そして運命は切り換わる (弥宵)
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そして運命は切り換わる
エルメア・クリュシェーラの場合
自分で言うのも何だが―――いや、自他ともに認めるからこそ言うのだが、私は何とも平凡極まりない人間だった。
誰もが生まれながらに【属性】を有し、それに則った生と性が与えられる。そんな世界に【凡】【安定】のデュオとして生まれ落ちた私の辿る
中流階級のど真ん中に生を受け、ごく一般的な学校に通い、普通に就職して僅かばかり出世し、そのまま老いて死んでいく。その途中には素敵な出会いがあるかもしれないし、そんなこともなく寂しい人生を送るかもしれない。いずれにせよ、どこにでも転がっているような平々凡々な一生になるだろうことだけはわかりきっていた。
別に不満などなかった。何せ平均値が約束された人生だ。人より多くの幸せは得られずとも、人より多くの不幸を受けることもない。
あるいはこの考えすらも【属性】の賜物なのかもしれないが、そこからの解放が意味するのはすなわち
普通万歳。物語の主人公になんてならなくていい。平凡で平穏で平坦な生活を、安定して安心して安全に送れる。考えようによってはこれほどの勝ち組もいまい。
―――だが、どうやら私は『平凡な一般人』というものを些か誤解していたらしい。
十八の誕生日を目前に控えた夜、私はとある事件に遭遇した。私を狙う明確な理由があったのか、それとも無作為に選ばれたのかはわからない。ただとにかく、その日私は何者かに襲われたのだ。
すれ違いざまに殴られて昏倒し、数時間後に意識が戻ったのは少し離れた路地裏。所持品は一通り揃っており、これでも女の身だが暴行を受けたような形跡もない。となれば、もう心当たりは一つしかなかった。
属性狩り。呪術によって他者の【属性】を簒奪する行為。れっきとした犯罪だが現状碌に対策も取られておらず、被害者であろうと【属性】を失った者は差別対象となってしまう。
幸い私はデュオだったため、どちらか一つまでなら奪われていても何とかなった。最悪の可能性から必死に目を背け、自分はまだ大丈夫だと言い聞かせながら帰路についた。
家に着くと部屋中が荒らされていた。
どう見ても空き巣の仕業だった。続けざまに出くわす異常事態。【安定】という言葉からかけ離れた仕打ち。一度なら偶然で済ませられても、二度目があっては何らかの原因があると見るべきだ。
やはり、という思いが胸を過ぎる。この身に起こった出来事への確信を深め、部屋を片付ける気力も湧かず震えながら枕に顔を埋めた。
翌朝、どうにか部屋を片付けてからいつも通り出勤した。王都でそれなりに評価を得ている飲食店だ。そう遠くもない職場に到着するまでに、二度のひったくりと三度の乱闘騒ぎに巻き込まれかけた。
職場において、あらゆる作業を平均的に器用貧乏にこなせる私はそこそこ重宝されていた。その日は思いがけないほど忙しく、厨房から仕入れ先まで慌ただしく駆け回った。
厨房では普段しないようなミスを連発し、同僚に体調を心配された。反面、頭は冴えており経理の仕事は普段の半分の時間で片付いた。
その日の私は、何をするにも平均値から大きく外れていた。
次の日も、また次の日も、私が今まで過ごしてきたような平穏な日常は訪れなかった。日に日に平均値からのずれには拍車がかかっていった。
事ここに至ってようやく、私は私の【属性】の二つともが完全に失われていることを理解した。
それが周囲に露見するのは時間の問題だった。いや、既に疑惑くらいは持たれていてもおかしくはなかったのだ。
【属性】を失った者は、まるでその反動のように対応する性質が反転する場合があるという。その兆候は明らかに私の身に起こっており、誤魔化し通すことなど到底不可能だった。
散々悩んだ末、一縷の望みに懸けて【鑑定】持ちの友人に再鑑定を頼むことにした。訝しむ友人にある程度の事情を明かすことになったが、彼女は
もし本当にノンマンになっていたなら、目の前の友人はおろか他の友人も同僚も家族も全て失うことになる。『いずれ』が『今この瞬間』になってしまう。【凡】人で【安定】志向の私であれば、絶対にできないはずの決断だった。
鑑定を終えた友人は暫くの間渋面を浮かべ、結果を口にしなかった。苦悩、というよりは困惑しているようだった。催促できるほどの度胸は、流石にまだ持ち合わせていなかった。
彼女がゆっくりと口を開いたのは、黙り込んでから三十分も経った頃だった。
果たして結果は、私の想定していた最悪とは異なるものだった。しかし、あるいはその場合よりも遥かに強く、私の不安感は掻き立てられた。
私は奪われただけではなく、
属性狩り、ならぬ
後天的に【属性】を得る方法は、他人のそれを呪術で引き剥がして奪い取る他にない。言うまでもなく犯罪行為だ。
通りすがりに押し付けられたなどと言って信じてもらえるとも思えない。よしんばそれが叶ったとしても、生まれ持った【属性】を二つとも失った私に対する風当たりは強い。
