間は流れ、工房。

 武器防具一式を纏ったローグハンターは、家に入るように気軽な気持ちで自由扉を潜った。

 

「工房長、いるか」

 

「おう、ローグハンター。遅かったな」

 

 朝一までの作業を終えたからか、カウンターに座していた工房長はニヤリと笑いながら彼を出迎えた。

 その姿に嫌な予感を覚えつつも、ローグハンターはカウンター前へと足を進める。

 

「頼んだものはどうだ」

 

「半々、だな。あの筒はどうにかなったが、仕込み刀は無理だった。せめて設計図がありゃあなぁ……」

 

「設計図は、ないな。探してはみるが」

 

 ローグハンターが腕を組んで天を仰ぐと、工房長は「とりあえずこっちは渡しとくぞ」と二挺のフリントロックピストルを取り出した。

 ゴブリンの猛攻で歪んだ銃身は元の形へと戻され、砕かれた火打石も新品へと変えられている。

 

「あぁ、工房長。感謝する」

 

 ローグハンターが感嘆の息を漏らし、包み隠さず礼を言うと、工房長は照れ臭そうに頬をかいた。

 

「まあ、こっちとしても良い経験になったってもんよ。それでよ、ローグハンター」

 

「んぅ?」

 

 フリントロックを様々な角度から確認し、少しばかりヤバい目になっていたローグハンターは、気の抜けた返事をして工房長に目を向けた。

 工房長はカウンター下から長筒を取り出し、それをカウンターへと置いた。

 そこらの直剣ほどの長さの筒は、ひと目見ただけで銃だとわかる代物だ。

 ローグハンターは目を見開き、工房長に問いかけた。

 

「これは、何だ……?」

 

「そいつを弄ってるうちに創作意欲が湧いてきちまってよ。で、作った」

 

「天才と何とかは紙一重とは言うが……」

 

 苦笑混じりにそう呟き、長筒を手に取った。

 エアライフルに近いものを感じるそれは、妙に手に馴染む。

 引き金の上のボルトを開き、弾を込める位置を確かめた。

 よく知る銃口から押し込むのではなく、そこに弾丸と火の秘薬を直接押し込むタイプのようだ。

 

「何か弾を入れにくいって聞いたからよ、その方が弾を入れやすいだろ?」

 

「ああ。革新的だ」

 

 ボルトを元の位置に戻し、また開くを繰り返す。

 その動きを体に染み込ませる彼に向けて、工房長は髭をしごきながら言う。

 

「それに、その短いやつよりは飛距離は出るだろうよ」

 

「工房長、あんたって人は……」

 

 前のめりになり、今にも抱きついてきそうなローグハンターを手で制し、工房長は算盤(そろばん)を弾く。

 

「ほれ、金額だ」

 

「思いの外安いな」

 

「修理しただけってのと、試作品だからな」

 

「ふぅむ」

 

 表情だけで「本当に良いのか?」と語りかけつつ、ローグハンターは金貨を差し出した。

 工房長がそれらを一枚ずつ数え、カウンター下へ落とし込んだ事を合図にフリントロック二挺をホルスターに押し込み、ライフルをどうするかと視線をさ迷わせた。

 背には弓があるどう吊るしたものか。

 

「気にするまでもないか」

 

 弓と矢筒の隙間を縫うようにライフルを背に回し、具合を確かめる。

 まあ、問題ないだろう。

 

「この礼は、この仕事が終わったら改めてさせて貰う」

 

「気にすんな。これが仕事だ」

 

 工房長はひらひらと手を振り、ローグハンターは「ではな」と呟いて踵を返して歩き出した。

 工房長はその背を見送り、小さく鼻を鳴らす。

 ここまで特別扱いした冒険者は、誰一人としていないだろう。

 だが、彼にはそうしたいと思える何かがある。

 工房長はその何かとは何なのかを自問しつつ、ローグハンターと入れ替わりで入ってきた冒険者の相手を始めた。

 

 

 

 

 

 

 一時間後。辺境の街の門前。

 剣の乙女と年かさの女官が乗る馬車を冒険者たちが囲み、隊列を組んでいた。

 斥候たるローグハンターを先頭に、蜥蜴僧侶が御者台に乗る。

 ローグハンターの隣に立った銀髪武闘家が、一時間で様変わりした彼の装備に困惑しながらも問いかける。

 

「キミが操縦するのかと思ったけど、良いの?」

 

「ああ。俺が馬車を動かすと、録な事にならない気がしてな」

 

「具体的に言うと?」

 

「街灯を蹴散らしながら街を走ったり、ハヴォック神の怒りを買ったり、かな」

 

「ハヴォ?なにそれ?」

 

「さあな、忘れてくれ」

 

 聞かれたローグハンターは首を傾げながら肩を竦め、そっと馬車の窓を覗き込んだ。

 

「では、出発するぞ。良いか」

 

「ええ。お願いしますわ」

 

 窓越しに剣の乙女が返答すると、ローグハンターは頷いて蜥蜴僧侶に目を向けた。

 

「それじゃあ、頼んだ」

 

「承知承知。では、参りますぞ」

 

 蜥蜴僧侶はそう言うと、手綱を握って声を張り上げた。

 それに合わせて馬が歩き出し、馬車を引く。

 冒険者たちもそれに合わせて談笑混じりに歩き出し、街を出る頃には仕事モードとなっていた。

 だがしかし、何も起きずに時間は過ぎていき、張り詰めていた彼らの間にも、僅かな余裕が生まれ始める。

 そんな中でも、ローグハンターとゴブリンスレイヤーだけは神経を研ぎ澄ませ、来るべき敵の影を探す。

 それは天高く飛ぶ鷲とて同じ事。悠々と飛んでいるように見えても、その瞳は鋭い眼光を放ちつつ、獲物を探している。

 漏れでた欠伸を噛み殺し、女神官は隣を歩く女魔術師と令嬢剣士に声をかけた。

 

「お二人は、都に行くのは久しぶりですよね?」

 

「そうね。学院は都にあったから、私的には久々に戻る感じかしら」

 

「か、考えてみれば、わたくしは飛び出した家に帰るということなのでは!?」

 

「今気づいたの?」

 

 慌て始める令嬢剣士と、彼女の姿に苦笑を漏らす女魔術師。

 鉱人道士は(かしま)しい彼女らの姿に一瞥くれると、火酒をあおって妖精弓手に問いかけた。

 

「で、耳長の。これはおまえさんの言う冒険に含まれんのか?」

 

「うーん、どうかしらね」

 

 口に指を当てて考え込むと、彼女は誰しもが見惚れる笑みを浮かべて言う。

 

「ま、ゴブリンと野盗が出てこなければ満点かしら」

 

 彼女はそう言うが悲しいかな、ゴブリンスレイヤーとローグハンターが関わる以上、それは絶対にあり得ないのだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory03 夜襲

 辺境の街から都に行くには、それなりの日数がかかる。

 そうなると必然的に夜営を取る機会も増え、敵から襲撃を受けるリスクも増える。

 そこに備えない冒険者がいるわけもなく、現にローグハンターはライフルの整備をしつつ、時折タカの眼を通して闇を奥を監視していた。

 ぱちん、ぱちんと、手拍子を思わせる音と共に火花が弾け、闇に包まれた静かな森を照らし出す。

 休んでいる仲間たちの青い影を認め、赤い影がないことを確認するとタカの眼を解除して手元に視線を戻す。

 銃口に歪みがないかを確認し、引き金の動作を確認、ボルトを開いて弾と火の秘薬を込めてそっとボルトを閉じる。

 構造上仕方ないとはいえ小さな金属音が鳴るわけだが、他の冒険者が目を覚ます気配はない。

 

「んぅ……」

 

 彼の隣で毛布にくるまっていた銀髪武闘家が小さく唸り、起こしてしまったかと身を強張らせた。

 だが彼女は軽く寝返りを打つだけで、目を覚ました様子はない。

 ローグハンターは表情を和らげると、そっと彼女を髪を撫でた。

「ふへへ~」と笑いながらだらしない表情で涎を垂らす彼女の寝顔に苦笑を漏らし、ライフルを脇に置くと小さく振り向く。

 

「眠れないのか?」

 

「え、いえ、ええと……」

 

 不意に目を覚まし、ローグハンターの背を見つめていた剣の乙女は、見えざる瞳を泳がせると躊躇い気味に彼の下へと歩み寄った。

 不意に伸ばされた彼の手を取り、隣に腰掛ける。

 僅かに距離を開けて座ったのは、とても耐えられないからだ。

 侍女に聞いた限りだと、上等なコートを纏い、珍妙な武器を扱っているとの事だが……。

 それを確かめる術のない剣の乙女は、この上なく残念そうに息を吐く。

 だが、それを考えても仕方がない。この目になってもう十年になるのだ、そこに関しては諦めがついている。

 アサシンブレードの具合を確めつつ、ローグハンターは剣の乙女を見やる。

 

「……寝ないのか?」

 

「ええと……」

 

 武器の整備音混じりに問われた質問に、剣の乙女は頬を赤く染めながら困り顔となった。

 豊かな胸の内で跳ねる心臓の音が耳に響き、それは彼にも聞こえてしまっている錯覚を覚える。

 胸に手を当ててそれを必死に抑えつつ、何を言おうかと考え、思い付いた次の瞬間には忘れてしまう。

 書き損じた手紙を捨てるようだと思いつつ、口元に指を当てて僅かに考え、当たり障りのない事を口にした。

 

「……改めて、お礼を言わせてくださいな。あれからというもの、良く眠れるようになりました」

 

「ああ。前も聞いたな」

 

 そう言いながらピストルを軽く整備し、ジャグリングよろしく一回転させる。

 同時にその目を細め、夜営地の上空を円を描きながら飛ぶ鷲に目を向けた。

 いつもはあっさりと寝るのだが、今日に限って寝付く様子はない。

 

 ━━何か起こる前触れか……?

 

 体に張り付く気持ち悪さに眉を寄せると、彼の表情を知ることの出来ない剣の乙女はそっと息を吐いた。

 

「ゴブリンも、野盗も、出てきませんでしたわね……」

 

「襲撃するなら闇に紛れてだろう。それが基本だ」

 

 彼女の言葉を断ずると、黒鷲の剣を焚き火に透かした。

 黒い刀身が橙色の光を反射し、不気味でありながら鋭い輝きを纏う。

 何人斬ろうとも切れ味が落ちることはなく、折れることもないその剣は、果たして自分の手に納まるまでに何百年の歳月を待たされたのだろうか。

 待たされた年月の分使ってやらねば、この剣にも失礼にあたるというもの。今までポイポイ投げていたが、今さらになって罪悪感が芽生える。

 その想いと共に黒鷲の剣を腰帯に押し込み、今度こそ真っ直ぐに剣の乙女に目を向けた。

 

「さっさと寝ろ。明日も一日移動だ」

 

 苦笑しつつ漏らされた声に、剣の乙女は自分を落ち着けるように息を吐いた。

 

「ずいぶんと、簡単に仰るのね」

 

「寝ること自体は簡単だ」

 

 小さく肩を竦めると、ローグハンターは至極真面目な調子で続ける。

 

「目を閉じ、何かを想い、頃合いを見て開けば朝だ」

 

「何か、ですか?」

 

「そこは人によって違うだろう」

 

 少々いたずらっぽく問われた質問に、ローグハンターは焚き火をかき混ぜながらそう返した。

 噴き出した火花が宙を舞い、星空へと消えていく。

 剣の乙女は火花を見送るローグハンターの横顔を眺め、不意に問いかけた。

 

「貴方は、何を想って眠るのですか?」

 

 その質問に、ローグハンターは即答することが出来なかった。

 僅かに唸りながら思慮を深め、横で眠る銀髪武闘家に目を向ける。

 

「……こいつが何を想って寝ているか、だな」

 

 絞り出すように紡がれた言葉には、愛する人を見守る優しさが満ち溢れていた。

 聞いたこともない彼の声音に、剣の乙女は目隠しの黒布の下で大きく目を見開く。

 どうにか声を出すことは抑えたが、不意打ちで頭を殴り付けられたような━━本人としては思い出したくもない━━感覚に襲われた。

 

「え、えと、それは、どういう……」

 

「毎日寝顔を拝んでいるんだ。どんな夢を見ているかを考えても仕方ないだろう」

 

 油断しきっている銀髪武闘家の寝顔を眺めつつ告げられた言葉に、剣の乙女は驚愕を通り越してついに固まった。

 毎日寝顔を拝んでいる。つまり、彼と彼女は同じ部屋で寝ているということなのか。

 他人の私生活(プライベート)に踏み込むのは良いことではないが、剣の(恋する)乙女にそんな事を思う余裕はない。

 特に、その想い人が目の前にいるのだから余計にだ。

 

「し、失礼を承知でお聞きしても?」

 

 上擦った声で問われた質問に、ローグハンターは首を傾げつつも「構わんが」と返す。

 剣の乙女はローグハンターに背を向け、一度大きく深呼吸をすると、再び向き直って問いかける。

 

「その、武闘家様とは、どういうご関係なのですか……?」

 

 本能は聞くなと告げていた。本能は馬車に戻れと告げていた。

 それでも、彼女は問いかけてしまった。自分の考えすぎという僅かな希望に、懸けてしまったのだ。

 ローグハンターはその質問の意図を良く察せぬまま、さも当然のように告げた。

 

「世間一般でいう恋人(・・)と言ったところだな。ああ、恋人か。こうして口に出してみると、存外照れ臭いな……」

 

 苦笑混じりに頬をかく彼を他所に、剣の乙女の体は石となった。

 その柔らかそうな肉感をそのままに、一切の動きを止めたのだ。

 呼吸はしているようで肩が僅かに揺れてはいるが、しばらく戻ってくる事はないだろう。

 

「大司教?どうかしたのか」

 

 そっとローグハンターが肩を揺らすと、剣の乙女はハッとして体ごと顔を背けた。

 何か悪いことを言ってしまったのかと疑問符を浮かべるローグハンターには見えぬように、お守りである鷹の風切羽を握り締める。

 

 ━━彼は、何と罪深い男なのだろうか。

 

 身も心も汚された自分に、何の躊躇いもなく優しさを向けてくれた。

 身も心も汚された自分を、傷つくこともいとわずに救ってくれた。

 身も心も汚された自分に、年頃の乙女と同じ希望(恋心)を思い出させれくれた。

 

 ━━なのに、なのに、なのに……!

 

『世間一般でいう恋人(・・)と言ったところだな』

 

 ━━あんな嬉しそうな声で、わたくしの想いを!

 

「ふふ……」

 

「大司教?」

 

 肩を揺らしながら不気味に笑い始めた剣の乙女に、ローグハンターは遠慮がちに話しかける。

 

「ふふふ……」

 

「だ、大司教?」

 

 返答代わりに返ってきた笑い声に、流石のローグハンターも僅かに不安を覚えた。

 バーサークダートを撃ち込んだとしても、こんな反応は示さないだろう。

 少々危険な雰囲気を察したローグハンターは、音を立てないようにじりじりと下がり始めるが、

 

「ふへぇ……」

 

 すぐ隣で寝ていた銀髪武闘家が伸ばした腕を腰に巻かれ、後退を阻止された。

 いつもなら苦笑混じりに喜ぶ状況に今回ばかりは舌打ちを漏らし、絡まった腕をほどこうと軽く俯いた時、剣の乙女が彼の方へと向き直った。

 

「ふふ、ローグハンター様ぁ……」

 

 神聖さとはほど遠い、娼婦もかくやという妖艶な笑み。

 見ただけで様々な期待を胸に生唾を飲み込む笑みに、ローグハンターは思わず恐怖を抱いた。

 背を駆け抜けた寒気に、全身に鳥肌が立つ。

 殺気とはまた違う、自分に何かしら害を与えそうな雰囲気。

 逃げようにも腰を捕まっているし、そもそも依頼人から逃げるとはどうなのだと自問する。

 妖しい笑みを浮かべながら四つん這いになり、体が汚れることも厭わずにローグハンターへと近づいていく。

 薄布に包まれた豊満な胸が、体の揺れに合わせて左右に揺れる。

 ローグハンターはその動きを気にする素振りを一切見せず、彼女の見えざる瞳を覗こうと必死になっていた。

 だがしかし、悲しいかな。彼女の瞳は黒布に隠され、タカの眼をもってしても、青い影を残して見ることは叶わない。

 青というのとは敵意はないのかと僅かに安心するが、解除した途端にタカの眼がおかしくなったのかと疑問が湧いた。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 妖艶な笑みを薄める事なく、唇を不気味な三日月の形へと歪ませながら、恐怖心を煽るようにするりするりと一歩ずつ、彼へと近寄る。

 

「だ、大司教、落ち着いてくれ。何か悪いことを言ったのなら謝る」

 

「ふふ、謝る必要はありませんわ。むしろ、感謝しております」

 

 妖しい笑みをそのままに、剣の乙女はローグハンターの言葉をそう断じた。

 

 ━━感謝。なぜ感謝しているのだ。感謝しているならこっちに来ないでくれ。

 

 ローグハンターは胸の内の本音を飲み込み、腰に絡まった腕を解こうと手を伸ばす。

 慌てる彼の姿を眺めつつ、剣の乙女は不機嫌そうに、しかし嬉しそうな笑みを浮かべた。

 銀髪武闘家に捕まっているのは少々、いや、かなり気にくわないが、今は好都合だ。

 

「わたくしに、発破をかけてくださりました。わたくしを、一人の女に戻してくださりました。この際、一番でなくても構いません……」

 

 座り込んだまま逃げようとしていたローグハンターの腰の上に乗り、彼の頭を押さえ込んで正面を向かせる。

 闇を照らす炎のように揺れる蒼い輝きを正面から見据え、恍惚の表情を浮かべて熱のこもった息を吐き出す。

 鼻先をくすぐった熱い息と彼女の表情に、ローグハンターは僅かな既視感を感じる。

 

 ━━俺に襲い掛かった武闘家(あいつ)も、こんな表情になっていたような……。

 

 僅かに思慮した隙に剣の乙女はそっと頬を寄せ、触れあわせた。

 頬で互いの体温を共有し、彼女は嬉しそうに甘い熱のこもった声を漏らして身震いする。

 耳元で囁かれる甘い声に、ローグハンターは気まずそうに視線を泳がせた。

 今この姿を誰かに見られたなら、何と言われるだろうか。

 退()かす事は簡単だ。体格差にものを言わせ、思い切り押してしまえば良い。

 だが、身も心も傷だらけの彼女にそれが出来る程、ローグハンターは冷たい男ではなかった。否、六年前なら出来ただろうが、出来なくなったのだ。

 それは六年間銀髪武闘家が寄り添った結果なのだが、それがこうした形で出てしまったにすぎない。

 ただそれだけなのだが、半ば暴走している剣の乙女は「彼に否定されていない」という結果だけを直視し、嬉しそうに笑んだ。

 

「わたくしは、貴方を━━━」

 

 そっと彼の肩を押し、自分の体を寄り掛からせて押し倒す。

 互いの鼻先が触れ合い、吐いた息が混ざって消える程の距離。

 困惑の表情を浮かべるローグハンターに向け、剣の乙女はただただ嬉しそうに、妖艶な笑みを浮かべながら告げた。

 

「━━愛しております」

 

「!?!?!!」

 

 彼女の言葉にローグハンターは目を見開き、ひたすらに困惑を深めていく。

 ここまで直球に想いを告げられたのは、人生で二度目。

 一度目は言わずもがな銀髪武闘家からだが、まさかそれを違う女性からも受ける事になるとは、想いもしなかったのだろう。

 

「ふふ、答えは今すぐにはいただきませんわ。貴方の想い人は、彼女なのでしょう……?」

 

「ふふふ……」と妖しく笑いながら上体を起こし、そっと彼の頬を撫でた。

 僅かに湿り気を感じたから、汗を流しているのだろうと判断する。

 

「ですから、二番でも構いません。いえ、本当は嫌なのですよ?出来ればわたくしだけを、見ていただきたいのですが、無理を言ったら、貴方はわたくしを嫌うでしょう?」

 

 剣の乙女はそう問いかけ、ローグハンターの顔に手を這わせる。

 輪郭を、鼻の位置を、高さを、口の幅を、目と目の間隔を、彼の熱を。

 目が見えない代わりに、その手の感触でもって堪能し、その全てを脳裏に刻み込んでいく。

 

「貴方に嫌われてしまったら、わたくしは、またあの頃のように……」

 

 彼の顔を撫で回していた手を離すと、そっと自分の胸に抱き、怯える子供のように肩を震わせる。

 ローグハンターは先程の言葉を受け止めつつ、小さく息を吐いてそっと彼女の頬を撫でた。

 英雄と呼ばれてこそいるが、その柔らかな頬はただの女性と変わりない。

 そんなただの女性が、周りから英雄と呼ばれているだけなのだ。

 

「大司教、俺は━━」

 

 彼女に返答しようとした時だ。

 げらげらとこちらを嘲笑する声と、静かな囁き声が同時に響き渡った。

 

「ッ!」

 

 弛んでいた意識を一気に研ぎ澄ますと、同時に剣の乙女を押し飛ばし自分の背に隠す。

 ロープダートを飛ばして置いていたライフルを手元に手繰り寄せ、それを構えながらタカの眼を発動。

 視界に映った赤い影に照準を合わせ、息を止めて手振れを抑えると共に引き金を引く。

 大砲もかくやという銃声が夜の森を駆け抜けていき、凄まじい反動に弾かれて銃身が跳ね上がる。

 弾けとんだ赤い影に一瞥くれて、反動を腕の力をもって受け流し、ボルトを開いて次弾を装填する。

 先程の銃声を合図に目を覚ました冒険者たちが、各々の武器を手に立ち上がった。

 

「ゴブリンと野盗。数は━━」

 

 言いながら左目に意識を傾け、鷲と視界を共有する。

 鷲の視力を持ってすれば、夜間に獲物を見つけるのは容易い。そこにタカの眼を併用すれば、なおのことだ。

 天高くから見下ろす鷲の目と、獲物を浮かび上がらせるタカの眼を同時に使い、すぐさま敵の頭数を数える。

 

「ゴブリンが二十、野盗が十五の合わせて三十五」

 

 言いながら視覚の共有を切り、再びライフルの引き金を引く。

 放たれた弾丸は野盗の頭を撃ち抜き、即死させた。

 

「まず一つ」

 

 彼はいつも通りの声音でそう告げると、次弾を装填して背に回す。

 

「援護だ」

 

「わかりましたわ!」

 

「うん!」

 

 ローグハンターの言葉に答えたのは令嬢剣士と銀髪武闘家だ。

 すぐさま眠気を振り払った令嬢剣士は軽銀の突剣を引き抜き、銀髪武闘家は籠手の具合を確めて確かに頷く。

 彼は小さく頷くと、ホルスターから一挺だけピストルを引き抜き、空いた片手で剣の乙女の腕を掴んだ。

 

「馬車まで走る。行けるか」

 

「は、はぃ……!」

 

 先程と違った凛とした声に、剣の乙女は僅かな悦びの色のこもった声で返した。

 ローグハンターは調子が崩れたように眉を寄せたが、構う事なく彼女の手を引いて駆け出す。

 先回りした令嬢剣士が馬車の扉を開き、銀髪武闘家が周囲を警戒する。

 ローグハンターは一言「すまん」と呟いて馬車の中に剣の乙女を放り込み、荒っぽく扉を閉めた。

 

「すぐに終わらせる。鍵を締めて、待っていろ」

 

 扉越しにそう告げると、窓から剣の乙女が顔を覗かせる。

 

「……はい。お待ちしております」

 

 意味深な笑みと共に告げられた言葉に、ローグハンターは困り顔でため息を漏らすと、乱暴に鎧戸を閉めた。

 

「ねぇ」

 

 その肩に銀髪武闘家の手が置かれ、びくりと体が跳ねる。

 ローグハンターは勢い良く振り向くと、そこには心配そうな表情をする彼女がいた。

 

「……大丈夫?」

 

「ああ、問題ない」

 

 彼女の手に自身の手を重ね、いつものように頷いた。

「なら、良いけど」と彼女は手をどかし、グッと拳を握り締めた。

 

「そろそろ来るわ!」

 

 妖精弓手が長耳を揺らしながら言うと、それと同時に矢を放った。

 闇の奥からゴブリンの断末魔が響き、それに複数の足音が続く。

 ピストルをホルスターに押し込み、背に回した弓を手に取る。

 乱暴に矢筒に手を突っ込み、三本を纏めてひっ掴む。

 タカの眼を発動し、敵が左右に別れた事を確認。

 

「左右に別れた、挟撃来るぞ!」

 

 言いながら三本纏めて矢を番え、纏めて放つ。

 他の対処は仲間たちに託し、自分は目の前の相手に集中するのだ。

 放たれた矢は野盗三人の胴を穿ち、転倒させた。

 それでもまだ数は多い。何人かは矢を番え、今にも放たんとしている。

 

「『矢避(ディフレクト・ミサイル)』だ、急げ!」

 

「《サジタ()……サイヌス(湾曲)……オッフェーロ(付与)》!!!」

 

 打てば響くような返事(詠唱)

 女魔術師が掲げた杖から広がる力場が冒険者たちを包み込んだ。

 瞬間、放たれた矢が独りでに彼らを避け、地面に突き刺さった。

 

「来ますぞ!」

 

 蜥蜴僧侶の警告は、すぐに現実のものとなった。

 茂みを掻き分け、複数匹のゴブリンが飛び出したのである。

 

「GOORG!!」

 

「イィヤッ!」

 

 飛び出したゴブリンが銀髪武闘家の蹴りにより宙を舞い、頭から地面に激突する。

 ゴキャリと滑稽なまでの音を立て、一匹を絶命させた。

 

「ぬんっ!」

 

「ッ!こんの!」

 

 大上段から降り下ろされた両手斧を軽銀の突剣で受け流し、その柄に這わせるように刃を走らせ、勢いのままに首を断ち切る。

 返り血をそのままに、背後から忍び寄っていたゴブリンに短刀を差し出して首を貫く。

 

「魔術師さん、援護は?」

 

「大、丈夫よっ!」

 

 杖を槍のように振りながら野盗とゴブリンを捌き、仕込み刃でゴブリンの胴を刺し穿つ。

 突き刺した杖をそのままに手を離すと、左手のリストブレードを抜刀、手頃なゴブリンの眼窩に刃を滑り込ませた。

 引き抜くと同時に体を半回転させ、その勢いを乗せてリストブレードを振り抜きゴブリンの喉を切り裂き、血に溺れさせる。

 

「あれじゃあ、誰が後衛かわからんの!」

 

 手斧片手に野盗と戦闘していた鉱人道士が叫ぶと、彼と競り合っていた野盗の喉に矢が生えた。

「うおっ!」と驚きながらも死体を退かし、援護してくれた妖精弓手に軽く手を挙げて感謝を示す。

「ふふん」と得意気に笑った妖精弓手は、軽やかに馬車の上に飛び乗ると、矢を番えて一息に放つ。

 理解不能な軌跡を描いたそれは、野盗二人の首を纏めて貫いた。

 

「どうよ。あんたには出来ないでしょ」

 

「そうだな」

 

 弓を片手に野盗の攻撃を全て避け、隙を見つけて蹴りを放って間合いを開くと、弓を乱暴に上へと放る。

 同時に黒鷲の剣を抜き放ち、同時に野盗の首を跳ねる。

 首と共に落ちてきた弓を回収し、弦を切らないように気をかけつつ背に回す。

 

「まあ、元より勝負する気もない」

 

「もう、そこは『教えてくれ』とかじゃないの!?」

 

「最低限使えればそれで良いだろう」

 

 言いながら斬りかかってきた野盗に足払いを放ち、倒れた所に剣を突き立てて脊髄を砕く。

 引き抜きながら一度ステップを踏んで間合いを詰め、野盗の首を断ち切る。

 反転ついでにピストルを引き抜き、遠距離から矢を放とうとしていたゴブリンの頭を吹き飛ばす。

 流れるように無駄のない動作(キルストリーク)は、彼が培ってきた技だ。

 そこに夢で見た戦士たちの技を反映(シンクロ)させる事で、さらに無駄を省いて敵を葬る。

 

「フンッ!」

 

 ゴブリンスレイヤーが円盾でゴブリンの頭蓋を叩き割り、剣を逆手に握って投げ放つ。

 矢の如く放たれた剣は、野盗の心臓(小鬼の頭の高さ)を貫いた。

 倒したゴブリンから槍を拝借し、躍りかかったゴブリンを石突きで叩き落とし、眼窩に穂先を叩き込む。

 

「むぅ……」

 

 僅かに唸るといつかのローグハンターのように槍の柄を半ばからへし折り、石突き側を戦鎚(メイス)として振り回す。

 乱戦になってはいるが、無意識の内に互いの背中を守りあい、誰一人として最悪の事態にはなっていない。

 

「大丈夫か」

 

「は、はい……!」

 

 錫杖を両手で握り締める女神官は、僅かに不安そうな面持ちで戦況を見つめた。

 ローグハンターたちの一党は、もはや阿吽(あうん)の呼吸と言って良い。

 

「大いなる我が父祖よ!我が戦働きをご照覧あれ!!」

 

 蜥蜴僧侶が躍りかかり、爪、爪、牙、尾の四撃で、その回数分敵を葬る。

 

「しかし、数が多いですな!斥候殿、小鬼殺し殿、何か手は!」

 

「あー、ゴブリンスレイヤー!」

 

 野盗五人を纏めて相手取るローグハンターが一人の胴を切り裂き、はらわたをぶちまけさせながら友の異名を呼んだ。

 呼ばれた友は、女神官に目を向けて一言告げた。

 

「追い込む。『聖壁(プロテクション)』を頼めるか」

 

「わかりました!」

 

 女神官は確かに一言答え、錫杖を掲げて祈りを口にする。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 優しき地母神は祈りに答え、『聖壁』の奇跡を彼らのために成してくれた。

 不可視の壁が野盗とゴブリンたちの背後に現れ、逃げ道を塞ぐ。

 彼らが異変に気付いた頃にはもう遅い。

 退路を塞がれ、退くことを許されず、前には野盗殺しのプロたるローグハンターとその一党が待ち構えている。

 ローグハンターは逃げ道を失った野盗を睨むと、もはや冷酷なまでに仲間たちに指示を出した。

 

「剣士と武闘家が右から、蜥蜴人とゴブリンスレイヤーは左から、俺は正面。後衛組は援護と馬車を守りを頼む……!」

 

 彼の指示に各々が答え、同時に駆け出す。

 すれ違い様に黒鷲の剣が振るわれればその度に誰かの首が飛び、眼前に迫り来る死神から逃れようと左右に行ったところで、

 

「イイィヤッ!」

 

「イイイイイイイイイイイイヤッ!」

 

 重なる怪鳥音が発せられる度に、誰かの体が潰れ、千切られ、

 

「はっ!」

 

「フンッ!」

 

 突剣の連撃で体を切り刻まれ、棍棒と思われる棒切れで殴り殺される。

 運良く切り抜けた所で、上森人の狙撃で倒される。それを避けられた所で、二人の術師の術が来るとなると、もうどうにもならない。

 野盗もゴブリンも、完全なる詰みであった。

 

「ラァッ!」

 

 気合いと共に振り下ろされた黒鷲の剣が、ゴブリンの体を一刀の元に両断し、返す刃で振り上げればまた誰かの腕が飛ぶ。

 返り血でどろどろになりながらも、ローグハンターは止まらない。

 切り込んだ野盗の体をばつ字に切り裂き、とどめにアサシンブレードで喉を貫く。

 そのまま喉を掴んでぶん投げると勢いのまま懐に手を突っ込み、腕を振り抜く要領でロープダートを放つ。

 ゴブリンの眼窩に滑り込んだフックを巻き取らず、そのまま思い切り張って駆け出す。

 ピンと張られたロープに巻き込まれ、ゴブリンも野党も次々と転倒していき、そこに冒険者たちの追撃が襲いかかる。

 

「……なんか、同情するわ」

 

 油断なく矢を番えた妖精弓手が呟くと、後衛組は気まずそうに頷いた。

 夜の襲撃者が全滅したのは、夜が明けるよりも前の事だ。

 

 

 

 

 

 血の海とは、まさにこの事を言うのだろう。

 ゴブリンと野盗たちの亡骸が無造作に転がされた草原を、朝焼けの赤い光が照らし出す。

 (ひざまず)いて聖印を切る女神官の姿を認めつつ、ローグハンターは倒れる野盗とゴブリンの姿を睨み付ける。

 野盗もゴブリンも共通して、手を思わせる独特な紋様の刻まれたローブを纏い、見てみれば同じ紋様の入れ墨が彫られている。

 

「……やはり邪教徒の類いか」

 

「斥候殿もそう見ますかな」

 

 しゅーと鋭い息を吐きながら蜥蜴僧侶が問うと、ローグハンターは腕を組みながら頷く。

 覚知神の象徴は瞳であるから、これはまた別の象徴。もはや邪悪な神ではなく悪魔崇拝者の可能性もあるが……。

 ローグハンターは考えても仕方ないと頭をがしがしと掻き、膝をついて目についた野盗の懐を探り始めた。

 隣にいた蜥蜴僧侶が周囲を警戒し、彼の目の代わりとなる。

 

「……む」

 

 そして、それを見つけた。

 雑に丸められていたからか(しわ)だらけで、書かれた文字は暗号なのか、内容は全くもってわからない。

 

「………」

 

 目を細め、小さく唸りながら立ち上がる。

 見てわからないものを見続けても仕方がない。さっさと切り替えて次に行かねば駄目だろう。

 現に、昨晩は襲撃されたのだ。早く移動するに越した事はない。

 ローグハンターが野盗の死体を改めているのと同時に、ゴブリンスレイヤーはゴブリンの死体を改めていた。

 

「むぅ」

 

 兜のせいで表情はわからないが、あちらもあちらで考えているのだろう。

 ローグハンターは手に入れた紙片を丸めて懐に入れると、ゴブリンスレイヤーに声をかけた。

 

「何か問題か」

 

「ああ。これを見ろ」

 

 ゴブリンスレイヤーは言いながら手を出すと、そこにはいくつかの認識票が乗せられていた。

 ローグハンターは眉を寄せて認識票の一つをつまみ上げると、小さく肩を竦めた、

 

「この冒険者を仕留めたとして、その体と装備はどこだ」

 

 包み隠さず告げられた言葉に、ゴブリンスレイヤーは「それが問題だ」と頷いた。

 

「奴らは、盗賊と手を組んでいた。裏に何かいるのは間違いないだろう」

 

「この襲撃も、相手の計画の内か」

 

 懐に忍ばせた紙片に触れ、ローグハンターはちらりと馬車に目を向けた。

 剣の乙女を狙い、野盗だけでなくゴブリンも放ってきたのは偶然か、あるいは彼女の過去を知っての事か。

 知っていて放ったとしたら、彼女の命が狙われているのは間違いない。

 その襲撃者たちは、何やら不気味な手の紋様の入れ墨をしている。

 相手の手には冒険者の認識票が複数。彼らから剥ぎ取った装備を持っていた様子もなく、それらが近くにある様子もない。

 つまり━━━。

 

「まだいるな、これは」

 

「ああ」

 

 ローグハンターとゴブリンスレイヤーはお互いの意見を一致させると、手早くその場を離れる準備を進めていく。

 今回の依頼はゴブリン、野盗退治が仕事ではない。あくまで護衛。

 冒険者は信頼が第一。まずは目の前の依頼をこなすのが最優先だ。

 

 

 

 

 




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Memory04 都

 ゴブリンと野盗との戦いから更に幾日か。

 周囲に何もなかった街道の脇に、田畑が増え始め、また街道を通る人も増えた頃だ。

 目深くフードを被り、いつものように鷲との視界共有をしていたローグハンターは、その姿を認めて感嘆の息を吐いた。

 まだ小さいが、確かに見ることの出来る立派な城壁。

 白亜の大理石を積み重ね、魔術にも奇跡にも頼らずに築かれたそれは、次々と人を呑むこみ、混沌の勢力から守る盾となる。

 馬車の上でじっと目を凝らした妖精弓手が、ぱぁっと表情を輝かせた。

 

「見えてきたわ!」

 

「ああ、わかっているさ」

 

 はしゃぐ彼女とは対照的に落ち着き払ってはいるものの、その声音には僅かな喜色が混ざっている。

 それに気付いたのは銀髪武闘家だけなのは、もはや言うまでもない。

 彼女はニコニコと笑みながら、彼らに続くように感嘆の息を漏らす。

 都。都だ。生まれ育ったこの国の中心地。まさか、生きている内にここを訪れる日が来ようとは……。

 感傷に浸っている暇もなく、都を目指す人は更に増え、冒険者たちを呑み込んでいく。

 人混みに紛れて進むなか、御者台の上で手綱を握る蜥蜴僧侶が鋭く息を吐いた。

 

「いやはや、ここまで人が多いと、馬を操るのも一苦労ですな」

 

「確かに、すごい人ですね」

 

 皆からはぐれないように気をかけながら、女神官は周囲を見回してそう漏らした。

 その瞳が僅かに輝いているあたり、彼女なりに興奮しているのだろう。

 小さかった城壁が巨大な壁になった頃、ローグハンターは鷲との視界の共有を切り、自分の眼でもって城壁を見上げた。

 何百、何千という年月を雨風と戦火に晒されながらも、決して崩れ去ることなく国を守り続ける盾は、その存在感も相応のもの。

 それを初めて目にする冒険者たちが黙ってそれを見上げるなか、ローグハンターは顎に手をやって首を傾げた。

 目を細め、壁に向けて手を伸ばす姿は、明らかに目測しているそれだ。

 銀髪武闘家は彼の姿にため息を漏らし、悪戯心のままにフードを剥ぎ取った。

 彼の口から小さく声が漏れると、銀髪武闘家はしてやったりと笑う。

 

「今、登ること考えてたでしょ?」

 

「ああ……。無意識だったんだが、癖なのかもな」

 

「もう、しっかりして」

 

「すまん」

 

 恋人からのお叱りに、僅かに俯くローグハンター。

 子供のような彼の姿に、銀髪武闘家は口に手を当てて可笑しそうに笑うが、

 

「ん……?」

 

 何やら視線を感じて周囲に目を向けた。

 回りにあるのは人、人、人であり、見知らぬ誰かから見られていたのかと考え視線を彼の元へ。

 

「どうかしたか」

 

「ううん、何でもない」

 

 心配げに見つめてきたローグハンターに笑って答え、気分転換ついでに鼻を引くつかせると、鼻孔を刺激する様々な臭いに涎を垂らした。

 

「流石都だねぇ~。いろんな臭いがするよ」

 

「だからって飛び出して行くな。はぐれると困る」

 

 今にもどこかに行ってしまいそうな彼女の手を取り、半ば強引に引き戻す。

「買いに行かせて~」と両手を振り回して愚図る彼女の姿にため息を漏らし、何とも静かな女魔術師と令嬢剣士に目を向けた。

 二人としては久々の帰郷だ。少しはテンションが上がるように思えるのだが……。

 

「も、もし父様と鉢合わせにでもなったら……」

 

 令嬢剣士はお化けに怯える子供のように震えながら、外套のフードを目深く被って周囲を見渡していた。

 家族の反対を押し切って飛び出してきたのだ。出来るだけ再会はしたくないのだろう。

 

「……元気にしてると良いけど」

 

 女魔術師は誰かを思って表情を和らげていた。

 恋人がいるという話は聞いていないから、家族の事を心配しているのだろう。

 片や家族に怯え、片や家族を想っている。

 何とも対照的な二人の姿に、ローグハンターは懐かしむように苦笑した。

 

「……家族、か」

 

「どうかされまして」

 

 不意に呟いた彼に返したのは、馬車の窓から顔を覗かせた剣の乙女だ。

 相変わらずの妖艶な笑みを浮かべながら、その見えざる瞳でローグハンターを射抜いている。

 それを受け流しつつ、ローグハンターは周囲に視線を配った。

 もはや進むのも困難な程の人混みだ。どこから刺客が接近してしても可笑しくはない。

 優しく揺れていた蒼い炎が鋭い鷹の眼光へと変わった途端、剣の乙女は熱っぽい息を漏らす。

 ローグハンターは悩ましげに唸ると、それを隠すようにフードを被った。

 いきなり彼がフードを被った事に残念そうな息を漏らす横で、馬車内の女官は彼女の表情の変化に皆目検討もつかないと首を傾げる。

 ここ数日、剣の乙女がおかしい。何の比喩表現でもなく、直喩としておかしいのだ。

 ローグハンターの姿を常に視線で追いかけ、女性と話そうものなら歯を食い縛って唸り声をあげる。

 まあ、昔の塞ぎこんでいた頃に比べればまだ良いかもしれない。

 

「見えない、見えない。ああ、風でも吹いてくれないかしら……」

 

 ──―良いのだろうか?

 

 馬車の中で女官が首を傾げ、外のローグハンターは額に手をやってため息を吐く。

 彼は馬車から感じる──少々危険な──視線から逃れるように銀髪武闘家の手を引いて歩き出した。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

「何か買いにいくぞ。どうせ列は動かん」

 

 彼の言うとおり、先程から列は全く動いていない。

 門下の衛兵たちが一人一人身分を確認していたのだが、その作業が止まってしまっているのだ。

 何か重要な物が届くのか、作業が進まない割には動きが騒がしい。

 何かあれば良いがと門の前の露店を覗き、すれ違う商人が売り歩く品物を確認する。

 

「それにしても、お祭りでもやってるのかな?」

 

 いつの間に買ったのか、肉を挟んだサンドイッチを頬張りながら問うと、ローグハンターは小さく肩を竦めた。

 

「大都市なら、毎日こんなものだろう。っと、一つくれ」

 

 すれ違いに売り歩いていた商人からリンゴを買い、ローブの裾で軽く拭うと一口頬張る。

 シャリシャリと瑞々しい音をたてながら噛み砕き、溢れ出る果汁に舌鼓を打つ。

 

「あ、一口頂戴」

 

 馬車に戻ろうと踵を返すと、銀髪武闘家が一度彼の手を引いて言った。

「ん」と小さく漏れでた声と共にリンゴを差し出され、銀髪武闘家は大口開けてかじりつく。

 彼女が噛んだ痕を沿うようにリンゴをかじり、馬車に戻る頃には芯のみとなった。

 同じく買い出しに行っていたのか、鉱人道士があれやこれやと一党の仲間たちに配っている。

 銀髪武闘家は目を輝かせると、ローグハンターを引っ張る形で彼の下へと駆け寄った。

 

「私にも頂戴!」

 

「おう、銀髪の。おまえさんらも何か買ったんと違うんか」

 

 言いながら抱えた籠を探るが、「食いもんはねぇな」と小声で告げられた。

 銀髪武闘家は露骨に残念がって項垂れるが、ローグハンターは構わずに言う。

 

「この際中に入ってからの方が確実だな。さっき食べていたサンドイッチも、売れ残りだろう?」

 

「まあ、そうなんだけどさ」

 

 いまだに覇気のない彼女の声に、ローグハンターは小さく息を漏らす。

 

「件の会議が終わるまでは滞在するだろうから、色々と食べ回ればいい。何件だろうが付き合うさ」

 

「ッ!そ、それなら我慢しようかな……!」

 

 遠回しなデートの誘いに銀髪武闘家は露骨に喜び、その場で踊り出しそうな程に舞い上がる。

 鉱人道士は何とも手慣れているローグハンターと、あっさり話に乗っけられた銀髪武闘家にため息を漏らす。

 どこだろうがイチャイチャするのは、この二人の芯の強さによるものか、或いは回りは眼中にないのか。

 

「おまえさんらは、ぶれないの」

 

「「……?」」

 

 二人は同時に首を傾げ、互いの顔を見合わせる。

 処置なしと左右に首を振ると、三人は何やら視線を感じて馬車の方に目を向けた。

 窓から剣の乙女の笑顔が覗いている以外は、別に変わった様子はない。

 ローグハンターだけは気まずそうに視線を逸らしたが、剣の乙女の笑顔が崩れる事はない。

 視線を逸らした先にいたゴブリンスレイヤーは、ゴブリンから剥がした皮を睨んで唸っている。

 入れ墨の事を調べるためと剥いだわけだが、ここで見るものではないだろうとため息を漏らす。

 と、その時である。天高く飛んでいた筈の鷲が彼の頭の上に止まり、どこかを見つめて一声鳴いた。

 ローグハンターがそれにつられるように目を向けるのと、妖精弓手がひくりと耳を揺らしたのはほぼ同時。

 鷲が再び空へと舞い上がると、ローグハンターは左目に意識を傾けて視界を共有する。

 天高くから見下ろしてみると、よくわかる。何やら馬車が近づいて来ているのだ。

 それに気付いた兵士たちが門に群がっていた群衆を掻き分け、道を開いた。

 そこを通るのは、豪奢な二頭立ての馬車である。

 箱には金の彫刻が施され、掲げられた獅子の紋章は王家の証。

 それを引く馬も、厳選に厳選を重ねた名馬だろう。

 その馬車を囲む騎士たちは上質な金属鎧に身を包み、帯びる剣や槍もまた上等なもの。

 物語の中で語られる騎士の姿をそのまま反映したその姿は、子供でなくとも誰しもが見惚れるものだ。

 

「騎士、ね……」

 

 鷲との視界共有を切ったローグハンターが、誰に言うわけでもなくぼそりと呟いた言葉に、銀髪武闘家は苦笑を漏らす。

 彼も故郷では騎士だったらしいし、あの騎士たちの姿に何か思うことがあるのだろう。

 ローグハンターは目を細め、何ともなしにタカの眼を発動する。

 見惚れる騎士たちが青い影へと転じ、引かれる馬車は魔力を示す緑の影へと変わる。

 

「魔術的な防御に、周囲を囲む騎士。あれは名の売れた盗賊団でも狙わないな」

 

 腕を組ながらそう断ずるが、その目は明らかに獲物を狙う鷹のそれだ。

 銀髪武闘家は最近物騒な恋人の姿を眺めて困り顔になりつつ、「もうそんな時期なんだ」と声を漏らした。

 

「時期?何のだ」

 

「王様が直接税を取りに行くことがあるんだって。たぶん、それかな」

 

「ほぅ……」

 

 銀髪武闘家にしては珍しい知的な物言いに、ローグハンターは意外そうに息を漏らした。

 彼女から何かを教わることなど、この六年であまりなかったように思える。

 しかし、最も大事な事を教えてくれたのが彼女である事は間違いない。その事に関しては感謝してもしきれない程だ。

 そんな二人を馬車の上から見下ろしながら、妖精弓手は不機嫌そうに頬杖をついた。

 

「それにしても、豪華な馬車だったわね。それに兵隊まで」

 

「王様が安物を使っていたら、それこそ笑いものにされますわ」

 

 令嬢剣士が周囲を伺いつつ言うと、妖精弓手は「なんで?」と至極真面目な面持ちで問いかけた。

 女魔術師はやれやれと首を左右に振ると、妖精弓手にもわかりやすいように言う。

 

「もしあなたの故郷の族長が、枯れ木の洞に住んでいて、襤褸布同然の服を着ていたら嫌でしょ?」

 

「それは、そうね……」

 

「そして、あなたたちが苦労して狩りや収穫が終えて帰って来た所にふらふらと現れて『税金寄越せ』とか言われたら?」

 

「はっ倒すわ」

 

「そう言うこと。権威を示すという意味で、見た目は大事ってことよ」

 

「なるほどねー」

 

 本当にわかっているのさはさておき、妖精弓手は門の向こうに消えていく王家の馬車を見送る。

 

「王様めんどくさいわ」

 

「森人の姫がなんか言うとるぞ」

 

「いいじゃない。ここは里の外なんだから」

 

 妖精弓手と鉱人道士のいつものやり取りに、仲間たちは顔を見合せて笑みを溢した。

 愉快そうに笑いながら、蜥蜴僧侶がぐるりと目を回す。

 

「しかし、我ら冒険者の組合も税で営まれておりますでな」

 

 愉快そうな笑みこそ浮かべているものの、その言葉には説教をする司祭と同様の重みがある。

 ローグハンターは腕を組むと、懐かしむように噛み締めながら言う。

 

「組織がなければ、俺たちは無頼漢だからな。裏で金を回してくれるのはありがたい事だ」

 

「ほお、斥候殿も何か覚えがあるのですかな?」

 

「まあ、税金とは違うが、色々あったな」

 

 街を復興するために走り回り、いざ復興したら売り上げの一部を献上してもらい、また次の復興へと回す。

 ある意味での税金は、騎士団に──先生個人にかもしれないが──払われていた。

 その資金で船を強化したり、武器を揃えたりもしていたから、あの頃は大変助かったものだが……。

 

「……本当、色々あったな」

 

「ま、その話は後でね」

 

 苦笑混じりに漏らされた声に銀髪武闘家が返すと、ゴブリンスレイヤーも「門につくぞ」と一言で注意を促す。

 ゴブリンスレイヤーがゴブリン以外の事で注意を促すという珍しい事態に、ローグハンター、銀髪武闘家、女神官が小さく驚きを露にする。

 そして彼が言った通りに、先程以上の速度で門下の人々が捌かれ始め、冒険者たちの順番もすぐに来そうになっていた。

 鎖で吊るされた橋を渡って外堀を越え、前の人々が次々と都へと入っていくのを眺めていると、

 

「止まれ!身分証を提示しろ」

 

 そこに番兵の声がかかった。

 蜥蜴僧侶が手綱を操って馬を止めると、その巨体を御者台から降ろす。

 丁寧に整備され、磨き上げられた装備を身に纏う兵士が、彼等の行く手を阻んでいた。

 上等な装備ではあるが、果たしてそれを扱う者の技量はどうか。

 ローグハンターがじっと兵士を睨みながら認識票を取り出し、そしてハッとした。

 認識票には出身──彼の場合は実在するが行ったこともない異国の名が刻まれている──や年齢の他、身体的特徴が示されているわけだが、それが問題だった。

 身体的特徴の中には『瞳の色』という項目があり、そこには『両目とも蒼』と刻まれているのだが、今の彼は左目が『金』なのだ。

 ここで下手な問題が起こり、一党に迷惑をかけるわけにはいかない。

 ローグハンターはしばし迷うとフードを取り去り、女神官や蜥蜴僧侶らが番兵とやり取りをしている隙を見て馬車の窓を叩いた。

 

「どうかされましたか!」

 

 その瞬間に剣の乙女が顔を出し、この上ない笑みを浮かべている。

 ローグハンターは躊躇いがちに、彼女に頼んだ。

 

「一つ、頼まれてくれないか。眼帯の換えがあれば借りたいのだが」

 

「ええ、一つと言わずにいくらでも。えと、取ってくださる?」

 

「はいはい、かしこまりましたよ」

 

 年かさの女官がため息混じりに返すと、それから数秒して剣の乙女の手に乗った黒い布が差し出された。

 彼女の細指に絡まるそれを、ローグハンターはそっと手に取る。

 触り心地も良く、それだけで良い品だということがわかる。

 

「今度新しいのを渡す」

 

「いえ、そのまま返してくださいな」

 

「いや、流石に俺の使ったものは──―」

 

「構いません。あなたが使ったものなら」

 

「そうか……」

 

 なぜか頬を赤らめ、恍惚の表情を浮かべる剣の乙女から逃れるように、ローグハンターは自身の左目を黒布で覆い隠す。

 それと同時に「次!」と番兵の声が飛ぶ。

 ローグハンターは片目になった事による距離感の誤差を持ち前の勘で補い、番兵の前へと出る。

 認識票を差し出し、名簿に名前を書いていく。

 番兵は認識票の情報とローグハンターの容姿を比較し、左目を隠す黒布に目を向けた。

 

「その布はなんだ」

 

「前回の依頼で負傷した。これはその傷を隠すためだ」

 

「負傷か。どの程度のものだ」

 

「隠す必要がある程度には」

 

 ローグハンターがそう告げると、番兵は兜の下で怪訝な表情を浮かべた。

 このまま行けば「その下を見せろ」と言われる事になるだろう。

 最悪目を閉じ続ければいいが、何かの拍子に開いてしまったら、自分は都に入れない。最悪牢屋に放り込まれる事になる可能性もある。

 

 ──まあ、逃げ切る自信はあるが……。

 

 珍しく悪評を広めそうな事を考え、番兵に気付かれない程度に重心をずらし、いつでも駆け出せる体勢を整える。

 フォローに入ろうとしたのか、銀髪武闘家が足を踏み出して口を開きかけた時、

 

「至高神の御名にかけて」

 

 背後から、濡れるように艶っぽい──しかし、どこか怒気を孕んだ──声が入り込んだ。

 声の源は馬車の窓からで、そちらに目を向けた番兵たちは、一様に目を見開いている。

 

「彼は正真正銘、銀等級の冒険者ですわ」

 

「こ、これは大司教様……ッ!」

 

 窓枠にしだれかかるように身を寄せているためか、その美体が柔らかく歪んでいる。

 番兵たちは唾を飲み、僅かにたるんでいた背筋を正す。

 彼女に出会った者なら、誰しもがそうなる筈なのだ。

 例外はこの場にいる二人、ローグハンターとゴブリンスレイヤーぐらいだろう。

 当のローグハンターは剣の乙女の姿を一瞥すると、気付かれないように小さくため息を漏らす。

 権威とは力だ。あればあるだけ、多少の無茶を利かせる事が出来る。あれば便利だろうし、誰しもが欲するものだ。

 だが、しかしだ。冒険者一人を都にいれる為だけにそれを振りかざすのは、いかがなものか。

 

『──わたくしは貴方を、愛しております』

 

 いつかの夜に言われたら言葉が脳裏をよぎり、再びため息を漏らす。

 そんな彼のことなぞ露知らず、剣の乙女は番兵たちに言う。

 

「手早く済ませてしまいしょう。後がつかえていますから」

 

「は、はい、只今!──ほら、早く書け……!」

 

 急に覇気の失せた番兵たちの姿にやれやれと首を左右に振ると、差し出された台帳に手早く──けれど達筆に──必要事項を書き記す。

 

「ほら」

 

「っ!う、うむ……!」

 

 冒険者にしてはあまりに達筆な文字に番兵は思わず驚いたが、気にするまでもないことだと思考を切り替える。

 台帳を返された番兵は、慌てた足取りで馬車の窓枠に近寄ると、恐る恐るといった様子で剣の乙女に台帳を差し出した。

 それを受け取った剣の乙女は、どこかおぼつかない様子でページを繰り、それを女官が補助をする。

 ふとローグハンターは空を見上げ、いつもそこにいる鷲がいなくなっている事に気付いた。

 目を細めて小さく首を傾げるが、元よりあの鷲は自由だ。その自由な時間をこちらの都合で拝借しているのだから、いなくなっても責めることはない。

 だが、心配しないのかと問われれば答えは否。

 

 ──―かの鷲は、かけがえのない仲間なのだから。

 

 

 

 

 

「わ!?」

 

 都のとある城内で、その少女は間の抜けた声を漏らした。

 退屈潰しに窓から見える都の風景を眺めていたら、いきなり目の前に鷲が現れたのだ。

 窓の手すりにとまり無防備に羽をむしっているが、その瞳に油断の色は一切ない。

 見るからに逞しいその鷲は、果たしてどこから飛んできたのだろうか。

 少女がそっと窓を開け放つと、鷲は吹き込んだ風に乗って室内に入り込んだ。

 手頃なテーブルの上にとまり、「キィッ!」と鋭い鳴き声を漏らす。

 少女は風に吹かれる金色の髪を押さえ、僅かに苦戦しながらも窓を閉める。

 鍵を締めるとホッと胸を撫で下ろし、鷲がいるテーブル脇の椅子に腰掛けた。

 

「ねえねえ、鷲さん、聞いてくれる?」

 

 彼女以外に人のいない室内で呟くと、呼び掛けられた鷲は言葉がわかっているかのように首を傾げた。

 これ幸いと、少女は鷲の羽を撫でながら言う。

 

「お兄様ったら酷いのよ?自分はあちこち飛び回っているのに、私には外に出るなって言うの」

 

「キィッ!」

 

「そうよね、酷いわよね」

 

 この場にはいないが、彼女の個人的な友人でもある使用人に言うように、少女は鷲へと愚痴を漏らす。

 

「お兄様、昔は冒険者だったのに、私が冒険者になるって言ったら大反対でさぁ」

 

 机に突っ伏しながら、遥か下に見える都の景色を眺めた。

 様々な土地から、様々な人が、様々な目的で訪れ、()()()()()()自由を楽しんでいる。

 ぼぉっと窓を外を眺めていると、鷲が(くちばし)で少女の髪を撫でた。

 鷲に励ませるなんて考えるが、鷲は鷲だ。たぶん髪についた汚れでも見つけたのだろう。

 

「──この際、壁でも蹴り破ろうかしら」

 

「キィッ!?」

 

「冗談、冗談。そんな事出来ないわ」

 

「キィ……」

 

「……本当に、私の言葉わかってるのね」

 

 色々とリアクションを返してくれる鷲の姿に苦笑を漏らし、荒唐無稽な計画をいくつか絞り出す。

 どうせ失敗に終わるだろうが、骰子(サイコロ)は振ってみなければわからないのは誰しもが知る事だ。

 しかし、今の自分にはそれを振ることすら許されていない。それには、納得がいかない。

 自分の立場というものも理解しているが、一度でいいから家出(ぼうけん)がしてみたい。

 少女は知っている。西の辺境には、世のため人のため、悪名高い盗賊を倒して回っている英雄がいることを。

 少女は知っている。西の辺境には、ゴブリンばかりを倒して回っているなんか変なの(えいゆう)がいることを。

 だが、少女は知らない。その英雄たちの顔を。

 見たことがないものを見てみたいと思うのは、誰しもが持つ権利だ。

 権利ならば、それを振りかざして何が悪いと言うのだ。

 

「うん。……そうよね」

 

 ──―なら、見に行けば良いじゃない。

 

 少女の口から漏れた言葉に、鷲は何の事だと首を傾げた。

 少女は希望に満ちた瞳で鷲を見ると、椅子を倒しながら立ち上がる。

 

「私、家出(ぼうけん)するわ!」

 

 金色の髪を揺らし、瞳を希望に輝かせる姿に、鷲は居心地悪そうに自分の羽を弄る。

 高らかに宣言した少女の顔は、あまりにも──―。

 

 

 

 

 

「……似ているな」

 

「え?」

 

 不意に漏らされたローグハンターの呟きに、見つめられていた女神官は首を傾げた。

 都に入って数分。鷲との視界共有を切ったローグハンターが開口一番に漏らした言葉には、流石の銀髪武闘家も困惑を隠しきれない。

 だが何か聞き出そうにも、彼は顎に手をやって何やら考えている様子だ。

 

 ──今は話しかけない方が良いかな。

 

 その真剣な表情に、銀髪武闘家は遠慮して声をかけることを避けた。

 

「やあお嬢さん。道案内はどうですかな?」

 

「え、あ、わた──!?」

 

 不意に声をかけられ、そちらに目を向けた銀髪武闘家は目を見開いた。

 彼女に声をかけたのは、背中を曲げた老爺(ろうや)だ。

 だが、その老爺は右腕の肘から先がなく、神殿に行く金すらないのか、見るからに不浄な包帯が適当に巻かれている。

 ぎょろりと剥かれた瞳の片方も、硝子のように曇っている。何者かに焼かれたのだろう。

 痛々しい姿の物乞いに、銀髪武闘家は音を出さないように金貨を取り出し、そっと老爺に握らせた。

 考え事中のローグハンターも、すれ違った後輩と談笑する女魔術師も、父親に見つからないように馬車の影にいる令嬢剣士にも気付かれた様子はない。

 

「道案内は必要ありません。その、行きますね」

 

「ありがとうございます……!ありがとうございます……!」

 

 神でも崇めるように跪いた老爺の姿に、銀髪武闘家はあわあわと慌て始める。

 

「……む。どうかしたのか」

 

「う、ううん!何でもない」

 

 不意にかけられた声に、彼女は声を上擦らせながら答えると、そそくさとその場を後にした。

 取り残された老爺が醜悪なまでの笑みを浮かべ、受け取った金貨を弄んでいた事にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 そんな出来事から更に数分して、冒険者たちはようやく至高神の神殿へとたどり着いた。

 水の街では大きな社であったが、ここにあるのはそこらの神殿と変わらない。

 尤も、辺境の神殿に比べれば大きいのは言わずもがなである。

 馬車の神殿の前へ止め、剣の乙女が女官の手を借りて降りたと同時に、彼女の到着を聞き付けた侍祭たちが神殿でから飛び出してきた。

 英雄を見る子供のように目を輝かせる侍祭たちに、剣の乙女は母親を思わせる微笑を浮かべて受け入れた。

 ローグハンターは門の前とは別人のような彼女の姿に苦笑を漏らし、単刀直入に問いかける。

 

「それで、宿はどうすればいい。前回のように神殿に泊めてくれるのか?」

 

 ローグハンターが問うと、剣の乙女は侍祭たちに向けるものとは違う笑みを浮かべながら答えた。

 

「はい。空いている部屋をお使いくださいまし」

 

「わかった。ついでに訊くが、近場に書庫か知識神の寺院はないか」

 

「でしたら、この神殿に書庫がありますわ。調べ物ですか?」

 

「そんなところだ」

 

 ローグハンターが頷くと「でしたら案内いたしますわ」と剣の乙女が申し出たが、そこに待ったをかけられた。

 誰でもない、銀髪武闘家によってだ。

 尤も、彼女が何か言ったわけではない。単純に、彼女の腹の虫が鳴っただけの事だ。

 腹を押さえて赤面する銀髪武闘家に目を向け、ローグハンターは苦笑を漏らす。

 

「その前に食事だな。おまえらは」

 

 彼の確認に真っ先に答えたのは女魔術師だ。

 彼女は眼鏡の位置を直すと、照れ臭そうに笑みながら言った。

 

「私は一旦学院に顔を出します」

 

「わ、わたくしは魔術師さんについていきますわ」

 

「私もです」

 

 そこに令嬢剣士、女神官が続くと、妖精弓手が「私も私も!」と身を乗り出した。

 鉱人道士は髭をしごくと、酒臭い息を吐きながら言う。

 

「そじゃま、儂と鱗の、かみきり丸も何か食い行くか」

 

「……む、俺たちと──」

 

「お二人で繰り出して参れ。拙僧らは男衆だけで済ませるゆえ」

 

「そうか。なら、そうするが……」

 

 仲間たちの心使いを受けたローグハンターは、遠慮がちにゴブリンスレイヤーに目を向けるが、「反対する理由もない」と告げられるだけに終わる。

 銀髪武闘家は心なしか嬉しそうに笑うと、ローグハンターの腕を掴んでどこか道の向こうを指差す。

 

「それじゃあ、早速行く──」

 

「前にやることがある」

 

 彼女の声を遮り、ローグハンターは神殿の屋根の上を見上げた。

 まさかと仲間たちが目を合わせるのを無視し、ローグハンターは神殿の壁を登り始める。

 侍祭や女官がいきなりの事態に思わず固まる中、剣の乙女が僅かに声を震わせながら問いかける。

 

「……あの、彼は何を?」

 

「えーと、彼の一族に伝わる儀式みたいなものらしいです」

 

 銀髪武闘家が目を逸らしながら言うが、その彼は既に神殿の屋根の上だ。

 街を一望までとはいかなくとも、近場の地形を見るには十分な高さ。

 ローグハンターは正義と秩序の象徴である天秤と剣の紋様を上に仁王立つと、周囲の地形を瞬時に叩き込んだ。

 そして神殿の中庭に放置されていた干し草の山を見つけ、そこに向かって身を投げた(イーグルダイブ)

 服や鎧についた干し草を払いながら、なに食わぬ顔で戻ってきたローグハンターに、銀髪武闘家の鉄拳制裁が下されたのはもはや言うまでもないことだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 散策

 都には、冒険者ギルド結成よりも長い歴史を持つ店が多い。

 喫茶(パール)に始まり酒場(タヴェルナ)大衆食堂(ガーネナ)料理店(ケーナティオ)と、店と一口に言っても多くの種類があるのだ。

 通りを埋める人々の隙間を縫うように進むローグハンタ──眼帯は外している──と銀髪武闘家は、様々な飲食店を観察しつつため息を漏らした。

 

「いやー、出てきたは良いけどお店だらけだねぇ」

 

「まあ、都だからな」

 

 銀髪武闘家が困り顔で笑うと、ローグハンターは小さく肩を竦めた。

 自分の故郷にも様々な店があったが、果たしてどちらが多いだろうか。

 ローグハンターは顎に手をやり、ふと目についた店の看板を睨んだ。

 

「ふぅむ……」

 

「どうかし──って、ああ」

 

 小さく唸ったローグハンターにつられ、銀髪武闘家もその看板に目を向けた。

 そして合点がいったように頷くと、口元に手をやって可笑しそうに笑んだ。

 彼らの視線の先にある看板は、丸くなって眠る狐を模した紋様が刻まれている。

 彼らからしてみれば慣れ親しんだ、ある意味頼れる看板だ。

 

「俺たちの拠点は支店だったようだな」

 

「そうみたいだね。そんなわけで入ってみよ~!」

 

 銀髪武闘家はそう言うと、彼の手を引いて店の自由扉を潜る。

 途端に聞こえるのは、外の雑踏とは違う猥雑な喧騒だった。

 冒険者と思われる一団から、長旅を疲れを癒しに立ち寄った旅行客と、様々な人が思い思いに食っては飲み、時には賭け事に興じている。

 静寂とはほど遠いが、ここにあるのは確かな平和だ。喧嘩沙汰がなければ、人が思い気のままに過ごせるのはなんと素晴らしい事か。

 ローグハンターと銀髪武闘家は顔を見合わせると、人混みを掻き分けて店のカウンター席を目指した。

 いつものようにカウンター端の席につき、銀髪武闘家がその隣に腰掛ける。

 そんな二人に声をかけたのは──、

 

「いらっしゃいって、なんだ、おまえらか……」

 

 小洒落た衣装に身を包み、目深くフードを被った男性だ。

 男性は額に手をやり、露骨に困った顔をしてため息を漏らした。

 ローグハンターは苦笑を漏らし、その男に言う。

 

「久しぶりだな、狐」

 

「だから、店主と呼べ店主と!」

 

 狐と呼ばれた男性──店主──は、いつものようにローグハンターを注意すると、再びため息を漏らした。

 

「まったく、おまえらまで出てくるとは思わなかったぜ」

 

「俺もだ。店主がいないと聞いたときは驚いたが……」

 

 ローグハンターはそう言うと店内を見渡し、小さく肩を竦めて微笑を漏らした。

 

「昇進でもしたのか?」

 

「こっちが俺の店だよ。向こうのは軌道に乗るまで面倒見てただけさ」

 

「ほぇ~」

 

 心底興味なさそうに声を漏らした銀髪武闘家に、店主は「おまえらしい反応だな」と腕を組んだ。

 

「それにしても、仕事か?観光じゃあないだろう」

 

「そうだ。余り深くは聞くな」

 

「わかってるさ。冒険者は信頼が第一、だろ?」

 

 店主が片眉をあげながら言うと、ローグハンターは無言で頷くに止めた。

 銀髪武闘家はメニュー表を拝借すると、じっと目を細めて料理名と値段を吟味する。

 何も彼女は、目についたものを適当に食べているわけではない。しっかりと財布と相談しているのだ。

「ぐぬぬぬ」と小さく唸る彼女を他所に、ローグハンターは店主から受け取ったメニュー表を一瞥するとカウンター上へと置く。

 そして口を開こうとすると、それを店主が手で制する。

 

「いつものはなしだ。もう昼だ、ちゃんとしたものを腹に入れろ」

 

「むぅ。まあ、それはそうだが……」

 

 そう言うと再びメニュー表を手に取り、穴が空くのでは思えるほどに睨み始めた。

 横の銀髪武闘家はある程度決まったのか、ローグハンターの決定を待っているようだ。

 手持ち無沙汰なのか、彼のメニュー表を覗きこんであれやこれやともの申している。

 彼女の意見を取り入れたら最後、ローグハンターには食べきれない量が出てくるわけだが、それは彼が最も承知している事だ。

 二人で肩を寄せあい、一つのメニュー表を見つめるその姿は、端から見ても恋人同士そのもの。

 周囲から僅かに羨むような視線が集まるが、当の二人はそんなもの気にした様子もなく、その姿勢を崩す様子はない。

 店主は頬を掻くと、「で、何を頼む」と二人を急かす。

 ローグハンターは「そうだな」と呟き、銀髪武闘家に目を向けた。

 

「お前に任せる。どうせ食うのはお前だ」

 

「その言葉を待ってたよ!よーし、じゃあねぇ」

 

 通りすがりの只人女給を呼び止め、メニュー表片手に指差し確認をしながら注文していく。

 彼女の姿を横目で見つつ、ローグハンターは店主に問いかけた。

 

「友人に会いに行ったと聞いたが、無事に会えたか」

 

「ああ、問題なくな。変わりなく元気だったよ」

 

 店主は微笑みながらそう言うと、ほんの僅かではあるが不機嫌そうに目を細めた。

 

「……何かあったのか」

 

「まあ、少しばかり、意見の食い違いがあった程度だ。仕事の幅を広げようにも、人手が足りなくてな」

 

 カウンターに肘をつき、両手を顔の前で組ながら言うと、ローグハンターは僅かに眉を寄せて問いかける。

 

「そいつの職業は、やはり宿の主人か?」

 

「いや、劇場の支配人だ。自分で本を書いたり、読み書きを教えていたりもする」

 

「器用な奴だな」

 

「ああ。とんでもなく器用な奴だ」

 

 店主がそう締め括ると、銀髪武闘家も注文が終わったのか、二人の方に向き直る。

 何やら真剣な顔をしている二人に交互に目を向け、小さく首を傾げる。

 

「何の話をしてたの?」

 

「店主の知人についてだ。劇場の支配人だそうだ」

 

「ほぇ~、劇場ねぇ」

 

 ローグハンターが言うと、銀髪武闘家はカウンターに突っ伏しながら体を伸ばした。

 カウンター板と体に挟まれ、彼女の豊満な胸が潰れて形を歪めると、周囲──特に男性──からの視線が集まる。

 その男性たちは友人女性や恋人家族から折檻を受けるが、銀髪武闘家は気にした様子もなく鼻唄を歌っている。

 何とも無防備な彼女の姿にため息を吐くと、ローグハンターは出された水を一口あおる。

 喉を降りていった冷たい感覚を堪能すると、フッと鼻を鳴らして彼女に告げた。

 

「興味なさそうだな」

 

「ふぇ?」

 

 単刀直入な彼の言葉に、銀髪武闘家は何とも間の抜けた声を漏らす。

 机に突っ伏す彼女の髪を優しく撫でながら、ローグハンターは微笑を浮かべた。

 

「まあ、俺としてもそれどころじゃないのが本音だが」

 

「え、あー、もしかして、あの話?」

 

「ああ。関わりはある」

 

 銀髪武闘家が赤面しながら問うと、ローグハンターは至極真面目な顔で頷いた。

 あの話というのは、十中八九住む家をどうするかという話だろう。

 銀髪武闘家は真っ赤に染まった両頬を手で隠し、ローグハンターに背を向けて視線から逃れた。

 銀髪の髪から覗く真っ赤な耳が、今の彼女の心境を物語る。

 店主は肩を竦めながらため息を吐くと、ローグハンターに向けて言った。

 

「お前は、こいつが関わると回りが見えなくなるな」

 

「……?見ているつもりだが」

 

 首を傾げて疑問符を浮かべる彼に、きっと悪気はないのだろう。

 純粋に彼女の事を想い、彼女との未来を想っているだけだ。

 それを止めるつもりはない。愛する人との未来を思って何が悪い。

 だが、その話をするのはここではない事は確かだ。

 

「その話は宿でやれ。ここには飯を食いに来たんだろ?」

 

「それもそうなんだが、ふむ……」

 

 店主の尤もな意見に頷きつつ、ローグハンターは顎に手をやり天井を仰ぎ見た。

 何かを聞きたい様子だが、店主に聞くべきかを悩んでいるのだろう。

 銀髪武闘家がほんの僅かな不安を孕ませる中、さっさと終わらせたい店長が話を切り出す。

 

「悩み事なら聞くぞ?人生経験なら俺の方が上だ」

 

「そう、だな。なら、一つ聞いても良いか」

 

「ああ。今は部屋を提供出来ないからな、そっち方面で頼ってくれ」

 

「助かる」

 

 ローグハンターは一言礼を挟むと、姿勢を正した。

 銀髪武闘家の両親に挨拶した時と同様か、あるいはそれ以上に真剣な面持ちである。

 その横顔に見惚れて頬を朱色に染める彼女を他所に、ローグハンターは一切躊躇せずに問題を告げた。

 

「大司教に言い寄られてな。下手に断ると、あいつが壊れそうで怖い」

 

「──―え!?」

 

 突然の告白に、理解するための僅かな間を開けて銀髪武闘家が変な声を出すと、店主は顎を擦りながら人差し指を立てた。

 

「まず、お前が惚れているのは誰だ?」

 

「こいつだ」

 

「はぅ……っ!」

 

 ローグハンターは銀髪武闘家を見つめながら即答した。

 彼がどう回答するかをわかっていたものの、面と向かって言われた彼女は顔を両手で隠しながら俯く。

 店主はその答えに満足そうに頷くと、人差し指に続いて中指を立て、さらに問いかけた。

 

「次に、その大司教が放っておけない」

 

「……ああ。あいつは、下手に突き放したら冗談抜きに壊れるかもしれん」

 

 ──もう壊れているかもしれないが……。

 

 ローグハンターは口には出さないがそう続け、差し出された水を一口あおる。

 店主は悩ましげに息を吐くと、銀髪武闘家に失礼を承知で言った。

 

「俺の知り合いならこうしただろう、でも良いか」

 

「構わない。何でも良いさ」

 

 ローグハンターが言うと、店主は清々しいまでの笑みを浮かべて両腕を広げた。

 

「どっちもものにすれば良い」

 

「……俺にはない感性の持ち主だな、あんたの知り合いは」

 

 額に手を当てて項垂れる彼と、軽く放心する銀髪武闘家。

 店主が「参考になったか?」と問うと、彼の口から「どうだかな」と消え入りそうな声が返された。

 一人の女性の事を想い、どこまでも真剣な目を出来るのは良いことだ。

 店主がよく知る人物も、このくらい一途なら無駄なトラブルもなかっただろうに……。

 

 ──まあ、今考えた所でどうにもならないがな。

 

 店主は早々に思慮を切り上げると、ローグハンターに言った。

 

「お前は真面目過ぎるんだよ。もう少し馬鹿になったらどうだ?」

 

「馬鹿になれ、か」

 

 ローグハンターがぼそりと漏らすと、銀髪武闘家が彼の手を取った。

 彼女の表情はかなり不安げなものであり、瞳には覇気がない。

 ローグハンターは優しく彼女の手を握り返すと、彼女の瞳を覗き込みながら言った。

 

「だが、お前に向ける気持ちは変わらない。変えるつもりもない」

 

「でも、大司教様の事も気になるんでしょ?」

 

「気になると言っても、そういった感情はないぞ」

 

「それは良いんだけど、その、ねぇ?」

 

 銀髪武闘家が助けを求めるように店主に目を向けると、彼はやれやれと首を左右に振る。

 

「かつて世界を救った英雄の恋人が既婚者だったら、回りが黙っていないぞ?」

 

「英雄?それ以前にあいつは女だろうに」

 

「「………」」

 

 至極真面目な顔で返され、銀髪武闘家と店主は顔を見合わせてため息を漏らした。

 

 ──―誰にも分け隔てなく接し、助けを求められれば躊躇いなく手を差し伸べる。

 

 それが銀髪武闘家が惚れた彼の長所であるが、それは逆に『他人の問題まで背負い込む』という短所でもある。

 ようやく出てきた料理の数々に、銀髪武闘家はかじりついた。

 乱れた自分の心を落ち着かせるように。

 ほんの僅かな怒りを叩きつけるように。

 

 

 

 

 

 都にあるのは、何も酒場だけではない。

 この国の中心たるその場所には、数多の魔術師を輩出してきた学院がある。

 

「うわぁ……」

 

 学院の正門を前にした女神官が、それを見上げながら感嘆の息を漏らす。

 教会ともまた違う意匠により建てられた学院は、何ともお堅い印象を受ける。

 大理石を積み重ね作られたそれは、城壁ほどではないがかなりの歴史があるものだろう。

 敷地の中央に聳える尖塔は、天を貫かんばかりに高い。

 どこぞの銀等級冒険者が見れば、間違いなく登る。きっと、止まる間もなく飛び付くだろう。

 彼女の隣で同じく門を見上げていた妖精弓手は、その瞳をキラキラと輝かせ、まだかまだかと身震いしていた。

 この学院の卒業生たる女魔術師は一人で中に入り、諸々と手続きをしてくれているのだ。

 魔術師とは知識の探求者、おいそれと部外者を敷地に入れるほど気安くはない。

 まあ、そんな彼らも一歩外に出れば丸くなるのは周知の事実だ。

 令嬢剣士が外套を被ったまま、二人に言った。

 

「わたくしも一度入った事がありますけれど、中々に興味深いものばかりでしたわ。一日二日では全てを見切れませんほどに」

 

「え、あんたも入ったことあるの?」

 

 妖精弓手が目を丸くしながら問いかけると、令嬢剣士は「ええ」と小さく頷いた。

 

「わたくしも術を扱うのをお忘れですか?」

 

「そういえば……」

 

 女神官が唇に指先を当てながら言うと、妖精弓手も「使ってたわね」とぼそりと漏らす。

 ローグハンターと一緒に仕事をしていると、いつの間にか後衛も前衛もなくなるというのが何とも不思議なもので、令嬢剣士とて例外ではない。

 本来後衛である女魔術師も、初めて出会った頃とは体捌きに雲泥の差があるだろう。

 その彼女が書類片手に小走りで戻ってくると、令嬢剣士が問いかけた。

 

「魔術師さん、首尾はいかがですか?」

 

「問題ないわ。話は先生の所に行ってからね」

 

 女魔術師はそう言うと、「こっちよ」と友人たちを先導していく。

 途中すれ違う後輩たちの挨拶に笑顔で答えつつ、校舎と思われる建物の中へ。

 土足で入ることを躊躇うほどに清潔に保たれたその場所、女魔術師は慣れた様子で突き進む。

 長い廊下を右に左に曲がり、ようやくたどり着いた扉の前で立ち止まる。

 女神官らには理解できない、何とも複雑な紋様が刻まれたその扉は、何かしらの術がかけられているのだろう。

 女魔術師が扉を叩くと、内側から「どうぞ」と女性の声が返ってくる。

 僅かに首を傾げてから、一度咳払いをして「失礼します」と告げて扉を開く。

 彼女に先導され、女神官たちは部屋へと雪崩れ込む。

 部屋へと入った女神官は、思わず息を吐いた。

 壁には神話の風景を切り取った絵画が飾られた、その上には歴代の校長のものと思われる肖像画がいくつか並んでいる。

 部屋の中央には長机を挟むようにソファーが並び、上にはいくつかのティーセットが用意されていた。

 そして、彼女の正面。窓を背にした事務机につく女性が、ゆらりと立ち上がった。

 女魔術師がかつて着ていたものとよく似たローブを身に纏い、頭には三角帽子。

 机に立て掛けていた杖を手に取ると、腰にまで届くほどの長い髪をマントのように翻した。

 窓から差し込む光に照らされ、黒い髪が美しく輝く。

 三角帽子の影から見えるのは、艶のある黒い髪と同じ黒い瞳だ。だが、その瞳孔はわずかに蒼い。

 その胸は豊満で、くびれた腰から肉感的な尻へのラインは、もはや芸術的と言っても良い。

 その女性はかつかつとヒールの音を響かせながら前に出ると、三角帽子の鍔を人差し指で撫で、くいっと持ち上げてその顔を覗かせた。

 

「やっ!久しぶりだね、優等生くん!」

 

 ニカッと笑いながら女魔術師に挨拶すると、それを受けた彼女は三角帽子で顔を隠しながらため息を吐いた。

 まるで会いたくもない相手に会ったような反応だが、おそらくそうなのだろう。

 いくら待っても挨拶を返さないからか、女性教諭は下から彼女の顔を覗きこむ。

 

「どうした、風邪か?病気か?何なら私特製の薬を出すか?」

 

「結構です、先生。いつの間に校長の椅子に座るようになったんですか?」

 

 女魔術師がどこか冷たい声音で言うと、女性教諭は「おー、怖い怖い」と手をひらひらと振りながら一旦下がった。

 そして一度咳払いをすると、行儀悪く事務机に腰掛け、指の間で火の消えた煙管(きせる)を弄びながら言った。

 

「叔父だった前校長が病気で倒れてね、暇していた私に白羽の矢がたったわけさ。冒険者にでもなろうとしていたのに」

 

「……貴方が校長だなんて、世も末ですね」

 

「相変わらず冷たいねぇ!」

 

 女魔術師の反応に豪快に笑って受け流すと、客人である女神官らに目を向けた。

 

「友人にはそんな態度じゃあないだろう?キミは友人には優しい奴だからな。おお、まるで猫のようだ!」

 

 女性教諭は早口でそう言うと、僅かに赤面する女魔術師に一瞥くれると、どこか嬉しそうな笑みを溢した。

 

「まあ、友人が多いのは良いことだ。ここの学生たちは、一度別れたらもう一度会うことは難しい」

 

「冒険者になったり、学者になったり、どこかを目指して旅に出たり、ですよね」

 

「そうそう。何をするかを決めるのは自分だからねぇ。私たち教師は、単純に道を示すだけさ」

 

 女魔術師の言葉に、女性教諭は煙管をくわえながらそう言った。

 

「それで友人たち。見学かい?」

 

「え、あ、はい」

 

 突然の問いかけに女神官が答えると、不意に女性教諭が立ち上がり、彼女へと歩み寄った。

 身を屈めて視線を合わせ、鼻が触れあいそうなほどの距離にまで顔を近づける。

 ほんのり香る臭いは、何かの薬品のものなのか、とても独特なものだ。

 

「あ、あの……」

 

「……」

 

 困惑する女神官を他所に、女性教諭はじっと彼女の瞳を覗きこんだ。

 黒い瞳の奥に輝く蒼い輝きに、心の奥底まで見透かされたような錯覚を覚える。

 人によっては、既視感を覚えることだろう。その眼光は、まるで鷹のようだ(・・・・・)

 女神官が気まずそうに僅かに目を逸らすと、女性教諭は楽しそうに笑みながら彼女の顎先を人差し指で撫でた。

 

「可愛いなぁ、食べてしまい──―」

 

「ストップ!」

 

 何やら危険な事を口走った女性教諭の頭に女魔術師の杖が振り下ろされ、何かが砕けるような鈍い音が部屋に響いた。

 殴られた頭を擦りながら、女性教諭は言う。

 

「いったいなぁ。脳が割れたらどうするんだい」

 

「知らないんですか、脳は二つに別れてます」

 

「ん?あー、そうだっけか」

 

 女性教諭はそう言いながら「《インフラマエ(点火)》」と真に力ある言葉を紡いで煙管に火をつけた。

 ほっと円形の煙を吐き出し、小さく笑みを漏らした。

 

「知ってるかい?真に力ある言葉も、一つだけならそこまで魔力を使わないんだ」

 

「……先輩の冒険者から教わりました」

 

 女魔術師がいつかに魔女に教わった事を思い出しながら返すと、女性教諭は興味深そうに笑んだ。

 

「ほぅ。その冒険者、中々に勤勉なようだ」

 

 再び煙を吐き出すと、「よし」と頷いて灰皿に灰を落とす。

 

「では、案内しようじゃあないか」

 

「書類はどうするんですか」

 

「気にするな。すぐに終わる量だ」

 

 そう言いながら彼女が目を向けたのは、山になっている書類の束だ。

 令嬢剣士が「終わる量ではないですよね……」と漏らすと、女性教諭は「終わるさ。明日になる頃にはね」と返して歩き出す。

 女魔術師は額を押さえてため息を吐くと、ぽかんと間の抜けた顔をしている友人たちに「行きましょう」と声をかける。

 女神官たちは慌てて彼女の後を追いかけ、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 赤いカーペットの敷かれた長い廊下を進みながら、女性教諭は上機嫌そうに鼻唄を歌っている。

 後ろに続く彼女らが知らない歌だが、女魔術師だけはどうせ自作したものだろうと目星をつけた。

 

「ここが講義室だ。今は──誰も使ってないな、お邪魔しまーす」

 

 女性教諭が説明混じりに扉を開き、そのまま中へと入り込む。

 女魔術師らもその後に続いて中に入り、久々の場所に女魔術師は小さく息を漏らした。

 壁と一体となる黒板と、講師が立つと思われる教壇が置かれ、そこを中心に扇状に長机が立ち並ぶ。

 

「ここでは魔術の基本理論や、真に力ある言葉とその意味を教える。まあ、今は空っぽだがね」

 

「難しそうねぇ」

 

 妖精弓手が教室を見渡しながら言うと、女性教諭は「簡単なら学院は必要ないよ」と笑い混じりに告げた。

 

「ふむ、この時間なら実習だろうな。見に行くかい?魔術師の卵たちを」

 

 意味深な笑みと共にそう言うと、彼女らの答えを聞くまえに歩き出した。

 彼女に案内されている以上追いかける他なく、女魔術師がため息を吐いた。

 

「昔からあんな感じなのよ。変わっているのも、駄目な方向に」

 

 後ろの友人たちにだけ聞こえるように言ったのだろうが、女性教諭にも聞こえていたのか、ふわりと黒い髪を揺らしながら振り向く。

 

「そうとも、私は変わり者さ。なのに校長させられているんだぜ?嫌になるよ」

 

 それが彼女の本心なのだろう。心底嫌そうな面持ちでそう言った。

 妖精弓手は肩を竦めると、「ホント、退屈しないわ」と苦笑を漏らす。

 世界は広く、そんな世界に生きる者に、同じ人物は一人とていないのだ。

 

 

 

 

 

 学院の演習場。

 学生の頃の女魔術師が毎日のように通ったその場所には、多くの学生たちが集っていた。

 各々が得意な魔術を行使し、ある時は魔術書片手に新たな術に挑戦する。

 

「は、謀ったわね!?」

 

 そんな彼らの姿を見ていた女魔術師が女性教諭に掴みかからん勢いで詰め寄るが、当の彼女は「何の事かな~」とどこ吹く風だ。

 女魔術師の視線の先にいるのは、彼女同様の赤い髪に眼鏡をかけた少年だ。

 必死に杖を振り、『火玉(ファイアボール)』を放って的を焦がしている。

 少年はその結果に嬉しそうにガッツポーズをすると、視線を感じたのか女魔術師と女性教諭の方へと目を向けた。

 そしてそこにいる人物を視界に納め、誰なのかを認識した途端に、顔を真っ赤にさせて女魔術師を指差した。

 

「な、なんでこんなところにいるんだよ!?」

 

「も、戻ってきちゃ悪い?元だけど、私だって学生なのよ?」

 

 深呼吸をして無理やり自分を落ち着かせると、その少年の言葉に努めて冷静に返す。

 女神官は二人の顔を交互に見つめ、「似てますね」とぼそりと呟いた。

 妖精弓手と令嬢剣士が同意を示して頷くと、「そりゃ、弟だからねぇ」と女性教諭が煙管を弄びながら他人事のように漏らした。

 

「「「え………」」」

 

 その呟きに事情を知らぬ三人がほぼ同時に声を漏らし、件の二人に目を向ける。

 女魔術師は赤面しながら顔を背け、少年魔術師は「な、なんだよ……!」と照れながら語気を強める。

 間の抜けた表情の冒険者三人と、赤面する姉弟二人に、女性教諭は悪戯っぽく笑んだ。

 

「いやー、若いっていいねぇ」

 

 その呟きは誰にも聞こえず、演習場の喧騒に消えていった。

 

 

 

 

 

 学院、校長室。

 

「さて、楽しんで貰えたかい?」

 

 女性教諭が満足そうに笑んで両腕を広げながら言うと、女魔術師は疲労困憊と言った様子でソファーに腰かけていた。

 あれからというもの、久々に会った姉弟が話している間に女性教諭が女神官らを連れ回し、意図的に彼女を孤立させたり、偶然を装って見つけた彼女の論文を音読したりなど、徹底した精神攻撃を行ったのだ。

 女神官は「大丈夫ですか?」と純粋な心配からか、丸くなった彼女の背を撫でている。

 妖精弓手は「何だかんだで楽しかったわね!」と上機嫌そうに長耳をひくひくと揺らし、令嬢剣士は「たまには良いですわね」と笑んだ。

 そんな彼女らの様子を伺いつつ、女性教諭は女魔術師の左手首に目を向けた。

 

「それにしても、キミが金物を身につけるなんてね」

 

「ああ、これですか……?」

 

 そう言いながら顔を上げ、リストブレードを抜刀して見せると、女性教諭が僅かに目を見開いた。

 そして興味深そうにその刀身に手を触れると、「ほぉ……」と息を吐く。

 

「これはどこで?」

 

「ゴブリンに占拠された砦です。武器庫に転がってました」

 

「ふぅん」

 

 女性教諭が顎に手をやって息を吐くと、真剣な面持ちで問いかけた。

 

「知り合いに、それと同じものを持っている人はいるかい」

 

「……?どうして聞くんですか」

 

 女魔術師が問い返すと、女性教諭は「いや、気にするな」と手短に返す。

 令嬢剣士も僅かに疑問符を浮かべたが、すぐに切り替えて女魔術師らに言う。

 

「それでは、そろそろ行きましょうか。見たい場所があるのでしょう?」

 

「そうね。温泉だっけ?そこに行きたいわ」

 

「ふふ、前に入ってから、ずっと言っていますよね」

 

 妖精弓手の進言に、女神官は苦笑混じりに頷いた。

 女魔術師が「とりあえず、疲れを取りたいわ……」と続けば、次に行く場所は決まったようなもの。

 女性教諭は微笑ましいものを見たという風に四人を見ると、手をひらひらと振りながら言う。

 

「では、私は仕事を片付けなければならないのでね。さあ、行った行った」

 

「言われなくても行きますよ……」

 

 女魔術師はそう返すと、杖をその用途通りに使いながら「よっこらしょ」と声を漏らして立ち上がる。

 女性教諭が「年寄りみたいだなぁ」と漏らしたがそれを無視し、「失礼しました」と一礼して部屋を後にする。

 妖精弓手と令嬢剣士もその後ろに続き、最後尾の女神官が退室した時だ。

 

「……アサシンブレードをゴブリンが扱おうとした?ふぅむ、興味深い」

 

 女性教諭は不気味に笑みながらそう漏らし、机に仕舞われた本を取り出した。

 表紙には何も描かれておらず、ページをめくっても何かが書かれているわけでもない。

 そう、ただ見ただけではそう見えるのだ。

 彼女は目を閉じ、何言か呪文を唱えると、数分かけて神経を研ぎ澄ませ、呼吸を止めて目を開く。

 視界が暗くなり、生徒たちの声がより遠くに聞こえるようになると、ページに光る文字が浮かび上がった。

 額に脂汗を浮かべながら読み進めるが、途中で読むのを止めて本を閉じる。

 異常に痛む頭を押さえ、額に浮かぶ脂汗をローブの袖で乱暴に拭う。

 

「──全ての感覚を研ぎ澄まし、音を見て、形を聞く。言葉にすれば簡単なんだけどね」

 

 何年も前に彼女が出会った人物から聞いた、人間だけが持つ力(タカの眼)を扱う方法。

 外の世界の力という本来なら扱えない筈のものを、呪文を使って五感を強化して無理やり使っているわけなのだが──。

 

「これは、無理かな。負担が馬鹿にならない……」

 

 数年かけても、実用化には至らない。

 強化するということは、集中を切らせばその反動が一気に押し寄せてくるということだ。

 もし、この力を手足のように扱える人物に出会えたなら。

 

「コツでも聞いてみたいものだよ……」

 

 女性教諭はそう漏らし、書類の山と格闘し始めた。

 それを捌く速度はもはや異常の一言だ。

 書類を捌く彼女の手には、何やら指輪が填められていた。

 どこにでもありそうなシンプルなデザインではあるが、そこに異様なものがあった。

 指輪の台座に置かれた宝石に、アルファベットの『A』を思わせる紋様が刻まれているのだ。

 この世界に根付き始めた彼ら(教団)には、肝心のものが欠けている。

 

 闇に生き、光に奉仕する者が。

 

 人々の自由と平穏を守る、何者にも負けない強き戦士(アサシン)たちが。

 

 まだ、足りないのだ──。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory06 物語(シナリオ)は壊される

 学院を後にした女魔術師らが次に訪れたのは、妖精弓手の要望通りの場所だった。

 開放感と清涼感を併せ持つ、高い天井と広々としたロビー。

 いつの間に陽が沈んだのか、天窓からは優しげな月明かりが入り込み、各所に置かれた蝋燭の炎がそれを後押しする。

 それらに照らされる人々はゆったりとした服装で廊下を行き交い、思い思いの過ごし方をしていた。

 

「す、すごいですねぇ……」

 

 酷く落ち着かない様子で周囲を見て回る女神官の姿に、見た目は落ち着いている妖精弓手が目を輝かせ、長耳を揺らしながらくすりと笑った。

 

「それにしても、都ってすごいわねぇ」

 

「あなたたち、さっきからそればっかりね」

 

 何度か来たことがあるのか、女魔術師は手慣れた様子だ。

 見れば、お客の中には学院の生徒と思われる少年少女らの姿もある、彼女もかつては常連だったのだろう。

 同じく都住まいでも、貴族であった令嬢剣士からすれば珍しいのか、真剣な眼差しで首を傾げている。

 

「何だか暖かいですわ。暖炉の類いは見当たりませんのに」

 

「壁の中に温かい空気を通しているんだったかしら。ここを建てた人は、面白い事を考えたものね」

 

 彼女の疑問に女魔術師が答えると、その流れのまま妖精弓手に問いかけた。

 

「それにしたって、森人が温泉に行きたいなんてね。前は火とか水の精がごちゃ混ぜになってるとか言っていなかったかしら?」

 

「えー、そんな事言ったかしら」

 

 何とも他人事のように呟き、「おっ?」と何かを見つけたのかそちらに駆けていった。

 一通り見終えたのか、女神官が「ごめんなさい」と言いながら戻ってくると、入れ違いで飛び出して行った妖精弓手の背中を見送った。

 

「止めなくて良いんでしょうか……」

 

「好きにさせればいいじゃない。初めてなら、だいたいあんな感じよ」

 

 何やら子供たちとはしゃいでいる様子。

 彼女らが囲んでいるのは、男女双面の浴槽神が水瓶を捧げ持つ像。

 子供が貨幣を像の前にある箱に入れると、水瓶から水が溢れ出る。

 妖精弓手が「すごい!」と歓声をあげ、子供にならうようにまた次、そのまた次と貨幣を入れていく。

 その度に水瓶から水が溢れ出るわけだが、妖精弓手は楽しそうに貨幣を投入していった。

 

「……募金にしたって、入れすぎではありません?」

 

「はぁ。止めてくるわね……」

 

 ため息混じりに女魔術師が駆け出し妖精弓手を捕まえるが、その彼女は「もう一回、もう一回だけ!」と手足を振り回して愚図っている。

 厳しい姉に捕まった妹のようだが、あれで一党最年長なのだから世の中わからないものである。

 女神官は困り顔で乾いた固い笑みを溢すと、ふと気がついて目を瞬かせた。

 誰と言うわけでもなく、何となく見られている気がするのだ。

 相手に隠す気はないのか、突き刺さるような視線が自分に向けられている。

 

「神官さん」

 

「は、はい!」

 

 思慮に耽っていた女神官の意識は、令嬢剣士の呼び掛けにより引き戻された。

 思わず声を跳ねさせて返事をしたが、令嬢剣士はそっと目だけを横に向けて何者かの様子を探っているように思える。

 冒険者歴で言えば女神官が上だが、対人の技量に関しては令嬢剣士に軍配が上がる。

 その彼女が、明らかに警戒しているのだ。

 女神官はいまだに粘る妖精弓手と、彼女と獲得する女魔術師に目を向け、そっと令嬢剣士の視線を追った。

 彼女らの視線の先にいたのは一人の兵士。薄汚れた格好からして、仕事終わりに風呂に入りに来たと察しがつく。

 その兵士が、じっと女神官を見ているのである。

 令嬢剣士は顔を寄せ、女神官に問う。

 

「あの、何かしましたの?」

 

「何もしてませんよ。皆さんと一緒に居ましたから」

 

「そうですわね。なら、なぜ……?」

 

 令嬢剣士がほんの僅かに首を傾げると、妖精弓手を引きずる形で女魔術師が戻ってくる。

 引きずられる妖精弓手は「離してよぉ!」と声をあげているが、それは無視している。

 肩で息をしている辺り、中々に苦戦したのだろう。

 

「は、早く入りましょう。時間がなくなるわ」

 

 女魔術師はそう言いながら妖精弓手を解放すると、彼女は不機嫌そうにむすっとしながら服についた汚れを払う。

 

「もう、もっと丁寧に運んでよね」

 

「運ばれる前提なのがムカつくわ」

 

 額に青筋を浮かべる女魔術師から逃げるように、妖精弓手は女神官の手を取ると駆け出した。

 

「さ、行きましょ。ゆっくりつかれなくなっちゃうわ!」

 

「わ、わかりました!わかりましたから、引っ張らないでください!」

 

 女神官の頼みを都合よく聞き流し、妖精弓手は廊下の奥へと消えていった。

 女魔術師は一つため息を吐くと彼女らの後を追いかけ、令嬢剣士もまた追いかけようとするが、

 

「……あら?」

 

 先ほどの兵士がいなくなっていることに気づいて急停止。

 施設内を見渡してみるが、どこかにいる様子もない。

 まあ、あの格好の兵士なら男だろう。なら、出会うこともない筈だ。

 

「何してるの、置いてくわよ」

 

「あ、すぐに参りますわ!」

 

 戻ってきた女魔術師に急かされ、令嬢剣士は小走りで駆け出す。

 その背中を物陰から見つめる兵士の姿にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 女性更衣室に入り込んだ彼女らは、各々の荷物を籠に押し込むと、衣服を脱ぎにかかった。

 回りの女性客──種族は様々だ──にならうように服を畳み、籠に入れていく。

 妖精弓手、女神官、女魔術師はそこまで重装備でもないからすぐに終わるが、革鎧に始まり籠手や外套など、一番の重装備である令嬢剣士はやや苦戦している様子だ。

 

「よっこいしょっと……」

 

 ようやく鎧を脱ぎ終えたら次は衣服だ。

 尤も、こちらはすぐに終わる。手早く脱いで、手早く畳みだけだ。

 

「………」

 

 露になった女魔術師と令嬢剣士の双丘を見つめ、女神官は気付かれないように自分の手に胸を当てた。

 ほんの僅かな敗北感を感じながらも、まだまだこれからですと意気込む。

 彼女の視線に気づいてか、令嬢剣士が苦笑混じりに問いかける。

 

「そう言えば神官さん。香油はお持ちですか?」

 

「はい。その、前に教えてもらって、ちょっと高いのを……」

 

 何とも自信なさげに答えると、妖精弓手がくすりと笑う。

 

「良いの良いの。そのくらいなら、神様だって気にしないわよ」

 

「……あなたは気を付けないさい」

 

 年上ぶる妖精弓手の言葉に、女魔術師が横槍を入れる。

 

「うわ小言だ。この中で一番の年上は私なのよ?」

 

「なら、それ相応の態度を取って貰いたいわね」

 

 女魔術師はそう言うと「お先に」と告げて浴場へと行ってしまう。

「ちょっと待ちなさいよ。洗いっこしましょ」と妖精弓手がその背を追いかけ、取り残された令嬢剣士と女神官は目を合わせて苦笑を漏らした。

 喧嘩するほど何とやらと言うが、彼女らの場合はそうなのだろう。

 令嬢剣士はタオルを持つと、女神官に問いかけた、

 

「わたくしたちも洗いっこしませんか?」

 

「はい。折角ですし」

 

 

 

 

 

 そうして二人で喋りながら体を洗い、途中で妖精弓手と女魔術師も合流して結局四人でそれぞれの体を洗う。

 最後の締めに香油を塗って、ざっと流し、湯船へ。

 浴室も暖気によって暖かく、彼女らが浸かる大きな温浴槽の他、水風呂とその奥にはサウナが据え付けられている。

 それを見つけた妖精弓手が「私、行ってくる!」と駆けていき、「走るんじゃないわよ!」と女魔術師が世話を焼いてその後についていった。

 取り残された女神官と令嬢剣士は顔を見合わせて苦笑を漏らし、二人同時にホッと息を吐いた。

 二人の息が湯気に混ざってドーム状の天蓋へと昇っていく。

 ぽかぽかと全身が暖まると、自然と眠気に襲われる。

 女神官が重たそうに目を細めると、令嬢剣士が「大丈夫ですか?」と声をかける。

 その一言にハッとしながら、女神官は姿勢を正した。

 

「だ、大丈夫ですよ?」

 

「本当ですか~?」

 

「本当です!」

 

 悪戯っぽく言われた言葉に女神官は気丈に返す。

 わざとらしくふんと鼻を鳴らしたのは、強がりたい子供のそれだ。

 令嬢剣士は小さく肩を揺らして苦笑を漏らすと、そっと彼女の髪を撫でた。

 キラキラと光る金色の髪を、痛めないように優しく手で梳す。

 令嬢剣士の突然の行動に、女神官は首を傾げた。

 

「あ、あの……?」

 

「ふふ。わたくしに妹がいれば、こんな感じなのですかね?」

 

「い、妹……」

 

 何度も言うようだが、冒険者歴は女神官が上である。潜り抜けた場数も彼女の方が上だろう。

 だがしかし、彼女は小柄で、保護欲をくすぐる妹のように見えて仕方がない。

 女神官は複雑そうな面持ちで小さく唸ると、じっと令嬢剣士の肢体に目を向けた。

 白い肌よりも更に白い小さな傷痕が、僅かに散らばっているのが見える。

 自分とてそれは同じ事なのだが、自分はゴブリン、彼女は盗賊(ローグ)。危険度でいえばどちらが上か。

 

「……ねぇ」

 

「はい?」

 

 思慮していた女神官に、横合いから声をかけられた。

 令嬢剣士も揃って振り返ると、二人は目を見開いて驚愕を露にした。

 肩口で揃えた金髪に青い瞳。年頃は十五か、十六か。

 だが、令嬢剣士はそんな思考をする暇もなく、弾かれるように自分の隣にいる女神官に目を向けた。

 次いで声をかけてきた少女に目をやり、再び女神官へと目を向ける。

 それから数度同じ事を繰り返し、絞り出すように呟いた。

 

「──似てますわね」

 

 女神官に失礼ではあるが、少女の髪の方が艶があり、肌にも傷一つなく綺麗で、肉付きもしっかりしていて、背も高い。

 湯船に浸かっている都合上、少女から見下ろされているわけだが、令嬢剣士は気にした様子もなく問いかける。

 

「何かご用ですの?」

 

「ちょっと聞きたいんだけど、あなたたちって冒険者なの?」

 

「そうですけど……」

 

 女神官が僅かに警戒心を滲ませながら答えると、少女は「やっぱりね」と得意気に笑んだ。

 そして遠慮なしに彼女らの隣に腰掛け、少女の胸に押されたお湯が跳ねる。

 それを見た女神官は僅かに俯く。神は不公平だ。

 

「ねぇ、職業は?」

 

「わたくしは剣士。こちらは──」

 

聖職者(プリースト)です」

 

 令嬢剣士の言葉は無視しているのか、女神官の方に目を向けて「悪くないわね」と何やら呟いている。

 冒険者二人は顔を見合わせて首を傾げ、女神官が少女に言う。

 

「あの、私たちは一党を組んでおりますので、もし参加者を探しているのなら……」

 

「ああ、違うわ。そういうのじゃないから」

 

 少女が顔の前で手を振りながら言うと、令嬢剣士はほんの僅かに目を細めた。

 

 ──相手の意図もわからない時は、最悪の事態を想定する。

 

 いつかにローグハンターから習った事を意識しつつ、そっとサウナの方に目を向けた。

 女魔術師と妖精弓手が戻ってくる気配はない。女神官を戦力として数えないにしても、体術だけでどうにか出来るだろうか。

 女神官に向けてあれやこれやと質問する少女を監視しつつも、湯船から脱衣場までの距離を推し測る。

 少女が魔術師でもなければ、走れば武器は取りに行ける距離ではある。問題は、湿った石畳に足を取られないかだが……。

 

「参考になったわ、ありがとね」

 

 令嬢剣士の心配を他所に、何か掴んだのか、得意気に笑みを浮かべた少女は水を蹴るようにして湯船から飛び出していった。

 そのまま脱衣場に消えていき、その姿を見ることは出来なくなる。

 

 ──嵐のような人だった。

 

 女神官と令嬢剣士の胸中はその一言であり、二人して何だったのだろうかと瞬きを繰り返す。

 数分しても戻ってくる気配がないと、令嬢剣士は疲れを吐き出すようにため息を吐きながら口元まで湯に浸かった。

 疲れを取りに来た筈なのに、無駄に疲れたような気がしてならない。

 

「いやぁ、なんか逆上せちゃった。すごかったわねぇ」

 

「付き合わされるこっちの身にもなりなさいよ……」

 

 はたはたと真っ赤になった顔を手で仰ぎながら、妖精弓手が戻ってきた。

 その後ろに続く女魔術師は、何とも疲れたといった様子だ。律儀にも妖精弓手に付き合い、無理をしてサウナにこもっていたのだろう。

 妖精弓手はご機嫌そうに長耳を揺らしつつ、女神官と令嬢剣士に問いかけた。

 

「それで、二人も行ってみれば?私は水浴びに行くけど」

 

 彼女の問いかけに女神官は唇に指をあてて僅かに目を思慮すると、「いえ、上がりましょう」とだけ言った。

 令嬢剣士も「そうですわね」と頷くと、他の二人も揃ってあがるに予定を変更。

 ぺたぺたと音をたてながら脱衣場に戻り、各々の荷物がある場所に足を進めたのだが──―。

 

「……あ、あれ?」

 

 女神官のものだけがない。他の三人の物は動いていないのにも関わらず、彼女のものだけが見当たらないのだ。

 妖精弓手と女魔術師の荷物に挟まれる籠に置いたのだから、場所を間違える事も、間違われる事もない筈だ。

 だが、しかし、いくら探しても見つからない。

「あれ……あれっ?」と声は徐々に高くなり、目尻には涙が浮かぶ。

 女魔術師は目を細めると、白い装束の職員に問いかけた。

 

「あの、地母神の神官が出ていかなかったかしら」

 

「は、はい?」

 

 怪訝そうな表情で首を傾げた職員に苛立ちつつも、それを表には出さないように服を探し回る女神官を手で示す。

 

「連れの服が見当たらないの。確認してくれる?」

 

「少々お待ち下さい」

 

 素早く短くそう返すと、職員はさっとその場を去っていった。

 今にも泣き崩れそうな女神官を令嬢剣士が励まし、彼女を手伝って回りの客に聞き込みをしている。

 その姿を一瞥すると、職員が深刻な顔で戻ってくる。

 

「……先程、地母神の法衣を纏った方が出て行かれたそうです。もしかすると……」

 

「そう、なら──」

 

 女魔術師は静かに頷くと、強烈な怒気を孕んだ瞳でどこかにいる犯人を睨み付ける。

 

「──探すわよ、準備して!」

 

「わかっておりますとも!」

 

 撃てば響くような返事をしたのは令嬢剣士だ。

 彼女は女神官を妖精弓手に任せると、自身の装備を手早く着込んでいく。

 

「では、森人さん。神官さんの事、お願いしますわ!神殿で会いましょう!」

 

「え、ええ」

 

 急に生き生きとし始めた二人に困惑しつつ、妖精弓手は確かに頷いた。

 彼女の返事を聞き終えると、女魔術師と令嬢剣士は髪を乾かす間もなく飛び出していく。

 いまだに頭目には届かないにしても、二人はならず者殺し(ローグハンター)の一党を務めているのだ。

 大切な友人から物を盗んだ者を放っておくほど、甘くはない。

 休日気分から一転、狩人となった二人の冒険者は、喧騒の中へと消えていった──。

 

 

 

 

 

 いくつかある都の大通り。

 その一つ一つに名前が付けられ、それに合わせた看板が掲げられているのだが、その文字を読めるのは、通行人の中に果たして何人いるのだろうか。

 

「………」

 

 先ほど武具屋にて購入した投げナイフようのベルトを弄りながら、ローグハンターはちらりと後ろを見た。

 視線の先にいる銀髪武闘家は、今朝とは段違いにテンションが低く、僅かに俯いている。

 なぜかはわかるし、その原因が自分である事も間違いない。

 だが、どうすれば良いのかがわからない。

 自分が惚れているのは彼女であることは間違いない。しかし、剣の乙女には惚れられている。

 彼女の過去に何があったのかは察しがつくし、彼女のためにもその想いには応えてやりたい。だが──。

 先程からずっと同じ問答を繰り返し、ローグハンターは悩ましげに頭を掻いた。

 

 ──剣の乙女に応えた時に、銀髪武闘家はどう思うだろうか。

 

 ──剣の乙女と自分が二人でいる時に、銀髪武闘家はどう思うだろうか。

 

 それを考え、深々とため息を吐く。

 もしも、もしも、といくつも考え、考えた所でどうしようもないという結論に至る。

 誰かの期待に応えるのは良いことだ。良いことである筈だ。だが、それで自分の最愛の人が泣くとしたら……。

 重い足取りを進めつつ、必死に知恵を絞る。

 昼食時に、店主からは何と言われた。

 

『どっちもものにすれば良い!』

 

 その意見を取り入れるのが、言ってしまえば最も簡単なものだろう。

 二人のために生きて、二人と共に明日を見る。それもそれで、有りではあるだろう。

 だが、駄目だ。それで良いと思う度に、喉に小骨がつかえたかのような気持ち悪い錯覚を覚える。

 

 ──なら、どうすれば良い。

 

 真剣にそう思慮した時に、店主から言われたもう一つの助言が脳裏を過る。

 

『お前は真面目過ぎるんだよ。もう少し馬鹿になったらどうだ?』

 

 ──………。

 

 その言葉を思い出すと、ローグハンターは足を止めた。

 彼の後ろを歩いていた銀髪武闘家は俯いていた事もあってか、彼の停止に気付かずに彼の背へと額をぶつける。

 この世界に二つとない黒き真の銀(ミスリル)製の鎧にぶつかったためか、口から「あうぅ……」と間の抜けた声が漏れた。

 赤くなった額を押さえ、目尻に涙を浮かべつつ、顔をあげる。

 

「ご、ごめ──」

 

 謝る前に彼に手を取られ、そのまま裏路地の入り口に引きずり込まれる。

 その勢いのままに背中から壁に押し付けられ、顔の横にローグハンターの左手が付き出された。

 所謂『壁ドン』と呼ばれる体勢なのだが、この世界にそんな名称はない。ただ偶然によるものだ。

 二つの月の光も、どこかの店や誰かの家の明かりさえも届かない路地裏は、大通りのすぐ近くだというのに、見えない壁に仕切られているかのように静かだ。

 困惑する銀髪武闘家の顎に手をやり、クイッと軽く持ち上げると、ローグハンターは真剣な表情で彼女の瞳を覗き込む。

 顔を赤くして目を背ける銀髪武闘家に向け、ローグハンターは言う。

 

「一つ、決めたことがある」

 

「ッ!な、なに……?」

 

 剣の乙女との事だろうと察した銀髪武闘家は僅かに俯いた。

 彼はいつだってそうだ。頼られたら答え、向けられた想いにも真摯に向き合う。

 それが彼だ。自分が好きになった彼なのだ。

 ローグハンターは小さく息を吐くと、俯く銀髪武闘家の顔を上げさせ、視線を合わせながら告げた。

 

「俺は、馬鹿になろうと思う」

 

「……ふぇ?」

 

 突拍子のない宣言に銀髪武闘家は間の抜けた声を漏らした。

 

 ──馬鹿になる。馬鹿になるとは、どういう事なのか。

 

 いまだに壁ドンされる銀髪武闘家が小さく首を傾げると、ローグハンターは苦笑を漏らして彼女に言う。

 

「色々な奴の期待に応え、想いに応えてきた。それが俺の有り方だし、俺のやるべき事だと思っている」

 

「……じゃあ、大司教様とも──」

 

 銀髪武闘家が消え入りそうな声を漏らすと、ローグハンターは彼女の唇に指を当てて閉じさせた。

 そして優しい笑みを浮かべながら、小さく首を横に振る。

 

「言ったろ、俺は馬鹿になる」

 

「……?」

 

 口を閉められた銀髪武闘家は、小さく首を傾げる事で疑問を露にした。

 ローグハンターはそっと彼女の唇から指を離すと、彼女の髪を撫でた。

 

「俺は色々と真剣に考え過ぎていたんだと思う。相手の事ばかり考えるんじゃなく、馬鹿正直にやりたいようにやる」

 

 彼女の銀色の瞳を覗き、ローグハンターは不器用に笑ってみせた。

 彼と長い付き合いのある銀髪武闘家は、それが慣れないことをやる時に見せる笑みである事を知っている。

 ローグハンターはその笑みを浮かべたまま、彼女に告げた。

 

「馬鹿な俺が愛する女性は生涯一人だけ。馬鹿な俺は、何と言われようが他の女を愛さない」

 

「え……?んぅ──!?」

 

 思わず声が漏れた銀髪武闘家の唇を、ローグハンターの唇が塞ぐ。

 軽く触れる程度のキスを終え、ローグハンターはそっと顔を離した。

 顔を真っ赤にさせて目を見開く彼女に向け、彼は優しく笑った。

 

「俺が愛するのはお前だけだ。回りの事なんぞ、知ったことか」

 

 そう言ってまた顔を寄せるが、誰でもない銀髪武闘家によって待ったがかかった。

 

「ちょっと待って!え、良いの?」

 

「……駄目なのか?」

 

「いや、むしろ嬉しいだけど!え、えぇ……!?」

 

 慌てる銀髪武闘家を落ち着かせるように彼女の髪を撫で、ローグハンターは小さく鼻を鳴らした。

 

「大司教には何て言うかは考えていない。先の事は考えずに言ったからな」

 

「馬鹿になるって、そういう事なの……?」

 

「……そういう事じゃないのか?」

 

 ローグハンターが首を傾げると、銀髪武闘家は嬉しそうにではあるが、困ったようにため息を吐いた。

 

「まあ、私も手伝ってあげる」

 

 ──どうなるかわからないけど……。

 

 小声でそう漏らし、わざとらしく肩を竦めた。

 この上なく嬉しい事ではある。望んでいたことではあるが、まさか本当になるとは思ってもいなかった。

 真っ直ぐに自分の瞳を覗く蒼い瞳から逃れるように、大通りの方へと視線を向けると、「ん?」と声を漏らした。

 

「どうした」

 

「あれって、神官ちゃん?」

 

 銀髪武闘家が指差した方向へと目を向け、ローグハンターは小さく首を傾げた。

 二人の視線の先にいるのは女神官だ。

 いつもの錫杖を握り、いつもの法衣を纏い、いつもの帽子を被っている。

 その帽子の上に行方不明だった鷲がいるのは何とも珍しいが、それはどうでも良いだろう。

 

「……なんか、大きくない?」

 

「ああ、デカイな」

 

 銀髪武闘家は女神官の胸を見ながら、ローグハンターは彼女の全身を眺めながらそう漏らした。

 先程までのイチャついていた雰囲気は消え去り、二人は顔を見合わせて裏路地から出ると、女神官の後についていく。

 通りを埋める人々の隙間を縫い、一歩ずつ、少しずつ。

 鼻歌混じりに通りを進む女神官の肩に、ローグハンターは手を置いた。

 

「ふぁい!?」

 

 体を跳ねさせた女神官に驚きつつ、ローグハンターは彼女に問いかけた。

 

「神官、あいつらはどうした」

 

「うぇ!?え、あ、その……」

 

 あちこちへと視線を泳がせ、何やら落ち着かない様子の彼女に、ローグハンターと銀髪武闘家は視線を合わせて首を傾げた。

 

「どうしたの?なんか様子が変だけど」

 

「いや、私は、大丈夫よ?」

 

「珍しいな、お前が敬語を使わないとは」

 

「ッ!」

 

 ローグハンターの指摘に、女神官(?)は表情を強張らせた。

 どうしようかと悩み、打開策をあげているが、次々と没になっているのだろう。

 怪しむ二人の表情に圧されてか、女神官(?)が何かを言おうとした瞬間、

 

「先生、泥棒ですわ!その人を捕まえてくださいな!」

 

「ん?」

 

 突然の呼び掛けに、ローグハンターと銀髪武闘家は揃ってその声の主の方へと目を向けた。

 人混みを掻き分け、女魔術師と令嬢剣士の二人が何やら全力疾走してきている。

 

「やばっ!」

 

 女神官(偽)がそんな声を漏らし、踵をかえして駆け出そうとした時だ。

 

 ──人生で感じた事もない、強烈な浮遊感に襲われた。

 

「……ふぇ?」

 

 意図せず間の抜けた声が漏れ、天と地が回り、最後に背中から石畳に叩きつけられる。

 

「ぐぇっ!?」

 

 口から下品な声を吐き出しながら、女神官(偽)は潰れた蛙のように倒れ、ろくに受け身も取らなかったからか、だらしなく涎を垂らして気絶し、ピクピクと体を痙攣させている。

 なんの躊躇も加減もなしに彼女を投げたローグハンターは、合流した女魔術師と令嬢剣士に目を向けた。

 

「──で、何があった」

 

「温泉で……あの()の服が…盗まれたんです……。それを……ここまで追いかけてきました……」

 

 息を絶え絶えにしながら成された説明に、ローグハンターは肩を竦める。

 倒れる盗人を一瞥し、小さく息を吐く。

 

「番兵に引き渡したいところだが、服を剥がなければならないのか」

 

「一旦神殿まで連れてく?」

 

 銀等級二人の言葉に、息を整えた令嬢剣士が頷いた。

 

「はい。神官さんには、神殿で合流しましょうと言ってありますわ」

 

「なら、連れていくか。おぶるから、手伝ってくれ」

 

 ローグハンターはそう指示を出すとその場にしゃがみ、銀髪武闘家がその背に少女盗人を乗せる。

 彼を囲むように三人が立ち、彼に合わせて歩き出す。

 彼らが気絶させた少女が、一体何者であるかを知ることもなく。

 天上の神々が、慌てふためいていることを知るよしもなく──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory07 神殿での一悶着

 二つの月に照らされた都。至高神の神殿の一室。

 神殿の中でも一二を争う程広い部屋にいるのは、二人の男女。

 一人は黒いローブと漆黒の鎧を身に纏った男性。口元の傷痕と右瞳が蒼、左瞳が金のオッドアイが特徴といえば特徴の冒険者──ローグハンター。

 もう一人は黒布で目元を覆い隠した女性。透ける程に白い肌の上に白い薄布を纏い、傍らに天秤剣を立て掛けた冒険者──剣の乙女。

 片や多くのならず者(ローグ)を屠り、西の辺境で名を轟かせている銀等級冒険者。

 片や魔神王を撃ち取り、世界に名を轟かせた英雄たる金等級冒険者。

 一見しただけでは繋がりがないように思える二人だが、その考えは剣の乙女の表情を見れば瞬時に変わる事だろう。

 窓から差し込む月明かりに照らされた彼女の頬は赤く染まり、口元は恥じらうように薄く笑んでいる。

 それはまさに、恋する乙女が浮かべる表情だ。

 男なら誰しもが見惚れる彼女の表情を真っ直ぐに見つめるローグハンターは、俯き加減に言う。

 

「本当に申し訳ない。よくわからない奴を連れ込んでしまった」

 

「いいえ。貴方に頼られるのは、とても良い気分です」

 

 ──こうして二人っきりきなれましたから。

 

 恍惚の表情を浮かべたまま小声で漏らされた彼女の言葉に、ローグハンターは困り顔で頬をかいた。

 別段二人は恋人という関係ではない。むしろ、彼としては彼女の想いを断る旨を伝えなければならないのだ。

 

 ──だが、それは今ではない。

 

 剣の乙女は会議に向かわなければならない。それが終わった時、自分は彼女と共に水の街まで戻らなければならない。

 もしこのタイミングで話を切り出せば、確実にその二つに支障をきたす。

 

 ──話すとすれば水の街にたどり着いてから。

 

 それがローグハンターと、彼の恋人たる銀髪武闘家が出した結論だった。

 彼は脳内でそれを反芻すると、剣の乙女に話を切り出した。

 

「とりあえず、あいつの目が覚めたら事情を聞く。番兵に引き渡すか、家まで届けるかはそれから決める」

 

「そうですか。わたくしは明日から会議になりますから、余り力にはなれないと思いますが……」

 

「お前は会議に集中してくれ。これは俺が持ち込んだ問題だからな、こっちでどうにかする」

 

 ローグハンターはそう言うと、不意に思い出したかのように問いかけた。

 

「ところで、あいつは貴族か何かなのか?」

 

「と、言われますと?」

 

 剣の乙女が首を傾げながら問い返すと、ローグハンターは「ああ、説明がまだだったか」と苦笑を漏らす。

 

「荷物を調べたんだが、金がない割には宝石類が多くてな。神官の使っていた籠の中にも、防具一式が買える量の宝石があったらしい。出所はともかく、ただの市民が持ち歩く量ではないのは確かだ」

 

「その、少女の特徴は教えて下さいませんか」

 

「ああ。年は十五か十六。髪は金。瞳は青。ここまで背負って来たが軽かった。筋肉の付き方からして冒険者ではないから、家出をした貴族令嬢だろう」

 

 早口で説明したローグハンターは、そっと剣の乙女に目を向けた。

 ついてこられているか、不安に感じたのだろう。

 当の剣の乙女は艶っぽい唇に指を当て、僅かに顔を上げて何やら思慮している様子。

 

「……何でしょう、どこかで聞いたような気がしますわ」

 

「まあ、見た目の情報だけでは無理があるか……」

 

 彼女の眼帯を見ながら遠慮なしに言うローグハンターだが、剣の乙女は気にした様子もなく小さく唸って考え込んでいた。

 

「前の会議に出向いた時に聞いたのかしら。それとも別の場所で……?」

 

「考え過ぎてもあれだ。何かあったら教えてくれ」

 

「そうですわね。……ふふ」

 

 ローグハンターの言葉に頷くと、剣の乙女は妖艶な笑みを浮かべてするりと立ち上がった。

 下品にならない程度に腰をくねらせ、足音をたてることなく彼の下を目指す。

 ローグハンターは隣に座る気だろうと判断し、気を遣ってか椅子を後ろに引く。

 それに気づいた剣の乙女は「ありがとうございます」と一言礼を言うが、その空いている椅子を通りすぎて腰をかけたのは──―、

 

「失礼しますわね」

 

 ローグハンターの膝の上だった。

 向かい合わせになるように、硬い彼の膝の上に肉感的な自分の尻を押し付け、娼婦も裸足で逃げ出すような色気を全身から放っている。

 

「……」

 

 ローグハンターは言葉こそ発しないが、僅かな非難の色を瞳に乗せた。

 だいたいの人であれば、まず怖じ気づく眼光を放っているが、それを見ることの出来ない剣の乙女はそれを無視して愛撫するように彼の頬を撫でた。

 

「ふふ。明日からしばらく会えないと思いますので、少しだけ甘えさせて下さいな」

 

「……」

 

 媚びるような甘ったるい声音に、ローグハンターは困り顔で視線を逸らす。

 馬鹿になるとは言ったが、根が真面目すぎるのだ。本来断るべき所で断れない。今まで積み上げてきた彼の精神が、たったの数時間で変わるわけがない。

 彼の長所という名の弱点を無意識ながらに突いた剣の乙女は、これ幸いと言わんばかりに妖しい笑みを浮かべた。

 

「失礼します」

 

 僅かな遠慮からかそれだけ言うと、そっと彼の頬にすり寄った。

 自分よりも僅かに高い彼の体温を感じ、「んぅ……」と熱を帯びた声を漏らす。

 肌が触れ合う度に耳元で漏れる喘ぎ声に、ローグハンターは悩ましげに息を吐くと、出来るだけ優しく彼女を引き離そうと決める。

 そして口を開こうとした時だ──、

 

「あむ……」

 

「ッ!?!!?」

 

 彼の首筋に、剣の乙女が噛み付いた。

 もちろん甘噛みではあるが、ローグハンターの思考を停止させるには十分な攻撃だ。

 そしてローグハンターの思考停止とは即ち、武力行使(はんげき)である。

 

「あ゛ぁ゛ッ!」

 

 首筋に噛みつく剣の乙女を肩を掴むと、獣のような唸り声を上げて相手の事など一切考えずにぶん投げた。

 思わぬ反撃に剣の乙女は反応できず、隣の椅子を倒しながら床に尻餅をつく。

 ローグハンターは肩で息をしながら噛まれた自身の首筋に手を当て、出血がないかを確かめ、僅かな間を開けるとハッとしながら剣の乙女に目を向けた。

 小さく肩を震わせ、悪夢に怯える子供のように縮こまっている。

 彼女の姿を見たローグハンターは音もなく舌打ちをすると、片膝をついて剣の乙女の両肩に手を置く。

 

「すまん。どこか怪我はしてないか……」

 

 そう聞くと剣の乙女は顔を上げ、返事の代わりに彼へと抱きついた。

 彼女の豊満な胸がローグハンターの胴鎧に潰され、その整った形を歪める。

 そんな事お構い無しと、剣の乙女は彼を抱く腕に力を入れた。

 金等級冒険者といっても彼女は後衛職である神官だ。その膂力は多少強い程度で、痛みを感じるまでではない。

 しっかりと彼女の体を受け止めたローグハンターは、子供をなだめるように彼女の金色の髪を撫でた。

 

「ローグハンター様、わ、わたくしは……」

 

 先程とは売ってかわって弱々しい声は、涙を堪えているのか震えている。

 ローグハンターは「大丈夫だ」と彼女の耳元で漏らすと、困り顔になりながら言う。

 

「ただ、あまり驚かせないでくれ。その、なんだ。驚くと、自分でも何をするのかわからないんだ」

 

「は、はぃ……」

 

 涙で黒布を濡らしながら頷くと、剣の乙女は消え入りそうな声音で告げた。

 

「わたくしを、見捨てないで下さい。貴方に捨てられてしまえば、わたくしは、また、あの頃のように……!」

 

 彼を離さまいとする意志の現れなのか、彼の背に回した腕に力を入れてキツく抱き寄せた。

 

「ああっ……!」

 

 ローグハンターは本心を堪えるように歯を食い縛り、絞り出すように返事を返す。

 そして彼女に手を貸して立ち上がらせると、「部屋まで送る」とだけ告げた。

 剣の乙女の腰を抱き寄せ、倒れないように、離れないように気をかけつつ、彼女と寄り添って部屋を目指す。

 その間二人の間に会話はなかったが、剣の乙女はそれでも十分だった。

 彼と二人きりで歩けているのだ。今はそれだけで十分だ。

 暗い廊下を彼女に寄り添いながら進んでいき、目的の部屋の前までたどり着くと、ローグハンターはそっと手を離した。

 

「それじゃあ、また明日会おう」

 

「……はい。おやすみなさい」

 

「ああ、おやすみ」

 

 剣の乙女の挨拶に返すと、彼女は自分で開けた扉の奥へと消えていった。

 ローグハンターは小さくため息を漏らすと、念のためとタカの眼を発動した。

 おそらくベッドまで直行して、そのまま寝るものと考えたのだろう。

 だが、剣の乙女は彼の予想を裏切り、扉に背中をついて何やら(うずくま)っていた。

 それを見てしまった彼は放っておく事も出来ず、扉越しに剣の乙女に声をかけた。

 

「何なら眠るまでここにいるが?」

 

『っ!?い、いいえ、大丈夫ですわ!』

 

 ローグハンターの声に慌てながら返すと、そのまま駆け足でベッドへと飛び込んだ。

 彼女と思われる青い影を見届けたローグハンターは、乱暴に頭を掻いて踵を返した。

 暗い廊下を一人で歩き、自室の扉にかけた鍵を開け、音を出さないようにそっと扉を押し開け──、

 

「あ、おかえり~」

 

 勢いよく閉めた。

 瞼越しに目をほぐし、幻覚が見えるまでに疲れきった自分の目を休ませる。

 扉を開けた瞬間に視界に飛び込んできたのは、ベッドに腰かけた寝巻き姿の銀髪の美女だった。恋人に似ていたが、彼女の部屋は別だ。

 数十秒ほど目をほぐすと、再び扉を開け、

 

「ちょっと、いきなり閉めることないじゃん!」

 

 真夜中だというのに元気そうな女性が、勢いよく指差してきた。

 ローグハンターは数度瞬きすると、部屋に入って後ろ手で扉を閉める。

 ベッドに腰かける女性はとりあえず放置して、両手の籠手を外して机の上に置き、両足の脚甲を外して机の下へと滑り込ませる。

 次いで鎧とローブを脱ぐと木製のマネキンに羽織らせ、シワが残らないようにローブの裾を軽く伸ばす。

 最後に右手首のアサシンブレードを取り外し、すぐにつけられるように枕元へと放る。

 纏うのは森人手製の衣服のみとなり、彼が最も無防備な格好となった。

 ローグハンターはホッと息を吐くと、放置されて拗ねたのか、ベッドの上で丸くなっている女性に目を向けた。

 

「……それで、どこから入った」

 

「ふふん。窓の鍵が開いてたよ?」

 

「そうか……」

 

 構ってくれたからか、急にご機嫌になった女性──銀髪武闘家に、ローグハンターは苦笑を漏らして袋から寝巻きを取り出す。

 手早くそれに着替えながら、銀髪武闘家に目を向けた。

 いつも纏めている髪を降ろし、足をぷらぷらと振りながら上機嫌に鼻唄を歌う彼女の姿は、彼しか見たことがないものだろう。

 ここで寝るつもりであろう彼女に、ローグハンターは問いかける。

 

「それで、その格好で来たのか?」

 

「そんなわけないじゃん。着替えはそこ」

 

 銀髪武闘家は部屋の端を指差すと、そこには乱暴に放置された彼女の装備一式があった。

 着替えを終えたローグハンターは肩を竦め、彼女の隣に腰かけ、勢いのまま寝転ぶ。

 銀髪武闘家は彼の上にうつ伏せになるように倒れ、嬉しそうに頬擦りした。

 

「やっぱり、キミと寝ないと落ち着かないわけよ」

 

「そうか……」

 

 ローグハンターがだるそうに返すと、銀髪武闘家は「大丈夫?」と彼の顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫じゃない。大司教がな……」

 

「もしかして、もう話しちゃったの?」

 

「いいや。むしろ話せない雰囲気だ」

 

 ローグハンターはそう言うと自分の額に手を当て、盛大にため息を吐いた。

 あそこまで弱々しい姿を見せられると、伝えるべき事も伝えられない。

 悩み続ける恋人を労うように、銀髪武闘家は彼の髪を撫でる。

 

「まあ、話すときは私も行くから」

 

「頼む。俺一人だと、多分断れん」

 

 ローグハンターが寝転んだまま頷くと、銀髪武闘家は「ん?」と何かに気付いたのか首を傾げた。

 

「ねぇ、何かに噛まれた?」

 

「ん?どこだ」

 

「ここ」

 

 彼女はそう言いながら彼の首筋に手を当て、「何の歯形かな?」と疑問を口にしている。

 そこまで言われて合点がいったのか、ローグハンターは「ああ……」と声を漏らした。

 

「大司教にな。痕が残ったか?」

 

「ふぅーん……」

 

 何て事のないように言うと、銀髪武闘家は一度ゆっくり頷き、意味深な笑みを浮かべた。

 

「どうかし──」

 

「あむッ!」

 

「ッ!!!?」

 

 ローグハンターの問いかけを遮るように、銀髪武闘家が噛み付いた。

 しかも甘噛みではなく、結構力の入ったものである。

 鋭い痛みを堪えるローグハンターに構うことなく、銀髪武闘家は噛み付いたまま舌を這わせ、彼の味を楽しむ。

 数秒か、数十秒か、彼をたっぷりと堪能した銀髪武闘家は、それでも名残惜しそうに彼の首筋から離れた。

 荒く息をして鋭く睨んでくるローグハンターに、銀髪武闘家は熱っぽい息を吐き、悪びれた様子もなく笑ってみせた。

 

「ふふ、キミはもう少し抵抗しても良いんじゃない?」

 

 くっきりと刻まれた歯形を指先で撫でながら言うと、ローグハンターは露骨にそっぽを向いて彼女の視線から逃れる。

 そんな彼の様子に苦笑を漏らし、再び彼の体へと身を寄せた。

 

「馬鹿になるって言ったんだから、もっと自分本位になっても良いじゃん」

 

「……ああ」

 

 不機嫌そうに言葉を返すローグハンターに、銀髪武闘家は「やり過ぎちゃったかな?」と小声で漏らすと、そっと彼から離れた。

 部屋の端に置かれた荷物袋をあさり、包帯を取り出して再び彼の下へと戻る。

 

「はい。隠してあげるから首上げて」

 

「ん」

 

 噛みつかれたというのに黙って指示を聞くあたり、彼女への信頼を伺わせる。

 少々おぼつかずに包帯を巻き、「きつくない?」と確認する。

 ローグハンターは首を左右に振り、軽く捻って調子を確かめると「問題ない」とだけ返した。

 

「なら、寝よう。明日は忙しそうだからね」

 

 銀髪武闘家が言うと、ローグハンターは意外そうな面持ちで彼女を見た。

 ここまで忍び込んだのだから、また襲われる──実際襲われたが──と思っていたのだろう。

 目は口ほどにものを言うという言葉の通り、ローグハンターの心中を察した銀髪武闘家は、不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

「私だって自重できます~、我慢します~」

 

「そうなのか?」

 

「ちょっと、酷くない……?」

 

 心底意外そうに言うローグハンターに、銀髪武闘家は露骨にショックを受けたように俯いた。

 ローグハンターは肩を竦め、そっと彼女の体を抱き寄せる。

 彼女の豊満な胸が彼の胸板に潰され、マシュマロもかくやという弾力で形を歪ませた。

 剣の乙女と違って手足は筋肉質ではあるが、今は力を抜いているからか、その体は程よく柔らかい。

 突然抱き寄せられた銀髪武闘家は赤面しつつも、嬉しそうに笑って彼に言った。

 

「おやすみなさい」

 

「おやすみ」

 

 互いの目を合わせて言うと、どちからからと言うわけでもなく口付けを交わす。

 二人を見守る二つの月は、今までと変わらず優しげな輝きを放っていた──―。

 

 

 

 

 

「ん、んんぅ……」

 

 窓から差し込む優しげな陽光に当てられ、少女は愚図るように唸りながら寝返りをうった。

 柔らかなベッドの感覚と、触り心地のよいシーツの感覚に、覚醒しかけた意識は再び眠りに誘われていくが、

 

「……ん?」

 

 ふと違和感を感じ、シーツを捲って自分の体を直視した。

 

 ──真っ白なシーツに包まれた自身の(・・・)裸体(・・)が、そこにはあった。

 

 自慢ではないが、年の割に大きめの胸。

 自慢ではないが、染み一つない透けるように白い肌。

 自慢ではないが、それなりに肉付きのよい四肢。

 その全てが純白のシーツに包まれ、それ以外のものを何一つとして身に付けていない。

 

「──……!!!」

 

 顔を真っ赤にさせて頭までシーツを被ると、頭を抱えて昨晩の事を思い出そうと記憶を絞り出す。

 

 ──一つずつ、一つずつで良いから順番に。

 

 慌てる自分にそう言い聞かせ、ぎゅっと目を瞑る。

 

 ──家出をする準備として、捨てられていた兵士の鎧を拝借した。

 

 ──染み付いた汗と錆びの臭いと、それらとは別の鉄臭さを堪えてどうにか鎧を着て、地下道へと滑り込んだ。

 

 ──そこも臭いがとんでもなくキツく、その臭いと何かもよくわからない汚れが大量にへばりついた。

 

 ──それを落とすために温泉に行き、そこで自分そっくりと冒険者とその仲間に出会った。

 

 ──自分そっくりの冒険者の服を買って(・・・)、それを着て温泉を出た。

 

 ──そして………。

 

「……えぇとぉ……?」

 

 少女は首を捻り、そこから先を思い出そうと脳を働かせる。

 

 ──通りに出て、どこかに行っていた鷲も戻ってきて、上機嫌に宿を目指して歩き出して、それで、それで……。

 

 そこから先が、どうにも思い出せない。

 宿に行った記憶もないから、誰かに見つかって連れ戻されたのか。

 少女はシーツから顔を出し、部屋を見渡した。

 自分の部屋に比べてだいぶ質素な部屋は、間違いなく自室ではないし、城の部屋(・・・・)というわけでもない。

 

 ──じゃあ、どこ……?

 

 少女は小さく首を傾げると、それに気づいた。

 テーブルの上に置かれた、丁寧に折り畳まれた服。

 シーツを手繰り寄せて即席の服として、そっとベッドを降りる。

 裸足だからこそ感じるカーペットの柔らかさと、若干のくすぐったさに身動ぎしつつ、服を取ろうと足を進めた。

 一目でそこらの服屋で買ってきた事がわかる雑多なものではあるが、ほつれや汚れはない。

 服を着るために一旦シーツを脱ぎ、その裸体を晒した時だ。

 扉のノブが回され、声を出す間もなく開け放たれた。

 

「あ……」

 

「ん?」

 

 扉を開けたのは一人の男性だった。

 黒い髪を頭の後ろで纏め、蒼と金のオッドアイという特徴的な瞳。

 纏う鎧は見たこともないものだが、素人目でも良いものであることはわかる。

 首に巻いた包帯は、負傷したにしては汚れていない。傷痕でも隠しているのだろうか。

 そんな事を思慮する少女とばっちり目があった男性は、不意に視線を下に下げた。

 つられるように少女も視線を下に下げ、そして──、

 

「いいいぃやああぁあああぁぁぁあああっ!!!!」

 

 絶叫しながら手に持ったものを男性に向けてぶん投げた。

 偶然手に取った本から、朝食代わりに置かれていた果物まで、何でもだ。

 男性は素早く壁の影に入り込むと、やってしまったとため息を吐いた。

 少女は狙いすませたつもりで投げているが、それのどれもが的外れであり、既に隠れている男性は別に何かすることはない。

 途中で飛んできたリンゴを掴み取り、ローブの袖で軽く拭って口に入れる。

 しゃりしゃりと音を立てながら、少女が力尽きるを待つ。

 数分してリンゴが芯だけになった頃、ようやく少女は攻撃を止めた。

 そっと影から顔を出してみると、少女はシーツにくるまり踞っていた。

 聞き耳を立てれば、「もうお嫁に行けない……」と涙ながらに漏らしている。

 困り顔の男性──ローグハンターがどうするかと顎に手をやると、騒ぎを聞き付けた妖精弓手が駆けつける。

 廊下に投げ出された本や果実と、室内には涙を流す少女。

 それらを眺めてしばらく思慮すると、ローグハンターを睨み付けた。

 

「あんた、何したのよ!?」

 

「何もしていない。ただ扉を開けただけだ」

 

 ローグハンターが淡々と告げると、妖精弓手は再び室内に目を向けた。

 泣いていた少女は服を手にして物影に隠れてしまったが、森人特有の優れた聴覚にはがさごそと布の擦れる音が聞こえる。

 

「先生、ご無事ですか!?」

 

 かなり遅れて令嬢剣士が駆けつけ、廊下の惨状を目の当たりにして小さく目を見開いた。

 

「あの、先生?」

 

「俺は扉を開けただけだ」

 

 相変わらず端的に告げるローグハンターに、妖精弓手は眉間を指で押さえながら言った。

 

「あんた、絶対着替え中に開けたでしょ?」

 

「ああ、そういえば裸だったな」

 

 彼女の非難に何て事のないように返すと、妖精弓手と令嬢剣士は揃ってため息を吐いた。

 彼は「女性には優しくしろと教わった」と言うが、彼が優しくするべき女性と判断するのは身内だけなのだろう。

 妖精弓手は困ったように息を吐くと、ローグハンターに指を突きつけながら告げる。

 

「とにかく、あんたは部屋にいなさい。私たちで話すから」

 

「だがな。どうせ会うことなるし、話すことになるんだろ?」

 

「まあ、そうですけれど……」

 

 令嬢剣士が気まずそうに視線を部屋の中へと移し、部屋の隅で丸くなっている少女に目を向けた。

 怯えているからか何なのか、よく見ると小刻みに震えている。

 

「とりあえず、わたくしたちで連れ出すので、先生は部屋に行っていて下さいな」

 

「……わかった。気を付けろよ」

 

 ローグハンターは僅かに不満げに漏らすと、踵を返して廊下の先へと消えていった。

 取り残された妖精弓手と令嬢剣士は顔を見合わせて頷きあうと、そっと部屋へと入り込んだ。

 部屋の隅で丸くなっていた少女に近づき、両膝をついて視線を合わせる。

 

「ごめんなさいね、あいつどっかずれてるのよ」

 

「わたくしからも謝らせてください。その、申し訳ありませんわ」

 

 子供をあやすように優しく言うと、少女が僅かに反応を示し、一度だけ小さく頷いた。

 二人がホッと息を吐いた瞬間、視界が白一色に転じる。

 

「きゃっ!?」

 

「わっ!」

 

 突然の事態に二人が小さく悲鳴を漏らすと、少女は「ごめんなさい!」と告げながらどこかへと駆け出した。

 部屋を飛び出して廊下を突き進み、突き当たりを右へ。

 二人は少女に被せられたシーツをどうにかどかし、額に小さく青筋を浮かべながら走り出した。

 妖精弓手の聴覚を駆使して少女の後ろを追いかけ、廊下を駆け抜けて突き当たりを右に曲がる。

 そして──、

 

「ふにゅ~」

 

「………」

 

 伸された少女と、彼女を冷たく見下ろすローグハンターを発見した。

 幸運(クリティカル)なのか不幸(ファンブル)なのか、少女は同じ人物に同じように投げ飛ばされ、同じように気を失ったのだ。

 ローグハンターは追いかけてきた二人に視線を向けるとため息を漏らし、懐からロープダートを取り出した。

 令嬢剣士は慌てて彼へと駆け寄り、ロープダートを握る手を掴む。

 

「せ、先生!何をするおつもりですか!?」

 

「縛る」

 

「そんな荒い縄では痕が残りますわ。えっと、シーツか何かを紐代わりにしましょう」

 

「むぅ……。嫁入り前の娘に傷を作るのはあれか」

 

「嫁入り前の娘の裸を見たことは気にしないのね……」

 

 やはりどこかずれているローグハンターに、妖精弓手は額に手をやってため息を吐いた。

 少し話を聞いて、どうするかを決めるだけでここまで疲れる事などないだろう。

 令嬢剣士が持ってきた布を縄代わりに少女の手を後ろ手に縛ると、軽々と肩に担ぐ。

 

「面倒だ。このまま連れていくぞ」

 

「もう、それでいいです。何か疲れました……」

 

「大丈夫か?昼まで休んでいてもいいが」

 

 ため息を吐いた令嬢剣士に気を遣うローグハンターに、妖精弓手は乱暴に頭を掻いた。

 

「だから、その気遣いをこの()にもしなさいって!」

 

「なぜだ。少なくとも、盗人(ローグ)にくれてやる情は持ち合わせていない。それに、こいつに対して怒っていたのはお前だろうに」

 

「ああ、もう!良いから連れていきましょ!」

 

「ふん!」と鼻を鳴らして大股で歩き出した妖精弓手に、ローグハンターは小さく首を傾げて肩を竦めた。

 何でもない筈だった一日は、こうして非日常へと変わっていく。

 この少女がもたらす結末など、もはや天上の神々にすらわからない。

 

 ──ここから先の物語(シナリオ)は、神々すら用意していないのだから。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 説教

 国の中央たる都の中心部。

 どの建築物よりもなお高いその城は、この国の代表たる王が住まう場所だ。

 王は未だ若く、ローグハンターと同じか、いくらか上程度だろう。

 昨夜帰ったばかりだというのに御前会議に出席し、疲労困憊な様子を悟らせる事なく、自身の前王より更に前から使われている玉座に腰かける。

 石造りの大広間は城が建てられた頃と何一つ変わらぬ織物(タペストリ)で彩られ、差し込む朝日は優しいものだ。

 いつからか使われるようになった円卓は、魔王との戦いに集った各種族の長が「上座も下座もないだろう」と鉱人に依頼して作らせたもの。

 作った鉱人もノリが良かったのか、世界広しと言えど、この卓を上回るものはそうないだろう。

 その円卓を囲むのは、若き王の他に老いた大臣や赤毛の枢機卿をはじめとした十数名ほど。

 名門貴族の出のものや、金等級の冒険者から商人まで、その内約は様々だ。

 若き王は円卓に座する面々を見渡すと、溜まった疲労を感じさせぬ第一声を放った。

 

「さて、では霊峰に落ちたという天の火石についての報告はあるか?」

 

 放たれた言葉には、彼を王足らしめる気配と言えるものが込められている。

 彼の言葉を受けた巨漢の宮廷魔術師の言葉を皮切りに、天の火石なるものへの対応が話されていく。

 

「軍を送り込むか?」

 

「いや、それでは税と兵の命を無駄にする」

 

「霊峰というのが厄介だ」

 

「あれを登るのはちょいと厳しいな」

 

 一つの正解に向けて猪突猛進するのでは、それは会議とは呼べない。

 一つの案を否定しつつ新たな案を出し、またそれを否定する。

 それを複数回と繰り返し──正解かはともかくとして──ようやく答えにたどり着くのだ。

 結局の所、たどり着くのは彼女(・・)の出番だという結論。

 自分の妹と対して変わらない歳の娘を、命の危険が潜んでいる戦地に向かわせるなど、知らぬ者が聞けば何と思うか。

 向かう事になる彼女自身が何と思うか。

 

 ──しかし、万物には与えられた役割(ロール)がある。

 

 自分の役割が国を纏める王たることであるならば、彼女は人々を、世界を救うことが役割なのだ。

 

 ──屁理屈を()ねて放り出す軟弱者にはなりたくはない。

 

「何か支援を要求されたら、可能な限り応じるよう良きに計らえ」

 

「承知、承知」

 

 年老いた大臣がうやうやしくも上体を曲げて応じる。

 細かな事は彼に任せれば良い。王は即判断を下す事が大事なのだ。

 まあ、そうやっていたらいつの間にか傀儡となっていた。なんて笑い話にはなりたくない。

 王は小さく咳払いすると、次の問題へと舵を切る。

 

「我らの目の届かぬ範囲はどうか──?」

 

「今のところ、秩序が乱れている様子はありませんわ」

 

 王の問いかけに答えたのは、至高神に仕える大司教──剣の乙女だ。

 彼女は今までとは違う、どこか色気──そう、色気だ──を感じさせる笑みを浮かべ、更に続ける。

 

「先の戦いで多くの難民、孤児、無宿人は増えましたが、人手はいくらあっても足りませんもの」

 

 そうやって詩を唄うような声音で発せられた言葉に、王は何ともなしに彼女に視線を向けた。

 彼女と旧友と言ってもいい仲の王は、最近の彼女が何とも別人に思えて仕方がないのだ。

 かつては今にも落ちてしまいそうな花のようであったが、今は可憐に咲き誇る花のそれだ。何か良いことがあったのなら、喜ぶべき事だろう。

 

「王よ、一つよろしいですか?」

 

 剣の乙女に視線を向けていた王に、不意に声がかけられた。

 王は内心で驚きつつも、その声の主に目を向ける。

 そこに座していたのは一人の男性──役職としては外交官──だ。纏う衣服は赤を基調としながら、その上から黒いローブを羽織りそれを隠している。

 丁寧に丸刈りに刈られた黒い髪は、彼の真面目な性格を表しているのだろう。

 数年前、王たちの前に現れた彼は、独特の価値観と雰囲気、そしてその手腕を買われ、こうして円卓に座しているわけだが──。

 

「貴方の目が届かぬ範囲も気にするべきですが、現在都の南には覚知神の門徒たちが蔓延っています」

 

「ああ、聞いている。どうにか手を打たねば──」

 

「一つ、提案があります」

 

 王に対しても対等だと言わんばかりの姿勢で言った外交官は、一枚の書類を王へと手渡した。

 誰かの似顔絵と特徴が細かに書かれたそれは、おそらく冒険者の人相書きだ。

 

 ──瞳の色、蒼。

 

 ──髪の色、黒。

 

 ──等級、銀。

 

 出身は異国のようだが、一攫千金を求めて海を渡って来る手合いは数多い。彼もその一人なのだろう。

 

「……これは?」

 

「その冒険者に、討伐を依頼してみてはどうでしょう。腕は私と、私の友人が保証します」

 

 外交官は得意気な笑みを浮かべ、歌でも唄うように軽やかにその冒険者の異名を口にした。

 

「西の辺境にて活躍する銀等級冒険者。ならず者殺し(ローグハンター)です」

 

「ッ!」

 

「ああ、噂には聞いている」

 

 視界の端で体を跳ねさせた剣の乙女には気を止めず、王は再び人相書きに視線を落とす。

 噂には聞いている。何年か前から突然名を聞くようになった冒険者だ。

 

 曰く、都の衛兵たちすら蹴散らした盗賊団を、白磁の頃に単独で(・・・)壊滅させた。

 

 曰く、見たこともない武器を使い、手が刃へと転じる謎の術が使える。

 

 曰く、既に恋人がいる(・・・・・)ため、愛娘に手を出される心配がない。

 

 貴族たちが集うパーティーの席で、貴族令嬢たちが後に許嫁になるかもしれない男どもを放っておいて、姦しくその冒険者について話していたような記憶がある。

 妹もその話に食い付いていた記憶もあるが、それはどうでも良いことだ。

 会議に出席していた貴族の一部から安堵の息と、外交官の意見を後押しする意見が出され、また一部からは露骨なため息と、彼の召喚を反対する意見がぶつけられた。

 

「一介の銀等級冒険者に、都の行く末を預けるのは如何なものか」

 

「だが腕も確かだ。銀等級ということは信用も出来る」

 

「破格の報酬を要求されたらどうするのだ」

 

「時にはゴブリン退治すら受ける輩だぞ?金には困ってはいまい」

 

 彼に対する貴族たちの評価と言って過言ではないものが飛び交い、時には私怨混じりの怒号が飛ぶ。

 許嫁が顔も知らぬ冒険者にうつつを抜かしていたら、どんな紳士でも怒りを覚えるのは当然だろう。

 下手をすれば先の天の火石以上の盛り上がりを見せているが、王は僅かに眉を寄せる程度。

 たった一人のためにここまで熱くなれるなど、そうあるものではない。

 旧友の一人たる鎖帷子を纏う神官は、何とも言えぬ表情でどちらに付くか思慮している様子。

 まあ、彼の心境も察せなくはない。神官の所の娘が飛び出し、話題の男の下にいるという話も聞いている。

 彼を呼ぶということな娘も来るという事。実の娘がよくわからん男と共に、都に蔓延るよくわからん奴らと戦うなど、心配なのだろう。

 貴族らの弁戦がより一層熱くなるなか、不意に剣の乙女が手を叩いた。

 パン!と乾いた音が大広間を響き渡り、貴族らの口が一斉に閉じる。

 音の主である剣の乙女に視線が集まり、それを受けた彼女は動じる事なく艶っぽい唇を動かした。

 

「そのローグハンター様なら、既に都におりますわ」

 

「なんと。大司教、それは本当なのですか」

 

 外交官が問うと、剣の乙女は「はい」と小さく頷いた。

 

「急な会議で旅団が用意出来ませんでしたので、都までの護衛をお願いしたのが彼なのです。今は至高神の神殿に滞在しておりますわ」

 

「なるほど、それは好都合です」

 

 外交官はそう言うと円卓に置かれた書類を整え始め、王へ確認を取った。

 

「書類を纏め次第、私は彼に会いに行こうと思います。私の劇場と、友人の様子を見てきますので戻るのは遅くなると思いますが、よろしいですか?」

 

「あ、ああ。構わんよ……」

 

 下手な書記官よりも手早く書類を纏める手際の良さに目を丸くしつつ、王は思わず寄ってしまった眉を揉みほぐした。

 剣の乙女の一声は、まさに鶴の一声だ。

 世界を救った英雄が、仕方がない状況であったにしろ、その銀等級冒険者を頼ったのだ(・・・・・)

 彼女に向けられる信頼は、他の冒険者の比ではない。そんな彼女が「彼は信用にたる人物だ」と言ったとほぼ同義。

 反対派の貴族たちはどこか悔しそうに表情をしかめ、肯定派の貴族たちはホッと胸を撫で降ろす。

 緊張していた雰囲気が和らぎ、ようやく次の議題へと進めると王が口を開こうとした時だ。

 どたどたと会議室の外から慌ただしい足音と、その足音の主を止めんとする制止の声が響き、勢いよく扉が開け放たれた。

 

「どうした、何事だ!」

 

 とある貴族が立ち上がりながら腰に帯びた剣を抜かんと手をかけると、王は慌てる事なく手で制した。

 扉を開け放った人物に、王は見覚えがあった。

 妹付きの女官だ。妹からも気に入られ、少しばかり歳の離れた姉妹のように仲も良かった筈。

 その彼女が顔面蒼白になりながら駆け込んでくるなど、異常事態が起きたに違いない。

 女官は荒れた息をどうにか整えつつ、王に向けてただ一言告げた。

 

「た、大変です!妹様が、部屋からいなくなりました!」

 

 今まで堂々と玉座に座していた若き王は、その表情を王たるものから兄としてのものへと変え、玉座を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。

 妹を思わぬ兄などいない。話題のローグハンターとて、世界を救わんと戦い続けている妹を思っているのだから。

 

 

 

 

 

 都、至高神の神殿の一室。

 

「ほ゛ん゛と゛う゛に゛、す゛み゛ま゛せ゛ん゛て゛し゛た゛ァ゛!」

 

 一人の少女が涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、女神官に向かって土下座していた。

 対する女神官はおろおろと周囲に助けを求めるが、同席しているローグハンターは一切手を貸すつもりはないと視線を逸らす。

 この事態になったのは、数分前の出来事が原因だ。

 

 

 

 

 

「ん、んぅ~?」

 

 窓から差し込む光に照らされ、少女は目を覚ました。

 あれから寝た記憶はないのだが、意識がなかったという事は寝ていたのだろう。

 その割には椅子に腰掛けているから、ベッドに戻ったというわけでもない。

 目を焼く日の光に目を細めながら、妙な鈍痛が残る頭を押さえようと手を伸ばそうとして、ぼけていた意識が一気に覚醒した。

 手が動かないのだ。手首に何か巻き付けられているのか、がっちりと固定されている。

 

「え。え?え!?」

 

 困惑するしかない少女は動かせる首を回して部屋を見渡すが、先程の部屋ではないし、見知った城の部屋ではない。

 

 ──全く見たことがない部屋に、両手を縛られて拘束されている。

 

 どうにかその答えにたどり着く事は出来たが、それでどうにかなる状況ではない。

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせ、どうにか手首の拘束を外そうと身動ぎをするが、その程度でほどけるほど甘くはないようだ。

 少女は目尻に涙を溜めながら「このっ!外れろ!」と僅かに上擦った声を出すが、言葉にした所でどうにもならない。

 それこそ、真に力ある言葉でもなければ、だが。

 何度か力を入れて引き剥がそうとするが、どうにもならないとわかると肩を揺らしながら俯いた。

 

 ──どうしてこうなっちゃったのかな……?

 

 どこが駄目だったのかなんて、考えた所で仕方がない。

 神様が骰子を振って、きっと外れ(ファンブル)を出してしまったのだ。

 ちょっとの自由を求めて行動したのに、結果が誘拐とは、もう少しどうにかならなかったのかと神様に抗議する。

 したところで、彼女の声が神様に届くことはないだろう。

 信仰心が足りない以前に、彼女が原因で神様たちは忙しいのだ。

 何度目かのため息を漏らし、涙が引っ込んだ頃に改めて部屋を見渡す。

 別に何かあるという訳でもない。暖を取る為なのか壁には暖炉が設置されており、壁際には燭台がいくつか置かれている。これは光源としてだろう。

 いくつか絵画が立て掛けられているが、どれも聖典や神話の一部を描いたものだ。

 自分の正面には向き合うように椅子が置かれ、他に何かある訳ではない。

 窓から差し込む光からして、多分昼前。……多分。

 少女はそこまで考えると疲れと共に息を吐き出すと、何かの足音に気付く。

 コツコツと音をたてながら、何者かがこの部屋に近づいて来ているのだ。

 隠れようとはしてみるものの、縛られている以上どうにもならない。

 少女が額に汗を浮かべて混乱していると、足音が扉の前で止まった。

 鍵を開けようとしているのかガチャガチャと音をたて、十秒もしないうちにガチャリと音をたてて鍵があいた。

 僅かに扉が開き、そこから顔を覗いたのは、

 

 ──輝くほど研がれた短剣を持つ、蒼い瞳の悪魔だった。

 

 少女の思考は一瞬にして停止し、真っ白になった思考は恐怖の一色に染まる。

 フードを目深く被っているため顔は見えないが、その闇の奥に見える瞳は蒼い事だけはわかった。

 蒼い瞳の悪魔はわざとらしく、焦らすように足音をたてなが、ゆっくりと彼女に近づき、口元を歪に歪ませる。

 恐怖に身を震わせる少女に向け、蒼い瞳の悪魔は告げる。

 

「お前は罪を犯した。人から物を盗み、捕らえた場所から逃亡を謀った。それはわかるな?」

 

 どこか感情が欠けているようで、妹を叱りつける兄のような優しさのある不気味な声音。おそらく男性のもの。

 一体どんな人生を送ればそんな声が出せるのかなぞ、少女には知る術はない。知るためには、致命的なまでに経験が足りないのだ。

 悪魔の問いかけに少女は涙を堪えながら小さく頷き、じっとその悪魔の容姿を観察した。

 黒いローブの上から漆黒の鎧を身に纏い、両腕には籠手、両足には脚甲を填めている。

 一見すればただの冒険者だが、纏う雰囲気は不気味なものだ。

 そこにいる筈なのにそこにいないような、見えているのに見えていないような、奇妙な感覚があるのだ。

 少女は目を凝らし、蒼い瞳の悪魔、否、冒険者の様子を探ろうとするが、当の彼が死角に回った為にそれは叶わなかった。

 再び視界に入ってきた蒼い瞳の冒険者は手元で短剣を弄びながら、少女に告げた。

 

「で、なぜあんな事をした」

 

 瞬間、少女の視界から冒険者の姿が消えた。

 探そうと首を巡らせようとしたが、顎に置かれた手で無理やり上を向かされ、無防備に晒された首には包丁の刃が添えられる。

 

 ──もう少し刃が押し込まれ、勢いよく引かれた瞬間、自分は死ぬ。

 

 少女は自他共に認める素人ではあるが、それだけは理解できた。

 この状況でも慌てないのは、一周回って冷静になってしまったからだろうか。

 よくある話だ。首を切られて生きているなど、それこそ不死身の怪物ぐらいのもの。

 必然的に冒険者を見上げる形となった少女は、今後こそ真っ直ぐに彼と視線を合わせた。

 片目が閉じられているのか蒼い瞳は一つしかなく、一切ぶれる事なくこちらを見据えている。

 冒険者は少女の青い瞳を覗きながら、淡々と告げた。

 

「回答によっては、このまま首をかっ切る」

 

「ッ!」

 

 無慈悲なまでに端的に告げられた言葉には、本当にやる凄みがある。

 言い訳したところでどうにもならず、正直に話したところで殺されるかもしれない。

 

 ──嘘をついてまで自由を求めたのだから、最後ぐらい正直になっても良いよね?

 

 少女は心なしか笑みを浮かべると、ぽつぽつと真実を語り始めた。

 自分が何のために家出をしたのか。

 自分が何のために盗みを働いたのか。

 自分は何のために──―。

 

「……あれ?」

 

 そこまで語っていると、不意に首に突きつけられていた短剣が退かされ、腕の拘束がとけた。

 後ろに回っていた冒険者は再び視界に納まると、どかりと正面の椅子に腰掛ける。

 不機嫌そうに息を吐くとフードを取り払い、その素顔を露にした。

 整った顔立ちだが、口元や額を中心に大小様々な傷痕が残されている。冒険をした結果つけられた傷なのは、考えなくともわかるものだ。

 瞳の色が左右で違うという一目見ればすぐに覚えられる特徴があり、実際にどこかで見た覚えがある。

 じっと見つめてくる少女を睨み返した冒険者は、手元の短剣を無造作に放り投げた。

 明々後日の方向に飛んだそれは、勢いのまま壁に突き刺さる。

 壁に刺しちゃって良いの?と目を丸くしてそれを眺めていた少女に、冒険者が言う。

 

「……まず、お前は馬鹿か」

 

「な、なんですって!?」

 

 いきなりの罵倒に少女は声を荒げて立ち上がるが、冒険者は一切動じた様子もなく告げる。

 

「事実だろう。やることなすこと全てが自分の為で、周りの事を一切考えていない」

 

「そ、そんな事ないわ!」

 

 考えもなしに声を張り上げた少女を冒険者は冷たく睨みながら、追撃をくわえる。

 人差し指を立て、少女に確認を取った。

 

「まず、部屋を抜け出して来たのだろう?」

 

「それが何よ……」

 

 悪びれた様子もない少女に、冒険者はわざとらしくため息を吐いた。

 

「その時点で、お前の世話係に迷惑をかけている。下手をすればそいつは首になり、家族諸とも路頭に迷う事になるかもしれない」

 

「……っ!」

 

 少女が実の姉のような信頼を寄せる人が、自分のせいで何もかもを失ってしまうかもしれない。

 とある神官から服を盗んだ事ばかりを気にしていたが、それ以前に自分はとんでもない事をしてしまっている。

 少女はようやくそう思ったのだ。

 少女が脱力しながら椅子に腰掛ける様子を眺めつつ、冒険者は人差し指に続いて中指を立て、更に続ける。

 

「次に、お前は盗みを働いたな。俺の友人の一人から、大切な装備一式を」

 

 少女が申し訳なさそうに小さく頷くと、冒険者は容赦なく傷を抉りにかかった。

 

「代金代わりに宝石を置いていったそうだが、ふざけるのも大概にしろ」

 

 獲物を狙う鷹の眼光を放つ瞳に射抜かれ、少女は全身を強張らせた。

 蒼と金の眼光には、少女にはわからない冷たいものが宿っている。

 殺気すらも認識出来ない少女を睨んだまま、冒険者は苛立たし気に告げた。

 

「あいつが冒険者になって一年近く。あの装備はその間ずっと着ていたものだ。あいつの努力と流した血、汗、()()()()()()()()()()()()()が染む込んだあれが、あの程度の価値なわけないだろう」

 

「……ん?」

 

「なんだ」

 

「い、いえ……」

 

 明らかに不自然なものが混ざっていた気がした少女が首を傾げるが、冒険者は瞳に殺気を宿らせたまま睨まれてすぐに視線を逸らした。

 冒険者は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、足を組み、次いで腕を組んだ。

 明らかに見下している様子の冒険者だが、少女はそれにとやかく言うことはない。

 そもそも自分は反論が許される立場にいないのだ。したところで、問答無用で潰されるに違いない。

 

「どうであれ、あいつがこの一年で培ってきたものを、お前は宝石数個程度と判断した。どういう了見だ」

 

「わ、私は、外の世界を見てみたかっただけよ!」

 

「それはどうでもいい。なぜあいつから盗んだかを聞いている。あれだけ宝石があれば、そこらで装備一式を買えば良かっただろうが」

 

「……むぅ」

 

「お前は楽して偽の身分を手に入れて、さっさと外に出ようとした臆病者だ」

 

 

「お、臆病者……」

 

「自分は傷つきたくない。自分が良ければそれで良い。他の連中はどうだっていい」

 

 ──まるでゴブリンみたいだな。

 

 冒険者は小さく、しかし少女の耳に届くように、静かに告げた。

 その言葉は確かに少女の胸に響き、僅かに俯いて冒険者の視線から逃れた。

 

 ──ゴブリンみたいだな。

 

 冒険者の言葉を胸の内で反芻し、ぎゅっと服の胸元を握り締めた。

 ゴブリンに関しては、話を聞くだけで直に見たことはない。

 村人が苦労して育てた作物を盗み、未来を思う村娘を拐い、人の尊厳の何もかもを蹂躙する。

 そんな話を、よく聞くだけだ。ゴブリンが本当にそんな生き物なのか、直に見たいから家を飛び出した。

 なのに──。

 

 ──私がゴブリンみたい、か……。

 

 見知らぬ誰かが築き上げてきた物を盗み、未来の可能性を潰そうとして、あの()の誇りも何もかもを奪おうとした。

 

 ──ああ、確かに、そう言われても仕方ないな……。

 

 少女は目尻が熱くなる事を感じ、溢れ出そうなものを必死に抑え込む。

 自分は加害者側だ。泣いてどうする。

 

「──……い」

 

「ん?」

 

 涙の代わりに漏らされた少女の呟きに、冒険者は僅かに表情を和らげた。

 尤も、俯いている少女がそれを知る術はない。

 少女は思い切り頭を下げ、冒険者に向けて告げた。

 

「……ごめんなさい」

 

 涙を堪えているからか、声が揺るえている。それでも、彼女は謝ったのだ。

 ゴブリンには出来ない、祈る者(プレイヤー)故に出来ること。

 冒険者は小さく肩を竦めると、音を出さぬように気をかけながら立ち上がった。

 そっと少女に歩み寄り、肩に優しく手を置いた。

 服越しに感じる冒険者の無骨な手の感覚に、少女は僅かに体を跳ねさせる。

 単純に驚いたのだろう。冒険者はその姿に小さく苦笑を漏らすが、しかし真剣な声音で少女に告げた。

 

「謝れたのは誉めるが、それを言うのは俺に向けてじゃないだろう」

 

 冒険者の言葉に少女は小さく頷き、そっと顔を上げた。

 必死に涙を堪えている為か、口の端が引きつり、僅かに嗚咽が漏れている。

 その少女の頭に手を置き、彼女の髪を撫でる。

 

「落ち着いたらで良い。何なら俺もついていく」

 

 やることもあるだろうに、自分と向き合ってくれる冒険者の気遣いを痛感しつつ、少女は頷いた。

 静かな部屋の中に少女の嗚咽の声だけが響き、冒険者は律儀にも少女が落ち着くのを待った。

 数分か、十数分か、ある程度の時間はかかったものの、少女が泣き止んだ頃を見計い、彼の友人たる神官を部屋に呼んだ。

 涙を堪える加害者(少女)と、僅かに不機嫌そうにする被害者(神官)

 年は大して変わらない変わらないが、その体躯の差で少女の方が年上に見えて仕方がない。

 後は二人に任せようと冒険者は部屋を後にしようとするが、

 

「ほ゛ん゛と゛う゛に゛、す゛み゛ま゛せ゛ん゛て゛し゛た゛ァ゛!」

 

 その背後から聞こえた濁音混じりの声に、たまらずため息を吐いた。

 後ろ髪を掻きながら振り返り、土下座する少女とぽかんとしている友人──女神官の姿を視認する。

 突然の事態に困惑する女神官が助けを求めるように見つめてくるが、冒険者──ローグハンターは無視を決め込み視線を逸らした。

 

「ゆ゛る゛し゛て゛く゛た゛さ゛い゛!こ゛の゛と゛う゛り゛て゛す゛ぅ゛ぅ゛っ!!」

 

「いや、あの、落ち着いて下さい!そんな頭下げなくても良いですから!」

 

「あ゛や゛ま゛り゛ま゛す゛か゛ら゛ぁ゛!」

 

「こ、この人に何をしたんですか!?」

 

 一切落ち着く様子のない少女の姿に、女神官は僅かに非難するような視線をローグハンターに向ける。

 対するローグハンターは「説教しただけだ」と端的に答え、再び少女に視線を送った。

 落ち着いたように見えて、当事者を前にしたら感情が爆発するのはよくある事だ。

 落ち着いたと判断した自分の甘さを恨みつつ、ローグハンターは再び少女を落ち着かせようと近づいていく。

 少女の叫び声を聞き付けた友人たちが集結し、ローグハンターが妖精弓手に尋問紛いの事をされ、少女と女神官が和解するのを邪魔している。

 あれやこれやと騒ぐローグハンターと妖精弓手を眺めつつ、銀髪武闘家はため息を吐き出した。

 

「馬鹿になる、か」

 

 彼が自分に向けて言った言葉を思い出し、僅かに頬を赤くする。

 ただ、自分以外の女性と長いこと二人きりでいたというのは、流石に説明を願わなければならない事だ。

 妖精弓手の尋問に参戦し、更にローグハンターを追い詰める。

 結局、本題である少女と女神官の和解が済んだのは、一時間程経ってからの事だった。

 

 

 

 

 




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Memory09 物語は書き換わる

 都、至高神の神殿の一室。

 剣の乙女の厚意に預り滞在する冒険者が一堂に会し、どうしたものかと視線を泳がせていた。

 泣き止んだ少女と女神官が和解を果たし、それを見届けたローグハンターは、冒険者を代表して次なる問題へと話を進めた。

 

「盗まれた物は返ってきた。本人も反省している。まあ、衛兵に引き渡すのは勘弁してやる」

 

「ありがとうございます……」

 

 明らかに上から物を申してくるローグハンターを睨みながら、少女は小言で礼を言った。

 睨むと言っても、喧嘩もしたことがない彼女のものだ。ローグハンターからしてみれば一切気にするものではない。

 彼の意見を聞いた銀髪武闘家は首を傾げ、問いかける。

 

「でも、これからどうするの?」

 

 彼女の質問は尤もだ。

 衛兵に引き渡すだけなら、詰所あたりに引きずって行けば良いし、それが最も手っ取り早い。

 だが、それは頭目たるローグハンターが「しない」と決めた以上、他の場所に連れていくなりするのだろう。

 彼女の質問にローグハンターは頷くと、自分の一党と女神官、ゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「とにかく、こいつを家に連れ帰る。まあ、見たところ貴族だろうから、多少の賠償金(ほうしゅう)を貰おう」

 

 何てことのないように告げるローグハンターに、思わず令嬢剣士が声をあげる。

 

「せ、先生がそんな事をおっしゃるなんて!?」

 

「今回の件は、少しばかり苛ついたからな。それに、金は多くて困る事もないだろう」

 

「それは、そうですけれど……」

 

 軽く腕を組ながら告げられた言葉に、令嬢剣士は僅かに遠慮がちに同意を示した。

 彼女とて今回の盗み、何も思わぬ訳がない。

 自分の手の届く範囲で、自分の友人から物が盗まれたのだ。思う事があって当然だ。

 彼女の反応を見つつ、ローグハンターは話を戻す。

 

「──で、こいつを家に送り届ける訳だが、念のため一党を組んで行くぞ。俺と一党は決まりだとして、回復職として女神官か蜥蜴人、出来れば二人ついて貰いたいんだが、良いか?」

 

 彼が確認を取ったのは、誰でもないゴブリンスレイヤーだ。

 いつも通りの両角の折れた兜に隠された表情は読めないが、彼は「問題ない」とだけ告げた。

 呼ばれなかった鉱人道士は面倒を避けれたからか、ご機嫌そうに酒瓶をあおる。

 げぷっと酒臭い息を吐き出し、それを食らった妖精弓手は咳き込みながら鼻を押さえ、目に涙を浮かべながら言う。

 

「けほっけほっ!前衛三と後衛三。まあ、丁度良いんじゃない?あんまり大所帯じゃ、その子も落ち着かないだろうし」

 

「そんな事言って、勝手にくっついて行くんじゃろ?」

 

「べ、別にそんなつもりないけど~?」

 

「ほんまかの……」

 

 念のためと鉱人道士が確認し、妖精弓手はわざとらしく顔を背けた。

 その結果に鉱人道士は酒臭いため息を漏らし、再び妖精弓手が咳き込む。

 蜥蜴僧侶が愉快そうに目を細めると、ローグハンターに問いかけた。

 

「しかし斥候殿、なぜ拙僧もなのだ?回復なら、巫女殿のみでも十分だと思いまするが」

 

「ああ、それもそうなんだが」

 

 彼の問いかけにローグハンターは頷くと、神妙な面持ちで告げる。

 

「どうにも嫌な予感がしてな。遠くから見られているような、監視されているような気がする」

 

「ふぅむ。拙僧は万が一の戦力、及び相手への威圧も込めて、という事ですな」

 

 目玉をぎょろりと回した蜥蜴僧侶に、ローグハンターは「頼めるか」と最終確認を取った。

 

「承知。街の影を走る(シャドウラン)とまではいくまいが、功徳を積めるやもしれぬ」

 

 彼が奇妙な手つきで合掌しながら言うと、「なら決まりだ」とローグハンターが頷いた。

 銀等級三人というだけでも過剰戦力かもしれないが、念には念だ。

 蜥蜴僧侶、女魔術師、令嬢剣士、女神官へと視線を配り、最後に銀髪武闘家に目を向けた。

 

「そういう事だが、異論はあるか」

 

 文字通りの最終確認。

 決定権があるのは頭目たるローグハンターだが、彼は決まって一党の全員に確認を取る。

 やる気のない者を連れていけば、下手しなくとも危険な事態に陥る。街を練り歩くだけだが、万が一の事態には備えねばならない。

 

「わたくしは異論なしですわ」

 

 令嬢剣士がやる気十分と言った様子で鞘越しに愛剣を撫でた。

 

「私も異論なしです。この人が逃げ出さないか心配ですし」

 

 女魔術師が冷たく少女を睨みながら言うと、睨まれた少女は肩を震わせて縮こまった。

 ただですらローグハンターの説教で疲弊しているのだ、更なる追撃は少々酷だろう。

 

「私も大丈夫です。少し、お話ししたかったですし」

 

 怯える少女を気遣いつつ、女神官が柔和な笑みを浮かべて頷いた。

 ちらちらとゴブリンスレイヤーの事も気にしているが、彼の事だから武具の具合を確認し、何かあれば補充の為に繰り出す事だろう。

 

「うん、護衛って事で良いのかな?まあ、気楽に行こ」

 

 最後に銀髪武闘家が優しげな笑みを浮かべて同意すれば、それは会議の終わりを意味している。

 ならば、後は肝心の護衛対象に確認を取るまでの事。

 ローグハンターは僅かにだが睨むように少女に目を向け、手短に問いかけた。

 

「それで、お前の家はどこだ」

 

 たった一言の問いは、彼らの今後の行動に大きく影響を与えるものだ。

 相当な街外れの屋敷なら、かなり歩く事になる。

 出来れば近場が良いんだがと、表情には出すことなくローグハンターは思案した。

 少女は手の胸の前でもじもじと指を弄ると、窓の外を指差してとても小さな声で一言告げた。

 

「あの城……」

 

『え……?』

 

 彼女の囁きに、女性陣の口から間の抜けた声が漏れた。

 少女が指差した先には、都一の高さと荘厳さを纏う巨大な城がある。

 あの城。確かに少女はそう言った。

 この都の中にある城なぞ、限られているどころかあの一つしかないだろう。

 ローグハンターは眉を寄せながら腕を組むと、再び少女に問いかけた。

 

「……おまえ、結構良い身分だったのか?」

 

「まあ、それなりに?」

 

 問いに返ってきたのは随分と曖昧な返事。

 小首を傾げて顔を背け、必死にローグハンターの視線から逃れるが、その先にいたみすぼらしい冒険者と視線が合って慌てて逸らす。

 ローグハンターは軽く天を仰いでため息を漏らすと、同行する冒険者たちに目を向ける。

 

「思いの外、大金が貰えるかもな」

 

 そう漏らしたローグハンターの顔には、獰猛な鮫を思わせる笑みが張り付いている。

 彼がそんな笑みを浮かべるのは、戦闘中に気分が高ぶった時ぐらいなものだ。

 六年共にいる銀髪武闘家としては馴染み深いが、そこまで長くはない──それでも一年近い──女魔術師らが珍しいと思うほどに、彼のその表情は貴重なものである。

 

 

 

 

 

 人混みに消えていく友人らと護衛対象を見送った妖精弓手が、長耳を揺らしながらにやりと怪しげに笑った。

 鉱人道士が巻き込まれる前に逃げようとするが、あっさりと首根っこを掴まれて阻止される。

 

「ねえ、オルクボルグ」

 

「なんだ」

 

 二人に構わず神殿に戻ろうとしていたゴブリンスレイヤーに声をかけ、彼は足を止めて振り返った。

 妖精弓手は変わらずの笑みを浮かべたまま、友人らが消えていった人混みの方を指差す。

 

「どうせ暇だし、追いかけましょ」

 

「おいおい、追いかけないとか言っとったろうが」

 

「えー、そんな事言ったかしらー」

 

 鉱人道士の指摘を適当に受け流すと、ゴブリンスレイヤーが神殿の影に目を向けて小さく唸った。

 ずかずかと無造作な足取りでそこに歩み寄り、腰帯に吊るした剣をいつでも抜けるようにしながらも片膝をつく。

 籠手越しに石畳を撫で、そこに付着したしらみを睨み付け、悩ましげに唸る。

 虫がどこにいようと気にするものではないと思うが、自然発生にしては多すぎる。

 それに加え、しらみの他に落ちているものが一つ。

 一言で言ってしまえば煙草の燃え殻だが、僅かに燃えているのか仄かに赤く、熱を持っている。

 

「かみきり丸、どうかしたんか」

 

「……追うぞ」

 

 鉱人道士の問いに、籠手にへばりつくしらみを振り落とし、煙草を踏み消しながら答えた。

 驚く鉱人道士を他所に、妖精弓手は「やた!」とぴょんぴょんと跳ねながらガッツポーズをする。

 ゴブリン退治でもないのに乗り気なゴブリンスレイヤーの姿に、鉱人道士は首を傾げて更に問う。

 

「なんじゃい、妙なもんでも見つたんかいな」

 

「そうだ。武器と触媒を用意してくれ」

 

 有無も言わさぬ態度だが、これでも平常運航だ。むしろ求めることを端的に告げてくれるから、聞く側はありがたいというもの。

 それを知っている鉱人道士はとやかく言い返す事はなく、「ほいきた!」と自室へと駆けていった。

 

「それじゃ、私も取ってくるね」

 

「急げ」

 

「はいはいっと」

 

 妖精弓手も気軽な返事を返すと走り出し、早くも鉱人道士に追い付いたのか、何やら声が聞こえてくる。

 いつもの事だと割りきり、その場で手早く装備を検める。

 左腕に括りつけた円盾も問題なく、雑嚢の中も問題ない。

 腰に下げる卍型の投げナイフの位置を確かめ、中途半端な剣の刃に歪みがないかを確認。

 緩めていた防具の留め具を締め直し、拳を開閉させて具合を確かめた。

 ここ数日歩き続けていたわけだが、疲労が溜まっている訳でもない。大丈夫だろう。

 間違っても大丈夫とは言い切らない。どんなに対策を打ったとしても、あるのは勝算で勝利ではないからだ。

 

 ──敵が来るとすれば何だ。

 

 ゴブリンか、ならず者(ローグ)、あるいは何者かに雇われた暗殺者(アサシン)

 

 ──来るとすればいつだ。

 

 護衛が油断した時か、不意にはぐれた時だろう。人混みに紛れて近づいてくる可能性もある。

 

 ──数は。

 

 わからない。が、こちらより多く、技量(スキル)力量(レベル)も上と見るべきだ。

 

 ──味方は。

 

 自分含めて九人。銀等級六、鋼鉄二、白磁一。全員の腕と装備、奇跡及び魔術の回数は把握済み。

 ゴブリンスレイヤーはそこまで思慮すると、深く息を吐いて天頂に至らんとする陽に目を向けた。

 この時間ならゴブリンは出ないかもしれないが、地下から突然這い上がって来る可能性も捨てられない。

 あちらにはローグハンターがいるとはいえ、彼でも両の手でも数えきれない人混みの中で、正確に敵の姿を見つけられるかは微妙な所だろう。

 彼が小さく唸った所で、装備を整えた鉱人道士と妖精弓手が戻ってくる。

 

「ほんで、頭巾のたちはどうやって追いかけるんじゃ?」

 

 鉱人道士の尤もな意見に、妖精弓手は目を閉じて耳を澄ませた。

 しかしその表情は険しいもので、上手く音が拾えていないことはわかる。

 

「難しいわね。音が多すぎるわ」

 

「そんなんで良く追いかけようとか言ったの」

 

「う、うるさいわね……!」

 

 鉱人道士のつっこみに、僅かに赤面しつつ返す妖精弓手。

 戦う以前にどう合流するかを考えなければならないことに気付き、ゴブリンスレイヤーは舌打ちを漏らした。

 そこに気づけなかった情けなさは今は置いておくとして、さてどうしたものかと再び思慮を深める。

 

 ──街の者に聞いて回る。

 

 確かにそれも良いだろう。だが、それをしたら時間がかかってしまう。

 だが、他に何がある。地道に一歩ずつ、これが基本だし、何より確実だ。

 

 ──ならば、後は実行あるのみ。

 

 早速行動しようとした時だ、ここ最近になって聞き馴染んだ声が耳に届いた。

 声の主は彼らの遥か上、天高く舞う一羽の鷲だ。

 ゴブリンスレイヤーらの上空を円を描きながら飛び、「キィキィ」と鳴いている。

 何かを感じ取ったのか、妖精弓手が鷲に向けて手を振ると腕を差し出した。

 鷲がそこに降り立つと、彼女は「良い子ね」と笑みを浮かべながら頭を掻いてやる。

 

「それじゃあ、あんたの飼い主──じゃなくて相棒たちの所に連れていって!」

 

「キィッ!!」

 

 妖精弓手が言いながら腕を凪ぐと、それに乗った勢いのままに再び天へと舞い上がった。

 どこかへと向けて飛んでいく鷲を眺めつつ、妖精弓手が男性二人に目を向けた。

 

「それじゃ、追いかけるわよ」

 

「ああ」

 

「よしきた」

 

 彼女の指示に二人は間を開けずに答え、彼女の背を追う形で駆け出した。

 

 

 

 

 

 街を練り歩く冒険者六人と、護衛対象たる少女が一人。

 目が回りそうな程の人混みも、蜥蜴僧侶の巨体に圧されてか僅かだが道を開けてくれる。

 ある意味求めていた効果をもたらしてくれた彼に感謝しつつ、ローグハンターはフードの下で目を細めた。

 

 ──見られているな……。

 

 神殿を出てからというもの、どこからか視線を感じるのだ。

 気配と言われるものは、実際は生物が残した僅かな痕跡を、様々な感覚をもって違和感として感じるだけのものだ。

 だが、ローグハンターはその例外にある。幼少期に積んだタカの眼を開眼するための訓練は、まさにその気配を感じとれと言ったもの。

 ただの違和感ではなく、気配を探りとれる。広いこの世界において、索敵に関して言えばローグハンターはトップクラスだろう。

 その不穏な気配の正体を探るべく、瞬き一つでタカの眼を発動し、周囲を見渡す。

 関係のない通行人が黒く塗りつぶされ、仲間たちが青、護衛対象たる少女が金色の影へと変わる。

 そして、それらを見つけた。

 建物の影からこちらを伺う赤い影と、それを守るように隣に立つ赤い影が見えるのだ。それも一つや二つではなく、視界に納まる限りでも十人近い。

 ある程度見張るとタカの眼の範囲外に逃げていく辺り、もしかしたら自分の眼について何か知っているのかもしれない。

 

 ──尤も、術や奇跡としてだろうが。

 

 ローグハンターはそのままタカの眼を維持し、周囲への警戒を深める。

 心なしか彼の表情が険しくなった事を察知してか、隣を歩く銀髪武闘家がちらりと後方の仲間たちへ目を向けた。

 すぐさま意図を察した女魔術師は杖を握る手に力を入れ、令嬢剣士は外套のマントの下で突剣の柄に指を置いた。

 蜥蜴僧侶も察しはしたものの、ただですら目立つ彼が何かしらアクションを起こせば嫌でも目立ってしまう。

 返事の代わりに一度ゆっくりと瞬きするに止め、ぎょろりと女神官と少女に目を向けた。

 

「本当、ごめんなさい……」

 

「謝らないでください。先ほど許したばかりですよ?」

 

「そうだけどさ、こんな良い子から盗んだとか、私の良心が責められるのよ……」

 

「あはは……」

 

 元気になる様子のない少女と、大して歳も変わらない少女から言外に幼いと言われ、困り顔で笑った女神官に、蜥蜴僧侶は「また友人が増えましたな」と笑み混じりに告げた。

 突如として言われた一言に女神官は「そうですかね?」と首を傾げ、少女は「友達。友達かぁ……」と染々と噛み締めていた。

 本当にあの城に住んでいるとしたら、彼女の世界はとても狭いものだったのだろう。

 彼女はそこから逃げ出そうとして、女神官に盗みを働いた。

 ローグハンターは僅かに思慮すると、首だけで振り向いて少女に問いかけた。

 

「いきなりで変に思うかもしれないが、どこか行きたい場所でもあったのか」

 

「本当にいきなりね。まあ、行きたい場所というよりもとりあえず外に出てみたかったのよ」

 

 声音を弱くしつつ答えた少女に、ローグハンターは半目になりながら「傍迷惑な奴だな」とだけ返した。

 

「な!?そっちから聞いてきたんでしょ!」

 

「とりあえずで盗みを働くな」

 

「あぅ!」

 

「ロ、ローグハンターさん!あんまり虐めないであげてください!」

 

 再び説教口調になりかけたローグハンターと、胸を押さえて仰け反る少女。

 女神官はたまらず少女を庇うように割って入り、ローグハンターに苦言を漏らす。

 当の彼は軽く肩をすくめる程度で気にした様子はなく、回りの仲間たちは笑うのを必死に堪えている。

 無駄に強まっていた緊張感を僅かに緩めた時だ、裏路地からぞろぞろとみすぼらしい男たちが現れた。

 前方からだけでなく後方からも現れ、偶然居合わせた通行人諸とも包囲される。

 ローグハンターは黒鷲の剣に手をかけながら、タカの眼を解除して周囲の状況を探る。

 色の戻った視界には、いきなり道を塞がれた通行人たちから怒号が飛んでいるが、みすぼらしい男たちは気にした様子もない。

 何人かが彼らの隙間を無理矢理通ろうとした時だ。

 何条もの鋭い銀光が走ったかと思うと、通行人たちの体に幾重もの切り傷が刻まれた。

 

「ッ!」

 

 傷口を押さえ、絶叫しながら崩れ落ちる人々を認めたローグハンターは、黒鷲の剣を抜き放った。

 同時に誰かの悲鳴が通りに響き渡り、その切られた誰かに駆け寄る。

 夫婦か、あるいは兄妹か、ともかく親しい人であるのは確かだろう。

 その駆け寄った何者かに向けて刃が降り下ろされそうになった時だ、ローグハンターの左手が閃いた。

 最低限の呼び動作で放たれた投げナイフは、寸分の狂いなくみすぼらしい男の喉仏を貫く。

 振り上げた刃を取りこぼし、自らの血に溺れながら崩れ落ちる。

 ローグハンターは黒鷲の剣を引き抜きつつピストルを取り出すと、天へと向けて発砲した。

 見ず知らずの誰かの悲鳴、断末魔。そして聞いた事もない炸裂音。その中心にいるのは、剣と見たこともない武器を掲げた謎の男。

 危険に慣れた冒険者だけなら、また違っただろう。だが、ここにいるのは冒険とは無縁の一般人だ。

 一瞬の静寂の後、恐怖が伝播した先に巻き起こるのはただ一つ。

 

 

 

 

 ──パニックである。

 

 

 

 

 恐怖に負けた誰かが走り出せば、後は雪崩のように人が動き出す。

 ある者は自分の子供を抱き上げ、ある者は荷物を捨て、ある者は人を退かして我先にと逃げ出す。

 みすぼらしい男たちは人の雪崩に巻き込まれる事を恐れてか、再び裏路地へと転がり込んだ。

 

「行くぞ!」

 

 タカの眼でそれを確認したローグハンターが指示を飛ばすと、銀髪武闘家、女魔術師、令嬢剣士が頷き、蜥蜴僧侶は女神官と少女を肩に担ぎ上げて「参りますぞ!」と勇ましく返す。

 雪崩のように流れる人混みに身を任せ、彼らもまた走り出す。

 人混みを掻き分ける事はなく、互いにはぐれないように気をかけつつ、流れに身を任せて同化する。

 みすぼらしい男たちが彼らを見失う事はないが、接近する事は叶わずに舌打ちを漏らした。

 足を止めることなく、ローグハンターは告げる。

 

「ここで戦闘は無理だな。もう少し人が少ない──」

 

 そう言いかけた彼の耳に、怪しげな囁き声が響いた。

 すぐさまタカの眼を発動し、正面から迫る刺客の姿を視認する。

 足を止めるわけにはいかない。止まれば人の波に呑まれ、そのまま押し潰される事だろう。

 

 ──足を止めずに殺るしかない……!

 

 刺客との距離がみるみる縮んでいくなか、彼は冷静に左手のアサシンブレードを抜刀した。

 遥か過去の伝説から贈られたその刃は、それを覆い隠す籠手と同じく黒き真の銀(ミスリル)により鍛えられたものだ。

 だが、重さも刃の長さも全てが同じ。怖いほどに手に馴染む。

 刺客の方はローグハンターが臨戦態勢に入った事に気づいていないのか、懐から短刀を取り出した。

 刺客は不気味にほくそ笑みながら、無防備な──少なくとも彼はそう思っている──ローグハンターに向け、短刀を突き出す。

 瞬間、ローグハンターが動いた。

 短刀の刺突を体を捻って避けると、回転の勢いのままにアサシンブレードを振り抜く。

 簡単な鎧だろうと貫く刃の一閃は、刺客の喉を紙のように切り裂いた。

 動脈をかっ切られた刺客の首からは、噴水のように血が吹き出し、冒険者たちと周囲の一般人の顔と服を赤黒く汚す。

 それを皮切りにパニックは更に広がり、人々は前だけでなく後ろは左右にも逃げ始めた。

 蜘蛛の子を散らすように逃げた一般人に取り残される形で、ローグハンターたちは通りの中央にいた。

 駆けていた誰一人として息を切らすことはなく、蜥蜴僧侶に担がれていた少女は目を回したのかぐったりしている。

 額についた返り血を拭いながら、ローグハンターはタカの眼を発動しつつ肩を竦めた。

 

「ここでやるしかない。逃げるにしても、もう遅いようだ」

 

 通りの至るところからみすぼらしい男たちが這い出し、各々の得物を片手に不気味な笑みを浮かべている。

 彼らの視線の先にいるのは、蜥蜴僧侶の肩に乗る少女だ。狙いは彼女であることは間違いない。

 みすぼらしい男たちを睨みつつ、銀髪武闘家はほんの僅かに狼狽えた。

 彼女の視線の先にいるのは、一人の老爺だ。右腕は肘から先がなく、ぎょろりと剥かれた瞳の片方はガラス玉のように濁っている。

 そう、都に入った時に出会った物乞いだ。彼が、背格好とは不釣り合いな剣を片手に、こちらを睨んできている。

 老爺のほうも彼女に気づいたのか、獲物を見つけた肉食獣のように舌舐めずりをした。

 ローグハンターはその老爺を鷹の眼光をもって黙らせつつ、みすぼらしい男たちに問いかけた。

 

「貴様ら、誰を相手にするかわかっているのか?」

 

 感情の失せた、どこまでも冷たい声音。

 敵を前にした彼が発する声と殺気に、みすぼらしい男たちは僅かに後退った。

 その隙に、ローグハンターは指示を出す。

 

「俺と武闘家、剣士の三人で相手する。蜥蜴人と魔術師、神官でそいつを守れ」

 

「わかった!」

 

「かしこまりましたわ!」

 

「承知!」

 

「任せてください!」

 

「わかりました!」

 

 打てば響くような返事とは、この事だろう。

 ローグハンターは一度深呼吸すると、黒鷲の剣を抜き放ち、影のように暗い刃を太陽に透かす。

 光を反射している筈なのになお暗い不気味な刃の切っ先をみすぼらしい男たちに向け、告げる。

 

「──ならず者殺し(ローグハンター)として、貴様らを討伐(スレイ)する」

 

 この国において最も安全である筈の都で、冒険者とならず者たちが激突した。

 

 

 

 

 

『幻想』と『真実』の神様は、まったく予定していない出来事(シナリオ)に慌てふためいていました。

 捕まってしまったのなら仕方ないと、次の物語(シナリオ)を考えようとした矢先の出来事です。

 二人の様子に気づいた他の神様たちも都に目を向け、驚いた顔をします。

 もはや異変と言って良い出来事の中心にいるのは、またもフードの彼です。

 彼に向けて骰子(サイコロ)を振っても、結果を無視することは当たり前で、最近はそもそも振れない何てこともざらにあります。

 神様たちはどうにかしようとしていましたが、解決する間もなくこれです。何がどうなっているのでしょう。

 神様たちの視線が卓に集まっている事を良いことに、怪しげな金色の人影が何やら駒の用意をしていました。

 その人影は気付かれていない事を確認すると、自分の手元に目を向けます。

 そこにあるのはいくつもの駒でした。牛頭の巨人や一つ目の巨人、髪が蛇のようになった女性など、見るからに怪しいものばかりです。

 人影は口の端を不気味に歪めると、並べられた駒の最後の一つをつまみ上げます。

 目深くフードを被った、右手に剣、左手に仕込み刀(アサシンブレード)を構えた只人の駒。

 そう、話題のフードの彼とまったく同じ駒です。

 人影はそれを手のひらの上で弄ぶと、誰にも聞こえないように呟きました。

 

 ──この(せかい)は、私が貰う。

 

 そして弄んでいた駒を自身の卓の上に置き、その頭を指で小突きます。

 

 ──その為にもまずは、彼を返して貰わないとね。

 

 その表情には狂気を感じますが、そこには何故か母親を思わせる優しさが滲んでいます。

 人影は駒を小突くのを止めると、愛撫するように駒の頭を指で撫でました。

 

 ──何よりも愛しい、愚かな我が息子よ……。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory10 そして通りは赤く染まった

「シッ!」

 

 鋭く吐き出された吐息の音と共に、みすぼらしい男の首が飛んだ。

 噴き出した血を一身に浴びながら、正面から振り下ろされた手斧の柄を半ばから切り裂いて無力化。

 驚き体を強張らせた隙を狙い澄まし、アサシンブレードを眼窩に滑り込ませる。

 もう慣れてしまった肉を貫く感覚を振り払い、みすぼらしい男が白眼を剥いた。

 ローグハンターは一切気にした様子もなく、アサシンブレードを引き抜く。

 支えを失ったみすぼらしい男は膝から崩れ落ち、眼窩からこぼれた血が通りの石畳を伝って広がっていった。

 投げナイフを投じて裏路地の入り口から飛び出してきた新手を足止めする。

 投げナイフが喉に突き刺さり、何の出番もなく絶命した先頭が倒れ、後続はその死体に足を取られて転倒し、それがさらに次の後続たちをも巻き込んでいく。

 黒鷲の剣とアサシンブレードに血払いくれて、前衛を務める二人に目を向けた。

 

「ハッ!」

 

 銀髪武闘家の気合いと共に放たれた拳が、みすぼらしい男の頭蓋を砕く。

 腕を引く勢いに任せて反転し、背後に回っていた相手の鳩尾に拳を叩き込んだ。

 周囲にも響く程の、ぐしゃりと何かが潰れる音が男の体から漏れ出た。

 みすぼらしい男は自身の胸を押さえ、血涙を流しながら前のめりに倒れ込む。

 彼女はその体を乱暴に受け止めると、両足を踏ん張って体を捻り、思い切り投げ飛ばした。

 投げられたみすぼらしい男の死体に巻き込まれ、後衛に近づこうとしていた敵が転倒する。

 一気に間合いを詰めながら跳躍し、落下の勢いのままに転倒した男の顔面を踏み砕いた。

 砕けた頭蓋からその中身がぶちまけられ、僅かに跳ねたそれが彼女の頬に張り付く。

 彼女はそれを拭い、予備動作なしで裏拳を放つ。

 パン!と快音が鳴り響き、鳩尾を砕かれたみすぼらしい男が、その生涯を終えた。

 透ける程美しい銀色の髪を返り血で赤く濡らし、優しげな陽光を受ける姿は、一枚の絵画のようだ。

 だが、そう思うのは彼女と敵対していない者に限っての話だ。彼女の敵たる者たちは、そんな彼女の姿に畏怖を感じたことだろう。

 そして、そんな彼らの敵は彼女だけではない。

 彼女に気を向けていたみすぼらしい男に令嬢剣士は軽銀の突剣を振り下ろし、左の肩口から胸を一気に切り裂く。

 更にもう一度力を入れ膝をつかせると、膝蹴りでもって顎を砕く。

 倒れるみすぼらしい男には一瞥もくれず、舞踏会で踊るダンスを思わせる優雅なステップで間合いを詰め、喉に軽銀の突剣を突き立てる。

 それを引き抜くと同時に長槍を振り回すみすぼらしい男の喉に向けて軽銀の短剣を投げ放ち、僅かに逸れて肩へと突き刺さった。

 まだまだ練習不足だと自分に言い聞かせながら一気に間合いを詰め、突き刺さった短剣を手に取ると一気に振り上げる。

 突剣と同じ素材で造られたそれは異常な切れ味を持ち、人の筋肉程度なら容易く切り裂く。

 肩の筋肉を切り裂かれ、だらりと腕を下げたみすぼらしい男の脇を通りすぎ、背後の壁を蹴って反転。突剣を両手で握って脳天から頭を貫く。

 その勢いのまま地面に叩きつけ、突剣を引き抜く。

 軽く深呼吸をして意識を研ぎ澄まし、周囲の状況を探る。

 

「フッ!」

 

 ローグハンターが黒鷲の剣を一閃し、相手の腹を裂くとアサシンブレードをこめかみに突き刺してとどめを刺す。

 引き抜いた勢いのままピストルを引き抜き、発砲。屋根の上で弓を構えていたみすぼらしい男の足を吹き飛ばし、落下させる。

 不運にも頭から落下した彼から、もはや滑稽に思えるほど見事な骨の砕ける音が響いた。おそらく即死だ。

 

「頭の上にも気を付けろ。矢が降ってくるぞ」

 

 言い終えると共に忍び寄ったみすぼらしい男の体を袈裟懸けに切り裂き、悲鳴と共に膝をついた瞬間にその顔面を蹴り砕く。

 黒鷲の剣と同質の素材で造られた脚甲は、それだけで凶器足り得るものだ。彼はそれを、全力でもって振り抜いた。

 下手をしなくとも即死だ。死ぬ直前まで切られた痛みがあったのは、その男の最後の不運だろう。

 前衛三人が下の相手をしている隙に、屋根の上を陣取るみすぼらしい男の一人が矢を放った。

 それはまっすぐに後衛陣に向かっていくが──、

 

「《サジタ()……サイヌス(湾曲)……オッフェーロ(付与)》!」

 

 女魔術師の唱えた『矢避(ディフレクト・ミサイル)』が不可視の力場を生み出し、超自然の守りを施した。

 矢は大きく的を外れ、民家の壁に弾かれて通りに落ちる。

 ローグハンターは屋根の上を睨むと、蜥蜴僧侶に声をかける。

 

「交代だ。俺は上をやる」

 

「承知!ちょうど我慢出来なくなった所ですぞ!!!」

 

 目玉をぎょろりと回し、怪鳥音と共にみすぼらしい男へと飛びかかる。

 爪、爪、牙、尾。

 蜥蜴人特有の四連撃が猛威を振るい、一人、また一人の屍を増やしていった。

 その姿に一瞥くれると、ローグハンターは黒鷲の剣を腰帯に戻して弓を手に取る。

 弦の張りはもはや確認する必要はなく、矢筒から三本の矢を纏めて引っ張り出し、タカの眼を発動しつつ弓につがえる。

 壁越しだろうと相手の位置を把握出来る強みを生かしつつ、目を細めて的を絞る。

 目と矢、そして獲物を一直線に並べ、後は放つのみ。

 彼の動きを察知した屋上のみすぼらしい男たちは頭を引っ込めるが、ローグハンターは構わずに矢を引き絞り、一呼吸の間を開け、隠れた敵に向けてではなく天へと向けて撃ち放った。

 空気を切り裂く鋭い音と共に、矢は陽光へ向けて飛んでいく。

 みすぼらしい男たちはその矢を見上げ、げらげらと下品な嘲笑をあげた。

「下手くそ!」だの「素人が!」だのと、どれもこれも彼の事を馬鹿にした内容だ。

 そして、そうやって馬鹿にした男たちの脳天に矢が生えた。

 彼らは最後まで気付く事はなかった。ローグハンターが天へと向けて放った矢が、高高度に達した後、重力に従って戻ってきたのだ。

 天高くから獲物を狙う鷹の如く、相手の急所を貫き、一瞬で命を刈り取った。

 だがまだ三人を倒しただけだ。弓兵はまだ何人もいる。

 尤も、今の神業とも言える射撃術を見せつけられた弓兵たちは、恐れ(おのの)き、頭を出してくる様子はない。

 その程度で、ローグハンターから逃れられる訳がないのだが──。

 彼は人数を把握しつつも、一本だけ矢を取り出した。

 (やじり)は妙にごつく、一目見ただけで殺傷能力はなさそうである。

 ローグハンターは先ほど以上の力を持って弦を引き絞り、再び天上へと向けて矢を放つ。

 みすぼらしい男たちは驚き慌ててその場を退避し、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 ──瞬間、落下してきた矢が()ぜた。

 

 みすぼらしい男たちは爆発の衝撃で屋根の上から弾き飛ばされ、まともに受け身を取る暇も与えられずに地面に叩きつけられる。

 頭から落ちれば即死だろうが、腹から落ちた者は全身の骨が砕けてもまだ息があり、背中から落ちた者はまだ健在なのか立ち上がろうともがいている。

 そこに銀髪武闘家か蜥蜴僧侶が躍りかかる訳だから、どちらにしろ彼らは詰みである。

 ローグハンターは自作した『炸裂矢(グレネードアロー)』の効果を確かめ、得意気な笑みを浮かべた。

 グレネードランチャーを弓で代用できないか試行錯誤をしたものだが、結果は上々だ。

 前衛を蜥蜴僧侶に任せた、ローグハンターは自分の背後で縮こまっている少女に目を向けた。

 

「何か恨まれる事でもやったのか」

 

「知らない、知らないわよ……」

 

 耳を両手で塞ぎながら、首を左右に振って答えた。

 少女は知らない世界を見たくて家を飛び出した。

 

 ──けど、見たかったのはこんなんじゃない。こんな、殺し合いを見たくて出てきたんじゃない。

 

 何も知らない少女の目の前で、凄惨な殺し合いが繰り広げられているのだ。

 首を無くして倒れる死体に、手足のいずれかが欠けた死体、頭の潰れた死体。

 どこに目を向けようにも、そこには必ず死体がある。

 少女にとっての非日常が、いきなり飛び込んできたのだ。混乱しても仕方がない。

 女神官は彼女を落ち着かせようと優しく背を撫で、「大丈夫です。きっと守ります」と声をかける。

 ローグハンターは少女の面倒を女神官に任せ、前衛の援護を始める。

 彼らの背後を取ろうする者を射抜き、路地から飛び出そうとした者を射抜き、屋上に陣取る者を牽制する事も忘れない。

 妖精弓手ならもっと上手くやるのだろうが、森人と只人が弓術で競うなど片腹痛い。彼女ら森人は、生まれた時から生粋の弓手だろうに。

 そんな下らない事を思案を一瞬で振り払い、前衛を務める令嬢剣士の動きが僅かに鈍ってきている事に気付く。

 彼女が討ったみすぼらしい男の数は、既に二桁に突入している。疲労が溜まっても仕方がない事だ。

 ローグハンターは彼女への援護に意識を傾けつつ、女魔術師に問いかける。

 

「『矢避』はいつまで持つ」

 

「そろそろ張り直します。援護を」

 

「任せろ」

 

 彼の返事を合図にしてか、不可視の力場が揺らぎ、彼らを守っていた超自然の盾が消失する。

 屋上のみすぼらしい男たちはこれ幸いと身を乗り出すが、そこに次々と矢が突き刺さっていく。

 ローグハンターが矢継ぎ早に放った矢は、その全てが相手の急所を捉えた。

 これでも弓を使い始めて一年経っていないのだが、何故か彼は熟練の冒険者以上に使いこなしていた。

 本人に聞けば「夢の中で覚えた」と真面目な面持ちで返してくるだろうが、今この話は良いだろう。

 ローグハンターが時間を稼いた隙に、女魔術師は再び『矢避』の詠唱を済ませた。

 本日二度目の魔術使用ではあるが、彼女は一切慌てた様子も疲弊した様子もない。

 見る限り、もう一二度なら問題なく使えそうな程である。

 ローグハンターがほんの僅かに彼女に視線を向けると、女魔術師は得意気に頷いた。

 

「まだ行けます。あと二度程度なら唱えてみせますよ」

 

「それはありがたい」

 

 言いながら矢を放ち、また一人討ち取る。

 冒険者らが殺害した人数は、既に三十を越えた。ただ静かで平穏な空気が流れていた通りは、死体から垂れ流される血によって赤く染まり、鉄臭さが周辺に留まっている。

 難攻不落の遺跡もかくやという空気の重さは、冒険者だけでなくみすぼらしい男たちすら呑み込み始めた。

 ここまで仲間を殺されても攻撃を止めないとは、相手の背後にいるのは部下を駒としか見られない愚か者か、あるいはこの程度の損害ならすぐに補填出来ると根拠のない自信に満ちた愚か者か。

 とにもかくにも、現状を打破しなければどうにもならない。

 相手の物量がいつ底をつくかはわからないが、先ほどに比べて新手の数は減っている。おそらく、相手の限界は近い。

 ローグハンターはそう判断し、援護を続ける。

 相変わらずのペースでみすぼらしい男を屠り続ける銀等級二人の背中に頼もしさを感じつつ、令嬢剣士に目を向ける。

 既に肩が大きく上下するほどに息が荒い。そろそろ彼女も限界だろう。

 そして、その予想はすぐさま的中した。

 一人のみすぼらしい男が令嬢剣士の脇を抜け、女神官に庇われた少女目掛けて駆け抜けたのだ。

 何やら薬物でもやったのか、血走った目で少女を見つめ、だらしなく開かれた口からは涎が垂れている。

 ナイフ片手に直線的に駆け抜けたその男は、少女にたどり着く前に上半身と下半身が泣き別れとなった。

 何の事はない。ローグハンターの黒鷲の剣が一閃されただけだ。

 彼も、彼の仲間たちもそれに何か感じた様子はない。

 しかし、たった一人だけ、大きく心を揺らされた人物がいた。

 血走り、見開かれた目は少女に向けられ、少女の無垢な瞳はその男を見つめ返した。否、見つめ返してしまった。

 ローグハンターは知るよしもない事だが、彼は大きなミスを犯していた。

 たった一つ。普段の冒険なら一切気にもならない、とても些細な事だ。

 

 ──蜥蜴僧侶との前衛の交代。

 

 いつもの冒険でもよく行われる、冒険者なら誰も気にもとめない一手。

 だが、今回はそんないつもの冒険ではない。彼らには、守るべき少女がいた。

 蜥蜴僧侶の巨体は、少女の目の前で起きている惨状を隠す壁代わりとなっていた。

 その壁は一瞬で取り払われ、戦場の全てが少女に襲いかかった。

 誰かの悲鳴が、一部が欠損した死体が、誰かの人生が終わる瞬間が、何も知らない少女に襲いかかったのだ。

 今まではどうにか抑えられていた。だが、彼女は男の死体を直視してしまった。

 血走った目から生気が失せ、垂れ流される涎は止まることなく、血が石畳を伝って少女の足元まで流れ込む。

 今までの人生で感じた事のない血の臭いが、死の気配が、ついに──。

 

「もう、いやぁぁああああああっ!」

 

 ──少女の体を突き動かした。

 咄嗟に押さえようとした女神官を突き飛ばし、少女はどこかへ向けて走り出してしまう。

 ローグハンターをはじめとした冒険者たちは少女の行動に面を食らいつつも、目の前の敵への対処を止める訳にはいかない。止めたら、それは自分の死を意味するからだ。

 みすぼらしい男の首を蹴りでもって切断した銀髪武闘家が、ローグハンターに向けて叫ぶ。

 

「キミはあの()を追いかけて!ここは私たちで何とかするから!」

 

 言いながら切りかかってきたみすぼらしい男の一撃を避け、その首を絞めて勢いよく体を捻る。

 ゴキッ!と骨の折れる音を響かせると、躊躇いを見せるローグハンターに向けて更に言う。

 

「大丈夫、私たちを信じて!すぐに追い付くから!」

 

「そうですぞ、斥候殿!ここはお任せあれ!」

 

 彼女に蜥蜴僧侶が続くと、ローグハンターは歯を食い縛って両拳を握り締めながら「頼む……!」とだけ漏らし、少女の背を追って駆け出した。

 彼の背中を見送った蜥蜴僧侶は一旦その場を飛び退き、懐から骨の欠片を取り出した。

 

「こうなれば、もはや余力を残してはいられますまい!《禽竜(イワナ)の祖たる角にして爪よ。四足、二足、地に立ち駆けよ》!」

 

 詠唱と共に欠片を放り、二体の『竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)』を出現させた。

 

「剣士殿は一旦下がられよ!」

 

「申し訳ありません!」

 

「気になさらず!」

 

 一旦下がった令嬢剣士の受け持ちを、『竜牙兵』二体でもって支える。

 また一人のみすぼらしい男を蹴り倒した銀髪武闘家は、僅かに不安そうな表情でローグハンターが消えていった通りの角に目を向ける。

 彼が一人で行動すると、大概碌なことにならない。必ず彼を含めた誰かが死にかけるのだ。

 

 ──どうか、無事でいてね。

 

 ほんの一瞬瞑目して祈りを捧げると、僅かな不安を掻き消すようにフッと息を吐いた。

 通りに殺到するみすぼらしい男の群れは、いまだに終わる気配はない。

 それでも、彼らは退くことなく挑む。

 

 ──あの少女が鍵なのだ。彼女を守らねば、確実に何かが起こる。

 

 多少の認識の違いはあれど、冒険者たちの考えは一致していた。

 ならば、追いかける頭目を信じて耐えるのみ。

 彼ならばきっと、この状況を変えてくれると信じるのみだ。

 

 

 

 

 

 ローグハンターは一人、通りを走っていた。

 騒ぎは既に広まっているのか、人通りは一切ない。酷く不気味なものだが、今はとてもありがたい。

 タカの眼で少女の残した足跡を追い、通りを右に左へと曲がり、更に加速。

 一刻も早く戻らなければならないという焦りからか、普段は余裕で走れる速度でも妙に息が切れる。

 それでも歯を食い縛り、一切速度を緩めることはない。

 騒ぎから遠のいたからか、少しずつ通りを歩く人が増え始めた。

 血塗れの彼へと怪訝な視線が集まるが、当の本人は一切気にする様子もなく、人混みを掻き分けて突き進む。

 痕跡を追って大通りを曲がろうとした時だ、二頭の馬に引かれた馬車が飛び出してきた。

 都に入る直前に見た王家の物とは比べるのもおこがましい、ぼろぼろで傷だらけの年期の入った馬車。

 

「ッ!」

 

 しかし、ぼろであろうとなかろつと、馬車に轢かれて無事でいられるかは別問題だ。

 ローグハンターは慌ててその場を飛び退き、馬車に()かれる事だけは回避した。

 集中が切れたからかタカの眼が解除され、視界には色と活気が戻ってくる。

 通りを歩く人たちも上手いこと避けたのか、見た限り怪我をした者はいない。

 下手をすれば大事故になっていただろうに、馬車の御者台の男は気にする素振りも見せずに手綱を握っている。

 ローグハンターが舌打ちをして立ち上がると、再びタカの眼を発動した。

 足跡を探すが見つからずに再び舌打ちを漏らすが、不意に馬車へと目を向け、そして目を見開いた。

 馬車が金色の輝きを放っているのだ。車両の残した軌跡までもが金色に染まり、彼を誘っている。

 少女の痕跡が消え、代わりに馬車の痕跡が残る。

 それはつまり、

 

「屑どもが……ッ!」

 

 ──少女はあの馬車に乗っている。

 その結論にたどり着いたローグハンターは、隠す気もなく毒を吐き、ちょうど通りかかった馬車へと飛び乗った。

 

「おや、何事です?」

 

 御者台に乗っていた黒いローブの男性は突然の乗客に大して驚いた様子もなく、小さく首を傾げる。

 

「降りてくれ。後で金は払う」

 

「急用ですか?ローグハンター」

 

 自分の異名を言われたローグハンターは僅かに目を見開くが、助けた貴族令嬢の関係者だろうとあたりをつけた。

 

「連れが誘拐されてな。あの馬車を追いかけたい」

 

 無理やり通りを曲がった馬車を眺め、御者は目を細めた。

 ローグハンターが奪おうとした手綱を逆にしっかりと保持すると、彼に向けて言う。

 

「操縦は私が。しっかり掴まっていてください!」

 

 そう言うと同時に、御者は「はっ!」と声を張り上げると共に手綱を操る。

 馬たちは弾かれた手綱に驚いたのか、大きく鳴き声をあげるが、勢いのままに加速していく。

 いきなりの事態に驚く間もなく、ローグハンターはロープダートで体と馬車を結びつけ、固定した。

 

「曲がりますよ!」

 

「おう」

 

 御者の掛け声に合わせて体重移動し、少しでも曲がり易いようにする。

 カーブの勢いで馬車は大きく傾くが、片輪のままどうにか走り、ローグハンターが側面に張り付いて勢いをつけ、半ば無理やり元に戻す。

 

「気付かれたようです。(クロスボウ)持ちが出てきました」

 

 御者の警告を受けて前を走る馬車に目を向けると、馬車の屋根が開き、そこから殺意剥き出しの男が体を出していた。

 

「少しでも安定させてくれ、狙い撃つ」

 

 御者台へと戻ったローグハンターは、背に回していたライフルを手に取り、装填されていることを確かめる。

 御者台に腰かけたままライフルを構え、手の力だけで安定させる。

 息を吐き、吸って、止め、照準を合わせ、そして引き金を引く。

 大砲さながらの銃声が響き渡り、弩を構えていた男の胸が撃ち抜かれ、馬車から転がり落ちた。

 ボルトを開いて火の秘薬と弾丸を込め、ボルトを閉じる。

 

「良い腕ですね。これなら依頼をしても問題ないようだ」

 

「その話は後にしてくれ。仕事中だ」

 

 再び顔を出してきた弩持ちを再び撃ち抜き、装填。

 御者は彼の手際の良さに舌を巻きつつ、手綱を握る手に力を込めた。

 

「もうすぐ幅の広い橋に出る筈です。そこで並べますので、飛び移ってください」

 

「無茶だが、それしかなさそうだな」

 

 ライフルを背に戻したローグハンターは頷き、固定に使ったロープダートを取り外す。

 ふと、ローグハンターは御者に目を向け、問いかけた。

 

「それにしても、どこかで会ったか?見覚えがあるんだが……」

 

「いえ、会った事はありませんよ。世界には似た顔の人物が何人かいると言いますし、人違いでは?」

 

 御者は捲し立てるように言うが、ローグハンターは余計に首を傾げるだけだ。

 

「いや、どこかで会った筈だ。ヴェネチアか、ローマか……」

 

「っ!」

 

 ローグハンターが出した地名に驚きつつ、御者は手綱を操り続ける。

 御者の友人たる狐からも聞いていた事だが、横の冒険者は、本当に彼の記憶を持っているのかもしれない。

 そんな思考が脳裏をよぎるが、今は状況が状況だ。

 

「とにかく、すぐに追い付くので準備を」

 

「任せておけ」

 

 御者台の上で中腰となり、念のためにピストルを構えるローグハンター。

 前を走る馬車とある程度差が縮まり、射程圏内に捉えた時だ。 左右を塞いでいた建物が無くなった。

 橋に到達した事で、視界を塞ぐ建物が切れたのだ。

 建物の間を吹き抜ける強烈な風で僅かに馬車が軋み、馬たちも狼狽えたのか唸り声をあげる。

 風に押されて揺れる車上でも、ローグハンターは気にした様子もなく前の馬車を睨んでいた。

 橋を歩く人々は突っ込んでくる二台の馬車の道を開けるため、蜘蛛の子を散らすように左右へと逃げていく。

 あと二馬身まで差を縮め、ローグハンターがピストルをしまい飛び移る準備を整えた時だ。

 

『《アラーネア(蜘蛛)……ファキオ(生成)……リガートゥル(束縛)》』

 

 地の底から響くような低い声が、ローグハンターの耳に届いた。

 瞬間、何かに足を取られたのか馬が前へとつんのめり、その勢いのまま馬車が空中へと放り出された。

 いち早く異常を察したローグハンターは、御者を脇に抱えると思い切り飛び、橋の上へと戻る。

 御者を抱えたまま転がるように勢いを殺し、欄干に背中からぶつかることで完全に止まった。

 追いかけていた馬車は曲がり角の向こうへと消えていき、状況を理解できない人々は驚いてはいたものの、すぐにいつもの日常へと戻っていった。

 彼は憎々しげに息を吐くと立ち上がり、倒れる御者に手を伸ばした。

 

「どこか怪我はないか」

 

「大丈夫です。そこまで(やわ)ではありませんよ」

 

 ぽんぽんとローブの汚れを叩き落としながら、御者は立ち上がる。

 そのまま倒れた馬の元へと歩み寄り、その足に絡み付く糸を手に取った。

 強い粘性を持つそれは、『粘糸(スパイダーウェブ)』の術によるものだろう。

 

 ──どうやら、相手には魔術師がいるようですね。

 

 御者は顎に手をやって思慮すると、川に沈んでいく馬車を眺めていたローグハンターに声をかけた。

 

「賠償はいりませんよ。ええ、次の仕事を相場より安く受けてくれれば良いです」

 

「それは、断るに断れないな」

 

 ローグハンターは肩を竦め、追跡を続けようとタカの眼を発動した時、異変が起こった。

 視点が天高く見下ろす俯瞰的なものへと変わったのだ。

 使おうとも思っていない能力(スキル)が暴発したのかと(いぶか)しむが、すぐに結論に至った。

 今回は鷲の方から接触してきたのだ。何か伝えたいことがあるのか、単なる偶然かはわからないが。

 すぐに視線共有を切ろうとした時だ、それに気づいた。

 鷲の視線の先で、誰かが倒れているのだ。

 地に倒れ、自分の血によって出来た血溜まりに沈む何者か。そこに友人と思われる人々が駆け寄っていく。

 よく目を凝らせば、その人物は透けるほど美しい銀色の髪の持ち主で──。

 瞬間、視界共有を切ったローグハンターは走り出した。

 もはや彼の脳内に誘拐された少女の姿はなく、彼女への想いで一杯になっていた。

 

 ──彼が彼女以上に想う人など、誰一人としていないのだから。

 

 

 

 

 

「こんのっ……!」

 

 先ほどと変わらぬキレで放たれた蹴りが、三日月の軌跡を残してみすぼらしい男の体を寸断する。

 ローグハンターと別れて十分以上、冒険者たちの限界は確実に近づいていた。

 余裕があるのは、後衛たる女魔術師と女神官の二人だけだろう。前衛を務める三人には、もはや余裕はない。

 返り血で体を真っ赤に染めながら、荒れた息を無理やり整えて迎撃していく。

 そして、彼らが待ち望んだ敵の限界がきた。

 

「そこですわ!」

 

 令嬢剣士が一際大柄な男を斬り倒した時だ、残されたみすぼらしい男たちが一斉に武器を捨てて両手を挙げた。

 

「ま、まってくれ!降参する!」

 

「ッ!?」

 

 みすぼらしい男の言葉に、銀髪武闘家は慌ててその拳を止めた。

 顔面に突き刺さる直前で拳が寸止めされ、当たることはなかった。銀等級だからこそ出来た、ある意味神業だろう。

 彼女は小さくホッと息を吐くと、砕けかけた籠手に気を向ける。

 修理するよりも、新しく買った方が安上がりだろうかと思慮して、また出費がかさむとため息を漏らした。

 そして、最後に殴ろうとした男に目を向けた。

 右腕は肘から先がなく、ぎょろりと剥かれた瞳の片方はガラス玉のように濁っている。

 都に入ってすぐに出会った物乞いは、幸運な事に命を失わずに済んでいたのだ。

 この事に喜ぶべきなのか悩んでしまうあたり、冒険者になりたての頃に比べてだいぶ変わったのだろう。

 老爺は慈悲を求めているのか、体を丸めてへこへこと頭を下げ続けている。

 銀髪武闘家はため息を漏らすと、周囲に目を向けた。

 蜥蜴僧侶と『竜牙兵』がみすぼらしい男たちを一ヶ所に集め、女魔術師と令嬢剣士が縄をかけている。

 女神官は晒されたままの亡骸の前で両膝をつき、地母神へ向けて鎮魂の祈りを捧げていた。

 自分もこの老爺を運んで、一休みしようと意識を切り替える。

 彼女が運ぼうと老爺に手を伸ばした時だ。遠くから、聞き馴染んだ声が聞こえてきた。

 

「あ、あなたたち、一体何があったのよ!?」

 

 まだだいぶ遠いと言うのに、声の主が誰かはすぐにわかる。

 銀髪武闘家は苦笑を漏らし、その声の主たる妖精弓手へと目を向けた。

 こちらに駆け寄ってくる彼女の背後には、鉱人道士とゴブリンスレイヤーがいた。

 思わぬ増援の到着に銀髪武闘家の頬が僅かに綻んだ。

 それを誰が責められる。勝負は決し、全快状態の仲間も到着した。後はみすぼらしい男たちを衛兵に引き渡し、頭目と合流するだけだ。

 そして、こうやって油断した時こそ、最悪の事態(ファンブル)は起きてしまうのだ。

 

 どす……っ。

 

 あまり聞いた事もない、とても小さな音が腹からなった。

 

「……へ?」

 

 どうしてそんな音が鳴ったのかと自分の腹部に目を向けると──。

 

「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ。ゆるしてくれ、ゆるしてくれ!!!」

 

 老爺が目に涙を浮かべながら、隠し持っていた短剣を彼女の腹に突き刺していた。

 それを自覚した瞬間、強烈な痛みが彼女に襲いかかった。

 体内を直接焼かれるような、もはや形容しがたい痛み。

 

「かはっ……」

 

 彼女の口から血が吐き出されると、周囲の仲間たちも異変に気付く。

 だが老爺は短剣を引き抜くと、何の躊躇いもなくもう一度突き刺した。

 

「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ、ゆるして、くれ……」

 

 老爺は狂ったように謝り続けると、彼女の腹に短剣を引き抜き、血を拭うことなく裏路地へと消えていった。

 冒険者たちは追撃しようとするが、銀髪武闘家が崩れ落ちた事でそれを中断する。

 

「武闘家さん!しっかりしてください!」

 

 女神官が彼女の脇に腰を降ろすと、右手に錫杖を握り、左手を銀髪武闘家の腹部に添えた。

 この間にも腹部からの出血は続いており、石畳を赤黒く汚していく。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》!!」

 

 目元に涙を浮かべながらの、切羽詰まった祈り。

 それでも優しき地母神は彼女に答え、『小癒(ヒール)』の奇跡を彼女の手に宿した。

 神の御業たる優しき光が銀髪武闘家を包み込み、みるみるうちに傷を塞いでいく。

 傷も塞がり出血は止まったが顔色は悪い。むしろ、段々と悪くなっているようにさえ見える。

 奇跡が届いていないのかと慌てる女神官を無理やり退かし、ゴブリンスレイヤーは雑曩に手を突っ込んで毒消し(アンチドーテ)とラベルの貼られた瓶を取り出した。

 長年の経験から、あの短剣に毒が塗られていると察知したのだろう。

 ぽん!と状況に不釣り合いな音と共に栓を抜くと銀髪武闘家の頭を持ち上げ、無理やり中の薬品を口へと流し込む。

 飲む力も残っていないのか、そのほとんどが口からは溢れてしまっているが、僅かに喉が上下しているから飲んではいるようだ。

 瓶が空になった事を確認したゴブリンスレイヤーは、隠す気もなく舌打ちを漏らして空瓶を投げ捨てた。

 

「手持ちの毒消し(アンチドーテ)は全て出せ。この調子ではいくらか飲ませなければ効かん」

 

 言いながら予備の毒消しを取り出し、それも銀髪武闘家へと飲ませる。

 途中で強壮の水薬(スタミナポーション)も含ませ、自力でものを飲み込む体力を回復させようとも努める。

 

「お願い目を開けて!しっかりしてよ!」

 

 女魔術師が彼女の手を取り、力一杯握り締める。

 普段なら痛いほど力で握り返してくれるのに、今は握り返してくれない。

 

「武闘家様、気を確かに持ってください!すぐに先生が戻ってくる筈です!」

 

 涙を流しながら発せられた令嬢剣士の声にも答えない。普段なら「どうしたの?」と笑顔で返してくれるのに。

 冒険者たちの思いが伝わったかのように、突然土砂降りの雨が降り始めた。

 雨が通りを赤く染めた血を洗い流し、赤く染まった風景を、いつもの平和な風景へと変えていく。

 不意に、誰かが駆けつけたのか、冒険者らの背後でばしゃ!と音が鳴った。

 ゴブリンスレイヤーがそちらに目を向けると、そこにはローグハンターがいた。

 今までにないほど息を絶え絶えにして、手が震えている。

 彼は覚束ない足取りで倒れる彼女の元へ歩み寄ると、冒険者たちは無言で道を開ける。

 ローグハンターは彼女の元にたどり着くと服が汚れる事もいとわずに両膝をつき、彼女の頭を抱き上げた。

 とても弱いが呼吸はある。だが目を開けず、ぐったりと眠ったまま。

 壊れかけの物を持つように優しく彼女の体を抱き寄せ、愛しそうに頬を撫でる。

 それでも目を開けない。いつものように手を重ねて欲しいのに、いつものように笑って欲しいのに。

 

「──……!────────!!!!」

 

 声にならない悲鳴が、雨の音にも負けてしまうほどの小さな慟哭(どうこく)が、彼の口から漏れた。

 この日、彼は思い出したのだ。

 愛する人を失う悲しみという感情を。

 彼自身の人生を狂わせた、憎しみという感情を──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Sequence10 真実はなく……
Memory01 誰でもない(ノーマン)


 都、至高神の神殿の一室。

 二つの月の光に照らされるその部屋は、他の部屋に比べ広く間取りされている。

 そして、その広い部屋には二人の人物がいた。

 一人はベッドに眠る銀髪武闘家だ。

 豊満な胸が僅かに上下しているから、呼吸はしているようだが、その肌は生気を感じさせぬほどに白い。

 ゴブリンスレイヤーらが手早く対処したものの、意識が飛んでいた時間が長かった為か、あるいは特別な毒が使われていたからか、いまだに彼女は目を覚まさない。

 いつ目を覚ますかも、わからない。

 ベッド脇の椅子に腰掛け、眠る彼女の手を握るローグハンターは、いつになく弱々しい面持ちとなっていた。

 先程まで泣き腫らしたのか目元が赤くなっているが、本人は一切気にした様子もなく、光の消えた虚ろな視線を彼女だけに目を向けていた。

 握る手に感じる僅かな熱が、壊れかけた彼を支えているのは事実。

 もう少しゴブリンスレイヤーらの対処が遅ければ、もう一度刺されていれば、もう少し傷がずれていれば。

 どれか一つでも噛み合わなければ、彼女は間違いなく──。

 

「ッ……!」

 

 自分から始めた予想だというのに、最悪(彼女)()結果()を想像してしまい、彼女を握る手に力が入った。

 彼女から手を離す事なく、空いている手で頭を抱える。

 

 ──何を間違えた。

 

 結果的に振り切られたのだから、少女をそのまま放っておけば良かったのだろうか。

 少女を家まで送ろうとした事か。

 メンバーを絞り、六人で行動した事か。

 

 ──あの少女(盗人)を初遭遇時に斬れば良かったのだ。

 

 この依頼を受けて、地の利もない都まで来たことか。

 あの場で交戦せず、あのまま逃げ続けるべきだったのか。

 彼女を連れてこず、自分とゴブリンスレイヤーらだけで依頼を受けるべきだったのか。

 

 ──彼女と一線を越えた事自体が間違いだったのではないか。

 

 ──自分が彼女の人生を狂わせたのではないか。

 

「………くそ」

 

 考えれば考えるだけ、嫌な事ばかり考え付いてしまう。

 父は、こんな思いの中で行動を起こしたのだ。どれだけの覚悟で自分の体を突き動かしたのか、もはや想像も出来ない。

 そもそも自分は父ではないのだから、まったく同じ事が出来る筈がない。

 

 ──どうする。どうする。どうする。どうする……!

