恋の訪れは猫とともに (プロッター)
しおりを挟む

Megumi Meets Men

 猫カフェという場所がある。

 そこは読んで字の如く、猫のいるカフェだ。

 昨今、その愛くるしい姿から猫がブームになっていて、猫を飼う人も増えてきているらしい。そのブームが到来して以来、それまでは話題に上がることがそれほどなかった猫カフェも注目を集めてきている。テレビ番組でも紹介されることが度々あった。

 そんな注目されている猫カフェという場所を目指して、メグミは静かな街並みを歩いていた。

 

(ちょっと暑くなってきたわねぇ・・・)

 

 澄み渡った青空を見上げながら、メグミはぼんやりと考える。季節は6月も中盤を過ぎて7月に近づいていて、気温も順調に上がってきていた。

 今日は、戦車道の練習や試合、島田流本家への挨拶、チーム内でのミーティングもない完全なるフリーの日で、メグミにとっては思いっきり体を休めることができる貴重な日だ。

 しかしメグミは、純粋にお茶をすることを目的としたカフェには行ったことはあるが、猫カフェに行ったことは1度もない。

 そのお茶目的のカフェも、同僚に誘われたり、戦車道で疲れた身体を少し休めるぐらいでしかなく、そこを目的地として自分から進んで行くことはなかった。

 もっと言えば、休日にメグミは自分からどこかへ出かけようと思うこともあまりない。先に述べたような誰かに誘われた時だったり、体力づくりのためにトレーニングジムへ行く時だったり、生活に足りないものをちょっと買いに行く時。本当にそれぐらいだ。

 それでは、なぜこの休日にこうして行ったこともない猫カフェに急に行こうと思ったのか。

 その原因は、1週間ほど前のことだ。

 

 

 その日は戦車道の練習試合が行われた日で、メグミは同じチームメイトと共に居酒屋で打ち上げ兼反省会兼お疲れ様会をやっていた。

 そんな中で。

 

『この一杯のために生きてるわ~!』

 

 と、チームメイトがビールを呷って満面の笑みで告げたその言葉に、メグミは同じくビールジョッキを片手にうんうんと頷いた。

 確かにメグミも、戦車道の試合で疲れ切った後で飲む一杯は至高の味だと思う。酒を飲める歳になってから間もなく1年を迎えようとしているが、この五臓六腑に染み渡るかのような味と感覚は、酒の味を知らなければ得られないものだ。

 

『私にはこんな美味しい料理作れないな~』

 

 今度は別のチームメイトが、頼んでいた唐揚げを一つ口に放り込み舌鼓を打って呟く。メグミもまったくだと激しく同意して頷いて、同じくから揚げを一つ食べる。

 メグミは料理を全くと言っていいほどしない。メグミ自身チマチマした作業は好きじゃないし、料理も分量やら何やらが細かくてそれでいて肝心なところは『少々』『適量』『いい感じに焼き目がついたら』と妙に無責任な感じがするのも好きじゃなかった。

 だが、そこでメグミはふと思ったわけだ。

 

 女性としてこれはどうなの?と。

 

 戦車道の疲れを癒すのはお酒、料理はできない、おまけに大した趣味もない。

 それは成人直後の女性として、いや年齢など関係なく女としてダメなんじゃない?メグミはふと、危機感にも似た疑問を抱いたのだ。

 メグミは元々、『自分はちょっとだらしないかなぁ』と思うことはあった。けれどそう思うだけで、今の自分は別に嫌いではなかったし、だからと言って自分が死ぬわけでもなかったので、気が向いたら変えればいいか、ぐらいの認識でしかなかった。

 だがその危機感を覚えたことで、今まで感じなかったはずの『女性として、このままじゃだめだ』と自分を正そうとする気持ちが芽生えた。

 今がその、『気が向いた時』。

 要するに、戦車道を歩み続けたことで錆び付いていた女心が、再燃しだしたのだ。

 

 

 というわけでその日以来、自分を変えられるような何かを探していたわけだ。

 まず手っ取り早く料理かな、と思ったが調理器具の類が自分の家に揃ってなかったので、あえなく断念。またの機会とすることにした。

 他にもショッピングだったり小旅行だったりガーデニングだったりと、色々と『他人に恥ずかしくもない女性的な要素』を色々探していたのだ。

 そんな中でメグミは、テレビで放映されていた猫カフェの特集を目にした。

 その特集を見て、メグミは少し考える。

 メグミにも小動物を可愛らしいと思う感性はもちろんあるし、メグミ自身猫が嫌いというわけでもない。

 流行に乗っかるわけではないが、その猫カフェ特集を見て純粋な興味が湧いて出てきたのだ。

 そしてこの休日に、猫カフェに足を運んでいるわけである。

 目的のお店は、そのテレビの特集で取り上げられていた猫カフェ。元々テレビで特集される前から人気のお店だったらしく、予約を取るのもなかなか難しいと言われていた。しかし今日は、割とすんなり予約を取ることができたので、ラッキーだった。

 猫カフェの中には予約を必要としないお店もあるらしいが、メグミは初めて行くのならちゃんとした店に行きたいと思っていた。事前の予約が必要という点や、テレビの特集で取り上げられたという点に安心感を抱いて、今日行く店を選んだのだ。

 

「どんな感じなのかしら・・・?」

 

 まだ見ぬ猫カフェへの期待を隠せず、つい口からそんな言葉が洩れだす。

 予約をする際にホームページでカフェの様子をちらっと見たのだが、いい感じの雰囲気だということは分かっている。

 ネット上での評価、口コミは見ようとはしなかった。もしも悪い評判なんかを目にしたら、嫌な気持ちを抱えたまま行くことになって純粋に楽しめない。だからメグミは、そういった個人の評価を見たりはしなかった。

 少し歩いて、ついに目的のお店の前に到着した。ここは確かに住宅街のはずなのだが、このお店だけは絵本の世界から飛び出してきたかのようにファンシーなデザインで、周りとは全然雰囲気が違う。

 ブラケットに掛けられた木製の看板に、店の名前が彫られている。それを確認すると、メグミは木製のドアを開き、店の中へと入る。

 ドアを開けた瞬間から猫の鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる、ということにはならなかった。

 中の照明は暖色系だが、壁際にぽつぽつと付いている程度で、天窓から取り入れている太陽の光も利用して中を明るくしている。暗くなったり天気が悪い時は、点ける照明の数を増やすのだろう。オルゴール風のBGMがスピーカーから流れ、お店の中をゆったりとした雰囲気で満たしていた。

 レジに店員はおらず、小さなハンドベルが置いてある。『御用の方はベルを鳴らしてください』と傍に注意書きも置いてあったので、メグミはそのベルを『チリチリン』と小さく鳴らす。そのベルの音を聞いて、猫たちがメグミに視線を向けたのだが、メグミはそれには気づいていない。

 

「大変お待たせしましたぁ~」

「すみません。予約をしていた者なんですけど・・・」

 

 1分と経たずに店員と思しき若い女性がやってきて、メグミは店員から予約内容を確認される。そして確認が取れると、改めて店員から利用するにあたっての留意するべきことと注意点を伝えられた。

 時間は2時間。料金は1杯分のドリンク代込み。猫の抱っこはNG、しかし猫の方から近寄ってきた場合には優しく接すること。写真撮影はフラッシュ無し。

 メグミは事前説明を聞き終えると頷いて、代金を払ってドリンクを注文する。そして靴を脱いで下駄箱に仕舞い、手の消毒をする。そしてようやく、猫たちと触れ合えるスペースへと入ることができる。

 

「へぇ~・・・」

 

 そのスペースへと足を踏み入れたメグミは、目の前の光景に思わず声を洩らす。その『へぇ~』は、初めて訪れる場所が『こういう場所なんだ』と理解したからだ。

 中には、多種多様の猫がいた。色はもちろん、模様も、毛並みも、大きささえも違う。そしてその猫たちは、キャットタワーの上で座っていたり床に寝転んだり、思い思いの姿勢で寛いでいる。

 その猫たちは、ここに訪れたことのないメグミに僅かの時間興味を示したようで、じっとメグミのことを見ている。

 そんな猫たちのいるスペースを、メグミはゆっくりと見回しながら歩き進める。すると、割と近い場所にいた猫はたたっと離れて行ってしまった。やはり、警戒されているらしい。人懐っこい子もいるようだが、そんな感じの子は今のところ見る限りはいないようだ。

 スタッフから好きな席に座っていいと言われていたので、メグミは2人掛けのテーブル席、ベンチシート側に座ることにした。そして向かいの椅子にバッグを置く。

 そして席に着くと、また1人入店したようでレジの方から『チリチリン』と小さくベルの音が鳴った。メグミの時と同じように予約情報の確認と事前説明を済ませ、そのお客が猫たちのスペースにやってきた。

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の青年で、すごいオシャレとは言えない程度なカジュアル系の服装だった。こういったお店に男性が1人で来るというのは少々意外だったが、もしかしたら彼も猫好きなのかもしれない。

 この青年もこの店に来るのは初めてなのか、周りの猫たちはメグミの時同様警戒している様子だ。

 青年は、メグミの隣の空いている席に座る。それは意識してそこに座ったわけではなくて、ただ空いている席を見つけたからそこに座った感じだ。

 

(結構いろんな人が来るのね・・・)

 

 メグミはそこで、中を見渡す。ただし見るのは、訪れているお客の方だ。

 休日だからか客入りはそこそこで、その大半は女性客だ。年齢の幅は広くて、中学生ぐらいの子からおばあちゃんまでいる。男性もいるにはいるが、メグミの隣に座る青年以外は女性と一緒、要するにカップルらしい。何だかカップルを見ると妙な劣等感まで抱いてしまうので、そっちの方は見ないでおくことにした。

 すると、メグミの足下に1匹の茶色い縞模様の猫が寄ってきた。抱っこすることは禁止されているので、メグミにはもっと近寄ってくることを願うしかない。

 願いが通じたのか、やがてその猫は十分な距離まで近づいてきて、何か物欲しげな顔でメグミを見上げている。

 

(どうしたものかしら・・・)

 

 メグミは猫と接したことが全くない。実家で猫は飼っていないし、今暮らしているアパートもペット禁止なので飼えないし、そもそも飼おうと思ったこともない。知り合いにも猫を飼っている人はいなかった。

 この猫カフェに来る前に猫との触れ合い方についてネットで多少なりとも調べておけばよかったが、メグミはそう言ったことをいちいち調べるのはあまり好きではない。戦車道では絶対そんなことはないが、メグミは割と行き当たりばったりなところがある。

 なのでとりあえず、その猫に手を伸ばす。そこで猫がびくっと少し怯えるような反応を見せたが、メグミは猫の頭にそっと手を置く。

 その瞬間。

 

(何、この感触・・・・・・)

 

 人の頭を撫でるのとはまた違う、ふわっとした柔らかい感触。奇麗な毛並みと、わずかな猫の体温が手から伝わってきて、心地よさがメグミの身体を貫く。これほどまでに触るだけで気持ちの良いものが存在するとは。

 だが、猫の方はメグミがただ頭に手を載せているだけなのが嫌だったのか、プイっと頭を振ってそのまま去ってしまった。

 

「あら、残念・・・」

 

 口ではそう言うが、メグミはそこまで落ち込んではいない。猫と接することは初めてだし、その知識もほとんど無いのだから、そんな自分の接し方が猫に受け入れられないのも仕方がない。

 すると今度は、メグミの座るベンチシートにぴょんと猫が飛び上がってきた。色は茶色と黒の縞模様で、横にごろんと寝転がる。

 その猫はメグミに後ろ脚を向けているので、顔は見えない。だが、メグミは先ほど猫を撫でた時の感触が忘れられなくて、ついその寝転がっている猫のお腹に手を伸ばす。

 そして、お腹に手が触れた瞬間、その猫の顔に誰かの人差し指が向けられた。

 メグミは、その人差し指を向けた人の顔を見る。

 

「?」

 

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の隣に座っていた青年だ。

 

 

 その猫の顔に向けて人差し指を向けたところで、青年―――桜雲周作(さくもしゅうさく)は猫のお腹に誰かの手が置かれたのに気づく。

 桜雲は、そのお腹に手を置いた人の顔を見た。

 

「?」

 

 その人は、桜雲と同じぐらいの背丈の隣に座っていた女性だ。

 女性も偶然桜雲と視線がぶつかってしまうが、桜雲はにこっと愛想笑いを浮かべて指を猫から離した。茶色と黒の猫―――キジトラが少しだけ桜雲の方に反応を示したが、気まずかったので仕方がない。

 一方で女性は、猫のお腹の感触が気に入ったのか、ぶにぶにと揉んでいる。

 

(・・・・・・)

 

 桜雲は、実に嬉しそうに、楽しそうに猫のお腹を揉んでいる女性を見て、妙に温かい気持ちになった。

 その猫のお腹を揉む手つきは不慣れな感じがして、さらに一か所を集中するように揉んでいることから、恐らくこの女性は猫と触れ合うことにそこまで慣れていないのだろう。

 そんな女性が不慣れなりにも猫と触れ合っているのを見て、桜雲は微笑ましく思う。

 猫好きの桜雲は、こうして誰かが猫の魅力に気づいてくれるのを見ると、いつも嬉しくなる。それは自分の友人知人だったり、テレビの向こう側の芸能人だったりでも同じだ。

 だが今、桜雲はその嬉しさとは別に、心が温まるのを感じた。

 その女性が猫と触れ合っているのを見るだけで、どうしてだか、温かい気持ちになれたのだ。

 

「に゛ゃっ」

 

 すると、お腹を揉まれていたキジトラはそんな若干不機嫌そうな鳴き声と共に起き上がり、シートから下りてすたすたと去って行ってしまった。去り際に、尻尾が左右に揺れて『バイバイ』と言っているようにも見える。

 猫はあんまりお腹揉まれるのも嫌いなんだよねぇ、と桜雲が思っていると、スタッフが受付の時に頼んでいたメロンソーダを持ってきてくれた。桜雲はぺこりとスタッフにお辞儀をする。続いてスタッフは、同じお盆に載せていたアイスコーヒーを、桜雲の隣に座る女性のテーブルに置いた。

 その様子を目で追っていると、グレーの猫―――ロシアンブルーが桜雲の足下に歩み寄ってきた。

 桜雲は、さっき寝転んでいた猫にしたように、人差し指を鼻に近づける。すると、ロシアンブルーはその人差し指に鼻をこすりつけてきた。これで挨拶ができて、信用してくれているということが分かる。

 それが分かると桜雲は、まず最初に顎の下を優しく掻く。するとほどなくしてロシアンブルーの喉がゴロゴロと鳴き始めた。リラックスしている証拠だ。

 

「・・・・・・よーしよし」

 

 桜雲は小さく呟きながら、今度は頭を優しく撫でる。この猫の頭の感触は、他では感じられないような感触だ。毛並みもいいし、はっきり言って癖になる。

 少しの間撫でてやると、ロシアンブルーはぴょんとベンチシートに上がって、桜雲に向けて『にゃー』と鳴いて見せた。どうやら元々、人懐っこい性格だったらしい。

 さらに桜雲は、ロシアンブルーの耳の後ろを掻く。ここも猫にとっては気持ちのいい場所で、ロシアンブルーは気持ちよさそうに目を細めていた。

 そのロシアンブルーの―――猫の気持ちよさそうな顔を見ると、自然と桜雲の表情もほころぶ。心が癒されるようだ。

 

「・・・・・・随分猫の扱いに慣れてますね」

「えっ・・・!?」

 

 だが、そこで急に声をかけられて桜雲は思わず驚きの声を上げてしまった。ロシアンブルーもちょっと驚いたようだ。

 桜雲に声をかけてきたその人物は、桜雲の隣に座っていた女性―――メグミだ。

 メグミは、先ほどのキジトラが去って以来猫が近寄ってこなくて、手持無沙汰な状態だったのだ。

 それで仕方がなく、先ほどちょっと目が合ってしまっただけの青年の方に猫が歩み寄っていたのでその様子を見ていた。だが、その青年の手つきが慣れているような感じだったので、暇だったのと、その手つきが興味深かったので軽い気持ちで声をかけたのだ。

 一方で桜雲は、まさか自分が声をかけられるとは思ってもいなかったので面食らった。思わず撫でていた猫もびっくりさせてしまう。

 けれど、声をかけられた以上は返事をしなければならないと思ったので、桜雲は先ほど猫に向けていた柔らか笑みではなく、曖昧な笑みを浮かべながら答えた。

 

「ええ、まあ・・・実家で猫を飼っていたもので」

「へぇ~、そうなんですか・・・」

 

 そう話している間でも、桜雲はロシアンブルーの頭を慈しむかのように優しく撫でていて、メグミはその桜雲の手の動きと猫に注目している。よほど猫を手懐ける桜雲の手つきが気になるようだ。

 するとロシアンブルーが、桜雲の脚の上に座る。お腹を下にして、さらに全ての脚を身体の下に折りたたむように座る、『香箱座り』というものだ。桜雲は、このロシアンブルーが十分にリラックスしているんだな、と思いながらその頭を優しく撫でる。

 

「何か、コツとかあるんですか?」

 

 メグミはさらに訊ねる。ロシアンブルーが素人目線で見てもリラックスしきっていると分かり、その桜雲の技術が気になったので、純粋な興味本位で聞いてみた。

 メグミ自身はそこまで自覚がないのだが、割と直情的なところと社交的な面を持ち、初対面の相手であっても臆面もなく話しかけることができる。時と場合にもよるが、今のように何の面識がない相手であっても気になることがあると割と自分から話しかける。それは彼女が卒業した学校の校風も、少なからず影響しているのだが。

 さらにメグミには、『話しかけやすい雰囲気』というものがあり、これは同僚からもよく言われることだ。

 

「えーっと・・・そうですね・・・・・・。この子は結構人懐っこい性格なのもあるんですけど・・・まあ、コツみたいなものは確かにあります」

「へぇ・・・どんな感じなんですか?」

 

 桜雲は突然メグミから話しかけられて、まだ驚きが引いていないが、なぜか不思議と緊張しない。それはメグミがそう言った緊張感を感じさせないような雰囲気だからなのは、桜雲も気付いていた。

 桜雲は、脚の上に座るロシアンブルーを起こさないように注意しながら、メグミの方を向く。

 

「猫を撫でる場所とか、撫で方とかですね・・・基本は」

「え、場所?」

「はい。猫にも撫でられると気持ちよくなる場所があるんです」

 

 桜雲は証明するように、ロシアンブルーの耳の付け根の部分を指で掻く。

 

「こことか、結構好きらしいんです」

「あ、ホントだ。気持ちよさそう・・・」

 

 メグミの言う通り、ロシアンブルーがリラックスした様子で頭を下げる。

 

「あとは、鼻の上部分とかも」

 

 言いながら桜雲が、ロシアンブルーの鼻をカリカリと掻く。またしてもロシアンブルーは、喉をゴロゴロと鳴らす。

 

「すごいですね・・・」

「いやいや、褒められたものじゃないですよ」

 

 桜雲の猫を手懐ける手腕にメグミが舌を巻くが、桜雲は謙遜するように笑って首を横に振る。

 

「ああ、ごめんなさい、名乗りもしないで。私はメグミって言います」

 

 桜雲と打ち解けられたところで、メグミは順序が逆になってしまって恥ずかしいと思いながら自己紹介をした。偶然にも隣同士に座って、メグミから少々馴れ馴れしくも話しかけたのだから、それぐらいの礼儀は尽くすべきだと思ったのだ。

 桜雲も、メグミが名乗った以上は自分も名乗るべきだと思って自己紹介をすることにする。

 

「僕は桜雲周作、大学生です。よろしく、メグミさん」

「あら、あなたも?私も大学生です」

 

 桜雲が大学生と身分を明かすと、メグミの表情が1段階明るくなる。同じ身分の人だと知って、メグミの中に僅かながらにある遠慮や緊張感が和らいだようだ。

 

「私は21なんですけど、あなたは?」

「あ、僕も同じです」

 

 メグミが柔和な笑みを浮かべる。いいことを聞いた、とばかりに。そして、いいアイデアが浮かんだとばかりに。

 

「それじゃ同い年だし、敬語は無しにしましょ?」

「あー・・・・・・うん、分かった」

 

 初対面の人相手でも割と積極的なところがあるメグミに、桜雲はペースを乱されてはいるものの、それでも提案は受け入れた。その桜雲の返事に、メグミは納得したように小さく頷く。

 そこで、メグミの下に1匹の猫―――三毛猫がやってきた。メグミと桜雲は同時にそれに気付き、メグミは先ほど桜雲がやっていたことを試してみようと思って、三毛猫に手を伸ばそうとする。

 

「あ、撫でる前に、人差し指をその子の顔に向けてみて」

「え、こう・・・・・・?」

 

 だが、触れる前に桜雲が1つ指示を出してきた。メグミは言われた通り、右手の人差し指を猫の顔に近づける。すると三毛猫は、その差し出された人差し指の匂いを嗅ぐように鼻を近づける。そしてその顔を、メグミの指に縋るように、気持ちよさそうに顔を擦りつける。

 

「おぉ・・・・・・」

 

 思わず声が洩れ出る。初めて、猫が向こうから反応を示してくれたのだから、嬉しくてしょうがない。

 そして、身体の内から幸福感が、湧き出てくる。嬉しさがこみ上げてくる。

 

「仲間だって猫が認識したんだよ」

「そういえばさっき、あなたもやってたわね・・・」

「うん、あれで少しでも打ち解けやすくするんだ」

 

 メグミは次に、先ほどの桜雲のように、ただ置くだけにしないように頭に手を載せて優しく撫でる。先ほどと同じように心地よい感触がメグミの手のひらから伝わるが、それだけに気を取られないように努めて優しく頭を撫でる。

 三毛猫は気持ちよさそうに目を細め、そこを見計らってメグミは先ほど教わったように耳の付け根の部分をカリカリと掻く。

 すると三毛猫の喉がゴロゴロと鳴る。

 

「リラックスしてるよ、その子」

 

 桜雲の言う通り、そのゴロゴロと喉を鳴らすのが、猫がリラックスしている証拠だ。

 メグミは、こうして自分の手で猫を気持ちよくさせることができた事実に、また少し嬉しくなる。

 やがて三毛猫は、ぴょんとシートに飛び乗って、メグミに寄り添うように香箱座りをする。今も桜雲の脚の上に座っているロシアンブルーと同じ座り方だ。

 

「可愛い・・・」

 

 メグミはその三毛猫の背中を撫でながら、メグミが素直な感想を洩らす。そして背中を撫でながら、桜雲に顔を向けた。

 

「教えてくれてありがとうね」

「いやいや、でもそうやってその子がリラックスできてるのはメグミさんが接したからだし」

 

 照れくさそうに桜雲は笑うが、そこで1つ桜雲は気になった。

 

「メグミさんは、猫と触れ合ったことはないの?」

「そうなのよ。でも今日はお休みだし、この前テレビでやってて気になって」

「あ、たぶんそのテレビ番組僕も観た」

「ホント?」

 

 聞けば、桜雲もこの店に来たのは初めてだと言う。それでもここに来たのは、テレビの特集で取り上げられて気になっていたのだそうだ。

 

「でも、桜雲は結構猫に慣れてるみたいだけど・・・?」

「実家で猫を飼っていてね。それに、猫が好きで猫カフェにはよく行くから」

「へぇ~・・・でも、そんな感じはする」

 

 メグミの桜雲に対する第一印象は、『のんびり屋』だった。先ほどの猫と接するときの仕草が、人間特有の『愛らしい小動物を前に態度が軟化する性質』によるものではなくて、素の性格によるものだと見抜いている。それは直感にも近かった。

 それに、猫に触れる手つきも慣れている感じで、それだけ猫が好きだということだ。

 

「いやぁ、でも男が猫好きってアンバランスな感じがするでしょ?」

「そうは思わないわ。これだけ可愛いと好きになっちゃうのも仕方ないと思うし」

 

 メグミは自分の脇にいる三毛猫に視線を落とす。三毛猫は眠たそうに眼を閉じていて、背中を撫でるメグミの手に身を委ねている。その背中を撫でながら、メグミは桜雲に話しかける。

 

「実家で飼ってる猫って、どんな子?」

「あ、写真あるよ。見る?」

「うん、お願い」

 

 桜雲は、脚の上の猫を起こさないように注意しながら、バッグの中からスマートフォンを取り出して、画面を操作して目当ての写真を表示させるとメグミに見せる。

 

「あら、可愛い」

 

 写っているのはフローリングに寝転がる白黒模様の猫。眠っているのでカメラ目線ではないが、それでも気持ちよさそうな寝顔だ。

 

「この前実家に戻った時の写真なんだけど、結構歳なんだよね。この子」

「そうなんだ?」

「うん。僕が物心ついた幼児園の頃から飼ってるから、今年で17歳」

「それって、人間でどれぐらい・・・?」

「確か・・・・・・80以上だったかな」

「・・・・・・すごい、長生きね・・・」

「そうだね。猫の平均寿命って16ぐらいらしいし、確かに長生きだね」

 

 すると、メグミの脇に座っていた三毛猫が『くぁ』とあくびをして起き上がった。今度は何をご所望かなとメグミは思ったが、どうやら三毛猫はメグミに撫でられて満足したようで、シートから下りてキャットタワーの方へと行ってしまった。

 

「あらら・・・」

「でも、あれだけリラックスして傍にいたんだし、メグミさんの手が気持ちよかったんだと思うよ」

「そうなのかしら・・・」

 

 メグミは首を傾げるが、確かに香箱座りをしている時も喉は鳴っていたので、桜雲の言う通りリラックスしていたのだろう。

 

「でも、猫ってあんなに可愛いものなのね・・・。猫カフェに来たのも、猫に触ったのも初めてだったけど・・・・・・」

 

 そこでメグミは、店の中を見渡す。猫さえいなければ、『ちょっと不思議な雰囲気のカフェ』で通りそうだが、猫がいることで癒しの空間となっている。キャットタワーの上に座る猫や、稲わらを編んで作ったかまくらのような猫の寝床―――ちぐらというらしい―――に寝転ぶ猫、別のお客が持っているおもちゃにじゃれる猫を見ると、心が自然と安らいで癒されるような感覚になる。

 

「・・・・・・うん、可愛い」

「・・・それはよかった」

 

 メグミが納得したようにそう告げると、桜雲も笑って頷く。猫好きの桜雲としては、自分が好きな猫を誰かが新たに好きなってくれるのが嬉しいのだ。

 

「・・・この機会に、もっと猫を好きになってくれると嬉しいな」

 

 桜雲がはははと軽く笑いながら告げるが、メグミはもう猫のことが好きになっていた。

 この猫カフェに足を踏み入れてから1時間弱程度しか経っていないが、すでに猫の愛らしさに打ちのめされてしまっている。

 それに、こうして偶然にも自分の隣に同い年の猫好きな人が座って、その人から猫との触れ合い方を教えてもらうというのは良い偶然だ。

 

「そうね・・・・・・猫、いいかも」

 

 メグミが、床に寝転がる白い猫を見ながら笑って頷く。

 そこで桜雲の下にまた1匹の茶色い猫―――茶トラの猫がやってきて、今度は足に身体を摺り寄せてきた。自分の匂いを付けるこの行為はマーキングというもので、それだけその人に心を許しているということだ。

 

「桜雲は結構、猫に好かれるタイプみたいね」

「そんな自覚はないんだけどね・・・」

 

 そうは言いつつ寄ってきた茶トラの猫の頭を優しく撫でる桜雲。猫に好かれると聞いて、満更でもないのだ。

 すると、メグミの足下にも白い猫がやってきた。そしてメグミを見上げながら『にゃー』と鳴いてくる。その円らな瞳で見上げられ、さらに鳴き声を聞いたことで、メグミの中の母性本能が掻き立てられる。思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、生憎抱っこはNGだ。仕方ないので先ほどと同じように人差し指を向けると、先ほどの三毛猫と同じように鼻で匂いをかぎ、そして安心すると顔を擦りつける。

 

「メグミさんも、猫に好かれやすいのかもね」

「え、そう?」

「だって猫がそうやって自分から近づいてくるんだもの」

「・・・・・・そうなのかしら・・・?」

 

 自分の手に猫をじゃれつかせながら、メグミは桜雲の言葉に耳を傾ける。だが、メグミ自身猫に好かれやすい性格なのかと聞かれても分からないので、いまいち実感が湧かない。

 ともあれ、桜雲から手ほどきを受けて猫との触れ合い方も大分掴めてきた。メグミが今度は、桜雲がやっていたように猫の顎の下を撫でると、白猫は本当に気持ちがいいようで目を細める。

 それからメグミと桜雲は、それぞれ自分の近くに寄ってきた猫と戯れる。『可愛いわねぇ』『でしょ?』と時々短い言葉を交わしてはいるも、先ほどのように会話らしい会話はない。だが、猫の可愛らしさの前では話すことさえ二の次になってしまうのは仕方のないことだと、桜雲もメグミも思っていた。

 そして時間が流れ、2人それぞれが事前に予約していた当初の利用時間の2時間に達し、2人は猫カフェを出る。夏が近づいていることで若干陽が伸びてはいるが、少しだけ入店した時と比べると暗くなってきている。

 

「メグミさんが通う大学って、近いの?」

「あー、ちょっと遠いかな・・・・・・」

 

 そこでメグミが、自分の通ってい大学の名前を明かすと、桜雲は『そうなんですか?』と、驚きと、僅かな嬉しさを滲ませる声と表情で告げた。

 

「僕も同じ大学だよ」

「え、ホント?」

「うん。だから、どこかで会ってるかもね」

「あ~、そうかも」

 

 メグミが笑い、桜雲も苦笑する。そしてメグミは帰ろうと歩き出すが、桜雲は反対方向へと歩き出す。

 

「僕はちょっと寄るところがあるから」

「そうなの?わかったわ」

 

 どうやらメグミは、このまま何もなければ途中まで桜雲と一緒に帰るつもりだったらしい。

 そして、メグミは夕方に向けて朱く染まり始める空を見上げながら、『えーっと』と呟いて。

 

「またね」

「・・・うん、それじゃ・・・また」

 

 同じ大学に通っているのだから、もしかしたらまた会う機会があるかもしれない。だから『またね』と言ったのだ。

 その意図は桜雲にも通じたようで、若干の戸惑いを見せつつも手を振って小さく笑い、2人はそれぞれ反対方向に向かって歩き出した。

 メグミは帰り道を歩きながら、先ほどの猫カフェで過ごした時間を思い出す。

 たった2時間ほどしか留まらなかったが、結構楽しかった。戦車道の公式戦の試合時間よりも短かったが、それでも試合よりも濃い時間だったと思う。

 まず、猫が可愛くて仕方がなかった。あの猫を撫でた時の手触りと感触、そして猫の仕草は、触れるだけで、見るだけで心も体も芯から癒されるようだった。自分の中の疲れも跡形もなく吹き飛ぶようだったし、こうなることならもっと早く猫の魅力に気づいていればよかった。

 それに、意外な出会いもあった。偶然にも、本当に偶然にも自分の隣に座った人が同じ大学の人で、その人から猫との触れ合い方についてのレクチャーをしてもらったのは、本当にありがたいことだった。

 何にせよ、今日こうして猫カフェに行けたことはよかったと思う。猫の魅力に気づくことができたし、新しい出会いも訪れた。まさに実りのある休日、万々歳だ。

 今度は別の猫カフェに行ってみようかな、と考えながらメグミは家路を急ぐ。

 

 

 桜雲は、陽が沈む少し前あたりの時間に自分の暮らすアパートの部屋へと戻った。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 荷物を片付けて、床に置いていたクッションに座って、息を吐く。

 今日行ったあの猫カフェには初めて行ったのだが、まさか隣に座っていた人から声をかけられるとは思っていなかった。これまで猫カフェに行ったことは何度もあったが、今日のようなことは初めてだ。

 さらにその人が自分と同じ大学に通う人となると、その確率は結構低くなるだろう。そんな低確率に当たったことなど桜雲はないので、妙な嬉しさがある。

 

「・・・・・・綺麗な人だったな・・・」

 

 人を惹きつけるような、安心させるような雰囲気が、あの女性―――メグミにはあった。

 そして自分で言ったように、綺麗な人だった。桜雲が所属するサークルにも同い年もしくは近い年齢の女性はそこそこいるが、それでも桜雲目線であれだけの女性に出会ったのは初めてである。

 

「・・・・・・」

 

 ふと顔に手をやると、自分の顔がにやけているのが分かる。

 気持ち悪いと自覚するが、どうにも今日の出来事は自分の中でも嬉しかったことのようだ。好きな猫と触れ合えたことも、メグミのような女性と出会えたことも、嬉しいことだった。

 その嬉しさから温かい気持ちになるが、あまり1人の女性のことを考えるのも客観的に見れば気持ち悪いと思われるかもしれなかった。

 だから桜雲は、夕飯の準備をしようと思い立ち上がる。

 だが、気が緩んでしまっていたのか、ちょっとこけた。




どうもこんばんは。
初めて読んでくださった方は、初めまして。
続けて読んでくださっている方は、どうもありがとうございます。

1作目のアッサム編から早いもので1年が経ち、ガルパン恋愛シリーズも5作品目となりました。
過去作とは違って1話目から割とがっつりと書きましたが、
メグミの物語の始まりです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
最後までお付き合いいただけると幸いですので、
どうぞよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Attack to Alice

お気に入り登録、ありがとうございます。
とても励みになります。


 戦車の中は、暑い空気と、緊迫した空気で満たされている。草原とはいえ、凸凹した地形を進んでいるせいで、中はガタガタと揺れる。

 だがそんな空気にも、そんな振動にも気を取られず、メグミは前方にいる1輌の戦車をペリスコープ越しに見据えていた。

 その戦車の砲はこちらを指向してはいないが、間違いなくこちらの車輌の接近には気づいている。あの戦車の乗員が気付かないはずはない。

 限りなく漆黒に近い紺色の巡航戦車・A41センチュリオンに向けて、メグミの愛機である重戦車・M26パーシングが前進する。

 いや、正確に言えば、メグミ『たちの』パーシングだ。

 

『こちらアズミ、位置に着いたわ』

『こちらルミ、準備完了!』

 

 メグミの乗るパーシングの両脇にパーシングが並び、それぞれ位置をやや後ろにずらす。そして、無線からはおっとりした様子の女性の声と、それとは逆にはきはきした感じの女性の声が聞こえてきた。

 信頼を置いている仲間の声を聞いて、メグミはよし、と頷く。

 事前の打ち合わせは済んでいる。メグミの戦車の乗員たちの準備も整っていた。

 メグミは無線機をきゅっと握り、そしてスイッチを入れて交信を開始した。

 

「アズミ、ルミ!バミューダアタック、パターンDを仕掛けるわよ!」

『『了解!!』』

 

 メグミの指示の瞬間、操縦手の深江(ふかえ)が戦車の速度を上げる。脇に就くアズミとルミの戦車も同様に速度を上げて付いてくる。メグミの車輌だけがわずかに前に出ていて、それでも3輌は一定の速度を保ち、奇麗なV字形を描いていた。

 3輌のパーシングのエンジン音が上がり、さらに速度を上げたことで地面と履帯の擦れる音も大きくなった。例えセンチュリオンがこれまでこちらに気づいていなかったとしても、これで確実に向こうもこちらの存在に気づいたはずだ。

 そこでセンチュリオンは、すぐに旋回をしてこちらに砲身を向ける。その旋回スピードたるや他の戦車など比べ物にならないほど速くて、あのスピードを初めて見た新米隊員全員が唖然としたほどだ。

 あのセンチュリオンに乗っている操縦手、砲手、装填手、通信手は、桁外れなまでの才能の持ち主である。そんな彼女たちの上に立つ車長は、メグミが敬愛してやまない人物であり、まさに『天才』と称されるほどの実力者だ。

 しかもあのセンチュリオンの性能は、チーム内はおろか戦車道に参加可能な戦車の中でもずば抜けて高い。走攻守、三拍子揃っている。

 まさに完全無欠にして難攻不落のセンチュリオン。

 そのセンチュリオンに向けて、メグミたち3人のパーシングが突進する。敵がどれだけ強かろうと、メグミ、アズミ、ルミは臆さず、怯まず挑む。

 センチュリオンの砲身がメグミたちを仕留めようと、まるで引き絞られた弓のようにこちらを向いて固定される。センチュリオンに限った話ではないが、ああして砲身を向けられると言い知れぬ恐怖を覚える。

 

「今!」

 

 だがそんな恐怖になど屈さず、メグミが指示を出す。

 その瞬間、アズミとルミの戦車がほんの一瞬だけわずかに速度を落とす。メグミのパーシングだけは速度を落とさず、センチュリオンの左側にドリフト気味に回り込む。さらにアズミの戦車はメグミと同じ左へ、ルミの戦車は右へ回り、センチュリオンを3方向から回り込もうとする。

 このメグミたち3人のパーシングが繰り出す、動きがダイナミックで変則的かつ連携の取れた攻撃こそが『バミューダアタック』だ。その動きが読み辛いことから、戦っている相手は困惑しているうちに倒されてしまう。

 そしてこれは、メグミ、アズミ、ルミの3人の間で信頼関係が築けていなければ成り立たない技でもある。この『バミューダアタック』で多くの敵を屠ってきたことが、彼女たちの仲の良さの証明にもなる。

 3輌のパーシングの砲身は全てセンチュリオンに向けられている。この距離ならセンチュリオンでも十分撃破することが可能だ。それに3輌共がセンチュリオンを狙っているから、相手がどのパーシングを狙っていても残りの2輌で仕留められる。

 

 ただしそれは、目の前のセンチュリオンの乗員が()()()()の場合の話だ。

 そして今、そのセンチュリオンに乗っているのは普通の人()()()()

 

 まず最初にセンチュリオンは、まだ回り込もうとしているドリフト中のアズミのパーシングに向けて砲塔を回し冷静に狙撃して撃破。さらに砲塔の向きは固定したまま超信地旋回をして、本来の所定位置に着いたルミのパーシングの砲撃を躱す。そして砲塔をルミのパーシングに向けて回し、さらに超信地旋回をしてメグミのパーシングの砲撃を避けつつ、ルミのパーシングを撃破した。

 

「あ、ダメだわコレ」

 

 メグミが悟ったように呟いた直後、『ズバァン!!』という鋭い砲撃音、そしてメグミのパーシングは見事センチュリオンに撃ち抜かれてしまった。

 バミューダアタックは失敗し、3輌全てが返り討ちに遭ってしまった。

 

『試合終了、島田チームの勝利!』

 

 車内のスピーカーから審判役の隊員の声が聞こえて、メグミのパーシングの中の空気は緊迫したそれから一変、和やかな残念会ムードに包まれる。

 

「負けちゃいましたねぇ・・・」

「強いなー、隊長・・・」

 

 メグミに近い位置に着いていた砲手の平戸(ひらど)と装填手の対馬(つしま)が感心したように言葉を洩らす。まるで、あのセンチュリオンと実際に戦う前からその結果が分かっていたような口ぶりだ。

 2人の気持ちはメグミも分かる。『隊長』の強さは、彼女と出会って副官として傍について、共に戦ってきて嫌というほど思い知らされている。あの強さを前にしては、『勝てるだろう』という希望的観測さえもできない。

 

「今回は、行けると思ったんだけどね・・・」

 

 ただしメグミだけは、平戸達よりも残念がっていた。それは、『隊長』に勝とうという意思があったからで、自分たちに自信を持っていたからでもある。それは驕りや慢心とも違う、真っ直ぐな気持ちだ。

 だから、その自信が砕かれて、真っ直ぐな気持ちも実らなかったのが、メグミは残念だった。

 しかし、いつまでもくよくよ悩んでいるのは性に合わない。メグミは両手を叩き、乗員たちの気持ちを切り替えさせる。

 

「さ、反省会に行くわよ」

『はい!』

 

 メグミが告げると、乗員たちも今一度気を引き締めて返事をし、速やかに戦車の外に出る。

 社長であるメグミは一番最初に戦車から降りて、空を見上げる。白い雲が広がり、青く澄んだ空は夏の訪れを予感させる。

 その空ばかりに意識を向けはせず、メグミはほかの乗員、そして同じく戦車から降りたバミューダアタックの協力者であるアズミ、ルミと共に、反省会を行う会議室へと向かった。

 

 

 メグミは『大学選抜チーム』という戦車道の団体に所属している。この大学選抜チームは、全国各地の戦車乗りの中でも優れた人員を集めた、言わば戦車乗りのエリート集団だ。

 その大学選抜チームの中でのメグミは、副官としてチームを率い、1中隊を任されている。それはメグミの実力がエリートの集まりである大学選抜チームの中でも指折りというものであり、それはメグミにとっても密かな誇りだった。

 その副官はメグミのほかにも2人いて、それがアズミとルミ。彼女たちもまたメグミと同規模の中隊をそれぞれ率いている。

 メグミとアズミ、ルミの3人は『バミューダ3姉妹』とチーム内外から並び称されることが多々あり、彼女たちもそれについて不満はない。そして彼女たちがそう呼ばれているから、先ほどの練習試合でも行ったような3人の連携攻撃も『バミューダアタック』と呼ばれるようになった。

 そして、先ほどの練習試合でメグミたちと戦い驚異的な動きを見せたセンチュリオンの車長こそが、この大学選抜チームの頂点に立つ『隊長』。戦車道界隈ではしばしば『天才』と称され、忍者戦法と呼ばれる島田戦車道の後継者でもある人だ。

 

「隊長、お箸をどうぞ」

「あ、うん・・・・・・」

「隊長、お水をお持ちしました」

「ありがとう・・・」

「お手拭きをどうぞ、隊長」

「・・・・・・」

 

 その『隊長』は大学の敷地内にある食堂で、メグミ、アズミ、ルミの3人から甲斐甲斐しく(?)お世話をされていた。

 全国の大学から集められた大学選抜チームの練習試合の後ということもあって、食堂の中は普段よりも人が、特に女性が多い。

 その食堂で、3人を前にして戸惑いつつもやや不満げな表情をする『隊長』は、見た目は大学生どころか高校生にも見えないほど幼い。だがすらりと伸びる細い手足や白い肌、華奢な体躯は人形のようで、触れると壊れてしまいそうなほど儚い印象を抱かせる。彼女の着ている服もロリータチックなものだから、人形のようという比喩も間違いではない。

 しかし彼女こそが、13歳にして大学に飛び級し、練習試合でバミューダ3姉妹を返り討ちにしたセンチュリオンの車長、そして大学選抜チームの隊長である島田愛里寿だ。

 

「では、いただきます」

「「いただきまーす」」

「いただきます・・・」

 

 4人で挨拶をして、それぞれ食事を始める。

 席順は愛里寿の隣にメグミ、愛里寿の正面にルミ、ルミの隣でメグミの正面にはアズミが座っていた。いつもこの席順というわけではなく、毎回昼食の前に3人でじゃんけんをして誰がどの位置に座るのかを決めているのだが、その席順を決める『理由』も、そのじゃんけんをしていることも愛里寿本人は知る由もない。

 

「バミューダアタックも隊長には敵わないわね・・・」

「そうねぇ・・・何をやっても隊長、無傷で返り討ちにしてくるんだもの・・・」

 

 メグミとアズミは残念そうに告げる。バミューダアタックは、メグミたち3人が副官になってから編み出した連携攻撃でパターンがいくつもあり、状況に応じて使い分けている。

 だが、多くの敵を屠ってきたバミューダアタックさえも、愛里寿は無傷で躱し、逆に3人全員を返り討ちにしてしまう。どのパータンでやっても、愛里寿が見たことがないはずのパターンでも、愛里寿は焦らず冷静に対処するので打つ手がない。

 

「でも、連携攻撃のパターンも増えてるし、精度も上がってきてるし・・・十分強くなってると思うよ」

「本当ですか?ありがとうございます!」

 

 年相応とも言うべきか、若干舌足らずな感じのする愛里寿のフォローに、ルミは心底嬉しそうに反応して頭を下げる。

 今でこそ、愛里寿は幼さを感じさせるような話し方をしているが、戦車道の時間は今の口調とは正反対の話し方になる。

 

『状況開始』

『各車発砲、敵を殲滅しろ』

『かすり傷程度だ、気にする必要はない』

『敵が誰だろうと油断はするな、足元を掬われるぞ』

 

 話し方と同時に声質も変わるので、声が似ている別人が言っているんじゃないかと錯覚することもあるらしいが、紛うことなき同一人物である。

 大学選抜チームのジャケットを着た臨戦状態ともいえる愛里寿の声は、大の大人も怯むほどの威圧感がある。研ぎ澄まされた剣のような鋭さと硬さを兼ね添えている声は、下につく者を従わせるような重苦しさも感じさせる。

 だが今は、戦車道の話を少ししていたとはいえ昼食の時間である。愛里寿の纏う雰囲気も、着ている服も合わさって、幼い感じに戻っていた。

 そんな愛里寿は、甘口のカレーをスプーンで掬い、一口食べる。

 

「・・・・・・美味しい・・・」

 

 カレーの味が気に入ったようで、嬉しそうに小さく笑い告げる。

 それを見ていたメグミ、アズミ、ルミの3人は。

 

(((可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!)))

 

 脳の中で黄色い絶叫を上げていた。しかし表面上は、それぞれが自分の料理を静かに食べつつ愛里寿の食べている様子をちらちらと窺う、という感じで。

 3人が先ほどのように甲斐甲斐しく世話をしていたのは、愛里寿のことを隊長と仰ぎ見て敬愛していると同時に、その可愛らしさのあまり溺愛しているからだ。

 溺愛、と言っても抱き締めたりシャワーを一緒に浴びたりと、目に見えるほどべたべたするというわけではない。先ほど席に着くように、(本人たちからすれば)さりげない気遣いをしたり、愛里寿の可愛らしい所作に心の中でだけ悶える程度だ。

 決して愛里寿に実害を加えるような真似はしないし、加えようものなら愛里寿の母親である島田流家元から何をされるか分かったものではないからだ。

 

(あ~可愛いなぁ隊長・・・カレーをあーんさせてあげたい・・・)

(満面の笑みじゃなくてちょっとだけ笑っているのが逆にグッドなのよねぇ)

(ああ・・・戦車道で疲れた心と体と脳が癒される・・・)

 

 だが、3人がこうして愛里寿の様子を見てほっこりした気持ちになるのも、仕方がないことなのかもしれない。

 何しろ愛里寿は儚げではあれどその容姿は愛らしく、成人を過ぎて一段階大人になったメグミたちからすれば、このぐらいの年頃の女の子は可愛らしく見えるものだ。

 それと、メグミたちが愛里寿に積極的に接しようとしている要因は他にもある。

 

「ところで、隊長?」

「あ、何・・・?」

「昨日は休日でしたけど、隊長は何をされていましたか?」

 

 アズミが問いかけると、愛里寿は『えっと・・・』と小さく呟いてから。

 

「戦車道の本を読んで・・・・・・勉強してた」

「あ、そうでしたか。隊長は勉強熱心ですね」

「そうかな・・・・・・いつもそうだし・・・」

 

 愛里寿の返答にアズミは刹那戸惑う様子を見せたが、すぐに持ち直していつものように愛里寿を褒める。だがその愛里寿の表情も少し硬い。

 アズミは、ただ愛里寿の私生活が気になって『休日何をしていたか』と質問したわけではない。

 愛里寿は飛び級してメグミたちと同じ大学生という身分ではあるものの、年齢はメグミたちとは離れている。だからこそ、常に周りには年上しかいないというこの状況で愛里寿は孤立感や疎外感を抱き、さらには年上に対する一種の畏怖のような気持ちさえも感じていることに、メグミたちは既に気付いていた。

 その愛里寿の中の不安を払拭するために、あえてアズミは先ほどのような雑談を愛里寿に持ち掛けたのである。その答えは年頃の女の子にしては硬すぎるものであったが、一応は反応を示してくれたので、これはチャンスでもある。

 

「隊長はお休みの日とかに、お出かけとかはしないんですか?」

 

 さりげなくルミが切り出して、メグミとアズミは心の中で『グッジョブ!!』と親指を立てる。

 

「うん、あんまり・・・・・・。勉強したり、録画したアニメを観たりしてるから・・・」

「そうですかぁ」

 

 すると愛里寿の表情が曇る。どうやら、自分の休日の過ごし方が少し周りと違うと気づいてしょげてしまったようだ。それにもちろんルミは気づいたのでフォローを入れる。

 

「あ、いえ、責めてるわけじゃないんですよ」

「ううん、大丈夫。それでみんなは、お休みの日は何してるの・・・?」

 

 そして今度は愛里寿が投げかけてきた質問にメグミ、アズミ、ルミの3人は頭の中で『キター!!』と叫ぶ。

 話の流れがこちらに向いてきた。これをきっかけに話を広げて、『休日に愛里寿と一緒にお出かけ』というひとまずの目標に繋げるのだ。

 メグミ、アズミ、ルミの3人は一瞬だけ視線を合わせて頷く。目には見えないバミューダアタックの始まりだ。

 まずはルミが先鋒を務める。

 

「私は、そうですね・・・よく街を歩きますね」

「街を?」

「はい、新しい発見が色々あって楽しいんですよ」

「そうなんだ・・・」

 

 ルミの休日は結構のんびりとした感じのもの。愛里寿の興味をある程度引くことはできたものの、そこまで食いつきはよくない。

 続いてアズミが畳みかける。

 

「私は大体お買い物、ショッピングです」

「ショッピング・・・」

「特に洋服ですね。メグミとルミも誘って、3人で一緒に行くこともあるんですよ」

「そうなんだ・・・なんか、楽しそう」

「良ければ今度、隊長もご一緒にどうですか?」

「うん、お母様が許してくれたら・・・」

 

 愛里寿はショッピングに興味を抱いたらしい。表情も先ほどと比べると少し明るくなってきている。そしてカレーを一口食べた。

 愛里寿がカレーに意識を向けている間に、アズミは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべ、ルミは『ちっ』と愛里寿に聞こえない程度の大きさの舌打ちをして、アズミをジト目で見る。

 3人ともが愛里寿と休日にお出かけをすることを夢見てはいるが、その前段階、『誰が一番愛里寿の興味を引けるか』という面においてこの3人は競争している状態にある。だからルミも、アズミに対して苛立たし気な顔をしているのだ。勿論根っこからアズミのことを恨んでいるというわけではないのが分かっているので、メグミも仲裁はしない。

 ただ、アズミの『メグミとルミも誘って行くことある』という言葉は正しい。実際アズミはメグミとルミをよくショッピングに誘い、その目的はもっぱら洋服だ。

 

『2人とも素材は良いんだし、少しは気を遣いなさいな』

 

 その言葉と共にアズミは2人を買い物に誘い、服を薦めている。このバミューダ3姉妹の中で一番ファッションセンスがあるのは母校の影響もあってアズミだと、メグミもルミも認めている。

 ただ2人は、違和感のない服であればなんでもいいと思っているので、服装に対するこだわりはそこまでない。アズミの気遣い自体が嬉しいことは確かなのだが。

 

「メグミは、お休みの日ってどうしてるの?」

 

 愛里寿は最後に、メグミに聞いてみる。

 だが、アズミとルミは知っていた。メグミは基本休日は部屋でのんびりと過ごしていて、必需品の買い物とトレーニングジムへ行く時ぐらいしか外出しないと。およそ女性らしくはない休日ライフを過ごしているのだと、知っている。

 だから、せっかくいい感じになってきた話の流れをぶった切ってくれるなよ、とアズミとルミはメグミに向けて念を送る。

 しかしメグミは、なぜか得意げにふふんと笑っていた。

 それもそのはずで、メグミは昨日新しいことにチャレンジをしたのだ。そのチャレンジしたことを、メグミは明かす。

 

「私はですね、昨日は猫カフェに行ってきました」

 

 メグミの言葉に、アズミとルミの食指が動く。その顔はまさに『なんだと?』と、疑わしいものを見るそれをしていた。

 一方で愛里寿は猫カフェとはどんなものなのかがいまいちイメージできていないのか、小さく首を傾げる。

 

「猫、カフェ・・・?」

「平たく言うと、猫がいるカフェです。そこでお茶をしたりお菓子を食べたりしながら、猫と一緒に遊ぶことができるんです」

「へぇ・・・・・・」

 

 メグミの説明を聞いて、愛里寿は頭の中で自分なりに猫カフェのイメージをする。

 そして。

 

「楽しそう・・・行ってみたいな」

 

 アズミの時とは違って、明確に自分から『行ってみたい』と告げたのだ。その言葉にメグミは心の中でガッツポーズをとりながらも、あくまで表情は冷静に、その嬉しさを決して出さず、にこりと笑って愛里寿に優しく話す。

 

「いいですよ。今度、隊長の都合が合う日に一緒に行きましょうか?」

「うん・・・お母様にも相談してみる」

 

 さらっと一緒に行くことまで約束したメグミ。愛里寿の表情も大分柔らかくなっている。

 間違いなく、この話題のMVPはメグミだろう。

 その一方で、ルミは『よかったですね』と表向きは愛里寿が嬉しそうなのを素直に喜び、アズミは『私も今度行ってみようかしら?』と猫カフェに興味を示すような反応を見せる。

 だがメグミには見えていた。ルミは地団太を踏んでいて、アズミはハンカチを咥えて『きぃ~!』と悔しそうにしているのを。

 バミューダアタックという複雑な技を滞りなく繰り出せるほどの信頼関係を2人と築いているメグミは、その本当の気持ちが分かっているうえで『どうだ』と勝ち誇ったかのようなどや顔を浮かべて自分の唐揚げを1つ食べる。美味い。

 こうして愛里寿の興味を引くことに成功し、どうにか自分たちとの間にある見えない壁をある程度取り払うことにも成功した。やはり昨日、猫カフェに行ったのは正解だった。

 だが、メグミは自分が誘った以上、自分が愛里寿をリードしなければならないとも考えていた。

 だからもし、愛里寿と猫カフェに行くことが実現するのならば、その前にもう少し回数を重ねて猫との触れ合い方を学び、愛里寿に教えられるようになるべきだろう。

 昨日初めて行った時には、偶然にも桜雲という同じ大学の青年に会って教えてもらったので、多少触れ合い方も分かってはいるが、まだまだ完璧とは言い難い。

 教えるからには中途半端は嫌なので、今度はちゃんとネットや本などで調べてみようとメグミは思った。

 桜雲の連絡先を知っていれば桜雲に聞くという手も考えられたが、昨日初めて会っただけなので連絡先は知らない。大人しく自分の手で調べるか、とメグミは頭の中で考えた。

 

 

 講義も全て終わって、メグミは校門へと向かう。アズミとルミと一緒に帰ることもあるが、彼女たちもそれぞれ用事があるようで今日は一緒ではない。敬愛する愛里寿も車の送り迎えがあるので、メグミは自然と1人で帰ることになる。特に寂しくはないが。

 今日も疲れたな、夕飯はどうしようかな、と取り留めのないことを考えながら校門へ向かって歩いていると、メグミはある光景を目にした。

 

(あれって・・・・・・?)

 

 1人の青年が、植え込みの方を見ながらしゃがんでいた。そして、右手をその植え込みに向けて差し出している。

 そして、その青年にメグミは見覚えがあった。

 

「桜雲?」

 

 声をかけると、しゃがんでいた青年―――桜雲はメグミに気づき、びっくりしたような顔をする。だがすぐに、表情が柔らかくなる。

 

「メグミさん、こんにちは。そっか、同じ大学だったね」

「何してるの?そんなところで」

 

 昨日と同じく穏やかな口調で桜雲が挨拶をする。だが桜雲の様子が不審者のように見えなくもないので、メグミが当然の疑問を投げかける。

すると桜雲は、そっと植え込みの奥の方をそっと指差した。

 メグミが同じようにしゃがんで桜雲の指差した方を見ると、茶と白の大きな丸い毛の塊があった。いや、よく見ると薄黄色の目と、獣の耳のようなシルエットが見える。

 

「猫?」

「うん、野良猫」

 

 どうやら桜雲は、この茶白の野良猫を見つけて、気になってしゃがんでいたようだ。昨日猫好きと言っていたし、そうと分かれば納得だ。

 メグミも、改めてその猫に意識を向ける。新しくメグミという人間が視線を向けたことで、猫も若干警戒心を強めたらしく、目が見開かれている。

 

「でもこの子、野良のわりに人慣れしてるっぽいんだよね」

「そうなの?」

 

 桜雲がそう言いながら人差し指を向けると、茶白の猫は匂いを嗅ぐように鼻をちょっとだけ動かす。だが、昨日の猫カフェの時のように顔を擦りつけてきたりはしない。

 

「多分、近所の誰かが餌付けしてるんじゃないかな」

「分かるんだ」

 

 見通しているような桜雲の言葉に、メグミは感心する。

 

「本当の野良猫は、これだけ近づいたら逃げちゃうし」

「へぇ~・・・よく知ってるわね・・・」

「いやいや、こんなの役に立たないし」

 

 メグミの言葉に桜雲は苦笑して手を横に振る。

 そこでメグミも、試しにその茶白の猫に向けてそっと人差し指を向ける。桜雲と同じく、ちょっとだけ興味を示すだけなのだろうと思ったのだ。

 だがそのメグミの予想に反して、猫はその人差し指の匂いを嗅ぐと、のっそりと起き上がる。

 

「お?」

 

 そしてその茶白の猫は、昨日の猫カフェの猫のように、気持ちよさそうに指に、手に顔を擦り付けてきた。どうやら、もともとこの猫は人懐っこい性格だったらしい。

 

「あら・・・・・・」

 

 メグミは、指と手から伝わってくる猫の感触に思わず顔が綻ぶ。そしてちょっとだけ、猫の横顔をそっと撫でた。

 少しの間メグミが猫の横顔を撫でていると、茶白の猫は満足したのか植え込みの奥の方へと引っ込んでいった。

 

「可愛かった・・・」

 

 思わず本音がメグミの口から洩れる。

 桜雲はそのメグミの言葉を聞きながら立ち上がり、そして笑った。

 

「やっぱりメグミさん、猫に好かれやすいみたいだね」

「えー、そうかしら?」

「野良猫がああやって自分から近寄るんだもの。僕も猫は好きだけど、あそこまで近寄られたことはないし」

 

 桜雲の言葉にはあまり実感が持てないが、それでも悪い気はしない。

 ああいった小動物に好かれるのは稀な才能らしいし、メグミ自身も昨日のこともあって猫の魅力に気付き始めていたので、その猫から好かれるのはいい気分だ。

 

「帰ったら手を念入りに洗った方がいいよ。野良猫と触った後は特にね」

「うん、気を付ける」

 

 メグミもまた立ち上がって、そして成り行きで桜雲と一緒に途中まで帰ることになった。

 

「桜雲はいつもこの時間に?」

「ううん、いつもはサークルに参加してるから今日よりは遅いかな」

「何のサークル?」

「動物好きのサークル」

「あー、分かるかも」

 

 猫が好きだと言っていたし、サークルに入っているとすればその手のものかなとメグミは予想していた。

 

「メグミさんは何かサークルには?」

「私は入ってないなー・・・。戦車道で忙しいし」

「え、戦車道?」

 

 桜雲が驚いたように返す。確かに、メグミは自分が戦車道を嗜んでいるということは桜雲には話していなかった。

 

「そ、戦車道やってるの。大学選抜っていうチームでね」

「へぇ、あの戦車道を・・・すごいなぁ」

「あの、って・・・・・・戦車道を知ってるの?」

 

 戦車道は乙女の嗜みであり、良妻賢母を育て上げることを目的としているために男からすれば馴染みがない。だから男の間で戦車道の知名度はそれほどでもないが、桜雲の口ぶりでは戦車道を知っているようだ。

 

「おばあちゃんが昔、戦車道をやっててね。それで色々写真を見たり、話も聞いたことがあるんだ」

「へぇ、そうなんだ」

「ただ、僕にはできなそうだなって思う」

 

 あはは、と苦笑する桜雲。その言葉は、単に桜雲が男だから戦車道はできない、という意味だけではないとメグミは思う。

 

「僕って昔から『のんびりしてる』って言われてて、競争とか勝負とか苦手だし」

「あー、確かにそんな感じもするかな・・・」

 

 桜雲は自分で言ったように『のんびり屋』で、メグミも最初に会った時からそんなイメージを持っていた。こういうタイプの人は勝負事や競争事には向かないと思う。戦車道の世界だって厳しいし、仮に桜雲が女で戦車道ができたとしても、ついていくのはなかなか難しいだろう。

 

「だから僕からすれば、メグミさんはすごいと思うよ」

「え?」

「だって、あの戦車道をやってるんだもの」

 

 桜雲は祖母から戦車道の話を聞いている。だからその世界の厳しさも、多少なりとも理解しているのだろう。だから、その戦車道を歩むメグミのことがすごいと、桜雲は素直に称賛したのだ。

 

「・・・・・・そうかな」

「そうだよ、絶対」

 

 だがメグミも、桜雲の口調がのんびりとしたものであっても、真正面から褒められたことはそれほどない。しかも同年代の男からとなれば、そんな経験は無かった。だから無性に気恥ずかしくなってしまい、視線を逸らす。

 

「あっ、隊長」

「え」

 

 すると丁度、メグミの視線の先―――校門を出てすぐそばの場所にメグミが隊長と仰ぐ愛里寿を見つけた。どうやら帰りの車を待っているらしい。

 だが桜雲はその愛里寿の姿には気づかず、メグミが声を突然上げたので桜雲は少し驚いた。

 

「隊長?」

「ええ、あの子」

 

 そこでメグミが愛里寿を指差して、ようやく桜雲も状況を理解する。だが、また新たな疑問が生まれる。

 

「あの子が・・・戦車隊の?」

「そうよ。13歳だけど飛び級して大学生になった、大学選抜チームの島田愛里寿隊長よ」

「・・・・・・」

 

 飛び級なんて言葉は現実では聞いたこともなかったが、メグミが平然と言っているあたり恐らく全部本当のことなのだろう。

 メグミはその、人形のように華奢な雰囲気を持つ愛里寿に近づき、挨拶をした。

 

「隊長、お疲れ様です」

「あ、メグミ・・・お疲れ」

 

 メグミの方が年上のはずなのに、愛里寿には敬語で接している。やはり普段の戦車道で隊長とその部下として接しているからだろうか。

 だが、愛里寿はメグミに偶然挨拶をされたことに多少驚きはしたものの、すぐに小さく笑みを浮かべて挨拶を返す。その姿はどう見ても13歳の女の子で、こんな小さな子が大学選抜チームの隊長を?と桜雲は首を傾げる。

 メグミと一緒にいた、首を傾げる桜雲に気づいて愛里寿は『誰だろう?』といった表情になる。メグミもその愛里寿の表情の変化には気づいたので、桜雲と愛里寿の間に入って桜雲を紹介した。

 

「ああ、隊長。この人は桜雲、昨日行った猫カフェで知り合ったんです」

「そうなんだ・・・・・・」

「大丈夫。怖い人じゃありませんよ」

 

 愛里寿が初対面の男を相手に怯えた様子なので、メグミが紹介した後でフォローを入れる。

 桜雲も、これぐらいの歳の女の子は自分よりも歳の離れた大人―――特に男性相手には怯えてしまうものだということは、なんとなくだが分かっていた。

 だから桜雲は、少しでもその怯えを解くために、愛里寿と目の高さを合わせるように屈んでから挨拶をした。

 

「初めまして、島田さん。僕は桜雲周作、よろしくね」

「・・・・・・よろしく、お願いします」

 

 しかし愛里寿は、ぎこちない挨拶をして桜雲と目を合わせようとはせず、メグミの陰に隠れてしまう。それを見たメグミは少し困ったような笑みを浮かべ、桜雲も似たような顔になる。

 すると、シルバーの乗用車が3人の近くに停車した。その車を見た愛里寿は、『あ』と小さく声を洩らしてからメグミを見上げる。

 

「ごめん、迎えが来たから・・・」

「ああ、はい。それではまた明日」

「うん、また明日・・・・・・」

 

 そして愛里寿は、ドアを開けて後部座席に乗り込む。

 その直前で、愛里寿は桜雲に向けて小さく会釈をしたのを、桜雲とメグミは見逃さなかった。

 そして愛里寿がドアを閉めると、その乗用車は静かに走り出して、夕方の街へと走り去っていく。

 

「・・・ごめんね、桜雲」

「何が?」

「隊長、ちょっと人見知りなところがあるから・・・」

「ああ、やっぱり?でも大丈夫、気にしてないから」

 

 桜雲も正直、愛里寿を初めて見た時は活発そうだという印象は抱けず、むしろ物静かな感じがする子だと思った。最初の反応だって、仕方ないことだと思うから怒ったりなどしない。

 

「・・・・・・あ、そうだ」

「?」

 

 愛里寿と別れて2人で並んで歩き、少ししてからメグミが思い出したかのように手をポンと叩く。

 

「今度ね、都合があれば隊長と一緒に猫カフェに行こうと思ってるのよ」

「島田さんと?」

「ええ。隊長もやっぱり、戦車道の時間以外だと私たち年上に対してどこか一歩引いたような感じがしているから、仲良くなろうと思って」

 

 メグミが少し悲しそうに笑う。

 隊長という立場であれば、部下であるメグミたちにはあの試合中のような話し方をするが、それ以外ではやはりメグミたちとの間に壁があるような状態だ。

 それをどうにかするためにメグミが愛里寿を猫カフェに誘い、少しでも愛里寿との距離を詰めようとしていることを知ると、桜雲もうんと頷いた。

 

「いいと思うよ」

「ありがと。それでね・・・」

 

 そこでメグミが桜雲を見て、ちょっとだけ申し訳なさそうな表情をする。桜雲はその顔に『?』と疑問符を抱く。

 

「その猫カフェの下調べとかして、猫との触れ合い方も勉強して、ちゃんと隊長に教えられるようになりたいんだけど・・・」

 

 歩きながらメグミは少し前屈みになって、桜雲の顔を見上げる形になる。

 だが桜雲は、メグミの言葉で『もしや』という予想が頭によぎっていた。

 

「桜雲さえよければなんだけど・・・」

「?」

「いい感じの猫カフェとか、猫との触れ合い方とか教えてくれない?」

「・・・・・・」

 

 その予想は、的中した。

 だが桜雲は、そのメグミのお願いとも、お誘いともとれる言葉に心が大きく揺れてしまっていた。

 猫との触れ合い方を教えるということは、実際に猫カフェで教えることになるだろう。それはもちろん外出に当たる。下調べの意味もあるのならば、当然愛里寿はいないはずだ。よってそのレクチャーも、桜雲とメグミの2人だけということになる。

 それはつまり―――

 

「それだったら、ネットとかで調べた方が早いと思うけど・・・」

 

 だが桜雲の口から出てきたのは『建前』の言葉だ。

 しかし、実際ネットで調べた方が早いし、分かりやすく載っていることだってある。それに桜雲自身、人にものを教えるのが得意というわけではないし、自分が教えただけで解決するとも思えなかった。

 

「いやいや、こういう時は慣れてる人に聞いた方が分かりやすいのよ」

「そうかな・・・・・・」

 

 メグミの言葉に納得できそうになるが、桜雲はまだ首を縦には振らない。

 

「それに、桜雲の猫との触れ合い方は信用できるから」

 

 その言葉に、桜雲もメグミの顔を見る。その目は、お世辞や社交辞令で言っているようには見えない。本当に、桜雲のことを信じて言っているようだった。

 

「だから、お願いしてもいい?」

 

 そこまで言われては、桜雲も無下に断ることはできない。建前をこれ以上並べることもできそうにない。

 桜雲は、小さく頷いた。

 

「分かった。僕でよければ、教えるよ」

「ホント?ありがとう!」

 

 メグミがニコッと笑う。その笑顔を見て、桜雲も照れ臭くなってしまう。

 そしてその日は、具体的な日にちや場所などが決まった際のために、お互いに連絡先を交換して解散となった。

 

 

 メグミと別れて帰路を歩く桜雲は、だんだんと茜色に染まってきた空を見上げて『はー』と抜けるような息を吐く。

 まさか、昨日偶然知り合ったメグミとまた今日会えるとは思わなかった。同じ大学に通っているのだからその可能性もゼロではないはずだったのだが、再会がまさか1日で叶うとは思ってもいなかった。結構貴重なことなんじゃないかと、桜雲はその稀な確率に当たったことに妙な高揚感を覚えている。

 いや、それ以上にすごいのは、また猫カフェに行くということだ。それも、メグミと一緒に。

 その提案をされた時、桜雲の頭にはある言葉が浮かび上がっていた。

 『デート』という言葉が。

 

(いやいやいや、付き合ってるわけじゃないし、そこまで仲良しってわけでもないし)

 

 その言葉を意識したところで、桜雲は頭を振る。

 確かにメグミは親しげに接してくれているとはいえ、それを意識するのはあまりにも早計だ。メグミが意外と押しの強い性格なだけなのかもしれないし、桜雲のことを単に『猫好きな知り合い』としか見ていないのかもしれない。いや、絶対そうだ。

 となれば、そんな感じで意識をする自分が何とも滑稽に思えてきた。

 成人年齢を超えて、自他共に認めるのんびり屋であっても、そういう色恋沙汰に興味関心を抱き始めているとはいえ、それは流石に短絡的だ。

 

(まったく・・・ちゃんとしなきゃ)

 

 やれやれと思いながら、桜雲は家路を急ぐ。全く持って、自分もまだまだ青いようだと嘆息した。

 そんな一抹の期待から目を背けるように、今日の夕飯は何にしようかな、寝る前に猫の本でも読むかな、雰囲気の良さそうな猫カフェってどこかにあったかな、と考えながら、歩を進めていく。

 夕暮れの太陽は、穏やかに明るい。




メグミのパーシングの乗員の名前は、
メグミの出身校・サンダース大学付属高校の本籍地である長崎の地名から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Bermuda Briefing

 桜雲が猫カフェでメグミとの出会いを果たしてから2日が経つが、桜雲の日常に変わりはなく、今日も今日とて安穏とした日だった。

 桜雲自身、あの猫カフェで偶然にも同じ大学に通うメグミの隣に座り、話しかけられてそこそこ仲良くなり、その翌日にこの広い大学で再会することができたのは、相当稀で貴重なことだと思っている。

 だが、それで桜雲は運命的な何かを確信したり、浮かれて何にも手が付けられらくなるということにはなっていない。

 確かにメグミと出会えたこと自体はすごい確率の上でのことだと思うし、桜雲もメグミのことは綺麗な人だと思っている。だから桜雲も、メグミと出会えたこと自体は少しだけ嬉しかった。

 しかしそれだけで、桜雲はメグミとの間に運命的な繋がりを感じることはなかった。そこまで浅慮な考えを桜雲はしていない。ましてや、メグミに対して慕情を抱くということもあり得なかった。

 これが高校生や中学生などの時分であれば反応も少し違っただろうし、もしかすると『勘違い』でもしただろうが、今の桜雲は大学生だ。

 桜雲は元々自他ともに認めるのんびりとした性格で、さらに歳を重ねて成人を超え、心身ともに成長したことで、考え方も大分落ち着いたものとなった。一部からは『歳の割になんかジジババ臭くなったな』とからかわれることもある。だが、それにも桜雲は笑って否定する辺り性格は相当なものだ。

 だが、桜雲はそんなメグミから『猫カフェで猫との触れ合い方をまた教えてほしい』と頼まれている身でもある。そう頼まれた時は、桜雲はほんの少しだけ『デートみたいだ』と思いはしたが、即座に違うと否定した。その程度のことでそこまで考えるのはさすがに早計が過ぎるし、意識するだけ自分が気持ち悪く思えてくる。

 だから今の桜雲は、メグミのことは『最近ちょっと仲良くなれた異性の知り合い』程度の認識にしている。メグミだって桜雲のことはそれぐらいの認識でしかないだろう。いや、絶対そうだ。

 とにかくこれ以上、メグミのことを変に意識するのはよそうと桜雲は頭を横に振る。

 

「あら、桜雲。こんにちは」

「こんにちは、メグミさん」

 

 そんな風に思っていた桜雲は、昼休みに食堂の前でメグミとばったり会った。桜雲も声をかけられて、普通に挨拶を返す。

 先に声をかけてきたメグミは、壁に背を預けてスマートフォンを手に持ち、誰かを待っている風だった。そんなメグミは、桜雲に話しかける。

 

「今からお昼?」

「うん。メグミさんも?」

「ええ、戦車道の同僚と一緒にね」

 

 そのメグミの答えに、桜雲は少しの間を挟んでから。

 

「そっか。じゃあ、また今度ね」

「うん、分かった」

 

 いくらお昼前に知り合いと会ったからと言って、そういう事情があるにもかかわらず『一緒にどうですか』と言うのは図々しい。それに、戦車道の同僚とと言うことは、何かしらの話し合いも兼ねたものになるかもしれない。そんな場所に自分がいても、ただ邪魔になるだけだ。そう思った桜雲は、ここで一度別れることにした。

 ただし、メグミが1人で昼食にするつもりだったら、桜雲は同席を自分から言うつもりだった。

 それは。

 

「あ、そうだメグミさん」

「何?」

 

 食堂に入ろうとしたところで、桜雲は足を止めてメグミに声をかける。メグミはスマートフォンではなく、桜雲のの顔をちゃんと見て反応してくれた。

 

「あの、猫カフェに下見に行くって話だけどさ・・・」

「?」

「一応、僕の方でいくつかお店を見繕って、あとでメールで教えてその中からメグミさんに選んでもらうって形で良い?」

 

 桜雲は、『メグミと猫カフェに下見に行って猫との触れ合い方を教える』と言う約束を忘れてはいない。そして、反故にするつもりもない。例えメグミとの距離がそれほど近くないとしても、その約束はしっかりと守るつもりだ。そう頼んでくれたということは、それだけメグミが自分のことを信頼しているということであるし、『桜雲の猫との触れ合い方は信用できるから』と言われて嬉しくもあったから、その信頼は裏切りたくはない。

 その約束について話そうとしていたから、桜雲は可能ならメグミと昼食を一緒にしようと思ったのだ。

 

「ええ、それでいいわよ」

「分かった」

 

 そこでメグミは少しだけ、本当にすまないとばかりの笑みを浮かべる。

 

「なんか・・・ごめんなさい。私から頼んだことなのに、あなたに任せきりにしちゃって・・・」

「ううん、気にしなくて大丈夫だよ」

 

 信頼されている身であるし、それだけ自分のことを評価してくれているということでもあるから、桜雲は特段そのことを苦痛とは思っていない。だから『大丈夫』と言えるのだ。

 

「私は素人だし・・・そういうのはプロに任せるわ・・・」

「プロだなんて、僕はただの猫好きだから」

「またまたご謙遜を」

 

 少しだけ軽口を叩き合ってから2人は笑い、桜雲は手を振って食堂へ入る。

 メグミがそれを見届けてから数分経って、アズミとルミ、そして愛里寿が姿を見せた。メグミはスマートフォンをポケットに仕舞い4人で食堂へ入る。それぞれ料理を注文して受け取ってから、いつものように4人掛けのテーブル席へ着く。

 今日の席順は愛里寿の隣にルミ、愛里寿の正面にアズミ、そして斜向かいにはメグミだ。

 またいつものように、メグミたちバミューダ3姉妹で愛里寿と親しくなるために水とおしぼり、箸を用意してあげる。しかしどこか、愛里寿は不満げだった。

 それにはメグミたちもあまり気付かず、4人で『いただきます』をする。

 

「今日のバミューダアタックも、上手くいかなかったわね・・・」

 

 食事を始めてから少しして、メグミが食堂の天井を見上げながらぼやく。それは今日のチーム内での練習試合のことを言っているのが、このテーブルに着く他の3人には分かっていた。

 昨日同様、メグミたちバミューダ3姉妹は、愛里寿のセンチュリオンに対してバミューダアタックを仕掛けた。

 今回のパターンについてだが、まずメグミを中央に据えて左にアズミ、右にルミの戦車が就く。そして愛里寿のセンチュリオンへ向けて全速前進してまた3方向から囲むのだが、今回は3輌それぞれがドリフトを利かせて曲がるのではなく、3輌とも最初にセンチュリオンへ向けて直進するのは昨日と同じだが、まずメグミのパーシングが速度をわずかに落とし、そして両脇のアズミとルミのパーシングはセンチュリオンの横を通り過ぎてからドリフトさせて向きを変え、3方向から狙うつもりだった。この攻撃の仕方は、パターンTに当たる。

 だが昨日と同じで、愛里寿のセンチュリオンは砲塔旋回と超信地旋回を存分に活かして砲撃を全て躱し、逆にメグミたちバミューダ3姉妹を全滅させた。

 

「中々上手くいかないわね・・・」

「掠りもしないし・・・」

 

 アズミとルミも同じで、どうしたものかと嘆いている。

 そして、その普通じゃないような動きを見せた戦車の車長である愛里寿は、今日は美味しそうに微笑みながらハンバーグを食べている。

 だが、3人が心底落ち込んでいる姿を見ると、愛里寿も少しだけ良心が痛んだのかメグミたちに話しかける。

 

「あの・・・でも、皆の連携力もすごかったよ。前半だって、相手を撃破するペースも前より早かったし、確実に強くなってる、と思う」

 

 その愛里寿の気遣うような言葉に、メグミたちがハッとしたような表情をする。

 それは愛里寿の言ったことに気づいたから、と言うことではない。敬愛する愛里寿に気を遣わせてしまうというバカなことをしてしまったと、3人が痛感したからだ。

 

「そ、そうですか。ありがとうございます!」

「私たちも、頑張りますね!」

「ささ、ご飯が冷めないうちに食べちゃいましょう!」

「う、うん」

 

 メグミたちが強引に話を切ると、愛里寿も多少メグミたちの不自然さに疑問を抱くも食事を再開した。

 それからほどなくして、メグミの正面に座るルミが話しかけてきた。

 

「ところでメグミ、1つ聞かせてもらいたいんだけどさ」

 

 ルミが畏まって聞いてきて、メグミはとんかつを一切れ箸で摘み口に運びつつルミのことを見る。ルミの表情が何だかにやけていて嬉しそうに見えるので、大した話ではないだろうと、食事を止める必要もないかとメグミは思った。

 

「昨日帰る時に一緒にいた男って誰よ?」

 

 だが、ルミのその言葉には流石に箸を止めざるを得なかった。

 愛里寿は少し様子の変わったメグミのことを見て、メグミの隣に座るアズミはルミの方を見る。

 

「ちょっとルミ、それって何の話?」

「それがさぁ、昨日私が帰る時にメグミを見かけたんだけど、何とまさかの男と一緒だったのよね。それも割と仲良さそーな感じで」

「・・・・・・へぇ」

 

 興味を示したアズミに、ルミは嬉々として答える。それを聞いたアズミは、何とも愉しそうな笑みを浮かべてメグミのことを見た。

 メグミはこの2人の反応に『ふぅ』と小さく息を吐いて見せて、面倒くさいということをアピールする。

 この次に来る言葉など、どうせ―――

 

「メグミったら、いつの間に彼氏なんて作ってたの?」

 

 アズミの言葉に、メグミは今度は大きく息を吐いた。やっぱりこうなるのよね、と。

 メグミたちも20歳を過ぎ、そろそろ『その手』のことについて考え始める年頃だった。戦車道とは女性の世界であり、男がほとんどいないからこそその問題に関しては積極的で、なおかつ興味津々だった。

 それと、大学選抜チームの中には彼氏がいるメンバーもそれなりにいるので、それがなおのこと彼女たちの積極性と興味を助長させている。

 

「彼氏じゃないわよ。ただの知り合い」

 

 だがメグミは、本当のことを伝える。隠すようなことでもない。

 

「ふーん?どこで知り合ったの?」

 

 ルミは一応納得するも、まだ興味は続いているらしい。素直に猫カフェと答えるべきかとメグミは少し悩んだが。

 

「そういえば昨日、『猫カフェで知り合った』って言ってたね」

 

 するとそこで、メグミに代わって愛里寿が明かした。明かしてしまった。

 

「えっ、隊長も知ってるんですか?」

「うん・・・昨日、メグミとその人が一緒に帰ってるところでたまたま私も会って・・・」

 

 メグミは頭の中で、あちゃーと自らの額を押さえる自分をイメージする。

 愛里寿は13歳にして、大学選抜チーム隊長、島田流戦車道後継者、天才少女等多くの肩書を背負っている身である。

 だが、同時に愛里寿はその幼さ故の純粋さも持っていた。そんな愛里寿に、戦車道のことがほとんど絡まない今の時間で他人の、それも自分より年上である大人の気持ちを慮るというのは少々難しい。

 だから愛里寿は、メグミがあまり正直に言いたくなかったことを、素直に言ってしまった。

 そしてメグミは、それをアズミとルミが知ってしまったことで事態は悪い方向に転がることが読めていた。

 

「え、まさかメグミ・・・猫カフェに行ったのって・・・?」

「違うわよ。この前テレビで紹介されていたから気になって行ってみただけよ。『それ』目的じゃないわ」

 

 アズミの言葉が『男との出会いを求めて猫カフェに行ったのか』という意味を含んでいることに気づいたメグミは、全て言われる前にそれを断固否定する。そんな考えは本当になかったので、違うと言っておいた。

 ただ、結果的には桜雲と言う男と知り合えたのだから、結果オーライと言えなくもない。

 

「あ、そうだメグミ」

「はい、何でしょうか?」

 

 そこで愛里寿が話しかけてきてくれた。これで上手いこと話が逸れるといいのだが。

 

「昨日帰ってから、お母様に相談して・・・猫カフェに行ってもいいって」

「お許しが出たんですね。よかったです!」

 

 島田流家元でもある母に、愛里寿はちゃんと話をしたようだ。その流れでメグミが誘ったことも家元は知っているだろうし、いずれメグミの下へ連絡が来るだろう。メグミも家元とは何度も会っているし連絡先もお互い知っているのでそれは別に問題はなかった。

 

「それでね、次の日曜日なら大丈夫なんだけど、メグミはどう・・・?」

「あ、はい。勿論です!私はいつでもOKですので!」

 