もう今まで通りの生活を送れないことは明白だった。【安定】を失った私の周りではこれからも騒動が起き続けるだろうし、【凡】人でなくなった私に同じ仕事は続けられない。そうでなくとも、何もかも激変した私に対して不信感を抱く人は少なくないだろう。
寂しさはあった。こんなところだけは一般人のようで、逆に言えばこんなところにしか普通と呼べる要素はもう残っていなくて、少しだけやるせなくなった。
次の日には、そんな感傷さえも詮無いことと割り切れるようになっていた。
私は王都を離れ放浪の旅に出た。騒動を呼び込む性質上一ヶ所に留まることはできず、定職に就くのも難しい。周囲の環境は絶え間なく移り変わっていき、私自身もそれに適応するように変質していく。
何もかも平均的だった能力はちぐはぐな偏りを見せていった。頭の回転は良くなったが手先の器用さは失われ、身体能力は伸び悩んだが魔法の技術は飛躍的に成長した。何人かの師に巡り合い、知恵や技術を学ぶ度に私という存在は造り変えられていった。
行く先々で面倒事に巻き込まれ、成り行きで解決する日々を繰り返していたせいか、全くの非才となった分野も多少の成長を見せることはあった。それが良いことなのか悪いことなのかは、努めて考えないようにした。
そんな生活を送り始めてから五年。かつて平凡極まりなかった私は、いっぱしの実力者としてそこそこ名が知られるようになった。
やっていることは傭兵もどきの便利屋といったところか。実力は野良としてはかなりのものと評判で、『旅行鳩』なんて可愛らしくも皮肉の効いた二つ名まで頂戴した。
かつての私そのものであり、今の私には逆立ちしても手に入らないもの。
ある日、宿への帰り道に一人の子供を拾った。十歳前後の少女のようだったが、魔物にでも襲われたのか全身傷だらけの姿で道端に転がっていた。
幸いにも致命傷はなく、連れ帰って手当してやると半日ほどで目を覚ました。暫くの間状況が呑み込めずに虚ろな目を空中へ向けていたが、視界に私の姿を捉えるといきなり立ち上がろうとした。
ふらついて倒れそうになった少女を慌てて支えると、ふと目が合った。驚いたか、あるいは怯えているのかと思ったが、それにしては力の籠った強い眼差しだった。
改めて少女をベッドに寝かせ、詳しい事情を伺うことにした。私の仕事を伝え、事の次第によっては依頼として協力するとも告げた。
どうして倒れていたのか、と私は尋ねた。村から出てすぐに魔物に襲われた、と少女は答えた。
何のために村を出たのか、と私は訊いた。兄を助けたい、と少女は訴えた。
何があったのか、と続けて問うと、彼女は一瞬言葉に詰まった後にこう返した。
―――兄の【属性】が変わってしまい、このままでは犯罪者にされてしまう、と。
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シャルロット・セリアリスの場合
人はどうして【属性】に縛られるのだろう。そんな疑問を最初に抱いたのは、一体いつのことだっただろうか。
私は騎士の家系に生を受けた。父は師団長に任ぜられるほどの傑物で、母は深窓の令嬢を地で行く箱入り娘。既に嫁いだ姉が一人とまだ十二歳の弟が一人。
家柄としては貴族と遜色ないほどの名家であり、もちろん相応の教育というものを姉も弟も受けている。私も当然、立派な令嬢となるべく教育を施されてきた。
―――ただし、私が進んだのは父と同じ騎士の道だ。
私が淑女とは縁遠いお転婆娘だった、という訳ではない。むしろ落ち着きのある方だと自認しているし、作法や習い事も人並み以上に嗜んでいる。ならば何が原因なのかというと、私の【属性】こそが問題だった。
その名は直球もド直球、ずばり【騎士】。【属性】の遺伝が否定されている以上全くの偶然なのだろうが、どうせなら家を継ぐ弟に宿ってくれれば良かったのにと思わないでもない。
そんな思いとは裏腹に、私の騎士としての才能は順調に開花していった。私の持つもう一つの【属性】も相まって、八歳で剣を取って以来同年代では負けなし。師である父相手にも、十五になる頃には対等に渡り合えるようになった。今となっては完全に私の方が強いだろう。
無論そのために女を捨てるつもりもなく、剣や魔法の稽古の合間に礼儀作法や教養を身につけた。幸いにもそれらを両立させられるだけの
騎士として、女として、誰に訊ねても順風満帆と答えるであろう私の人生。
だが、時折ふと思うのだ。【属性】によって定められた私の進む先は、本当に一本道だったのだろうかと。よく見れば道は分岐していて、その先にこそ私の求めるものがあったのではないだろうかと。
考えたところで、今更この道を引き返せるはずもないのだが。
「属性
「ああ。ここ最近数を増している」
私がその不可解な事件について耳にしたのは、騎士団での訓練を終えて帰りがけに寄った食事処でのことだった。
同席しているのは同僚の騎士、ではない。そもそも私はこういった場に同僚と訪れることはほとんどなかった。
ただでさえ女性の騎士は数少なく、まして良家の子女、それも師団長の娘ともなれば尚更だ。