 

『──悩み事があるなら火薬を使え』

 

 悩み続ける彼の脳裏に過ったのは、恩師の一人にかけられた言葉。

 その言葉を皮切りに、かつての自分が掘り出していく。

 

『騎士団の指針と、それを支持するあらゆるものを守ろう』

 

『秘密を明かさない。任務の意図を明かしてもならない。その死に到るまで、代償を払おうとも』

 

 自身の奥底に刻まれた、絶対の信条(クリード)

 この世界に守るべき騎士団は存在しないが、目指した秩序と平穏なら、少なくとも存在する。

 そして、その秩序を無きものにしようとしている者たちがおり、今回の件の裏側にはそいつらが潜んでいる。

 何年経っても自分の役割(ロール)は変わらず、何年経っても奥底に秘められた騎士団の誓いは消えない。

 それでも、自分に愛を教えてくれた人がいた。自分を、愛してくれる人がいた。

 何もなかった自分が、愛したいと想った人がいた。

 自分をここまで変えてくれたのは、目の前で眠る彼女だ。

 自分を戦うための武器から、真っ当な人間に戻してくれたのは、目の前で眠る彼女だ。

 彼女への想いを捨てるつもりはない。彼女を置いて、どこかに行くつもりもない。

 だが、それでも、今回だけは──、

 

「お前を置いていく。許してくれ……」

 

 彼女の頬を撫で、額に口付けを落とす。

 離れ際に自分の首に下げた認識票を外し、ベッド脇の机の上に置く。

 今から起こす行動は、冒険者としてのものではない。それに加えて、騎士団への裏切りにも等しいものだろう。

 

「俺は、俺の信条(クリード)に従う」

 

 彼女も救うためなら、手段を選ぶつもりはない。

 

 ──見えぬ敵を探しだし、追い詰め、殺す。

 

 やることは変わらないが、誰からも許可を求める事なく行うそれは、騎士団よりも暗殺者(アサシン)の領分だ。

 だが、構わない。この世界に騎士団はなく、相対する教団もないのだから。

 ローグハンターは紙切れに伝言だけ書くと目深くフードを被り、誰にも告げずに部屋を後にした。

 数分後、女神官が様子見に訪れるまで、神殿にいる誰もが彼がいなくなった事に、気付かなかった。

 

 

 

 

 

 法の神殿における会議室。既に多くの人が眠る時間帯となってはいるが、冒険者らはそこに集っていた。

 会議から戻った剣の乙女が、神妙な面持ちで書類の束を指先で撫でる。

 紙とインクの質感の違いで文字を読み、昼間に起きた騒ぎの顛末を確認した。

 みずぼらしい男たちはその大半が逮捕となり、負傷した民間人たちの治療も進んでいる。

 みずぼらしい男たちの襲撃と冒険者らによる迎撃、そして──。

 

「何たる事です!まさか、彼が追いかけていたのが彼女だったなんて!みすみす誘拐を許すとは!」

 

 とある少女の誘拐事件。

 剣の乙女の隣に腰掛ける御者──会議にも参加していた外交官だ──が、眉を寄せて額に手をやった。

 蜥蜴僧侶は瞑目し、首を左右に振って鋭く息を吐いた。

 

「奴らの狙っていた少女が、只人の王の妹だったとは……」

 

 彼の発言に令嬢剣士が頷く。

 

「社交会で会ったことがある筈なのに、気が付けなかった。不甲斐ないですわ」

 

 膝に置かれた手を握り締め、歯を食い縛って悔しさを露にする。

 女魔術師は彼女の肩に手を置き、「起きたことは仕方ないわ」とだけ告げた。

 だが、その声には確かな後悔の色が込められており、今の発言は自分に対しても向けていることを感じさせる。

 銀髪武闘家はいつ目覚めるかもわからない昏睡状態。

 ローグハンターは彼女から離れようともせず、誰かと口を利こうともしない。

 辺境に名を轟かせるローグハンターの一党が、たった二度の攻撃で行動不能とは、事情も知れぬ誰かに知られたら、まず間違いなく嗤われることだろう。

 妖精弓手は拳を握り締め、外交官と剣の乙女に聞いた。

 

「二人は犯人に心当たりとかないの?会議にも参加してるんでしょ?」

 

「わたくしは何とも言えません」

 

 ローグハンターの惨状を気にしてか、剣の乙女は悲痛な表情で首を左右に振る。

 彼女の拠点は水の街だ。そこで起きた事件と黒幕を推理するならまだしも、たまに来る程度の都の勢力図など、把握しきれてはいないだろう。

 残された外交官は、顎に手をやると言う。

 

「おそらく、邪教徒の類いでしょう。最近勢力を広げて来てきますから」

 

 外交官は犯人を断定したように言うが、ゴブリンスレイヤーは腕を組んで小さく唸った。

 

「その割には、奴らの装備に統一性はなかった。その邪教徒とかいうのに雇われたならず者(ローグ)の可能性もあるだろう」

 

「私もそう思っていますが、何か他の意見があるのなら聞きますが」

 

 机に両肘をつき、顔の前で両手を組ながら外交官が問うと、ゴブリンスレイヤーは「あくまで憶測だが」と断りを入れてから続ける。

 

「奴ら全員を雇ったというのなら、相手の規模はかなりのものだ。邪教徒の裏にも何かいるだろう」

 

「邪教徒を支援している何者かがいると?」

 

「ああ」

 

 外交官の確認に、ゴブリンスレイヤーは頷く。

 彼がゴブリン以外の事で饒舌(しょうぜつ)な事に驚きつつ、鉱人道士が額を押さえながら言う。

 

「かぁー、頭が痛くなるわい。みずぼらしい男どもに邪教徒ときて、さらにその後ろにも何者(なにもん)か。どこから相手すりゃいいんじゃい」

 

「とりあえず、みずぼらしい男たちを片っ端から捕まえて」

 

「いや、都に何人いると思っているのよ……」

 

 令嬢剣士の提案に女魔術師が嘆息混じりに返し、すぐさま真剣な表情となった。

 

「それに、下手には動けないわ。私たちは人質を取られているようなものだから」

 

「敵を滅しつつ、あの少女も救わねばならぬとは、難儀ですな」

 

 彼女の言葉に蜥蜴僧侶が唸ると、剣の乙女が唇に指を当てて何やら思案し始めた。

 軍には頼れない。それこそ王妹に危険が及んでしまう。

 冒険者に頼ろうにも、それを察知されたら終わりだ。

 挑むのなら短期決戦。それも王妹の救助だけを目的とした場合だ。

 

 ──ならば、誰が適任か。

 

 相手にこちらが動いていることを勘づかれず、かつ確実に頼ることの出来る相手。

 

 ──影の内に生きるならず者(ローグ)たち。

 

 確かに有りだ。金さえ積めば、仕事は確実にこなしてくれるだろう。

 だが、国がならず者の集まり(ローグ・ギルド)を頼った場合、後がどうなるかわかったものではない。

 最悪それを盾に無茶な要求をしてくる可能性だってあるのだ。

 

 ──信用出来る旅人。

 

 それも有りかもしれないが、そんな人物がいるとは思えない。そこらの無頼漢と変わらない者を、おいそれと雇えるか。

 

 ──国に所属する密偵。

 

 一番確実かもしれないが、彼らが動くのには時間と税金がかかる。

 それに彼らは情報集めの専門家であり、個人差はあれど戦闘には向かないだろう。これでは短期決戦の前提が崩れる。

 こうしてみると、取れる選択肢はどれと一長一短だ。成功するかも不明だし、何よりこちらよりも多い報酬を出されて裏切ってくる可能性もある。

 どうすれば良い。何か確実な手はないか。

 彼女の思案が周囲にも届いたのか、会議室には重い空気が漂い始める。

 城の会議も終わったばかりだと言うのに、再び熱くなることだろう。

 その前にここの会議をどうにかしなければならないのだが、まともな案は出ない。

 ここの冒険者たちを頼ろうにも、相手に顔が割れてしまっている。下手に動けば、相手を刺激してしまうだろう。

 すると、会議室の外から慌ただしい足音が近づいてきた。

 走っている人物は小柄なのか、そこまで大きな音ではないが、かなり急いでいることだけはわかる。

 そして、その何者かは会議室の前で止まると、ノックをすることなく扉を開いた。

 

「み、皆さん!大変です!」

 

 慌てて入ってきた女神官が、何かを大事そうに抱えたまま叫んだ。

 令嬢剣士が弾かれるように立ち上がり、最悪の事態の予想してしまったのか一気に顔色が悪くなる。

 

「まさか、武闘家様が……?」

 

 彼女の消え入りそうな問いかけに、女神官は首を横に振った。

 

「あの人は大丈夫です。まだ、目を覚ましませんが……。今はこれです!」

 

 女神官は半ば放り投げるように抱えていたものを机の上に置き、その場に集った全員に見えるようにする。

 彼女が差し出したのは、銀色の認識票と一枚の書き置きだ。

 ゴブリンスレイヤーは認識票を手に取り、ローグハンターの本名が刻まれていることを確認した。

 

「あいつのものだ。どこにあった」

 

「部屋の机の上です。窓の鍵は閉まっていましたから、多分玄関から出ていったんだと思います」

 

 彼女の言葉にゴブリンスレイヤーは小さく唸ると、書き置きの方を手に取った。

 彼の性格が表れた丁寧な筆運びで、字の読める相手なら、誰が見ても読むことが出来る文字だ。

 そして、そんな丁寧な文字で書かれているのはたったの一言。

 

『彼女の事を頼む』

 

 彼が信頼を寄せる者へと向けた、たった一つの頼み事。

 ゴブリンスレイヤーはその紙を仲間たちへと回すと、それを見た者は一様に目を細めた。

 女魔術師はため息を吐いて頭を掻くと、悔しそうな面持ちで言う。

 

「もっと、私たちを頼ってくださいよ……!」

 

 隣に座る令嬢剣士も頷き、ぎゅっと拳を握り締めた。

 字面と状況だけ見れば、彼は一人で何かをするつもりなのは明白だ。そして、一番弟子たる彼女らには、遠回しに『来るな』と告げている。

 確かに彼に比べれば、自分たちはまだまだ素人の域を出ないだろう。それでも、この一年、彼の指導の下で腕を磨いてきたのだ。

 なのに、当の彼から戦力外通告など、どうすれば良いのだ。

 女神官は二人に何と言うべきか悩んでいると、剣の乙女が告げた。

 

「きっと、彼なりに皆さんを頼ったのだと思いますよ?」

 

 詩を唄うように滑らかに、母が子を宥めるように柔らかく、彼女の一言は乱れていた彼女らの心に染み込んでいった。

 剣の乙女は微笑みを浮かべ、さらに続ける。

 

「何も隣に立ち、背中を任せるだけが信頼ではありません。彼は『彼女を頼む』と言ったのですよ?あなたたちになら、彼女を任せられると信頼を寄せているのです」

 

 彼女の言葉を受け止めた女魔術師は深呼吸をすると、小さく頭を下げた。

 

「そうですね。すいません、取り乱しました」

 

「わたくしもです。お見苦しい所をお見せしてしまいました」

 

 令嬢剣士も握った拳の力を抜きながら頷くと、自身の胸に手を当てて一度深呼吸をした。

 蜥蜴僧侶がぎょろりと目玉を回すと、ふむと一息吐く。

 

「斥候殿がどこに向かったのはかわからぬが、おおよその予測はつきますな」

 

「まあ、間違いなく敵討ちよね」

 

 妖精弓手がため息混じりに続くと、「敵討ちって、あの人は死んでないわ」と女魔術師からの横槍が飛んだ。

 そんな事お構い無しに、妖精弓手は得意気に笑身を浮かべて書き置きを机に叩きつけた。

 

「あいつからの依頼なんだし、受けない選択肢はないわ。報酬として、冒険に付き合って貰うんだから」

 

 ──もちろん、あの武闘家にもね!

 

 彼女がウィンクしながら言うと、鉱人道士が頭を掻きながら言い辛そうに告げる。

 

「頭巾のは、『これ以上危険に晒せるか!』とか言うて反対しそうだかの」

 

 彼の指摘に、冒険者らはその姿を想像しながら頷いた。

 間違いなくそう言うだろう。そのまま「看病する」とか何とか理由を付けて、冒険そのものにも出ない可能性がある。

 妖精弓手もその姿を想像してか、悩ましげに息を吐く。

 

「まあ、その時はその時よ……」

 

 手をひらひらと振りながら言うと、女神官は思わず苦笑を漏らす。

 女魔術師は令嬢剣士と目配せすると、「私たちも付いていきますよ」と言った。

 妖精弓手は「当然!」と再びテンションを上げながら答え、再び書き置きに目を向ける。

 

「でも、その前にあいつからの依頼をこなさないとね。こういう時ってどうすれば良いのかしら?」

 

 やる気はあれど何をするべきかがわからない。

 根本的な問題にぶち当たった訳だが、ここには彼の弟子二人がいる。

 令嬢剣士が一度咳払いをすると、どこか教鞭を取る教師のような口調で言う。

 

「良いですか、森人さん。とりあえずは護衛です。彼女が生きていると知られたら、追撃が来ないとも限りません」

 

「後は容態を確認して、水薬(ポーション)を飲ませたり、筋肉が固まらないように(ほぐ)したり、かしら」

 

 女魔術師が続き、それを聞いた妖精弓手は「以外と大変ね」と、声から覇気が薄れた。

 

「買い出しは男連中がやるとして、容態見たり体解したりは、娘っ子どもに任せるかの」

 

「任せてください!」

 

「承知」

 

 鉱人道士が言うと、代表して女神官と蜥蜴僧侶が答える。

 やることは決まった。後は彼の帰還を信じて待つのみだ。

 冒険者らがそうして話し合いを進めると、不意に剣の乙女が口を開いた。

 

「でしたら、そのままあの部屋をお使いください。冒険者は自己責任と言いますが、都に連れてきたのはわたくしですから」

 

「ありがとうございます」

 

 不在の頭目に変わって女魔術師が礼を言うと、剣の乙女は左右に小さく首を振った。

 

「気にしないでくださいな。わたくしも冒険者、仲間が負傷した時の苦労は、身に染みて理解しておりますわ」

 

 彼女の懐かしむような声音に、女魔術師は改まって「だからこそです」と続く。

 ゴブリンスレイヤーだけは、彼女の言葉に何か裏があるような気がしたが、害はないだろうからと切り捨てる。

 あれやこれやと話を進める冒険者らを横目に、外交官は顎に手をやって思慮を深めていた。

 図らずも、ローグハンターへと出そうとした依頼が、彼の独断で行われようとしているのだ。報酬を払わなくて済んだのは良いことだろう。

 その過程が最悪なものと言っても過言ではないが、結果的には狐の言った通りかもしれない。

 

 ──あいつは、俺たちの知る騎士団の連中とは違うようだ。

 

 何かあれば殺そうとまで話したが、結局は彼の賭けが勝った。

 貴族に付け入る隙があったのにそれをせず、冒険者の女性と添い遂げんとしている。

 自分の知る騎士なら、真っ先に貴族に取り入る筈だ。なのに、彼はそれをしなかった。

 そこまで考え、外交官は狐が得意気に言った事を思い出す。

 

 ──あいつなら、俺たち教団の味方になってくれるかもしれないぜ。

 

 冒険者たちに気付かれないようにため息を漏らし、外交官は無意識の内に寄っていた眉を指で解した。

 狐の言った通り、彼の姿を一目見た時、よく知る人物の姿が重なった。

 家族の敵を討つ為に戦い、当時の騎士団に大打撃を与えた一人のアサシンの姿。

 口元の傷以外、顔も体格も違うというのに、なぜ重なって見えたのかはわからない。

 外交官はグローブで隠された、火傷の痕がある左手薬指を撫で、そっと瞑目した。

 彼は自分たちが知る騎士たちとは違うものがある。彼なら、もしかしたから、我々の信条を理解してくれるかもしれない。

 外交官は僅かな希望を見出だし、小さく笑んだ。

 教団も騎士団も、目指すものはどちらも同じだ。知らずの内に迷いこんだこの世界にはどちらもないのなら、同じ目的の為に手を取り合っても良いではないか。

 かつての自分なら、まず間違いなく考える事のなかった事だ。

 この世界に来て変わったのは、何もローグハンターだけではない。

 尤も、一番の変化があったのがローグハンターであることは、まず間違いないないだろう。

 

 

 

 

 

 深夜の大通り。

 ほとんどの住民が寝静まったであろう時間に、フル装備のローグハンターは歩いていた。

 光の消えた瞳には確かな殺気を宿らせ、道の端で眠る飲んだくれどもを警戒する。

 そう、敵がいつどこから来るかわからないのだ。彼の精神は、かつてのニューヨークを歩いていた時のそれよりも研ぎ澄まされていた。

 いつどこから刺客が来るかもわからないのだから、そうなって当然だ。来たところでなんであろうが返り討ちにするのだろうが、今は無駄な騒ぎを起こしたくない。

 彼は闇に溶け込むように気配を殺し、いまだに賑わっている眠る亭への滑り込んだ。

 辺境の街にあるもの以上の喧騒を前にしても、ローグハンターは気にもとめない。

 慣れた様子で人混みを掻き分け、空いているカウンター席へと腰を降ろす。

 机の上に両肘をつき、顔の前で手を組ながら僅かに殺気を漏らしつつ、目の前の男──店主へと問いかける。

 

「昼の騒ぎは聞いているか」

 

「ああ、勿論だ」

 

 いつになく真剣な面持ちの店主は、ひどく落ち着いた様子で頷いた。

 あれだけの騒ぎが起こったのだから、各酒場では酒のつまみ代わりにあれこれ話されている事だろう。多少の誇張を含めて、だ。

 店主はローグハンターに水を差し出すが、彼は口をつける事なく水面に映る自分の顔を覗きこむ。

 自分の顔ではあるが、酷いものだ。目元を赤く腫らしているにも関わらず、その瞳には殺気が宿っている。

 こんな顔では、彼女に顔向け出来ないなと心の中で自嘲しながらも、それを表情に出すことはない。

 視線を店主へと戻し、彼の左手薬指に目を向けた。

 

「……あんた、アサシン(そっち)側で良いんだな」

 

 ──下手なことを口走れば殺しに来る。

 

 それをすぐさま察した店主は、一度肩を竦めて頷いた。

 

「そうだ。で、どうする、殺るか?」

 

 そう言いながら、腰に下げた短剣に手をかける。

 尤も彼は実戦を離れて久しい。その道のプロで、肉体的にも全盛期なローグハンターに勝てるかと訊かれれば、答えは否だ。

 だが、ただで死ぬつもりはない。

 

「──この狐を侮るなよ」

 

 放たれるのは静かな殺気。

 賭博場の騒ぎに掻き消される程の、とても繊細な殺気だ。

 だが、ローグハンターは一切怯んだ様子もなく瞑目し、首を左右に振った。

 

「お前を殺すつもりなら、ここに入った瞬間に行動(アクション)を起こしている。それに、殺るなら初めて出会ったあの時に殺っているさ」

 

 ほんの僅かに懐かしむような声音で、ローグハンターはそう続けた。

 

「あの時はあいつがいたし、何よりあんたは俺の知るアサシンとは違った。何となくだが、そんな気がしてな」

 

 ──現に、その勘は合っていた。

 

 ローグハンターはそう告げると、カウンター上に放置していた水を一息に飲み込んだ。

 昼から何も飲んでいなかったから、もはや痛いほどの水の冷たさが身に染みる。

 一度深呼吸をして店主に目を向け、端的に話を切り出した。

 

「手を貸して欲しい。あんたなら、裏とも繋がりがあるだろう」

 

ならず者殺し(ローグハンター)に教えられると思うか?現にお前さん、辺境の街のローグギルド潰すとか言っていただろうに」

 

「今の俺は、ローグハンターじゃない」

 

 店主のおちょくるような発言に、ローグハンターは静かに告げた。

 首を傾げた店主に向け、ローグハンターは言う。

 

「認識票は、部屋に置いてきた。今の俺は誰でもない男(ノーマン)だ」

 

誰でもない(ノーマン)ね。あとで『実はローグハンターだ』とか言い出すなよ?」

 

「約束は守る。ここのローグギルドには手を出さん」

 

「絶対の秩序を目指す騎士とは思えない発言だな。お前さんらが嫌う、秩序を乱すならず者(ローグ)を見逃すのか?」

 

 店主の煽るような問いかけに、誰でもない(ノーマン)は静かに頷いた。

 

「まず、秩序は既に敷かれている。こちらの事情でそれを荒らし、無駄な混沌の種を蒔きたくはない。次に、今回は裏からの方が動きやすい。そういうのはそっちの方が得意だろう」

 

「まあ、確かにな……」

 

 彼の言葉に店主は頬を掻き、自分の為に用意した杯──中身は水だ──を一あおりする。

 そんな店主を眺めつつ、誰でもない(ノーマン)は呟く。

 

「何より、俺が求めるのは平穏だ。あいつや友人たちが、ただ年老いて死んでいければそれで良い」

 

 今回の会話で、初めて彼の表情が変わった。

 心の底から浮かべたであろう微笑は、実年齢以上に幼く見える。

 

「尤も、冒険者をやっている時点で何とも言えないがな」

 

「それもそうだ」

 

 誰でもない(ノーマン)が漏らした言葉に、店主は苦笑混じりに答えた。

 年老いて死んでいければ良いと言うが、彼らはいつ死ぬかもわからない冒険者。

 何とも奇妙な矛盾を抱えつつ、それでも誰でもない(ノーマン)はそうでありたいと願うのだろう。

 店主はどこか父性を感じる笑みを浮かべ、参ったというように小さく手を挙げて肩を竦めた。

 

「まあ良い。多少予定が狂ったが、良い機会だ」

 

「……?まあ、話を通してくれるのならそれで良い」

 

 何やら怪しげな言葉を発していたが、誰でもない(ノーマン)は深く言及することは避けた。

 ようやく話が進んだのだから、ここで良い流れを断ち切るのは悪手だろう。

 

「とりあえず、賭博場を閉めるまで待ってくれ。営業中だからな」

 

「わかった。ここに居れば良いのか?」

 

「店の内でも外でも、好きにしていてくれ」

 

 店主はそれだけ言うと、カウンターから賭博場の方へと向かっていった。

 誰でもない(ノーマン)は小首を傾げ、店内を見渡した。

 

「……久々にやるか」

 

 どうせやることもないのだ、時間を浪費せずに、賭博場の客から何か聞き出せるかもしれない。最悪、情報屋への賄賂(わいろ)として使えるだろう。

 彼はそう思案し、懐から金貨を一枚だけ取り出しすと、足音を立てずに賭博場へと足を向けた。

 三十分もしないうちに一枚の金貨が五十枚以上に膨れ上がったのは、賭博師も店主も、当の誰でもない(ノーマン)でさえも予測出来なかった。

 運は自分で掴むものと言うけれど、これは単に運が良かっただけだろう。

 彼は自分にそう言い聞かせ、多少金貨を崩すために次なるゲームへと挑んだ。

 その日、賭博荒らしの異名を取ることになったのは、きっと偶然だ。

 彼は自分にそう言い聞かせたが、何人かの店員に捕まり、眠る狐亭から退場させられたのだった。

 

 

 

 

 




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Memory02 灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)

 人だけでなく、獣や草木も寝る深夜帯。

 双子の月の輝きも届かぬ、黒一色に塗りつぶされた都の裏路地を、二人の男性が歩いていた。

 一人はフードの下で不機嫌な顔をした店主──狐だ。歩調も普段に比べてかなり早く、踏み出す一歩一歩に力が入っているようにも見える。

 それでも足音一つ立てないのは、彼の技量(スキル)によるものだろう。

 あれだけやる気を見せていた彼がここまで不機嫌になったのには、とても簡単な理由がある。

 その原因は、彼の隣を歩く、同じく目深くフードを被ったもう一人の男性だ。

 都会の闇に溶け込み易いように作られた漆黒の鎧と黒いローブを纏い、背には弓とライフル。腰に下げるのは同じく漆黒の剣とピストル二挺。

 彼はローグハンタ──―いや、冒険者としての身分を捨てた今は、正真正銘の誰でもない(ノーマン)と呼んで良いだろう。

 誰でもない(ノーマン)は頬を掻き、ほんの僅かに申し訳なさそうに言う。

 

「また稼ぎすぎってしまった。申し訳ない」

 

「そう思うなら、二度と賭博場に顔を出さないでくれるか。お前が一回でもやると、こっちは赤字になる」

 

「……善処しよう」

 

 狐の物言いを適当に受け流し、誰でもない(ノーマン)は視線をさ迷わせた。

 店を出てから長いこと歩いたが、目的地までは果たしてどのくらいだろうか。

 彼の胸中に湧いた疑問に気付いてか、狐が意味深な笑みを浮かべながら言う。

 

「そんな真っ直ぐに行くわけないだろう?回り道に回り道を重ねて、ようやく到着だ」

 

 右手の人差し指で宙に小さく円を描きながら言うと、突き当たりを右へと曲がる。

 誰でもない(ノーマン)もその背に続き、都会の闇の奥へと歩を進める。

 光源となるものが一切ない、駆け出しの冒険者なら怯える程の暗さだが、当事者たる二人は何の躊躇いも見せずに進む。

 闇の中こそが自分たちの居場所だと言うように、何の迷いもなくだ。

 誰でもない(ノーマン)はタカの眼と鷲との視界共有を併用しつつ、狐に問いかける。

 

「尾行がいるわけでもないだろう」

 

「万が一の備えだ。お前がいきなり攻めこまないとも限らないからな」

 

 狐はそう言うと、十字路を直進してすぐに右へと曲がる。

 

「まだ疑うのか」

 

「言ったろ、万が一だ」

 

 誰でもない(ノーマン)の殺意混じりの視線を気にする素振りも見せず、狐は小さく肩を竦める。

 彼の背中に目を向ける誰でもない(ノーマン)は、僅かに目を細めて思慮を深めた。

 こうして長時間歩かせる事で、僅かでも自分を疲労させたいのか。

 ここまでの通った道の記憶を、僅かでも不鮮明にしたいのか。

 あるいは、刺客を待たせてある場所まで誘導しているのか。

 そうして思慮していったものも、アサシンとの戦闘で磨きあげた技量(スキル)を駆使すれば、その場を切り抜ける事は出来るだろう。

 その後、間抜けにも道端で力尽きる事がなければ、逃げる事も出来る筈だ。

 そこまで考え、誰でもない(ノーマン)は狐に気付かれないように、そっと黒鷲の剣の柄を撫でた。

 

 ──例え刺し違えになったとしても、皆殺しにする。

 

 いまだに眠る彼女を守るためには、敵を一人も残さず殺せば良い。捕虜に関しては、したところで連れていく場所もないのだからいらないだろう。

 誰でもない(ノーマン)は小さく息を吐くと、狐の背に向けて言う。

 

「店を出てから通りを二つ直進。突き当たりを左、右、右ときて更に通りを三つ跨ぐ。十字路についたら左に曲がり、後は──」

 

「待て、ここまでの道のり全部覚えているのか……?」

 

「……覚えられないと思っていたのか?」

 

 困惑顔の狐の確認に、誰でもない(ノーマン)は心底不思議そうに首を傾げた。

 地形を頭に叩き込み、道に迷わないようにするのは基本中の基本だろうに。

 たかが十数分の道のりを覚えられないほど、自分の記憶力は衰えてはいない。

 狐は額に手をやりながら首を左右に振り、大きくため息を漏らした。

 

「俺の努力は何だったんだ……」

 

「この程度なら造作無い。鍛えられたからな」

 

 狐の諦めたような声に、誰でもない(ノーマン)はどことなく自慢気に返す。

 だが、長年の付き合いがある狐には一つ、確かにわかる事があった。

 

 ──こいつ、かなり無理をしているな。

 

 歩調も、足取りもいつもと変わらないが、決定的なまでに迫力が欠ける。

 彼がなぜ店を訪れたのか、なぜ冒険者としての身分を捨てたのか、だいたいの事情は聞かされた。

 いつも隣にいる彼女がいないせいか、あるいはそうなった原因を引きずっているからか、陰った瞳には覇気が、生気がないのだ。

 狐はそうとは思いつつも、彼を止めることはない。

 この六年、彼と付き合いがあるのだ。適当に見繕った言葉程度で止まるほど、彼が単純でない事は承知している。

 最悪の場合は援護(フォロー)に入れば良いし、彼なら一人でもどうにか出来るだろうという信頼もある。

 僅かに歩調を速めた狐についていくこと更に数分。

 整備の行き届いた石畳によって作られた道から、少しずつ敷き詰められた石畳にひびが多くなってきた。

 人があまり来ないからなのか、彼らが進んでいる道は捨てられたようにも見える。

 ローグハンターは周囲に目を配り、鷲との視界共有で俯瞰的に周囲を見る。

 職人の技が光る石作りの建築物が目立った大通りに比べ、数人の素人が四苦八苦して作り出したように見える木造建築が増え、どれもこれも壁や天井に穴が開き、だいぶくたびれている。

 家屋の全てが薄汚れ、狭苦しくひしめき合い、壁同士が触れあっている。その壁も、恐ろしいほどに薄いものだろう。

 双子の月に照らされるその場所は、なにやら霊的なものが出そうな雰囲気を醸し出していた。

 大きめの地震がくれば大惨事になること間違いなしのその場所はまさに亡霊の街(ゴーストタウン)。貧民窟と呼ばれる、都の中でも一二を争うほどに治安の悪い地域だ。

 そこは秩序がしかれる都には不似合いな程に無秩序が蔓延し、道端に寝転ぶ男に意識を傾ければ、微かではあるが、何やら怪しげな薬品の臭いがする。

 申し訳程度に用意された通りは、元からそこにあったのではなく、無計画な改築、増築の結果、家屋同士の隙間がそのまま道として使われているのだろう。

 更に視線を巡らせ、壁に小さな穴が開いた家屋に目を向けた。

 そこからは、若い女性の喘ぎ声と男の呻き声、僅かに湿り気のある肉と肉がぶつかり合う音まで漏れている。

 誰でもない(ノーマン)は眉を寄せ、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「狐、本当にここが──」

 

 前を歩く狐に確認を取ろうとした時だ、不意に彼の手が腰に下げた短剣へと伸ばされた。

 誰でもない(ノーマン)はタカの眼を発動し、進行方向に赤い影が複数あることに気づく。

 それだけで状況を察した彼は、黒鷲の剣に手をかける。

 そんな彼らの様子に気付かなかったみすぼらしい男たちは、ニタニタと笑いながら懐に隠した短剣を見せびらかしながら二人を取り囲んだ。

 強烈なまでに漂う酒の臭いからして、酔っているのだろう。

 

「おうおうおう。そんな洒落た格好して、こんな場所に来る馬鹿がいるなんてなぁ」

 

 みすぼらしい男の一人がそう言うと、舐めるように誰でもない(ノーマン)の装備を観察した。

 鎧と剣に関してはよくわからないが、腰に下げているのはまさか銃ではないか。あれは売ればかなりの額になる!

 素早く今回の得となるおおよその金額を叩き出したみずぼらしい男は、ヒヒヒと不気味に笑い、短剣の切っ先を誰でもない(ノーマン)に突き付けた。

 

「命が欲しけりゃ、身ぐるみ全部置いてきな!まあ、素っ裸で帰る勇気があるとは思えねぇが!」

 

 その男の言葉に、仲間たちが同調したように下卑た笑い声を上げながら短剣を構えた。

 数はこちらが上で、取り囲んでいる。この状況で負けることはないと判断したのだろう。

 みすぼらしい男たちの嗤い声が闇の中でこだまする中、狐は額に嫌な汗を滲ませていた。

 取り囲まれたこの状況にではない。彼の背後、短剣を突き付けられた男が滲み出している殺気に当てられてだ。

 かなりの熟練者(ベテラン)でなければ気付かない、何も感じないに等しいほどの殺気。だが、そこに込められているのは、全てを威圧する絶対零度の冷たさだ。

 狐は回りのみずぼらしい男たちが下手に彼を刺激しないように祈るが、それはほんの数秒で打ち砕かれる。

 

昼の騒ぎ(・・・・)で俺らの懐がだいぶ温まってよ!今の俺たちは機嫌が良いんだぜ!!」

 

 みずぼらしい男の言葉に、誰でもない(ノーマン)はピクリと反応を示した。

 狐が小さくため息を漏らした事を知るよしもなく、みずぼらしい男は続ける。

 

「だいぶ仲間が死んじまったが、その分報酬が馬鹿みたいに良くてよ!三日は遊べる額だ!」

 

「我らが王には感謝だぜ!あの方が来てから、俺たちの人生薔薇色だからな!」

 

 誰でもない(ノーマン)は再びピクリと反応を示し、黒鷲の剣を握る手に力がこもっていく。

 自慢話に夢中になるみすぼらしい男が、げらげらと嗤いながら不満そうに言う。

 

「でもよ、拐ってきた女には手を出すなって言うんだぜ?酷いとは思わねぇか?」

 

「こんな我慢することになるならよ、もう一人くらい拐えば良かったなぁ?」

 

「そうだそうだ!俺だって言ったし、他の奴等もやる気だったじゃねぇか!」

 

 ──あの銀髪の冒険者、拐っちまえば良かったんだよ!

 

 みずぼらしい男の誰かがそう言った瞬間、一迅の黒い風が吹き抜けた。

 

「……へ?」

 

 間の抜けた声を漏らしながら、先の発言をしたみずぼらしい男の首が地面へと転がり落ちた。

 人間というのは不思議なもので、首を斬られても数秒間は意識があるそうだ。

 だからこそ、このみすぼらしい男は自分が死ぬ瞬間を体感する事が出来てしまった。

 

「──!?!!!?!」

 

 驚愕と恐怖に目を見開いたまま、その男の生涯は幕を降ろした。

 同時に残された身体が膝をつくと共に、噴水のように勢い良く血を噴き出す。

 突然の事態に固まるみすぼらしい男たちだが、雨のように降り注ぐ血とは別に、背筋に冷たいものが駆け抜けた事を合図に覚醒する。

 彼らが壊れたぶりき人形のようにゆっくりと視線を向けた先にいたのは、柄頭に鷲の意匠が施された漆黒の剣を握る男の姿。

 いつ抜刀したのか、そもそもいつ包囲を抜け出したのかはわからないが、その刃は血に濡れ、垂れた血が小さな水溜まりとなっている。

 誰でもない(ノーマン)は黒鷲の剣に血払いをくれると、みすぼらしい男たちを睨み付ける。

 数は五、狐の奥に二人、手前に三人。

 誰でもない(ノーマン)は一切の感情を廃した瞳で敵を睨み、そして駆け出した。

 

「この野郎っ!」

 

 短剣を両手で構えた男は、愚かにも正面から迎撃しようと試みるが、その結果はどこまでも残酷なものだ。

 誰でもない(ノーマン)はみすぼらしい男渾身の振り下ろしを避けると、下段から剣を振り上げた。

 切っ先が石畳に擦れたのか、耳障りな金属音が鳴り響き、火花が散る。

 

「がぁぁああああぁぁああ!?」

 

 刃が振り抜かれたと同時にみすぼらしい男の両腕が宙を舞い、肘から先の上腕を失った腕からは、大量の血が噴き出した。

 返り血でローブと鎧を赤黒く染め上げつつ、体を反転させながらロープダートを飛ばして別のみずぼらしい男の喉仏に撃ち込む。

 どうせすぐに死ぬと割りきり、ロープダートの回収を後回しにして残りの二人に目を向けた。

 一人は恐怖に駆られてか逃げようと背を向けたが、その無防備な後頭部に投げナイフを放つ。

 風を切り裂く一本の投げナイフは寸分の狂いなく男の後頭部に突き刺さり、男は後頭部に手をやると、ナイフを抜くことも叶わずに白目を剥いて崩れ落ちた。

 残る一人は短剣を捨てると、誰でもない(ノーマン)に向けて頭を地面に擦り付ける程に土下座し、声を震わせながら言う。

 

「た、頼む、頼みます!命は、命だけは助けてください!もう誰にも迷惑をかけません!だから命だけは、どうか!」

 

 余裕綽々だった態度が一変し、無様にも命乞いを始めるみずぼらしい男。

 それを受けた誰でもない(ノーマン)は、わざと足音を立てながら男の目の前まで歩み寄ると、冷淡な声で問いかけた。

 

「貴様らの、王は誰だ」

 

「そ、それは教えられねぇ!あの方を裏切ったら──」

 

 みすぼらしい男が顔を上げてそう言った瞬間、誰でもない(ノーマン)は黒鷲の剣を逆手に持ち替え、何の躊躇いもなく男の手へと突き立てた。

 男の手のひらを石畳諸とも貫き、そのまま地面に固定する。

 一瞬遅れて駆け抜けた激痛に、みずぼらしい男は声にならない悲鳴を上げた。

 のたうち回ろうにも、腕が固定されているため動くことが出来ず、目の前の男に助けを求めようにも間違いなく聞いてはくれない。

 男は顔を真っ赤にしながら必死になって呼吸し、どうにか痛みを和らげようと努める。

 俯いているため表情を読み取られる事はないだろうが、どうやってこの状況を切り抜けるかを考える。

 誰でもない(ノーマン)は男と視線を合わせるように片ひざをつき、髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。

 

「貴様らの、王は誰だ、どこにいる」

 

「こ、答えられねぇ……!」

 

 みすぼらしい男は最後の力を振り絞り、誰でもない(ノーマン)の蒼い瞳を睨み返す。

 睨まれた彼は別段表情を変える事なく、左手首の仕込み刀(アサシンブレード)を抜刀、それを地面に固定された男の指に向けた。

 男は彼が何をするつもりなのかを瞬時に察し、どうにか逃げようとするが──、

 

「黙ってろ」

 

 髪を掴んでいた手で頭を押さえられ、思い切り石畳に叩きつけられる。それも容赦なく、顔面からだ。

 鼻が砕けたからか、大量の血を垂らしながらも、男は口内の異物感を確かめるかのように血を吐き出した。

 血と共に吐き出された小さな白い塊は、歯である事は明白だ。

 男は察した、自分たちが喧嘩を売った相手の恐ろしさを。

 

 ──自分が今、拷問されている事を。

 

 男が地面に転がる自分の歯を眺めていると、誰でもない(ノーマン)は再び顔を持ち上げ、もう一度問いかけた。

 

「貴様らの、王は、どこにいる」

 

 聞き取りやすくする為なのか、子供に言い聞かせるようにゆっくりと告げた。尤も、そこには子供に向ける優しさは欠片もないが。

 男はただぼんやりと、誰でもない(ノーマン)に目をやりながら呟く。

 

「知らない、知らない、俺は何も知らないんだよ……」

 

「まずは小指からだ。その次は親指、その次は、そうだな、左目を抉る」

 

 アサシンブレードの切っ先を男の左目に向けながら告げると、男は髪を掴まれながらも首を左右に振った。

 

「知らない、知らないんだよ……。頼む、助けてくれ……」

 

 完全に心が折れたのか、男は目元に涙を滲ませ、惨めに失禁しながらも声を漏らす。

 誰でもない(ノーマン)は男の変化に気にした様子もなく、男の手の小指にアサシンブレードの刃を押し当てた。

 男の小指から血が滲み始めた頃、誰でもない(ノーマン)の肩に狐が手を置いた。

 

「そいつは何も知らん。もう()せ」

 

 彼の言葉に、誰でもない(ノーマン)は僅かに首を向けるだけで何も言わない。瞳に宿る冷たさは変わることなく、止めに入った狐でさえも殺される錯覚を覚える程だ。

 狐は黒鷲の剣に手を置くと、一息でそれを引き抜いた。

 男の口から声が漏れるが、逃げ出そうとする様子はない。逃げられないと悟ってしまったのだろう。

 狐はため息を漏らすと、自身の短剣で男の首を貫き、軽く捻った。

 雑多の短剣で強固な頸椎を砕けたのは、狐の技量(スキル)によるものだ。相手の急所を捉えるという一点だけは、ローグハンターと良い勝負が出来るだろう。

 誰でもない(ノーマン)は白目を剥いて力尽きたみずぼらしい男の死体を無遠慮に投げ捨てると、アサシンブレードを納刀して立ち上がる。

 狐から黒鷲の剣をぶんどるように取り返すと、一度血払いくれてから腰帯に吊るす。

 

「目的地はどこだ」

 

 先ほどみすぼらしい男へ向けたものと、全く同じ声音の問いかけ。

 そして、狐は気付く。無遠慮に逆鱗に触れられた彼は、越えてしまった一線から戻って来られていないのだ。

 怒りの感情を爆発させきれず、彼の中で激情が渦巻き続けている。そして、それを発散させる方法を、矛先にいる相手にぶつける以外の発散方法を、全く知らないのだ。

 一線を越えた彼を引き戻せる人物は、おそらく一人しかいない。そしてその一人は、話を聞いた限りでは昏睡状態だ。

 狐は額に手をやると、小さくため息を吐く。

 

「こっちだ、ついてこい」

 

 だが、既に動き出してしまったのだから戻ることは出来ない。この先は、誠に遺憾ではあるが、神々の振る骰子(サイコロ)に賭けるしかない。

 狐は瞑目したまま祈りを捧げると、誰でもない(ノーマン)の先導を再開する。

 再びみずぼらしい男どもと鉢合わせないように慎重に、かつ大胆に、目的の場所へと急いだ。

 

 

 

 

 

 歩くこと数分。

 狐は一軒の雑貨屋の前で足を止めた。

 鎖で繋がれた吊り看板は、灰を被ったように汚れているが、よく目を凝らせば女性の横顔を模した彫刻がなされている。

 

「ここか」

 

 誰でもない(ノーマン)の問いかけに、狐は重苦しく頷く。見た目こそ静かではあるが、激怒状態の彼を招き入れていいものか、悩んでいるのだろう。

 それを察してか、誰でもない(ノーマン)は無表情で言う。

 

「約束は違えない。向こうが刺激してこなければだが」

 

「ここの連中はそこまで血の気は多くない筈だ」

 

 狐はそう言うと、戸口の端に刻まれた小さな引っ掻き傷を確かめた。

 白墨を擦り付けたようではあるが、別段気になるようなものではない。

 だが、誰でもない(ノーマン)は目を細め、小さく鼻を鳴らした。

 

「随分とわかりやすい符丁だな」

 

 白墨による印はならず者の集まり(ローグギルド)の証というのは、だいぶ前、それこそ彼が黒曜等級になった頃に知った事だ。

 まあ、敵を知るための偵察ついでにわかった事だが、それが今さらになって活きるとは、彼自身も以外に思うだろう。

 狐は彼の言葉にため息を漏らすと、扉を押し開けて中へと滑り込む。

 誰でもない(ノーマン)もその後ろに続き、店内へと入り込んだ。

 薄暗い店内には蝋燭数本が明かり代わりに据え置かれ、弱々しい光に照らされた商品は、その大半が埃に埋もれかけている。

「こっちだ」と狐に促され、誰でもない(ノーマン)は店の奥を目指す。

 タカの眼の暗視能力を生かし、半ば無理やり更に奥へ。

 狐が一見何もない壁の前で足を止めるが、誰でもない(ノーマン)の眼には金色に輝いて見える。つまり、何かあるのだろう。

 狐は後ろに彼がいることを確かめると、壁に取り付けられたランプ台を下へと下げる。

 ガコンと何かの仕掛けが動く音が漏れ、それと共に壁がへこみ、横にスライドしていく。

 壁が開いた穴にあるのは、黒一色の闇。どれほど進むのかも理解できぬ程の闇が、彼を呑み込まんとしていた。

 狐は手で先に行けと示すと、誰でもない(ノーマン)は警戒しながらも奥へと足を進める。

 狐も穴の中に潜り込むと何か仕掛けを動かしたのか、背後からまた先ほどと同じ音が漏れた。

 誰でもない(ノーマン)は気にした様子もなく、闇の中へと足を進める。

 まっすぐな廊下というわけでもなく、緩やかな下り階段となっている。つまり、目的地は地下という事なのだろう。

 数分程歩いた頃だ。闇に視界が慣れると同時に、彼の視線の先に光が見えた。

 魔術的なもので隠されていたのか、あるいな接近に気付いてから明かりを点けたのか、突然現れたのだ。

 誰でもない(ノーマン)は階段を下り切り、念のため背後にいる狐に目配せした。

 狐の返答は、深く頷くのみ。行けと言うことだろうと判断して、光の中へと足を進める。

 薄いカーテンによる仕切りを退け、一歩踏み込んだ瞬間、辺りは喧騒に包み込まれた。

 活気ある酒場に迷いこんだ錯覚を覚えるが、そこに居座る人物たちがそれをすぐさま否定した。

 報酬の金貨の枚数を数える者、武器を検める者、あるいは何やら依頼を受けようとしているものもいる。

 一見しただけでは冒険者ギルドと大差ない雰囲気だが、そこにあるのは和気あいあいとした生易しいものではない。

 いつ横にいる相手が敵に回るかを警戒し、(いぶか)しんでいる。

 冒険者ギルドでは感じられない、独特な距離感と敵意に満たされた空間は、なぜだか知らないが、どこか懐かしさを感じた。

 誰でもない(ノーマン)が周囲を見渡していると、狐がその肩を叩き、脇へと退かす。

 彼の到着に気付いた影を走る者(ローグ)たちは、慌てて身なりを整えた。

 酔っていた者は無理やり覚醒し、武器を点検していた者は武器を置き、依頼の相談をしていた者は一斉に口を閉じる。

 それでも何人かが「狐の旦那!」と声を出し、その声音には彼への信頼が滲み出ている。

 狐が「楽にしてくれて良い」と軽く手を挙げると、ローグたちはまた各々のやるべき事へと没頭していった。

 想像以上に裏との繋がりが強かった──むしろ彼がリーダーなのではと思ったほどだ──狐に、誰でもない(ノーマン)は問いかけた。

 

「ここが、そうなのか?」

 

「ここが噂のならず者の集まり(ローグギルド)、胸を張れないが金になる仕事をやりたがる、文字通りの馬鹿どもが集まる場所さ」

 

 彼の問いかけに答えたのは、カウンター向こうに座る人物だった。

 目深くフードを被っているため顔は隠れているものの、僅かに覗く口元には妖艶な笑みが浮かんでいる。肌の色からして、褐色人種のようだ。

 纏うローブは胸元が大きく開いており、豊満な双丘の谷間をこれでもかと外気にさらしている。言うまでもなく、あれは女性だろう。

 女性は煙管(きせる)を吹かすと、開いている手で彼を手招きした。

 誰でもない(ノーマン)は音もなく女性の元へと寄ると、僅かに目を見開く。

 

 ──闇人だったのか。

 

 目深く被ったフードの奥に隠された長耳が、彼女が只人でないことを教えてくれたのだ。

 彼の心中を察してか、女性は彼の顎先を愛撫するように細指で撫でた。

 

「闇人とて、誰も彼もが混沌を望む祈らぬ者(ノンプレイヤー)ではないという事さ。知り合いにいないかも」

 

 彼女──女性闇人は彼の口元の傷跡を愛おしそうに細指で撫で、彼の背後に視線を向けて上機嫌そうに笑う。

 

「狐、この少年が話題の子かい?」

 

「ああ、そうだ。予想よりもだいぶ速いが、こいつも用があったようだから、連れてきた」

 

 狐はそう言いながらカウンター席に腰掛け、目を細めながら女性闇人を睨む。

 

「それと、前にも言ったがこいつは恋人持ちだ。止めとけ」

 

「むぅ、顔に傷、特に口元に傷のある男性が好みなんだがなぁ……」

 

 女性闇人は心底残念そうに誰でもない(ノーマン)の顔から指を離すと、再び煙管を吹かした。

 吐き出した煙が円を描き、ギルドの喧騒の中へと消えていく。

 女性闇人はフードを取り払い、その暗い色をした瞳で誰でもない(ノーマン)を捉えながら告げる。

 

「ようこそ、我がならず者の集まり(ローグギルド)、吹き溜まった灰の城へ。私はここの頭目、人呼んで灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)よ」

 

 ──よろしくね、少年。

 

 彼女はそう言うと妖艶な笑みを深め、足を組み直した。

 ローブに刻まれたスリットからは、程よく肉のついた足がこぼれ落ちている。

 誰でもない(ノーマン)は僅かに眉を寄せながら、助けを求めるように狐に目を向けた。

 狐は手をひらひらと振ってそっぽを向き、ここに呼んだもう二人の仲間を待つ。

 後ろで灰被りの女王に絡まれる誰でもない(ノーマン)を気にかけるが、彼女とは打ち解けて貰わねば困るのだ。

 それは今だけでなく、これからの為でもあるのだ。誰でもない(ノーマン)には、今回ばかりの協力ではなく、しっかりとした協力体制を整えなければならない。

 この世界には騎士団も教団もない。だからこそ、

 

 

 ──それに準ずるものが必要なのだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory03 同志たち

「まあ、ここで話すのもあれだろう。奥の部屋に行くとしよう」

 

 カウンター向こうに座る灰被りの女王が紫煙を吐きながら言うと、何人かの影を走る者(ローグ)がぴくりと反応を示した。

 酒場全体が薄暗い事もあり、彼らの表情を窺い知る事は出来ないが、間違いなく快く思ってはいないだろう。

 異性ではなく同性からも羨望──あるいは一方的な愛情──を向けられている彼女からの誘いだ。断ればもちろん、快諾しても後ろから刺される可能性がある。

 誰でもない(ノーマン)は彼らの殺気混じりの視線を気にした様子もなく、隣に腰掛ける狐に視線を向ける。

 彼の確認を受けた彼は一度頷き、僅かに困ったように言う。

 

「なら、先に行っていてくれ。俺はまだ来ていない連中を待つ。約束の時間はだいぶ過ぎているんだがな」

 

 目を細めて入り口へと目を向け、出入りする人物らに気を配る。入ってくるのはここ所属の影を走る者(ローグ)たちだけであり、彼が待つ人物は来ない。

 灰被りの女王は再び煙管を吹かして紫煙を吐くと、誰でもない(ノーマン)に流し目で視線を向けた。

 目が眩むほどの色気のこもった視線を受けた誰でもない(ノーマン)は、そっと視線を外す。長時間見つめあうと、何か録でもない事になる気がしたのだ。

 だが、狐に信用されているという事は、それなり以上に優秀なのは明白。今回の件に関しては、彼女、ないしここいる面々の力を借りなければならないだろう。

 その為にも、まずは目の前の彼女と信頼関係を築かなければならない。

 灰被りの女王は腰掛けていた座席から立ち上がると煙管の灰を灰皿へと落とし、煙管はその豊満な胸元へとしまいこむ。

 今まで座って向き合っていたからか、あるいは纏うローブのせいか、彼女が意外と長身である事に気付く。

 誰でもない(ノーマン)もそれなりに身長がある方だと自覚はあったが、灰被りの女王は彼よりも背がある。僅かに顔を上げなければ、視線を合わせる事は出来ないだろう。

 彼女の挙動を観察していた誰でもない(ノーマン)を誘うように、灰被りの女王は下品にならない──むしろ品すらも感じる──程度に尻を揺らしながら歩き始めた。

 彼女の背中を目で追った誰でもない(ノーマン)は、僅かにため息を漏らして立ち上がり、その背を追いかけていく。

 仕事終わりの影を走る者(ローグ)の脇を通り抜け、念のためその顔を頭に叩き込む。この共闘が終われば、また敵となる可能性はある。顔を覚えておいて損はないだろう。

 灰被りの女王が開けた扉を潜って酒場を抜け、薄暗い廊下へと入る。左右両方の壁には等間隔に並べられた燭台には、今にも燃え尽きそうな蝋燭が刺さっている。

 その両脇には質素な扉が備え付けられており、おそらく酒場にたむろしていた者たちの宿として使われているのだろう。

 優しげな橙色の明かりに照らされた灰被りの女王の影は、壁や天井、あるいは扉を不気味でありながら優雅な舞踏を舞うように踊り狂う。

 彼女の後ろを歩く誰でもない(ノーマン)の影は、それを傍観する観客か、あるいは興味の欠片もない無愛想な者のように静かに立ち尽くしている。

 灰被りの女王は目深く被ったフード越しに振り向くと、口元に微笑を浮かべながら言う。

 

「そんなに緊張する必要はないさ。しばらく滞在することになるのだろう?家だと思ってくれて構わんよ」

 

 手振りを交えながら言う彼女は、廊下の最奥の扉を開いて更に奥へ。

 闇の中に突如として現れた階段を手慣れた様子で降りていき、誰でもない(ノーマン)は足を踏み外さないように気をかけながらその後に続く。

 そしてたどり着いたのは、上の物に比べて僅かに豪華な扉だった。

 そこには蝋燭ではなくランプが壁の突起に引っ掻けており、廊下に比べれば明るい。

 尤も、そのお陰で扉には年季が入っている事がわかった。金属部分には錆が目立ち、豪勢だったであろう装飾の一部は欠けていたり、修復されたような痕が見られたりもする。

 灰被りの女王は胸元を探り鍵を取り出すと、扉の鍵穴へと差し込み、軽く捻る。

 カチャリと錠が外れる音が漏れ、鍵を胸元に戻した灰被りの女王はそっと扉を押す。見た目の割に重々しい音は鳴らず、扉が開いていった。

 

「ここは私の私室なんだが、どうせ会議をするのもここだ。まったく、急いで片付けたこちらの身にもなれ。そもそもなぜここなのだ、会議室なんてお堅いものがあるわけないだろう?」

 

 灰被りの女王は扉を開けながら愚痴るが、誰でもない(ノーマン)は無視を決め込み、彼女に気付かれない程度にそっと部屋を覗き込む。

 上の埃っぽさとは段違いの上品な部屋。棚や、そこに納められた食器類には細かな彫刻(レリーフ)が刻まれ、本棚には溢れんばかりに本が押し込まれている。

 

「まあ入ってくれ。廊下に突っ立っていても仕方がない」

 

「ああ」

 

 灰被りの女王に促され、誰でもない(ノーマン)は部屋に足を踏み入れた。

 敷かれたカーペットの踏み心地も良く、天井に吊るされた簡素なシャンデリアには、蝋燭が数本取り付けられている。

 あと目についたものとなると──、

 

「あの山はなんだ」

 

 誰でもない(ノーマン)は部屋の隅に目を向け、灰被りの女王に問いかけた。

 彼の視線の先では、大きめの布が山のように膨らんでいる。僅かに見える隙間からは、がらくたやぼろぼろになった本と思われる何かが見えた。

 灰被りの女王は彼の視線から逃れるように目を逸らし、下手な口笛を吹いて誤魔化す。

 触らぬ神になんとやら、誰でもない(ノーマン)は自分にそう言い聞かせ、会議スペースと思われる部屋の一角に目を向けた。

 手入れの行き届いた円卓と、急拵えなのかサイズもデザインもばらばらの椅子が置かれている。

 誰でもない(ノーマン)がそちらに足を進めようとした時、ローブの裾を灰被りの女王が引いた。

 

「座る前に武器はその机に置いてくれ。弓と長筒、あと剣は絶対だ。後の武器は、まあ好きにしてくれ」

 

「………」

 

 誰でもない(ノーマン)は僅かに眉を寄せたが、その三つはなくともどうにかなるものだと割り切って頷く。

 弓と長筒──ライフルの事だろう──と黒鷲の剣を指定された長机に置き、灰被りの女王の方へと向き直る。

 その瞬間、彼女の暗い色をした瞳が目の前に迫ってきた。

 深淵を思わせる暗い瞳の奥に宿る輝きは、憧れの英雄を実際に見る事の出来た子供のように無邪気でありながら、どこか恐ろしさを感じさせる。

 誰でもない(ノーマン)は思わず背を反らして後ろに下がろうとするが、生憎彼の背後には武器を置いた長机が置かれている。

 どうにか逃げようと考えるが、妖艶な笑みを浮かべた灰被りの女王がそれをさせまいと彼の顎に手をやった。

 空いた手で自らが被るフードを取り払い、その素顔を露にする。

 先に言った通り、闇人特有の黒い肌ではあるが、その整った顔立ちは、顔だけでも商売が出来そうな程だ。

 何より彼の目を引いたのは、透けるほどに美しい銀色の髪。話に聞いた限りでは、闇人には毛色が銀や白などの色素が薄い者が多いそうだ。

 その程度、いつもの彼なら気にも止めない、些細な共通点だ。だが、その些細な共通点は、今の彼にはその一言で片付けられるものではない。

 誰でもない(ノーマン)は僅かに目を見開くと、顔ごと視線を逸らした。

 彼女の顔を見ているだけで、あの時の感覚(怒り)が、目を覚まさない彼女の顔が、情けない(優しすぎた)自分が、思い起こされてしまうのだ。

 ふつふつと煮えたぎる怒りはまだ溜めなければならない。

 彼女への想いは、心の奥の更に奥へとしまわなければならない。

 かつての、騎士としての自分を取り戻さなければ、今回の戦いには勝てないのだ。

 彼の葛藤を知ってか知らずか、灰被りの女王は僅かに頬を赤く染めながら言う。

 

「ああ、何百年振りだろうな、ここまで心踊るのは。まだ私が混沌の尖兵として活動していた時以来か」

 

 昔を懐かしむように、それでいてつい昨日の事を思い出すように、彼女は続ける。

 

「何度目かの秩序と混沌の戦争。神に愛された白金の勇者と、魔神王との決戦が迫っていた頃」

 

 そう言いながら、彼女は彼の口元の傷を細指で撫でる。

 その優しげな手付きは愛撫を思わせるが、どこか愛する子供を甘やかすような優しさにも満ちている。

 困惑する誰でもない(ノーマン)を他所に、灰被りの女王は更に話を進めた。

 

「悪魔の何人かを貴族や将軍に化けさせ、秩序の陣営に混乱をもたらそうとする動きがあった」

 

 彼女はそう言いながら、彼のフードを取り払った。

 後頭部で纏められた闇を思わせる黒髪と、夜空か、あるいは深海を思わせる蒼い右瞳。それとは対照的に、左瞳は輝かんばかりの金色に染まっている。

 灰被りの女王は愛おしそうに彼の髪を撫で、口元に微笑を浮かべた。

 

「だが、その作戦は面白い程あっさりと潰えた。たった一人の暗殺者(アサシン)が、すり替えた貴族と将軍の全員を暗殺、もしくは撃退したからだ。誰だか、わかるか?」

 

「まさか……」

 

 誰でもない(ノーマン)が怪訝そうに漏らすと、灰被りの女王は頷き、彼の左腕の籠手、正確には籠手に刻まれたアサシンのシンボルを指でなぞる。

 

「アルタイルだとも。彼がいなければ、混沌の勢力が勝っていたかもしれない」

 

「その話とこの状況に、何の関係がある」

 

 灰被りの女王の肩を押し返しながら問うと、彼女は手頃な椅子に腰掛け、その表情を恍惚とさせながら自身の豊満な胸に手を当てた。

 手に潰された双丘は形を歪ませるが、その柔らかさでしっかりと受け止める。

 

「私の初恋の相手だ。彼がいなければ、私は秩序に寝返ろうなどとはとも思わなかった。まあ、私も一目見ただけだが……」

 

 瞑目した彼女の瞼に映るのは、仕込み刀(アサシンブレード)妙な球体(リンゴ)を武器に、次々と悪魔を打ち倒すたった一人の男の姿だ。

 纏う純白のローブを返り血で赤く染めながら、何かを守らんと戦い続けた彼の姿に、その戦闘の数少ない生き残りである彼女が魅せられたのは、偶然ではないのだろう。

 短い回想を終えた彼女は彼の面影を誰でもない(ノーマン)に重ね、胸元から煙管を取り出した。

 

「彼はいつの間にか消え、秩序に寝返った私は混沌側からもお尋ね者。ここまでの地位を手に入れるには、随分と苦労したさ」

 

 過去を懐かしむように呟きながら煙管に火を入れ、何度か吹かして紫煙を吐き出す。

 それを受けた誰でもない(ノーマン)は強烈な異臭に咳き込むが、灰被りの女王は気にした様子もなく微笑んだ。

 

「だが、こうして彼と同じ眼を持つ者に出会えただけでも、報われた気がするよ」

 

「そうか」

 

 煙にやられたのか目元に涙を浮かべながら、誰でもない(ノーマン)は適当に返した。

 本人としても詳しく聞きたい話ではあるが、今はそれよりも優先するべき事がある。詳しくは終わってから聞けば良い。

 彼が胸中でそう決めると、灰被りの女王は再び彼に身を寄せた。先程のように顔を近付けただけでなく、体を擦り寄せたのだ。

 彼女の肉感的な肢体に包まれた誰でもない(ノーマン)は、反射的に振り払おうとするが、その腕さえも掴まれて反撃を封じられる。

 灰被りの女王は妖艶な笑みを浮かべると、少々危険な色のこもった視線を彼へと向けた。

 

「だが、しかし、何だ。彼には全く似ていないが、何とも私好みの顔立ちだ」

 

「……離せ」

 

「彼と同じ眼、同じ傷、同じ武器。ふふ、久しぶりに体が熱くなってきたぞ」

 

 瞳の奥に爛々と燃える炎を灯しながら、灰被りの女王は自身の下腹部を撫でた。

 その手の知識に欠ける者でも、様々な期待を胸に生唾を呑み込む光景だが、その手の例外にいる誰でもない(ノーマン)は額に冷や汗を流す。

 もはや目に見える形となった危険から逃げ出そうと、本能に任せて暴れようとするが、不意に灰被りの女王が口を開く。

 

「《アラーネア(蜘蛛)……ファキオ(生成)……リガートゥル(束縛)》」

 

 彼女が紡いだのは『粘糸(スパイダーウェブ)』の呪文。ローブの袖に仕込まれていた糸が暴れ狂い、誰でもない(ノーマン)の両手首を後ろ手に縛り付ける。

 

「ッ!?」

 

「安心してくれ、狐たちが来るまでに済ませるさ。なに、少年だって溜まっているんだろう?」

 

 突然の事態に狼狽える誰でもない(ノーマン)の耳元で、灰被りの女王は誘うように囁いた。

 そして、彼の返事を待たずに彼の鎧とローブを外そうと手を伸ばした時だ。

 

「《マグナ(魔術)……レモナ(阻害)……レスティンギトゥル(消失)》」

 

 どこからともなく、『抗魔(カウンターマジック)』の術が紡がれ、ブツン!と音をたてて誰でもない(ノーマン)を縛っていた糸が不可視の力によって断ち切られた。

 両手が自由になった瞬間、灰被りの女王を突き飛ばし、部屋の隅に鎮座する山に叩きつける。

 ガシャン!とがらくたの山が崩れる音を無視し、長机に置いた黒鷲の剣を手に取り、切っ先を灰被りの女王へと向けた。

 目に宿るのは確かな警戒の色。灰被りの女王を、警戒すべき人物だと認識したのだろう。

 山から這い出した彼女は、露骨に残念がりながら部屋の入り口に目を向けた。

 つられるように誰でもない(ノーマン)の視線もそちらに流れ、そこに立つ人物らに気付く。

 そこにいたのは三人の只人だ。一人は狐、一人は昼間に知り合った御者の男性。もう一人に見覚えはないが、黒髪の女性。三角帽子を被り、身の丈ほどの杖を持っているから、魔術師だろうか。

 誰でもない(ノーマン)が観察している事に気づいてか、女魔術師がニカッと笑みを浮かべた。

 

「やあやあ、女王様。相変わらず欲望に誠実だねぇ!」

 

「あら、来ていたの。早めに言っておいて欲しかったわ」

 

 乱れた髪を手櫛で直しながら言うと、狐に目を向けて笑みを浮かべた。

 

「私たち四人と、タカの眼を持つ者が集ったという事は、そういうことで良いのね?」

 

 彼女の確かめるような言葉に、狐と御者の男性が同時に頷いた。

 二人の返答に灰被りの女王は嬉しそうな笑みを浮かべ、円卓の回りに置かれた椅子に腰かけ、立ち続けている四人に向けて言う。

 

「なら、早く始めてしまおう。何年待った?五年か、十年か?」

 

 今までの怪しい笑みはどこへ行ったのか、その表情は真剣そのものだ。

 困惑する|誰でもないを他所に、女魔術師が円卓の席につく。

 

「自己紹介は座ってからだな。場所なんて適当で良いだろう?上座も下座もないのが円卓の良いところだ」

 

 彼女に続いて円卓についたのは狐だ。彼は誰でもない(ノーマン)の肩を叩くと、どかりと椅子に腰掛けた。

 

「おまえらも早く座れ。話したいことが山ほどある」

 

 どこかこうなることを予見していたように振る舞う彼らに、誰でもない(ノーマン)が困惑していると、御者の男性が声をかけた。

 

「我々は、こうなる日を待っていたのですよ。貴方が冒険者となる、さらに前から」

 

 そう言いながら円卓の席に座り、残された椅子を引いて彼に座るように急かす。

 誰でもない(ノーマン)は無理に考える事を辞め、空いている最後の席に腰掛けた。

 円卓を囲むのは、五人の人物だ。

 灰被りの女王は胸元を探り、小さな指輪を取り出しと、誰でもない(ノーマン)に言う。

 

「では、改めて。私は灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)。この都に存在するいくつものならず者の集まり(ローグギルド)の長たる闇人だ。歳は訊くな」

 

 彼女はそう言うと、その指輪を円卓に置いた。

 見た目はシンプルな指輪だが、台座の黒い宝石にはアサシンのシンボルたる紋章が刻まれている。

 誰でもない(ノーマン)はハッとしながらその指輪を凝視していると、続いて女魔術師が笑みを浮かべながら言う。

 よく見る黒い瞳だが、その瞳孔は蒼く染まっている。病気、というわけではないだろう。

 

「私はしがない魔術師だったんだが、今は賢者の学院の校長をしている。キミの噂は聞いているよ、ならず者殺し(ローグハンター)。うちの卒業生が世話になっているようだからね」

 

 彼女は言いながら自慢の黒髪をなびかせ、指に着けていた指輪を取り外して円卓に置く。

 その指輪に納められた緑色の宝石にはアサシンの紋章が刻まれており、彼女もまた関係者である事を教えてくれる。

 もはや言葉も出ない誰でもない(ノーマン)に声をかけたのは、狐だ。

 アサシンの紋章を思わせる火傷痕の残る左手薬指を見せ、見えるように円卓の上に出す。

 

「俺の呼び名は多いが、お前に分りやすい呼び方は狐だろう。今さらではあるがな」

 

 そう言いながら笑みを浮かべ、残る一人に視線を向けた。

 

「後はお前だな、マキャ──外交官殿」

 

「いい加減間違えないでもらいたい。まあ、今は良いです」

 

 狐に呼ばれた外交官は、一度咳払いをして誰でもない(ノーマン)に面と向かい合った。

 

「あなたが騎士である事は承知しています。しかし、こうして同じ卓を囲めた事を嬉しく思いますよ」

 

 彼はそう言いながら、手袋を外して自身の左手薬指に見せる。そこにあるのは、アサシンのシンボルを模した火傷痕。

 つまり、彼も関係者という事だ。

 誰でもない(ノーマン)は──本人も驚く事に──悩む事なく口を開いた。

 

「細かな所属は言えないが、故郷で騎士団の一員だった事は間違いない。その証拠は、手元にないがな」

 

 指輪があれば出せたのだろうが、それは妹に預けたままだ。いまだに大事にしているかはわからないが、多分持ち歩いてはいるだろうと思慮を切り上げる。

 外交官は深く聞くことはなく、彼へと問いかけた。

 

「そして、その騎士たるあなたがなぜここに?」

 

 昼間と違って僅かな敵意を感じる言葉だが、誰でもない(ノーマン)は気にする事なく言う。

 

「今日の昼時だ。俺にとって何よりも大切な奴が、傷つけられた」

 

「あの騒ぎか。うちの(フィクサー)たちに調べさせるように伝えたよ」

 

 灰被りの女王が煙管を吹かしながら言うと、誰でもない(ノーマン)は「それだ」と返して更に言う。

 

「犯人を探したいが、その騒ぎに乗じて貴族令嬢が誘拐された。表立っては動けん」

 

「そこで裏の業界に頼ろうと?」

 

「ああ」

 

 灰被りの女王が確認すると、間髪入れずに返事をする誰でもない(ノーマン)

 彼女は彼の瞳を覗きこみながら、口元に笑みを浮かべた。

 

「私たちは、あまり頼るものではないぞ」

 

 言葉に込められた怒気には、どこか子供をしかる母親のような情が込められている。

 彼女は知っているのだろう。そうやって一時の感情に身を任せ、回り諸とも破滅していった人たちを。

 遥か年下、それこそ彼女からしてみれば子供と同じに思えるほどに幼い彼には、そうなって欲しくはない。だからこそ、どこか母親染みた声色が出せるのだろう。

 だが、誰でもない(ノーマン)にそれはわからない。彼の母親は、もう顔も思い出せないほど幼い頃に、殺されているからだ。

 故に彼は、母親から向けられる『愛情』というものを、知らないのだ。

 誰でもない(ノーマン)は瞑目し、そして自身の拳をギチギチと音が出るほど握り締めた。

 

 ──裏の世界に関わるな?何を言っているんだ、こいつは。

 

 彼は目を開き、絶対零度の殺気を宿した瞳で灰被りの女王を睨み付ける。

 

「元より俺は、そちら側の住人だ」

 

 感情が欠落した低い声には、流石の灰被りの女王すら僅かに悲哀の色のこもった顔となった。

 それに気付いた女性教諭は、小さくため息を吐いて彼に視線を向ける。

 歳は自分よりもいくつか下。自分にもそう見えているのだから、狐や外交官から見れば、年の近い息子程度にすら思えているかもしれない。

 なのに、彼のあの目はなんだ。長年かけて感情を殺した暗殺者でさえ、もう少し優しい目をしているぞ。

 女性教諭は狐へと目を向け、彼は確かに一度頷いた。

 

「お前の過去を根掘り葉掘り聞くつもりはない。だが、一つ聞かせてくれ」

 

 彼の呼び掛けに、誰でもない(ノーマン)はそちらに視線を向ける。殺気が弱まったのは救いだが、今さらなのだから気にする事もないだろう。

 

「お前はこれから、何の後ろ楯も、道標もない闇の中へと足を踏み入れようとしている。覚悟は良いんだな」

 

 狐の問いかけに、誰でもない(ノーマン)は無言で頷いた。元より覚悟が決まったから、あんな時間に狐の店を訪ねてきたのだろう。

 外交官は彼の肯定の所作を見ると、彼へ問いかける。

 

「貴方が身を任せようとしている闇は、今までの物とは違う、這い上がるが困難なものです。よろしいのですね?」

 

「闇に沈みきった俺に、光を見せてくれた奴らがいる」

 

 彼はそう言うと、どこか懐かしむような笑みを浮かべた。

 

 ──自分を兄と呼んでくれる、太陽を思わせる笑顔の少女がいた。

 

 最初こそはっきり言って面倒だったが、あの村での出来事は、今でも鮮明に思い出せる大切な思い出だ。

 

 ──自分を友と呼んでくれる、いつも薄汚れた格好をした同業者がいた。

 

 最初こそ変な奴だとは思ったが、あいつがいなければ自分は冒険者にならず、ただの名無しの放浪者として野垂れ死んでいたかもしれない。

 

 ──自分を先生と呼んでくれる、未来を夢みる弟子たちが出来た。

 

 最初こそ驚いたが、彼女らの成長は自分の事のように嬉しく思えたし、何より彼女らの未来に一役買えたと思えるのは嬉しかった。

 

 ──そしてなによりも、自分を愛してくれる人が、添い遂げたいと想える人が出来た。

 

 ただの同業者から、無駄に長い時間をかけて、互いの想いを確め合った。彼女と共に、十年後も、二十年後も生きていたいと思えた。こんな事初めてだ。

 アサシンとの戦いにおいては、刺し違えたとしても殺すという意識だったが、今はどうだ。何としても生きたいと、彼女の下へと戻りたいと思うようになったのはいつからだ。

 誰でもない(ノーマン)はその瞳に光を宿しながら、彼らに告げる。

 

「俺は、友を、家族を、愛する人を、あいつらが生きる未来を守りたい。その為なら俺は、闇に沈む事も、()()()()()()()()()いとわん」

 

 確かな意志の込められた言葉に、狐は心の底から嬉しそうに笑みを浮かべた。表情が、その言葉を聞きたかったと雄弁に語っている。

 灰被りの女王は「私は口出しせんさ」と煙管を吹かしながら言い、女性教諭も「人生は選択の連続だからな」とどこか悟ったような事を言う。

 残る外交官は深く頷くと、音もなく立ち上がった。

 

「では騎士よ、あなたは騎士団を抜けると言うのですね?」

 

「それであいつらを救えるのなら」

 

「あなたの恩人たちを裏切る事になりますが、よろしいのですか?」

 

「俺にとっては、もう遠い過去だ」

 

 誰でもない(ノーマン)はそう言うと、ほんの僅かに表情を険しくさせた。

 心の中では葛藤があるのだろう。心の奥底にいる騎士としての自分が、ふざけるなと声を張り上げている。

 

「我らの信条は、ご存知ですね?」

 

「ああ……!」

 

 その声を振り切り、彼は頷いた。

 外交官は瞳を閉じ、祈るように言う。

 

「ラーシェイア、ワキュン、ムトラクベイル、クルンムーキン」

 

「これぞ我らが血盟の英知を集約せし言葉」

 

「『闇に生き、光に奉仕する。そは我らなり』」

 

 外交官はそう言うと、懐から指輪を取り出した。

 見た目はシンプルなものだが、台座に納められた蒼い宝石にはアサシンの紋章が刻まれている。

 もう後には退けない。尊敬するマスターたちを、何よりも先生を裏切る事になる。

 だが、それでも、これは──、

 

「俺が、俺の意志で選んだ道だ……!」

 

 かつての自分には、選ぶことの許されなかった道だ。

 かつての自分では、選ぼうとすら思わなかった道だ。

 誰でもない(ノーマン)は指輪を受け取ると、起立して姿勢を整えた。

 外交官は彼を見ながら頷くと、他の面々に起立を促す。

 

「我らアサシンの信条を、心に刻め」

 

「罪なき者に刃を振るうな」

 

「風景に溶け込め」

 

「教団を危険に晒すな」

 

 外交官の言葉を皮切りに、狐が、女性教諭が、灰被りの女王が言葉を紡いだ。

 誰でもない(ノーマン)はその言葉を本当の意味で心に刻み、確かに頷く。

 ならば、残る言葉を紡ぐのは彼の役目だ。

 

「『真実はなく、許されぬことなどない』」

 

 この言葉の真意はまだわからない。否、永遠にわかることはないかもしれない。

 だからこそこの言葉を心に刻み、その意味を自問し続ける。この言葉は、その為にあるのだろう。

 彼の言葉に四人は満足そうに頷くと、代表して外交官が彼に右手を差し出した。

 

「歓迎しましょう。あなたはこの世界における、最初の『アサシン』です」

 

 神々の振るう骰子(さいころ)次第で多くの事が決まる世界において、神々すらも予想外のものが生まれた瞬間だ。

 アサシンは自身の右手を差し出して外交官と握手を交わすと、不敵な笑みを浮かべて話を切り出す。

 

「なら、初仕事といくか」

 

 誰にも知られる事なく、死の天使(アルタイル)の血と役目を引き継ぐ、新たな若き鷹(アサシン)が、産声をあげようとしていた──。

 

 

 

 

 




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Memory04 戦いに備えて

ガンガンONLINEの『ゴブスレ・イヤーワン』に女武闘家(この作品の銀髪武闘家)が出て来て「ウェイ!!」となったり、文庫版『ダイ・カタナ(上)』を読んで「おぉう……」となったり、『ゴブスレ11巻』を読んで「おお!?」となったり、ログハンと銀髪武闘家のCVを(参考程度に)考えるべきかを悩んでいる作者です。

はい、どうでも良いですね。では、どうぞ。


 都の片隅に居を構えるならず者の集まり(ローグギルド)、その最奥に置かれた部屋には、五人の人物が集っていた。

 その部屋の主たる灰被りの女王は、今まさにアサシンとなった男に言う。

 

「さて、堅苦しいものも終わった事だ。本題に入ろう」

 

 アサシンは頷くと、確かめるように今現在の情報を簡単に整理した。

 

「まず、昼間に襲撃してきたみずぼらしい男どもについてだが、所属は不明。あの技量(スキル)からして、プロではないのは確かだ」

 

 もはや何人殺害したのかは覚えていないが、一人一人の強さはそこまででもない。むしろ弱いと断言しても良いだろう。

 だが、その脅威は数にある。言っていることがもはやゴブリン相手と大差ないが、 実際はそうだ。

 数の暴力は何に対しても有効で、細かな戦略を考える必要もないから、相手の頭目はそれを使ってきた。

 まったく忌々しい事だが、実際彼女らはそれで消耗を強いられ、あの結果だ。

 外交官は顎に手をやると、表情を険しくしながら言う。

 

「そして、彼らに拐われた少女は、とても重要な人物です。必ず救出しなければなりません」

 

「少女がゴブリンと同程度の輩に拐われた。きっと録な事になっていないだろうねぇ」

 

 女性教諭は自身の黒髪を指先でくるくると弄りながらどこか気の抜けた、しかし神妙な面持ちをしてそう付け加えた。

 ゴブリンの同程度、というのはあくまで例えだ。人間というのは、なろうと思えば──もしくは無意識なままに──ゴブリン以上の悪意を持って人を傷つける。

 ぶつけられる悪意の全てを、女王の小さな体で受け止めきれるかどうかは、もはや聞くまでもあるまい。

 彼女の言葉に狐は数瞬思慮を深め、上での出来事を思い出しながら言う。

 

「そいつらの一員らしい奴らと遭遇したが、妙な事を言っていたな。たしか、『王』『女には手を出すな』『懐が暖まった』だったか。奴らが王と呼んだ人物が、裏で糸を引いているのは確かだろう」

 

 狐の発言に、灰被りの女王は紫煙を吐き出しながら言う。

 

「そいつらの言葉を信じるなら、その少女は無事だろうさ。ついでに、その『王』という輩にも覚えがある」

 

「それは本当ですか、女王よ」

 

 外交官が問うと、灰被りの女王は心底嫌そうな表情を浮かべ、煙管の灰を灰皿へと落とした。

 そして肺に溜まっていた最後の紫煙を吐き出すと、どこかにいる何者かを睨むように目を細めた。

 

「何年前からかは覚えていないが、この一帯とは別の貧民窟を根城にし始めた男がいてな。本人曰く貴族らしいが、品の欠片もない奴だ」

 

 忌々しそうに言う彼女は、その男の顔を思い出したからか、苛つきを隠す気もなく指で円卓を叩いている。

 アサシンは付き合いの短かすぎる彼女の事を把握しきれていないが、少なくともその男に悪印象を持っていることだけは理解出来た。

 彼女は誰かが聞く前に、忌々しそうに言う。

 

「あの男は自分の事を『物乞いの王』と自称して、この私に求婚してきたんだぞ?あんな不細工にくれてやる体はない!」

 

 ダン!と拳を円卓に叩きつけた彼女は、興奮した面持ちで息を荒くしていた。憤怒にまみれて尚その美貌は損なわれないのは、彼女が闇人だからこそか。

 

「まあ、お陰で時折嫌がらせをしてくるんだがな。狐が出会ったという奴らも、下端も良いところだろう」

 

「実際何も知らなかったからな」

 

 アサシンは不機嫌そうに腕を組みながら言うと、灰被りの女王は面食らった表情をして問い返した。

 

「なぜそう言いきれる。いや、その言い方だとまるで──」

 

「いくつか質問しただけだ」

 

「拷問したんだろう?なあ、そうなんだろう?」

 

「質問しただけだ」

 

「された奴はどんな表情になった。許しをこいながら無様に逝ったか?どうでも良さそうなものでも良いから、何か情報は吐いたか?」

 

 先ほどまでの不機嫌さは何処へ行ったのか、生き生きとした表情をしながら彼の方へと体を乗り出した。

 円卓の対角線にいるアサシンへは手を伸ばしても届くことはないが、先ほどのことがあったからか、彼は妙に警戒を強めている。

 一人盛り上がる灰被りの女王の姿に外交官はため息を吐き、狐へと少々批判的な目を向けた。

 

「まさか、この状況で問題を起こしたのですか?先ほどは遭遇したと言っていましたが」

 

「遭遇したさ。そして、こいつが問答無用で斬りかかった」

 

 狐はアサシンを指差し、責任を彼に擦り付ける事を選んだ。

 アサシンは狐の言動に驚きはするものの、特に罪悪感を感じた様子もなく言う。

 

「煽ってきたのは向こうだ。俺の前で、あいつを拐えば良かったなどと……」

 

 表情こそ冷静ではあるものの、その時を思い出したからか、言葉からは確かな殺意が滲み出ている。

 狐は肩を竦め、念のためと情報を追加する。

 

「まあ、全員殺害したことだし、荷物も辺りの物乞いに根こそぎ持っていかれて、死体は下水に捨てられているだろう。大きな問題はない筈だ」

 

 狐はそう言うが、外交官は額に手をやってため息を吐きながら項垂れた。

 

「もし、行方をくらました部下を探しに人を出されたらどうするのです?我々の行動が気付かれれば、間違いなく少女に危険が及びます」

 

「その少女はそこまで重要なのか?俺は只の家出少女程度にしか思えないんだが」

 

 状況を俯瞰し、神妙な面持ちとなった外交官とは対照的に、アサシンの表情にはどこか適当な所があった。

 彼はまったく知らぬ所だが、その家出少女はこの国の王の妹という、極めて重要な人物だ。至高神の神殿で行われた会議に出ていない事が、ここに来て影響が出始めていた。

 外交官は小さくため息を漏らし、件の少女に関して告げる。

 

「重要人物どころか、最重要人物です。この国の王はご存知ですか?」

 

「見たことはないが、年齢は俺と大差ないと聞いた事はある。隣国との外交、混沌の勢力が起こした事件始め、諸々の問題を抱えて苦労しているんだろう?」

 

「なぜそこまで知っているのかは聞きませんが、あの少女は王の妹なのです」

 

 外交官の言葉にアサシンは僅かに驚愕を露にするが、顎に手をやって神妙な面持ちとなった。

 

「やはり番兵に渡しておくべきだったか……」

 

「それはそれで後が怖いがね」

 

 灰被りの女王が他人事のように言うと、女性教諭が瞑目して宙に何かを描きながら呟く。

 

「狙いは王妹、なら目的はなんだ?物乞いの王なる人物が花嫁を探している訳ではないだろうし、何より嫁に貰ってもデメリットしかない。姫を傷物にして現王家に痛手を与える?それでは物乞いの王にリターンがなさすぎる」

 

 額に手をやって唸りながら思慮を深める彼女に、アサシンは端的に告げる。

 

「理由が何であれ助け出す事に変わりはない。考えるのは後で良いだろう」

 

「そうだとしてもだ、物事には必ず順序がある。事件が起きたからには、必ずその動機があるわけだ。気にならないのかい?」

 

「ああ」

 

 女性教諭の問いかけに、アサシンはさも当然のように即答した。

 彼はこれから起こる惨劇を止めるのが役目(ロール)だ。相手の都合に関しては一切興味がないのだろう。

「これだから前衛職という奴は……」と呆れた様子の女性教諭は、自身と同じく考える側の外交官に目を向けた。

 

「それで、そっちはどう考える?」

 

「まずは実行犯を押さえ、そこから黒幕とその動機に近づきましょう。一刻も早く妹様を助けなければなりません」

 

「だが、相手の根城はどこだ。縄張りの貧民窟に探りを入れるにしても、範囲は広いだろう」

 

 行動を急ぐ外交官に、アサシンはあくまで冷静に告げる。

 狙うべき相手はわかってきたが、どこにいるかもわからない相手に喧嘩を売るわけにはいかない。

 故郷では偉大なる探検家(クック船長)の力を借りたが、この場に彼はいないし、そもそも彼の情報は海の上での出来事に関するものだ。

 

「ああ、その事についてだが」

 

 次の一手を悩む彼に見えるよう、灰被りの女王が火の消えた煙管を弄びながら口を開いた。

 室内の視線が一気に集まるが、彼女は女王としての威厳を放ちながら、凛とした表情で言う。

 

「私からの依頼として、何人かの仕掛け人(ランナー)を偵察に出してある。そのうち結果が出ると思うが」

 

「いつ結果が出るかはわからない、か……」

 

 地下であるため今現在の時刻を正確には把握できないが、狐と店を出た時間から計算すれば、山の輪郭が白く染まり始めた頃といった所だろうか。

 既に密偵が出ているにしても、それが帰還するまでは時間がかかる筈だ。

 ざっと現時刻を割り出したアサシンは、部屋に集う同士たちに問う。

 

「その仕掛け人が戻り次第、行動開始か」

 

「まあ、明日か明後日か、いつ結果が出るかもわからないが、そこは彼らを信じるしかないな」

 

 灰被りの女王が言うと、アサシンは「構わん」とだけ返した。

 元より今回がこのメンバーによる初仕事だ。全ての行程が噛み合うとは思ってはいない。

 外交官は脳内で策を纏めあげたのか、この場にいる全員に言う。

 

「では、その仕掛け人(ランナー)が戻り次第集まりましょう。それまでに各々、特にアサシンは準備を整えてください」

 

「わかった」

 

 アサシンは頷くと、他の同士たちに目を向ける。

 今のところ信頼を寄せているのは狐のみだが、彼が信じているのなら、自分も信じる価値はあるだろう。

 

「それで、その仕掛け人(ランナー)が戻ってきたかはどう確認する。一時間おきに顔を出すのか?」

 

 アサシンは、至極当然の疑問を投げた。

 これから別行動を取るのだ。いつ来るかもわからない報告を待ち、確認の為だけに再集合するのは手間だ。

 だが、彼の心配はすぐに杞憂となった。円卓の上に、虚空から小さな獣が現れたのだ。

 灰色の毛に覆われたそれは、続けて二匹目三匹目と姿を現し、最終的に現れたのは全五匹。

 見た目は猫のような犬のような、何とも形容しがたいが、額には宝石が埋め込まれおり、それは進化の過程で手に入れた天然のものだろう。

 可愛いらしい顔立ちだが、額の宝石のお陰か神聖さがあり、ペットか何かとして連れていても違和感はない。

 灰被りの女王は微笑を浮かべながら、その獣の顎を指で撫で、女性教諭に言う。

 

「使い魔という奴か。この数を使役するとは、流石は賢者の学院の校長だ」

 

「そんな褒めないでくれ、照れるじゃあないか」

 

 両手を赤くなった頬にやって体をくねらせる彼女だが、不意に動きを止めて、慣れぬ獣を露骨に警戒している男性陣に言う。

 

「別に火を吐くことはないぞ?」

 

「吐かれても困るがな……」

 

 女性教諭の言葉に、アサシンは眉を寄せて返した。

 獣の頭をそっと撫でて触り心地を確かめ、再び女性教諭に目を向けた。

 

「で、こいつでどうやって連絡を取る」

 

「一度宝石に触れ、そこに声をかければいい。そうすれば、宝石を通して相手に声が届く」

 

「……世界は、広いな」

 

 女性教諭の説明に、アサシンは初めて冒険者ギルドに足を踏み入れた時と同じように呟いた。

 既知が増えれば新たな未知が見つかるとはいうのは、まさにこの事を言うのだろう。六年間この世界にいたが、こんな生物は見たことも聞いたこともない。

 

 ──まこと、世界とは広いものである。

 

 新たな未知を直面したアサシンは、困り顔で獣の背を撫でる。

 撫でられた獣はご機嫌そうに一鳴きすると寝転がり、無防備にも腹を見せた。

 ご所望通りにその腹を撫で回しながら、アサシンは問う。

 

「それで、その念話能力に有効範囲はあるのか?」

 

「あるにはあるが、この都の端から端までは余裕だ。天上の神々は何を思ってこいつを産み出したのかねぇ?」

 

 言いながら自身の獣に餌──干し肉だろうか──を与え、小さな牙で固い肉にかじりつく様子を眺め始めた。

 

「まあ、こうして助かっているのですから良いでしょう。神の意志は神にしかわかりません」

 

 外交官はそう言うと、いの一番に立ち上がった。

 外交官という立場がある以上、ここにいる他の面々に比べ、彼が自由にいられる時間はかなり限られてくる。現に、少なくとも今日は会議が入ることは確定している。

 

「私は王に今回の件を報告します。対策を打ってあることも含め、説明するつもりです」

 

「良いのか?俺たちの行動を王に伝えたとして、後で何を言われるか知らんぞ」

 

 アサシンが僅かに批判的な声音で言うと、外交官は「確かにそうでしょう」と頷いた。

 そして狐に目を向けると、ほとほと困り果てたように言う。

 

「あの王は、時折こちらの予想を越えてくるのです。ただですらストレスが溜まっていると言うのに……」

 

「本当に迷惑な奴だ。王の打つ一手が、俺たちの計画を根こそぎ壊しかねん……」

 

 二人して神妙な面持ちとなり、重苦しいため息を吐いた。

 二人の悩みの原因は知るよしもないが、それに王が一枚噛んでいることは確実。

 

「まあ、警戒はしておく」

 

「頼みます。では、私はこれで」

 

 外交官はそれだけ言うと、獣をローブの内側に潜り込ませて部屋を後にした。

 その背を見送ると、女性教諭は三角帽子差し出し、獣をそこに潜り込ませた。

 

「隠す場所は各々で考えてくれ。まあ、そこまで大きい訳でもないから気にならんだろう」

 

 どこか投げやりに言うと、「ではまたな~」と手を振って部屋を出ていった。

 尾のように揺れていた黒髪が扉の向こうへと消えていくと、灰被りの女王が獣の宝石を覗きながら言う。

 

「私は留守番だな。まあ、酒場でのんびりしているだけだが……」

 

 彼女はそう言うと、獣を眺めながらどう隠そうかを悩むアサシンへと目を向けた。

 艶っぽく輝く口を三日月状に歪めながら、色気のこもった視線を彼へ投げる。

 

「なあ、暇なら相手して──」

 

「とにかく腹に何か入れるか、アサシン」

 

「それもそうだが、店に行っても良いのか?」

 

「構わんさ。賭博は禁止だが」

 

「むぅ……」

 

「おい、アサシン?聞いてるか?」

 

 男二人が予定を組んでいく中で、取り残された灰被りの女王は不貞腐れたように鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「どうせ私は闇人さ、秩序勢力からの嫌われ者だとも」

 

 灰被りの女王は腕を組んでそう言うと、勢いよくアサシンに人差し指を突きつけた。

 

「まあ私の事はともかく、少年は十分に体を休めておんだぞ。万全中の万全と言えるまで整えろ」

 

「それは……善処する」

 

 アサシンは小さく苦笑を漏らすとフードを目深く被り、獣の方に手を伸ばした。

 獣は跳ねるように彼の腕に昇っていくとフードの内側へと潜り込み、彼に頬擦りして一鳴きした。

 狐も彼に真似るようにフードの内側に獣を隠すと、灰被りの女王に視線を向ける。

 

「それじゃ、報告を待っているからな」

 

「ああ。期待して待っていてくれ」

 

 狐の言葉に灰被りの女王は不敵な笑みで答えると、自身に割り当てられた獣の顎を撫であげる。

 

私たちなりのやり方(ローグライク)を見せてやるとも、ならず者殺し(ローグハンター)

 

 彼女の言葉にアサシンはピクリと体を揺らして反応を示したが、すぐに平静を装い、彼女に告げる。

 

「悪いが、人違いだ」

 

「ああ、そうだろうな。アサシン」

 

 アサシンの端的な言葉に、灰被りの女王は意味深な笑みを浮かべた。

 全てを見透かす暗い色の瞳に、どこか喜色が含まれていると感じたのは、気のせいではない筈だ。

 狐は「いちいち探りを入れるな」と小さくため息を漏らし、手早く装備を回収していたアサシンを連れて部屋を後にする。

 彼らの背を見送り、一人部屋に残された灰被りの女王は、獣を構いながらも熱のこもった息を漏らす。

 朱色に染まった頬に手をやり、瞑目してアサシンの姿を思い出す。

 彼と同じタカの眼(ひとみ)、彼と同じ仕込み刀(アサシンブレード)、彼の挙動一つを思い出すだけで、下腹部が熱くなる。

 潤む暗い色の瞳に何やら危険な色を込めた彼女だが、不意に自分の米神に指を当てて、ぐりぐりと解し始めた。

 

「ああ、我慢だ、我慢しろ。今は仕事に集中するんだ……」

 

 自分にそう言い聞かせ、再び熱っぽい息を吐いた。

 ある程度落ち着いたのか、頬は元の褐色に戻り、瞳の潤みも引いていく。

 危険を感じ取った獣は円卓の下で身を縮こませているが、灰被りの女王は聖母のように優しげな笑みを浮かべ、その背を撫でてやる。

 我慢すれば跳ね返りが強くなるのは周知の事実。彼女はそれを理解しているし、欲望を抑え込む術も心得ている。

 まあ、跳ね返る先にあるのは断崖絶壁の崖かもしれないが、それはそれとして彼女は受け入れるのだろう。

 

 ──この世界に、許されぬことなどないのだから。

 

 その言葉を信じるからこそ、彼女は混沌の勢力を裏切り、秩序の勢力に与する者としてここにいるのだ。

 

 

 

 

 

 都、眠る狐亭。

 昨夜の賭博場の騒ぎはどこに行ったのか、朝一番の店内は静寂に包まれていた。

 いつものようにカウンター席に腰掛けたアサシンは、いつものようにパンと薄味のスープを朝食に頼んだ。

 それを受けた狐は、いつものように準備を整え、いつものようにそれを差し出す。

 出された朝食を黙々と食していくアサシンに、狐は問いかける。

 

「それで、それを食い終わったらどうするつもりだ」

 

 彼の問いかけに、アサシンは僅かに苦しそうにパンを飲み込む。飲み込むには少し大きすぎたのだろう。

 

「──。とにかく、昨日の戦闘で使った消耗品を補充しなければならない。この辺りに武器屋はあるか」

 

 そう言い終えるとパンを小さめに千切り、取り払ったフードの中で丸まっていた獣に差し出す。

 器用に前足でそれを受け取った獣は、余程腹が減っていたのか、必死になってパンを食し始めた。

 その様子を見ることは出来ないが、首の後ろから聞こえてくる咀嚼音を聞き流し、スープを啜る。

 ほんの僅かに感じる味は、辺境の街のそれとはまた違う美味さがある。同じ料理でも街によって味が違うのはよくあることだ。

 狐はカウンター下から地図を取り出し、それを広げて見せた。

 見た限り、大通りに大きめの店が一つ、路地裏にもいくつかあるようだ。

 大通りの店の方が信頼出来るだろうが、下手に痕跡を残さないようにするのなら、路地裏の方に頼るのが吉か。

 アサシンが武器屋の印を指で撫でていると、狐は僅かに悲哀を込めた視線を向け、小さくため息を漏らした。

 

「武器屋に行って、その後はどうする。いつ来るかもわからない報告を、まさかここで待ち続けるのか?」

 

「いや」

 

 アサシンはそう言うと狐に目を向け、空になった皿を眺めながら神妙な面持ちで告げる。

 

「他にも入り用な物がある。用意は万全に──」

 

「あいつの所に、顔を出さないのか?」

 

 彼の声を遮り、狐はそう問いかけた。

 これから戦いに赴くのだから、残していく者への顔向けは必要だ。その相手が恋人なのだから、余計にだろう。

 アサシンは卓上に肘をつき、顔の前で手を組ながら瞑目すると、小さく首を横に振った。

 

「万が一尾行されていた場合、あいつに危険が及ぶ」

 

 彼は重々しく息を吐くと、ただそれだけを呟いた。

 これから挑む戦いの重要性と、そこに潜む危険性は十分に把握している。

 だからこそ、周りに──特に彼女に──危険が及ぶ可能性は僅かでも下げておきたい。

 最悪の結果(ファンブル)をもたらす(さい)(ころ)を、神々に振らせないように立ち回らなければならないのだ。

 彼のそうした意図を察しはしたものの、渋い顔をした狐は皿を厨房に下げる。

 

「だが、お前が尾行されるなんてあり得るのか?」

 

「現に襲撃を受けた」

 

 その一言には、口外に「話は終わりだ」という意志が込められていた。

 彼は会計だけ済ませると立ち上がり、フードを目深く被り直して歩き始めた。

 朝食を中途半端な形で止められた獣は、フードの中で責めるように鳴き始めるが、アサシンはそれを無視して店を後にした。

 彼の背を見送った狐は、自身に宛がわれた獣をフードから出してやると、懐からいくつか果実を取り出した。

 それを朝食変わりに与えてやり、ご機嫌をとる。

 この小さな獣も今や同士だ。機嫌を取っておいて損はないだろう。

 彼はそれを欠かせてしまったようだが──、

 

「まあ、大丈夫か」

 

 何だかんだ言いつつ、彼は根っこから真面目な男だ。後で何かしらのフォローを入れるだろう。

 狐はそう言って、上階から続々と降りてくる観光客や冒険者に目を向けた。

 

 ──仕事まではいつも通りに、平静を装う。

 

 相手の目がどこにあるか不明なのだから、それは当然の事。

 

 ──風景に溶け込むのは基本中の基本なのだから。

 

 

 

 

 

 同時刻、賢者の学院。

 会議を終え、自室に戻った女性教諭は、書類が山積みとなった机に突っ伏していた。瞳には、僅かな後悔の色が込められている。

 慣れぬ会議に参加したからか、否。

 使い魔数匹を纏めて召喚したからか、否。

 

「何で肝心な事を聞き忘れるかねぇ……?」

 

 念願のタカの眼を持つ者に出会えたというのに、使い方、応用法、その起源を聞きそびれるとは、探求者の端くれを自称する者として恥ずかしい事この上ない。

 

「せめて、血の一滴でも貰うべきだったなぁ。まあ、お楽しみは次の機会として」

 

 彼女はパン!と手を鳴らすと、山となった書類に目を向けた。

 これらは昨晩こなす筈だったものだが、まあ、この程度ならどうとでもなる。

 

「──今は表の仕事をこなすとしよう。裏の仕事には、後腐れなぬ挑まなければな!」

 

 半ば叫ぶように宣言すると、彼女は高速で書類の山を片付け始める。いくつもあった山は一つ、また一つと数を減らしていく。

 誰よりも自由を好む彼女が、書類に囲まれた狭苦しい一室に押し込まれているのには意味がある。

 

 ──真実はないと言ったが、その言葉が真実であるかなど、誰にもわからない。だからこそ。

 

「いやぁ、探求ってのは止められないねぇ!」

 

 隠された真実を探し続ける。それが彼女の在り方(ロール)であり、それこそが彼女の選んだ道だからだ。

 

 

 

 

 

 都の中央にそびえ立つ、王の住まう城。

 天の火石の会議を終えたばかりだと言うのに、会議に使われる一室は、再びの喧騒に包まれていた。

 話題は言うまでもなく、王の妹が誘拐された事件への対応を話し合う為だ。

 なのだが、その会議は全くと言って良いほど進捗がなかった。誘拐された相手が相手だ、下手に騒ぎを大きくすれば、現王家へと風当たりが強くなる。

 冒険者から王となった青年に、不満を持つ貴族は多い。自分の方が身分が上だと宣言し、王を失脚させんとする輩も多いのだ。そんな彼らに、致命的な隙を晒すわけにはいかない。

 信頼のある貴族や金等級の冒険者たち──剣の乙女は訳あって欠席している──が様々意見を出すが、どれも現実味に欠けるか、あるいは妹が死ぬ前提に思える強引な策ばかり。

 王は思わず寄ってしまった眉間を指で解し、周囲に気づかれぬように小さく息を漏らす。

 妹に困らされる事は多々あれど、肉親のいない自分に取って、最後に残された妹だ。自分の命を懸けてでも、助け出したい。

 王はちらりと脇に控える銀色の髪をした侍女に目を向け、周囲に気付かれぬように小さく頷いて見せた。

 侍女が答えることはないが、こちらを見ていた瞳が僅かに揺れる。肯定と受け取って良いだろう。

 彼女が影と同化して部屋から消えようとした時だ、何者かが慌てて部屋へと駆け込んできた。

 勢い良く扉が開け放たれ、額に汗を浮かべた外交官が会釈する。

 

「王よ、遅れて申し訳ない」

 

「珍しいな、お前が遅れてくるとは」

 

 静まりかえった会議場に、二人の声が嫌に響く。

 これ幸いと外交官は王と、その背後に控えていた侍女に目を向け、端的に告げる。

 

「今回の誘拐の一件、私に任せてはくださいませんか」

 

 突然の物言いに、会議に参加していた者たちから様々な不平不満が漏れる。

 外交官は王からの信頼は厚いが、会議そのものに参加している回数はこの中では少ない部類に入る、まだまだ新人と言っても良い。

 そんな人物が、いきなり「私に任せてくれ」などと言えば、責められ当然だ。

 自身に向けられた罵詈雑言を受け流しつつ、外交官は一切表情を崩すことなく言う。

 

「既に行動は始まっています。私が考えうる最高の手を打たせていただきました」

 

 暗に「会議だけしているのでは愚かだ」と告げながら、外交官は更に捲し立てる。

 

「全ての責任は私が負います。多少後ろ暗い物であっても、王には何の関係もないことです」

 

 彼は言い終えると共に、自分に宛がわれた座席へと足を進める。

 こうして円卓からまた別の円卓に梯子するなど、滅多にあることではない。ある意味良い経験だろう。

 

「王よ、どうしますか?私としては、()()()()()()()()()()()考えておりますが」

 

 外交官はいつもと変わらぬ声音で淡々と告げるが、王はその言葉にどこか恐ろしいものを感じた。

 かつて冒険者であった頃、嫌というほどに感じた死の気配、外交官からはとても弱くではあるが、それを感じるのだ。

 王が王たる証たる衣装の下で冷や汗を流す中で、外交官は面と向かい、彼へと告げる。

 

「私は何者にも(・・・・)邪魔をして欲しくないだけです。邪魔が入らなければ、必ず成功させます」

 

 彼の後ろに立つ侍女にも告げるように力強く、しかしてどこか冷たい印象を持たせる言葉。

 王は思わず息を呑み、僅かに自分の手が震えている事に気付く。

 彼を強者と知ったが故の武者震いか、あるいは怯えているのかは自分でもわからない。だが、彼の言葉は信用にたると、心のどこかで納得している自分がいるのだ。

 王は「負けた」と告げるように息を吐き、「お前に任せる」と伝えた。

 外交官は「感謝します」とだけ返し、座席に腰掛けた。

 会議場が嫌な沈黙に支配され、誰もが口を紡いだ時だ。

 

「陛下ぁーっ!きったよぉーっ!」

 

 ばぁん!と勢い良く扉が開け放たれ、疾風が室内を駆け抜けた。

 外交官は額に手をやり、最近扱いが雑な扉の心配をしつつ、入ってきた人物に目を向ける。

 年は十代半ば、長くなびく黒髪、穢れを知らぬ純粋無垢な瞳。

 一目見た限りでは、駆け出しの冒険者と大差はない。しかし纏う防具は様々な術が施された特注品(オーダーメイド)、腰に下げる二振りの剣の一本は、太陽の輝きを宿した伝説に名を残す聖剣だ。もう一本は、謎の錆びた剣。

 見た目には不釣り合いな武具が似合うのは、彼女が成し得た偉業の為だ。

 

「……あれっ?ちょっと、まずかった?」

 

 室内の空気を察し、何やら疑問符を浮かべる少女こそ、名実共に世界を救った勇者。この場にいる誰しもが知るよしもない、ローグハンター(アサシン)の妹たる少女なのだ。

 少女は続いて入室した剣聖と賢者に叱咤くされつつ、悪びれた様子もなく太陽を思わせる笑みを浮かべた。

 その笑みに当てられ、室内を満たしていた重苦しい空気が、霧散していった。

 

 ──彼女のような光があるからこそ、我々の戦いにも意味があるのでしょうね……。

 

 外交官は不思議とそんな事を思いつつ、思わず苦笑を漏らした。

 

 

 

 

 都の片隅に鎮座する、至高神を奉る神殿。

 その一室に、静かに寝息をたてる女性がいた。

 透けるように美しい銀色の髪が窓から差し込む光を反射し、幻想的な輝きを放っている。

 ベッドのサイドテーブルには手拭いが浸けられた水桶が置かれ、他には見舞いの品と思われるリンゴがいくつか籠に納められていた。

 そんな室内を眺めているのは一羽の鷲。窓の外側に取り付けられた手すりに止まり、中の様子をまじまじと観察している。

 数分かけて彼女を観察し、その眠りが安らかであることを確認する。

 そして部屋の扉が開き、赤毛の女魔術師と小柄な女神官が入室してきた事を合図に飛び立った。

 優しげな陽に照らされ、活気に満ち溢れる通りを俯瞰し、鷲は都の一角に鎮座する尖塔の頂き──そこに立つアサシンが差し出した腕へと止まった。

「キィッ!」と一鳴きした事を合図に視界の共有を切り、朝食代わりの干し肉を与える。

 鷲はそれを細かく咀嚼して飲み込むと、再び上空へと舞い上がった。

 太陽と重なり影さえ見えなくなった鷲を眺め、アサシンは眩しさをこらえるようにフードの下で目を細めた。

 

 ──何をしているんだ、俺は……。

 

 この戦いが終わるまで、彼女と関わるつもりはなかったのに。

 この戦いが終わるまで、彼女の顔を見ることはないと決めたのに。

 

 ──覚悟が、足りていないな……。

 

 アサシンは一度深呼吸すると、尖塔の下へと目を向けた。

 理由は不明だが、大量の藁が作り上げた山が、視線の先に鎮座している。

 アサシンは顔を上げ、遠目に見える至高神の神殿に目を向ける。

 まだ、あの場所に戻る事は出来ない。友人や弟子たちに会うことも、彼女に会うことも出来ない。

 だが、それが自分の選んだ道。自分が進むと決めた道だ。

 なら、何を迷う必要がある。何を躊躇う必要がある。

 胸の内に巣食う迷いを、恐れを振り払うように、彼は告げる。

 

「天上の神々よ、我が覚悟を見るが良い……!」

 

 今の言葉を戯れ言と嗤うのは簡単だろう。

 だが、その後に続くことを嗤うことが出来るのは何人いる?

 傍観する神々に問いかけるように、アサシンは尖塔の頂より身を投げた(イーグルダイブ)──。

 僅かな浮遊感の後に強烈な重力に引きずられ、背中から地面へと落ちていく。

 アサシンは口元に僅かな笑みを浮かべた。

 騎士として何度も行ってきたそれも、今となっては意味が違う。

 まだ一人前には遠いだろう。まだ正式に名乗るのも早いだろう。

 だが、これこそが、全てのアサシンが通った道。タカの道だ。

 藁の山に体が沈んだ瞬間、僅かに心が軽くなった。

 この儀式には、一度死に、また甦るという意味があるのかもしれない。

 

 ──ならきっと、意味はある筈だ。

 

 アサシンは藁の山から飛び出すと、ローブに刺さった藁を払い、なに食わぬ顔でその場を後にした。

 その足取りはどこか軽く、なにかを吹っ切ったように思える。

 ならば、きっと大丈夫だろう。アサシンとは、何も冷酷な殺人鬼ではない。彼がそうなる事も、おそらくないだろう。

 今の彼の胸にあるのは、次なる任務と、三つの信条のみ。

 何より彼の心に刻まれているのは、絶対にして第一たるもの。

 

 ──汝、その刃を罪なき者に振るうことなかれ。

 

 故郷の怨敵たちが軽んじた、アサシンを無慈悲な殺人鬼へと転じさせない絶対の掟。

 彼がそれを軽んじる事はないだろう。

 この信条を初めに教えたのは、彼が敬愛する実父なのだから──―。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 任務開始

 二日後、灰被りの女王を頭目とするならず者の(ローグ)集まり(ギルド)の一室。

 天井に吊るされた簡素なシャンデリアから漏れる光に照らされ、円卓を囲む五つの影が浮かび上がる。

 その一つたる灰被りの女王は、仕掛け人(ランナー)が命懸けで持ち帰った情報を同士たちに告げる。

 

「さて、結論から言おう。奴の城は見つからなかったが、件のお姫様はまだ捕まっているようだ」

 

 彼女はそう言うと、都全体を見下ろすように描かれた地図を取り出し、円卓の上にそれを広げる。

 

「奴らの拠点の一つに探りを入れたそうだ。そこにあった書類を調べた限り、取引は明日の予定だそうだ」

 

 円卓に広げた都の地図に、その拠点と思われる場所を示すように印をつける。

 彼女は眉を寄せ、「だが──」と語気を強めた。

 

「本拠地がありそうな場所に目星はつけたが、発見には至らず。探索中に見つかり、攻撃を受けた」

 

 眉を寄せて神妙な面持ちとなりながら、帰らなかった仕掛け人(ランナー)の事を想うが、すぐに無駄な感情を振り払い、本拠地の思しき都の片隅を円で囲む。

 

「それで取引が早まったとしても、今なら間に合う筈だ。だが、敵の総数は百はくだらん。いや、それでも少ないか……。この街に住む全ての物乞いが、奴の配下と言っても過言ではない」

 

「仮にも王を名乗るだけはあるようだな」

 

 彼女の報告を聞き終え、影の一つである狐が腕を組みながら言葉を漏らした。

 相手の数に比べ、こちらの出せる手札の数はかなり限られている。元より短期決戦が前提だが、既にこちらの動きは察知されてしまった。これでは地雷源に飛び込むようなものだ。

 

「しかし、全ての物乞いがこの区間にあるわけではないでしょう。ならば、数はそれなりに限られる筈です」

 

 影の一つ、外交官が常と変わらず冷静に言うと、灰被りの女王が頷く。

 

「うちの仕掛け人(ランナー)たちが気付かれたとなると、かなりの手練れがいるな。それに加え、警備が増えているだろうし、取引が早まったとなると、敵には取引相手とその護衛も含まれる筈だ」

 

 彼女はそう言うと、胸元から煙管を取り出し、「《インフラマエ(点火)》」と火をつける。

 一瞬生じた超自然の火種に照らされ、影の一つである女性教諭のニヤリと笑った顔が、闇の中に浮かび上がった。

 

「いやぁ、手が足りないねぇ。ここにいる面子に不満があるわけではないけど、実働要員(アサシン)がもっと欲しい所さ」

 

「そうですね。しかし、下手に人員を増やすわけにはいきません。敵に付け入る隙を増やすことになりますから。そもそも、今からでは探す時間はありません」

 

「だろうな。ともかく今は物乞いの王だ。そうさな、とにかく奴はプライドが無駄に高い。相手より下になる事を許しはしないだろう」

 

 女性教諭の言葉に外交官、灰被りの女王が続き、逸れ始めた話題を戻す。

 

「そして、プライドに任せて雇い主と雇われという上下関係を無視すれば、揉め始める」

 

 灰被りの女王は紫煙を吐き出しながら、どこか経験があるかのように言葉を漏らした。

 彼女とて、今の地位を手に入れるまでに様々あったのだ。忌み嫌う物乞いの王と、似たような事をした筈だ。

 思い出したくもない過去を思い出したからか、不機嫌そうに目を細める灰被りの女王を他所に、狐が淡々と告げる。

 

「相手が揉めているかは別として、今回が最初で最後の機会(チャンス)だ。時間をかけることは出来ないが、失敗は許されない」

 

 そうして彼が目を向けたのは、この場にいる誰よりも気配の薄い男。

 この数日である程度吹っ切れたのか、張り詰めていた雰囲気には、何処か余裕を感じるようになった。

 最後の影たるアサシンは顔の前で手を組みながら、瞑目していた目をゆっくりと開く。

 蒼い右瞳と金色の左瞳が揺れ、灰被りの女王が印をつけた区間へと向いた。

 

「とにかく、相手の本拠地を見つけなければ話にならないな。幹部を見つけられれば楽だが、お前の部下が忍び込んだ拠点は空だろう」

 

「そうさな。幹部かはわからんが、知っていそうな人物はいるそうだ」

 

 灰被りの女王は頭に叩き込んだ報告書のページをめくり、言うまでもない事だろうと脇に置いておいた情報を引っ張り出す。

 頬杖をつきながら本拠地と思われる場所を囲んだ円の片隅に印をつけ、指で白墨を弄びながら言う。

 

「この付近に、最近になって力を持ち始めた男がいるそうだ。訪ねてみたらどうだ?」

 

「幹部候補と言った所か。なら、訪ねる価値はある」

 

 アサシンは頷き、地図越しに地形を頭に叩き込んでいく。細かな道は実際に見なければならないが、大まかな地形を知っていれば、危険度は大きく下がる。

 地図で大まかな地形が把握出来たら、実際に地形を一望できる場所(ビューポイント)を探し、地形を頭に叩き込み(シンクロ)し、行動を起こす。

 まずは、その幹部候補なる人物の家に向かうのが良いだろうか。

 アサシンが手早く算段を纏めていく中、外交官が言う。

 

「一応ですが、王には釘を刺しておきました。邪魔は入らないと思います」

 

「本当に大丈夫なのか?あの王様は、時々だが行動が読めん」

 

「大丈夫です。そうでなければ困る」

 

 外交官と狐が手短にやり取りし、聞き耳を立てていたアサシンは眉を寄せて「不確定要素が一つだな」と小さく漏らす。

 彼は顎に手をやると円卓をとんとんと指で叩き、目を細めた。

 

「王が横槍を入れてきたとしたら、どう対処する」

 

 万が一に備えるのは、何よりも大切な事だ。神々が振る『宿命』と『偶然』と骰子(さいころ)が何をしでかすのか、それは神々だとしてもわからない。

 アサシンの確認に、狐と外交官は視線を合わせて困り顔となった。

 明らかに迷っている様子で、狐が問いかける。

 

「逃げるのが手っ取り早いが、逃がしてくれるのか?」

 

「アサシンなら問題ないでしょう。逃げるのには慣れていると思いますし」

 

「慣れては、いるが……」

 

 狐、外交官のどこか諦めにも似た声音で言うと、アサシンは複雑な表情を浮かべた。

 逃げる前提なのは癪だが、この国の王と事を構える訳にはいかない。混沌に与する暴君ならまだしも、彼は秩序の下に国を纏める君主(ロード)だ。

 紫煙を吐き出した灰被りの女王が、笑みを浮かべながら言う。

 

「そもそも逃げもせずに戦闘するアサシンとは何だ?本来なら一撃離脱が前提だろうに」

 

「そうなのか?」

 

 彼女の言葉に意外そうな声を漏らすと、女性教諭は笑いをこらえながら獣に夜食を与える。

 

「まあ、私たちの定規で計れる暗殺者と、彼のようなアサシンは別物だろう。アルタイルを見たことがあるのなら、キミが一番理解していると思ったんだが?」

 

「むぅ。それもそうなんだが……」

 

 彼女の指摘を受けた灰被りの女王は頬をかき、アサシンへと目を向けた。

 期待と愛情の入り交じった、どこか母性を感じさせる瞳に映るのは、彼女の憧れた英雄に似た青年の姿。

 彼が英雄の領域にたどり着けるか否か。彼女の胸中にあるのは大きな期待だ。

 彼がその期待に答えた場合は、余り考えてはいない。考えてしまったら、我慢が出来なくなるからだ。

 

「とにかく、無茶はしないでくれ」

 

 灰被りの女王が絞り出すように呟くと、アサシンは「当たり前だ」と至極当然に頷いた。

 

「あいつの所に帰るまでは、死んでも死にきれん」

 

「まったく、お熱い事だな。お前らしいが」

 

 真顔で告げられたアサシンの言葉に、狐は小さく笑みを浮かべた。

 ようやくこいつらしくなってきたなと、心のどこかで安心しているのだ。

 外交官は不意に視線を泳がせると、咳払いを一つ。張り詰めすぎる事も悪いと言うが、今の雰囲気を弛みすぎだと判断したのだろう。

 

「行くべき場所、やるべき事は決まりました。後はあなたに託します」

 

「ああ、任せろ」

 

 アサシンは頷くと再び地図に目を向け、第一目標と最終目標を確認する。

 幹部候補のいる場所に潜入し情報を聞き出し、物乞いの王を暗殺、王妹を救出する。見つかれば、取引相手を暗殺、あるいは取引の証拠を手に入れる。

 やることは多いが、やれなくはない。いつもと変わらない、簡単──でもない仕事だ。

 彼は立ち上がると、何も告げずに彼らに背を向けて歩き出した。

 既に「任せろ」と伝えた。なら、他に何を言うことがある。

 闇の中へと足を進める彼に、灰被りの女王が微笑を浮かべながら言う。

 

「アサシン、武運を祈る」

 

 その言葉に、アサシンは足を止めた。

 ほんの僅かに迷いを見せるが、そんなものはすぐに振り払う。

 別の道を進むと決めたとはいえ、先生から教えられた事を忘れるつもりはない。罰当たりかもしれないが、あの経験を無駄にするのはあまりにも惜しい。

 そして背中越しに手を挙げると、新たな同志たちに告げる。

 信条とは別に、彼の心の奥底にある言葉。

 

「──運は自分で掴むものだ」

 

 その言葉を最後に、アサシンは部屋を後にした。

 置いていかれた獣がその背中を小走りで追いかけていき、他の獣たちが一鳴きして見送る。

 残された同志たちは目を合わせると、狐が言う。

 

「さて、俺たちは次に備えておくか」

 

 彼の発言に灰被りの女王は頷き、何とも意味深な笑みを浮かべた。

 

「そうだな。少年が物乞いの王を討ち取ることが出来れば、そこは空席になる」

 

「統率の取れない物乞い程、面倒なものはないねぇ」

 

 彼女の言葉に女性教諭が続くと、外交官は順に三人に視線を向けると、「では、手筈通りに」と呟いた。

 それを合図に灰被りの女王と狐が立ち上がり、部屋を後にせんと歩き出した。

 王を討った後に残るのは、その配下による暴走か、あるいは都全体を巻き込む混沌(ケイオス)だ。

 誰にも知られる事なくそれを防ぎ、多少時間をかけてでも物乞いの王の影響を取り払う。

 アサシンの成功を信じ、同時に事を進めなければ駄目だ。彼が帰って来てからでは遅すぎる。

 二人を見送った女性教諭が、なにやら悪戯っぽい笑みを浮かべて外交官に問いかける。

 

「しかし、この事は彼に伝えなくて良かったのかい?」

 

「アサシンが成功する事が前提の仕事です。彼に余計な心配をかけるわけにはいきません」

 

 外交官はあくまでアサシンの為と言うが、女性教諭は彼を見透かすように目を細めながら、真剣な声音で言う。

 

「……まだ、信じきれてはいないんだろう」

 

「それは、どうでしょう?」

 

 外交官は彼女の指摘をはぐらかすと、深く息を吐く。

 狐から散々言われたが、かの青年が騎士であった事に変わりはない。自分たちの知る騎士とはだいぶ違うが、根本にあるものは同じかもしれない。

 それを知る術もなく、それを教えてくれるほど親しくもない。

 だからではないが、今回の作戦は所謂(いわゆる)試金石だ。彼がどれ程の腕なのかを確かめ、その後こちらの動きを知って何を言うか。

 狐が言うような男なら、対して気には止めない筈。騎士としての彼が残っているのなら、こちらに刃を向ける事もある筈だ。

 外交官は様々な結果を思慮しつつ、女性教諭に目を向けた。

 

「少なくとも、今回の一件を託せる程度には信じていますとも。彼の冒険者としての(・・・・・・・)名声は聞いていますから」

 

「……本当の意味でアサシンの称号を背負えるかどうかは、今回の結果次第か」

 

 女性教諭が神妙な面持ちで言うと、外交官は小さく頷いた。

 騎士だから信じないという訳ではない。信じるのに、多少なりとも時間がかかるだけの話。

 だが、何故かはわからないが、彼なら大丈夫だと断言出来る。

 かつて狐が語ったように、あの青年の背中にはどこか既視感のようなものを感じるのだ。

 顔立ちはまったく似ていないし、色恋沙汰に対して真剣に悩むほどにお堅い。似ている要素などあまりない筈なのに。

 

「……今はどうでも良いことですね」

 

 そう呟いて無理やり思考を切り上げると、狐と灰被りの女王が部屋に戻ってくる。

 

「上の連中に声をかけてきたぞ。引っ越しの準備を頼むってな」

 

「準備を終え次第出るぞ。さて、何を持ち出すべきか……」

 

 灰被りの女王は言いながら部屋を漁り始め、その背中を眺める狐は小さくため息を漏らす。

 

「この部屋に、そこまで重要なものがあるようには見えないがな」

 

 誰に言うわけもなく呟くと、それを聞き取った女性教諭が苦笑した。

 

「物の価値とは、持ち主にしかわからないものだろう?」

 

 

 

 

 

「てめぇ、モノの価値がわからねぇ奴だなぁ……」

 

「こんながらくたに金払えだぁ?いつにお前の目ん玉腐っちまったのか!?」

 

 双子の月に照らされる都の片隅。中央にはまだ活気の火が灯っているというのに、その周辺だけは切り取られたかのように、真っ暗な闇に包まれていた。

 無計画に建てられた建物群に月の光は遮られ、その一つ一つには生活の火が灯っていないのだ。

 まともな者ならまず近づこうとすらしない貧民窟に、二人の男の声が響き渡る。

 纏っている衣服はどちらも襤褸布同然だが、怒鳴り声をあげた男の方がまだ服と言える代物だ。

 道の片隅に腰掛ける男が、自分を物理的に見下ろしてくる男に向けて、何やら物品を差し出す。

 闇に紛れているとはいえ、僅かな光を見事に跳ね返すそれが短剣であることはわかる。

 問題は、錆が目立つという事だ。貧民窟には守るべき法はない。彼らの王が敷いた最低限の規則はあるが、あくまで謀反を防ぐために敷いたようなもの。

 つまる所、自分の身は自分で守らなければならない。

 しかし、腰に剣をぶら下げようものなら、それを狙って襲われるに決まっている。

 だからこそ、ここに住む者たちは懐に忍ばせられる短剣を好む。業物とまでは言わないが、軍からのおこぼれ品なんかがあれば上等だ。

 最近仲間がたむろしていた場所が襲われたと聞くし、自衛のためなら多少の出費は構わない。

 だが、そうだとしても、だ。

 

「錆びた短剣じゃ、どうにもならんなぁ……」

 

 買い手の男がほとほと困り果てた様子で言うと、売り手の男が錆びた短剣を差し出しながら言う。

 

「錆びてるだけだぁ。削れぇ、削れぇ」

 

「そんな技量(スキル)がありゃ、町外れの工房にでも売り込むよ」

 

「頼むよぉ、金が必要なんだぁ」

 

 なかなか買ってくれない相手に苛立ちを覚えつつ、売り手の男は弱ったような風に言う。

 

「俺はあれ(・・)がなきゃ、生きていけねぇんだよぉ」

 

「お前、廃人にでもなりてぇのか?」

 

「壊れていようがいまいが、ただ息してるだけな事に変わりはねぇだろぉ」

 

 言いながら足にしがみついてくる売り手の男を鬱陶しく思いつつ、買い手の男は腕を組んで思慮を深めた。

 この男とは、彼らの王がそう名乗り始める以前からの付き合いだ。

 何年か前から出回り始めたあれ(・・)は、確かに良いものではある。一時の快楽と、その後の喪失感の差が激しい事を除けば、だが。

 

 ―まあ、使ったことはねぇんだが……。

 

 男は腕を組んで唸りながら迷い、再び友人へと目を向けた。

 出会った頃に比べ、だいぶ虚ろになった瞳。おそらく、手遅れになるほどに依存しているのだろう。

 

 ──下手に断って後ろから刺されんのは嫌だしな……。

 

 買い手の男はため息を吐くと、懐からいくらか錆びの目立つ硬貨を取り出した。

 

「無いよりはましか。一本くれ」

 

「ありがてぇ、ありがてぇ……」

 

 買い手の男の差し出した硬貨を受け取った売り手の男は、丁寧に一枚ずつ枚数を数えると、口元を歪なまでに歪ませた。

 

「出所は聞かないでくれよぉ、面倒だからなぁ」

 

「わかってる、わかってる。じゃあな」

 

 錆びた短剣を買った男は適当に別れを告げると、足早にその場を後にした。

 自衛のためもあるが、王直々の命令で、王の住まいたる本拠の守りを固めるように言われたのだ。

 そのための武器を求めていたのだが、その結果が錆びた短剣とは……。

 

「まあ、無いよりはましか……」

 

 男は自分にそう言い聞かせ、路地裏の闇へと消えていった。

 男が消えた事を合図にして、()は物影から姿を現す。

 黒いローブの上から漆黒の鎧を身に纏い、背にはライフルと弓と矢筒。腰には鷲の意匠の施された剣と数打ちの短剣を提げ、ピストル二挺がホルスターに納められている。

 見方によっては、目についた装備を片っ端から担いだ、格好つけたいだけのような印象を持たれそうなものだが、彼は違う。

 身につけた装備一つ一つが体に馴染み、何より使い込まれている。

 この重装備が彼──アサシンの正装、彼の象徴だ。

 彼は夜の静けさに紛れながら音もなく歩を進め、錆びた硬貨に夢中になっている男の前を通りすぎる。

 

「んぅ……?」

 

 視界の端に映った影に気を向け、硬貨から意識を外す男。

 通りを見渡すように首を左右に振って見渡すが、自分以外に外に出ている者はいない。

 

「気のせいかぁ」

 

 だらしなく間延びした声を漏らし、懐に硬貨を仕舞うととぼとぼと歩き出した。

 酒に酔っている訳でもないのに足取りはおぼつかず、目の焦点がどこかずれている。

 アサシンは立ち並ぶ家屋の屋根の上からその姿を認めると、顎に手をやり僅かに思慮する。

 

 ──あの動きからして、まずまともではない。

 

 どこを目指すのかは気になる所ではあるが、あの様子では検討違いの場所にたどり着くのが落ちだろう。

 

 ──ならば、予定通りに幹部候補の下を目指す。

 

 最短距離でその答えにたどり着いた彼は、双子の月の光を浴びながら屋根の上を駆け始めた。

 煙突と思われるものを避け、時々ある段差は一息で乗り越え、穴や隙間は飛び越える。

 着地の瞬間には重装備にも関わらず音が出ることはなく、僅かに屋根板が軋む程度。

 一つ一つの動作には一切の無駄がない、アサシンからしてみれば模範解答のような移動法(フリーラン)

 誰にも気付かれることなく貧民窟を駆け抜けるアサシンは、視界の先に崩れかけの塔を発見した。

 火事か、あるいは略奪にでもあったのか、かつては立派な尖塔であったのだろうが、今は見る影もない。

 尖塔の象徴たる屋根は一部を残して崩れ、壁のほとんどは柱を残して倒壊している。残されている壁も、軽く押せば崩れてしまいそうな程だ。

 遠目からでもそう判断出来る塔だが、その頂上こそ、貧民窟を一望できる場所(ビューポイント)に違いない。

 その証拠に、塔の上空には、鷲が円を描きながら飛んでいる。

 アサシンは口元に僅かな笑みを浮かべると、フリーランの勢いのままに塔に飛び付いた。

 比較的しっかりしている柱をよじ登り、崩れかけの壁は、レンガが抜けて穴が開いている事を良いことに、手をかけ、足をかけ、崩さぬように慎重に、かつ素早くよじ登る。

 途中で塔の内側に潜り込むと、タカの眼と鷲との視覚共有を並行使用し、辺りに見張りがいないかを確かめる。

 今までの高さならどうにかなったが、これ以上の高さから落ちれば間違いなく即死する。弓兵に撃たれて墜落など、それこそ先生に笑われてしまう。

 アサシンは周囲に敵を示す赤い影がないことを数回に渡って確かめると、再び塔の外壁を登り始めた。

 柱に刻まれた傷に指をひっかけ、足は無理やり踏ん張りを効かせて更に上へ。

 数分かけて崩れかけた尖塔の頂きにたどり着いたアサシンは、ホッと息を吐き、思わず胸を撫で下ろした。

 敵陣ど真ん中の高所(ビューポイント)に登ったのは、かなり久しぶりだ。もしかすれば、故郷での戦いを含めて一度もなかった可能性もある。

 アサシンは僅かに過去を思い返すが、すぐさま思慮を切り上げた。過去の事を思い出すのは後だ。今は任務を優先しなければならない。

 彼は自分にそう言い聞かせると目を閉じ、ゆっくりと開けた。

 視覚が一瞬揺らぐと共にタカの眼が発動し、周囲にいる敵や重要物が浮かび上がる。

 敵の配置、何かはわからない重要物の位置、何よりも周囲の地形を頭に叩き込むと、タカの眼を解除する。

 とにかく、今は幹部候補だ。その屋敷なのか、あるいは小屋なのかを探索しなければならない。

 アサシンは目を凝らし、視線の先にある明かりのついた家屋に目を向けた。

 周りの家屋に比べて小綺麗で、何より屋根の上には弓を手に持つみすぼらしい男たちがいる。

 加えてその周囲には、その他武装したみすぼらしい男たちがたむろしている。

 

「あそこか……」

 

 第一目的地を断定したアサシンは、誰に言う訳でもなくそう漏らすと、塔の足元へと目を向けた。

 ベッド代わりに使うためなのか、暖をとるために集められたのか、大量の干し草が山になっている。

 ならばいつものようにと構えた時だ。

 聞き馴染みのない鳴き声と共に、不意に耳たぶを甘噛みされた。

 思わず体を強張らせるアサシンだが、フードの中に手を突っ込んで犯人を鷲掴む。

 

「──!──!」

 

 形容しがたい鳴き声をあげる獣は、短い手足を振り回し、アサシンの手から逃れようと必死になって暴れていた。

 連絡手段としてなのか、なつかれたのかはわからないが、勝手についてきた獣。

 そういえば、神殿の様子を探った後の飛び降り(イーグルダイブ)に巻き込まれたこいつは、目を回して気絶していたなと思い出す。

 だが、しかしだ。自分に付き合う限りは、毎度のように巻き込まれることだろう。

 つまり、獣にかけるべき言葉は一つ。

 

「──慣れろ」

 

「──!?!??」

 

 アサシンの冷淡な一言に、獣は思わず体を強張らせた。

 本能では逃げなければとわかっているのに、肝心の体が動いてくれないのだ。

 アサシンは好都合と割り切ると獣をフードの中に仕舞いこみ、双子の月を眺めて再び集中力を高める。

 

「──!──!」

 

 耳元で聞こえる批判的な鳴き声を無視したアサシンは、いつものように両手を広げて身を投げた(イーグルダイブ)

 同時に耳元で聞こえていた鳴き声が止まり、代わりに強烈な重力に引かれる感覚が全身を支配する。

 万人が恐怖を抱くそれも、アサシンからしてみれば日常の一部。むしろ安心すら覚える程だ。

 万人が知るよしもない、干し草による抱擁の優しさを知っているからだ。

 アサシンの着地と共に、バサッ!と装備重量にしては軽い音が、干し草の山から漏れた。

 優しい抱擁を堪能したい所だが、今は任務があると自分に言い聞かせ、数秒もしないうちに飛び出す。

 ローブについた干し草を払い落とし、何食わぬ顔でその場を後にする。

 闇の中へと消えていった彼を見送り、誰にも知られることなく指命を終えた干し草の山は、いつもと変わらぬ様子で、優しげな月明かりに照らされていた。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory06 貧民窟

 ──風景に溶け込め。

 

 アサシンたちの信条たる三つのうち、第二の掟として継承されている言葉だ。

 抜き身の刃ほど目立ち、周囲を恐れさせる物はない。だからこそ、彼らは鞘の中の刃たれと教えられたのだ。

 とても嫌そうではあったが父から教えられた信条を自らの胸の内で反芻し、貧民窟の闇に潜むアサシンは、タカの眼を発動しつつ目を細めた。

 殺気を漏らさないのは勿論の事だが、壁の向こうに見える赤い影の数に思わずため息を漏らす。

 灰被りの女王曰く、取引が早まった可能性があるとの事だが、それはおそらく正しい。ただの幹部候補の拠点へと道だと言うのに、警備の数が周辺の比ではないのだ。

 通りにいるだけでも十数人、屋根の上にも弓兵が何人かいる。

 弓兵の方は息を潜めているつもりなのだろうが、タカの眼を用いれば丸見えだ。

 一旦タカの眼を解除すると腕を組んで僅かに思慮し、手持ちの道具を確かめる。

 弓、銃弾、煙幕、ダーツ、一通りの道具は揃っている。否、ここに来るまでに揃えたに訂正。

 同時に時間がない事も視野に入れ直し、気合いを入れた。

 気付かれた所でなんだ。どうせ殺す(・・・・・)

 アサシンは背を預けていた壁の方に向き直ると、いつものようによじ登り始める。

 簡素な素人仕事で建てられた建物は、下手に力を入れれば容易く崩れる事だろう。

 弓兵たちが陣取っているのも、比較的丈夫なものを選んでいるに違いない。

 壁を登り終えても体を持ち上げす、顔だけを覗かせて周囲に眼をやる。

 空には雲一つなく、月明かりの他に光源もない。

 だが、その月明かりこそが厄介だ。真夜中の月明かりの明るさは、昼間の太陽のそれと同じだ。

 録な遮蔽物のない屋根の上を走るのは、狙ってくれと言っているのと同義。

 アサシンは面倒臭そうにため息を漏らすと、壁から降りて路地の奥へと足を進める。

 無計画な増築で、通りは蟻の巣を思わせる程に入り組んでいるが、既に地図を頭に叩き込んで(シンクロして)ある。なんの問題もない。

 まるで毎日のように通る道を進むように淀みなく、右に左へ、警備の目を掻い潜るように潜入していく。

 警備を配置したところで、入り組む通り全てを見張れるかと問われれば、その答えは否だ。

 アサシンはその警備の穴を、まるで糸のように通り抜けていく。

 数多くいる警備の中に、彼の姿を見た者は誰一人としていない。

 夜目の利く種族がいれば違ったろうが、その手の種族は引く手あまただ。

 鉱人であれば、生まれ持った技量により仕事はすぐに見つかるであろうし、森人であれば、生まれ持った美貌によりすぐに見つかる。

 蜥蜴人なら傭兵としても活躍出来るだろうし、圃人の作る住まいは住み心地が良いと聞く。

 闇人は……探せばすぐにでも職につけるだろう。

 ただですらそれなのに、この国には『冒険者』という、生まれも育ちも関係ない職業がある。

 それにすらなれず──或いは心折れた故に──物乞いとなるのは、只人が大半であろう。

 自分にとっては至極どうでもいい──圃人の作る住まいは気になるが──事を首を振ると共に振り払い、さらに闇の奥へ。

 このまま目的地まで接近出来ればと思慮するが、その期待はすぐに裏切られた。

 裏路地を迷いなく進んでいくアサシンは、進行方向な脇道から差し込む光に目を細めた。

 壁の影の中に身を潜め、彼の体からは、僅かに漏れる呼吸音以外の音が消える。

 同時に鷲と視界を共有し、通りの先を確認する。

 視線が貧民窟の闇の中から、月光に照らされる貧民窟を俯瞰するものへと変わり、次いでタカの眼を発動する。

 通りの先は広場であるようで、演説用なのか娯楽用なのか、一角には材木を適当に組み合わせたような舞台が設置されている。

 広場に集まる無害な物乞いから色が失せ、彼らの視線を集める舞台やその脇には、赤い影が複数屹立していた。

 そして、赤い影に守られるように舞台の脇に控えているのは金色の影だ。おそらく、目的の幹部候補。

 アサシンはタカの眼を解除しつつ鷲との視覚共有を止めると、影から身を乗り出した。

 そのまま音もなく裏路地から出ると、広間に集まる人混みに紛れ込む。

 一瞬視線を感じたが、すぐに切れる。

 フリーランと並ぶアサシンの基本技能として、群衆に紛れ込むというものがある。

 そこにいるのに、相手にはいないと思わせる。アサシンの信条が形となった技の一つだ。

 群衆に紛れ込みながら移動し、舞台の上を確かに見える位置につく。

 幹部候補の護衛と思われる物乞いたちの服は、辺りに住む物乞いよりも整っている。何よりも腰に下げている剣は、鞘にこそ納められているものの、おそらく軍からの横流し品。

 護衛の装備を確認しつつ待っていると、件の幹部候補と思われる老爺が舞台の上に立った。

 戦闘で失ったのか、或いはけじめ(・・・)として切り落とされたのか、右腕前腕がない。

 ぎょろりと剥かれた眼球の片方は、ガラス玉のように雲っており、おそらく失明しているのだろう。

 だが、アサシンはその理由を深くは考えない。考えるよりも先に、爆発しそうな殺意を抑えなければならないのだ。

 彼女が刺される瞬間を、直接見たわけではない。彼女が誰に刺されたのかは、あの場に居合わせた友人たちから聞いただけだ。

 だから、まだ人違いの可能性もある。世界は広いとはきえ、偶然の一致というのはよく起こることだ。「似ているから」なんて理由で、関係のない人物を殺すのは教義に反する。

 気付かれぬように深呼吸を繰り返し、必死になって殺意を抑える。今気付かれれば、大変な事に──、

 

 ──なるのか?

 

 アサシンは気分を紛らわすように首を傾げ、僅かに気分を緩ませる。張り詰めたままだと、数分持たずに爆発すると察したからだ。

 実際気付かれた場合、大変な事になるのだろうか。

 周りの関係のない人々が巻き込まれる可能性は捨てられないが、敵を排除する分には問題はないだろう。

 屋上の弓兵が気がかりだが、そこは路地裏に飛び込めば巻くことが出来る筈。

 直接的な戦闘に関しては心配していない。武装した物乞いに負けていては、アサシンとは名乗れない。

 気分転換が効いたのか、爆発しかけた殺意はだいぶ落ち着きを取り戻した。

 なら、大丈夫だ。と自分に言い聞かせ、舞台上に立つ隻腕の老爺に視線を向ける。

 

「こ、これより王からのお言葉を伝える!民たちよ、こ、心して聞けぃ!」

 

 慣れぬ事をさせられているからか、或いは何か──まあ、間違いなく自分だが──を警戒しているのか、(せわ)しなく視線を泳がせている。

 尤も、その程度で見つかるほどアサシンの隠密能力は低くはない。無駄な努力だ。

 老爺は視線を泳がしつつ、集まった物乞いたちに言う。

 

「じ、次回より、集める税を増やす……との事だ。王の要求する税を納められなければ、わた、私のように腕を落とすぞ!よ、よいか!?」

 

 老爺が言い切るや否や、周囲の物乞いたちから怒号がとんだ。

「ふざけるな!」と言った普通の内容から、瞳に少々危険な輝きを宿した呪詛まで、内容としては様々だ。

 物乞いたちとて一枚岩ではなく、王の下にいる事を不服に思う者もいるのだ。

 アサシンは混ざって適当に罵声を浴びせながら、僅かに思慮をする。

 

 ──うまく支援してやれば、彼らが暴動を起こしてくれるのではないか。

 

 思慮を深める彼を他所に、物乞いの何名かが懐から短剣を取り出し、群衆を掻き分けながら舞台に向けて駆け出した。

 それを察知した護衛たちは老爺を連れて舞台を降り、数名が殿としてその場に残った。

 武装した物乞い同士がぶつかり合った瞬間、非戦闘員たる物乞いたちは蜘蛛の子を散らすように広場から逃げていく。

 その瞬間、アサシンは選択を迫られた。

 まず第一の選択肢は、彼らを無視して逃げた老爺を追いかける。

 今から追いかければ拠点に入る前に追い付ける可能性もあり、今現在の目的は彼だ。おそらくだが、これが最善の選択肢。

 第二に、護衛の殿と戦闘する物乞いに加勢する。

 負傷する危険性もあるし、何より老爺に追い付くことが出来なくなるだろう。拠点に潜り込み、尋問するのは少々骨が折れる。

 だが、しかし──。

 

 ──目の前で抗う人々を捨て置いて、彼女に顔向け出来るのか?

 

 その疑問が湧いた瞬間、彼の体は動き出す。

 流れるように淀みなく、背に回していた弓を手に取り、矢をつがえて狙いをすませる。

 弦を引き絞り、眼と矢、敵を一直線上に並べ、放つ。

 放たれた矢は空気を切り裂き、物乞いを引き倒して頭をかち割らんと剣を振り上げた護衛の喉元を貫いた。

 がぽがぽと血に溺れながら崩れ落ちると、物乞いが困惑しながらアサシンに目を向けた。

 彼はその視線を無視し、再び矢をつがえて屋根の上の弓兵を狙いをつける。

 物乞いを狙っていた弓兵は彼の狙いに気付くが、もう遅い。

 気付く一瞬前に放たれた矢が不運(ファンブル)にも眼窩に滑り込み、脳を掻き乱す。

 白眼を向いて屋根から落ちた弓兵を捨て置き、次なる矢をつがえようと矢筒に手を伸ばすが、視界の端の出来事に気付いて引っ込めた。

 殿として残った最後の護衛が、物乞いたちの手により討たれたのだ。まともな訓練を受けていない男が、自分とほぼ同格の相手を複数人同時に相手など、出来るわけがないのだ。

 アサシンは小さく息を吐きながら弓を背に回すと、物乞いのリーダー格と思われる男が警戒しながらも歩み寄ってくる。

 

「あんた、何者だ。この辺りの奴じゃあないが……」

 

 髭と汚れが目立って顔立ちはよく分からないが、声からして若いのは確かだ。自分と同じ、少し上か?

 アサシンは僅かに思慮しつつ、男に言う。

 

「ここの王に用がある。どこにいるか知っているか」

 

 腰に下げた黒鷲の剣の柄を撫でながら言うと、男は品定めするように目を細めた。

 

 ──今の弓の腕からして、素人という事はない。

 

 剣を下げていたり、腰には短筒を二本も下げていたりと、間違いなく物乞いではない。

 目深く被る頭巾のせいで顔立ちはわからないが、口元の古傷と纏う雰囲気からして、堅気ではないだろう。

 

 ──なら、何者だ?

 

 男性は眉を寄せて思慮するが、その答えにたどり着けない。

 冒険者が貧民窟に来るなんて事はないだろうし、見たところ番兵という訳でもない。

 ならば、一体何なんだと、どうやっても答えにたどり着くことはない。だからと言って聞いてみた所で、目の前の男が素直に教えてくれるとも限らない。

 黙りこんだ男の姿にため息を漏らすと、アサシンは彼に背を向けた。

 背中から来たところで、どうとでもなるからだ。

 

「お、おい、あんた!」

 

「俺は王に会いに行く。その為には、さっき逃げた奴を追う必要がある」

 

 ──来るなら、追いかけてこい。

 

 アサシンは付け加えるように小さく漏らすと、路地裏の闇へと消えていった。

 リーダー格の男はその背に手を伸ばすが、虚空を掴むに終わる。

 男は自分の手を見つめながらため息を漏らすと、護衛から武器を剥ぎ取り、武装を整えた部下たちに視線を戻す。

 王が来てから、ここは良くなったと言う者は多い。

 だが、そうは思わない者も多いのだ。

 王が来てから税と称した金品の徴収が行われ、それを払えなければ、腕か足を落とされ、目を焼かれる。

 体のどこかが欠損していれば同情を買い、硬貨を落としてもらい易くなるからだ。

 だが、そのせいで死んだ者や、心を壊してどこかに行った者がいるのだ。

 それだけではない。王が来てからしばらくして、何やら薬が出回り始めた。

 人から判断能力を奪い、狂わせ、唸るだけの廃人へと変える劇薬。

 その税の徴収と薬のせいで、友を失った者も多い。

 彼らはそんな者たちの集まりだった。やり場のない怒りを王にぶつけようとしているだけの、名前だけの反乱軍。

 誰も動かないのなら自分たちがと集まり、先日どこかの密偵が拠点を襲撃したとの噂を聞き、やるなら今だと行動を起こした訳だが……。

 

「……あながち間違いでもなかったみたいだな」

 

 男は腕を組みながら言うと、部下たちに目を向けた。

 皆が皆、自分を頼りにしているかのように目を輝かせている。

 彼は困ったように笑うと、すぐに表情を引き締めて部下たちに告げた。

 

「あの頭巾野郎を追うぞ!」

 

 彼の号令に部下たちが応じ、アサシンを追いかけて闇の中へと消えていく。

 この戦いに何の得があるのかはわからない。だが、彼らは死んでいった友のため、今を生きる友たちの『自由』のために剣を取った。

 自由の為に剣を取った者たちをアサシンが裏切る事はない。

 狙う敵が共通だというのなら、確実にだ。

 

 

 

 

 

「速く中に入って!ここは誰も通しません!」

 

「あ、あた、当たり前だ!何のためのごごご、護衛だと思っている!?」

 

 護衛に急かされるまま、老爺は自身の拠点である家屋に転がり込む。

 共に入った護衛数名が入り口に閂を入れ、外からは開かないように固定する。

 老爺は荒れた息を落ち着かせようと、肩を揺らしながら精一杯に目を見開き、必死の形相となる。

 

「な、なん、何なのだ、あの連中は!?」

 

 ぎょろりと剥かれた視線を護衛へと向けるが、彼らからの返答は表情を青くさせて沈黙するのみ。

 随分と頼りない護衛に苛立ちつつ、老爺は自身の部屋へと足を進める。

 幹部の拠点となる家屋には、一部屋だけ重厚な扉が設置されている。

 そこは所謂(いわゆる)避難所であり、重要なもの──貴族を揺するネタとも言う──ものも集められ、その鍵を持つのはそこを使う幹部のみだ。

 老爺はその部屋に入り込み、内側から鍵をかける。

 入り口はその一つだけ。鍵なければ外から開くことは出来ず、その鍵は自分の手の中だ。これで、入り込む事はまず不可能になる。

 安心した老爺は避難所の壁に体を預けると、頭を抱えてへたり込んだ。

 

 ──どうしてこうなった……?

 

 彼の脳内にあるのはそれだけだった。

 かの誘拐作戦で、邪魔をする冒険者──しかも銀等級だ!──の一人を仕留めた。その実績を王直々に誉められ、念願の幹部となれたのに……。

 

 ──どうして、どうして……!

 

 老爺は一人、闇の中で唸り声をあげる。

 全てに怯える悲痛な叫びは、重工な扉に阻まれて誰にも届くことはない。

 だがしかし、声は届くことはなくとも、その姿は見られていた。

 彼が王に認められる一因となった出来事により、冒険者からアサシンへとなった一人の男。

 彼のタカの眼をもってすれば、誰が、どこに隠れていようと、必ず見つける。

 それを知らぬ老爺は気付いていない。彼は今、自分から袋小路に飛び込んだという事実を。

 死神の鎌は、既に振り上げられているという事を。

 

 

 

 

 

 老爺が逃げ込んだ屋敷を見下ろせる位置に、半ばから崩れた塔が鎮座していた。

 災害か、或いは人の手によるものか、かつては見事な尖塔であったそれは、二階から上が完全になくなっている。

 その崩れた尖塔から屋敷の周囲の様子を探るのは、タカの眼を使用し、老爺や護衛の痕跡を追てきたアサシンだ。

 フードの下で目を細め、改めて警備を確認する。

 正面玄関には二名。屋敷の中には三名。屋根の上には弓兵が二名。

 先程の騒ぎがあったからか、全員警戒を強めている。下手に近付けば問答無用で攻撃してくるだろう。

 数瞬悩んだ彼は背に回した弓を手に取り、矢をつがえた。

 狙いは屋上の弓兵。彼らを潰せれば、少なくとも上から見られる事はなくなる。

 息を吸いながら弦を限界まで引き絞ると、左瞳から怪しい金色の輝きが漏れ、同色の何かが矢へと込められていく。

 それが限界まで溜まった瞬間、矢が放たれた。

 狙う筈の弓兵からは大きく右に逸れるが、アサシンは慌てる事なく次の矢をつがえると渾身の力をもって弦を引き絞り、一息の間を開けて放つ。

 後に放った矢は色のない流星となり、弓兵の一人の頭を撃ち抜く。

 頭に矢を生やしながら、体を弓なりにしならせて崩れ落ちた弓兵に、もう一人の弓兵が気をとられた瞬間、彼の後頭部に矢が生えた。

 後頭部を撃ち抜かれた弓兵は、何が起きたのかを理解する間のなく、膝から崩れ落ちる。

 状況を理解しているのは、矢を放ったアサシンだけだ。

 彼の友人たる妖精弓手は風を予測し、イチイの枝という非常に軽い矢をそれに乗せることで曲げて見せた。

 だが、アサシンのそれは根本からして違う。

 いつかに見た夢の中で、とある戦士が見せてくれた技──或いは武器──の一つ。

 誰が呼び始めたのかは定かではないが、その技を扱える事から『捕食者の弓』と呼ばれていた。だが今回に限って言えば、『捕食者の一矢』と呼んだ方が適切だろう。

 己の意のままに弓の軌道を変え、相手の急所に無理やり命中させる。

 逃れられる術は射程外に逃れるか、何かを盾にして隠れるか、それを潜り抜けて放った本人を殺すかしかない。

 今回はその三つのいずれも許されず、無防備なまま頭を撃ち抜かれた。言わずもがな、即死である。

 屋上の弓兵二人を仕留めたアサシンは、弓を背に戻すと塔の外壁伝いに降り始める。

 その勢いはもはや落下と大差ないが、時折壁に残された突起や、朽ちかけた柱に張り付くようにして、その速度と軌道を制御する。

 彼の他に出来る者はいないであろう、下方向へのフリーラン。洗練された動きに無駄はなく、気付いた頃には石畳の上だ。

 霞を払うようにローブの裾を払い、再び闇の中へと足を進める。

 問題となりそうな弓兵は仕留めた。後は最短距離(正面突破)で切り込むのみ。

 道端に放置されている、家屋に使われる筈だった材木の上を乗り越え、時折すれ違う貧民窟の住民たちを掻き分け、ひたすら前へ。

 そうして進むこと一分程、入り口を守る護衛二人の姿を視認した。

 彼らの表情は随分と固いものだが、どうせ攻撃は来ないだろうという根拠のない油断があるのは確かだ。

 故にアサシンは物陰に潜むのを止め、腰の投げナイフベルトに両の手をやりながら、正面から護衛の二人に近付いていく。

 護衛の二人も彼に気付き、「おい、止まれ!」や「こっちには何もないぞ!」と叫ぶが、アサシンはそれを無視して手を振り上げた。

 そこには投げナイフが一本ずつ握られて、月明かりを受けて不気味に輝いている。

 護衛の二人はそれを察知したが、もう遅い。腕が振り下ろされると共に投げナイフが放たれ、寸分狂わず二人の喉元に突き刺さった。

 がぼがぼと自分の血に溺れながら両膝をついた二人に近付き、突き刺さった投げナイフに手をやると、一息で振り抜く。

 喉元を掻き切られた二人の首からは、噴水のように血が吹き出すが、アサシンは構うことなく二人の脇をすり抜ける。

 投げナイフの血を懐から取り出した襤褸布で丁寧に拭い、再びナイフベルトに納めた。

 彼が内側から閂のされた扉にたどり着くと共に二人は崩れ落ち、何度か痙攣を繰り返した後に、完全に動かなくなった。

 背後から聞こえた倒れる音を気にも止めず、アサシンは黒鷲の剣を抜き放ち、タカの眼を発動して閂の位置を確かめる。

 扉そのものは雑多の木材、閂はそれよりもいくらか硬い木材だろう。

 扉を透けて金色に輝くそれを避けるように、アサシンは扉の端に黒鷲の剣を突き立てた。

 狙うは閂よりも下。閂が硬いのであれば、扉を斬ってしまえば良い。

 軽く柄頭を突いて貫通させ、木目に逆らうように真一文字に動かしていく。

 人体に比べるなら数倍の硬さを誇る木材だが、黒いまことの銀(ミスリル)製の剣にかかれば何の問題もない。

 苦戦するまでもなく扉を切り裂いたアサシンは黒鷲の剣を腰帯に戻し、軽く扉を蹴った。

 真一文字に刻まれた傷を添うように扉の下半分のみが倒れ、体を丸めれば大人でも潜り込める程度の穴が開いた。

 閂を傷つけることなく、しかし派手な音をたてることなく、アサシンは幹部の屋敷へと足を踏み入れる。

 襲撃を警戒してか明かりは灯っておらず、中の様子はいまいちわかりずらいが、遠くからぎしぎしと木の軋む音が聞こえる。

 屋内にも見張りがいるが、光源は少ない窓から差し込んでくる月明かりのみ。録な光源もなしの闇の中では、只人の三人程度、大した脅威にはならないだろう。

 相手がアサシンとなれば、尚更だ。

 アサシンはタカの眼を発動し、身を屈め(スニークし)ながら屋敷の中へと進んでいく。

 二階がないのは有り難く、何よりそこまで広くはない。目的の人物がどこにいるのかもわかっている。

 音を出さないように細心の注意を払い、タカの眼で見えるにしても罠を警戒しつつ、ゆっくりと奥へと進む。

 途中、突き当たりで護衛の兵士と鉢合わせになりかけたが、タカの眼で察知していたお陰で、何の問題もなく物陰からの奇襲(カバーアサシン)を仕掛ける事が出来た。

 壁の影から勢い良く飛び出し、相手が狼狽えた隙にアサシンブレードを相手の心臓目掛けて刃を突き出す。

 卓越した技量で骨の隙間を突いた一撃は、狙いとおり相手の心臓を貫いた。

 突き刺した勢いのままに兵士を壁の影へと引きずり込み、絶命を確認をすると共にアサシンブレードを引き抜き、腰に下げていたりランタンの蝋燭の火を吹き消す。

 屋内の警備は残り二名。その二人は確実に対処しておかなければならない。

 その二人は一ヶ所に集まっている。おそらくだが、幹部が立て籠った部屋の警備をしているのだろう。

 

 ──好都合だ。

 

 アサシンはフードの下で笑みを浮かべ、そこを目指して一直線に歩いていく。

 壁に飾られた絵画──おそらく盗品だろう──や、通路の脇に放置された割れた瓶──おそらく酒が入っていたのだろう──などを横目に、更に奥へ。

 窓から入り込む月明かりに自身の影が映らないように気をかけつつ、目的の二人が確認出来る壁の影に体を同化させる。

 すぐに仕掛けようと投げナイフを構えるが、何やら会話している事に気付くと、投げナイフをベルトに仕舞いつつ耳を澄ませる。

 

「──この部屋、入り口ってここだけだよな?」

 

「もっと言うと鍵も一つだけだ。それも、今は部屋の中だがな」

 

「ここを守るのは良いが、他に入れそうな場所なんかあったか?」

 

「壁が薄いとか言われているが、そこらの剣で切れるほど柔じゃない」

 

「壁を抜くって、そこまでして部屋に入り込むヤツなんているか?」

 

「いないだろうなぁ」

 

「だよな?」

 

 二人は苦笑混じりに会話を終えると、再び通路へと視線を戻した。

 どうせ誰も来やしない。来たところで、さっきの暴動を起こした連中が突っ込んでくるだけだろう。

 警備の二人は、そのどちらもがそう思っていた。王に楯突く人物なぞ、それこそ灰被りの女王ぐらいだ。

 尤も、王は彼女を必ず口説き落とすと息巻いていたが。

 

「♪~」

 

「ん?」

 

 弛んでいた意識が、突如として鳴った口笛によって引き戻される。

 隣の同僚にも目を向けて彼も驚いている様子を確認し、幻聴でない事を悟る。

 二人は目配せすると、一人が短剣を片手に先行し、もう一人がその後ろに続く。

 腰に下げたランタンのみが頼みの綱というのは心許ないが、ないよりはましだ。松明なぞ使おうものなら、この屋敷が燃え落ちてしまう。

 ぎしぎしと床板を軋ませながら、ゆっくりと距離を詰める。

 額に脂汗を垂らしながら、後方の同僚との距離を離さないように慎重に、確実に、一歩を踏み出す。

 たかが数メートルなのに、遥か彼方を目指している錯覚を覚えるが、音の漏れていた曲がり角にはすぐにたどり着いた。

 息を整え、同僚と目配せして曲がり角を曲がろうとした瞬間、闇が襲いかかった。

 凄まじい力で引き倒され、抵抗する間もなく喉を掻き切られる。

 霞む視界、沈んでいく意識の中で見たのは、喉に投げナイフが刺さり、崩れ落ちる同僚の姿。

 

 ──ああ、おまえもか……。

 

 自分も死ぬと言うのに、どこか他人事のように思った事が、男が死ぬ間際に思った最後の事だった。

 

「外と含めて五人。後は──」

 

 そんな事知るよりもないアサシンは、今しがた殺害した二人をそのままに、幹部が隠れる部屋の扉へと歩み寄った。

 他の扉と違い重厚なそれは、先程のように開けることは不可能だろう。

 

「──この中の奴をどうするか……」

 

 顎に手をやって呟くと、見張りの二人が交わしていた会話の内容を思い出す。

 

 ──壁を抜くってそこまでして……。

 

 見張りがそんな事を言っていた事をすぐさま思い出すと、アサシンは来た道を戻り、通路の途中にある部屋へと入る。

 タカの眼で幹部の位置を確かめつつ、壁を撫でて小さく頷くと、矢筒からグレネード付きの矢を取り出す。

 丁寧に矢からグレネード部分を取り外し、中に詰められた火の秘薬を部屋の隅へと撒く。

 グレネード数個分の火の秘薬を撒き終えると、扉を開けたまま部屋の外へ出る。

 

 ──準備は終えた、後はやるだけだ。

 

 アサシンは自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、雑嚢から火打石を取り出し、次いで取り出した松明に火をつけた。

 彼の周囲が優しげな橙色の明かりに照らされるが、彼はそれを躊躇う事なく放り投げ、すばやく扉を閉めて身を隠す。

 放たれた松明は床に撒かれた火の秘薬の上へと落ち、そして──。

 

 

 

 地を揺らす轟音が、屋敷とその周囲に響き渡った。

 

 

 

 衝撃により適当に取り付けられていた扉が吹き飛び、中に押し込まれていた業火が通路へと吐き出される。

 その原因を作ったアサシンにさえも、近くに稲妻が落ちたという錯覚を覚えるほどの衝撃が体の芯を殴り付けたが、物影に隠れていた彼が大きな痛痒(ダメージ)を負う事はない。

 隠れていた物影から顔を覗かせ、所々に火のついた通路の様子に肩を竦める。

 

 ──やりすぎたか……?

 

 鼻につく焦げ臭さに眉を寄せ、口元を布で覆い隠して物影から出る。

 先程の疑問はどこへ行ったのか、ずかずかと無造作な足取りで松明を投げ込んだ部屋へと入った。

 一言で言ってしまえば、室内は酷い状況だった。

 爆心地たる壁際は床と天井含めて全てが吹き飛び、室内にあったものは全て隅へと変わっている。

 もし室内に人がいたならと思うとゾッとするが、いないことはわかっている。用があるのは隣の部屋だ。

 アサシンは壁に開いた穴を通り、目的の部屋へと足を踏み入れた。

 そちらの部屋も酷いもので、倒れた棚の中身が床へとぶちまけられ、いくつかの書類には火がつき、棚へと燃え移り、天井、壁へと更に広がっている。

 この屋敷が燃え落ちるのも、時間の問題だろう。

 アサシンは倒れた棚を避け、部屋の隅に横たわる幹部である老爺を発見した。

 倒れた棚に下半身を潰されてはいるがまだ息はあるようで、ぎょろりと剥かれた瞳でアサシンを睨んでいる。

 アサシンは目を細めて老爺の目の前で片膝をつくと、淡々とした口調で問う。

 

「お前の主はどこにいる」

 

「お、教えたら、助けてくれるか?」

 

「──考えてやる」

 

 怯えきった表情の老爺の問いかけに、アサシンは僅かに考える素振りを見せてから頷いた。

 彼という一途の希望に頼る他ない老爺は、ポツポツと語り始める。

 

「わた、私の王は、こ、ここの下にある、ちちち、地下水路を根城にして、している。い、いいい、入り口は、捨てられた墓地にあ、ある、井戸だ」

 

「……それだけか?」

 

 着々と火が燃え広がる中、アサシンは短く問いかけた。

 言葉はそれだけだが、その表情は「もっと言わなければ殺す」と告げている。

 彼の反応に顔を青ざめた老爺は、魚のように口をぱくぱくと開閉させるだけで、言葉を発する事はない。

 アサシンは情けない老爺の姿にため息を漏らし、「一つ聞かせろ」と右手人差し指を立てた。

 そして老爺の返事を待たずに質問をぶつけた。

 

「お前は最近幹部になったと聞いた。何故だ」

 

 絶対零度の殺気を放つ蒼い瞳に睨まれた老爺は、下半身に湿り気を感じながら、それから逃れる為に必死になって口を動かす。

 

「こ、ここの前のささ、作戦で、ぼ、冒険者の一人を仕留めた。そ、その実績がみと、認められたんだ……!へ、へへ、そ、それは綺麗なぎ、銀色の髪をしたお、女だった」

 

 老爺は死にたくない一心で言った事だろう。無様に鼻水を垂らし、唾を飛ばしながら、回り辛い舌を必死に回して説明した。

 だが、その言葉で、彼の運命は決定する事になる。

 アサシンは冷えきった視線で老爺を一瞥すると、何をするわけでもなく立ち上がった。

 そのまま踵を返して立ち去ろうとした彼の足を、老爺の手が掴む。

 掴まれた事で再び意識を老爺に向け、彼の必死な形相を視界に納める。

 

「お、教えたら、た、たた、助けてくれるのでは!?」

 

「俺は考えてやると言った。考えたぞ、ほんの一瞬だが」

 

 アサシンは足を振って老爺の手を振り払うと、「それに」と付け加え、強い憎しみを隠す様子もなく告げた。

 

「恋人を刺した話を自慢げにされた。これだけでも殺すに値すると思うが」

 

「……ッ!ま、待て、待ってくれ!あ、あれは──」

 

「じゃあな、爺さん。あんたの眠りに、安らぎあらんことを」

 

 彼の言葉を聞く事なく背を向けると、軽く手を挙げながら壁に開いた穴を通り、そのまま燃える屋敷から脱出する。

 

「い、嫌だ!死にたくない、死にたくない、死にたくない!」

 

 一人残された老爺は棚を退かそうと暴れるが、元より非力で、更に隻腕の彼では、重い木材の棚を持ち上げるのは不可能だ。

 炎の熱と、黒い煙に包まれた室内で生きていられる時間は、あと数分もないだろう。

 どうにか抜け出そうと体を捩り、掴めそうな物を探して手を振り回してみるが、そんな物がないのは見ればわかる。

 老爺の瞳から光が消えていく中で、複数の人影が燃える室内へと滑り込んできた。

 

「あの旦那、派手にやったみたいだな……」

 

 一人は軍帽を被った若い男だ。煙を嫌ってか口元を布で覆い、軽口を叩いているが、そこ手には油断なく連弩が握られている。

 彼に続いて入ってきたのは、小柄な少女だ。彼女も口元を布で覆っているが、目立つ長耳からして森人だろうか。

 彼女は先に入った男と二三やり取りすると、まだ燃える事なく残っていた書類をかき集め始める。

 老爺は少女が近付いてきた頃を見計らい、残った力を振り絞って「助けてくれ!」と声を張り上げる。

 少女はびくりと体を跳ねさせると老爺に目を向けた。

 彼女の視線と老爺のぎょろりとした視線が交錯したが、それも一瞬の事。少女はすぐさま意識を書類へと戻して収集を始める。

 老爺が再び声をあげようとしたが、その頭に連弩の口が向けられた。

 

「爺さん、俺たちは仕事中なんだ、静かにしててくれ」

 

 若い男の声でそう告げられ、老爺は素直に口を閉じた。

 指示を聞いてやれば、もしかしたら助けてくれるかもしれないと思ったのだろう。

 だが、その期待はすぐに裏切られる事となる。

 一通りの書類を集め終えたのか、少女がぱんぱんに膨らんだ鞄を肩に下げながら戻ってくる。

 

「これで良し。引き上げよ」

 

「了解っと。火事場泥棒なんて、楽な仕事だな」

 

 二人は頷きあうと、老爺には一瞥もくれずに屋敷を後にする。

 老爺が知るよしもない事だが、今の二人は灰被りの女王の下で働く密偵(ローグ)である。

 つまり、彼とは敵対関係にある組織の一員。老爺を人質にしても良かったかもしれないが、物乞いの王はもうすぐ死ぬのだから助けないのは当然のこと。

 加えて二人が頼まれたのは、アサシンが混乱をもたらしている隙に資料やその他の情報を確保すること。

 言ってしまえば火事場泥棒なのだが、まさか本当に火事場から盗む事になるとは思わなかっただろう。

 彼らの事を何一つ知る事もなく、理由もわからずに取り残された老爺は、ついに心折れたのか、壊れたように笑い始めた。

 老爺の不気味な笑い声も、炎と煙に巻かれて消えていった。

 

 

 

 

 

『──幹部から情報を手に入れた。予定通り、これから物乞いの王を目指す』

 

『──女王様、いくつか書類を回収しました。私たちは撤収して、後続に任せます』

 

 幾人かの仕掛人(ランナー)たちに護衛されながら貧民窟を進む灰被りの女王に、二つの報告がほぼ同時に届いた。

 額の宝玉を輝かせる獣を撫でつつ、隣を歩く狐に言う。

 

「お前が推してくるだけはある。仕事が速いな」

 

「それはお前の部下にも言える事だ。このまま何事もなければ良いが」

 

 狐は周囲を警戒しつつ、そう呟いた。

 仕事は始まったばかり。本番はここからだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory07 突入

コードヴェイン楽しぃ(灰の山を築きながら)……。





 路地裏に身を隠し、燃える屋敷を眺めながら、アサシンは小さく息を吐く。

 目的地はわかった。後はそこを目指して移動するだけだが、その前にやることがある。

 タカの眼を発動しつつ天高く舞う鷲と視界を共有し、先程出会った物乞いたちが追いかけているかを確かめるのだ。

 屋敷が燃えている事に気付いてか、複数の赤い影が近付いて来ているが、それとは別に少数の青い影が接近してきているのだ。

 

 ──これは鉢合わせになる……。

 

 いかんせん、この貧民窟は蟻の巣のように入り組んでいるし、数日の内に道が変わっているなんて事もよくある事だろう。

 ここに住む人たちですら、全体を把握しているかは疑問だ。否、把握など出来る訳がない。

 せっかく協力者が合流してくれそうなのに、始める前に無駄な犠牲を出されるのは癪だ。

 アサシンは再びため息を吐くと、音をたてずに走り出した。

 道を進む物乞いたちですら把握していない道を、アサシンだけは完全に把握している。

 闇が駆け抜け、道端に詰まれた角材を階段代わりに屋根へと駆け上がり、ひたすら走る。

 近場の弓兵は処理済み。何も恐れる事なく走る事が出来る。

 月明かりに照らされる屋上をひた走り、素人が組み上げたが故に出来る段差、隙間を一跳びで飛び越え着地で重心が落ちた事を幸いに、足に踏ん張りを利かせて更に加速。

 ただですら薄い天井の板を踏み抜かないのは、彼の培ってきた技量(スキル)によるものだ。他の誰かがやろうとすれば、いくつかの建物に吹き抜けが出来ていた事だろう。

 走りながらタカの眼を発動し、相手と味方の位置を確かめ、ついでに数も確かめる。

 味方は十人もいないが敵も少数だ、やれなくもない。

 両者が鉢合わせるになるまで、少なくともあと二分。それまでに片付ける。

 アサシンは胸中でそれを決めると両手のアサシンブレードを抜刀し、一思いに身を投げた。

 下を走っていた物乞いの王の兵士たちは、自分達に覆い被さった影に気付き、一斉に顔を上げた。

 落下の衝撃を和らげる為の緩衝材(クッション)代わりに一人を押し倒し、その両脇にいた兵士二人の首にアサシンブレードで掻き斬り、立ち上がり際に押し倒した兵士の顔面を踏み砕く。

 前代未聞の三人同時暗殺(トリプルアサシン)を決め、左右それぞれの手にナイフベルトから投げナイフを取り出し、一息に放る。

 放たれた投げナイフは空気を切り裂きながら二人の兵士の眼窩に滑り込み、僅かながらに脳を傷付け、昏倒させた。

 たったの数秒で五人を片付け、残るは視界の端に映る三人。

 アサシンは黒鷲の剣に右手を置きながら体の軸を合わせ、足に力を込め、瞬時に爆発させる。

 間合いを詰めながら抜刀し、居合い抜きの要領ですれ違い様に首を飛ばす。

 すぐさま足に踏ん張り利かせて止まると、上半身を捻りと共に剣を振り下ろす。

 兵士は咄嗟に錆びだらけの剣を盾代わりに差し出したが、黒きまことの銀(ミスリル)により鍛えられた黒鷲の剣はそんなもの無いもののように振り抜かれた。

 錆びだらけの剣は半ばから切られ、その持ち主たる男の体は袈裟懸けに斬られ、地面に叩きつけられるようにして崩れ落ちる。

 残された一人は、剣を振り抜き態勢を崩したアサシンに斬りかかるが、その喉に左手が差し出された。

 瞬間、喉に熱が集まり、口から血が溢れ出す。

 がぼがぼと血泡を噴きながら膝をつくと、その顔面に膝が突き刺さった。

 鼻をひしゃげさせながら両腕を放り出すように体が倒れ、苦悶の表情のまま息絶える。

 周囲の死体から流れ出た血が一ヶ所に集まり、大きめの血溜まりを作り出す。

 アサシンはそれを一瞥すると、それぞれの得物に血払いくれて、剣を腰帯に、アサシンブレードを鞘の中へと戻す。

 同時にどたどたと騒がしい足音が、闇の中からこちらに近付いてきた。

 彼は視線だけをそちらに向け、口元に笑みを浮かべた。

 老爺を追いかける前に出会った物乞いたちは、彼と、彼の足元に転がる死体を見て目を見開く。

 遠くに見える黒煙に、転がる死体。目の前の男は、心のどこかにあった「どうせ口だけ」という予想を裏切り、本当に王に喧嘩を売るつもりなのだと理解したのだ。

 物乞いのリーダー格の男が、アサシンに問いかける。

 

「お前、一体何者だ……?」

 

 男の尤もな問いかけに、アサシンは肩を竦める程度で答える事はしない。

 素性を教えられる程、彼らとの信頼関係を築いているわけではないからだ。

 それを理解したのか、あるいは一向に口を開かない彼の姿勢に諦めたのか、「まあいい」と首を横に振った。

 

「それで、何か分かったのか?」

 

「近場の墓地に、王の拠点への入り口があるそうだ。本当かは知らないが、行く価値はある」

 

「墓地?ああ、あそこか……」

 

 アサシンの言葉に男は合点がいったのか、腕を組ながら目を細める。

 彼の様子を探りつつ、アサシンは彼の部下──あるいは仲間──に視線を向けた。

 纏っているのは襤褸布同然の衣服のみで、鎧を纏っている者は誰一人としていない。

 持っている武器も、錆や破損の目立つ物ばかりで、人を殺せるのかは疑問だ。

 つまる所、戦力として数えていいのかすら疑問である。

 だが、彼らとて何かを思って武器を取ったのだ。彼らの覚悟を無為にしてしまうのも酷だ。

 

 ──まず武装せよとは、誰が言った言葉だったろうか。

 

 僅かな思慮はすぐさま捨て去り、協力者たちに告げる。

 

「時間を無駄には出来ん。作戦は移動しながら伝える」

 

 アサシンはそう言うと、彼らの返事を待たずに歩き出す。

 リーダー格の男は「おい!」と彼に呼び掛け、更に「場所はわかるのか!?」と続ける。

 その問いかけにアサシンは足を止めて振り返ると、フッと小さく笑みを浮かべた。

 

「この一帯の地形は把握済みだ。心配するな」

 

「置いていくぞ」と付け足すと、アサシンは歩きから小走りに切り替えて先を急ぐ。

 協力者たちは顔を見合せ困惑するが、リーダー格の男が彼の背を追いかけ始めると同時に走り出す。

 加減して走っていた彼に追い付くのは比較的簡単で、全員が追い付いた頃を見計らい、アサシンは言う。

 

「おそらく、墓場にも見張りがいるだろう。お前らには陽動を頼みたい」

 

「俺たちを囮にするって事か?」

 

 単刀直入の指示に、リーダー格の男は怒気を込めた声音で聞き返す。

 ほぼ初対面の男の為に命を捨てるなど、出来ることならしたくはない。

 彼の心情を知ってか知らずか、アサシンはただ小さく頷き、「ああ」と返事をするのみ。

 録な説明もないままに納得出来る訳がなく、協力者たちの表情には疑いの色が見え隠れし始めた。

 そこにはリーダー格の男も含まれており、額には僅かな青筋が浮かんでいる。

 

「それで、そんな指示に、俺たちが『はい、わかりました』とでも言うと思うのか?」

 

「思わん」

 

 リーダー格の男の問いかけに、アサシンはたった一言で返した。

 彼の友人たる男なら、まず間違いなくここで話は終わるのだろうが、そこはアサシン、更に付け加える。

 

「逃げたい時に逃げてくれて構わん。敵陣に飛び込んで包囲されるのも、取り残されて孤立するのも、俺一人で十分だ」

 

 小走りで駆けながら、アサシンは息切れ一つせずにそう言いきった。

 協力者たちは反論しようとするが、彼の発言には自分達に何かしらのデメリットを見出だせないのだ。

 自分達が逃げれば危険に晒されるのは彼だ。そして、その彼は「逃げていい」と断言した。

 言い淀む彼らに向け、アサシンはどこか突き放すように言いきる。

 

「死にたくないのなら来るな。勇敢と無謀は違うぞ」

 

 透き通るような金色の左瞳に射抜かれ、協力者たちは戦慄(わなな)いた。

 その瞳に込められているのは、確かな殺意だ。触れなければわからない程静かで、そして触れれば身を切ってしまう程冷たい、絶対零度の殺意。

 王を討ち取るという目的が一致したが為にこうして並走している訳だが、協力者たちの中には僅かな躊躇いが生まれ始める。

 自分達では到底たどり着けないような境地に至った男が、真剣な眼差しで「死ぬぞ」と忠告してきているのだ。

 だが、リーダー格の男は「それがどうした」と鼻を鳴らす。

 

「このまま王が上に立ったままじゃ、遅かれ早かれ皆死ぬ」

 

「そうだ!このまま死ぬんならせめて、あの野郎に一泡吹かせてやる!」

 

 リーダーの男に続いて部下の誰かが言うと、その同胞たちが「そうだ!」と口々に続く。

 アサシンは彼らの示した覚悟に、どこか嬉しそうに笑みを浮かべた。

 ここで話し合われていたら、問答無用で振り切って勝手にするつもりだったが──。

 

「作戦を伝える。一度しか言わない、良いか」

 

 

 

 

 

 貧民窟の端に鎮座する墓地。

 都には正式な墓地があり、遺体はそこに納められる事が常だ。

 だが、この墓地は貧民窟に住む者たちにとっては何よりも大切な場所だ。

 弔ってくれる家族もおらず、祈りを捧げてくれる神官すらいない彼らにとって、ここのみが魂の安らぎが約束される聖域と言って良い。

 祈る神官もいないのに黄泉帰り(ゾンビ)が出現しないため、誰が呼び始めたのかは定かではないが、『奇跡の墓地』と呼ばれている。

 その墓地の入り口は一つしかなく、そこを警備する王直属の兵士の装備は、そこらの物乞いたちとは一線をかくす。

 汚れの目立つ槍や鎧は、その全てが軍からの横流し品。扱う者の練度もそれなりに高く、喧嘩を売ろうとする者は皆無だ。

 故に、警備の兵士たちの間に流れる空気はどこか弛緩していた。

 墓地の入り口たる門を守る二人の兵士は何やら談笑し、時折隠す気もなく欠伸を漏らす。

 それに対して相方は何か言うわけもなく話を続け、再び笑いを誘うと繰り返す。

 いつも通りの相方、いつも通りの仕事、いつも通りの夜。

 何やら貧民窟の一角が騒がしいそうだが、ここを襲うもの好きはいないだろうと割りきっていた。

 素人目からしてみても油断している二人に向けて、建物の影から現れた何者かが近づいていく。

 目深く被ったフードで顔は見えない。纏うローブも鎧も、腰に下げる剣でさえも漆黒一色であり、目の前にいる筈なのに、気を抜いたら見失ってしまいしそうな不気味な感覚。

 本能的に何かを感じ取った二人は表情を引き締め、帯を通して肩に担いだ槍に手をやり、顔を見合せて頷き一つ。

 

「おい、あんた!墓参りなら明日にしろ!」

 

 まず声をかける。反応なし。

 

「耳が聞こえないのか?──止まれ!」

 

 槍を両手で構え、穂先を問題の何者かに向ける。反応なし。

 兵士の二人は再び目を合わせると、槍を持つ手に力を込めた。

 

「てめぇ、いい加減に──っ!?」

 

 兵士の片割れが声を張り上げた時、彼の視界が黒に塗りつぶされた。

 突然暗転した視界に狼狽え、無意識の内に体を強張らせた瞬間、喉に金属特有の冷たさを感じ、それが喉元を駆け抜けたかと思うと、凄まじい熱さを感じ取る。

 視界を暗転させたまま、兵士は意識を暗闇へと落としていった。

 それは彼だけに訪れたものではない。彼の相棒たるもう一人の兵士でさえも、彼と同じ目に遭い、同じようにその生涯を終えた。

 崩れ落ちる二人の兵士と、その兵士を仕留めた二人の協力者に視線を配り、アサシンは小さく頷くと、小さく右手を挙げて合図を送る。

 物影に身を潜めていた協力者たちは一斉に飛び出すと、墓地の入り口の脇に集まっていった。

 アサシンの立てた作戦はこうだ。

 まず自分が囮となり、入り口を警備する兵士を協力者二名に仕留めさせる。

 確実性を取ってアサシンがやっても良かったが、表面上でも『信頼している』と示すには、丁度良い機会だからと協力者に一任した。

 次に、装備を整えた協力者たちが一斉に墓地に流れ込み、暴れまわる事で相手に混乱を与える。

 地下の警備を上へと吐き出される事が目的だが、それを悟られてはならないのが難しい所だ。まあ、相手もあの老爺を幹部にする程度には馬鹿だろうから、大丈夫だろう。

 そして、混乱に乗じて拠点への潜入し、王の下へと向かい、暗殺する。

 これが成功しなければアサシンとなった自分の覚悟が、剣を取った協力者たちの覚悟が、自分を信じてくれる狐たちの信頼が、その全てが無駄に終わる。

 何よりも、彼女へ危険が及ぶ可能性がある。

 

 ──それだけは駄目だ……。

 

 アサシンは小さく息を吐くと、見張りの兵士から奪い取った装備を分配するリーダー格の男に目を向けた。

 

「派手にやれ」

 

 たった一言の指示。

 それを受けた男は「任せろ」と、もはや邪悪に思える程に口の端をつり上げ、同胞たちに指示を出すと墓地へと流れ込んでいく。

 彼らの背を見送ったアサシンは、自分の拳を握り締めて深呼吸を一つ。

 同時に、風に乗った怒号と金属がぶつかり合う音が響き始める。

 舞台は整った。後はやるだけだ。

 

 

 

 

 

 静寂に包まれれていた墓地。

 何十年も前に設置されたであろう墓石はどれも砕け、刻まれた文字を読むことは叶わず、地面には手入れがされなかった唐鎌雑草が生い茂り、道であった場所すらも侵食し始めている。

 石を積み重ねて作られた塀にはびっしりと苔が生え、植えられた木々はどれも枯れ、葉を一つもつけていない。

 今にも亡霊(ゴースト)が湧いてきそうな場所だが、現在はその雰囲気を弾き飛ばす喧騒に包み込まれていた。

 どこからか現れた物乞いたちと、それに対応せんとする王の配下たちによる、大規模戦闘(マスコンバット)が行われているのだ。

 誰かの怒号や悲鳴、断末魔、金属がぶつかり合う音、肉が潰れる音、骨が砕ける音。

 死者の魂の平穏をもたらす筈の場所において、絶対に生まれてはいけない「命が消える音」が、休みなく漏れ続ける。

 そのほとんどは王の配下たちのものだが、誰かが倒れた矢先に墓地の各所にある井戸から、黄泉帰り(ゾンビ)の如く這い上がってくる。

 数や装備で劣る物乞いたちが不利に思えるが、彼らは相手に負けず劣らずの結束力と、死んでも勝つという覚悟によって無理矢理押し返す。

 こういった状況において勝敗を決めるのは、数ではなく覚悟の差だ。

 いくら数がいた所で、その全員が「死んでも勝つ」と思っていなければ、その場にいないのと同義であり、覚悟の差は気迫となって相手を押し潰す。

 怒号が響く墓地の影の中を、一つの人影が進んでいた。

 出来る限り身を屈め、呼吸と武具が揺れる音以外を出すことなく、着実に一歩ずつ、目的の井戸を目指す。

 誰にも気付かれる事なく、殺める事なく、アサシンは井戸を確認出来る位置にある墓石の影に滑り込む。

 同時に井戸から兵士が這い出てくると、手早く武器を構え始めた。

 

「くそ!何なんだよ、こいつら!?」

 

「いちいち喋るな!こっちだって愚痴りたいってのに……!」

 

「さっさと行くぞ!」

 

 井戸から這い出た兵士たちが駆けていった事を合図にして、アサシンは影から身を出した。

 身を屈めたままジリジリと井戸に歩み寄り、中を覗きこむ前にタカの眼を発動する。

 遠くに見える青い影と赤い影の戦闘を視界の端に納めつつ、井戸の下の様子を確かめ、小さく舌打ちを漏らす。

 壁や地面を無視して敵味方の位置を見ることの出来るのは良い事だが、それはつまり、行き先に何人の敵がいるかがわかるという事だ。

 つまり、井戸の下に陣取る兵士二名の姿が、はっきりと見えてしまったのだ。

 長時間の陽動が期待できない以上、今から他の井戸を目指している時間はない。行くなら今、ここからしかないのだ。

 そうと決まれば、後は速かった。

 タカの眼を解除すると共に井戸の(ふち)に手をかけ、乗り越えた勢いのままに落下。

 一秒にも満たない落下を終えた瞬間、彼の体は再び動き出す。

 彼の登場に狼狽えている見張りの兵士二人に飛びかかり、首を掴んで地面に叩きつけるように押し倒す。

 見張りの二人はどうにか拘束から逃れようと腰の短剣に手を伸ばすが、それを察知したアサシンは首を掴んだまま小指を動かし、アサシンブレードで喉元を貫き、掻き切る。

 がぼがぼと血に溺れる二人を他所に立ち上がったアサシンは、奥へと続く通路に目を向けた。

 井戸の下に広がるのは、一言で言えば下水道だ。

 後付けで取り付けられたのか、壁には太い釘が打たれ、そこには光を放つランタンが提げられている。

 切り出された石が積み重なって出来た壁や天井、床には、整備されていない証拠のように苔が生えている。

 それに加えて聞こえてくる水の流れる音と、つんと鼻につく異臭は、通路の先に下水の水路がある証拠だろう。

 アサシンは眉を寄せながら口元を(ガスマスク)で覆い、フッと短く息を吐くと走り出した。

 走りながらタカの眼を発動し、通路に残る兵士たちの痕跡を追いかけ、更に奥を目指す。

 水路の脇に用意されていた、人一人がぎりぎり通れる幅の、苔に覆われた通路を一切滑る事なく駆け抜ける。

 大量の水が流れる音で聴覚はほとんど使い物にならないが、元よりタカの眼を使用している間は耳が利かなくなるのだから、問題にはならない。

 

 ──逆に、タカの眼を使えるからこそ先手が取れるのだ。

 

 視界の先に映る三つの赤い影を確認し、アサシンは黒鷲の剣の柄に逆手で手をかけ、同時に加速する。

 瞬きする間もなく距離は詰まり、暗闇から飛び出した死神(アサシン)の姿に兵士たちは狼狽え、身を強張らせる。

 アサシンを前にして、その隙は命取りだ。

 

「──フッ!」

 

 逆手持ちに抜刀し、鎧諸とも体を逆袈裟に撫で斬る。

 体から血を噴き出して崩れ落ちる兵士を無視し、片手で黒鷲の剣を順手に持ち変え、二人目に目掛けて振り降ろす。

 盾代わりに差し出された剣諸とも脳天から頭蓋を割り即死させ、剣を頭蓋にめり込ませたまま、背を向けて逃げ出そうとした三人目に向けて飛びかかる。

 タックルは腰から下。

 誰に教えられた訳でもなく、いつの間にか意識するようになっていた事を無意識に実行し、兵士の膝に掴みかかった。

 膝を押さえてしまえば転ばせるのは簡単で、転ばせてしまえば後は彼の独壇場。

 うつ伏せに倒れた体を転がして仰向けにすると、その心臓に向けてアサシンブレードを突き立てる。

 じたばたと暴れまわる体を全身で押さえつけ、声を出されないように口を押さえることも忘れない。

 恐怖と痛みに見開かれた目を冷たく見下ろし、睨み合う事数秒。

 呼吸が止まり、ゆっくりと動きを止めた兵士から離れ、僅かに荒れた息を整える。

 ガスマスク越しとはいえ、下水道の鼻につく臭いも気にならない程度に、彼の鼻は壊れてしまっていた。

 だが、彼はその程度の事気にしない。どうせ時間が経てば元に戻るのだから、気にしたってしょうがないのだ。

 改めて深呼吸を一つして立ち上がり、頭蓋にめり込んだ黒鷲の剣を回収して血払いくれると、兵士の死体を水路に蹴り落とす。

 ばしゃん!と喧しい音が響くが、どうせ上の騒ぎだ。水音の一つや二つ、気にはならないだろう。

 三人の死体を水路に捨て終えると、アサシンは再び走り出した。

 陽動してくれているにしても、時間には限りがある。遅れれば遅れる程、上に出向いていた警備が戻り、自分が危険に晒される事になる。

 

 

 

 

 

「こんの野郎がッ!」

 

 アサシンが一人侵入した事を知るよしもない、彼の協力者たる物乞いたちは、はっきり言えば苦戦を強いられていた。

 突撃の勢いのままに切り込んだのは良いものの、それが長続きしたかと問われれば答えは否。当然の事ではあるが、人間とは疲れる生き物だ。

 息も絶え絶え、武器も防具も血で真っ赤に濡らしながら、リーダー格の男は仲間たちを鼓舞し続ける。

 

「俺たちはこの日のためにやって来たんだ、今さら引き下がれるかよ!」

 

『おうッ!』

 

 答える仲間たちも限界だろうに、気合いと共に声を張り上げた。

 まだ行ける。まだやれる。まだ、まだ、まだ……!

 

「死んで、たまるかよ……っ!」

 

 リーダー格の男はそう叫ぶと共に、斬りかかってきた兵士の攻撃を受け流し、剣の鍔で米神を殴り付けて昏倒させる。

 だが、一人倒した所でどうなるというのか。

 一人倒せばどこからかまた一人が現れ、それを倒したとしてもすぐに次が来る。

 いつ終わるともわからない戦いに、彼らの心は大きく疲弊し始めていた。

 下の様子はわからない。あの男が無事に進めているのかも、そもそも潜り込めたのかすらわからない。

 会って間もない男に自分たちの全てを託すなど、今頃になって馬鹿らしくなってくる。

 リーダー格の男は過去の自分を自嘲し、まだ笑う気力はあると、心に僅かな余裕を持つ。

 余裕が出来た所でどうにか出来る訳ではないのだが、あるとないとでは、動きに違いが生まれるだろう。

 そうして一人二人と兵士を切り伏せ、仲間たちに目を向ける。

 自分に余裕があっても、仲間たちになければ意味がない。自分はともかく、彼らに無駄死にはして欲しくはない。

 全員が同じように疲弊し、負傷も目立つ。人によっては、立っているのがやっとと言った雰囲気すらある程だ。

 

 ──これ以上は無理か……。

 

 リーダー格の男は口に出すことなく、静かにそう判断した。

 下にいるであろう彼には悪いが、逃げたければ逃げろと言ったのは彼だ。その言葉に甘えてしまっても良いだろう。

 彼はそこまで思慮し、息を吸い込んで声を張り上げようとした時だ。

 

「『抗う事とは神聖なる権利であり、不可欠なる義務である』だったか。まあ、そんな事はどうでも良い」

 

 聞いたこともない、どこか優しげな女性の声が戦場に響き渡った。

 物乞いたちも、兵士でさえもその声の主を探して周囲を見渡すが、次の瞬間には目を見開く事となる。

 戦闘音で気付くことが出来なかったが、墓地の各所に、怪しげな人影が見えるのだ。

 何かしらの方法で顔を隠しているのか表情を読み取れないが、月明かりに照らされる銀光から、全員武装していることはわかる。

 計画を強める兵士たちを他所に、先程の声の主と思われる女性が、両手に短剣を持ちながら影の中から現れた。

 月明かりに照らされる褐色の肌は闇人のそれであり、長い銀色の髪は輝いている錯覚すら覚え、その暗い瞳には強い覚悟が込められている。

 彼女は短剣を弄びながら、物乞いたちに告げた。

 

「──後は任せてくれ、王に楯突く同胞たちよ」

 

 彼女は口元に笑みを浮かべ、王の兵士たちを睨み付ける。

 

「ここから先は、我々ならず者の集まり(ローグギルド)が受け持とう」

 

 告げられた彼女の言葉を、影の中の者たちは無言でもって肯定し、武器を持つ手に力を入れ始めた。

 リーダー格の男は指示を出す闇人の女性──灰被りの女王に目を向けた。

 あそこまでの人望を手に入れるのには、一体どれほどまでの時間をかけたのか。

 勢いのままにリーダーとなった自分とは違う。周りから選ばれた、或いは成り上がった彼女の姿に、男は羨望にも似た感情を覚えると共に急に全身から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。

 意識が途絶える直前、聞いたこともない男の声で「よくやったな」と励まされた気がして、彼は小さく笑みを浮かべて見せた。

 

 

 

 

 

 下水道を進んでいたアサシンは、突如として現れた広い空間を見下ろせる位置で足を止めた。

 ある程度の水を溜められるようにするためか、あるいは建築中の資材を置くのに使われたのか、鉄格子越しには円柱状の広い空間が広がっていた。

 壁を伝うように下へと伸びる階段が降りるための手段だが、下には装備の良い複数の兵士がたむろし、神経を研ぎ澄ましている。

 上にいた連中や、今まで出会ってきた連中とは訳が違う迫力からして、王の近衛兵と言った所だろうか。

 そして、近衛兵がいるということは、彼らが守っている人物もいると言うことだ。

 タカの眼を発動しつつ視線を流し、十秒足らずで金色に輝く目的の人物を見つけた。

 同時にタカの眼を解除し、目を凝らして相手の様子を探る。

 玉座と思われる妙に派手な椅子に腰掛けた、貴族服に身を包んだ男だ。

 纏うものが纏えば威厳を放つそれも、下から押し上げる腹の贅肉のせいで迫力にかけ、何よりも纏う人物からして迫力がない。

 脂肪により潰された細い目、たらこのように膨み、油でも塗ったようにてかる唇。

 脂肪により首と顎の境がどこかわからなくなっており、明らかに重量過多となっている玉座の足は、今にも折れてしまいそうだ。

 アサシンは顎に手をやりながらため息を漏らし、困ったように目を細めた。

 灰被りの女王が酷評していたが、確かにあそこまで醜悪な人物には、彼の人生においても会ったことはない。

 あんな人物が彼女に求婚したとは、片腹痛いと言っても良いだろう。

 そして、彼が困った原因はそれではない。

 玉座から伸びる鎖の先には、見覚えのある金色の髪をした少女が、襤褸布同然の衣服を惑い、虚ろな目をしてへたり込んでいるのだ。

 鎖は彼女につけられた首輪へと伸びており、首輪にら何やら怪しげな文字が浮かび上がっている。

 何かの術が込められているのは確実。意識を朦朧とさせる何かでもあるのだろう。

 アサシンは再びため息を漏らし、音もなく立ち上がる。

 暗殺対象と救出対象は見つかった。

 

 ──後は実行あるのみだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory08 物乞いの王

 都の地下に広がる下水道。

 蟻の巣のように広がるそれのほぼ中央に位置する場所に、物乞いの王が座する王室があった。

 部屋の片隅に設けられた上座と呼べるそこには玉座があり、腰かけるのは贅肉にまみれた、醜い男の姿。

 下水の酷い臭いにより機能を失った鼻と、一年を通して闇の中にいる故か、異様に夜目の利く黒い瞳。

 そんな男の脳内は、上機嫌と不機嫌が入り交じった独特の様相となっていた。

 上機嫌な理由としては、()()()()()()()を拐うという、過去に例のない大きな仕事が終わるからだ。

 これが終われば貴族とのこねが生まれ、相手方の弱味を握る事も出来る。更に言えば、自分が貴族の仲間入りが果たせるかもしれない。

 そう思えば、物乞いの王の機嫌は最高潮と言って良いほどに良いものだった。

 だが、彼は同時に不機嫌にもなっていた。

 その理由はいくつかあるのだが、まず第一としては拐ってきた少女に手を出してはならないと指示された事だ。

 理由は明かせないが、彼女には処女でいてもらわなければならないらしく、手を出せば諸とも殺すとも言われている。

 第二に、拐うために多大な犠牲を払った事だ。

 家出少女を拐うだけだというのに、両手の指では足りないほどの犠牲を払うことになってしまった。

 配下たちへの信用は皆無といって良いほどだが、人手はとても大事な物資だ。補充するのも簡単な事ではない。

 全くカリスマ性も迫力もない死に損ないの老人を、末端とはいえ幹部にしなければならない程に、多くの犠牲を払うことになってしまった。

 第三に、愛おしい灰被りの女王からのちょっかいが、急激に増え始めた事だ。

 数日前なら、僅かな小競り合い程度が頻発する程度だったが、最近になって大規模な戦闘が頻発するようになってしまった。

 今現在でさえも攻撃を受けているのだ。彼女を口説き落として勢力を拡大しようもしていたが、この際力で捩じ伏せ、自分が主であると、あの美しさの極みたる体と、誇り高い心に刻みこむしかないだろう。

 彼女とて女だ。手段を選ばなければ、屈服させることなど容易い。

 物乞いの王は醜い顔を更に醜く歪ませながら忍び笑うと、ふと視界の先にいる何者かの影に気付く。

 闇に慣れた彼だからこそ気付けた、今にも消えてしまいそうな人影。

 彼の前でたむろしている配下たちも気付いた様子はない。だが、確実に何か、否、誰かがいるのだ。

 物乞いの王は目を細め、ちらりと玉座の脇にへたり込んでいる少女に目を向けた。

 タイミングがタイミングだ。まず間違いなく、彼女を取り戻しに来た刺客だろう。

 貴族から渡された、相手の意識を混濁させる魔術の込められた首輪を付けさせ、それに繋がれた鎖は玉座に結び付けられている。

 鎖を切るのならまだしも、首輪を外すには鍵が必要だ。その鍵は依頼人たる貴族たちが持っているのだから、救出はまず不可能だ。

 そもそもをして、自分を殺せる訳がない。そんな事をすれば貧民窟には混沌が残るだけだ。

 物乞いの王がそう思慮した瞬間、弦楽器を弾いた時に似た音が鳴ったかと思えば、突然腹に違和感が生じた。

 

「……?」

 

 そっと首を下に向けて見ると、何かが腹に突き刺さっていた。

 長い棒のようなものが肉を貫き、その先には羽のようなものが付けられている。

 王はそれをどこか他人事のように眺めると、その何かの正体にようやく気付く。

 

 ──矢だ。

 

 闇の中より放たれた一条の矢が、王の腹に突き立てられたのだ。

 

「──ッ!??!」

 

 その事実に気付いた瞬間、傷は熱を持ち、王に危険を教え始める。

 突然の事態に一人パニックになった王は、けたたましい音と共に玉座から転がり落ちる。

 上座と下座を分ける段差に頭を打ち付け、額から出血しつつも意識を失うことはないのは、彼の無駄に高いプライドによるものか。

 その音を合図にして、慌てた様子の配下の一人が駆け寄り、抱き起こそうと手を伸ばすが、王は頭の痛みを無視してその手を掴み、自身の方へと引き寄せた。

 いきなり手を引かれた配下の男は態勢を崩し、体を床に叩きつけられるが、抗議する間もなく放たれた矢が突き刺さる。

 撃たれた男とは別の配下の男は相手の位置をある程度察したのか、そちらに向けて松明を放る。

 床を転がるように飛んでいったそれは、何者かの足元で止まり、弱々しい炎がその姿を照らし出した。

 纏うローブは黒一色で、裾の端に描かれた模様は何やら術的な意味が込められたであろう事は、素人目ですら明らかだ。

 纏う鎧も、腰に下げる剣も、手に持った弓でさえも漆黒に染まり、色を持つのは頭巾の奥に隠された瞳のみ。その瞳でさえも、右は全てを見下ろす夜空のように蒼く、左は輝く星のように金色に染まっている。

 世界広しと言えど、そんな瞳を持つ者なぞ二人といないだろう。

 だが、それはどうでも良いことだ。

 敵であれば殺し、味方であるのなら協力してやる。目の前にいるあいつは──!

 

「敵襲だ!」

 

 男は叫びながら肩に下げていた弓を取りだし、矢をつがえて一息に放つ。

 放たれた矢は寸分の狂いなく侵入者──アサシンの眉間に向けて突き進むが、彼の差し出した籠手に弾かれダメージとはならない。

 アサシンは甲高い金属音と共に弾かれた矢を空中で掴み、手早く弓につがえて放つ。

 放たれた矢は本来の持ち主の心臓を撃ち抜き、絶命させた。

 倒れる男に一瞥くれて、弓を背に戻すと共に腰に下げた黒鷲の剣を引き抜き、合わせるように兵士たちも腰に下げる剣を抜き放つ。

 鞘と刃が擦れる音は威嚇以外の意味を持たず、この場において威嚇とは、何の意味もないこけ脅しに他ならない。

 故にアサシンは走り出す。正面突破(最短距離)で詰め寄ると決めた時、覚悟は決まった。

 走りながら兵士の一人が放った矢を腰を捻り、鎧に掠めるほどの距離で避せ、更に駆ける。

 兵士の放った槍の突きを半身になって避け、黒鷲の剣で首を切りつけることで怯ませ、その隙を突く形で左肩に目掛け、上段からの振り下ろしを見舞う。

 鎧を着ているからとどこか安堵している兵士だが、その予想は鎧諸とも叩き斬られることとなる。

 鎧だけではない。その下に隠された骨も内臓すらも切り裂き、文字通り命を断ち切った。

 男が両膝をついた事を視界の端に納めながら、剣を大上段に構えて駆け寄ってきた兵士に向けて左手を差し出し、小指を動かした。

 瞬間、手首に仕込まれたアサシンブレードが飛び出し、男の胸を貫き、その痛みで一瞬体を強張らせ、剣を取りこぼした。

 剣が石畳に落ちる甲高い金属音を合図にアサシンブレードを引き抜き、今度こそと心臓を貫かんと腕を閃かせる。

 がぼっと口から血を噴き出した男からアサシンブレードを抜きながら視線を流し、短剣片手に挑んでくる男を睨み付けた。

 瞬間的に対策を弾き出した彼の脳は、すぐさま指令を体へと伝達させた。

 もはや反射と呼んで良い動きで黒鷲の剣から手を離し、男が持っていた槍をぶん取り、両手で構える。

 短剣と槍。どちらの間合いが上かなど、もはや聞くまでもない事だ。

 凪ぎ払われた槍で男の腹を裂きながら、その勢いに任せて体を反転。同時に槍を逆手に持ち変え、腹から臓物を溢れさせる男の眼窩に穂先を滑り込ませ、捻る。

 脳をかき混ぜられて生きていられる者などいない。こうしてしまえば、それで終いだ。

 アサシンは短く息を吐くと共に槍を手放し、条件反射のように体を仰け反らせる。

 その瞬間、彼の鼻先を戦鎚(メイス)の柄頭が通りすぎ、風圧でフードが取り払われた。

 だが、そんな事はどうでも良い。と思考の端で切り捨て、仰け反った勢いに任せて後転。追撃の振り下ろしも避ける。

 広がった視界に納まるのは、重厚な鎧と兜を被り、戦鎚を構える大男。砕けた石畳。複数の死体と、死体に突き刺さったままの黒鷲の剣だ。

 残る武器での倒し方を思慮するが、その間も与えんと言わんばかりに大男が詰め寄り、戦鎚を振り回す。

 振り下ろし、振り上げ、凪ぎ払い。見た目通りの膂力に任せたごり押しも良いところだが、アサシンからしてみればこれ程の脅威はない。

 反撃(カウンター)に繋げるための受け流し(ガード)も出来ず、下手に攻めようとすれば力で押し切られる。

 彼の先生なら避けた所を致命攻撃(バックスタブ)で決めるだろうが、相手は貫き難い重厚な鎧を纏っているから、アサシンブレードで急所を突くのは無理がある。

 ならば、やることは一つだ。

 避けながら算段を纏めたアサシンは振り下ろしを横に転がり避けると、片膝をついたまま背に回していた弓に手をかけて素早く構えるが──。

 

「ぬぅん!!」

 

 大男の凪ぎ払いが弓を捉え、手元から弾き飛ばす。

 一瞬飛んでいった弓に視線を向けた大男は、武器を失った敵を殺すことなど容易いと兜の下で笑みを浮かべた。

 だが、アサシンに視線を戻した瞬間、目を見開いて驚愕を露にすることとなった。

 武器を失った筈の男の手には、見慣れぬ長筒(ライフル)が握られているのだ。

 形状は短筒をそのまま長くしたような代物で、火打石は上がり、右手の指は引き金に掛かっている。

 長すぎる故か左手で銃身を支え、無理やり狙いを安定させているのか、僅かに震えているが、至近距離では何の意味もない事。

 大男は雄叫びを上げながら戦鎚を振り上げるが、その最期の雄叫びは響き渡った銃声に掻き消され、誰にも届く事はない。

 大砲の非ではない爆音と共に放たれた銃弾により、男の兜は砕け散り、頭は柘榴(ざくろ)のように弾け飛んだ。

 大男が仰向けに倒れた重い音を聞き流しつつ、アサシンは立ち上がった。

 弓を弾かれた時は焦ったが、意外とどうにかなるものだと思わず苦笑。

 ライフルのボルトを開くと、火の秘薬(かやく)鉄球(だんがん)を押し込み、ガシャリと音をたてながら閉じる。

 ライフルを背に戻し、弾かれた弓を回収。歪みがないかを一目で確かめると背に回し、兵士に突き刺さった矢と、相手の矢筒に入ったままの矢を纏めて剥ぎ取り、自身の矢筒へと押し込む。

 最後に黒鷲の剣を死体から引き抜き、一度空を切って血払いくれると、無意識に音をたてずに腰帯に戻す。

 同時に左手首のアサシンブレードを抜刀し、捕食者(タカ)を思わせる眼光を放ちつつ玉座へと足を進める。

 

「む……」

 

 だが、肝心の暗殺目標(ターゲット)である物乞いの王と、保護対象である少女がいないことに気付く。

 残されたのは床に残る血のこびりついた矢と、闇の奥へと点々と続いている血痕のみ。

 只人の冒険者なら見失うこと間違いなしだが、アサシンからしてみれば、万が一にもあり得ない事態だ。

 彼は問答無用でタカの眼を発動し、金色に輝く血痕と、鎖を引かれて連れ去られる少女の幻影を視覚し、取り払ったフードをそのままにその後を追いかける。

 相手の恐怖を煽るようにわざとコツコツと足音をたて、物乞いの王が通った道を一切逸れる事なく、確実に、ゆっくりと距離を詰めていく。

 数分程追いかけた頃だろうか、不意にアサシンは足を止め、闇を奥を睨み付けた。

 

「はぁ……はぁ……。ここまでだなぁ、無礼者が」

 

 聞き取るのも躊躇う程、醜い声が闇の奥からこぼれ落ちる。

 その声と共に現れたのは、額に脂汗を滲ませつつ、少女を盾にするように身構えた物乞いの王だ。

 磨きあげられた短剣の刃を少女の顎先に突き立て、染み一つない白い肌に血が滲む事も厭わずにいる姿を見たアサシンは、どこか既視感を覚えて眉を寄せた。

 

「この娘を助けに来たんだろう?良いか、動くな!」

 

 汚ならしく唾を撒き散らしながら、醜い顔を更に醜く歪め、物乞いの王はアサシンへと告げた。

 同時に、アサシンは先程の既視感の正体に気付く。

 いつかの小鬼(ゴブリン)退治の依頼の時だ。生き残った田舎者(ホブゴブリン)が、捕虜の女性を盾にしてきた事がある。

 

 ──ああ。なるほど、そういう事か。

 

 目の前の男は、ゴブリンと大差のない屑野郎だと言うことだ。ただ、それだけの事なのだ。

 アサシンは目を細め、腰帯に吊るした黒鷲の剣に手をかけるが──、

 

「おっと、武器を捨てろ。その墨を塗ったように黒い剣と弓、背中と腰の筒もだ」

 

 少女に突き立てた短剣に力を込めながら、物乞いの王は彼へと告げた。

 人質がいるのはあちら。武器も戦闘力もこちらが上だが、そのたった一つの事実のみでひっくり返してくる。

 面倒だなと思いつつ、人命第一と言い聞かせ、黒鷲の剣を腰帯ごと落とし、弓とライフルは留め具ごと、ピストルはホルスターごと床へと落とす。

 がちゃがちゃとけたたましい音が下水道に響き渡るが、そんな事に構うことなく、アサシンは少女へと目を向けた。

 虚ろな目は虚空のみを見つめ、短剣を突き付けられているというのみ抵抗する様子もない。

 彼女に付けられた首輪が抵抗する心を封じているのか、自我を閉じ込めているのか、あるいは自分で閉じ籠っているのか、どれなのかはアサシンには検討もつかない。

 故に彼は小さくため息を漏らし、左手の籠手へと手を伸ばすと、そこに取り付けられた部品を捻る。

 勝利を確信した故か、恍惚の表情を浮かべた物乞いの王は、醜く笑みながらアサシンへと告げた。

 

「頭を垂れ、許しを請え!私に服従するのだ!」

 

 下水道に響き渡る物乞いの王の叫びを、アサシンは一切聞く様子もなく口を動かした。

 

「────―」

 

「なんだ!許しを請うと言うのなら、頭を垂れよと言っておるのだ!」

 

 反響する物乞いの王の声に掻き消された彼の声は、肝心の男に聞こえる事はなかった。

 アサシンはわざとらしくため息を吐くと、反響が治まるまで待ち、再び口を動かす。

 

「悪しき欲望から、価値ある物が生まれる事はない」

 

「貴様、この状況でも私を虚仮(こけ)に──!」

 

 物乞いの王の怒号を切り裂くように、アサシンは左手をまっすぐ前へと伸ばし、右手を肘に当てて支える。

 同時に紡がれるは、はるか過去(ルネサンス期)より続く祈りの言葉。

 

「──眠れ、安らかに」

 

 瞬間、鋭い銃声が下水道を駆け抜けた。

 アサシンの籠手に仕込まれた極小の短筒(ピストル)が、火を噴いたのだ。

 遥か過去(アルタイル)より送られた、遥か未来の武器。

 物乞いの王がそんな事を知るよしもなく、放たれた銃弾に眉間を撃ち抜かれた。

 断末魔もなければ、懺悔の言葉もない。立ち尽くす少女をそのままに、その下らない野望と、他者から搾取し続けた命が終わった。

 魂の抜けた肉体は背中から倒れ、少女に突き付けられていた短剣が手から溢れ落ちる。

 倒れた拍子に頭蓋が割れたのか、体からは絶えず血が流れ、石畳の隙間を縫って広がっていく。

 強烈な反動を左手一本で受け流したアサシンは、下らないものを見るように物乞いの王の遺体に一瞥くれると、その場でへたり込んだ少女へと歩み寄る。

 

「お前を連れ出せば任務完了、か……」

 

 血に汚れる事も厭わず、彼女の正面に片膝をつき、虚ろな瞳を覗きこむ。

 真横で人が死に、その血が体を汚していると言うのに、何の反応も示さない。

 顎に手をやり僅かに思慮したアサシンは、タカの眼を通して首輪に目を向ける。

 金色に輝く少女の首に巻き付く、緑色の影。何かしらの術がかけられたであろうのは明らかだ。

 

 ──なら、どうする。

 

 鍵を見つけるか、術士を倒すか、あるいは──。

 

「面倒だな」

 

 片腕持っていかれても構わない。少女が死ぬのは困るが、彼女の死は取引失敗を意味する。そんな危険を冒すとは思えない。

 故にアサシンは、躊躇うことなく首輪に触れた。

 瞬間、小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)の時と同じような光が、彼と少女の姿を包む込んだ。

 

 

 

 

 

 見たこともない、どこかの廊下。

 上品な敷物が敷き詰められ、壁には何やら(いくさ)を描いたと思われる絵画。

 等間隔に続く円柱が支える天井には、見るも豪華なシャンデリア。

 いつもと違う様子の幻に困惑するアサシンだが、廊下の先の扉が開いた事を合図に、そちらに向けて歩き出す。

 幻だからか足音が鳴ることはなく、行く手からは何やら楽しげな女の子の声が聞こえてくる。

 その声に誘われるように扉を潜ると、そこにいたのは、こ洒落たドレスに身を包んだ、見覚えのある少女の姿。

 いや、見覚えのあると言うのは語弊がある。見覚えのある少女が、僅かばかり幼くなった姿と言うべきか。

 それはともかくとして、女の子は窓の外を眺めながら楽しげに鼻唄を歌っていた。

 だが、その表情はどこか悲しげで、どこか羨望にも似た色が混ざっているように見える。

 アサシンが僅かに息を吐くと視界が白一色染まり、元に戻る頃には少女は僅かばかり成長していた。

 だが、それ以外何も変わらない。まるで()()()()()()()にでも入れられているかのように、自由がない。

 何度場面が変わろうと、彼女が成長していくだけ。何もない、平和ではあるが、何もない毎日。

 それが数度続いた頃に、変化が起きた。

 彼女は相変わらず窓の外を眺めていたが、何かに気付いて窓を開け放ち、それを中へと招き入れた。

「キィ!」と鳴き少女を驚かせるそれは、アサシンとしては見慣れたもの。彼の相棒たる鷲だ。

 机に舞い降りた鷲に向け、少女は語り始める。

 最初は細やかな愚痴だったが、堰が切れたように願いを口にした。

 

『──私、家出(ぼうけん)するわ!』

 

 だが、たどり着いたのは彼女の覚悟を嘲るような、辺り一面黒一色の空間。

 居るだけで体が重くなる重圧を感じるその場所に、一人の少女が自分の体を抱きながら、声を殺して啜り泣いていた。

 手入れの行き届いた金色の髪はぼさぼさに乱れ、穢れを知らなかった瞳は濁り、大粒の涙を流していた。

 纏っていたドレスはどこにやったのか、襤褸布同然の服で体を隠している。

 アサシンは周囲を警戒しながらも、何もないかと肩を竦めて歩き出す。

 足元からぴちゃりぴちゃりと水場を歩くような音が鳴るのは、彼女が絶えず泣き続けたが故だろう。

 彼が歩く度に波紋が走り、黒一色だった世界を僅かに揺らす。

 揺れる世界をよそに、アサシンは少女の目の前で止まり、わざとらしく音をたてながら片膝をついた。

 そうしてようやく彼に気付いたのか、少女が泣き腫らした顔を上げた。

 怯えの色が濃く出ている瞳は、本来助けに来た筈であるアサシンにさえ向けられている。

 少女の視線とアサシンの視線がぶつかり合い、二人の間に沈黙が訪れた。

 一分か二分か、あるいは三十秒程度かもしれない。

 長くもなく、短くもない沈黙を破ったのは、珍しい事にアサシン方からだった。

 

「──それで、何か言うことがあるのなら聞くが」

 

「………」

 

 アサシンの言葉に、少女は視線を逸らすのみで言葉を発する事はない。

 彼女の反応に困ったように肩を竦めると、彼はどこか子供に言いつけるような口調で続けた。

 

「口に出さなければ何も伝わらんぞ」

 

「…………私は」

 

 彼の言葉が響いたのか、あるいは根負けしたのか、ようやく少女が口を開いた。

 その声は酷く弱々しいもので、心体共に疲弊している事がわかる。

 

「私は、ただ、外の世界を見てみたかった……」

 

「それは誰でも思うことだ」

 

「いっつもいっつも部屋に居て、全然外に出られないなんて……」

 

「辛いだろうな」

 

 彼女の言葉を否定することなく、肯定することで彼女の口を動かしていく。

 まず相手の言葉に耳を傾けろとは、誰から教わった事だったろうか。

 自問するアサシンを他所に、少女は言葉を震わせながら、彼の胸ぐらに掴みかかった。

 

「当たり前じゃない……!私だって、お兄様みたいに冒険してみたかった……っ!」

 

 徐々に感情的になっていく少女の手を振り払う事なく、アサシンの反応は頷くのみ。

 聞いてやる事こそが、自分の役割と判断したのだろう。でなければ、間違いなくぶん殴ってでも振り払っている。

 彼の対応をどう思ったのかは定かではないが、少女はアサシンの胸ぐらを掴んでいた手を力なく手を離す。

 

「でも、私、色んな人に迷惑かけて、私のせいであんなに人が死んで、私、どうすれば良いのよ……?」

 

 顔を俯け、落涙しながら言う少女。

 そんな少女を見下ろすアサシンは「やることは一つだろう」と、何て事のないように言う。

「え?」と顔を上げた少女の視界に飛び込んできたのは、左手首の仕込み刀(アサシンブレード)を抜刀したアサシンの姿。

 いきなりの事に困惑して固まる少女に向け、アサシンは告げる。

 

「人間は、生きている限り間違うものだ。俺自身、何度間違えたのかすらわからん」

 

 視線を下げながら呟かれた彼の言葉は、深い後悔の色が込められている。

 

「もしもあの時こうすれば、こうしておけば。あの時──一緒に居てやれば。いくら後悔した所で、過去には戻れない」

 

 だからと続けて、彼は精一杯に笑って見せた。

 昔の自分ならきっと出来なかったであろう、柔らかな笑み。笑い方を教えてくれた彼女はいまだに眠っているけれど──。

 

「何もかも受け入れて、次の一歩を踏み出すしかない」

 

 眠る彼女の為に、自分は一歩を踏み出した(アサシンとなった)

 眠る彼女に誇れるように、あの物乞いたちを助けた。

 眠る彼女の下に帰るために、今日一日戦ってきた。

 いいや、彼女だけではない。母が死んだあの日から、彼は一歩を踏み出し、進み続けたのだ。

 だからこそ、彼は問いかける。

 

「お前はどうする。そのまま過去から逃げ続けるのか、あるいは受け入れるのか」

 

 捕食者(タカ)の眼光でもって威圧しながら、アサシンは問うた。

 少女がどう答えようと、それは彼女が選んだ事だ。

 そして、迷うと言うのなら、その背を押してやるまでのこと。

 少女は頬を伝う涙をそのままに、不思議と聞き入っていた少女は、ある意味で彼の予想通りに狼狽えながら問い返す。

 

「う、受け入れるって、どうやって……?」

 

「それは、まあ、色々と手はあるが──」

 

 アサシンはそう言うと、抜刀したままのアサシンブレードに目を向けた。

 

「──一回、死んでみるか」

 

「……はぁ!??!」

 

 突然の物言いに驚愕の声を漏らすが、アサシンは気にせず続ける。

 

夢の中(ここ)で死んだ所で、実際に死ぬわけでもないだろう。良い機会だ」

 

「いや、だからって……。って、夢の中?え?」

 

 先程の言葉が発破になったのか、だいぶ調子を戻し始めた彼女を他所に、アサシンは真剣な面持ちで告げる。

 

「過去を背負うというのなら、覚悟を示して見せろ。高所から突き落とされるの(強制イーグルダイブ)と、どちらがいい」

 

「どっちも嫌という選択肢は……?」

 

「今までと変わらず、現実から目を逸らしたいのならそうしろ。止めはしない」

 

 ──どんな時であろうと、進む道を決めるのはお前だ。

 

 アサシンはそう付け加えると、アサシンブレードの刃を少女に向けた。

 

「決めるのはお前だ。どうする」

 

 彼の短い問いかけに、少女はアサシンブレードを睨むように見つめながら、ゴクリと喉を鳴らした。

 今まで人の生死とは縁遠い場所にいた少女が、いきなり殺されようとしているのだ。迷いはするし、恐れもする。

 何かを間違えれば、自分はおろか、目の前の男さえ死に到らしめる事だろう。

 冒険者だった兄は、何年もの間、こんな重い選択をし続けていたのかと、ここまで来てようやく気付く。

 そう思えば、自分が冒険者となる事に反対する筈だし、少々過保護になったとしても仕方ない事。

 

『何もかも受け入れて、次の一歩を踏み出すしかない』

 

 思慮し続ける彼女の脳裏に過るのは、兄の言葉ではなく、アサシンが先程投げ掛けた言葉だった。

 彼は言った、決めるのはお前だと。

 よく人は神々の骰子(さいころ)の出目次第と言うけれど──。

 

「決めるのは、私……」

 

「ああ。お前がどうしようと、俺は口出ししない」

 

 少女が覚悟を決めるように発した呟きに、アサシンはどこか嬉しそうに笑みながら頷いた。

 少女は一度深呼吸をすると、その瞳に光を取り戻しながら、アサシンの左手を取ると、アサシンブレードの切っ先を自分の手で、自分の心臓へと向けた。

 振り払う事も出来るだろうに、アサシンはされるがままに左手を差し出し、少女に告げた。

 

「もう少し下だ。その位置は骨に弾かれる」

 

 少女はびくりと反応しながらも、アサシンブレードの切っ先を下へとずらす。

 アサシンが「そこだ」と呟くと共に止め、そっと彼の顔を覗き込んだ。

 不安と恐怖が入り交じっているが、どこか信頼の色の込められた視線。

 

「最悪外しても、責任は持つ」

 

 アサシンが言うと少女は確かに頷き、彼の手を取る自身の手に力を入れる。

 少女がまさに刺そうと覚悟を決めたと共に、アサシンは餞別を送るように言う。

 

「次の目覚めが、有意なものになることを願う。それまでは、安らかに眠れ」

 

「──っ!」

 

 彼が言った瞬間、少女は自分の心臓を刺し貫いた。

 同時に彼女の体から光が溢れ、周囲を照らし始めた。

 光に包まれながらも、少女の全身から力が抜けていき、意識が暗闇へと沈んでいく。

 口に感じる鉄の味と、冷たくなっていく自分の体。

 少女は目前まで迫る死を感じながらも、倒れる自分の体を支えるアサシンの姿を、朧気ながらに感じ取る。

 もう言葉を発する気力もないが、最後の力を振り絞って口を動かす。

 そこから音がでる事はないけれど。抱き止められているから、口が動いていることすら気付いてはくれないだろうけど。

 せめて、この言葉を伝えたい。

 

 ──ありがとう。

 

 

 

 

 

「──はっ……はっ……!……っ!」

 

 長い時間息を止めていたかのような錯覚を覚えながら、アサシンの意識は下水道に戻ってきていた。

 体が酸素を求めて口を開閉させ、無理矢理にでも呼吸を繰り返す。

 肩を揺らして荒れた息を整えながら、倒れる少女に目をやった。

 見たところ怪我はなく、身長の割に豊かな胸が上下しているから、呼吸もしているようだ。

 アサシンはホッと息を吐くと、ふと違和感を感じて閉じていた左手を顔の前に持ち上げ、ゆっくりと開く。

 

「……またこれか」

 

 そして握っていた物の正体に気付き、肩を竦めた。

 握られていたのは、いつかの小鬼暗殺者が持っていた『謎の三角形』。都合三つ目の入手だ。

 まあ、それは良いと懐に仕舞い、落とした装備を回収すると、少女の体を抱き上げた。所謂お姫様抱っこの形でた。

 僅かな力で持ち上げられる軽い体とは対象的に、内に秘める覚悟は、アサシンに負けるとも劣らぬもの。

 それに肉体がついていかなくとも良い、技術がついていかなくとも良い。まず覚悟を持つこと。それが大切だ。

 

「……む」

 

 少女を抱き上げた際、彼女の首にかけられていた首輪が消えている事に気付く。

 少女の首輪が消え、自身の手には件の三角形。

 アサシンは少女を抱き上げたまま首を捻って思慮するが、今は彼女の安全と優先せねばと歩き出す。

 幸いな事に、道中の敵は全て倒してある。上から戻ってきていた場合はわからないが、それをどうにかするのは、彼の仕事だ。

 

 

 

 

 

 都の片隅に鎮座する、尖塔の頂き。

 誰もいないように思えるそこには、黒いローブを纏った何者かが、仁王立っていた。

 フードに隠された金色の双眸を双子の月へと向け、口元には挑発的な笑み。

 

「欠片は三つ。残る一つは──」

 

 彼はそう言いながら、ローブの内側に隠された金色に輝く剣を、薬指の欠けた左手で撫でた。

 持ち主の期待に答えるように、剣の刃には幾何学的な紋様が浮かび上がり、すぐに消える。

 

「すぐに手に入れて貰おう。我が主の悲願──エデン再興の為に」

 

 彼はどこかに向けて言うと、山の輪郭が白く染まり、陽が顔を出し始めた事を横目で見つつ、短く息を吐き出す。

 

「その為にも──」

 

 彼はタカの眼を発動し、視線の先に映る一団に目を向けた。

 逞しい馬に引かれる馬車と、それを囲む護衛と思しき者たち。

 

「邪魔者には消えて貰おう」

 

 宣言すると共に、彼は尖塔の頂きより身を投げた(イーグルダイブ)

 落下の風圧に押され、黒いローブが吹き飛んでいくと共に、干し草の山へと身を沈める。

 そこから飛び出してきた男の姿は、ある者は懐かしさを覚え、ある者は恐怖を覚えるだろう。

 纏うローブは汚れのない純白であり、腰には血のように赤い布が巻かれ、左腕には三枚の板金が取り付けられた籠手が填められている。

 被るフードには嘴を模した飾りが取り付けられ、それに隠された眼光は捕食者(タカ)のそれだ。

 彼は肩を鳴らすと走り出す。

 障害物などないかのように、するりするりと避けて進んでいく。

 途中で昇降機で建物の屋根へと昇り、更に駆ける。

 そして屋根が途切れた瞬間、加速の勢いのままに身を投げ、下にいた魔術師(・・・)空中からの奇襲(エアアサシン)によって仕留めた。

 相手の中で一番強い者を、真っ先に潰す。これは基本中の基本だ。

 その理論の下、魔術師を潰した彼は、金色の剣を抜き放ちながら言う。

 

「貴様らの仕事は終わった。故に告げる言葉はこれだけだ」

 

 一行の中でも最高戦力であった魔術師が、真っ先に殺られた事に色めき立つ兵士たちに向けた言葉。

 彼は一行が落ち着きを取り戻す前に、剣の切っ先を彼らへと向けた。

 

「安らかに眠れ。痛みもなく、永遠に」

 

 ──瞬間、雷光が迸り、彼らを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory09 物語(シナリオ)は終わらない

「ん、んぅ~?」

 

 聞き慣れぬ喧騒により、少女は目を覚ます。

 ソファーか何かに寝かされているのか、背中には柔らかな感覚があり、頭の下にはクッションがあるのか更に柔らかい。

 いまだに寝ようとしているのか、鉛のように重い瞼を無理やり持ち上げ、霞む視界の中で天井の染みを眺める。

 視界の端に映るシャンデリアは、庶民が少し背伸びすれば買える雑多なものだが、手入れが行き届いているのか、蝋燭の光を優しく反射し、室内を照らしている。

 その明かりをぼぅと眺め、視界が鮮明となってきたら視界を巡らせた。

 広い室内──酒場だろうか?──に複数個置かれた卓には皿に乗った料理や飲み物の入った杯が並び、どことなく宴会を開いているのはわかる。

 彼らの表情、声は貴族のそれよりも生き生きとしていて、とても楽しげではある。

 一つだけ問題があるとすれば、卓を囲む人物たちが皆、怪しげな衣装を纏っている事だろうか。

 只人、森人、鉱人、蜥蜴人、圃人、闇人。

 革鎧、板金鎧、ただの衣服を改造したもの、神官服、ただの襤褸布同然の服。

 種族、衣装こそ違えど、彼らの中にはどこか強い繋がりのようなものを感じる。

 だが、その雰囲気は街ですれ違った冒険者たちとも、城を警備する騎士たちとも違う。彼らよりも、どこか後ろ暗いもののように思える。

 尤も、彼女が思ったのはそこまでだ。彼らが影に走る者(ランナー)たちであることも、自らの救出に一枚噛んでいることも知るよしもない。

 数度瞬きを繰り返すと体を起こそうとソファーに手をつき、一息に体を押し上げる。

 視界が高くなり、寝かされていたソファーは、酒場の片隅にあることと、カウンター席に座る平服姿の男の存在に気付く。

 黒い髪を後頭部で一纏めにし、僅かに頭を動かす度に、それこそ犬の尻尾のように揺れている。

 見覚えのある背中だが、その背には長筒も弓も矢筒もなく、黒一色の外套も、表情を隠す頭巾もない。

 だが、腰に下げる黒い剣からして、彼であることは間違いないだろう。

 その彼は、店主と思わせる頭巾を被った男性と何やら話しているのか、カウンターに置かれた料理には一切手をつけず、店主の表情はどこか笑いを堪えているように見える。

 

「──あいつが怒ってたぞ?『よくも可愛いこの子を気絶させたな!』だとさ」

 

「下水道だからな、臭いに潰されたんだろう。それよりも、ローブの臭いは落ちそうか」

 

「まあ、大丈夫だろう。今、持ってきてやるから──」

 

 店主はそう言うと、不意に自分の方を手で示した。

 それに合わせて彼は首を巡らせ、彼女の方へと視線を向けた。

 蒼と金の双眸が彼女を射抜き、思わず体を強張らせたが、当の彼は柔らかな笑みを浮かべてカウンター席から離れる。

 コツコツと音をたてながら自分へと歩み寄り、視線を合わせるように膝を折った。

 

「ようやく目が覚めたか、お姫様」

 

「え?ああ、うん……」

 

 少女は怖いほどの笑みを浮かべる彼の姿に困惑しながらも頷いた。

 彼は彼女の様子を気にする様子を見せず、淡々と告げる。

 

「ここは街の酒場だ。あのカウンターにいるのが店主。客はお前の救出に力を貸してくれた奴らと、その裏で色々と暗躍していた奴ら」

 

 最後の一つだけ忌々しげな声音だったのは、恐らく気のせいではない。彼も知らなかったのだろう。

 

「暗躍とは失礼だな。王が死んだのだから、空いた席に女王がつくのは決まっているだろう?」

 

 そんな彼の背中に、聞き慣れぬ女性の声がぶつけられた。

 少女は体を傾け、その女性へと目を向ける。

 黒に近い褐色の肌に、只人のそれに比べて長い耳からして、間違いなく闇人。

 女闇人は透ける程に美しい銀色の髪を払い、どこか得意気な顔をして彼へと目を向けた。

 彼は僅かに髭の生えた顎を撫で、大きめのため息を一つ。

 

「あの野郎の事はどうでもいい。お前が代わりになるというのなら、おそらく大丈夫だろう」

 

 それなりに彼女の事を信用しているのか、早口にそう告げるが、「だが」と付け加えて料理の並んだ卓の方へと目を向けた。

 

「あいつらが納得したのか?」

 

 そう言いながら彼が示したのは、影を走る者たちに混ざって宴会を楽しんでいる物乞いたちだ。

 彼らは元物乞いの王の圧政を崩さんと立ち上がった。文字通り命懸けでそれをなし得たというのに、一日を待たずに次の王が決まるというのは──。

 

「ああ、気にしないでくれ」

 

 批判的な視線を向ける彼に対して、女闇人はあっけらかんとしながら笑みを浮かべた。

 男のみならず、同性であってさえも魅了する笑みではあるが、彼は一切魅入られた様子を見せない。

 そんな彼の様子に「やれやれ」と諦めたように首を振ると、女闇人は困り顔の少女へと視線を向けた。

 

「ああ、申し訳ない。自己紹介がまだだったな」

 

 女闇人は苦笑混じりにそう言うと、優雅に一礼して見せた。

 慣れている貴族でさえも、ここまで美しい礼は出来ないだろう。

 冒険の経験はなくとも、貴族間の宴会には慣れている少女ですらそう思ったのだから、相当なものだ。

 女闇人は顔を上げ、母親のような慈しみの溢れる笑みを浮かべて少女に名乗った。

 

「──私は灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)。キミの人生において、関わることのない筈だった、しがない闇人さ」

 

 女闇人改め、灰被りの女王の名乗りに、少女は心底不思議そうに首を傾げた。

 関わることのない筈だった──とは、どういう事なのか。

 まあ、確かに。自分が城を抜け出さなければ出会う事もなかっただろうから、その事を言っているのだろう。

 困惑する少女を気づかってか、彼がため息混じりに言う。

 

「……無駄な情報を言うな。余計にややこしくなる」

 

「そう言うな、少年。事実を告げているだけだ」

 

 彼の指摘をそう言って受け流すと、彼女は少女に向けて言う。

 

「とりあえず、城まで送ろう。あいつが話をつけてくれているだろうさ」

 

「あいつ?」

 

 再び首を傾げる少女に、彼は再びため息を吐く。

 

「こっちの話だ、気にするな」

 

 ひらひらと手を振りながら言うと、彼は立ち上がり、踵を返してカウンターの方へと歩き出す。

 同時に店の奥から荷物を抱えて戻ってきた店主が、それらをカウンターの上に置き、彼はそれから真っ先に外套(ローブ)を手に取ると、慣れた様子でそれを纏う。

 次いで鎧、脚甲、鎧と身につけ、弓と長筒、矢筒を背中に背負う。

 そうして彼はいつもの格好となり、深呼吸をしながら目を細めた。

 文字通りの仕事モードとなった彼に向け、店主はふとした疑問を問いかける。

 

「それで、この仕事が終わったらどうする」

 

「──」

 

 されて当然の疑問に、彼は思わず間の抜けた面持ちとなった。

 アサシンとなったとはいえ、()()()()職業は冒険者だ。それも在野最高の銀等級。

 そして、冒険者たる彼の隣には、必ず彼女の姿がある。

 故に彼の返答は無言の苦笑。仕事上ではなく、個人的な関係をも知る店主に対して、別に言う必要もないだろうと判断したのだ。

 実際に店主は「愚問だったな」と笑い、彼に「当たり前だ」と返される。

 五年かけて作り上げた信頼関係

 少女が二人の仲睦まじい様子を眺めていると、不意に灰被りの女王が声をかけた。

 

「さて、キミにも着替えてもらおう。寝間着で城に行くわけにはいかないだろう?」

 

「それはそうだけど、肝心の服はどうするのよ?」

 

「安心してくれ。ちゃんと新品を用意した」

 

 少女の疑問に対して灰被りの女王は得意気に笑い、彼女の手を引いて立ち上がらせる。

 

「生憎と空部屋がないそうでね。そっちの従業員用の部屋を貸してくれたよ」

 

 言いながら彼女は歩き出し、少女は引かれるがままその後に続く。

 

「ちょ、ちょっと待って!色々と聞きたい事が──」

 

「世の中には、聞かない方が良いこともあるぞ?」

 

 勢いのままに質問をぶつけようとした少女の声を、どこか冷徹な印象を受ける灰被りの女王の声が遮った。

 思わず口を閉じた少女に向けて、彼女は女王の異名に恥じない迫力を持って告げる。

 

「少しでもこちら側に足を突っ込めば、そのまま引きずり込まれるだけだ。だから、あまり聞いてくれるな」

 

 有無を言わせぬ圧力の中に、どこか悲哀の色の込められた言葉。

 彼女の気遣いとも違う警告に少女は無言で頷き、了承の意を示す。

 今回の事件(シナリオ)で、一体いくつの命が消えた。

 敵も味方も、無関係な市民まで、どれほどの犠牲が出た。

 それは決して一つや二つで終わるものではなく、両手の指の数でも数えきれないだろう。

 そこまでの被害を出してまで、自分を助け出してくれた。

 まあ、一度死んだ気もするがそれはそれだ。こうして生きているのだから良いではないか。

 顔色僅かに俯けて思慮していた少女に向け、灰被りの女王はドアを開きながら言う。

 

「キミにはキミの役目(ロール)があるだろう?とりあえず、今はそれに殉ずることだ」

 

 彼女はそう言うと少女を部屋に入れ、「では、終わったら言ってくれ」と告げてドアを閉めた。

 広い部屋にポツリと残された少女は、机の上に丁寧に畳まれた衣装に目を向ける。

 よく着るドレスとは程遠いが、動きやすさを重点においたのは、何となくわかる。

 染み一つないワイシャツに、深緑色のベスト。ズボンもチョッキと同色で、硬い革製のロングブーツは、冒険にも耐え得るもの。

 これを着て裏口から抜け出せば、格好だけなら冒険者と名乗っても違和感はないだろう。

 だが、ここで逃げてしまえば、死んでいった人たちが報われない。次は真っ正面から堂々と逃げると決めている。

 少女はそんな決意を抱きながら寝間着を脱ぎ捨て、用意されていた衣装に袖を通す。

 どうやって採寸したのか、少し怖いほどにぴったりだ。

 やったとすればあの闇人か、あるいは──。

 

「嫌々、それはないか」

 

 脳裏に過った彼の姿を頭を振って振り払い、両頬を叩いて気合いを入れる。

 最後に姿見の前で乱れがないかを確認し、「良し!」と頷いてドアをノックする。

 すると一秒経たずにドアが開き、そこで律儀に待っていたのか、灰被りの女王と目が合う。

 彼女は少女の姿を頭の上から爪先まで見ると、にこりと満足げに頷いた。

 

「うん、それなら大丈夫だな」

 

 彼女はそう言うと、振り向きながら手を振った。

 誰かにむけた合図だろうが、その誰かに関しては察しがついている。

 少女の予想が正しければ、こちらに向かっているのは黒髪の男性。自分を二度も投げ飛ばし、嫁入り前の少女の裸を見やがった彼だ。

 

「用意は」

 

 予想通り、灰被りの女王の背後から漏れ出た声は彼のものだ。

 

「出来てるさ。後は彼女の決意次第だ」

 

 彼女はそう言い残すと、彼の脇を抜けて店内へと戻っていった。

 取り残された二人の間に僅かな沈黙を享受すると、少女はホッと息を吐いて彼へと言う。

 

「これから帰るわ。護衛をしてくれない?」

 

「逃げない事と騒ぎを起こさない事。依頼するというなら、報酬を払って貰う事が条件だが」

 

 彼は指を三本立てながら言うと、少女は得意気に笑みながら胸を張る。

 

「冒険者への礼儀は、最低限弁えているわ」

 

「装備を盗んだ奴の台詞とは思えないな」

 

 少女の言葉に、問答無用のツッコミが入る。

 数日前の事をいまだに根に持っている事に困り顔になりつつも、少女は小さくため息を漏らした。

 

「依頼って形で良いけど、報酬はどうするのよ?」

 

「後で滞在先を教える。そこに運ばせてくれ」

 

 少女の疑問に淀みなく答えた彼は、傷痕の残る口元に笑みを浮かべた。

 

「それなりの額は貰う。しばらくは小遣いがなくなると思え」

 

「わかってるわよ」

 

 少女は当然と言うように頷き、「どうせ使うことないし……」と小声で呟いた。

 彼は聞き流すように腕を組んで肩を竦め、彼女を先導するように裏口を目指して歩き出す。

 ふと、少女はその背中に向かって問いかける。

 

「貴方は冒険者なのよね?」

 

「そうだな」

 

「異名とかないの?その方が報酬も渡しやすいし」

 

 少女の質問に、彼はドアノブに伸ばしていた手を止めた。

 数瞬迷うように固まると、彼女にも聞こえる程のため息を吐き出した。

 そして迷いを振り払うように踵を返し、少女に視線を向けながら言う。

 

「俺は『ならず者殺し(ローグハンター)』。いつの間にかそう呼ばれるようになった、しがない冒険者だ」

 

 彼が苦笑混じりにそう言うと、少女は思わず体を固めた。

 ならず者殺し、ローグハンター。噂に名高い辺境勇士、小鬼殺しと並んで語られるあの英雄が、まさか目の前の人物なのか。

 思考の海に沈みかける少女を放っておき、ローグハンターはドアを開く。

 既に陽が昇ってしばらく経つのか、差し込む光はそれなりに強い。

 彼は思わず腕で目を庇って目を細めるが、慣れた頃を見計らって腕を降ろす。

 

「さて、行くぞ」

 

「え?あ、わかったわ!」

 

 彼の言葉にハッとしながら、少女は陽光を背にする彼の方へと歩き出す。

 今度こそ帰ろう。退屈ではあるが、家族が待っている、あの城へと──。

 

 

 

 

 

 昨夜働き通した仕掛け人(ランナー)たちが集う眠る狐亭のカウンター席に、灰被りの女王は腰をかけた。

 今頃少女は出発し、彼を護衛として侍らせている事だろう。

 

 ──羨ましくはない。うん、羨ましくなんかないとも。

 

 何となく不貞腐れた様子の灰被りの女王に、店主は黙って葡萄酒を出す。

 彼女がやけ酒でも飲むかのように一口でそれをあおると、店主は冷たい瞳でもって彼女に言う。

 

「妙だな」

 

「──ああ、妙だ。証拠を手に入れたが、肝心の取引相手はどこに行った」

 

 酒を飲んだからか、頬を赤くした灰被りの女王は、しかししっかりとした口調でもって返した。

 彼女の部下たちが混乱の中でかき集めた書類の数々と、王の死を知って降伏してきた幹部連中からの情報。

 それらを頼りに取引相手である貴族たちを探したのだが、結局見つけることは出来なかった。

 屋敷に忍び込んでまで探したというのに、見つかったのは使用人、妻ないし夫、子供のみ。肝心の本人が見つからない。

 今現在も捜索してはいるものの、おそらく結果は変わらない。既に都を出たのだろうか。

 

「とにかく、しばらくは捜索を続ける。他所(よそ)ならず者の集まり(ローグギルド)にも聞いてみよう」

 

「そうだな。俺も常連の情報通に聞いてみるさ」

 

 彼女の提案に店主はそう進言すると、やれやれと首を横に振る。

 

「冒険の種が有りすぎるとは言うが、アサシン(こっち)の仕事まで増やさないでもらいたいね」

 

「それは天上の神様の仕事だろう?それとも、今回の一件で目をつけられたかね?」

 

 灰被りの女王は肩を竦め、一杯に注がれた葡萄酒を覗き込んだ。

 水面に映る自分の顔はいつも通りだが、不機嫌そうだ。

 理由は、いくつか心当たりがある。

 仕事が中途半端に終わったからか。

 それもある。それもあるのだが──。

 

「彼を侍らせて都を観光か……」

 

「だから諦めろ。あいつは惚れた女の為に裏切り者(アサシン)にまでなれる男だ。振り向かせるのは、まあ無理だろう」

 

 どこぞの大司教も狙っているそうだが──。と付け加え、店主も葡萄酒をあおる。

 灰被りの女王は再び葡萄酒をあおり、酒臭いため息を吐き出した。

 

「むぅ……。どうにかならないものか」

 

「相手が悪すぎるな」

 

 彼女の愚痴にも似た呟きに、店主は次の葡萄酒を出すことで答える。

 どうせしばらく彼は戻ってこないのだ。今のうちに力を抜けるだけ抜いておいた方が良いだろう。

 まあ、戻ってこなかったとしても──。

 

「原石は見つかった。後は磨いてやるだけだ」

 

 店主は不敵に笑みながら、アサシンの協力者となった物乞いたちに目を向けた。

 自由を求め剣を取り、一度死線を潜り抜けた。素質は十分。後は覚悟があるかどうかだ。

 だが、店主は信じている。

 彼らならきっと、強い戦士(アサシン)になってくれるだろう、と。

 

 

 

 

 

 都はいつもの通りの活気に溢れていた。

 行き交う人々は挨拶混じりに笑いあい、走り回る子供たちは無邪気に笑い、道端に座る大人たちは何やら賭け事に興じている。

 誰も知らぬ真夜中に、文字通り都のあり方が変わりかねない戦いがあったというのに、血で血を洗う殺し合いがあったことも知らずに。

 そんないつも通りの街並みを進みながら、少女はローグハンターの背中を追いかける。

 人の波に呑み込まれまいと必死だが、当の彼も彼女を気づかってか、歩調はだいぶ緩い。

 天高く舞う鷲は相変わらず、一羽で気ままに空中散歩を楽しみ、時折「キィ」と鳴いている。

 自分もあのくらい自由に出来たなら、今回のような事件は起きなかったかもしれないし、むしろ悪化していたかもしれない。

 そこまで考えた少女は重くため息を吐き、前を歩く彼の背中へと目を向けた。

 目深く被ったフードのせいで顔色はうかがえないが、時折揺れているから、周囲に目を向けて警戒しているのだろう。

 戦いは終わっても、まだ残党がいるかもしれない。あくまでも万が一の可能性の話だが、その万が一が起こり得るから怖いのだ。

 現に、少女はその万が一のおかげで城を抜け出せたし、万が一のおかげで彼と出会った訳だし、万が一のおかげで誘拐されてしまってわけである。

 神々が振るう骰子(さいころ)の出目次第とは、本当に良く言ったものだ。

 そんな下らない事を考えていたからか、僅かに歩調が緩む少女。

 彼は見てもいないのにそれに気付いたのか、僅かに歩調を緩め、背中越しに振り返る。

 フードの奥に隠された蒼い瞳が少女を見つめ、通行人には聞こえないようにぼそりと漏らす。

 

「どうした、日が暮れるぞ」

 

「ん?今行くわ」

 

 彼の言葉にハッとしつつ、小走りになって彼の脇についた。

 片や二十五歳の男性。片や十五歳の少女。

 一歩の歩幅が違うのは当然の事だが、不思議とどちらかが前に出る事も、遅れる事もない。

 彼が歩調を合わせているのだから当然だ。先生から指導された尾行術が、こんな形でも生かせる事は知っていた。

 何年も前に、彼女と仕事仲間という一線を越えた頃だろうか。彼女とプライベートでも二人きりになることが増えた頃から、意識するようになった気がする。

 彼はそこまで思慮すると、ゆっくりと瞬きする事で意識を切り替える。

 そんな事はどうでも良い。と、自分に言い聞かせるのだ。

 何故か。理由は単純。これ以上考えたら、少女を放っておいてでも、今すぐに会いに行ってしまう。

 

「どうかしたの?」

 

 ひょいと、視界の端から少女の顔が飛び出してくる。

 その表情は先ほどの言葉通り、心配の色が強い。

 ローグハンターは自分の顔に触れ、「大丈夫だ」と告げて苦笑を漏らす。

 彼女の元に帰れると思うだけでこれとは、少々抜けすぎではないだろうか。

 彼はフッと息を短く吐き、半ば無理やりに意識を戻す。

 城まではもうすぐだが、まだ油断は出来ない。

 

 

 

 

 

 結局の所、拍子抜けする程に何も起こらなかった。

 道行く人は皆笑顔に溢れ、敵意を向けてきた者は誰一人としていない。

 そんな平和な空気の中でたどり着いたのは、大きな城門を見ることの出来る通りだった。

 何を思ったのか少女は路地の影に身を隠し、ローグハンターは目を閉じて何やら集中している。

 閉じた瞼の裏に映るのは、鷲の目線で俯瞰的に見下ろされる都の風景だ。

 目的地たる城の周囲を重点的に観察し、見張りの兵士の巡回の様子を眺めている。

 

「……問題はなさそうだが、俺はここまでだな」

 

 目を開きながら言うと、少女は少々不安げになりながら頷いてみせる。

 本音を言えば彼にもついてきて欲しいが、彼にも予定があるらしく、今すぐにでも戻らなければならないそうだ。

 きっと、また誰かを助けに行くんだろうと思うと、無理に止める事は出来ない。

 少女は一度深呼吸をすると、ローグハンターに向けて頭を下げた。

 

「この度は、非常に迷惑をおかけしました」

 

「気にするな」

 

 少女の珍しく真剣な謝罪に、ローグハンターは首を横に振った。

 少女がゆっくりと頭を上げると、今度は彼が真剣な声音で告げた。

 

「──だが、忘れるな」

 

 告げられた言葉は、その一言のみ。

 そこに込められた想いがわからない程、少女は幼くない。否、成長したと言うべきか。

 ローグハンターは乱暴に──それこそ妹にするようにだ──少女の髪を撫でると、その背を押して通りへと押し出す。

「わわっ!?」と声を出しながらも転ぶことだけは凌いだ少女は、反射的にローグハンターのいた場所へと目を向けた。

 文句の一つでも言ってやろうとしたのだが、肝心の彼は既にいない。もう行ってしまったのだろう。

 そこまで大事な用事なのかと興味が湧くが、今さら追いかけるのは無理だ。また誘拐されるのがオチだろう。

 それは流石に笑えない。また自分のせいで人が死ぬというのは、きっと耐えられない。

 彼女の脳裏に過るのは、視界にこびりついた死んでいった一人の顔だ。

 彼らの顔を忘れてはいけない。今回の失敗を忘れてはいけない。過去を背負って進むと決めたのだから、当たり前だ。

 少女は再び深呼吸をすると、城門を目指して歩き出す。

 裏から逃げたのだから、帰るのは正面から。次出る時があるとすれば、それも正面から出ると決めている。

 天高く舞う鷲の影を目で追って、最後の覚悟を決める。

 

 ──とりあえず、怒られるだろうなぁ。嫌だなぁ。

 

 なんて、年相応な事を考えながら一歩ずつ。(いえ)へと向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 屋根の上から城の中へと消えていく少女の背中を見送ったローグハンターは、目深く被ったフードの下で目を細め、疲れきったようにため息を漏らした。

 慣れぬ事はするべきではないなと自分に言い聞かせ、神殿のある方角に目を向ける。

 屋根伝いに行けば、下を通るよりも楽にたどり着けるだろうと推測し、善は急げと走り出す。

 瓦を落とさないように細心の注意を払いながら疾走し、小さな段差を乗り越え、建物を繋ぐ渡し木の上を駆け抜け、時には飛び越える。

 何人かの人々に見られはしたものの、修行中の芸人辺りだろうと目星をつけられて言及されることはない。

 そして彼自身も気にする様子はなく、神殿まで通り数本となった頃、彼は足を止めた。

 進行方向の屋根に、そこから足を投げ出して座る、謎の人物を発見したからだ。

 纏うローブは汚れ一つない純白で、目深く被ったフードには嘴を模した意匠が施されている。

 あのフードの形状には見覚えがある。否、見たことがあって当然なのだ。

 

「アサシン……!」

 

「ん?ああ、来たか」

 

 ローグハンターの呟きに、(まこと)なるアサシンは反応を示した。

 彼を警戒する様子もなく立ち上がり、右手を挙げながら口を開く。

 

「お前に会おうと思っていたんだが、なかなか都合がつかなくてな。六年も(・・・)待たせてしまった。いや、申し訳なかった」

 

 口元に笑みを浮かべながら、上部としては友好的な態度でもって接してくる。

 だが、ローグハンターは黒鷲の剣に手をかけ、敵意を隠す事もなく剥き出しにする。

 タカの眼が教えてくれたのだ。相手の影は赤一色。味方であることはあり得ない。

 アサシンは彼の態度を咎めることなく、より一層笑みを深めた。

 笑顔とは本来、相手を安心させたり、自らの喜びを示したりするものだ。

 しかし、彼の笑顔は違うとわかる。

 口元に浮かべる笑みは歯を見せつけ、相手を威圧するような力を感じさせ、そもそもをして目が笑っていない。

 ローグハンターは額に浮かぶ脂汗をそのままに、アサシンの行う全ての挙動に注意を払う。

 まず、相手との力量(レベル)差を確かめ、殺せるか否かを判断。駄目ならどう逃げ切るかを考えなければならない。

 彼が摺り足で間合いを開けようとしている事を察してか、アサシンは肩を竦めた。

 

「ああ、逃げないでくれ」

 

 アサシンがそう言うと、その姿が雷光と共に掻き消えた。

 驚愕し、反射的にその場を離れようとしたローグハンターの肩に、背後から薬指の欠けた左手が置かれる。

 目を見開きながら振り向いた瞬間、僅かに濁った金色の双眸と視線が交差する。

 ほんの一瞬。それこそ瞬き一つにも満たない時間であだたとしても、その目の輝きに魅入られた。魅入られてしまった。

 ローグハンターが後悔を抱いた頃には、全てが遅い。

 

「──やり残した仕事を、引き継いで欲しいだけだ」

 

 アサシンが小声でそう告げると、再び雷鳴が鳴り響き、雷光が辺りを照らす。

 それが止んだ頃に残されたのは、焼き焦げた天井瓦と、何事だと集まる野次馬のみ。

 その一人である、袋を抱えた赤髪の魔術師でさえも、何が起こったのかを知ることはなかった──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory10 異形の肉塊

 都の北に鎮座する霊峰。

 その頂きは雲より高く、来るもの全てを阻むように、その四方は険しい岩肌で覆われている。

 まともな者なら登ろうとすら思わないその場所の、それも頂きに程近い場所に、三人の人影があった。

 縦に並ぶ三人の先頭を行く片刃の剣を腰に下げた女剣士が、ホッと息を吐きながら後続の二人に目を向ける。

 動く体に合わせて黒髪が揺れ、不意に吹きつけた風に押されて更に揺れる。

 彼女は鬱陶しそうに髪を押さえながら、周囲を警戒しつつ言う。

 

「件の火石が落ちたのはこの辺りと聞いていましたが、異変が起きている様子はないですね」

 

 その凛とした声音は風にも負けずに後ろの二人へと届き、三人が縦に並ぶ隊列の中央を歩く女魔術師が、数えるのが馬鹿に思えるほどの術の込められた杖を、本来の用途通りに使いながらも目を細めた。

 

「確かに、妙。ここまでくれば何か見つかる筈」

 

 先ほどの女剣士とは似て非なる、氷を思わせる冷たい声音。

 目深く被るフードには猫耳のような意匠があり、そこに意味があるのかは彼女にしかわからない事。

 神妙な面持ちで周囲を見回す二人とは対称的に、最後尾を歩いていた少女が顎に手をやりながら言う。

 

「うーん、もうちょっと歩き回ってみる?魔物もいないし」

 

 そう言う彼女が纏っているのは、動きやすさを重視しつつも、強力な魔術の守りが施された特注品(オーダーメイド)

 腰に下げる二振りの剣は、どちらも少女が振るうには大きすぎる気もするが、当の彼女は気にする様子もない。

 うんうんと唸りながら周囲を見回す少女に向けて、女魔術師が言う。

 

「そこが妙。霊峰を登ってから、何も出てこない」

 

「魔物の一匹でも出てくれば、退屈せずに済んだというのに」

 

 女魔術師の指摘に、女剣士が腕を組みながら返していると、少女は不意に空を見上げて深呼吸を一つ。

 雲より上だから故に、遮るものが何もない青空が視界一杯に広がり、吸い込む空気は薄いものの、喉を通る度に感じる冷たさはどこか心地が良い。

 少しばかり落ち着いた思考で、()ならどうするかを思慮してみる。

 そもそもの話、兄なら迷うことなく見つけているだろうから、あまり意味がないかもしれないけれど──。

 

「──音を見て、形を聞く」

 

 不意に脳裏に過ったのは、兄から教わった言葉を思い出し、何ともなしに目を閉じて集中してみる。

 自分が思う限界まで集中し、勢いに任せて目を開いて見るが。

 

「……どうかしました?」

 

 振り向いていた女剣士とばっちり目が合い、何の意味もなかった事を悟る。

 兄や夢に見る人たちが何の苦労もなく使っていた力も、やはりと言うか何と言うべきか、自分ではどうにもならないようだ。

 

 ──別に出来なかった所でどうこう言うつもりもないけどさ。うん、ないけどさ……。

 

 少女は大きくため息を吐くと、空を見上げたまま不満げに言う。

 

「お兄ちゃんに会いたいなぁ~」

 

 祭りを見に行くと約束したのに、あまりの忙しさに行くことが出来ず、手紙を出そうにも、今のご時世無事に届くかどうか……。

 

 ──たまにはお兄ちゃんと過ごしたい。

 

 世界を救った少女の、その偉業の対価にもならないであろう、とてもちっぽけな願い。

 年相応の願いを口にした少女の姿に、他の二人は顔を見合わせて困り顔となった。

 彼女らとて少女の願いを酌んでやりたい想いはある。だが世に冒険の種は絶えず、混沌と秩序の戦いがある限り、そう簡単に実現は出来ないだろう。

 二人の空気が重くなった事に気付いてか、少女は慌てたように手を振りながら言う。

 

「や、やだなー二人とも。そんな本気にならなくてもいいじゃん。確かに会いたいけどさ、今は──」

 

 少女が空気を軽くしようと言葉を紡ごうとした瞬間、晴天にも関わらず鳴り響いた雷鳴によって遮られた。

 雷が鳴るにしても、それは雲の中の筈。その雲は自分たちよりも下にあると言うのに、雷鳴は彼女らより更に上から鳴り響いてくる。

 どこか気の抜けていた空気が一転張り詰めるのと、三人が身構えたのはほぼ同時。

 女剣士が自らの剣に手をかけた瞬間、彼女らの前方に天高くから落ちてきた雷が突き刺さった。

 凄まじい衝撃により山肌は抉られ、舞い上がる土煙により視界が茶色く染まる。

 

「ハァッ!」

 

 一寸先も見えぬ煙の中に動く影を見つけた女剣士は、剣を抜き放つと共に全力をもって一閃。

 瞬き一つの間に放たれた幾重もの剣圧が暴れまわり、魔物であろうと切り裂くように煙は霧散させ、視界が回復すると同時に賢者が杖を掲げて詠唱に入る。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……》」

 

 真に力ある言葉が発せられると共に、杖に嵌められた宝玉が輝きを増していき、杖自身に込められた魔術による更にその力を上げていく。

 彼女の力により生み出されたのは、数十という『力矢(マジックミサイル)』だ。

 超自然の力で生み出されたそれらは、主の号令を待つように空中に待機している。

 多くの魔術師が扱う、ある意味基本的な魔術。それを誰よりも極めた彼女が放つそれは、もはや同じ術とは思えぬ程の威力を持つ。

 

「《ラディ()──》」

 

「ちょっと待ったーっ!」

 

 だが、それも放たれればの話。

 最後の一節を口にしようとした瞬間、少女が叫びながら彼女の口を塞いで無理やり詠唱を中止させた。

 少女に批判的な視線を向けつつも集中は途切れていないのか、空中に待機する矢たちは消えていない。

 彼女の視線を受けた少女は、年甲斐もなくキリッとした表情を浮かべ、シュビッ!と指をたてながら言う。

 

「まだ敵なのかわからないのに、いきなり攻撃するのはいけないと思うな」

 

 その声音はどことなく厳しい姉が妹に言い聞かせるようなものだが、女魔術師は抵抗することなく頷いて杖を降ろした。

 少女の勘は当たり方はもはや恐ろしい程であり、彼女が敵じゃないと思うのならその確率が極めて高いのだ。

 杖を同時に空中に待機していた矢たちが、星を思わせる輝きと共に霧散していく。

 少女は一瞬その輝きに魅せられるものの、すぐさま気を取り直して咳払いを一つ。

 落雷により出来たであろうクレーターを覗きこむ女剣士の隣に立ち、彼女にならうようにクレーターを覗く。

 そこにいたのは、おそらく人間であった。

 おそらくとつけたのは他でもない。体が地面に埋まっているのか、それとも落下の衝撃で千切れたのか、クレーターの底から生える腕しかないからだ。

 光を飲み込む程の漆黒の籠手に包まれたそれは、誰かの左腕だろうか。じたばたと前後左右に揺れているから、持ち主は生きているようだ。

 腕の様子を見ていた少女と女剣士は顔を見合わせると、女剣士が我先にとクレーターの斜面を滑り降りた。

 底に降りるまでたかが数秒。そこまで深い訳ではないが、不思議とクレーターは滑らかで、途中で引っ掛かる事はない。

 尾のように土煙をたてながらクレーターの底に降り立つと、剣の切っ先で左腕を突いてみる。

 籠手の強度は相当なのか、彼女の自慢である剣で傷をついた様子はない。

 

 ──まあ、小突いただけだからな。

 

 負け惜しみを言うつもりはないがと内心で想いつつも、無意識だろうか、不機嫌そうに眉が寄っている。

 小突かれた事に気付いた左腕が更に暴れ始めたが、女剣士はその動きを瞬時に見抜き、閃かせた右手で鷲掴む。

 左腕も掴まれたと理解したのか、どうにか脱しようと更に暴れるが、一般の女性のそれを大きく上回る腕力からは逃れられない。

 左腕が脱出を諦めたように動きを止めると、女剣士は深く息を吐いて意識を集中させると──。

 

「ふん!」

 

 気合い一閃と共に引っこ抜く。

 根菜を収穫するように引き抜かれた左腕の持ち主は、すぐさま空いている右拳を振るって脱出を試みるが──。

 

「む……」

 

 持ち上げた人物を視認すると共に、その右拳を止めた。

 放った本人が止めようとした事もそうだが、最もたる原因は、女剣士が自分の手で掴み止めたからだろう。

 顔面に突き刺さんと放たれた拳を受け止めた女剣士は、少々驚いた様子で左腕の持ち主を見つめる。

 左腕と右拳を掴まれている彼もまた、蒼と金の双眸を見開いて驚愕を露にしていた。

 二人の視線が交錯していたのは僅か数秒。しかし、その数秒があれば彼女が彼の正体を把握するのは当然の事。

 女剣士がハッとして少女の方に目を向けるも、もう遅い。

 既に少女の姿はそこにはなく、自らが掴んでいる男の方に視線を戻すと同時に、

 

「お兄ちゃぁぁぁぁぁんっ!!!!」

 

 疾風が駆け抜け、男を拐っていった。

 決して逃がすまいと渾身の力で掴んでいた筈なのに、男の体はあっさりと手から滑り抜けた。

 

「ぐぼはっ!?」

 

 視界の端に崩れ落ちた男から漏れた断末魔に似た声は、その後に続く少女の奇声によって遮られる。

 女剣士は肩を竦めてため息を漏らすのと、女魔術師が男に敵意の籠った視線を向けるのはほぼ同時。

 男の印象が違うのは当然のことだが、二人の脳裏に過ったのは、結局の所、少女は天上の神々に愛されているのだろうということ。

 

 ──この再会が、神々が用意したものではないと知るよしもなく。

 

 

 

 

 

 クレーターの底に集った四人は、そこに座り込んで対面していた。

 

「いやー、会いたいって想ったら落ちてくるなんて、面白い事もあるんだねー」

 

 神々に愛される少女こと、一度ならず世界を救った勇者は、甘えるように兄の腕に抱きつきながら、太陽を思わせる笑みを浮かべた。

 肝心の兄たるローグハンターはひたすらに困惑しているが、険しい表情の女剣士聖と女魔術師に目を向け、とりあえず仕事中だなと判断を下す。

 甘えてくる妹の髪を撫でてやりつつ、敵意のなさそうな女剣士に問いかける。

 

「それで、ここはどこだ」

 

「北の霊峰だが、そちらはどうやってここに?」

 

 問いかけに返ってきたのは、端的な解答と、怪訝に想っている声音での質問だった。

 当然だろう。雷と共に、男が空から落ちてきたのだ。

 ローグハンターは顎に手をやり、空を見上げながら思考を深める。

 

 ──どう説明したものか……。

 

 ありのまま話した所で、女剣士はともかく女魔術師の方が信じてくれるかどうか。

 とりあえず、黙りこんでいては不審に想われるだろうと見切りをつけて口を開こうとしたが──、

 

「ん?お兄ちゃん、髭伸びてるよ?それにちょっとと臭う……」

 

 鼻を摘まみながら放たれた勇者の言葉より、あえなく不発に終わる。

 ローグハンターは小さく肩を竦めると、「そこから説明するか……」と呟いて咳払い。

 

「用事が立て込んでいたから、身だしなみを整える暇がなくてな。二三日もあれば、髭も伸びる」

 

 自分の薄く髭を生えた顎を撫でると、「次に」と告げて言葉を続ける。

 

「その用事の一環で夜通し下水道に潜っていた。上がってきたのは今朝だ」

 

「それじゃあ、臭っても仕方ないね」

 

 勇者は相変わらず太陽の笑顔を浮かべて頷くと、女魔術師が冷たい視線を向けながら問う。

 

「それで、どうやってここに来た。場合によっては──」

 

 言葉はそこまでだったが、その表情には明確な殺意が宿っている。

 彼女に悪いことでもしただろうかと思慮するが、彼女とは一度会っただけかとため息を漏らす。

 

「初めて会った男に触れられたらここだ。その男はいないようだが、とりあえず殴ってやりたい程度には怒っている」

 

「初めて会った。それは本当?」

 

「ああ。初めて──」

 

 ローグハンターはそこまで言いかけると、不意に脳裏に映像が過る。

 森人の里で飲んだ霊薬。それのおかげで見た男に似ていたような……。

 彼はそう思慮したが、他人の空似だろうと決めつけて思考を切り上げる。

 急に言葉を切り、何やら思考していた彼に訝しげな視線を向ける女魔術師に、先程と変わらない口調で告げる。

 

「──初めて会った男だ」

 

「……特徴は?」

 

 僅かに考える素振りを見せたものの、構わず無遠慮に問い続ける女魔術師。その姿に、普段の彼女を知る勇者と女剣士の二人は首をかしげた。

 いつでも冷静沈着にいるのが彼女の強みなのだが、今の彼女はどこか熱くなっている。理由はわからないが、その男と何か因縁でもあるのだろうか。

 ローグハンターも食いついてきた彼女の姿に疑問符を浮かべるが、何かわかればと言葉を続ける。

 

「白いローブを纏った男だ。フードには鳥の嘴に似た装飾がついていた。それと、左手薬指がなかった」

 

「………」

 

 ローグハンターの言葉を受けた女魔術師は、俯きながら思慮している様子。

 その表情は真剣そのもので、声をかけられる雰囲気ではない。

 とりあえず彼女は置いておくとして、ローグハンターは女剣士に問いかける。

 

「それで、そっちはなぜ北の霊峰なる場所に来ていたんだ?」

 

「口外は出来ない。お互い冒険者だ、わかるだろう?」

 

「なるほど」

 

 ローグハンターとて在野最高の銀等級冒険者だ。相手が言えないというのに、深く言及する愚は侵さない。

 それはそれとして、と彼は目を細めながらタカの眼を発動し、山頂に居座る何かを睨み付けた。

 赤とも緑とも違う、紫がかった不気味な色を放つ何者か。

 見た瞬間に背筋を冷たいものが駆け抜けたが、それを表情に出すことなく告げる。

 

「何かいるな。ここからではよくわからんが、気味が悪い」

 

「っ!どこだ」

 

 女剣士も彼の視線を追うように山頂付近へと向けるが、そこからではただの山肌しか見ることが出来ない。

 ローグハンターはじっとそれを睨みつつ、自分の腕にしがみついている妹に目を向ける。

 彼女が来たという事は、まず間違いなく自分ではどうする事も出来ないだろう。

 妹を危険地帯に置いていくのは心外だが、そうしなければ世界規模で何かが起きるのも事実。

 兄として彼女の平穏を願ってやりたいが、この世界に生きる人間としては、彼女を頼らざるを得ないという矛盾。

 剣の乙女との関係に始まり、アサシンへの転向。ここ最近悩んでばかりだと頭を押さえ、それら全てを真剣に受け止める自分の真面目さが腹立たしくなる。

 尤も、彼女の為に「馬鹿になる」と宣言してまだ一週間足らず。これからだ。

 ローグハンターはそう思いながら小さく苦笑を浮かべると、ぞわりと背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 先程のそれとは段違いの寒気を覚えた彼は、すぐさまタカの眼を発動して件の何かに目を向ける。

 視線の先に映る点だったものが、急激に大きくなっている事に気付くのに時間は掛からず、そこからの動きは速かった。

 腕に巻き付いていた妹を引き剥がすと同時にお姫様抱っこの形で抱き上げ、彼女があげた黄色い悲鳴を無視する形でその場を飛び退く。

 一瞬遅れて女剣士が女魔術師を脇に抱えて飛び退くのと、その何かが降り立った時間差は、それこそ瞬き一つ程度しかない。

 その瞬き一つの時間が生死を分けるのは、この場にいる全ての人物が知っている当たり前の事実だ。

 大量の土煙が舞い上がる中で、ローグハンターと女剣士はほぼ同時に着地し、それぞれが抱えていた人物を少々雑ながらに降ろす。

 舞い上がった土煙で視界はほぼ(ゼロ)だが、ローグハンターはタカの眼の使用を反射的に取り止めた。

 普段の彼ならまずしないであろう一手だが、それはある意味で幸運(クリティカル)だっただろう。

 何かが振るった触手によって土煙が切り裂かれ、それが姿を現す。

 

「XEEEEEEEEENOOOOOOOOO!!!」

 

 それは、形を持った闇であった。異形であり、膨れ上がった肉塊であり、裏返しになった生き物、あるいは踊る臓物であった。

 盤上に転がり落ちた火石と共に飛来したそれは、正体不明、名状しがたき何者かだった。

 直視するだけでと正気度が削られそうなそれを、タカの眼(目星クリティカル)で見ようものなら、それこそ狂気に呑まれる(SAN値直葬)であっただろう。

 蠢く肉塊を睨み付けるローグハンターは、僅かな頭痛を覚えながらも黒鷲の剣を抜き放つ。

 向こうから来てしまったのなら仕方ない。やるしかないのだ。

 彼に続く訳ではないが、女剣士が自慢の愛剣を抜き放ち、勇者も聖剣と錆びた剣を抜き放つ。

 三つの抜刀音が鋭く鳴り響き、蠢く肉塊を威圧する。

 誰が初手を取るかと互いに様子を伺う中で動いたのは、女魔術師だった。

 知る人ぞ知る賢者たる彼女は、肉塊をこの場に封じ込めんと詠唱を始め、不可視の結界を張り巡らせる。

 半球体の結界の完成と共に、女剣士がローグハンターに告げる。

 

「剣聖と呼ばれる者として初手は貰う。援護を頼めるか」

 

「任せろ」

 

 ローグハンターが頷いたのと、剣聖が飛び出して行ったのはほぼ同時。

 蠢く肉塊が風となって接近してくる剣聖を迎撃しようと触手を振るうが、突如として飛来した何かに当たると共に()ぜ、軌道が大きく逸らされる。

 

「XEN!!!?」

 

 突然の事態に肉塊は狼狽え、弓を放った姿勢にあるローグハンターに注意(ヘイト)を向けた。

 彼が何かやった事は確実。だが、何をしたのかがわからない。

 ローグハンターは高速で払われた触手に向け、炸裂矢(グレネードアロー)を放っただけだが、魔物である肉塊がそれを知ることはないだろう。

 そして、彼に注意が向いた一瞬を、剣聖と呼ばれる彼女が見逃す筈もない。

 

「フンッ!」

 

 気合い一閃と共に鋭く放たれた一撃が、蠢く肉塊の一部を抉り取った。

 弾けるように噴き出た赤黒い血は、肉塊が生物である事を教えてくれる。

 そして、血が出るということ殺せるのとほぼ同義だ。

 それを知る剣聖は不敵な笑みを浮かべ、反撃の触手を切り払うと、大きく後方へと飛び退いて更なる追撃を避けた。

 瞬間、肉塊に矢が突き刺さり、防御姿勢をとる間もなく続けて四本の矢が突き刺さった。

 賢者への流れ弾を恐れてか、彼女から離れた岩の上に布陣したローグハンターが、連弩の如く一息の間に五本の矢を放ったのだ。

 森人とてそうはやらないであろう、文字通りの神業。彼自身が積み重ねた技量(スキル)と呼んで良いのかはわからないが、彼の技である事は変わりない。

 再び注意(ヘイト)がローグハンターに向けられるが、動き出すのは剣聖ではなく、やる気みなぎる勇者だ。

 考えてみれば、これが兄と初めての共闘だ。やる気を出すなと言うのが無理がある。

 彼女が振るう聖剣が彼女の想いに応えるように輝きを増していき、錆びた剣は静かに、しかし力強い雷を纏う事で応えた。

 

 ──お兄ちゃんが近くにいるだけで、こんなに力が出るなんて……!