 敬愛する愛里寿とのお出かけであれば、いつだろうと大歓迎の無問題(モーマンタイ)だ。メグミは二つ返事で頷く。

 と、そこでアズミとルミが『ちょちょちょちょちょ』と横やりを入れてくる。

 

「待って―――いえ、よろしいですか隊長?」

「?」

 

 思わずアズミが素の口調で話しそうになるが、すぐに普段愛里寿に接するときのような敬語に戻して愛里寿に話しかける。

 

「その、私とルミも・・・ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ」

 

 アズミの不安そうな質問に、愛里寿は小さく笑って頷く。それでアズミとルミの表情も明るくなった。

 

「ほ、本当ですか?」

「ありがとうございます!」

 

 アズミとルミは揃って頭を下げる。そして2人は、メグミに向けて目配せをする。

 

((抜け駆けは許さないわよ))

 

 その視線にはそんな意図が含まれていることはメグミも分かっていたし、メグミも抜け駆けする気などなかったので、『分かった分かった』とばかりに肩を竦めて白いご飯を口に含む。

 ここにいるメグミ、アズミ、ルミに限らず大学選抜チームの面々は、愛里寿と自分たちとの間にある壁をどうにかして取り払って親しくなりたいと思っている。

 それは全員共通だが、このバミューダ3姉妹の間に限り『誰か一人だけが愛里寿を独占する状況は認めない』という掟が存在する。それに抵触しようものなら、たとえ親しい間柄であろうとフレンドリーファイアも辞さない心構えだ。

 

「それで、メグミ」

「あ、はい。何ですか?」

 

 そんな不可視の小競り合いに気づかない愛里寿は、純粋な瞳と共に質問をメグミに向ける。メグミも一度アズミとルミの目配せから一度意識を逸らして愛里寿の方を向く。

 

「どんな猫カフェに連れてってくれるの?」

 

 その質問に、メグミは言葉を詰まらせる。隣に座るアズミ、正面に座るルミもそれは純粋に気になったようで、2人ともメグミのことを邪な感情抜きに見つめる。

 

「あー・・・それは当日のお楽しみということで」

「そうなんだ・・・楽しみにしてるね」

「ええ、どうぞお楽しみに!」

 

 メグミの苦し紛れの答えに愛里寿は笑って頷き、アズミとルミも『楽しみにしてるわよ~』と言いながらそれぞれ焼き鮭定食とカツ丼を食べるのを再開する。

 

(・・・危なかった)

 

 だが、内心でメグミは大きく息を吐いて安心していた。

 まさか、愛里寿たちと一緒に行くその猫カフェを決めるのはメグミではなくて知り合いの桜雲で、しかもまだ決まっていないというのは、誘った張本人であるメグミには言えるはずもない。

 そして、ここまで言った以上はちゃんとしたお店でなければならないだろうし、メグミは心の中で桜雲に『いいお店をお願い』と念じる。

 頼んだ身で太々しいことは重々承知の上だ。だから後日、何かしらのお礼をした方がいいということは、最初に頼んだ時からメグミは考えていることだった。

 

 

 

「・・・・・・っ」

 

 その同時刻、食堂で桜雲は妙な寒気に襲われて身体をブルリと震わせた。

 何か、自分のあずかり知らない場所で自分へのハードルを上げられたような、自分に対する期待値が高まったような、そんなことが起こったような気がする。

 嫌な予感が働いた、とも言えた。

 

「どうかした?」

 

 すると、桜雲の正面に座っていた、桜雲が所属する動物サークルの同い年の女子・柊木(ひいらぎ)が心配そうに声をかけてきた。どうやら、桜雲の身体が震えていたのは見えていたらしい。

 

「ううん、何でもないよ。ただちょっと寒気がしてね・・・」

「大丈夫?もうすぐ夏本番なのに風邪なんて・・・」

 

 とりあえず寒気がしたということだけは伝えると、柊木は本当に心配そうにそう言ってくれた。その心遣いだけでも桜雲は嬉しい。

 この柊木だが、知り合ったのは動物サークルに入った1年生の頃なので、旧知の仲と言うほどでもない。ただ、同じサークル内の同時期に入った同い年と言うことで何かと話す機会も多く、割と仲は良い方である。こうして2人で昼食を摂っているのも、1人で食べていた桜雲を見かけた柊木が声をかけてせっかくだからと同席したからだ。

 桜雲は、中辛のカレーを食べて寒気が走った身体を少しでも温めようとする。

 

「ところで、桜雲君」

「何?」

「この前の日曜も、猫カフェ行ったの?」

 

 桜雲が猫好きだということ、そして休日は猫カフェによく行くということはサークルのメンバーも大体知っている。勿論柊木も知っているからそう聞いたのだ。

 

「うん、前にテレビで紹介されてたお店にね」

「それで、どうだった?」

「いい場所だったよ。まるで、絵本の中から飛び出したみたいなお店だった」

「へぇ~・・・面白そうだね」

 

 柊木も興味を示してくれたので、桜雲はとりあえず安心した。これで『変なの』とでも言われれば、もしや自分の感性がおかしいのでは?とちょっとばかり不安になりかねないからだ。穏やかな気性の桜雲でも流石に不安になることはある。

 それと、猫カフェつながりで桜雲が雑談程度の感じで柊木に話しかけた。

 

「そういえば、知り合いから『いい猫カフェ無い?』って訊かれてね」

「?」

「どこを薦めようか迷ってるんだけど・・・柊木さんはどこかいいトコ知らない?」

「私は犬専門だからね~・・・」

 

 桜雲と柊木の所属する動物サークルのメンバーは、大体皆それぞれに好きな動物がいて、その動物に関することを専門的に研究している。桜雲と柊木を例に挙げれば、桜雲は猫、柊木は犬という具合だ。他にもフクロウとかハムスターとかインコが好きで専門しているメンバーもいるが、猫は桜雲の専門だ。だから正直、専門じゃない柊木に訊いてもそれは答えるのが難しいのは分かっていた。

 

「ごめんね、変なこと訊いて」

「ううん、気にしなくて平気。でも、そうねぇ・・・」

 

 桜雲が謝るが、柊木は笑って首を横に振る。そして何かを考えるように、箸を宙で回す。

 

「『いいお店』っていうよりも、『その人に合いそうなお店』を選んだ方がいいんじゃないかな?」

「・・・・・・?」

「例えば、その頼んできた人が落ち着いた感じの人だとしたら、賑やかな雰囲気のお店を薦めてもあんまり溶け込めなくて楽しくなさそうだし・・・どころか気を悪くさせちゃうかもしれないからね」

 

 柊木の話は、猫カフェに限った話ではない。人にはそれぞれ自分に合った場所と言うものがある。落ち着いた人には静かな場所が、明るい人には賑やかな場所が性に合うということが多い。無論全員がそうと言うわけではないが、少なくとも今桜雲が薦めようとしている人に限ってはその通りだと思う。

 

「そうかも・・・うん、そうだね」

 

 猫カフェを探してほしいと言ったのはメグミだが、メグミは愛里寿と打ち解けるために一緒に猫カフェに行くと言っていた。そんな愛里寿は活発な雰囲気ではなく、静かで落ち着いた感じがする。だから、そんな愛里寿に合うような落ち着いた雰囲気のカフェにした方がいいかもしれない。

 

「教えてくれてありがとう」

「ううん、礼には及ばないよ」

 

 桜雲は柊木にお礼を言ってから、またカレーを食べ始める。そして柊木も箸を手にとんかつを食べるのに戻る。

 桜雲は、帰ったらもう一度、猫カフェを調べようと思った。勿論メグミから頼まれた昨日から調べてはいたが、今度は柊木のアドバイス通り愛里寿に合った落ち着いた雰囲気の猫カフェを探すことにしよう。

 

 

 そんなことを桜雲が考えている一方で、メグミたちの話題は。

 

「聞きましたか、隊長?」

「?」

「今年の高校生大会、どんでん返しだったみたいですよ」

「ああ、そのニュースは私も聞いたわ」

「ええ、ルミに同じく」

「・・・うん、私も昨日ニュースで観た」

 

 『高校生大会』だけで愛里寿とアズミ、ルミには伝わった。

 それは、つい先日行われた第63回戦車道全国高校生大会の決勝戦のことだ。大学生となったメグミたちにとってはそこまで重要なものではないが、その決勝戦は、いや今年の高校生大会は大学生であるメグミたちにとっても目を見張るものだった。

 と言うのも、まずその決勝戦の対戦カードは高校戦車道最強と言われる黒森峰女学園と、奇跡の快進撃を見せてきたという大洗女子学園。特に大洗女子学園は、20年ぶりに戦車道を復活したばかりの無名校だが、決勝に至るまでに戦車道四強校のサンダースとプラウダを破ったのだ。その戦績を見ると『奇跡の快進撃』という表現にも頷くほかないし、注目せざるを得ない。

 そしてそんな大洗と黒森峰の決勝戦を制したのは、またしても大洗。それも試合中に重駆逐戦車エレファントとヤークトティーガーを立て続けに撃破、さらには史上最強の超重戦車マウスさえも破った、まさにどんでん返しだった。

 そして試合内容もさることながら、さらに関心が高まった要素はその番狂わせを見せた大洗女子学園の戦車隊を率いる隊長だ。

 

「どうして西住流の子が大洗に?って思ったけど」

「分からないわね・・・母校のことは知ってるけど、高校生はちょっとノーマークだったし・・・」

 

 誰に向けたわけでもないルミの問に、アズミが首を横に振る。メグミもお手上げと両手を広げて首を横に振り、愛里寿は小さく考え込む。

 その大洗女子学園を率いていたのは、元黒森峰女学園の隊員だった西住みほ。今ここに座る全員が身を置き、そして愛里寿の母親が家元である島田流と双璧をなす、日本でも由緒ある戦車道の流派・西住流の直系の娘である。

 そのみほは、本来であれば西住流が後ろについている黒森峰女学園に所属しているはずだった。にもかかわらず、みほは大洗女子学園の生徒として、隊長として高校生大会に参戦した。それが一体どうしてなのかはメグミたちにも分からない。それは西住流、黒森峰女学園、大洗女子学園の内部事情や何やらの複雑な経緯故のことなのだが、それはメグミたちの知るところではなかった。

 

「でも、さっきちょっと戦車道ニュースサイト覗いてみたら、すごいことになってましたよ」

「?」

「ほら」

 

 そう言いながらメグミは、スマートフォンを取り出して画面を点け、愛里寿に見せる。

 ニュースサイトのほとんどの記事は、その第63回戦車道全国高校生大会のことばかりだ。その中でも目立っているのは、やはり大洗女子学園の優勝、もしくはそれまでの軌跡についての記事だ。閲覧数、注目度数も他と比べると高い。

 

「こりゃ、時代が動くかもね?」

 

 ルミが同じサイトを見ているのか、スマートフォン片手にけらけらと笑いながら告げる。その様子は明らかに今回の高校生大会を他人事、対岸の火事のように捉えている。実際、ルミたちは大学生で、高校生の大会の結果が自分たちに影響を及ぼすことはほぼないので本当に他人事だから、誰もそれを咎めはしない。

 しかし愛里寿は、そのことを高校生のことだからと処理することはなかった。

 

「・・・でも、サンダースとプラウダ、黒森峰に勝った大洗の戦い方も気になるし、もしかしたら私たち大学選抜チームにも取り入れられる技術があるかもしれない・・・」

「そうですね・・・試合の動画や記事ぐらいは見ておいた方がいいかもしれません」

 

 愛里寿の言葉にメグミも頷く。

 

「でしたら・・・ほかの学校の試合も観ておきますか?あくまで参考程度に」

「そうねー・・・まあ、観といて損はないか」

 

 アズミがさらに付け加えて、ルミも腕を組みながら目を伏せる。

 大学選抜チームはその母体となっている島田流の影響もあって、多種多様な戦術を積極的に組み込む傾向がある。ワンパターンな戦術だけに頼らず多くの戦法を取ることで、相手に対策を取らせずに翻弄させる戦い方は、島田流戦車道が『変幻自在の忍者戦法』と謳われる所以である。

 だから愛里寿の、奇跡の優勝を遂げた大洗女子学園の、ひいては高校戦車道の戦いを調べておくというのも間違ったことではない。それでメグミたちも否定や意見したりはせず、賛同した。高校戦車道を参考にするというのはあまりないことだが、ルミの言った通り『時代が動く』かもしれないし、自分たちでは考えつかないような作戦がもしかしたら見つかるかもしれないので、丁度いい機会だ。

 

「ただ・・・あまり根を詰めすぎてはだめですよ、隊長?」

 

 アズミが気遣うように愛里寿に話しかけ、メグミとルミもうんうんと頷く。その3人を見て、愛里寿はわずかにはにかんだ。

 昨日、愛里寿は『休日も勉強をしている』と言っていたのを3人は覚えている。その本来の勉強に加えて高校戦車道の試合まで確認するとなれば、休む時間もさらに少なくなってしまうだろう。

 いくら愛里寿が普通の13歳の少女とは違うと言っても限度はあるので、そこがアズミたちは心配だった。

 

「・・・うん、気を付ける」

「ですので次の休日は、ゆっくり羽を休めましょうね」

 

 メグミが愛里寿に言うと、愛里寿も頷いてくれた。

 やはり次の休日に愛里寿と猫カフェに行くことにしたのは正解だったと、メグミは思う。

 昨日の話でも分かったが、とかく愛里寿は戦車道に対する意欲が誰よりも強い。だから少しは戦車道以外の何かで息抜きをさせないと、まだ幼い身体の愛里寿はどこかで身体を壊してしまう。

 それに、戦車道以外のことをあまり知らない愛里寿に、もっと『外の世界』を知ってほしかった。

 

(・・・・・・よし)

 

 メグミは心に決めた。次の休日の猫カフェで、愛里寿を楽しませようと。

 だから、桜雲からいいお店を聞いて、そして猫との触れ合い方をマスターして、愛里寿にも猫の可愛らしさを知ってもらおうと。

 桜雲には迷惑をかけてしまうが、相応のお礼はするつもりでいる。叶えられる範囲で、何でもするつもりだ。

 

 

 

「・・・・・・っくし!」

 

 メグミがそう心の中で決意したところで、桜雲は1つくしゃみをした。

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

「ん、大丈夫だよ。問題ない・・・はず」

 

 またも柊木に心配をかけてしまったが、桜雲自身は風邪をひいているような感覚はない。どこかの誰かが噂でもしたのだろうと、深くは考えなかった。

 

 

 サークル活動を終えて、桜雲が部屋に戻った時にはすでに時刻は18時を回っていた。夏になって陽が伸びてきているので、時計を見なければまだそこまで遅くなっていないと思いそうになる。

 靴を脱いで部屋に上がり、時計を見て夕食の準備にかかる時間を大まかに計算し、その準備をするまではメグミに頼まれた通り猫カフェを探すことに決めた。

 早速もろもろの準備を終えてパソコンを立ち上げる。だが、その途中でスマートフォンが電話の着信を告げた。親からかな、と思いながら画面を点けると『着信:メグミさん』と表示されていて、どうしたんだろうと思いつつも電話に出る。

 

「もしもし?」

『あ、桜雲?ごめんね、今大丈夫?』

「うん、大丈夫だよ。それで、どうかしたの?」

 

 桜雲が早速本題へ移ろうとすると、メグミは『えーっとね・・・』と何とも申し訳なさそうな声を洩らす。電話越しにその声を聞いた桜雲は『本当にどうしたんだろう?』と心配になる。

 

『あの、愛里寿隊長と猫カフェに行くって話だけどね・・・その日が、次の日曜に決まったの』

「日曜日ね」

 

 メグミの言葉に、桜雲は部屋の壁に掛けてあるカレンダーを見る。次の日曜日と言うことは、あと5日だ。

 

『だからね、その前に下見に行きたいと思ってるんだけど・・・桜雲が都合が合う日っていつ?』

「・・・・・・あー」

 

 桜雲はもう一度、カレンダーを見る。その日曜日までの間には、大学の講義が入ってしまっていて終日暇、休みと言う日がない。

 となれば。

 

「ごめん。1日空いてるって日はないなぁ・・・講義の後ぐらいしか時間がないや」

『そうなの・・・・・・どうしよう・・・?』

 

 困った様子のメグミ。そんな彼女に、桜雲は落ち着いて補足をする。

 

「でも、猫カフェには夜までやってる場所が多いよ」

『あ、そうなの?』

「うん。だから、夜までやってて、それでいていい感じのところを見つけて、都合が合う日にそこで下見にしようか?」

『そうね・・・・・・』

 

 桜雲の提案に、メグミは少し考える。10秒にも満たない沈黙ののち。

 

『分かったわ。それでお願いしてもいい?』

「うん。それじゃ、すぐに探してみるよ」

『ええ、お願いね・・・』

 

 そこで桜雲が電話を切ろうとしたところで。

 

『ねえ、桜雲』

「何?」

 

 切る直前、メグミが桜雲を呼んだ。それで桜雲も、『通話終了』をタップしようとするのを止める。そして、再びスマートフォンを耳に当てて、メグミの言葉を待つ。

 やがて、メグミは。

 

『ごめんね、あれこれ注文付けちゃって』

「ううん、メグミさんは気にしなくて平気だよ」

 

 メグミの謝罪の言葉に、桜雲は首を横に振りながら否定する。

 また少し、お互いの間に沈黙が訪れたが、メグミは確かに桜雲に聞こえるように告げた。

 

『ありがとね』

 

 その短い言葉だけで、桜雲はメグミの感謝の気持ちが十分に伝わった。

 

「・・・ううん、どういたしまして」

 

 そして『それじゃあね』と桜雲が言って、メグミも『うん、それじゃ』と言って電話が切れた。

 だが、電話が切れた後も少しの間、桜雲は手の中にあるスマートフォンを見つめる。

 先ほど『ありがとね』と言われた時、桜雲はメグミの感謝の気持ちを汲み取ったと同時に、心の内が温まるほど嬉しくなった。それは感謝の気持ちを伝えられると嬉しくなるという当たり前のこともあったが、何か別の『気持ち』が桜雲の中にポツンと咲いたような感じがしてならなかった。

 

「・・・・・・さてと」

 

 スマートフォンを机に置き、パソコンの画面を見る。既にデスクトップ画面に移っており、いつでも調べる準備はできている。桜雲はキーボードを軽やかに叩き、早速条件に合う猫カフェをインターネットで探し出す。

 この日だけは、夕食の準備もそっちのけにして、猫カフェを探し続けた。

 メグミの信頼と希望に応えるために。




次回はちょっと戦車の描写が少なめですので、
予めご了承ください。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Preview,Practice and Play

 メグミ、アズミ、ルミのバミューダ3姉妹が愛里寿と共に猫カフェへ行くのは日曜日で確定したが、その前日である土曜日に、桜雲はメグミと下見兼猫との触れ合い方を教えるためにその猫カフェに行くことも決まった。

 主役である愛里寿に合うような雰囲気のお店を桜雲が探した末に、桜雲は3軒の猫カフェを候補地として選び、それをメグミに伝える。その中から『ここがいい感じかな』とメグミが1軒選び、そこへ下見に行くことが決まったのは、本番の4日前のことである。

 しかし、2人の予定が合うのは土曜日、それも大学の講義が終わった後しかなかった。平日では、お互いに講義が終わる時間が違ってどちらか一方が待つことになってしまう。桜雲の方はサークルにも所属しているから、それは仕方がなかった。

 

『別に僕が待っているのでもいいけど?サークルも休むなり早引きするなりでいいし・・・』

 

 桜雲が善意100パーセントでそう言ったのだが、それに対してメグミは。

 

『私が無理なお願いをしちゃったのがそもそもだし、これ以上桜雲に負担はかけたくないから・・・』

 

 と言うわけで、メグミが気持ちだけ受け取る結果に終わった。別に桜雲はサークルの時間が減ること自体を負担とは思っていないのだが、大人しく従うことにした。

 その結果、2人の大学の講義が終わる時間がほぼ同じである土曜日に下見に行くことが決まった。

 

「お待たせ、桜雲」

「大丈夫、今来たところだよ」

 

 そして下見当日の土曜日、午後1時半。大学の正門前で桜雲はメグミと待ち合わせて、早速目的の猫カフェに向けて出発する。

 

「まさか、結構近い場所にあんなお店があるなんてね」

「まあ、できたのは割と最近らしいし、猫カフェに興味がないと行くこともないからね」

 

 筆頭候補である猫カフェは、大学の最寄り駅から電車で2つ隣の駅にあり、メグミと出会った猫カフェよりもずっと近い。しかし桜雲も言った通り、オープンしたのはつい最近なので、近くに猫カフェはないと思い込んでいた桜雲も分からなかった。

 ホームページを見た限りでは静かな雰囲気がして、どうやら『猫』に加えて『温かみのある木』をテーマにしているお店のようだ。その雰囲気は愛里寿のイメージとも合っていると思ったので、桜雲とメグミはここにしようと決めた。

 そのお店は予約が必須と言うわけではなかったが、予約をしておいた方が混んでいても優先的に案内してもらえるとのことだったので、今日は桜雲の名義で2人分の予約を念のために入れておいてある。メグミも、明日愛里寿たちと一緒に行くことを仮定してとりあえず予約をしておいた。もしもそのお店が気に入らないようならばキャンセルすればいい。

 

「大学選抜チームに入ってるって言ってたけど、今日戦車の訓練ってあったの?」

「ええ、あったわよ」

 

 大学から駅までは少し歩かなければならないので、その道のりで2人は自然と会話をする。先に話かけたのは桜雲の方で、メグミが大学選抜チームのメンバーだと知っていたので気になったことを聞いてみた。

 

「この暑い中大変だね・・・」

「慣れたもんよ・・・うん。慣れたもの」

「顔ひきつってるよ・・・無理はしないでね?」

 

 7月も秒読みに近く、気温は最近になって上がってきている。この1週間では夏日になる日がほとんどだ。

 そんな気温の中で、通気性もそこまで良くはない鉄の塊である戦車の中に何時間も留まって戦うなど、見ようによっては自殺行為だろう。だが、ちゃんと水分補給などは徹底しているらしいし、体調不良に陥った際は遠慮せずに申告するように言われていた。熱中症も馬鹿にならないので、その辺りはきちんとしている。

 

「まあ、無理はしてないわ。その辺はわきまえてるし、死んだら元も子もないんだから」

「それはよかった」

「それも問題なんだけど、やっぱり隊長には勝てないのよね・・・戦車は強いわ乗員もやばいわで」

「あはは・・・それは大変そうだね」

 

 桜雲も祖母の影響で戦車度のことは多少の興味はあったので、メグミの話には興味があった。だから話の腰を折るようことは言わない。

 

「それにメグミさんって、大学選抜チームの副官なんでしょ?だからホントに大変そうだね」

「あれ、言ったっけ?私が副官だって・・・」

「大学選抜チームって聞いてから気になってて、ネットで調べた」

「あらら・・・何だか恥ずかしいわね・・・」

 

 メグミから猫カフェを探してほしいと頼まれた日、そしてメグミが大学選抜チームに所属していると聞いた日に、猫カフェを調べる片手間で大学選抜チームのことを調べた。そこで桜雲は、メグミが大学選抜チームの副官を務めていることを知ったのだ。

 そんなメグミは、自分が副官だということを桜雲はメグミ自身の口からではなく、インターネットと言う公の情報から知った。自分が直接教えたわけではないからメグミは恥ずかしくて、変な感じがしたのだ。

 

「結構強いらしいじゃない、大学選抜チームって」

「まー、そうね・・・隊長が愛里寿隊長になった今年から強くなったって感じはするわね」

 

 大学選抜チームのサイトには、これまでの戦績も載っていた。昨年度まではそれほど特筆するべき戦果はなかったが、今年度に入ってからの戦果は、同じ大学生のチームにはもちろん、社会人のチームからも白星を勝ち取っているくらいだった。

 

「それに夏休みは、くろがね工業ってめちゃ強い社会人チームとの試合があるかもって話が上がってるし」

「へぇ~・・・もしやるんならその試合、観に行ってみようかな」

「おっ、観に来る?だったら私も頑張んないとね」

 

 桜雲も戦車道のことはちょっと興味があったので、大学生と社会人という身分が違う両陣営がどんな戦いを見せるのかは気になった。

 メグミも、親しい人が見に来るのであれば下手な戦いぶりなど見せられないので、もしその時が来たら自分は全力で戦おうと意気込んだ。

 

「でも今日は、ちょっとでもメグミさんの疲れが猫カフェで軽くなるといいな」

 

 今日の目的は下見と猫の触れ合い方を教えることだが、それでも桜雲は戦車道で疲れているであろうメグミにはぜひ猫で癒されてほしい。そう切に願っていた。

 

「そうね・・・確かにこの前初めて猫カフェに行った時は、猫が可愛くて疲れとかみんな吹き飛んじゃったわ」

「それが猫の良さなんだよね。何だか癒されるんだ」

 

 まもなく駅に到着する。駅前の広場は土曜日で世間がお休みモードなのもあって人が多い。加えて駅の近くには店も多く、大学の最寄り駅なのもあって大学生と思しき風貌の人が多かった。

 その中には、カップルらしき男女の姿もちらほら見える。

 それを見て桜雲は、メグミと話をしながらも思った。

 

(・・・僕らは、どう見えてるんだろう?)

 

 桜雲はそこでちらっと、メグミの姿を改めて見る。メグミの服は、上は白のチュニックに、下は紺のサブリナパンツ。割とシンプルな装いだったが、メグミの服装があまりにも気合の入ったものだと逆に桜雲がいたたまれなくなるので、それについては安心だった。

 とはいえ、今の桜雲とメグミは私服であり、フォーマルな服装ではない。よって、見方によれば桜雲とメグミが周りに『そういう関係』とみられる可能性も十分あった。

 だが、桜雲は首を横に振る。

 自分とメグミはそんな関係ではない。そう思うのも全ては他人の勝手で、ただ桜雲自身がそう思い込んでいるだけだ。それに囚われるのは馬鹿馬鹿しい。

 同じサークルのメンバーとして柊木と出掛けたこともあったが、その時は特段意識するようなことはなかった。

 しかしなぜ、今日メグミと一緒にこうして歩いている時に限って意識してしまうのか。

 その意識する理由がなんとなく見えてきたところで、桜雲とメグミは駅の自動改札を通ったのだが、桜雲のICカードがチャージ不足で改札が甲高い電子音と共に閉じてしまった。

 

「・・・・・・チャージしてくる」

「どうぞどうぞ」

 

 呆れたような笑みを浮かべるメグミに見送られながら、桜雲はすごすごとチャージをする。

何とも幸先が悪い。

 

 

 電車に揺られることおよそ15分、桜雲とメグミは目的地の猫カフェの最寄り駅に着いた。2人が最初に乗った大学の最寄り駅の周りも店が多くてそこそこ賑わっていたが、ここはそれ以上に店が多くて活気がある。ターミナル駅ほど大きくはないが、それなりに発展していた。

 駅周辺には飲食店のほかにも洋服店や靴屋、本屋など色々あってショッピングも楽しめるようになっていた。この辺りも、明日愛里寿と出掛ける時に立ち寄ってみるといいかもしれない。

 

「ペットショップ?」

 

 猫カフェまでの道のりの途中で、メグミはその店―――ペットショップを見つけた。道に面したショーウィンドウには犬や猫の写真が貼られていて、外からも見えるような位置に仔犬と仔猫がそれぞれ入ったケージが置いてあった。

 メグミはペットショップ自体目にすることがそれほどなかったのか、ペットショップまで近づいてショーウィンドウ越しに中のケージを見る。ケージの中の仔犬と仔猫は、メグミに気づいてじっとメグミのことを見上げる。

 だが桜雲は、メグミには申し訳なかったがこれから行く猫カフェの予約の時間もあったので、寄り道をするのが少し難しかった。

 

「気になるなら、帰りに寄ってみようか」

「そうね・・・ちょっと入ってみたいかも」

 

 桜雲に促されて帰りにここに寄ることが確定し、メグミは名残惜しそうではあるがショーウィンドウから離れて再び桜雲と並んで猫カフェへと向かう。

 やがて、駅周辺の喧騒から少し離れた大通り沿いにある、2階建ての白い建物の前にやってきた。2人が最初に出会った猫カフェはおとぎ話の世界にあるような外見だったが、目の前にあるのはそれとは打って変わって近代的なデザインだった。

 

「ここ、かしら?」

「うん」

 

 メグミも桜雲と最初に会ったあの猫カフェを覚えているから、そことは正反対の印象を抱かせる外見の建物に引っ掛かりを覚えたようだ。

 だが、白い壁に取り付けてある銀製の看板に刻まれた店の名前は確かに目当ての猫カフェのものだったし、店の外見もホームページに載っていた写真と同じである。間違いなくこの建物が、今日2人が下見をする猫カフェである。

 

「それじゃ、入ろうか」

「今日はよろしくお願いしますね、先生?」

「その呼び方は止めてよ・・・」

 

 今日ここへ来たのは下見と、もう1つはメグミに猫との触れ合い方を改めて教えるため。それにちなんでメグミは桜雲に対して敬語で話し、さらには『先生』と呼んだのだ。

 そんなメグミに苦笑しながら、桜雲はステンレス製のドアを開けて店に足を踏み入れる。

 そして、中の様子を見て近代的という外見の印象もまた一変した。

 

「・・・へぇ・・・いい感じね」

 

 中のイメージは一言で言うと『木』だった。カーペットが敷かれたフローリングはもちろん、物置らしき部屋のドア、椅子やテーブル、時計や戸棚が優しい色合いの木製のものだった。それに加えて天井を見れば、木の梁が意図的に見えるようになっていて味わい深く感じる。

 そしてそんな木をベースにした空間に、猫はいた。フローリングに寝転がって暢気にあくびをする三毛猫がいれば、壁の高い位置に設えてある木の板でできた猫用の通り道から桜雲たちを見下ろす黒猫、さらには木でできたキャットタワー―――角などはやすりで丸めてあって猫がケガをしないようになっている―――に座っているキジトラの猫もいる。

 キャッチコピーは『猫と温かみのある木が織りなす安らぎの空間』と銘打たれていたが、確かに『木』と言う自然的なものと猫の組み合わせは割とマッチしていた。見ているだけで、何だか心が癒される。

 だが、ただ店の中を見に来ただけではない。

 

「すみません、15時から予約していた者ですが・・・」

「あ、はい。ありがとうございます~」

 

 会計用のカウンターから桜雲が声をかけると、中年ほどの女性スタッフが応対をしてくれた。予約の内容を確認してもらい、そして前回同様料金を先に支払う。ここでは桜雲が先んじてメグミの文の料金も払ったのだが、それについてメグミが何かを訴えるような目で桜雲を見ていたことには、当の桜雲は気づいていない。

 そしてスタッフから、利用にあたっての説明を受けた。

 基本的なルールは同じだが、前とは違ってこの猫カフェは猫の抱っこが許可されている。その要素も、初めて行くであろう愛里寿にはいいかもしれないと桜雲とメグミは思っていた。

 それと、猫用のおもちゃを店側が用意しているが、遊ぶのは専用のスペースの中だけ、とのことだ。猫によっては激しくおもちゃで遊ぶタイプの子もいるので、ちゃんとした場所で遊ばせないと他の客に迷惑がかかるかもしれないからだった。

 時間は2時間で、料金にはワンドリンク代も含まれていたので桜雲とメグミはその場でアイスコーヒーを注文した。

 そしてようやく、桜雲とメグミは靴を脱ぎ、手の消毒をしてから猫のいるカフェスペースへと入る。空いていた2人掛けのテーブル席へと向かっている間、猫たちは興味深そうに桜雲とメグミの姿を目で追っていた。2人とも初めてここへきて猫たちも見たことがないから、警戒しているのだ。

 そうして猫たちの視線を感じながら桜雲とメグミはテーブル席に着く。椅子も木製ではあったがちゃんとクッションが敷いてあったのでお尻が痛くなるということにはならない。

 

「雰囲気とかは結構いい感じだね」

「そうね・・・隊長も喜んでくれそう」

 

 店の中を見渡して、桜雲とメグミは安心したように頷く。そしてそのメグミの反応を見て桜雲も、この店を候補に挙げた自分の判断がひとまずは間違っていなかったことに内心で安堵した。

 

「さて、それじゃ猫との触れ合い方を教えるわけなんだけど・・・」

「はい、よろしくお願いしますね」

「やめてってば・・・」

 

 メグミが頭を下げてきたので、桜雲は笑って手を横に振る。桜雲も今までこうして誰かから改まって頭を下げられて教えを請われたことなどなかったから、反応に困る。それに大それたことを教えるわけでもないので、そうやって畏まるとペースが狂う。

 

「何から教えればいいのかな・・・」

 

 桜雲が悩んでいると、ちょうどそこへタイミングを見計らったかのようにグレーの猫が、とことこと桜雲の足下へやってきた。せっかくなので、桜雲はこの猫で触れ合い方を教えようと決める。

 メグミもその猫に気づいて、視線をそちらに向けた。

 

「えっと、まず最初に・・・猫って初対面の人とか動物には警戒してるんだ」

「ふんふん」

「猫カフェの猫は割と人慣れしてるからそこまでじゃないけど・・・・・・」

 

 そこで桜雲は、まずいつもやっているように低い位置から人差し指を伸ばして、猫の鼻に近づける。

 

「でもまずはこうやって・・・指を鼻に近づけるんだ。それで匂いを嗅いで顔を擦り付けてきてくれたら、警戒してないってこと」

「ほう」

「顎の下に手を出すのも一つの手みたいだけど、これだと中々警戒心は解けないと個人的には思ってる」

「ほほう」

 

 やがてグレーの猫は桜雲の指に顔を擦り付けてきた。まず最初の段階、警戒心を解くことには成功した。

 メグミはその様子を真剣に見ながらも、桜雲の言葉に熱心に耳を傾けている。

 

「これなら、この子はもう警戒してないよ」

「へぇ、なるほどね・・・・・・」

 

 メグミは音を立てないように椅子を移動させて、桜雲と猫がより見やすい位置へと移動する。音を立てさせないその配慮に桜雲は心の中で感動しつつも、猫との触れ合い方を教えるのを続ける。

 桜雲は猫の顎の下を軽く指で掻くと、猫は気持ちよさそうに目を細めてゴロゴロと低く鳴き始める。喉が震えているのが桜雲も指で感じ取り、リラックスしているのが分かった。

 

「ゴロゴロ低く鳴き始めたら、大分リラックスしてるってこと。あとは猫が好きな耳の付け根とか、鼻の上とか、頭とかを優しく撫でてあげるといいよ」

「ふむふむ・・・」

「と、一通りこんな感じで大丈夫かな・・・?」

「ありがとね、丁寧に教えてくれて」

 

 猫との触れ合い方を一通り教えたところで、猫を撫でながらメグミに話しかける。メグミはちゃんと聞いていたようで、桜雲に向けて笑いかけてくれた。その笑みを見て桜雲は照れ臭くなったが、平静を装ってグレーの猫の前脚の付け根部分を持ち、メグミの足下に猫を移動させる。

 

「じゃあ、メグミさんもやってみる?」

「うん」

 

 メグミは、桜雲がやっていたように低い位置から指を猫の鼻の前に差し出す。猫は、先ほどと同じように差し出された指に鼻を近づけて、匂いを確かめるように鼻を小さく動かす。そして安心したらしく、猫は自らの顔をメグミの人差し指に擦り付ける。

 

「わぁ・・・」

 

 猫が指に顔を擦り付けているのを見て、メグミは小さく声を洩らす。

 以前行った猫カフェでも、この前の大学の敷地内でも、こうして猫は反応を示してくれた。だがメグミからすればまだ猫と触れ合った経験が浅いため、何度か経験したことであってもまだまだ新鮮なことだ。そして何よりも、猫と接するのが不慣れなメグミの行動にちゃんと反応を示してくれたことが嬉しい。

 嬉しくなってメグミは、さらに顎の下を指で掻く。ほどなくして猫がゴロゴロと低く鳴き始めて、リラックスしてきたのを感じ取った。

 続けてメグミは耳の付け根部分でも撫でてあげようかな、と思ったところで猫が新たな動きを見せた。

 

「あら?」

 

 まず猫は、脚を少し曲げて体勢を低くした。

 そしてそのままぴょんと飛び上がって、メグミの膝の上に乗ってきたのだ。

 

「っ!?」

 

 突然のことに驚くメグミ。何せ猫が自分の膝の上に乗ってくるということが初めてだからどうすればいいのか分からないし、猫の体重を唐突に、そして直に感じ取って困惑する。

 

「さ、桜雲・・・・・・」

 

 助けを求めるように桜雲に声をかけるが、桜雲は『どうどう』と両手を前に軽く出す。

 

「猫を驚かせないように、脚はあんまり動かさないで」

「で、でも・・・・・・」

 

 桜雲がアドバイスをするも、メグミはまだ落ち着かない。

 一方で猫は暢気なもので、困惑している様子のメグミのことを円らな瞳で見上げている。

 とりあえずメグミは、未だ驚きから抜け出せてはいないものの時分を落ち着かせる意味も込めて、膝の上に座る猫の頭を優しく撫でてやる。

 すると猫は、そのメグミの手つきが気持ちよかったのか、メグミの膝の上に身体を丸めて寝転がった。

 

「あ・・・・・・」

 

 その仕草に、慌てていたメグミの心も落ち着く。その寝転ぶ猫を見て、メグミの心がふんわりと和む。

 

「嫌だったら下ろしてあげるんだけど・・・どうする?」

「・・・・・・ううん、平気。大丈夫よ」

「そっか」

 

 乗ってきた当初は下ろしたいと思っていたが、こうして膝の上で気持ちよさそうに寝転ぶ姿を見るとそんな気もなくなる。

 メグミが猫の背中やお腹を優しく撫でると、手のひらから猫の体温やお腹の緩やかな律動が伝わってくる。

 そして猫が寝転がる膝の上からは、猫の体温と重みがはっきりと伝わってくる。

 

(可愛いな・・・・・・)

 

 その手と脚から伝わってくる猫の感触、そしてメグミの目に映る気持ちよさそうな猫の姿に、メグミはふと思う。

 

(この子も・・・・・・『生きてる』のよね)

 

 この小さな猫と言う動物も生きていて、命がある。自分とは身体の大きさが違えど、ちゃんと命ある存在だ。そんな当たり前のことを、メグミは今こうして自らの膝の上に猫を乗せて撫でていることで、再認識した。

 そこでスタッフが、最初に頼んだアイスコーヒーを持ってきてくれた。だが、そのスタッフもメグミの膝の上で寝転がる猫を見ると、極力音を立てないようにアイスコーヒーをテーブルに置いて戻っていく。

 桜雲は静かにアイスコーヒーをストローで啜り、メグミも猫を起こさないように下半身を動かさず同じくアイスコーヒーを飲む。

 

「この子、どうしようかしら・・・」

「起きるまでそっとしておくんだけど、完全にリラックスしきっちゃってるね」

 

 メグミも桜雲も困ったように笑う。膝の上の猫は片方の前脚を投げ出してメグミの膝に身体を預け、目を閉じて心地よさそうに眠ってしまっている。

 

「そうやって膝の上に乗った時は、ゆすったりしないでそっとしておくんだ。それでさっきみたいに優しく撫でてあげればOKだよ」

「うん・・・分かった」

 

 先ほどメグミが猫を撫でたのは、自分を落ち着かせる意味合いが強かった。だがそれも経験者である桜雲が言うにはOKだったので、ある意味ラッキーだった。

 それからしばらくの間、メグミは膝の上で眠ってしまった猫を優しく撫でる。時折、だらんと投げ出された前脚にの肉球をぷにぷにと触って、形容しがたい感触を楽しんでいた。

 そのメグミの向かい側で、桜雲はメグミの様子を視界に収めつつ、近寄ってくる猫と軽くじゃれ合う。人嫌いの猫や気性の荒い猫はいないようで、その辺りも明日メグミが愛里寿と一緒に来るにはいいかもしれない。

 一方でメグミは、今なお膝の上で寝転がる猫を見ながら、実に穏やかな気分だった。その猫を撫でるのも、安らかな寝顔を眺めるのも、メグミにとっては全てが自分を癒してくれる要素だった。戦車道で疲れ凝り固まった心が、じんわりと絆されていくような、解かされていくような感覚を覚える。

 

「おもちゃで遊ぶスペースもあるけど、どうする?」

 

 大分長い時間、メグミが猫を膝の上に寝かせていて、そして猫も起きる気配がないので、どうするべきかと思いメグミに聞いてみる。おもちゃでの遊び方も一工夫あるのでそれを教えようと思ったのだが、メグミが今を楽しんでいるのだったらそれでよかった。

 

「そうね・・・教えてもらおうかしら。この子の寝顔も十分に堪能できたし」

「そっか。それじゃ、あっちへ行こう」

「でも、この子はどうしよう・・・」

 

 メグミも猫とどうやって遊べばいいのか少し気になっていたのでそろそろ移動しようと思ったのだが、膝の上のグレーの猫はとりあえず目を覚ましたがそれでも下りようとはしない。

 

「じゃあ、抱っこして連れて行こうか」

「抱っこって・・・どうすればいいの?」

「大丈夫、ちゃんと教えるから」

 

 不安そうなメグミに桜雲がやんわりと告げると、メグミも教えてもらえると知ったのか安心したように微笑んで桜雲のことを見る。

 

「まずは・・・左手を猫のお尻・・・尻尾の付け根辺りに添えて」

「うん・・・」

 

 桜雲に言われた通り、メグミはおずおずと膝の上に寝転がる猫の尻尾の付け根の部分に左手を添える。

 

「こう?」

「そうそう。それで、右手は猫の首の後ろぐらいにそっと置いて・・・」

「こんな・・・感じ?」

「そうそう」

 

 おっかなびっくり言われたように首の後ろに右手を添えると、メグミは少しだけ前屈みの状態になる。

 

「それで、そのまま立ち上がってみて」

 

 桜雲に促されて、メグミはその体勢のままゆっくり立ち上がると、人間の赤ちゃんを抱っこするような形で猫を抱きかかえることになった。

 すると、猫は自然とメグミの胸に前脚を添えて落ちないように自らを支える。そして、メグミの顔を見上げて『にゃー』と小さく鳴いた。

 

「・・・・・・ふふっ」

 

 自分の顔がだらしなく緩んでいることは、メグミも分かっている。その顔が桜雲に見られているということも分かっているが、それでもこの顔をどうにかするというのは難しい。それほどまでに、自分の胸の中で至近距離から見上げてくる猫の可愛らしさは破壊力抜群だった。

 

(・・・・・・)

 

 そして、そんな愛らしい猫の姿を見て笑っているメグミを見て、桜雲は自分の胸の鼓動が妙に早まっているのを感じた。

 今のメグミのように、猫をはじめとした動物と身近に触れ合って楽しそうな、嬉しそうな表情を浮かべる人には見慣れたはずなのに、そして今のようにときめくこともなかったはずなのに、どうしてそのメグミの姿を見るとこうも胸が高鳴るのだろう。

 その胸の鼓動が早まる理由が桜雲にはまだ理解できていないが、とにかくまずはメグミを連れて猫とおもちゃで遊ぶスペースへと向かう。

 

「おー、なんかいい感じね」

「なんか安心するような気がするね」

 

 そのスペースは他とは違ってフローリングではなく畳張りになっており、木製の卓袱台が2台置かれていて和風な感じがする。加えて猫と畳の組み合わせは妙に合致しており、日本人としての心をくすぐってくる。

 畳スペースに足を踏み入れると、メグミはそっと猫を畳に下ろしてあげた。

 そして桜雲は、スタッフから借りた猫じゃらしを猫に見せると、途端に猫の視線がその猫じゃらしに固定された。

 

「猫向けのおもちゃは割とたくさんあるけど、これが一番猫の興味をひきやすいからね」

「ほんとね・・・この子、もう完全ロックオンしてるじゃない」

 

 そこで桜雲はしゃがんで、猫の頭上で猫じゃらしを左右にひらひらと揺らす。先端には白い綿がついておりその根元には小さな鈴もついているため、振るたびに『チリンチリン』と音が鳴る。

 するとグレーの猫は、猫じゃらしを捕まえようとするかのように前脚を上に挙げて宙で振る。桜雲が猫じゃらしの高さを、猫の前脚が届く程度まで下げると、猫は綿の部分を両前脚で掴みガジガジと噛む。その仕草さえも可愛くて、桜雲とメグミの表情が綻ぶ。

 

「とまあ、こんな感じで遊んであげるのもいいんだけど・・・」

「?」

 

 そう言いながら桜雲は、猫を優しく猫じゃらしから引き離す。

一方でメグミは首を傾げた。猫じゃらしでの遊び方と言えば桜雲が見せたようなものぐらいしか分からなかったからだ。

そして桜雲は、猫のすぐ近くの畳に猫じゃらしの綿を軽く叩きつける。

 

「!」

 

 途端にグレーの猫が、まるで獲物を狙う寸前のように身体を畳に伏せて、綿をじっと見つめている。

 続けて桜雲が猫じゃらしを素早く振り綿が畳を這うように左右に動くと、猫もまたそれを捕まえようとして素早く左右に動いて綿を追う。

 

「はー・・・すっごい身軽ね・・・」

 

 畳の上を左右に素早く動かしたり、時には猫じゃらしを上にぱっと挙げて猫をジャンプさせたりして見せると、メグミは感心したようにそう呟いた。

 少しの間そうやってアクティブに猫を遊ばせた後は、また猫の前で軽く猫じゃらしを左右に振って猫をじゃれつかせつつ、メグミに話す。

 

「猫の本能的な感じで、こうやって素早く動くものには敏感なんだ」

「へぇ~」

「じゃあ、試してみる?」

「うん、楽しそうね」

 

 猫じゃらしをメグミに渡し、それをメグミは猫の前で左右に揺らす。グレーの猫は両の前脚を使って猫じゃらしを素早く掴み、ガジガジと噛む。

 そのグレーの猫を見ながら、メグミはポツンと呟く。

 

「なんか・・・いいわね。こういう、無邪気な姿って」

「でしょ?」

 

 桜雲も笑って、メグミの言葉にうなずく。

 今の目の前のグレーの猫のように、人間には見られない、動物ならではの純真無垢で天真爛漫な姿が愛らしいから、ブームになるほど魅了される人が多いのかなとメグミは思う。現にメグミも、猫に魅了されてその世界へ引きずり込まれそうだ。

 メグミが畳の上で猫じゃらしを素早く動かすと、猫は前脚を振ったり素早く飛び跳ねたりして必死に掴み取ろうとする。その猫の必死で、素早い動きが面白くてメグミは思わず笑ってしまう。

 

「面白いでしょ?」

「ええ、ホントね」

 

 メグミが猫じゃらしで楽しく遊んでいると、桜雲が毛糸球を1つ持ってやってきた。メグミが『それをどうするの?』とばかりに首を傾けると、桜雲は猫の傍に胡坐をかいて座り、そして猫に向けて毛糸球を軽く転がす。

 

「猫はこんな感じの小さなボール・・・特に毛糸球とかが好きなんだよね」

 

 すると猫は、毛糸球に興味を示し、前脚で毛糸球を転がして遊びだす。先ほどまで猫じゃらしで遊んでいたというのに、何とも移り気なものだ。だがその毛糸球で遊ぶ猫も可愛くて、2人はしばしの間グレーの猫が遊んでいる様子を眺める。

 

「本当に詳しいのね・・・教えてもらってよかった」

「いやいや、大体は人から聞いたり調べたのだから・・・・・・」

「それでもみんな覚えてるんでしょ?それだけでもすごいわ」

 

 メグミが正座をして、毛糸球と戯れる猫の背中を軽く撫でながら桜雲に話しかける。桜雲からすれば本当に褒められたことではないので手を横に振るが、それでもメグミは褒めてくれた。

 

「桜雲は猫を飼ってたって言ってたけど、飼い始めた頃からずっと好きだったの?」

「あー・・・最初はちょっと怖かったかな」

「え?」

 

 2人の傍で毛糸球で遊ぶグレーの猫の背中を軽く撫でながら、桜雲が苦笑いを浮かべた。

だが、メグミは猫好きだと言っていたはずの桜雲のその言葉に少し驚いた。ずっと猫が好きだと思っていたのだが、どうも違うらしい。

 

「猫を飼い始めたのは僕が幼稚園に通っていた頃だったんだけど、その時はまだ猫・・・と言うか動物があまり好きじゃなかった」

「なんで?」

「なんて言ったらいいのかな・・・不気味な感じがしたんだ」

「あー・・・・・・なんとなくわかるかも」

 

 桜雲は言葉を探しても上手い言い方を見つけられなかったようだが、メグミはなんとなくではあるもののその桜雲の気持ちは分かった。

 メグミも小さい頃は、犬や猫を少し苦手としていた記憶がある。それは動物が自分たち人間と同じで生きてはいるものの違う種であって、それでいて幼少の自分たちと同じような大きさだったから、何か言い知れぬ不気味な感じがしたのだ。

 

「でも飼ってるうちに猫がいるのが当たり前になって・・・それで次第に、可愛いって思えるようになったんだ」

「・・・・・・へぇ」

「言っちゃえば、家族みたいなものなんだよ。ウチの猫は」

 

 メグミは今も、実家でもペットを飼っていたことがないので、桜雲の言う『猫がいるのが当たり前』という感覚は分からない。ましてや、家族のようなものというのもどんな感じなのかはわからない。

 それと、次第に可愛く見えてくるというのも、メグミは少し違った。

 メグミも桜雲と同じように小さい頃は少し動物が好きではなかったが、この前初めて猫カフェに行った時は怖いと思うことなどなかったし、今はこうして普通に接することができる。それは大人になっていくうちに自然と動物に対する忌避感が薄れていったからだ。

 

「世話とかは大変だったけど、それでも嫌になったりはしなかった。可愛く見えてくると、世話も自然と楽しくなってくるし」

 

 すると、グレーの猫は胡坐をかいて座る桜雲の脚の間にやってきて、先ほどのメグミの膝の上に乗った時と同様に身体を丸めて寝転がる。しかし桜雲は狼狽えず、静かに猫の顎の下を指で掻く。

 

「・・・じゃあ、桜雲は猫を嫌いになったりはしなかったの?」

「そうだね・・・。怖いとは思っても、それで遠ざけたりはしなかったよ」

 

 『猫の方から近づいてくるし』とちょっと冗談めかしに言いながら、桜雲は猫の背中を優しく撫でる。猫も撫でられて気持ちがよくなったのか、目を細めて『くぁ』とあくびを一つ。

 するとメグミが、桜雲の傍に座る位置をずらして、桜雲の脚で寝転がる猫の頭を優しく撫でた。

 桜雲は、突然メグミが距離を詰めてきたことに少しだけドキッとする。甘い香りが漂ってきて、意識せざるを得なくなる。

 なぜこうもメグミのことを意識してしまうのかと桜雲は心の中で自らに問いかけるが、そんな桜雲の心中など分かるはずもなくメグミは桜雲に話しかける。

 

「桜雲ってさ・・・本当に、優しいんだね」

「?」

 

 メグミの言う『優しい』とは、どれに対するものなのだろうか。猫に対する接し方か、メグミへの猫との接し方を教えたことだろうか。

 だが、そのどちらでもなかった。

 

「だって、猫が怖くても逃げたり遠ざけたりしないで、接してきたんでしょ?『もういやだ』って拒絶したりすることだってあるのに、桜雲はそうはならなかったんだから」

「・・・・・・そうかな。僕はただ、自然と猫が好きになっていっただけだし」

 

 何かに対して怖いと感じると、人は『怖いから拒絶する』か『怖くても頑張って向き合う』と言う2択を迫られる。桜雲は後者の選択をしたわけだが、それは別に褒められたことではないと桜雲自身では思っていた。桜雲からすれば、それは自然と選んだ選択肢であったのだから。

 

「それでも私は・・・怖いものから逃げないで向き合うっていうのは誰にでもできることじゃないと私は思ってるわ」

 

 メグミが笑いかけてきて、桜雲はその顔に意識がいとも簡単に固定される。

 やっぱり自分は何かが変だと、桜雲は思う。

 これまでも、誰かから褒められたところで桜雲は『ありがとう』と感謝の気持ちを抱きつつそう言うことができたのに、メグミに言われるとそれだけでは収まらない。

 そう言われて嬉しいと思うほかに、顔が熱くなってきて、それに心も何だか温かく、穏やかな気持ちになる。

 どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう?

 

「でもホントに可愛いわね~♪」

 

 そんな桜雲の気持ちにメグミは気づかず、メグミは優しくグレーの猫の頭を撫でる。そのメグミの撫でる手つきが心地良いのか、猫は身体をわずかによじる。

 メグミの猫を撫でる手つきも、この前初めて会った時と比べると遥かに上達している。猫が気持ちいい場所を的確に撫でていて、猫をリラックスさせることができていた。これなら、明日の本番でも大丈夫だろう。

 だが桜雲は、隣に座るメグミの手つきよりも、メグミと言う女性を意識してしまっていた。

 

 

 時間いっぱいまで他の猫と触れ合ったり遊んだりして、メグミは桜雲から教えてもらった猫との触れ合い方をほぼマスターすることができた。元々身体で動かし方を覚える戦車に乗っているからか、同じく身体で覚える猫との接し方も容易に覚えることができたらしい。

 そうして触れ合い方を練習しつつ猫と遊んで2時間が経過し、2人は猫カフェを出た。

 

「もうこんな時間・・・楽しすぎて時間が経つのが早く感じちゃった」

「そうだね、楽しかった・・・。明日はいけそう?」

「ばっちりよ。教えてくれたおかげで、明日は上手くできそう」

 

 駅へ向かうまでの間、明日の本番のことを話す。

 今日の目的はあくまで、明日愛里寿と一緒にあの猫カフェに行くにあたっての下見と、猫との接し方や遊び方を学び会得することだ。途中からちょっと楽しくなって遊んでしまったが、その当初の目的を忘れてはいない。

 時刻は夕方の5時を過ぎ、だんだんと空が茜色に染まり始めている。夏なので陽の出ている時間は伸びてはいるが、それでも暗くなるのは割とすぐだろう。

 そんな空の下で来た道を戻っていると、来る途中でメグミが気になっていたペットショップが目に入る。

 

「あ、寄って行ってもいい?」

「うん、いいよ」

 

 メグミが確認を取ってから入店し、桜雲もそれに続く。

 店の中のスピーカーからは明るめのBGMが流れており、壁には犬や猫などの動物のシルエットが描かれている。ペット用の餌や遊び道具、ケージなどが販売されていて、店の中全体が外とは違う匂いがした。

 

「思えば、ペットショップなんて初めて来たかもしれないわ・・・」

「まあ、動物にそこまで興味が無かったり、飼っていたりしないとそんなに縁は無いだろうしね」

 

 物珍しそうに中を見回しながらメグミは店の中を進み、桜雲はその後に続く。やがて2人は、ペットを販売している一角にやってきた。壁に埋め込まれるように置かれているガラス張りのケージには仔犬や仔猫が入れられていて、近づいてきたメグミと桜雲に視線を向けた。

 だが、メグミがまず注目したのは、その近くのケージに入れられていた別の動物だった。

 

「え、カワウソ・・・?こういう子まで売ってるの・・・?」

「最近になってね。こういう変わり種の子も増えてきたんだ」

 

 カワウソと言う動物自体はニュースで度々話題に上がるから、メグミは知っている。だが、個人でペットにできるということは知らなかった。

 よく周りを見てみれば、インコや文鳥などのオーソドックスな動物に混じって、ミーアキャットやフェレットという珍しい動物までいた。今まで自分の持っていた『ペットにする動物』のイメージを超える動物がいて、メグミは心底驚き『はー』と言いながら動物たちを眺める。

 その中でもひと際異質なのは。

 

「何、この子・・・?」

「ミミズクだね」

「・・・・・・飼う人、いるの?」

「いるんだよこれが・・・」

 

 木の切り株のような置物の上に佇んでいる、濃い灰色の大きな鳥は桜雲の言った通りミミズク。ぎょろっとした丸い眼と嘴、(動物は基本そうだが)感情の読み取れないそんな顔をしたミミズクは、いるだけで存在感と威圧感を醸し出している。

 

「もはやちょっとした動物園ね・・・」

「あはは・・・それは言えてる」

 

 他にもウサギやウズラ、カメレオンまでいるので、『ちょっとした動物園』と言う表現も間違ってはいなかった。

 そうして動物を見ていると、メグミはふと思ったことがある。

 

「意外と・・・」

「?」

「お手頃価格なのね・・・」

 

 ペットを飼ったことがないメグミには、ペットは大体値が張るものかと思っていた。しかし、ほとんどの動物はその予想を下回るほどの値段だった。特に文鳥など、1羽が1万円もかからないのが驚きだ。

 

「・・・そう思うでしょ」

 

 だが、メグミのその言葉を聞いた桜雲は、少し悲しみを帯びるような感じの言葉を洩らした。これまでとは違った様子の桜雲に、メグミは思わずそちらを見る。

 

「でも実際、ペットを飼うのには結構お金がかかるんだ。ペットにする動物自体が安くても、餌代とか手入れとか、病院での健康診断の費用とかね」

「あー・・・・・・要するに、維持費ってこと?」

「ぶっちゃけるとそうだね。戦車で例えると・・・・・・戦車そのものがどれだけ安くっても、燃料とか弾薬、新しいパーツとかメンテナンスにもお金はかかるでしょ?」

「あっ、確かにそうね。うん、分かりやすい」

 

 ペットを飼ったことがなくて薄っすらとしか分からないメグミ。だが、そんなメグミに桜雲が戦車で例えると一気に分かりやすくなった。

 メグミの顔が明るくなると、桜雲は壁際のガラスケージへと向かう。メグミもその桜雲の隣を歩く。メグミが桜雲の顔をちらっと見ると、その顔が少し悲しげなのが見えた。

 

「でも、そのお金がかかるってことを知らないまま、『安いから飼おう』って結構衝動的に飼う人もいてね」

「そうなの・・・」

「それで・・・・・・お金がかかるってことを知って捨てる人もいるんだ」

「・・・・・・」

 

 ガラスケージの前にたどり着く。つぶらな瞳をした仔犬や仔猫たちが、ガラスの向こう側から桜雲とメグミのことを見つめている。その姿にメグミの心は少しだけ和むが、先ほどの桜雲の言葉を聞いてみる目も少し変わった。

 

「ペットを飼う時には、相応の覚悟が必要なんだよ」

 

 ガラスケースの中にいるずんぐりむっくりな体躯のグレーと白の猫―――スコティッシュフォールドに、桜雲は人差し指を向ける。猫カフェの猫とは違ってそこまで人に慣れていないせいか、反応は薄い。

 

「だって、たとえ自分より小さくても・・・生き物を、命ある動物を飼うんだから」

 

 先ほどの猫カフェでメグミの膝の上に猫が乗った時、猫のぬくもりやお腹の律動、身体の重みを感じて、メグミは猫にもちゃんと命があって、自分と同じように生きているという当たり前のことに気づいた。

 桜雲の言葉に、メグミは確かにその通りだと頷く。

 そして実際に飼っていたことがあるからこその桜雲の言葉に、メグミは重みを知った。

 

「・・・それもやっぱり、猫を飼ってて分かったの?」

 

 桜雲の隣に立ってスコティッシュフォールドを見据え、メグミは桜雲に訊く。

 

「うん・・・飼っていた猫から教えてもらったよ」

「・・・・・・」

 

 スコティッシュフォールドを見る桜雲の目は悲しそうだったが、それでも笑っていた。

 そんな桜雲のことを、メグミは―――

 

「桜雲って」

「?」

「本当に・・・・・・すごい人だって思う」

 

 今度は、メグミの真剣さを帯びた言葉に、桜雲は指を下ろしてメグミのことを見る。

 メグミは微笑んではいるが、それでも瞳には真っ直ぐな意思を宿しているように、桜雲は見えた。

 

「それだけ生き物のこと、命のことを大切に、真剣に考えているのは私からすればすごいことよ。何せ私は、ずっと戦車戦車で、そんな当たり前のことにもついさっきまで気づけなかったんだから」

「・・・・・・」

「そのことに、桜雲はずっと前の自分の経験から気付いていて、学んでいて、そしてそれを今日までずっと真剣に考えてきていることも、誰にだってできることじゃない」

 

 だから、とメグミは区切ってから、桜雲に向けてにこっと笑った。

 

 

「私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う」

 

 

 そのメグミの言葉に、桜雲の身体が一瞬で熱くなった。

 そのメグミの言葉が、桜雲の心に弓矢のようにとんと刺さった。

 その言葉を聞いて、桜雲の中の引っ掛かりが消えてなくなった。

 どうして自分がメグミのことを意識してしまっていたのか、その理由に気づいた。

 

 

 再び電車に乗って大学の最寄り駅まで戻ってきたころには、夏になって陽が伸びていたとはいえすっかり暗くなってしまっていた。

 

「今日はありがとうね、色々教えて貰っちゃって」

「ううん、僕も楽しかったし」

 

 陽が落ちてしまった住宅街を、桜雲とメグミは並んで歩く。生ぬるい風が時折頬を撫でていく。

 

「それと、ごめんなさい・・・。急に変なこと頼んで、苦労をかけちゃって。何かお礼をさせてほしいんだけど・・・」

「お礼なんて、そんな・・・。僕も楽しかったし、好きでやったことだから」

 

 桜雲はメグミの申し出をやんわりと断るが、さらにメグミは『いやいや』と首を横に振る。

 

「それでも、私から頼んであなたに手間をかけさせちゃったのは本当のことだから。何かお礼をさせてほしいわ」

「いや、でも・・・」

 

 メグミが引く様子はない。このままでは膠着した状態が続いてしまうだろうと思った桜雲は、大人しくここで折れることにし、メグミの厚意に甘んじることにした。

 

「それじゃあ・・・・・・メグミさん」

「?」

「僕と・・・・・・」

 

 足を止めて、桜雲がメグミのことを見て切り出す。メグミも足を止めて桜雲のことを見るが、その桜雲が穏やかながらも真面目そうな顔をしているのを見て、メグミは『まさか・・・?』と桜雲の次の言葉を考える。

 メグミだってもう21歳だし、『そのこと』について割と真剣に考え始めている今日この頃である。だからこの2人きりの状況で、その真剣そうな雰囲気で、そんな話し方で桜雲が告げる次の言葉に妙な緊張感と、淡い『期待』を抱く。

 

「僕と・・・・・・」

「・・・・・・うん」

「友達になってください」

「え」

 

 だが、桜雲の告げた言葉はメグミの予想とは違った。まさか、『友達になってほしい』とは。

 そして、その桜雲の言葉を聞いてメグミは。

 

「ふふっ・・・なんか改めて言われると、ちょっと恥ずかしいわね・・・」

「?」

 

 メグミはちょっとだけ笑うメグミ。

 だが、ちょっとだけ『悲しかった』。

 

「でも、そうね・・・・・・」

 

 これまでのことを振り返ると、『猫カフェを探してほしい』とか『猫との接し方を教えてほしい』と頼んでしまったのは厚かましいとは思う。けれど、タメで話をすることができて、下見とはいえ2人で一緒に出掛けたのは友達らしいともいえる。

 アズミたちにはこの前は桜雲のことを『知り合い』と言ったが、そう思い返してみると桜雲との関係は友達と言うにふさわしいものだった。

 

「・・・・・・うん、いいわよ」

 

 メグミがふわりと笑う。

 そのメグミの表情に桜雲は一瞬見惚れて動けなくなるが、すぐに自分の意識を奮い立たせてメグミに話しかける。

 

「それじゃあ、メグミさん。これからも・・・よろしくね」

「・・・・・・ええ、よろしく」

 

 そうして2人は途中の交差点で別れ、それぞれが自分の暮らすアパートへと戻っていく。

 その途中でメグミはふと思った。

 

(もう遅いし、一緒に晩ご飯でも食べてくればよかったかな)

 

 今日行った猫カフェの料金は、メグミの分も含めて全て桜雲が払ったので、メグミは今日電車に乗る時以外で財布を取り出していない。

 それと、今日のために桜雲に苦労を掛けてしまったことに対するお礼は結局できていないから、何かしらの形でお礼はしなければと思った。

 戦車道を歩んでいると、自分で言うのもなんだが礼儀や貸し借りについてしっかりしなければと思うようになる。戦車道がそもそも礼儀礼節を重んじる淑やかな女性を育成することを目的としているのだから、間違っているわけではないのだが。

 そこでまたメグミは、別のことを考える。

 

(・・・・・・なんでさっき、期待しちゃったんだろう)

 

 メグミは桜雲のことを『のんびり屋』と評していたが、同時に『ちょっと頼りない感じがする』とも思っていた。のんびりした感じが、柳に風とは少し違うが、ゆらゆらしていて不安定な感じがして、頼りなさそうに見えたのだ。

 しかし今日、桜雲と一緒に過ごしてその認識も改めざるを得なかった。

 桜雲はやっぱり猫が好きだったけど、怖いものを遠ざけずに頑張って向かい合う強さを持っていて、動物のことをちゃんと考えていて、命の大切さもまた知っているということが分かった。

 

 桜雲にも芯の通った考えがあって、大切にしている感性があったのだと。

 全然不安定でも頼りなさそうでもなかったのだと。

 そしてそれは、メグミの中にはない考え方で、それでいてとても重要な考え方だった。

 

 そんな桜雲から『友達になってください』と言われる直前、メグミはある『期待』をしていた。その期待していたこととは口に出すのも恥ずかしいことだったが、どうしてそれを期待していたのか。

 そしてその期待が外れてしまった時、なぜメグミはちょっとだけであっても『悲しい』と感じてしまったのか。それは、桜雲がメグミのことをそこまで親しい人と見ていなかったのもあるだろう。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 もっと『別のことを』期待していたからではないだろうか?

 

(あー、もう・・・ちまちま考えるのは性に合わないってのに・・・)

 

 頭を振って歩く速度を速める。

 自分の中の正体不明の『期待』についてはさておき、やっぱり何かしらのお礼を桜雲に返さないとメグミの気が済まない。桜雲は『気にしないで』と言うのだろうが、これだけはさせてほしかった。

 何か、目に見える形でのお礼の方がいいだろうけど何にするべきかな、と考えながらメグミはアパートへと戻っていく。

 

 

 桜雲はアパートに戻って玄関のドアを閉めると、明かりも点けずにドアに寄り掛かる。

 

「・・・・・・そうかぁ」

 

 暗い天井を見上げても、先ほどメグミと過ごした時間、交わした言葉を鮮明に思い出すことができる。

 先ほどのメグミとの外出は、猫カフェの下見と、猫との触れ合い方を教えるためだということは当然分かっていた。

 だが、それでも桜雲はどこか浮かれているような感じがした。

 猫カフェに行く前も、自分とメグミが一緒に歩く姿が周りからはどう見えているのだろうと気になった。いざ猫カフェに行った時は、猫と遊んでいるメグミを見て温かい気持ちになってしまったり、メグミとの距離が詰まったことに鼓動が早まったり。そして最後にペットショップで、メグミに評価されて他の人から褒められた時は得られないような高揚感を抱いた。

 他の人と接した時とは違う、メグミと接した今日に限ってそんな気持ちになったのは、一体なんでだろうと自分でも分からなかったが、さっきのメグミの言葉でそれもようやく分かった。

 

『私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う』

 

 その言葉でようやく、桜雲は自分の心の中にある気持ちに気づいた。

 メグミのことを強く意識していたその理由を考えると、自分もまだ年相応には若くて、青くて、『それ』には興味関心が残っていたんだと改めて思った。

 ともかく、今日自分の中にあることに気づいたこの気持ちは、間違いなく本物だ。

 

 

 

 ―――僕は、メグミさんのことが好きだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Lovers Lunchbox

諸事情によって投稿が遅れてしまいました。
大変申し訳ございません。

また、今回より作品のタイトルが変わりました。


 迎えた日曜日、愛里寿たちとともに猫カフェへお出かけに行く当日。

 場所は、昨日メグミが桜雲とともに下見をした猫カフェ。

 

「そうです、まずはゆっくりと指を近づけて・・・」

「うん・・・」

 

 メグミの優しい言葉通りに、愛里寿はおずおずと白くほっそりとした人差し指を伸ばす。

 その先にいるのは、茶色い縞模様―――茶トラの猫。愛里寿のことをきょとんとした目で見上げている。

 愛里寿も猫と接したことがほとんどないせいか、猫に対しては少し怯えている様子だ。

 

「大丈夫、怖くありませんよ」

 

 そんな愛里寿にメグミは優しく言葉をかける。2人のそばに座るアズミとルミも、愛里寿のことを静かに見守っている。

 その言葉に背中を押されたのか、愛里寿はそーっと指を茶トラへ近づけていく。

 茶トラは、視線を愛里寿の顔からその指へと移し、音もなく匂いを嗅ぐ。

 やがて警戒心が解けたのか、顔を愛里寿の指に擦り付けてきた。

 

「わ、わ・・・っ」

 

 初めての感触に愛里寿が戸惑いの声を洩らすが、その茶トラを拒みはしない。そばに経験者のメグミがいるのと、猫が気持ちよさそうにしているからだろう。

 

「もう大丈夫です。この子は警戒してませんよ」

「本当?」

「はい」

 

 警戒していない、という言葉に愛里寿はほんの少し嬉しそうに声を弾ませた。こういうところは年相応だと、メグミたちは思う。

 

「それじゃあ次は、顎の下を軽く指で掻いてみましょう」

「顎の、下・・・?」

「そこは猫にとって気持ちのいいところですから」

 

 そこに触れること、そこが猫にとって気持ちいいところというのが少し理解できないのか、愛里寿は小首を傾げる。

 しかし、言われた通りに顎の下を掻くと、茶トラは実に気持ちよさそうに目を細めて、喉をゴロゴロと低く鳴らし始めた。

 

「ゴロゴロ鳴きだした・・・?」

「リラックスしてるんですよ。隊長の指が気持ちよかった証拠です」

「そうなんだ・・・」

 

 喉を鳴らす理由を伝えると、愛里寿は嬉しそうに微笑む。

 顎から指を話して、小さな手を茶トラの頭にそっと置いて優しく撫でる。茶トラはまるで笑うかのように目を細めて、愛里寿の手を受け入れた。

 とりあえず基本的な猫との触れ合い方は教えたので、まずはひと段落と言ったところだ。

 メグミは一旦アズミとルミとともにそれぞれ猫カフェを楽しむことにした。もちろん、視界には愛里寿を収めておきながら。

 

「しっかし、こんな近場にいいお店があるとはね」

「隊長も気に入ってるみたいだし、ナイスよメグミ」

「ありがと、アズミ。ここは結構最近オープンしたみたいでね、でも気に入ってもらえてよかったわ」

 

 アズミとルミも、メグミがさっき愛里寿に教えていたのを聞いていたのか、多少まだぎこちなさはあるものの、2人とも猫と軽く戯れていた。

 愛里寿も入店した時は緊張した様子だったが、今となっては猫を怖がっているようにも、気を悪くしているようにも見えない。メグミはそんな愛里寿を見てホッとした。

 すると、メグミの下に一匹の猫が近づいてきた。グレーの毛並みのその猫は、昨日自分の膝の上に乗って、一緒に遊んだのと同じ猫だと、メグミは直感的に気付く。

 グレーの猫は、メグミを見上げると『みゃ~』と小さく鳴く。

 

(昨日ぶりね)

 

 心の中でそう挨拶をしてから、メグミはそっと人差し指を猫の鼻に近づける。すぐに猫は指に顔を擦り付けてきて、さらにメグミは顎の下を優しく掻く。

 そして、昨日と同じく猫はぴょんと身軽そうに飛び上がってメグミの膝の上に乗ってきた。

 

「あらら・・・」

 

 猫はメグミの胸に前脚をかけて、『みゃ』と甘えるように鳴く。メグミがそんな猫の背中をそっと撫でると、猫は安心したように膝の上で丸まって寝転がる。

 どうやら、昨日一緒に過ごしたのもあって顔を覚えられ、懐かれてしまったようだ。

 

「すごいわねぇ。もうそんなに手懐けるなんて・・・」

「意外ねー。あのメグミが」

「まあね」

 

 アズミとルミが感心したように、膝の上に寝転がるグレーの猫を見ながら口々にそう言う。メグミは適当に返事をするが、まさか昨日もここへきてこの猫と遊んだからとは言えない。

 

「・・・・・・いいな」

 

 と、そこで愛里寿が、その膝の上で寝転がるグレーの猫を見ながらそう呟いた。先ほどまで愛里寿と接していた茶トラの猫は、既に去って行ったらしい。

 そこでメグミは、昨日桜雲から教わった通りに、左手を尻尾の付け根、右手を首の後ろに添えて抱きかかえて立ち上がる。

 

「よろしければ、隊長もどうですか?」

「え、でも・・・」

 

 抱きかかえたグレーの猫をそっと愛里寿に近づける。愛里寿は少しだけ迷ったようだが、グレーの猫が愛里寿の顔をじっと見ており、その猫の眼を見て決心がついたのか。

 

「・・・それじゃ」

 

 ゆっくりと、控えめに、愛里寿は腕を広げる。メグミはそっと猫を差し出して、自分が桜雲から教わった通りの抱き方をそのまま教える。

 

「まずは左手を尻尾の付け根に・・・そう、そうです。そして右手は首の後ろあたりに・・・はい、OKです」

「わぁ・・・・・・」

 

 自らの腕の中にいる猫を見て、愛里寿は瞳を輝かせる。グレーの猫も愛里寿の顔を見上げると『みゃ』と小さく鳴く。

 思わず愛里寿は、そんな猫の頭にそっと自分の頬を寄せて、猫の毛の感触を確かめるように頬ずりをした。

 

「すごい・・・ふわふわ・・・」

 

 そんな愛里寿の仕草と表情が、どうしようもなく可愛らしくて。

 

(((眼福だわぁ~!!!)))

 

 心の中で悶絶していた。しかしそんな暴れるような感情は面にはひとかけらも出さず、静かに紅茶を飲んだり、猫を撫でたりしつつ、愛里寿のことを見て静かに微笑む程度に抑える。

 

(メグミ、ホントにグッジョブよ!あんな隊長の姿なんて普通じゃ絶対見ることができないんだから!)

(今日のMVPは間違いなくあんたよ!今夜は一杯奢ってあげるわ!)

(私だってここまで可愛い隊長が見れるなんて思わなかったわ!これを肴に今日は一杯やりましょう!)