私にも人並みに結婚願望はある。結婚、そして出産となれば騎士との両立は難しくなるが、それでもやり遂げられる自信はあるし覚悟も決めている。しかし、だからといって同僚たちのアプローチに応える気にはなれなかった。
別に心に決めた相手がいるとか、彼らに全く魅力を感じないとかいうことはない。何かもっと漠然とした、形容しがたい不安感のようなものが私を押しとどめているのだ。
はぁ、と小さな溜息が零れた。
こんな時ばかりは、あの何もかもが平凡な旧友が羨ましくなる。あのくらい吹っ切れて自分の在り方を受け入れられればどれだけ良いか。本人が聞けば、きっと贅沢な悩みだと苦笑するだろうが。
何だか無性に彼女に会いたくなった。もう何年も顔を見ていないが、今も元気にしているだろうか。
「……どうした?」
「あ……いえ、ごめんなさい。何でもないわ」
向かいの席に腰掛ける男―――情報屋ラジュマ・ウェルタの怪訝そうな問いかけに、私の意識は現実へと引き戻された。同時に彼が同席しているということの意味を思い出し、話を聴き漏らすことのないよう気を引き締める。
ラジュマは情報屋としてはかなり特殊な人物だ。まず第一に客を選ぶ。それも身分や経済力などではなく、彼の琴線に触れた人物にのみ情報を売るらしい。
そして第二に、彼は求められた情報を調べて売ることはしない。顧客の前にふらりと現れては、何の脈絡もなく情報を落としていく。その代わりなのか、代金はその場で適当な食事を奢らせるだけという破格の安さなのも特徴の一つだ。
つまり、今の私の状況がまさにそれなのだった。
「それで、属性替え……だったかしら。確かに不可解ではあるけれど、どうしてそれを私に?」
「いずれ必要になる」
理由を尋ねるも、彼の常套句で返されるだけに終わる。
ラジュマが唐突に持ち込んだ情報は、その相手にとっていずれ何らかの形で重要になってくる。だが渡された時点では全くの意味不明のものが大半であり、そのうえラジュマは情報以外のことを何も語らない。それでも将来的にほぼ確実に役立つという信頼度と、格安の代金から彼の人気は高いのだが。
「貴方がそう言うのならそうなのでしょうね。わかったわ、ここは好きなものを頼んで」
「ああ」
頷くと、ラジュマは店員を呼び注文を申し付けていく。その量は成人男性としてもかなりの大食らいではあるが、この程度で私の懐が痛むことはない。
次々と運ばれてきては消えていく料理を尻目に、自分の分のパスタを口に運びながら先程の話について考えを巡らせる。
属性替え。【属性】を奪い取るだけでなく、新たに与えていくという不可解極まりない事件。
有用な【属性】を抜き取り、不要なものを捨てているというのならまだわかる。だがラジュマによれば、交換は無作為に行われているとしか思えないような適当ぶりらしい。
ある被害者は【不運】を抜き取られ【傍観者】を押し付けられた。また別の被害者は【癒し】【光】から【貫通】へと入れ替えられた。彼の言った通り滅茶苦茶で、どうしてもそこから規則性を見て取ることはできなかった。
パスタを食べ終えるまでの間に考えて出した結論は、現時点では何もわからないという身も蓋もないものだった。
程なくしてラジュマも料理を完食し、私たちは店を後にした。ラジュマは軽く見積もっても私の十倍は食べたはずだが、特に苦しそうな様子は見せていない。
「……もう一つ、言っておく」
「え?」
別れ際、不意にラジュマが私を呼び止めた。彼はほんの一瞬話すのを躊躇ったように見えたが、結局すぐに続く言葉を口にした。
「『旅行鳩』を追え」
いつにも増して端的な一言。
それだけ告げると、ラジュマは今度こそ踵を返して去っていった。
「『旅行鳩』……」
聞き覚えがあった。確か、最近名を上げてきた傭兵の二つ名だったはずだ。本名は……生憎と思い当たらなかったが。
だがラジュマが追えと言った以上、そうした方が未来の私のためになるのだろう。あの風変わりな情報屋と知り合って以来何度か助言を受けたが、毎回絶妙なタイミングでそれが生きて助けられてきた。よくわからないがやってみるかと思えるくらいには、私は彼のことを信用している。
まず手始めに、『旅行鳩』について知る者がいないか家族や同僚をあたってみた。残念ながら本名などの情報は得られなかったが、傭兵としての評判はいくらか耳に入ってきた。
まず、正確には傭兵ではなく便利屋であるということ。ただ本人の実力の高さから戦闘目的で雇う者が多く、そのため傭兵と並んで名を挙げられることが多いのだという。
次に、戦闘スタイルは後衛寄りの魔法使いであるということ。特に展開の速さに長けており、中規模魔法を高速で連射する戦法を好んで取るそうだ。
そして、二つ名の由来でもある神出鬼没さ。特定の
私が引っかかったのもそこだった。【占】や【追跡】の持ち主ならば居場所を特定することが可能だが、それらの【属性】持ちも魔法使いも知り合いの中にはいない。街角にいるような占い師は信用ならないし、この段階で家に頼るのも気が引ける。
仕方がないので、私は発想を切り換えることにした。
私の持つもう一つの【属性】、名を【練達】。これによって鍛錬に勉学、その他教養の習熟に大幅な補正が加わったからこそ、私は騎士の道と淑女の在り方を両立させられている。
