恋の訪れは猫とともに (プロッター)
しおりを挟む

Megumi Meets Men

 猫カフェという場所がある。

 そこは読んで字の如く、猫のいるカフェだ。

 昨今、その愛くるしい姿から猫がブームになっていて、猫を飼う人も増えてきているらしい。そのブームが到来して以来、それまでは話題に上がることがそれほどなかった猫カフェも注目を集めてきている。テレビ番組でも紹介されることが度々あった。

 そんな注目されている猫カフェという場所を目指して、メグミは静かな街並みを歩いていた。

 

(ちょっと暑くなってきたわねぇ・・・)

 

 澄み渡った青空を見上げながら、メグミはぼんやりと考える。季節は6月も中盤を過ぎて7月に近づいていて、気温も順調に上がってきていた。

 今日は、戦車道の練習や試合、島田流本家への挨拶、チーム内でのミーティングもない完全なるフリーの日で、メグミにとっては思いっきり体を休めることができる貴重な日だ。

 しかしメグミは、純粋にお茶をすることを目的としたカフェには行ったことはあるが、猫カフェに行ったことは1度もない。

 そのお茶目的のカフェも、同僚に誘われたり、戦車道で疲れた身体を少し休めるぐらいでしかなく、そこを目的地として自分から進んで行くことはなかった。

 もっと言えば、休日にメグミは自分からどこかへ出かけようと思うこともあまりない。先に述べたような誰かに誘われた時だったり、体力づくりのためにトレーニングジムへ行く時だったり、生活に足りないものをちょっと買いに行く時。本当にそれぐらいだ。

 それでは、なぜこの休日にこうして行ったこともない猫カフェに急に行こうと思ったのか。

 その原因は、1週間ほど前のことだ。

 

 

 その日は戦車道の練習試合が行われた日で、メグミは同じチームメイトと共に居酒屋で打ち上げ兼反省会兼お疲れ様会をやっていた。

 そんな中で。

 

『この一杯のために生きてるわ~!』

 

 と、チームメイトがビールを呷って満面の笑みで告げたその言葉に、メグミは同じくビールジョッキを片手にうんうんと頷いた。

 確かにメグミも、戦車道の試合で疲れ切った後で飲む一杯は至高の味だと思う。酒を飲める歳になってから間もなく1年を迎えようとしているが、この五臓六腑に染み渡るかのような味と感覚は、酒の味を知らなければ得られないものだ。

 

『私にはこんな美味しい料理作れないな~』

 

 今度は別のチームメイトが、頼んでいた唐揚げを一つ口に放り込み舌鼓を打って呟く。メグミもまったくだと激しく同意して頷いて、同じくから揚げを一つ食べる。

 メグミは料理を全くと言っていいほどしない。メグミ自身チマチマした作業は好きじゃないし、料理も分量やら何やらが細かくてそれでいて肝心なところは『少々』『適量』『いい感じに焼き目がついたら』と妙に無責任な感じがするのも好きじゃなかった。

 だが、そこでメグミはふと思ったわけだ。

 

 女性としてこれはどうなの?と。

 

 戦車道の疲れを癒すのはお酒、料理はできない、おまけに大した趣味もない。

 それは成人直後の女性として、いや年齢など関係なく女としてダメなんじゃない?メグミはふと、危機感にも似た疑問を抱いたのだ。

 メグミは元々、『自分はちょっとだらしないかなぁ』と思うことはあった。けれどそう思うだけで、今の自分は別に嫌いではなかったし、だからと言って自分が死ぬわけでもなかったので、気が向いたら変えればいいか、ぐらいの認識でしかなかった。

 だがその危機感を覚えたことで、今まで感じなかったはずの『女性として、このままじゃだめだ』と自分を正そうとする気持ちが芽生えた。

 今がその、『気が向いた時』。

 要するに、戦車道を歩み続けたことで錆び付いていた女心が、再燃しだしたのだ。

 

 

 というわけでその日以来、自分を変えられるような何かを探していたわけだ。

 まず手っ取り早く料理かな、と思ったが調理器具の類が自分の家に揃ってなかったので、あえなく断念。またの機会とすることにした。

 他にもショッピングだったり小旅行だったりガーデニングだったりと、色々と『他人に恥ずかしくもない女性的な要素』を色々探していたのだ。

 そんな中でメグミは、テレビで放映されていた猫カフェの特集を目にした。

 その特集を見て、メグミは少し考える。

 メグミにも小動物を可愛らしいと思う感性はもちろんあるし、メグミ自身猫が嫌いというわけでもない。

 流行に乗っかるわけではないが、その猫カフェ特集を見て純粋な興味が湧いて出てきたのだ。

 そしてこの休日に、猫カフェに足を運んでいるわけである。

 目的のお店は、そのテレビの特集で取り上げられていた猫カフェ。元々テレビで特集される前から人気のお店だったらしく、予約を取るのもなかなか難しいと言われていた。しかし今日は、割とすんなり予約を取ることができたので、ラッキーだった。

 猫カフェの中には予約を必要としないお店もあるらしいが、メグミは初めて行くのならちゃんとした店に行きたいと思っていた。事前の予約が必要という点や、テレビの特集で取り上げられたという点に安心感を抱いて、今日行く店を選んだのだ。

 

「どんな感じなのかしら・・・?」

 

 まだ見ぬ猫カフェへの期待を隠せず、つい口からそんな言葉が洩れだす。

 予約をする際にホームページでカフェの様子をちらっと見たのだが、いい感じの雰囲気だということは分かっている。

 ネット上での評価、口コミは見ようとはしなかった。もしも悪い評判なんかを目にしたら、嫌な気持ちを抱えたまま行くことになって純粋に楽しめない。だからメグミは、そういった個人の評価を見たりはしなかった。

 少し歩いて、ついに目的のお店の前に到着した。ここは確かに住宅街のはずなのだが、このお店だけは絵本の世界から飛び出してきたかのようにファンシーなデザインで、周りとは全然雰囲気が違う。

 ブラケットに掛けられた木製の看板に、店の名前が彫られている。それを確認すると、メグミは木製のドアを開き、店の中へと入る。

 ドアを開けた瞬間から猫の鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる、ということにはならなかった。

 中の照明は暖色系だが、壁際にぽつぽつと付いている程度で、天窓から取り入れている太陽の光も利用して中を明るくしている。暗くなったり天気が悪い時は、点ける照明の数を増やすのだろう。オルゴール風のBGMがスピーカーから流れ、お店の中をゆったりとした雰囲気で満たしていた。

 レジに店員はおらず、小さなハンドベルが置いてある。『御用の方はベルを鳴らしてください』と傍に注意書きも置いてあったので、メグミはそのベルを『チリチリン』と小さく鳴らす。そのベルの音を聞いて、猫たちがメグミに視線を向けたのだが、メグミはそれには気づいていない。

 

「大変お待たせしましたぁ~」

「すみません。予約をしていた者なんですけど・・・」

 

 1分と経たずに店員と思しき若い女性がやってきて、メグミは店員から予約内容を確認される。そして確認が取れると、改めて店員から利用するにあたっての留意するべきことと注意点を伝えられた。

 時間は2時間。料金は1杯分のドリンク代込み。猫の抱っこはNG、しかし猫の方から近寄ってきた場合には優しく接すること。写真撮影はフラッシュ無し。

 メグミは事前説明を聞き終えると頷いて、代金を払ってドリンクを注文する。そして靴を脱いで下駄箱に仕舞い、手の消毒をする。そしてようやく、猫たちと触れ合えるスペースへと入ることができる。

 

「へぇ~・・・」

 

 そのスペースへと足を踏み入れたメグミは、目の前の光景に思わず声を洩らす。その『へぇ~』は、初めて訪れる場所が『こういう場所なんだ』と理解したからだ。

 中には、多種多様の猫がいた。色はもちろん、模様も、毛並みも、大きささえも違う。そしてその猫たちは、キャットタワーの上で座っていたり床に寝転んだり、思い思いの姿勢で寛いでいる。

 その猫たちは、ここに訪れたことのないメグミに僅かの時間興味を示したようで、じっとメグミのことを見ている。

 そんな猫たちのいるスペースを、メグミはゆっくりと見回しながら歩き進める。すると、割と近い場所にいた猫はたたっと離れて行ってしまった。やはり、警戒されているらしい。人懐っこい子もいるようだが、そんな感じの子は今のところ見る限りはいないようだ。

 スタッフから好きな席に座っていいと言われていたので、メグミは2人掛けのテーブル席、ベンチシート側に座ることにした。そして向かいの椅子にバッグを置く。

 そして席に着くと、また1人入店したようでレジの方から『チリチリン』と小さくベルの音が鳴った。メグミの時と同じように予約情報の確認と事前説明を済ませ、そのお客が猫たちのスペースにやってきた。

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の青年で、すごいオシャレとは言えない程度なカジュアル系の服装だった。こういったお店に男性が1人で来るというのは少々意外だったが、もしかしたら彼も猫好きなのかもしれない。

 この青年もこの店に来るのは初めてなのか、周りの猫たちはメグミの時同様警戒している様子だ。

 青年は、メグミの隣の空いている席に座る。それは意識してそこに座ったわけではなくて、ただ空いている席を見つけたからそこに座った感じだ。

 

(結構いろんな人が来るのね・・・)

 

 メグミはそこで、中を見渡す。ただし見るのは、訪れているお客の方だ。

 休日だからか客入りはそこそこで、その大半は女性客だ。年齢の幅は広くて、中学生ぐらいの子からおばあちゃんまでいる。男性もいるにはいるが、メグミの隣に座る青年以外は女性と一緒、要するにカップルらしい。何だかカップルを見ると妙な劣等感まで抱いてしまうので、そっちの方は見ないでおくことにした。

 すると、メグミの足下に1匹の茶色い縞模様の猫が寄ってきた。抱っこすることは禁止されているので、メグミにはもっと近寄ってくることを願うしかない。

 願いが通じたのか、やがてその猫は十分な距離まで近づいてきて、何か物欲しげな顔でメグミを見上げている。

 

(どうしたものかしら・・・)

 

 メグミは猫と接したことが全くない。実家で猫は飼っていないし、今暮らしているアパートもペット禁止なので飼えないし、そもそも飼おうと思ったこともない。知り合いにも猫を飼っている人はいなかった。

 この猫カフェに来る前に猫との触れ合い方についてネットで多少なりとも調べておけばよかったが、メグミはそう言ったことをいちいち調べるのはあまり好きではない。戦車道では絶対そんなことはないが、メグミは割と行き当たりばったりなところがある。

 なのでとりあえず、その猫に手を伸ばす。そこで猫がびくっと少し怯えるような反応を見せたが、メグミは猫の頭にそっと手を置く。

 その瞬間。

 

(何、この感触・・・・・・)

 

 人の頭を撫でるのとはまた違う、ふわっとした柔らかい感触。奇麗な毛並みと、わずかな猫の体温が手から伝わってきて、心地よさがメグミの身体を貫く。これほどまでに触るだけで気持ちの良いものが存在するとは。

 だが、猫の方はメグミがただ頭に手を載せているだけなのが嫌だったのか、プイっと頭を振ってそのまま去ってしまった。

 

「あら、残念・・・」

 

 口ではそう言うが、メグミはそこまで落ち込んではいない。猫と接することは初めてだし、その知識もほとんど無いのだから、そんな自分の接し方が猫に受け入れられないのも仕方がない。

 すると今度は、メグミの座るベンチシートにぴょんと猫が飛び上がってきた。色は茶色と黒の縞模様で、横にごろんと寝転がる。

 その猫はメグミに後ろ脚を向けているので、顔は見えない。だが、メグミは先ほど猫を撫でた時の感触が忘れられなくて、ついその寝転がっている猫のお腹に手を伸ばす。

 そして、お腹に手が触れた瞬間、その猫の顔に誰かの人差し指が向けられた。

 メグミは、その人差し指を向けた人の顔を見る。

 

「?」

 

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の隣に座っていた青年だ。

 

 

 その猫の顔に向けて人差し指を向けたところで、青年―――桜雲周作(さくもしゅうさく)は猫のお腹に誰かの手が置かれたのに気づく。

 桜雲は、そのお腹に手を置いた人の顔を見た。

 

「?」

 

 その人は、桜雲と同じぐらいの背丈の隣に座っていた女性だ。

 女性も偶然桜雲と視線がぶつかってしまうが、桜雲はにこっと愛想笑いを浮かべて指を猫から離した。茶色と黒の猫―――キジトラが少しだけ桜雲の方に反応を示したが、気まずかったので仕方がない。

 一方で女性は、猫のお腹の感触が気に入ったのか、ぶにぶにと揉んでいる。

 

(・・・・・・)

 

 桜雲は、実に嬉しそうに、楽しそうに猫のお腹を揉んでいる女性を見て、妙に温かい気持ちになった。

 その猫のお腹を揉む手つきは不慣れな感じがして、さらに一か所を集中するように揉んでいることから、恐らくこの女性は猫と触れ合うことにそこまで慣れていないのだろう。

 そんな女性が不慣れなりにも猫と触れ合っているのを見て、桜雲は微笑ましく思う。

 猫好きの桜雲は、こうして誰かが猫の魅力に気づいてくれるのを見ると、いつも嬉しくなる。それは自分の友人知人だったり、テレビの向こう側の芸能人だったりでも同じだ。

 だが今、桜雲はその嬉しさとは別に、心が温まるのを感じた。

 その女性が猫と触れ合っているのを見るだけで、どうしてだか、温かい気持ちになれたのだ。

 

「に゛ゃっ」

 

 すると、お腹を揉まれていたキジトラはそんな若干不機嫌そうな鳴き声と共に起き上がり、シートから下りてすたすたと去って行ってしまった。去り際に、尻尾が左右に揺れて『バイバイ』と言っているようにも見える。

 猫はあんまりお腹揉まれるのも嫌いなんだよねぇ、と桜雲が思っていると、スタッフが受付の時に頼んでいたメロンソーダを持ってきてくれた。桜雲はぺこりとスタッフにお辞儀をする。続いてスタッフは、同じお盆に載せていたアイスコーヒーを、桜雲の隣に座る女性のテーブルに置いた。

 その様子を目で追っていると、グレーの猫―――ロシアンブルーが桜雲の足下に歩み寄ってきた。

 桜雲は、さっき寝転んでいた猫にしたように、人差し指を鼻に近づける。すると、ロシアンブルーはその人差し指に鼻をこすりつけてきた。これで挨拶ができて、信用してくれているということが分かる。

 それが分かると桜雲は、まず最初に顎の下を優しく掻く。するとほどなくしてロシアンブルーの喉がゴロゴロと鳴き始めた。リラックスしている証拠だ。

 

「・・・・・・よーしよし」

 

 桜雲は小さく呟きながら、今度は頭を優しく撫でる。この猫の頭の感触は、他では感じられないような感触だ。毛並みもいいし、はっきり言って癖になる。

 少しの間撫でてやると、ロシアンブルーはぴょんとベンチシートに上がって、桜雲に向けて『にゃー』と鳴いて見せた。どうやら元々、人懐っこい性格だったらしい。

 さらに桜雲は、ロシアンブルーの耳の後ろを掻く。ここも猫にとっては気持ちのいい場所で、ロシアンブルーは気持ちよさそうに目を細めていた。

 そのロシアンブルーの―――猫の気持ちよさそうな顔を見ると、自然と桜雲の表情もほころぶ。心が癒されるようだ。

 

「・・・・・・随分猫の扱いに慣れてますね」

「えっ・・・!?」

 

 だが、そこで急に声をかけられて桜雲は思わず驚きの声を上げてしまった。ロシアンブルーもちょっと驚いたようだ。

 桜雲に声をかけてきたその人物は、桜雲の隣に座っていた女性―――メグミだ。

 メグミは、先ほどのキジトラが去って以来猫が近寄ってこなくて、手持無沙汰な状態だったのだ。

 それで仕方がなく、先ほどちょっと目が合ってしまっただけの青年の方に猫が歩み寄っていたのでその様子を見ていた。だが、その青年の手つきが慣れているような感じだったので、暇だったのと、その手つきが興味深かったので軽い気持ちで声をかけたのだ。

 一方で桜雲は、まさか自分が声をかけられるとは思ってもいなかったので面食らった。思わず撫でていた猫もびっくりさせてしまう。

 けれど、声をかけられた以上は返事をしなければならないと思ったので、桜雲は先ほど猫に向けていた柔らか笑みではなく、曖昧な笑みを浮かべながら答えた。

 

「ええ、まあ・・・実家で猫を飼っていたもので」

「へぇ~、そうなんですか・・・」

 

 そう話している間でも、桜雲はロシアンブルーの頭を慈しむかのように優しく撫でていて、メグミはその桜雲の手の動きと猫に注目している。よほど猫を手懐ける桜雲の手つきが気になるようだ。

 するとロシアンブルーが、桜雲の脚の上に座る。お腹を下にして、さらに全ての脚を身体の下に折りたたむように座る、『香箱座り』というものだ。桜雲は、このロシアンブルーが十分にリラックスしているんだな、と思いながらその頭を優しく撫でる。

 

「何か、コツとかあるんですか?」

 