 

 素早く3人は距離を詰めて、愛里寿やほかの客には聞こえないような絶妙な声量で、

早口で語り合う。

 

「みんな、どうかしたの?」

 

 そんな3人が少し不審に思えたのか、愛里寿は猫を抱きかかえながら訊ねてくる。

 その瞬間、3人は何事もなかったように元の位置に戻って柔らかい笑みを浮かべる。

 

「すみません隊長、ここの次はどこへ行くかを考えてました」

「そうなんだ・・・。あ、それなら来る途中で見かけたペットショップが、ちょっと気になるな・・・」

「ペットショップですね?わっかりました、次はそこへ行きましょう!」

 

 愛里寿の提案ならば『NO』とは言わない。満場一致で次はペットショップへ行くことになった。

 それからまた、各々で猫カフェを楽しむ。愛里寿は猫を抱っこするのが気に入ったのか、抱きかかえているグレーの猫の頭を撫でたり、たまに頭に頬ずりをしたりしている。猫も嫌がっている様子はない。

 ルミを見れば、にへら~と緩み切った表情で白猫にキャットフード(別途料金がかかる)をあげている。

 アズミは、メグミが言っていた通り三毛猫を抱っこしているが、どうやら母性本能をくすぐられているらしく、春風のような笑みを浮かべていた。

 そんな3人の様子を見てメグミは、安心していた。3人とも、猫カフェに対して不満を抱いているわけでもないようだし、猫と接することにも抵抗はない。

 そして3人は、戦車に乗っている間は見られないような和み切った表情をしている。

 それだけで3人とも、リラックスできているのが分かった。今回のお出かけは、成功したと言っていい。

 

(何かお礼をしないとね・・・・・・)

 

 だからこそ、この猫カフェの下見に付き合い、猫との触れ合い方を教えてくれた桜雲には何かしらのお礼がしたいと思っていた。

 自分たちの当初の目的である『愛里寿を楽しませる』という目的は成し遂げられた。そして、愛里寿とメグミたちとの間にある年齢の差によって生まれた壁も、ほんの少しだけ低くなったように感じる。

 それに愛里寿に加えてアズミとルミも、戦車道のストレス、疲労から解放されてリラックスしている。

 この成果の裏にあるのは、桜雲が自分の頼みごとに付き合ってくれたからだ。だからメグミは、何かしらのお礼がしたいと思っているのだ。

 そう思っていたメグミの足下に、黒と灰色の縞模様―――サバトラの猫がやってきた。メグミが人差し指を差し出すと、顔を擦り付けてくる。

 そのサバトラと戯れながら、メグミはどんなお礼をしたらいいだろうと考える。

 

『友達になってください』

 

 確かにお礼として桜雲はそう言って、メグミも頷いたからそれで十分なのかもしれない。

 だが、それだけではメグミの気が済まないのだ。もっと何か、具体的な形でお礼がしたい。

 そのお礼を告げられる直前、自分が『期待』をしたのもメグミは忘れていないが、今はとにかく桜雲に対するお礼をどうするべきかを考えながら、右手でサバトラと戯れる。

 

 

 カチ、カチと時計の秒針が回る音が部屋の中に響く。カーテンの隙間からは傾き始めた太陽の光が差し込み、少し開けた窓から風が流れてカーテンが揺れる。

 桜雲はそんな過ごしやすい自分の部屋で、コーヒーを傍に置き読書をしていた。

 桜雲の休日はと言えば、猫カフェに行きつつ街を散策したり、サークルのメンバーと一緒に出掛けたり、あるいは部屋でのんびりまったりと過ごすぐらいだ。

 今日は、特に予定もなかったので、悠々自適に部屋で1日を過ごしていた。

 いや、悠々自適とは少し違う。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 本を閉じ、コーヒーを一口飲んで息を吐く。正直、本の内容は半分程度しか頭に入っていない。

 こうして1日を自室で過ごしていたのは、自分の気持ちを整理したかったからだ。外に出ると、目だの耳だのから入ってくる情報が多すぎて落ち着かないから。

 その整理したい気持ちとは、自分の中で無視できなくなるほど大きくなり、それでいてなぜか心地よい感情だ。

 と、そこでテーブルの上のスマートフォンが電話の着信音を鳴らす。

 手に取り、画面に表示されている『着信:メグミさん』の文字を見て息が止まりかけ、目を見開く桜雲。そして、『応答』を努めて冷静にタップする。

 

「もしもし?」

『ああ、桜雲?今、ちょっと大丈夫?』

「うん、大丈夫」

 

 電話越しとはいえメグミの声を聞いて、桜雲の心が温かくなる。

 それはともかく、今日は愛里寿と一緒に猫カフェに行くと言っていたが、どうしたことだろう。

 

『さっき愛里寿隊長たちと解散して、何事もなく終わりました~』

「そっか。よかったよかった」

 

 どうやら、話を桜雲にも伝えていたから、知らせておくべきと思っての事後報告だったようだ。そして平穏無事に事が終わったようで安心する。

 だが、そのメグミの言葉を聞いて桜雲は引っ掛かりを覚えた。

 

「『愛里寿隊長“たち”』?」

『あ、言ってなかったかな・・・戦車隊の友達2人も今日は一緒だったの』

 

 確かにその話は聞いていなかった。

 すると、それまで何とも思っていなかった桜雲が今更になって不安感に駆られる。もしもそのメグミの友達2人が猫カフェに気を悪くしていたら、どうしようと。

 

『その2人も、愛里寿隊長も「楽しかった」って言ってくれたわ』

「本当?」

『ええ』

 

 だが、そんな桜雲の心を見通していたかのようにメグミが教えてくれた。それが本当のことなのか社交辞令なのかは分からないが、今はそのメグミの言葉を信じることにしよう。

 

『桜雲のおかげよ』

 

 メグミがそう言ってくれる。

 だが、桜雲はその言葉は素直には受け取れない。

 

「でも、今日実際に島田さんたちと出掛けたのはメグミさんだし。僕はお礼を言われるようなことなんて何も―――」

『何言ってるの』

 

 桜雲の言葉を遮って、メグミがさらに言葉を重ねてくる。それには桜雲も口を閉ざすしかない。

 

『昨日あなたが下見に付き合ってくれて、猫との遊び方を教えてくれたから、今日は上手くいったんだから。あなたのおかげでもあるのよ?』

 

 桜雲は何も言わない。何も言えない。

 

『だから、ありがとう、桜雲。あなたのおかげで、私たちは楽しかったわ』

 

 その言葉はメグミからすれば、本当に何てことのない、さも当たり前のような気持ちによるものだろう。

 だが桜雲からすれば、その言葉は自らの心を大きく揺り動かすには十分すぎるほどのものだった。

 

「・・・どういたしまして、メグミさん」

 

 そして最後には、『また大学で』とお互いに言い合って電話が切れた。

 桜雲は少しの間スマートフォンを見つめていたが、やがてまた小さく息を吐いてコーヒーを飲む。淹れてから少し時間が経ってしまったので、大分温くなってしまっていたが。

 さて、桜雲が今日1日部屋で気持ちを整理していた理由だが、それは先ほど電話を交わしたメグミという1人の女性に、桜雲が恋をしていると気づいたからである。

 生まれて初めて抱いた恋心と向き合うために、桜雲は今日1日は気持ちの整理に努めた。

 だが、それだけの時間を取ったところで結果は変わらず、自分はやっぱりメグミのことが好きなのだと再認識した。

 

「・・・・・・はぁ・・・」

 

 昨日の下見で、自分とメグミが2人で歩く姿は周りから見ればどう映っているのだろうと気になり、メグミが猫カフェで猫と遊んでいる姿に見惚れて、彼女との距離が詰まった時は胸が高鳴った。

 極めつけに、メグミからかけられたあの言葉。

 

『私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う』

 

 その言葉で、桜雲はすとんと恋に落ちてしまったのだ。我ながら単純な気がしないでもないが、それでもメグミのことが好きになってしまっていた。

 だから先ほどのメグミとの電話だって、かかってきた時は緊張し、話している最中も気を付けなければ噛んでしまうかもしれないぐらい一杯一杯で、何よりも嬉しかった。

 まったくもって、自分も単純だと思う。まだまだ青いなぁと思う。

 温くなったコーヒーを飲み切ってから、夕食の時間まで本の続きを読もうと決めた。

 ただし頭には、メグミのことが浮かんだまま。

 

 

 日曜が過ぎて、週の始まりとなる月曜日。メグミはグレーを基調としたタンクジャケットを着て愛機・パーシングに乗っていた。

 この時間は大学選抜チームでの練習だが、今はチーム内での模擬戦に向けて各戦車の調整をしている時間だった。戦車ごとに車長が主体となって、目視点検や機器類の調整をする。

 メグミが車長を務めるパーシングはその作業もほとんど終了し、残りは細かいチェックだけとなる。

調整の時間が終わるのを待つだけ、となったあたりでメグミは装填手の対馬に話しかけた。

 

「対馬、ちょっといい?」

「なにー?」

 

 この調整の時間の装填手の仕事と言えば、戦車の目視点検と弾薬の数を確認するぐらいだ。対馬は決まってその後に軽いストレッチで体をほぐしていたが、それも終わったようなのでメグミは声をかけたのだ。

 この戦車の乗員は皆メグミが大学選抜チームに入ってからの付き合いだが、対馬はさばけた性格をしているのでメグミとも馬が合う、気軽に話せるやつだった。

 

「お世話になった人にお礼をする時って、何をあげたらいいと思う?」

「え?また急な話だね・・・」

 

 対馬が苦笑するが、メグミは至って真面目そうな顔だった。なので、対馬も自分なりに考えて『あー』とか『えーと』とかもごもご呟いてから、答えを見つけた。

 

「その相手がどんな人かにもよるね。相手が年上でお世話になった人だったら、菓子折りとお手紙が普通だし・・・同い年だったら菓子折りまではいかなくても何かしらのプレゼント・・・かな」

「そうね・・・うん、ありがとう」

「何?誰かに入用でもあるの?」

 

 話の流れで対馬が訊くと、メグミは苦笑しながら頷く。

 

「昨日、私と愛里寿隊長、ついでにアズミとルミでお出かけしたのよね」

「ああ、そう言えばそんなこと言ってたような言ってなかったような」

 

 すると、照準器の調整を終えた砲手の平戸が、メグミの方を振り向いて会話に参加した。

 

「楽しかったですか?」

「ええ、大いに楽しめたわ」

「それはよかったですね」

 

 普段から平戸は物腰が低いので、メグミと同い年であっても敬語なのは今に始まったことではない。

 

「でね、そのお出かけで行った場所を教えてくれた人に何かお礼がしたいなーって思ったのよ」

「へぇ、そりゃまた義理堅い」

「まあまあ」

 

 茶々を入れる対馬と、それをなだめる平戸。

 そこで、操縦手の深江がエンジンを点けたようで、『ドルルン!』という大きな音ともに、パーシングの中が微かに振動し始める。

 

「けど、場所を教えてくれただけの人にそこまでする必要ってあるかな」

 

 対馬の言い分も分かる。『こことかどう?』『こんな場所良いよ』と教えてくれただけの人にわざわざ贈り物を用意して渡すというのは、多少行き過ぎかもしれない。行動に対するお礼が大きすぎると、場合によっては気を悪くしかねないからだ。

 

「実は・・・・・・そのお出かけした場所ってのは、猫カフェでね?」

「「猫カフェ?」」

 

 意外な場所に、対馬と平戸が声を揃えて聞き返す。メグミは頷いて続ける。

 

「そこに行きましょうって提案したのは私なんだけど、まだちょっと猫との触れ合い方とか、どんな場所がいいのかとか分からなくてね・・・それで、猫カフェを探すのを手伝ってくれたり、猫との触れ合い方を教えてくれた人がいるの」

「ああ、そういう」

「それで昨日楽しめたのはその人のおかげだから、やっぱり何かお礼をしないとって思って」

「なるほど・・・それは確かに、お礼をした方がいいかもですね」

 

 ようやく対馬と平戸も納得した。確かにそれだけお世話になったのなら、お礼はしておくべきだと。

 車内ではエンジンのアイドリング音に混じって『カチカチ』という何らかのスイッチをいじるような音が聞こえてくる。それは恐らく、通信手の生月(いきつき)が無線機の調整をしているからだろう。

 

「私も最初はお礼をしたいって言ったんだけど・・・その人は『友達になってください』って言ってきてね」

「「・・・ん?」」

 

 ところが、続けてメグミが明かしたことに対馬たちは首を傾げた。

 

「私はそこで『もちろんいいよ』って返したんだけど、それじゃやっぱりお礼にならないでしょって思って」

「・・・・・・そうなんですか」

 

 何だか平戸が何かを期待しているような輝いた目つきをしている。その様子が変わったのを見て、メグミは『ん?』な顔をする。

 

「で、その相手ってどんな人なの?」

 

 対馬が一番重要なことを聞いてきた。それを知らないと、何を贈ればいいのか具体的なアドバイスができないからだ。

 

「ああ、うん。同い年の男の人なんだけど」

 

 その瞬間、アイドリング状態だったエンジンが切れた。

 無線機のスイッチをいじる音が聞こえなくなった。

 それでメグミは、場の空気が一瞬で変わったことに気づいたがもう遅い。

 

「え、あれ?何か変なこと言った?」

「メグミさん・・・今、『同い年の男の人』と言いましたね?」

「あ、はい」

 

 平戸の一層落ち着いた口調に気圧されて、思わずメグミは畏まった話し方になってしまう。

 一方で対馬は平戸と少し目を合わせて、メグミに問いかける。

 

「メグミ、聞かせてほしいんだけど」

「え、え?」

 

 平戸に限らず対馬まで妙に改まった態度をとってくるので、余計メグミは困惑する。

 

「その男の人のこと、あんたはどう思ってるの?」

「どうって?」

「単なる知り合いか、普通に友達なのか、それともそれ以上の人なのかってわけよ」

 

 『それ以上』とは端的に言って恋人ということだろう。だがそれは違ったのでメグミは首を横に振る。そして残り2つの中で自分と桜雲の関係を表すに相応しいのは。

 

「友達よ、友達」

「そう・・・友達ね・・・」

 

 まだ対馬は納得していない模様。本当に一体どうしたんだろうか。

 続けて平戸が訊いてくる。

 

「メグミさんは、その人のことはいい人だと思ってるんですか?」

「そりゃまあ、友達だし」

 

 メグミは、悪い感じがするような人とは進んで関わりを持とうとはしない。

 それと、桜雲からは悪いようなイメージなど全く感じられない。むしろその真逆で、ものすごく優しい人というのが今の桜雲に対するイメージだ。

 すると今度は、通信手の生月が話しかけてきた。

 

「メグミはさ、その男の人と友達以上の関係になりたいと思ってる?それとも思ってない?」

「は、はぁ?どういうこと?っていうかあんた無線機の調整は・・・」

「たった今終わった。で、どうなの?」

「それ、何言って・・・」

 

 生月は社交性が高くて、こうして物怖じしないで単刀直入にものを聞くことが度々ある。

 さっきの質問もまた突拍子もないものだった。友達以上の関係になりたいということは、すなわち桜雲と恋人同士になりたいかと聞いているのと同義だ。

 それをメグミは笑い飛ばして否定しようとしたが、ふと桜雲と自分が一緒に過ごした時間がフラッシュバックする。

 桜雲と出会い、話をして、猫カフェに一緒に行って、猫との触れ合い方を教えてもらって、また話を聞いて。

 桜雲という男と、一緒の時間を過ごして。

 そのことを思い出すと、なぜか笑い飛ばすこともできなかった。

 『なりたくない』ときっぱり拒絶することができなくなった。

 

「まあ、その・・・・・・どっちかと言えば・・・なりたい、かな」

 

 生月は『なるほど』と頷く。

 が、メグミ以外の乗員全員は、生月の問いにメグミが逡巡した時点で『脈があるな』と確信していた。

 それに、白か黒かではなくぼかすような形で答えるのが、普段から割とはっきりした物言いのメグミらしくないと思う。

 ともかく、これまでの問いに対するメグミの答えを聞いて、どうするべきかは決まった。

 

「さっきの話、どんなお礼をしたらいいかって話だけどさ」

「あ、うん」

 

 対馬の言葉に、ようやくメグミも本題を思い出す。なぜか話が脱線したようだったが、そもそもお世話になった桜雲にどんなお礼をしたらいいかというのが発端だ。危うく見失いかけていた。

 

「何か手作りのものでも贈ったらどうよ?」

「・・・・・・・・・え、ぇ?」

 

 だが、突拍子もない対馬の提案にメグミはまたしても話の流れが見えなくなりそうだ。いったいなぜそんな結論に至ったのか。

 

「いい、メグミ?戦車道の世界は男っ気がほとんどないわ。それに戦車乗りの女性ってのは、大体男から敬遠されがちなものなの。だから、彼氏を作るってのは中々に至難の業なのよ?その辺はお分かり?」

「まあ・・・それは分かるけど」

 

 対馬の言う通り、戦車道は乙女の嗜み、伝統的な武芸として世間に認知されているが、女の戦う世界故に男が入り込む余地はほとんどない。

 そして戦車乗りの女性とは、プロ選手として活躍し注目を集めない限りは、男性からも敬遠されがちなのが現状だった。その原因については諸説あるが、とにかく大学選抜チームの中でも男と関わりがあるチームメイトはあまりいない。彼氏持ちのチームメイトもいるにはいるが、あれは稀なケースだ。

 

「だから、メグミさん。せっかく同い年の男の人とつながりが持てたんですから、その人とは仲良くした方がいいですよ」

 

 平戸が対馬に加勢するが、メグミはまだ首を素直に縦には振れない。

 

「いや、でも・・・」

「いつも飲み会で『出会いが欲しい』って愚痴ってたのはどこの誰だっけ?」

「う」

 

 そこで若干ぶっきらぼうな口調で割り込んできたのは、これまで沈黙を保ってきた操縦手の深江。良くも悪くも裏表のない発言をしてくる彼女は、たまに真理を突いてくるので侮れない。

 そして深江が言っていた『出会いが欲しい』という言葉には、確かに覚えがあった。

 メグミは比較的酒に強い方で、酔ってもちょっとやそっとではあまり前後不覚にならない。だから酒の席でのことを覚えているのはよくあることで、そんな恥ずかしい発言をしたことだって記憶にある。

 

「選り好みしてる場合じゃないでしょ、現状」

「うぅ・・・」

 

 畳みかける深江の言葉に、メグミは小さくなっていく。

 続いて生月が話しかけてくる。

 

「メグミだって、その人のこと嫌ってないんだし、むしろどっちかと言えば友達以上の関係になりたいとは思ってるんでしょ?なら、自分から動かなくっちゃ」

 

 どちらかと言えば友達以上の関係になりたいという言葉は、メグミの本心ではある。

 桜雲のことは良い人だと思っているし、仲も良好だとは思っている。

 それと、土曜日に別れる直前で『友達になってほしい』と言われた時、妙な期待を抱いていたのは事実だから、メグミは彼のことを好意的に見ているということになる。

 だがその先―――メグミが桜雲のことを本当に好きなのかどうかは、まだ定かではなかった。

 

「・・・・・・でも、手作りったって何を贈ればいいのよ?」

「鉄板なのは弁当か」

 

 誰に問いかけたわけでもないメグミの言葉に、深江が天井を仰ぎながら答えた。

 しかしその答えに、メグミは内心で『あっ』と声を出す。

 

「メグミって料理できた?」

「・・・・・・できない」

 

 対馬の問いにメグミは力なく答える。

 メグミは料理ができない。自分の部屋に調理器具の類は一切ないし、日々の食事もインスタントか冷凍食品かレトルトかで、およそ女性らしくはない。正直に言えば、だらしない。

 ただ、それが逃げる言い訳になるわけでもなく。

 

「メグミさん、料理できるようにしましょう」

「えー、でも・・・」

「好きな人どうこうの以前に、食卓事情がそんななのは女子力的な意味ではアウトです。どころか、アウト3つでチェンジです」

「だからまだ好きな人って決まったわけじゃなくて・・・」

 

 平戸がまくしたてるが、まだ本当にメグミが桜雲のことをそう思っているとは決まったわけではないので、そこは訂正しておく。女子力云々についてはぐうの音も出ない。

 

「それに彼氏持ちの矢巾(やはば)だって、『まずは料理ができるとベターね』って言ってたよ」

「まー、確かに。料理は覚えといて損はないな」

 

 生月と深江もまた平戸と同意見だった。

 ちなみに矢巾とは、メグミが隊長を努める中隊に所属している、ヴァイキング水産高校出身のパーシング車長の1人だ。

 それよりも、対馬たちから『料理覚えろ、手作り弁当贈ってやれ』と無言で訴えかけられてメグミはぐぬぬと唸る。

 するとそこで、生月の近くに置いてあったタイマーがアラームを鳴らし始めた。

 それは、戦車の調整の時間が終わり、模擬戦の時間がもうすぐ始まるという合図だ。

 

「はい、おしゃべり終わり。戦車道はきっちりやるわよ」

『了解!』

 

 メグミが手を軽く叩いて締めると、先ほどまでのお気楽ムードは見事に隠れ、戦車の中が緊迫した空気に包まれる。

 メグミは、『桜雲へのお礼は手作りのお弁当』に決まったこと、そして『そのために料理を覚える』ということを一度頭の隅に追いやって、試合に向けて気を引き締める。

 今日は新しいバミューダアタックのパターンを試す予定だ。このことはアズミとルミ、そして対馬たち乗員にも伝えてある。それで我らが隊長、島田愛里寿に勝てるかどうかは分からないが、それでも自分たちはできることを成すだけだ。

 対馬たちも、先ほどの話は置いておき意識をこれから始まる戦いに向けて、試合に臨む。

 ただ、頭の片隅でちょこっとだけ、『メグミが面白いことになりそう』とは思っていたが。

 

 ちなみにその日の模擬戦では、メグミたちのチームは敗れたものの、車輌の撃破数が一番多かったのはメグミのパーシングだった。

 

 

 桜雲へのお礼が『メグミお手製の弁当』と決まった日から、メグミの料理の練習が始まった。

 同じ戦車に乗る対馬たちから焚きつけられたその日には調理器具と料理の本、そして食材を買って夕食を自分で作ってみた。

 しかしレシピ本を見ながら作っても、これまでメグミはろくに料理などしなかったせいで焼き加減や味付けが上手くできず。

 

「・・・・・・うーわ」

 

 味は筆舌に尽くしがたいほどのものとなってしまった。

 しかしそれでもメグミはめげずに、トライアル・アンド・エラーの要領で練習を続けた。時には料理がそれなりにできるという対馬や平戸、生月に教えを乞い、どこがダメでどうすればいいのかを厳しく指導してもらう。

 そして指摘を受ければ、メグミはそれを真摯に受け止めて次の教訓へと生かす。

 すべては腕を上げるために。

 感謝の気持ちを桜雲に伝えるために。

 

「・・・・・・おっ、良い感じ?」

 

 そしてメグミの料理を味見して、対馬が『いいね』と言ってくれたのは、猫カフェに下見に行ってから実に5日が経った日のことだ。

 

「うん、これならいけると思うよ」

「ほんと?」

 

 対馬がもう一度頷いて、メグミは大きく安堵の息を吐いた。度重なる練習の末にようやく認められたのだから、達成感は相当なものだ。

 

「これでようやく、弁当を渡せるね」

 

 元々そのために料理の練習をしていたのだから、当然のこととばかりに対馬が告げる。

 

「・・・・・・・・・」

「って、あれ。どうしたの」

 

 だがその途端に、メグミが不安そうに俯いてしまった。なにも変なことは言ってないはずだが、と対馬は不審に思うが、やがてメグミが顔を上げて訊いてくる。

 

「・・・もし、迷惑だって思われたらどうしよう」

 

 いつになく弱気なメグミを前にして、対馬は小さく息を吐き腕を組む。

 普段のメグミはここまで弱気になることも、誰かに愚痴ではなく弱音を吐くことは滅多にない。だのに、同い年の男にお礼の気持ちを込めた弁当を渡すことにここまで尻込みしてしまうとは。

 メグミは、自分の感謝の気持ちが拒絶されることを恐れている。

 

「ねえ、メグミ」

「?」

「そのお礼がしたいっていう男の人は、そんなメグミの感謝の気遣いも『いらない』って突っぱねるような人なの?」

「それは・・・言わないと思う」

 

 桜雲はのんびり屋ではあるが、生き物の命のことを真剣に考えて、メグミにも優しく接してくれている心優しい人だ。人の善意や厚意を切り捨てるような冷酷な風には思えない。

 

「なら、心配することはないでしょ?メグミがそういう人だと思ってるんなら、心配する必要もないんじゃない?」

「・・・そう、ね」

「それと、これはチャンスよ?メグミ」

 

 対馬が人差し指を立てる。

 

「そのお弁当を渡してみて、その相手の反応が良ければ付き合いを続ければいいし、感じ悪い反応をしたらさよならしてもいいし」

「つまり・・・試してみるってこと?」

「そういうこと」

 

 桜雲を試すような感じなのは、少しせこい気もする。

 だが、桜雲の人柄をなんとなくではあるが知っているメグミは、対馬の言葉で拒絶することもないだろうなと、少し気持ちが上向きになってきていた。

 メグミはふと、自分の作った弁当を桜雲が食べた時の反応を予想してみる。

 

『うん、すごく美味しいよ』

 

 桜雲が笑ってそう言ってくれた時のことを思い浮かべると、メグミの心はなぜかドクンと跳ねた。

 ただ想像しただけなのに、イメージしただけなのに、なぜか心が温かくなる。顔が熱くなってくる。

 

「メグミ?大丈夫?」

「え?いやいや、大丈夫よ?」

「どっちなのよ・・・」

 

 メグミが急に黙ったので、対馬は疑問に思う。

 大方弁当を渡したときの反応を思い浮かべて不安になったのかもしれないが、対馬はそんな心配もいらないんじゃないかなと思う。

 

(大丈夫だよ、メグミ)

 

 そう思う理由は1つ。

 

(『友達になってください』って頼んだんだから、そいつはたぶんあんたのことは全然悪く思ってないよ)

 

(っていうか、そいつはメグミのこと、結構好きなんじゃないかな)

 

 

 

 

『明日のお昼ご飯、一緒に食べない?』

 

 桜雲の下にそんなメグミからのメールが来たのは、木曜の夜。メグミからのメールは初めてで、それに翌日に備えて眠ろうとしていた直前だったので二重の意味で不意打ちだった。

 桜雲はそのメールに対して1分も経たずに『いいよ』とメールを返した。

 そして当日、午前の講義が終わり昼食の時間になると、待ち合わせ場所に指定された中庭の日時計前で桜雲は待っていた。

 

(・・・・・・・・・)

 

 昨日のメール以来、桜雲は自分が浮かれているのが分かっていた。

 あの猫カフェに下見に行って以来、桜雲はメグミと顔を合わせてはいない。同じ大学に通ってはいるが、大学の敷地は広い。それに2人の日中の行動パターンも違うから、会うこと自体難しいのだ。以前帰りがけに偶然出会ったのも、食堂の前で鉢合わせたのも、全て偶然であり、それが普通なのだ。

 しかし、今日までのメグミと顔を合わせず話もしなかった状況に、桜雲は寂しさを覚えていた。メグミという1人の女性に会うことができず胸焦がれる思いをしているのは、桜雲がメグミに恋をしているせいだろうとは分かっていた。

 メグミに対して恋をしていると気づいてからそこまで日は経っていないが、メグミに会えなかったことを寂しく思っていたのは事実だ。

 これまでは誰か1人に会えないことを寂しく思っても、胸が苦しくなるほどにはならなかった。しかし、メグミへの恋心に気づいてからそんな思いをするようになったのだから、それは恋をしているからだろうと思う。

 ともかく今は、目の前のこと―――メグミが昼食に誘ってくれたことを嬉しく思わなければ。

 

「桜雲、お待たせ」

 

 軽やかな挨拶とともに手を軽く挙げて、メグミがやってきた。

 薄いグリーンのブラウスに、ブラウンのチノパンに身を包むその姿は清涼感を覚える。肩には黒いトートバッグを提げているが、中に箱状の何かが入っているらしく妙に角ばっていた。

 そしてよく見てみれば、その挙げている手の指には絆創膏が巻かれている。戦車道で怪我でもしたのだろうか?

 だが、それについて言及するのは後にして、まずは挨拶を返す。

 

「ううん、大丈夫。待ってないよ」

「そう?それならよかったわ」

 

 それにしても、昼食を一緒にとのことだったが、今自分たちがいる中庭は食堂からは離れている。どういうつもりだろう?」

 

「ちょっと場所を移しましょうか」

「?うん」

 

 メグミは桜雲の疑問にも気づかず、歩き出す。桜雲もあとに続いたが、やがてメグミは同じ中庭のベンチに腰掛けた。その隣に、桜雲も並んで座る。

 

「・・・・・・・・・」

 

 メグミは、膝の上に乗せたトートバッグを見つめたままで、桜雲とは顔を合わせようとはしない。妙に前と少しメグミの雰囲気が違うと桜雲は思ったが、やがてメグミが口を開いた。

 

「この前、一緒に猫カフェに行ってくれたじゃない?」

「うん」

 

 今日ここに呼び出したこととあまり繫がりがないような話の気がするが、桜雲は頷き返す。

 

「それで・・・その時のお礼がまだできてないな、って思ったのよ」

 

 その話は、桜雲の中ではもう済んだ話だと思っていた。

 

「いやいや、僕がメグミさんに『友達になってください』って言ったでしょ?それメグミさんもOKしてくれたから、それで僕はもう―――」

「それでも」

 

 メグミが桜雲の言葉に被せてくる。そしてじっと、桜雲のことを見据えてくる。

 メグミの瞳は揺れていて、頬もわずかに赤くなっている。不安を孕むようなその顔に、桜雲は口をつぐむ。同時にそんな顔がまた、可愛いと思ってしまう。

 

「それでも私は・・・まだあなたにお礼ができてないと思ってるの?」

 

 メグミの何らかの決意が含まれているようなその言葉に、桜雲は反論できない。

 

「だから、その・・・・・・」

 

 トートバッグに手を入れて、メグミが何かを取り出す。

 

「迷惑かもしれないけど・・・お礼を込めてってことで・・・・・・」

 

 途中から不安が隠し切れずにメグミの語気が萎んでいくが、やがてメグミは『それ』を取り出した。

 その何かは赤い包みにくるまれた直方体のようなもので、それを見て桜雲は『まさか?』と、それが何なのかに気づく。

 桜雲がもう一度、メグミの顔を見る。その顔は、包みほどではないがなお赤くなっていた。

 

「お弁当・・・・・・作ってきたの」

 

 メグミの手が震えている。

 桜雲はその震えを止めようと、赤い包みの弁当をそっと受け取った。

 

「・・・ありがとう、メグミさん」

 

 ここまでされては『別に気にしなくてもいいのに』とか『気持ちだけ受け取っておくよ』と遠慮するのも失礼に当たる。そもそも、メグミの手作りという時点で断る選択肢など最初から存在しない。

 

「開けても、いい?」

「うん・・・・・・初めて作ったから、形とか味の保証はできないけど・・・」

 

 その言葉は、聞き逃さなかった。初めてということは、それだけメグミが桜雲のことを考えてくれているということだ。

 なおさら、この弁当は絶対に、何としても食べなければと使命感が湧いてくる。

 ゆっくり包みを解いていき、銀色の弁当箱が姿を現す。

 そして蓋を開ければ、実に美味しそうな料理が詰められていた。

 まず半分を占めているのは白いご飯。もう半分はおかずだが、目を引くのはハンバーグ。その脇には彩るようにブロッコリーとミニトマト、そして卵焼き。どれも美味しそうで、綺麗な形だった。

 

「・・・本当に初めて?」

「そうなんだけど・・・」

「すごい美味しそうだよ」

 

 同じくメグミも自分の分の弁当を取り出して、箸を桜雲に渡す。メグミの弁当も、中身は同じだった。

 そして2人で『いただきます』をし、桜雲がまずハンバーグを箸で小さく切って口に運ぶ。メグミは桜雲の反応が気になるからか、まだ箸をつけようとはしない。

 

「・・・うん、美味しい!」

 

 桜雲の表情が明るくなる。

 それはメグミが想像した、弁当を食べてくれた桜雲の反応と同じような、穏やかな顔。

 その顔に、メグミの心が、ぽっと温かくなる。

 

「・・・そう?よかった~」

「うん、美味しい。初めて作ったとは思えないよ」

 

 続けて卵焼きの味も楽しみ、桜雲は実に嬉しそうにうんうんと頷く。

 ようやく安心したのか、メグミも弁当を食べ始めた。我ながらいい出来だと思ったのか、小さくメグミも頷いた。

 

「喜んでもらえてよかった。苦労した甲斐があったってものよ・・・」

 

 メグミがハンバーグを食べて、苦笑しながら絆創膏が巻かれ痛々しくなってしまった自分の指を見る。嫁入り前の身体なのに、は少し大袈裟か。

 

「大丈夫?」

 

 そこで桜雲は、自然とメグミの手を握って絆創膏の巻かれた指を見つめる。

 その瞬間、メグミの顔が熱くなる。鼓動が高鳴る。身体が硬くなる。

 桜雲はよほど心配なのか、労わるようにメグミの手を見つめ、実に悲しそうな顔をメグミに向ける。

 

「僕のことを考えてくれたのは嬉しいけど、無理はしないでね?」

「・・・・・・うん、分かったわ。でも大丈夫、もうそんなに痛まないし」

 

 メグミは小さく笑って桜雲を安心させ、優しく手をほどく。

 それから2人はまた弁当を食べ始めたが、その間に会話がない。

 メグミは、桜雲が自然と手を握ってきたことが忘れられなくて、心が跳ねてしまっているのを自分で感じ取っている。顔だって恐らくは赤くなっている。それを悟られたくなくて、メグミは何も話しかけることができなかった。

 一方で桜雲は、自然とメグミの手を握ってしまったことを反省していた。いくら心配だったとはいえ、女性の手を無遠慮に握ってしまったことは正直今思えば嫌われるかもしれないような行動だ。相手は友達であっても女性で、こういったことに関しては敏感なはずなのだから。

 

「・・・隊長、ね」

「?」

 

 お互い沈黙を続けながら弁当を食べ進め、桜雲が半分ほど食べたところでメグミが口を開いた。沈黙に耐えられなかったのだろうか。

 

「猫カフェに行った時、猫を抱っこして遊んでた」

「あ、もう抱っこできたんだ?すごいね」

 

 さっき手を握ったことには反省していたが、それでもその話は興味深かったので、桜雲は素直な反応を示す。

 

「下見の時に遊んだのグレーの猫・・・覚えてる?」

「?ああ、あのメグミさんの膝に乗った?」

「そう、あの子」

 

 猫と触れ合うのに慣れておらず、しかも初めて来たはずのメグミの膝に乗ったものだから、桜雲もその記憶は鮮明だ。

 

「なんか私を覚えていて懐いちゃったみたいでね?それで、また膝の上で寝転がっていたんだけど、隊長がそれを見て羨ましそうにしてたから・・・抱っこさせてあげたの」

「まあ確かに・・・あの子人懐こそうだったし」

 

 こうしてメグミと話している間は、好きな人と分かっていても変に意識して舌が回らなくなるということにはならない。それが不思議だと桜雲は思う。

 

「私の友達2人・・・アズミとルミって言うんだけど、2人とも猫カフェを楽しんでたわ」

「へぇ~、良かった」

「もちろん隊長も猫を抱っこして笑ってたし・・・・・・ホント、皆楽しんでた」

 

 メグミがその時の光景を鮮明に思い出しているのか、空を見上げて小さく笑っている。

 

「その後はショッピングをして・・・あ、あのペットショップにも行ったわ」

「そうなの?」

「ええ。隊長、あのミミズクを見てすごいびっくりしてた」

「あはは、やっぱり?まあ僕も最初見た時は驚いたよ」

 

 ミミズクの存在感と威圧感もさることながら、『なんでここにいるの?』という意外性もあって、初見の人は驚きやすいのだ。

 

「帰り際に隊長、笑って『今日はとっても楽しかった』って言ってくれて・・・アズミとルミも『面白かったし、癒された』って言ってくれたわ」

「じゃあ・・・成功ってこと?」

「ええ。もうバッチグーよ」

 

 メグミは親指を立てて、いい笑顔を見せてくれる。

 

「桜雲のおかげよ。ありがとね」

 

 当たり前のようにメグミが告げる。

 それに桜雲は心が躍りだしそうになるぐらい嬉しかったが、そのお出かけが成功したのは実際にその場にいたメグミのおかげなのが大きいだろう。

 それは電話でも伝えたが、メグミの答えは既に聞いている。

 そして桜雲は、ふと思ったことがあった。

 

「・・・前に、『メグミさんは猫に好かれやすいのかも』って言ったの覚えてる?」

「え?うん・・・」

 

 以前、大学の正門近くで野良猫と少し遊んだ時に言われた言葉だ。それは印象的だったので覚えてはいるが、なぜ今その話をするんだろうとメグミは思う。

 

「猫に限らず動物に好かれやすいってのはある意味天性のものなんだけど、動物によっては本質を見抜くとも言われてるんだ」

「本質?」

「まあ、平たく言うと性格とか気持ちとかかな」

 

 それで、と桜雲はメグミを見る。

 

「メグミさんが猫に好かれやすいのは、メグミさんが優しいってことが猫にも伝わってるからじゃないかな」

「え・・・」

 

 その言葉に、手に持っている箸を思わず落としそうになるが、何とか持ちこたえるメグミ。

 

「ほかの人は優しそうに見えないってわけじゃないけど、メグミさんは何て言ったらいいのかな・・・。優しそうなのはもちろん、話しやすい、親しみやすいって思えるし、柔らかいイメージがあるんだ」

 

 話しやすいというのは、友人知人から何度も言われたことがある。メグミ自身はそんな自覚は無かったので、人からはそう見えてるのかな、と深く考えてはこなかった。

 だが、桜雲から同じことを言われると、同じように軽く考えることができず、どころか『そうなんだ』と自信が持てるようになる。

 

「それにメグミさん、僕にお礼がしたいって思ってこうしてお弁当を作ってきてくれたでしょ?初めてで、ケガしてまで・・・」

 

 絆創膏が巻かれ痛々しく見えるメグミの指を見ながら、桜雲は悲しそうに笑う。

 そんな桜雲に、メグミの視線はくぎ付けになっていた。

 そして桜雲はもう一度、メグミの顔を見る。その顔はいつか見たような、柔らかい笑顔だ。

 

 

「メグミさんは僕のことを優しいって言ってたけど、メグミさんだってそれ以上にすごく優しいんだよ」

 

 

 その言葉にメグミは、ハッとしたような顔になる。

 目の下あたりが、ほんのりと赤く染まる。

 

「メグミさんは話しやすいし、優しいし・・・だから猫にも好かれやすいのかもね」

 

 もちろん、猫に好かれない人は優しくないというわけではないし、動物が人の本質を見抜いているということも立証されてはいない。

 しかしそれが分かっていても、メグミに限ってはそんな気がしてならないと、桜雲は思っていた。

 

「って、ごめんね。なんか偉そーなこと言っちゃって」

「・・・ううん、私は嬉しかったわ」

「そっか。ならよかった」

 

 桜雲が弁当を食べ終えると、メグミもほぼ同じタイミングで食べ終えた。弁当をまた赤い包みでくるんで、2人は『ご馳走様』と手を合わせる。

 

「すごく美味しかったよ、ありがとう」

「どういたしまして。そう言ってもらえると、作った甲斐があったわ」

 

 2人は少しの間笑い合って、やがてメグミが話しかける。

 

「ねぇ・・・桜雲」

「?」

「あの、さ・・・・・・」

 

 自分の髪を指でいじりながら、メグミは何かを言おうとしている。今更ながら、今日のメグミはどこか様子が違うと桜雲は思う。

 

「もし、桜雲さえよければなんだけど・・・・・・また、一緒にお昼ご飯を食べたいんだけど・・・いいかしら?」

 

 顔を上げて、揺れる瞳と共に不安そうな口ぶりで、メグミは聞いてきた。

 それに対する桜雲の答えは、ただ1つ。

 

「もちろん、いいよ。メグミさんとなら」

 

 桜雲の微笑みながら返した答えに、メグミは心から安心し、そして嬉しくなった。

 そして、メグミ自身が桜雲のことをどう思っているのか、ようやく分かった。

 

 

 メグミと別れて、桜雲は午後からの講義に向けての教室へと向かう。

 今の桜雲の心はとてもホクホクと温かい。何しろメグミの手作りの弁当を食べることができて、しかもその弁当を作るというのもメグミにとっては初めてのことと来た。それが恩返しということであっても、それだけ自分が特別に思われているということで嬉しく思う。

 普段は自他ともに認めるほどのんびり屋な桜雲ではあるが、恋をすると随分変わるものだと切に思う。普段はあまり動じないのに、メグミの言動が気になり、一喜一憂していたのだから。

 その過程で、らしくもなく踏み込みすぎたことを言ってしまい『しまった』と思うこともあった。メグミが笑ってくれたのでよかったが、この先はもうちょっと考えて言った方がいいだろう。

 ともあれ、また一緒に昼食を食べたいと誘われたことは大歓迎だ。親しい人から誘われるのは嬉しいし、それが好きな人となればなお良い。

 

「さて、頑張ろう」

 

 メグミの手作り弁当を食べることができたし、また一緒に昼食を摂るという約束もできて、万々歳だ。午後からも十分頑張れる。

 小さく伸びをして、桜雲は校舎の中へと入って行った。

 

 

 桜雲が去った後も、メグミはベンチに座り続けていた。

 空を見上げれば、いっそ憎らしいほど澄み切った青空が広がっており、7月になって輝きを増したように感じる太陽がジリジリとメグミを照らす。

 しかし、メグミの頭の中には先ほどの桜雲と過ごした時間の記憶が居座っていた。

 

『メグミさんだってそれ以上にすごく優しいんだよ』

 

 その言葉を聞いて、メグミは嬉しくなって、それで自分の中の気持ちに気づくことができた。

 

『もちろん、いいよ。メグミさんとなら』

 

 メグミの不安と隣り合わせだったお願いに、桜雲は一も二もなく笑って頷いてくれた。それもまたどうしようもないぐらい嬉しくて、心が沸騰しそうになるほど喜ばしかった。

 これまで桜雲と過ごした時間、交わした言葉が流れ込み、それらが心を満たしていく。

 そして桜雲のことを想うと、心が温かくなってきて、幸せな気持ちが湧き上がってくる。

 それはどんな感情なのかは、もうわかった。

 

『もしもし?』

「・・・あ、もしもし対馬?」

 

 スマートフォンを取り出して、今回の事情をある程度知っていて、そして弁当作り、ひいては料理の練習に付き合ってくれた対馬を呼び出す。

 

『おっ、メグミ。首尾はどうだった?』

「うん、上々・・・・・・というか最高だった」

『ほほー、それはよかったじゃない。でも、その割になんか元気なさそうだけど・・・?』

 

 自分の声はそんな風に聞こえているのか、とメグミは苦笑する。だが、今の自分はいつもよりも逆に落ち着いているということは分かっていたし、仕方がないとも思っている。

 

「・・・・・・あのね、対馬」

『んー?』

「私さ・・・その、お弁当を渡した、そのお世話になった人のこと・・・・・・」

『うん』

 

 息を吸って、もう一度空を見上げる。雲一つない空を見れば、心が穏やかな感じになる。

 そしてメグミは、自分が抱いたある感情を口にした。

 

 

 

「―――好きになったみたい」

 

 

 

 電話の向こうの対馬が、息を呑んだように感じた。

 だが、沈黙は十秒も続かず対馬は言葉を発する。

 

『・・・・・・そっか。それで、これからどうするの?』

「うん・・・もちろん、これからも付き合いは続けるよ。さよならなんて、したくない」

『・・・そっかそっか。それなら、頑張りなさい。私は全力で応援させてもらうから』

「ありがと・・・」

 

 そこで電話を切ろうとしたが、割り込むように対馬がメグミのことを呼ぶ。

 

『メグミ』

「?」

『よかったね』

 

 それは、何に対しての言葉だろう。

 でも、メグミはそれには同感だった。

 

「・・・・・・ええ、本当に、良かった」

 

 そして今度こそ電話を切る。脇を見れば、先ほどまで桜雲が座っていたスペースが空いている。

 メグミはそこにそっと手を置いて、また空を見上げる。

 やっぱり空は、青く澄んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Careful Contact

 自宅の最寄り駅から電車で1時間とちょっと、そこからさらにバスに揺られて数十分。そんな感じでようやく辿り着いた洋風の建築物の前に、メグミ、アズミ、ルミの3人は立っていた。

 その3人が着ているのは大学選抜チームのユニフォーム。今日は日曜日で講義もなければ戦車道の訓練もないオフの日だが、どうして彼女たちは戦車道のユニフォームを着ているのか。

 

「・・・・・・お腹痛くなってきたわ・・・」

「嫌だなぁ・・・怖いなぁ・・・気が滅入る・・・」

 

 その洋風の建物を前にしてアズミがお腹を押さえ、ルミはげんなりとする。ルミはともかく、アズミはバミューダ3姉妹でもひと際繊細な性格なので、緊張が過ぎて胃を痛めることが結構あった。

 

「だったら、ちゃちゃっと済ませちゃいましょ?」

 

 そして3人の中でも肝の据わっているメグミが、何の躊躇もなく敷地内へ足を踏み入れて先へ行ってしまう。アズミとルミはそれを見て、いつまでも突っ立っているわけにはいかなかったので仕方なく後に続く。

 

「こういう時は・・・あの肝っ玉の強さが羨ましくなるなぁ・・・」

 

 メグミの後姿を見ながら、ルミが独り言つ。アズミは特に反応を示さない。

 そんなメグミは受付で、若い女性と手続きをしていた。

 

「すみません、本日11時から家元とお約束をしております大学選抜チームのメグミと言う者ですが・・・」

「畏まりました、少々お待ちください」

 

 受付の女性はどこかへと内線で連絡をして、一言二言交わすと電話を切る。

 やがて数分も経たないうちに、今度は若い男性の使用人がやってきて、メグミたちを中へと招き入れる。その使用人に従ってメグミたちは扉をくぐり、洋風の建物―――島田流戦車道本家へと上がった。

 

 

 島田流戦車道は、戦車道において日本でも格式高い流派であり、大学選抜チームの母体となっている組織でもある。

 メグミたちが所属している大学選抜チームの隊長・島田愛里寿も、その名から分かるように島田流の直系であり、島田流戦車道の後継者である。メグミたちは、その愛里寿を支える副官。

 その副官たるメグミたち3人がこうして島田流本家に呼び出されたのは、大学選抜チームの成果や状況などを報告するためだ。この報告会は毎月1度ずつ開かれているので、今日が初めてということではない。それでも、島田流家元という重要人物と話をするのは、緊張しないはずがなかった。

 3人が副官となったのは愛里寿が隊長になった今年度からであるため、そこまで回数も重ねていない。だから余計、緊張していた。

 

「こちらへどうぞ」

 

 使用人の後に続き、赤いカーペットが敷かれ、レトロな雰囲気のするランプが灯る廊下をメグミたちは歩いていく。先ほどまで胃が痛いとお腹を押さえていたアズミも、どこから目をつけられているか分かったものではないので、今は背筋を伸ばして歩いている。

 

(いつ来ても、シャレオツなところねぇ)

 

 メグミは、外見といい内装といい島田流が洋風の雰囲気を突き詰めているのは、同じく戦車道の由緒ある流派・西住流をライバル視してのことだと聞いたことがある。

 島田流と西住流は、戦術や有する戦車など多くの面で正反対の要素を持ち、そのせいか特に島田流は一方的に西住流をライバル視しているきらいがある。そのライバルである西住流は全体的に和風なイメージで、本家もそんな感じの建物らしい。それに対抗して、島田流は真逆の洋風をコンセプトにこの本家を立てたとの噂だ。

 出自はどうであれ、メグミはこの洋風の建築物も悪くないとは思っている。個人的には『和』よりも『洋』の方がそこまで厳かさは感じないし、敬愛する愛里寿の人形のようなイメージとも合っているからだ。

 

(・・・いけない。気を引き締めないと)

 

 そこで、余計なことを考えて表情を崩してはならないと思い、メグミはぎゅっと口をつぐむ。

 やがて、報告会を行う書斎兼事務室の前にやってきて、使用人がノックをして中から返事を貰うとドアを開ける。

 部屋は普通の家のリビングぐらいの広さがあり、窓際には書斎机、部屋の中央には赤を基調とした応接セットが設えてある。壁際には多くの戦車に関する本が収められた本棚、その近くには『婦人公輪』という雑誌の表紙が飾られている。それは今メグミの後ろに立つアズミが表紙を飾ったヤツだった。

 応接セットの1つであるソファにはすでに愛里寿が座っており、彼女もまたメグミたちと同様に大学選抜チームのユニフォームを着ていた。

 その愛里寿の隣に座っているのが、愛里寿の母であり、島田流戦車道の家元でもある島田千代。赤い服を着た千代は、その全体的な色の薄い感じから愛里寿の親族であることが窺えるが、正直言ってその外見は子持ちの女性にしては若々しく見える。妙齢の婦人と言うべきか。

 

「座りなさい」

「「「失礼します」」」

 

 千代のにこやかな笑みと共に告げられた言葉に、メグミたちは口を揃えて一礼しソファに座る。無意識に唇が真一文字になり、背筋も伸びる。

 ここまで案内してきた使用人がメグミたち3人の前に置かれたカップに紅茶を注ぐが、3人はそれに目もくれない。そして紅茶を淹れ終えると退室してしまった。

それを見計らい。

 

「さて、まずはこの暑い中来てくれて、ありがとう」

「いえいえ、お気になさらず」

 

 千代が最初の挨拶をするが、アズミは首を横に振る。メグミたちもかすかに笑い会釈をする。

 とはいえ、季節は既に7月、夏本番へと向かっており気温も上がってきている。厚手のタンクジャケットで出歩くのはメグミたちも正直言ってキツかったが、そんなことをこんなところで愚痴ってはなるまい。

 

「さて・・・それでは始めましょうか」

「はい。本日はよろしくお願いします」

 

 千代が仕切りなおすと、バミューダ3姉妹の中でもリーダー格のメグミが頭を下げて挨拶をする。それに倣いアズミとルミも礼をして、愛里寿もぺこりと頭を下げる。

 報告するのは、ここ1ヶ月の大学選抜チーム内での訓練の内容と、各戦車の乗員含めたスペック、練習試合の成果などを書類を傍らに話す。さらに、各中隊ごとの練度と大学選抜チーム全体での練度、戦い方の変化などを私見を交えて隠すことなく伝える。

 その説明は、隊長である愛里寿と、副官であるメグミたち3人で行ったが、粗相をしたりはしていないようで、千代もしっかりと相槌を打ってくれている。

 

「―――といった具合です」

「・・・なるほどね」

 

 一通り報告を終えると、千代は手に持つ扇子で口元を隠して小さく息を吐く。ひと段落してホッとしたのだろう。

 

「愛里寿はどうかしら?他に何か、気になるところでもある?」

「いえ、私からは・・・・・・特にありません」

 

 千代の愛里寿に対する話し方は、親が子に対するようなものに聞こえる。

 だが反対に、愛里寿の千代に対する言葉遣いはどこか他人行儀なものだった。

 島田流家元と、大学選抜チームの隊長という立場上仕方ないのだが、それでもメグミたちはどこか寂しさを覚えていた。普段はどうなのかは分からないが、血の繫がりのある親子だというのに、こうした距離を感じさせる話し方をしているのが。

 

「そう・・・なら、報告はもう十分よ。ご苦労様」

「いえ、これが私たちの仕事ですので」

 

 メグミたちはお辞儀をする。頭を上げると、ルミが広げていた書類をファイルに戻していき、テーブルの上は陶磁器のティーカップとポットだけが残る。

 

「では私からも・・・あなたたちに1つ、伝えることがあります」

 

 千代が姿勢を正したので、メグミたちも背筋を自然と伸ばす。既に背筋は真っ直ぐだったのだが、それでも気を引き締める意味を込めてそう努める。

 

「来月の22日、くろがね工業と大学選抜チームの試合を行うことが決まったわ」

 

 その言葉に、メグミたちは息を呑む。

 くろがね工業は、メンバーが社会人で構成されたいわゆる実業団チームの1つであり、実業団の中でも抜きんでて強いと言われているチームだ。直近の成績では、関西地区2位を誇っていたはずだった。

 高校戦車道の情勢は少し前までは気にしていなかったが、社会人の戦車道については、何度か試合をしたこともあったので情報は集めてきていた。だから、くろがね工業がどれだけ強いのかは分かっている。

 それは愛里寿も同じだろうが、彼女の表情は微塵も変わっていない。その試合をするという話を既に聞いていたのか、相手が誰だろうと狼狽えるまでもないというのか。

 

「あなたたち大学選抜チームは、島田流を体現していると言っても過言ではないチーム。島田流の名に恥じぬよう、心して試合に臨むようになさい」

『はい!』

 

 千代の言葉に、その場にいる大学選抜チームの全員が力強く返事をする。

 その返事を聞き届けると、千代は何とも上品な仕草で紅茶を飲む。メグミたちも少し喉が渇いていたので、紅茶を頂くことにした。

 ほろ苦い紅茶の風味を堪能しながら、メグミはさっきのくろがね工業との試合のことを思い出す。

 

(・・・桜雲も、誘ってみようかしら?)

 

 以前、桜雲は『くろがね工業との試合をするのなら観に行きたい』と言っていた。それに『戦車道にもちょっと興味がある』とも言っていたし、誘ったらきっと喜んでくれるだろう。

 その桜雲が喜ぶ様子を思い浮かべると、少しだけ頬が緩んだ。

 

「あら、何を嬉しそうに笑ってるのかしら?メグミ」

「えっ、あ、すみません・・・・・・」

 

 千代に指摘されて、メグミは『しまった』と内心で思う。紅茶を飲んで、気が緩んでしまっていたか。

 メグミはすぐに謝罪するが、千代はころころと笑っている。だが感情の読み取れないようなその笑みは、背筋が凍るような恐ろしさも秘めていた。アズミとルミ、そして愛里寿もまたメグミの方を見ていたが、彼女たちは反対に怪訝な顔だ。

 

「くろがね工業との試合が、嬉しいのかしら?」

「ええっと・・・・・・そうですね。はい、私たちの実力を発揮する機会なので、楽しみですね」

 

 とりあえずメグミは無難な答えを返しておく。ただ、メグミの脳裏に浮かんでいるのは桜雲の顔だった。

 

「・・・まあ、そう言うことにしておきましょうか」

 

 どうやら、メグミの考えていることは他にあるとお見通しのようだ。メグミは、じんわりと自分の顔に熱が集まってくるのを実感する。

 すると千代は『あ、そうそう』と両手を合わせながら話しかける。その様子はもはやお茶を傍らにお喋りをする主婦に見えた。

 

「この前は、愛里寿を猫カフェに連れて行ってくれてありがとう。愛里寿も帰ってきてから、色々と嬉しそうに話してくれたわ」

「お母様、それは・・・・・・」

「いえ、隊長もリラックスしていたようでしたので、良かったです」

 

 千代とメグミのやり取りに、愛里寿は赤面する。あのの猫カフェに行った日の夜に、千代に嬉々として話をしたことが今思うと恥ずかしいのだろう。

 そんな愛里寿の様子を見て、メグミたちは心の中でだけその可愛らしさを堪能しながら、紅茶を静かに飲む。

 

「しかし、猫カフェねぇ・・・随分また、ニッチなところを選んだわね」

「あ、それは・・・」

「ああ、違うわ。怒ってるわけじゃないのよ?それに、愛里寿が自分で行きたいって言ったのも聞いたから」

 

 ここからはどうやら、先ほどまでの堅苦しい話し合いではなく、軽いお喋りの場になるようだ。多少気持ちに余裕が生まれるが、それでもどんな粗相も許されないことに変わりはない。こういう時こそボロを出さないようにしないと、とメグミたちは気を引き締める。

 

「メグミが猫カフェに行ったのが気になって、と愛里寿は言っていたけど・・・確かに私も興味があるわね」

「たまたまテレビの特集で取り上げられていて、それで気になったんですよ」

 

 そもそも猫カフェに行こうとしたのは、致命的な女子力の無さを痛感してどうにかしようと思ってのことだったのだが、それは言わない。

 そこでまたメグミの思考が、脇道にずれる。

 

(桜雲と出会ったのも、そのおかげなんだけどね・・・・・・)

 

 あの特集を見て、メグミ自身が行こうと思い至らなければ、桜雲に出会うことは無かった。少しでも日にちや時間がずれてしまっていたら、桜雲と出会い話をすることは無かったし、こうして親しい間柄となることさえもできなかった。

 メグミが桜雲のことを好きになることだってなかったのだ。

 

「そう・・・私も行ってみようかしら・・・?」

「是非行ってみるといいですよ。とても楽しいですし、癒されますので」

 

 メグミは微笑みながら、千代に薦める。桜雲のことはともかくとして、猫と触れ合うと気持ちが落ち着くし、何より心がほだされる。

 あの猫たちと遊んだこと、その感触や温もり、そして桜雲と過ごした時間のことを思い浮かべながら、メグミは一口紅茶を飲む。温かく、そしてほろ苦かった。

 

 

 明けた月曜日。その日も、大学選抜チーム内で模擬戦が行われていた。

 大学が所有している草原地帯の練習場の中を多くの戦車が縦横無尽に行き交う中、ルミのパーシングが相手チームの戦車を1輌撃破した。

 

「よし、次!」

「はい!」

 

 ペリスコープ越しに撃破を確認すると、ルミは砲手の野々市(ののいち)に次を狙うように指示する。

 すると、またしても戦車の砲撃音と装甲が砕ける音が別方向から聞こえた。

 

「メグミか」

 

 外の様子を見れば、赤い四角形のパーソナルマークが描かれていたパーシングの砲身から白煙が上がっていた。あのパーソナルマークは、メグミのものだ。

 

「今日だけでもう5輌目ですねー」

「今日はずいぶん飛ばしてるな」

 

 ルミの言葉に、装填手の小松(こまつ)が間延びした声で反応する。野々市も同意見らしく、照準器に顔をくっつけ頷きながら発砲した。

 今日の模擬戦は15対15の殲滅戦なので、メグミだけで相手チームの3分の1の戦車を撃破したことになる。普段のメグミは1試合あたり大体2~3輌だから、それよりも多い。

 

七塚(ななつか)、向こうのチームは残り何両?」

「えっと・・・パーシング2輌にチャーフィー1輌、センチュリオン1輌の4輌」

 

 通信手の七塚が報告したところで、また外から戦車が撃破された音が聞こえてくる。見れば、チャーフィーが黒煙を上げて擱座したところだった。

 そしてその近くには、メグミのパーシングがいる。

 

「これで、あと3輌です」

「んで、あれで6輌目と」

 

 さらに遠くからまた別の撃破音。距離からして、メグミの戦車ではない。

 

『こちらアズミ、パーシング1輌撃破』

「よし、後は2輌か」

 

 どうやらあの戦車はアズミが仕留めたようだ。ルミは握りこぶしを作るが、アズミからの通信はまだ終わっていなかった。

 

『ねえ、ルミ』

「ん?」

『今日のメグミ・・・すごいわね』

「気づいてたか」

『そりゃあ、ね』

 

 前とは比べ物にならないペースで敵を撃破していたら気づくだろう。特に、同じ副官で親しいアズミとルミはなおさら。

 そして当然、相手チームの隊長を務めている愛里寿だってこの戦果は知っているはずだ。

 すると、そこでまた通信が入る。

 

『こちら末広(すえひろ)!敵パーシング1輌撃破も相打ちです!すみません!』

 

 メイプル高校出身のパーシング車長・末広の報告に、ルミは『ご苦労さん』と答える。

 彼女は元々ルミの中隊に所属しており、この模擬戦でバミューダ3姉妹と愛里寿を除いて最後まで残っていたのだから、実力はそれなりに高い方だろう。

 

「これで残りは、私たち3人と愛里寿隊長だけね」

『そうね・・・ここまでは予想通りだけど・・・』

 

 試合終盤に残っているのは、愛里寿のセンチュリオンとルミたちのパーシングだけなのはもはや当たり前になってきていた。他の戦車がどれも弱いというわけではなく、むしろ強い。だが、この4輌はそれ以上に強いのだ。

 

『よし、アズミ、ルミ!バミューダアタックの準備!今日のパターンはFで行くわよ!』

「『了解!』」

 

 バミューダ3姉妹の中でもリーダー格のメグミの弾むような指示に、ルミとアズミは力強く返事をする。最終局面なので無駄話もそれぐらいにして、アズミからの通信は切れた。

 それにしても、メグミの指示もどこか張り切っているようにルミには聞こえた。

 

「くろがね工業との試合が決まって、張り切ってるのかね?」

 

 操縦手の珠洲(すず)が、パーシングを所定の位置へ向けて動かしながら言う。

 くろがね工業との試合が決まったことは、今日のミーティングで周知済みである。

 その試合に参加する戦車はまた後日決めるつもりだが、恐らくバミューダ3姉妹の戦車が出るのは確実。つまりメグミの戦車も当然起用されるだろう。

 今日メグミたちの戦車が絶好調なのは、選ばれた気になって張り切っているからか、それとも選ばれるように努力しているからなのか。だがどちらにせよ、それだけで今日いきなり急に強くなるとは、ルミは考えられなかった。

 

(何かいいことでもあったのかな?)

 

 しかしルミはそれぐらいに留めておいて、昼休みの時間にでも聞いてみるかと思考を切った。

 目の前には、愛里寿の乗る漆黒のセンチュリオン。

 あの戦車と戦う時は、余計なことを考えていると一瞬でやられる。

 だからルミは、センチュリオンを見据えてメグミの合図を待った。

 

 

 結局、今日のバミューダアタックも愛里寿には及ばず手痛いカウンターを喰らってしまった。新しいパターンを試しても成功しないので、愛里寿にはずっと勝てないのかもとメグミたちは錯覚する。

 

「メグミ、今日は随分とすごかったわね」

「え、何が?」

 

 模擬戦の後のミーティング、さらにシャワーで汗を流して私服に着替えてから、メグミたちは食堂へと向かう。その途中でアズミがメグミに話しかけた。

 

「何って、今日の模擬戦よ。あんたの戦車、6輌も倒したじゃない」

「ああ、あれね」

「急にどうしたの?くろがねとの試合が決まって張り切ってるの?」

 

 それはルミも同じく疑問に思っていたので、メグミに訊いてみる。

 

「あー、うん。それもあるんだけど・・・・・・まあ、色々ね」

「「?」」

 

 珍しく要領を得ない答えに、アズミとルミは首を傾げる。

 もちろんメグミは今日、乗員たちの調子がいいことには気づいていた。あれほどの成果を上げていたことに驚いていたのはメグミも同じだ。

 気になったので模擬戦の後で聞いてみたが、それに代表して答えたのは操縦手の深江。

 

『あんたにも春が来たんだなぁと思うとね』

 

 かすかに笑いながら答えていたが、つまりはそう言うことだった。

 同じメグミの車輌の乗員として、そして男とあまり縁がない戦車乗りとして、メグミに好きな人ができたのが嬉しいのだ。それが、それぞれのポテンシャルをより大きく引き出したのだろう。

 にわかには信じがたいが、感情によって人それぞれの能力に変化が現れるというのはよくある話である。今回は悪い感情に動かされたわけではないし、悪影響を及ぼしたわけでもないので責めることはできなかった。

 

「でも今日のメグミ・・・本当にすごかった・・・。私も、『もしかしたらやれるかも・・・』ってちょっと思ってた」

「いえいえ・・・でも今日も勝てませんでしたし・・・・・・やっぱり隊長には敵わないです・・・」

 

 愛里寿も、メグミの戦果には驚いていたらしい。『負けるかもしれない』という不安をあの愛里寿に植え付けただけでも上出来だ。

 

「もしかしたら・・・いつか私のセンチュリオンがメグミに倒されるかもしれない」

「・・・精進しますね」

 

 愛里寿はそれを悔しそうには言わず、むしろ心から楽しみにしているとばかりに小さく笑った。その『受けて立つ』というような笑みに、メグミも戦車乗りの血が少し騒いで、同じように笑って返す。

 その様子にアズミとルミは、嬉しさと悔しさがごちゃ混ぜになったような表情になった。

 さて、とメグミはそこで思考のスイッチを切り替える。

 深江の言っていた『春が来た』とは、メグミに好きな人ができた―――桜雲に恋をしたということだ。

 この先もメグミは桜雲と向き合っていくと決めたし、いつか絶対にこの想いを告げるとも心に決めていた。

 その気持ちは、気づいてからすぐに電話で対馬に伝え、そしてそこから深江達乗員全員に伝わった。彼女たちもその話は聞いてはいたので別にいいのだが、今思うと少し恥ずかしい。

 ただ、同じ戦車乗りとして、男とあまり縁がなく恋をすることも難しかったから、対馬や深江は今のメグミを応援してくれている。そして、今日のように嬉しさが戦車道にも表れた。

 喜ばしいような、恥ずかしいような、甲乙つけがたい現状だ。

 

「あっ、メグミさん」

 

 そんなことを考えていたら、渡り廊下の曲がり角で偶然にも桜雲と出くわした。以前正門前で会った時もそうだったが、この広い大学の敷地内で偶然出会うとは、何たる偶然にして幸運か。

 

「こんにちは、桜雲」

「「え?」」

 

 メグミは普通に挨拶をするが、それにアズミとルミが理解できないとばかりに揃って声を洩らす。

 

「島田さんも、こんにちは」

「・・・こんにちは」

「「は?」」

 

 それには気づかず、桜雲は前にも顔合わせ程度に挨拶をした愛里寿にも声をかける。愛里寿も桜雲のことを覚えていたが、やはり少し怖いのかメグミの陰に少し隠れて挨拶を返した。それにもアズミとルミは解せず、声を揃える。

 

(あ、しまった・・・)

 

 そこでメグミは、事の重大さに気づいた。

 この中で桜雲のことを知らないのはアズミとルミ。

 そして桜雲が真っ先に挨拶をしたのはメグミ。

 

 これは間違いなく、いじられる。主にメグミが。

 

 

 

 

「隊長、お箸をどうぞ」

「隊長、お手拭きを持ってきました」

「隊長、こちらにどうぞ」

「・・・・・・・・・」

 

 もはや定番となりつつあるメグミたちの世話を受けて、愛里寿が若干不満そうな顔をしつつも席に座る。それに桜雲は気づいていたが、話しかけるのもちょっと憚られた。

 さて、メグミたちと会ってから一触即発な空気になってしまったのだが、桜雲はこうして昼食の席をメグミたちと共にすることになった。誘ってきたのは意外にも、ルミだった。

 メグミたちが愛里寿の食事の席をセッティングし終えると、ようやく全員が席に着く。

 

「えっと・・・改めまして。桜雲って言います」

「よろしく、桜雲。私はアズミ」

「ルミよ。よろしくね」

 

 初対面同士の桜雲とアズミ、ルミが挨拶をする。先ほどは若干気まずい空気だったが、今2人はにこやかに桜雲に向けて笑っていた。

 しかし、同じように笑っている桜雲の隣に座るメグミは、少しだけ厳しい顔をしていた。

 

「メグミさん、どうかしたの?」

「へ?」

「いや、何だか怖い顔をしていたから」

 

 そのメグミにいち早く気付いた桜雲が声をかける。

 心配そうにのぞき込む桜雲の顔を見て、厳しい顔が緩みメグミは少し頬の温度が上がってくるが、目元を抑えて大丈夫な風を装う。

 

「ううん、何でもないの。ありがとうね」

「それならいいけど・・・」

 

 桜雲は安心するが、そこで。

 

「へぇ~」

 

 桜雲の正面に座るアズミが何かに納得するかのような、間延びした声を出した。表情も相まって、妙に色っぽい。

 

「2人とも、結構仲が良いみたいね。タメで話してるし」

「ええ、僕らは同い年ですから」

「だったら、私にも敬語は必要ないわよ?メグミと同い年だし」

「私もオッケーだよー」

「分かった。それじゃあよろしくね、アズミさん、ルミさん」

 

 アズミの申し出にルミも便乗し、桜雲は小さく頷いてから敬語を外した。

 それは一見穏やかなやり取りだが、メグミはマズいと危惧している。アズミとルミとはかれこれ3年ほどの付き合いになるから、この2人がこの状況でどう動くのかは手に取るように分かった。

 ちなみに愛里寿だが、桜雲たちのやり取りを気にしつつもハンバーグを食べていた。

 

「でも、隊長も桜雲のことを知っていたんですね?」

「・・・前に、メグミが一緒に帰っているところを見かけて」

 

 ルミが隣に座る愛里寿に訊くと、愛里寿はちらちらと桜雲のことを見ながらたどたどしく答える。

 その瞬間、ルミとアズミの顔がぴかっと光ったように見えた。メグミの中で『しまった』と電流が走る。

 

「へぇ、そっかそっか。桜雲だったのか」

「え、何が?」

 

 合点がいったとルミが頷くと、桜雲はルミのことを見る。

 

「いや、前にメグミが男の人と一緒に帰ってるのをちらっと見てね。それが桜雲だったのかって」

「あ、そういうこと」

 

 さらにルミの言葉から、アズミは記憶を掘り起こす。

 

「それじゃ、メグミが猫カフェで知り合ったって言ってたのも桜雲なのね?」

「うん、そうだと思うけど・・・」

 

 そこで桜雲は、メグミの方を見る。確認を込めて。

 

「・・・ええ、そうよ。私が猫カフェで会ったって言うのも、ルミが見たって言うのも、桜雲のこと」

 

 アズミとルミが『ほっほう』と言うような感じでにやける。よくない兆候だなと思いながら、メグミはラーメンを啜った。

 

「なるほどねぇ・・・ようやく腑に落ちたわ」

「?それならいいけど」

 

 アズミがうんうんと腕を組みながら頷く。その態度が少し引っかかったが、桜雲は深くは考えずにカレーを食べる。

 

「・・・メグミもようやく、桜雲と付き合い始めたってことね」

 

 アズミの前振りなしの唐突すぎる言葉に、メグミは思わず咽てしまい、愛里寿はぴくっと肩を震わせる。桜雲はびっくりして『大丈夫?』とメグミに声をかけた。

 

「友達として」

「紛らわしい言い方しないで!」

 

 とってつけたようなアズミの一言に、メグミがかみつく。ここが食堂でなければ、今頃ここは水を打ったように静まり返っていただろう。

 アズミはその反応が面白いのかくすくすと笑い、ルミが『からかうのも大概にな~』と軽く注意する。そんなルミも同じく笑っているので、彼女もまた面白がっているのは目に見えた。

 

「全く・・・驚かせないでよ」

「そうだよ、アズミさん」

「ごめんなさいね。前はメグミ、ただの知り合いとしか言ってなかったから」

 

 水を飲んで落ち着いたメグミが不満そうに告げる。桜雲も苦笑して目を向けるが、アズミは少しも反省していないように笑ったままだ。

 そんなメグミと桜雲の心は。

 

((緊張した・・・・・・))

 

 2人は当然知る由もないが、メグミと桜雲はお互いに隣に座っている人のことが好きである。ただでさえ距離が近くて、おまけに冗談とはいえそんなことを言われると動揺するしかない。元々抱いていた緊張感も割り増しとなってしまう。

 

「隊長、どうかしましたか?」

 

 そこでメグミが、愛里寿の方を見る。桜雲も見てみれば、彼女はぽかんとした顔で2人―――メグミと桜雲のことを見ていた。

 

「あ、ううん・・・何でもないよ・・・」

「そうですか?」

「何か気になるのなら、言ってみていいよ?」

 

 桜雲が優しく話しかけると、愛里寿は少し俯く。

 アズミとルミは、愛里寿が男と関わりを持ったのも初めてだと思う。元々、愛里寿は13歳の身で大学に通っているから孤立しがちであり、同じ大学の男と縁があるようではなかった。メグミたち大学選抜チームの面々が、不埒な男を愛里寿に近づけないように細心の注意を払っているからでもあるのだが。

 だから、こうして愛里寿が桜雲という男との繫がりができかけているのが、初めてで、新鮮に見えた。

 

「・・・2人は、猫カフェで知り合ったんだよね?」

「ん?うん、そうだよ」

 

 愛里寿は、ハンバーグを食べる手を止めて桜雲の方を見る。先ほどのようにちらちら見るのではなくて、視線を合わせていた。

 

「桜雲は・・・猫が好きなの?」

「そうだね。動物全般好きだけど、一番猫が好きだな」

 

 愛里寿の質問に、桜雲は即答する。この手の質問は、桜雲にとってはもう慣れっこだった。

 

「意外だなー」

「え?」

「男の人って、ライオンとか犬とか・・・こう、かっこいい系の動物が好きなイメージがあったから」

 

 とんかつを食べていたルミの言葉ももっともだと、桜雲は思う。明確なものではないが、男らしいイメージのある動物と、女性的な感じのする動物がある。桜雲の所属する動物サークルの男子は、大体が犬や鳥(主に猛禽類)が好きだったりする。桜雲の好きな猫は、若干女性的なイメージだ。

 

「それはよく言われるよ。周りの男子は犬派なのに僕一人だけ猫派ってこともあった」

「犬が好きか猫が好きか、って質問?」

「そう、それ」

 

 アズミの口ぶりからして、この話題は1度経験したことがあるらしい。

 

「女みたいだ、ってからかわれたこともあったなぁ。まあ、今もそんな感じはしてるけど」

「でも、あんまり気にしない方がいいわよ?」

 

 自嘲気味な桜雲の言葉に被せるようにそう言うのはメグミ。それに桜雲だけでなく、アズミとルミ、愛里寿もメグミの方を向く。

 だが、今のメグミに映っているのは桜雲だけだ。

 

「誰がどんな動物を好きになるかなんてのは人それぞれだし・・・何かを好きだって思うことは絶対恥ずかしがることじゃないから」

「・・・メグミさん」

「だから、落ち込むことはないと思うわよ」

 

 桜雲は別に、『女みたい』と言われたことに腹を立ててはいないし、特別落ち込んでいるわけでもない。

 だが、メグミからそんなことを言われると、勝手に心が温まり、そして嬉しくなってくる。

 

「それに・・・・・・あなたが猫を好きだったからこそ、私と知り合えたわけだし・・・」

 

 そして、そんなメグミの消え入るような声を、桜雲は確かに耳にした。

 そう、桜雲が猫が好きで、猫カフェに行く趣味を持ち合わせていなければ、メグミと出会うことだってなかったのだ。

 桜雲が、メグミのことを好きになることだってなかった。

 

「・・・そうだね、その通りだ。ありがとう、メグミさん」

 

 桜雲が笑ってそう返すと、メグミは少し恥ずかしくなってきてしまったので、顔を背ける。

 

「・・・2人とも、仲良さそうだね」

 

 その桜雲とメグミの様子を見て、愛里寿がぽつりと呟いたので、2人はハッとする。

 そして目の前には、何とも微笑ましいものを見る目をするアズミとルミ。

 

「いやぁ、お熱いようで」

「青春してますなー」

 

 茶化され、2人は互いに顔を合わせることもなく食事を再開する。恥ずかしくて、顔を合わせることなんてできやしない。

 

「ってことは、メグミがあれだけ猫を手懐けられたのも、桜雲に教えてもらったから?」

「・・・・・・ん、そうね。教えてくれたの」

「へー、やっさしいのねぇ」

 

 メグミが視線を合わせず、アズミの質問に答える。その答えを聞いたルミが桜雲に向けて、にかっと爽やかな笑みを向ける。

 桜雲は、そのルミに対して曖昧な笑みを浮かべて返した。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、メグミはその様子を横目に見て、猛烈に胸がもやもやし始めた。啜っているラーメンの味がしなくなる。

 この気持ちは、恋をしている今だからこそ抱くことができる―――

 

「ああ、大丈夫よメグミ。別に他人の男を取るような真似はしないから」

 

 メグミの変化に気づいたルミが、いち早く弁明のような冗談を言う。

 

「だからそんなのじゃないってば」

「はいはい」

 

 メグミは否定するが、ルミが間の抜けた返事をする。

 こうして男と交流を知られると、弄られたり茶化されたり面倒なことになるのが予想できたから、知られたくは無かった。

 この上、メグミが桜雲に好意を寄せていることを知られたら、どうなることか分かったものではない。

 ただ、こうして図らずも桜雲とまた一緒に昼食を摂ることができたのは嬉しいので、それについては嘆かない。

 一方で桜雲も、ここでメグミを除く女性2人と愛里寿1人を相手にするのが少々きついので、カレーを食べ進める。

 桜雲が女性と一緒に食事をするのは初めてではない。サークルのメンバー男女混合で食事会をしたことがあるし、この前も柊木とサシで昼食の席を一緒したことがある。それでも男女比1:4は初めてだから、桜雲自身緊張はしている。

 しばらくの間は食事に集中していたが、カレーが残り一口ぐらいまで減ったところで、桜雲は1つ思いついた。その時には、流石にメグミに対し感じる恥ずかしさや気まずさも薄くなっていた。

 

「あ、そうだメグミさん」

「ん、何?」

「今度さ―――」

 

 と、そこで桜雲はここにはアズミとルミ、愛里寿もいるんだということを思い出す。これから言うことを考えれば、確実にアズミとルミにからかわれるのが目に見える。

 この短時間で桜雲は、メグミがアズミ、ルミと親しい間柄だということは分かったので、からかわれるのも日常なのかもしれない。だが、そうなるのは桜雲はそこまで好きじゃないし、メグミももしかしたらあまり好きではないのかもしれない。

 

「・・・いや、何でもないよ。ごめんね」

「う、うん・・・・・・そう」

 

 それを考えて、桜雲は会話を打ち切ってしまった。メグミも、何か釈然としないようではあるが、一応は納得する。

 だが、その桜雲の行動はかえって仇となってしまった。

 

「・・・ここじゃ話しにくいこと?」

「あー、それは・・・えっと・・・・・・」

 

 愛里寿に純粋な瞳を向けられて、桜雲も少し動揺する。

 

「あら、いったい何を話そうとしたのかしら?」

「いいんだよー?別に恥ずかしがらなくっても」

 

 結局、アズミとルミにからかわれることに変わりはなかった。メグミは黙り込んでしまったし、愛里寿は興味深そうだったし、アズミとルミはグイグイ来るしで、桜雲が最後のカレーの一口を食べるのは、ずっと後のことになった。

 

 

 その日の帰り道、メグミは小さく息を吐いた。

 今日は実に疲れた。戦車道はこの暑い時期は余計疲れるものとなるが、それ以上に昼休みの一幕が疲れた。

 メグミの車輌の乗員全員だけでなく、アズミとルミにまで桜雲とのかかわりを知られてしまったのは、少し痛い。今後、今日のようにからかわれることが目に見えるから。

 少し前までのメグミと同じで、アズミとルミも言ってはなんだが女子力はそれほど高くはない。そして、対馬たちと同じで男にあまり縁のない戦車乗りだから、男との出会いを求めている。

 そんな彼女たちからすれば、最近になって男とのつながりができたメグミは羨望の的であり、同時にいじり甲斐のある絶好のおもちゃだ。

 メグミ自身、自分の性格と出身校の校風ゆえに盛り上がることが嫌いではないものの、自分が中心になって、しかもそれで自分がからかわれるのは御免被りたかった。

 しかしもう過ぎてしまったことだし、これから先もまたあの2人に色々言われるんだろうなと思い、また嘆息する。

 桜雲と出会ったことに後悔などは、毛頭していないが。

 

「っと、電話か」

 

 ポケットに入れていたスマートフォンが電話を知らせる。画面を見て誰からの電話かを確認するや否や、考えることなく『応答』をタップする。

 

「もしもし?」

『こんばんは、メグミさん。今、ちょっと平気?』

「ええ、大丈夫」

 

 電話の相手―――桜雲の声を聞くと、メグミの唇が自然と緩む。

 

『お昼ご飯の時に話そうと思ったんだけどさ・・・』

 

 メグミはそれで、あの時桜雲が何か言いかけて止めたのを思い出す。どうやら、あそこでは話せそうになかったことのようだ。

 

『明日のお昼も・・・メグミさんと一緒してもいい?』

 

 なるほど、それは確かにあの2人の前では話せそうにないなと思う。メグミ自身は気にしないしむしろ大歓迎だが、その言葉は捉え方次第では恋人的な意味で付き合っていると思われるから。

 

「うん、いいわよ」

『そっか・・・よかった』

 

 桜雲が安心したような声色になる。

 メグミだって、抵抗などない。自分が好きでいる人から食事に誘われることが、嬉しくないなど、鬱陶しいなど、思うはずもない。

 桜雲のことを好きでいるからこそ、その人と一緒にご飯を食べて、一緒の時間を少しでも長く過ごしたかった。

 

『それじゃ、明日の・・・・・・12時過ぎぐらいかな。食堂の前で待ち合わせよう』

「了解よ・・・あ、そうだ」

『?』

 

 電話が切れそうになるが、今度はメグミが桜雲に話しかける。

 

「明日のお昼・・・私とあなたの2人だけの方がいい?」

 

 もしかしたら、桜雲も今日のアズミとルミの弄りに疲弊しているかもしれなかった。桜雲は終始朗らかな笑顔を浮かべてはいたが、内心どう思っていたのかは分からない。

 

『あー・・・うん、そうだね。その方がいいかも』

「OK、分かった」

 

 そしてメグミが『それじゃあ明日ね』と言おうとするが。

 

 

『・・・・・・むしろ、最初からそのつもりだったし・・・』

 

 

 桜雲の紡いだ言葉に、メグミも歩みを止める。

 かあああっ、と顔が赤くなるのが自分でもわかる。

 

『・・・って、ごめんね。変なこと言って。それじゃ、また明日ね』

「う、うん・・・・・・」

 

 そして、電話が切れる。

 今のメグミの頭には、2つの言葉が漂っていた。

 1つは『また明日』。これまで別れる時は、明確に次はいつ会おうと言葉を交わしたことは無かった記憶がある。だから、明日もまた会えると分かって、メグミはホッとしていた。

 そしてもう1つは、『最初からそのつもりだった』という言葉。

 何の変哲もない言葉に聞こえるだろうし、もしかしたらメグミの考えている意味とは違う意味が込められていたのかもしれない。

 だが、それでも今は、良い方向に考えて、期待することを許してほしい。

 桜雲もまた、メグミと2人だけでの昼食を望んでいた。

 メグミのことを、想ってくれているのだと、考えることを。




メイプル高校出身のパーシング車長の名前は、
メイプル高校の本籍地である北海道の地名から、
ルミのパーシング乗員の名前は、
母校・継続高校の本籍地である石川県の地名からそれぞれ戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Escalate Energy

 この暑い時期、戦車道の後で浴びるシャワーは格別だ。

 戦車の中は蒸し暑く、タンクジャケットも厚手なせいで熱がこもりやすく、ここ最近では訓練が終わったころには汗だくになってしまうのがお決まりだった。

 そこで浴びるシャワーは、汗と一緒に不快感や疲労感も流してくれるようで、さっぱりする。

 そうしてシャワーを浴び、身も心もすっきりしたメグミは鏡の前で髪を整えている。

 

「~♪」

 

 鼻歌交じりにブラシで髪を整えるメグミに近づく影が1つ。

 

「やけに上機嫌みたいじゃない」

「あら、対馬」

 

 鏡に映っている見知った仲間の姿に、メグミは大して驚きはしない。対馬は首にタオルをかけて、水筒の水を飲んでいた。

 

「メグミって、シャワーの後でそんなに真剣に髪整えることなんて、あんまりなかったと思うけど」

「ああ、そう言えばそうかも・・・」

 

 普段のメグミと言えば、シャワーの後はタオルで拭いて、その後ちょっとブラシを入れる程度だ。ここまで何分もブラシで整えることはない。

 

「何?誰かと待ち合わせでもしてるの?」

 

 対馬に問われるが、メグミは答えにくそうな顔になり、視線を対馬から鏡に戻す。だが、その態度だけで対馬は察した。

 

「・・・コレか」

「・・・そう、ソレよ」

 

 小指を立てるジェスチャーをとる対馬に、メグミは頷く。

 今この鏡の前にはメグミと対馬しかいないが、ここにいないだけでこの更衣室にはまだ多くの大学選抜チームのメンバーがいる。一応、メグミに好きな人がいるという情報はまだメグミのパーシング内だけで共有されている情報であり、オフレコだ。うっかり聞かれて情報が広がるのは避けたい。

 

「そうかそうか、順調に付き合いが進んでるみたいだな」

「まあね」

「色々、頑張んなさい」

「何をよ」

「んー・・・色々?」

 

 対馬が首を傾げ、メグミはふっと笑う。

 メグミは仕上げにドライヤーで髪を乾かし、改めて鏡を見直して問題が無いのを確認する。

 

「アズミたちはもう行ったかしら?」

「さっきね。でも、これからメグミが会う人のことは、アズミたちも知ってるんでしょ?」

「存在自体はね。顔合わせもしたし。でも、その・・・私にとってそういう人ってことには気づいてないはず」

「ほー」

 

 流石に平然と『桜雲が好き』なんて言うことは、直情的なメグミであってもできない。

それに、誰それが好きなどとは、色々拗れないために、たとえ内輪であっても言うのは控えた方がいい。

 

「ま、私たちからは言わないでおくよ。だからあんたは、心置きなく楽しんできなさい」

「ありがと、恩に着るわ」

 

 対馬と話している合間にもメグミは着替えを済ませ、それが終わると軽く手を振りながら更衣室を出て行った。

 残った対馬は、小さく息を吐きながらドライヤーを手に取る。

 

(あそこまで丁寧にお手入れするとは、よっぽど気合い入れてるんだな~)

 

 スイッチを入れると、熱風が対馬のショートヘアに吹き付けられる。直射日光の殺人的な暑さや、戦車の中の蒸し暑さとはまた違う心地よい熱に、対馬は心地よさを覚える。

 

(浮かれてるねー・・・青春してるねー・・・)

 

 髪が短いので、まんべんなく熱風を当てても時間はそれほどかからない。熱風から冷風に切り替えて、最後にドライヤーを切る。

 ドライヤーを元あった場所に戻し、対馬はまた一つ溜息を吐く。

 

(・・・いいなー)

 

 先ほどのように恋しているメグミが、羨ましかった。

 やはり対馬も、男との出会いには、恋愛には少しだけ興味があったのだ。

 

 

 メグミが待ち合わせ場所である食堂の前に着いた時、桜雲は既に待っていた。

 

「ごめんなさいね、待たせちゃった」

「全然、大丈夫だよ」

 

 桜雲は笑って手を軽く振り、メグミを出迎える。そして挨拶も手短に、2人は食券を買って食堂へと入る。

 中へ足を踏み入れた直後、メグミは辺りを注意深く見回す。アズミやルミたちが近くに座っていて、桜雲と2人でいるこの状況を見られたら確実に厄介なことになるので、いないかどうかを確認していたのだ。

 だが、その2人をはじめとした知人の姿は確認できず、メグミはホッとする。

 

「どうかしたの?」

「ううん、何でもないわ」

 

 メグミの態度が少し気になったが、桜雲は『何でもない』というメグミの言葉を信じてあまり引きずって考えはせず、豚の生姜焼き定食を受け取る。メグミも同じようにとんかつ定食を受け取って、2人掛けのテーブル席に着く。

 近くには、知り合いの姿は無い。この食堂もそこそこ広いし、そう簡単に出くわすことや、見つかることもないだろう。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 お互いに手を合わせて食事を始めるが、ほどなくして桜雲が話しかけてきた。

 

「ごめんね、昨日は急に誘っちゃって」

「謝ることはないわ。私だって、誘われて嬉しかったし」

 

 それはどういうことか、と桜雲が訊こうとしたが、前にメグミは『桜雲とまた一緒にお昼ご飯を食べたい』と言っていたのを思い出す。

 それなら迷惑と思われていないのかも、と桜雲は少し楽観的に考えたが、それでもまだ不安は残る。

 

「誘った後で聞くのも何だけど・・・島田さんやアズミさんたち大学選抜チームの方は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。昼ご飯はいつも軽いお喋り程度で、別に大事な話をするとかそんなことはほとんどないから」

「そうなんだ・・・」

 

 そして食事を再開。だが、今度はすぐに会話が生まれることは無かった。

 忘れてはいないが、桜雲もメグミもそれぞれ、目の前に座っている相手のことを好きでいる。そんな人と面と向かって2人きりの状況になってしまって緊張し、どんなことを話したらいいのか分からなくなっているのだ。

 桜雲が誘った身ではあるが、何を話せばいいのを探していて結局口が開けず、ダメだなぁと桜雲は結局自分を卑下する。

 メグミも同じだったが、先に話題を見つけたのはメグミだった。

 

「そうだ、桜雲」

「?」

 

 一旦箸を置いて、メグミが桜雲を見る。桜雲も同じく、何かを話そうとするメグミのことを見る。

 

「夏休みにね、大学選抜が社会人チームと試合をすることが決まったの」

「本当?」

「ええ。相手は、くろがね工業」

 

 そのチームの名前を聞いて、桜雲が自分の記憶を手繰り寄せて思い出そうとする。

 そして、3秒足らずで思い出した。

 

「それって、この前言ってた?」

「そう、けっこー強い実業団チーム」

「うわ・・・厳しそうだね・・・」

 

 桜雲が苦笑し、メグミも『ホントにね』と言いながら同じく苦笑いを浮かべる。

 