家の書庫から適当な魔道書を数冊見繕い、速読で暗記するのに六時間。その中から探知系の魔法を選出し習得するのに三時間。それらに妨害対策を施す改造に半日。精度の確認にさらに半日かけ、そこから探知の触媒探しに三日を費やした。
居場所の特定までにかかった日数は五日。魔法の会得自体は二日足らずで済んでいたことを考えると、我ながら驚きの吸収速度だ。
ともあれ居所がわかったのなら、次は実際にそこへ向かわなければ始まらない。普段使わずに溜まっている休暇をここぞとばかりに放出し、両親に小旅行に出る旨を伝えて早々に馬車へ飛び乗った。騎士が長期間街を離れるのはあまり褒められた行いではないが、そこはたまの息抜きということで目を瞑ってもらうとしよう。
目的地への到着には、順調に進んで四日といったところ。その間に『旅行鳩』が宿を移していなければ楽でいいのだが。
道中はこれといった異常もなく、予定通りに目的地へと辿り着けそうだった。せいぜい魔物が数回現れた程度で、それも私があっさり蹴散らし馬車の進行に何ら支障はきたさなかった―――しかし、目当ての宿まであと数刻というところでその様相は一変した。
「急にどうしたというの……?」
魔物の襲撃回数の激増。頻繁に襲い来る野盗。馬車の車輪は外れ落ち、直した矢先に今度は馬が足を挫いた。
明らかに
そんなことを考えている間にも、さらなる異変は到来する。
魔物の大群。その数はざっと見積もっても百はくだらないと思われ、遠くに控えている応援を加えれば数百にも及ぶだろう。
「流石にこれは骨が折れそうね……」
単体としての強さは取るに足らずとも、流石にここまで数が揃えば多少は厄介だ。負けはしないが、だいぶ時間をロスする羽目になりかねない。
私が最も得意とするのは近接戦であり、広域殲滅を行えるような大火力は比較的不得手だ。できなくはないしすぐに上達するだろうが、今すぐ使えるほどの余裕は流石にない。
これは長丁場になるか、と覚悟を決めようとしたその時だった。
ふわり、と。
今しがたこの世界に浮き出てきたかのように、私の眼前に一人の女が現れていた。
「ごめんなさいね、旅の人。この辺りに来てから急にトラブルが頻発したでしょ?それたぶん私のせい」
その姿を見て、私は真っ先に猛禽を連想した。
だが次の瞬間にはそのイメージを否定する。
「お詫びといっては何だけど、ここは私も加勢するから」
そう告げるや彼女は魔物の方へ向き直り、瞬きも終わらぬうちに魔法の構築を完了させた。規模からして中位魔法。学園で習うようなスタンダードなものではなく、自分専用に改造を重ねたオリジナルだ。
その数、実に数百。魔物一体一体を覆うように同数の風球が展開され、それらは徐々に圧縮されていき檻の中の虜囚に一切の抵抗を許さず押し潰していく。
時間にしてほんの数秒。たったそれだけの間に、私でも手を焼いたであろう魔物の大群は全滅していた。
「こんなところかな。あなた強そうだし、もしかしたらお節介だったかもしれないけど」
軽い調子で宣う女に、私は言葉を返せなかった。
彼女の実力に目を奪われていたからではない。勝手な言い分に腹が立った訳でもない。ただその姿にとある面影が見え隠れして、絶対に違うはずなのにどうしてもそれが拭い去れなくて、考えれば考えるほど確信は深まっていった。
容姿は似ている。声も記憶の中とそう変わらない。だが纏う雰囲気が致命的にずれていて、受ける印象が決定的に異なっていた。
それでも、間違いない。間違えるはずがない。
一つの名が、私の口から勝手に零れ落ちた。
「……………エルメア?」
だってそれは確かに、五年ぶりに見る旧友の姿だったのだから。
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レヴィリア・ティフォンの場合
物心ついた時から、【属性】というものが嫌いだった。
それは常に私を苛み、兄を苦しめてきた。
できることなら取り去ってしまいたいと何度考えたことか。たとえノンマンになってでも、今の繋がりを全て失ってでも、この運命の呪縛から逃れられるならそれでいいとさえ思ったこともある。
もしもヘレシィやカースドと縁があったなら、私は躊躇いなくその手を取っていたことだろう。
どうにか今まで耐えてこられたのは、ひとえに兄がいたからだ。【痛み】なんていう害しか生まない【属性】を生まれ持って、それでも私の前では笑っていた強い兄がいたからだ。
きっと私だって【痛み】の一因だったのに、私に当たり散らしたって何もおかしくなかったのに、そんな素振りはおくびにも出さずに笑いかけてくれた。その姿に私は救われ、同時に【属性】への憎悪は日に日に増していった。
そんな思いを神は嘲笑ったのか、それとも中途半端に聞き入れてしまったのか。
兄の運命は、唐突に何者かの手で塗り替えられた。
掴みどころのない人だ、というのがその人の第一印象だった。