 

 夢の中で追いかけるだけだった背中が、すぐそばにある。甘えるだけだった人を、こうして守ることが出来る。

 そう想うだけで、何やら力が湧いてくる。だが、そこに疑問はない。

 

 ──だって、家族だもん!

 

 結論それに限るのだ。兄に成長した自分を見せつけてやる良い機会だと思えば良い。

 勇者は不思議な納得と共に笑みを浮かべると、二振りの剣を頭上に掲げ──、

 

「とぅ、あーっ!」

 

 可愛らしくも力強い雄叫びと共に、振り降ろす。

 放たれたのは、闇を照らす陽光の爆発と、闇を切り裂く雷の一閃。

 二つは相殺しあうことなく混ざりあい、否、途中で雷が陽光の爆発を取り込む事で威力を増し、地面を削り取りながら肉塊へとぶち当たる。

 瞬間、強烈な衝撃と閃光が辺りを駆け抜け、冒険者たちは思わず怯む。

 全員の視界が光に覆い隠され、ローグハンターたちは思わず腕で目を庇うが、勇者だけが凛としたまま肉塊を睨み続ける。

 

「XEEEEENOOOOOOONNNN──―………!!!」

 

 光の中で、蠢く肉塊の断末魔が響き渡るのと、賢者の張った結界が内側から砕かれたのはほぼ同時。

 勇者の放った一撃は、賢者の結界を内側から砕いて見せたのだ。

 肉塊を消し飛ばさんとした光が止むと同時に、割れたガラスのように不可視の力場が降り注いでくるが、当たっても不思議と痛みを感じる事はない。

 力場の全てが触れると共にに霧散し、陽光を反射してキラキラと輝いているのだ。

 ローグハンターはまるで星が降るようだと想ったが、すぐに気を引き締めて肉塊へと目を向ける。

 ビクビクと痙攣しているが全身を焼き焦がし、至る所から煙を噴いているそれは、もって後数分の命だろう。

 随分と呆気ない決着にローグハンターは息を吐き、初撃を取った剣聖と、神経を磨り減らしながら結界を張り続けた賢者に目を向け、サムズアップ。

 剣聖は一度頷いて応えると、ホッと息を吐いて剣を鞘に納め、賢者は不機嫌そうにぷいと顔ごと視線を逸らした。

 二人それぞれの仕方での返答を受けたローグハンターは、最後に柔らかい笑みを浮かべて勇者に目を向ける。

 知らない間に立派になった妹を労ってやらないで、兄を名乗る事は出来ない。それに滅多に会えないのだから、目一杯可愛がってやらねばそれこそ罰当たりだろう。

 彼が視線を向けた時そこにいたのは、いつもの太陽のような笑顔を浮かべる勇者。

 

「ぅ………」

 

 ──ではなく、苦しげな表情で膝をついた彼女の姿だった。

 顔色が異様に青く、額には大粒の脂汗が浮かび上がり、素人目で見ても何かしらの毒を受けたことは確実。

 聖剣を杖代わりにして立ち上がろうとするが、力が入らないのか膝が笑い、今にも倒れてしまいそうだ。

 怪しいのは不気味な輝きを放つ錆びた剣だが、そんな事はどうでも良い。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 異常を察したローグハンターが走り出すと、一瞬遅れて異常に気付いた剣聖と賢者も慌てながら近付こうとするが、背筋を駆け抜けた悪寒により、すぐさま臨戦態勢へと移行する。

 彼女には彼がついてくれる。ならば自分たちの役割は別だ。

 

「XENOOOO………!」

 

 二人が再び構えた事を合図にしてか、肉塊がゆっくりと起き上がる。

 先程はなかった金色に輝く紋様が全身に浮かび上がり、死にかけていたというのに活力に満ちている。

 勇者が削りきった体力が、この一分程で全快した様子だ。

 賢者から見てもからくりはわからないが、天上の神々が何かしたのだろうと目星を付ける。

 そして、思考を切り上げた所で杖を掲げ、真に力ある言葉を紡ぐ。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》」

 

 紡がれたのは『火矢(ファイアボルト)』の詠唱。

 宙に数十と展開された『火矢』が、波となって肉塊へと降り注いだ。

 爆発が更なる爆発を生み、それが数十秒に渡って続いていく。

 勇者が原因不明の状態異常にかかった以上、彼女はしばらく動けない。復活するか、あるいは撤退する時間を稼がなければならない。

 言葉には出さずにそれを察していた剣聖も、降り注いだ『火矢』による爆煙諸とも肉塊を切り裂き、決して小さくはない痛痒(ダメージ)を叩き込み、刃に付着した返り血に血払いくれる。

 

 ──これで注意(ヘイト)はこちらに向いた筈!

 

 剣聖はそう断じてその場を飛び退いた瞬間、肉塊は傷口から血を噴き出しながら触手を振り上げた。

 狙いは自分であろうと剣聖は受け流しの構えを取り、気合いを入れて相手の動きを見切らんと目を輝かせるが、

 

「む……!」

 

 肉塊の狙いを察して目を見開く。

 振り上げられた触手が狙っているのは、ローグハンターに抱き起こされた勇者だ。

 

「いけない、避けろ!」

 

 弾かれるような剣聖の警告が、ローグハンターの耳に届く。

 普段の勇者ならともかく、意識が朦朧としている彼女では回避なぞ出来る訳がない。

 触手が振り下ろされるまでの刹那的な時間の思考。

 彼が叩き出した答えは、

 

「すまん!」

 

 謝罪と共に、勇者を投げ飛ばす事だった。

 勇者が驚き、掠れる声をあげた瞬間、触手が振り下ろされる。

 狙いである勇者から大きく外れ、その場に残されたローグハンターに叩きつけられるが、彼も持ち前の反射神経をフル活用し、間一髪で避けた。

 誰一人として叩くことのなかった触手だが、その威力は余りあるものだった。

 空振った触手が岩肌を砕き、弾かれた小石が弾丸となってローグハンターに襲いかかった。

 胴体は鎧に任せて顔を庇うが、不運(ファンブル)にも掠めた小石により頬に赤い筋が刻まれ、被っていたフードが取り払われた。

 彼は広くなった視界をそのままに小さく舌打ちを漏らし、追撃に備えて体勢を整える。

 刺突を放たんとしているのか、触手を引き絞って構える肉塊の狙いは、またしても勇者。

 

「させん!」

 

 それをさせまいと剣聖が愛剣で斬りかかるが、体をいくら斬られようと肉塊は呼び動作を止めることはない。

 まるでそうすると事前に決めていた(行動宣言した)ように、何をしようと怯まないのだ。

 歯軋りする剣聖を他所に、勇者は聖剣を杖にして無理やり立ち上がり、歯を食い縛って聖剣と錆びた剣を構える。

 震える足。力の入らない指先。霞む視界。落ち着かない呼吸。

 

 ──無理かもしれない。でも……!

 

 彼女が覚悟を決め、クロスするように二振りの剣を構えるのと、引き絞られた触手が放たれたのはほぼ同時。

 放たれた触手はさながら流星となって勇者に襲いかかり、彼女の構えた剣を打ち付けられた。

 凄まじい衝撃が満身創痍の彼女の全身に襲いかかり、思わず意識が飛びかける。

 だが、勇者は倒れない。倒れるわけにはいかない!

 

「くぅ……!ああああああああああああっ!」

 

 雄叫びと共に余力全てを使い、触手を弾き返し(パリィ)

 手元から聖剣が抜けていき、近くの岩に深々と突き刺さる。手の中に残された錆びた剣も、力を使い果たしてかただ重いだけ。

 体の方も余力を使い果たしたしてしまったのか、全身から力が抜けていく。

 倒れる間際、再び振り上げられた触手が視界の端に映りこむ。

 回避、防御、受け流し。いずれも不可能。やったとしても、間違いなく直撃(ファンブル)だろう。

 今この瞬間に迫る死に、勇者は力なく笑みを浮かべる。

 

 ──せっかく、お兄ちゃんに会えたのに……。

 

 消えゆく視界に映るのは、愛する兄の背中。

 

 ──これじゃあ、あんまりだよ……。

 

 振り下ろされる触手。

 その矛先を向けられた少女の姿はあまりにも無防備で、振り下ろされる暴力はあまりにも無慈悲で、傍観者たちはあまりにも無力で──。

 よくある事だ。冒険者が魔物に敗れ、死んでいくなど。

 よくある事だ。神々ですら、予想外の結界を迎えることなど。

 だが、それでも、彼は走る。

『宿命』と『偶然』の骰子(サイコロ)の目を、知ったことかと一蹴し、神々の用意した物語(シナリオ)を、知ったことかと崩壊させる。

 何故か。そんな事、聞くまでもない。

 

 ──運は自分で掴むものだから。

 

 振り下ろされる触手。振り下ろされた少女。そして、その間に割って入った男が一人。

 死を覚悟した少女が見た景色は、自分の体が泣き別れするものではなかった。

 見たのは幼い頃から夢に見た兄の背中。フードが取り払われたからか、自分と同じ黒い髪が尻尾のように揺れている。

 

 ──でも、何でだろう……?

 

 霞む視界の中で見たのは、兄から噴き出る赤黒い何か。

 兄がそんな飾り付けていた記憶はないけれど、赤も似合うんだなぁと苦笑を漏らす。

 背中を向けて倒れてきた兄を抱き止めようとするが、足に力が入らず尻餅をつく。

「ごめんね」と声をかけるが、いつもならしてくれる返事がない。代わりにあるのは、手のひらに感じる生暖かさだ。

 彼女は不思議に想って自分の手のひらを見つめ、そして目を見開いて体を硬直させる。

 真っ赤に染まった手のひらは、兄の首に当たっていたものだ。

 あんなに霞んでいた視界が、急激に覚醒していった。

 体に力が入らないのは変わらないけれど、視界だけが明瞭になっていき、彼の事を嫌でも教えてくれる。

 自分の体の代わりに掻き切られた首元。動脈が切られたのか、彼女が呆然としている間にも、赤い血が溢れている。

 彼女は人間の急所なんてわからないけれど、首と心臓を刺されたら死んでしまうことぐらいは知っている。

 まだ微かに息はあるけれど、虚ろな瞳は何も映してはいないだろう。

 まだ知識も経験も中途半端なものばかりではあるけれど、それでも彼女にらわかってしまった。

 

「お……兄……ちゃん……?」

 

 よくある事だ。冒険者が魔物に敗れ、仲間の腕に抱かれて死んでいくなど──。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory11 制定の剣(Piece Of Eden)

 都の北部に座する霊峰。

 その頂きにほど近い場所で、二人の女性と蠢く肉塊の戦闘は続いていた。

 剣聖の一撃が触手を切り飛ばし、賢者の魔術が本体の肉を抉る。

 防御を剣聖に任せた、賢者の捨て身の魔術放射。

 並の魔物なら、否、上級の悪魔(グレーターデーモン)ですら即死するであろう技を何度当たろうと、肉塊は死ぬことはない。

 致命傷(クリティカル)を連発しようが、骰子を振らせない(固定値で殴る)ように技を放っても、全てが無意味だ。

 なぜか。その理由はとても単純だ。

 

「XENOOOOOOOOOO!!!」

 

 肉塊が苦しげに咆哮する度に体に浮かび上がる金色の紋様が輝き、その傷を瞬時に直してしまうのだ。

 海内無双を誇る剣聖であろうと、国内において他にいない賢者であろうと、肉塊を仕留めるには何かが足りないのだ。

 賢者は集中を切らすことなくその何かを持つであろう勇者に目を向けた。

 

「お兄ちゃん……、お兄ちゃんってば……」

 

 彼女は真っ青な顔色で目に涙を溜めながら、自分に力なく寄りかかる兄へと声をかけ続けていた。

 手を真っ赤に染めながら止血しようと彼の首を押さえているが、それでも溢れる血が止まることはない。

 彼の命は、今まさに消えようとしている。

 賢者とて、人の死を喜ぶほど冷酷ではないし、それが勇者たる少女の兄なら尚更だ。

 だがしかし、今の彼女の脳内はとても冷たいものだった。

 賢者は彼と初めて会った時から、彼の事を警戒していた。

 その理由は様々だが、大きな理由としては一つ。

 

 ──彼はおそらく、盤の外から来た者だから。

 

 ただの憶測、ただの予想だ。だが、そこには僅かな確信もあった。

 剣聖に気付かれずに近づく隠密(スニーク)能力。そのまま彼女を仕留めかけた技術。

 何よりも、あの奇妙な剣。

 賢者と呼ばれるに至るまで集め続けた知識には、その奇妙な剣を使う暗殺者たちの物語も含まれている。

 勇者や英雄たちが魔神王を討たんとする影で活躍していた、影の守護者、隠れし者たち。

 歴史の影に隠れた彼らはどこからか現れ、どこかに去っていったと言い、皆奇妙な剣を使っていたと聞く。

 だが、賢者はある仮定にたどり着いた。

 その物語には、あまりにも共通点が多すぎる。奇妙な剣を扱うだけではなく、その独特な衣装に至るまで一致する話が多いのだ。

 故に賢者は、その暗殺者が同一人物であるという仮説を立てた。

 只人が何百年も生きられる訳がないのだが、もし彼が外から来たりし者(ブレインズウォーカー)だとしたら。この世界の範疇に収まる者でないとしたら。

 

 ──そして、それが一人だけではないとしたら。

 

 物語には圧倒的なまでに悲劇も多く存在する。

 その終わり方は、時には一族が全滅するものから、国そのものが滅ぶものまであり、もし彼が件の暗殺者と同じだとしたら、彼は悲劇を振り撒く存在となるだろう。

 あくまで仮定、あくまで憶測。だが、万が一という言葉もある。

 

 ──どこかのタイミングで、彼には帰ってもらおうと思っていたけれど……。

 

 今にも死んでしまいそうな彼を視界の端に納めつつ、賢者は再び魔術を組み上げ、肉塊へと放つ。

 放たれた超自然の矢が肉塊を撃ち抜き、風穴を開けるが、

 

「XENNOOOOOOOOOOO!!!」

 

 肉塊の咆哮と共に、その傷は瞬時に癒されていく。

 やはり再生の間を与えずに削りきるしかないとわかっていても、自分ではその火力を出せないと歯噛みする。

 剣聖は防御に徹し、頼みの綱である勇者も戦闘不能。

 せめて勇者が戦う事が出来ればと思慮した所で、それが無意味であると悟るのに時間は必要なかった。

 術の連発で少し荒れた息を整えていると、片刃の剣を構える剣聖が背中越しに言う。

 

「まだいけますか!」

 

 その声には活力が溢れているものの、足元には赤い点が複数あり、それはいまだに増え続けている。

 どこか負傷したのかと一瞬驚きはするものの、すぐさま落ち着きを取り戻して頷く。

 

「大丈夫。ただ、勝てるかはわからない」

 

「やはり厳しいですか」

 

 隠す必要もないと告げた言葉に、剣聖は眉を寄せながら聞き返す。

 どんな敵にも勇んで挑む彼女にしては珍しい、どこか不安げな声音。

 賢者は彼女の背を押すように、小さく笑みを浮かべて告げた。

 

「それでも、やるしかない」

 

 彼女への言葉はそれだけで十分だ。

 血が出るのならいつか倒せる。血が出るのなら、殺せる筈なのだ。

 

「ええ、その通りです!」

 

 剣聖は自らを鼓舞するように不敵な笑みを浮かべ、殺到してきた触手全てを切り捨てる。

 舞い散る赤黒い血飛沫がさながら旗の如く翻り、雨の如く辺り一面に降り注ぐ。

 愛剣に血払いくれて、頬についた返り血をそのままに、鮫のような笑みを浮かべる。

 

「さあ、ここからです」

 

 言うや否や飛び出していき、放たれた触手を全て切り捨て、本体へと渾身の一撃を叩き込む。

 噴き出す返り血で全身を真っ赤に染めながら、傷跡を抉るように追撃を放つ。

 両断とまではいかなくとも、大きな痛痒(ダメージ)であることには変わりない。

 触手を切り捨て賢者を守り、隙を見て自分も攻撃に加わる。

 限界まで精密(テクニカル)な動きを要求されていたが、彼女は吹っ切れたように粗雑(クルード)な動きを取り始めた。

 ようやく彼女らしくなったと、賢者は柔らかい笑みを浮かべた。

 本来精密な動きとは自分の役割だ。勇者が欠けた今、剣聖がその穴を埋めるべく奮闘していたに過ぎない。

 時には繊細に、時には豪快に敵を切り捨てる。それがあるべき剣聖の姿なのだ。

 文字通り暴れまわる剣聖に押されてか、賢者は軽い気持ちでぽつりと漏らす。

 

「いっそ、『核熱』でも使ってしまおうか」

 

「それは後が怖いので、最終手段と言うことで!」

 

 それにすかさず反応した剣聖は、賢者に向けられていた触手の根本に刃を振り下ろす。

 大樹を切り落とさんと放たれた一撃はたやすく触手を切り裂き、三度噴き出た赤黒い血が地面を染め上げる。

 反撃に放たれた触手を頬を掠めるほどギリギリで避け、お返しと言わんばかりに刃を振り上げ、触手諸とも本体を深々と傷つけた。

 噴き出した血が一瞬空を彩り、すぐに地面の染みへと変わる。

 もはや誰のものかもわからない血で、辺り一面を真っ赤に染めながら、剣聖と賢者、肉塊の攻防は続く。

 

 

 

 

 

『私の話をよく聞いてくれ』

 

 妙に低い()の視線に合わせるように、目の前の男は腰を降ろし、開口一番にそう告げた。

 はて何の事だと首を傾げると、男性は()と同じ蒼い瞳を向けながら、どこか嬉しそうに笑んだ。

 

『もうすぐお前は兄になる。弟か妹かはまだわからないが、それだけは確かだ』

 

 訳のわからない事を言う男性は、無遠慮に()の頭を撫で回す。

 だが、不思議と拒絶する意思は沸いてこず、むしろ安堵の想いが()の胸の中を占めていた。

 男性はきっと不思議そうな表情をしている()の両脇に手を差し込むと、ひょいと持ち上げて立ち上がった。

 急に高くなった視界に不安を感じるが、不思議と恐怖はない。

 この男性なら、きっと落とさないとわかっているからだ。

 男性はフッと微笑むと、()に告げる。

 

『だから、下の子を守ってやってくれ。私がいつでも一緒にいられるとは限らないからな』

 

 男性はそう言うと、()を降ろして再び頭を撫でると、「では、行ってくる」と踵を返して歩き出す。

 男が纏っていたのはとても見慣れた、いや、とても着慣れたテンプル騎士団の制服。

 ああ、そうかと思い出した頃にはもう遅い。

 ()は慌ててその背中に手を伸ばすが、その手は空を切って届くことはない。

 

 ──なんて親不孝な男なんだろうか、()は。

 

 まさか父の顔を忘れるなど、父の言葉を忘れるなど。

 いや、この言葉を聞いたのは、()が三歳か四歳の頃だ。覚えているわけがない。

 父の背中を見送った俺の横に、一人の女性が立ち止まった。

 

『いってらっしゃいを言いそびれちゃったわね。もう、あの人ったら……』

 

 言葉こそ不満そうではあるけれど、そこにはどこか喜色が混ざっている。

 きっと、すぐに帰ってくると、すぐに会えるとわかっているのだろう。

 

『あんな格好しているのは初めて見たけど、まあいいわ。さあ、ご飯の用意が出来たわよ』

 

 女性はそう言うと、()の頭を撫でながら腰を降ろし、顔を覗き込んでくる。

 

 ──ああ、本当に。俺はなんて親不孝者だろうか。

 

 女性に笑みを浮かべて返しつつ、()はそう想った。

 きっと優しい笑みを浮かべているだろう。きっと優しい瞳をしている事だろう。

 いくらそう想っても、()は女性の顔がわからなかった。仮面をつけているかのように顔だけが黒く塗り潰され、表情を伺う事が出来ないのだ。

 

 ──母の顔を思い出せないなど、俺はなんて親不孝者なんだろうか。

 

 母が死んだ日の朝は、こうしていつも通りに始まったのは覚えている。

 だが、母の顔だけが、思い出す事が出来ないのだ。

 そんな()を責めるように母の無貌(むぼう)の闇が広がり、辺り一面を塗りつぶす。

 何もない闇の中にいるのは()一人。他には何もなく、誰もおらず、音もない。

 闇が全身に絡み付き、そのまま闇の底まで()を引き込まんと引きずり始めた。

 だがその感覚は不思議と心地よく、このまま眠ってしまいたいと想えるほどだ。

 まるで乳母車に揺られるように、産湯に浸けられているかのように、これ以上ないほどに安堵してしまうのだ。

 強烈な睡魔に襲われた時のように、重い瞼をそのまま閉じようとすると、

 

『……ちゃん!……お……ちゃ……!』

 

 切羽詰まった少女の声が、確かに耳に届いた。

 最初は聞き間違いかと想ったが、それが二度三度と続けばそれは誰かが叫んでいるに違いないのだ。

 暗闇へと落ちかける意識の中で、()は思考を巡らせる。

 

 ()は何をしていた?

 

 ──あの肉塊と戦っていた。

 

 ()はどうなった?

 

 ──首を切られた。

 

 ()はどうなる?

 

 ──もうすぐ死ぬだろう。

 

 |あの娘は、どうなる?

 

 ──………。

 

 あいつは、どう想う?

 

 ──そんなどうでもいい事、考えるまでもないだろう!

 

 ()はどうしたい?

 

 ──妹を守り、共に帰る!

 

 何のために?

 

 ──あいつに会うために!妹をあいつに会わせるために!

 

 ならば、どうする?

 

 ──そんな事、決まっている!

 

 父は言った。兄として下の子を守れと。

 母は信じていた。父が必ず帰ってくると。

 すぐ側には守るべき妹がいて、神殿には()の帰りを待っている奴らがいる。何よりも、あいつが待ってくれている。

 どうするか?そんな事決まっているだろう!

 

「まだ……死ねん……!」

 

 歯を食い縛り、迫り来る眠り()に気合いだけで抗う。

 闇に包まれていた景色に、一筋の光が差し込んだのはその時だ。

 その光は太陽のように温かく、全身に絡み付いていた闇をはね除ける。

 ()は必死になって手足を動かし、光を目指して浮上していく。

 水中にいるかのように体は重く、光は遠ざかっているように想えるほど距離が縮まらない。

 足元には先ほど離れていった闇が再び捕まえんと伸びてきており、それも後数秒後に実現する事だろう。

 そうとわかっても、ひたすらに進み続ける。抗う事を止めたらそこで終わりだ。次がなくなってしまう。

 必死にばたつかせる手足が痺れ、動きが鈍くなっていく。

 それでも泳ぐ。それでも進む。死んでたまるかと抗い続ける。

 速度を上げた闇の先端が、()の爪先を掠める直前、ありったけ手を伸ばす。

 闇が足首に巻き付いた瞬間、()は確かに何かを掴んだ。

 それが何なのかはわからない。誰かの手なのか、あるいは差し出された蜘蛛の糸だったのか、定かではない。

 だが一つ確かに言えることは、それは一気に()を引き上げ、迫っていた闇を払ったという事。

 黒一色だった景色が一変、眩しい程の白一色に染まる。

 手には光輝く何かが握られており、神々しいまでの光で辺りを照らしている。

 

『お兄ちゃん!お兄ちゃんってば……!』

 

 一見何もない世界に響き渡ったのは、どこからか発せられる妹の悲痛な叫び。

 妹が呼んでいるのに、いつまでも寝ている訳にはいかない。

 ()が覚悟を決めると共に、白一色だった世界に両開きの扉が現れる。

 重工そうなそれは大理石とも鉄とも違う独特の色合いを持ち、所々には金色の紋様が浮かび上がっている。

 初めて見るものに思えたが、()はすぐに違うと断じた。

 そう、見たことがあるのだ。一度だけ見たことのある、かつて来たりし者たちの遺跡の壁や床の素材によく似ているように見える。

 

 ──そんな事はどうでも良い。

 

 ()は扉に歩み寄り、手をかざす。

 重工そうな見た目の割に、扉は一切音をたてることなく開いていった。

 行き先はわからない。妹の下に行けるかもわからない。

 

 ──それでも行くしかない。

 

 覚悟が決まるのはすぐだった。行かなければどこにたどり着くのかもわからないのだから、当然だ。

 ()は躊躇うことなく扉を潜り、妹の下を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

 剣聖と賢者、肉塊の戦いはいまだに続いていた。

 削り、削られを続けること数分だが、只人たる二人にはその数分が数時間のように思えて仕方がなかった。

 命のやり取りを休みなく続けているのだ。二人のスタミナの減り(疲労度の蓄積)はかつてない程になっている。

 

「XEENOOOOOO!!!」

 

 対する肉塊はいまだ健在で、金色の紋様が浮かぶ体には傷一つない。

 傷を負った瞬間に治癒が始まるのだから、いくら削っても仕方がないのだ。

 荒れた息を整えようと肩を揺らしている剣聖は、先ほどのキレを失った動きで触手を切り払うが、守りを突破した一本が彼女の体を打ち据えた。

 強固な鎧に守られた彼女の体を貫く事はなかったが、その代償に鎧がその使命を終えたかのように粉砕される。

 

「か……っ!」

 

 肺の空気と共に血を吐き出しながら地面を転がる剣聖は、無理やりに足を踏ん張らせて踏み止まり、追撃の一撃を辛うじて切り伏せた。

 それと同時に「がぼっ」と口から血を吐き出し、耐えきれずに片膝をつく。

 笑う膝を鼓舞するように拳で叩き、気合いだけで立ち上がるが、問題は山積みだ。

 火力、情報、呪文資源(リソース)持久(スタミナ)。何もかもが足りないのだ。

 ここまで見事に押されると、もはや笑いがこぼれてしまうが、実際は笑えるような状況ではない。

 直接的な攻撃から付与術(エンチャント)までこなしていた賢者は、もはや立っているのが不思議な程だ。

 肉塊もそれがわかっているのか、もはや無力となった彼女には目も向けず、いまだ立ち上がる剣聖に攻撃を集中させている。

 問題は、その彼女すら倒れようとしている事。そして彼女が倒れた場合、次に狙われるのは勇者に他ならない。

 

「やらせません……!」

 

 それがわかっているからこそ彼女は立つ。立たねばならぬ。

 額から流れる血で片目は使い物にならず、先ほど殴られた腹からは砕けた鎧で切れたのか血が流れ、止まる様子はない。

 

 ──やはり、神官を招いておくべきでしたね……。

 

 前衛たる勇者と剣聖、後衛たる賢者。何度も世界を救った彼女らの一党には、肝心の回復職が誰一人としていない。

 彼女らが就く任務の難易度はどれも高い。それについてこれる神官なぞ、あまりにも少ないのだ。

 剣聖が後悔した所で現状は変わらない。依然として絶体絶命だ。

 深く息を吐いて刃こぼれの目立つ片刃の剣を構えると、不意に肉塊が彼女から注意を逸らした。

 思わぬ事態に狼狽える剣聖だが、肉塊の狙いを察して顔色を青ざめた。

 振り上げられた触手の矛先にいるのは、兄を抱えて涙を流す少女だ。

 肉塊は剣聖を脅威から外し、戦意こそないものの体力が有り余っている勇者に攻撃せんとしている。

 相手の狙いを潰さんと剣聖は駆け出すが、足が回らず相手を間合いに捉える前に転倒してしまう。

 我ながら無様なものだと自嘲する前に、剣聖は叫ぶ。

 

「避けてください!」

 

 たった一言叫ぶだけで、剣を数百と素振りしたように体力を失ったが、もはや零に近いのだから気にするまでもない。

 余力を振り絞った剣聖の警告に勇者はハッと反応するが、気付いた所で全てが遅かった。

 少女の体と、彼女が大事そうに抱える男の体を砕かんと、触手は無慈悲に振り下ろされる。

 回避も防御も出来る訳がない。太陽の光を宿した聖剣は手の届かぬ場所に落ち、兄を抱えている都合上、手に武器を握っていない。

 今の勇者はただの少女に他ならないのだ。

 兄を想うただの少女に何が出来る。武器も持たぬ少女に何が出来る。

 少女には防ぐ(すべ)が何一つとしてなかった。

 

 ──そう、少女には(・・)

 

 来る衝撃に備えて少女が身構えた瞬間、凄まじい雷鳴が辺りに響き渡り、次いで肉が断ち切られる音が鼓膜を叩いた。

 いつの間にか腕に感じていた重さがなくなり、足元に落とした錆びた剣もなくなっている。

 勇者は泣き腫らした顔をあげ、正面に目を向けた。

 彼女の視界にあるのは蠢く肉塊でも、泣き別れた自分の体でもない。

 いつでも頼りになる兄の背中。

 左手には柄頭に鷲の意匠が施された漆黒の剣を持ち、弓や妙な筒を背負っていることには変わりない。

 だがしかし、変わった事が二つ。

 まず一つは、掻き切られた首に大きな傷痕が残っている事。

 次なる変化は、彼の右手に雷を纏う錆びた剣が握られているの事だ。

 それは勇者が振るっていた一振りであるが、それだからこそ彼女にはわかった。

 

 ──あの剣は、お兄ちゃんがもっているべきなんだ。

 

 自分は力を引き出して叩きつけていただけだが、兄が握っているあれの力は、とても静かで落ち着いている。

 

「XENOOOO!?!?」

 

 突如復活したローグハンターの姿に驚愕する肉塊。

 まずは断ち切られた触手を癒さんと力を入れるが──、

 

「XENO……?」

 

 治らない。力を入れても、少し待ってみても、治る気配が全くないのだ。

 突然の事態が続き狼狽える肉塊だが、悪寒を感じてローグハンターに注意を向けた。

 彼は黒鷲の剣を地面に突き立てると、大きく右足を下げて半身となり、錆びた剣を地面と水平になるように構えを取った。

 ビリビリと錆びた刃に雷が迸り、力を溜め始めていることが目に見えてわかる。

 剣から漏れた力が空気を震わせ、ローグハンターの纏うローブを激しく揺らす。

 

「XENNNNOOOOO!!!」

 

 本能による警告か、神々からの神託(ハンドアウト)か、肉塊はそれが危険であることを瞬時に察したのだ。

 ならばと彼を止めるために触手を振るうが、

 

「こんのォッ!」

 

 それを阻むように、太陽の輝きが叩きつけられた。

 悪しきを焼き尽くす聖なる陽光が触手を焼き払い、炭さえも残さずに塵へと還す。

 勇者はふんと鼻を鳴らしながら、素早く回収してきた聖剣を両手で構え、肉塊に向けて確かな敵意を露にした。

 

「これ以上、お兄ちゃんには触らせないよ!」

 

 彼女の宣言を挑発と受け取ったのか、肉塊は彼女に焼き払われた触手をすぐさま再生させて再び放つ。

 先ほど以上の速度、力ではあるが、勇者はそれに臆することなく聖剣を振るう。

 大上段からの振り降ろし、真一文字の一閃、袈裟、逆袈裟。

 瞬き一つする間に幾重もの剣撃が放たれ、輝く軌跡を残しながら触手を塵へと変えていく。

 

「XENO!?」

 

 肉塊が狼狽え、間抜けな声を漏らした瞬間だ。

 勇者は何かを感じてその場を飛び退き、後ろに控える兄の射線を開けた。

 兄が持つ錆びた剣には、静かでありながら凄まじい力が蓄積され、放たれる時を今か今かと待ちわびている。

 

 ──そして、その時はすぐに訪れた。

 

 肉塊は何か来ると察知し、触手を何十にも重ねて盾変わりにすると、その醜い体を覆い隠す。

 並の攻撃ではまず破れない防御の構えだが、ローグハンターは知らんとばかりに足に踏ん張りを利かせる。

 足を地面にめり込ませて体を固定し、渾身の力を込めた刺突を放った。

 瞬間、錆びた剣から放たれたのは紫電一閃──金色に輝く雷電竜の咆哮だった。

 彼の内に秘められた激情を、霊峰だけではなく都にまで轟かせるように雷電竜は吼える。

 怒りの矛先は蠢く肉塊へと向けられ、一直線に突き進む。

 電熱により大気を焼き付くし、絶大な力で地面を削り取り、掠めただけで巨岩を砕き、標的たる肉塊へと進み続ける。

 肉塊は触手の防御を更に厚くさせ、来るべき衝撃に備えた。

 一秒たった。二秒が経った。三秒、四秒が経った。

 いつまでも来ない衝撃に肉塊が疑問を浮かべた瞬間、いつにそれが訪れた。

 尤も、肉塊がそう感じた時には全てが遅かった。

 世界において、(ひかり)より速く動けるものなどない。肉塊の発達した思考であっても、それは例外ではない。

 痛みはない。恐怖もない。ただあったのは──、

 

「XENO………!?」

 

 驚愕のみ。

 幾重にも重ねられた触手の障壁はそれこそチーズのように焼き斬られ、何の意味もなさなかった。

 蠢く体の大半が抉り取られ、致命傷であることは間違いない。

 今までと違うのは傷の治癒が始まらない事だ。

 先ほどまで眩しい程に輝いていた金色の紋様が消え失せ、残ったのは三日月状に体を抉られた蠢く肉塊のみ。

 ピクピクと痙攣を繰り返していた肉塊は、べちゃりと水っぽい音と共に崩れ落ちた。

 ローグハンターはそれを見届けると、深く息を吐きながら錆びた剣で空を切る。

 その瞬間、甲高い金属音と共に大量の茶色に欠片が宙を舞った。

 地に伏した剣聖と賢者、そして二人を庇うように立っていた勇者の三人は確かに見たのだ。

 

 ──雷光を纏う金色の剣を持った、漆黒の鎧を纏う男の姿。

 

 剣には幾何学的な紋様が浮かんでは消え、複雑な輝きを放っている。

 賢者は倒れながらも警戒を強めるが、剣聖は少しホッとした様子で息を吐き、勇者は──、

 

「お兄ちゃぁぁぁあああん!」

 

 躊躇うことなく彼の胸の飛び込んだ。

 ローグハンターは僅かに慌てた様子を見せながらも、驚異的な反射速度でもって彼女を抱き止めた。

 

「良かったよ~!ボク、お兄ちゃんが死んじゃったって想ったんだからね!」

 

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼女は彼の鎧に頬擦りする。

 当の兄は困り顔だが、彼女の髪を優しく撫でてやる。

 

「まだ死ねないさ。やり残した事が多すぎる」

 

 彼は金色の双眸(・・・・・)を細めながらそう言うと、手に持っていた金色の剣を腰帯の右側に吊るし、地面に突き立てていた黒鷲の剣を回収し、腰帯の左側に吊るす。

 そこまでやるとホッと息を吐き、勇者の一党に向けて言う。

 

「それじゃあ帰るか。どうやって帰るのかは知らないが」

 

「ボクに任せてよ!でも、その前に──」

 

 自信満々に自分の薄い胸を叩いた勇者は剣聖と賢者に目を向け、その小さな体を投げ出した。

 仰向けに倒れて雲一つない──雲が下にあるのだから当然だ──青空を眺め、太陽を想わせる笑みを浮かべて一言漏らす。

 

「──疲れたから、休憩!」

 

 それに異議を唱える者はおらず、まだ余力のあるローグハンターは、手頃な岩に腰掛けながらタカの眼を発動し、周辺の警戒を始めた。

 魔物一匹いない霊峰ではあるが、何事にも例外があり、ふとした拍子に万が一が起こる事もある。

 故に彼は油断なく、いつだって警戒を怠る事はない。

 愛する妹とその仲間がいるのだから、それは当然の事だ。

 

『シンクロ率の慢性度を確認中。──────完了』

 

『遺伝子情報を確認中。──────完了』

 

『認証コード確認中。────―完了』

 

『遺伝子情報確認中。────―完了』

 

『座標送信を開始します。開始するために、戦闘体勢を解いてください』

 

 どこからか聞こえる不思議な声を、気にする様子もなく──―。

 

 

 

 

 

『幻想』は俯かせていた顔を上げると深々と息を吐いて、そのまま卓の上に突っ伏しました。

 対面に座る『真実』もホッと息を吐き、『幻想』に向けて大丈夫?と声をかけます。

『真実』の心配の声を他所に、『幻想』はもう無理~と力なく声を出します。

 確かに今回の件は、神様たちからしてもハラハラしました。

 なぜ倒した筈の魔物が復活するのです。

 なぜ自分達の想定よりも強くなっているのです。

 なぜ剣聖たちの攻撃が、まるで通用しないのです。

 聞きたいことは山ほどありますが、とりあえず倒せたので良しとしましょう。

 

 ──いえ、今回ばかりは駄目です。

 

 ただですら予定していた物語(シナリオ)(ことごと)く崩され、ショックを受けていたのですから当然です。

 

 ──一回端っこから調べてみれば?

 

 通りすがりの神様がそう言うと、『真実』はそうだねと頷きます。

 そうして盤を確かめようと体を乗り出した時です。

 どこからともなく骰子(サイコロ)が転がって来ました。

『真実』が首を傾げてそれをつまみ上げると、その隣に一人の女神が腰掛けます。

 輝く金色の瞳に透けるほど美しい金色の髪。

 一目見れば神様だとわかる風格を放つ彼女は、口元に怪しげな笑みを浮かべます。

 

 ──ねえ。この(せかい)を賭けて、勝負しない?

 

 

 

 

 

 最も深き迷宮、最果ての深淵、死の迷宮(ダンジョン・オブ・デッド)

 かつて魔神の王が潜み、四方世界に死を振り撒いた深き穴。

 魔神が去って久しいがいまだに瘴気が立ち込め、この地に踏み入る祈る者(プレイヤー)の全てを拒み続けていた。

 だがしかし、その中心たる第四層に佇む男が一人。

 染み一つない純白のローブを纏い、右手には金色に輝く剣が握られ、薬指の欠けた左手につけられた籠手からは、血に濡れた仕込み刀(アサシンブレード)の刃が覗いている。

 男の周辺には肌に手を模した入れ墨の施されたゴブリンの死体と、邪教徒と思われる者たちの亡骸が転がり、文字通りの血の海となっていた。

 そして、その部屋の端に転がる異様なものが一つ。

 それは巨大な手であった。それは、ここに潜んでいた邪教徒が復活させた魔神の手(グレーター・デーモン・ハンド)の亡骸に他ならない。

 アサシンはアサシンブレードに血払いくれると、金色の剣を腰帯に吊るす。

 

「王妹の誘拐。彼女を贄とした儀式。復活した悪魔と、姫を助けに来た冒険者の死闘。──―下らん」

 

 彼は天上の神々が用意した物語(シナリオ)をそう断ずると、口元に冷たい笑みを浮かべた。

 

「欠片が三つ。剣が一振り。渡すべきものは全て渡した」

 

 どこか満足したような声音で言うと、踵を返して歩き出す。

 道中に転がるゴブリンや邪教徒の死体には目もくれず、男は不気味な笑みを一層深める。

 

「用意は整った、後は神殿に招くのみだ。再会が楽しみだな、我が血脈の果て」

 

 ──エデンの守護者(ガブリエル)よ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory12 帰路

プロットを加筆した影響で、この話がsequence10に変更されました。ご了承下さい。


 都の入口たる大門。

 陽が昇れば数多の人々が行き交いごった返すその場所も、まだ陽も昇らぬ内は静かなもの。

 そんな静寂が支配する時間だというのに、既に四人の冒険者の姿があった。

 一人は汚れの目立つローブを纏った賢者だ。かつては傷一つなかったであろう杖にも細かな傷が刻まれ、激戦を潜り抜けてきたことがわかる。

 その隣に立つ剣聖は前衛職故か賢者以上に負傷が多く、胴を守っていた鎧は完膚なきまでに砕かれ、負傷した箇所には誰かが施したであろう包帯が巻かれている。

 鞘に納められた片刃の剣も刃こぼれや歪みが目立ち、一度修理に出さなければすぐに折れてしまうだろう。

 見ての通り満身創痍の二人に比べ、他の二人はまだ余力を残していた。

 おそらく一番軽症である勇者は溜まった疲れを吐き出すように息を漏らすと、ほとほと困り果てたように言う。

 

「うーん、ちょっと早かったかな?この際乗り越えちゃおうか?」

 

 そんな体力が残っているのはおそらく彼女だけなのだが、剣聖と賢者は返答するのも面倒なのかため息を吐くに止めた。

 だが、ローグハンターは違う。目深く被ったフードの下で片目を閉じ、白亜の城壁を見上げると、薄く髭の生えた顎に手をやって僅かに思慮する。

 

「……行けるだろ」

 

 彼の口から漏れたのは、何とも適当な言葉だった。

 普段の彼なら止めただろうが、彼は一刻も早く都に入りたいのだ。

 理由?そんなもの単純だ。

 それを察したのだろう。勇者は頬を膨らませて不機嫌そうに言う。

 

「お兄ちゃんに恋人がいるなんて知らなかったよ。手紙ぐらい出してくれても良かったじゃんか」

 

 霊峰から都に戻る道は長い。その途中でこの六年で互いに何があったのかを語り合うのは、ある意味で当然の事だった。

 だが、開口一番に「義姉(あね)が出来るぞ」と言われた勇者の心情を察せる程、ローグハンターは出来ていない。

 

「手紙を出そうにもどこに出せば良いのかわからなかったからな。あの時聞いておけば良かった」

 

「教えなかったボクも悪かったけどさ~」

 

 勇者は体を揺らしてそう言うと、突然表情を引き締めてローグハンターに指を突きつけた。

 

「とにかく!ボクがその人をお姉ちゃんと呼ぶかはわからないからね!」

 

「あいつは良い奴だ、俺が保証する」

 

 彼もまた真剣な表情でそう言うと、閉じられた大門を見上げてため息を漏らす。

 

「……邪魔だな」

 

 瞳が金色に染まった双眸を細め、怒気のこもった低い声を漏らす。

 その手は腰に吊るされた金色の剣に伸びており、本気で大門を叩き斬らんとしていることはわかる。

 それこそ憎き悪魔(デーモン)を前にした時を想わせる威圧を放ちながらだ。一人で来ていれば、間違いなく剣を振るっていただろう。

 だが、彼の隣には妹がいて、その友人たちもいる。下手に騒ぎを起こせば彼女らに迷惑がかかってしまう。

 その判断がギリギリになって彼の手を止め、抜刀する事を防いでいるのだ。

 その剣の力を目撃した勇者たちは彼に気付かれないようにため息を吐き、賢者は現実から逃げるように白く染まり始めた山の輪郭に目を向けた。

 日の出と共に門は開く筈だから、あと一時間もしない内に開くことだろう。

 賢者は小さく肩を竦め、視線をローグハンターへと戻す。

 彼の恋人に関する話で盛り上がっているのか、勇者があれこれと聞いているようだ。

 

「お兄ちゃんの恋人って、どんな人なの?」

 

「髪は銀。等級も銀の武闘家だ。一党としては六年、男女の付き合いとしては三年程だな」

 

 僅かに視線を上げ、染々と呟くローグハンター。

 聞いてもいないことをすらすらと答える辺り、その恋人へと想いが伺える。

 勇者は「三年かぁ……」と腕を組んで天を仰ぐと、「まだボクが村にいた頃かな」と続けて更に質問をぶつける。

 

「冒険者同士でお付き合いって、大変じゃなかった?」

 

 彼女の口から出たのは至極当然の質問だった。

 冒険者とは明日をも知れぬ身だ。そんな冒険者同士が恋し、共に冒険を続けて無事に結ばれる事など、稀な事だろう。

 その苦労が身に染みているローグハンターは、重いため息と共に額に手をやった。

 

「苦労だらけだ。昔も、今も……」

 

 どこか後悔の色が込められた言葉に、流石の勇者もあまり深追いしない方が良いと判断したのか、すぐさま質問を変える。

 

「──それで、その人のどこが好きなの?」

 

 彼女から出された質問は、家族からなら尚更にされて当然の質問だった。

 相手のことも知らずに、最愛の兄を任せられるかを判断出来るものか。

 突拍子もなく放たれた彼女の質問にローグハンターは面を食らったように驚きを露にし、顎に手をやりながら小さく唸る。

 惚れた理由を彼に聞くというのは、中々に残酷なものだ。

 如何せん、彼が彼女への好意に気付いたのは彼女に告白された瞬間だ。

 無意識に彼女の事を目で追っていた事は認めるが、その理由は彼自身にもわからない。

 数十秒ほどかけて言葉を纏めようとするが纏まらず、結局彼が口にしたのは無難なものだった。

 

「……言葉にするのは難しいな。あいつの髪の色、瞳の色、顔立ち、体格、声、強さ、優しさ」

 

 目を閉じれば、瞼の裏に彼女の姿がはっきりと見える。

 出会ったばかりの六年前の姿だろうと、恋人となったばかりの三年前の姿であろうと、様々な場所を巡る事となった去年の姿であろうと関係なくだ。

 それほどまでに、彼女に向ける愛情は()い。

 

「あいつがあいつだから、好きになったんだろうな」

 

 故に彼はそうとしか言えなかった。それが結論であるし、伝えるにはそう言葉にするのが最善だからだ。

 

「へぇ~、お兄ちゃんもそういうこと言えるんだ」

 

 勇者はどこかいたずらっぽい笑みを浮かべ、苦笑する兄の顔を覗きこむ。

 物事を教える時は小難しい言葉を並べ、相手が理解するか、諦めて離れるまで説明するのが勇者の知る兄の姿だ。

 だがしかし、色恋沙汰に関しては兄の方から説明する事を諦めるとは。

 なら聞いても仕方がないと勇者は薄い胸を張り、何故か得意気な顔でうんうんと頷いた。

 

 ──物語のお姫様だって、助けに来てくれた王子様を好きになるんだから、二人にもきっと何かあったんだ。

 

 村で読んでもらった絵本でも、吟遊詩人の歌であっても、その結末に大差はない。

 

「この際理由はどうでも良っか」

 

「ああ。理由はどうあれ、俺はあいつに惚れた。それだけだ」

 

 ローグハンターは妹が作ってくれた逃げ道に迷うことなく飛び込み、ただそう告げた。

 人の感情を細部に至るまで説明出来る者など限られている。それは少なくとも、冒険者である彼らでないことは確かだ。

 二人の会話を横で話を聞いていた剣聖は、閉ざされた大門を見上げながらぼそりと漏らす。

 

「恋人か……」

 

 染々と呟かれたそれには、相当な悲哀の色が込められていた。

 彼女とて冒険者。女性の冒険者は嫁ぎ先が見つからないという誰が言い始めたのかすらわからないジンクスに囚われた、憐れな冒険者の一人だ。

 そんな彼女の前で恋人(例外)の話をするなど、下手な拷問以上の痛痒(ダメージ)を与えている事だろう。

 賢者は無言で彼女の肩に手を置き、「大丈夫」と謎の自信をもって告げた。

 その言葉が励ましとなったのか、追い討ちとなったのかは定かではないが、剣聖が気まずそうに目を逸らして肩を落としたとだけ言っておこう。

 

「それにしても、三年も付き合ってるんだよね?」

 

「もうすぐ四年になりそうだが、いきなりどうした」

 

 勇者からの突然の質問に、その意図を掴みきれないローグハンターは腕を組んだまま首を傾げた。

 勇者は「そっか」と頷くと、しゅびっと音を出しながら指を突き付けた。

 

「一回くらい喧嘩とかしたでしょ?」

 

「…………?」

 

 今後の弄るネタ欲しさに聞いたのだろうが、ローグハンターは目だけで「何を言ってるんだ、こいつは」と返している。

 その目が十秒、二十秒と続いた頃になると、流石の勇者も狼狽えた。

 

「……え、嘘だぁ」

 

 堪らず声を漏らすも、ローグハンターはその目を変えることなく彼女を見続けた。

 その視線から逃げるように、勇者は更に問いかける。

 

「口喧嘩とか、ないの?」

 

「……ないが」

 

「殴りあいの喧嘩とかも?」

 

「何故恋人を殴る必要がある」

 

 彼の言葉に少々怒気が混ざり始めた事を察した勇者は、無理やりにでも話題を終わらせようと肩を竦めた。

 

「……嘘だぁ」

 

 力なく吐かれた言葉に、ローグハンターは改めて思慮し始める。

 

「喧嘩か。うーむ……」

 

 自分が死にかけて説教された事や、あいつが無茶をして説教をしたことはある。だが、感情のままにぶつかり合うことなど──。

 

「なかったように想うが……」

 

 ──こいつがここまで言うのなら、軽い喧嘩ならしても良かったか。

 

 青春と呼べる時期の全てを訓練とアサシンとの死闘に費やした彼は、所謂「普通の恋」というものがわからない。

 彼の師にあたる人物たちが下らぬ猥談をする事はあったものの、それら全てを聞き流したいたのだ。

 彼の過去など露知らぬ勇者は、「うへぇー」と声に出してわざとらしく気味悪がった。

 まあそうだろう。三年間喧嘩なしで付き合う男女など、そう多くはいないのだ。

 その一組が目の前にいるとなると、流石の勇者とて気味悪がるのは当然のこと。

 ローグハンターの記憶にないか、あるいは彼が喧嘩を喧嘩と想っていないだけかもしれないが、彼が「ない」と断言したのだからそうなのだろう。

 

「まあ、仲が良いことに越したことはありません」

 

 ようやく立ち直ったのか、剣聖が豊かな胸を張りながらそう断じた。

 ローグハンターとその恋人とのあれこれは、彼女には一切関係のないこと。気にする必要はないのだ。

 

「時間」

 

 不意に賢者がそう呟くと、大門が重々しい音と共に開いていく。

 同時に門の向こうから朝の喧騒が鼓膜を叩き始め、見張りの番兵たちが慌ただしげに現れ、外へ出ようとする行商人や旅人を捌き始めた。

 勇者が「よーし、開いた!」と声を出して歩き出せば、それに続くのは当然の事。

 都から出て行く人々とすれ違いに大門の下に入り、番兵の前で足を止める。

 尤も彼らは勇者の事を見慣れているからか、その表情は柔らかい。

 もはや形だけであろう手続き──台帳に名前を記し、認識票を見せるだけだ──を行い、剣聖と賢者の二人もそれに続く。

 番兵は彼女らの名前と白金、金の認識票をそれぞれ確認し、最後にローグハンターに目を向けた。

 勇者が連れた見慣れぬ男。彼女らが連れていたのだから敵ではないだろうが、念のためだ。

 

「商人であれば通行書、冒険者であれば認識票の提示を」

 

「ああ、前にもやった事だ」

 

 ローグハンターは苦笑混じりにそう言うとフードを取り払い、首から下げた認識を取り出そうとするが──。

 

「………」

 

 ない。はて、どこにやったのだろうか。

 

「あの、認識票の提示を」

 

 急かしてくる番兵に手で待ったをかけながら、素早く記憶を掘り返す。

 都に入った時は持っていた。あいつと都を散策する時も持っていた。物乞いの一団と戦闘した時も持っていた筈だ。

 様々な場面が走馬灯の如く浮かんでは消えていき、ようやく見つける事が出来た。

 

 ──俺の代わりに置いてきたんだったな。

 

 そう、彼の認識票は至高神の神殿にあるのだ。

 いまだに寝ているであろう彼女の傍らについてやれない、不甲斐ない自分の代わりとして、冒険者としてではなく、影を走る者(アサシン)としての一歩を踏み出すために、置いてきたのだ。

 

 そうとわかれば後は速い。

 

 ローグハンターが愛想笑いを浮かべて摺り足で(あと)退(ずさ)ると、番兵の顔色が変わる。

 

「身分のわかるものを提示しろ!出来ないであれば捕らえる事になるぞ!」

 

 肩に掛けていた槍を顔の高さまで持ち上げながら構え、兜の下で冷や汗を流しながら声を張り上げた。

 それを合図に周囲の番兵たちも槍を構えて彼を取り囲み、僅かな殺気をたぎらせる。

 横の勇者が慌て、剣聖は苦笑、賢者は我関せずと都に入ろうとしていた。

 ローグハンターは彼女らに視線を向けると、かつてないほど重いため息を吐き、敵意がないことを示すようにゆっくりと両手を挙げた。

 こういう時、どう言うのだったかと思慮し、それもまたすぐに思い出した。

 

「──くそったれが(ガイギャックス)

 

「とにかく、一度来てもらうぞ!話はそれからだ!」

 

 囲む番兵が一人また一人と増える中、ローグハンターは慌てず騒がす両手を挙げ続けた。

 彼がそのままの体勢で待機していると、両脇に番兵がつく。

 そのまま背中を押されると共に「歩け!」と指示を出されれば、彼がどうなるかなど説明は不要だ。

 

「あ、お兄ちゃん!?」

 

 慌てて勇者が助けようとするが、ローグハンターが鷹の眼光でもって黙らせる。

 その眼光に勇者がたじろくと、彼は番兵たちに連れられてどこかに連行されていく。

 

 ──あいつは希望だ。俺なんかの為に汚点を残したくない。

 

 おそらく不要であろう兄の気遣い。

 だが勇者は彼の心情をある程度ではあるが察したのか、数瞬迷いつつ彼の背中に向けて叫ぶ。

 

「えっと、待っててね!すぐに助けに行くから!」

 

 その声が届いたのか、ローグハンターは首だけで振り向き、背中越しに口だけを動かす。

 

 ──いや、来なくていいんだが……。

 

 困り顔で口だけそう動かし、遠くにいる彼女にも伝わるように肩を竦めた。

 

 ──別に助けに来なくても、自力でどうにかなる。

 

 対人のプロである彼からしてみれば、脱獄する程度なら造作もない。

 まあ最悪、王妹や外交官の名を使ってしまえばどうにかなるだろうと思慮した。

 恋人と別れて約一週間。ようやく彼も馬鹿になり始めたのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ん……んぅ……?」

 

 彼女は小さく唸りながら、鉛のように重い瞼を上げた。

 背中に感じる柔らかさからして、寝かされているのが上等なベッドである事は間違いない。

 寝心地抜群、窓から差し込む陽の光も優しげで暖かく、室内がとても静かな事もあって強烈な眠気を誘ってくる。

 それに任せてしまおうかとも想ったが、心のどこかが「それは駄目!」と必死になって抗議してくる。

 再び閉じかけた瞼を抉じ開けると腕を上げ、霞む視界で自分の両手に目を向けた。

 霞む視界に映るのは傷だらけの、お世辞にも綺麗とは言えない手。それでも彼は「綺麗だ」と褒めて、優しく握ってくれる。

 彼女は視界の回復を待つように自分の拳を握っては開くを繰り返して感覚を確かめ、視界が安定したら首を倒してベッド脇に目を向けた。

 お見舞いの品のように果物が篭に入れられ、その脇には何やら色とりどりの花が花瓶に納められている。

「なんで?」と疑問符を浮かべながら顔を天井に向け、ぼんやりと何があったのかを思い出す。

 彼や仲間たちと、とある少女の護衛として都に繰り出した事は覚えている。

 そこで謎の集団と戦闘になったこと、途中で彼が離れた事も覚えている。

 相手が降伏して、彼らを一ヵ所に集め始めた事も覚えている。

 そこに別行動中だった仲間たちも合流して──―、

 

『ゆるしてくれ、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ。ゆるしてくれ、ゆるしてくれ!!!』

 

「ッ!」

 

 思い出した瞬間に弾かれるように体を起こし、シーツを退かして服の袖を捲ると、自分の腹部に目を向けた。

 隻腕の老人に刺された時に出来たであろう痛々しい二つの傷痕が、そこに刻まれていた。

 彼女はそれを指で撫で、僅かに表情を強張らせた。

 触れると僅かに痛む。殴られようものなら、間違いなく悶絶するだろう。

 

 ──しばらく休みもらわないとなぁ……。

 

 また彼に迷惑がかかるとため息を吐き、服を元に戻すとベッドに腰掛ける体勢となり、一息で立ち上がる。

 

「わ!?」

 

 だが足に力が入らず、膝をついてしまった。

 彼女は慌てながらも自分の脚に触れ、軽く揉む。

 同時に先ほど以上に表情を強張らせた、ため息を吐きながら頭を抱えた。

 武闘家という冒険者の中でも指折りに体を資本とする彼女は、触れただけでわかってしまったのだ。

 

 ──筋力落ちちゃってる……?

 

 彼女が知るよしもないが、彼女が昏睡していたのは約一週間。その期間、仲間たちが筋肉を解してくれていたから固まってはいないものの、多少筋力が低下しても仕方がない事だ。

 自分の僅かに柔らかくなった脚の筋肉を擦りつつ、ベッドのサイドテーブルに手をついて立ち上がる。

 そのままサイドテーブルに体を預けてホッと一息。

 首を巡らせて部屋を見渡し、篭に積まれた果物の山の中からリンゴを取り出し一かじり。

 程よい酸味と甘味が口内を駆け巡り、思わず頬が緩む。

 脚の様子から、無理に呑み込むのは危険と判断してか、一口を小さめにし、いつも以上に咀嚼を繰り返してから呑み込む。

 それを何度も繰り返し、十分以上かけてリンゴを食べ終えると、残った芯を指で摘まみ、振り子のように振って弄ぶ。

 

「……何やってるんだろ」

 

 今の自分の姿を俯瞰したのか、たまらずため息を吐く。

 いつもなら彼が隣にいて、友人たちが隣にいて、退屈するなんて事はまずないのだ。

 

「………?」

 

 キョロキョロと室内を見回していると、部屋の端の長机に気付く。

 その上には籠手や脚甲を始めとした、彼女の装備一式が置かれていた。

 それに気付いてしまえば後は早い。彼女はそこに近づき、右手用の籠手を持ち上げる。

 あの戦いの後修理にでも出されたのか、血の染みや歪みはなく、新品同様の輝きを放っている。

 着けてみるかと手が動いたが、不意に視界の端で何かが光った事で中断される。

 彼女はそれを掴み、手のひらの上に乗せて確認した。

 それは銀色の認識票だった。彼女が積み重ねてきたこの六年を証明する、何物にも代えがたい代物だ。

 彼女はそれをぎゅっと握りしめると、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 いつものように首からぶら下げ、その僅かな重みに安堵の息を漏らした。

 たかが小さな(タグ)一枚だが、その重さがあるかないかでは心の持ちようがだいぶ変わってくる。

 だからこそ、彼女がそれに気付いた時は大層驚いた事だろう。

 彼女の認識票があった場所のすぐ近くに放置された、もう一枚の認識票。

 彼女の物と同じ銀色の輝きを放つそれを、彼女は反射的に掴み取ると刻まれた名前を確め、目を見開いて驚愕を露にした。

 そこに刻まれていたのは彼の名だ。見紛う事はあり得ない。

 

「え?なんで?どうして……?」

 

 彼女が視線をさ迷わせて困惑していると、不意にドアがノックさせた。

 コンコンコンと続いて三度。その直後に「入りますよ」と彼女には聞き馴染んだ声が続く。

 彼女の返事を待たずにドアは開かれ、赤毛の女魔術師が部屋に入ってきた。

 いつも持ち歩いているであろう杖と三角帽子はなく、その大きめの胸を押し潰しながら両手で水桶を抱えている。

 部屋に入ったと同時に女魔術師は驚愕の表情を浮かべ、抱えていた水桶を取りこぼした。

 苦労して運んで来たであろう水が床にぶちまけられ、魔術師の足を濡らしながらゆっくりと床に広がっていく。

 その音を合図にして彼女は部屋の入口の方へと振り向き、女魔術師の肩に掴みかからん勢いで詰め寄った。

 同時に彼女の透ける程に美しい銀色の髪が揺れ、豊満な胸が弾む。

 

「──彼はどこ!」

 

 銀色の輝きを放つ鋭い視線と共に発せられたのは、いつもの抜けた声ではなく、在野最高、銀等級冒険者たる迫力を帯びた凛とした声。

 銀髪の女性に詰め寄られた女魔術師は安堵したように目元に涙を浮かべ、彼女の胸元に飛び込んだ。

 

「良かった。本当に、良かった……!」

 

 嗚咽混じりに漏れた声は、心の底から出されたものとわかる。

 女魔術師に抱きつかれた銀髪の女性は疑問符を浮かべつつ、落ち着くまで彼女の赤毛を優しく()いてやる。

 彼ならこうしただろうからという判断だが、内心はそれどころではない。

 

 ──彼がどこに行ったのか、知りたいんだけどなぁ……。

 

 彼女の隣に彼あり。二人はいつだって共にいる。その片割れたる彼は──―。

 

 

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

 牢屋に入っていた。

 武器も鎧も、アサシンブレードさえも取り上げられて尚、独房の中央で呑気に胡座をかきながら頬杖をつき、金色の双眸を細める。

 今頃勇者たちが上に掛け合ってくれているだろうかと思慮し、天井を見上げてため息一つ。

 

「どうしたものか、じゃありませんよ」

 

 そんな彼に声をかけたのは、紫色のローブを纏った男性だった。

 その厳格な性格を表すように髪をきっちりと短く纏め、瞳には強い意志が込められている。

 ローグハンターは男性の登場に表情を緩め、軽く右手を挙げた。

 

「ああ、外交官。戻ったぞ」

 

 どこか軽い様子の彼にため息を漏らし、外交官は鉄格子越しに彼へと告げる。

 

「全く。なぜ仕事が終わってからも面倒を見なければならないのです」

 

「あの後、あいつはどうなった」

 

 外交官の愚痴を気にも止めず、ローグハンターは短く問いかけた。

 外交官は額に手をやりながらため息を吐き、「仕方がないですね」と漏らす。

 

「あれからというもの長々と説教されていますよ。流石の彼女でも今回は堪えるでしょう」

 

「なら良い。また同じ事をされるよりはな」

 

 外交官の報告にローグハンターは真剣な面持ちで頷き、「それで」と話を切り替える。

 

「いつになったら出られる」

 

「私がなぜここに来たと思うのですか?」

 

 外交官は肩を竦めながら言うと、ローグハンターからは見えない位置に向けて一度頷いた。

 それを合図に一際派手な鎧を纏った兵士が姿を現し、彼を捕らえる牢屋の鉄格子の鍵を開ける。

 ローグハンターは僅かに面を食らい、思わず声を漏らす。

 

「随分と早いな」

 

「簡単な話です。『不手際で姫を救出した者が牢に入れられました』と言っただけですから」

 

「……出してやるから口外するな。そう言うことだな」

 

 ローグハンターが外交官と、隣の兵士──おそらく王直属の近衛兵だろう──に視線を配りながら言うと、二人は無言でもって肯定を示した。

 彼は肩を竦めると「口は固い方だ」と返し、音もなく立ち上がった。

 自分の手で鍵の開いた鉄格子を押し開け、外交官に「装備はどこだ」と問いかける。

 外交官は「こちらです」と廊下の向こうを手で示し、先導するために歩き出す。

 その後ろにローグハンターが続き、彼の後ろを監視するように兵士が続く。

 背中に突き刺さる視線を気にしつつ金色の双眸を細め、背中越しに兵士に目を向けた。

 純粋に強いだろうし、何かあれば位置からして不意討ちをしてくるだろうが、素手でもどうとでもなる。

 彼はそう判断を下し、口元に不敵な笑みを浮かべた。

 その笑みを挑発と判断したのか、兵士は鞘に納められた剣に手をかけ、静かな圧を放ち始めるが抜刀することはない。

 ここで抜いてしまえば、こちらから仕掛けたと判断されるだろう。彼としては噂に名高いならず者殺し(ローグハンター)と一戦交えてみたいものだが、ここではない。

 後ろの二人の雰囲気が殺伐とし始めると、外交官は大きく咳払いを一つ。

 同時に木製の扉の前で足を止め、「この部屋です」と片手で扉を開けた。

 ローグハンターはタカの眼を発動しつつ壁の影から顔を出し、室内の様子を一通り探ると、慎重に足を踏み入れた。

 部屋の中央に置かれた長机に乗せられた自分の装備の前で立ち止まり、手早くそれらを纏っていく。

 脚甲を穿き、鎧を纏い、弓と矢筒、ライフルを背負い、黒鷲の剣を腰帯に吊し、ピストルをホルスターに押し込み、籠手を付け、アサシンブレードを仕込む。

 もはや見慣れた格好となった彼の背中に向け、外交官が問いかける。

 

「それで、これからどうするのです?」

 

「帰るさ。人を待たせているからな」

 

 彼は端的にそう告げるとフードを目深く被り、外交官の方へと振り替える。

 フードの影の奥に輝く黄金の輝きが彼と兵士を射抜き、二人の体を硬直させた。

 蛇に睨まれた蛙とはこの事を言うのだろう。本能的な恐怖を覚えた二人は微動だに出来ない。

 そんな二人に向け、ローグハンターは口元に笑みを浮かべた。

 相手を安心させるものとは程遠い、敵意が剥き出しになった邪悪な笑み。

 

「──だから、邪魔するな」

 

 その笑みを浮かべながらそう告げると、彼は二人の脇を通りすぎ、迷うことなく廊下の向こうへと消えていく。

 取り残された二人は無意識に止まっていた呼吸を再開し、肩を揺らして酸素を補給する。

 その途中、外交官は曲がり角の向こうへと消えていくローグハンターの姿を見つめ、真剣な面持ちとなった。

 彼に恋人がいる事は知っている。その女性が原因となり、アサシンとなったのだから当然だ。

 信用は出来るし、信頼を寄せるに足る男なのも確かだ。

 だがしかし、彼はその愛する人の為なら何をしでかすのかわからない所がある。

 アサシンの掟を破らなければそれで良いが、果たして。

 

「──大丈夫でしょうか」

 

 彼の問いかけに答える者はいない。天上の神々とてわからない事を、誰が答えられるというのか。

 

 

 

 

 

 一人、都の道を進むローグハンターは天の頂きに達した陽を睨み、忌々しげに息を吐く。

 諸々の問題で昼になってしまったと過去の自分を恥ながら、歩調を早めて人混みを掻き分けて更に加速。

 歩きが早歩きになり、いつしか走りになり、気付けばフリーランに変わっている。

 途中我慢出来ないと屋根の上によじ登り、そのまま屋根伝いに走り出す。

 北の霊峰に飛ばされる直前と同じ道をたどり、渡し木を使い大通りを横断し、ようやく神殿が立ち並ぶ一角へとたどり着く。

 名も知らぬ神殿の屋根から飛び降り、多少痛痒(ダメージ)を受けながらも着地を決め、ホッと息を吐きながら立ち上がる。

 周囲の通行人から向けられる奇異の視線を気にも止めず、彼は眼前の神殿を見上げた。

 そのにあるのは至高神の神殿だ。天秤と剣を模した紋様が目印であり、見間違える筈もない。

 彼は今さら身だしなみを整えるようにローブの裾を払い、鎧や籠手が汚れていないかを確める。

 それが済むと彼は満足げな笑みを浮かべ、そのまま神殿へと足を進めた。

 彼女が待つ場所を目指して、自分の帰る場所を目指して──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory13 日常へ

 至高神の神殿の一室。

 昼の陽が窓から差し込み、微睡みを誘う優しげな暖かさが室内を包み込む。

 その室内に集った冒険者たちは、一様に安堵の表情を浮かべていた。

 ベッドの上に腰掛ける銀髪武闘家は困り顔で頬をかき、申し訳なさそうに言う。

 

「迷惑かけちゃってごめんね?」

 

「迷惑どころではありませんわ!もう、この、何と言えばいいのでしょう!?」

 

 もはや言葉も思い浮かばない令嬢剣士が目に涙を浮かべながら怒鳴ると、「あはは……」と乾いた笑みが漏れる。

 話を聞いた限りではこの一週間、身の回りの世話から買い出し、周辺の警戒まで、友人たちに多大な迷惑をかけたらしい。

 もはや何から礼を言えば良いのかすらわからない彼女の様子を察してか、蜥蜴僧侶が鼻先をちろりと舐める。

 

「ともかく、目を覚ましたのなら重畳(ちょうじょう)ですな。後は斥候殿の帰りを待つのみだ」

 

「頭巾のはどこに行っちまったのかいの。皆目検討つかん」

 

 鉱人道士が自慢の長髭をしごきながら言うと、横の妖精弓手が「そうなのよね」と呟き、不満げに長耳を揺らししながら言う。

 

「あいつ、何にも言わずにどっか行っちゃったのよ?私にならともなく、この()たちには何か言ってから行きなさいってね」

 

 女魔術師と令嬢剣士を手で示しながら言うと、鉱人道士が「珍しくまともなこと言ったわい」と小声で漏らす。

 只人では耳を凝らさなければ聞き取れないそれも、聴力が他の種族の比ではない上森人なら聞き取ることなど造作もない。

「何ですって!?」と妖精弓手が声を荒げれば、鉱人道士は「何でもないわい」と視線を逸らしながら言う。

 その態度が余計に(しゃく)だったのか、妖精弓手がピンと長耳を張りながら詰め寄ろうとしたが、

 

「あ、あの!病み上がりの人がいますから、お静かにお願いします!」

 

 咄嗟に割って入った女神官が待ったをかけた。

 怪我人がいて、見舞いの人もいる。ここまで揃えば病室と呼んでも大差はない。

 人々を癒す地母神の神殿にいた彼女ほど、この場におけて発言力がある者はそういない。

 最近頼りになる後輩の姿に、喧嘩をしていた二人は思わず口を閉じる。

 蜥蜴僧侶がうんうんと頷きながら「鶴の一声ですな」と呟き、部屋の片隅に目を向けた。

 そこにいるのは、病室であろうといつもの姿であるゴブリンスレイヤーだ。

 いつも通りの両角の折れた兜に薄汚れた鎧を纏った姿ではあるが、張り詰めていたものが緩んだのか、何となく雰囲気が違うように思える。

 

「小鬼殺し殿はどう思いますかな」

 

 蜥蜴僧侶からの問いかけに、兜が僅かに揺れて「無事に目が覚め、後遺症もないのなら良いだろう」とだけ呟いた。

 いつものように素っ気ない言葉ではあるが、その声音が安堵したようなものだとわかったのは、果たして何人いるだろうか。

 真っ先に気付くだろうローグハンターがいないことが悔やまれるが、別に彼でなくとも気付ける者は気付く。

 現に女神官は柔らかな笑みを浮かべ、「本当に良かったですね」と呟いた。

 皆が似たり寄ったりの反応を示す中で、女魔術師だけ違った。先ほど泣くだけ泣いて感情を発散したからか、一人だけ落ち着いた様子で神妙な面持ちを浮かべているのだ。

 

「どうかされましたの?」

 

 そんな彼女の様子に気付いてか、令嬢剣士が問いかけた。

 銀髪武闘家が目覚めた時は涙を流すほど喜んでいたというのに、今は何かを真剣に考えているのだから気になって当然だ。

 女魔術師はハッとしながら令嬢剣士に視線を向け、躊躇いがちに口を開く。

 

「……実はね、あの人を見た気がするのよ」

 

「それは本当なのですか!?」

 

 女魔術師の言葉に電光石火で反応した令嬢剣士は、彼女の肩を掴んで詰め寄った。

 銀髪武闘家が目を覚ましてから落ち着く様子のない彼女の姿に小さくため息を吐きつつ、女魔術師は頷く。

 

「昨日、買い物の帰りにね。屋根の上を走ってたわ」

 

「相変わらずだね~」

 

 彼女が真剣な声音で言うと、横から気の抜けた声が発せられた。

 女神官が剥いたのか、見事に切り分けられたリンゴの一切れを口に含んだ銀髪武闘家が、嬉しそうに眼を細めている。

 相変わらずな彼女の姿を気にも止めず、女魔術師は肩に置かれた令嬢剣士の腕を退かしながら更に続けた。

 

「それに変な噂も聞いたのよ」

 

「噂って、もしかしてあれのこと?」

 

 妖精弓手が首を傾げて問い返すと、女魔術師は「多分ね」とだけ告げた。

 

「噂?何かあったの?」

 

 彼が関わっているかもしれないのなら聞いておきたい。銀髪武闘家が軽い想いで聞いた事ではあるが、妖精弓手は深刻な表情で額に手をやり、ため息混じりに項垂れた。

 

「何でも、貧民窟の方で殺人事件があったそうなの。一晩で十人以上の物乞いが殺されたらしいわ。同じ日に貴族と護衛の兵士、怪しげな邪教徒の死体まで見つかったそうよ。いつもなら『物騒ね』とか『どうせ噂でしょ』で済ませるんだけど、その、タイミングがあんまりにも、ねぇ……?」

 

 口にはしていないが妖精弓手はこう言いたいのだ。

 

 ──彼が殺したのではないか。

 

 彼の性格からして、まず間違いなく報復の為に動き出したことだろう。

 その殺されたという物乞いたちがあの襲撃に関わっていた可能性はあるし、彼の場合はそのまま黒幕にまで手を伸ばした可能性もある。

 

「……あくまで噂よ?本当に起こったかは知らないから」

 

 室内の空気が重くなった事を察してか、妖精弓手が苦笑混じりに手をひらひらと振りながら言った。

 そう、この話はあくまで噂。どこかの誰かが脅かしとして流した可能性もある。

 あくまで噂、与太話。それは重々承知だ。

 だが、彼の場合は──。

 

『本当にやりそう』

 

 冒険者たちの胸中はその一言で一致していた。

 敵対者に対しては容赦のない彼ならやりかねないし、何かの拍子に動き始めた場合、何がなんでもやり遂げるだろう。

 

「──でも」

 

 周囲に漂う不穏な空気を察してか、銀髪武闘家が口を開いた。

 刺された自分の腹を撫で、口元には微笑を浮かべている。

 男のみならず見惚れるその姿には、どこか悲哀の色がこもっていた。

 その姿で彼女は言う。

 

「彼なら大丈夫だよ。道を踏み外すなんて事はないから」

 

 彼女はそう言って笑みが深めた。

 六年。公私共に誰よりも彼といた彼女だからこそ、その言葉には説得力がある。

「つまり」と続けて、彼女はしゅびっ!と音を立てながら女魔術師に指を向けた。

 

「私たちが信じてあげなきゃどうするのって話。噂話なんてどうでもいいの」

 

 彼女はにこりと笑ってそう告げた。

 その笑みに当てられてか、その噂を仕入れてきたが故に表情も固かった女魔術師も、心なしか表情が和らぐ。

 そうだとも。彼を信じないで何が一党だ、何が仲間だ。

 冒険者たちも彼女と同じ事を考えたのか目配せし、頷きあう。

 そこに言葉は不要だ。彼らとて一年近く共にいるのだから、簡単な事なら相手が何を考えているかはわかる。

 友人たちの雰囲気がまた明るくなると、銀髪武闘家は不意に窓の外に目を向けた。

 僅かに目を見開いて驚愕を露にすると、跳ねるようにベッドから飛び降りた。

 

「いきなり動いちゃ駄目です!」

 

 咄嗟に女神官が捕まえようとするが、

 

「ごめんね!」

 

 ひらりと避けて、裸足のまま部屋から飛び出して行った。

 悲しいかな。病み上がりとは言え彼女は銀等級冒険者、しかも前衛を務める武闘家だ。鋼鉄等級の神官で止められる程弱くはない。

 

「ごめんねじゃないわ!待ちなさい!」

 

「あ、待ってくださいな!」

 

 女魔術師、令嬢剣士が素早く反応を示し、彼女を捕まえんと走りだした。

 風のように去っていった彼女らを見送った冒険者一堂は、再び顔を見合わせる事となった。

 彼女は何を見て飛び出して行ったのか。

 

「……む」

 

 真っ先に気付いたのはゴブリンスレイヤーだった。

 飛び出して行く直前に窓の外を見ていたと気付いた彼もまた、窓の外を眺めてそれを見つけたのだ。

 天高く舞う鷲が宙に円を描いているのだ。都の只中を飛ぶ鷲など、彼の連れをおいて他にいないだろう。

 ゴブリンスレイヤーはやれやれと言うように兜を揺らすと、怪我人一人止められなかったと落ち込む女神官に声をかける。

 

「あの二人に任せておけ」

 

「は、はい……」

 

 彼の呼び掛けに応えたのは、いつもとは程遠い覇気にかけた声だった。

 ゴブリンスレイヤーは小さく唸ると、他の仲間たちに目を向ける。

 

「そちらはどうする」

 

「わしは部屋を片付けるかの。都におるんも今日で最後じゃろうし」

 

「拙僧も手伝うとしよう」

 

「私も手伝うわ」

 

 窓の外を見て鷲の姿を認めた鉱人道士、蜥蜴僧侶、妖精弓手は盛大にため息を吐きながらそう返した。

 あの鷲が近くにいるという事は、彼が近くにいるという事だ。

 彼と彼女が久しぶりに再会したらどうなるか、それは火を見るよりも明らかだ。

 その答えにたどり着いた三人は、とりあえず放っておくことにしたのだろう。

 それはゴブリンスレイヤーとて同じ事。追いかけた二人の速さなら、すぐにでも追い付くだろう。

 部屋に取り残された彼らはどこか喜色の混ざったため息を吐き、顔を見合わせた。

 聞いた限りでは会議も今日で御開きだ。彼女が目を覚ましたのなら、帰り支度をしなければならない。

 

 

 

 

 同所、神殿の廊下。

 裁判や懺悔の場を繋ぐ神聖なるその場所を、三つの影が疾走していた。

 先頭を走るのは銀髪武闘家だ。額に玉のような汗を浮かべつつもそれを拭うことなく、ひたすら前に向かって足を動かしていた。

 彼女を追いかけるのは女魔術師と令嬢剣士の二人だ。二人は全力を以て追いかけているのだが、その差はなかなか埋まらない。

 病み上がりの怪我人に、万全の二人が追い付けないのは何故か。それはとても単純なものだ。

 廊下を向け、受付が立ち並ぶロビーへと駆け込んだ彼女の視界に入ったのは、愛する彼がちょうど神殿に足を踏み入れた姿だった。

 彼女はパッと表情を明るくすると、余力を振り絞って更に加速。

 万が一転んでも彼なら受け止めてくれるとわかっているから、万が一止まれなくても……。

 

 ──もう、止まんなくていいや!

 

 彼の方も駆け寄ってくる彼女に気付いてか、ハッとしながらも駆け寄る。

 二人の姿に驚く者はおれど、止める者は誰一人としていない。

 遮る者がいないのであれば、二人はそのまま直進あるのみ。

 止める者がいないのであれば、その勢いのままに抱擁を交わすまでだ。

 笑顔で飛び付いてきた銀髪武闘家の体を受け止め、二度と離すものかとぎゅっと力を入れて抱き締める。

 鎧越しに感じる彼女の柔らかさ、彼女の鼓動、息遣い。その全てを感じながら、ローグハンターは目に涙を浮かべながら呟いた。

 

「……ただいま」

 

 涙を堪えているためか僅かに声が震え、疲れが出ているのか僅かに掠れているが、大きな問題はないだろう。

 銀髪武闘家はフードに隠れた彼の顔を覗き込み、金色に染まった双眸と視線が交差した。

 ほんの一瞬驚きはするものの、無事に帰って来たのだから良いだろうと気にしない。

 彼女は優しい笑みを浮かべ、彼の頬を撫でた。

 

「おかえり……」

 

 無意識の内に溢れた言葉は、彼にとって何よりも待ち望んだ、大切な言葉だ。

 彼女の言葉にローグハンターは満面の笑みで応えるのと、女魔術師と令嬢剣士が追い付いたのはほぼ同時。

 ロビーの中央で抱擁を交わす二人の姿を認めると、顔を見合わせて安堵の息を漏らした。

 それは彼女が転ばなかった事への安堵なのか、彼が帰って来た事への安堵なのか。

 ともかく二人は歩調を緩め、二人の元へと近付いていく。

 

「「………」」

 

 肝心の銀等級二人は顔を見合わせたまま言葉を交わさず、そのままゆっくりと顔を近付け始めていた。

 片や昏睡状態、片や行方不明の恋人同士が再会すればどうなるか。否、他のカップルなら間違いなく自重するだろう。

 だが二人は例外だ。冒険者として昇格していく中で恋人となった二人は、明日も共にいられるかは定かではない。

 今回の事件で顕著にそれが示されたのだから、もはや二人が止まる事はないだろう。

 出来る内に出来る限りの事をする。口には出さずとも、二人の心は通じ合っていた。

 女魔術師と令嬢剣士が気付いた時にはもう遅い。二人は止めようと走り出すが、銀等級二人がキスをする方が速いだろう。

 至高神を(まつ)る神聖な神殿のど真ん中でキスをするなど言語道断、罰当たりも良いところだ。

 だが二人はそんなものどうでも良いと言わんばかりに顔を近付けていく。

 周囲の視線が集まる中でキスをせんとする銀等級二人と、制止の声をあげて止めんとする一党の二人。

 そんな二人を嘲笑うかのように、二人の唇が触れあおうとした直前──、

 

「見ーつーけーたぁぁぁぁああああ!!」

 

 神殿に一迅の黒い尾を引く風が吹き抜けた。

 その風は神殿に飛び込んできた勢いのままにローグハンターの背中にぶち当たり、彼に抱かれていた銀髪武闘家諸とも押し倒す。

 背中の衝撃に刹那的に反応したローグハンターは、銀髪武闘家の後頭部に手をやり、彼女の痛痒(ダメージ)を最低限にせんとした。

 直後に彼女は背中からロビーの床に叩きつけられ、ローグハンターは両膝と手をついて彼女を押し潰さないように踏ん張りを利かせる。

 自身の体重、装備重量、背中に感じる重さの全てを三点で支えている為か僅かに表情を険しくさせるローグハンターの肩越しに、彼の背中に飛び付いた何者かと銀髪武闘家の目があった。

 穢れを知らぬ無垢な瞳に、ローグハンターに似た黒い髪をした女の子。年は女魔術師や令嬢剣士と大差はないだろう。

 無言で見つめ合う二人の視線が交差すること数秒。ローグハンターの咳払いを合図にハッと意識を戻した。

 彼はわざとらしくため息を吐き出すと、肩越しに振り向いて少女に向けて言う。

 

「とりあえず降りてくれ」

 

「はーい」

 

 彼の言葉に不満顔で頬を膨らませながら従う少女の姿に、銀髪武闘家は倒れたまま首を傾げた。

 初めて会う人筈なのだが、どうにも距離感が近いのだ。それこそ数年間の付き合いがあるかのようにさえ思える。

 少女が背中から降りると、ローグハンターは疲れを吐き出すように深く息を吐きながら立ち上がり、銀髪武闘家に手を差し出した。

 

「立てるか」

 

「うん。ありがと」

 

 差し出された彼の手を取り、勢いよく立ち上がる。

 足が踏ん張れずに腕を引かれた勢いのままに彼の胸に飛び込む形となったが、それを予期していたように抱き止められたのだから何の問題ない。

 彼の胸に飛び込んだと同時に少女からの視線が突き刺さり、銀髪武闘家は離れようとするが、

 

「ねぇ?」

 

「なんだ」

 

 ローグハンターが離さない。彼女の腰に手をやり、ぎゅっと力強く抱き寄せているのだ。

 

「離してくれない?」

 

「………」

 

 彼女の問いかけにローグハンターは無言を貫き、彼女を抱く力を強める事で返答した。

 少女と視線を合わさないように目を泳がせるが、無意識の内に口角がつり上がってしまう。

 彼に抱き締められていると、体が無意識に悦んでしまうのだ。彼の恋人となった四年で培われた本能による反応のため、彼女にはどうすることも出来ない。

 二人の姿をまじまじと見せつけられた少女は顔を俯けながら肩を震わせていたが、突然顔をあげると銀髪武闘家に指を突きつけた。

 

「あなたがお兄ちゃんの恋人なんだね!」

 

「お兄ちゃん!?」

 

 少女の指摘に銀髪武闘家が驚きの声をあげてローグハンターへと目を向けるが、彼は額に手をやって「ああ、くそ……」とため息を漏らすのみだ。

 銀髪武闘家は彼に抱き寄せられたまま器用に彼の両肩に手を置き、強引に顔を見合わせる。

 

「キ、キミに妹がいるなんて知らなかったんだけど!?」

 

「血の繋がりはない。──が、妹だ」

 

 面と向かってそう告げた彼の表情は真剣そのものであり、嘘偽りでないことはわかる。

 今まで聞いた話では妹がいるなんて話題にも出なかったが、彼を問いただした所で「聞かれなかった」と返すに決まっている。

 ならば、その少女本人に聞いてみるまでだ。

 銀髪武闘家はローグハンターに一言告げてから手を離して貰うと、妹に近づきながら問いかける。

 

「い、妹さんなの……?」

 

「うん!ボクは正真正銘の妹だよ!」

 

「ボク……」

 

 二十年近く生きているが、一人称がボクの女の子には会ったことがない。

 どうしたものかと一瞬迷うものの、相手は十歳近く年下なのは明白。ここはお姉さんとして余裕を持って接しないと駄目だ。

 一度深呼吸して少女に声をかけようとした瞬間、彼女の脇を風が通り抜けていった。

 流石の彼女でも病み上がりでは反応しきれなかったが、反射的に振り向く程度のことは出来た。

 銀色の髪を揺らしながら振り向いてみると、そこにいたのは自分に代わって彼に抱きついている少女の姿。

 

「お兄ちゃん!迎えに行ったのにいないなんて、びっくりするじゃんか!」

 

「お前に迷惑をかけたくなくてな。それよりもどうしてここにいると?」

 

何となく(クリティカル)だよ!」

 

「連れの二人はどうした」

 

「王様の所に報告に行っちゃった」

 

 お互いに柔らかな笑みを浮かべて話す姿は、まさに兄妹といった様子だ。

 少女の笑みは太陽のように明るく無邪気で、ローグハンターの笑みは()()()()()見せると思っていた心からの笑顔。

 お姉さんとして余裕をもってと言ったが前言撤回だ。

 銀髪武闘家は体をぷるぷると震わせると、目に涙を滲ませつつ「彼は私のお婿さんになるの!」と叫びながら兄妹へと向かって飛びかかる。

 それに気付いたローグハンターは避ける素振りも見せずに少女を退かすと、飛び込んできた銀髪武闘家を抱き止めた。

 抱き止められた銀髪武闘家は鼻歌が出るほど上機嫌となるが、退かされた少女は逆に不機嫌そうに頬を膨らませ「お兄ちゃんはボクのお兄ちゃんだぞ!」と返してローグハンターを奪い取らんと襲いかかった。

 法と秩序を司る至高神の神殿のど真ん中で、最愛の兄を巡って妹と恋人が喧嘩するなど、長い歴史の中でもそう多くはないだろう。

 銀髪武闘家と少女に抱きつかれ、もみくしゃにされているローグハンターだが、その視界の端に女魔術師と令嬢剣士の二人が映った。

 二人に目を向け何度か瞬きを繰り返すと、ぼそりと呟いた。

 

「……いたのか」

 

「「はい……」」

 

 ローグハンターの呟きは嫌に響き、頷いた女魔術師と令嬢剣士の声が続いて響く。

 三人の声が聞こえていなかったのか、銀髪武闘家は右腕に、少女が左腕に組み付いて左右に引っ張り始めた。

 

「もう私のお父さんとお母さんには挨拶済ませたからね!」

 

「妹のボクにはまだでしょ!お兄ちゃんをお婿さんにはさせないから!」

 

 ローグハンターを引き合いながら口論している二人の姿と、奇異なものを見るように向けられる周囲からの視線を感じながら、ローグハンターは盛大にため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 見るに見かねた神殿の侍祭らに連れられるがまま、件の三人は別室に放り込まれた。

 部屋の中央にある長机を挟むように椅子が並び、ローグハンターと銀髪武闘家が隣り合う席に腰掛け、対面する席に少女が腰掛けた。

「不機嫌です」と言わんばかりに腕を組んで薄い胸を張るその姿は、強がりたい年相応の少女のものだ。

 対する銀髪武闘家も彼女と同じように腕を組んでいるが、その豊満な胸が強調されているのは無意識によるものだろう。

 残念ながら、それが余計に少女を煽る結果となっている事に気付いていない。

 ローグハンターは睨むあう二人とこの状況にため息を漏らし、額に手をやった。

 この状況になる予想はしていたが、ここまで険悪な雰囲気になるとは思いもしなかった。

 ローグハンターからすれば一時間にも感じた沈黙は、実際には十分にも満たないものだ。

 何よりこの場には、そんな沈黙を嫌う者が一人いる。ローグハンターの妹たる少女だ。

 

「それで、お兄ちゃんとはどうやって会ったの?」

 

 声音こそ不機嫌なものだが、そこには多少の好奇心が含まれている。

 彼女とて冒険者だ。未知なるものには興味を抱くし、あの兄の恋人というのなら尚更だ。

 問われた二人は顔を見合わせると、銀髪武闘家が小さく笑みを浮かべて口を開いた。

 

「どこから話すべきかはわからないけど、とりあえず私たちが初めて会った日からね」

 

 

 

 

 

 城の会議室。古くよりある円卓を囲うのは、今を生きる英雄たちとこの国の王とその腹心たちだ。

 王妹の行方不明騒ぎが彼女の生還により終わり(グッドエンド)を迎え、次は天の火石の問題の報告を聞くだけとなったのだが──、

 

「では件の火石は未知の魔物だったと」

 

 若き王は玉座に座しながら顎に手をやって言うと、剣聖と賢者は疲れの抜けきっていない表情で頷いた。

 剣聖は鎧代わりの服の上から魔物に殴られた腹を撫で、眉を寄せながら言う。

 

「加えて私たちだけでの対処は難しかったと思います。あの偶然現れた冒険者がいなければ」

 

「冒険者がいたのか?北の霊峰に」

 

 若き王の問いかけに剣聖は頷き、更に言葉を続けた。

 

「何でも彼女の兄だそうですが……」

 

「何だと」

 

 剣聖のため息混じりの言葉に、王は僅かに驚きを露にした。

 彼女に兄がいたという話、直接された記憶もなければ誰かから聞いたこともない。

 時折報告されるならず者殺し(ローグハンター)の話題に食い付く程度で、あまり会いたいという話も聞いたことがないのだ。

 

 ──いや、待て。

 

 王はそこまで思慮し、そういうことかと合点がいった。

 そのローグハンターが兄なのだろう。会いたい気持ちを抑えて、彼の活躍を耳にする程度で我慢していたのだ。

 

「彼女の兄は何故霊峰にいたのだ。あまり人が寄り付く場所ではないだろう」

 

 王の問いかけに剣聖は困り顔となると、真剣な面持ちの賢者へと目を向けた。

 彼の事を毛嫌いしている節があるが、彼女でなければ説明出来ない事柄は多い。

 賢者は短く息を吐くと、王や円卓を囲む者たちに向けて告げる。

 

「彼は危険。関わらない方がいい」

 

 言葉こそ短いものではあったが、そこに込められた意志は確かなものだった。

 常なら氷のように冷たい声音には僅かな熱が込められ、瞳には強い輝きが宿っている。

 珍しいものを見るかのような周囲の視線を無視して、賢者は告げた。

 

「彼を勇者の近くに置いていては駄目。今の距離が一番」

 

 王の問いを一切無視する形で出された提案に、剣聖は首を傾げた。

 

「何故です。それなり以上に腕が立ち、彼がいなければ私たちがどうなっていたかわかりません」

 

「彼があの場にいたからあの状況になった」

 

 剣聖の意見を一刀両断すると、賢者は小さくため息を吐いた。

 

「いや、あの剣と彼がいたからああなった?でも剣と彼は一度揃っているのに、その時は何もなかった……」

 

 ぶつぶつと一人思慮にふける賢者を放っておき、剣聖は「ふむ」と頷いて人差し指を立てた。

 

「今度会いに行ってみますか?直接会えば何かわかるかもしれません」

 

「……それは避けたいけれど、最悪そうなる」

 

 賢者が嫌々ながら頷くと、剣聖は「彼女も喜びますね」と笑みを浮かべた。

 結局の所はそこなのだろう。いつも無理を強いている勇者には、たまにはただの少女として振る舞って欲しい。

 

「彼女の兄が噂に名高いローグハンターなら、混沌の輩に狙われても大丈夫だろう」

 

 王が確認を取るように言うと、円卓の一席に腰掛けていた剣の乙女が僅かに体を揺らして反応を示した。

 そして何やら意味深な笑みを浮かべると、「彼に妹がいるのですね……」と呟く。

 その呟きが誰かに届くことはないが、彼女の纏う怪しげな雰囲気に当てられて冷や汗をかくのが何名か。

 だが、ようやく堅苦しい会議が終わったと安堵の息を吐く者が多いのも確かだ。

 会議が終わり、円卓を囲む者たちが去っていく中で、王はふと窓の外に目を向け、首に残された傷痕を指で撫でた。

 ならず者殺し、ローグハンター。十年前、彼のような者が居てくれたなら──。

 そこまで思慮し、それを振り払うように首を振った。

 考えるべきは十年も前のことよりも、目の前で起こりうる事だ。

 王は顔馴染み以外が部屋を後にした事を改めて確認すると、従者たる小柄な―それこそ子供に間違われそうである──銀髪の女性に目を向けた。

 彼女は小さく頷きを返すと、影の中へと消えていく。

 天の火石の件はともかく、妹の誘拐に何も思わぬ程兄を辞めてはいない。

 

「……兄、か」

 

 王の脳裏に過ったのは、勇者の兄であるというローグハンターの事だ。

 霊峰で出会ったということは、彼は妹が勇者である事を知っているのだろう。

 

 ──彼はどんな気持ちで妹と共に戦ったのだろうな。

 

 

 

 

 

「へっきし!」

 

「「大丈夫?」」

 

「ああ」

 

 至高神の神殿の一室。突然盛大にくしゃみをしたローグハンターに、銀髪武闘家と勇者が心配の声をあげた。

 彼が鼻をすすりながら返事をすると、勇者が銀髪武闘家に視線を戻す。

 

「それでさ、それでさ。お兄ちゃんが村を出ていく時にね、この指輪くれたんだ」

 

「ゆ、指輪!?私だって貰ったことないのに……」

 

 勇者は自慢するように赤い十字街が刻まれた(テンプル騎士団の)指輪を見せびらかし、銀髪武闘家がそれを手に取りつつローグハンターを睨み付けた。

 まあ、殺気も何もない可愛らしいものだが、ローグハンターは居心地悪そうに身動ぎした。

 この一時間で、銀髪武闘家と勇者の距離は急激に縮んだように思える。それは良いことだ。そのうち義姉妹になるのだから、仲が良いに越した事はない。

 だが、しかしだ。

 

「お兄ちゃんすごいんだよ?ボクが黙って狩りについて行っても、すぐに見つけちゃうだから」

 

「そりゃ彼だからね。子供の尾行なんてすぐに気付くよ」

 

「それで鹿を捕まえたんだけど、すぐにばらばらにしちゃうの」

 

「解体するの上手だよね。私も時々見せて貰うけど、何やってるのかよくわからないよ」

 

 こう、自分のことばかり語られるとむず痒いのだ。

 二人の架け橋になれたと喜ぶべきだが、何と言うか。

 

「普段は凛としてるのに、私と二人きりになると途端に甘えて来てさぁ」

 

「お兄ちゃんが甘える!?嘘だぁ!」

 

「ホントだよぉ」

 

 やはり駄目だ。この様子なら二人は放置しても大丈夫だろう。

 そう判断したローグハンターは二人が話し込んでいる隙に逃げようとするが、風切り音と共に腰に何かが巻き付き、それをさせまいとした。

 振り返ってみれば、腰にロープが巻き付き、それが銀髪武闘家へと伸びているのだ。

 おそらく腕の力のみでロープダートを放ち、彼を拘束したのだろう。

 腰に巻き付いたロープを引っ張りつつ、ローグハンターは言う。

 

「何だこれは」

 

「キミに教わったロープダート?だよ。忘れちゃった?」

 

「忘れてはいないが、なぜ巻かれている」

 

「逃げようとしたじゃん!」

 

「むぅ……」

 

 退路を断たれた彼は小さく唸ると、諦めたように肩を竦めて元の席に戻った。

 

「それでね、彼には色々教えて貰ったんだ」

 

「お兄ちゃんって、結構面倒見るの好きだよね」

 

「やっぱりそう思うよね!」

 

「うん!」

 

 彼を捕まえたまま二人のお喋りは続き、ローグハンターは居心地悪そうに身動ぎ一つ。

 極東には、『類は友を呼ぶ』という言葉があるらしいが、まさにこの事を言うのだろう。

 その『類』が『自分の事が好きか否か』なのかは本当に困ったものだが──。

 

「それでね、それでね」

 

「なになに?」

 

 二人が楽しければ良いではないか。自分を圧し殺すのは慣れている。ああ、慣れているとも。

 楽しげな二人とは対象的に、ローグハンターの表情がどんどん死んでいく。それこそ無に還りそうな程だ。

 そんな事露知らず、二人はその友情を深めていく。正確にはマウントを取り合っているだけかもしれないが、それはそれだ。

 ひらすら褒めちぎられ、思い出したくもないもの(黒歴史)を掘り返され、また褒めちぎられる。

 それが数十分と続いた頃に、ローグハンターが顔を両手で覆いながら力なく呟いた。

 

「いっそ殺してくれ……」

 

「「嫌だ!」」

 

 変に息が合い始めた二人の姿に、ローグハンターは再びため息を漏らした。

 とにかく、妹の攻略はどうにかなったのだろう。まあ嫌われた所で、好きになるまで話せば良いのだ。

 ローグハンターは無意識に頭を掻くと、小さく肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 ──この(せかい)を賭けて、勝負しない?

 

『真実』と『幻想』はいきなりの提案に、思わず思考が停止しました。

 それは他の神様たちも同じことです。一様に驚いたように目を丸くして、ぽかんと口を開けています。

 金髪の女神はそんな神様たちを小馬鹿にするように笑うと、「と言っても、まだよ」と言葉を続けます。

 女神はローグハンターを示す駒の頭を小突くと、口許を歪ませて不気味な笑みを浮かべました。

 

「駒の準備が終わっていないの。だから私の準備が終わるまでに」

 

 ──覚悟を決めておきなさい。

 

 女神はそう言うと指を鳴らし、同時に鳴り響いた雷鳴と共にその場を後にしました。

『真実』と『幻想』は顔を見合わせると、表情を険しくさせて盤に目を向けます。

 あの女神の話を冗談と断ずるのは簡単ですが、あの言葉はそんな軽いものではありません。

 愛するこの世界を渡してなるものかと、いつもなら勝負相手の二人は以心伝心で手を組むことにしたのです。

 まず差し向けるとすれば勇者でしょうか。あるいは他の冒険者でしょうか。

 とにかく、準備をしなければなりません。彼らが振るう骰子(さいころ)の目は変えられませんが、どこぞの『変なの』よろしく振らないようにすれば良いのです。

 相手が何をしようが、何がなんでもそれを押し返さなければなりません。

 

 ──勝負を決めるのはたったの一手。

 

 それを神様たち以上に痛感している者など、他に誰がいましょうか。

 

 

 

 

 

 数日後、水の街。法の神殿の一室。

 

「待ってくださいまし、ローグハンター様!第二婦人でも、この際なら子供だけでもよろしいのです!ですからどうか……!」

 

「こうなるとは思ってはいたが……」

 

 至高神に仕える大司教ともあろう剣の乙女が、必死の形相でローグハンターの腰にしがみついていた。

 腰を掴まれれば大概の人物は転ぶ。彼がそうはならなかったのは、ひとえに体幹が異常だからだ。

 なぜこうなったのか。それは前にされた大司教からの告白を断ったからに他ならない。

「話がある」と話を始めてから「俺は生涯愛するのはこいつだけだ」と言ったのは、おそらく三分にも満たない。

 この男、物事を単刀直入に言うことに関しては躊躇いがない。

 それを受け入れられるかと言われれば答えは否。剣の乙女はもはや大司教としての矜持を捨ててまで、彼にしがみついている。

 彼女を無理に剥がそうとしないあたり、彼の人の良さ──という名の甘さ──が残っている証拠だろう。

 状況を俯瞰していた銀髪武闘家はどうにか助け船を出そうとするが、

 

 ──ど、どうすれば良いの!?

 

 彼と自分の妹となる少女とは短時間で分かりあえたのに、大司教には何と声をかければ良いのかが全く思い付かないのだ。

 あわあわと慌てる銀髪武闘家を他所に大司教はハッとすると、怒鳴り付けるようにローグハンターに提案した。

 

「ローグハンター様!貴方と武闘家様は何年お付き合いしておりますの!?」

 

「四年目だが、なんだ」

 

 ローグハンターがそう言うと剣の乙女は指折りで何かを数え、「ふふ……」と再び笑みを浮かべた。

 

「ならわたくしも四年かけて、貴方を振り向かせてみせますわ!」

 

「な、何を言い出す!?」

 

 突然の物言いにローグハンターは驚愕を露にした。

 気でも狂ったのかと疑うが、今の剣の乙女の行動からして正気を失いかけているのは確かだ。

 下手に断れば間違いなく壊れるのは確実。ならばどうする。

 ローグハンターは疲労が色濃い脳をフル回転させるが、彼の思考に銀髪武闘家が待ったをかけた。

 

「お互い熱くなりすぎ。一旦落ち着こう」

 

 彼女の言葉にローグハンターは頷き、剣の乙女も一度深呼吸をして落ち着こうと努めた。

 二人の熱が冷めた頃を見計らい、銀髪武闘家が言う。

 

「四年。その間に彼と私の間に何人か子供が出来るかも──いえ、少なくとも一人は子供を作りますけど良いんですか?」

 

「彼の子供というのなら、何人いようと構いませんわ」

 

「もし彼が振り向いてくれなかったら?」

 

「ふ、振り向かせてみせます!」

 

 世界を救った金等級冒険者を、辺境の銀等級冒険者が圧倒している。

 ローグハンターはその事実を受け入れつつ、妙に余裕のある銀髪武闘家の様子に首を傾げた。

 俗に言う『正妻の余裕』なるものなのだが、ローグハンターがそれを知っているわけがない。

 疑問の答えにたどり着けないローグハンターを他所に、銀髪武闘家が彼の右腕を抱きしめつつ提案した。

 

「それなら四年間、頑張ってください。もしかしたら、もしかするかもしれません」

 

 応援するような言葉とは裏腹に、その表情には勝ちを確信したような笑みを浮かべている。

 勝ち誇ったような面持ちの彼女の顔を見えざる瞳で睨みつつ、大司教はローグハンターの左腕に抱きつく。

 

「必ず振り向かせてみせます。ええ、せめて子供を授けて貰える程度には、必ず」

 

 今から死地にでも赴くのかと聞きたいほど、彼女の表情は引き締まっていた。

 嫁ぎ遅れる事の多い女冒険者にとって、恋とは世界の命運を懸けた戦いと大差ないのだろう。

 銀髪武闘家と剣の乙女の間でばちばちと火花が散っている錯覚を感じつつ、ローグハンターは小さくため息を吐いた。

 

 ──どうやら、しばらくの間は退屈することはなさそうだ。

 

 天上の神々が大騒ぎする中、彼はどこまでも呑気にそんな事を思っていた。

 ただの冒険者が世界の命運を懸けた戦いの渦中に巻き込まれることなぞ、今の彼には知るよしもないのだ。

 

 

 




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Sequence11 試練を越えて
Memory01 白銀の世界へ


昨日の夜までに投稿出来なかった、無念……!







 気が付くと()は、見たことのない場所にいた。

 周囲は白一色で塗り潰され、どこか神秘的な雰囲気があるが、背景とは不釣り合いな程に無骨な、それこそ岩から削り出しただけに思える椅子が台無しにしている。

 ()が肩を竦めると、どこからか現れた金髪の女性がその椅子に腰掛けた。

 

『さあ、早く。こっちにおいで……』

 

 女性は母のような慈悲深い声音で()に告げた。

 彼女は言葉の通りに誘うように俺に手招きすると、待ちわびているかのように両手を広げた。

 飛び込んでこいと言わんばかりだが、彼女とは初対面の筈だ。

 だが口許に浮かべる柔らかな笑みと、愛する我が子を見つめるような優しげな金色の瞳は、見ているだけで不思議な安堵を覚える。

 ()は無意識の内に彼女に向けて足を進め始め、一歩を踏み出す度に意識が微睡んでいく。

 

『そう、良い子ね。私の胸を貸してあげましょう。ほら、おいで』

 

 女性の声は麻薬だ。聞いているだけで脳を蕩けさせ、抵抗する気力を奪い取っていく。

 何も考えずに足を進め、女性の下まで後数歩となった瞬間、()の手が誰かに掴まれた。

 反射的に足を止め、微睡んだ意識のまま振り替える。

 そこにいたのは白い世界においても透き通る程に美しい銀色の髪を揺らす女性だった。

 彼女の姿を視界に納めた途端、今までの微睡みが嘘のように吹き飛び、意識が覚醒していく。

 彼女の髪と同じ銀色の瞳が心配するように()の瞳を覗きこみ、その奥底を見せてくれる。

 瞳の輝きはまるで夜空に輝く星であり、優しくこちらを見守っていた。

 彼女は母親とは違う、()からすればそれよりも安堵を覚える笑みを浮かべ、優しく頬を撫でてくれた。

 ()もまた笑みで返し、彼女に向けて手を伸ばす。

 決して壊さぬように優しく、けれど決して離すまいと力強く、彼女の柔らかな頬に手を触れた。

 慣れ親しんだ温かさを手のひらで感じつつ、()の意識は暗闇へと落ちていく。

 直前に金髪の女性の姿を探すが、椅子を含めて消えている。

 ならば良いかと思考を放棄し、俺は襲いくる微睡みに任せて意識を手放した──―。

 

 

 

 

 

 西の辺境に置かれた、人呼んで辺境の街。

 観光地としては人気ないが、他の開拓地に比べれば治安が良いと話題のその街には数多くの宿が軒を連ねている。

 激戦地と呼んで差し支えない街の中でも、一際大きな宿が一件。

 丸くなり眠る一匹の狐の描かれた看板が目印の『眠る狐亭』。冒険者だけでなく観光客、旅人、果てには影を走る仕掛人(ランナー)たち、その全てを受け入れるその宿屋は、街の中でも指折りの人気の宿だ。

 そんな宿の一室。冒険者用に用意された部屋の一つに、二人の男女が同じベッドで眠りについていた。

 二人仲良く同じシーツにくるまり、体を冷やさないように体を寄せ合い、男性の体に全てを委ねるように女は寄り添っていた。

 ベッドの脇に乱暴に脱ぎ散らかれた服と僅かに香る淫行の臭いから、昨晩二人が深く愛し合ったことは明白。

 誰もが利用する宿でそんな事をすれば怒られそうなものだが、二人はそれを黙認されていた。

 何故か。その理由は単純だった。

 他の開拓地に比べて治安が良いと言われているのは、その二人がいるからと言っても過言ではないからだ。

 辺境勇士、ならず者殺し(ローグハンター)。いつからか男性の方はそう呼ばれ始め、彼も同時期にそう名乗り始めた。

 その名が彼を示すものなのか、それとも彼らを示すものなのかは今さら考える者はいないが、少なくともローグハンターを深く知る者ならこう思っているに違いない。

 

 ──彼女の存在こそが、彼をならず者殺し(ローグハンター)足らしめている。

 

 一部の者からは彼女こそがローグハンターの急所だと言われているが、それもまた事実だろう。

 その良い意味でも悪い意味でも話題のローグハンターは無防備な寝顔で静かな寝息をたてていたが、不意に目を覚ました。

 不慮の事故(ファンブル)かあるいは神々からの嫌がらせ(ハンドアウト)か、金色に染まった双眸を巡らせて腕の中に納まる恋人の姿を見つめ、彼女が息をしている事を確認してホッと息を吐いた。

 単純に眠っている彼女の呼吸が一瞬止まっただけなのだが、彼は彼女の異常に対して非常に敏感になっているのだ。

 彼女がみずぼらしい男に刺され昏睡状態となったのは、もう一ヶ月以上も前の事だ。

 それでも彼は後遺症がないかを常に警戒し、何かあれば神殿に担ぎ込む用意もしてある。

 今回も何もなかったと安堵の息を吐き、また一眠りしようと再び寝ようと瞼を降ろすが──、

 

『さあ、早く。こっちにおいで……』

 

「……」

 

 もはや曖昧となった夢の出来事が脳裏を過り、眠気が覚めると共に瞼を持ち上げた。

 不機嫌そうに目を細めながらため息を吐き、名残惜しく思いつつも彼女から離れてベッドから降りた。

 脱ぎ捨てた自分の衣服──森人手製のものだ──を回収し、手早くそれらを纏っていく。

 彼の為に仕立てられ、貰ってからも毎日のように袖を通してきたそれは彼の体にすぐに馴染み、贅肉はないが傷にまみれた裸体を覆い隠す。

 固まった筋肉を解すように欠伸を噛み殺しながら体を伸ばし、その心地よさに目を細めた。

 充分体が解れると机の上に放置された認識票を首に下げると衣服の下に仕舞い、窓の方へと足を進める。

 結露のお陰で外は全く見えないが、それは何の問題にもならない。

 瞬き一つでタカの眼を発動し、色の消えた視界で光って見える人影に注意を向ける。

 無害の白から味方──この場合は顔馴染み──を示す青、時には認識する必要もないと切り捨てられ黒くなった人影がそれぞれ複数。

 いつも通りの光景、いつも通りの朝だが──、

 

「流石に冷えるな」

 

 僅かに体を震わせながらそう呟いた。

 時期は冬。森人手製の服は見た目の割に防寒性が高いのだが、それでも寒いものは寒い。

 貪欲な盗賊どももこの時期は大人しく拠点に籠り、依頼がなければ自分から動くことのないローグハンターも他の時期に比べればのんびりできる冬季休暇と呼べる時期なのだが、それはそれで収入が減るということに他ならない。

 生活するには金は必要だし、装備を整えるのにも金がかかる。

 一年程なら問題なく生活出来る程度には貯金はあるが、使う予定があるため使いたくない。

 ならばどうしたものかとため息を吐き、ベッドに腰かけて恋人の寝顔を覗きこんだ。

 見慣れたように思えても決して見飽きる事がない、最愛の人の無防備な寝顔。眺めているだけで悩み事がどうでもよくなってくるが、考えなければどうにもならない。

 ローグハンターはホッと息を吐く立ち上がると、壁に立て掛けられた金色の剣に触れた。

 勇者から「お兄ちゃんが持ってた方が良いよ」と渡されたそれは、触れるだけで指先が痺れる程度の電撃を放ち、周囲からは『稲妻の剣』とか『光ってるの』とか、割りと適当に呼ばれている。

 持ち主である彼自身も正式な呼び名を知らないため、どう返せば良いのかと迷っているのも事実だ。

 真剣に考えるべき事と後回しにしても構わないもの。今も昔も悩みの種が尽きることはないが、それこそ生きている証拠だろう。

 何の迷いもなく生きられたなら楽なのだろうが、それではきっと楽しくないとは思う。

 彼は再びため息を吐くと、布の擦れる音と愚図る彼女の呻き声が鼓膜を叩いた。

 苦笑混じりに振り返るのと、彼女が目を覚ましたのはほぼ同時。

 寝惚け眼のまま体を起こすと被っていたシーツが滑り落ち、彼女の裸体をさらけ出した。

 一ヶ月前に出来てしまった腹部の傷痕を含め、大小様々な傷痕が残されているが、それでも尚彼女の肢体は彫刻のように美しい。

 他の女性と比較しても大きめの部類にあたる胸から、細く括れ引き締まった腰。安産型と言える臀部は柔らかく形を歪めて彼女の体を支えている。

 武闘家という職業上、腹筋には薄く線が入り、腕や足も一般的な女性に比べれば筋肉質ではあるけれど、彼女の美しさを語るのなら障害にもならない。

 透けるほどに美しい銀色の髪は普段と違い降ろされており、いつもとは違う気の抜けた雰囲気を醸し出す。

 ローグハンターの主観的な意見を込みにしても美しい銀髪武闘家は、寝惚け眼のまま彼に目を向け、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「おはよ~」

 

「おはよう。──の時間なのかはわからんが……」

 

 ローグハンターは窓の外に目を向けながら挨拶を返すと、足音もなく彼女へと近付いた。

 ベッドに片膝をついて前のめりになり、彼女の頬に手を触れる。

 かつての彼ならここで終わっていただろう。むしろこんなことをすることもなかった筈だ。

 手に感じる彼女の体温は、彼にとって何よりも落ち着けるものだ。

 先月の一件で目の前に感じた死の気配が、いまだに近くにあると思えて他ならないのだろう。

 彼女の頬にやっていた手を動かして銀髪を手梳で梳きながら後頭部に添えると、そっと自分の方へと引き寄せた。

 銀髪武闘家も抵抗する素振りも見せずに彼のされるがままになり、彼の期待に応えるように目を閉じると共に唇が奪われた。

 最初はただ触れあうだけの優しいものだったが、いつしか(ついば)むようなものに変わり、やがて隙間を舌を口内に侵入させ、一方的な蹂躙を開始した。

 舌を絡め、歯の裏に舌を這わせ、思わず逃げようとする彼女を離すまいと後頭部を押さえる手に力を入れ、ひたすらに貪る。

 

「んっ!──ふぅ……!ちょっ──、待っ──」

 

 合間合間に発せられる彼女の制止の声も届かず、起きたばかりだというのに彼に押されてベッドに押し倒された。

 彼が覆い被さる形で倒れた為、逃げようにも逃げられず、声をかけようにも口は塞がれている。

 時折息継ぎの為か一瞬の休憩はあるものの、その一瞬で酸素を取り込まれるかと問われれば答えは否。

 逃げ場のない舌を一方的になぶられ、唾液を流し込まれ、鼻から一方的に息が抜けていくだけ。

 徐々に酸欠になっていき抵抗らしい抵抗ができなくなる彼女を他所に、彼は彼女を堪能する。

 最近の彼は時々こうなるのだ。ふとした拍子にたがが外れ、気が済むまで止まることはない。

 止まることはないのだが、今回は流石に危険を感じたのか、ローグハンターは彼女から顔を離した。

 いきなり顔を離したからか、唾液が糸となって二人の唇を繋ぎ、重力に引かれて上下する銀髪武闘家の胸に垂れた。

 

「へぇ……ふ……ん……っ、へはぁ……」

 

 ようやく呼吸出来るようになったものの、頬を朱色に染まり恍惚の表情を浮かべ、瞳は蕩けきっている。

 彼女の胸についた唾液を指で拭うローグハンターの頬に、不意に銀髪武闘家が手を伸ばした。

 彼女は荒れた呼吸を整える為に深呼吸を繰り返し、ゆっくりと彼の頭を自分の胸に押し当てる。

 今度はローグハンターが抵抗なく彼女にされるがままになる番となり、黙って腕の中に納まった。

 彼の頭が胸に沈んだ途端に「ん……」と体がピクリと反応を示してしまったが、いつもの事だと割りきる。

 ようやく静かになった彼の頭を撫でつつ、優しく笑みながら問いかける。

 

「どう、落ち着いた……?」

 

「──ああ」

 

 僅かな間を開け、ローグハンターは返事をした。

 彼女の胸に顔を埋めたままだが、「すまん」と続いて体を離す。

 首を左右に振って意識を確かめ、ため息混じりに体を反転させ、ベッドに腰掛ける姿勢となる。

 

「どうにも駄目だな……」

 

 ローグハンターが自分の頭を抱えてぼそりと漏らすと、銀髪武闘家は後ろから彼の体を抱き寄せた。

 彼の頭を撫でてやりつつ耳元で「私は大丈夫だよ」と呟き、彼の首に残る傷痕に口付けを一つ。

 ローグハンターは苦笑混じりに肩を竦めると、自分の腹に巻かれた彼女の腕に手を重ねた。

 

「……いい加減降りるか」

 

「あはは。そうだね」

 

 二人はそう言い合うと名残惜しそうに体を離した。

 一足先にベッドから離れたローグハンターは衣服の皺を伸ばすと、ローブや籠手を身につけていく。

 毎日のように使い続けても砕けることも欠けることもない黒きまことの銀(ミスリル)は、彼の役割(ロール)を越えた戦いであっても彼を支えてくれる頼もしいものだ。

 胴鎧、籠手、脚甲を着け、弓と矢筒、長筒(ライフル)を背負い、ピストル二挺を腰帯のホルスターに押し込み、雑嚢を腰に、黒鷲の剣を左腰に、金色の剣を右腰に吊るす。

 最後にアサシンブレードの抜納刀に異常がないかを確かめると、「良し」と頷いた。

 

「そっちはどうだ」

 

「ん。平気だよ」

 

 後ろから彼女の返事が聞こえると、完全装備のローグハンターは振り返った。

 一ヶ月前の戦いを踏まえてか、動きを妨げない程度に腹部を守る為の軽鎧を纏い、その分上がった重力を削る為か無骨な凶器だった籠手は、革製のグローブに鉄板を縫い付けたセスタスへと変わっている。

 元より蹴り技主体だから大きな問題はないとは本人の弁だ。

 加えて冬場に金物は体を冷やすだけ。前衛がいざという時に体が冷えて動かないでは笑えない。

 そういう意味でも、彼女の装備変更は正解かもしれなかった。

 特徴的な銀色の髪をいつも通りに一纏めにし、脚には刃物のように磨きあげられた脚甲。

 上から纏う外套の長袖の先と襟には防寒用のファーが揺れ、腰に揺れる返り血防止の布は、彼女の動きに合わせてマントのように(なび)く。

 セスタスを含めた金属部を除いた全てが白で統一され、彼女の髪色と染み一つない白い肌と同調していた。

 冬場だからこその雪に紛れる為の保護色なのだが、ローグハンターは相変わらず黒一色なのは何も言うまい。

 二人はそれぞれの格好を確認して頷きあうと、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 辺境の街、冒険者ギルド。

 他の季節なら多くの冒険者が出入りするその場所も、冬場となるとめっきり人の出入りが減る。誰が好き好んで肌を切り裂く寒空の下に出ようとするだろうか。

 答えは否だ。冒険者とていつでも好きに冒険する物好きは少ない。

 加えて時刻が昼過ぎだというのなら尚更だ。嫌々仕事に出た者は仕事中だろうし、仕事にいかないと決めた者は宿に籠っていることだろう。

 だからこそ、二人の到着は無駄に目立つ結果となった。

 銀髪武闘家が「おっはよー!」と自由扉を勢いよく開き、次いでローグハンターがため息混じりに入ってきたのだから当然だ。

 見知った冒険者たちがなんだなんだ視線を向けても、すぐに納得したように頷いて視線を外していった。

 彼らの姿を横目で見つつ、ローグハンターは一党の二人を探すが、見当たらない。

 彼は小さく首を傾げると「席を取っておいてくれ」と銀髪武闘家に指示を出し何やら書類を書いている受付嬢の下に足を進めた。

 わざと足音をたてた為か、彼の接近に気付いた受付嬢は書類から視線を外し、パッと笑みを浮かべた。

 

「こんにちは、ローグハンターさん」

 

「……もうそんな時間だったか」

 

 ローグハンターは改めて告げられた挨拶に眉を寄せながら、受付嬢に問いかける。

 

「二人を知らないか。部屋にも宿にもいなかったのは確認したんだが……」

 

「お二人なら、上森人さんと神官さんに連れられて依頼に出ましたよ。あなた方はしばらく来ないだろうからと」

 

「……そうか」

 

 ローグハンターは小さく頷きながら呟くと、「仕方ないか」と漏らして肩を竦めた。

 二人なら余程の事がなければ大丈夫だとは思うが、やはり心配ではある。むしろ心配するなと言う方が無理があるだろう。

 彼は顎に手をやりながら「他の奴等は」と問いかけた。

 初対面なら誰の事を聞いているかもわからないだろうが、彼の駆け出し時代を知る程長い付き合いの受付嬢にはすぐにわかる。

 

「ゴブリンスレイヤーさんは牧場の配達の手伝いに行ったそうです。鉱人さんと蜥蜴人さんのお二人はどこかで飲んでいると思います」

 

 彼女が淀みなく答えると、ローグハンターは小さく息を吐いた。

 友人たちは既にそれぞれの予定で繰り出している。残されたのは自分と武闘家の二人のみ。

 

 ──随分、久しぶりだな……。

 

 女魔術師が仲間になったのがおよそ二年前だ。それからというもの、令嬢剣士の加入やゴブリンスレイヤーの一党との共闘など、大所帯で動くことが多かったように思える。

 懐かしむように小さく笑みを浮かべつつ、ローグハンターが「何か依頼はないか」と問いかけようとした時だ。

 

「あ、あの……!」

 

 背後から声をかけられた。

 受付嬢は気付いていたのか反応を示さず、ローグハンターも鋼の精神で驚いた事を表に出さず、振り向いて声の主に目を向けた。

 彼の背後にいたのは見慣れた冒険者の二人だ。

 時折彼が面倒を見ている見習聖女と新米戦士の二人。

 かつては傷一つなかった彼らの装備にも、小さな傷が幾重にも刻まれ、確実に一歩ずつ進んでいることを教えてくれる。

 声をかけたのは見習聖女の方だろうか。緊張した面持ちで目が泳いでいる。

 ローグハンターは「お前らか」と声を漏らし、「どうかしたのか」と続ける。

 二人は顔を見合わせて頷きあうと新米戦士が深呼吸し、代表して口を開いた。

 

「じ、実は手伝って貰いたい事があるんです!」

 

 言い切ると共に緊張と共に深く息を吐き出す彼の表情を見つめ、何やら重要そうだと判断を下す。

 稽古をつけてくれと頼むだけなら、もっと柔らかい表情で言ってくる。何かトラブルに巻き込まれたのかもしれない。

 何より面倒を見ている後輩からの頼みだ。多少面倒そうでも断る道理はない。

 

「わかった。とりあえず話を聞くから──」

 

 ローグハンターは言いながら席を取っているであろう銀髪武闘家の方に目を向けた。

 彼女も彼女で新米剣士と新米武闘家の二人と話しており、おそらくこちらと同じような事を言われたのだろうと見切りをつけた。

 

「あっちに合流するか」

 

「はい!」

 

 ローグハンターが三人の方を示しながら言うと、見習聖女が勢いよく頷いた。

 二人を連れて銀髪武闘家と新米戦士、新米武闘家の三人が囲む卓に混ざり、おそらく気を使い空けておいたのでろあう銀髪武闘家の隣に腰掛けた。

 新米四人と銀等級二人が卓を挟んで対面する形で各々が腰掛け、ローグハンターから話を切り出した。

 

「手伝って欲しい事があるそうだが、なんだ」

 

 うじうじしていても仕方がないと単刀直入に問いかけると、新米武闘家が「経緯から説明しても良いですか?」と質問し、「暇だったからな。時間はあるぞ」とローグハンターが微笑混じりに返す。

 

「では、さっそく説明します」

 

 新米武闘家はそう言うと、ローグハンターを真似るように手短に告げた。

 

「実は私たち、昇格することになったんです」

 

「おー!それは良かったじゃん!……って、あれ?」

 

 その言葉に銀髪武闘家は自分の事のように嬉しそうに言うと、四人の表情に疑問を浮かべた。

 昇格が決まった時は誰しもが嬉しそうに笑い、同期や先輩たちに報告して回るものだが、彼らはどうやら違うようだ。

 

「何かあったの?」

 

 恐る恐ると言った様子で問いかけると、見習聖女が眉を寄せた。

 

「それを神殿に報告したら、その、託宣(ハンドアウト)が……」

 

 託宣。何かの拍子に神々から告げられるお告げ、預言、あるいは使命の事だ。

 誰に強制されるものではないが、神々が近いこの地において、最初から拒む者は少ない。

 

「至高神の試練は困難なものが多いと聞く。難題を吹っ掛けられたか」

 

 ローグハンターが確認を取るように問うと見習聖女は無言で頷き、それこそ迷子の子供を思わせる不安な表情を浮かべた。

 彼女に変わって新米剣士が言う。

 

「『北方の頂きに至れ』って、言われたみたいです」

 

「北方の頂き?山に登れってこと?」

 

「多分、ですけど……」

 

 銀髪武闘家の問いに、新米剣士は何とも曖昧な返事を返した。

 そもそもとして、託宣はかなり大雑把なものが多い。どこに行け、何を見つけろ、何を倒せ。そのようなものばかりだ。

 ローグハンターはぼりぼりと頭を掻くと、真剣な眼差しを向けつつ新米たちに問う。

 

登攀(とうはん)の経験は」

 

「ないです……」

 

「雪山に行ったことは」

 

「それもないです……」

 

「野営の心得は」

 

「何回かありますけど、雪山では初めてです」

 

 彼の問いかけに新米戦士、新米剣士、新米武闘家が順に答え、ローグハンターはため息を吐きながら頭を抱えた。

 

「神様も無理難題をぶつけてくるもんだな……」

 

 隠すことなくこぼされた愚痴に、新米たちは乾いた笑みでもって聞き流した。

 彼の愚痴を聞きつつも真剣な面持ちであった銀髪武闘家は、改めて新米たちに問いかける。

 

「それで肝心の頼み事は、その託宣の達成を私たちに手伝って欲しいってことで良いの?」

 

 言わずともわかる最終確認。新米たちはほぼ同時に『はい』と頷き、銀等級二人に視線を配った。

 

「どうする?」

 

「どうするの前に確認することがある」

 

 銀髪武闘家の問いかけを一旦保留し、ローグハンターは頬杖をつきながら新米たちに問いかけた。

 

「報酬はどうする」

 

『ッ!』

 

 彼の問いかけを耳にした瞬間、新米たちの顔色が青くなった。

 忘れてはいないだろうか。目の前のこの男、いつかの牧場防衛戦の折にゴブリンスレイヤーに報酬を要求し、一度刃物を抜いたのだ。

 それを今になって思い出したのか、新米たちは顔を見合わせて相談を始めるが、銀髪武闘家の軽いチョップがローグハンターの頭頂部を捉えた。

 

「もう、意地悪言わない。手に入れたものを山分け、これに限るでしょ」

 

「まあ、それに限るが」

 

 何だか鈍い音がしたが、ローグハンターは気にした様子もなく苦笑を漏らす。

 

「報酬はそれで良い。後輩にねだるほど金に困っていない」

 

「じゃあ、手伝ってくれるんですか!?」

 

 ローグハンターの言葉に新米戦士が勢いよく立ち上がりながら確認すると、「男に二言はない」と返される。

 隣の銀髪武闘家も「私も良いよ」と眩しいほどの笑顔を浮かべながら言うと、新米たちはようやく緊張の糸が切れたのか、「やった!」と各々の言い方で喜びを露にする。

 まだまだ子供っぽい所のある新米たちを眺めつつ、ローグハンターは告げた。

 

「じゃあ、冒険の前には入念な準備が必要だな。そうでもしないと──」

 

「──運が掴めないからね」

 

 彼の台詞を銀髪武闘家が横取りし、新米たちは『はい!

 』と勢いよく返事をして立ち上がるが──、

 

「……何から準備をすれば良いんです?」

 

 新米剣士が申し訳なさそうに質問をした。

 ローグハンターは再びため息を吐くと「了解。そこから教えてやる」とだけ告げた。

 そうして立ち上がろうとしたが、彼の隣から異音が響いた。

 何てことはない。銀髪武闘家の腹の虫が鳴っただけのことだ。

 ローグハンター、新米たちからの視線が集中した為か、銀髪武闘家は羞恥から顔を赤くしながら俯いた。

 ローグハンターはフッと苦笑を漏らすと、「会議ついでに飯にするか」と提案した。

 彼の提案にギルドの給仕係を呼ぶことで答えると、既に何を頼むかは決めていたのか、あれやこれやと何故か楽しそうに注文していく。

 そんな彼女の姿をローグハンター柔らかな笑みを浮かべながら見つめ、横からいくつか追加の注文をしていく。

 そんな彼の顔を見た新米たちは、

 

 ──この人、こんな顔も出来るんだ……。

 

 と、声には出さずにそんな事を思っていた。

 

 

 

 

 

 

 都の中央にそびえ立つ城。

 混沌と勢力が攻めてきた折には、只人の領域最大の拠点となるその場所の主たる若き王は、執務机に向かい黙々と書類を捌いていた。

 遺跡から悪魔(デーモン)が出た。小鬼(ゴブリン)が出た。墓場から黄泉帰り(アンデッド)が出た。小鬼(ゴブリン)が出た。

 世が始まって以来、冒険の種が尽きたことはないとは言うが、ここまで現実を叩きつけられると流石に嫌になってくるというもの。

 加えて、王の悩みの種はそれだけではない。

 彼はちらりと隣の机に目を向けた。

 そこにいるのはワイシャツに緑のチョッキ、同色のズボン、黒いロングブーツと、見るからに動きやすそうな格好をした妹だ。

 手を尽くして城を飛び出したかと思えば誘拐され、今度は一人で正面から帰って来た唯一の肉親。

 あれからというもの我が儘もだいぶ減り、こうして仕事を手伝ってくれるようになったのは成長したと喜ぶべきか、変わってしまったと嘆くべきか……。

 

「あ、お兄様!これ見て!」

 

 その妹は何かを面白い文言でも見つけたのか、嬉しそうに笑いながら一枚の書類を見せつけてきた。

 それは街を警羅する番兵たちの報告書だ。それにはこう書かれている。

 

『頭巾を被った不審な人物を見かけた』

 

『頭巾を被った何者かが屋根の上を走っていた』

 

『頭巾を被った男性がスリの現行犯に体当たりをしていた』

 

『頭巾を被った女性が吟遊詩人を蹴り倒していた』

 

『頭巾を被った青年が、干し草の山の中で目を回して気絶していた』

 

 などなど……。

 

「………ッ!」

 

 王はその紙をぶんどると、忌々しいものを見るかのように睨み付けた。

 王の悩みの種のもう一つは、最近になって現れた頭巾の一団だ。

 物乞いたちによる強盗、強姦、薬物の蔓延などの問題が急に落ち着いたかと思えば、今度はその一団だ。

 軽業師のように屋根の上を飛び回り、街で騒ぎを起こした連中を鎮圧、巻き込まれた人々の保護をする彼らは、住人たちの間でも話題になっているという。

 事実、王自身も遭遇したことがある。

 人を拐い、奴隷として売り払っていた度しがたい貴族の屋敷で、その貴族と護衛の兵士たちを殺め、奴隷たちを解放していく様を見てしまったのだ。

 

「──―っ!!!」

 

「おーい、お兄様?大丈夫~?」

 

 妹の前である事を忘れ、行き場のない怒りで握った拳を震わせる。

 若き王にして都に流れる噂話──金剛石の騎士(ナイト・オブ・ダイヤモンド)の正体たる彼は、その頭巾の一団に僅かに敵対心を向けていた。

 別に憎むべき怨敵だからではないし、秩序の敵だからと言うわけでもない。

 素顔を隠し、闇の中で悪を討つ、都市の騎士(ストリート・ナイト)

 人知れず悪徳商人だ貴族、邪教徒を討ち取る彼は、都に生きる者ならならず者殺し(ローグハンター)と並んで知られている人物だ。

 その都市の騎士(ストリート・ナイト)たる王は、その仕事先で頭巾の集団と会ったことがある。それも一度や二度ではない。

 それだけなら良いのだ。志を同じにする同志ならむしろ歓迎するところ。

 だがしかし、王は忘れていない。

 

『なんだ、不審者か』

 

『金剛石の鎧。目立ち過ぎやしないか?』

 

『……動きにくそう』

 

『後は任せたぜ、おっちゃん!』

 

 行く先々で放たれる罵詈雑言の数々!

 

『遅かったな、不審者』

 

『相変わらず、目立つ格好をする』

 

『……展示品にすれば見映え良さそう』

 

『また会ったな、おっちゃん!』

 

 罵詈雑言の数々!見るからに嘲笑っている表情!

 

『また我々の方が早かったな』

 

『せめてあの男のように黒い鎧を着ろ』

 

『……無視』

 

『またかよ、おっちゃん!』

 

 段々と適当になっていく対応!

 ただですらストレスが溜まっているのに、彼らのせいで余計にストレスが溜まるのだ。このままいけば、若くして禿げるかもしれない。

 

「ふぅ……!ふぅ……!ふぅ……!」

 

 思い出したくもないものを思い出したと、若き王は荒れた息を整えようと深呼吸を繰り返す。

 荒ぶる兄とは対照的に、妹の方は上機嫌そうに鼻歌を漏らす。

 彼らの事を知る──むしろ助けられた──彼女からすれば、彼らの活躍の報告は大変喜ばしい。

 

「あ、もう一枚あったよ!」

 

「要らん……!」

 

 さらに報告書を取り出した妹を戒めつつ、王はまた書類に目を落とした。

 だが、肝心の内容がまったく頭に入ってこない。妹のお陰で嫌なものを思い出し、仕事に身が入らない。

 それを見ていた王の腹心たちは一様にため息を漏らし、顔を見合わせて遠い目となる。

 

 ──これも全て、謎の頭巾野郎たちの仕業なのだ。

 

 

 

 

 

 

 辺境の街を夜明けと共に出発し、途中の空き地で最後の小休止を取るローグハンターを初めとした冒険者たち。

 新米剣士は視界の向こうにそびえ立つ雪化粧の施された山を見上げ、頭に巻いた鉢巻きで冷や汗を拭う。

 隣に立つ新米武闘家も似たようなもので、手に填めたセスタス──銀髪武闘家よりも簡易的なものだ──で額に浮かぶ汗を拭った。

 これからあれを登るのだ。緊張するなという方が無理がある。

 新米戦士と見習聖女も同じような様子だが、ローグハンターと銀髪武闘家は違う。

 慣れた様子で装備を点検し、道具の備蓄を確認し、お互いの体調を口頭で確認する。

 それが済むと、ローグハンターは新米たちに声をかけ、一ヶ所に集める。

 全員の緊張した面持ちを眺め、肩を竦める。

 

「良し。根拠のない自信に満ちた顔よりはいい面構えだ。初めてやるものは何もかも怖いものだから、今の感情は恥じるものじゃあない」

 

 新米たちにそういい聞かせ、これから目指す山を指差した。

 

「ここまで来たのなら進むだけだ。行くぞ、新米ども(ノービス)

 

『……はい!』

 

 ローグハンターの号令に、新米たちは表情を引き締めて返事をした。

 少し怖がっているがやる気は充分。なら、先輩としてやることはその背を押し、時には手を引いてやるだけだ。

 

「うん!頑張っていこー!」

 

 最後に銀髪武闘家がそう締め括ると、各々で各自の荷物を担ぎ、山を目指して歩き出す。

 新米たちからすれば初めての冒険。ローグハンターからすれば一ヶ月ぶりの登山。銀髪武闘家からすれば久々の冒険だ。

 どんな場所にも油断なく、どんな相手にも慢心なく、持てる全てを尽くして挑む。

 そうすればきっと運も掴める。少なくとも、ローグハンターと銀髪武闘家の二人はそう信じているのだ。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。





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Memory02 吹雪の出会い

 冒険者たちが入山を果たしたのは、陽が天頂に差し掛かるよりも前といった時間だった。

 慣れぬ雪山の登山ということで、防寒用の外套を被った新米たちは転ばぬように慎重に、身を低くして這うように進んでいた。

 だが、銀等級の二人は違う。二人きりでいる時の柔らかな表情は消え失せ、凛とした真剣そのものの表情で一歩を踏み出す。

 先頭を歩くローグハンターは時折振り返りつつ、フード越しに天高く飛ぶ鷲へと目を向けた。

 雲一つない晴天に、インクをこぼしたように浮かび上がる黒い染み。目立ちはするものの、気にするものは一人としていない。

 むしろ気にするべきは上ではなく足元なのだ。陽の輝きのお陰で雪山だというのに寒さは弱いものの、転んでしまえば一大事だろう。

 殿として最後尾を行く、同じく外套を纏った銀髪武闘家は新米たちが転んでも素早く飛び付けるように注意を払い、動き辛いだろうに脚甲をつけたまま普段通りに一歩ずつ前へと進む。

 ホッと白い息を吐き出し、天秤剣を杖代わりにしている見習聖女に声をかけた。

 

「あんまり辛いなら、荷物持つよ?」

 

「大……丈夫……です!」

 

 彼女の言葉に新米帰って来たのは、辛そうではあるが気合いに満ちた返事。

 後ろを歩いているから表情こそ見えないものの、弱々しい表情ではないだろう。

 後ろのやり取りが聞こえていたのか、ローグハンターはふと思い出したかのように新米剣士と新米戦士の二人に目を向けた。

 二人の腰には彼手製のホルスターがぶら下がっており、そこにはいつぞやに渡したピストルが納まっている。

 丁寧に手解きしたからか手入れが行き届き、新品同様の輝きを放つそれは、咄嗟の時に裏切ることはない筈だ。

 だが、しかし──。

 

「二人に言い忘れた事がある」

 

「な、何ですか……」

 

 突然神妙な面持ちで話を切り出したローグハンターに、新米戦士は酷く怯えた様子で問いかける。

 ローグハンターは「それなりに重要なことだ」と続け、自分のピストルに手を触れながら言う。

 

「こいつを無闇に使うな。雪崩が起こる」

 

「「ッ!?」」

 

 突然告げられたのは、まさかの切り札使用禁止を示す言葉。

 それなりどころではなく重要な情報をいきなり告げられた二人は思わず体を固まる程に驚いたが、ローグハンターは続ける。

 

「大きな音を雪の精たちは嫌うみたいでな。下手に使うと仕返ししてくるぞ」

 

「そ、そういうのは山に入る前にお願いします!」

 

「そうですよ!いま言う事ですか!?」

 

 思わず怒鳴り返してしまう二人だが、ローグハンターは申し訳なさそうに顔を伏せ、小さく肩を竦めた。

 

「大きい声もな。あまり雪の精を刺激するな」

 

「「──―!」」

 

 口から出たのは謝罪ではなくまさかの追加注文。

 新米二人は不満には思えど従う事にしたのか、音には出さずに抗議の声を出した。

 

「ああ、悪かったな。あまりこれを使う奴がいないから、警告するのが遅れた」

 

 二人の表情を見たからか、或いは単純に罪悪感に苛まれたのか、彼の口からようやく謝罪の言葉が出た。

 それを言われてしまうと何も言い返せないではないか。

 新米二人は途端に行き場を失った怒りをどうしたものかと数瞬迷い、とりあえず仕舞っておくという結論に至る。

 何かのタイミングで爆発させる事はある筈だ。この怒りはその時まで温存しておこう。

 二人は目配せして意識を共有すると、再び意識を足元に集中させる。

 野郎三人の何とも間抜けな会話に女性陣は顔を見合わせて苦笑を漏らし、辛そうだった見習聖女の表情も心なしか和らぐ。

 たまには辛いことから気分を逸らしてやらねば、予想よりも早く潰れてしまう。

 ローグハンターが謎のタイミングで話題を切り出したのは、そういった狙いもあったのだろう。

 銀髪武闘家は相変わらず不器用な彼の心遣いに苦笑を漏らし、まだまだ余裕そうな新米武闘家に目を向けた。

 

「そっちはどう?体動かすのには慣れてると思うけど」

 

「大丈夫です。小さい頃から鍛えてますから」

 

 ふふんと豊かな胸を張りながら言うと、銀髪武闘家は「流石だね」と素直な感想を漏らした。

 彼女とて新米武闘家と同じように、幼い頃から鍛えられている。それは内容の違いはあれどローグハンターも同じことだ。

 そういった数年の差が、彼らの消耗の差とほぼ直結していた。

 前衛を務める新米戦士と新米剣士、新米武闘家の三人はまだ余裕そうだが、見習聖女は他の面々に比べて疲労が色濃い。

 それでも彼女は足を止めることなく前へと進み、さらに次の一歩を踏み出す。

 歩いていれば目的地に着くことを、彼女は知っているのだ。彼女だけではない、ここにいる全員がそれを知っている。

 それを知らないというのなら、そもそも冒険者になるべきではないだろう。

 不安ではあるが頼もしい新米たちに目を向け、僅かに微笑を浮かべたローグハンターは、明後日の方向に目を向けて目を細めると、小さく舌打ちを漏らした。

 

「唐突だが、悪い知らせだ」

 

「敵でも見つけた?」

 

 首を巡らせて周囲を警戒しながら銀髪武闘家が問うと、ローグハンターは眉を寄せながら「違うが、厄介だな」と返す。

 彼がそう口にしたことが合図になったのか、冒険者たちに吹き付ける風が段々と強くなり始める。

 山の天気は変わりやすいとは、一体誰が言った言葉だろうか。

 

「吹雪だ、離れるな!」

 

 ローグハンターが吹き付ける風の音に負けじと声を張り上げると、風に巻かれて雪が舞い上がり、視界を白一色に染め上げんと襲いかかってきたのはほぼ同時。

 ローグハンターを含め、冒険者たちは突然の突風を腰を落として踏ん張る事でやり過ごし、その後吹き付ける吹雪に飛ばされぬように必死に耐える。

 だが、立ち止まっていては雪に埋もれてしまう。

 冒険者たちは吹雪の中で必死に目を凝らしてお互いの位置を確かめあうと、雪に埋まりかけた足を持ち上げて一歩を踏み出す。

 最も重いのは最初の一歩だ。それが出てしまえば、後はそれを続けるだけ。

 体を低くして風に押し負けぬように踏ん張りつつ、前に遅れないように、後ろと離れすぎないように気を配りつつ前へ。

 一瞬の油断を許さぬ状況の中で、ローグハンターはやれやれと首を左右に振った。

 

「──至高神に関わると、録な目に合わないな」

 

 思い出せる範囲でも、至高神の大司教からの依頼で赴いた水の街では失明しかけ、彼女の護衛で赴いた都では銀髪武闘家が負傷し危うく死にかけた。

 そこまで思慮し、ローグハンターはある仮説にたどり着く。

 

 ──至高神というよりは大司教に関わった場合、何かしらの問題に直面していないか?

 

 そうは思っても彼女とは文通中だ。四年間は向き合うという約束に基づいてそれなりの頻度で手紙を出しあってはいるが、前回の手紙にはたまには直接会いたいという旨が書かれていた。

 いつの間にか剣の乙女に惚れられ、告白され、初めて相手の好意を拒んだ。なのに会いたいと言われるのは、彼の人生において初めての事だ。

 別に会っても良いが、どんな顔で会えば良いのかが全くわからない。

 そもそも女心が全くと言って良いほどにわからない彼には、剣の乙女があの行動を起こした(自分に惚れた)理由がわかっていない。

 彼が女性に関してわかるのは、六年連れ添った銀髪武闘家が考えている事だけだ。

 彼は思考を切り上げるように白いため息を吐き出すと、吹き付ける吹雪に吹かれて消えていく。

 吹雪の真っ只中で何を考えているんだと自嘲し、後続の新米たちと銀髪武闘家に目を向ける。

 銀髪武闘家はともかくとして、新米たちの表情に余裕はない。ただですら疲労の溜まっていた見習聖女は特にだ。

 ローグハンターは顎に手をやりながらタカの眼を発動し、視界を巡らせる。

 一寸先も朧気な吹雪の只中であろうと、タカの眼はその先にあるものを鮮明に映し出す。

 今回タカの眼が彼が示したのは、もたれ掛かるように並んだ複数個の岩だった。

 金色に輝くそれらの影に入れば、吹き付ける吹雪を凌ぐことは充分に可能だろう。

 彼は目を凝らして岩までの距離を頭に叩き込むと、タカの眼を解除し後続の五人に目を向けた。

 

「前方に岩がある!そこまで歩けるか!?」

 

 叫ぶように問われた確認に、冒険者たちは一斉に返事を返した。

 その打てば響くように返された返事は、ローグハンターに笑みを浮かべさせるには充分なものだ。

 吹雪を加えてフードを被っているから見えないからと僅かに油断していたのだろう。

 

「キミ、いま笑ってるでしょ!」

 

「ッ!なぜわかった!?」

 

 だからこそ、銀髪武闘家の声には驚きを禁じ得なかった。

 彼が反射的に問うと、彼女の声で「何となく!」と返ってくる。

 きっと彼女も笑っているだろうと思うと余計に口角が上がり、きっと見えていないからと情けない顔になってしまう。

 どんな状況でも軽い触れ合いを忘れない姿勢は真似るべきなのか、むしろ注意すべきなのか、新米たちにはわからない。

 だが確実に言えるのは、見習聖女と新米武闘家の二人はそれとなく羨ましいそうに二人がいるだろう場所に目を向けたことだ。

 女冒険者は嫁に行けない、もしくはかなり行き遅れる。誰かが言い始めた噂は、もはや常識となって世界に広がっている。

 非常に珍しい例年たる銀髪武闘家を前にして羨ましく思うなと言う方が無理だ。

 ローグハンターは表情を引き締めながら咳払いを一つすると、後続に指示を飛ばす。

 

「少しずつでも良い!岩まで進め!」

 

『はい!』

 

「うん!はい、頑張って!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 打てば響くような返事に続いたのは、銀髪武闘家と見習聖女の二人の声だ。

 銀髪武闘家の性格からして、困っている人を見捨てる事は出来ない。それが友人、一党の仲間だというのなら尚更の事だ。

 彼女の同性にしては高い膂力に背中を押され、見習聖女は天秤剣をぎゅっと握りながら更に前へ。

 外套の前を必死に押さえ、足を止めんと襲いかかる吹雪を前に負けじと進む。

 その速度は決して速いものではないけれど、虫が這うように格好の良いものではないけれど。

 

「よし、掴んだぞ!」

 

 必死になって前へと進む見習聖女の細腕が、吹雪の奥から伸ばされた無骨な腕に掴まれた。

 そのまま抗う事の出来ない力で引っ張られ、風が止んだと思った瞬間に投げ飛ばされるように離される。

 投げられた彼女を受け止めたのは新米戦士だ。受け止めるには邪魔だからと腕に括った円盾は背に回されており、村を出た頃よりも固くなった両腕でしっかりと受け止められた。

 思わず頬を赤くする見習聖女を他所に、新米戦士が吹雪の奥にいるであろうローグハンターに向けて叫ぶ。

 

「捕まえました!」

 

「良し!」

 

 吹雪に負けじと発せられた声に応えたのは、それを更に越える声量の声だった。

 声と共にローグハンターと銀髪武闘家が吹雪の奥から姿を現し、新米たちが待つ岩影に滑り込む。

 ローグハンターの黒かった衣装は雪に包まれて真っ白に染まり、その顔にも大量の雪がへばりついている。

 彼は手でそれを雑に払い落とすと、どかりと腰を降ろした。

 その隣に同じく雪を払い終えた銀髪武闘家が腰掛け、ホッと白い息を漏らす。

 

「吹雪が止むまで休憩だね」

 

「ああ。まあ、良い機会だ」

 

 彼女の言葉にローグハンターは頷き返し、雑嚢から松明用の油を染み込ませた布が巻かれた棒切れを数本取り出し、それを適当に並べて組む合わせていく。

 彼の作業も気になりはするものの、新米戦士は腕に抱えた見習聖女に目を向けた。

 

「大丈夫か?」

 

「……!うん、平気、大丈夫……」

 

 見習聖女が耳まで赤くなりながら目を逸らすと、遅れて現状を把握した新米戦士も照れ臭そうに目を逸らす。

 初々しい二人の様子を他所に、棒切れを組み終えたローグハンターは両手のアサシンブレードを抜刀し、それを擦り合わせて火花を散らして棒切れに着火する。

 白一色に埋め尽くされた世界に、一つだけ浮かび上がる橙色の灯火。

 道に迷った人々を導く灯台とは違うものの、体が冷えきっている冒険者たちにとってはそれ以上の価値がある。

 焚き火を囲んで身を寄せあって暖を取る冒険者らは、僅かに警戒と装具の留め具を緩めつつ視線を交わした。

 体が温まるまでは終始無言であったが、体が温まると共に体力も戻ったのか見習聖女がどっとため息を吐いた。

 

「ううう、至高神様ぁ……託宣(ハンドアウト)がふわっとしすぎですよぉ……」

 

 ぼそりと漏らされたのは、敬愛する神への愚痴だった。

 両膝を抱えて三角座りをしながら天秤剣にすがり付き、目に涙を浮かべる見習聖女の姿にローグハンターは苦笑を漏らし、新米剣士が担いでいた鞄を探って手鍋を引っ張り出した。

 彼が何をしようとしているのか気付いた銀髪武闘家が「あ、私がやる」と言って手鍋を受け取り、そこに雪を詰め込んで焚き火の上にやる。

 手鍋に詰め込まれた雪は熱にやられてすぐに水となり、熱せられて白湯となる。

 もうもうと湯気を出す白湯をカップへ移し、泣いている見習聖女に渡す。

 

「体が寒いから気分も暗くなるのよ。さ、飲んで飲んで」

 

「うう、はい……」

 

 目に溜まった涙を拭い、カップを受け取った見習聖女は息を吹き掛けてある程度冷ますと火傷しないように慎重に口にした。

 喉を通った白湯の熱が全身に行き渡り、後ろ向きだった心を含めて温めてくれる。

 

「お前らも飲んでおけ。まだまだ登るぞ」

 

 彼女の表情がだいぶ和らいだ頃を見計らい、ローグハンターは他の新米たちにもカップを渡していく。

 新米たちは一言礼を言いながら受け取り、熱々の白湯を一口。

 体の芯から温まる心地よさに表情が和らぎ、口から安堵に似た息が出る。

 彼らに続くように銀髪武闘家とローグハンターも白湯を口にし、ホッと熱くなった息を吐き出す。

 

「いやー、何か懐かしいねぇ」

 

 不意に銀髪武闘家が気の抜けた様子でそう口にし、吹雪で見えぬ空へと目を向けた。

 あんなに青かった空も、今は真っ白に塗り潰されている。

「懐かしい?」ローグハンターが眉を寄せて口を開くと、「何がだ」と問いかける。

 

「私たちがまだ鋼鉄等級ぐらいだった頃にも、こんな感じで山に登って吹雪になったよね」

 

「……そうか?」

 

 彼女の問いかけにローグハンターは首を傾げ、空になったカップを手の上で弄ぶ。

 そして思い出したのか「そんな事もあったな」と懐かしむように言葉を漏らし、フッと笑みを浮かべた。

 

「鋼鉄等級か。その頃はただの一党だったな」

 

「そうだね~」

 

 二人が懐かしむように言葉を重ねると、体を丸めて白湯を飲んでいた新米武闘家が躊躇いがちに問いかけた。

 

「あの、お二人はいつ頃からその、恋人に?」

 

「等級で言えば翠玉か紅玉あたりだったと思うが」

 

「もうすぐで四年だから、そのくらいかな?」

 

 彼女の質問に二人が答えると、「そうなんですか……」と新米武闘家は意外そうな声を漏らした。

 彼女だけでなく他の三人も似たような表情になっている事に気付いてか、ローグハンターは苦笑を漏らす。

 

「何も出会ったその日から恋人になったわけじゃあないぞ。同僚として何年も付き合った結果が今だ」

 

 彼が得意気に言うと、隣の銀髪武闘家は半目になりながら彼の脇を肘で小突いた。

 

「……私がいくらアピールしても気付かなかった人が、よくどや顔出来るね」

 

「それは、すまなかったな」

 

 肩を竦めて悪びれた様子もなく言うと、「ま、終わり良ければって言うか」と銀髪武闘家も気にした様子もなく笑みを浮かべた。

 緊張しているようで緊張していない。この独特の雰囲気が作れるからこそ、二人はこうして恋人となれたのだろう。

 新米武闘家と見習聖女の二人は何やら真剣な面持ちで顔を見合わせ、互いに頷きあう。

 そして代表するように見習聖女が小さく挙手した。

 それにいち早く気付いた銀髪武闘家が首を傾げ、「どうかした?」と問いかけた。

 

「あの、一つ質問なんですけど」

 

「うん」

 

「お二人は、その、どういった経緯で恋人に?」

 

 真剣な面持ちで放たれた質問は、年頃の女子としては大変興味のあるものだった。

 新米剣士と新米戦士の二人の「何でそんな事を?」と顔を見合わせて首を傾げ、問われたローグハンターに関しては音に出して「何故それを聞く」と小さく漏らす。

 だが、銀髪武闘家は違う。うんうんと何度も頷き、空になったカップに白湯を注ぐと水の減ってきた手鍋に雪を落とし込む。

 そして吹き付ける吹雪の様子を一瞥すると苦笑を漏らした。

 

「しばらく動けないし、少しだけ話してあげよっか。まあ、興味ない人もいるだろうけど」

 

 新米戦士と新米剣士、ローグハンターの方に目を向けつつ言うと、意識を切り替える咳払いを一つ。

 

「そうだね、どこから話そうかな」

 

 彼女がそうして話し出せば、女子二人は食い入るように身を乗り出して耳に意識を集中する。

 彼女らの好奇心のように吹き付ける吹雪は止まず、いまだに強くなるばかりだ。

 

 

 

 

 

「──と、こんな感じかな?」

 

 吹雪もだいぶ弱まり、陽の輝きが途切れ途切れに照り始めた頃になると、銀髪武闘家の話もようやく終わりを迎えた。

 一言一句聞き逃すまいと集中していた新米武闘家と見習聖女の二人は深い息と共に疲れを吐き出し、顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 大波乱の大冒険の末に結ばれたと思いきや、一歩一歩着実に二人の間にあった溝を埋めていった。

 そう、他のカップルたちと変わらない。少々暴力的(バイオレンス)な出来事が多いことを除けば、だが。

 

「……終わったか?」

 

 頃合いを見て、いつも以上に目深くフードを被ったローグハンターが確認を取った。

「うん、ばっちり」と銀髪武闘家は頷くと彼の下へと近づき、フードの中を覗きこんだ。

 そこにあったのは赤面した彼の顔だ。彼女との馴れ初めとはつまり、今の彼からしてみれば封じておきたい過去(黒歴史)に他ならない。

 そう思えるほどに過去の自分は素っ気なく、無愛想で、必要以上に彼女を悲しませた。

 彼女はいたずらっ子を思わせる笑みを浮かべ、彼の真っ赤になった耳に触れた。

 

「なに、恥ずかしくなっちゃった?」

 

「……別に」

 

 彼は目を逸らして言い繕うが、彼が目を逸らすのは何かを隠しているか、正面から相手を見れないほどに照れている時だ。

 その事を熟知している銀髪武闘家はただ笑みを深めるだけで、彼の耳から手を離した。

 

「まあ、話してるこっちも恥ずかしかったけどね」

 

「だろうな」

 

 彼女の言葉にローグハンターはため息混じりに頷き、新米たちに目を向けた。

 彼女の長話と休息のお陰でだいぶ疲労が取れたのか、入山した頃より明るい表情となっている。

 そうとわかればすることは一つのみ。

 

「さて、そろそろ──」

 

 出発しようと号令を出そうとした時だ。

 とても小さいが『ざり……』と雪を踏みしめる音が彼の鼓膜を叩いた。

 彼は反射的に跳ねるように立ち上がり、金色の剣を抜き放つ。

 金属と腰帯が擦れる音を合図にして銀髪武闘家もまた立ち上がり、緩めていた脚甲の留め具をしっかりと締め直す。

 二人に遅れること数秒。新米たちも慌てて装備を整えると立ち上がり、新米剣士と新米戦士の二人は腰に下げた片手半剣(バスタードソード)を抜き放った。

 かつてローグハンターが愛用していた両手剣よりも軽く、片手剣よりも重いそれは、何人かの新人冒険者たちが愛用し始める程度には広まっている。

 本来ならその二つの間だからこそ、活かせる状況と活かせない状況が極端に別れるものなのだが、それを知る新人たちは少ないだろう。

 新米武闘家は鞄を守るように身構え、見習聖女は焚き火に雪を被せて素早く始末を済ませる。

 冒険者たちが臨戦態勢となったのと、岩影からひょこりと長い白耳が飛び出したのはほぼ同時。

 

「珍しいこともあるんすね。こんなとこに人がいるなんて」

 

 何とも呑気な事を言いながら姿を現したのは、直立した白兎──もとい、獣人の一種であろう兎人だった。

 兎人はひくひくと鼻を動かし、その手を腰に帯びた山刀──ではなく腹に伸ばし、そこを擦った。

 

「何か食べ物を分けてはくれませんかね。腹が減ってかなわんのです」

 

 臨戦態勢の冒険者たちに対して、それを気にも止めずに口を開いた兎人。

 ローグハンターは珍しくポカンとすると、苦笑を漏らして武器を降ろした。

 

「ここまで敵意がない奴には久々に会ったな」

 

 金色に輝く捕食者(タカ)の眼光を放ちながら言うと、兎人は「そんなに睨まれたら死んじゃいますよ」と頬を掻いた。

 ローグハンターに続いて銀髪武闘家は拳を降ろし、新米たちにも「大丈夫そうだよ」と告げて武器を降ろさせる。

 ローグハンターは肩を竦め、兎人に問いかける。

 

「それで、お前はどうしてここに?」

 

「あの鳥さんに誘われるがままですわ。いやー、何なんですかねぇ」

 

 兎人はそう言いながら空を指差した。

 だいぶ吹雪もおさまったお陰で青空が覗いているが、そこには円を描きながら飛ぶ黒い点が一つ。

 

「あいつが……」

 

 ローグハンターが目を細めながら言うと、兎人は「いきなり頭を小突かれましてね」と一対の白耳の間を指で掻いた。

 

「それはすまないな」

 

「いえいえ、気にせんでください。暴れなかったぼくもぼくですから」

 

 手短に謝ったローグハンターに、兎人は何とも思っていないようにひらひらと手を振った。

 途端に彼から興味を失ったのか兎人は視線を巡らせ、後ろに控える冒険者らに目を向けた。

 左腕に円盾を括りつけた新米戦士、頭の鉢巻を締め直す新米剣士、荷物を漁って何を分けようかと頭を悩ませている新米武闘家、周辺を警戒をしている銀髪武闘家、そして──、

 

「お?」

 

 天秤剣を持つ見習聖女。

 兎人は彼女を発見すると目の色を変え、「もしかして、至高神の?」と問いかけた。

 

「え?ええ、そうだけど……」

 

「そうですか、そうですか」

 

 兎人は何やら得心した様子で頷くと、新米武闘家が恐る恐る差し出したリンゴを「ありがとうございます」と丁寧に一礼してから受け取り、小さな前歯で削り取るように頬張った。

 一口が小さいからかそれなりの時間をかけてリンゴを完食すると、兎人は膨れたお腹を撫でながら冒険者らに告げた。

 

「あの、何ならぼくらの里に顔を出してください。お母さんも喜びますんで」

 

 兎人からの突然の申し出に冒険者らが思わず顔を見合わせると、ローグハンターは顎に手をやって僅かに思考した。

 見習聖女に贈られた託宣(ハンドアウト)

 

『──北方の頂きに至れ』

 

 それを果たさんと山に登り、出会った兎人は妙に見習聖女──おそらく至高神の御使いに──興味を示している。

 タカの眼を通して見ても、兎人の色は敵意のない青一色。むしろ友好的とまで言えるだろう。

 ならば、どうするか。

 罠の可能性も捨てきれないが──、

 

「そこまで言うのなら、お邪魔させて貰おう」

 

 ローグハンターは刹那的な思考を終え、兎人の提案を受け入れる事にした。

 蜥蜴僧侶がいれば『罠とは踏み砕くものですからな』と背を押すに決まっている。

 

「お前らはどうする」

 

 決めてから相談するとは言語道断も良いところだが、ローグハンターのそれは今日始まった事ではない。

 銀髪武闘家は額に手をやってやれやれと首を左右に振ると、「私も行く。キミ一人だと心配だし」と返し、新米四人に目を向けた。

 銀等級二人が行くのに白磁等級の四人が行かないのは、それはそれで危険だろう。

 まあ、詰まる所。

 

「俺たちに選択肢がないのでは……?」

 

 ハッとした様子で新米剣士が言うと、ローグハンターは「決断するなら誰よりも早くだ。こうなるからな」と苦笑混じりに告げてきた。

 新米たちは顔を見合わせて二三言相談すると、「行きます!」と見習聖女が代表して告げた。

 ローグハンターは彼女らに頷き返すと、待ちぼうけていた兎人に顔を向けた。

 

「それじゃあ、案内を頼めるか」

 

「はい、任せてください」

 

 兎人は柔らかな笑みを浮かべ、こくりと頷いた。

 新たな出会いは突然訪れるのは今さらになって知るものではないが、ローグハンターは背中を向けて歩き出した兎人に追従しつつ、不意に過った思考に小さくため息を吐いた。

 

 ──これは、所謂(いわゆる)『冒険』と呼べるものではないだろうか。

 

 そう思うと共に、彼は小さく肩を竦めた。

 

 ──またあの上森人に何か言われそうだな……。

 

 彼を冒険に連れ出そうと躍起になっている妖精弓手がこの事を知れば、間違いなく噛みついてくることだろう。

 彼は帰ってからの苦労を思い、これから直面するであろう問題を思ってため息を吐いた。

 吐き出した白いため息は風に吹かれて消えていき、誰にも知られることはなかった。

 

 

 

 




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Memory03 捕食者を狩るもの

 行動に支障がないほどに吹雪が止んだ頃、兎人──白兎猟兵の先導で冒険者らは勾配の激しい山道を進んでいた。

 軽い足取りで進む白兎猟兵、ローグハンター、銀髪武闘家だが、彼らに続く新米冒険者たちの息は切れて敵わない。

 入山して数時間。途中に休憩や足止めがあったにせよ、彼らはそれなりの標高まで登ってきているため、空気が薄くなってくるのは当然の事だ。

 ローグハンターは白い息を吐き出すと、先頭を進む白兎猟兵の背中に声をかけた。

 

「それにしても、この寒さの中で生活は大丈夫なのか」

 

「いつも通りなら大丈夫なんですけど、この冬はきつくってですね」

 

 白兎猟兵は苦笑混じりにそう言うと、「ぼくらは一日でも食わんと死ぬんですけど」と覇気の弱い声で呟いた。

 白兎猟兵の様子を見て、作物が育たないとか備蓄が尽きそうだとか、ローグハンターはいくつかの仮定を組み立てていく。

 静かになった彼に代わり、銀髪武闘家が更に問いかけた。

 

「近くに他の村はないの?山の中じゃなくても、麓になら一つや二つあるでしょ?」

 

「ぼくのひいひい爺様が若い頃に、麓にあった只人さんらの村が潰れてしまいましてね。それからというもの、縁が切れたきり何ですわ」

 

 白兎猟兵はひょいと岩を飛び越えて振り向きながらそう言い、ローグハンターは肩を竦めてその後に続いて岩を乗り越え、ぜぇぜぇと息の荒れた新人たちに手を貸す。

 曾祖父となると百年ほど前だろうかと思慮し、続けて種族の寿命差を考慮しようとしたが、そもそも兎人に会ったのはこれが初めての事だ。

 わからないものを放置するのは良くないと、白兎猟兵に問う。

 

「ひいひい爺様。それは何年前の話だ」

 

「たぶん百年経ってないですよ。ぼくらの感覚なんで」

 

 只人を基準としてそこまで大きな差はない。あるいは少し短い程度だろうか。

 ローグハンターは顎に手をやってそう纏めると、次の質問に移る。

 

「この冬()きついと言っていたが、いつもと何か違うのか」

 

「ええ、そうなんですよ。何でも『氷の魔女』がやる気になったみたいで」

 

「氷の魔女?」

 

 白兎猟兵の言葉に反応したのは見習聖女だ。

 至高神からの託宣(ハンドアウト)でここまで来たわけだが、まさかその魔女を討てと言う意味なのか。

 僅かに怯えた表情で思考に意識を傾けた見習聖女の腕をローグハンターが掴み、強引に引き寄せて進路を変える。

 見習聖女は「わっ!」と驚きを露にすると、ローグハンターは「足元、気を付けろ」とだけ告げた。

 彼女の目にはただの雪が積もった地面にしか見えないのだが、白兎猟兵が感心したように息を吐く。

 

「ほぇ~、わかるんですか?そこ、下が空っぽになってるんすよ」

 

雪庇(せっぴ)だったか。ただの雪の塊だから、体重をかけたら底までまっ逆さまだぞ」

 

 ローグハンターは淡々とそう告げると見習聖女から手を離し、彼女が踏みかけた雪庇を剣の切っ先で突くと、音を立てて雪が崩れ、底の見えない穴が口を開けた。

 見習聖女は危うくそこに呑み込まれていたという事実に顔を青ざめ、新米たちも怯えた様子で手頃な岩の上に飛び乗った。

 雪が天然の落とし穴になるというのなら、岩の上を進んで踏まなければ良いだけの事だ。

 初めて訪れる場所は臆病な程が丁度良い。

 ローグハンターは彼らのその姿勢を責めることなく、白兎猟兵に目を向けた。

 

「それはともかく氷の魔女だ。そいつが何かしたのか」

 

 彼の興味は完全にその魔女に向けられていた。

 久しぶりの純粋な冒険に心踊っていたにも関わらず、そこにいたのは白兎猟兵を困らせる氷の魔女(ローグ)

 六年間で培われてきたならず者殺し(ローグハンター)としての義務感が、彼の背中を押し始めているのだろう。

 銀髪武闘家は一層やる気になった彼の表情に苦笑を漏らすものの、彼らしいからと安堵を覚える。

 二人の表情の変化に気付かない白兎猟兵は何てことのないように言う。

 

「ぼくらとしちゃあ、雷鳥だの雪男(サスカッチ)だのに、たまに仲間が喰われるのは文句もないんですが」

 

「……ないのかよ」

 

 白兎猟兵が言うと、新米剣士が思わずそう言葉を漏らした。

 仲間が喰われたのに文句がないというのは、只人の彼では想像も出来ないのだろう。

 

「ないんすよ。弱肉強食、それがぼくらにとっちゃ普通ですから」

 

 白兎猟兵が飛んだり跳ねたりしているうちにずれた山刀の位置を直しながら言うと「ですけど──」と言葉を続け、疲れたように首を横に振った。

 

「この冬はそれがえらいことになっちまいまして。冬の時代がきたお祝いだって、毎日雪男どもにひょいぱくされて、参っちまいます。ついでに他の食料まで持っていかれてますから」

 

「このままいけば村民全員が餓死か喰死のどちらかか」

 

 ローグハンターが言うと、白兎猟兵は「そうなりますね」と今度こそ神妙な面持ちで頷いた。

 

「ようやく託宣の意味がはっきりしたな」

 

 白兎猟兵の言葉を受け止めたローグハンターはそう言いながら、後ろを歩く見習聖女に目を向けた。

 彼の金色の双眸と真正面から視線が交錯した見習聖女は、彼の言葉の意味を理解してか、首に下げた至高神の聖印を握り締めた。

 彼女の一党たる三人もようやく目的がはっきりしたと顔を見合わせて頷きあう。

 

「ほいっと。皆さん、もうそこですよ」

 

 だからだろうか、白兎猟兵が示した場所を見るのに一瞬遅れてしまう。

 

「おぉ……」

 

 思わず声を漏らしたのは果たして誰だっただろうか。

 尾根と尾根の狭間、ぽっかりと開いた谷間に、いくつもの巣穴と思しき穴が穿たれているのだ。

 そのどれにも丁寧に作られたであろう小綺麗な扉がはめ込まれ、模様のような小道が戸口から伸びている。

 只人の街に住み、森人の街を見たローグハンターからしても、そのいずれとも違うと断言出来る独特な空間。

 それこそが兎人たちの集落であり、彼ら冒険者の目的地であった。

 住民たちの表情には今一つ活気はないものの、集落を世話しなく行き来している。

 

「キィッ!」

 

 不意に集落を眺めていた冒険者らの脇を、鷲が過ぎ去っていった。

 驚く彼らの視線を集めるように悠々と宙に円を描くと、集落の中央に鎮座する何かに停まりもう一声鳴いた。

 そうしてようやく、見習聖女はその存在に気付く。

 彼女に続いて新米武闘家、新米剣士、新米戦士とそれに気付き、銀髪武闘家は思わず息を呑み、ローグハンターは「ほぉ」と感嘆したように息を吐いた。

 集落のちょうど中央。ぽかりと空いた広場に一本の細い柱があった。

 それは酷く汚れ、錆びて、集落の者の中には触れようとする者すらいないけれど、冒険者らにとって見覚えのない者は誰一人としていない。

 逆しまになった剣と天秤を組み合わせた意匠の、とても古い杖。

 

「前人未到とはいかないか」

 

 ローグハンターは誰に言う訳でもなくぼそりと呟き、見習聖女に、正確には彼女の持つ天秤剣に目を向けた。

 偉大なる至高神の加護は、確かにここにあったようだ。

 

 

 

 

 

「おうい、お母さん!至高神様の御使いをお連れしたよー!」

 

「あらまあ!じゃあ、ご飯にしましょう」

 

 白兎猟兵が巣穴に入ると共に告げた言葉に、丸々太った白兎の奥方が嬉しそうに手を打った。

 数年来の友人を招き入れるように冒険者たち、そしてローグハンターの肩に乗る鷲を居間に通し、すぐさま料理を作らんと奥へと消えていく。

 ローグハンターが「警戒心の欠片もないのか……」と珍しく呆れたように言いながら腰に下げた弓と矢筒、剣を壁に立て掛け、ライフルを抱えたまま夏草の絨毯の上に腰を降ろす。

 鷲も彼の肩から飛び降ると嘴で自分の羽を掻き、絨毯を整えてから足を折った。

 彼らに続くように銀髪武闘家が彼の隣に腰掛け、新米たちも各々装具を緩めてから腰を降ろした。

 そうして待つこと数分。兎人の奥方がお盆に人数分の皿を乗せて戻ってくる。

 振る舞われた不断草の赤い根のスープは食べ慣れぬ味ではあるものの、心から温まる味であったことは間違いない。

 鷲の為なのかいくつかの果実が出され、鷲は礼を言うように一鳴きしてからそれを口にしていく。

 ローグハンターは遠慮のない相棒に批判的な目を向け、そのまま物足りなそうな表情をする銀髪武闘家の脇を小突く。

 だが時すでに遅し。彼女の表情に気付いた兎人の奥方が申し訳なさそうに言う。

 

「ごめんなさい。主人がおりませんもので……」

 

「どうかしたんですか?」

 

 新米武闘家が一口、二口と口元に匙を運びながら問うた。

 

「お父さん、美味しいパイにされてしまったからね」

 

 冒険者たちを連れてきた兎人がしんみりと言うと、新米武闘家は「ご、ごめんなさい……っ」と慌てて頭を下げた。

 だが、白兎猟兵は「良いの良いの」と手を振った。

 

「死んじゃったのは仕方ない。ぼくらは気にしてないから」

 

「だが、良かったのか?」

 

 ローグハンターは無理やり話題を変え、難しい顔をして問いかけた。

 

「集落の様子を見た限り、食料の備蓄も少ないんだろう?」

 

 気を遣っておかわりを頼まないでいた空皿を見ながら問い、躊躇なく次の一杯を平らげた新米剣士と新米戦士、銀髪武闘家の三人に一瞥くれる。

 兎人の奥方は「良いんですよ」とにこにこと機嫌良く言い、「お客様をもてなさないのは一族の恥ですから」と続けた。

 なぜそういった規則が生まれたのかは定かではないが、ローグハンターは肩を竦めて「そうか」とだけ言った。

 一族の決まり事にまで首を突っ込む程、彼は図太い性格はしていない。

 だがしかし、気にならないかと問われると答えは否。

 

「──なぜ身を削ってまで、初対面の相手をもてなすんだ」

 

 空皿を弄びつつ問うと、兎人の奥方は「大した話ではありませんよ」と一言挟んでから話し始める。

 

「わたくしどものご先祖が餓えた旅人の為に自ら火に飛び込み、命を救ったのです。その心が神々に認められ、祈りを教えてくださった。……ただ、それだけですよ」

 

「なるほど。兎人に伝わる神話か」

 

「そんなところです」

 

 兎人の奥方が頷くと、ローグハンターは小さくため息を漏らした。

 彼らから見れば、もてなしを断る方が失礼にあたるのだろう。

 

「なら、もう一杯──」

 

 ──貰おう。と口にしようとした時だ。

 最近鋭くなった彼の第六感が刺激され、背中に冷たいものが過った。

 

 ──何か来る……。

 

 何の根気もないもないただの直感。だが時にその直感が命運を分ける時もある。

 ローグハンターは兎人の奥方に空皿を差し出した姿勢で固まると、険しい表情で眉を寄せた。

 冒険者、兎人の全員が顔を見合わせて首を傾げる中で、ローグハンターは皿を絨毯の上に置いて立ち上がった。

 何もないならそれで良い。だがもし何か来ているというのなら……。

 

 ──狩るだけだ……。

 

「すまないが少し外に出る。お前らは休んでいろ」

 

 ローグハンターは努めていつも通りの声音になるように心掛け、壁に立て掛けた二振りの剣と弓と矢筒を手に取りながらそう告げた。

 兎人の奥方は「厠は奥にありますけど」と遠慮がちに言うが、彼は「気にしないでくれ」ととりつく島もなく外へと出てしまう。

 鷲も主の背を追いかけて外に飛び出していき、取り残された新米たちと兎人たちは訳もわからず顔を見合わせるのみ。

 だが、何かを察した銀髪武闘家は慌てて残ったスープを一息で飲み終えると立ち上がる。

 

「すいません。私も行ってきます」

 

「ですから厠は──」

 

 兎人の奥方が再び家の奥を示すが、銀髪武闘家は手を振りながら「いや、そうではないので、お気遣いなく」と返して家を出る。

 取り残された新米冒険者たちと兎人たちは顔を見合わせ、首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 

 集落の中央広場。錆びた天秤剣の前にローグハンターはいた。

 これを置いた者の痕跡を辿ろうとタカの眼を発動し、どこからか現れた半透明の幻影に目を向けた。

 男か女かは定かではないが、水の街の法の神殿でよく見かける神官服を纏った神官が、隣に立つ兎人に何かを託すと自らの天秤剣を地面に突き立て、集落の外を目指して歩き出す。

 何を渡したのかは定かではないが、大切なものであることは確実。

 ローグハンターは顎に手をやり思慮するが、流石にわからない。そんな下手をしなくとも百年は前の出来事なぞわかるものか。

 タカの眼を解除しつつ、ローグハンターはため息を吐いた。

 あの時覚えた悪寒。その正体を探ろうと外に出たわけなのだが、集落は平和そのものだ。

 

「もう、どうしちゃったの」

 

 広場の中央で立ち尽くす彼の背に、銀髪武闘家が声をかけた。

 彼は反射的に振り返ると肩を竦め、「どうにも嫌な予感がしてな」と告げて苦笑を漏らす。

 鷲は既に放っている。何かを見つければ、向こうから繋げてくるだろう。

「嫌な予感」と銀髪武闘家はおうむ返しすると、やれやれと首を横に振りながら彼の隣に立つ。

 

「だからって一人で飛び出していくのはどうかと思うな」

 

「お前なら追いかけてくると思ったからな」

 

 彼女の苦言に間もおかずに返し、彼女の肩を抱いて自分の方へと引き寄せた。

 突然抱き寄せられて驚きはするものの、寒空の下では温かいと頬を緩めた。

 

「まあ、何と言われようと追いかけるよ。キミがいるならどこまでもってね」

 

「俺もだ。お前がどこにいようと、必ず見つける」

 

 お互いに顔を見合わせ、恥ずかしがる様子もなく告げた。

 こんな会話をしてはいるものの、驚く事にこの二人、まだ結婚していないのである。

 

「それはそうと戻らないの?見張るなら付き合うけど」

 

「もう少ししたら戻るから、お前は先に戻ってくれ」

 

「えー、嫌だ。この前だってキミと離れたせいで怪我したんだよ?」

 

 銀髪武闘家は不満顔でそう言うと、自分の腕をローグハンターの腰に巻き付ける。

 近かった二人の距離は更に近づき、お互いの熱と鼓動を強く感じることが出来る。

 ローグハンターは思わず緩んだ口角を気にすることなく、仕方ないと言わんばかりに息を吐いた。

 

「わかった。気が済むまでこのままでいろ」

 

「えへへ。そうします」

 

 ローグハンターの言葉に甘えるように、銀髪武闘家はぎゅっと彼を抱く腕に僅かに力を入れた。

 女性とはいえ下手に力を入れようものなら、鯖折りよろしく彼をダウンさせてしまう。己の身一つで銀等級に登り詰めた彼女の膂力を侮ってはいけない。

 二人の胸中が「ずっとこのままでいたい」と思うほど、そうさせまいとするのがこの世界だ。

 錆びた天秤剣を見ていたローグハンターの視界が急変し、一瞬のうちに集落を空から俯瞰するものへとなったのだ。

 視界に映るのは何やら騒がしくしながら集落へと近づいていく何者かの影だ。数は三。

 ローグハンターは目を細めると名残惜しそうに銀髪武闘家から手を離し、腰に巻かれた彼女の手を解く。

 彼の行動の意味を知っている彼女は批判することなく彼のされるがままに手を離し、僅かに残念そうに息を吐いた。

 

「問題発生だ。あいつらを呼んでこい」

 

「わかった」

 

 銀髪武闘家が駆け足で白兎猟兵の巣穴へと戻っていくと、ローグハンターは肩を回して首を鳴らすと、その何者かを迎え撃たんと歩き出す。

 何者かに近づくと共に聞くに値しない雑音のような歌が鼓膜を叩き、ずん!と響く足音が腹の底まで届いて消える。

 集落のちょうど入り口となる場所でザッ!と足音を立てて立ち止まると、その何者かも彼に気付いて足を止めた。

 それらは異形の人型だった。ずんぐりむっくりとした猿にも見えるそれは、身長三メートルを越える雪男であった。

 筋骨隆々、それこそ筋肉の塊のようにさえ見える巨漢が三体。立ちはだかるのは身長二メートルにも届かない只人が一人。

 彼の目には赤一色に映る雪男たちは、彼の姿を認めてげたげたと下品な笑い声をあげた。

 

「なんだなんだ、言う前に決闘すんのが飛び出してきたのか?」

 

「小せいし、固そうだし、腹の足しにならなそうだなぁ」

 

「そもそも兎じゃあねぇぞ、ありゃ。なんだ」

 

 雪男の三人に貶される中で、彼は至って冷静だった。

 否、額に青筋を浮かべ、手にした弓を握る手にも血管が浮かんでいるから、相当に怒っていた。

 彼が何に怒っているのか。自分を貶された事か。強大な相手を前にして自分を奮い立たせるためか。

 それも否だ。彼が怒りを露にしている理由。それは、

 

 ──こんな間抜けな奴等に、あいつとの時間を邪魔されたのか……!

 

 純粋に恋人との会話を邪魔されたからに他ならない。

 この男、一ヶ月前の出来事のせいで愛が可笑しな方向に振りきれている節がある。

 それは彼自身に自覚はなく、ましてはそれを知る友人たちもいない。彼がたった一人の時にだけ見せる新しい表情だ。

 彼は無言で弓を構えて矢をつがえ、鋭く息を吐きながら引き絞る。

 

「ん?あのチビッ子、何を──」

 

 雪男が大口開けて何か言おうとした瞬間、その口内に矢が突き刺さった。

 柔らかな口内を突き抜けた矢はそのまま脳髄を貫き、後頭部から脳の欠片がこびりついた鉄製の鏃が飛び出し、鮮血を滴らせる。

 雪男は自分が死んだ事にも気付かずに膝をつき、そのまま『ずぅーん』と重い音を響かせながらうつ伏せに倒れた。

 残された二人の雪男は何が起きたのか理解するのに時間を有した。理解したと共にしたのは二人それぞれ別のことだった。

 一人は敵を討たんとローグハンターに向けて走りだし、もう一人は「お、おい!」と止めんと手を伸ばすがもう遅い。

 

「こんの、野郎がぁ!」

 

 動かぬローグハンターに豪腕を振り降ろし、その小さな身体を叩き潰さんとしたが、

 

「のろまが」

 

 彼はそう漏らしながら横にステップを踏むのみで回避した。

 空を切った豪腕は地面に叩きつけられ、ローグハンターの姿を覆い隠す程の雪煙を舞い上がらせる。

 雪男が彼の姿を見失った一瞬。金色の軌跡が雪煙を切り裂いた。

 

「……へ?」

 

 否、雪煙だけではない。雪煙を切り裂くのと大差ないほど容易に、雪男の豪腕が諸とも切り裂かれたのだ。

 雪男は跳ね上がった自分の腕を他人事のように眺め、ぼとりと落ちた音を合図に、肘から先がなくなった自慢の腕を見つめた。

 

「……あ……ぎっ……あぁ!?」

 

 遅れて駆け抜けた激痛に顔を歪め、血が噴き出て止まらない腕を押さえるが、彼は一つ勘違いをしていた。

 まず雪男の振り降ろし。それに対するローグハンターの回避。そして、その流れのままに反撃。

 続けて雪男は痛痒(ダメージ)で行動不能。つまり、

 

 ──今はローグハンターの行動順(ターン)だ。

 

 ローグハンターの一閃が左足の脛を裂いて膝をつかせると、差し出された膝を足場に跳躍。

 三メートルを越える雪男の頭を飛び越えながら金色の剣を逆手に持ち変え、そして──、

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐きながら突き立てる。

 放たれた一撃は寸分の狂いなく鎖骨の隙間すり抜け、雪男の心臓を貫いた。

 その勢いのままに雪男の巨体を引きずり倒し、金色の剣を引き抜き血払いくれる。

 血に濡れて尚その輝きは衰えず、むしろ血を吸ったからか増しているようにさえ見える。

 ローグハンターはその刀身を指で撫でると、残された雪男を睨み付けた。

 本来捕食者たる雪男に恐怖を抱かせるそれは、さらに上の捕食者を前にした時のそれだ。

 井の中の蛙。雪男たちの状況はそうとした言いようがなかった。

 

「ア、アニキたちが、アニキたちが!?」

 

 目の前で仲間二人を瞬殺された雪男が狼狽えながらそう言うと、ローグハンターは金色の剣の切っ先を雪男に向けた。

 

「我が名は誰でもない(ノーマン)!我が血肉を啜りたいのいうのなら、貴様の主を連れてこい!素っ首叩き落とし、貴様らに喰われた友たちへの手向けとしよう!」

 

 雪山に轟く大咆哮。

 恐るるに足りない筈の一人の男に、今まで感じた事のない恐怖を覚えた。

 相手に恐怖を覚え、間合いも充分とあれば、する行動は一つ。

 

「アニキが誰でもない(ノーマン)にやられたぁっ!!!」

 

 逃走だった。

 アニキと呼ぶ二人の亡骸をそのままに、雪男は山奥目指して駆け出したのだ。

 その背に矢を放つことも出来るが、彼はそれをしなかった。

 逃げた痕跡を追えば氷の魔女にたどり着くからだ。

 こちらまで来た痕跡を追っても良いが、魔女の拠点と雪男の拠点が同じという証拠がない。

 ここまで追い詰めれば、確実に魔女の下まで逃げおおせる筈だ。

 ローグハンターはホッと白い息を吐くと金色の剣を腰帯に戻し、雪に突き刺した弓を手に取り背中に回す。

 

「なんか凄い音したけど大丈夫!?」

 

 同時に集落の方から聞き馴染んだ声が飛んで来た。

 ローグハンターは無事を伝える為に右手をあげ、仲間たちが横に並ぶのを待つ。

 真っ先にたどり着いたのは銀髪武闘家だ。自慢でありトレードマークの銀色の髪を尾のように揺らし、彼女の場所である彼の隣に滑り込む。

 側に倒れる巨漢の死体から戦闘があったのは明白。

 

「だから、無茶しないでって言ってるよね!?」

 

「そこまで強くなかったぞ?」

 

「そういう問題じゃなくて!」

 

 数的不利を物ともしない彼の姿勢は褒めるべきか、貶すべきか。

 それとも合流する前に戦闘を開始してしまった彼の性急さを責めるべきか、集落への被害が最小限だから許すと寛容になるべきか。

 銀髪武闘家の脳裏に様々なことが過っていくが、それが言葉になるほど具体的になることはない。

 

「あー、こう、色々と言いたいことはあるけど今はいいや!」

 

 手っ取り早く諦めた銀髪武闘家は開き直ったように言うと、新米たちは「あはは」と乾いた笑みを浮かべた。

 白兎猟兵の巣穴から集落の入り口に来るまで三分足らず。ローグハンターはその短時間で二体の雪男を仕留めたことになる。

 彼の強さはよく知っていた筈だが、こうして見せつけられるとその差を痛感してしまう。

 

「それで、これからどうするんですか?」

 

 見習聖女が一瞬過った迷いを振り払うように問うと、ローグハンターは「決まっている」と答え、いっそ清々しいまでの笑みを浮かべて告げた。

 彼の友、ゴブリンスレイヤーの言葉にして共有する目的の一つ。

 

 ──塵殺(おうさつ)あるのみだ。

 

 

 

 

 




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Memory04 決戦目前

前話のログハン台詞、「我が名はノーマン!」からの下りを読み直して、某紅魔族の爆裂娘が頭を過ってしまった作者です。



 追撃するなら急いだ方がいい。

 冒険者たちは夜を待たずに集落を出発し、雪男の残した痕跡を追って山に踏み入ると決めたのだ。

 見習聖女が中心となって雪男二人を鎮魂し、それを終えたら即刻出立。

 集落を出る間際に「仲間たちの敵を取る!」とやる気の白兎猟兵も合流し、都合七名による雪山登山。

 短い間とはいえしっかりとした休息を挟んだ冒険者たちの足取りは軽く、加えて雪男が慌てて逃げた為か木々が薙ぎ倒され、地面も(なら)されているため歩きやすく、行きに比べれば疲労もしにくい。

 さらに言うのであれば山を熟知した白兎猟兵もいるのだ。遭難する可能性も皆無だろう。

 全てが冒険者たちにとっては好都合であり、ある意味で彼等が運を掴んだ証拠でもあった。

 雪男の残してくれた道を進みつつ、ローグハンターは前をいく白兎猟兵に問いかける。

 

「奴等の巣の場所に目星はついているか」

 

「うん。むしろあれさ」

 

 彼の問いかけに返ってきたのは、あまりにも意外な解答だった。

 白兎猟兵が指差した先には、雪で白く染まった山肌に黒い点が浮かんでいるのだ。

 よくよく目を凝らせばそれは山肌に穿たれた洞窟であり、雪男の足跡もそこに続いているのが一目でわかる。

 

「そう言うのは早く言ってくれ」

 

 ローグハンターはピストルの事を告げなかった自分の事を棚にあげながら言うと、冒険者たちに「集合だ」と告げて近くの岩影を手で示す。

 彼の指示に否を言う者はおらず、全員が洞窟の方を警戒しながら岩影へと入り込んだ。

 洞窟からは見えぬ死角。万が一見張りが来ても、まあ見つかることはないだろう。

 岩影から顔を覗かせながら、ローグハンターは誰に言うわけでもなくぶつぶつと呟く。

 

「相手の情報が何もないまま洞窟に入りたくはない。氷の魔女とかいう奴の顔も見ておきたいからな」

 

「良し」と一人納得して頷くと、彼は一度顔を引っ込めて冒険者たちに告げた。

 

「これから偵察に出る。お前らはここで待機、兎人は──」

 

「ぼくも行く!」

 

「──らしいから、一緒に来てくれ」

 

 フン!と鼻息を荒くしてやる気を見せる白兎猟兵に苦笑を漏らし、ローグハンターはこちらを見つめる銀髪武闘家の頬に手をやった。

 

「洞窟に入って十五分で戻らなかったら、こいつらを連れて山を降りろ。無事に降りられたなら──」

 

「『ギルドに報告して動いて貰え』でしょ?」

 

 彼の手に自分の手を重ねつつ言うと、ローグハンターは「ああ」と頷き、惜しむように彼女の頬から手を離す。

 この会話も何度目だろうかと自問し、また行えると良いがと脳裏で思う。

 随分と楽観的きなったとフッと自嘲し、覚悟を決めると共に岩影から歩み出る。

 彼の後ろに白兎猟兵が続き、顔を見合わせて頷きあった。

 同時にどちらからという訳でもなく走り出し、雪に点々と続く足跡を残しながら洞窟へと迫っていく。

 敵の見張りが出てこない事を願いつつ、その為にも最短距離で。

 走りなれた白兎猟兵の速さもさることだが、只人でありながら遅れることなく追従するローグハンターは、果たして本当に只人なのか。

 二人が洞窟の入り口にたどり着いたのは、ほんの三分足らず。まさに脱兎が如く傾斜のある雪原を駆け抜けたのだ。

 二人の呼吸は僅かに荒れてはあるものの、たかが数秒で落ち着きを取り戻す。

 

「それじゃあ、入るとするか」

 

「おし!」

 

 ローグハンターはそう言いながら瞬き一つでタカの眼を発動し、やる気充分の白兎猟兵が後ろに続く。

 二人は出会ってまで一日として経っていないが、ある程度の信頼を互いに寄せていた。あるいはそう振る舞っているだけかもしれないが、形だけでも姿勢を見せることは大切だ。

 信じて貰いたいのなら、まず相手を信じること。

 ローグハンターの心に刻まれたその言葉は、こうした形で活かされていた。

 こうして最低限の信頼を寄せているからこそ、ローグハンターは兎人との行動を良しとした。

 尤も、銀髪武闘家を除いた他の面々に斥候としての行動が出来るかが不安だったことも本音ではある。

 彼は「課題は多いな」とぼそりと漏らし、獣が口を開けたように広がる闇の中へと一歩を踏み出す。

 洞窟に入ってまず感じたのは、鼓膜を殴り付ける太鼓の音色だった。

 技術もないもない、ただ力任せに太鼓を叩き鳴らす不快な音色。

 そこに雪男たちの下手な歌が合わされば、それだけで相手に痛痒(ダメージ)を与えられそうなものだ。

 だがローグハンターは一切構うことなく、むしろ足音が消えると肯定的に考えることにした。

 タカの眼のお陰で一切光源がなくとも道は把握出来るし、罠があっても即刻気付ける。足音といういつもなら特に気を遣うものを、今回ばかりは気にしないで良いというのは楽で良い。

 足元には砂利でも敷き詰められているのか、踏み出す度に乾いた音をたててはいるが、太鼓の音色と雪男たちの歌が大きすぎてローグハンターの耳にすら届かない。

 音の次に感じたのは強烈な異臭だった。

 大型の獣、その血の臭い。それも腐りかけたそれの臭いだ。

 よく動物を仕留め、毛皮を剥いでいたから彼だからこそわかる、ゴブリンの巣や盗賊の寝倉とはほど遠い臭い。

 一つ言えることは、おそらく雪男たちが仕留めた動物たちに敬意を示していないこと。腐った臭いがするという事は、残飯を食すことなく残しているからに他ならないのだ。

 そういう意味でもローグハンターは不機嫌そうに眉を寄せ、踏み出す一歩に力が入る。

 

「誰でもないのに、アニキがやられたぁ!!!」

 

 そんな彼の思考を冷やすように、がらがら声が洞窟を駆け抜ける。

 隣で白兎猟兵がびくりと体を強張らせたが、すぐに首を振って「大丈夫です」と告げてくる。

 ローグハンターは人差し指を口の前に持っていき、『静かに』と口の動きだけで伝えると、白兎猟兵は小さく頷く。

 そのまま二人は無言で手頃な物影に入り込み、気付かれぬようにと端に積もった雪を口に含む。

 白い息を本来の無色透明のものへと戻し、そっと物影から顔を出し、腰を低く、それこそ這うようにして前進していく。

 

「馬鹿をお言いでないよ!」

 

 逃げ帰った雪男の声に続いたのは、きんきんと頭に響く高い声だった。声の主は進行方向にある広間から発せられたもの。

 二人は通路の影から広間を覗きこみ、様子を探る。

 中央には煌々と燃える火が焚かれ、タカの眼を使わずとも中の様子を見ることが出来た。

 

「誰でもないのにやられたんなら、そりゃ自分でやったって事だろう?」

 

 雪男たちを従えているのは、端的に表すなら白い女だった。

 肌も白ければ髪も白く、身に纏う薄布も白く、装飾品でさえ白い。

 唯一色を持つのは、爛々と輝く血のように赤い瞳だけ。

 広間中央の焚き火は暖を取るものではなく光源として、あるいは彼女の白さを強調する黒い影を生み出す為に利用するためだろう。

 一目見ただけで男なら惚れるであろう美貌の持ち主だが、生憎彼は例外だった。

 

 ──あいつに比べれば微妙だな……。

 

 ローグハンターは顎に手をやって下らない──本人的には大真面目な──事を考え、すぐに思考の片隅に追いやった。

 そんな彼から論外判定された彼女がいるのは、雪男たちに囲まれた一枚岩の壇上だ。

 一目見ただけで頭目とわかる位置にいるのは、彼としてもありがたい。

 タカの眼を使わずとも暗殺目標がわかるのはとても楽だ。

 だが、彼は念のためとタカの眼を発動し、全く注視していなかったものに注目を集めた。

 雪男たちが叩き鳴らす太鼓の一つが、魔術を示す緑色に染まったのだ。それも他の太鼓は認識するまでもないと黒くなったにも関わらず。

 ローグハンターは目を細めて更に注視するが、一体何なのかはわからない。ただ他のものに比べて装飾が派手に感じる程度の代物だ。

 だが、雪男が持っていて良いものではない事は確かだと言える。

 

「しっかりおしよ!せっかく春の精を眠らせて、ウサ公どもからアレを奪ったんだ!」

 

 ──アレとはなんだ。

 

 刹那的な思考をすぐさま捨て去り、耳に意識を傾ける。

 今は盗み聞きの時間だ。情報の整理は後で良い。

 

「けんど、(あね)さん。あの鬼が言うんは、ホントなんかね」

 

 一匹の雪男が何かの骨をしゃぶりながら言うと、白い女は「どうだかね」と首を振った。

 その上品な仕草は貴族を思わせるものだが、ローグハンターにはどうでもいい事だ。

 

「あいつはあたしらを利用するだけ利用しようとしているだけだろうが、それはあたしらも同じことさ」

 

 白い女はそう言うと、口許に薄く冷たい笑みを浮かべた。

 

「あんたらも力を付けておきな!あの鬼どもをぶちのめすんだからね!」

 

『おぉーっ!!!』

 

「その為にも太鼓を鳴らしな!春が来たら一大事だ!」

 

「うっす!」

 

 やる気をみなぎらせた雪男は再び太鼓を叩き始め、その音色がローグハンターと白兎猟兵の鼓膜を殴り付ける。

 圧力を伴う轟音。まるでそこから冷気が放たれているかのような悪寒すらする。

 

 ──軽い気持ちで後輩からの頼みを受けてしまったが、どうやら事は思いの外大きいようだ。

 

 ローグハンターは小さくため息を漏らし、何やらプルプルと震えている白兎猟兵の肩を叩く。

 

「飛び出して行きたい気持ちはわかるが落ち着け。ここは一度──」

 

 そこまで口にして、ふと違和感を覚えた。

 焚き火に照らされて壁一面に黒い影が躍り狂っているが、それはどれも雪男のものばかり。

 最も目立つ場所にいる白い女の影が、全く壁に映っていないのだ。

 ローグハンターは反射的にタカの眼を再発動し、白い女を注視する。

 雪男を含めた大量の赤い影が浮かび上がるが、白い女のものだけが禍々しいまでの迫力を伴っている。

 氷の魔女と聞いていたが、あれは人間ではない。

 彼はそこまで判断すると、乱暴に白兎猟兵の腕を掴んで歩き出す。

 

「え、わ、ど、どうしたんですか?」

 

「質問は後だ。対策を練らなければ」

 

 ローグハンターは早口でそう告げ、どっとため息を吐いた。

 下手をすれば軍が動くような事態になってきている。

 

「至高神よ。流石に恨むぞ」

 

 洞窟の中から妙に試練を強いてくる神への愚痴をこぼし、足早と洞窟を後にする。

 これならゴブリンやならず者(ローグ)を狩っていた方が気が楽だ。

 

 

 

 

 

「氷の魔女はよくわからないけど、アレっていうのは、たぶん矢の事だよ」

 

 外で待機していた冒険者たちと合流を果たした白兎猟兵が、開口一番にそう告げた。

 

「『や』とは、この矢の事で良いのか?」

 

 ローグハンターが背中の矢筒に手をやりながら問うと、白兎猟兵は「父さんの持っていた、特別な矢です」とぽつりと漏らす。

 ふむと顎に手をやって小さく唸ると、「なるほど」と小さく呟く。

 錆びた天秤剣の前で見た幻影は、それを渡していた場面なのだろう。

 それを手に白兎猟兵の父はあの魔女と雪男に挑み、敗れた。

 勇敢だったと称えるべきか、無謀だったと落胆するべきか。

 ともかく、死んだ者を責めても仕方がない。今はその矢が必要だ。

 新米武闘家が洞窟を警戒しつつ、神妙な面持ちで言う。

 

「その矢はもう壊されているのでは……」

 

「いや、どうだろうな」

 

 彼女の言葉を即断すると、忌々しいものを思い出すかのように眉を寄せながら言う。

 

「恐怖の対象を討つには相手を知り尽くす事が先決だ。無知ほど恐ろしいものはない」

 

「つまり、どういうことです?」

 

 少々遠回しなローグハンターの物言いに新米武闘家は首を傾げ、「簡単に言うとだな」と前置きして言葉を変えた。

 

「魔女を自称するなら、まず何を恐れていたかを徹底的に調べてから封じる筈だ。だが、見た限りでそんな痕跡はなかった」

 

「じゃあ、こいつの父ちゃんの矢は残ってるんですね!」

 

 本当にローグハンターの言葉の意味をわかっているのかは定かではないが、新米剣士は白兎猟兵の肩を抱きながら身を乗り出した。

 

「おそらく。まあ、最悪駄目なら──」

 

 ローグハンターは肩を竦めてそう言うと、見習聖女に目を向けてフッと小さく笑んで見せた。

 

「──至高神の『聖なる鉄槌(ホーリースマイト)』に期待しよう」

 

「うぅ……」

 

 彼からの期待に見習聖女は居心地悪そうに身動ぎし、銀髪武闘家も「あんまりプレッシャーかけないの」と彼の額に指で小突く。

 見かけの割にパン!と見事な炸裂音を立てたが、ローグハンターは気にした様子はない。

 額が赤くなり、新米たちにはそこから煙が出ている錯覚さえ覚えるほどだが、ローグハンターは努めて気にしないようにしていた。

 

「……とにかく、どうやって見つけるかだな」

 

 ローグハンターは目を細めながら言うと、洞窟を睨み付けた。

 入り口から広間までは一本道だが、その先の道は複雑に分岐していることだろう。雪男たちの居住地なら尚更だ。

 そんな蟻の巣に身一つで飛び込み、雪男と氷の魔女と戦闘しながら矢を探し回るなど、それこそ至難の技だ。

 雪男はどうにかするとして、氷の魔女は自分が受け持つ他ない。

 新米たちと白兎猟兵、銀髪武闘家だけで洞窟探索が出来るかと問われれば、おそらく無理だろう。白兎猟兵はともかく、只人の彼らでは夜目が利かない。

 

「魔女、探し物──あ!」

 

 不意に何やら考え込んでいた新米戦士が声をあげた。

 冒険者たちの視線が一斉に向けられるが、彼は構うことなく見習聖女に問いかける。

 

「おまえ、あれ持ってるか!」

 

「あれって、どれよ」

 

「あれだよ。えーっと、魔女さんから貰った蝋燭!」

 

「……あれか!」

 

 何やら二人で盛り上がる二人を他所に、ローグハンターは「少し声を落とせ」と告げて冷たい視線を二人に向けた。

 相手の拠点の真ん前で大声で話し合うなど、見つけてくれと言っているようなものだ。

 二人は「「ごめんなさい」」と言いつつも急いで鞄に飛び付き、中身を引っ掻き回して何かを探し始める。

 時折飛んで来る一見冒険には不必要な道具を叩き落としつつ、銀髪武闘家は新米剣士と新米武闘家の二人に問いかけた。

 

「ところでその話題の蝋燭って?」

 

「失せ物探しの蝋燭です。その、前にこの人が下水道で武器を無くしまして……」

 

「その時相談した魔女さんに貰った道具があったですよ。それがその蝋燭です」

 

「武器を無くしたって、お前」

 

 毎度武器をぶん投げていた事を棚にあげ、ローグハンターは呆れたように新米剣士を睨み付けた。

 その視線に気付いて「うっ!」と狼狽えるが、すぐさま「あった!」と見習聖女の声が割り込んできた。

 視線を向けてみれば、彼女の手にはずいぶんとちびっちゃくなった蝋燭が握られている。

 

「使い切らないで良かった……」

 

「貰い物は大事にしてみるもんだな……」

 

 苦労して見つけた見習聖女と新米戦士の二人は額の汗を拭い、ローグハンターと銀髪武闘家に頷いて見せた。

 相手を殺す方法もわかり、必用な道具を見つける手筈も整った。

 ならば、迷う理由は何もない。ここで立ち止まり、矢が破棄される可能性が高まるのなら──、

 

「策は立ててある。行くぞ」

 

 矢筒に納められた鏃が一際ゴツい矢を確認し、ピストルとライフルの火の秘薬の詰め直す。何かの拍子に湿っていたとしても、これなら問題なく撃てるだろう。

 彼の言葉と行動を合図に、冒険者たちも用意を進める。

 銀髪武闘家はセスタスの具合を確かめ、脚甲の留め具を今一度絞め直す。

 その横では新米剣士が革製の兜を被り、籠手と鎧の留め具を締め上げ、新米武闘家は体を動かして筋肉を解し、胸当てとすね当ての具合を確かめる。

 さらにその隣では、

 

解毒薬(アンチドーテ)!」

 

「持った!」

 

「傷薬!」

 

「ついでに軟膏と薬草、持った!」

 

「灯り!」

 

「ランタンと油と松明、物探しの蝋燭、持った!」

 

「地図!」

 

「──は、なくない?ないですよね?」

 

「ああ。地図作り(マッピング)はしていない」

 

「なら、大丈夫!武器と防具!」

 

片手半剣(チェストバスター)よし、ローチキラーよし、ナイフ、ピストルよし!」

 

「……武器に名前を付けたのか」

 

「うす!鎧と兜も問題なし!お前も見るから回れって」

 

「はいはいっと」

 

 見習聖女はその場でくるくる回り、新米戦士に法衣を確認してもらう。

 新米たちの装備確認に時折横槍を入れつつも、ローグハンターは苦笑を漏らした。

 防具を新調した銀髪武闘家が、目をキラキラさせながらあんな事をしてきた思い出がある。

 冒険者の新人時代とは得てしてこんなものなのか。

 苦笑するローグハンターの隣で、銀髪武闘家も懐かしむように──しかしどこか残念そうに──柔らかな笑みを浮かべた。

 

「キミは昔から装備変えなかったから、あんな事しなかったよね……」

 

「したかったのか?」

 

 ローグハンターが腕を組んで肩を竦めると、彼女は「ううん」と首を横に振った。

 

「そう思うとだいぶ変わったよねって話。装備的な意味でね」

 

「まあ、そうだな」

 

 ローグハンターは曖昧に返すと、改めて自分の装備を眺めた。

 森人の里で装備を一新するまでは、父から譲って貰ったテンプル騎士団の制服を纏い、赤十条を背負っていた。

 だが、今はどうだ。遥か昔のご先祖(アルタイル)が残した防具を纏い、アサシンの紋章を背負い、仮とはいえアサシンの一員となっている。

 その変化の中心にいたのは、いつだって彼女だ。彼女がいたからこそ今の自分(ローグハンター)がおり、アサシンとして振る舞った自分がいる。

 

「変わったのは、何も装備だけじゃあないが」

 

「それは勿論。昔に比べれば私を思ってるのか、だいぶわかってくれるからね」

 

「それでもまだ『だいぶ』なのか……」

 

「そりゃそうですよ」

 

 何とも手厳しい銀髪武闘家の言葉に項垂れると、彼女はしてやったりと笑みを浮かべた。

 相変わらず彼女に勝つのは難しそうだとため息を吐き、何やら言いたげな白兎猟兵へと目を向ける。

 

「どうかしたのか?」

 

「いや、良いのかなって思いまして」

 

 白兎猟兵が自前の雑嚢を背負いながら言うと、ローグハンターは首を傾げた。

 

「何か不満でもあるのか?」

 

「ぼくらとしては何にも言うことはないですよ?ただ、ぼくら何かの為に命張ってもらうのが、ちょっとむず痒くてですね」

 

「あはは……」と乾いた笑みを浮かべると、それこそローグハンターは首を傾げて仲間たちに視線を配った。

 銀髪武闘家は肩を回して苦笑を浮かべ、新米剣士と新米武闘家の二人は装備の点検の手を止め、新米戦士と見習聖女の二人は散らかした鞄の中身を拾い集める手を止めた。

 

「確かに、俺たちが救おうとしているのはちっぽけな兎人の村かもしれない。別に救わなくとも、世界は何の問題もなく回るだろう」

 

 ローグハンターはそう断言すると、俯いていた白兎猟兵の肩を掴み、その顔を覗きこんだ。

 宝石のように輝く金色の瞳を真正面から見据えた白兎猟兵の頬が僅かに朱色に染まるが、知ったことかと彼は言う。

 

「それでも助けるさ。あの不断草のスープは美味かったからな」

 

「うんうん。まだ飲み足りないよね」

 

 ローグハンターの言葉に銀髪武闘家がうんうん頷きながら続くと、新米たちに目を向け、にこりと笑って見せた。

 母親のようや慈悲に溢れながら、戦士の力強さを併せ持った彼女だからこそ出来る笑みだ。

 彼女はその笑みを浮かべつつ、愛する娘を宥めるように白兎猟兵の頭を撫でた。

 白い毛皮は触り心地がよく、ピンと立っていた長耳は力が抜けたように垂れていく。

 

「私たちは冒険者。困っている人がいるのならどこまでもってね」

 

 そう、彼女らは冒険者。世界の命運とは何の関係もない場所で、世界の命運とは直接関係のないだろうちっぽけな命を救い続けるもの好きなのだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 氷の魔女

EGOです。今年も一年、よろしくお願いします。

新年一発目が記念すべき100話目とか、大事な運をいきなり使ってしまった気がします。


「さあさ、お前たち!そろそろ支度をおし!」

 

 氷の魔女の声を受け、雪男たちはどやどやと立ち上がった。

 

「この前みたく兎一匹も連れてこなかったら承知しないよ!」

 

 ──腹が減って仕方がない。氷の魔女はそう愚痴りながら、兎人の集落から逃げ帰ってきた雪男を睨み付けた。

 そいつは恨みがましく何かを言おうとしたが、何かを恐れるように身を縮こまらせる。

 氷の魔女は教育(・・)が行き届いていると冷たい笑みを浮かべた。

 雪男たちは、はっきり言って馬鹿だ。力だけが正しいと信じ、そうと疑うこともしない。

 だからこそそれを越える力を示してやれば服従し、反抗する意志さえも持つことはない。

 いや、持つことはあるのだろうが、反抗したところで勝てないのだから行動に移さないだけだ。

 雪男たちの事を熟知している氷の魔女は両手を打ち鳴らし、「さっさとおし!」と睨み付けるように雪男たちを急かす。

 雪男たちは慌てながらも足音を立てて動き出した。

 

 ──彼らを使い、少しずつ力を蓄える。時間はかかるが、幸い時間は腐るほどある。

 

 氷の魔女は頬杖をつきながら駆け回る雪男たちを見下ろし、口許に氷の微笑を浮かべた。

 時間があるのは氷の魔女だけ。雪男たちは戦いか寿命のいずれかで早いこと死ぬだろう。

 だがその時は、その子供に孫に力を示し、また同じ事を繰り返すのみ。

 力を蓄え、時が来たら山を降り、近場の街の一つや二つを手に入れる。そうすれば、向こう百年は安泰の筈だ。

 そうしたら、まあ、雪男たちにも住まわせてやろう。快適に暮らすには力強い奴隷が必要だ。

「ふふ」と肩を揺らして微笑を漏らし、そうとも知らずに動き回る間抜けな雪男たちに目を向けた。

 これから愛する奴隷たちになる、あるいはその先祖たちだ。多少可愛がってやっても良いだろう。

 氷の魔女が一人計画を練る中で、不意に何かを感じて顔をあげ、鼻をひくつかせた。

 目を細めて意識を嗅覚に集中し、その何かが何なのかを確かめようと努める。

 未知ほど恐ろしいものはない。全ての未知を既知にするまでは、油断も慢心もするつもりもない。

 そうして意識を集中し、記憶の片隅に追いやっていたそれを見つけ出す。

 

「若い只人(ヒューム)の娘の臭い?」

 

 思わず声に出してしまったが、氷の魔女は嬉しそうに舌なめずりをした。

 確かに兎人の肉も美味いが、遥か前に食った只人の女の味には比べるまでもない。大方遭難した旅人が一泊しようと洞窟に入り込んだのだろう。

 これは幸運だ。滅多なことではないが、混沌の神に感謝しても良いかもしれない。

 氷の魔女がどれ迎え入れてやろうと立ち上がろうとした時だ、広間の入り口に立つ人影に気付く。

 纏う衣装は鎧を含めて全てが黒く、手にする弓さえも黒い。

 唯一色のあるものと言えば、腰に下げている金色の剣だけだ。

 目深く被ったフードと口許を覆う布で顔はわからないが、こちらを睨む瞳は剣と同様に金色の輝きを放っている。

 その何者かは何やら鏃に塊がついた矢をつがえ、氷の魔女が声を出す間もなくそれを放った。

 放たれた矢は広間中央の焚き火に当たり、炸裂音と共に弾け飛ぶ。

 瞬間赤い色をした煙が広間に広がっていき、駆け回っていた雪男数匹の体を包み込む。

 赤い煙に巻かれた雪男は、

 

「ウ、ウォォオオオオオオッ!!!!」

 

「オオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 様々な奇声を発しながら同族へと襲いかかった。

 振るわれる拳には躊躇の色がなく、まともにくらった者は小枝を折るように骨が折られ、時には頭蓋が叩き潰される。

 その間に赤い煙は霧散していき、代わりに赤い血と悲鳴が広間に彩りを加えていく。

 

「お、おい、どうしたんだアニキたち!」

 

「落ち着け、落ち着けってお前ら!」

 

 運良く煙に巻かれなかった雪男たちが慌てて取り押さえようとするが、返り討ちにされるのと成功するのが半々といったところ。

 

「良し、行け!」

 

 雪男たちに混乱をもたらした何者か──ローグハンターは後ろに隠れていた仲間たちに指示を出し、通常の矢をつがえて正気を保ったままの雪男の眼窩を撃ち抜く。

 先ほど使った『バーサークアロー』は効果こそ強力だが、その危険性から多く持ち運べないのが不便だ。

 彼の指示を受けて真っ先に飛び出したのは銀髪武闘家だ。

 駆け出した勢いのままに雪男の顔面に跳び膝蹴りを叩き込み、頭蓋を果実のように潰す。

 耳からどろりとした肉片を垂らしながら倒れる雪男を一瞥し、今回の要たる後輩たちを呼び寄せた。

 

「私に続いて!」

 

『はい!』

 

「はいっ!」

 

 新米戦士、新米剣士、新米武闘家、見習聖女、白兎猟兵士が走り出し、銀髪武闘家に続いて洞窟の奥へと走り込む。

 彼らの背を見送ったローグハンターは三本の矢を纏めてつがえ、一息にそれらを放つ。

 

「死ぬなよ!」

 

「あったり前よ!」

 

 背中からかけられたローグハンターの言葉に銀髪武闘家は振り返ることなく笑顔混じりに答え、広間の奥に消えていく。

 放たれた矢は寸分の狂いなく雪男たちの眼窩に滑り込み即死させるか、目を掠めて悲鳴をあげさせる。

 

「えぇい、何をしているんだいッ!」

 

 思わず氷の魔女が苛立ちを隠すことなく雪男たちに指示を飛ばすが、その声は同族の悲鳴に消されて彼らに届くことはない。

 氷の魔女がその美貌を歪めて舌打ちを漏らすのと、彼女に向けて矢が放たれるのはほぼ同時。

 人間離れした──そもそも人間ではないだろう──反射神経でそれを避けると、氷の魔女は黒い男を睨み付けた。

 宝石のように輝く金色の瞳と、血のように赤い瞳が互いの姿を映し出し、敵意をたぎらせる。

 指示を出したところで雪男たちの悲鳴にかき消され、何人かの侵入者は既に洞窟の奥へと入っている。

 

 ──狙いは矢か……!