「その試合、いつやるのかはもう決まってるの?」

「ええ。来月8月の22日よ」

「8月、22日・・・・・・」

 

 日付を反芻し、桜雲は少し考えてから。

 

「よければ観に行ってもいい?」

「ええ、もちろん。そのつもりで話したんだし、桜雲が前に『やるなら観てみたい』って言ってたんだから」

 

 メグミが言うと、桜雲は『やった』と小さく呟く。

 同時に桜雲は、自分の言葉を覚えてくれていたことに少しばかり嬉しくなる。

 

「じゃあその日は、応援させてもらうね」

「ありがと。応援してくれる人がいると、やる気も出てくるし」

 

 その応援してくれる人が、メグミにとって好きな人だからなおさらなのだが、それはとても言えない。

 そこで桜雲は、『あれ?』と疑問に思う。

 

「ということは・・・夏休みの間も、戦車道があるってこと?」

「そうよ。休みもあるけど・・・週1ぐらい」

「うわ・・・大変そうだね・・・」

 

 大学選抜チームに属さない友人にこの話をすると、大体桜雲のような反応をする。

 だが、メグミが副官となる前、大学選抜チームに入った時から、このタイトな訓練スケジュールは変わっていない。最初こそ『厳しい・・・』と何度弱音を吐いたかは分からないが、3年経った今では『キツイなぁ』程度にしか思わなくなってしまった。時として慣れとは恐ろしいものである。

 

「それじゃ、夏休みの間の練習も観に行っていい?」

「え?」

 

 再びの桜雲の提案に、今度はメグミは少し

 大学選抜チームの練習は非公開となっているわけではない。戦車道関係者はもちろん、一般人も観ることはできる。専用の簡易的な観客席も設けてあるぐらいだ。

 だから、観る分には問題は無いのだが。

 

「別にいいけど・・・何で?」

「もちろん、興味があるから」

 

 何の逡巡もなく、メグミの問いに桜雲が答える。

 その答えを聞いてメグミも、くろがね工業との試合を観たいと言うぐらいには戦車道に興味があったのだし、練習を観てみたくなるのも当然かと思う。

 

「それに、メグミさんのこと応援したいし」

 

 だが、桜雲がしれっと呟いたその言葉に、メグミも硬直する。

 ここで迂闊に口を開くと、うっかり桜雲に自分の想いを告げてしまいそうになりそうだ。

 

「・・・ありがとう、桜雲」

 

 だが、何とかしてその本音は飲み込み、感謝の気持ちは伝える。

 一方で桜雲が先の言葉を告げたのは、打算があったのではなくて、ただ純粋にメグミのことを応援したかったからだ。好きな相手であるメグミに少しでも良く見られたい、という気持ちも無いわけではなかったが、それでも応援したかったことに変わりはない。

 

「桜雲が応援してくれるのなら、私も頑張れそうだわ」

「あんまり無理はしないでね」

 

 その後は、桜雲のサークルの話をしたり、戦車道のちょっとした小噺をメグミが披露したり、他愛もない言葉を交わしながら食事の時間を和やかに過ごしていく。

 そして、2人ともに食べ終えて手を合わせてから。

 

「あ、そうだメグミさん」

「?」

 

 立ち上がろうとしたメグミに、思い出したような桜雲の声がかかる。

 

「この前メグミさん・・・お礼ってことで僕にお弁当を作ってきてくれたじゃない?」

「うん、作ってきたけど・・・」

 

 いきなり何の話を蒸し返したかと思えば、な感じだ。

 だが、あの日はメグミにとってもとても意味のある一日だったし、あの日があったからこそ今のメグミがいるわけでもある。

 

「それで、考えてたんだ。僕だけ作ってもらうのも何か悪いなって・・・」

「え?」

「だからさ・・・今度は僕が、作ってくるよ」

 

 メグミは、桜雲の顔を見たままで動きを止める。

その桜雲の申し出はメグミからすれば、不安とか迷惑とか思えないほど嬉しいことだったし、心がぐつぐつと湧き上がってくるのが自分でも分かる。

 

「ええと・・・いいのかしら?と言うか、桜雲って料理できるの?」

「うん、曲がりなりにも一人暮らしだし」

 

 その自分の提案も、料理をすることも全く負担と感じていないような桜雲を見て、メグミもあれこれ考えることを放棄する。

 残ったのは、自分のために桜雲が弁当を作ってきてくれることが嬉しいと思う気持ちだけ。

 

「・・・ホントにいいの?」

「うん。すぐってわけにはいかないけど・・・」

「それじゃ・・・楽しみにしてるわね?」

「よし、分かった」

 

 桜雲が言いたかったことはそのことだけのようで、桜雲は食器を持って立ち上がる。メグミも後に続いた。

 

「昨日急に誘っちゃった僕が言うのも変だけど、メグミさんは戦車道優先で良いからね?」

「ええ、分かったわ」

 

 食器を返す途中で桜雲が申し訳なさそうに話す。

 メグミとしては、確かに昼休みは愛里寿たちと食べることが多く、戦車道の話も時折する。だがそれは、絶対というわけではない。アズミとルミも、たまに自分の戦車の乗員たちや、戦車道絡みではない友人と食べることもある。

 だから正直、愛里寿たちとの食事を優先することもないのだ。

 

「じゃあ、桜雲」

「?」

「また明日も・・・・・・一緒に、どう?」

「うん、いいよ」

 

 メグミにとって勇気ある一言に、桜雲はあっさりと答える。メグミはそれに拍子抜けし、同時に桜雲は自分との食事をそこまで特別と思っていないのかもしれないと不安になる。

 だが、桜雲だってメグミから再び昼食に誘われたこと自体は飛び跳ねるぐらいに喜ばしいことである。それがメグミに知れて拒絶されるのが怖くておくびにも出していないのだが、結果的にそれはメグミに不安を植え付けることになってしまった。

 

「それじゃ、また明日ね」

「ええ、また明日」

 

 食堂の前で2人が別れるが、2人の足取りは軽やかで、微かに笑っていた。

 それだけで、先ほどの時間がそれぞれにとってとても楽しいひと時だったのが、他人からも分かった。

 

 

 

『バミューダアタック、パターンSで行くわよ!』

「了解!」

 

 無線から聞こえるメグミの掛け声にアズミが応え、操縦手の早島(はやしま)の手によってパーシングが加速する。

 掛け声の主であるメグミのパーシングは、アズミのパーシングの左隣を走る。ここからは見えにくいが、ルミのパーシングはメグミのパーシングのさらに左隣にいるはずだ。

 しかしアズミは、今は前しか見ない。これから戦う相手を前に余所見などしていては、一瞬でやられる。

 

『今!』

 

 メグミの合図を聞いた早島は、操縦桿を倒してパーシングを左にドリフトさせる。

 今回のバミューダアタックは、3人のパーシングがそれぞれ同じ方向、同じ角度、同じスピードで目標の脇をドリフトして移動し、3輌で狙い撃ちするスタイル。これはルミが提案したものだ。

 ただし、今目標としているセンチュリオンの車長・愛里寿は、コンマ5秒ほどの初動で相手がどんな動きをするのかを瞬時に予測し、最速で対処してくる。

 戦車が横滑りにドリフトし、世界全てがスローモーションとなっているように錯覚する今も、センチュリオンは信地旋回を始めてこちらを1輌ずつ屠る態勢に入っていた。

 こうなった今できることは、砲撃して少しでもセンチュリオンを撃破しようとすることしかない。

 既に装填手の美作(みまさか)は装填を終えているので、アズミの指示1つでいつでも砲撃できる準備ができていた。

 

「撃て!」

 

 アズミが指示を出すと、即座に砲手の真庭(まにわ)がトリガーを引き砲弾を放つ。

 だが、愛里寿はそれを読んでいたようにセンチュリオンを超信地旋回させて砲弾を避け、返すように砲撃。3輌の中で一番端にいたアズミのパーシングに直撃し、はじかれるようにスピンして動きを止めた。

 軽い音ともに白旗が揚がるが、それでもアズミはセンチュリオンから目を逸らさなかった。悔しがるよりも、行く末を最後まで見届けて次のために何か活かせることはないかを見つけるために。

 そのおかげで、アズミの眼はしっかりと捉えることができた。

 

 

 『ギィン!』という音とともに、センチュリオンの側面装甲を何者かの砲弾が掠めたのが。

 

 

 

「!」

 

 これまで掠りもしなかったセンチュリオンに、誰かの砲弾が掠った。

 一体それは、誰の戦車のものなのか。

 

「・・・・・・メグミね」

 

 しかしアズミは、直感的にその砲撃がメグミのパーシングによるものだと気づいた。ここ最近の伸び具合からして、その可能性が高かったからだ。

 そのメグミのパーシングも、今やセンチュリオンの砲撃を受けて黒煙を上げてしまっていたが。

 

『島田チームの勝利!』

 

 審判役の隊員からの通信が入り、戦車の中の空気が緩む。それぞれは肩や首を回したり、溜息を吐いたりして緊張をほぐすが、その中で通信手の鴨方(かもがた)がアズミに話しかけてきた。

 

「さっきの音・・・隊長の戦車に当たったんですか?」

「・・・正確には、掠ってたわ」

 

 先ほどのセンチュリオンに砲弾が掠った音は、他の乗員にも聞こえていたらしい。鴨方だけでなく、他の乗員も先ほどの音のことについて話していた。

 

「まさか、あの隊長のセンチュリオンに掠らせるなんて・・・誰の戦車です?」

「多分・・・メグミよ」

 

 早島の質問にアズミが答えると、納得したようにうなずいた。

 

「確かに、メグミさんのパーシング、ここ最近は力を伸ばしてますからね・・・」

「ああ、今日もそうだったね」

 

 真庭と早島が話すが、確かにここ数日メグミのパーシングは力を伸ばしつつある。1つの模擬戦での撃破数を見れば、メグミのパーシングが一番多い。

 そんなメグミのパーシングの方を見れば、乗員たちはそれぞれ拳と拳を合わせて、健闘したのを喜び合っていた。メグミと、砲手の平戸に至ってはハイタッチを交わしている。

 センチュリオンを撃破したわけでもないのだが、今まで掠りもしなかったのだからあれだけ喜ぶのも仕方がないと思う。

 

「さ、そろそろ行きましょ?」

『はい!』

 

 アズミが一声かけると、乗員全員が返事をしてそれぞれ外へ出る。

 軽やかに地面に降りたアズミは、メグミの下へと歩み寄る。

 

「メグミ、すごいじゃない。まさか隊長の戦車に傷をつけるなんて」

「ああ、ありがとアズミ。平戸はもちろん、みんなのおかげよ」

 

 メグミは誇らしそうに自分の戦車の乗員を見る。そのメグミの顔には一切の驕りは無く、あのセンチュリオンに一矢報いることができたのは自分の仲間のおかげだと、顔に書いてあった。

 メグミは直情的なところがややあるが、だからといって自分の仲間の手柄まで自分のものと思う我田引水な性格をしてはいない。そんなことでは副官など務まらないし、そもそも戦車乗りには向かない。

 

「・・・・・・あ」

 

 そこで、メグミの視線がセンチュリオンを降りた愛里寿とかち合った。

 愛里寿は、模擬戦が始まる前と同じように凛々しくも愛らしい表情をしていたが、何かメグミに言いたそうにも見える。

 

「今日のお昼はどうするの?」

「そっちで食べるわ」

「そ」

 

 アズミが質問したのは、一昨日、昨日とメグミが珍しく愛里寿たちとは別で昼食にしたものだから、気になったからである。

 

「愛里寿隊長も、何か言いたそうだしね」

 

 どうやら先ほどの愛里寿の顔には、アズミも気づいていたらしい。

 今日の模擬戦は、恐らくは愛里寿にとっても思うところのあるものだったに違いない。

 メグミが記憶している限りでは、愛里寿が大学選抜チームの隊長に就いてから、センチュリオンは傷を負ったことなどない。撃破などもってのほかだ。

 だから、今日の掠り傷は愛里寿にとっても初めてのことである。その初めての傷を負わせたメグミには、愛里寿も何か話したいことがあるだろう。この後行われるミーティングで言及されるかどうかは分からないが、戦車道の時よりは軽い雰囲気の食事の席では話がしたいと思っているはずだ。それはメグミも分かっている。

 

(・・・・・・桜雲には、明日話そうかな)

 

 今日、メグミは桜雲と一緒に昼食にしようと約束をしてはいなかった。

 メグミは今日もまた桜雲と一緒でもよかったのだが、桜雲の『戦車道優先で良い』という言葉も捨て置くことはできなかったので、その言葉に甘えてメグミは2日に1度は愛里寿たちと食べることに決めた。

 けれど、今日の成果は桜雲にも話したかった。桜雲は既に愛里寿がどれだけ強いのかということは知っているし、これまで掠り傷1つ負ったことがないというのもメグミは話したことがある。

 だから、今日その愛里寿のセンチュリオンにメグミのパーシングが傷を負わせたことが如何にすごいことなのかを、桜雲にも伝えて喜びを分かち合いたかった。

 ただ、もちろん今日の成果にずっと浮かれて鍛錬を怠るつもりはない。次は掠り傷ではなくて、確実に命中させる。あわよくば撃破したいが、その前にまずは弾を当てることだ。

 心の中で次の目標を立てたところで、同じく戦車を降りたルミと合流し、ミーティングに使う会議室へと向かった。

 

 

 

「それは・・・すごいね」

「でしょ?」

 

 その翌日、メグミは自分で決めた通り桜雲と一緒に昼食を摂っていた。

 細心の注意を払って自分の知り合いが周りにいないことは確認済みなので、メグミは心置きなく桜雲との昼食を楽しんでいる。

 

「だって、撃破することも、傷1つ付けることもできなかったんでしょ?それはすごいよ」

「うん、私も驚いた。結局撃破することはできなかったけど、私たちはてんやわんやの大騒ぎだったわ」

 

 盛り上がる気持ちも桜雲には分かる。今までずっと届かないと思っていた相手に、致命傷には至らずとも傷を負わせることができたのだから、まさに万々歳。それに相手が相手なのもあって、その喜びはひとしおだろう。

 

「でも、なんでそんなに急に強くなったんだろうね?だって、今までできなかったんでしょ?」

「あー・・・・・・ホント、何でなのかしらね?やっと努力が実を結んだから、かしら?」

 

 まさかその理由が、今自分の目の前にいる桜雲が一端にあるなど、メグミは言えるはずもない。

 

「それじゃ、この調子で島田さんのセンチュリオンを倒すことができるかも?」

「ん・・・・・・それはちょっと、難しいかも」

「え?」

 

 やけに消極的なメグミの言葉に、桜雲も戸惑う。てっきりこの調子で行けると思ったのだが、何か心配なことがあると言うことか。

 

「昨日掠り傷を付けちゃったせいで・・・隊長も警戒を強めてるっぽいのよ」

 

 メグミが言うには、今日は愛里寿のセンチュリオンの動きがいつもよりも俊敏になり、また前のように傷1つ付けることもできず返り討ちに遭ってしまったのだ。

 それはメグミの言った通り、昨日のことがあって愛里寿がより注意深くなったからだろう。

 だから、その愛里寿に1発当てるということ、あまつさえ撃破することは、難しくなってしまったのだ。

 

「・・・・・・僕は戦車には乗れないから、ただ応援するしかない。だから頑張って、メグミさん」

「ありがと、それだけで十分よ」

 

 箸を置いて、桜雲がメグミのことを見る。

 

「それじゃ、前言ったお弁当だけど・・・・・・」

「?」

「明日にでも作ってこようかな」

 

 お弁当―――公平にという意味で桜雲が弁当を作ってくるというのは、メグミは覚えていたし、それを楽しみにもしている。

 その楽しみにしていることが明日になるとくれば、メグミのやる気も湧いてくるものだ。

 

「・・・明日ね。それなら、私も頑張れるわ」

 

 メグミが小さく拳を握って、桜雲はそれを見て小さく笑う。

 

「ところで桜雲って、そう言うお弁当を誰かに作ったことはあるの?」

「ううん、無いよ」

 

 即答する桜雲。

 もしここで桜雲が『ある』と言えば、メグミはがっかりしていた。そうだとすれば、桜雲は誰にでもやっていることであって、メグミだけが特別というわけではないのだから。

 だから、桜雲の答えを聞けただけでメグミは嬉しかったというのに。

 

「メグミさんにだけ、特別だ」

 

 そこまで言われてしまっては、メグミは。

 

「・・・そう」

 

 満面の笑みになってしまうのを必死に堪えて、はにかむように笑って誤魔化す。

 桜雲は、メグミのことを好いていて、特別に想っていたからこそ、先の言葉を言ったのであり、嘘はない。

 だが、実際に言うのはとても恥ずかしさを伴うものだ。面と向かって『あなたが特別』と言うのがこれほどまでに恥ずかしいものだとは。

 

「・・・よし、決めた」

「え?」

 

 メグミが食器を持って立ち上がり、桜雲を見下ろす形になるが笑って告げる。

 

「明日、頑張るわ。愛里寿隊長に、一発お見舞いして見せる」

「おお、急にやる気になったね・・・」

 

 メグミは、ニッと笑う。

 

「だって、あなたが私のことを特別って言ってくれたじゃない。だからあなたの期待に応えるために、頑張るわ」

 

 真摯な瞳で告げられて、桜雲は言葉を失った。意見・反論などできるはずもない。

 メグミの言葉がトーンチャイムのように桜雲の心に響く。

 

「・・・・・・頑張って、メグミさん」

「ええ、頑張るわ」

 

 ただ、食堂を出た後の2人は、それぞれが言われた言葉を思い出してしまって、嬉しいという気持ちが抑えきれず笑みを浮かべていたが。

 

 

 ギラギラと鋭い夏の日差しが、キューポラから身を乗り出す愛里寿に容赦なく降り注がれる。

 だが、愛里寿はそんな日差しなど気にせず涼しい顔で目の前を見る。

 黒煙を上げたパーシングが何輌も擱座しており、残りの相手チームはバミューダ3姉妹のパーシングのみ。

 反対に、愛里寿のチームもセンチュリオン以外は皆やられてしまっていた。だが、他の戦車がどれも弱いというわけではない。最後まで残った向こうのバミューダ3姉妹の練度が高いだけだ。

 しかし、それを差し置いても、今日はいつもと違う。

 

「残り3輌です」

 

 通信手の信濃(しなの)が、センチュリオンを含めた味方が撃破した戦車の情報を照らし合わせて、残存車輌数を報告する。その3輌が、あのバミューダ3姉妹だ。

 

「ここからが・・・正念場ですね」

「ああ、気は抜けん」

 

 装填手の三笠(みかさ)と砲手の大和(やまと)が顔を合わせて話す。三笠は気合を入れているのか、指をポキポキと鳴らしている。大和は照準器を覗いたままで、いつでも撃てるように準備をしている。

 

「あの3人の練度は上がってきている。各自留意して、それぞれの役目を果たせ」

『はい!』

 

 冷静な愛里寿の指示に、乗員たちが頷く。

 このセンチュリオンの乗員は、愛里寿が大学選抜チームに入ってから自分で選んだメンバーである。それぞれの実力は折り紙付き、大学選抜チームの中でも指折りの強さだ。

 その強さは、“一昨日まで”の戦いでセンチュリオンが傷1つ負うことも無かったのが証明している。故に、このセンチュリオンはチーム内でも『難攻不落』と呼ばれてきた。

 だが先日、このセンチュリオンに初めて傷をつけた者がいた。

 

「4時方向に敵戦車3輌」

 

 戦車の気配を感じ取り、愛里寿が端的な指示を飛ばす。その指示だけで乗員全員は臨戦態勢に入り、操縦手の霧島(きりしま)が超信地旋回を素早くこなしセンチュリオンを4時方向に向ける。

 こちらへ向かってくるのは3輌のパーシング。

 その中でもとりわけ愛里寿が警戒しているのは、赤い四角形のパーソナルマークが描かれたメグミのパーシングだ。彼女のパーシングこそ、愛里寿のセンチュリオンに初めて傷を負わせたものである。

 愛里寿もあの時は、一瞬ではあるが『ヒヤッ』とした。

 掠り傷程度で済んだが、少しでも位置がずれていたらただでは済まなかったかもしれない。

 だから昨日今日と愛里寿は警戒を強め、乗員にもメグミの戦車には十分注意するように通告をしておいた。

 それでも、今日の模擬戦はまた違った。

 

(・・・メグミの中隊に手こずらされたな)

 

 模擬戦であるため参加したのは一部にすぎないが、メグミの中隊が試合終盤まで多く残っていたのだ。

 メグミたち副官3人の配下にあるパーシングは、大体が愛里寿のチームの戦車と相打ち、もしくは愛里寿側が打ち勝つのがほとんどだった。

 しかし、今日はその3人の配下にあるパーシング、特にメグミ中隊に属していた戦車がしぶとく生き残ってきた。どころか愛里寿のチームの戦車を立て続けに倒し続け、普段は最終局面まで撃つことがない愛里寿のセンチュリオンも動かなければならないほど、粘り強かった。

 どうしてメグミの戦車、そしてメグミの中隊がこうして急に練度が上がってきているのだろう。愛里寿はそんなことを試合の中でも戦う片手間で考えていた。

 これだと思う原因は愛里寿にも分からないが、ここ最近で変わったことと言えば思いつくことはある。

 メグミが最近知り合い、そして付き合いが増えてきている桜雲という男だ。

メグミが桜雲と知り合ったのはつい最近と言っていたし、それはメグミの戦車の練度が上がってきた時期と一致している。

 

(・・・一体、どんな関係があるんだろう?)

 

 その変わったことが分かっても、どうしてそれでメグミが強くなれるのか、愛里寿は分からなかった。

 愛里寿は関係者やチームメイトからは天才少女などと持て囃されてはいるが、年相応に男女の関係についてはまだ疎く、完全に理解することができてはいない。

 その桜雲とは、愛里寿は2回ほどしか顔を合わせてはいないが、その場には常にメグミがいて、そしてメグミと桜雲は仲がよさそうに見えた。

 ともかく、メグミたちが強くなってきたことと桜雲には何らかの関係があるのかもしれない。

 

「敵戦車接近」

 

 愛里寿が告げると、三笠が砲弾を装填する。

 大和が照準器を覗き込み、前方から迫ってくる3輌のパーシングを照準に収める。十分に撃破できる距離まで近づいてから撃てばいい。それに霧島の腕があれば、近づいてきても超信地旋回で弾を避けられる。

 やがて、接近してくるパーシングのエンジン音が上がり、加速してきた。

 

「前進」

 

 短い指示に応じた霧島が、センチュリオンを前進させる。すぐにシフトチェンジして速度を上げ、こちらからもパーシングの方へと接近する。

 今までメグミたちがバミューダアタックを仕掛けてくる時、センチュリオンはずっとその場に留まったまま、超信地旋回や砲塔旋回など最低限の動きで回避してきた。

 なのに今日、こうしてセンチュリオンから近づいていくのは、愛里寿の中でちょっとした胸騒ぎがしたからだ。動かないままでいたら、やられるかもしれないと。

 

「回避行動」

 

 正対しているパーシングの砲身を見て、愛里寿は指示を出す。何をどう回避すればいいのが具体的な指示はなかったが、それでこのセンチュリオンの乗員には通じる。

 センチュリオンの車体が左にすっとズレた直後、黄色いひし形のパーソナルマークのアズミのパーシングが発砲して砲弾が横を通り過ぎていく。

 だが、バミューダ3姉妹の戦車の動きはそれだけで終わらず、ドリフトをしてセンチュリオンの後ろに回り込もうとする。

 

「停止、旋回。2秒後に1時の方向へ発砲」

 

 センチュリオンが動きを止め、超信地旋回と砲塔旋回を駆使して旋回速度を速める。

 その間に青い三角形のパーソナルマークのルミのパーシングが発砲するが、これも当たらない。そんなルミのパーシングに照準が定められ、愛里寿の指示から丁度2秒後に大和が発砲し、ルミのパーシングを撃破した。

 

「旋回、3秒後に12時の方向」

 

 さらに指示を出し、超信地旋回をするが砲身は12時の方向へ固定され、今度はアズミのパーシングの砲撃を避ける。お返しとばかりに、アズミのパーシングへ発砲して撃破した。

 

「旋回、4秒後に10時の方向、それで終わる」

 

 これで残りは、気になっていたメグミのパーシングだけだ。どう出るのかは気になったが、気を取られずに冷静に処理するべきだ。

 霧島が超信地旋回をしてメグミのパーシングから来るであろう1発を避けようとし、三笠が装填、大和が砲塔を旋回させてメグミのパーシングに照準を合わせようとする。

 

 

 その直後、『ゴンッ!!』という鉄を打つような音と衝撃が、センチュリオンの乗員たちを襲った。

 

 

 

「えっ?」

 

 驚いた声を上げるのは信濃。そして恐らく、霧島も、大和も、三笠も声に出してはいないが内心では驚いているだろう。

 それは愛里寿も同じだった。

今の音と衝撃は、間違いなく砲撃を受けたから。

 掠り傷ではない、命中だと。

 しかし白旗は揚がっていない。まだこのセンチュリオンは撃破されたわけではないのだ。

 音と衝撃がした数秒後に、我に返ったのか大和が照準を改めてメグミのパーシングに向けて発砲する。その砲弾は見事命中し、メグミのパーシングはスピンして停車し、白旗を揚げた。

 

『・・・・・・・・・』

 

 だが、模擬戦の決着がついても、愛里寿の戦車の中は異様な空気に包まれていた。誰もが、勝利したというのに、疑念や困惑の表情を浮かべている。

 そんな中、愛里寿は戦車から1人降りて、愛機・センチュリオンを見上げる。

 

「・・・・・・あ」

 

 これまで傷つくことなどなかったのに、センチュリオンの右側の履帯を覆う装甲が凹んでしまっていた。当たり所が悪かったら、恐らくはこの程度では済まなかっただろう。もしかしたら、撃破されていたかもしれない。

 

「・・・・・・・・・」

 

 続けて愛里寿は、メグミのパーシングへと目をやる。

 キューポラから身を乗り出していたメグミは、腕を伸ばしてうつぶせになるように上半身を倒す。その後ろから、対馬が笑って抱き着いていた。

 

「・・・・・・本当に、強くなったんだ」

 

 疲れた様子のメグミを見ながら、愛里寿はポツリと呟く。

 その愛里寿の声には多少の羨ましさを孕んでいるようだったが、愛里寿のセンチュリオンの乗員にも、誰にもその声は届かなかった。

 

 

 

「で、その主役様がいないってのはどういうことよ」

 

 時間は少し流れて場所も変わり、昼休みの食堂。テーブルに着いたルミは憮然とした口調でそう告げた。

 今このテーブルに着いているのはルミとアズミ、そして愛里寿のみ。普段は一緒にここにいるはずのメグミが、今ここにはいない。

 そのメグミこそが、ルミの言う『主役様』だ。

 

「ここ最近、どこぞの誰かと一緒にご飯を食べてることは知ってたけど、今日もか」

「あの子・・・自分がどれだけのことをしでかしたのか分かってるのかしら?」

 

 アズミも自分の頬に手を当てて、心配そうにやれやれと首を横に振る。

 アズミの口ぶりでは、メグミがとんでもないことをやらかしたように聞こえるが、メグミがしたことは『良いこと』だ。

 

「まっさか、隊長のセンチュリオンに、掠り傷どころかあんなデカい傷をつけるなんてね」

「私の戦車の子たちも、度肝を抜かれたわ」

 

 メグミのパーシングが、愛里寿のセンチュリオンに砲弾を命中させた。

 撃破には至らなかったものの、これまであそこまで綺麗に命中することなどなかったのだから、十分すごいことだ。

 

「なのに、なーんでそのメグミ様はここにいないのかね」

「隊長だって色々と話したいことがありますよね?」

「えっと・・・・・・うん。メグミとは、ちょっと話したかったかな」

 

 唐突に話を振られて、愛里寿は少しばかり目をぱちくりさせる。それでも告げた答えに、アズミも『ですよねぇ』と演技臭いほどの相槌を打った。

 

「隊長もこういってるのに、メグミときたら・・・」

「いやぁ、いったい誰なんだろうね?隊長よりも優先するような人とは」

「誰なのかしらね?ホントに」

 

 顔を見合わせるルミとアズミは、やれやれと首を横に振る。

 そこでようやく、愛里寿が自分から会話に参加した。

 

「・・・2人とも、どうして嬉しそうなの?」

 

 ルミもアズミも、笑っている。笑いながら先ほどのような会話をしていたのだ。それも、全て分かっているようなニヤニヤした笑みを浮かべていて、発言と表情が一致していない。

 愛里寿に訊かれ、アズミは少し考えてから愛里寿に話しかけた。

 

「隊長は今日・・・いいえ、メグミのパーシングがここ最近で力を伸ばしている理由について、何かご存知ですか?」

 

 質問に質問を返すような形になったアズミの言葉に、愛里寿は少し考える。

 それは愛里寿自身でも少し考えていたことだったので、答えは割とすぐに見つかった。

 

「・・・もしかしたら、メグミが最近仲良くなったっていう、桜雲?」

 

 答える途中で自信がなくなってしまったが、言い終えた直後にルミがぱちんと指を鳴らす。指パッチンは彼女の得意技だ。

 

「その通りです。十中八九、桜雲が原因ですよ、あれは」

 

 アズミも同意見らしく、笑って頷く。

 

「何せ、メグミに力がついてきたのは、桜雲と知り合ったここ最近という時期とほぼ同じですもの」

「でも・・・それだけで戦車や中隊全体の練度が上がるものなのかな・・・」

 

 愛里寿が解せないでいるのはそこだ。

 例えメグミが桜雲と知り合って、さらにそこに何らかの理由があるのだとしても、それでメグミの戦車や中隊が強くなるとは思えない。戦車を動かし戦っているのはメグミだけではないし、中隊もメグミの意思と直結しているわけではないのだから。

 

「恐らくですが・・・・・・メグミの戦車のメンバーも、メグミと桜雲が出会えたことを嬉しく思っているのでしょう。そして中隊の面々も、恐らくそれには気づいている」

「・・・どうして?」

 

 心身状態でパフォーマンスが変わるというのはよくある話だ。だから愛里寿も、メグミに何か嬉しいことがあったことを嬉しく思い、乗員たちや中隊のメンバーもコンディションが良くなって結果的に戦車と中隊全体の練度が上がっていると考えれば、筋は通ると思っていた。

 だが、そこまで他の面々も嬉しくなるようなこととは、いったい何だろうか?

 

「まだ確証はありませんが・・・メグミは恐らく、桜雲のことが気になっているんでしょうね」

「気に、なってる?」

 

 アズミのぼかした表現では愛里寿もまだよく分からないらしい。いかに天才少女であっても、『そのこと』についてはまだ疎かった。

 そこでルミが。

 

「つまり、メグミは桜雲のことを好きなんじゃないかってことです。1人の異性として」

 

 核心を突いた。

 食堂の中は未だざわめきに包まれていて、彼女たちの会話に耳を傾けている人など全くいない。

 しかし、その言葉を聞き間違うことなく聞き届けたアズミはニコッと笑い、ようやく意味を理解することができた愛里寿は、口を小さく開けた。

 

「同じ戦車に乗る仲間に、中隊長のメグミにようやく春が来たから、皆も嬉しくなったんでしょうね」

「ま、大学選抜チームの練度向上に、メグミには十分協力してもらいましょう」

 

 もちろん、アズミとルミの言っていることが全て真実とは限らない。だが、信憑性があるように愛里寿には感じた。

 

「じゃあ、メグミがここにいないのも・・・?」

「恐らく、桜雲繫がりでしょうね」

「全く、どこで何をしているのやら・・・・・・」

 

 アズミとルミが天を仰ぎ、白い天井を見る。

 愛里寿も同じように上を見たが、あるのはやはり白い天井だけ。メグミと桜雲がどこで何をしているのかなど、答えが示されているはずなどなかった。

 

 

 

「・・・暑い」

 

 その食堂から少し離れた中庭。木陰のベンチに座ったメグミが空を見上げて声をひねり出す。季節は夏真っ盛り、太陽は激しく自己主張をしており、容赦ない光を地上に向けて放っている。

 本当に、暑い。

 

「大丈夫?やっぱり食堂で食べた方が・・・」

「いやいや、流石に今日ばかりは誰かに見られるのは避けたいわ」

 

 隣に座る桜雲が、水筒に入った冷たい麦茶を紙コップに注いで、メグミに渡す。それをメグミは遠慮もなく受け取ると一呷りで飲み切った。何とも良い飲みっぷりである。

 今日誘ったのは桜雲の方だが、この暑さに最初は『食堂で食べた方が涼しい』と提案した。しかしメグミは、先ほどと同じ理由で中庭で食べることを頑として譲らなかった。

 

「ふぅ・・・ありがと」

「無理しないでね?」

 

 桜雲がもう一杯麦茶を注いでメグミに渡し、肩に提げていたバッグから赤と白のチェック模様の包みを取り出す。メグミは包みを受け取り、目で『開けていい?』と断りを入れてから包みをほどいていく。

 姿を見せたのは、木目調の模様が入った弁当箱。蓋を開ければ、白いご飯とから揚げ、甘辛く炒めたキャベツ、ほうれん草のおひたしがバランスよく収められている。

 この桜雲が作ってきた弁当こそが、今日メグミが愛里寿たちとの昼食をパスしてまで桜雲と今ここにいる理由だった。

 

「すごい、美味しそう・・・」

「そう?それはよかったな」

 

 桜雲も自分の分を取り出し、さらに使い捨てのおしぼりと箸をメグミに渡す。

 

「召し上がれ」

「それじゃ遠慮なく、いただきます」

 

 箸をとり、まずは唐揚げを一つ食べる。

 

「ん、美味しい!」

 

 メグミは思わず、弾むような声を上げてしまう。それを桜雲は嫌がりもせず、恥ずかしがりもしなかった。

 

「よかった・・・一応得意料理だし」

「桜雲は普段から自炊してるんだっけ?」

「うん、節約にもなるし」

「そうなんだ?」

 

 節約、と聞いてメグミも興味が湧く。

 桜雲に弁当を作って以来、メグミが自分で夕食を作るのは週に1~2回程度になった。しかし、節約できるのであれば、これからは自発的にやってみるべきではないかと思う。メグミも貧乏というわけではないが、それでも締めるところは締めていきたいと思っている。

 炒めたキャベツを食べて、メグミが小さく息を吐いて空を見上げる。

 

「どうかしたの?」

「ちょっと・・・現実味がないっていうか・・・」

 

 メグミの変化に気づいた桜雲が声をかけるが、メグミは変わらず空を見上げたままだ。

 

「愛里寿隊長のセンチュリオンに、1発当てたのよ。掠り傷じゃなくて、ホントに、命中」

 

 メグミがデリンジャーのように指を立てて、桜雲を見る。

 そして、一瞬遅れて。

 

「本当に?すごい!」

 

 桜雲が嬉しそうに声を上げた。

 掠り傷を負わせただけでも上出来なのに、次は当てると決意した昨日の今日で命中させるとは。愛里寿がどれだけ強いのかは桜雲も聞いているからこそ、本当にすごいと思った。

 掠り傷を負ったことで警戒を強めているはずなのだから、そんな愛里寿のセンチュリオンへ命中させたのだからやっぱりすごい。

 

「いやぁ、すごいなぁ。何だか僕まで嬉しくなるよ」

「私だって、すごいと思ってる。でも、ちょっとやり遂げて気が抜けたっていうか・・・」

「お疲れ様、だね」

 

 メグミを労わるように、言葉をかける桜雲。そんな桜雲に、メグミは小さく笑みを返す。

 ふと空を見上げたメグミは、弁当箱を膝の上に置いて言葉を洩らす。

 

「・・・夏ねぇ」

 

 ギラギラ照り付ける太陽も、青空に浮かぶ入道雲も、右肩上がりの気温も、全てが夏と感じさせる要素だ。

 

「・・・もうすぐ、夏休みだね」

「戦車道の訓練漬けだけどね・・・」

 

 やたら感傷的になったメグミを元気づけようと言葉をかけた桜雲だが、逆効果にしかならなかった。

 

「えっと、また訓練で疲れたりしたら、また猫カフェでリラックスしようよ」

「あ、それはいいかも」

 

 桜雲の提案も悪くはない。ちゃんと戦車道の訓練がない休日はあるから、その日にでも行くといい気分転換となるだろう。

 それなら。

 

「それじゃ、その時はまた一緒に行きましょ?」

「うん、分かった」

 

 メグミが桜雲に告げると、一も二もなく桜雲は頷いた。

 

(あれ)

 

 だが、その直後で桜雲は気づいた。

 一緒に、ということは今度もまたメグミと2人でということ。それも、今度は下見や予行演習などとは違う、純粋に猫カフェを楽しむこと。

 それはすなわち、本当にデートに近いと言うことに。

 軽く返事をしてしまったことを恥ずかしく思うが、それも悪くはないと思ったので、桜雲は今更断ることができなかったが。

 

(あ)

 

 メグミも言った後で、桜雲が考えていたのと同じように気づいてしまった。

 しかしメグミも、撤回するつもりはない。桜雲と2人で出かけることはむしろ望むところだった。その時が来るのはいつかは分からないが、その日のことを楽しみにしておくことにしよう。

 セミの鳴き声が響き、昼休みの時間が過ぎていく。青空に浮かぶ白い雲も、風の向くままに流れていく。

 本当に夏真っ盛りを感じさせ、そして夏休みが近づいてくるのを実感させてくれる。




アズミのパーシングの乗員は、
母校・BC自由学園の本籍地である岡山県の地名から、
愛里寿のセンチュリオンの乗員は、
旧日本海軍の軍艦の名前から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Bermuda’s Blues of Bridal

 夏休みに入ってからも、メグミの言った通り大学選抜チームの戦車道の訓練は続いていた。

 メグミ曰く、訓練の内容は基本的には模擬戦がメインで、後は隊列の訓練や戦車の整備などが少しずつだが、くろがね工業との試合も近づいてきて、訓練に参加する戦車の数も増えているという。

 社会人同士、もしくはプロリーグでは1チーム20輌以上で試合を行うことが常であり、基本ルールも敵チームの車輌を全て倒した方が勝利する殲滅戦となる。元々大学選抜チーム内の模擬戦は殲滅戦だったので問題ないが、車輌数を実際の試合に近づけたと言うことだ。

 

「・・・すごいなぁ」

 

 そんな大学選抜チームの練習風景を、桜雲はほぼ毎日観に来ていた。それは純粋な興味もあれば、頑張っているメグミの姿を見てみたいという欲もある。専用の観客席からはメグミの姿など見えるはずもないのだが、それは考え方次第というやつだ。

 そして、そんな位置からでも戦車の戦いはすさまじいものだというのが、何度か観ているて分かった。砲が火を噴き、装甲が砕け、時に激しく車体をぶつけ合うその戦いぶりは、まさに熾烈。これこそが、戦車道の醍醐味だろう。

 桜雲は祖母から戦車道の話を聞かされたことはあったが、生で戦車の戦う姿を見たことはほとんどなかった。そして実際に見て、嫌いになると言うこともなく、俄然興味が湧いてくる。

 

『島田チームの勝利!』

「あらら・・・」

 

 試合の結果を見届けて、メグミの所属するチームが負けてしまったことを確かめると、桜雲は立ち上がって校舎へと向かう。その目的はもちろん、訓練を終えたメグミと昼食にするためだ。

 夏休みの練習も観に行くと桜雲が言ってから、自然とメグミが『一緒にお昼も食べない?』と誘ってくれた。桜雲はそれだけでも願ったり叶ったりだったのだが、メグミはまた弁当を作ってきてくれたのだ。『節約になる』という桜雲の言葉を聞いてから自炊をする機会が増え、さらに仲が良いと言うことで作ってきてくれた。

 それは桜雲も嬉しかったが、また作ってきてもらうだけなのも申し訳なかったので、桜雲もまたその次の日に弁当を作ってきた。その結果、2人が交互に弁当を作るということになってしまった。

 今日は、メグミが弁当を作ってくる日で、桜雲はすっかりお馴染みの待ち合わせ場所となった中庭の日時計の前で桜雲は待つ。

 

「お待たせ」

「ううん、大丈夫」

 

 10分ほど経ってから、ユニフォームから着替えたメグミがやってきて、そしてベンチに移動してメグミお手製の弁当を楽しむ。

 

「ん、美味しい!」

「あら、よかった」

 

 小さなハンバーグを一口食べて、表情を明るくする桜雲と、それを見て笑うメグミ。

 ここ最近では、メグミもレパートリーに富んでいて、それでいて凝った料理を作ってくるようになった。それでもハンバーグが得意料理らしく、数回に1回のペースで作ってきてくる。

 この2人で並んで弁当を楽しんでいる姿が、以前大学選抜チームのメグミ中隊の一部メンバーに見られ、それが原因で中隊の練度が上がってきていることに当人たちは気づいていない。

 

「模擬戦、残念だったね・・・」

「うーん、後ちょっとで行けそうだったんだけどね・・・」

 

 先の模擬戦でも、愛里寿のセンチュリオンを倒すことは叶わなかった。

 前にメグミのパーシングが命中させて以来、センチュリオンは鬼のように強くなった。掠り傷さえも負わせることができなくなり、また前のような状態に戻ってしまったわけだ。

 ただ、それでもメグミたちが弱くなると言うことにはなっていないので、大学選抜チーム全体の練度は上がってきている。

 

「そろそろ、くろがね工業戦の戦車も決まるし・・・ちょっと心配ね」

「でも、メグミさんは副官だし確定なんじゃ?」

「そう願いたいんだけどね・・・」

 

 空を見上げるメグミと同じで、桜雲も同じで空を見ることしかできない。

 少しだけ重い空気になってしまったので、桜雲は話を変えることにした。

 

「・・・明日は食堂で食べるんだよね」

「あ、ええ。だからまあ・・・アズミたちが一緒になるんだけど」

「うん、平気だよ?」

 

 桜雲とメグミは互いに夏休み中、弁当を作ってきている。

だが、3日に1度は戦車道のあれこれもあって、食堂でアズミ、ルミ、愛里寿の3人と昼食にしている。桜雲は最初は同席を辞退しようとしたのだが、アズミとルミが『いても大丈夫』と言っていたので、結局一緒になった。

 最初こそ、メグミとの関係を茶化されるのではと不安になったが、そんなことはほとんどなく和気藹々とした昼食の時間になっている。今は抵抗もない。

 

「・・・そう」

(あれ?)

 

 ところが、桜雲の答えを聞いた途端、メグミが落ち込むような声になってしまった。何かミスをしただろうかと桜雲は考えをめぐらすが、答えは見つけられず、その日の昼食の時間は過ぎてしまった。

 

 

 その翌日。

 戦車道の訓練の後は、大学選抜チーム内でミーティングが行われる。ミーティングの内容は、愛里寿と副官3人をはじめとしたチームのリーダー格のメンバーから見たその日の練習の様子とその評価、次に向けての課題、そして連絡事項を伝えるくらいだ。

 今日もまた、最初に愛里寿が模擬戦の総評を告げて、さらに中隊長のメグミ、アズミ、ルミの3人がそれぞれの中隊の様子を報告する。

 そして最後に連絡事項となるが、そこで愛里寿が2つのことを伝えた。

 1つは、くろがね工業との試合に参加する戦車の発表。今日までの練習を見て、愛里寿が決めるのだが、幸いにもメグミたちバミューダ3姉妹の中隊のメンバーは、彼女たちを含めて全車輌参加になった。それはメグミのみならずアズミとルミも不安だったようで、それが決まった時は胸を撫で下ろしていた。

 そして、もう1つの連絡事項は。

 

「これまでの練習の結果を鑑みて、T28重戦車をメグミ中隊に配備することに決めた」

 

 愛里寿の言葉に、隊員たちはざわめきはせずとも、少しだけ空気が変わった。

 T28重戦車は、最大装甲が305mmと分厚く、主砲口径は105mmと、これだけを見れば中々に強力な戦車だ。しかしこの戦車はその装甲の厚さゆえに致命的なほど足が遅く、路上でも時速19kmしか出ない。しかも前面固定砲塔なので、使い勝手は悪い方だ。

 動く要塞と言っても過言ではないスペックだが、その使い勝手の悪さから、試合に参加することはあっても特定の中隊に所属すると言うことはなかった。T28がいる中隊は、整然とした隊列を組むには速度を落とさなければならず、中隊の動きが却って悪くなるからだ。

 だから、中隊の練度がT28を使いこなせるようにならない限りは、T28はどこの中隊にも配備することはできなかった。

 しかし、今日を持ってそのT28はメグミの中隊へ正式に配属されることになった。それは、メグミの中隊の練度がそれに相応しいほど上がったと言うことになる。

 

「メグミ、頼む」

「はい」

 

 今この場で初めてメグミはそれを聞いたのだが、動揺したりはせず、そして断らずに頷く。愛里寿がメグミと、メグミの中隊のことを評価してくれているからT28を配備したのだ。それを断るつもりなどない。

 

真鶴(まなづる)は、メグミと話をして調整をするように」

「了解」

 

 名前を呼ばれて、真鶴という隊員は返事をする。『調整』とは、メグミ中隊での配置や役割、隊形などの擦り合わせのことだ。

 ちなみに真鶴は、(セント)グロリアーナ女学院の卒業生で、在学中は『ロンネフェルト』という名前を戴いていたらしい。曰く、聖グロリアーナで紅茶の名前を戴けるのは選ばれた者だけだというので、彼女もまた実力者ということになる。だからこそ、T28という扱いにくい戦車の車長を任されているのだろう。

 それはともかく、メグミにはくろがね工業との試合までの間にまた1つ課題ができた。新たに加わる、強力ではあれど動きが鈍いT28をどう運用するか。それを考えなければ。

 

「ではこれで、ミーティングを終了する」

 

 その課題のことは留意しておきつつも、メグミはもうすぐの昼食の時間を楽しみにしていた。だって、今日も自分のことを応援しに来てくれているであろう桜雲に会えるのだから。

 ただ、今日は愛里寿はともかく、アズミとルミも昼食を一緒に食べるというのが少し残念だったが。

 

 

 

「ね、メグミ。今夜、どう?」

 

 メグミと桜雲、アズミとルミ、そして愛里寿の全員が同じテーブルに着く昼食の席。そこで席に着くなりアズミが、メグミにそう話しかけた。右手の曲げた人差し指と親指をくいっと傾けるジェスチャー込みで。

 

「おっ、いいわねぇ。うん、オッケーよ」

 

 誘われたメグミも嬉しそうに頷く。隣に座るルミも『よし』と笑っているので、ルミも事前にアズミから誘われていたらしい。

 アズミのジェスチャーは桜雲も見たことはあるので、メグミたちがどこへ行こうとしているのかはすぐに分かった。

 

「・・・3人とも、どこかへ行くの?」

 

 だが、愛里寿はアズミのジェスチャーの意味が理解できなかったようだ。

 

「あ、すみません。今日は、メグミとルミを誘って居酒屋で一緒にお酒を飲もうと思っていまして」

「そうなんだ・・・」

 

 その話を愛里寿が知らないと言うことは、アズミたちは最初から愛里寿を誘ってはいなかったと言うことだ。愛里寿の年齢と立場を考えれば仕方ないのかもしれないが。愛里寿も自分から行きたいとは言ってこないので、恐らくはこれでいいのだろう。

 

「それにしても急ね・・・どうして?」

「そりゃまあ、なんとなく飲みたくなって」

 

 メグミの質問に答えるのはルミ。特別な理由などなくとも、なんとなく居酒屋で共に酒を飲みたくなる気持ちは、同じ年齢の桜雲には分かる気がした。

 

「それに、メグミの中隊にめでたくT28が配備されたし、そのお祝いも込めてね」

 

 アズミが付け加えると、今度は桜雲が『ん?』と疑問符を浮かべる。T28という戦車が(当たり前だが)桜雲には聞き覚えが無かったからだ。

 そんな桜雲に気づいたメグミは、簡単に補足する。

 

「T28っていうのは、装甲は分厚いし火力も高いけど、ものすっごくノロくて扱いにくい重戦車なのよ」

「・・・そのT28が配備されたってことは、それだけメグミさんの中隊がすごいってこと?」

 

 自分なりに論点をまとめて、桜雲が大学選抜チームの隊長である愛里寿に確認すると、彼女は小さく頷いた。

 扱いにくい戦車を任されると言うことは、メグミがそのT28を使いこなせると愛里寿が考えているからだ。つまり、メグミの能力が高く評価されていると言うことでもある。

 

「メグミのパーシングも、メグミの中隊も、最近は力をつけてきてるから・・・。メグミなら、T28を使いこなせると思ったから」

「ありがとうございます、隊長。必ず、隊長の期待に応えて見せます」

 

 愛里寿が真っ直ぐにメグミを見て告げると、メグミは頭を下げて微笑む。

 

「だから、そのお祝いも込めてね」

「そういうことね」

 

 それで、今日の飲み会の話は終わりと思ったが、アズミは桜雲のことをじっと見ていた。

 

「どうかした?」

「良ければ、桜雲も一緒にどう?」

 

 聞き返すと、アズミから意外な誘いを受けて、桜雲の目が点になる。

 

「え、戦車道のことなんだし、アズミさんたちだけでも・・・」

「まあ、メグミのお祝いってのもあるけど、普通にただ軽くしゃべってお酒飲むだけだし」

「私も別に気にしてないよー」

 

 アズミとルミにそう言われて、桜雲も断るのを迷い始める。

 とはいえ、夏休みに入ってからこうして昼食を共にする機会も増え、何かと話すことも多くなった。遠慮するような間柄ではないのだが、それでもまだ不安というものはある。

 

「メグミさんは、大丈夫?」

「うん、問題ないわよ」

 

 念のために、メグミにも聞いておくことにする。しかしメグミは、迷いもなく頷いた。

 メグミがそう言ってくれるのであれば、桜雲も断る道理はなくなる。

 

「・・・お酒は飲めないけど、それでいいのなら」

「オールOK」

 

 一応それだけは言っておいたが、それでもルミは笑って親指を立てた。これで、桜雲がメグミたちの飲み会に参加することになった。

 

「あー・・・桜雲?1つ言っておくけど・・・」

 

 そこで、メグミが桜雲に話しかけてきた。その顔は桜雲に向けられてはいるが、視線はアズミとルミの2人に向けられている。

 

「・・・この2人、相当飲むわよ」

「何言ってんの、メグミだってよく飲むくせに」

「そうそう」

 

 どうやらこの3人は、結構な大酒飲みらしい。

 桜雲は『どれぐらい飲むんだろう?』とちょっと考えてみたが、それは後で確かめればいいやと思い考えるのを止めた。

 そこで桜雲は、愛里寿の表情が妙に陰っていることに気付く。普段からあまり表情を面に出しはしない愛里寿ではあるが、今のその顔は無表情というよりは寂しそうだった。

 メグミたちはそれには気付かず、桜雲だけが気付いていたが、今この場で話すのは避けるべきかと思って、愛里寿のことをそっとしておくことにした。

 

 

 その日の夕方6時に、桜雲とメグミ、アズミとルミは再び落ち合った。

 場所は、以前メグミたちが愛里寿と共に行った猫カフェのある街の駅。これから向かう居酒屋は、アズミがその猫カフェに行った時に偶然見つけたらしい。

 駅から少し歩いたところにあるその店は、中々雰囲気の良さそうな場所だった。予約をしていたアズミが先導して入ると、個室タイプの4人掛けテーブル席に通される。

 

「さて、何にしようかね?」

 

 席に着くなりルミがメニューを開く。こういう時は、まず1杯目の飲み物と軽い料理を頼むものだ。

 

「僕は・・・ウーロン茶で」

「了解、あんたたちは―――」

「「とりあえず生で」」

「だと思ったわ」

 

 メグミとルミが揃って答えて、アズミは苦笑しつつも頷いた。最初の注文はウーロン茶と3杯の生ビール、そして焼き鳥と唐揚げになった。

 注文してから、それほど時間も経たずに飲み物がやってきて、全員がグラスとジョッキを手にする。

 

「全員持った?」

 

 メグミの呼びかけに全員が頷いて答える。

 

「それじゃ、えっと・・・まあ、諸々乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 どんな音頭をとればいいのか分からず曖昧な形になってしまったが、他の3人は笑ってグラスを掲げる。グラスとジョッキを軽くぶつけて、飲み物を飲む。

 

「かーっ、美味い!」

 

 一気に半分ほどのビールを飲み干したメグミは、心底気持ちよさそうな声を上げる。こういう爽やかな酒の飲み方は桜雲も嫌いではない。やけ酒は見るに堪えないが。

 

「改めて、T28の配備おめでとう、メグミ」

「ありがと、アズミ。まっ、まだまだ課題はあるけどね」

 

 メグミに向けてグラスを小さく掲げるアズミ。ルミも同じく、ビールを半分ほど飲み切ってからメグミの方を見る。

 

「まあ大丈夫でしょ。あんた最近アゲアゲなんだし」

「えー、そうかしら?」

「そうよ絶対。誰が愛里寿隊長の戦車に傷を負わせたのかなんて、忘れたとは言わせないわよ?」

 

 アズミがくいっとビールジョッキを傾ける。

 そこから戦車道の話が始まり、チーム入りしたての頃、高校時代とどんどん話はさかのぼっていく。

 

「高校って言えば、あなたたちは高校戦車道のこと調べてる?」

 

 メグミが話の流れでアズミとルミに問いかける。

 以前、大洗女子学園が高校生大会で優勝を果たしたことで、メグミたち大学選抜チームも高校戦車道には目を向けるようになった。多くの戦術を積極的に取り入れる傾向が強いチームだから、多様な戦術を見せた高校生の戦いを調べておこうと、メグミが言い出したのだ。

 

「まあ、一応ね。有名な選手とか戦車とか、戦術とかは調べてるけど・・・」

「調べるだけじゃ技術とか戦術は身につかないし、実際に戦ってみるしかないんだけどさ、そう簡単にはいかないわけよ」

 

 一方桜雲は、その会話を聞きながら一言も発さず相槌を打っている。分かってはいたが、メグミたち3人が戦車道の話をしている間は、桜雲は置いてけぼりを食らってしまう。桜雲は男で戦車に乗れず、大学選抜チームのメンバーでもないのだから仕方ないし、桜雲もそれで凹みはしなかった。

 だが、その隣に座るメグミは、話していても桜雲のことをしっかりと気にかけていた。

 

「あ、ごめんね?戦車道の話ばかりしてて・・・」

「ううん、大丈夫。聞いているだけでも、面白いし」

 

 桜雲は思っている本当のことを言った。すると、アズミがそれに反応する。

 

「戦車道の話をしても引かない男ってのも、珍しいわよねぇ」

「確かにね。何で男は戦車が嫌いなんだろうね?」

 

 ルミもそれは気になっているようで、その男である桜雲を見る。まるで、その理由を問うかのようだ。

 

「それは、僕にも分からないよ。僕は元戦車乗りのおばあちゃんの影響で興味がわいたからだし、僕の周りに戦車道に興味があるって男友達もいないし・・・」

 

 桜雲は戦車が好きとまでは言わないが、そこそこ興味がある方である。だがそれも身内の影響であり、自分から進んで興味を持ったわけではない。だからこそ、桜雲は『男はなぜ戦車が嫌いなのか』という疑問に対する答えが分からなかった。

 聞いたルミは『そっか』と言いながら背もたれに寄り掛かる。

 

「でも、だから桜雲みたいな男が貴重なのよね。戦車道が嫌いじゃないって男が」

「そうね。こんな私たちにも普通に接してくれているのは、とてもありがたいわ」

 

 ルミとアズミから口々にそう告げられて、桜雲も少しばかり嬉しくなる。自分が普通に接していることを必要としてくれているのは、悪い気持ちではない。

 だが、その桜雲の隣に座るメグミはどこか不満そうにムッとしていた。

 

「・・・メグミさん、どうかした?」

「んん?別に?」

 

 そう言ってメグミはビールを呷るが、その仕草には若干の苛立ちが混じっているかのようにも見える。もしや、もう酔いが回ってきているのだろうか。

 

「メグミ、嫉妬は見苦しいわよ?」

「はぁ?誰が嫉妬なんて」

 

 ビールを飲み切ったメグミに対し、アズミがからかうようににんまりと笑って告げる。メグミがギロッと視線を返すが、アズミはその程度に屈しない。

 

「嫉妬って・・・」

「桜雲は気にしなくて大丈夫だから、OK?」

「あ、うん・・・」

 

 何が嫉妬なのか分からなかったが、メグミに強く言い伏せられたので口を閉ざさざるを得ない。そんな2人の様子を眺めるアズミとルミの表情は訳を知っているように微笑んでいるので、疑問は消えない。

 そこへ、空気を換えるようなタイミングで頼んでいた唐揚げと焼き鳥がやってきた。各々が箸を手に料理を楽しんでいく。

 

「いやぁ、こーいう手の込んだ料理ってのは作れそうにないわ・・・」

「本当にね・・・材料とか調味料を用意するのも手間だし・・・」

 

 ルミとアズミが、皿に盛られた唐揚げを見ながらしみじみと呟く。どうやらこの2人、あまり料理は得意ではないらしい。

 

「メグミもそう思うでしょ?」

「あー、そうね・・・唐揚げはちょっと作れないかな・・・」

 

 焼き鳥を食べながらメグミが答えるが、それを聞いてルミとアズミの眼が光る。

 

「・・・その言い方だと、『唐揚げ以外は作れる』って聞こえるんだけど?」

「え?あー、それは・・・」

 

 メグミもルミの指摘を受けて失言だと気付いたらしいが、上手い言い訳が見つけられずに桜雲を縋るようにちらっと見た。それは今は悪手だと思い、桜雲は顔を逸らす。

 

「あら、桜雲は何か知っているのかしら?」

「いや、僕は・・・・・・」

 

 アズミが訊ねてくるが、メグミが弁当を手作りしていると言うことは、ここでは伏せておくべきだと桜雲は思う。

 正面に座っているアズミは、『んー?』と顔をわずかに傾いでいて、お酒が入って少し顔も赤くなっていて、その様子はオブラートに包んだ言い方をすれば色っぽい。

 とりあえず直視するのは難しいので、現状打破のために周りに目をやり、3人の飲み物が空になっていることに気付く。

 

「あー、えっと・・・飲み物がないね。何か飲む?」

「あら、気が利くじゃない」

「羨ましいわー、メグミが」

「何がよ」

「それはまぁ、色々とねぇ?」

 

 場を流すつもりが、却って火に油を注ぐ結果となってしまった。しかし一応、アズミは赤ワイン、ルミはカクテル、メグミはまた生ビールと決まり、桜雲はジンジャーエールにして新たに注文する。

 だが、桜雲は雲行きがだんだん怪しくなってきているのを感じていた。

 酒が入ってくると気も大きくなって、人の本質的なものが見えてくる。それは桜雲が経験したサークルの飲み会で分かっていた。

 だから今、この場で酒を嗜む桜雲以外の3人がどんな行動に出るのかは、正直わからない。もしかしたら変に絡んでくるかもしれないし、それ以上に面倒なことになるかもしれない。

 それを留意しつつ、桜雲は飲み物が来るのを待った。

 

 

 飲み始めてから1時間後。

 アズミは赤ワインのボトルが2本目に突入し、ルミは何杯ものカクテルやサワーを飲み干している。そしてメグミは、3杯目のビールジョッキを傾けているところだ。

 しかし。

 

「いやぁ、お酒は大人の特権よね~」

「そうねぇ。最初飲んだ時はそんなにだったけど・・・今じゃもう虜♪」

「これが飲めることに関しては、歳を取ってよかったと思うわぁ~」

 

 多少声が間延びしていて、顔も先ほどより赤みが増してはいるが、まだべろんべろんに酔っているようではない。

 その最中、アズミがワイングラスを携えながら桜雲に話しかける。

 

「桜雲は飲まないの?」

「飲まないっていうか、飲めないんだよ。1杯飲んだだけでもうだめ」

 

 それを聞いたアズミは、まだ赤ワインが半分ほど入ったままのグラスを桜雲に向けてそっと傾ける。

 

「飲む?」

「いや、飲めないんだってば」

「あら、残念」

 

 アズミはくいっとワインを飲み干す。その仕草が妙に絵になるのは何故なのだろうか。

 すると、桜雲の横で『ゴトンッ』という音と共にビールジョッキがテーブルに置かれた。その音を出したのはメグミで、その目は据わっている。

 

「アズミ、あんまり桜雲をからかわないで」

「はいはい、ごめんなさいね」

「桜雲も、あんまりアズミをジロジロ見ないの」

「う、うん・・・」

 

 本当に酔いが回ってきたのか、メグミが絡んでくる。桜雲に対するその絡み方は若干の理不尽が混じってきているようにも感じたが、それは指摘しないでおく。

 

「なーんか、メグミって桜雲のこと結構気にしてるよね」

「そう?」

 

 ルミの指摘に、メグミはしらばっくれるようにビールを飲む。だがそれだけでは逃げ切れず、アズミも会話に参加してくる。

 

「そうよねぇ?何かここ最近だと2人でお昼とか楽しんでるみたいだし~?今日もこうしてさらっと一緒に座ってるし~?」

「何言ってんのよ?それは別に友達同士でもやってることでしょ?」

「そうだよ。2人が思ってるようなことは特にないから」

 

 メグミに続いて桜雲も関係を否定する。

 だが、2人の心は揃って『辛い』だった。何しろ、桜雲もメグミも心の中では互いのことを好きでいて、友達以上の関係になりたいとも思っているのだから、自分から『ただの友達』と言うのが悲しかった。

 

「いやぁ、でも羨ましいわぁ。男と仲が良いメグミがさ」

「私らにもそういう人がいればねぇ・・・」

 

 桜雲は別に、メグミとだけ仲良くしているわけではなくて、アズミやルミとも知り合ってからはそこそこ話をして、仲良くしているつもりではあったのだが。

 

「ところでルミ、聞いた?OBの元副官、結婚するんですって~」

「えー?ホントに?」

 

 アズミとルミが何やら盛り上がってくる。だが、その話題で今盛り上がるのは非常に厳しいと桜雲とメグミは思う。

 

「大学選抜にいた時から付き合ってたんですって~?」

「え、あの人彼氏いたんだ?全然そうは見えなかったなぁ」

 

 桜雲たちの反応を窺うように、アズミとルミは2人をちらちらと見てくる。何の意味があっての視線なのかは、わざわざ聞くまでもないことだ。

 

「結婚か・・・・・・もうそろそろ、考える時期よねぇ・・・」

 

 以外にも、しんみりとそう呟いたのはメグミだった。桜雲は驚いてメグミの方を見ると、メグミはとても物憂げな表情を浮かべている。

 

「何言ってんのよ、メグミ。隣にいいのがいるじゃない」

 

 ルミに指を指され、桜雲は飲んでいたジンジャーエールを噴き出しそうになる。

 

「だ、だから・・・桜雲はそういうのじゃないって・・・」

 

 咽る桜雲を傍らに、メグミは首を横に振る。

 そんなメグミの顔は赤いが、それは果たして酒だけのせいだろうか。

 

「そっかそか、それじゃあ桜雲に訊いてみようかな」

「へっ?」

 

 突然質問され桜雲は内心震えるが。

 

「桜雲はメグミのこと、どう思ってるのよ?」

 

 一番本質的で根本的な質問を、ルミは投げかけた。

 今、彼女たちは大なり小なり酔っている。酒の力とは良くも悪くも強力で、人の本音と建前の壁を取っ払い、根っこの部分を引きずり出す。

 ルミやアズミは、最近になって仲良くなった桜雲とメグミに対してそんな疑問をずっと抱いてきたのだろう。それは、良心や理性が働いて聞ずにいたのかもしれない。

 しかし今は、その良心も理性も薄らぎ、率直な質問をぶつけてきた。

 訊いた本人のルミはもちろん、アズミも、そして当人のメグミでさえも桜雲を見ている。

 特にメグミは、一言一句聞き逃すまいと桜雲のことをじっと見ている。

 

「・・・・・・その」

 

 ここは居酒屋で、他のお客も盛り上がっている。だが、周りの喧騒が今だけは遠い世界の音と化している。

 6の瞳を向けられて、喉を鳴らす桜雲は思っていることのほんの一部だけを伝えた。

 

「・・・いい人だと、思ってる」

 

 その答えは果たして、吉と出るか、凶と出るのか。

 

「へぇ。なるほどね」

 

 アズミが頬杖を突き、とろんとした目を桜雲に向ける。ワインを飲むアズミは怒っているようには見えず、むしろ面白がっているような感じだ。

 

「よかったね、メグミ」

 

 訊いた本人のルミは、メグミに対してニッと笑いながらカクテルを飲む。先ほどの答えで、ルミはどうやら満足したようだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ところが、メグミだけは顔を合わせようとはしてくれなかった。そしてビールを呷り、『はぁ』と鬱屈そうな溜息を吐く。

 もしや自分の答えは間違っていたのだろうかと、桜雲は猛烈に不安になった。

 

「じゃあ、私からも質問」

 

 今度はアズミが軽く手を挙げてくる。桜雲は先の質問だけでも十分心が疲れたので、『勘弁してよ・・・』と心の中で嘆く。

 

「この中で、一番可愛いと思うのって誰?」

 

 心が折れそうになった。

 何と答えても角が立つような質問は無視するに限るのだが、なぜか酔っているはずなのに3人の眼が本気になっているようなので、逃げることも許されない。

 答えなければならないのは目に見えているので、どう答えるべきか悩んだが、答えを1つ考えついた。

 

「・・・・・強いて言えば・・・メグミさん」

「その心は?」

「まあ・・・何度か話をしたりして、この中だと一番距離が近いし」

「ほっほう」

 

 下心など一切見せず、ただこの中で比較的親密な関係だからそう見えると思わせる。

 苦肉の策ではあるが、打開策としてはなかなかいいものではないかと思う。

 

「だとさ。よかったじゃん、メグミ。可愛いって?」

「・・・・・・・・・」

 

 だが、そのメグミはルミの呼びかけにも応じずに俯いてしまった。

 桜雲も『変なこと言ってごめんね』とフォローするが、直後にメグミはガバッと顔を上げて残ったビールを飲み干して、やけっぱち気味に4杯目を注文した。

 

 

 そのおよそ数時間後。

 

「ヴあー・・・」

 

 そんな空気の抜けたような声を口から洩らしながら、メグミは机に突っ伏していた。完全に酔いつぶれている。

 桜雲が記憶している限りでは、ビールジョッキを2桁近く空にしている。それも、桜雲が間接的に『メグミが可愛い』と言って以来飲むペースは格段に上がっていた。あのペースであれだけ飲んでは、流石の上戸もこうなるだろう。

 

「美味しかったぁ・・・・・・ひっく」

 

 桜雲の向かい側に座るアズミも、メグミと同じ体勢でしゃっくりをしている。彼女は彼女でワインボトルを3~4本1人で空にしているので、やはり当然の帰結だ。

 

「・・・・・・ふぅ、ご馳走様」

 

 一番意外なのはルミで、彼女も多少顔は赤いがメグミやアズミのように酔いつぶれているようには見えない。彼女が飲んだ酒の量と種類は一番多いはずなのだが。

 

「ルミさんって・・・結構お酒に強い方なの?」

「あー、ううん。今日私が飲んだのって、ほとんどノンアルコールのやつだから」

「え?」

 

 気になって桜雲が聞いてみると、意外な答えが返ってきた。メグミからはルミも飲む方だと聞いたのだが、今日はノンアルコールの気分だったのだろうか。

 

「大学選抜チームでも飲み会は何度かやっててね。この2人はいつもこんな感じで飲みまくるし、私も大体同じような感じになって他の人に送ってもらうことが多かったんだよね・・・」

「へぇ・・・」

「でも、今日ここで全員飲みすぎて動けなくなったら、桜雲に迷惑かけちゃうからね。それはさすがに忍びないから」

「そうか・・・・・・なんか、ごめんね?」

「いやいや、謝ることはないわよ」

 

 今明かされたルミの気遣いに、桜雲も素直に感謝して頭を下げる。

 それにルミは笑って手を振ると、テーブルの上に並べられた空の皿とグラスを見て、『さて』と告げる。

 

「そろそろお開きにしようか」

「うん、そうだね」

 

 時計を見れば、この店に入ってから実に3時間以上が経過している。日没はとうに過ぎているし、明日が休みであってもそろそろ帰るべきだ。

 

「じゃあ、私はアズミを送って帰るから、桜雲はメグミをよろしくね」

「うん・・・・・・・・・うん?」

 

 さも当然とばかりのルミの言葉に、桜雲は納得しかけるが即座に聞き返した。

 

「いや、だから・・・桜雲が、メグミを、家まで、送って?」

「え?」

「流石に私1人じゃアズミとメグミを支えて家に送るってのも難しいし・・・」

「いやいやいや、待って。え?」

 

 ルミの言い分も分かるが、それ以前に問題がある。

 酔った女性を男が自宅まで送るとなれば、何かしらの“間違い”が起きる可能性だって考えられるのだ。無論、桜雲はそんな“間違い”を犯すつもりなどないのだが、ルミにとっての親友をそう簡単に預けてもいいものなのか。

 

「大丈夫だって。桜雲はそんな悪い奴には見えないし」

「いや、でもメグミさんは・・・」

 

 肝心なのはそこで、メグミが桜雲に部屋まで送られたことを不快に思ったら、桜雲との関係にも亀裂が生じる。最悪喧嘩して別れてしまったら、悔やむに悔やみきれない。

 

「そこも平気だと思うよ」

「なんで」

「メグミ、桜雲のことは悪い風に思ってない、と言うかかなり好意的に見てるみたいだから」

 

 ルミのよどみない言葉に、桜雲は改めてメグミを見る。気持ちよさそうに笑って目を閉じているその顔は可愛らしくもあるが、その裏には自分のことを好く思ってくれていると思うと、顔が熱くなってくる。

 だが、まだ問題は別にある。

 

「いや、でもメグミさんの家の住所は分からないし―――」

「ほい、住所」

 

 刹那も間を与えずにメモ用紙を桜雲に渡すルミ。『準備の早いことで・・・』と桜雲が口の中でもごもごと呟きながら、大人しくそのメモを受け取る。

 それでもまだ問題はある。

 

「でも、鍵は?流石にメグミさんのバッグから勝手に取るのは・・・」

「はい。メグミからもしもって時のために、事前に渡されてたの。貸しておくよ」

 

 これで、桜雲がメグミを部屋まで送る条件はすべて整ってしまった。ここまでされては断ることもできないし、ルミ1人に任せるというのも確かに負担が大きいので、ここは大人しく言われた通りにすることにした。

 

「あ、そうだ桜雲」

「?」

 

 果てしなく気まずくて気が重くなってきたが、立ち上がる直前で桜雲にルミが話しかけてきた。

 

「さっきは桜雲、メグミのことを『いい人』って言ってたけど・・・本当のところはどうなの?」

「・・・・・・・・・」

 

 先ほどの桜雲の答えが、本音全てを言っていないというのは、ルミには分かっていたらしい。

 隣に座るメグミを見る。机に突っ伏して目を閉じていて、まるで眠っているかのようだった。それは正面に座るアズミも同じで、舟をこいでいる。

 希望的観測ではあるが、今この場で桜雲が言うことを、酔いつぶれたメグミとアズミは覚えはしないだろう。ルミも恐らく、桜雲が言うことを他人に言いふらしはしないと思う。

 聞いているのがルミ1人、本人たるメグミは聞いていないとなれば、まだ答えることはできる。

 

「・・・・・・言っても、引かないでね?」

「内容にもよるけど」

 

 声を潜めて前置きするが、ルミの冗談めいた答えに桜雲は苦笑する。

 やがて答えた。

 

「・・・・・・素敵な人だと、魅力的だと思ってる」

 

 たとえ酔っていても、好きな人の目の前で第三者に『好きだ』なんて言えないので、本当の本当の気持ちまでは言わなかった。

 

「・・・・・・へぇ」

 

 それでルミもようやく理解し、満足したようで、頷いた。

 

「・・・・・・メグミが羨ましいよ、本当に」

 

 そう言ってメグミを見るルミの表情は、少し悲しそうではあるが、笑っていた。

 

 

 メグミとアズミが酔いつぶれてしまっていたので、代金は桜雲とルミで割り勘となった。後日改めてアズミとメグミにも請求するとルミは言ったが、桜雲は『あまり気にしないでね』とだけ言っておく。

 それからが、桜雲にとっての正念場だ。ルミは言った通りアズミを連れてタクシーで帰り、桜雲もまた半分眠っているようなメグミを支えてタクシーに乗り、ルミに教えてもらった住所の場所へと送ってもらう。

 やがて辿り着いたのは、大学の最寄り駅から少し離れたところにある3階建てのアパート。メモに書いてある住所を見た時も思ったが、桜雲が住むアパートと割と近かった。もうここに来ることは無いだろうとは思うが。

 

「メグミさん、着いたよ?」

「・・・・・・すぅ・・・すぅ・・・」

 

 メグミは完全に眠ってしまっていた。やれやれと思いつつ、桜雲はタクシーの代金を払う。正直言ってこの出費は痛いが、そんなことも言ってられない。

 メグミに肩を貸す形で部屋まで送ることになるのだが、メグミの顔がすごく近い距離にある。酒の匂いに混じった花のように甘い香りが桜雲の鼻腔をくすぐり、腕辺りから伝わってくる柔らかい感触が桜雲の理性を全力で揺さぶるが、前だけを見て桜雲は心をつなぎとめる。

 ただ、メグミの身体は軽く、戦車道の賜物なのかメリハリのある体つきをしているのが否が応でも分かってしまっていて、心臓に悪い。

 そして、間近にあるメグミの顔を改めて見ると、酒気のせいで顔はわずかに赤くなってはいるが、薄いピンク色の唇や、綺麗な肌、艶やかな髪が桜雲の眼をくぎ付けにさせてくる。

 そんなメグミの横顔に惹かれそうになる衝動を抑えて、やっとのことでメグミの部屋の前に着く。そこでもう一度起こそうと声をかけたが反応せずに寝息を立てたままだったので、誠に申し訳ないが部屋に上がらせてもらうことにした。

 

「・・・・・・お邪魔します」

 

 鍵を開けて、小さく呟いてからついにメグミの部屋に足を踏み入れ、壁に手を這わせて電気のスイッチを点けた。

 メグミの部屋の間取りは1Kでそこまで広くはないが、広く感じられるような家具など調度品の配置だ。壁紙や家具は白を基調としたもので統一されており、また掃除もしっかりされているのか塵一つ落ちていない。ローテーブルと2つのクッションがフローリングに置かれ、キッチンも片付けられており、意外というわけではないが全体的に整然としていた。

 そんなメグミの部屋を目の当たりにして、ここで普段メグミが生活しているという事実がふと頭をよぎる。途端に胸がざわざわしだすが、頭を振ってメグミをそっとベッドに寝かせる。

 何とも罪のない幸せそうな寝顔を浮かべていて、桜雲の心が妙にほっこりする。風邪をひかないように、一応布団もかけておく。

 

「さてと・・・」

 

 桜雲は自分の鞄から小さな箱を1つ取り出してローテーブルに置き、ルミからもらったメモ帳の裏に手早くボールペンで何かを書き、それも一緒に置く。

 

「・・・・・・・・・」

 

 改めてそこで、メグミの方を見る。起きる気配は今も全くなく、静かに安らかな寝息を立てている。

 そんなメグミの姿が愛おしく思えてきて、つい、手を伸ばし。

 

「・・・・・・ん」

 

 そっと、その髪を撫でた。

 触れてから、メグミが小さく息を洩らし、身をよじったので、桜雲は慌てて手を引っ込める。なんてことをしてしまったんだと自虐的になってしまい、早々に部屋を出ようとする。この部屋に長くとどまっていては、良からぬ情を覚えかねない。

 だが、またしてもそこで桜雲は気づいてしまった。

 

「?」

 

 先ほどは気にも留めていなかったが、ローテーブルには雑誌が開かれたまま置いてあった。ページの内容からして、料理に関する雑誌のようではある。

 その開かれているページをよく見ると、そこに載っている料理は、この前メグミが桜雲に作ってきてくれた弁当に入っていたのと同じものだった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そのページの端は折られていて、目立つようになっている。さらには他のページにも折り目がついていて、そのページの料理は確かにメグミの弁当に入っていた料理だった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 無性に桜雲の心がごぼごぼと湧き上がるように熱くなってくる。

 メグミは以前料理には慣れていないと言っていた。だからそれまでは、料理をすることもほとんどなかったのだろう。

 それでもこうして料理本を持ち、お礼と言って桜雲に弁当を作ってきて、そして今もこのような本を使って料理を作り弁当を桜雲のために作ってきてくれている。それは、それだけメグミが桜雲のことを大切に考えてくれているからではないだろうか。

 

(いやいや・・・変なこと考えたらダメだってば・・・)

 

 ここにいては、自分は冷静ではいられない。

 桜雲は早急に判断して電気を消し、ドアを閉めて鍵をかけ、新聞受けに鍵を入れてその場を立ち去ろうとする。

 夏本番となって昼間は気温も高かったが、陽が落ちた今ではそこまで暑くは感じられない。むしろ涼しく感じる。

 

「・・・・・・おやすみ、メグミさん」

 

 桜雲は小さく告げてから、そんな夜の町を自分の家めがけて走り出した。

 

 

 カーテンの隙間から陽の光が差し込み、メグミの顔に当てられる。

 

「んん・・・・・・っ」

 

 ベッドの上で目を開いたメグミは、直後鋭い頭痛が頭を貫いて、思わず頭を押さえる。

 

「また飲みすぎた・・・」

 

 昨日飲んだ酒の量は普段とあまり変わらなかったが、大体翌日は二日酔いに悩まされる。

 しかも昨日は、初めて桜雲と一緒に居酒屋に行った。自分の想っている人と、だ。それだけで十分に緊張するものではあった。

 だというのに、アズミとルミが桜雲と妙に仲良さげなのを見て無性にモヤっとして、それを払拭しようとペースを早くしすぎた。結果酔いつぶれて、またこうして二日酔いに悩まされている。

 

「・・・・・・って、あれ?」

 

 体を起こして周りを見て、そこでメグミは気づいた。

 今自分がいるのは、メグミ自身の部屋だと。

 

「・・・送ってくれたのかしら」

 

 昨日は居酒屋でビールを飲んだ後の記憶が朧気だ。誰かに支えられながらタクシーに乗り込んだところまでは、なんとなくではあるが覚えている。だが、誰に支えられたのかは思い出せないし、途中から眠ってしまったのか記憶は完全に無くなっていた。

 ルミか、アズミが送ってくれたのだろうか。でも桜雲は違うだろうなと、メグミは思った。

 またしても二日酔いの頭痛が襲ってきて『いたた・・・』と告げながら頭を押さえるが。

 

「・・・?」

 

 ローテーブルに小さな箱と、1枚のメモが置かれているのに気づく。

 ゆっくりと起き上がってその箱を手に取ると、それは整腸作用もある二日酔いに効く薬。そしてメモの方にはこう書かれていた。

 

『メグミさんへ

 ルミさんから送るように頼まれて、お邪魔させていただきました。

 起きたら薬を飲んで、ゆっくりと休んでください。

 それではまた、大学で。

 桜雲より』

 

 メグミは絶句した。

 まさかの、昨日居酒屋からここまでメグミを送ってくれたのは、違うだろうと思っていた桜雲だった。

 つまりメグミは、知らない間に自分の部屋に好きな男を上げてしまっていた(?)わけだ。

 そして送られてきたと言うことは、桜雲は恐らくメグミのことを支えて送ってくれたのだろう。肩を貸す形だったのか、背負う形だったのかは分からないが、どちらにしたって桜雲と密着していたことになる。

 途端に猛烈に恥ずかしくなってきて、メグミの顔が赤く染まっていく。二日酔いの頭痛などどこかへ消え去ってしまっていた。

 もしかしたら、何か見られて恥ずかしいものさえも見られてしまったのではないかと思い、視線を配ると同じローテーブルの上にある料理雑誌が目に入る。ページの端まで折られているそれは、自分の衣類ほどではないが見られて恥ずかしいものに値するものだった。

 

(うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ・・・・・・!!)