エルメア・クリュシェーラ。行き倒れていた私を拾い、兄の救出への協力を申し出てくれた人。『旅行鳩』の二つ名はこんな辺境にも届いている―――というより、王都を避けて活動しているため却ってこの辺りの方が知名度は高いらしい。かなり閉鎖的な私の『里』でも耳にしたことがあったほどで、実際その実力は折り紙つきだ。
そんな彼女と行動をともにして十日ほど経つが、その間に巻き込まれた事件の数は二十六。その全てを飄々と片付けていくさまはどこまでも自然体で、百姓が畑を耕すのと何ら変わらないようにさえ思えたほどだ。
本人曰く『慣れの産物』とのことだが、確かにこんなペースで騒動に出くわせば慣れもするだろう。私も大概特異な人生を送っていると思うが、この人はまた違った方向に凄まじい。
その体質もまた【属性】の仕業―――正確には【
兄と同じように【属性】を入れ替えられるという奇妙な事件の被害者なのだそうで、かつては何もかも平凡だったというのだから驚きだ。今の彼女は、控えめに言っても非凡そのものなのだが。
同じく翻弄されてきた身としては、多少なりともシンパシーを覚えずにはいられない。
それはそれとして、十日である。私にとっては短いとは言いがたい時間を彼女とともにしてきたが、未だ兄を助け出すには至っていない。その理由は大別して三つある。
第一に、彼女のトラブル誘引体質。これはもう仕方ないと諦めがついた。差し引いて余りあるだけの実力があるのだからそれでいいだろう。
二つ目は、道中の安全を考慮して進行速度を多少抑えているためだ。
兄の異変―――【痛み】を感じなくなるという異常に、真っ先に気付いたのは本人と私だけ。埋め込まれた二つの【属性】が目に見える変化を及ぼすものでないことも、その片割れである【鑑定】によって判明している。
つまり、無茶な強行軍が必要なほど切迫した状況にはまだ陥っていない。だからといって焦りが消える訳ではないが、最悪なのは事を急いて失敗すること。それを防ぐための必要経費と割り切った。
そして最後の理由。単純な話、距離的に全速力で向かっても十日以上を要するのだ。
今日も今日とて、私たちは森の深奥にある私の故郷を目指していた。
往路に私が抜けてきた獣道とは別のルートだ。細心の注意を払ってなお頻繁に死に目に遭う彼女にとって、可能な限りの安全確保は大前提なのだそうだ。まあ、どのみち最終的には魔窟へ潜らなければならないのだが。
ともあれ迂回路を通って『里』へと向かっている訳なのだが、安全な道ということはそれなりに人通りがあるということでもあり。彼女が定期的に引き寄せる異常事態に、二次的に巻き込まれる人が出るのも必然といえた。
流石に放置するのも忍びなく、寄り道して助けに入ることかれこれ五回。六度目もまた同じようなトラブルだと思っていたが―――今回のそれは見るからに桁が違った。
視界一面を埋め尽くす魔物、魔物、魔物。どこからそんな数が湧いてきたのか、総数は優に三百を超えると思われた。
そして、その只中にちらりと見える馬車の幌。
「これは……流石にまずいかな。ちょっと行ってくるね」
「そうですね。私は大丈夫ですので、救助を済ませてしまってください」
個々の強さは中の下程度のものばかりだが、これほどの数だ。私たちの敵ではなくとも、巻き込まれたのが一般人なら到底対処は不可能だろう。
エルメアさんも同じ結論に至ったようで、一つ頷きを交わした後に
「私の出る幕はなさそうですね」
今までと比べて桁違いだからといって、それが私たちにとって難題であるとは限らない。
直後に現れた無数の風球を見てぽつりと呟き、早く彼女と合流するために私も駆け出した。
馬車の元へ到着する頃には、一帯の魔物は粗方狩り尽くされていた。というより、こちらに向かい始めた辺りで既に壊滅状態になっていたのだが。
中位魔法の無詠唱発動。それ自体は別に珍しくもないが、あれほどの数を同時展開するとなれば術式の規模はちょっとした儀式にも匹敵する。
それを事もなげに実行し、その上でさしたる消耗も見せていない。この十日間でわかっていたことだが、やはり彼女の実力は本物だ。
「あ、レヴィ。早かったね」
「はい、今着きましたけど……その人が?」
この場には私たちのほかに、もう一人女の人の姿がある。上流階級を思わせる身なりに肩までの銀髪、可愛らしいというより凛々しい顔立ちは性別を問わず見惚れそうな美しさだ。
状況からして救助対象と見て間違いないのだろうが―――何やら、エルメアさんとの間に名状しがたい空気が漂っている。曖昧な顔で見つめあう二人は、どうにも距離感を測りかねているように思えた。
「うん、まあそれは間違いないんだけど……」
珍しく心底困った様子で、彼女は私の問いにそう返した。
「知り合いだった」
「それじゃあ、お二人は十年来のお友達なんですね」
「まあ……そうなる、のかな?」
シャルロット・セリアリスと名乗ったその女性を加えて、私たちは宿へと向かっていた。
今日はこれ以上進むのは無理そうだった。時間もそうだが、ここから先は宿の一つもない本物の僻地だ。強力な魔物も多く、まともな休息を取れるのはこれが最後になるため、今日だけは早めに切り上げて休むことにしたのだ。