 

 氷の魔女がそれに気づいてからは、もはや形振り構わぬ攻勢だった。

 

「《グラキエス()……テンペスタス()……オリエンス(発生)》……!!」

 

 魔女が怒気を込めながらも気品溢れる声で紡いだ真に力ある言葉は、彼女の持ち前の魔力を超自然の現象へと昇華させる。

 彼女が紡いだ真に力ある言葉が意味するのは『吹雪(ブリザード)』。万物を凍てつかせる超自然の吹雪がローグハンターと雪男たちに襲いかかった。

 

「あ、姐さ──―」

 

「ちょ、待っ──」

 

(たす)──」

 

 自然の吹雪ならものともしない雪男たちも、超自然の吹雪の前では赤子同然だった。

 彼らの巨体は次々と雪像へと変わり、ふとした拍子に音をたてて崩れ落ちる。

 骨の髄まで凍りついた彼らは痛みもなく、恐怖もなく物言わぬ肉塊となり果て、やがて溶けて消えることだろう。

 超自然の吹雪が止んだ頃、氷の魔女は落ち着きを取り戻す為に息を吐いた。

 侵入者には驚いたが、この程度だ。奥に入り込んだ奴等は追いかければすぐにでも追い付けるだろう。

 一時の感情で手駒を無駄にしてしまったのは反省すべきだが、彼ら程度の手駒ならすぐにでも見つかるだろう。

 

 ──この際小鬼(ゴブリン)どもを見つけるか。

 

 小鬼畜生どもに頼るのは癪ではあるが、奴等は定期的に女をやれば最低限の働きはしてくれる。

 自分のおこぼれをやれば良いと思えば、むしろ雪男よりも安上がりで済むかもしれない。

 氷の魔女は顎に指を当ててそう思慮するが、「今は矢だな」と自分に言い聞かせて奥に進んだ侵入者たちを追おうとするが、その目を見開いて驚きを露にした。

 超自然の吹雪に当てられ、広間に命あるものは自分一人だけの筈、なのに何故──!

 

「貴様、なぜ立っている……!?」

 

 広間には、仁王立ちローグハンターの姿があった。

 彼は氷の魔女を挑発するように両腕を広げて肩を竦め、腰に下げた二振りの剣を抜き放つ。

 漆黒の剣を金色の剣に擦り合わせれば、金属音と共に橙色の炎が二刀を包む。

 

「『付与(エンチャント)』!?詠唱もなしに……!」

 

 ローグハンターは彼女の疑問に答えることなく、二刀を構えて走り出す。

 氷の魔女は舌打ちを漏らし、再び真に力ある言葉を紡ぐ。

 

「《グラキエス()……テンペスタス()……オリエンス(発生)》……!!」

 

 再び放たれる『吹雪(ブリザード)』は先ほど同様に広間を包み込み、腐りかけた動物の死骸を氷へと変え、かろうじて原型を留めていた雪男たちの雪像を蹂躙する。

 超自然の吹雪は広間を白一色に染め上げ、ローグハンターの姿を覆い隠した。

 氷の魔女は今度こそと笑みを浮かべる。先ほどのはきっと避けられたのだ。そうでなければ無傷である筈がない。

 氷の魔女はそれほどまでに自らの力に高め、目的の為に進んできたのだ。

 だが、希望というのは容易く砕かれるものだ。それが悪しき支配者たるものの願望というのなら、それを砕くのがアサシンの使命(ロール)

 吹雪により白く染まった氷の魔女の視界に何やら青い輝きが映り、次いで橙色の揺らめく灯りが映り、疾走する人影が映った。

 それを視認し集中を切らしてしまった為か、超自然の吹雪が止まる。

 正体不明の青い光は、彼の纏う鎧に浮かび上がった紋様のようだ。それらは複雑に絡み合い、籠手や脚甲にまで及んでいる。

 

「──まさか、不凍の加護!?」

 

 氷の魔女が最も忌み嫌う精霊の守り。加護を受けたものはけっして凍ることなく、超自然の吹雪の中でも毅然としているという。

 ローグハンターの纏う鎧はまことの銀(ミスリル)エデンの果実(リンゴ)の力を込め、上森人の鍛治師が一万年以上かけて研いてきた己の技すべてを活かして鍛えたものだ。百年単位でしかものを見れない魔女ごときに負けるものか。

 氷の魔女が「まずい!」口にした瞬間、炎纏う二振りの剣を振りかぶった死神が氷の魔女へと飛びかかった。

 

「ッ!」

 

 氷の魔女は咄嗟に手元に生み出した氷の刃を振るって迎撃せんとしたが、相手は対人戦においては破格の強さを誇るローグハンターだ。

 氷の魔女の一閃を紙一重で避け、お返しと言わんばかりに炎を纏った黒鷲の剣を振り抜く。

 氷に高熱の炎を叩きつければどうなるか。それこそ火を見るよりも明らかな事だ。

 振り抜かれた焔一閃は氷の魔女の片腕を焼き斬り、湿った音と共に床への落ちる。

 

「あ、あぁ────ッ!!!!」

 

 腕を斬られた氷の魔女の絶叫は、途中で聞き取ることは出来なくなる。只人の耳には聞こえぬほどの甲高い悲鳴なのだろう。

 ローグハンターはその場を飛び退くと黒鷲の剣に血払いくれると、疲労を吐き出すように深く息を吐いた。

 同時に二刀の剣を包んでいた炎が消え、本来の姿を見せつける。

 金色の剣を手に入れてから使えるようになった謎の力(スキル)。魔術とも奇跡とも違うし、使用後にどっと疲れるのが難点だが、こうして使えるのなら良いだろう。

 多少とはいえ疲労をしている事を気付かせまいと凛としているローグハンターを、氷の魔女は斬られた腕を押さえつつ息を荒らげ、赤い瞳で睨み付ける。

 

 ──最大の脅威たる銀の矢を奪ったというのに、何なのだこいつは、噂に聞く勇者は女だと聞いたぞ!?

 

 胸中を駆け巡る恐怖を表情に出すことはなく、気付かれぬように努めて睨む。

 冷静に睨み返してくるローグハンターの姿にたじろぎつつ、どうしたものかと思考を始める。

吹雪(ブリザード)』を使ったところで意味はなく、他の術でもおそらく時間稼ぎにしかならないだろう。

 

 ──どうする、どうする、どうする……!

 

 奥にいった侵入者どもが銀の矢を見つけるのは時間の問題。だが、目の前の男を放置して背後から奇襲(バックスタブ)は洒落にならない。

 

「おやおや。どうやらお困りのようですね」

 

 思考のど壺にはまった氷の魔女の耳に、随分と久しい声が届いた。

 この情けない姿を晒すのは癪ではあるが、背に腹は変えられない。

 氷の魔女は口許に笑みを浮かべ、広間の入り口に立つ闇人へと目を向けた。

 

 

 

 

 

「それで、どっち!」

 

「えっと……」

 

 鋭い打撃のように銀髪武闘家から放たれた質問に、見習聖女は手にした蝋燭の火に目を向けた。

 魔法の蝋燭の火は消える気配はないが、いかんせん蝋燭が短い。ローグハンターの体力と合わせて、時間との勝負なのは目に見えている。

 

「あっち!真ん中の通路です!」

 

 炎が揺らめいて示したのは、広間から伸びる無数の通路の一つだった。

 それを聞いた白兎猟兵は頷きつつも、毛皮に包まれた長耳を揺らす。

 

「でも、あの穴じゃあ雪男が入れないんじゃあないかなぁ……」

 

「だからこそ、だよ!」

 

 銀髪武闘家は一瞬迷いを見せた白兎猟兵の背中を押し、新米たちを先導するように穴へと突っ込んでいく。

 雪男たちが反乱を起こさぬように、自分を殺しうる道具を彼らには入れない場所に隠す。

 それなら確かに雪男たちに奪われることはないだろう。だがしかし、それは通路の中に雪男がいないことと同義だ。

 途中で雪男たちでも使える脇道がないかは賭けではあるが、その問題は大丈夫だろう。

 脇道があればすぐにわかるし、何より駆け抜ければまた細道に入る筈だ。

 つまり、待ち伏せされてもその一瞬を凌げればどうとでもなる。

 銀髪武闘家は彼の組み上げた作戦が今のところ成功している事に安堵し、豊かな胸を撫で下ろす。

 

「とにかく、突っ走るしかないっ!早く兄貴の所まで戻らないと!」

 

 後ろを走る新米戦士の声に押されて僅かに加速はするものの「でも慎重さを忘れずにね!」と振り返らずに返しておく。

 誰よりも来た道を戻りたいのは彼女だ。彼一人ではすぐに無茶をする。

 だが、慌ててもどって感じんの矢が折れたらそれこそ一大事だ。彼含めて自分たちは全滅する。

 

「とにかく、次は──」

 

 後ろ向きになった思考を振り切るように声を出すと、白兎猟兵が「あ、まずいかもだ」とぶるりと身を震わせた。

 銀髪武闘家も確かに聞いた。ざざざざ、と。まるで砂が崩れるような、あまり聞く機会のない異様な音。

 彼女の脳裏に五年前のトラウマが蘇り、新米たちも顔色を悪くした。

 

「まさか、ここまで来て……」

 

「嘘だろ、くそ!」

 

 新米武闘家と新米剣士が勘弁してくれと顔をしかめ、新米戦士と見習聖女の二人の表情も似たようなもの。

 音は背後から、細道を進む彼等を包むように押し寄せ、迫ってきている。

 冒険者たちは一斉に振り返り、そして顔色を青くする。

 壁に張り付いた影が躍り狂い、こちらに迫ってきているのだ。

 否、それは影ではない。

 さながら海のように波打ち、蠢きながら襲いかかってくるそれは──。

 

「やっぱり巨大鼠(ジャイアント・ラット)!?」

 

 銀髪武闘家が全身に立った鳥肌を努めて気にせぬよう、自らを鼓舞するように声を張り上げると、新米たちは覚悟を決めると共に足を止め、各々の武器を抜き放つ。

 飛びかかってきた先頭の一匹を新米戦士の棍棒が叩き落とし、足元を抜けようとした一匹にはバスタードソードを叩きつける。

 彼の隣に立つ新米剣士も新米戦士の逃した巨大鼠に攻撃をしかけ、お互いの振り抜き後の隙をフォローし合う。

 棍棒の強打(バッシュ)が巨大鼠の頭蓋を砕き、バスタードソードの一閃が腹を裂き、足を切り落とす。

 

「鼠退治なら兄貴にも負けねぇっ!」

 

「ああ!たまには格好付けないとな!」

 

 新米戦士と新米剣士の二人はそうして互いを鼓舞しあい、片っ端から鼠を叩く。

 二人の後方に陣取った新米武闘家は二人でと御しきれなかった巨大鼠を蹴り倒し、その感覚を嫌悪するように顔をしかめた。

 人ともゴブリンとも違う感覚は、武闘家なら誰しもが通る道だ。銀髪武闘家は数度経験しただけで脳裏から離れなぬなった。

 隣の見習聖女は手頃な石を拾い上げ、布でまいたそれを鋭く投げ打つ。

 それが直撃した巨大鼠は大きく怯み、その隙に新米戦士の強打(バッシュ)が叩きつけられる。

 

「──……大丈夫そうだね!」

 

 銀髪武闘家が巨大鼠を蹴り倒しながら言うと、新米武闘家が「任せてください!」と腰を回して振り返りつつサムズアップ。

 回した腰を戻す勢いを乗せた拳が飛びかかった巨大鼠の顔面に突き刺さって血泡を噴かせた。

 

「私たちが食い止めます!早く矢を探して下さい!」

 

 見習聖女が蝋燭を投げ渡しながらそう言うと、銀髪武闘家はそれを受け取って「頼んだよ!」と白兎猟兵を伴って再び走り出す。

 背後から聞こえる打撃音と少年少女の気合い一閃。鼠の悲鳴。

 何とも頼もしくなった後輩たちの姿を嬉しく思いつつも、意識を切り替えて蝋燭の炎に目を向ける。

 炎は先ほどに比べてだいぶ強くなっている。矢は近づいているようだ。

 

「……みんな、すごいもんだなぁ……」

 

「あったり前よ!」

 

 白兎猟兵の呟きに銀髪武闘家は自信満々に頷いてみせて「私の自慢の後輩たちだもん!」と言うと、白兎猟兵は目を丸くして首を捻った。

 

「ぼかぁ、お姉さんのことも言ったつもりなんですよ。あの雪男を蹴り倒すなんて、流石だと思います」

 

「そ、そうかな?」

 

 白兎猟兵の素直な言葉に、銀髪武闘家は照れ臭そうに顔を赤くして頬をかいた。

 そうだとしても、それは彼がいたからだ。彼がいなければここまでこれなかっただろうし、冒険者を続けられなかったに違いない。

 また彼の事で一杯になりかけた銀髪武闘家は、強くなった蝋燭の炎に意識を戻す。

 銀の矢は、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 ローグハンターの相手を通りすがりの闇人に任せた氷の魔女は、視線の先に広がる状況に目を細めた。

 次々と蹴散らされる鼠どもと、それを物ともしない侵入者ども。

 彼らのリーダーがあの黒ずくめの男なら、副官は誰だ。

 氷の魔女は冷静に思考し、すぐさま答えにたどり着く。

 洞窟に入って早々に雪男を蹴り殺した女。あいつだろう。

 記憶は曖昧だが、あの男はあの女だけ大切にしているような節があった。

 

 ──なら、消えてもらいましょう。

 

 氷の魔女は血のように赤い喉を覗かせ、にたりと笑った。鋭い牙が雪の照り返しに輝く。

 途端、彼女の肉体は粉雪の如くさらりと崩れ、すっと鼠と冒険者たちの脇をすり抜けていく。

 風を見ることの出来る者はこの場にいない。ただ寒さに身を震わせて一瞬硬直するだけだ。

 冒険者たちは今は目の前の鼠をどうにかせねばとすぐさま行動を再開し、鼠を迎撃していく。

 戦わなければ生き残れない。それはこの場だけでなく、あらゆる冒険の舞台となった場所で言える真実なのだ。

 

 

 

 

 

「お、これっぽいかな」

 

 薄暗い洞窟を駆けることしばし、不意に白兎猟兵がぴんと耳を立てた。

 銀髪武闘家が消えかけの蝋燭をどうにかこうにか持ち直し、白兎猟兵が示した岩の窪みにある長持に向ける。

 瞬間、蝋燭が最期の力を振り絞って炎を暴れさせると、ついに燃え尽きて消えていった。

 白兎猟兵が蝋燭最期の煌めきを目に焼き付けると、肝心の長持に目を向けた。

 錠前がついているから鍵がかかっており、おそらく鍵は氷の魔女が持っているのだろう。

 

「どうやって──」

 

「ソイッ!」

 

 どうしやって開けようかと白兎猟兵が首を傾げた瞬間、銀髪武闘家が長持の端を踏み砕いた。

 まさかの脳筋(ローグ)式の解錠に中身を壊さないのかと不安が過るが、彼女は構うことなく長持を抉じ開け、ついに見つけた。

 まばゆいばかりに輝く、一本の矢。白銀の光を纏うそれは、なるほど退魔の力がこもっているのだろう。

 見る機会の少ない魔法の武具の一つ。それも叙事詩(じょじし)に歌われるべきものだろう。

 

「これなら……!」

 

「行けるかもだねぇ!」

 

 銀髪武闘家と白兎猟兵は頷きあうと、呼吸を合わせてそっと矢に触れる。

 白銀に輝く見た目の割には温かく、持ち上げてみると羽のように軽い。

 重いかもしれないと二人で持ち上げたが、これなら一人で扱うのにも問題はない。

 

「それじゃあ、キミに任せるね」

 

「ふぇっ……。ぼ、ぼくですかい!?」

 

 何の躊躇いもなく白兎猟兵に矢を渡すと、渡された本人から間の抜けた声が漏れる。

 目を真ん丸と見開く姿は状況の割にコミカルではあるが、銀髪武闘家とてその顔が見たくて渡した訳ではない。

 

「……私、弓とか苦手なんだよね」

 

「あ、はい。なら、わかりました」

 

 影の指す顔でそう言われてしまえば、白兎猟兵とて断る理由はない。むしろ父の敵を討てるというのなら尚更だ。

 白兎猟兵は矢をしっかりと受け取ると、腰のベルトにしっかりと差し込む。

 

「さぁて、急いで戻るよ!」

 

「はい!」

 

 目的の品は確保した。後は急いで戻るだけだ。

 二人の頷きあって走り出し、来た道を戻り始める。

 途中で転がる鼠の死体に転ばぬように気をつけて、時折張っている氷に足を取られぬ気をつけて、慎重に急ぐ。

 徐々に大きくなる戦闘音は、不安をかるものではなく安堵を抱かせるもの。

 銀髪武闘家は思わず笑みを浮かべ、そのままの表情で後輩たちに向けて叫ぶ。

 

「戻ったよ!」

 

 その時だった。ひょうと、背筋の凍り付くような白く冷たい風が吹き抜けたのは。

 

 

 

 

「え──………?」

 

 銀髪武闘家は瞬きを繰り返し、思わず間の抜けた声を漏らした。

 隣の白兎猟兵や後輩たちが何か言っているようだが、全くと言って良いほどに聞き取れない。

 彼女は今、吹雪の真っ只中に放り出されているのだ。

 

「さ、寒っ!」

 

 肌を切る寒さに肩を抱くと、そこにある筈の布の感覚がなく、代わりに感じたのは少々筋肉質な肌の感覚だ。

 彼女は恐る恐る自分の体に目を向け、目を見開いた。

 

 ──は、裸になってるんですけど!?

 

 一糸纏わぬ裸体が晒されていることに気付き、反射的にうずくまって体を隠す。

 寒く、恥ずかしく、裸体だからか吹雪の寒さが異常なまでに身を染みる。

 寒さを通り越してもはや痛い程の寒さに晒されながら、彼女は必死に思考を巡らせる。

 この状況をどうにかしないと死ぬ。間違いなく凍死まっしぐらだ。

 体を支えるものもなく、かといって頼れる仲間も見当たらない。

 急に感じる孤独感に心が締め付けられるが、動かなければ死ぬ。

 

 ──でも、どこに行けば良いの……?

 

 こういう時はいつも隣に彼がいた。

 泣きそうな時、いつも彼が支えてくれた。

 

「うぅ……」

 

 こんな時でも彼を頼ろうてしまう自分が情けなくなり、瞳から涙がこぼれる。

 孤独とは、ここまで強烈なものだっただろうか。

 

「おい……!」

 

 彼女の心にひびが入りかけた瞬間、待ち望んでいた彼の声が鼓膜を叩いた。

 彼女は勢いよく顔をあげ、何度も瞬きを繰り返す。

 見れば吹雪の向こうに人影に見える。さらに目を凝らしてみればあれは──。

 

「無事か!」

 

「ッ──!」

 

 銀髪武闘家は吹雪のなかにも構わず、柔らかな笑みを浮かべた。

 鎧に籠手、脚甲、弓に剣に至る全てが黒に統一され、目元は目深く被ったフードに隠されているが、口許には特徴的な傷痕が残されている。

 

「どこにいたんだよぉ……!」

 

 首筋がちりちりするのも構わず、彼女は立ち上がって駆け出した。

 風が強く視界も悪く、加えて音も聞き辛い。

 それでも懸命に駆けた彼女は彼の下にたどり着いた。

 

「大丈夫か……?」

 

 目尻に浮かぶ涙を指で拭いながら、彼はそう問いかけた。

 

「大丈夫に見える?」

 

「そうだな」

 

 彼はそう言って苦笑すると、彼女の銀色の髪を手梳で梳いた。

 そうやって触れるのが好きだし、されるのも好きなのも事実だ。

 彼女は気持ち良さそうに目を細めた。首筋の痛みなど忘れてしまいそうな程だ。

 

「でも、良いの?」

 

「?何がだ」

 

 銀髪武闘家の問いかけに、彼は首を傾げた。

 彼女は僅かに目を細め、何とも鈍感な彼に問う。

 

「作戦は?魔女の足止めは?」

 

「ああ、それか」

 

 彼はそう言って頷くと、彼女の頬を撫でた。

 その手は氷のように冷たく、銀髪武闘家は眉を寄せる。

 

「やはり銀の矢がなければどうにもならなくてな。渡してくれるか」

 

 彼は静かにそう言って、頬に触れていた手を肩へと滑らせる。

 触れられた所はあまりの冷たさに芯から冷えてしまい、体温が吸われてしまったような錯覚すら覚える。

 銀髪武闘家は小さく微笑を浮かべると、彼の頬を撫でた。

 氷のように、死体のように冷たい彼の体に触れ、彼女は肩を竦めてみせた。

 

「銀の矢ね。ちょっと待ってね……」

 

 彼女はそう言いながら彼の胸に手を触れた。

 鎧を着ているから鼓動は感じられないが、いつも感じる熱を感じない。

 彼女は一度瞑目し、そしてゆっくりと開いた。

 彼女の瞳から、輝きが消えたのはその瞬間だ。

 彼は異常に気付いたが、もう遅い。既に彼のいる場所は()()()()()()だ。

 

「フン!」

 

 銀髪武闘家の口から気合い一閃が漏れ、彼の胸に置いた手に万力の如き力が加わった。

 瞬間鳴り響いたのは骨が砕け散る乾いた音と、内蔵が弾け飛ぶ炸裂音。

 滅多に使うことのない発勁(はっけい)──ワンインチパンチ──と呼ばれるその技は、相手に触れていなければ使うことは出来ない。

 故に滅多な事では使えないのだが、逆に言えば触れてさえいればどうとでもなるのだ。

 それを一切の加減なく相手に叩きつける覚悟。

 全身の力を無駄なく一点に集める技量。

 女性特有のしなやかさと、筋肉による強靭さを備えた体躯。

「武術を極めきれていない」と彼女は言うけれど、心技体の三つが揃った彼女がそれを放てば、間違いなく即死技(クリティカル)だ。

 

「ごぼ………っ!」

 

 彼は口から大量のどす黒い血を吐き出し、数歩下がりながら彼女を睨み付けた。

 その瞳は血のように赤く染まり、ぼたぼたと口から血を垂らしながら、彼は彼女に向けて手を伸ばす。

 それでも彼女は深く息を吐きながら拳を握り締め、大きく振りかぶる。

 

「な、何を……」

 

「あなたは彼じゃない。彼の手はそんなに──」

 

 ──冷たくないんだよ!

 

 

 

 

 

「イィィィィイイイイイヤァァァアアアアアアッ!!!!」

 

 彼女の大咆哮が洞窟を駆け抜けていき、渾身の拳が目の前に立つ隻腕となった氷の魔女の顔面に突き刺さる。

 自慢の牙が文字通り砕け散り、小さな欠片が彼女の拳に突き刺さるが、それはとても些細なことだ。

 

 ──幻覚か何かだったのかな?

 

 酷く痛む頭を抱えながら、銀髪武闘家は息を吐いた。

 格好も洞窟に入る時と変わらずのフル装備。仲間たちは安堵したかのようにホッと息を吐いている。

 銀髪武闘家は自分の拳に突き刺さる氷の魔女の牙を引き抜き、それを指で弄んだ。

 只人のものにしては妙に鋭く長く、先ほど見せた幻覚。

 

「──吸血鬼?」

 

 彼女は最近読んでいない怪物辞典(モンスターマニュアル)の情報を引っ張り出し、氷の魔女をそう断じた。

 当の氷の魔女は壁に叩きつけられ倒れていたが、血を吐きながら立ち上がる。

 

「よくも、よくも、私の牙を……!」

 

 再び飛びかかってきそうな勢いではあるが、本当に吸血鬼なら殴り倒すのは不可能だ。それこそ聖なる加護を受けた拳でなければ。

 自分の拳はそんな出来たものではない。ひたすらに鍛えてきた無骨な拳だ。

 だからこそ、今回の締めは彼女(・・)に譲ろう。

 

「よし、お待たせ!」

 

 銀髪武闘家はそう言いながら、横に転げるようにして()()を開ける。

 

「氷の魔女!」

 

 張り上げたその声は、先程の銀髪武闘家の大咆哮に負けず劣らずの咆哮だ。

 彼女がいた場所に仁王立った白兎猟兵は、その小さな手に、やはり小さな石弓を構えている。

 巻き上げられた弦につがえられたのは、闇の中でも耀く、至高神の神官がこの時の為に残した白銀の矢。

 

「兎庄が一の矢だ!」

 

 びぃんというその音は、弦楽器の音色にも似て美しかった。

 寒々のした空気を切り裂いて飛んだ矢は、己が使命を果たさんとする。

 真っ直ぐにに氷の魔女へと突き刺さった鋭い鏃は、呪われた血肉を焦がし、心臓を貫いた。

 

「──────」

 

 氷の魔女は声をあげる間もなく倒れる。

 

「とんだ間抜けねぇ!」

 

 ──前に、体を起こした。

 思わぬ結果に白兎猟兵は目を見開き、銀髪武闘家も思わず「嘘!?」と声を漏らす。

 これで終わると気を抜いていた新米たちも改めて意識を切り替え、氷の魔女に向けて各々構える。

 氷の魔女は忌々しいものに触れるように白銀の矢に触れ、それを一息の間に引き抜いた。

 汚物のようにそれを投げ捨て、頼みの綱を失い顔色が悪い冒険者たちを一瞥する。

 

「矢だけで私が倒せるとでも?残念だったわね、前の兎人もこうやって失敗したわ」

 

「ふふふ……」と勝ち誇り、不気味なまでに口角のつり上がった笑みを浮かべ、氷の魔女は銀髪武闘家を指差す。

 

「あなたは最後にしてあげる。目の前で仲間を皆殺しにしてから両手足の腱を削いで、小鬼の巣に放り込んであげるわ」

 

 氷の魔女の恐ろしい提案に、銀髪武闘家だけでなく全員が顔を青ざめた。

 彼女の言葉を鵜呑みにすれば、自分たちはここで死ぬことになる。そして死ねば、銀髪武闘家が生きたまま終わることのない地獄を味わうことになる。

 それを阻止するには奴を倒すしかないが、頼みの綱であった矢は効かず、どうすれば倒せるのかもわからない。

 見習聖女の『聖撃(ホーリースマイト)』も効くかどうか。

 新米たち白兎猟兵が緊張の面持ちで冷や汗を流す中で、銀髪武闘家だけはどこか余裕は表情を浮かべていた。むしろ笑んでいるようにさえ見える。

 その笑みを挑発と受け取ったのか、氷の魔女は額に血管を浮かび上がらせながら怒鳴り付けた。

 

「その余裕、いつまで持つかしらね!」

 

 氷の魔女がそう言って真に力ある言葉を紡ごうとした時だ。

 ざり……。と乾いた音が不思議と洞窟に響いた。

 それも一度だけでなく二度三度と続き、こちらに近づいているのか大きくなってきている。

 氷の魔女は「まさか!」と声に出して振り返ると、目を見開いた。

 洞窟の闇の奥に揺れる橙色の炎と一対の黄金の輝き。それが左右に揺れながは、ゆっくりと近づいてきているのだ。

 

「あぁ……。嘘、嘘よ……」

 

 途端に怯え出した氷の魔女に新米たちと白兎猟兵は顔を見合わせて首を傾げた瞬間、彼らの背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 蛇に睨まれた蛙とは、この事を言うのだろうか。呼吸するのがやっとで、逃げろと本能が告げているのに体が全く動かない。

 

「来るな、来るな……!」

 

 氷の魔女は子供のように首を左右に振って逃げようとするが、腰が抜けたのか無様に尻餅をついた。

 彼女のそこまでの恐怖を刻み込んだ男が、闇の奥から姿を現す。

 

「誰が、あいつを、ゴブリンの巣に放り込むだと……?」

 

 一切の抑揚の消えた無感情な声。

 右手に握る金色の剣は持ち主の怒りを体現したかの如く業火を纏い、大気を焦がして蒸気を放っている。

 

「誰が、あいつを、ゴブリンの巣に放り込むだと……?」

 

 純粋な怒りな支配されたローグハンターは、左手に持っていた闇人の生首を足元に落とし、躊躇いなく踏み砕く。

 頭蓋を砕く硬い感覚と脳みそを掻き回す気持ち悪さも、今はどうでもいい。

 ローグハンターは砂利を踏む乾いた音と血をしたためる湿った音と共に歩き出し、一歩一歩、相手の恐怖心を煽るようにゆっくりと、近づいていく。

 

「ま、待て!じょ、冗談だ!な、なあ!さっきの言葉は取り消すとも!」

 

 氷の魔女はプライドも何もかもを投げ捨て、目の前の死神から逃れんと言い繕った。

 だが、彼はこんなに止まらない。否、止まるわけがないのだ。

 ローグハンターは逃がすまいと氷の魔女の左足を踏み砕き、骨と筋肉を踏みにじる。

 氷の魔女の口からもはや聞き取れぬ程の高音の悲鳴が漏れるが、それは冒険者たちにとっては幸運だった。

 痛みつけられている人の悲鳴など、聞いていて良いものではない。

 

「安らかに眠れ。汝が殺めた者たちの悲鳴を聞きながら……」

 

 ローグハンターは言葉だけの祈りを口にすると、業火を纏う金色の剣を振り上げる。

 破れかぶれとなった氷の魔女は一途の希望を託して自身の目に意識を傾けた。

 恐怖の対象たる彼を映す赤い瞳に亀裂が入り、光輝き、そしてえきたいが噴き出した。

 生物を容易く両断するその攻撃も、ローグハンターは軽く首を傾けるのみで避けてしまう。

 結果、彼に与えた痛痒(ダメージ)は頬に薄く残る赤い一筋のみ。

 最期に一矢報いることも出来ず、むしろ相手のさらなる激情を誘った氷の魔女は──。

 

「!!!!──────────………………」

 

 無慈悲に降り下ろされた地獄の業火に焼かれ、灰さえも残さずに焼き付くされた。

 きっと氷の魔女は死の間際に知った事だろう。伝説の武具よりも恐ろしい、人間の怒りというものを。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。






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Memory06 不思議な縁

 氷の魔女を討ち取った冒険者たち。

 地獄の業火により焼き払われた為か、心なしか暖かくなった洞窟の奥で小休止をとり、体力がある程度回復した頃を見計らって外に出ようと歩き出した。

 先頭を歩くローグハンターは針が刺すように痛む頭を押さえると深く息を吐き、腰に吊るした金色の剣に手を触れる。

 

 ──俺はこいつを扱いきれていない。

 

 妹から譲られたこの剣だが、やはり彼女が持っていた方が良かったのではないか。

 ローグハンターはそんな事を思い、小さくため息を吐いた。

 今はそれを考える時ではないとわかってはいるが、目の前に問題があると気になって仕方がない。

 自分の悪い癖に再びため息を吐き、乱暴に頭を掻いた。

 

「……大丈夫?」

 

 そんな事をしていたからか、横を歩く銀髪武闘家から心配の声が漏れる。

 彼の事を誰よりもよく知る彼女は、彼の顔色が悪いことと、何やら真剣に考え込んでいることに気付いたのだ。

 問われたローグハンターは彼女の頬に触れ「大丈夫だ」と小さく呟き、「そっちこそどうだ?」と問い返した。

 図らずも求めていた彼の温もりを感じた彼女は、嬉しそうに目を細めて彼の手にすり寄って「大丈夫だよ」と返す。

 頬に感じる彼の温かさこそが、何よりも彼女が求めていたものだ。

 

「ふふ……!」

 

「どうした、いきなり」

 

 無意識の内に笑みがこぼれてしまい、ローグハンターは苦笑混じりに問いかけた。

 問われた彼女は「何でもなーい」と返し、嬉しそうに笑って見せた。

 ローグハンターは何だか嬉しそうな彼女に笑みを返しつつも、そっと彼女の頬から手を離す。

 突如として手を離された銀髪武闘家は名残惜しそうに彼の手を見送ったが、仕方がないと諦めた。

 気を緩めているとはいえ今は冒険中だ。甘えるのは帰ってからいくらでも出来る。

 それよりも気になるのは、後ろを歩く新米たちだ。

 敵対者に対して絶対の殺意の放つローグハンターと、人を甘やかすローグハンター。

 対極的な彼の二面性を叩きつけられて、困惑しない者などいない。彼と組んで日の浅かった銀髪武闘家でさえそうだったのだから当然だ。

 彼女はそっと後ろに振り返り、背中越しに新米たちに目を向けた。

 その表情には疲労の色が濃く、意外な事にローグハンターを避けているような節は見られない。

 疲れているから考えられないのか、そもそも気になっていないのか──。

 

「まあ、何でもいっか」

 

「何がだ」

 

「何でもない」

 

 ローグハンターは突然何かに納得した銀髪武闘家に疑問を覚えはするものの、彼女が「何でもない」と言うのならそうなのだろうと早々に割り切る。

 そして、彼は何を思ったのか新米たちに声をかけた。

 

「そういえばお前ら。遠目からだがあの鼠捌き、見せて貰ったぞ」

 

「み、見てたんですか!?」

 

 彼の言葉に新米剣士が思わず声を漏らし、ローグハンターは「見てたと言うよりも見えただが」と冷静に返す。

 

「俺はあまり鼠退治の経験はないから、そこまで深いことは言えないが」

 

 ──いい連携だったと思うぞ。

 

 彼は耳を澄ませなければ聞こえない程小さな声で、新米たちを褒めたのだ。

 突拍子もなく褒められた新米たちは顔を見合わせて、困惑するかのように瞬きを繰り返した。

 彼が皮肉や助言もなしに人を褒められるなど、滅多にあることではない。

 

「えっと、ローグハンターさん?」

 

「どうかしたのか?」

 

 恐る恐る新米武闘家が呼び掛けると、ローグハンターは背中越しに目を向けて振り返って首を傾げた。

 いつもの変わらない彼の姿に安心したのか、新米武闘家は照れたように笑いながら言った。

 

「いえ、褒めるなんて何だか珍しいなと」

 

「そうか?いや、そうだな」

 

 そこまで言われてようやく合点がいったのか、ローグハンターは苦笑混じりに小さく肩を竦める。

 

「褒めるべきと思えば褒めるさ。正当な評価は人を成長させるからな」

 

 彼はそう言って新米たちに視線を配り、一人一人と目を合わせながら頷いた。

 

「まだ粗が目立つが、妥協点だ。他の白磁と比べれば段違いに良いだろう」

 

 彼はそう言って新米たちを評価すると、ようやく言葉の意味を理解したのか、新米戦士は小さくガッツポーズをして見せた。

 見習聖女は「まだまだ子供ね」とぼやいて彼を小突くが、その顔には笑みが浮かんでいる。彼の事を注意こそしたが、内心ではかなり嬉しいのだろう。

 皆が一様に喜びを露にする中で、落ち込んだ様子なのが一名。

 白銀の矢を放って氷の魔女を討ち取らんとした白兎猟兵だ。

 今は拾ってきた白銀の矢を眺め、何度もため息を漏らしている。

 銀髪武闘家はやれやれと首を左右に振ると、ローグハンターの隣を離れて彼女の隣についてやる。

 そして落ち込む彼女の頭を撫でてやり、地母神の如く慈悲深い笑みを浮かべて見せた。

 

「あんまり気にしないの。誰にでも失敗はあるからね」

 

「そうですかねぇ……」

 

 彼女の励ましもなんのその、白兎猟兵は再びため息を吐いた。

 

「矢だけじゃ駄目だったんです。もういくつか、何かが必要だったけど、ぼかぁそれを知らなかった」

 

 ──たぶん、お父さんも……。

 

 彼女はそう言ってまたため息を吐き、前を歩く冒険者たちのとぼとぼと続く。

 銀髪武闘家は頬を掻いて「これは重症だねぇ」と呟き、彼女に言う。

 

「それでも何とかなったじゃん。こうして皆生きてるんだから、気にしないの」

 

「それはそうですけど……」

 

 泣かなかった立ち直ってくれない白兎猟兵の姿に流石の彼女も苛立ちを覚えつつ、白兎猟兵の肩を掴んで真正面から向き合った。

 

「もう、そんなに落ち込まないの!キミの集落を守れた!私たちも無事!キミも無事!形見の矢も無事!過程はどうであれ、結果的に大成功なんだからそれで良いでしょ!」

 

 怒りを滲ませぬように努めているが、そのお陰で言葉に余計な力が入ってしまう。

 それでも良いではないか。本心は包み隠さずに言わねば伝わらないのは、先頭を歩く朴念人(ローグハンター)のお陰で痛感した。

 白兎猟兵は何故だか必死に見える彼女の姿に思わず噴き出し、笑いを堪えて肩を揺らしながら「そうですかねぇ」と呟いた。

 確かに今回の戦いで失敗は多くあったけれど、結果だけ言えばこれ以上ない程の大成功だ。

 白兎猟兵が知っているかは別だが、終わり良ければ全て良しという言葉もある。

 

 ──なら、良いんですかね。

 

 白兎猟兵は矢を腰のベルトに挟むと、一気に喋ったからか息を荒くする銀髪武闘家に「心配させて、すみません」と頭を下げた。

 いきなり頭を下げられて驚きつつも、銀髪武闘家は手を左右に振った。

 

「気にしない、気にしない。誰だって落ち込む時はあるよ」

 

「私だってそうだし」と付け加え、彼女は照れたように苦笑を漏らす。

 

 ──やっぱり、人を励ますのは苦手かな……。

 

 あれやこれやと考えても、自分にはどこか遠慮している節がある。ローグハンターなら遠慮なく問題点を言い放ち、加えて励ますのだろうが……。

 銀髪武闘家が「中々難しいなぁ」と思っていると、前を歩く冒険者たちが足を止めた。

 慌てて話し込んでいた二人も足を止め、何事だと前方を覗きこむ。

 細道を抜けた先に待ち受ける、誰もいない筈の広間。

 ローグハンターのバーサークアローや氷の魔女の『吹雪(ブリザード)』の術で雪男たちは壊滅的な打撃を受け、生き残っていたとしても逃げ出した事だろう。

 それは別に構わない。雪男数匹で一体何が出来る。

 銀髪武闘家は白兎猟兵に「ちょっとごめんね」と一言告げてから離れ、何かを見つめて立ち尽くしているローグハンターの横についた。

 

「どうかし……たの……?」

 

 思わず言葉を詰まらせ、銀髪武闘家もローグハンターのように足を止めて広間の入り口で立ち尽くす。

 広間に人がいるのだ。それも三人。

 

「これが件の太鼓でしょうか。血塗れですが」

 

「これから魔力を感じる。きっとこれ」

 

 片刃の剣を握る凛とした女性が、豪華な杖を持つ女性と何やら話し込んでいる。

 遠目からでも二人の放つ雰囲気からかなりの強者であることはわかるし、ついでに胸の膨らみもそれなりにあることもわかる。

 銀髪武闘家には見覚えのない二人ではあるが、それはその二人だけだ。

 問題なのは残りの一人。見るからに強力な加護の施された鎧を身に纏う、新米たちと大して年も変わらなそうな黒髪の少女。

 湯気を立たせる氷の塊を興味深そうに観察し、時折指で突いて遊んでいるようにも見えるその姿は、年相応の少女のものだ。

 

「うーん。何だろうね、これ?」

 

 そうして尻尾のように黒髪を揺らして振り向くと、目を見開いて立ち尽くすローグハンターと銀髪武闘家の二人と視線があった。

 三人の視線が交錯すること数秒。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 黒髪の少女──勇者がローグハンターを指差して驚きを露にした。

 街中で再会したのなら反応も違ったのだろうが、ここは人の寄り付かぬ雪山の、さらに人の来ぬだろう洞窟の中だ。

 兄と呼ばれたローグハンターは頭を抱えて天を仰ぐと、盛大にため息を吐いた。

 

 ──どうやら至高神は、とことん俺に迷惑をかけたいらしい。

 

 彼の中でそれなりに高かった至高神への評価が、この三日足らずで底辺が見えるほどに暴落を続けていた。

 

 

 

 

 

「いやー、またお兄ちゃんと会えるなんて、最近ついてるよ!」

 

「貴重な運をこんな所で使って欲しくはなかったがな」

 

 自分に抱きついて上機嫌な様子の勇者の髪を手梳で梳きながら、ローグハンターはため息を漏らした。

 都で別れておよそ一ヶ月。ここまで早い再会は初めてだ。

 冒険者たちは、広間の中央に集まり焚き火に当たりつつ、とりあえずの情報交換の時間となっていた。

 正確にははしゃぐ勇者をローグハンターに任せ、手の空いている他の面々で、だが。

 剣聖は相変わらずの兄妹の姿に笑みを浮かべつつ、羨ましそうに二人を見ている銀髪武闘家に意識を戻し、単刀直入に問いかけた。

 

「それで、貴女方はなぜこんな場所に?それも、見るからに駆け出しの子達を連れて」

 

「なぜって、まあ、後輩の頼み事を聞いたからからかな」

 

 銀髪武闘家は見習聖女に目を向けながら言うと、彼女は「その、託宣(ハンドアウト)が……」躊躇いがちに呟いた。

「託宣。なるほど……」と剣聖はとりあえず納得するが、賢者は目を細めて見習聖女にさらに問う。

 

「その託宣はどういう内容?」

 

「え?『北方の頂きに至れ』です。そこで何かを見つけろっていう意味なのかなと……」

 

 じっと睨まれた見習聖女は僅かに目を逸らして言うと、賢者は「そう」と呟いてローグハンターの方へと目を向ける。

 

「それで、この剣はどう?」

 

「どうだろうな。俺の手には余る気がしてきたが」

 

「そうかな?ぼくが持ってた時より、だいぶ落ち着いて見えるけど」

 

「そうか?」

 

「うん」

 

 勇者に金色の剣を見せて、何言か言葉を交わしていた。

 二人して柔らかな表情を浮かべて話す様子は、なるほど端から見れば仲の良い兄妹のそれだ。

 だがしかし、兄が確実に問題を起こすのは明白。確実に即死だったであろう致命傷(ファンブル)を貰いながらも死なず、むしろ力を強めるなど、笑えない冗談だ。

 

「ところで、お二人はなぜ雪山に?」

 

 考え込む賢者を他所に新米武闘家が問うと、剣聖は「あれを探しに来たのです」と告げて雪男たちが叩いていた太鼓に目を向けた。

 他の太鼓とは違い豪華な飾りで彩られ、見るからに特殊な術が施されているのが素人目からでもわかる。

 あの太鼓で何が起きるのかは定かではないが、儀式か何かに使うものだろう。

 

「──まともに使える物ではないと思うが」

 

 ローグハンターはタカの眼を使ったのだろうか、瞳から金色の輝きを放ちなかがらそう言うと、賢者は「確かに」と不服そうに頷いた。

 嫌っている彼と意見が一致したのが気に入らないのだろう。

 剣聖は小さく肩を竦めるが、彼の意見も尤もだと口には出さずに肯定を示す。

 魔力、魔術の類いは周囲の環境に影響されやすい。それが精霊の力を借りるものなら尚更だ。

 雪男たちが喰らった死骸に囲まれたこの場所では、大量の穢れを吸い込み、本来の用途には使えたものではなくなる。

 去り行く冬を讃えて春を願うその音色が聞けるのは、少なくとも今年のうちには無理だろう。

 

「兎人の集落で清めることは出来るのか?まあ、血を落としたら静かな場所にしばらく置いておくだけで良いと思うが」

 

 ローグハンターはどこか適当に言うと、ちらりと勇者の前髪が僅かに赤くなっていることに気付く。

 彼女の髪は幼い頃から黒一色だ。返り血などの対外的な理由で変わったのか、あるいは自分の目のように何かに影響されたのか。

 彼はその赤くなった勇者の前髪を撫でると、「何かあったのか?」と神妙な面持ちで問いかけた。

 これでも兄として慕われているのだ。異変が起きているかもしれない妹の心配をしないで兄は名乗れない。

 問われた勇者は「え?」と声を漏らして自分の前髪に触れ、「あー……」と何やら覚えがあるのか声を漏らす。

 

「実はね、山の下で人喰い鬼(オーガ)と会っちゃってさ」

 

「オーガ。ああ、あれか」

 

 ローグハンターの脳裏に過るのは、妖精弓手たちとの初仕事で探索した遺跡のことだ。

 依頼された通りのゴブリン退治とはいかず、群れ──本人は軍と呼んでいたが──の頭目たるオーガとも戦闘を繰り広げた。

 あれを戦闘と呼んで良いのかは議論の余地があるかもしれないが、互いの命を懸けて戦ったのならそれはもう戦闘だ。

 ゴブリンスレイヤーに聞けば、戦ったことは覚えているのだろうが名前を覚えてはいない筈だ。覚えようとすらしないだろう。

 ローグハンターは脳裏を過った友の姿を首を振って片隅に追いやり、勇者の髪についた返り血に触れる。

 乾いて張り付き、寒さで凍ったそれは、指で彼の拭った程度では落ちるものではない。風呂に入らなければ落ちはしないだろう。

 

「派手にやったのか」

 

「うん」

 

「そうか……」

 

 この娘のことだから正面切って戦ったのだろう。搦め手に頼った自分たちとは大違いだ。

 彼は訳もなく妹の髪を撫でてやり、撫でられた彼女は「んふふ~」と機嫌良さそうに音を漏らす。

 いまだにあのローグハンターに妹がいたことを信じられない新米剣士と新米戦士の二人は顔を見合わせて、「あんまり似てないな」と言葉を交わす。

 

「まあ、血は繋がっていないからな」

 

「血の繋がりだけを見て家族!なんて、言い切れないからね」

 

 ローグハンターと勇者の二人は顔を見合わせてそう言うと、思わず気圧された新米戦士と新米剣士の二人はたじろぐ。

「しっかりしてよ」と見習聖女が小言を呟くが、彼女の目は勇者に向けられている。おそらく先の二人と同じ事を思っていたのだろう。

 銀髪武闘家はいつまで経っても帰れないと判断を下し、一つ大きな咳払いをして冒険者たちに告げる。

 

「とにかく、その太鼓を持って集落に戻る。積もる話はそれからで良いでしょ?」

 

 そう、彼等が仲よく話しているこの場所は、生き物の死骸に囲まれた、血の臭いに包まれた洞窟内だ。

 そんなところでお喋りをするなど、かなりずれてきている──冒険者的には慣れてきている──証拠に他ならない。

 彼女の意見に異議は出ず、男三人で太鼓を担いで洞窟を後にした。

 ローグハンターからすればもはや通り慣れた道を進むこと数分。

 正面から差し込む光の中に突き進み、ようやく洞窟の外へと出た。

 氷の魔女が死んだからか、あるいは太鼓を奪還したからか、風もだいぶ和らいで、眩いまでの雪の照り返しが冒険者たちを出迎える。

 新米たちが第一堪らず腕で目をかばう中で、ローグハンターと銀髪武闘家は鬱陶しそうに目を細める程度。

 洞窟に入って短かった勇者の一党は大して気にしたようすも見せずにいると、白兎猟兵が「すごいですね」と呟いて雑嚢から板切れを取り出す。

 形だけを見れば眼鏡に似ているが、薄く細い切れ目が入っている。

 

「直接見ると、目ぇ痛くなっちまうんですよ。遮光器とかなくちゃあ、ね」

 

「それは準備していなかったな」

 

 ローグハンターは瞬きを繰り返しながら反省するように言うと、その事を記憶の片隅に刻み込む。

 次に雪山に来るのなら、きっとそれが雑嚢の片隅にあることだろう。

 最後の最後で失敗が一つ増えたが、後は帰るだけだ。

 三人ほど連れが増えたりもしているが、旅は道連れ。減るのはともかく増えるに越したことはない。

 

「とにかく、一旦集落に戻るで良いか」

 

「ぼくはそれで良いよ」

 

 ローグハンターの確認に勇者が真っ先に頷くと、剣聖が真剣な面持ちで問いかけた。

 

「ところで、道中で闇人を見かけませんでしたか?」

 

「闇人。ああ、見たが」

 

 剣聖の問いにローグハンターは首をはね飛ばした闇人の姿を思い浮かべ、確かに頷いた。

 

「どこに行ったのかはわかりますか」

 

 重ねられる問いかけ。

 意図がわからないローグハンターは首を傾げ、「それもわかるが」と言葉を繋いだ。

 彼の一言に剣聖が弾かれるように振り返り、ローグハンターの顔を覗きこんだ。

 彼女の整った顔立ちが目の前に来ようと、赤面する様子も狼狽える様子もない。

 

「奴はどこに」

 

 たった一言。凄まじい迫力と共に放たれた質問に、ローグハンターは肩を竦めて剣聖の顔を押し返し、そのまま空を指差した。

 

「神の御前に裁かれに行ったぞ。今頃地獄に堕ちているか、裁判待ちの列に並んでいる筈だ」

 

 彼はそう言うと口笛を吹き、天高く舞っていた鷲を呼び寄せる。

 呼ばれた鷲は何事だと彼の頭の上に止まり、懐から取り出された餌を啄むように食していく。

「鷲だ!」と目を輝かせる勇者の姿は、年相応の少女のものだ。これで何度も世界を救っているのだから、本当に驚いてしまう。

 ローグハンターは残りの餌を勇者に渡し、釣られるように鷲が彼女の腕に移ると、興奮した様子で「ふぉー!」と奇声を漏らす。

 その隙にローグハンターは剣聖へと目を向け、「あの闇人、生け捕りにするべきだったか?」と問うた。

 氷の魔女と入れ替わりで戦闘を開始したが、嫌な予感がした為一刀の下に(一ターンで)屠ったのだが、駄目だったのだろうか。

 祈る者(プレイヤー)の絶対の敵たる祈らぬ者(ノンプレイヤー)を倒して不安になるなど、おそらく初めてのことだ。

 謎の不安に駈られるローグハンターに、剣聖は「いえ、倒したのなら良いのです」と返して肩を落とした。

 

「ここまで来たのに、全て無駄足とは……」

 

「あのオーガの目的を潰せた。それだけで充分」

 

 露骨に残念がる剣聖の肩を叩き、賢者は小さく笑って見せた。

 彼女も笑えるのかとローグハンターは目を見張ったが、それに気付いてすぐに無表情へと戻ってしまう。

 随分と嫌われたものだとため息を吐き、目も慣れてきた新米たちに声をかけた。

 

「それじゃあ、行くとするか」

 

『はい!』

 

 彼の指示に元気溢れる返事が届き、満足そうに頷き返す。

 ここから兎人の集落までは半日とかからない。その道中に何もないとは限らないが、勇者がいるのなら大事にはならないだろう。

 

 

 

 

 

 冒険者たちが集落に戻ると「英雄様の帰還だ!」と兎人たちに迎え入れられ、生活も苦しいだろうに盛大な宴が行われた。

 冒険者たちは悪いとは思えども、それが彼らの流儀なのだからと受け入れる。

 突然の宴に巻き込まれただけの勇者たちは困ったものだが、「客人はもてなさないとね!」と迎え入れられて宴の輪の中に。

 集落の広場に集まって中央に焚いた篝火を囲み、出される料理に舌鼓を打つ。

 薄味ではあるが暖かいスープは、ローグハンターが好む味だ。

 

「それで、まじょはどんなことしたの!」

 

「ゆきおとこはどうしたんですか!」

 

「わたしにもきかせて!」

 

 問題は、次々と兎人の子供達から質問が飛んで来る事だ。

 見慣れぬ只人であることに加え、雪男二匹を瞬殺したその技量には、ある種の尊敬が向けられている。

 ローグハンターは慣れぬ扱いに困り顔になりつつ、ちらりと銀髪武闘家に目を向けた。

 彼女も彼女で兎人に群がられており、その愛想の良さからか子供達にも早速なつかれたようだ。

 小さな白い毛玉のような子供達に群がられて温かそうではあるが、一周回って暑いのか、額には僅かに汗が浮かんでいる。

 それはローグハンターとて同じこと。額に浮かぶ汗を拭い、「魔女は──」「雪男は──」と、子供達の質問に一つ一つ答えていく。

 その姿は幼い頃の勇者と接する頃と変わらない。幼い子供の扱いには多少なりとも慣れているのだろう。

 宴の席の端では白兎猟兵が彼女の父の知り合いだったのであろう兎人たちから褒められ、撫でられ、もみくしゃとなっていた。

 新米たちも質問責めにされてはいるものの、二人に比べれば良い方だ。見る限り食べ物に手を伸ばす余裕がある。

 巻き込まれただけの勇者たちも言わずもがな。多少興味の引かれた子供たちが近づく程度で支障はなさそうだ。

 無邪気にこちらを振り回してくれる、何とも愉快な兎人たちの姿を眺め、ローグハンターは息を吐いた。

 彼らの平穏を守れたのなら、こちらも頑張った甲斐があったというもの。

 ふと、彼の背後を通った兎人の女性が、銀髪武闘家に何やらカップを差し出した。

 

「武闘家様、飲み物はいかがでしょう?」

 

「あ、ありがとうございます。何ですか、これ」

 

 彼女は聞きながら、答えを待たずに一口あおる。

 兎人の女性は豪気な彼女の姿に苦笑を漏らし、小さく肩を揺らしながら答えを口にした。

 

「──我が家特性のお酒です」

 

 騒がしい宴会の席において、その一言だけがローグハンターの耳にだけ嫌に響いた。

 彼は口に含んだスープをどうにか噴き出さずに堪えたが、壊れた人形のように銀髪武闘家の方へと顔を向けた。

 

「あは~」

 

 上気して朱色に染まった肌。蕩けた瞳。無邪気な笑顔。

 別に見ているだけなら何てことのない、愛する彼女の愛する表情の一つだ。

 だが、その表情を浮かべた後に何が来るのかを知るローグハンターは、冷や汗をかきながら立ち上がり、そっとその場を離れようとするが、

 

「あ、おにーちゃんまって!」

 

「いかないでーっ!」

 

「もっとおはなししてぇ!」

 

 憐れローグハンター。敵意と殺意には敏感だが、無邪気な子供には滅法弱いのだ。

 兎の脚力を活かして彼の背中に飛びかかった兎人の子供達に押し倒され、逃亡を未然に阻止される。

 背中を押されて倒れる彼を抱き止めたのは、他の誰でもない彼女だった。

 不幸な偶然(ラッキースケベ)で彼女の豊かな胸に頭から飛び込み、強靭な体幹と筋力によって体を支えられる。

 しっかりと抱き止められたローグハンターは頭を包む柔らかさを堪能しつつ、ゆっくりと顔を上げた。

 

「あははっ!キミの方から来てくれたね……」

 

 にこーっと太陽の笑みを浮かべる銀髪武闘家は、心の底から愛おしそうに彼の黒髪を撫でた。

 彼女が無意識に放つ圧に押された兎人の子供達は、それこそ蜘蛛の子を散らすように解散していき、親か手頃な友人たちと合流を果たした。

 

「ふふふ~♪ふふ♪」

 

 上機嫌そうに鼻唄を歌いつつ、彼の頭を自分の胸に押し付けて頭を撫で回す。

 ローグハンターが逃げられぬと察するのには時間は要らず、豊満な胸に押し付けられているからか、呼吸が苦しいのはご愛嬌か。

 

「こーらー!」

 

 だが、捨てる神もいれば拾う神もいる。

 どこからともなく飛び出してきた勇者が銀髪武闘家の背中に飛び付き、不満そうに頬を膨らませた。

 

お姉ちゃん(・・・・・)だけずるい!ぼくにも甘えさせて!」

 

 前言撤回。勇者も勇者で駄目だ。

 銀髪武闘家は「仕方ないなぁ~」とにこにこ笑ったまま言うと、小柄な彼女の頭を撫で始める。

 そうしている間にも、ローグハンターの意識は点滅を繰り返していた。

 頭を撫でられた勇者は気持ち良さそうに目を細めたが、「ちっがう!」と喝を入れて体を離す。

 そしてしゅびっ!と銀髪武闘家を指差し、次いで動かなくなり始めているローグハンターを指差した。

 

「ぼくはお兄ちゃんに甘えたいの!」

 

「え~。どうしよっかな?」

 

 銀髪武闘家がローグハンターの頭を抱えながら体をくねらせると、彼の口から「お゛ぅ゛……!」と汚い悲鳴が漏れた。

 酔っているとはいえ、彼への想いに歪みはない銀髪武闘家はハッとしてローグハンターの顔を覗きこみ、白眼を剥いていることに気付く。

 呼吸はしているようだから生きてはいるようだ。

 

「あ~、やっちゃった♪」

 

「やっちゃったじゃないよ!?」

 

 なら良いかと呑気な銀髪武闘家に、思わずツッコミを入れる勇者。

 突如として始まった漫才に兎人たちは困惑していたが、一人が笑い出せば続々とそれに続いて笑いの輪が広がっていく。

 

「とりあえず、部屋まで運んじゃうね~」

 

「お姉ちゃんにばっかり任せてられないよ!」

 

 銀髪武闘家がひょいとローグハンターの体を担ぎ上げると、落とさないか心配で堪らない勇者が声を出した。

 銀髪武闘家は勇者の言葉に構わず歩き出し、「ちょっと待ってよ!」と勇者がその後ろを追いかける。

 消えていく二人の背中を見送った兎人たちの宴はまだ続く。

 まだ冬は終わらないけれど、冬が終わればまた春が来る。

 彼らはそれを知っている。ただそれだけで、彼らは充分なのだ。

 

 

 

 

 

 翌朝、兎人の巣穴の一室。

 

「……どういう状況だ」

 

 藁を積んだだけのベッドに寝かされたローグハンターは、天井を見上げてぼそりと漏らす。

 柔らかな何かが押し付けられている右腕に目を向け、次いで小柄な何かが抱きついている左腕に目を向けた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

「くぅ……ん?にゃ……」

 

 右腕に抱きつく銀髪武闘家と、左腕に抱きつく勇者は、それぞれ無防備な寝顔を彼に晒し、静かな寝息をたてている。

 ローグハンターは再び天井を見上げてため息を吐きだした。

 天上に座し、骰を振るう神々よ。

 

「──これは一体どういう状況だ」

 

 

 

 

 

 




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Memory07 変わらぬ日常 動き出す運命

「まったく、もう!信じられない!」

 

 辺境の街の冒険者ギルドで、妖精弓手が不服の声を漏らし、手にした杯を卓に叩きつけた。

 中身の葡萄酒がはね上がり、数滴が卓に赤い染みを残す。

 

「何がそんなに不満だ」

 

 彼女の体面の席に座り、その怒りを一身に受けるローグハンターは肩を竦め、ちびりと葡萄酒を一舐め。

 兎人の集落で勇者たちと別れ、その後何事もなく街まで戻ってこられたものの、時を同じくして戻ってきた妖精弓手に案の定絡まれたのだ。

 報告を済ませてローグハンターと合流した新米たちも、妖精弓手の剣幕に「あはは……」と乾いた笑みを浮かべるのみで助け船を出す気はないらしい。

 手伝いをお願いした時は何も考えてはいなかったが、ローグハンターを何がなんでも冒険に連れ出したい彼女からすれば、今回の行為もまた抜け駆けになるのだろう。

 隣の鉱人道士が長髭をしごき、「珍しいこともあるもんじゃ」と小さく呟く。

 

「娘っ子どもと耳長娘が結果的に邪教徒退治。頭巾のが雪男と吸血鬼退治とはの」

 

「まあ、たまにはこのようなことも良いではありませんか」

 

 蜥蜴僧侶が愉快そうにぐるりと目玉を回して言うと、疲れた様子の令嬢剣士、女魔術師、女神官に目を向けた。

 

「久しぶりの冒険と、はしゃぎすぎましたわ」

 

「なのに、行った場所が邪教徒の隠れ家って」

 

「何でしょうかね……」

 

 それぞれが思わず不満を漏らし、ローグハンターは顎に手をやって息を吐いた。

 

「俺がそっちに行っていたら、こっちが詰みだったかもしれないが」

 

 彼はそう言うと、卓の一番端で揺れる白い長耳に目を向けた。

 慣れぬギルドの喧騒を興味深そうに眺め、出入りする冒険者の姿を見る度に感嘆にも似た息を吐いている。

 

「お前の集落にあった古文書。肝心の部分が破けているのは驚いたがな」

 

「ぼくだって驚きましたよ。お父さんも気にしなかったのかなぁ」

 

 何を隠そう、山からついてきた白兎猟兵だ。

 彼女と共に何が足りなかったのかと調べたが、それが記されたと思われた巻物は半ばで破れており、肝心の何かを見ることは出来なかった。

 白兎猟兵は苛立ちをぶつけるように皿に盛られた野菜の山に豪快にフォークを突き刺し、大口あけて頬張り始めた。

 咀嚼する度に揺れる首もとの認識票は、駆け出しを示す白磁等級のもの。

 また一人、頼もしいかはわからないが、未来ある冒険者が増えたのだ。これは喜ぶべきことだろう。

 ローグハンターは肩を竦め、隣に腰掛け卓に突っ伏している銀髪武闘家の背中を撫でた。

 

「うぅ……」

 

 彼女の口から呻き声が漏れ、突っ伏しているから顔は見えないが、耳が真っ赤に染まっているため何やら恥ずかしがっている様子。

 

「ところで武闘家殿はどうなされたのだ。帰ってから何も口にせず、ずっとこの様子だが」

 

 蜥蜴僧侶が純粋に心配してかそう問うと、ローグハンターは気まずそうに目を逸らした。

 珍しく質問に答えてくれないローグハンターの姿に蜥蜴僧侶は「おや」と声を漏らし、ならばと新米たちに目を向けた。

 新米たちもまた気まずそうに目配せすると、見習聖女に小突かれた新米戦士が仕方ないと言わんばかりに息を吐く。

 

「……その兎人の集落にお世話になったんですけど、向こうの人にも二人が恋人だってことがバレまして」

 

「盛大に祝われたのか」

 

「それはまあ、盛大に」

 

 出発直前に兎人に囲まれ、あれやこれやとお土産を貰っていた。それは既に部屋に運び込んだそうだが、それはまあかなりの量だった。

 蜥蜴僧侶は「ありがたきことですな」と奇妙な手振りで合掌し、顔も知らぬ友人たちに礼を言う。

 

「……恥ずかしかったぁ」

 

「そうだな……」

 

 銀髪武闘家が絞り出すように呟くと、ローグハンターも天を仰ぎながらため息を漏らす。

 彼らを知らぬ者たちからは冷酷な冒険者と思われている彼らとて、誰とも違わない血の通った人だ。何かあれば恥ずかしがりはするし、しばらく引きずることだってある。

 既に出来上がった様子の妖精弓手は「雪男に吸血鬼でしょ!?」とかなり遅れた反応を示し、杯一杯に注がれた葡萄酒を一息で飲み干す。

 だん!と叩くように卓の上に杯を置き、「ぐぬぬ……!」と唸りながらローグハンターに指を突きつけた。

 

「そもそもあんた!まだ報酬を払ってないでしょ!?」

 

「報酬?」ローグハンターは首を傾げ、「何のだ」と至極真面目な面持ちで問いかけた。

 彼のその言葉がいけなかったのか、妖精弓手が目を見開いて身を乗り出す。

 誰しもが見惚れる美しい顔を前にしても、ローグハンターは見惚れた様子を見せない。むしろ僅かに眉を寄せて僅かな嫌悪感を示めす程だ。

 酔った彼女はそんな事お構い無し、ローグハンターに指を突きつけて言う。

 

「この間、眠ってたこの()の世話をしたでしょう!その報酬よ!」

 

「ああ、それか」

 

 怒鳴るようにぶつけられた彼女の言葉にようやく合点がいったのか、ローグハンターは彼女の前に並ぶ空の杯の数を数えると、懐に手を突っ込んで財布を取り出す。

 つまり、ここは奢るからそれで手を打てと言いたいのだ。

 

「違うわよ!!!!」

 

 それを察した妖精弓手は再び怒鳴ると、ローグハンターの肩を掴んで前後に揺らし始めた。

 

「お金じゃなくて、冒険よ!ぼ・う・け・んーっ!」

 

「そういう話は酔っていない時にしてくれ」

 

 揺られるローグハンターは困り顔でため息を吐き、肩に置かれた彼女の手を払った。

 彼は揺らされるのは嫌いだ。酒を飲んだ後だと、単純に気分が悪くなる。

 相変わらず取りつく島もないの彼の姿勢に、鉱人道士と蜥蜴僧侶は顔を見合わせ、やれやれと首を左右に振った。

 彼らの会話についていけない白兎猟兵は口の中を野菜で一杯にしたまま、小首を傾げる。

 

「止めないで良いんですか?」

 

「構わん構わん。ほっときゃ耳長のが勝手に潰れるかんの」

 

 彼女の問いに鉱人道士が火酒をあおって答えると、酒臭い息を吐き出した。

 慣れぬ臭いに白兎猟兵は「うっ!」と鼻を押さえて勢い良く顔を背けた。

 

「あんまり苛めないでください」

 

 同じく鼻を押さえながら新米武闘家が苦言を漏らすと、鉱人道士は「むぅ」と難しい顔をしてそっぽを向いた。

 ローグハンターたちは既に慣れたが、火酒は中々に強烈な酒だ。臭いだけでも慣れるのにはそれなりに時間がかかる。

 

「それはそうと、ゴブリンスレイヤーはどうした」

 

 白兎猟兵に向けて苦笑を浮かべていたローグハンターが、ふと姿が見えない友人の事を話題に出し、ギルド内を見渡した。

 薄汚れた革鎧に両角の折れた鉄兜という、他にはいないであろう特徴的な格好をした冒険者だ。いればすぐに気付くだろうし、何より向こうから声をかけてくるだろう。

 

「ゴブリンスレイヤーさんなら、もう帰られましたよ」

 

 不意に、冒険者のものではない声が横合いから飛んできた。

 弾かれるようにそちらに目を向ければ、仕事を終えたのか、暖かそうな私服に身を包んだ受付嬢がそこにいた。

 新米たちは思わず姿勢を正したが、彼女は「面接は明日ですよ?」と苦笑を漏らし、「失礼します」と空いている席に腰を下ろした。

 ローグハンターはいつものことと気にした様子もなく、ゴブリンスレイヤーの事を頭の片隅で考える。

 

「珍し──くもないか」

 

「はい。いつも通りです」

 

 ローグハンターが苦笑を浮かべると、受付嬢は残念半分、納得半分そうに漏らした。

 密かに彼に想いを募らせる彼女のことだ。彼に即帰られてしまうと、その日はもう会うことが出来なくなる。

 

「ゴブリンスレイヤーさんも大変だったみたいですよ。向かった先にゴブリンがいたと」

 

「うぇ!?牛飼いさんは、大丈夫だったの!?」

 

 受付嬢が何ともなしに告げた言葉に、銀髪武闘家は勢い良く体を起こして彼女に詰め寄った。

「大丈夫じゃなかったらもっと慌てます」と受付嬢に返され、「そ、そうだよねぇ~」と力が抜けたように再び座り込む。

 

「……配達で街を出たのに、ゴブリンに絡まれたのか」

 

 ローグハンターは苦労し続ける友人の姿を思い浮かべ、心の内で「たまには休ませてやれ」と天上の神々に愚痴を漏らす。

 そして最近神々への不満ばかりだと気付き、頭を振って意識を切り替える。

 

「まあ、お互い無事なら良いさ。また明日にでも会えるだろ」

 

「そうだね。来なかったら会いに行っちゃおう」

 

 銀髪武闘家は先程までの様子はどこへやら、活力に満ちた様子でぐっと拳を握る。

「冒険にでも行くのか」とローグハンターが苦笑をすると、「まさかぁ」と笑って応えた。

 相変わらずの仲良さげに笑いあう二人の姿に、鉱人道士と蜥蜴僧侶は目を合わせた。

 

「あの二人は、あれでもまだ未婚なんじゃろ?」

 

「ふぅむ。何故なのでしょうな」

 

 二人はそうして首を傾げるが、肝心の恋人二人には聞こえていなかったのか返答はない。

 その辺ローグハンターはお堅いのか、銀髪武闘家が遠慮がちしているのか……。

 

「とにかく、また明日からもお願いしますわ!」

 

 僅かに頬を赤く染めた令嬢剣士が、突拍子もなくローグハンターに告げた。

 彼女の前にあるのは複数の空になった杯。彼女も彼女で酒に弱いのか。

 女魔術師はほとほと困り果てたようにため息を吐き、眼鏡の位置を直しながら「よろしくお願いします」と一礼する。

 

「うぅ!明日こそ冒険に連れ出してやるんだからっ!」

 

 妖精弓手は誰もいない方向を指差しながら宣言し、鉱人道士は呆れながら白兎猟兵に「じゃろ?」と告げて火酒を一あおり。

 言われた彼女も「そうですねぇ」と呑気に漏らし、人参のスティックを一かじり。

 蜥蜴僧侶はチーズをかじって「甘露、甘露」と舌鼓をうつ。

 

「して、これからどうするのだ」

 

 彼はそう問うと、ローグハンターに目を向けた。

「どうと言われてもな」と彼は頬を掻き、「帰って寝るか」と当たり障りのない答えを出した。

 酒を飲んでから冒険に出る気はない。そんな事をするのは自殺願望のある者だけだ。

 

「そうですな。拙僧はもうちと食べてから休むことにしよう」

 

「なら、儂も付き合うかの。そっちはどうするんじゃ」

 

 鉱人道士は髭についた水滴を拭ってそう言うと、ローグハンターに問いかける。

 彼は顎に手をやるとしばし考え、銀髪武闘家に目を向けた。

 見られた彼女は首を傾げ、何か着いているのかと自分の頬に触れた。

 それを合図にしたのか腹の虫が鳴き、再び彼女を赤面させた。

 

「俺たちも何か食べていくか。葡萄酒飲んだだけではな」

 

「……うぅ、もっと早く言って欲しかったな」

 

 銀髪武闘家が自分の腹を擦りつながらそう言えば、それは決まったこととほぼ同義だ。

 彼女は咳払いして意識を切り替えると、受付嬢へと笑顔を向けた。

 

「受付さんも一緒に食べよ?」

 

「あら、良いんですか?」

 

「良いんです、良いんです。皆で食べた方が美味しいからね」

 

 確認してきた受付嬢にそう返し、いつものように「注文良いですか~」と獣人の給仕係を呼び寄せる。

 メニュー片手にあれやこれやと注文していく彼女を他所に、ローグハンターは新米たちに目を向けた。

 

「さて。だいぶ遅くなったが、冒険をした感想は?」

 

 彼はそう言って笑みを浮かべ、くつろぐように頬杖をついた。

 新米たちは僅かに考え、新米剣士は鼠のことを思い出してか「大変だったなぁ」とため息を漏らし、新米戦士は雪山の寒さを思い出してか「寒かったなぁ」と体を震わせる。

 新米武闘家は白兎猟兵と顔を見合わせて「でも、楽しかったです」と呟き、見習聖女は「私は──」となにやら言葉を詰まらせた。

「どうした」とローグハンターが問えば、彼女は一度深呼吸をして言う。

 

「ちょっと不安です。至高神様の託宣(ハンドアウト)は、あれで良かったのかなって」

 

 そう言って杯に入った水を口にし、ため息にも似た息を吐く。

 ローグハンターは目を細めると「別に何でも良いだろう」と適当なことを口走り、まるで教師が生徒に言い聞かせるように見習聖女に告げた。

 

「そもそも神が何を考えているかなぞ、俺たちにはわからん」

 

「そうですよね……」

 

「だが──」

 

 ローグハンターの回答にしゅんとした見習聖女だが、彼の言葉はまだ終わらず、さらに口を動かした。

 

「だから、最終的に何をするのかを決めるのはお前だろう。至高神はあの山に行けと言っただけだ。そこで何をして、何を思ったのかは、お前次第だ」

 

「あの山で後悔を残したのなら、次はないように努めろ。後悔がないのなら、次は今回よりもより良い動きをしようと努めろ」

 

「俺もお前も冒険者だ。行く先々で神々は骰を振るうだろうが、何もせずに振るう価値もないと切られるよりは良いだろう」

 

 ローグハンターは早口でそう言うと、「で、どうだ」と見習聖女に問いかけた。

 彼女は僅かに顔を俯けて考えを巡らせた。

 あの冒険でいくつもの失敗をして、いくつか成功して、結果的には皆でここに帰ってこられて。

 

「とりあえずは、ギリギリ妥協点ですかね」

 

「あら、手厳しい」

 

 見習聖女の自己評価に受付嬢は小さく笑みを浮かべた。

 ここで「満点です!」なんて言ったのなら、ローグハンターと共に少しばかり手厳しいことを言ってやろうと思ったのだが、彼女がそう言うのなら良しとしよう。

 受付嬢とローグハンターから優しげな笑みを向けられた見習聖女は居心地悪そうに赤面して目を逸らしたが、そこに助け船が出された。

 獣人の給仕係が様々な料理を手に現れたのだ。

 

「はい、お待ちどうさま!」

 

「待ってました!」

 

 料理は次々と銀髪武闘家とローグハンターの前に並べられていき、それは新米たちの方へも並んでいく。

 新米戦士が並べられていく熱々の料理を前に生唾を飲み込むと、「俺たち、頼んでませんけど……」と伸びかけた手を押さえて呟いた。

 言われた銀髪武闘家は首を傾げ、「そりゃ、私が頼んだからね」と何故かどや顔。

 ローグハンターも変なところで真面目な後輩に堪らず苦笑を漏らし、「言っていなかったか?」と肩を竦める。

 

「冒険に行って帰ってきたのなら、その一党で食事をするものだろう」

 

「そうそう。今日は奢ってあげるから、食べていいよ」

 

 銀等級二人の気遣いに新米たちは顔を見合わせてぱっと表情を明るくした。

 彼らとしては久々の贅沢な食事だ。一口一口味わなければ、それこそ損と言うもの。

 思わず手を伸ばした新米たちに「まあ、待て」と制して、ローグハンターは次いで運ばれてきた杯を全員に配った。

 銀髪武闘家のものを除き、中身は全て葡萄酒だ。

 何だ何だと首を傾げる新米たちの姿に、鉱人道士は思わず噴き出しかけたものを耐え、新米たちに告げた。

 

「食う前に乾杯するのが礼儀じゃわい。ほれ、持った持った」

 

 彼に急かされるがまま、新米たちは杯を掲げていく。

「お酒飲めない……」と一人テンションの低いまま杯を掲げた銀髪武闘家を他所に、ローグハンターも杯を掲げた。

 最後に卓の端でボケッとしていた白兎猟兵に「おい」と声をかけると、「あ、ぼくもですかぁ」と呑気な声も漏らして杯を掲げた。

 今回の冒険に関わった全員のものが出揃った事を改めて確認すると、女魔術師らにも目を向ける。

 

「おまえらはやったと思うが、ここにいるのも何かの縁だ。少し付き合ってくれ」

 

「わかりました」

 

「ふふん!わたくしはまだまだ飲めますわ!」

 

「それじゃあ、いただきます」

 

「儂は火酒があるかんの。鱗のもこっちにすっかい」

 

「いただきまする」

 

 女魔術師に始まり令嬢剣士、女神官、鉱人道士、蜥蜴僧侶が各々杯を掲げ、潰れかけていた妖精弓手と「私も……」と杯掲げ、受付嬢も「じゃあ、私も失礼して」と遠慮がちに掲げて見せた。

 その場に集った友人たち、後輩たち全員が杯を掲げると、ある程度手慣れているローグハンターが音頭を取る。

 

「では、それぞれの冒険の成功と、勇敢なる新たな同胞(はらから)との出会い、そして明日(あす)から続く冒険に!」

 

 ──乾杯!!

 

 がちゃりと杯同士がぶつかり合う音を合図に冒険者たちは葡萄酒を胃に流しこみ、卓に並ぶ料理にかじりつく。

 いつも通りに流れる日常の一ページに、また小さな出来事が加えられた。

 新米たちは来週になる頃には新米と呼べなくなり、鼠退治とは違う依頼に挑み始めるのだろう。

 ローグハンターは後輩たちの成長を喜びつつ、ちらりと銀髪武闘家に目を向けた。

 酒を口にしないか警戒しているのもそうだが、

 

『あの二人は、あれでもまだ未婚なんじゃろ?』

 

『ふぅむ。何故なのでしょうな』

 

 友人たちがこぼした言葉が、流石に気になってしまったのだ。

 結婚。結婚かと、胸内で反芻し、葡萄酒の水面に映る自分の顔を覗きこむ。

 

 ──いい加減、覚悟を決めないとな。

 

 彼は自分にだけそう言い聞かせ、一息で葡萄酒をあおった。

 いつも美味いと思っていたその味も、途端に味がしないようにさえ思えた。

 赤子も黙るならず者(ローグ)を、暗躍を繰り返す闇人を、不死身かと思われた吸血鬼をも恐れぬ彼が、少々後ろ向きになっているのだ。

 

 ──答えなんて、とっくの昔に決まっているというのに。

 

 

 

 

 

 四方世界の片隅。盤の端に程近い場所にあるその島は、とうの昔に歴史から消え、いつしか神からも忘れられた悲しき場所だ。

 神からも忘れられたとはいえど、そこに生物がいないのかと問われると答えは否。

 獰猛な猪が、温厚な鹿が、巨大な熊が、群れをなした狼が島を闊歩し、その島で弱肉強食の食物連鎖を繰り広げている。

 神々の骰が振られることのないその島は、文字通り個体と群れの強さがものを言う。

 相手を喰らい、相手に喰らわれ、残された死骸は島の養分として森の一部となる。

 森人が訪れたなら、間違いなく安堵にも似た思いを抱くことだろう。それほどまでに自然の力が強く、人の手が全く入っていない。

 だが一つ。自然に包まれた島において、特異なものがあった。

 島にある小さな谷の底に、木材とも大理石とも違う何かによって作られた壁が来るものを拒んでいるのだ。

 島に住む獣たちは本能が働いてか寄り付かず、草木一本すらない。その壁の周辺だけが不自然な程になにもないのだ。

 不意に、その奇妙な壁が動き出した。

 一枚岩と思われていた壁が左右に割れ、奥から人影が現れる。

 汚れ一つない純白のローブを纏い、左腕には三枚の板金が取り付けられた籠手を取り付けられているが、何故か薬指が欠けている。

 彼は腰にかけた金色の剣に手を触れ、忌々しそうに息を吐く。

 

「──なぜ来ない」

 

 そう呟くと腕を組んで金色に輝く双眸を細め、誰に言うわけでもなく口を開く。

 

「座標は送られている。力も馴染んでいる筈だ。なぜ来ない」

 

 口振りから誰かを待っているようだが、その待ち人が来ずに苛立っているのだろう。

 天を見上げてため息を吐くと、不意に背後から肩に手が置かれた。

 彼は目を見開いて驚きを露にするが、すぐさま意識を切り替えて振り向き様に跪いた。

 

「我が主よ。次なる使命を」

 

 彼に主と呼ばれたのは、金色に輝いている女性だ。薄く透けているため、亡霊か何かのようにさえ見える。

 女性は男性の頭に手を置き、口許に優しげな微笑を浮かべた。

 

『────―』

 

 そして何かを口にすると、それを受けた男性は心の底からの笑みを浮かべた。

 

 ──何を迷っていたのだ、私は。

 

 数分前の悩んでいた自分が急に馬鹿らしくなり、僅かに呆れたように息を吐く。

 

「来ないのなら、連れてくるまでだ」

 

 彼の言葉に女性は嬉しそうに笑みを浮かべ、谷の向こうのそのまた向こうを手で示した。

 

『──―』

 

 男性に向けて何かを告げると、彼は「御意」と短く答えて立ち上がる。

 そして女性に背を向けて歩き始め、鳴り響いた雷光と共にその姿を消える。

 谷底に残されたクレーターがその衝撃の強さを教えてくれるが、女性は怯むことなく彼の背中を見送った。

 骰は投げられた。出た目は誰にも変えられず、何が出るかもわからない。

 女性は浮かべていた優しげな笑みが一転、氷のように冷たい笑みを浮かべた。

 

『──さあ、勝負を始めましょう。この(せかい)を賭けて、私の夢を賭けて、ね』

 

 

 

 

 

 口の中央に座する都。

 雪山から帰還した勇者たちは、いつものように報告のためにその場所に戻り、いつものように大門を潜ろうとしたが、

 

「ッ!」

 

 勇者は何かを感じ取り、弾かれるように西の方角に目を向けた。

 西には彼女の兄たるローグハンターの拠点の街がある。

 

「二人とも、ちょっとごめん!」

 

 勇者はそう言うと、二人の制止を無視して走り出した。

 持てる全力で走り抜ける彼女は、さながら黒い風のようだ。

 

「い、いきなりどうしたんですか!」

 

 剣聖が小さくなっていく背中に向けて叫ぶが、返答はない。

 隣の賢者がぼそりと「託宣(ハンドアウト)?」と首を傾げると、剣聖な「有り得ますね」と頷いた。

 ちょうど良く迎えに出てきた兵士たちに馬を連れてくるように頼み、やれやれとため息一つ。

 勇者と呼ばれる彼女とて、その持久力(スタミナ)は無限ではない。いくらか行った後に疲れ、遅くなる事だろう。

 それまでに追い付ければ、彼女とて不満は言うまい。そもそも彼女が不満を口にすることがあるのかと疑問を浮かべる。

 そうしている間にも勇者の姿は小さくなっていき、剣聖と賢者の二人はため息を吐いた。

 

 ──本当、彼女の側は退屈しない。

 

 

 

 

 

 水の街、法の神殿。

 礼拝堂にて至高神に祈りを捧げていた剣の乙女が、不意に顔をあげて「ローグハンター様?」と呟く。

 彼女の侍女たる妙齢の武僧が「何事ですか」と声をかけると、剣の乙女は表情を引き締めて侍女へと顔を向けた。

 最近見せるようになっただらしのない表情とはほど遠い、彼女を金等級冒険者足らしめる凛とした面持ち。

 それだけで何があったのかわ察せぬほど、侍女と剣の乙女の信頼は弱くはない。

 

託宣(ハンドアウト)、ですね」

 

「ええ。西に行くわ、馬車の用意をしてくださる?」

 

「かしこまりました」

 

 剣の乙女の言葉に侍女は短く答えると、足早に礼拝堂を後にする。

 剣の乙女は自身の豊かな胸に手を当て、お守りたる鷹の風切り羽をその細い指で撫でた。

 突如として至高神より告げられたお言葉は、端的に言えば「彼を守れ」といった所。

 彼を中心にして、何かが起こるのは確実だ。

 

「今、参ります」

 

 胸の内を渦巻く不安は、かつて魔神王と対峙した時と相応のものだ。

 だが、やることは変わらない。混沌の手勢を相手取り、その頭目を潰し、傷つけられた人々を癒す。

 神の使徒たる自分に出来るのはそれだけ。だが、それでも。

 

「わたくしに何か出来ることがあるのなら」

 

 彼と同じように、自分も自分の役割(ロール)を果たすのみ。

 

 ──至高神な御名にかけて、わたくしの全力を。

 

 想い届かぬかもしれないが、愛するあの人(ローグハンター)のために。

 

 ──せめて、彼の命が消えませんように。

 

 剣の乙女は、静かに至高神へと祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートのご協力など、よろしくお願いします。


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Sequence12 許されぬ事などない
Memory01 西の空に雷鳴が轟く


 陽が山から顔を出して二時間程。眠る狐亭。

 冒険者用に用意されている部屋の一室に、ローグハンターと銀髪武闘家はいた。

 部屋に置かれた二台あるうちのベッドの内、一台だけを使って身を寄せあい、お互いの体温で相手を温めるように寝ているのだ。

 いつからか始まった二人の添い寝は、やがて二人の習慣となり、時には自重すべき冒険の出先でさえ行われる程だ。

 だが彼らの友人たちはそれを止めないし、彼らが率先して止めるということもない。

 彼も友人たちも、明日をも知れぬ冒険者の身だ。触れあえる内に触れあっておかなければ、必ず後悔を残すことだろう。

 加えて、一ヶ月前に銀髪武闘家は文字通り死にかけているし、その前にもローグハンターは数度死にかけた。

 死を間近に感じたからこそ、二人を精神的に遮っていたものはやがて希薄となり、今の距離感となったのだろう。

 だが、いつまでも寝ている訳にはいかない。

 

「……」

 

 ローグハンターはゆっくりと瞼を持ち上げ、腕の中にいる銀髪武闘家に目を向けた。

 油断した寝顔は彼がいるからこそ見られるものであり、彼のために見せていると言っても過言ではない。

 彼女の銀色の髪を手梳で梳いてやり、額に唇を落とす。

 額への口付けは、果たして何を意味するものだったか。

 彼は自分の知識不足を恨めしく思いつつ、彼女を起こさぬようにベッドから降りた。

 例に漏れず昨晩も遅くまで愛し合っていた訳だが、ローグハンターの体からはなおも有り余る気力が溢れている。

 それを一身に受け止め続けた銀髪武闘家は、本日中に回復するのだろうか。

 

 ──いや、回復させる。

 

 ローグハンターは目を細めて決心すると、いつものように衣服を纏い、ローブを羽織り、鎧を取り付け、弓と矢筒、長筒を背負い、二振りの剣を腰帯に吊るし、雑嚢を取り付けて準備を終える、

 いつも以上に準備の速い彼の神経は、ここ数日で更に研ぎ澄まされていた。何故そうなったのかはわからない。だが、確実に何かを感じ取っているのだ。

 彼の第六感が警告していることもそうだが、体の奥底に刻まれたテンプル騎士(アサシンハンター)としての本能が、ここは危険だと告げているのだ。

 今日は早めにギルドに行こうと、ローグハンターはいまだに眠る彼女の後ろにまわるとシーツを退かし、直に背中に手を触れた。

 筋肉質と言っても寝ている時は力が抜けているものだ。彼女の背中はとても柔らかく、温かい。

 

「んぅ……」

 

 彼女の口から艶っぽい息が漏れたが深く息を吐いて邪念を捨て、背に触れた自身の右手に意識を傾ける。

 瞳が金色の光を漏らし始めると共に、ローグハンターは「はっ!」と気合いの声と共に右手に力を入れた。

 彼の体を伝って金色のオーラが銀髪武闘家の体に流れ込み、

 

「──はにゃ!?」

 

 熟睡していた彼女の意識を半ば無理やり覚醒させた。

 跳ね上がるように起き上がった彼女は、何事だと部屋を見渡し、明らかに何かした様子のローグハンターを発見する。

 部屋の中で完全武装なのはわかる。彼は起きたら真っ先に武装することを好むからだ。

 それにしたって、自分がいた場所に腕を伸ばして何をしていたのか。

 

「えっと、おはよう?」

 

 とにかく挨拶からだと意識を切り替え、疑問符を浮かべながらも彼に向けて声をかけた。

 ローグハンターはいつも通りに「おはよう」と返して、「体はどうだ」と問うた。

 問われた彼女はぺたぺたと自分の体に触れ、「大丈夫そう」とにこりと笑って見せた。

 腰砕けになっているかと思ったが、意外と大丈夫だったようだ。

 屈託のない彼女の笑みを、ローグハンターは自分の右手に目を向けた。

 最近扱えるようになってきた能力(アビリティ)は、下手な魔術や奇跡よりも汎用性が高いかもしれない。

 彼は胸中で自分の変化を受け止めつつ、いまだにシーツにくるまる銀髪武闘家に目を向けた。

 彼女の裸体を拝めないのは仕方がないと、彼女を起こした目的に話を持ち込む。

 

「なら、早く着替えろ。ギルドに行く」

 

「え?今日は随分早いね」

 

 銀髪武闘家は首を傾げるとベッドの上を四つん這いで進み、真剣な面持ちのローグハンターと目を合わせた。

 いつからか色が変わった彼の金色の瞳は、いつにも増して色が澄み、虹彩は輝いているようにさえ見える。近くで見ればさながら宝石のようだ。

 鼻先が触れそうな程に近づいた彼女の頬を撫で、「頼む」と変わらず真剣な面持ちで告げた。

 彼がここまで真剣になるのは重要な仕事に関して考えている時か、自惚れだが自分のことを考えている時ぐらいのもの。

 おそらく、まだギルドが開いたばかりの時間だ。依頼の貼り出しが行われるのは一時間程たってからだろう。

 それでもギルドに行こうと言うのは、朝一番に職員から呼ばれたからか。

 銀髪武闘家は「わかった」と頷き、彼から離れてベッドを降りる。

 ベッド脇に落ちていた、最近どうにもきつい気がする下着を回収して手早く纏い、次いで服を着て、髪紐で髪を纏めて、そこでようやく気付く。

 彼女はゆっくりと視線を後ろに向け、僅かに赤面しながら目を逸らす。

 

「……ね、ねぇ?」

 

「ん?」

 

 ローグハンターが、彼女の着替えを凝視していたのだ。

 その鋭い双眸を一切逸らすことなく、彼女に声をかけられてなおぶれない。

 彼に裸を見られることに今さら抵抗はないが、こう、服を着る時に見られるのは脱ぐ時とは違う羞恥心を覚える。

 それを彼が理解しているかはわからないが、おそらくそこまで考えてはいまい。

 現に彼の手は既に腰帯の剣に置かれている。何かが起きれば、すぐさま相手を切り伏せることだろう。

 随分と警戒している彼の姿は、出会ったばかりの頃を彷彿とさせる。

 あの頃は添い寝をするどころか、同じ部屋に泊まれてすらいなかったのだ。そう思えば、今の彼との距離感は有難い。

 まあ、着替えを凝視されるのは少し違う気もするが……。

 拳にセスタスを、両足に脚甲を取り付け、彼女は「良し!」と声を漏らした。

 

「準備出来たよ」

 

「わかった。行くぞ」

 

 笑顔と共に彼女が告げると、ローグハンターは一つ頷いて部屋を後にしようとするが、ふと雑嚢に手を突っ込んで何かを探し始めた。

「忘れ物?」銀髪武闘家が問うと、彼はすぐにそれを見つけたのか「いや、見つけた」と返して小さく安堵の息を吐いた。

「何か大切なもの?」と首を傾げても、彼は努めて平静を装って「何でもない」と返すのみ。

 彼が何かを隠す時は、こちらを巻き込みたくない程の面倒に巻き込まれた時か、あるいは彼にとっては重要な事で、決して口外したくない時だ。

 

 ──なら、深掘りしない方が良っか。

 

 雑嚢を探って「何でもない」と言ったのだから、何か道具を隠しているのだろう。

 彼の道具は扱い方を間違えれば命に関わるものばかり、触らぬ神に祟りなしだ。

 

「どうかしたのか」

 

 ローグハンターは部屋のドアを開けると、いまだに動かない銀髪武闘家に声をかけた。

 相変わらずその表情には警戒の色が濃いが、彼女を心配しているのは目に見えてわかる。

 否、彼女が心配だからこそ警戒しているのだろう。彼にとって、彼女は自分の命以上に大切なものだ。

 銀髪武闘家に何故警戒しているのかはわからないけれど、彼には彼にしかわからないものがある。彼の眼でしか、見えないものがある。

 

「ううん。大丈夫」

 

 銀髪武闘家は彼を心配させまいと笑顔を浮かべ、小走りで彼の下へと進む。

 勢いに任せて彼の胸へと飛び込み、ぎゅっと抱擁すると顔をあげる。

 

「それじゃ、行こっか」

 

「ああ」

 

 彼女の言葉にローグハンターは微笑混じりに頷いて見せ、彼女の手を引いて歩き出す。

 歩き慣れた廊下も、こうして歩くとどこか新鮮だ。

 いつもの彼なら寝ている自分を放っておいて下に行き、店主と話し込んでいただろう。

 だが、今はどうだ。その彼は自分の手を引いていて、店主は都から戻って来ていない。

 少しずつ、それでも確かに日常も変わっているのだ。

 銀髪武闘家は可笑しそうに目を細め、目の前で揺れる彼の黒髪に目を向けた。

 彼が歩く度に尾のように揺れるそれは、初めて会った時に引っ張ったのだが、過去の自分は中々に豪気なものだった。

 

 ──初対面の人の髪の毛を引っ張るなんてね……。

 

 今になって下らない事を思い出したと苦笑を漏らし、それに気付いたローグハンターが「どうした」と背中越しに振り替える。

 

「何でもないよ」

 

 彼女は笑いながら首を振り、彼の手を握る手に僅かに力を入れた。

 彼は無言で握り返すと、その耳が僅かに赤くなっているような気がした。

 

 

 

 

 

 朝一番のギルドというのは、それなりに騒がしいものだ。

 どんな依頼を受けるかは早い者勝ち。割りの良い仕事を取れるかは朝の時間に懸かっている。

 何よりただですら冬は寒いのだ。朝の内に依頼に出れば、暖かい昼の内に町に戻ることが出来る。

 故に冒険者たちは冒険をする時と同様に、とまではいかなくともそれなりに集中していた。

 受付嬢は例年通りの彼らの姿に安心しつつ、依頼書を整理し、細かく仕分けていく。

 冬眠し損なった猛獣の討伐、商人の護衛、盗賊退治、などなど。

 依頼を吟味し推奨される等級を定め、それに見合った報酬が払えるのかを再度確認。

 依頼人から依頼を受領する際にもすることだが、万が一ということもある。何事にも失敗の影は付きまとうものなのだ。

 何度も確認をしたからだろうか。ふと覚えた違和感に、受付嬢は首を傾げて依頼書の枚数を確認した。

 一目見ただけでは他の季節よりも気持ち少ない程度なのだが、もはや熟練者(ベテラン)である彼女にはすぐにわかった。

 

 ──依頼が少ないのもそうですけど、ゴブリン退治が一枚もない……?

 

 違和感の正体はそれだった。冬の季節は確かに依頼は減るものだが、ゴブリン退治が一枚もないなど……。

 まあ、依頼がないというのは良いことだ。冒険者たちは困るかもしれないが、依頼人が困っていないのは良いことではないか。

 それに、ゴブリン退治がないのなら()だって多少は気が楽だろう。

 受付嬢はそこまで思慮するが、「それはないですよね……」と一人呟いた。

 彼なら『奴等が力を蓄えているかもしれん』と返すに決まっている。

 受付嬢は脳裏を過った彼の姿を一旦追い出し、とんとんと卓の上で依頼書の束を叩いて整理すると、隣の同僚に目配せする。

 少ないとはいえ依頼を貼り出すのも一苦労だ。ただですら有り余っている冒険者たちに負けぬようにしなければ。

「良し!」と気合いを入れ、肺に冷たい空気を思い切り吸い込んだ時だ。

 

「おっはよー!」

 

 壊れるのでは心配になるほどの勢いで、ギルドの自由扉が開け放たれた。

 外から雪崩れ込んできた新鮮な冷たい空気に冒険者と職員たちは身震いし、一斉に入り口へと目を向けた。

 そこにいたのは銀色の髪をなびかせる女性だ。このギルドに集う者なら、まず間違いなく見覚えがある人物であるが、何人かは驚きを露にして目を見開く。

 何せ彼女は朝に弱いのだ。こんな朝一番にギルドに来るなど珍しい。

 

「……あれ?」

 

 そんな彼らの視線に気付いてか、銀髪武闘家は首を傾げた。

 いつも通りにギルドに入ったつもりなのだが、何か間違えただろうか。

 彼女は自問するが、答えにたどり着くことはない。いつも通りに入ってきたのだから、そんな奇異な目で見られても困る。

 

「おう、武闘家。今日は随分と早いな!」

 

 そんな困り顔の彼女に向けて、女騎士が声をかけた。

 彼女の一言に「なるほど」と頷いて、銀髪武闘家は苦笑を浮かべる。

 

「それがさ、彼に起こされちゃって……」

 

 彼女が愚痴を溢すように、僅かに不服そうに言うと、タイミングを合わせたかのように自由扉が開いた。

 彼女が来たのだから、その後ろに続く人物は決まっている。

 

「自分でも俺らしくないとは思ってはいるがな」

 

 彼女の背後から、それこそ影のように現れたのは、漆黒の鎧に身を包んだローグハンターだ。

 彼は鷹の如き鋭い視線をギルド内に配り、一人一人を睨むように観察している。

 彼の目に映っているのは青い影ばかり。敵はいないようだと僅かな安堵を覚える。

 

「おい、ローグハンター!随分と機嫌悪そうじゃあねぇか!」

 

 タカの眼を解除したローグハンターに、槍使いからの怒鳴り声がぶつけられた。

 朝一番に睨まれたのだ。真意を知らない彼らが不機嫌になるもの仕方がないだろう。

 ローグハンターは「ああ、すまん」と軽く頭を下げ、「どうにも嫌な予感がしてな」と目を細めた。

 

「朝っぱらから止めてくれよ。お前の勘は妙に当たるって聞いたぜ」

 

 槍使いが「嫌だ嫌だ」と手を振りながら言うと、隣の魔女も煙管を吹かして「そ、ね……」と呟いて紫煙を吐き出す。

 確かにただ事ではないと重戦士が唸り、ローグハンターと銀髪武闘家に告げた。

 

「なら、宿にいればいいだろう。そういう日は冒険に出ないに限るぜ」

 

 同業者として、友人としての純粋な心配からの助言だった。

「それもそうなんだが……」とローグハンターは言うと、ギルドに集う銀等級冒険者たちに目を向けた。

 槍使い、魔女、重戦士、女騎士。ゴブリンスレイヤーらはまだ来ていないが、彼らならすぐにでも来るだろう。

 ローグハンターは小さく肩を竦め、友人たちに不器用な笑みを向けた。

 

「この街でここ以上に安全な場所があるか?」

 

「……それもそうだけどな」

 

 重戦士はほとほと困り果てたように複雑な表情を浮かべ、絞り出すようにそう呟いた。

 在野最高の銀等級が四人。ローグハンターたちを含めれば六人だ。前衛ばかりなことは気になるが、この面子(めんつ)であれば上級悪魔(グレーターデーモン)にすら苦戦はしないだろう。

 だが、その面子が揃っているのも数分だけだ。槍使いたちも重戦士たちも、依頼を見つければすぐに出ていからだ。

 ローグハンターはその数分だけでも気を抜きたいのだろうの予測し、重戦士は「仕方ねぇな」と頭を掻いた。

 どうせ依頼が貼り出させるまで時間はあるのだ。その間だけ一緒にいたって良いではないか。

「迷惑かける」とローグハンターは小さく頭を下げ、銀髪武闘家と共にいつものギルド端の卓に足を進めるが、

 

「ローグハンター殿、申し訳ない」

 

 不意に、あまり聞き慣れぬ声で呼び止められた。

 声の主は受付の奥から顔を出したばかりのギルド支部長の男性だ。

 支部長という立場上あまり出掛ける機会もないだろうに、洒落た服に包まれた体は、冒険者ほどではないが意外と引き締まっている。

 滅多なことでは顔を見せない人物の登場に冒険者たちは驚くが、当の彼は緊張の面持ちで額に汗をかいていた。

 ローグハンターは明らかな不満を顔に出すが、相手が相手だからと表情を引き締めた。

 彼がいなければこのギルドは機能せず、自分たちはただの無頼漢。

 自分が常より早く黒曜等級昇格する際にも、彼の見えぬ努力と苦労があったと聞く。

 ならば、無下にするのも失礼だろう。

 

「珍しいな、急ぎの依頼か」

 

「ええ。あなたに会いたいという人がいらしております」

 

 支部長は困ったように言うと、ギルドの二階に目を向けた。

 二階には来賓用の応接室がある。そこに行けということだろう。

 ローグハンターは誰が来たと思慮するが、面倒だなと直接確認を取る。

 

「俺に会いに来るとは、物好きもいたものだな。誰だ」

 

「あなたの妹を自称している少女と──」

 

「妹だと!?」

 

 支部長の言葉を遮るように、女騎士が驚きを露にした。

 いや、彼女だけではない。

 冒険者ギルドに集った事情を知らない者たちは、一様に目を見開いて驚きを露にしていた。

 あのローグハンターに妹がいたのか、どんな奴だと予想が始まっている。

 ローグハンターは額に手をやってため息を吐き、「あの馬鹿が……」と天を仰いだ。

 

「とにかく、わかった。上に行けば良いんだな」

 

「ええ。あまり待たせないで下さい」

 

「わかっている」

 

 妙に急かしてくる支部長に肩を竦めて見せ、銀髪武闘家に目を向けた。

 

「お前も来てくれるか」

 

「え~、お腹空いた~」

 

 既に朝食を貰おうと卓についていた彼女は不満を漏らすが、ローグハンターは譲るつもりもないのか「後で好きなだけ食べてくれ」と返した。

 

「もう、仕方ないなぁ」

 

 流石の銀髪武闘家とはいえ不服そうに立ち上がると、「なら、お酒も飲ませてね!」と提案した。

 いつものローグハンターなら、それを言われては引き下がる他なかっただろう。

 だが、彼は「今回は仕方ない」と即断した。

「え?」と銀髪武闘家が声を漏らすが、彼は「速く来い」と手短に返すのみ。

 逃げ道を塞がれては進むしかない。彼女は小さくため息を漏らすと、足早に彼の下へと向かう。

 

「それにしても、何で妹ちゃんが」

 

 二人で階段を登っていると、不意に銀髪武闘家が問いかけた。

 答えを持たないローグハンターは「わからん」と返す他ないのだが、彼には何となく理由を察することは出来ていた。

 今朝から感じる違和感の正体。妹に会えば、その正体もわかるかもしれない。

 ローグハンターは音をたてることなく階段を昇りきり、僅かに遅れていた銀髪武闘家に手を差し出す。

 彼女は「ありがとう」と笑みを浮かべて彼の手を取り、引かれる勢いのままに昇りきる。

 今日は随分と触れ合いが多いなと思いつつ、事実嬉しいことなので指摘はしない。

 昇級の面接を行うために、二人で何度も通ってきた廊下だ。

 上等なカーペットが敷かれた廊下は、冒険用の靴で歩くには少々柔らか過ぎる。

 足の裏に感じる独特な違和感を振り払いつつ、ひたすら前に進み、『応接室』と看板の下げられたドアの前で足を止めた。

 二人は目配せし、頷きあうと、ローグハンターはノックもなく問答無用でドアを開けた。

 バン!と音をたててドアが開かれると共に、

 

「お兄ちゃあああぁぁぁぁんっ!」

 

 世界を救った勇者が、ローグハンターの胸に飛び込んできた。

 彼は慣れた様子で彼女の小さな体躯を受け止めると、「今回は早い再会だな」と苦笑混じりに頭を撫でてやる。

 勇者は彼に頬擦りしながら、目を細めて気持ち良さそうに声を漏らしていたが、部屋の中から放たれた咳払いで意識を戻す。

 

「そうだ、お兄ちゃん!怪我とかしてない?」

 

「この通りだが、何か問題でも──」

 

 咳払いにつられる形で部屋を見たローグハンターは、その場で固まって思考を止めた。

 勇者がいるのだから剣聖と賢者がいるのは良い。二人は勇者の一党だろう。

 だが、しかし。

 

「お久しぶりです、ローグハンター様」

 

「ああ、久しぶりだな」

 

 彼の姿を認めた途端に、艶っぽい息を吐いた剣の乙女がいたのは予想外だ。

 僅かに狼狽えたようにローグハンターは返すと、彼女の体に目を向けた。

 いつものように黒い布で目元を覆い隠し、白い薄布で豊満な肉体を覆っている。

 覆っていると言っても、彼女の体を本当の意味で隠せているかは疑問が残る。

 応接室の上等なソファーに潰された臀部など、はみ出してしまいそうだ。

 ローグハンターは露骨にため息を吐くと、勇者を離して改めて室内を見渡した。

 勇者に始まり剣聖、賢者、剣の乙女、彼女の侍女たる武僧。

 ローグハンターを除いて全員が女性、それもかなりの美人にあたる部類だろう。

 並の男なら様々な妄想と共に生唾を飲み込む状況でも、ローグハンターは狼狽えない。後ろに恋人がいる状態で狼狽えたら、後が怖いからだ。

 入室したローグハンターは邪魔な装備をソファーに立て掛けてから腰掛けると、その隣に銀髪武闘家が腰掛けた。

 それを合図にして、ローグハンターがいつも通りに問いかける。

 

「それで、何事だ」

 

 開口一番、単刀直入の言葉に答えたのは剣の乙女だ。

 先程までの恋する乙女の表情は消え失せ、一人の冒険者として、大司教としての面持ちで告げた。

 

「先日、至高神から託宣(ハンドアウト)があったのです」

 

「また至高神か。今度は何だ」

 

 彼女の言葉にローグハンターはわざとらしく肩を竦めた。

 先日も至高神からの託宣で雪山に登ったのだ。これ以上の面倒は避けたい。

 だが、彼の第六感が告げている。今回は違う、前回の比ではないと。

 勇者も「僕も何だか嫌な予感がしたんだよね」と真剣な面持ちで言うと、ローグハンターも「俺もだ」と頷き返す。

 

「朝起きてから、どうにも落ち着かん。誰かから見られている気がする」

 

 彼は目を細めて言うと、銀髪武闘家は「見られてる?」と首を傾げて窓の外に目を向けた。

 朝一番の喧騒は昼ほどではないが騒がしく、人々の活気に満ちている。

 外を行き交う人々は皆生き生きとしており、怪しげな人物は見る限りいないように思えた。

 

「いつも通りに見えるし、何も感じないけど……?」

 

「ああ。相手は俺だけを見ている。お前は眼中にないか、目的ではないんだろう」

 

 ──なら、相手は誰だ。

 

 ローグハンターは顎に手をやって思慮を深めるが、彼の様子を見ていた賢者が氷のように冷たい声で問うた。

 

「最近、貴方を霊峰に飛ばした男とは会った?」

 

「今日は顔馴染みにしか会っていないが」

 

「今日だけじゃなく、最近で」

 

「一月前の都で会ったのが最後だ」

 

 ローグハンターが淀みなく言うと、賢者は「そう」と漏らして小さく俯いた。

 

「二人に何かしらの関係があるのは明白。文献からして、何かを求めている……?」

 

 ぼそぼそと呟きながら思慮を深める賢者を他所に、剣の乙女が「お話を戻しますわね」と身を乗り出した。

 たわわに実った双つの果実が揺れるが、ローグハンターは気にしない。

 彼が静かな事をこれ幸いと、剣の乙女は言葉を続けた。

 

「わたくしに降ろされた託宣(ハンドアウト)に関してお話ししてもよろしいでしょうか」

 

「ああ。また遠出することになりそうだな」

 

 ローグハンターが肩を竦めると、剣の乙女は「依頼ではないのです」と首を振った。

 

託宣(ハンドアウト)は、至高神様のお言葉ではありません。わたくしに見せて下さったのは、とある風景です」

 

 ──目も見えませんのに、おかしいと思うでしょう?

 

 彼女が自虐的にそう言ったが、ローグハンターは「思わん」と告げると彼女の黒布に包まれた見えざる瞳を覗きこんだ。

 間近に迫った彼の影に剣の乙女は思わず頬を赤く染めるが、彼は目を細めて告げる。

 

「何かが見えないとは、逆に本来なら見えない何かを見つけられるのと同義だと俺は思っているが」

 

 物心ついた頃から使えるタカの眼はまさにそれだ。敵や味方の位置や残した痕跡をはっきりと見せてくれるが、その外見などは見えなくなる。

 本人に自覚はないものの、剣の乙女の見えざる瞳とてそうだ。彼女には、タカの眼を持つ者(ローグハンター)を判別することが出来る。

 本来なら上の森人(ハイエルフ)にしか出来ない芸当を、只人である彼女が行っているのだ。おそらく他には誰もいないだろう。

 

「それで、お前の眼は何を見た」

 

 ローグハンターの問いかけに、剣の乙女は姿勢を正すとどこか遠慮するように、躊躇うようにゆっくりと口を開いた。

 

「……わたくしが見たのは、一言で言えば血の海でした」

 

 只人、森人、鉱人、蜥蜴人、圃人、獣人──あらゆる祈る者(プレイヤー)

 ゴブリン、デーモン、ガーゴイル、ドラゴン──あらゆる祈り持たぬ者(ノンプレイヤー)

 この世界に生きる者たちが、本来揺らぐことのない絶対の垣根を越えて結託し、何かに挑み、蹂躙させる。

 金色の両刃斧を担いだ牛頭の大男(ミノタウロス)、金色のハルペーを構える髪が蛇となった女(ゴルゴーン)、大槌や片刃の斧を持った単眼の巨人(キュクロープス)、一方的な問答の末に相手を殺す人面鳥(スフィンクス)

 その全てがこちらの常識が通用せず、ひたすらに殺して、殺して、殺す。

 そして金色の剣を掲げ、彼らを率いていたのは──、

 

「──貴方だったのです。ローグハンター様」

 

「……」

 

 剣の乙女の言葉にローグハンターは押し黙った。

 不機嫌そうに目を細めて何も言わず、静かに拳を握り締めるのみ。

 彼の反応に剣聖は僅かに驚きを露にし、賢者にいたっては僅かに殺気立っている。

 まともな人物なら、剣の乙女のような突拍子のない話をされた場合、まず間違いなく困惑するか、あるいは激昂するだろう。

 だが、彼にはその様子がない。まるで、そうなる()()()()()()()()()かのように、落ち着いている。

 剣聖と賢者がローグハンターに疑いの視線を向けている中、勇者が心配するように声をかけた。

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

「……ああ」

 

 彼女の声にローグハンターは僅かに遅れて反応を示したが、その声に動揺している様子はない。

 周囲から向けられる怪訝な視線にため息を漏らし、ローグハンターは告げた。

 

「俺たちでは計れん神々が見せたものだ。たまには間違うこともあるだろう」

 

 彼はそう言うと肩を竦め、再びため息を吐いた。

 

「俺は俺だ。西の辺境でならず者殺し(ローグハンター)と呼ばれている、しがない冒険者だぞ?」

 

 ──世界の命運とは程遠い場所にいる、ただの冒険者だ。

 

 彼はそう言うと、剣の乙女に目を向けた。

 僅かに苛立ちの込められた視線を感じ取った彼女は身を強張らせたが、ローグハンターは「で、どうする」と問いかけた。

「どうするとは?」と問い返すと、彼は「俺をどうするつもりだ」と言葉を重ねた。

 

「神殿に連行して牢に入れるか。それともこの場で首を落とすか」

 

「対処が極端すぎです!わたくしどもの目の届く場所にいてくだされば、それで良いのです」

 

「そうか」

 

 彼女の言葉にローグハンターはどこか安堵するように頷くと、「今からか?」とさらに問うた。

 剣の乙女が「今からですわ」と頷くと、そこに銀髪武闘家が横槍を入れた。

 途中から妙に静かだったのだが、その表情は見るからに不機嫌そうだ。

 

「調子良いですね。彼を混沌の勢力の手先みたいに言っていたのに」

 

「そ、それは……!」

 

「それに、監視するにしたっていつまでですか?また神様から託宣が来るまでですか?」

 

「そ、そのつもりです」

 

「いつ来るかもわからないのに?」

 

「それでもです!」

 

 剣の乙女を追い詰めながら、銀髪武闘家は彼の腕に抱きついた。

 その豊満さ故に鎧に押し込めぬ双丘が彼の二の腕を包み込み、形を歪ませた。

 勇者の口から怨嗟の唸り声が漏れる中、彼女は凛とした面持ちで言う。

 

「とにかく、どこに行くとしても私も行く!彼の隣が私の居場所なのよ!」

 

 剣の乙女を前にしても怯む様子を見せない彼女の気迫は、それこそ魔神将が如くだ。

 彼女の圧に押された剣の乙女は「か、構いませんっ」と僅かに苛立ち上擦った声を漏らし、ローグハンターは思わず苦笑。

 

「なら、ぼくも!」

 

「あなたには仕事があるでしょう」

 

 勢い良く立ち上がって宣言した勇者を、剣聖が一言でぶった斬ると、賢者は「いや、今回は勇者に賛成」と賛同の意を示した。

 そしてローグハンターに目を向け、冷たく睨みながら告げる。

 

「間違いなく彼が鍵。離れたら危険」

 

「むぅ……」

 

 まさかの裏切りにあった剣聖が腕を組んで不服そうに唸ると、隣の勇者は「やった!」とガッツポーズ。

 先程までの重苦しい空気はどこへやら、部屋には妙に軽い空気が流れ始めた。

 ローグハンターは「なら、決まりだな」と告げて立ち上がり、外した装備を付け直す。

 

「下で一党を待っている筈だ。あいつらにも伝えてくる」

 

「かしこまりました。では、準備が終わり次第、ギルド裏の馬車までお越し下さい」

 

「わかった」

 

 剣の乙女の言葉にローグハンターは一度頷き、銀髪武闘家を連れて部屋を後にする。

 二人の背を見送った剣の乙女はほとほと疲れ果てたように息を吐き出し、勇者たちも顔を見合わせて小さく息を吐いた。

 

「いや~、お兄ちゃん怒ってたねぇ」

 

「あそこまで疑われれば、怒るのも当然かと」

 

「むしろ戦闘になってくれれば楽だったのに」

 

 勇者の一党が軽く言葉を交わす一方で、剣の乙女の表情はいまだに優れない。

 彼と彼女の関係を見せつけられたからか。それもある。だが、原因は胸に渦巻く不安と違和感だ。

 何かが決定的な何かが欠けている。でも何が足りないのかがわからない。

 

「……とにかく、急いで準備をしませんと」

 

 剣の乙女は不安を振り切るように言葉を漏らすと、表情を引き締めた。

 

 

 

 

 

 応接室から出たローグハンターと銀髪武闘家の二人は一階には直行せず、廊下の中央で立ち止まっていた。

 正確にはローグハンターの腕を銀髪武闘家が掴み、足を止めているのだ。

 その状態でも二人は口を開かずにいたが、不意に銀髪武闘家が口を開いた。

 

「キミはさ、いなくならないよね……?」

 

 彼女の心を占めているのは不安だ。剣の乙女の言葉を鵜呑みにするわけではないが、あの話を聞いてから妙に胸がざわつくのだ。

 ローグハンターはゆっくりと振り返り、泣き出しそうな彼女の頬を撫でた。

 いつも通りの温かさと優しさの込められた彼の手にすり寄り、甘える猫のように目を細める。

 

「さっきお前が言ったように、俺の居場所はお前の隣だ。どこにも行く気もない」

 

 ──だから、お前もどこにも行くな……。

 

 彼は消え入りそうな声でそう言うと彼女の頬を一撫でし、名残惜しそうに手を離した。

 

「さっさと下行くぞ。朝食──は無理だろうが」

 

 ローグハンターはそう言うと踵を返して歩き出し、銀髪武闘家は「そっかぁ……」と肩を落として彼の後に続いて歩き出した。

 歩き慣れた廊下を進んで階段を下り、先程以上の喧騒に包まれた冒険者ギルド一階にたどり着く。

 

「先生!依頼ですか?」

 

 上から二人が降りてきた頃を見計らい、令嬢剣士が声をかけた。

 彼女は女魔術師、そして新米──と呼ぶのは失礼か──剣士たち、そして彼らの一党に加わった白兎猟兵が囲んでいた卓から離れ、彼の下を目指して小走りで走り出す。

 隣の卓にはゴブリンスレイヤーらが座り、いつも通りに依頼を受けようとしているのか話し合っていた。

 受け付けには荷物を運んできたのだろう牛飼娘がおり、受付嬢と楽しげに話し込んでいるようだ。

 見た目はいつも通りだが、それもすぐに一旦終了となる。いつ再開するのかはわからない。

 ローグハンターは子供のように無邪気な笑顔を浮かべる令嬢剣士の姿に苦笑し、銀髪武闘家を連れて歩み寄ろうとした瞬間。

 

 ──彼の第六感が、迫りくる危機を知らせた。

 

「ッ!」

 

 小さく目を見開くと共に、彼は動き出した。

 高まり続ける身体能力を瞬間的に発揮し、ギルドの床板を砕きながら飛び出し、全力で加減しながら令嬢剣士の腹を蹴り抜く。

 

「かっ!?」

 

 彼の跳び蹴りを直撃した令嬢剣士は、肺の空気を吐き出しながら弾き飛ばされ、勢いのままにギルドの壁に叩きつけられる。

 

「な!?あんた、いきなり何して──」

 

 異常を察した妖精弓手が、謎の行動を侵したローグハンターに食って掛かろうとした時だ。

 令嬢剣士がいた場所に、金色の雷電龍が突き刺さった。

 ギルドの天井を貫いて床に突き刺さった雷電龍が咆哮をあげ、凄まじい衝撃と轟音がギルドを駆け抜け、寝ぼけていた冒険者たちを叩き起こし、銀等級冒険者たちは一斉に武器を構えた。

 肌を突き刺す気配は、雑多の悪魔(デーモン)の比ではない。

 目の前にいる誰かとの技量(レベル)差を肌で感じ、額に珠のような脂汗を浮かべる冒険者たちを他所に、その誰かは顎に手をやり声を漏らす。

 

「ふぅむ……。初めての場所への高速移動(ファストトラベル)はやはりずれるな。正確にマークしなければ駄目か」

 

 雷電龍が突き刺さった場所にいたのは、白いローブを纏った一人の男だった。

 目深く被ったフードには嘴を模した意匠が施され、白で統一されたローブに反して腰に巻かれた布は血のように赤い。

 端から見れば聖職者に見えるが、三枚の板金が取り付けられた籠手が左腕を包み込み、右手には金色に輝くが剣が握られているためその予想は除外。

 見るからに戦士(ファイター)。それも相当な手練れだ。

 何者かの正体の様子を探る冒険者たちを他所に、銀髪武闘家がその場にへたり込んだ。

 確かに雷は令嬢剣士のいた場所に落ちた。だが、彼に蹴り飛ばされたから無事なのだ。視界の奥には咳き込みながらも立ち上がろうとしている彼女の姿がある。

 では、彼は?彼女を救ったローグハンターはどうなったのだ。

 その答えは、既に彼女の視界に映っていた。

 白いローブに身を包んだ男性の足元。体のあちこちから煙をあげ、白目を剥いて気絶している彼の姿。

 だが不思議と装備が壊れた様子はなく、煙をあげているのは彼の肉体だけだ。

 彼女は親に置いていかれた迷い子のように、愛する彼に向けて手を伸ばすが、足元で伸びているローグハンターに気付いた白いローブの男性は笑みを浮かべた。

 

「──迎えに来たぞ、我が名を継ぐ者よ」

 

 

 

 

 




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Memory02 前哨戦

 辺境の街、冒険者ギルド。

 本来なら冒険者たちの喧騒に包まれるその場所は、今は静寂に包まれていた。

 様々な職人の手により建てられた冒険者ギルドには、縦から貫くように風穴が開き、そこから寒空の冷気が流れ込む。

 

「──迎えに来たぞ、我が名を継ぐ者よ」

 

 吹き込む風で白いローブをなびかせるアサシンは、足元に転がるローグハンターに告げた。

 

「ゴブリンの巣穴を放っておけなくてな。見つけたものを全て崩していたら、随分と遠回りをしまった」

 

 気絶しているため答えないローグハンターを他所に、彼は雄弁にそう語った。

 咄嗟に受付の影に身を隠した受付嬢は、彼の言葉に合点がいき、手にしていた依頼書の束に目を向けた。

 普段に比べて依頼書が少なかったのは、あの謎の人物(アサシン)が問題を解決して回っていたからだろう。

 

「神々の用意した物語(シナリオ)を崩し、影響力を削ぎ落とし、やがて従服させる。やっていることは昔と変わらないだろう?」

 

 足元に転がるローグアサシンに言い聞かせるように言うが、気絶している事に気付いて苦笑を漏らし、「まあ、話は向こうでしよう」と手を伸ばした。

 何かしらの目的を持ってこの場に来たのは確実。そして、彼の狙いは──!

 

「ちっ!」

 

 舌打ちと共に真っ先に動いたのは、辺境最高とまで呼ばれる重戦士だった。

 相手の意図はわからない。だが、今の攻撃(・・)は確実に相手を殺すに足る威力のものだ。

 ローグハンターではなく、令嬢剣士が直撃していたと考えればぞっとする。

 まずは友人(ローグハンター)の保護、次に相手の出方を見る。

 その為の初撃。目的二つを果たすためには、どうにか相手の隙を作るしかない。

 ギルドの床板を軋ませながら大きく踏み込み、全体重を乗せて彼の象徴たるだんびら(・・・・)を叩きつける。

 

「オォラッ!」

 

「む……」

 

 だが、アサシンはまるで他人事のように声を漏らし、右手の金色の剣をだんびらに合わせるように差し出した。

 瞬間響き渡ったのは耳をつんざく金属音。大銅鑼を殴り付けたような音が、辺境の街の朝を駆け抜ける。

 冒険者たち──特に森人に類する者たち──は一斉に耳を塞ぎ、体を強張らせるが、重戦士は違う。目を見開き、僅かに痺れる自分の両腕と、微動だにしないだんびらに目を向けた。

 受け止めたのはアサシンが差し出した金色の剣だ。

 それは良い、ローグハンターの扱うものと似ているから、あれも魔剣の類いだろう。

 だが、そうだとしても──。

 

「片手で止めるか……!」

 

「ほぉ……」

 

 全力の一撃を止められた重戦士は苦虫を噛んだような表情で言葉を漏らすと、対するアサシンは僅かに驚いたように息を吐いた。

 右腕に僅かに痺れを感じる。完璧に受け止めた筈だが、やはり受け流すべきだったか。

 だが──と、アサシンは自分の足元に目を向けた。

 下手に受け流せば、この一撃でローグハンターの頭蓋を砕いていただろう。故に受け止めるしかなかった。

 後ろ向きだった思考にそう修正を加え、タカの眼を発動して目の前の男との技量(レベル)差を確かめる。

 敵を示す赤い人影とは別に浮かび上がったのは、強敵を示す赤い数字(レベル)でも、危険を示すドクロでもない。同格か格下を現す白だ。

 

「──何の問題にもならなんな」

 

 アサシンはそう呟くと共にだんびらを片手で跳ね上げ(パリィ)、無防備に晒された腹に追撃の一撃を放たんと刃を返すが、

 

「させんっ!」

 

 重戦士の影から女騎士が飛び出し、両手剣による刺突を放つ。

 本来持つべき盾を捨て、右手で柄を、左手を柄頭に添えた、文字通り防御を捨てた渾身の一撃。

 女性特有のしなやかさにより繰り出される刺突の速度は、並の冒険者なら見えないだろう。

 だが、相手は並の冒険者の枠には納まらない例外(イレギュラー)だ。

 アサシンは明確な攻撃動作に入っていたにも関わらず、瞬き一つの間に防御態勢へと移行する。

 半歩下がって間合いを僅かに開き、女騎士の放った刺突を金色の剣で受け流し、能力(アビリティ)を発動。

 金色の力の込められた前蹴り(スパルタキック)を、女騎士の腹へと叩き込む。

 

「かはっ!」

 

「チィ!」

 

 女騎士は肺の空気を残さず吐き出し、彼女を受け止めんと体を差し込んだ重戦士の巨体を巻き込む形で吹き飛ばされた。

 重戦士は女騎士の体を受け止めながら踏ん張り、床板に踵をめり込ませながら勢いを殺しきる。

 

「大丈夫か?」

 

「げほっ!げほっ……!ああ、何とかな」

 

 念のためと彼女の無事を確認すると、僅かに掠れた声で返された。

「そいつは重畳(ちょうじょう)」と頷き、アサシンを睨み付ける。

 睨まれた彼が煽るように肩を竦めた瞬間、

 

「シッ!」

 

 一陣の風となった槍使いが疾走した。

 まことの銀(ミスリル)により鍛えられた穂先が銀色の残光を残し、アサシンに槍を放つ。

 突き、薙ぎ、振り下ろし、振り上げ、袈裟、逆袈裟。

 瞬きする間もなく放たれた十数の攻撃は、どれもアサシンを捉える事はない。

 十分な余裕を持って避けられ、時には金色の剣に阻まれ、少しずつ反撃(カウンター)が挟まれ始めた。

 

「良い技だが、まだまだだ……」

 

 アサシンはそう呟くと共に、再び能力(アビリティ)を行使する。

 槍使いの攻撃を合間を縫う形で金色の剣を地面に突き立て、衝撃波を伴った閃光(混沌の輪)を放つ。

 強烈な閃光と不可視の打撃に全身を殴り付けられた槍使いは鼻血を垂らしながら片膝をつき、追撃の前蹴り(スパルタキック)を無防備に直撃することとなった。

 低級の悪魔(デーモン)であろうと蹴り殺す一撃を受けた槍使いは、その勢いのままにギルドの壁へと叩きつけられるが──。

 

「……いってぇな、ちくしょう!」

 

 悪態をつきながらすぐに立ち上がった。

 アサシンは思わず目を疑ったが、視界の端に映る魔女の姿を捉えて納得した。

 彼女の手には光輝く杖を構えており、何かをした事は明白。

 彼は「なるほど」と頷いて目を細め、思慮を巡らせる。

 銀等級冒険者が何の策もなしに飛び込んでくるとは考えにくい。

 あまり詳しくはないが、魔術には極小の盾を生み出すものや、防御力を高めるものもあるだろう。

 だが、間合いを開いた事に変わりはない。本来の目的を果たさんと足元に目を向けるが──。

 

「簡単にはいかないか……」

 

 目的たるローグハンターがいない。

 タカの眼を発動して視線を巡らせ、すぐに見つけた。

 ギルド端の卓。冒険者たちに囲まれた奥に匿われている。

 ギルドの外まで連れ出せなかったのか、あるいはその選択が出来なかったのか、どちらにせよ逃げられていないのなら良い。

 

「申し訳ないが、諸君らに用はない」

 

 相手を威圧するように、アサシンは武器を手にする冒険者たち、そして受付の下に隠れたギルド職員たち、巻き込まれた依頼人や商人たち(罪なき者たち)にタカの眼光を放ちながら告げた。

 

「そこの男──ローグハンターだったか?彼を渡してくれると大変助かるんだが……」

 

 眠るローグハンターを手で示しながら言うと、彼を囲む冒険者──ゴブリンスレイヤーの一党だ──は身構える事を返答とした。

 アサシンは「そうか……」と呟きながら顎に手をやり、「どうしたものか」と言葉を漏らした。

 

「ちょっと、あんた!」

 

「なんだ」

 

 そんな彼に声をかけたのは、怒りで表情を歪めた妖精弓手だ。

 可愛い妹分である──と彼女は思っている──令嬢剣士を事故かもしれないが殺しかけ、今後冒険に連れ出す予定の友人であるローグハンターを半殺しにされたのだ。怒りを露にするのは当然のこと。

 自慢の長耳をぴんと張り、大弓につがえた矢は今すぐにでも放てるようにアサシンへと向けられている。

 

「アルタイルと同じ格好に、薬指がない左手。あんた、何者よ!」

 

 返答次第によっては、彼女は躊躇うことなく矢を放つだろう。

 アサシンは「アルタイル?」と彼女の言葉を反芻し、納得したように頷いた。

 

「アル・ムアリムが可愛がっていた小僧の名がそんな名だったと思うが、知り合いか?」

 

 そうして妖精弓手に確認を取るが、彼女は「アル・ムアリム?」と首を傾げるのみ。

 無駄な質問だったとため息を吐き、「本題に戻るぞ」と頭を掻いた時だ。

 

「とぅっ!」

 

 何とも気の抜けた声が頭上の穴から発せられ、小さな影が飛び降りてくる。

 アサシンは露骨にため息を吐き、「面倒な事になったな」と左右に首を振った。

 同時にギルド一階に降り立ったのは、黒髪の少女だ。

 腰に帯びる剣は闇を(はら)う光の聖剣。

 その身に纏うは幾重もの守りの(まじな)いが施された鎧。

 彼女の本名を知る者はいないだろう。

 それでも、彼女の名の事を知らない者はいないだろう。

 少女は黒髪をなびかせ、光の聖剣を抜き放つ。

 

「勇者、推参っ!」

 

 その声に確かな怒りを込めて、彼女はアサシンを睨み付けた。

 彼女に遅れるように剣聖と賢者も二階から飛び降り、勇者の背後に陣取る。

 世界を救った三人の出現に、アサシンはフードの下で目を細めた。

 タカの眼に映る数字は勇者のみが(・・・・・)赤いものだ。最も警戒すべきは彼女だが、他二人も警戒しない訳にはいかない。

「勇者、勇者だと?」と騒ぐ辺りの喧騒を他所に、アサシンは金色の剣を肩に担ぎながら顎を擦った。

 

「随分と早い登場だ、勇者殿。参考程度になぜこの街に来たのか聞いておきたいのだが」

 

たまたま(クリティカル)だよ!」

 

 勇者がアサシンを指差しながらそう告げると、彼は嫌悪感を露にするように眉を寄せた。

 

「……神々に愛される勇者()なだけはある」

 

「何だか馬鹿にされてないかな!?」

 

 アサシンの一言に勇者が身を乗り出して噛みつくが、彼は気にした様子もなくローグハンターに目を向ける。

 

「ふむ……。難易度は上がる一方だな」

 

 目的は不明だが、ローグハンターを狙っている事は明白だ。勇者が現れた状況でも諦めた様子はない。

 

「気配から察するに、外の民間人の避難をしている者がいるな」

 

 ──なら、急がねばならん。

 

 アサシンは勇者を睨みながら告げると、雷鳴と共に姿を消した。

 果たして、彼の動きが見えた者は何人いたのだろうか。

 果たして、見えたところで反応出来た者は何人いてのだろうか。

 人は天を駆ける雷を見ることは出来たとしても、それを避ける事も止める事も出来はしないだろう。

 避けようとした所で体を貫かれ、止めようと腕を伸ばした所で焼かれるに過ぎない。

 だが、物事には必ずと言って良いほどに例外が存在する。

 人であるなら雷は避けられない。人であるなら雷は掴めない。だが、規格外たる勇者ならば──。

 

「こんのぉっ!」

 

 真っ正面から、弾き返すのみ!

 勇者が刹那的に振り抜いた聖剣が太陽の残光を残し、自らに飛びかかってきた雷と衝突する。

 雷と太陽が衝突した瞬間、凄まじい衝撃波がギルドを揺さぶった。

 丁寧に並べられた卓の大半が宙に投げ出されると共にひっくり返り、卓上に並べられていた料理を床へとぶちまける。

 窓に張られた硝子はその全てが打ち砕かれ、輝く雨となってギルドの外へと降り注いた。

 被害はギルドだけには留まらず、その衝撃は辺境の街を駆け抜けていった。

 近くの建物の窓硝子は例外なく砕かれ、屋根瓦も吹き飛ばされていく。

 全身を殴り付けるような衝撃に、冒険者たちは思わずたじろぎ、一部の駆け出し冒険者や、運悪くギルドに居合わせた商人、依頼人などはそれのみで気を失う。

 

「無事か」

 

「だ、大丈夫……っ」

 

 咄嗟に牛飼娘を庇ったゴブリンスレイヤーが振り向かずに確認を取り、緊張している様子の彼女の声を聞いて安堵の息を吐いた。

 だが、円盾を構えた左腕の感覚が鈍い。衝撃波だけでも諸に食らえば、意識を失いかねないだろう。

 どたどたと人が倒れる音を耳にしつつ、勇者は額に脂汗を浮かべ、雷に代わって目の前に現れたアサシンを睨み付ける。

 街中だからと加減して振ったものの、今のでアサシンに痛痒(ダメージ)が入った様子はない。

 押し合う光の聖剣と金色の剣が火花を散らし、漏れた力がギルドの床にヒビを入れていく。

 

「立ち塞がるは太陽。これも因果か……」

 

 アサシンは僅かに目を伏せて意味深に言うと、勇者に告げる。

 

「今さらではあるが、私は相手が女子供であろうと容赦はしない。剣を引くなら今だが」

 

 まるで勇者など相手ではないと言わんばかりの言葉に、流石の彼女もむっと不服そうな表情を浮かべた。

 何より、男の狙いは最愛の兄だ。今さら引き下がれなど──。

 

「お断りだよっ!」

 

 彼女はそう宣言し、己の半身たる聖剣に力を込める。

 彼女の想いに応じるように金色の剣を押し返さんと、太陽の輝きを更に強めていく。

 少しずつ押され始めたアサシンは彼女の力に「ほぉ」と感嘆にも似た息を漏らし、口許に笑みを浮かべた。

 

「誰かを護らんとする意志は、確かに人の力を最大限に引き出すだろう」

 

 彼はそこまで言うと、笑みを崩して表情を無くした。

 まるで機械のように感情を感じさせぬ面持ちで、彼は歯を食い縛る勇者に向けて告げる。

 

 ──だが、その強さは偽りだ。

 

 彼がそう告げた瞬間、勇者の体が浮き上がった。

 

「……へ?」

 

 戦闘中にあまり感じる事のなかった感覚を前にして、勇者の口から間の抜けた声が漏れる。

 彼女の下には雷を纏った金色の剣を振り抜いたアサシンがおり、手にしていた光の聖剣はあらぬ方向へと弾き飛ばされていく。

 アサシンは彼女を見上げ、追撃を放たんと金色の剣の刃を返すが、

 

「させません!」

 

 そこに剣聖が割り込む。

 ローグハンターと共に挑んだ肉塊との戦いでぼろぼろになった剣は既になく、彼女の手にあるのは業物の一振りだ。

 かつて振っていた物と同じ重さ、同じ握り心地だが、その刃はさらに研ぎ澄まされ、前の剣の切れ味を大きく越えている。

 変わらず片刃なのは、彼女の戦い方(スタイル)にあっているからこそだろう。

 世界でも指折りの強者たる彼女の一閃を、アサシンはどこか余裕を持ちながら避け、追撃に放たれた更なる一閃は金色の剣で受け止める。

 剣聖は無理やり押し切らんと力を込めるが、悪魔(デーモン)を越える凄まじいまでの硬さに思わず唸る。

 

「ぬぅ……っ!」

 

「どうして、この世界の女というのはここまで強いのだ……!」

 

 アサシンは心の底から忌々しそうに吐き捨て、ちらりと賢者──彼としてはそう呼ぶのも(はばか)られるが──に目を向けた。

 ぼそぼそと何かを呟き、その度に彼女の杖の輝きが増している事から、あと数秒で術が完成する事は明白。

 

「面倒だな……」

 

 アサシンはそう呟くと共に金色の剣の角度を変え、競り合っていた剣聖の刀を受け流し、空いている左手を背に回す。

 アサシンとしての基本中の基本。左右どちらの手でも、それ(・・)を使えるようになるべし。

 並のアサシンが扱った所で、それ(・・)は牽制程度にしかならないだろう。

 並の冒険者では、まず扱おうとすらしないだろう。

 だが、それを主人公(化け物)クラスのアサシンが、最も得意とする対人戦の中で扱えば、結果はどうなるか。

 流れるような動作で放たれたそれは、詠唱中の賢者に一直線に飛んで行き、彼女の豊かな胸元に突き刺さらんとするが、

 

「させぬ!」

 

 割り込んだ蜥蜴僧侶が、豪腕の一薙ぎでそれ(・・)を払い落とした。

 甲高い金属音と共に弾かれたそれ(・・)は床に突き刺さり、その正体を現した。

 それは世に言う『投げナイフ』だった。細く鋭いそれは、硬い甲殻を持つ魔物を相手にする冒険者たちではあまり使われぬ代物。

 だが、それは丁寧に手入れをされているのか、その細い刀身には汚れ一つなく、鏡のように磨き上げられている。

 それを鎧も纏わぬ人に向ければ、それは純粋なまでの凶器でしかない。

 アサシンの技量であれば、当たれば致命傷(クリティカル)間違いなし。相手を即死させるものだろう。

 

「しかし、拙僧の鱗の抜くには威力不足ですな」

 

 在野最高、銀等級冒険者たちを前にして、狙った相手に当たればの話だが。

 投げナイフを払い落とした蜥蜴僧侶は、当たった場所をぽりぽりと掻き、ぐるりと目玉を回した。

 一世一代の雄たらんとする蜥蜴人が、自分より格上の相手に挑まぬ道理なし。

 加えて、肩を並べる友人たちや、後に続く同胞(はらから)たちを守れるのだから、胸を張らずしてどうする。

 彼が得意気にしゅるりと鼻先を舐めると、アサシンは一旦後方に飛び退き、体勢を整えた剣聖との間合いを開く。

 

「多勢に無勢とはこの事だな。あのお方の指示は難題ばかりで困る」

 

 苦笑混じりにそう呟き、改めてギルド内に視界を巡らせた。

 銀等級冒険者のみならず、白金等級の勇者までいるのだ。外の避難が終わるまでに彼を連れ出せなければ、限りなく死が近づくだろう。

 

「仕方がない」

 

 時間が限られているとはいえ、やることはたったの一つ。

 この世界に転がり込むよりも前から行っていた、いつも通りの行程だ。

 アサシンは金色の剣を高々と掲げ、刀身に雷を纏わせる。

 冒険者たちが一様に警戒を深める中で、大気を焼き焦がす雷光を背にしたアサシンは、口許に獰猛な笑みを浮かべた。

 

「さあ、冒険者諸君」

 

 ──抗ってみせろ……!

 

 彼はそう告げると掲げた金色の剣を逆手に持ち替え、床板に突き立てた。

 瞬間、再びの雷がギルドに打ち据えられた。

 衝撃でひっくり返っていた卓が再び打ち上げられ、再び床に叩き付けられた。

 ばきばきと悲鳴をあげながら壊れていく卓には誰も目を向けず、落雷の落下地点。アサシンのいた場所に目をつける。

 舞い上がった煙が金色の斬撃が切り裂き、彼の姿を露にした。

 見た目に変わった様子はない。だが、明確に言えることが一つ。

 

「これ、やばいかな……」

 

 勇者は額に流れる汗をそのままに、聖剣を握る両手に力を入れた。

 今まで感じた事のない重圧(プレッシャー)

 限界まで近くに感じる死の気配。

 先程までのそれが児戯だったかのように、アサシンの放つ圧が跳ね上がったのだ。

 それを感じたのは勇者だけではない。剣聖が、賢者が、ゴブリンスレイヤーが、槍使いが、重戦士が、魔女が、女騎士が、その場にいる全ての冒険者が感じていた。

 

「《伶盗龍(リンタオロン)の鈎たる翼よ。斬り裂き、空飛び、狩りを為せ》!!!」

 

 その中でも、蜥蜴僧侶は仲間たちを鼓舞するように『竜牙刀(シャープクロー)』の奇跡を嘆願し、その手に無骨な鉤爪状の骨刀を出現させる。

 相手はこちらを恐怖させるまでの強者。ならば、その相手に挑むことこそが彼の誇り。彼の信条(クリード)だ。

 

「偉大なる我が父祖よ!我が戦働きを御覧あれ!」

 

 誇り高き先祖への祈りを込めて、喉を振るわせて怪鳥音を響かせながらアサシンへと躍りかかる。

 決して鈍ることのない骨の刃が、いまだ反応を示さすアサシンの首を跳ねんと振るわれるが──。

 響いたのは、金属音にも似た甲高い音だった。

 蜥蜴僧侶はその目を有らん限りに見開き、自らの目と腕を疑った。

『竜牙刀』は確かにアサシンの首を捉えている。いや、捉えている筈なのだ。

 なのに、なぜ──!

 

「これは……っ!」

 

『竜牙刀』の刃が不可視の何か(ライフシールド)によって受け止められ、アサシンの首に届いていないのだ。

 

「勇敢と無謀は違うぞ、誇り高き者よ」

 

 アサシンはもはや冷酷なまでに告げ、豪快なアッパーカットで蜥蜴僧侶の顎を撃ち抜いた。

 鱗を砕く湿り気のある音の混ざった快音が響き、彼の巨体を一撃の下に地に伏せさせる。

 ただの拳なら蜥蜴人たる彼を撃破など出来ないだろう。だが、今のアサシンの拳は不可視の何か(ライフシールド)に包まれている。

『竜牙刀』を受け止める強固な鎧を纏った拳は、無造作に振るうだけでも凶器に足るものだ。

 むしろそれで撃ち抜かれて尚、頭の形が残っていると称賛されるべきなのだ。

 

「鱗の!」

 

 鉱人道士が叫んだ所で、蜥蜴僧侶が返すことはない。

 顎から流れる血がギルドの床板に広がり、さながら池のようだ。

 

「こんのっ!」

 

 鉱人道士の声にハッとしたのか、妖精弓手が悪態をつきながら矢を放つが、アサシンに当たる直前に不可視の何か(ライフシールド)によって弾かれる。

 

「矢避けの加護!?」

 

「少し違うな」

 

 妖精弓手の口から漏れた驚きの声に否定の言葉で返し、アサシンは無造作に金色の剣を向けた。

 瞬間、雷が迸り、解き放たれた雷電龍が妖精弓手へと襲いかかる。

 先程述べたように、いかなる生物でも雷を避けることは不可能だ。

 だが、超自然の力でなら止める事は出来るだろう。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 咄嗟に飛び出した女神官が、震える手で錫杖を握り締め、『聖壁(プロテクション)』の奇跡でもって対抗せんとした。

 仲間を護らんとする彼女を神が見捨てる様子もなく──むしろいつも以上に乗り気な様子で──不可視の壁を顕現させた。

 咆哮をあげた雷電龍が『聖壁』へと正面から激突し、更に咆哮をあげる。

 少しずつヒビが入り始める不可視の壁を前に、額に浮かぶ汗をそのままに更に深呼吸を一つ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!!!!」

 

 一度で駄目ならもう一度。これを防がねば、彼女だけでなく周辺の冒険者が皆死ぬのだ。何がなんでも防がねばならない。

 先程以上の気迫で放たれた詠唱に、優しき地母神は驚きながらも気丈に応える。

 ヒビの入った『聖壁』は修復され、神々しいまでの光を放った。

 咆哮をあげていた雷電龍はついに怯み、低く唸りながら姿を消す。

 

「っはぁ!はぁ……!はぁ……っ」

 

 女神官は荒れた息を整えようとするも、力が抜けてその場にへたり込んだ。

 小さな肩を上下させて懸命に呼吸し、(きた)る追撃に備えなければならない。

 きっと睨むようにアサシンへと目を向けると、彼は僅かに関心するように小さく笑んだ。

 

「人の意地というのは、いつ見ても良いものだな」

 

 肩を竦めてそう言った瞬間、背後から脳天にだんびらが叩き付けられ、喉に両手剣の切っ先が、胸には槍の穂先が突き刺さった。

 その全てが不可視の鎧(ライフシールド)に阻まれるが、あまりの重量に僅かに体が沈む。

 

「後輩にあそこまでされちまうと、俺らだってな!」

 

「ああ!秩序にして善なる私が成敗してくれる!」

 

(つえ)え奴に挑まないで、何が最強だってな!」

 

 小柄な少女が見せた意地は、銀等級冒険者たちを焚き付けるのに充分なものだった。

 だが、先輩としての意地だけでどうにかなるのかと問われれば、答えは否だ。

 アサシンは銀等級三人に目を向け、やれやれと左右に首を振った。

 

「勇敢と無謀は違うと──」

 

「んなこと百も承知なんだよっ!」

 

 槍使いが言うや否や、三人は蜘蛛の子を散らすように一斉に散った。

 急に体が軽くなった為か、アサシンは僅かに体勢を崩すが、そこにすかさず片刃が叩き付けられた。

 再び鳴り響く金属音で鼓膜を震わせつつ、剣聖は目を細めた。

 相手が体勢を崩した絶好のタイミングであったにも関わらず、相手には一切の痛痒(ダメージ)がない。

 その結果に剣聖は表情をしかめ、思わず舌打ちを漏らす。

 賢者が結界を張り終えるまで数分。

 それまでは相手をここに縛り付けなければならない。

 

「──と、思っているのだろう?まあ、張られた所でどうにもならんと思うが」

 

「やってみなければわかりません!」

 

 アサシンの言葉に剣聖は気丈に返すが、「そうか」と冷静に言い返される。

 瞬間振り抜かれた金色の剣の一閃を、上体を逸らして鼻先を掠めるほどの紙一重で避けてみせた。

 逸らして勢いでその場を飛び退くと、魔女の放った『力矢(マジックミサイル)』がアサシンへと殺到する。

 そのいずれも彼の不可視の鎧(ライフシールド)を抜くことはないが、舞い上がった煙がその視界を一時的に潰す。

 

「今のうちに堅気の連中連れ出せ!あと、腕に自信のない奴は避難誘導に回れ、良いな!」

 

『お、おう!』

 

 槍使いの怒号にも似た指示に、冒険者たちは一斉に応じた。

 ギルド端に集められていた商人や依頼人たちを担ぎ、一斉に外を目指して走り出す。

 重戦士と鉱人道士は煙からはみ出る蜥蜴僧侶の尻尾を掴み、半ば無理やり引きずり出した。

 アサシンはタカの眼を通して全てを見ていた訳だが、自分には関係ないと見逃してやる。

 むしろ邪魔者が消えてくれるのなら重畳だ。

 

「こいつを頼めるか」

 

 不意に、ゴブリンスレイヤーはかつて新米剣士と呼ばれていた青年剣士の一党に声をかけた。

 牛飼娘を示しながら出された指示に、青年剣士たちは青くなった顔色のまま頷いた。

 

「ちょ、ちょっと待──」

 

「待ったは無しだ。頼む」

 

「は、はい!」

 

 有無を言わさぬゴブリンスレイヤーの指示に、女武闘家は頷き、牛飼娘の手を取った。

 

「待って、キミは!?」

 

「必ず戻る。牧場で待っていろ」

 

 涙を浮かべる彼女に向け、ゴブリンスレイヤーは兜越しに赤い瞳を向けた。

 いつもならどこか狂気を感じさせるその瞳も、彼女を前にすれば優しげな光が灯る。

 

「──帰ったら、またシチューが食いたい」

 

 突拍子もなく放たれた言葉に、牛飼娘は思わず目を見開いて驚くが、祈るように両手を組んで気丈に振る舞ってみせた。

 彼はいつもどこかに行ってしまう。なら、自分に出来るのは待つことだけだ。

 

「……うん。わかった」

 

 それを知っているから、彼女はそう言うことしか出来ない。

「待ってるからね」と確認すれば、彼からは「ああ」といつも通りに返してくる。

 彼の様子に安堵しながら、牛飼娘は「お願いします」と女武闘家に頭を下げた。

「こっちからどうぞ!」と割れた窓から破片を払っていた青年戦士が声を出し、至高神の聖女と女武闘家が牛飼娘の腕を引いてギルドから飛び出していった。

 最後に殿の青年剣士がギルドから飛び出せば、とりあえずの避難は完了だ。

 これで、堅気の人物はいない。ギルド職員たちも、裏口から逃げていることだろう。

 周囲の避難状況こそわからないものの、これで最低限の遠慮はいらないだろう。

 

 ──彼に勝てる可能性が最も高いのは誰か。

 

 その場に残った冒険者たちの思考に浮かんだのは、一人の少女の姿。

 彼女は深く息を吐き、太陽の光を纏った聖剣をアサシンへと向ける。

 その面持ちには年不相応の覚悟の色が濃く、何がなんでも倒すと言う彼女の強い意志を周囲に知らしめた。

 銀等級冒険者たち、そして剣聖は頷きあい、彼女の援護に全力を注ぐことを決める。

 

「……術式、完成」

 

 不意に賢者が口を開くと、ギルドを覆う半球体の力場が形成された。

 並大抵ではなく、規格外の怪物すら封じる結界がようやく完成したのだ。

 それを肌で感じ取ったアサシンは笑みを浮かべ、相変わらず寝かされているローグハンターへと目を向けた。

 彼を連れ出せば、それはアサシンの移動を意味する。それすなわち被害の拡大だ。

 少々酷かもしれないが、彼には囮としての価値は充分にある。

 彼に寄り添うようにしていた銀髪武闘家は、彼の頬を撫でて立ち上がった。

 

「たまには私が守ってあげないとね」

 

 この状況でもこの場に残ってくれた女魔術師と令嬢剣士の隣に並び、三人で頷きあう。

 彼がいなければ出会う事のなかった二人。

 彼女らが知るよしもないが、彼がいなければ冒険者としての道を歩むことすらできなかった二人が、銀髪武闘家と肩を並べてくれる。

 他にも頼もしい仲間たちがいるのだ。なら、何を恐がる必要がある。

 勇者は横目で愛する兄と、兄が愛する義姉の姿を認め、一度深呼吸。

 

「いっくぞーっ!いきなりだけど、クライマックスだ!」

 

「クライマックス?笑わせる。まだ何も始まってはいないぞ」

 

 勇む勇者にアサシンは冷静に返し、挑発するように手招きをする。

 瞬間、動き出したのは勇者だ。神々に愛される彼女は一陣の風となり、アサシンへと挑む。

 

 ──こうして、世界を賭けた大一番が始まったのだ。

 

 いまだに眠る、最後の希望(アサシンハンター)の目覚めを待たずして。

 

 

 

 

 




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Memory03 始まりの終わり

「とぅあっ!」

 

「シッ!」

 

 勇者の可愛らしい掛け声と、アサシンの鋭く吐かれた息が混ざりあい、続いて甲高い金属音が鳴り響く。

 ぶつかり合った聖剣と金色の剣は、互いに相手を折ってやらんと纏うオーラを高め続け、その力はおよそ拮抗していた。

 だが、持ち主たる二人の表情は対象的だ。

 全てを絞り出さんと歯を縛る勇者と、どこか余裕を残している様子のアサシン。

 加えるならば、勇者は聖剣を両手で振っているのに対し、アサシンは変わらずの片手持ち。

 

「結界を張ったのだろう。全力を出したらどうだ」

 

 勇者を見下すように告げられた言葉に、当の彼女は悔しそうに唸り声をあげるが、言い返す余力がない。

 何もかもが違うのだ。

 己の得物の力を無駄なく引き出す技量が、潜り抜けてきた修羅場の数が、何よりも。

 

「ところで、人を殺した事はあるのか?」

 

「ッ……!」

 

 経験の差があまりにも大きいのだ。

 多くの人を救わんと悪魔(デーモン)や魔神王を倒してきた彼女も、本格的な対人戦はあまり経験がない。

 まだ十五の少女に、無駄に人を殺させまいとした国王やその他の人物たちの気遣いからきた結果なのだが、今回ばかりはそれが問題となっていた。

 多くの人を救うという目的こそ同じであれど、アサシンな相手はその全てがヒトだ。

 幼い頃から訓練を行い、心を鍛え、技を磨き、体を作り上げた。それはもはや体に染み付き、永遠に抜けることはないだろう。

 そこらの村娘だった勇者とは、根っこの部分から違うのだ。

 答えない勇者を冷たく睨み、「お前は戦いには向かんな」と吐き捨てる。

 

「お前は神の都合(シナリオ)に振り回されただけにすぎん。勇者と呼ばれているが、私から言わせればただの小娘だよ」

 

 相手を諭すように淡々と告げられる言葉に、勇者はぎっと歯を食い縛る。

 確かに、自分が勇者になったのは様々な偶然があったからだろうとは思う。

 自分以外の誰かが、もしかしたら兄が勇者と呼ばれる事があったのかもしれない。

 時々ではあるが、そう考える夜だってある。だが、何も知らない男にとやかく言われる筋合いはない。

 

「神様がどうかはとにかく、勇者らしくないのは当たってるとは思うよ?女の子だしね」

 

 彼女はそう言いながら、聖剣を握る小さな手に力を入れ、更に力を引き出す。

 そんな女の子を主と認めてくれた、自分には勿体ないほど立派な剣だ。

 大勢の人を助けたいという、純粋な願いの込められた剣だ。

 この剣に、この剣を打った誰かの願いに応えるためにも。

 

「それでも、ぼくは勇者なんだ。あなたがどう思おうと、やれるだけのことをやるだけだよ!」

 

 彼女はそう宣言すると、聖剣の力を瞬間的に爆発させて金色の剣を弾き上げ(パリィ)、持ち主のアサシンを押し返す。

 剣を握っていた右腕を跳ね上げられ、大きく体勢を崩しながら小さく目を見開くアサシンの瞳を睨み返し、勇者は聖剣を水平に構え、渾身の突きを叩きつける。

 その太刀筋に一切の迷いはない。

 相手がヒトだからとか、斬られたら痛いだろうななんて、そんな甘い思いは既に振り切った。

 相手は兄を奪わんとする何者かだ。容赦する理由がない。

 愚直なまでに真っ直ぐな刺突攻撃は、吸い込まれるようにアサシンの胸に突き付けられるが──、

 

「無駄だ……」

 

 冷たく告げられた言葉を叩きつけるように、勇者の腕には硬い感覚が駆け抜けた。

 今まで感じたこともない、まさに岩を殴り付けたような感覚に、彼女の目は小さく見開く。

 勇者渾身の突きでも、アサシンの不可視の鎧(ライフシールド)を破るには足りないのだ。

 ぴったりと受け止められた聖剣を一瞥し、思わず舌打ちを漏らした勇者だが、その両脇を剣聖と槍使いが駆け抜けた。

 加速の勢いを乗せた刺突がアサシンの顔面を捉えるが、それもまた不可視の鎧(ライフシールド)に止められる。

 

「だあ、くそっ!」

 

(らち)があきませんね!」

 

 勇者、槍使い、剣聖の三連撃を食らってなお一歩を下がらないアサシンの姿に、冒険者たちは戦恐(おのの)く。

 だが、彼らの心を折るにはまだまだ足りない。

 前の三人が飛び退いた瞬間を見計らい、左手に盾を構えた女騎士が肉薄する。

 冒険者ながら手入れの行き届いた金髪がなびき、右手には片手で持った両手剣が握られている。

 愚直に真正面から突貫してくる彼女の姿にアサシンは肩を竦め、金色の剣を片手で構えた。

 二人が激突する刹那、女騎士は大きく体を傾けた。

 突如として傾いた彼女の姿に、アサシンの視線が僅かにそちらに向けられる。

 その瞬間、彼女の影から令嬢剣士が飛び出した。

 

「む……」

 

 アサシンは僅かに声を漏らし、視線をそちらに向けた。

 盾を構える事で死角を作り、そこに令嬢剣士を隠して接近させたのだろう。

 

「フッ!」

 

 軽銀の突剣の切っ先がアサシンの両目を裂かんと振るわれるが、変わらず不可視の鎧(ライフシールド)に阻まれた。

 アサシンの輪郭を添うように散った火花が、彼の視界を一時的に橙色一色に染め上げ、眼を使用不可能にした。

 時間にして、瞬き一度程度の刹那的なものに過ぎないだろう。

 だが、その刹那の隙に技を捩じ込めるのが彼女なのだ。

 

「イイイイィィィィヤッ!!」

 

 視界が回復した瞬間飛んできたのは、銀髪武闘家の膝蹴りだった。

 己の身一つで銀等級まで登り詰めた彼女の蹴り技の破壊力は、他の追従を許さない。

 不意打ちで、加えて顔面にそんなものを喰らえば、致命傷間違いなしなのだが、アサシンは僅かに怯む程度だ。

 不可視の鎧(ライフシールド)を突破できず、痛痒(ダメージ)は一切ない。

 

「ああ、もう!」

 

 ヒビの入った脚甲に一瞥くれて、銀髪武闘家は悪態をついた。

 硬い相手を殴り続け、壊しきるのは彼女の十八番ではあるが、自分が先に壊れるのは久々だ。

 アサシンの顔面に踏み台にして後ろに大きく飛び、空中で一回転して着地を決めた。

 頭の高いところで結ばれた長い銀髪が尾のように揺れ、鎧に納まりきらぬ豊かな胸が揺れる。

 

「人の頭を足蹴にするのはどうかと思うがな」

 

 首を鳴らしながら不機嫌そうに漏らされた言葉に、彼女は「どうせ効いてないんでしょ?」と鋭く返す。

「まあ、そうだが」とアサシンは肩を竦め、じっと目を細めて視線を彼女から外す。

 彼の視線の先にいるのは、魔女、女魔術師、賢者の三人だ。

 全員が全員、それは美しい乙女たちであるが、それは街中ですれ違った時に感じる事だ。

 敵対者に男も女もないというのが、現在のアサシンの心境である。

 その彼女たちは合わせて杖を掲げ、何やら呪文を呟いている。

 魔女と賢者が呼吸を合わせて詠唱に入り、彼女らの声に応えるように杖が光輝き始めた。

 

「「《カリブンクルス(火石)……クレスクント(成長)……」」

 

 二人が全く同じ真に力ある言葉を口にすると、彼女らの頭の上には巨大な『火球(ファイアボール)』が生成されていく。

 仲間諸ともやるつもりかと(いぶか)しむが、女魔術師のみが二人を無視して別の術の詠唱に入る。

 

「《マグナ(魔術)……レモラ(阻害)……レスティンギトゥル(消失)》」

 

 彼女の口から紡がれたのは『抗魔(カウンターマジック)』の術だ。

 不可視の膜が冒険者たちの体を包み込み、来る攻撃への守りを万全とした。

 瞬間、賢者と魔女の二人が、同時に最後の一節を口にした。

 

「「「……ヤクタ(投射)》」」」

 

 放たれた巨大な『火球(ファイアボール)』を前に、アサシンは避ける素振りも見せない。

 ただ不敵に笑い、左手を差し出した。

 冒険者たちが一斉に身を屈め、衝撃に備える中で、不可視の鎧(ライフシールド)に包まれたアサシンの左腕と、『火球』が衝突した。

 凄まじい爆発と衝撃が、アサシンだけでなく冒険者たちにも襲いかかる。

 既にぼろぼろだったギルドが耐えられる訳もなく、内側から爆散、瓦礫の山と成り果てた。

 

「けほっ!けほっ!何だか大変な事になっちゃったな」

 

 瓦礫からローグハンターを守っていた銀髪武闘家が、咳き込みながら言うが、確かにその通りだろう。

 今の攻撃でギルドの壁も天井もなくなり、人気のない大通りと、いつものように美しい青空を見ることが出来る。

 ギルドだった名残は、残された柱だったものや、床の残骸くらいだろうか。

 

「《風の乙女(シルフ)や乙女、接吻をおくれ。わしらの船に幸ある為に》!」

 

 周囲を見渡していた銀髪武闘家の耳に、鉱人道士の詠唱が届いた。

追風(テイルウィンド)』の術とは場違いな気もするが、踊り出した風の精たちが巻き上げられた爆煙を掻き消した。

 爆煙から現れたのは、爆心地にいてなお無傷のアサシンだった。

 彼の不可視の鎧(ライフシールド)を食い破るには、先の『火球』でも足りなかったようだ。

 相手の視認と同時に駆け出したのは、ゴブリンスレイヤーだった。

 彼の手に握られているのは、蜥蜴僧侶が取りこぼした『竜牙刀』だ。

 愛用する中途半端な剣では通用しないと判断したのだ。

 蜥蜴僧侶の奇跡からなる武器でないと、いや、これでも通じないだろう。

 今するべきは相手の分析だ。先ずは防御の限界を探り、削り続ける。

 その為にも、間髪入れずに攻め続けるしかないのだ。守りに入れば、負ける以外の結末はない。

 アサシンは迫りくる彼にゆっくりと目を向け、迎撃の構えを取るが、そこに妖精弓手の放った三本の矢が放たれた。

 風の精たちの残り香に押され、いつにも増して速いイチイの矢が、アサシンの眼窩に滑り込まんとするが──、

 

「無駄だと言っている」

 

 アサシンが呟いた通り、先程と変わらず不可視の鎧(ライフシールド)に阻まれる。

 そもそも当たらない矢避けとは違い、当たっても効かない現状に森人語で悪態をつき、不機嫌そうに長耳を揺らす。

 

「おお……っ!」

 

 ゴブリンスレイヤーが獣のように唸りながら、『竜牙刀』を高々と振り上げる。

 蜥蜴僧侶の手に合わせて作られたそれは、ゴブリンスレイヤーの手には少々大きすぎる。

 故にそれを両手で握り、渾身の力を込めて振り下ろしたのだ。

 大きく踏み込むと共に、アサシンの脳天を叩き割らんと『竜牙刀』を振り下ろし、全体重をかけて振り抜きにかかる。

 

「ゴブリンスレイヤー。小鬼を殺す者か」

 

 アサシンの小さな呟きは、振り下ろされた『竜牙刀』と不可視の鎧(ライフシールド)の衝突音に掻き消された。

 脳天を捉えた奇跡による刃も、アサシンの守りを越えることは出来ない。致命傷なまでに、何かが足りないのだ。

 

「ちっ!」

 

 隠すことなくゴブリンスレイヤーの口から漏れた舌打ちに、アサシンは『竜牙刀』の刃を左手で押さえながら苦笑を漏らす。

 

「お前としても、あの男を差し出した方が良いと思うがな」

 

「何が言いたい」

 

 訳のわからぬことを言うアサシンを睨みつつ、ゴブリンスレイヤーは左手を腰帯に吊るした中途半端な剣へと伸ばす。

『竜牙刀』はアサシンが押さえてくれている。片手でも支えられるだろう。

 抜き放った中途半端な剣を逆手持ちのままアサシンに叩きつけるが、その刃は硝子細工のように砕け散る。

 手入れも行き届き、刃に一切の欠けがなかったにも関わらず、アサシンの防御の前になす術もなく砕け散ったのだ。

 思わぬ事態に目を見開くゴブリンスレイヤーを他所に、アサシンは肩を竦めた。

 

「彼を渡してくれたなら、ゴブリンの根絶も(・・・・・・・・)夢ではないが」

 

「……なに」

 

 突如とした告げられた言葉に、ゴブリンスレイヤーは思わず反応を示してしまった。

 アサシンはこれ幸いと笑みを浮かべるとゴブリンスレイヤーを押し返し、その場を飛び退いて冒険者たちに向けて告げた。

 

「俺は彼と共にこの盤をひっくり返す。ゴブリンも悪魔(デーモン)も、祈らぬ者(ノンプレイヤー)がいない世界を作り上げる」

 

「それが、貴方の目的……?」

 

 次の一手を思慮していた賢者が反射的に問いかけると、アサシンは「そうだ」と頷いて言葉を続けた。

 

「この世界は悲劇に満ち溢れている。ゴブリンに愛娘を穢された。悪魔(デーモン)に村を焼き払われた。野盗(ローグ)に何もかもを奪われた」

 

「これだけではない。多くの悲劇が毎日なように起こり、その度に人々は屈辱の涙を流し、血を流し、命を落とす」

 

「よくある事だの人は言うだろう。ふざけるな。そんな悲劇が、よくあって堪るものか」

 

「だからこそ、私と彼で、あのお方の意志の下に集った者たちと共に、この(せかい)をひっくり返す」

 

「下らぬ物語(ひげき)を振り撒き、人々を不幸にする神々を撃ち落とし、この世界に楽園(エデン)を作り上げるのだ」

 

「だが、俺だけでは駄目だ。そこの男がいなければ、真に目的を果たすことが出来ない。だから、その男を渡してくれ」

 

 一人称も安定しない程に興奮した様子で言葉を言い切ると、アサシンは僅かに血走った眼をローグハンターに向けた。

 彼はいまだに寝ている。ならば好都合だ。暴れられなくて済む。

 対する冒険者たちは彼から放たれた言葉に驚き、顔を見合わせた。

 神を撃ち落とす?目の前にいる男は、天上にいる神を殺すつもりなのか。

 悲劇を終わらせる?確かに、この世界には多くの悲劇があり、こうしている間にもそれは起こっているだろう。

 

「一つ、良いかな」

 

 先程までの攻勢が嘘のように静まり返ったギルド跡地に、女性の声が響いた。

 冒険者たちとアサシンの視線が声の主──銀髪武闘家に向けられるが、彼女は凛とした様子で告げる。

 

「もし、あなたが行動を起こしたらさ、どれだけの血が流れるの?」

 

「戦いに犠牲は付き物だろう」

 

 彼女の言葉に、アサシンはさも当然のように告げた。

 アサシンに向け、さらに問う。

 

「もし、あなたが勝ったら、今を生きている人たちはどうなるの?」

 

「大半は戦いで命を落とすだろうが、生き残った者たちは私の全霊を持って守り抜こう」

 

 アサシンはそう返し、金色の剣を肩に担いだ。

 銀髪武闘家は「そっか」と頷くと、冷たい笑みを浮かべて「じゃあ、駄目だね」と淡々と告げた。

「何故だ」とアサシンが問えば、彼女は「だって──」と口にしてローグハンターに目を向けた。

 

「彼は、そうやって理不尽に巻き込まれる人たちを助けたいって、これまで頑張ってきたんだよ?」

 

「だから、再びの悲劇を起こさない為に──」

 

「悲劇を起こさない?あなたがその悲劇を起こそうとしてるの、気付いてる?」

 

 彼女は冷徹な声音でそう告げ、銀色の瞳でアサシンを睨む。

 鷹の眼光に似て非なるものだが、そこには確かな意志が宿り、鋭い輝きを持っていた。

 アサシンは低く唸りながら頭を掻き、「話のわからん奴だ」と呟いた。

 

「いつ来るかもわからん悲劇が、常日頃から起こるのなら、一度の悲劇で全てが終わった方がましだろう」

 

 アサシンの言葉に、銀髪武闘家は額に青筋を浮かべながら腕を組むと、「ふざけないで」と鋭く声を放つ。

 

「悲劇は何回だろうと変わらないよ。人生は一回しかないんだから、一回の悲劇で死んだらそこで終わりなんだから」

 

 かつて、ローグハンターは言った。

 世界に溢れる悲劇全てを止めることは出来ないが、目の前の悲劇なら止めることは出来るかもしれない、と。

 更なる悲劇を起こさない為に、目の前の敵を逃がすわけにはいかない、と。

 彼の信条(クリード)と同じものを持つ彼女だからこそ、アサシンの言葉を鵜呑みにする事は出来なかった。

 何よりも、彼のこれから起こそうとしているものは──。

 

「今までこの世界の為に戦ってくれた人たちや、そこにいる勇者ちゃんの努力を、流してきた血を、死んじゃった人たちの命も、何もかもを無駄にする事だよ。そんな事、許せるわけないじゃん」

 

 銀髪武闘家はそう言うと、ゆっくりと拳を構えた。

 彼女の心からの言葉に、冒険者たちの脳裏に過った不安がなくなる。

 そう、彼らは冒険者だ。明日をも知れぬ無頼漢だ。

 悲劇が起きたのならそれを止まるために武器を取り、時には未然に防ぐために走り出す。

 全ての悲劇がなくなれば良いとは思う。だが、悲劇がなくなれば、喜劇と呼ばれるものもなくなるだろう。

 悲しみがなければ喜びが何なのかがわからなくなる。

 もしそうなったなら、それは果たして人と呼べるのだろうか。

 

「──歴史は血によって紡がれる、か」

 

 アサシンは彼女の言葉をそう纏め、目を細めた。

 

「なら、貴様らもその一部となれ」

 

 彼はそう告げ、纏った不可視の鎧(ライフシールド)に更なる力を込めた。

 体がもはや神々しいまでの力を纏い始め、凄まじいまでの重圧に晒された冒険者たちは、無意識の内に半歩下がる。

 先程までのが児戯だったのかと思えるほどに、アサシンの雰囲気が変わったのだ。

 

「何よ、言い負かされて怒っちゃった?子供みたいだね」

 

 だが、銀髪武闘家はそんなアサシンを更に煽った。

 相手が冷静さを欠けば、それだけ付け入る隙が出来るという事だ。

 その分注意(ヘイト)が全て彼女に向けられるのだが、まあ、そこはどうにかするしかない。

 瞬間、動き出したのは勇者と剣聖、女騎士の三人だった。

 盾役(タンク)である女騎士を先頭に、その影に剣聖と勇者の二人が続く。

 

「同じ手を何度も喰らうと思うのか!」

 

 彼女らの姿を認めた瞬間、アサシンの瞳が金色に輝いた。

「技がくるわよ!」と妖精弓手の警告に、女騎士は両足を踏ん張って来る衝撃に備えた。

 蹴りか衝撃波か、何が来ても耐えなくてはならない。

 覚悟を決めた女騎士とは裏腹に、アサシンの発動した能力(アビリティ)は、もはや冷酷なものだった。

 抜刀した左手のアサシンブレードを女騎士の盾に突き刺し、渾身の力を持って引き寄せ、留め具を引きちぎってぶんどる。

 

「な!?」

 

 思わず体を前のめりに体勢を崩した瞬間、その顔面に奪われた盾が叩き付けられた。

 鈍い打撃音が冒険者たちな鼓膜を揺らすのと、女騎士の体が弾き飛ばされたのはほぼ同時。

 進路上にいた勇者と剣聖はその場を転がって彼女を避け、追撃に備えて一旦下がる。

 アサシンの使った能力(アビリティ)盾砕き(シールドブレイク)だ。盾役たる彼女には天敵たる技だろう。

 空中で気を失った彼女をどうにか受け止めた重戦士だが、彼は反射的に彼女を抱えたままだんびらを片手で持ち上げ、即席の盾代わりとした。

 瞬間駆け抜けたのは、怒れる雷電龍の爪だった。

 金属鎧に身を包んでいるが故に、受け止めた瞬間に全身を雷が駆け抜け、無慈悲なまでに重戦士の自由を奪い取ったのだ。

 

「くそが……っ」

 

「まず二つ……」

 

 アサシンは倒れる重戦士と女騎士の姿を一瞥し、冷酷な声音でそう告げた。

 

「この野郎がっ!」

 

「させません!」

 

 金色の剣を構えるアサシンの両脇に、槍使いと剣聖が迫った。

 怒りで表情を歪めながら、お互いの得物を握り締めて同時に振り抜く。

 前後から同時に振るわれた刃は、(はさみ)のように交差し、その首を落とさんと振り抜かれるが、不可視の鎧(ライフシールド)を突破するには足りない。

 腕に感じる堅さに二人は同時に舌打ちを漏らすが、アサシンは淡々と能力(アビリティ)を発動させる。

 金色の剣を地面に突き立て、全力の(・・・)閃光の伴った衝撃波(混沌の輪)を放つ。

 先程の比ではない衝撃に槍使いと剣聖の体は宙に投げ出され、追撃に放たれた雷電龍の爪が、二人の体を貫いた。

 

「かっ……」

 

「う……っ」

 

 否、貫いたのではない。直接突き立てることで全身を感電させ、鎧を砕かずに一撃で戦闘不能としたのだ。

 

「四つ。まだやるか」

 

「くぅ……!」

 

 今までの攻防で、ある程度食い付いていたと思っていたのに、相手が手を抜いていただけだった。

 その事実を知った令嬢剣士は額に流れる脂汗をそのままに、軽銀の突剣の切っ先をアサシンに向けた。

 想像力は武器だ。どうすれば相手に勝てるのか、どうすれば相手に隙が出来るのか、それを常に考えるようにローグハンターからも言われている。

 だが、しかし。

 

「一体どうすれば……!」

 

「だから、彼を渡せと言っている」

 

 令嬢剣士の口から思わず声が漏れた瞬間、背後からアサシンの声が聞こえた。

 彼女は反射的に振り向いて軽銀の突剣を振るうが、その瞬間、金色の軌跡が突剣の刃を掠めた。

 令嬢剣士が何が起こったのかもわからずに目を見開いたのと、軽銀の突剣の刃が折れたのはほぼ同時。

 無意識の内に折られた突剣の切っ先を目で追ってしまった瞬間、彼女の腹に前蹴り(スパルタキック)が叩き込まれた。

 ドスッ!と重い打撃音が鼓膜を殴り付け、令嬢剣士は腹を抱えてその場に倒れた。

 酸素を求めてぱくぱくと口を開閉させているが、戦闘継続は不可能だろう。

 アサシンは彼女の頭を踏み砕こうと足を上げるが、その瞬間、銀髪武闘家とゴブリンスレイヤーが動き出す。

 女魔術師と魔女のそれぞれから『付与(エンチャント)』の術が施され、銀髪武闘家はその身を焼くほどの炎を両手両足に纏い、ゴブリンスレイヤーの『竜牙刀』には煌々と燃える炎が纏われる。

 二人は同時にアサシンへと挑み、攻撃を仕掛けた。

 先ずは令嬢剣士から離れされる事が先決。

 当たっても効かない。避けてくれるかもわからないが、無理やり間合いを詰めて移動させるのが目的なのだ。

 ゴブリンスレイヤーの大振りな攻撃の間に銀髪武闘家の乱打が織り混ぜられ、炎が半円の軌跡を残して躍り狂う。

 アサシンはその殆どを受け止めたが、時には半歩後ずさらせる。

 痛痒(ダメージ)はないが衝撃は通る。下がらせる事は出来る。

 数度の攻防でそれだけは理解し、現に令嬢剣士から離れているのだから、その効果は出ているのだ。

 ゴブリンスレイヤー渾身の凪ぎ払いと、銀髪武闘家の回し蹴りが首を捉え、アサシンの動きが止まった一瞬。

 

「こんのっ!」

 

 そこに勇者が加わった。

 太陽の加護を受ける光の聖剣の一撃がアサシンの胴を殴り付け、さらに数歩下がらせた。

 相手は一切避けない。防御もしない。ただ愚直に受け止めるだけだ。

 

「いつまで無駄な努力を続けるつもりだ?」

 

 アサシンは必死に食らいつく三人にそう告げ、能力(アビリティ)を発動せんと瞳を輝かせた。

 

「また来るわ!」

 

 再び告げられる妖精弓手からの警告。タカの眼の有無がわかる彼女だからこそ、相手の能力(アビリティ)発動のタイミングがわかるのだろう。

 だが、何が来るのかは一切わからない。

 三人が回避せんと体を沈めた瞬間、アサシンが金色の剣を床に突き立て、凄まじい閃光(パニッシュ)が放たれた。

 純粋な目潰しの能力(アビリティ)だが、このタイミングでの仕様は冒険者たちにとっては致命的(ファンブル)だった。

 相手の挙動を注視していた全員の視界が白く塗り潰され、完全に無防備な姿を晒すことになった。

 まずアサシンの刃に襲われたのは勇者だった。

 叩きつけるように振るわれた金色の刃が聖剣を弾き飛ばし、勢いのままに勇者を胴を袈裟懸けに切り裂こうとしたが、流石は勇者と呼ぶべきだろう。咄嗟に下がって致命傷だけは避けた。

 避けられたアサシンは無理に追撃せず、ゴブリンスレイヤーの兜に前蹴り(スパルタキック)を叩き込み、完璧に砕く。

 最後に銀髪武闘家に向けて渾身の一撃(オバー・パワー・アタック)を放たんと刃を向けた瞬間、冒険者たちの視界が回復した。

 彼女の視界に飛び込んできたのは、胴を斬られ負傷した勇者の姿と、兜を砕かれて倒れるゴブリンスレイヤーの姿。

 そして、今まさに斬られんとしている銀髪武闘家の姿だ。

 

「避けてッ!」

 

 女魔術師が悲痛な叫びをあげ、鉱人道士が「銀髪の!」と叫ぶがもう遅い。

 金色の刃が振り上げられ、雷を纏いながら振り下ろされる。

 妖精弓手が援護しようにも、放った所でアサシンは止まらないだろう。

 後ろで蜥蜴僧侶を治療していた女神官も事態に気付いても、既にどうしようもない所まで来てしまっている。

 三度目の奇跡は蜥蜴僧侶に使ってしまっている。限界突破(オーバーキャスト)しても、止められる訳がないのだ。

 勇者は目を見開き、金色の刃が彼女を切り裂くまでの時間がとても長く思えた。

 反応しようにも体が動かない。動いたとしても聖剣も無しにどう止める。

 

 ──駄目だ。駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!

 

 何を考えても、彼女の死という結末しか思い付けない。

 勇者は目に涙を浮かべ、不安を叩きつけるように口が動いた。

 

「──お姉ちゃん!」

 

 ようやく口に馴染んできたというのに、これで最後になるかもしれない。

 そう思うだけで、咄嗟に出た言葉だ。

 だが、無情にも金色の刃は振るわれ、銀髪武闘家の体を斬らんとした瞬間。彼女の体が大きく沈んだ。

 空振りに終わった刃は銀髪武闘家の長い髪を切るだけに終わったが、アサシンは防御の姿勢に入った。

 瞬間、漆黒の影が放った前蹴り(スパルタキック)が、アサシンの防御をすり抜け、その顔面を蹴り抜いたのだ。

 凄まじい快音がギルド跡地を駆け抜け、弾かれたアサシンは瓦礫の山の中に消えていった。

 頭の高い位置(ポニーテール)で纏められた銀髪の髪が、その結び目で綺麗に斬られた為か、途端に短くなった銀髪の髪を揺らしつつ、ようやく目を覚ました()の姿に目を向けた。

 

「遅いよ、もう……」

 

「すまん」

 

 ()は彼女の言葉に短く返すと、瓦礫の山を雷でもって吹き飛ばして現れた、無傷のアサシンを睨み付けた。

 

「久しぶりだな、継承者。……いや、ローグハンター」

 

 額に青筋を浮かび上がらせたローグハンターは、純粋な殺意を滲ませながら、金色の剣と黒鷲の剣を構える。

 アサシンは「そう怒るな」と苦笑混じりに言いながら、金色の剣を構えた。

 片や漆黒の衣装に身を包んだ、目の前にいる人々と、仲間の為に戦う男。

 片や純白の衣装に身を包んだ、世界と、忠誠を誓った何者かの為に戦う男。

 握る武器は同じであれど、掲げる信条(クリード)は全く違う。

 故に、二人が出会ったのなら行うことは一つのみ。

 

「──俺はアサシンハンターだ」

 

 相手がアサシンだというのなら、仲間のたちを傷付ける者であるのなら、塵殺である。

 それが、彼──ローグハンターでありアサシンハンターたる男の、絶対の信条(クリード)だ。

 

 

 

 

 




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Memory04 隔世(覚醒)

 辺境の街、冒険者ギルド。

 突如として現れたアサシンと、彼を撃退せんとした冒険者たちの戦いの影響を諸に受けたその場所は、それがあった名残のみを残して瓦礫の山となっていた。

 局地的な災害に襲われたかのように、周囲の建物は倒壊する様子もなく、強いてあげるとすれば、ほぼ全ての窓硝子が割れている程度だろうか。

 そんな爆心地と呼んで差し支えない冒険者ギルド跡地にて、二人の男が睨みあっていた。

 漆黒のローブを身に纏った男と、純白のローブを身に纏った男。

 まるで光と影のように仁王立つ二人の共通点を挙げるとすれば、それぞれの右手に握られた金色の剣と、剣と同様の輝きを宿した双眸だろう。

 漆黒のローブを纏う男──ローグハンターはゆっくりと息を吐き、倒れる仲間たちに一瞥くれて、最後に足元に座り込み、こちらを見上げてくる銀髪武闘家に目を向けた。

 頭の高い位置で纏められた(ポニーテール)だった銀色の髪は、今や見る影もない、肩にかからない程の短髪となっている。

 別に髪型が変わろうと、言ってしまえばどんな姿になろうと、彼女への想いは変わることはないと自負はしている。

 だが、それはそれとして、だ。

 咄嗟に彼女の足を払って転ばせたから、髪を切られるだけで済んだのだ。

 僅かでも目が覚めるのが、行動するのが遅れていれば、足元に転がっているのは髪の房ではなく、彼女の首だっただろう。

 その事実を重く受け止め、純白のローブを纏う男──アサシンを睨み付けた。

 宿る殺意は都での騒動以上に研ぎ澄まされ、一切の無駄なく敵対者たる男へと注がれている。

 

「そう睨んでくれるな、我が名を継ぐ者よ」

 

「………」

 

 アサシンは肩を竦めて言うが、ローグハンターは無言を返答として金色の剣と黒鷲の剣を握り込み、左足を半歩前に、右足を半歩下げて半身の構えを取った。

「そうか。そうだな」とアサシンは頷き、金色の剣を構え、軽く腰を落とす。

 ローグハンターは彼の師と同じ(ローグ式の)構えを、アサシンは脱力するように構えると、互いに睨みあう。

 先程まで怒号と戦闘音が嘘かのように静まり返り、二人の間に挟まる空間は軋み、悲鳴をあげていた。

 だが、二人は動かない。僅かに瞳が揺れ、摺り足で間合いを調整し、手の高さが、切っ先の位置が変わるを繰り返しているだけだ。

 素人目では、二人の姿は大変滑稽に見えるだろう。

 だが、この場において、彼らを笑う者、煽る者は誰一人としていない。

 それをする余力が残っていないと言われればそうだが、この場にいる全員がわかっているのだ。

 

 ──二人の戦いは、既に始まっている。

 

 無意識に生じる目の動き、足の動き、手の動き、震えから相手の癖を見つけ、僅かでも優位に立ち回らんとしているのだ。

 それでも余裕の笑みを浮かべるアサシンを睨み、ローグハンターはタカの眼を発動する。

 タカの眼で見ればわかる。赤い人影を覆い隠す、半透明の膜のように見える何かが張られているのだ。

 その膜が何なのか、相手の技量が想定通りなのか、疑問は尽きないが──。

 

「……どうでも良い」

 

 そう呟いた瞬間、ローグハンターは動いた。

 アサシンは既にゴブスレスレイヤーを始めとした自分の友人たち、弟子である令嬢剣士、恋人である銀髪武闘家を傷付けている。

 なら、何を迷う必要がある。何を躊躇う必要がある。

 雷鳴にも似た音を響かせて瞬時に間合いを詰め、渾身の力を込めて金色の剣を振るう。

 雷を纏った一閃がアサシンの首を落とさんと、空気を焼きながら振るわれたが、その結果にローグハンターは目を見開いた。

 手に感じるのは異様なまでの堅さだった。

 首を落とさんと振るわれた刃が、首に当たる寸前で止まっているのだ。

 タカの眼で察知した膜は、ある種の鎧だったのだろうと推測し、破るにはそれなり以上の火力か、手数が必要だと判断を下す。

 ──が、そんなものどうでも良いと言わんばかりに、歯を食い縛り、体の捻りを乗せて腕を振り抜いた。

 

「チッ!」

 

 アサシンの口から舌打ちが漏れるのと、彼の体が弾き飛ばされたのはほぼ同時。

 弾かれた方向はギルドの裏庭に当たる方向。申し訳程度に残っていた壁を貫き、放たれた矢の如く飛ばされていった。

 ローグハンターは即刻追撃せんとしたが、僅かに残った冷静さで踏み止まり、鉱人道士を始めとしたまだ動けそうな面々に向けて言う。

 

「怪我した奴らを下がらせろ。あいつは俺が抑える」

 

「お、おう!任せとけいっ!」

 

 どたどたと、その寸胴の体を動かす鉱人道士を横目に、ローグハンターは銀髪武闘家に歩み寄ると、黒鷲の剣を床に突き立て、彼女と視線を合わせる為に片膝をついた。

 心配そうに見つめてくる彼女に向けて笑みを浮かべて頬を撫で、汚れを指で拭ってやる。

 彼女の変わらぬ温もりに安堵を覚えつつ、表情を引き締めて端的に告げる。

 

「必ず戻る」

 

 そう告げると同時に、触れる程度の口付けを一つ。

 銀髪武闘家は彼の突然の行動に驚きこそすれど、すぐに受け入れるのは彼への想い故だろう。

 いつものように長い口付けをしていたいが、今は状況が状況だからと、離れていった彼の顔を眺めるに止める。

 

「絶対、戻ってきてね」

 

「もちろんだ」

 

 彼女の口から半ば無意識にこぼれた言葉に、ローグハンターは一度頷いて答え、ぎゅっと抱擁を交わした。

 銀髪武闘家は腕を彼の背に回して抱き返そうとしたが、それよりも早く離れ、立ち上がってしまう。

 床に突き立てた黒鷲の剣を引き抜き、出血が見られる妹へと目を向ける。

 兄と目があった彼女は「大丈夫だよ!」とサムズアップして見せたが、僅かに顔色が悪い。血を流しすぎたのだろうか。

 彼女の技量で回避が成功したとはいえ、アサシンの剣術は相手を殺めることに特化したものだ。避けられても相手を負傷させ、失血させることも可能だろう。

 むしろ、下手に避けたせいで余計に深手になった可能性もあるが、今はどうでも良いと思考を投げる。

 

「とにかく、負傷者を神殿まで運べ。蜥蜴人が目を覚ましたら、手伝わせろ」

 

 ローグハンターは特定の誰に言うわけでもなくそう告げると、足早とその場を後にした。

 先程アサシンが貫いた壁の穴を潜り、彼が飛んでいったであろう裏庭を目指して走り出す。

 彼の背を見送った銀髪武闘家は短くなった銀髪を忌々しそうに掻き、思考を切り替えるように頬を張った。

 パン!と響いた乾いた音を合図にして、彼女は立ち上がって仲間たちに指示を出す。

 

「とにかく、今は彼を信じないと。上森人さんは近くにいる人に手伝いを頼んできて」

 

「……っ!わかったわ!あんたたちも気を抜かないでよ!」

 

 突然変動した状況に混乱していた妖精弓手は、ハッとした表情で頷き、器用に瓦礫を避けながらギルド跡地を去っていく。

 残された冒険者たちの中で動けるのは、銀髪武闘家、賢者、魔女、女魔術師ぐらいのものだろう。

 前衛を務めた大半が戦闘不能。鎧を纏った成人男性と女性数名を、非力な後衛陣で運ぶしかない。

 神殿までそこまで距離があるわけではないが、彼らを運ぶとなれば話は変わってくる。

 さて、どうしたものか。運ぶ手段も確保していないのに、重症だった場合は一刻も早く連れ出さなければならない。

 

「ま、まだ動いては駄目です!」

 

 その時だ。疲れきった女神官の声が、彼女の鼓膜を揺らしたのだ。

 反射的にそちらに目を向けてみれば、先程まで気絶していた蜥蜴僧侶が、その太い両腕を支えに立ち上がり、大きく尾を揺らしていたのだ。

 息も絶え絶え、今にも倒れてしまいそうだが、それでも彼は意識を研ぎ澄まし、詠唱を始めた。

 

「《傷つき尚も……美しい蛇發女怪龍(ゴルゴス)よ……その身の癒しをこの手に宿せ……っ》」

 

 囁くような詠唱を終えると共に、不可視の力場が形成される。

 時には相手を封じ、時には味方を守るものではなく、味方の傷を癒し、救うための御技。『治療(リフレッシュ)』の奇跡が行われた証拠だった。

 その力場はギルド跡地を包み込み、蜥蜴僧侶を含めた冒険者たちの痛痒(ダメージ)を癒していく。

 気絶していた前衛たちの意識を回復させ、まだ覚束ない程度だが立ち上がらせる事に成功した。

 全員が虫の息と言って良いほどだが、蜥蜴僧侶は小さく笑みを浮かべて銀髪武闘家に目を向けた。

 

「これで、とりあえずは……皆、動けますな……」

 

 彼はそうとだけ言うと、再びその巨体をぐらつさせた。

 

「あ、ちょっと!?」

 

 銀髪武闘家が咄嗟に手を伸ばすが、彼は自分の力で踏み止まり、彼女を手で制した。

 

「ああ、くそっ!ここまでしてやられるのかよ……っ!」

 

 槍を杖代わりに立ち上がった槍使いが、壁に開いた穴を睨んで吐き捨てた。

 そんな彼の肩を魔女が支えると、「すまねぇ」と小さく呟いて礼を言った。

 魔女は心配そうに「大丈……夫?」と問いかけ、彼は気丈に笑みを浮かべて「何とかな」と応えた。

 重戦士、女騎士は座り込んだまま荒れた息を整え、剣聖は悔しそうに拳を床に叩きつけた。

 ゴブリンスレイヤーはもはや重りでしかない兜の残骸を脱ぎ捨て、乱暴に投げ捨てた。

 もう少し上等な兜なら、ひしゃげて頭が潰されていただろう。安物故に蹴り砕かれたからこそ、こうして息が出来ている。

 額の出血は先程の奇跡で止まった。──が、体から出た血が戻ってきた訳ではない。消耗した体力が戻る訳ではない。

 どっと出た息には疲れの色が濃く、たかが数分の、しかも多対一──こちらが多だ──の戦いでここまで消耗したのは、かなり久しく思える。

 赤い双眸を細め、遠目に見えるギルドの裏庭からは、強烈なまでの圧を感じる。

 

「……無事でいろ」

 

 この場にいない友に向け、細やかな祈りが発せられた。

 先生に聞かれたら、「口を動かす暇があるなら、頭を動かせ」と怒鳴られたに違いない。

 だが、今回ばかりは祈るしかない。

 あれは自分たちではどうしようもない。あれを倒せるのは、ローグハンターだけだろう。

 

 

 

 

 

 ギルドの裏庭。

 かつては冒険者たちが訓練を積み、武器の具合を確かめるのに使っていたこの場所も、もはや見る影もなかった。

 散らばったギルドの破片が各所に突き刺さり、よく登った監視塔の上(ビューポイント)や、銀髪武闘家と共に登ったギルドそのものも、かつてゴブリンスレイヤーらと共に杭を作った木陰も、何もかもがなくなってしまった。

 思い出の場所や、思い出の品というものは、こうも容易く壊れてしまうのかと、ローグハンターは目を細めた。

 感傷に浸るのは後だ。壊れた物はいくらでも直せる。

 自分にそう言い聞かせ、慣れた道を進むように一歩一歩を踏みしめて、ようやくたどり着いた場所は、ギルド裏にあった訓練場──の、あった名残のある広場だった。

 かつてピストルの試射をし、受付嬢と言葉を交わしたその場所は、かつて銀髪武闘家と共に高めあったその場所は、もはや見る影もない。

 多少整備された程度の空き地と言って良いほどに、訓練場は荒れ果てていた。

 ギルドの残骸が散らばり、その瓦礫が燃えているのか、所々からは火の手が上がっている。

 先程までは雲一つなかった晴天の空も、今は厚い雲に覆われて薄暗い。

 ローグハンターは空を見上げながら目を細め、次いで視線を正面に向けた。

 彼が視線を向けた先。そこにいたのは白い人影だった。

 目を離せばすぐにでも消えてしまいそうな、朧気な亡霊のようにさえ感じてしまう。

 だが、彼が亡霊でないことは既に知っている。

 

「待たせたな」

 

 ローグハンターが静かに告げると、目の前の亡霊──アサシンは肩を竦め、口許にどこか優しさのある微笑を浮かべた。

 

「共に来てくれるのなら、いくらでも待つとも。別れは済ませたのか?」

 

「いいや」

 

 アサシンの言葉を首を振って否定したローグハンターは、改めて構えを取った。

 彼の師から学び、己のものとした構えを、アサシンハンターとしての構えを取ったのだ。

 対するアサシンは困り顔でため息吐くと金色の剣を構え、軽く腰を落として左手を遊ばせる。

 古くから続く、アサシンとして(無印式)の構えを取ったのだ。

 冒険者たちを相手にした時でも見せなかったその構えは、テンプル騎士を葬るアサシンの構えだ。

 それにはローグハンターをテンプル騎士として認め、無力化しようとしている意志が込められていた。

 再びの睨みあいに、二人に挟まれた空間が勘弁してくれと言わんばかりに悲鳴をあげ、僅かに風を起こした。

 巻き起こったそよ風により砂塵が舞い上がり、二人の姿を覆い隠す。

 一寸先も見えない砂煙の中であったとしても、アサシンとローグハンターの二人には何の問題にもならない。

 二人はほぼ同時にタカの眼を発動し、視界に映る赤い人影を視認した瞬間。

 

「「──ッ!!」」

 

 二羽の鷹が、獲物に向かって飛びかかった。

 雷鳴にも似た音を響かせて同時に踏み込み、お互いの右手に握った金色の剣を振り上げ、同時に振り下ろす。

 二振りの剣は、相手を切り裂く直前にぶつかり合い、甲高い金属音を響かせた。

 同時に漏れ出た雷が暴れ狂い、砂塵を切り裂き、大気を焦がし、地面を焦がし、そして──、

 

「ッ!」

 

 不運にも、漏れ出た雷電龍の(あぎと)がローグハンターの頬を掠め、その左頬を焦がした。

 四六時中フードを被っている為か、冒険者の割に白い彼の肌を醜く爛れさせ、焦げた筋肉を露出させた。

 彼は駆け抜けた鋭い痛みに、ほんの一瞬注意が逸れ、無意識の内に危険から逃れようと数歩下がってしまう。

 刹那的な、瞬き一つする間もない、だが確かな『隙』と呼べるほんの一瞬。

 それを見逃す程、アサシンは腕を鈍らせてはいない。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐くと共に、左手が閃く。

 既に抜刀を済ませたアサシンブレードを横凪ぎに振るい、ローグハンターの目を潰さんとしたのだ。

 扱い方を間違えれば容易く折れる細き刃でも、相手の命を絶つには、相手の戦意を折るには充分すぎる。そんなもので目を切られれば、失明は免れまい。

 アサシンブレードがローグハンターの目を捉えんとした刹那、差し込まれた黒き刃によって受け止められた。

 ローグハンターの人間離れした反射神経が、アサシンの攻撃に反応したのだ。

 彼は焼き爛れた頬をそのままに、能力(アビリティ)を発動した。

 お互いに両手が塞がった状況で使える武器は、かなり限られるだろう。

 だが、その限られた武器こそが、この状況を打破する一手だ。

 ローグハンターの次の行動を察したのだろう。アサシンは口許に笑みを浮かべ、甘んじてそれを受け止める体勢を取った。

 ──瞬間、ローグハンターの前蹴り(スパルタキック)が腹部に叩き込まれた。

 大気を震わせる凄まじい衝撃が駆け抜けていったが、ローグハンターの表情は固い。

 足の裏に感じるのは、鉄の塊でも蹴ったかのように思える堅さだった。

 不可視の鎧(ライフシールド)を突破出来ていないと察するには時間はいらず、半ば脊髄反射の如き速度で足を引っ込めた。

 その刹那、彼の足があった場所にアサシンの左手が突き出され、抜き身のアサシンブレードの刃が怪しく輝く。

 

「良い反応だ」

 

「黙れっ!」

 

 アサシンの称賛に弾かれるように反論し、同時に開いた間合いを詰めるために走り出す。

 二振りの剣の切っ先を地面に擦られながら、接近の勢いを乗せて豪快に振り上げる。

 同時に舞い上げた砂塵で相手の視界を潰しつつ、素早くタカの眼を発動。

 砂塵に隠れる相手の赤い影に向けて、ばつ字に二刀を振り下ろした。

 赤い影はその軌跡を瞬時に見切ったのか、大きく左足を下げると共に体を大きく下げる事でそれを避ける。

 下げた体を前に戻す勢いを利用して金色の剣を横凪ぎに振るい、ローグハンターは逆手に持ち換えた黒鷲の剣で受け止め、金色の剣を振り下ろす。

 アサシンブレードでは受け流しきれないであろう、アサシンの頭蓋を砕かんと行われた、渾身の振り下ろしだ。

 だが、アサシンは避けない。避ける必要がない。

 ガキンッ!と何度目かの甲高い金属音が鳴り響き、金色の剣の刃が受け止められた。

 ローグハンターが露骨な舌打ちを漏らすと、アサシンは苦笑混じりに肩を竦めた。

 

能力(アビリティ)が使えるのなら、剣の力は馴染んでいる筈だ。私に言わせればまだまだだが、妥協点ではある」

 

 告げられたのは、明らかにローグハンターを下に見ている評価。

 突拍子もなく評された彼は不服そうに眉を寄せ、「舐めるなっ!」と怒鳴り付ける。

 彼の怒号を受けてなおアサシンは動じず、口許に浮かべた笑みを消し、真剣な面持ちとなった。

 

「舐めてはいない。だが──」

 

 彼がそう呟いた瞬間、彼を中心として閃光を伴った衝撃波(混沌の輪)が駆け抜けた。

 防御の姿勢を取る間もなく放たれた能力(アビリティ)は、ローグハンターの全身を殴り付けた。

 意識が飛びかねない衝撃と全身に纏わりつく鈍痛に、ローグハンターは肺の空気を吐き出しながら足をふらつかせる。

 アサシンは僅かに怒気を込めながら金色の剣を構え、ローグハンターに告げた。

 

「──あのお方の籠愛を受けるには、まだまだ足りんな」

 

 ローグハンターの脳がその言葉を理解した瞬間に放たれたのは、軌跡さえも残さぬ斬撃の数々だった。

 袈裟、逆袈裟、水平斬り、振り下ろし、振り上げ──。

 動体視力に優れるローグハンターでも、何一つとして見切ることは出来ず、体勢を崩している為、防御をすることも出来ず、その全てが直撃した。

 黒きまことの銀(ミスリル)の鎧がその体を守ってはくれているが、全身を守っているわけではない。

 鎧と鎧の隙間に的確に刃を滑り込ませ、かつ相手を殺さぬように振るわれる金色の剣の剣撃の数々に、ローグハンターの体から鮮血が迸り、彼の黒いローブを、アサシンの白いローブを紅く濡らしていく。

 

「ふんっ!」

 

 連撃の締めとして前蹴り(スパルタキック)を見舞い、ローグハンターの胸を蹴り抜いた。

 

「がっ!」

 

 越常の力の宿った蹴りの一撃は大気を大きく揺らし、ローグハンターの体を弾き飛ばした。

 ろくに防御も出来ずにいた彼は、血を吐きながら両手の剣を取りこぼし、ギルド脇の倉庫に頭から突っ込む。

 途中で雑嚢が破れたのか、倉庫の床にその中身がぶちまけられた。

 

「っ!」

 

 全身を駆け抜ける痛みと、点滅を繰り返す視界。

 瞬きを繰り返して意識を失う事だけは避けようと努めるが、意志に反して体は悲鳴をあげ、勝手に休もうとしていた。

 気力を振り絞って体をうつ伏せに倒し、両手足を踏ん張って立ち上がろうと力を入れるが、

 

「ごぼっ!」

 

 肺から上がってきた熱い液体を吐き出し、紅く床を汚した。

 それが自分の血である事を察せぬほど、ローグハンターは間抜けではなかった。

 自身が吐き出した血で汚れた床に突っ伏す形で倒れ、どうにか酸素を取り入れようと必死に呼吸を繰り返すが、喉を奥から何かが転がるような異音が鳴って止まらない。

 折れた骨が肺に刺さりでもしたのだろうと、怪我をした当人であるローグハンターは、どこか他人事のように思った。

 ほんの僅かとはいえ、時間は稼げた。周囲の住民だけでなく、友人たちも上手く逃げた事だろう。

 いや、誰よりも彼女が逃げてくれたのなら、それで良い。

 とりあえずの役割(ロール)は果たしたかと安堵にも似た息を吐き、直後、肺に感じる激痛に表情を歪めた。

 霞む視界の先に映る白い人影(アサシン)は、何やら言葉を呟くと、倒れるローグハンターに向けてゆっくりと歩き出す。

 相手の恐怖を煽るためか。それもあるだろうが、彼には確信している事があるのだ。

 先程の連撃の、締めの前蹴り(スパルタキック)。あれだけ打ち込まれて、気絶しない相手はいない。

 気絶しているのなら即刻連れ帰り、気絶していないにしても、満身創痍であることに違いない。

 だが、今回ばかりは──。

 

「やり過ぎたかもしれんな……」

 

 アサシンは顎に手をやってそう漏らすと、「死んでいたら、どうしたものか」と他人事のように言葉を続けた。

 その言葉はそれこそ虫の囁きのようであり、倒れるローグハンターに聞こえはしないだろう。

 当の彼は暗闇に沈みかける意識の中で、近づいてくるアサシンではなく、愛する彼女の事を想っていた。

 無事に逃げられただろうかと思い、怪我はしていないだろうかと思い、生きてくれと願う。

 明日をも知れぬ冒険者の恋人として、さも当然の事を思い、不意に視界の端に映るあるものを見つけた。

 それは、特に飾られた様子のない、手のひらサイズの箱だ。

 その中に納められているものを知っているのは、今のところローグハンターのみ。

 彼以外の誰かが中身を知るとなると、それは大きな転機を迎えた時だ。

 朧気な意識の中であっても、それだけは確かに理解出来たのだ。

 もしここで自分が死に、彼女があれの中身を見たのなら、どうするだろうか。

 そもそもとして、自分の死を彼女が知ったのなら、どうするだろうか。

 周りの友人たちが気を遣って、後を追わせる何て事は絶対にしないだろうが……。

 

 ──彼女はきっと、泣くんだろうな。

 

 消えかけた意識の中、彼はそれだけははっきりと理解した。

 だからだろうか、彼は無意識の内にその箱に向けて手を伸ばしていた。

 手を伸ばしながら、彼は自問する。

 俺の役割(ロール)は何だ。

 

 ──彼女を守ることだ。

 

 体も録に動かない為、辛うじて動く腕のみで掴もうと必死になって、血に濡れた手を伸ばす。

 手を伸ばしながら、彼は自問する。

 俺の役割(ロール)は何だ。

 

 ──彼女を泣かせない事だ。

 

 アサシンがわざと鳴らしているであろう足音が、すぐ側まで近づいてきている。

 足音を聞きながら、彼は自問する。

 俺の役割(ロール)は何だ。

 

 

『絶対、戻ってきてね』

 

 

 不意に、先ほど交わした彼女の言葉が脳裏を過った。

 騎士としての矜持(クリード)も、アサシンとしての信条(クリード)も、彼女との約束を前にすると霞んでしまう。

 それほどまでに、彼女の存在は大きく、代えがたいものなのだ。

 ローグハンターの下にたどり着いたアサシンが体を屈め、倒れる彼に向けて手を伸ばす。

 改めて問う。

 

 ──俺の役割(ロール)は、信条(クリード)はなんだ。

 

「さあ、あのお方の野望の礎となれ」

 

 アサシンがそう告げ、ローグハンターの体に手を触れた瞬間、

 

「違う」

 

 彼の呟きと共に、雷電龍の咆哮が放たれた。

 突然の事態にアサシンは反応出来ず、雷に打たれるがままに吹き飛ばされる。

 不可視の鎧(ライフシールド)を突破され、純白のローブを焦がしながらも、アサシンは空中で身を捩って体勢を整え、無難に着地を決める。

 驚きに目を剥きながら、アサシンは焦げたローブの袖に触れ、ローグハンターのいたギルドの倉庫に目を向けた。

 雷電龍の咆哮に巻き込まれ、もはや見る影もない瓦礫の山となり、舞い上がった砂塵に視界が潰される。

 アサシンが目を細めた瞬間、背筋を駆け抜けた悪寒に体が反応し、無意識に金色の剣を構えた。

 それとほぼ同時。砂塵を切り裂き、三条の流星がアサシンへと迫る。

 見てから反応では、決して回避出来ないであろう速度だが、アサシンは人外染みた反応速度でその軌跡を見切る。

 一本目を切り払い、次いで二本目を叩き落とす、三本目を迎撃せんと金色の剣を払った瞬間。

 

 ──三本目の矢が弾けた。

 

 鏃に込められた雷が四方八方に飛び出していき、アサシンの不可視の鎧(ライフシールド)を貫き、ついに片膝をつかせた。

 突然の事態にアサシンは舌打ちを漏らし、許容量を越えた痛痒(ダメージ)により維持できなくなった不可視の鎧(ライフシールド)を、一瞬の閃光と共に解除する。

 長時間の維持で多少ながら消耗したのか、アサシンは荒れた息を吐きながら目を細めた。

 砂塵が払われた倉庫跡地に仁王立つ、ローグハンターの姿を認めたからだ。

 頬の火傷、数多の創傷、数ヶ所の骨折を始めとした、先程の戦闘で負った負傷は既に完治していた。

 火傷のなくなった頬を撫で、透き通った輝きを放つ金色の双眸をアサシンに向ける。

 睨まれたアサシンは真剣な面持ちで、ローグハンターを視界に納めつつタカの眼を発動した。

 敵意を示す赤い人影をさらに注視し、彼の体の奥底に眠る何かを見ようと眼を凝らす。

 その間にも、ローグハンターは右手をまっすぐ横に伸ばすと、金色の剣が雷と共に動きだし、瞬き一つの間に彼の手に納まった。

 自分でも出来ない所業を呼吸するように行った彼の姿に、アサシンは納得したように頷き、口許に笑みを浮かべた。

 

「そうか、そこまで濃いのか(・・・・)

 

 くつくつと喉の奥で笑いながら、アサシンはローグハンターに向けて叫ぶ。

 

「あのお方がお前を待つ理由がようやくわかったぞ!」

 

 興奮したように唾を撒き散らしながら叫び、目を見開いて身を乗り出す。

 

「貴様の両親が(・・・)どの系譜の末裔かは知らんが、何とも愛かれているな!」

 

 声音こそ興奮した様子だが、そこにはどこか羨望の色が見え隠れしていた。

 隔世遺伝というものをご存知だろうか。端的に言えば『先祖がえり』と呼ばれるもの。

 父や母ではなく、祖父母やそれ以前の先祖の特徴が色濃く出ることだ。

 血族と呼ばれるアサシンたちの先祖──つまり、かつて来たりし者たちの血が、ローグハンターの身に色濃く残されていることを、この男はタカの眼を通して理解してしまったのだろう。

 なぜ自分がそうでないのか、なぜ奴が自分ではないのか、そんな自問が渦巻いているのだ。

 アサシンの言葉にローグハンターは小さく首を振り、彼は淡々と告げる。

 

「父はともかく、母の先祖は知らん。加えるなら、両親からの愛情というものにもあまり縁がなかった。……いや、無頓着なだっただけかもしれんが」

 

 一旦言葉を区切ると「だが──」と言葉を続けて、手に持っていた小さな箱を一瞥し、フッと柔らかな笑みを浮かべた。

 

「俺を愛してくれる奴なら知っている。愛を教えてくれた奴なら知っている。だから──」

 

「彼女を守ること。彼女と共に生きること。それが俺の役割(ロール)だ」

 

 ローグハンターは自分の役割(ロール)をそう断じると、弓を背に戻して金色の剣の切っ先をアサシンに向けた。

 纏う覇気は先程の比ではなく、アサシンは武者震いからか身を震わせる。

 この世界に呼ばれてから、あのお方の加護を受けてからというもの、強大な力による一方的な塵殺ばかりだった。

 だが、目の前に立つ男はどうだ。

 先程までならともかく、今の彼の纏う覇気は自分と同じかそれ以上。

 

「それでこそだ、継承者」

 

 任務とは別に、強者を前にしたアサシンの血が、刻まれた遺伝子が、奴を越えろと騒いでいるのだ。

 アサシンの言葉が届いたのだろう。ローグハンターは目を閉じると、深く息を吐いた。

 

「悪いが、俺は何も継ぐつもりはない」

 

 彼はそう言うとゆっくりと目を開き、アサシンに絶対零度の殺意を向ける。

 

「終わらせる。お前の代で最後だ」

 

「ほざくな、青二才が」

 

 ローグハンターの言葉にアサシンは怒りを込めながら言葉を返した。

 黒い鷹は血に刻まれた役割(ロール)からの解放を求め、白い鷹は血に刻まれた役割(ロール)への束縛を求める。

 騎士とアサシン。本来有るべき在り方を逆転させた二人の戦いは、四方世界の未来を賭けた戦いは、王が住まう都でもなく、魔王が住まう城でもなく、人々が住まう辺境の街で、様々なものを巻き込みながら始まってしまったのだ。

 天上の神々ですらその結末を知らず、物語(シナリオ)仕組んだかつて来たり者ですら、その結末はわからない。

 だが、既に骰は投げられた。

 後はその目が示す答えにたどり着くのみだ。

 

 

 

 




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Memory05 Hunt you down

 天高く走る筈の二条の雷光が、地面を焦がしながら大地を駆け抜け、ぶつかり合った瞬間に甲高い金属音が響いた。

 雷同士がぶつかった場合、果たしてどんな音が鳴るのかは興味があるところだが、まず間違いなく金属音ではないだろう。

 その異音と呼んで良い音が鳴るのは、(ひとえ)に地を駆ける雷光が、紛い物であるからに他ならない。

 地面を、時には空中さえも駆ける雷光が交錯する度に金属音が響き、今度は正面から当たらんと迫っていく。

 二つの雷がぶつかる瞬間、彼らは雷から実体へと戻り、各々の得物である金色の剣をぶつけ合った。

 二つの力が激突し、凄まじい衝撃が空中にいた二人──ローグハンターとアサシンに襲い掛かり、勢いのままに弾かれる。

 命綱なしで空中に放り出されるなど、まともな感性を持つ人物なら戦慄するのだろうが、二人は一切慌てる様子もなく体勢を整える。

 ──だけでなく、ローグハンターは空中で弓を構え、矢をつがえて狙いを定め始めた。

 空中で狙いを定める間、時間の流れが緩やかになる感覚を覚えながら、ゆっくりと呼吸を整え、弦を弾く。

 放たれた矢は大気を切り裂き、アサシンを貫かんと駆け抜ける。

 だが、遅い。雷を追い始めている彼らには、どんな矢でも満足いく速度には足りないのだ。

 ローグハンターがその事実に舌打ちを漏らすのと、アサシンが金色の剣を振るったのはほぼ同時。

 結果的に矢は半ばから折られ、二人よりも早く地面に落ちた。

 二人が地面に降り立ったのはその直後。

 森人でなければ少なからず痛痒(ダメージ)を受けるか、或いは骨が折れて再起不能となるだろう高さだ。

 なのだが、二人は一切痛みを感じた様子はない。

 儀式としての身投げ(イーグルダイブ)とは違う、落下の痛痒を減らす──或いは無くす──能力(アビリティ)

 意味は違えど名前は同じ。『イーグルダイブ』。

 発動の必要のない、常時発動(パッシブ)型の能力(アビリティ)だ。

 故に二人は落下による痛痒を受けることなく、すぐさま次の行動に移った。

 ローグハンターが雷で尾を引きながら駆け出し、タイミングを見計らったアサシンは、金色の剣を振りかぶる。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐くと共に、金色の剣を振り下ろす。

 ローグハンターの腕を落とさんと振るわれた金色の剣は、同じく振るわれた金色の剣によって弾か(パリィさ)れた。

 何の事はない。攻撃すると見せかけたローグハンターが、アサシンの一閃に合わせて防御姿勢を取り、瞬時に弾いたのだ。

 腕ごと剣を弾きあげられたアサシンは目を剥くが、瞬時に思考を切り替えて半歩下がる。

 刹那、彼の腰があった位置に金色の軌跡が走り、遅れて雷を尾を引いた。

 無遠慮に脇腹を殴り付けてきた雷に舌打ちを漏らし、痺れる体に鞭を打って更に後方に跳躍。

 ローグハンター渾身の振り下ろしが地面に叩きつけられたのは、その直後だった。

 雷電龍の(あぎと)が地面に突き刺さり、乱雑に抉り取りながら、周囲を焦がす。

 舞い上がった砂塵がローグハンターを包み隠し、アサシンからの捕捉を遅れさせる。

 だが、相手の捕捉が遅れるのはローグハンターとて同じ事だ。

 彼は鋭く息を吐きながらタカの眼を発動し、瞬時に上半身を大きく捻った。

 直後、砂塵を貫いた雷が彼の上半身があった位置を通りすぎ、彼方の木を撃ち抜いて倒木させた。

 鎧に掠める程の至近距離を雷が通りすぎた為か、ローグハンターの体を鋭い痛みと痺れが駆け巡り、捻った上半身を元に戻せずに体勢を崩す。

 アサシンがその隙を見逃すかと問われれば、答えは否に決まっている。

 彼は口許に笑みを浮かべ、その体を雷としながら走り出した。

 それを視界の端で捉えていたローグハンターは金色の剣を地面に突き立てて体を固定し、上半身を戻すのではなく下半身を跳ね上げた。

 雷から生身へと戻ったアサシンの放った突刺は、ローグハンターの体があった場所を的確に突いたが、彼はそこにはいない。

 見下ろしてくる金色の双眸を睨み付けながら、アサシンは彼へと追撃せんと刃を返したが、

 

「──ッ!」

 

 直感でローグハンターの剣に力が集まっている事を察知し、その場を飛び退いた。

 直後に地面に突き立てられたローグハンターの剣から、閃光を伴った衝撃波(混沌の輪)が放たれた。

 紙一重で範囲外へと逃れたアサシンは額に流れる脂汗をそのままに、深く息を吐く。

 

「……埒があかんな」

 

 隔世(覚醒)状態とは、本来あのお方の加護なしでは発動することは出来ないものだ。

 人間ではその域にたどり着けないのは、ヒトの遺伝子(二重螺旋)に刻まれた規則(ルール)に他ならない。

 だが、ローグハンターは違う。おそらく、彼の遺伝子にはかつて来たりし者の血(三重螺旋)が色濃く残っているのだろう。

 神の加護を受けただけの人間と、神の血を色濃く遺す人間。

 元の能力(スペック)はともかくとして、伸びしろとエデンの欠片(リンゴ)への適応能力は比ではない。

 どんなに場数を踏み、修羅場を潜り、その技量(レベル)を上げようとも、到達点がまるで違う。

 アサシンの最大値が古代エジプトと同じ(Lv55)とすれば、ローグハンターの最大値は古代ギリシャと同じ(Lv99)程だろう。

 今はレベル差が小さく、どうにか(ぎょ)す事が出来てはいるが──。

 

「……時間の問題だな」

 

 長時間の戦闘は成長を促す事となり、自分の不利な方向へと進んでしまう。

 かといって逃げたとしても、彼はレベルを上げてから再挑戦してくるだろう。

 謀らずもこの戦闘が、ローグハンターを連れ出す最初で最後の機会なのだ。

 アサシンは金色の剣を握り直し、相手の挙動に注意を払う。

 相手の動きは確実に良くなっている。気を抜けば、首と胴が泣き別れすることになる。

 無意識の内か、ローグハンターの攻撃を防ぐ事に意識を傾けていた。

 理由は様々だろう。

 絶対防御たる不可視の鎧(ライフシールド)を突破されたこともそうだが、今のローグハンターの強さが計れないことが大きな理由の一つだ。

 アサシンの額に一筋の冷や汗が流れ落ちた瞬間、

 

「──ッ!」

 

 雷光と共に、ローグハンターが動いた。

 雷を足跡の代わりとして、地面に黒い焦げた跡を残しながら、瞬き一つする間もなく、開いていた間合いが零になる。

 金色の剣を地面を擦る程の低さから、体を捻り上げる勢いのままに一閃。

 剣から迸る雷電龍が咆哮をあげ、その爪を以てアサシンを切り裂かんとした。

 だが、それさえも見越していたアサシンは、体を雷として距離を取り、視線を戻すと共に我が目を疑った。

 じぐざぐと曲がりながら地面に叩きつけられる筈の雷が、本来あるべき空へと、一直線に駆け上がる。

 それはまさに、異様な光景だった。

 雷の根本に立つローグハンターは宙を切って雷の残滓を振り払い、その切っ先をアサシンへと向けた。

 それで次の一手がわからないほど、アサシンも腑抜けてはいない。

 ローグハンターと鏡合わせのように金色の剣の切っ先を向け、雷を溜めていく。

 刃から漏れ出た雷が地面を焼き、ローブをはためかせる。

 二人が腰を落として身構えた瞬間、それぞれの得物から雷電龍が解き放たれた。

 二体の雷電龍は咆哮をあげ、真正面からぶつかり合う。

 押しつ押されつを繰り返す二体だが、ローグハンターは目を細めて空いていた左手も金色の剣に握りこむ。

 瞬間、ローグハンターから放たれた雷電龍が更なる咆哮をあげ、相手を呑み込まんとその力を増した。

 アサシンは目を剥き、地面に踵をめり込ませながら剣の力を引き出さんとした。

 

「っ!おおおおおおおおおおおっ!」

 

 彼の咆哮に雷電龍の咆哮が重なり、ローグハンターの放った雷電龍を押し返す。

 徐々に押され始めたローグハンターは歯を食い縛って踏ん張り、出せる全力を絞り出す。

 正面からも押され、後ろからも押される雷電龍は、次の瞬間に弾けとんだ。

 凄まじい爆発が巻き起こり、飛散した雷は刃となり、周辺に傷をつけ、時には瓦礫の山を切り裂いていく。

 巻き込まれれば只では済まない状況ではあるが、アサシンとローグハンターはそれを見越していたかのように落ち着いていた。

 二人は同時にタカの眼を発動。暗くなった視界に幻のように浮かび上がる、数瞬先(みらい)の雷の軌跡を見切り、金色の剣でもってそれらを捌いていく。

 文字通り光速で飛翔する物体を、自らに当たるもののみを瞬時に判断し、最低限の動きだけで全てを捌いているのだ。

 それだけでも、二人が異常であることがわかる。だが、それだけで終わる二人ではない。

 先に動いたのは、アサシンだった。

 先程から後手に回っていると判断し、無理矢理にでも流れを断ち切ろうとしたのだ。

 金色の剣を右手に保持しつつ、左手を腰に回し、複数本の投げナイフを取り出す。

 彼の動きを察知したローグハンターは金色の剣を空に向けて投げ、開いた両手を腰のホルスターに伸ばし、二挺のピストルを引っ張り出した。

 投げナイフが放たれるのと、ピストルが火を噴いたのはほぼ同時。

 短筒から吐き出された鉄球(だんがん)と投げナイフが空中でぶつかり合い、火花を散らしながら弾きあう。

 結果、投げナイフも弾丸も相手を捉える事はなく、二人の足元に突き刺さる。

 それで気を抜ければ楽なのだろうが、ローグハンターはピストルをホルスターに押し込み、落下してきた金色の剣を片手で受け止めんとしたが、

 

「ッ!」

 

 視界の端に映った銀光を認め、弾かれるように手を引っ込めた。

 彼の手があった場所を投げナイフが通りすぎ、落下してきた金色の剣に直撃した。

 僅かに落下地点を剃らされた金色の剣は地面に突き刺さり、ローグハンターの視線が僅かにそちらに向けられた。

 刹那、彼を目指して雷が駆け出した。

 障害物もない、一直線にたかが数十メートル。

 雷が彼の下にたどり着くのに時間はいらず、瞬きする間もなく距離は零だ。

 相手は無手。意識も別の場所に向けられていた。

 これ以上ないほどの好機。これを逃がす手はない。

 彼の懐に飛び込んだアサシンは、金色の剣を振り下ろす。

 相手の頭蓋を砕かんと放たれた一撃には、一切の手加減はない。確実に相手の命を断たんとしているものだ。

 殺すぐらいがちょうど良いとは言うが、それで本当に殺す気で攻撃する者はあまりいないだろう。

 降り下ろされる金色の刃を睨みつつ、ローグハンターの左手が半ば無意識の内に動き出す。

 左手の小指を動かして手首の仕込み刀(アサシンブレード)を抜刀。

 同時に自身の頭に迫る金色の刃を受け止めんと、流れるように差し出した。

 響き渡ったのは、甲高い金属音だ。

 只の刃であれば、腕諸とも斬られて終わりだっただろう。

 だが、彼の左手首のアサシンブレードは、使われた材料からして訳が違う。

 この世界でも貴重なまことの銀(ミスリル)に、アルタイルが持ち込んだエデンの欠片(リンゴ)の力の込められたそれは、おそらくこの世界において右に出るものはない、唯一無二の黒きまことの銀(ミスリル)

 堅い筈なのに柔らかい。その独特の特性を持つ刃は、受け流すべき一撃を受け止めた。

 黒きアサシンブレードは、敵を屠むる刃として、主を守る盾として、その役目を充分に全うしたのだ。

 ぎりぎりと火花を散らしながら、ローグハンターとアサシンは金色の双眸で睨みあう。

 

「アサシンブレード。それにしては、私の知っている物と違うな」

 

 アサシンは吐き捨てるように言うと、僅かに疼く左手薬指に意識を向けた。

 師に認められアサシンとなり、その証として自ら切り落とした薬指。

 その生涯を神々と戦いに捧げ、ひたすらに血に染め続け、ついに神に認められる事が出来たと言うのに──。

 

「自らの指を切らず、あのお方の籠愛も受けぬ半端者が……っ!」

 

 目の前の男は、薬指のついた左手でアサシンブレードを振るい、神の干渉もなしに力を振るっている。

 その事実はアサシンの神経を逆撫でし、無意識に腕に力がこもる。

 人であろうと悪魔(デーモン)であろうと叩き切る得物と、それを十全に振るう腕力をもってしても、ローグハンターを崩せない。

 彼は冷たい視線をアサシンに向け、僅かに目を細めた。

 

「俺は騎士()()()からな」

 

 彼らしく単刀直入に、僅かに悲哀の色を込めて、だが後悔だけはした様子はなくそう告げ、ぎりぎりと押し込まれる金色の剣を押し返す。

 

「騎士としての道を捨てて、アサシンとしては実力も覚悟もない。確かにお前の言うように半端者だ。だがなっ!」

 

 金色の双眸を見開きながら、ローグハンターは語気を強めた。

 彼の意志に応えるように、その肉体に雷が駆け抜けた。

 脳からではなく、遺伝子から放たれる直接的な電気信号(めいれい)に、彼の腕は跳ね上がった。

 金色の剣を片手で跳ね除けられたアサシンは、仰け反る形で大きく体勢を崩す。

 彼は目を剥くと、素早く体勢を整えて左腕の籠手で胴体を庇う。

 長年の経験から来る条件反射の動きだが、それは正解だった。

 盾代わりに構えられた籠手に、ローグハンターの前蹴り(スパルタキック)が叩き込まれたのだ。

 甲高い金属音と共に漏れたのは、骨の砕ける乾いた音だった。

 

「──っ!」

 

 アサシンは苦痛の声を噛み殺すと左腕に叩き込まれた足を振り払い(パリィ)反撃(カウンター)に金色の剣を一閃する。

 蹴りを放った後の、無防備な体勢に狙った攻撃。

 それには流石のローグハンターも反応しきれず、素早く足を引き戻して回避せんと身を翻したが、アサシンの一閃はその先を行った。

 雷の尾を引く一閃は、ローグハンターの腕を深く切りつけた。

 一拍開けて傷口が開き、迸った鮮血が夜を閉じ込めた彼の漆黒のローブの袖と漆黒の籠手に彩りを加える。

 ローグハンターは熱を持った腕に一瞥くれると後ろに転がり、出血をそのままにアサシンを睨んだ。

 彼は疲労と共に深く息を吐くと、金色の剣に血払いくれる。

 

「さあ、どうする……!」

 

 彼は試すようにそう言うと、ローグハンターは再び血に濡れた自らの腕に目を向けた。

 彼は僅かに目を細めると、血に濡れる事もいとわずに傷口を押さえると、鋭く息を吐く。

 瞬間、彼の体を一瞬の閃光が包む込んだ。

 瞬きすれば止んでしまう程、刹那的な時間の発光。

 だが、その光に覚えのあるアサシンは舌打ちを漏らす。

 

急速回復(セカンド・ウインド)……。貴様、そこまで……」

 

 戦う意志でもって体に喝を入れ、負傷と毒、火傷を癒す能力(アビリティ)だ。

 何ともなしにそれを使用したローグハンターは、挑発するように不敵に笑み、右手で虚空を掴む。

 同時に駆け抜けた雷光が彼の手に納まり、剣を形作った。

 剣のあった場所に目を向ければ、そこには焦げた後を残して何もない。

 弾いた所ですぐさま掴まれるのなら、するだけ無駄だろうか。

 アサシンの脳裏に過ったその思考をすぐさま切り上げ、相手の笑みに自らの笑みを返した。

 

「だが、能力(アビリティ)の連続使用は堪えるだろう?」

 

「知ったことか」

 

 ローグハンターは冷たく言い放つと、右手の金色の剣を握り直し、右足を半歩下げて体勢を落とす。

 剣を駆ける雷が腕を伝って彼の全身を駆け巡り、無意識に働くべきブレーキを壊し、本来出せる力を大きく越える力を引き出す。

 つまり、次の瞬間には、アサシンとローグハンターの間合いは零になっていたのだ。

 アサシンが感知出来たのは、ローグハンターのいた場所の地面が盛大に爆ぜ、自らに向けて雷が迫ってきた瞬間だった。

 まともな者から反応も出来ず、その体躯を小石のように弾き飛ばされるだろう。

 だが、彼はアサシン。まともな者(只人)という枠組みから大きく逸脱した、文字通りの化け物だ。

 彼は自らの体を雷と化し、垂直に飛び上がる。

 同時に彼のいた場所を雷が駆け抜けた。

 

 ──否、正確に言えば、そう見えただけだ。

 

 雷となったローグハンターが渾身の刺突を放ち、地面を大きく抉りながら急停止したのだ。

 防御も反撃(カウンター)への備えもない、攻撃に全身全霊を込めた一撃。

 大地から空に向けて雷が走るという奇異な光景も見慣れ、特段何も思うことはなくなったローグハンターは、弾かれるように真上へと目を向ける。

 上空のアサシンは体勢を整えると、金色の剣を逆手に持ち変えて逆手持ちにし、落下の勢いのままに、大上段から振り下ろす。

 ローグハンターは慌てる事なく後ろに下がるが、次の瞬間には彼の体が宙を舞った。

 空を突いた金色の剣が地面に突き刺さった瞬間に、凄まじい衝撃波が発生したのだ。

 それを諸に受けたローグハンターは驚く間もなく地面に叩きつけられ、ごろごろと転がる。

 ざっと踵を地面にめり込ませて踏ん張りを効かせ、揺れる視界を持ち直そうと頭を振った。

 

「はっ!」

 

 その隙にアサシンの気合い一閃と共に振るった金色の剣から、雷が放たれる。

 歪んだ視界の端から迫る金色の輝きに、ローグハンターは無理矢理横に転がる事で対抗せんとした。

 結果的に言えば、雷はローグハンターの急所を捉える事はなかった。

 

「──―」

 

 急所に当たらず、致命傷にはほど遠いにしろ、彼は右足を駆け抜けた激痛に歯を食い縛る。

 脚甲により守られていたため、無事に繋がってはいる。だが、その中身は強烈な電熱に曝され、焼き爛れているのだろう。

 アサシンは鋭く息を吐き、同時に走り出す。

 走り出すと言っても、その身を雷に変えての全力疾走だ。もはや備える暇もない。

 倒れたままのローグハンターは、苦し紛れに金色の剣を盾代わりに構えた。

 ないよりはまし程度の防御だが、無慈悲に放たれたのは全力(ガード不能)攻撃だ。

 地面に擦れるほどの下段から金色の剣が振り上げられ、防御してしまったローグハンターの体が、一瞬の内に浮かび上がる。

 彼の目が驚愕に剥かれるのと、鎧の隙間を縫うように、腹に金色の剣が突き立てられるのはほぼ同時。

 ごぼりとローグハンターが吐き出した血の塊にフードを汚しつつ、アサシンは金色の剣を握る腕に力を込める。

 

「おおおおおおおおおおおっ!」

 

 相手の体内に微弱な雷を流し込みつつ、気合い一閃と共に剣を振り抜く。

 遠心力に引かれたローグハンターの体は独りでに剣から抜け、地面にぶつかる度に跳ね、瓦礫の山に突っ込む事でようやく止まる。

 

「か──……あぁ………」

 

 体から煙を噴き出しながら瓦礫の山に埋もれるローグハンターの口からは、声とは呼べない音が漏れ出た。

 体内から雷で焼かれ、意識は消えかける寸前。右足の感覚はなく、能力(アビリティ)を使おうにも集中出来ない。

 

「はぁ……はぁ……。ようやく、か……」

 

 アサシンは荒れた息を整えつつ、額の汗を拭った。

 ここまで苦戦したのは、果たして何年──何百年ぶりだろうかと自問し、もう忘れた事だと思考を放棄した。

 だが、勝てたのだから良いかと胸を撫で下ろし、ローグハンターの下へ歩み寄る。

 先程の反撃(カウンター)に備え、警戒を解くことなく、だが無駄に力が入らないように気を抜いて、足取りを確かに歩いていく。

 雷となっても良いのだが、あれはあれで消耗する。立ち上がられた時に備え、少しでも体力を残しておかなければ──。

 

『──ローディング』

 

 体力の配分を考えるアサシンの耳に、聞き馴染んだ音が届いた。

 その声には一切の抑揚がなく、もはや話すだけの機械から発せられていると考えた方がしっくりくるだろう。

 この剣を持ったばかりの頃には、毎日のように聞いていた音声だ。

 だが、その声が出るときは、決まって持ち主に何かが起こる知らせだ。

 そして、その音声が発せられたのは自分の剣ではない。

 すぐに答えにたどり着いたアサシンは露骨に舌打ちを漏らし、「なぜだ、我が主よ……っ!」と天に向かって咆哮した。

 

『遺伝子情報検索──完了』

 

『データ更新、開始──完了』

 

流入(シンクロ)開始──完了』

 

 その間にも次々と音声が流れ、ついには最後の一文が音読された。

 瞬間、瓦礫の山が吹き飛んだ。

 何の比喩でもない。文字通り、跡形もなく消し炭となったのだ。

 急速回復(セカンドウインド)で体力を全快させたローグハンターは、興奮したように肩で息をしながらアサシンを睨み付ける。

 金色の剣には先程とは段違いの力が迸り、持っているだけだと言うのに地面を焦がす。

 

「主よ。なぜ、そこまで彼を愛するのですかっ!」

 

 不服そうに、不満そうに、憤るように、アサシンは吐き捨てた。

 彼は金色の剣を構え直し、体を雷へと変えてローグハンターとの距離を詰める。

 仁王立つローグハンターを間合いに入れた瞬間、アサシンは渾身の力を以て金色の剣を振り下ろした。

 その首を落とさんと、一切の手加減も容赦もなく、雷の一閃を振り抜いたのだ。

 だが、彼の手に感じたのは肉と骨を切り裂く感覚ではなく、固いものを殴り付けたような感覚だった。

 アサシンの一閃が首を捉える刹那に、ローグハンターは金色の剣を隙間に差し込んだのだ。

 振り下ろしたものを受け止めたという都合上、多少怯むなり踏ん張るなりするだろう。

 だが、ローグハンターは微動だにせず、自然体のまま受け止めたのだ。

 アサシンが下がろうとした刹那、その顔面にローグハンターの拳が叩き込まれた。

 寸分の狂いなく顎を打ち抜かれ、脳を揺らされたアサシンはたたらを踏み、更なる追撃を許してしまう。

 ローグハンターからの追撃は、剣の一撃でも何でもなく、雷を力を込めた拳の乱打だ。

 崩れかけたアサシンの頭を更に打ち抜き、更にもう一発、もう一発、もう一発──。

 倒れようとした相手の体に雷を流し込み、無理やり筋肉を強張らせる事で、相手が意識して倒れることを阻害する。

 倒れない相手(サンドバッグ)が、無防備に目の前にいた。

 なら、やることは決まっている。

 ローグハンターは金色の剣を放り投げると、両手の拳を握り込んだ。

 拳を引いて、腰を捻り、防御を捨てて攻撃へ。

 まず一発殴る。続けて殴る。更に殴る。殴る。殴る、殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る!