 メグミはさらに訊ねる。ロシアンブルーが素人目線で見てもリラックスしきっていると分かり、その桜雲の技術が気になったので、純粋な興味本位で聞いてみた。

 メグミ自身はそこまで自覚がないのだが、割と直情的なところと社交的な面を持ち、初対面の相手であっても臆面もなく話しかけることができる。時と場合にもよるが、今のように何の面識がない相手であっても気になることがあると割と自分から話しかける。それは彼女が卒業した学校の校風も、少なからず影響しているのだが。

 さらにメグミには、『話しかけやすい雰囲気』というものがあり、これは同僚からもよく言われることだ。

 

「えーっと・・・そうですね・・・・・・。この子は結構人懐っこい性格なのもあるんですけど・・・まあ、コツみたいなものは確かにあります」

「へぇ・・・どんな感じなんですか?」

 

 桜雲は突然メグミから話しかけられて、まだ驚きが引いていないが、なぜか不思議と緊張しない。それはメグミがそう言った緊張感を感じさせないような雰囲気だからなのは、桜雲も気付いていた。

 桜雲は、脚の上に座るロシアンブルーを起こさないように注意しながら、メグミの方を向く。

 

「猫を撫でる場所とか、撫で方とかですね・・・基本は」

「え、場所?」

「はい。猫にも撫でられると気持ちよくなる場所があるんです」

 

 桜雲は証明するように、ロシアンブルーの耳の付け根の部分を指で掻く。

 

「こことか、結構好きらしいんです」

「あ、ホントだ。気持ちよさそう・・・」

 

 メグミの言う通り、ロシアンブルーがリラックスした様子で頭を下げる。

 

「あとは、鼻の上部分とかも」

 

 言いながら桜雲が、ロシアンブルーの鼻をカリカリと掻く。またしてもロシアンブルーは、喉をゴロゴロと鳴らす。

 

「すごいですね・・・」

「いやいや、褒められたものじゃないですよ」

 

 桜雲の猫を手懐ける手腕にメグミが舌を巻くが、桜雲は謙遜するように笑って首を横に振る。

 

「ああ、ごめんなさい、名乗りもしないで。私はメグミって言います」

 

 桜雲と打ち解けられたところで、メグミは順序が逆になってしまって恥ずかしいと思いながら自己紹介をした。偶然にも隣同士に座って、メグミから少々馴れ馴れしくも話しかけたのだから、それぐらいの礼儀は尽くすべきだと思ったのだ。

 桜雲も、メグミが名乗った以上は自分も名乗るべきだと思って自己紹介をすることにする。

 

「僕は桜雲周作、大学生です。よろしく、メグミさん」

「あら、あなたも?私も大学生です」

 

 桜雲が大学生と身分を明かすと、メグミの表情が1段階明るくなる。同じ身分の人だと知って、メグミの中に僅かながらにある遠慮や緊張感が和らいだようだ。

 

「私は21なんですけど、あなたは?」

「あ、僕も同じです」

 

 メグミが柔和な笑みを浮かべる。いいことを聞いた、とばかりに。そして、いいアイデアが浮かんだとばかりに。

 

「それじゃ同い年だし、敬語は無しにしましょ?」

「あー・・・・・・うん、分かった」

 

 初対面の人相手でも割と積極的なところがあるメグミに、桜雲はペースを乱されてはいるものの、それでも提案は受け入れた。その桜雲の返事に、メグミは納得したように小さく頷く。

 そこで、メグミの下に1匹の猫―――三毛猫がやってきた。メグミと桜雲は同時にそれに気付き、メグミは先ほど桜雲がやっていたことを試してみようと思って、三毛猫に手を伸ばそうとする。

 

「あ、撫でる前に、人差し指をその子の顔に向けてみて」

「え、こう・・・・・・?」

 

 だが、触れる前に桜雲が1つ指示を出してきた。メグミは言われた通り、右手の人差し指を猫の顔に近づける。すると三毛猫は、その差し出された人差し指の匂いを嗅ぐように鼻を近づける。そしてその顔を、メグミの指に縋るように、気持ちよさそうに顔を擦りつける。

 

「おぉ・・・・・・」

 

 思わず声が洩れ出る。初めて、猫が向こうから反応を示してくれたのだから、嬉しくてしょうがない。

 そして、身体の内から幸福感が、湧き出てくる。嬉しさがこみ上げてくる。

 

「仲間だって猫が認識したんだよ」

「そういえばさっき、あなたもやってたわね・・・」

「うん、あれで少しでも打ち解けやすくするんだ」

 

 メグミは次に、先ほどの桜雲のように、ただ置くだけにしないように頭に手を載せて優しく撫でる。先ほどと同じように心地よい感触がメグミの手のひらから伝わるが、それだけに気を取られないように努めて優しく頭を撫でる。

 三毛猫は気持ちよさそうに目を細め、そこを見計らってメグミは先ほど教わったように耳の付け根の部分をカリカリと掻く。

 すると三毛猫の喉がゴロゴロと鳴る。

 

「リラックスしてるよ、その子」

 

 桜雲の言う通り、そのゴロゴロと喉を鳴らすのが、猫がリラックスしている証拠だ。

 メグミは、こうして自分の手で猫を気持ちよくさせることができた事実に、また少し嬉しくなる。

 やがて三毛猫は、ぴょんとシートに飛び乗って、メグミに寄り添うように香箱座りをする。今も桜雲の脚の上に座っているロシアンブルーと同じ座り方だ。

 

「可愛い・・・」

 

 メグミはその三毛猫の背中を撫でながら、メグミが素直な感想を洩らす。そして背中を撫でながら、桜雲に顔を向けた。

 

「教えてくれてありがとうね」

「いやいや、でもそうやってその子がリラックスできてるのはメグミさんが接したからだし」

 

 照れくさそうに桜雲は笑うが、そこで1つ桜雲は気になった。

 

「メグミさんは、猫と触れ合ったことはないの?」

「そうなのよ。でも今日はお休みだし、この前テレビでやってて気になって」

「あ、たぶんそのテレビ番組僕も観た」

「ホント?」

 

 聞けば、桜雲もこの店に来たのは初めてだと言う。それでもここに来たのは、テレビの特集で取り上げられて気になっていたのだそうだ。

 

「でも、桜雲は結構猫に慣れてるみたいだけど・・・?」

「実家で猫を飼っていてね。それに、猫が好きで猫カフェにはよく行くから」

「へぇ~・・・でも、そんな感じはする」

 

 メグミの桜雲に対する第一印象は、『のんびり屋』だった。先ほどの猫と接するときの仕草が、人間特有の『愛らしい小動物を前に態度が軟化する性質』によるものではなくて、素の性格によるものだと見抜いている。それは直感にも近かった。

 それに、猫に触れる手つきも慣れている感じで、それだけ猫が好きだということだ。

 

「いやぁ、でも男が猫好きってアンバランスな感じがするでしょ?」

「そうは思わないわ。これだけ可愛いと好きになっちゃうのも仕方ないと思うし」

 

 メグミは自分の脇にいる三毛猫に視線を落とす。三毛猫は眠たそうに眼を閉じていて、背中を撫でるメグミの手に身を委ねている。その背中を撫でながら、メグミは桜雲に話しかける。

 

「実家で飼ってる猫って、どんな子?」

「あ、写真あるよ。見る?」

「うん、お願い」

 

 桜雲は、脚の上の猫を起こさないように注意しながら、バッグの中からスマートフォンを取り出して、画面を操作して目当ての写真を表示させるとメグミに見せる。

 

「あら、可愛い」

 

 写っているのはフローリングに寝転がる白黒模様の猫。眠っているのでカメラ目線ではないが、それでも気持ちよさそうな寝顔だ。

 

「この前実家に戻った時の写真なんだけど、結構歳なんだよね。この子」

「そうなんだ?」

「うん。僕が物心ついた幼児園の頃から飼ってるから、今年で17歳」

「それって、人間でどれぐらい・・・?」

「確か・・・・・・80以上だったかな」

「・・・・・・すごい、長生きね・・・」

「そうだね。猫の平均寿命って16ぐらいらしいし、確かに長生きだね」

 

 すると、メグミの脇に座っていた三毛猫が『くぁ』とあくびをして起き上がった。今度は何をご所望かなとメグミは思ったが、どうやら三毛猫はメグミに撫でられて満足したようで、シートから下りてキャットタワーの方へと行ってしまった。

 

「あらら・・・」

「でも、あれだけリラックスして傍にいたんだし、メグミさんの手が気持ちよかったんだと思うよ」

「そうなのかしら・・・」

 

 メグミは首を傾げるが、確かに香箱座りをしている時も喉は鳴っていたので、桜雲の言う通りリラックスしていたのだろう。

 

「でも、猫ってあんなに可愛いものなのね・・・。猫カフェに来たのも、猫に触ったのも初めてだったけど・・・・・・」

 

 そこでメグミは、店の中を見渡す。猫さえいなければ、『ちょっと不思議な雰囲気のカフェ』で通りそうだが、猫がいることで癒しの空間となっている。キャットタワーの上に座る猫や、稲わらを編んで作ったかまくらのような猫の寝床―――ちぐらというらしい―――に寝転ぶ猫、別のお客が持っているおもちゃにじゃれる猫を見ると、心が自然と安らいで癒されるような感覚になる。

 

「・・・・・・うん、可愛い」

「・・・それはよかった」

 

 メグミが納得したようにそう告げると、桜雲も笑って頷く。猫好きの桜雲としては、自分が好きな猫を誰かが新たに好きなってくれるのが嬉しいのだ。

 

「・・・この機会に、もっと猫を好きになってくれると嬉しいな」

 

 桜雲がはははと軽く笑いながら告げるが、メグミはもう猫のことが好きになっていた。

 この猫カフェに足を踏み入れてから1時間弱程度しか経っていないが、すでに猫の愛らしさに打ちのめされてしまっている。

 それに、こうして偶然にも自分の隣に同い年の猫好きな人が座って、その人から猫との触れ合い方を教えてもらうというのは良い偶然だ。

 

「そうね・・・・・・猫、いいかも」

 

 メグミが、床に寝転がる白い猫を見ながら笑って頷く。

 そこで桜雲の下にまた1匹の茶色い猫―――茶トラの猫がやってきて、今度は足に身体を摺り寄せてきた。自分の匂いを付けるこの行為はマーキングというもので、それだけその人に心を許しているということだ。

 

「桜雲は結構、猫に好かれるタイプみたいね」

「そんな自覚はないんだけどね・・・」

 

 そうは言いつつ寄ってきた茶トラの猫の頭を優しく撫でる桜雲。猫に好かれると聞いて、満更でもないのだ。

 すると、メグミの足下にも白い猫がやってきた。そしてメグミを見上げながら『にゃー』と鳴いてくる。その円らな瞳で見上げられ、さらに鳴き声を聞いたことで、メグミの中の母性本能が掻き立てられる。思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、生憎抱っこはNGだ。仕方ないので先ほどと同じように人差し指を向けると、先ほどの三毛猫と同じように鼻で匂いをかぎ、そして安心すると顔を擦りつける。

 

「メグミさんも、猫に好かれやすいのかもね」

「え、そう?」

「だって猫がそうやって自分から近づいてくるんだもの」

「・・・・・・そうなのかしら・・・?」

 

 自分の手に猫をじゃれつかせながら、メグミは桜雲の言葉に耳を傾ける。だが、メグミ自身猫に好かれやすい性格なのかと聞かれても分からないので、いまいち実感が湧かない。

 ともあれ、桜雲から手ほどきを受けて猫との触れ合い方も大分掴めてきた。メグミが今度は、桜雲がやっていたように猫の顎の下を撫でると、白猫は本当に気持ちがいいようで目を細める。

 それからメグミと桜雲は、それぞれ自分の近くに寄ってきた猫と戯れる。『可愛いわねぇ』『でしょ?』と時々短い言葉を交わしてはいるも、先ほどのように会話らしい会話はない。だが、猫の可愛らしさの前では話すことさえ二の次になってしまうのは仕方のないことだと、桜雲もメグミも思っていた。

 そして時間が流れ、2人それぞれが事前に予約していた当初の利用時間の2時間に達し、2人は猫カフェを出る。夏が近づいていることで若干陽が伸びてはいるが、少しだけ入店した時と比べると暗くなってきている。

 

「メグミさんが通う大学って、近いの?」

「あー、ちょっと遠いかな・・・・・・」

 

 そこでメグミが、自分の通ってい大学の名前を明かすと、桜雲は『そうなんですか?』と、驚きと、僅かな嬉しさを滲ませる声と表情で告げた。

 

「僕も同じ大学だよ」

「え、ホント?」

「うん。だから、どこかで会ってるかもね」

「あ~、そうかも」

 

 メグミが笑い、桜雲も苦笑する。そしてメグミは帰ろうと歩き出すが、桜雲は反対方向へと歩き出す。

 

「僕はちょっと寄るところがあるから」

「そうなの?わかったわ」

 

 どうやらメグミは、このまま何もなければ途中まで桜雲と一緒に帰るつもりだったらしい。

 そして、メグミは夕方に向けて朱く染まり始める空を見上げながら、『えーっと』と呟いて。

 

「またね」

「・・・うん、それじゃ・・・また」

 

 同じ大学に通っているのだから、もしかしたらまた会う機会があるかもしれない。だから『またね』と言ったのだ。

 その意図は桜雲にも通じたようで、若干の戸惑いを見せつつも手を振って小さく笑い、2人はそれぞれ反対方向に向かって歩き出した。

 メグミは帰り道を歩きながら、先ほどの猫カフェで過ごした時間を思い出す。

 たった2時間ほどしか留まらなかったが、結構楽しかった。戦車道の公式戦の試合時間よりも短かったが、それでも試合よりも濃い時間だったと思う。

 まず、猫が可愛くて仕方がなかった。あの猫を撫でた時の手触りと感触、そして猫の仕草は、触れるだけで、見るだけで心も体も芯から癒されるようだった。自分の中の疲れも跡形もなく吹き飛ぶようだったし、こうなることならもっと早く猫の魅力に気づいていればよかった。

 それに、意外な出会いもあった。偶然にも、本当に偶然にも自分の隣に座った人が同じ大学の人で、その人から猫との触れ合い方についてのレクチャーをしてもらったのは、本当にありがたいことだった。

 何にせよ、今日こうして猫カフェに行けたことはよかったと思う。猫の魅力に気づくことができたし、新しい出会いも訪れた。まさに実りのある休日、万々歳だ。

 今度は別の猫カフェに行ってみようかな、と考えながらメグミは家路を急ぐ。

 

 

 桜雲は、陽が沈む少し前あたりの時間に自分の暮らすアパートの部屋へと戻った。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 荷物を片付けて、床に置いていたクッションに座って、息を吐く。

 今日行ったあの猫カフェには初めて行ったのだが、まさか隣に座っていた人から声をかけられるとは思っていなかった。これまで猫カフェに行ったことは何度もあったが、今日のようなことは初めてだ。

 さらにその人が自分と同じ大学に通う人となると、その確率は結構低くなるだろう。そんな低確率に当たったことなど桜雲はないので、妙な嬉しさがある。

 

「・・・・・・綺麗な人だったな・・・」

 

 人を惹きつけるような、安心させるような雰囲気が、あの女性―――メグミにはあった。

 そして自分で言ったように、綺麗な人だった。桜雲が所属するサークルにも同い年もしくは近い年齢の女性はそこそこいるが、それでも桜雲目線であれだけの女性に出会ったのは初めてである。

 

「・・・・・・」

 

 ふと顔に手をやると、自分の顔がにやけているのが分かる。

 気持ち悪いと自覚するが、どうにも今日の出来事は自分の中でも嬉しかったことのようだ。好きな猫と触れ合えたことも、メグミのような女性と出会えたことも、嬉しいことだった。

 その嬉しさから温かい気持ちになるが、あまり1人の女性のことを考えるのも客観的に見れば気持ち悪いと思われるかもしれなかった。

 だから桜雲は、夕飯の準備をしようと思い立ち上がる。

 だが、気が緩んでしまっていたのか、ちょっとこけた。




どうもこんばんは。
初めて読んでくださった方は、初めまして。
続けて読んでくださっている方は、どうもありがとうございます。

1作目のアッサム編から早いもので1年が経ち、ガルパン恋愛シリーズも5作品目となりました。
過去作とは違って1話目から割とがっつりと書きましたが、
メグミの物語の始まりです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
最後までお付き合いいただけると幸いですので、
どうぞよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Attack to Alice

お気に入り登録、ありがとうございます。
とても励みになります。


 戦車の中は、暑い空気と、緊迫した空気で満たされている。草原とはいえ、凸凹した地形を進んでいるせいで、中はガタガタと揺れる。

 だがそんな空気にも、そんな振動にも気を取られず、メグミは前方にいる1輌の戦車をペリスコープ越しに見据えていた。

 その戦車の砲はこちらを指向してはいないが、間違いなくこちらの車輌の接近には気づいている。あの戦車の乗員が気付かないはずはない。

 限りなく漆黒に近い紺色の巡航戦車・A41センチュリオンに向けて、メグミの愛機である重戦車・M26パーシングが前進する。

 いや、正確に言えば、メグミ『たちの』パーシングだ。

 

『こちらアズミ、位置に着いたわ』

『こちらルミ、準備完了!』

 