「『かな』って、そこは断言しなさいよ。それとも再会を喜んでいるのは私だけ?」
「そんなことはないんだけど……」
いつになく歯切れが悪い様子のエルメアさん。未だに言葉を交わすのに躊躇いがあるらしい。
むしろシャルロットさんこそ変化に戸惑う側かと思ったのだが、こちらは意外にもすぐに受け入れてしまったようだ。
「貴女の事情は、大体察したつもりよ」
「っ」
そう言って、シャルロットさんはエルメアさんの瞳を正面から見据えた。
「確かに貴女は変わったと思う。【属性】の影響なのでしょう?」
「……うん」
「それと、『旅行鳩』って貴女のことよね?」
「……………うん」
「やっぱり。……ラジュマめ、全部知っていたわね」
小さく何かを呟き眉をひそめたシャルロットさんだったが、すぐに顔を上げて再び口を開いた。
「私は貴女を探してここまで来たのよ」
「え?」
「正確には『旅行鳩』を、だけど。ここ最近増加している怪事件の手がかりとして、情報屋が名前を挙げたの」
「……………まさか」
息を呑む音が聴こえる。私もまた、一つの可能性に思い至って目を瞠った。
「属性替え。たぶん、貴女が最初の一人なのでしょうね」
エルメアさんと兄、そして間接的に私が共有する事件。そこにシャルロットさんまでもが加わったのは、気は進まないが運命の導きと表すべきだろうか。
犯人の目的は何なのか。そもそも何者なのか。わからないことばかりだが、私たちが思っていたよりもこの事件は根が深いのかもしれない。
そんなことより、まずは兄を助けるのが先決だが。
「まあ、貴女が『旅行鳩』だったのはある意味ありがたかったわ。名前だけポンと出されたから、敵か味方かもわからなかったんだもの」
その点貴女なら安心だしね、と続けるシャルロットさん。
「……でも、私はこんなに変わったんだよ?それなのに、昔と同じように私を信じられるの?」
恐る恐るといった様子で投げかけられた問い。彼女としてはそれこそが最大の鬼門だったのだろうが、相手にとってもそうであるとは限らない。
そう告げるように、シャルロットさんの答えは実にあっさりとしたものだった。
「まあ正直驚いたけれど。でも、さっき私を助けてくれたでしょう?」
それだけ。
単純で、簡潔で、この上なく明確な理由づけ。
「それは、巻き込んで放置じゃ寝覚めが悪かっただけで」
その言い分に対して返されたのは、くすくすという笑い声。怪訝そうな目を向けるエルメアさんだったが、次の台詞を耳にしてその顔から色が吹き飛んだ。
「ねえ、それってとても普通の考え方だと思わない?」
「―――――」
その瞬間、彼女は確実に一切の動きを止めていた。目も、口も、手足も、ひょっとしたら呼吸や脈拍さえ。
「私は好きよ、今の貴女も」
そっか、と。
微かに笑ったその顔には、今までよりもどこか温かみがあった。
最後の宿で一晩の休息をとり、私たちは改めて里を目指して出発した。
シャルロットさんも同行している。五年ぶりの再会だというし、まだまだ話し足りないこともあるのだろう。何であれ戦力が増えるのはありがたいので、もちろん断る理由はない。
道中は何事もなく進んでいった。いや、いつも通りトラブルには事欠かなかったのだが、シャルロットさんが加わったことで安定感が格段に向上したのだ。
長年の友人ならではなのだろう、連携を取れば五年の別離を感じさせない息の合いようを見せていた。加えて、エルメアさんがいつにも増して絶好調なのも大きい。単純な実力以上に、シャルロットさんが加わった恩恵は大きかった。
そうして、森へ入って四日目の昼過ぎ。森を行く私たちの前方に、ようやく目的地がその姿を現した。
生い茂っていた樹木が突如として途絶え、目の前には半径数キロに渡って平原が広がっている。それに囲まれるようにして、私の故郷は存在していた。
地名すら持たずただ『里』とだけ呼ばれるそこは、国にさえ認知されていない完全なる秘境。
外との仕切りは、申し訳程度に立てられた簡易な柵が一周しているのみ。たったそれだけの境界線を越えられないがために、そこは外界から隔絶されているのだ。
「上を見てください」
私の言葉に従って、二人が上空を見上げる。
「おおぅ、ありゃすごいね」
「あれが……!」
目を見開く二人の双眸に映る、透き通った巨大な何か。日光の屈折により辛うじて捉えることができる輪郭は、
「あれがこの森が魔窟とされる所以。『里』が秘境とされる最大の要因です」
ある者は畏敬を込めて、この地の守護龍だと宣った。ある者は憎悪を滾らせ、この檻の番人だと吐き捨てた。私としては、今は後者に賛同せざるを得ない。
この巨龍を突破するために、私には戦力が必要だったのだ。
あれは『里』を出入りする者を悉く焼き払う。その火力もさることながら、身体も攻撃も視認できない【透過】という非常に厄介な【属性】を持っている。そのため、『里』の中でも外との行き来ができたのは【隠密】や【秘匿】を持つ数名だけ。それとて毎回ギリギリの決死行だ。
私一人でなら抜けられる。往路で実証したように、勝てないまでもやり過ごすことは可能だった。
だが、兄を連れての脱出となると話は別だ。それを成すにはせめてもう一人、私と同等以上の実力者がいなければならなかったのだ。