 本能の赴くまま、拳が砕けようと、腕が上がらなくなろうと、壊せという衝動のままに殴り続ける。

 

「──アァッ!」

 

 最後に思い切り拳を振り上げ、獣の唸り声と共に渾身の力を以て振り抜く。

 撃ち抜かれた顎は無残に砕け、口や鼻から大量の血を噴き出しながら吹き飛ばされた。

 今度はアサシンが血の痕を残しながら地面を転がり、金色の剣を地面に突き立てて無理やりブレーキをかける。

 地面を擦ること数メートル。

 ようやく勢いが止まったアサシンは血を吐きながら立ち上がり、砕けた顎の痛みに表情を歪める。

 

「ぉ゛の゛れ゛……っ!」

 

 喉から漏れる掠れた音と共に発せられた声は、もはや怒りにのみ染まっていた。

 なぜ、あのお方の愛を一身に受けているのか。

 なぜ、優れた遺伝子(三重螺旋)を持ちながらこちらに付かないのか。

 疑問は多い。だが、答える者は誰一人としていない。

 

 ──だが、彼の命を狙う者が一人。

 

「シッ!」

 

 ローグハンターが雷を纏いながら肉薄し、いつの間にか回収していた金色の剣を、加速の勢いのままに叩きつけてきたのだ。

 アサシンはもはや声さえ出す間もなく、その場を飛び退いた。

 金色の剣が振り下ろされると共に、一条の雷が地面に落ち、盛大に爆ぜた。

 尤も、今さらそんなものに当たる程、アサシンも弱っていない。

 余裕をもった行動で回避すると、離れ際に投げナイフを複数本放つ。

 放たれた投げナイフはローグハンターの眉間や眼を始めとした急所を目掛けて進んでいくが、肉体に刺さる直前に、何かに当たったかのように弾かれた。

 何に防がれたのか。それはアサシンがよく知っている。

 不可視の鎧(ライフシールド)。先ほど瓦礫の山を吹き飛ばした時に纏ったのだろう。

 着々と減っていく勝機に、アサシンは砕けた顎から息を吐き、目を細める。

 瞬時に急速回復(セカンドウインド)を使用して顎を直し、ローグハンターに問うた。

 

「お前は、何なのだ……っ!」

 

「ふぅ……っ!ふぅ……っ!ふぅ……っ!」

 

 だが、ローグハンターに答える余裕はない。

 突如として使い方を把握できた不可視の鎧(ライフシールド)は、想像以上の消耗を強いられた。

 いや、それだけではない。

 内側から滲み出てくる怒り。何に対してなのかもわからない怒りが、抑えきれないのだ。

 荒れた息を整えようと努めるが、渦巻く激情に逆らえず、消耗をそのままにアサシンを睨み付ける。

 

「俺は──っ!」

 

 どすの利いた低い声を発しつつ、アサシンに向けて飛び出した。

 雷の尾を引きながら駆けるその様は、小さな竜が如し。

 迎え撃たんと構えるアサシンに向けて、金色の剣を突き出した。

 

「──デイモス(・・・・)だ!!!」

 

 瞬間、放たれたのは、先程までとは比較にもならない一撃だった。

 雷電龍が吼え、その全速力を以てアサシンに襲いかかったのだ。

 彼の返答にアサシンは驚き目を見開いたが、その意味を理解してか不敵な笑みを浮かべた。

 直後、解き放たれた雷電龍がアサシンをぼろ雑巾に変えんと、喰らいつく間際。

 凄まじい力を帯びていた雷電龍が、突如として霧散した。

 突然の事態にローグハンターは驚きを露にし、対するアサシンは余裕そうに肩を竦める。

 そして、竦められた彼の肩に、何者かの手が置かれた。

 その手は金色に輝きながらも半透明で、神々しいさを持ちつつも幽霊のようだ。

 ローグハンターはその手の持ち主──アサシンの背後に立つ女を睨み付けた。

 身長はアサシンよりも頭ひとつ高く、その顔はさながら女神のように整っている。

 切れ長の目に、強い意思のこもった金色の瞳。風に揺れる金髪は透き通る──実際に半透明なのだが──ように美しい。

 街中で見つければ、まず間違いなく記憶に刻まれる程の美貌だ。

 だが、ローグハンターはそんな想いをすぐに捨て去り、アサシン諸とも叩き斬らんと走り出した。

 それを察知してか、女はゆるりと右手を前に出し、僅かに力を入れる。

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、ローグハンターの動きが止まった。

 走り出した時の姿勢のまま、金縛りになったかのように、その動きを止めたのだ。

 彼は視線だけで自分の体を確認し、体に覆う金色の膜のようなものが、動きを阻害しているのだと判断する。

 だが、わかった所でどうにもならないのもまた事実だ。

 どうにか動かせる顔だけをアサシンと謎の女に向け、絶対の殺意を込めて睨み付けた。

 それを不服に想ってか、アサシンが彼を黙らせんと前に出るが、謎の女は彼を手で制すると、口を開いた。

 

『────―』

 

 唇を動かしたというのに、その声は音にはならない。

 だが、読唇術を心得ているローグハンターは、彼女が何と言ったのかを把握できた。

 

「ああ、すぐに行く。待っていろ……!」

 

 ローグハンターは動かせない体をそのままに、言葉に精一杯の力を込めて返した。

 彼女は優雅に笑みを浮かべながら頷くと、かざしていた右手に今一度力を込めた。

 その瞬間、身動きひとつ出来ないローグハンターの体が、不可視の何かに殴り付けられたかように宙を舞い、地面を転がった。

 だが、それと同時に自由になった体に喝を入れると素早く体勢を整え、転がった勢いのままに立ち上がり、アサシンと謎の女の方に目を向けた。

 同時に迸った雷が天頂を目指して駆け上がり、天駆ける竜さながらに、尾を引いて地平線の彼方へと消えていった。

 ローグハンターはその背を見送ると、突如として頭に激痛が走った。

 否、痛みが走ったのは頭だけではない。全身の筋肉が、骨が、神経が悲鳴をあげている。

 声にならない唸り声をあげながら両膝をつき、頭を抱えて歯を食い縛り、全身を襲う刺されているような痛みに耐える。

 彼の預かり知らぬ事ではあるが、彼らの使う能力(アビリティ)は、文字通り|この世界には存在しない筈の力だ。

 それを息継ぐ間もなく使い続け(オーバーキャストす)ればどうなるかなど、もはや語るまでもない。

 ましてや、彼はまだ正式にそれを扱う資格を持ってはいないのだ。

 戦闘中故に感じなかった負荷が今になって発生し、彼の脳を焼き、筋肉を傷つけ、神経に過負荷をかける。

 そこに人格の不安定化(流入現象)が始まれば、もはやどうにもならない。

 

「──っ!……──っ!?──……っ!!!?」

 

 彼は頭を抱えながらもはや意味不明な叫び声をあげ、無様なまでに地面をのたうち回る。

 

 ──アサシンとの第一戦は、両者痛み分けに近い形で幕を降ろした。

 

 だが、心せよ。

 

「お゛れ゛は゛……お゛ま゛え゛を゛──」

 

 ──せ゛った゛い゛に゛、に゛か゛さ゛な゛い゛っ!

 

 狩人(ハンター)は、獲物(アサシン)を逃がしはしない。

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。


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Memory06 欠けた記憶

「──っ!」

 

 目を覚ました彼は、弾かせるように体を起こす。

 いまだに痛みを引きずる頭を押さえ、重苦しいため息を吐く。

 思い出したくもない激痛に襲われ、気を失ってからの記憶がない。

 まあ、気を失っていたのだから、記憶がないのは当然の事だ。

 彼は再びため息を吐くと、改めて周囲を見渡した。

 あまり見覚えのない室内に、上半身裸で一人きり。加えるならベッドの上にいることを確認。

 棚には何も入っておらず、机の上には彼の物と思しき衣服と右手用のアサシンブレード。

 その隣に立つマネキンには黒いローブが羽織られており、血の染みも切られた跡もなく、新品同様だ。

 その足元にはブーツが置かれてはいるが、肝心の脚甲は見当たらない。

 彼は肩を竦めながらベッドから降りると衣服を纏い、ローブを羽織ると共に、窓から差し込む光から昼頃である事を理解する。

 あの戦いが朝一だったから、寝ていたとしても数時間程だろう。

 その数時間を無駄にしたと不服そうに小さく唸り、衣服とローブの着心地を確かめると共に、思考を切り替えるように固まった体を解すように伸びをひとつ。

 固まっていた筋肉が伸びる感覚は、いつになっても心地が良い。

 途中、ばきばきと愉快なまでに骨が鳴り、そこまで固まっていたのかと彼は目を細めた。

 本当に寝ていたのは数時間なのかと疑問を抱き、答えを知るために部屋を出ようと歩き出す。

 部屋の隅から扉にたどり着くまでにアサシンブレードを装着し、抜納刀に支障がないかを手早く確かめる。

 それが問題ないとわかるのと、扉の前にたどり着いたのはほぼ同時。

 いつものように扉の奥を見ようとタカの眼を発動するが──。

 

「う゛ぅ……っ!」

 

 突如として頭を駆け抜けた激痛に、低く唸りながら頭を押さえ、壁に手を付く。

 脳を火掻き棒でかき回されたような痛みと熱に嗚咽を漏らし、ぐるぐると回る視界に耐えきれず、勢いよく膝をつく。

 歯を食い縛って痛みと吐き気に耐えながら、無駄に行使され続けていたタカの眼を解除すると、ようやく痛みが治まっていく。

 荒れた息を整えながら体を起こし、天井を仰いで額に両手をやった。

 タカの眼が使えないという事実に驚きつつ、なぜそうなったのかを考える。

 小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)と戦う度に、正確には謎の欠片を手に入れる度に、タカの眼は力を増してきた。

 かつては敵意の感知だけだったものが、やがて痕跡を辿れるようになり、ついには壁を透視できるようになった。

 だが、先程の痛みにはどこか覚えがあるのも事実だ。

 あそこまで強烈なものではないが、似たような痛みをどこかで──。

 

「……あの時か」

 

 彼はぼそりと漏らすと、体を丸めながら眼を閉じる。

 ゴブリンスレイヤー以外と一党を組んでの冒険。仲間たちが誘拐され、それを追跡せんとタカの眼を使った時も、激しい頭痛に襲われた。

 ある種タカの眼が暴走し、脳への負荷が一定以上になると痛むのかと推理し、今後は使用を控える事を決める。

 頭の痛みが落ち着いた頃を見計らうと立ち上がり、息を殺して気配を消しながら、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

 僅かに鳴ったノブの回転する音に僅かに眉を寄せるが、構わずに扉を優しく押して開く。

 扉の先にあったのは、左右に伸びる廊下だった。

 窓から差し込む陽の光に優しく照らされ、外からは何かはわからないが騒がしい声が聞こえる。

 喧嘩でもしているのか、半ば怒号のようにも聞こえるが、内容まではわからない。

 彼は鈍く痛む頭を押さえ、小さくため息を漏らすとその声を下を目指して歩き出した。

 いつもより一歩が重く、呼吸ですら僅かにしんどい。

 やはり部屋にいるべきだったかと自問するが、いた所で時間の無駄だと切り捨てる。

 今は時間が惜しい。一刻も早く奴を追いかけ、仕留めなければ──。

 

「──わ!わわ!」

 

 ぼんやりしながら考えて事をしていた彼の耳に、聞き馴染みのない声と、それに続いて何かが床に落ちる音が届く。

 ゆらりと首を揺らしてそちらに目を向けると、そこには一人の少女が倒れていた。

 おそらく成人すらしていないであろう、小柄な黒髪の少女だ。

 何かを運んでいたのか、彼女の近くには明らかに彼女が運ぶには大きすぎる木箱が転がっており、当の少女も倒れたまま目に涙を浮かべている。

 彼は苦笑を漏らし、少女の姿に幼き頃の妹を幻視した。

 ──が、すぐに首を傾げる。

 

「──妹とは、誰だ」

 

 誰に言うわけでもなく、彼の口から無意識の内に漏れた言葉。

 妹。確かに妹がいた記憶はある。だが、それがどんな妹であったのかがわからないのだ。

 貴族令嬢だったが、傭兵だったか、同業者だったか、あるいは世界を救った勇者だったか。

 名前はクラウディアだったか、カサンドラだったか、それとももっと違う名前だったか。

 

「……」

 

 彼は額に手をやって目を細めながら、そんな答えの見つからない問題に向き合い続けていた。

 女神官やゴブリンスレイヤー、それに弟子たちの事は明確に覚えているし、何より恋人たる彼女の事も──。

 彼はそこまで思い浮かべ、脳裏を駆け巡った驚愕のままに目を見開いた。

 そのまま力が抜けたように両膝をつき、頭を抱えて首を振る。

 恋人。そう、恋人がいる筈なのだ。決して忘れまいと、決して離すまいと決めた、心に決めた女性がいる筈なのだ。

 なのに、なのに──!

 アヤ、アミュネット、マリア、クリスティーナ、ソフィア、キャロライン。

 全く関係のない名前と顔が浮かんでは消え、探している彼女の名前を覆い隠す。

 誰かの、それこそ顔を知るのみの誰かの名前を忘れたのなら、それは仕方がないと割りきれる。

 だが、恋人である彼女の名前を、彼女との思い出を。いくら掘り返そうとしても見つからない。見つかったと想っても、それはまた別の女性との思い出だ。

 

「くそ!くそ!くそ……っ!」

 

 廊下の壁に頭を叩きつけ、記憶に埋もれた彼女の影を探す。

 彼女の温もりも、彼女の声も、彼女の笑顔も、何一つとして忘れてはならないものだ。

 

「どこだ、どこだ!どこにある……!?」

 

 額から血を流しながら、狂ったように頭を打ち付け続ける。

 重く、乾いた音から湿り気の多い音へ。

 がん!がん!と、廊下に響く程の勢いをつけて、何度も、何度も、何度も。

 なぜ友人たちの事を思い出せるのに、妹や恋人の事となると記憶が霞むのか。

 まるで、彼女たちの事を()()()()()()()()()()()()()()()、全く思い出せないのだ。

 

「なぜ、なぜだ!どうして……っ」

 

 声を上擦らせ、僅かに涙を溜めながら、壁に頭を打ち付けた姿勢のまま、彼はずるりとへたり込んだ。

 

「あ、あの……?」

 

 声にならない嗚咽を漏らす彼に、先程の少女が声をかけた。

 突然の奇行に走った男に話しかけるなど、かなりの勇気がいるのだろうに、放っておけずに声をかけたのだ。

 声をかけられた彼は額から流れる血をそのままに、少女に目を向けた。

 幽鬼さながらの姿に、少女は「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて後悔したかのように目を泳がせるが、すぐに何かを決めると先程落とした木箱の方に駆けていき、中から何かを引っ張り出し、戻ってくる。

 

「す、少し痛いですよ……?」

 

 少女は恐る恐る布と包帯を差し出すと、一言告げてから彼の額に布を押し当てた。

 突然傷口に布を押し当てられた彼は、僅かに表情を強張らせるのみで、別段気にした様子はない。

 真っ白だった布は程なくして赤く染まり、滲み出た血が廊下の床を点々と汚す。

「人を呼んで来ますね」と一言告げると、少女は彼に自分で布を押さえてもらい、ぱたぱたと廊下の奥へと消えていく。

 彼女の小さな背中を見送った彼は、血に濡れた布を一旦離した。

 押さえられていた出血が再開され、再び多量の血が額から流れ出る。

 

 ──痛い。筈なんだがな……。

 

 額からでなくとも、体に傷が出来れば痛いし、血が出ればもっと焦るものだろう。

 だが、彼にはその二つがなかった。額に痛みはないし、血が出ているのもどこか他人事のように思える。

 頭を打ち過ぎて可笑しくなったかと自嘲的な笑みを浮かべ、戻ってきた時に心配させないようにと布を額にやった。

 壁に背を預けたまま足を投げ出し、何かするわけでもなく天井を見上げる。

 見覚えのない天井。見覚えのない少女。傷だらけの──尤も、今回は自傷した──自分。

 何から何まで、初めての村での事を思い出す。

 そこで妹と呼べる少女と出会った訳なのだが──。

 

「……思い出せん」

 

 妹がいたことは間違いない。だが、その顔立ちや声音、性格がまったく思い出せないのだ。

 村でゴブリンスレイヤーと呼ばれる事となる友人に出会った事は覚えているし、そこで初めてゴブリン狩りをしたことも覚えている。

 なのに、どうして──。

 

「……思い出せない」

 

 顔を俯かせ、彼は力なく息を吐き出した。

 忘れるなら、何もかもを忘れていた方がずっと楽だろうに、何故か友人たちの事だけは鮮明に覚えており、逆に恋人や妹などの、ある程度の一線を越えた者の事は思い出せない。

 ある種の呪いかとも思うが、ここまでひねくれた呪いがあるだろうか。

 

「──グハンターさん?ローグハンターさん!?」

 

 頭を抱えて──尤も、止血しているのだが──いる彼の耳き、不意に聞こえた誰かを(・・・)呼ぶ声に気付き、顔を上げた。

 

「大丈夫ですか!?血まみれですよ!?」

 

 そんな声をあげたのは金髪の少女だ。地母神の僧衣で小さな体を包み込んだ、神官の少女だ。

 ローグハンターは僅かに記憶を探り、外見的特徴が該当する少女の事を引っ張り出す。

 そしていつもと変わらぬ様子で、彼女に対する態度のまま言葉を返した。

 

「神官。何か用か?」

 

「『何か用か?』じゃあないですよ、まったく!」

 

 ぷんすかと怒っている様子だが、彼から見れば可愛いもの。大人ぶろうとしているのは言動の節々から感じるが、年齢は妹と大差ないのだ。

 まあ、その妹がどんな人物なのか全くわからないのだから、そこは適当だ。

 彼は肩を竦め「それはそれとして、だ」と顔を血塗れにしたまま、女神官に問いかける。

 

「──さっきは、誰を呼んでいたんだ?」

 

「……え?」

 

「ローグハンター……だったか。ここには俺しかいないが」

 

「──」

 

 女神官が放たれた言葉の意味を理解するのには、僅かばかり時間を要した。

 そして彼の言葉を噛み締めるように脳内で反芻し、「何を言ってるんですか?」と固い笑みを浮かべる。

 

ならず者殺し(ローグハンター)は、あなたの事じゃあないですか」

 

「──?」

 

 女神官が困ったように言うと、ローグハンターと呼ばれた彼は、間の抜けた表情を浮かべ、小首を傾げる。

 

「そう、なのか?」

 

「──」

 

 切り返された言葉に、女神官は今度こそ沈黙した。

 彼が運び込まれた時の事は、今でも鮮明に覚えている。

 他の銀等級冒険者に比べれば、大きな負傷はなかったが、何やら訳のわからぬ言葉を吐きながら、頭を押さえてのたうち回っていたのだ。

 剣の乙女や治療を済ませた銀髪武闘家、勇者たち、手の空いた神官らでどうにか落ち着かせた──突然気絶したとのいう──のだが……。

 

「あの……?」

 

「ん?」

 

 女神官は恐る恐るローグハンターに声をかけると、当の彼は気にした様子もなく額を押さえていた。

 真っ赤に染まった布からは、血が水滴となって漏れ出ている。

 とにかく血を止めるべきかと思慮すると錫杖を片手で握り、空いている手で布を退かし、血に濡れる事も厭わずに彼の額に添える。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 静かに紡がれた『小癒(ヒール)』の懇願は、確かに地母神の耳へと届く。

 優しき母に撫でられた時のように、心を安らかにさせる暖かさを額に感じ、ローグハンターはくすぐったそうに目を細めた。

 いつもの彼なら、休憩がてらに目を閉じて集中するか、あるいは周囲を警戒する状況だろう。

 なのに、安心しきった子供のような面持ちを浮かべているのだ。

 何とも珍しい彼の反応に首を傾げ、頃あいを見た女神官は手を離す。

 ローグハンターは様子を探るように、改めて額に触れた。

 乾いた血でぱりぱりと固くなってはいるが、出血自体は止まったのだろう。手が濡れる感覚はない。

 彼は「良し」と小さく声を漏らし、女神官に小さく一礼した。

 

「助かった。迷惑をかけたな」

 

「次からは自分で──」

 

「壁に頭を叩きつけないさ」

 

 釘を刺そうと口を動かした女神官より早く、ローグハンターは自分の額を小突いて苦笑を漏らした。

 理不尽に頭を叩きつけられた壁には、大量の血がこびりついている訳だが、彼はそれを気にする様子はない。

 その事にも一言言ってやろうかと、女神官が僅かに息を吸い込んだ瞬間だ。

 

「それで、あいつらは無事か」

 

「──はい。皆さん、大事にはなりませんでした」

 

 突拍子もなく放たれた問いに、女神官は僅かに狼狽えながらも確かに頷く。

 いつもの彼なら、『あいつら』ではなく『彼女は』と真っ先に聞く筈なのだ。

 彼女の疑問を知るよしもないローグハンターは「そうか」と頷き返し、目を細めて顎に手をやった。

 

「なら、準備をしなければ」

 

「準備、ですか?」

 

「ああ」

 

 女神官の問いにローグハンターは短く答えると拳を握り絞め、得物を狙う鷹さながらの眼光を放ちながら告げる。

 

「──これから、奴を追う」

 

 

 

 

 

 

 辺境の街の一角に座する、地母神の神殿。

 祭りの季節ならその手伝いや、その後に行われる祈祷の舞いの準備などで忙しいのだろうが、冬場は基本的には静かなものだ。

 祈り、癒し、救う。この三つを聖句とする地母神の神殿には、日々多くの怪我人や病人が担ぎ込まれてくる。

 しかし、冬の時期は怪我人筆頭である冒険者たちが外に出ることを嫌うことや、今年は流行り病が少ないなどの幸運が重なり、質素ながらに神を奉る場所としての──神官たちの祈りを邪魔する者がいないという意味もある──静謐さに満ちていた。

 だがしかし、静謐とは小さな物音ひとつで終わるもの。更に言うなれば、その物音が大砲もかくやという轟音なら、むしろ騒がしいというもの。

 

「他に怪我をした人はいませんか!?」

 

「食事の用意が出来ましたっ!」

 

「毛布あっち!もっと持って来て!」

 

 朝一番に冒険者ギルドで巻き起こったという、謎の人物と銀等級冒険者らとの戦闘。

 危険を察知して一目散に逃げてきた者や、巻き込まれるのを嫌って逃げてきた者、一部冒険者たちの指示により逃げてきた者など、小さな神殿に多くの人が雪崩れこんできた。

 神官たちは朝の祈祷もせぬ内に駆り出され、休む暇もなく駆け回る。

 それでも彼女らが人々を御しきれたのは、ひとえにかの金等級冒険者──剣の乙女がいたからに他ならない。

 信ずる神は違えど、彼女らが人を救わんとする気持ちに変わりはない。

 それが世を救った英雄と言うのなら、尚更に信じられるというもの。

 幾人かの冒険者らは、彼女を前にして格好をつけたかったのか、あるいはただの親切心からか、手伝いを申し出る程だ。

 そうしてその場に集った──寄せ集めとも言う──者たちにより、どうにか避難してきた市民に食事だなんだを用意し終え、負傷した銀等級──常連とも言うべき──冒険者らと、見慣れぬ冒険者三人の治療を終え、ようやく一息つこうと思った矢先の事だ。

 

「──まだ駄目ですよ!?待ってください!」

 

 地母神の神殿にいる者なら、誰しもが聞き覚えのある声が、廊下の奥から響いたのだ。

 一年ほど前に冒険者となり、同期とは比にもならない日数で鋼鉄等級になった、出世頭とも言うべき少女。

 彼女の声は切羽詰まったもので、誰かを止めんと必死になっていることがすぐにわかる。

 廊下の先に視線を向けた神官らに続し、その場にいた冒険者たちも、なんだなんだと廊下の方へと目線をやった。

 そこから現れたのは、一人の男だ。

 漆黒のローブを纏い、何故か額から顔にかけてを真っ赤に染めた一人の男だ。

 彼のローブの裾を引き、どうにか止めんとしているのは女神官と黒髪の少女神官だ。

 二人してかなりの力を入れているのだろうか、顔を真っ赤にして両の腕が伸びきっている。

 それでも男は止まる気配を見せず、ずかずかと無造作な足取りで二人を引き刷りながら歩き続けていた。

 彼の登場に仲間の女性の心配していた黒髪の少女がぱっと表情を明るくし、仲間に一言告げてから駆け出した。

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 走り出した勢いのまま、黒髪の少女──勇者は男に向けて飛びかかる。

 着地のことなど一切考慮していないその跳び方には、兄なら止めてくれるだろうという全幅の信頼が滲んでいる。

 だが、悲しきかな。勇者が飛びかかった男はひらりと身を躱したのだ。

 

「「「え……?」」」

 

 まさかの結果に、勇者、女神官、少女神官の三人から、ほぼ同時に声が漏れる。

 当たり前だ。三人とも、まさか目の前の男が避けるとは、露とも思っていなかったのだから。

 着地の事を考えていなかった勇者は、そのまま体勢を整える間もなく──。

 

「「「──―!!??!」」」

 

 二人の少女に向けて、頭から突っ込む事となった。

 勇者に兄と呼ばれた男──ローグハンターは、後ろで聞こえる三人の断末魔を気にする素振りも見せず、視界の端に映った友人たち──ゴブリンスレイヤーらに足を向ける。

 ゴブリンスレイヤーは普段と違い兜を被っていないが、幸い素顔を見たことはある。間違う事はない。

 だが、ゴブリンスレイヤーと彼の隣にいた牛飼娘をはじめとした友人たちは、怪しむように眉を寄せた。

 いつもの彼と違う事を察せぬ程、付き合いが短い訳ではない。むしろ、最低限気付ける程度には付き合いがあると自負している。

 だからこそ、彼は本当にローグハンターなのか、疑問に思ってしまったのだ。

 当の彼は顔に笑みを貼り付け、ゴブリンスレイヤーと牛飼娘に向けて軽く右手を挙げた。

 

「お前らは無事そうだな。何よりだ」

 

「……ああ」

 

「うん、私たちは平気」

 

 二人は顔を見合せ、何とも気持ちの悪い違和感を感じながら頷いた。

 ローグハンターが友人の心配をすることはよくあることだし、そうでなければ彼とは言えないだろう。

 だがそれをするのは、甘えてきた妹を無視したあとでも、家宝の突剣を折られ、広間の端で項垂れている愛弟子──令嬢剣士を無視したあとでもない。

 彼ならまずその二人に気付き、そちらから声をかけるなりする筈だ。

 なによりも、この場に彼の恋人がいない事を聞いてこないことがおかしいのだ。

 ゴブリンスレイヤーは赤い瞳で彼の姿を捉えつつ、鉛のように重い体を持ち上げた。

 隣の牛飼娘がふらつく彼の体をすかさず支えてやり、ほっと息を吐く。

 

「無理に立ち上がらなくても良かったんだが……」

 

 ローグハンターは頬を掻きながら苦笑を漏らすと、彼や友人たちからの視線に気付いて金色の双眸を細めた。

 

「……俺の顔に何か着いているか?」

 

「乾いた血が、べったりとね」

 

 妖精弓手が警戒するように長耳をぴんと伸ばしながら言うと、「気にしないでくれ」と切り捨てられる。

 

「んがーっ!無視することないじゃんか!」

 

 ふと、背後からの怒鳴り声に意識を傾け、肩越しにそちらに目を向けた。

 女神官と少女神官の二人は目を回しているが、勇者だけは痛痒(ダメージ)がないかのように振る舞っている。

 染みひとつない頬を不服そうに膨らませ、薄い胸を張って腕を組んでいた。

 ローグハンターは彼女を見つめながら数度瞬きすると、自分は関係ないと言わんばかりに視線を外した。

 兄のまさかの行動に勇者は目を向き、自棄になったのか、目に涙を浮かべながらローグハンターに飛びかかった。

 芸術的な軌跡を描きながら最愛の兄の背中に向けて、今度こそ抱きつかんとしたのだ。

 そして、今度は上手くいった。

 彼女から意識外していたローグハンターの背中に、見事に彼女の小柄な体躯が直撃したのだ。

 

「──ッ!」

 

 喉から声にならない悲鳴をあげながら、ローグハンターは前に突っ伏すように体勢を崩す。

 だが、体に刻まれた本能からか、反射的に足が前に飛び出し、彼自身の体と勇者の体を支えた。

 突然の事態にローグハンターは驚いているのか、目を見開きながら肩越しに振り向く。

 ちょうど目があった勇者は年相応の少女のように頬を膨らませ、兄の腰に巻き付けた腕に力を入れる。

 

「もう、無視するなんて酷いよ!お兄ちゃんの意地悪っ!」

 

「……」

 

「避けるのは良いよ?まだどっか怪我してるのかもしれないし。でも、その後何も言わないのはどうかと思うな!」

 

「……」

 

「……お兄ちゃん、聞いてる?」

 

 一向に言葉を返さない兄の姿に、勇者は首を傾げた。

 本当にどこか怪我をしているのかと、ローグ越しに体に触れてみるが、固い筋肉質な体には、怪我をしたらしい感触や、出血による湿りっ気はない。

 

「むむむ、前に抱きついた頃よりも固くなってる。固すぎも良くないと思うな」

 

 勇者が岩のように固い兄の体に触れながら言うと、彼は腰に巻かれた彼女の腕に手を添えた。

 そのまま怪我をさせないように気遣ってか、ゆっくり丁寧に手を解きながら、問いかけた。

 

「……ひとつ良いか」

 

「どうかした?」

 

 勇者の腕を解き、彼女と正面から向き合いながらローグハンターは自分を落ち着かせるように深呼吸をひとつ。

 

「お前は──」

 

「あ、良かった!」

 

 彼が何かを言おうとした矢先に、彼の鼓膜を誰かの声が殴り付けた。

 勇者が「お?」と声を漏らしながら声の主に目を向け、「お姉ちゃん!」と嬉しそうに太陽の如き笑みを浮かべた。

 ローグハンターもつられるようにそちらに目を向け、そして目を見開いた。

 そこにいたのは、一人の女性だ。

 何かを手伝っていたのか額には僅かに汗を滲ませ、透き通るほどに美しい銀色の髪は肩の辺りで切り揃えられている。

 豊かな双丘は呼吸の度に小さく上下を繰り返し、銀色の瞳には夜空の星の如き輝きが宿っていた。

 ローグハンターは、まさに目を奪われていた。相手が敵だとか味方だとか、そんなものは関係なく。

 

 ──心の底から、綺麗だと思った。

 

 銀髪の女性は小走りで放心しているローグハンターに駆け寄り、「良かったぁ……」と安堵の息を吐きながら彼の腕に抱きついた。

 二の腕を包み込む極上の柔らかさに僅かに赤面しつつ、ローグハンターは自制するように咳払いをひとつ。

 

「ひとつ、聞いても良いか」

 

「「なに?」」

 

 彼の問いかけに勇者と銀髪の女性は同時に返すと、彼はそっと二人の体を押し返した。

 名残惜しそうにする二人の顔を見つめ、猛烈なまでの罪悪感を感じながら、絞り出すように声を出す。

 

「──お前らは一体、誰なんだ」

 

 朝までの喧騒が嘘かのように、地母神の神殿に静寂が駆け抜けた。

 彼の言葉を理解するのに時間を要し、病魔のように脳を侵していく。

 ようやく言葉を理解した銀髪の女性──銀髪武闘家は、彼の肩を掴んで「なに言ってるの……?」と目に涙を浮かべながら問いかけた。

 冗談であってくれ。嘘だと言ってくれ。からかっただけだと笑ってくれ。

 彼女の真摯なる祈りは、無情にも神々には届かない。届いた所で、骰子(サイコロ)を振りようがないのだからどうしようもない。

 ローグハンターは彼女の涙につられたのか、無意識の内に目に涙が溜まっていく。

 

「お前らは、誰なんだ。俺は、ローグハンターは」

 

 ──一体、誰の事なんだ……。

 

 

 

 

 

 




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Memory07 それでも彼らは征く

 ローグハンターの一言は、ようやく落ち着きを取り戻した地母神の神殿に、再びの混乱を振り撒いた。

 数時間眠り続けた男が、いきなり妹や恋人に向けて「お前は誰だ」と、加えて「自分は誰だ」と告げてきたのだから、当然だろう。

 

「ら、らしくないよ……?いきなり、冗談言うなんて……」

 

 銀髪武闘家が気丈に笑みながら──それでも、涙は止まらなかった──呟くと、ローグハンターは目を伏した。

「すまない」と彼が呟いたのに、果たして何人が気付けただろうか。

 勇者は「嘘だよ……」と声を漏らし、兄の手を握った。

 時には木をよじ登り、時には壁を登る彼の手は、同年代の冒険者に比べても固く、無骨な印象を受けるだろう。

 だが、その手こそが、勇者たる少女が愛する兄の手なのだ。

 ぎゅっと兄の手を握り締め、その温かさを感じながら、勇者は上目遣いで兄の顔を見上げた。

 

「ぼくだよ?わかんないの……?」

 

 彼女の問いに、ローグハンターは首を重々しく左右に振る。

 問うた勇者だけでなく、彼自身の表情も悲痛なものとなり、見つめあう二人の間にはもはや悲しみしか存在しない。

 いつもなら、和気藹々と、心の底からくる笑みを浮かべて言葉を交わす事だろう。

 だが、今回はないもない。ただ悲痛に、目元に涙を浮かべ、お互いに答えが知れている質問をするのみだ。

 見ているだけの冒険者たちも、三人の間にただようただならぬ雰囲気に、どうするかと目を合わせた。

 そうして、全員の意識が三人から離れてしまった時だ。

 広間にダン!と低い衝突音が響き渡った。

 慌ててそちらに目を向ければ、銀髪武闘家に胸ぐらを掴まれ、柱に押さえつけられているローグハンターの姿があった。

 押さえている銀髪武闘家も、自分でもそんな事をすると思っていなかったのか、小さく目を見開いている。

 押さえられているローグハンターは、振り払う事も出来るだろうにそれをせず、涙に滲む彼女の瞳を弱々しく覗きこむ。

 ここまで弱った相手の目を見る日など、かなり久しい事だ。

 出来ることなら、二度とそんな顔はさせないと決めたのに、それを覚えているのは銀髪武闘家のみ。

 その事実と自らの行いに苦虫を噛んだような面持ちになりながら、彼女はこの状況になってしまったのだからと開き直り、彼の胸ぐらを掴む手に力を入れた。

 

「キミはいっつもそうだよ……っ!誰かを守るために命張って、何回も死にかけて!」

 

「それでも帰ってきてくれるから、目を開けてくれるから、何か言ってくれるから、私は我慢出来たし、頑張ってこられた!」

 

「今日だって、キミが帰ってくるって約束してくれたから、キミなら負けないって信じてたから、一人で行かせたのに……っ!」

 

 ふーっ!ふーっ!と息を荒げ、彼の胸板を殴りながら──もちろん、加減はしている──言葉を紡ぐと、頬を涙が伝った。

 彼女の涙には強い後悔の色が濃い。彼を一人にしてしまった、過去の己の判断の甘さを恨んでいるのだ。

 強烈なまでの罪悪感と自己嫌悪に吐き気を覚え、喉を鳴らしても言葉が音になってくれない。

 口だけが開閉を繰り返す中で、不意に彼女の後頭部に手が置かれ、ローグハンターの胸に押し付けられる。

 息が苦しくならない程度に、自分の熱が相手に伝わるように、力強く、そして優しく抱き寄せられたのだ。

 いつもの彼のように、まだ恋人でもなかった頃からもやってくれたように、彼が抱き寄せてくれたのだ。

 けれど、そこにあるのはきっと親愛ではなく、ただ心配しての事だろう。

 

「こんなの、こんなの……」

 

 ──あんまりだよ……っ。

 

 大粒の涙を流しながら、銀髪武闘家は彼に抱き寄せられたままへたり込む。

 倒れる彼女に合わせ、ローグハンターも足を滑らせるように床に腰を降ろし、胸の中で嗚咽を漏らす彼女の髪を撫でてやった。

 彼女が何を求めているのかはわからない。かつての自分が何をしていたのかはわからない。

 だが、確実に言えることが一つ。

 

「……お前の涙は、見たくなかった」

 

 理由もない、無意識の内に放たれた言葉に、ローグハンターは驚きを露にした。

 言葉が溢れた理由を探そうにも、彼女の事を深くは知らず、何と声をかけたとしても、その全てが逆効果に終わるだろう。

 それがわかっているから何も言えず、何も言わないから銀髪武闘家の涙は止まらない。

 視線を流してどうにかしようと思慮するが、今の彼ではどうしようもない。せめて記憶があれば良いのだが……。

 

「どうすれば良い……?」

 

 誰に言うわけでもなく、どこか落胆したような面持ちでぼそりと呟いたと同時に、神殿の奥から二人の女性が現れた。

 窓から差し込む陽の光に照らされた金色の髪が鮮やかに輝き、肢体を包む薄布は、豊満なそれを隠すには少々役不足。

 女神の如き美貌だが、一つ不満をあげるなら、その目元が黒い布に覆われている事だ。

 だが、その布に隠されているからこそどこか神聖な雰囲気を漂わせ、その他の美しさを引き立てているのもまた事実。

 まこと、美とは難しいものである。

 その女性は見えざる瞳で広間を見回し、一対の蒼い炎(ローグハンターの瞳)を見つけて表情を明るくした。

 ──が、すぐに彼に何者かが抱きついていることに気付き、表情を曇らせる。

 彼にあそこまで親密にいられる人物は、彼女と妹をおいて他にはいないだろう。

 二三言葉を告げたい所ではあるが、今は仕事中だ。公私混同はしないと──本人は──思っている。

 彼女──剣の乙女の表情がころころと変わっている事に、侍女たる武僧は、やれやれと言わんばかりにため息を漏らした。

 剣の乙女の見えざる瞳に代わり、広間に集う冒険者たちの様子を観察し始める。

 ゴブリンスレイヤーをはじめとした銀等級冒険者たちは、治療も済ませた者は各々の姿勢で休んでいるようだが、その視線の先にはローグハンターがいる。

 折れた突剣を前に丸くなる──おそらく泣いているのだろう──令嬢剣士と、彼女を落ち着かせているのか、彼女の背中を撫でる女魔術師。

 ゴブリンスレイヤーの隣には牛飼娘がおり、彼女も銀髪武闘家を気にしつつも、あれこれと負傷した彼に世話を焼いていた。

 見る限り、負傷した冒険者やその関係者に問題ないように思える。

 だが、確実に問題が起こっているのも見ればわかるのだ。

 部屋の片隅にへたり込んでいる勇者と、彼女を介抱している剣聖と賢者。

 柱に身を預けているローグハンターと、彼の胸に顔を埋めて泣いていると思われる銀髪武闘家。

 勇者とローグハンター、銀髪武闘家の三人に何かがあったことは明白だ。

 目が見えぬ代わりに、ある程度その場の空気の変化に機敏な剣の乙女は、後ろ向き(ネガティブ)な雰囲気を察して「あら」と声を漏らした。

 彼女が現れた事に冒険者たちは気付いても──あるいは気付いていない──そちらに気を向ける事は出来ず、どうしたものかと顔を見合せるのみ。

 女神官は小さくため息を漏らすと、ぱたぱたと小走りに剣の乙女の下へと向かった。

 

「大司教様。お話は終わりましたか?」

 

「ええ。幸い、ギルド以外への被害は皆無でしたから、避難した皆様には、頃合い見て帰宅していただくか、希望者は幾日か神殿に滞在させてもらう事になりましたわ」

 

「念のため、水の街からも手伝いを寄越します。もう使いは出してありますので、ご安心ください」

 

 剣の乙女は女神官にそう伝え、伝えられた彼女も「そうですか」と頷いた。

 早朝に始まった冒険者と謎の人物の戦闘。

 本来戦いとは無縁の街中で行われたそれは、ひどく住民に不安を抱かせるには十分な出来事だった。

 その不安が拭うのに、手間を惜しんではいられない。

 傷ついた人々を救うことが、地母神の教えなら尚更に。

 彼女の返事を聞いた剣の乙女は、ローグハンターに目を向けながら問うた。

 

「あの、一体何があったのですか?」

 

 端的に告げられた問いに、女神官は僅かに思慮した。

 事の中心にいるのはローグハンターだ。彼の意見も聞かずに言っても良いものだろうか。

 彼女は僅かに彼の方へと目を向け、すすり泣く銀髪武闘家をどうにかあやそうと四苦八苦している様子を確認した。

 

 ──言ってしまっても、良いんですかね?

 

 目配せのみでゴブリンスレイヤーの一党へと確認を取るが、いつもと違い、皆からはどうすると首を捻ることで返された。

 頭目たるゴブリンスレイヤーのみが小さく──遠慮がちにとも言う──頷き、女神官はそれを了承と判断した。

 

「──実は」

 

 ならばと彼女は隠すことなく、現状をはっきりと告げた。

 下手に隠したとしても、どうせすぐにばれるのだ。ならば、いっそのこと言ってしまった方が良いだろう。

 変な所でも先達たち──この状況ではローグハンターだろうか──に影響され始めているのは、きっと彼女にも自覚はあるまい。

 そうして告げられた現状に、剣の乙女は黒布の下で目を見開いた。

 

「ローグハンター様が、記憶を失った!?」

 

「失ったというよりは、欠けたという表現の方が良いかと思います……」

 

 思わず弾けた剣の乙女の言葉に、女神官は努めて静かに返す。

 ただですら銀髪武闘家が錯乱しかけているのだから、下手に刺激をしたくはないのだ。

 彼女の意図を察した剣の乙女は「ごめんなさい」と呟いて、改めてローグハンターに見えざる瞳を向けた。

 嗚咽を漏らす銀髪武闘家を落ち着かせようとしているのか、あちらこちらに視線を投げては彼女に目を向けるを繰り返している。

 いつもの彼──彼女が恋する相手という意味だ──ならば、単刀直入に、多少気の利いた言葉を投げ掛ける筈だ。

 なのに、何も言わずに困惑しているだけとは、

 

「ただ事ではありませんね」

 

 剣の乙女は神妙な面持ちで告げると、侍女たる武僧に目を向けた。

 彼女との付き合いはかなりのものだ。多少の事なら、言葉を交わさずとも理解しあえるというもの。

 二人は頷きあうと、侍女は来た道を戻り廊下の奥へと消えていき、 一人残った剣の乙女が手を打った。

 パン!と乾いた音が木霊し、冒険者たちの視線が一斉に彼女へと向けられた。

 

「一度、状況を整理いたしましょう」

 

 

 

 

 

 

 神殿の一室に集められた冒険者たち。

 ゴブリンスレイヤー、女神官、妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、令嬢剣士、槍使い、魔女、重戦士、女騎士、剣聖、賢者、そしてローグハンター。

 銀髪武闘家と勇者の二人は、流石に堪えたのだろう。別室にて安静になっている。

 女魔術師と牛飼娘は二人の面倒を見ると申し出、別室に待機している。

 ただですら心折れかけた令嬢剣士の介抱に神経を使ったというのに、再びの介抱。

 頭目が記憶喪失。頼れる副頭目も今は頼れず、今は面倒を見なければならない。加えて頭目の妹の面倒。

 ……彼女の胃に穴が開く日も近いかもしれない。

 それはそれとしてと、ローグハンターは頭を抱えて長机に突っ伏した。

 対面する形で卓を囲む冒険者たちも、アサシンを迎撃した時の覇気を感じない彼の姿に、ほとほと困り果てたようにため息を吐いた。

 失敗したのなら励ましてやるだけだが、今回はそういう次元ではないのだ。

 

「とにかく、あんたがどこまで忘れてるのかが問題よね」

 

 静寂に包まれた一室に一石を投じたのは、妖精弓手だった。

 元より騒ぐことが好きな彼女の事だ。黙ったまま全く話が進まなくなるのならと、口を開いたのだろう。

 その言葉を受けたローグハンターは顔を上げ、「そうだな……」と僅かに思慮した様子。

 

「言われてもしっくりこないのは、あの二人の事や、ローグハンターと呼ばれている事ぐらいだ」

 

 彼はそう告げると、目を細めて僅かに唸る。

 

「だが、忘れている事を忘れているからな。他にも何かあるかもしれん」

 

 どこか自嘲するように笑むと、「だが、やることは決まっている」と表情を引き締めた。

 

「奴らを殺す。そうすれば、記憶も戻る筈だ」

 

 一人覚悟を決めるローグハンターに、剣聖が軽く手を挙げて待ったをかけた。

 

「相手の居場所もわからないのに、どうやって追いかけるつもりですか?」

 

「居場所ならわかっている。行き方も、どうにかなるだろう」

 

 腕を組んでそう告げるローグハンターに、賢者はどこか冷たい眼差しを向けた。

 

「それはなぜ?相手の素性もわからないのに」

 

「なぜ、か……」

 

 彼女の問いに、ローグハンターは自分の頭を指で小突きながら言う。

 

なんとなく(クリティカル)か、託宣(ハンドアウト)だな」

 

 妹がよく言う言葉(セリフ)と、最近よく聞くようになった言葉を告げながら不敵な笑みを浮かべ、「世界地図はあるか」と女神官に問うた。

 

「せ、世界地図ですか!?」

 

 突然の頼みに、流石の女神官も驚きを露にした。

 簡単に世界地図と言っても、ここは辺境にある一神殿に過ぎない。周辺の地図はあるが、世界単位となると……。

 

「これで良い?」

 

 首をを捻って考え込む彼女を他所に、賢者は宙に開いた穴に手を突っ込み、そこからスクロールを取り出した。

 どんな理屈かはわからないが、古い魔術の類いだろうか。

 卓の端にいた魔女は興味深そうに宙の穴を眺め、煙管を吹かして紫煙を吐き出した。

 詳しく問い質したい所だが、今はローグハンターの用事が先だと自らに言い聞かせる。

 そうしている間に卓の上に世界地図が広げられ、冒険者たちの視線を集めた。

 彼らがいる国を賢者が示し、砂漠に包まれた隣国や、海を隔てた先にある大国など、大まかに場所を指差した。

 

「こうしてみると、ホントに世界って広いわね」

 

 身を乗り出した妖精弓手が上機嫌そうに長耳を揺らしながら言うと、ローグハンターは目を閉じると地図を指で撫で始めた。

 愛おしい我が子を撫でるように、慈悲に溢れたその手つきだが、そこには一握の迷いもない。

 

「先生?」

 

 普段見ることのない彼の顔に、令嬢剣士は僅かに困惑したように声をかけた。

 だが彼は答えることなく、とある一点で指を止め、眉を寄せた。

 

「この辺りだな」

 

「この辺りだなって、お前……」

 

 ローグハンター示した場所を睨み、重戦士がため息混じりに声を漏らした。

 彼が示したのは、この国から程近い──地図上の話だが──海上だった。

 近海に相手の拠点となりそうな島があれば、調査が行われ、開拓されるなり、魔物の巣窟だったなりと話題になる筈だ。

 同じ開拓地であるこの辺境なら、さらなる仕事を求めて情報にはすぐに飛び付いていく。

 なのに、ローグハンターが示した場所には島があるとも示されておらず、海を示す記号が振られているのみだ。

 

「そこに間違いないのか?」

 

 女騎士が「信じられん」と漏らしながら腕を組み、ローグハンターに目を向けた。

 彼女の中での彼の評価は彼女しか知るよしもないが、低いということはないだろう。

 同じ銀等級冒険者にして、銀髪武闘家(親友)の恋人であり、罪なき者たちを守るならず者殺し(ローグハンター)だ。

 秩序にして善なる騎士を目指す身としては、時には彼のようにありたいと思うこともある。

 当の彼は記憶を失い、錯乱していたのだが……。

 

「信じるどうこう言うんなら、大司教様に『看破(センス・ライ)』でもして貰えばいいじゃあねぇか」

 

 どこか乱暴な口調で提案したのは、額に包帯を巻いた槍使いだ。

 アサシンとの戦いは、彼にかなりの影響を与えたのだろう。

 ローグハンターと並んで『辺境最強』と呼ばれているが、自分より上のものが多くいるのは理解している。

 どんな強者を相手にしても、最後に一矢報いてやるという心構えではあったが、

 

「……あいつはどうにかしなきゃならねぇだろ」

 

 アサシンに完膚なきまでに叩きのめされ、その心中は穏やかではなかった。

 それは彼にのみ言える事ではないが、アサシンに対抗できるのはローグハンター、次点で勇者だ。

 勇者でも対抗しきれないという次点で、かなり危機的な状況であるのだが、ローグハンターが相手を務められるのなら良い。

 

「──で、どうなんですか」

 

 乱暴になっていた口調を無理やり戻し、槍使いは剣の乙女に問うた。

 彼女は苦笑混じりに「もう使っておりますわ」と告げ、表情を引き締めた。

 

「はっきり申せば、彼は嘘を言ってはおりません。本当に、そこに何かあるのでしょう」

 

 剣の乙女がローグハンターの意見を後押しし、槍使いは「そうかぁ……」と困り果てたようにため息を漏らす。

 

 ──本格的にこいつが事の中心となってきやかったな。

 

 横目でローグハンターを見つめつつ、意識を切り替えるように「でだ」と人差し指を立てた。

 

「どうやって行くよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 槍使いの問いに、女神官が制止の声をあげた。

 室内の視線をその小さな体に集めつつも、彼女は凛として言葉を放つ。

 

「ローグハンターさんは病み上がりですし、何より記憶が──」

 

「欠けているが、問題ない」

 

 だが、彼女の言葉は問題であるローグハンターによって遮られた。

 彼は自らの拳を握りつつ、小さく笑みを浮かべた。

 

「技は体が覚えてる。十歳になる前から、仕込まれてきたからな」

 

 ローグハンターが静かに告げた言葉に、冒険者たちは僅かに唸る程度の反応しか示さない。

 この場にいる中で、彼の過去を全て知る人物はいない。弟子である令嬢剣士でさえ例外ではないのだ。

 そもそもをして、冒険者はその多くが一期一会。相手の過去を根掘り葉掘り聞くのは野暮というもの。

 それこそ、生涯添い遂げると誓いでもしない限り、過去を打ち明ける事もないだろう。

 記憶がなくともやる気のローグハンターに、流石の女神官もやれやれと首を左右に振ってため息を漏らした。

 蜥蜴僧侶は「然り然り」と頷き、ちろりと鼻先を舐めた。

 

「幼い頃より仕込まれた技は、もはや呼吸と同義ですからな。鈍らせたくとも鈍りませぬな」

 

「……ああ。鈍らせたくはない」

 

 光が消えた瞳を揺らしつつ、ローグハンターはその身から絶対零度の殺意を漏らす。

 決して殺意を漏らすなとは教えられたが、時と場合によるだろう。

 

 ──今は、どうにも抑えられる気がしない。

 

 自分が傷つけられただけならまだしも、友人たちさえも傷つけられ、付け加えるなら。

 

「奴を殺せば、記憶が戻るかもしれん」

 

 覚えてはいないが、奴との戦いで大切な何かが欠け落ちてしまった。

 それを拾うことが出来るのは、奴との決着をつけた時だろう。

 ローグハンターは不思議とそう信じて疑わず、故に決着を急いでいる。

 

「頭巾のが必死になるのもわかるけんど、もうちと回りを見た方が良いと思うがの」

 

 ある程度だが彼の心情を察したのだろう鉱人道士が、自慢の長髭を擦りつつそう告げた。

 言われたローグハンターは小さく首を傾げ、「見ているつもりだが」とさも当然のように口にした。

「いや」と言葉を返したのは、驚く事にゴブリンスレイヤーだ。

 彼は赤い瞳をローグハンターへと向け、「忘れたのか」とどこか冷たい声音で告げた。

 

「女というのは、男に比べて繊細だと言ったのはお前だ」

 

「──―」

 

 友人からの突然の言葉に、ローグハンターは思わず間の抜けた表情となった。

 その言葉を言ったのは、果たして何年前だっただろうか。

 ゴブリンスレイヤーがそう呼ばれ始め、ローグハンターがただの斥候として活動していた頃なのは確かだ。

 理由はともかく、その言葉を言ったことは覚えていた。だが、なぜ今になってそれを──。

 

「………」

 

 そこまで思慮したローグハンターは、脳裏を過った銀髪武闘家と勇者の面影を掴み取った。

 瞬き一つの間もない刹那のタイミングだったが、それを逃がさないように鍛えられているし、鍛えてきたつもりだ。

 それがこうして結果を出したとなると、今までの苦労は無駄ではなかったのだろう。

 

「………」

 

 ローグハンターは目を閉じながら深呼吸をすると、「そうだな」とぼそりと呟いた。

 こちらが覚えていないにしろ、片や恋人、片や妹だ。彼女たちに何も言わずに出発では、後で何を言われるかわかったものではない。

 

()てるのなら準備ができ次第と思ったが、少し延ばすか」

 

「──すぐにでも行く気だったのですか?」

 

 ローグハンターの即決具合に、令嬢剣士は目を丸くした。

 彼が何か行動を起こす時は、確かにやると決めたら即行動開始だ。

 だが、ここまで無計画な場合はあまりない。いつもなら、即行動に移しても何かしらの手がある時だ。

 だが、今回は何もない。目的地がわかっていてもそこに行く為の足がなく、そもそも未知の場所に行くにも関わらず装備も揃っていない。

 

 ──よく行動に移そうと思いましたわね……。

 

 記憶が欠けてから、妙に危機感がない師匠の姿に困惑しつつ、令嬢剣士は笑みを浮かべた。

 

 ──記憶が欠けても、あのお二人の事は大切なのですね。

 

 何かを無くしても彼の根底にあるものは変わらず、ないなりにどうにかしようともがいている。

 それがわかれば、何となくだが親近感が湧くというもの。

 

「して斥候殿。奴の拠点にはどう攻め入るつもりですかな」

 

 苦汁を飲まされた相手への雪辱(リベンジ)に燃える蜥蜴僧侶が問うと、ローグハンターは「問題ない」と即答。

 

「船の宛はある。港に手紙を出さないとな」

 

「もしかして、あの船か?」

 

 ローグハンターの言葉に心当たりがあったのか、重戦士が確認を取る。

「ああ。それだ」「なるほど、あいつか」と二三やり取りを交わし、わからぬ者たちを放置したまま話を進める。

 

繋がり(コンタクト)は、よくわからん所で生かされるな」

 

「まあ、それが縁ってやつだろうよ」

 

「準備にどれほどかかるかが問題だが……」

 

「それはあいつらの腕にもよるんじゃねぇか」

 

 ローグハンターと重戦士。二人は交互に言葉を発し、勝手に話を進めていく。

「何の話よ!」と妖精弓手が横槍を入れると、令嬢剣士が「実はですね」と解説に入った。

 部屋を支配していた静寂はどこへ行ったのか、今ある喧騒は普段のギルドのままだ。

 冒険者たちはどこか居心地よさそうに表情を緩め、剣の乙女も懐かしむように笑みをこぼす。

 その雰囲気を楽しみつつ、不意にローグハンターが意見を呟いた。

 

「所で、お前らも来るつもりなのか?」

 

 突然放たれた問いに、冒険者たちは面を食らうもほぼ同時に頷いた。

「やられっぱなしは嫌なんでな」と槍使いが言えば、「そうだそうだ」と女騎士が捲し立て、「そう、ね」と魔女が不敵に笑う。

「特別な徳が積めそうですからな」と蜥蜴僧侶がしゅっと鋭く息を吐けば、やれやれと困ったように首を振る重戦士、鉱人道士。

 妖精弓手は「冒険ね!」と目を輝かせ、令嬢剣士と女神官の肩を抱いた。

 剣聖は「乗り掛かった船ですし」と仕方がないと言うように肩を竦め、賢者は「駄目と言われても行く」と何故か強硬姿勢。

 剣の乙女は「どこから手をつけましょうか」と苦笑を漏らし、後ろの侍女も困ったように笑みを浮かべた。

 それぞれがやる気を見せる中で、唯一乗り気でないのはゴブリンスレイヤーだろうか。

 彼は迷うように顎に手をやると、誰にも聞こえぬように小さく唸った。

 今回の戦いでは、まず間違いなくゴブリンは出てはこないだろう。だが、友人の助けとなるなら行くべきだろうか。

 自らの役目(ロール)を逸脱した戦いに参加すべきかと悩む友人の姿を認めたローグハンターは、小さく肩を竦めて冒険者たちに一言告げる。

 

「お前らがやる気なのはありがたいが、出発はまだ先──むしろ未定だ。それ以前に、報酬の約束も出来ない。それでもないと言っても過言ではない。それでも来るなら、歓迎する」

 

 喧しい程に騒がしかった室内に、ローグハンターの声は凛として響いた。

 

「生きて帰れる保証もなければ、屍を拾ってやれる保証もない。報酬を払ってやれる保証もない。これを冒険と呼べるかすら、俺にはわからない」

 

「少なくとも、今までの冒険の比ではないことが起こるのは確実だ」

 

「それでも、来るか?」

 

 彼の口から淡々と告げられた言葉に、冒険者たちは一斉に頷く。

 

「ギルドぶっ壊した奴を倒せば、多少の謝礼は出るだろうよ」

 

「王に今回の件を説明すれば、多少なら報酬は出ると思いますが」

 

 槍使いの言葉に剣聖が遠慮がちに言葉を添えると、「お嬢さんの繋がり(コネ)はすげぇな」と感嘆の息を吐いた。

 

 ──やることは決まってきたな。

 

 彼らの会話を他所にローグハンターは目を閉じ、やるべき事を列挙していく。

 船の手配。装備の点検。食料の用意。報酬の交渉。

 そして──。

 

「それをする前に、やることを済ませないとな」

 

 ローグハンターは静かに、だが確かな意志をもって告げると、視界の端に映ったゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 彼の視線に気付いてか、ゴブリンスレイヤーは顔を合わせた「どうした」と問いかける。

 ローグハンターは「いやな」と苦笑を漏らし、友に告げた。

 

「お前も後悔のないように選べ。やるかやらないかだ」

 

「──そうだな」

 

 ローグハンターの言葉に、ゴブリンスレイヤーは僅かに目を見開くと、珍しく口許に微笑を浮かべた。

 開き直ったような、それでもどこか冷静な、何とも特別な笑みだ。

 来るにしても来ないにしても、彼はゴブリンスレイヤーだ。生きて帰ってきても、やることは何一つとした変わりはしないだろう。

 

「それじゃあ、報酬の件はそちらに任せる。俺は、今やるべき事をやってくる」

 

 ローグハンターはそう告げると卓を離れ、誰に何か言われる前に部屋を後にした。

 冒険者たちは彼の背を見送るだけ見送ると、各々がやるべき事を検討していく。

 

「──ところで、工房は無事なの?」

 

 妖精弓手の一言で場の空気が凍り付くまでは、だが。

 

 

 

 

 




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Memory08 出揃う駒

「落ち着いたかしら?」

 

 女魔術師は目の前で丸くなる少女にそう問いかけ、僅かに悲哀の色のこもった視線を向けた。

 頭目によく似た黒い髪に、まだ幼さを残す顔立ち。普段なら希望に満ちた輝きを放つ瞳も、今日ばかりは陰って見える。

 

「……さっきに比べれば」

 

 黒髪の少女──勇者はそう呟き、泣き腫らした目元をぐりぐりと拭う。

 世界を救った勇者とて、彼女も人だ。兄に拒絶させれば、落ち込みもするし泣きもする。

 それが、久しぶりに会った兄からの発言なら、尚更だろう。

 女魔術師はどうしたものかと頬を掻き、今まで培ってきた知恵を絞って打開策を探る。

 当の兄は仲間たちに連れられて、どこかに行ってしまった。

 令嬢剣士の世話は良い。彼が気絶していたのは確かだ。

 だが、目の前の少女に関して言えば、

 

 ──自分で何とかして欲しいのが本音だけどね……。

 

 今日一日だけできりきりと痛むようになった胃を押さえ、疲れと共にため息を吐き出した。

 朝一番にギルドを──正確にはローグハンターを狙ったと思われる襲撃。

 自分は何が出来ただろうかと自問し、あの戦いを振り替える。

 銀等級冒険者の攻撃をものともしなかった防御力。

 彼らを蹴散らした謎の力。

 頭目のものとよく似た剣。

 お互いに面識があるかのような振る舞い。

 そして、頭目ならば対抗出来るという可能性。

 次に仕掛けてくるのならいつか。その時は撃退できるのか、何か有効な手はないかと、様々な事を考えていく。

 

「魔術師のお姉さんは、お兄ちゃんとどのくらい一緒にいるの?」

 

 一人考え込んでいた女魔術師に、不意に勇者が問いかけた。

 俯き加減だった顔を上げ、同じく顔を上げていた勇者に目線を向ける。

 赤く腫れた目元と、今にも消えてしまいそうな儚げな表情。素人目から見ても、かなり無理をしているのは明らかだ。

 女魔術師は無理やりにでも気を紛らわしてやろうと「そうね……」と考え、「もうすぐ二年かしら?」と首を傾げた。

 ゴブリン退治へのアドバイスを貰い、一党に入れてくれるように相談し、思いの外あっさりと受け入れられて、もうすぐ二年。

 駆け出しの証だった白磁の認識票も、既に駆け出し卒業手前の鋼鉄等級だ。

 

「二年と言っても、本当にあっという間ね」

 

 僅かに驚くように、そして懐かしむように言うと、勇者も「あっという間だよね」と同意を示した。

 

「お兄ちゃんが村を出ていって五年経って、また会えるかもって冒険者になって、いつの間にか勇者になって」

 

 体を丸めたまま左右に揺れ、壁に立て掛けた聖剣に目を向けた。

 鞘に納められたそれは、本来の輝きを落ち着かせてはいるものの、握れば悪を祓う太陽の輝きを放ってくれる。

 だが、今朝はそれだけではどうにもならなかった。

 仲間たちがいて、偶然居合わせた冒険者たちがいて、それでも劣勢だ。

 今までの敵とは段違いに強い。言い方が悪いが、彼と比べると、魔神王ですら子供のようだ。

 

「結局、昔と同じでお兄ちゃんに助けられちゃった」

 

 相手と互角に張り合えたのは、ローグハンターただ一人。

 その戦いも見ていた訳ではないが、兄はそこまで負傷した様子はなかったが、

 

 ──その分、ぼくやお姉ちゃんの事、忘れちゃったんだよね……。

 

 きっと、かなりの無茶をしたのだろう。その結果が今の状態なら、それは自分の力不足によるものだろう。

 勇者は大きくため息を吐くと、「駄目だな、ぼくは」と体をさらに丸くした。

 独り言を漏らして勝手に落ち込んだ彼女の姿に、女魔術師は小さくため息を吐き、「失礼するわね」と隣に腰を降ろす。

 丸くなる勇者の頭を撫でてやり、「あなたは駄目なんかじゃないわよ」と優しい声音で告げた。

 彼女とて弟のいる姉なのだ。下に誰かいる人の気持ちはわかるし、下が落ち込んだ時の励まし方は何となくわかる。

 まあ、いるのは弟なので、いざという時は心もとないかもしれないが。

 

「誰だって完璧に何でもこなせるわけじゃあないわよ。私だって失敗するし、あの人だって、時々死にそうになるわ」

 

「そうなの?」

 

 女魔術師の言葉に、僅かにだか興味を示す勇者。

 彼女はこれ幸いと笑みながら「そうよ」と一度頷いた。

 出来の悪い弟に説教する時のように、多少手加減を加えつつも更に言葉を続ける。

 

ならず者(ローグ)相手には負けないのに、小鬼(ゴブリン)相手に死にかけたり、明らかに死ぬ高さから飛び降りたり」

 

「危ない場所によじ登ったり?」

 

「そうね」

 

 自分の言葉に便乗してきた勇者の確認に肯定を示し、彼女は彼の一党に加わってからの事を思い出す。

 彼と共にギルドの屋根の上から見た祭りの景色は、今でも鮮明に思い出せる。

 

 ──そのギルドも、今や瓦礫の山だけどね……。

 

 その事を僅かに残念に思いつつも、壊れたものはまた直せば良いと開き直る。

 街には建築ギルドなる団体もあるのだ。建物の一つや二つ、時間と金はかかれどどうにかなるだろう。

 そこまで思慮して、女魔術師はハッとした。

 

「だいぶ話が逸れたわね……」

 

 彼女が言うと、隣の勇者は「あはは」と彼女本来の太陽のような笑みを垣間見せた。

 

「私が言いたかったのは、あなたは十分に強いってこと。私なんかよりもずっとね」

 

「ぼくは強くなんかないよ。今日だって──」

 

「お前がいたから、これだけの被害で済んだと思うが」

 

 二人が話していると、不意に第三者から声がかけられた。

 二人は弾かれるように部屋の入り口へと目を向け、そこに佇む一人の男性──ローグハンターの存在にようやく気付く。

 相変わらずの潜伏(スニーク)能力には脱帽だが、何も今やらなくとも良いではないか。

 女魔術師が僅かに批判するような眼差しを向けていると、ローグハンターは「驚かせたか?」と苦笑混じりに首を傾げた。

「大丈夫です」と不機嫌そうに女魔術師が言うと、「そうか」と頷いて足を進める。

 そのまま勇者の隣に腰を降ろし、がしがしと乱暴に頭を撫でてやる。

 勇者はくすぐったそうに目を細めるが、瞳には僅かに悲しげな色がこもっていた。

 そんなものに構わず、ローグハンターは言う。

 

「今日は助かった」

 

「ッ!助かったって、無事じゃないじゃんか……」

 

「俺は無事じゃあないが、お前も、俺の友人たちも、回りの堅気の連中も、みんな無事だ」

 

 彼は目に涙を浮かべる勇者にそう告げ、「だから、ありがとうな」と言葉を続けた。

 

「俺が気絶したばっかりに、お前に無理をさせた。もっと、俺が強ければな」

 

 目を細めて強がるように笑みつつ、彼は勇者を撫でる手を止めることはない。

 されるがままの勇者は俯いたまま首を左右に振り、「お兄ちゃんは弱くないよ」と励ますように呟く。

 ローグハンターが「そうでもないだろう」と返せば、「強いよ」と勇者が言い返す。

 

「ぼくじゃ何にも出来なかった。皆は守れたけど、お兄ちゃんが──」

 

「俺は弱いとは思っているが、お前に守られるほど弱くはないぞ」

 

 勇者の言葉を遮り、ローグハンターはそう告げた。

 自分の右手を顔の前にやるとゆっくりと握り締め、口許に微笑を浮かべる。

 

「さっきからお兄ちゃんがお兄ちゃんがばかり言っているが、お前が守るべきは何も俺だけじゃあないだろう?」

 

「そうかもしれないけどさ。ぼくはお兄ちゃんも守りたかった」

 

 勇者はそう言うと、じっとローグハンターの顔を見つけ始めた。

 否、見ているのは彼の顔ではなく、彼の首に残された傷痕の方だろう。

 彼女がやる気を出しすぎた結果に出来てしまった、本来なら致命傷間違いなしの傷痕。

 彼女は無意識にそれを撫で、「ぼくは助けられてばっかりだからさ」と力なく呟いた。

 何とも頑なな勇者の姿に、ローグハンターは「別に良いだろう」と肩を竦めた。

 

「昔、俺が小さかった頃に父に言われた事がある」

 

 首に触れていた勇者の手を取り、優しく握ってやりながらローグハンターは言う。

 

「『下の子を守ってやれ』。結局、その妹か弟だがわからない家族に会うことは出来なかったが……」

 

 僅かに目を伏せ、悲哀の色を込めながら言うと、改めて勇者と──愛する妹と目を合わせた。

 

「だから()として、お前(いもうと)を守らせてくれ。そのくらい格好つけないと、父に会わせる顔がないんだよ」

 

 そう言って彼は、いつも妹に見せる柔らかな笑みを浮かべ、彼女の頬を撫でた。

 

「お兄ちゃん……」

 

「妹を忘れる、不甲斐ない兄でごめんな」

 

 僅かに目に涙を浮かべつつ、ローグハンターは謝罪の言葉を口にした。

 勇者は首を横に振り、「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよっ……」と上擦った声を絞り出す。

 そして彼の胸に飛び込み、ぎゅっと力一杯に抱き締める。

 ローグハンターは嗚咽を漏らす勇者の背を撫でてやり、偶然目があった女魔術師に「ありがとうな」と小声で礼を言う。

 対する彼女は「全くです」と不機嫌そうに言うものの、その表情はどこか晴れやかなもの。

 彼はフッと小さく笑みを浮かべ、同時に覚悟を決める。

 

 ──妹のことを思い出す為にも、必ず勝つ……っ!

 

 いまだに彼女の事は思い出せないが、それで彼女を突き放すかと問われれば答えは否。

 彼はローグハンター。同時に、勇者の兄なのだから。

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

「……」

 

 牛飼娘の問いかけに、部屋の片隅で丸くなる銀髪武闘家は、無言でもって返した。

 いつもなら強がりでも何かしら言ってくれるのだが、今回ばかりはそんな余裕もない様子。

 見たこともない友人の姿を見ていられずに世話を申し出たのだが、自分にしてやれる事が全く思い浮かばない。

 窓の外を見れば、高かった陽も、もうすぐ山に沈もうとしており、空は橙色を過ぎて紫に染まり始めていた。

 この数時間、彼女は何も言葉を発してくれないし、何も口にしていない。

 健啖家である彼女が何も食べないなど、滅多にある事ではない。だが、その原因は体調不良などではなく、心からくるものだろう。

 怪我や病気の看病ならまだしも、心折れかけた人を支えるなぞ、それこそ幼なじみ相手でもなければ無理だ。

 だが、自分から世話を申し出てしまった以上、逃げる事は出来ない。何より、友人を見捨てて逃げるなぞ出来るものか。

 牛飼娘はそう決めて「よし!」と気合いを入れるが、さて何をしてやるべきか。

 

「武闘家さん?」

 

「……」

 

 試しに呼んでみても、反応を示してくれない。

 

「お腹空いてない?」

 

「……」

 

 神官から貰ってきた食事を差し出してみても、反応なし。

 

「……大丈夫?」

 

 俯いていた銀髪武闘家の頭を掴み、ぐいと持ち上げて顔を上げさせた。

 泣き腫らした顔はいまだに赤く、目からは輝きが消え、致命的なまでに覇気に欠けている。

 ここまで弱った彼女の姿は、ここ数年は見たことがない。

 牛飼娘は瞳に僅かな悲哀の色を乗せたが、すぐにそれを捨てて笑みを浮かべた。

 

「食欲ないかもしれないけど、何か食べよ?」

 

 彼女の優しさを向けられて尚、銀髪武闘家は目を逸らし、「ほっといて……」と彼女の手を払った。

 それでも一般人である牛飼娘に怪我をさせないよう、加減をして払うあたり、彼女なりの気遣いが表れていた。

 だが、それがわかった牛飼娘の表情が更に暗くなる。

 他人の心配をする余裕もないだろうに、それでも彼女は友人の事を気遣っているのだ。

 力任せに振り払われて、ハッとした顔で『ごめんなさい』と言われた方が、やられた側としても話を次に進めやすいというのに。

 ローグハンターと共にいた結果なのか、あるいは素の彼女の性格なのか、彼女もまた、自分の事をどこか軽視している節がある。

 

 ──今ぐらい、感情的になっても良いのに……。

 

 牛飼娘は武闘家に振り払われたにも関わらず、一切痛みのない手を胸に抱き、悲痛な表情を浮かべた。

 何かしてあげたい。でも、何をしてあげれば良いのかがわからない。

 何せ、今の彼女が求めているのは自分ではなく、彼なのだから。

 それを理解している牛飼娘は小さくため息を漏らし、僅かに顔を動かして部屋の扉へと目を向ける。

 彼女が待っている人物はまだ来てはくれないが、きっと何かあったのだろう。

 記憶がないにしろ、彼が彼女を放っておく事はあり得ないのだ。

 彼女の思うが伝わったのか、あるいはただの偶然か、不意に扉がノックされた。

 入室許可を求めるように続けて三度。

 

「っ!」

 

 牛飼娘はハッとして、急かすように再び三度ノックされた扉へと小走りで駆け寄る。

 途中で背中越しに銀髪武闘家に目を向けるが、彼女は自ら動くこともせず、かと言って止めもせず、ただ俯いているのみ。

 変わらぬ彼女の様子に牛飼娘は少々躊躇しつつも、そっと扉を開く。

 

「すまん、待たせた」

 

 扉を開いた先にいた男性──ローグハンターは、彼女と中にいる銀髪武闘家を気遣ってか、僅かに頭を下げながら小声でそう漏らした。

 牛飼娘は「待たせすぎだよ」と言葉に僅かな非難の色と怒気を込め、再び銀髪武闘家の方へと目を向けた。

 彼の事を待っていたのだろうに、当の彼が来ても反応を示さない。

 ローグハンターも待っていられずに室内を覗きこみ、彼女の姿を認めて目を細める。

 

「二人にして貰っても良いか」

 

 そして、彼女に目を向けたままそう告げた。

 牛飼娘が首を傾げて「大丈夫なの?」と問うと、彼の口からは「わからん」と短く答え、腕を組んだ。

 

「だが、やるしかない」

 

 冒険に出ている時と同様かそれ以上に真剣な面持ちで言うと、「良いか」と最終確認。

 牛飼娘は「……わかった」と躊躇いがちに頷くと、彼と入れ替わりで部屋を出る。

 交代で部屋に入ったローグハンターは後ろ手で扉を閉めると、ずかずかと無造作な足取りで銀髪武闘家の下へと足を向けた。

 そこまで大きくない部屋だからか、数歩で彼女の目の前へとたどり着くと、彼は音もなくその場に腰を降ろした。

 銀髪武闘家は俯いていた顔を僅かに上げ、彼の顔を覗きこんだ。

 何か用があって来たのだから、勝手に話し始めると思っての事だろう。

 だが、一分経っても、二分経っても、全く話し始める雰囲気がない。

 彼はただまっすぐに、彼女の顔を見つめてきているのだ。

 

「──何か用?」

 

 結局、この我慢比べに負けたのは銀髪武闘家の方だった。

 気怠そうに言葉を発した彼女に向け、ローグハンターは僅かに悩んだ様子を見せ、頭を掻いてため息を吐いた。

 

「この部屋に来るまで、お前に何を言えば良いのかを考えていた」

 

「別に私は──」

 

 銀髪武闘家が言い返そうとした瞬間だ。彼は優しく笑みながら、彼女の頭に手を置いた。

 突然の行動に彼女が言葉を詰まらせると、これ幸いとローグハンターは彼女の髪を撫でながら一度深呼吸して、彼女の目を見つめて告げる。

 

「俺はお前が好きなようだ」

 

「──―ッ!」

 

「お前の泣いた顔を見たくはないし、悲しんでいる顔も、苦しんでいる顔も、見たくはないし、何より怪我をさせたくもない。もっと言えば、鎧を着込んだお前の姿も、出来れば見たくはない」

 

「……?」

 

 突然早口で告げられた言葉に、銀髪武闘家は疑問符を浮かべながら顔を上げた。

 それを隙と判断したのか、彼女の頭に置いていた手を、一切無駄のない動作で涙の痕が残された頬にやった。

 柔らかな頬に手を当て、親指で涙の痕を拭ってやりつつ、彼は言葉を続ける。

 

「まだお前の事は思い出せないが、少なくともこれだけは言える」

 

 ──俺はお前が好きだ。

 

 彼は再びそう言うと、不意に彼女の唇に口付けを一度。

 触れ合う程度の軽いものだが、それでも確かに口付けをしたのだ。

 ゆっくりと離れていく彼の顔を呆然と見つめつつ、銀髪武闘家の目から再び涙が流れた。

 一筋、二筋と続けて流れれば、それは止まる気配もなく出続ける。

 ローグハンターはその涙も指で拭ってやりながら、銀髪武闘家に向けて更に言う。

 

「お前を見ていると、何だか安心する。お前の顔を見ているだけで、胸が温かくなる。お前の涙を見てると、それを止めてやりたくなる……」

 

「俺の頭は覚えていないが、そこじゃあない別の部分が、お前を大切な人だと覚えてる」

 

 自分の胸に手を当てながら柔らかな笑みを浮かべ、ローグハンターははっきりとそう告げた。

 

「きっとこれが、この想いが、お前を好きになったという事だと、俺は思う」

 

「──―」

 

 言葉を挟む間もなく告げられた言葉に、銀髪武闘家は言葉を失った。

 

『──これが、お前を好きになったという事なんだな』

 

 思い出されるのは、もうすぐ四年前になる彼の言葉と、その時浮かべた彼の表情。

 とても柔らかな、安心しきったようなこの笑みは、やはり彼でなければ出来ない表情だろう。

 

 ──ああ、やっぱり……。

 

 銀髪武闘家は涙を拭うこともせず、固まった表情筋に鞭を打って無理やり笑みを浮かべた。

 頬は引きつり、涙で顔もぐしゃぐしゃになってはいるけれど──。

 

 ──キミはキミのままなんだよね。

 

 胸の内を支配した安堵の気持ちをそのままに、彼女は無理やり作った笑顔のまま彼に言う。

 

「昔のキミに比べればましだよ……っ」

 

 出会ったばかりの彼が見せてくれた、あの無理やり笑った──壊れかけた笑顔に比べれば、きっとましな方だ。

「何にも言ってないだろう」とローグハンターは言うが、その表情には相変わらずの笑みが浮かんでいる。

 そんな笑みが出来るようになったのは嬉しいし、それを自分に見せてくれるのも嬉しいし。

 でも、自分の事は忘れているのは悲しくて。切なくて。

 だからだろう。笑っているのに涙が止まらない。

 ぐりぐりと自分の目元を拭い、止まらない涙をどうにかしようとするが、結局どうにもならなくて。

「えへへ」と笑ってみるけれど、彼はむしろ不安そうな表情を浮かべた。

 いつも心配かけるのはあちらなのに、こういう時に限ってこちらが心配をかけてしまう。

 情けないような、頼れるような、何とも言えない感情が脳裏を過るが、いつも通りな気もするので心地よくて。

 ローグハンターは困ったように頬を掻くと、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。

 胸の中で困惑する彼女を他所に、彼は銀色の髪を撫でながら「俺はここにいるぞ」と告げる。

 銀髪武闘家は彼の胸に顔を埋めながら頷いて、彼の背に腕を回した。

 

「ねぇ?」

 

「ん──?」

 

 彼女に突然声をかけられ、下を向いた瞬間、彼の唇が塞がれた。

 目の前にあるのは、彼女の顔。

 

「──―」

 

 すぐに離れていいったけれど、触れあったのは確かな事実。

 数度瞬きを繰り返し、「どうした」と問えば、彼女は彼の言葉を無視してもう一度口付けを一つ。

 今度は互いの舌を絡め、少々艶っぽい息を漏らしながら、互いの体温と唾液が行き来する。

 数十秒ほどの接吻を終え、二人は頬を赤く染めながら見つめあう。

 涙とは別の理由で潤んだ瞳には自分の姿が映り、相手が何を求めているのもわかる。

 記憶がなくとも、体が、魂が、心が、遺伝子が、本能が、彼女を事を覚え、求めているのだ。

 それは彼女とて同じ事。今回の戦い、互いに限界まで死に近づいたのだ。所謂(いわゆる)保存本能というものが働いているのだろう。

 時間は既に夜。呑兵衛どもも寝静まる時間──とは言えないが、気の早い連中は既に寝ている時間帯だ。

 ならば──おそらくそうでなくとも──二人が止まる理由はない。

 三度目の口付けは二度目以上に熱く、激しく、けれど優しく。

 恋人と過ごせる静かな夜は今宵まで。次の夜はきっと──―。

 

 

 

 

 

『さて、出揃ったわね』

 

 四方世界を見下ろす盤の上。

 金色の髪を優雅に(なび)かせながら、『かつて来たりし者』はそう告げました。

『美』の女神と呼んでも差し支えないその美貌ですが、彼女に魅入る男神は誰もいません。

 彼女はそれさえも愉快そうに笑い、白いローブの裾から飛び出す足を組み直します。

 対する『幻想』と『真実』をはじめとしたこの世界の神々は、眉を寄せて表情を強張らせました。

『出揃った』確かにそれぞれの駒は出揃ったでしょう。

 こちらが出すのはもちろん勇者です。

 いいえ、彼女だけではありません。

 剣聖、賢者にはじまり、剣の乙女、槍使い、魔女、重戦士、女騎士、妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、女神官、女魔術師、令嬢剣士、ゴブリンスレイヤー、銀髪武闘家。

『幻想』の神様は彼らを示す駒を並べ、目の前にいる『かつて来たりし者』を睨み付けます。

 急こしらえとはいえ、それなりの戦力です。下手な物語(シナリオ)なら、さっさとクリアしてしまう事でしょう。

 それでも『かつて来たりし者』は余裕の笑みを浮かべ、ローグハンターの駒をつまみ上げました。

 

『今回だけは貸して上げるわ』

 

 彼女はそう言うと彼の駒を乱暴に放り、『幻想』が揃えた駒の列に加えます。

『フェアじゃないものね』と彼女は言って、自分の用意した駒を並べます。

 三つ頭の番犬(ケルベロス)単眼の巨人(キュクロープス)悪魔(デーモン)など──彼女的には雑魚キャラだそうです──が数体。

 そして最後に、愛おしい我が子にするようにアサシンの駒を撫で、『この子が最後よ』と笑います。

 主力キャラの数で言えば、『幻想』の神様が有利ですが、質で言ってしまえば、かつて来たりし者が有利でしょうか。

 だからでしょう。『かつて来たりし者』は余裕の笑みを浮かべ、『幻想』の神様は表情を強張らせました。

 後ろでは地母神が『こ、この状況でもですか!?』と一人なにやら騒いでいますが、今はそれどころではありません。

 他の神様に手伝ってもらって、どうにか世界を回してはいますが、長続きすればどうなるかもわからないのです。

 だからこそ、『幻想』の神様は『勝負です……っ!』と強がるように声を振るわせました。

『かつて来たりし者』は満足そうに笑みを深め、『そうね』と一度頷きます。

 ここから始まるのは新たな英雄が生まれる英雄譚(キャンペーン)でも、国を救う革命譚(キャンペーン)でもありません。

 神々の都合で始まる、命懸けの代理戦争(ウォーゲーム)です。

 楽しそうに笑う『かつて来たりし者』とは対象的に、『幻想』の神様の表情は悲しげです。

 愛する子供たちに、愛する世界を賭けて、勝率が壊滅的なまでに低い戦いに挑んで貰うのです。

 けれど、勝敗を決めるのは『幻想』と『かつて来たりし者』が握る骰子(サイコロ)です。

 不正(チート)なし。待った(ポーズ)なし。やり直し(リスタート)なしの一発勝負。

 

『じゃあ、準備は良いわね?』

 

『かつて来たりし者』が言うと、『幻想』の神様は勇ましく頷きます。

 それと同時に、二人は一斉に骰子を転がしました。

 からからころころ音を立てて、出た目の数だけ勝負は進みます。

 ある者から見れば記念すべき、ある神様から見れば投げたくなかった、大一投が示した答えは──―。

 

 

 

 

 

 




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Memory09 狼煙をあげろ

 ──十三日後。四方世界上、大海原。

 

 遥か神代から広がる一面青い景色に、黒い点とそれを先頭にした白い帯が伸びていた。

 船首に鷹を模した像を取り付け、マストから広がる白い帆は染みや汚れはあれど、手入れは行き届いているのかほつれや破れた箇所はない。

 衝角が海面を切り裂き、白い飛沫を上げながら、一隻の船──アキーラ号はひた走る。

 船の舵輪を握るローグハンターは真剣な面持ちで、右隣には馴染みの航海士、左隣には銀髪武闘家が控えていた。

 航海士は懐から酒瓶を取り出すと一口あおり、豪快に笑ってみせた。

 

「はっはぁ!流石は船長、アキーラ号が喜んでるぜ!」

 

「そうか。今ならもっと速く出来そうだがな」

 

 航海士の言葉にローグハンターは不敵に笑むと、隣の銀髪武闘家からは「無理しないでね」と忠告される。

 彼は苦笑混じりに肩を竦めると、「大丈夫だ」と告げて甲板に目を向けた。

 出港直後は忙しそうだった水夫たちも、出港して三日も経てば、今度は度しがたい退屈に襲われる。

 だが、それもいつもの航海ならという話だ。

 

「ねえねえ、このロープはどこに繋がってるの?」

 

「メインマストに登れるんだよ。だあ、登るんじゃあない!」

 

 勇者が好奇心に身を任せてロープを登ろうとし、水夫が慌てて引き離す。

 

「さあさあ、この秩序にして善なる騎士様と勝負する者はいないか!」

 

「おっしゃ、俺がやる!お前ら、俺に賭けろ!」

 

 暇を持て余した女騎士が、酔いどれ水夫相手には賭け事に興じ、

 

「蜥蜴人の旦那!それは俺の仕事だって!」

 

「お気になさるな。この程度、体を動かした内には入りませぬ」

 

 体を動かしたかったのか、蜥蜴僧侶が大樽を担いで船倉に消えていき、その後ろを水夫が追いかけ、

 

「はぁーっ!すっごいわねーっ!」

 

「キィッ!」

 

「お嬢ちゃん、だから危ないって!」

 

 一際高いメインマストの頂きに、興奮した様子の妖精弓手がおり、その腕には鷲が止まっていた。

 そしてどうにか降りてもらおうと叫ぶ水夫が一人。彼女の事だから、落ちても怪我をしないだろうことを、彼が知るよしもない。

 加えるなら、聞こえているだろうに彼女はそれを無視して長耳を絶えず揺らし、忙しなく左右に目を向けながら、時には森人語で何やら言っており、降りてくる気配はない。

 只人の目ではただの海原でも、精霊に限りなく近い彼女には、水の精が躍りまわり、愉快な舞踏を繰り広げているように見えるのだろう。

 水夫はついに諦めたのか、女騎士を中心とした輪に加わり、賭け事に興じ始める。

 まあ、つまり。

 

「──連れが騒がしくして、すまんな」

 

「気にすんな。退屈するよりはましだ」

 

 ここ数日言われ続けているローグハンターの謝罪に、航海士は「もう聞き飽きたよ」と不満そうに──けれど愉快そうに──笑って見せた。

 他の冒険者は船倉で装備を整えるなり、休むなり、酒を飲むなり、酔いと戦ったりと、各々で過ごしたいように過ごしているのだが──。

 

「それはそれで騒がしいのか……」

 

「あはは……」

 

 舵輪から手を離すことなく、片手で頭を抱えたローグハンターと、彼の呟きを拾った銀髪武闘家は乾いた笑みを浮かべた。

 諸々の準備に約十日。港を出てから出発してはや三日。

 毎日がほぼ変わらない様子だが、不思議と退屈したり見飽きたりする事はない。

 尤も、退屈しないと言う事と、ストレスを感じない事はイコールではない。

 ただですら舵を握って神経を使っているローグハンターは、彼ら──特に妹と妖精弓手──が何か問題を起こさないかと目を光らせ、何もなければ安堵の息と共に舵を握り直す。

 本番はこれからだと言うのに気を張っている彼の姿に、銀髪武闘家は半ば諦めたようにため息を吐いた。

 それと同時に、船室から誰かが顔を出す。

 遮るもののない強烈な陽の光を嫌ってか、猫耳に似た装飾が施されたフードを被った賢者だ。

 彼女は不服そうに目を細めて空を睨み、水夫と言い争っていた勇者の脇をすり抜けるついでに「怪我しないように」と釘を刺した。

 言われた彼女は「大丈夫だよっ!」と太陽の如く笑顔を浮かべ、水夫の脇を抜けてロープをよじ登り始めた。

「あ!?だから、危ないって!」と叫ぶ水夫を他所に、勇者は森人の如き俊敏さでマストの上へと登り詰め、水平線の彼方を眺めて感嘆の息を漏らす。

 ローグハンターは妹の姿を心配そうに眺めながらも、船の進路や波の調子、風向きなどから意識を逸らすことはない。

 海の上で進路を見失いない、その挙げ句に風を捕まえられずに動けなくなるなど、これほど笑えない冗談はないだろう。

 幸いにローグハンターにそんな経験はないが、その果てに棄てられた船はいくつも見たことがあるし、その残骸を探索したこともある。

 結果的にそれで得をしたこともあるのだが、今回に限って言えば自分たちがされる側になる可能性が高い。

 数十年後の探索者に、この船と自分たちの亡骸が発見されるなど、これまた笑えない冗談だ。

 

「──進路は問題ない?」

 

 どうにも嫌な方向に向いていた思考を断ち切るように、氷のように冷たい声がかけられた。

 ローグハンターは思慮を切りながらゆっくりと賢者へと目を向け、「問題があれば騒いでいる」と苦笑を漏らす。

 その苦笑が癪だったのか、賢者はフードの下で不満そうな表情となるが、「なら良いけど」と先ほどと変わらぬ声音のまま頷いた。

 相変わらずの彼女の態度に、ローグハンターは諦めたようにため息を吐き、舵取りに意識を戻す。

 風は強いが幸い追い風。見張りの報告や集めた海図の限り岩礁はなく、海賊や魔物の類いを発見したという報告もない。

 誰にいう訳でもなく「平和なものだな」とぼやき、隣の銀髪武闘家も「そうだねぇ」と気の抜けた声を漏らした。

 これから大一番だというのに少々気が緩みすぎていると思ったのか、賢者は注意するように一度咳払いをしたが、当の二人は気にした様子もない。

 それが余計に彼女の怒りに触れているのだが、不意に彼らの頭上から「とう!」とこれまた気の抜けた声が発せられた。

 舵を握るローグハンターを除き、銀髪武闘家、賢者、航海士の三人は頭上を見上げ、僅かに目を見開いた。

 彼女らの視線の先にいるのは、マストの上から身を投げた勇者の姿だ。

 太陽にその姿を隠し、その姿は黒い点でしかないのだが、不思議と彼女だとわかったのだ。

 

 ──マストの上から飛び降りる物好きなど、ローグハンターと妖精弓手、勇者以外にいないのだ。

 

 ローグハンターは目の前で舵輪を握っているし、妖精弓手はいまだにメインマストの見張り台で騒いでいる。

 元より声でわかるが、念のための消去法。そして、それは正解だった。

 勇者は空中で体を捻りながら体勢を整え、ダン!と音をたてながら甲板に片腕と片膝を着いて(スーパーヒーロー)着地。

 彼女を追い回していた水夫は突然の行動とその結果に目を回し、倒れかけた所を仲間たちが慌てて受け止め、介抱を始めた。

 ローグハンターは航海士に「舵を頼む」と一方的に告げるの返事を待たずに舵輪から手を離し、言われた航海士は「おう!?」慌てて舵を握った。

「気を付けてくれよ!」と後ろから聞こえる批判の声をそのままに、彼はずかずかと無造作な足取りで勇者へと歩み寄り──、

 

「やる場所を考えろ……っ!」

 

「いったぁあ!?」

 

 どすの効いた怒鳴りと共に、渾身の力を込めた拳を、彼女の脳天に叩きこんだ。

 所謂拳骨(げんこつ)。されど拳骨。

 父から幼い頃に何度もされたそれを、妹である少女にするのは、何とも気持ちが悪いが。

「ぎゃあああああ──―………!」と可愛らしい悲鳴をあげながら、勇者は脳天を押さえ、甲板を右に左に、何故か前後にまで転がり回る。

 致命的な重量の渦や、伝説に伝わる魔物の一撃すら耐える彼女なら、兄の拳骨程度効きはしない。むしろ兄の拳が砕けかねないだろう。

 だが、少なからず勇者には痛痒(ダメージ)が通り、ローグハンターは拳を振って不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「いきなり何するのさ!?」

 

 煙を立ち上らせる脳天を擦りながら、勇者は不服の声をあげた。

 反省した様子のない彼女を睨みながら──だいぶ弱くだが──、ローグハンターは更に言う。

 

「俺たちは邪魔をしている側だ。世話をして貰っている側だ。あまり迷惑をかけるな」

 

「言葉で言ってくれれば良いじゃん!」

 

「お前が、言葉で、理解するのか?」

 

 更に噛みつこうとした勇者に──それこそ幼子に言い聞かせるように──言葉を区切りながら言うと、流石の彼女も「ぐぬぬぬぬ……!」と歯噛みするばかり。

 

「お兄ちゃんに殴られたの、これが初めてだよ……」

 

 睨んでくるローグハンターから視線を逸らし、勇者は悲しげにぼそりと呟いた。

 彼女が兄に怒られたのは、彼が村を出る直前に我が儘を言った時。その時は怒鳴られた程度だ。

 

 ──無論。ローグハンターはその出来事を覚えてはいない。

 

 彼は僅かに目を見開いて狼狽えるが、すぐに平静を取り戻して「そうか」とだけ告げた。

 そしてうずくまる勇者と視線を合わせるように片膝をつき、その手を彼女の頭に──ではなく、頬に伸ばして思い切りつねってやった。

 

「いだだだだだだだっ!」

 

 それもおふざけや手加減無しの、本気でだ。

 彼は無言で勇者を頬を引っ張り、金色の瞳にこもる感情は純粋な怒り。

 

「お前はもう少し、自分の体を大事にしろ」

 

「……!」

 

 勇者の断末魔に掻き消される程の、どうにか言葉と呼べるものとなった声には、怒りと共に妹を心配する兄としての側面が色濃く出ていた。

 その言葉をどうにか拾えたのか、勇者は僅かに嬉しそうに口角を歪めたが、それがきっかけとなったのか、ローグハンターの手に更に力がこもった。

 渾身の力でもって勇者の頬を引っ張り、勢いよく離す。

 伸びに伸びていた頬は、鞭のような音を立てて元の形へと戻るが、そこに痛みが伴うのは当然で──。

 

「にゃあああああ──―………!」

 

 再び響き渡る断末魔。

 船員たちは揃ってお騒がせ兄妹の方へと視線を向け、顔を見合わせて苦笑──もしくは爆笑──するのみだ。

 

「よっしゃ、俺の勝ちっ!」

 

 船員たちの笑い声に混じり、一人の水夫が「おっしゃ!」と手にしていた札を放りながらガッツポーズ。

 対面していた女騎士は信じられないと言わんばかりの表情を浮かべ、自らの札を見て肩を落としてひらひらと手を振った。

『運は自分で掴むもの』。それが口癖だったローグハンターの師(マスター・コーマック)だとて、勝負事では勝ったり負けたり。

 本人に言わせれば「悪い運をここで吐き出しているんだ」との事だが、彼の挙げた戦果からしてその理屈はあながち嘘とも言いがたい。

 故にローグハンターはそれを信じているし、自分も時々賭け事に興じる由縁となったのも確かだ。

 

 ──彼の場合、毎回毎回笑えてくる程に大勝するのだが、それはそれだ。

 

 今のうちに運を使い果たして大勝するよりは、ここで運をどん底まで落とせば後は上がるのみ。

 ならば、女騎士には悪いが負けたままで居てもらおうと放置を決め込み、再び勝負を始めた彼女と水夫の声は無視して舵輪を握る。

 隣の銀髪武闘家は、露骨なまでの彼の態度に苦笑を漏らし、「ほら、大丈夫?」と足元で涙目になりながら踞る、そのうち義妹になる少女を構い始めたのだった。

 

 

 

 

 

 ──更に三日後。四方世界海上。

 

「そろそろ目的地付近だ」

 

 船の操舵を船つきの操舵手に任せたローグハンターは、冒険者たちを船倉に集め、最終確認を行っていた。

 彼がだいたいの現在位置を船を模した駒で示し、目的地には卓上演習(テーブルゲーム)で使われる暗殺者(アサシン)の駒を鎮座させる。

 あと数時間もすれば、目的地にたどり着く事だろう。

 賢者は表情を険しくさせながら、「でも、島は見えない」と一言告げる。

 

「確かに、そろそろ輪郭くらいなら見えても良さそうなのにね」

 

 彼女の言葉に妖精弓手が賛同すると、槍使いも「そうだよなぁ」と呟いて乾パンを一かじり。

 

「──もうすぐだ」

 

 彼らの意見に、ローグハンターはただの一言で持って反論した。

 何の理屈も、根拠もない、彼の感覚(センス)と勘による意見だ。

 先の意見を発した三人は顔を見合せ、賢者はローグハンターに何か言ってやろうとしたが、その口をすぐに閉じた。

 彼の金色の双眸がいつになく輝き、彼が帯びる金色の剣の刀身にはびりびりと稲妻が走っているのだ。

 それが予兆だったのか。ばたばたと慌ただしい足音が船倉へと飛び込んできた。

 

「冒険者の皆さん、甲板に来てください!」

 

 扉を開けるや否や、怯えているのか顔色が悪い水夫がそう叫び、ローグハンターは出鱈目な速度で反応を示し、真っ先に甲板を目指して走り出す。

「ああ、待ってよ!」と勇者、「一人で行かないの!」と銀髪武闘家が即座に反応し、二人が船倉を飛び出していった事を合図に冒険者たちも動き出す。

 足の速い妖精弓手、槍使い、剣聖が先頭に、その後ろを重戦士、女騎士、ゴブリンスレイヤー、蜥蜴僧侶、女魔術師と令嬢剣士と、彼女らに手の引かれた剣の乙女が続く。

 最後尾は致命的なまでに反応が遅れた女神官と、種族柄足の遅い鉱人道士、そして慌てる事もないと小走りの賢者、魔女だ。

 最後尾の四人が何やら騒がしい甲板に到着すると共に、なぜ水夫たちが慌ただしいのかを理解する。

 霧だ。辛うじて船上の面々の顔がわかる程度の濃い霧に、周辺が包まれているのだ。

 女神官は霧が体に張り付く感覚を振り払うように、船の塀から身を乗り出して周囲を伺った。

 船外の出来事は一切見えず、波の音も静かだ。

 

「進路に気を付けろ!この霧じゃあ、岩があってもわからん!」

 

「私、上から見てみるわ!」

 

「頼む!」

 

 ローグハンターの怒号と妖精弓手の声が重なり、彼女と思われる小さな影がマストを瞬く間に駆け上がる。

 

「この霧、妙だな。術的な反応がある」

 

 タカの眼越しに彼女の青い影を見送ったローグハンターは、体にまとわりつく緑色に輝く霧を手で払い、目を細めて舌打ち一つ。

 赤と青で強調される敵味方の識別はともかくとして、擬似的な暗視と透視がまるで役に立たない。

 

「自然現象、じゃあ、ない、わ、ね」

 

 彼の隣にゆらりと魔女が立つと、真に力ある言葉を二三紡ぎ、ゆるりと指を振る。

 頬を優しいそよ風が撫でたが、辺りの霧の濃さは増すばかりだ。

 

「霧払いの術でもしてくれたのか」

 

「そ。でも、駄目、ね」

 

 ローグハンターが言うと魔女は肩を竦め、こんな状況でもいつも通りに煙管を吹かす。

 だが、彼はそれを非難するつもりも、批判するつもりもない。緊急事態であってもいつも通りでいることこそが、何よりも大切なのだ。

 

「気持ち悪いですね……」

 

 女魔術師が汚れを落とすようにローブを叩きながら言うと、隣の女神官と令嬢剣士が頷き、周囲への警戒を強めた。

 他の冒険者たちも同じようなものだ。各々がいつでも武器を手にできるようにしつつ、霧の奥を警戒している。

 濃霧の中でも船を操る水夫たちも、額に冷や汗を流しながら神経を尖らせていた。

 霧に紛れての奇襲など、するのはいいがされるのはごめんだ。

 

「霧だけでなく、まったく風を感じませんわ」

 

 ゆるりと彼の隣に現れた剣の乙女が、表情を強張らせつつ言うと、蜥蜴僧侶も「奇妙ですな」と呟きながらしゅるりと鼻先を舐めた。

 二人の言葉を更に後押しするように、風に押されて弛んでいた帆が、だらしなく垂れている。

 航海士は舌打ちを漏らすと「お前ら、帆を畳め!」と怒号にも似た声音で指示を飛ばす。

 指示を受けた水夫たちは返事を共にマストを登り始め、ロープを引いて帆を畳もうとするが、

 

「──っ!待って、風が来るわ!」

 

 見張り台で長耳を揺らしていた妖精弓手が、マストに登った水夫たちに向けて声をあげた。

 瞬間、先程までの静けさが嘘のように、強烈な追い風が船を殴り付けたのだ。

 マストに上がっていた面々は掴める物に慌ててしがみつき、録な遮蔽物もなしに風を受け止める。

 上の彼らの様子なぞ露知らず、アキーラ号は風に押されるままに急加速。本来の最高速度をゆうに越える速度で、海の上を走り始めた。

 ローグハンターは揺れる船上を駆け抜け、突然の事態に慌てる操舵手からぶんどるように舵輪を握り、船を安定させんと揺れに合わせて舵を切る。

 ここは帆を畳んで安定させたい所だが──。

 

「無理そうだな……」

 

 マストの上で掴まっているのに必死な水夫の姿を認め、指示を聞いてはくれないと判断を下す。

 

「船長!アキーラが本気を出したぞ!ハハッ!」

 

「ここで出されても困るんだがな!」

 

 全速力を越えた速力で進むアキーラ号に、航海士はご機嫌なまでの反応を示し、ローグハンターは険しい表情をそのままに、口許だけで苦笑を浮かべつつ肩を竦めた。

 固く閉ざされた城門の如く、凄まじいまでに重い舵を巧みに操り、船を転覆させることはない。

 むしろ風を捕まえたのか。その速度は増すばかりだ。

 

「あ、あんまり速くしないでねっ!?」

 

 銀髪武闘家が手頃なロープを掴みながら言うと、ローグハンターからは「速くしようとはしていない」と手短に返されるのみ。

 操舵に神経を研ぎ澄ませているのだ。他の事柄への注意が下がってきているのだろう。

 歴戦の水夫たちも船長に負けてはいられないと、揺れる船上を器用に行き来し、時にはマストを支え、時には大砲を固定し、時には倒れた新人を抱き起こす。

 アキーラ号の全速力が続いたのは、およそ三分にも満たない間だろう。

 水夫と冒険者、船に乗る全ての人物が加速に慣れ始めた頃に、それは突然終わりを告げた。

 

「──え?」

 

 思わず声を漏らしたのは、見張り台で風と前方を監視していた妖精弓だ。

 長く続くと思っていた、彼女の感覚を持ってしても終わりが見えなかった霧が突如として晴れ、何の前触れもなく風が落ち着き、雲一つない青い空が顔を出したのだ。

 彼女だけではない。僅かに遅れて状況を理解した冒険者たちが、水夫たちが、顔を見合わせて辺りを見回す。

 水平線の彼方まで見通せるほど辺りには何もなく、風も落ち着いたのか、心地がよいそよ風が頬を撫でる。

 

「どれくらい進んだ」

 

 そんな事お構いなしに、ローグハンターは航海士へと問いかける。

 霧の中を凄まじいまでの速度で突っ切ったのだ。現在地がわからなくなるのは当然の事。

 現に航海士も顔を強張らせ、首を振って答えるのみ。

 太陽の角度から方角はわかるが、現在地がわからないのは相当に痛い。これでは目的地にたどり着けぬ。

 ローグハンターが僅かに目を伏してため息を吐いた時だ。

 

「おい、前方に島だ!」

 

 見張りの水夫が声を張り上げ、その情報は瞬く間に船内を駆け抜ける。

 ローグハンターは舵輪を握ったまま体を傾け、件の島に目を向けた。

 その瞬間、彼の直感が囁いた。

 

「あれだ……っ!」

 

 たどり着けたという歓喜か、あるいは待ち受ける者への怒りからか、目を見開いて声を震わせながら、彼は口を開いた。

 隣の航海士は「よっし、お前ら!あの島を目指すぞ!」と声を張り上げる。

 迷子になったかと思いきや、まさか目的地が目の前とは、これほど好都合なことはないだろう。

 興奮する水夫を他所に、賢者は顎に手を当てて思慮を深めた。

 

「……突然の霧と突風。それを抜けた先に目的地。出来すぎてる」

 

「罠かもしれませんが、行くしかないでしょう」

 

 ぼそりと呟かれた言葉に、剣聖が彼女の肩に手を置きながら告げた。

 

「罠かもしれないけど、それなら正面突破するしかないでしょ!」

 

 いつの間にか隣にいた勇者が島を指差しながら言うと、賢者は「それしかない」と笑みを浮かべた。

 久々に見たような彼女の笑みに、勇者と剣聖の二人もつられて笑みがこぼれる。

 小さな点でしかなかった島が、時間が経つ度に少しずつ大きくなっていく。

 そうして島の様子が鮮明に見えるようになった頃、彼らの興奮は冷めていた。

 否、冷めるを通り越して、顔色が悪くなるほどに落ち込んでいたと言った方が正しいだろう。

 

「何だよ、あれ……?」

 

 単眼鏡を手に見張りをしていた水夫が、恐怖から声を震わせて前方を指差す。

 だが、それに答える者はおらず、皆一様に不安の表情を浮かべていた。

 彼らが目指す島を取り囲むように、打ち捨てられた船が放置されているのだ。

 その数は両手の指でも足らず、足の指を使ってもまだ足りないだろう。

 

「どこか、上陸出来そうな場所はないか」

 

 緊張の面持ちで舵輪を握りつつ、航海士に問いかけた。

 問われた彼は首を捻り、「外周を回ってみねぇと」と曖昧な返事。

 だが幸いにも、まだ島との距離はある。進路を変えて外周を回る程度なら、造作もないことだ。

 

「よし。帆を畳め、減速しろ!」

 

「お前ら聞いたな!ハーフセイルッ!」

 

 即決したローグハンターの指示に、航海士が重ねて指示を出す。

 消沈していた水夫たちはハッとすると、慌てて持ち場に戻っていった。

 彼らに考える暇を与えず、ひたすら仕事をさせるが吉としたのだろう。現に彼らは慌ただしく船上を駆け回っている。

 帆が畳まれ、ぐっと速度が落ちると、ローグハンターは舵を切った。

 島の外周を時計回りにぐるりと一周しようとしているのだ。

 船は緩やかに左へと進路を変え、微速ながら進んでいく。

 右舷側に見える島の様子を見ながら、舵から手を離す事はない。

 岩礁か、あるいは潮の流れが急な場所があるのだろう。でなければ、大量の船が座礁するなど──。

 

「見て、正面!」

 

 思慮に耽っていたローグハンターに、見張り台の妖精弓手の声が届く。

 彼女の指示を聞くように正面に目を向けると、船の残骸が少ない場所が見て取れる。

 

「小舟なら行けるか」

 

「そうだな、船長。よし!お前ら、ボートを──!」

 

 航海士が指示を出さんとした時だ。

 

『OOOOOOOOORRRRRRRRRRRRRR!!!!!』

 

 島の方から、地の底から響くような重低音が発せられたのだ。

 

「ッ!命令撤回!一旦島から離れる!」

 

 幼い頃より培われた反射神経が、考えるよりも早く指示を出し、舵を切る。

 危険、即離脱は基本中の基本だ。それを知らずに死んでいった者も多い。

 島から離れつつ前進を続け、件の上陸地点が目視確認出来るようになった瞬間だ。

 

「──おいおい、嘘だろっ!」

 

 驚きの声をあげたのは、果たして誰だっただろうか。

 それを知る者はいないし、知ろうとする者もいないだろう。

 彼らが向けたいくつもの視線が、金色に輝く単眼が睨み返す。

 その巨体は大柄な蜥蜴人よりも尚も大きく、その腕は大木よりも尚も太く、その足は地を踏みつけ、(なら)してしまうには十分なもの。

 それ(・・)は手にした棍棒──船のマストだろう──を高々と掲げ、アキーラ号に向かって威嚇するように吠える。

 否、威嚇ではない。それは獲物を見つけたものが、相手を怯えさせる為にする咆哮だった。

 船の上で恐ろしいものをあげるなら、何をあげるだろう。

 食料不足。突然の嵐。船員の反乱。海賊の襲撃。

 確かにどれも恐ろしく、乗り越えるには苦労し、時には命を落とすだろう。

 だが、そのいずれも、彼の者を前にすれば霞んで見える。

 かつて鷲使いに敗れた単眼の巨人(キュクロープス)が一体。

 

 

 稲妻を呼ぶ者──ステロペス。

 

 

 

 彼を討った英雄(ようへい)は、この世界にはいない。

 だが、過去とは、伝説とは越えるものなれば──。

 

「──総員、戦闘準備だ!」

 

 ここに集うは新たな英雄たち。

 勇者が、剣聖が、賢者が、剣の乙女が、槍使いが、魔女が、重戦士が、女騎士が、ゴブリンスレイヤーが、妖精弓手が、鉱人道士が、蜥蜴僧侶が、女神官が、女魔術師が、令嬢剣士が、彼の声に答えて声をあげた。

 

「この船が化け物に負けねぇってこと、証明してやれ!」

 

 遅れて発せられた航海士の声に、水夫たちの折れかけた心が震い立つ。

 

「やっと冒険って感じだね」

 

 隣に立つ銀髪武闘家の声に、ローグハンターは笑みを浮かべた。

 仲間たちがいる。船がある。それを操る水夫たち、彼らを束ねる航海士がいる。

 道具もある。手段もある。残るは勝ちの目を掴み取る運のみ。

 

 ──否!

 

「運を掴みに行くぞ!!!」

 

 ローグハンターの号令に、船に乗る全ての者が声をあげ、稲妻を呼ぶものの咆哮に混ざって消える。

 

「挨拶代わりだ。通常弾、片舷斉射!!!」

 

 放たれた砲撃は開戦の合図。吹き上がる硝煙は開戦の狼煙。

 ここに、四方世界の神々とかつて来たりしものの、世界を賭けた代理戦争(ウォーゲーム)が、開始されたのだった。

 

 

 

 




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Memory10 稲妻を呼ぶもの(ステロペス)

 響く砲撃音。爆ぜる砂浜。舞い散る砂塵。そして、

 

『OOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 

 爆煙を太腕で掻き分け仁王立ち、天に向かって咆哮する巨体──稲妻を呼ぶもの(ステロペス)

 彼の者は海上を進むアキーラ号からの砲撃に一切怯む様子を見せず、近くの船の残骸を規格外の腕力のみで持ち上げ、それを放り投げる。

 

「来るぞ!」

 

 ローグハンターは瞬時に投じられた残骸の軌道を見極め、舵を切ってそこから船を逃がす。

 五秒後には残骸が船の通る筈だった海面に叩きつけられ、大きな水飛沫をあげながら海底に沈んでいく。

 打ち上げられた海水が雨のように降り注ぐ中、ローグハンターは稲妻を呼ぶものを睨み付ける。

 並の船なら既に轟沈している程の砲弾を浴びてなお、相手は健在。遠目でも多少の火傷や出血は見られるが、どれも決定打には欠けると言った様子か。

 ここまで来ると、相手の耐久力(タフネス)は伝説の船か、あるいはそれ以上のものだろう。

 だが、傷が出来ているという事は、殴り続ければいつかは死ぬという事に他ならない。

 ──ならば、ありったけの弾を叩き込むまでの事。

 

「砲撃用意っ!」

 

 ローグハンターの指示に水夫たちは大砲に弾を込めると「いつでも!」と酒焼けした声で返される。

 その声も、ローグハンターからしてみれば聞き慣れたものだ。

 稲妻を呼ぶものにアキーラ号の右舷を向け、目測で位置を確認。

 

「──ってぇ!」

 

 気合いの入った声を合図に、一斉射撃が行われる。

 放たれた砲弾は次々と稲妻を呼ぶものとその周囲に着弾し、盛大に砂塵を舞いあげた。

 

『OOOOOOOO──……!!』

 

 次々と巻き起こる着弾音に彼の者の咆哮が掻き消され、水夫たちから歓声が上がる。

 だが、まだだ。

 ローグハンターはタカの眼を発動し、爆煙の中で片膝をつく稲妻を呼ぶものの姿を視認。

 尚も立ち上がろうとしている赤い影の動きに舌打ちを漏らし、「決定打に欠けるか」と不満を吐き出す。

 

「おい、ローグハンター!」

 

 彼の不満に反応したのか、あるいはおあずけ状態に痺れを切らした──おそらく後者だろう──女騎士が、舵を握るローグハンターに声をかけた。

 装填を手伝う重戦士も、僅かに顔をあげるのみで彼女を止める様子はない。

「なんだ!」と怒鳴るように問えば、彼女からの返答は至極無茶なもの。

 

「もう少し船を寄せてくれ!そうすれば斬り込める!」

 

 ぐっ!と拳を握りながら言う彼女の姿は、秩序にして善なる騎士というよりは、戦いを求める蛮戦士(バーバリアン)もかくやだ。

 

「無茶を言ってくれる……」

 

 ため息混じりに呟くと、「出来るのか、出来ないのか!?」と急かすような問いかけられる。

 問われた彼は航海士に目を向け、「どうだ?」と肩を竦めながら首を傾げた。

 

「あー、どうだかな」

 

 問われた航海士は不満顔だ。

 我が子同然に愛する船を、文字通りの死神に差し出せるかと問われれば、答えは否に決まっている。

 だがしかし──。

 

「そうでもしなけりゃ、勝てねぇよなぁ」

 

 航海士はそうぼやきながら、爆煙を突き破って立ち上がる稲妻を呼ぶものに目を向けた。

 怒りからか、ギラギラと輝く単眼でアキーラ号を睨み付け、届かぬだろうに棍棒を振り回している。

 

「旋回砲、奴の眼を狙え!」

 

 ローグハンターが素早く指示を出し、砲手が培われた反射神経でもって反応を示した。

 大砲のそれに比べて小さめの──けれど、それもまた砲撃であることに変わりはない。

 放たれた小さな砲弾は、稲妻を呼ぶものの眼に迫っていくが──。

 

『OOOOORRR!!!』

 

 彼の者が薙ぎ払った棍棒で迎撃された。

 命中弾とはならなかったが、巻き起こった爆発により棍棒が砕け散る。

 

『OR!!』

 

 手元に残された棍棒の持ち手部分に目を向け、憤ったように地団駄を踏む。

 地面を踏みつける地鳴りの音が、海上の冒険者たちにさえ聞こえる程だ。

 

「あれに接近するのか?」

 

「──も、勿論だとも!」

 

 ローグハンターの口から漏れた、僅かに小馬鹿にしたような問いかけに、女騎士は狼狽えながら、声を上擦らせて頷いた。

 放たれた砲弾に、見てから(・・・・)反応する反射神経。

 当たった所で致命傷にはならない耐久力(タフネス)

 あれに接近するのも至難だが、接近戦で戦うのもまた至難だ。

「一斉射、撃てっ!」と航海士が指示を出す横で、ローグハンターは眉を寄せて思慮を深める。

 島の周囲には多くの船の残骸が漂着し、遮蔽物が多い。

 その分相手の武器も多いわけだが、それを吹き飛ばせれば、接近の難度は下がるだろう。

 辛うじて接近出来たとしても、冒険者らを降ろすまでの時間を稼がなければならない。

 至近距離で相手をするなど、したくはないし、させたくもないのだが──。

 

「──ん」

 

 そこまで思慮すると、ローグハンターの脳裏に何かが過った。

 すぐにでも忘れてしまう、根拠のない突然の思いつきにも等しいものだ。

 だが、やる価値はあるだろう。

 

「駄目だな、船長!大砲が効いてねぇ!」

 

「そうか」

 

 航海士からの報告に頷き、ローグハンターは小さく息を吐いた。

 同時に覚悟を決め、彼女を呼ぶ。

 

「大司教!」

 

「お呼びですか!!」

 

 その瞬間。瞬きもする間もなく、剣の乙女が隣に現れた。

 どうやって来たのかを問いたい所だが、彼女とて金等級冒険者。他の冒険者たちとは一線を画す何かを秘めているのだろう。

 それは後で考えれば良いと、ローグハンターは彼女に言う。

 

「『聖撃(ホーリースマイト)』を頼めるか。狙いはあの一つ眼と、周囲の残骸だ」

 

「かしこまりましたわ!」

 

 彼からの頼みに、剣の乙女はやる気みなぎる表情で頷いた。

 愛する人からの頼みだ。それを断る道理なし。

 

「なら詠唱までの時間を稼ぐ。砲撃よう──」

 

「水の精が騒がしい。何か来る!」

 

 次なる一手を打とうとした矢先、見張り台の妖精弓手が声を出した。

 妖精に近しい彼女だからこそ、その何かに気付いたのだろう。

 ローグハンターが反射的に稲妻を呼ぶものに目を向けると、彼の者は腕を振り上げて何かを溜めている様子。

 それを視認した瞬間。彼の背筋を冷たいものが駆け抜ける。

 冒険者として活動する傍らで、幾度となく感じる事となった死の気配。

 まさにそれが、この瞬間に訪れたのだ。

 彼は反射的に舵を切り、進路を大きく左に曲げる。

 

「──踏ん張れ!」

 

 同時に声を張り上げ、舵輪を握ったまま剣の乙女を引き倒し、彼女を庇う形で姿勢を低くする。

 その瞬間、稲妻を呼ぶものが拳を振り降ろす。

 それを合図として、凄まじい轟音と共に海面が()ぜた。

 何の前触れもなく、海面から天を突かんとする水柱があがったのだ。

 進路を左に曲げていなければ、間違いなく船底からかちあげられていた。そうなれば転覆、あるいは沈没か。

 たかが水と、威力をなめてはいけない。

 海底遺跡に転移(ゲート)のスクロールで行こうとし、吹き出た水圧で体をばらばらにされた冒険者──あるいは、それを攻撃に転用されたゴブリン──とているのだ。

 各部を金属で補強されているとはいえ、木材の塊である船が耐えられるかと問われれば答えは否。

 今回は長年培ってきたローグハンターの勘と、妖精弓手の存在が、彼らを初見殺しの大技から救ったのだ。

 降りしきる海水に全身を濡らしつつ、ローグハンターは大きめの舌打ちを一つ。

 遠距離から削りきる?これを直撃すれば一撃死するこの状況で?

 

 ──無理だな。

 

 すぐさまそう決め、立ち上がり際に女騎士に向けて告げる。

 

「お前の案でいくぞ、乗り込み用意だ!」

 

「そうこなくてわな!」

 

 打てば響くような返事と共に彼女は兜を被る。

 少々気が早い気もするが、どうせ被るのなら早い方が良い。

 やる気の彼女の姿に感化されてか、大砲の装填を手伝っていた重戦士が一言告げてからその場を離れ、槍使いと剣聖らも獰猛な笑みを浮かべた。

 つられるようにローグハンターも笑い、隣の航海士に告げる。

 

「さて、やるしかないぞ」

 

「ああ、ここまでくりゃ腹を括るぜ!いいな、お前ら!」

 

「「「「「おーっ!」」」」」

 

 もはや自棄になったような航海士の言葉に、水夫たちも開き直ったように声を張り上げた。

 愛する船を壊されたくはないが、どうせやられるのなら希望を残してからだ。

 今回の希望は冒険者たち。彼らを目の前の島に送り届けることさえ出来れば、自分たちは──。

 

「冒険者を降ろしたら、距離をとれ。俺たちであいつを仕留める」

 

 どこか達観し始めていた水夫たちに向け、ローグハンターが告げる。

 決して舵輪から手を離すことなく、気を抜いている訳ではないけれど。

 

「俺たちには帰りの足が必要だ!だから、死ぬな!俺たちも必ず生きて戻る!」

 

 仲間たちへの心配と信頼が、彼の口を動かした。

 冒険者たちなら勝つ。水夫たちなら逃げ切れる。この場にいる全員が、必ず生きて帰る。

 

「──覚悟が決まったなら声をあげろ!」

 

 ローグハンターの問いかけに、冒険者たちと水夫たちが一斉に声をあげた。

 だが、数人の水夫はまだ迷っているのか、あるいは反対なのか、俯いている。

 当たり前だ。これから行うのは限りなく死に近づく自殺行為。それに賛同できるかは個人によるだろう。

 ローグハンターはそれを踏まえていたのか、言葉を続ける。

 

「もし、覚悟が決まっていないのなら」

 

 その一言に俯いていた水夫たちが顔をあげ、どこか希望を見つけたような喜びの表情を浮かべ、ローグハンターは彼らを安心させるように笑みを浮かべた。

 

「──船倉で丸くなってろ」

 

 そうして吐き出された言葉は、まさかの邪魔者扱いである。

 清々しい笑みを浮かべながら毒を吐くなど、随分と変わったなぁと銀髪武闘家は苦笑混じりにため息ひとつ。

 つまり彼が舵を握る以上、突撃以外の選択肢はない。

 選択肢がないのは相談とは言わないとは、果たして誰が言った事だっただろうか。

 割りと身近な人(女神官)だった気もするが、それは自分に向けた言葉だったかと首を傾げる。

 

「とにかく全会一致だな。王の議会でもそうは見られまい」

 

「そうですわね」

 

 ローグハンターが見えない事がわかっていても真剣な面持ちで問うと、剣の乙女は思わず苦笑。

 野花のような優しげな笑みを浮かべて、ころころと鈴を転がしたように小さく笑ったのだ。

 彼は稀に、本当に稀にだが冗談を言うことはある。だが、それがここで出てくるとな。

 けれど、笑っていたのはものの数秒だった。

 剣の乙女は表情を引き締めて天秤剣を両手で握り、指先を白く染めながら黒布の下の見えざる瞳を閉じた。

 天上に座する神の一柱──敬愛する至高神へと、かつて魔神王に挑んだ頃と同じように深い祈りを捧げる。

 

「《裁きの(つかさ)、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し(さぶら)え》……!」

 

 一切の邪念なく、真摯に、静かに、けれど力強く、それこそ詩を(うた)うに祈りの言葉が紡がれた。

 正義と秩序の象徴たる至高神は彼女の祈りに応え、この世界を支配せんとする者の尖兵を討たんと超常の奇跡を起こす。

 砲撃も、稲妻を呼ぶものの咆哮も止んだ、戦場を支配した一瞬の静寂。

 その静寂は、天より振り下ろされた鉄槌によって破られた。

 それは雷だ。混沌に与する者を、人々の平穏を砕かんとする者を討つ、無慈悲な聖なる一撃(ホーリースマイト)だった。

 神の怒りを体現する数条の雷が、砂浜を覆い隠すまでに降り注ぎ、稲妻を呼ぶものに突き刺さり、その肉と骨を焼き焦がす。

 否、彼の者だけではない。棲みかたる浜辺周囲の船の残骸すらも吹き飛ばし、船の進路を切り開く。

 

『OOOORRRRRRR────………!!!』

 

 浜辺から響くのは、断末魔にも似た咆哮だった。

 稲妻を呼ぶものの巨体がぐらつき、堪らず片膝をつく。

 相手の行動が止まるタイミング。ローグハンターはこれを待ちに待っていた。

 

「──突っ込むぞ!」

 

「よぉし、お前ら!気合いを入れろ、フルセイル!」

 

 彼の号令に合わせ、航海士からの指示が飛ぶ。

 敵の動きを警戒して畳まれていた帆が一斉に開かれ、風に後押しされて急加速。

 稲妻を呼ぶものが待ち受ける砂浜目掛け、アキーラ号はひた走る。

 邪魔な残骸も、波打ち際に見えた岩礁も、先の一撃で消し炭となった。

 ならば、止まる理由はない。躊躇う理由もない。

 

「火炎弾装填ッ!」

 

 アキーラ号の衝角が浜に乗り上げようとした間際、ローグハンターは歯を食い縛って思い切り舵を右に切る。

 浜辺に突き刺さらんとしていたアキーラ号は、片膝をついた稲妻を呼ぶものに左舷を晒す。

 同時に大砲に油布に包まれた砲弾が押し込まれ、水夫からは「いつでも!」と気合いと共に掛け声ひとつ。

 

『OOOOO!!!』

 

 彼の者はこれ幸いと近くの残骸に手を伸ばすが、

 

『OR!??』

 

 そのにある筈の残骸がないことに気付き、輝く単眼をあらん限りに見開く。

 狼狽え、体が動きを止めた一瞬。

 

「ってぇ!」

 

 力の入ったローグハンターの声が、船上を駆け抜けた。

 同時に大砲が火を噴き、火に包まれた砲弾が稲妻を呼ぶものの巨体に突き刺さった。

 込められた火炎弾は、至近距離でしか真の火力を発揮できない。細かな狙いが付けられないと欠点は多いが、この瞬間において、それらの問題は全て解決されている。

 

『OOOッ!!』

 

 まさに最高火力(クリティカル)。先程とは比にならない火力を発揮した砲撃に、ついに稲妻を呼ぶものが半歩下がって両膝をつく(ノックバック)

 

「葡萄弾装填!」

 

 相手の行動を止め(キャンセル)、次いで大量の鉄片が一つに纏められた砲弾を大砲に込めさせる。

「一斉射!」と矢継ぎ早に指示が飛び、込められて早々に吐き出された。

 放たれると共に鉄片が砕け散り、さながら散弾のように稲妻を呼ぶものに突き刺さり、大量の傷をつけると共に砂塵を舞いあげた。

 視界を潰すには十分。そして、彼らを送り出すには十分な時間を稼げる。

 

「行けっ!」

 

 ローグハンターから発せられた、怒号にも似た叫びに、冒険者たちが一斉に反応を示す。

 冒険者たちは颯爽と──賢者は剣聖、魔女は槍使い、女神官はゴブリンスレイヤーに担がれていたが──浜辺に降り立つ。

 

「ほっ!」

 

 アキーラ号の見張り台に登っていた妖精弓手は、躊躇いなく身を投げて軽やかに着地を決めた。

 

「大司教、念のため船の防御を頼みたい」

 

「承知しました!」

 

 冒険者たちの出発を見送ったローグハンターは、隣の剣の乙女に手短に頼むと、次に航海士に「後は任せる!」と一言告げる。

「任された!」と返されるのと、彼が身を投げたのはほぼ同時。

 彼が浜辺に降り立つと同時に、稲妻を呼ぶものが咆哮をあげながら立ち上がる。

 びりびりと感じる重圧(プレッシャー)に、銀等級冒険者たちは不敵に笑う。

 持てる(リソース)ありったけをぶつける。そうでもしなければ、あの巨体は越えられまい。

 離れていくアキーラ号を背中越しに見送ると、ローグハンターと勇者が先陣を切る。

 障害物もないのだからと、一直線に巨体へと挑みかかったのだ。

 

『OOOOORRRRR!!!』

 

 二人の進路を見切った稲妻を呼ぶものは拳を振り上げ、渾身の力を込めて振り降ろす。

 彼の者から見れば、彼らの体はそれこそ虫のようだろう。

 だが空中を飛ぶ蚊を叩くことが難しいように、彼らを捉えるのは至難の技だ。

 彼の者が拳を振り下ろした瞬間、ローグハンターは右にステップ、勇者は左に転がって避ける。

 凄まじい轟音と共に大地が揺れるが、二人はすぐさま体勢を整え、得物を抜き放つ。

 

「フンッ!」

 

「こんの!」

 

 大地を殴り付けた巨大な拳が浜辺に埋まった隙を見計らい、ローグハンターの金色の剣、勇者の光の聖剣が、左右から筋肉質な太腕にすんなりと突き刺さった。

 

『OR!?!?』

 

 突如として駆け抜けた鋭い痛みに、稲妻を呼ぶものは驚愕と共に刺された腕をあげた。

 ローグハンターは突き刺さった剣をそのままに離れ、勇者は一瞬持ち上がるも慌てながら飛び降りる。

 彼の者の長い記憶の中で、ここまであっさりと傷をつけられたのは、あの時以来だ。

 

『R……?』

 

 ──あの時とは、どの時だ?

 

 稲妻を呼ぶものの足りない思考にその考えが過り、動きが止まった瞬間だ。

 

「もらいっ!」

 

 妖精弓手の放った矢が、不可思議な軌道を描いて輝く単眼に突き刺さった。

 

『OOOOOO!!!!』

 

 真っ暗になった視界。絶えず腕を暴れまわる激痛。瞳に感じる激痛。

 彼の者は頭を押さえながら暴れまわり、その場でたたらを踏んで両腕を振り回す。

 力任せの、狙いも疎かな攻撃に当たってやる程、冒険者たちも優しくはない。

 

「そぉらよっ!」

 

 疾風となって股下を駆け抜けた槍使いの一撃が、彼の者の腱を切り裂く。

 堪らず膝をついた瞬間には、重戦士が踏み込んだ。

 浜辺に踵を沈めながら両足を踏ん張り、両手で握っただんびらをぶん回す(フルスイング)

 人の数倍はある鉄の塊が無防備な米神に叩きつけられ、彼の者の頭蓋を砕きながら巨体を大きく揺らす。

 

『OOッ!』

 

 それでも尚、彼の者の命を絶つにはまだ遠い。

 稲妻を呼ぶものは歯を食い縛り膝立ちとなり、閉じていた目を気合いだけでこじあける。

 彼の者からしてみれば、矢が刺さるのは目に埃が入った程度の事。痛いことには痛いが、時間が経てば回復する。

 今度こそ敵対者たちの姿を睨んでやろうと目を開いた瞬間だ。

 

「シッ!」

 

 視界の端に銀光が走ったと思った瞬間には、再び視界が黒く染まった。

 再び絶叫しながら暴れまわる稲妻を呼ぶものを背にしながら、剣聖は片刃の剣に血払いくれる。

 

「一目でわかる弱点がある方が悪いんですよ」

 

 そう言いながらどこか邪悪な笑みを浮かべ、後ろで「その通りよ!」と同調する妖精弓手に頷きひとつ。

 彼らとて冒険者。未知の相手なら弱点を探りながら戦い、見つけたら徹底してそこを狙うことを弁えている。

 今回に限って言えば、狙って下さいと言わんばかりに一つ眼なのだから、そこを重点的に狙うのは当然の事だ。

 

「お兄ちゃん!どうしよう!?」

 

「何がだ?」

 

 仲間たちの一連の行動に目を細めていたローグハンターに、小走りで駆けてきた勇者が問いかけた。

 彼女は無手であり、自慢の聖剣も腰帯に吊るされた鞘しかない。

 まあ、それはローグハンターとて同じ事。彼の場合は黒鷲の剣がある分、勇者よりはましだろう。

 

「ぼくの剣、あいつの腕に刺さったままだよ!」

 

 当の彼女もそれを気にしているのか、稲妻を呼ぶものを指差しながら不満そうに言う。

 攻撃に参加出来ない事が不服なのか、皆に余分な負担を強いていると思っているのか──。

 

「気にするな、勇者殿!」

 

 そんな彼女に向けて、稲妻を呼ぶものの膝に盾を叩きつけ(シールドバッシュ)ながら叫んだ。

 彼の者の悲鳴をバックに、女騎士は不敵に笑んだ。

 

「この先に何がいるかは不明だ。なら、少しでも戦力は温存せんとな」

 

 彼女はそう言いながらちらりと手持ち無沙汰な後衛陣へと目を向け、「な?」とウィンク一つ。

 可憐な女性のウィンクに、並の男なら頬を染めて見惚れるか、あらぬ期待と共に生唾を飲み込んだ事だろう。

 

 ──その可憐な女性が、自身の身長を遥かに越える魔物を盾で殴っていなければ、だが。

 

「ほいっと!」

 

 槍を地面に突き立て、棒高跳びよろしくに舞い上がった槍使いが、空中で回転しながら勢いをつけ、その穂先を稲妻を呼ぶものの背中に突き立てる。

 まことの銀(ミスリル)で鍛えられたその穂先は、容易く彼の者の皮膚を貫き、その長さ故に臓物に傷をつけた。

 

『OOッ!』

 

 彼の者はイラつきを隠す様子もなく腕を振るうが、槍使いはひらりとそれを避けて距離を取る。

 

「力はすげぇが、その分鈍いな」

 

 にやりと笑いながらそう告げて、血に濡れた穂先で空を切る。

 刃から飛んだ血が見事な半円を描き、浜辺に染みを残す。

 

「鈍いが、随分とタフな奴だ。このまま殴り殺せるか?」

 

 重戦士がだんびらを担ぎながら首を傾げ、問われた剣聖と女騎士は微妙な表情。

 やはり決めるのなら──あるいは決められるのは──あの二人のどちらかという事だろう。

 同じ事を思ってか、重戦士は僅かな期待の眼差しをローグハンターと勇者に向けるが、同時に「そうだったな」とため息一つ。

 予備の武器があるローグハンターはともかくとして、勇者には武器がない。一つ眼野郎(キュクロープス)の腕に刺さったままだ。

 それを回収せねば、おそらくトドメはさせない。させたとしても、もっと時間を有するだろう。

 

「奴の動きを止めれば良いんだな」

 

 不意にそう呟いたのは、ゴブリンスレイヤーだ。

 彼は質問も返答を待たずに雑嚢に手を突っ込み、何かを引っ張り出す。

 それは、厳重に封のされた丸い何かだった。目印のように黄色のラベルが貼られている。

 一様に首を傾げる冒険者たちの中で、ローグハンターだけは「まさか……」と合点がいった様子。

 

「効果があるかはわからんが、試す価値はあるだろう」

 

 彼は言いながら投擲紐(スリング)にそれを取り付け、ぐるぐると回転させて勢いをつけると、「毒気だ!」と警告混じりにそれを放つ。

 冒険者たちな大事をとってその場を離れるが、こと投擲に関して右に出る者はいない彼の一投は、寸分狂わず相手の顔面を捉えた。

 一見頑丈そうに見えた容器はあっさりと砕け散り、中身の黄色いガスを放出する。

 

惰眠手投げ弾(スリープグレネード)、だったか……」

 

 ゴブリンスレイヤーの確かめるような呟きと共に、それは効果を示した。

 がむしゃらに暴れていた稲妻を呼ぶものの動きが途端に衰え、力ないものに変わったのだ。

 

『OO──OOORRRRR…………』

 

 気の抜けた唸り声をあげながら、どうにか抵抗しようと試みてはいるが、意思に反して体が動いていない様子。

 瞬間。二人は動き出した。

 ローグハンターと勇者は再び一迅の風となり接近、彼の者の腕に突き刺さったそれぞれの得物に手をかける。

 

『──ッ!OOOOOOOOO!!!』

 

 だが、それがいけなかった。握った拍子に傷を抉ってしまったのか、痛みにより彼の者の意識が覚醒したのだ。

 

「わわっ!」

 

 勇者は慌てながらも聖剣を引き抜いてその場を離れるが、ローグハンターは剣を掴んだままだ。

 

『OR!!』

 

 稲妻を呼ぶものは間抜けな彼の姿に笑みを浮かべ、剣の刺さった腕を思い切り振り上げた。

 突如として発生した強烈な遠心力に引かれて剣が腕から抜け、ローグハンターは単身宙に放り出される。

 人は飛ぶことが出来ない事は、世界が始まってからの常識の一つだ。

 宙に投げ出された人間は重力に任せて落ちる他なく、地面に落ちれば死は免れない。

 だが、何事にも例外というものはあるのだ。

 ローグハンターは慌てる事なく空中で体勢を整え、金色の剣を逆手に持ち変える。

 同時に上昇の最高点に達したのか、体が地面に──稲妻を呼ぶものに向けて落ち始めた。

 落下の時間が長ければ長いほど速く。距離が長ければ長いほど次の一撃は強く。

 

『ORRR!!!』

 

 彼が何かを企んでいると察した稲妻を呼ぶものは、その太腕で彼を叩き落とさんとするが、

 

「ッ!」

 

 彼の動体視力と反射神経には勝てずに、彼の回避を許してしまう。

 捕まえんと伸ばされた腕を身を捩って避け、叩き落とさんと振るわれた腕を体を丸めて避け、

 

「フッ!」

 

 意図せず乗ることになった回転の勢いをそのままに、輝く単眼に金色の剣を突き立てた。

 剣から放たれた稲妻が彼の者の脳を直接焼き焦がし、じわじわと痛痒(ダメージ)を与えていく。

 

「ラァッ!」

 

 瞳に突き刺した剣を握り締め、ローグハンターは彼の者の頭から飛び降りる。

 彼の力に引かれるがまま、稲妻を呼ぶものはその場に四つん這いとなり、地に足をつけたローグハンターは更に押し込まんと踏ん張るが、

 

『ORッ!』

 

 苦し紛れに振るわれた豪腕が、彼の体躯を横から叩いた。

 体勢が体勢なことと、破れかぶれに振るったことが重なり、幸いにあまり力は入っていないようではあるが、彼を弾き飛ばすには十分だ。

「う゛お゛……っ!」と汚い悲鳴を漏らしながら彼の体は宙を舞い、十数メートル先の地面を転がる。

 稲妻を呼ぶものは口元を歪ませた。

 何かはよくわからないが、目に何かを刺した奴をはね除けたのだ。ならば、まだどうにかなる。

 最後の最後まで諦めず、生きようと足掻くのはのは、一部の生物──特にゴブリン──を除いて美徳とされるだろう。

 だから、彼の者の判断を嗤うものはいない。

 だが、彼の者を討たんとする者がまだ一人。

 彼女は何かを考えるよりも前に走り出し、瞬時にスイッチを入れる。

 普段の人懐こい顔が消え去り、銀等級冒険者としての誇りに満ちる凛とした、まるで別人のような雰囲気を纏いながら、駆け出したのだ。

 一歩踏み込み、二歩踏み込んだ。まだ遠いと三歩、四歩。

 五歩目を踏み込んだ瞬間、彼女はありたけの力を溜めて前に跳ぶ。

 空中で勢いを殺さぬようにしながら体を丸め、狙いを一点に絞る。

 やることは単純。(くぎ)は既に打たれている。あとはそれを──、

 

「イイイイイヤヤァアアアアアッ!!!!」

 

 押し込むのみ!

 銀髪武闘家は怪鳥音を響かせながら、稲妻を呼ぶものの

 瞳に突き刺さった金色の剣の柄頭に、渾身の蹴りを叩き込む。

 足の裏に硬いものを蹴りつけた感覚の後にくるのは、骨を貫き、肉を食い破る不快な感覚だ。

 ぐちゃり……と湿っぽい音をたてながら、稲妻を呼ぶものの大切な何かが砕かれる。

 反射的にピクピクと痙攣を繰り返す巨体を他所に、銀髪武闘家は着地を決め、鋭く息を吐きながら残心。

 彼女が構えを解いた事を合図にして、稲妻を呼ぶものの巨体が重い音と共に地に伏した。

 いまだに痙攣する彼の者を見下ろしながら、銀髪武闘家は胸に手を当ててホッと一息。

 ちらりとローグハンターの方に目を向けてみれば、彼は既に立ち上がり、具合を確かめるように肩を回している。

 彼の事だ。援護も出来ただろうに、それをしないのは彼女を信頼しているからか、既に勝負は決したと判断したからか。

 まあ、その答えはどうでも良い。過程はともかく勝ったのだから良いではないか。

 銀髪武闘家は冒険者たちに目を向けると、サムズアップと共に満面の笑みを浮かべた。

 四方世界の神々とかつて来たりし者の代理戦争(ウォーゲーム)第一戦は、四方世界側の圧勝で終わりを告げたのだ。

 

 

 

 

 

『幻想』はホッと息を吐き、『善し!』とガッツポーズをしながらどや顔をします。

 今日はつきについています。出す目出す目が大当たり(クリティカル)です。

 対面する『かつて来たりし者』は彼女の態度に何か言うわけでもなく、愉快そうに目を細めるだけです。

 

『これで一度目はそちらの勝ち。ふふ、一方的じゃあ、つまらないものね』

 

『かつて来たり者』は優雅に笑いながらそう言いました。

『幻想』は『次も勝つよ!』と胸を張りますが、対する相手は『頑張りなさいな』とどこか余裕に笑いました。

 そして自陣の駒を眺めると、フッと小さく笑みを浮かべます。

 

『そうねぇ、次は──』

 

 ──地獄の番犬(ケルベロス)なんてどうかしら?

 

 彼女はそう言って、三つ頭の巨大な犬を卓に置きます。

 

『さあ、越えてごらんなさい』

 

『かつて来たりし者』は、優雅に笑いながら両腕を広げて挑発します。

 彼女の態度に『幻想』は『うっ!』と狼狽えますが、始まった勝負を途中で投げる訳にはいかないので続行です。

 そう、これは代理戦争(ウォーゲーム)。どちらかが全滅するまで、終わることはないのです。

 

 

 

 

 




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Memory11 陽動、潜入

 鬱蒼と茂る森林地帯。

 一切人の手の入らない森の中は昼間でも暗く、そこを棲みかとする狼たちは息を殺して獲物が通りすぎるのを待ち構えていた。

 殺意を漏らさぬように息を殺し、自身よりも弱い存在を、自身たちよりも弱い存在を、今か今かと待っているのだ。

 

「──随分、殺気立っているな」

 

 だが、彼らは気付いていない。

 決して獲物とはならない。彼らよりも段違いに強い一人の男──フードを目深く被ったローグハンターが、木の上から見下ろしている事に、気付いていないのだ。

 彼は僅かに髭の伸びた顎に手をやりながら小さく唸り、隣の枝に腰掛ける妖精弓手に目を向けた。

 未知の森の中だからか、何やら落ち着きなくあちこちへと視線を向け、時には長耳を揺らしながら安堵にも似た息を吐く。

 ローグハンターは小さく肩を竦めると、彼女に問いかけた。

 

「この森はどうだ」

 

「どうって、見ればわかるでしょ?」

 

 彼の問いに今度は妖精弓手が肩を竦め、長耳を揺らしながら周囲に広がる大自然へと目を向けた。

 獣たちの唸り声、川のせせらぎ、風の吹く音、葉の揺れる音、などなど──。

 人の手が入っていないが故に、自然の本来の形たる弱肉強食の世界が、無秩序に広がっている。

 だが自然にとっては無秩序である事こそが正常であり、人の手で調整された姿は、生きる彼らにとっては非常なのだろう。

 それを表すように、彼らの居座る木の下に息を潜めていた狼たちは、獲物を見つけて走り出し、数分もしないうちに鹿か何かの断末魔が森に響いた。

 

「何だか落ち着くのよね……」

 

 その一部始終を聞いていたであろう長耳を揺らしながら目を細め、妖精弓手は微笑を浮かべる。

 木の枝に腰掛け、弓を片手に優雅に微笑む様は、さながら有名な狩人の一時を描いた一枚の絵画のようだ。

 本来なら森と共に生き、森と共に育ち、森と共に去る森人の──その王族たる上の森人なら、獣が獲物を捕らえてどうこうすることに頓着はない。

 下手な正義感を出して「助けてあげなきゃ!」と言って飛び出していく阿呆は、幸いなことにいないという事だ。

 正確に言えば、この場にいるのはローグハンターと妖精弓手の二人のみ。島を偵察してくると、仲間たちと別行動をとっているのだ。

「落ち着く、ね……」とローグハンターは森人特有の感覚に多少困惑しつつ、すぐさま思考を切り替えて瞑目し、天高く飛んでいる鷲と視覚を共有する。

 森の闇の奥を見ていた視界が一転。瞬き一つする間に、森を俯瞰するものへと変わった。

 空中を進みながら森の獣たちの縄張りに目星をつけ、目的地を探す。

 島を一望出来る場所(ビュー・ポイント)があれば話は別なのだが、不都合な事にそれに当たるものが見つからない。

 

「……全く、面倒だな」

 

 ぼりぼりと頭を掻きながら、ローグハンターは独り愚痴を溢した。

 島を片っ端から調べて回らなければならないというのは、かなりの手間だ。

 ちょっとした──まともな人間なら登ろうとしない高さの──高台の一つや二つ、あっても良いだろうに。

 

「はいはい、愚痴らないの。もう少し進んでみる?」

 

「──ちょっと待て」

 

 妖精弓手が苦笑混じりに言うと、ローグハンターは鋭く切り返して眉を寄せた。

 鷲の視界を借り受けた状態で更に集中。その場で滞空しつつ見たい対象を注視し、場所を頭に叩き込んでいく(マーキング)

 そして、それらしき何かを見つけたのか、鷲が一鳴きして合図をしてくれた。

 目的地はわかった。ならば、進む他になし。

 

「前進だ」

 

 決めた事を端的に告げるのは、彼の美徳か欠点か。

 うだうだと意味もなく言葉を続けられるよりはましではあるが、相手に伝わるのかは話が変わってくる。

 けれど、話す相手は一年以上の付き合いがある妖精弓手だ。

 彼女は「わかったわ」と頷くと、「あっち?」と森の奥を指差しながら更に問うた。

「ああ」とローグハンターが答えると、「了解」と返して立ち上がり、その勢いのままに次の枝に向けて跳ぶ。

 森人特有の身軽さがなせるフリーランは、幹から伸びる細枝であろうと揺らすことはなく、葉を落とすこともない。

 いつも見てはいるものの、人間離れした──そもそも森人なのだが──彼女の動きに舌を巻きながら、ローグハンターは小さな背中を追いかけて枝を跳ぶ。

 彼としてはまだまだと言ってはいるが、端から見れば二人の技量に大差はない。

 彼女が通った道をそのまま辿り、彼女同様に枝を揺らさず、葉を落とすことなく走る様は、さながら彼女の付き森人のようだ。

 地上を小走りで駆ける様と対して変わらぬ様子で木上を駆ける二人は、まるで競うようにして足を速めていく。

 まだ陽が高いとは言え、もたもたしていれば夜になってしまう。夜間に広大な森に足を踏み入れるなど、自殺志願者か頭のイカれた──あるいは壊れた──狂人のする事だ。

 

「よっ、ほっ、はっ!と」

 

 気の抜けた声を出しながら、次々と枝から枝へと跳び移っていく彼女の背を追いながら、ローグハンターは目を細めた。

 一応一定の間隔を保つようにしてはいるものの、目の前の彼女は後ろとの間隔を考えていない節が見てとれる。

 彼なら追い付ける。彼ならはぐれないと、それなりに信頼してくれてはいるのだろうが──、

 

「あまり先走るな……!」

 

 ローグハンターは僅かに語気を強めながら、戒めるように彼女に告げた。

 当の彼女は「大丈夫よ!」と余裕の笑みと共に振り向いてきたが、それでも一切落ちる様子を見せないのは、種族による差なのか、あるいは経験の差なのか。

 変わらず駆ける彼女の姿に心の底からため息を吐き、彼は足に力を込めて更に加速。僅かに開き始めていた彼女との差をすぐさま埋める。

 こうして埋めてしまえるから彼女は速度を落とさないのだが、彼はそれに気付かないだろう。

 彼にとってこうして木の上を走る事が普通であり、幼い頃から鍛えてきた技量(スキル)の一つなのだから当然の事。

 小柄な──見た目は少女の妖精弓手に追い付けぬようでは、それこそ半人前だ。

 

「っ。止まって」

 

 前を走る妖精弓手が太めの枝の上で足を止めると、僅かに声を漏らしながら手を挙げた。

 それが制止の合図であることは、この道中で決めた事だ。

 ローグハンターは彼女の指示に従う形で手頃な枝で足を止めると、「ゆっくり、こっちに来て」と背中越しに告げられた。

 音を出さぬように細心の注意を払つつ枝から枝へと跳び移り、本来なら数秒の距離を三十秒ほどかけて進み、妖精弓手の隣にたどり着く。

 同時に目を剥きながら、彼は言葉を失った。

 永遠に続くように思えた森が突然なくなり、闘技場を思わせる平地が広がり、食い散らかされた動物の骨に紛れて、何やら奇妙なものが待ち受けているのだから当然だ。

 地面から生える──あるいは突き刺さった──三角錐と言うべきか、あるいは鉄に似た何かで出来たテントと言うべきか。

 ともかく鋭い鋭角が天をさし、その表面には鈍く発光する金色の線が幾本も走る塊が、彼らの視線の先に鎮座しているのだ。

 その表面には意味深な文字の羅列が浮かんでは消え、浮かんでは消えと繰り返し、見るものに何かを訴えかける。

 更に加えるなら、その三角錐の一面には縦に線が入っており、そこから風が出ているのか草が揺れ、擦れたような跡も残されていた。

「あれだ」と直感的に何かを感じたローグハンターは息を呑み、妖精弓手は興味津々と言わんばかりに目を輝かせて長耳を揺らす。

 一刻も早く近づいてみたいが、ここは仲間との合流が優先だ。

 それに、別動隊(・・・)の動きも気になるところ。

 

「場所はわかった。戻るぞ」

 

「そうね、そうしましょ」

 

 深呼吸と共に吐かれたローグハンターの提案に、妖精弓手は間髪入れずに頷いた。

 二人は目配せと共に踵を返し、来た道を辿って枝を跳ぶ。

 先ほど見た光景はすぐに遠ざかり、鬱蒼と茂る森の闇の中に、二人の姿は消えていった。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、状況を確認するぞ」

 

 単眼の巨人を撃破し、彼の者の棲むかだったと思われる洞窟をそのまま拠点とした冒険者たちは、手頃な岩の上に腰掛けて各々気を抜きながら、ローグハンターの言葉に耳を傾けた。

 

「俺と上森人で目的の遺跡の入り口を見つけた。正確にはその一つかもしれないが、ともかく入ることは出来るだろう」

 

 いつも通り、手に入れた情報を正確にかつ手短に。

 記憶が欠けても変わらぬ彼の様子に安堵を覚える銀髪武闘家の隣──ゴブリンスレイヤーは「そうか」と頷いて「こちらからも報告だ」と言葉を続ける。

 彼の指に輝いているのは『呼気(ブリージング)』の指輪だ。

 

「お前が見つけた海底洞窟だが、先で人の通れる道が続いていた。だが、その先は行き止まりだった」

 

 こちらもまた手に入れた情報を正確にかつ手短に。

 昔から変わらぬ友の様子に安堵を覚えつつ、ローグハンターは更に問うた。

 

「行き止まり。壁は岩か?」

 

「……あれは、岩なのか?」

 

 彼の問いに、ゴブリンスレイヤーは僅かな間を開けると共に兜を傾げ、鉱人道士へと目を向けた。

 問われた鉱人道士は困り顔で長髭をしごき、「なんじゃいのぉ、あれは……」と答えに迷っている様子。

 

「鉄とも違う。大理石とも違う。あれは見たことない材質じゃわい」

 

 彼の返答にローグハンターは「そうか」と頷き、「通れそうか?」と問うた。

 先ほど行き止まりと言われたばかりではあるが、鷲との視界共有で見つけたものが無意味とは思えない。何かしらの意味がある筈なのだ。

 ゴブリンスレイヤー、鉱人道士と共に偵察に出ていた重戦士が、顎に手をやりながら「そうだな」と目を細めた。

 

「……壁の前に、何かを入れる硝子細工があったな」

 

「硝子細工?」

 

 絞り出すように発せられた言葉に、ローグハンターは首を傾げた。

 重戦士は「ああ」と頷き、手で小さな四角を作りながら言う。

 

「こう、四角い硝子の塊なんだが、小せぇ穴が空いててな。見た感じ、中は空洞になってたぜ」

 

 小さな穴の開いた四角い硝子の塊。中は空洞。

 どこかで聞いたことがあると首を捻り、一分足らずでその答えにたどり着く。

 

 ──血の小瓶か。

 

 かつてのテンプル騎士団、西インド諸島支部総長──ラウレアーノ・トーレスが見つけたという、かつて来たりし者の遺産の一つ。

『観測所』に入るための鍵である()()()()()()()賢者の血を保存するための容器。

 外見は資料で見た事もあるし、何よりそれを巡って騎士団と対立したのは、海賊にしてアサシン──エドワード・ケンウェイ。植民地支部長であり、ローグハンターの大恩人たるヘイザム・ケンウェイの父親なのだ。

 もし重戦士が見つけたものがその血の小瓶だとして、それは誰の血を保存する為のものなのか。

 

『──そうか、そこまで濃いのか』

 

 そこまで思慮したローグハンターの脳裏に、アサシンの言葉が過った。

 今さらではあるが、濃いとは何を指していたのかと更に思慮するが、すぐにそれを止めた。

 深く考えるまでもない。

 

 ──俺の血か。

 

 自らの手を見下ろしつつ、ローグハンターはそう判断を下した。

 あるいはあのアサシンという可能性もあるが、彼の血が鍵なら既に小瓶は満たされている筈だ。

 なのにそれが空なのには理由があり、その理由こそがそれなのだろう。

 ならば、ローグハンターがいれば先に進むことも比較的に容易い筈だ。正面からではなく、脇道から入るのだから。

 

「……お兄ちゃん?」

 

 一人思考の海に浸かっていたローグハンターに、勇者が声をかけた。

 岩のように動かない彼の脇原を指でつつき、反応を確かめたのだ。

 当の彼は大きな反応(リアクション)一つなく、顔をあげて「どうした」と問いかけるのみ。

 

「いや、何考えてるのかなって」

 

 勇者が遠慮がちに問うと、ローグハンターは「洞窟の壁についてだ」と手短に答えるのみ。

 いつもの彼なら、妹たる彼女の質問には丁寧に答えた事だろう。だが、記憶の欠けた彼は、受け答えにどこか冷たい印象がある。

 勇者「壁がどうしたの?」と更に問うと、「もしかしたら、通れるかもしれん」と曖昧な言葉が返された。

 彼の言葉に反応を示したのは鉱人道士だ。目を真ん丸く見開きながら、「なんじゃと!?」と驚きを露にする。

 

「わしの目から見てもありゃただの壁じゃったぞ。初めて見る材質ではあるけんど、それだけは確かじゃ」

 

「おそらく、鍵がなかったから使われてなかっただけだ」

 

 半ば興奮気味の鉱人道士とは対照的に、ローグハンターは冷静な声音でもって返した。

「鍵じゃと?」と首を傾げる鉱人道士を横目に、ローグハンターは眉を寄せた。

 

「だがそれが本当に鍵なのかはわからん。外れの可能性もある」

 

 外れの(血液)で扉を開けた場合どうなるか、それはローグハンターもよく知るものだ。

 触れれば即死の光の壁が現れ、人間離れした身体能力を持っていなければ越えられない罠が起動し、遺跡そのものが忍び込んだ侵入者を駆逐せんと動き出す。

 北極では酷い目にあったと心の内で自嘲するものの、決して表情には出すことはない。

 表情を出さない方法は知っている。まあ、昔は全く動かなかったという方が正しいかもしれないが……。

 

「外れなら、上森人と見つけた入り口から行くしかないがな」

 

 彼は表情に苦笑を張り付けて肩を竦め、「どうする、試すか」と冒険者たちに問いかけた。

「どうするってもなぁ」と槍使いは頭を掻き、ちらりとゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 

「『呼気(ブリージング)』の指輪の数にも限りがあるだろ?」

 

「ああ」

 

「残った面子は、どっちにしろ正面からだろ?」

 

「そうなるな」

 

 槍使いの問いにゴブリンスレイヤー、ローグハンターが答えると、彼は「なら、決まりだな」と獰猛な笑みを浮かべた。

 

「今回のボスを倒せるのはローグハンター、お前だけだろ」

 

 ローグハンターを指差しながらそう言うと、「陽動なら任せろ」と自身の胸を叩いた。

 彼に重戦士、女騎士、魔女が続いて頷くと、ローグハンターは微妙な面持ちを浮かべた。

 

「陽動は助かるが、待っているのはさっきの一つ眼以上の何かだぞ」

 

「──なら、ぼくたち(・・)もこっちに行くよ」

 

 ローグハンターの心配に応えたのは勇者だ。

 彼女は薄い胸を目一杯に張りながら、「ふふん!」と得意気に鼻を鳴らし、剣聖と賢者の二人に「良いでしょ?」と今さらになって問いかける。

 問われた二人は顔を見合せると頷きあい、剣聖が「仕方ないですね」と答えた。

 槍使い、魔女、重戦士、女騎士、勇者、剣聖、賢者。

 僧侶がいないことが少々気になるところだが、今回に限ればその心配もない。

 

「大司教。あんたも陽動について貰えるか」

 

「お任せください」

 

 この場には金等級冒険者、かつ僧侶である剣の乙女がいる。彼女なら、銀等級、白金等級の彼らを足を引っ張る事もあるまい。

「でも、道案内は?」と妖精弓手が問うと、ローグハンターは「心配ない」と即答した。

 それを合図にしてか餌を啄んでいた鷲が一鳴きし、「あいつに先導してもらう」と当たり前のように告げた。

 何も知らぬ者が聞けば『鳥に命を任せられるか!』と憤慨するのだろうが、生憎と鷲の有用性は既に証明されている。

「なら大丈夫ね」と彼女が笑えば、鷲も応じるように鳴き声一つ。

「さて」とローグハンターは呟くと、女魔術師、令嬢剣士、女神官の三人に目を向けた。

 心配だから、役に立ちたいからとついてきた訳なのだが、三人の表情は固く、いつものような覇気にかける印象がある。

 彼は小さく息を吐くと彼女らの前に足を進め、

 

「──」

 

 令嬢剣士の頬を無言で引っ張った。

 引っ張られた彼女も困惑する他なく、他二人もローグハンターの突然の奇行に驚き、誰も彼女を救おうとしない。

 彼はぐにぐにと彼女の頬を弄りながら、フッと頬を綻ばせた。

 

「顔が固いぞ。いつもの余裕はどうした」

 

「ひょ、ひょんなこといわれまひへも……っ!」

 

 いつもの凛とした声とは程遠い、何とも間の抜けた声が彼女から漏れた。

 思わず噴き出しそうになる後ろの槍使いらを他所に、ローグハンターは言葉を続けた。

 

「いつも言うが、お前が何をするかはお前が決める事だ。お前がここに来ると決めたのなら、力が足らなくとも、最後まで関わりきれ」

 

「──っ!ひゃい!」

 

 ローグハンターの発破に、令嬢剣士は頬を引っ張られたまま頷いた。

 お陰で格好が付かず、余計に笑いの種になりそうな状況ではあるけれど。

 

「そっちの二人もだ。何ならお前らも引っ張るか?」

 

「「いえ、大丈夫です!」」

 

 令嬢剣士から離した指をぎちぎちと動かしながら問うと、二人は慌てて首を横に振った。

 問答無用でやられた令嬢剣士から睨まれつつも、ローグハンターは笑みを浮かべた。

 

「結局、ゴブリンスレイヤーと俺の一党の合同か」

 

「いつも通りだね~」

 

 ローグハンターの言葉に、銀髪武闘家が彼の頬を引っ張りながら続く。

「あ、あにょ~?」と変な声を漏らす彼を他所に、銀髪武闘家が問うた。

 

「でもさ、こっちに全員の手を回しちゃったらさ、船の防御はどうするの?」

 

 彼女の問いに「わたくしから答えます」と応じたのは剣の乙女だ。

 

「現在、島の外周を回ってもらっていますわ。何かあれば砲声でわかるでしょうし、島の各所に小舟を置いてくれているそうです」

 

 彼女の言葉に「なるほど」と頷き、ローグハンターの頬を引っ張っていた手を勢いよく離す。

 バチン!と凄まじい音が鳴り響いたが、当の彼は気にした様子もなく「行けるか」と問いかける。

 彼の確認に否定を示す者は誰一人としておらず、「行けるぜ!」と槍使いを筆頭に肯定が示された。

 ならば、あとは実行あるのみ。言うべき言葉はただ一言のみ。

 

 ──行くぞ。

 

 

 

 

 

 島のほぼ中央。闘技場を思わせる平原。

 何かに喰われたのか動物の骨──肉がこびりついている──や、食いかけの肉塊などが散らばるその場所に、冒険者たちはいた。

 盾役(タンク)である重戦士、女騎士を先頭に、勇者、剣聖が後ろに続き、魔女、賢者、剣の乙女の三人の後方、殿を務めるのは槍使いだ。

 目の前で下品にならない程度に揺れる三人の尻に目が行かないのは、彼が自分が玄人(ベテラン)であると自覚があるからだろう。

 

「さて。あれだな」

 

 女騎士が好戦的な笑みを浮かべながら指差したのは、ローグハンターが見つけたという鉄塊だ。

 聞かされた通りに地面から生える三角錐は、固く閉ざされた門を思わせる様相であり、抉じ開ければ入ることも出来るだろう。

 どう抉じ開けるのかが問題であるのだが──。

 

「近づくにしても、慎重に行きましょう」

 

 剣聖が愛剣の柄に手を馴染ませながら言うと、「わかっているとも」と相変わらずの笑みを浮かべながら女騎士が頷いた。

「大丈夫かね……」と重戦士がため息を吐くと、魔女は「大丈夫、よ」と柔らかな笑みを浮かべた。

 後ろの面々の言葉を聞き流しつつ、女騎士は白銀の剣を抜き放ちながら一歩を踏み出した。

 パキリと足元の骨を踏み砕いた事が合図になったのか、彼らが目指す門に異変が起こった。

 岩同士が擦れる重い音をたてながら、擦れた跡を沿うようにして、左右に割れていったのだ。

 

「な、なんだ!?」

 

 やらかしたかと慌てる女騎士を他所に、重戦士がだんびらを構え、殿を務めていた槍使いが颯爽と前に出る。

 剣聖、勇者もそれぞれの得物を手に彼らと並ぶと、ついにそれ(・・)は現れた。

 開かれた門の先に揺れるのは、三対の金色の輝き。

 純粋な敵意のみを孕ませた輝きがゆっくりと揺れながら、少しずつこちらに近づいてくる。

 同時に強まっていく重圧(プレッシャー)に呑まれないように意識を強く保ちつつ、待ち構えること一分少々。

 

『『『GRRRRRRRRRRRRRRッ!!!!』』』

 

 門の影からついに姿を現した。

 天頂を僅かに過ぎた陽に照らされるのは、三つの頭を持った巨大な犬だ。

 強靭な筋肉に包まれ、筋張っている四肢。

 鋼鉄をも噛み砕く爪、牙。

 鋼鉄をも叩き割る尻尾。

 まさに地獄から這い上がってきた魔物──冥府の番犬、ケルベロス。

 三つの頭全てが意志を持っているかのように冒険者たちを睨み付け、口元からは燃える涎が垂れている。

 

「随分、腹空かせてるみたいじゃあねぇか」

 

 槍使いはケルベロスを睨みながら軽口を叩くと、ひゅん!と槍で宙を切ると共に戦闘体勢を取った。

 骨や肉のせいで足場が悪いが、下手をすれば自分たちもこの中の仲間入りだ。

 

 ──それは、笑えねぇな。

 

 在野最高銀等級の冒険者まで昇ってきたとはいえ、まだまだ上には行けると信じているし、努力を欠いたつもりもない。

 まだ終点(ゴール)にたどり着いた訳でもないのに、ここで無理やり終点(ゲームオーバー)なんて、本当に笑えない。

 終わるのなら、惚れた人に告白して、あわよくばその人に看取られながらだ。

 その為にもまずは──。

 

「犬畜生に負けてられるかよ!」

 

 槍使いは風となる。

 友を守るため。戦友を守るため。そして、目の前の壁を越えるため。

 彼は一迅の風となる──。

 

 

 

 

 

 ちゃぷんと僅かな音をたてて、ローグハンターは海面から顔を出した。

 タカの眼を発動しながら周囲を確認し、敵影がないことにホッと一息。

 件の扉に続く道に進むべく、出っ張った岩に手をかけて体を持ち上げる。

 

「──よし、来い」

 

 ぼそりと消え入りそうな声で告げると、水面から次々と仲間たちか顔を出す。

 ゴブリンスレイヤー、妖精弓手、蜥蜴僧侶──と、彼に担がれた鉱人道士、女神官、女魔術師、令嬢剣士、そして最後に銀髪武闘家。

 彼らは続々と岩に登り、負傷や体調不良がないかと最終確認。

呼気(ブリージング)』の指輪のおかげで、海の中を進んでも決して濡れず、雑嚢の中も駄目にはならない。

 それを示すように松明に火をつけたゴブリンスレイヤーはぐるりと兜を巡らせ、「こっちだ」と先導を開始した。

 一寸先も見えない闇の中を進むのは怖いが、随分と今さらな気もするとどこか他人事だ。

 見えないなりに周囲を警戒して銀髪武闘家は思わず苦笑を漏らすと、不意に手を引かれて歩き出す。

 抵抗はしない。誰の手なのかは触れればわかる。

 

「あまり動き回るな。はぐれないとは思うが」

 

「だ、大丈夫だよっ!」

 

 手のひらに感じる彼の熱に、無意識に悦んでしまう自分を抑え込みつつ、彼女は上擦った声を漏らした。

「……大丈夫か?」と今度は心配する声音で言われれば、流石に落ち着いて「大丈夫」と頷く。

 手を離して貰おうかとも思ったが、離す気がなさそうなのでとりあえず放置。

 歩いて数分も経たずに、ゴブリンスレイヤーが「これだ」と目の前の壁を松明で照らした。

 不規則に揺れる橙色の明かりに照らされ、珍妙な材質で作られた壁が浮かび上がる。

 鋼鉄とも大理石とも違うそれは、鉄を友とする鉱人である鉱人道士でさえわからない。

 だが、ローグハンターには見覚えがあった。

 アサシン教団との最終決戦とも言える北極での戦い。その舞台となった遺跡の床や壁、天井に至る全てが、目の前の壁と同じ材質だった。

 だが、今はそんな事どうでも良い。

 ローグハンターは銀髪武闘家から僅かに名残惜しそうに手を離すと、前を行っていたゴブリンスレイヤーの脇につく。

 

「──で、重戦士(あいつ)が言っていたのは」

 

 壁の前に置かれた台座に手を置き、「これだな」と最終確認。

 松明に照らされる台座の上には血の小瓶が置かれ、納められるべき血を待ちわびている。

 

「それで、鍵とはいうのはどこに?」

 

 しゅるりと鼻先を舐めながら蜥蜴僧侶が問うと、ローグハンターは「ここだ」と左手首のアサシンブレードを抜刀した。

 それで弄くり回す気かと冒険者たちは目を丸くしたが、次の行動で更に目を剥くこととなる。

 

「──ッ!!」

 

 ローグハンターが、アサシンブレードの刃で自分の右の掌に傷をつけたのだ。

 掌がべったりと鮮血に汚され、点々と垂れる血で地面が汚れる。

「ちょ、ちょっと!?」と銀髪武闘家が声をあげたが、ローグハンターは構わずに血を滴らせる右の掌を台座の上に持っていき、血の小瓶を赤く染める程の血を浴びせた。

 するとどうだろう。台座からガコン!と音が出たと思うと、真っ赤になった血の小瓶が台座に沈んでいくではないか。

 それと同時に台座に幾何学的な紋様が浮かび上がり、不可思議な文字の羅列が高速で映し出されては消えていく。

 

『遺伝子情報確認中。五十パーセント。六十パーセント──』

 

 右手に包帯を巻いていると、台座から音声が流れ始め、刻々と数字が大きくなっていく。

 次々と巻き起こる不可思議な出来事に困惑する──妖精弓手は目を輝かせていたが──冒険者たちを他所に、ローグハンターは小さな舌打ちを漏らした。

 出来る事なら失敗し、槍使いたちと合流したかったのだが、成功したからには後には退けない。

 

『確認完了。──認証』

 

 その音声が合図となり、目の前の壁が左右に別れて隠されていた道を現れる。

 過程はともかく道は出来たと、冒険者たちは顔を見合せて頷きあった。

 最後に銀髪武闘家がローグハンターの肩に手を置くと、その手に彼の手が重ねられた。

 血に濡れているためか湿っぽいけれど、それはそれで生きている証拠だ。

 掌に彼女の体温を感じつつ、改めて洞窟の奥の闇へと目を向けた。

 

「『出てこられるのか考えもせず、少女(アリス)はウサギを追って穴に飛び込んだ』、か」

 

 ふと脳裏に過った言葉に、ローグハンターは首を傾げた。

 この言葉に関しては、全く聞いた覚えがない。

 それもその筈だ。彼がこの世界に来たのは1761年。不思議の国のアリスは1865年。一世紀近く時代が違う。

 それでも言葉が出たのは他でもない。アルタイルが教団のためにそうしたように、エツィオが復讐を果たすためにそうしたように、ほんの少し未来が覗けただけの事。

 どこで聞いたのかを額に手をやって考えるが、「大丈夫?」と銀髪武闘家が顔を覗いてきた事で思慮を中断。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 ローグハンターはゆっくりと一度頷くと、冒険者たちに「行くぞ」と告げて先陣を切る。

 どこに繋がっていようと、戻れるかが定かでなかろうと、ここまで来たのなら行くしかない。

 ここは既に折り返す不能地点(ポイント・オブ・ノーリターン)

 進む他に、道はないのだ。

 

 

 

 




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Memory12 地獄(ドゥーム)

 第一文明──かつて来たりし者。

 彼の者たちが作り出した遺跡は、彼らでなければ創造も出来ないような構造となっている。

 足場が動くのは当然として、壁が動いて押し潰そうとする、突然足場が抜ける、不可思議な文字の羅列が壁一面に浮かび上がっているなどなど。

 知識がなくとも異質だとわかるそれは、見知ったローグハンターから見てもまだ慣れぬものだ。

 

「ねえねえ、あんた!あんたの故郷にはこんな遺跡があるの!?」

 

 妖精弓手がひょいと左右に動く足場を飛び越えると、背中越しに問いかけてきた。

 ローグハンターに出来るのは「まあ、探せばな」と曖昧な返事のみだが、それでも彼女には十分だったらしい。

「そうなんだ、そうなんだ!」と目を輝かせながら長耳を揺らし、視線をあちらこちらへと配っていた。

 どういう原理かはわからないが、左右だけでなく上下に動く床や、どういう原理かはわからないが、何かを教えようとして浮かび上がる文字の羅列。

 どこを見ても未知のものがそこにあり、それを愛する彼女にとってはここはまさに宝の島だろう。

 

「せ、先生の故郷って、一体どんな場所なのですか……?」

 

 後方を歩く令嬢剣士の問いかけに、ローグハンターは顎に手をやって思慮した様子だ。

 どんな場所かと問われても何の変鉄もない街だ。それこそ辺境の街と大差なく、もしかしたらこっちの方が治安は良い。

 屋根の上や茂みの中にこちらの命を狙う刺客や、近づくだけで銃を向けてくる兵士がいないだけ、本当に辺境の街の方が良い。それは間違いない。

 

「──普通の街、だな」

 

 結局そう言う他になく、「そうですの?」と令嬢剣士は首を傾げた。

 彼が言うのならそうなのだろうと納得するが、彼はあまり過去を語りたがらない。

 まあ、人の過去についてとやかく問いただすのは厳禁(タブー)だ。向こうから語ってくれるのを待つ他ないのだが──。

 

「でも、調べてはいたんですよね?」

 

 女魔術師も、妖精弓手程ではないが興味津々と言った様子で周囲を見渡しながら問うと、ローグハンターは声を詰まらせた。

 それに関しては騎士団の活動だ。騎士となった時、それらを──騎士である事を含めて──一切口外しないことを誓っている。

 僅かに思慮した様子を見せる彼に、女魔術師は「あの?」と遠慮がちに声をかけた。

「ああ、すまん」と誤魔化すように笑いながら「調べている人はいたな」と肩を竦めた。

 

「斥候殿の師にあたるお人が、そうだったのですかな?」

 

 蜥蜴僧侶がぎょろりと絶え間なく目玉を回しながら──彼なりに周囲を見ているのだろう──巨体に見合わぬ跳躍力で足場に飛び乗り、タイミングを見て次の足場へと跳んだ。

 着地と共に見た目同様な重い着地音が鳴るが、床が抜ける様子はないと一安心。

 ローグハンターは「先生と言うよりは俺の父だな」と答え、延々と続く通路に嫌気が刺したようにため息一つ。

 一本道なのか助かるが、どこが終点(ゴール)なのか。

 彼は重々しくため息を吐き、フードの下で目を細めた。

 

「ま、進んでれば着くでしょ?」

 

 彼の胸中を察してか、銀髪武闘家がその肩を叩いた。

「鉱人さん、神官ちゃん、大丈夫~?」とこの場にそぐわぬ気の抜けた声で後方に声をかけると、片や「大丈夫じゃわい」と余裕そうな、片や「な、なんとか!」と少々気の張った声で返される。

 尤も鉱人道士はともかくとして、女神官にはゴブリンスレイヤーがついてくれている。万が一があっても、彼ならどうにかしてくれるだろう。

 

「ねえ、ちょっと!」

 

 不意に、遥か前方を進んでいた妖精弓手が足を止め、振り返りながら大きく手を振った。

 ローグハンターと銀髪武闘家は顔を見合せると頷きあい、ひょいひょいと軽い足取りで動く足場を越えていく。

 彼女の下にたどり着くには大して時間はかからず、動かない足場──この場合は対岸というべきか──にたどり着くと同時に「どうした」と問うた。

 それを口にした瞬間に、彼女が何を見つけ、なぜ足を止めたのかを理解する。

 闇だ。底が見えない闇が、彼らを呑み込まんと口を開けているのだ。

 

「足場がない……?」

 

 銀髪武闘家が狼狽えて半歩後退りながら呟くと、ローグハンターは「そのようだな」と頷き、妖精弓手は「どうしましょ」と腰に手を当てて薄い胸を張りながら問いかけた。

 三人して前のめりになって大口を開けて待ち受ける闇の底を見ようとするが、目を凝らした所で見えず、タカの眼を使った所でどうにもならない。

 タカの眼の暗視能力でも見えないということは、かなりの深さである事は間違いない。

 さて、どうしたものかと首を傾げると、後続の友人らが続々と合流。

 三人に続いて闇の中を見下ろした令嬢剣士と女神官の口からは揃って小さな悲鳴が漏れた。

 それでも限界まで押し殺し、僅かに漏れる程度に出来たのは、彼女たちも成長している証拠だろう。

 だが、合流した所で目の前の穴がなくなることも、ましてや底が見えるようになることもない。

「他に道はあったか」とゴブリンスレイヤーが問えば、「いや、なかったな」とローグハンターが即答。

 二人して首を捻り、ローグハンターが再び穴を覗きこむ。

 下からの風はなく、水の音も聞こえない。底が抜けているという事はなさそうだ。

 むしろそれは、落ちたら地面が待ち受けているという事なのだが、ローグハンターは不思議と恐怖はなかった。

 今の彼には能力(アビリティ)としての『イーグルダイブ』がある。落ちても下に足がつけられれば、死にはすまい。

 だが、仲間たちはどうだ。彼らは落ちれば間違いなく死ぬし、何より孤立させたらどうなるかわかったものではない。

 賢者──今回で言えばローグハンターだが──なしで観測所に入ったマスター・トーレスとその部下たちは、大半が仕掛けられた対侵入者用の装置にやられ、一部はアサシンの手にかけられた。

 この世界にアサシンはいないから追撃の心配はしなくて良いが、もし離れた途端に防御機構が働いた場合、彼らがどうなるか……。

 

 ──良くて全滅、だな。

 

 妖精弓手ならどうにか潜り抜ける事は出来るだろうが、それ以外の面子では間違いなく死ぬ。言ってしまえば妖精弓手も遅からず死ぬだろう。

 ならばどうする。

 引き返すか。だが一本道だったぞ。

 飛び降りるか。仲間と離れれば元も子もないだろう。

 何かヒントはないか。何のための眼だ。

 

「──そうだな」

 

 ローグハンターは独り言を漏らすと、超過駆動(オーヴァドライブ)覚悟で全力のタカの眼を発動する。

 脳に焼けるような痛みがゆっくりと蝕むように広がっていくが、それを無視する形で更に集中。

 仲間たちの青い影をそのままに、視界から次々と色が消えていき、しまいには仲間たちの青い影──―さらに輪郭すらも失われ、あれやこれやと意見を出し合っていた彼らの声さえも消える。

 途端に強烈な孤独感と不安を感じたが、それをすぐに振り払い、額に浮かび上がる脂汗をそのままに更なる集中。

 色も消え、音も消え、たった一人──彼だけが見える世界において、ようやく隠された答え(金色の影)を見つけ出す。

 壁沿いを上下に動く足場。それを三つ越えた先にある足場に、何やら操作盤があるではないか。

 ならばそこに行くまでだと、ローグハンターがそちらに足を向けた瞬間。

 

『──!ねぇってば!』

 

 水の中で声をかけられたように聞き取りにくい、だが確かにこちらを呼んでいる声に気付く。

 声の主に顔を向けようとすると、それよりも早く頬に手を添えられた。

 頬に感じる柔らかさと、そこから伝わってくる温もりを合図にして、限界を越えていたタカの眼が解除される。

 同時に色と音を取り戻した世界に映ったのは、短い銀髪の髪を揺らす女性。

 彼女は「ねえ、大丈夫!?」と鬼気迫る表情で彼へと声をかけ、問われた彼は呑気に一度ゆっくりと瞬きをするが、

 

「──!っ……はぁ!」

 

 次の瞬間には有らん限り目を見開き、異常なまでに熱の持った頭を押さえ、体に不足した酸素を巡らせようと荒れた呼吸を繰り返す。

 ふらつく足元を気合いのみで支えようとするが安定せず、結局銀髪武闘家に支えられることになった。

 ぜえぜえと喘ぐ彼を心配しつつ、銀髪武闘家は彼が見ていた方向に目を向けた。

 

「あそこに何かあるんだね!?」

 

 上下に動く足場の先に、ちらりと見える何かがあるような気がする。

 自分の目では見えないが、彼の眼だからこそ何か見えたのだろう事は察しがつく。

 問われた彼は「ああ……」掠れた声で返し、「行かないと……」と言葉を続けた。

「無茶言わないの!」と怒鳴り返すが、この遺跡の鍵は彼──正確には彼の血だが──である事は入り口で示された事だ。

 

「私なら行けそうだけど」

 

 妖精弓手がそう言うと、ローグハンターは「なら」と呟いて手に巻き付けた包帯を乱暴に剥がすと、いまだに乾かぬ傷口からは僅かに血が垂れていた。

「これを持っていけ」と手を差し出し、垂れた血が点々と床に跡を残す。

「……わかったわ」と妖精弓手は目を細めて遠慮がちに頷くと、背嚢から食事に使うつもりだったのだろう椀を取り出し、彼の血数滴を受け止める。

 それをぼんやりと眺めていたローグハンターは「これくらいで良いだろう」と言うと手を引き、雑嚢から取り出した新しい包帯を手に巻き付けた。

 いい加減能力(アビリティ)を使うべきかと悩むが、また同じ事があっては無駄になってしまう。まだ治さなくても良いだろう。

 

「それじゃあ、行ってくるわね!」

 

 椀をひっくり返さないように大事に抱えながら、妖精弓手は軽業師さながらの動きで動く足場へと飛び乗った。

 ひょいひょいと街道を進むように、不安定に動く足場を次から次へと越えていく。

 

「それにしても、いきなりどうしたんですか?」

 

 妖精弓手の動きを眺めながら、女魔術師が問うた。

 彼女の問いには二つの意味が込められているのだろう。

 まず一つ目は、なぜいきなり黙りこんだのか。

 二つ目は、なぜいきなりこんなにも消耗したのか。

 この二つの問いに対して持ちうる答えは一つのみ。

 

「眼を使っただけだ」

 

 自分の目を瞼越しに撫でながら、重苦しい息を吐いたローグハンターは端的に告げた。

 呼吸も落ち着き、頭に残る熱もだいぶ落ち着いてきた。

 少しばかり頭が痛むが、この程度なら想定内。戦闘には支障はないだろう。

 

「少し、加減を間違えた」

 

 自分の体の調子を見ながらそう付け加え、「こんなものだな」と締め括った。

 これで納得してくれたのかと様子を見ると、女魔術師は何とも言えない表情だ。

 

「……まだ何かあるのか?」

 

「いえ、無理はしないでください。本番はここからですから」

 

 問われた女魔術師は三角帽子を被り直しながら言うと、「今回の切り札はあなたですから、自重してください」と苦言を呈するように言葉を続けた。

 そう、切り札だ。この一党でアサシンと正面から打ち合えるのはローグハンターのみで、その彼が意図したかは別として消耗した。

 この事実は重く受け止めるべきだし、彼にはその自覚を持って貰わねば困る。

 故に少々苦言を呈する形となってしまったが、ローグハンターもその一言をしっかりと受け止めたのか、「そうだな」と呟いて銀髪武闘家に一言礼を言ってから体を離した。

 

「これでいいのかしら……」

 

 それと時を同じくして件の操作盤にたどり着いた妖精弓手が、台座に置かれた血の小瓶にローグハンターの血を流し込み、少々不安そうに声を漏らした。

 血の納められた小瓶は音もなく台座の中へと消えていき、台座の表面に金色の模様が浮かび上がる。

 それは彼女のいる足場から壁を伝いローグハンターたちの下へといくと、口を開く闇の中へと潜り込んでいった。

 起こったのはそれのみで、急に足場が現れる何てこともなく、隠された道が現れる何てこともない。

 

「……これで良かったのかしら」

 

 高台からその全てを俯瞰していた妖精弓手は、何だかやらかした気がしてならなかった。

 ここまで登るのに大して苦労はなかったが、かといって何も起こらないとなるとそれはそれで何だか嫌だ。

 酷く子供っぽい事を思いつつ眺めていると、おっかなびっくり闇の中を覗いていた女神官が何かに気付く。

 

「あ、あの!見てください!」

 

「どうした」

 

 彼女の言葉に真っ先に反応したのはゴブリンスレイヤーだ。

 彼は彼女の隣につくと同じように下を覗き、「むぅ」と小さく唸った。

 先ほど闇の中に消えていった金色の紋様は、どうやら闇に紛れた足場を示してくれたようだ。

 壁から反対の壁へと伸びる紋様が途中でぷつりと途切れているあたり、おそらく足場も途中で切れている。

 そんなものが、見える限りで五本。

 否、それが本当に一本なのかという確証もない。それよりも多いかもしれないし、少ないかもしれない。

 だがここで何もせずに考えた所で、ここで尻込みしていた所でどうにもならない。ここは飛ぶしかないのだ。

 ゴブリンスレイヤーは兜を巡らせ、スリット越しに仲間たちに目を向けた。

 少々不安そうな女神官を、どう降りるかを話し合う鉱人道士と蜥蜴僧侶を、どうにか高さを計ろうとしている女魔術師を、深呼吸をして覚悟を決める令嬢剣士を、「大丈夫?」とローグハンターを心配する銀髪武闘家と、彼女の言葉に気丈に笑って見せるローグハンターを。

 

「さてと、準備は良いかしら?」

 

 下を覗きながら、満面の笑みを浮かべてこちらを見返してくる妖精弓手を見て、彼女の問いかけに頷き返す。

 降りる覚悟を決まれば後はその手筈だが──。

 

「高所から飛び降りるのは、これが初めてではあるまい」

 

 彼はそう言って、雑嚢からそれ(・・)を取り出した。

 

 

 

 

 

 下でローグハンターらが足止めをくらっているのと同時刻。

 

「おりゃーっ!」

 

 何とも可愛らしい掛け声と共に、太陽の輝きが大地に叩きつけられた。

 叩きつけられた陽光の一閃は容易く大地を砕き、周囲の地面にひびを入れる。

 並の魔物なら、その一撃で終わりなのは明白。伝説に名を残す魔物でさえ、ただでは済まない。

 

 ──それも、当たればという話だが。

 

『『『GRAッ!!!』』』

 

 三つ頭の番犬──ケルベロスは吼えながらその巨体を翻し、勇者の放った陽光の一撃を余裕で回避。

 地に四肢を打ち込むようにして姿勢を整え、三つの口に炎を溜める。

 

「火炎がくるぞっ!」

 

 盾を構えた女騎士の警告に冒険者たちは一斉に散る。

 瞬間吐き出された『火球(ファイアボール)』が如き炎の塊は、口の数と同じ三つ。それもただの炎ではない。

 一度でも触れたものを死ぬまで──否、灰となるまで焼き尽くす地獄の焔に違いないのだ。

 故に盾による防御は意味がなく、奇跡による防御は有効だろうが、相手が何度炎を撃てるのかすらわからない。

 その状況で手札を切ってしまうのは、いざという時に泣きを見ることになるだろう。

 ならばこその回避。当たれば死は免れぬ炎から、全力をもって逃げるのだ。

 狙うべき対象を逃した地獄の焔は地面に当たり、盛大に爆ぜた。

 平原を駆け抜ける衝撃波に全身を殴られつつ、爆煙に紛れた槍使いが再び疾走。

 地面に打ち込んだ足を引き抜こうとしている地獄の番犬とすれ違い間際に、前足の足首にまことの銀(ミスリル)の穂先を滑り込ませる。

 異常なまでに固く、筋ばったものを切る感覚は、こちらが(なまくら)を振り回している錯覚を覚える程だ。

 だが振っているのは事実自身が愛用する槍であり、確かに相手の足には傷がついている。

 

『GRRR!!!』

 

 そんなものお構いなしに地面から引き抜いた前足を振り上げ、槍使いに向けて振り下ろす。

 一撃で地面を砕く膂力もそうだが、最大の脅威はその手足に生えた強靭な爪だ。

 現在纏っている鎧は普段から愛用し、常に万全の状態となるように心掛け、事実万全の状態の鎧だ。

 だが、あれは駄目だと、食らえば死ぬと本能が告げている。

 

畜生が(ガイギャックス)っ!」

 

 思わず毒を吐きながら槍使いはその場を離れ、振り下ろされた前足と爪を紙一重で避ける。

 着地と共にもう一度足を踏ん張り、さらに後方に跳躍。

 直後に彼がいた場所に三つの内の右の頭がかじりつく。

 

 ──爪、爪、牙、尾。なら、まだ何とかなるけどよ!

 

 番犬の頭は三つ。尻尾は一つだが火を吐く。

 詰まる所──。

 

「爪、爪、牙、牙、牙、尾、火ってか!?これじゃあドラゴンと大差ねぇな!」

 

 槍使いは顔についた土埃をそのままに、言葉とは裏腹に好戦的な笑みを浮かべた。

 空を飛ぶドラゴンを狩るのは一苦労──どころか極力手を出したくはないが、相手は地に足をつけた犬畜生だ。

 頭が三つあるが、それは逆に急所(ヘッドショット)も三ヶ所で狙えるという事。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》……」

 

 彼の考えを察してか、魔女の放った『力矢(マジックミサイル)』が番犬の三つの頭部目掛けて放たれる。

 一度の詠唱で十数と放てるのは、一重に彼女の力量(レベル)によるものだ。

 雨の如く降り注ぐ『力矢』に次々と貫かれながらも目立った外傷(ダメージ)がないとなると、もはや言葉もない。

 魔女渾身の『力矢』でも多少皮膚が焼ける程度で、致命傷にはほど遠いのが現状であり、逃がれようのない現実だ。

 魔女が表情を険しくさせる中、彼女に向けられた注意(ヘイト)を逸らさんと走るのが一人。

 黒い髪を頭の高いところで一纏め(ポニーテール)にした剣聖が、さながらそれを尾のように揺らしながら番犬へと肉薄。

 

「フンッ!」

 

 先ほど槍使いがつけた傷を抉るように、愛剣の刃を滑り込ませた。

 閉じかけていた傷口を強引に切り開かれた番犬は三つの頭で悲鳴をあげるが、すぐさま自分を律して剣聖を睨む。

 

『GOOA!!!』

 

 同時に彼女の体を潰さんと前足を薙ぐが、痛痒(ダメージ)直後故か先程の叩きつけに比べれば力が入っておらず、速度も緩い。

 

「させん!」

 

 それを好機と見てすかさず割り込んだ女騎士が、大盾を斜めに構えて受け流す。

 盾を挟んで目と鼻の先を通り抜けていく剛腕──あるいは剛脚──に冷や汗を流しつつ、完璧に受け流して見せた。

 捉えるべきものを捉えられず、加えて止まるべき止まれなかった前足は大きく空を切り、番犬の姿勢を大きく崩す。

 

「オゥラッ!!!」

 

 その瞬間に踏み込んだのは重戦士だ。

 だんびらを大上段に構え、踏み込んだ勢いのままに叩きつける。

 相手の頭の一つを潰さんと振るわれた渾身の一撃だが、その手に感じたのは何やら固い感触と、響いたのは甲高い金属音。

 

「──マジかよっ!?」

 

 重戦士が状況を把握するのに、刹那ではあるが時間を要した。

 彼自慢のだんびらが、番犬の(あぎと)と牙によって止められたのだ。

 ぎりぎりと歯軋りをさせながら刃を受け止めた番犬は、ぎろりと重戦士を睨み付ける。

 血走った番犬の視線と、驚愕に見開かれた重戦士の視線が交錯した瞬間、彼の背筋に冷たいものが駆け抜けた。

 

 ──やべぇ……!

 

 それは冒険者にとっては切っても切り離せない死の気配。冒険する度にどこかに潜んでいる、避けようのない死の直感だ。

 体勢を整えた番犬は三足で地面を踏みつけ、残った前足を重戦士の脇腹に叩きつけた。

 凄まじい衝撃音と共に彼の体は宙を舞い、地面を数度跳ね、さらに地面に擦れる事でようやく止まる。

 

「おい、無事か!?」

 

 盾を構えて警戒を緩めない女騎士だが、その声には少なからず動揺の色がある。

 憎からず思っている男が目の前で吹き飛ばされたのだ、心配するなという方が無理というもの。

 番犬はくわえただんびらを吐き捨て、勝ち誇るように遠吠え一つ。

 聞く者に恐怖(トラウマ)を植え付ける、地獄から響く咆哮は、平原のみでなく島全体を駆け抜ける。

 それを聞いた動物たちは慌てて巣穴へと逃げ帰り、あるいなそれのみで命を落とす。

 それほどまでに、彼の者の存在は絶対的だった。

 だが、どんなに相手が強大であろうとも、どんなに相手が恐ろしくとも、決して引いてはならぬ時は必ずある。

 少なくとも、この場にいる冒険者たちは今こそがそれであると理解していた。

 故に彼は立つ。鍛え抜かれた脚でもって大地を踏みしめ、鍛えぬかれた手に予備の片手剣──もちろん魔剣の部類だ──を握りながら、彼──重戦士は立ち上がった。

 その表情に鮫のような笑みを張り付け、額から流れた血をぺろりと舐めとる。

 水薬(ポーション)を飲みたい所だが、そんな余裕はないだろうし、何より今ので瓶が砕けた可能性もある。

 だが幸いにも喉は潰れていないし、言葉を発する余裕はあった。

 

「大司教様、感謝する」

 

「いいえ、すんでのところになってしまいました」

 

 彼が礼を言ったのは、後方で天秤剣を掲げる剣の乙女だ。

 天秤剣が何やら神々しい光を纏い、それが重戦士にも纏っている所を見るに、『聖壁(プロテクション)』を使ったのだろう。

 彼女はすんでのところと言ったが、それがなければ彼は即死だっただろうし、彼が死んでいれば女騎士が僅かでも隙を晒すことになっていたであろう。

 金等級冒険者。かつて世界を救った六人の英雄の一人だからこそ、目が見えないからこそ、彼女は人一倍死の気配には敏感だ。

 ともかく彼の無事を確認した女騎士は胸を撫で下ろし、その美貌で番犬を睨み付けた。

 

「さあ、我々はまだやれるぞ!」

 

 宣言と共に盾を打ち鳴らし、番犬の注意(ヘイト)を自分へと向ける。

 

『『『GOOORRRR!!!』』』

 

 所詮は犬だからか、そんな安い挑発にも番犬は乗ってしまった。

 その刹那に、杖を掲げて力を溜めていた賢者が真に力ある言葉を紡ぐ。

 

「《ウェントス()……ルーメン()……》」

 

 彼女が紡ぐ詠唱を受けた冒険者たちは一斉に散開。番犬から距離を取る。

 全員が安全圏へと抜けた瞬間、賢者は杖を掲げた。

 彼女を中心にして暴風が吹き荒れ、散りばめられた宝玉一つ一つに超常の力が集約され、杖全体から神々しいまでの輝きが放たれる。

 

「──《リベロ(解放)》……っ!」

 

 同時に口から溢れた最後の一節をもって、彼女の行動(アクション)は終了となった。

 瞬間解き放たれたのは、猛風、白光、轟音、そして熱。

 もはや異次元の力が、番犬の巨体に襲いかかったのだ。

 彼の者の巨体が白い光に包まれ、平原と冒険者たちの視界を白一色に染め上げる。

 おそらく、この四方世界において最大の威力を持つ魔術──『核撃(フュージョンブラスト)』。

 この世に生きる万象を砕き、破壊する。文字通り絶滅的な一撃だ。

 

 ──相手が、この世界の物差しで計れるものであればの話だが。

 

『GOOOOOOOOOOOOOOッ!!!!!!』

 

『核撃』の爆発音より尚も大きく、島どころか近隣の海にさえ響く大咆哮が、爆心地(グラウンドゼロ)から発せられた。

「まじかよ……」と思わず槍使いが苦笑を漏らし、目を凝らしてそれ(・・)を睨み付けた。

 それは、四本の足で大地を踏みしめる異形であった。

 それは、三つの頭で全てを喰らわんとする異形であった。

 それは、まさに。

 

 ──この世界に居てはいけない、化け物であった。

 

『GRROAAAAAAッ!!!!』

 

 地獄の番犬──ケルベロス。

 三つ頭の内、右側の額からは黒い血を流し、左側の頭は半分が失われてなお瞳から光は消えず、中央の頭は僅かに焦げている程度。

 抉り取られた胴体から臓腑が溢れ、少なくない出血をしながらも、四肢の一本が本来曲がってはいけない方向に曲がっているけれど。

 

 ──彼の者は尚も健在だった。

 

 

 

 

 

 地獄の番犬が守る場所ならば、そここそが地獄(ドゥーム)というものだろう。

 

「こんのっ!」

 

 気合い一閃と共に令嬢剣士が軽銀の短刀を振るい、飛びかかってきた異形の喉を裂く。

 

「そこねっ!」

 

 妖精弓手の放った矢が、遺跡の天井に張り付く異形の眼窩を撃ち抜く。

 

「大いなる我が父祖よ!我が戦働をご照覧あれ!!!」

 

 勇ましく祝詞をあげた蜥蜴僧侶が『竜牙刀(シャープクロー)』片手に異形へと躍りかかり、その胴体をかっ捌く。

 

「おおっ!」

 

 ゴブリンスレイヤーが中途半端な剣を差し出し、渾身の力でもって異形の喉笛を貫き、蹴り倒す。

 

「やっ!このっ!」

 

 左手首のリストブレードを振るい、異形を牽制する女魔術師は、僅かな疲労と共にため息を吐き、投石紐を振り回す鉱人道士が「大丈夫かいの!?」と切羽詰まったように声をかけた。

 問われた彼女は「大丈夫です!」と気丈に振る舞い、隣の女神官に「貴方は!」と無意識に語気を強くしながら問うた。

 

「大、丈夫です……っ!」

 

 目を閉じ、両手で握った錫杖を掲げる女神官は、額に脂汗を滲ませながら頷いた。

 彼女は絶えず『聖壁(プロテクション)』を発動することで、この戦線を維持しているのだ。

 冒険者たちの背後にあるのは、またも底が見えない大きな穴。

 だが、今回彼らは飛ぶつもりは毛頭ない。既にローグハンターが飛び、この奥へと進んでいるからだ。

 

「イイイィヤッ!」

 

 銀髪武闘家は怪鳥音を響かせながら上段回し蹴りを放ち、『聖壁』に激突した異形の首を落とす。

 その表情は銀等級としての凛としたもので、彼女が本気になっていることは明白。

 戦闘を始めて、どのくらいの時間が経っただろうか。

 一分か二分か。一時間ということはあるまい。

 時間の感覚がおかしくなっては来ているが、目の前の敵も際限がない。十や二十ではなく、百かそれを優に越えている。

 

「強くはありませんが、この数はやはり厳しいですな!」

 

竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリアー)』を召喚した蜥蜴僧侶が、言葉とは裏腹に愉快そうに笑いながら言った。

 一世の雄たらんとする彼からすれば、魔の軍勢との戦いこそ血がたぎるというものなのだ。

 この状況になったのは、たったの三分程前。

 第一の障害であった大穴を、ローグハンターとゴブリンスレイヤー手製のパラシュートで無事に降下し、下に待ち構えていた次なる廊下にたどり着いた瞬間、彼らに異形が殺到してきたのだ。

 姿形は人間に限りなく近いが、赤黒い肌に、背中から生えた一対の翼が、彼らが人間でない事を教えてくれた。

 何より、ローグハンターや女神官を筆頭とした怪物辞典(モンスターマニュアル)を読破済みの面々からは、その正体もすぐにわかるというもの。

 地獄の番犬が守る場所が地獄なら、そこに住まうのは悪魔(デーモン)以外にあるまい。

 そう、彼らは群れをなした悪魔(レギオン)との戦いを強いられているのだ。

 ここにローグハンターがいれば、もう少し戦況を有利に運ぶことが出来ただろう。だが、彼はここにはいない。何故か。

 

「頭巾のは上手くやっとるかんの!?」

 

「そこは信じるしかないでしょ!」

 

 鉱人道士が鞄から触媒を引っ張り出しながら言うと、妖精弓手がまだ余裕そうな表情で一矢を放つ。

 不可思議な軌道を見せるそれは空中で弧を描き、悪魔の耳を貫いて脳髄を傷つけそのまま貫通。同じようにさらに三体の悪魔の脳髄を削り取った。

 

「『ここは任せて先に行け!』これ一回言ってみたかったのよ!」

 

「あほ抜かしとる場合か!?」

 

 妖精弓手が場違いに愉快そうに笑みながら言うと、鉱人道士からの怒号がとんだ。

 ローグハンターがここにいない理由。それは彼らが送り出したからに他ならない。

 勿論彼とて無言で了承するわけもなくだいぶ渋ったのだが、仲間たち全員から言われてしまえば折れるしかないというもの。

 この場を彼らに任せ、華麗な飛び降り(イーグルダイブ)で闇の中に身を投じたのだ。

 

「デリャッ!」

 

 最小限の予備動作から放つ正拳突きが悪魔の胴に風穴を開き、右手を彼らの血で真っ赤に染めた銀髪武闘家は『聖壁』の向こうにいる後衛の二人に向けて「働いて!」と手短に檄を飛ばした。

 二人は慌てる様子なく返事を返し、それぞれの役目(ロール)を果たすために動き出す。

 

「十五っ……!」

 

 悪魔から奪った冒涜的な槍を振り回したゴブリンスレイヤーが、目の前に倒れる悪魔にとどめを刺しながらそう宣言。

「これで二十っ!」と競うように発せられた妖精弓手の声に苦笑を漏らし、「十六!」と更に数を重ねる。

 

「そろそろ、限界です!」

 

 絶好調の冒険者たちに向け、女神官からの切実なる声が飛ぶ。

 それを受けた彼らは一斉に頷き、彼女の下へと集う。

『聖壁』が解けたのはその直後で、彼女が再び奇跡を使えるまでに数呼吸。

 それまでは、無防備な彼女を守らねばならぬ。

 

「負けて、たまるか……っ!」

 

 銀髪武闘家は自身の拳同士を打ち付けながら言うと、襲い来る悪魔たちに向けて挑む。

 その言葉は迫り来る悪魔たちに向けられたものか、妖精弓手やゴブリンスレイヤーに便乗したものかは、彼女のみが知る事だ。

 

 

 

 

 

「シッ!」

 

 鋭く吐かれた吐息。肉が裂け、焼ける音。響く断末魔。

 薄暗い遺跡の通路を走るローグハンターは、すれ違い様に悪魔の胴を斬り、首を跳ねながら駆けていた。

 返り血で漆黒の鎧とローブに不気味な斑模様をつけながら、彼は足を止めることはない。

 上の仲間たちが頑張ってくれているから、こうしてこちらには余裕があるのだ。一刻も早く上に戻らねば、彼らの命に関わる。

 

「──そこを、退け……っ!」

 

 通路に立ち塞がる悪魔たちの肉壁に向け、ローグハンターは金色の剣を突きだした。

 解き放たれた雷電龍が咆哮をあげ、すれ違い様に醜い悪魔たちの体を焼き、その命を終わらせる。

 鼻につく硫黄にも似た臭いに眉を寄せつつ、ローグハンターは再び走り出す。

 剣に纏う雷をそのままに、放たれる光を尾のように引きながら、薄暗い通路を一人走る。

 隣にも後ろにも前にも誰もおらず、軽口を叩きあう者もいないが、それでも彼は立ち止まることを許されない。

 また彼らと肩を並べるため、共に言葉を交わすために、立ち止まる訳には行かないのだ。

 二分か、五分か、決して長くはない時間だろう。分け目も振らずに駆けていたローグハンターは、急に視界が開けた事を合図にして足を止めた。

 彼がたどり着いたのは、遺跡最奥部と思われる広間だった。

 等間隔に並んだ柱には金色に輝く紋様が浮かび上がり、それは床や天井へと広がり、お陰で広間は無駄に明るい。

 彼は荒れた息をすぐに整え、周囲を警戒しながら歩き出した。足音を一切出さないのは、もはや彼の癖だろう。

 一歩を踏み出し、更に一歩。もう一歩と繰り返し、広間の中央にたどり着くと同時に足を止めた。

 目を細めて尋常ならざる敵意を剥き出しに、正面の岩の玉座に腰掛ける男を睨み付けたのだ。

 睨まれた彼は座ったまま肩を竦め、「遅かったな」と苦笑混じりに漏らした。

 

「約束通り来たぞ」

 

「ああ。約束通り待っていたぞ」

 

 玉座に座していた男──アサシンはそう告げると立ち上がり、純白のローブを翻す。

 彼が纏っているのはローブだけではない。

 左肩には見たこともない素材(第一文明)の肩当てがつけられ、胴にも見慣れぬ素材(第一文明)の鎧が、脚にも同じ素材と思われる脚甲が。

 その全てが独特な金色の光沢を持ち、タカの眼なしでも特に強力な(レジェンダリー)防具であることがわかる。

 一目でわかる完全武装。様子見なしの殺しあいをする準備は整っているようだ。

 ローグハンターは深く息を吐きながら、金色の剣と黒鷲の剣を擦り合わせる。

 二振りの剣に超自然の炎を付与(エンチャント)し、右足を半歩下げ、左足を半歩前へ。

 左手の黒鷲の剣をパリングダガーに見立てるように構えると、アサシンもまた構えを取った。

 どしりと重心を落とし、金色の剣を体の正面に構えながら、左手首は遊ばせる。

 一見ふざけているようで、彼らなりの全力をぶつける意思表示。

 

「こちらに(くだ)るつもりは?」

 

「ない」

 

 アサシンからの問いかけに、ローグハンターは被せるように即答した。

「そうか」とアサシンはどこか安堵したように息を吐くと、その表情を殺した。

 戦いに無駄な感情を排し、ローグハンターに向けて告げる。

 

「──では、始めようか!」

 

 彼の一言を合図にして、二人は雷となった。

 音を置き去りにした一撃が重なりあい、遅れて響いた雷鳴と、二人の叫びが交錯する。

 黒き鷹(ローグハンター)はこの世界を守るため、白き鷹(アサシン)はこの世界を変えるため。

 互いが信じる神々の代行として、互いの存在を滅ぼさんと両雄は激突したのだ。

 戦いの結果を知るのは、天上で振るわれる『偶然』と『宿命』の骰子(さいころ)のみ。

 二人の剣撃音に混じり、からころと骰子が転がる乾いた音が、誰にも聞かれることなく寂しく響いたのであった。

 

 

 

 

 




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Memory13 その祈りは誰が為に

 地の底に眠る遺跡の最奥には、一体何が潜むのだろうか。

 恐ろしい悪魔。冒涜的な肉塊。邪神を甦らせんとする邪教徒。亡者の群れ。エトセトラエトセトラ──。

 その話題を振られた者が返すのは己の経験や想像からくる、時には現実的な、時には突拍子のない答えだろう。

 だが百人に聞いても、きっとこの答えは返ってこまい。

 

 ──二条の雷が複雑に絡み合い、激しく衝突している。

 

 何も知らぬ者が見れば、天高くを駆ける雷が地の底で発生している事にまず驚くだろうが、それが人が生み出したものだと知れば更に驚く事だろう。

 それぞれの雷の先端に当たる場所にいるのは、見間違いようのない人影だった。

 

「おおおぉぉぉぉぉあッ!!!!」

 

「うおおおおおおおおっ!!!!」

 

 二人は絶叫にも似た咆哮をあげ、雷から元の姿となってぶつかり合った。

 互いの得物である金色の剣がぶつかり合い、甲高い金属音が広間に響く。

 思わず耳を塞ぎたるなる音ではあるが、それで二人が止まる訳も、意識を削ぐ訳もない。

 

「フッ!」

 

 先に動いたのはローグハンターだった。

 右手でアサシンと競り合いつつ、炎を纏った黒鷲の剣を振るい追撃を狙う。

 黒きまことの銀(ミスリル)の一閃は残光すら残さず、卓越した技量の下で寸分の狂いなく相手の脇腹を狙って振るわれた。

 だが本来なら相手の命を断つ一閃も、彼の纏う鎧を前にしては攻撃にすらならない。

 ガン!と斬るよりも殴るような音を響かせ、刃を止められたローグハンターは眉を寄せた。

 第一世代の鎧。その防御力はこの世界で造られるどの鎧よりも固く、柔らかく、また軽い。

 素材は不明。あったところで造り出す事は不可能はそれは、世界に二つとないだろう。正確には、二つとあってはならないものだ。

 

「ぐぅらッ!」

 

 獣じみた咆哮をあげ、受け止められた刃を強引に振り抜いた。

 斬ることは出来ずとも弾くことには成功し、飛ばされたアサシンは流星の如く床に叩きつけられた。

 だが彼は素早く立ち上がり、天井の方を見上げた。

 彼の視線の先には落下するローグハンターがおり、彼の手にはいつの間にか弓と、鏃に炎が灯された五本の矢が握られている。

 彼は二本指で一本の矢をつがえ、残りの指で四本の矢を保持。時間の流れが緩やかになる感覚を覚えながら狙いを定め、連孥の如き五連射。

 弦の弾ける音が瞬き一つの間に五つなり、放たれた矢は大地を穿つ火石の如くだ。

 直撃すればただでは済むまい。だが、アサシンの行動は単純だった。

 にやりと口の端を歪に歪め、避ける素振りも見せずに両腕を広げた。

 彼の奇行とも取れる行動にローグハンターは僅かに狼狽えるが、避けないのなら好都合と割りきり、すぐに平静を取り戻す。

 それと同時に放った五つの矢がアサシンへと突き刺さる──間際にその軌道が歪み、その全てが彼の掠めることなく床に突き刺さった。

 その結果にローグハンターは僅かに目を見開き、「くそ……っ」と今さらになって重要な事を思い出す。

 第一世代の道具の一部には、鉄を遠ざける効果を持つものがある。剣はともかくとして、弾や矢などの投射物に関しては抜群の効果を発揮するのだ。

 とあるアサシンがその鎧を纏っていたという情報を、聞いてはいたのに忘れるなど、何とも情けないと舌打ちを漏らす。

 だがそれがわかったのなら重畳だと思考を切り替え、腰に下げた金色の剣と黒鷲の剣を勢いのままに抜刀。

 腰帯と金属の擦れる音を聞き流し、両足に力を込めて一気に飛び出す。

 二歩踏み込めば、もはや自分は地に足つけぬ雷だ。

 開いていた間合いが瞬時に零となり、肉体が元に戻ると同時に待ち構えていたアサシンが左手を突き出した。

 同時にアサシンブレードの刃が飛び出し、反射的に身を捩ったローグハンターの頬を掠める形で空振りに終わる。

 頬から流れる一筋の赤い涙をそのままに、伸びきった相手の腕に自分の腕を絡めて上体を起こして肩を極め、無防備な胴に目掛けて金色の剣を振るう。

 相手の首を落とさんと振るわれた剣が相手を捉える間際に、『ゴキッ!』と骨の外れる滑稽な音が鼓膜を揺らした。

 途端決めていた相手の腕がするりと拘束から抜け出し、振るった剣は空を切る。

 大きく姿勢を低くしたアサシンは、無防備なローグハンターの胴に金色の剣の柄頭を叩きつけた。

 鈍い打撃音が漏れるが、ローグハンターは怯む様子もなくその場を飛び退き、数度咳き込むのみで痛痒(ダメージ)はあまりない。

 むしろアサシンの腕を眺め、困惑を隠しきれない様子で表情を険しくさせた。

 

「貴様、肩を……っ!」

 

「外したが、なんだ」

 

 強い驚愕が思わず声となり、左腕をだらりと下げたアサシンがさも当然のように告げた。

 そして右手で左腕を掴み、「ふん!」と気合い一閃と共に外れた肩を元に戻す。

 そして左拳を開閉させながら具合を確かめ、「ふぅむ」と僅かに不服そうに目を細めた。

 

「まあ、すぐに全快とはいかんか」

 

 彼はそう言うと肩を竦め、一瞬の閃光が体を包み込む。

 それが急速回復(セカンドウィンド)を使用した証であり、外した肩が全快した証拠だ。

 ローグハンターは深く息を吐き、相手の出方を伺うように集中を深める。

 今のは確実に殺せる流れ(フィニッシュ・ムーブ)だったのだが、そこから抜けられるのは中々に久しぶりだ。第三者の介入なしでは初めてかもしれない。

 

「では続きだ」

 

 肩を回して具合を確かめたアサシンは短く言うと、今度は彼が雷となった。

 開いていた間合いが瞬時に零となり、ローグハンターが迎え撃つ番となる。

 雷から肉体に戻る間際、金色の剣が振り下ろされた。

 雷を纏う刃を防御もなしに直撃すれば即死不可避。選択肢は回避か防御のみ。

 今回の選択は防御。振り下ろされた刃を角度をつけた金色の刃で受け止め、その勢いを利用して流す。

 金属同士の擦れる不快な音と、視界の端に映る火花を努めて無視し、反撃(カウンター)に黒鷲の剣を振るう。

 だがアサシンの反応はそれよりも速い。

 彼は瞬時に体を雷へと変えて回避、一瞬距離を開けてすぐにまた詰める。

 再び来る攻撃に備えていると、元に戻ったアサシンの起こした行動は単純にして明解だった。

 

「ぬぅん!」

 

 第一世代の肩当てを前面に押し出した体当たり。剣の攻撃に備えていたローグハンターはそれを直撃することとなった。

 速度と重量の二つの要素は攻撃力に直結するものだ。

 成人男性が雷の速度でぶち当たるなど、それこそ砲弾並の火力が出ることだろう。

 そんなものが直撃したローグハンターは「がっ!」と思わず漏れた汚い悲鳴で尾を引くように、彼の体は見事に弾かれる。

 なるほど体当たりかと得心し、それは予想外だったなと手短に反省。

 空中で体を翻して体勢を整え、軽業師さながらの挙動で床に足をつけると、踵を床にめり込ませ、更に金色の剣を突き立てて急停止。

 口の端から流れる血を拭い、念のためと急速回復(セカンドウィンド)を使用。一瞬の閃光の後に、先ほどつけられた頬の傷と、治りかけていた手の傷が完治する。

 相手に前回あった慢心に似たそれはない。全力の全力で、ようやく抗えるぐらいだろうか。

 そうとわかればやることは決まっているし、何より最初からそのつもりだ。

 鋭く息を吸い込みながら立ち上がり、天上の神々にまで届くことを祈って獣じみた雄叫びをあげた。

 ただの雄叫びではない。能力(アビリティ)の一つたる『アレスの雄叫び』と呼ばれるものだ。

 雄叫びによって自らを奮い立たせ、一時的に身体能力をあげる。四方世界的に言えば補助(バフ)と呼ばれるものだ。

 

「──うぉおおおおあっ!」

 

 視界の端を赤く染めながら、ローグハンターはその場を飛び出した。

 無意味とわかっていても牽制に複数本の投げナイフを投擲し、鋭い銀光がアサシンへと迫る。

 アサシンは当たることはないとたかを括り、ローグハンターの動きにのみに注意を向けるが──。

 

「……む?」

 

 とす……。と、今まで鳴り響いていた音に比べれば優しげな、どちらかと言えば間の抜けた音が発せられたのだ。

 音の源はアサシンの腹部。目を向けてみれば、そこには鋭い何かが突き刺さっていた。

 それを自覚すると同時に「ごふ……っ!」と口から血の塊を吐き、自身の腹に刺さったものを乱暴に抜き取ると、目を見開いて驚愕を露にした。

 

 ──これは骨か……っ!?