 メグミの乗るパーシングの両脇にパーシングが並び、それぞれ位置をやや後ろにずらす。そして、無線からはおっとりした様子の女性の声と、それとは逆にはきはきした感じの女性の声が聞こえてきた。

 信頼を置いている仲間の声を聞いて、メグミはよし、と頷く。

 事前の打ち合わせは済んでいる。メグミの戦車の乗員たちの準備も整っていた。

 メグミは無線機をきゅっと握り、そしてスイッチを入れて交信を開始した。

 

「アズミ、ルミ!バミューダアタック、パターンDを仕掛けるわよ!」

『『了解!!』』

 

 メグミの指示の瞬間、操縦手の深江(ふかえ)が戦車の速度を上げる。脇に就くアズミとルミの戦車も同様に速度を上げて付いてくる。メグミの車輌だけがわずかに前に出ていて、それでも3輌は一定の速度を保ち、奇麗なV字形を描いていた。

 3輌のパーシングのエンジン音が上がり、さらに速度を上げたことで地面と履帯の擦れる音も大きくなった。例えセンチュリオンがこれまでこちらに気づいていなかったとしても、これで確実に向こうもこちらの存在に気づいたはずだ。

 そこでセンチュリオンは、すぐに旋回をしてこちらに砲身を向ける。その旋回スピードたるや他の戦車など比べ物にならないほど速くて、あのスピードを初めて見た新米隊員全員が唖然としたほどだ。

 あのセンチュリオンに乗っている操縦手、砲手、装填手、通信手は、桁外れなまでの才能の持ち主である。そんな彼女たちの上に立つ車長は、メグミが敬愛してやまない人物であり、まさに『天才』と称されるほどの実力者だ。

 しかもあのセンチュリオンの性能は、チーム内はおろか戦車道に参加可能な戦車の中でもずば抜けて高い。走攻守、三拍子揃っている。

 まさに完全無欠にして難攻不落のセンチュリオン。

 そのセンチュリオンに向けて、メグミたち3人のパーシングが突進する。敵がどれだけ強かろうと、メグミ、アズミ、ルミは臆さず、怯まず挑む。

 センチュリオンの砲身がメグミたちを仕留めようと、まるで引き絞られた弓のようにこちらを向いて固定される。センチュリオンに限った話ではないが、ああして砲身を向けられると言い知れぬ恐怖を覚える。

 

「今!」

 

 だがそんな恐怖になど屈さず、メグミが指示を出す。

 その瞬間、アズミとルミの戦車がほんの一瞬だけわずかに速度を落とす。メグミのパーシングだけは速度を落とさず、センチュリオンの左側にドリフト気味に回り込む。さらにアズミの戦車はメグミと同じ左へ、ルミの戦車は右へ回り、センチュリオンを3方向から回り込もうとする。

 このメグミたち3人のパーシングが繰り出す、動きがダイナミックで変則的かつ連携の取れた攻撃こそが『バミューダアタック』だ。その動きが読み辛いことから、戦っている相手は困惑しているうちに倒されてしまう。

 そしてこれは、メグミ、アズミ、ルミの3人の間で信頼関係が築けていなければ成り立たない技でもある。この『バミューダアタック』で多くの敵を屠ってきたことが、彼女たちの仲の良さの証明にもなる。

 3輌のパーシングの砲身は全てセンチュリオンに向けられている。この距離ならセンチュリオンでも十分撃破することが可能だ。それに3輌共がセンチュリオンを狙っているから、相手がどのパーシングを狙っていても残りの2輌で仕留められる。

 

 ただしそれは、目の前のセンチュリオンの乗員が()()()()の場合の話だ。

 そして今、そのセンチュリオンに乗っているのは普通の人()()()()

 

 まず最初にセンチュリオンは、まだ回り込もうとしているドリフト中のアズミのパーシングに向けて砲塔を回し冷静に狙撃して撃破。さらに砲塔の向きは固定したまま超信地旋回をして、本来の所定位置に着いたルミのパーシングの砲撃を躱す。そして砲塔をルミのパーシングに向けて回し、さらに超信地旋回をしてメグミのパーシングの砲撃を避けつつ、ルミのパーシングを撃破した。

 

「あ、ダメだわコレ」

 

 メグミが悟ったように呟いた直後、『ズバァン!!』という鋭い砲撃音、そしてメグミのパーシングは見事センチュリオンに撃ち抜かれてしまった。

 バミューダアタックは失敗し、3輌全てが返り討ちに遭ってしまった。

 

『試合終了、島田チームの勝利!』

 

 車内のスピーカーから審判役の隊員の声が聞こえて、メグミのパーシングの中の空気は緊迫したそれから一変、和やかな残念会ムードに包まれる。

 

「負けちゃいましたねぇ・・・」

「強いなー、隊長・・・」

 

 メグミに近い位置に着いていた砲手の平戸(ひらど)と装填手の対馬(つしま)が感心したように言葉を洩らす。まるで、あのセンチュリオンと実際に戦う前からその結果が分かっていたような口ぶりだ。

 2人の気持ちはメグミも分かる。『隊長』の強さは、彼女と出会って副官として傍について、共に戦ってきて嫌というほど思い知らされている。あの強さを前にしては、『勝てるだろう』という希望的観測さえもできない。

 

「今回は、行けると思ったんだけどね・・・」

 

 ただしメグミだけは、平戸達よりも残念がっていた。それは、『隊長』に勝とうという意思があったからで、自分たちに自信を持っていたからでもある。それは驕りや慢心とも違う、真っ直ぐな気持ちだ。

 だから、その自信が砕かれて、真っ直ぐな気持ちも実らなかったのが、メグミは残念だった。

 しかし、いつまでもくよくよ悩んでいるのは性に合わない。メグミは両手を叩き、乗員たちの気持ちを切り替えさせる。

 

「さ、反省会に行くわよ」

『はい!』

 

 メグミが告げると、乗員たちも今一度気を引き締めて返事をし、速やかに戦車の外に出る。

 社長であるメグミは一番最初に戦車から降りて、空を見上げる。白い雲が広がり、青く澄んだ空は夏の訪れを予感させる。

 その空ばかりに意識を向けはせず、メグミはほかの乗員、そして同じく戦車から降りたバミューダアタックの協力者であるアズミ、ルミと共に、反省会を行う会議室へと向かった。

 

 

 メグミは『大学選抜チーム』という戦車道の団体に所属している。この大学選抜チームは、全国各地の戦車乗りの中でも優れた人員を集めた、言わば戦車乗りのエリート集団だ。

 その大学選抜チームの中でのメグミは、副官としてチームを率い、1中隊を任されている。それはメグミの実力がエリートの集まりである大学選抜チームの中でも指折りというものであり、それはメグミにとっても密かな誇りだった。

 その副官はメグミのほかにも2人いて、それがアズミとルミ。彼女たちもまたメグミと同規模の中隊をそれぞれ率いている。

 メグミとアズミ、ルミの3人は『バミューダ3姉妹』とチーム内外から並び称されることが多々あり、彼女たちもそれについて不満はない。そして彼女たちがそう呼ばれているから、先ほどの練習試合でも行ったような3人の連携攻撃も『バミューダアタック』と呼ばれるようになった。

 そして、先ほどの練習試合でメグミたちと戦い驚異的な動きを見せたセンチュリオンの車長こそが、この大学選抜チームの頂点に立つ『隊長』。戦車道界隈ではしばしば『天才』と称され、忍者戦法と呼ばれる島田戦車道の後継者でもある人だ。

 

「隊長、お箸をどうぞ」

「あ、うん・・・・・・」

「隊長、お水をお持ちしました」

「ありがとう・・・」

「お手拭きをどうぞ、隊長」

「・・・・・・」

 

 その『隊長』は大学の敷地内にある食堂で、メグミ、アズミ、ルミの3人から甲斐甲斐しく(?)お世話をされていた。

 全国の大学から集められた大学選抜チームの練習試合の後ということもあって、食堂の中は普段よりも人が、特に女性が多い。

 その食堂で、3人を前にして戸惑いつつもやや不満げな表情をする『隊長』は、見た目は大学生どころか高校生にも見えないほど幼い。だがすらりと伸びる細い手足や白い肌、華奢な体躯は人形のようで、触れると壊れてしまいそうなほど儚い印象を抱かせる。彼女の着ている服もロリータチックなものだから、人形のようという比喩も間違いではない。

 しかし彼女こそが、13歳にして大学に飛び級し、練習試合でバミューダ3姉妹を返り討ちにしたセンチュリオンの車長、そして大学選抜チームの隊長である島田愛里寿だ。

 

「では、いただきます」

「「いただきまーす」」

「いただきます・・・」

 

 4人で挨拶をして、それぞれ食事を始める。

 席順は愛里寿の隣にメグミ、愛里寿の正面にルミ、ルミの隣でメグミの正面にはアズミが座っていた。いつもこの席順というわけではなく、毎回昼食の前に3人でじゃんけんをして誰がどの位置に座るのかを決めているのだが、その席順を決める『理由』も、そのじゃんけんをしていることも愛里寿本人は知る由もない。

 

「バミューダアタックも隊長には敵わないわね・・・」

「そうねぇ・・・何をやっても隊長、無傷で返り討ちにしてくるんだもの・・・」

 

 メグミとアズミは残念そうに告げる。バミューダアタックは、メグミたち3人が副官になってから編み出した連携攻撃でパターンがいくつもあり、状況に応じて使い分けている。

 だが、多くの敵を屠ってきたバミューダアタックさえも、愛里寿は無傷で躱し、逆に3人全員を返り討ちにしてしまう。どのパータンでやっても、愛里寿が見たことがないはずのパターンでも、愛里寿は焦らず冷静に対処するので打つ手がない。

 

「でも、連携攻撃のパターンも増えてるし、精度も上がってきてるし・・・十分強くなってると思うよ」

「本当ですか?ありがとうございます!」

 

 年相応とも言うべきか、若干舌足らずな感じのする愛里寿のフォローに、ルミは心底嬉しそうに反応して頭を下げる。

 今でこそ、愛里寿は幼さを感じさせるような話し方をしているが、戦車道の時間は今の口調とは正反対の話し方になる。

 

『状況開始』

『各車発砲、敵を殲滅しろ』

『かすり傷程度だ、気にする必要はない』

『敵が誰だろうと油断はするな、足元を掬われるぞ』

 

 話し方と同時に声質も変わるので、声が似ている別人が言っているんじゃないかと錯覚することもあるらしいが、紛うことなき同一人物である。

 大学選抜チームのジャケットを着た臨戦状態ともいえる愛里寿の声は、大の大人も怯むほどの威圧感がある。研ぎ澄まされた剣のような鋭さと硬さを兼ね添えている声は、下につく者を従わせるような重苦しさも感じさせる。

 だが今は、戦車道の話を少ししていたとはいえ昼食の時間である。愛里寿の纏う雰囲気も、着ている服も合わさって、幼い感じに戻っていた。

 そんな愛里寿は、甘口のカレーをスプーンで掬い、一口食べる。

 

「・・・・・・美味しい・・・」

 

 カレーの味が気に入ったようで、嬉しそうに小さく笑い告げる。

 それを見ていたメグミ、アズミ、ルミの3人は。

 

(((可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!)))

 

 脳の中で黄色い絶叫を上げていた。しかし表面上は、それぞれが自分の料理を静かに食べつつ愛里寿の食べている様子をちらちらと窺う、という感じで。

 3人が先ほどのように甲斐甲斐しく世話をしていたのは、愛里寿のことを隊長と仰ぎ見て敬愛していると同時に、その可愛らしさのあまり溺愛しているからだ。

 溺愛、と言っても抱き締めたりシャワーを一緒に浴びたりと、目に見えるほどべたべたするというわけではない。先ほど席に着くように、(本人たちからすれば)さりげない気遣いをしたり、愛里寿の可愛らしい所作に心の中でだけ悶える程度だ。

 決して愛里寿に実害を加えるような真似はしないし、加えようものなら愛里寿の母親である島田流家元から何をされるか分かったものではないからだ。

 

(あ~可愛いなぁ隊長・・・カレーをあーんさせてあげたい・・・)

(満面の笑みじゃなくてちょっとだけ笑っているのが逆にグッドなのよねぇ)

(ああ・・・戦車道で疲れた心と体と脳が癒される・・・)

 

 だが、3人がこうして愛里寿の様子を見てほっこりした気持ちになるのも、仕方がないことなのかもしれない。

 何しろ愛里寿は儚げではあれどその容姿は愛らしく、成人を過ぎて一段階大人になったメグミたちからすれば、このぐらいの年頃の女の子は可愛らしく見えるものだ。

 それと、メグミたちが愛里寿に積極的に接しようとしている要因は他にもある。

 

「ところで、隊長?」

「あ、何・・・?」

「昨日は休日でしたけど、隊長は何をされていましたか?」

 

 アズミが問いかけると、愛里寿は『えっと・・・』と小さく呟いてから。

 

「戦車道の本を読んで・・・・・・勉強してた」

「あ、そうでしたか。隊長は勉強熱心ですね」

「そうかな・・・・・・いつもそうだし・・・」

 

 愛里寿の返答にアズミは刹那戸惑う様子を見せたが、すぐに持ち直していつものように愛里寿を褒める。だがその愛里寿の表情も少し硬い。

 アズミは、ただ愛里寿の私生活が気になって『休日何をしていたか』と質問したわけではない。

 愛里寿は飛び級してメグミたちと同じ大学生という身分ではあるものの、年齢はメグミたちとは離れている。だからこそ、常に周りには年上しかいないというこの状況で愛里寿は孤立感や疎外感を抱き、さらには年上に対する一種の畏怖のような気持ちさえも感じていることに、メグミたちは既に気付いていた。

 その愛里寿の中の不安を払拭するために、あえてアズミは先ほどのような雑談を愛里寿に持ち掛けたのである。その答えは年頃の女の子にしては硬すぎるものであったが、一応は反応を示してくれたので、これはチャンスでもある。

 

「隊長はお休みの日とかに、お出かけとかはしないんですか?」

 

 さりげなくルミが切り出して、メグミとアズミは心の中で『グッジョブ!!』と親指を立てる。

 

「うん、あんまり・・・・・・。勉強したり、録画したアニメを観たりしてるから・・・」

「そうですかぁ」

 

 すると愛里寿の表情が曇る。どうやら、自分の休日の過ごし方が少し周りと違うと気づいてしょげてしまったようだ。それにもちろんルミは気づいたのでフォローを入れる。

 

「あ、いえ、責めてるわけじゃないんですよ」

「ううん、大丈夫。それでみんなは、お休みの日は何してるの・・・?」

 

 そして今度は愛里寿が投げかけてきた質問にメグミ、アズミ、ルミの3人は頭の中で『キター!!』と叫ぶ。

 話の流れがこちらに向いてきた。これをきっかけに話を広げて、『休日に愛里寿と一緒にお出かけ』というひとまずの目標に繋げるのだ。

 メグミ、アズミ、ルミの3人は一瞬だけ視線を合わせて頷く。目には見えないバミューダアタックの始まりだ。

 まずはルミが先鋒を務める。

 

「私は、そうですね・・・よく街を歩きますね」

「街を?」

「はい、新しい発見が色々あって楽しいんですよ」

「そうなんだ・・・」

 

 ルミの休日は結構のんびりとした感じのもの。愛里寿の興味をある程度引くことはできたものの、そこまで食いつきはよくない。

 続いてアズミが畳みかける。

 

「私は大体お買い物、ショッピングです」

「ショッピング・・・」

「特に洋服ですね。メグミとルミも誘って、3人で一緒に行くこともあるんですよ」

「そうなんだ・・・なんか、楽しそう」

「良ければ今度、隊長もご一緒にどうですか?」

「うん、お母様が許してくれたら・・・」

 

 愛里寿はショッピングに興味を抱いたらしい。表情も先ほどと比べると少し明るくなってきている。そしてカレーを一口食べた。

 愛里寿がカレーに意識を向けている間に、アズミは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべ、ルミは『ちっ』と愛里寿に聞こえない程度の大きさの舌打ちをして、アズミをジト目で見る。

 3人ともが愛里寿と休日にお出かけをすることを夢見てはいるが、その前段階、『誰が一番愛里寿の興味を引けるか』という面においてこの3人は競争している状態にある。だからルミも、アズミに対して苛立たし気な顔をしているのだ。勿論根っこからアズミのことを恨んでいるというわけではないのが分かっているので、メグミも仲裁はしない。

 ただ、アズミの『メグミとルミも誘って行くことある』という言葉は正しい。実際アズミはメグミとルミをよくショッピングに誘い、その目的はもっぱら洋服だ。

 

『2人とも素材は良いんだし、少しは気を遣いなさいな』

 

 その言葉と共にアズミは2人を買い物に誘い、服を薦めている。このバミューダ3姉妹の中で一番ファッションセンスがあるのは母校の影響もあってアズミだと、メグミもルミも認めている。

 ただ2人は、違和感のない服であればなんでもいいと思っているので、服装に対するこだわりはそこまでない。アズミの気遣い自体が嬉しいことは確かなのだが。

 

「メグミは、お休みの日ってどうしてるの?」

 