 

 恐らくこの雑誌は、桜雲も見ただろう。だって、あのメモは雑誌のすぐそばに置いてあったのだから。

 恥ずかしさのあまり布団にもぐって身体を丸め呻きたい衝動に駆られる。

 だがそれは後にして、まずは送ってくれた桜雲にお礼を言うことの方が先だ。

 そこでメグミは二日酔いなど完全に無かったことのように素早く起き上がり、バッグの中からスマートフォンを取り出して、桜雲へ連絡しようとする。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、やはり恥ずかしさがこみ上げてきて、結局スマートフォンを持ったまま数分ほど硬直してしまうことになった。




T28の車長・真鶴の名前は、
出身校の聖グロリアーナ女学院の本籍地である神奈川県の地名から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Date Day

 駅の近くに植えられたイチョウの樹から、けたたましいミンミンゼミの鳴き声が響いてくる。路上をトコトコ歩いていたハトの群れが、ふとした拍子に翼を広げて飛び立っていく。

 そんなハトを見上げ、セミの鳴き声を聞き流しながら、桜雲は小さく息を吐いた。

 

「・・・暑いなぁ」

 

 空にはギラギラ光る太陽。8月に突入して、ここ最近のニュースでは『過去最大級の猛暑』と報じられている。毎年『過去最大級』とか『観測史上最大』とかそんな感じのことを言っているので、そんな調子で言っていると言葉の価値もストップ安だろう。

 

「・・・・・・」

 

 腕時計を見る。待ち合わせの時間までまだ少しあるが、ここ数分の桜雲が時計を見る間隔は狭い。これから始まることは、桜雲にとってはずっと待ち焦がれていたことなのだから、浮かれるのも、待ち遠しくて時計を何度も見るのも仕方ないのだが。

 

「桜雲~」

 

 そんな桜雲にかかる1つの声。それは、メグミのものだ。

 彼女は白のインナーに薄い青色の前結びブラウス、下はストレートデニムと清涼感を抱かせる服だ。肩には白のショルダーバッグを提げている。

 

「ごめんなさい、待った?」

「ううん。今来たところ」

 

 気持ちが逸ってしまい、待ち合わせの10分前に来てしまっていたことについてはそっと胸にしまっておく。

 

「それじゃ・・・行こうか」

「ええ・・・今日はよろしくね」

「こちらこそ」

 

 お互いに並んで、駅の改札へと向かう。

 その足取りや表情は、傍から見ればどことなく嬉しそうにも見えるだろう。

 それもそのはずで、今日は2人にとって初めてのことである、デートなのだから。

 

 

 そもそもどうしてこうなったのか。それは桜雲がメグミに『一緒に出掛けよう』と誘ったことに他ならない。

 事の発端は、1週間前。桜雲がメグミ、アズミ、ルミの3人と飲みに行った日の翌日。

 桜雲に自分の部屋まで送ってもらったことを知ったメグミは、恥と後悔を忍んで桜雲にお礼とお詫びをするために電話をかけた。

 

「本当に、ごめん!まさか桜雲が送ってくれるなんて思わなくて・・・」

『ううん、大丈夫。気にしないで』

 

 酔った女性を家まで送ったことを全く苦とも思っていないような声色に、メグミは心底桜雲が優しいと思う。

 だが、その優しさに触れて気が緩みそうになる前に。

 

「でも、何かお礼をさせてくれないかしら?正直、ここまでしてもらって何もしないのは・・・」

『いやいや、ホントに気にしなくて大丈夫だから、ね?』

「でも・・・」

『まあまあ・・・』

 

 そんな感じで一歩も譲らない応酬が続いた末に、桜雲が悩むように小さく唸ってから告げた。

 

『じゃあさ、メグミさん・・・』

「?」

『1つ、提案いいかな?』

「言ってみて?」

 

 今回迷惑をかけてしまったのは完全にメグミであり、しかもその迷惑をかけた相手は想い人と来た。ならば、その迷惑を帳消しにすることができるように、桜雲の頼みには可能な限り応えたい。

 

『今度の休みの日・・・一緒に、出掛けない?』

「え」

 

 メグミの心が真っ白になり、桜雲の言葉だけが浮かび上がる。

 

『最近メグミさん、大学選抜の練習が続いて疲れてるんじゃないかなって思って。だから・・・また一緒に猫カフェとかに行って、リフレッシュしたらどうかなって』

 

 ほんの少し、メグミは考える。確かに、夏休みに入ってから大学選抜チームの練習はほぼ枚に続き、おまけにくろがね工業との試合も近いので訓練はハードモードだ。

 だからこそ、どこかで休息をとろうと思っていたし、それは桜雲にも話していた。『一緒に猫カフェに行こう』とも話していたので、その提案はタイミングが良かった。

 その誘いが嬉しくて、メグミは思わずこう言ってしまった。

 

「・・・・・・それはつまり、デートのお誘いかしら?」

 

 電話の向こうの桜雲が息を呑んだのが分かる。

 ちょっと意地悪しちゃったかな、と思いメグミは『ごめんね、からかって』と言おうとしたが。

 

『・・・そう受け止めてもらっても、大丈夫だよ』

 

 控えめなその言葉に、今度はメグミが息を呑む番となった。

 自分で蒔いた種なのに、手痛い反撃を食らってメグミも思わず目を伏せる。

 

「・・・そっかぁ。うん、でもいいよ。一緒に行きましょ?」

『分かった、ありがとうね』

 

 あくまで冷静に、努めてメグミが返す。桜雲もようやく緊張が抜けたようだ。

 斯くして、デートかどうかはさておいて、メグミは次の休日に桜雲と共に出掛けることが決まった。

 

 

 まず最初に今日行く場所は、事前にメグミにも話してある。

 

「結構昔ながらの家みたいな感じで、いい場所だよ」

「へぇ・・・それは楽しみね」

 

 その場所とは猫カフェではあるが、これまでとは違い桜雲が何度か行ったことがあるお気に入りのお店だ。その言葉通り昔ながらの家のような感じのする場所で、さらに近くには大型の商業施設もある。休日を過ごすのにはもってこいだろう。

 最寄り駅で電車を降りて街へ出ると、夏休みシーズンに加え休日なのもあって人の行き来は割と多かった。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 そして猫カフェまでの道で、自然と2人の間に会話がなくなってしまった。

 桜雲もメグミも、1週間前の飲み会(帰路含む)でのあれこれを覚えているから、その時のことを意識してしまって言葉が紡げない。

 そんな状況が数分続いて、誘った本人の桜雲が何か話した方がいいと思って話題を探す。

 

「・・・メグミさん」

「?」

 

 着目したのは、メグミの服だ。

 

「今日のメグミさん・・・」

「?」

「何て言ったらいいのかな・・・。いつもと違って、すごく・・・綺麗だ」

 

 言われて、メグミは少し頬を掻く。

 今日のメグミの服は、普段とは違って少しばかり活発さと清涼感を持たせる服だと、自分でも思う。

 桜雲は、その服装も相まってメグミが可愛く見えた。しかし可愛いと言うのは些か恥ずかしくて『綺麗』とぼかしてしまったが。

 

「・・・ありがとね」

 

 その変化に気づいてくれたことを、メグミは嬉しく思う。

 今日のこの服は、ファッション系の雑誌やネットを見て、自分に合うような服はどんなだろうと自分なりに調べ、さらには同じ戦車の通信手・生月の知恵も借りた結果のものだ。

 その服を桜雲に褒めてもらえたのだから、調べたことやアドバイスが無駄にならなくて本当に良かったと思う。

 そして、その変化に桜雲が気付いてくれたことが、メグミは嬉しかった。

 

「・・・・・・」

 

 その嬉しいという気持ちを抑えられず、メグミは隣を歩く桜雲の手をそっと握った。

 その行動に桜雲は驚きメグミを見るが、彼女が穏やかな笑みを浮かべているのを見て、桜雲は何も言わず小さく笑う。

 そしてその手を、優しく握り返した。

 メグミの手は少し温かくて、そして柔らかかった。

 

 

 駅から10分ほど歩いた場所にあるその猫カフェは、一見昔ながらの木造二階建ての一軒家にしか見えない。

 

「ここが、その猫カフェ?」

「うん」

 

 だが、この建物こそが、桜雲のお気に入りの猫カフェだ。大きな看板が出ているわけでもなく景観に溶け込んでいるので、知る人ぞ知る穴場のような場所らしい。

 そこでメグミは、桜雲と手を繋いだままだったことを思い出し、慌てて手を離す。

 

「あ、ごめんね?馴れ馴れしく触っちゃって」

「ううん、平気・・・僕も嬉しかったし」

 

 そこでぽろっと本音が零れてしまった。

 桜雲は『しまった』と内心焦ったが、メグミは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後で嬉しそうに小さく微笑んだのを見て取り消せなくなる。

 結局、そそくさと扉を開けて中に入ることにした。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 出迎えてくれたのは初老の女性。彼女こそがこの猫カフェの店長だ。

 

「こんにちは、予約していた桜雲です」

「あら、こんにちは~。いつもどうも~」

 

 何度かこの猫カフェに通っている桜雲は、すっかりおばちゃん店長に顔を覚えてもらっていた。最早桜雲とは顔馴染みぐらいの関係である。

 そこで店長は、桜雲の少し後ろに立つメグミに気付いた。

 

「あら、そちらの方は?」

 

 桜雲はここに来る時は、いつも一人だった。それは店長も知っていたから、桜雲が今日初めて連れてきた誰かが気になった。

 

「あ、ええと―――」

「ひょっとして、彼女さん?」

 

 桜雲が説明する前に、おばちゃん店長は軽く笑いながらそんなことを宣った。休日に男女が揃って私服で来れば、そう見える可能性は少なくないだろう。かといって、これは流石に読めなかった。

 ちなみに桜雲は気づいていないが、その言葉にメグミの顔はまた赤くなってしまっている。

 

「いえ、ただの友達ですよ」

「あら、そうなの?ごめんなさいね」

 

 桜雲が事実を伝えると、店長は大人しく引き下がった。やれやれ、と思いつつ桜雲は2人分の代金を払う。ただし、桜雲は自分の言葉に胸が締め付けられるようだったし、メグミだってちょっとばかり寂しかった。

 それはともかくとして、桜雲とメグミは消毒をしてから中に入る。

 カフェの中は本当に昔の家のようで全面畳張り、木の箪笥や卓袱台も置かれている。配置されている木製のキャットタワーも黒いニスが塗られており、縁側からは庭を臨むことができる。

 そして、そんなどこか懐かしさを抱かせるような空間を彩るのは、やはり猫だった。座布団の上に寝転がっていたり、卓袱台の下から来訪者の様子を窺う猫もいる。天井の梁から中を見下ろす猫もいた。

 

「・・・本当に、イイ感じの場所ね」

 

 先ほどの店長の発言による恥ずかしさから立ち直ったメグミが、中を見回して呟く。

 これまでメグミが訪れた2軒の猫カフェは、どちらもここのような和風な感じではなく、洋風または近代的な感じがした。だからここの雰囲気が新鮮に思える。

 

「桜雲が気にいるの、分かるかも。こういうところが何だか似合うし」

「そうかな?」

 

 メグミから見れば、穏やかでのんびりとした桜雲には、ここのような味わい深い落ち着いた場所が似合うように思える。

 卓袱台の近くに桜雲とメグミが腰を下ろすと、早速1匹の白い猫がトコトコと近づいてきた。

 

「この子は結構人懐っこい子でね。大体自分から来てくれるんだ」

 

 桜雲が顎の下を指で撫でると、早くもゴロゴロと喉を低く鳴らし出す。

 試しにメグミが人差し指を伸ばすと、白猫は躊躇もなく鼻を擦り付けてきた。

 

「・・・久しぶりかも。猫と触れ合うのって」

 

 白猫の横顔を撫でるように、メグミが手を動かす。猫の顔が少しだけぶにっと歪み、それが可笑しくてメグミは小さく笑う。さらに耳の付け根や顎の裏を優しく撫でて、気持ちよさそうに目を細める白猫。そしてついには、メグミの傍で横になった。

 

「それでもメグミさん、もう猫に触るのに慣れているみたいだね」

 

 寝転がる白猫のお腹を撫でるメグミに、桜雲がそう告げる。そんな桜雲も、グレーの縞模様のサバトラの猫を撫でていた。

 

「桜雲に教えてもらったんだもの。簡単に忘れたりはしないわ」

 

 白猫を撫でるメグミの手つきは優しく、愛おしむかのような笑みを浮かべている。その様子をトリミングしたら、一枚の絵になるんじゃないかと思える。

 その様子に目を奪われつつも、桜雲はサバトラの背中や耳の付け根を優しく撫でる。すると、サバトラは桜雲の脚の上に丸まって寝転がった。

 

「桜雲もやっぱり上手ね」

「まあ、これが取り柄みたいなものだし」

 

 そういう桜雲だが、メグミに褒められて満更でもなかったりする。

 ふと縁側の方を見ると、太陽の光が差し込んで明るい部分に猫が寝転がっている。外は暑いがこのカフェの中は冷房が効いて涼しいので、あの部分は猫にとっては丁度いい温度なのだろう。

 

「・・・美味しい」

 

 振り返ってみれば、メグミが湯飲み茶碗を傾けて何かを飲んでいた。卓袱台にはもう1つの同じ茶碗と煎餅が置かれており、先のおばちゃん店長が奥へと引っ込んでいく。どうやら、冷たい緑茶とお茶請けを持ってきてくれたようだ。

 桜雲も有り難く受け取り、一口飲む。心地よい冷たさが、喉を通り抜けていく。

 

「お茶とお煎餅ってサービスしてくれるのね」

「うん、他の飲み物は別料金だけど」

 

 ここは基本料金にドリンク代が含まれていないため、比較的安い方だ。それにこうして緑茶と煎餅を用意してくれるのだから、頼まなくても問題ない。

 

「なんだかね・・・猫を撫でてると、疲れとか不安とか・・・抜けていくような感じがする」

 

 白猫の背中を指でつうっと撫でながら、吐息交じりにメグミは言う。

 猫を撫でることで得る感触は、形容しがたいほど心地よいものだ。それに加えて、生き物故のぬくもりがある。そんな猫に触れていると、自然と心の中のしこりが解れていくようだ。

 

「・・・それが、癒されてるってことだと思うよ」

「・・・かもね」

 

 メグミは猫を撫でる手を止めない。桜雲の脚の上のサバトラが撫でるのを催促するように鳴くと、『はいはい』と言いながら頭を優しく撫でる。

 

「もうすぐ試合だし・・・ちょっと不安だったから」

「・・・あと1週間だね」

 

 試合とは、前から話に上がっていたくろがね工業との試合だ。桜雲の言う通りあと1週間ほどしかなく、刻一刻とその日は近づいている。

 

「やっぱり不安なんだ」

「それはもちろん」

 

 それも仕方がないと思う。

 桜雲がメグミと同じ立場にいたら、やはり不安になる自信がある。戦車道を歩むメグミは逞しいと思っているが、いかに彼女でも自分が副官で、しかも相手は経験豊富で強力な社会人チームとなれば、気弱になってしまうのも無理はない。

 

「これまでも社会人チームとは戦ったことがあるけど、今度ばかりは格が違うし」

 

 メグミも大学選抜チームに入ってから、社会人のチームと戦うことは何度かあった。しかし、今までの相手はどこもくろがね工業のように『べらぼうに強い』と言うわけではなく、『そこそこ強い』レベルだった。

 そんな相手との戦いを前に、メグミ自身少し気弱になっていたところもある。

 

「でもね・・・こうして猫と遊んでいると、そんな不安な気持ちも軽くなっていく感じがするのよ」

「・・・それはよかった」

 

 傍で寝転がる白猫のお腹を、メグミは少し荒っぽく撫でる。『ふみゃ』と気持ちいいのか嫌なのか分からない声を上げる白猫。桜雲が『ほどほどにね』と注意すると、その手をピタと止めた。

 

「ところで、2階もあるの?」

 

 メグミが後ろを振り返ると、そこには確かに上へと続く階段がある。猫が入らないように柵が設置されているが、近くには『御用の方はお声がけください』と注意書きがあった。

 

「ああ、2階には小物とかが置いてあるんだ。買うこともできるよ」

「へぇ・・・ちょっと見てみたいかも」

「分かった」

 

 桜雲は、脚の上に寝転がっていたサバトラをそっと下ろして立ち上がる。おばちゃん店長を呼んで一言二言話すと、『行こう』とメグミを上へ促した。

 メグミと共に2階へ上がると、そこもまた畳張りとふすまの戸が懐かしさを感じさせる部屋だった。

 そんな部屋の中央のテーブルには、ペンダントやブローチなどのアクセサリーや本の栞が並べられていて、壁には手作りと思しき時計が掛けられている。

 

「あっ、可愛い・・・」

 

 そこに飾られているものは全て、猫をあしらったものばかりだった。例えばハンカチには猫の刺繍が入っていて、ペンダントのロケットの部分には猫のシルエットの模様入りである。壁に掛けてある時計も振り子の部分は猫の形になっていた。

 

「・・・手作りみたいだけど、全部あのおばあちゃんが?」

「全部じゃないみたい。知り合いの人も協力して作ってるんだって」

「へぇ・・・」

 

 メグミは商品を流し見して、ふと思う。

 

「・・・ホント、ここはまた変わったところよね・・・」

 

 こうしてハンドメイドの商品を売っていることもそうだが、何よりもこの猫カフェ自体のコンセプトがこれまで行ったどことも違う。

 

「確かにそうだね・・・」

 

 聞いた話では、元々ここはおばちゃん店長とその夫で二人暮らしをしていた家だという。しかしその夫が先立ち、元々猫好きだったおばちゃんが人との出会いのきっかけになればと思い猫カフェを始めたらしい。

 数年ほど経った今では大分人も来るようになり、楽しくやっているようだ。

 

「いいよね、こういう感じの場所・・・」

 

 部屋を見回しながら告げる桜雲は、どこか羨ましそうな声だった。

 メグミは商品を見る手を止める。

 

「・・・桜雲ってもしかして・・・将来はこういう仕事に?」

「ううん、そうはならないかな」

 

 猫が好きで、こういった猫カフェも好きでいるのなら、猫とかかわる仕事に就く未来も考えられた。

 だが、桜雲の答えは否だった。

 

「やっぱり、生き物を扱う仕事に就くとなると、絶対に別れの場面に立ち会うことになるだろうから。それに僕が耐えられるかって訊かれると、素直には頷けないし・・・」

 

 別れの場面とは、生き物を飼っているうえでは避けては通れない『死』のことだ。それはメグミにも分かる。

 そして、命あるものの死とは何らかの形でネガティブな感情を芽生えさせる。それに耐えられなければ、生き物にかかわる仕事など到底就けない。

 その自信が桜雲にはないから、そのつもりはなかった。

 

「僕の実家の猫も大分歳だし・・・いつまでも遠回しにはできないことなんだけどね」

 

 桜雲はまだ、その別れの場面に直面したことはない。しかし桜雲の実家の猫はその言葉通りのご老体だから、知らなければずっと無関係とも言えないのだ。

 

「それで、できれば・・・猫を不自由なく飼えるようにはなりたいかな」

「あ、猫は飼うのね?」

「うん。こうして猫カフェで色んな猫と触れ合うのも楽しいけど、家族として猫と一緒に暮らすのにも憧れてるから」

 

 小さい頃に猫を飼い始めて、実家で暮らしている間はずっと一緒だったから家族みたいなものだと、桜雲は言っていた。

 だから、実際に『別れ』の場面に立って、耐えることができるのであれば、独り立ちしてから猫を飼うつもりなのだろう。

 生き物の命と向き合う仕事に就けば、別れの場面に立つ機会も多くなり、最初は耐えられても次第に疲弊する。だが、家族として向き合うのならば、できるかもしれない。

 桜雲は、自分の将来を少し考えたところで、1つ気になった。

 

「メグミさんは・・・戦車道を続けるの?」

「そうね・・・。私にとって戦車道って、切っても切れないようなものだし。将来はプロを目指してるわ」

 

 プロを目指すというのは口で言うのは簡単だが、そこに辿り着くことは簡単ではない。

 だが、桜雲はその夢を笑い飛ばすことも、『無理なんじゃない?』と無下にすることもなく。

 

「・・・できるよ、メグミさんなら」

 

 ここ最近のメグミの戦車道での成果は、メグミの話に加えて練習を観ていたから知っている。あの島田愛里寿の戦車に大きなダメージを負わせ、T28の配備も認められるほどの腕に成長した。それはメグミ1人のものではなく、メグミのパーシングの乗員たちの力によるものではあるが、それでもメグミの実力だって含まれている。

 難しいかもしれないプロ選手と言う夢を、実現できるかもしれないと思わせてくれるほどに、メグミは強くなっていた。

 

「僕は、メグミさんの夢が叶うように応援する。だから、頑張って」

 

 そしてメグミに惚れた男としては、その夢が実現するように祈り、願い、そして背中を押して応援するだけだ。

 そんな桜雲の言葉に、メグミは嬉しそうに笑った。

 

「・・・ありがとう」

 

 

 

 その猫カフェには、およそ2時間ほど滞在した。メグミも桜雲も、猫じゃらしなどのおもちゃで猫と戯れ、猫を膝に乗せてまったり撫で、これでもかと言うほど寛いだ。

 桜雲はそんなメグミの様子を見て、少し微笑ましくなりつつも、リラックスできていると安心した。

 

「これ、2つください」

「はーい」

 

 帰りがけにメグミは、2階の小物コーナーで何か良いものを見つけたらしく、1階のレジでそれを買っていた。桜雲が支払おうとしたが、メグミはそれを拒み自分で払う。

 そして今2人は、猫カフェに来る途中に見つけた喫茶店にいる。そろそろお昼時だったが、猫カフェで煎餅を出してもらったのでそこまで空腹ではなく、何か少し食べておこう程度の感覚だった。

 

「なんか・・・ごめんね?払わなくて・・・」

「謝ることはないわ。だって、この前は桜雲に色々迷惑をかけちゃったし・・・」

 

 それは1週間前の飲み会のことを言っているのだと、桜雲はすぐに気付く。

 あの時4人分の食事費の半分+タクシー代を払ったのは正直痛かったが、それで別にメグミに腹を立ててはいない。

 だから過剰に気遣わなくていいし、今日こうしてメグミと2人で出掛けているだけで十分お釣りがくるようなものだ。

 しかし、メグミは貸し借りについてはきっちりしているようである。

 

「それで、何を買ったの?」

「これよ」

 

 紙袋からメグミが取り出したのは、ロケットの付いたペンダント。猫の模様が入ったロケットが付いている代物だ。

 2つ買ったと言うことは、1つはメグミが持つとして、もう1つは誰かに渡すのだろう。一番濃厚なのは愛里寿だが、あるいは誰か恩師に渡すのかもしれない。

 

「はい、桜雲」

「へ?」

「あなたにこれ、プレゼント」

 

 桜雲の予想はことごとく外れ、そのペンダントは桜雲に差し出された。

 そんなペンダントを差し出すメグミは、いつものように笑ってくれている。

 それを受け取る前に桜雲は聞いておきたかった。

 

「・・・なんで、僕に?」

「それはもちろんこの前のお礼。それと、親愛の気持ちも込めてね」

 

 親愛、と言われて桜雲の心が跳ねそうになる。メグミとは仲が良いと自分では思っているつもりだったが、いざ実際にメグミからそう言われると嬉しくなってしまう。

 その嬉しさを噛み締めながら、桜雲は手を伸ばしてペンダントの入った箱を受け取る。

 

「ありがとう、大切にするね」

 

 そのペンダントを慎重に鞄に仕舞う桜雲。

 

「でも、いい場所だったわ。あの猫カフェは」

「でしょ?」

 

 先ほどの時間を思い出すメグミ。素朴な感じがするような場所ではあったが、とても居心地の良い場所だった。桜雲が気に入るのも頷ける。

 

「この後は・・・どうする?」

 

 この後の予定は、特に決まってはいない。『猫カフェに行く』と言う当初の目的は達せられたので、後はどこへ行くのも自由だった。

 桜雲はどこへ行きたいという希望はないし、ぶっちゃけメグミと一緒であればどこでもいいぐらいだ。

 

「そうね・・・・・・あの駅近くのモールが気になったから、あそこへ行ってみたいかな」

「よし、分かった」

 

 来る途中でも見かけたあの大型商業施設。先ほど手早く調べてみたが、色々なお店が並んでいるようだった。多様なジャンルを網羅しており、ただ見て回るだけでも楽しいと書いてあったので、2人で回るにはうってつけだろう。

 

「・・・ねぇ、桜雲」

 

 そしておもむろに話し出すメグミ。だが、その顔と声はどこか申し訳なさそうだった。

 

「改めて・・・言わせて。この前の飲み会は、本当にごめんなさい。あなたに迷惑をかけちゃって・・・」

「そのことならもう十分だよ。今日、メグミさんと一緒に出掛けられてるわけだし」

 

 今日桜雲とメグミが一緒に出掛けているのは、桜雲のたってのお願いだ。それはメグミ自身も分かってはいるが、この程度で本当にお礼になっているのかどうかが不安なのだ。

 

「それに・・・」

 

 桜雲が、手の中のグラスへと視線を落とす。

 

「メグミさんとは、こうして・・・・・・デートしたかったし」

 

 水を飲もうとしたメグミの動きが止まる。

 桜雲ははにかんで見せているが、その顔にはわずかな朱が混じっており、恐らく自分でも恥ずかしいことを言ったという自覚があるのだろう。

 そしてメグミが思い出すのは、この前の桜雲からの誘いの電話。あの時も『デート』と言う単語が上がった。

 それを思い出し、そして桜雲から同じ言葉を聞いて、同じぐらい顔が赤くなってしまっている。

 何せ、嬉しいのだから。そんな言葉を桜雲からかけて貰えたことが。

 

「・・・えっと・・・・・・」

 

 上手く言葉が紡げないが、今この場で黙ってしまっていては、恥ずかしさだけがこの場に留まってしまう。

 何か言わなければと、メグミがあれこれ悩んだ末に。

 

「私も、同じ。桜雲とは・・・一緒に出掛けたかったから」

「・・・・・・・・・」

「だから、誘ってくれて・・・ありがとう」

 

 ハッと桜雲が顔を上げる。

 その桜雲の反応を見て、メグミもまた恥ずかしいことを言ってしまったのだと気付いた。

 

「・・・そうなんだ。何か、嬉しいよ」

 

 俯いてそう言った桜雲はそれっきり、顔を上げようとはしなかった。

 メグミは『やってしまった』と心の中で少し後悔する。

 こうして男と2人だけで出掛けたことなどなく、ましてや相手が恋慕している者となれば、なおのことどんな言葉をかけていいのか分からなくなる。その結果、今のような何とも言えない微妙な雰囲気になってしまった。

 結局、その気まずい雰囲気は店員がコーヒーと料理を持ってくるまで晴れることはなかった。

 

 

 流石に後ろめたいことがあるとはいえ、喫茶店の代金までメグミに払わせるわけにはいかず、代金は割り勘と言うことになった。

 店を出て外を見上げれば、青空に白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。まっさらな青空よりも、こちらの方が夏らしく感じる。

 そんな感じで空を見上げるメグミは、まだ先ほどのやり取りが尾を引いていて、少しだけ気まずかった。

 メグミがそんな感じで少し気持ちが下向きになっているのに気づいた桜雲は。

 

「・・・それじゃ、行こうか」

 

 メグミに手を差し伸べる。

 メグミはほんの少し迷ったが、桜雲の優しい笑みを見ると、その手をそっと握る。

 桜雲も優しく握り返し、2人は並んでモールへと向かう。

 そして、モールでのショッピングは午後の時間を丸々使って楽しんだ。特別どこを見て回ろうとは決めずに、気になったお店に片端から入ってみた。

 雑貨屋では目新しい小物を見て2人してほうほうと頷き、洋服店では『中々センスには自信がないわね・・・』『僕も・・・』と苦笑して、さらにはバッグや帽子、甘い香りの漂うアロマのお店も見て回った。

 

「ここは・・・割と普通なのね」

「まあ、あの店が特殊なんだろうね・・・」

 

 中にはペットショップもあって2人はそこも見てみたが、以前行った場所とは違いフクロウやカワウソのように突飛な動物はいなかった。仔犬や仔猫とウサギが数匹だけだが、それでも十分だと思う。

 2人の目当ては専ら猫だったので、ゲージの中の猫を軽く眺める。猫カフェのように人慣れしているわけではないので、少し猫はそっけなかったが。

 それでも、2人で色々なお店を回ることができたのは楽しかったし、実にデートらしいと思う。

 2人で歩いている中で、桜雲は度々メグミのことを見ていたが、彼女も十分リフレッシュできていたと思う。戦車道の訓練の疲れを癒し、1週間後のくろがね工業戦に対する不安もある程度払拭できたかもしれない。

 何にせよ、とてもいい1日となった。

 

「あら、メグミ。桜雲も」

 

 モールの『せんしゃ倶楽部』と言う戦車道ショップでアズミとばったり会わなければ。

 

「「・・・・・・・・・」」

 

 メグミと桜雲は、硬直する。ただ気になったから入ってみた店で、偶然にも知り合いと出会うとは、何たる偶然か。

 

「・・・この前ショッピングに誘ったのに断ったのは、そういうことね」

 

 アズミの言葉に、桜雲は『えっ?』と小さく口の中で言いながらメグミのことを見る。

 メグミはなおも、ここでアズミに見られてしまったことを深くと思っているようで、ぐぬぬと言った感じの顔をしていた。

 

「あれ?」

 

 後ろから声がかかる。桜雲が振り返ってみれば、そこには私服のルミの姿が。

 どうやら、アズミとルミは2人でこのモールにショッピングに来ていたようだ。

 それはともかくとして、アズミだけでなくルミにまで今を見られてしまったのは非常によろしくない。

 そして、その予感は的中してしまった。

 

「さあさ、ルミ?お邪魔虫は退散しましょうか♪」

「そうだねー。それじゃ2人とも、ごゆっくり~」

 

 アズミとルミ何かを察したように笑って、肩を組んで去ってしまった。

 メグミは顔を押さえる。よりにもよって見られたくない奴に見られてしまった。

 

「しまった・・・・・・・・・迂闊だったぁ・・・」

「まあまあ・・・」

 

 うなだれるメグミの方を優しく慰めるように小さく叩く桜雲。桜雲だって、メグミと2人でいるところを見られたのは確かに恥ずかしかったが、何事にも例外と偶然はつきものなので仕方がないと諦めた。

 

 

 その後は気を取り直してせんしゃ倶楽部の中を見て回り、満足したところで2人はそろそろ帰ろうと言うことになった。

 

「今日はありがとうね、付き合ってもらって」

「こちらこそ。私も楽しかったわ」

 

 モールを出て駅へ行くまでの間、2人は並んで歩く。楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、太陽もすでに傾き始めている。

 

「でも、特に何も買わなかったけど、大丈夫だったの?」

「ええ。そんなにまだ欲しいものはなかったし」

 

 色々見て回ったが、桜雲もメグミも何かを買うことはなかった。それは別に悪いことではないのだが、少しばかりに気になった。

 

「桜雲と一緒に過ごせただけで、十分嬉しいし」

 

 けれど、そんな嬉しいことを言われては桜雲も何も言えない。メグミがそう思ってくれたことは桜雲にとっては至上の喜びである。それにとやかく口答えするなど、考えられない。

 

「・・・ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

「それに、これが買えたし」

 

 メグミはバッグの中から、先ほどの猫カフェで買ったペンダントの入った箱を取り出す。

 

「今度の試合、これを着けて頑張るわ」

 

 試合中はピアスや指輪、ブレスレットなどの目に見えるようなアクセサリーの着用は原則として認められていない。戦車道には、礼儀礼節を重んじる淑やかな女性を育むという理念があるからだ。

 だが、ペンダントであればユニフォームの下にあるから隠れて見えないだろうというのが、メグミの意見だった。

 

「・・・じゃあ、僕はこれを着けて応援する」

 

 桜雲も自分の鞄から、メグミが持っているのと同じものを取り出して見せる。

 メグミがそのペンダントを着け戦うのであれば、自分は同じものを着けて応援する。それだけで、なぜか自然とメグミと戦っているような気持ちになれる。

 

「それで、試合が終わったら、次の休みにまた一緒に出掛けよう」

「ええ、いいわよ」

 

 今日のことは、最後のアクシデントを除き、桜雲にとってもメグミにとっても楽しかった。

 今日のような楽しいお出かけ―――デートをまた一緒にと約束する。それだけで、メグミは今度の試合は頑張れる。モチベーションが上がる。

 そして桜雲は、その時にはメグミのことを心から労いたいと思う。勝つと信じているが、勝っても負けても、それでも桜雲はメグミの傍にいたいと考えている。

 その時が来たら、できることなら、自分の想いを全て告げたいとも思っていた。




次回、くろがね工業戦

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Betrayal Battlefront

今回の話は、Variante4巻の戦車道新聞の記事から着想を得たものです。
予めご了承ください。


 岐阜県・関ヶ原演習場。そこが、大学選抜チームとくろがね工業が試合を行う場所だ。

 愛里寿が隊長になってから確実に強くなっている大学選抜と、関西地区2位の実力を誇るくろがね工業。かつては天下分け目の戦いが繰り広げられたとされるこの地で、今注目を集めている2つのチームが戦うとは、何とも奇妙な感じだ。

 

『間もなく開会式が始まります』

 

 観戦席の正面に設置されている大型モニターを見ていた桜雲の耳に、女性のアナウンスが聞こえてくる。

 天候は快晴、そのおかげで8月の熱気と陽光が容赦なく地上に降り注がれている。観戦席には屋根が設置されていて直射日光は避けられるが、それでも座っているだけで汗が噴き出してくる。

 

『それではこれより、大学選抜チーム対くろがね工業の試合を開始します。礼!』

『よろしくお願いします!!』

 

 モニターの前に審判、両チームの隊長、そして戦車の車長たちが並んで挨拶をする。そして隊長同士で握手を交わすと観客席から拍手が送られた。

 開会式が終われば、両チームともに戦車に乗りこみ試合開始地点へと移動する。その間に大型モニターで改めて試合の概要が説明された。

 ルールは殲滅戦。どちらか一方のチームが全滅するまで試合が続く。

 この関ヶ原演習場は草原、荒野、山岳地帯を有しており、遮蔽物がそこまで多くない。

 車輌数は両チームとも20輌。

 大学選抜の主力戦車はパーシング、それにチャーフィーとT28、そして隊長車のセンチュリオン。これは桜雲も知っている。

 対するくろがね工業の主力戦車、というかほぼ全ての戦車がIS-2だ。長射程・高火力の重戦車で、近づくことも難しい。隊長車はT-34/85とこれも手堅く、簡単にはいかなそうだ。

 

「さて・・・」

 

 その概要を聞きながら、桜雲はスマートフォンとイヤホンを取り出す。ラジオのアプリを立ち上げて、これからの試合の公式実況を聴くのだ。

 桜雲は今日まで、戦車の公式戦をその場で直接観たことがない。

 試合を会場で直接観るとなれば、テレビとは違って解説や実況もなく、モニターの映像だけを頼りにするしかない。しかしそれだけでは初見の桜雲は分かりにくいから、ラジオの解説と実況で情報を補おうとしているわけだ。

 

『さて、今回くろがね工業と戦う大学選抜は、今年度からめきめきと力を伸ばしているようですねー』

『ええ、今の隊長になってから明らかに強くなってますね。現隊長の島田愛里寿さんは、「忍者戦法」と呼ばれる流派・島田流の後継者で、飛び級して大学に通っているとのことです』

『なるほどー、社会人相手にどんな戦いを見せてくれるのか、期待が高まりますねー』

 

 実況の男性と、解説の女性の声が聞こえてくる。試合が始まるまでの間に、両チームの振り返りをするらしい。桜雲はそのラジオを静かに聴く。

 そんな桜雲の首からは、猫の模様が入ったロケット付きのペンダントが提げられている。メグミとのデートでプレゼントされ、これを着けて応援すると誓ったものだ。

 

(頑張って・・・メグミさん)

 

 ロケットを祈るように握る桜雲。この場で応援するのは当然大学選抜チームであり、中でも桜雲はメグミのことを強く応援する。

 それでも桜雲にできることは、勝利を祈ることだけだ。

 勝ってほしいと、ただ切実に願いながら試合開始の時間を待つ。

 

 

 メグミは戦車の中で、首から提げているペンダントを手にして見つめていた。

 会場入りする前に、桜雲から『観戦席で観ているよ』とメールが届いた。それには、今メグミが着けているものと同じお揃いのペンダントの写真も添付されていた。

 桜雲は自分で言った通り、メグミを応援するためにここまで来て、そしてペンダントを着けてくれている。

 自分を応援するためにそこまでしてくれるだけで、メグミは嬉しい。そして、桜雲が応援してくれるこの試合に勝とうという意志が強くなる。

 ロケットを強く握るメグミ。

 

「そのペンダント、どうしたんですか?」

 

 試合前の調整を終えた平戸が話しかけてくる。その疑問は他の乗員たちも思っていたらしく、メグミの近くにいた対馬もまたメグミの方を振り返っていた。

 

「これ?これは、まあ・・・・・・お守りかな」

「ほー・・・」

 

 ちょっとばかりの笑みと共にメグミが告げた言葉に、対馬は何かを察したように頷いた。

 

「試合中は見えないようにしなよ」

「分かってるわよ」

 

 対馬に言われた通り、ペンダントをシャツの中に仕舞う。そして、自らの膝を叩いてメグミは気持ちを切り替えた。

 

「さて、あんたたちは大丈夫?」

「問題ない」

 

 全員に対する問いかけに最初に答えたのは深江。手をぽきぽきと鳴らし、ストレッチをしている。

 

「こっちもOK」

「いつでも行けます」

 

 生月と平戸も頷く。

 

「私も。あとはあんた次第よ、メグミ」

 

 対馬がメグミの顔を指差す。対してメグミは、にっと笑う。

 

「私はノープロブレム。行けるわ」

「まあ、彼氏が観に来てるからね。当然か」

「だから彼氏じゃないって・・・・・・・・・まだ」

 

 対馬が茶化し、メグミは嘆息する。

 だが、最後のメグミの『まだ』という言葉に乗員全員が小さく笑った。いずれはそうなりたいとメグミが望んでいるのだから、それが実に可笑しい。

 んんっ、とメグミが咳払いをする。

 試合前のミーティングでも、メグミの中隊のメンバーに変わった様子は見られなかった。アズミとルミの中隊も同様、愛里寿だっていつも通りだったからコンディションは万全だ。

 それに加えて、メグミが首から提げているペンダント。桜雲も同じものを着けて応援してくれているのだから、今のメグミには恐れるものなど何もない。不安など、感じやしない。

 

「さ、気合入れていくわよ!」

『はい!』

 

 4人が威勢のいい返事をする。

 そして、試合開始を告げる号砲が鳴り響いた。

 

 

 両チームの戦車が動き出すと、観戦席がにわかに盛り上がり出す。桜雲の周りにいる観客たちが、前のめりになってモニターを観ている。

 

(やっぱり人多いなぁ・・・)

 

 そんな観客たちを見て、桜雲は心の中で思う。

 前に愛里寿たちと昼食を共にした時、『最近は戦車道が注目されつつある』という話題になったことを覚えている。なんでも、今年の高校生全国大会の結果が番狂わせ極まるものだったようで、桜雲も後に調べると感嘆の息が洩れるほどのものだった。

 ともあれ、その全国大会のおかげで衰退気味だった戦車道も再び盛んになり始めているらしいのだ。この観戦席がほぼ満席なのも、そのおかげだろう。

 戦車道がこうして盛り上がるのは喜ばしいことではあるが、熱気がすごい。

 

『さて、注目の大学選抜は荒野からのスタートですが、くろがね工業はやや高めの丘からスタートですねー』

『戦車の試合は高いところの方が有利ですからね。最初のフィールドアドバンテージはくろがね工業にあるかと』

『なるほどー。IS-2は射程も長いですし、序盤は大学選抜にとって脅威となりますねー』

 

 実況を聴きつつモニターを観る。進軍を始める両チームの距離は縮まりつつあるが、まだ離れているので接敵まではまだ時間がかかりそうだ。

 

『大学選抜は、チャーフィーを1輌先行させていますが、これは偵察ですかねー?』

『恐らくそうですね。大学選抜からはまだくろがね工業が見えていないと思います。チャーフィーは機動力も高いので偵察向きですし、見つかったとしても撤退は可能ですから』

 

 モニターがドローンからの空撮映像に切り替わると、確かにチャーフィーが大学選抜の本隊よりも先を進んでいた。

 

 

 大学選抜の内訳は、パーシング15輌、チャーフィー3輌、T28とセンチュリオンがそれぞれ1輌だ。

 バミューダ3姉妹の中隊それぞれにパーシングが5輌ずつ、アズミとルミの中隊にチャーフィーが1輌ずつ配備されている。メグミの中隊にはチャーフィー1輌の代わりにT28がいる。残りのチャーフィーは、偵察と遊撃、攪乱がメインだ。

 チャーフィーの乗員は機動力を活かした役割を負うことが多いため、乗員―――特に操縦手は戦車の操縦に長けている継続高校やアンツィオ高校からスカウトした者ばかりだ。

 

『敵本隊、丘陵地帯を南下中。接敵まで推定10分』

「・・・偵察を続けろ」

『了解!』

 

 偵察に向かわせていたチャーフィーの車長・加賀(かが)(継続高校出身)から報告を受けた愛里寿は、チームの備品であるタブレット端末の地図を見て少し考える。

 

「アズミ中隊は西方、ルミ中隊は東方へ展開し、敵本隊を東西から挟み込め」

『『了解!』』

 

 アズミとルミ、2人の中隊が東西に分かれて展開する。

 

「メグミ中隊はそのまま私の後ろに続け。正面から叩く」

『はい!』

 

 チームで一番力をつけてきているメグミの中隊は、センチュリオンの後ろにつける。足が遅いT28がいるので素早い動きを要求するのは難しいからだ。なので、隊長車の後ろからの援護も兼ねて戦闘に備えさせる。

 

「くろがね工業は基本に忠実な戦術を執る。その分対処のしようはある」

「はい!」

 

 誰に向けたわけでもない言葉に、砲手の大和が返事をする。愛里寿は小さく頷き、キューポラから戦場を臨む。

 今は太陽の日照りとそよ風が心地良い場所だが、間もなくここは戦場へと変わる。

 

 

 

『大学選抜チームは左右から挟み込むようですねー』

『正面からぶつかるよりもこちらの方が奇襲的な意味もありますからね』

 

 簡略図で大学選抜がくろがね工業を東西から挟み撃ちにしようとしているのが示されている。

 その2つの中隊の編成を見て、桜雲はアズミとルミの中隊だと分かった。どちらにもメグミの中隊にいるはずのT28がいないので、消去法だが。

 このまま東西から奇襲し、愛里寿とメグミの中隊が正面から叩けば優位に立てるだろう。

 だが、相手は手練れの戦車乗り集団。そう簡単に事は運ばなかった。

 

『あっと、ここでくろがね工業が隊を二分させましたねー』

『どうやら、大学選抜の動きを読んでいたようですね・・・これは正直、マズいかもしれません』

 

 実況と解説を聴き、桜雲の肩が少し震える。

 簡略図が空撮に切り替わり、くろがね工業が隊を東西に分割させてアズミとルミの中隊を迎え撃とうとしている様子が映された。

 まずい、と心の中で叫ぶ。

 

『おぉっとここでくろがね工業発砲したー!』

 

 実況が嬉しそうに声を上げる。

 IS-2が発砲した様子が映されて、歓声が湧き上がる。

 

 

 

「中隊各車、右に旋回!急ぎなさい!」

 

 中隊を率いて西に展開していたアズミが指示を下す。

IS-2の初弾は幸いにも外れ、こうして指示を出す時間を得られた。これで真っ向からの衝突は避けられる。

 

「各車、退避しつつ応戦!」

 

 それに、ただ尻尾を巻いて逃げるだけではない。せめてものと砲身をくろがね工業に向けてこちらからも発砲する。撤退しながらの発砲と撃破は難しく、やらないよりはマシなレベルだ。

 アズミから見えるIS-2の数は、退避している間にも増えていく。砲撃も激しくなってくる。逃げながらのアズミ中隊の砲撃は良くて掠るだけで、命中には至らない。

 

『7号車行動不能!』

 

 ついに味方が1輌やられた。

 だが、この程度で取り乱しては中隊長など務まらない。アズミは極めて冷静に判断を下す。

 

「中隊各車、東の林に撤退。今は退くわよ」

 

 この状況で正面から勝負を挑んでも勝ち目はない。今は体勢を立て直すべきだ。

 アズミの中隊は応戦しつつも林へ逃げ込む。IS-2も途中までは追ってきたが、深追いはせずにある程度距離が離れると撃ってこなくなった。

 

 

 

「中隊、撤退には成功した模様です。アズミ中隊はパーシング2輌、ルミ中隊はパーシング3輌、計5輌の損失です」

 

 センチュリオンの通信手・信濃が被害状況を報告する。早くも全体の4分の1を失ってしまった。

 くろがね工業も、自分たちが基本に忠実な作戦を執ることを自覚していたのだろう。だから、大学選抜が奇襲を仕掛けてくることを予想して、先ほどのような奇襲返しをしてきた。

 しかし、愛里寿にとってこれは想定の範囲内だ。

 最初の奇襲で手傷を負わせられれば御の字だったが、この戦闘でくろがね工業には奇襲が通じないことが分かった。それだけでも十分収穫である。

 味方が倒されたことを嘆く暇で、後の戦いに活かせる情報を見つけて作戦を考えるべきだと、愛里寿は考えていた。

 

「次の段階へ移る。各車―――」

 

 撤退したアズミとルミの中隊に、合流する座標を伝える。

 大学選抜は、その地点に向けて進みだした。

 

 

 

『まず序盤はくろがね工業がリードした感じですかねー』

『示威行動としては上々だと思いますね。大学選抜もここからどう巻き返していくのか、気になります』

 

 大学選抜が撤退を終えたところで、桜雲は小さく息を吐く。

 最初に奇襲がバレて返り討ちに遭ったところも、心臓に悪かった。応戦する大学選抜の戦車が撃破される度に、血管が縮み上がるような感覚になってしまった。

 観ているだけでこれなのだから、実際に戦っているメグミたちは本当にすごいんだと改めて実感する。こんな状況でも慌てふためくことなく冷静に反撃し、撤退したのだから。

 そんな彼女たちを、桜雲は純粋に尊敬した。

 

『大学選抜は一度体勢を立て直すようですねー』

『くろがね工業は2輌偵察に向かわせています』

『偵察がIS-2って言うのも中々贅沢ですねー』

 

 空撮映像には、くろがね工業の本隊から先行するIS-2が2輌映されている。

 そのうちの1輌は、大学選抜から程よい距離を保ったところで停止するが、もう1輌は停止せずに大学選抜へと進み続けている。偵察にしては、近づきすぎだ。

 

『おっと・・・あの偵察のIS-2は近づきすぎな気もしますが・・・これは何か意図があるのでしょうかー?』

『奇襲でしょうかね・・・。いくらIS-2でも1輌だけではあまり効果は得られないと思いますが・・・』

 

 実況と解説も、そのIS-2の動きを不審に思ったのか疑うような声を洩らす。

 すると今度は、IS-2が砲塔を旋回させて、砲身を大学選抜とは反対方向に向けてしまった。観客たちも流石に変に見えてきたのか、ざわつき始める。

 

『完全に砲身を逸らしてしまいましたし、これは交戦する意思がないと言うことですかねー』

『そうですね・・・それでもなお大学選抜に近づいていきますし・・・。まさか、寝返りですかね?』

 

 解説が告げた不穏な言葉に、桜雲の目がぴくっと動く。

 そんな行為が許されると言うのか。

 

『それは戦車道のルール的にはアリなんでしょうかー?』

『戦車道の規定には明記されてはいないのでセーフと言えばセーフです。しかし、犯してはならない暗黙のルール的なものですね』

『なるほど、グレーラインと言った感じですねー』

 

 桜雲と同じ疑問を実況も抱いていたらしい。

 ルールに記載されていないからやってもいいというのは、ルールの網を潜り抜けるようであまり好意的には受け取れないが、仮にあれが本当に寝返りであっても失権にはならないのだろう。

 

『しかし、なぜあのIS-2は大学選抜に付こうとするんですかねー?』

『それは、正直不明ですね・・・メリットは無いように思います』

 

 

 

 

「1輌前進してきますが、攻撃の意思は見られません。何が目的は不明ですが、恐らくは寝返りかと」

 

 向かってくるIS-2を双眼鏡で捉えながら、メグミが愛里寿に報告する。

 寝返りというケースは頻繁とまでは言わずとも、過去にもあったという話は聞いていたから、多分それだとメグミは思った。

 そして、寝返る理由は島田流に関する何かだろうと予想する。

 大学選抜が島田流を母体としているのは周知の事実だし、島田流という流派の規模も大きい。あのIS-2の乗員の誰かが恐らく島田流の元門下生で、島田流に恩義を感じているのかもしれない。

 

『メグミ、やれ』

「はい」

 

 だが、それはこちらの知ったことではない。仲間を裏切り寝返るような輩を何の抵抗もなく受け入れるほど大学選抜は敵に寛大ではないし、受け入れたところでこちらに得はない。

 愛里寿からの冷淡な指示を受けると、メグミは平戸に発砲命令を出す。砲撃音が轟き、弾は一直線にIS-2に向かって直撃し、白旗を揚げさせた。

 

 

 

『IS-2重戦車1輌行動不能』

 

 攻撃する意思を見せなかったIS-2には桜雲を含め観客たちも首を傾げていたが、大学選抜がどんな形であれ巻き返したのを見て、歓声を上げた。

 

『大学選抜、ようやく1輌撃破できましたねー』

『そうですね。ですが、相手は攻撃するつもりがなかったようですので、まだまだ喜ぶのは早いかと』

 

 桜雲は、IS-2が撃破されたのを見て、ほっとした。もし、万が一、大学選抜がIS-2を引き入れて共闘したら、どんな顔をすればいいのか分からなかったから。

 

『さて、たった今入った情報によりますと、どうやら撃破されたIS-2の車長・小早川(こばやかわ)ですが、どうやら島田流の門下生だったようですねー』

『なるほど・・・もしかすると小早川選手は、島田流に何か恩義を抱いていたのかもしれませんね・・・。大学選抜チームは島田流が母体ですし』

『寝返りの原因はそれですかねー』

 

 実況と解説を聞いて、桜雲は小さく嘆息する。

 先のIS-2はほぼ確実に寝返りだと言うことが判明して、それが規定違反にはならないというのが驚きだ。知識として戦車道は知っていて、興味も多少あったけれど、これは初耳だ。

 つくづく、戦車道は奥が深いとむしろ感心する。

 そしてモニターでは、大学選抜が2輌目の偵察のIS-2(こちらは攻撃の意思あり)を撃破したところだった。

 

 

 

『各車前進』

 

 愛里寿の指示を受け、大学選抜チームが前進を開始する。寝返ったIS-2を撃破したのち、本来実行する予定でいた作戦を決行するのだ。

 内容はざっくり言うと、ジグザグに走行しながら敵本隊に肉薄するというもの。

 敵の主力であるIS-2の搭載弾数は少ないので、向こうも無駄弾を撃つことは極力避けたいだろう。

 そこで大学選抜は、左右に車輌をずらしながら接近し、照準を定めにくくするのだ。勿論それをノロノロやっていては狙われる可能性も高くなるので、素早くやる。大学選抜の練度があればそれも可能だ。動きの遅いT28も装甲が厚いゆえ問題ない。

 それに、これだけで敵が沈黙することは無いだろうが、惑わせることができれば御の字だ。

 

「会敵した時にすぐ撃てるように、平戸と対馬は準備しておいて」

『はい!』

 

 最初の戦闘でアズミとルミの中隊から落伍車が出たと聞いた時、メグミはショックを受けていた。こちらの損失はゼロとまでは言わずとも最小限に留めたかったから、序盤で一気に5輌も失った時は『勝てるのだろうか』と不安になってしまった。

 試合中に自信を少しでも失ってしまうと、戦いにそれが響いてしまうというのに。

 おまけに先ほど、メグミは初めて『寝返り』を見た。話でしか聞いたことがなかったハプニングに直面し、それをメグミが撃破したのだから驚きだ。

 この試合は明らかに、これまでの試合とは違う。相手がこれまでとは違う強豪だからなのもあるが、寝返りに限ってはそういう話じゃないだろう。

 

(・・・頑張らなきゃ・・・)

 

 そしてメグミが焦る理由は、桜雲がこの試合を観てくれているからだ。だから、無様な姿は見せたくない。かっこいい自分を見せたい。そう思ってしまっているから、メグミは焦っている。

 

「メグミ、大丈夫?」

 

 そんな思考で頭が埋め尽くされているところに、対馬が声をかけてきた。

 メグミは、眉間を指で押さえて首を横に振る。

 

「・・・ん、大丈夫」

「無理な話かもしれないけど、あまり神経尖らせすぎない方がいいよ?」

 

 それは本当に無理な話だ、とメグミは呆れたように笑って見せる。

 そこで自分の中隊を見ると奇妙な光景を目にした。

 

「?」

 

 1輌、他よりも速度を上げて前に進んでいるパーシングがいた。まだ今は隊列を組んだまま前進するだけなのだが、その戦車は明らかに隊列を乱していた。

 

「先行しているパーシング、列に戻りなさい」

 

 無線でメグミが伝える。大学選抜のパーシングは中隊長車を除いて識別番号やパーソナルマークの類はない。だから、誰がどの戦車に乗っているのかが見分けられないのだ。

 しかしそのパーシングは、自分が先行していると気付いていないのか、止まらない。

 どころか、砲塔を右に旋回させ始めた。

 そして、発砲した。

 

「!?」

 

 今更になってメグミが事の重大さに気付く。

 あのパーシングは、右方向にいる愛里寿のセンチュリオンに向けて発砲した。そんな指示など出していないので、完全に命令違反だ。

 

「え、今の何?」

「撃ったのか」

「なんで?敵?」

 

 生月たちも動揺するが、メグミは双眼鏡で辺りを見回す。生月の言う通り近くに敵がいてあのパーシングがそれを狙ったとも考えられたが、敵の姿は見えない。

 どうやら、あのパーシングはセンチュリオンを狙っていたらしい。

 

「何してるの!早く戻りなさい!」

 

 それが分かると、何をバカなことをしたんだと半ば怒鳴るように無線機に告げるメグミ。

 今度は返事が来た。

 

『すみません・・・メグミ中隊長』

 

 この声は、5号車の明智(あけち)(マジノ女学院出身)。普段から命令に従順な人物で、試合前も変った様子はなかったのだが、急にどうしたというのだ。

 

『私・・・実は言えなかったことがあるんです・・・』

「?」

『私は・・・・・・くろがね工業から内定を頂いています』

 

 突然の告白に、メグミは困惑する。

 

「ちょっと、それが一体―――」

『あちらには恩義があります・・・だから私は・・・・・・戦えません』

「だからって、私たちの隊長を狙うのは―――」

『私を拾ってくれたくろがね工業に・・・恩返しがしたいんです!』

 

 通信が途切れる。

 明智の言っていることは滅茶苦茶だ。例え相手が内定先の企業であっても、それで自分の仲間に牙を剥くことがまかり通るはずはない。

 

「ど、どうする!?」

「撃っちゃいますか・・・!?」

 

 対馬と平戸も困惑しているようだ。先ほどの明智の言葉は少なくともこのパーシングの乗員全員には聞こえていた。

 メグミの額に汗が浮かぶ。

 想定の遥か外側の事態に、ただメグミは困惑するしかない。

 

 

 一方で観戦席は、異様に湧き上がっていた。

 

『おおっと、これはどうしたことかー!大学選抜チームのパーシング1輌が、隊長車のセンチュリオンに向けて発砲したー!』

『まさか大学選抜でも寝返りが起きるとは、これは想定外ですね・・・!』

 

 実況が興奮気味になっており、解説も動揺しているようだ。観客たちはドローンの空撮を観て歓声を上げている。

 そんな中でも桜雲は、実況を聴きつつ、空撮を観ながら、なぜこんな状況になってしまったのかが分からない。初めて観た試合でこんなことが起きてしまうのに、困惑するほかなかった。

 だが、盛り上がる観客たちを黙らせ、困惑する桜雲をしゃんとさせるように、『ズバァン!!』と鋭い砲声が鳴り響いた。

 

 

 

『全車輌停止』

 

 その通信を聞いた瞬間、大学選抜の車輌14輌が一斉に停車する。

 メグミのパーシングももちろん止まったが、その少し後方では明智のパーシングが黒煙を上げて擱座している。あれは、愛里寿のセンチュリオンが仕留めたものだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そして今、メグミは恐怖していた。

 まだ作戦途中にもかかわらず、愛里寿からの停車指示、これは作戦にはないものだ。

 明らかに、明智の背信行為を見てのことだと分かる。

 何より、指示を下した愛里寿の声がいつにも増して低く聞こえた。それは他の乗員たちも思っていたらしく、誰もが息を呑み、呼吸さえも忘れそうなほど緊張していた。

 

『全車輌に告ぐ』

 

 全体通信の愛里寿の声は、全ての車輌に届いているはずだ。

 

『先ほど、私たちのチームから寝返ろうとした者が現れた』

 

 恐ろしさすら感じるような語気の言葉。

 間違いなく、愛里寿は怒っている。

 

『この場でハッキリと言っておく。私たちが今向かい合っているのは敵ではなく、戦車道だ。礼節を弁えるべき伝統ある武芸だ』

 

 その言葉から分かる。

 愛里寿は、戦車道を誇りに思っている。

 

『たとえ相手が恩人だとしても、勝負の世界に私情はいらない。そして、仲間を裏切り敵に与することは、仲間からの信頼や評価を全て無にするも同然な、無責任な行為だ。戦車道には相応しくない、愚の骨頂』

 

 愛里寿は、大学選抜から絶大な信頼を得て隊長の座に就いている。

 

『そして、戦車道における裏切りとは・・・自分を信頼する仲間を、正々堂々と戦う相手を、戦車道を侮辱するこれ以上ないほどの愚行だ』

 

 愛里寿は、戦車道を愛している。

 

 

 

『そんな輩に戦車道を歩む資格など、無い』

 

 

 

 だからこその怒り。

 愛里寿の戦車道に対するその言葉、熱意は、大学選抜のメンバーは今初めて聞いた。そして、これほど雄弁な愛里寿は見たことがない。

 これが味方の寝返りが露見した直後というシチュエーションでなければ、隊員たちは鬨の声を上げていただろう。

 しかし今、この戦場を支配しているのは静寂と重苦しい空気だけだ。

 アズミも、ルミも、深江も、生月も、平戸も、対馬も、誰も何も発さない。草原に吹く風が嫌に響き、戦車のエンジンのアイドリング音が都会の喧騒のように大きく聞こえる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 中でもメグミは、ひと際愛里寿の言葉を重く受け止めていた。

 今回寝返ろうとした明智はメグミの中隊に所属していた。だからメグミは、自分が明智の変化に気付けていればこんなことにはならなかったのかもしれないと、後悔している。

 自分がこの状況を引き起こし、愛里寿を『本気で』怒らせてしまったのだと。

 

『・・・・・・作戦を変更する』

 

 間を挟んでから、続けて愛里寿の指令が飛ぶ。隊員たちはそれまでの緊張感を一度棚上げして、愛里寿の指揮に耳を傾ける。

 ただ、メグミに限っては頭の中がごちゃごちゃになってしまったが。

 

 

 観戦席は、先ほどとは打って変わって静まり返っていた。

 突如として自軍の隊長車に牙を剥いたパーシングと、それを返り討ちにしたセンチュリオン。さらに突然動きを止めた大学選抜チーム。

 流石にここまで異様な光景を見せられては、観客たちも騒ぐことなどできはしない。

 

『大学選抜、沈黙しましたねー・・・』

『まあ、無理もないと思います、ね。何しろ自分たちのチームからも寝返る車輌が出たんですから・・・』

 

 桜雲の耳に入る実況と解説も、心なしか先ほどよりも勢いが落ちている。

 すると、モニターの空撮映像の中の戦車が動き出した。大学選抜がようやく動き出したのを見て、観客たちも徐々に盛り上がりを取り戻し始める。

 

『ようやく、動き出しました大学選抜。隊長車のセンチュリオンを先頭に、くろがね工業へと近づいていきます』

『序盤とは違ってセンチュリオンが先陣を切ってますね。恐らく直接くろがね工業と戦うつもりなのでしょう』

 

 モニターが切り替わり、簡略図になる。大学選抜とくろがね工業の間の距離は、どんどん縮まっていく。

 激突は近い。

 

 

 

『バミューダアタック、パターンD!』

「『了解!』」

 

 メグミの指示に、ルミは威勢の良い返事を返す。チーム内でやった模擬戦のように戦車を素早く動かして敵戦車を攪乱し、撃破していく。敵の主力のIS-2は砲身が長いので、近接戦に持ち込めばまだ有利に立てる。

 

「よし、次!」

 

 視界の端でIS-2を撃破したのを確認すると、次の戦車へ狙いを定めるように操縦手の珠洲へ指示をする。

 しかし、ルミの頭には1つの引っ掛かりがあった。

 メグミの様子が普段とは違う。バミューダアタックの指示が心なしか荒っぽかったし、言い方を変えれば苛ついているようにも聞こえた。

 その原因は十中八九、明智の背信行為だろう。

 だが結論から言わせてもらえば、あれはメグミは何も悪くはない。だから気に病む必要も、苛つく理由もないはずなのだ。

 それなのに彼女が怒っているのは、ルミを含めた大学選抜が尊敬する愛里寿の逆鱗に触れてしまったからなのと、メグミが好いているであろう桜雲という男がこの試合を観ているからだ。

 

 3方向から囲い込んで、ルミのパーシングがIS-2を撃破する。

 

 それらの要素が絡み合って、メグミは変わってしまったのだろう。

 彼女の胸中がごちゃごちゃになってしまっているのは、ルミでも分かる。彼女の親友だからでもあるし、ルミ自身もあの愛里寿の話を聞いた時には総毛立っていた。

 

 3輌並んでドリフトし、アズミのパーシングがIS-2を撃破する。

 

 ルミは試合が終わった後、どんな顔をして、どんな言葉をかければいいのか分からない。

 慰めること、労わること。それが重要なのは分かっているが、それを今のメグミにするのはひょっとしたら自分たちではないのかもしれないと、思っていた。

 

 メグミのパーシングが、すれ違いざまにIS-2を撃破する。

 

 試合が終わったら、アズミと少し相談して、桜雲をメグミの下へ来るように連絡してみよう。

 今のメグミに必要なのは、彼女が好きでいるだろう桜雲なのかもしれない。

 

 

 

『これはすごい!大学選抜、破竹の勢いでくろがね工業の戦車を屠っていく!』

 

 モニターの脇のくろがね工業の戦車欄にバツ印が次々と付け加えられていく。

 観客たちもほとんど立ち上がっており、次々とIS-2を撃破していく大学選抜に歓声を送っている。

 モニターに映されているのは、パーシング3輌の連携攻撃―――バミューダアタック。そして、敵陣に単機で突っ込み無傷で何輌も相手にしているセンチュリオンだ。

 

『大学選抜のセンチュリオン、くろがね工業の猛攻を躱しに躱す!そしてやり返す!これはすごい!早くも単機で8輌も撃破している!』

『これが大学選抜の力ですね。天才少女・島田愛里寿のセンチュリオンと、パーシング3輌の連携攻撃・バミューダアタック、あれこそが大学選抜の醍醐味です』

 

 血沸き肉躍るような実況と解説。

 それを聴き、モニターの映像を見る桜雲も自分が興奮しているのが分かる。

 戦車の試合を実際に観ることが、これほどまでに楽しいことだとは思わなかった。

 先ほどまでは違和感ある戦局ではあったが、今の大学選抜の猛攻を見ると、初めて観た試合がこれでよかったと自信を持って言える。

 それぐらいこの試合は、大学選抜の快進撃は、面白い。

 

 

 

『残存車両確認中!』

 

 両チームが接敵をしてからおよそ2時間が経ったところで、アナウンスが流れる。

 観客たちは、先ほどまでの歓声も潜めて静まり返っている。

 

『目視確認終了!』

 

 モニターの画面が切り替わり、両チームの車輌が一覧となって表示される。くろがね工業はIS-2、大学選抜はパーシングばかりだったが。

 

『くろがね工業、残存車輌無し。大学選抜、残存車輌5!』

 

 くろがね工業側には全てにバツ印が付き、大学選抜側で残ったのはセンチュリオンとパーシング3輌、T28だった。

 そして、くろがね工業の戦車が全てやられたと言うことは。

 

『大学選抜チームの勝利!!』

 

 審判長が試合の結果を高らかに宣言すると、観客たちは爆発的な歓声を上げた。

 桜雲は周りに倣い、勝利した大学選抜と健闘したくろがね工業に称賛の気持ちを拍手で伝える。

 いくつかの奇妙な出来事があったとはいえ、この試合は桜雲にとっては面白かった。初めてちゃんと最初から最後まで実際に観た試合であるし、終盤の大学選抜の猛攻も観ていて爽快感があった。

 観に来てよかったと、胸を張って言える。

 やがて閉会式を迎え、車長たちが挨拶を交わすと観客たちは盛大な拍手を送った。

 その閉会式を過ぎると観客たちも帰り支度を始めるが、桜雲はどうしたものかと悩んでいた。

 試合を終えたメグミに労いの言葉の1つでもかけてあげたかったが、今は恐らく撤収作業やら何やらで忙しいだろうし、直接会って話すのは難しいだろう。あとで、電話かメールで伝える方がいいかもしれない。

 仕方なく帰ろうかと思ったところで、ポケットの中のスマートフォンが震えた。画面を点けると『新着メール:ルミさん』とあり、その内容はある場所へ来てほしいとのことだった。

 

「お、来たね」

「ごめんなさいね、急に呼び出しちゃって」

 

 その場所へ来てみれば、ルミとアズミが大学選抜のユニフォームを着たまま待っていた。特に、ルミの顔には少しだけ煤がついていて、激戦の名残を感じさせる。

 

「試合、お疲れ様。それで、どうかしたの?」

「いやー、ちょっとね・・・」

 

 しかし、呼び出した当のルミはなぜか呼び出した理由を言いよどむ。桜雲が小首を傾げると、アズミが代わるように話しかけた。

 

「ちょっと、試合でメグミが疲れちゃったみたいでね。それで、桜雲も観に来てるって聞いたから、ひと声かけてあげてほしいなって」

 

 アズミにそう言われて、好機と桜雲は思う。丁度メグミに声をかけたいと思っていたところだったので、その申し出は嬉しい。

 

「・・・分かった。僕も直接声をかけたかったし」

「そっか。それならよかったわ」

 

 そうして2人にメグミのいる場所を教えてもらい、そこへと向かう。関係者以外立ち入り禁止の場所であったが、アズミたちの助力で何とか行くことができた。

 2人が桜雲に向けて親指を立てていたことは妙に気になったが。

 

 

 メグミは壁に背を預けて、下を見ていた。

 ただぼーっとしているわけではない。先ほどの試合のことを思い出しているのだ。

 

『そんな輩に戦車道を歩む資格など、無い』

 

 あの時の愛里寿は、怒っていた。

 それはもちろん、自分の部下が寝返って自分に牙を向けたのだから。愛里寿の言うように、仲間の信頼を裏切り、正々堂々戦おうとした相手を侮辱したのだから当然だ。くろがね工業からも寝返ろうとする戦車はいたが、それは今は関係ない。

 今、寝返った明智は、観戦に来ていた家元の島田千代と話をしている。どんな処遇を言い渡されるのかは分からないが、ただでは済まないだろう。

 それはともかくとして、今メグミが気にしていることは、あの愛里寿を怒らせてしまったことだ。それも、自分の中隊に所属していた隊員がその原因なのだから。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 試合が終わった後、アズミやルミ、他の乗員たちが『メグミは何も悪くない』と言ってくれた。理屈でもそうなのだが、メグミ自身はそれをすんなりと受け入れられない。

 もっと自分が隊員のことを把握できていれば、今日のようなことにはならなかったかもしれない。

 明智が寝返ったと分かったところで迅速に撃破できていれば、結果は変わっていたのかもしれない。

 そんな後悔が楔の如くメグミの心に突き刺さっていて、彼女の顔も心も曇ってしまっていた。

 そして、自分のせいだと思い込んでしまっているから、メグミは自分自身に苛ついている。

 

「メグミさん」

 

 そうしてネガティブな考えが頭を支配しているところで、声をかけられる。

 忘れるはずのないその声の主は、桜雲だった。

 

「桜雲、どうしてここに・・・?」

「アズミさんたちに入れてもらってね」

 

 関係者以外立ち入り禁止の場所に桜雲がいるのが理解できなかったが、その理由を聞いてメグミの眉が顰められる。

 そんな桜雲の後ろをちらっと見れば、アズミとルミが見えた。しかもご丁寧に、メグミに見えるように親指を立てている。反応するのも癪だったので見えないふりをしたが。

 それよりも今、メグミは自分の気持ちを整理できていない。桜雲が来てくれたこと自体は嬉しいが、正直今はタイミングが悪い。

 

「試合、お疲れ様」

「ありがと・・・」

 

 労いの言葉をかけてくれる。それも嬉しいのだが、あの試合の内容を考えればとても『お疲れ』どころではない。桜雲はその出来事を知らないのだから仕方ないのだが。

 

「戦車道の試合って初めて生で観たけど、すごく楽しかった」

「・・・・・・そう」

 

 桜雲は試合を観て、『思ったままの』感想を伝える。

 あの試合で、愛里寿が皆の前で本気で怒り、メグミの仲間が寝返り、それでメグミが大きく悩み自分自身に苛ついているのも知らず。

 

「色々アクシデントがあったみたいだけど・・・。でも、この試合が観れてよかったと、僕は思う」

 

―――やめてよ。

 

 メグミにとって今日の試合は、桜雲が応援してくれると聞いて、仲間たちの力を発揮できると思っていて武者震いするほど楽しみにしていたのに、落第点もいいところだった。

 それなのに、桜雲は『観れてよかった』という。桜雲自身に悪意はないとは分かっていても、皮肉にしか聞こえない。

 

「みんな、頑張ってた。メグミさんも、かっこよかったよ」

 

 それで、メグミの中の何かが音を立てて切れた。

 

「・・・・・・やめてよ」

「え?」

 

 震えるメグミの声に、桜雲は困惑する。

 今、メグミは冷静ではいられなかった。自分の中では評価に値しないほどの試合を、桜雲は『面白かった』『観てよかった』と言って、終いにはメグミのことを『かっこよかった』とまで言ってきた。

 今日の試合が普通で、メグミが普段通りの状態であれば、その言葉を素直に受け取って『ありがとう』と笑って言えただろう。

 だが、あの試合での出来事は、メグミから冷静さを奪っていた。

 

「何も知らないのに・・・・・・・・・」

 

 だから。

 

 

 

「戦車道のことなんて何も分からないくせに、いい加減なこと言わないでよ・・・・・・・・・」

 

 

 

 言ってしまった。

 絶対に踏み越えてはならないラインを、越えてしまった。

 

「・・・・・・あ」

 

 だが、メグミにはまだ理性が残っていた。

 そのラインを越えてしまったこと、言ってはならないことを言ってしまったことに、気づくことができた。

 しかしながら、気づいたところでもう遅い。

 

「・・・・・・・・・」

 

 桜雲は、笑っていた。悲しそうに。

 その顔は『メグミが間違っている』ではなく『メグミの言う通りだ』と言っているかのようだった。

 

「・・・ごめん、メグミさん」

 

 桜雲が謝った。謝ることなど何一つないというのに、本当に謝るべきは八つ当たりをしてしまったメグミだというのに。

 

「・・・それじゃ、僕は電車の時間が近いから。メグミさんも、ゆっくり休んでね」

「桜雲・・・・・・」

 

 呼び止めても、桜雲は踵を返し、まるでメグミから逃げるようにその場を離れようとする。

 無理やりにでもこの場を離れようとする桜雲は傷ついていると、メグミにも分かった。

 

「・・・・・・じゃあね」

 

 そして、行ってしまった。いつ、どこで、また会えるのかも言わずに。

 去って行く桜雲の背中を、メグミはただ見ていることしかできなかった。

 追うことも、声をかけることもできず、ただ突っ立っていることしかできなかった。

 桜雲の姿が見えなくなると、メグミは思いっきり壁を殴った。大学選抜の帽子が落ちてしまったが、そんなことはどうでもいい。

 自分自身の不甲斐なさに苛ついて、自分の好きな人に八つ当たりをしてしまって、挙句に傷つけてしまうなんて。

 本当に、最悪だ。

 

 

 その2人のやり取りは、アズミもルミも見て、聞いていた。

 桜雲が去り、メグミが壁を殴り俯いてからも、2人はその場を離れられずにいた。

 アズミとルミは、悔しくもあり、悲しくもあるような表情。そして、桜雲には取り返しのつかないような申し訳ないことをしてしまったという、強い後悔の念に押しつぶされそうになっていた。

 

「・・・・・・ルミ、力を貸して」

「・・・言われるまでもないわ」

 

 だが、このまま事態を投げっぱなしにするつもりなどさらさらない。

 自分たちのせいでメグミと桜雲の仲が拗れ、断ち切られそうになったのならば、その関係を元通りかそれ以上にする責任が2人にはある。

 すると、そこで後ろから服の裾を引っ張られるアズミ。

 

「・・・・・・隊長」

 

 振り返って、そこにいた人物―――愛里寿を見て、アズミとルミは目を丸くした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Tell me,Tell you

「正直言って、目に余る試合だったわ」

 

 そう言われると思っていた。千代の言葉に、アズミたちは何も言えない。

 くろがね工業との試合の後、大学選抜チームはそれぞれの住む街へと戻ってきた。それから一夜明けて、バミューダ3姉妹は島田流本家に呼び出され、この書斎兼事務室で千代と向かい合っている。そこには愛里寿もいた。

 そんな中で告げられたのは、申し開きもできない事実だ。

 

「明智の寝返りもそうだけど、序盤の損失のことも言っているのよ?」

 

 序盤の損失とは、最初の東西からの奇襲に失敗して返り討ちに遭ってしまったことだ。相手が一枚上手だったとはいえ、あそこで5輌も失ったのは痛かった。

 

「くろがね工業が強かったというのは確かよ。でも、あれぐらいの攻撃は避けられないとプロの世界では通用しない。そのための練習はしてきたでしょう?」

「・・・はい」

 

 力なく答える愛里寿。普段は気丈な彼女も、厳しい口調で話す母親・家元の前では委縮しているようだ。

 愛里寿にとってはあの損失は想定の範囲内だったが、千代の希望はあの返り討ちを無傷で退けることだった。そこは、愛里寿と千代のチームに求める実力の認識の差だ。

 そして忘れがちだが、愛里寿は大学選抜の隊長に就いてから半年も経っていないので、まだ隊長としては浅い面もある。天才と謳われてはいるが、まだ彼女にも至らない点があるのだ。

 それを補うのが副官である年上のアズミたちバミューダ三姉妹なのだから、今回のことはアズミたちにも問題があると言える。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そこでアズミは、ちらっとメグミの様子を窺う。

 家元の前なのできりっとした表情を保っているが、アズミにはわかる。その表情の裏では、心が大きく揺れているのだと。それは決して、千代から責められたからという理由だけではないだろう。

 

「なので・・・」

 

 仕切りなおす千代の言葉に、アズミも意識を千代に戻す。

 

「29日から4日間、北海道の演習場を押さえてあるから、そこで集中練習に入りなさい」

『はい』

 

 今日は23日なのでまだ余裕があるが、随分と急な話だ。

 だがアズミも、昨日の試合は寝返りの件を抜いても思うところがあったので、集中練習は効果的だと思う。それにアズミは、家元の決めたことに逆らえる立場にはない。

 

「戦車を北海道に送る手順や詳細は、また後日連絡するわ」

「分かりました」

 

 愛里寿が答える。

 今日の用件はそれだけだったので、バミューダ三姉妹は部屋を出て、愛里寿も自分の部屋へと戻る。

 誰もいなくなった書斎で、千代は紅茶を一口飲む。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 昨日の試合の後、千代は寝返りを謀った明智を呼び出した。

 彼女は全ての事情を話し、そのうえで大学選抜を脱退すると千代に告げ、千代もこれを承認した。元からそのつもりだったかどうかは分からないが、どちらにせよ千代は背信行為を働いた明智を除隊するつもりでいたので、どちらでもいい。

 だが、今回の試合は憂うべきものだと考えている。

 戦車道の世界に私情を挟むことはもちろん言語道断。しかし、大人になったらなったで“様々な事情”が関わってくることもざらにある。今回の試合などまさにそうだろう。

 大学選抜の隊員たちも、いずれは実業団、プロ選手になる。だから今回の試合は、その縮図とでも言うべきものとなってしまった。

 そして、そんな試合は愛里寿にはまだ早すぎた。世間から持て囃されていても、結局のところ彼女はまだ13歳。飛び級できるほどの頭脳を持っていても、社会の複雑さや厳しさを完全に理解できるほど人間ができていない。

 そのような社会の複雑さや厳しさを含んだ試合をいずれは経験するべきと思ってはいたが、図らずも昨日の試合がそうなってしまった。

 いきなりあのような試合を愛里寿にさせてしまったことを、千代は深く悔いていた。

 

「・・・・・・ごめんね、愛里寿」

 

 千代の言葉は、紅茶から立つ湯気に溶けて消えていく。

 

 

 帰りの電車でボックス席に座ったルミたちだが、メグミは窓から景色を見ているだけで何も話さない。その表情は心ここに在らずと言った感じで、意識がどこかへ置いてけぼりになっているようにも見える。

 メグミがそんな状態なので、ルミとアズミも言葉を交わすことができない。

 しかし、ここまでメグミが意気消沈としている理由はもちろん分かっている。それが、自分たちが原因で引き起こされてしまったことも、重々承知している。

 だからルミは、隣に座るアズミと視線を合わせると、頷く。

 そしてお互いに、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 

 

 ベッドの上で桜雲は目を覚ました。

 

「・・・・・・もうこんな時間・・・」

 

 起き上がり、時計を見て嘆息する。ベッドの上で丸1日を過ごして時間を無駄にしてしまったと、後悔する。

 昨日、岐阜から電車で自分の家に戻った桜雲は、そのままベッドに倒れこみ眠りに就いた。それから何度も起きて寝てを繰り返し、ものすごい自堕落な1日を過ごしてしまった。

 こんなことは人生でも初めてだったが、仕方ないと自分でも思う。

 

「・・・・・・嫌われちゃったなぁ」

 

 心に深く突き刺さっているのは、メグミの言葉。

その目に焼き付いているのは、メグミの表情。

 

『戦車道のことなんて何も分からないくせに、いい加減なこと言わないでよ・・・・・・・・・』

 

 その時のメグミは、今にも泣きだしそうな顔だった。瞳が揺れていて、目元が赤くなっていて、どう見ても普通の状態じゃなかった。

 それに桜雲は気づかず、普段通り接してしまい、ああして怒らせてしまった。それは桜雲も、ひどく後悔している。

 そして、『戦車道のことなんて何も分からない』という言葉にも、その通りだとしか思えなかった。親族の影響で好きになったとはいえ、桜雲が男で戦車道ができないことに変わりはない。それなのに、多くを知った気になっていた。

 否定できなかったから、あの時は何も言えなかった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 手の中にあるペンダントを見る。メグミとお揃いのこれを着けて、昨日は応援していた。

 なのに、思い出すのは昨日のメグミとのやり取りのことばかり。

 

「・・・・・・きついなぁ・・・」

 

 苦笑する。

 十中八九、メグミには嫌われてしまった。よりにもよって、桜雲が好きになった女性に。

 それはすなわち、失恋と同義。

 初恋がメグミだったから、失恋だって初めてだ。それが悲しいことだろうとは思ったが、実際直面すると悲しいなんてものじゃなかった。

 悲壮感に加えて、心に大きな穴が開いたような虚無感に押し潰されそうになる。

 そう感じるのは、それだけメグミのことが好きだったから。だから、その反動でここまで気持ちが沈んでしまっているのだ。

 しかしながら、今なお桜雲の中にはメグミのことが好きだという気持ちは残っている。逆に嫌いになると言うことにはなっていない。

 それが、未練というものだろう。

 この気持ちが鎮まるまで、いったいどれだけの時間がかかるのだろうか。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 ベッドに倒れこむ桜雲。虚無感が大きすぎて、何もやる気が起きない。

 もう眠ってしまおうか。そう思ったところで、枕元のスマートフォンがメールの着信を知らせているのに気づいた。

 誰からだろう、と思って画面を点けると、差出人はルミ。内容は。

 

『明日、よければ大学で会えない?』

 

 そして。

 

『メグミのことで、話がしたいんだけど』

 

 読んで、桜雲は迷う。

 昨日の自分とメグミのやり取りは、恐らくルミも聞いていたはずだ。それで、もしかしたら自分がメグミを怒らせてしまったことを責めるのかもしれない。そう考える時が滅入り、『NO』と返したくなる。

 しかし桜雲は、昨日の試合が普段とは違ったことは想像できる。もしかしたら、あの試合で起きた何かが原因でメグミは不調を来したのかもしれない。

 ルミから話を聞ければ、それに気付かず配慮に欠けていたことをメグミに謝ることができる。失恋していても、謝るべきことには謝りたかった。

 そう思った桜雲は、『OK』のメールを返した。

 

 

 そうして翌日、桜雲は大学へとやってきた。時刻は14時、待ち合わせの場所は校舎内の一角にあるカフェスペース。

 だが、そこにいた人物を見て、桜雲は目を丸くする。

 

「あれ、アズミさん?島田さんも・・・」

 

 私服のルミと共に座っていたアズミが軽く手を振り、愛里寿は小さく頷く。

 呼び出したのがルミで、他に誰かいるとは言っていなかったので少し驚いたが、愛里寿までいるのが意外だ。

 

「大分疲れてるみたいね・・・」

 

 席に着くなりルミに言われて、桜雲は自分の顔を触る。部屋を出る前に鏡を見たはずだが、何かおかしなところがあったのだろうか。

 

「そうね、何かやつれてる感じがする」

「え、そう・・・?」

「自分で気づけないか・・・これは相当だね」

 

 アズミからも心配され、いよいよ桜雲は自分で不安になってくる。

 

「・・・やっぱり、メグミが気になる?」

 

 愛里寿に単刀直入に聞かれて、喉が縮み上がる。

 その通りではあるのだが、なぜこの問題に愛里寿が関わろうとするのだろうか。そして、なぜメグミとのことだと気付いているのか。

 

「実はあの時、隊長もあそこにいたのよ」

「え?」

「うん・・・・・・だから、大体の事は知ってる」

 

 ルミに明かされて、桜雲は軽くショックを受ける。あの時あの場にアズミとルミがいたのは去り際に見えていたが、愛里寿までいたとは。

 

「それで桜雲は・・・どうしてメグミがあんな態度をとったのか、わかる?」

 

 そんな愛里寿の問いは、あの日から今日に至るまでずっと考えてきたことだった。あの時と比べると幾分か冷静になった今では、確実ではなくともその答えが見えた。

 

「・・・試合中に、何かトラブルが起きた、とか」

「おおむね正解」

 

 桜雲の示した答えに、ルミは頷いた。

 

「まあ、トラブルって言うか、アクシデントって言うかなんだけど・・・」

 

 それからアズミとルミ、そして愛里寿があの試合の流れを大まかに伝えた。流れと言っても、ただ観ているだけでは分からなかったことばかりだ。

 序盤の大学選抜の損失とそれによる焦り、くろがね工業からの寝返りが現れたこと、そして大学選抜からも寝返りが現れ、そして愛里寿の演説。

 