 

 アサシンは鋭く尖り、自らの血がこびりついた動物の骨を忌々しそうに投げ捨て、回復をしようと意識を集中させるが。

 

「させるか」

 

 ローグハンターがその隙を与えるかと問われれば答えは否。

 いつの間にか距離を詰めていた彼が、相手の出来立ての傷を目掛けて前蹴り(スパルタキック)を放つ。

 鈍い打撃音と僅かに湿った音を響かせ、アサシンの口から更に血が吐き出された。

 だが倒れる事はない。両足に踏ん張りを利かせて踏みとどまり、予備動作なしで衝撃波を伴った閃光(混沌の輪)を放つ。

 不可視の拳で全身を殴り付けられたローグハンターは勢いのままに吹き飛ばされ、強烈な閃光で視界が点滅を繰り返す。

 だがそれも一瞬のこと。着地と同時に金色の剣を振るい、前方を薙ぎ払うように雷を放つ。

 アサシンは腹の傷を押さえ、苦悶の声を出しながらその場から飛び退き、柱の影へと退避。

 一瞬遅れて雷の一閃が柱を捉え、その表面をほんの僅かに焦がした。

 だが倒れる事はおろか、傷がついた様子すらない。第一文明の材質は、生半可な攻撃では破壊出来ないのだ。

 ぜえぜえと喘ぎながら、アサシンは今度こそ急速回復(セカンドウィンド)を使わんと集中するが、彼の脇を雷光が駆け抜けた。

 同時に現れたのは、炎を纏った二刀を振り上げたローグハンターだ。

 タカの眼を使えば相手がどこに隠れたかなぞすぐにわかる。床に目印となる血痕が残されているのなら尚更に。

 

「ッ!!」

 

 歯を食い縛り、渾身の力を込めて二刀を振り下ろすローグハンター。

 アサシンは小さく舌打ちを漏らしつつ、片手で金色の剣を振るった。

 得物がぶつかり合うと共に激しい火花が散らせながら同時に弾かれ、二人の視界にほんの一瞬だが彩りを加えた。

 小さな火花が消えた瞬間、二人は弾かれた剣を握り直して再び振るい始めた。

 ぶつかり合う度に甲高い金属音が広間に響き、その間隔は時間を経るごとに短く、激しくなり、火花が満開の花火のように視界を彩る。

 袈裟、逆袈裟、突き、水平、ばつ字、十字──。

 彼らの考えうる全ての切り方が瞬きする間もなく断続的に放たれ、二人の額に脂汗が滲んだ。

 切っ先の動きが僅かでもずれれば、タイミングが僅かでと遅れれば、一度でも瞬きすれば、相手の刃は確実に自分の命を奪う。

 それがわかっているから故に、二人は無意識に瞬きをしようとする瞼を強靭な意思でもって開き続け、剣の切っ先に至るまで神経を通わせる。

 気を抜くな。手を抜くな。力を抜くな。

 戦いにおける全ての事に全神経を集中するしかなく、二人の集中力を削り取っていく。

 

「おおおおおおお………っ!」

 

「あああああああ………っ!」

 

 無意識の内に理性の欠片もない獣の唸り声をあげ、相手の意識を僅かでと削がんとするが、それを同時に行っては意味がない。

 三分か、五分か、あるいは三十秒足らずか。それは誰にもわからない。

 二人は時間の感覚がおかしくなるほどに集中し、相手の動きに細心の注意を払って反応し続ける。

 だが、人の集中力とは無限ではないのだ。出血による疲労、痛みによる集中の乱れが、アサシンを窮地へと誘い込む。

 彼は額に更に脂汗を浮かべ、どうにか隙を作ろうと気を伺っていた。

 確かに窮地に追い込まれているのは自分だ。鎧を纏った事で余計な慢心をしていたのだと自嘲し、だがまだやれると気合いを入れる。

 

「ぬぅあっ!」

 

 同時に必要最低限の予備動作から、左手のアサシンブレードを突き出した。

 

「ッ!」

 

 正面から拮抗している状況に一石を投じるという意味では、確かに彼の行動は正解だったろう。

 だが相手はローグハンター。対人──アサシンとの戦いにおいては四方世界でも有数の経験を持っている。

 どんなに速くともローグハンターは反応できる。正確には見ることができる。

 避けたり防いだりできるかはまあ別の話だが、今回はまだ彼の許容範囲内だった。

 突き出されたアサシンブレードを黒鷲の剣で受け流し、相手の体勢を前のめりに崩す。

 自分が最も好む間合いに相手の首が差し出され、少なくとも回避は無理だろう。

 そうは思えど油断はせず、集中を維持したままのローグハンターが断頭台の刃の如く金色の剣を振り下ろす。

 その間際、アサシンの右手が閃いた。

 それに気付いた時にはもう遅い。何かに備えようとしたローグハンターの視界が、赤一色に染められた。

 

「──!」

 

 視界が潰され、狼狽えるローグハンター。

 その隙にアサシンはローグハンターの米神を金色の剣の柄頭で殴り付ける。

 凄まじく重い打撃音と骨の砕ける乾いた音、そしてローグハンターの体が床に叩きつけられる音が入り交じり、聞いていて不快になる音が広間を駆け抜けた。

 アサシンが行った事は単純明解。自らの血による目潰しだ。

 攻撃にアサシンブレードを挟むことで意識をそちらに向けさせ、空いている右手で傷を拭い、へばりついた血を砂かけよろしく飛ばしただけのこと。

 これは騎士同士の決闘ではなく、アサシン同士の殺しあいだ。卑怯という言葉は敗者の言い訳にしかならない。

「がはっ!」と口から血を吐き出すローグハンターの腹に渾身の力を込めた蹴り(スパルタキック)を打ち込み、彼の体を再び吹き飛ばす。

 がちゃがちゃと喧しい音をたてながら転がる彼に、アサシンは雷の追撃を放つ。

 大気を焦がす一閃は真っ直ぐにローグハンターの体を捉え、全身に鋭く刺すような激痛と痺れを与える。

 声にならない悲鳴をあげたローグハンターは仰向けで倒れたまま痙攣を繰り返し、「う……」とか「あ……」とか意味のない呻き声を漏らしていた。

 一瞬の油断。あるいは一瞬の慢心。それがもたらすのは死のみだ。

 アサシンは今度こそ急速回復(セカンドウィンド)を使い、腹の傷を完治させた。

 だが流れた血が戻るわけではない。その分体力は削られているし、血が足りないからか頭が重い。

 数度深呼吸を繰り返して消耗した体力を僅かでも回復させると、彼は歩き出す。

 決して音をたてることなく、相手への殺気を限界まで抑え、左手小指を動かした。

 僅かに鞘と刃が擦れる音が鳴ったかと思えば、アサシンブレードの抜刀は終わっている。

 長かった。実に長かったと、アサシンはローグハンターに歩み寄りつつ回想する。

 訳もわからず放り込まれた新天地で、右も左もわからなかった自分を助け、その使命を託してくれた前任者がいた。

 かつて来たりし者の加護とも呼べる力で体は老いることはないが、それは人間の用途から外れた、設計図には載っていない使い方だ。

 そんな使われ方をすればいずれ限界は来るし、技が衰え始めるだろう。

 故に継承者が必要だと。この力を、本来使うべき機会──この世界の侵略で全力で扱える器が必要なのだと、彼は自分に力を託した。

 そして今度は自分の番だ。寿命(げんかい)まであと僅か。刻一刻とそれは近づいている。

 万が一それを越えてしまえば、能力(アビリティ)の使用に悪影響が出てしまう。

 

 ──あのお方の願いの成就。それを見届けたかったが……。

 

 自分が足手まといになっては願いの成就は更に遠のき、きっとあのお方を悲しませてしまう。

 それだけはあってはならない。あのお方の為なら、自分の命はよろこんで捨てよう。

 まずは目の前の男を倒し、あのお方に差し出す。そうすれば後は事もなしだ。

 虫の息のローグハンターを足元に、アサシンはアサシンブレードの切っ先を彼へと向けた。

 あのお方の処理は既に始まっている筈だ。直接接触したあの日から何かしらをした筈だ。

 記憶の混濁か、情緒の不安定とさせたか、あるいは自意識を曖昧とさせたか。

 今回の彼を見るに、そこまで大きな変化は起こしていない。やり過ぎては処理をする前に壊れてしまう。

 だがと、アサシンは眉を寄せた。

 

「どうでも良い」

 

 目の前の男はあのお方に(そむ)き、導いたとは言え仲間を引き連れてここまで来たのだ。ならば、多少やり過ぎても構うまい。

 

「──安らかに眠れ。使命が始まる、その時まで」

 

 その身に刻まれた慣例にしたがい、細やかな祈りの言葉を口にした。

 それを合図としてアサシンブレードが閃く。

 何度も、それこそ数えるのが恐ろしくなるほどに行ってきたそれを、またいつものように繰り返す。

 命を奪うには小さすぎるそれも、アサシンの訓練を受けた者が振るえば致命傷を与えるには事足りる。

 アサシンブレードがローグハンターに突き立てられようとした瞬間、

 

「──」

 

 ローグハンターの口が動き、何か意味のある言葉を口にした。

 それにアサシンは注意を向けかけるが、先ほどは気の緩みで一撃貰っているのだ。今さら止まって何になる。

 構わずにアサシンブレードを振るったアサシンだが、その胸に跳ね上がったローグハンターの左手が添えられた。

 

「ッ!」

 

 驚いた所でもう遅い。アサシンの攻撃は既に始まっているのだ。

 アサシンブレードの刃はローグハンターへと迫り──。

 

「う゛ぅ゛……ッ!!」

 

 突如として目を開いたローグハンターがその刃を睨み、狙いを見切ると口を開けた。

 アサシンブレードの極小の刃は彼の口の中へと滑り込み、右頬を貫く形で切っ先が顔を出す。

 その痛みで更に意識が鮮明となった彼は、アサシンブレードの刃を止めんと噛みついた。

 歯茎から血が出ることも、口内に広がる鉄の味もいとわずに、彼はアサシンとの距離を零になることを選んだのだ。

 

「貴様……っ!」

 

「──!!」

 

 アサシンが狼狽える隙を見逃さず、ローグハンターの右手が自身の左腕へと伸びる。

 黒きまことの銀(ミスリル)で鍛えられた籠手に取り付けられた短筒を掴み、レバーを引いて装填。

 火の秘薬が炸裂する音と共に、短筒から鉄の礫が吐き出された。

 鎧がある限り鉄製の投射物は避けていく。確かにそれは脅威だ。だが避ける間もない距離で放てば、それは必ず当たる。

 

「かっ──!」

 

 鎧越し故に致命傷には程遠いが、その衝撃は確かにアサシンへと届いた。

 彼は肺の空気を吐き出すと共に金色の剣を取りこぼして数歩分後退ると、その拍子にローグハンターの頬からアサシンブレードが抜ける。

 

「んぅ……っ!」

 

 彼は刃に引き上げられるように立ち上がると獣のように唸り、両手でしっかりと握って振り上げ、まっすぐに振り下ろす。

 両足を踏ん張り、重心諸とも叩きつけるような一撃。

 そこには何の技量も力量もない、文字通り力任せの、相手の頭蓋を砕くことのみを目的とした一撃だ。

 

「──」

 

 アサシンは目を見開いて焦燥を露にするが、すぐに平静を取り戻してアサシンブレードで受け流さんと構えた。

 彼の技量なら大振りな一撃をいなす程度造作なく、体に染み着く程に何度も、何年も続けてこなしてきた行動だ。

 故に彼の受け流しの体勢は一切の無駄がなく、正面からの攻撃なら間違いなく流せただろう。

 ローグハンターの足が急にふらつき、威力をそのままに大きく狙いが逸れなければだが。

 放たれた一閃の狙いは彼の頭蓋を大きく外れ、その結果──。

 音もなく駆け抜けた一閃の後、ぼとりと重い物が落ちる音が二人の鼓膜を揺らした。

 アサシンはあらんかぎり目を見開き、自らの左腕へと目を向けた。

 綺麗に失われた前腕部。どこに行ったと視線を配れば、それは自分の足元に転がっていた。

 アサシンブレードを抜いたままの左腕が、無様に床に転がっているのだ。

 

「──」

 

 振り抜いた勢いのままに倒れたローグハンターを他所に、アサシンは声にならない悲鳴をあげながら数歩後退り、自らの左腕へと向けた視線を外さない。

 アサシンとていきなり腕を失えば狼狽えるだろう。この数百年、まともに『死』を感じる事がなかったのなら尚更に。

「ああ……ああ……っ!?」と困惑を極めながら、彼は倒れるローグハンターに背を向けて走り出す。

 本来死に近く、相当なことがなければ狼狽えないアサシンが、数百年死から遠ざかり、神からの寵愛を受けた結果がこれだ。

 彼は小さく嘲笑うローグハンターに見向きもさず、空っぽも玉座の脇を通りすぎ、その背後に広がる闇へと身を投げた(イーグルダイブ)

 

「ふぅ!ふぅ!……んん!」

 

 ローグハンターは荒れた息を無理やり整え、痺れて録に指も動かない左手の感覚を確かめる。

 ぎこちないが開閉は出来るが絶えず痙攣を続け、ずっと閉じる事が出来ない。これでは物が握れない。

 彼は広間に転がる黒鷲の剣をそのままに、アサシンの背を追いかけて走り出す。

 足元がおぼつかず、今にも倒れてしまいそうだが、それでも彼は走り抜け、アサシンを追いかけて闇の中へと身を投げた(イーグルダイブ)

 着地点が見えず、下に何がいるのかもわからない中での飛び降りだが、不思議と恐怖はなかった。

 死にかけているからか、あるいは先ほどの雷で脳の何かが欠けたのか、理由はわからない。

 そんな事を考えているうちに何かを感じとると体を反転させ、見事に足からの着地を決めた。

 同時に足元に金色の紋様が浮かび上がり、等間隔に並ぶ柱には何かしらの文字が浮かび上がっている。

 

「……」

 

 朦朧とする意識の中、ローグハンターはタカの眼を発動した。

 足元の血痕を起点に浮かび上がる幻影を追いかけ、一歩一歩と重い足取りで歩き出す。

 二分程歩いた頃だろうか、ローグハンターの視線の先に彼はいた。

 力尽きたようにその場に座り込み、長い間そこにいたのか血溜まりが出来ており、こちらに気付いていないのか顔を上げる様子はない。

 ローグハンターは僅かに目を細め、点々と続く血痕を辿るように歩き続ける。

 持っている事も億劫になってきた金色の剣を捨て、念のために抜刀していた左手首のアサシンブレードを納刀。

 血を吸い込んだからか頭に張り付いてくるフードを乱暴に脱ぎ、血に濡れて赤くなった黒い髪をさらけ出しつつ、アサシンの目の前で足を止める。

「なぜだ。なぜ来てくださらない。なぜわからない」と力なく呟く彼を冷たく見下ろしながら、背負っていた長筒を取り出す。

 至近距離なら弾が当たるのは確認済み。ならば確実に頭を吹き飛ばすに限るのだ。

 震える手を強靭な意思のみで押さえつけてボルトを開き、弾入れから取り出した実包を押し込むと少々乱暴に閉じ、火打石を持ち上げた。

 その時鳴った微かな音に気付いてか、アサシンは僅かに顔を上げてローグハンターに右手を伸ばした。

 そこに込められているのは神に愛される彼への嫉妬か、いくら倒しても立ち上がる彼への恐怖か、あるいは使命を投げ出す裏切り者への憎悪か。

 

「なぜお前が選ばれた。なぜお前はあのお方の意思に従わない」

 

「記憶が欠けたのだろう。愛する者の事も忘れたのだろう」

 

「なのに、なぜお前は立ち上がるのだ!?」

 

「そんな事決まっている」

 

 恐怖を種に狂乱するように言葉を重ねたアサシンに向け、ローグハンターは毅然とした態度で告げた。

 導かれるがままにここまで来たが、彼の心にあるものは何ひとつして変わってはいない。

 妹への想い。仲間たちへの信頼。アサシンへの憎悪。裏切ってしまった騎士団への罪悪感。

 その全てが彼を動かし、ここまで来る力となってくれた。

 その中でも一際強いのは、忘れてなお消えなかった彼女への想い──愛情だろう。

 記憶を取り戻す為、愛情を証明するため、何より彼女を──彼女が生きる世界を守るため、彼はここまで来たのだ。

 故に告げる言葉は一言のみ。

 

「──俺は、俺の信条に従ったまでだ(I followed my own creed)

 

 遺跡の最奥の更に奥で、鋭い銃声が木霊(こだま)した。

 

 

 

 




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Memory14 優しき女神(アヴェンジャー)

 卓上を険しく見下ろしていた『幻想』が、『やったぁ!』と可愛らしくガッツポーズをしました。

 それに続いて他の神様たちも安堵の息を吐いて、胸を撫で下ろします。

 道中の敵はともかく大将を倒せたのです。まだ気を抜けませんが、山は越えたといっても差し支えありません。

『どうだ、どうだ!』と対面に座る『かつて来たりし者』を煽るように──実際煽っているのですが──身を乗り出して、俯いた彼女の表情を窺います。

 彼女の一番強い駒が倒されたのです。多少なりともショックを受けているのだろうとは思います。

 ですが相手は愛する世界を奪うとまで言った女です。多少品位に欠ける事をしたって良いではありませんか。

 現に他の神様たちも『幻想』を止めませんし、むしろ同調してやいやいと騒ぎ始める始末です。

『真実』はやれやれと苦笑を浮かべて首を振りますが、決して止める事はありません。彼だって怒っているのです。

 彼らがわーわーと騒いでいると、『かつて来たりし者』は微かに肩を揺らし始めました。

 それに気付いた『真実』が『どうかした?』と言葉に少々刺を含ませながら問うと、『かつて来たりし者』は『いいえ、何でもないのよ』と声を震わせました。

 泣いているにしては声は跳ねていますし、何より金色の髪で見え隠れする顔には笑顔が浮かんでいます。

 

『一体何が可笑しいの!』

 

『幻想』は勢いよく卓を叩いて立ち上がります。

 その表情には可愛らしくもありますが確かな怒りが込められていました。目の前に座る彼女の気持ちが欠片も理解出来ないからです。

 自分の愛する()が死んだというのに、何を心底可笑しそうに笑っているのですかこいつはと憤慨します。

 

『ええ。何もかもが可笑しいのよ』

 

『かつて来たりし者』は笑って声を震わせながら言いました。

 いまだに戦い続ける駒たちを眺め、口の端をつり上げます。

 

『頑張った所で無意味。もう結果は決まったのだから』

 

 ふふと不気味に嗤いながら、『かつて来たりし者』は神様たちを見つめます。

 美の女神と言われても納得する美貌で見つめられれば、例え神様でも多少の赤面はするものです。

 けれど神様たちはそんな様子もなく、きっと彼女を睨みつけます。

 

『私の駒は失われ、あなた達の駒は健在。確かに喜ぶべきなのでしょう』

 

 彼女はそう言いながら、満身創痍であるローグハンターの駒を愛おしそうに指先で撫でました。

 それこそ愛する人を愛撫するように、心底優しくです。

 

『──それじゃあ、返してもらいましょうか』

 

 ほんの少しの間を開けて、『かつて来たりし者』はそう言いました。

『幻想』や『真実』はその一言にハッとして、思わず言葉を発する事を忘れてしまいました。

 確かにこの代理戦争(ウォーゲーム)が始まる時、彼女は『貸してあげるわ』と言いました。

 それを、勝負が決まった今になって返して欲しいと言うのです。

『ふざけるな!』とどこかの神様が怒鳴りました。

 まだ終わっていないにしても、もう勝負は決まったようなもの。彼女は屁理屈でそれを今になってひっくり返そうとしているのですから当たり前です。

 けれど『かつて来たりし者』は愉快そうに嗤うだけで、けれど優雅に足を組み変えます。

 

『別にあなた達の意思は関係ないのよ』

 

 彼女は反論も許さずにそう言うと、その姿が少しずつ透明になっていきます。

『ふぇ!?』と『幻想』が驚いて声を漏らすのと、『真実』が彼女を捕まえようと手を伸ばしたのはほとんど同時でした。

 結局『真実』が伸ばした手は空を掴み、残されたのは彼女が腰掛けていた椅子と、その残り香とも言える微かな気配だけです。

『どこに行った!』と神様たちは騒ぎだし、蜘蛛の子を散らすように辺りに散らばっていきます。

 あっちかこっちか、そっちはどうだ、いや駄目だ。

 あちらこちらから様々な神様たちの声が飛び交い、それなりに騒がしいいつも以上に騒がしいです。

 それが『賑やかだね』と笑って言えるのならいいかもしれませんが、今回は『喧しい!』と怒鳴ったって許されるかもしれません。

 けれどそれはしません。言っている余裕もないのです。

『幻想』もどこだどこだと辺りを見渡ますが、彼女の姿は影も見つかりません。

 不意に『真実』が『見つけたっ!』と鋭く声を出します。

 彼の声に呼び寄せられて、周囲に散っていた神様たちが戻ってきます。

 どこだどこだと騒ぐ彼を手で制すると、『ここ』と言って盤上を指差しました。

 つられるように神様たちはそちらに目を向けると、大きく目を見開きます。

 先ほど『かつて来たりし者』が撫でていたローグハンターの駒の目の前に、彼女の姿があるではありませんか。

 

 

 

 

 

 綺麗に頭部が失せたアサシンの亡骸を見下ろしていたローグハンターは、ついに耐えきれず膝をついた。

 疲労、痛痒、吐き気、頭痛──。原因はあげればきりがない。

 いや、それを纏めきれぬ程に疲弊し、ぜぇぜぇと喘ぎながら長筒を杖代わりに体を支え、とにかく呼吸を整えようと努めているのだ。

 これから来た道を戻り、仲間たちと合流し、悪魔たちを退け、出来ることなら勇者たちと合流して帰らなければならない。

 やることも多く、やれるかもわからない。だがやれる筈だと自分に言い聞かせた。

 不安を抱えたままでは治るものも治らない。気持ちだけは強く持っていなければならない。

 それで呼吸が落ち着けば良いのだが、疲労が溜まり続けていたからか頭が重く、視界も霞み始める。

 

「ッ!」

 

 加えて能力(アビリティ)超過駆動(オーヴァドライブ)の反動が今になって訪れたのか、鋭い頭痛まで始まってしまう。

 絶えず針で刺される痛みか、あるいは絶えず切り刻まれている痛みか、もはや形容しがたい激痛が彼の脳内を駆け巡っているのだ。

 脳が直接煮え湯をかけられたように熱を持ち、逃げ場をなくした熱で血管が切れたのか、鼻からは血が漏れ始めた。

 声にならない悲鳴をあげながら頭を抱え、長筒が手からこぼれ落ちる。

 長筒が床に転がる音が頭に響き、更に彼の頭痛を強める原因となってしまった。

 

「──ッ!!!」

 

 爪が食い込むほどに頭を押さえ、加減もなく掻きむしりながら低い唸り声をあげ、無様なまでに床を転げ回る。

 その度に鳴る彼の装備が床に擦れる音が更に彼への痛痒(ダメージ)となる事がわかると、彼は歯を食い縛って暴れまわろうとする体を意思だけで押さえ込む。

 三分程経った頃だろうか、ようやく痛みが治まった。

 彼からしてみれば数時間にも及ぶ拷問をされたような気分だが、所詮は彼の体感だ。実際には三分程度。

 

「ふぅっ……!ふぅっ……!ふぅ──……っ」

 

 いまだに残る微かな痛みに喘ぎつつ呼吸を整え、うつ伏せで倒れる自分の体を転がす。

 視界がぐるりと回り、床と並んでいた視線が天井を向くものに変わり、体を大の字にしてゆっくりと呼吸を整える。

 地下深くだが不思議と息苦しさはなく、むしろ空気は澄み切っていると言っても良い。

 真横に血の海がある事を一切気にも止めず、乱暴に口許を濡らす鼻血を拭うと、胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。

 血の臭いには慣れているし、元より鼻血が吹き出たせいで嗅覚は鉄臭さ以外に何も感じない程度に馬鹿になっている。血の臭いを気にするなど今更なことだ。

 痛みも治まり、呼吸もだいぶ落ち着きを取り戻しすと、彼は意味のない呻き声をあげながら上体を起こし、辺りに視線を配る。

 アサシンの死体とその脇に転がる長筒。僅かに距離を開けて座る自分。

 先程から何も変化はなく──あっても困るのだが──広がる闇の中にあるのは、かろうじて輪郭がわかる程度の柱のみ。

 アサシンが死んだからか浮かび上がっていた文字が消え、光源代わりの床の光も今は活動を止めたかのように静かだ。

 大きく肩を上下させる程度には息は荒いが、この程度なら動くには問題ない。

 ホッと息を吐いて気持ちを切り替え、「んぅっ!」と唸りながら立ち上がる。

 死んだのだから良いだろうとアサシンの死体から意識を外し、とにかくどこから登るかと思慮し、目印を探してタカの眼を発動した時だ。

 

『──』

 

 とても微かな、それこと聞き間違いだと断じても許されぬような、虫の羽音のような声が鼓膜を揺らしたのだ。

 ローグハンターは小さく目を見開きタカの眼を解除。弾かれるように背後に振り返る。

 そこに居たのはまさに美の女神だった。

 上等な錦糸の如く金色の髪。その奥に見え隠れたする宝石の如き輝きを放つ金色の瞳。

 染み一つない白い肌。それを覆い隠す純白のローブもまた、彼女に相応しい上等な──と表す事すら恐れ多い──ものだ。

 ローグハンターは目を見開いた体を固め、魂が抜けたように口が開いていた。

 喉を鳴らしても声にならず、額には汗が浮かび、手の震えが止まらない。

 それは本能と呼べるものだった。決して目の前の女には逆らうなと本能が叫び、彼の体を縛り付ける。

 かつて来たりし者の血が色濃いローグハンターだとしても、ヒトの血が流れている限りは彼女の挙動を眺めることした出来ないのだ。

 当の彼女は彼を気にも止めず、そしてローブが血に汚れる事も厭わずに膝をつき、アサシンを労うように倒れる彼の肩に手を置いた。

 

『──』

 

 また、ローグハンターでは聞き取れない声が発せられた。

 だが彼を動作同様に労った事は確かなようで、僅かに見える口許には笑みが浮かんでいた。

 そして名残惜しそうにアサシンから手を離すと、ゆらりと立ち上がる。

 血に汚れて赤く染まっていたローブも瞬きする間に純白の色を取り戻して、金色の双眸がローグハンターを射抜く。

 無意識の内に彼女と視線を合わせた瞬間だった。

 

「あ……か……っ」

 

 呼吸すらも忘れる程に彼女を魅入っていたローグハンターは、思い出したかのように呼吸を再開した。

 だが体は動かない。何かしらの術をかけられた訳ではない。本能が動く事を拒否しているのだ。

 ギルドの裏で出会った時は、かろうじて口を動かす事は出来た。あの時は幻影だったからだろう。だが今回は目の前に実体(データ)がある。

 形だけの張りぼてに口答え出来たとしても、目の前に肉を持ったものがいれば話は変わってくるのだろう。

 彼女は愉快そうに笑いながら、ぺたぺたと素足特有の足音をたてながら彼へと歩み寄る。

 遠目からではあまり気にはならなかったが、こうして近づいてみるとなるほど彼女は神なのだろう。

 ローグハンターでも見上げなければ顔が見えないほどに長身は、二、三メートルはあるだろうか。

 少なくともヒトのそれは優に越えている。顔立ちはヒトを凌駕する神の造形であり、彼女がヒトでないことは確かだ。

 どうにか離れようと体を動かそうと体を震わせるが、意思に反して腕も足も動いてはくれない。

 

『怖がるな』

 

 不意に顔を寄せた先駆者が彼の耳元で囁いた。

 その声が原因だろう。脳が痺れ、思考がとろけ、悪い酒を飲んだ後のように頭は痛むのに心地よく意識が微睡む。

 無意識の内に体から力が抜け、暴れようとしていた意思さえも屈服させられた。

 抵抗を止めた彼に『善い子だ』と慈愛に満ちた笑みを浮かべ、彼の頬を白い指で撫でる。

 撫でられた頬は熱を持ち、見事なまでの朱色に染まるのと、彼の表情が恍惚のものとなったのはほぼ同時。

 彼女は更に愛おしそうに彼の髪を撫でると、アサシンの一撃で割れかけた頭蓋と、自身の爪で掻き切った額の傷が癒えていく。

 まさに神の御業。慈悲深き地母神の奇跡が如くである。

 彼の負傷が癒えると、彼女は彼から離れて数歩後退り。

 そして彼を迎え入れるように両腕を広げ、優しげな笑みを浮かべた。

 

『──お前の愛は私だけのもの。私の愛はお前だけのもの。さあ、私に身を任せなさい』

 

 選択肢はない。彼女の想いに応じ、自分の本能に従うのみだ。

 故にローグハンターの足は動きだす。一歩一歩、幽鬼の──あるいは幼子の──ような足取りで、彼女の胸に飛び込まんと動き始めたのだ。

 

『──楽園(エデン)の再興の為、先駆者(我々)の復活の為、奴ら(・・)の監視から逃れる為に』

 

 少しずつ近づいてくるローグハンターに向け、彼女の独白は続く。

 

『──さあ、私の元に帰っておいで』

 

 長く帰らない最愛の息子を案じるように慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、けれどどこか急かすようにして彼へと告げる。

 ローグハンターは導かれるがまま、引きずるように一歩二歩と足を進め、ついに彼女の下へとたどり着く。

 

『おかえりなさい。愛しい愛しい私の末裔(坊や)

 

 かつて来たりし者は慈愛に満ちた笑みを深め、彼を迎え入れる為に腕を閉じようとした時だ。

 

 ──ローグハンターの左腕が閃いた。

 

『──ッ!?』

 

 それに気付いた時にはもう遅い。彼は彼女の懐に潜り込んでいる。

 そう、彼は彼女の誘いに乗ったのではない。彼女を殺せる間合いに入る為に、ようやく動くようになった足をひたすら動かしていたのだ。

 既にアサシンブレードの刃は飛び出している。それを相手の急所目掛けて振るうだけだ。

 その程度なら考えるまでもなく出来る。それもまた本能に刻まれた動作の一つだ。

 顎下から打ち上げるように迫る黒きまことの銀(ミスリル)を睨み付け、かつて来たりし者は小さな舌打ちを漏らす。

 彼女がそうしている間にも、無慈悲な刃は彼女の美しい喉を貫かんとしたが、その間際に異変が起こった。

 

 ──彼女を中心に、神鳴る雷が爆発したのだ。

 

 それはローグハンターやアサシンが振るうそれよりも『稲妻(ライトニング)』の魔術のそれよりも何段も強烈な、文字通り相手に致命傷を与える一撃だった。

 ローグハンターの体はもはや滑稽なまでに弾き飛ばされ、本日何度目かの床との接吻を果たした。

 低く唸りながら彼はかつて来たりし者を睨み付け、その表情には先程までの惚けた様子はない。

 かつて来たりし者は憤怒に表情を歪めながら、彼の変化をつぶさに考える。

 途中までは良かった。良かった筈だと確認し、どこで間違えたと自問する。

 彼の表情には直前まで変化はなかった。刃を振るう瞬間になって、彼の殺意が膨れ上がったのだ。

『ふむ』と興味深そうに息を吐くと、彼女は彼の情報を整理した。

 

 ──銀等級冒険者。斥候。この世界への愛着は強い。

 

 ここまでは問題ない。今までの継承者たちも似たようなものだ。

 

 ──妹、恋人がおり、戦友を含めた友人も多い。

 

 そう、妹と恋人がいるのだ。友人に関しては問題ないが、そこが問題だった。

 

『──私の子供には家族も恋人も不要なのに』

 

『──楽に継げるように忘れさせてあげたのに』

 

『──それでも離さなかったのね』

 

 感情を排した抑揚のない声で淡々と言葉を紡ぐ。

 それは事実を確認するようであり、同時に子供を叱る親の口調のようにも思える。

 

「うぅおおおおおおあっ!」

 

 対するローグハンターは理性の欠片もない獣の咆哮をあげなら両手首のアサシンブレードを抜刀、かつて来たりし者を目指して走り出す。

 先ほどの雷の痛痒はもはや洒落にならないものだ。言ってしまえば、こうして立ち上がり走り出せた事が不思議なほど。

 それでも彼は走る。口の端から血を垂らしながら、悲鳴をあげる骨を無視しながら、走って、走って、ひたすら走る。

 消えかけの意識を気合いだけで保ち、間合いを確認すると共に前へと飛んだ。

 元より正面から挑まなければならないのだ。不意討ちも何もない一発勝負。

 彼の持てる全力で挑む、文字通り神を暗殺するための一手。

 滞空時間は十秒とない、気がつけば着地してしまうほどのものだが、それで良い、

 

 ──全体重をかけてぶつかることで押し倒し、その隙に首を掻き切る!

 

 まだ若い──幼いと言うべきか──頃、それこそ師と共にアサシンを追いかけていた頃に多用した暗殺法。

 自分より体格の良い──あるいは体重の重い──相手を確実に倒すための行動(アクション)

 だが忘れてはならない。相手はかつて来たりし者、先駆者とも呼ばれる、ローグハンターの故郷(アサシンクリードの世界)において人類を産み出した者たちだ。

 彼らからすれば人間がどう動けるのか、どこまで耐えられるのか、そしてどう壊すのかも熟知している。

 かつて来たりし者は飛びかかる彼へと向けて冷ややかな目を向けると、彼の体が当たる前にその首根っこに掴みかかった。

 そもそも体の規格が違うのだ。ローグハンターがいくら手を伸ばすそうが、彼女の間合いの方が広い。それはさながら剣と槍ほどの差だ。

 首を掴まれたローグハンターは「がっ!」と息を詰まらせ、彼の呼吸が回復するよりも早く後頭部から床に叩きつけられる。

 第一文明の手により作られたそれも、作り手自ら力を加えれば容易く砕けるのだろうか。

 叩きつけられたローグハンターを中心に床が潰れ、周囲に蜘蛛の巣状にひびが広がっていった。

 

「──!」

 

 既に満身創痍だったローグハンターがそれに耐えきれる訳もないのだが、彼の体に刻まれた技量が彼を助け出した。

 何て事はない。無意識の内に受け身を取っただけの事だ。

 それでも全身を殴り付ける鈍痛からは逃げられず、歯を食い縛ってそれに耐えながら、彼はかつて来たりし者を金色の双眸を睨み付けた。

 彼女は彼の首にやっていた手を離すことなく、ぐっと彼へと顔を寄せた。

 首を掴む手に力を入れ、ローグハンターの腕が意識から外れて彼女を押し返さんとするが、素の膂力が違うのか、あるいは抗うなという本能が消えていないのか、腕に力が入らない。

 互いの息がかかる程に近づいた二人の双眸が、一切揺れる事なく睨みあう。

 かつて来たりし者は抗おうとする彼の姿を嗤うと、ふと思い付いたかのように言う。

 

『ここまで来たのなら、別に壊してしまっても良いわよね』

 

 ふふと不気味に笑い、空いている手で彼の顔面を鷲掴む。

 米神に指が食い込むほどの力で掴まれ、痛みから逃れようとローグハンターの体が暴れるが、彼女の体は剥がせない。

 彼は全力で暴れているつもりでも、体は満身創痍で言うことを聞かず、何より抗おうとする意思すら叩き伏せられかけているのだ。

 じたばたと暴れる彼を嘲笑うように口の端を歪めながら、かつて来たりし者は懐から三角の物体を取り出しながら言う。

 

『ここまで来られなかった憐れな候補者(アサシン)たちの人生。元の世界から()()()()()()血族(アサシン)たちの人生。その全てと』

 

 ──一度、体験(シンクロ)してみなさい。

 

 かつて来たりし者は嘲笑う。愛する家族の、愛する友の、愛する同胞たちの仇──人間を見下ろしながら。

 

 

 

 

 

「こん……のっ!」

 

 悪魔の血で銀色の髪を黒く汚しながら、銀髪武闘家は気力を振り絞って拳を振るう。

 ぐちゃりと潰れる音が出れば、目の前の悪魔の頭蓋はへしゃげている。

 頭の潰れた悪魔の死体を倒しながら、あれからどれ程の時間が経った。どれ程の悪魔を打ち倒したと自問する。

 そんな問いの答えも、いまだに湧き続ける悪魔たちへの対処で保留となった。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐きながらの回し蹴りはその鋭さを失わず、悪魔の体を両断し、続けて放ったロープダートが悪魔の胴に深々と突き刺さると同時に引き戻す。

 捕縛用のフックは悪魔の臓物を絡ませながら腹を食い破り、辺り一面にぶちまけながら絶命させた。

 血と臓物にまみれたロープダートを投げ捨て、フッと短く息を吐いて気持ちを切り替える。

 

「もう!骨の矢なんて最悪よ!」

 

 悪魔が放った矢を掴み取った妖精弓手が、悪態をつきながら大弓につがえて放つ。

 弦の弾ける音が鳴れば、ついで響くは悪魔の断末魔だ。

 

「いやさ、これ程までの功徳を積めるとは!!」

 

 蜥蜴僧侶は『竜牙刀』を振り回し、尾を振り回し、爪を振るい、牙を突き立てながら、ご満悦と言わんばかりに笑って見せた。

 戦いこそが楽しみである彼からすれば、無限に湧き続ける悪魔もまた違って見えるのだろう。

 

「鱗のが居て良かったわい!」

 

 鉱人道士が『石弾(ストーンブラスト)』を悪魔の一団に放ちながら言うと、蜥蜴僧侶は「まだまだこれからですぞ!」と何とも頼もしげな返事。

 

「娘っ子どもは大丈夫かいな!?」

 

「わたくしは大丈夫ですわ!」

 

 振り向かずして放たれた鉱人道士の心配の声に応じたのは、後方で女神官を守る令嬢剣士だ。

 悪魔の返り血で蜂蜜色の髪を黒く汚し、額や頬に張り付けたまま気丈に笑ってみせる。

 軽銀の短刀と、工房から買い取った業物の突剣といういつもとは違う二刀流ではあるが、彼女の動きには迷いと呼べるものはない。

 突き、突き、払うと教本通りの動きを見せたかと思えば、次は鍛えられた身体能力から放たれる、相手を深く傷つける為だけの粗雑(クルード)な連撃。

 突剣で切り開いた傷口を短剣で更に抉り、ただの痛痒を致命傷へと転じさせる。

 ローグハンターや銀髪武闘家のような一撃必殺はまだ無理でも、二撃決殺ならどうにか出来る。

 それこそが今の彼女の強さ。師の見よう見まねではない、まだ荒削りではあるが彼女独自の戦い方(スタイル)だった。

 彼女が次々と殺害数(キル・カウント)を重ねていく中で、悪魔の一団の方から突然パリン!と何かが割れる音が漏れた。

 同時に悪魔たちに降りかかったのは、黒く粘つく謎の液体。

 その液体の呼び名は多く、有名な所で言えばメディアの油──燃える水(ガソリン)だ。

 それを放ったのは片手で投石紐を構えた女魔術師だろう。

 彼女は着弾を確認したと同時に杖を掲げ、真に力ある言葉を紡ぐ。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》!」

 

 詠唱と共に杖にはめ込まれた柘榴石に超自然の炎が灯り、それは意志を持つかのように一直線に悪魔たちへの飛翔。

 超自然のものとはいえ炎は炎。燃える水に点火するにはむしろ贅沢にすら思えるだろう。

火矢(ファイアボルト)』は寸分違わず悪魔の胴へと突き刺さり点火。それは燃える水に次々と燃え移り、悪魔の一団を瞬く間に火だるまへと変える。

 詠唱後の疲労に喘ぎながら、それでと尚飛びかかってきた悪魔を杖で殴り付けて撃墜。石突きから飛び出した刃を眼窩に捩じ込んで脳を掻き回す。

 生物はそれだけ死ぬのは常識だが、それを実行出来るのかはまた別問題。

 彼女が一切の淀みなくそれを出来るのは、一重に彼女の努力故だ。

 魔術師だからと魔術のみに邁進するのではなく、ローグハンターに、時には槍使いに師事し、簡単な棒術なら修めたつもりではある。

 ある意味自分が行き着く先は、魔術師の頂きよりも魔法戦士かもしれないなと思わず苦笑。

 まあ、それはそれで良い。出来ることが増えればその分仲間を守ることが出来る。

 結果的に今の技量でも女神官を守れているのだ。

 その女神官は肩を上下させて次の奇跡に備えて息を整えつつ、その視線は戦場を──正確には前線で暴れまわるゴブリンスレイヤーへと向けられていた。

 彼の両手に握られているのは、どちらも悪魔たちが使っていた冒涜的な外見の武器だ。

 鉈には何のかもわからない血がこびりつき、槍には何のかもわからない骨が絡み付き、それは絶えず脈動しているようにも見える。

 それを振るうゴブリンスレイヤーの様子も鬼気迫るもの。

 兜の奥に隠された瞳には赤い炎が灯り、彼が動く度に尾を引いているようにさえ見える。

 正確にはその炎すら錯覚なのだろうが、そう見えるまでにゴブリンスレイヤーの動きが激しいのだ。

 獣のような唸り声をあげながら次々と悪魔を屠り、武器を奪っては更に次へと躍りかかる。

 援護の為と『竜牙兵』がついてくれてはいるが、果たして大丈夫なのだろうか。

 いや、大丈夫な訳がない。悪魔が振るう冒涜的な武器を、一時の使用ならともかく長時間使い続けているのだ。肉体的な負担と精神的な負担が、凄まじい事になっている筈だ。

 それでと彼はひたすらに足掻き続ける。彼の咆哮は怒号のようだがどこか悲鳴のようでいて、怨嗟に混ざって後悔の色があるように思える。

 

「ゴブリンスレイヤーさん……」

 

 ぎゅっと指が白くなるまで錫杖を握りながら、無意識の内に彼のことを呼ぶ。

 不安になった時、危機に陥った時、いつも彼の名を呼んでいたのは、酷く情けないがそれは彼を信頼していることと同じで。

 けれど今回は返事がない。あるのは悲痛な叫びのみだ。

 

「ッ!」

 

 そんな悪魔たちとの攻防の中で、何かを感じ取ったかのように銀髪武闘家が口を開ける闇へと目を向けた。

 とても嫌な予感がするのだ。それもギルドで彼を見送った時の比ではない。

 ゴキッと悪魔の首を小枝のように折りながら、彼女は「大丈夫だよね……?」と無意識の内に声が漏れた。

 やはり彼を一人にするのは駄目だったかと後悔するが、今は一人として欠けるわけにはいかない。一人でも欠ければ、すぐに押しきられてしまう。

「ああ、もう……っ!」と苛立ちをぶつけるように悪魔の顔面を殴り砕き、再び闇穴の奥へと目を向けた。

 

「武闘家殿!」

 

 迷う彼女に声をかけたのは蜥蜴僧侶だ。

『竜牙刀』と尾で悪魔を打ち倒しつつ、彼は何も告げずに頷いた。

 彼に続くように他の冒険者たちも一様に頷き、ゴブリンスレイヤーが「行けっ……!」と掠れた咆哮でその背を押した。

 そこまで言われてしまえば、言葉は不要だ。

「ごめん!」と勢いよく頭を下げて謝ると「行ってくる!」と続けて穴へと身を投げた。

 ローグハンターのそれとは比べるまでもないただの飛び降りだが、そこに込められた想いは彼のものと染色ない。

 もう待っているのはやめだ。やはり彼が隣にいなけれな何も始まらない。始められない。

 

「──今行くから、待っててね!」

 

 闇の中に溶けていく彼女の声は、吹き付ける風に揉まれて消えていく。

 その声は誰にも届くことはなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 あぁとかうぅとか、何の意味もなさない声が足元から聞こえる。

 足元に転がるローグハンターに表情こそないが、きっと苦しんでいるのだろう。体を度々痙攣させながら、目を見開いて泡を吹いている。

 彼の苦悶の声を聞きながらご満悦の表情を浮かべるかつて来たりし者(復讐者)は、足の先で彼の脇腹を小突いた。

 否、そんな生易しいものではない。思い切り蹴りつけたのだ。

 足先が肉にめり込む感覚を堪能しながら、それに対して反応を示さないローグハンターを冷たく見下ろす。

 きっと彼は何度も死んでは生き返り、また同じ数だけ死んでいるのだろう。

 そう思うと不思議と気分は軽く、足取りもまた軽くなる。

 遺伝子に刻まれた記憶。欠片を用いて流し込んだ記憶。そして、ここにたどり着けずに死んでいった候補者(間抜け)たちの記憶。

 その全てをごちゃ混ぜにして、一挙にそれを流し込んだのだ。

 彼は既に壊れただろうし、自分以外では治すことも出来ないだろう。

 

 ──治す気はないけれどね。

 

 彼の生殺与奪の権利は自分にあり、肉体を生かしはすれど精神(こころ)は殺す。

 そうすれば彼は完璧な駒となり、この世界を奪う尖兵と、こちらの鬼札となってくれるのだ。

 

『ああ、楽しみ。本当に楽しみよ』

 

 かつて来たりし者(復讐者)は嘲笑う。

 彼女にとって全てが道具。自分に向けられた愛も、自分が向ける愛も、目の前に転がる人間(仇敵)も、目的の為の道具にならない。

 

『──私こそがエデンの守護者(ガブリエル)。さあ、私の為に働きなさい。私の為に生きなさい』

 

 ──卑し(かわい)卑し(かわい)い、私の末裔(奴隷)

 

 

 

 

 




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Memory15 継ぎ接ぎだらけの裏切り者(えいゆう)

「──彼を放して!」

 

 静寂に包まれていた遺跡の最奥部に、凛とした女性の声が響いた。

 無意味なうめき声をあげるローグハンターを、それこそ家畜の豚を見るような目で見下ろしていたかつて来たりし者は気だるそうに顔をあげ、乱入者を睨み付ける。

 そこにいたのは美しい銀色の髪を揺らす女性だった。肩にかからない程度の短い髪だが、艶は良いのか薄暗がりの中でも仄かに輝いているようにさえ見える。

 呼吸が乱れているからか豊満な胸が不規則に揺れ、額には汗が滲んだ為か髪が額に張り付いているが、そこには妙な色気があった。

 

 ──武骨な脚甲や鎧を纏っていなければの話だが。

 

 かつて来たりし者は彼女の登場に思慮するように顎に手をやるお、自らの美貌に嘲りの笑みを張り付けた。

 

『放してと言ったのかしら?別に私は触れてはいないわよ?』

 

 そう言いながら足元に転がるローグハンターを手で示し、『まあ、何もしていない訳でもないけれど!』と足の先で彼の脇腹を蹴りつける。

 彼の口から苦悶の声が漏れると、銀髪の女性──銀髪武闘家は憤怒の表情を浮かべ、拳を握りながら歯を食い縛る。

 今の彼の状態は、もはや知識不要でも重症だとわかる。そして彼をそうさせたのはあの女であろう事も。

 彼女は一度拳を開いて全身の力を抜くと、腰に下げた黒鷲の剣の柄に手を触れて思い切り深呼吸を一つ。

 上に落ちていた物を拾ってきたのだが、こうして触るだけでも気分が落ち着くのは何とも不思議だ。

 乱れた呼吸を落ち着かせ、改めてかつて来たりし者を睨み付けた。

 

「あなたは誰」

 

 視線のみで人を殺せるのなら、今の彼女なら二桁を余裕で殺せるだろう。

 それほどまでの殺意が込められた視線を向けられて尚、かつて来たりし者は余裕を崩さない。

 

『あなたが知った所でどうにもならないわ。強いて言えば、あなた達で言う無名神と大体同格かしら』

 

 上には上がいるのよ。彼女は忌々しそうに付け加えると、こちらの番と言わんばかりにゆっくりと彼女に手を向けた。

 

『そういうあなたは誰なのかしら?』

 

「彼の恋人よ」

 

 彼女の問いかけに銀髪武闘家は即答すると、答えられたかつて来たりし者は可笑しそうに笑みを浮かべた。

 下らない事を言われたように、相手を嘲り煽るような笑みだ。

 

『ふふふっ……!恋人?何を言っているのよ』

 

 漏れる笑みを噛み殺し、かつて来たりし者は彼を示しながら彼女に告げた。

 

『この子はあなたの事なんて欠片も覚えていないのよ?それなのに恋人だなんて、笑わせないでくれる?』

 

 声を振るわせ、心底可笑しい冗談を言われたかのように笑う彼女に、銀髪武闘家は言葉もなく睨み付けた。

 ふつふつと湧きあがるこの怒りは、果たしてどのタイミングでぶつけるべきか。

『まあ良いわ』とかつて来たりし者は笑みを止めると、目を細めて彼女を見つめた。

 同性であろうと魅力するその美貌を向けられてなお、銀髪武闘家は一切狼狽えた様子はない。

 彼女が愛情を向け、同じように向けてくれるのは彼だけだ。

 その彼は現在倒れているわけだが、どう助け出すべきか。

 じりじりと摺り足で間合いを確かめながら、相手の出方を窺う。

 あのローグハンターをあそこまで追い詰めたのだ。きっと何かしら隠し種があるに違いない。

 彼女が警戒している事を知りつつも、かつて来たりし者は彼女に告げた。

 

『あなたが彼を惑わせた。あなたが彼を変えてしまった。あなたが、彼を私の下から遠ざけた』

 

 呪詛のようにぼそぼそと呟きながら、じっと銀髪武闘家を見続ける。

 どう動こうと一挙動に注意を向け、視線を追い、足の向きを確かめ、僅かな指の動きさえにも気を配る。

 人間には必ず癖がある。本人に自覚がなくとも、動く前に何かしらの動きがあるのだ。

 人類を産み出したかつて来たりし者だからこそ、その癖を見つけるのは恐ろしい程に早く、加えて正確なものだ。

 見方によっては相手の性格から性的趣向まで、年齢などの肉体的なものだけでなく、その内側さえも見通すだろう。

 かつて来たりし者は『なるほどね』と口の端で三日月を描くと『だいたいわかったわ』と頷き一つ。

 ふふふと氷のように冷たい笑みを浮かべ、すっと右手を挙げた。

 

「ッ!」

 

 銀髪武闘家は何か来るとすぐに察知し、瞬時に身構える。

 髪と同様の銀色の瞳を忙しく動かしながら相手の動きを見極めんとするが、相手は今まで相手してきたどのならず者(ローグ)とは一線を画す──そもそも次元が違う──者だ。

 

『さあ、躍り狂いなさい』

 

 挙げられた右手が下ろされた瞬間、銀髪武闘家の足元に変化が起こる。

 何もなかった床に割れ目が入り、そこから光が溢れだしたのだ。

 

「ッ!」

 

 それに反応出来たのは、一重に彼女の直感が働いたからに他ならない。

 考える前に体を動かし、その場を飛び退く。

 溢れた光が天を貫く柱となるのはすぐの事。不運にも柱を掠めた脚甲の一部が綺麗さっぱり消え失せ、彼女の足にも僅かに届いたのか肉の焦げた臭いが鼻孔を刺激した。

 文字通り焼かれた痛みを歯を食い縛る事で踏みとどまり、踏ん張りを効かせて次の行動に備える。

 天井を貫いた柱は更に広がった床の割れ目にあわせて形を変え、数秒足らずで部屋を分断する壁となった。

 

 ──割れ目に合わせて光がくる。当たったら死ぬ!

 

 銀髪武闘家は鋭い視線を広間の各所に配り、現在の床の、ついでに柱の割れ目を頭に叩き込む。

 そこから攻撃が来るのだ。それさえわかっていればどうにかなる。

 

 ──いや、どうにかする!

 

 覚悟は決めた。やる気も十分。ちょっと疲れているけどやれる。

 軽業じみた動き(フリーラン)で次々と放たれる光の柱──あるいは壁を避け、食らっても掠める程度に抑え込む。

 

 ──『分解(ディスインテグレート)』か何か。でも当たらなければどうにかなる!

 

 呼吸を鋭く速く繰り返し、全身に酸素を行き渡らせる為か心臓の鼓動が普段よりも速い。

 その分体の動きも更に速いのだが、それでも光の壁の猛攻を掻い潜れているかは微妙な所。

 光が掠める度にそこから煙を噴き、時折視界を塞いでくるが、それでも彼女は足掻き続ける。

 諦めずに足掻き続けろと、最期の瞬間まで食らいつけと、それを教えてくれたのは彼だ。

 きっと彼も抗っている筈だ。諦めてはいない筈だと、自分に言い聞かせる。

 それが活力になる。それが希望になる。それがあればまだ戦える。

 

「──っんの!」

 

 迫り来る壁の隙間を抜け、時には飛び越え、時には飛び込み、直撃だけは免れるようにひた走る。

 乱れる呼吸を気合いで整え、光が掠める度に脱力する体に鞭を打ち、歯を食い縛って次の行動(アクション)へ。

 足掻いて足掻いて、足掻き続けろ。

 そうすれば、救える命があるかもしれない。

 そうすれば、届かない手が届くかもしれない。

 

「絶対に諦めないっ!」

 

 体のあちこちから血を流しながら、煙を噴きながら、それでも彼女の瞳から光は消えない。希望が潰える事はない。

 

『本当に愚かで面白いわ』

 

 目の前で行われる死の舞踏を、かつて来たりし者はその一言で切り捨てた。

 所詮は神の用意した駒。遊びの玩具でしかないというのに、それでも彼女は足掻く。神々の笑いの種となっているというのに、みっともなく抗い続ける。

 

『本当に下らない』

 

 抗わずに死を受け入れてしまえば、足掻かずに足を止めてしまえば何も感じずに楽だと言うのに。

 

『どうして人間は抗うのかしらね』

 

 かつて来たりし者は嘲笑う。

 さながらサーカスの猿回しを見るかのように、彼女はただただ楽しそうに嘲笑う。

 

 

 

 

 

 

 ──夢を見た。

 

 否、これは夢ではない。これは誰かの記憶。その欠片。

 夢ならばきっと──。

 

『がっ!ああああああああああああっ!!!!』

 

 自分ではない誰かの声が、自分から発せられた。

 夢ならきっとそこで終わるのだろうが、きっとこれは夢ではない。

 体は動かず、目さえも動かせないが、それだけは確かに言えるのだ。

 

 ──夢ならきっと、痛い筈がないのだ。

 

 自分の体ではない。ない筈なのに、体を切り刻まれた痛みが、内臓を引きずり出された痛みが、苦しみが、恐怖が確かに刻まれる。

 それが終われば──死ねばと言うのが正確か──また次の記憶へと飛ぶ。

 そこでまた死ねば、また次の記憶へ。それが終わればまた次、また次へと。記憶の荒波に終わりは見えない。

 時には騎士だったのか耐え難い拷問の果てに、時には女性だったのかゴブリンによる凌辱の果てに、時にはドラゴンの吐息に焼かれ、時には形容しがたい魔物に食われ、時には見知らぬ誰かに刺され、時には言うことも憚れる死に方を──。

 死んでは死ぬを繰り返し、また死んでは死ぬを繰り返す。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ──―………。

 死が訪れる度に何かが欠け、本来あるべき元の形を見失う。

 痛みが、苦しみが、恐怖が、憎悪が、憤怒が、殺意が、与えられる何もかもが自分を塗りつぶし、塗料をぐちゃぐちゃに塗りたくられた壁のように、元の色が消えていく。

 ゴブリンに殺された。野盗に殺された。ドラゴンに殺された。アサシンに殺された。恋人に殺された。恋人を殺した。家族を殺された。家族を殺した。友を殺した。友に殺された。

 瞬きする度に死が訪れて、自分が何かを曖昧にしていく。

 内臓をこねくり回される痛みと違和感にも慣れて、体を貫かれる痛みにも慣れて、体を食い千切られる恐怖にも慣れて、体を貫く熱にも慣れて、何もかもに慣れて。

 死が訪れるまでの過程(じんせい)でさえも飽きがきて、また訪れる死にも飽きがきて。

 

 ──自分がどの生き方をしたのかも、興味を失い始めて。

 

 

 

 

 

「はぁ……!はぁ……!はぁ……っ!」

 

 焼き爛れた左腕を押さえる銀髪武闘家は、痛みに目を剥きながら荒々しい呼吸を繰り返す。

 黒鷲の剣を杖代わりに──後で彼に謝らなければ──多大な疲労が蓄積した状態で、彼女が初見の罠を掻い潜り続けるのには限界がある。

 最初こそ避けられてはいたものの、いつしか掠める回数が増え、ついには直撃してしまった。

 それでも彼女が生きているのは、単純に優れた体力(タフネス)によるものだろう。そこは伊達に銀等級冒険者ではないという事だ。

 まともな人間なら当たった時点で即死は免れず、遺体すら残さずに灰となっていただろう。

 

『どうした、もう限界か?』

 

 片膝をつく彼女に向けて、飽きが来たように欠伸を噛み殺したかつて来たりし者が問いかけた。

 銀髪武闘家は「まだ……まだ……っ」と強がるが、言葉に反して体は動かない。動いてくれない。

 意志は折れていない。気力もまだある。だが、体が動かない。

 

「この……っ。この!」

 

 力が入らない自分の足を殴りつけ、無理矢理にでも喝を入れる。

 歯茎から血が滲むほど歯を食い縛り、理性の欠片もない唸り声を上げて立ち上がる。

 ほら立てたではないかと数秒前の自分を笑い、拳を握って構えを取った。

 左腕に力が入らない。だらりと下がったままだが、片膝と足が動くのならまだやりようはあるのだ。

 改めて深呼吸を一度。荒れていた呼吸を落ち着かせ、同時に荒れていた思考も落ち着かせる。

 光は床と壁、そして天井からも来る。その位置を全て把握し、どう来るのかを読み、体を動かす。

 言うだけなら簡単なのだ。そう、言うだけなら。

 一撃なら耐えられる事がわかった今、取るべき選択肢は増えた。

 避ける一択だったが、当たる覚悟で飛び込めば一撃を入れる程度ならどうにかなるだろうか。

 

 ──痛いのは怖いし、嫌だけど。

 

 ちらりと、倒れるローグハンターに目を向ける。

 今まで散々無理をしてきた彼に、恩を返すのなら今しかない。

 そんな事を言えば彼は「何を言い出す」と驚くに決まっているけれど、彼には返しきれない恩があるのだ。

 初めての冒険の時に命を救われた。

 何も知らない自分に様々な事を教えてくれた。

 隣にいることを許してくれた。

 あげ始めればきりがないが、一番大きな恩は──、

 

 ──何もない自分の恋人になってくれた。

 

 はじめのうちは冒険者として彼の強さに憧れた。

 その内その想いが温かいものに変わって、いつしか抑えられなくなって。

 彼の見せてくれる笑顔が好きで、彼の見せてくれる寝顔が好きで、時々見せる不器用な所が好きで。

 そんな彼が自分を守る為に無茶をするように、たまには自分も無茶をしたい。

 だからこそ彼女は立つ。立ち続ける。

 

『──愚かね』

 

 そんな彼女に冷や水を浴びせるように、氷のような声音で言葉が投げられた。

 言葉を発したのはかつて来たりし者。彼女は片手に金色に輝く聖剣──エデンの剣を持ち、ゆらりと優雅に銀髪武闘家へと歩み寄る。

 肌に感じる剣の力を認め、銀髪武闘家は目を細めた。

 あの剣はローグハンターが振るっていたものなのだ。それを何故彼女が持っているのかは不明だが──。

 無意識の内に、彼女の足が半歩下がった。

 

「──!」

 

『ふふ。そうよ、怖いわよね』

 

 本来の持ち主たる彼女の手に収まったからか、エデンの剣から放たれる力はもはや別次元だ。

 漏れ出ている雷だけで床がひび割れ、まだ距離があるというのに足の震えが止まらない。

 本能が告げているのだ。勝てない、逃げろと。それを彼を助けなければという理性が止め、体がどちらに従うべきかを迷っているのだろう。

 心臓が警鐘代わりにばくばくと鳴り続け、かつて来たりし者が一歩近づく度にそれは更に速くなる。

 

『あなたの首を転がしておけば、彼の心も折れるわよね?いい加減にしてほしいのよ。愛に何の意味があるの?想いに何の意味があるの?所詮は獣同士の醜い情欲じゃない。彼女と一緒にいたい。彼と一緒にいたい。たかが数十年なのに添い遂げたい?ふざけないで』

 

 恐れる彼女を煽るように、かつて来たりし者は捲し立てる。

 無造作にエデンの剣を左右に振れば、その先にあった柱が無残に砕け、残骸だけを残すのみだ。

 当たれば死ぬ。避けようにも体が動かない。

 

『私は何万年とここにいた。居たくもない人間とたった二人でね。この世界を奪い、奴等の監視から逃れる避難所(ヘイブン)とする為に。その為だけに私はここにいて、彼もここに来た。あなたは邪魔でしかないのよ』

 

 怯える銀髪武闘家にそう告げると、かつて来たりし者は浮かべていた表情を消して彼女を睨む。

 無表情で睨まれるとはそれなりに堪えるものがあるのだが、銀髪武闘家は腰が引けながらも彼女を睨む。

 ここで逃げたらここまで何のために来たのかわからなくなる。仲間たちが命をかけた意味が失われてしまう。

 

『けど、我慢は今日まで。これで何もかもが上手くいくわ』

 

 いつの間にか目の前に仁王立っていたかつて来たりし者が、怯える彼女を見下ろしながら告げた。

 振り上げられたエデンの剣に力がみなぎり、刀身が半ば雷と成り果てる。

 

『おやすみなさい、邪魔者。私の夢のための礎となりなさい』

 

 かつて来たりし者は杭を打つように雷を振り下ろす。

 雷とは神鳴りだ。常人では決して抗えず、当たれば死以外の結果は訪れない。

 出される骰の目はいつも無慈悲で、無情で、残酷だ。

 

 

 

 

 

 ──夢を見て、夢を見て、夢を見た。

 

 何度も死んではまた死んで、気がつけばまた死んで。

 死ぬのにも慣れて、痛みが消えて、恐怖も消えて、憎悪さえ消えて。どこか諦めにも似た思いが脳裏を過ってまた死んで。

 溢れた臓物の温かさに優しさを覚えたり、溢れた涙に温もりを求めたり、消えゆく体温に何も感じなくなったり。

 致命的な何かが欠けて、それでも死に続けて。

 その内死ぬことを受け入れて、死に何も感じなくなって、終いにはどうやって死ぬのかと興味が湧いて、またすぐに飽きて。

 死んで、死んで、また死んで。

 死に続けた先にあるのは何もなく、また別の死があるだけで。

 

『──あなたのお仕事は何ですか?』

 

 不意に、どこか懐かしい女性の声が鼓膜に届いた。

 もちろん声の主は目の前の女性だろう。金色の長い髪をうなじの当たりで一纏めにし、その整った顔は仄かに日に焼けている。

 着ている服は何か店の制服のように思えるし、外の仕事が多いのだろうか。

 ニコニコと楽しそうに笑う女性に、自分は少々困ったように笑うと頬を掻き、『学者、と言えば良いのか……』と曖昧な返事。

 女性は『それじゃあ先生ですね』とぽんと手を叩くと、また楽しそうに笑った。

 その笑顔には見覚えがあって、どこか懐かしくて切なくて。

 勇気を振り絞って笑う女性に『あの』と声をかけ、『今度……一緒にお茶でも、いかがですか?』と恐る恐ると声を発した。

 女性は一瞬驚いた顔をすると、またすぐに笑顔を浮かべた。

 

『その前に、お花を買って行きません?』

 

 差し出されたのは百合の花。花言葉は「純粋」とか「無垢」だとかだが、なぜ百合なのか。

 あるいは今の自分に向けたある種の皮肉か。

『え、あぁ……』と困り顔でそれを受け取りながら、『えと』と言葉を詰まらせる。

 

『買い……ます……』

 

 照れ臭そうに笑いながらそれを受け取り、目を泳がせる。相手の目を見れない。相手の顔が見れない。

 それでもちらちらと見える相手の顔にはただただ楽しそうに笑顔が浮かんでいて、『ありがとうございます』と丁寧に頭を下げた。

 何てことのない、男が遠回しに告白紛いの事をしただけの事。

 それを女性が知ってか知らずか、受けたのかあるいははぐらかそうとしたのか。

 何度も見てきた自分にとっては見飽きたと言っても過言ではない、まだ恋人未満の関係の男女といった所か。

 なのに、どうして。

 

 ──こんなに胸が温かいのか。

 

 場面が切り替わる。どこかの室内、上体を起こしてベッドに寝転がる女性が、またニコニコと笑いながらこちらに目を向けている。

『名前どうしよっか』と問われると、自分が腕に抱いている赤子に目を向けた。

 まだ目も開かず、言葉も発する事も出来ず、歩くことも出来ない赤ん坊。

 割れ物を扱うように丁寧にその頬に触れながら、ぷにぷにとその感覚を楽しむ。

『名前……』と女性の言葉をおうむ返しすると、『一つ思い付いたものがある』と少々遠慮気味に言葉を続けた。

 

『そうなの?参考程度にお願いします』

 

『──ジブニールはどうだろうか』

 

 その名前には聞き覚えがあった。まあ他の人生でも何人かいた程度だが、その声でその名を呼ばれると不思議と落ち着くのだ。

『その心は』と女性が問うと、彼は花瓶に刺された百合の花に目を向けた。

 

『私たちを繋いでくれた百合を象徴する者。加えて私の尊敬する人の──祖父の名前から』

 

『ふーん。ジブニールかぁ』

 

 言われた女性は顎に手をやって僅かに考えると、『良いかもね』と頷いた。

 

『その子の──私たちの子供の名前はジブニールにしましょう!』

 

 女性は楽しそうに笑うとそう告げて、手を伸ばして赤ん坊の頬をつついた。

 赤ん坊は擽ったそうにうーうーと声を漏らすと、僅かに笑みを浮かべたように見えた。

 その手の温もりは、とても優しく温かいものだった。

 場面が切り替わる。薄暗闇に包まれた室内、転がる死体と血の海は、地獄さながらの様相だ。

 血の海の中央に倒れる女性を抱き起こし、『逝くな、逝かないでくれ!』と叫ぶ。

 失われていく体温と弱い呼吸。彼女の命は短いだろう。

 

『あの、子は……?』

 

 最後の力を振り絞った声は、子供を心配する親のそれだ。

『大丈夫、無事だ』と教えれば、彼女は『良かった』と息を吐く。

 

『お願い……ね』

 

 彼女は何をと問い返す前に事切れたのか、ぐったりと体を弛緩させる。

『ああ。ああ……!』と遅すぎる返事を返し、部屋の片隅へと目を向け、そちらに歩み寄る。

 そこには返り血か自分の血かで体を真っ赤にさせた男の子が頭を抱えて座り込んでいた。その目には恐怖のみが浮かび、その対象には自分さえも含まれているのだろう。

 目から涙を溢れさせながら震える小さな体を抱き寄せて、『ごめんな、ごめんな』と謝り続ける。

 この時の父の温もりと鉄臭い血の臭いは、今もなお残り続けている。

 場面が切り替わる。どこかの病室だろう。ベッドに寝転びながら目の前の少年の頭を撫でる。

 

『結局私は、あいつの願いを叶えてやれなかった……っ!』

 

 強い後悔がある。強い無念がある。強い罪悪感がある。

 

『お前は私みたいになるな。お前は生きたいように生きろ』

 

 だからこそ、最期までどこか説教口調になってしまった。

 

 ──いいや、この後に言われる言葉を知っている。自分が言うのではなく、言われた側なのだから当然だ。

 

『もし愛する人が見つかったのなら、お前は命を懸けて守れ。私は出来なかったが、必ずだ』

 

 父親からの最後の教えに、少年はこくりと頷いた。

 その為の技を教えてくれた。その為の覚悟を教えてくれた。その為の信条(クリード)を教えてくれた。

 少年の答えに満足そうに頷いて、途端に襲いくる眠気に任せてベッドの上で息を吐いた。

 それが最期だ。ぎゅっと握った父の最期の温もりと、途端に感じるようになった冷たさは、今でも覚えている。

 場面が切り替わる。いいや、もはやこれは語るまでもない。

 先生との出会い。アサシンとの戦い。恩人の死。仇敵の死。

 その全ては十年近く前に経験し、全てが頭に刻まれている。

 

『ここがゴブリンの出る村か』

 

 今では友人と呼べる男とは、なかなかに珍妙な出会いをしたように思う。

 

『不躾ながら、私を一党に加えて欲しいのです』

 

『━━あなたの「弟子」にして欲しいのですわ!』

 

 弟子と呼べる二人には、むしろ自分が育てられたような印象さえある。

 

『いつか必ず、あんたらを「冒険」に連れ出してやるわ』

 

『頭巾のの弱点は銀髪のか!これは良いことを知ったわい!』

 

『承知!ちょうど我慢出来なくなった所ですぞ!!!』

 

『皆さん、いつでもどうぞ!』

 

 妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、女神官。彼らだけでなく、冒険者になってから多くの友に出会う事が出来た。

 

『毎晩毎晩、怖くて、恐ろしくて、たまらないのですよ』

 

『━━愛しております』

 

 軽はずみで受けた依頼が、まさか依頼人たる剣の乙女を変えて──あるいはあれが素なのか──しまった。

 結局彼女の想いには応えてやれそうにないが、それでも彼女は自分を慕い続けるのだろうか。

 

『おにーちゃーん!!!』

 

『ボクのお兄ちゃんが、まさか噂の人だったなんてね。妹のボクも鼻が高いよ!』

 

 自分の事をお兄ちゃんだお兄ちゃんだと追いかけ回し、挙げ句に勇者になっていた妹もいる。

 かつての世界なら、故郷にいたままなら出会うこともなかった筈の妹だ。

 

『その、実は、私たち、これから「洞窟探検」に行くんです』

 

『キミはさ。死なないよね……?』

 

『こんな所で終わりなんてやだよ!まだ一緒にやりたいことだって、行きたい場所だってあるんだから!』

 

『……私は大丈夫だよ』

 

 今まで見た夢が自分の体に刻まれたものならば、遠い先祖だけでなく父の記憶を見たことも納得出来る。

 そしてその終着点は、変えようもない自分の記憶だ。

 今までの夢で欠け落ちたものを拾い集め、継ぎ接いで、継ぎ接いで、継ぎ接いで──。

 大切な戦友たちとの記憶を継ぎ接ぎし、大切な妹の記憶を継ぎ接ぎし、愛する彼女との思い出を継ぎ接ぎし。

 元の形がわからなくなっても、彼女がそれを教えてくれる。

 

『まあ、何と言われようと追いかけるよ。キミがいるならどこまでもってね』

 

『絶対、戻ってきてね』

 

 彼女が示してくれたように継ぎ接いで、時には間違ったものを繋いでも繋ぎ直して、元の形に近づけて。

 彼女の言葉だけではない。彼女がくれた温もりが、彼女がくれた愛情が、彼女がくれた思い出が、元の形を教えてくれる。

 完璧には程遠く、まだ他の記憶(異物)がだいぶ混ざってはいるけれど。

 

 ──俺は俺だと、誇れるように。

 

 継ぎ接いだからこそ見つけたものがあって、継ぎ接いだからこそ無駄だと気付けたものがあって。

 それでも自分を創る大切なものだと継ぎ接いで。

 あっているのかは不安でしかないけれど、まあ良いものなら貰ってしまっても構わないだろう。 

 どんなに不利な状況だとて、どんなに理不尽な状況だとて、必ず勝ちの目はある。運命を覆すような目(六ゾロ)が出る可能性が残されているのだ。

 ならば、それを掴むためにはまず立ち上がる事。

 立ち上がって踏ん張って、目一杯手を伸ばせばきっと。

 

 ──運は掴み取れる筈だ。

 

 

 

 

 

 

『残念な事だけど、あなたの冒険はここで終わりね』

 

 かつて来たりし者は、足元で頭を垂れる銀髪武闘家を見下ろしながら言った。

 一撃で殺せるだろうに不必要に痛め付けられた彼女は全身を切り刻まれ、体のあちこちから鮮血が溢れていた。

 もはや使い物にならない左腕は感覚すら失せて、足にも力が入らない。

 目は辛うじて無事だが、見えた所でどうなるのだ。体が動かなければどうにもならず、一思いに見えない方が楽かもしれない。

 かつて来たりし者は玩具で遊ぶ子供のように笑いながら、俯く彼女の顎に手を置いて、無理矢理に顔をあげさせる。

 華麗だった銀髪の髪は既に見る影もなく、ぼさぼさに乱れて赤く染まっている。

 顔にはあまり傷をつけてはいないが、それは心が折れた顔を見たいが為だ。断じて加減をしたわけではない。

 現に見ろ。抗う気力さえも失い、瞳から輝きが失せた彼女の顔を。

 ふふと肩を揺らして小さく笑ったかつて来たりし者は、一つ煽ってやろうかと口を動かそうとした瞬間。

 ぴくりと銀髪武闘家の体が揺れ、彼女の右腕がぶれた。

 それを視界の端で認めてから動くのではあまりにも遅い。

 それは彼女が見せた最後の意地。渾身の正拳突きだった。

 出た杭を打つ金鎚が如く、放たれた矢の如く、その拳はまっすぐで迷いがなく、故にかつて来たりし者の顔面を打ち据えた。

 

『──ッ!』

 

 無抵抗かと思われた相手が放った不意の一撃を受け、かつて来たりし者は吹き飛ばされるようにその場を離れてたたらを踏んだ。

 吹き出す鼻血を指で拭い、べっとりとついた血を睨んで目を細める。

 

「へへ。どんな、もんよ……」

 

 強がる彼女に殺意を込めて睨みながら、かつて来たりし者はエデンの剣を振り上げた。

 そこに込められた力はまさに雷電竜。決して捕まえる事の叶わぬ、天高く飛ぶ竜の力だ。

 

『これだから人間は嫌いなのよ』

 

 かつて来たりし者は冷たく彼女を見下しながら、言葉を続けた。

 

『諦めれば楽なのに。諦めれば終われるのに。どうして諦めないのかしらね』

 

「諦めれば楽……?そんなわけない……っ」

 

 ぜぇぜぇと喘ぎながら、銀髪武闘家は折れた心を無理矢理直して立ち上がる。

 

「諦めたら、そこで終わっちゃう。諦めたら、何もかもが無駄になっちゃう。だから、私たちは諦めないし、立ち上がろうとするの……!」

 

「あなたにはわからないでしょ!足掻いて足掻いて、足掻き続ける私たちの思いなんて……!」

 

『ええ、わからないわ。足掻いた所で結果は変わらない。時間の無駄、無意味な行いだもの』

 

「無意味なんかじゃない……っ!」

 

 震える足に喝を入れて、言葉と共に少量の血を吐きながら、それでも彼女は立ち続ける。

 感覚のない左腕を庇うように右手で押さえ、自分の血で出来た血溜まりに足を取られないように必死になって。

 そうやって彼女は立ち続けるのだ。

 

「私は、精一杯に足掻いたよ……?だから、今度はそっちの番……」

 

 全身を支配する痛みを堪え、励ますような笑顔を漏らす。

 その笑顔の先にいるのはかつて来たりし者──否、その先で立ち上がった彼だ。

 薄暗がりのせいでよくは見えないが、宝石のように輝く双眸は彼以外にいる筈がない。

 

「──後は……任せたよ……」

 

 最後にそう呟くと、それだけを言いたかったのだと言わんばかりに体が揺れ、抗うことなく床に倒れる。

 かつて来たりし者はそれに合わせて雷電竜を解き放たんとしたが、

 

 ──その脇を、雷が駆け抜けていった。

 

『ッ!』

 

 突然の事態に攻撃を止めた彼女はその場を離れ、そして確かに見た。

 様々な記憶を覗いた弊害か、黒かった髪が雪のように白く染まり、それでも尚纏う鎧は闇よりも暗い男。

 彼は倒れる銀髪武闘家の体を優しく抱き止めると、優しげな笑みを浮かべて彼女の頬を撫でた。

 

「──」

 

 かつて来たりし者には聞こえない、虫の羽音のような声が漏れる。

 それでも彼が伝えんとした相手には伝わったらしく、銀髪武闘家は嬉しそうに笑いながら「遅いよ」と愚痴を漏らす。

 それはこの状況になるまで寝ていた彼への愚痴か、あるいは記憶を取り戻した彼への愚痴か、あるいはその両方か。

 それでも彼はまた何言か呟くと、彼女は安心したように目を閉じた。

 腕の中で気を失った彼女をそっと床に寝かせ、祈りを捧げるように跪いて天井を──さらにその上にある空を見上げて口を動かす。

 

「我、仮初めの信徒なれど──」

 

 継ぎ接いだ欠片の中にある、名も知らぬ神官の清き信仰と魂を借り受けて、

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 神々に直接繋がり、優しき大地の母に祈りを捧ぐ。

 あまり馴染みのない者の祈りとて、傷ついた者を癒すのを是とする神ならば、その祈りに応えるのは当然のこと。

 どこからか漏れた光が銀髪武闘家の体を包み込み、体中の傷という傷を癒していく。

 荒れていた呼吸も落ち着いて、不規則に上下していた胸の動きも落ち着きを取り戻す。

 その結果に「感謝する。慈悲深き地母神よ」と更なる祈りを捧げると、

 

 ──今回だけですよ?

 

 どこからか聞いたこともない声が返された。

 ある種の託宣(ハンドアウト)、あるいは単純な警告。

 それでも一度だけとはいえ力を貸してくれたのだ、それで良いではないか。

 

「すぐに終わらせる」

 

 彼──ローグハンターはそう告げると眠る彼女の額に口付けを落とし、彼女の腰帯に下がっていた黒鷲の剣を回収しながら立ち上がった。

 度重なる死の影響か白く染まった──あるいは色が落ちた──髪を揺らし、かつて来たりし者へと向き直る。

 

『終わらせる?まだ何も始まっていないわ』

 

「だから、始まる前に終わらせる」

 

 ──覚悟は良いか、ろくでなし(ローグ)

 

 彼は鷹を思わせる眼光を放ちながら、かつて来たりし者を、愛する人を傷つけた者を睨み付ける。

 彼はローグハンター。相手が神だとしても、それが悪党(ローグ)であるのなら殺す(スレイ)

 それが彼の役目(ロール)。それが彼の信条(クリード)だ。

 

 

 

 

 

 




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Memory16 そして神は眠りについた

 地獄の炎に包まれた平原。その中央にて咆哮をあげる地獄の番犬(ケルベロス)

 三つあった頭の一つを失い、四本あった足内の右前足を失い、その身に幾重もの傷を刻まれている尚、彼の者は立ち続けていた。

 対する冒険者たちも無傷とは言えない。皆一様に憔悴し、息が整っている者は誰一人としていない。

 槍使いの鎧はほとんどが砕け、あるいは焦げ、女騎士も使い物にならなくなった兜を投げ捨て、抉られたように大半が欠けた大盾だったものを構え、重戦士にいたっては炎を掠めた為か左目が失われ、その周辺の肌も醜く爛れていた。

 砕けた鎧を脱ぎ捨てた剣聖は、ひびが入り、僅かに刃が歪んだ片刃の湾刀をそれでも構え、賢者は超過詠唱(オーヴァキャスト)の吐血でローブを濡らし、それは魔女とて同じ事。

 剣の乙女は天秤剣を杖代わりに体を支え、それでも至高神への嘆願を切らすことはない。ここで繋がりが切れてしまえば、紙一重で冒険者たちを守り続けた『聖壁』が消えてしまう。

 

『『GRROAAAAAAAAAAAAA……!!!!』』

 

 頭が二つとなったケルベロスは彼らを威圧するように咆哮するが、開幕に見せたような圧力はない。

 いくら地獄の番犬だとて、数時間にま渡って相手と対峙した事はないのだ。故にどこかでペースを間違えたのだろう。

 だが疲労困憊なのは冒険者たちとて同じ事。あと数回の行動で、まともに動くことすら出来なくなる可能性だってあるのだ。

 それでも彼らの表情には希望があった、活力があった。

 はじめはローグハンターの為の陽動役だったが、まさかここまでの強敵と相見えるとは思わなんだ。

 越えがたい強敵と戦い、仲間と共にそれを越え、そして勝利を分かち合う。

 それこそが冒険。それを求めて彼らは冒険者となったのだ。

 

「行っくぞーっ!」

 

 歴戦の強者たちが集った中では不自然に浮いた、何とも年若い──幼いと言っても良いだろう──声が木霊した。

 彼女は太陽の輝きが納められた聖剣を振りかざし、神々しい光を全身に纏いながら立ち上がる。

 砕けた鎧に隠された小柄な体からは、そろそろ無視できなくなってくる量の血が出ている。

 自慢の兄と同じ色の髪も、所々縮れて焦げている。

 聖剣にも僅かにひびが入り、手の震えも止まらないけれど。

 それでも彼女は、勇者は立ち上がるのだ。

 彼女はこの世界に生きる人々を、自分一人で守れるなどとは思わない。

 共に戦う仲間がいて、武器や道具を揃えてくれる職人がいて、そして大切な兄がいて、もうすぐ姉が出来て。

 ここまで繋いでくれた人がいて、これから来る未来があって、その全てを思ってようやく勇者となれるのだ。

 だからこそ彼女は太陽のように笑う。それが誰かの希望になるのなら、一人でも自分を勇者と呼んでくれる人がいるのなら。

 

 ──この世界は、僕たちが守るんだ!

 

 限界を越えて力を蓄えた聖剣を大上段に構え、勇者は全力を持って一歩を踏み出す。

 一歩踏み出すのみで太陽の輝きが弾け、地面を駆け抜けて辺りの炎を掻き消した。

 番犬の燃えるようにぎらつく二対の瞳と、勇者の希望に輝く瞳が合わさったのはその一瞬。

 

「こんのおおおおおおおっ!!!」

 

 彼女の叫びと共に振り下ろす。放たれた一撃は、まさに夜明けの一撃だった。

 聖剣に込められた太陽の輝きが、闇を滅する濁流となって放たれたのだ。

 

『『GRROOOOOOOOO!!!!』』

 

 だが番犬も負けてはいない。咆哮と共に残された力を振り絞り、二つの口から地獄の炎を吐き出した。

 勇者の輝きが希望なら、番犬の炎は絶望だろうか。

 太陽と炎。どちらも闇を照らすものではあれど、そこに込められた思いは全く別のもの。

 その二つは凄まじい衝撃波を伴いながら正面からぶつかり合い、互いに押し合う形で拮抗する。

 もはや意味を持たない勇者の叫びと、番犬の最後の意地が、拮抗する両者の戦いを更に後押し。

 だが両者互角と思われる戦いほど、思いもよらないふとした切っ掛けで動くものだ。

 今回に限って言えば、まさに不運とした言いようがない。

 勇者の額から流れた血が、何の偶然か彼女の目に入り込んだのだ。

 

「ッ!」

 

 ほんの一瞬。それこそ瞬き一つにも満たない時間、彼女は気を逸らしてしまった。

 だがその一瞬は、勝敗を決するにはあまりにも長すぎた。

 聖剣の輝きが弱まった刹那、地獄の炎が輝きを押し返し、その勢いのままに食い破ったのだ。

 その小さな体躯ごと聖剣を弾かれた勇者は、大きく後ろに体勢を崩し、万全でない今は受け身すらままならない。

 倒れる体を支えられず、思い切り尻餅をつく形となった。

 そこに迫るは地獄の業火。直撃しようものから死は免れまい。

 体を起こそうにも既に遅く、何より立ち上がった所で防ぐ術がない。剣の乙女の『聖壁』さえも、炎は容易く食い破るだろう。

 死ぬ間際、人は自分の過去を垣間見るという。ある者は死と言う現実から目を背ける為、ある者は過去を見ることでどうにか死を免れようとする最後の足掻きだという。

 だがそれを見たところでどうにもならない。炎はどこまでも無慈悲に、残酷に相手の体を焼き尽くすのみだから。

 

「──させるかぁッ!」

 

 ぎゅっと目を瞑り、来る炎に備えた瞬間、誰かの声が脳を揺らした。

 弾かれるように目を開けてみれば、目の前には盾を構えた女騎士の背中があった。

 もはや意味を持たない盾を構え、迫る炎が直撃する間際、女騎士の口から言葉が漏れる。

 

「《つるぎの君よ、見るべきを見、語るべきを語るものに、守りの加護を》!!!」

 

 それは一言一句違わぬ、至高神への『聖壁』の嘆願だった。

 何も彼女は剣のみで戦う騎士ではない。秩序にして善なる聖騎士なのだ。

 友を護らんと、友の妹を護らんとする彼女の義に、偉大なる至高神が応えぬ道理なし。

 不可視の力場が彼女の盾に宿り、剣の乙女の『聖壁』と混ざりあい神々しいまでの輝きを放った。

 その瞬間、炎が真正面から激突した。

 凄まじい衝撃に体を持っていかれそうになりながらも、歯を食い縛り踵を地面にめり込ませながら耐える。

 

「うおおおおおおおお…………っ!!!」

 

 女騎士の気合いの叫びが更なる力を呼び、番犬は再び一進一退の攻防を強いられた。

 一瞬でも力を抜けば押しきれず、倒せる筈の二人を仕留め損なう事となるのだ。

 それだけは駄目だと、この機会を逃せば次はないと、彼の者の本能が叫んでいる。

 炎に混ざり唸り声をあげながら、番犬は更に力を絞り出さんと三本の足を地面に埋めた。

 その瞬間、三つの影が彼の者へと躍りかかる。

 

「俺たちを忘れてんじゃねぇぞ!!」

 

 槍使いの怒号を合図に、剣聖、重戦士が叫び、それぞれが己の得物を番犬の足に突き立てた。

 固い肉を貫く鈍い感覚を抜ければ、そこにあるのは更に固い地面の感覚だ。

 三人はさらに気合い一閃と共に得物を捩じ込み、地面へと深々と突き立てる。

 それはさながら、金鎚なしで釘を打ち込むように、力任せに、筋力にものを言わせた粗雑(クルード)行動(アクション)だ。

 だが、それには意味があった。肉を抉るような粗雑さ故に、その痛みは業物で一閃されたそれと比べるまでもなく強く、番犬はついに天に向かって悲鳴をあげたのだ。

 彼の者が天を向いたということは、炎の矛先も変わると同義。

 地獄の業火を耐えきった女騎士は、その後の負荷に耐えきれず吐血と共に膝から崩れ落ちる。

 だが地に伏す間際に浮かべていたのは、どこか勝ち誇ったような笑み。

 痛みのあまり天を見上げた番犬は気付くまい、賢者が杖を掲げ、魔女が瞳を閉じて集中し、剣の乙女が天秤剣をそれこそ魔術師が杖を掲げるが如く構えていることに。

 番犬を地面に縫い付けた槍使い、重戦士、剣聖の三人はもはや言葉もなくその場を離れ、重戦士は倒れる女騎士を、剣聖が動けぬ勇者を回収してその場を待避。

 彼らが番犬から離れれば、後は彼女らの独壇場。

 彼の番犬は、この世界において最強と呼び声高い魔術を一度は(・・・)耐えて見せた。

 だが、その一撃で深手を負ったこともまた事実だ。

 

 ──一度で駄目ならどうする?

 

 多くのものは諦めて、また別の手を模索するだろう。

 だがしかし、彼女ら違う。

 様々な知識を身に宿して賢者と呼ばれる彼女は、仲間と共に世界を救った彼女は、更なる高みを目指して冒険者となった彼女は、そんな一般的な考え(テンプレート)からは遠く離れている。

 一度で駄目ならどうする?そんなもの決まっている。

 

 ──更にもう一度撃ち込むまでのこと!

 

 数多の宝玉が散りばめられ、様々な輝きを放つ杖を掲げた賢者が、まず最初の一節を唱える。

 

「《ウェントス()……》!」

 

 残りの魔力量からして、一人で詠唱した所で不発に終わるだろう。

 だが幸いと言うべきか、この臨時の一党には呪文使いが三人もいるのだ。

 

「《ルーメン()……》!」

 

 隣の魔女が肉感的な肢体を朧気に揺らしながら、けれどしっかりとした舌運びで次の一節を。

 彼女らを中心として風が吹き荒れ、光が一点に収束されていくのを肌で感じる。

 

 ──目が見えないからこそ見えるもの、わかるものがある。

 

 剣の乙女は彼が言ってくれた言葉を思い出し、僅かに頬を緩めた。

 どんな状況だとしても一定のゆとりは必要だ。これで勝負が決まるかもしれないというのから尚更に。

 掲げた天秤剣を番犬へと向け、魔神王に挑んだ時と同じかそれ以上の気迫を持って、二人が繋いだ力を解き放つ。

 

「──《リベロ(解放)》……!!!」

 

 再び解き放たれる猛風。白光。轟音。そして、熱。

 地獄の業火に包まれていた平原を白い闇が塗り変えていく。

 超自然の猛風が地獄の業火を薙ぎ払い、白光が番犬を貫き、遅れて轟音と熱が駆け抜ける。

 

『GRROOOOAAAAAAAAAAAA!!!』

 

 だがその向こうに見えるのは、やはり異形──番犬の姿だ。

 残された二つの首の片方を失い、後ろ左足が千切れてなお、彼の者は『核撃(フュージョンブラスト)』の中を疾走する。

 

「うおおおおおおおおっ!!!」

 

 咆哮と共に立ちはだかるは、聖剣を回収した勇者だ。

 彼女は今一度集中し、迫り来る番犬を睨み付けた。

 いまだにどこかの英雄譚のように目で相手を殺せはしないけれど、そこに込められた意志は絶対に揺らぐ事はないだろう。

 仲間たちがここまで繋いでくれた。仲間たちがいたからここまで来られた。仲間たちがいたから死なずに済んだ。

 

 ──恩は忘れないうちに返しておかないとね!

 

 聖剣を握る手に力が入り、ゆっくりと息を吐いて体を落ち着かせる。

 摺り足で左足を下げ、刃を地面と水平になるように身構えた。

 いつかに見せてくれた兄の構えの見よう見まね。まあ、それでやる気が出るのなら良いではないか。

 太陽の聖剣に光が灯り、神々しい光が辺りを照らす。

 開けない夜はないと言わんばかりの神々しい輝きに、冒険者たちは無意識に笑みを浮かべた。

 彼らの笑顔に背中を押され、今度こそと勇者は叫ぶ。

 

これでも、喰らええええぇぇぇぇ(テイク・ザット・ユー・フィーンド)!!!!」

 

 太陽の、爆発……!!!

 

 

 

 

 

「おおお………っ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの獣じみた唸り声が辺りに響き、悪魔の断末魔がそれに続く。

「これで四十……!」と息を吐きながら言うと、その背に回ろうとしていた悪魔の眼窩に骨の矢が突き刺さる。

「四十三!」と競うように言ってくる妖精弓手に一瞥くれながら、冒涜的な槍を構えて辺りに気を配る。

 いまだに飛び回る蜥蜴僧侶とその背を守る鉱人道士はともかく、女神官、女魔術師、令嬢剣士の三人に限界は近い。

『竜牙兵』がいる分まだ良いが、やはり銀髪武闘家が欠けた穴を埋めるのは中々に負担が大きい。

 だが皆の健闘のおかげか、悪魔の数はかなり減っては来ている。だが、それでもあと百は下らないだろう。

 

 ──頃合いだな。

 

 ゴブリンスレイヤーは兜を揺らすと女神官の方を手で示しながら「集まれ!」と仲間たちに告げた。

 弾かれるように仲間たちが彼へと意識を向け、促されるがまま女神官の方へと走り出す。

 ゴブリンスレイヤー、蜥蜴僧侶、鉱人道士は道中の悪魔を片手間に蹴散らし、妖精弓手が援護を行う。

「『稲妻(ライトニング)』だ!」と令嬢剣士に向けて叫ぶと、彼女は一度頷いて発動体たる指輪に手を触れた。

 活力を振り絞り、真に力ある言葉を紡ぎだす。

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……》」

 

 まずはじめの二節を口にし、来るタイミングを見極める。

 まだゴブリンスレイヤーらが悪魔の群れの中だ。今撃っては彼らが死んでしまう。

 解放の時を待ちきれずに暴れまわる雷を無理矢理抑え込み、血が滲むほどに歯を食い縛る。

 たかが数秒、されど数秒。その数秒を凌ぐ事に彼女は全神経を費やした。

 蜥蜴僧侶、鉱人道士が彼女の脇を抜け、ゴブリンスレイヤーが転がり込むように飛び込んだ。

 その瞬間を待ち望んでいたのだ。

 

「──《ヤクタ(投射)》!!!」

 

 瞬間放たれたのは『稲妻』の魔術。雷の槍とも称される超自然の一撃は、彼らを追いかけてきた悪魔たちを一網打尽に吹き飛ばす。

 これが最後の魔術だ。もう一度は打てない。

 だがそれで良いのだ。ゴブリンスレイヤーたちが撤退するまでの時間を稼ぐという役目(ロール)は果たした。

 倒れかけた彼女の体を女魔術師が支え、引きずるようにしてゴブリンスレイヤーの後方──仲間たちと合流を果たす。

 

「でも、どうするんですか……?」

 

 奇跡を使いきり、顔色を悪くさせて息を荒くしている女神官が、悪魔を睨むゴブリンスレイヤーに問いかけた。

 迫り来る悪魔の軍勢を押し止める術はない。このままでは何も出来ずに飲み込まれる事だろう。

 だがゴブリンスレイヤーは慌てない。彼はいつもそうするように雑嚢に手を突っ込み、丸められた羊皮紙を取り出した。

「ねえ、まさか……」と妖精弓手が問うと、「まさかだ」と即答するゴブリンスレイヤー。

「緊急事態だからな」と更に続けて、蜥蜴僧侶は「討ち漏らしはお任せくだされ」と『竜牙刀』を構えて鼻先を舐めた。

「流石かみきり丸じゃわい!」と鉱人道士は豪快に笑い、女魔術師と令嬢剣士の二人は何が起こるのかわからずおろおろとするばかり。

 それなりに付き合いは長いにしろ、彼女二人はローグハンターの一党だ。ゴブリンスレイヤーのやり方全てを知っている訳ではない。

 そんな二人に女神官は「大丈夫ですよ……」と落ち着かせるように笑い、全幅の信頼を向ける彼へと目を向けた。

 ここぞというタイミングを待ち、羊皮紙を封じる紐に手をかける。

 悪魔たちはそんな事知るよしもなく、一つの塊となり、ついには黒い濁流となって冒険者たちへと迫る。

 勢いをつけるためにわざと遠回りをし、天井すれすれを飛行したかと思うと急降下。床すれすれを飛びながら正面から突っ込んで来るではないか。

 

「──間抜けめ」

 

 彼は群れなす悪魔(レギオン)をそう断じながら、紐を解く。

 瞬間解き放たれたのは、轟音と閃光。そして青い刃だ。

 それは悪魔たちの体を次々と寸断し、刃を赤く染めながらなおを進む。

 

「まさか、『転移(ゲート)』の巻物(スクロール)!?」

 

 次々と撃墜される悪魔たちを横目に、女魔術師は目を剥いた。

 使えばどんな者でも魔術が扱えるという魔法の巻物(スクロール)を持っているだけでも驚きだというのに、それが失われて久しい『転移』の呪文が込められたもので、それを攻撃に転用するなど。

 

「海の底に封じられた水の精が、何だか楽しそうに踊ってるわ……」

 

 少々疲れたように妖精弓手が口にして初めて、青い刃が海水であることに気付く。

 そういえば海底神殿に『転移』で行こうとして、訳もわからず流された冒険者がいるとは聞いたことがある。

 だからと言っても、それを教訓とするのみならず、大規模な攻撃に使おうなどと誰が思うだろうか。

 

「さて……」

 

 海水の放出が終わり、超自然の炎が巻物(スクロール)を燃やし尽くす事を確認しつつ、ゴブリンスレイヤーは腰に下げた冒涜的な棍棒を右手に握る。

 今ので大半が片付いたにしろ、いまだに海水に濡れた床を転げ回る悪魔の姿がちらほらと見える。

 ならば、まだ終わりではない。

 

「──ゴブリンではないが、皆殺しだ」

 

 兜の奥に隠れた赤い瞳を揺らしつつ、ゴブリンスレイヤーが真っ先に飛び出していく。

「もう、血に飢えた獣みたいね」と妖精弓手が優雅に肩を竦め、蜥蜴僧侶は「拙僧も行きますぞ!」と彼に続いて飛び出していき、「おい、待たんか!」と鉱人道士がどてどてと寸胴な体で走りだし、二人の取りこぼしを前もって倒していく。

 令嬢剣士は呼吸を整えると走り出し、手頃な悪魔にとどめを刺し始め、女魔術師は三角帽子を被り直して周囲を警戒。

 女神官もようやく一安心かと薄い胸を撫で下ろし、けれど周囲への警戒は緩めない。

 

「──結局、いつも通りですね」

 

「はい、そう言うこと言わないの」

 

 女神官の呟きに妖精弓手がツッコミを入れ、やれやれと首を振った。

 それでも品があるのは、彼女が上の森人だからこそだ。

 彼女は弦が切れかけの大弓を労うように撫でるとため息を吐き、背後に広がる大穴へと目を向けた。

 

「あんたたちも頑張んなさい」

 

 ──まだ私の(・・)冒険に巻き込んでないんだから。

 

 

 

 

 

 遺跡の最深部。

 闇に包まれたその場所を、幾重もの雷が駆け抜けた。

 

『なぜだ、なぜお前は立ち上がる!?』

 

 かつて来たりし者は青筋を浮かべながら怒鳴るが、対するローグハンターは至極冷静なもの。

 白くなってしまった髪を尾のように引きながら、次々と放たれる雷を紙一重で避けていく。

 

『人間は我々の奴隷であるべきなのよ!我々の駒であるべきなのよ!』

 

 エデンの剣を出鱈目に振り回し、次々と放たれる雷は必殺のもの。

 だが彼は身を捩ってそれらを掻い潜り、一気に肉薄。

 刹那の速度で相手の懐に飛び込んだローグハンターは、その腹にアサシンブレードを突き立てる。

 突き刺さる間際に凄まじい衝撃と雷が迸り、彼の体を吹き飛ばした。

 だが痛痒(ダメージ)はない。そもそも痛みがない。

 

 ──何か拾い損ねたか……?

 

 一瞬の自問もすぐに捨て去り、空中で体勢を整えて着地を決めら左手で奇妙な印を結ぶ。

 継ぎ接ぎに巻き込まれた名の知らぬ魔術師の記憶を引きずり出し、この世界の理を塗り替える。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》」

 

 そして紡ぐは真に力ある言葉。付け焼き刃のそれは本業のそれには程遠いが、牽制には十分な威力の込められた『火矢(ファイアボルト)』の三連射だ。

 かつて来たりし者は舌打ちを漏らし、放たれた『火矢』をエデンの剣で振り払う。

 戦闘が本職ではないが、人間のそれを遥かに越えた身体能力(ステータス)を持つ彼女なら造作もないのだろう。

 ──その後の追撃に反応出来るかは別問題だか。

 

「シッ!」

 

 彼女の耳に届いたのは、鋭く吐かれたローグハンターの吐息のみだ。

『火矢』を放った直後に肉薄。再び相手の懐に飛び込んでいたのだろう。

 彼は黒鷲の剣を躊躇いなく振り抜き、かつて来たりし者の首を取らんとしたが、

 

『舐めるなっ!!』

 

 怒号と共に放たれた衝撃と雷に弾き飛ばされる。

 それでも彼は再び空中で体勢を整えると、懐から投げナイフを三本引っ張り出す。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》」

 

 再び紡がれた真に力ある言葉。元より書いたこともない文字を二ヶ月足らずで完璧に使いこなす男だ。やり方さえわかれば魔術を扱うなど容易い事。

 

 ──まあ、これも継ぎ接ぎに埋もれた掘り出し物だが。

 

 詠唱と共に投げナイフに魔術的な光が灯り、着地と共に鋭く投げ放てば、それは必中の『力矢(マジックミサイル)』に相違ない。

 先程の『火矢』とは比べ物にならない。まさに流星の如き投げナイフは、かつて来たりし者の振るったエデンの剣を掻い潜り、その腹に見事に突き立つ。

『ごふっ』と血を吐く彼女を他所に、ローグハンターは再び動き出す。

 相手の動きを封じ続け、このまま殺しきる。何をしてくるかわからない以上、それこそが最適解だろう。

 放たれた矢さながらの速度で走り、再びかつて来たりし者の懐に。

 今度は腹に突き刺さった投げナイフを掴み、肉を抉るように思い切り振り抜いた。

 ローグハンターの技量で放たれた投げナイフは、文字通り相手の急所を捉えていた。

 それが突き刺さっただけならまだしも振り抜かれては、そこにある臓物がずたずたにされるのは必須。

 かつて来たりし者は更に血を吐き出し、渾身の力を持って雷を呼び出し、ローグハンターを吹き飛ばす。

 それでも彼は投げナイフを手放す事はなかった為、引っ掛かっていた臓物が僅かに傷口からこぼれた。

 腹の傷から溢れる熱と痛み、そして血に狼狽えながら、彼女はなおをローグハンターを睨むつけた。

 

『人間風情に何がわかる!我々の理想を、我々の故郷を奪った人間風情が!私は何万年とここにいた!いつか来る復讐に備え、いつか来る復活に備えて、ここにあり続けた!』

 

『それを私の駒であるお前が、お前如きが止めようなどと、笑わせるな!』

 

 興奮に血走った目を見開き、口から唾液と血が混ざったものを吐き出しながら、かつて来たりし者は叫ぶ。

 それは怒り。純然たる怒りが込められていた。

 だが、怒っているのはローグハンターとて同じ事。訳もわからぬまま奴の計画の一部とされ、友人たちや恋人を傷つけられた。

 

 ──それに怒らずして何が祈る者(プレイヤー)か!

 

 彼は再び走り出す。出鱈目に放たれる雷を掻い潜り、時には邪魔だと言わんばかりに切り払いながら、最短距離(一直線)で間合いを詰める。

 先程までの雷の防御にも限界があるだろう。

 先駆者とてその命には限りがあるだろう。

 命ある限り、それには必ず限界があるだろう。

 だがそれで良いのだ。終わりがあるから始まりがあり、始まりがあるから終わるのだ。

 

 ──だからこそ終わらせる。俺の代で、何もかも。

 

 瞬きする間もなく迫るローグハンターの姿に、かつて来たりし者はついに恐怖で表情を歪めた。

 今そこにある死を恐れないのは、それこそ既に死んだ者のみだ。

 故にローグハンターは僅かに安堵した。

 亡者(ゾンビ)を殺す手立てもなければ、幽霊(ゴースト)を祓う手立てもない。

 いや、あるにはあるだろうが部の悪い賭けでしかないのだ。

 故に彼は安堵した。目の前の女は生きているからと。

 故に彼は安堵した。生きている(始まっている)なら殺せる(終わらせられる)と。

 恐怖に歪んだ表情のかつて来たりし者は、迫る彼から視線を外し、今度は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 

 ──彼を狙って駄目なら、彼女を狙えば良いじゃない。

 

 かつて来たりし者の視線を先には、全てを彼に託して寝むる銀髪武闘家の姿がある。

 

 ──あいつを狙えば彼は守ろうとする。その隙に畳み掛ければ良いだけじゃないの。

 

 かつて来たりし者は嘲笑った。愛は無用、自らの弱点を増やすだけだと。

 かつて来たりし者は嘲笑った。愛する者を奪われた彼は、どんな顔をするのかと想像して。

 彼女はエデンの剣を振り上げる。その狙いは銀髪武闘家。相手は動かないのだから外しようがない。

 

『死にな──』

 

「《アルマ(武器)……フギオー(逃亡)……アーミッティウス(喪失)》!」

 

 まさにエデンの剣を降り下ろさんとした瞬間、ローグハンターの口から真に力ある言葉が紡がれた。

 それは『無手(アクワード)』。相手が握っている物を落とさせるという、何とも地味な魔術に過ぎない。

 けれど彼はそれを知っている。一党に加わったばかりの女魔術師が、少しでも役に立ちたいからと覚えた魔術だからだ。

 そして、それは再び銀髪武闘家の命を救うこととなった。

 降り下ろさんとしたエデンの剣が手から抜け、振り抜いた勢いで明々後日の方向に飛んで行ったのだ。

 持ち手がいなければどんな剣もただの鉄の塊に過ぎない。エデンの剣は唐突に役目を放棄し、広間の闇へと消えていったのだった。

 かつて来たりし者は目を見開いて驚愕すると、ハッとローグハンターの方へと目を向けた。

 いや、それすらももう遅い。

 既に肉薄していたローグハンターに押し倒され、人間に比べて遥かに優れた体を冷たい床へと叩きつける。

 痛みに備えてか無意識に閉じてしまった目を、『ぐぅ!』と苦悶の声を合図に開き、そして後悔した。

 

 ──彼女の目の前には、既に死神がいたからだ。

 

『ま、待──』

 

「俺の、女に、手を出すな……っ!」

 

 流石の彼とて呪文の超過詠唱は堪えたのだろう。息を荒げながらもアサシンブレードを抜刀し、かつて来たりし者にそう告げた。

 そして呼吸を整える為に僅かに間を開けると──、

 

 ──何の躊躇いもなく、神に刃を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 気がつけば、ローグハンターは白一色に塗りつぶされた空間にいた。

 何度か覚えのある、死者と話すための場所だ。

 いつもは小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)を倒し、その元となったアサシンと対話していたが、今回は違う。

 

『ああ、駄目よ!まだ何も始まってない、まだ何も──』

 

 背後から聞こえた声に振り返り、ローグハンターは目を細めた。

 暗闇の中を迷う幼子のように、かつて来たりし者が右往左往しているのだ。

 彼は振り向きながら「もう終わりだ」と淡々と告げる。

 その声にハッとして、かつて来たりし者は彼へと目を向けた。

 表情を怯えから怒りに変え、彼へと問いかける。

 

『これで満足?仕えるべき主を殺して、満足したかしら?』

 

「まあ、一仕事終えたとは思っているが」

 

 彼女の問いにローグハンターは肩を竦め、苦笑混じりにそう切り返す。

 

『悲劇は繰り返し、多くの人が死んでいくわ』

 

「人が死に、土に還るのはどこでもある事だ。過程はともかくな」

 

 かつて来たりし者の言葉に、ローグハンターは僅かに表情を険しくさせながら返す。

 彼とて冒険者。多くの人の死を見てきたし、それは人が本来するべき死に方でないものも多かった。

 

『私が神に成り代われば、この世界を豊かに出来た』

 

「その為にどれ程の血が流れる。どれ程の人が死ぬ」

 

 かつて来たりし者の言葉に、ローグハンターは問いかける。

 変化には必ず犠牲が付き物だ。多いにしろ少ないにしろ、必ずどこかで血は流れる。

 誰かが言った、『真実は血で紡がれる』と。

 

『変化に適応できない無能は、死んだ方が世界の為よ』

 

「なら、無能(あんた)が死んで世界は救われたな」

 

 かつて来たりし者の言葉を、ローグハンターはそのまま返す。

 気に入らない物を壊すより、自分が変わった方がより建設的で、現実味もあるだろう。

 気に入らない物を切り捨てていけば、いずれ残るは自分のみだ。

 

『世界は救われた?可笑しな事を言うのね。また秩序と混沌の戦争が始まるだけよ』

 

「それがこの世界だ。秩序と混沌。二つの勢力が凌ぎを削るのが、この世界の在り方だ」

 

 かつて来たりし者の言葉を、ローグハンターは肯定した。

 それこそがこの世界だと。この世界の在り方だと。

 

『その戦争で、あなたの愛する者が失われるわよ?』

 

 かつて来たりし者の挑発にローグハンターは目を細め、そして左手首のアサシンブレードの刃を抜刀した。

 アルタイルからの贈り物。これを使うときは今しかない。

 

『愛とは弱さ。愛とは脆さ。愛とは人を弱くするものよ』

 

「その愛に負けた奴が、よく言えるな」

 

 かつて来たりし者の言葉を、ローグハンターは嘲笑った。

 愛とは弱さ。確かにそうだろう。愛する者は致命的なまでの隙となる。

 だが、それでも──。

 

「俺はあいつを愛しているとも。生涯を懸けて守りたい程度には」

 

 愛が弱さなどと言わせておけ。それは愛を知らぬ者が勝手に言っているだけの事だ。

 彼はゆっくりとかつて来たりし者へと歩み寄り、蒼い(・・)双眸を細めた。

 

『私に下るつもりは──』

 

「ない」

 

 かつて来たりし者の問いかけに即答し、彼女の目の前で足を止めた。

 身長の都合上見上げる形となるが、それでもなお彼の眼光は鋭く曇りがない。

 

『なら、自ら選んだ地獄に堕ちなさい』

 

 負け惜しみを言うように、かつて来たりし者はその美貌を醜悪に歪めながら彼へと告げた。

 彼はまた苦笑混じりに肩を竦めると、彼女に向けて言う。

 

「この先に地獄が待つというのなら、俺は勇んで進もう」

 

 ──あいつとなら、どこまでも進んでやる。

 

 彼はそう告げると、相手の言葉を待たずにアサシンブレードの刃を振るった。

 その黒き一閃は見事にかつて来たりし者の首を捉え、何もないかのように切り裂いた。

 

 

 

 

 

「……」

 

 元の暗闇に包まれた広間に戻ってきたローグハンターは、目の前に倒れる死体を見下ろしながら息を吐いた。

 これで本当に終わったのかは疑問だが、とにかく一区切りはついただろう。

 彼は再び息を吐き、ゆっくりと眠る銀髪武闘家の下へと歩き出す。

 不思議と疲労はなく、むしろ体調は絶好調といって良いだろう。

 夢の中とはいえ死にすぎて、頭の何かが外れたせいかもしれないが、まあそれはそれだ。

 眠る銀髪武闘家の脇で片膝をつくと彼女の頬を撫で、体温を感じながら頬を綻ばせる。

 だが彼女を堪能するのは後だと言い聞かせ、彼女の肩の下と膝の下に腕を差し込み、一息で持ち上げた。

 所謂お姫様抱っこだが、毎回のようにしているのだから友人たちも気にはすまい。

 

「ねぇ……」

 

 不意に声をかけられ、ローグハンターは足を止めた。

 視線を抱えている彼女に向け、「どうした」と苦笑混じりに問いかける。

 問われた彼女は僅かに言葉に迷う様子を見せたが、「終わった?」と問い返す。

「ああ、終わった」と短く言い返すと、ローグハンターは再び歩き出す。

「そっか。そっか……」と気の抜けた声を漏らしつつ、銀髪武闘家は彼の首に手を回し、ぐいと体を引き寄せた。

 多少は楽をしてもらいたいという彼女の配慮と、少しでも彼に近づきたいという願望の表れだろう。

 それを察したローグハンターは照れ臭そうに目を背け、「大人しくしてろ」と忠告一つ。

「はーい」とまた気の抜けた返事が返ってくるが、それもまた彼女らしいと笑みがこぼす。

 これから壁を登り、仲間たちと合流し、船に戻って街に帰らなければならない。

 そして、帰ったら伝えよう。

 この胸にある確かな想いを、腕の中にいる最愛の人に──。

 

 

 

 




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Memory17 反省会(アフターセッション)を始めるよという話

 ──二週間後、西の辺境の街。

 

「ほんじゃまあ、俺たちの無事と、俺たちを冒険に巻き込みやがったローグハンターの野郎に!」

 

 ──乾杯!

 

 体に幾重もの包帯を巻いた槍使いの音頭を合図に、その場に集った冒険者たちは一斉に杯を掲げ、景気よく打ち鳴らした。

 並々と注がれたエールが踊り、舞った水滴が双子の月に照らされてきらきらと輝く。

 ここは冒険者ギルドの跡地を利用した酒場。

 酒場といっても瓦礫を退かし、砕けた床を即席で直し、そこに眠る狐亭から提供された円卓や椅子を運び込み、仮の酒場としただけの事だ。

 ギルドが再建されるまでの間、期間限定で開かれる酒場。誰か呼んだか『月見の酒場』。

 満天の星空と双子の月を眺め、優しげな月光に照らされながら酒を飲めるなど、中々に乙というものだ。

 ぐびぐひと喉を鳴らしながら一杯目の麦酒を飲み干した女騎士は、包帯に包まれた挙げ句三角巾で吊られた左腕を不満げに睨む。

 

「酒は美味いが腕が動かせんのはあれだな。不便だ!」

 

 皿にこれでもかと盛られた肉を右手で掴みとり、苛立ちをぶつけるように口に運ぶ。

 噛んだ瞬間に弾けた肉汁に「あふっ!」と思わずたじろぐが、地獄の業火に比べればと躊躇う事なく噛み締める。

 彼女の隣でやれやれと首を振るのは、顔の左半分を包帯に隠した重戦士だ。

 僅かに感じる遠近感のずれに戸惑いながら、武骨な手でフォークを握り、それを肉塊を力任せに突き立てる。

 勢い余ってだん!と卓の上に並べられたものが跳ね上がるが、それは無事に着地を決めて食べられる時を大人しく待つ。

「危ないですよ」と彼の一党である半森人の剣士が言うと「ああ悪い」と僅かに反省。

 片目が見えないというのには慣れないが、まあすぐにどうにかなるだろう。

 いいや。しばらく、あるいは一生このままなのだから慣れねばならぬ。

 少年斥候と圃人巫術師の二人は、久しぶりの再会に喜びつつも、これまた久しぶりのご馳走を前に涎を垂らす。

 

「食べて良いんだぞ?」

 

 何故か手を出そうとしない二人に女騎士が言うと、「「それじゃあ遠慮なく!」」と二人は肉の盛られた皿に飛び付くように手を伸ばした。

 山のようだった肉たちも、食べ盛りの子供が二人いるとなるとすぐになくなっていった。

 半森人の剣士が酒場を慌ただしく走り回る獣人給仕を呼び止め、追加の料理を注文しておく。

「それにしても」と圃人巫術師が口許のソースを拭いながら言うと、「今回は大変でしたね」と労い一つ。

「そうだろう。そうだろう……!」と早くも酔い始めた女騎士が彼女を片腕で抱き寄せ、すりすりと頬擦りを始めた。

 只人と年齢の基準が違う圃人とはいえ、まだまだ子供と言って良い彼女の頬は、ぷにぷにとして柔らかい。

「あ、あの、助けて……!」と少年斥候に助けを求めるが、彼は黙々と肉を食すのみ。半森人剣士が「野菜も食べないと駄目ですよ」と念を押すと、渋々と言った様子でサラダをつつき始めた。

「あ、あの……!?」と僅かに声を上擦らせながら助けを求めると、重戦士がこれまた重いため息を吐いて圃人巫術師の腕を掴むと、ずば抜けた膂力でもって彼女を引き剥がす。

 助けられた彼女は「どうも」と礼を言うと、見向きもせずに料理に舌鼓を打っていた少年斥候に襲い掛かった。

 きゃいきゃいと肉を取り合って騒ぐ二人を他所に、女騎士は不満そうに頬を膨らませた。

 

「むぅ。お前はもう少し女の扱いをだな」

 

「それはこっちのセリフだ」

 

 女騎士の指摘に重戦士は苦笑混じりに肩を竦め、「ほれ」とエールが注がれた杯を彼女に差し出す。

 それがまた不服だったのか、女騎士は眉をハの字にして不満を露にする。

 

「酒で口説くのはどうなのだ?」

 

「いらないなら良いんだぜ?」

 

 彼女の問いに杯を下げながら問い返すと、「いや、貰う」と体を前のめりにしてゆらゆらと手を伸ばし、重戦士が持つ杯を奪おうとするが、いかんせん今の彼女は好調にはほど遠い。

 片腕が使えない事を抜きにしても、既に出来上がっていた女騎士はそれだけで体勢を崩し、重戦士の胸に飛び込むように倒れこんだ。

 突然の事態に重戦士は「うお!?」と驚きを露にするものの、しっかりと彼女を抱き止める辺り流石と言うべきだろう。

 酔いのためか照れのためか、二人は頬を赤く染めながら見つめあい、どうしたものかと目を泳がせる。

 

「……リーダーが離せばいいんじゃね?」

 

 少年斥候が小声で言うと、半森人剣士は口に指を当て『静かに』と動きで示す。

 その動作に貴族とは違う気品があるのは、半分とはいえ森人の血が流れているからだろう。

 

「今はそっとしておきましょう」

 

 彼は小声でそう付け加え、圃人巫術師は無言の頷きでもって応えると、とたとたと足音を立てて卓を離れ、それなりに親睦のある一党──青年戦士たちの下だ──に合流せんと走っていった。

 

「いやー、今回ばかりは死ぬかと思ったぜ」

 

「そ、ね……」

 

 重戦士の一党がたむろしていた卓から僅かに離れた──むしろ酒場の中央と言うべき──卓には、槍使いと魔女、そして野次馬の冒険者が集っていた。

 魔女は僅かに火傷したり擦り傷が出来たりした程度だが、槍使いは体のあちこちに包帯を巻かなければならない程度には重症だ。

 それでもこの場にいるのは、冒険者としての最低限の矜持(プライド)だろう。

「それで、どうだったんだよ」と野次馬の冒険者が問うと、槍使いは「しんどかったな」と一言返す。

 だが言葉とは裏腹にその表情は晴れ晴れとしたもので、やりきったと言わんばかりの覇気に満ちていた。

 その表情のまま「お前はどうだよ」と隣の魔女に問えば、「大変、だった、わ」といつものように煙管を吹かして返すのみ。

 それを聞いた冒険者たちは驚きを露にし、行かなくて良かったと僅かに安堵。

 ローグハンターと並んで辺境最強と名高い彼にそうまで言わせるのだ。並の冒険者ではきっとこの場に帰っては来られまい。

 

「にしたってお前、武器を駄目にしたんだろ?」

 

「それはお前らだって同じだろうが」

 

 冒険者から投げられた心配の声に、槍使いはばつが悪そうにエールをあおりつつ返す。

 槍使い愛用の槍は、番犬諸ともに『核撃』で塵も残さずに消えてしまった。予備の武器はあるから良いが、それなりに気に入っていたからには少々残念。

 他の冒険者たちに関しては、アサシンがギルドの天井をぶち抜いて宣戦布告し、そのまま戦闘になったのは早朝。まだ寝ていた者とているだろう。

 逃げ出したは良いが、大事な商売道具や金目の荷物を持ち出せた者は果たしてどれ程のものか。

 僅かに思慮する槍使いに「ああ、気にすんな」と声をかけたのは、野次馬の中の誰だろうか。

 

「建物が崩れるのに巻き込まれただけだからな。まあ、剣だの鎧だのは無事だったよ」

 

 赤ら顔でにやにやと笑いながら、とある冒険者がばんばんと槍使いの肩を叩く。

 突然肩を叩かれた槍使いな「いってぇな、くそ!」と体を跳ねさせて怒鳴り、相手の手を叩き落とすが、僅かに安堵したように──けれどそれを隠すように──「だが無事で何よりだったよ!」とさらには怒鳴った。

 何だかんだで人当たりの良い彼だ。相手に良いことがあれば多少は喜びもしよう。

 それが同業者の明日にも関わる事であれば、尚更に喜ぶべき事だ。

 

「ああ、くそ。いきなり叩きやがって」

 

 その同業者に叩かれた肩を回して具合を確かめていると、隣の魔女が「大丈、夫……?」と肉感的な肢体をゆらりと揺らして顔を覗きこんできた。

 僅かとはいえ前のめりになるという都合上、彼女の豊満な胸が潰れて野次馬たちの視線が集まったのは仕方がない事。

 むしろ彼女はわざとやっている節もある。見せつけたいという訳ではなく、場を和ませるついでに相手の反応を楽しんでいるのだろう。

 対する槍使いは慣れたもので、彼女の胸元には一切目もくれないが、いきなり目と鼻の先に現れた彼女の顔には流石に驚きつつも、「大丈夫だよ」と白い歯を見せてニヤリと笑う。

 まあ長年の付き合いがある彼女には、それが強がりである事はバレてはいるのだろうが。

 だが自分が大丈夫と言えば、彼女は深く掘って来ない事も既に知っている事だ。

 彼の予想通りに魔女は「そ……」と息を漏らして頷くと、柔らかな笑みを浮かべて元の位置へ。

 途中で肉感的な足を組み換えると、野次馬の視線はそちらに集まった。

 

 ──本当にこういうとこもすげぇよな。

 

 槍使いはシチューを皿ごと持ち上げてあおりながら、横目で魔女の姿を見る。

 己の所作一つで相手の視線を誘導し、己の思い通りに行動をさせる彼女の姿は、確かに魔女と呼ぶに相応しい。

 冒険者は数多いといえど、彼女と同じ練度で同じ事を出来る者は多くはいるまい。

 それこそ噂に名高い賢者の学院の教師にもいはすまい。

 だが彼女には出来て自分には出来ないことがあるように、自分に出来て彼女に出来ないことも多々あるのだ。ある筈だ。

 それらが上手く噛み合うからこそ、この二人は一党としてやってこられたのだろう。

 

 ──噛み合っていると言やあ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!ですから無理はしないでください!」

 

「その通りだよ。朝からふらふらなんだから」

 

 酒場の端。ギルドがこうなる前から彼らの指定席である円卓に、ゴブリンスレイヤーの一党と、頭目たる彼の面倒を見る牛飼娘が集っていた。

 かつては一人──たまに三人だったその場所に人が多く集まるのは、見ていて何だか気分が良くなる。

 彼らも彼らで噛み合ったから、ああして集まっているのだろう。

 

「──で、一つ目野郎倒してどうしたんだよ」

 

「あ?ああ、話の途中だったな。その後は──」

 

 野次馬たちの催促に意識を戻し、槍使いは再びまだ新しい思い出話を再開した。

 聞くものが聞けば鼻で笑いそうな、けれど確かに彼らが体験した、荒唐無稽な冒険譚。

 神々が予期しなかったその物語も、終わってしまえば酒の肴の一つだ。

 

「むぅ……」

 

 女神官と牛飼娘に世話をされるいつもの格好のゴブリンスレイヤーは、震える自分の手に目を向けて小さく唸った。

 疲労によるものも大きいだろうが、帰路を含めて手の震えが止まらないのだ。

 悪魔から奪った武器を振り続けたことがいけなかったのか、あるいは攻撃の一部に呪いの類いでもあったのか。

 考えた所で傷は癒えているとしか言いようがなく、疲労によるものが大きいだろうという結論付ける他にない。

 だが、震える手ではフォークもスプーンも充分には扱えない。物を刺せてもすぐに抜けるし、物を掬ってもすぐにこぼしてしまう。

 

「むぅ……」

 

 目を細めて再び唸り、どうしたものかと思慮をした。

 彼が困っていると気付いた牛飼娘は「仕方ないなぁ」と言葉の割に嬉しそうに豊満な胸を張ると、彼のフォークを拝借して彼が刺そうとしていたものを突き刺す。

「はい、どう──」と言いかけて、その手を空中でさ迷わせた。

 彼はいつものように兜を被り、じっとフォークの先に刺さった芋を睨んでいる。さて四角く切られた芋を、どこから兜の中に突っ込むべきか。

 いつもの彼なら器用に兜の隙間から入れるのだろうが手の震えが止まらず、代わりに食べさせようと意気込んだ牛飼娘はこんなことをするのは初めてだ。

 いまだに湯気を立たせるそれを不用意に突っ込み、彼に火傷をさせようものなら、何と言われるか……。

 

 ──どうせ『気にするな』って言ってくるんだろうなぁ。

 

 彼の事だから許してはくれるだろうが、そうなると今度は自分が許せなくなるし、何より次がなくなるだろう。

 そもそも次があると考えている時点であれではないかと考えたが、彼女はそれを表情には出さずに困り顔を保ち続けた。

 もし次があれば、その時は彼と今のままなのだろうかと、僅かに考えてしまったのだ。

 わざとらしくうーうーと唸る牛飼娘を前にして、ゴブリンスレイヤーは震える手を兜に伸ばす。

 いつもの倍近い時間をかけて固定具を緩め、一度呼吸を整えてから一気に脱ぎ去る。

 冒険者の割に白い肌と、それとは対照的な赤い瞳を外気に晒し、「これで良いか」と牛飼娘に問うた。

 

「え?ああ、うん」

 

 彼の突然の行動に目を丸くしつつ、牛飼娘は「あ、あーん」と今度こそ芋を差し出した。

 兜越しならともかく、こうして素顔の彼とこうも近づくのは久しぶりなように思えるし、割りと最近にもあったかなとも思う。

 彼は何度か息を吹き掛けて熱気を飛ばすと、「いただきます」と小声で呟いて芋を口にした。

 何度か咀嚼してから飲み込み、何て事のないように「次を頼めるか」と彼女に告げた。

「ま、任せて!」と狼狽えながら意気込むと、「何がいい?」と問いかけた。

 最初の一度を越えてしまえば後は楽だ。回りの皆とて──、

 

「「………」」

 

 ゴブリンスレイヤーを挟んで向こうに座る女神官と、冒険者相手に給仕の手伝いをしている受付嬢以外は気にした様子はない。なら大丈夫。きっと、たぶん、平気。

 

「なんじゃい、かみきり丸は相変わらず不調かいな」

 

「そのようだ」

 

「ふぅむ。拙僧の奇跡も傷は癒せども疲労となると、少々厳しいですな」

 

「気にするな」

 

「もう、そんなんで冒険に行けるの?」

 

「わからん」

 

 他の卓で飲み食いしていたのだろう鉱人道士、蜥蜴僧侶、妖精弓手が、にやにやと笑いながらゴブリンスレイヤーに声をかけ、彼の事を忘れていたと牛飼娘は赤面しながら俯き、手元で指をくるくる回す。

 今さら何でもないと返すわけにはいかず、かといってこの場を放れるわけにもいかず、どうしたものかと視線をさ迷わせた。

 そこでふと気づく。

 

「あの二人は?」

 

 肝心のローグハンターと、彼の相棒たる銀髪武闘家がいないのだ。言ってしまえば彼の一党もいないのだが、いつの間に消えたのやら。

 

「先ほど出ていかれましたわ。武闘家様と妹様、大司教様もご一緒です」

 

 彼女の疑問に答えたのは、「失礼しますわ」と円卓に加った令嬢剣士だ。若干ながら酒が回っているのか、その頬は僅かに赤い。

 

「探していたら伝えてくれと、頼まれてしまいまして」

 

 遅れて現れた女魔術師がそう付け加え、「何やら話があるそうです」と言いながら脱いだ三角帽子を卓の上に。

「そうなんだ」と牛飼娘が頷くと、「まさか、冒険の打ち合わせ!?」と狼狽えた妖精弓手が後を追おうとするが、「あい、待ちなされ」と蜥蜴僧侶が待ったをかけた。

 

「頭巾のにもやることがあるんじゃ。わしらは気にせず飲むに限るわい」

 

 鉱人道士が何やら訳知り顔で蜥蜴僧侶と目配せすると、ぐびりと火酒をあおり「誰か飲み比べでとせんか!」と卓に飛び乗り杯を掲げた。

「よし乗った!」と真っ先に杯を掲げたのは女騎士だ。既に出来上がった赤ら顔だが、据わった目で鉱人道士を睨み付ける。

 後ろでは重戦士がやれやれとため息を漏らし、少年斥候は青年戦士らに混ざってまた別の意味でやれやれ!と声援を送る。

 槍使いは受付嬢から毒消し(アンチドーテ)を受け取りつつ「俺もやるぜ!」と杯を掲げ、魔女は「誰が、勝つ、かしら、ね……?」と挑発するように片目を閉じながら煙管を吹かす。

 それを合図に次々と冒険者たちは次々と杯を掲げ、参加を表明すれば、次に始まるのは賭け事で、誰かの掛け声を合図に野次馬たちの声が次々と重なっていった。

 いつもの場所のいつもの喧騒。一つ違うのは、ギルドの天井がないことか。

 まあそんな事はどうでも良い。月が神々の目の代わりと言うのなら、見せつけてやれ。

 

 ──今回の物語(シナリオ)は、俺たちの勝ちだと。

 

 

 

 

 

 ギルドの裏庭。演習場跡地。

 ローグハンターとアサシンの激闘があったその場所も、どうにかただの広場程度には持ち直していた。

 双子の月に照らされ、夜空に輝く星々に照らされるその場所に、幾人かの冒険者がいた。

 ローグハンターをはじめ、銀髪武闘家、勇者、剣の乙女、剣聖、賢者。

 酒場から拝借してきた料理の大皿を囲み、それぞれの側には麦酒の入った杯が置かれている。

 六人中五人が女性、それも誰が見ようと美人だと断言する彼女らに囲まれたローグハンターは、まず間違いなく嫉妬の対象となることだろう。

 まあ彼の恋愛対象は一人のみなのだが、それを知っていてもだ。

 だが、そこまで彼を知っている者ならそこではない理由で驚くだろう。

 あのローグハンターが鎧はともかくローブすらも脱ぎ、平服姿でいるのだ。加えて手首には何もつけられていない。つまり、今の彼は()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「むぅー」

 

「おい」

 

 不満げに自分の髪を引っ張ってくる勇者を、当のローグハンターも同じように不満げな表情で睨み付ける。

 彼女の気持ちはわからなくもない。同じ黒い髪だとはしゃいでいたのに、今自分の髪は色が抜け落ちたように真っ白だ。

「綺麗だよ?綺麗だけどさ……」と髪を梳きながら言うと、「何があったの」と問うた。

 ローグハンターは撫でてくる勇者の手をそのままに、「呪われたのかもな」と何とも曖昧に言いつつ肩を竦めた。

 

「呪われたって……」

 

「割りと本当かもよ?」

 

 信じられないと言わんばかりに彼の言葉をおうむ返しすると、彼の隣に腰かける銀髪武闘家が苦笑混じりに肯定した。

「倒れてたもんね」と彼の肩に手を置きながら言うと、「やられたからな」とさも当然のように言う。

 それで無事に二人で帰ってくる辺り、流石は銀等級冒険者と言うべきだろうか。

 賢者は勇者に混ざって彼の髪に触れ「見事に白い」と興味深げに目を細めた。

 さらさらと手触りが良く、指に引っ掛かる様子や枝毛すらないのは、女性として負けたような気がしてならないのだが、彼は手入れ等をしている様子もなく、髪も適当にうなじの辺りで纏められているだけだ。

 視線を興味深いものから不満げなものへと変え、じっと彼の髪に触れ続ける。

 

「どうして色が落ちたのか。手入れをしていないのにこんなに状態が良いのはなぜか。気になる……」

 

「人の髪を触りながらぶつぶつ言わないでくれ、気味が悪い」

 

「まあまあ良いではありませんか。こうして距離が縮まったのなら」

 

 肩越しに賢者を睨むローグハンターに、剣聖が朗らかに笑いながら言った。

 確かに賢者は彼に当たりがきつい事はあったが、それは彼が簒奪者(さんだつしゃ)の尖兵に成り果てる事を危惧してだ。その危機が去ったのなら、多少距離感が近くなっても構うまい。

 

「これで至高神様の託宣(ハンドアウト)も無効となったのでしょうか」

 

 剣の乙女が見えざる瞳で彼を熱っぽく見つめながら問うと、ローグハンターは僅かに思慮して「……どうだろうな」と曖昧な返事。

「え?」と声を漏らしたのは、果たして誰だろうか。

 それに構わず、ローグハンターは言う。

 

「大司教が見たと言う夢は、俺じゃなく俺に似た誰かなのかもしれない。十年後か二十年後、あるいは百年後の」

 

 指で円を描きながら、「生命は常に廻っている、だろ?」といつかに聞いた円環(サークル)の話を例えに出しつつ、「だから、なんだ」と僅かに言葉に迷いつつ、

 

「その託宣の事は、何かしらの形で残しておくべきだと思う。粘土板でも何でも、形の有無はともかくとしてな」

 

 彼はそう告げると勇者と賢者の手を払い、今度は勇者の髪を手で梳始めた。

 彼女は気持ち良さそうに目を細め、猫のようにごろごろと喉を鳴らす。

「器用な奴」と兄としての優しげな笑みを浮かべつつ、ローグハンターは言葉を続ける。

 

「先人たちがそうしてくれたように、俺たちが未来の誰かに警告を残しておけば、未来の勇者がどうにかしてくれるだろう。お前らがそうしたように」

 

 勇者たちを示しながら言葉を締めくくり、「まあ、無いに越したことはないがな」と苦笑を漏らした。

 

「確かに無いに越したことはないよね~」

 

 いまだに頭を撫でられている勇者は少々気の抜けた声で応じつつ、「もっと撫でて~」と既に撫でられているにも関わらず尚も催促。

 ローグハンターは「この欲しがりめ」と笑いつつ、ぐしゃぐしゃと少しばかり乱暴に頭を撫で始めた。

「ん~♪」と上機嫌そうに声を漏らす勇者を恨めしそうに睨むのは、銀髪武闘家と剣の乙女の二人だ。

 片や恋人、片や片想い。立場と重さは違えど、彼に向ける好意は同じ。

 気を抜いているとはいえ二人の視線に気付いたローグハンターは肩を竦め「手が足りないな」と苦笑を漏らし、一言告げてから勇者から手を離すと、右手は銀髪武闘家に、左手は剣の乙女の頭に置いた。

 

「ともかく、今回の件は迷惑をかけた」

 

「気にしない、気にしない。キミが何かに巻き込まれるのはいつもの事だからね」

 

「あなたの為なら、例え火の中水の中ですわ」

 

 銀髪武闘家はにこにこと楽しそうに笑いながら、剣の乙女はどちらかというと恍惚の表情を浮かべながら、髪の毛越しに感じる彼の手の感覚と温もりと言葉を堪能するように言った。

 それぞれの反応を示す二人に困り顔を浮かべつつ、それもまた個性かととりあえずは納得。

 

「しかし、あなた方が対峙したという件の女性は、一体何者だったのですか?」

 

 剣聖がふとした疑問を問いかけるように、今回の冒険の核心となる問いを投げ掛けた。

 直接対峙した銀髪武闘家も「何だったんだろ?」と首を傾げ、中々に腹立たしい事を言われていたなと眉を寄せた。

 ローグハンターも二人から手を離して「さあな」と答え、「神を自称するろくでなし(ローグ)だ」と付け加えた。

 確かに彼女は元の世界なら手も足も出ぬほどに強かったのだろう。だがここは四方世界、骰の目で全てが決まる世界だ。

 盤の上に出てしまえば、かの魔神王でさえその事実からは逃げられぬ。それは神とて同じだろう。

 彼女はもっと長い目で作戦を練り、盤の外からあれこれと影響を与えるだけで良かったのだ。何を勝負を焦ったのか。

 

 ──いや、俺のせいか。

 

 ローグハンターは自分にそう言い聞かせる事で思考を切り替え、顎に手をやり僅かに唸る。

 彼女は言葉の節々で自分を待っていたというむねの発言をしていた。

 自分がこの世界に転がり込んだからこそ彼女は動きだし、友人たちをそれに巻き込んでしまったのだろうか。

 だがしかし、それなら転がり込んだ直後から行動を起こしておけば良かっただろうに、なぜ七年近く経ってから動き出したのか。

 疑問は尽きず、だがその答えを知るには余りにも遅すぎる。

 

「どうかした?」

 

 脳内で次々と疑問を巡らせるローグハンターの視界に、銀髪武闘家の顔が入り込んだ。

 彼女の銀色の瞳がまっすぐにこちらを見つめ、そこに映る自分の顔は何とも張り詰めたものだ。

 いかんいかんと自分の頬を張り、「考え事をしていただけだ」と笑みを浮かべた。

 

「本当に?」

 

「本当だとも」

 

 じっと瞳を覗きながらの問いかけに、ローグハンターは胸を張って頷いた。

 だが彼女は目を逸らす事なく見つめ続け、何やら頬を朱色に染めて笑みを浮かべた。

 

「やっぱりキミの目はこっちの方が良いね」

 

 そっと彼の頬を撫でながらそう告げて、「夜空みたいに暗いけど、とっても優しい色」と彼の蒼い瞳をそう評した。

 横の剣の乙女は彼女の発言で彼の瞳の色を夢想して、これまた恍惚の表情を浮かべる。

 彼女の反応を多少気味悪がりながら、勇者は「そうだよね」と銀髪武闘家に同意を示す。

 女性陣に誉められたローグハンターは照れ臭そうに赤く染まった頬を指で掻きながら、そっと三人から目を逸らした。

 

「それにしても、今回の件はどう報告するべきでしょうか」

 

 話が進まないと一度咳払いを挟んで剣聖が問うと、ローグハンターは「別に難しくはないだろう」と断言した。

 

「冒険者ギルドを襲撃した祈らぬ者(ノンプレイヤー)を追跡。根城にしていた島にたどり着いたから、そこに待ち受けていた魔物とその主を討伐。いつも通り、突撃殲滅(ハックアンドスラッシュ)しただけだ」

 

 苦笑混じりに彼はそう告げ、「むしろ報酬の方が心配だがな」と配そうな声音で告げた。

 彼とて冒険者。金がなければ宿には泊まれず、それが続けば生きられぬ。

 事前に準備や交渉をしていたとはいえ、どれ程の額が貰えるのかは不明瞭だ。相場通りか、あるいはギルドの修繕の為に何割か持っていかれるか。

 様々な不安が渦巻くなかで「それはわたくしが掛け合いますわ」と剣の乙女が言えば、「任せた」と返す他にない。

 

「場所はわかったから、今度あの島を調べてみたい」

 

 不意に呟いたのは賢者だ。冒険者たちの視線が一斉に向けられたが、彼女は「気になる」と瞳に断固たる意志を込めて告げる。

 

「たぶん、あそこは盤の隅」

 

「転がり落ちれば盤の外。外に興味でもあるのか?」

 

 ローグハンターが手振りを交えながら問うと、賢者「外には興味ないけれど」と若干の否定をしつつ、「あの遺跡は気になる」と言葉を続けた。

 あの場所には見たこともない材質の何かが多かった。未知を貪欲なまでに探求する彼女が気になるのは仕方がない事だ。

 

「何もないと思うがな」

 

 ローグハンターはエールの注がれた杯を手の中で弄びながら、僅かに目を細めた。

 

「過ぎた力は人を不幸に、過ぎた技術は人を破滅させる。調べるにしても慎重に頼む」

 

「わかってる」

 

 彼からの忠告を聞きながら、賢者は「いつ出発する?」と勇者と剣聖に短く問うた。

 問われた二人は顔を見合わせ、もう少し休んでからと結論を出した。

 島は生き物ではないのだから逃げはしない。生き急がずに準備を整えてからで良いではないか。

 

「先生!先生、どこですの!?」

 

 ひどく弛緩した雰囲気が流れる裏庭に、場違いに張り詰めた声が響いた。

 声からして令嬢剣士であることな明白で、彼女が先生と呼ぶのはただ一人。

 ローグハンターはわざとらしくため息を吐くと、「こっちだ」と声を張り上げた。

 とたとたと騒がしい足音をたてて近づいてくると、令嬢剣士は「大変ですわ!」と顔色を青くしながら酒場の方を指差した。

 

「なんだ、盗賊が報復にでも来たか」

 

「違います!皆酔っぱらってしまって、収拾がつかないのですわ!」

 

「酔っぱらったって……」

 

 ローグハンターは目を細め、仕方がないと言わんばかりに息を吐く。

 誰かが暴れだしたか、あるいは泥酔して倒れたか、ともかく人手がいるらしい。

 

「それじゃあ、戻るとするか」

 

「ほおらね」

 

 ローグハンターの提案に銀髪武闘家が大皿の料理を口に放り込みながは頷くと、他の冒険者たちも同意を示す。

 勇者が空になった大皿を抱え、剣聖と賢者が器用に杯を回収、剣の乙女が令嬢剣士に「何があったのですか?」と歩きながら軽い聴取を始める。

 彼女らの背中を見送るローグハンターは、また一つ息を吐いた。

 

「どうかした?今日一日何だが悩んでるみたいだけど」

 

 そんな彼の顔を覗きこんだ銀髪武闘家が、「相談なら乗るよ?」と笑みを浮かべた。

 

「相談……。そうだな、話を聞いてくれないか」

 

「うん、良いよ。その前に中に──」

 

 何やら話があると聞いた銀髪武闘家は、酒場の方を示して中に入ろうとしたが、言葉を遮る形でローグハンターが先手をうった。

 なんの脈略もなく、その場に跪いたのだ。

 

「え、あ、ちょっと……?」

 

 彼の突然の行動に狼狽えつつ、「ど、どうしたの?」と更に問う。

 前を歩いていた勇者たちも異変に気付き、なんだなんだと二人の方へと戻ってくるが、覚悟を決めたローグハンターにはそんな事は些細な事だ。

 一度を深く息を吸い込み、後は勢いに任せて吐き出した。

 

「──シル!」

 

「ひゃ、ひゃい!?」

 

 突然呼ばれた自分の愛称に驚きの声をあげた銀髪武闘家──もといシルヴィアの左手を取り、ローグハンターは彼女の薬指に何かを填める。

 何度も練習したように一切の淀みがないのは、それこそ彼の覚悟の現れただろう。

 彼はゆっくりと彼女の左手を離し、跪いたまま彼女を見上げて宣言した。

 

「俺と──!」

 

 異常なまでに重くなった口を根性のみでこじあげ、逸らそうとする自分の瞳を意志のみで真っ直ぐと彼女を見据えさえ、放つ言葉は一世一代の大勝負。

 

「──け、結婚して、くれない、か……?」

 

 僅かに言葉が詰まったことと疑問符がついたことに頭の中で舌打ちを漏らしつつ、僅かな羞恥心で顔が耳まで赤くなる。

 ローグハンター(ジブリール)からの突然の告白に銀髪武闘家(シルヴィア)は面を食らうが、言葉の意味を理解すると共に目から涙が溢れた。

 ああ、ようやく、ようやく、彼から言ってくれたと。

 恋人になって欲しいと告白をした時に告げた言葉が、ようやく実を結んだと。

 彼女は涙を拭いながらその場に膝をつき、彼と顔の高さを合わせると、優しく彼の頬を撫でた。

 

「遅いよ、もう……」

 

「すまん。情けない限りだ」

 

 自分の言葉に対して素直に謝る彼に笑みをこぼし、「でもキミらしいね」と励ましひとつ。

 彼の頬を撫でていた手で、彼の頭をぐいと自分の方へと寄せ、互いの額を当てて体温を共有する。

 彼の温もりが、昔と同じで自分の体も心も温めてくれる。

 彼女の温もりが、壊れかけた自分の癒し、前へと進めてくれる。

 もはや答えは言わずとも、きっとわかってはいるだろうけれど。

 

「俺はお前を愛してる、シル」

 

「私もキミを愛してるよ、ジル」

 

 ふふと互いの愛称と共に笑顔を交換し、そのまま無言で口付けひとつ。

「キィ──……ッ!」と天高く舞っていた鷲が二人を祝福するように鳴くと、それを合図に周りの時が動き出す。

 具体的に言うなれば、剣の乙女が目を回して倒れ、彼女を剣聖と賢者が慌てて支え、はしゃいだ勇者が「皆、お兄ちゃんが、お兄ちゃんが!!!」と酒場の方へと駆けていき、令嬢剣士は顔を真っ赤にして固まった。

 そんな彼らを他所に、お互いに向き合いながら膝をついていた二人は肩を組みながら立ち上がり、顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 シルヴィアは改めて自分の左手を見つめ、月光に透かすように高く掲げた。

 優しげな月光に照らされて、薬指に填められた指輪が綺麗に輝く。

 何とも彼らしい飾り気のないシンプルな指輪だが、指で隠れるように指輪の内側に刻まれた言葉は、彼女にのみ贈られた言葉だ。

 それを彼女が知るのはもう少し後のことで、その言葉は天上の神々とて知りはしない。

 だが、一つだけ言えるとすれば──。

 

「──私は、世界で一番幸せな冒険者だね」

 

 

 

 

 

『幻想』と『真実』の神様は、空の上から彼らの祝宴を眺めながら、『良かったね』と笑顔を浮かべます。

 けれどすぐに表情を引き締めると、盤を端から端までをつぶさに観察します。

 喧嘩を売ってきた『かつて来たりし者』を退けたのは良いですが、あの女神が遺した影響を探らねばなりません。

『あ、洞窟が増えてる』とか『このアイテム、何だろう』とか、他の神様も協力してです。

 まあ作った神様がすぐに見つかるものがほとんどですが、時々あの女神が遺したアイテムやダンジョンが散見しているようです。

 

『あー、もうあの野郎』

 

『真実』が目を細めながら言うと、『幻想』が『野郎じゃないでしょ?』と苦笑を漏らします。

 かく言う彼女は二枚の紙切れを眺め、深々とため息を吐きます。

『幻想』が眺めているのは、ローグハンターと銀髪武闘家のステータスシートです。

 本来なら斥候、戦士などの職業から細かな技量まで書いてあるのですが、二人のシートは一言で言えばぐちゃぐちゃになっているのです。

 勇者ちゃんを丁寧に設定したぶっ壊れキャラとするなら、二人は適当に殴り書いたぶっ壊れキャラと言うべきでしょうか。ともかく要所要所に意味不明な言葉が並んでいます。

 何ですか「覚醒(隔世)状態」って、何ですか「神を殴った拳(ゴッドハンド)」って。

『あー、もう!』と『幻想』は髪をぐしゃぐしゃにしながら卓に突っ伏して、『これ治さなきゃいけないの!?』と叫びます。

『ガンバレー』と周りの神様たちからの心ない声援を受けて、自棄を起こしたように叫びながらステータスシートと向き合います。

 こっちだって部外者を部屋に入れてしまったので、その反省文代わりと思えば楽では──。

 

 ──ないよね!?

 

 思わず自分に自分でツッコミを入れつつ、うーうーと唸りながらステータスシートを書き直していきます。

 斥候レベル完スト。戦士レベル完スト。野伏レベルほぼ完スト。武闘家レベルほぼ完スト。魔術師レベル並みより高い、むしろ完ストが近い。神官レベルだけ並み程度。それを補うように個人的な能力(ユニークスキル)が多数──……。

 

『なにこのぶっ壊れキャラ!?』

 

 ローグハンターのステータスシートを書き直しながら、『幻想』は可愛らしく悲鳴をあげました。

 こんなキャラ、どうな物語(シナリオ)だろうとすぐにひっくり返せるではありませんか!

 継ぎ接ぎ(レベルブースト)した結果、とんでもないキャラが生まれてしまっているではありませんか!

『幻想』は一通り叫ぶと、ステータスポイントがまだ余っている事実を発見してまた叫びます。

 彼女の可愛らしい悲鳴を他所に、神様たちは次々と遺された物語(シナリオ)を確認。進行中ならとりあえず進ませ、まだ開始されていない物語をどうしようかと顔を合わせました。

 あの女神が遺したものです。きっと録でもない高難易度に決まっています。

 

『出来れば巻き込みたくはないけど……』

 

 とある神様が遠慮がちに、ローグハンターの駒を示して『彼を頼る?』と問いますが、物語の数は盤のいたるところに散見し、一人で回すには余りにも多いです。

 あの女神を倒してくれた恩人を、家族を捨てた『果てなき旅』に送り出すのは、恩知らずと罵られる事でしょう。

 神様たちもそれをわかっているのか、乗り気になる神様は誰もいません。

 ならどうするかなんて、聞くまでもないですね。

 

『なら、いつも通り』

 

『真実』はそう言って笑うと、いまだにステータスシートと睨みあう『幻想』に目を向けます。

 

『冒険者の皆に頑張ってもらおうか』

 

 結局答えはそれだけです。一部の冒険者だけが挑む事のできる、超高難易度の物語。

 それが全て攻略された時になって、ようやくこの戦争は終わるのでしょう。

 それに何年、何十年、何百年とかかるかはわかりませんが、きっとどうにかなる筈です。

 冒険の結末は『偶然』と『宿命』の骰子次第。思いもよらない駒(ダークホース)が終わらせてくれるかもしれません。

 いつだって冒険の結果はわかりません。神様だって、冒険者だって、魔物たちにだって、誰にもわからないのです。

 だからこそ冒険者たちは勝ちの目を掴めるように装備を整えて、魔物たちはそれをさせまいと爪を研ぎます。

 いつも彼が言っているではありませんか。

 

 ──運は自分で掴むもの。

 

 なんですから。

 

 

 

 




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Epilogue
Memory01 闇に生き、光に奉仕する


長々と続いたSLAYER'S CREED、エピローグ第一話。
ログハンのお仕事編です。
奥さんとのイチャイチャは次回まで我慢してください。


 ──五年後。都、城内。

 

 上等な絨毯が敷き詰められ、等間隔に並ぶ柱には職人の技が光る燭台が嵌められてはいるものの、時間帯としてはまだ昼だ。蝋燭の出番にはまだ早い。

 壁に飾られた絵画は神代の戦いを描いたものや、時には王家の歴史を描いたものと、その種類は様々だ。

 そんな美術でもお目にかかれない絵画を横目に観賞しつつ、彼は黙々と廊下を歩いていた。

 表は黒、裏地は赤の上等なコートを纏い、折られた襟にはアルファベットの『A』を模したような紋章が刺繍され、彼が何に所属し、どれ程の地位にいるかを、彼らを知る者にのみ知らしめる。

 左手を覆う革の籠手(ガントレット)は上等さよりも丈夫さや軽さを意識したものだろう。

 武骨なそれに隠された白銀の刃には鋭い輝きが宿り、振るわれる時を今か今かと待ちわびていた。

 その隣につけられた短筒(ピストル)は、試行錯誤の末にようやく完成させたものだ。

 いまだに着なれない上等なコートの着心地に眉を寄せつつ、肩を回した。

 首もとを締めるネクタイは適当に結んだだけのもので、上等なコートに反してどこか気の抜けた印象を相手に与える事だろう。

 だが、それは彼の瞳を見ていないからだ。

 背後から近づいてくる気配を感じ、彼は瞳を揺らした。

 蒼い瞳の虹彩には僅かに金色が散り、見る者によっては夜空をそのまま閉じ込めたと称するだろう、美しい瞳。

 彼はゆっくりとした足取りで止まると、深々とため息を吐いた。

 

「──出てこい」

 

 声に僅かな苛立ちを込め、フードを取り払いながら振り替える。

 彼の初雪のように白い髪が尾のように揺れ、背後から近づこうとしていた何者かに威圧するような視線を向けた。

 彼の人を殺せそうな視線を受けて「ひゃっ!?」と声を出したのは、廊下の角から顔を出していた子供たちだ。

 年は五歳にも満たない、()()()()()大して変わりはしないだろう。

 彼らは「みつかった~♪」と何やら楽しそうに騒ぎながら、廊下の奥へと消えていく。

 その直後に彼らを追いかける侍女(メイド)がぱたぱたと駆けていき、すれ違い様に「申し訳ありません」と頭を下げていった。

 一人取り残された彼は頬を掻き、「頑張れよ」とどこか同情するような目を彼女の背に向けた。

 遊び盛りの子供というのは、冒険者の子供であろうと()()()()()()であろうと違いはあるまい。

 小さく息を吐きながら肩を竦め、踵を返して再び歩き出す。

 足元に絨毯が引かれている事を差し引いても、彼は一切の足音を立てない。それは彼の体に刻まれた技術(スキル)であり、一歩一歩にその熟練度を伺わせる。

 途中すれ違う侍女や執事にも丁寧に会釈をしながら、廊下を進むこと数分。

 城内に鎮座する両開きの扉の前で足を止めた。

 あれから幾度か訪れ、またこうして訪れる事となった場所。

 変わらないという事は難しい事で、何か一つでも変われば、連動するように別の何かも変わる。

 まさに歯車仕掛けの細工のように、小さな歯車一つがずれてしまえば、また別の形へとなってしまうのだ。

 

 ──まあ、結果論だか。

 

 あれから多くの変化があった。

 告白直後にお陰で酔いが覚めたらしい仲間たちに祝福され──とてつもなく恥ずかしかったが、同時に嬉しくもあった──、何度も相談を重ねた結果住み慣れた辺境の街に居を構え、時には冒険──本来の意味でだ──に出掛け、また愛する人の場所へと帰る。

 その過程で手に入れることになった、腰に下がる現在の愛剣の赤い柄を撫でながら、彼は微笑を浮かべた。

 二年も経てば家族が増え、少しでも一緒にいるべく冒険を控え、その分後進の育成に力を入れた結果、いつの間にやら『冒険者になるなら西に行け』という言葉まで出来てしまった。

 それが巡りめぐってこの場に行き着き、こうして上等な格好をするはめになったのだが、それで新人たちの生存率が上がるのなら満足だ。

 

 ──いや、(こっち)に来ると家族に会えないな。

 

 脳裏を掠めた満足感を訂正し、意識を切り替えるように咳払いを一つ。

 そしてまた変な考えを起こす前に扉に手を置き、慣れた動作で押し開けた。

 瞬間彼の視界に飛び込んでくるのは、無人の大広間の中央に鎮座する円卓だ。

 美しい石材を磨き上げたそれは、有史以来から残される遺産。祈る者(プレイヤー)たちが手を取り合い、混沌の手勢と立ち向かうと決めた証だろう。

 そこにまさかの一番のりという結果に彼は僅かに目を剥きつつ、小さく息を吐いて「失礼する」と告げてから入室。

 窓に填められた色硝子を通した陽の光に目を細めつつ、取り決め通りに決められた円卓の席に足を向けた。

 ずかずかと無造作な、けれど一切足音をたてずに無人の広間を歩く彼は、初見なら亡霊と思われるほどに存在感が希薄だ。

 けれど確かに彼はそこにいて、いつの間にやら円卓の一席に腰を降ろしていた。

 雑嚢から書類類を引っ張り出し、念のためと中身を最終確認。

 ぺらぺらと紙を捲る音のみが響く大広間は、さながら彼のみの入室を許したかのようだ。

 静寂とは何か一つでも音が出るだけで消えるものならば、孤独とは誰かが部屋に入った時点で終わるものだ。

 ぎぎぎと重い音をたてながら扉が開かれ、次々と大広間に入室した参加者が円卓へと腰かけていく。

 途中で彼に気付いて露骨に媚びへつらうような挨拶をするものや、時には友人のように挨拶を交わすもの、時には親の仇を見るように睨むものなど、その反応は様々だ。

 円卓に加わった順でいえば、彼が一番最近──つまりこの中で一番の新参者だ。

 だが彼を慕う貴族令嬢や貴族の御曹司の親、彼に助けられた結果大成した商人など、この場にいる中で彼に借りがある者も多い。

 つまる所、彼は新参者でありながら、その発言には相当な力があるということだ。

 それを気に食わないと思うことも相手の勝手、少しでも媚びて自分を後ろ楯にしようとすることも勝手だ。

 彼は彼らの挨拶に柔らかな笑み(営業スマイル)を浮かべつつ丁寧に返していくが、彼の両隣には誰も腰かけない。

 そこに誰が座るのかは、彼が円卓に加わってから決まっているのだ。

 

「お隣、失礼しますわね」

 

 一言声をかけてから、ゆるりと彼の隣に彼女が腰を降ろしたのはすぐの事。

 自らが腰かけた椅子に天秤剣を立て掛け、儚げではあるが同時に優しげな笑みを浮かべる女性が纏うのは、その肉感的な肢体を隠す──ようでいて強調するような、白い薄布。

 その美貌はすれ違う誰もを魅了し、そうして足を止めた人に向けて笑みをこぼすのは、一重に彼女の機嫌が良いからだろう。

 書類一枚一枚と真摯に向き合う彼は彼女が隣に腰かけた事に気付いていないのか、ただ黙々と書類に目を通す。

 女性は視界に映る彼の横顔を絶景を眺めるように見つめる。

 蒼い瞳が僅かに揺れながら書類の中身を読みとき、無意識の内に動いている唇は妙な色気があり、何より真摯に仕事に打ち込む彼の姿は見ていて心地が良い。

 その視線を一身に浴びる彼は居心地悪そうに身動ぎし、「何かようか?」と横目で彼女に目を向けた。

 透き通るほどに白い肌、陽の光を浴びて宝石のようにきらきらと輝く金色の髪、そして曇り一つない碧眼が、彼の視界に収まった。

 同時にようやく隣に座ったのが何者かを理解し、今度は心からの笑みを浮かべて彼女の方へと向き直る。

 

「大司教か、先日ぶりだな」

 

「ええ。わたくしにとってはお久しぶり、ですけれど」

 

 彼の挨拶に女性──剣の乙女は柔らかな笑みで返し、にこにこと上機嫌そうに笑みを深めた。

 もう三年も前になる。人生初めての恋愛と失恋をほぼ同時に経験し、半ば自棄になりかけたのは。

 その時はまあ語るのも憚られる程に取り乱したが、今はこうして落ち着いている。

 

『お前の想いには答えてやれない。その代わりと言っては何だが』

 

 彼はそう言って、いかなる手を使ったかはわからないが、自分の見えざる瞳を癒してくれたのだ。

 まあ、その反動で彼はしばらく寝込むことになり、彼の妻と手分けして介抱することになったが、それは良い思い出だろう。

 

「陛下のおなりです!」

 

 円卓の据えられた幾らかある豪華絢爛な玉座は、それぞれの種族の代表が座るためのもの。

 混沌との大規模な戦争もない今は、陛下と呼ばれて大広間に入ってくるのはこの国の王だけだ。

 どことなく弛緩していた空気が張り詰め、談笑していた者たちが一斉に口を閉じた。

 彼らにならう形で彼も意識を切り替え、大広間に入室した人物たちに目を向けた。

 老いた大臣、赤毛の枢機卿、褐色肌人の宮廷魔術師、銀甲冑の近衛騎士、その他金等級の冒険者、銀色の髪を揺らす、異様に気配の薄い小柄な侍女。

 彼らをさながら一党を率いる頭目のように連れて歩くのは、この国の王である美丈夫だ。

 王族の衣服に包まれた体は彼ほどではないが筋肉質であり、さながらたまに冒険に出ているような雰囲気すらある。

 彼はちらりと獅子の如く双眸を彼へと向け、僅かに笑みながら目を細めた。

 だがそれは彼とて同じ事。少しばかり用事ができ、その出先で偶然顔を合わせた事があるのだ。一度や二度なら偶然で済ませるが、そろそろ二桁に突入するとなるとこれは必然だろう。

 二人の目配せに気付いた銀色の侍女はため息混じりに彼へと目を向け、小さく会釈。

 それを同じように返してやるのと、王が玉座に、その配下が円卓の席についたのはほぼ同じ。

 これより始まるは御前会議。時には国の行く末さえも決める、とても重用な会議。

 彼が冒険者として駆け回っていた頃から僅かに老けた──あるいは大人びたというべき──王は、円卓をかこむ者たちを見渡すと、王としての気迫と共に口を開く。

 

「では、定刻だ。始めよう」

 

 そうして王は獅子の如き凛々しさを持って笑みを浮かべ、報告に耳を傾け始めた。

 

 

 

 

 

 彼にとって、この御前会議に呼ばれるようになったのは本当に偶然が重なった結果だ。

 妻との結婚、第一子の誕生を皮切りに力を入れ始めた後進の育成。

 家族との時間を増やすべくギルドに交渉し、訓練場でものを教える対価に一定の給料を勝ち取った彼は、それに報いるべくやれることから手を出していった。

 いつぞやに助けた知識神の寺院と交渉し、週に何度か字を教えに来てもらえるようにした。相手は割りと乗り気で話を受けてくれた。

 助けた貴族令嬢が当主となった家から、僅かばかりの資金援助を頼んで回った。予想の倍以上の資金が集まった。ついでに貴族の次男三男、家出した貴族令嬢もよく来るようになった。

 街から訓練場に至るまでの道に松明台を設け、夜間でも街への道を分かりやすくした。ついでに柵を設けてゴブリン対策もした。

 狐を経由して『眠る狐亭』と提携を結び、いわゆる給食制度を始めた。

 他にも多くの事柄を突き詰め、改善し、実行していった結果、いつの間にやら訓練場は『冒険者の学校』とまで呼ばれるようになり、多くの冒険者となろうとする者たちが集まるようになったのだ。

 様々な貴族から支援を受けた為か、あるいは貴族出の冒険者が増えた為か、その話は割りと早い段階で王の耳まで届き、その代表者として彼はここに呼ばれるようになったのだ。

 

「それでは西の訓練場──もとい学校の方はどうだ」

 

 王がどこか楽しげに話題を振ってくると、彼は小さく息を吐いてから立ち上がった。

 いまだにこうして話をするのには慣れない。

 彼はそう思いつつ円卓を囲む者たちを見渡し、もう一度息を吐いた。

 

「まず今回の参加者についてだが──」

 

 そう言って彼──かつてならず者殺し(ローグハンター)と異名をとった冒険者は、王や貴族たちに向けて話し始めた。

 先程まで眺めていた書類には一切目もくれず、頭に入れた情報を一言一句違わずに言葉へと変える。

 何人が授業を受け、誰が青玉等級となり卒業した。

 誰が冒険中に死んだ。誰が故郷への帰省を余儀なくされた。誰がいつの間にか来なくなった。

 結果の全てを数字に変え、等級が上がった事は誇らしく、死んでしまったのは感情を排して淡々と、全ての情報が残酷なまでに淀みなく言葉となる。

「学校は駆け出しを支援するためのものだ」と彼は言い、現に一定の等級──青玉が妥当だと決めている──となったものは卒業と告げて送り出す。

 強さの基本は教えた。それをどう昇華させるのは個人次第だと、彼は言う。

 その後強さを見つけて生きようが、見つける前に死のうが、送り出した彼には関係のないことだ。

 それでも死んだ者はどういった冒険に挑んで死んだのかは把握しているのだろう。

 

「──卒業生の話だが、何人かは銀等級への昇格試験間近だそうだ」

 

 そうして生き残り、かつての自分と同じ等級まで登り詰めた者の名前が、最後の最後に告げられる。

 貴族や商人がごった返すこの場で名が出れば、何かの拍子に名指しの依頼があるかもしれない。

 詰まる所、これは宣伝。後輩たちの為の繋がり(コネクション)作りの一環だ。

 現に幾人かの商人はその名を手元の紙に記し、幾度が頷いている様子が見てとれる。その商人たちな皆、ローグハンターに恩のある人々だ。

「──冒険者に関しては以上だ」と彼が言葉を締めくくると、王は上機嫌そうにうんうんと頷いていた。

 彼の王とてかつては冒険者だったのだ。冒険から離れて久しいとはいえ、後進の成長を喜ばずしてどうする。

 

「運営資金の問題や授業時間の設定あたりにはまだ粗が多いが、少しずつ改善の兆しが出始めている。まあ、本当に少しずつだが……」

 

 王の前であろうといつも通りの口調で話す彼を、咎めようとする者はいない。

 諦めたと言えば聞こえは良いが、そもそもとして彼に強く出れる人間なんぞ滅多にいないのだ。

 彼がただの剣だと言わんばかりに腰に下げている剣は、かつて魔神将の一体が持っていた、とある呪いの込められた魔剣。

 それを彼が持っているということは、つまり「討ち取った」という事実を示し、それを知る者ほど彼と正面切って戦う愚を犯さない。

 まあ裏業界(ローグギルド)から手を伸ばした所で、彼を討つには足りないどころか逆効果なのだが……。

 そんな貴族たちの思惑を知りながら放置するローグハンターは、誰にも聞こえないように鼻を鳴らして肩を竦めた。

 

「報告はこの程度だ。質問は」

 

 一通り話し終えたローグハンターは円卓の面々に問いかけ、何もないと判断を下して「以上だ」と告げて腰を降ろす。

 隣に座っていた剣の乙女が周囲の視線を無視し、一人演説を行った彼の姿に恍惚の面持ちとなっていたが、大きめの咳払いを合図に表情を引き締めた。

 次なる議題は冒険の種とも言える問題だったが、ローグハンターは気にも止めない。

 それは国の南の方の話だったからだ。基本的に西の辺境と都を往復するだけの彼には、あまり関わりのない話だろう。

 

 

 

 

 

 御前会議が終わりを告げたのは、まだ低かった陽が天頂に至ろうとした頃だった。

 ローグハンターは退屈からくる欠伸を噛み殺しながら書類を纏め、乱暴に雑嚢へと押し込む。

 

「あら、お急ぎなのかしら?」

 

 隣の剣の乙女が問うと「予定が詰まってる」と短く返すのみ。

 彼女は「そうですか……」と残念そうに言うと、「お昼をご一緒にと、考えていましたのに」と不貞腐れたように唇を尖らす。

 ローグハンターは「そうなのか」と言うが、手を止める事はない。先程も言ったが、いかんせん予定が詰まっているのだ。

 彼はちらりと足早と大広間を去っていったとある貴族に目を向け、次に意味深に彼に目を向けていた外交官と視線を合わせた。

 目配せのみで言葉を交わし、ローグハンターは小さくだが確かに頷いた。

 今回の狙いはあの男だと確認したのだ。

 

「ではまた今度。何かあればすぐに連絡をくれ。子供らに会いたいなら、隙を見て遊びに来い」

 

 座席から立ち上がりながらそう告げて、「では」と彼女に背を向けて歩き出した。

 彼の背を視線で追いかけ、「また今度」と嬉しそうに声を弾ませる。

 当の彼は人混みにまぎれた途端に姿が見えなくなり、足早にどこかへと行ってしまう。

 彼の背中に見とれていた剣の乙女はハッとして自らの荷物を纏め、ゆらりと座席から立ち上がる。

 まことに残念ながら昼の予定が空いてしまった。こうなれば至高神の神殿に戻るほかなく、その道中は平和なものだ。

 数年前まで威張り散らしていた物乞いの王なる人物がいつの間にか殺害され、今は灰被りの女王という闇人が都の物乞いや貧民窟を牛耳っているという。

 言葉だけ見れば物騒になっていそうだが、実際にはより平和になっているのだから笑えてしまう。

 きっとその時も彼が頑張ってくれたのだろうと、何となくだが察しがついた。

 

「本当に、不器用なお方」

 

 首に下げるお守り変わりの鷹の風切り羽を撫でながら、剣の乙女は小さく呟いた。

 

「けれど、わたくしはお慕いしておりますわ」

 

 彼はいつだってそうだ。言うべき事をはっきりと言い、悪や混沌を決して許すことはない。

 それこそがならず者殺し──ローグハンター。

 貴族や商人、村落を狙うならず者。

 邪神を復活させんと暗躍する邪教徒。

 その過程で生み出された名状しがたい肉塊、あるいは悪魔。

 果てには都に侵略しようとした魔神将。

 仲間たちと共にその悉くを討伐した彼は、けれどその呼び名は変わらない。

 ある者は言った、彼こそは西の守護者だと。

 ある者は言った、彼こそは秩序にして善なる戦士だと。

 ある者は言った、彼こそは魔を討つ者だと。

 ある者は言った、彼は家族の為に偽りの神を殺したのだと。

 そしてそれらを聞いたものが言った。

 彼は魔を討ち、神さえも滅する者。

 

 ──けれど、彼は世界を救うことはない。

 

 故に彼の異名は変わらず、故にその偉業が残ることはない。

 剣の乙女は今でも慕う彼の為に「ご武運を」と豊満な胸元で聖印をきると、可笑しそうに笑った。

 祈った所で、彼の信条はいつだって変わらない。後輩たちにも伝わり、いつしか更に広がっていくであろう言葉。

 

「──運は自分で掴むもの、でしたわね」

 

 

 

 

 

 その貴族は円卓に招かれる程に有能だった。

 戦があれば必ず馳せ参じ、時には兵や騎士を率いて先陣をきる。

 それこそが彼の誇りであり、それこそが彼の責務だと、回りの者には言っているし、何よりそれを信じている。

 馬鹿な奴らだと、貴族の男は自分を信じる者たちを嘲笑った。

 それは表向きの話だ。彼は混沌の手勢と組んで村を焼き、そこから女子供を拐い、それを高値で売りさばく──奴隷商人と呼ばれる男だった。

 若い頃は全うに働き、金を稼ぎ、出世を目指していた。だが、少しの手間でそれよりと稼げる事がわかれば、そちらを優先するようになった。

 いつからか燻っていた欲望の火は、目に見える炎へと変わってしまったのだろう。

 

「これが城の見取り図。そしてこれが」

 

「警備の巡回表か」

 

 その貴族が住まう屋敷の一角。窓を閉ざし、黒い厚手のカーテンで封がされたその部屋に、二人の男の声が響いた。

 窓から見えるであろう都は双子の月に照らされ、どこか幻想的な輝きを放っているというのに、彼らはそれを意図して隠すように窓を封じているのだ。

 貴族の男は目の前に立つ闇人の男に目を向けながら、淡々とした口調で言う。

 

「二年前、一度王の跡取りを拐う計画は失敗している。二度の失敗は許されまい」

 

「二年も前の事だ。もう警戒も緩んだだろう」

 

「確かに城内を駆け回っているがな」

 

「只人というのは、馬鹿な奴らばかりだ」

 

 城の守りを嗤う貴族の男と同調した闇人の男は、嗤いながらその双眸を細めた。

 貴族の男から渡された書類を凝視し、その字体や文字の歪みから、それが信頼に足る情報かを調べ始めたのだ。

 だがそれもものの数秒で終わり、「良いだろう」と得意気な笑みを浮かべた。

 

「決行は明日。王の跡取りたる子を拐い、それを依頼人へと売り飛ばす」

 

「王族の子供だ、高く売れるぞ……!!」

 

 闇人の言葉に貴族の男は狂気を孕んだ笑みで頷きながら、「では、また会おう」と右手を差し出した。

「ああ。ではまた明日に」と握手に応じる為に闇人も右手を差し出した瞬間、

 

「──それは面白そうだな。俺も混ぜて欲しいね」

 

「「ッ!」」

 

 突如として響いた第三者の声。

 二人は弾かれるようにそれぞれの得物を抜き放ち、声の主を睨み付けた。

 奴隷商人に堕ちたとはいえ貴族だ。剣術の心得はある。

 部屋の片隅に置かれた小さな机に腰かけながら、目深くフードを被った男が、そこにはいた。

 表は黒、裏地は赤に染められた上等なコートを前をはだけさせる事で着崩し、その割には丁寧に折られた襟には何かのシンボルが刺繍されている。

 左手を包む武骨な革の籠手には今はカップが握られ、何が入っているのか別として湯気が立っていた。

 二人は目配せしながら摺り足で男との間合いを確かめるが、当の男はカップに注がれていた何かを一気にあおり、

 

「ぶっ!」

 

 思い切り噴き出した。

 げほげほと咳き込みながら膝を叩き、「あいつが入れた方が断然美味いな」と悪態をつく。

 勝手に飲んでおいてそんな事を言う男など、無礼以外の何だと言うのだ。

 貴族の男は額に青筋を浮かべつつ、「貴様、何者だ!」と声を張った。

 問われた男はフードの下で面を食らいつつ、「今日の朝に会っただろう?」と相手をおちょくるように肩を竦めた。

 それでもわかっていない貴様の男に「城でだ」と挑発するように付け加えた。

 朝に城で会った人物などそう多くはない。いや、何よりもあの格好は──!

 

「貴様は……っ!」

 

「思い出したか」

 

 貴族の男の反応にローグハンターはフードの下で目を細め、血のように赤い愛剣の柄に手を置いた。

 寄らば斬ると目で語りかけながら、「投降するなら今しかないが」と最初にして最終警告。

「投降?はっ!笑わせる」と闇人が鼻で笑うと、彼の影から獣たちが這い上がり、涎を垂らしながら喉の鳴らす。

 貴族の男も剣を構えるが、その視線が向かうのは部屋の扉の方向だ。

 

「そうか……」

 

 ローグハンターは露骨に残念そうに肩を竦めると、腰かけていた机から降りる。

 床に着地する音は愚か、机が軋む音さえ出さないのは、持ち前の彼の技量によるものだ。

 

「ならばせめて、楽に逝け」

 

 彼は静かに告げながら、鞘から剣を抜き放った。

 一切の音をたてずに抜かれた刃は深淵を思わせる程に暗く、見るもの全てを呑み込む不思議な力に満ちていた。

 闇人と獣たちは、あれは危険だと告げてくる本能を努めて無視し、彼へとにじり寄る。

 

「勇敢と無謀は違うぞ?」

 

 ローグハンターの言葉が聞こえた時には、もう全てが終わっていた。

 前にいた筈の彼は自分の背後におり、ずるりと音をたてて視界が床と近くなる。

 不意に目を動かして見上げてみれば、そこにあるのは首から上が失せた自分と、切り裂かれた獣たちの体だ。

 首だけになっても数秒は意識があるという。その数秒の内に二人の表情は困惑と恐怖に目を見開き、そのまま固まったかのように息を引き取った。

 ローグハンターはやれやれと言わんばかりに首を振ると、闇人の目に手を添えて閉じてやる。

 

「──安らかに眠れ。恐怖もなにもない、永遠にも等しい円環(サークル)の中で」

 

 静かに冥福を祈り、それを終えると立ち上がると愛剣へと目を向けた。

 濡羽色だった刃には赤い血の痕が残されているが、まるで刃に吸い上げられたかのように消えていく。

 

 ──決して折れず、曲がらず、どんなものでも斬り、決して癒えぬ傷を与える対価に、一度抜けば必ず血を吸わせなければならない。

 

 剣に血に飢えた魔が宿っているのか、血に飢えた魔が剣となったのか、それは定かではないが。

 

「……やはり手に馴染むんだよな」

 

 妙に手に馴染む握り心地にどこか安堵を覚えつつ、ぐるりと部屋の中を見渡す。

 

「逃げたか」

 

『おや、珍しい事もあるものだ』

 

 彼の気の抜けた呟きに返したのは、フードの中に隠れていた小さな白い獣だ。

 額の宝玉が輝き、それと繋がる何者か──声からして女性が答えてきたのだろう。

 ローグハンターは肩を竦め、「他の連中は?」と問うた。

 

『うん、問題ないとも』

 

 獣越しに何やら楽しそうな声が伝えられる。

 きっと向こうにいる彼女──女教諭は笑っているのだろう。

 何せ今回が彼女が作ったものの初披露なのだから。

 

 

 

 

 

「くそ!くそ!くそっ!」

 

 貴族の男は廊下を走りながら悪態をついていた。

 まさか計画が見つかっており、こうも早く刺客を送り込んでくるとは。

 何がいけなかった。何を間違えた。何が甘かった。

 自分の失敗を心得は考えるが、それが思い付く事はない。何も失敗していないとしか思えないのだ。

 

「ッ!」

 

 そんな男の前に、一人の人影が現れた。

 黒を基調とした衣装を纏い、右肩には黒いマント。闇に紛れる為の衣装であることはわかるが、胸元の膨らみや腰の括れから女である事は確実だろう。

 

「何者だ……っ!?」

 

 気配もなく前に現れた女に向け、貴族は突剣の切っ先を向けながら問いかけた。

 瞳には怯えの色が強く、脅しが脅しとして機能していない。

 女は気だるげにため息を吐くと、右手に握られていた鷲を模した飾りの付けられた杖を弄び、「……降伏」と艶っぽい唇を動かして問いかけた。

 

「するわけないだろう!」

 

「……そ」

 

 興奮する男とは対照的に女の方は静かなものだった。

 左手を包む武骨な革の籠手に一瞬目を向け、教えられた通りに小指を動かした。

 僅かにものが摩れる音がなったかと思えば、そこから白銀の刃が顔を出す。

 

「……なんだ、それは!?」

 

「……さよなら」

 

 驚き狼狽える貴族の男が見たのは、自らに迫る女の残像のみだった。

 彼女の技量はローグハンターには程遠いが、狼狽えて隙を見せた相手を殺すことは造作もない。

 ローグハンターと賢者の学院の女教諭を中心にして作られた、この世界における暗殺者の象徴(アサシンブレード)は、新天地においても確実な結果を残す。

 

 ──相手を殺め、束縛を打ち破るのだ。

 

 喉から血を噴き出して倒れた貴族の男は、何をされたのかすらわかってはおるまい。

 女アサシンはホッと息を吐き、アサシンブレードを納刀。殺害報告の為にハンカチで相手の首もとの血を拭う。

 

「終わったか」

 

 不意にかけられた問いに彼女は一度頷き、声の主へと目を向けた。

 自身と同じフード付きの黒い衣装に身を包んだ男アサシンに「……ん」と頷きながら血の染み込んだハンカチを差し出し、「……終わり」と静かに呟く。

 

「了解。マスターは?」

 

「……さぁ」

 

 ハンカチを受け取った男アサシンの問いに、女アサシンは首を傾げた。

 ともかくアサシンブレードの動作に問題はない。これなら今後もお世話になる事だろう。

 

「……皆は?」

 

「じい様と坊主は下の奴隷を連れ出してる。合流するぞ」

 

「……ん」

 

 女アサシンは先んじて走り出した男アサシンの背を追いかけ、音もなく走り出す。

 仕事は何も殺しだけではない。殺した後に起こる混乱を納め、時には人助けをしなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 

『終わったみたいだ』

 

「そうか」

 

 白い獣からの報告に、闇人の懐を探っていたローグハンターは小さく頷いた。

 取引として差し出されていた書類をぶんどるように奪い、それを丸めて懐へと押し込む。

 

「あいつらは」

 

『助けた人たちを馬車に乗せてるよ。あと五分もすれば出られる筈だ』

 

 淡々と行われる確認に、女教諭は上機嫌に応じた。

 理由は聞かなくとも教えてくれる事は、何度か仕事をした時に知った事だ。

 

『いやぁ、アサシンブレードは問題なく使えたよ。キミのそれを作ってから随分と経ってしまった』

 

「素材が貴重だからなぁ……」

 

 彼女の言葉にローグハンターは遠い目をしながら答え、「やはり鉱人との繋がり(コネクション)を増やすべきか」と僅かに思慮。

 ローグハンターの籠手につけられているのは、アサシンブレードと短筒、ついでにエアライフルの簡略版であるエアダート。

 アルタイルが残した書物を解析し、解読し、そしてローグハンターが垣間見た未来(シンジケート)を真似た改造を施されたものはこれのみで、他のアサシンに支給するには素材が足りぬ。

 

「問題だらけだな」

 

『いつも通りだろう?』

 

「確かに」

 

 ローグハンターの呟きにまた女教諭が反応し、彼は苦笑混じりに頷いた。

 同時にこの場でやるべきことを終えた為か、疲れを解すように体を伸ばし、重々しい唸り声をあげる。

 

『随分と年寄り臭いねぇ』

 

「もう三十代だぞ……」

 

『まだ若いじゃあないか』

 

「どうだかな」

 

 いい加減に慣れた自分の白い髪を掻きながら、「撤収するぞ」と獣越しに仲間たちに告げた。

 了解の連呼が響けば、遠くから馬の鳴き声と蹄の音が続く。

 

『キミはどうするんだい?』

 

「俺は──」

 

 女教諭の問いかけに応じようとした瞬間、部屋の扉が蹴破られた。

 ローグハンターは状況の割にゆっくりと扉の方へと目を向け、「遅かったな」と苦笑を浮かべた。

 彼の視線の先、この部屋の唯一の入り口である扉を前に、堂々たる佇まいを見せるのは一人の男。

 闇の中でさえ白く眩く輝く鎧、盾、兜、籠手、そして既に抜き払われた剣一振り。

 タカの眼を使わずともわかる、数多の加護が刻まれた魔法の武具に彩られた男こそ、巷に噂される都市伝説の一つ。

 

「闇の中で悪を討つ都市の騎士(ストリート・ナイト)。或いは金剛石の騎士(ナイト・オブ・ダイヤモンド)。いや、こくお──」

 

 彼が何かを口にしようとした瞬間、金剛石の騎士が動く。

 全身を鎧で固めているにも関わらず、その動きは並の冒険者のそれの比ではなく、等級で示せば銀等級以上であることは明白。

 床を砕かん程の踏み込みと共に振るわれた輝く一閃は、しかしローグハンターを捉えるにはまだ足りぬ。

 軌跡を見切った彼は血濡れの魔剣をそこに差し込み、片腕の力のみで受け止めた。

 ぎりぎりと火花を散らしながら競り合う両者の視線が交錯し、ローグハンターは笑みを浮かべた。

 

「今回も俺たちの方が速かったな。付き人はどうした、馬車を追わせているのか?」

 

「だとしたらなんだ!」

 

「同じく世直しをする仲じゃあないか。もう少し優しくしてくれても良いだろう」

 

 言葉に込められた僅かな興奮を察しつつ、ローグハンターは肩を竦めた。

 それで相手が引き下がる訳もなく、互いの剣を弾く共に数歩分の間合いを開いた。

 金剛石の騎士は剣と盾を油断なく構えつつ、ローグハンターに告げた。

 

「久方ぶりの再会だ。少し体を動かそうではないか」

 

「そう言うなら、帰って嫁さんとよろしくしてろ」

 

 ローグハンターが魔剣を肩に担ぎながらそう告げると、金剛石の騎士は僅かに肩を揺らした。

 兜の下で笑っているのだろう。だがすぐに落ち着かせると、ぐっと重心を落としてすぐに動ける姿勢となった。

 

「寝静まった妻を起こす趣味はない!」

 

「それには同意する!」

 

 二人がそれぞれ叫んだ刹那、二人の体がぶれた。

 瞬時に飛び出した二人の刃がぶつかり合い、甲高い衝突音を響かせた。

 目にも止まらぬ連撃を互いに放ちながら、けれど相手を決して傷つける事はない。

 傷付くことがないのではなく、そもそも当てる気がないように相手を傷つけることはないのだ。

 断続的に続く剣撃音を聞きながら、ローグハンターはちらりと窓の方へと目を向けた。

 入り口は騎士の背後だ。越えられなくもないが、流石に無防備な背中を晒すわけにはいかない。

 

「余所見とは、余裕ではないか!」

 

 意識を割いたからか僅かに鈍った体の動き。そこを見誤る事なく狙い撃つ金剛石の騎士の一閃が放たれた。

 剣圧のみで首を落とせるだろう名剣の一閃を、だがローグハンターはもはや化け物じみた反応を見せた。

 瞬時に体を屈めて一閃の下を潜り抜け、片手をついて体勢を整えつつ、下から抉るように渾身の──けれど能力(アビリティ)は使わずに──蹴りを騎士の鎧へと叩き込んだのだ。

 彼が履いているのはただの靴だが、響き渡ったのは甲高い金属音。

 金剛石の騎士が肺の空気を吐きながら壁に激突すると、ローグハンターは「俺の勝ちだな!」と告げて窓へと飛び込んだ。

 ばりんと窓を割りながら屋敷から飛び出すと、空中で体勢を整えながら能力(アビリティ)──落下制御(イーグルダイブ)を発動。

 地面に無傷で着地を決めると、能力の発動で痛む頭を無視して走り出す。

 背後から「追え!」と声がすれば、茂みに身を潜めていた密偵が飛び出してきた。

 黒い装束に包まれた小柄な何者かではあるが、その正体を知るローグハンターはため息一つ。

 かくいう追いかけてくる女性もまたため息を吐くが、そこに手を抜いている様子はない。

 やれやれと首を左右に振ると、目の前に迫った塀を素早くよじ登り、着地場所を見ること身を投げた。

 都の外れにある屋敷だが、数分でも走ればすぐに見慣れた大通りに出る。そこまで行けば振りきれるだろう。

 着地と共に再び走り出し、遅れて小柄な密偵が後ろに続く。

 更にその後方に金剛石の騎士が操る馬車が続けば、彼は乾いた笑みをこぼした。

 捕まればどうなるかは知らないが、色々と聞かれるに決まっている。

 

『それで、これからどうするんだい。いくらキミとて馬からは逃げられないだろう?』

 

「この近くに橋があるだろう。大きめの奴だ」

 

『ああ。もうすぐ見えてくる筈だ』

 

 獣越しに女教諭と相談しつつ、ローグハンターは眉を寄せた。

 

「灰被りの女王に会ってからと思ったが、予定が変わったな」

 

『おや、もう帰るのかい?』

 

「ああ。よろしく伝えてくれ」

 

『あいつは歯軋りしそうだねぇ。まあ、任せてくれたまえよ』

 

 女教諭の了承を受けた彼はフードの中で丸くなっていた獣を掴み、「また今度な」と告げて道の端に優しくではあるが投げ捨てた。

 獣は持ち前の身体能力で空中で体勢を整え、四本足でしっかりと着地。どこかを目指して走り出した。

 橋にたどり着いたのはそれと同時。彼は歓喜の笑みを浮かべつつ、その中頃まで走り抜いた。

 そこまで来ると足を止め、多少荒れた呼吸を整えながら欄干へとよじ登る。

 

「ええい、そこまでだ!」

 

 そこに突っ込んできたのは、密偵を御者台の隣に乗せた金剛石の騎士だ。

 妙に生き生きとした口調で彼に待ったをかけ、言われたローグハンターは彼の方へと向き直った。

 互いの視線を交錯させながら見つめあうこと数秒。ローグハンターは愉快そうに笑みを浮かべ、両腕を広げた。

 

「さらばだ騎士よ。今回の勝負も俺の勝ちだ」

 

 そう告げた彼の瞳が蒼から金へと色を変えた。

 体を巡る先駆者の血を呼び覚まし、この世界の理を僅かに歪ませ、肉体に秘められた力と封じられた一部の能力(アビリティ)を解放する。

 それこそが隔世(覚醒)状態。天上の神々を困らせる、文字通りのぶっ壊れ(チート)状態だ。

 彼はその状態を維持しつつ、背中に昇りくる朝日の暖かさを感じ取った。

 橋から眺める日の出など、まさに絶景なのだろうが、今は堪能している場合ではない。

 彼は両腕を広げたまま、背中から足元を流れる川へと身を投げた(イーグルダイブ)

 驚く金剛石の騎士と密偵を他所に、彼は能力(アビリティ)を発動。

 その名も単純──高速移動(ファストトラベル)

 一度行ったことのある街になら、瞬き一つの間に行くことが出来る。

 洞窟や遺跡などの危険地帯からの離脱は出来ないが、街から街への移動は楽なものだ。

 まあその変わり多くの制約があるのだが、それはとても些細な事。

 

 ──愛する家族の下に瞬時に帰れるのなら、多少の負担は安いものだ。

 

 彼がそうして思わず笑みを浮溢した瞬間、新たな日の始まりを告げる雷鳴が、都の一角に響き渡った。

 

 

 




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Memory02 比翼の鳥と愛の結晶

今回、少し不安な事があります。


……ちょっとR-18に片足突っ込んでしまったかもしれません。
何か言われたら大幅に修正するかもしれません。



 西の辺境の街。

 かつては周囲の開拓村を支える意味合いが大きかったこの街も、他所からの移住者や冒険者が多く集まる事で更なる発展を遂げていた。

 人が増えれば酒場や宿屋は総じて一回り大きくなり、宿屋が大きくなれば更に人が集まる。

 集まる人々を相手に一稼ぎしようと商人が集まり、商人が集まれば物の流れも飛躍的に高まる。

 本来であればその高まった物流を逆手に取り、街道を行き交う業者を狙う野盗も増えるのだが、西の辺境においては例外。

 西の辺境に足を踏み入れた野盗(ローグ)たちは、一週間も経たずに壊滅するからだ。

 それは五年前でも同じ事が言えるのだが、ある時期を境にその頻度はより高まった。

 殺された彼らが知るよしもないのだが、産まれたばかりの子供や、出産直後で疲弊した妻の近くに危険分子を置いてはおけないと、その父であり夫である冒険者が、少しばかり本気になっただけである。

 それに同調した冒険者──銀等級含めてだ──も協力したのだから、それを相手取った彼らは悲惨とした言いようがあるまい。

 そんな事があったからか、いつしか西の辺境は国で話題に上るほどに有名になった。

 

 曰く、都並みに治安が良く、行くまでの道中も他の辺境に比べれば安全。

 

 曰く、開拓者を悩ませるゴブリンが極端に少なく、愛する妻や娘への危険が比較的少ない。

 

 曰く、ここ数年で新人冒険者たちの生存率が高まり、比較的高い等級の者──つまり信用できる者──が多い。

 

 曰く、辺境の街ながら、その活気は都のよう。

 

 いくつかは誇張を含めた噂であるが、何もない所からは煙は立たぬ。その噂の元になる話は確かにあるのだ。

 そんな最近住人が増えてきた辺境の街の片隅に、一件の家があった。

 あばら家というにはしっかりとした作りではあるが、屋敷というには少々小さい。

 けれど農夫が住まう住居に比べればそれなりに上等なもので、伸びる煙突は古いながらに手入れは行き届いていた。

 

「ふぅむ……」

 

 その家を前に足を止めたローグハンターは、煙突から煙が出ていない事を確認して息を吐いた。

 煙突から煙が出ていれば、それは誰かが起きている事に他ならず、扉に備えられた鉄のノッカーを叩けば誰かが顔を出すだろう。

 それもそれで良い。帰って来て真っ先に家族と会えるのなら上等だ。

 だが現実は残酷で、朝一となればまだ誰も起きてはいまい。

 

 ──そもそも朝に弱かったな……。

 

 今更ながら妻の弱点を思い出し僅かに苦笑。いつまでも突っ立っていても仕方がないと懐から鍵を取り出した。

 それをゆっくりと扉の鍵穴に差し込み、これまた丁寧に捻る。

 ガチャ……!と少々大きめの音が出たときは体が跳ねたが、そういう設計なのだから仕方があるまいと意識を切り替え、音をたてた分慎重に扉を引いた。

 家の中はやはりと言うべきかとても静かで、掃除が行き届いて埃がない分、誰もいない事がどこか不気味にさえ思える。

 久しく忘れていた自分の家という感覚に慣れるのにはもう少し時間がかかるのだろうと目星をつけて、後ろ手で扉を閉めて鍵をかけると、彼は足音一つたてずに一歩を踏み出した。

 誰かが言うには、世界広しと言えど一番住み心地の良い家を作るのは圃人らしい。

 その話にどこか適当な相槌を入れ、頼ることはないだろうと思っていた十年前──つまり冒険者に成り立て──の自分を殴ってやろうかと思いつつ、話を覚えていた事に感謝も忘れない。

 現に今は暗いが、時間による陽当たりの変化や壁や床の色合い、果てには部屋の配置まで、その全てが見た目と共に実用性も考慮されたこの家は、なるほど住むにはうってつけだ。

 歩き慣れた廊下をゆっくりと進み、確認の為に居間を目指した。誰かいるならそこだろう。

 廊下の角から顔を出し、誰もいないことを確認。ついでに食事所と台所にも顔を出すがやはりいない。

 家族全員がまだ寝ている事を確かめたローグハンターは、余計に足音に気を配りながら廊下を戻った。

 途中、廊下の中頃にある扉の前で足を止めるとタカの眼を発動。部屋の中に青い塊があることを確認すると、耳を当てて中の様子を探る。

 穏やかな寝息が重なって(・・・・)いる事が確認出来ると、何とも柔らかな笑みを浮かべた。

 中の相手を起こさないようにゆっくりとその場を離れ、隣の扉の方へと進み、こちらは何の迷いもなく開く。

 そこでも一切の音をたてないのは、無意識下でも相手を気遣っている所作なのだろう。

 部屋の中に潜り込み、今度は丁寧に扉を閉めてから更に部屋の奥へ。

 部屋の中は割りと質素とも呼べる様子で、部屋の端にはクローゼットと装備の点検や書類作成に重宝する作業用の机。

 壁にはローグハンターの装備をかける引っかけ──ローグハンターが手を伸ばしてやっと届く高さだ──や、釘を打って増やした服かけもある。

 だがやはりと言うべきか、一番目立つのは中央に鎮座する二人用のベッドだろう。貴族の物ほど上等とは言えないが、ただの住民にすればそれなりに値のはるもの。

 彼の繋いだ商人とのコネを活用し、割安で売ってもらったものだ。

 そこには既に誰かが入っているのかシーツが膨らみ、僅かに上下を繰り返していた。

 ローグハンターは頬を緩めながらそちらに近づき、ベッド脇に膝をついた。

 すうすうと穏やかな寝息を繰り返す彼女は、きっと彼が帰って来た事にも気づいてはおるまい。

 子供が産まれた為か、あるいは冒険に出ることがなくなった為か、五年前よりも格段に女性的な魅力を増した彼女の体は、シーツと寝間着に隠されて尚も情欲をそそるのには十分だ。

 むしろシーツを押し上げる豊満な胸や、五年をかけて再び伸ばした銀色の髪、整った顔立ち、シーツがはだけて垣間見える柔らかな太腿など、これを見て何も思わない男はいないだろう。

 彼の前で思った場合は問答無用の鉄拳が飛んでくるのだが、殴られても良いと言うのなら生唾を飲むがいい。

 そしてその心配がないローグハンターは、彼女の全てをじっと眺め、隠す気もなく生唾を飲み込んだ。

 

 ──本当に、無防備な奴だ。

 

 本当にやりはしないが、いきなり襲っても彼女なら許してはくれるだろうかと自問し、いやいやと首を振った。

 寝込みを襲われる事はあっても襲う事はしないと、相手に知られる事なく勝手に誓った身だ。そんな事はしない、断じて。

 無意識に伸びていた左手を引っ込め、意識を切り替えながら立ち上がり、クローゼットの方へと足を向けた。

 寝るにしても完全武装では満足に眠れない。まずは着替えだ。

 例に漏れず音を出さずにクローゼットを開き、コートとその他の衣装を脱いで押し込むと、愛用の平服と交換。

 外した籠手はとりあえず作業台の上に置き、右手首に仕込んでいたアサシンブレードも外してその隣へ。

 そこまでやり終えたローグハンターは、ようやく気を抜いたように息を吐いた。

 考えてみれば昨日は激務だった。朝は御前会議に参加し、昼はこの世界における教団メンバーと会議を行い、夜は作戦を実行。休む暇などありはしない。

 家に帰って来られたからか一気に感じるようになった疲労に眉を寄せつつ、再びどっとため息を吐く。

 家族の為とはいえ、休みなく働くのはやはり辛い。家族と会えない時間が増えるのだから尚更だ。

 まあ帰って来られたのだから良いかと面倒になってきた思考を放棄し、ベッドに入ろうと振り返ろうとした瞬間だ。何の気配もなく、背後から抱き締められた。

 僅かに目を見開いて驚きを露にするも、それはほんの一瞬のこと。

 腰に巻かれた愛しい人の腕に手を添えながら、口元には優しい微笑。

「んー」と背後から聞こえる唸るような可愛らしい声を耳にしつつと肩を竦め、巻かれた腕を解いて改めて振り向く。

 その瞬間に視界に飛び込んでくるのは、世界に二人といない最愛の妻の姿だ。

 寝ぼけているのか蕩けた瞳に、崩れた寝間着の襟元からは僅かに胸元が見えている。

 寝ても覚めても無防備な彼女の姿に、がりがりと音をたてて理性が削られる錯覚を覚えながら、ローグハンターは笑みを浮かべた。

 

「起こしたか?」

 

「……だいじょーぶ」

 

 寝ぼけ眼で欠伸を噛み殺しながら答えると、また「ん~」と唸りながらぎゅっと彼を抱き締めた。

 冒険者を引退してからだいぶ筋力は衰えたものの、彼を抱く力に変わりはない。

 昔は壊さないように力強さと優しさを兼ねていたものも、今は離さないという意思表示の方が強い。

 それら彼とて同じ事なのか、服越しに感じる彼女の温もりを更に感じようと、ぎゅっと体を抱き寄せた。

 今度は嬉しそうな声を漏らしながら彼女は応じ、ぐりぐりと胸に顔を擦り付けてくる。

 彼女の銀色の髪を手で梳ながら、ローグハンターの口元にはまた柔らかな笑み。

 やはり子供たち(・・)は彼女に似た。似てくれたと思えたのだ。

 抱きついてくる彼女の体から名残惜しくも一旦離れ、寝ぼけているからか力の抜けている彼女の肩を押す。

「わー」とわざとらしい叫び声をあげながら彼女はベッドに倒れ、ローグハンターもその隣に寝転んだ。

 二人して横向きに体を転がし、寝転んだまま見つめあう。

 今度こそ無手になった左手で彼女の頬を撫でてやれば、「えへへ~」と嬉しそうに笑いながら頬を擦り寄せてきた。

 またがりがりと理性が削られる錯覚を覚えながら、ローグハンターは気を紛らわすように目を細め、本人としては重要な事を問いかける。

 

「何もなかったか?」

 

「へーき、へーき。だいじょーぶ」

 

 いまだに寝ぼけて笑っている妻の姿に苦笑を漏らし、「そうか。なら良い」と頷いた。

 だがしかし、彼の妻はその返答に納得出来なかったのか「それだけー?」と気の抜けた声で問いかけ、「なにか、わすれてない?」と可愛らしく首を傾げながら更に問うた。

 

「忘れ物。……ああ、思い出した」

 

 彼女の問いに考えたのは僅か数瞬のこと。

 彼はどこか得意気に笑みながら、彼女の頬に触れていた手を後頭部へとずらす。

 それが良かったのだろう。彼女はにこにこと上機嫌な笑いをこぼしながら、何かを待つように目を閉じた。

 そこまでされては後は自分が行くしかあるまい。

 ローグハンターは彼女の方へと顔を近づけ、柔らかな唇に口付けを落とした。

 僅かに触れあう程度の、数秒にも満たない接触。

 けれど二人はそれで満足したように顔を離すと、にこりと笑い、ローグハンター──いや、今この瞬間からは夫であるジブリールは「ただいま」を、彼の妻であり、かつては冒険者であった女性──シルヴィアは「おかえりなさい」と、それぞれの声と言葉を交換した。

 だがそこで変化が起こる。にこにこと笑顔だったシルヴィアの表情が固まり、徐々に赤く染まり始めたのだ。

 彼女の蕩けていた瞳には意志が戻り、今までやらかしてきた何とも恥ずかしい言動を思い出し、目の前で楽しそうに笑う最愛の夫の顔を確認し、今しがた行った──しかも自分から切り出した──行為を思い出し、

 

「──っ!!!」

 

 子供たちを起こさないように悲鳴を噛み殺しながら寝返りをうち、最愛の夫に背を向けた。

 真っ赤になった自分の頬を手で隠しながら、あわあわと口だけが無意味に動く。

 だが無防備に晒された妻の背中を、黙って見ている程ジブリールとて甘くはない。

 器用に寝転んだまま彼女へとすり寄り、今度は彼が背中から抱き締めたのだ。

「ひっ!」と彼女の口からどこか怯えた声が漏れ、同時に体が跳ねたがジブリールは怯まない。

 絶対に逃がさないと言わんばかりに彼女の体を抱くと、銀色の髪に顔を埋めてすんすんと鼻を引くつかせる。

 ほんのりと甘く感じる妻の臭いを堪能するジブリールを他所に、それをされた彼女は羞恥で顔を更に赤くしつつ、くすぐったさに僅かに身動ぎ。

 それを構わずに満足いくまで堪能すると、ジブニールなホッと息を吐いて彼女の頭を撫で、耳元で囁くように言う。

 

「改めてただいま、シル」

 

「お、おかえり……」

 

 羞恥からいまだに彼を直視できない──そもそも後ろを取られている──シルヴィアはそれこそ囁くような声で返すと、ジブリールは少々嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「なんだ。さっきまで猫みたいに甘えてきていたのに」

 

「うっ」

 

「『んー』とか『わー』とか言いながら、最終的にキスまでせがんで来たのに」

 

「はうっ」

 

「逃げるみたいに背中向けて。可愛らしい」

 

「あふっ」

 

 全ての言葉を逃げ場なく耳元で囁かれたシルヴィアは更に赤面するが、それは彼にとってはただのスパイスにしかならない。

「本当に、可愛い奴だな」とまた囁いて、何を思ってか真っ赤に染まった彼女の耳に噛み付いた。

 

「ッ!?」

 

 突然耳を包む込んだ温かさに驚きつつも、逃げようとはしない。そもそも割りとしっかり抱き締められているため動けない。

 聴覚を支配するくちゅくちゅと湿った音と、時折触れる温かくも柔らかいもの──おそらく彼の舌だろう──の感覚にぴくぴくと体が反応しつつも、片手の指を噛んで声だけは出すまいと抵抗する。

 

「んっ……ふぅ……ん……っ!」

 

「……」

 

 それでも時折漏れる声に、ローグハンターは悩ましそうに眉を寄せつつ、再び嗜虐的な笑みを浮かべた。

 思い付いたら吉日と行動を開始し、服越しに彼女を捕まえていた腕を瞬時に動かし、服の中への滑り込ませたのだ。

 

「ちょ、ちょっと!?ひゃ!」

 

「……」

 

 流石の彼女も抗議の声をあげるが、時既に遅し。

 服の内側へと入り込んだ彼の腕は、優しく──それこそ愛撫するように彼女の腹を撫で始めたのだ。

 いまだに残る腹筋の割れ目をなぞり、時には柔らかな脇腹を撫で、時には指先が豊満な胸を掠めるほどに上へと伸ばす。

 

「ん!んん……!やっ……」

 

 体はぴくぴくと反応を示し、漏れる声にも少々艶っぽさが滲んでくるが、彼女は空いている手を使って彼の腕を掴んだ。

 どこを触られようが体が悦んでしまうのは仕方がないし、そうなったのは半分は自分の責任だ。

 だがしかし、朝っぱらからしてくるのは違うだろう。

 いまだに甘噛みされる耳を頭を振ることで解放し、背中越しに彼を睨み付けた。

 はあはあとされるがままで荒れてしまった呼吸を整えながら、服の中に潜り込んだ腕を離すことはない。

 

「──」

 

 本人はキッと鋭く睨んでいるつもりなのだろうが、彼女の瞳は今度は快感によって蕩け、一切の覇気がない。むしろ見方によっては次を懇願しているようにさえ見える。

 ジブリールは嗜虐的な笑みを深め、掴まれている片腕をそのままに、空いているもう片方の腕を動かした。

 背中越しに睨んでくる彼女の頬に手をやり、半ば押さえつけるようにしてやれば、彼女の上体が捻られて更に顔同士が近くなる。

 シルヴィアはそこまで来てようやく気付いたのだろう。

 睨みつけたのは抗議としてではなく、懇願として取られた事を。正確には抗議とわかっていながら、懇願として受け取られてしまった事を。

 彼女が「あはは……」と乾いた笑みを浮かべると、問答無用でその唇を塞がれた。塞いだのはもちろんジブリールの唇であり、二人は再びの口付けをすることになったのだ。

 今度は触れる程度という優しいものではなく、僅かな隙間から舌を捩じ込まれ、口内を蹂躙される。

 歯の裏側を舐められ、舌が絡み合い、彼の唾液が送り込まれる。逃げ場がないため飲む他になく、僅かに喉鳴らして飲み込むと脳の奥に火花が散った。

 

「んー!んんー!!」

 

 それだけならまだ我慢できただろうが、生憎と今のジブリールは昨日の多忙さが響いた為か、あるいは故意にか、たがが外れているのだ。

 

「──っ!?」

 

 シルヴィアは僅かな違和感が確信に変わると共に目を見開いた。

 掴んでいた彼の腕が、じわじわと下に──下腹部の方へと下がってきているのだ。

 

「ん、んー!んーー!」

 

 こうなれば足をと振り回そうとしたが、それを読んでいたようにジブリールの足が絡み付き、その動きを封じられた。

 

「ん、ちゅ、ま、まっへ……!」

 

 彼が息継ぎしようと僅かに口を離した隙に制止の声をあげるが、同じく酸欠になっていた彼女の言葉はどこか舌足らず。

 けれど彼は下げていた手を止め、何事もないかのように「どうした?」と首を傾げた。

 シルヴィアからすればどうしたも何もないのだが、彼女はこの隙に呼吸を整えようとするが、「何もないなら続けるぞ」とまた加虐的な笑顔。

 言われた彼女は止める理由を探すが、全くと言って良いほどに見つからない。

 それは探しても見つからないのか、あるいは探そうともしていないのか、そのどちらかが本当か定かではないが、何か言わなければ彼はまた責めてくるだろう。

 止めて欲しいとは思っているが、だが既に体と心の大部分は続けて欲しいと望んでしまっている。この状態では何を言っても無意味だろう。

 にこにこと先程から変わらぬ笑みを浮かべるジブリールを見つめつつ、「えっと、んと……」と目を泳がせながら言葉を探す。

 律儀に彼女を待つ辺りが彼の優しさなのかもしれないが、おそらく彼は自分が何も言えないことをわかっていて放置している。

 それが堪らなく悔しいような、そこまで知られているとむしろ嬉しいような、何とも気持ちの悪い感覚に襲われる。

 

「──何もないなら続けるが」

 

 そんな思慮のお陰で時間切れとなったのか、ジブリールは淡々とそう言うと、また手を下へと動かした始めた。

 突然のくすぐったさに「ひぅ!」と変な声を漏らしつつも、改めて彼の手を掴む腕に力を入れた。

 けれど現実は非情なり。冒険者として活躍していた五年前ならまだしも、今は現役を退いてそれなりの時間が流れている。

 じりじりと彼の力に押し負け、ついに彼の手がズボンの内側に入ろうとした時だ。

 

「夜!夜になったらいくらでも付き合ってあげるから、ね!?」

 

 シルヴィアは深く考えもせずにそう口にした。

 

 ──瞬間に後悔した。

 

 彼女の言葉を受けたジブリールはこれ以上ないほどご機嫌な笑みを浮かべ、「いくらでも付き合ってくれるんだな」と彼女の言葉の一部をわざとらしく復唱。

「え、あ、いや……」と何か言葉を返そうとするも、肝心のそれが出てこない。

 理由は単純。思いもせずに口にするという事は、本心ではそれを欲しているという事だからだ。

 それを自覚してようやく諦めのついたシルヴィアは、また顔を真っ赤に染めながら「手加減してね……?」ぼそりと呟く。

 

「任せろ、加減は得意だ」

 

「ホントかなぁ……」

 

 ジブリールは得意気な顔でそう言うが、言われたシルヴィアは何とも不安そうに──けれどどこか期待の入り交じった視線を向ける。

「本当だ」とジブリールは寝転んだまま胸を張るが、その腕は相変わらず彼女の腰辺りに巻き付いている。

「は、離して」とシルヴィアが言うが、ジブリールははっきりと「断る」と告げて更にぎゅっと体を近寄らせた。

 

「このままで居させてくれ」

 

 彼がぼそりと耳元で呟くと、それを合図にしたように寝息をたて始めた。

 シルヴィアは「ふぇ?」と思わず口から間の抜けた声が漏らしたが、すぐに状況を察してため息を漏らす。

 眠った為か緩んだ彼の腕の拘束をそのままに、器用にその場で寝返りをうって彼と向き合う体勢となった。

 彼の無防備な、そして僅かな疲労の滲んだ寝顔を眺め、「無理しちゃって」と苦笑を漏らした。

 

「ん……」

 

 同時に僅かに声を漏らし、僅かに湿り気のある下腹部を指で撫でた。

 僅かな気持ち悪さもあるが、彼によって高まってしまったこの昂りをどうするかだが……。

 

 ──自分で慰める?いやいや、彼が目の前にいるのよ。

 

 彼の刺激で前面に出てこようとする女としての自分を押し返し、今はとりあえず我慢するという選択を取った。

 どうせ夜になったら大変な事になるのだ、今のうちに我慢していたってどうとでもなる。

 そう思うと先程のやり取りで疲れが出たのか、彼女もまた欠伸を噛み殺し、瞼が重くなってくる感覚を覚えた。

 窓から見える陽も、まだ山から顔を出したばかり。これから数時間なら寝たって許されるだろう。

 

「おやすみ、ジル……」

 

 無防備な寝顔を見せてくれる最愛の夫に挨拶をしつつ、今度は自分から口付けを一つ。

 された彼は僅かにくすぐったそうに呻くが、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その笑顔に安堵を覚えつつ、シルヴィアは眠気とはまた別の理由で目を閉じた。

 起きたらやることは多いけど、今だけはこうさせてくださいと、ここ数年で世話になることが増えた地母神へと祈りを捧げる為だ。

 まあ敬虔な信徒ではないから届くかは未知数な所だが、やらないで後悔するよりはだ。

 それを済ませてしまえば後は眠気に任せるのみ。

 すぐに食いついてきた睡魔に身を任せ、今度こそ彼女は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 暗い一室。眠りを妨げるものが何一つとしてないその場所で眠りについていた少女は目を覚ました。

 体を起こすと共にぱちぱちと瞬きを繰り返し、「ふぁー」と大口を開けて欠伸を漏らす。

 それを終えたらぐりぐりと目を擦り、訳もなく寝ぼけたまま辺りの様子を確認。

 それと同時に隣で寝ていた少年──年齢はいくつか少女よりも上だろう──も目を覚まし、「どしたー」と気だるそうに問いかけた。

 問われた少女は「んー」と唸ると、寝ぼけ眼をそのままにベッドから降り、とたとたと扉の方へと駆けていき、明らかに身長の倍近い高さのドアノブに向けて跳ぶ。

 小柄ところか未成熟も良いところの体で行えるような動きではないが、それを成せるのは両親が優れた遺伝子を持っていた為か。

 ドアノブにぶら下がる形で捻り、そのまま軽く扉を蹴って開く。扉が全開になったら飛び降り、またとたとたと足音をたてながら廊下を進む。

 取り残された少年も寝ぼけた様子ではあるが、少女が行ってしまったと見るやベッドを飛び降り、少女のぱたぱたと足音をたてながら部屋を後にし、念のためと扉を閉めた。

 そしてまた走りだし、少女の背に追い付いた頃には彼女は隣の部屋の扉を開いていた。

 少女と少年はほぼ同時に扉の隙間から部屋の中を覗きこむと、何かに気付いてとたとたと足音をたてながら部屋の中に潜り込む。

 そして少女は部屋の中央のベッドに慣れた様子でよじ登ると蒼い瞳を輝かせ、隣に登った少年もまた同じ色の瞳を輝かせた。

 二人が声もなく興奮する理由は単純で、仕事でしばらくいないと言われた()()()()()()()()帰って来ていたのだから当然だ。

 二人は銀色の髪を揺らしながら顔を見合せ、にこにこと笑いながら動き出す。

 ほとんど隙間なく眠っている両親の間に小さな体を捩じ込んで隙間をつくり、そこに二人して納まったのだ。

 子供たち二人は気付いた様子はないが、途中で明らかに父親と母親が薄く目を開けて横にずれたりしたのだが、二人は力を合わせた結果だと信じて疑わない。

 ようやく両親の間に納まった二人は笑顔を交換すると、すぐにすやすやと寝息をたて始めた。

 それは両親とて同じ事。二人もまた子供たちに気付かれないように笑顔を交換し、自らにすり寄ってくる子供たちの頭を愛おしそうに撫でてやる。

 愛する両親に囲まれて、愛する家族に囲まれて、彼らはまた眠りについた。

 明日はきっと良い日になる。家族四人がいれば、例え地獄だろうと乗り越えて見せると。

 

 

 

 




もうちょっとだけ続くんじゃよ。

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Memory03 一家五人

 ごんごん!と玄関のノッカーが叩かれ、その音が家中に響く。

 それはまあ元気一杯で、家主が出てこないと見るや再びノック。

 

「……」

 

 そこまでされてようやく目を開けたジブリールは、愛する家族三人の寝顔を眺めて苛立ちを沈め、小さくため息を吐いた。

 窓から見える陽の位置からして、朝早くという訳ではない。むしろ眠りすぎたこちらに非があるだろう。

 彼は再びため息を漏らし、自分を抱き枕にしている末娘の腕を解こうとするが、途端に「やー!」と愚図られて余計に密着された。

 何とも可愛らしい娘の姿に「ん゛ぅ゛っ!」と思わず唸り声を漏らし、ならばと逆に抱っこの要領で持ち上げながら一緒にベッドを降りる。

 それは良かったのか少女は楽しそうに笑いながら頬擦りし、寝ぼけ眼のまま父の顔を見上げた。

 ジブリールもまた娘に父親としての慈愛に満ちた笑顔を返してやり、お互いの笑顔を交換。

 だがそこで再びノックされれば、いい加減意識も切り替える。待たされている側も苛立ちを隠す気はないのか、先に比べて力が入っているからだ。

 ジブリールは肩を竦め、末娘は「だれ!」とようやく意識がはっきりしたのか元気一杯の声を漏らす。

 その声が訪問者にも届いたのか、『ぼくだよ!』とこれまた元気一杯な返事が帰って来た。ぼくという一人称ではあるが、声は女性のものだ。

 その返答に父娘は顔を見合せ、父は苦笑、娘は満面の笑みを浮かべた。

 うしろのベッドでも目を覚ましたシルヴィアが体を起こし、息子でありこの家の長子たる少年は欠伸を漏らしていた。

 その頭を母の優しい手で撫でられれば、また眠そうに瞼が閉じていく。

 

「そっちは頼んだ」

 

「はい、任されました。ほら、起きて」

 

「ん……」

 

 ジブリールは瞼を擦って母の言葉に頷く息子の姿を見つつ、「はやくはやく!」と体を揺らして急かしてくる娘に「了解」と返して歩き出そうとするが、

 

「ジル、忘れ物だよ」

 

 愛する妻に呼び止められて、また彼女の方へと顔を向ける。

 はて何か忘れているだろうかと、抱き抱えている娘と顔を見合せて首を傾げると、「もう」とシルヴィアは二人の行動を可笑しそうに笑い、ベッド脇の机に置かれた髪紐を手に取った。

「こっちおいで」とそれこそ子供に言うように手招きにされ、ジブリールは彼女の下へ。

 ベッドに腰掛けて彼女に背中を晒して、膝の上に娘を乗せて、髪が結ばれるまで構ってやる。

 ただ手を握って上下させてやるだけで「きゃっきゃっ」と楽しそうに笑うのは、やはり無邪気な子供だからだろう。

 うなじの辺りで初雪のように白い髪を纏められ、手慣れた動作で髪紐で結ばれる。時間にしては数秒の、けれど彼にとっては大切な時間だ。

「はい、終わり」と肩を叩かれると、「ありがとうな」と背中越しに礼を言って立ち上がる。

 余計に相手を待たせてしまった。急がねば鼻を曲げてしまう。

 少々急ぎ足で部屋を出て廊下を進み、誰だかはわかっているがタカの眼で相手の敵意を確認し、青い影であれば玄関の鍵を開けてやる。

 一応覗き穴はあるが、手で塞がれる場合もある。まあ塞がれたら絶対に開けてはやらないが、覗き穴と違ってタカの眼から逃れる事は出来ない。

 玄関前でまだかまだかと右往左往する青い影を視線で追い、「とーしゃ!はやくはやく!」と娘の舌足らずな催促に負けて鍵を開け、勢いのままに玄関を開いた。

 突然玄関が開いた事に訪問者は面を食らい、僅かな時間だが静止した。

 同時にジブリールは目を細め、改めて女性の姿を確認した。

 まず目立つのは纏う上等な外套だろう。何やら術的な紋様が刺繍されており、目の前にいるのに存在感がどうも希薄だ。

 次に外套に隠されて見辛いものの、纏う鎧は外套以上に上等な目の前にもので、おそらかこの国どころか世界においても二つとない代物だろう。

 タカの眼を通せば様々な術が施されているのがわかる。

 最後に目立つというべきか、やはり気になるというべきか、彼女が腰に下げる一降りの剣だろう。

 タカの眼を使わずとも相当な力がある事を肌で感じるし、何より使って見ても、さながら太陽を直視しているように光りすぎてよく見えない。

 そして、それらを持っている人物は、世界広しと言えど但し一人。

 一秒にも満たない時間でジブリールが観察を終えるのと、女性が復活したのはほぼ同時。

 女性は口許から優しげな笑みを漏らしつつ、外套のフードを取り払った。

 封じられた気配と共に解き放たれた美しい濡れ羽色の長髪を風に揺らし、五年前から変わらない──けれどどこか大人びた笑みを浮かべ、「ただいま!」と家主に挨拶一つ。

 彼女の笑顔に娘は太陽のような笑顔で応じつつ、小さな両手を彼女に伸ばす。

 

「ねーちゃ!おかえり!」

 

「うん!久しぶり、アイリス!」

 

 父親から半ばぶんどるように少女──アイリスを確保した「ねーちゃ」と呼ばれた女性は、彼女を抱き上げて「おっきくなったね!」と笑いながらくるくる回る。

「ぴゃー!」と楽しそうに笑う娘と、彼女を笑わせる女性の姿にジブリールは開いた玄関に寄りかかりながら微笑を浮かべた。

 

「それで勇者様。うちの娘はどうでしょうか?」

 

 どこかふざけたような言葉に、黒髪の女性──彼の妹たる勇者は「もう可愛すぎるよ!」と笑いながら、兄の娘、つまり姪っ子をぎゅっと抱き締めた。

 お姉ちゃん呼びを頼んだのは彼女なのだが、それを深くは語るまい。

 かつては小柄だった体も五年も経てば成熟し、より女性的な体つきとなった。

 薄かった胸には確かな膨らみが、そこからすらりと伸びる腰はコルセットいらずに引き締まり、細い脚は脚甲に包まれてはいるものの、きっと彫刻さながらに無駄がないのだろう。

 ジブリールは陽を一身に浴びながら戯れる二人の姿を、父親として、同時に兄として優しく微笑みながら眺め、「いい加減入るか?」と問うた。

 

「それじゃあ、お邪魔しまーす」

 

 一瞬の迷いもなく頭を下げた勇者の姿に苦笑しつつ道を開け、アイリスを取り戻さんと腕を伸ばしたが、

 

「ねーちゃ、ねーちゃ♪」

 

「アイリスは元気だねぇ」

 

 うきうきと勇者に抱きついたまま体を跳ねさせるアイリスと、勇者は彼女の様子に嬉しそうに目を細めて銀色の髪を撫でてやる。

 これは無理だなと判断を下し、伸ばした手を引っ込めようとしたが、その手を勇者に取られた。

 

「ん?」

 

 妹の思わぬ行動に首を傾げると、当の彼女は照れたように笑っていた。

 

「お兄ちゃんも、久しぶり……」

 

 アイリスに向けるものとは別の、はにかんだような笑み。

 ジブリールはようやく女性的な言動の増えてきた──尤も彼の前ではいつも通りな──妹の姿にどこか安堵しつつ、「ああ、久しぶりだな」と笑みを返してやる。

 

「ジルー?リースー?どうかしたー?」

 

 そうして玄関前でもたもたしていた為か、家の中からシルヴィアの声が届く。

「はーい!」と元気よく返事をするアイリスの姿に兄妹は思わず噴き出すと、「それじゃあ、どうぞ」とジブリールは勇者の手を引いて家に入り、「お邪魔しまーす」と勇者の声が続く。

 彼女は玄関を潜ると共に後ろ手で扉を締め、兄の確認の下で鍵を締めた。

 ジブリールの家族は三人だろうと多くの者は思っているのだろうが、それを問えば違うと彼は言うだろう。

 彼の家族は愛する妻と愛する子供たち、そして愛する妹を加えた四人。

 彼女らこそが彼の家族。家族こそが、彼の護るべき人たちなのだ。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、久しぶり!」

 

 タイミングよく来たと勇者は笑い、シルヴィアは作る朝食の量が増えたとひきつった笑顔、ジブリールはやれやれと困り顔で首を横に振り、アイリスはわくわくしながら朝食を待ち、長男たる少年──ウイルクは妹が椅子から転げ落ちないかを気にしてそわそわと、それなりに広い家の居間で、誰一人として同じ表情をせずに顔を合わせていた。

 シルヴィアは手製のエプロンをかけながら、伸びた銀髪を夫のようにうなじの辺りで一つに纏め、「では、始めます!」と何故か気合い十分な様子で鍋の蓋とお玉をさながら盾と剣のように構えた。

 

「……大丈夫かな?」

 

「大丈夫だ」

 

 言い様のない不安を抱えて兄の顔を覗きこむが、当の彼は一切の間を開けずに頷く。

 彼は知っているのだ。確かに結婚したばかりの頃の料理は、まあ酷かったというか、流石の彼とて食えなかったというか、味を評するには少々難しかったが……。

 

「今は大丈夫だ、信じろ」

 

 同時に彼は知っている。試行錯誤を繰り返す中で、壁にぶつかった時にはギルドの料理長や眠る狐亭の料理長に師事し、壁を越えんとしてきたのだ。

 今の彼女の料理は店に出せる。──かはわからないが、ジブリールら家族の舌に合う味は、きっと彼女にしか出せないものだ。

 兄の謎の熱意に当てられた勇者は固唾を飲み、ちらりと台所に向かうシルヴィアの背中に目を向けた。

 忙しくなく動き回り、その度に髪が尾のように揺れ、鍋をかき混ぜる音や煮える音、野菜を刻む音が流れるように続く。

 思わず感嘆の息を漏らす勇者を他所に、何かに気付いたシルヴィアは妹を構っていたウイルクに指示を出す。

 

「ウィル!お姉ちゃんの分の卵取ってきて!」

 

「うぇ!?う、うん!」

 

「リースもー」

 

 普段の抜けた様子ではなく、鋭く凛とした母親の声に驚きつつ、ウイルクはアイリスを引き連れて裏口から家の裏へと回り込む。

 家の庭に設置された鶏小屋、その隣には小さな畑。最低限の自給自足と、子供たちに仕事を与えるという意味合いで設置されたそれは、割りと子供たち二人には好評だった。

 毎朝餌をやり、水をやり、時には雑草を抜くなど、やることや考えるべきこと、覚えるべきことは多い。

 考えながら仕事をこなすという習慣をつけると共に、他の子供よりも更に余りある二人の体力を使わせるという意味でも、それはよい結果を残していた。

「まてまてー」と楽しげなアイリスの声と「ごめん!ごめんって、いたっ!いたたっ!」と荒ぶる鶏の鳴き声と共に響くウイルクの悲鳴を他所に、ジブリールは勇者に問いかけた。

 

「それで、また何かあったのか?」

 

「そうなんだよ。聞いてよ、前の冒険なんてさ」

 

 彼の問いを皮切りに、勇者の愚痴が始まった。

 やれあの魔物は強かっただの、やれ会議はやっぱり苦手だだの、やれ報告は剣聖と賢者に任せてこっちに来ちゃっただの、時には他愛のない、時には重要そうな話題が昇っては消えるを繰り返す。

 その一つ一つに真摯に耳を傾けつつ、ジブリールは楽しそうに微笑んだ。

 妹が語ってくれる冒険譚は時には世界の命運を、時には街の命運を、その重さは違えど語る彼女の口調はどれも変わらない。

 どこか楽しそうで、同時に達成感に溢れていて、聞いているこちらまで笑顔になれる。

 

「おかーしゃー、とってきたっ!」

 

「た、ただいま~……」

 

 にこにこと笑いながら卵を持ってきたアイリスと、母親譲りの銀髪に鶏の羽が突き刺さったウイルクが戻ってくる。

 どうしてかアイリスは動物に好かれ、ウイルクは攻撃される傾向にある。理由は不明だ。

 

「えっと、にわとりさんと、わしさんにね、あさごはんたべさせてきました!」

 

「あいつにもか?それは助かった」

 

 母親に卵を渡したアイリスは薄い胸を張って報告すると、ジブリールは相変わらず空を飛んでいる、そろそろ高齢となってきた相棒と、楽しく戯れる娘の姿を想像して頬を緩めた。

 ウイルクなら、また追いかけ回されて泣くのがおちだ。

 

「二人ともありがとうね」

 

 アイリスから卵を受け取ったシルヴィアはそれをフライパンの端にぶつけてひびを入れ、そのまま器用に片手で割るを人数分繰り返し、手早く焼き始めた。

 白身が空なら黄身は太陽だねなんて、小さい頃から思ってはいたけれど、大人になってからこうしてみると、確かにその通りだなと思う。

 まあすぐにその太陽も腹に納まってしまうのだが、それまでの間なら夢を見たって良いだろう。

 

「さて、後は……」

 

 程よく焼けた頃を見計らい、棚から黒パンを取りだすとそれぞれに合わせた大きさに千切り、焼き終えた目玉焼きを上に乗せていく。

 昨晩の残りのシチューも温まったし、食事は温かいうちに食べるのが最善だ。

 

「よし、おまたせ」

 

 目玉焼きを乗せた黒パンとシチューを持ちながら振り返り、愛する家族たちの法へと目を向けた。

 エプロンを羽織った平服姿の彼女を見て、元冒険者と思う者などいはしないだろう。

 けれど彼女こそ、かつてローグハンターの相棒として隣に立ち続け、彼の壊れた心に寄り添い続けた優しき乙女。

 銀色の髪を揺らしてならず者(ローグ)を狩り続けた武闘家(死神)の姿はとうに失われ、今の姿は彼の妻にして二児の母。

 シルヴィアは家族皆を照らす太陽の笑みを浮かべ、「さあ、食べよう!」と料理を卓に並べる。

 いつもの朝と変わらぬ日常。そして五年前よりも増えた笑顔の数。

 それこそがローグハンターが偽りの神を殺して勝ち取った、天上の神々からの報酬なのだろう。

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ行かないと」

 

 遅めの朝食──ほぼ昼食だが──を終えて二時間程一家団欒を楽しんでいたジブリールたちに、少々遠慮がちに勇者が告げた。

「えー」とアイリスは不満の声をあげて「いっちゃ、やっ!」と彼女に抱き着くが、「また遊びに来るから」と笑って頭を撫でられる。

 

「おねーちゃんをこまらせちゃだめだろ?」

 

 それでも離さないアイリスをウイルクが掴まえ、悪いとは思いつつ引き剥がす。

 それがいけなかった。まだまだ甘えたがりの二歳児を、無理やり相手から引き剥がせばどうなるか。

 それをよく知るジブリール、シルヴィア、勇者の三人は顔色を青ざめ、ハッとしたウイルクも遅れて顔を真っ青にした。

 

「ふぇ……」

 

 勇者に向かって短い腕をピンと伸ばしたまま、アイリスの目元に涙が溜まり、嗚咽を漏らし始める。

 ウイルクが手を離して勇者に返そうとした時にはもう遅い。彼女は肺一杯に空気を吸い込み、

 

「やぁぁぁあああああああああああっ!!!!!」

 

 感情に身を任せた咆哮が、家中を駆け抜けた。

 至近距離で彼女の泣き声をもろに受けたウイルクはたまらず耳を塞ぎ、ジブリールとシルヴィアは顔を見合せて苦笑。

「ねーちゃああああっ!!」と泣き叫びながら勇者の胸に飛び込み、それを抱き止めた彼女もまた困り顔。

 

「よしよし、お姉ちゃんはここだよ~。まだ一緒にいるからね~」

 

 アイリスの背を擦りながら優しく告げて、「大丈夫だよ~」とあやすように体を揺らす。

 それが正解なのかは彼女とて知らないが、咄嗟に出来たのはそれなのだ。孤児院で年下の子達が泣いた時は、こうしてあやしてきたに過ぎない。

「よ~しよし」と勇者がアイリスをあやしている横で、ウイルクがどうしたものかと手をさ迷わせ、ついでに目も泳がせる。

 ジブリールは妹につられる形で泣きそうになっている彼を抱き上げ、「お前まで泣くなよ……」と困り顔。

「ないてない!」と唇を尖らしてそっぽを向くが、その先にいたシルヴィアに「ホントかな~?」といたずらっぽく笑われながら柔らかい頬をつつかれる。

 母から逃げようと顔を背けても、器用に片腕で彼を抱き上げている父の空いている腕が動き、頬をつつかれる。

 また逃げては母が、逃げては父はと繰り返し、痺れを切らしたウイルクは「んー!!」と拗ねたように父の胸に顔を埋めた。

 まあ、そうしたところで両親からの攻撃は止まることなく、こんどは耳だの脇だのが矛先になるのだが、今のウイルクにはそこまで考える余裕はない。

 左右からちくちくとつつかれ、その度に体をぴくぴくと反応させるが、反撃したり逃げたりはしない。

 父親に捕まっているというのも理由が大きいが、もう一つの理由としては、

 

「……」

 

 先程まで泣いていたアイリスが静かになり、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているからだ。

 子供特有の直感か、あるいは視線を感じたのか、ともかくウイルクは「両親に構ってもらっている兄」であり続ける。

 幼いながらに彼は知っているのだ。もう少し粘れば──、

 

「にーちゃばっかりずるい!リースもぉ!!」

 

 妹が泣き止んで突っ込んで来ることを知っているからだ。

 アイリスは今まで抱き抱えていた勇者を足蹴に跳躍、両親に構われている兄に向けての突撃を敢行した。

 同年代の子供のそれとは比べるまでもなく、その動きは機敏で鋭い。

 だがあくまでも彼女は二歳程の子供だ。その動きは直線的で、何より彼女の癖の全てを把握している両親に対しては、どんなに速くとも遅いと言うもの。

「ほいっと」と気の抜けた声と共に進路に割り込んだシルヴィアの豊満な胸に飛び込む結果となり、けっきょくはそれで良いのか「ん~♪」と上機嫌そうに声を漏らす。

 問答無用に足蹴された自身の胸に手を当てつつ、両親という越えられない壁に直面していた。

 あそこで『リースはおねーちゃんとあそぶもん!』と言ってくれれば、それはそれで良かったのに。

 

「むむむ~」

 

 今度は勇者が不満げな表情となり、大人げなく頬を膨らませた。

 けれどすぐに息を吐いて、さながら花のように綻んだ笑顔を浮かべた。

 彼女の視線を支配するのは、わいわいと騒ぎながら笑顔を振り撒く兄の家族だ。

 父の腕の中で息子が笑い、母の胸の中で娘が笑い、愛する我が子の笑顔で両親が笑う。

 嬉しいとは思えど、胸にあるのは僅かな孤独。

 兄に言ったら笑われるのだろうが、やはり兄と二人きりになりたいというのはなかなかに難しく、そもそも二人きりにはなれないだろう。

 勇者がどこか敗北感に似たものを覚えて儚く笑うと、「ねーちゃ?」と鼓膜を揺らしたのは姪っ子の幼い声。

 ハッとして顔をあげると、母の首に腕を回して抱きついていたアイリスが、いつの間にかこちらに目を向けていた。

 

「どうかした?」

 

 笑顔を崩さないように努めて意識していると、アイリスは不貞腐れたように唇を尖らせて、ぴょんと母の胸から飛び降りた。

 そしてとたとたと勇者の足元まで駆けてくると、彼女の手を引いてまた家族の下へ。

 

「ねーちゃも一緒にぎゅってして!」

 

 そして母親の顔を見上げながらそう言って笑い、言われたシルヴィアは「仕方ないなぁ」と豊満な胸を張りながら頷いた。

 一緒にだからとアイリスを抱き上げて、「いくよ?」と声をかけて勇者を抱擁。

 アイリスも「ぎゅー!」と声を出しながら勇者の首に腕を回し、耳元ではけたけたと楽しそうな笑い声。

 アイリスの笑い声に勇者もまた笑みを浮かべていると、今度は背後からも抱き締められた。

 

「どうかしたのか、元気ないぞ」

 

 振り返ってみれば、そこには心配そうにこちらを見つめる兄の姿。兄の腕に抱かれていたウイルクも、「おねーちゃん?」と兄と似た表情。

「大丈夫だよ」と笑ってみたら、「なら良いんだが」と返されたかと思えば、兄の腕が動いて家族もろともに抱き寄せられた。

「わわ!」と驚くシルヴィアを他所に、アイリスは耳元で「あったかい!」とテンション高めの声を漏らす。

 照れるように顔を赤くする兄の顔に「へんなのー」と笑いながら、彼女は勇者に問いかけた。

 

「ねーちゃはあったかい?」

 

 ぎゅっと先程よりも密着させてきたアイリスの体温を感じながら、「温かい……」とぼそりと漏らす。

 胸にあった暗い感情は消えて、そこにあるのは陽だまりのような温もりだ。

 ここには愛する兄がいて、尊敬する姉がいて、生真面目な甥がいて、可愛らしい姪がいて……。

 

 ──やっぱりここがいいな……。

 

 様々な戦いに赴いて、時にはたくさん痛い思いをして、それでも踏ん張って頑張って。

 仲間たちや王様に迎えられるのも悪くはない。凱旋みたいで好きだし、皆が笑ってくれるから。

 

 ──けど、やっぱりここなんだ。

 

 ここも笑顔で迎えてくれるのは変わりはないけれど、勇者とかそんなの関係なしに笑わせてくれるのはあまりない。

 ローグハンターがそうであったように、勇者もまた帰る場所は必要だ。

 絶大な力を持ち、世界の命運を握る者とて、彼女もまた人なのだから。

 

「温かいね……」

 

 ほんのちょっぴり目元を熱くしながら、勇者はぎゅっと愛する家族を抱き締めた。

 

「ホント、温かい……」

 

 兄がよく家族と触れあっているのは知っていたけれど、人の体温というのは心まで温めてくれる。

 たまには勇者としてではなく一人の女性として、家族に甘えたって良いではないか。

 

 ──彼女とて、ちょっと特別なだけの只の人(ヒューム)なのだから。

 

 

 

 

 

 辺境の街を囲む外壁の一角。

 人が行き交う大門に、彼らは集っていた。

 

「ねーちゃ、いっちゃうの?」

 

 シルヴィアと手を繋いだアイリスが問うと、「ごめんね~」といつも通りの笑顔を浮かべた勇者が答えた。

 家に来た時と同じ、おそらく気配遮断の加護でもある外套を纏っており、目の前にいるのに気配は希薄だ。

 勇者はフードの下で笑顔を崩すと、今度は不満そうな表情となる。

 

「ぼくだって一緒にいたいし、一緒に寝たいんだよ?」

 

「え?!」

 

「ホントーに~?」

 

 勇者の突然の告白にウイルクは赤面して狼狽え、アイリスは疑うように──けれど嬉しそうに──彼女の顔を覗きこむ。

 勇者はまた笑顔を浮かべ、膝をついてウイルクとアイリスと視線の高さを合わせ、二人の頭を撫で回しながら告げる。

 

「ホントホント。今度来たときは一緒に寝ようね」

 

「はーい!」

 

「……うぇ?!」

 

 再び放たれた爆弾発言にアイリスは今度こそ嬉しそうに、ウイルクは一瞬の時間を要してから反応を示した。

 四歳とはいえ、同年代に比べて大人びている彼だ。憧れのお姉さんたる勇者と同じ部屋で眠るというのは、少々ハードルが高いのだろう。

 ……母親とは普通に寝れるというのに、その差は何なのだろうか。

 反応の違いはあれど楽しそうな子供たちの姿に笑みをこぼして、シルヴィアはフードの中に手を突っ込んで勇者の頭を撫で始めた。

 

「いつでも()()()()()良いからね」

 

「うん!」

 

 母親のものとは違う、まさに姉としての笑みでそう言うと、勇者は太陽を思わせる満面の笑みを浮かべて頷いた。

 名残惜しそうに家族から離れた勇者に、ジブリールは「またな」と右手をあげながら短く言うのみだ。

「うん。またね、お兄ちゃん!」と彼女は笑い、二人のやり取りはそれだけだ。

 血の繋がりはなくとも、二人は誰しもが認める兄妹だ。

 言葉にせずとも相手の考えている事はわかる。

 前線を退いた兄はともかく、世界を救う妹は明日をも知れぬ身だ。

 なら、お互いが思っている事は一つ。

 

 ──必ず帰ってこい。

 

 ──絶対に帰ってくる。

 

 二人の視線が一瞬交錯して、またすぐに別れた。勇者が背を向けた為だ。

 

「それじゃあ、いってきます!」

 

 彼女の言葉に続くのは、それぞれの言葉による「いってらっしゃい」の連呼だった。

 兄は真面目に、姉はちょっと心配そうに、姪っ子は再会するが当然のように、甥っ子はちょっと照れ臭そうに。

 同じ言葉だというのにそれぞれの個性があって、何回聞いても飽きることはない。

 だから彼女は行く。仲間と一緒に世界を救って、誰かを救って、また「ただいま」を言うために。

 アイリスが「きをつけてね!」と意味もわかっていないかもしれないのに言うと、勇者は笑顔を浮かべて頷いた。

 

 ──瞬間、何の前触れもない突風が吹き抜けた。

 

 備えのないジブリールたちは堪らず目を庇い、頬を撫でる優しい風に頬を緩める。

 そして風が止み、目を開けてみれば、そこに勇者の姿はなく、彼女がいたという僅かな痕跡を残すのみ。

「いっちゃったぁ……」と不満げに言うアイリスの頭を撫でてやりつつ、「またすぐに帰って来るさ」と微笑む。

 何の確証もない、娘への気遣いの言葉とも取れるそれだが、けれど彼は断言した。

 帰ってくると信じてやらないで何が家族か。

 

「さ、私たちも帰ろ」

 

 シルヴィアが手を叩いて言うと、ウイルクは「うん」と頷いてアイリスの手をとった。

 シルヴィアとウイルクに手を繋がれ、アイリスはきゃっきゃっと楽しそうに笑い、ジブリールは空いているウイルクの手を取った。

 父、息子、娘、母と横に並び、はしゃぐ愛娘に引かれる形で歩き出す。

 目指す場所はただ一つ。彼らが住む場所、愛する我が家だ。

 

 

 

 

 




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Memory04 次世代の台頭

 晴天の下でかんかんと乾いた音が響き、そこに混ざるのは少年少女らの気合いの叫び。

 辺境の街から歩いて十数分。五年も前に様々な苦労と犠牲を末に完成した訓練場があった。

 事務所と呼べる建物には手続きをするギルド職員や、食事の配給の為に訪れた『眠る狐亭』の店員、知識神の神官、あるいは冒険者に成り立ての少年少女まで、様々な人が、様々な種族が出入りを繰り返していた。

 さながら村のような活気に包まれた訓練場の一角に、木の柵で円形に囲まれた、さながら闘技場のような場所があり、既に幾人かの人影がそこにはあった。

 先程から訓練場に響く乾いた音や、何者かの気合いの叫びは、そこから発せられていたようだ。

 

「合わせなさいッ!」

 

「言われなくてもっ!!」

 

 貴族出なのか、それなりに上等な革鎧に身を包んだ女剣士と、村から出てきましたと言わんばかりの、まだ傷のない新品同然の革鎧を纏った青年剣士が、お互いの出生関係なしに手を組み、一人の男に挑んでいるからだ。

 野次馬──というなの順番待ちの列は冷や冷やとしたながら固唾を飲み、相手の出方を伺った、

 彼らの視線を一身に受けているのはこれまた男性。

 演習場を吹き抜ける風に白い髪を揺らす男性は、模擬戦用の木剣を片手で構えて息を吐いた。

 左右同時からの挟撃。確かに生物は一部を除いて左右を同時に見ることは出来ず、見えなければ反応のしようがない。

 だが、物事には必ず例外があるし、何より彼を──かのローグハンターを相手取る場合は悪手に他ならない。

 

「うりゃぁっ!」

 

 青年剣士の気合い一閃と共に放った大上段からの振り下ろしを片手で振るった木剣で受け止め、女剣士の刺突は空いている手の甲で剣の腹を殴って払い(パリィ)、大きく体勢を崩させる。

 

「ほらよっ!」

 

 その瞬間、彼は動き出す。

 まず競り合っていた木剣を無理やり力で押し返し、青年剣士の体勢を崩す。

 次に体勢を崩した青年剣士の腕を掴み、そのまま体勢が整っていない女剣士に向けて投げる。

「きゃっ!」とか「うわ!?」とか悲鳴をあげる二人はろくに受け身も取れず、絡まり合うようにして転倒。

 倒れて重なった二人の首もとに木剣の切っ先を突き立て、「まだやるか?」と問いかけた。

 十秒足らずの攻防だったが、素人の彼らでも無駄がないとわかり、同時に戦慄を覚える程の動き。

 

「二手に別れたまでは良いが、攻めるタイミングがずれているぞ。だからこうなる」

 

「「はい……」」

 

 木剣を突きつけられたまま、もっと言うと二人して絡まり合ったまま、二人の新米冒険者に指導を始める。

「だからなぜ構えた相手に大上段を振るのだ」「崩された後体勢を整えるのが遅い」「投げられたと思ったなら受け身を取れ、教えたろう」エトセトラエトセトラ──。

 一つ一つ的確に、臨時とはいえ一党を組んだ二人の弱点を指摘し、どうするかを話し合うように促す。

 冒険者とは本来何も知らない所から、文字通り手探りでやっていく仕事だ。何から何まで指導しては、いざ独り立ちした時に苦労するだろう。

 だからこそ自分たちで考えさせる。その手が有効なら彼は遠慮なしに誉めるし、悪手なら更に指摘を繰り返す。

 それで新人たちが育てばそれで良く、嫌気がさして来なくなったとて構いはしない。冒険者とは本来、その全てが自己責任だ。夢の為に死のうが、ちょっとした失敗で死のうが、それは本人の行いのせいだ。

 こうしてここにいるのは、ある程度の現実を知る──あるいは知ってなお生き延びた──者たちで、自身の無力さを知った者たちだ。

 多くの冒険者は冒険の中で強くなるが、だいたいは強くなる前に死ぬ。そうなりたくない者がこうして訓練場──回りは学校と呼ぶが──に集うのだ。

 一部は字を習いに来るだけ、あるいは息抜き、またあるいは指導者──つまりローグハンターを見に来るなど、冒険とは縁遠い理由で来る者もいるが、理由はどうあれ来ないよりはましだろう。

 

「よし、次!」

 