 愛里寿は最後に、メグミに聞いてみる。

 だが、アズミとルミは知っていた。メグミは基本休日は部屋でのんびりと過ごしていて、必需品の買い物とトレーニングジムへ行く時ぐらいしか外出しないと。およそ女性らしくはない休日ライフを過ごしているのだと、知っている。

 だから、せっかくいい感じになってきた話の流れをぶった切ってくれるなよ、とアズミとルミはメグミに向けて念を送る。

 しかしメグミは、なぜか得意げにふふんと笑っていた。

 それもそのはずで、メグミは昨日新しいことにチャレンジをしたのだ。そのチャレンジしたことを、メグミは明かす。

 

「私はですね、昨日は猫カフェに行ってきました」

 

 メグミの言葉に、アズミとルミの食指が動く。その顔はまさに『なんだと?』と、疑わしいものを見るそれをしていた。

 一方で愛里寿は猫カフェとはどんなものなのかがいまいちイメージできていないのか、小さく首を傾げる。

 

「猫、カフェ・・・?」

「平たく言うと、猫がいるカフェです。そこでお茶をしたりお菓子を食べたりしながら、猫と一緒に遊ぶことができるんです」

「へぇ・・・・・・」

 

 メグミの説明を聞いて、愛里寿は頭の中で自分なりに猫カフェのイメージをする。

 そして。

 

「楽しそう・・・行ってみたいな」

 

 アズミの時とは違って、明確に自分から『行ってみたい』と告げたのだ。その言葉にメグミは心の中でガッツポーズをとりながらも、あくまで表情は冷静に、その嬉しさを決して出さず、にこりと笑って愛里寿に優しく話す。

 

「いいですよ。今度、隊長の都合が合う日に一緒に行きましょうか?」

「うん・・・お母様にも相談してみる」

 

 さらっと一緒に行くことまで約束したメグミ。愛里寿の表情も大分柔らかくなっている。

 間違いなく、この話題のMVPはメグミだろう。

 その一方で、ルミは『よかったですね』と表向きは愛里寿が嬉しそうなのを素直に喜び、アズミは『私も今度行ってみようかしら?』と猫カフェに興味を示すような反応を見せる。

 だがメグミには見えていた。ルミは地団太を踏んでいて、アズミはハンカチを咥えて『きぃ~!』と悔しそうにしているのを。

 バミューダアタックという複雑な技を滞りなく繰り出せるほどの信頼関係を2人と築いているメグミは、その本当の気持ちが分かっているうえで『どうだ』と勝ち誇ったかのようなどや顔を浮かべて自分の唐揚げを1つ食べる。美味い。

 こうして愛里寿の興味を引くことに成功し、どうにか自分たちとの間にある見えない壁をある程度取り払うことにも成功した。やはり昨日、猫カフェに行ったのは正解だった。

 だが、メグミは自分が誘った以上、自分が愛里寿をリードしなければならないとも考えていた。

 だからもし、愛里寿と猫カフェに行くことが実現するのならば、その前にもう少し回数を重ねて猫との触れ合い方を学び、愛里寿に教えられるようになるべきだろう。

 昨日初めて行った時には、偶然にも桜雲という同じ大学の青年に会って教えてもらったので、多少触れ合い方も分かってはいるが、まだまだ完璧とは言い難い。

 教えるからには中途半端は嫌なので、今度はちゃんとネットや本などで調べてみようとメグミは思った。

 桜雲の連絡先を知っていれば桜雲に聞くという手も考えられたが、昨日初めて会っただけなので連絡先は知らない。大人しく自分の手で調べるか、とメグミは頭の中で考えた。

 

 

 講義も全て終わって、メグミは校門へと向かう。アズミとルミと一緒に帰ることもあるが、彼女たちもそれぞれ用事があるようで今日は一緒ではない。敬愛する愛里寿も車の送り迎えがあるので、メグミは自然と1人で帰ることになる。特に寂しくはないが。

 今日も疲れたな、夕飯はどうしようかな、と取り留めのないことを考えながら校門へ向かって歩いていると、メグミはある光景を目にした。

 

(あれって・・・・・・?)

 

 1人の青年が、植え込みの方を見ながらしゃがんでいた。そして、右手をその植え込みに向けて差し出している。

 そして、その青年にメグミは見覚えがあった。

 

「桜雲?」

 

 声をかけると、しゃがんでいた青年―――桜雲はメグミに気づき、びっくりしたような顔をする。だがすぐに、表情が柔らかくなる。

 

「メグミさん、こんにちは。そっか、同じ大学だったね」

「何してるの?そんなところで」

 

 昨日と同じく穏やかな口調で桜雲が挨拶をする。だが桜雲の様子が不審者のように見えなくもないので、メグミが当然の疑問を投げかける。

すると桜雲は、そっと植え込みの奥の方をそっと指差した。

 メグミが同じようにしゃがんで桜雲の指差した方を見ると、茶と白の大きな丸い毛の塊があった。いや、よく見ると薄黄色の目と、獣の耳のようなシルエットが見える。

 

「猫?」

「うん、野良猫」

 

 どうやら桜雲は、この茶白の野良猫を見つけて、気になってしゃがんでいたようだ。昨日猫好きと言っていたし、そうと分かれば納得だ。

 メグミも、改めてその猫に意識を向ける。新しくメグミという人間が視線を向けたことで、猫も若干警戒心を強めたらしく、目が見開かれている。

 

「でもこの子、野良のわりに人慣れしてるっぽいんだよね」

「そうなの?」

 

 桜雲がそう言いながら人差し指を向けると、茶白の猫は匂いを嗅ぐように鼻をちょっとだけ動かす。だが、昨日の猫カフェの時のように顔を擦りつけてきたりはしない。

 

「多分、近所の誰かが餌付けしてるんじゃないかな」

「分かるんだ」

 

 見通しているような桜雲の言葉に、メグミは感心する。

 

「本当の野良猫は、これだけ近づいたら逃げちゃうし」

「へぇ~・・・よく知ってるわね・・・」

「いやいや、こんなの役に立たないし」

 

 メグミの言葉に桜雲は苦笑して手を横に振る。

 そこでメグミも、試しにその茶白の猫に向けてそっと人差し指を向ける。桜雲と同じく、ちょっとだけ興味を示すだけなのだろうと思ったのだ。

 だがそのメグミの予想に反して、猫はその人差し指の匂いを嗅ぐと、のっそりと起き上がる。

 

「お?」

 

 そしてその茶白の猫は、昨日の猫カフェの猫のように、気持ちよさそうに指に、手に顔を擦り付けてきた。どうやら、もともとこの猫は人懐っこい性格だったらしい。

 

「あら・・・・・・」

 

 メグミは、指と手から伝わってくる猫の感触に思わず顔が綻ぶ。そしてちょっとだけ、猫の横顔をそっと撫でた。

 少しの間メグミが猫の横顔を撫でていると、茶白の猫は満足したのか植え込みの奥の方へと引っ込んでいった。

 

「可愛かった・・・」

 

 思わず本音がメグミの口から洩れる。

 桜雲はそのメグミの言葉を聞きながら立ち上がり、そして笑った。

 

「やっぱりメグミさん、猫に好かれやすいみたいだね」

「えー、そうかしら?」

「野良猫がああやって自分から近寄るんだもの。僕も猫は好きだけど、あそこまで近寄られたことはないし」

 

 桜雲の言葉にはあまり実感が持てないが、それでも悪い気はしない。

 ああいった小動物に好かれるのは稀な才能らしいし、メグミ自身も昨日のこともあって猫の魅力に気付き始めていたので、その猫から好かれるのはいい気分だ。

 

「帰ったら手を念入りに洗った方がいいよ。野良猫と触った後は特にね」

「うん、気を付ける」

 

 メグミもまた立ち上がって、そして成り行きで桜雲と一緒に途中まで帰ることになった。

 

「桜雲はいつもこの時間に?」

「ううん、いつもはサークルに参加してるから今日よりは遅いかな」

「何のサークル?」

「動物好きのサークル」

「あー、分かるかも」

 

 猫が好きだと言っていたし、サークルに入っているとすればその手のものかなとメグミは予想していた。

 

「メグミさんは何かサークルには?」

「私は入ってないなー・・・。戦車道で忙しいし」

「え、戦車道?」

 

 桜雲が驚いたように返す。確かに、メグミは自分が戦車道を嗜んでいるということは桜雲には話していなかった。

 

「そ、戦車道やってるの。大学選抜っていうチームでね」

「へぇ、あの戦車道を・・・すごいなぁ」

「あの、って・・・・・・戦車道を知ってるの?」

 

 戦車道は乙女の嗜みであり、良妻賢母を育て上げることを目的としているために男からすれば馴染みがない。だから男の間で戦車道の知名度はそれほどでもないが、桜雲の口ぶりでは戦車道を知っているようだ。

 

「おばあちゃんが昔、戦車道をやっててね。それで色々写真を見たり、話も聞いたことがあるんだ」

「へぇ、そうなんだ」

「ただ、僕にはできなそうだなって思う」

 

 あはは、と苦笑する桜雲。その言葉は、単に桜雲が男だから戦車道はできない、という意味だけではないとメグミは思う。

 

「僕って昔から『のんびりしてる』って言われてて、競争とか勝負とか苦手だし」

「あー、確かにそんな感じもするかな・・・」

 

 桜雲は自分で言ったように『のんびり屋』で、メグミも最初に会った時からそんなイメージを持っていた。こういうタイプの人は勝負事や競争事には向かないと思う。戦車道の世界だって厳しいし、仮に桜雲が女で戦車道ができたとしても、ついていくのはなかなか難しいだろう。

 

「だから僕からすれば、メグミさんはすごいと思うよ」

「え?」

「だって、あの戦車道をやってるんだもの」

 

 桜雲は祖母から戦車道の話を聞いている。だからその世界の厳しさも、多少なりとも理解しているのだろう。だから、その戦車道を歩むメグミのことがすごいと、桜雲は素直に称賛したのだ。

 

「・・・・・・そうかな」

「そうだよ、絶対」

 

 だがメグミも、桜雲の口調がのんびりとしたものであっても、真正面から褒められたことはそれほどない。しかも同年代の男からとなれば、そんな経験は無かった。だから無性に気恥ずかしくなってしまい、視線を逸らす。

 

「あっ、隊長」

「え」

 

 すると丁度、メグミの視線の先―――校門を出てすぐそばの場所にメグミが隊長と仰ぐ愛里寿を見つけた。どうやら帰りの車を待っているらしい。

 だが桜雲はその愛里寿の姿には気づかず、メグミが声を突然上げたので桜雲は少し驚いた。

 

「隊長?」

「ええ、あの子」

 

 そこでメグミが愛里寿を指差して、ようやく桜雲も状況を理解する。だが、また新たな疑問が生まれる。

 

「あの子が・・・戦車隊の?」

「そうよ。13歳だけど飛び級して大学生になった、大学選抜チームの島田愛里寿隊長よ」

「・・・・・・」

 

 飛び級なんて言葉は現実では聞いたこともなかったが、メグミが平然と言っているあたり恐らく全部本当のことなのだろう。

 メグミはその、人形のように華奢な雰囲気を持つ愛里寿に近づき、挨拶をした。

 

「隊長、お疲れ様です」

「あ、メグミ・・・お疲れ」

 

 メグミの方が年上のはずなのに、愛里寿には敬語で接している。やはり普段の戦車道で隊長とその部下として接しているからだろうか。

 だが、愛里寿はメグミに偶然挨拶をされたことに多少驚きはしたものの、すぐに小さく笑みを浮かべて挨拶を返す。その姿はどう見ても13歳の女の子で、こんな小さな子が大学選抜チームの隊長を?と桜雲は首を傾げる。

 メグミと一緒にいた、首を傾げる桜雲に気づいて愛里寿は『誰だろう?』といった表情になる。メグミもその愛里寿の表情の変化には気づいたので、桜雲と愛里寿の間に入って桜雲を紹介した。

 

「ああ、隊長。この人は桜雲、昨日行った猫カフェで知り合ったんです」

「そうなんだ・・・・・・」

「大丈夫。怖い人じゃありませんよ」

 

 愛里寿が初対面の男を相手に怯えた様子なので、メグミが紹介した後でフォローを入れる。

 桜雲も、これぐらいの歳の女の子は自分よりも歳の離れた大人―――特に男性相手には怯えてしまうものだということは、なんとなくだが分かっていた。

 だから桜雲は、少しでもその怯えを解くために、愛里寿と目の高さを合わせるように屈んでから挨拶をした。

 

「初めまして、島田さん。僕は桜雲周作、よろしくね」

「・・・・・・よろしく、お願いします」

 

 しかし愛里寿は、ぎこちない挨拶をして桜雲と目を合わせようとはせず、メグミの陰に隠れてしまう。それを見たメグミは少し困ったような笑みを浮かべ、桜雲も似たような顔になる。

 すると、シルバーの乗用車が3人の近くに停車した。その車を見た愛里寿は、『あ』と小さく声を洩らしてからメグミを見上げる。

 

「ごめん、迎えが来たから・・・」

「ああ、はい。それではまた明日」

「うん、また明日・・・・・・」

 

 そして愛里寿は、ドアを開けて後部座席に乗り込む。

 その直前で、愛里寿は桜雲に向けて小さく会釈をしたのを、桜雲とメグミは見逃さなかった。

 そして愛里寿がドアを閉めると、その乗用車は静かに走り出して、夕方の街へと走り去っていく。

 

「・・・ごめんね、桜雲」

「何が?」

「隊長、ちょっと人見知りなところがあるから・・・」

「ああ、やっぱり?でも大丈夫、気にしてないから」

 

 桜雲も正直、愛里寿を初めて見た時は活発そうだという印象は抱けず、むしろ物静かな感じがする子だと思った。最初の反応だって、仕方ないことだと思うから怒ったりなどしない。

 

「・・・・・・あ、そうだ」

「?」

 

 愛里寿と別れて2人で並んで歩き、少ししてからメグミが思い出したかのように手をポンと叩く。

 

「今度ね、都合があれば隊長と一緒に猫カフェに行こうと思ってるのよ」

「島田さんと?」

「ええ。隊長もやっぱり、戦車道の時間以外だと私たち年上に対してどこか一歩引いたような感じがしているから、仲良くなろうと思って」

 

 メグミが少し悲しそうに笑う。

 隊長という立場であれば、部下であるメグミたちにはあの試合中のような話し方をするが、それ以外ではやはりメグミたちとの間に壁があるような状態だ。

 それをどうにかするためにメグミが愛里寿を猫カフェに誘い、少しでも愛里寿との距離を詰めようとしていることを知ると、桜雲もうんと頷いた。

 

「いいと思うよ」

「ありがと。それでね・・・」

 

 そこでメグミが桜雲を見て、ちょっとだけ申し訳なさそうな表情をする。桜雲はその顔に『?』と疑問符を抱く。

 

「その猫カフェの下調べとかして、猫との触れ合い方も勉強して、ちゃんと隊長に教えられるようになりたいんだけど・・・」

 

 歩きながらメグミは少し前屈みになって、桜雲の顔を見上げる形になる。

 だが桜雲は、メグミの言葉で『もしや』という予想が頭によぎっていた。

 

「桜雲さえよければなんだけど・・・」

「?」

「いい感じの猫カフェとか、猫との触れ合い方とか教えてくれない?」

「・・・・・・」

 

 その予想は、的中した。

 だが桜雲は、そのメグミのお願いとも、お誘いともとれる言葉に心が大きく揺れてしまっていた。

 猫との触れ合い方を教えるということは、実際に猫カフェで教えることになるだろう。それはもちろん外出に当たる。下調べの意味もあるのならば、当然愛里寿はいないはずだ。よってそのレクチャーも、桜雲とメグミの2人だけということになる。

 それはつまり―――

 

「それだったら、ネットとかで調べた方が早いと思うけど・・・」

 

 だが桜雲の口から出てきたのは『建前』の言葉だ。

 しかし、実際ネットで調べた方が早いし、分かりやすく載っていることだってある。それに桜雲自身、人にものを教えるのが得意というわけではないし、自分が教えただけで解決するとも思えなかった。

 

「いやいや、こういう時は慣れてる人に聞いた方が分かりやすいのよ」

「そうかな・・・・・・」

 

 メグミの言葉に納得できそうになるが、桜雲はまだ首を縦には振らない。

 

「それに、桜雲の猫との触れ合い方は信用できるから」

 

 その言葉に、桜雲もメグミの顔を見る。その目は、お世辞や社交辞令で言っているようには見えない。本当に、桜雲のことを信じて言っているようだった。

 

「だから、お願いしてもいい?」

 

 そこまで言われては、桜雲も無下に断ることはできない。建前をこれ以上並べることもできそうにない。

 桜雲は、小さく頷いた。

 

「分かった。僕でよければ、教えるよ」

「ホント?ありがとう!」

 

 メグミがニコッと笑う。その笑顔を見て、桜雲も照れ臭くなってしまう。

 そしてその日は、具体的な日にちや場所などが決まった際のために、お互いに連絡先を交換して解散となった。

 

 