「・・・・・・そんなことが・・・」

 

 愛里寿の演説以外は、実際にモニターに映され、そして実況と解説が言っていたので桜雲も知っていた。だが、大学選抜からの寝返りがメグミの中隊から出たのは初耳だし、最初の返り討ちで焦りを覚えていたことも知らなかった。

 

「でも、それはメグミさんがそこまで気に病むことはないんじゃ・・・」

 

 その話を聞いたうえで率直に思う。3人の話を聞いても、桜雲にはメグミに非があるとは思えなかった。

 その言葉には3人とも同意見のようで、神妙な顔で頷く。

 

「・・・私もそう思う」

「同感よ」

 

 愛里寿とアズミが告げる。

 

「でも、メグミがそう感じちゃう別の理由があるってことよ」

 

 ルミが指を宙でくるくると回しながら言う。それもまたアズミと愛里寿は同意見らしく、頷く。

 ルミは、視線を桜雲に移す。

 

「桜雲は知っているかしら?メグミの中隊が強くなってきてるの」

「それは、もちろん。だからT28も配備されたんでしょ?」

「そうして強くなったのは、どうしてだと思う?」

 

 問われるも、桜雲には明確な理由が見つけられず。

 

「努力が実を結んだ・・・とか?」

 

 以前メグミが自分で言っていたことをそのまま答える。

 

「まあ、それもあるでしょうね」

 

 アズミの言い方では、まだ他に要素があるような感じだ。

 桜雲が本格的に考えるが、その様子を見てアズミは『仕方ないか・・・』と小さく笑って息を吐く。未だ桜雲は何が何だか分からないが、アズミはルミと視線を合わせて頷く。

 

「メグミのパーシングが強くなってきたのは、今から大体2か月ぐらい前よ」

「2か月・・・」

「ちょうど、メグミがあなたと知り合った頃かしらね?」

 

 アズミに言われて、瞬きをする桜雲。そこで自分の名前が出てくるのは、どうしてだろうか。

 

「この前居酒屋で、桜雲はメグミのこと、『本当は』どう思っているって言ったっけ?」

 

 今度はルミが問いかける。

 その質問に、愛里寿とアズミが小首を傾げる。愛里寿はその場にいなかったし、アズミも同じ質問をルミがした時は酔いつぶれてしまっていたから。

 しかし、桜雲は素面だったから覚えている。正直答えたくはなかったが、今この場では沈黙も誤魔化しも英断とは言えない。

 

「・・・素敵な人だって、言った」

 

 だから、素直に明かした。

 それを初めて聞いたアズミが、唇を嬉しそうに歪める。まるで、『やっと白状したな』とでも言うかのように。

 愛里寿は、初めて聞いた桜雲の素直な気持ちに息を呑んでいるようだ。恋愛というものがまだよく理解できていないから、それなりに理解しようとしている。

 

「それなら、心置きなく言えるわね」

 

 アズミの言葉に、桜雲は内心で身構える。一体、何を言われると言うのか。

 

「さっき、メグミが強くなってきたのはあなたと知り合った頃から、って言ったじゃない?」

「うん・・・」

「でも、ただあなたと知り合っただけであれだけ強くなれるとは、考えにくいわ」

 

 それはもっともだと桜雲も頷く。人との出会いだけで、やすやすと強くなれるのであれば苦労はしない。

 

「昨日ね、メグミのパーシングのメンバーに訊いたのよ。何か最近変わったことはないかって。主にメグミ周りでね」

「・・・」

「そしたらみんな、口を揃えて言ったのよ。『最近になってメグミが生き生きしてきた』って」

 

 アズミの言葉に、桜雲の目が見開かれる。

 その言葉は、昨日アズミが実際にメグミのパーシングの乗員にメッセージアプリを使って聞いたのだ。すると全員が本当にそう言ったのだ。

 

「それでメグミのパーシングが強くなったのも、中隊の練度が上がったのも、メグミが生き生きとしてきて・・・・・・それに感化されたから、ということかなって思ったの」

「そう・・・・・・」

 

 アズミの言葉に、桜雲は力なく答える。なんとなくだが話が見えてきた。

 

「メグミがあなたと出会ってから、周りが感化されるほど生き生きするなんて・・・」

「それで、メグミがあなたのことを何とも思っていないと思う?」

 

 アズミとルミに問われ、口ごもる。

 流石にそこまで言われては、何もないと思えるはずがない。桜雲の中にも、『まさか』と思う推測が生まれる。

 

「桜雲・・・正直に聞かせて」

 

 そして、沈黙していた愛里寿が問いかけた。

 

「桜雲はメグミのこと・・・・・・どう思っているの?」

 

 先ほどのルミと同じ質問。だが、その根本的な意味は違うだろう。

 アズミを見ると、彼女の瞳は桜雲の表情の変化を見逃すまいと固定されていた。

 ルミを見ると、彼女の目は桜雲のどんな小さな嘘も見抜くとばかりに鋭かった。

 愛里寿を見ると、彼女は訊いた身ではあれど、今から告げられるであろう桜雲の本心に興味を示しているかのようだった。

 桜雲はこれだけの視線に晒されて、観念する。

 

 

「・・・・・・メグミさんのことは、女性として好きだよ」

 

 

 その一言で緊張感が高まるかと思ったが、むしろ空気は緩んだ。

 

「・・・そうかぁ」

「やっぱりね・・・」

 

 ルミが腕を組み、背もたれに身体を預ける。

 アズミが微笑み、頬杖を突く。

 愛里寿は、恐らく初めて恋愛に関する話を間近で聞いたからか少し頬が赤い。

 

「いや、薄々そんな気はしてたよ」

「え?」

「なんか、メグミと話してる時の桜雲って、どうにも普通の友達を相手にしてる感じには見えなかったし」

 

 ルミの指摘に苦笑する。

 恋を自覚してから桜雲は、いつだってメグミと話す時は心のどこかで緊張感と高揚感を抱いていた。好きな人と言葉を交わし、一緒の時間を過ごすことができるのだから嬉しくないはずがない。

 しかしそれが、周りの人が分かるほどのものだったとは。

 

「さて、これで桜雲がメグミのことが好きって判明したわけだけど・・・」

 

 アズミが両手を合わせて柔らかい笑みを浮かべる。

 そして桜雲に向けて。

 

「桜雲は、メグミにああして突っぱねられて何も感じないの?」

「・・・・・・・・・」

「仮にもし、このままあなたたちが別れたとして、それで納得できるの?」

 

 桜雲は目を伏せる。

 今な心の中には、メグミが好きだという気持ちが色褪せずに残っている。この気持ちは恐らく、長い長い年月をかけても消えることがないだろう。

 そんな想いを告げられないまま、メグミともう二度と言葉を交わすことも、姿を見ることもできないなど。

 

「・・・納得できないよ」

 

 頭も、心も、納得できるはずがない。

 

「今日話を聞いて、メグミさんが追い詰められてたことが分かって・・・。それで僕が、無神経なことを言ったって気付けたから・・・・・・」

 

 だからやるべきことは、決まっている。

 

「直接会って、謝りたいよ」

 

 まずはそれが先決だ。告白など二の次でもいい。

 今はメグミに謝りたいと思う気持ちが強かった。

 

「メグミはね・・・あの試合で動揺して、それで桜雲にもひどいことをしたと思って、塞ぎ込んじゃってる・・・」

 

 愛里寿がテーブルの上を見ながら、ぽつぽつと話し出す。

 

「あの時桜雲が行っちゃった後、メグミはすごい後悔してた。何も言ってはくれなかったけど、桜雲にはひどいことをしたんだって分かってると思う」

 

 愛里寿はあの時、アズミとルミの後ろでメグミたちのやり取りを聞いていた。そして桜雲が去った後にメグミに近づいたが、その時のメグミは、壁に向かってしゃがみ込んで額を擦り付けて、声を押し殺し、涙を流していた。

 そして、昨日の千代との話し合いでも、メグミは少し暗かった。それだけあの時のことを引きずっているのだ。

 それが後悔でなければ、何なのか。

 

「メグミも多分、桜雲に謝りたいんだと思う。謝りたくて、仕方ないのかもしれない」

「それに、メグミはまだ桜雲に思うところがあるみたいだし」

 

 付け加えられたアズミの言葉。それこそが、『生き生きとしてきた理由』だろう。

 それが桜雲の予想と同じであるのなら、その言葉は直接メグミの口から聞きたい。

 

「・・・1つ訊いてもいい?」

 

 その前に、桜雲からも3人に訊ねる。

 

「なんで・・・僕に話してくれたの?」

 

 言うなれば、これは桜雲とメグミの間にある個人的な話であり、ルミとアズミ、愛里寿は直接関係していない。そう桜雲は思っている。

 しかしながら、彼女たちは何故それだけ教えてくれたのだろう。

 

「あの時は・・・メグミに桜雲をけしかけた私たちも悪いと思ったの」

「メグミが落ち込んでいるのも、その理由も分かっていたけど・・・。それをどうにかできるのは仲が良い桜雲だけ、って思い込んでたから」

 

 落ち込んでしまっているメグミを励ますには、彼女が好きな桜雲が適任だと思い、そうした。

 だが、その結果は最悪のものとなってしまった。

 

「こうして事が拗れちゃったのは私たちにも原因があると思ったから・・・。その罪滅ぼし、って感じね・・・」

「だから、桜雲・・・・・・ごめんなさい」

 

 ルミとアズミが、頭を下げる。桜雲は『2人が気に病むことはないよ』と宥めるが、2人は相当気にしているらしい。

 

「私も、試合中に追い詰めるようなことを言ったから・・・」

「いえいえ、隊長は何も悪くないです」

「ええ。あの時は、ああするしかほかに道はなかったと思います」

 

 愛里寿がここにいるのは、メグミと桜雲が喧嘩をした場所にいたのもあるし、自分がメグミを間接的に追い詰めてしまったと思ったからだ。

 天才少女と言っても、愛里寿はまだ幼い。大学に飛び級できるほどの頭脳を持っているとはいえ、戦車道と学問のこと以外に関してはまだ純粋な面が残っている。こうした思い込みがあるのが、愛里寿の数少ない欠点とも言える。

 

「・・・さて、桜雲」

 

 改めてルミが話しかける。

 

「あんたはこれから、どうする?」

 

 答えなど分かり切っているのであろう、試すように笑うルミ。

 そんな彼女に対して、桜雲も小さく笑って返す。

 

「・・・・・・行ってくるよ」

「・・・場所は覚えてる?」

「うん」

 

 もう行くことはないと思っていたが、その場所は誠に残念ながら覚えていた。それも今は幸いと言うべきだが。

 

「頑張りなさい、桜雲」

「・・・頑張って」

「うん、ありがとう」

 

 アズミと愛里寿からも背中を押されて、桜雲は席を立ち、その場を去って行った。

 その足取りは、どこか自信に満ちているようにも見える。

 

「・・・・・・メグミも、愛されてるんだね」

「そうね。何だか羨ましいわ」

 

 その後ろ姿を見届けながら、ルミとアズミはお互いにそう話した。

 

 

 

「・・・・・・はぁ」

 

 ベッドの上でメグミは、もう何度目かも分からない溜息を零す。

 はっきり言って、何もやる気がしない。昨日だって島田流本家から戻った後は力尽きたようにベッドに倒れこんだ。そして今日の今まで何をする気も起きずベッドの上で無為に1日を過ごしてしまった。

 

『・・・・・・それじゃあね』

 

 メグミの脳裏に焼き付く、桜雲の悲しげな表情と言葉。それがメグミの心に、杭のように深く突き刺さって抜けない。

 あの時はメグミも、どうかしていたという自覚はある。明智の変化に気付けなかったことや愛里寿を怒らせたことなどで、自分に苛ついていた。それはまだいい。

 だが、それを他人に、それも自分の好きな人にぶつけると言うのは承服できない。挙句に相手を傷つけてしまうなど論外中の論外だ。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 手の中にあるのは、猫の模様が刻まれたペンダント。桜雲にも同じものをプレゼントし、それぞれお揃いのものを着けて応援し、そして戦った。

 これをプレゼントした時は、桜雲も嬉しそうに笑っていたというのに。

 今となっては桜雲との関係もボロボロだ。それも自分の手で引き起こしたのだから、誰も責められない。責められるとすれば、メグミ自身だ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 それでもなお、メグミは桜雲との思い出ばかりを考えている。こんな状況でも桜雲のことを想っているのだから、本当に自分は好きになってしまったのだと分かる。

 自分の気持ちは、いつか伝えたかった。桜雲がどう答えるのかは分からなくても、この気持ちを抱えたまま一生を終えるより、言ってはっきりとさせたかった。

 しかし今は、それよりも謝りたいという気持ちが強かった。自分自身に苛つき、それで桜雲に当たってしまったこと、桜雲を傷つけてしまったことを謝りたい。

 

「・・・・・・・・・」

 

 スマートフォンがあるから、いつでも連絡することはできた。

 けれど、もし桜雲が完全にメグミのことを嫌ってしまい応えてくれなかったらと思うと、怖くなってできなかった。

 この事態を引き起こしたのはメグミのせい、脱却できないのもまたメグミのせい。

 打つ手なしだ。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 寝転んだまま、目を腕で隠す。

 泣きたくなるが、涙が既に枯れ果てたように出てこない。それぐらい泣いた。あまりにも悲しくて、悔しかったから。

 

「・・・・・・どうすれば、いいんだろ・・・」

 

 これから先、自分はどうすればいいのか、分からない。

 溜息を吐き、また目を閉じて思考を放棄しようとしたところで。

 部屋のインターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 今のメグミには、出る気が起きない。もし宅配便なら、申し訳ないが日を改めてきてほしい。

 だが、またインターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 身体を起こして、ドアの方を見る。

 もう一度、インターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 一抹の予感がよぎって、ベッドから降りてドアへと向かう。

 そして、ドアスコープで外の様子を窺うと。

 

「!」

 

 半ば脊髄反射でドアを開けた。

 そこにいたのは。

 

「・・・・・・こんにちは、メグミさん」

 

 夕焼けの空を背に、いつものように穏やかに笑っている桜雲だった。

 

 

 なぜここに桜雲がと思ったが、桜雲は一度酔いつぶれたメグミを送ってくれたことがある。だからここを知っていても不思議ではなかったのだ。

 

「・・・ごめんね、急に来ちゃって」

「・・・ううん、大丈夫」

 

 突然だったので驚きはしたが、メグミも桜雲と話がしたかったので部屋に招き入れた。これで桜雲がメグミの部屋に上がるのは2度目だが、1回目はメグミが酔って眠っていたので実質ノーカウントだろう。

 メグミが冷えた麦茶を2人分用意して、2人向かい合って座る。

 空は朱く染まり、ヒグラシの鳴き声が部屋の中に聞こえてくる。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 話したいことは山ほどあるのに、2人とも言葉が出てこない。それは、今2人がいるのがプライベートな場所だからなのと、お互いに相手のことを傷つけてしまったと思って気まずいからだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 メグミは麦茶を一口飲んで、気まずさを小さな溜息という形で吐く。

 言わなきゃならないのは、自分だと。明確に拒絶してしまった私の方だと言い聞かせて、口を開いた。

 

「「・・・あのっ」」

 

 被った。2人はまた口を閉ざす。

 そして、仕切りなおす。

 

「・・・桜雲」

「・・・メグミさん」

 

 またしても被った。一度ならず二度までも。

 それが可笑しくて、ついつい2人は笑ってしまう。

 

「ふふっ」

「あはは、っ・・・」

 

 2人の間にある空気が緩んだ。

 メグミは、久方ぶりに笑ったような気がした。この2日間はろくに感情表現もしていなかったせいで、より楽しく感じられる。

 その中で、メグミは。

 

「・・・・・・桜雲」

「・・・何?」

「・・・ごめんなさい」

 

 頭を下げた。

 緩んでいた空気が、再び緊迫したものとなるのをメグミは肌で感じ取る。

 ちらっと桜雲の様子を見ると、しっかりとメグミのことを見据えていた。

 

「あの時、私・・・自分に苛ついてたの。桜雲が応援してくれてるのに、あんな試合になっちゃって」

「・・・・・・・・・」

「私がもっと周りを見ていれば防げたかもしれないのに、自分の中隊から寝返りを出して・・・。それで愛里寿隊長を怒らせて・・・・・・」

 

 言葉を連ねるごとに、メグミの視線は下を向いていく。どんな顔をしているのか、桜雲の顔を見るのが怖かったから。

 

「私は、頭の中がごちゃごちゃになってて・・・・・・自分にイライラして・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「それで、あなたに辛く当たった」

 

 そして、メグミはもう一度頭を下げた。

 

「ごめんなさい・・・・・・っ」

 

 深く、頭を下げる。テーブルに額が付きそうになるぐらい。それだけメグミは、桜雲には申し訳ないと思っている。

 

「・・・大丈夫。僕はもう、気にしてないよ」

 

 その言葉に、メグミの心の中の重りが取り除かれる。

 

「それに、僕だって同じだ」

「え?」

 

 予想と違う桜雲の言葉に、顔を上げる。

 桜雲は肩を落として、少しだけ笑っていた。

 

「あの時、メグミさんに『何も分かってない』って言われたけど、その通りだって思ったよ」

 

 今度はメグミが口を閉ざす。

 

「おばあちゃんの影響で戦車道に興味が湧いたけど、結局僕が男なのに変わりはないし。メグミさんとはそこそこ長い付き合いになったけど、戦車道もそこまで詳しくないし・・・」

 

 自嘲気味に桜雲は笑う。

 

「それで、メグミさんに何があったのかを聞いて・・・無神経なこと言ってメグミさんを傷つけたって、気付いた」

「そんなこと・・・」

「だから、僕からも謝らせてほしい」

 

 桜雲はメグミと同じように、頭を下げた。

 

「本当に、ごめん。メグミさん・・・・・・」

 

 その言葉は、少しだけ震えていた。

 桜雲自身は既にメグミのことを赦している。だが、桜雲のことをメグミが赦すかどうかはまた別の話だから。

 

「・・・桜雲」

「・・・・・・」

「頭を上げて」

 

 促され、恐る恐る桜雲が顔を上げると、メグミは静かに笑っていた。

 

「私も、気にしていないわ。大丈夫」

 

 桜雲はもう一度、頭を下げる。赦してくれたことを、桜雲は嬉しく思う。

 

「・・・それで、桜雲」

 

 もう一度メグミが話しかけてきた。

 

「・・・・・・桜雲が良ければだけど、またこれからも、仲良くしてくれるかな・・・」

「もちろん」

 

 秒も挟まず、桜雲が答えた。

 メグミは即答したことに驚いたようだが、桜雲だって無意識にそう返したわけではない。

 

「僕も、同じことを考えてたから」

 

 その言葉が聞けて、お互いに本当に良かったと、嬉しいと思う。

 仲直りできることが、またこれまでと同様に仲良くいられることが、どれほど嬉しいことか。

 

「・・・よかった」

「僕も」

 

 そしてお互い、また一笑。

 メグミは麦茶をまた一口飲んで、はぁと息を吐く。それは先ほどまでの鬱屈そうな溜息とは違う、安堵の息だ。

 

「・・・・・・桜雲に嫌われたらどうしようって、思ってたから」

 

 小さく告げたその言葉を、桜雲は聞き逃さなかった。

 そこで桜雲の脳裏に、先ほどのアズミとルミの言葉がよぎる。

 

『メグミがあなたと出会ってから、周りが感化されるほど生き生きするなんて・・・』

『それで、メグミがあなたのことを何とも思っていないと思う?』

 

 そのメグミの真意に、桜雲は気付いていた。

 自他ともに認めるようなのんびりのほほんとした性格であっても、流石にそう言ったことには敏くなってしまっていた。

 

「・・・嫌いになんて、ならない」

「え」

「なるはずがないよ」

 

 それだけ桜雲は。

 

 

 

「僕は、メグミさんのことが好きだもの」

 

 

 

 メグミの口が小さく開く。

 

「この前喧嘩した時は落ち込んだけど・・・メグミさんのことが好きって気持ちが大きかったから。嫌いになんてならなかったよ」

「え・・・・・・・・・え?」

 

 桜雲の告白に、メグミは困惑するばかりだ。

 

「本当、なの?私を・・・?」

「うん」

 

 仲直りをした直後に告白というのは、ともすればまた2人の間に亀裂が走りかねないことだ。

 だが、桜雲は今この場で言いたかった。いつまでも桜雲も自分の気持ちを隠し通せるとは思ってはいなかったし、メグミの言葉を聞いて自分の気持ちを抑えられなかった。

 

「私、何かした?そんな、好かれるようなことなんて・・・」

「してくれたよ、たくさん」

「私・・・そんなに女として魅力的?」

「僕からすれば、十分」

 

 なおメグミは現実味がないように問う。告白されたのなんて初めてだし、少なくとも自分が魅力的だと自意識過剰でもない。

 そこで、テーブルの上で握られているメグミの手を、桜雲はそっと包むように優しく握った。ゆっくりとした動作ではあったが、メグミは手を握られて思わず桜雲のことを見る。

 桜雲の眼には一点の曇りもない。さっきの言葉は、全部本心から来るものなのだろう。

 

「・・・・・・そっかぁ」

「・・・・・・」

「私も、まだまだ捨てたもんじゃないみたいね」

 

 桜雲の告白が伊達や酔狂でもない、真剣なものだと分かると、笑みが抑えられなくなる。

 つい俯いてしまう。嬉しさのあまり、涙が溢れてしまいそうだ。

 

「メグミさんは・・・・・・どうなのかな・・・」

 

 不安そうに聞く桜雲の言葉に対する答えなど、たった1つ、とうに決まっていた。

 メグミは顔を上げて、精一杯の笑みで答える。

 

 

 

「私もよ。私は、桜雲のことが好き」

 

 

 

 それだけで、桜雲の涙腺を緩ませるには十分だ。

 視界が潤み、涙が溢れて頬を伝う。

 だが、微塵も嫌な気持ちはない。

 好きな人から正直な気持ちを告げられて、想いが通じ合ったのだから、嫌なはずなどなかった。

 

「もう、泣かないでよ・・・」

「ごめん、嬉しくてね・・・」

 

 そう言うメグミの言葉も震えていた。涙を拭いながら見てみると、メグミもまた泣いていた。

 枯れたと思っていた涙が溢れてきて、メグミは前を向いていることもできず、涙を拭うが溢れ続ける。

 それを見た桜雲は、立ち上がってメグミの下まで歩み寄り、そっとメグミを抱きしめた。メグミもまた、桜雲の身体に腕を回して胸に顔を埋めて静かに泣く。

 桜雲はメグミが泣き止むまで、その身体を離しはしなかった。

 

 

 お互いに泣き止んだところで、メグミのお腹から可愛らしい腹の虫の音が聞こえた。聞けば、メグミはあの時の喧嘩がショックで何もやる気が起きず、食事も最低限しか摂っていなかったそうだ。

 それを聞いた桜雲は、時間も時間だったので『夕飯を食べに行こう』と提案し、2人で駅前のファミレスで夕飯にした。

 2人で食事をすることも、あの試合の前は何度もしたことだったのに、この日の食事はもう何年ぶりかと思うほど懐かしさを感じるものとなった。

 

「ねぇ、メグミさん」

「ん?」

「試合の前の日に話したこと、覚えてる?」

 

 ファミレスからの帰り道。陽はすっかり沈んでしまい、夜道を照らすのは街灯だけ。

 そんな道を2人並んで歩いている中で、桜雲は話しかける。

 

「試合が終わったら、次の休みにまた一緒に出掛けようって」

「・・・ええ、覚えてる」

「それでさ・・・メグミさんさえ良ければだけど―――」

「もちろん、いいわよ」

 

 桜雲が全てを言い切る前に、メグミは答える。

何を聞いてくるかは分かっていたし、その答えも決まっていた。

 そんなメグミの答えに、桜雲は苦笑した。『敵わないなぁ』と、独り言つ。

 

「でも、29日からは北海道で練習になっちゃって」

「ありゃ・・・」

「だから、その前なら大丈夫よ」

「そっか・・・分かった。それじゃあ日付が決まったら、連絡するね」

「ええ、お願い」

 

 淀みなくデートの予定が立っていく。つい数時間前までお互いにすれ違いが生じていたのが嘘のようだ。

 やがて、メグミのアパートの前に戻ってきた。ここで一度お別れだ。

 

「それじゃあ、次はデートの時にね」

 

 あの日とは違う、今度は会える時を約束する。

 その小さな違いが、2人が晴れて恋人同士となれたことを示していた。

 

「・・・・・・っ」

 

 その別れ際、メグミはそっと桜雲にキスをした。

 桜雲がそれに気付くのは少し遅れてしまったが、それでも状況を理解すると、恥ずかしそうではあれど笑ってくれた。

 

「・・・それじゃ、おやすみなさい」

「・・・うん」

 

 互いに手を振り合って、別れる。

 桜雲は、空をゆっくりと見上げる。夜空が広がっているが、少し雲があって澄んだ空とは言えない。

 それでも桜雲の心は、晴れ渡っているかのように爽やかだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Fortunate Future

今回は少し短めです。
予めご了承ください。


 夜、風呂から上がったアズミが何の気なしにテレビ番組を眺めていると、手元のスマートフォンが電話の着信を告げた。こんな時間に、と思いながら画面を見るとメグミの名前が表示されていた。

 

「あら・・・・・・?」

 

 『応答』をタップする前に、少し考える。

 メグミは件のくろがね工業戦のせいで、少なくとも昨日まではひどく落ち込んでいた。その落ち込みようは、試合の後や昨日の島田流本家でアズミも知っている。

 そのメグミが好いているであろう桜雲に、あの試合で本当は何が起きたのかを話したのは数時間ほど前のこと。

 桜雲はその後でメグミに会いに行ったはずだが、その結果がどうなったのかは分からない。上手くいっていればそれでいいのだが、一概にそうとは言い切れない。

 願わくばメグミが立ち直っていることを、そう思いながら慎重に電話に出る。

 

「・・・もしもし?」

『あ、アズミ?ごめんね、夜遅くに』

「問題ないわ」

 

 聞いた感じ、メグミに落ち込んでいる様子はない。まだ少し、声は暗い感じがするが不安になるほどでもなかった。

 

「それで、どうかしたの?」

 

 アズミはいつもの調子で訊く。気遣っていると悟らせないように。

 数秒ほどの沈黙を挟んで、メグミは告げた。

 

『色々と・・・ごめんね』

「?」

 

 謝るメグミ。だが、アズミは何か謝られるようなことをされた覚えはない。

 

『あの時私、他人に当たるぐらい苛ついてて・・・。アズミたちにも酷いところを見せちゃったから・・・』

 

 あの時―――桜雲に辛く当たった時、あそこにはアズミとルミ、そして愛里寿もいた。確かにあの時のメグミは、見ていて痛ましかったが、それで不快な気持ちになどはなっていない。

 

『だから・・・嫌な気持ちにさせちゃって、本当にごめん』

 

 真っ直ぐに謝るメグミ。その声には苛立ちも、悲哀もない、いっそ安心感すら抱かせるように穏やかだ。

 そんなメグミの言葉を聞いただけで、立ち直れたんだと分かる。他の人には分からなくとも、親友のアズミには分かった。

 

「・・・気にしないで平気よ、メグミ。あなたが立ち直れたのなら、それで十分」

『そっか・・・ありがとね。流石、最高の親友だわ』

「調子いいこと言っちゃって」

 

 軽口を鼻で笑うアズミ。

 ともあれ、これでメグミが本調子に戻ってきているのが確認できて安心だ。

 しかしながら、アズミにはまだ気になる点が残っている。

 

「ああ、そうそうメグミ」

『何?』

「あなたのトコに桜雲が行ったと思うけど、何か話したりした?」

 

 今日の夕飯何だった?みたいなノリで訊くと、メグミが沈黙してしまった。

 そこで、もしや関係が悪化してしまったのかと一脈の不安が頭をよぎるが、次のメグミの言葉はアズミの予想を良い意味で裏切った。

 

『・・・まあ、その・・・・・・うん』

 

 先ほどとは違う、恥ずかしさを孕むような声。

 アズミもいたずらに歳を重ねてきたわけではなく、それなりの勘も養われている。何があったのかは、想像がつく。

 

「ああ、うん。みなまで言わなくていいわ。訊いた口で悪いけど」

『・・・その方が、私としてもありがたいわ』

 

 安堵するメグミ。それが、アズミの想像を確信へと変えた。

 

『それじゃ・・・ありがとうね。そろそろ切るわ』

「うん、分かった。ルミにも連絡しなさいね?」

『もうしたわ。隊長にもね』

「あら、そう」

 

 電話が切れると、アズミは小さく息を吐く。

 親友が立ち直れたことは、もちろん喜ばしい。アズミだってあの日以来、メグミのことが心配だったから、立ち直ったと知った今は心底安心している。

 ただ、桜雲との関係に進展があったことに関しては、喜ばしいだけでは済まない。

 羨ましかった。

 

「さて・・・」

 

 さしあたり、まずはルミに連絡することにした。『親友が抜け駆けしたぞ』と。

 

 

 8月も中盤を過ぎて、季節は秋へと向かっている。だのに陽光の強さは衰えを見せず、今なお地上に燦々と光が降り注いでいる。

 その光を避けるように、桜雲は駅前のイチョウの樹の下にいた。

 桜雲は、アスファルトの照り返しや熱気にも関わらず唇が緩んでいた。

 これから始まるメグミとのデートが、楽しみだからだ。

 

「桜雲君?」

 

 不意に声をかけられたが、メグミの声ではない。しかして、桜雲の知らない人物のものでもなかった。

 

「柊木さん、おはよう。おでかけ?」

「うん、友達とね」

 

 動物サークルで同期の柊木だ。その隣にまた同い年ぐらいの女性が並んでいるが、その子が友達だろう。初対面なので軽く会釈をすると、同じようにその子もお辞儀を返した。

 

「桜雲君は?」

「ああ、僕は―――」

 

 デートとおっぴろげに言うのも恥ずかしかったので、『友達と出掛けるところ』と言おうとしたが、またそこで別の声がかかる。

 

「お待たせ桜雲―――って対馬?」

「え、メグミ?」

 

 その声の主こそ、桜雲が元々待っていた相手であるメグミだ。白のブラウスにモスグリーンのボーダーブルゾン、明るい緑のミディアム丈のフレアスカートの彼女は、前とは違って落ち着いた雰囲気がある。

 それよりも気になるのは。

 

「知り合いなの?」

「ええ。同じ戦車に乗る仲間よ」

 

 柊木の友達とは、メグミのパーシングの乗員である対馬だった。桜雲からすれば初対面だったが、こんな意外なところにメグミに近しい人がいるとは。

 

「改めまして、対馬です」

「あ、桜雲です」

 

 素性が知れたところで、改めて名を名乗る。

 

「えっと、初対面で訊くのもあれだけど・・・・・・2人はあれなの?」

「?」

 

 桜雲とメグミを交互に指差しながら、対馬が問う。メグミはいち早く『あー・・・』と対馬が何を訊きたいのかを察する。

 

「2人って、付き合ってるの?」

 

 対馬はこういう奴だったと、メグミは額を押さえる。

 対馬の隣にいた柊木は、状況が分からないので『え?え?』と対馬と桜雲たちを見る。

 

「あー・・・」

「・・・うん」

 

 迷ったが、メグミが答えてしまった。メグミとしては、対馬はある程度事情を知っていたし世話になったところもあるので、隠すのも失礼と思ったからだ。

 対馬は、メグミの答えを聞くと実に愉しそうににんまりと笑う。初対面だが、桜雲はこの対馬の性格がなんとなく分かってきた。

 一方で柊木は、『え?え!?』と今度は嬉しそうな顔で桜雲たちを見る。

 

「あ、初めまして・・・。桜雲君と同じサークルの柊木です」

「よろしく、私はメグミよ」

 

 そこで、同じく初対面の2人が挨拶をした。

 

「桜雲君、いつから付き合い始めたの?」

「えっと、ほんの数日ぐらい前かな」

「へー・・・」

 

 柊木が興味津々な形で訊くと、桜雲は恥を忍んで答える。

 なぜか安心するように頷く柊木に、桜雲は疑問を抱く。

 

「何、どうしたの?」

「ちょっと意外だなって思ってね。桜雲君、浮いた話とかと全然縁がなかったし」

「ああ、それはそうだね」

 

 サークルの中でも、大学以前の学生時代も、桜雲は色恋の話題で名前が挙がったことがない。穏やかが過ぎて、頼りないと思われていたのかもしれない。

 そんなやり取りに耳を傾けていた対馬がメグミを見ると、メグミが少し不機嫌そうな顔をしているのに気づく。

 

「・・・ほら、柊木。行きましょ?」

「あ、うん。それじゃあね」

「うん、それじゃ」

 

 少し強引に、対馬は柊木を連れて駅の改札へと向かう。

 

「デートなんでしょ?頑張ってね」

「・・・分かってるわ」

 

 その直前、対馬がメグミに耳打ちするとメグミは不敵に笑う。対馬もウィンクをして、その場から離れていった。

 

「それじゃ、僕らも行こうか」

 

 桜雲も出発しようと足を踏み出すが、メグミはどこかご機嫌斜めな感じだ。

 

「メグミさん?」

「ねえ、桜雲」

 

 それが気になって声をかけたが、逆に棘のあるような言葉を投げかけられる。

 

「さっきの柊木って子、同じサークルなのよね」

「え、うん・・・」

 

 それで桜雲も、メグミが何を感じているのか分かった。

 

「大丈夫、メグミさんが心配するような関係じゃないから。ただの友達だよ」

「ホント?」

 

 なので安心させるようにそう言うが、メグミはまだ疑っている様子だ。

 その気持ち―――嫉妬や不安を取り除くように、メグミの手を握った。

 

「さ、行こう」

「・・・うん」

 

 それで、メグミはようやく安心したのか、表情を緩める。

 こうして臆面もなく手を握ることができるのも、自分たちが付き合い始めたからだろうなと、桜雲は思う。前だったら、手を繋ぐことにも迷いがあった。

 桜雲もメグミも、『付き合ってるんだなぁ』とのんびり考えながら、街へと繰り出した。

 

 

 2人が向かうのは、2つ隣の駅の街にある猫カフェ。メグミが愛里寿たちと一緒に行った、木を基調としたあのお店である。そこは桜雲も一度行って良い場所だと思ったし、メグミも同じく気に入っているようだ。

 

「ここでよかったの?」

「ええ。猫好きだし」

 

 メグミはニコッと笑って答える。

 ここは、『どこ行きたい?』と桜雲が訊いてメグミが『ここがいい』と答えた場所だ。この前出かけたところほど遠くはないし、一度訪れた場所なので面白みに欠けると思ったが、メグミが楽しそうなので良しとしよう。

 

「いつもありがとうございます~」

 

 受付の中年ほどの女性スタッフから挨拶をされると、メグミは『いえいえ』と手を横に振る。メグミがここに来るのは3回目なので、顔を覚えているのかもしれない。

 ともあれ、下準備を済ませて猫のいるスペースに足を踏み入れると、木の香りと動物の匂いが漂ってくる。そして、猫たちが桜雲とメグミのことを『誰か来たぞ』と見上げる。

 そんな中、2人の下へと歩み寄ってくるグレーの猫が1匹。

 

「あら、久しぶり」

「すっかり覚えたみたいだね」

 

 2人は席まで歩くが、その間もグレーの猫は後ろをついてくる。やがて、メグミが席に着くと、グレーの猫は何の躊躇いもなくメグミの膝の上にぴょんと飛び乗った。挨拶(指の匂いを嗅がせる等)もせずにここまで近づいてくるとは、相当懐いているようだ。

 

「懐いてるね」

「そうねぇ。この甘えん坊さんめ」

 

 猫の額を慈しむように撫でるメグミ。最初に膝の上に乗った時はどうすればいいのか狼狽えていたのに、今では完全に慣れてしまっている。

 続けて顔を包むように両手でぐにぐにと撫でるが、流石に嫌だったのか猫は体をよじってメグミの手から逃れた。

 

「あら、残念」

 

 そして今度は、桜雲の膝の上に乗って『みゃぁ』と間の抜けた鳴き声を上げる。それで桜雲の顔も緩んで、そっと頭を撫でる。

 

「ほーら、おいでおいで~」

 

 今度はメグミが足下に寄ってきたキジトラ猫に、まさに猫なで声で話しかける。それが通じたのか、キジトラはメグミの膝に飛び乗ってきた。

 今度はメグミは、逃げられないように優しくキジトラの頭を撫でる。

 

「やっぱりメグミさん、猫に好かれやすいのかもね」

「そうかも。さっきの言葉で、ホントに膝に乗ってくれるとは思わなかったもの」

 

 キジトラの背中を撫でるメグミ。飼い猫でさえ、飼い主が名前を呼んでちゃんと近づいてくれることはそう無いのだから、やはり『素質』があるのだろう。

 メグミは、膝の上に乗るキジトラをにこにこと笑いながら撫でている。完全に猫の可愛らしさに打ちのめされていた。

 

「・・・よかった」

「え?」

 

 それを見て桜雲は、言った通り切に思う。

 

「元気になったみたいで、よかったよ」

 

 その言葉に、メグミは猫を撫でる手を止める。キジトラは、『どうしたの?』と言った感じでメグミを見上げる。

 メグミもまた、視線を猫から桜雲に移す。

 

「・・・あの時、桜雲が私のところに来てくれて、よかったわ」

「ごめん・・・あの時は急に部屋に押しかけちゃって」

「押しかけたなんて・・・まあ、ちょっと驚きはしたけど」

 

 冗談めかして言うと、お互いに小さく笑う。メグミの住所を知っていたのは、前に酔いつぶれたメグミを送り届けたからと、釈明は既に済んでいるのでお咎めはなかった。

 

「あの時、桜雲が来てくれなかったら・・・私はまだ立ち直れなかったかもね」

 

 寂しそうに告げるメグミだが、実際そうなったらどうなんだろうと桜雲は恐ろしくなる。ひっそりとメグミが消えてなくなるようなイメージが頭に浮かんできた。

 

「ね、桜雲」

「?」

「もし、よ?もしもだけど・・・」

 

 メグミが、桜雲を試すように、あるいは不安を抱いているように話しかける。

 

「私がまた・・・前みたいに落ち込んだり、傷ついたりしていたら・・・桜雲は傍にいてくれる?」

「もちろん」

 

 何の迷いも、僅かな思案もなく、頷いた。

 

「僕はずっと、メグミさんの傍にいるよ。また前みたいに落ち込んだり傷ついたら、慰めるし、励ます。そして、そんなときは・・・また今日みたいに出掛けよう」

「・・・・・・・・・」

「メグミさんは、僕にとって大切な人だから。だから立ち直れるように、何でもするよ」

 

 膝の上に乗るグレーの猫に目もくれず、桜雲はメグミを真っ直ぐに見据えて告げる。

 その強い意思を感じさせる言葉に、メグミは少しばかり呆けたように口を開ける。

 メグミの膝の上のキジトラが、『みゃー』と小さく鳴いたところで。

 

「・・・ありがとう、桜雲」

 

 はにかみながら、そう告げる。

 桜雲の膝の上で、グレーの猫が『にゃー』と鳴くと緊張していた空気が緩む。そしてお互いに、膝の上に乗る猫をそっと撫でた。

 キジトラが、メグミの胸に前脚をかけて、顔の高さを合わせてまた鳴く。

 それから2人は、時間いっぱい猫と遊んだ。猫じゃらしを使ったり、撫でまわしたり、餌をあげたり。

 世間一般で言うデートとは少し違う感じがするけれども、今のように2人で猫と触れ合う時間を、2人は幸せに感じていた。

 

 

 猫カフェを出るころにはちょうど正午過ぎとなり、2人は昼食にすることにした。と言っても、レストランで昼食、というわけではない。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとう。それじゃ、僕からも」

 

 街の近くにある親水公園でベンチに座り、2人はそれぞれ作ってきた弁当を交換する。

 それぞれ蓋を開けてみれば、メグミの作ってきた弁当にはハンバーグ。桜雲の作ってきた弁当には唐揚げが収められていた。

 

「ん、美味しい!」

「うん、ハンバーグも美味しいよ」

 

 食べる前から分かっていたはずだが、それでも言わずにはいられなかった。

 桜雲が得意とする唐揚げは、自分の好物だから得意になったものであり、メグミのハンバーグは『最近ハマった』という。

 

「・・・桜雲と出逢えたからかな」

「?」

「こうして、料理を作るようになったの」

 

 箸を置き、青い空を見上げるメグミ。桜雲も同じように、空を見る。

 

「でも、いつかはメグミさんも始めていたかもしれないよ」

「どうかしらね・・・私って、ちょっと前までは料理なんてする気さえ起きなかったし・・・」

 

 以前桜雲にあげた、猫カフェを紹介し、そこで猫との触れ合い方を教えたお礼の弁当。あれは先ほど会った対馬のアイデアで、料理も対馬から教わったと打ち明ける。

 

「だから、桜雲に会わなければ料理しようきっかけもなかったわけよ」

「・・・そうなんだ」

 

 こんなことを言ったら、桜雲は引いてしまうのではないかとメグミは少し不安になった。

 しかし桜雲は、そんなことでメグミを突き放したりはしない。

 

「それじゃ、よかったね。色々な意味で」

「・・・・・・ええ、ホントに」

 

 空に向けていた目を、桜雲に向ける。

 

「あなたに出会えて、本当に良かった」

「・・・・・・・・・面と向かって言われると、恥ずかしいな」

 

 桜雲は白米をかきこんで恥を逃がそうとする。

 けれど、顔の熱は引かなかった。

 

 

 昼食を終えた2人は街に戻り、ペットショップを訪れていた。

 

「あっ、まだいる」

 

 店に入ってすぐメグミが見つけたのは、あの謎の威圧感と存在感を醸し出す、濃い灰色のミミズク。

 

「あら、でももう売れちゃってるのね・・・」

 

 しかし近くに来てみると、ミミズクが佇む切り株の傍には『売約済み』のプレートが立ててあった。

 

「本当に飼う人、いるんだ」

「そうだね。最近は専門の本とかも売ってるし」

 

 それからは、以前と変わらないラインナップを見て回る。カワウソやカメレオン、オウムなど相変わらず種類が豊富で動物園のようだった。

 やがて、犬と猫が入れられているガラスゲージの前に着く。

 

「仔猫も可愛いわね~」

 

 ゲージに入っている猫のほとんどはまだ子供で、全体的に丸っこい。そのフォルムがたまらなく可愛らしいので、メグミのような感想が浮かぶのには桜雲も頷ける。

 

「・・・自分の手で一から育てるって言うのも、良いかもしれないわね・・・」

「そうだね・・・子供のころから育てた方が懐きやすいって聞くし」

 

 桜雲の実家の猫は、言ったように子供のころから育てていたものだ。そのおかげか、家族には大分懐いている。甘えん坊だ。

 メグミが指を伸ばすと、ゲージの中のロシアンブルーの仔猫が興味を示してガラスに近づいてくる。

 

「将来飼うのも、いいかもしれないわね・・・」

 

 今はまだ、学生という身分だから何かと心配だ。けれど大人になって、生活に余裕が出てきたら飼うのも良いかもしれない。

 メグミの目に映っているのはロシアンブルーだが、見ているのはもしかしたら、自分が猫を飼っている未来なのかもしれない。

 

「もちろん、飼うことが簡単じゃないのは分かってるつもりだけど・・・」

 

 今メグミの隣に立つ桜雲の言葉を、メグミは忘れていない。

 

『ペットを飼う時には、相応の覚悟が必要なんだよ』

 

 その言葉を覚えているから、中途半端な気持ちで『飼おう』と言ったのではない。

 桜雲と知り合い、猫に触れて魅力を知ってから、メグミもまた猫のことが好きになっていた。だから、こうして猫カフェで触れ合うのもいいが、桜雲が言っていた『猫が家族』という環境にも憧れつつある。

 

「できるかな?私に・・・」

「・・・できると思うよ」

 

 桜雲は否定しなかった。

 

「メグミさんならできると、僕は思う」

 

 桜雲もまた、同じロシアンブルーを眺めている。同じように手を伸ばし、撫でるかのように手をかざす。

 

「・・・そう思う?」

「うん。メグミさんは途中で飼うのに飽きたり、動物をぞんざいにすることもないと僕は思うから」

「でも、桜雲に当たった前科が私にはあるし・・・」

「あの時メグミさん、自分で後悔していたんでしょ?だからもう、あの時みたいなことはしないと僕は信じてる」

 

 メグミのことを芯から信じているような、桜雲の言葉と表情。

 それだけだったが、桜雲の方がメグミよりも猫の傍にいた時間が長いし、命の重さを知っている。そんな桜雲の言葉だから、安心できた。

 

「・・・ありがと」

 

 メグミはガラスから手を離す。

 そんなメグミの中には、新しい望みが生まれていた。

 

「でも、1人で飼うのはちょーっと心許ないかなーって思うのよね」

「?」

 

 どこか演技臭い感じの口調で桜雲を見るメグミ。桜雲は、何が言いたいのかまだ掴めない。

 

「だから・・・誰か一緒に飼ってくれる人が、いてくれたら嬉しいんだけどね」

 

 だが、その言葉だけは真剣みがあった。表情も、微笑んではいるが瞳の奥には確固たる意思があるように感じる。

 そして、メグミの言葉に秘められている『本当の意味』も、確信とまではいかずとも汲み取れた。

 

「・・・いるといいね、そんな人が」

 

 上手い答えが見つからず、こんなことしか言えなかった。その真意を汲み取れても、どう言葉にすればいいのか分からなかった。

 だから、笑って肩を竦めることしかできなかったのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そんな桜雲に、メグミは少しだけ距離を詰めて肩を触れ合わせる。

 その行動で、先の言葉の真意も確信できた。

 

 

 少しの間ペットショップを見て回った後、2人が次に向かったのは書店だ。ここへ行きたいと言ったのは桜雲で、気になる本があるらしい。

 

「あった」

 

 そして、桜雲が書店の一角で手に取ったのは、『戦車道入門』というタイトルの本だった。

 メグミが『なんでこれを?』と目で問うと、桜雲は少しだけ笑う。

 

「やっぱり僕、戦車道のことはそこまで深くは分かってないから。だから、これから先・・・戦車道を続けるメグミさんに向き合うのなら、少しでも知っておくべきだと思ったんだ」

 

 メグミの目が、僅かに見開かれる。

 

「戦車道に携わってるメグミさんと付き合っているから、戦車道のことは知っておきたい」

 

 そしてメグミの方を見て。

 

「この先、ずっと・・・メグミさんの傍にいるならなおさら」

 

 今この時だけ、この一角だけが別の空間に移動したかのように、周りの音が聞こえなくなった。

 その桜雲の言葉を聞いて、メグミの瞳が揺れる。その『真意』を汲み取ることができたから。

 

「・・・・・・そうね」

 

 こういう時の答え方が不器用なのは、お互い様かなとメグミは思った。

 

 

 本屋の後は、駅近くの街のショッピングを楽しみ、時間は瞬く間に夕方へと過ぎていく。

 

「明日から北海道か・・・」

 

 夕暮れの街を歩きながら、メグミは空を見つつ呟く。

 

「大変だね・・・明日の夕方出発だっけ?」

「ええ」

 

 メグミたち大学選抜は、明日の夕方出発し、その翌日からはすぐに集中練習に入るとのことだ。スケジュール的に厳しいとは思ったが、くろがね工業との試合を鑑みれば仕方ないのかもしれない。

 それに、大学選抜の練習は厳しいというのがもっぱらの噂だ。これぐらいで音を上げるわけにはいかないのだろう。

 

「でも、夕方までは休みだし・・・と言っても、色々準備が要るんだけど」

「それは、仕方がないかな・・・」

 

 メグミは大学選抜の副官である。遠征の前の準備も相応に必要なのだろう。

 

「あ、でも隊長、大洗にあるボコミュージアムに行くって言ってたかな」

「ボコミュージアム?」

「ええ。なんでも隊長、ボコられグマのボコって言うキャラクターが好きみたいで。それでこの前、その施設を見つけたんだって」

「へぇ・・・」

 

 ボコられグマのボコ、名前からして不穏な感じがする。試しにスマートで検索してみたが、見た目はそこそこ可愛らしい。しかしその設定はさらっと読んだだけで『需要あるの?』と思うような感じだ。

 あの天才少女と謳われる愛里寿にこんな趣味があるとは、結構な発見だ。

 それはともかくとして。

 

「本当は応援に行きたいところなんだけど・・・」

「それは仕方ないわよ・・・それぞれの理由はあるし」

 

 明日から北海道遠征という話を桜雲が聞いたのは、今朝方のこと。準備などできているはずもなかった。

 

「でも、また同じようなことがあったら、今度は絶対応援しに行くよ」

 

 例えその場所が北の地であろうと、メグミを応援するためであれば東奔西走することも厭わない覚悟でいる。

 

「どうして?」

 

 答えが分かり切っていても、メグミは訊いた。

 その答えを、桜雲の口から直接聞きたかったから。

 

「だって、メグミさんが頑張るんだもの。それを応援するのが・・・僕にできることだから」

 

 それを聞きたかった。

 ただただ、嬉しい。

 その気持ちを、桜雲の手に自分の手を絡める形で表現する。

 

「・・・桜雲」

「?」

「・・・私と一緒になってくれて、ありがとね」

「・・・・・・それは、僕も同じだよ」

 

 身体を寄せてくるメグミだが、桜雲はそれを振り払おうとはせず、夕暮れの街を歩いていく。




次回から、劇場版パートに入ります。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Malicious Match

劇場版パートに入ります。
今回、主人公の出番が少なめですがご了承ください。


 島田流戦車道の家元・島田千代は、多忙な身である。

 本来の役職である家元に加えて、大学戦車道連盟の理事長として、日中長い時間部屋に籠って書類と向き合うこともあるし、都心部の日本戦車道連盟や文部科学省まで足を運ぶこともある。

 しかも今は、日本戦車道のプロリーグ設置委員会の副委員長まで任されているので、その多忙ぶりに拍車がかかっていた。

 だが、多忙であるということはそれだけ大学戦車道も盛んということだし、こうした忙しい日々も千代は嫌いではない。

 それに、千代が、島田流がライバル視する西住流に後れを取らないためにも、のんびりしている暇なんてないのだ。

 

 そんな中での、8月29日。

 世間では夏休みがあとわずかということで色々と浮足立っているが、ほぼ年中無休で忙しい千代にとっては至極どうでも良いことだ。そして、今日は仕事を調整して、どうにか休みにすることができた貴重な日でもある。

 しかし、その貴重な休みの日は、脆くも午後2時をもって終わってしまった。

 

「家元襲名、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 普段から戦車道についての話し合いをする事務室兼書斎。

千代の向かい側に座るのは黒いスーツに長い黒髪の女性。西住流戦車道の家元・西住しほだ。彼女と千代は腐れ縁とでも評すべき間柄だが、今この場での2人は日本戦車道2大流派の家元同士。私的な立場で話を持ち出したり、口を利いたりしてはならない。

 

「急な話で申し訳ないのですが、ここは是非大学強化チームの責任者である島田流家元にも、ご了承いただきたいと思いまして」

「分かりました。こちらもやるからには手加減致しません」

 

 流れるように返事をするが、まだ千代も状況を飲み込めてはいない。ほんの数時間前にいきなり文部科学省から『大洗女子学園の存続を決めるために、大学選抜チームに試合をしてほしい』などと言われたのだから。それから矢継ぎ早に目の前に座るしほと、役人が面会の約束を入れてきたので、実に濃密な数時間だった。

 そして、この場でしほから大まかな事情を聞き、自分たちがどうすればいいのかは理解できた。それでも、どうしてそうなるのかは『大人の』千代でも分からない。

 だが、戦車道の試合は常に真剣勝負でなければならないのは、千代だって百も承知。それに相手がライバルである西住流となれば、ことのほか手加減するつもりなどない。文字通り、徹底的に叩きのめす覚悟だ。

 とはいえ、聞いておきたいこともある。

 

「時に、西住流家元」

「何か?」

「あなたは今回の大洗廃校の件、納得しておりますか?」

「微塵も」

 

 だろうな、と千代は安心にも似た気持ちになる。

 今回のことにしほが大人しく納得していれば、今こうして大洗のために動いているはずもない。それは果たして、前途ある戦車少女の未来を守るためなのか、はたまた自分の愛する娘のためなのか。あるいはその両方かもしれない。

 たまに、千代はしほと昔のよしみで酒を飲む仲でもある。その席で、たまにしほが娘と上手く向き合えないことを嘆くこともあるので、しほがちゃんと娘にかける情を残していることは分かっていた。

 

「そう言うと思ってました」

「・・・・・・・・・」

 

 率直な気持ちを告げると、しほの眼光の鋭さが一段階上がったように感じる。揶揄ったつもりではないのだが。

 

「ああ、ごめんなさい、茶化したつもりはありません。ですが、お互いに苦労が多いということです」

「・・・違いないですね」

 

 出されていた紅茶を飲むしほ。千代も同じように、紅茶を飲む。

 

「では、こちらも大学選抜チームに話を通しておきます」

「よろしくお願いします」

 

 お互いに頭を下げて、しほが立ち上がる。

 玄関先に留めていたヘリに乗って帰るのを見送ると、千代は建屋の中に戻りながら後ろに控える使用人に指示を出す。

 

「・・・1時間後に文科省の辻という人が来るから、それまでにあの部屋を片付けておいて頂戴」

「畏まりました」

「私はそれまで、私室にいるから。先に来たらお茶を出しておきなさい」

「はい。それでは直ちに」

 

 若い男の使用人は、先ほどの事務室へ足早に向かっていく。

そして千代は2階の居住スペースへ上がり、私室へと向かう。

 

「・・・・・・まったく」

 

 周りに誰もいないことを確かめると、千代は独り言つ。

 今年の戦車道高校生大会で悲願の全国優勝を果たした大洗女子学園。そこが、8月31日付で廃校になってしまうというのだ。

 その理由は、学園艦の莫大な維持費を削減するために文科省が推し進めようとしている学園艦統廃合計画で、大洗女子学園が目立った功績が無くかつ生徒数も減少傾向にあるから。

 だが、前年度末に大洗の生徒会は、文科省の役人から『戦車道全国大会で優勝すれば、廃校を免れる可能性がある』と言われ、半ば強引な手を使ってでも戦車道を復活させた。

 しかし、苦難の末に優勝をもぎ取っても『廃校撤回は確約ではない』と言われ、さらに生徒たちが抵抗すれば『学園艦の住人全員に雇用先を斡旋しない』とまで脅され、廃校は避けられなかったと言う。

 それだけならば、冷淡だが千代たち大学戦車道連盟には何の関係もない話である。

 だが、どうしても廃校に納得できない大洗の生徒会長の角谷杏(かどたにあんず)という生徒は、文部科学省に足を運んで直談判をし(無下にされたが)、さらには戦車道連盟にも助けを求めた。

 結果、彼女と親しい陸上自衛隊の蝶野亜美(ちょうのあみ)一等陸尉を通じて西住流家元を味方につけて、再度文科省に抗議。結果、『大学選抜チームに勝てば廃校を完全に撤回する』と言質を取られて、今回の件に大学選抜チームは巻き込まれた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 千代は大人として、島田流を率いる家元として、これまでいくつもの理不尽や困難、果ては屈辱も呑み込んで耐えてきた。

 しかし、今回ばかりはさしもの千代も冷静を保っていられそうにない。

 本来ならば、大洗という一高校の廃校云々は大学戦車道連盟には何の関係もない話だ。それなのに、文科省の失言で有無も言わさず巻き込まれるなど、いかに戦車道連盟が文科省の下にあると言っても素直には頷けない。

 そして千代は、愛里寿のことを考えていた。

 先のくろがね工業戦で、『様々な事情』が絡む試合を愛里寿に早々に経験させてしまった手前、当面はそんな試合をさせたくはなかった。

 だのに、また世情が絡む試合をさせてしまうことが、千代としては納得がいかないし、胸が痛くなる。

 

(まさか、こんな形で西住流と戦うことになるとは・・・)

 

 不本意な形とはいえ、西住流の直系の娘が率いるチームと戦うことになるとは思わなかった。それは見方によっては西住流と島田流が直接戦うということになる。

 島田流は、西住流をライバル視している。国内のみならず海外にも分家ががあり、忍者戦法として多彩な戦術を擁しているにもかかわらず、戦車道の世界で脚光を浴びているのは西住流であることが多い。そこから、劣等感に似たものを覚えていた。

 だから、いつかは島田流が西住流と直接ぶつかり合い、打ちのめす日を望んでいた。それがこんな形で実現するとは、不謹慎かもしれないが好機でもある。

 何とも複雑な気持ちだ、と思いながら千代は自分の部屋のドアを開ける。

 

 

 澄み渡った青空と、どこまでも広がる草原。北海道の夏は涼しくて、風が吹かなくとも関東と比べれば涼しい。実に心地良い気候だ。

 そんな穏やかな草原に轟く、砲声。

 

「あと1輌ね」

「ええ」

 

 キューポラから上半身を出すメグミが、砲声を聞き、目の前に広がる光景を見て呟く。それに返すのは、隣の戦車から身を乗り出すアズミ。

 緑の草原が広がるここは、新千歳空港から少し離れた場所にある北海道大演習場。そこには赤く塗られたいくつもの戦車が黒煙を上げて擱座している。その中を悠然と走るのは1輌の白い戦車。それだけを見れば、今ここで行われているのは紅白戦だと分かる。

 だが、赤く塗られた戦車はパンター、ヤークトパンター、ヤークトティーガーなどの装甲が厚く火力も高いドイツ戦車ばかりだ。対して、白い戦車はM4シャーマン初期型と、性能はこちらの方が大分劣っている。メグミたちが乗っているのも、同じく白いM4シャーマン初期型だ。

 そのうえ、このフィールドで赤く塗られた戦車は20輌いるのに対し、白い戦車はわずか4輌だけだ。戦車の数も性能も、白チームの方が圧倒的に低い。

 にもかかわらず、今なお戦場を行く白いM4シャーマン初期型は掠り傷1つ負っていない。そして、残り3輌であるメグミたちは戦闘に参加すらしておらず、20輌近くの赤い戦車は全てあの白いシャーマンが撃破した。

 その白い戦車の主は、ほかならぬ愛里寿だ。

 

「後ろから狙うか。一見有利に見えるけど・・・」

「隊長はその程度じゃやられるはずないわね」

 

 愛里寿のシャーマン初期型を追うように、赤チームの最後の1輌であるヤークトパンターが追う。それを見て、ルミとアズミがこぼした。

 シャーマン初期型は砲塔を旋回して撃つことはなく、そのまま窪地を越えて坂を上ろうとする。だが、途中まで上ったところで停止し、履帯痕をなぞるように後退する。追手に坂を越えたと誤認させるフェイントだ。

 後を追うヤークトパンターはまんまとフェイントに引っ掛かり、坂を越えようとする。だが、横から現れたシャーマン初期型に驚くように動きを止める。全面固定砲塔なので抵抗することもできず、シャーマン初期型に撃ち抜かれて白旗を揚げた。

 これで、赤チームの戦車は愛里寿のシャーマン初期型1輌によって全滅した。

 

『状況終了』

 

 疲れた様子を塵ほども感じさせない愛里寿の声。

 

「さすが、変幻自在の戦術」

「『忍者戦法』と呼ばれるだけあるわ」

 

 あらゆる手を使って敵を翻弄して屠っていく島田流の神髄を目の当たりにして、メグミとルミが感心したように告げる。

 

「日本戦車道ここに在り、と知らしめた島田流戦車道の後継者・・・」

 

 改めて、アズミは愛里寿がどんな人物なのかを再認識する。今回の紅白戦で、まさに千変万化の戦術を披露して20輌もの戦車を相手取る姿を見ると、彼女が如何にすごい人物か、ということを考えさせられる。

 

「さ、行くわよ」

「了解」

 

 メグミたちも戦車を降り、残りの乗員に撤収作業をするように伝える。そして、ルミの運転する大学選抜の所有する車で愛里寿の下へと向かう。

 

「しかし、すごい有様だね・・・」

 

 ハンドルを握るルミが、戦場を進みながらひきつった笑みを浮かべる。

 装甲の厚いヤークトティーガーや高火力のパンターが、旧型のシャーマン初期型にいともたやすく撃破されているところから、愛里寿の実力が窺える。

 撃破された赤チームの隊員たちは、戦車から身を乗り出して『強かったねー』『やばいなー』と、やつれた感じで言っている。

 

「でも隊長・・・どうして急に『1人で戦う』なんて言い出したのかしら」

 

 今回の紅白戦は、ルール説明の段階で愛里寿の口から4対20に決まっていた。だが、試合開始直後に『手を出すな』と言われて静観に徹した。

 

「隊員たちに、自分たちで考える力を付けさせるためじゃないかしら?」

「考える力・・・決断力とか?」

「後、行動力もあるわね」

 

 普段の試合では、メグミたちが自らの中隊に指示を出していたので、その配下の戦車は撃つタイミングや回避行動などの最低限の判断ができる程度だ。それより先の、どう動けばいいのかを自分たちで考えさせることはあまり無いから、その力を付けさせるためだろうと、メグミは考えていた。

 アズミとルミも、この前のくろがね工業戦の序盤で返り討ちに遭った際、自分たちが指示を出すまでは反撃することぐらいしかできていなかったのを思い出す。

 

「あとは・・・示威行動の意味もあるかな」

「「え?」」

 

 メグミの『示威行動』と聞いてルミとアズミが腑抜けた声を洩らす。

 あのくろがね工業戦で、明智が寝返りを働いたのはチームの全員が覚えている。

 あの時明智は、『くろがね工業から内定を貰っているから、くろがね工業とは戦えない』と言っていたが、その前に愛里寿に向けて発砲した。

 相手が相手なだけに戦えないのであれば、やりようは他にいくらでもあったはずだ。にもかかわらず、明智が愛里寿に向けて不意打ちを仕掛けたのは、『不意を突けば愛里寿にも勝つことができる』と下に見ていたということだろう。

 本当かどうかは分からないが、愛里寿も仮にそうだとしたらと考えて、自分の力を改めて示すために、今回の紅白戦を単機で戦ったのかもしれない。

 

「まあ、ほとんどのメンバーが隊長のことを慕ってるんだけどね」

「うん」

 

 メグミの考えに、ルミが結論をつける。

 そこで、アズミのポケットのスマートフォンがメールの着信を告げた。

 

「あら・・・」

「何、どうしたの?」

 

 メールを開いたアズミが表情を曇らせたので、メグミが気になって訊いてみた。

 

「家元から、隊長に電話するように伝えてって」

「あー、電話したのかしら。今まで模擬戦だったし」

 

 今回の集中練習で、大学選抜は東千歳大学合宿所という寮に滞在している。どうやら、そこの愛里寿の部屋へ千代から電話をしたようだ。

 

「じゃ、私が連れてくよ」

「お願い」

 

 前を向いたまま、ルミが名乗り出たので任せることにした。

 やがて、愛里寿のシャーマン初期型の傍に着くと、愛里寿はキューポラから身を乗り出して懐中時計を見ていた。

 

「隊長?何かお約束でも?」

「気にする必要はない」

 

 突き放すような言葉をメグミに返す。だが、まだ大学選抜のユニフォームを着て、戦車に乗っているのだから態度もまだ隊長のそれなのだ。それは分かっているので、メグミたちも別に傷ついたりはしない。

 

「先ほど、家元からお電話があったそうです」

「母上から?」

 

 事情を話すと、愛里寿はルミの運転する車に乗って合宿所へと向かって行った。その際、先にミーティングをしておくようにメグミとアズミに伝えて。

 

「何かあったのかしら?」

「さあねぇ・・・」

 

 合宿所へと向かう車を見ながら、メグミとアズミは顔を合わせて首を傾げる。

 だが、後で何かしらの話があるだろうという結論に至り、皆にミーティング用の集会室へ向かうように無線で連絡する。

 

「話は変わるけど、メグミ?」

「何よ」

「あなたの、彼氏様は来てないのよねぇ?」

 

 本当に唐突に話が変わって、メグミは嘆息する。

 メグミは、アズミたちに『桜雲と付き合うことになった』と明言してはいない。だが、メグミの雰囲気が変わったことで勘づかれてしまい、隠すのも無駄だったので否定せずにいたら、こうして茶化されることが増えた。

 まったくもって、有難迷惑だ。

 

「・・・来てないわ。急に北海道までは来れないみたいで」

「まあ、それはそうよね」

 

 答えないと答えないであることないこと言われそうだったので、一応答えておく。アズミもそれで納得はしたようだ。

 

「応援に来てくれなくて、残念かしら?」

「・・・・・・・・・まあ、ちょっとは」

「あーあ、メグミが羨ましいわね~。それでこんなメグミに好かれる桜雲も羨ましいわね~」

 

 どうあがいても揶揄われるこの現状、本当にメグミにとっては悩ましい限りだ。

 と言っても、真剣に嫉妬しているわけでもなく面白がっているだけなのは分かっていたので、嫌ではなかったが。

 

 

 

「ボコミュージアム、ね」

 

 愛里寿との電話を終えて、1つの場所の名前を千代は呟く。

 愛里寿は試合を受けることを了承した。その上で、大洗女子学園との試合に勝ったらボコミュージアムのスポンサーになってほしい、とお願いも受けた。

 昨日、北海道へ行く日の午前中に、愛里寿は大洗にあるボコミュージアムというレジャー施設へ行った。これまで何度も行っていたので、よほど気に入っているんだろうと思う。

 しかしそこは、愛里寿の言う通りでこのままだと廃館になってしまうほど経営状況はよろしくない。そこのスポンサーになるというのも、あまりメリットはないだろう。

 だが、愛娘のお願いを無下にするというのも親としての心が痛む。それに、千代としても不本意極まりない世情が絡む試合を愛里寿にさせるのが後ろめたい。

 なので、ボコミュージアムのスポンサーになることはひとまず確定とした。

 尤も、こういうことをするのは愛里寿がまだ成長しきれていない子供だからだ。成長してからは、甘やかしたりはしないと心に誓っている。

 その時、部屋のドアがノックされた。

 

「何かしら?」

『失礼します。文科省の辻様が、お見えになりました』

「・・・分かったわ」

 

 使用人の言葉を聞き、千代は立ち上がってドアを開ける。

 ボコミュージアムのことは一旦置いておき、まずは目下の大洗女子学園との試合についての話が先だ。辻には、聞きたいことが色々とある。

 階段を降りて廊下を通り、事務室に入る。先ほどしほが座っていた場所には、焦げ茶色のスーツに群青色のネクタイ、七三分けの黒髪と眼鏡、まさにテンプレートな役人という風貌の男が座っていた。

 

「お忙しいところ、突然お邪魔してすみません」

「いいえ、お気になさらず」

 

 愛想笑いを浮かべるその男が、文科省の辻廉太(つじれんた)。学園艦教育局長という大層な肩書の持ち主だが、要するにこの国の学園艦を統べる部署のトップだ。また、近いうちに開催される戦車道世界大会の誘致活動、そしてプロリーグ設置委員会の責任者でもある。なので、千代とも面識は当然あった。

 

「先ほど、西住流家元からも大体の話は聞きました」

「そうでしたか」

「ええ。試合の件に関しても、既に大学選抜チームから了承の返事をいただいております」

「ありがとうございます。流石は先生、話が早い」

 

 お世辞は時に嬉しくもあれば鼻持ちならない時もある。今はまさに後者だ。何しろ、この男の失言によって大学戦車道連盟は今回の件に巻き込まれたのだから。

 それと、試合の件に関して了承はしたが、まだ試合を行う経緯・・・と言うよりなぜそこまでするのか、という点が分からない。

 

「試合に関してはご安心を。我々も戦車道に関しては、手加減をするつもりなどありませんので」

「心強いです」

「ただ・・・試合をするにあたって訊きたいことがあるのですが・・・」

「どうぞ、何なりと」

 

 この時、辻は『何なりと』と言ったところで千代の目がすっと細くなったことに敏く気付いた。

 

「聞けば今回の試合、大洗女子学園とその学園艦の存続を賭けた戦いだそうですね?」

「ええ、仰る通りです」

「昨年度にも大洗を廃校にするという話が上がっていて、今またその話になっていますが・・・」

 

 言葉を切り、少しの間目を閉じる千代。だが、次にその目が開かれた時、なぜか鋭さを増しているように見えたのは何故だろう。

 

「なぜそこまで、大洗の廃校にこだわるのです?」

「日本戦車道の未来のためです」

 

 まるでそう訊かれるのが分かっていたように、辻は間髪入れずに答える。

 元々大洗女子学園には戦車道の経験者はいなかった。だが、黒森峰から転校してきた西住みほを隊長として戦車道チームが発足すると、未経験者しかいないはずなのに瞬く間に急成長を遂げ、高校戦車道最強を誇る黒森峰女学園を破り、全国優勝まで成し遂げた。

 その急成長の過程には、他にはない、強豪校ですら知り得ない何らかの方法がある。その方法を、他の戦車道のカリキュラムがある学校で起用すれば、この国の戦車道のベースアップにつながる。

 その有力な方法を知る戦車乗りを大洗という一学校だけに収めておくのは、あまりにも惜しい。だから、手っ取り早く大洗を廃校にし、その急成長のプロセスを知っている大洗の履修生たちを各地の学校に振り分けて、全体的な戦力強化を図る。

 それこそが、大洗の廃校に固執する理由だ。

 

「前途ある他の戦車乗りの学生たちに力をつけさせ、将来的に日本戦車道のレベルを上げ、世界に通用する水準まで引き上げるのです」

「・・・なるほど」

 

 辻の力説を聞いて、千代はひとまず納得できた。

 しかし、疑念は全て晴れたわけではない。

 それどころか、疑念は増えた。

 

「・・・また、1つお聞きしても?」

「あ、はい。どうぞ」

 

 辻は、先ほどの話だけで納得してもらえると思っていたのか、紅茶に手を伸ばそうとしていた手を止める。

 辻が自分に視線を合わせたところで、千代は口を開いた。

 

「あなたは、大洗を廃校にした後の()()()()()を考えたことはあるのですか?」

「え・・・?」

 

 思いがけない質問だったらしく、辻は一瞬呆けたような顔になる。

 どうやら、これについては考えていなかったらしい。千代は内心で『呆れて』話し出す。

 

「大洗の生徒たちは、全国大会で優勝すれば廃校は撤回される、と信じて戦ってきたようです」

 

 それは先ほど、しほから聞いた話だ。

 大洗の生徒会長の角谷杏は、大洗の戦車道チーム全員がそのことを知っていたから(教えたのは準決勝の最中だったが)、廃校撤回を信じて戦い抜いたと言う。

 そして、その信じていた道が最初から存在しなかったと言われ、大人しく引き下がることもできないという気持ちは、千代も分かる。

 

「ですがそれは、あくまで可能性の話で―――」

「たとえ可能性の話であっても、彼女たちからすればそれは一縷の望みでもあったのでしょう」

 

 可能性と確約は違う。それは千代だって分かっている。

 だが、まだ自分たちと比べて幼い高校生の身分である彼女たちからすれば、可能性だって絶対だと信じていても、おかしくはない。

 

「そしてその一筋の希望を目指して、彼女たちは奮闘し、全国大会で優勝を手にした。彼女たちも、それで廃校は撤回されたと確信し、その喜びもひとしおだったでしょう」

 

 脳裏に浮かぶのは、その時の戦車道新聞の記事だ。優勝旗を携えて満面の笑みを浮かべ、感涙を流す大洗のチームのメンバーの集合写真が、鮮明に思い出せる。

 

「そして今、その希望がそもそも最初から存在しなかったという現実を突きつけられ、脅迫まがいのことまでされて抵抗も許されず、仲間との別れに必要な十分な時間さえ与えられず、そして離れ離れになる・・・」

 

 手の中にある扇子をぱちぱちと鳴らす千代。

 辻の口が、堅く閉ざされる。その扇子の音が、部屋の中に異様な緊張感を発生させているように感じる。

 

「大洗の生徒からすれば、希望を奪われ、自分たちの居場所を奪われ、戦車も、仲間も、友達も奪われる。これだけ横暴とも言うべき仕打ちを受けていれば、信じてきた戦車道に背を向けることだって考えられます」

 

 目を閉じて、扇子を鳴らす。

 

「どうにかこぎつけた試合でも、我々大学戦車道連盟が勝利し、大洗の廃校が決まれば、生徒たちは全国各地に振り分けられます。ですがその後で、彼女たちが戦車道に見切りをつけて辞めてしまうかもしれない」

 

 気持ち強めに、扇子をぱちんと鳴らす。

 そして千代は、目を開き、これまで以上に鋭い眼で辻を見て。

 

 

「その時あなたは・・・どうするつもりですか?」

 

 

 息を呑む辻。計画の穴を突かれたこと、そして千代が発する怒気のような雰囲気に気圧され、思わず姿勢が後ろに下がる。

 

「・・・その時は、強制的にでも戦車道を―――」

「そんな力任せのやり方で、彼女たちの力を引き出せるとでも?」

 

 何とか見つけた答えさえも斬り捨てる。

 再び黙り込む辻を見ながら、千代は続ける。

 

「大洗を勝利へと導いた隊長・西住みほは、元々西住流が後ろについている黒森峰女学園の副隊長でもありました」

「・・・」

「その彼女が、なぜ西住流本家のある熊本から遥か遠くの大洗にいるのか・・・なぜ黒森峰での戦車道を辞めたのか。それは分かりますか?」

 

 この時点で、この場の主導権が千代に渡ってしまったことに辻は気づく。だが、時すでに遅し。今は千代の質問に答えなければ、確実に自分が格下に見られると感じ取った。

 

「・・・黒森峰の環境が合わなかったから、でしょうか」

「ええ、それもあるでしょう」

 

 去年の全国大会決勝戦での『事件』は、千代も知っている。だから直接的な原因は『環境が合わなかったから』ではないのだが、それも一つの答えだろう。

 であれば、だ。

 

「黒森峰の環境が合わなかった西住みほが大洗に転校し、素人のチームを率いて全国優勝を成し遂げたのは、大洗が西住みほの実力を発揮できる環境だったから、というのも1つの理由です」

「・・・・・・」

「そして、その素人のチームが一致団結して優勝できたのも、やはり大洗という自分たちの環境、居場所をこよなく愛していたからこそでしょう」

 

 そこで辻は、千代が何が言いたいのか、そして自分が何を失念していたかに気付いてしまった。

 

「彼女たちが愛し、才能を開花させ、力を発揮できる居場所を奪ってしまうとどうなるか。それは分かりますね?」

「・・・・・・」

「その大洗の生徒会長が、わざわざ文部科学省と戦車道連盟本部にまで足を運び、撤回を求めたのを見れば、どれだけ自分たちの居場所を愛していたのかも分かるはずです」

 

 目を細める千代。反対に目を見開く辻。

 

「・・・あなたが今の立場に至るまでには、多くの苦労や努力があったのでしょう。その過程で、納得できないことにも首を縦に振り、大人しく従わなければならない局面も多かっただろうと思います」

 

 ここで話の流れが変わったように感じたが、どう考えても張り詰めた空気を払拭するための雑談とは思えない。

 

「それは私も同じです。大人になった以上、納得できないことや腑に落ちないことに対しても、従わなければならない機会が多くあります。そして、その流れに逆らわず、定められた場所にいなければならない。それが大人というものですからね」

 

 『納得できないことや腑に落ちないことに対しても従わなければならない』というのは、今の大洗の状況、そして試合を受けざるを得ない大学戦車道連盟の現状も指していた。

 小さく息を吐く千代。

 

「ですが、私たち大人と、大洗の生徒たちには、決定的な違いがあることにお気づきですか?」

 

 辻は何も言わず、千代の言葉を待つ。

 

 

「彼女たちは、納得できないことにもハッキリと『納得できない』と言える、()()なのです」

 

 

 辻の視線は下に落ち、テーブルの上に置かれた紅茶に向けられる。湯気はまだ少し経っているが、飲む気など全く起きない。

 

「彼女たちが成熟した大人であれば、大洗を離れても使命を全うしようとするでしょう。ですが彼女たちは、まだ身も心も成長しきれていない子供。私たちとは違い、嫌だと思うことにも背を向けることができる立場にあるんです」

 

 辻は、大洗の生徒たちが自分たちの思惑通りに動き、転校先でも戦車道を続け、計画の着点である日本戦車道のベースアップに貢献してくれるものと思い込んでいた。

 だが、それは理不尽なことだろうと飲み下さねばならない大人の目線での話だった。

 千代の言う通り、大洗の生徒たちは子供でしかない。納得できないことに自由に抗い反論でき、簡単に背を向けることだってまだ許される。

 それが、大人になってしまった辻には読めなかった。

 

「・・・ですが、それは全て可能性の話です」

 

 ここにきて、千代の話そのものを否定してきた。

 それはつまり、反論することができないということだ。

 

「ええ、全て可能性の話ですよ。ですが、全く考えられない話というわけでもありません」

 

 千代の言葉には、現実味がある。全ては推測、可能性の話と突っぱねることもできない。

 そろそろいいか、と千代は考えてころころと笑う。扇子で口元を隠し、上品に。それで、千代の纏う空気も柔らかくなった。

 

「・・・私たち戦車道連盟は、所詮は文科省の傘下にある組織です。そちらの決めた方針にどうこう言える立場ではありませんでしたね。無礼をお許しください」

「いえ・・・・・・貴重なご意見ありがとうございます」

 

 辻は、最低限のマナー発言を返す。

 この時、千代の言葉の裏に『もし事が失敗しても戦車道連盟は責任を取らない』という意味があったのに、辻は気づけた。

 だが、既に計画は後戻りできない場所にまで来ている。

 残された道は大学選抜が勝って大洗が廃校になるか、大洗が勝って廃校がなくなるか、この2つしかない。

 辻は、後者は確実に避けたかった。ここまで事態が拗れたのは辻の不用意な発言のせいでもあるから、これで計画が頓挫すれば辻もただでは済まない。更迭で済めばまだ良い方で、下手をすれば首が飛ぶ。

 だから、何としても大学選抜に勝ってほしかった。千代の話もあながち推測とは言えないが、それでも戦車道を辞めないという可能性に賭けるほかなかった。

 

「重ねて言いますが、試合に関してはどうぞご安心くださいな。手加減をするつもりなど、毛頭ございませんから」

 

 千代の話を聞いたせいで、心強いはずのその言葉も、今の辻にとっては皮肉にしか聞こえなかったが。

 

 

 その日の夜。合宿所の集会室で愛里寿とバミューダ3姉妹が主体となってミーティングをしている中。

 

「急な話だが、翌々日の8月31日に試合が決まった」

 

 愛里寿の唐突な報告に、隊員たちがざわめく。わざわざ北海道くんだりまで来たのはあくまでも集中練習のためであり、試合をするためではない。

 試合をするとなればそれ相応の準備が必要なのに、いきなり明後日試合だと言われても困る。

 

「相手は、大洗女子学園」

 

 そして、その対戦相手を聞いて、ざわめきがどよめきに変わる。

 相手は、以前戦った社会人でも、自分たちと同じ大学生でもない、年下の高校生。

 だが、その学校の名前を知っている者も多い。今年の高校生大会で、奇跡のような快進撃を見せた学校なのだから。

 

「・・・・・・」

 

 メグミたちバミューダ3姉妹は、ミーティング前にその話を聞いていたので動じはしない。

 しかし、最初にその話を聞いた時は『どういうこと?』と素直に思った。一体なぜ、こんな急に立場の違う自分たちが試合をしなければならないのかと。

 

「また、どうしてこんなことに・・・」

「文科省のお達しらしいけど、さっぱりよ」

 

 ルミとアズミも猜疑の念は隠せないようだが、メグミだってそうだ。国の命で試合をすることなど初めてだし、ましてやその相手が一高校ともなれば。

 

「こちらには、30輌で戦うようにとのことだ。よって、全員が参加することになる」

 

 愛里寿がメグミたちに目配せをする。頷いた3人は、用意された資料―――大洗の戦車のスペック表を隊員たちに配る。

 だが、それを受け取った隊員たちの口から次々に『え?』だの『は?』だのと呆けた声が洩れだす。

 それもそのはずで、大洗の戦車はたったの8輌しかない。おまけにどの車輌も、一癖も二癖もあるようなものばかりで、お世辞にも強そうとは思えない。

 隊員たちは、こんな寄せ集めのような車輌で大学選抜に挑むのかと、こんな車輌だけで全国優勝できたのかと、疑惑と驚愕が渦巻く。

 

「試合は恐らくフラッグ戦になる。よって、これより大洗戦での作戦会議を始める」

 

 困惑する隊員たちをよそに、愛里寿は話を進める。

 メグミたちもそうだが、愛里寿だっていきなりこんな試合を組まれたことに納得できていないはずだ。それでも隊長として、覚悟を決めて、冷静になろうとしている。

 愛里寿が覚悟を決めたのならば、自分たちもぐちぐち言ってられない。

 試合を行う経緯には色々と言いたいことがあるが、まずは試合の作戦を考えるべきだ。

 大学選抜に入ってからフラッグ戦をすることはほとんどなくなったが、フラッグ戦は殲滅戦と戦い方が全然違う。それに、大洗が様々な奇策を弄して優勝したのはメグミたちも調べてあるから、綿密な作戦は必要なのだ。

 今日の夜は長くなりそうだと、メグミは内心残念がる。寝る前あたりに、桜雲と少し電話で話したいと思っていたから。

 結局、その日の作戦会議が終わったのは、予定を2時間オーバーした後だった。

 

 

 翌日、作戦会議で決まった作戦の段取りを確認しつつ、実際に試合に参加する車輌―――パーシングやチャーフィーなどで模擬戦を行い、作戦に問題が無いことを確認した。

 ところが、その日の夕方のミーティングで面倒なことが起こった。

 

「失礼します」

 

 ミーティング中の集会室に、堂々と入ってきたスーツの男。

 愛里寿に代わってメグミが応対をする。

 