 今しがた倒した二人に手を貸して立ち上がらせ、その背を叩いて送り出すと、柵の回りに待機していた訓練生に向けて告げた。

 あと何組いるかは別として、まだ訓練は始まったばかり。

 余談だが、時にはローグハンターが噂通りかと確かめる為に挑んでくる者もいるが、だいたい瞬殺される。

 彼は後進を育てる為にいるのであって、面倒事を起こす為にいるのではない。

 今の彼は銀等級冒険者──ローグハンターとして名を馳せた彼ではなく、指導者として後進を育てる身だ。

 今まで高め、培ってきた技と知識は、今は教える為にあるのだから。

 

 

 

 

 

 アサシンの襲撃により破壊された冒険者ギルドも、五年も経てば再建され、かつての活気を取り戻していた。

 使い勝手を考慮してか、かつてのギルドと同じ設計図のもと作られたそれは、確かに過去の記憶と合致する。

 そんなギルドの一室、本来なら職員しか立ち入る事の出来ない部屋に二人の人物がいた。一人は男性、格好からして冒険者。一人は女性、格好からしてギルド職員だ。

 長机を挟んで対面するように椅子に座り、それぞれ書類を確認しながら楽しげに言葉を交えている。

 一人はローグハンターだ。長い白髪をうなじの辺りで一纏めにし、身に纏うコートはアサシンとして活動する時に纏う上等なものとは違い、そこらで売り買いされている黒い布製のコートに多少の改造を加えたもの。

 彼が平服代わりによく着ているそれは、見る人によっては察する事が出来るだろうが、生憎とこの世界にそれを知るものはいない。

 今の彼の格好は、彼の師であるシェイが、まだアサシンである頃の姿に酷似しているのだ。

 勿論両手首にはアサシンブレードが仕込まれており、椅子には愛用の魔剣が立て掛けられ、いざという時にはそのまま戦闘を行えるようにしてある。

 彼は真面目な視線を書類に向けてはいるものの、口元は柔らかく綻び、対面している相手の言葉に時には苦笑を浮かべていた。

 そして彼を笑わせているのは、髪を三つ編みにした女性だ。

 豊かな胸、括れた腰、すらりと伸びた足と、その体には一切余分なものはなく、妻がいる彼の目をしても美人の──もちろん妻の方が上だが──に入るだろう。

 かつてもそれなりに綺麗ではあったが、五年の歳月でその美しさには磨きがかかり、毎年新人の男性冒険者たちの注目を集める。

 尤も、相手が身に纏っているのはギルド職員の制服で、冒険者は文字通り彼女がいなければ何も出来ないので、下手に手を出そうとするものはいない。

 いたしてもどこぞの槍を振り回す戦士が割って入るのだから、そんな余裕はないという方が正しいか。

 

「何を笑っているんですか?」

 

 彼がにこにこと笑いながら見つめていた為か、目の前の女性──受付嬢は書類片手に首を傾げた。

 問われたローグハンターは「何でもない」と首を振り、改めて書類に目を向ける。

 明らかに何かを隠しているようだが、まあきっと下らないか個人的な事なのだろう。

 結婚し、子供が出来てからというもの、彼はかなり丸くなった。人前でもよく笑うようになった。

 受付嬢は小さく微笑みながら、ローグハンターに問う。

 

「今年の子達はどうですか?」

 

「いつも通りだ。技術を聞き齧ったまま、あるいは知らないままの奴が多い」

 

 彼女の問いにローグハンターは淡々と答えると、「だが」と付け加えて書類の山に目を向けた。

 それを指で弾いて手早く数えると、ふむと小さく息を吐く。

 

「昔に比べれば、だいぶ増えたな」

 

 彼がそう言ったように、確かに彼の生徒となる者は年を経るごとに増えてきている。

 理由としては様々だが、まあ多少の出費でも毎日食事が出来るし、冒険の知識に加えて文字も学ぶ事が出来るのが大きいだろう。

 読み書きが出来る冒険者と出来ない冒険者とでは、また扱いや収入が変わってくるのだ。

 わかりやすい例をあげるなら、代筆屋に頼む時間と金が丸々なくなり、名指しの依頼や手紙何かも返すことが出来るようになる。

 加えて訓練場で学ぶ事で、冒険者に成り立てでも『ローグハンターの教え子』という箔がつくのだ。

 何もない無頼漢同然の新人冒険者たちにとっては、それもまた大きなメリットなのだろう。

 

「増えたのは良いですけど、見るのも大変ではないですか?」

 

「そうでもない。伊達に冒険者はやっていないさ」

 

 受付嬢の心配の声に余裕の笑みを浮かべながら答え、「あの程度なら運動にもならん」と付け加えた。

 彼の様子に受付嬢は苦笑を浮かべ、「それもそうですかね」と頷いた。

 冒険者としては異端な、対人戦闘ばかりをこなしていた男だ。相手が素人なら、何人いようが赤子の手を捻る如く打ち倒すだろう。

 

「これで最後だな」

 

 何て事を思っているうちに、彼は自分の担当していた書類の全てを片付けた。新人職員にも見習って欲しいほどの手際の良さだ。

 

「それで、何人かは上がれそうか」

 

 受付嬢が片付けた書類を覗きながら問うと、彼女は唇に指を当てて僅かに考えるような素振りを見せた。

 確かに彼が指導を始めてから新人たちの死亡率はだいぶ下がった。

 まあ彼の徹底した指導によって最初の一党を組み、そのまま冒険を続ける者は多い。

 皆が指導を真面目に受け、経験に裏打ちされた危険性を、何も知らない人に容赦なく現実を叩きつける事で、等級不相応で危険な仕事を受けなくなったというのも大きい。

 逆に言えば所謂(いわゆる)『経験点』が伸びない者も多く、彼と依頼を共にしていた一期生と呼ばれる彼ら──人数比としては彼女らか──は例外として、等級の伸びは平均的なものだ。

 ローグハンターの教え子とて、そこから化けるかは本人次第。あくまで彼は下地を作る手伝いをするだけだ。

 ローグハンターが受け持つ冒険者たちの書類を確認し、更に諸々の情報を詳しく精査する必要があるが……。

 

「……人数は明言できませんが、いるとは思います」

 

「そうか」

 

 受付嬢が頭を捻りながらの言葉に、ローグハンターは大した反応もなく頷いた。

 職員に限りなく近いといえど、彼とて冒険者。細かな情報をギルド職員たる彼女の口から漏らすことは出来ない。

 それを知るローグハンターもそれ以上は訊かず「それじゃあ、書類はこれで全部だ」と書類の束を彼女に託す。

 それを確かに受け取った受付嬢は「預かりました」と頷いて、それを自分の書類と一纏めにした。

 後は職員たる彼女がしかるべき場所に持っていき、しかるべき手順を踏んでしまうだけだ。

 それはあくまで冒険者のローグハンターでは出来ない、彼女にしか出来ない仕事だ。

 故に彼は「後は任せた」という他になく、受付嬢も「任せてください」と頷く他にない。

 彼女が十数人分の書類を持ち上げるとローグハンターが遅れて立ち上がり、腰に魔剣を下げると共に、エスコートするように部屋の扉を開け、廊下の様子を確認した。

 未知の遺跡に挑むが如く動きで気を配り「大丈夫そうだ」と告げて手招きする。

 受付嬢は「そんなに警戒してどうするんですか?」と苦笑混じりに問いかけ、問われた彼は「警戒して損はないだろう」と肩を竦めた。

 だいぶ丸くなったとは言ったが、やはり根っこの部分は変わらないと言うべきか、むしろ子供が産まれてから余計に警戒心が強まったと言うべきか……。

 ともかく彼はいつも通りに部屋を出たのだ。受付嬢もその背を追って部屋を出ると、彼の先導で廊下を歩き始める。

 こつこつとヒールの音を立てる受付嬢と対照的に、ローグハンターは一切の足音を立てる事はない。片や冒険者、片やギルド職員なのだから当たり前だ。

 途中で受付嬢は書類をしまうために金庫室に入り、彼女とはそこでお別れだ。

 尤もすぐにまた受付で会うことになるのだろうが、それはそれだ。

 受付嬢は金庫室に消えていき、ローグハンターは廊下を進みながら天井を見上げ「あー……」と力の抜けた呻き声を漏らした。

 いつまで経っても書類仕事には慣れない。これを、これよりも凄まじい量を毎日捌く職員たちの苦労が今になって理解出来た。

「あー……」と額に手を当てながらまた呻き声を漏らすと、「きゃっきゃっ」と楽しそうな愛娘の声が耳に届いた。

 

「──」

 

 ローグハンターは思わず足を止め、訝しむように眉を寄せた。

 一瞬幻聴を疑ったが、また「きゃっきゃっ」と楽しそうな愛娘の声が聞こえれば、幻聴でないことは確実だ。

 時間としては昼前。昼食は家でと思っていたのだが、どうやらその前にやることが出来たようだ。

 先程とは別の意味で額に手を当ててため息を漏らし、ずかずかと無造作な足取りで廊下を進む。

 そして曲がり角を最短距離で曲がり、冒険者ギルドのロビーに足を踏み入れると、

 

「あ、とーしゃ!」

 

 父の姿を発見したアイリスが嬉しそうに笑い、銀色の髪を揺らしながらとたとたと駆け寄ってきた。

 とりあえず膝をついて両腕を広げ、迎え入れる体勢を取る。

「ぴゃー!」と声をあげながら父の胸に飛び込み、「にゃー♪」と上機嫌そうに頬擦り。

 怒る気力さえも削がれながら、ローグハンターはため息混じりに彼女を構っていたであろう冒険者たちに目を向けた。

 ……その視線の鋭さは、どちらかと言えば睨み付けたという方が正確か。

 睨まれた冒険者たちは多少たじろぎはするものの、けれど慣れた様子で受け流す。

 受け流されたローグハンターはまたため息を吐き、冒険者の膝の上に乗せられて赤面している息子に目を向けた。

 

「とーさん、たすけて……」

 

「ああ」

 

 照れからか顔を真っ赤にした息子に頼まれ、ローグハンターはアイリスを抱き上げながら立ち上がる。

 そして迫力のある笑みを浮かべながら、息子を拘束している冒険者を睨み付けた。

 

「その子を、離せ……っ!」

 

「せ、先生!?これはそのですね!」

 

 睨まれたのは、蜂蜜色の髪をした女性剣士だ。

 普段は凛とした碧眼も今は丸く見開かれ、椅子から落ちない程度に体を逸らせる。

 豊満な胸を隠しきれず、胸元が僅かに露出させる鎧はおそらくまことの銀(ミスリル)特注品(オーダーメイド)で、腰に下げる剣は鍛え直された軽銀の突剣と短剣。

 首もとに輝く認識票は銀色の輝きを放ち、けれど真新しい訳でもなく傷が目立つ。

 

「貴方からも何か言ってくださいまし、魔術師様!」

 

「あなたが捕まえて膝に乗せたんでしょ」

 

 彼女の助けを求める声を断ち切ったのは、赤く長い髪を揺らす魔術師だ。

 これまた纏うローブは豊満な胸を隠しきれてはおらず、胸元が開いたデザインではあるが、見た目の割に織り込まれたそれは固く、さながら革鎧のようだ。

 作り手は只人ではない。森人──それも上の森人が手を加えたものに相違ない。

 そして首から下げられた認識票の輝きも、銀色のそれに違いなかった。

 ローグハンターは彼女らを睨んで再びため息を漏らし、「で、あいつは?」と問いかけた。

 

「なーに、呼んだかな?」

 

 だが問いに答えたのは誰でもない、いつの間にか彼の背後を取っていたシルヴィアだ。

 彼女はにこにこと笑いながら「二人ともありがとね~」と気の抜けた声を漏らし、ローグハンターの脇を抜けて彼女らの卓に加わった。

 

「ほら、キミも早く早く!」

 

 そう言って手招きされて、ローグハンターは懐かしむような笑みをこぼす。

 

「何ともまあ、久しぶりだな……」

 

 かつてこの四人が集えば仕事の始まりだったが、今は違う。

 ローグハンターはともかく銀髪武闘家は前線を退き、今や専業主婦だ。

 けれど彼女は「そうだね~」と女性剣士に捕まった息子の頬をつつきながら微笑み、「もう五年も経つんだね」と意味深な笑みを二人の銀等級冒険者に向けた。

 五年の歳月は、新米だった女魔術師と令嬢剣士を銀等級冒険者へと成長させ、今やこの街を代表する冒険者だ。

 

「それで、何か弁明はあるか?」

 

 けれど上下関係はいまだ変わらず、威圧してくる恩人に令嬢剣士は萎縮し、女魔術師は彼女を見捨てるように視線を外した。

 五年の歳月が経ち等級が変わっても、彼らの関係に変わりはない。

 ある意味で話題の彼らの声は、ギルドの喧騒に包まれて消えていった──。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドの酒場。冒険に出る前の冒険者たちが集うその場所の一角に、彼らは集っていた。

 蜂蜜色の髪をした美女、赤い髪の美女、銀色の髪の美女と、ただ彼女らが集うだけで男連中の視線が集まるが、彼らは努めて視線を外すように心掛けていた。

 理由は単純。前者二人にならともかく、銀髪の美女に下卑た視線を向けようものなら、

 

「……」

 

 鋭くこちらを警戒している白髪の男に叩きのめされるからである。

 周囲の視線に警戒するローグハンターは、膝の上に座るアイリスを構いながらシルヴィアに問いかけた。

 

「で、何でお前までここに」

 

「会いたくなっちゃったからじゃ、駄目?」

 

「だめ?」

 

 唇に指を当てて上目遣いで言うシルヴィアと、彼女を真似て上目遣いをするアイリスに見つめられ、ローグハンターの口から「ん゛ぅ゛!」と汚い悲鳴が漏れる。

 彼は家族に弱い。もはや笑えてくるほどに、強く出られないのだ。

 まあそれは彼だけでなく、シルヴィアにも言える事なのだが、それはまた別の話だ。

 ジブリールは意識を保つ為に咳払いをすると、今度はいまだに令嬢剣士に捕まっているウイルクに目を向けた。

 

「こっちは──」

 

 いまだに照れが抜けていないのか顔を真っ赤にしたウイルクを見つめ「いつも通りか」と視線を逸らした。

 尊敬する父親から見捨てられたウイルクは「え!?」と驚きの声をあげるが、逃げ出そうにも令嬢剣士が離してくれない。

 いまだ四歳のウイルクだが、既に弄られキャラとして父からも認められているのだろう。

 正確に言えば、ウイルクはかなり父親似の顔立ちをしている。頼れるローグハンターに似ている幼子ということで、弟子や知り合いたちから可愛がられているのだ。

 少々過剰な時はジブリールとて止めに入るが、そこまででもないならやりたいようにやらせる。

 この触れ合いもいつ出来なくなるかわからないのだ。やりたい内にやらせてやるのが礼儀というもの。

 令嬢剣士に頬をぷにぷにとされながら、ウイルクはくすぐったそうに身動ぎするが、それをまた可愛いと彼女の悪戯心を加速させる。

 

「剣士ちゃんはウイルクが好きだよねぇ」

 

 卓に肘を預けて頬杖をつきながら、シルヴィアは「ほれほれ」とウイルクの鼻先をくすぐる。

「ん~」とどこからも助け船が出されない現状に赤面して項垂れると、今度はぐしゃぐしゃと銀色の髪を撫でられた。

 

「アイリスはお姉ちゃんの方に行くか?」

 

「にゃ!」

 

 彼から視線を外したジブリールは、アイリスの髪を梳いてやりながら問いかけた。

 問われた彼女は勢いよく顔をあげると、女魔術師の方に「ねーちゃ~」と手を伸ばしてぱたぱたと振り回す。

 女魔術師は「はいはい」と苦笑混じりに手を伸ばし、アイリスの脇に手を入れてひょいと持ち上げる。

 そして割れ物を扱うようにゆっくりと慎重に自身の肉感的な太ももの上に乗せ、無意識に頬を緩めた。

 ああ、こうして見ると本当に──。

 

「妹が欲しかったわね……」

 

 女魔術師が遠い目をしながら言うと、ジブリールは苦笑を漏らし、アイリスはとりあえず誉められたと思ったのか楽しそうに笑った。

 

「弟で悪かったな……っ!」

 

 そんな彼女の背後、女魔術師の死角になる位置に彼はいた。

 女魔術師に似た赤い髪に、賢者の学院の卒業生たる証の柘榴石の填められた杖、そして纏うは絵に描いた魔術師が着ていそうなローブ。

 彼女の弟──青年魔術師が姉に構われるアイリスをどこか恨めしそうに睨みながら現れたのだ。

 彼に多少の恨みはあっても敵意がない事を知るジブリールは何か言うこともなく、彼に続いて現れた冒険者の一党に目を向けた。

 

「お前らか、お疲れさん」

 

 軽く右手を挙げて言うと、彼らは揃って「お疲れ様です」と軽く頭を下げる。

 それに合わせて首に下げられた銀──あるいは銅の認識票が揺れ、ジブリールは「どうも」と苦笑を漏らす。

 彼らとも出会ったのは七年近く前、それこそ駆け出しの女魔術師を一党に入れた時期だ。

 かつて新米(ノービス)と一括りに呼ばれていた彼らも、今や玄人(ベテラン)として周囲から憧れを向けられる身となった。

 

「いやー、今回も大変でした」

 

 一党の頭目たる背に両手剣を担いだ剣士。かつてのような幼さは消え、その凛とした佇まいは銀等級に相応しい。

 

「あんたは毎回毎回飛び出し過ぎなの!」

 

 彼の幼なじみにして、今は恋人──になったのかはわからない、長い黒髪を頭の高い位置(ポニーテール)に纏めた武闘家。

 

「そうなのか?こいつが出てくれるから、俺たちも安心していられると思うけど」

 

 様々な縁で二人と知り合い、そのまま一党に加わった、片手剣と棍棒を腰に下げ、左腕に円盾を括った戦士。

 

「そういうこと言わないの。余計に調子のるでしょ」

 

 彼と共に──戦士に言わせれば彼女と共に──故郷を飛び出し、いつの間にか彼の隣が定位置となった、天秤剣を片手に握る聖女。

 

「ぼかぁ、後ろから孥を射つだけっしたからね」

 

 そしてとある冒険を経て一党に加入した、二足歩行の兎を思わせる──どちらかと言うと、兎耳が生えた人と言うべきか──ようやく愛用の孥が体の大きさに馴染んだ兎人。

 青年剣士、女武闘家、青年戦士、聖女。

 かつてローグハンターが面倒を見ることになり、こちらも手探りで指導を行った彼らも、今ではかつての自分と同じ等級だ。

 そこに遅れて加入することになった白兎猟兵と青年魔術師はいまだに銅等級だが、銀に上がるのも時間の問題だろう。

「うさぎさーん!」とアイリスが女魔術師の膝から飛ぶと、兎人の胸に飛び込んだ。

「もふもふ~」と楽しそうに兎人の胸元の毛に顔を擦り付けると、彼女は「相変わらずですねぇ」と愉快そうに目を細めた。

 頼れる兄貴分たちの登場にウイルクは目を輝かせたが、二人は彼に目を向けると「頑張れよ」とぐっと親指を立てて見放した。

 薄情な兄貴分たちの行動に白い目をしつつ、ウイルクはどうにか脱出せんと手足をじたばたさせるが、

 

「暴れないで下さいな、怪我をしてしまいますわよ?」

 

 余裕の笑顔を浮かべた令嬢剣士に抱き締められ、離れられそうな気配はない。

 同年代に比べて飛び抜けているとはいえ、所詮は子供の力だ。鍛えに鍛えられた銀等級冒険者の拘束を脱するには力不足。

 ジブリールはわかりきっていた結果に苦笑を漏らし、「それで、仕事はどうだった」と首を傾げながら問いかけた。

 今は自立しているとはいえ、可愛い後輩たちであることに変わりはない。

 だからこそ彼らの冒険について聞きたいことは多く、時おりギルドに顔を出すのはその為だ。

 後進の指導の材料集めという名目で、様々な冒険者と言葉を交わすという意味でも、銀等級冒険者の話は是非とも聞いておきたい。

 お互いの頭目である女魔術師と男剣士は顔を合わせると、目配せのみで会話を終わらせる。

 そしてこっちからと咳払いをした女魔術師だ。

 アイリスが跳んだため乱れた衣服を整えると、丁寧に言葉を紡ぐ。

 

「では私から。依頼内容は──」

 

 自分たちと行動を共にしていた少年少女たちが、今では自分たちよりも──種類的な意味で──数多の敵を葬り、その評判を不動のものとしていくのは聞いていて心地が良い。

 ローグハンターにとっては次の世代の彼らがそうであるように、彼らにとっての次の世代もまた、そうなるように願うばかりだ。

 

 ──いいや、願うだけじゃあ駄目だな。

 

 何の為に後進の指導をしているのだ。何の為にここにいるのだ。

 まあ家族の為と言ってしまえばそれまでではあるが、けれど理由はもう一つ。

 この世界は広く、未知が多い。偉そうに後進の指導をしている自分とて、全てを知っている訳ではないのだ。

 むしろ自分は知ろうとしなかった。知る前にやらねばならない事を見つけてしまったからだ。

 だからせめて、後輩たちにはそんな事がないように、少しでも未知を既知に、僅かでも幸せを掴んでから逝けるように、彼らに技術の一部を伝授している。

 冒険中に起きた出来事を事細かく説明し、時には令嬢剣士からの横槍を受けながら、けれど生き生きとした表情で全てを語る。

 彼女は冒険者。人々が恐れる危険に挑み、金とする、明日をも知れぬ冒険者だ。

 だからこそ、死するならせめて何かを残そうと、何かを成し遂げようと進み続けている。

 ジブリールは生き生きとする彼らを少し眩しそうに眺めながら、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 彼らを弟子とした事は、やはり間違いではなかった。

 

「ねぇねぇ、ねーちゃたち?」

 

 不意に、女魔術師の膝に居座るアイリスが女性陣へと声をかけた。

「なーに?」と皆一様に首を傾げて問いかけると、アイリスは楽しそうに笑いながら問いかけた。

 

「みんなはいつけっこんするの?」

 

 瞬間、楽しげだった場の空気が一変する。

 女性陣の表情が凍り付き、男性陣は額を押さえてやれやれと首を横に振った。

 それはジブリールとて同じ事。娘が無遠慮に投げ掛けた質問に頭を抱え、本日何度目かのため息を漏らす。

 彼のお陰で新米冒険者たちの死亡率は何割か下がり、多くの冒険者たちを青玉等級に導いた彼だとて、流石に恋人探しまで手伝う余裕はない。

 詰まる所、長きに渡り語られる伝説は打ち破れない。

 

 ──優秀な女冒険者は嫁ぎ遅れる。

 

 女武闘家と聖女に関しては気合いを入れれば隣の男が答えてくれるだろうに、いまだにそれが出来ていないのだ。

 まあ三年近く、今の妻が向けてきていた好意に気付けなかった自分では何も言えないがとは思うが、二人は自分の弟子であると共に妻の弟子でもある。

 彼はシルヴィアに目を向けて、お互いに肩を竦めた。

 そこはどうやっても教えようがない。誰かを好きになり、誰かの好意に応えるのは、実際に経験しなければわかりようがないのだ。

 

「ねーちゃたち、どうしたの?」

 

 白兎猟兵の胸に抱きつくアイリスは更に問うと、一斉に彼女らの視線を集めた。

 

「……?」

 

 小首を傾げて疑問符を浮かべるアイリスを他所に、今がチャンスとウイルクは令嬢剣士の腕から脱出。シルヴィアの足元へと駆けていった。

 そうしている間にも女性陣はアイリスを取り囲み、何やら怪しげに指を蠢かせている。

「へ?ほぇ?」とぶんぶんと首を振って彼女らの一人一人に視線を配ると、「ねーちゃ?」と再び首を傾げた。

 

「女性に失礼な事をいっちゃう子はこうよ!」

 

 聖女の号令を合図に、彼女らの指が一斉にアイリスに襲いかかった。

 瞬間響くのは、アイリスの悲鳴混じりの笑い声だ。

 こしょこしょと声に出しながらくすぐられ、アイリスは目に涙を溜めながら笑い続ける。

 ジブリールとシルヴィア、ウイルクは顔を見合わせて、揃って肩を竦めた。

「たしゅけて~!」と声が聞こえるが、楽しそうであるなら良いではないか。

 日常の中で学び、次に生かすことも大切だ。子供の内はこう言うと構ってくれるからと覚えてしまうかもしれないがそれはそれ。

 過程はともかく娘が笑ってくれるのならそれで良い。

 ジブリールはアイリスの笑い声に混ざって苦笑を漏らし、「平和だな」とぼそりと呟く。

 

 ──どうかこの平和がいつまでも続きますように。

 

 誰に向けてでもなく、どの神に向けてでもなく、彼は瞑目してその場で祈りを捧げる。

 彼の祈りに応えるように、アイリスの楽しそうな笑い声が、天高くまで響いたのだった。

 

 

 

 




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Memory05 変わらぬ友たち

「♪~♪~♪~♪~」

 

 愛する妻が漏らしたであろう鼻歌に、微睡んでいたジブリールの意識が呼び起こされた。

 若干寝ぼけたまま辺りを見渡し、庭で洗濯物を干している妻の後ろ姿と、それを手伝う息子の姿を確認。次いで自らの腰に抱きついて眠る娘の姿を確認すると、表情を綻ばせて頭をなでてやる。

 アイリスは眠ったままくすぐったそうに唸り、けれど逃げる様子も起きる様子もなくされるがまま。父の事を信頼している証だろう。

 ジブリールはそれを嬉しく思いつつ、雲一つない晴天の空に目を向けた。

 照りつける陽の輝きは温かく、洗濯するには今日を逃す手はない。

 だからああしてシルヴィアとウイルクの二人は、せっせと物干し竿に湿った衣服を引っ掻けているのだろう。

 二人の動きに合わせて揺れる、陽の輝きを受けて銀色に輝く髪を眺め、ジブリールは欠伸を漏らす。

 手伝ってやるべきなのだろうが、その思いに反して体が動こうとしない。

 魔神将や神を名乗るろくでなしを前にしても怯むことなく動く体が、こうも動くことが出来なくなるのか。

 陽に照らされているお陰で温かいし、腰に抱きつく娘の体温も相まって更に(ぬく)い。

 娘は頭を撫でてやれば嬉しそうに笑い、ぎゅっと抱きつく力が強まった。

 口から気の抜けた声を漏らしながら、ジブリールは目を細めた。

 物干し竿にシーツを引っ掻けて汗を拭うシルヴィアの姿はどこか色っぽく、けれど可憐で、結婚してから毎日見ていても、決して飽きることがない。

 対するウイルクは、少しでも良いところを見せようと持ちきれない量を持ち上げ、もはや滑稽に思える程に足をぷるぷると震わせていた。

 ああやって多少無理をしても頑張る所は、きっとシルヴィアに似たのだと思うとどこか嬉しくなる。

 不器用な自分に似るよりは何倍もましだ。時々自分似な部分を垣間見るが、本当に時々だから気にしない。

 むしろそれを気にするより、この温もりを感じたままもう一眠りしたい気分だ。

 ジブリールはアイリスの頭に手を置きながら、再び瞼を閉じた。

 五年も前に剣の乙女に言ったように、目を閉じて開けばすぐに数時間後だ。

 

「よし!これで終わり!」

 

 けれどシルヴィアのその宣言が、また微睡んでいたジブリールの意識を呼び覚ます。

 再び目を向けてみれば、そこには物干し竿をフル活用する形で干された洗濯物が、旗のように風に吹かれてなびいていた。

 シルヴィアが「イェイ!」と笑いながら手を挙げれば、ウイルクがその場で飛び上がって「イェイ!」と返しながらその手を叩く。

 助走なしの垂直飛びで母親の頭ほどまで跳ぶというのは、もう見慣れたとはいえ驚きを隠せない。

 四歳にしてあの身体能力だ。まだ物を持ち上げ続けると言った持続力はないが、瞬間的な爆発力は相当なもの。

 将来はどうなるのかと一瞬悩み、一人で考えても仕方がない事、何より進む道を決めるのはウイルク自身だという事に気付いて首を振った。

 まだ四歳だ。成人して独り立ちするにしても、あと十年はある。ゆっくり決めさせれば良いではないか。

 今考えられるのはここまでと思考を止めて、小さく息を吐いた。

 今ではこうして十年も先の事を考えてはいるが、昔は明日をも知れぬ身だったのだ。改めてそう考えると、自分もだいぶ変わったものだと思う。

 けれど、変わっていない事が一つ。

 ジブリールは眉を寄せ、庭を仕切る柵へと目を向けた。

 一応街を囲う障壁の内側だとしても、それは何の備えをしない理由にはならない。

 一応ゴブリンスレイヤーの意見をあおぎ、最悪ゴブリンは凌げるようにと設置した、横棒を減らし、縦棒を多めに設けた柵。

 繋ぎ目には鳴り子を忍ばせ、誰かが乗り越えようと足をかけるか、あるいは蹴り倒そうとすればけたたましい音が鳴り響く。

 子供たちはともかく、ジブリールとシルヴィアは寝ていようがそれが鳴れば飛び起きるし、すぐに臨戦体勢となるのだ。

 まあ今のジブリールは敏感に気配を感じる事は出来るから、ある意味では無意味な代物かもしれない。

 気配という曖昧模糊なものを、文字通りの規格外(イレギュラー)たる彼は完全に察知する事が出来るのだ。

 そして、そんな彼の探知範囲に入り込んだ鼠が一匹。

 彼は無言でアイリスの腕を解いて自由になると、ごきごきと指を鳴らして相手の出現に備えた。

 気配は少しずつこちらに近づいており、止まる気配はない。

 上空から監視していた鷲はいち早く相手を発見すると、途端に興味を失ったかのようにいまだに眠るアイリスの脇へと着地した。

 彼がそんな反応をするのなら敵ではないのだろうが、ジブリールは警戒を解くことはない。むしろ強めている節さえあるほどだ。

 鷲が警戒しないということは友人の誰かであることは間違いなく、加えて庭から入ろうとする物好き──あるいは馬鹿は一人。

 警戒しながらため息を漏らすジブリールの姿に気付き、シルヴィアは口許を隠しながら苦笑を漏らし、ウイルクは困り顔を浮かべた。

 別に相手に苦手意識があるわけではない。むしろ小さい頃から面倒を見てもらっていたらしい──幼すぎて覚えていないのだ──から、きっと良い人ではあるのだろう。

 彼がそうして思慮をしている内に、件の人物が現れる。

 颯爽と柵を飛び越え、一切の音をたてる事なく着地。彼女の小柄な体を隠すように羽織っていた外套が揺れ、次いで彼女の幾つかある特徴の一つたる長耳が揺れた。

 

「ひっさりぶりね、あんたたち!遊びに来たわよ!」

 

 しゅびっと勢いよくウイルクとアイリスに指を差し、にかっと笑みを浮かべた妖精弓手は、次いで苦笑するシルヴィアと、自身を睨むジブリールへと目を向けた。

 

「……どうかした?」

 

 何か不味かったかと首を傾げるが、シルヴィアは「自分の胸に手を当ててみれば?」と肩を竦め、ジブリールは威圧するように指を鳴らして彼女に告げる。

 

「一つ質問する。家主の許しもえず、加えて玄関ではなく庭から入り込んだ者を、人は何と呼ぶ」

 

「い、いきなり何よ。謎なぞは苦手──」

 

 顎に手をやって答えを探ろうとした彼女に先んじて、ジブリールが拳を構えながら告げた。

 

侵入者(・・・)だ。お前は何度言えば覚える」

 

「ああ……。そうね、そうだったわね」

 

 子供が出来てから妙にそこのところ厳しい彼の姿に狼狽えつつ、妖精弓手はアイリスへと目を向けた。

 抱き枕であったジブリールが離れたからか、彼を、或いは変わりの何かを探して腕を振り回している。

「起きちゃうわよ?」と露骨に話題を逸らすが、当のジブリールは「どうせ起こすんだろ?」と彼女を睨む。

 取り付く島もないと妖精弓手は──本人が意図してはいないにしても──優雅に肩を竦め、「群れを守る雄獅子みたいね」と今の彼を評価した。

 それが彼女なりに誉めているのか貶しているのかはわからない。相手は上の森人だ、只人とは物の見方や基準が違う。

 ジブリールが再び何か言おうと口を動かした時だ。どんどん!と玄関がノッカーが叩かれた。

「はーい」とシルヴィアが対応に走り、ウイルクは洗濯籠と桶を重ねるとひょいお持ち上げて家の裏へ消えていった。

 正確にはそちらにある物置に向かったのだろうが、些細な違いだ。

 

「あ、久しぶりだね!」

 

 玄関へと向かったシルヴィアの声が庭まで響き、その後に続くのは聞き馴染んだ友人たちの声だ。

 

「入って入って~。とりあえずお茶で良い?」

 

 廊下から居間へと戻ってきたシルヴィアが、背中越しに客人へと問いかけた。

 まず入ってきたのは、一言で言えば巨漢だった。只人の体躯とは比較にならない体は鱗に包まれ、臀部から伸びる極太の尾が揺れている。

 身に纏う戦衣装はそのままで、けれど冒険には出ていないのか汚れやほつれはない。

 その巨漢──蜥蜴僧侶は「お気になさらず、すぐに出ますゆえ」と奇妙な手付きで合掌すると、庭で睨みあうジブリールと妖精弓手に目を向けた。

 

「野伏殿、拙僧らは玄関からと申したではないか」

 

「良いじゃない、早くこの子達の顔が見たかったのよ」

 

 苦言を呈された妖精弓手は開き直るようにアイリスを指差したが、「それが失礼なんじゃろうが」と更に言う人物が蜥蜴僧侶の影から身を乗り出した。

 大柄な蜥蜴僧侶とは対象的な、一部からは樽を揶揄される寸胴な体に短い手足。

 けれどそれを感じさせない佇まいは、やはり鉱人だからこそ出来るものだろう。

 彼は自慢の顎髭を扱きながら「邪魔しとるど」とジブリールに一言言ってから妖精弓手へと苦言を告げた。

 

「友達ん()とはいえ、最低限のマナーっちゅうもんがあるだろうが」

 

「むぅ、良いじゃない友達の家なんだし。あんたたちも多少は大目に見てよ」

 

 悪びれた様子もなく返す妖精弓手にため息を吐き、鉱人道士は諦めたようにため息を吐いた。

 

「ったく、これが森人の王族ちゅーから驚きじゃよ……」

 

「今さらですな」

 

「今さらだな」

 

 彼の言葉に間髪いれずに蜥蜴僧侶とジブリールが続き、家主たるジブリールもまた諦めたように息を吐いて肩を竦めた。

 

「まあ、せっかく来たんだ。茶でも飲んでいったらどうだ?」

 

 言外に「早く上がれ」と妖精弓手に告げ、言われた彼女は「おじゃましまーす!」と今さら告げてきょろきょろと辺りを見渡した。

 

「……あれ、長男は?」

 

「──よびましたぁ?」

 

 妖精弓手の囁きにも等しい呟きに、ひょこりと家の影から顔を出したウイルクが答えた。

 僅かに顔に汚れがついているから、何か物を倒しでもしたのだろう。

 ジブリールは苦笑混じりに「こっち来い」と手招きし、小走りで駆け寄ってきた彼の頬の汚れを拭ってやる。

 

「おし、これで良い」

 

「ん……」

 

 頬をぐりぐりとされながらウイルクは声を漏らすと、ぐっと拳を握って「てつだってくる」と台所に立つシルヴィアの元へと駆けていった。

 

「相変わらず、あのがきんちょは元気だの」

 

「あいつに似たんだろ」

 

 鉱人道士が微笑ましそうに笑いながら言うと、ジブリールは台所を見つめながら目を細めた。

 自分に似ていたら、もう少し無愛想になっていた事だろう。

 彼の言葉を聞いていた蜥蜴僧侶は「それはどうですかな」とぎょろりと目玉を回した。

 

「拙僧から見れば、あの子は斥候殿にも似たように思えまする」

 

「そうか?」

 

 彼の言葉にジブリールは首を傾げ、改めて台所の二人へと目を向けた。

 銀色の髪を尾のように揺らしながらお茶を用意するシルヴィアと、それを避けながら箱を用意し、それを足場に棚からカップを取り出していた。

 二人ともいつもとおりに動いているようにしか見えず、ジブリールは「似ているか?」と改めて問うと、蜥蜴僧侶はしゅるりと鼻先を舐めた。

 

「母に似て愛想よく、父に似て家族を想うておりまする。拙僧らの故郷とはまた違う形ですな」

 

「蜥蜴人は幼い頃から鍛えるんだろ?」

 

「然り。自らよりも強くなって貰うことが、親の願いでありますからな」

 

 どこか懐かしむように目を細め──蜥蜴人とてそのような表情をするのだ──ながら、彼はそう呟いた。

 ジブリールも幼い頃から鍛えられはしたが、それは自分から無理を言ったからだ。

 子供たちを鍛えるのかと問われれば首を傾げるし、何よりシルヴィアが望まない可能性もある。

 まあ彼女の場合。自らの体術を子供に教え、型を継がせる可能性はあるが、そこにジブリールとの共同で盛り込んだ殺人拳を含めることはない筈だ。

「文化の違いだな」と肩を竦めると、「種族が同じでもすむ場所一つで違いますからな」と蜥蜴僧侶は同調した。

「武人二人が何か言うとるわい」と隣の鉱人道士がため息を漏らす──気を遣ってか、酒臭さはない──と、「お待たせ~」と台所からお盆に人数分のカップを乗せたシルヴィアが戻ってきた。

 

「苦いと思うけど、体には良いんだよ」

 

 そう告げながら卓にカップを並べ、「さあどうぞ」と清々しいまでの笑顔を浮かべた。

 真っ先に手を伸ばしたジブリールは一口でそれをあおると、「あ゛ぁ~」と汚い声を漏らした。

「染みるなぁ」と眉を寄せて険しい表情になりながら、カップを片手に若干躊躇う鉱人道士と、「では拙僧も」と恐れる事なくあおった蜥蜴僧侶へと目を向ける。

 飲み干した蜥蜴僧侶は目玉を回し、尾をぶんぶんと──けれど家に傷をつけないように──振り回すと「染みますなぁ」とホッと息を吐いた。

 二人が飲んだのだからと鉱人道士も覚悟を決め、茶を一息で飲み干した。

 

「っかぁ~。こりゃ苦い……!」

 

 目を見開きながら味を評し、そっとカップを卓の上に。

「どこの茶じゃい」と口に残る苦味と戦いながら問うと、シルヴィアは妖精弓手を見つめながら「森人さんから教えてもらったの」と苦笑を漏らす。

 ジブリールもまた苦笑を漏らし、「あいつじゃあないぞ」と一言付け加える。

 

「あいつが、故郷に俺たちの結婚が決まった事を手紙で書いたそうなんだが……」

 

「そしたら体に良いお茶の入れ方と、それに使う葉っぱが送られてくるようになったんだよね……」

 

 これもその一つと、自分もまた茶をあおり「にがっ!」とぎゅっと目を瞑りながら声を漏らした。

 

「お陰で病気知らずだ」

 

「子供たちには蜂蜜とかを混ぜて飲ませるんだよ」

 

 ジブリールが腕を広げて肩を竦めながら言うと、シルヴィアが棚に置かれた小瓶を示しながらそう告げた。

「なら私はそれで」と妖精弓手が寝ているアイリスの頬をぷにぷにとつつきながら言うと、シルヴィアは「大人なんだから我慢しなさい」とそれこそ子供に言い聞かせるように言う。

 言われた妖精弓手が「えー」と声を漏らすと、それが合図となったのか、アイリスが「ん……」と声を漏らしてから体を起こした。

 寝ぼけ眼をぐりぐりと擦り、欠伸を噛み殺して周囲を見渡す。

 ジブリール、シルヴィア、ウイルク、蜥蜴僧侶、鉱人道士の姿を眺め、最後に妖精弓手へと視線を注いだ。

「あ~」と声を漏らして彼女へと両手を伸ばし、「ん~」と意味を持たない声を一つ。

 待ってましたと言わんばかりに妖精弓手はアイリスを抱き抱えると、「只人の成長ってあっという間ね~」とあっけらかんと呟いた。

 森人の男女は数百年単位で付き合い、子供が出来ればまた数百年単位で子育てするのだ。

 それこそ早くても十五年で独り立ちが許され、寿命もどんなに長くても百年程の只人とは、その一年の意味はだいぶ違う。

 ジブリールとシルヴィアにとっては激動の、ここ数年の子育ても、彼女からすれば瞬き一つする間に終わっているようなものなのだろう。

 そんな難しい事を露知らず、アイリスはまた唸りながら妖精弓手の薄い──むしろ真っ平らな──胸に顔を擦り付け、まだ眠いと言わんばかりの様子。

 だがそれでも彼女は顔を上げて、妖精弓手の顔を見上げながらにぱーっと笑みを浮かべた。

 その横顔を垣間見たジブリールは口から変な呻き声をあげるが、それが聞こえていなかったアイリスは寝ぼけた様子で言う。

 

「……にーちゃ(・・・・)、おはよぉ」

 

 その一言に妖精弓手は固まり、ジブリールとシルヴィアは思わず噴き出し、鉱人道士は腹を抱えて爆笑、蜥蜴僧侶は冥福を祈るように奇妙な手付きで合掌し、ウイルクは「ちがうだろー」とアイリスへと駆け寄った。

 

「──」

 

 そして無言で固まる妖精弓手からアイリスを奪い取り、「にーちゃはこっち」と刷り込むように呟いて抱き寄せた。

「んー」とアイリスは彼の胸に顔を擦り付け、「おはよー」と先程よりははっきりとした口調で挨拶を口にした。

 

幼子(おさなご)じゃ、お主の金床と兄の胸は同じに思えるだわな!」

 

 鉱人道士が心底愉快そうに笑いながら言うと、妖精弓手は何を思ってか一息で苦茶をあおり、苦味と屈辱に耐えるように体を震わせ、目に大粒の涙を浮かべながらアイリスを指差した。

 

「つ、次会うときにはお姉ちゃん呼びしてもらうから、覚えてなさいよ!」

 

「──?」

 

 言われたアイリスは兄に抱きついたまま首を傾げ、寝ぼけ眼で彼女を見つめ返す。

 言うだけ言った妖精弓手は「それじゃ!」と踵を返し、また庭の柵を飛び越えて何処かへと走り去っていった。

 

「……結局お前らは何をしに来たんだ?」

 

 ジブリールが湧き出た疑問を蜥蜴僧侶に問うと、「冒険前の挨拶でする」と笑うのみ。

 そして鱗に覆われた武骨な手でウイルクとアイリスの頭を撫でると、「では、これにて失礼」と玄関の方へと足を進めた。

 

「ほいじゃまあ、また来るからの」

 

 鉱人道士もまた子供たち二人の頭を撫でながら言うと、ジブリールは「いつでも来い」と頷き、ウイルクとアイリスも嬉しそうに頷いた、

 明日をも知れぬ冒険者。そんな彼らとの守れるかも知れない約束だが、していないで死にかけた時と、していて死にかけた時とではその後の行動も変わってくるだろう。

 約束があれば死ぬ気で守ろうと意気込むし、何より子供たちとの約束を守れずして何が銀等級冒険者か。

 鉱人道士は「またの」と手をひらひらと振りながら居間を後にし、見送りがてらジブリールとウイルクが後ろに続く。

 玄関前で待っていた蜥蜴僧侶と一二言言葉を交わしてから彼らを見送り、一応家の周りを見渡してから玄関を閉め、鍵をかける。

 朝からばたばたとしたが、これでようやくいつもの休日だ。

 ジブリールはホッと息を吐くと、息子を連れて居間へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 ──今日は厄日なのか?

 

 ふと、目の前の惨状を見たジブリールは首を傾げた。

 

「ほれほれ、善にして秩序たる騎士の私が遊びに来たぞ!」

 

「だぁもう、ガキどもが怖がってるじゃねぇか!」

 

「頬っぺたぷにぷにだな!」

 

「いつまでも子供なんだから……」

 

「そのうずうずと動いている手はなんです?」

 

 女騎士が子供たち二人を前に薄い胸を張り、突然の彼女の登場に驚いた子供たちを庇うように重戦士が立ちはだかり、その隙に青年斥候──彼とて成長したのだ──がアイリスの頬をつつき、圃人巫術師が呆れ顔で苦言を漏らすが、半森人剣士は行き場を失った彼女の右手に目を向けながら目を細めた。

 

「冗談抜きに(にげ)ぇなこれ……」

 

「そう、かし……ら?」

 

 大人しく卓に置かれた苦茶をあおり、表情を歪めているのは槍使いで、その隣に腰かける魔女は同じものを飲んでいるのに眉一つ動きはしない。

 

「──で、何をしに来た」

 

 流石のジブリールとて少々不満げな表情を浮かべ、突然の来客たちに問いかけた。

 そう問うたら一様に「別に何も」と返ってくるのだから、彼の機嫌は更に悪くなるばかりだ。

 流石にそれは失礼かと、重戦士は顔面の左半分を覆う、五年も前の戦いで残された火傷の痕──尤もそこまで酷くはないが──を掻き、()()()()右目を細めながら告げた。

 

「ただの験担ぎだよ。験担ぎ」

 

「……家に祭壇はないぞ」

 

 彼の言葉にジブリールも目を細めると、槍使いが「そうじゃねぇよ」と肩を竦め、女騎士に構われているウイルクとアイリスに目を向けた。

 

「この街を拠点にしてた銀等級冒険者二人の子供だぜ?多少何かご利益があると思っても、なぁ?」

 

「なぁ?じゃあない。誰だそんな事を言い出したのは」

 

「知らね」

 

 重ねられた質問に槍使いは首を傾げ、魔女に「知ってるか?」と問うたが、彼女もゆるりと首を振るのみだ。

 ジブリールは深いため息を吐くと、朝に訪ねてきた三人もそれかと気付く。

 

「やーっ!」

 

 それとほぼ同時。女騎士に玩具にされていたアイリスがその腕から逃げ出し、シルヴィアの足にしがみついて影へと体を隠した。

 ぼさぼさになった髪をそのままに、警戒するように女騎士を睨みながら「うー!」と犬のように唸っている。

 

「むぅ、嫌われたか」

 

「そういう問題かね」

 

 唇を尖らせる女騎士の肩を叩きながら、重戦士は重いため息を吐いた。

 験担ぎに来たのに嫌われるとは何事か。

 

「こっちは大人しいよな」

 

「大人しいと言うよりは、むしろ喜んでいるのでは?」

 

 青年斥候に抱えられ、半森人剣士に頭を撫でられたウイルクは、確かに満更でもない表情。

 

「皆がこの子達に会いに来たのはわかったけど、これから冒険なの?」

 

 女騎士を警戒するアイリスを抱き上げながら、シルヴィアは友人たちに問うた。

 その友人たちから「勿論」と一斉に返されれば「なるほどね」と頷く他にない。

 ジブリールとシルヴィアは一線を退き、その等級を銀で最高にしたのに対し、彼らは更に上を目指して精進を重ねている。

 まあジブリールに関しては、その立場からして金等級と言っても信じるだろうし、その強さは白金等級と言っても過言はない。

 シルヴィアも最低限の自衛手段として体術のみは鍛えているが、やはり全盛期は冒険者時代だろう。

 

「とにかく、気を付けてね」

 

 シルヴィアの笑いながらの言葉に「おうよ」だの「任せとけ」だのと返し、槍使いと重戦士はそれぞれの一党に「行くぞ」と指示を出す。

 圃人巫術師と青年斥候、半森人剣士の三人はすぐに応じたが、その前にと、アイリスをジブリールに預けたシルヴィアが魔女と女騎士を捕まえて部屋の片隅へ。

 その表情は母親としての慈愛に満ちたものから、同年代の友人たちに向けたものへと変わる。

 彼女はにやにやと笑いながら、二人の耳元で囁くように問いかける。

 

「それで?二人はあの後どうなのよ」

 

「──訊くなっ!」

 

 問われた二人の内、真っ先に答えたのは女騎士だ。

 彼女はキッとシルヴィアを睨みながら鋭く切り返す。

 やはりと言うべきか、無念というべきか、彼女はいまだに進展していないのだろう。

 シルヴィアは「ふーん」と興味なさそうに頷くと、「そっちは?」と魔女へと目を向けた。

 

「──」

 

 問われた魔女は照れたように顔を耳まで真っ赤にすると、三角帽子で顔を隠しながら何も言わずにそっぽを向く。

 いつもの彼女なら何かしら言ってきたり、煙管を吹かして誤魔化したりするのだが、今回は違う。

 あの魔女が、言葉もなく照れているのだ。

 

「……え?」

 

 思わず声を漏らしたのは女騎士だ。一瞬で顔から血の気が失せ、瞳から輝きが消える。

 対するシルヴィアは目を輝かせ、「言ったの?」と更に掘り下げた。

 魔女は変わらず無言を貫きはしたものの、こくりと一度頷いた。

 

「「………」」

 

 しばしの静寂。そしてそれを破ったのは──。

 

「こ、この裏切り者ぉぉぉぉおおおおおおっ!!!」

 

 女騎士の咆哮だった。

 彼女は叫びながら走りだし「どうした!?」と驚いた重戦士の首を脇で捕まえ「さっさと行くぞ!」と彼の巨体を引きずるようにして居間を──そのまま家を後にした。

 取り残された圃人巫術師、青年斥候、半森人剣士は「お邪魔しました」と丁寧に一礼してから二人を追って走り出す。

 

「あいつら、いきなりどうしたんだ?」

 

「どうしたんだろねー?」

 

 彼らを見送ったジブリールとアイリスは顔を見合せ、お互いに首を傾げた。

 槍使いがシルヴィアに「もう良いか?」と問うと、彼女は「急にごめんね」と謝ってから魔女を解放した。

 解放された魔女は小走りに槍使いの脇につくと、彼はジブリールに向けて得意気な笑み。

 

「そんじゃ、行ってくるぜ」

 

「ああ。お前なら大丈夫だろうが、気を付けろよ」

 

「おうよ」

 

 元好敵手(ライバル)からの言葉に頷き、槍使いは「またな!」とウイルクとアイリスに向けて手を振ってからその場を後に。

 一人残った魔女は口許に照れたような微笑を浮かべながら、かつてと同じだがだいぶ意味が変わった言葉を口にする。

 

「それ、じゃあ……。冒険(デート)、行って、くる、わ……」

 

「気を付けてね」

 

「……無事でな」

 

 にこにこと微笑ましいものを見たように笑うシルヴィアと、何かを察して表情を和らげたジブリールは軽く手を振りながら応じた。

 彼女は「また、ね」とウイルクとアイリスに笑みを向けると踵を返し、小走りで槍使いの後を追いかける。

 あの戦いから五年だ。何も変わったのは自分だけではなく、彼らとて変わり始めたのだ。

 だが、最も変わったのはあの男。ジブリールが思う一番の友人──親友とも呼べる、あの「何か変なの」だろう。

 

 

 

 

 




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Memory06 変わった友

 辺境の街、ジブリールの自宅。

 時間帯としては昼過ぎ。先日の冒険者連続訪問とは打って変わり、何とも平穏な一日が過ぎようとしていた。

 洗濯物を仕舞い、庭できゃいきゃいと走り回るアイリスと、彼女を追いかけるウイルク、二人を見守るジブリールと、いつもの休日の光景を尻目に、シルヴィアは台所の棚を漁っていた。

 

「今日の夜は──」

 

 理由は単純。夕食の献立を考える為だ。

 いつもなら子供たちに何を食べたいかを訊く──ジブリールは「お前の手料理なら何でも良いぞ」と返しをしてくるからだ──のだが、その子供たちは庭で遊んでいる。

 ならばたまには作りたいものを作っても良いではないかと、開き直ったのだが。

 

「──あれ?」

 

 棚を眺めながら、シルヴィアは首を傾げた。

 これでは食材が足りない。シチューを作ろうと思っていたのだが、このままでは文字通り何も入っていないシチューになってしまう。

 

「どうかしたのか」

 

 腕に鷲を乗せたジブリールが、背中越しに問いかけた。

 家でしか見せない平服姿だが、鷲の爪を警戒してか袖を肘の辺りまで捲っている。

 本来なら籠手を着けるのだろうが、彼の場合はいらないのだろう。現に彼の表情には苦痛を感じない。

 愛する夫の声は、珍しい事にシルヴィアに届いていなかったのか、彼女は顎に手をやって何やら思慮している様子。

 ジブリールは僅かに目を細め「わしさーん!」とぱたぱたと駆け寄ってきたアイリスと、彼女を追ってきたウイルクにそれぞれ鷲と餌を託し、台所でうんうんと唸っているシルヴィアの背中に抱きついた。

「ふぁい!?」と変な声を漏らして振り向いたシルヴィアの唇に、ジブリールは触れる程度の口付けをすると、改めて「どうかしたのか」と問いかけて強めに抱き締めた。

 服越しに感じる彼の体温と、先程の口付けで上がった心臓の鼓動を感じながら、それが彼にまで聞こえているのではないかと思うと僅かな羞恥心が芽生える。

 見られていないとはいえ、子供たちの前でキスしたことは、別に恥ずかしくはないのだろうか。

 そんな疑問はさておき、シルヴィアは「えっと、ね……」と少々歯切れ悪く言葉を紡ぎながら目を泳がせた。

 その隙にジブリールは彼女の頭に顔を押し付け、すんすんと鼻を引くつかせた。

 一切の無駄なく流れ込む彼女のほのかに甘い匂いを堪能し、日頃の疲れを癒しながら言葉の続きを待つ。

 シルヴィアは頭皮に感じるくすぐったさに身動ぎしつつ、覚悟を決めたのか「よし!」と気合いを入れる。

 そして抱きつかれたまま体を回し、ジブリールと向き合う形となると、「あの子達呼んできて」と指示を出した。

 

「何かあったのか?」

 

 突然の指示にジブリールが首を傾げると、シルヴィアは得意気な笑みを浮かべながら言う。

 

「これから、買い物に行きます!」

 

「単純に買い忘れに気付いただけか」

 

 ジブリールはそんな彼女をじとりと半目になりながら睨むが、すぐに苦笑を漏らして「なら準備する」と頷いた。

 名残惜しそうに彼女から離れると、子供たち二人を召集する。

 

「ウィル、リース、ちょっと来い」

 

「ん」

 

「はーい」

 

 鷲を構っていた二人が頷くと、鷲は別れを告げるように一鳴きしてから飛び上がった。

 そんな鷲を見送った二人はとたとたとジブリールの足元まで駆けていくと、ウィルスが「どうかしたの」と父を見上げながら問うた。

 問われたジブリールは「ああ」と頷くとしゃがみこみ、子供たちと視線を近づけると、乱暴に二人の頭を撫で回す。

 

「これから買い物に行くから、着替えておいで」

 

「っ!はーい!」

 

 真っ先に反応したのはアイリスだ。

 心底嬉しそうな笑顔を浮かべ、足早と自分の部屋へと駆けていった。

「ああ、ちょっと!」とその背を慌てて追いかけたのはシルヴィアだ。はしゃぐのは良いがアイリスが服を探すとなると部屋が大変な事になる。

 

「お前も行ってこい」

 

「ん。とーさんもいそいでね」

 

 ウイルクは撫でられた事が余程嬉しいのか、にやけた顔でそう言うと、とたとたとどこか上機嫌な足取りで部屋へ向けて走り出した。

 その背を見送ったジブリールは立ち上がり、自室へ向けてゆったりとした足取りで進み始める。

 子供たちの着替え云々でシルヴィアは遅れるだろう。どちらにせよ自分の着替えはすぐに終わる。

 扉を潜って自室へと入り、クローゼットからぶんどるように衣装を取り出す。

 平服を脱ぎ、交換で白いフード付きのシャツを着るとその上から黒い外套(コート)を羽織る。

 マントのように伸びる膝下までを隠す長い裾は折り返され、どことなくアサシンの象徴(シンボル)のようにも見えるが、それはおそらく意図したものだろう。

 深い意味もなく裾を靡かせると作業台の上に置かれたアサシンブレードを回収、それを手首に仕込んで抜納刀を動作を確認。

 子供たちに手を引かれて暴発しないように後付けした安全装置(セーフティ)を確認し、最後に壁にかけられた魔剣を降ろし、鞘に付けられたベルトを腰帯に通して固定。

 鞘が歩行などの邪魔をならないかを何度か部屋を往復して確かめると、「よし……」と呟いて拳を握った。

 たかが買い物だが、いかんせん何が起こるのかはわからない。いきなり暴漢に襲われる何て事も──まずないだろうが有り得る事だ。

 

「はぁ、お待たせ……」

 

 微妙に疲弊した様子のシルヴィアは部屋に入ると、さっさと着替える為かクローゼットに足を進め、適当に見繕った服を引っ張り出す。

 結婚して女性らしさが増したと言われてはいるが、彼女の私服は割りと動きやすさを重視したものが多い。周りからはその美貌も相まって男装の麗人とまで呼ばれる程だ。

 当の彼女は「ふんふんふ~ん♪」と鼻歌混じりに服を脱ぎ、あっという間に下着姿になっているが。

 

「──」

 

 ジブリールはあまりに無防備な彼女の姿に目を細めるが、その美しい肢体から目を離す事はない。

 顔もさることながら、冒険者を辞め、出産を経験してなお磨きがかかった体は、五年前に比べれば柔らかくなったが、それは彼女の更なる魅力と言わざるを得ない。

 顔から視線を下げれば、子供が出来た為か、下着越しでありながら存在感を放つ豊満な胸が揺れ、下着なしでも垂れ下がる事はない。

 更に視線を下げて胸とは対照的に括れた腰を流し見しつつ、臀部へと目を向ける。

 肉感的なそれは所謂(いわゆる)安産型で、それは二人の子供を大きな問題もなく産んだ事実が証明している。

 そこから伸びる両足はかつてのように筋肉質ではなくなったが、今の生活では事足りる。触れれば柔らかく、膝の上にはよく子供たちが乗るほどだ。

 ジブリールとて、無性に甘えたくなる時だってある。

 言ってしまえばその過程で何度も彼女の裸体は拝んではいるが、(それ)(それ)下着姿(これ)下着姿(これ)と、ひたすらに彼女の姿を見つめ続けた。

 

「……ねぇ?」

 

「なんだ」

 

 彼の視線に気付いたシルヴィアは、今さらになって恥じるように赤面すると、両腕で体を隠すようにしながら身をくねらせるが、ジブリールは彼女の表情や挙動さえも眼福だと言わんばかりに凝視。

 

「……み、見すぎだよ!」

 

 ついに堪らなくなったシルヴィアが声を出したが、ジブリールは「良いじゃないか」と肩を竦めるのみだ。

「もう……」と赤面しながらも諦めたシルヴィアはため息を吐き、手早く着替えを始めた。

 白いシャツに袖を通して胸元に感じる窮屈感に眉を寄せつつ、ズボンを履いてロングブーツに足を突っ込む。

 若干感じたの気持ち悪さを解消すべく爪先でとんとんと床を叩き、ある程度しっくりきたら「大丈夫そう」と頷いた。

 直後に何かを思い付いたようにハッと顔を上げると、シャツの上から黒い外套を羽織り、ジブリールに向けて「お揃いだね!」と満面の笑み。

 外套が黒い為か銀色の髪がより美しく、白いシャツに包まれた胸の辺りに関しては、隠されているようで強調されているような気さえもする。

 

 ──まあ、綺麗だから良いか……。

 

 ジブリールは小さく微笑むと、足音をたてる事なく彼女に接近し、そっと彼女の体を抱き寄せた。

 胸の辺りに当たる柔らかさと共に彼女を鼓動を感じていると、シルヴィアは「どうしたの?」と問いかけたが、ジブリールは無言で抱くのみ。

 彼からしても無意識にやってしまった事だ。言ってしまえば理由はなく、意味もない。

 

「ただ、抱き締めたくなった」

 

 彼女の耳元で、彼女にだけ聞こえるように消え入りそうな声で囁くと、「そっか」と短く返される。

 けれど彼にはそれだけで十分だった。返答こと短かったものの、彼女がぎゅっと強く抱き締めてくれたのだからそれで満足だ。

 二人が無言で抱き合う事、およそ数分。

 離れるに離れられず、かと言って「離れて」と言うには余りにも時間が経ちすぎた。

 そもそもお互いに離れる気がないというのが本音な為、一度こうなってしまうと本当に離れられない。

 

 ──第三者の介入がなければ、だが。

 

 ばん!と勢いよく扉が開かれたかと思うと、外出用の服──丈夫で、汚れが落としやすいものだ──に着替えたアイリスが飛び込んできたのだ。

 彼女はまっすぐ両親の元まで駆けていくと、父の脇腹に頭から突っ込んだ。

「う゛っ」とジブリールの口から苦悶の声が漏れたが、アイリスはそんな事構わずにぐりぐりと顔を擦り付けながら言う。

 

「かーしゃばっかりずるい!リースも!」

 

「わかった、わかったから一回離れてくれ……」

 

「んー!」と抗議の声をあげながら脇腹に貼り付くアイリスを、どうにかして抱かんとするジブリールを他所に、シルヴィアと着替えを済ませたウイルクが合流を果たす。

 

「準備できた?」

 

「ん。だいじょうぶ」

 

 シルヴィアの確認にウイルクは即答すると、ようやくアイリスを抱き上げたジブリールが「よし……!」とどこか達成感さえも感じる声を漏らした。

 

「それじゃあ、行くか」

 

「おー!」

 

 彼の言葉にアイリスが楽しそうに笑いながら応じ、残りの二人も笑みをこぼしながら頷いた。

 向かうは市場。この街の中心部にして、様々な人が集う場所だ。

 

 

 

 

 

 ジブリールの自宅から歩いて十数分。市場には家族と駄弁りながら歩いていればすぐにたどり着く。

 かつてデートと称して歩き回った街並みを、今度は二人きりでなく家族四人で眺めながら、時には立ち止まり、時には寄り道、回り道をしながら、ゆっくりと進む。

 お陰で倍近い時間がかかったが、それもまた一興と気にする者は誰もいない。

 昼過ぎとはいえ人で溢れ変える──とはいかないまでも、多くの人が行き交うその場所に、ジブリールらはようやくたどり着いた。

 僅かに時間は遅いものの、小腹が空いた観光客や旅人を狙ってか出店はいまだに営業しているようで、様々な匂いが鼻へとたどり着き、僅かに空腹が刺激される。

 

「にゃ~」

 

 涎を垂らしてどこかに行こうとするアイリスをウイルクは「どこいくの!?」と自らの方へと引き寄せた。

 そのままアイリスの体をぎゅっと抱き締めながら、「まいごになっちゃうよ」とお兄ちゃん風を吹かせて説教口調。

 当の妹は「へーき!」と歯を見せながら笑うのだが、その自信はどこから来ているのか。

 そもそもそれは『迷子にならない大丈夫』なのか、『迷子になっても見つけてくれるから大丈夫』なのかという話になるのだが、その答えを知るのはアイリスのみだ。

 だが、後者なのは十中八九間違いない。事実父親たるジブリールのタカの眼と鷲との視界共有を駆使すれば、迷子の一人や二人──二人の場合は流石に辛いが──すぐに見つけられる。

 僅かに目を細めていつでも使えるように身構えるジブリールだが、隣のシルヴィアは相変わらずな愛娘と愛息子の姿に苦笑を漏らし、その姿にどこか懐かしむように目を細めた。

 昔はどこかに行こうとした自分を、彼に引き止められていた。

 不意にジブリールも似たような事を思ったのか、シルヴィアに顔を寄せて「お前もはぐれるなよ」と耳元で囁く。

 本来なら子供扱いしないでと怒る所なのだろうが、彼女は口許を指で隠してくすくすと鈴を転がしたような笑い声を漏らした。

 

「大丈夫、今さら迷子にならないよ」

 

「本当だと良いが」

 

 シルヴィアが豊かな胸を張りながら得意気な顔を浮かべると、ジブリールは苦笑混じりに肩を竦めた。

 自分が店の奥に入っているたかが数十秒で、子供に引っ張られるがままどこかに行ったのは、果たしてどこの誰だっただろうか。

 

「まあいい。で、目的の物は」

 

「そう言われると物騒だけど、シチューの材料が足りなかったんだよね」

 

 ジブリールの問いにシルヴィアが困ったように眉を寄せながら言うと、ウイルクに抱き締められているアイリスが目を輝かせた。

 

「しちゅー!」

 ー!」

 

「そう、今日の夜はシチューにします。たぶん明日の朝も……」

 

 得意気な顔を浮かべてはいたものの、途中から目を逸らしながら言うと、ジブリールは「お前の手料理なら、何度でもいけるぞ」と何故かどや顔。

「リースも!」とアイリスが続けば、さらにウイルクが「ぼくも!」と手を挙げた。

 家族三人に揃って言われたシルヴィアは嬉しそうに、けれど街中の為どこか恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 彼女の笑みに家族三人は顔を見合せながら笑みを浮かべ、ジブリールが「さっさと行くか」と話を切り出す。

「そうだね」と表情を引き締めたシルヴィアが頷くと、「はい、リース」とアイリスの前に手を差し出す。

 母の気遣いにアイリスはきゃっきゃっと嬉しそうに笑うと、ウイルクの拘束から抜け出して彼女の手に飛び付いた。

 彼女に弾かれる形で体勢を崩したウイルクをジブリールが支え、しっかりと立たせると「ほれ」と手を差し出した。

「ん」と頷いたウイルクは嬉しさを滲ませながら彼の手を取り、小さな手でぎゅっと握りしめる。

 息子の手の小ささも、きっと数年もすれば味わえなくなるだろう。

 それを知るジブリールは彼の手を握り返し、「行くぞ」とシルヴィアとアイリスの方を示した。

 二人は既に出店や別に用もない店の軒先を眺めながら通りを進んでおり、下手をすれば見失ってしまいそうだ。

 

「置いていかれそうだな……」

 

 変なところで情け容赦ないのは、冒険者時代から変わりはしない。

 まあ、ジブリールなら必ず追い付いてくるという信頼もあるだろうが、だからと言って置いていくだろうか。

 アイリスに引かれるがままなら、前例があるので仕方がないが。

「とーさん、はやくはやく!」とウイルクに急かされるがまま、ジブリールは小走り気味に二人の背中を追いかける。

 都程ではないにしろ、人通りは五年前に比べればだいぶ増えた。タカの眼があるとはいえ、一度見失っては面倒だ。

 

 

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

「何でだろうね……?」

 

 街の中心広場。恋人時代から世話になっているその場所に、ジブリールとシルヴィアはいた。

 だが肝心の子供たちがいない。文字通りはぐれたのだ。

 ジブリールは重々しいため息を吐きながら頭を抱え、「俺が目を離したばっかりに」とシルヴィアに謝ると、「目を離したのは私だよ……」と彼女もまた同じような反応。

 買い物を済ませたまではいい。その買い物籠はシルヴィアの手に握られており、被せられた布の隙間からは色とりどりな野菜が顔を覗かせていた。

 だがその話は後だ。今は子供たちを見つけなければならない。

 ジブリールは一度深呼吸を挟んで思考を落ち着かせると、ゆっくりと瞑目して意識を集中──タカの眼を発動。

 天を舞う鷲と波長を合わせ(シンクロ)、目を開くと同時に視界が街を俯瞰するものへと変わった。

 暗くなった視界に街の輪郭(ワイヤフレーム)が浮かび上がり、そこに青い人影や黒い人影、白い物体が次々と表示される。

 

 ──さあ、どこに行った。

 

 空中の一点で滞空しながら市場を中心に注視を繰り返し、二人が残した痕跡を、過去の二人を見せる幻影を、二人に関わる全てを拾い上げ、どちらに行ったのかを導き出す。

 それを数度繰り返せば、二人の所在はすぐに知れる。

 鷲の視線の先に小さな金色の影が二つ映りこんだのは、二分と経たない頃だ。

 

「──いたぞ」

 

 ジブリールは目を開きながら言うと、シルヴィアは「なら急がないと!」と意気込むが、言われた彼は「いや、大丈夫そうだ」と笑みを浮かべた。

 確かに金色の人影は見つけたが、それと同時に二つの青い影も見つけたのだ。

 

「どうやら、我らが友人が捕まえてくれたようだぞ」

 

「……?」

 

 ジブリールの突然の物言いにシルヴィアは首を傾げた。

 友人と言われてもその候補はあまりにも多いが、その大半は冒険者だ。

 朝一から冒険に繰り出す事が多い彼らの中で、昼過ぎでも街にいるのは果たして何人いるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 言ってしまえば、それは所謂不運(ファンブル)の積み重ねの結果に過ぎない。

 不意に両親が手を離した事も、その隙にアイリスが出店の匂いに釣られた事も、アイリスを追いかけてウイルクがその場を離れた事も、どうにか捕まえた頃には両親を見失い、戻ろうとした矢先に人の波に流された事も。

 お陰で完全にはぐれたという結果は、小さな不幸が積み重なったからに過ぎない。

 だが、過去を憎んでも仕方がない。父からもよく言われるではないか。

 ようやく人通りが落ち着き、父の教えを思い出して強烈な不安も落ち着いた頃、道端のベンチに二人は腰かけていた。

 ウイルクは重々しいため息を吐き、隣で足をぷらぷらさせているアイリスの頭を撫でてまたため息を吐いた。

 自由な妹に振り回されるのは今さらだし、父からはいざという時に母と妹を頼むとも言われている。

 その『いざという時』というのはよく分からないが、だが何かしらの問題が起きればどうにかしようとは思ってはいる。

 思ってはいるのだが──、

 

「どうしよ……」

 

 どうすれば良いのかがまったくわからない。

 父ならすぐに見つけてくれると信じてはいるが、流石にこちらがはぐれた事に気付くのに時間がかかる場合もある。

 ウイルクは俯きながら、再びため息を吐いた。

 父に頼ってばかりなのはいけないと思うが、如何せん自分一人ではどうしようもない状況だ。

 

「どうしよ……」

 

 僅かに声を上擦らせ、目に大粒の涙を溜めながら言葉を漏らした。

 幸いにも妹には聞こえていなかったのか、当の彼女は何故か楽しそうに空を流れる雲を眺めている。

 この状況に気付いていないのか、あるいは気にしていないのか、ともかく彼女はいつも通りだ。

 それが慰めではあるものの、状況が良くなるかと問われれば答えは否。彼女が笑っても今回ばかりはどうしようもならない。

 ぐりぐりと目を擦って溢れそうになる涙を拭い、俯いていても仕方がないと顔をあげた。

 その瞬間だ、涙で滲む視界に()が映りこんだのは。

 滲んでいてもはっきりと見える、父とは対照的な赤い瞳。

 滲んでいてもはっきりと見える、父とは似て非なる白っぽい髪。

 滲んでいてもはっきりと見える、父が持っている物とはまったく違う、腰から下がった中途半端な剣。

 ウイルクは再び溢れそうになった涙を嗚咽混じりに堪えながら、目の前に立つ()()姿()()青年へと目を向けた。

 青年は一瞬困ったような顔になると、小さく息を漏らす。

 

「あ、こんな所にいた。って、あれ?」

 

 その青年の背後、肩から顔を出す形で現れたのは、赤い髪をした、ウイルクの母と同じかそれ以上のものを持つ女性。

 隣のアイリスが彼女の登場に嬉しそうに笑うと、「ねーちゃ!」と声を出した。

 

「うん、お姉ちゃんだよ。それで、お父さんとお母さんはどうしたの?」

 

 彼女にお姉ちゃんと呼ばれた女性──かつてより大人びた雰囲気を纏う牛飼娘は中腰になってアイリスと視線を合わせながら問うと、彼女は「どっかいっちゃった!」と元気溌剌(はつらつ)に答えた。

 それを聞いていた赤い瞳の青年は腕を組み「迷子か」と五年前から変わらない、無慈悲なまでに淡々とした口調で告げた。

 アイリスは「ちがうの!」と抗議をした──彼女的には両親が迷子なのだ──が、ウイルクは消え入りそうな声で「まいごです……」と小さく挙手した。

 赤い瞳の青年は「むぅ」と小さく唸ると、何を思ってかウイルクの隣に腰を降ろした。

 そして不器用ながらに彼の頭を撫でてやり、口許に少々硬い笑みを浮かべた。

 

「お前の両親ならすぐに来るだろう。それまでだが、ここにいよう」

 

「そこは『一緒にいるから泣くな』でいいと思うなぁ」

 

 赤い瞳の青年の言葉に牛飼娘が苦笑混じりに返すと、彼は「むぅ……」と困ったように息を吐いた。

 ウイルクは目元に溜まりに溜まった涙を拭って意識を切り替えると、青年の方へと顔を向けた。

 

「ゴブしゅレさん、ぁがと……」

 

 彼としては真剣に言ったつもりでも、抑えきれない嗚咽混じりではろくに喋る事すらままならない。

 けれど彼の言葉を受けた赤い瞳の青年──ゴブリンスレイヤーと呼ばれる青年は「気にするな」と微笑混じりに返し、ウイルクの頭を撫でてやった。

 

 

 

 

 

「ありがとね、二人とも」

 

 それから数分程、ようやく二人の下にたどり着いたシルヴィアが、「にゃーっ!!!」と叫びながら全力で甘えてくるアイリスに応戦しながら礼を言った。

 全力といってもまだ二歳過ぎた程度の子供、思い切り頬擦りしてきたり、力一杯抱き締めてくる程度だ。その程度なら御しきれる。

 

「うんん、気にしないで」

 

 牛飼娘は顔の前で手を振りながら言うと、母親に甘えるアイリスの頬を指でつついた。

 つつかれたアイリスはくすぐったそうに笑うが、止めてとは言わない。むしろ構ってもらえて嬉しいのか、さらに笑みが強くなるばかりだ。

 その隣、和気藹々(あいあい)とする女性陣を他所に、ジブリールは手を掴んで離さない息子の姿に苦笑を漏らし、保護してくれていた友人と向き合っていた。

 

「すまない、休日なのに手間をかけた」

 

「この程度なら礼には及ばん」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう言うと、ちらりと牛飼娘へと目を向けた。

 

「今こうしていられるのは、お前のお陰だ」

 

 彼はジブリールにのみ聞こえるように配慮したのか、耳を澄まさなければ聞き取れないほどの声でそう告げた。

 あの警戒心の塊だったゴブリンスレイヤーが鎧を脱ぎ、昼夜問わずゴブリンを追っていたあのゴブリンスレイヤーが昼から牛飼娘と街を散策しているのは、彼の言うとおりジブリールの行った事の影響が大きい。

 具体的に言うなれば、ゴブリンスレイヤー監修で殺しの手引き(スレイヤーズガイド)を制作したり、ゴブリン退治に新人のみで向かわないよう徹底的に指導したり、新人と共にゴブリン退治に行った玄人たちに若干の加点(ボーナス)が乗るように取り計らったりなどだ。

 他にもやったことはあるが、大きな成果を出したのはその三つ。

 お陰で言うべきかは知らないが、ゴブリン退治の成功確率も年を経るごとに良くなり、依頼の回転率も上がった。

 時にはゴブリンスレイヤーが依頼を取る前に、ゴブリン退治の依頼がなくなる日まで出来た程だ。

 流石に依頼そのものが完全になくなるとまではいかないが、依頼掲示板(クエストボード)から見る機会が減ったのは確かな事実。

 それはやがてゴブリンスレイヤーの在り方を──良い意味かはさておいて──変え、周りからの見方も「何か変なの」から「意外に凄かった奴」に、今では新人たちから「先生に並ぶ恩人」と呼ばれる程度になった。

 言われた本人は何とも居心地悪そうにしていたが、彼らが無事なら良しと割り切るのに時間はあまりいらなかった。

 問題は、彼の大きな収入源たるゴブリン退治が減った事だろう。

「ゴブリンはいない方がいい」と言っていた彼だが、如何せんその能力と装備はゴブリン狩りに特化したものだ。

 今さら装備を変えることも、また技術を鍛え直すことも、生真面目な彼なら気にしないだろうが、そんな手持ち無沙汰な彼を見逃すほど友人たちも甘くはなかった。

 銀等級冒険者たちが隙あらば冒険へと連れ出し、たまにはゴブリン退治をし、また冒険へと連れ出すというループを作り出す事に成功したのだ。

 ようやくゴブリンスレイヤーも『冒険者』と呼べるようになったのは、果たして何年前だったか。

 ウイルクが産まれ、アイリスがお腹の中にいた頃だというのは確かな筈だが……。

 ジブリールは無駄に飛躍し始めた思考を問答無用で切り捨て、ゴブリンスレイヤーに問うた。

 

「で、お前は何で街に?」

 

「面倒を頼まれた」

 

 彼の返答は相変わらずで、誰に、誰のという肝心な部分が抜けている。

 まあ人間とはそんなものだ。五年も経てば大きく変わるだろうが、根本的な部分はあまり変わりはしない。

 ジブリールは僅かに肩を竦めると、「牧場の人にか?」と確認。

 ゴブリンスレイヤーは「ああ」と頷くと、「あいつの事をな」と牛飼娘に一瞥くれた。

 見られた彼女はそれに気付く様子もなく、アイリスを抱っこしてご機嫌なようだ。

 牧場の人とは牛飼娘の伯父に当たる人物なのだが、ジブリールも時々訓練場の給食関連──生徒が増えた為、眠る狐亭だけでは手が足りないのだ──で会うことがある程度で、深い面識はない。

 だが、そろそろいい年であること、冷たい言い方だと肉体の衰えが顕著に出てくる年齢であることは確かだ。

 そんな人物に頼まれたというのは、単純に買い物に付き合うというだけなのか、あるいは今の自分とシルヴィア(夫婦)の関係なってくれという事なのか。

 

 ──俺が考えるべき事ではないか。

 

 そこまで思慮したジブリールは小さく息を吐き、意識を切り替えながらゴブリンスレイヤーに問うた。

 

「それで親友。前回の冒険はどうだった」

 

 問いかけながら笑みを浮かべ、相手の出方を見る。

 問われたゴブリンスレイヤーは僅かに考えると、フッと小さく笑みをこぼした。

 

「──楽しかった」

 

 親友の返答と、最近ようやく見せるようになった笑顔に満足したジブリールは「そうか」と頷いて「それは良かった」と言葉を続けた。

 

「ついでに良いか」

 

「なんだ」

 

 せっかく会えたのだからと、更に質問を投げようとするジブリール。

 ゴブリンスレイヤーは対して不満そうな反応もなく、むしろ聞いてこいと言わんばかりの姿勢だ。

 

「お前はこれからどうする」

 

 ジブリールからの問いは、それだけだった。

 それは一人の友人としての問いなのか、あるいは戦友としての問いなのか、同業者としての問いなのか。

 彼との付き合いがそれなりに──少なくともシルヴィアの次には長いだろう──あるつもりだが、ここぞという時に限って彼の本心が見えなくなる。

 だが、ゴブリンスレイヤーは真っ直ぐに彼の蒼い瞳を見据えながら告げる。

 

「俺は小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)だ」

 

「……」

 

 ジブリールは友人の返答に僅かに目を細めたが、彼が言葉を挟む間もなくゴブリンスレイヤーの口が動き出す。

 

「だが──」

 

 彼は一言そう言うと口を閉じ、いまだにアイリスと戯れている牛飼娘に目を向け、再びジブリールへと視線を戻した。

 口許には僅かな微笑を浮かべ、宣言するように言う。

 

「奴らを殺す以外に、やるべき事が、ある……」

 

 彼にしては珍しく、歯切れが悪い。

 だがそれを馬鹿にしたり、茶化したりする者は誰一人としていない。

 足元で聞いているウイルクとて、意味はわからないなりに真剣にゴブリンスレイヤーの言葉に耳を傾けている程だ。

 

「俺は──」

 

 一度深呼吸をしたゴブリンスレイヤーが何かを言おうとした瞬間、ジブリールが待ったをかけた。

 空いていた左手を突き出し、彼の言葉を手で制したのだ。

 そうした彼は「お前は不器用な奴だな」と苦笑を漏らし、ゴブリンスレイヤーの肩に手を置いた。

 

「それは俺に言っても仕方がないだろう。伝えるべき相手に伝えてから、他の連中に言い触らすのはそれからだ」

 

 年長者として、先人として、友人として、戦友として、そして一人の男としての助言。

 冒険には一切生かされる事のない、けれど決して忘れてはならない教えは、何度も教えられた。

 そういった意味でも、彼は先生と呼べる人物なのだろうが。

 

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーはいつものように返した。

 それが彼への礼儀、彼への恩返しだからだ。

 

「そうだな」

 

 彼の言葉を噛み締め、一度だけ深く頷く。

 冒険者歴で言えば自分が上だが、年齢や実戦経験などのあらゆる面では彼が上だ。

 けれど、態度は改めない。ここで変えるのは彼にとっては失礼だ。

 

「目の前の事からやっていくしかないか」

 

「ああ、その通りだ」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉にジブリールが頷くと、ようやくアイリスを返還されたシルヴィアが彼の肩を叩いた。

 

「話、終わった?」

 

「ちょうど良く」

 

 シルヴィアの問いに、ジブリールは肩に置かれた彼女の手に自身の手を重ねながら頷き、ゴブリンスレイヤーと牛飼娘の二人にそれぞれ視線を配った。

 

「それじゃあ、今回はありがとう。子供たちが世話になった」

 

「もう、だから気にしないでって言ってるでしょ?」

 

「礼には及ばん」

 

 改めて礼を言った彼に、牛飼娘は困ったように笑い、ゴブリンスレイヤーはいつもの表情になりながら告げた。

 

「ほら、二人もお礼言って」

 

「んと、あっがとぉ!」

 

「ありがとーございました!」

 

 シルヴィアの号令でアイリスが元気よく、ウイルクは目元を赤く腫らしたまま礼を口にした。

 言われた二人は「気にしないで」「次は気を付けろ」とそれぞれ別の事を口にしながら、けれど微笑ましく笑いながら返した。

 

「じゃあ、また会おうね」

 

 シルヴィアがそう言うと、牛飼娘は「それじゃあね」、ゴブリンスレイヤーは「ではな」と返してから踵を返し、市場の方を目指して歩き出した。

 二人並んで連れ立って歩く姿はまるで──。

 そこまで思ったジブリールは首を振り、「まだ早いか」と苦笑した。

 彼の言葉にアイリスは首を傾げるが、ある程度意味を察したシルヴィアは嬉しそうな笑み。

 彼女の笑みに見惚れつつ、ジブリールは家族三人に告げた。

 

「さて、俺たちは帰るとするか」

 

「そうだね。だいぶ予定が狂っちゃったけど」

 

「ごめんなさい……」

 

「?ごめんなしゃい!」

 

 一家の大黒柱の言葉に、シルヴィアは陽の高さを確かめつつ、ウイルクはしゅんとしながら、アイリスはよく分からないなりに兄の真似をしながら返すと、我が家を目指して歩き出す。

 今度ははぐれないようにしっかりと手を繋ぎながら、わざと行きとは違う道を選び、また笑いながら家へと帰るのだ。

 愛する家族と共に住む、愛する我が家に──。

 

 

 

 

 




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Memory07 新たな幸せが舞い込む日

 ──五年後、辺境の街、ジブリール宅、()()()

 

 とある理由で取り付けられたその部屋は、いざという時の避難所としての意味合いもあるが、それと同時に彼の仕事場所でもあった。

 家主たる彼の自室──正確には妻の部屋でもあるが──に隠された落とし戸から伸びる梯子を降りればすぐにたどり着けるその場所に、ジブリールはいた。

 地下ゆえに陽の光が一切入らない薄暗闇の中、部屋を照らすのは彼が使っている机の上に置かれた蝋燭の炎のみ。

 朧気で、今にも消えてしまいそうな灯火を頼りに、彼は黙々と二冊の本と対峙していた。

 一冊は古ぼけた見た目の割りには何も書かれてはおらず、一冊は新品なのか皺一つない。

 けれどジブリールは何も書かれていない本を数瞬眺めると、新品の本に何かを書き写していく。

 否、彼にしか読めない何かが書かれ、それを全員が読めるように書き写しているのだ。

 書き写された文字こそはこの世界──あるいはこの国で──使われているものではあるが、それはただの文字の羅列に過ぎない。

 子供が文字の練習に使った後のように文字の順番はめちゃくちゃで、何一つとして意味のある言葉はない。

 だが、この何も書かれていない本を読むためには、それが当たり前なのだ。

 この世界におけるアサシン教団が本格始動したのと時を同じくして始まった、アルタイルが遺していった書物の収集、および解析作業。

 息のかかった仕掛け人(ランナー)が集め、ジブリールが文字を写し、賢者の学院の校長をはじめとした知識人に後は任せる。

 仕掛け人たちは時には知識神の神殿にこもり、時には捨てられた書物庫を探索し、時にはどうにか知識を得ようとした輩から盗み出す。

 ジブリールは時には何日もかけて一冊を書き写し、それを仕掛け人に託し──時には何日自ら赴いて──学院へと送る。

 届けられた知識人たちが知恵を絞り、文字を解読する。

 それを何年も繰り返す内に、アサシンブレードの設計図を見つけ、技の指南書を見つめ、アルタイルの手記を見つけ、少しずつ彼の遺したものを活かせるようにとやってきてはいるが、如何せん謎が多い。

 どうやってこれを書いたのか、どうして情報を遺したのか。

 アルタイルの書物を読めるのは、タカの眼を扱える者に限られ、それが扱えるのは十中八九、自分のように外から転がり込んだ者だ。

 だが根本的な話として、この世界には消えるインクなるものはない。あれば裏業界には浸透している筈なのに、そんな話は何一つとして出てこないのだ。

 そんな謎の何かを使い、アサシンの心得を記したのは何故か。

 書かれているものはどれもジブリールがいた時代から見ても進んだ──文字通り未来の技術にしか思えないものも多く、解析出来たとしても実用には数年かかるものさえある。

 ジブリールの籠手(ガントレット)に付けられた短筒とて、貴重な素材で試行錯誤を繰り返した結果に出来たもので、同じものを再び用意できるかと問われれば首を傾げるような代物。

 確かに見られたら大事になる代物ばかりなのは確かだが、そもそも読めないし、何より読めても苦戦は免れない。

 そこまでして、彼は何を託そうとしたのか。

 かつて垣間見たアルタイルの記憶を呼び起こしても、何かがわかることはない。

 ジブリールは額に手をやってため息を吐くと、本の写しが終わった事を確認してタカの眼を解除した。

 地下室に広がる闇を眺め、僅かに停止。

 いつもなら一時間も籠れば「集中しすぎだよ」とシルヴィアからの苦言が飛んでくるのだが、今はいない。

 いつかは来ると思っていたが、やはりと言うべきか一人になるのは辛いものだ。

 

「だぁ……」

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、意味もない声を漏らす。

 誰にも届かないその声は地下の闇へと消えていき、巡り巡ってジブリールの耳へと入り込む。

 昔に比べて渋くなったなと自嘲的な笑みを漏らしながら、首だけ左を向いた。

 そこには物々しい鉄格子があり、その先には闇に紛れるように何かが鎮座している。

 

「《インフラマラエ(点火)》……」

 

 ジブリールがぼそりと真に力ある言葉を呟くと、それを合図に鉄格子の内側にある蝋燭に一斉に火が灯る。

 壁に突き立てられた燭台に乗せられた蝋燭は、誰かが消すまで燃え続ける魔道具(マジックアイテム)だが、その炎は普通の蝋燭と大差はない。

 いくつもの蝋燭の炎に照らされてようやく顔を見せたのは、鉄格子の向こうに佇む漆黒の鎧と壁に立て掛けられた剣と弓だった。

 黒きまことの銀(ミスリル)により鍛えられたそれらは、かつてジブリールが纏い、そして神を討ち取るまでに至った装備一式。

 そして全てが漆黒の闇を纏っているにも関わらず、異様な金色の輝きを放つものが一つ。

 黒鷲の剣と共に壁に立て掛けられた剣に、闇のなかでも金色に輝く幾何学模様が浮かび上がっているのだ。

 ジブリールはいまだに輝きを放つエデンの剣を眺め、目を細めた。

 あの戦いからしばらく経った後に行われた再調査に同行し、どうにか回収したエデンの剣だが──。

 

 ──やはり手放すべきだったか……。

 

 時々思う。あの剣はあの島に置いておくべきだったのでないかと。

 だが、同時に思う。あれで本当に終わったのかと。

 

「──駄目だな」

 

 やはりシルヴィアがいないと思考が後ろを向いてしまう。自分はここまで駄目な男だったのかと更に自嘲。

 過去の名残を眺める事に飽きると指を鳴らし、それを合図にして蝋燭の火が消える。

 再び闇に消えた鎧を眺めながら再びため息を吐くと、かつかつと誰かが梯子を降りる音が鼓膜を揺らした。

 ジブリールはアルタイルの書物を棚に納めると書き写した本を抱え、それを乱暴に鞄へと放り込む。

 

「父さん、大丈夫?」

 

 それと同時に、梯子を降りた少年がジブリールへと問いかけた。

「ああ、大丈夫だ」と目を解しながら頷くと、九歳になったウイルクの方へと向き直った。

 ぐるりと回った視界に納まったのは、年齢ゆえかどこか中性的な印象を受ける銀髪の少年だ。

 自分譲りの蒼い瞳に、母親譲りの銀色の髪。顔立ちは自分に似たのだとは思うが、今は外行きの格好している為か、また違った印象がある。

 

「もうそんな時間か……」

 

 ジブリールは地下に籠っていた為、随分と曖昧になってしまった体内時計を修正する。

 籠る前に昼頃に出掛けるとは言っておいたし、ウイルクは時間に正確だが少し早めに動く傾向があるから、おそらく昼前。

 

「リースは?」

 

 椅子から立ち上がり、固まった体を伸ばしながら問うと、ウイルクは「上で待ってるよ」と間髪入れずに返答。

 こたえた彼はちらりと本棚へと目を向け、じっと目を細めた。

 そこに宿るは弱いながらも確かな蒼い輝き。

 

 ──血は争えない、か……。

 

 息子が初めて使ったのは、いつの頃だったか。少なくとも、急に変わった見え方に怯え、泣きつかれた事は覚えている。

 あの時はどうすれば良いかわからずに慌てるシルヴィアと、兄に釣られて意味もなく泣き始めたアイリス、そしてタカの眼を発動して泣きわめくウイルクと、騒がしい三人への対処は大変ではあったが、まあ無駄ではなかった。

 現に、ウイルクはこうして自発的に使えるようになったのだ。

 ウイルクは本の表紙に刻まれた数字と、それをくわえるように刻まれたアサシンのシンボルを睨み付けた。

 

「お父さんには、ここの本が全部読めるんでしょ?」

 

「ああ」

 

 息子からの問いにジブリールは頷くと「読んでみるか?」と問うたが、ウイルクは「僕にはまだ出来ないや」とタカの眼を解除。

 目をぱちぱちと瞬きを繰り返し、ぐりぐりと擦った。

 子供の身では一度の使用に時間の制限がついてしまうのだろう。ジブリールの幼い頃も似たようなものだった。

 ウイルクは擦ってしまった為にぼやける視界を落ち着かせつつ、鉄格子の向こうへと目を向けた。

 黒く塗り潰された闇の中には、かつて父が使っていたという鎧などが納められているというし、何度か実物を見たこともある。

 着てみたいというのが本音ではあるが、あの父が使わないように封じているのだ、きっと録な物ではない。

 

『お父さーん?お兄ちゃーん?まだー?』

 

 じっと闇の中を眺めていたウイルクは、上から聞こえてきた声にハッとして意識を戻した。

 目の前にいる父も愛娘からの呼び掛けに苦笑を漏らすと、「待たせ過ぎたか」と肩を竦めた。

 

「それじゃあ、行くとするか」

 

「ん!」

 

 父の不敵な笑みと共に投げられた言葉に、ウイルクは同じように笑いながら頷いた。

 今日は家族にとって、とても大切な日なのだから。

 

 

 

 

 

 彼女は蒼い瞳で晴天の空を見上げ、感嘆にも似た息を吐いた。

 煌々と照りつける陽の光はさながら天からの恵みのようでいて、一身に浴びていると眠たくなるほどに心地よい。

 事実幼い頃は父と共にひなたぼっこしながら昼寝をした事だってある。

 言ってしまえば今でもしたい気持ちはあるし、むしろ今すぐにしたいのだが、今日だけは我慢と自分に言い聞かせる。

 

「すまない、待たせた」

 

 途端に兄を引き連れて現れた父の声に反応し、彼女は母に憧れて幼い頃から伸ばしている銀色の髪を揺らしながら立ち上がった。

 まだ母ほど長くはないし、手入れが行き届き、洗練された美しさはないとは思うけれど、幼い頃から女の子にとって髪は大切なのだと口酸っぱく言われた程だ。

 

「もう、おそいよ!」

 

 それはともかくとして、少女はいつまで経っても現れたなかった父と兄を指差して苦言を漏らしつつ、けれど嬉しそうに微笑んだ。

「ごめんな、アイリス~」と兄は何とも気の抜けた声を出しながら彼女の髪を優しく撫でてやると、撫でられた彼女の口からは嬉しさが声となって滲み出る。

 ジブリールは唐突に始まった兄妹のじゃれあいに頬を緩めつつ、アイリスに問うた。

 

「それで、準備は良いか」

 

「わたしが一番でした!」

 

 父の問いにアイリスは胸を逸らして得意気な顔を浮かべながら返すと、「でも念のため」と肩から下げる鞄の中を覗きこんだ。

 途中で諸々買うにしても、子供たちが持って行くようなものは別にないと思うが──。

 

「うん、大丈夫!」

 

 鞄に手を突っ込んで何かを確認したアイリスは満面の笑みと共にサムズアップし、ウイルクは聞いてもいないのに「僕も大丈夫!」とサムズアップ。

 それを確認したジブリールは二人に頷き返すと、玄関の鍵を締めて扉の開閉を確認。

 がたがたと扉が揺れる音のみが漏れ、鍵が確かにかかったことを教えてくれる。

 

「よし、行くか」

 

 愛する子供たちの方へと向き直り、肩に下げた鞄の位置を直しながら笑みをこぼしてた。

 家族三人で(・・・・・)出掛けるのにもようやく慣れたが、やはり隣に彼女がいないと締まりが悪い。

 その気持ち悪さを払うように彼は歩き出し、その両手を子供たちが占拠する。

 彼女がいないと確かに締まりが悪いが、けれど子供たちに挟まれることもまた至福の一時で、やはりと言うべきか頬が自然と緩んでしまう。

 目指す場所は一つだが、寄り道で寄るべき所が何ヵ所か。

 ともかく彼らは歩き出し、第一の目標たる眠る狐亭へと足を進めた。

 冒険者を半ば引退した身とはいえ、何も冒険者のみが仕事ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

「これで軽くなったな」

 

 眠る狐亭で鞄に入れていたアルタイルの書の写しを狐直属の仕掛け人(ランナー)──子供たちには知り合いとしか説明していないが──に託したジブリールは、軽くなった鞄の位置を調整しながら、子供たち二人を引き連れて通りを進んでいた。

 昼前だからか人通りはかなり多く、少々歩き辛さを覚えるほどだ。

 

「二人とも、はぐれるなよ」

 

「「大丈夫!」」

 

 ジブリールがぎゅっと二人の手を握りながら言うと、二人は彼の手を握り返しながら笑い、頷く。

 はぐれた所で父と兄はタカの眼が使えるから何の問題もないのだが、次の予定がある分三人の歩調はそれなりに速い。

 時には人の流れに身を任せ、時には「すまない、通るぞ」と声をかけながら道を切り開く。

 すぐ近くからも「すみませーん、通りまーす」とか「すみません!すみませ──って、ごめんなさい!?」とか、何とも騒がしい子供たちの声が出ている。

 昔ならすぐに迷子になって泣いていた子供たちも、今でははぐれる事は滅多になくなり、はぐれてもタカの眼を使えるウイルクと分担すればすぐに見つけられる。

 時の流れとは、遅いようであっという間なのだ。

 そんな事を思っている内に人混みはだいぶ疎らとなり、開けた道の先には何やら建物の陰が見え始めた。

 それが見えた途端にアイリスが「見えた!」と嬉しそうに騒ぎ始め、ウイルクも「そうだね」と苦笑。

 釣られてジブリールも苦笑を漏らし、二人の手を握る手に力を入れた。

 別にあの場所が怖いわけでもなく、嫌っているわけでもないのだが、やはりと言うべきか不安はある。

 それを持ち前の根性で捩じ伏せ、子供たちの手を引いて歩き出す。

 一歩一歩を踏みしめて、次なる一歩をまた踏み出す。

 子供たちと喋り、時には笑みを浮かべながらそれを繰り返せば、件の場所にはすぐにたどり着く。

 そこは神殿──というよりは質素な寺院と呼べるもので、怪我人や見慣れた神官服を着た少年少女たちが出入りしている。

 ジブリールは子供たちに気付かれないように一度深呼吸をして、緊張からか高まった心臓の鼓動を落ち着かせる。

 

「ローグハンターさん?」

 

 そんな彼の背後から、聞き馴染んだ声が投げられた。

 彼は警戒が疎かになっているぞと自分に言い聞かせるながら振り向くのと、振り向いたアイリスが父の手をほどき「お姉ちゃん!」と笑って走り出したのはほぼ同時。

「はい、お姉ちゃんですよ」と声の主は聖母のような笑みを溢しながらそう言うと、アイリスに合わせて両膝をついて腕を開いた。

 アイリスは促されるがまま彼女の豊かな胸に飛び込み、嬉しそうな声を漏らして頬擦りを繰り返す。

 ジブリールは肩を竦めて息を漏らすと、「久しぶりだな」と右手を挙げた。

 アイリスを愛でながら「はい。お久しぶりです」と返したのは、地母神の神官の証したる白い衣装を纏い、かつてより変わらない金色の髪を風に揺らす女性──ジブリールの友人たる女神官その人だった。

 彼女はアイリスの髪を手で梳きながら、照れ臭そうにジブリールの影に隠れたウイルクにも「お久しぶりです」とにこりと微笑んだ。

 

「お、お久しぶり……です……」

 

 がちがちに緊張しながら、彼はぎゅっとジブリールのズボンを掴みながら声を絞り出した。

 彼のこの反応はいつも通りで、別に苦手意識があるわけでなく単に照れているだけだ。

 十年程前──つまりジブリールの出会った頃の彼女になら照れはしないだろう。だが彼女はこの十年で随分と大人になった。

 それは外見的な意味でもあるし、精神的な意味でもある。

 慎ましかった胸は神官服を押し上げる確かな膨らみへと変わり、細かった手足には筋肉と共に柔らかな肉がつき、けれど太っている訳ではなく、足はすらりとしている。

 友人としての贔屓目から見ても美人であることは間違いなく、そんな美女を前に照れないのは女性に興味がない人間か、あるいは自分のような妻帯持ちぐらいなもの。

 そこで、ふと気付く。

 

 ──ウイルクの知り合いには美人が多くないか?

 

 ジブリールはちらりとウイルクへと目を向け、小さく唸った。

 母親に始まり女魔術師、令嬢剣士、妖精弓手、女神官、魔女、女騎士、剣の乙女、エトセトラエトセトラ──。

 こうして考えてみると疑問は確信へと変わり、ジブリールはため息を吐いた。

 このままでは、ウイルクの他人に対する美の基準が跳ね上がる可能性があるからだ。

 

 ──まあ、どうでもいいか。

 

 ウイルクが何を見て何を思おうと、それは彼の人生を彩る一ページかあるいは一節で、年を経るごとに同じものを見ても感想は変わるものだろう。

 幼い頃の基準など、大人になれば全く異なるものになるのは当然の事だ。

 ジブリールはウイルクから視線を外し、アイリスの手を繋いでこちらへと向かってくる女神官へと問いかけた。

 

「それで入れるか?」

 

「はい、大丈夫ですよ。今日も大きな戦いはありませんでしたから」

 

 彼の問いに女神官は嬉しそうに言うと、「ご用件は、聞かなくてもわかります」苦笑混じりに付け加えた。

 ジブリールは頬を掻きながら目を泳がせると、女神官のから離れたアイリスがジブリールへと飛び付く。

 

「お父さん、早く行こ!」

 

「ああ、そうだな」

 

 膝の辺りに抱きつきながら顔を上げたアイリスの言葉に、ジブリールは間髪入れずに頷くと、次いでウイルクに「大丈夫か?」と問いかけた。

「ん」といつも通りに頷いて貰えば、決議は終了だ。

 

「それじゃあ、神官。また会おう」

 

「はい。二人とも、怪我をしないでくださいね」

 

 女神官はジブリールの言葉に頷くと、しゃがんで子供たちと視線を合わせながら告げた。

 それはさながら弟妹を気遣う姉のようでいて、ジブリールの頬が無意識に緩む。

 言われた二人が元気に返事を返すと、今度こそ彼女と分かれて寺院へと足を踏み入れる。

 彼らの背を見送った女神官の胸元では、丁寧に磨かれた銀色の認識票が、陽の光に照らされて鋭く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 丁寧に磨かれた石畳の敷き詰められた廊下は、方角の都合か、時間の都合か、廊下は影に覆われて薄暗いが歩く分に問題はない。

 寺院の静謐さに当てられてか、一切口を開かない子供たちの手を引きながら歩くこと数分、とある扉の前にたどり着く。

 木製のそれは手入れはされているものの年季はあるのか、少々襤褸のような印象もある。

 他の寺院に比べ、地母神の寺院は言い方は悪いが地味な印象が強く、それは慈悲深き神の倹約するべしという教えからに他ならない。

 故に扉はそのままで、この寺院にいる人たちの信仰心の高さを伺う材料にはちょうど良い。

 ジブリールは一度深呼吸をすると、子供たちも真似するように深呼吸。

 三人は顔を見合わせて頷きあうと、ジブリールがのぶに手をかけた。

 ここで躊躇う訳にはいかないとのぶを捻り、一思いに扉を開ける。

 瞬間部屋の窓から差し込む陽の光で視界が遮られ、三人は思わず手で目を庇った。

 

「何してるの……?」

 

 そんな彼らの耳に届いたのは、笑いを堪えている為か僅かに震える愛する人の声。

 視界が回復したと同時にジブリールの視界に入り込んだのは、女神も顔負けの女性だった。

 ベッドの上で上体を起こし、僅かに開いた窓から流れ込む風に揺れる銀色の髪は、陽の光に照らされてきらきらと輝いている。

 

「──」

 

 絵画もさながらの光景にジブリールは思わず固まり、彼女は余計に可笑しそうに笑った。

 その笑顔は昔から変わらず、大人びた顔からいきなり無邪気な笑いをこぼすのだから、こちらは準備をする暇もない。

 

「もう、どうしちゃったの?」

 

 銀髪の女性──シルヴィアはいつまでも動かない夫が流石に心配になったのか、首を傾げながら声をかけると、

「ああ、大丈夫だ」と気の抜けた声で返される。

 シルヴィアがまた「?」と疑問符を浮かべて余計に首を傾げると、ついに我慢出来なくなったのかアイリスが走り出した。

 走り出した助走の勢いのまま、母が使っているベッドの上に飛び乗った。

 

「お母さーん!!」

 

「リース、久しぶり──でもないけどぎゅー!」

 

 ボフッ!と音をたてて着地したアイリスを愛おしそうに抱き寄せ、ぐしゃぐしゃと頭を撫でる。

「にゃー!」と嬉しそうに笑うアイリスに遅れを取る形で、ジブリールとウイルクの二人も入室。後ろ手に扉を閉めた。

 

「お父さんは、お母さんがいないと寂しそうなんだよ?」

 

「えー、そうなの?けど、嬉しいなぁ」

 

「嬉しいの?」

 

「嬉しいよ。だって、私がいないと寂しいって事は、一緒にいたいってことでしょ?」

 

「そっか!」

 

 その間にも女性陣の会話は続き、にこにこと上機嫌そうに笑いあっていた。

 話の肴はジブリールなのだが、自分を餌に二人が笑ってくれるのならと羞恥心を捩じ伏せる。

 ぴょんと一跳びでベッドに飛び乗ったウイルクは、母の手を握りながら問うた。

 

「お母さん、大丈夫だった?」

 

「うん、大丈夫だよ。ちょっと大変だったけどね」

 

 愛息子の小さな手を握り返しつつ、シルヴィアは少々困ったように笑いながら返した。

 言葉と態度とな裏腹に、表情にはやりきったと言わんばかりの達成感が満ち満ちているのは、彼女の隣に置かれた小さなベッドを見れば明らかだ。

 いきなり騒がしくなった為か、言葉もなく不満そうにうーうーと唸る、アイリスと比較しても小さな膨らみが()()

 片や父親譲りの黒い髪、片や母親譲りの銀色の髪を生やした、産まれて一ヶ月足らずの幼子が、小さなベッドで寄り添うようにして眠っているのだ。

 ジブリールは二人の寝顔を眺めながら「双子とはな」と呟き、隠しきれない喜びから口角が緩む。

 

「どっちがどっち!?」

 

 アイリスが産まれたばかりの弟妹を指差しながら問うと、「黒い髪の子が男の子、銀色の髪の子が女の子」とシルヴィアがそれぞれの頭を撫でながら教えてやる。

 予想に反して四児の長男となったウイルクは、アイリスと同じように弟妹たちを見下ろしながら、その頬を指でつついた。

 ぷにぷにと柔らかい頬は、いつまでも触っていたくなってしまう。

 そんな事をしている内に、ウイルクの表情がみるみる内にだらしないものへと変わっていき、瞳にはタカの眼のそれとは違う光が宿り始めていた。

 そんな時だ。頬をつついていたウイルクの指に、黒髪の男児が噛みついたのは。

「ひっ!」と思わず悲鳴を漏らしはしたものの、歯もなく顎の力もない赤子のそれに痛みはなく、むしろ必死になって吸い付いて、何かを吸い上げようとする感覚はくすぐったさもあるが不思議と心地よい。

 

「あー、お兄ちゃんずるい!」

 

 シルヴィアに愛でられていたアイリスが非難の声をあげるが、ウイルクはどこ吹く風と気にした様子はない。

「む~っ!」と唸ったアイリスはシルヴィアから離れ、銀髪の女児の方へと構い始めた。

 兄と同じように柔らかな頬をつつき、あわよくば甘噛みしてもらおうという魂胆なのだが──。

 

「ふぇ……」

 

 銀髪の女児の口から、僅かに音が漏れた。

 すやすやと心地よかった眠りを妨げられた乳児が、不満の意を示す方法はただ一つ。

 アイリスがしまったと表情を青ざめた頃には手遅れで、ウイルクは目を見開き、両親は顔を見合わせて苦笑。

 その瞬間、銀髪の女児小さな肺に一杯の空気を取り込み、

 

「──ふぇぇええええええええええっ!!!!」

 

 自らの全力をもって放出した。

 言葉も話せず、まだ身ぶりも出来ない乳児が、助けを求める為か、あるいは不満の解消の為か、全力をもって泣き始めたのだ。

 

「にぁ!?えと、ごめんね!えと、うんと──」

 

 思わぬ結果に慌てるアイリスだが、そこに助けの手が伸ばされた。

 シルヴィアが文字通り手を伸ばし、泣きわめく我が子を抱き上げたのだ。

 まだ首も据わっていないため、しっかりと腕で支えてやりながら「お母さんですよ~、大丈夫だからね~」と体を揺らしてあやし始めた。

 するとどうだろう。母の胸に抱かれたというだけでも彼女の泣き声は小さくなり、ついには愚図るように口をもどもどと動かし始めたではないか。

 ホッと息を吐くアイリスだが、すぐに妹の顔を覗きこんで「ごめんね……」と謝った。

 横ではいまだにウイルクが指を噛ませているのだが、それのお陰か弟が泣き出す様子はない。

 ジブリールはある程度落ち着いた頃を見計らい、シルヴィアへと問いかけた。

 

「それで、今日にでも帰れると聞いたんだが」

 

「うん。片付けをしたかったんだけど、この子達から目を離せなくて」

 

 シルヴィアは腕に抱いた娘と、隣で眠る息子に目をやりながら言うと、ジブリールは「任せろ」と自分の胸を叩いた。

「リースも手伝う!」と挙手したアイリスにも手伝ってもらい、部屋に置かれたシルヴィアの荷物──基本的には着替えだが──を部屋に用意されていた袋に詰めていく。

 これが済めば、また無事にあの家に──二人も増えた家族を連れて帰ることが出来る。

 そう思うだけでも彼は機嫌が良く、その手際も良くなるというもの。

 アイリスも手伝ってくれるのだから、片付けはすぐに終わるのだ。

 終わったら帰ろう。帰って、また始めよう。

 

 ──新たな幸せが舞い込んだ、幸せな日々を。

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。

次回、完結!――の予定。


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Memory08 新たな信条

『SLAYER'S CREED』最終話。言葉は不要、どうぞ。




 辺境の街の片隅。囲いで仕切られ、最低限の雑草が処理され、辛うじて広場と言える場所に、幾人かの子供たちがいた。

 彼らはきゃっきゃっと騒ぎながら広場を縦横無尽に走り回り、鬼ごっこでもしているのか、銀髪の少女が、幼馴染みたる赤髪の少年と、巻き込まれた双子の兄たる黒髪の少年を追いかけている。

 

「や、やはり、痛いのか……?」

 

 そんな彼らをベンチに座りながら微笑ましく眺めていたシルヴィアに、隣に腰かけていた女騎士が問いかけた。

 もう鎧も着れぬほどに大きくなったお腹を優しく擦り、初めての出産への不安で、いつもの気迫が欠けている。

 冒険者の時は飛竜相手に躍りかかっていたというのに。

 

 ──けど、あの痛さは冒険の比じゃないよね……。

 

 そんな事をぼんやりと思ったシルヴィアは「痛いに決まってるでしょ」と、もはや残酷なまでに告げ、隣に座る牛飼娘へと「ねぇ?」と確認をとった。

 突然問われた彼女は一瞬狼狽えるものの、すぐに持ち直して「うん、痛いね」と友人を脅かすように、清々しい程に淡々と告げた。

 経験者二人からの言葉に女騎士は青ざめるが、シルヴィアの反対──彼女を挟むように座る魔女が「こわがらせ、ない、の」とかつてと変わらず気だるげな声音で注意を一つ。

 そしてゆらりと首を回し、鬼から隠れようと近くの茂みに身を潜ませる息子の方へと目を向けた。

 父親譲りの整った顔立ちに、同じく父親譲りの髪色は、茂みの緑に潜むには少々目立つのではなかろうか。

 

「みーつけたっ!」

 

 それ見たことか。鬼の少女に見つかるや否や、少年は慌てながらも走り出す。

 その流れが可笑しくて魔女は「ふふ」と小さく笑い、いつまでも鬼である末娘を見ていたシルヴィアは「捕まえられないなぁ」と苦笑を漏らした。

 別に足が遅いわけでも手を抜いているわけでもないのだろうけど──。

 

「子供のそれにしては熱戦だな」

 

 その内お腹の子がそこに加わるだろうに、女騎士は他人事のように彼らの鬼ごっこをそう評した。

 まあ、父親、あるいは両親が銀等級以上の冒険者なのだから、その血を継いだ子供たちが生半可な身体能力でないことは確かだろうが。

 広場全体を無駄なく使い、時には身を潜め(スニーク)、時には全力疾走(スプリント)、時には待ち伏せ(アンブッシュ)と、明らかに五歳にも満たない子供たちがやるものではない。

 年長者たる──もっとも数週間程度の差だが──牛飼娘の息子とて、まだ三歳になったばかり。

 それでも止まることなく走り続けるのは、やはり子供の特有の無限の持久力(スタミナ)によるものだろうか。

 

「元気なものだな」

 

 女騎士が期待を込めて大きくなったお腹を擦りながら言うと、牛飼娘は「元気すぎて困るぐらいだよ」と苦笑を漏らす。

 父親と共に牧場の手伝いをしてくれるのは良いが、それでも体力が有り余っているのかはしゃぐのだから、これには困ってしまう。

 彼女の言葉に通じるものがあったのか、魔女とシルヴィアもうんうんと頷いた。

 

「お互い、誰に、似たの、かし、ら……ね?」

 

 魔女はどこか喜色が孕んだ声でシルヴィアに問うと、問われた彼女は「誰だろうねー」と露骨に目を背けた。

 魔女の場合は父親に似たのだろうが、シルヴィアの場合は十中八九自分だ。父親に似たら長男のようにもっと落ち着いている筈。

 

 ──けど、これからか。

 

 この中で唯一、四人の子供を持つシルヴィアは、顎に手をやりながらそう結論付けた。

 子供とていつまでもこんな調子ではない。幼い頃は毎日のように甘えてきたのに、ある時を境に途端に甘えなくなってしまう。

 寂しいような、嬉しいような、何とも複雑な思いが胸を占めるが、子供たちとていつかは独り立ちするのだ。今のうちから馴れておかねば。

 

「つかまえた!」

 

「ぎゃーっ!!」

 

 鬼だった少女は何を思ってか逃げる少年の背中に頭から突っ込み、その勢いのままに押し倒す。

「「あ」」とそれぞれの母親の声が偶然にも重なるのと、突っ込まれた勢いのままに少年は転倒、少女も運命を共にする。

 一人分だった断末魔が二人に増え、舞い上がる砂煙の中に小さな体が消えていった。

 転んだ少年少女の母親たる牛飼娘とシルヴィアは顔を見合わせるのと、砂煙が晴れるのを合図に二人分の泣き声が聞こえ始めたのはほぼ同時。

「おかーさぁぁん!」と助けを求める声にハッとした二人が急いで駆け出そうとした瞬間、何者かが広場へと突入し、素早く泣きわめく二人の下へと滑り込んだ。

 銀色の髪をなびかせ、暴れまわる天秤剣の分銅を二人に当てないように注意を払い、サンダルで地面を擦りながら急停止。

 停止しながら両足を踏ん張り、天秤剣を両手で握りしめた。

 

「《天秤の君なる我が神よ、正しきことのため、立ち上がるための力をお与えください》」

 

 同時に囁くように詠唱すると、天秤剣から超自然の光が漏れだし、泣きわめく二人の体を包み込んだ。

 頬や膝についた擦り傷がたちまち塞がり、泣いていた二人は途端に泣き止むと、不思議そうに突如現れた少女の顔を見上げ、ぱぁと表情を明るくした。

 

「「ねーちゃ!」」

 

 二人は彼女をそう呼びながら同時に抱きつき、甘えるように頬擦りを繰り返す。

 抱きつかれた少女は二人に揉みくしゃにされながら、だらしなく頬を緩めて抱き寄せる。

 

「うん、お姉ちゃんだよ!久しぶりだね!」

 

 そう言いながらぐしゃぐしゃと二人の頭を撫で回しす少女──アイリスは、もはや奇声と言っていい何かを発しながら息を荒くした。

 

「リィスゥッ!」

 

 その隙に彼女に飛び付いたのは、母親たるシルヴィアだ。

 先程の再現のように頭から愛娘へと飛び込み、三人は纏めて──一人は牛飼娘の息子だが──抱きしめる。

 

「久しぶりだね、元気にしてた?」

 

「私は元気です!お母さんも、リリも、元気そうで何よりです!」

 

 アイリスは最愛の母に抱きしめられ、心の底から嬉しそうに笑いながら、リリの愛称で可愛がるジブリール家の末娘──リリウムの頭をさらに撫でる。

 途中で牛飼娘がどうにか息子を取り返し、交換で「ねーしゃ!」と笑うリリウムの双子の兄である黒髪の少年──ネロを隙間に捩じ込ませた。

 父親と長男が欠けてはいるけれど、久しぶりの一家終結だ。まあ、いない二人もすぐに揃うだろう。

 ひとしきり子供たちの温もりを堪能したシルヴィアは一旦子供たちから離れ、アイリスへと目を向けた。

 かつてあった無邪気さはだいぶ落ち着き、纏う衣装は至高神の神官が着るそれで、手に持つ天秤剣はまだ新品なのか傷一つない。

 

「それで、まさか逃げてきちゃったの?」

 

「逃げてないです!ちょっとお仕事を頼まれただけですから」

 

 シルヴィアの茶化しを多少狼狽えながらも受け流し、空っぽになった鞄を見せつけた。

 

「地母神の神殿に届け物があったんです。それを届けたら、街中でリリとネロの痕跡が見えてしまって……」

 

 瞳に蒼い輝きを灯しながらそう言うと、アイリスは僅かに苦笑を漏らした。

 やはりと言うべきか何なのか、いつの頃からかも不明瞭ながら、彼女もまたタカの眼を発現しているのだ。

 彼女はタカの眼を解除すると、ベンチに腰掛ける女騎士へと目を向けた。

 

「皆さんが探してましたよ?誰にも言わずに飛び出したんですか?」

 

「ぐぅ。私とて一日中部屋に籠りきりは辛いのだ!」

 

 アイリスの苦言を女騎士は逆ギレ同然の言葉で切り返すと、言われた彼女は「そう言うと思いまして」と不敵に笑い、「連れてきました」と広場の入り口を手で示した。

 示されるがまま入り口へと目を向けると、そこには二人の人物が仁王立っていた。

 一人はウイルクだ。年齢はついに二桁となり、その顔立ちは父親に似て整っている。

 彼は息を切らした様子はないが不機嫌そうに鼻を鳴らし、隣に立つ人物に見上げた。

 

「……お前は、ここで、何してやがる!」

 

 それを合図に怒号を飛ばしたのは、一言で言えば巨漢だった。

 ウイルクが見上げてようやく顔が見え、その腕は、片方だけでおそらく彼を持ち上げるには事足りる程の筋肉に包まれている。

「げっ」と声を出した女騎士で、先の怒号に怯えた子供たちはそれぞれの母親の下へと駆け寄った。

 我が子を抱き上げると共に、殺意にも似た何かを込めて睨まれた重戦士はばつが悪そうに頬を掻くが、今はそれどころじゃないと腰に手を当てながらため息を吐いた。

 

「お前な。その体はお前だけのもんじゃねぇんだぞ」

 

「わかってはいるがな、たまには外の空気が吸いたいんだよ」

 

「それならそうと言ってくれりゃ、俺が付き添うってのに」

 

「むぅ。おまえが横にいるとだな……」

 

「なんだ」

 

 重戦士からの怒涛の責めに身を縮こませた女騎士が、照れをからか赤面した顔を誤魔化すように、自慢の金髪を弄りながらぼそりと呟く。

 

「……どうにも落ち着けんのだ」

 

「……お、おう」

 

 突然彼女が見せた表情に当てられ、重戦士も思わず納得してしまう。

 足元のウイルクは「それで良いんですか」と言わんばかりに目を見開いているが、幸いと言うべきか重戦士には見えていない。

 そんなウイルクだがため息混じりに意識を切り替えると、ちらりとアイリスへと目を向けた。

 

「リース、いきなり『重戦士さん探してきて!』って言われても困るんだけど……」

 

「えー、いいじゃあないですか。兄さんの眼ならちょちょいのちょいでしょ?」

 

「まだ父さんみたいに使えないのに……」

 

 ウイルクは随分と頼ってくる妹の姿勢に苦笑を漏らすが、けれどその笑いにはどこか喜びの色が見え隠れしている。

 シルヴィアはリリウムとネロを構ってやりつつ、「お父さんは?」とウイルクに問いかけた。

 それに魔女も反応を示し、「遅い、わ、ね……」とどこか心配そうな面持ち。

 あれから時は経ち、ジブリールのみならず槍使い、重戦士もまた、後進たちの指導を中心に活動しているのだ。

 ゴブリンスレイヤーはどちらかと言うと牧場の手伝いの比率が多いが、それでも時々顔を出しはする。

 

「二人なら、まだ指導中。最近増えすぎだって嘆いてました」

 

 重戦士は目の前にいて、この時間のゴブリンスレイヤーは牧場の牛の面倒を見ている筈だから、指導をしているのはジブリールと槍使いの二人。

 その二人で最近妙に増えた新米たちの面倒を見ているとなると、残業するのも仕方があるまい。

 

「──冒険者になるなら西へ行け。どこの誰が言い始めたんだろうな」

 

 変わらずベンチに腰掛ける女騎士が言うと、女性陣は揃って首を傾げ、重戦士は「吟遊詩人か誰かだろうぜ」と適当な返事。

 その誰かさんのお陰で仕事は増えたが、その分収入も増えたのだから、恨み半分、感謝半分だ。

 

「どこの誰だろうが、とりあえず一発殴りたいがな」

 

 そんな事を思う重戦士の背後、彼とは対照的に恨み十割と言わんばかりの声が届いた。

 それを聞いたウイルクは弾かれるように振り向き、シルヴィアたちは嬉しそうに笑顔をこぼす。

 

「あ、お帰り~」

 

「ただいま。──は、家に帰ってからじゃあないか?」

 

 愛する妻からの言葉に彼──ジブリールは反射的に返した直後、苦笑混じりに問いかけた。

 まあ別に彼の帰る場所は家族のいる場所なのだから、それが家だろうが広場だろうが違いはない。

「「とーしゃ!」」と声を重ねながら走り出したリリウムとネロは、加速の勢いのままに父の胸へと飛び込んだ。

 飛び込んできた二人を受け止め、纏めて抱き寄せながらジブリールは問う。

 

「おー、リリ、ネロ。怪我してないか?」

 

「「だいじょーぶ!!」」

 

 父からの質問に二人はにこにこと笑いながら頷くと、心の底から楽しそうに笑い、父の胸に顔を埋めた。

 その結果だらしなく緩んだジブリールの横顔を尻目に、槍使いは魔女の下へと歩み寄る。

 

「おっす。俺たちの方も怪我してねぇか」

 

「大、丈夫、よ」

 

 息子の具合を確かめるように頬をつつきながら問うと、魔女は嬉しそうに笑みをこぼし、彼の手を優しく握りしめた。

 槍を握り続けた為か武骨に硬い手の感覚は、けれど安堵を覚えるには十分なもの。

 槍使いは遠慮がちに甘えてくる妻の手を握り返してやりながら、空いている手で我が子の髪を撫でた。

 声もなく気持ち良さそうに唸る我が子の姿に槍使いは柔らかな笑みを浮かべると、「ほんじゃ、帰るとしますか」と魔女へと告げた。

 時間としては昼だが、昼食を摂るには少々遅いとも言える時間だ。

 子供たちもようやくそれを自覚してか、一斉にお腹の虫が鳴く。

 それに堪らず誰かが笑えば、その笑いは他の子達にも伝播していき、いつしか一つの大きな笑いとなり、それは大人たちへと伝わっていく。

 それはジブリールとて例外ではなく、表情には一切の曇りがない優しさに溢れた笑顔。

 それは人々が太陽のようだと称する、輝くような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 広場から子供たちを連れて帰り、手早く水浴びを済ませたジブリールたちは、ようやく昼食を摂っていた。

 昨晩の余り物のシチューを全員分小皿に分け、市場で買ったお肉は火を通して卓の中央に。そこに人数分の黒パンを配れば準備は完了。

 

「それじゃあ、いただきます」

 

 シルヴィアの音頭を合図に「いただきます」の連呼が続き、それぞれの食べたいものに手が伸びる。

 やはりと言うべきか子供たちの手は大皿の肉へと伸びるが、末っ子二人は届かずに手をじたばた。

 見かねたウイルクとアイリスが二人の分も千切ってやり、湯気をたたせるそれに息を吹きかけ、ある程度冷めてから食べさせてやる。

 末っ子二人はまだ生え揃っていない歯で懸命に咀嚼して、飲み込むと同時にぱぁと輝く笑顔を浮かべた。

 ウイルクとアイリスは顔を見合わせて笑みをこぼしつつ、自分の分の料理にも手を出し始めた。

 途中で末っ子二人に手を掴まれて次を催促される事もあり、食の進みこそ悪いものの、味には満足しているのか表情は満足げなもの。

 子供たちの食事風景を眺めながら微笑を浮かべるジブリールは、スプーンで掬ったシチューを口に含んで頬を緩めた。

 濃すぎず、薄すぎず、何より温かいそれは、彼が最も好む味だ。

 反応は様々ながら、けれど不満げな印象を受けなかったシルヴィアもまた嬉しそうに笑い、千切った肉を一かじり。

 溢れる肉汁に「あふっ」と声を漏らしつつ、すぐに慣れたのか咀嚼して飲み込んだ。

「んふ~」と目を輝かせた味を堪能するのは、多少大人びた程度で冒険者だった頃と変わらない。

 母の笑顔に見とれる父を他所に、シチューを皿ごと持ち上げて、一息で飲み終えたウイルクはホッと息を吐いた。

 

「──父さん、母さん、今日はやってくれる?」

 

 何の脈略もなく放たれた質問だが、ジブリールとシルヴィアは動じた様子もなく、顔を見合わせると頷きあった。

 

「わかった。だが、ご飯を食べ終わってからな」

 

「そうそう。お腹空いてたら体動かないからね」

 

「ん」

 

 勝手に話を進める三人を目で追っていたアイリスは、小さく挙手すると「私もやりたいです……」と控えめに主張。

 シルヴィアは「良いよ」と笑いながら肉をかじり、「でも順番ね」と付け加えた。

 よくわかっていない末っ子二人は「「なにやるの!」」と声を揃えて問いかけるが、ジブリールは苦笑混じりに「後でな」と告げて頭を撫で回す。

「「ぴゃ~」」と笑う二人を横目に、ウイルクは小さくガッツポーズ、アイリスはどこか安堵したようにホッと息を吐いた。

 

「それじゃあ、食べちゃおっか」

 

 シルヴィアがぽんと手を叩きながら告げると家族四人は一斉に返事を返し、談笑混じりに食事に手を伸ばす。

 午後の予定が決まれば、そこに向けての腹ごしらえ。

 それに関しては、冒険者だろうと何であろうと変わりはしないのだ。

 

 

 

 

 

 ウイルクの気合いの声と、かんかんと木と木がぶつかり合う軽い音が庭に響く。

 庭の中央で対峙するウイルクとジブリールは、模擬用の木刀で打ち合っているのだ。

 いや、打ち合っているでは語弊があろう。ウイルクが一方的に打ち込み、ジブリールがそれを受け止めているのだ。

 勿論ただ単に打ち込むだけでなく、時には背後に回り、時には足払いを狙い、時には砂による目潰しなどを織り交ぜ、どうにか父から一本を取ろうとするのだが──。

 

「ふっ!」

 

 ジブリールは短く息を吐いたと同時に、予備動作なしで木刀が振るわれた。

 ただ腕力にものを言わせた一閃は、もちろん殺傷力は皆無。腰も入れない一閃で人が殺せてなるものか。

 

「ぐにっ!?」

 

 だが、今年で十三になるとはいえ相手は子供だ。その一閃すら彼の体を弾くには十分で、大きく体勢を崩す事となった。

 彼はすばやく体勢を整え、どっと疲労と共に息を吐いた。

 成年も間近となれば、剣術の一つや二つ教えるのは当然の事だが、ジブリールの剣術に決まった型など有りはしない。

 型もなにもない殺人剣しか扱えぬジブリールはあまり乗り気ではなく、書物から学んだ基礎中の基礎を教えるのみ。

 それをどう応用し、伸ばしていくのかはウイルクに一任する。ゴブリンスレイヤーも言っていた──「想像力は武器だ」と。

 自分の強さを見つけるのは自分。それは後輩たちであろうと、実の息子だろうと、変わりはあるまい。

 剣を握る前から教えられていたそれを、ウイルクは忠実に守っていた。真似だけでは強くはなれないのだから当然だ。

 時には父から、時には槍使いから、時には重戦士から、時には他の冒険者から様々な技術を学んではいるものの、やはり父の壁は分厚く高い。

「やーっ!」と再び父に挑み、また弾かれるを繰り返す庭の一角から離れた場所には、動きやすい格好に着替えたシルヴィアとアイリスがいた。

 二人は並んで何やら『型』と思われるものを次々と構え、アイリスが構えたもののずれを指摘して修正し、また次の型へと移り変わる。

 

「そっか、明日になったら帰っちゃうんだ……」

 

 そんな事を繰り返しながら、シルヴィアは残念そうに呟いた。

 

「はい。ごめんなさい、母さん……」

 

 アイリスもまた眉を寄せ、残念な表情を浮かべながら、けれど淀みなく型を決める。

 雑念混じりでも型を完璧に決められるようにと、シルヴィアから耳にたこが出来るほどに言われた事だ。

 アイリスは次の型へと移りながら、シルヴィアに言う。

 

「明日の昼の馬車に乗ろうと思ってます。なので、今日は泊まっていきます」

 

「うん。って、ここはリースの家だよ?」

 

 娘に次の型を示しながら苦笑を漏らすと、アイリスは「そうですね」と同じく苦笑。

 庭の端で「ん!」とか「ふん!」とか声を出して、二人の型を真似する末っ子二人の姿を見つけ、母娘は思わず吹き出した。

 見よう見まねで滅茶苦茶も良いところだが、幼い頃は正確にやるよりも楽しくやることが大事だ。子供の感性で言えば、つまらないものは長続きはしない。

 

「ぎにゃ!?」

 

 末っ子二人を眺めて笑みをこぼす母娘の二人を他所に、ウイルクの断末魔が鼓膜を殴り付けた。

 疑問符混じりにそちらに目を向けると、のされたのか目を回しているウイルクと、木刀で空を切るジブリールの姿があった。

 また一本取られたのだろう。父を超える日は、まだ遠そうである。

 倒れた長男の世話はジブリールに任せ、シルヴィアとアイリスは再び型を確かめ合い、時には物置から引っ張り出した案山子を相手に技を放つ。

「ふっ!はっ!」と声を出して拳を放つアイリスを見守りながら、シルヴィアはどこか懐かしむような笑みを漏らした。

 自分も幼い頃は、ああして案山子と向き合ったものだ。

 我が子と組手をしたいのは山々ではあるが、まだ組み合うには幼すぎるし、何かあっては後遺症が残りかねない。それほどまでに子供の体は脆く、心配になるほどその後の人生は長いのだ。

 武闘家の悲しき宿命ともいえるそれは、彼女の父も持っていたものなのだろうと、今になって痛感する。

 

「ぎゃあ!」

 

 復活したウイルクの断末魔を合図に意識を戻すとアイリスの構えを観察し、崩れ始めたらすぐさま指摘。

 無意識の内に完璧な構えを取る。そこにたどり着けなければ一人前とは呼べはしない。

 

「くわ!?」

 

 再び放たれたウイルクの断末魔を耳に挟みつつ、シルヴィアはアイリスと──ついでに横で彼女を真似る末っ子たちと向き合う。

 いつになっても正解はわからないけれど、自分なりに子供たちと向き合い、子供たちを少しでも一人前に育て上げる。

 何もかも手探りなのは、冒険者になった頃と変わりはしないのだ。

 けれど不安はない。変わらずに側には彼がいるからだ。

 

「ぐぎゃあ!?」

 

 ウイルクの断末魔を聞きながら、シルヴィアは晴天の空を見上げた。

 天高く舞う鷲は、いつの間にか一羽から四羽へと増えている。

 

 ──家族が増えるのは、あの子だって変わらないか。

 

 鷲たちは時折降りてくると、何の因果か子供たちに構ってくれる。そのうち、ジブリールにとっての彼のようになるのかと思うとどこか嬉しくなる。

 シルヴィアが掲げた手を陽に透かしながら、目を細めた。

 

 ──今日もいい天気だね……。

 

「ふにゅあ!?」

 

 ウイルクの断末魔を、気にしないように努めながら。

 

 

 

 

 

 ──同日、夜。

 

 昼過ぎの訓練が響いたのか、泥のように眠るウイルクとアイリス、二人を抱き枕にする──あるいはされている──ネロとリリウムの姿を扉の隙間から確認したジブリールは、微笑を浮かべながら扉を閉め、音をたてないように気を使いながら()()()()()()()()

 ジブリール宅の屋根の上には月や夜空を眺められるよう、数人が座れる分のスペースがあるのだ。

 もっともこれは子供たちは知らない。彼らなら登れるだろうが、降りられなくなる可能性もあるからだ。

 

「待たせた……」

 

 そこによじ登ったと同時に視界に飛び込んできたのは、優しき月光に照らされ、可憐に輝く銀髪を夜風に揺らすシルヴィアの姿だ。

 女神さえも負かすであろうあまりの美しさに言葉を失い、数秒ほど呼吸も忘れてその場で立ち尽くす。

 

「……どうかしたの?」

 

 当の彼女は不思議そうに首を傾げると「端っこは危ないよ」と告げ、彼が座るスペースを空ける。

 どうにか意識を取り戻したジブリールは「ああ、そうだな」と頷くと彼女の隣に腰かけた。

 するとシルヴィアは体が密着するほどに近寄ると、彼の肩に頭を乗せた。

 

「子供たちは寝た?」

 

「ああ、ぐっすりと」

 

 寄りかかってきた彼女の肩を抱き寄せ、彼女の温もりを堪能する。

 ついでに彼女の額に唇を落とすと、彼女は「ふふ……っ」と嬉しそうに笑った。

 シルヴィアは体を動かして彼の腕を胸に抱くと、月光に照らされて不思議な輝きを放つ彼の白い髪を撫でた。

 

「皆、すぐに大きくなっちゃうね」

 

「ああ。思っていたよりも、あっという間だ」

 

 二人は真剣な面持ちでそう言うと、けれど嬉しそうに笑いあった。

 

「あっという間だけど、大きくなってくれた……」

 

「ああ。俺にも、お前にも、あの子達にも、何事もなく、十四年だ」

 

 ジブリールは当たり前のように思える事実を噛み締めながら目を細め、シルヴィアの髪を手で梳いた。

 冒険者だった頃に比べ、手入れが行き届いた髪は引っ掛かることなく、文字通り流れるように指が通る。

 シルヴィアはくすぐったそうに目を細め、「キミは相変わらずだねぇ」と苦笑を漏らす。

 ジブリールも「お前もな」と苦笑で返すと、髪を梳いていた手を彼女の後頭部へと添えた。

 

「だからと言う訳でもないが、俺は──」

 

 彼が何かを言おうとした瞬間、シルヴィアの方から身を寄せた。

 柔らかな感触が唇にあり、鼻が触れあう距離には愛する人の顔。

 シルヴィアは照れたように赤面しながら顔を離すと、彼の口許の傷痕を指先で撫でた。

 

「言わなくても良いよ。わかってるから」

 

「そうか。そう、だな……」

 

 ジブリールは彼女の言葉を噛み締めながら、傷痕を撫でていた手を取り、その甲に唇を落とした。

 彼なりの謝罪のつもりだったのだろうが、シルヴィアは不満の表情を浮かべた。

 

「むぅ……。キミは時々鈍感だよね……」

 

「ふん!」と顔を背けたシルヴィアからは見えないが、おろおろと狼狽えるジブリールは、すぐに合点がいったのか「ああ、そうか……」と頷いた。

 一度わかってしまえば後は早い。彼はシルヴィアの肩を掴むと自らの方へと振り向かせ、驚きの──そして期待の──表情を浮かべる彼女の唇を優しく奪った。

 逃がさないと言わんばかりに彼女の頭を抑え、僅かな隙間から舌を滑り込ませ、彼女の舌と絡め合わせる。

 それは彼女にも言える事で、逃げることはなくむしろ彼の方へと更に身を寄せながら、彼の舌に自らの方へと舌を差し出す。

 くちゅくちゅと水っぽいを音と、直に感じる彼女の温もりをひとしきり堪能すると、手を離して解放した。

 突然解放されたシルヴィアは「ぷはっ」と息を吐き、力が抜けたまま彼の胸へと倒れこむ。

 はぁはぁと荒れた息を整えながら、「これですよ」と恍惚の表情を浮かべた。

 そんな彼女の背を撫でながら、ジブリールは「話がある」と今度は真剣な声音で告げた。

 

「どうしたの?」

 

 彼の声音に当てられてか、表情を引き締めたシルヴィアは顔を上げ、しっかりと座り直すと、ジブリールと視線を合わせた。

 彼は真剣な面持ちのまま、シルヴィアへと告げた。

 

「──あの子達に、教えなければならない事がある」

 

 

 

 

 

 絶対にして第一。

 

 ──『己が刃を、罪なき者に振るうな』

 

 我らの刃は死をもたらすもの。振るう相手を定め、決して違えるなかれ。

 

 

 続けること第二。

 

 ──『秩序の名のもとに生きる人々を守れ』

 

 我らの力は打ち倒すのみにあるのではない。弱い人々を混沌から守り、支える為にあるのだ。

 

 

 更に第三。

 

 ──『守るべき人々と共に生き、寄り添うべし』

 

 我らは特別にあらず。我らもまた祈る者(プレイヤー)であり、彼らと共に生きる事。

 

 最後に第四。

 

 ──『三つの掟を確かに刻み、決して忘れず、破る事なかれ』

 

 もし破る事があるのなら、それは過去の自分との決別、秩序との決別と知れ。

 

 

 影なる掟。

 

 ──『愛する者を、死力を尽くして守るべし』

 

 愛する者を守らんとする時、第三までの掟に縛られ、身動きが取れなくなる事もあるだろう。

 だからこそ、この言葉を忘れるな。

 

 

 

 

 

 ──真実はなく、許されぬ事などない。

 

 

 

 

 

 真実はないのだから、誰かが決めた掟を疑え、誰かが定めた規則を疑え、神々が出した骰の目を疑え。

 

 許されぬ事などないのだから、疑いが確信に変わったのなら抗え。最期の瞬間まで足掻け。

 

 もしその足掻きが肯定されたなら、その背を追うものが、後に続くものが現れる。だから、恐れるな。足掻き続けろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、我が血を──タカの力を継ぐ者たちよ。

 

 人生の内に醜い裏切りをする事もあるだろう。

 

人生の内に迷い、苦しむ事もあるだろう。

 

 けれど忘れるな。私はお前たちを愛している。私はお前たちを見守っている。私は──私たちは最期の瞬間まで、お前たちの味方だ。

 

 我が血を、私が愛した彼女の血を引くものよ。

 

 ──『己が運命は、己で決めろ』

 

 運は、自分で掴むものだから──………。

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。




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おまけ
登場人物紹介① ※ネタバレ注意


アンケートの結果発表ついでのおまけ①

書き始めたいいけど、馬鹿みたいに長くなったので分割しました。
今回はジブニール一家の簡単な解説と、一部裏設定を紹介します。
ジブニールだけ「アサクリ世界」と「四方世界」とで分けてありますのであしからず。

見えているものが全てとは限らない。時々『タカの眼』を使ってみましょう。

アンケートの結果発表は後書きにて。ついでにもう一つアンケートがあるので、そちらにもご協力ください。
面倒な人はページ最下部まで飛ばしちゃってください。

他のキャラは暇を見て書こうと思います。




ジブリール

 

1742年―1761年(享年19歳)

 

彼の情報は極端に少なく、シェイやヘイザムをはじめとした騎士たちの遺伝子記憶の解析、あるいは回収できた彼の両親の遺伝子記憶を解析することによって、ようやく情報が明らかになった。

 

幼い頃(三歳から四歳までの間と思われる)にアサシンの一派により母親を殺害され、以後復讐に奔走する父親に代わり、彼の同僚でもあったテンプル騎士、ウィリアム・ジョンソンの下で生活をしていた。

父親の復讐は当時のアサシン教団アメリカ植民地支部のマスターアサシン、ジョン・ド・ラ・トゥールを殺害するまでに至り、それに止まらず彼の部下の大半を殺害している。

(その後生き残ったアキレス・ダペンポートがマスター・アサシンの地位を継ぎ、教団再建の為にかき集めた人材の一人が、後にジブリールの師となるシェイ・パトリック・コーマックなのは、皮肉か何かだろうか)

 

だが、その事実は幼いジブリールにとってはどうでも良かった。彼はただ父と共にいたかったのだ。

(親の心子知らずとは良く言うが、今回ばかりはその逆だ)

 

帰って来た父は、復讐で持てる力全てを使い果たしてしまっていた。無理が祟った為か病にかかり、そのまま死んでしまったのだ。これはジブリールが十歳になった頃と思われる。

 

母を失い、父を失ったジブリールは、言ってしまえば心を閉ざした。

マスター・ジョンソンらテンプル騎士たちは、どうにかして彼の心を開かせようとした。友の残した忘れ形見を、捨て置くことは出来なかったのだろう。

その過程で彼が父から感覚(アサシンに言わせればタカの眼)と呼ばれるものを教わっていた事を知った彼らは、そこから切り込む事にした。

結果で言えば彼は心を開いたが、それは失敗だったと言える。彼は回りの大人たちと触れあい「父から学んだこと」を聞かれていく中で『戦うことこそが自分の存在意義』だと思い始めてしまったのだ。

 

それから彼は短時間で様々な技術を身につけ、文字通り騎士団の武器としての己を確立し始めていた。

そんな中出会うことになったのが、後のテンプル騎士団支部長、ヘイザム・ケンウェイだった。

現在でいう「五人の同志」を影ながら手伝った事(もちろん前線には出ていない)が、ジブリールが騎士として行った最初の仕事とも言えるだろう。

 

ヘイザム・ケンウェイらが騎士団の勢力を伸ばしていく中で、彼もまた実力を伸ばしていった。

そして彼にとって運命の出会いとも言える出来事が起こった。

モンロー大佐の紹介で、師となるシェイと出会ったのだ。

これは彼が本格的にアサシンとの戦いに身を投じる時期と重なる。

 

元アサシンであり、知人であった騎士数人を暗殺したシェイを、それなり以上に警戒していたらしいが、共にケセゴワーセを殺害。モンロー大佐が死に際に彼をシェイと呼んだことで、彼は信頼にたる人物だと判断を下した。

 

そこからの彼は凄まじかった。シェイと共にアサシン教団の主要人物を次々と打ち倒し、その力を削いでいったのだ。

 

アキレス率いるアサシン教団との決戦において、彼はヘイザムとの共闘で、アキレスを討ち取る一歩手前まで追い詰めた記録は残っている。

結果で言えば、アキレスはシェイの言葉を切っ掛けに逃がす事になったが。

 

シェイが任務でアメリカを離れる事になった翌年、北大西洋を航行していたアサシン教団の船団を奇襲。それが彼の最後の戦いとなってしまった。

アキレスだけでも救出しようと動いていたマスター・アサシン(おそらくアー・ダバイの弟子だろう)を殺害したが、彼もまた大西洋の海に散ったのだ。

 

解析したヘイザムの記憶によれば、アサシン教団を殲滅した後、彼を養子として受け入れ、自らの後任として次期支部長にするべく、彼には秘密で仲間たちに働きかけていたらしい。

 

もし彼がこの戦いを生き残っていたのなら、きっと騎士たちのたどった結末は変わっていただろう。

少なくともコナーの活躍の悉くは潰れ、今ある歴史は大きく変わっていた筈だ。

そういう意味でも、彼は重要人物であったに違いない。

 

 

 

 

 

 

ジブリール/ならず者殺し(ローグハンター)

 

愛称──ジル

 

年齢──ストーリー開始時19歳/エピローグ時37歳

 

身長──181cm(エピローグ時点)

 

瞳の色──蒼(虹彩に金が散っている)

 

髪の色──黒→白

 

最終等級──銀

 

特技──裁縫/物(あるいは人)探し/効率よく人体を壊すこと

 

趣味──家族と触れあうこと/シルヴィアの寝顔を見ること/シルヴィアの匂いを嗅ぐこと

 

好物──リンゴ/シルヴィアの作った料理

 

弱点──酒(自覚あり)/家族

 

出身地──海を越えた先にある国

 

 

 

かつて来たりし者の計画に巻き込まれ、四方世界に転がり込んだ異邦人(イレギュラー)

等級が低く、回りとの付き合いにまだ一線を引いていた頃は、元の世界への帰還を目的としていたが、とある出来事を境に帰れるかもわからない方法を探すよりも、目の前にいる人々を守るための戦いに身を投じ始めた。

その結果ならず者殺し(ローグハンター)と呼ばれるまでになった訳だが、彼は後悔していない。何よりも大切な、彼女に出会えたからだ。

 

ローグハンターとなった彼はシルヴィアと一党を組み、時にはゴブリンスレイヤーと仕事をしながら、毎日を生きていた。

そんな日々が五年続いた頃だ。彼の一党に女魔術師、令嬢剣士が一党に加わった。

二人の後輩を育てながら、彼は仕事をこなしていた。時にはならず者を討ち、時には邪教徒を討ち、時にはゴブリンを討ち倒した。

 

そんな中、彼は再び過去と対峙する事となった。

かつて来たりし者の干渉で生み出された小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)が現れたのだ。

ゴブリンでありながらゴブリンのそれを逸脱した力を持つ彼らとの戦いで、時には死に瀕し、時には本当に死にながら(心臓が止まったと言う意味だ)、仲間たちと協力もあり、彼らを打ち倒した。

 

同じく四方世界に転がり込み、けれど帰還を果たしたアルタイルの情報を知った彼は、森人の里まで足を運ぶ。

アルタイルと面識のあった上森人の手引きで黒きまことの銀(ミスリル)の鎧を手にいれ、霊薬の効果で半覚醒状態となった彼は、ようやく自らをこの世界に招いた何者かの存在を知る。

 

ある出来事を境に、彼はアサシンとなった。愛する人を護る為ならば、騎士団の教えに背くことも是としたのだ。

 

北の霊峰での勇者との共闘や、ギルドを奇襲したアサシンとの戦いで遂に完全なる覚醒を果たし、『隔世状態』を体得。同時に現れたかつて来たりし者の介入で記憶の一部を失う。

 

けれど、彼は強かった。

隔世状態となった彼はアサシンを打ち倒し、ついにはかつて来たりし者さえも討伐したのだ。

彼女の介入で自我を砕かれ、人生を凌辱されようと、愛する人への想いのみで壊れた自分を繋ぎ止め、立ち上がったのだ。

愛は人を弱くすると言うけれど、彼は純粋な愛で強くなった。

壊れた彼を癒したのは、美しき女神でもなんでもない。彼を愛し、彼が愛した、ただ一人の女性が、彼をこの世界に繋ぎ止めたのだ。

 

戦いの後、シルヴィアと結婚。彼女との間に四人の子供を儲ける。

結婚し、父となってからは冒険に出る機会を減らし、訓練場の指導者として、後輩冒険者たちの指導に力を入れた。

何かあればすぐに帰宅し、家族の下に帰れるようにするためだ。

 

だが、アサシンで在る事は捨てなかった。

ローグハンターという名を捨て、顔のない暗殺者となることで、変わらず多くの人々を守る道を選んだのだ。

後に彼は、四方世界において初のマスター・アサシンとなり、後世の教団においてその名を残す事となる。

 

 

 

名前の由来。

 

ジブリールとは、ガブリエルのイスラム教での呼び名(アサシン教団はイスラム教の一派のところから)。現在でも時々使われるらしい。

 

ガブリエルの意味は様々あるが、一つの説として『エデンの管理人』としての役目があると言われている。

かつて来たりし者は彼を『新たなエデンを護る者』として担ぎ上げるつもりであったが、結局彼は『自分にとっての楽園(エデン)を護る者』となったのだ。

 

 

性格

 

初対面では堅物という印象を受けるかもしれないが、冗談を言ったり、自分から話しかけたりと、割りと砕けているところもある。

何かを言えば(相当追い込まれている時は別として)必ず言い返してくれる、しかも割りと真剣に応じてくれる為、周りからは人当たりが良い奴、あるいは面倒見のいい奴と思われている。

 

相手が相当上の立場でなければ敬語は使わず、基本的にはタメ口で話すことが多い(そもそも英語に敬語の概念ってあるのかね?)。

 

騎士団にいた為か、人一倍「秩序」や「自由」などの言葉に反応を示すことが多い。

彼曰く「際限のない自由はただの混沌。ある程度の規則あってこその自由」との事。

この姿勢はアサシンになっても変わりはないが、王が暴君となった時は、アサシンとしての使命を果たすらしい。

 

 

 

装備について

 

 

①アサシンブレード

 

四方世界に転がり込んでから五年近く、父のものを受け継いで使っていた。

アサシンブレード本体をベルトで腕に巻き付けるというシンプルなものではあるが、暗器として目立たないという意味では一番。

所謂4、ローグ仕様のアサシンブレード。

 

森人の里編で左手首用のものが折れてからは、そちらはアルタイルが残した籠手と一体型のものを使用。

籠手と一体である以上目立つには目立つが、その切れ味と耐久性は父のものとは段違いに高い。

左腕の籠手にはピストルが取り付けられている、所謂2仕様のアサシンブレード。

 

黒きまことの銀(ミスリル)装備を封印してからは、アルタイルが残した書物を元に作り出したものを使用。

教団への協力者たる女教諭の魔改造により、アサシンブレードのみならず、ピストルとエアダートを兼ねるとんでもないものが完成した。

基本はシンジケート仕様のアサシンブレード。変更点として、ロープランチャーがピストルになっている。

 

 

②剣

 

辺境の街の工房が用意してくれた片手半剣(バスタードソード)を多用していたが、棍棒だろうが槍だろうが、武器と呼べるものは一通り使える。

だいたいの武器は使い捨てる前提なので、手入れはするが扱いは雑。

 

森人の里で黒鷲の剣を、勇者との共闘の際に金色の剣(エデンの剣)を受け取ってからは、それらをメイン武器に据えた二刀流が主。

リンゴの力が込められた黒きまことの銀(ミスリル)の剣と、第一文明が生み出したエデンの剣は、決して折れず、曲がらない。

戦い続ける彼にはうってつけの武器だろう。

 

エピローグ時には魔剣を所持。柄が血のように赤く、刃は深淵を思わせる程に暗い為、「赤いの」とか「黒いの」だとか言われているが、正式名称は『餓血(がけつ)の剣』。

 

エデンの剣と同様に決して折れず、曲がらず、つけた傷は蘇生(リザレクション)の奇跡でも使わなければ回復しない。凄まじい切れ味を誇るため、生半可な鎧は切断され、盾は砕け、剣さえも叩き斬る。

防ぎたくば、奇跡や魔術に頼るか、まことの銀(ミスリル)並の強度を誇るものでなければならない。

 

一度抜刀したら最後、刃を血に濡らすまで納める事が出来ない呪いが込められている。抜いたまま放っておくと、血を求めて独りでに動き出す。

(元ネタは北欧神話の剣、ダーインスレイヴ)

 

ジブリールや回りの人物は、この魔剣は魔神将が持っていた剣と思っているが、正確には違う。

血に飢えたとある悪魔が自らを剣とし、不運にも握ってしまった者の精神を汚染、肉体を簒奪することで、祈る者たちの命を奪い続けていたのだ。

万が一肉体が駄目になったとしても、剣を介して次の宿主へと移ることで、寿命の概念を越え、永遠に血を浴びる悦びを、戦い続ける悦びを得た。

故に持ち主が魔神将なのではなく、剣こそが魔神将であり、持ち主は付属品に過ぎない。

剣として生き続ける彼には、その過程で凄まじい量の戦闘経験を蓄積している。だいたいの攻撃は防げるし、避けれる。初見殺しはほぼ通用しない。

(イメージ的には、ジョジョ三部のアヌビス神)

 

上記の理由で強さも洒落になるものではなく、宿主となれる者(つまり人型の種族)を率先して倒しに──あるいな倒されに──来るため、幾人かの英雄を討ち取っている。

たぶん勇者ちゃんや剣聖とも()()()()()()良い勝負出来る。

 

だが、相手と運が悪かった。

神々が現在のローグハンターのステータスを確認しようと、彼との戦いを仕組んだのだ。

接触と同時にどちらかが引けばそれで良かったのだが、魔神将は新たな肉体欲しさに、ローグハンターは彼を討つことで「追加報酬が貰えるかも」というようやく出てきた金銭欲が原因で戦闘を開始。

序盤はローグハンターと良い勝負したものの、『隔世状態』を解放した彼には手を足も出ず、肉体は死亡。

戦利品として剣を手に取ったローグハンターの肉体を奪おうとしたが、逆に彼が経験した数百という死の記憶が逆流、終わりのない死を経験してしまった結果発狂。精神的な意味でも死んだ。

(ジブリールにはシルヴィアという楔があり、そこを基点にして戻って来られたが、彼にはそれがなかった)

 

それ以後は物言わぬ魔剣となり、今もジブリールの腰にぶら下がっている。けれど呪いは据え置き。

 

 

③ピストル

 

アサクリ世界から持ち込んだフリントロックピストル(昔の海賊が持ってそうな銃と思えばあってる)。

説明不要。狙って撃て。

 

アサクリ世界から持ち込み、最後まで壊れなかったスゲー奴。

 

 

④エアライフル

 

ジブリールでも扱える武器をということで、騎士団から支給された。

ピストル同様にアサクリ世界から持ち込んだ武器。

空気圧で音もなく針弾(ダート)を飛ばす。

ローグをプレイしていたわかるが、序盤から使えるくせにめちゃ強い。

 

ゴブリンアサシンとの戦いで破損したため、放棄。

 

 

⑤ライフル。

 

ローグハンターの装備を点検していた工房長が、何を思ってか作り上げた一品。

ピストルに比べて一撃の威力と飛距離はあるが、如何せん大きさと重さ故に取り回しは悪い。

だがローグハンターにそれは些細な問題だった。槍のようにマスケット銃をぶん回せるのだから、今さらな事だろう。

 

 

⑥弓

 

アルタイルからの贈り物。音もなく相手を倒せるという意味では、エアライフルに通ずる。

ローグハンター自身は弓を苦手としていたが、バエクさんやカサンドラ(アレクシオス)の夢を見たことで一部能力が開花。

森人程ではないが、それなりに扱えるようになる。

 

 

 

衣装

 

初期はテンプル騎士の制服にフードを付けたもの(ローグのパッケージのあれ)。

父からのお下がりらしいが手入れは行き届いており、端々にある縫い目や丈を弄った跡などから、ジブリールもかなり愛用していた事が伺える。

 

森人の里に赴いた際に起こったゴブリンとの戦いでずたずたに引き裂かれてからは、アルタイルの残した黒いローブを纏い、その上から黒い鎧を纏っていた。

 

結婚と同時期に黒きまことの銀(ミスリル)を使った装備は全て封印し、そこからはいくつかの衣装を使い分けるようになる。

 

①マスター・アサシンの衣装

 

円卓での会議に参加する時や、アサシンとしての仕事をする際に纏う衣装。

シンジケートのマスター・アサシンの衣装(ジェイコブ)をイメージしてもらえればだいたいあってる。

彼と違い、きっちり着こなしているという違いはあるが。

 

後にネロに受け継がれる。それが意味する事とは──。

 

②ジブリールの衣装

 

普段着代わりに纏っている衣装。普段着といえど最低限の防御能力はあり、一応戦闘は出来る。

シェイさんのアサシンの衣装の色違いと思えばだいたいあってる。

 

 

ならず者殺し(ローグハンター)の鎧(本編未登場)

 

結婚後のローグハンターが、冒険に出る際に着ていた衣装。エピローグ時は半ば引退していた為、影も登場しない。

結婚祝いに森人の里から送られてきた鎧らしいが、素材は黒壇(実在する木材)の為、金属鎧に比べれば非常に軽い。

木製の鎧という言葉だけ見れば嗤われそうなものだが、上の森人たちが丹精込めて作ったそれは、下手な金属よりも固く、様々な(まじな)いが込められている為、本来弱点である筈の火にも強い。

魔神将を討ち取った際に着ていた衣装。その実用性は結果が物語っている。

 

後にウイルクに受け継がれ、彼を象徴する鎧となる。

 

 

『タカの眼』

 

ジブリールの父親から継いだ、血族に連なるアサシンの力。

隠された真実を見つける力とも、その先さえも見据える力とも言われる。

ストーリー開始時点では、敵意の感知や痕跡の追跡が出来る程度だったが、最終的に重要人物や敵、味方の幻影が見えるようになり、ついに鷲との視界共有が可能になった。

ついでに相手との力量(レベル)差もわかるようになった。

『隔世状態』なら、相手が行う次の一手(アクション)がわかる程度にまで強化される。

 

 

『隔世状態』

 

ローグハンターの真骨頂。その身に流れるかつて来たりし者の血を刺激し、全能力を飛躍的に高める。

かつて来たりし者の介入で強制解放されたが、彼女の撃破時に封印された。だがジブリールは自らの意志でそれを再解放した。

家族を守る為ならば何だろうが利用する。それが彼の信条故に。

 

本来なら数十年かけて解放するような代物を、彼は二年足らずでものにしたのは、タカの眼を覚えていたからに他ならない。秘められた何かを呼び起こすのには慣れていたのだろう。

使用中は瞳が金色に染まるため、対峙していればすぐにわかる。

だがわかった所でどうにもならない程に、この状態のローグハンターは強い。

 

一部能力(アビリティ)の使用解禁。全能力上昇など恩恵は多いが、長時間使用すると超過駆動(オーヴァドライブ)を起こし、一定時間行動不能になる。

だがジブリールは戦闘が終わるまでは気合いで体を動かす。

その後、より強烈な反動が自らに振りかかり、全身筋肉痛や激しい頭痛、心拍数の急上昇、それに伴う体温の急上昇などで悶え苦しんだ挙げ句に気絶。一刻も早く治療しなければ、命が危うい状態となる。

 

隔世とは、本来『世代を越えた遺伝』という意味合いなのだが、この場合は『世から隔てられた状態』という方が正しい。

この状態の彼は、骰の目に左右されることはない。かなり色濃く盤の外の神の血を宿す彼は、骰の目をある程度無視できるのだ。

 

この状態の彼の強さは、白金等級と言っても差し支えない。まともに対峙するのは、最低でも勇者程の強さがないと不可能。

 

カサンドラ(アレクシオス)には負ける。能力(アビリティ)を隔世状態でなくても制限なく使えてしまう二人とは、元のスペックが違い過ぎる為。

 

そんな異常な状態を最も表しているのは、一部の加護や呪いを貫通/無視する効果も得られる点だろう。

言ってしまえば、隔世状態になれば抜いたは良いが使わなかった魔剣を鞘に押し込むことが出来る。

その分何かしらの跳ね返りがあるそうだが、ここで深くは語るまい。

簡単な一例として、微妙に喉が乾くらしい。

 

|沸き起こる吸血衝動を気合いで捩じ伏せると、ある種の興奮状態になる。その欲望をぶつけられるのはもちろん──。

 

 

継ぎ接ぎの裏切り者(英雄)

 

かつて来たりし者に無理やり数多の記憶を流し込まれた結果、彼の自我は無惨にも砕け散った。

彼女はそこに自らの存在を楔として差し込むことで、彼を自らの手駒にしようとしたのだ。

だが、結局彼は壊れなかった。シルヴィアへの想いのみで、砕けた自分を繋ぎ合わせたのだ。

その結果、ある程度元に戻ることには成功したが、そこにいくらかの異物が紛れ込んだ。

かつて来たりし者が流し込んだ記憶の一部が、そのまま癒着してしまったのだ。

結果、彼は一部の魔術と奇跡を扱えるまでになった。奇跡はかつて来たりし者との戦いのみという制約があったが、魔術はそのまま彼の技の一部となった。

 

 

その後彼は魔女や賢者、教団協力者たる女教諭に師事し、正式に術を修めた。

これは戦力強化と共に、初対面の相手に能力(アビリティ)を魔術だと言い張るためと思われる。

 

 

 

一見普通に見える彼だが、実は根本的な部分が壊れている。

目の前で母を殺され、しばらくの間父に放置されていた彼は、愛情と呼ばれるものに極端疎く、無関心だったのだ。

だが、シルヴィアとの出会いでそれは一変した。

彼女との行動の果てに愛を知った彼は、不器用ながらにそれに応えようと模索し、考え抜いた結果、隙あらば彼女と触れあうようになる。

むしろ彼女から触れてくるため、彼は拒絶することをしない。酒が絡まなければ、だが。

それが正解かは彼にもわからないが、シルヴィアはそれで満足しているらしい。

 

同時にそれは、彼女への依存へと形を変えていった。

愛を知ったが故に両親から貰えなかったそれを、無意識の内ではあるがシルヴィアに求めたのだ。

結果で言えば、彼女は彼の期待に答えた。様々な形で彼を愛し、生涯手放すことはなかったのだ。

それ程までの、もはや呪いの域に至った愛は、かつて来たりし者に記憶を消されてもなお、消えなかった。

その歪ながら純粋な愛が二人を勝利へと導き、後に四人の子供たちを授かることとなる。

 

幼い頃に目の前で家族を失った彼は、どんな手を使ってでも最愛の家族を守ろうとする。

 

例えそれが、テンプル騎士としても、アサシンとしても、越えてはいけない一線を越えるものだとしても、彼は一切躊躇うことはない。

 

アサシン教団お馴染みのあの言葉を、ジブリールはある種の鼓舞、あるいは扇動だと解釈している。

 

真実はないのだから、誰かも信じる真実を疑え。

許されぬ事などないのだから、回りから悪だと思われたとしても行動せよと。

 

それが本当に正しい事だとすれば、その後ろに誰かが続く筈だから。

 

 

シルヴィア/銀髪武闘家

 

愛称──シル

 

年齢──ストーリー開始時15歳/エピローグ時32歳

 

身長──170cm(エピローグ時点)

 

瞳の色──銀

 

髪の色──銀

 

最終等級──銀

 

特技──早寝/早食い/料理

 

趣味──寝ること/家族と遊ぶこと/ジブリールと触れあうこと(深い意味でも)

 

好物──肉料理全般/酒(子供が出来てからは飲んでいない)

 

弱点──酒(本人に自覚なし)/幽霊(殴れない為)/家族

 

出身地──とある開拓村

 

原作初登場──イヤーワン第2巻(小説版)

 

 

 

プロット段階では形もなかったのに、いつの間にかメインヒロインになっていた()()()()()

原作最初の三人こと女武闘家との差別化のために、銀髪武闘家という呼び名になった。

 

『打極めれば、斬となる』という教えの下、幼い頃から体を鍛えていた彼女の攻撃は、その大半が拳や蹴りであっても斬撃属性となっている。

女性特有のしなやかさと、男性顔負けの筋力が、もはや魔術といって良いそれを可能としたのだ。

 

後に夫となるジブリールとの出会いは、言ってしまえば偶然によるものだった。ギルドで一人だった彼に、冒険の手伝いを頼んだのだ。

その結果お互いに酷い目にあうのだが、それを乗り越えた二人はいつからか固定の一党となり、銀等級冒険者にまでなっている。

 

彼女の特徴といえば、銀色の髪ともう一つ、豊かな胸だろう。

冒険者にしては豊かな胸は邪魔なものだったが、ジブリールを異性として意識するようになってからは、どうにかして武器に出来ないかと画策し始める。

 

時には理由をつけて腕に抱きつき、時には下着鎧(ビキニアーマー)を試着し、時には疲れた彼を胸に抱き寄せるなど、男なら間違いなく赤面するか、大きく狼狽えるような事をしでかしたのだ。

結果で言えば成功と失敗の半々ではあり(むしろジブリールが反応しないため、恥をかいた)、結局自分から告白。これは成功して無事に恋人同士となる。

 

だが、付き合う前からやたらと触れあってしまったせいか、恋人になってからもその癖は治らず、ジブリールもまたそれが当然のように振る舞う事となる。

 

二人は恋人になってからも、変わらず冒険者で有り続けた。

常に一緒にいることで互いを守り、そして多くの人々を守らんとしたのだ。

 

それは同時にお互いの弱点を晒しながら戦う事と同義であり、それはある悲劇に繋がる事になる。

都での騒動に巻き込まれた彼女は腹を刺され、一週間程意識を失ったのだ。

 

その間ジブリールが何をしたのかを、彼女は知らない。けれど何をしたのかを聞いてはいない。『彼が帰って来た』それだけで十分だったのだ。

 

ジブリールがアサシンとの戦いで記憶を失った直後は、流石の彼女も混乱状態となったが、けれど彼が彼であるとわかってからは落ち着きを取り戻し、その後の戦いにも参加している。

 

それが結果的に彼を救い、果てには世界を救う事となった。

愛は世界を救うとなよく言うけれど、本当に救われた事例は少ない。

 

 

 

名前の由来

 

花のプロテアシルビアから。花言葉は「王者の風格」「豊かな心」「自由自在」、命名としてはこの中でも豊かな心が中心に据えられている。

ジブリールの壊れた心を癒す豊かな心、的な意味で。

 

ここまで言えば聞こえは良いかもしれないが、本当は作者のフィーリング。暇潰しに呼んでいたラノベの登場人物から。

感想で情報をくださったkaijo様には感謝しかありません。

 

 

性格

 

基本的にノリが軽く、人懐こい。変なところで抜けているため、付き合いたての女魔術師を大いに困惑させた。

 

だがそれは、普段は力を抜いている(スイッチを切っている)だけに過ぎない。ここぞというときにはスイッチを入れ、表情も凛としたものとなり、技のキレと精度が増す。

 

現在で言う所のゾーンに自力で飛び込めるのは、流石銀等級冒険者と言わざるを得ない。

この状態の彼女は、言葉からも普段の抜けた様子はなくなる。もはや別人にさえ思えるが、彼女は彼女なのでご安心を。

 

 

装備

 

己の肉体を武器とする武闘家故に、そこまで装備に拘りはない。

籠手や脚甲は両手足を守ると同時に、僅かでも重くすることで遠心力を乗せやすくする。

速さと重さが両立されたそれは、凄まじい威力を発揮するが、なくても彼女は強い。

 

籠手と脚甲をあくまでも補助として扱っている為か、よく壊れる。彼女の手足にある傷痕は、敵に切られたものよりも、砕けた籠手や脚甲の破片によるものが多い。

 

基本的には動きやすさを重視している為、防具はあまり着込んでいないが、都で刺されてからは簡単な胴鎧を纏うことになった。

豊かな胸が入りきらないのはご愛嬌。

 

 

衣装

 

ジブリールほど種類はない。見た目よりも動きやすさを重視する傾向にあり、それは結婚後も変わりはない。

いざという時に家族を守れるようにという、彼女なりの覚悟の現れなのだろう。

 

 

 

神を殴った拳(ゴッドハンド)

 

かつて来たりし者との戦いで発現した特殊能力(ユニークスキル)

拳という名前であるが、彼女の肉体を使った攻撃に様々な効果が付与される。

 

①神性特効

 

秩序の神だろうが、混沌の神だろうが、外の世界の神だろうが、神に連なる者の能力や、神から与えられた加護、『聖壁』などの奇跡を貫通できる。

彼女の攻撃を防ぎたければ、物理防御に頼るしかない。

 

②亡霊特効

 

神の元に行けなかった亡霊を、文字通り物理で殴り倒せる。

だが昇天させているわけではなく消滅させている為、神官たちの奇跡とは根本的に違う。

それ故か、効果に神官レベルに依存せず、武闘家レベルに依存する。

 

上記二つの能力が体に刻まれているが、彼女はそれを知らない。知る前に妊娠が発覚し、それを機に冒険者を引退したからだ。

もし妊娠の時期が違えば、彼女は金、白金等級になっていた可能性がある。

触れることも畏れ多い神だろうが、決して触れる事の出来ない筈の亡霊だろうが、何の躊躇もなく殴り倒すのだ。それは当然の事だろう。

多少の弱体化はされたが、子供たちに遺伝した。

 

 

武闘家という他の職業以上に肉体を酷使すると同時に、他とは一線を画するローグハンターの動きについていく事は、かなりのエネルギーを必要とする。

依頼に出る度に急激に消耗したエネルギーを、その日のうちに大量の食事を摂ることで補っていたのだ。

人より多く食べても太らないのは、体質による所もあるが、ほぼマイナスからスタートしているからである。

 

だが彼と長い付き合いになってからは肉体が完成したからか、大きく消耗する機会は減った。

それでも食事の量が対して変わらなかったが、食事のほとんどは筋肉へと変わり、彼女の強さをより輝かせる事となる。

一部の栄養は胸へと行った。

 

女性冒険者にしては肌や髪の艶が良く、時折同僚から相談された事があるらしいが、彼女は曖昧な答えしかしなかったらしい。

具体的に言うと「体質」とのこと。

 

実際はジブリールと熱い一夜を過ごすことで、女性ホルモンが多く分泌されている為。

「隙みて彼氏とイチャイチャしてます!」とは、流石の彼女でも言えなかったようだ。

 

結婚後は、時々だが女性冒険者の結婚相談に乗る事がある。

正確には突然来た彼女らに対応しているだけなのだが、彼女に背を押されて告白した冒険者もいるそうだ。

魔女と女騎士もその一人。

 

余談だが、二人は恋人だった頃から隙をみてイチャイチャしていたが、夫婦となってからはある種の一線を越えた為か、一周回って初々しくなったらしい。

 

ジブリールが盤の外──つまり異世界から来たことは、ある程度察しているらしい。

だが彼女は気にしない。生まれた世界が違う程度で、彼女の愛は止められはしないのだ。

 

 

ウイルク

 

愛称──ウィル

 

年齢──初登場時4歳/最終話時点13歳

 

身長──???

 

瞳の色──蒼(虹彩に銀が散っている)

 

髪の色──銀

 

特技──早寝早起き/妹たちをあやすこと

 

趣味──父や母との訓練

 

好物──シルヴィアの手料理

 

弱点──動物全般(なぜか好かれない為)/母と妹たちを除いた回りの女性陣

 

 

ジブリール一家の長男。母親譲りの銀色の髪に、父親譲りの瞳の色が特徴。

顔立ちも父親に似た為か、周りからはチビログハンとして、可愛が(いじ)られている。

特にジブリールやシルヴィアに世話になった女性陣からはそれが顕著で、幼い頃は喜んでいた彼も、ある程度大きくなってからは毎度のごとく赤面している。

 

五歳になる頃にタカの眼が覚醒し、しばらくはコントロール出来なかったが、ジブリールの指導でコントロール下におく事に成功。

だがまだ荒削り。最終話時点では敵意の感知や、痕跡の追跡程度しか出来ない。

 

 

名前の由来

 

ポーランド語の『狼』から。命名はジブリール。

一匹狼をはじめ、あまり良いイメージを持たれなそうな動物ではあるが、狼とは本来、群れなければ生きられない生き物である。

多くの人と繋がり、その中心となって欲しい。そんな彼の願いが込められた名前。

 

ジブリールにとって狼とは、とても特別な意味を持つ動物だ。

彼の尊敬する師が操った『モリガン号』の船首像や帆の柄、操舵輪は狼を模したものであった。

 

願わくば、彼にも師のような立派な人に──世界の為に戦える人になって欲しい。誰にも語らない本当の理由が、彼の名前には込められている。

 

 

性格

 

誰に似たのか生真面目であり、長男として妹たちを守らねばという思いが強い。

その意志の下、父や母から技を教えてもらっているあたり、それなりに実行力もある。

 

大人になると、性格も顔もジブリールに似る。

 

 

『タカの眼』

 

ジブリールから受け継いだ、盤の外の力。

まだ父親ほど万能ではなく、敵意の感知や痕跡の追跡など、初期能力しか備わっていない。

 

最終的にジブリールと同等のものに昇華する。

 

 

アイリス

 

愛称──リース

 

年齢──初登場時2歳/最終話時点11歳

 

身長──???

 

瞳の色──蒼(虹彩に銀が散っている)

 

髪の色──銀

 

特技──早寝早起き(神官になってから)/兄弟の機嫌を取ること

 

趣味──家族と一緒にいること/祈祷

 

好物──シルヴィアの料理全般/神殿の皆で食べる食事

 

弱点──これと言ってなし

 

 

ジブリール一家の長女。母親譲りの銀色の髪と、父親譲りの蒼い瞳を持っている。

顔立ちはシルヴィア似で、将来は彼女と瓜二つの顔立ち(と体つき)になると思われる。

初めての女児という事でシルヴィアからとてつもなく可愛がられ、見事にお母さん子になった。

 

五歳から六歳の間にタカの眼が覚醒。父だけでなく兄からも指導を受け、どうにかものにする。

 

時折遊びに来る聖女や、とある都合で会うことになった剣の乙女に憧れ、十歳になる頃に出家。水の都の法の神殿──特に剣の乙女のお世話になることとなる。

 

最終話時点で一日に四度(限界突破(オーヴァキャスト)で六度)の奇跡を使用可能。

使用可能奇跡は『小癒(ヒール)』『聖撃(ホーリースマイト)』『看破(センス・ライ)』『聖壁(プロテクション)』の四つ。

 

成人してもいないのにこれはもはや異常の一言であり、今後の成長などを考慮してか、既に次期白金等級──つまり勇者候補として注目されている。

 

 

名前の由来

 

花のアイリスから。命名はシルヴィア。

花言葉は「伝言、メッセージ(特に吉報)」「希望」「信頼」「友情」「知恵、賢さ」「優しい心」など。

 

家族に取っての希望である彼女に、多くのよき知らせが舞い込みますようにと、我が子を想う親心が込められた名前。

 

 

性格

 

母親に似て人懐こく、少々家族から心配される程に警戒心がなかった。今は大丈夫だが。

 

神官になってからはだいぶ落ち着き、弟たちだけでなく、近所の子供たちからも皆のお姉ちゃんとして信頼される程。

(ウイルクは一緒に遊んでくれるお兄ちゃん程度の認識)

 

不思議と動物に好かれ、子供たちにも好かれる。理由は不明。

 

大人になると、某調停者(ルーラー)の聖処女よろしくな格好と言葉使いになる。髪は銀色だけど。

姉を名乗る不審者ではなく、姉と呼ばれる聖女様(あるいは聖騎士様?)なので悪しからず。

そして案の定、白金等級の勇者となる。

法の神殿で熱い一夜を過ごした二人の子供が、何の因果か至高神の神官になったわけだが、当の至高神はとても困惑したらしい。

 

地母神とは違い、色恋沙汰とは無縁の神様だ。耐性がなかったのだろう。

 

 

『タカの眼』

 

ジブリールから受け継いだ、盤の外の力。

まだ父親ほど万能ではなく、敵意の感知や痕跡の追跡など、初期能力しか備わっていない。

 

ジブリールやウイルクのものとは違い、目の前にいる相手の挙動を見ることに特化したものとなる。

 

 

ネロ

 

愛称──なし(本名のまま)

 

年齢──初登場時0歳/最終話時点3歳

 

身長──???

 

瞳の色──蒼

 

髪の色──黒

 

特技──???

 

趣味──家族と一緒にいること/友達と遊ぶこと

 

好物──シルヴィアの料理全般

 

弱点──これと言ってなし

 

 

ジブリール一家の次男にして双子の兄。父親譲りの髪色と瞳の色をしている。

ウイルク同様、ジブリールの知り合いからはミニログハンとして可愛がられており、まだ年齢が年齢の為、純粋に喜んでいる。

家族であれば誰だろうが甘えたがる構ってちゃん。

 

 

名前の由来

 

知っている人も多そうではあるが、『黒』という意味から。

様々な色が混ざった結果に至る、何色にも染まらない色。

様々な物を知り、吸収しながら、決して自分を見失わないようにという願いが込められている。

 

一度自分を見失いかけたジブリールが、我が子に同じ目にあって欲しくないと想う気持ちを込めた名前である。

 

大人になると何を思ってかアサシンとなり、父の跡を継いでマスター・アサシンとなる。

 

 

リリウム

 

愛称──リリ

 

年齢──初登場時0歳/最終話時点3歳

 

身長──???

 

瞳の色──銀

 

髪の色──銀

 

特技──???

 

趣味──家族と一緒にいること/友達と遊ぶこと

 

好物──シルヴィアの料理全般

 

弱点──これと言ってなし

 

 

ジブリール一家の次女にして双子の妹。母親譲りの髪色と瞳の色をしている。

シルヴィアをそのまま幼くした見た目の為、ジブリールから大層可愛がられたらしく、おかげでお父さん子になった。

だが家族であれば誰でも良いのか、見つけたらとりあえず甘えてくる構ってちゃん。

 

 

名前の由来

 

花の百合(リリウム)から。命名はシルヴィア。

花言葉は「純潔」「無垢」「威厳」「甘美」「無邪気・清浄」。

 

どうか清らかに育って欲しいという願いが込められた名前。

あと無邪気な笑顔に家族全員がやられた事と、家に連れ帰る道中にアイリスが花屋で百合の花を見つけてきたから。

 

因にだが、百合とはガブリエル(ジブリール)を象徴する花でもある。

自分が死んだあとも、(ジブリール)を繋ぎとめて欲しいという、シルヴィアなりの願いが込められているのかもしれない。

 

余談だが、百合はあの(・・)ヘラを象徴する花でもある。彼女と結婚した相手は大丈夫だろうか……。

 

大人になると町外れの牧場に嫁入りし、冒険とも影を走る仕事(シャドウラン)とも関係ない平和な人生を送る。

 

 

勇者

 

愛称──勇者ちゃん/お姉ちゃん

 

年齢──ジブリールの十歳ほど下

 

外してはならない家族の一員。幾度も世界を救った我らが超勇者。

 

行動は概ね原作通りだが、エデンの剣(錆び)のお陰で余計に強くなっている。

具体的に言うと、フリーランとイーグルダイブが出来る。

 

ジブリールが結婚する前からシルヴィアの事をお姉ちゃんと慕っており、二人の子供たちは彼女にとっては弟妹のようなもの(正確には甥っ子、姪っ子)。

 

戦いが終われば必ずジブリールの家に顔を出し、彼らの無事を確認すると共に、自分の無事を知らしめる。

 

いつまでもお兄ちゃんとその家族が大好きな、甘えん坊の勇者ちゃんなのだ。

 

最終的に子供たちからは、よく遊びに来る親戚のお姉さん扱いされる。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。
もしかしたら加筆、修正するかもしれません。




アンケート結果は、

(153) 二人の馴れ初め、R-18が見たい
(100) ログハンの子供たちの話が見たい
(43) IFルートの短編集が見たい
(72) 終了後も原作を追従して欲しい

と言うことで、①番の「二人の馴れ初め、R-18が見たい」になりました。




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登場人物紹介② ※ネタバレ注意

アンケート終わるまでの繋ぎ。

今回はログハンの弟子たちについてです。
全員原作キャラなので手短に。


女魔術師

 

所謂原作最初の三人の一人。赤い髪の魔術師。

原作ではゴブリンの毒短剣が原因で死亡したが、刺される前にゴブリンスレイヤーと合流出来た事、ローグハンターの助言で購入した毒消し(アンチ・ドーテ)があったので、どちらにせよ助かったと思われる。

 

ゴブリン退治後は学院でも話題だったローグハンターと接触、何日か頼み込むつもりであったが、あっさりと一党入りを許された。

 

魔術使用回数は二回だが、九章に入った頃に成長。三~四回は使える模様。

 

魔術師としても一流だがローグハンターの指導でフリーラン、彼経由で頼んだ槍使いの指導で槍術(棒術)を覚え、それなり以上の自衛が出来る。

 

エピローグ時点では銀等級。魔術が何度使えるのかは不明。

頭目たるローグハンター引退後も令嬢剣士とは一党であり続け、銀髪武闘家、槍使い、魔女らが引退してからは、空席となった辺境最強の座に二人で座る事となる。

 

学院を卒業した証しである柘榴石の填められた杖と、ローグハンターから渡されたアサシンブレードは生涯の武器として持ち続け、お陰でアサシンでもないのにアサシンだと思われ、時々だが仕掛け人(ランナー)に絡まれる事が悩みの一つ。

だが彼女は冒険者であり続け、アサシンとなることはなかった。

 

ローグハンターの一家とは付き合いがあり、子供たちからお姉ちゃんと呼ばれる度に頬を綻ばせる。

特にアイリスとリリウムの二人を可愛がっており、こんな妹が欲しかったとは本人の弁。

 

強い女冒険者の(さが)なのか、恋人探しに大いに苦戦する事になる。

 

 

令嬢剣士

 

原作初登場は五巻。アニメだと劇場版。

原作では何もかも決められてしまう貴族社会に嫌気がさし、自由を求めて冒険者になったそうだが、この作品ではそれに加え、貴族社会で有名なローグハンターに会いたいが為に家を飛び出した。

 

彼女の友人からの手紙の後押しと、当時のローグハンターが来るもの拒まずの姿勢であった為、無事に一党入りを果たす。

 

エピローグ時点での等級は銀。ローグハンター引退後も女魔術師と一党を組み、辺境最強としてその名を轟かせている。

 

武器は家宝たる軽銀の突剣と短剣。『稲妻(ライトニング)』の術も修めている。

突剣の方はアサシンとの戦いで折られ、修復の為に実家に戻る。ぎくしゃくしていた家族仲も、同行したローグハンターの言葉のおかげか改善し、冒険者であり続ける事を許可された。

 

ローグハンターの指導や多くの実戦経験を経て、教本通りと言われていた戦闘スタイルも実戦向けの物へとなり、見る人によってはローグハンターのそれに似ているらしい。

 

都で噂の集団(アサシンたち)が、ローグハンターの関係者なのは何となく察している。

 

ローグハンターの子供たちからはお姉ちゃん扱いであり、彼女もまたそれを認めている。

大恩人たるローグハンターにそっくりなウイルク、ネロの二人を溺愛しており、隙有らば組み付きにいく。

年頃のウイルクは嫌がるものの、いまだに逃げ切る事は出来ず、幼いネロは普通に嬉しそうにする。

 

女魔術師同様、強い女冒険者のジンクスには抗えず、中々恋人が出来ないと嘆く事になる。

 

 

青年剣士

 

原作最初の三人の一人。頭に鉢巻を巻いた青年。

ローグハンターの助言とゴブリンスレイヤーの到着のおかげで、無事に依頼を完遂。

その後約束通りに女魔術師が一党を抜けたものの、青年戦士と聖女との一党と合流、固定の一党となる。

 

とある都合でローグハンターの弟子となり、それを期に頭角を表していく。

両手剣をぶん回す脳筋(パワー)スタイル。だがローグハンターの教えの下、様々な武器を扱えるようにしている。

 

エピローグ時点では銀等級。女武闘家、青年戦士、聖女、白兎猟兵と一党であり続け、後に青年魔術師が加わる事になる。

 

魔術や奇跡といった術の類いは使えないが、ローグハンターから譲られたピストルを使用することで遠距離にもある程度だが対応可能。

両手剣の一閃は相手の防御を文字通り叩き斬る重さがあり、一撃目を防げても二撃、三撃と防ぎきれるかは神にさえもわからない。

振り抜き後の隙をピストルでカバーすることで、超至近距離からの射撃を叩き込むスタイルが基本とのこと。

 

ローグハンターの子供たちからはお兄ちゃん、あるいは兄貴分として慕われ、ウイルクの稽古に付き合う事もある。

 

女武闘家とは元から互いを意識していた事もあってか、後に結ばれたらしい。

 

余談だが、ピストルを使う、武闘家と恋人(後に結婚)、という割りと下らない理由で、影では誰かさんの二代目と呼ばれているとかいないとか。

 

 

女武闘家

 

原作最初の三人の一人。黒髪を一纏めにした女性。

ローグハンターの助言とゴブリンスレイヤーの到着のおかげで、無事に依頼を完遂。

その後約束通りに女魔術師が一党を抜けたものの、青年戦士と聖女との一党と合流、固定の一党となる。

 

とある理由で銀髪武闘家の弟子となり、彼女の流派と自分の流派を合わせた、文字通りのオリジナルの武術を扱う。

『打極まれば、斬となる』その精神は彼女に引き継がれ、彼女もまたそれを体現することとなる。

 

エピローグ時点では銀等級。女武闘家、青年戦士、聖女、白兎猟兵と一党であり続け、後に青年魔術師が加わる事になる。

 

子供たちからは雰囲気が母親に似ている為か懐かれ、巻き込まれる形でローグハンター宅にお邪魔する事も多い。

 

男であるローグハンターではフォローしきれない事態になった際、女神官と並んで真っ先に頼られる事も多く、ベビーシッターや、助産師として扱われる事もあったらしい。

 

青年剣士とはお互いに意識していた事も合わさり、ローグハンターと銀髪武闘家に比べれば短時間で恋人となり、二人よりも短い期間の交際を経て結婚。

 

女冒険者のジンクスを破った為か、他の女冒険者たちから一目置かれ、よくそういった話題で相談されるらしい。

 

 

青年戦士

 

原作でも度々登場し、短編では主役となることもある青年。

聖女と共に下水道に赴こうとした際に青年剣士に誘われ、そのまま一党となった。

 

とある理由でローグハンターの弟子となり、それを期に頭角を表していく。

ゴブリン退治はその時が初だったが、ローグハンターの指示通りに動いた為、そこまで苦戦なく完遂した。

 

エピローグ時点では銀等級。女武闘家、青年剣士、聖女、白兎猟兵と一党であり続け、後に青年魔術師が加わる事になる。

 

遠距離にはピストルで対応し、近距離では片手剣、棍棒、果てには盾さえも武器として振り回し、手数で相手を押しきる。

だが力任せという訳ではなく、その一撃一撃は相手の急所を狙い澄ましたものであり、一つでも対応を間違えればあの世行きは間違いない。

 

子供たちからは兄貴分として慕われ、時々遊び相手になる程度には面倒見がある。

ウイルクの稽古にも参加しており、青年剣士と同様に彼に多大な影響を与えたらしい。

 

聖女とはお互いに意識してはいたものの、中々切り出せずに悶々としていたが、青年剣士と女武闘家に先を越された。

それが発破となったのか、あるいはローグハンターに睨まれた為か、当たって砕けろと言わんばかりに想いを告白。無事に想いが伝わり恋人となる。

 

 

聖女

 

原作でも度々登場し、短編では主役となることもある至高神の神官。

青年戦士と共に下水道に赴こうとした際に青年剣士に誘われ、そのまま一党となった。

 

とある理由でローグハンターの世話になることも多く、彼には頭が上がらないとの事。

だが彼にゴブリンの臓物をぶっかけられた事は何年経っても覚えているらしく、それだけは許さないとは本人の弁。

 

エピローグ時点では銀等級。女武闘家、青年剣士、青年戦士、白兎猟兵と一党であり続け、後に青年魔術師が加わる事になる。

 

神官として一党の後衛を務め、前衛を奇跡で援護しつつ、万が一接近を許された場合は天秤剣で迎撃する。

一応、相手の頭をかち割る程度の事は可能らしい。

 

子供たちからも懐かれており、彼女もまた彼らを弟妹のように触れあう事を心掛けている。

ローグハンター不在時に世話になったらしく、アイリスは彼女を慕い、彼女が至高神の神官になる切っ掛けの一つとなった。

 

青年戦士の事を気にしてはいたものの、中々話を切り出せずにいた所、青年剣士と女武闘家に先を越された。

だがそれが発破となったのか、突如として行われた青年戦士からの告白を受け入れ、無事に恋仲となる。

 

女冒険者のジンクスを破った為か、他の女冒険者たちから一目置かれ、よくそういった話題で相談されるらしい。

 

 

白兎猟兵

 

原作初登場九巻。

とある冒険の果てに、青年戦士らの一党に加わる事になった。

一人称はぼくだが、れっきとした兎人の女性。

 

ローグハンターの世話になっていた彼らの一党に入った為、彼の世話になることになる。

ただ種族が他四人とは違う為、ローグハンターも割りと困ったらしい。

 

エピローグ時点では銅等級。入った時期が遅かった為か、他四人と比べて等級は低いが、もうすぐ銀等級になれるだろうとはローグハンターの弁。

 

弩の使い手であると共に、兎人はとても燃費が悪い種族である為、一党では後衛を務める。

その命中率は他の冒険者のそれに比べて非常に高く、まず外すことはない。

最悪山刀で接近戦も可能だが、前衛三人が割りと強いので、出番は少なめ。

 

子供たちからはお姉ちゃんというよりは、愛玩動物的な意味で懐かれており、よく抱きつかれ、もふもふされている。おかげで毛並みが良いらしい。

 

恋人らしい恋人はいないが、どこぞのならず者殺しに感化された同郷の兎人の冒険者が増えたらしく、その中からいい人がいないかなと思っているらしい。

だが彼女は集落を救った英雄の一人。彼らからすれば憧れの人であり、高嶺の花なのだ。

 

 

青年魔術師

 

原作初登場六巻。女魔術師の弟。

原作では姉の死を馬鹿にされた為、学院を飛び出して冒険者になったが、今作ではむしろ姉の武勇が学院に蔓延した為、誇らしい半分プレッシャーが半端なかったらしい。

 

学院を卒業後に姉を真似て冒険者となり、ついでに姉の様子を探るついでに西の辺境に行ったのだが、それがいけなかった。

後衛職を探していた青年戦士らに捕まり、そのまま一党に組み込まれたのだ。

姉である女魔術師との再会も早々に冒険に駆り出され、ローグハンターとの訓練にも駆り出され、魔術師としても、冒険者としても成長していった。

 

エピローグ時点では銅等級(になりたて)。入った時期が時期の為、同じ等級の白兎猟兵に比べれば銀等級にはまだ遠い。

 

良くも悪くも魔術師であり、様々な技に手を出す姉に驚き、金物を身につける姉の正気を疑った程。

後にその意味を理解し、彼もまた同じ道を歩み始める。

だが本職は魔術師である為、一党では後衛。加えて学院を卒業している事も災いし、会計係なんかもやらされている。

 

子供たちからはお兄ちゃん呼びをされるが、本人は子供たち(特にアイリスとシルヴィア)を僅かに嫌っている節がある。

事あるごとに姉が「妹が欲しかった」とか、「妹がいたらこんな感じかしら」とか言ってくる事が原因。

だが有事の際はそんな事はかなぐり捨てて助けてくれる為、根っこから嫌っている訳ではない。

ウイルクにせがまれて魔術を教えたり、ネロをあやすために魔術を見せたりなど、面倒見は割りと良い方だと思われる。

 

恋人らしい恋人はいないが、今は恋人が見つからない姉の方が心配らしい。

まあ見つかったら見つかったで、何かにつけて監視したり、苦言を弄してくるのは間違いないが、姉が幸せにしてくれるならそれで良いとの事。

一時期血迷ってか、ローグハンターにまで相談したそうだが、流石の彼とて「俺に訊くな」と一言で断じたらしい。

 

 

 

上記の六人は後に『一期生』と呼ばれ、ローグハンターが指導者として残した最初の成果となる。

彼らなくして、彼が指導者としての成功はなかっただろう。

 

後に彼らが指導者の役目を継ぎ、ローグハンターは穏やかな老後を迎える事になる。

 

 

 

本編には登場しないが、エピローグ時点でも多くの生徒を抱えている。

 

農家の三男坊、家出した貴族、他国から流れてきた無頼漢、エトセトラエトセトラ。

 

ローグハンターが育てた冒険者たちは、その多くが指導者たちと同じ銀等級冒険者となり、様々な依頼を通して人を救い、あるいは偉業を成し遂げていった。

 

──冒険者になるなら西へ行け。

 

この言葉が示す通り、ローグハンターは『冒険者の父』として四方世界に名を轟かせ、円卓での地位を揺るがぬものとしていったのだ。

 

 

 




短いですが、今回はここまで。

誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。

本編後にキャラ紹介するのは、あの人の影響です。


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登場人物紹介③ ※ネタバレ注意

アンケート終わるまでの繋ぎ③

今回はゴブスレたち原作組。主要キャラなので弟子たち以上にざっくりと。


ゴブリンスレイヤー

 

皆さんご存知ゴブリンスレイヤー。冒険者になってからゴブリンばかりを殺して回る何か変なの。

 

原作イヤーワン一巻の後半辺りでローグハンターと出会い、共闘。この時点ではローグハンターの方が別格に強かった。

 

その後は二人で一党を組み、ゴブリン退治をこなしながらゴブリンの生態を研究し、後々まで生かされる様々な対応策を講じる事となる。

 

ローグハンターがピストルの試し撃ちをしている隙に勝手に仕事に出た。彼としてはギルドを見渡してもいないから一人で行ったことが、今後の運命を左右することになった。

一人で攻略したゴブリンの巣穴で見つけた指輪が原因で、しばらくローグハンターとは組めなくなり(イヤーワン二巻参照)、ローグハンターは銀髪武闘家と出会い、先輩冒険者たる男戦士らと一党を組んだのだ。

 

指輪の件が片付いてからは、時々ローグハンターや彼の一党を巻き込んでゴブリン退治を行った為か、原作よりは若干コミュ力が高い。

 

元の等級の差があってか、ローグハンターよりも早く銀等級冒険者となる。だがそれは僅差であり、彼もすぐに銀等級になる。

 

そこからは概ね原作通りだが、ローグハンターや銀髪武闘家との会話が多かった為か、それなりに言葉数が増えている。

 

ゴブリンアサシンの存在を発見してからは、言葉を解するゴブリンがいることにかなりの警戒心を抱き、それ以降の依頼ではさらなる和マンチを極める事となる。

 

最終決戦後、悪魔の武器を長時間振り回したせいか両腕に痺れが残り、しばらく休業。その間に看病してくれた牛飼娘とはさらなる急接近を果たす。

痺れが消えてからは再びゴブリン退治に性を出していたが、妖精弓手に誘われる形で冒険に出る機会も増えた。

 

後に彼女と結婚。冒険者を引退してからは牧場の手伝いを中心に後進の指導にも力を入れ、いつの間にか兄貴と慕われる事となる。

 

ローグハンターの子供たちからは最初は格好のせいで怖がられたが、後に印象をひっくり返す事に成功。

自分の子供と遊んでくれる彼らには、感謝しているとのこと。

 

 

牛飼娘

 

皆さんご存知(以下略

 

原作ゴブリンスレイヤーのヒロインの一人。これは今作でも変わりはない。

基本ゴブリンスレイヤーとの会話が多い為、出番こそ少ないものの、銀髪武闘家とは親友の関係とのこと。

 

子供たちからはお姉ちゃんと懐かれ、時々牧場の手伝いに来る間柄。

子供たちが鶏の扱いに慣れているのは、八割がた彼女のおかげ。

 

エピローグ時点でゴブリンスレイヤーと結婚し、彼との間に一子を設ける。

 

後にリリウムが嫁入りした為、ローグハンターらとは親戚となる。

 

 

女神官

 

皆さん(ry

 

初冒険の前にローグハンターに出会ったおかげで、一党全滅の危機を回避した。

 

行動としては概ね原作通りだが、心配な人物がゴブリンスレイヤーに並んでローグハンターまでいるので、たぶん原作よりストレスがヤバい。

だがローグハンターというフィルターがあったので、ゴブリンスレイヤーの言葉を早めに理解できた。

 

最終決戦後は冒険者を続けながら神官としても成長を続け、後にローグハンターらの子供を取り上げている。

 

ゴブリンスレイヤーには好意にも似た何かを感じていたが、結局は牛飼娘との仲を応援する立場となる。

 

ローグハンター、ゴブリンスレイヤーの子供たちからはお姉ちゃんとして懐かれ、彼女もまた隙有らば子供たちを愛でる。

子供たちと戯れる女神官を見た旅の吟遊詩人は、彼女の事を聖母と称したそうだ。

 

 

妖精弓手

 

皆さん(ry

 

冒険者なのに冒険を知らない、ゴブリンスレイヤーとローグハンターに冒険させることを目的にくっついて回る事になる。

 

行動としては原作通りだが、ゴブリンスレイヤー以上の難敵であるローグハンターに四苦八苦。

最終的には成功するものの、それがローグハンター最後の冒険──ひいては魔神将討伐の偉業となった。

 

何百年か前に四方世界に転がり込んだアルタイルと面識があったものの、顔を見たことがある程度で会話したことはないらしい。

 

子供たちと初対面した時は胸を叩かれ、首を傾げられ、お兄ちゃん?と疑問符混じりに言われる始末。

目下の目標は初対面の子供たちにお姉ちゃんと呼んでもらう事なのだが、それは一体何千年後になるのだろうか……。

逆に言えば、何千年後も彼の子孫に会いに行っている事になるのだが……?

 

 

鉱人道士

 

皆さん(ry

 

半ば腐れ縁で妖精弓手の目的に付き合い、ゴブリンスレイヤーとローグハンターと冒険に繰り出す機会を伺っている。

鉱人だからか、ローグハンターの武器──アサシンブレードに興味津々。

 

行動は原作通りだが、ローグハンターに何かされれば、銀髪武闘家に火酒を振る舞うことで報復する。

 

隙有らばローグハンターの武器を見せてもらい、どうにかして構造を理解しようとしているが、見ただけではどうにもならない程に複雑なため苦戦を強いられる。

 

子供たちからはお爺ちゃん呼びされ、それを妖精弓手に弄られる事になるが、言われたら相変わらずな彼女の金床を弄り倒す。

 

成長した子供たちと酒を飲みたいとは思っているものの、両親の酒に対する弱さを知っている為、中々切り出せないのが悩みらしい。

 

寿命の違いでお爺ちゃん呼びしてきた子供たちより長生きすることになるが、仕方がないと割りきっている。

どんなに親しかろうが、どんなに可愛かろうが、人は必ず死ぬのだ。それを変えることは神にとて出来はしない。

 

 

蜥蜴僧侶

 

皆(ry

 

強者の風格を放つローグハンターに興味を示し、妖精弓手に誘われるがまま彼女の目的に協力する事となる。

 

行動としては原作通りだが、何か通ずるものがあるのか、出先ではローグハンターとの会話が多い印象がある。

 

子供たちからは見た目が見た目のため怖がられたが、最終的に蜥蜴さん呼びで落ち着く。

両親や友人たちにはない尻尾が興味の対象らしく、よく乗られたり引っ張られたりしたとのこと。

 

両親の強さを知っている為、子供たちにも期待しているらしいが、彼らの生きる道は彼らが決めることと傍観している。

 

感性が蜥蜴人のそれなので、模擬戦をしたら最後──最低限の手加減はしてくれるものの──どちらかが大怪我するらしい。

 

 

槍使い

 

皆(ry

 

原作では辺境最強と呼ばれているが、ローグハンターのおかげで辺境二強と渾名される。

 

原作でゴブリンスレイヤーに連れ出した冒険にローグハンターと便乗する形で行動する事が多い。

 

子供たちからはお兄ちゃん呼びであるが、個人的に師事していたウイルクは彼を先生と慕う。

 

エピローグ時点で魔女と結ばれ、一子を設ける事となる。

受付嬢への想いを断ち切りはしたものの、表面上は変化なく会話しており、周囲からは変わらず気があると思われている。

けれどこれは魔女と付き合っている事を隠すためであり、受付嬢はそれを見越して彼といつも通りに会話している。

 

魔女と結婚、子供の誕生を期に一線を退き、後進の指導に力を入れる。

ローグハンターと彼は元から面倒見が良いためか、彼が加わってからはより生徒が増えたとのこと。

 

 

魔女

 

皆(ry

 

原作でも度々登場し、迷う女神官に助言をしてくれる頼れる先輩。

けれど出番は少なめ。

 

駆け出し時代の銀髪武闘家と女騎士が立ち上げた女子会に巻き込まれるが、何だかんだで居心地が良かったのか、その後も親睦は続いている。

 

子供たちからは母親以上の大きさを誇るそれを警戒されはしたものの、しっかりと懐かれたらしい。

後にジブリール、ウイルク、アイリスに魔術を教え、文字通り彼ら一家は彼女に頭が上がらなくなる。

 

エピローグ時点で槍使いと無事に結ばれ、妊娠を期に冒険者を引退。辺境の街に居を構え、後進の指導をしている夫の帰りを子供と共に待っている。

 

重戦士

 

皆(ry

 

原作でも度々登場し、ローグハンター不在時にはその代わりとなってくれる頼れる同業者。

その為か、ローグハンターからの信頼も厚い。

 

最強決戦において、ケルベロスの火炎が掠めてしまった為、左目瞼が溶接されてしまい隻眼となる。

奇跡で火傷痕は治ったものの、目は治ることはなかった。

 

自慢の筋力のおかげで子供たちをおいそれと抱けず、構って欲しい彼らを前に冷や汗を流すこととなる。

 

エピローグ時点で女騎士と結ばれており、ローグハンターらと同じく後進の指導が中心。

けれど他とは違い現在妊娠中ということで、ローグハンターらは彼の割り当てを極力減らす方向で調整している。

 

 

女騎士

 

皆(ry

 

原作でも度々登場し、毎度どこか残念な所を晒す美人さん。

 

同年代だった銀髪武闘家と魔女を誘い、女子会と称した飲み会を開催。何か通じるものがあったらしく、そのまま個人的な友人関係となる。

 

子供たちからもどこか残念な雰囲気を感じ取られてか、妙に距離を取られてしまうのが悩みの一つ。

 

最強決戦において、ケルベロスの攻撃から勇者を護った為か、ローグハンターからしばらく食事を奢られたらしい。

 

お嫁に行けない冒険者筆頭であったが、無事にゴールイン。重戦士の妻になった。

 

エピローグ時点では妊娠中。産まれてくる子が男なのか女なのか、それは神にさえもわからない。

 

 

剣の乙女

 

プロット段階ではヒロインだったのに、いつの間にかヒロイン落ちしていた原作キャラ。

作者でも何があったのかはわからない。

恨むなら、イヤーワンを読み返した過去の作者を恨んでくれ。

 

トラウマのせいでゴブリンの悪夢にうなされていたが、ローグハンターとの出会いを皮切りにそれはなくなり、彼への好意へと形を変えていった。

お守り代わりに鷹の風切り羽の首飾りを身につけており、これは後にアイリスに譲られる。

 

少々病み気味の愛は、しかしどこまでもぶれないローグハンターの想いに触れ、ついに諦めるに至る。

しばらく塞ぎこんだ彼女を気を遣ったローグハンターが『隔世状態』と能力(アビリティ)の応用で目を治療した結果、視力が回復した。

逆に言えば、ローグハンターの能力(アビリティ)は奇跡でも癒せない他人さえも治せるという事だが、重戦士は自らへの戒めとして治療を拒んだ為、そのままとなっている。

 

最強決戦を目前にローグハンターが敵となる託宣(ハンドアウト)を見てしまったが、彼が勝利した為そのルートは回避。

しかし数百年後を警戒したローグハンターの依頼で、その事は粘土板に残しており、それは法の神殿に保管されている。

 

後にアイリスを自らの侍女とし、第二の剣の乙女と呼ばれる程に育て上げた。

寝ぼけた彼女にお母さん呼びされた時は、周囲の視線を憚らず狂喜乱舞したらしい。

 

 

受付嬢

 

皆(ry

 

プロット段階ではヒロイン候補だった原作キャラ。ピストル初使用からの会話はその名残。

 

ゴブリンスレイヤーと並んでゴブリン退治をしてくれるローグハンターには感謝しつつ、どこだろうが行われる恋人とのスキンシップには頭を悩ませる事になる。

 

ゴブリンスレイヤーに想いを寄せてはいたものの、役職が役職の為、中々踏み出せずにいた。おかげで牛飼娘に持っていかれたが。

 

けれど公私混同せず、あくまで頼れる仕事仲間としてゴブリンスレイヤーをサポートしつつ、牛飼娘との友人関係は良好とのこと。

 

エピローグ時点では指導者となったローグハンタ──―ひいては訓練場への窓口、ギルド側の責任者の役職につき、おそらく給料は上がっている。

同時に変わらず受付としての仕事をしており、相変わらず冒険者の憧れの存在なんだとか。

 

 

剣聖

 

皆(ry

 

勇者の一党として、彼女と共に幾度も世界を救っている英雄。

原作でも深い掘り下げがないため明言は出来ないが、世界から見てもトップクラスの強さを誇るらしい。

 

開始当初はヒロイン候補だったが、銀髪武闘家とのフラグが立ちすぎた為あえなく断念。普通に戦友の域に留まる。

 

勇者の兄ということでローグハンターとは割りと親しく、彼が結婚後は時々勇者と共に遊びにくるとのこと。

ウイルクにとっては師匠の一人。

 

 

賢者

 

皆(ry

 

勇者の一党として、彼女と共に幾度も世界を救っている英雄。

原作でも深い掘り下げがないため明言は出来ないが、世界から見てもトップクラスの強さを誇るらしい。

 

開始当初はヒロイン候補だったが、銀髪武闘家とのフラグが立ちすぎた為あえなく断念。普通に戦友の域に留まる。

 

彼女が独自に調べていた、世界の歴史の裏で暗躍する何者か──盤の外から来た者たちと特徴が一致した為、ローグハンターを要注意人物として警戒していた。

彼女の警戒は正解ではあったが、同時に無駄でもあった。

誰でもないローグハンターが、全てを終わらせたからだ。

 

彼が結婚後は念のためとして度々家を訪ねており、子供たちからも好かれている。

アルタイルの書物を女教諭らと共に解析しており、アサシン教団の関係者といっても過言ではない。

 

ジブリール、ウイルク、アイリスに魔術を教え、対価としてジブリールは能力(アビリティ)──正確にはタカの眼──の研究に協力している。

 

 

 




今回はここまで。
アンケートへのご協力、よろしくお願いします。


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登場人物紹介④ ※ネタバレ注意

もはやお約束の繋ぎ④

今回は教団関係者について


アサシン教団

 

エデンの欠片を使い、人類を支配せんとするテンプル騎士団と対抗し、人々の自由意志を守るために戦っている組織。

 

だがそれは前の世界での話。この世界にはテンプル騎士団はおらず、代わりにいるのは世界を支配せんとする邪教徒や、国を我が物にしようとする貴族たち。

アサシン教団は彼らと対抗するために組織され、人々を守るために影の中を走っている。

 

仕掛け人(ランナー)たちや各街にある一部の宿、果てには商人と──彼らにその認識があるかは別として──意外と協力者は多い。

 

都の住民たちからは都の騎士(ストリート・ナイト)に並んで都市伝説として語られ、影の騎士団(オーダー・オブ・シャドウ)なんて御大層な渾名を付けられる。

 

 

ジブリール/マスター・アサシン

 

この作品の主人公にして、元テンプル騎士。

シルヴィアとの交際や友人たちとの出会い、そして様々な出来事を体験したことで、根底にあった騎士としての彼は弱くなり、ただ誰かを守りたいという意志だけが残された。

 

とある出来事でアサシンとしての一歩を踏み出した事を皮切りに、過去の自分とは決別。本格的にアサシン教団に与する事となる。

 

表向きは冒険者の指導者として活動しつつ、時折アサシンとしての腕を振るう。

マスター・アサシンとして実力は教団内でも秀でており、勝てる人物はまずいない。

おかけで数百年後にも『最強のアサシン』とか言われる始末。

 

貴族や商人たちからの信頼が厚く、円卓にも参加する資格を持つ。

故にアサシンによる殺人事件が起きてもまず疑われず、むしろ捜査協力を申し込まれる程。

そういう時はだいたい近場に潜んでいた指名手配犯が引き渡される。

 

都の騎士(ストリート・ナイト)とは所謂ライバル関係であり、出先で鉢合わせては切り結び、勝ち逃げに近い形で撤退を繰り返している。

 

『守るべき人々と共に働き、共に生きる』

 

誰かが残したこの言葉に従い、教団員たちは日頃から何かしら表向きの職業についている。

 

 

狐/店主

 

元ネタ──アサシンクリード2の狐

 

アサシン教団を支援する宿──眠る狐亭の店主。

眠る狐亭の本店は都だが、潤沢な予算を使い様々な街に支店を構え、アサシンや仕掛け人(ランナー)たちを影ながら支援している。

 

ローグハンターとの出会いは割りと下らないものであり、暇潰しで賭博場を荒らしていた彼を見つけた際にエツィオの面影を感じた為、声をかけた。

数年後にはローグハンター御用達の宿という肩書きを手に入れた為、集客が増える。

だがローグハンターの同じ宿に眠れるかと、仕掛け人(ランナー)たちは離れていく。

 

エピローグ時点でも存命だとは思うが登場はしない。

そろそろ二代目狐を探そうと思っているとかいないとか。

 

彼が本当に狐なのか、それは彼自身にさえわからない。

ローグハンター同様にあり得たかもしれない世界線から本人が転がり込んだのか、ゴブリンアサシンのように顔の似た誰かに記憶を刻んだのか、あるいはドッペルゲンガーのような存在か。

けれど確かに言えるのは、彼は変わらずアサシンの味方であり、頼れる人物という事だけだ。

 

 

外交官

 

元ネタ──アサシンクリード2のマキャベリ

 

アサシン教団の中心人物。アサシンになりたければ、彼の許可が必要になる。

 

外交官として円卓に参加しており、王家からの信頼も厚い。

だが同時に外交官は彼らの動きを監視しており、もし暴君とかる兆しが見つかれば──。

 

都に劇場を持っており、仕事のない日はそちらにいる。

演劇の項目はあまり明言されていないが、割りと盛況らしい。

 

ローグハンターの事は狐から聞いており、かなりの警戒をしていたが、とある出来事の果てに彼をアサシンと認め、同志となる。

 

エピローグ時点でも存命。外交官の職は次の者(もちろん教団関係者)に譲り、劇場の切り盛りを中心に活動しているらしい。

 

彼が本当にマキャベリなのか、それは彼自身にさえわからない。

ローグハンター同様にあり得たかもしれない世界線から本人が転がり込んだのか、ゴブリンアサシンのように顔の似た誰かに記憶を刻んだのか、あるいはドッペルゲンガーのような存在か。

けれど確かに言えるのは、彼は変わらずアサシンの味方であり、頼れる人物という事だけだ。

 

 

灰被りの女王

 

名前の元ネタ──灰被り(シンデレラ)から

 

アサシン教団と仕掛け人(ランナー)たちを繋ぐ人物。本人は教団の一員。銀色の髪をした闇人。

シルヴィアと負けず劣らずの物を持っているらしい。

 

ならず者の集まり(ローグ・ギルド)のギルドマスターであると共に、彼らを束ねる者。

各地にあるローグ・ギルドの大半は彼女の傘下であり、文字通り裏社会の頂点。

 

数百年前にアルタイルに一目惚れするも、当の彼はいつの間にか元の世界に帰還してしまった為あえなく失恋。

彼によく似たローグハンターに狙いを定めるも、取り付く島もなく失恋と、見る目はあるかもしれないがとことん運がない。

 

混沌から秩序に鞍替えした人物の為、混沌側からはお尋ね者。

 

ローグハンターが物乞いの王を暗殺している傍らで、彼の握っていた貴族たちの弱み(悪事の証拠など)を横取りすることとなり、そちら方面からも狙われている。

──が、そこで真っ先に頼る仕掛け人(ランナー)たちはほぼ全員が彼女の傘下なので、手を出せないのが現状である。

 

エピローグ時点でも変わらずローグ・ギルドを束ねており、アサシン教団をサポートしている。

一度彼女の座を狙った者たちもいたらしいが、本格的に動き出す前に全滅したらしい。

 

 

女教諭

 

黒い髪と黒い瞳が特徴の女性。賢者の学院の学長。

魔術師ではあるがノリが非常に軽く、いかなる状況でもヘラヘラしており、妙に格好のつけた言動が目立つ。

だが魔術師としての腕は確かであり、様々な術を応用することで擬似的なタカの眼を使えるヤバい奴。

 

作中では女神官に少々興味を示したが、勿論それはそういった対象として。彼女曰く「どっちもいける」とのこと。

 

かつては盤の外を目指していたが、逆に転がり込んできたアサシンと出会い、外の世界の事を知る。

そのアサシンは何処かへと行ってしまい生死は不明。

 

アサシンクリードでいうダヴィンチやベルのポジションに当たる人物であり、ローグハンターが解析したアルタイルの書物を更に解読し、そこに示された武器を作ったり、改造したりしている。

ローグハンターがエピローグで使っているアサシンブレードは彼女の作品。

 

アサシンたちが連絡手段として使う獣を飼育しており、我が子のように可愛がっている。

ローグハンターに貸し出した子がぷるぷる震えたまま仲間から離れなくなったのは、それなりに恨んでいるとのこと。

 

エピローグ時点でも学長として学院にいるらしいが、時々いなくなるらしい。どこに行ってるのかは誰も知らないが、戻ってきた彼女はとても上機嫌に本を抱えているとのこと。

 

 

 

犬のような猫のような、白い毛に包まれた小型の獣。

人の肩に乗る程度の大きさで、アサシンたちのフードの中に入っていることが多い。

 

額に大きな宝石が埋まっており、これは天然物とのこと。

宝石毎に波長のようなものがあり、血縁関係であるほど波長が合わせやすい。

波長が合えば、宝石を通しての会話が可能となり、獣同士ならお互いの場所が把握できる。

本来ならこれで群れの仲間の位置や、外敵の位置を伝達するのだが、アサシンたちには専ら電話代わりに扱われている。

 

愛くるしい見た目から、教団内外に関わらず女性人気が高く、仕事が終わってもしばらく帰ってこない事があるらしい。

 

ローグハンターに貸し出された子は毎度彼がイーグルダイブをするため、頻繁に気絶する。

彼の相棒になるためには、それなりの覚悟が必要なのだ。

 

 

男アサシン

 

ローグハンターが行った物乞いの王暗殺を手伝う事となった、都に数いる物乞いの一人。

過去に何があったのかは不明だが、物乞いの王死亡後は灰被りの女王にその正義感と腕前を買われ、アサシン候補となる。

その後は同期たちと共に狐の下で技を磨き、度々都で話題の人物となった。

 

エピローグ時点では正式なアサシンとなり、ちらっと登場。

ローグハンター不在時はアサシンたちのリーダー的人物であり、仲間たちからの信頼も厚く、彼も仲間たちを信頼している。

 

平時では眠る狐亭本店の店員であり、意外と料理が上手いらしい。

 

 

女アサシン

 

灰被りの女王の推薦でアサシンとなった元仕掛け人(ランナー)

どこか気だるげな雰囲気を惑い、言葉も「……」をつけてから一言のみ喋るなど、コミュ力はゴブリンスレイヤー並みに低い。

だが仲間たちにはそれで通じてしまうので、ゴブリンスレイヤーのように更正するタイミングがなかった。

 

作中において、ローグハンター以外でアサシンブレードを使った初のアサシン。

彼女曰く「……良い」とのこと。たぶんお気に召したのだろう。

 

平時では都の裏路地にある酒場の店員。美人だが無口なため、何やら訳ありの人物と思われている。

 

 

老年アサシン(本編未登場)

 

一応設定として存在しているアサシンの一人。

狐が来るべき時に備えて鍛えていた人物であり、ローグハンターを除いたアサシンの中では一番の強さを誇る。

 

素性は不明だがその動きは洗練されており、元貴族や元傭兵など、仲間内でも様々な憶測が飛び交うが、本人は何も語らない。

 

平時でも何をしているかは不明。アサシンの数名が突き止めようと尾行したらしいが、その全てが発見された為失敗している。

 

任務中は男アサシンと並んでリーダー格であり、年季の違いからくる知識から男アサシンの計画を修正したり、万が一の時はフォローしたりと、アサシンたちにとっては欠かせない人物。

 

 

青年アサシン(本編未登場)

 

同じく設定のみ存在しているアサシン。

 

都でスリの常習犯だったが、上記の三人に捕まってからはアサシンを志すようになる。

 

若さから来る勢い任せの所があったが、老年アサシンに説教されてからはそれなりに落ち着いた。

 

上記三人に比べて何故か馬の扱いに慣れており、よく脱出用の馬車の用意、及び御者をしている。

アサシンとしても、男としても、目標は高いが、マスター・アサシンであり妻子持ちのローグハンターには素直に憧れているらしい。

 

平時では都の外れで馬の世話をしており、時々旅行客や冒険者に貸し出している。

 

 

航海士

 

元ネタ──アサシンクリード3のロバート・フォークナー

 

この世界おいては教団に所属しているかは微妙な所だが、一応関係者なので記載。

 

国の海軍に所属する航海士。依頼でローグハンターに出会ってからは、事あるごとに彼に依頼を出すようになる。

 

最終決戦では冒険者たちを送り届ける為にアキーラ号と共に自分を含めた船員を貸し出し、稲妻を呼ぶものの撃破に大いに貢献した。

 

アサシンクリードと同様に酒好きで、暇なときはよく酒を飲んでいるとのこと。

 

平時では港でたむろしており、新たな船員を探して目を光らせているらしい。

 

彼が本当に彼なのか、それは彼自身にさえわからない。

ローグハンター同様にあり得たかもしれない世界線から本人が転がり込んだのか、ゴブリンアサシンのように顔の似た誰かに記憶を刻んだのか、あるいはドッペルゲンガーのような存在か。

けれど確かに言えるのは、彼は変わらず頼れる人物という事だけだ。

 

 

アキーラ号

 

元ネタ──アサシンクリード3のアキーラ号

 

四方世界最速の船。強力な大砲と小回りの利く旋回砲が装備されており、衝角も取り付けられている。

言ってしまえば全強化済みのアキーラ号。

 

四方世界最速の名は伊達でも誇張でもなく、その速度は他の船舶の追従を許さない。

その分操舵の難易度が極めて高く、上記の航海士や彼が腕を認めた操舵手、そしてローグハンターでないと満足な航行は出来ない。

 

テンプル騎士だったローグハンターが、アサシン教団の船を操るのは、何とも皮肉な話である。

 

この船がアサシンクリード世界のアキーラ号なのかはわからない。何かの偶然で全く同じ手順や材料で作られた可能性もあるし、何かの因果で四方世界に転がり込んだ可能性もある。

だがその勇姿はどこであろうと変わりはしない。北海の亡霊は、四方世界にて健在なのだ。

 

 

 




とりあえずはこんな感じです。

アンケートへのご協力、よろしくお願いします。



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登場人物紹介⑤ ※ネタバレ注意

これで最後と思われる登場人物紹介。

人数の都合と元の情報が極めて少ないため、かなり短めです。


かつて来たりし者

 

ジブリールを四方世界に入れたり、ゴブリンアサシンたちを作り出したりと、散々やらかした本作の黒幕。

 

見た目は金髪の美しい女性。かつて来たりし者の特徴として、人間に比べて身長が高い。たぶん3メートル近い。

 

全ての始まりは、かつて来たりし者たちを観測する何者か(ACオリジンで明かされた存在)に気付いた時だった。

彼らからの監視から逃れようと様々な手を尽くすなかで、彼女や仲間たちは四方世界を発見。どうにかしてそちらに逃げ込み、監視から逃れようとしたのだ。

 

計画の初期はかつて来たりし者の血を色濃く残す者たち(という名のモルモット)を送り込み、何度も失敗を繰り返しながら、成功率を高め、最終的に完璧に送り込めるようになる。

そこまで手法が確率されると、彼女が責任者として四方世界に直接入り込み、内側から手引きを始めた。

 

四方世界に干渉する神々を排除する為に、彼らへの信仰を削らなければならない。あるいは、神々の興味を無くさなければならない。

そこで彼女が思い付いたのは、元の世界から呼び寄せた者を尖兵として、物語の始まり(シナリオフック)を破壊させる事だった。

 

尖兵となった者にはエデンの剣を与える事で文字通り別次元の強さに引き上げ、加護を与える事で寿命を数百年まで延長する。

寿命が伸びた者は決して老いることなく、限界を迎えた瞬間に崩れ落ちる為、端から見れば不審死以外の何物でもない。

尖兵となった者は複数人おり、シナリオフックを壊した結果世界を救い、伝承として名を残している者も多々いる。

だが、作中まで存命だったのはアサシンだけだ。

 

尖兵となる者の資格は、まずかつて来たりし者の血を流していること。

次に元の世界では死ぬ筈だった人物であること。

 

この二つの条件を満たした者は四方世界に招かれ、本人の意志は関係なく放り込まれる。

四方世界に入った彼らは、ある種の帰巣本能に従って彼女の下を目指すのだが、ジブリールは過去のトラウマのせいでその本能が欠如した(家で母親が殺された為だと思われる)ため、四方世界の神々にその存在を認知されてしまった。

 

だが、ジブリールは手放すにはあまりにも惜しい人材であったため、祈る者(プレイヤー)となった彼を自らの駒にするため、彼女は暗躍を開始。

 

候補者のアサシンたちをゴブリンに殺させ、あるいは自らの駒にした貴族から物乞いの王に「謎の三角」と呼ばれた欠片を渡した。

彼らを経由し、ジブリールに欠片を集めようとしたのだ。

結果的にその作戦は成功した。ゴブリンアサシンと物乞いの王はジブリールに殺害され、欠片の全てが彼の手に渡ったのだ。

欠片を通して少しずつ彼のステータスを書き換え、本人も気付かない内に自らの駒へとしていく。これが彼女の計画だった。

 

上森人──ひいてはアルタイルの残した霊薬の効果でそれは滞ってはいたものの、計画を数百年単位で見ていた彼女は気にもとめず、計画を次の段階へと進めた。

勇者に奪われたエデンの剣を、ジブリールの手元に戻そうとしたのだ。

 

その為にアサシンを彼の下へと派遣し、エデンの剣は無事にジブリールの手に渡り、ついでに近場のシナリオフックは全て破壊された。

 

エデンの剣を入手した結果、ジブリールの父親譲りだった蒼い瞳は、かつて来たりし者と同じ金色に染まり、ついに彼女の手駒となったのだ。

 

それでも彼は来なかった。彼の帰する場所はただ一つ──愛する人の待つ場所だったからだ。

 

ついに業を煮やしたかつて来たりし者は、ついに強行手段に出る。アサシンを使い、彼を拐わんとしたのだ。

 

だがこれも失敗に終わる。霊薬のおかげか、あるいは彼の想いによるものか、本来ならかつて来たりし者の力で引き出される力を、自力で引き出したからだ。

 

同時にこれは、ジブリールの価値を彼女に示す結果となった。何がなんでも彼を手に入れようと本腰を入れる事となる。

アサシンを逃がすと共に彼の記憶を抹消することで、彼が確実に神殿まで来るように仕向け、様々な魔物を配置し、最深部に至るまでに友と呼べる者を、愛する者を全て奪うことで、ジブリールの意志を砕かんとしたのだ。

 

だが彼女の予想は裏切られた。この世界の冒険者たちは、彼女の予想以上に有能だったのだ。

ジブリールの手でアサシンさえも討ち取られた。

 

しかし、それこそが彼女の狙いだった。疲弊したジブリールに欠片を通して様々な記憶を流し込む事で、彼の意志を殺そうとしたのだ。

 

彼女が予想していなかったのは、そこに彼の恋人たるシルヴィアが来たこと、そしてジブリールが壊れず、再び立ち上がったことだ。

 

彼女は人の愛を侮り、愛に破れたのだ。

 

彼女の家族は、反旗をひるがえした人間(奴隷)たちにより殺されている。

故に彼女は様々な甘い言葉を吐いて尖兵たちを取り込むが、そこに一切の愛情はない。家族を殺した者たちの末裔に、一切の慈悲を与えることはないのだ。

あるのは隠された蔑みと、上品な嘲笑のみ。

 

彼女が死んでも、彼女が残したものは消えていない。

世界を奪わんと用意した魔物が、武器が、広い世界のどこかにいまだに眠っている。

彼の者が目覚めて世界を混乱の渦に落とされた時、武器が誰かの手に取られ、人々を支配せんとした時、決まって何者かが立ちはだかった。

彼の末裔が、彼らを止めんと立ち上がったのだ。

 

それらが全て討ち取られ、あるいは封じられたのは、ジブリールが死んでから更に数百年の時が流れた頃だ。

それを成したのは、彼と同じ名前をした一人の男性だったらしい。

命は天上を巡り、円環(サークル)を巡り、また生を受ける。

彼を導いたのは、一人の上森人の女性だったらしい。

 

「あいつの分まで冒険させたげる。そういう約束だからね」

導き手だった彼女は鈴を転がしたようにくすくすと笑いながら、金床のように薄い胸を反らしたそうだ。

そうして始まった彼の果てなき旅には、銀髪の優しき乙女が生涯付き添ったという。

 

稲妻を呼ぶもの/ステロペス

 

元ネタ──オデッセイに登場する同名ボス

 

かつて来たりし者に島の番人として設置され、余多の船を沈めた単眼の巨人(キュクロープス)

だが相手が悪かった。アキーラ号の機動力に翻弄された挙げ句に冒険者たちに袋叩きにされ、撃破される。

 

これを単身撃破するカサンドラ(アレクシオス)さんマジ化け物。

 

 

番犬/ケルベロス

 

元ネタ──オデッセイに登場する同名ボス

 

神殿への入り口を守る、三つ頭の巨大な狗型モンスター。

勇者をはじめとした冒険者たちと互角に渡り合うが、最後は勇者ちゃんの見せた意地の一撃で撃破される。

 

これを単身撃破するカサンドラ(アレクシオス)さんマジ化け物。

 

 

軍団/レギオン

 

神殿内を守る魔物の軍団。一体一体は弱いが、ゴブリン同様に数で殴ってくる。

だが相手が悪かった。一対多のプロであるゴブリンスレイヤーの用意した、転移(ゲート)の巻物による水圧カッターで一掃される。

 

 

守り手/アサシン

 

かつて来たりし者に仕えていたアサシン。

アルタイルよりも前の時代のアサシンであるが、アル・ムアリムやアルタイルの父とは知り合いの可能性が高い。

 

どういった経緯で彼女の駒になったのかは不明だが、忠誠心は本物であり、むしろ敬愛していたと言っても過言ではない。

愛は弱さと信じる彼は、神を愛することでそれをそれを封じようとした。だが、純粋な愛に生きたジブリールに敗れたのだ。

 

勇者ちゃんを相手に互角以上に張り合えるマジの化け物。

片やTRPG、片やアクションゲームと、積まれているシステムからして違うのだから当然と言えば当然。

 

最期は同じシステムを積んだジブリールとの戦いに破れ、頭をライフルで吹き飛ばされた。

トドメのシーンはローグのトレーラーを意識してます。

 

 

 

 

 




かなり短いですが、今はこんなもんです。そのうち加筆するかもしれませんけどね。

アンケートへのご協力、よろしくお願いします。


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Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ
Memory01 黒檀の鎧


書きたい気持ちが抑えきれなかった……。

原作に追従しつつ、最終決戦からエピローグまでのログハン、銀髪武闘家夫婦の空白期間を描くおまけです。


「もう夜も遅いんだから、寝よう?」

 

 とある街の、とある一軒家。

 月明かりが窓から差し込む部屋の中、膝に乗っかってくる息子の頭を撫で、寝転びながら兄とじゃれている娘の頰を突いてやりながら、その女性は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、夜遅くにも関わらず眠る気配のない二人の様子に思わず溜め息を漏らした。

 

「お昼はいっぱい遊んだし、ご飯もいっぱい食べたでしょ?眠くないの?」

 

 そんな母親の問いかけに二人が間髪入れずに頷くと、母親は「そっか〜」と諦め半分、呆れ半分の声を漏らし、苦笑混じりに僅かに思慮した様子。

 

「じゃあ、寝るまでお話ししてあげる。何のお話が聞きたい?輝く鎖帷子の勇者の話?それとも奴隷から王様になった戦士の話?」

 

 母親は二人に向けてそう問うが、肝心の二人からの返事はあまり良くない。何でも飽きた、つまんないとか。

 むぅと困り顔で唸った母親は、なら何の話をしてやろうかと思慮を巡らせ、顎に手をやったままうんうんと唸る。

 そんな彼女の様子がおかしいのか、子供たちは鈴を転がしたように笑い始めるが、やはりと言うべきか寝る様子はない。

 一応、思いつく限りで英雄譚やおとぎ話、ちょっとした都市伝説など、色々と名前を挙げていくが、どれも反応はよろしくない。

 これは困ったなと頰を掻いた母親は、不意な思いつきのままに二人に問うた。

 

「それじゃ、この話はどうかな?あんまり派手じゃないし、世界を救う大冒険でもないけど……」

 

 母親が懐かしむように、そして心の底からの愛を感じさせる優しい声音での言葉に、子供たちは顔を見合わせた。母親が英雄譚を語る時、大抵はその時の役になりきり、元気発剌で、快活な英雄然とした声で語るのだが、どうやら今回は違うらしい。

 母親の普段とは違う様子というだけで興味を引かれ始めた二人を見ながら、彼女は月明かりに照らさられて幻想的な輝きを放つ銀色の髪を撫で、自分譲りの輝きを放つ子供たちの髪を手櫛で撫でた。

 

「二人が寝るまで聞かせてあげる。私が世界で一番大好きで、大切な、ある冒険者のお話」

 

 母親はそう言うと子供たちの父親譲りの蒼い瞳を見つめ、愛おしそうに息子の額に唇を落とし、突然のキスに驚く息子を撫でながら言う。

 

「──これは、キミが産まれるまでの物語だよ」

 

 

 

 

 

 辺境の街、眠る狐亭。

 辺境一と名高いその宿は、まさにかき入れ時だった。

 普段でも旅行客や旅人でそれなりに賑わってはいるのだが、ここ最近はまさに異常な程に客が入る。

 だが、それも仕方がないことだ。先の冬のある日、冒険者ギルドが半壊し、拠点を失った多くの冒険者が、そのままこの宿に流れてきたのだから。

 そんな眠る狐亭の上階。最高級(ロイヤルスイート)まではいかないが、それなりにお高い部類に入るとある部屋。

 そこの滞在者でもあるローグハンターは、目の前に置かれた大きな木箱を前に困惑していた。

 後ろでは今しがた起きた銀髪武闘家がベッドに腰掛けながら同じように困り顔を浮かべており、そっとローグハンターの顔色を伺った。

 彼女の視線に気付いたローグハンターが彼女と視線を合わせるが、彼でもそれが何なのかわかっていないのか、腕を組みながら首を傾げて小さく息を吐く始末。

 

「えっと、贈り物?」

 

「……そのようだが、何か頼んだ記憶はない。お前は?」

 

「私も」

 

 もぞもぞとシーツから這い出し、寝巻きのまま彼の隣に立ちながらそう言うと、何を思ったかコンコンと木箱を叩き始める。

 ローグハンターはちらりとそんな彼女に目を向け、その姿を目に焼き付けるように凝視した。

 起きたばかりだからか、眠たそうにしている瞳は愛らしく、乱れた寝巻きからは鍛え抜かれた腹筋や、豊満な胸の谷間など、彼女の魅力全てが曝け出されている。

 彼に見つめられている事に気づいた銀髪武闘家は「ん?」と疑問符を浮かべ、彼の方に向いて顔を合わせるのだが、途端に彼は慌てて顔を背け、彼女に背を向けてしまう。

 

「……どうかした?」

 

 彼女はそんな彼の反応に可笑しそうに笑いつつ問うと、ローグハンターは「何でもない」と返して咳払いを一つ。

 照れ隠しのように乱暴に箱に引っ掛けられた紙──ではなく文字が書かれた葉を剥がすと、その内容に目を向けた。

 

『星風の娘より、我が同胞が結婚したと聞いた。つまらないものではあるが、役に立てて欲しい』

 

 ざっくりと言えばそんな内容だ。他にも近況の報告なども書かれているが、それらは別にどうでもいい。彼らの暮らしは只人のそれからは大きく違うのだから、口出しのしょうがないのだから。

 ローグハンターの肩に寄りかかり、豊満な胸を押し付けながら手紙を流し見た銀髪武闘家は、「森人の里から、届け物……」と心底意外そうに呟いた。

 星風の娘というのは、二人の友人兼同業者の妖精弓手の故郷での呼び名だ。どうやら彼女はローグハンターと銀髪武闘家が結婚したことについて手紙をしたため、故郷に一報を届けたらしい。

 そこで二人には一切の確認を取っていない辺り、自由気ままな彼女らしいと言えばそうではあるが。

 

「せめて事後報告でもいいから声をかけてくれ……」

 

「あはは……」

 

 ローグハンターは額に手をやりながら溜め息を漏らし、隣の銀髪武闘家は乾いた笑みをこぼす。

 彼女への愚痴をまだいくつか言いたいところではあるが、とにかく森人の里からの祝儀の品だ。一体何が届いたのやら。

 彼の興味は既にそちらに移ったらしい。壁にかけていた片手半剣(バスタードソード)を手に取り、鋒を箱と蓋の隙間に差し込み、強引にこじ開けた。

 ばきばきと悲鳴をあげながらこじ開けられた木箱の中には、森人特有の紋様が織られた布が何かを隠しており、僅かに覗く隙間からは艶消しに黒く塗りつぶされた何かが見える。

 

「「……?」」

 

 二人は箱を覗きながら顔を見合わせ、揃って小首を傾げるのだが、開けてしまったのならもう手に取る他あるまい。

 警戒心よりも好奇心が勝ったのか、銀髪武闘家が「よいしょ」と声を漏らしながら中身を隠す布を取り払った。

 直後、ふわりと優しい風が二人を撫でていき、優しい森の香りが部屋を満たした。

 二人揃って思わず表情を緩める中、布を退かしたことで姿を現したものに気付き、ローグハンターは小さく声を漏らした。

 

「鎧と鎖帷子か?」

 

 そこに納められていたのは、一言で言えば鎧だった。

 森人の鍛冶屋の手で製造された胴鎧と、その下に着込むであろう鎖帷子。そして胴鎧と同じ材料で造られたと思われる籠手や脚絆。

 ひょいと持ち上げたそれは羽のように軽く、鎧である筈なのに苦もなく片手で持ててしまう。

 いや、それ以前にそれらは鎧である筈なのに金属でも、煮詰めた革でもないのだ。

 鎖帷子は雷に打たれ、焼かれ、自然の中で鍛え抜かれた黒檀という植物を呪いをかけながら編み込んだもの。鎧と籠手、脚絆は黒曜石を削り出して加工し、硬さと柔軟性を両立させた不思議な手触りがする。

 ローグハンターがペチペチと鎧を叩いたり、中が内側を除いたりしている横では、銀髪武闘家が同じく箱に詰められていた、彼のものと同じ素材で造られた自分用の鎧を手に取り、嬉しそうに目を輝かせている。

 だが不意に神妙な面持ちになるとローグハンターに目を向け、「でも」と部屋の片隅を指差した。

 彼女が示した先にあるのは、木の人形(マネキン)に着させた黒き真の銀(ミスリル)の装備があり、窓から差し込む朝日を浴びて煌めいている。

 

「キミにはあれがあるのに、何でこれを?」

 

 彼女の指摘ももっともだ。こうして確認している黒檀、黒曜石の鎧具足も、あの黒き真の銀(ミスリル)に比べれば数段劣る。目の前にいい装備があるのに、わざわざグレードを落とす理由もないだろうに。

 ローグハンターは「それはそうだが」と前置きしてから、親の仇を見るように黒き真の銀(ミスリル)の装備を睨みつけた。

 

「あれはあの自称女神と戦うために用意されたものだ。あいつが死んだ今、使う理由もない」

 

「結構優秀だと思うけど」

 

「確かに優秀ではあるが、本来あの鎧はあってはならないものだ。使わないで済むのなら、使わないでいたい」

 

 彼が言うように、この鎧はかつて来たりし者の力を色濃く残し、この世界に存在する素材だけでは絶対に造ることはできない曰く付きのもの。

 かつて来たりし者の撃破、そして銀髪武闘家との結婚など、この世界に骨を埋める覚悟をした彼からすれば、処分してしまいたい物の筆頭はこれだ。

 一旦ベッドの上に黒曜石の鎧を置いたローグハンターは、黒き真の銀(ミスリル)の鎧の胸を叩き、そっと左手の籠手に仕込まれたアサシンブレードを取り外した。

 

「だがこれだけは貰っていく」

 

 しかし、全てを否定するかと言われれば答えは否。

 この世界の教団のために、現存するアサシンブレードは出来る限り回収はしておくべきだろう。黒き真の銀(ミスリル)などの素材はともかく、中身の発条や歯車の細工は参考にせねばならない。

 

「相変わらずそれ好きだよね」

 

 あれこれ屁理屈捏ねていたというのに、途端に手のひらを返す彼の姿を可笑しそうに笑った銀髪武闘家は、届きたての鎧を見やった。

 ローグハンターのそれと似た意匠の彫り物がされ、籠手は拳を作れば各指周りの彫り物がそのまま凶器となり、黒い鉄塊と見紛うほどだ。

 

「せっかく届いたんだし、今日の仕事はこれで行こっか」

 

「そうだな。好意には甘えさせてもらおう」

 

 彼女の提案にローグハンターは応じるとそれぞれの鎧をベッドに並べ、どう着るのかを僅かに思案。

 ええいままよと寝巻きを脱いだローグハンターはさっさと着込んでいくが、隣の銀髪武闘家はそんな彼の着替えをまじまじと見つめ、頰を赤くしていた。

 鍛え抜かれた肉体は贅肉という言葉とは無縁であり、いくえにも刻まれた傷痕も彼の今まで歩んできた半生を物語る立派な勲章だ。

 森人手製の衣装の上から鎖帷子を纏い、その上から胴鎧を着込む。攻撃を受け流せるようにか見事な曲線を描く肩当てや、肘当ての具合を確かめ、ズボンの上から脚絆を履き、籠手を嵌め、手首の内側にアサシンブレードを取り付ける。

 腰帯に先程使った片手半剣と短剣を吊るし、ホルスターに入れた短筒(ピストル)、雑嚢を取り付け、背中に長筒(ライフル)を背負う。

 最後の締めとして外套を羽織り、いつものように目深くフードを被れば、そこには新品の鎧を纏う辺境勇士、ローグハンターの完成だ。

 そこまでやったローグハンターは、ようやく銀髪武闘家の着替えが全く進んでいない事に気付き「どうかしたのか?」と問いかけた。

 

「うぇ!?あ、いや、何でもないよ!ちょっと、緊張してるっていうか」

 

 もじもじと身じろぎしながらそう言った彼女にローグハンターは「何を緊張する必要がある」と問うと、銀髪武闘家はそっと彼の外套の裾を掴み、

 

「き、着替えるから、先に行ってて欲しいなぁって……」

 

 羞恥により顔を耳まで真っ赤に染め上げ、頭から僅かに蒸気を噴きながら消え入りそうな声で告げられた言葉に、ローグハンターはハッとして顔を背けた。

 

「そ、そうだな!俺も不用心だった」

 

 恥いるように顔を隠し、随分と今更なことではあるが妻の前で着替えなど、夫として気にするべきところだろうに。

 

「布か何かで遮れば良かった、すまない。下にいる、終わったら降りてこい」

 

 妻の前で着替えてしまったことに今更な羞恥心を覚え、頬を赤くしながらそう言った彼は、銀髪武闘家が待ったをかける前に部屋を後にし、荒っぽく扉を閉めた。

 

「……はぅ」

 

 一人部屋に残された銀髪武闘家は、真っ赤になった顔を両手で覆いながらその場にしゃがみ込み、あうあうと情けない声を漏らす。

 

「別に今更じゃん。着替え見られて恥ずかしいなんて、もっと凄いことしてたじゃん……っ!!」

 

 ポカポカと自分の頭を叩きながら、銀髪武闘家は自分の左手に目を向けた。

 薬指に輝く指輪を見つめ、だらしのない笑顔を浮かべながらそっと左手を胸に抱いた。

 そう夫婦、夫婦だ。自分たちはついに結婚し、念願の夫婦になったのだ。今更着替えを見たり、見られたりなど、今更ではないか。

 なのに、どうして、

 

「こんなに恥ずかしいの……?」

 

 

 

 

 

 眠る狐亭、一階の酒場。

 隣の賭博場を含めて朝から騒がしいにも関わらず、そんな喧騒から切り出されたような静かさに包まれている場所があった。

 

「………っ」

 

 カウンター席の一番端、階段のすぐ隣に位置するその場所は、半ばローグハンターの指定席と成り果てている。

 そんな誰も気にしない位置にいるローグハンターがフードを被った状態でカウンターに突っ伏し、何やらブツブツと呟いていても、誰も気にはすまい。

 だが彼に対応していた店主はそうはいかない。辺境の街で冒険者ギルドが襲撃されたという大事件があったと聞き、都の本店から慌てて戻ってきたらこれだ。

 冒険者ギルド倒壊に伴う客の流入や、冒険者ギルドと懇意だった業者との引き継ぎなど、文字通りこの何ヶ月かは本当にてんてこ舞いだった。

 だったのだが、

 

「ローグハンター。お前、俺がいない間に変わったな」

 

 紫色の瞳を細め、先程から全く反応してこないローグハンターを軽く小突いた。

 小さく呻く彼だが、どうやら店主の声は聞こえていないようだ。

 そう、今の彼の頭を占めているのは、先程の銀髪武闘家とのやり取りだ。

 かつて来たりし者との決戦と、彼女との結婚が冬の終わり頃。今は春の始め頃として、およそ二ヶ月ほどか。

 結婚して二ヶ月。そう、二ヶ月経ったのだが、どうにもおかしいのだ。

 具体的に言うと、距離感というのがわからない。

 かつての恋人であった頃なら笑って流したり、そもそも気にしないようか事が、夫婦になってから妙に意識してしまう。

 

「装備も新調したのか。いい鎧だな」

 

 コンコンと指で肩当てを叩きながらの言葉にローグハンターはまた呻きながら首肯すると、バタバタと騒がしい足音が階段の方から聞こえてくる。

 ローグハンターは誰だと顔をあげ、階段の方に目を向けると、そこから二つの人影が駆け降りてくる。

 

「あ、先生!おはようございます!」

 

 そして彼を確認するや否や、頭を下げたのは令嬢剣士だ。

 頭を下げた勢いで蜂蜜色の髪が揺れ、酒場の照明を受けてキラキラと輝いている。

 隣の女魔術師も「おはようございます」と一礼すると、ローグハンターの鎧の変化に気付き、こてんと首を傾げた。

 

「初めて見る鎧ですね」

 

「ああ。朝一に届いたものだ」

 

 彼女の問いかけにローグハンターは胴鎧を叩きながら応じると、令嬢剣士は「似合っていますわ」と彼を称賛し、酒場を見渡して銀髪武闘家を捜索。

 そしていないとわかると、そっとローグハンターに耳打ちするように問いかけた。

 

「あの、奥様はまだですの?」

 

「っ!?」

 

 油断していたところに放り込まれた一言は、容易くローグハンターの急所を捉えた。

 飲もうとしていた檸檬水を吹き出しかけ、げほげほとむせながら令嬢剣士を睨む。

 彼女としては普通の問いかけなのだが、夫婦であることを指摘すると何故か盛大に照れ、何故か慌て始める二人にその言葉はあまりにも強烈だった。

 横でジト目になる女魔術師には気づく様子もなく、令嬢剣士は「大丈夫ですか!?」と慌ててローグハンターの背を摩り、軽く叩いて介抱してやる。

 そんな事をしていると、トトトと軽い足音が階段の方から聞こえてきた。

 そしてそれだけで誰が来るのかわかったローグハンターは二人に「とにかく座れ」と着席を促す。

 その指示に二人は無言で応じ、ローグハンターの隣を一つだけ開けて横並びに座る。

 

「お待たせ。っと、また私が最後……」

 

 そして足音の主──銀髪武闘家は到着するやいなや、既に三人が揃っていることに気付いて項垂れた。

 それなりに急いではいたのだが、初めての鎧ということで留め具の調整などのあれこれに時間をかけすぎたのかもしれない。

 だが、その新品の鎧はまさに職人たちの技により鍛えられたものだ。

 ローグハンターのそれに比べて軽装で、二の腕や脇の辺りは鎖帷子もなしで露出しており、視線を下に向ければ健康的に焼けた肉感的な太腿が姿を見せている。

 豊満な胸も曲線を描く胸当てで守られているものの、開いた胸元から谷間が覗いており、腰からは返り血を防ぐマントのような布が揺れている。

 爪先から膝の少し上までを覆う脚絆や、拳から肘までを覆う籠手と、普段の彼女の衣装と大きく変わらない筈なのに、何故か魅せられたローグハンターは彼女をじっと見つめたまま動きを止めた。

 そんな彼の反応に困り顔を浮かべた銀髪武闘家はその場でくるりと回転し、背中の方も彼に見せた。

 彼女の動きに合わせて腰のマントが揺れ、先の戦いで短くなってしまった髪が控えめに輝いた。

 

「ど、どうかな、似合う?」

 

「……ああ。綺麗だ」

 

 そして回転が終わり、危なげもなく止まった彼女が少々不安そうに問いかけると、ローグハンターは心の底からの賛辞を彼女に投げかけた。

 真正面から告げられた言葉に照れてしまったのか、銀髪武闘家はまた顔を赤くするが、ごほんと女魔術師が咳払いをしたのを合図に二人の意識が彼女に向いた。

 

「とにかく、早く朝食にしましょう。今日もお仕事なんですから」

 

 とても言い方が悪いが、銀等級二人は結婚してからどこか抜けてしまったのは間違いない。仕事中は問題ないのだ、むしろ生涯の伴侶を守らんと、連携が格段に高くなったのは間違いない。

 間違いないのだが、日常生活の方ではだらしない。ふとした拍子に何故か照れたり、恥ずかしがったり、あれでまともな生活が送れているのかも不安になってくる。

 現に見ろ、お互いに出された料理を取ろうとして手がぶつかっただけで慌ててお互いに手を引き、顔を真っ赤にしているではないか。

 

 ──なんで、結婚してからの方が初々しいのよ。

 

 ジト目で二人を睨みながら、出された料理に手を出す女魔術師を他所に、令嬢剣士は「相変わらず仲がよろしいですわね」とご機嫌な様子。

 彼女からすれば憧れの人が、その恋人と無事に結婚できたのだ。ご満悦になるのは当然だろう。

 おかげで街中限定でまともなのは女魔術師だけだ。自分がしっかりしなければその内大変なことになる。

 はあと深々と溜め息を吐いた女魔術師は、差し出された牧場印のベーコンと野菜を挟んだサンドイッチを手に取り、苛立ちをぶつけるように豪快に噛み付くのだった。

 

 

 

 

 

 アサシンの襲撃からはや二ヶ月。

 寒空の下に晒されていた冒険者ギルドの受付も、建設ギルドの奮闘もあり、辛うじて活動を再開できる程度には復旧していた。

 それでも紛失した書類の確認や再発行、備品の用意に奔走し、水の街からの援助を受けてようやく、と言った様子だが。

 だが先月までは屋根に開いた穴を天幕で強引に塞いで依頼の発効や受注手続きをしていたのだ、それに比べれば屋根と壁があるだけでだいぶマシだというものだ。

 だが、やはりと言うべきか朝一番というのは職員たちにとっても憂鬱なものに変わりはない。

 冒険者に依頼をしようと人は集まるし、依頼を受けようとする冒険者も集まるし、発注した備品を届ける業者も来るしと、いつにも増して人で溢れかえる。一部の壁がないため窮屈な感じはしないが、そのせいでただの通行人なのか順番待ちの関係者なのかが曖昧で、余計に人が多く見えてしまうのがたまに傷だ。

 そんな朝一番の喧騒に包まれる冒険者ギルドでも、受付嬢は普段と変わらない微笑みを携え、次々と現れる来客を捌いていく。

 ゴブリンが出たから討伐してほしい。

 街まで行くから護衛を頼みたい。

 村の近くの洞窟から変な声が聞こえる。調べてほしい。

 遺跡を見つけた、行って見てきてほしい。エトセトラエトセトラ。

 世から冒険がなくなることはないとは言うけれど、まるで何かに堰き止められていたものが一挙に流れ込んでくるように、人の波は終わらない。

 受付も限界まで人を出して対応し、裏でも書類の整理や込み入った手続きの処理が進ませ、出来次第依頼掲示板(クエストボード)に貼り出していく。ギルド職員で休んでいる者も、手が空いている者も誰一人としていない。

 隣の酒場の厨房も、どうにか厨房としての体裁を保っている最低限の設備の中で、変わらぬ味を振る舞っているのだ。あちらはフライパン、こちらはペン。使う物は違えど戦っているのは皆同じ。

 

 ──なら、頑張らないとですね……っ!