 メグミと別れて帰路を歩く桜雲は、だんだんと茜色に染まってきた空を見上げて『はー』と抜けるような息を吐く。

 まさか、昨日偶然知り合ったメグミとまた今日会えるとは思わなかった。同じ大学に通っているのだからその可能性もゼロではないはずだったのだが、再会がまさか1日で叶うとは思ってもいなかった。結構貴重なことなんじゃないかと、桜雲はその稀な確率に当たったことに妙な高揚感を覚えている。

 いや、それ以上にすごいのは、また猫カフェに行くということだ。それも、メグミと一緒に。

 その提案をされた時、桜雲の頭にはある言葉が浮かび上がっていた。

 『デート』という言葉が。

 

(いやいやいや、付き合ってるわけじゃないし、そこまで仲良しってわけでもないし)

 

 その言葉を意識したところで、桜雲は頭を振る。

 確かにメグミは親しげに接してくれているとはいえ、それを意識するのはあまりにも早計だ。メグミが意外と押しの強い性格なだけなのかもしれないし、桜雲のことを単に『猫好きな知り合い』としか見ていないのかもしれない。いや、絶対そうだ。

 となれば、そんな感じで意識をする自分が何とも滑稽に思えてきた。

 成人年齢を超えて、自他共に認めるのんびり屋であっても、そういう色恋沙汰に興味関心を抱き始めているとはいえ、それは流石に短絡的だ。

 

(まったく・・・ちゃんとしなきゃ)

 

 やれやれと思いながら、桜雲は家路を急ぐ。全く持って、自分もまだまだ青いようだと嘆息した。

 そんな一抹の期待から目を背けるように、今日の夕飯は何にしようかな、寝る前に猫の本でも読むかな、雰囲気の良さそうな猫カフェってどこかにあったかな、と考えながら、歩を進めていく。

 夕暮れの太陽は、穏やかに明るい。




メグミのパーシングの乗員の名前は、
メグミの出身校・サンダース大学付属高校の本籍地である長崎の地名から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Bermuda Briefing

 桜雲が猫カフェでメグミとの出会いを果たしてから2日が経つが、桜雲の日常に変わりはなく、今日も今日とて安穏とした日だった。

 桜雲自身、あの猫カフェで偶然にも同じ大学に通うメグミの隣に座り、話しかけられてそこそこ仲良くなり、その翌日にこの広い大学で再会することができたのは、相当稀で貴重なことだと思っている。

 だが、それで桜雲は運命的な何かを確信したり、浮かれて何にも手が付けられらくなるということにはなっていない。

 確かにメグミと出会えたこと自体はすごい確率の上でのことだと思うし、桜雲もメグミのことは綺麗な人だと思っている。だから桜雲も、メグミと出会えたこと自体は少しだけ嬉しかった。

 しかしそれだけで、桜雲はメグミとの間に運命的な繋がりを感じることはなかった。そこまで浅慮な考えを桜雲はしていない。ましてや、メグミに対して慕情を抱くということもあり得なかった。

 これが高校生や中学生などの時分であれば反応も少し違っただろうし、もしかすると『勘違い』でもしただろうが、今の桜雲は大学生だ。

 桜雲は元々自他ともに認めるのんびりとした性格で、さらに歳を重ねて成人を超え、心身ともに成長したことで、考え方も大分落ち着いたものとなった。一部からは『歳の割になんかジジババ臭くなったな』とからかわれることもある。だが、それにも桜雲は笑って否定する辺り性格は相当なものだ。

 だが、桜雲はそんなメグミから『猫カフェで猫との触れ合い方をまた教えてほしい』と頼まれている身でもある。そう頼まれた時は、桜雲はほんの少しだけ『デートみたいだ』と思いはしたが、即座に違うと否定した。その程度のことでそこまで考えるのはさすがに早計が過ぎるし、意識するだけ自分が気持ち悪く思えてくる。

 だから今の桜雲は、メグミのことは『最近ちょっと仲良くなれた異性の知り合い』程度の認識にしている。メグミだって桜雲のことはそれぐらいの認識でしかないだろう。いや、絶対そうだ。

 とにかくこれ以上、メグミのことを変に意識するのはよそうと桜雲は頭を横に振る。

 

「あら、桜雲。こんにちは」

「こんにちは、メグミさん」

 

 そんな風に思っていた桜雲は、昼休みに食堂の前でメグミとばったり会った。桜雲も声をかけられて、普通に挨拶を返す。

 先に声をかけてきたメグミは、壁に背を預けてスマートフォンを手に持ち、誰かを待っている風だった。そんなメグミは、桜雲に話しかける。

 

「今からお昼?」

「うん。メグミさんも?」

「ええ、戦車道の同僚と一緒にね」

 

 そのメグミの答えに、桜雲は少しの間を挟んでから。

 

「そっか。じゃあ、また今度ね」

「うん、分かった」

 

 いくらお昼前に知り合いと会ったからと言って、そういう事情があるにもかかわらず『一緒にどうですか』と言うのは図々しい。それに、戦車道の同僚とと言うことは、何かしらの話し合いも兼ねたものになるかもしれない。そんな場所に自分がいても、ただ邪魔になるだけだ。そう思った桜雲は、ここで一度別れることにした。

 ただし、メグミが1人で昼食にするつもりだったら、桜雲は同席を自分から言うつもりだった。

 それは。

 

「あ、そうだメグミさん」

「何?」

 

 食堂に入ろうとしたところで、桜雲は足を止めてメグミに声をかける。メグミはスマートフォンではなく、桜雲のの顔をちゃんと見て反応してくれた。

 

「あの、猫カフェに下見に行くって話だけどさ・・・」

「?」

「一応、僕の方でいくつかお店を見繕って、あとでメールで教えてその中からメグミさんに選んでもらうって形で良い?」

 

 桜雲は、『メグミと猫カフェに下見に行って猫との触れ合い方を教える』と言う約束を忘れてはいない。そして、反故にするつもりもない。例えメグミとの距離がそれほど近くないとしても、その約束はしっかりと守るつもりだ。そう頼んでくれたということは、それだけメグミが自分のことを信頼しているということであるし、『桜雲の猫との触れ合い方は信用できるから』と言われて嬉しくもあったから、その信頼は裏切りたくはない。

 その約束について話そうとしていたから、桜雲は可能ならメグミと昼食を一緒にしようと思ったのだ。

 

「ええ、それでいいわよ」

「分かった」

 

 そこでメグミは少しだけ、本当にすまないとばかりの笑みを浮かべる。

 

「なんか・・・ごめんなさい。私から頼んだことなのに、あなたに任せきりにしちゃって・・・」

「ううん、気にしなくて大丈夫だよ」

 

 信頼されている身であるし、それだけ自分のことを評価してくれているということでもあるから、桜雲は特段そのことを苦痛とは思っていない。だから『大丈夫』と言えるのだ。

 

「私は素人だし・・・そういうのはプロに任せるわ・・・」

「プロだなんて、僕はただの猫好きだから」

「またまたご謙遜を」

 

 少しだけ軽口を叩き合ってから2人は笑い、桜雲は手を振って食堂へ入る。

 メグミがそれを見届けてから数分経って、アズミとルミ、そして愛里寿が姿を見せた。メグミはスマートフォンをポケットに仕舞い4人で食堂へ入る。それぞれ料理を注文して受け取ってから、いつものように4人掛けのテーブル席へ着く。

 今日の席順は愛里寿の隣にルミ、愛里寿の正面にアズミ、そして斜向かいにはメグミだ。

 またいつものように、メグミたちバミューダ3姉妹で愛里寿と親しくなるために水とおしぼり、箸を用意してあげる。しかしどこか、愛里寿は不満げだった。

 それにはメグミたちもあまり気付かず、4人で『いただきます』をする。

 

「今日のバミューダアタックも、上手くいかなかったわね・・・」

 

 食事を始めてから少しして、メグミが食堂の天井を見上げながらぼやく。それは今日のチーム内での練習試合のことを言っているのが、このテーブルに着く他の3人には分かっていた。

 昨日同様、メグミたちバミューダ3姉妹は、愛里寿のセンチュリオンに対してバミューダアタックを仕掛けた。

 今回のパターンについてだが、まずメグミを中央に据えて左にアズミ、右にルミの戦車が就く。そして愛里寿のセンチュリオンへ向けて全速前進してまた3方向から囲むのだが、今回は3輌それぞれがドリフトを利かせて曲がるのではなく、3輌とも最初にセンチュリオンへ向けて直進するのは昨日と同じだが、まずメグミのパーシングが速度をわずかに落とし、そして両脇のアズミとルミのパーシングはセンチュリオンの横を通り過ぎてからドリフトさせて向きを変え、3方向から狙うつもりだった。この攻撃の仕方は、パターンTに当たる。

 だが昨日と同じで、愛里寿のセンチュリオンは砲塔旋回と超信地旋回を存分に活かして砲撃を全て躱し、逆にメグミたちバミューダ3姉妹を全滅させた。

 

「中々上手くいかないわね・・・」

「掠りもしないし・・・」

 

 アズミとルミも同じで、どうしたものかと嘆いている。

 そして、その普通じゃないような動きを見せた戦車の車長である愛里寿は、今日は美味しそうに微笑みながらハンバーグを食べている。

 だが、3人が心底落ち込んでいる姿を見ると、愛里寿も少しだけ良心が痛んだのかメグミたちに話しかける。

 

「あの・・・でも、皆の連携力もすごかったよ。前半だって、相手を撃破するペースも前より早かったし、確実に強くなってる、と思う」

 

 その愛里寿の気遣うような言葉に、メグミたちがハッとしたような表情をする。

 それは愛里寿の言ったことに気づいたから、と言うことではない。敬愛する愛里寿に気を遣わせてしまうというバカなことをしてしまったと、3人が痛感したからだ。

 

「そ、そうですか。ありがとうございます!」

「私たちも、頑張りますね!」

「ささ、ご飯が冷めないうちに食べちゃいましょう!」

「う、うん」

 

 メグミたちが強引に話を切ると、愛里寿も多少メグミたちの不自然さに疑問を抱くも食事を再開した。

 それからほどなくして、メグミの正面に座るルミが話しかけてきた。

 

「ところでメグミ、1つ聞かせてもらいたいんだけどさ」

 

 ルミが畏まって聞いてきて、メグミはとんかつを一切れ箸で摘み口に運びつつルミのことを見る。ルミの表情が何だかにやけていて嬉しそうに見えるので、大した話ではないだろうと、食事を止める必要もないかとメグミは思った。

 

「昨日帰る時に一緒にいた男って誰よ?」

 

 だが、ルミのその言葉には流石に箸を止めざるを得なかった。

 愛里寿は少し様子の変わったメグミのことを見て、メグミの隣に座るアズミはルミの方を見る。

 

「ちょっとルミ、それって何の話?」

「それがさぁ、昨日私が帰る時にメグミを見かけたんだけど、何とまさかの男と一緒だったのよね。それも割と仲良さそーな感じで」

「・・・・・・へぇ」

 

 興味を示したアズミに、ルミは嬉々として答える。それを聞いたアズミは、何とも愉しそうな笑みを浮かべてメグミのことを見た。

 メグミはこの2人の反応に『ふぅ』と小さく息を吐いて見せて、面倒くさいということをアピールする。

 この次に来る言葉など、どうせ―――

 

「メグミったら、いつの間に彼氏なんて作ってたの?」

 

 アズミの言葉に、メグミは今度は大きく息を吐いた。やっぱりこうなるのよね、と。

 メグミたちも20歳を過ぎ、そろそろ『その手』のことについて考え始める年頃だった。戦車道とは女性の世界であり、男がほとんどいないからこそその問題に関しては積極的で、なおかつ興味津々だった。

 それと、大学選抜チームの中には彼氏がいるメンバーもそれなりにいるので、それがなおのこと彼女たちの積極性と興味を助長させている。

 

「彼氏じゃないわよ。ただの知り合い」

 

 だがメグミは、本当のことを伝える。隠すようなことでもない。

 

「ふーん?どこで知り合ったの?」

 

 ルミは一応納得するも、まだ興味は続いているらしい。素直に猫カフェと答えるべきかとメグミは少し悩んだが。

 

「そういえば昨日、『猫カフェで知り合った』って言ってたね」

 

 するとそこで、メグミに代わって愛里寿が明かした。明かしてしまった。

 

「えっ、隊長も知ってるんですか?」

「うん・・・昨日、メグミとその人が一緒に帰ってるところでたまたま私も会って・・・」

 

 メグミは頭の中で、あちゃーと自らの額を押さえる自分をイメージする。

 愛里寿は13歳にして、大学選抜チーム隊長、島田流戦車道後継者、天才少女等多くの肩書を背負っている身である。

 だが、同時に愛里寿はその幼さ故の純粋さも持っていた。そんな愛里寿に、戦車道のことがほとんど絡まない今の時間で他人の、それも自分より年上である大人の気持ちを慮るというのは少々難しい。

 だから愛里寿は、メグミがあまり正直に言いたくなかったことを、素直に言ってしまった。

 そしてメグミは、それをアズミとルミが知ってしまったことで事態は悪い方向に転がることが読めていた。

 

「え、まさかメグミ・・・猫カフェに行ったのって・・・?」

「違うわよ。この前テレビで紹介されていたから気になって行ってみただけよ。『それ』目的じゃないわ」

 

 アズミの言葉が『男との出会いを求めて猫カフェに行ったのか』という意味を含んでいることに気づいたメグミは、全て言われる前にそれを断固否定する。そんな考えは本当になかったので、違うと言っておいた。

 ただ、結果的には桜雲と言う男と知り合えたのだから、結果オーライと言えなくもない。

 

「あ、そうだメグミ」

「はい、何でしょうか?」

 

 そこで愛里寿が話しかけてきてくれた。これで上手いこと話が逸れるといいのだが。

 

「昨日帰ってから、お母様に相談して・・・猫カフェに行ってもいいって」

「お許しが出たんですね。よかったです!」

 

 島田流家元でもある母に、愛里寿はちゃんと話をしたようだ。その流れでメグミが誘ったことも家元は知っているだろうし、いずれメグミの下へ連絡が来るだろう。メグミも家元とは何度も会っているし連絡先もお互い知っているのでそれは別に問題はなかった。

 

「それでね、次の日曜日なら大丈夫なんだけど、メグミはどう・・・?」

「あ、はい。勿論です!私はいつでもOKですので!」

 

 敬愛する愛里寿とのお出かけであれば、いつだろうと大歓迎の無問題(モーマンタイ)だ。メグミは二つ返事で頷く。

 と、そこでアズミとルミが『ちょちょちょちょちょ』と横やりを入れてくる。

 

「待って―――いえ、よろしいですか隊長?」

「?」

 

 思わずアズミが素の口調で話しそうになるが、すぐに普段愛里寿に接するときのような敬語に戻して愛里寿に話しかける。

 

「その、私とルミも・・・ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ」

 

 アズミの不安そうな質問に、愛里寿は小さく笑って頷く。それでアズミとルミの表情も明るくなった。

 

「ほ、本当ですか?」

「ありがとうございます!」

 

 アズミとルミは揃って頭を下げる。そして2人は、メグミに向けて目配せをする。

 

((抜け駆けは許さないわよ))

 

 その視線にはそんな意図が含まれていることはメグミも分かっていたし、メグミも抜け駆けする気などなかったので、『分かった分かった』とばかりに肩を竦めて白いご飯を口に含む。

 ここにいるメグミ、アズミ、ルミに限らず大学選抜チームの面々は、愛里寿と自分たちとの間にある壁をどうにかして取り払って親しくなりたいと思っている。

 それは全員共通だが、このバミューダ3姉妹の間に限り『誰か一人だけが愛里寿を独占する状況は認めない』という掟が存在する。それに抵触しようものなら、たとえ親しい間柄であろうとフレンドリーファイアも辞さない心構えだ。

 

「それで、メグミ」

「あ、はい。何ですか?」

 

 そんな不可視の小競り合いに気づかない愛里寿は、純粋な瞳と共に質問をメグミに向ける。メグミも一度アズミとルミの目配せから一度意識を逸らして愛里寿の方を向く。

 

「どんな猫カフェに連れてってくれるの?」

 

 その質問に、メグミは言葉を詰まらせる。隣に座るアズミ、正面に座るルミもそれは純粋に気になったようで、2人ともメグミのことを邪な感情抜きに見つめる。

 

「あー・・・それは当日のお楽しみということで」

「そうなんだ・・・楽しみにしてるね」

「ええ、どうぞお楽しみに!」

 

 メグミの苦し紛れの答えに愛里寿は笑って頷き、アズミとルミも『楽しみにしてるわよ~』と言いながらそれぞれ焼き鮭定食とカツ丼を食べるのを再開する。

 

(・・・危なかった)

 

 だが、内心でメグミは大きく息を吐いて安心していた。

 まさか、愛里寿たちと一緒に行くその猫カフェを決めるのはメグミではなくて知り合いの桜雲で、しかもまだ決まっていないというのは、誘った張本人であるメグミには言えるはずもない。

 そして、ここまで言った以上はちゃんとしたお店でなければならないだろうし、メグミは心の中で桜雲に『いいお店をお願い』と念じる。

 頼んだ身で太々しいことは重々承知の上だ。だから後日、何かしらのお礼をした方がいいということは、最初に頼んだ時からメグミは考えていることだった。

 

 

 

「・・・・・・っ」

 