「文部科学省の辻と申します。この度は、急な試合を組ませてしまい大変失礼いたしました」

「いえ。それで、何か?」

 

 こんなところにアポなしで来たのだ。何かしらの用事があるのだろう。

 

「明日の大洗女子学園との試合について、我々文科省からの要請と、ルール変更があります」

「・・・伺います」

 

 愛里寿がミーティングを中断して、辻の前に立つ。辻は、小脇に抱えていた茶封筒を愛里寿に差し出す。

 

「その封筒の中に、今回の試合で使用していただきたい車輌の資料があります。ご確認を」

「その車輌はどこに?」

「すでに、北海道に到着しています。詳細については資料を」

 

 なぜか、車輌についての情報を言わない辻。

 

「ルールの変更とは?」

「明日の試合は、殲滅戦で行います」

 

 辻が顔色一つ変えずに告げた事実に、集会室にいるほぼ全員の表情が驚愕に変わる。

 

「ですが、こちらは30輌に対して大洗は8輌で―――」

「今後開催される予定のプロリーグでは殲滅戦が基本ルールになっていますので、それに合わせていただきたいのです」

 

 アズミの主張は遮られる。

 続けて、メグミが問う。

 

「その情報は、大洗には伝えたのですか?」

「いえ、あちらが北海道に到着してから伝えるつもりです」

「戦車道の規約には、開催地及びルールに対する異議申し建てのために、試合開始まで24時間の猶予が与えられるはずですが?」

 

 試合が始まるのは明日の10時。今の時刻は16時過ぎ。既に試合開始まで24時間を切っていた。

 戦車の数も性能も圧倒的に不利な大洗が、この条件に納得するはずがない。大洗の肩を持つという言い方も少し妙だが、流石にこれは厳しすぎる。ルールを変更しない方が規約には抵触せず、大洗が不利になることもない。

 

「今回の試合は、前例に無い急に決定したものですので、超法規的措置も致し方ないと判断しました」

 

 だが、にべもない答え。

 

「それでは明日の試合、よろしくお願いいたします」

 

 そしてそれ以上の意見も許さず、辻は踵を返して集会室を出て行ってしまった。

 

「・・・・・・ミーティングに戻る」

 

 愛里寿が言ったので、メグミたちも渋々室内に目を戻す。その愛里寿の手には、茶封筒の中に入っていたらしき資料があった。

 

「明日の大洗戦が殲滅戦になったことで、作戦を見直す」

 

 隊員たちが溜息を洩らすが、こればかりは仕方がないとメグミは思う。自分だって、大きな溜息を吐きたい気分だ。何しろ、昨日時間をかけて練った作戦がお釈迦になってしまったのだから。これで振出しに戻ってしまった。

 

「文科省から使用するように言われた車輌もあるので、編成も再度考え直す」

「何の車輌ですか?」

 

 ルミが問うと。

 

「カール自走臼砲」

 

 愛里寿の告げた車輌の名前に、集会室内の空気は困惑一色となった。

 カール自走臼砲。主砲口径600mmとバカみたいに圧倒的な火力を持つものの、自重のせいで動きが非常に鈍く、かつ装甲も薄いので運用するメリットがほとんどないとされるゲテモノ兵器。使い勝手の悪さはT-28など比べ物にならないぐらいだ。

 そして、オープントップということで戦車道連盟でも長い間協議し、試合には参加できない車輌のはずだ。

 

「認可されていないはずでは?」

「認可証が同封されていた」

 

 ルミが資料を受け取ると、確かにカール自走臼砲を戦車として認め、戦車道の試合での運用を許可する証書がクリップでついていた。そして、肝心のカールのスペックを見ると、確かに色々と改造が施されている。

 

「これを運用するにあたり、各中隊の編成と乗員、車輌の内訳を変更する」

 

 隊員たちは首を横に振ったり溜息を吐いたりして、『嫌だ』という気持ちを表現する。

 大学選抜からすれば、文科省の無茶ぶりで自分たちが苦労しなければならないのだから。メグミとアズミ、ルミだって同感なので、咎める気など起きずむしろ同情する。

 そして、そう思うのは隊員だけではなく、愛里寿も同じのようで。

 

「・・・・・・・・・はぁ」

 

 あの愛里寿が、溜息を吐いた。普段は、隊員たちの前では凛々しく気丈に振舞い、溜息1つ零すこともない愛里寿が。

 それだけで、今回のことが愛里寿にとっても多大なストレスとなっていることが分かる。

 

「・・・いっそのことカールで文科省を砲撃してやろうかしら」

「やめときなさい。足がついて家元から叱られるわ」

 

 自分たちの尊敬する愛里寿をこうも落ち込ませた文科省に腹を立てたルミとアズミが、本気半分で冗談を言い合う。

 メグミだって、できることなら文科省に抗議をしたかった。こんな条件での試合など、最早試合の体を成していない。

 それでも自分たちは、既に成人を越えた大人である。だから、上が決めたことに関して反発することも、抗うことも簡単にはできなくなってしまっている。

 今だけは、自分が大人になったことが悔しかった。

 

 

 

「言っちゃなんだけど・・・最早試合じゃなくて、弱い者いじめだね・・・」

 

 夜、電話で話を聞いた桜雲は、思った通りの感想を述べた。メグミから『どう思う?』と意見を求められたのだが、その表現が一番しっくりくる。

 

『うん、私も同意見・・・。抗議しようにも、相手はお役人だし』

「国が相手じゃ難しいよね・・・。なんでそんな試合するんだろう?」

『それはこっちが聞きたいわ。国の命令で試合をして、しかもそれが平等とは程遠い条件なんて、後味悪いだけよ』

 

 電話の向こうのメグミは、相当疲れているようだ。聞いた話によれば、ただでさえ急に試合を組まれて、フラッグ戦だと思って1から作戦を考えたのに、今日になって急に殲滅戦と言われ、挙句カールを使うように言われて編成まで変えたのだから。無理もない。

 

「疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

『ええ、何とかね・・・ふぁ』

 

 言った傍から、あくびをするメグミ。相当グロッキーなようだ。

 そんなメグミが、桜雲は心配だ。

 

「・・・今日は、早めに寝た方がいいかもね。どんな形でも、明日は試合なんだし」

『まあ、そうなんだけどね・・・』

「?」

 

 何か意味ありげな言い方に、桜雲が首を傾げると。

 

『昨日話せなかった分、桜雲と話したいし』

 

 何気ない一言のつもりだろうが、それだけで桜雲の胸は温かくなるし、顔に熱が集まってくる。

 自分とメグミは、既に付き合っている身なのだ。そういうことを言われてもおかしくはないし、勘違いをすることもない。だが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

『1日2日会えないだけでこんなにも恋しくなるなんて・・・知らなかった』

 

 畳みかけるようなメグミの言葉。だけど、それが不快ということはない。

 桜雲だって同じ気持ちだ。

 

「・・・僕だって、メグミさんが恋しいよ」

『ほんと?』

「うん。でも、明日はメグミさんにとっては大事な日だから、自分のことを第一に考えて」

 

 なるべく、諭すように優しく、桜雲はメグミに話す。

 

「次会う時に、またいっぱい話そう。その時まで、その気持ちは取っておいて」

『・・・・・・うん』

 

 小さく返すメグミ。

 

「明日の試合、戦車道連盟が中継するんだっけ」

『え、ええ。民放じゃ流れないって言ってたかな』

「・・・じゃあ、それを観て応援させてもらうよ」

『了解』

 

 そこで少しの間、無音の状態が続くが、先に口を開いたのはメグミだ。

 

『それじゃあ、次会う時は覚悟しといてね』

「え?」

『いっぱい話すから』

 

 からかうような言葉に、桜雲は笑う。

 

「それじゃ、明日は頑張ってね」

『ありがとう。おやすみなさい』

 

 そして、電話が切れる。

 スマートフォンを机に置くと、桜雲は手元に置いてあった『もの』を見る。これは、メグミには言っていない。

 明日の自分にとって、重要なカギとなる。

 

(さて、僕も寝ようかな・・・)

 

 明日のために、早めに寝ようと思ってベッドに足を向ける。しかし、そんなところでスマートフォンが震える。パターンはメールのものだ。

 こんな時間に珍しいと思ってメールを開くと。

 

「・・・・・・・・・え?」

 




次回もまた劇場版パートで、大学選抜目線での試合の話を描かせていただきます。
今回以上に蛇足となりうると思いますが、最後までお付き合いいただければと思います。
あらかじめ、ご了承ください。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Megumi’s longest day 1

劇場版の大洗対大学選抜の試合パートに入ります
1話あたりの長さを考慮した結果、読みやすいように試合に関しては2話に分けることにしました。

大変申し訳ございません。


 

「ホントにあれだけしかいないのね・・・」

 

 迎えた大洗女子学園との試合。

 メグミたち大学選抜チームは、開会宣言を行う草原に並んでいる。大学選抜から少し距離を置いて、紺のタンクジャケットを着る大洗チームが並んでいた。

 だが、相手チームのメンバーは、メグミの表現した通り少なすぎる。大学選抜のメンバーがゆうに100を超えているのに対し、大洗は30人前後しかいない。それに戦車の質だって大きく異なるし、挙句の果てに試合形式は数が少ない方が不利な殲滅戦だ。

 

「それでも試合を受けるってのは、見上げた根性ね・・・」

 

 アズミの言うように、これだけ大洗に不利な条件が揃っていても、大洗は試合を辞退しなかった。勝てると思っているのか、それとも『試合をしなければならない理由』があるのか。

 

「でもあちらさん、悟ってるよ」

 

 ルミがボソッと告げる。

 挨拶をするために愛里寿の下へ歩く大洗の隊長・西住みほ、そしてそのチームメイトたち。誰もが硬く引き締まった表情をしているが、それは緊張しているからではなくて、勝ち目が全く無いと悟っているからなのが分かる。

 この試合に関しては、大学選抜の誰にとっても分からないことだらけだ。文部科学省の命で試合をすること、急に試合が組まれたこと、大洗を負かしにかかること。カールの認可だって狙ったようなタイミングだし、何もかもが分からない。

 悶々と考えていると、西住みほが愛里寿の前に立ち、礼の準備が整う。それを見てメグミたちも、自然と姿勢を正した。どれだけ試合に疑問を抱いていようとも、礼儀はしっかりとしなければならない。それは自分たちに課している義務のようなものだ。

 と、その時。

 

「・・・・・・?」

 

 風も吹いていないのに、足元の緑の草が揺れ始める。地震とも違うそれは、地響きのような感じだ。

 

「ではこれより、大洗女子学園対大学選抜チームの試合を行います」

 

 その地響きに気付いているのかいないのか、審判長は開会宣言を始めようとする。

 それを聞き、メグミたちは地響きの疑問は脇に置いて前を見る。

 

「礼!」

「「よろし―――」」

 

 

『待った―――――――――ッ!!』

 

 

 愛里寿と西住みほの礼に突如割って入ってくるスピーカーからの声。その場にいたほぼ全員がびくっと驚いた。

 

「ティーガーとパンター・・・?」

「ってことは、黒森峰か。なんでここに?」

 

 その声がした方向を見ると、土色の戦車4輌がこちらに向かってきているのが見えた。それはアズミとルミの言う通り黒森峰女学園の戦車だが、ここにいる方がおかしい。

 4輌の戦車は審判たちのすぐそばで停止し、乗員が下りてくる。その乗員の顔と服がまた、大学選抜の驚きを誘った。

 

「あれ、西住流の後継者じゃない?」

「え、西住まほ・・・?」

「なんで大洗の制服着てるの・・・」

 

 島田流と対となる西住流の後継者・西住まほ。この場で知らない者はほとんどいない。

 その彼女だが、所属する黒森峰女学園のタンクジャケットではなく、大洗女子学園の白いセーラー服を着ていた。

 事態が掴めない大学選抜をよそに、西住まほは審判長に何かの書類を見せて話をする。

 話を理解できたのか、審判長はなぜか親指をぐっと立てた。

 

「え、どういうこと?」

「まさか向こうに加勢するの?」

 

 メグミたちは未だ事態が呑み込めないが、そこへさらに別方向から戦車がやってくる。

 

「あっ、シャーマン」

 

 新たにやってきた3輌の戦車を見て、嬉しそうに声を弾ませるメグミ。

 モスグリーンの機体に、稲妻をあしらった校章が描かれているのは、彼女の母校・サンダース大学付属高校のシャーマンシリーズだ。

 

「M4とM4A1にファイアフライ・・・ケイとアリサ、ナオミの3人ね」

「よく覚えてるわね」

「母校には何度も顔見せてるし」

 

 どの戦車に誰が乗っているのかを言い当てると、アズミは感心する。言った通り母校には顔を出しているので、現在の隊長・副隊長とはメグミも面識があった。

 さらにはプラウダ、聖グロリアーナと四強校からも戦車が駆けつけてきて、まさに揃い踏みと言った感じだ。

 続けて、颯爽と姿を見せたのはアンツィオ高校のCV33だ。

 

「げ、CV33・・・」

「あれ厄介なんだよなー・・・」

 

 隊員たちの多くがそれを見て苦笑いを浮かべる。CV33はすばしっこくて、ウィークポイントも狙い辛い厄介者だ。戦った時に手を焼いたのも覚えている。

 さらに現れたのは、スマートなデザインの白い戦車。

 

「おお、BT。懐かしいな~」

 

 その戦車を見て嬉しそうに告げたのはルミ。その白い戦車・BT-42は、ルミの母校・継続高校の戦車だ。在学中は別の戦車だったが、母校の戦車を見ると心が躍るらしい。

 そして最後に、知波単学園が22輌ものチハとともに現れたが、どうやら数を間違えていたらしい。16輌が引き返し、6輌だけがこちらに向かってくる。

 

「いやいや、これ何なの?一体」

「わけわからん」

 

 流されそうになったが、試合直前にしていきなり他校の戦車が一斉に駆けつけるなど、理解できない。まさにアズミの言う通り、『何なの』という状況だ。

 そこへ、黒い制服を着る眼鏡をかけた審判が歩いてきた。

 

「ただいま到着した選手は、大洗女子学園に短期入学した者だそうです」

「はい?」

「全員大洗側として参戦すると主張し、島田隊長も承認したため、30輌対30輌で試合を行います」

「はあ・・・」

 

 あまりにも急な話で、いまいち現実味が湧かない。一緒に聞くアズミとルミも、きょとんとした顔だった。

 審判が戻っていくと、とりあえずメグミは他の隊員たちに伝える。

 

「今来た戦車はみんな、大洗の味方よ。で、向こうも30輌で試合することになったわ」

 

 かいつまんで事情を伝えると、隊員たちは怒るどころかむしろ安堵の表情を浮かべる。

 30対8の殲滅戦など聞くだけでおかしいし、当事者としても御免被りたかったので、例え国から命じられた試合であってもやる気が中々起きなかった。

 だが、こうして戦車の数が同じになったことで、平等な条件で戦うことができる。それに安心したのだ。隊員たちの表情も、メグミにはさっきと比べると明るくなっている気がする。

 

「そういえば、アズミのところからは来なかったわね」

「ウチの学校はそこまで協力的な感じじゃないし・・・」

 

 アズミは自分の母校を思い出して、苦笑する。

 何はともあれ、大学選抜の士気も上がってきているし、これで後ろめたさもなく試合に臨むことができる。

 メグミだって最初は渋々だったが、条件がほぼ同じになった今では戦意が湧いてきている。これで憂いなく、戦える。

 メグミは、胸の中にかけるペンダントを意識する。恐らく遠く離れた場所からこの試合を観ているであろう桜雲を想い、この試合は全力で臨もうと決意した。

 

 

 戦車道連盟のホームページでは、中継が流れている。その映像を見ていた桜雲は、多くの学校の戦車が応援に駆けつけたのを見て、面白くなってきたと思う反面疑問も抱いた。

 大洗の増援として駆けつけてきたのは、ほぼ全て大洗と何かしらの繫がりがある学校だ。その学校が一堂に会し、大洗と共に戦うというのは胸が熱くなる。

 ただ、どうして彼女たちが増援に来たのかが分からない。今回の試合は対外的には『大学生と高校生の親善試合』だが、メグミの話が本当なら文科省が仕向けた試合でもある。

 その試合に、大洗と関わりがあるとはいえ結局は他の学校の戦車が増援に来るのは、謎だ。

 何がどうなっているのか分からない桜雲を置いて、試合の準備は進んで行く。

 

 

 大洗側に増援が加わったことで、大学選抜も少しだけ作戦を変えることになった。

 

『どうします?隊長』

『高校生とはいえ、相手はかなりの戦力を有しています』

 

 アズミとメグミに問われ、愛里寿は戦場を見渡す。高校戦車道四強校と中堅校が加わったことで、戦力も大分増強されている。一筋縄ではいかないだろう。

 

「まずは、プラウダと黒森峰の重戦車を倒す」

 

  手元にあるタブレット端末を操作して、この後の動きをシミュレーションする。愛里寿のセンチュリオンの乗員も、それぞれ愛里寿の指示を聞く。

 

「アズミとルミの中隊は、私と共に広く長い一列縦隊を形成し、ゆっくり前進。側面からの強襲に注意しろ。偵察は、敵と遭遇しても攻撃するな」

『了解!』

 

 はきはきとした返事と共に、偵察のチャーフィー2輌がセンチュリオンの脇を通り過ぎていく。

 

「各車前進」

『こちらルミ、了解!』

『アズミ、了解しました。前進開始』

『メグミ、中隊を併進させます』

 

 愛里寿の指示で、大学選抜の車輌が動き出す。

 いよいよ、試合開始だ。

 

 

 メグミ中隊の主な役割は、隊長車・センチュリオンの護衛。T28がいるので前線での戦闘は難しい一方、護衛も練度が低くてはできないので信頼されている証でもある。

 ゆっくりと前進している間、メグミは本隊とは離れた場所にいるメンバーに連絡を取る。

 

川棚(かわたな)、どんな感じ?」

『整備はきっちりされてるし、問題ないよ』

 

 相手は、今回有無を言わさず使うように言われたカール自走臼砲の車長・川棚。メグミと同じくサンダース出身で親交もあった。

 そして彼女を含め、カール自走臼砲の乗員は、全員くろがね工業戦で寝返りを目論んだ明智(あけち)のパーシングの乗員だった。

 あの時は、明智の指示だったからとはいえ、自分たちの仲間に向けて発砲したことをひどく悔やんでいた。結果、くろがね工業とのつながりが無かったのと、深く反省していることから情状酌量として罰則はなかったが、家元の千代から『次はない』とくぎを刺された。

 

「・・・無理はしないでね」

 

 今回彼女たちがカールに乗ることになったのは、彼女たちのパーシングが車長不在で機能しないからなのと、川棚がカールのことを(あくまで知識として)調べていたからだ。

 合理的な判断故のことだが、あのくろがね工業戦のせいで、試合そのものにトラウマができていないか、メグミは不安だった。

 

『・・・大丈夫よ。心配してくれて、ありがとう』

「・・・・・・カールのこと、よろしく頼むわね」

『了解。できることなら使いたくはないけど・・・』

 

 最後の言葉は、メグミも同感だ。いくら国の命であっても、あんな大人げない兵器を使うことには正直首を縦には振れない。

 

 

『敵中隊、高地北上中。頂上到達まで、推定5分!攻撃しますか?』

「取らせておけ」

 

 偵察に出ていたチャーフィーの加賀(かが)の報告に、愛里寿は端的に答える。

 そしてタブレット端末を取り出して、次段階の作戦の指示を出す。

 

「アズミ中隊。高地麓西の森林を全速で前進。敵と遭遇した場合はこれを突破し、中央集団後方を脅かせ」

 

 

 

「了解。中隊各車、全速前進」

 

 愛里寿の指示を受け、アズミは即座に命令を出す。

 これまでは一列横隊でゆっくり前進していたが、ここからは縦隊に変えて森を抜ける。

 

「向こうは狙い通りに動きますかね・・・」

「分からないわ。相手が終始予想通りに動くなんてないし」

 

 砲手の真庭(まにわ)が不安げに呟く。

 だがアズミの言うことも真庭は理解できる。それは前のくろがね工業戦だけでなく、これまでの試合で学んできたことだ。

 

「・・・カール、使うんですよね」

「言われた以上はね」

 

 大洗・・・大洗連合の車輌数は大学選抜と並んだが、急ごしらえのチームなので複雑な戦略は取れない、と愛里寿は読んだ。

 大洗は隊を3つに分けて高地とその左右の麓から近づき、さらに高地からの砲撃で大学選抜を足止めして一気に叩くつもりだ。

 それならば大学選抜は高地をわざと大洗側に取らせ、アズミとメグミの中隊で足止めし、そこへカールの砲撃を叩き込む。他の中隊がいたとしても、ルミの中隊が足止めさせる。推測に基づく作戦だ。

 

「正直・・・カールに護衛が要るせいで本隊の戦力が削がれるのって、本末転倒だよね・・・」

 

 装填手の美作(みまさか)が不満そうに零す。それはもっともだと、アズミも思う。

 昨日、いきなりカールを使えと言われたせいで、チームの編成まで変える羽目になった。

 当初は3つの中隊にパーシングを8輌ずつ、アズミとルミの中隊にチャーフィーを2輌ずつ、そして遊撃に2輌、さらにメグミの中隊にT28で30輌のはずだった。

 だが、チャーフィー1輌をカールに変え、その護衛にパーシングを3輌充てねばならなくなった。従って、本隊の戦力は下がったことになる。

 

「文句は後。試合が終わったらミーティングなり自由時間なりでぶつけなさい」

「了解・・・」

 

 美作は頭を掻きながら頷くが、アズミだってその気持ちはわかる。カールなど使うメリットがほとんどないのに、押し付けるように『使え』と言われたのだから不快にもなる。そして、愛里寿にストレスをかけさせただけでも万死に値する。

 そんなことを考えていると、通信が入った。

 

『こちら10号車・橿原(かしはら)。3時方向に敵戦車発見。距離およそ200、チハ6輌、シャーマン3輌、M3リー1輌』

「中隊各車。3時方向に回頭、攻撃開始」

 

 思考を試合モードに切り替えて、指示を出す。確かに、右方向には戦車が多数いた。

 アズミたちの命は、西方に展開する敵部隊の突破と中央集団の逆包囲。攻撃しない手はない。

 

「愛里寿隊長の読み、ビンゴですね!」

 

 真庭が砲塔を旋回させながら、得意げに声を上げて発砲する。それを皮切りに、中隊のパーシングが一斉に砲撃を始める。戦車の中が砲撃の影響で激しく震える。

 

「5分で抜けるわよ」

『了解!』

 

 アズミが告げると、乗員たちは威勢のいい返事をする。

 

 一方、アズミ中隊に属する1輌のパーシングの車長・佐倉(さくら)は、戦っている敵戦車を見て感慨深そうに頷く。

 

「チハか・・・懐かしいな」

 

 佐倉は、知波単学園出身だった。突撃に偏りがちな戦法に異を唱えていたが、『伝統を蔑ろにする気か』と無下にされていた。だが、それなりの戦果を挙げていたことと、(知波単にしては)柔軟な発想力を持っていたところを認められて大学選抜にスカウトされたのだ。

 

(同郷の仲間と戦うのは忍びないが・・・これも戦いなのでな)

 

 試合の経緯には疑問が残るが、それでも試合をする以上は真剣に挑まねばならない。例え相手が母校の戦車であっても。

 

『中隊各車、攻撃用意』

 

 このアズミからの合図は、中隊全体で一斉に攻撃する合図。

 佐倉の車輌の装填手も装填し、砲手は砲撃を待つ。その間に敵チームがようやく反撃を開始するが、林の中で視界が狭いのか当たらなかった。

 

『攻撃開始』

 

 アズミの指示で一斉に攻撃を始め、直後に移動を開始する。相手を怯ませている間に脇から通り抜けるのだ。

 向こうもこちらを行かすまいと発砲するが、この距離で林の中で動いている戦車に命中させるのは難しい。

 

『ファイアフライ、足止めしておきましょう』

「了解」

 

 アズミから追加の指示が出て、佐倉は頷く。情報によれば、あのサンダースのファイアフライには、高校生でもずば抜けて腕のいい砲手が乗っているらしい。だから脅威は早めに摘んでおくべきだろう。

 高校生の情報を知っているのも、アズミたちから『高校生の戦術も取り入れられるかもしれないから』と言われて調べていたからだ。まさか、高校生と試合をするとは思わなかったが、意外なところで役に立った。

 ともかく、佐倉は他の車輌と協力してファイアフライを狙い、手出しできなくする。

 すると、佐倉たちの戦車の進路脇から数輌の戦車が出てきた。車輌はチハだけで、先ほど確認したM3やシャーマンはいない。とすれば。

 

「吶喊か」

 

 もはや因習とも言うべき知波単の戦術。機会を誤らなければ強力な一手となるのに、今や隙あらば突撃しようという状態だ。そこを何とかすれば知波単は強くなれると、佐倉は常々思っていた。

 

「灸を据えてやらんとな。撃て」

 

 佐倉が指示を出すと、前方にいたチハに向けて発砲する。命中し、チハは白旗を揚げた。

 続けて、後続のパーシングが発砲と体当たりをチハ新砲塔に同時にやってのけて、撃破した。

 撃破された2輌の戦車を、佐倉は忌々しそうに見ながら先を行く。

 

 中隊の少し後ろ側にいたアズミは、中隊から2輌撃破の報告を受けるとすぐに愛里寿に伝える。その間も周囲に目を向けていると、M4A1シャーマンがこちらに向けて動き出しているのに気づく。追撃するつもりだ。

 

「5時の方向、M4A1シャーマンに飽和攻撃。追撃を阻止するわよ」

『了解!』

 

 言うや否や、中隊のパーシングとチャーフィーが砲身を後ろに向けて、M4A1シャーマンと、近くにいたM3に向けて一斉に攻撃する。しばらく攻撃を続けた後、M4A1シャーマンが滅多打ちにされてすぐには動けなくなったのを確認すると、無線機を手にする。

 

「こちらアズミ中隊。麓西方敵部隊を突破。南側より回り込んで、高地を登ります」

『了解』

 

 そこでアズミは時計を見る。最初の攻撃を始めてから、5分弱の時間が経っていた。

 

「みんな、上出来よ。次もよろしく」

『はい!』

 

 

 メグミの中隊は、高地をゆっくりと登り始める。既に頂上でプラウダと黒森峰の重戦車が陣取っているのが見えるが、この距離では発砲しても届かない。

 

『カール小隊、発砲を許可する。座標・・・』

 

 愛里寿がついに、カールに発砲指示を出した。カールに対する発砲指示だけ全体通信なのは、着弾位置に巻き込まれないようにするためだ。

 そして、その通信を聞いてメグミの戦車の中は沈痛な雰囲気に染まる。

 

「・・・・・・何か、嫌だな」

「そうですね・・・・・・」

 

 しょげた口調で対馬と平戸が顔を見合わせる。カールを押し付けられたことは腹立たしいし、そんなレギュレーションギリギリの車輌を使って大洗を叩きのめすことが、気持ちいいはずがない。

 

「・・・」

 

 メグミだって同じように辛かった。あんな車輌を使うことと、その車輌にくろがね工業戦で多かれ少なかれ心が傷ついた仲間を乗せたことが。

 

 

 カールの車長・川棚は、愛里寿から発砲許可と攻撃座標を受け取ると、それを砲手の島原(しまばら)に伝える。

 カールが今まで認可されなかったのは、砲塔の角度調整、発砲、装填などを元々は車輌の外でする必要があったからだ。

 しかし、今川棚たちの乗っているカールは砲塔の角度調整と装填が自動で行われ、車長席と砲手席が車体の下部に設えてあり、乗員が外に出る必要が無い。これで障害はクリアしていた。

 だが、それを差し引いてもカールの運用性は悪い。速度は遅いし、装甲もペラペラ。一撃でも喰らえば一巻の終わりだ。

 

『角度調整、装填完了。いつでも撃てます』

「よし、撃ち方用意」

 

 島原から通信を受けると、耳を塞いで発砲準備に入る。

 5秒待ってから。

 

「撃て!!」

 

 その指示を出した瞬間、全身を強く押しつぶすかのような音と衝撃が身体を襲い、そして揺さぶられる。耳を塞いでいても音は流れ込んできて、脳が悲鳴を上げる。小窓から発砲の衝撃で舞い上がった土煙が入り込んできて、川棚は小さくせき込む。

 カールの主砲口径は600mm。発砲するだけで周囲に多くの音と振動を撒き散らすので、そのすぐ下にいる乗員が受ける衝撃など筆舌に尽くしがたい。

 

「う・・・すごいなぁ・・・」

 

 未だ衝撃が抜けきれず、川棚は呻く。

 そして発砲してから数秒後に、遠くの方で着弾したであろう低い音が聞こえてきた。

 

『命中無し。次弾装填、仰角プラス1度』

「了解。次弾準備!仰角、プラス1度!」

『了解・・・』

 

 愛里寿から指示を受けて川棚はそれを伝えるが、島原はまだ衝撃が抜けきっていないのか声が小さかった。

 カールは砲弾装填を自動化しても、やはり砲弾自体が重いので装填にかかる時間も長くなる。普通の戦車の砲弾装填が10秒足らずで終わるのに対して、カールは大体5分前後。これも、デメリットの1つだ。

 

『装填準備よし、仰角修正完了、撃てます』

 

 5分経ってからようやく、準備が整った。

 

「撃ち方用意!」

 

 前段階の指示。

 

「撃て!」

 

 また5秒待ってから、発砲指示を出すと耐えがたいレベルの音と衝撃に身体が揺さぶられ、川棚は目を固く閉じる。

 そして、遠くから同じく着弾した低い音を聞こえてきた。

 

『パンター2輌撃破。次弾装填、仰角マイナス1度』

「了解。パンター2輌撃破したわ。次、行くわよ」

『・・・・・・車長』

「何?」

 

 川棚が指示を出したが、帰ってきたのは島原の震えるような声。

 どうしたんだと思ったが、島原はこう告げた。

 

『何か・・・・・・すごく、心が痛いです』

 

 本当に、心からそう思っているという気持ちが伝わるような言葉。

 

「・・・今は試合中よ。私情は挟まないで」

『はい、すみません・・・・・・』

「・・・でも、私も同じ気持ちよ」

 

 川棚だってそうだ。

 こんな兵器を使って戦うなんて、正々堂々戦っている感じがしない。まるで大洗の結束を踏みにじるような気がして、本当に心が痛い。

 先ほどの砲撃で、パンターが2輌撃破された。誰が乗っているのかは知らないが、そのパンターに乗って正々堂々と戦おうとした彼女たちを侮辱してしまったように錯覚する。

 

「・・・ごめんなさい」

 

 良心が耐えきれず、川棚は通信を切って1人謝る。

 そんな間にも、島原はきっちりと砲塔角度の調整と装填を終えていた。

 たとえ良心が痛んでも、今は大学選抜チームの一員として戦っている。試合に参加している以上は戦わなければならないし、手を抜くことも許されない。

 そして試合に私情を挟むとどうなるか、それはくろがね工業戦でその身をもって実感した。

 あの時のようなことは、もうごめんだ。

 だから今は、自分の心が傷ついていくのをじっと堪えて、試合に臨まなければならない。

 

「撃ち方用意!」

 

 

 

 頂上に陣取っていた大洗の中隊は、カールの砲撃とメグミ・アズミ両中隊の逆包囲を受けて前方斜面を下り始める。どうやら、麓東方に展開している中隊との合流を図るらしい。

 メグミとアズミの中隊はこれを追い、カールが支援砲撃をしてくる。

 

「鬱陶しいわね・・・」

 

 だが、その支援砲撃を鬱陶しいと吐き捨てるのは、メグミ中隊のパーシング車長・矢巾(やはば)(彼氏持ち)。

 カールは、愛里寿の指示で撤退する敵中隊に向けて追撃しているのだが、カールの着弾による被害範囲が広いため、注意しなければ巻き添えを喰らう。味方の攻撃にも注意しなければならないのが、矢巾は気に食わなかった。

 そんなことを考えていると、また近くでカールの砲撃が着弾し、パーシングの中がびりびりと震える。

 

「ヒューッ、おっかない!」

「気は抜かない」

 

 砲手が興奮気味に声を上げるが、矢巾はそれを宥めつつ前を見る。

 前方には砂利道を逃走する敵中隊。その最後尾はプラウダ高校のT-34/85だ。この戦車に向けて、矢巾を含めた大学選抜が集中砲火を浴びせている。中々命中はしないが、これも時間の問題だろう。

 と、その時。そのT-34が不意に横に逸れた。そこには別のT-34がいて、最後尾とすれ違うのを確認すると、そのT-34は大学選抜めがけて前進を始めて発砲してくる。だが、それもパーシングの全面装甲に弾かれた。

 

「撤退の時間稼ぎかしら?」

 

 そうだとしても、時間稼ぎは最後尾にいたさっきのT-34がした方が良いはずだが、なぜ無事だったこのT-34がそれをするのか。

 と思っていたら、T-34が大学選抜めがけて突進してきた。

 

「後退!」

 

 発砲しながら前進してくる戦車など、相手が高校生であっても危険だ。操縦手に指示をすると、パーシングは急ブレーキをかけて停車し、すぐにバックする。後続のパーシングも異変に気付き、後退しだす。

 

「何この戦車、自滅する気?」

 

 このT-34の動きからは、強敵を前にする恐れ、躊躇いが感じられない。自分も生き残ろうとする時間稼ぎならば、行動のどこかしらにそれがあるはずなのに。

 矢巾の言う通り、このT-34は自滅覚悟で突っ込んできている。

 だが、その意思を叩き潰すかの如きカールの砲弾が、上空から直撃した。

 

「あぶなっ!?」

 

 砲手が思わず叫ぶ。

 T-34は矢巾のパーシングの近くにまで接近していたので、目と鼻の先でカールの砲撃が着弾した。その衝撃と音は今まででも一番強い。一歩間違えれば、巻き添えでやられていた。

 

「もう、ホンットに危ないわね!」

 

 空に向かって矢巾が苛ついた声を上げるが、それはカールに聞こえるはずもない。無駄だと分かっていても、あんなものを導入させた文科省が憎たらしかった。

 

 

 カールの砲撃が始まってから、観客たちが悪態をついたり、ブーイングを飛ばしたりと、会場の空気が悪くなってきている。それは中継を観ているだけの桜雲にも分かった。

 そうなるのも、桜雲は仕方ないのではないかと思う。

 大洗は予想外の増援が来たとはいえ元々不利な条件で戦うはずだったし、当初は圧倒的に大学選抜が有利だった。それなのに、あんな得体の知れない車輌まで持ち出して大洗を叩きのめそうとしているのが、観客たちは腹立たしいのだろう。

 自分の大切な人が所属している大学選抜を応援する身の桜雲としては、勝手なことは言えない。むしろ今は大洗に同情しているし、罵声を聞くと胸が痛む。

 本当に、なぜあんな車輌を使わせるのか、どうしてこんな試合をするのか、分からなかった。

 

 

 自滅覚悟のT-34の時間稼ぎに時間を取られたが、撤退する敵中隊とはそこまで距離が離されておらず、すぐに追いつくことができた。

 

「KV-2か。あれは足が遅いからな」

 

 追撃するパーシングの車長・新発田(しばた)は、前方に見える大きな砲塔の戦車を見て失笑する。

 最初に他校が増援として駆けつけた時は驚いたが、まさかKV-2を持ってくるとは思わなかった。あれの152mm榴弾砲は厄介だが、足は遅いし発砲間隔も広い。カールやT28ほどではないが、あれも使い勝手が悪い戦車に当たるだろう。

 そんな戦車を持ってくるとはどんな了見だと思ったが、あれのおかげで最後尾のT-34も足が遅くなっている。再び新発田たちは、T-34に向けて発砲を再開する。

 だが、そこでまたしても異変が起きた。

 

「なんだ?」

 

 前方にいたKV-2が停車して旋回し始め、それを最後尾のT-34が追い越す。

 

「また時間稼ぎか。一体あのT-34にはどれだけの大物が乗ってるんだ?」

 

 先ほども思ったが、なぜ時間稼ぎに最適なはずの最後尾のT-34を逃がすのだろうか。実に不合理だ。逆にあのT-34にどんな人が乗っているのか気になってくる。

 だが、『独裁体制』と揶揄されることもあるプラウダ高校戦車隊なら、隊長格の人間が乗っているのだろうなと思った。

 

「道を塞ぐ気だ、履帯を狙え!」

 

 KV-2が旋回して、道を塞ごうとしているのに気づく。砲手にすぐ履帯を狙撃するよう指示を出すと、砲手は正確に履帯を撃ち抜いて動きを止めるのに成功した。

 しかし、それだけでは大人しくはならずに152mm榴弾砲をこちらに向けて撃ってくる。狙いは逸れ、新発田たちは臆さずに進み続ける。

 

「お?」

 

 突然、KV-2を追い抜いたはずのT-34が停止して旋回し、KV-2と共に大学選抜に向けて発砲し始める。KV-2だけでは足止めできないと思ったのだろうか。

 

『追撃隊、攻撃を続けなさい』

「了解!」

 

 アズミから追撃続行の指示が入る。新発田は元々メグミ中隊所属だが、追撃のためにセンチュリオンの護衛からこちらに回されて、アズミ中隊と共に追撃している状況だ。

 向こうの砲撃は厄介だが、まだ距離は大分開いているので命中はしない。よくて掠る程度だ。これなら問題なく、あの2輌は撃破できるだろう。

 なんてことを考えていたら、撤退していたはずのIS-2が、雨で濡れた砂利道をドリフトしながら現れた。そしてT-34を守るように前に出て、その過程で発砲し、一緒に追撃していた別のパーシングに命中させる。

 

『11号車・佐倉、行動不能!』

「この距離で当ててきた・・・?」

 

 アズミ中隊の佐倉がやられ、新発田は驚く。

 IS-2の射程は確かに長いが、あの距離で、雨で視界が悪い中、ドリフトしながら命中させ、撃破させるとはすごい腕だ。

 

『プラウダのIS-2・・・「ブリザードのノンナ」よ。あれは早めに撃破するべきね』

「そうか、あれが・・・」

 

 アズミの通信に、新発田も冷や汗をかいて笑う。あのIS-2の砲手が、大学選抜にも名が知れている高校戦車道随一の腕を誇る砲手だ。それなら、先ほどの狙いすました狙撃も頷ける。

 

『プラウダの戦車はここで全滅させるわよ!』

「了解!」

 

 アズミの指示で、全体砲撃を開始する。

 多くの戦車は装甲の厚いKV-2に砲撃を集中させ、他でT-34とIS-2を狙う。だが、IS-2はT-34を守るような位置にいるため攻撃は届かない。

 そして、今度はIS-2が大学選抜に向けて前進してくる。片方の予備燃料タンクを撃たれて炎を上げるも、速度は衰えない。

 

「IS-2を足止めするぞ!」

 

 新発田が前進するように指示を出し、パーシングをIS-2に対して垂直になるようにぶつけて動きを止める。だが、それでもIS-2は履帯を回して前に進もうとする。

 

「小癪な、機銃撃て!」

 

 砲手が機銃で狙うが、もう片方の予備燃料タンクを破壊するぐらいしかできない。主砲をぶつけられて狙いを定めることもできず、地味に厄介だ。

 

『9号車・湯梨浜(ゆりはま)。7号車の後ろからIS-2を狙って。引き付けてる今がチャンスよ』

『了解!』

 

 IS-2を足止めしている様子を見たのか、アズミが仲間に援護を求める。

 そして湯梨浜のパーシングが新発田たちの後ろから姿を見せて、照準をIS-2に定めて即座に発砲する。それと同時にIS-2も発砲し、相討ちになった。

 

「よし、追撃再開!」

 

 IS-2が動きを止めたことで、新発田のパーシングも動けるようになった。前にズレて、再び残ったT-34とKV-2に向けて発砲を始める。

 だが、T-34はどうしたことか急に動き出して砂利道を逃げて行った。

 代わりにKV-2に集中砲撃をした結果、どうにか撃破することには成功したが。

 

「追いますか?」

『いいえ、多分追いつけないでしょうし』

 

 新発田は聞いたが、アズミは首を横に振った。

 追撃は、ここまでだ。

 

 

『アズミ中隊より報告。敵中隊は逃走、麓東方の部隊との合流を図っている模様です』

『被害状況』

『敵中隊のパンターを2輌、T-34とIS-2、KV-2を各1輌撃破しました。追撃隊からはアズミ中隊よりパーシング9号車、11号車の計2輌が落伍』

『私の下へ戻れ。ルミ中隊と合流し、敵を一気に叩く』

『はい!』

 

 アズミと愛里寿の通信を聞いて、メグミは小さく息を吐く。

 ひとまず西の森林エリアと高地撤退で合わせて7輌撃破できた。序盤にしては上出来だろう。

 くろがね工業戦での序盤は逆に大学選抜が追い詰められていたので、今回の試合でそれを挽回することはできたと思う。高校生にまで後れを取るわけにはいかないのだ。

 さて、偵察に出ていたチャーフィーの車長・足利(あしかが)によれば、森林エリアでアズミ中隊と交戦した敵部隊は、高地から撤退した部隊と同じで湿地エリアでルミ中隊と交戦中の中隊と合流するつもりらしい。

 だから愛里寿の下へと戻り、メグミたちと共に湿地エリアへと向かう。今度は護衛の自分も参加するのだろうと、メグミは予想した。

 

 

 高地の東側の湿地エリアで、ルミ中隊は敵部隊と交戦中だ。

 もう随分と長いこと撃ち合いを続けているが、お互いから撃破車輌はまだ出ていない。ルミ中隊の目的が敵をここに足止めさせることなので、目的自体は既に達せられている。しかし、どうせなら1輌くらいは撃破したいというのがルミの正直な気持ちだ。

 

「向こうも中々やるわね・・・」

 

 ルミが独り言つと、すぐ近くにカールの砲撃が着弾した。すさまじい音と振動を発生させ、土煙が高く巻き上る。

 

「カール、こっちへ支援を始めたみたいですね」

「みたいね。フレンドリーファイアは勘弁してもらいたいけど」

 

 砲撃音を聞いて装填手の小松(こまつ)が呟く。

 愛里寿から、既にメグミとアズミの中隊がこちらに向かってきているのは聞いている。敵中隊の撤退も終わった今、支援砲撃はこちらに向いているのだ。

 大洗女子学園は、過去の試合のデータから局地戦が得意とされているが、遮蔽物ごと敵を粉砕するカールがいる限りそれもできないと、大学選抜は読んでいる。

 だから、カールが無事でいる限りは大洗も下手に動けない。もしかしたら、今撃ち合いを続けているここで勝負が決するかもしれなかった。

 

「ん?」

 

 その時、ルミの目に戦車の集団が映った。駆逐戦車ヘッツァー、八九式中戦車、それにCV33とBT-42。軽量級の戦車ばかりの小隊が、別方向へと移動し始めている。

 その向かう先は、ちょうどメグミたち本隊がいる方角だ。

 

「あれ、撃ちます?」

「いや、陽動かもしれない。本隊に任せて、私たちは目の前の敵に集中しよう」

「はい」

 

 砲手の野々市(ののいち)が訊いてくるが、ルミは首を横に振る。今戦っている敵中隊は、隊長車のⅣ号戦車がいて、聖グロリアーナや大洗の主力戦車が揃っていて強い方だ。あの4輌が陽動ならば、あれに気を取られている隙にこっちがやられるだろう。

 戦力の揃っている本隊の方へ向かっているので、本隊に任せることにした。

 

七塚(ななつか)、本隊に連絡。敵の編成も忘れずにね」

「はい!」

 

 通信手の七塚に連絡を一任し、ルミは改めて目の前の戦場を見る。

 カールの砲撃が大きな土煙を上げて、地響きまで引き起こしている。そして、両軍の間あたりを先ほどまでウロチョロしていたCV33に代わって、聖グロリアーナのクルセイダーがちょこまかと走り回っている。

 だが、カールの砲撃を受けると大人しく元の位置に戻っていくので、見ていて愉快でもあり、また鬱陶しかった。

 

 

 

『4輌前進してきます。恐らく、隊長車狙いかと。指揮系統を混乱させるつもりか、破れかぶれなのか・・・』

 

 ルミ中隊との合流を図るメグミとアズミの中隊、そして愛里寿。そこに向かってくるのは、ルミたちから連絡があった4輌の小隊。報告と同じ構成だが、本隊に殴り込みをかけるにしては戦力不足だ。特に八九式とCV33など、できることは全くと言っていいほどない。

 

「各車発砲、隊長に近寄らせるな!」

 

 メグミは発砲指示を出す。どんな戦車だろうと、こちらに向かってくる戦車は容赦なく撃つ。これは殲滅戦だから、例え戦力にならなそうでも1輌でも多く撃破すればこちらが有利になる。

 2中隊が、一斉に大洗の小隊に向けて発砲する。しかし、着弾して土煙が晴れた後には、戦車の残骸どころか何も残っていなかった。

 

「消えた・・・?」

『陽動だ。させておけ』

「はい」

 

 4輌の戦車が跡形もなく消えたことを愛里寿は気にしなかったが、メグミは逆に引っかかる。

 着弾する直前で、あの4輌はわずかに進路を東に変えていた。そして、その東には山岳エリアがあって、さらにそこにはカールがいる。

 

「こちらメグミ。4輌東に向かって移動中。車種は八九式、ヘッツァー、CV33、BT。念のために注意しておいて」

 

 念のため、カールを護衛する小隊に連絡を入れておいた。

 本当にカールを目指しているとは限らないが、それでも用心に越したことはない。

 

 

 

「本隊から連絡。敵小隊4輌がこちらに向かって進撃中。各自警戒するように」

『了解』

 

 カール護衛小隊の隊長・宇城(うき)は、連絡を伝えると周囲に気を配る。風で草木が揺れる音や、遠くの戦場の砲撃の音が小さく聞こえるが、敵戦車の気配はない。

 

『こちら川棚。間もなくカール、発砲します。砲撃に備えるように』

「了解」

 

 すぐそばに聳えるカールの車長・川棚が、小隊全体に警告をする。それを受けて、宇城は戦車の中に戻ってキューポラを閉じる。

 カールの砲撃の威力はすさまじく、周囲に大きな音と振動を与え、土煙を巻き上げる。

 一番最初の砲撃でそれに気付かなかった宇城は、身体を乗り出していたら土煙をもろに被って盛大に咽た上に目にホコリが入って泣きそうになった。

 それ以後、砲撃の時はひと声かけるように川棚に伝え、宇城自身は戦車の中に引っ込むことにした。

 

「全く、カールはこれっきりにしてほしいな・・・」

「お上の力は嫌ですねぇ・・・」

 

 宇城が愚痴をこぼすと、砲手の美里(みさと)が苦笑する。

 その直後、戦車の外からカールの砲撃による轟音が聞こえ、戦車がびりびりと震える。美里の覗くペリスコープも、短い時間だけ土煙で塞がれた。

 

「こうして砲撃の度に引っ込まなきゃいけないし、じれったいわ」

「マスクでもつけていればいいじゃないですか」

「息が蒸れる」

 

 軽口を叩き合いながら、宇城はキューポラから身を乗り出してまた周囲を警戒する。

 メグミからの連絡によれば、こちらに向かってきている敵小隊の戦車はどれも軽量級だ。それに、ヘッツァーとBT-42はともかく、八九式とCV33については戦力にならない。カールを囲むように展開してはいるが、そこまで神経を尖らせる必要はないだろう。

 

「?」

 

 その時、モーターの駆動音が森の方から聞こえてきた。パーシングやカールのものではないとすれば、敵の戦車のものだ。

 

「こちら宇城、敵戦車接近の兆候あり。各車警戒を―――」

 

 小隊全体に警戒を促そうとした直後、森から姿を見せたBT-42が崖を飛び越えて、宇城達がいる干上がった湖の小島に着地した。

 

「は!?」

 

 闖入者のダイナミックな出現に宇城の顎が外れそうになるが、BT-42は車体後部から白い煙幕を発生させつつ360度のドリフトを決めて視界を奪う。

 そして、パーシングではない砲撃の音が煙幕の中から聞こえて身構える。だが、撃破されたのは別のパーシングだった。

 

「小隊、追うぞ!」

『何ですか今の!?』

「継続高校のBT-42。あれに乗るのは大体ひねくれ者でドライブテクは高い!」

 

 一緒に追うパーシングの車長・倉石(くらいし)が訊くと、宇城は忌々しそうに答える。

 宇城の出身高校は、西住流が後ろにつく黒森峰女学園。だが、戦車乗りとしての腕が伸びずに一度は戦車に乗ることを辞めた。だがその腕は平均以上ではあったので、島田流からスカウトを受けて最終的に大学選抜に入隊した。

 ともかく、宇城は黒森峰在学中に継続高校と試合をしたことがある。その時もあのBT-42に翻弄されて手を焼いていたし、BT-42に乗るのは大体変わり者だと聞いていたから、BT-42にはいい思い出が無い。

 

「私は左から行くから、倉石は右から追いなさい!」

『はい!』

 

 BT-42の速度はパーシングよりも早いので、後ろから追うだけでは追いつけない。だから、2方向から攻めることにした。

 だが宇城は、廃線となった鉄道の石橋を上を戦車が走っているのに気づいた。それは、メグミからの連絡にあった小隊の残り3輌だった。

 そして、今カールは単独となっているのを思い出す。

 

「しまったー!」

『大丈夫!木っ端みじんにしてやるわ!』

 

 思わず声を上げるが、カールは心配無用と頼もしいことを言ってくれる。

 そして直後に、カールの砲撃音が小島から聞こえてくる。あの軽量級の戦車なら、3輌束になってもカールの砲撃1発で倒せる。宇城はそう確信していた。

 

『躱された!』

「え」

 

 だが、川棚からの通信は『外れた』というもの。そこまで距離が離れていないはずなのに砲撃を躱すとは、どんな動体視力だ。

 そして外れたカールの砲撃は石橋に命中し、崩落を起こす。そしてBT-42はその崩落の中を通り抜けていく。

 

「ばっ、バカ!」

 

 崩れる石橋を見て、倉石は叫ぶ。

 BT-42は瓦礫の隙間をすり抜けていったが、倉石のパーシングは瓦礫に激突して急停車した。何とか瓦礫を押しのけようとしてもびくともしない。

 

「後退!」

 

 仕方ないので後退して体勢を立て直そうとしたが、遅れて崩れてきた瓦礫に砲身が押し潰されてひしゃげ、撃破判定を受けてしまった。

 

「おーろ、ちぐしょう!何やてんだ!」

「何言ってるんです・・・?」

 

 失敗したカールに腹を立てて、倉石はつい地元で喋る津軽弁で不満を洩らすが、乗員からツッコまれた。

 宇城は、その様子を見届けつつも、BT-42を倒すために乗員に指示を出す。

 

「速度を限界まで上げて!BTに体当たりを仕掛けるぞ!」

「了解!」

 

 言うが早いか、操縦手の牛深(うしぶか)は速度を上げてBT-42に近づけさせる。死角から仕掛けたので、BT-42は回避できず、体当たりを喰らう。そしてBT-42の履帯は切れ、激しく横転しながら窪地に落ちた。

 

「やったか?」

 

 宇城はパーシングを窪地に近づけさせて、BT-42の様子を窺おうとする。

 だが、すぐさま窪地からBT-42が飛び出してきた。

 

「えっ!?何、履帯無しなのに!?」

 

 BT-42の履帯は確かに切ったはずだ。だが、あの戦車はぴんぴんしているし、むしろ先ほどよりもスピードが上がっている。過去に戦った時は履帯が切れたことなどなかったからは初耳だ。

 

 

 

「ごめんなさい、倉石・・・」

 

 砲撃を外し、倉石を間接的に撃破してしまったことを悔やむ川棚。

 だが、先ほどの砲撃の土煙の中から八九式とヘッツァーが姿を見せたので、川棚も気を引き締める。しかしよく見ると、八九式の後部にCV33が載っていた。

 『何をするつもりだろう』と思っていると、八九式の前部が反り上がってきた。スピードを上げた結果、CV33の重みでバランスが少し崩れているのだろう。そして直後、八九式が急ブレーキをかけて、慣性の法則に従ってCV33がカールめがけて宙を舞う。

 

「面白いことしてくるわね・・・!」

 

 川棚が嬉しそうに呟き、CV33が機銃を撃ってくる。

 しかし、いくらカールの装甲が薄いと言っても機銃で撃ちぬけるほどではないので、CVの攻撃は虚しく弾かれるだけになり、CV33は上下逆さになって着地した。

 

「よし、まずはCVと八九式を撃破するわよ。砲角調整、俯角2度」

『了解』

 

 川棚の指示に島原は返事をする。先ほどよりも幾分か気持ちは上向きになってきたのか、返事ははっきりとしていた。

 兎に角、CV33はすばしっこくてウィークポイントを的確に狙うのが難しいので、ここで仕留めておくべきだ。

 カールをCV33に近づけて、砲塔角度を調整し始める。

 すると、CV33は履帯を回転させ始めた。ひっくり返っているので何もできず、滑稽に悪あがきをしているようにしか見えない。

 だが、ふと前を見ると、八九式が後退し始め、ヘッツァーが八九式を追い抜いてこちらに向かってきていた。

 そしてCV33の履帯が回転しているのを見て、彼女たちが何をしようとしているのかに気付く。

 

「砲角上げて!」

『え?』

「早く!」

 

 川棚の焦るような指示に圧され、カールの砲角が上がり始める。

 そして、ヘッツァーはCV33の履帯をカタパルト代わりにしてカールめがけて飛び上がる。

 しかもヘッツァーは、完全にカールの巨大な砲身を照準に定めていた。

 

「撃て―――」

 

 川棚の発砲指示も届かず、ヘッツァーが先に発砲してカールの砲身内で弾薬が炸裂、カールの砲弾も誘爆し、砲身内で爆発を起こした。

 

「っ!?」

 

 カールが発砲した時と比べれば衝撃は小さいが、それでも音と衝撃は激しかった。

 そして爆発音に混じって、白旗が揚がる小気味よい音が聞こえた。

 

「・・・カール自走臼砲、撃破されました!」

 

 川棚が小隊長の宇城に伝えると、小さく溜息を吐く。

 だが、その顔は悔しげではなくて、むしろ清々しいようだった。

 自分たちは、自分たちなりに奮戦した。例え無理を通したような道理の車輌に乗って、大洗の戦車たちを蹂躙し、罪悪感を抱きながらも戦った。

 そのうえで撃破されたのだから、悔しくない。どころか、この悪質な車輌を撃破してくれて、感謝していた。

 

「健闘を祈るよ・・・みんな」

 

 それは、大学選抜チームと大洗、両方に向けての言葉だ。

 

 

 

「カール、撃破されました!本隊と合流します!」

 

 川棚からの報告を受けた宇城は、先に本隊に報告してから合流のために逃亡を図る。

 だが、結局撃破できていないBT-42が後ろからしつこく迫ってくる。このままではどこかで撃破されるか、BT-42を引き連れて本隊と合流することになる。

 危険な賭けかもしれないが、ここで撃破することにした。

 

「私の指示で停止して。美里、砲塔1時の方向に。停止したら発砲して」

「「了解!」」

 

 美里と牛深が返事をする。宇城はBT-42が近づいてくるのをじっと見続けて、十分距離が詰まってきたところで。

 

「停止!」

 

 合図とともにパーシングが急ブレーキをかけて、BT-42は止まると思わなかったのかそのまま追い抜く。そして、数十メートルほど離れたところで停止した。

 

「撃て!」

 

 指示を出すと、すぐに牛深が発砲する。その砲弾はBT-42の左転輪を破壊した。

 

「よし!」

 

 白旗が揚がってないが、とりあえず足は奪った。これでもう動けないだろう。

 と思っていたら、BT-42は右転輪だけでバランスを取り、そのまま宇城たちのパーシングめがけて突っ込んできた。

 

「嘘!?砲撃準備早く!」

 

 驚きもほどほどに、次の砲撃の準備を進ませる。その慌てぶりもあってか、砲撃準備はすぐに整った。

 

Feuer(フォイアー)!」

 

 思わず母校の癖で、ドイツ語で発砲指示を出してしまったが意味は通じた。だが、こちらの砲撃と同時に向こうも発砲し、お互いに命中する。

 結果、相討ちとなった。

 

「・・・カール小隊、全滅しました。BT-42と相討ちです、すみません」

 

 宇城は弱々しく報告し、溜息を吐く。撃破されて悔しいのもあるが、驚きが連続して精神がすり減っていた。どこもケガはしていないが、心は大分参っている。

 

「・・・疲れた・・・」

 

 

 

 

「カール及び護衛小隊全滅、BT-42を撃破したとのことです」

『気にする必要はない。そもそもカールなど我々には必要ない』

 

 愛里寿の無機質な返事に、メグミは口をつぐむ。

 一応、カールを使ってほしいという文科省からの要請には答えた。元々カールの起用に肯定的ではなかった愛里寿含めた大学選抜は、カールの撃破に関しては『あーあ』程度にしか思っていない。

 だがメグミは、カールという車輌自体はどうでもいいが、カールの乗員・川棚たちのことは事情を知っているから人一倍気にしていた。今回のことをどう思っているかが不安だったので、試合が終わった後で話を聞こうと思う。

 

『大洗、移動を開始。追撃しますか?』

「追撃はするな。ルミ中隊、パーシング4輌を本隊に戻して残りの3輌で大洗を尾行しろ」

『了解!』

 

 カールは撃破され、空からの脅威はなくなった。大洗が移動を始めたのは、自分たちに有利な場所での戦闘に持ち込むためだろう。

 大洗が有利に立てる場所と来れば。

 

「恐らく、廃遊園地です」

「あそこは局地戦がやりやすいわね」

 

 アズミもメグミと同意見のようだ。タブレット端末で廃遊園地の地図を見ると、思った通り複雑で奇襲や不意打ちにはもってこいの地形だ。

 とすれば、どこから侵入するかだ。

 

「アズミ中隊から3輌、南正門に陽動を回せ。チャーフィーも1輌そこに配備。煙幕を使え」

「はい!」

「ルミ中隊からは4輌、西裏門から侵入しろ」

『了解!』

「残りの車輌は東通用門からT28を先頭に侵入。敵の偵察に気付かれないよう遊園地の外壁に沿って進め」

「分かりました!」

 

 一番広い入り口は南正門だが、向こうも大所帯の大学選抜はそこから入ると読んでいるだろう。だからその裏をかいて、一番狭い通用門から侵入を図る。丁度T28もいるので、気付かれてもすぐには対処できないはずだ。

 

『全軍遊園地跡に移動』

 

 やがて、大洗を尾行していたルミから連絡が入り、目的地は決まった。

 

「真鶴、先に行って。あなたの足じゃ他と一緒に進んでいると間に合わないわ」

『了解』

 

 メグミはT28の車長・真鶴(まなづる)に連絡をしておく。

 無線機を置くと、メグミはふぅと息を吐く。ここまでメグミはまだ他と比べるとあまり発砲はしていないが、気がかりなことが多くあってもう疲れている。

 遊園地へ向かうまでの間は、少しだけ、ほんの少しだけ心をリラックスさせることにした。

 

『次会う時に、またいっぱい話そう』

 

 脳裏によぎる、昨日の夜に桜雲と交わした電話。その時、桜雲はそう言ってくれた。

 次会えるのは、恐らく合宿から帰ってからだろうが、それでもまた今日の夜は電話しようと思う。勿論長話をする気はないが、試合についての簡単な感想でも話したい。桜雲もこの試合は中継を観ていると言っていたし、桜雲から見た試合の総評的なことも聞いてみたい。

 そんな試合の後のことを考えると、メグミの唇が自然と緩んだ。




次回も試合パートが続きます。
申し訳ございません。

カール護衛小隊の隊長が黒森峰出身というのは、
ガイドブックで『突発的な事態に弱い』とあり黒森峰の校風と似ていると思ったからです。
あくまでこの作品のオリジナル設定ですので、本気にはしないでください。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Megumi’s longest day 2

前回に引き続き、試合パートです。
あらかじめご了承ください。


 スマートフォンで試合中継を観ている桜雲は、『うーん』と口の中で唸る。

 今は大洗連合が廃遊園地へ移動し、それを大学選抜が追っているところだ。

 この時点で両者の車輌数は22輌と24輌。大学選抜チームの練度は決して低くはないし、紆余曲折があったとはいえ社会人チームにも勝ったのだからむしろ高い方だ。

 その大学選抜相手にここまで持ちこたえているから、大洗は善戦している方だと個人的に桜雲は思う。

 それにカールを撃破したことで、試合の流れも大洗に流れ始めている。

 

(どうなるんだろ・・・)

 

 試合の流れは、読めなくなってきていた。

 

 

 廃遊園地のシャッターで閉じられた東通用門の前に、大学選抜の16輌が待機していた。

 

『こちら南正門・安中(あんなか)。陽動開始します』

「了解」

 

 南正門に陽動として回っていたアズミ中隊の戦車が、陽動を始める。煙幕を使って大所帯でいるように誤認できているだろうが、雨上がりで土煙が上がりにくい状態なので、すぐに気付かれるだろう。

 だが、ほんの少しの時間だけでも大洗の戦力をそこに引き付けることができればそれでいい。

 そして、仮に南正門が陽動だと気付いても、本命は西裏門と勘違いする可能性も高い。

 結局のところ、この狭い東通用門の優先度は大洗側からすれば低い方だろう。

 

「真鶴、始めて」

『了解』

 

 南正門の陽動に気付くまでの時間を愛里寿が想定し、陽動作戦を始めてから8分後に東通用門からの侵入を始めるようにあらかじめ決まっていた。

 メグミが指示をすると、T28のエンジンが低く唸り、そしてシャッターを105mm砲で吹き飛ばした。

 

 

「さあ、行きましょう」

 

 T28の車長・真鶴は、ゆったりとした口調で指示を出す。T28が前進し、廃遊園地の敷地内に足を踏み入れる。シャッターを破壊した際に生じた煙が収まってはいないが、このT28の装甲ではどんな戦車の砲撃も無力だ。気にせず進める。

 やがて煙が晴れると、真鶴にとっては懐かしい戦車がそこにいた。

 

「あら、クルセイダーにマチルダ。チャーチルまで・・・懐かしい」

 

 その顔触れを見て、くすくすと上品に笑う。

 真鶴は聖グロリアーナ女学院出身で、在学中は『ロンネフェルト』という名前を戴き、マチルダⅡに搭乗していた。

 聖グロリアーナほどの財力があれば、クロムウェルやセンチュリオンなどのより強力なイギリス戦車を多く配備することだって可能だ。しかし、後援組織のOG会が過干渉してくるせいで思うように新しい戦車を配備できなかった。

 今もまた、この場にこれしかいないのを見るに、その状況もまだ変わっていないようだ。

 

「全く、嘆かわしいこと」

 

 やれやれと肩を竦めるが、そんなことなどお構いなしに向こうは発砲してくる。

 すると、やたらと近寄ったり遠ざかったりたまに発砲したりとアグレッシブな動きを見せるクルセイダーが目につく。

 

「随分やんちゃな子ね」

 

 そのクルセイダーを撃つように指示するが、照準が定まらず撃破できない。攪乱させるのが狙いか、それとも特に何も考えていないのか。真鶴は、誇り高き聖グロリアーナ戦車隊のメンバーなら前者だろうなと思った。

 ようやく大洗も東通用門が本命だと気付き増援をよこした時には、既にT28は大分侵攻を終えていた。

 そしてついに、T28が通用門前の通路を抜けると、後ろから続いていた15輌ものパーシングとチャーフィーが雪崩れ込んでくる。

 

「こちらメグミ中隊。東通用門突破。予定通りZ地点に向かいます」

『了解』

 

 侵入が済んだことで、メグミは遊園地の外で戦況を俯瞰する愛里寿に報告する。

 ここからの作戦は、大洗の戦車を分散させて、1輌ずつ撃破することだ。協力されると精鋭ぞろいの大学選抜でも苦戦するが、大洗の1輌ごとの戦力はさほど脅威ではない。分散させれば、勝つことは十分可能だ。

 

『よし、行くぞ!』

『一気に攻め立てるわよ』

 

 ルミとアズミの士気が高い言葉に、メグミは自然と笑った。

 

 

 西裏門から侵入を図るルミ中隊の4輌は、ベニヤ板で作られていた壁を粉砕してゲートをくぐる。

 

「敵影無し」

 

 車長・末広(すえひろ)が周囲に気を配る。

 ゲートを突破した後も、敵の戦車は見受けられない。

 

「・・・対岸にも敵影無し」

 

 だが、西裏門付近に敵の姿が一切見えない。どうやら、西裏門に張っていたであろう連中も、東通用門から本隊が侵入したと聞いてそちらへ行ったようだ。

 それでも末広たちは、警戒を緩めることなく1列縦隊になって池の上にある橋を渡る。

 その時、パーシングの装甲をどこからかの砲弾が掠めた。

 

「敵発見!」

 

 歩道橋のような高いところにある通路に、チハがいた。恐らくあれが撃ったのだろう。真っ向勝負を仕掛けることに定評がある知波単が奇襲とは珍しいが、ひとまずあれは撃破しよう。

 ところが、何かが切れるような音がすぐ近くで聞こえた後、パーシングの動きが急に止まった。

 

「履帯を切られた模様です!」

「どこから?」

 

 操縦手が報告するが、今さっき見回した限りでは近くに戦車の姿はない。角度的にあの上の通路のチハでは打ち抜けないし、どこかに隠れているのだろうか。

 

『こちら最後尾・韮崎(にらさき)!履帯切られました!』

「また?」

 

 一体どこから撃ってきているのだ。こうも簡単に履帯を切られるなんて。

 そして、先頭と最後尾のパーシングが動けなくなったことで、間の2輌も身動きが取れない。上側の通路にいたチハも狙い辛い場所にいて、何もすることができない。

 間にいるパーシングの車長・播磨(はりま)はどうしたものかと考えていたが、すぐそばの池から何かが飛び出してきてびっくりする。

 

「え、チハ!?」

 

 飛び上がってきたのはチハだった。突然敵が目の前に現れたことに驚き、砲塔を旋回するように指示するが、その前にチハにターレットリングを撃ち抜かれて撃破された。

 

「くそっ、チハ如きに!」

 

 播磨が忌々し気に吐き捨てる。

 そしてチハはその後ろにいた寄島(よりしま)のパーシングも狙おうとしたが、そちらは先に砲塔旋回を済ませていたので反撃することができ、撃破はされなかった。

 

「まさか知波単が遊撃戦とは・・・」

 

 撤退する知波単の戦車たちに向けて砲撃しながら、末広は意外に思う。さしもの知波単も、この大舞台で突撃一辺倒では勝てないと悟ったのか。

 とにかくこのことは、愛里寿に伝えるべきだ。

 

 

 一方で、本隊を率いて侵攻しているメグミたちは、中々敵を撃破できずにいた。

 敵は分裂されることを最初から危惧していたのか、まとまって大学選抜を迎え撃っており、思うように分断できない。

 

「こちらメグミ中隊、敵部隊と交戦中。縦深防御により、敵の分散は困難と思われます」

『攻撃を続けろ。作戦を変更する際は伝える』

「了解」

 

 思ったように敵を撃破できていない。この状況は大学選抜にとっても士気が下がる要因となるだろう。

 メグミはそう思いつつ、チャーチルを狙うように平戸に指示を出す。

 

 

 

『こちら南正門軍、北へ敗走中!』

『西裏門軍、履帯修復完了!敵は予想外にも縦深防御によって、遊撃戦を仕掛けています!』

 

 南正門で陽動に就いていたチャーフィーの加賀と、西裏門から侵入したパーシングの末広がそれぞれ愛里寿の下へ連絡してくる。

 センチュリオンの通信手の信濃は、それまでの選手たちの報告から園内の大まかな戦車の位置をタブレットに入力し、その情報を愛里寿に伝える。

 加賀と末広の連絡を聞き、信濃の情報を見た愛里寿は無線機を手に取る。

 

「作戦を変更する。分散が嫌なら望み通りにしてやろう」

『『了解!』』

 

 

 

 新しい作戦を聞いたメグミは、すぐにどうするかを考える。

 

「真鶴、お化け屋敷前の戦車を西側の路地に追い込んで」

『了解』

「西側路地に展開してる戦車は後退、路地を開けて。中央ドームを反時計回りに回らせるように誘導!」

『はい!』

「残りの戦車は敵を追撃。でも極力撃破は避けて、YO地点に誘いこむように」

『分かりました!』

 

 メグミが指示を出すと、早速メグミの中隊と、指示を聞いていたアズミとルミの中隊が動き出す。西側通路にいた戦車は指示通り後退して道を開け、ドームを回るように砲撃を交えて誘導させる。

 加賀のチャーフィーは、後ろから付いてくるティーガーとT-34を誘導するようにスピードを上げて、しかし振り切らない程度に蛇行して進む。

 メグミたちが追撃する敵戦車はドームを狙い通り反時計回りに進んで行く。

 

『こちら新宮(しんぐう)、行動不能!敵部隊は東のYO地点へ向かってます!』

相馬(そうま)、こちらも走行不能です・・・』

「了解。作戦通りよ、よくやったわ」

 

 YO地点へ誘い込むまでの間に2輌撃破されるが、これも作戦の内だ。2輌相手に撃破させることで、相手にわざと余裕を持たせる。無論、気付かれるかもしれないが、後ろから散発的ではあれど追撃をしているので止まることはできない。

 そしてついに、YO地点―――野外劇場まで大洗の半数以上を追いやることに成功した。

 この場所は半円形になっていて、一方には外壁が聳えている。元々客が座る場所はすり鉢状になっていて、ステージは上から見下ろす形だ。

 そこへ大洗の戦車は次々に追いやられ、この野外劇場をぐるりと囲うようにパーシングとT28が並ぶ。

 その時、後ろから知波単の戦車4輌が突撃してきた。どうやら仲間を助けに来たらしい。

 

『後方より知波単車4輌接近』

「新発田、矢巾!それぞれ左右にズレて道を開けて!」

『了解』

 

 メグミが指示した2輌が横に逸れると、空いたスペースに知波単の戦車が突っ込んでいき、追い込まれた他の車輌と同じ有様になった。

 さらに後ろから、南正門にいたティーガーとT-34、そして隊長車のⅣ号戦車が駆けつけるが、加賀のパーシングが牽制砲撃をして近づけさせないようにする。

 

『包囲完了』

 

 アズミが得意げに告げる。

 戦車が這い出る隙など無いぐらい包囲できている。これなら逃げられない。

 

「一方的過ぎて心苦しいわ」

 

 メグミが小さく笑いながら言う。

 今この場には、実に16輌もの大洗の戦車が囲まれている。この車両を全て撃破できれば、大洗の戦力も大分落ち、最早勝ったも同然だ。

 

『後は私たちに任せてください!』

 

 ルミが自信満々に声を上げる。

 この戦車を全て撃破できれば、もう愛里寿も出陣することなく試合を終えられる。

 

「全車両、微速前進。包囲網を狭めるわよ」

 

 これだけ隙の無い包囲網ができれば向こうも逃げ出せないが、距離があるのでまだ狙いにくい。特にクルセイダーなんて、隙を狙ってうろうろと動いていた。だから、ゆっくり前進して包囲をより密にしつつ、距離を近づけて撃破しやすいようにする。

 メグミが指示を出し、早速動き出そうとしたところで、外から何か巨大な金属物が落ちるような音が聞こえた。

 

「?」

 

 どこかで誰かが発砲したのかと思ったが、まだ音は続いている。

 戦車のものとも違うような金属と地面が擦れるような音。そしてどこか一定のリズムで叩くような地響き。

 

『なんだ?』

 

 ルミも流石に不思議に思ったのか、声を上げる。

 気になってきたので、メグミがキューポラから顔を出すと。

 

「観覧車!?」

 

 ガラガラと音を立てて、野外劇場に向かって転がってきたのは、なんと観覧車だ。いくら廃遊園地で老朽化が進んでいるとはいえ、あれほどの巨大かつ頑丈なものが落ちてくるか。絶対に大洗の誰かの仕業に違いない。

 

『退避行動!』

 

 ルミがいち早く全体に指示を出すと、足の遅いT28と、観覧車の進路上の戦車だけが後退して避けようとする。

 そして観覧車は、野外劇場の縁にあるブロックに当たってバウンドし、野外劇場を横切る。大洗の戦車はその観覧車をギリギリで回避したらしく、1輌も撃破されていない。

 とりあえず、この勢いで観覧車は外に出るだろうし、通り過ぎて行ったらまた包囲網を元に戻そうとメグミは考えた。

 だが、先ほどまでうろうろしていたクルセイダーが観覧車に向けて発砲しだし、観覧車が向きを変えて転がり出す。それで、そこにいたほぼ全ての大学選抜の戦車が回避行動をとるために、包囲を崩してしまう。

 

「退け退け!」

「こっち来ないで!!」

「余計なことしやがって!」

 

 そして最後には、大洗のファイアフライが観覧車の頂点を撃ち抜いて向きを正確に変え、野外劇場の外へと追い出す。それに大洗の戦車が続き、全ての車輌が逃げてしまった。

 

「中隊を再編成、すぐに追うわよ!」

 

 観覧車にあっけに取られていた戦車たちにメグミが檄を飛ばす。それで、他の戦車も冷静さを取り戻して、大洗の戦車を追う。

 結局、あれだけ手間暇かけて包囲網を作り上げたのに、撃破数は稼げなかった。それどころか、あそこへ追い込むまでに2輌消耗してしまったので全体的にはこっちが損だ。

 それと、あれだけの包囲網を抜け出したことで大洗の士気は高まっているだろう。しかし逆に、大学選抜はあれだけやってただの1輌も撃破できなかったから士気は下がってしまうかもしれない。

 兎に角、まだ挽回するチャンスは十分ある。翻弄されるのはもうこれっきりで、大洗を倒すことにした。

 

 

 アズミ中隊は残り2輌となっていたので、ルミ中隊から1輌増援を貰っていた。

 序盤の追撃で2輌、南正門の陽動で3輌やられてしまったので、バミューダ3姉妹の中では一番損耗が激しい。しかしそれも奮戦しての結果なので、恥じるべきことではない。

 

「もうこれ以上は好きにはさせないわよ・・・」

 

 アズミが意気込みながら、昔ながらの商店街エリアを残り輌と共に走る。彼女たちは、クルセイダー、ルノーB1、Ⅲ号突撃砲の3輌を追っていた。反撃してくる様子はないが、それは逆に好都合だ。

 しかし。

 

『えっ、何!?』

『壁が撃ってきた!』

 

 突然、先頭を行く橿原のパーシングが撃破された。『壁が撃ってきた』という言葉の意味は分からなかったが、よく見ると前方に、背後のレンガの壁を模したパネルを付けたⅢ突がいた。

 

「欺瞞作戦なんて姑息な・・・!」

 

 後ろから続く韮崎のパーシングがⅢ突を狙うも、砲弾はそれて本物の壁に当たった。

 そして商店街エリアの角をいくつか曲がると、韮崎のパーシングが、同じように自動販売機の看板でカモフラージュを施したⅢ突に撃破された。

 

「何てこと・・・」

 

 立て続けに2輌も撃破されたことに、アズミは思わず声を洩らす。

 

 

 アメリカの西部劇を模したウエスタンエリアでは、メグミ中隊のパーシング3輌がT-34/85、ポルシェティーガー、三式中戦車チヌと交戦していた。

 中央の大通りを大洗の3輌が走り、その両隣の通りからパーシング2輌で挟撃している。

 

「もうすぐT字路。そこへ来たら、一気に片を付けるわよ」

『了解!』

『はい!』

 

 矢巾がウエスタンエリアの地図を見ながら、他の2輌に伝える。

 序盤の追撃戦で滅多打ちにされたT-34がここまで残っていることには驚いたが、今度こそここで撃破する。

 T字路に差し掛かり、共に戦っていた新発田、相生(あいおい)と合流し、大通りを見る。

 

「あれ?」

 

 だが、大通りにはT-34しかおらず、さらに傍の建物から何かが壊れるような音と煙が上がっていた。

 

「後ろだ!」

 

 建物を戦車が突っ切っていると気付いた新発田は、砲手に攻撃に備えるように伝えるが、大洗のポルシェティーガーが先に新発田のパーシングを撃破してしまった。

 

「このっ!」

 

 矢巾がポルシェティーガーを狙って発砲するが、T-34が躍り出て砲弾を逸らし、返す刀で矢巾のパーシングを撃破した。

 

「せめてチヌだけでも・・・!」

 

 残ってしまった相生のパーシングはチヌを狙って攻撃するが、キレのいいドリフトを追い切れずに撃破されてしまった。

 

「すみませんメグミ隊長!ウエスタンエリアの小隊、全滅です!」

『分かった。お疲れ様』

 

 

 

 

 ドイツ軍の計画にあった超重戦車・ラーテを模したアミューズメントエリアで、ルミ中隊の末広と寄島は、八九式中戦車・知波単学園の車輌と交戦していた。

 相手の戦車の性能からそこまで苦戦しないだろうと思っていたのだが、ちょこまか動き回っていて狙いが定まらない。

 

「さっきの履帯の恨み、ここで晴らしてくれるわ」

 

 末広は西裏門から侵入した時に履帯を切られたことを根に持っていた。切れた履帯を繋げるのは大変なので、その労力の対価としてこの旧世代の車輌から白旗を貰う。

 

『なんでこの戦車、アヒルの風船つけてるんですかね?』

「考えたら負けよ」

 

 ずっと疑問に思っていたことを寄島が告げた。

 今戦っている大洗の戦車は、どれもなぜか黄色いアヒルの風船を着けている。これが何の意味があるのかは分からないが、これでは周りが見えないだろうに。

 すると、前を行く戦車の集団が左右にばらけて、正面には景品のおもちゃらしきぬいぐるみが山積みになっている。

 その中でひときわ大きなアヒルの風船が弾けて、末広のパーシングに何かが当たる。

 

「カモフラージュとは味な真似を・・・」

 

 末広は奇襲に失敗したチハを追い、寄島はもう一方の集団を追う。

 だが、末広の目の前にまたアヒルの風船を被った戦車が現れて、動きを妨害してくる。

 

「このっ!」

「構うな!前を狙え!」

 

 砲手が相手をしようとするが、砲身が長すぎて撃破が狙えない。これは相手にせずに、前を逃げる別のチハを狙った方がいい。

 だが、その直後にそのアヒル風船を被った戦車が発砲し、ターレットリングを撃ち抜かれて白旗が揚がった。

 

「しまった!」

 

 一方寄島は、大洗の戦車が階段を上って外へ出ようとしているのを追い、同じように階段を上る。そして、滑り台を下りようとするが結構角度があることに気付き、下りた先には砂場があった。

 

「砲身が刺さるぞ!旋回してダメージ回避!」

「はい!」

 

 砂場に砲身が刺さるとすぐに立て直せないし、不調を来すかもしれない。滑り台を下りる間に、寄島の指示に砲手が従って砲塔を左に旋回させて砂場に着地した。

 そして大洗の戦車を探そうとしたら、向こうから姿を見せてきた。それも、八九式と九五式だ。

 しかし、この2輌は並んでパーシングに体当たりを仕掛け、しかも砲身を挟んで動けないようにしてきた。

 

「小癪な!前後に動かして、砲塔回せ!振り払うぞ!」

 

 操縦手が操縦桿を使って履帯を前後に回し、砲手が砲塔を強引に回そうとするが、中々動かない。

 そして別方向から砲撃音が聞こえて、パーシングの動きが止まった。

 

「こっちが本命か・・・!」

 

 寄島は後ろにいたチハ新砲塔を見て舌打ちする。どうやらパーシングの動きを止めている間に、ターレットリングを撃ち抜かれたようだ。

 あの突撃一辺倒な知波単が、こんな突飛な作戦を思いつくとは、と寄島は思う。誰かの入れ知恵だろうか。

 

 

 高い生垣・ボカージュでできた迷路を、ルミのパーシングが葛城(かつらぎ)と共に走る。ここに大洗の隊長車のⅣ号戦車とヘッツァーが逃げ込んだので、それを追っているのだ。

 先ほどから、大学選抜の戦車の撃破情報がひっきりなしに飛んできていて、ルミは焦っていた。大洗の戦車を撃破したという情報が、まったく来ていないことが焦りを助長させている。

 

『こちら葛城!Ⅳ号戦車発見!』

 

 迷路を動くルミの下に、葛城からの連絡が入った。

 

「Ⅳ号の砲塔はどっちを向いてる?」

『正面です!』

「よし!この道幅なら、砲塔の旋回はできない。後にピッタリついたら絶対に離れるな!」

『分かりました!』

 

 この狭い迷路でⅣ号の後ろを取れたのはファインプレーだ。離されないようにして、真っ直ぐの道になったところで撃てばいい。それまでは弾は温存だ。

 ここで大隊長車・Ⅳ号を撃破できれば、相手の士気は大分落ちるだろう。それならば、まだこちらにもチャンスがある。

 ところが、少ししてから戦車の撃破音が聞こえた。

 

「!?」

 

 ルミがキューポラから身を乗り出すと、黒煙が上がり、さらに白旗の揚がる音も聞こえた。

 Ⅳ号をやったのか。

 

『すみませんルミ隊長!撃破されました!』

 

 だが、聞こえてきたのは残念な報告。ルミは、車高の低いヘッツァーがここにいるのを思い出し、奇襲も考えられるのだと冷静に考え直した。

 

「パーシング、チャーフィー、各1輌増援を要請する!」

 

 ルミの要請に応じたのは、メグミ中隊の応援に向かおうとしていた富里(とみさと)のパーシングと、遊撃の任に就いていた茂木(もてぎ)のチャーフィー。

 

「数の利を生かして囲い込め!車高の低いヘッツァーの待ち伏せに注意しつつ、まずはⅣ号だ!」

 