「じゃ、やりますか」
「手筈通りでいいのね?」
確認を取る二人に頷きを返す。家の場所を知るのが私だけである以上、役割分担は決まっている。
「はい。五分、あれの足止めをお願いします」
「お任せあれ」
強者の風格を漂わせながら豪語する姿に底知れない頼もしさを感じる。……いや、本当は実力などより、頼れる人がいるという事実こそが重要だったのかもしれない。
二人の姿に背中を押され、改めて私も決意を固めた。
「行ってきます」
一歩、踏み込む。
地面を踏みしめる右足を通じて、三十キロにも満たない全体重を一点に集約させ―――直後、足元が爆裂すると同時に私の身体が矢のように射出された。
ただし、通常の矢と異なるのは一切の失速をしないという点だ。それどころか、道中の障害物を押しのけながら加速さえ見せている。
すなわち【収束】【循環】【増幅】【反射】の
通説によれば、人間がその身に宿せる【属性】は最大で五つ。
仮にそんな人間が見つかったとするならば、その稀少価値を求める者は後を絶たないだろう。
だから、私は。
だから、兄は。
「っ!」
龍が、天空より飛来する。
一直線に襲い来るその怪物の前に、
鍔迫り合いは一瞬。白銀は押し負けて後方へ吹き飛び、無貌は刃に
そうして生まれた一瞬で、私はこの戦場を置き去りにしなければならない。
「もっと、もっと速く……!」
風を
後方で放たれた
この後に及んで、嫌だからと出し惜しみなどしていられない。
神が憎い。【属性】が憎い。そして、それに頼りきっている自分自身が何より憎い。
知恵を
戦いにしてもそうだ。四つの【属性】が奇跡的に噛み合ったからこそ私は強者の側にいるが、一つ一つの練度はそう大したものじゃない。身体能力も年相応、魔法や呪術を扱える訳でもない。
結局は【属性】頼み。さんざん忌み嫌ってきた力に全てを預けなければ、私は舞台に上がることすら許されない。
それでも。
兄を助けるためならば、そんな懊悩は些事と切り捨てよう。
「今、迎えに行くから……!」
二十六日。それだけの間、ただひたすらに無事を祈っていた。
家で待つだろう兄の許へと、私は全速力で疾駆した。
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レオナルド・ティフォンの場合
それは、筆舌に尽くしがたい高揚とともに僕の身体を蝕んだ。
それは、ある種の虚脱感さえ伴って僕の身体から消え去った。
それは、きっと僕という人間をどうしようもなく狂わせた。
理解することに意味はなく、納得することに意義はない。
唾棄することに理由はなく、恐怖することに果てはない。
抱えるには大きすぎて、投げ捨てるには重すぎる。
共に歩むには深すぎて、訣別するには近すぎる。
そして僕は、それをどうしても嫌うことができなかった。
僕の生まれ持った【属性】は、ありとあらゆる艱難辛苦を一手に引き受けるものだった。
周囲には【痛み】と説明していたが、実態はやや異なる。今は亡き両親と『里』の長老、それに【鑑定】持ちの神父だけが僕の秘密の共有者だった。
【贄】。それが僕に宿った運命の持つ真の名だ。
供物。生贄。人柱。どのような言い回しをするにせよ、この世に生まれ落ちた瞬間にこの身は『里』に捧げられた。
単なる悪習と切り捨てるのは早計だ。それが【属性】である以上、性質に則った効果は確実に現れる。僕一人に苦難を集中させることで、誰かに降りかかる災禍は確かに減らせるのだ。
だから、もとより拒絶の意思は薄かった。運命そのものといえる【属性】から、真っ当な手段で逃げ果せることは不可能だったというのもある。
幼い妹を遺して両親が死んだとき、僕の決意は完全に固まった。
妹は四つの【属性】を重ね持つ天才として生を受けた。それが【贄】の働きによるものかといえば微妙なところではある。絶大な才を宿しはしたが、それが本人にとって幸運かと問われれば否定せざるを得ないからだ。
ただし、『里』にとっては紛れもなく希望の光だった。何と言っても、あの
世界にも数えるほどしかいないであろうカルテットであり、なおかつ全ての【属性】が噛み合った妹は掛け値なしに強かった。今年十歳になるまでさしたる鍛錬も積まずして、既に『里』で最強の座に就いていることからもその才覚が窺い知れる。
そんな称号は、【属性】を嫌っていた妹からすれば何ら嬉しくはなかっただろうが。
妹は閉鎖的な子だった。同年代の子供と遊ぶことなどほとんどなく、まともに話すのは僕とせいぜい神父くらいのものだ。
天才故に周囲を見下していた訳ではない。あの子は憎んでいたのだ。無責任な期待を押しつける『里』の人間たちも、その元凶たるかの巨龍も、運命などというレールを敷いた世界そのものも、それに流されるしかない自分自身も。
その憎しみの一端に、僕の境遇があることも察していた。それでも僕は自分の役割に納得していたし、この献身がいずれ妹にも幸福をもたらすと信じて疑わなかった。
だというのに、当然のごとく。
だからこそ、完膚なきまでに。