 その同時刻、食堂で桜雲は妙な寒気に襲われて身体をブルリと震わせた。

 何か、自分のあずかり知らない場所で自分へのハードルを上げられたような、自分に対する期待値が高まったような、そんなことが起こったような気がする。

 嫌な予感が働いた、とも言えた。

 

「どうかした?」

 

 すると、桜雲の正面に座っていた、桜雲が所属する動物サークルの同い年の女子・柊木(ひいらぎ)が心配そうに声をかけてきた。どうやら、桜雲の身体が震えていたのは見えていたらしい。

 

「ううん、何でもないよ。ただちょっと寒気がしてね・・・」

「大丈夫?もうすぐ夏本番なのに風邪なんて・・・」

 

 とりあえず寒気がしたということだけは伝えると、柊木は本当に心配そうにそう言ってくれた。その心遣いだけでも桜雲は嬉しい。

 この柊木だが、知り合ったのは動物サークルに入った1年生の頃なので、旧知の仲と言うほどでもない。ただ、同じサークル内の同時期に入った同い年と言うことで何かと話す機会も多く、割と仲は良い方である。こうして2人で昼食を摂っているのも、1人で食べていた桜雲を見かけた柊木が声をかけてせっかくだからと同席したからだ。

 桜雲は、中辛のカレーを食べて寒気が走った身体を少しでも温めようとする。

 

「ところで、桜雲君」

「何?」

「この前の日曜も、猫カフェ行ったの?」

 

 桜雲が猫好きだということ、そして休日は猫カフェによく行くということはサークルのメンバーも大体知っている。勿論柊木も知っているからそう聞いたのだ。

 

「うん、前にテレビで紹介されてたお店にね」

「それで、どうだった?」

「いい場所だったよ。まるで、絵本の中から飛び出したみたいなお店だった」

「へぇ~・・・面白そうだね」

 

 柊木も興味を示してくれたので、桜雲はとりあえず安心した。これで『変なの』とでも言われれば、もしや自分の感性がおかしいのでは?とちょっとばかり不安になりかねないからだ。穏やかな気性の桜雲でも流石に不安になることはある。

 それと、猫カフェつながりで桜雲が雑談程度の感じで柊木に話しかけた。

 

「そういえば、知り合いから『いい猫カフェ無い?』って訊かれてね」

「?」

「どこを薦めようか迷ってるんだけど・・・柊木さんはどこかいいトコ知らない?」

「私は犬専門だからね~・・・」

 

 桜雲と柊木の所属する動物サークルのメンバーは、大体皆それぞれに好きな動物がいて、その動物に関することを専門的に研究している。桜雲と柊木を例に挙げれば、桜雲は猫、柊木は犬という具合だ。他にもフクロウとかハムスターとかインコが好きで専門しているメンバーもいるが、猫は桜雲の専門だ。だから正直、専門じゃない柊木に訊いてもそれは答えるのが難しいのは分かっていた。

 

「ごめんね、変なこと訊いて」

「ううん、気にしなくて平気。でも、そうねぇ・・・」

 

 桜雲が謝るが、柊木は笑って首を横に振る。そして何かを考えるように、箸を宙で回す。

 

「『いいお店』っていうよりも、『その人に合いそうなお店』を選んだ方がいいんじゃないかな?」

「・・・・・・?」

「例えば、その頼んできた人が落ち着いた感じの人だとしたら、賑やかな雰囲気のお店を薦めてもあんまり溶け込めなくて楽しくなさそうだし・・・どころか気を悪くさせちゃうかもしれないからね」

 

 柊木の話は、猫カフェに限った話ではない。人にはそれぞれ自分に合った場所と言うものがある。落ち着いた人には静かな場所が、明るい人には賑やかな場所が性に合うということが多い。無論全員がそうと言うわけではないが、少なくとも今桜雲が薦めようとしている人に限ってはその通りだと思う。

 

「そうかも・・・うん、そうだね」

 

 猫カフェを探してほしいと言ったのはメグミだが、メグミは愛里寿と打ち解けるために一緒に猫カフェに行くと言っていた。そんな愛里寿は活発な雰囲気ではなく、静かで落ち着いた感じがする。だから、そんな愛里寿に合うような落ち着いた雰囲気のカフェにした方がいいかもしれない。

 

「教えてくれてありがとう」

「ううん、礼には及ばないよ」

 

 桜雲は柊木にお礼を言ってから、またカレーを食べ始める。そして柊木も箸を手にとんかつを食べるのに戻る。

 桜雲は、帰ったらもう一度、猫カフェを調べようと思った。勿論メグミから頼まれた昨日から調べてはいたが、今度は柊木のアドバイス通り愛里寿に合った落ち着いた雰囲気の猫カフェを探すことにしよう。

 

 

 そんなことを桜雲が考えている一方で、メグミたちの話題は。

 

「聞きましたか、隊長?」

「?」

「今年の高校生大会、どんでん返しだったみたいですよ」

「ああ、そのニュースは私も聞いたわ」

「ええ、ルミに同じく」

「・・・うん、私も昨日ニュースで観た」

 

 『高校生大会』だけで愛里寿とアズミ、ルミには伝わった。

 それは、つい先日行われた第63回戦車道全国高校生大会の決勝戦のことだ。大学生となったメグミたちにとってはそこまで重要なものではないが、その決勝戦は、いや今年の高校生大会は大学生であるメグミたちにとっても目を見張るものだった。

 と言うのも、まずその決勝戦の対戦カードは高校戦車道最強と言われる黒森峰女学園と、奇跡の快進撃を見せてきたという大洗女子学園。特に大洗女子学園は、20年ぶりに戦車道を復活したばかりの無名校だが、決勝に至るまでに戦車道四強校のサンダースとプラウダを破ったのだ。その戦績を見ると『奇跡の快進撃』という表現にも頷くほかないし、注目せざるを得ない。

 そしてそんな大洗と黒森峰の決勝戦を制したのは、またしても大洗。それも試合中に重駆逐戦車エレファントとヤークトティーガーを立て続けに撃破、さらには史上最強の超重戦車マウスさえも破った、まさにどんでん返しだった。

 そして試合内容もさることながら、さらに関心が高まった要素はその番狂わせを見せた大洗女子学園の戦車隊を率いる隊長だ。

 

「どうして西住流の子が大洗に?って思ったけど」

「分からないわね・・・母校のことは知ってるけど、高校生はちょっとノーマークだったし・・・」

 

 誰に向けたわけでもないルミの問に、アズミが首を横に振る。メグミもお手上げと両手を広げて首を横に振り、愛里寿は小さく考え込む。

 その大洗女子学園を率いていたのは、元黒森峰女学園の隊員だった西住みほ。今ここに座る全員が身を置き、そして愛里寿の母親が家元である島田流と双璧をなす、日本でも由緒ある戦車道の流派・西住流の直系の娘である。

 そのみほは、本来であれば西住流が後ろについている黒森峰女学園に所属しているはずだった。にもかかわらず、みほは大洗女子学園の生徒として、隊長として高校生大会に参戦した。それが一体どうしてなのかはメグミたちにも分からない。それは西住流、黒森峰女学園、大洗女子学園の内部事情や何やらの複雑な経緯故のことなのだが、それはメグミたちの知るところではなかった。

 

「でも、さっきちょっと戦車道ニュースサイト覗いてみたら、すごいことになってましたよ」

「?」

「ほら」

 

 そう言いながらメグミは、スマートフォンを取り出して画面を点け、愛里寿に見せる。

 ニュースサイトのほとんどの記事は、その第63回戦車道全国高校生大会のことばかりだ。その中でも目立っているのは、やはり大洗女子学園の優勝、もしくはそれまでの軌跡についての記事だ。閲覧数、注目度数も他と比べると高い。

 

「こりゃ、時代が動くかもね?」

 

 ルミが同じサイトを見ているのか、スマートフォン片手にけらけらと笑いながら告げる。その様子は明らかに今回の高校生大会を他人事、対岸の火事のように捉えている。実際、ルミたちは大学生で、高校生の大会の結果が自分たちに影響を及ぼすことはほぼないので本当に他人事だから、誰もそれを咎めはしない。

 しかし愛里寿は、そのことを高校生のことだからと処理することはなかった。

 

「・・・でも、サンダースとプラウダ、黒森峰に勝った大洗の戦い方も気になるし、もしかしたら私たち大学選抜チームにも取り入れられる技術があるかもしれない・・・」

「そうですね・・・試合の動画や記事ぐらいは見ておいた方がいいかもしれません」

 

 愛里寿の言葉にメグミも頷く。

 

「でしたら・・・ほかの学校の試合も観ておきますか?あくまで参考程度に」

「そうねー・・・まあ、観といて損はないか」

 

 アズミがさらに付け加えて、ルミも腕を組みながら目を伏せる。

 大学選抜チームはその母体となっている島田流の影響もあって、多種多様な戦術を積極的に組み込む傾向がある。ワンパターンな戦術だけに頼らず多くの戦法を取ることで、相手に対策を取らせずに翻弄させる戦い方は、島田流戦車道が『変幻自在の忍者戦法』と謳われる所以である。

 だから愛里寿の、奇跡の優勝を遂げた大洗女子学園の、ひいては高校戦車道の戦いを調べておくというのも間違ったことではない。それでメグミたちも否定や意見したりはせず、賛同した。高校戦車道を参考にするというのはあまりないことだが、ルミの言った通り『時代が動く』かもしれないし、自分たちでは考えつかないような作戦がもしかしたら見つかるかもしれないので、丁度いい機会だ。

 

「ただ・・・あまり根を詰めすぎてはだめですよ、隊長?」

 

 アズミが気遣うように愛里寿に話しかけ、メグミとルミもうんうんと頷く。その3人を見て、愛里寿はわずかにはにかんだ。

 昨日、愛里寿は『休日も勉強をしている』と言っていたのを3人は覚えている。その本来の勉強に加えて高校戦車道の試合まで確認するとなれば、休む時間もさらに少なくなってしまうだろう。

 いくら愛里寿が普通の13歳の少女とは違うと言っても限度はあるので、そこがアズミたちは心配だった。

 

「・・・うん、気を付ける」

「ですので次の休日は、ゆっくり羽を休めましょうね」

 

 メグミが愛里寿に言うと、愛里寿も頷いてくれた。

 やはり次の休日に愛里寿と猫カフェに行くことにしたのは正解だったと、メグミは思う。

 昨日の話でも分かったが、とかく愛里寿は戦車道に対する意欲が誰よりも強い。だから少しは戦車道以外の何かで息抜きをさせないと、まだ幼い身体の愛里寿はどこかで身体を壊してしまう。

 それに、戦車道以外のことをあまり知らない愛里寿に、もっと『外の世界』を知ってほしかった。

 

(・・・・・・よし)

 

 メグミは心に決めた。次の休日の猫カフェで、愛里寿を楽しませようと。

 だから、桜雲からいいお店を聞いて、そして猫との触れ合い方をマスターして、愛里寿にも猫の可愛らしさを知ってもらおうと。

 桜雲には迷惑をかけてしまうが、相応のお礼はするつもりでいる。叶えられる範囲で、何でもするつもりだ。

 

 

 

「・・・・・・っくし!」

 

 メグミがそう心の中で決意したところで、桜雲は1つくしゃみをした。

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

「ん、大丈夫だよ。問題ない・・・はず」

 

 またも柊木に心配をかけてしまったが、桜雲自身は風邪をひいているような感覚はない。どこかの誰かが噂でもしたのだろうと、深くは考えなかった。

 

 

 サークル活動を終えて、桜雲が部屋に戻った時にはすでに時刻は18時を回っていた。夏になって陽が伸びてきているので、時計を見なければまだそこまで遅くなっていないと思いそうになる。

 靴を脱いで部屋に上がり、時計を見て夕食の準備にかかる時間を大まかに計算し、その準備をするまではメグミに頼まれた通り猫カフェを探すことに決めた。

 早速もろもろの準備を終えてパソコンを立ち上げる。だが、その途中でスマートフォンが電話の着信を告げた。親からかな、と思いながら画面を点けると『着信:メグミさん』と表示されていて、どうしたんだろうと思いつつも電話に出る。

 

「もしもし?」

『あ、桜雲?ごめんね、今大丈夫?』

「うん、大丈夫だよ。それで、どうかしたの?」

 

 桜雲が早速本題へ移ろうとすると、メグミは『えーっとね・・・』と何とも申し訳なさそうな声を洩らす。電話越しにその声を聞いた桜雲は『本当にどうしたんだろう?』と心配になる。

 

『あの、愛里寿隊長と猫カフェに行くって話だけどね・・・その日が、次の日曜に決まったの』

「日曜日ね」

 

 メグミの言葉に、桜雲は部屋の壁に掛けてあるカレンダーを見る。次の日曜日と言うことは、あと5日だ。

 

『だからね、その前に下見に行きたいと思ってるんだけど・・・桜雲が都合が合う日っていつ?』

「・・・・・・あー」

 

 桜雲はもう一度、カレンダーを見る。その日曜日までの間には、大学の講義が入ってしまっていて終日暇、休みと言う日がない。

 となれば。

 

「ごめん。1日空いてるって日はないなぁ・・・講義の後ぐらいしか時間がないや」

『そうなの・・・・・・どうしよう・・・?』

 

 困った様子のメグミ。そんな彼女に、桜雲は落ち着いて補足をする。

 

「でも、猫カフェには夜までやってる場所が多いよ」

『あ、そうなの?』

「うん。だから、夜までやってて、それでいていい感じのところを見つけて、都合が合う日にそこで下見にしようか?」

『そうね・・・・・・』

 

 桜雲の提案に、メグミは少し考える。10秒にも満たない沈黙ののち。

 

『分かったわ。それでお願いしてもいい?』

「うん。それじゃ、すぐに探してみるよ」

『ええ、お願いね・・・』

 

 そこで桜雲が電話を切ろうとしたところで。

 

『ねえ、桜雲』

「何?」

 

 切る直前、メグミが桜雲を呼んだ。それで桜雲も、『通話終了』をタップしようとするのを止める。そして、再びスマートフォンを耳に当てて、メグミの言葉を待つ。

 やがて、メグミは。

 

『ごめんね、あれこれ注文付けちゃって』

「ううん、メグミさんは気にしなくて平気だよ」

 

 メグミの謝罪の言葉に、桜雲は首を横に振りながら否定する。

 また少し、お互いの間に沈黙が訪れたが、メグミは確かに桜雲に聞こえるように告げた。

 

『ありがとね』

 

 その短い言葉だけで、桜雲はメグミの感謝の気持ちが十分に伝わった。

 

「・・・ううん、どういたしまして」

 

 そして『それじゃあね』と桜雲が言って、メグミも『うん、それじゃ』と言って電話が切れた。

 だが、電話が切れた後も少しの間、桜雲は手の中にあるスマートフォンを見つめる。

 先ほど『ありがとね』と言われた時、桜雲はメグミの感謝の気持ちを汲み取ったと同時に、心の内が温まるほど嬉しくなった。それは感謝の気持ちを伝えられると嬉しくなるという当たり前のこともあったが、何か別の『気持ち』が桜雲の中にポツンと咲いたような感じがしてならなかった。

 

「・・・・・・さてと」

 

 スマートフォンを机に置き、パソコンの画面を見る。既にデスクトップ画面に移っており、いつでも調べる準備はできている。桜雲はキーボードを軽やかに叩き、早速条件に合う猫カフェをインターネットで探し出す。

 この日だけは、夕食の準備もそっちのけにして、猫カフェを探し続けた。

 メグミの信頼と希望に応えるために。




次回はちょっと戦車の描写が少なめですので、
予めご了承ください。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Preview,Practice and Play

 メグミ、アズミ、ルミのバミューダ3姉妹が愛里寿と共に猫カフェへ行くのは日曜日で確定したが、その前日である土曜日に、桜雲はメグミと下見兼猫との触れ合い方を教えるためにその猫カフェに行くことも決まった。

 主役である愛里寿に合うような雰囲気のお店を桜雲が探した末に、桜雲は3軒の猫カフェを候補地として選び、それをメグミに伝える。その中から『ここがいい感じかな』とメグミが1軒選び、そこへ下見に行くことが決まったのは、本番の4日前のことである。

 しかし、2人の予定が合うのは土曜日、それも大学の講義が終わった後しかなかった。平日では、お互いに講義が終わる時間が違ってどちらか一方が待つことになってしまう。桜雲の方はサークルにも所属しているから、それは仕方がなかった。

 

『別に僕が待っているのでもいいけど?サークルも休むなり早引きするなりでいいし・・・』

 

 桜雲が善意100パーセントでそう言ったのだが、それに対してメグミは。

 

『私が無理なお願いをしちゃったのがそもそもだし、これ以上桜雲に負担はかけたくないから・・・』

 

 と言うわけで、メグミが気持ちだけ受け取る結果に終わった。別に桜雲はサークルの時間が減ること自体を負担とは思っていないのだが、大人しく従うことにした。

 その結果、2人の大学の講義が終わる時間がほぼ同じである土曜日に下見に行くことが決まった。

 

「お待たせ、桜雲」

「大丈夫、今来たところだよ」

 

 そして下見当日の土曜日、午後1時半。大学の正門前で桜雲はメグミと待ち合わせて、早速目的の猫カフェに向けて出発する。

 