 応援に来た2輌に伝えるが、如何せん戦う場所が場所だ。迷路なせいで曲がり角が多く、おまけに生垣の背も高いせいで他の戦車の動きが見えない。

 Ⅳ号戦車の姿を見つけて追いかけても、曲がり角をいくつか過ぎれば姿を見失って見当違いの方向に行ってしまう。あのⅣ号の操縦手は相当腕がいい。

 そしてルミが角を曲がると、発砲された。

 Ⅳ号に見つかった!?と肝が一瞬冷えたが、撃ってきたのはまさかの応援に来た茂木のチャーフィーだった。

 

「コラ!気を付けろ!」

『あー、すみませーん!』

 

 びっくりさせられたのでちょっと乱暴に注意すると、茂木は気の抜けた謝罪の言葉を返して後退する。

 それにしても、とルミはパーシングの上に立って辺りを見回す。Ⅳ号と距離が離されていた。しかも、迷路の構造を俯瞰的に見ているかのように動きに迷いがない。

 

「こちらを見通しているかのような動きだ。天性の勘なのか・・・」

 

 背伸びして、迷路の構造をじっと見る。丁度、Ⅳ号の行く先には袋小路があった。

 

「ならば、袋小路に追い詰めるか」

 

 パーシングの動きを止めさせて、ルミが戦車の上に立ちながら茂木のチャーフィーと富里のパーシングを指示する。別ルートを使ってチャーフィーをⅣ号のルート上に配備して、パーシングで後ろから追撃し、袋小路に行くように誘導する。

 そして狙い通り、Ⅳ号が袋小路に入った。

 

「よし、追い詰めた!」

 

 ルミが嬉しそうにガッツポーズをとったが、直後に富里のパーシングが横合いから砲撃を受けて撃破された。

 

「何!?」

 

 双眼鏡を覗き込むと、迷路を見渡せる高台にヘッツァーが陣取り、そこから砲撃していたことが分かった。ヘッツァーは移動し始め、Ⅳ号も撃破された富里のパーシングを押しのけて脱出を図る。

 

「茂木、迷路から撤退するぞ!」

『了解!』

 

 ここでの戦いは不利すぎると察したルミは、大人しく撤退することにした。

 だが、ルミの中での疑問はどんどん膨れ上がってきている。

 

「なぜだ・・・?勘がいいってレベルじゃないぞこれは・・・」

 

 Ⅳ号の迷いのない動きといい、生垣越しにパーシングを狙い撃ちしたヘッツァーといい、動きが良すぎて違和感を覚えるぐらいだ。女の勘で済まされるものではない。

 ふと辺りを見回すと、ジェットコースターの上にいる何かに気付く。双眼鏡を取り出し、そこを見るとアンツィオ高校のCV33がいた。しかも、双眼鏡でこちらを見ている乗員まで。

 

「あいつらが!」

 

 ルミは無線機を手に取り、あのジェットコースターの上にいるCV33を撃破するように伝えた。

 

 

 

「一体どういうことよ?こんなに撃破されるなんて・・・」

 

 レンガ造りの城塞のような建築物で、メグミは聖グロリアーナ、サンダースの戦車たちと交戦しながら額を押さえる。

 

「アズミ、ルミ、そっちはどう?」

『こちらアズミ。私の中隊はみんなやられたわ・・・』

『こちらルミ。アズミに同じね・・・メグミはどうなの?』

「私は後T28とパーシングが1輌だけ・・・」

『後はチャーフィー3輌と隊長のセンチュリオンだけか・・・』

 

 精鋭の大学選抜が、たったの9輌しかいない。この前のくろがね工業戦では最終的に5輌になってしまったが、高校生相手にここまでやられるとは。

 

「向こうは残り何輌?」

『カール小隊全滅時のBTを最後に報告は上がってないわ。ってことは・・・』

『・・・・・・まだ22輌?』

「そう言うことになるわね・・・」

 

 メグミがくくると、アズミとルミ、そしてメグミのパーシングの乗員も重苦しい表情になる。

 数時間ほど前から大洗の車輌を1輌も撃破できておらず、どころかこちらが一方的にやられているのだから。

 

『まさかここまで高校生がやるなんて・・・』

『小賢しいったらありゃしない!』

 

 アズミが驚くように声を洩らし、ルミは苛立たし気に声を上げる。

 

『・・・どうする?』

 

 アズミの言う『どうする』とは、どんな作戦で挑むか、ということではない。

 後方にいる隊長の愛里寿に増援を求めるか、と訊いているのだ。

 大洗と大学選抜の差は15輌。愛里寿のセンチュリオンはまだ遊園地の外なので、実質今は22対8で戦うことになっている。この戦力差をメグミたちだけでひっくり返すのは難しい。

 ならば、天才少女と謳われる愛里寿に助けを求めるのも1つの手だろう。だが、メグミは素直に頷けない。

 

「ここで隊長に泣きつくなんて・・・」

 

 年上としての、副官としてのプライドが働いてしまう。

 これまで愛里寿は1発も撃っておらず、ずっと後方で隊の指揮を務めていた。敬愛する愛里寿に助けてと求めるのが、どこか釈然としない。

 

『でも、自分たちの面子ばかり言ってたら・・・!』

 

 アズミの言うことももっともだが、メグミはそれでも悩む。

 その時。

 

『やってやる、やってやる、や~ってやるぜ♪』

「え?」

『イーヤなあーいつをボ~コボコに~♪』

 

 通信に割り込んでくる歌声。あどけない子供の声で、やたらと物騒な曲を歌う。

 一瞬何が起きたと思ったが、その歌声は愛里寿のものだ。そしてこの曲が、彼女が贔屓にしている『ボコられグマのボコ』というキャラクターのテーマソングだということも分かる。

 

『隊長が歌い出した・・・!』

『ということは!』

 

 先ほどとは打って変わって嬉しそうなルミとアズミの声。

 愛里寿が意味もなく歌ってそれを通信に流すなどあり得ない。そしてその歌詞は、戦う様を表している。

 つまり、参戦するということだ。

 

「中隊前進!」

 

 メグミが無線機に、声を弾ませて指示を飛ばす。最早中隊と言える規模でもないが、景気づけには丁度いい。

 

 メグミの指示を受けて、真鶴はT28の操縦手に前進指示を出す。

 この城塞の向こう側にはサンダースのシャーマンシリーズと、聖グロリアーナの戦車が待ち構えている。

 この廃遊園地に侵入した時も最初に遭遇したのは聖グロリアーナの戦車だったので、どうにも運命的なものを感じる。

 

「さて・・・向こうは私たちが門をくぐれないと思っているでしょうし、少し驚かせましょうか」

 

 城門の先には橋が伸びているが、その手前にある城門はT28の車幅よりも履帯2つ分狭い。

 

「第2履帯、切断」

 

 あくまで優雅に指示を出すと、通信手が何かのスイッチを押す。直後、車輌の外から何かが破裂するような音が立て続けに聞こえて、音を立てて外側の履帯が外れた。

 元々、T28の外側の履帯は運搬用に着脱可能だ。それに手を加えて、爆砕ボルトを仕込んでスイッチ一つで試合中いつでも外せるように仕組んだのだ。

 前進すると、T28は問題なく城門を通り抜けることができた。これには流石に大洗側も驚いたようで、後退を始める。シャーマンシリーズとチャーチルは真っ先に姿をくらまし、マチルダⅡも物陰に潜んでこちらを狙い出す。

 

「皆さん意気地なしですこと」

 

 T28は、レンガ造りの橋を渡り始める。

 

 

 商店街エリアを行くアズミは、T字路でクルセイダーとルノーB1が左右に曲がっていくのを見て停車を指示した。

 突き当りには『たぬき食堂』という看板を掲げた寂びた食堂があるが、なぜかハンバーガーショップの内装が見える。

 

「それはない」

 

 流石にこんなバレバレの欺瞞には誤魔化されない。

 冷静に発砲指示を出すと、ハンバーガーショップを模した看板が砕け散り、後ろにいたⅢ突が撃破された。

 

 

 

「そーっと行くんだぞ。そーっと・・・」

 

 ルミから連絡を受けたチャーフィーの足利は、操縦手にゆっくり進むように言う。

 今チャーフィーが進んでいるのはジェットコースターの上り坂。この上の部分に、大洗と大学選抜の動きを監視してそれを味方に伝えるGPS役の車輌がいるらしい。

 こんな場所に上るとはどんな戦車だと思ったが、その車輌の名前を聞いて、実際に頂上について目にして納得した。

 

「久しぶりだな、CV33・・・」

 

 懐かしそうにその戦車の名前を呟くと、CV33の上に立って戦況を俯瞰していたツインテールの隊員が慌てて戦車に戻る。

 足利はアンツィオ高校出身だ。在学中は隊長クラスの地位にはいなかったが、CV33を乗り回していたので戦車の操縦や、機動力を活かした戦いには慣れていた。スカウトされた今ではこうして、大学選抜で機動力の高いチャーフィーの車長を任されている。

 

「悪いけど、愛里寿隊長に叱られたくはないからね」

 

 OGとして後輩と戦うのは楽しくもあるが、心苦しいという気持ちが強い。アンツィオは特に仲間意識が強いからなおさらだ。

 だが、怒った愛里寿の恐ろしさは既に知っている。くろがね工業戦には参加していなかったが、又聞きでも分かったぐらいだ。怒られるぐらいなら、自分がじっと堪える方がずっとマシだ。

 

「お、逃げるか。そう来ないとね」

 

 CV33はジェットコースターのレールに沿って下り始める。あの細いレールの上を走るとは、随分と器用な操縦手だ。

 だが、丁度レールの幅が、チャーフィーの履帯と履帯の間の幅と同じだったのでレールに嵌めるようにして滑り降りていく。

 

「おおおおお・・・!」

 

 足利だけでなく、チャーフィーの乗員全員が声を上げる。疑似的にジェットコースターに乗っているようなものなのだから、自然と声が上がってしまう。

 その間でも砲手がCV33を狙って砲撃するが、こんな不安定な状態では当たるはずもない。焦らず、落ち着いて撃破するように砲手に伝えた。

 

 

 

「11時の方向、敵戦車5輌」

 

 西裏門より廃遊園地に入ったセンチュリオン。キューポラから半身を出す愛里寿は、ホテル近くの斜面にある花壇に戦車が隠れているのに気づいた。

 

「速度は落とすな。合図で反転しろ」

「了解」

 

 感情の籠っていないような指示に操縦手の霧島は応える。砲手の大和は、ペリスコープで敵を確認したが砲塔は旋回せず、発砲もしない。

 敵戦車が花壇を飛び出して土手を下り始めるが、センチュリオンの乗員は臆さない。

 

「反転」

 

 センチュリオンが5輌を通り過ぎたところで合図が出る。霧島は素早くセンチュリオンの向きを反転させて、5輌に砲身が向けられる形になる。

 

「撃て」

 

 発砲指示。大和は既に照準にチハ(旧砲塔)を捉えていた。狙いすまされた砲撃は命中し、白旗を揚げる。

 

「6時の方向に1輌」

 

 愛里寿の指示は端的だが、それで大和と霧島には意味が通じ、霧島はセンチュリオンを素早く超信地旋回させ、大和は砲塔を少し旋回させる。超信地旋回をすることで、砲塔の旋回時間を最低限に収めるのだ。

 わずか数秒で方向転換し、大和は後ろにいたチハ(新砲塔)に狙いを定める。三笠は既に装填を終えていたので、躊躇わずに撃つ。撃破できた。

 

「4時の方向1輌。旋回」

 

 指示を聞き、霧島が再度超信地旋回をして、4時の方向にいるチハ(旧砲塔)の砲撃を躱す。砲塔を旋回させて大和がさらに発砲し、これも撃破する。

 そこへアヒルの風船を被った八九式と九五式が挟み込んで発砲するが、霧島は最初にこの2輌が接触した時点で後退を始めていたので被弾はしなかった。

 そして、後退して距離を取ったところで九五式を狙撃する。

 道路に戻ったところで八九式が突撃を仕掛けてきたが、状況を見ていた霧島は前進して八九式の横に出る。大和は正確に側面を狙撃して横転させ、撃破した。

 

「行くぞ」

『はい』

 

 何事もなかったかのように、愛里寿が告げる。乗員も、息切れ一つせずに返事をし、中心部へと向かう。

 

 

 

『九七式中戦車2輌、同新砲塔1輌、九五式軽戦車1輌、八九式中戦車1輌行動不能』

 

 あっという間にセンチュリオンが1輌で5輌も撃破したのを見て、観客席が驚きの声に包まれる。

 そのセンチュリオンの無双とも言うべき戦いを観ていた桜雲も、口を開けていた。

 あのセンチュリオンの人間離れした動きは、夏の練習やくろがね工業戦でも見たことがあったが、それでもやはりすごい。

 何度見ても、あの動きには戦慄するしかない。

 

 

 レンガ造りの橋を悠然と渡るT28。物陰からマチルダⅡやシャーマンが発砲してくるが、痛くも痒くもない。

 その時、目の前の橋が崩落を起こした。

 

「何?」

 

 自然に落ちたものではないだろう。とすれば、どこからかの狙撃だ。

 真鶴が周囲を見回すと、城塞の上あたりにファイアフライがいるのが見えた。恐らく角度的に、あれの仕業だろう。

 

「進みなさい」

 

 だが、この程度の穴では戦車は落ちないので構わず進むように指示を出す。

 そういえば、と真鶴は思う。あのファイアフライに乗っているのは、確か高校戦車道でもトップクラスの砲手だったはずだ。そんな選手が、何の意味もなく橋に穴を開けるだろうか。

 

「・・・・・・もしや」

 

 真鶴が、答えを1つ考えた瞬間、戦車の下から砲撃音が聞こえて、T28の車体が一瞬持ち上がる。真鶴を含めた乗員全員がびっくりすると、後ろのエンジンが苦しそうな音を洩らす。

 そして、爆発して白旗が揚がった。

 

「ああっ!?」

 

 T28の最大装甲は300mm。だが、T28の底面の装甲は僅か25mm。

 ファイアフライの真の目的は、橋の下にいた戦車にT28の底面をさらけ出させること。そのために、穴を開けたのだ。

 

 

「まさか、T28までやられるとはね・・・」

 

 メグミはあらかじめ呼び寄せたチャーフィーと共に、橋の下にいるチャーチルを挟み込む。

 チャーチルは片方の履帯を橋のアーチにかけて無理矢理上を向いていた。そして、先ほどのファイアフライが穴を開けた影響で瓦礫がチャーチルの周りに落ちていて、動けなくなっている。

 そんなチャーチルを、メグミのパーシングとチャーフィーは砲撃し、撃破した。

 

「ちまちましているのは性に合わないわ。集まりましょうか」

『いつも通りの』

『バミューダアタック!』

 

 ここまで削られては中隊も何もない。アズミの言う通り、いつものようにバミューダアタックで片を付ける。アズミとルミも、考えることは同じだったようだ。

 

若狭(わかさ)、あなたは残党車輌の始末に回って」

『了解!』

 

 メグミは、最後に残った自分の中隊のパーシングに指示を出し、アズミ、ルミと合流地点を決めてそこへと向かう。

 

 

 一方、ジェットコースターでCV33を追う足利のチャーフィーは、いつまでたってもらちが明かないので、同じチャーフィーの加賀に協力を求めた。

 観覧車がある丘の下に通っているトンネルを抜け、緩やかな上り坂に差し掛かると、段取り通り坂の頂上に加賀のチャーフィーがいるのを見た。

 

「これでおしまいだ」

 

 CV33も加賀のチャーフィーに気付いたのか、機銃を撃ち始める。しかし当然ながら、チャーフィーは8mm機銃程度では撃破できない。

 しかし、突然チャーフィーが黒煙を上げて後ろに下がり始めた。

 

「何!?」

 

 どんなラッキーパンチでも、チャーフィーが8mm機銃でやられるはずがない。とすれば、どこからかの砲撃があったと考える方が現実的だ。

 どこから撃ってきた、と辺りを見回したところで足利のチャーフィーも撃破された。

 その瞬間、足利は観覧車のあった丘にM3リーが止まっているのが見えた。恐らくは、あれが撃ったのだろう。

 

「隊長!」

 

 だが、そのM3の後ろから愛里寿のセンチュリオンが近づき、そして発砲してM3を撃破して走り去っていく。

 先ほど、全体通信で愛里寿の歌を聴いた時は『ついに来たか』と気持ちが昂った。何せ、自分たちの頼れる隊長が参戦すれば、怖いものなど何もないから。

 愛里寿の強さと恐ろしさは、同じ大学選抜チームとして身をもって知っている。これだけ劣勢になっていようとも、愛里寿がいれば戦況は一気にひっくりかえせると、足利は信じていた。

 

 

 メグミたちバミューダ3姉妹は、西洋風の建築物が並ぶ街並みで合流し、愛里寿の下へと向かおうとする。

 だが、それを食い止めるようにシャーマンシリーズ3輌が向かってきていた。

 

「一気に蹴散らして、隊長と合流するわよ」

『了解!』

『OK!』

 

 向かってくるシャーマンたちを見て、メグミは不敵に笑う。アズミとルミは、メグミの呼びかけに快く答える。

 

(かかってきなさい、3人とも)

 

 心の中で、メグミはシャーマンに乗っているであろう自分の後輩たちに告げる。

 

「バミューダアタック、パターンG!」

 

 こちらに向かって突っ込んでくるシャーマン3輌をやり過ごし、メグミたちはそれぞれぶつからないようにドリフトして向きを変え、後ろを見せるシャーマンたちに砲を向ける。

 M4A1シャーマンは停止して冷静にこちらを狙おうとしていたが、バミューダアタックを前にして停止するなど自殺行為に等しい。結局、何もできずにルミのパーシングに撃破された。

 

「パターンS!」

 

 今度は少しタイミングをずらしながら、同じスピード・角度でドリフトし、敵の照準を乱すパターンを繰り出す。

 シャーマンファイアフライはこちらを狙うように砲塔を回していたが、どれを狙えばいいかが分からず、ついには明後日の方向を撃ってしまう。そこをメグミのパーシングが狙撃して撃破した。

 

「パターンTでフィニッシュね!」

 

 残るはM4シャーマンのみだが、3方向を囲むようにメグミたちは回り込む。そして、唖然としているM4シャーマンを3輌で一斉に攻撃し、撃破した。

 

「まだまだ鍛錬が足りないわね」

 

 去り際に、擱座するシャーマンシリーズ3輌に向けてメグミは笑って言葉を投げた。

 

『目標、中央広場』

「『『はい!』』」

 

 敵チームの大将がいるのは、色々な遊具のある中央広場。その場所を聞いて、メグミたちは武者震いをする。

 敵のツートップは、島田流と双璧を成す西住流の姉妹。まだ彼女たちが撃破されたという情報は入っていないので、愛里寿の言う通り廃遊園地の中心である中央広場にいるはずだ。

 西住流と戦ったことなどこれまでなかったから、直接対決できることが、不謹慎かもしれないが楽しみだった。

 

 

 

「中央広場に急げ!」

「クルセイダーが邪魔です!」

 

 一方で、江戸をモチーフとしたエリアを走る茂木のチャーフィーは、面倒な事態に陥っていた。堀の反対側を走るクルセイダーが、執拗にこちらを狙っているのだ。まるで張り合うように走っていて、チャーフィーが速度を増減してもそれに合わせてくる。

 チャーフィーもやられっぱなしというわけではなく、ちゃんと撃っているのだが中々当たらない。

 その時、クルセイダーから一層大きな唸り声のようなモーター音が聞こえてきた。

 

「何です?」

「調速機を外してスピードを上げたんだ。先回りするつもりだろ」

 

 俗にいうリミッターを外して、最高速度の上限を解放したのだ。先回りに注意するように操縦手と砲手に伝える。

 だが、茂木は堀を飛び越えるクルセイダーの姿が目に入った。

 

「えっ!?」

 

 最悪なことに、チャーフィーの砲塔は先ほどまでクルセイダーが走っていた堀の反対側に向いている。そしてクルセイダーの砲は、チャーフィーを捉えていた。

 クルセイダーは発砲し、チャーフィーは黒煙を上げて停車し、白旗を揚げた。

 クルセイダーも無事ではすまず、石垣に激突して横倒しになり、こちらも白旗を揚げた。

 

「何て奴だ・・・」

 

 茂木は呆れたように声を洩らす。

 調速機を外したのは、堀を飛び越えるほどの勢いを得るためだった。ある意味で先回りというのも間違ってはいなかったが。

 聖グロリアーナとは思えない、荒っぽい戦い方だ。

 キューポラから身を乗り出すと、横倒しになったクルセイダーから、ワインレッドのタンクジャケットを着た赤髪の少女が転がり出るのを見た。

 

「うあー・・・やりすぎましたわ・・・。アッサム様に怒られる・・・」

「・・・何なの?」

 

 暢気に呟く赤髪の少女を見て、思わず茂木は質問じゃないような質問を零す。

 すると赤髪の少女は、茂木を見てニッと笑い。

 

「聖グロ一の俊足、ローズヒップでございますのことよ!一緒にお茶でもいかが?」

 

 

 

 

「中々いませんね・・・」

「隊長がもう10輌近くやっつけたみたいだしね」

 

 残党処理としてノロノロと園内を走る若狭のパーシングだが、その残党がなかなか見つからない。敵に遭遇しないのは良いことなのだが、まだ全車両撃破されたという報告はない。

 西住姉妹の戦車は恐らく愛里寿とメグミたち副官3人が撃破するだろうが、それ以外はできるだけ若狭が倒すべきだと思う。

 するとその時、CV33が進路上に割り込み機銃を撃ってきた。

 

「CV33です!」

 

 操縦手が声を上げる。8mm機銃を連射するが、当然ながらパーシングの装甲など抜けるはずもない。だが、それが分かっていても鬱陶しかった。

 

「この・・・って、あれ?」

 

 砲手が砲身を下に向けるが、CV33がいる位置が俯角の外側、しかも砲口よりも内側にいるせいで狙えない。

 それを分っているのかCV33は機銃を撃ち続けていて、若狭はそれがムカついた。

 

「豆戦車を踏みつぶせ!」

 

 操縦手に速度を上げるように言うと、CV33は向きを変えて蛇行しながら逃げる。そのせいで狙いが定まらず、おまけにウィークポイントも限られているので中々撃てない。

 ボンプル高校出身の若狭は、在学中にアンツィオ高校と戦った記憶がある。その時も、CV33が身軽さを活用してまるでゾンビのように何度倒しても復活してきて、実に鬱陶しかったことを思い出す。それが、余計に若狭を駆り立てる。

 だが、一瞬前を走るCV33がふわっと浮いたと思うと、池を水切りの要領で跳ねる。

 

「停止!」

 

 若狭の指示で、操縦手が急ブレーキをかける。水の上を跳ねるなど、軽いCV33でしかできないような芸当だ。パーシングには到底できない。

 

「ふぅ・・・」

 

 何とか手前で止まることができたが、直後に後ろから撃たれて池に落ちた。

 

「うわぁ!?」

 

 後ろを見ると、ルノーB1がいて砲口から白煙を上げていた。CV33に気を取られていて気づけなかった。

 だが、そこへセンチュリオンが姿を現し、CV33とルノーB1を立て続けに撃破した。

 

「うわ、流石隊長・・・」

「やりますね・・・1発で仕留めるなんて・・・」

 

 若狭たちは、愛里寿のことはもちろん尊敬している。

 だがそれと同じくらい、センチュリオンの乗員も尊敬していた。愛里寿の抜きんでている能力に従って、忠実に命令を遂行するのだから。

 

「頼みます、センチュリオンの皆さん・・・」

 

 

 

 万里の長城を模した建築物がある広場でマチルダⅡを撃破したバミューダ3姉妹だが、後ろから大洗の戦車が3輌追ってきているのに気づいた。車種はポルシェティーガー、ティーガーⅡ、そしてT-34。

 

「バミューダアタック、パターンR!」

 

 メグミの合図で、最後尾のルミを除くメグミとアズミのパーシングがそれぞれ左右に円を描くようにドリフトする。そして、大洗の戦車めがけて発砲し、また一列縦隊に戻る。

 しかし、先頭は腐ってもポルシェティーガー。パーシングのスライド気味の砲撃も受け流された。仕方ないので撃破を諦め、速度を上げて振り切ることにする。

 

『先頭はポルシェティーガーだ。あの足じゃ追いつけない』

「そうだけど・・・」

 

 ルミはそういうが、メグミは後ろからずっと狙われ続けるという状況が怖い。

 そして、少しして後ろの方から何か大きな唸り声のような音が聞こえてきた。メグミが気になって振り返ってみると、土煙のようなものが見える。

 

『速度上げろ!なんかポルシェティーガーのスピードが上がってきてる!』

 

 最後尾のルミが慌てふためいた口調でまくしたてるが、とにかくメグミたちも速度を上げてどうにか振り切ろうとする。

 だが、ポルシェティーガーはモーターの過負荷で炎上し大破したものの、ルミのパーシングは逃げきれなかった。何とか応戦しようとするも、T-34に砲身の向きを変えられてしまい、そこをティーガーⅡに撃ち抜かれて撃破された。

 それでも、仇を討たんとメグミとアズミがそれぞれT-34とティーガーⅡを撃破した。

 

『ごめん、油断した』

『お疲れ、後は私たちに任せて』

「勝ってみせるわ」

 

 ルミの無念な声に、アズミとメグミは力強く返事をして中央広場へと向かう。

 いよいよ西住流との対決、正念場だ。

 

 

 中央広場にやってきた愛里寿のセンチュリオンは、広場の中心でゆっくりと旋回しながら西住姉妹が乗るⅣ号戦車とティーガーⅠを狙う。その途中で西住姉妹の砲撃がセンチュリオンの側面装甲を掠るが、愛里寿は気にも留めない。

 そして、西住姉妹が初弾を掠り傷とはいえ当てたことにメグミとアズミは驚いた。以前やっと命中させたメグミでさえ、当てるのに時間がかかったというのに。

 Ⅳ号とティーガーが広場の外周を走り、メグミとアズミはそれを追う。プラスチック製のイスとテーブルも蹴散らして、追撃する。

 

「アズミ、あんたはティーガーをお願い。私はⅣ号をやるわ」

『了解』

 

 富士山を模した展望台の下のトンネルにティーガーが入り、アズミのパーシングはそれを追う。Ⅳ号はトンネルの前で右に曲がりその展望台の斜面を進む。メグミのパーシングがそれを狙うが、当たらなかった。

 

 トンネルを抜けたところで、ティーガーが横向きに停車する。アズミのパーシングはティーガーの横っ腹にぶつかって動きを止められた。

 

「何のつもり?」

 

 ただ動きを止める行動をアズミは疑問に思ったが、すぐにこれが足止めということに気付いた。

 

「後ろ!」

 

 アズミが声を上げて振り返ると、トンネル出口の上にⅣ号がいた。前のめりになったところで発砲し、アズミのパーシングの上面装甲を砕いて白旗を揚げさせる。Ⅳ号は発砲の衝撃で後ろに下がり、落ちそうになるが踏みとどまった。

 

 

「あんな手を使うとはね・・・」

 

 メグミは少し離れた場所からそれを見て、呆れるような感心するようにそう言う。

 だがそれでも、メグミはティーガーを狙うように平戸に伝えた。Ⅳ号の近くにはセンチュリオンがいて、丁度戦っているからだ。

 だが、流石は西住流。ティーガーはその砲撃を避けて移動を開始し、メグミはその後を追う。

 追撃するが、ティーガーはまるで後ろに目がついているかのように避け続ける。

 広場を追いつ追われつ走っていると、ティーガーが前を向いたまま発砲した。そして、その砲撃は何かに当たって白い煙を上げ、そこへティーガーは突っ込む。メグミのパーシングもその煙に突っ込み、視界が煙に阻まれた。

 

「・・・?」

 

 だが、その煙の中で何か大きなシルエットが出現して、メグミは前のめりに目を細める。

 その直後、舟のような巨大な物体がメグミのパーシングと正面衝突し、パーシングが激しくスピンし、壁に叩きつけられる。先ほどティーガーが撃ったのは、バイキングと呼ばれる船の遊具だったのだ。

 

「深江!体勢を立て直して!」

 

 すぐに命令を出す。

 だが、メグミの指示も虚しく、砲撃の音とともに衝撃がメグミたちを襲った。

 

「あ・・・・・・」

 

 外から『しぱっ』と、白旗の揚がる小気味よい音が聞こえた。

 それは、最近の公式戦では久しく聞いていない、自分の戦車が撃破された証。メグミのパーシングは、行動不能になった。

 

「やられちゃった・・・」

 

 相手が西住流の後継者という特別な人間とは言え、自分よりも幼い高校生にやられるのは少し悔しい。

 だが、嘆くのは試合が終わってから、桜雲と話す時でも遅くはない。

 今は、目の前で繰り広げられている、敬愛する愛里寿と、西住流姉妹の戦いを見届けるべきだ。

 

 

 桜雲は固唾を呑んで、試合の行く末を見守っていた。

 画面には、激しい撃ち合いをする愛里寿のセンチュリオンと、西住姉妹のⅣ号戦車とティーガーが映されている。

 時に遊園地の遊具を使い、時に体当たりを仕掛ける戦車同士の戦いに、観客たちは瞬きさえ忘れそうになるほど目の前の試合に集中している。

 桜雲だって、口の中の水分が飛びそうになるほど、集中していた。

 

 

 

「向こうも中々耐えますね」

 

 センチュリオンの砲手・大和が、善戦する西住姉妹を見て告げる。何度か当たっているのだが、傾斜装甲や追加装甲に阻まれて撃破には至っていない。

 それでもその言葉が楽しそうなのは、戦い甲斐のある相手と戦えていることが嬉しいからだ。

 

「どうしますか?」

 

 三笠が砲弾を装填しながら愛里寿に訊ねる。

 こうしている間も、操縦手の霧島は華麗な操縦捌きで西住姉妹の攻撃を躱し、砲手の大和が少しでも狙いやすいように車体の向きを調整する。

 愛里寿はキューポラから身を乗り出して、周りの状況を確認する。遊具の大半は破壊されて使い物にならないが、まだ1ついいものが残っていた。

 

「10時の方向に発砲。2時方向に転進して外周を回ってメリーゴーランドを突っ切る」

 

最低限の指示だったが、それでセンチュリオンの乗員は理解した。

 ちなみに通信手の信濃だが、味方が全員やられてしまったために手持無沙汰な状態になっていた。よもや、公式戦でセンチュリオン以外全滅などという事態になったことがないから、新鮮な気持ちだ。

 

 センチュリオンが発砲し、Ⅳ号とティーガーが狙い通りに向きを変える。

 その隙にセンチュリオンは外周を回り、メリーゴーランドを突っ切ってⅣ号に体当たりを仕掛けた。

 体当たりを喰らってⅣ号の向きが変わり、センチュリオンがその後ろを取る。

 

「よし!」

「行ける!」

 

 キューポラから身を乗り出して試合を観ていたメグミと対馬が、ガッツポーズをとる。

 勝った。

 

「・・・え」

「なんで?」

 

 だが、センチュリオンは発砲しなかった。

 その理由は、対馬からは見えなかったが、メグミには見えた。

 

「・・・・・・クマの遊具」

 

 

 

「え」

 

 大和は、ペリスコープがいきなり焦げ茶色一色になってしまって困惑した。

 

「・・・っ!」

 

 愛里寿も、突然クマの遊具が横切ったのに驚いて、一瞬判断が遅れた。

 やがてクマの遊具が通り過ぎて、ペリスコープが元の景色を映すと大和は慌てて発砲した。だが、後部装甲をわずかに掠める程度に終わってしまう。

 

「・・・すみません」

「次で決めるぞ」

 

 大和が謝るが、愛里寿は気にせずに敵を見る。

 Ⅳ号とティーガーは、展望台に上ってこちらの様子を窺っている。センチュリオンがその2輌に向かい合うように向きを変えると、その2輌は階段を下りてセンチュリオンの下へと前進を始める。

 階段を下り切ると、センチュリオンも前進を始める。後ろにつくティーガーがⅣ号に近づきすぎな点が少し気になったが、愛里寿は用心する。

 恐らくⅣ号が発砲した後で、センチュリオンが応戦し、そこを後ろのティーガーが狙い撃つつもりだ。

 

 メグミは、Ⅳ号とティーガーを穴が開くほど見つめるが、そこでティーガーがⅣ号に向けて発砲した。

 

「え!?」

 

 だが、Ⅳ号は黒煙を上げることも爆発することもなく、速度を上げてセンチュリオンの下へと突進する。あれは、空砲だ。

 

(マズい―――)

 

 センチュリオンもそれを見て慌てたのか、足を奪うために履帯を狙って発砲し、履帯と転輪を粉砕した。

 だが、それでもⅣ号の勢いは衰えずにセンチュリオンと衝突する。そこでⅣ号は発砲し、センチュリオンに命中させて後ろへと吹き飛ばす。

 

「・・・・・・」

 

 声にならない声が、口から洩れた。メグミだけのものではなく、隣で観ていた対馬、別の角度から観ていた平戸達他の乗員も、同じだった。

 先ほどメグミのパーシングから上がったものと同じ、『しぱっ』と白旗を揚げる音がセンチュリオンとⅣ号から聞こえた。

 

『センチュリオン、Ⅳ号、走行不能!』

 

 

 

 試合の結果を見届けて、桜雲は溜息を吐く。

 メグミたち大学選抜は、大洗に負けた。

 普通の試合だったら悔しいと思うが、この試合は色々と思うところが多くあるので、素直に悔しいと思うこともできない。

 だが、桜雲はメグミに労いのメールを送ることを忘れはしなかった。

 そして、そのメールにはもう1つ、文章を付け加える。

 

 

 

「あー、負けたか・・・」

「愛里寿隊長、初敗北ね・・・・・・」

 

 閉会式を終えて、戦車の回収に向かいながらルミとアズミは首や肩を回しながら、疲れを吐き出すように呟く。

 アズミの言う通り、愛里寿が隊長に就任してから、初めて大学選抜は敗北した。それまで敗北は何度も経験しているが、やはり慣れるなんてことはないし、悔しいという気持ちがなくなることもない。

 

「・・・さて、まずは戦車の回収よ」

「その後でミーティング。次は勝つためにね」

 

 だが、負けてそのままへこたれていては、精鋭ぞろいの大学選抜チームの名が泣く。今は悔しさをこらえて、次の機会で勝つために少しでも成長できるように動く。悔しさを吐き出すのは、酒の席だけで十分だ。

 

「ほら、メグミも行くわよ」

「あ、うん」

 

 メグミはスマートフォンで何かを見ていたが、それをポケットに仕舞ってアズミたちと合流する。

 

「・・・・・・メグミ、何かあったの?」

「え、何が?」

「何がって・・・」

 

 ルミがメグミの顔を指差して。

 

「なんでそんなにやけてるのさ」

 

 メグミは、笑っていた。

 その理由は、先ほど見ていたスマートフォン―――桜雲からのメールにあった。




ようやく劇場版パートは終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございます。

次回から本編に戻りますが、
あともう少しで今作も完結となりますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Megumi’s longest day 3

 全ての撤収作業を終えた時には、太陽は地平線と交わり始めていた。

 大学選抜チームの車輌はほぼすべて回収され、今はピットで修理中。大洗女子学園側の車輌もそれぞれの学校が回収し、飛行船や超大型輸送機、船舶などそれぞれの方法で持ち帰って行った。

 大学選抜に配備された、使用を強要されたカール自走臼砲については、戦車道連盟が回収するとのことだった。

 そして撤収作業が終わると、休む間もなく試合後のミーティングだ。

 

「今日の試合、ご苦労だった」

 

 合宿所の集会室で愛里寿が号令を掛けると、隊員たちは立ち上がって礼をする。壁際に立って控えるメグミ、アズミ、ルミの3人も姿勢を正す。

 隊員たちは試合と撤収作業の後でへとへとだったが、それでも自分の身体に鞭打ってこの場にいる。それにこの後は、打ち上げの時間もあるから、その時間を楽しみにして今を頑張るのだ。

 

「ミーティングを始める前に、聞いてもらいたいことがある」

 

 しかし、普段はあまり聞かない愛里寿の前置きに、隊員たちは瞬きをする。

 

「今回の試合は、急に高校生と試合を組まれたことや、カール自走臼砲の使用要請など、不自然なところが多くあったことだと思う」

 

 それは、この場にいるほとんどの者が疑問視していることだ。試合が終わった後でも、その疑問は晴れていなかった。その答えは、メグミたちにも未だ分かっていない。

 

「それについて、家元から話がある。心して聞くように」

 

 その言葉と共に集会室の扉が開き、島田流家元の島田千代が入室する。愛里寿とメグミ、アズミ、ルミは改めて姿勢を正し、椅子に座っていた隊員たちも一斉に立ち上がり気を付けの姿勢を取る。

 

「楽になさい」

『失礼します!』

 

 一見すれば嫋やかな妙齢の婦人だが、千代は日本二大戦車道流派の家元だ。大学選抜のメンバーだってそれは重々承知しているから、彼女の前では一瞬たりとも気を抜けない。統率されたその態度は、さながら熟練の軍隊だ。

 千代から言われると、隊員たちは席に着く。

 

「さて。愛里寿も言ったように、今日の試合は皆さんにとっても疑問に思うところがあったでしょう」

『・・・・・・』

「もちろん、それにはちゃんとした理由があります」

 

 笑みを崩さずに、千代は話を続ける。

 愛里寿をはじめとした隊員たちは、神妙な面持ちで千代の話に耳を傾けている。

 そして一拍置いてから、千代は笑みを引っ込めて事実を告げた。

 

「今回の試合は、大洗女子学園の廃校撤回を賭けたものでした」

 

 隊員たちが目を見開く。それはメグミたちも例外ではなく、愛里寿も息を呑んでいる。その様子では、彼女も初めて聞いたようだ。

 

「今年の高校生大会で優勝した大洗女子学園は、当初8月31日付で廃校が決まりました。ですが大洗の生徒はそれに納得がいかず交渉を重ねた末、文部科学省は大学選抜チームと試合を行い勝利することを、廃校撤回の条件としたのです」

 

 隊員たちは、反応に困る。

 試合の経緯には疑問があったが、まさかそんな事情があったとは思わなかった。

 そして、もしもあの試合に勝っていたら大洗が廃校になってしまっていたと思うと、ぞっとする。何せ廃校になったら、今回戦った戦車隊のメンバーだけでなく、何百、何千という人たちの生活を奪っていたかもしれないのだから。

 そしてその話を聞いて、メグミは『安心』していた。

 

「その話は8月29日、試合の申し入れを受けた日に聞きました。ですが、私は敢えてその話を皆さんには伝えませんでした」

 

 あらかじめ千代は、今回の試合を『高校生と大学生の親善試合』と伝えていた。隊員たちはそれを信じて、多く疑問に思うところがあっても試合に挑んだ。

 では、なぜその話を黙っていたのか。

 

「その理由は大きく分けて2つ。まず1つは、それを伝えれば恐らく、皆さんは試合に対する意欲が湧かず、今日の試合も何の糧にもならない試合に終わってしまっただろうから」

 

 大洗の廃校云々は知らなかったが、試合の条件を聞いた時点で大学選抜は既に乗り気ではなかった。それに加えて、大洗の存続が懸かっていると知れば、確実に勝とうともしなかった。

 勝って大洗を廃校にしてしまったら、間違いなく自分たちは罪悪感に苛まれてしまうだろうから。数千人規模に及ぶ人たちの生活を奪えるほど、たとえ戦車道が絡んでいても非情にはなり切れない。

 

「そしてもう1つの理由は、あなたたちに純粋な戦車道の試合をしてもらいたかったから」

 

 今度は隊員たちは、きょとんとした顔になる。『純粋な戦車道の試合』とは、どういう意味だろう。

 

「今回の試合、詳細は言えませんが、国の事情が絡んでいました」

 

 隊員の内の数名が、喉を唸らせる。文部科学省から要請された時点で察しは付いたが、日本という国が一枚噛んでいるとは思わなかった。そこまで今回の試合は、重要なものだったのかと。

 千代も、日本戦車道の将来的な発展のために大洗を廃校にする、という核心までは話せない。今この場で重要なのは『どうしてなのか』ではない。

 

「そして、1週間ほど前のくろがね工業戦では、大学選抜から寝返りが出ました。その動機は、くろがね工業から内定を貰っていたからです」

 

 その寝返りがあったことについては、あの試合に参加していた者も、していなかった者も知っていた。

 この時メグミは、座っていた隊員たちの中で表情が曇っている人物を見つけた。だが、今その隊員たちのことは置いておき、千代の話に傾注する。

 

「ここにいるほとんどの隊員は恐らく、実業団入りやプロ選手を目指して研鑽していることでしょう」

『・・・・・・・・・』

「悲しい話ではありますが、大人になると、あのくろがね工業戦や今日の試合のように、政治や社会の情勢が絡む試合をする機会が少なからずあります」

 

 大学選抜の隊員の大半が、母体である島田流からスカウトがかかり、プロ選手となれる見込みがある者ばかりだ。そうしてプロというゴールへの道に立つことができたから、選ばれたことを誇りに思い、その将来を目指して研鑽を重ねている。

 だから、大人になれば()()()()()()が多くなるということを知って、不安になってきた。

 

「しかしながら大学選抜チームは、プロ選手を目指して研鑽し、力をつけるためのチームです。政や社会の情勢が絡んだ試合に慣れるためのチームではありません。そこは、理解してもらいたいです」

 

 隊員たちが、その言葉にハッとしたように目を見開いたり、口を小さく開ける。

 

「だから私は、敢えて今回の事情を伝えませんでした。あなたたちに純粋な気持ちで、前向きな姿勢で取り組んでもらうために」

 

 隊員たちは、何も言わない。

 

「今のあなたたちに必要なことは、蟠りのある試合に慣れることではなく、戦車乗りとしての力をつけること。そして、真摯な姿勢で試合に挑んでもらうことです」

 

 メグミは千代の話を聞きながらでも、隊員たちの顔つきが変わったことに気付いた。

 

「今だけは、そういう試合をすることもある、と知っているだけで良いのです。無理にそれを体験するのはまだ先で良いのですし、知るのも今日のように事後で良い」

 

 千代は、ふわっと笑い、隊員たちを見据える。

 

「あなたたちは、私と違ってうら若き戦車乙女なのですから。純粋に試合を楽しむことは、何も悪くないのです」

 

 その柔らかい言葉と表情に、隊員たちも自然と笑みをこぼす。メグミとアズミ、ルミの表情も綻ぶ。

 愛里寿は先ほどと変わらずに硬い表情をしていたが、それでもその瞳には小さな光が宿っていた。

 

 

 千代の話が終わって退室した後は、つつがなくミーティングの時間が過ぎていった。それが終われば、安らぎの夕食の時間だ。

 ただ、その前にメグミは少しだけ話したい人がいた。

 

「川棚」

「メグミ、お疲れ」

 

 今回カール自走臼砲に搭乗した川棚、島原、諫早(いさはや)の3人だ。彼女たちを呼び止めて、少しだけ場所を移動する。

 

「今日はごめんなさいね、あんな車輌に乗せて・・・」

「ううん、メグミが謝ることはないわよ」

 

 件のくろがね工業戦で寝返りを働いた明智の車輌の乗員。戦車道の試合にトラウマを抱いているかもしれなかった彼女たちを、あんなグレーゾーンの車輌に乗せてしまったことがいたたまれなくて、メグミは謝る。

 だが、川棚は笑って首を横に振る。島原と諫早も同じ気持ちらしく、頷いていた。

 

「隊長の合理的な判断の結果ですから・・・」

「それに、私たちは見逃してもらった身だから。まだ大学選抜にいさせてもらっているだけで十分」

 

 千代の計らいで無罪放免となった川棚たちだが、それでもやはり罪悪感は覚えていると言う。

 

「・・・正直、カールで大洗の戦車を撃破した時は・・・心が痛かったですけど・・・」

 

 島原が沈痛な面持ちで呟く。今日の試合でカールは、パンター2輌とT-34/85を1輌撃破できたので、でくの坊というわけでもなかった。だが、島原は心が痛かった。試合の事情を聞いた今はなおさらだ。

 

「でも、私たちは全員プロを目指しているから、へこたれてなんていられない。それに、家元の話を聞いて、自信も持てたし」

 

 川棚が笑って告げると、島原と諫早も同じように微笑む。

 カール自走臼砲は、愛里寿が今後使うつもりはないと明言し、文部科学省に返却した。装甲は薄いし、護衛に3輌も必要な時点で運用性は赤点だ。使うメリットもそんなにない戦車を毎回使用するなど非効率だ。

 だから恐らく、川棚たちにはまた別の戦車に乗るよう言われるだろう。

 

「これからも、この大学選抜で頑張るよ」

 

 諫早が告げると、メグミも唇を緩めた。

 

「・・・3人とも、頑張ってね」

「ええ」

 

 メグミは、川棚たちと握手をする。3人のこれからの成長と、立ち直ることを願って。

 

 

 

「それでは大洗との試合、お疲れ様でしたっ!」

『お疲れ様でした~!』

 

 夕食を終えて少し時間が経ち、自由時間。多目的室でルミが音頭を取ると、隊員たちがグラスを掲げる。

 これは、大洗との試合の打ち上げだ。と言っても、ただ単純に色々感想だの愚痴だのをジュースと菓子を交えて語り合うだけのものなのだが。

 

「いやー、今日の試合は大変だったな・・・。正直、くろがね工業との試合よりも緊張したかも」

「西住流強かったねー・・・」

 

 メグミのパーシングの対馬と、アズミのパーシングの美作が顔を見合わせて『ねー』と言い合う。

 

「知波単がゲリラ戦するとは思わなかったわ。履帯切られるし、仲間がやられるし」

「廃遊園地のあれか。あれは私も驚いたよ。私がいた時なんて突撃一辺倒だったし・・・」

 

 佐倉が韮崎の話を聞いて、成長した自分の母校の変わりように感心したように頷き、

 

「でも、楽しかったな。CV33がまた見れて」

「あんな使い方あったんだって思った。いやー、気付いてれば私の時のアンツィオも強くなれたのかも・・・」

 

 茂木と足利が、母校の戦車の新しい使い方を思い出して羨ましそうに目を閉じてジュースを飲んで、

 

「川棚~?ねのカールのせいでおいのパースングがやらぃだんだげど~、何でごどすてぐれだのよ~!」

「何言ってるのか分かんないけど、とりあえずごめんなさい・・・」

「故郷の言葉が洩れてるわよ?戦車乙女なら落ち着いて優雅になさっては?」

 

 カール護衛小隊に所属していた倉石が、間接的とはいえカールの砲撃でやられてしまったことを蒸し返して川棚に絡み、真鶴がそれを見てころころと笑う。

 

「BTは噂に違わぬ変態起動だったわ・・・くっ」

「ちょっと、私の母校の戦車バカにしないでよねー」

 

 そのカール護衛小隊の隊長・宇城がBT-42に翻弄されたことを悔いていると、そのBT-42がいる継続高校出身のルミが肩を叩く。

 誰もが試合のうっ憤を晴らすように、好き勝手にものを言う。さながら無礼講の飲み会のようだったが、アルコールの類はない。明日も訓練はあるので、二日酔いなどしたら戦車に乗れないからだ。

 

「ところでメグミは?」

 

 そんな中でアズミが、メグミがいないことに違和感を覚える。音頭を取った時点でもいなかったが、『お花を摘みに行ったのかな?』と思ったが、結構時間が経った今も来ていない。

 

「あー、ちょっと用事があるって言ってました・・・」

「この北海道で?」

 

 メグミのパーシングの砲手の平戸が説明するが、アズミはさらに疑問が増える。大学選抜はあくまで遠征でここに来ているのだ。北海道に知り合いがいるという話も聞いていないし、どういうことだろう。

 しかし平戸は、何も言わなかった。

 その顔は本当に事情を知らない、ではなく、知っているけど言うまい、と言う顔だった。

 

 

 合宿所には、門限のようなものは存在しない。普段出入りする門は夜の10時で閉じてしまうが、別の場所にある通用門から入ることができる。その通用門は電子ロックだが、念のためにその番号はメグミたち副官クラスには教えられていた。

 メグミはタンクジャケットのままで、合宿所の二重扉を開き、外に出る。夏とは思えないほどの涼しい空気がメグミを包んでくる。

 正門を通り抜けて、メグミは左右を見る。事前の連絡によれば、正門から少し離れた場所で待っているとのことだ。

 すぐにメグミは、1人の人影を見つけた。ゆっくりと歩を進めてその人へ近づくと、それが誰なのかが分かり、躊躇なく声をかけた。

 

「お待たせ・・・桜雲」

 

 その名を呼ぶと、人影は―――桜雲はメグミの方を見て、笑ってくれた。

 

「こんばんは、メグミさん」

 

 

 

 桜雲がこの北海道にいると知ったのは、試合が終わって撤収作業に差し掛かろうとした時だ。

 閉会式も終えてスマートフォンの電源を付けたところで、桜雲からのメールが届いた。『お疲れ様、頑張ったね』と当たり障りのない言葉だったが、それだけでもメグミは十分嬉しかった。

 しかし、そのメールには。

 

『北海道まで観に来た甲斐があったよ。

 それぐらい、メグミさんがかっこよかった』

 

 最初はその文を見ても『かっこいいって言ってくれて嬉しいな』としか思ってなかったが、違和感を覚えて読み返してみて『えっ』と思った。

 

「まさか、来てくれるなんて思わなかったわ。メール見た時は驚いちゃった」

「ごめんごめん、ちょっと驚かせようと思ってね。北海道で訓練って聞いてからすぐにでも行きたかったけど、チケットの都合で今日が限界で」

「ううん、来てくれただけ嬉しいわ」

 

 そのメールを見てから、空いた時間に会えないかとメグミがメールで訊ねて、そしてこの時間に会うことを約束することができた。

 

「いつこっちに来たの?」

「昼過ぎぐらいに。あの会場に着いた時は、島田さんのセンチュリオンが動き出したときかな」

 

 2人は、陽も沈んで街灯が照らすだけの道を並んで歩く。立ち話も何だったので、『少し歩こう』とメグミが提案してのことだ。

 日中試合を行った演習場付近とは違い、ちらほらと明かりの灯る民家も見える。だが、畑も多く真っ暗な広い場所もあった。

 

「他のみんなは?」

「打ち上げ。ジュースとかお菓子とか持ち寄ってね」

 

 それを聞いて、桜雲は少しだけ不安になった。

 

「メグミさんは・・・それに参加しなくてよかったの?」

「ああ、まあ話すことは他愛もないことばかりだし、桜雲と一緒にいたかったし」

 

 さらりと告げた本心に、桜雲は心が揺れるが、『・・・それは、ありがとう』とだけ返す。

 やがて2人は、だだっ広い芝生が特徴の公園だ。公園の入り口のすぐそばには芝生が広がっていて、せっかくだからとメグミと桜雲はその公園に足を踏み入れた。

 

「・・・星が綺麗ね」

「本当だね・・・。向こうじゃ絶対見られないよ、これは」

 

 2人で空を見上げると、都会とは比べ物にならないほどの星空が広がっている。

 都会ではビルの光が弱い星の光を上書きしてしまうから、これほど綺麗な星空は見えない。だがこの辺りには高いビルもないし、民家だってそれほど多くはないから星の光も妨げられることはない。

 桜雲とメグミは、だだっ広い芝生の真ん中に腰を下ろす。こうした場所もそうそう無いので、新鮮な気分だ。

 

「でもまさか、来てくれるとは思わなかったわ」

「あはは・・・」

 

 一息ついたところでメグミが告げると、桜雲は笑ってごまかそうとする。だが、じっとメグミが桜雲のことを見ると、桜雲は今度は観念したように息を吐く。

 

「・・・直接ここへきて、メグミさんを応援したかったから・・・だけじゃ足りないかな」

 

 空を眺めて恥を逸らしながら答えると、メグミも同じように空を見上げる。訊ねた身でありながら、メグミは大したことも言えず『そう・・・』としか言えない。

 それから風が吹き、芝生や木の葉が揺れる音が届くが、それに混じって猫の鳴き声が聞こえてきた。

 

「・・・猫・・・・・・?」

「近くにいるのかしら?」

 

 鳴き声を聞いて、メグミは芝生の外側にある植え込みの方を見る。

 すぐさま、植え込みの葉が不自然に揺れて、擦れる音が聞こえてきた。そして、ひょこっとグレーの猫が顔を見せる。

 

「あっ、いた。野良猫かしら?」

「・・・かもね」

 

 だがメグミは、桜雲の反応が薄いことに気付いた。

 まだ会ったばかりの頃は、野良猫に対しても積極的に触れ合おうとしていたのに。

 

「どうかしたの?」

 

 たまらず、メグミは桜雲に問いかける。

 

「え?いや、別に・・・何も」

「何かあったのね?」

 

 案の定桜雲ははぐらかそうとするが、それをメグミはぴしゃりと遮る。

 桜雲は目を逸らそうとしても、メグミは決して桜雲から目を離さない。じっと、見据える。

 

「もし、桜雲が何か悩んでいることがあるのなら・・・遠慮なく言ってほしい。私とあなたはもう、悩みや不安を隠したり、隠されたりするような関係じゃない」

「・・・・・・・・・」

「それにあなたは前に、落ち込んでいた私の下に来てくれた。そして、私に寄り添おうとしてくれた。だから今度は、私があなたに寄り添っていたい」

「・・・・・・・・・」

「だから、話してほしい」

 

 くろがね工業戦の後、メグミは桜雲に心無い言葉を言ってお互いに傷ついた。そのことは、付き合っている今でもまだメグミ自身、許せていない。お互いに謝ったが、それでもチャラにできたと思っていない。

 そして、自分たちはもう恋人同士だ。何かに悩んでいたり、迷ったりしているのであれば、それは一人で抱え込まないでほしい。メグミはそう思っている。

 

「・・・・・・聞いてくれる?」

「もちろん」

 

 その言葉で踏ん切りがついたのか、桜雲はメグミのことを見る。

 メグミは、桜雲との距離を少し詰める。

 涼やかな風が吹き、芝生を撫でていく。

 

「・・・・・・昨日ね」

 

 夜空を見上げる桜雲。

 その仕草が表情と相まって、涙を堪えているようにも見えた。

 

 

「・・・実家の猫が、死んじゃったんだ」

 

 

 メグミは、口をつぐむ。

 桜雲の瞳は、潤んでいた。

 

「昨日の夜、メグミさんとの電話の後で、実家からメールで知らされた。静かに息を引き取ったって」

 

 メグミは、ペットを飼ったことがない。だからペットを飼うということ、ペットが同じ家族として暮らすこと、そしてその家族同然のペットが死ぬこと。どれも経験したことがない。

 そして恐らく桜雲も、ペットが死ぬという事態に直面したのは初めてだろう。

 それでもメグミに分かることは、今桜雲がどんな気持ちを抱いているのかだ。

 

「・・・桜雲は、それが・・・悲しいのよね」

「うん・・・すごく。やっぱり、大切な家族だったから」

 

 普通の人なら、『たかがペットが死んだぐらいで女々しい』などと言うのかもしれない。

 だが、桜雲は違う。本当に猫のことが好きでいて、家族の一員だと言っていた。そして、だからこそ、命の重さを知っている。

 そんな、大好きな猫と、家族との永遠の別れが悲しくないはずがない。

それを誰かが責める権利だって無い。

 

「いや、悲しいんだろうなってことは分かってた。でも、やっぱり実際に経験すると、悲しいなんてものじゃないや」

 

 視線を夜空から芝生に映して、目を瞑る桜雲。

 

「・・・何か、心に穴が開いたみたいだ」

 

 その目を、軽く指で拭う桜雲。

 

「・・・・・・辛いよ」

 

 桜雲は実際にその場にいただけでなく、メールでその事実を知らされた。だが、それでも桜雲の心は大きく抉られたように傷ついている。

 そして実際にその場にいても、桜雲は同じように傷ついていただろう。

 

「・・・・・・・・・」

 

 もう一度、桜雲は星空を見上げる。だが、目は開けない。そうしないと、涙が零れ落ちてしまいそうだから。

 その猫には家族として接し、実家を離れて一人暮らしをしても、帰省した時などには可愛がって、そして何より大切に思っていた。

 猫を飼っている中で、命あるものを飼うことの覚悟と厳しさ、そして命の重さを桜雲は知った。その命が失われてしまったのだから、とても辛くて、悲しい。

 それは至極真っ当な感情だ。

 そして、命の重さを知って、そこから背を向けずに向き合っている桜雲のことが、メグミは好きだった。

 

 メグミは、桜雲の肩を抱き寄せて、肩と頭を軽くくっつける。

 

 堰を切ったように、桜雲は静かに涙を流した。

 みっともないと思っていても、女々しいと分かっていても、それでも悲しさには耐えられなかった。初めて『死』と直面して、胸の中がごちゃ混ぜにされているようだ。

 その苦しさは、泣くという形でしか吐き出せなかった。

 今、この場にいるのは桜雲のほかにはメグミだけだ。

 だから、桜雲の中にある苦しさや悲しさの涙を、メグミは全て受け止めた。

 

 

 少しの間、声を押し殺して泣いた後、妙に心がすっきりしたような気がする。星空も、さっきと比べると澄んでいるように見えた。

 

「・・・ごめん」

「平気、気にしないで」

 

 弱いところを見せてしまったと謝るが、メグミは首を横に振る。

 弱さや不安を抱え込まずに、曝け出してくれたことの方が嬉しかった。

 

「・・・少し、すっきりしたかな。いや、まだ悲しいって気持ちはあるけど」

「でも、悲しい時は、無理に我慢しないで泣いた方が気持ちが晴れるって聞いたことあるかも」

 

 先ほどと比べると、桜雲の顔はつきものが落ちたかのように見える。一度感情を吐き出したことで、大分持ち直してきたらしい。

 だが、メグミには桜雲の気持ちで分からないところが1つだけあった。

 

「桜雲・・・こんな時に訊くのはどうかと思うけど・・・」

「?」

 

 本当にそれを今訊くのは、憚られる。

 だが、最適な機会は今だった。

 

「・・・将来、猫を飼えるようになりたいって言ってたと思うけど、それは今も変わらない?」

 

 自分の未来を語った時、桜雲は確かにそう言った。

 『別れ』に何度も直面することを恐れて、生き物に携わる仕事には就けないと。だが、家族としては接していたいと言っていた。

 実際に『別れ』を経験してみなければ分からないとも言っていたが、今がまさにその時だ。

 こんな時に訊くのは、持ち直してきた桜雲の気持ちを再び暗くさせてしまうというリスクもあった。

しかし、それでも訊きたかった。訊かなければならない気がした。

 

「あなたが、家族である猫を失ってどれだけ悲しいのかは、分かってるつもりよ。でも、将来また飼うことになって、絶対に来るその『別れ』にまた向き合う時、桜雲は耐えられる?」

「・・・・・・・・・」

 

 厳しいことを言うようだが、それだけは確かめたい。

 猫の寿命は人間よりも短い。だから、猫を飼えばほぼ確実にまた『別れ』に直面する。

 またその時が来た時、先ほどのように桜雲の心が深く落ち込み、傷ついて涙を流すのだとしたら、メグミは素直に賛同することができない。

 『別れ』に慣れろ、と言うわけではない。もしかしたら次は、今回以上に深刻に考えてしまい、立ち直れなくなったらと心配だった。

 

「・・・それでも僕は、飼いたいと思ってるよ」

 

 メグミはまだ、その答えに明確な反応は示さない。

 

「僕の父さんと母さんも、あの子のことを可愛がってた。それは多分、絶対に『別れ』が来ることを分かっていたから、精一杯愛情を込めていたんじゃないかって、僕は思う」

「・・・」

「僕も確かに可愛がってはいたけど、『別れ』についてはそこまで考えてなかったから」

 

 夜空を見上げると、星の位置がさっきと少し変わっていた。

 桜雲の目には、その星空が映っているのだろうか。

 

「それに・・・猫は好きだから。別れの時はすごい悲しいってことも分かった。だから今度は、より一層愛情を注いで、接することができると思うから」

「・・・迷いはないんだ?」

「うん」

 

 再確認すると、桜雲は頷いた。

 それを聞いて、メグミも安心する。

 

「その方が・・・桜雲らしいかもね」

 

 からかうような、信頼しているような言葉に、お互いに小さく笑った。

 

「・・・何か、ごめんね。変な話聞かせちゃって」

「ううん。むしろホッとした」

 

 桜雲の胸中を聞き、何を悩んでいたのかが聞けて安心した。そして、桜雲はブレることなくこの先進めることも分かった。

 

「メグミさんも・・・何か悩んでいることとかある?よければ聞くよ」

 

 メグミには自分の弱い面を見せて、話を聞いてもらった。だから今度は、メグミの力にもなりたい。

 それに今日の試合は、色々と多く思うところがあったから、メグミだって何かを悩んでいるのかもしれない、と思っていた。

 メグミは『気にしないで』と言おうとしたが、やはり聞いてほしいことはあった。

 

「・・・じゃあ、桜雲。聞いてもらってもいい?」

「うん、もちろん」

 

 促されて、メグミは口の中で『桜雲になら話してもいいかな』と呟いてから告げた。

 

「今日の試合、実は・・・大洗女子学園の廃校撤回を賭けた試合だったみたいなのよ」

 

 衝撃の事実に、桜雲は眉を顰める。

 メグミは、他言無用と前置きしてから今日の試合の真意を桜雲に話した。尤も、それも千代から聞いた話なので氷山の一角に過ぎないのだが、それでも事情を話すには十分だった。

 

「・・・その話を聞いた時、私は安心したのよ。勝たなくてよかったって」

 

 もし試合で大学選抜が勝っていれば、今日戦った大洗の戦車隊だけでなく、大洗の生徒、学園艦で暮らす住民全員の生活を奪ってしまっていたのだから。

 そうならなかったことに、メグミは安心していたのだ。

 

「でも・・・そんなことを思っていいのかなって、悩んでる」

 

 試合に勝たなくてよかった。負けてよかった。

 戦車乗りとしてそう思うことは悪いことなのではないかと、メグミは思うのだ。

 戦車道と試合は切っても切れない関係にある。戦車道の試合こそが、戦車乗りが戦車道の世界で自分の存在する価値を示すものだ。

 その試合に『勝たなくてよかった』と言う生半可な気持ちを抱くのは、戦車乗りとして悪いことなのではないか。そうメグミは自問自答している。

 

「・・・・・・じゃあさ、メグミさん。メグミさんは普段の試合の前に、『勝たなくてもいい』って思ったことはある?」

 

 メグミの話を聞いたうえで、桜雲は問う。

 

「・・・いいえ、無いわ」

 

 そしてメグミの答えは否だった。

 桜雲が言うような生半可な気持ちで試合に挑んだことなどない。試合をする時はいつだって真剣に、全身全霊を込めて挑む。今日の試合に限っては、乗り気ではなかったが。

 

「今まで、試合の後で『勝たなきゃよかった』『負けてよかった』って思ったことは?」

「それも無いわ」

 

 真剣に戦ったからこそ、後悔はしない。桜雲が言ったような気持ちにもならない。

 その答えを聞いて、桜雲が安心したように笑った。

 

「そう思ってきたってことは、メグミさんがこれまで真剣な気持ちで試合に臨んでいたってことだよ。でも、今日の試合は前とは違っておかしかったんだ」

 

 お互いに視線をそらさず、桜雲はメグミの顔を見て、メグミは桜雲の話に耳を傾ける。

 

「今日の試合に勝っていたら、大洗に住んでいる人全員の生活を奪うことになってた。その人たちのことを考えて『勝たなくてよかった』って思うことは決して悪いことじゃない、僕は思うかな」

 

 甘い気持ちで試合に臨んでいては、成長など見込めない。それは、愛里寿が最も嫌う『戦車道を侮辱する行為』にあたるだろう。

 しかし、今回の試合は事情が事情だ。大洗の廃校、ひいては大洗の学園艦の住民全員の生活を賭けた戦いと来れば、普通の試合とは程遠い。

 そして、それほどまでの重大なものを賭けた試合に負けたことで、大洗の人々の生活を守ることができたのであれば、それを『良かった』と思うことは悪いことではない。桜雲はそう思う。

 

「・・・前と今日の試合では、背負うものが違ったんだ」

 

 これまでの試合は、自分の成長を。

 今日の試合では、大洗の人々の生活を。

 その背負うものが違ったから、考えることも違ったのだ。

 

「・・・・・・そっか」

 

 メグミは、桜雲の言葉を噛み砕いて呑み込み、そっと桜雲の手を握った。

 

「・・・やっぱり、私にはあなたが必要よ」

「え?」

 

 突然の言葉に、桜雲はきょとんとする。

 

「私は大学選抜って言う精鋭揃いのチームに入っているけど、やっぱりまだ人間出来てないわ。さっきみたいに悩んだり、考えたりすることだってあるし、前みたいに人に当たることだってある」

「でも、副官まで務めてる人間が出来ていないなんてことは・・・」

「でも、私自身はそう思ってる」

 

 メグミは一度だって、自分が『完璧な戦車乗り』と思ったことはない。そう思ってしまうことは驕りだし、そう思ってしまえば成長は止まる。

 憶測だが、アズミも、ルミも、愛里寿だってそう思ったことはないとだろう。

 

「だからこそ桜雲みたいに、躓きそうになる私を支えてくれる人がいるのが・・・私はすごく嬉しい」

 

 桜雲はメグミのことを、じっと見る。

 

「そして、優しくて、私を支えてくれるあなたのことが好き」

 

 満天の星空の下で、メグミが真っ直ぐ桜雲のことを見ているのが分かる。

 

「ね・・・桜雲」

 

 少しだけ、躊躇うように間を置いてから、メグミは告げた。

 

 

 

「これから先、私と一緒にいてくれる?」

 

 

 

 目を閉じる桜雲。

 その言葉の意味を、桜雲は分かっているつもりだ。その意味を改めて聞くと、男が廃る。

 

「・・・・・・僕でいいんだ?」

「ええ、あなたじゃなきゃ」

 

 そう言われては、断ることなどできはしない。

 もとより、断るつもりもない。

 

「・・・・・・メグミさん」

 

 繋いでいた手を、強く握る。

 

「メグミさんは、僕のことを『命のことを真剣に、大切に考えている素敵な人』って言ってくれた。それはもちろん、忘れたことはない。すごく嬉しかったから」

 

「そしてさっき、僕がどうしようもない弱音を吐いた時に、メグミさんは傍にいてくれた。話を聞いてくれた。それも僕にとっては嬉しいことだし、本当にありがとうって、思った」

 

「そして僕は、そんな優しいメグミさんのことが好きだ」

 

 強く、優しく、メグミの手を握る。

 

「メグミさん」

 

 瞳を見据えて、音もなく息を吸って、告げる。

 

 

 

「ずっと、一緒にいよう」

 

 

 

 その時、星空で流れ星が尾を引いて、夜空に消えた。

 

 

 

 9月に入ると、大学選抜チームは北海道から帰ってきた。

 大洗との試合に負けたことは、大学選抜にとってもカンフル剤のような働きをして、モチベーション向上の糧となっている。

 

「バミューダアタック、パターンQ!」

 

 あの試合でバミューダ3姉妹も、高校生に一杯食わされた。

 その時のことはちゃんと教訓として、今は新しい陣形や作戦、バミューダアタックの新しいパターンを考えている。それを模擬戦で実際に使って、難があるようであればまた考える。

 愛里寿も、西住姉妹に倒されたことを悔しく思っているのか、センチュリオンの動きにもキレが増している。はっきり言って、天井知らずの成長速度だ。

 あの日の試合を境に大学選抜は力を着実に伸ばしている。それは社会人、実業団にも伝わったようで、近いうちに関東地区第2位の社会人チーム・ことぶき工業との試合の話も持ち上がってきた。

 

「お疲れ様、メグミさん」

「ありがと、桜雲」

 

 あの大洗との試合から、大学選抜はより進歩し続けている。

 その中で、メグミは疲弊することも度々あった。けれど、そんな時はいつだって、桜雲が支えてくれている。一緒にお弁当を食べたり、休日にデートをして、猫カフェに出向いたり。

 それを、アズミとルミが筆頭となった大学選抜のメンバーにからかわれることもある。ついには愛里寿も興味が湧いてきてしまったようで、2人のことを温かい目で見てくることもあるが、どうしようもない。

 それに、桜雲もメグミもそれはまったく気にしていなかった。それだけ自分たちが、仲良く見られているということだろうから。

 

「ことぶき工業との試合、本当なの?」

「ええ。家元がOKしたって」

「大丈夫かな・・・。ことぶきって、ドイツの重戦車を起用してるみたいだけど・・・」

「そこはあれよ、戦術と腕かしら」

 

 あの日に誓ったように、桜雲はメグミとこの先ずっと一緒にいることを、覚悟を決めた。

 この先ずっと、戦車道を歩み続けるメグミの傍にいるために、支えるために、力になるために、桜雲は戦車道のことを真剣に勉強しだした。

 もう二度と、無責任な言葉でメグミを傷つけたり、追い詰めたりしないためにも、桜雲は戦車道のことを学ぶと決めた。

 今だけでなく、この先の未来でも、メグミのそばに居続けるために。

 メグミを支えられる人であるために。




後1話で、今作品も完結となりますので、
最後までお付き合いいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Happiness Home

 夜空を眺めていると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。

 

「あの日も、そうだったなぁ・・・」

 

 別に、悪い思い出があったわけじゃない。むしろ僕にとっては、かけがえのない、特別な思い出のある日だ。

 あの日、星空の下で約束を交わしたからこそ、今の僕たちがあるのだから。特別に決まってる。

 少しの間、窓から夜空を見上げてぼうっとあの時のことに思いを馳せる。

 

「?」

 

 不意に、足元からふわふわした感触が伝わってきた。そして、『みゃー』と言う独特の鳴き声。

 何かを訴えるように見上げてくるのは、青みがかった銀色の毛並みと淡い緑の瞳が綺麗な猫・ロシアンブルー。

 僕らの家族の一員だ。

 

「はいはい」

 

 こうして僕を見上げて鳴く時は、大体『構って』の合図だ。屈んで抱き抱えてやると、満足そうに目を細める。

 猫を飼うことはもう早い段階で決まっていたけど、どんな子にするのかは迷った。その中で、一番可愛いと思ったのでこの子にした。仔猫の時から愛情込めて育てているので、大分人懐こくて、甘えん坊だ。

 そんなロシアンブルーを抱きかかえながら、また夜空を眺める。

 

「お父さん、何してるの?」

 

 今度は後ろから声をかけられた。

 振り返る前に歩み寄ってきたのは、僕の腰くらいの背丈の女の子。腕の中のロシアンブルーは、じっとその子を見ている。

 僕とあの人の子供だ。

 

「ちょっと空を見てたんだよ」

「へぇ~・・・?」

 

 その時、腕の中のロシアンブルーが脱出を図ろうとした。押さえつけずに素直に放すと、今度は我が子の足下で鳴く。それを聞いて、娘も優しく抱き上げる。教わった通りの抱き方ができていたので、そっと頭を撫でる。

 この子は最初こそ、猫を見た時はすごい泣いていたけれど、今ではこうして可愛がっている。猫の方が人懐っこくて、遠慮なく近づいて行ったのもあるかもしれない。まるで昔の自分を見ているみたいだった。

 今ではこの子も、動物好きな性格に育っている。もっと小さい、赤ん坊だった頃が嘘のようだ。

 

「お母さん、遅いね・・・」

 

 僕と同じように夜空を見上げながら、寂しそうに呟く。

 丁度僕も、同じことを思ってた。

 

「試合だったからね・・・寂しい?」

「・・・うん」

 

 素直に告白してくれた。

 僕はその頭に手を置いて、屈んで目の高さを合わせる。少しでも、寂しさを和らげるように。

 

「その気持ち、ちゃんとお母さんに伝えてあげるといいよ。絶対喜ぶから」

「うん、分かった」

 

 はにかみながら返事をして、僕も自然と唇が緩む。

 そこでロシアンブルーが身体を捩じらせて脱出し、部屋の隅に置いてあるちぐらに引っ込む。

 それを見届けてから時計を見ると、もうすぐ8時だ。

 

「さて、そろそろ夕ご飯の準備をしようかな」

「手伝う!」

「それじゃ、お皿を並べてほしいな」

 

 頼んだわけでもないのに、この子は自分から手伝おうとしてくれる。この無邪気な優しさが心に染み入るようだし、優しい子に育ってくれて本当に嬉しく思う。

 皿を落とさないように、愛娘にも気を配りながら料理の準備を進めていく。

 結婚して家事を分担するようになったけど、あの人が戦車道で忙しい時は率先して僕が家事をする。戦車道の世界が大変なのは分かっているから、もちろん不満なんてない。できることが小さなことでも、支えられるのであれば何でもするつもりだ。

 

「ん?」

 

 そこでまた、さっきと同じように脚にふわふわとした感触。いつの間にかロシアンブルーがいて、『何か食べさせて』と言うように、物欲しげに見上げてくる。大方、美味しそうな匂いがしてきたから、食べものがもらえるかもしれないと思ったのだろう。

 

「だめだめ、ちゃんとご飯あるでしょ」

 

 今作っているのは、当然ながら猫が食べられる料理じゃない。うっかり食べたりすると病気になりかねないので、敢えて冷たく突き放す。

 結果、大人しく引き下がってはくれたが、リビングの絨毯に不貞腐れたように寝転がる。いつものことなので、今となっては微笑ましい。

 そうして料理を進めて、皿も揃えてくれて、もうすぐ完成と言うところでインターホンが鳴った。

 

「お母さんかな?」

「かもね」

 

 先に娘が玄関に向かい、僕もコンロを止めてから行く。

 そこで、猫が追い抜く形で玄関に向かっていく。きっと、ビンゴだ。

 玄関から外へ出ないように抱きかかえてから、扉を開ける。

 

「ただいま」

 

 そこに立っていたのは、やっぱりメグミさんだった。

 今では僕にとって一番近しい人を見て、何だか安心する。

 

「おかえりなさい」

「おかえりー」

 

 両手には荷物を提げているけれど、多分戦車道関連のものだろう。だからドアが開けられなかったのか。

 

「私だって分かったんだ?」

「そろそろかなって思って。それに、この子が気付いたみたいでね」

「へぇ~。私が恋しかった?」

 

 メグミさんがロシアンブルーの頬をそっと指で撫でる。

 飼い猫は、成長すると飼い主の足音を覚えるようになる、という話を聞いたことがある。僕が学生時代に実家で暮らしていた時も、飼っていた猫は扉を開けた時にはすでに玄関まで来てくれていた。

 

「私も寂しかった!」

「そっかそっか。ごめんね~」

 

 愛娘が抱き着いて、メグミさんも頭をポンポンと軽く撫でる。

 

「ご飯できてるよ」

「ありがとう、疲れたわ・・・」

 

 やっぱり試合があったから、相当お疲れのようだ。

 荷物を受け取ってから、軽くハグを交わす。メグミさんは一旦自分の部屋に戻って着替えるので、僕と娘はリビングに戻り、夕食の準備を再開する。と言っても、あとはお皿に盛りつけるだけで完成だ。

 

「あら、何かいい香りが」

 

 着替えて、手を洗ったメグミさんがリビングに顔を出す。何だか嬉しそうだ。

 

「唐揚げだよ」

「お腹空いてたからありがたいわ~」

 

 得意料理の唐揚げだ。疲れてるだろうと思ってこれにしたけど、どうやらおあつらえ向きだったみたいだ。

 そして全員が食卓に着くと、全員で手を合わせる。

 

「「「いただきます」」」

 

 早速、メグミさんは唐揚げに箸を伸ばす。

 

「ん、美味しい」

「ありがとうね」

 

 一口食べて、微笑むメグミさん。それにもちろん、僕は笑って感謝の言葉を返す。

 

『開催まで半年を切った戦車道世界大会。各地が注目している中で今日、日本代表チームが強豪・イギリス代表と練習試合を行い、見事試合を制しました』

 

 丁度、テレビのニュースが戦車道の話題になったので、僕を含めた家族全員の視線がテレビに向けられる。

 アナウンサーの解説を交えて、試合の様子がダイジェスト形式で流れる。日本代表の戦車が草原を駆ける様や、岩盤地帯で激しい砲撃戦を繰り広げる光景が映る。

 

「お母さん映ってる?」

「この距離じゃ無理じゃないかな・・・?」

 

 テレビを指差して愛娘がメグミさんの姿を探すけど、ドローンの空撮映像なので流石に戦車に乗る人の姿までは見えない。

 

「今回も大変だったみたいだね」

「ええ・・・強豪って言われるだけあったわ。とにかく強くて、どうにか勝てたけど辛勝・・・ギリギリ勝てた感じ」

 

 メグミさんが試合をしていたころ、僕は丁度仕事だった。だから、試合の詳細は僕にも分からない。だけど、メグミさんの参っている様子を見れば、大変な試合だったのは分かる。

 ニュースでは、イギリス代表の戦車は全て撃破できたけれど、日本代表の戦車は残り3輌まで削られたみたいだ。

 そこで。

 

「あ、お母さんだ!」

「え?」

 

 急に娘が声を上げたのでテレビに視線を戻す。

 残った3輌の戦車の車長の名前が顔写真付きで映っていて、確かにそこには『桜雲メグミ』と名前があった。

 

「最後まで残れたんだ。すごいじゃない」

「ええ。でも、アズミとルミは途中でね・・・」

 

 残り2輌の車長は、島田愛里寿さんと、西住まほさん。2人とも、戦車道2大流派の時期後継者と言うことで注目を集めている。

 アズミさんとルミさんも代表入りしたと聞いていたけれど、メグミさんの言う通り途中で脱落したみたいだ。

 

「あとで『お疲れ様』って言っておこうかな」

「ま、あの2人もそんなにへこたれちゃいないと思うけどね。旦那さんがいるし」

 

 大学の飲み会で独り身なのを嘆いていたけれど、それも今や昔の話。あの2人も既にパートナーを見つけているから、確かに僕が励ますのも何か違うかもしれない。

 一応、昔のよしみと言うことで労いのメールだけ送ることにしよう。

 

「改めて・・・お疲れ様」

「ありがと。はー・・・明日がお休みでよかったわ・・・」

 

 心底疲れたように息を吐くメグミさん。

 声をかけようとしたけれど、そこでロシアンブルーがぴょんとテーブルに飛び乗ってきた。

 料理に手を出そうとするのなら下ろすけど、ロシアンブルーはメグミさんに顔を近づけて『みゃ』と小さく鳴いた。まるで、元気づけるかのように。

 

「ありがと、可愛いわね~♪」

 

 箸を置き、ロシアンブルーを抱きしめるメグミさん。どうやら、自分を元気づけてくれていると分かったようだ。

 疲れた様子も、猫を抱きしめている今は逆に癒されているように見える。

 

(前も、あんな感じだったな・・・)

 

 まだ自分たちが学生だった頃。

 猫カフェに行って、メグミさんは猫の可愛さに打ちのめされて、今みたいに緩んだ表情だった記憶がある。

 どこか懐かしい。

 

「・・・お父さん」

「?」

 

 猫を抱きしめたまま、メグミさんが話しかけてきた。

 

「本当に、ありがとうね」

「え?急にどうしたの」

 

 本当に急だったので面食らう。メグミさんもそんな気がしていたのか、ロシアンブルーを撫でながら話し出す。

 

「最初にあなたと出逢ってから、猫と触れ合う機会も増えて。それであなたのことを好きになって・・・こうして幸せな家庭まで持てるようになったから」

 

 愛娘も、メグミさんの話に耳を傾けている。

 

「みんながいてくれるから、支えになっているから、私は今も戦車道を頑張れる。今の私がいるのは、あなたに会えたからよ」

「・・・・・・」

「だから、ありがとう」

 

 つくづく思う。

 メグミさんと言う人と出逢えたこと、そして結ばれたことが、本当に嬉しいと。

 

「・・・僕からも、言わせてほしい。君に出逢えてよかった、ありがとう」

 

 笑えていると思う。ちょっと視界がぼやけているけど。

 そこで、愛娘がきょとんとしているのに気づく。

 

「猫カフェってどんなところなの?」

 

 猫カフェの大半は、年齢制限がある。この子の年齢では、まだ無理だ。

 だから、猫カフェがどんなところなのかも分からないのだ。

 

「猫と遊んだり、お茶を飲んだりして楽しむ場所よ」

「うちでもできるよ?」

 

 ロシアンブルーを指差しながらの言葉は、もっともだ。僕とメグミさんは、顔を見合わせて笑う。

 

「まあ、そうだけどね。でも、違う猫がいっぱいいるから面白い場所だよ」

「あなたがもう少し大きくなったら、連れてってあげる」

「んー・・・わかった。楽しみにしてるね」

 

 最初に僕とメグミさんが出逢ったあの猫カフェにはもう行った。でも、いつの日か、今度はこの子を連れてあの場所へ行きたい。

 それから、メグミさんに懐いたグレーの猫がいたあの猫カフェにも。もうあのグレーの猫はいないけど、それでも雰囲気は変わっていない。

 

「みゃー」

 

 メグミさんの胸の中で、ロシアンブルーが小さく鳴く。

 その雰囲気を和ませるような鳴き声に、僕たち3人の家族は、ほんの少しだけ顔を見合わせて、笑った。




これにて、メグミと桜雲の物語は完結となります。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ガルパン恋愛シリーズも5作目となりましたが、いかがでしたでしょうか。

今回は、ガルパンとは接点があまりない『猫』をテーマにしてみました。
劇場版パートでは、前々から書きたいと思っていた『大学選抜チーム目線でのあの試合』を書かせていただきました。
お付き合いいただき、ありがとうございます。

猫を飼っている身としての実体験も交えての今作、
一人でも多くの方が楽しめたようでしたら幸いです。

次回作を投稿する時期は不明ですが、
次のヒロインはレオポンさんチームの子か、現在公開中の最終章第2話に登場するBC自由学園の子になるかなと思います。

最後になりますが、
ここまで読んでくださった方、応援してくださった方評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、本当にありがとうございました。
また次の機会に、お会いしましょう。

ガルパンはいいぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。