 

 人がはけた一瞬の隙に頬を叩いて気合いを入れた受付嬢は、素早くいつもの笑顔を浮かべて次の相手に対応しようとすると、づかづかと無造作な足音が聞こえ、今しがた対応した人と交代でその人物が現れた。

 薄汚れた革鎧に、腰に中途半端な長さの剣をぶら下げ、左腕には使い込まれて年季の入った円盾を括り付けたその様は、さながら彷徨う鎧(リビングデッド)だ。

 現に多くの人が彼を避けるように距離を取っているし、人混みがさっと分かれていく様は見ていて痛快ではあるが、その原因が彼が避けられているのは何とも切ない。

 そして、当の彼は気にしていないのだからバツが悪い。

 受付嬢は困り顔になりながらも小さく手を振れば、彼──ゴブリンスレイヤーは挨拶のつまりなのか小さく一礼してから彼女の下に足を向けた。

 

「おはようございます、ゴブリンスレイヤーさん。本日は──」

 

「ゴブリンだ」

 

 そして一応、念のための確認として告げた言葉に、ゴブリンスレイヤーは間髪入れずに応じた。

 その返答を最初から予期していた受付嬢は「わかりました」と首肯し、ゴブリン退治の依頼書を取り出しつつ、そっと酒場を見渡してゴブリンスレイヤーの一党がいる事や、牛飼娘がそっちに合流していることを確認。

 冒険に行くにしろ、何もせずに帰るにしろ、彼一人でどこかにいく、という可能性はなさそうだ。

 それに安心しつつ、僅かにどんな形であれ彼と一緒にいられる彼女らを羨ましく思いつつ、自分には自分の仕事があると意識を切り替えた。

 

「……大丈夫か?」

 

 そしてほんの僅かな時間ながら、書類を取り出すのに手間取っている──と、ゴブリンスレイヤーは判断した──彼女を心配してか、ゴブリンスレイヤーは相変わらず淡々とした声ではあるが、彼女に声をかけた。

 彼から話しかけられる事を想定していなかったのか、受付嬢は「は、はい!」と上擦った声を漏らしながら背筋を伸ばし、落としかけた書類をゴブリンスレイヤーに差し出した。

 それを受け取ったゴブリンスレイヤーが内容を吟味する中、騒がしかった人混みが突然静まりかえり、ギルドの入口近くの人たちが慌てて道を開けた。

 何事と目を向ければ、すぐに理由が発覚する。

 突然左右に分かれた人混みに困惑しながら、彼らはそこを通ってギルドに入ってくる。

 

「……何かしたか?」

 

「いや、身に覚えないけど……」

 

 そして開口一番に神妙な面持ちでそんなやり取りをしたのは、辺境勇士を通り越し、金等級への昇格も噂されている身近な英雄候補──ローグハンターと、彼と同様に昇格が噂されながら、結婚もしたのだから引退するのではと噂されている銀髪武闘家だ。

 後ろの女魔術師と令嬢剣士も何故か起こったこの事態に困惑しているようだが、まあ人混みを掻き分ける必要がなくなったと肯定的に捉えながらゴブリンスレイヤーの一党が陣取る酒場の片隅に歩き出した。

 銀髪武闘家も二人に続いて酒場に向かい、残されたローグハンターはゴブリンスレイヤーを見つけて「おはよう」と挨拶混じりに受付へ。

 書類の吟味し、受ける依頼を確認し終えたゴブリンスレイヤーは顔を上げると、「おはよう」と不器用ながらに挨拶を返す。

 そのまま二人は鎧を新調したのか、今朝届いたと簡単なやり取りをしつつ、ローグハンターはそっとゴブリンスレイヤーが見ていた依頼書を盗み見た。

 と言っても、ゴブリンスレイヤーが持っているのはゴブリン退治の依頼のみ。ならず者退治を優先する彼からすれば、ゴブリンスレイヤーが行くのなら彼に一任すると決めている。

 彼はゴブリンスレイヤーの依頼書から目を離すと、受付嬢に「何か依頼はあるか」と問いかけた。

 ギルド崩壊に伴ってただですら人材が流出しているというのに、復旧のために水の街から送られてくる物資やそれを運ぶ商人など、野盗たちからすれば格好の的となる物の往来が激しいのだ。この二ヶ月余り、彼はまさにならず物殺しの異名の通りの活躍を轟かせていた。

 ほぼ毎日のように文字通り野盗たちを鏖殺してくるのだから、流石の彼らも今はやばいと学んだのか、ある程度の落ち着きを取り戻し始めたのはごく最近。

 そんな新婚早々頑張り通しのローグハンターに、受付嬢は一枚の依頼を差し出した。

 それを受け取ったローグハンターは「む……」と小さく声を漏らし、内容を吟味してから「どういうことだ?」と受付嬢に問いかける。だが表情は殺気だっているとか、神妙な様子だというわけでもなく、その依頼を出されたことが心底意外に思っている顔だ。

 彼の驚き顔を見た受付嬢はくすくすと鈴を転がしたように笑うと、「彼女からの仲介です」とゴブリンスレイヤーの一党を、正確にはなぜか緊張した様子でローグハンターを見てくる女神官を手で示した。

 

「『葡萄園の警備』が、今回の依頼になります」

 

 ローグハンターは改めて告げられた依頼内容に首を傾げ、説明を求めるべく仲間たちと何やら話し込み始めた女神官の下に、足を向けた。

 

 

 

 




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Memory02 平和な一時

「それで、仕事の仲介だったな」

 

 冒険者ギルド、待合室の片隅。

 ローグハンター、ゴブリンスレイヤーの一党の集合場所ともいえる円卓に、ローグハンターの淡々とした声が響いた。

 とても小さな声ではあるが、周囲の喧騒にも消されない言葉が投げられたのは、件の仕事──『葡萄園の警備』の依頼を仲介してきた女神官だ。

 かつての彼女なら見惚れるか、恐れるかしていただろうに、もはや慣れてしまった──というよりかは、彼の隣でニコニコと笑っている銀髪武闘家の圧から逃れる形で──彼女はじっと見つめてくる彼の視線を受け流し、「実はですね」と前振りしてからローグハンターが持ってきた依頼書に視線を落とす。

 

「地母神の神殿で、葡萄を育てているんです。本当は収穫祭で振る舞う葡萄酒の為なのですが、その前に夏の収穫をお祈りする行事がありまして」

 

「そうなのですか?」

 

「そうよ。まあ、私も参加したことがないけど」

 

 彼女の言葉にいの一番に反応したのは令嬢剣士だ。

 ちびちびと仕事前の檸檬水を飲んでいた彼女は女魔術師に問いかけ、問われた彼女も溜め息混じりにそう返す。

 春から夏に変わる頃。冒険者になってすぐの時期──といえば聞こえがいいが、一昨年のその時期は水の街のゴブリン騒動に巻き込まれていたし、去年は妖精弓手の姉の結婚と、その先で起きたゴブリン騒動に巻き込まれていた。詰まるところ、その行事の時期は街を空けていたのだ。

 ちらりとローグハンターに視線を向けても、やはりと言うべきか反応が鈍く、言われてみればそんな事もあったなと、頭の片隅に置いてあったものを朧げに思い出した程度の反応。

 銀髪武闘家は我関せずと言わんばかりに女給を呼び止め、何か料理を頼んでいるようだ。

 女魔術師はあまりにも自由な彼女の行動に物申してやろうかとも思ったが、とにかく女神官の話を聞く方が大事かと意識を切り替えた。友人からの頼みだ、頭目が断ったら、青年戦士や女武闘家に声をかけて自分が受けてしまえば問題あるまい。

 

「その行事と今回の依頼の関係は?」

 

 だが、そんな彼女の心配もとりあえず杞憂に終わった。

 頼み事をされた場合、受けるか否かは別としてとりあえず話は聞くというのがローグハンターの善いところだろう。

 話の続きを促された女神官は頷くと、説明を再開。

 

「その行事には早摘みの葡萄を使った葡萄酒を地母神様に御供えするんです。なのでこの時期は冒険者さんに葡萄園の警備を依頼することがあるんです」

 

「それが今回の依頼か。……別にお前がやればいい気もするが」

 

 依頼の大まかな内容を理解したローグハンターは、半目になりながら女神官を見た。

 ほんの二年前は頼りない小鳥のようであったのに、二年の間に経験した冒険や、あの名前のない島での死闘を潜り抜けたおかげか、今では一人でも飛び立てる立派な鷲のよう。

 だがしかし、彼女がそうして一人飛び出していかないのは、我らが友人のせいだろう。

 

「ゴブリン退治の依頼がいくつか舞い込んできた、か?」

 

 ちらりとゴブリンスレイヤーに目を向けながら問うと、女神官は申し訳なさそうにこくりと頷いた。

 ゴブリンスレイヤーは二人のやり取りは自分が原因なのかと、僅かに驚いたように小さく唸るが、彼は兜を揺らして女神官に顔を向けた。

 

「俺は一人でも構わんが」

 

 いつも通りの淡々とした声音での言葉だが、それに待ったをかけたのは女神官だ。

 

「そういうわけにはいきませんっ!」

 

 彼女はぴんと人差し指を立てて、どこか説教めいた口振りで言う。

 

「一人で行くのは無理とか無茶とか、そういう類だと思うんです」

 

 彼女の言葉にうんうんと頷いて同意したのは妖精弓手だ。

 カリカリと小動物のように細く切られた人参を齧っていた彼女は、長さが半分程度になったそれでゴブリンスレイヤーを指差しながら言う。

 

「そうよ、オルクボルグ。この前なんて、大丈夫だって言って死にかけたじゃない」

 

「え、そうなの?」

 

 そんな彼女の言葉に反応したのは、単に暇だからという理由で──と本人は言っているが、その実ゴブリンスレイヤーを見送る為に──ギルドに長居していた牛飼娘だ。

 彼女は目をまん丸に見開きながら、「ねぇ、ほんと?」とゴブリンスレイヤーの表情を伺うように兜を覗き込んだ。

 顔を覚えてもらう事が第一の冒険者にしては珍しい、頭をすっぽりと覆う兜のおかげで表情は見えないが、牛飼娘からすればその程度の壁など障害とはなり得ない。

 言葉に迷うように黙り込んだゴブリンスレイヤーの兜を掴み、「ねえ、ほんと?」と先程と同じ言葉なのに、ローグハンターすら気圧される凄まじい圧を放ちながら再度問うた。

 

「……ああ」

 

 そして喉の奥から搾り出したようなか細い声で肯定すると、牛飼娘はすっと目を細めながら彼に言う。

 

「私訊いたよね?まだ疲れるんじゃない?手とか足に痺れが残ってるんじゃないって?キミは大丈夫だって言ってたよね?」

 

 ねぇ、ねぇ、聞いてる?と詰め寄る彼女と、返答に困っているのか黙り込み、小さく唸るゴブリンスレイヤーを尻目に、鉱人道士が髭を扱きながらローグハンターに言う。

 

「酒に関わるんならわしの出る幕なんじゃが、かみきり丸があんなだからの。もうしばらくはわしらが着いていくって話になったんじゃ」

 

「まだ、痺れが抜けきらないのか?」

 

 彼の言葉に、ローグハンターは神妙な面持ちで問いを返した。

 ゴブリンスレイヤーの不調。それは元を辿れば自分の戦いに巻き込んだ挙句、悪魔の群れ(レギオン)に対する殿を頼んだせいだ。悪魔の武具を長時間振るい、ある種の呪いが彼の身体に蓄積されてしまったのではないかというのが、彼の治療を請け負った賢者や剣の乙女の診断だ。

 あの戦いから早二ヶ月だが、強烈な呪いを完全に跳ね除けるにはやはり短か過ぎたのだろう。

 小さく息を吐き、謝罪するべきだなと口を動かそうとした瞬間、ゴブリンスレイヤーの「俺は大丈夫だ」という声が届いた。

 む、と声を漏らしながら彼に目を向ければ、兜の(ひさし)の奥に輝く赤い瞳がじっとこちらを見つめてきていた。

 彼は牛飼娘だけでなく、ローグハンターにも言って聞かせるように言う。

 

「十分に休息は取った。時折、治癒の奇跡を頼みに神殿にも顔を出している。問題はない」

 

 彼は二人を励ますか、説得するつもりで吐いた言葉なのだろう。

 だがそれはどこか自分にも言い聞かせるような声音であり、ある種の暗示のようにも聞こえてしまう。

 本当に大丈夫なのかと余計に心配になるローグハンターだが、シュゥッと鋭い吐息の音に意識を向けた。

 そこにいるのは蜥蜴僧侶だ。山になる程チーズがかけられた肉塊に齧り付き、平らげた彼は奇妙な手つきで合掌すると、ローグハンターに言う。

 

「斥候殿、小鬼殺し殿もこう言っておるのだ。彼を信じてやるのも友の義務だとは思うが」

 

「信じてはいる。だが、死なれたら罰が悪い」

 

 ゴブリンスレイヤーのことは信じている。彼がゴブリンに負けるなど、あり得ないと。

 だが、それも全て骰の目次第だ。今の不調のせいで、致命傷(ファンブル)は洒落にならない。

 

「大丈夫。その為に我らがいるのですぞ」

 

 そんな後ろ向きなことばかり考えてしまう彼の耳に、蜥蜴僧侶の声が届いた。

 弾かれるように彼とゴブリンスレイヤーの仲間たちを見回せば、皆一様に任せろと言わんばかりに頷いてみせた。

 仲間とは足を引っ張り合う為ではなく、手を取りあい、同じ目的の為にひた走る者のことをいうのだ。今回はゴブリン退治だが、どうせその後の冒険を楽しみにしているに違いない。

 なら、任せる他あるまい。彼らが大丈夫だというのなら、信じてやるのが友というもの。

 唯一牛飼娘だけがまだ心配そうにしているが、そんな彼女に告げ口をするように鉱人道士が告げた。

 

「まあ、耳長娘のこの前なんざ、昨日一昨日とかいう話じゃないけんどな」

 

「……参考程度に聞くが、何があって死にかけた」

 

「転んだ拍子に池に落ちたのだ。一月と少し前に」

 

 ローグハンターの問いに蜥蜴僧侶が応じ、ちらりとゴブリンスレイヤーの様子を伺う。

 

 ──それは、本当に呪いの影響のせいなのか?

 

 そんな問いかけは、胸の内に押し込んだ。一月と少し前なら、多少なりとも呪いの悪影響(デバフ)もあったろうが、それでも池に落ちるなど。

 

「……何か考え方でもしていたのか?」

 

 代わりに吐き出したその問いかけに、ゴブリンスレイヤーは再び口を閉じて小さく唸った。やはり、何か考え事をしていたようだ。その内容を口にしないのは、彼なりに一人で考えたいと思っているのだろう。

 小さく肩を竦めたローグハンターは女神官に視線を戻し、「話がだいぶ逸れた、すまない」と謝罪しつつ続きを促した。

 

「私たちはゴブリンスレイヤーさんとゴブリン退治に行きますので、帰ってくるまでの何日から葡萄園の警備をお願いしたいんです」

 

 そうしてようやくたどり着いた依頼の経緯に、ローグハンターは否もなく頷いた。

 可愛い後輩の頼みでもあるし、何より地母神にはかつて来たりし者との決戦で、銀髪武闘家を癒やしてもらったというあまりにも大きい借りがある。今回の依頼がその借りを返す機会であるのなら、受けないという選択肢はないのだ。

 彼は隣で料理を食べている銀髪武闘家、大人しく檸檬水を飲んでいた令嬢剣士、二人にどこか諦観めいた視線を向ける女魔術師に目を向け、「お前らはどうだ」と問いかけた。

 三人は一様に頷くと、銀髪武闘家は口に含んでいた肉を飲み込み、「今回は楽そうだね」と微笑み混じりに言う。

 普段はならず者を追いかけて辺境を駆け回っているのだ、たまには街の近くでのんびり警備というのもいいだろう。

 彼らの返答にホッと安堵の息を吐いた女神官は胸を撫で下ろすと、改めてローグハンターの一党に頭を下げた。

 

「では、よろしくお願いします!」

 

 

 

 

 

 そうしてギルドを出た四人が目指すのは、街の外れにある地母神の寺院だ。

 アサシンの襲撃による混乱の中、炊き出しや怪我人の治療など、様々な形で街に貢献したその場所を、仕事の一環として訪れるのは初めてだろう。担ぎ込まれたことなら、幾度かあるが。

 

 ──あの時は、こいつの事を忘れてしまったんだよな……。

 

 ちらりと銀髪武闘家を見やりながら、ローグハンターは小さく息を吐いた。

 超常的な力を使うアサシンに食らい付かんと、こちらもまた世界の理を逸脱し始めた後遺症だったのだろう。彼は短い間とはいえ、最愛の人のことを綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 それも二ヶ月前。告白しようと決めた直後だったというのだから、余計に罰が悪いというもの。

 

「どうかした?」

 

 そうして横目でじっと見られていることに気づいたのか、銀髪武闘家が首を傾げながら問うと、彼は誤魔化すように笑いながら「何でもない」と返して正面に向き直った。

 彼女にとっても、あの頃のやり取りは忘れたい過去だろう。自分としても蒸し返したい話題でもない。

 それでも彼女は彼が何を思っていたのかをある程度察したのか、僅かに懐かしむように、そして悲しむように遠くに見え始めた寺院を見つめながら、何となく彼の手を取った。

 ローグハンターは僅かに驚きつつ、籠手のせいで握りにくいが彼女が求めるままに手を握り返すと、二人はそっと顔を見合わせ、ほぼ同時に綻ぶような笑みを浮かべた。

 そのまま手を繋いだまま歩いているのだが、

 

「……絶対に私たちがいること忘れてるわね、あれは」

 

「おしどり夫婦というやつですわね!」

 

 二人の後ろ、僅かに距離を開けて歩く女魔術師と令嬢剣士が、そんなやり取りをしていた。

 女魔術師は二人が結婚してから頻繁に行う、もはや付き合いたてのカップルのようなやり取りを毎日見せつけられたおかげでようやく慣れてきたのだが、せめて人目は気にして欲しい。見ているこちらが辛い。

 逆に令嬢剣士は目を輝かせながら二人の関係を羨ましそうにしている辺り、そういう恋人を超えた関係というものに憧れているのだろうか。

 

「仕事なんですから、集中してください!」

 

「言われなくてもわかってる」

 

「言われなくてもわかってるよ」

 

 令嬢剣士ではやはり止められないと、女魔術師は声を張り上げて二人に声をかけるが、二人は揃って振り向きながら言葉を返した。

 二人して先程まで腑抜けていた表情が一変、真剣な面持ちになっているのだから、二人を注意した女魔術師は小さく溜め息を吐きながら「なら、いいんです……」と意気消沈した様子。

 こうした切り替えの速さは、流石銀等級冒険者といったところか。それでも手を離していないのは、流石は新婚夫婦といったところか。

 そして喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉があるように、ローグハンターと銀髪武闘家は再び顔を見合わせ、照れたように顔を赤くしながら微笑み合っている。

 

「見せつけてるわよね、あれ」

 

「ふふ。羨ましいですわ」

 

 女魔術師がジト目になりながら令嬢剣士に問えば、彼女は赤くなった頰に手を添え、二人の姿を焼き付けるようにじっと見つめている。

 そんな後輩二人の言葉も、やはりローグハンターと銀髪武闘家には届かない。二人は構うことなく、手を繋いだまま寺院に続く道を進む。

 そうしてたどり着いた寺院は、水の街の法の神殿と比べるべくもない質素なものだった。

 もっとも、四人ともそれに関して嫌悪感はない。むしろ比較対象である法の神殿は秩序の威光を示す場でもあるのだ、少々飾り過ぎで、威圧感すら覚えるくらいが丁度良いのだ。

 ローグハンターは寺院の玄関にたどり着くと備え付けられた古びたノッカーを叩き、反応を待った。

 ばたばたと騒がしい足音が聞こえ、バン!と音を立てて勢いよく玄関が開く。

 

「ああ、やっと来た!待ってたよ、冒険者の方々!」

 

 それと同時、太陽を思わせる快活な女性の声が、四人の鼓膜を殴りつけた。

 朝早いとはいえ、件の葡萄園で土いじりでもしていたのか、汚れた神官衣──女神官が着ているものと似ている──を纏った褐色肌の女性。

 褐色の肌とエメラルドを思わせる緑色の瞳と合わせ、おそらくこの国の出ではないことは間違いあるまい。

 只人(ヒューム)と一括りにされているが、多種多様な人々が入り乱れている。肌の色が違う、言語が違う、文化が違う。それらを引っくるめて『どこにでもいる』からこそ、只人は只人なのだ。

 冒険者四人の視線を一身に受けた神官──葡萄尼僧は、寺院の中を示しながら「さあ、入って」と促した。

 促されるがまま寺院に足を踏み入れたローグハンターと彼の一党は、葡萄尼僧に続いて奥へと進む。

 コツコツとローグハンター以外の足音を響かせながら、法の神殿とは違う清貧さと静寂に包まれた寺院を進みながら、横目で食堂や礼拝堂を見やりながら、葡萄尼僧の案内で件の葡萄園へとたどり着く。

 風に乗って微かに香る甘い匂いと、それに混ざる土の香り。それを肺一杯に吸い込んだローグハンターは、表情を綻ばせながら葡萄尼僧に「ここを守ればいいのか?」と依頼を再度確認。

 

「ええ。飢えた鴉やイタチ、あと時々入り込む悪戯小僧なんかをとっちめて欲しいの。あと、たまに作業を手伝ってくれれば尚よし」

 

「わかった。任せろ、そういう手合いの相手は慣れてる」

 

 片目を閉じ、おちゃらけた様子で出された葡萄尼僧の指示にローグハンターは自信ありげに応じると、銀髪武闘家、女魔術師、令嬢剣士に目を向けて「さあ、やるぞ」と胸の前で左手に右拳を叩きつけた。

 

「おし!ならず者殺しの一党の力、地母神に見せつけてやる!」

 

 そんな彼を真似するように、同じように拳を叩きつけた銀髪武闘家が天に向かってそう叫んだ。

 いきなり名指しされた地母神は狼狽えつつ、とりあえず四人の幸運を祈るついでに声援を送る。

 そんな女神の声が届いたかは、彼女の信徒たる葡萄尼僧にすらわからない。だが、確実に言えることが一つ。

 

「それじゃ、頑張ってね。冒険者諸君」

 

 それはそれとしてと、葡萄尼僧は視線をローグハンターと銀髪武闘家、正確には二人の繋がれた手に向けた。

 

 ──いつまで手を繋いでるんだろうね……?

 

 寺院に入ってから葡萄園にたどり着くまでの数分。ローグハンターと銀髪武闘家は、決して手を離すことはなかった。

 

 

 

 

 

 葡萄尼僧とのそんなやり取りから、早数時間。朝一に始めた警備も、既に昼の時間に差し掛かっていた。

 どんなに時間が流れようと真面目に葡萄園と、ついでに寺院周辺の警備を進める冒険者たちであったが、

 

「平和だねぇ……」

 

「そうだな」

 

 銀髪武闘家とローグハンターの間には、ひどく弛緩した空気が流れていた。

 もちろん油断しているわけでも気を抜いているわけでもなく、単に力を抜いて有事に備えているだけなのだが、銀髪武闘家が言うように欠伸が出るほどに平和な時間が流れていた。

 陽の光を浴びていた彼女はふへ〜と気の抜けた声を漏らしながら、寺院の屋根に留まる鷲に目を向けた。

 彼──なのか、彼女なのかもわからないが──のおかげで、葡萄を狙ってきた鴉はすぐさま転身し、イタチに関しては時々狩られ、彼の昼食にされている始末だ。

 あとは時々悪戯小僧がくると言っていたが、こんな完全武装の大人たちがいる場所に喧嘩をふっかけてくるほど愚かではなかろう。何より万が一来てもローグハンターが気づかないわけがないのだ。

 ローグハンターはタカの眼を使いながら鷲と視界を共有し、常に周辺を警戒しているのだ。隙はない。

 

「先生、裏は何事もありませんでした。強いて言えば、神官の皆さんがお祈りしたり、身を清めていたりしていて、勉強になりました」

 

 そうして葡萄園を中心に警備を固めるローグハンターに代わり、寺院の周辺を一回りしてきた令嬢剣士が報告すると、彼女に続いて戻ってきた女魔術師が彼女の頭を杖で殴りつけた。

 

「『勉強になりました』じゃないわよ。真面目に警備しなさい」

 

 眼鏡の下で冷たい殺気を放つ双眸で令嬢剣士を小突きながら言うが、当の彼女はあまり気にした様子も見せず、「真面目に仕事はしていました!」と女魔術師に言い返した。

 彼女としては真面目に警戒していたし、その視界の端に神官たちの姿が映っていただけのこと。それを僅かばかりに追って、ほんのちょっと観察していただけのことだ。

 友人でもある女神官が普段寺院で何をしているのか、そんな疑問の答えが僅かにだが得られた気がする。

 

「──とにかく、裏も平和でした。多少獣の痕跡はありましたが、こっちまでくる気配はなさそうです」

 

 令嬢剣士の報告を適当だと判断した女魔術師が話を引き継ぎ、そう締め括ると、ローグハンターは「そうか」と小さく頷く。

 本職ではないにしろ、それなりに斥候(スカウト)の技能を鍛えているのだ。二人がそう判断したのなら、問題あるまい。

 彼は天頂に至った陽を見上げながら、「そろそろ昼食にするか」とぼやく。

 隣の銀髪武闘家も「そうだね〜」と気の抜けた声を漏らすと、くぅと腹の虫が鳴いた。

 女魔術師と令嬢剣士は反射的に彼女に目を向けるが、頭目のローグハンターはこうなる事をわかっていたのか、微笑み混じりに「俺も腹が減ったな」と彼女に同意を示した。

 そんな彼の気遣いと、二人への羞恥心に銀髪武闘家が赤くなっていると、寺院の方から葡萄尼僧が近づいてくる。

 真っ先にそれに気づいたローグハンターがそちらに目を向けると、彼女は「お疲れ様」と声をかけてくる。

 ローグハンターたち四人が小さく会釈をすると、彼女は四人に告げる。

 

「お昼にするから、食堂に案内するよ。お腹すいたでしょ?」

 

「おお!寺院のご飯って、どんなのだろ?」

 

 彼女の言葉に真っ先に反応したのは銀髪武闘家だ。

 彼女はパッと明るくなった表情のまま小首を傾げてローグハンターに問うと、ローグハンターは顎に手を当てて僅かに思慮する様子を見せるが、「俺もよくはわからん」と返して葡萄尼僧に目を向けた。

 謎の期待を向けられた彼女は苦笑混じりに頰を掻き、「冒険者からすれば質素で地味に感じると思うけど」と念のために説明しておく。

 それでも四人は構わないようで、葡萄尼僧の先導で寺院の中に戻った。

 

 

 

 

 

 地母神の寺院の食事は、確かに葡萄尼僧の言う通り質素なものであった。

 ギルドや眠る狐亭の食堂の料理に比べればだいぶ薄味で、けれど暖かいその味は、ローグハンターが好む味だ。

 見慣れない冒険者たちと共に食事をとる修道女たちが向ける、好奇の視線を受けながら食事を終えた彼は、寺院の奥の礼拝堂にいた。

 食堂の喧騒が開け放たれた窓から微かに聞こえ、そこには女魔術師や令嬢剣士の声も混ざっている。

 どうやら早速打ち解けたようだと安堵した彼は、静かに地母神の女神像──とても古く、それでも年季を感じぬほどに手入れの行き届いた翼を広がた微笑みを携える女性の像を前に、静かに跪く。

 自分は地母神の信徒ではないし、今更この女神の信者になるつもりもないが、

 

「──あの時は、ありがとう」

 

 彼は感謝の言葉を呟きながら、両手を組んで細やかな祈りを捧げた。

 かつて来たりし者との戦いで傷つき、限りなく死に近づいた銀髪武闘家を救うため、世界の理を無視して捧げた祈りを、慈悲深き女神は聞き届けてくれた。

 あの日、あの場限りの慈愛であろうと、その結果が今であり、彼女との結婚にまでたどり着くことができたのだ。感謝してもしきれない。

 数分ほど沈黙のまま祈りを捧げたローグハンターは立ち上がり、警備の仕事に戻るために踵を返すと、不意に礼拝堂の長椅子に腰掛けていた銀髪武闘家と目があった。

 いつの間に来たのか、声をかけてくれればいいものをと、出かけた言葉を胸の内側に押し込んで、「どうかしたか?」と淡々とした声音で問いかけた。

 

「別に、何にもないよ」

 

 微笑みながら返した彼女は席を立ち、女神像の前にいるローグハンターの下に歩き出し、すれ違い様に彼の手を取りながら、女神像に目を向けた。

 ローグハンターも彼女に倣う形で再び女神像に目を向けると、銀髪武闘家はただ黙ったまま彼の手を握る力を強める。

 彼女が何も言わないならと、ローグハンターも口を開くことはなく、ただ静かに互いの手の温もりを感じるだけの時間が続いた。

 その時間も二人にとっては何にも変え難く、許されるならずっとこうしていたいのだが、今は仕事中なのだ。切り替えねばならない。

 ローグハンターが名残惜しく思いつつ手を離そうとすると、銀髪武闘家が口を開いた。

 

「たまには、こういうのもいいね」

 

 照れているのか頰を赤く染め、苦笑を浮かべながら言葉を続けた。

 

「別に山賊とかを追いかけるのが嫌ってわけじゃないけど、こうやってこんびりするのも、たまにはね?」

 

 言葉に迷い、誤魔化すように笑いながら、彼女は愛する男に向けて言葉を投げかけた。

 それを受け取ったローグハンターは微笑むと「そうだな」と返し、「たまにはいいが──」と片手を腰に当て、言い辛そうに言葉を続けた。

 

「お前の命が最優先だが、金は必要だ。家を建てるにしても、予算はないとな」

 

「そうなんだよね〜。それに、その……」

 

 ローグハンターがいきなり現実的な事を告げた直後、銀髪武闘家は顔を耳まで真っ赤にしながら下腹部を撫で、「いつかは、家族が増えるかもだし」と消え入りそうな声で囁いた。

 その言葉に面を食らったのか、ローグハンターは彼女を見つめながら目を見開いて硬直すると、照れ臭そうに顔を背けながら「そうだな」とこちらも消え入りそうな声で言う。

 二人はそのやり取りが終わると、お互いに照れてしまったのか口を閉じてしまい、代わりに手を握る力が強くなり、離す時機を見失ってしまう。

 そんな二人の様子──地母神の女神像の前で、手を繋いだまま顔を紅潮させている──を見ている人物がいた。

 

「へぇ。結婚した冒険者って、やっぱりあの二人だったんだ」

 

 葡萄尼僧だ。彼女は二人の様子に意味深な笑みを浮かべると、邪魔をしないようにそっとその場を後にした。

 二人がいつ礼拝堂から出てくるかはわからないが、地母神は豊穣や慈愛だけでなく、性愛も司っているのだ。新婚夫婦が何かを誓い合うには、打ってつけの場だろう。

 それはそれとして、

 

「二人が式を挙げたなんて話、聞いてないのよね」

 

 大切な妹分でもある女神官からも、先輩冒険者が結婚したという話は聞けども、結婚式をしたという話は一切聞いていない。何より寺院を無視してそういった事をする輩はそういない。

 何か事情があるのかしらんと訝しみながら、廊下の向こうからおそらく二人を探しているであろう女魔術師と令嬢剣士の姿を認めた葡萄尼僧は、とにかく報酬分は働いて貰わないと意識を切り替え、こちらから二人に声をかけるのであった。

 

 

 

 

 

 その後、女魔術師に叱責されるという思わぬ事態になりつつも、その日の警備を無事に終えたローグハンターの一党。

 女神官が戻るまでということなので、翌日の朝一番に葡萄園に戻ってきた彼らに、突然の難題が叩きつけられた。

 

「これは、なんの足跡でしょうか……?」

 

「只人にしては小さいけど、ゴブリンにしてはちょっと大きいわね?」

 

 葡萄園の片隅に、突如として現れていた足跡。

 令嬢剣士が首を傾げ、女魔術師が眼鏡の下で目を細めながら足跡の主を推察する中、銀髪武闘家は辺りを警戒し、ローグハンターは目を細めながら顎に手を当てていた。

 無論、彼の眼にかかれば犯人などすぐに断定できる。実際、タカの眼越しに朧げに見える金色の人影は、葡萄園を観察してすぐに街の方へと向かっていった。

 

「ゴブリンじゃないのは確かだな。子供──にしては少し大きい。圃人(レーア)か?いや、そうだとしても何をしにきた」

 

 タカの眼で拾えた情報を口に出しつつ、現状ではこちらから追いかける理由もないなと判断する。

 むぅと小さく唸った彼は一党に目を向け、「警戒を強めるぞ。巡回の間隔を狭めて、経路も見直す」ととりあえずの対応策を指示。

 

「でも、四人でやるにはしんどいかもね」

 

 手が足りないとぼやく銀髪武闘家の言葉に頷いたローグハンターは、「誰か補充を頼むか」と天を仰いだ。

 誰か暇な奴いたかと朝のギルドの光景を思い出した彼は、すぐに目星をつけたのか「あいつらいたよな?」と銀髪武闘家に問いかけた。

 

「あいつら?」

 

 彼の問いかけに彼女は首を傾げるが、すぐに察したのか「いたね」と応じ、「呼んでこようか?」と重ねて問いかけるが、ローグハンターは首を横に振った。

 

「俺がいく。お前らはこっちで警備を頼む」

 

 彼女を一人で行動させるのと、ここで仲間たちと行動させる。どちらが安全かを天秤にかけ、ここでの待機を指示した。

 女魔術師も誰を呼ぶのか察したのか、なるほどと頷いているが、令嬢剣士はわかっていないのか「あの、どなたを呼ぶのですか?」と単刀直入に問いかけた。

 走り出そうとしたローグハンターはその前に振り向くと、不敵な笑みを浮かべた。

 

「そろそろゴブリン退治から卒業する、最近構ってやれていない弟子たちにな」

 

 

 




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Memory03 影を追え

後書きにちょっとしたお知らせと、アンケートを載せました。
アンケートなかったんですけどって人は、一旦このページをリロードしてください。


「ローグハンターさんに頼まれ事なんて、不思議な感じです」

 

 冒険者ギルドから地母神の寺院へと続く道。

 不意に背後から投げかけられた言葉に、ローグハンターは歩みを止める事なく振り向いて「そうか?」と首を傾げた。

 同時に彼の視界に納まるのは、女魔術師、令嬢剣士に続いて弟子ともいえる面々だ。

 朝一番に突然の呼び出しに、何か大変なことに巻き込まれるのではと冷や汗混ざりに警戒する、頭に巻いた鉢巻きが特徴の青年剣士。

 街中だからと油断していたのか思わず漏れた欠伸を噛み殺す、腰に片手半剣(バスタードソード)と棍棒をぶら下げる青年戦士。

 至高神の信徒なのに地母神の神殿に行くことになったからか、嫌々ながらも青年戦士に手を引かれる形で無理やり歩かされている至高神の聖女。

 ぴこぴこと長い耳を揺らしながら、朝食代わりのサンドイッチを頬張る白兎猟兵。

「はい」と微笑み混じりに彼の問いかけに返事をしたのは、ローグハンターというよりかは銀髪武闘家の弟子といえる黒髪の女武闘家だ。

 彼女は「師匠に会うのも久しぶりな気がします!」と嬉しそうな様子だが、後ろを歩いている至高神の聖女は「なんで私まで……」と相変わらずの膨れっ面。

 彼女が信じる至高神と、今向かっている寺院が祀る地母神は、姉妹神のように仲がいいとはいうし、友人でもある女神官の頼みとなれば断る理由もないのだが。

 

「他所の寺院に行くのって、嫌に緊張するのよ」

 

 ふにふにと強張った頬を解しながら言う彼女に、幼馴染である青年戦士が「いいだろ、別に」と肩を竦めた。

 

「喧嘩売りに行くわけでも、押し込み強盗(ハック・アンド・スラッシュ)するわけでもないんだし」

 

「一応は警護の依頼だからな。それは忘れないでくれ」

 

 そしてちょっと買い物に行くだけだと言わんばかりの声音で告げた言葉に、ローグハンターは溜め息混じりに苦言に呈した。

 確かに街から程近く、地母神の威光が照らす寺院とはいえ、魔物が攻めてこないとも限らない。怪我をしてもすぐに治してくれそうなのは嬉しいが、死んでしまえば地母神の奇跡をもってしてもどうにもならない。

 まあ、未知の遺跡やゴブリンの巣穴に挑むよりかは気が楽であろうが。

 ローグハンターの苦言に「勿論です!」とようやく筋肉質になってきた胸を革鎧越しに叩きながら返事をすると、同意を求めるように仲間たちに目を向けた。

 

「俺たちもそれなりに依頼をこなしてきましたから、多少は役に立ってみせますよ!」

 

 そして自信に満ちた表情でそう言うと、彼の一党も一斉に頷いて応じて見せた。

 かつてゴブリンに全滅寸前まで追い詰められ、様々な失敗に心折れかけていた彼らの姿はとうになく、ここにいるのは未熟ながらも頼れる冒険者の一党だ。

 ローグハンターもようやくそれに気づいたのか、ほんの一瞬申し訳なそうに目を伏せると、すぐにどこか安堵の色を孕んだ微笑みを浮かべた。

 

「なら、いい。頼りにさせてもらうぞ」

 

 彼は表情の割にはいつも通りの淡々とした声音でそう言うと、不意に空を見上げて目を細めた。

 寺院を出た頃には雲一つなかったのだが、今は黒ずんだ厚い雲に覆われ始め、空気にも僅かに湿り気を感じる。

 山育ちの白兎猟兵もそれに気付いたのか、「雨、降りそうですね」と鼻をひくつかせながら呟き、サンドイッチの最後の一欠片を口に放り込んだ。

 げ、と露骨に嫌そうな声を漏らしたのは至高神の聖女だ。彼女は背嚢を前に持ってくると手を突っ込み、合羽が入っていることを確認した。

 血や泥に汚れるのが冒険者の常とはいえど、避けられるのなら避けるべきだ。泥が原因で装備が駄目にした、血脂がこびり着いて刃が鈍ったなど、そんな事をすればそれこそ嘲笑の標的にされてしまう。

 とはいえ、現状くるのは雨ていど。流石に敏感すぎではと、ジト目で至高神の聖女を見やる青年戦士は雑嚢を探る素振りを見せないが、山の向こうからゴロゴロと雷電龍の唸り声が聞こえ始めたのを合図にそっと雑嚢を探り始めた。

 隣の青年剣士と女武闘家、白兎猟兵の三人もそれぞれ雨除け用の装備を取り出していく中で、ローグハンターはいつも通りに頭巾を目深く被るのみ。

 彼らがそれぞれの用意を終えたのとほぼ同時に、ローグハンターの頭巾に最初の雨粒が落ちた。

 それを合図に次々と雨粒が降り注ぎ始め、しまいには激しい音を立て始めた。

 街外れだからか満足に舗装されていない寺院への道はぬかるみ始め、雨粒に跳ね上がられた泥が冒険者たちの衣装を汚していく。

 

「早速降ってきたな。急ぐぞ」

 

 ローグハンターはそんな雨音に心地良さそうに目を細めると、それに負けないように声を張り上げて弟子たちに言うと、返事を待たずに走り出した。

 

「ああ、ちょっと……っ」

 

 そんな彼を慌てて女武闘家が追いかけ、彼女を追って青年剣士、青年戦士、白兎猟兵が続き、最後に遅れて至高神の聖女が走り出した。

 走る度に跳ね上がる泥を鬱陶しく思いつつ、泥濘(ぬかるみ)を走っているのに昔に比べて後ろに流れていく景色は速く、息も切れない。

 

 ──体力がついてきた証拠かしらね。

 

 最後尾を走りながら、至高神の聖女は誰にも見られない事をいいことに得意げな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 だがしかし、冒険者として別格のローグハンター。常に前衛として身体を動かし続ける青年剣士、青年戦士、女武闘家。山育ち故に、悪路を走り慣れている白兎猟兵が相手では、純粋な後衛職の彼女には荷が重い。

 地母神の寺院に到着した頃には息も絶え絶えになり、白い至高神の法衣にも合羽をすり抜けてきた泥の飛沫が跡を残している。

 僅かに息を乱している青年戦士、青年剣士がどっちが先についたかで言い合いをしているのを横目に、白兎猟兵と女武闘家が心配そうに至高神の聖女に声をかけた。

 

「えっと、大丈夫……?」

 

「何か飲みますか?」

 

「大、丈夫……っ!このくらい、なんて事ない!」

 

 心配する二人に対して気丈に返し、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直した彼女を他所に、ローグハンターは辺りを見渡して自分の一党の姿を探した。

 彼女らなら既に警備についていそうなものだが、誰かに伝言を頼むくらいはするだろう。一応の連絡役でもある葡萄尼僧になら尚更に。

 一党どころか彼女さえもいないとなると、他の場所で何かしているのだろうか。

 鷲と視界を共有しようにも、雨に濡れるのを嫌って寺院の屋根の影に入っているようで、定点の視点しか見ることが出来ず、地母神の神官たちが慌てて葡萄の収穫をしている姿しか見ることができない。

 これは困ったと小さく唸った直後だった。

 

「あ、やっと来た!」

 

 ローグハンターの耳に他の何よりも聞き馴染み、何よりも愛おしく思う声が届けられた。

 彼が頭巾の下で表情を緩め、声がした方向に目を向けた瞬間、視界に飛び込んでくるのは最愛の妻の姿──なのだが、次の瞬間には彼は驚きに目を見開いた。

 

「こっちは大変だよ!ほら、手伝って!」

 

 彼の表情の変化には気付いているだろうに、それを意図して無視した銀髪武闘家は両肩に担ぐ大きな籠の位置を直しながらそう告げた。

 

「……何を担いでいるんだ、お前は」

 

 その姿に流石のローグハンターとて困惑しているようで、絞り出すようにそう問いかけると、銀髪武闘家は小首を傾げながら「籠だけど」となんて事のないように言う。

 

「何が入っているんだ」

 

「んと。傘だね。葡萄用の」

 

「……?」

 

 いつもなら口に出さずとも互いの言いたいことは理解できるのに、今この瞬間に関しては何もわからない。

 頭の上に疑問符を浮かべるローグハンターを他所に、寺院の奥から駆けてきた雨に濡れた葡萄尼僧が「あ、遅いよ!さっさとそれ運んできて!」と銀髪武闘家に告げた。

 

「はいはい、すぐに運びますよっと。皆も手伝って!」

 

 こっちこっちと籠を担ぎながら寺院の奥を示した銀髪武闘家は、制止の声も待たずにそのまま走り出してしまう。

 取り残された冒険者たちが顔を見合わせていると、葡萄尼僧が太陽を思わせる笑顔を浮かべながら彼らに言う。

 

「ちょうど良かった、猫の手も借りたいって感じだったのよ」

 

 パンと手を叩きながら彼らを何かの頭数に入れた様子でそう言うと、「説明するからこっち来て」と銀髪武闘家が消えていった寺院の奥を示した。

 

「……まあ、警備ついでに手を貸してやるか」

 

 何をするのかも理解していないが、これも何かの経験かと自分に言い聞かせて葡萄尼僧を追うことに決めた。

 彼が行くならと弟子たちも後に続き、寺院の奥へと足を向ける。

 

「……なんか、朝から走り通しじゃない!?」

 

 雨音のみが響く寺院の中に、息も絶え絶えな至高神の聖女の悲痛な叫びが木霊するのだった。

 

 

 

 

 

 程なくして冒険者らは低木が立ち並ぶ区画──ローグハンターにとってここ数日で見慣れた場所となった葡萄園にたどり着いた。

 普段と違うこととなれば、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降りしきっていることと、それを浴びながら、若い神官たちや、もっと幼い見習いの侍祭、ローグハンターの一党の三人が革製の傘を木に括っていることだろうか。

 

「ほら、突っ立ってないで手伝って!葡萄の傘を交換するだけだからさ!」

 

 葡萄園の入り口で突っ立っているローグハンターを始めとした冒険者たちに向け、葡萄尼僧が半ば怒鳴るような声音で告げた。

 彼女が勢いよく指差した先には、先ほど銀髪武闘家が運んでいて籠が並んでおり、神官たちはそこから傘を取り出し、葡萄を覆うように次々と枝に括り付けていっている。

 

「雨が(かび)を運んでくるし、収穫前に痛めつけられたら葡萄酒も作れないよ!」

 

 葡萄尼僧は手本を見せるように傘を取り付けた。葡萄の房が濡れないように、葡萄の実が重ならないようにするのが大事なようだ。

 それさえわかってしまえば冒険者たちの行動は早い。別に未知の遺跡に挑むわけでも、ゴブリンが住み着いた洞窟に挑むわけでもないのだ、普段の冒険に比べれば気楽でいい。

 冒険者たちは籠から傘を取り出すと、低木の間を駆けてそれぞれの作業に取り掛かった。

 果実に傘を被せると言っても、只人の胸程度の高さしかない。不慣れな作業に苦戦するものの、開拓村の出身がほとんどなのだ。農作業の手伝いに似ているそれも、数度こなせば慣れるというもの。

 

「それにしても、この時期にこんなに雨が降るなんて滅多にないのに」

 

 雨と汗に濡れた額を乱暴に拭いながら、葡萄尼僧が憎たらしそうに空を見上げた。

 確かに雨がよく降るのは夏の半ばだ。まだ春と夏の間ともいえるこの時期に、嵐と言っても過言ではない程に雨が降ろうとは。

 それでも泣き言は言っていられないと傘の取り付け、あるいは交換を進めるのだから、彼女としても雨自体には慣れているのだろう。

 そんな彼女の姿を視界の端に捉えながら、ローグハンターも黙々と作業を続けていた。

 頭巾に当たる雨音も、濡れた地面を踏み締める湿った音も、普段聞く人の断末魔や恨み節に比べれば心地が良い。

 急に呼んだ弟子たちもいきなりの事態に困惑はしていたものの、既にこの状況を楽しみ始めているようで、いつものように和気藹々と言葉を交わしながら作業を進めている。

 視界を巡らせれば、少々作業が粗い令嬢剣士を叱責する女魔術師と、そんな彼女たちを見て控えめに笑う神官たちの姿も見えて、何とも平和に時間が流れているのが伝わってくる。

 ふっと頭巾の下で微笑をこぼしたローグハンターは次の葡萄に傘を取り付けようとするが、先程取り付けたものが最後の傘だったようで、伸ばした手が空を切った。

 む、と小さく唸った彼の姿を見て、くすくすと鈴を転がしたように笑うのが一人。

 

「何してるのさ。はい、忘れ物」

 

 雨と汗で自慢の銀色の髪を頬に貼り付けた銀髪武闘家が、傘が満杯に入った小さな籠を差し出した。

 遠目から見てローグハンターの傘が減っていることに気づいていたのだろうか。傘の集められた大きな籠から、彼と自分の分を取り分けて持ってきたようだ。籠からローグハンターの元まで真新しい彼女の足跡が続いている。

 

「ああ。助かる」

 

 ローグハンターは彼女に礼を言いながらそれを受け取ると、ほんの数十秒の遅れを取り戻すべく、より効率的に傘を取り付けていく。

 その隣では銀髪武闘家も傘の取り付けに取り掛かり、二人は並んだまま無言で作業に没頭する。

 それでもお互いが何をしているのかは把握しているようで、傘を取ろうと伸ばした手に相手が傘を差し出したり、相手の不手際を見つけたらそれとなく修正するなど、言葉はなくともその連携に澱みはない。

 遠くであれやこれやと言い合いつつ作業を進める他の冒険者たちとは、やはりと言うべきか格が違うということか。

 途中、作業する相手の横顔に魅入るように見つめることはあれど、手が止まっていないのだからとやかく言うものでもあるまい。

 ローグハンターは雨に濡れながらも楽しそうに笑いながら葡萄に傘を被せる彼女の横顔を堪能すると、不意に目を細めて視線をあげた。

 雨の中、木立の向こうから、こちらをじっと睨む何かの気配を感じ取ったのだ。

 彼はその何か──水煙に隠れて見えにくいが、おそらく人影だ──を睨んだ彼は、瞬きと共にタカの眼を発動。

 葡萄尼僧が危惧していた悪戯小僧というには背が高く、雨除けの外套を羽織っているようだがそれを加味しても線が細い。

 この状況を見ても手伝おうとしないということは、おそらく神殿の者ではない。

 そして何よりも、その人影の色は──。

 

「いいよ、行ってきて」

 

 鋭い視線に僅かな殺気を滲ませ、腰に帯びた片手半剣(バスタードソード)の柄を握った彼に、銀髪武闘家は一言告げた。

 ちらりと彼女に目を向ければ、彼女も作業を進めながら件の人影を睨みつけている。

 ローグハンターはタカの眼をもって、銀髪武闘家は長年の勘と経験──ローグハンターの動作と気配の変化──によって、あの人影が友好的ではないことを理解したのだ。

 ローグハンターは葡萄園全体の様子を探るように視線を巡らせ、忙しそうではあるが人手は足りていることを確認。

 

「こっちは任せる」

 

「うん。いってらっしゃい」

 

 彼は銀髪武闘家に指示を出すと彼女はすぐにそれに応じると不意に顔を近づけ、軽く触れ合う程度の口付けを交わした。

 唇に柔らかな感触と、普段よりも高い彼女の体温を感じたローグハンターが僅かに目を見開いていると、彼女は照れたように笑いながら告げた。

 

「気を付けてね」

 

「ああ。それじゃ、いってくる」

 

 彼女の言葉にローグハンターは不敵な笑みで返すと、その場を離れて例の人影を──赤く強調表示される敵影を睨み、ばしゃりと音を立てて地面とを蹴ると共に走り出した。

 泥濘んだ地面を滑らないように普段以上に踏み締め、跳ね上がる泥も気にすることもなく疾走。

 頭目の突然の行動に女魔術師、令嬢剣士が驚きの声をあげるが、そんな二人を銀髪武闘家が諌めて作業に集中させる。

 そのちょっとした騒ぎに気づいてか、あるいは葡萄園から離れて水煙の向こうから迫るローグハンターの姿を認めてか、その誰かは慌てて水煙の向こうに消えていき、その背を冒険者たちも認めるが、銀髪武闘家の指示で追跡することはない。

 

「──彼から逃げ切れる人なんて、誰もいないよ」

 

 銀髪武闘家はただ一言、勝ち誇るように微笑みながらそう告げた。

 この中で誰よりも強く、速く、何より相手を逃がさない執念を持ち合わせた男が、追いかけているのだから。

 

 

 

 

 

 頬を殴る雨の冷たさも、踏み締める泥濘も感触も、今になっては煩わしい。

 葡萄園を離れて二分足らず。謎の下手人を追いかけ、寺院近くの森に突入したローグハンターは、走りながら小さく溜め息を漏らし、相手にも聞こえるように声を張り上げた。

 

「話をしたいだけだ!お互い面倒は嫌だろう!?」

 

 叫びながら一切の減速なしに倒木を飛び越え、相手の背を睨む。

 だが、止まらない。その気配さえもない。相手は少しずつ距離が詰まっていることに気付いたようで、泥濘の中だというのに足を滑らせる様子も、転ぶ様子も見せない。

 

 ──堅気の動きじゃない。何より素人の動きじゃないな。何者だ……?

 

 堅気の人間なら、完全武装の相手が追いかけてきているとわかればすぐに止まるだろう。

 素人なら、この泥濘に足を取られて転び、すぐにでも追いつけただろう。

 だが、今そのどちらでもないとなれば、相手は手練れでこういった状況にも慣れているということだ。

 そっと視線を細めたローグハンターは、途中で木に引っかかった倒木を利用して樹上に乗ると、枝から枝に飛び移る追跡(ツリーラン)に変更。

 泥がこびりつき、滑りがよくなっている筈の黒曜石の鉄靴も、森人の呪いのおかげかしっかりと枝を捉えて離さず、落ちるという最悪の事態が頭に過ることさえも許さない。

 いい贈り物だと、これを作ったであろう上森人の老人に感謝しつつ、すぐに意識を切り替えて追跡に集中。

 逃げる下手人も彼が背後から消えたことには気づいたようだが、すぐに微かとはいえ枝を揺らしながら追いかける彼に気付き、雨除けの頭巾の下でぎょっと目を見開いた。

 そして意識が上に向いたことが災いしたのだろう。この豪雨で洗い出され、張り出していた木の根の存在に気付くのに致命的なまでに遅れてしまった。

 

「っ!?」

 

 泥濘を蹴った足の爪先がその根に引っかかり、体勢を崩した瞬間に踏み止まろうと出た足は泥濘に滑ってしまう。

 べしゃりと滑稽な音を立てながら水溜まりに倒れた下手人は、慌てて立ちあがろうとするが、ローグハンターがそれを阻止する形でその背に飛びかかった。

 ばしゃりと泥の混ざった水飛沫をあげながら、成人男性に加えて剣を始めとした装備類の重さの乗ったのしかかりに下手人は悲鳴をあげ、ジタバタと手足を振り回す。

 跳ね上がった泥が顔や衣装に張り付くのも気にせず、ローグハンターは右手首の僅かに動かし、アサシンブレードを抜刀。飛び出した短剣を相手の頸に押し当てた。

 ひんやりと冷たく、命を絶つにたる金属が触れた途端に下手人は大人しくなり、ローグハンターは溜め息を吐いた。

 

「話を聞くだけだ。なぜ逃げた」

 

 彼は言い聞かせるようにゆっくりとそう告げると相手の上から退き、

 

「──っ」

 

 直後、逃げようとした相手の胸倉を掴み、手頃な木に叩きつけた。

 叩きつけられた衝撃で木が揺れ、葉についた雨粒が降り注ぐ中、ローグハンターはようやく見えた相手の顔を睨んだ。

 雨避けの頭巾の下に隠されていたのは、黒に近い褐色の肌と白銀の髪、尖った耳。相手は只人ではなく、男の闇人(ダークエルフ)だったようだ。

 彼は鋭く睨むローグハンターを殺意まじりに睨み返すが、泥に汚れた顔では迫力が足りず、肝心のローグハンターも小さく鼻を鳴らして嘲る始末。

 

「それで、なぜあそこにいた。観光客じゃないな」

 

「別にいいだろう。女子供が仕事している姿を見て、何が悪い」

 

 ローグハンターの問いに闇人はある意味で御用になりかねない事を宣うと、ローグハンターは小さく息を吐き、「わかった、質問を変える」と言いながらアサシンブレードを抜刀。

 

「誰に頼まれた。素直に言え」

 

「せ、折角の休日だからと寺院に足を伸ばしただけだ!ほら、これを見ろ!」

 

 少しずつではあるが、ローグハンターの言動から脅しが脅しでなくなる可能性を理解し始めたのか、闇人は僅かに怯えながら胸元から白磁の認識票を取り出した。

 まさかの同業者──しかも駆け出しだ──ということがわかったローグハンターは、む、と小さく声を漏らし、その認識票に目を向けた。

 そこに刻まれた文字の羅列を一瞥し、ふっと相手を嘲るように鼻を鳴らした。

 

「お前のどこが只人(ヒューム)だ。偽装するにしても精度(レーティング)が低すぎるぞ」

 

 そこに刻まれていたのは出身地を始めとした諸々の情報と、己の種族が只人であること。

 褐色肌の只人はいる。葡萄尼僧や女戦士(アマゾネス)の肌も褐色だ。

 だが白銀の髪に耳が尖った純粋な只人は、世界広しといえどいるわけがあるまい。

 闇人が目を見開いたのとほぼ同時、ローグハンターの拳が彼の顔面に打ち据えられ、整った形をしている鼻をひしゃげさせた。

 

「がっ……!」

 

 鼻から溢れ出した血の塊が闇人の美貌を赤く汚すが、ローグハンターは構うことなくその頭を掴み、引き寄せると共に顔面に膝蹴りを叩き込む。

 蹴り飛ばされた勢いで背中から倒れた闇人の腹に乗り、泥に汚れた首にアサシンブレードを当てながら、ローグハンターは機械的なまでに冷たい声音で問いかける。

 

「雇い主は誰だ、仕掛け人(ランナー)。俺が──ローグハンターがいる街で仕事(ラン)をするとは、蛮勇極めた阿呆か、ただの愚者だ。お前はどっちだ」

 

「……っ!」

 

 彼の言葉に闇人はぎょっと目を見開くと、信じられないものを見るようにローグハンターを見上げた。

 

「まさか、貴様が……っ」

 

「ようやく気付いたか、阿呆が。それで、誰に、どんな内容で、雇われた」

 

 闇人はようやく相手がローグハンターであることを理解し、乾いた笑みをこぼしたが、そんな事はどうでもいい。

 仕掛け人(ランナー)がいるということは、誰かがあの寺院を狙っているということだ。あの寺院を守ることが依頼であるのなら、今後起こりえることに備えなければならない。

 そして、備えるためには情報が何よりも必要なのだ。

 

「さっさと言え」

 

「言ったら、消される……ッ!」

 

「言わねば、消す」

 

 その情報を聞き出す為ならば、少々後ろ暗い手を使うことを躊躇うつもりはない。とりあえず、道を違えたとはいえ今でも尊敬している師匠の一人(ヘイザム)の真似をしつつ、アサシンブレードを首の肉に食い込ませた。

 褐色の肌が僅かに裂け、そこからかは鮮血が滲んで垂れ始める。

 そのじんわりと広がる痛みに闇人は呻くと、がちりと何かを噛み砕く音が口から漏れ出た。

 む、とローグハンターが声を漏らすと、闇人の身体ががくがくと痙攣を始め、口からは言葉ではなく血の混ざった泡を吐き始める。

 見開かれた瞳がぐるりと回って白眼を剥いたかと思えば、痙攣していた身体が途端に弛緩し、動かなくなる。

 奥歯かどこかに、自決用の毒物を仕込んでいたのだろう。情報を命諸共に天上に持っていくとは、仕掛け人(ランナー)として相応の覚悟を決めていたようだ。

 

「……まあ、いいか」

 

 その覚悟には敬意を払うが、生憎とこの街のならず者の集まり(ローグ・ギルド)──というよりかは、この国で暗躍する彼らを総括する人たちと知り合い──正確には、ローグハンターもその一員──なのだ、情報を聞こうと思えばどうにでもなろう。

 とりあえず隙を見て狐に会いに行こうと決めながら、ローグハンターはそっと闇人の瞼を下ろしてやった。

 

「──安らかに眠れ。その誇りが、汝の魂に安らぎを与えんことを」

 

 

 

 

 

 森から寺院に戻る頃にはあれだけ降っていた雨も止み、雲の隙間から溢れる陽の光が神々しく、それに照らされた寺院は、雨粒による反射も相まってまさに神を奉る聖地という雰囲気を放っている。

 遠目でそれを見つめ、しばらくその場で動かずにその光景を目に焼き付けていたローグハンターは、不意に寺院と葡萄園を繋ぐ扉に寄りかかる人影を認め、強張っていた表情から力が抜けた。

 その人物も彼の帰還に気付いたのだろう。満面の笑みを浮かべながら大手を振り、泥濘を中を駆け寄ってくる。

 

「おっかえり〜!」

 

「……ああ、ただいま」

 

 泥を跳ね上が、銀色の髪を汚しながら胸に飛び込んできた銀髪武闘家を抱き込めながら、ローグハンターは微笑み混じりに帰還を報告。

 二人は鼻先が触れ合うほどの距離で見つめ合い、お互いの無事を喜び、綻ぶように浮かべた笑顔を交換する。

 そんな二人を照らすように雲の切れ間から陽の光が差し込み、雨が止んだのを喜ぶように鷲が二人の上を旋回していた。

 それを物陰から見ていた女魔術師はあの二人はまた堂々とと溜め息を漏らし、令嬢剣士はただただ嬉しそうにそんな二人を見つめ、

 

「……いいなぁ」

 

「さ、流石にあんなのは無理でしょ!?恥ずかしい!」

 

「「……?」」

 

「いや〜。動いたらお腹すきましたね〜」

 

 女武闘家は青年剣士に目をやりながら二人を羨ましそうに見つめ、至高神の聖女は青年戦士を視界の端に映しながら赤面し、女武闘家の脇をつく。

 隣の青年剣士、青年戦士は揃って首を傾げる中、白兎猟兵だけが腹を摩った。

 そんなそれぞれが好き勝手にし、緩み始めた空気を諌めるように、甲高い鷲の鳴き声が辺りに響く。

 それを合図にローグハンターと銀髪武闘家が離れれば、弟子たちも口も閉じて二人に合流。

 依頼人不明の仕掛け人(ランナー)。そこからわかるのは、少なくとも誰かがこの寺院を狙っていることだ。それがわかっているのなら、守りようはある。

 冒険者が一同に会す中、ローグハンターが言う。

 

「それじゃ、警備の仕事を始めるか」

 

 

 

 

 

 

 確かに、ローグハンターの読みは当たっていた。

 何者かが寺院を狙い、虎視眈々と刃を研いでいた事実は間違いない。

 しかし、その刃が振るわれたのはあまりにも突然で、ローグハンターからしても予想に反した方向からだ。

 

 

 ──葡萄尼僧はゴブリンの娘である。

 

 

 辺境の街にそんな噂が流れ始めたのは、この翌日のことだった。

 

 

 

 




はい、というわけでお知らせです。

なんと、今作主人公のローグハンターと、ヒロインの銀髪武闘家が「狂胡椒」様作の『自分を大蛇丸と信じて止まない一般男性がゴブリンスレイヤーtrpgのRTA「疾風剣客チャート」で優勝します』にゲスト出演することになりました。1/15現在では、名前だけチラッと登場しています。
タイトル通り所謂RTA系の作品ではありますが、ゴブスレTRPGのリプレイのような側面もあるので、気になる人はぜひ読んでみてください。

作者様の許可が貰えたので、一応リンクを貼っておきます。
https://syosetu.org/novel/284531/

他にもログハン貸してくれって方がいましたら、メッセージを送ってください。ログハン貸与に関して、最低限の決まり事があるのでその擦り合わせを行うので。

ついでにアンケートもあるので、ご協力お願いします!


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Memory04 ならず者殺し(ローグハンター)ならず者の如く(ローグライク)

アンケートの関係でダンまちを読み直したり、ダンメモのシナリオを見直したりしていたのですが、二次創作作者の性か色々と話しが思いついてしまう今日のこの頃。

五作品掛け持ちは無理だろとわかっているのに、描きたい欲求ががが……っ!


 コツコツと、卓を指先で叩く音が冒険者ギルドの喧騒に消えていく。

 行儀悪く頬杖をつき、眉を寄せ、何かを言うわけでもなく時を刻むようにコツコツと、指で卓を叩く。

 それをやっているのが退屈を持て余した中堅冒険者や、単に酒場を利用しにきた流れの冒険者であれば、誰も気にしないであろうが、それをしているのはかの辺境勇士、ローグハンターだ。

 良くも悪くもその名を轟かせる彼が、夜空を閉じ込めた蒼い瞳に冷たい殺気さえも宿しながら、訳もなく卓を叩く。その様はさながら親の仇を前にしながらも、手を出すことができずに苛立つ剣客のよう。

 顔馴染みの槍使いや重戦士の一党、彼の弟子や一党ですらも声をかけるのを躊躇う状況の中、はぁと溜め息を吐いた銀髪武闘家が籠手を外すと、彼の頭に拳骨を落とした。

 ガン!と鈍い音を立てながら卓に叩きつけられたローグハンターは、殴られた脳天を押さえながら顔を上げ、銀髪武闘家を睨みつけた。

 

「いきなり、何をする……?」

 

「それはこっちの台詞。そんな怖い顔しないの」

 

 不満げに睨んでくるローグハンターの頭を撫でてやりながら、銀髪武闘家は「理由はわかるけどさ」と更に溜め息を一度。

 先日まで警備の依頼を受けていた地母神の神殿。そこで世話になった葡萄尼僧に関して、少々気になる噂が流れ始めているのだ。

 どこの誰がそんな事を言い始めたのか、そもそも何を根拠にそんな眉唾物の噂が流れ始めたのか、それも定かではないが……。

 

「──あの人がゴブリンの娘なわけないのにね」

 

「当たり前だ。馬鹿どもが」

 

 銀髪武闘家も声に憤りを滲ませ、目つきを鋭くしながら腕を組み、ローグハンターも身体を起こしながら頭を振った。

 静かな辺境の街に流れる噂。

 

 ──葡萄尼僧は、ゴブリンの娘でははないか。

 

 ローグハンターの耳にその噂が届いたのは、眠る狐亭で朝食を取っている時であった。

 

 

 

 

 

 彼の一日は、その一杯から始まると言っても過言ではない。

 眠る狐亭の酒場で提供される、その名を王都まで轟かせる銀等級冒険者が食べるにはあまりにも安値で、貧相なその一杯のスープを飲むことが、ローグハンターにとっては長く続く朝のルーティンなのだ。

 本当にスープなのか怪しいほどに味は薄く、具も少なく、大きくもないが、身体の芯まで温まるそれが、ローグハンターが最も好む味であった。正確には一人で食べる分には、だが。

 相変わらず寝ている銀髪武闘家と、諸々と準備をしているであろう一党の二人を待つ傍らに、黙々とそのスープを啜るローグハンターと、長台(カウンター)越しに目の前に立つ店主こと狐の間に、会話はない。

 話すべきことがあるのならどちらかが先に口を開くのだ。それがないということは、つまり特に話題らしいものがないという証拠。それはつまり、今のところ街は平和ということだ。

 そして平和というのは、薄氷のように容易く砕けてしまうというのも相場が決まっている。

 

「うえ、マジかよ!!」

 

 朝の喧騒に包まれる酒場に、杯がひっくり返る音と男の声が響いた。

 その場に居合わせた客たちも、店主も、スープを飲み終えたローグハンターも一斉に彼に目を向け、彼の服が赤く汚れていること──倒れた杯からして、葡萄酒か何かを零したのだろう──が遠目からでもわかる。

 そそそと足音一つなく近づいた給仕の女性が手拭い片手に声をかけると、その男は申し訳なさそうに頭を下げながらそれを受け取り、服を拭っていく。

 

「で、今の話本当かよ」

 

 周りの客たちが単に酒を零しただけと意識を逸らす中、ローグハンターだけは耳を澄ませ、先程の男の言葉の続きを聞くことにした。

 男の対面に座るのは、冒険者だろうか。雑多な鎧を着込み、卓に長剣を立て掛けている。

 

「ああ。まあ、こっちも又聞きしただけなんだが……」

 

 二人の親しい様子からして、酒を零した男も冒険者なのだろう。

 男は先ほど零した葡萄酒と手拭いや服の染みを見つめ、項垂れた。

 

「飲んだ挙句に被っちまったんだが……っ!?」

 

「俺が言う時機(タイミング)が悪かった。悪い」

 

「今更だな!?」

 

 男と冒険者はそんな軽い様子でやり取りすると、男が必死になって葡萄酒の染みを落とそうとしながら言う。

 

「地母神の神殿にゴブリンとの混血がいるって、流石にありえねぇだろ」

 

「俺だってそう思ってるさ。あそこには怪我の治療なりで世話になってるからな。だが……」

 

 そうして周囲の目や耳を気にしてか、顔を寄せ合いながら交わされたやりとりに、ローグハンターは眉を寄せた。

 ゴブリンとの混血?いや、ゴブリンの子供は母体がなんであれ純粋なゴブリンだろうが。

 二人の会話は狐にも聞こえているのだろう。彼もまた黄色に頭巾の下で、紫色の瞳をすっと細めた。

 問答無用で黙らせてもいいが、噂話で人を殴りつけるわけにはいかない。

 

「あの褐色肌の女がいるだろう。何でもあいつがゴブリンに孕まされた女から産まれたって」

 

「褐色肌って、あの葡萄酒作ってる人だろう?うへ〜、マジかよ」

 

 冒険者にそう言われた男は服の染みを、それこそ汚物を見るように見ながら声を漏らす。

 褐色肌で、地母神の神殿の関係者など、彼女しか──葡萄尼僧しかおるまい。

 あの良くも悪くも神官らしくない彼女が、ゴブリンの娘だというのか。

 長台(カウンター)に頬杖をつき、僅かに殺気立つローグハンターの様子に気付かず、噂話に熱中する二人はあれこれと話し続けている。

 ローグハンターはそっと狐に目をやると彼は小さく頷き返し、酒場の端で談笑している──素振りだけして、狐の指示を待っている仕掛け人(ランナー)たちに目を向けた。

 狐の合図に彼らは談笑したまま合言葉と思われる言葉を口にすると、冒険者がそうするようにそれぞれの装備を担いで酒場から出ていく。

 とりあえずこれでいいかと肩を竦めた狐に対し、ローグハンターは相変わらず不満げだ。

 先日まで警備していた場所で、それなりに世話になっていた人が、悪く言われている。それだけでも業腹だというのに、おそらく原因はあの日自殺した仕掛け人(ランナー)を要する一派だろつ。

 狐──正確には灰被りの女王配下の仕掛け人(ランナー)たちであれば、ならず者殺し(ローグハンター)がいる街で仕事などしない。どこかの国から流れてきたのか、単に仕掛け人(ランナー)気取りの馬鹿どもによる仕業か、あるいは混沌の勢力が放った密偵か、なんであれ犯人探しには時間がかかる。

 犯人が見つかるまでは、冒険者である自分には何もできない。

 ローグハンターは思わず舌打ちを漏らすと、狐は小さく息を吐いて「落ち着けよ」と一言。

 その言葉にローグハンターが冷たく彼を睨みつけると、ばたばたと騒がしい足音が階段の方から聞こえてくる。

 

「ほら、さっさと仕事いけ」

 

「ああ。言われなくても」

 

 狐の一言にローグハンターがぎしりと椅子を軋ませながら立ち上がるのと、階段から彼の一党が姿を現したのはほぼ同時。

 

「おっはよ〜」

 

「「おはようございます」」

 

 銀髪武闘家、女魔術師、令嬢剣士。それぞれの朝の挨拶に「おはよう」と手短に返すと、彼は足早に酒場を後にしてしまう。

 

「あ、ちょっと!?なんか機嫌悪くない!?私、何かしちゃった!?」

 

 銀髪武闘家はいつもなら並んで出ていくのにと慌てて彼を追いかけ、女魔術師と令嬢剣士も顔を見合わせて驚きつつ、二人の後に続く。

 そして冒険者ギルドに着いて早々、件の噂を耳にしてしまうのであった。

 

 

 

 

 

「問題は、それを聞いたあの()を普通に連れ出したゴブリンスレイヤーだと思うのだけれど」

 

 どうにか彼の機嫌をとろうとあれやこれやと話題を逸らしにかかる銀髪武闘家を横目に、女魔術師が嘆息混じりに言う。

 それを聞いた令嬢剣士は乾いた笑みを浮かべ、反論のしようがないと隣の卓──ゴブリンスレイヤーの一党がよく集まる場所に目を向けた。

 件の噂は女神官の耳にも届いていたようで、朝一に出会った彼女はまさに不機嫌そのもの。それなりに長い付き合いである令嬢剣士でも見たことがないほどに、女神官はやり場のない怒りに包まれていた。

 そんなもの関係ないとばかりにゴブリン退治に連れ出されたのは、依頼の中で考える事を辞めさせる為か、単に気にしていないのか。

 ゴブリンスレイヤーの──というよりかは、彼女の姉ぶる妖精弓手の策略かもしれないが。

 

「ですが、聞いていて気持ちのいいものではないことは確かですわ」

 

 令嬢剣士は小さく息を吐き、どうにか友人の力になれないかと頭を捻る。

 帰ってきたらとりあえず愚痴でも悪態でも聞いてやるとして、問題はその後だ。噂は数日もしない内に街に広まり、葡萄尼僧には好奇と軽蔑の視線が向けられるのは想像に難しくない。

 そして人間というのは単純で、悪と決めつけたものを徹底的に痛めつけるきらいがあるのは、良くも悪くも彼女の師匠が体現していることでもあるし。

 むむむと唸りながら意味もなくこめかみの辺りを揉み解す令嬢剣士と、どうするべきか悩む女魔術師。

 普段、二人が悩んでいれば即刻相談する相手であるローグハンターは、銀髪武闘家のやり取りで僅かに機嫌を良くしたようで、朝食を食べる彼女に寄り掛かられている。

 その手がそっと彼女の髪を撫で、寝癖を直している辺り、悩むことよりも目の前の妻の身嗜みを優先したとも言えるかもしれないが。

 

「──噂の消し方はいくつかあるが」

 

 そうして女魔術師と令嬢剣士がそれぞれ悩む中、不意にローグハンターが口を開いた。

 え、と声を漏らした二人が顔をあげると、ローグハンターはどこか懐かしむような──けれどそんな懐かしさを否定するような──声音で告げる。

 

「噂を書いたビラなり貼り紙なりを剥がして回るのが安全で、簡単でもあるが、今回の相手はそんな面倒なことはせんだろう。紙を用意する金もないだろうからな」

 

「探すべきはその噂を言い始めた大元だ。そいつを叩きのめして、どうしてそんな噂を流したか、あるいは誰に頼まれて流したのかを聞き出す」

 

「問題は、その大元が誰なのかが分からんことだが……」

 

 彼はそこまで言うと顎に手をやり、僅かに思慮する様子を見せた。

 その大元に関してはある程度の目星は付いているし、その裏取りは狐たち仕掛け人(ランナー)たちが動いてくれていることだろう。冒険者としての自分にできることは、現状ない。

 狐たちが結果を出すまで、早くても数日はかかるだろう。こちらでも何かできることはないか。

 

「むぅ……」

 

 あの時。王都で名前も冒険者としての身分も捨て、アサシンとして闇夜を駆けたあの日のようにやれれば、楽ではあるのだろうが。

 ローグハンターは低く唸り、寄りかかってくる銀髪武闘家をそっと抱き寄せた。

「お?」と変な声を漏らしつつ、されるがまま身を寄せてくる彼女の温まりと息遣い、そして重さに、あの時とは違うと自分に言い聞かせた。

 あの時と違いまだ直接手を出されたという話もなく、何より今の自分は彼女の夫なのだ。自分の一存でまたアサシンとして行動するなど、するわけにはいかない。

 

 ──だが、何か嫌な予感がする。

 

 何かしら行動に移さねば、致命的な何か(ファンブル)が起きてしまうような、それこそ守りたいものを何もかも失ってしまうのではないかという予感が、脳裏を過ぎる。

 今度こそ、家族を守る。その為ならば手段なぞ選んでいる余裕はない。

 神妙な面持ちで唸るローグハンターに、銀髪武闘家は何か言わんと口を開きかけたが、

 

「おねげぇします!おねげぇします!!わしの村の近くに盗賊が──」

 

 ギルドの受付から聞こえてきた言葉にローグハンターの一党は揃って顔を上げ、表情を引き締めた。

 確かに地母神の神殿の問題があるが、それで助けを求める声を無視していてはならず者殺し(ローグハンター)の名が廃る。

 ギルドに駆け込んだ村人の証言の下、受付嬢からの視線を感じつつ依頼書が書き上げられるのを待ちながら、ローグハンターは手首を回してアサシンブレードの具合を確かめた。

 

 

 

 

 

 そして名もなき盗賊団に苦戦するほど、ローグハンター一党は弱くはない。

 移動に一日。殲滅に五時間足らず。帰還に一日。二日と少しで街に戻ってきた四人は、報告を早々に済ませて眠る狐亭に帰還。

 それぞれの部屋に戻り、寝る準備を進めるのだが、

 

「ねぇ」

 

 寝巻きに着替えを終えると共に声をかけられたローグハンターは、振り向き様に声を失った。

 そこにいるのは寝巻きに着替え、ベッドに腰掛ける銀髪武闘家だ。窓から差し込む月光を浴びて、銀色の髪が星のように輝き、白磁の肌が神秘的なまでの光を放つ。

 最近暑くなってきたからか寝巻きも少し薄いものになっているのか、目を凝らせば僅かに肢体の輪郭や下着の色が透けて見える。

 あまりの美しさに言葉を失い、ごくりと生唾を飲んだ彼に向け、銀髪武闘家は「ここ座って」と自分の隣を叩いた。

 言われるがままそこに腰を下ろすと、銀髪武闘家は今度は自分の膝を叩き始めた。

 流石に意図が読めず、ローグハンターは首を傾げるのだが、銀髪武闘家は「頭、ここ」と頰を羞恥で赤く染めながら告げた。

 再び言われるが身体を倒し、彼女の膝の上に頭を乗せると、銀髪武闘家はそっと彼の頭を撫で始めた。

 ん……と声を漏らし、リラックスするように身体を弛緩させるローグハンターは、彼女の膝と柔らかさと温もりを少しでも強く感じようと目を閉じる。

 彼女の呼吸の度に身体が揺すられる度、揺籠に揺られる赤子のような安堵が全身を包み込むが、不意に銀髪武闘家が自分の愛称を呼んだのを合図に目を開けた。

 

「どうかしたのか」

 

「ううん。どこか、痒いところ、ない?」

 

「ああ、大丈夫だ。お前こそ、どうかしたのか?」

 

 慈愛に満ちた手で頭を撫でられながら、ローグハンターは彼女に問いを返した。

 普段、こうした触れ合いをする時はお互いに抱きつくか、あるいは向かい合う形で寝転ぶのだが、今回はそのどちらでもない。彼女の行動に関して、少し疑問が湧いたのだろう。

 彼の問いにほんの一瞬動きを止めた銀髪武闘家は、小さく溜め息を吐いた。

 

「あの噂話に関して、何かできることはないかなって」

 

 そして観念したようにそう言うと彼の顔を覗こうとするが、顎を引いた途端に視界に飛び込んでくるのはたわわに実った二つの果実。

 普段ならあまり気にせず、たまにローグハンター以外の男たちの視線を集めてしまう、豊満な乳房。それが、今ばかりは彼と自分を遮る壁となってしまっている。

 

「……」

 

「どうかしたのか?」

 

 自分の胸に対して不満げな視線を向ける銀髪武闘家の様子にローグハンターが問いかけるが、彼女は咳払いと共に意識を切り替えた。大事な話があるのだ、今を逃すわけにはいかない。

 

「私たちじゃできることはないかもだけどさ、キミになら何かできるんじゃない?」

 

 銀髪武闘家には、ある種の確信があった。

 冒険者ギルドでの話し合いの時はまるで手段なし、お手上げだと言わんばかりの様子ではあったが、あの時の表情はどうするべきか考えているのではなく、手段はあるがやるか、やらないべきかで悩んでいる時のそれだったのだ。

 彼は、自分たちには明かしていない、この状況に対する何かしらの対抗手段を持ち合わせているのではないか。

 彼と長年連れ添ってきた銀髪武闘家だからこそ気づき、そして問いかけることができた言葉に、ローグハンターは僅かに目を見開くと、彼女に気づかれないように息を吐いた。

 そして名残惜しく思いつつも身体を起こすと、こちらを真っ直ぐに見つめてくる銀色の瞳を見つめ、頭を掻いた。

 ここで適当に誤魔化し、あるわけないだろうと返してしまうのが楽ではあるだろうが、それは彼女への──そして弱きを救うローグハンターへの裏切りだろう。

 彼は深く息を吐くと、負けを認めるように両手を挙げながら頷いた。

 

「……手はある。だが、あまり褒められた手段じゃない」

 

「……やっぱりあるんだ。その、内容までは聞かない方がいい?」

 

「ああ、聞かないでくれ。それに関しては何も言えない」

 

「でも、やろうと思えばやれるんでしょ?」

 

「ああ」

 

 ローグハンターは眉を寄せて心底嫌そうな表情で頷くと、銀髪武闘家は「やりたくは、なさそうだね」と苦笑した。

 彼がここまで嫌悪感を示すその手段とは一体なんなのか、気になって仕方がないが、教えてくれないのなら仕方があるまい。

 こくりと頷くローグハンターの様子に、銀髪武闘家は意を決して告げた。

 

「じゃあ、それやってくれない?」

 

「……本気か?」

 

「うん。キミは嫌だろうけど、手札があるのに切らないなんて、それこそ馬鹿みたいじゃん」

 

 まるで子供にお遣いを頼むように軽い調子で頼まれたことにローグハンターは面を喰らうが、彼女は畳みかけるように言葉を重ねた。

 彼女の言葉に鼻を鳴らしたローグハンターは「確かにそうだな」と数日前の自虐するように笑った。

 そして自分と銀髪武闘家の覚悟を問うように、口を動かした。

 

「この手札を切ると、しばらく会えなくなるぞ」

 

「それは、我慢するしかないかな」

 

「何かあっても、助けには入れない」

 

「いつも以上に注意して、警戒して、頑張らないとね」

 

「……俺は、寂しくて死ぬかもな」

 

「なら、会えない分まで抱きしめてあげる。キミが寝るまで、話してあげる」

 

 不意に漏らした彼の弱音に、銀髪武闘家は彼を抱きしめながら笑った。

 そのまま彼ごと身体を倒し、ベッドに横になる。

 目の前にある蒼い瞳は迷子の子供のように弱々しく揺れ、不安と迷いに満ちている。

 彼の過去に何があったのか、銀髪武闘家は深くは知らない。それでも、彼は愛する人を──家族を失う事を過剰に思えるほど極端に恐れていることはわかる。

 そんな彼に、間違いなく深い傷として心に刻まれ続けている王都の一件のように、危険を承知で別行動しようと提案するなど、彼からすれば死んでもごめんな提案だろう。

 だが、時にはその手札を──文字通りの半身と別行動をとるという最悪の札を切らねばならないのだ。

 銀髪武闘家は彼を抱き寄せ、彼の頭を豊満な胸に包み込みながら、孤独に泣く子供をあやすように、悪夢に怯える子供を励ますように、彼の背を撫でてやった。

 

「大丈夫、私は死なないから。だから、キミも死なないでね」

 

 彼女が囁くように告げた言葉に、ローグハンターは答えなかった。

 代わりに彼女の背に回した腕に力を込め、力強く、けれど優しく彼女を抱きしめながら、胸の中で小さく一度頷いた。

 

 

 

 

 

 翌朝。窓から差し込む朝日を顔に浴びた銀髪武闘家は、気怠げに身を起こした。

 いつも起きる時間よりも、幾分か早い。朝早くの街は静けさと朝露に包まれ、僅かな肌寒さを感じた。

 普段なら毛布に包まり直すか、彼を抱き枕にして二度寝をするところではあるが、部屋には彼の姿も、装備もない。もう出て行ってしまったようだ。

 自分の胸に手を当て深く息を吐いた彼女はベッドから降りると、装備を閉まっている長持ちに足を向け、

 

「あれ」

 

 その蓋の上に置かれた小さな羊皮紙に気付き、声を漏らした。

 蓋を開ける前にそれを手に取り、彼の文字で書かれた一文に目を走らせる。

 

『──愛する妻へ。安全と平和を』

 

 書かれているのはたったそれだけ。だがそこに込められた万感の想いは僅かに震えている筆跡に込められている。

 

「そこは『運は自分で掴むもの』じゃないんだ」

 

 銀髪武闘家は彼の口癖の言葉が書いてあると思っていたのか、苦笑混じりにそう告げてその羊皮紙を机の上に。

 手慣れた動作で装具を纏い、外套を羽織る。籠手の具合を確かめ、脚絆の留め具を締め直し、雑嚢を腰帯に取り付けていざ出陣。

 時間が時間だからと足音を殺してゆっくりと階段を降りていき、一階の酒場にたどり着くと同時に長台(カウンター)を覗くが、やはりそこにも彼の姿はない。

 代わりに店主が朝の挨拶をしてくれるが、その表情はどこか固いように思えた。

「おはようございます」と笑みと共に挨拶を返した銀髪武闘家は、そのまま酒場を抜け、街に繰り出す。

 疎な人混みを半身になりながらすり抜けていき、もはや目を閉じてでもたどり着けるだろう冒険者ギルドを目指す。

 彼は今ごろどうしているだろうと思い不意に空を見上げても、そこには普段なら目にできる鷲の姿すらなく、あるのは雲一つない快晴の空のみだ。

 自分から別行動すると言い出しておいて、孤独を感じている矛盾に笑いたくなるが、今はその感情は押し殺さねばならない。

 フッと短く息を吐き、意識を切り替える。頭の中で、カチリと何かが嵌まる音がした。

 途端に意識が研ぎ澄まされ、人懐こい瞳には冷たさが宿る。

 そうして研ぎ澄まされた意識の中、不意に冒険者ギルドの方に目を向けると、入り口の前で立ち尽くす人物を発見した。

 薄汚れた革鎧に、両脇の飾り角が折れた兜。左腕には円盾を括り付け、腰に帯びるは中途半端な長さの剣。

 ローグハンター、槍使い、重戦士に並ぶ、辺境勇士──ゴブリンスレイヤーその人が、何故かギルドを見上げて立ち尽くしていたのだ。

 疑問符を浮かべた銀髪武闘家は駆け足気味に彼に近づくと、彼女を追い抜く形でゴブリンスレイヤーに駆け寄る人影があった。

 足を踏み出す度に三つ編みに纏められた髪が揺れ、何か備品が詰め込まれた袋を落とさないように四苦八苦しながらも、彼に声をかけたのは受付嬢だ。

 彼女は笑みを浮かべているが、ゴブリンスレイヤーは相変わらずの兜で表情を窺えない。

 だが、何か大切な事を話しているのだろう。二人は二、三やり取りすると、受付嬢は笑顔を浮かべたままギルドに入っていき、ゴブリンスレイヤーは大きく息を吐いたのか、鎧が揺れる。

 その姿はまるで、未知の遺跡に挑まんとする冒険者がら改めて覚悟を決めているようにも見える。

 そのまま彼はずかずかと無造作な足取りでギルドの中へと消えていく。

 銀髪武闘家はそんな二人に続く形でギルドの自在扉を潜ると、

 

「おう、待ってたぜ!」

 

「っ!?」

 

 待ってましたと言わんばかりに飛び込んできた声に、思わず足を止めた。

 何事と声がした方向に目を向けると、槍使いがこっち来いと言わんばかりに大手を振り、そこには魔女、重戦士、女騎士とこの街が誇る銀等級冒険者たちが集い、彼らに囲まれる形で重戦士の一党の少年斥候と少女──正確には圃人らしい──巫術師。そして青年剣士をはじめとしたローグハンターの弟子たちが集められていた。

 ゴブリンスレイヤーの方は、女神官らと合流して何やら話し込み始めている。

 彼らなりに動き出そうとしているのだろう。昨日の内に彼の背を押しておいてよかったと僅かに安心。かのローグハンターが出遅れるなど、それこそ笑い物にされてしまう。

 

「それで、どうかしたの?」

 

 ひょいひょいと人で溢れるギルドと酒場の人混みを避けながら槍使いらの元にたどり着いた銀髪武闘家が開口一番に問うと、槍使いは周囲を見渡し、「あいつは?」とローグハンターの所在を問うてきた。

 やはり目的は彼かと苦笑した銀髪武闘家は、「朝からいないんだよね」と頰を掻いた。

 マジかと狼狽える槍使いを他所に、重戦士は腕を組む。

 

「あいつの事だ。どうせ何か手を打ってんだろ?」

 

 かつての激闘でも辛うじて無事だった右眼を細め、さも当然のことのように問うてくる。

 勿論!と間髪いれずに答えてやれば、彼をよく知る友人たちはだよなと一様に反応を示した。

 

「待て、あいつ一人でか?」

 

「うん。何をするかも、どこに行くかも言わないでいなくなっちゃった」

 

 だが不意に女騎士が投げた問いかけに、銀髪武闘家は困り顔で返す。実際今彼がどこで、何をしていふるのか全くわからないのだ。

 むぅと唸った女騎士を横目に、魔女が「それで、どこに……行く……?」と肉感的な肢体を揺らしながら銀等級冒険者らに問う。

 彼らがここに集うた理由はただ一つ。かの悪意に満ちた噂の出所を探り、噂を流した何者かの意図を探り、混沌の手勢であれば叩き潰すためだ。

 銀髪武闘家は顎に手をやり、思慮する様子を見せた。

 情報を得ると、言えば簡単だが実際にやるのは難しい。必要な情報を得るために、回り道と遠回りを繰り返すのはいつの時代も変わらない。

 

「とりあえず、水の街だな。地母神の神殿と至高神の神殿は横の繋がりがある。あの大司教様にも、俺たちなら会おうと思えば会えるだろ」

 

 そして重戦士はぶっきらぼうにそう告げると、女騎士の頭に手を置いた。

 そのまま乱暴に彼女の頭を撫で始めると、女騎士はやめろ、離せと口では嫌がるが手を払うことはない。

 

「俺はどうすっかね。都市の冒険(シティ・アドベンチャー)はローグハンターの管轄だろうが……」

 

 槍使いは乱暴に自分の頭を掻きながらそう言うと、ふと何かを思い出したかのように顔をあげた。

 

「そういや、水の街に知り合いの冒険者いるな。とりあえず、そこまでは一緒かね」

 

「そ、ね」

 

 彼の言葉に魔女が煙管を吹かし、紫煙を吐きながら美しい動作で首肯すると、不意に二人は銀髪武闘家に目を向けた。

 

「で、おまえがいりゃ話が(はえ)ぇんだが」

 

「……?私の知り合いなの?」

 

 槍使いの言葉に銀髪武闘家は首を傾げた。

 水の街を拠点にしていて、ついでに自分達の知り合いの冒険者など、果たしていただろうか。

 誰だ、あの人かと頭を捻る銀髪武闘家の姿に魔女が可笑そうに笑うと、「会えば、わかる、わ……よ」と言いながら紫煙を吐き出した。

 彼女の言葉に余計に困惑する銀髪武闘家だが、とにかくやることは決まったと自分の頰を叩いた。

 

「それじゃ、依頼はないけどやれる事をやりますか!いざ、水の街へ!!」

 

「え、水の街に行きますの?」

 

「そうみたいね」

 

 そうして意気揚々と告げた瞬間、背後から令嬢剣士と女魔術師の困惑と呆れの声が投げかけられた。

「うぇい!?」と驚きの声と共に振り向き、仕方ないと言わんばかりに肩を竦める二人に笑顔を向けた。

 

「彼はいないけど、私たちでもやれる事をしよう。たまにはこういうのもいいでしょ?」

 

 そして可憐に片目を閉じ(ウィンクし)ながらそう言うと、二人は揃って手伝うというむねの言葉を返してくる。

 

「今度こそ、先生抜きでもやれるって事を証明してみせますわ!」

 

「そうね。今度こそ、みんな無事にあの人におかえりなさいって言いましょう」

 

 二人の口から漏れたのは、いつかの王都──ローグハンターが離脱した直後に銀髪武闘家が刺されるという、最悪の事態を繰り返してたまるものかという覚悟の言葉。

 あの時と違い、戦力も整い、街の治安もいい場所でもあるが、何があるかはわからない。冒険者たるもの、いついかなる時でも万全を期さねばならないのだ。

 

「というわけで、こっちは任せた!」

 

 二人の覚悟に微笑みを浮かべた銀髪武闘家は、話についていけずに困惑していた青年剣士の肩を叩いた。

「お、俺ですか!?」と驚愕の声をあげる彼と、同じく困惑する彼ら一党に向け、頷いた。

 

「今、あの寺院には碌な目が向けられてない。この期に乗じてこの前まで大人しかった人たちが、騒ぎ出すかもしれない。だから、私たちがいない間、警備の依頼を引き継いで欲しいの」

 

「わ、私たちでいいんですか?」

 

 銀髪武闘家の言葉に女武闘家が問うと、彼女は「勿論!」と返して太陽を思わせる笑顔を浮かべた。

 

「──だって、私たちの弟子だもん。信頼してるし、信用もしてる」

 

 そして告げられた真摯な言葉にいまだ若き冒険者たちは面を喰らい、そして顔を見合わせた。

 確かに彼女からの信頼と信用に応じなければ、冒険者の名が廃る。

 あの暗い噂がある尼僧のいる寺院を守るなど、げんを担ぐ冒険者からは忌諱されること間違いない。だが、誰かがやらねばならない。

 

「や、やりますっ!やってみせますよ!!」

 

 声を張り上げたのは青年剣士だ。彼は一党を見渡し、そして酒場の端でゴブリンスレイヤーと話す女神官に目を向け、強がるような、けれど得意げな笑みを浮かべた。

 

「初めての一党の、仲間の家の危機だ!やってやろうぜ!」

 

 彼の宣言に一党たちが応じ、よしやろう!頑張ろう!と意気込む彼らの声が耳に届く。

 その様子に銀髪武闘家は師匠として、冒険者の先達として誇りに思いつつ、同時に姉や、母のように慈愛に満ちた表情で見つめた。

 ここに彼がいないのは酷く残念だけれど、それでも彼もどこかで同じように頑張っているのだ。なら、自分もやれることをありったけだ。

 

「──私も頑張るから、キミも頑張ってね」

 

 

 

 

 

「──ああ、任せろ」

 

 ギルドの外、冒険者たちが話し合う酒場の壁に寄りかかりながら、黒檀と黒曜石の鎧に身を包んだ蒼い瞳のアサシンは不敵に笑んだ。

 冒険者たちが表立って動いてくれるのなら、彼らが見つけられるようにヒントにさらにわかりやすく目印を付けよう。あるいは彼らでは対処できない問題が出たのなら、気づかれないように対処しよう。

 

 ──闇に生き、光に奉仕する。そは我らなり……か。

 

 アサシンは酒場の喧騒を名残惜しそうに背を向けると音もなく歩き出し、影の中に消えていく。

 ただ一人、長耳を揺らす妖精弓手(ハイエルフ)だけが、怪訝そうに窓の外を見つめていた。

 

 

 

 

 




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Memory05 それぞれの戦い方

 ローグハンターにとって、影を走る者たち(ランナー)との戦いとは即ち己の半生を語るようなものだ。

 彼らがどこに忍び、どこを進み、何を成すのか。それら全てがだいたいはわかるし、どう対処すべきかもわかってはいる。

 そして、それが例え人の道を外れるような手段であっても、今のローグハンターに躊躇う理由はない。

 葡萄尼僧を侮辱した怒りと、銀髪武闘家との約束が、彼にとっての超えてはならない一線を軽く飛び越えさせたのだ。

 初手から問答無用の最善手(クリティカル)でぶん殴りかかるのは、当然の帰結であった。

 対アサシン用の、一切の痕跡さえも残さず、音もない歩法で街を東へ西へと歩き回り、タカの眼を通して下手人を──目的の仕掛け人(ランナー)を探し回る。

 悪い噂の消し方は、貼り紙を剥がす、買収すると色々あるが、一番手っ取り早いのはその噂を流した人物を消すことだ。流石に街中で堂々と殺しをするわけにもいかないから、できるのは捕らえて狐に引き渡す程度だが。

 目深く被ったフードの下で蒼眼を細め、抱く殺意を一切外に漏らすことなく、ただ一点に注ぎ込む。

 人込みの中、ビクリと肩を震わせ、怯えた表情で辺りを見渡しているのは一人の男。髭面で、朝から酒でも飲んでいたのか頰が朱色に染まっている。

 だが破れやほつれが目立つ服を着ており、稼ぎがいい身分には見えない。その癖して足取りは確かで、そういった心得のあるもののそれだ。

 

「──見つけた」

 

 ローグハンターはフードの下で不敵に笑み、人込みの流れに身を任せてその男に近づいていく。

 あと五歩。気づかれた様子はない。

 あと四歩。やはり気づいた様子なし。

 三歩、二歩、一歩、ああ、全くど素人が。

 

「喧嘩を売る相手と、場所を間違えたな」

 

「へ?」

 

 背後から聞こえた絶対零度の声に男が振り向いた瞬間、ローグハンターはその男の鳩尾に拳を叩き込み、一撃で昏倒させ、半ば引きずる形で強引に路地裏に連れ込んだ。

 通りの人々は誰一人として異常に気づかず、皆がいつもの日常の中で先を急ぐ。

 そんな人々の喧騒の中、男の悲鳴が聞こえたことにも気づくこともなく。

 

 

 

 

 

 狐にとってその仕事は酷く久しぶりなようにも感じて、珍しく血が騒いでいた。

 別に酒場の店主というのが嫌いなわけでも、やり甲斐がないわけでもないのだが、やはり自分はこちら側の人間なのだと改めて認識させてくれるからだ。

 場所は『眠る狐亭』が所有する倉庫。彼の目の前には後ろ手で手を縛られた状態で椅子に座らされた髭面の男がいた。

 殴られたのか、蹴られたのか、鼻が歪に曲がって大量の鼻血が口元と服を赤く汚している。

 怯え顔でこちらを見つめ、助けを求めるように譫言を繰り返すその様は、まだ何もしていないというのに心が折れているかのよう。

 

「で、ローグハンター。何をした?」

 

「自決用の毒を飲まないように、顎を外して奥歯を抜いた」

 

「随分と物騒なことで」

 

 そんな髭面の男をここまで連行した人物──ローグハンターは柱に寄りかかりながらその時引き抜いた奥歯を指で弾き、男の目の前に落とした。

 ひぃ!?と情けない悲鳴を漏らす男を他所に、狐はローグハンターに問うた。

 

「それで、何を聞き出す?」

 

「こいつを寄越した(フィクサー)。行けそうなら依頼人まで」

 

「依頼人と言っても、もう目星はついているんだろ?」

 

 ローグハンターが爪を剥がす用の小さな鋏のような道具を手に取りながら告げた言葉に、狐は肩を竦めながら問いかけた。

 ローグハンターもまた肩を竦め、「まあ、そうだな」と苦笑を漏らす。

 彼が真っ先に頼った狐は、既に部下たちを使って情報収集を始めていた。

 アサシン教団の一員として、そして地母神の葡萄酒を愛する者として、絶対に今回の騒動の黒幕の尻尾を掴み、吠え面をかかせてやろうと決めていたのだ。

 だが、そんな彼の努力はあっさりと無駄に終わった。

 

『あんな曰く付きの酒より、うちの酒を仕入れませんか?』

 

 水の街から訪れたという酒商が、いきなり自家製のワインを勧めてきたのだという。

 普段なら商魂逞しいなと鼻で笑うが、今回は時機(タイミング)時機(タイミング)だ。

 ある程度日にちが経ち、騒ぎが大きくなり過ぎてから来るのならわかるが、まだ街の中で広まり始めた程度の時機だ。いくら何でも早すぎる。

 ローグハンターと狐は、その酒商がだいぶきな臭いと睨んでいるのだ。

 念のための裏を取るため、そして噂の拡散を少しでも遅らせるために連行したが、まだ他にも雇われた連中がいるかもしれない。

 

「とりあえず指を折るか。爪を剥がすか。目玉を抉り出してもいいし、鼻か耳を削いだっていい。……どれからするか迷うな」

 

 狐は布ではなく肉を解体する用の巨大な鋏を手に取り、ジャキジャキと刃を鳴らす。

 怯えて声も出ない男を他所に、ローグハンターは「そうだな」と眉を寄せて僅かに思慮した様子を見せると、顎に手を当てながら微笑んだ。

 

「なら、全部やるか。この際ナニを落としても構わんだろ」

 

「おっと、怖い。話すなら早めに頼むぞ、俺だって血は見たくなく」

 

 不気味に笑う頭巾の男たちに髭面の男が涙を流す中、二人は見せつけるようにそれぞれの拷問道具を構えて躙り寄る。

 

「ま、待ってくれ!俺は知らない!知っていても、喋ったら殺されちまう!!」

 

「言わないのなら、俺が殺す。今死ぬか、依頼人が殺されるのに賭けて協力するか、さっさと選べ」

 

 死にたくない一心で叫ぶ男に、ローグハンターは淡々とした声音でそう返し、男の膝に手を置いた。

 そのままいっそ清々しいまでの柔らかな笑みを浮かべ、解体用の短剣を振り下ろすのだった。

 

 

 

 

 

 さわさわと川のせせらぎは、薄闇の世界においても心地よいものだ。

 時間に余裕がないとはわかっているが、微睡みの誘惑は耐え難い。だって人間だもの。

 光差し込む至高神の神殿、その最奥にある中庭で、剣の乙女は恥じらいながらと欠伸を漏らす。

 夜明けから日の入りまでずっと仕事をしていたのだ。流石の英雄とて疲れるし、眠くもなる。

 一刻、二刻、うたた寝をしても世界は滅びないだろうし、このまま寝てしまっても……。

 そうしてぼんやりと微睡みの誘惑に身を任せようと脱力しようとした瞬間に、彼女はそっと天秤剣を手繰り寄せた。

 廊下に反響する足音。がちゃがちゃと武具の連なる音。統一されていない、雑多な、種族も性別もばらばらだろう。

 だがその中に二つだけ、聞き馴染みのある足音が紛れていることに、耳ざとく剣の乙女は気づいていた。

 

「お久しぶりですね、魔術師様」

 

 顔も向けずに声をかけると、冒険者達が立ち止まったのがわかった。

 声をかけられた女魔術師は特に驚いた様子もなく、「お久しぶりです、大司教様」と恭しく一礼。

 彼女に続いて重戦士とその一党も頭を下げる中、敦賀の乙女はゆっくりと振り返り、かつての戦いに同行した冒険者たちに微笑みを向けながら、誰かを探すように眼帯の下で視線を巡らせた。

 薄闇の中でも煌々と燃える蒼い炎は見当たらない。それがわかった剣の乙女は僅かに不満顔となった。

 それに目敏く気づいた女魔術師が「頭目が不在で申し訳ありません」と謝意を口にしつつ、前に出た。

 

「折り合ってお話がございます。頭目も助力を請うている筈です」

 

「ええ。ならやりましょう。すぐにやりましょう。お話とはなんでしょう?」

 

 そして、ここに来たのは頭目の──ようはローグハンターの頼みだと告げた瞬間、不満げだった剣の乙女の表情に気迫が満ち、ずいっと前のめりになりながら女魔術師に詰め寄った。

 彼のことを出せば嫌でも協力してくれるだろうと読んでのことだったが、ここまで食いついてくるとは少し意外。

 後ろの重戦士と女騎士が『別に頼まれていないだろ』と視線で訴えてくるのを無視し、女魔術師は一旦距離を取りながら話題を切り出すのだった。

 

 

 

 

 

 水の街の大通り。辺境の街とは比べ物にならない人通りでごった返す中を、銀髪武闘家と槍使い、令嬢剣士が進んでいた。

 

「私が大司教様の方に行かなくて良かったの?」

 

「仮にも恋敵だぜ?それにこっちの方が話が早ぇ」

 

「先生も罪なお方ですわね……」

 

 大司教に交渉という一番の面倒事を任せてしまい、若干の罪悪感を感じる銀髪武闘家に、槍使いが嘆息混じりにそう返し、令嬢剣士もまた溜め息を漏らす。

 恋敵とはいうが、こちとら結婚しとんじゃいと勝ち誇るようにドヤ顔を浮かべた銀髪武闘家は「そういえば」と振り向いて槍使いに問いを投げた。

 

「時間と場所、大丈夫?まあ、私も時計ないから何にも言えないけどさ」

 

「そんなん向こうも……、いやあっちは持ってそうだな。お嬢ちゃんは?」

 

(わたくし)も時計は流石に。冒険者には不要かと実家に置いてきてしまいましたから」

 

 彼女の問いかけに槍使いは今更な事を思い出し、この中で時計を忍ばせていそうな令嬢剣士に声をかけるが、彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。

 元より複雑怪奇で脆いにも程がある懐中時計を持ち歩く冒険者などいやいない。そもそもそんな物を持ち運ぶのは時間に厳しい王族や貴族連中なものだ。

 

 ──ローグハンターの野郎は持ってそうではあるが……。

 

 そんな貴族連中と繋がり(コネクション)を持つローグハンターならと変な推理をする槍使いだが、その相棒たる銀髪武闘家が持っていないならあいつも持ってやいないかと匙を投げた。

 

「ま、昼過ぎに約束の場所でって手紙を送っただけだしな。まだ昼前だし、どうせいねぇって」

 

 魔女に頼んで使い魔を放ってもらい、昼過ぎに広場で会おうと一方的な約束を取り付けただけだ。もしかしたら来ないかもしれないし、あるいはもう来ているかもしれない。

 

「約束した時間よりも早めに行って待っておくのが紳士の務め、らしいよ?」

 

 そんなどこか適当な槍使いに、銀髪武闘家がどこか吟遊詩人めいた言葉運びで苦言を呈すると、彼は腰に手を当てながら首を傾げた。

 

「誰の言葉だ?」

 

 何か有名な詩人の言葉か、あるいは二人の冒険の道中で聞いたのか、とにかく何かに使えそうだと引用元に探りを入れる槍使いだが、返された言葉は意外なもの。

 

私の旦那(ローグハンター)

 

 ようは惚気である。私の旦那は約束を破らないどころか、それよりも早く来て待っていてくれるのだと、自慢してきてきるのだ。僅かに遅れて発言の意味に気づいたのか、顔を赤くし始めるが知ったことか。

 槍使いは「そうかよ」と嘆息混じりに肩を落とした。確かにあいつならそんな事を言うだろう。特に最愛の妻との約束となれば、日の出前からその場所で待っていそうな雰囲気さえもある。

 冒険者らしくない冒険者。ローグハンターを一言で纏めるならそんな人物だろう。

 ほとんどの冒険者が貴族位を貰うか、貴族の家に嫁ぐ事をある種の目的(ゴール)として定める中で、彼はそんな貴族令嬢たちの好意を跳ね除け、一人の村娘と結ばれたのだ。

 事情を知らない冒険者が聞けば、『何を馬鹿な』『余程の阿呆だな』と蔑まれそうではあるが、彼にとって地位など興味がないのだ。

 ただ愛する者と静かに暮らせれば、それでいいのだろう。

 今も冒険者を続けているのは、そんな暮らしのための資金繰りでしかないのだと、槍使いは思っていた。

 

「お?でっかい魚泳いでるよ」

 

「え、どこですか?うわ、本当に大きいですわね」

 

「お前ら、普段からそんな感じなのか?」

 

 だが肝心の妻は通りの縁から顔を出した運河を覗き込み、そこを泳ぐ魚にばかり注目し、令嬢剣士もまた同じ。

 街中だからと油断している──わけでもなく、視線こそ魚に向いているがその心は背後や周囲の人込みに向けられているのだが、流石に滑稽にも程があるだろう。

 はあと溜め息を吐いた槍使いが「そろそろ着くぞ」と広場を示し、令嬢剣士が返事と共に縁から離れた直後だった。

 

「おねぇぇぇぇええええちゃぁぁああああああああん!!!」

 

 三人の鼓膜を破壊する喜色満面の声と共に、銀髪武闘家の背中に小さな人影がぶち当たった。

 全く反応ができないことはおろか、接近さえも気づかなかった三人が目を見開いて驚愕する中、銀髪武闘家はずるりと縁に添えていた手を滑らせ、

 

「「あ……」」

 

 背後から飛びつき、腰に抱きついている人物諸共、運河に頭から落ちていった。

 バシャン!とけたたましい音と共に水柱があがり、大量の水滴が雨のように周囲に降り注ぐ。

 周囲からは「人が落ちたぞ!?」と悲鳴があがり、人込を掻き分けて警邏中だった衛兵たちも集まってくる。

 

「これ、私たちのせいですか?」

 

「俺、知〜らね」

 

 困惑する令嬢剣士。我関せずに背を向ける槍使い。

 運河の方からは慌てて近くの船に飛び乗った銀髪武闘家と、彼女に飛びかかった少女の黄色に悲鳴が漏れ出ていた。

 

 

 

 

 

 そんな騒ぎも、冒険者たちのじゃれあいの結果と分かればすぐに治まるというもの。

 お騒がせしましたと、集まってきた衛兵たちに令嬢剣士が頭を下がる横で、救出された銀髪武闘家は濡れた髪をかきあげながら息を吐いた。

 鎧を着ているとはいえ、動きを阻害しないように両腕や太腿が露出している軽装であるため、濡れて瑞々しさを強調された肢体が惜しげもなく晒されている。

 一部の通行人から邪な視線を向けるのを構わず、彼女は自分を突き落とした人物に目を向けた。

 緑の外衣を纏い、その下には鎖帷子。背中には鉄の槍を携えた黒髪の少女。

 彼女は悪びれた様子もなく縁に腰をかけてぶらぶらと足を揺らしており、その目は銀髪武闘家を舐めるように見やる男たちを睨み返している。

 

「もう、お姉ちゃんをこんな格好を見ていいのはお兄ちゃんと馬鹿だけなのに!!」

 

「そのお姉ちゃんを落としたのが君でしょうが」

 

 ぷんすかぷんすかと頬を膨らませて怒気を滲ませる少女に、銀髪武闘家は溜め息混じりにそう告げて膨らんだ少女の頬を抓った。

 きゃ〜と大して痛そうな反応をしない少女に対し、銀髪武闘家は問いかけた。

 

「それで何でそんなありきたりな格好してるの?勇者ちゃん」

 

「んぇ?ボクは勇者じゃないよ〜。どこにでもいる普通の冒険者だよ〜」

 

「じゃあ、私の義妹じゃな──」

 

「わー!わー!ボク、勇者、勇者だよ!たまにこうやってただの冒険者してるだけの、通りすがりの勇者だよ!!」

 

 勇者じゃないから他人の空似かと、頬をつねりながら半目になった銀髪武闘家に向けて、少女──正体を隠している勇者は、声を潜めつつも慌てて訂正した。

 彼女にとって、ローグハンターの妹であるというのは何よりも重要なのだ。

 銀髪武闘家も流石に弄りすぎたかと反省しつつ、それはそれとしての声に怒気を込める。

 こちとら水の街に来てはしゃいでいたというのに、いきなりずぶ濡れなのだ。苦言のひとつも言いたくなる。

 

「うん。それはいいんだけどさ、流石にびっくりしたよ……」

 

「え?あ、ごめんなさい」

 

 真正面から、割と本気の怒りを込められた声に勇者が素直に謝ると、銀髪武闘家は「次からは気をつけてね」と苦笑しながら許しの言葉を告げた。

 

「わ〜い!お姉ちゃん大好き〜!」

 

 その言葉にパッと表情を明るくした勇者が再び抱きつくと、銀髪武闘家は困り顔を浮かべながら濡れた勇者の髪を撫でてやった。

 撫でる度に濡れた髪が指に絡みつき、変な感触ではあるが、不思議と心地よい。

 そして撫でられる勇者も気持ちいいのか、目を細めて猫のようにゴロゴロと喉を鳴らししていると、不意に周囲に視線を向けてローグハンターの姿を探した。

 彼女にとっては銀髪武闘家がいるとはつまり、兄がいることと同義だ。なら、どこかにいる筈と考えるのは当然のこと。

 

「それで、お兄ちゃんは!?お姉ちゃんがいるなら一緒に来てるんでしょ!?」

 

「ううん。別行動中」

 

「え……。二人が別行動って、嘘でしょ?」

 

 そして告げられた意外な一言に狼狽え、思わず神妙な面持ちとなって問いかけた。

 銀髪武闘家が首肯すると、今度こそ信じられないと言わんばかりに目を見開くが、まあ姉と会えたのならいいかと再び彼女を抱きしめた。

 

「鎧越しで痛くないの?」

 

「あんまり気になんないかな〜」

 

 とはいえ、銀髪武闘家は新調した鎧を見に纏っている。それなりに露出が多いにしても、その防御力は上の森人のお墨付きだ。

 それでも勇者は構う事なく抱きしめ、開いている胸元に顔を埋めた。何故かはわからないが、森の香りがしてすごく落ち着く。

 

「でさ〜、ボクに聞きたいことってなに〜」

 

 姉に頭を撫でられながら、不思議と落ち着く森の香りを堪能していた勇者は、気の抜けた眠たげな声で槍使いに問いを投げた。

 二人の邪魔をしないようにと距離を取っていた彼が、ようやくかと溜め息を吐き、銀髪武闘家もハッとした。

 

「あ、知り合いの冒険者ってこの子だったの?」

 

「ああ。まさか、噂の勇者様だったとは知らなかったけどな」

 

 世の中狭いぜと苦笑した槍使いは、乱暴に頭を掻きながら二人の方に足を向けた。

 槍使いと勇者が知り合ったのは本当に偶然だ。とある依頼で水の街に訪れた際に、同じ馬車に乗っただけの間柄だ。まあ、そのおかげでその後の戦いで少女が勇者だと判明しても挙句、こうしてやり取りができているのだが。

 

「ちょいときな臭いことになっててな。他の街だとどうなのか確かめたくてよ」

 

「きな臭い?むむむ、それは真面目に聞かなきゃ駄目だね」

 

 槍使いの言葉に表情と意識を引き締めた勇者が、名残惜しそうに銀髪武闘家から離れると、勇者として、そしてローグハンターの妹としての威厳溢れる──ように見えるが、単に格好つけているだけ──表情を浮かべ、銀髪武闘家、槍使い、令嬢剣士の三人に向き直った。

 

 

 

 

 

 それぞれがそれぞれのやり方で状況を打開しようとする中で、もちろんゴブリンスレイヤーも動き出していた。

 仲間たちと相談し、師匠の伝手を頼ってならず者の集まり(ローグ・ギルド)に情報の収集を頼んだのだ。

 今回は依頼を受ける側ではなく頼む側。それも正規のギルドではなく、裏稼業の者に頼むというのは妙な気分ではあるし、ローグハンターに見つかりでもしたらそれこそ口を聞いてもらえなくなる可能性もある。

 だが、やらねばならん。できることをありったけ。それが不器用で無愛想な小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の戦い方なのだ。

 そして、彼のその心配は意味をなさないものとなった。

 

「それじゃ、例の酒商に探りを入れるとするか」

 

「おう。ちょうどいい、新米どもを使え。お前の動きを見れば、いい刺激になる」

 

「別に一人で構わないんだがな」

 

 ゴブリンスレイヤーがならず者の集まり(ローグ・ギルド)に依頼を出してからしばらく経った頃。

 眠る狐亭の倉庫で拷問を終えたローグハンターは、ちょうどよく飛び込んできた仕掛け人(ランナー)向けの依頼に目を通していた。

 探りを入れる相手は噂の酒商。あまりにもいい時機のため、知り合いが依頼を出したのでは直感するが、誰からの依頼かは考えないでおくのがこちら(ローグ)側の決まりだ。

 そんな神妙な面持ちで書類を睨むローグハンターの後ろでは恐怖に目を見開き、気絶しながら失禁してしまった髭面の男が座らされており、どうやって処理するかを狐と彼の部下が話し込んでいた。

 別に爪を剥がしたり、指を落としたり、目玉をほじったりはしていない。単に短剣をちらつかせながら殺意をぶつけ、言葉巧みに恐怖を味合わせただけなのだが……。

 

「それなりに綺麗に済むように考えていたんだがな」

 

 一応は世話になっている店主の前だからと手加減していたのだが、気絶と失禁させてしまったのはこちらの不手際だ。

 何か手伝えることはないだろうかと視線を巡らせた瞬間、狐がそれを手で制した。

 

「こっちは気にするな、お前はお前の仕事をしろ」

 

「なら、任せる。俺は水の街に行く」

 

 狐の気遣いにローグハンターは甘えると、気絶している髭面の男に背を向けて歩き出した。

 やることは山積み。けれどやれなくはない。なら、やる。

 

「──さあ、反撃開始だ」

 

 どこかで踏ん反り返り、勝利を確信してバカ笑いをしているだろう黒幕を睨みながら、ローグハンターは不敵な笑みと共にそう告げた。

 

 

 

 

 

 




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Memory07 闇に生きる者(アサシン)の如く

 数日後の水の街。

 厚い雲に覆われ、双子の月の輪郭も見えない闇夜。

 

『さて、こちらの準備は万端。そっちはどうだ』

 

 肩に乗せた小さな獣。その額の宝玉から漏れ出る声にローグハンター、もといアサシンは「いつでも」と手短に返す。

 目深く被った頭巾の下、細められた蒼瞳に映るのはとある屋敷。懐にしまったとある書類(・・・・・)に手を触れ、小さく息を吐く。

 

「折角ここまでお膳立てをしてもらったんだ。すぐに終わらせてやる」

 

 辺境に居座っていた仕掛け人(ランナー)から聞き出した情報で狐が部下を動かして手に入れたこの書類をあの屋敷に──水の街の衛士長の邸宅に届ける。言葉にすれば、何とも簡単なお遣い(ラン)だ。一番面倒な書類を盗み出すところをやってくれたのが尚更良い。

 更に言えば薄汚れた革鎧の冒険者──なぜか聞き覚えるのある特徴だ──からも同じ場所を探るような依頼が来ていた為、多少ながら報酬も貰える。一石二鳥だ。

 逆に言えば、そんな紙切れ数枚の為に命を賭けてくれた誰かがいて、これを求める誰かがいたということ。

 その誰かの懸命に報いるため、金を出してくれた誰かに恩を売るため、そしてあの尼僧を陥れた畜生をどん底まで叩き落とすため、ここが正念場だ。

 アサシンは裏路地の影から顔を出し、足音一つなく通りを横断すると、そのまま屋敷の周囲を囲む石塀を乗り越え、あっさりと敷地に侵入。

 大人二人分の身長を優に超えるそれも、アサシンを阻む障害にはなり得なかった。

 屋敷の敷地内。塀の影で姿勢を低く(スニーク)しながら、タカの眼を通して周囲を索敵。

 無論、映る人影に敵影である赤の色はない。いるとしたら、衛士長の邸宅を警備する守衛か、屋敷の侍人(じじん)、あるいは衛士長その人だ。

 何の罪のない人を、こちらの都合で殺すわけにはいかない。

『汝、己が刃を罪なき者に振るうことなかれ』、だ。

 アサシンは頭巾の下で浅く息を吐き、影と一体となりながら屋敷に接近。

 そのまま窓枠に足をかけ、蹴り上げるようにして跳躍して二階の窓枠にしがみつく。

 そのまま腕力のみで鋼のように鍛え抜かれた身体を軽く引き上げ、足を引っ掛けて二階の窓に貼り付く。

 タカの眼を副次効果である暗視能力で部屋を物色したアサシンは、ここじゃないと目的の部屋を探して隣の窓に飛び移る。

 それを数度繰り返し、そもそも階が違うと気づくのに僅かに時間がかかった。

 間抜けか俺は溜め息を吐いてから更に上の階によじ登れば、目的の部屋はやはりそこであった。

 衛士長の書斎、あるいは執務室なのだろう。無人ではあるが、暗視してみれば何十刷と本が詰め込まれた書棚や上等な机。その上には飲みかけの酒瓶と、これまた高価そうな杯が放置されていた。

 

 ──早く済まさないと、下手をすれば戻ってくるな。

 

 アサシンは室内の情報から衛士長は何か所用で出ているだけと推理し、右手のアサシンブレードを抜刀。

 そっと窓枠の隙間に差し込み、刃を這わせる。黒き真の銀(ミスリル)の細い刃は溶けたバターを切るように留め具を切断した。

 守りの魔術も、護符も関係ない。古き上の森人(ハイエルフ)の呪いが込められた黒き真の銀(ミスリル)の刃は、そんな些細な魔術さえも容易く切り裂いてみせたのだ。

 よしと頷いたアサシンはアサシンブレードを納刀すると、窓を開けて滑り込むように室内に侵入。

 足が沈む程に毛足の長い絨毯の踏み心地に違和感を感じつつ、相変わらず音を立てずに室内を物色。

 一応、強盗が物色したというていになるようにしなければならないのだが──。

 

「物盗りが入った部屋、か」

 

 目を閉じ、瞼の裏で思い浮かべるのは今までで散々見てきたならず者(ローグ)が生み出した惨状や、敵に、時には味方に漁られた隠れ家(アジト)の一室。

 ふむと小さく唸った彼は、とりあえず書棚の中身をひっくり返して部屋にぶち撒け、飲みかけの酒瓶をぶん投げて適当に放る。

 タカの眼で机や書棚に紛れた隠し金庫を見つけ次第、アサシンブレードで強引にこじ開け、中身の宝石類を物色し、いくつかを懐に入れる。

 本当の強盗なら袋が満杯になるまで奪っていくのだろうが、自分はアサシンであり、一応は辺境勇士たるならず者殺し(ローグハンター)だ。

 超えてはならない一線というものは、絶対に超えない。全てが終われば、盗んだ物も返しにくる。彼女に、愛する妻と胸を張って再会し、思い切り抱擁するためには、それだけは譲れない。

 適当に部屋を汚したアサシンは懐からある書類を取り出し、それを目立ちそうな──けれど落ちていても違和感のない場所に置いた。

 強盗に入られた後、気にするのは何を盗まれたかだ。その中に見覚えのない書類が紛れていれば、嫌でも目立つ。

 この書類は、確実に見つけてもらわねば困るのだ。

 

「これで──」

 

 後は逃げるだけだなと窓の方に踵を返そうとした瞬間、刺客の囁き声とも、ゴブリンの嗤い声とも違う、怪物や咆哮が頭の中に響き渡った。

 瞬時にタカの眼を発動し、扉の奥に何かがいることにようやく気付く。

 浮かび上がる赤い影は人間のそれではない。只人のそれを優に超える巨体を持ち主は、拳を振り上げて壁ごと執務室の扉を粉砕した。

 扉と壁の破片が舞い散る中、アサシンは確かに強襲してきた怪物を認めていた。

 

巨人(トロル)か!」

 

 トロル。言わずもがな、怪物である。

 愚鈍。しかし怪力。鈍重。なれど強靭。

 その肌は鱗や岩、鎧で覆われていない。しかしその身に負った傷は多少なら断ちどころに癒ていき、火や酸の類で炙らねば痛痒(ダメージ)たり得ないという。

 

 ──トロルが何でこんな場所にいる!?水の街の、衛士長の屋敷だぞ!?

 

 アサシンは大きく目を見開き、柄にもなく舌を弾いた。

 西方辺境の秩序の砦。あるいは開拓の最前線ともいえる至高神の膝下に、醜悪な怪物がいるなど笑えない。

 それも、秩序を守る衛士長の屋敷に出たとなれば!

 今の手持ちの武器でトロルに致命傷を与えられる武器はあるか。

 なくはないが、ここで暴れれば書類が駄目になる可能性がある。いや、そろそろ誰か人が来ることだろう。

 武装した守衛ならともかく、戦う力を持たない侍人が部屋を見にきた暁にはきっと血を見ることになる。

 

 ──なら、とるべき行動(アクション)は一つだな。

 

 アサシンはその身を踊らせて窓を突き破り、空中で身を翻す。

 地上三階の高さからの垂直降下に、アサシンはほんの一瞬の浮遊感を堪能すると、

 

「ぅ゛……!」

 

 限界まで噛み殺した汚い悲鳴を漏らしつつ、強靭な四肢で持って着地。

 着地の衝撃で全身の骨が軋む痛みに耐えつつ、地面を蹴って走り出す。直後、彼のいた場所に巨体が落下した。

 

「OOOOOOLE!!!!」

 

 文字通り、背中を向けて逃げた獲物を追撃せんと吠え猛った怪物の方向が鼓膜を揺らす。

 それを背に屋敷の庭を疾走したアサシンは、その疾走を助走に塀を駆け上がるような勢いで一気に登り、敷地の外へ。

 ふっと短く息を吐いた彼の後ろでは、追いかけてきたトロルがその巨体を生かした突撃(チャージ)で門を破り、彼を仕留めんとしていたが、

 

「OOOL……?」

 

 トロルの視界に映るのは無人の通り。人の姿はおろか、気配すらも感じない静寂に包まれた通りが、トロルを迎え入れていた。

 どこに行ったと周囲を見渡し、トロルの巨体では通れない裏路地への入り口を入念に探る。

 こういった状況に陥った只人は逃げる時、相手には通らない細道を使うと学習していたのだろう。そして、その判断は正しいものだ。

 鼠が猫から逃れる為に巣穴に飛び込むように、旅人が飛竜(ワイバーン)から逃れる為に洞窟に飛び込むように、相手には入れない安全地帯に入り込むというのは逃走において重要な要素だろう。

 そうして路地への入り口を探し、視線を下げていたトロルは気付けない。

 自らの身長よりも更に高い建物の屋根の上。雲の隙間から降り注ぐ月光を背に受けた黒の剣士が、既に抜刀している事に。

 右手に片手半剣(バスタードソード)。左手に短剣(ナイフ)。夜風に吹かれて外套(ローブ)を揺らすその様は、さながら死神か、死を司る天使のよう。

 彼は屋根の上から身を投げ、そして告げた。

 

「──安らかに眠れ(Rest in peace)。化け物」

 

 一瞬の浮遊感。

 地面に引っ張られる重力の強さ。

 顔にかかる影でようやくこちらに気付いたトロルの、驚愕に染まった双眸。

 それら全てを余す事なく感じながら、アサシンはトロルの肩に落着すると同時にニ振りの刃で怪物の喉を掻っ捌いた。

 肉の繊維を断つ不快な手応えに眉を歪めつつ、噴水の如く噴き出す濁った血を浴びながら、駄目押しと言わんばかりにその眼球に血に濡れた刃を叩き込み、脳髄を貫くついでに脳味噌を掻き回す。

 耳から、鼻から、大量の血を垂らしながら巨体はぐらりと揺れ、宙を掻きながら背後に倒れ、沈んだ。

 途中で飛び降りたアサシンは何の感慨もなく斃れた巨体を見つめると、タカの眼を発動しつつぐるりと周囲を見回す。

 敵影なし。目撃者もいま死んだ。ならばよし。

 ああ、そうだ。ついでに濡れ衣を着せておこう。戻ってくる手間も省ける。

 アサシンは盗み出した宝石類をトロルの腰巾着にいくつか入れ、残りを倒れた方向に合わせて周囲にぶちまける。

 これで屋敷に盗みに入ったトロルの死体と、斃れた拍子にぶちまけられた宝石類という、殺害現場の完成だ。

 

「後は任せた。大司教」

 

 仕込みは済んだ。後は秩序の光の中に生きる者たちが糸を手繰り、真相を究明し、然るべき裁きを与えるだけだ。

 アサシンは頭巾の中で怯えていた獣の喉をそっと撫でてやる。

 

「それじゃ、俺は一旦離脱する。事が起こるとすれば、明日だ」

 

『だろうよ。見ていくのかい、旦那』

 

「ああ。万が一、想定していない事が起きた時に備えさせてもらう」

 

 ついでに宝石越しに聞いているだろう狐の部下にこのまま離脱するむねを伝え、この後の予定を簡単に確認した。

 衛士長の屋敷に盗みが入り、挙句トロルが出没した。剣の乙女や至高神の神官らがどうにかするにしても、明日一日は混乱に陥るだろう。

 その隙をついて暴れる輩がいないとも限らない。そちらの対処もアサシンの仕事だ。

 

「お前も帰って休め。いい物食わせてもらえよ」

 

 アサシンは微笑み混ざりにそう言うと、獣は返事代わりに彼の頬を舐めると肩から飛び降り、裏路地の闇へと消えていった。

 それを見送ったアサシンは建物の壁をよじ登り、雲の切れ目から見える双子の月を眺めながら、愛する妻の髪にも似た月光を浴びながら一度深呼吸。

 

「……もう五日も会ってないのか」

 

 そうして気を抜いたからか、途端に思い出したのは妻と別れたあの夜のことだ。

 あのやり取りから早五日。たったの五日であるが、彼女と出会ってからこんなに長い日数離れるなど、いつぶりだろうか。

 頭巾を押さえて目深に被り、その表情を見せないようにしつつ小さく息を吐く。

 

「随分と寂しがり屋になったな、俺は……」

 

 もうしばらく会えないというのに、アサシンは深々と息を吐いてその場にしゃがみ込み、更にもう一度溜め息を吐いた。

 そして彼の予想の通り、翌日から水の街は衛士達は、屋敷を荒らされ怒りに震える衛士長の指揮の下、トロルによる屋敷襲撃を手引きした犯人と、その場に残されていた不正の証拠(・・・・・)たる書類の裏取りに忙殺される事になるのだった。

 

 

 

 

 

「……」

 

 そんなアサシンの暗躍から数日後の辺境の街。冒険者ギルド。

 ギルドの待合所をかねた酒場の片隅。血気盛んな冒険者達の中でも人が寄りつかない円卓に、銀髪武闘家は突っ伏した。

 いつもの溌剌さはどこに行ったのか、死んだ魚のように濁った目が騒がしいギルドを意味もなく見つめている。

 水の街で勇者と話してからもう四日。彼と別れてから数えれば、もう十日になる。ローグハンターと別れて遠出までしたというのに、得られた情報はなし。一応、剣の乙女と勇者に辺境の街の異変を教えられただけでも成果といえば成果ではあるが。

 

「はぁ……」

 

 銀髪武闘家は円卓に顔を埋めながら、溜め息を吐く。

 いつもならどこかの誰かが背中を撫でてくれたり、声をかけてくれたりするのだが、生憎とその誰かがいないせいで余計に強烈な寂しさを感じてしまう。

 酒場の端で暗い空気を醸し出す彼女に、おいそれと近づく愚か者はいない。むしろ、近づくだけで不運が移されそうと、験を担ぐ冒険者達からは距離を取られていた。

 一応、訳を知る銀等級冒険者たちやローグハンター一党は苦笑するばかり。今の彼女を慰められるのは、慰める権利を持つのは、一人しかいないと理解しているからだ。

 正確には、機嫌を治してやろうと声をかけても無視されるか気のない返事ばかりを返されたり、二言目には「寂しい」だの「会いたい」だのと言い始めるので、諦めたという方が確かなのだが。

 

「ど、どうしましょう?」

 

「ほっときましょ。あの人が帰ってきたら元気になるわよ」

 

 銀髪武闘家が占領する隣の卓。心配する令嬢剣士と、どこか適当な女魔術師がそんなやり取りをしていると──……。

 

「はーいっ!今日のお仕事を貼り出しますよぉーっ!」

 

 いつの間にやらそんな時間になっていたようだ。受付嬢が紙の束を抱えて出てくると、冒険者たちは待ってましたと言わんばかりに歓声をあげながら掲示板へと駆け出していく。

 簡単な仕事。難しい仕事。近場の仕事。遠出をする仕事。種類は様々、早い者勝ち。金が欲しくば良い仕事を誰よりも早く見つけなければならない。

 

「ん?地母神の寺院の警護?これ、ローグハンターの奴が受けてなかったか?」

 

「いや、よく見ろよ。至高神の神殿からの依頼だ。……いや、これこそローグハンターの野郎が受けるだろ。あいつどこ行った?」

 

「いないなら、私たちで受けちゃいましょ!払いがいいわ!」

 

 そんなやり取りが聞こえてきた途端、何人かの冒険者が相変わらず伸びている銀髪武闘家に探るような視線を向けるが、当の彼女からはお好きにどうぞと言わんばかりに胡乱な視線を向けられた。

 無論、それは青年剣士の一党にも向けられており、彼らも任せて下さいと言わんばかりに頷き、複数ある『地母神の寺院の警護』の依頼の一枚を持っていった。

 受付に向かうローグハンターの弟子たちを見送った銀髪武闘家は、今日は何するかな〜と気だるげに身を起こす。

 この際、青年剣士らと合流してしまおうかとも思うが。

 意見を求めようと隣の卓、令嬢剣士と女魔術師に目を向けた瞬間、不意に視界の端で見慣れない青年が席を立ったのが目についた。

 冒険者たちの空白地帯を足早に踏破し、足を向ける先にいるのは自分。

 いやいやまさかとすぐに視線を外した途端、件の青年は緊張した様子で声をかけた。

 

「突然すまない。僕の話を聞いてはくれないか」

 

 ひどく掠れ、上擦ったそれは、主に肉体的な疲労と心労がたたった結果だろう。

 青年はこれではいかんと咳払いをするが、同時にふと違和感を覚えた。

 静かだ。そう、あまりにも静かすぎるのだ。先程まであんなにも騒いでいた冒険者たちが静まり返り、こちらに視線を向けている。

 

「あいつ、命知らずにも程があるだろ」

 

「うわ。よりにもよってあの人に声かけちゃうの?」

 

「あ〜、俺知らね。くわばらくわばら」

 

 冒険者たちが哀れむような表情で次々視線を外す中、一人状況に取り残された青年は何事だと緊張するばかり。

 なにか、まずい事をしただろうかと狼狽える彼は隣の円卓から、令嬢剣士と女魔術師の殺意まじりの視線に晒されながら、そっと銀髪武闘家の顔色を伺うと、

 

「何か用ですか。ないならさっさと退いて下さい」

 

 すっと細まり、鋭い殺意が宿る冷たい銀色の瞳がこちらを睨みつけていた。声音も冷たく、こちらをただの障害物としか認識していない。

 話は終わりだと言わんばかりに脅しをかけてくるその視線から逃れるようにギルドに視線を巡られた青年は、ギルドの端にいた薄汚れた革鎧を纏った冒険者と、その隣にちょこんと座る神官の姿を見つけた。

 協力者曰く、銀髪の武闘家とその革鎧の冒険者に要件を話せたの事であったのだが。

 

「とにかく、どこか部屋を借りられないだろうか!あと、そこの冒険者とも話がしたい!」

 

 目の前の女性の殺気が凄まじすぎて、一刻も早く二人きりという状況を抜け出したいという感情が上回った。

 ギルドの隅で叫びながら、革鎧の冒険者──つまりはゴブリンスレイヤーを手で示せば、彼は鉄兜を揺らして顔を上げ、隣の女神官もこてんと首を傾げる。

 流石に騒ぎすぎたのか、気をまわした監督官がどうぞどうぞと言わんばかりに上階を指差した。

 

「なら、行きましょうか。早く済ませましょう」

 

 銀髪武闘家は面倒そうに息を吐きながら、卓に手をついて立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 階段を上って、廊下の奥へ。

 ギルドの執務に関わる区画の片隅に、応接室はあった。

 一度は壊され、ここに納められていた冒険者たちのトロフィーも失われてしまったが、長椅子や机、棚などの備品はようやく新品を用意できたとギルド職員も喜んでいた。

 その内、モンスターの角だの名のある名工の武具だの、これから新しいトロフィーが集まっていくと思えば、寂しさを感じる壁もむしろ貴重な光景だ。

 だが、室内でそんな事を思う余裕のある者はいない。

 ゴブリンスレイヤーは何も言わず、銀髪武闘家は殺気立ち、そんな二人に挟まれる女神官は困り顔で笑うばかり。

 そして、三人の対面に座る青年──水の街の酒商の息子らしい──が、担当直入に告げた。

 

「急ぎの依頼だ。──どうか、僕らを助けてはくれないか」

 

「ゴブリンか?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 それに対するゴブリンスレイヤーの問いに、酒商の息子は恥を呑みつつ頷いた。

 酒商の息子。しかも話を聞いた限りでは、件の噂が流れた直後に売り込みに来た酒商の息子であるらしい。

 女神官が複雑な表情を浮かべる中、ゴブリンスレイヤーと銀髪武闘家が顔を見合わせる。

 嫌な沈黙が応接室に満ちる中、酒商の息子が喉の奥から絞り出すように告げた。

 

「……父が、混沌の眷属と契約を交わしていたことが明らかになったのだ」

 

 その言葉を皮切りに、酒商の息子は事情を説明し始める。

 最近、父の様子がおかしくなり始めた。

 商売が行き詰まっているわけでもなく何かに焦り、必死だった。

 そんな中、件の葡萄尼僧に関する噂が流れ、その機に乗じて意気揚々と動いていた。

 商人としての矜持もなく、まるで悪魔のように嗤い、その手を辺境まで伸ばそうとしていたのだ。

 

 ──もっと金を。もっと富を。もっと、もっと。

 

 いつかはわからない。だが、いつからか胸に宿ったそんな薄暗い欲望が、混沌の勢力を引き寄せてしまったのだろう。

 だが結果的に父は混沌の勢力と手を組み、彼らの企てに乗っかり、その見返りとして計画の狭間で生まれる利益を得る。そんな馬鹿げた協力態勢を整えてしまったのだ。

 本当に何とも馬鹿馬鹿しい、利用されるだけ利用され、捨てられるのも目に見えているだろうに。

 だが商売人として、正義とか人情より、相互利益の方が確かな事も多いのだ。

 そして混沌の勢力と手を組む間際、父は商人として契約を持ちかけた。正確には、契約の書類を手元に残す事にしたのだ。

 つまり自分が害されたり、捕まったりすれば、契約は公になり、貴様らの計画は頓挫する。逆にこちらが裏切れば、そちらも好きにしろ。

 つまりは自分の破滅はそちらの破滅。そちらの破滅はこちらの破滅。文字通りの一蓮托生の関係になるように画策したのだ。

 だが、結局それは失敗だった。

 何でも街の衛士長の邸宅に盗人が入ったそうだ。しかもその盗人はトロル(・・・)だったらしい。

 衛士長の自室を荒らし周り、隠し金庫さえもこじ開けて部屋中をひっくり返したそうだ。

 その後逃げ出したトロルは行き合いの冒険者だか、騒ぎを聞きつけた守衛だかに討ち取られたそうだが、その、本当になぜかはわからないのだが。

 

 ……どういうわけか、衛士長の部屋に、父の契約書(・・・・・)を落としていった。

 

 それで終いだ。面子を潰された衛士隊は総力をあげて追求を開始し、全てを明るみにした。

 父は捕縛され、破滅は免れまい。私は幸運にも事態を知らなかった。《看破》の証も立てられた。

 このまま家を継ぎ、円満解決。──なら良かったのだが、どうやら混沌の勢力も父の失態に気づいたようでな。最近、屋敷の周囲に妙な人影が見えるようになった。

 かつて戦を経験した使用人は言うのだ。

 

 ──あれはゴブリンに間違いない、と。

 

 

 

 

 

 話が終わり、先程とは違う静かさに包まれた応接室。

 ゴブリンスレイヤーは「そう動いたか」と淡々とした声音でそう告げた。

 え?と困惑気味に声を漏らした女神官を他所に、彼の言葉は続く。

 

「ギルドには?」

 

「通してある」

 

 酒商の息子はそう言うと、懐から手紙を取り出した。

 

「水の街の冒険者は誰も受けてくれなかったが、通りすがりの冒険者が受けてくれた。そして、辺境の街にいる銀髪の武闘家にこれを渡せと使いに出された」

 

 その手紙を銀髪武闘家に差し出し、差し出された彼女も怪しみつつもそれを受け取る。

 彼女は苛立ちをぶつけるように乱暴な手つきで封を解き、中の手紙に目を通す。

 

『──拝啓、愛する妻へ』

 

 貴族でもこう上手くは書かないだろうという上品で達筆な文字で書かれたそれは、間違いなくローグハンターのもの。

 そして手紙の内容をかい摘んで言えば、自分と酒商の息子が出会った経緯や依頼を受けた理由、そしてできる事ならこっちに来て欲しいという合流の指示が手短に纏められていた。

 最後の最後、僅かに力が入った文字でこう締め括られる。

 

『お前に会えない日々がこうも辛いとは思わなかった。すぐに帰る思っていたが、そちらから迎えに来てもらう形になって不甲斐ない。お前の温もりが恋しい。お前の声が、お前の香りが、お前の全てが恋しくてたまらない。またお前を抱き締められる日を、心待ちにしている』

 

 その言葉に銀髪武闘家は強張っていた表情から力が抜けて、

 

「ふへ。ふへへ。えへ」

 

 気の抜けた、力も抜けた、だらしのない、けれど幸せに満ちた笑みを浮かべていた。

 文字の一つ一つを見るだけで彼が何を思って筆を走らせたのかがわかるし、どんな顔で書いていたのかもわかる。彼はきっと笑っていた。無邪気な子供のように笑いながら、これを書いたに違いない。

 そんな笑顔を見てはいけない気がして視線を外した酒商の息子は、何の助けも得られず途方に暮れていた自分を捕まえ、事の経緯を聞いた彼の言葉を思い出す。

 

「『自業自得。ざまあみろ。悔い改めて、一生かけて反省しろ』」

 

「『そう父親に伝えろ。父親に罪があっても、お前や使用人まで罪を犯したわけじゃない』」

 

『「ただ家族だった(・・・・・・・)なんて下らない理由で、何の罪もない人を殺させるものかよ』──なんて、彼なら言うんだろな」

 

「え……」

 

 そんな思慮の途中。彼の言葉をそっくりそのまま口にしたのは銀髪武闘家だ。似ていない声真似までして、格好つけたように胸を張りながら、彼と同じ慈悲と怒りに震える瞳でこちらを見つめてくる。

 彼女は浮かべた笑みをそのままに、ゴブリンスレイヤーと女神官に目を向けた。

 

「で、どうするの?私たちは行くけど」

 

「断る理由もない」

 

「私も行きます!言いたいことはローグハンターさんが言って下さいましたし!」

 

 彼女の問いにゴブリンスレイヤーは即決し、女神官も何やら怪しい事を宣いながら同意を示す。

 なら、決まり。後は行動に移すのみだ。

 

「すまない、ありがとう……!何でも言ってくれ、可能な限り、全て準備して──協力する!」

 

 酒商の息子が机に額を着けながら頭を下げる中、銀髪武闘家は笑った。

 

「やっと話が簡単になったね。後はゴブリンを殺すだけだよ!ね?」

 

「ああ。ようやく単純な話になった」

 

 彼女の言葉にゴブリンスレイヤーが同意を示し、そして何かを察した様子で小さく唸った。

 

「やはり都市の冒険(シティアドベンチャー)はあいつに任せるに限る」

 

 そんな呟くとほぼ同時刻。水の街の片隅で、この事態の収集に奔走し、その尻拭いも自分でやろうとしている冒険者であり仕掛け人であるアサシンが、盛大なくしゃみをするのだった。

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory08 防衛準備

ここで言う事ではない気もしますが、子供達編である『継承』を一から書き直したくなってきているこの頃です。
もしかしたら、今書いているのを非表示にするなり消すなりするかもしれませんので、その時はご了承を。



 依頼を受けてしまえば、冒険者の行動は早い。

 手早く準備を整え、酒商の息子が用意したという大型の馬車に飛び乗り、屋敷を目指す。

 

「ようやく状況が動きましたわね」

 

 がらがらと車輪が石畳に刻まれた轍を転がる音に混ざり、令嬢剣士の声が幌の中に響いた。

 ゴブリンスレイヤー、ローグハンターの一党の連合軍が身を寄せ合う馬車の中、嫌に響いた彼女の声にゴブリンスレイヤーが兜を揺らした。

 座り込んで店を広げ、あれこれと作業する手を止める事なく、いつも通りの淡々とした口調で応じる。

 

「必要な事ではあった」

 

 あまりにも端的な答えに令嬢剣士が苦笑する中、隣で窓の外を見ながら酒を呷っていた鉱人道士がげふ、と息を吐く。

 

「「小鬼の娘』だなんだかいう噂を聞いたら、まっしぐらに突っ走りそうなもんかと思っとったが」

 

「彼女は褐色肌人の血を引いているだけだ」

 

 彼の言葉をゴブリンスレイヤーはあっさりと切り捨て、更に口を動かす。

 

「依頼人は酒商の息子だ。奴もゴブリンではない」

 

 その言葉に「違いないわい!」と膝を叩いて鉱人道士が笑い、令嬢剣士も「そうですわね」と頷いた。

 三人のやり取りを聞いていた女神官も思わずといった形で微笑みをこぼし、隣の妖精弓手は呆れた様子で肩を竦める。

 

「結局はいつも通りのゴブリン退治じゃない。ホント、退屈しないわ」

 

「そうか」

 

「今のは皮肉よ」

 

「……そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーはそう呟いて僅かに手を止めた後、すぐに作業を再開した。

 錬金術師さながらに乳鉢で何かをすり潰す姿は、鎧姿なことも相まって不気味なものだ。

 そんな見慣れた友人の姿を気にする事もない銀髪武闘家は、胸の前で両拳を突き合わせながら不敵に笑った。

 

「だいぶ遠回りしたかもだけど、後はぶん殴れば解決なんだし簡単よ」

 

「流石に言い過ぎでは?」

 

 彼女のあんまりにも単純な思考に女魔術師が半目になりながらぼやくと、「そう?」と銀髪武闘家が首を傾げる。

 

「裏であれこれ手を回しても、最終的に物をいうのは『暴力』なんだし」

 

「然り」

 

 彼女の暴論とも取られかねない言葉に首肯したのは、とぐろを巻くように座していた蜥蜴僧侶だ。

 

「万物創生以来、『暴力』で解決せなんだ問題の方が少ないですからな」

 

「……流石に言い過ぎでは?」

 

「左様。全部が全部とはいいませぬ」

 

 女魔術師が額を押さえながら投げかけた問いかけに、僧職らしい含蓄のある口調でもっともらしい事を口にする。

 

「情報を集め、軍議を開き、うんうんと唸った末に──」

 

「『面倒くさい、正面から行くぞ!』ってなっちゃうのがごく稀によくあるからね」

 

「今の声は、あの人の真似ですか?」

 

「似てたでしょ?世界の誰よりも聞いてる自信があるからね!」

 

 蜥蜴僧侶の言葉に続く形で、夫の声真似と共にある種の真理をついた銀髪武闘家の言葉に、女魔術師は嘆息した。

 やはり、あの人がいないとこの一党は脳筋しかいない。銀髪武闘家は言わずもがな、令嬢剣士も似たようなもの。ローグハンターは不在。やはり自分がしっかりしなければ……。

 

「力入りすぎよ。ほら、力抜いて」

 

 そうして眉間に皺を寄せていた女魔術師の様子に気づいてか、いつの間にか隣に擦り寄っていた妖精弓手が彼女の髪を撫でた。

 振り解くのも面倒な──けれど表情は心地良さそうな──女魔術師がされるがままにされていると、不意に窓の外に影が走った。

 ついで御者が「おわ!?」と声をあげ、更に「キィ!」と甲高い何かの鳴き声が続く。

 

「ん?」

 

 あまりにも聞き馴染みのあるその声にいの一番に反応したのは銀髪武闘家だ。

 ひょいひょいと荷物や仲間達の隙間を縫って進んだ彼女は、そのまま窓から身を乗り出し、御者台に顔を向けると、今度は彼女の頭に影が覆い、次の瞬間には何が彼女の頭に乗った。

 突然の重さに軽く頭を沈めるが、すぐにその何かに気づいた銀髪武闘家が右腕を頭上に掲げると、その何かが腕に飛び移った。

 そこにいたのは一羽の鷲。普段であればローグハンターの側を離れない彼の相棒──今の自分は妻なので、相棒の座は譲ってやった──が、目の前にいるということは。

 

「あ、見えてきたよ!」

 

 よしよしと頭を撫でてやりながら、その視線が向くのはこちらを見下ろすような高台の上にそびえ立つ屋敷だった。

 件の依頼人の父親は随分と儲かっていたらしい。真新しく、そして立派な屋敷だ。

 彼女の肩を合図に冒険者達も窓から顔を出し、ゴブリンスレイヤーは低く唸ったかと思うと、ぽつりと呟いた。

 

「どう見る」

 

「西が葡萄園。それで屋敷。屋敷から土手は下って、東は川かしら。音が聞こえるわ」

 

 偶然か、あるいは狙っていたのか、ゴブリンスレイヤーの隣の窓から顔を出していた妖精弓手がからの問いかけに応じ、彼は小さく唸った。

 地図は何度も確認したが、やはり直に目で見るのとはでは情報の量と質が違う。水の街に通じる支流の一つが、屋敷の脇を流れているようだ。地図を見ただけでは、もう少し離れていると思っていたのだが。

 

「なら、来るなら西でしょうか?」

 

「十中八九そうでしょうね。……まあ、いつかのゴブリンは舟を使ってきたから、もしかしたら東からもくるでしょうけど」

 

「その時は二人の魔術で吹っ飛ばしてね!」

 

 とりあえず手に入れた情報だけで令嬢剣士と女魔術師が侵攻経路(ルート)を予測し、銀髪武闘家が大雑把すぎる対応策を講じていた。

 

「──どちらにせよ、火は使えんな」

 

「当たり前でしょ」「当たり前です」

 

 ゴブリンスレイヤーがぼそりと漏らした言葉に妖精弓手と女神官が同時にツッコミを入れる中、彼は馬車の速度にあわせて流れる景色と屋敷を睨んでいた。

 葡萄園に点々と設置された案山子が嫌に目立つが、ゴブリンはあんなもの気にすまい。

 そして、冒険者が来ていることさえも気にすまい。奴らは自分達が負ける姿など欠片も考えず、突っ込んでくる。ゴブリンとはそういうものだ。

 まあ、負ける事を考えないという意味では、冒険者も同じではあるのだが。

 

 

 

 

 

「すみません、来てくださって本当にありがとうございます……!」

 

 馬車を降りた一党を出迎えたのは、一足先に戻っていた酒商の息子だった。

 そして彼の先導で扉を潜った先に広がるのは、冒険者達の予想を裏切るものでもあった。

 

「む……」

 

「こらぁ、なんとも……」

 

 足を止めたゴブリンスレイヤーの横で、思わずといった風に鉱人道士が声を漏らした。

 丁寧に整えられた庭。そこを通る小道(アプローチ)。重厚な樫木(オーク)の扉。

 それに対して玄関広間(サルーン)は、伽藍だった。

 あちこちに建材や骨組みが覗き、壁の塗り直しも中途半端。取り外された調度品も、埃よけの布を被せられて床の片隅に並べられていた。

 建築途中なのか、崩れかけた廃墟なのか、冒険者達は顔を見合わせて言葉に迷う。

 

「工事をなさって、おられるのですか?」

 

 女神官が迷った末に出した言葉に、酒商の息子は「外見は整っていてね」と疲労の滲む笑みをこぼした。

 

「父が改築を依頼していたんだが、逃げられてしまった」

 

「むぅ。まあ、気持ちはわからなくもないけど……」

 

 彼の言葉に銀髪武闘家は頬を掻き、役目を果たさずに打ち捨てられた建材に目を向けた。

 依頼人が混沌の勢力に手を貸した挙句、牢屋にぶち込まれたのだ。関わりを持ちたくなくなるのも無理はない。

 

「いい屋敷だと思うんだけどなぁ」

 

「──だが、今回ばかりは好都合だった」

 

 そうして伽藍の天井を仰ぎ見た瞬間、聞き馴染みのある声が冒険者達の耳に届いた。

 弾かれるように視線を向けた先にいたのは、黒で統一された衣装を埃で白く汚した一人の男。

 いつもは目深く被っている頭巾(フード)を取り払い、色が抜け落ちた白い髪と夜空を閉じ込めた蒼い双眸を冒険者達に向け、最後に深い愛情がこもった視線を銀髪武闘家に向けた。

 防塵用に口元を覆っていた布を取り払い、微笑みを浮かべた瞬間、銀髪武闘家は走り出していた。

 

「やっと会えた、久しぶり〜!」

 

「ああ、久しぶりだな」

 

 両腕を広げ、胸に飛び込んできた彼女を受け止めたのは、先んじてこの屋敷に馳せ参じていたローグハンターだ。

 二人揃ってぎゅっと相手を抱きしめ、およそ二週間ぶりの抱擁を堪能していた。

 彼女の息遣いが、彼女の温もりが、彼女の臭いが、何もかもが愛おしい。

 彼の息遣いが、彼の温もりが、彼の臭いが、こんなにも失い難いとは。

 

「とにかく、無事でよかった」

 

「お前も元気そうで何よりだ」

 

 一度体を離し、満面の笑みを浮かべる銀髪武闘家に、ローグハンターも笑みを返す。

 両手で銀髪武闘家の頬を包んだローグハンターは、接吻(キス)代わりに彼女の額に自分の額を押し当てた。

 目を閉じ、額に伝わる彼女の体温をより強く感じていると、自分の手に彼女の手が重なり、優しく握ってくれる。

 彼女の優しさに頬を緩めながら、ローグハンターは口を開く。

 

「もっとこうしていたいが、今は時間がない。昨日もゴブリンの物見が来ていた。あいつら、今日にでも攻めてくるぞ」

 

「そっか。じゃ、頑張らないとね」

 

 二人はその言葉を最後に目を開け、額を離した。名残惜しそうに繋がっていた手も離れ、夫婦の時間が終わりを告げる。

 表情を引き締め、意識を切り替え、夫はならず者殺し(ローグハンター)としての仮面を、妻はその右腕たる銀等級冒険者としての仮面を被り直す。

 

「状況は」

 

 そしてそんな二人の頃合いを見計らい口を開いたのはゴブリンスレイヤーだ。

 端的に投げられた問いかけに、ローグハンターは壁を示しながら告げた。

 

「壁を抜いて部屋の行き来をしやすいようにしている最中だ。他にも薄すぎる壁を補強したりもしているが、どうにもこの手の作業は馴染みがなくてな」

 

 どちらかと言えば虹色(レインボー)の領分だろ、これはと冒険者達からしても意味不明な事をぼやく彼を横目に、女神官が酒商の息子に問いかけた。

 

「……あの、話を聞いた限りだと既にお屋敷が……」

 

「ああ、それなんだが……」

 

「私が許可しました」

 

 言葉に迷う女神官と酒商の息子の会話に割り込んだのは、広間より伸びた階段上からの声だった。

 張り詰めた弓の弦が奏でる音のような声をあげたのは、一人の老婦人。

 上品だが華美ではなく、落ち着いた色合いの服を纏い、灰色になった髪を高く結っている。

 かつては美しく豊満であっただろう容貌は今では痩せ衰え、多くの歳月に覆われていた。

 けれどそれを恥じる事なく、力強く階段を下りる振る舞いこそが、今の彼女の美しくだ。

 女神官は息を呑み、居住まいを正した。その仕草さえ、老婦人は当然のように受け入れた。

 

「もはや当家に残された名誉はただ一つしかなく、となれば他の全ては瑣末事でしょう」

 

 彼女は値踏みするように冒険者達を見回し、老婆のそれでありながら力強い声でもって告げる。

 

「我が一族は、一度として膝をついたまま立ち上がらなんだ事はないのです」

 

 その一族としての信条(クリード)が、老いてなお彼女を毅然とさせているのだろう。

 

「商いでも、戦でも、それは同じ事。……報酬分の働きを期待します、冒険者の方々」

 

 老婦人が優雅な一礼をすると、滑るような動きで二階へと去っていった。

 ローグハンターはその背中に明確な尊敬の念を込めて頭を下げ、銀髪武闘家も彼にならう形で一礼。

 

「凄い人だろ、あの人」

 

「うん。なんか、圧倒されちゃった」

 

 揃って顔を上げた二人は老婦人に対して大雑把すぎる感想を漏らす中、妖精弓手は僅かばかりの敬意を滲ませ、くすりと笑った。

 

「ホント、只人(ヒューム)って面白いわよね。あの子(・・・)に格好いいとこ見せなきゃ、年長者としてね」

 

「あの子……?」

 

森人(エルフ)の尺度でみれば、私達は皆子供なんでしょ」

 

 彼女の言葉に令嬢剣士が困惑し、女魔術師が溜め息混じりに肩を竦めた。

 だが、冒険者として依頼人に格好悪いところを見せるわけにはいかないのもまた事実。

 何より『報酬分の働きをしろ』とまで言われたのだ。その期待と信頼に応えなければ、冒険者として、何よりならず者殺し(ローグハンター)の一党失格だ。

 目の前に助けを求める人がいて、自分達には助けられるだけの力がある。ならやる。そして報酬も貰う。冒険者とはそういうものだ。

 

「さて。仕事は山積みだ、取り掛かるぞ」

 

 パン!と手を叩いたローグハンターがそう言うと、冒険者達は一斉に頷き、屋敷中に散っていくのだった。

 

 

 

 

 

 メイドがパタパタと走り回り、下男があちこちを駆け回る。

 料理番も、農奴も、酒商の息子と老婦人のために屋敷に残った者達が、役職や上下に関係なく、己の仕事を懸命にこなしていた。

 伽藍と廃墟然とした静かさに包まれていた屋敷にも、にわかに活気づいているようですらあった。

 問題があるとすれば、その活気づく原因だけだろう。

 

「どう思う」

 

 屋敷の前に広がる葡萄園。並んだ木々の間に伸びた道の末端に、ゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人はいた。

 葡萄の低木が落とす影の中、そこにあるのは忌々しい小鬼達の足跡だ。

 

「いつかの牧場の時よりは少ないだろう。数が少ない」

 

 ローグハンターはゴブリンスレイヤーの問いに片手半剣(バスタードソード)で足跡を示しながら答えた。

 蒼く輝く瞳を細め、『タカの眼』を通して見える色褪せた世界に映るのは、数日前にここを覗きに来たゴブリン達の幻影だ。

 数はそこまで多くはないが、下手に群れを刺激したくなったが故に見逃された幸運の持ち主達。

 

「案山子を立てさせたら寄り付かなくなったが、そろそろあれが藁人形だと気づかれる頃合いだろう。気づいていないにしても、『面倒くさい、正面から行くぞ!』ってなるのがゴブリンだと思うが」

 

「…………」

 

「どうした」

 

「いや。それは間違いあるまい」

 

 ローグハンターの説明と、何とも聞き馴染みのあった言葉にほんの一瞬気が逸らされたゴブリンスレイヤーは、すぐに意識をこちらに戻して鉄兜を縦に揺らした。

 ゴブリンにとって他の奴らを襲うのは当然、奪うのは当然。それを邪魔してくる生意気な相手に対して、奴らは勝手に怒り、頭に血を上らせ、怒り心頭になる。

 つまり、何か一つか二つでも妨害の策を用意しておけば、向こうから勝手に突っ込んでくるのだ。そうなればいつも通りのゴブリン退治と大差はない。

 だが、今回のゴブリンは何やら計画を立てた混沌の勢力の下っ端だ。上等な武器や鎧、あるいはほかの何かを持っている可能性もある。

 備えはありすぎて困ることはないのだ。何か仕掛けてくると考えておいて損はない。

 

「……次は川だ」

 

「土手のすぐ下が川だ」

 

「土手?」

 

「あ〜。どうやらこの屋敷は堤防代わりに川沿いに盛った土の上に建てられたらしくてな」

 

 ゴブリンスレイヤーの問いかけに、ローグハンターは忙しくしている下男の一人から教えられた情報を口に出し、川と屋敷は上下に距離がある事を教えてやった。

 ゴブリンスレイヤーはそうかと頷き、立ち上がる。

 木々の隙間からは血のように赤い夕暮れの陽光が差し込み、ゴブリンスレイヤーとローグハンターの二人を怪しげに照らしていた。

 

「あれは、なんだったか」

 

 そして、その赤さで何かを思いついたのか、ゴブリンスレイヤーが口を動かした。

「なんだ」と首を傾げるローグハンターに、ゴブリンスレイヤーは小さく唸り、そして告げた。

 

「あの赤い煙が出るやつだ。あるか?」

 

「……ああ、なるほど」

 

 ゴブリンスレイヤーから伝えられた情報に思い当たるものがあるローグハンターが雑嚢を探り、「五つだけだが」と個数を確認した。

 

「十分だ。これと合わせて農道に設置してくれ。位置は任せる」

 

「わかった。悪巧みは嫌いじゃない」

 

 ゴブリンスレイヤーの策を『悪巧み』で一纏めに括ったローグハンターは、指示通りに農道へと足を向けた。

 彼の背を見送るゴブリンスレイヤーは、不意に鉄兜を揺らして周囲を見渡した。

 屋敷一つを守るだけの、ちっぽけな戦い。

 いつかに経験した悪魔の群れ(レギオン)との戦いなどとは比にならない、盤上の一升にも満たない領域を巡る小競り合い。

 天上の神々が壮大な物語(サーガ)の幕間に仕込んだ程度の小話。勝っても負けても、物語自体の結末には直結すまい。

 

「──知ったことか」

 

 それに何の問題があるというのか。ゴブリンスレイヤーにはまるでわからなかった。

 

 

 

 

 

「おう、銀髪の!こっちも頼んまぁ!」

 

「はいはい。場所開けて」

 

 そんな一党の頭目同士のやり取りなど露知らず、銀髪武闘家は鉱人道士に呼ばれるがまま壁の前に立った。

 

「ここでいいの?」

 

「おう。ぶち抜け」

 

「はいよっと」

 

 壁に手をついて最終確認を取り、許可が出たとなれば構えを取る。

 左足を引いて半身になりながら、右手の指先を壁に当てる。

 間合い十分。体調万全。相手は薄く、動くこともないただの壁。ならば何の問題もなし。

 

「──シッ!」

 

 鋭い呼気の音と共に、壁に当てられた指が折れ曲がり、瞬間形作られた拳が壁にめり込み、罅を刻み、次の瞬間にはバラバラと音を立てて完全に破砕する。

 

「ふ──……」

 

 パラパラと音を立てて破片が落ちる中、拳一つで壁を綺麗に破壊した銀髪武闘家は深く息を吐き、残心を一つ。

 

「…………あの、こう、道具を使うとかではないのですか?」

 

 そして砕かれた壁の向こう。下男と二人で壁をくり抜いていた令嬢剣士が口の端を引き攣らせながら投げかけた問いかけに、銀髪武闘家はこてんと首を傾げた。

 

「このくらいの薄さなら問題ないでしょ。それに、(こっち)の方が楽だし」

 

「あ、はい。そうですわね」

 

 埃だ破片だで白く汚れた拳を突き出しながら、笑みと共に告げられた言葉に令嬢剣士はどこか遠い目をしながら心無い返事を返し、次の作業に取り掛かるフリをして廊下の向こうに消えていった。

 

「ちょっと、何で離れてくのさ!?」

 

 銀髪武闘家がそんな遠ざかる彼女の背中に当惑の声をあげるが、彼女が戻ってくることはなかった。

「もう!」と不満げに頬を膨らませる中、「あ、あの〜」と背後から女神官に声をかけられる。

 

「ん?どうかした?」

 

 振り向き様に問いを投げてやれば、「どうぞ」の声と共にバスケットにサンドイッチが差し出された。

 隣の鉱人道士は「これは助かるわい」と感謝の言葉と共にそれを受け取り、銀髪武闘家もまた手を拭って埃を落としてから「ありがとう」と笑みを浮かべた。

 そうして間食を受け取ろうとすると、ずいっともう一人分のサンドイッチも差し出された。

 何事と首を傾げる彼女に、女神官は「こっちはあの人に」と農道を方を──正確にはそこで何かの作業を終えたのか、土塗れの手を拭うローグハンターを指差した。

 

「お願いしてもいいですか?」

 

「わかった。じゃ、一回休憩」

 

 女神官からサンドイッチを受け取った銀髪武闘家はパタパタと走り出し、ローグハンターの下へと向かっていった。

 

「嬢ちゃんは気遣い上手じゃな。あの金床にもこのくらいの甲斐性がありゃなぁ」

 

「聞こえてるわよ、この寸胴樽!」

 

 鉱人道士の悪態に屋根上で見張りを務めていた妖精弓手が怒鳴り返す中、女神官は「あはは」と乾いた笑みをこぼしながら告げた。

 

「私が渡すよりも、あの人が渡した方が食べてくれそうですから」

 

 

 

 

 

「──というわけで、差し入れのサンドイッチだよ!」

 

「ああ。こっちもちょうど終わったところだ」

 

 ゴブリンスレイヤーからの指示を終え、農道から屋敷に戻ってきた彼を出迎えたのは、愛する妻の笑顔と女神官からの差し入れだった。

 彼女の笑みにこちらも笑みで返してやりながら、手頃な段差に腰を下ろした彼はぽんぽんと隣を叩いて銀髪武闘家に隣に座るように促した。

 言われるまでもなく彼の隣に座った銀髪武闘家は、彼の肩に寄りかかりながらサンドイッチを口に運び、頬張った。

 ローグハンターもまたサンドイッチを頬張り、ほんの僅かに感じていた飢えを癒やし、肩に寄りかかる心地よい重さが疲れを癒してくれていた。

 黙々と食をすすめること数分。先に食べ終えた銀髪武闘家が何をするわけでもなくローグハンターの肩に頬擦りし、彼の方もそれを受け入れされるがままになる事を選んだ。

 彼女と離れてだいたい二週間ほどか。こうして触れ合うだけでも、その離れていた時間が埋まっていく感覚が何とも心地よい。

 

「ねえ……」

 

「何だ」

 

「頑張ろうね」

 

「言われなくても」

 

 そんな気の抜けた声で告げられた言葉にローグハンターが苦笑混じりに返す中、銀髪武闘家は「あ、そうだ」と何かを思い出したように彼の顔を見上げた。

 

「これが終わったら、時期的にお祭りがあるでしょ?」

 

「その祭りをする為の依頼の延長だからな、これは」

 

 彼女が口にしたのは、地母神の神殿が主体となって執り行う早摘み葡萄の収穫祭だ。正確には秋の実りを祈る祭事だが、まあ楽しく騒げるのなら何でもいい。

 そんな地母神の神殿の葡萄尼僧の悪評を広めた男の息子を守るとは、何とも摩訶不思議な状況になったものだ。

 だが、ローグハンターからすればそんな事情など関係ない。依頼が来たのなら、それに沿った行動をする。それだけのこと。

 

「それで、祭りがどうかしたのか?」

 

「うん。たまには二人でのんびりお祭りを回らない?」

 

 肩に寄りかかりながらこちらを見上げてくる彼女を見つめ返しながら、彼女からの『デート』の誘いにローグハンターは笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうだな。たまには、それがいい」

 

 彼女の肩を抱き寄せ、今度はこっちが寄りかかりながら、微笑み混じりに頷いた。

 この二週間、彼女とまともに会うこともできずにいたのだ。彼女と二人でいられるのなら、こちらとしても都合がいい。

 

「頑張らないとな」

 

「うん。頑張ろう」

 

 夫婦の些細な約束が決まると共に、赤く染まっていた空は青紫に変わり、陽が山の向こうに沈むと共に双子の月が輝き始める。

 間もなく夜だ。混沌の手勢達の時間だ。ゴブリン達にとっての昼だ。

 二人は頷きあうと立ち上がり、ローグハンターは首を鳴らし、銀髪武闘家は指の骨を鳴らして足首を回して具合を確かめた。

 間もなく夜だ。冒険の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory09 雷轟

私事ですが、アサクリミラージュのエンディング迎えました。
ボリューム控えめとの前情報でしたが、一ヶ月足らずでクリアできてしまうとは。でも面白かったのでOKです!
現代編の描写がほとんどなかったのはちょっと気になりますけど。なくても良くねとか思ってたのに、いざなくなると物足りなく感じるの何なんでしょうね。



 双子の月に照らされる葡萄園。

 商館の二階に陣取ったローグハンターはタカの眼を発動しつつ、闇夜に紛れて動き回る小さな赤い影を睨みつけていた。

 

「かなりいるな。見る限りではゴブリンだけだが、警戒を緩めるなよ」

 

「予想通りだ」

 

「私は外れて欲しかったな」

 

 ローグハンターの報告にゴブリンスレイヤーは兜を縦に揺らし、妖精弓手はげんなりした様子で肩を落とす。

 前もゴブリン、その前もゴブリン、そして今回もゴブリン。ゴブリン、ゴブリン、またゴブリン。流石に嫌になってくる。

 そんな彼女の様子を意図して無視し、ゴブリンスレイヤーとローグハンターはそれぞれの持ち場に向かう。

 ゴブリンスレイヤーは鉱人道士と蜥蜴僧侶の元へ、ローグハンターは銀髪武闘家と令嬢剣士の元へ。

 

「お、戻ってきた」

 

「先生、万事指示通りですわ!」

 

「わかった。そろそろ仕掛けてくるぞ」

 

 そのまま二人を連れながら廊下を進み、途中ですれ違う怯えた様子の──けれど最低限の武装はしている使用人らを励ましていく。

 混沌の勢力との取引を知られ、評判が地の底に堕ちてなおこの屋敷と酒商の息子や老婦人の為にこの場に残った頼もしい素人達。

 接近戦の心得などない。石だのを投げて牽制するならまだしも、彼等に剣を振らせる言葉にとはつまり、自分達の敗北と同義だ。それだけは避けねばならない。

 この事態になるまでの過程を思い返せば、この状況を生み出したのは自分なのだし、ここで頑張らねば冒険者としてもアサシンとしても失格もいいところだ。

 

「川の警戒は大丈夫なんだな」

 

 そんな胸中での呟きを欠片も表情には出さず、ローグハンターは次の手を銀髪武闘家に問いかけた。

 万全を期すために最大の心配はやはり川だ。ゴブリンは舟に乗って川を下る──正確にはただ流されてくるだけ──ぐらいならできる。葡萄園からの攻撃は何とかするとして、川からも攻撃がくれば流石に面倒くさい。

 

「うん。あの()と、使用人の人たちが何人かで見張ってるよ」

 

 その返答は女魔術師を中心とした幾人かで警戒しているという報告書だ。

「なら、大丈夫だな」と女魔術師への全幅の信頼を口に出し、それを聞いた銀髪武闘家と令嬢剣士は顔を見合わせながら思わずといった形で苦笑した。

 今の言葉はかの術師がローグハンターの中でそれなりに上位の存在になっているという事の裏返しだ。

 妻である銀髪武闘家や妹である勇者、一方的かもしれないが親友扱いのゴブリンスレイヤーには及ばないにしても、その次くらいには頼れる相手として認識している。

 もしこの場に女魔術師がいれば顔を赤くして恥ずかしがるか、慌てながらも謙遜してあれこれ言い出す事だろう。

 まあ、それはそれでローグハンターに「謙遜するな」と微笑まれるだけで黙り込む事になりそうだが。

 

「──さて、仕事の時間だ」

 

 ローグハンターは目深く被ったフードの下で不敵な笑みと共にそう告げる。

 それからほんの数秒の間を開けて、葡萄園の方からゴブリンたちの狂い猛った雄叫びが響き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 夜闇に紛れ、葡萄の低木に身を潜めながら館に迫っていたゴブリン達は、まさに恐慌状態に陥っていた。

 最初の異変は誰かが何かを踏み砕いた事だ。

 足元から赤い煙が噴き出し、ゴブリンの群れを包み込んだ。そして、次の瞬間には煙に巻かれたゴブリンたちは目を血走らせながら、意味不明な雄叫びと共に殺し合いを始める。

 無論、ゴブリンたちとて愚かではない。赤い煙が危険と見るや、その煙がない道を走り出す。そして次の瞬間には足元に仕掛けられていた地雷を踏み抜き、赤い煙と共に恐慌に陥り、殺し合う。

 側から見れば魔術か呪術に見えるだろう。だがそれはローグハンターの十八番(おはこ)。様々な人間が知恵を出しあい、知恵を結集して生み出された『バーサーク・グレネード』の用いた地雷だ。

 術の消費はない。ローグハンターの補充可能な手札を何枚か無くしただけのことだ。

 混乱は混乱を呼び、煙を吸っていないにも関わらず恐慌状態に陥ったゴブリンたちは煙を恐れて右に左に道を変え、本人たちも意図しないうちに一本道に誘導されていく。

 逃げ出す事もできるだろうにしないのは、煙を巻かれたのは馬鹿な奴らで自分はそうではないと根拠のない絶対的な自信があるからに他ならない。

 

「やれやれ。大量だね」

 

 そして何より、一本道の向こうに女が一人で突っ立っているとなれば足を止める理由は更に減る。あの一番にあの女を組み敷き、好き勝手に嬲る権利を得るべく、邪悪な情欲に歪む黄色の双眸で女を睨む。

 

「久しぶりに見たけどやっぱりえげつないよね、あれ」

 

 そんなゴブリン達の視線を全身に浴びながら、それでもなお怯まずに仁王立つ銀髪武闘家は思わず嘆いた。

 愛する夫のすることだからあれを間違った事には使わないだろうし、あれに何度も助けられている身分なのでとやかく言うつもりもない。

 ないのだが、流石にあれを浴びせられる相手には同情──する必要はないな。ローグハンターがあれを使うという事は、相手がそれを使うに値する畜生な事は確定なのだから。

 深く息を吸い込み、吐く。拳を握り、引き絞る。銀色の髪が夜風に揺れ、月光を浴びて神秘的な輝きを放つ。

 その美しさを理解できないゴブリンたちは、それを引き裂き穢さんと迫り来る。

 先頭を走るゴブリンが何かを喚く。ぶっ殺してやるか、女がいるぞか、単なる閧の声か。あるいはあれは俺のものだ(・・・・・・・・)か。

 相手は一人。こちらはたくさん。数に物を言わせて押し倒し、手柄を自分のものにして一番最初のお楽しみに預かる。先頭を走るゴブリンが考えたのはそんな低俗な事。

 ゴブリンは誰一人として考えない。自分たちが負けるという事を。ゆえに気づかない、彼女の陣取る一本道脇の低木の陰に彼女の騎士とその戦友が潜んでいる事に。

 そして先の邪念を感じ取った騎士が、一層殺気立っている事に。

 そんな事を知る由もないゴブリンたちは目の前の餌に釣られて走るあまり足並みがズレ、隊列が縦へ縦へと伸びていく。いつしか群れは複数の集団に分かれ、勝手に距離が開いていく始末。

 そして先頭集団がまさに銀髪武闘家に飛び掛からんとした瞬間。

 

「シッ!」

 

「オオ!」

 

「もらい!」

 

 ローグハンター、ゴブリンスレイヤーが木の影から飛び出すと共にそれぞれ一匹ずつゴブリンの首を切り裂き、二階の窓から射線を通していた妖精弓手の一射がゴブリンの眼窩を貫いた。

 

「GBR!?」

 

 後続の三匹が瞬く間に殺され、一瞬にして孤立する事になったゴブリンが驚倒のまま音に釣られて振り向いた瞬間、

 

「でりゃああああああああああ!」

 

 開戦の狼煙だと言わんばかりの怪鳥音と共に、銀髪武闘家の踵がその頭蓋にめり込み、そのまま身体を縦に寸断した。

 何が起きたのかも理解できずに左右に割れるゴブリンの死体に一瞥もくれず、銀髪武闘家は上の森人手製の具足の具合にご満悦の表情を浮かべ、空を蹴った。

 踵にへばりつく肉片と返り血が空に弧の字を描き、重力に引かれるがままに落ちて道の中央に一直線の赤い線を引いた。

 

「格好つけてないで、次来るわよ!」

 

「わかってるよ!二人とも、行けるよね!」

 

「問題ない。それにしても、ゴブリンにしてはいい武器だな」

 

「好都合だ」

 

 上から微笑み混じりに浴びせられた注意の声に打てば響くように返す傍らで、ローグハンターとゴブリンスレイヤーはそれぞれゴブリンが持っていた武器を回収していた。

 ゴブリンのそれにしては随分と質がいい。やはり野生の群れではなく、混沌の勢力の息がかかった尖兵なのだろう。

 

「GBRRRRR!!!」

 

「GOBGOB!」

 

 そんな冒険者達のやり取りが終わると共に、第二陣が彼等に迫る。

 女が増えた、二階にいるぞと喚き散らし、手柄欲しさに向かってくる。その背後には更に数を増やした第三陣。速度を増している様子からして、その二つが合流するのは時間の問題だ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!!」

 

 冒険者達が身構える中、彼らの背後から聞こえたのは一人の少女の真摯なる祈祷の声であった。

 冒険者達を鼓舞し、誰かの力でたらんとする少女の祈りは、慈悲深き地母神に届きえる。

 それを知らないゴブリンたちの群れが合流を間近にした時、唐突に二つの群れは分断された。地母神の加護により与えられた《聖壁(プロテクション)》の奇跡により第二陣は退路を絶たれ、第三陣は出鼻を文字通りに砕かれる。

 後ろで聞こえた悲鳴に狼狽えた第二陣だが、危機的状況に陥ったのはむしろ彼らの方だ。退路もなく、増援も望めない彼らに迫るのは黒と銀の二人組。

 ローグハンターと銀髪武闘家の夫婦が、ほぼ同時にゴブリンたちに踊りかかる。

 

「ふっ!」

 

 鋭く息を吐きながら片手半剣(バスタードソード)を大上段から振り下ろして一匹目の頭蓋をカチ割り、左手に握る短剣を逆手に持ち変えながら脇で(ほう)けていたゴブリンの喉を掻き切る。

 一匹目は頭蓋から噴水の如く血を噴き出し、二匹目は血の泡を噴きながら崩れ落ちる。

 片手半剣(バスタードソード)の短剣。本来の戦闘体勢(スタイル)に戻った彼の技は、過去のそれよりも研ぎ澄まされていく。

 そして彼の背後から襲いかかろうと息を殺して迫っていたゴブリンは、彼の右腕たる冒険者が叩き潰す。

 

「デリィヤ!!」

 

 口から怪鳥音を響かせながら拳を固めた鉄槌を振り下ろして頭を殴り砕き、地面にぶち撒けられた頭蓋とその中身に一瞥もくれず、くるりと体を回して勢いをつけた後ろ回し蹴りで飛びかかってきたゴブリンの胴を寸断。

 臓物をこぼしながら断末の叫びをあげるゴブリンを無視し、ローグハンターと銀髪武闘家は更に加速。

 流れるような連撃でもってゴブリンを屠殺し、乱戦の中で文字通りたった二人でゴブリンの群れを虐殺していく。

 背中を預け、肩を並べ、言葉もなく、視線すらも合わせずに、二人の連携は冴え渡る。

 人が人である限り必ず生まれる死角を互いで庇いあい、動作の合間に生まれる一瞬の隙を補強しあう。

 二人の舞踏(ワルツ)はゴブリンの血と月光に彩られ、館で身を潜める使用人たちを魅了する。

 そしてその美しさと殺意に気圧されたゴブリン達が、二人から離れようと身を翻した瞬間、更なる追撃が彼らを襲った。

 

「これで、三!」

 

「イィイィイイイイイイヤアァァアアア!!!」

 

 ゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶が、二人が取りこぼしたゴブリンに襲いかかったのだ。

「四、五!」と淡々と数を数え上げるゴブリンスレイヤーと、猛々しい原初の怪鳥音をあげる蜥蜴僧侶。

 ゴブリンスレイヤーの中途半端な剣が翻る度に血の花が咲き、蜥蜴僧侶の爪爪牙尾が振るわれる度にゴブリンの体が斬断されていく。

 ゴブリン相手にはあまりにも過剰な戦力たる前衛四人は瞬く間にゴブリンを屠殺し、ローグハンターは短く息を吐いた。

 煙による同士討ち。一本道への誘導。《聖壁》による分断。屠殺。

 女神官が使える奇跡は日に三度。一度は用心として残しておく都合、この作戦ができるのはあと一度。

 ローグハンターはちらりとゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶に目を向ければ、二人は問題ないと一度頷く。背後の銀髪武闘家にはもはや聞くまでもない。今の彼女は絶好調だ。

 ならばとローグハンターは頭上に剣を掲げ、くるりと円を描いた。

 直後それを合図に《聖壁》が消え、立ち往生していたゴブリンたちが邪悪で醜悪な笑みと共に突撃を再開。

 今度こそ男どもを殺し、女を犯し、ここを自分達のものにするために、欲望のまま走り出す。

 走り出す時機(タイミング)も、走る速度もバラバラなそれは、ゴブリンの群れを勝手にまばらにさせ、また複数の集団へと分けていく。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!!」

 

 そして再び嘆願された《聖壁》の奇跡は、先ほどの繰り返しのようにゴブリンの群れを分断し、冒険者四人対ゴブリン十数匹の形を作り出す。

 ゴブリン最大の武器はその数だというが一人で三殺。蜥蜴僧侶が四殺すればそれで終わるのは、果たして数的不利なのか。

 

「ゴブリンどもは皆殺しだ……っ!」

 

 あの一番にゴブリンスレイヤーがゴブリンの群れに挑みかかり、その後ろにローグハンター、銀髪武闘家、蜥蜴僧侶が続く。

 戦闘音に混じるのはゴブリンの悲鳴ばかり。ここは洞窟ではない、ゴブリンの巣穴ではない。ゴブリンなど、手札を出しあい、策を練り、万全のまま待ち構えた冒険者たちの相手ではないのだ。

 

 

 

 

 

 葡萄園の戦闘が文字通り一方的な様相となる中、川を警戒していた使用人の一人が顔を青くしながら隣で視線を鋭くしていた女魔術師の顔を見た。

 天を舞う鷲も警戒を促すようにキイキイと鳴き、おそらくローグハンターにもその異常を知らせていることだろう。

 それでも彼からの指示がないとはつまり、『そっちで何とかしろ』という指示に他ならない。

 彼からの信頼。それに応えられずして、何が魔術師か。

 

「見る限り三隻。小鬼艦隊(ゴブリンフリート)ってところかしら」

 

 柘榴石が嵌められた杖を掲げ、彼女が睨む先にいるのはゴブリンの漕ぎ手により操られ、こちらに迫り来る三隻の船だった。

 だがしかし、悲しきかなこちらの魔術もまた三度(・・)。漕ぎ手がいるとはいえ、ほぼ流されるだけの板切れを組み合わせた船だ、外しようがない。

 そして、何よりも──。

 

「三発も必要ない、一発で仕留めて見せる」

 

 ここで魔術を3度使ってしまえば、万が一後続がいた時に手札を失う。そうなってもローグハンターとゴブリンスレイヤーならどうにかするだろうが、ここを任されたのは自分だ。二人からの期待を裏切ることなど出来はしない。

 

 

 

 

 

「何か来るわ、気をつけて!」

 

 屋敷の方から放たれた警告は妖精弓手のものだ。

 彼女の耳は川から迫る艦隊にも気づいてはいたが、そこはローグハンターの指示通りに女魔術師が何とかする。なら、こちらが対応するべきは目の前の事だ。

 

「言われなくても!」

 

 彼女の警告に叫んで返したのは銀髪武闘家。彼女の耳にも雷電龍の唸り声にも似た異音が届いており、それが段々と大きくなっている事にも気付いていた。

 冒険者たちの警戒が高まり、最高潮に達した瞬間、それは姿を現した。

 稲妻の如き音を伴い、土を跳ね散らかしながら戦場に踊り込んできたのは異様な戦闘機械(ウォーマシン)

 

「ちょっと、あれは無理!」

 

「む……!」

 

「これはいかぬ!」

 

「面倒だな、これは……っ!」

 

 迎撃せんとした銀髪武闘家はすぐさま見切りをつけ、ゴブリンスレイヤーは円盾を構えて飛び散る礫を防ぎながら呻めき、蜥蜴僧侶がぎょりと目玉を回す。

 ローグハンターは鬱陶しさを隠そうともせずに「畜生が(ガイギャクス)」と毒を吐き、退避。

 文字通り逃げ出した冒険者たちとは違い、それへの対応が致命的に遅れたゴブリンたちは次々とそれに轢き殺され、見るも無惨な肉塊へと成り果てていく。

 それは敵味方問わず、殺戮を成し遂げるための暴力装置。

 

「GOOOR!GBR!!」

 

 赤い月灯りを浴びるその機構の上で、勝ち誇るのはゴブリンの頭領。

 彼が君臨するそれは、おそらく原型は前後を逆にした荷車だろう。荷台に防楯を始め、槍だの鉾だの投石器だのの危険物をありったけを載せ、それを無数のゴブリンどもが手押し車よろしく横棒を握って地を駆け、駆動させる。

 混沌の勢力からの技術支援(テクニカル)を受けて作られたそれは、まさに手製の戦車。あえて名付けるならば小鬼戦車(ゴブリン・バトルワゴン)だろうか。

 

「とにかく、あれどうするの!?ぶん殴ったら腕無くなっちゃうよ!?」

 

「《擬竜(パーシャルドラゴン)》の術を使えばあるいは。しかれど膂力と彼我の重量、速度の計算次第かと」

 

「運任せか。気に入らんな」

 

 銀髪武闘家の切迫した声。蜥蜴僧侶の冷静な分析。ゴブリンスレイヤーの悪態。

 いつも通りのそれを聞きながら、ローグハンターはフードの下で笑みを浮かべた。

 

「いつも言ってるが」

 

 ガタガタゴトゴトと喧しい音を立てながら方向転換する戦車を睨みながら、彼は言う。

 

「──運は自分で掴むものだ。俺の弟子を名乗るなら、何とかしてみせろ!」

 

「承知しましたわ!」

 

 そして彼の前振りと共に館の二階から飛び降り、華麗な五点着地を決めた令嬢剣士が突剣の鋒を戦車に向けた。

 浮かべるは不敵な微笑。戦場の風に蜂蜜色の髪を揺らし、宝石の如く美しい碧眼に恐れはない。

 その瞳が、ゴブリンの戦車長の感情を逆撫でし、逆鱗に触れた。

 何だあいつは!俺は戦車に乗っているんだぞ!何より俺の方が偉いんだぞ!

 そんな事を喚いているのか、汚く唾を撒き散らしながら錆びた鉈を振り下ろす。

 一太刀でもって投石機の紐が断たれ、ぶつりと音を立てて錘が沈み、その反動で支持腕が唸る。

 巨大な匙の形をしたそれに載るのは一つの岩。当たれば体が潰れ、まず間違いなく命を落とす凶器。

 だが幸運なのは、ゴブリンたちに弾道計算などできない事と、その程度で怯む令嬢剣士ではない事。

 孤を描いて飛んだ岩は彼女の頭上を超え、補強した館の壁に大穴を開ける。

 

「大丈夫、そっちには誰もいないわ!」

 

 やばいと振り向いた銀髪武闘家に妖精弓手が矢を番えながらそう言うと、彼女はホッと胸を撫で下ろし、令嬢剣士に目を向けた。

 

「「──《雷電(トリトルス)」」

 

 それは偶然だった。戦車を睨む令嬢剣士と、艦隊を睨む女魔術師の詠唱が重なった。

 

「「──《発生(オリエンス)」」

 

 紡がれるのは真に力ある言葉(トゥルーワード)。世界の理をねじ曲げ、神の力を借りずに超自然の力を行使する人の御技。

 女魔術師の掲げた杖の柘榴石に、令嬢剣士が構えた突剣に、紫電が宿る。

 ゴブリンの戦車長は喚いた。早く奴を轢き殺せと。

 ゴブリンの船乗りたちは弓を構えた。あの光ってる奴をさっさと殺せと。

 突き刺さる殺意。回る車輪。放たれる矢。己に死を与えんとする凶器を前に、二人の少女は怯まない。

 尊敬する師の信頼に応えるため、皆を救うため、限界まで張り詰め、集中した意識が相手から外れることはない。

 戦車が走り出す。足元に矢が突き刺さる。骰子の転がる音が聞こえた、だがそれよりも──。

 

「やっちゃえぇぇええええ!」

 

「ぶちかませ、お前ら!!」

 

 限界まで張り上げた銀髪武闘家の声が、柄にもなく叫んだローグハンターの声が、二人の背中を押した。

 

「「──《投射(ヤクタ)》!!!」」

 

 術の完成は同時。そして『稲妻(ライトニング)』の閃光が放たれた。

 

「GBR!?!?!」

 

 ゴブリンの戦車長は何かが光ったとしか認識できなかったろう。彼の指示通りに戦車を動かしていた手下どもは、何が起きたのかも理解できていないだろう。

 放たれた雷霆は迫る戦車の正面を捉え、貫き、内側から完膚なきまでに破壊する。

 爆散した残骸すらも焼き尽くす圧倒的なまでの暴力。

 ゴブリンたちは自分たちが死んだ事すらも理解できず、こんがりと焼けた肉片となって畑に降り注ぐのだった。

 対する艦隊もまた、その末路は悲惨であった。放たれた雷霆が艦隊を貫き、三隻纏めて轟沈させる(・・・・・・・・・・)

 ゴブリンたちが悲鳴をあげ、慌て始めてももう遅い。船底に大穴を開けられた船は沈み、不幸にも鎧や剣で武装していたゴブリンたちは、その重みで勝手に沈み、勝手に溺れ死ぬ。

 二人は揃って息を吐いた。

 残骸に成り果て、もはや人を害することも出来なくなった車輪が令嬢剣士の足元まで転がり、無念と言わんばかりに横倒しとなる。

 ただの板切れと成り果てた船に我先にと飛び乗った挙句に蹴落としあい、ついには板切れ事沈んでいく。

 令嬢剣士は突剣を鞘に収め、女魔術師は杖の石突で屋上に突いた。

 二人が漏らした小さな金属音を最後に戦場に静寂が訪れる。陸にゴブリンはもういない。川からの援軍もない。鷲の目を通して周囲を警戒しても、伏兵の姿も見えない。

 ローグハンターは小さく息を吐き、片手半剣(バスタードソード)と短剣を腰に帯びた。

 銀髪武闘家も構えを解き、蜥蜴僧侶は奇妙な手つきで合唱し、ゴブリンスレイヤーは息を吐く。

 女神官は胸を撫で下ろし、妖精弓手は「すごいじゃない!」と令嬢剣士に駆け寄った。

 鉱人道士は「出番なしかいな!」と不服そうに、けれど誰を責める事なく不貞腐れたように酒を呷った。

 妖精弓手に抱き付かれ、「きゃ!?」と悲鳴をあげる令嬢剣士。そんな彼女に銀髪武闘家が音もなく接近し、わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でながら「格好良かったよ」と褒めてやる。

 そして屋上で一人、川を見下ろしていた女魔術師の杖にはいつの間にやら鷲が止まり、お疲れと言わんばかりに一声鳴いた。

 そんな彼の鳴き声に顔をあげた女魔術師が「そっちもね」と顎を撫でてやると、彼は嬉しそうに身震い、次の瞬間には飛び立っていった。

 

「これで終わり。でいいのかしら」

 

「さあ、どうだろうな」

 

 誰に言うわけでもなく呟いた言葉に返答があった。

 慌てて振り向いた先にいたのはローグハンターだ。壁をよじ登ってきたのだろう、指先が僅かに汚れている。

 彼はそれを拭いながら、口を動かした。

 

「これでここが守れたのか、あの尼僧の憂いを払えたのか、そもそも今回の騒動の原因を取り払えたのか、わからない事ばかりだ」

 

 今回はゴブリンの軍勢との戦いではあったが、これは視野を広げれば混沌の勢力との抗争の片隅で起きた戦いに過ぎない。

 今回の騒動を巻き起こした黒幕がいるかもしれない。そいつが再び騒動を巻き起こすかもしれない。ローグハンターはそんなもしもを憂いながら、それでもなお笑ってみせた。

 そのまま左手で女魔術師の三角帽子を脱がすと、右手を彼女の頭に乗せ、優しく髪を撫でてやる。

 

「その時はその時だ。俺たちの役目はここまで、お前もよくやった」

 

「……はい」

 

 大きく、武骨でありながら優しい彼の手に撫でられ、女魔術師は頬を朱色に染めながら思わず笑みをこぼした。

 自分に兄はいないが、いたとすれば、それもとりわけ仲がよければこんな事をしてもらえたのだろうか。とにかく無性に照れくさい。

 

「ふ〜ん。へ〜、そんな事しちゃうんだ〜。隣で頑張ってたお嫁さん差し置いて、後輩を撫で撫でするんだ〜、ふ〜ん、そっか〜」

 

 が、そんな緩んだ空気もそこまでだった。

 ローグハンターの不在にいち早く気づいた銀髪武闘家が壁をよじ登り、いつの間にやら屋上まで登ってきていたのだ。

 ローグハンターは慌てて女魔術師から手を離し、帽子を返してやりながら「待て、これはな……っ」と弁明しようとするが、銀髪武闘家は胸の下で腕を組みながらぷいっとそっぽを向いてしまう。

 

「お、おい、話を聞け……っ!」

 

「聞け?『聞いてください』でしょ〜?」

 

「ぐっ、この、調子に乗って……っ」

 

「ふふ。たまにはこういうのもいいかもね」

 

 必死に彼女の視界に納まろうと右往左往するローグハンターを視界から外しながら、銀髪武闘家は悪戯小僧のように無邪気に笑う。

 喧嘩、しているわけではない。単に戯れているのか、戦闘後の緊張を解しているのか。

 

「本当、騒がしい人たちですね」

 

 女魔術師はそんな二人の姿に笑みをこぼし、帽子越しに彼に撫でられた頭に触れた。

 頬を朱色に染め、俯き、帽子の鍔で顔を隠しながら、だらしのない笑みをこぼす。

 

「先生方が上に!?でおくれましたわ!?」

 

「たまにはいいじゃない、私たちで話しましょ〜」

 

 下から何やら慌てている令嬢剣士と、そんな彼女を諫める妖精弓手の声が届く。

 本当に騒がしい。女魔術師はそんな事を思いながら、双子の月を見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 亡者を引き寄せ、悪魔を呼び出し、商人を手を組んで、その他様々な陽動を行って冒険者たちの注意を逸らし、本命は粛々と準備を終えた地下での邪悪な儀式。

 地母神の御神酒を穢し、西方辺境に向こう数十年の不作に疫病と飢饉を呼び込むまさに混沌の儀式。

 彼らはほくそ笑んでいた。冒険者どもの活躍で多くの計画が潰れ、予定がだいぶ崩れたが、結局本命たるここには誰も来ない。

 もうすぐ、もうすぐで我らの悲願が叶う。混沌の時代が間もなくくる。

 混沌の術師たちは自らの勝利を疑わなかった。疑いようがなかった。

 そして、次の瞬間に扉が蹴破られた事に一瞬の時間を要した。

 皆が一斉に振り返る。まさかここを見つける輩がいるとはと、誰かの狼狽の息遣いが聞こえた。

 

「お兄ちゃんと義姉ちゃんが頑張ってくれたんだし、ボクも頑張らないとね」

 

 彼らの視界に飛び込んでくるのは、太陽の輝き宿した聖剣を携えた一人の少女と、そんな彼女と共に馳せ参じた二人の女冒険者だった。

 混沌の術師達は気づいたろうか。彼女らこそがかつて世界を救い、今ある平穏を勝ち取った勇者、その一行であることに。

 彼らは知っているのだろうか。世界のためだけではなく、愛する家族のために全力全開で戦う勇者の恐ろしさを。

 そしてそれを知ってなお、自分たちが生きてこの場を逃げ仰ることができるのかを。

 その答えは、すぐに訪れた。

 

「──これでも、くらえぇぇぇえええええ(テイク・ザット・ユー・フィーンド)!!!」

 

 ──太陽の、爆発!!!!!

 

 




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Memory10 ハレの日

 祭りとはハレの日だ。

 賑やかな音楽が街のあちこちから溢れ出し、誰も彼もが音楽に惹かれて外に繰り出す。

 静寂を好む者には少々酷かもしれないが、けれど祭りとはハレの日であり、騒がしくなってしまうのだ。

 辺境の街の活気も遠く、けれど同じかそれ以上の活気に溢れるのは地母神の寺院。

 普段は静かなその場所も、ハレの日となれば騒がしくなる。この祭りの主役が地母神の神官らとなれば、それはまた一段と。

 

「さあさ、皆さん!葡萄踏みを始めますよー!」

 

 やる気十分、元気も十分。神官の少女が発した呼びかけに、おぉっと歓声があがり、観客達も移動を始める。

 早摘みの葡萄を踏んで潰して、秋に良い葡萄酒が作れるように祈る祭事。

 かつては神聖なものであったそれも、時が流れた今では『葡萄酒が飲みたい』だの『祭りを理由に腹いっぱいあれこれ食べたい』という欲に塗れた祭りとなっていた。

 まあ、別に構うまい。地母神の事はよく知らないが、祭りだから見に来ただとか、祭りという事も知らずに街に来て、人混みに流されるがままここにたどり着いただとか、そんなくだらない理由でさえも許されるのがハレの日だ。

 先日まで口さがなく噂していた人々も、その裏に隠された真実が明るみになれば掌を返したように今日という日を楽しんでいる。

 そしてその事を、地母神の神官らは誰も気にしていない。

 つまりはいつも通り。娯楽少ない辺境の街では貴重な、祭りの日が来たというだけの事だ。

 

「割と本気(マジ)で死にかけたんですからね!?」

 

 そんな人混みを見下ろしていた(・・・・・・)ローグハンターの鼓膜を殴りつけたのは、隣に腰掛ける青年剣士の声だった。その更に隣では青年戦士がうんうんと頷いている。

 場所は地母神の寺院の屋根の上。特に依頼があったという訳ではないが、一応の見張りとしてその場に陣取ったローグハンターに、青年剣士と青年戦士が声をかけるべくよじ登ってきたのだ。

「うん?」とゆらりと人混みから視線を外し、二人に顔を向けたローグハンターには覇気がない。

 一緒に祭りを回ろうと、離れていた時間を埋め合わせしようと約束していた誰かさんが、到着早々に葡萄尼僧に捕まってどこかに連れて行かれたせいだろう。

 やけ酒でもしていたのか、傍に置かれた葡萄酒入りの小瓶は既に空。酒にそこまで強い訳でもない彼はほろ酔い状態なのか、蒼い瞳にはいつもの凛とした輝きはなく、体も僅かに前後左右にゆったりと揺れている。

 大丈夫だろうかと青年戦士と青年剣士の意見が一致する中、ローグハンターは「何かあったのか?」と二人に問うた。

 

「いや、あなたの依頼引き継いでここの警護してたじゃないですか」

 

「そうだな。苦労かけた」

 

「俺たちもゴブリンとかが来るくらいかなとか思ってたのに、マンティコアですよ!?あとよくわかんない瘴気吐き出す肉塊ですよ!?法の神殿からの依頼受けた先輩達いなかったら、余裕で五回は死んでましたからね!?」

 

「こっちは戦車と艦隊が出てきたぞ。どっちも頭に『ゴブリンの』が着くけどな」

 

 青年剣士の涙ながらの訴えに、ローグハンターは気の抜けた──酒精混じりの溜め息を吐き、頬杖を突きながらそんな事をぼやく。

 だがまあ、こちら術師二人で即撃破だ。新米ばかりの戦いで、知識もない怪物を相手にして、こうして五体満足で生還し、愚痴を吐いていられる余裕があるのは成長した証だろう。

 ローグハンターは顔を俯かせながら微笑みを浮かべると立ち上がり、二人の背後で中腰になる。

 何事と二人が揃って振り向いた瞬間、ポンと二人の頭にローグハンターの手が置かれた。

 そのまま手が優しく前後に動き、二人の頭を撫で始める。

 

「ぇ……え……?」

 

「ちょ……っうぇ……?」

 

 そんな二人にまず来たのは困惑だ。いきなりローグハンターに頭を撫でられたのだから、年甲斐もなく赤面してしまう。

 振り払う事もせず、黙って撫でられていると、ローグハンターが不意に二人に告げた。

 

「よくやった。全員無事で何よりだ」

 

「「…………うす」」

 

 真正面からぶつけられた褒め言葉に、二人はそっと目を背けながら返事をした。

 顔が熱い。褒められただけなのにこうも照れ臭くなるものなのか。

 

「──で、お前らの女子連中も行方不明か。俺たちだけで集まって酒を飲むのは、初めてだな」

 

 だが、ほろ酔いのローグハンターはそんな二人の表情の変化にも気づかずに手を離し、元の位置に戻りながらそんな事をぼやいた。

 言われてみればとハッとする二人に、ローグハンターは後で飲むつもりだったのだろう酒瓶を差し出し、自分も次の瓶を取り出す。

 それを受け取った二人は相変わらず困惑するが、ローグハンターが酒瓶を持ち上げたのを合図に彼に倣う。

 

「それじゃ、今回の依頼の成功に」

 

「「乾杯」」

 

 ローグハンターの音頭に合わせ、三人は酒瓶をぶつけ合う。

 カツンと陶器がぶつかり合う甲高い音が響き、三人は同時に葡萄酒を呷った。

 

「美味いな」

 

「だな。出来たてって感じ」

 

 舌を撫でていく葡萄の甘みと、ほろりと感じる酒精の気配。

 青年剣士と青年戦士は揃ってそんな感想を漏らす中、ローグハンターは微笑み混じりに二人に言う。

 

「お前らが守った酒だ。もっと味わって飲めよ」

 

 まあ、足りなければ貰いに行けばいいんだがと彼は笑い、更にもう一口呷る。

 いつになく饒舌で、よく笑うローグハンターの様子に「酔っ払ってら」と諦めと共に肩を竦める青年戦士。

 だが彼の言う通り、自分たちの冒険の果てにこの酒が作られたのなら、また味わいが変わってくる。そんな気がする。まあ、酒の味を語れるほど舌が肥えている訳ではないのだが。

 

「ちょっと、降りてきな!酔っ払うには早すぎるよ!」

 

 そんな思慮をしていた青年二人の意識を引き戻したのは、足元からの声だった。

 ローグハンターと揃って視線を下ろした先。そこにいたのは普段の僧服ではなく、葡萄踏み用に誂えられた臙脂(えんじ)のドレスを見に纏った葡萄尼僧だった。

 怒りに眉を曲げ、腰に手を当てているその様は、失礼ながら尼僧というよりも生意気な息子を叱る母親のよう。

 はあと酒精混じりの溜め息を吐いたローグハンターは立ち上がり、そのまま普通に歩くような自然さで一歩前に踏み出し屋根から落下。

 ストンと軽い音と共に着地するその姿は、只人よりかは森人のよう。

 上から目をまん丸に見開く青年冒険者らを他所に、葡萄尼僧は溜め息を吐きながらほんのりと赤くなったローグハンターの頬を見やる。

 

「お酒に負けちゃうには早すぎるよ」

 

 ペチペチと頬を叩いて賦活を促す彼女に、ローグハンターは小さく鼻を鳴らすばかりで反応が弱い。

「駄目だな、こりゃ」と肩を落とした葡萄尼僧は「こっちおいで」とローグハンターの背後にある寺院の出入り口に声を投げた。

 声に釣られる形でローグハンターはゆっくりと振り向き、そのまま目を見開いてその動きを止めた。

 視界に飛び込んできたのは肩にかかる程度の銀色の髪をした一人の女性。

 纏うのは普段の冒険用の衣装とも平服とも違う臙脂色のドレス。

 葡萄尼僧に誘拐され、そのまま神官らの手によって着替えさせられた銀髪武闘家が、目の前にいたのだ。

 

「に、似合わない……かな……?」

 

 顔を耳まで真っ赤に染めて、胸の前でもじもじと両手の指を絡め合う。

 月光を思わせる銀色の瞳は不安そうに俯き、それでも何かを期待するようにちらちらとローグハンターの様子を伺っていた。

 ローグハンターは言葉を失っていた。酔いなど一瞬で醒める程の衝撃に、いっそ思考が止まったと言っていい。

 今の感情をなんと表すべきか。何と言葉にするべきか。思考が止まったローグハンターにはそれらを考える頭を持たず、動かす舌を持たず、けれど体は勝手に動く。

 ローグハンターはそっと彼女の肩に手を置き、ドレスに皺が付かないように細心の注意を払いながらぎゅっと彼女を抱き締める。

 

「ぁぅ……」

 

 銀髪武闘家は湯気が出そうなまでに顔を赤くし、抱き締める彼の胸に顔を埋める。

 

「綺麗だ。本当に、世界の誰よりも、綺麗だ」

 

「ぅぅ……ありがと……」

 

 耳元で囁かれる、誰よりも求めていた言葉に、女性はあまりの嬉しさに身悶えし、消え入りそうな声で感謝の言葉を返す。

 その声に堪らずと言った様子でふにゃりと表情から力が抜け、彼女を抱き締める力が強くなる。

 

「あの、これ私たちに気づいていらっしゃらない?」

 

「でしょうね〜。もう二人の世界よ、あれは」

 

「ねえ、私はどう?」

 

「私は?」

 

「ぼくはどうですかぁ?」

 

 ぞろぞろと出入り口から出てくるのは、銀髪武闘家と同じ格好をした令嬢剣士と女魔術師、女武闘家、至高神の聖女、白兎猟兵の五人。

 後者三人は四苦八苦しながらも屋根から降りてきた青年たちに詰め寄って行き、壁際まで押し込まれた二人は「似合う似合う!」とか「なんか、逆に違和感──ぎゃあ!?」とか、必死の声や悲鳴が聞こえてくる。

 そしてそんな彼らのやり取りすらも聞いていないローグハンターは、改めて銀髪武闘家の──最愛の妻のドレス姿を見下ろし、感嘆の息を吐く。

 

「本当に綺麗だな。髪の色も、瞳も、よく映える」

 

「えへへ、ありがとう」

 

「情けない話だが、お前のドレス姿は初めて見るよな。新鮮だし、惚れ直した」

 

「確かに、いっつも動きやすい格好してるからね。ふふ、嬉しい」

 

 銀髪武闘家もそっと彼の背に腕を回し、彼の事を抱きしめながら不意に気づく。

 ほんのりと香る葡萄の匂い。すんすんと鼻を鳴らし、背伸びをして彼の口の辺りの匂いを嗅いだ。

 

「……お酒、飲んでたでしょ」

 

 じとっと半目になりながら、不満を隠そうともせずに告げられた問いかけに、ローグハンターは気まずそうに目を逸らした。

 そして、その反応こそが彼の答えだった。

 

「ずるーい。私には飲むな飲むなって言うのに、君は飲んじゃうんだ、ふーん」

 

 くるりと彼の腕の中で器用に反転し、彼の胸に寄りかかりながら後頭部でどすどすと胸を叩く。

 

「私がおめかしに忙しくしてる時に、君は呑気に後輩君たちとお酒飲んでたんだ〜。ふーん、そっかー」

 

 そのまま横目で女子たちに詰め寄られている青年たちを観察し、ほんの僅かに頰が赤いのと腰に空の酒瓶をぶら下げているのを確認し、彼らと飲んでいたのだろうと推測。

 

 ──羨ましい……。

 

 彼と一緒に食事をする事はあれど、酒を飲むなど滅多にない。と言うよりかはほとんど記憶にない。なのに後輩たちと酒を飲むとは、流石に嫉妬する。

 むむむむむと不満げに唸る銀髪武闘家は、僅かな殺気を込めて後輩たちを睨みつけるが、当の青年たちは彼らに想いを向ける少女達に詰め寄られている。彼女の視線に気づく余裕は、彼らにない。

 

「あはは……怒っていらっしゃるのに、離れようとはしないのですね……」

 

「単に理由つけて戯れたいだけでしょ、あれは」

 

 そんなやり取りを横から見ている令嬢剣士は空笑いをこぼし、女魔術師が溜め息混じりにぼやく。

 やれやれと肩を竦め、一応銀髪武闘家と同じ格好をしている筈なのに一言も貰えていない事実に今更気づき、これが夫婦と仲間の壁かと天を仰ぎ──。

 

「って、私は何を求めてるのよ!?」

 

「ひゃい!?ど、どうされましたの!?」

 

 勢いよく前に向き直りながら声を張り上げた。

 隣の令嬢剣士が突然の怒声に驚倒の声を上げる中、女魔術師は「別に今更褒められたって」「いや、別に言われても嬉しくないわけじゃ」「でも、何にも言われないのもどうなのよ」とぶつぶつと独り言を漏らし始める。

 

「こ、壊れてしまいましたわ……」

 

 そんな彼女の姿に怯え、僅かに距離を離す令嬢剣士。

 彼ら彼女らのやりとりに、ついに耐えきれなくなった葡萄尼僧が笑い始め、「冒険者は本当に愉快な連中だね!」と目尻に溜まった涙を拭う。

 そして一頻り笑った葡萄尼僧は、不意にローグハンターと銀髪武闘家に目を向ける。

 

「でさ、お礼の代わりと言っちゃなんだけど」

 

「「……?」」

 

 急に神妙な面持ちで声をかけてきた彼女に、ローグハンターと銀髪武闘家は揃って首を傾げた。

 葡萄尼僧はそんな同じ反応をしてくる二人に苦笑しつつ、ポンと両の手を合わせながら言う。

 

「結婚式、やらない?」

 

「やる!」

 

「「「……!?」」」

 

 彼女の問いに返したのは、彼女の背後から忍び寄っていた一人の少女だった。

 思わぬ位置からの返答にローグハンター、銀髪武闘家、葡萄尼僧のそれぞれが驚きを露わにする中、三人の視線が集中するのは件の少女。

 緑の衣を見に纏い、槍を担いだ少女──身分偽装中の勇者はそのままの勢いで銀髪武闘家の胸に飛び込み、谷間に頭を埋めながら顔を上げた。

 

「やろうよ、結婚式!僕も出たいし、お義姉ちゃんの花嫁姿見たい!」

 

「それは俺も見たい。臙脂色のドレスもいいが、白いのもな」

 

 ぽふと妻の肩に顎を乗せ、妹の頭を撫でてやりながら告げられた言葉に、銀髪武闘家はまた赤面しながら目を逸らした。

 だが、そうして視線を逸らした先では、

 

「え、結婚式やりますの!?」

 

「何が必要なのかしら。冒険者の結婚式ってあんまり聞かないのよね」

 

「け、結婚!やりましょう!というか、どんなものになるのか気になります!」

 

「至高神様は管轄外ね、任せたわ」

 

「花束とか用意した方がいいのか?」

 

「花束でいいのか?他にこう、なんかないか?」

 

「何か、精がつくものでも獲りに行きます?」

 

「「「「「「え?」」」」」」

 

 後輩達が騒ぎ始め、獣人故か、あるいは兎人故か結婚のその先にある事を見据える白兎猟兵の言葉に、他の六人が言葉を失う。

 仲がいいようで何よりとは思いつつ、銀髪武闘家は迷うように小さく唸る。

 

「結婚式、か……」

 

 一人の女として憧れがないのか言われれば、そんなものあるに決まっている。

 世界で一番大切な人と共に神々に愛を誓うなど、憧れないわけがないのだ。

 けど、と彼女はそっと自分の腕に触れた。

 今のドレスは長袖だから目立たないが、細めとはいえ普通の女性よりも筋肉質で筋張っている自分の体に、式用のドレスなど似合うのだろうか。

 何よりそんな式をやるとなれば、ドレスしかりその他の雑費しかり、それなりにお金もかかる事だろう。

 

「何を悩んでいるかは知らないが」

 

 そうして迷う──より正確には否定的な意見に傾いている──銀髪武闘家の内心を見透かしたように、ローグハンターが口を開く。

 ぎゅっと彼女を抱き締めながら、彼は微笑みと共に告げる。

 

「何の心配はいらない」

 

「そ〜だよ、お義姉ちゃん!僕も手伝うからさ!」

 

 後ろからはローグハンター、前からは勇者。世界広しといえど有数の実力者に挟まれる彼女は狼狽たように声を漏らし、「で、でもさ」と反論を口にしようとするが、

 

「話は聞かせてもらった!」

 

「悪い、止められなかった」

 

「私も、聞いて、たわ……よ?」

 

「あんだけ騒がしけりゃなぁ」

 

 平服姿の女騎士が謎のドヤ顔と共に話の輪に入り、重戦士が詫びを入れ、魔女が微笑みと共に彼の背後から顔を出し、槍使いが溜め息混じりに合流する。

 

「なになに、何の話〜?」

 

「これ、耳長娘!お前は葡萄踏みの手番じゃろうが!」

 

「まあまあ、術師どの。せっかくの祭りなのですから、そうお堅い事は言わずに」

 

 そうして冒険者達が繰り広げる馬鹿騒ぎに釣られ、妖精弓手と鉱人道士、蜥蜴僧侶が顔を出し、何の騒ぎだと話題に追いつこうとすると、女騎士が知ったこっちゃないと言わんばかりに切り出した。

 

「やるぞ、結婚式!地母神の管轄だろうが、関係あるまい!」

 

「うぇ!?」

 

「結婚!只人の結婚式、見てみたい!」

 

「ちょっと!?」

 

 ずいっと詰め寄り、二人が有無を言わさない迫力と共に告げられた言葉に銀髪武闘家が狼狽た隙に、女騎士は更に葡萄尼僧にも詰め寄っていく。

 

「それで尼僧殿!我々に何か手伝える事はあるだろうか!?」

 

「私も何かしたい!知り合いに手紙出して回りましょうよ!」

 

「只人の式は森人のそれに比べてだいぶ短いぞ」

 

「別にそんな規模大きくなくていいんだけど……」

 

 勝手に盛り上がる二人にローグハンターが嘆息し、銀髪武闘家も困り顔で頰を掻く。

 これはもう止めようがない。いや、まあ、止める理由もないとは思うのだが……。

 

「とりあえず、ご両親に招待状を送るのは当然だとして」

 

「ローグハンターは海向こうの国出身だから、呼びようがねぇよなぁ」

 

「そもそもどっちも生きてないんだが」

 

『…………』

 

 女騎士が銀髪武闘家に目をやりながら告げた言葉に、槍使いがかつてチラ見したローグハンターの認識票の情報を思い出しつつ顎に手をやると、ローグハンターがなんて事のないようにぼそりと呟く。

 そう言えば昔にそんな話をされたなと思い出す銀髪武闘家をはじめとした彼の一党と後輩たち。

 やべと表情を歪めた瞬間、重戦士の裏拳で鳩尾を撃ち抜かれる槍使い。

 魔女は我関せずと言わんばかりに煙管を吹かしていた。

 

「まあ、天上から見てはくれるだろ」

 

 そして当人たるローグハンターも気にした素振りも見せずにそう言うと、愛情に満ちた柔らかな微笑みを銀髪武闘家と勇者に向けた。

 

「それに、家族ならここにいる」

 

 二人を纏めて抱き寄せ、銀髪武闘家の髪に口付けしながら、勇者の髪を撫でる。

 ふにゃりと表情から力が抜ける二人を他所に、それを見せつけられる冒険者たちは生温かい視線を彼らに向ける。

 

「見せつけおってからに……」

 

「そう、ね……」

 

 女騎士と魔女だけは羨ましそうな視線を銀髪武闘家に向け、胡乱な視線をそれぞれの一党の頭目に向けた。

 そんな二人の視線に、頭目たちが気まずそうに目を逸らす中、葡萄尼僧がパンと手を叩く。

 

「ま、この話は追々ね。今は祭りを楽しまなきゃだし!」

 

 そうして話題を切り替えた彼女は、臙脂色のドレス姿の少女たちに目を向ける。

 

「さあさあ、君らには葡萄踏みという大事な仕事があるんだから、行った行った」

 

 彼女の言葉に少女たちが返事をし、白兎猟兵だけは「僕は毛が入っちゃいけないって止められましたけどね」と苦笑い。

 

「私も行かないと。桶を踏み抜かないようにしないと駄目なんだよね〜」

 

 銀髪武闘家もまた苦笑しながらそう呟き、勇者を解放してローグハンターの元から離れようとするが、彼女の腰に巻きついた彼の腕が離れない。

 

「あの……?」

 

「今、ふと思ったんだが」

 

 肩越しに振り向き、彼の表情を伺う銀髪武闘家。

 そんな互いの息がかかりあう距離で、ローグハンターが眉間に皺を寄せながらそっとドレス越しに彼女の太腿を撫でた。

 

「……っ!?」

 

「衆目に生足を晒すのは、どうなんだ」

 

「ぇ……」

 

「駄目だとは言わない。やりたいならするべきだろうし、折角の祭りだ、楽しまないと損だ」

 

「ただ、その、なんだ。あまり、人にお前の素肌を見せたくない」

 

 頰を朱色に染め、自分でも何を言っているのかいまいち理解していないままに告げられた言葉に、銀髪武闘家もまた顔を赤くした。

 昔からそれなりにあった独占欲とも呼ぶべきものが、変なところでも発揮されているのだろう。何とも可愛らしいような、ちょっと重すぎるような。

 

「あはは。別に私の足なんて見たがる人なんていないよ」

 

 銀髪武闘家は乾いた笑みと共に、大丈夫だというむねをローグハンターに告げる。

「そうか?」と心底不思議そうに首を傾げるローグハンターの方に振り返りながら、「そうだよ」と笑みを向ける。

 ローグハンターからすれば魅力に溢れる彼女でも、赤の他人から見れば一介の冒険者でしかない。別に彼女に興味がある人間など多くはあるまい。

 

「そういうわけだから、離して?」

 

「…………わかった」

 

 ローグハンターはたっぷりの間を開けて重々しく頷くと、彼女を離して二歩下がった。

 それを合図に銀髪武闘家と少女たちは、葡萄尼僧に連れられる形で葡萄の詰まった大桶の方へと進んでいった。

 ローグハンターらも見やすい位置に移動するのと、葡萄踏みが始まるのはほぼ同時。

 娘たちが声をあげ、はしゃぎ、笑い、歌を口ずさみながら、葡萄を踏んで酒を作る。

 周りの大人たちの野次の声、少々下卑た視線も何のその、少女たちは笑いながら葡萄を踏む。

 

「綺麗だな、本当に……」

 

 ローグハンターが見つめるのはたった一人の最愛の人。

 銀色の髪が陽の光を浴びて煌めき、跳ねた葡萄の果実に汚れた生足が妙に色っぽい。

 友人らと浮かべる笑みは子供のように無邪気で、けれど時折こちらに向ける視線と笑みがいじらしい。

 今日はいい日だ。そして明日も明後日も、きっといい日だ。

 彼女と共にいられるのなら、毎日がきっといい日になるに決まっている。

 ローグハンターは銀髪武闘家から向けられた笑みに会心の笑みを返し、今日という日に、そして普段見られない彼女の姿を見せてくれた地母神に感謝するのだった。

 

 

 

 

 

 

 




私事ですが、SEED FREEDOM見てきました。
ネタバレしたくないのであんまり語りはしませんが、もう堪んなかったです。終始興奮しっぱなしでした。
読心できる相手を前にしたら無我とか無心するしかないと思ってたのに、何か違う意味ですごい解決法を見せられて心中で変な声出してました。
ログハンは無我とか無心パターンだよね?

ログハン「……」(ニコッ)

大丈夫だよね!?


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