「まさか、結構近い場所にあんなお店があるなんてね」

「まあ、できたのは割と最近らしいし、猫カフェに興味がないと行くこともないからね」

 

 筆頭候補である猫カフェは、大学の最寄り駅から電車で2つ隣の駅にあり、メグミと出会った猫カフェよりもずっと近い。しかし桜雲も言った通り、オープンしたのはつい最近なので、近くに猫カフェはないと思い込んでいた桜雲も分からなかった。

 ホームページを見た限りでは静かな雰囲気がして、どうやら『猫』に加えて『温かみのある木』をテーマにしているお店のようだ。その雰囲気は愛里寿のイメージとも合っていると思ったので、桜雲とメグミはここにしようと決めた。

 そのお店は予約が必須と言うわけではなかったが、予約をしておいた方が混んでいても優先的に案内してもらえるとのことだったので、今日は桜雲の名義で2人分の予約を念のために入れておいてある。メグミも、明日愛里寿たちと一緒に行くことを仮定してとりあえず予約をしておいた。もしもそのお店が気に入らないようならばキャンセルすればいい。

 

「大学選抜チームに入ってるって言ってたけど、今日戦車の訓練ってあったの?」

「ええ、あったわよ」

 

 大学から駅までは少し歩かなければならないので、その道のりで2人は自然と会話をする。先に話かけたのは桜雲の方で、メグミが大学選抜チームのメンバーだと知っていたので気になったことを聞いてみた。

 

「この暑い中大変だね・・・」

「慣れたもんよ・・・うん。慣れたもの」

「顔ひきつってるよ・・・無理はしないでね?」

 

 7月も秒読みに近く、気温は最近になって上がってきている。この1週間では夏日になる日がほとんどだ。

 そんな気温の中で、通気性もそこまで良くはない鉄の塊である戦車の中に何時間も留まって戦うなど、見ようによっては自殺行為だろう。だが、ちゃんと水分補給などは徹底しているらしいし、体調不良に陥った際は遠慮せずに申告するように言われていた。熱中症も馬鹿にならないので、その辺りはきちんとしている。

 

「まあ、無理はしてないわ。その辺はわきまえてるし、死んだら元も子もないんだから」

「それはよかった」

「それも問題なんだけど、やっぱり隊長には勝てないのよね・・・戦車は強いわ乗員もやばいわで」

「あはは・・・それは大変そうだね」

 

 桜雲も祖母の影響で戦車度のことは多少の興味はあったので、メグミの話には興味があった。だから話の腰を折るようことは言わない。

 

「それにメグミさんって、大学選抜チームの副官なんでしょ?だからホントに大変そうだね」

「あれ、言ったっけ?私が副官だって・・・」

「大学選抜チームって聞いてから気になってて、ネットで調べた」

「あらら・・・何だか恥ずかしいわね・・・」

 

 メグミから猫カフェを探してほしいと頼まれた日、そしてメグミが大学選抜チームに所属していると聞いた日に、猫カフェを調べる片手間で大学選抜チームのことを調べた。そこで桜雲は、メグミが大学選抜チームの副官を務めていることを知ったのだ。

 そんなメグミは、自分が副官だということを桜雲はメグミ自身の口からではなく、インターネットと言う公の情報から知った。自分が直接教えたわけではないからメグミは恥ずかしくて、変な感じがしたのだ。

 

「結構強いらしいじゃない、大学選抜チームって」

「まー、そうね・・・隊長が愛里寿隊長になった今年から強くなったって感じはするわね」

 

 大学選抜チームのサイトには、これまでの戦績も載っていた。昨年度まではそれほど特筆するべき戦果はなかったが、今年度に入ってからの戦果は、同じ大学生のチームにはもちろん、社会人のチームからも白星を勝ち取っているくらいだった。

 

「それに夏休みは、くろがね工業ってめちゃ強い社会人チームとの試合があるかもって話が上がってるし」

「へぇ~・・・もしやるんならその試合、観に行ってみようかな」

「おっ、観に来る?だったら私も頑張んないとね」

 

 桜雲も戦車道のことはちょっと興味があったので、大学生と社会人という身分が違う両陣営がどんな戦いを見せるのかは気になった。

 メグミも、親しい人が見に来るのであれば下手な戦いぶりなど見せられないので、もしその時が来たら自分は全力で戦おうと意気込んだ。

 

「でも今日は、ちょっとでもメグミさんの疲れが猫カフェで軽くなるといいな」

 

 今日の目的は下見と猫の触れ合い方を教えることだが、それでも桜雲は戦車道で疲れているであろうメグミにはぜひ猫で癒されてほしい。そう切に願っていた。

 

「そうね・・・確かにこの前初めて猫カフェに行った時は、猫が可愛くて疲れとかみんな吹き飛んじゃったわ」

「それが猫の良さなんだよね。何だか癒されるんだ」

 

 まもなく駅に到着する。駅前の広場は土曜日で世間がお休みモードなのもあって人が多い。加えて駅の近くには店も多く、大学の最寄り駅なのもあって大学生と思しき風貌の人が多かった。

 その中には、カップルらしき男女の姿もちらほら見える。

 それを見て桜雲は、メグミと話をしながらも思った。

 

(・・・僕らは、どう見えてるんだろう?)

 

 桜雲はそこでちらっと、メグミの姿を改めて見る。メグミの服は、上は白のチュニックに、下は紺のサブリナパンツ。割とシンプルな装いだったが、メグミの服装があまりにも気合の入ったものだと逆に桜雲がいたたまれなくなるので、それについては安心だった。

 とはいえ、今の桜雲とメグミは私服であり、フォーマルな服装ではない。よって、見方によれば桜雲とメグミが周りに『そういう関係』とみられる可能性も十分あった。

 だが、桜雲は首を横に振る。

 自分とメグミはそんな関係ではない。そう思うのも全ては他人の勝手で、ただ桜雲自身がそう思い込んでいるだけだ。それに囚われるのは馬鹿馬鹿しい。

 同じサークルのメンバーとして柊木と出掛けたこともあったが、その時は特段意識するようなことはなかった。

 しかしなぜ、今日メグミと一緒にこうして歩いている時に限って意識してしまうのか。

 その意識する理由がなんとなく見えてきたところで、桜雲とメグミは駅の自動改札を通ったのだが、桜雲のICカードがチャージ不足で改札が甲高い電子音と共に閉じてしまった。

 

「・・・・・・チャージしてくる」

「どうぞどうぞ」

 

 呆れたような笑みを浮かべるメグミに見送られながら、桜雲はすごすごとチャージをする。

何とも幸先が悪い。

 

 

 電車に揺られることおよそ15分、桜雲とメグミは目的地の猫カフェの最寄り駅に着いた。2人が最初に乗った大学の最寄り駅の周りも店が多くてそこそこ賑わっていたが、ここはそれ以上に店が多くて活気がある。ターミナル駅ほど大きくはないが、それなりに発展していた。

 駅周辺には飲食店のほかにも洋服店や靴屋、本屋など色々あってショッピングも楽しめるようになっていた。この辺りも、明日愛里寿と出掛ける時に立ち寄ってみるといいかもしれない。

 

「ペットショップ?」

 

 猫カフェまでの道のりの途中で、メグミはその店―――ペットショップを見つけた。道に面したショーウィンドウには犬や猫の写真が貼られていて、外からも見えるような位置に仔犬と仔猫がそれぞれ入ったケージが置いてあった。

 メグミはペットショップ自体目にすることがそれほどなかったのか、ペットショップまで近づいてショーウィンドウ越しに中のケージを見る。ケージの中の仔犬と仔猫は、メグミに気づいてじっとメグミのことを見上げる。

 だが桜雲は、メグミには申し訳なかったがこれから行く猫カフェの予約の時間もあったので、寄り道をするのが少し難しかった。

 

「気になるなら、帰りに寄ってみようか」

「そうね・・・ちょっと入ってみたいかも」

 

 桜雲に促されて帰りにここに寄ることが確定し、メグミは名残惜しそうではあるがショーウィンドウから離れて再び桜雲と並んで猫カフェへと向かう。

 やがて、駅周辺の喧騒から少し離れた大通り沿いにある、2階建ての白い建物の前にやってきた。2人が最初に出会った猫カフェはおとぎ話の世界にあるような外見だったが、目の前にあるのはそれとは打って変わって近代的なデザインだった。

 

「ここ、かしら?」

「うん」

 

 メグミも桜雲と最初に会ったあの猫カフェを覚えているから、そことは正反対の印象を抱かせる外見の建物に引っ掛かりを覚えたようだ。

 だが、白い壁に取り付けてある銀製の看板に刻まれた店の名前は確かに目当ての猫カフェのものだったし、店の外見もホームページに載っていた写真と同じである。間違いなくこの建物が、今日2人が下見をする猫カフェである。

 

「それじゃ、入ろうか」

「今日はよろしくお願いしますね、先生?」

「その呼び方は止めてよ・・・」

 

 今日ここへ来たのは下見と、もう1つはメグミに猫との触れ合い方を改めて教えるため。それにちなんでメグミは桜雲に対して敬語で話し、さらには『先生』と呼んだのだ。

 そんなメグミに苦笑しながら、桜雲はステンレス製のドアを開けて店に足を踏み入れる。

 そして、中の様子を見て近代的という外見の印象もまた一変した。

 

「・・・へぇ・・・いい感じね」

 

 中のイメージは一言で言うと『木』だった。カーペットが敷かれたフローリングはもちろん、物置らしき部屋のドア、椅子やテーブル、時計や戸棚が優しい色合いの木製のものだった。それに加えて天井を見れば、木の梁が意図的に見えるようになっていて味わい深く感じる。

 そしてそんな木をベースにした空間に、猫はいた。フローリングに寝転がって暢気にあくびをする三毛猫がいれば、壁の高い位置に設えてある木の板でできた猫用の通り道から桜雲たちを見下ろす黒猫、さらには木でできたキャットタワー―――角などはやすりで丸めてあって猫がケガをしないようになっている―――に座っているキジトラの猫もいる。

 キャッチコピーは『猫と温かみのある木が織りなす安らぎの空間』と銘打たれていたが、確かに『木』と言う自然的なものと猫の組み合わせは割とマッチしていた。見ているだけで、何だか心が癒される。

 だが、ただ店の中を見に来ただけではない。

 

「すみません、15時から予約していた者ですが・・・」

「あ、はい。ありがとうございます~」

 

 会計用のカウンターから桜雲が声をかけると、中年ほどの女性スタッフが応対をしてくれた。予約の内容を確認してもらい、そして前回同様料金を先に支払う。ここでは桜雲が先んじてメグミの文の料金も払ったのだが、それについてメグミが何かを訴えるような目で桜雲を見ていたことには、当の桜雲は気づいていない。

 そしてスタッフから、利用にあたっての説明を受けた。

 基本的なルールは同じだが、前とは違ってこの猫カフェは猫の抱っこが許可されている。その要素も、初めて行くであろう愛里寿にはいいかもしれないと桜雲とメグミは思っていた。

 それと、猫用のおもちゃを店側が用意しているが、遊ぶのは専用のスペースの中だけ、とのことだ。猫によっては激しくおもちゃで遊ぶタイプの子もいるので、ちゃんとした場所で遊ばせないと他の客に迷惑がかかるかもしれないからだった。

 時間は2時間で、料金にはワンドリンク代も含まれていたので桜雲とメグミはその場でアイスコーヒーを注文した。

 そしてようやく、桜雲とメグミは靴を脱ぎ、手の消毒をしてから猫のいるカフェスペースへと入る。空いていた2人掛けのテーブル席へと向かっている間、猫たちは興味深そうに桜雲とメグミの姿を目で追っていた。2人とも初めてここへきて猫たちも見たことがないから、警戒しているのだ。

 そうして猫たちの視線を感じながら桜雲とメグミはテーブル席に着く。椅子も木製ではあったがちゃんとクッションが敷いてあったのでお尻が痛くなるということにはならない。

 

「雰囲気とかは結構いい感じだね」

「そうね・・・隊長も喜んでくれそう」

 

 店の中を見渡して、桜雲とメグミは安心したように頷く。そしてそのメグミの反応を見て桜雲も、この店を候補に挙げた自分の判断がひとまずは間違っていなかったことに内心で安堵した。

 

「さて、それじゃ猫との触れ合い方を教えるわけなんだけど・・・」

「はい、よろしくお願いしますね」

「やめてってば・・・」

 

 メグミが頭を下げてきたので、桜雲は笑って手を横に振る。桜雲も今までこうして誰かから改まって頭を下げられて教えを請われたことなどなかったから、反応に困る。それに大それたことを教えるわけでもないので、そうやって畏まるとペースが狂う。

 

「何から教えればいいのかな・・・」

 

 桜雲が悩んでいると、ちょうどそこへタイミングを見計らったかのようにグレーの猫が、とことこと桜雲の足下へやってきた。せっかくなので、桜雲はこの猫で触れ合い方を教えようと決める。

 メグミもその猫に気づいて、視線をそちらに向けた。

 

「えっと、まず最初に・・・猫って初対面の人とか動物には警戒してるんだ」

「ふんふん」

「猫カフェの猫は割と人慣れしてるからそこまでじゃないけど・・・・・・」

 

 そこで桜雲は、まずいつもやっているように低い位置から人差し指を伸ばして、猫の鼻に近づける。

 

「でもまずはこうやって・・・指を鼻に近づけるんだ。それで匂いを嗅いで顔を擦り付けてきてくれたら、警戒してないってこと」

「ほう」

「顎の下に手を出すのも一つの手みたいだけど、これだと中々警戒心は解けないと個人的には思ってる」

「ほほう」

 

 やがてグレーの猫は桜雲の指に顔を擦り付けてきた。まず最初の段階、警戒心を解くことには成功した。

 メグミはその様子を真剣に見ながらも、桜雲の言葉に熱心に耳を傾けている。

 

「これなら、この子はもう警戒してないよ」

「へぇ、なるほどね・・・・・・」

 

 メグミは音を立てないように椅子を移動させて、桜雲と猫がより見やすい位置へと移動する。音を立てさせないその配慮に桜雲は心の中で感動しつつも、猫との触れ合い方を教えるのを続ける。

 桜雲は猫の顎の下を軽く指で掻くと、猫は気持ちよさそうに目を細めてゴロゴロと低く鳴き始める。喉が震えているのが桜雲も指で感じ取り、リラックスしているのが分かった。

 

「ゴロゴロ低く鳴き始めたら、大分リラックスしてるってこと。あとは猫が好きな耳の付け根とか、鼻の上とか、頭とかを優しく撫でてあげるといいよ」

「ふむふむ・・・」

「と、一通りこんな感じで大丈夫かな・・・?」

「ありがとね、丁寧に教えてくれて」

 

 猫との触れ合い方を一通り教えたところで、猫を撫でながらメグミに話しかける。メグミはちゃんと聞いていたようで、桜雲に向けて笑いかけてくれた。その笑みを見て桜雲は照れ臭くなったが、平静を装ってグレーの猫の前脚の付け根部分を持ち、メグミの足下に猫を移動させる。

 

「じゃあ、メグミさんもやってみる?」

「うん」

 

 メグミは、桜雲がやっていたように低い位置から指を猫の鼻の前に差し出す。猫は、先ほどと同じように差し出された指に鼻を近づけて、匂いを確かめるように鼻を小さく動かす。そして安心したらしく、猫は自らの顔をメグミの人差し指に擦り付ける。

 

「わぁ・・・」

 

 猫が指に顔を擦り付けているのを見て、メグミは小さく声を洩らす。

 以前行った猫カフェでも、この前の大学の敷地内でも、こうして猫は反応を示してくれた。だがメグミからすればまだ猫と触れ合った経験が浅いため、何度か経験したことであってもまだまだ新鮮なことだ。そして何よりも、猫と接するのが不慣れなメグミの行動にちゃんと反応を示してくれたことが嬉しい。

 嬉しくなってメグミは、さらに顎の下を指で掻く。ほどなくして猫がゴロゴロと低く鳴き始めて、リラックスしてきたのを感じ取った。

 続けてメグミは耳の付け根部分でも撫でてあげようかな、と思ったところで猫が新たな動きを見せた。

 

「あら?」

 

 まず猫は、脚を少し曲げて体勢を低くした。

 そしてそのままぴょんと飛び上がって、メグミの膝の上に乗ってきたのだ。

 

「っ!?」

 

 突然のことに驚くメグミ。何せ猫が自分の膝の上に乗ってくるということが初めてだからどうすればいいのか分からないし、猫の体重を唐突に、そして直に感じ取って困惑する。

 

「さ、桜雲・・・・・・」

 

 助けを求めるように桜雲に声をかけるが、桜雲は『どうどう』と両手を前に軽く出す。

 

「猫を驚かせないように、脚はあんまり動かさないで」

「で、でも・・・・・・」

 

 桜雲がアドバイスをするも、メグミはまだ落ち着かない。

 一方で猫は暢気なもので、困惑している様子のメグミのことを円らな瞳で見上げている。

 とりあえずメグミは、未だ驚きから抜け出せてはいないものの時分を落ち着かせる意味も込めて、膝の上に座る猫の頭を優しく撫でてやる。

 すると猫は、そのメグミの手つきが気持ちよかったのか、メグミの膝の上に身体を丸めて寝転がった。

 