長い雨が降り止んだ、二十六日前の朝。
目覚めると同時に、僕は自分の顔面を全力で殴りつけた。
己の身に起きた『それ』を自覚することは容易かった。
正直、その時の取り乱しようは無様極まるものだっただろう。根底にあったのは底知れない恐怖。他の一切に目を向ける余地もなく、ただひたすらに役目を失ったことへの恐怖ばかりが迫り上がってくる。
自身の存在価値を根こそぎ否定されたから、というだけではない。【属性】を失ったということは、その反動―――
その事実こそが、僕という存在を根底から脅かす。これまでに僕が請け負ってきたものを鑑みれば、どれほどの惨劇が
そのうえ、僕の身に起きた異変はまだ他にもあった。失っただけでは飽き足らず、新たに二つの【属性】が宿っているという不可思議な事態に陥っていたのだ。
一つはこの異変を察知した【鑑定】。遅かれ早かれ気づくこととはいえ、最悪のタイミングで精神に追い討ちをかけられたため心証はやや悪い。
もう一つは【還元】。これは諸刃の剣ながら、僕に最後の光明を見せた。
希望を見出し、微かに平静を取り戻した頭で思考する。
実のところ、【属性】を奪われたこと自体はそこまで問題ではない。その程度のことで僕を虐げ、妹の不興を買うなんて馬鹿らしい真似はしないだろう。
問題はそれが【贄】だったことであり、またその事実を公表できないこと。そんなことをすれば、災禍の訪れを待つまでもなく妹の手で『里』が滅びかねない。
何とかする必要があった。
方策は二つ。【属性】を取り戻すか、僕がここを出るか。そもそも犯人が『里』に残っているとも限らない以上、採る選択肢は決まっているようなものだった。
そうなれば、これから取るべき行動も自ずと定まってくる。まずは長老に事情を明かし、協力を取りつけるところからだ。普段は自室に籠っており滅多なことでは顔を見せないが、今回の件は流石に無視できないだろう。その後は神父も呼んで対応を話し合い、纏まり次第行動に移るというのが仮の方針となりそうだ。
ところで。
平時ならば簡単に予想できたことだが、それほどまでに僕は心を乱していたということなのだろう。
あの妹がこれほどあからさまな異変に気づかないはずがないという単純な事実に、僕はついぞ思い至ることができなかった。
ここで待っていてください、とだけ言い残して、妹は援軍を得るために『里』を飛び出していった。
理由は異なれど『里』を離れるのは賛成なので、真相を語らぬままに送り出したが―――僕の出奔にあの子がついてきてしまっては、結局何の意味もない。
真実を知らない妹にしてみれば、僕が属性替えに遭った事実さえ知れ渡らなければこの一件は解決なのだろう。新たな【属性】も別段問題のあるものではなく、わざわざ取り戻す必要性など微塵も感じていないはずだ。
だが僕は、何としても【贄】を再びこの身に戻したかった。それこそが妹に、『里』に、僕が示せる最上の親愛であると信じているから。
無論、そのために妹や他の誰かを犠牲にしたのでは意味がない。そこを履き違えれば、僕の行いは自己満足にすらなり得ないと理解している。
ならば取り得る手段は一つ。
だが悲しいかな、僕の実力という一点においてその方法は破綻する。元凶に辿り着く以前に、まず外界を隔てる
あの妹でさえ、一人では難しいと考えたからこそ助勢を求めに向かったのだ。凡才かつ戦闘に不向き、それも手にして間もない【属性】で挑むなど論外に決まっている。
精神論などに頼らず、あくまで合理的かつ効率的に。そうでなければ僕の目的は果たせない。
すなわち妹の帰りを待つのが現状では最善だ。頼るのは心苦しいが、単独で突破する手段がない以上は致し方ない。その償いはいずれするとして、今は何より力が必要なのだ。
長らく『里』を離れるのなら、その前にやっておくべきことがある。
「兄さん!」
稲妻もかくやという勢いで飛来する妹の姿を認めた途端、心のどこかで徒波が凪ぐのを感じた。
「よかった……!本当に、ほんとうに、無事で良かった……‼︎」
「レヴィこそ、無事に戻ってきてくれて安心したよ。それが何より大事なことだ」
一抹の罪悪感を押し隠しつつも、その言葉に偽りはない。その前提が崩れてしまえば、これからの行い全てが無価値となって水泡に帰すことを忘れてはならない。
それを理解しながら苦境へと連れ込もうというのだから、我ながら馬鹿な真似をしていると思う。それでも僕の目的のためには必要なことで、だからこそ躊躇はしても遠慮するつもりはない。
「さあ、早く出ましょう。今、外でお二人が足止めしてくれていて―――」
「レヴィ」
急かす妹を呼び止める。
「こんな状況で無茶な頼みだとはわかっているけど、どうか聞いてほしい」
「……なんですか?」
怪訝な声音と不安を孕んだ瞳が、内心の焦燥を克明に映し出す。あの妹にこんな表情をさせるとは、巡り会えた協力者はよほど良い人物だったのだろうか。
そんな恩人ともども目的のために利用する気でいる僕に、何を言うだけの権利もありはしないが。
「あの
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