「あ・・・・・・」

 

 その仕草に、慌てていたメグミの心も落ち着く。その寝転ぶ猫を見て、メグミの心がふんわりと和む。

 

「嫌だったら下ろしてあげるんだけど・・・どうする?」

「・・・・・・ううん、平気。大丈夫よ」

「そっか」

 

 乗ってきた当初は下ろしたいと思っていたが、こうして膝の上で気持ちよさそうに寝転ぶ姿を見るとそんな気もなくなる。

 メグミが猫の背中やお腹を優しく撫でると、手のひらから猫の体温やお腹の緩やかな律動が伝わってくる。

 そして猫が寝転がる膝の上からは、猫の体温と重みがはっきりと伝わってくる。

 

(可愛いな・・・・・・)

 

 その手と脚から伝わってくる猫の感触、そしてメグミの目に映る気持ちよさそうな猫の姿に、メグミはふと思う。

 

(この子も・・・・・・『生きてる』のよね)

 

 この小さな猫と言う動物も生きていて、命がある。自分とは身体の大きさが違えど、ちゃんと命ある存在だ。そんな当たり前のことを、メグミは今こうして自らの膝の上に猫を乗せて撫でていることで、再認識した。

 そこでスタッフが、最初に頼んだアイスコーヒーを持ってきてくれた。だが、そのスタッフもメグミの膝の上で寝転がる猫を見ると、極力音を立てないようにアイスコーヒーをテーブルに置いて戻っていく。

 桜雲は静かにアイスコーヒーをストローで啜り、メグミも猫を起こさないように下半身を動かさず同じくアイスコーヒーを飲む。

 

「この子、どうしようかしら・・・」

「起きるまでそっとしておくんだけど、完全にリラックスしきっちゃってるね」

 

 メグミも桜雲も困ったように笑う。膝の上の猫は片方の前脚を投げ出してメグミの膝に身体を預け、目を閉じて心地よさそうに眠ってしまっている。

 

「そうやって膝の上に乗った時は、ゆすったりしないでそっとしておくんだ。それでさっきみたいに優しく撫でてあげればOKだよ」

「うん・・・分かった」

 

 先ほどメグミが猫を撫でたのは、自分を落ち着かせる意味合いが強かった。だがそれも経験者である桜雲が言うにはOKだったので、ある意味ラッキーだった。

 それからしばらくの間、メグミは膝の上で眠ってしまった猫を優しく撫でる。時折、だらんと投げ出された前脚にの肉球をぷにぷにと触って、形容しがたい感触を楽しんでいた。

 そのメグミの向かい側で、桜雲はメグミの様子を視界に収めつつ、近寄ってくる猫と軽くじゃれ合う。人嫌いの猫や気性の荒い猫はいないようで、その辺りも明日メグミが愛里寿と一緒に来るにはいいかもしれない。

 一方でメグミは、今なお膝の上で寝転がる猫を見ながら、実に穏やかな気分だった。その猫を撫でるのも、安らかな寝顔を眺めるのも、メグミにとっては全てが自分を癒してくれる要素だった。戦車道で疲れ凝り固まった心が、じんわりと絆されていくような、解かされていくような感覚を覚える。

 

「おもちゃで遊ぶスペースもあるけど、どうする?」

 

 大分長い時間、メグミが猫を膝の上に寝かせていて、そして猫も起きる気配がないので、どうするべきかと思いメグミに聞いてみる。おもちゃでの遊び方も一工夫あるのでそれを教えようと思ったのだが、メグミが今を楽しんでいるのだったらそれでよかった。

 

「そうね・・・教えてもらおうかしら。この子の寝顔も十分に堪能できたし」

「そっか。それじゃ、あっちへ行こう」

「でも、この子はどうしよう・・・」

 

 メグミも猫とどうやって遊べばいいのか少し気になっていたのでそろそろ移動しようと思ったのだが、膝の上のグレーの猫はとりあえず目を覚ましたがそれでも下りようとはしない。

 

「じゃあ、抱っこして連れて行こうか」

「抱っこって・・・どうすればいいの?」

「大丈夫、ちゃんと教えるから」

 

 不安そうなメグミに桜雲がやんわりと告げると、メグミも教えてもらえると知ったのか安心したように微笑んで桜雲のことを見る。

 

「まずは・・・左手を猫のお尻・・・尻尾の付け根辺りに添えて」

「うん・・・」

 

 桜雲に言われた通り、メグミはおずおずと膝の上に寝転がる猫の尻尾の付け根の部分に左手を添える。

 

「こう?」

「そうそう。それで、右手は猫の首の後ろぐらいにそっと置いて・・・」

「こんな・・・感じ?」

「そうそう」

 

 おっかなびっくり言われたように首の後ろに右手を添えると、メグミは少しだけ前屈みの状態になる。

 

「それで、そのまま立ち上がってみて」

 

 桜雲に促されて、メグミはその体勢のままゆっくり立ち上がると、人間の赤ちゃんを抱っこするような形で猫を抱きかかえることになった。

 すると、猫は自然とメグミの胸に前脚を添えて落ちないように自らを支える。そして、メグミの顔を見上げて『にゃー』と小さく鳴いた。

 

「・・・・・・ふふっ」

 

 自分の顔がだらしなく緩んでいることは、メグミも分かっている。その顔が桜雲に見られているということも分かっているが、それでもこの顔をどうにかするというのは難しい。それほどまでに、自分の胸の中で至近距離から見上げてくる猫の可愛らしさは破壊力抜群だった。

 

(・・・・・・)

 

 そして、そんな愛らしい猫の姿を見て笑っているメグミを見て、桜雲は自分の胸の鼓動が妙に早まっているのを感じた。

 今のメグミのように、猫をはじめとした動物と身近に触れ合って楽しそうな、嬉しそうな表情を浮かべる人には見慣れたはずなのに、そして今のようにときめくこともなかったはずなのに、どうしてそのメグミの姿を見るとこうも胸が高鳴るのだろう。

 その胸の鼓動が早まる理由が桜雲にはまだ理解できていないが、とにかくまずはメグミを連れて猫とおもちゃで遊ぶスペースへと向かう。

 

「おー、なんかいい感じね」

「なんか安心するような気がするね」

 

 そのスペースは他とは違ってフローリングではなく畳張りになっており、木製の卓袱台が2台置かれていて和風な感じがする。加えて猫と畳の組み合わせは妙に合致しており、日本人としての心をくすぐってくる。

 畳スペースに足を踏み入れると、メグミはそっと猫を畳に下ろしてあげた。

 そして桜雲は、スタッフから借りた猫じゃらしを猫に見せると、途端に猫の視線がその猫じゃらしに固定された。

 

「猫向けのおもちゃは割とたくさんあるけど、これが一番猫の興味をひきやすいからね」

「ほんとね・・・この子、もう完全ロックオンしてるじゃない」

 

 そこで桜雲はしゃがんで、猫の頭上で猫じゃらしを左右にひらひらと揺らす。先端には白い綿がついておりその根元には小さな鈴もついているため、振るたびに『チリンチリン』と音が鳴る。

 するとグレーの猫は、猫じゃらしを捕まえようとするかのように前脚を上に挙げて宙で振る。桜雲が猫じゃらしの高さを、猫の前脚が届く程度まで下げると、猫は綿の部分を両前脚で掴みガジガジと噛む。その仕草さえも可愛くて、桜雲とメグミの表情が綻ぶ。

 

「とまあ、こんな感じで遊んであげるのもいいんだけど・・・」

「?」

 

 そう言いながら桜雲は、猫を優しく猫じゃらしから引き離す。

一方でメグミは首を傾げた。猫じゃらしでの遊び方と言えば桜雲が見せたようなものぐらいしか分からなかったからだ。

そして桜雲は、猫のすぐ近くの畳に猫じゃらしの綿を軽く叩きつける。

 

「!」

 

 途端にグレーの猫が、まるで獲物を狙う寸前のように身体を畳に伏せて、綿をじっと見つめている。

 続けて桜雲が猫じゃらしを素早く振り綿が畳を這うように左右に動くと、猫もまたそれを捕まえようとして素早く左右に動いて綿を追う。

 

「はー・・・すっごい身軽ね・・・」

 

 畳の上を左右に素早く動かしたり、時には猫じゃらしを上にぱっと挙げて猫をジャンプさせたりして見せると、メグミは感心したようにそう呟いた。

 少しの間そうやってアクティブに猫を遊ばせた後は、また猫の前で軽く猫じゃらしを左右に振って猫をじゃれつかせつつ、メグミに話す。

 

「猫の本能的な感じで、こうやって素早く動くものには敏感なんだ」

「へぇ~」

「じゃあ、試してみる?」

「うん、楽しそうね」

 

 猫じゃらしをメグミに渡し、それをメグミは猫の前で左右に揺らす。グレーの猫は両の前脚を使って猫じゃらしを素早く掴み、ガジガジと噛む。

 そのグレーの猫を見ながら、メグミはポツンと呟く。

 

「なんか・・・いいわね。こういう、無邪気な姿って」

「でしょ?」

 

 桜雲も笑って、メグミの言葉にうなずく。

 今の目の前のグレーの猫のように、人間には見られない、動物ならではの純真無垢で天真爛漫な姿が愛らしいから、ブームになるほど魅了される人が多いのかなとメグミは思う。現にメグミも、猫に魅了されてその世界へ引きずり込まれそうだ。

 メグミが畳の上で猫じゃらしを素早く動かすと、猫は前脚を振ったり素早く飛び跳ねたりして必死に掴み取ろうとする。その猫の必死で、素早い動きが面白くてメグミは思わず笑ってしまう。

 

「面白いでしょ?」

「ええ、ホントね」

 

 メグミが猫じゃらしで楽しく遊んでいると、桜雲が毛糸球を1つ持ってやってきた。メグミが『それをどうするの?』とばかりに首を傾けると、桜雲は猫の傍に胡坐をかいて座り、そして猫に向けて毛糸球を軽く転がす。

 

「猫はこんな感じの小さなボール・・・特に毛糸球とかが好きなんだよね」

 

 すると猫は、毛糸球に興味を示し、前脚で毛糸球を転がして遊びだす。先ほどまで猫じゃらしで遊んでいたというのに、何とも移り気なものだ。だがその毛糸球で遊ぶ猫も可愛くて、2人はしばしの間グレーの猫が遊んでいる様子を眺める。

 

「本当に詳しいのね・・・教えてもらってよかった」

「いやいや、大体は人から聞いたり調べたのだから・・・・・・」

「それでもみんな覚えてるんでしょ?それだけでもすごいわ」

 

 メグミが正座をして、毛糸球と戯れる猫の背中を軽く撫でながら桜雲に話しかける。桜雲からすれば本当に褒められたことではないので手を横に振るが、それでもメグミは褒めてくれた。

 

「桜雲は猫を飼ってたって言ってたけど、飼い始めた頃からずっと好きだったの?」

「あー・・・最初はちょっと怖かったかな」

「え?」

 

 2人の傍で毛糸球で遊ぶグレーの猫の背中を軽く撫でながら、桜雲が苦笑いを浮かべた。

だが、メグミは猫好きだと言っていたはずの桜雲のその言葉に少し驚いた。ずっと猫が好きだと思っていたのだが、どうも違うらしい。

 

「猫を飼い始めたのは僕が幼稚園に通っていた頃だったんだけど、その時はまだ猫・・・と言うか動物があまり好きじゃなかった」

「なんで?」

「なんて言ったらいいのかな・・・不気味な感じがしたんだ」

「あー・・・・・・なんとなくわかるかも」

 

 桜雲は言葉を探しても上手い言い方を見つけられなかったようだが、メグミはなんとなくではあるもののその桜雲の気持ちは分かった。

 メグミも小さい頃は、犬や猫を少し苦手としていた記憶がある。それは動物が自分たち人間と同じで生きてはいるものの違う種であって、それでいて幼少の自分たちと同じような大きさだったから、何か言い知れぬ不気味な感じがしたのだ。

 

「でも飼ってるうちに猫がいるのが当たり前になって・・・それで次第に、可愛いって思えるようになったんだ」

「・・・・・・へぇ」

「言っちゃえば、家族みたいなものなんだよ。ウチの猫は」

 

 メグミは今も、実家でもペットを飼っていたことがないので、桜雲の言う『猫がいるのが当たり前』という感覚は分からない。ましてや、家族のようなものというのもどんな感じなのかはわからない。

 それと、次第に可愛く見えてくるというのも、メグミは少し違った。

 メグミも桜雲と同じように小さい頃は少し動物が好きではなかったが、この前初めて猫カフェに行った時は怖いと思うことなどなかったし、今はこうして普通に接することができる。それは大人になっていくうちに自然と動物に対する忌避感が薄れていったからだ。

 

「世話とかは大変だったけど、それでも嫌になったりはしなかった。可愛く見えてくると、世話も自然と楽しくなってくるし」

 

 すると、グレーの猫は胡坐をかいて座る桜雲の脚の間にやってきて、先ほどのメグミの膝の上に乗った時と同様に身体を丸めて寝転がる。しかし桜雲は狼狽えず、静かに猫の顎の下を指で掻く。

 

「・・・じゃあ、桜雲は猫を嫌いになったりはしなかったの?」

「そうだね・・・。怖いとは思っても、それで遠ざけたりはしなかったよ」

 

 『猫の方から近づいてくるし』とちょっと冗談めかしに言いながら、桜雲は猫の背中を優しく撫でる。猫も撫でられて気持ちがよくなったのか、目を細めて『くぁ』とあくびを一つ。

 するとメグミが、桜雲の傍に座る位置をずらして、桜雲の脚で寝転がる猫の頭を優しく撫でた。

 桜雲は、突然メグミが距離を詰めてきたことに少しだけドキッとする。甘い香りが漂ってきて、意識せざるを得なくなる。

 なぜこうもメグミのことを意識してしまうのかと桜雲は心の中で自らに問いかけるが、そんな桜雲の心中など分かるはずもなくメグミは桜雲に話しかける。

 

「桜雲ってさ・・・本当に、優しいんだね」

「?」

 

 メグミの言う『優しい』とは、どれに対するものなのだろうか。猫に対する接し方か、メグミへの猫との接し方を教えたことだろうか。

 だが、そのどちらでもなかった。

 

「だって、猫が怖くても逃げたり遠ざけたりしないで、接してきたんでしょ?『もういやだ』って拒絶したりすることだってあるのに、桜雲はそうはならなかったんだから」

「・・・・・・そうかな。僕はただ、自然と猫が好きになっていっただけだし」

 

 何かに対して怖いと感じると、人は『怖いから拒絶する』か『怖くても頑張って向き合う』と言う2択を迫られる。桜雲は後者の選択をしたわけだが、それは別に褒められたことではないと桜雲自身では思っていた。桜雲からすれば、それは自然と選んだ選択肢であったのだから。

 

「それでも私は・・・怖いものから逃げないで向き合うっていうのは誰にでもできることじゃないと私は思ってるわ」

 

 メグミが笑いかけてきて、桜雲はその顔に意識がいとも簡単に固定される。

 やっぱり自分は何かが変だと、桜雲は思う。

 これまでも、誰かから褒められたところで桜雲は『ありがとう』と感謝の気持ちを抱きつつそう言うことができたのに、メグミに言われるとそれだけでは収まらない。

 そう言われて嬉しいと思うほかに、顔が熱くなってきて、それに心も何だか温かく、穏やかな気持ちになる。

 どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう?

 

「でもホントに可愛いわね~♪」

 

 そんな桜雲の気持ちにメグミは気づかず、メグミは優しくグレーの猫の頭を撫でる。そのメグミの撫でる手つきが心地良いのか、猫は身体をわずかによじる。

 メグミの猫を撫でる手つきも、この前初めて会った時と比べると遥かに上達している。猫が気持ちいい場所を的確に撫でていて、猫をリラックスさせることができていた。これなら、明日の本番でも大丈夫だろう。

 だが桜雲は、隣に座るメグミの手つきよりも、メグミと言う女性を意識してしまっていた。

 

 

 時間いっぱいまで他の猫と触れ合ったり遊んだりして、メグミは桜雲から教えてもらった猫との触れ合い方をほぼマスターすることができた。元々身体で動かし方を覚える戦車に乗っているからか、同じく身体で覚える猫との接し方も容易に覚えることができたらしい。

 そうして触れ合い方を練習しつつ猫と遊んで2時間が経過し、2人は猫カフェを出た。

 

「もうこんな時間・・・楽しすぎて時間が経つのが早く感じちゃった」

「そうだね、楽しかった・・・。明日はいけそう?」

「ばっちりよ。教えてくれたおかげで、明日は上手くできそう」

 

 駅へ向かうまでの間、明日の本番のことを話す。

 今日の目的はあくまで、明日愛里寿と一緒にあの猫カフェに行くにあたっての下見と、猫との接し方や遊び方を学び会得することだ。途中からちょっと楽しくなって遊んでしまったが、その当初の目的を忘れてはいない。

 時刻は夕方の5時を過ぎ、だんだんと空が茜色に染まり始めている。夏なので陽の出ている時間は伸びてはいるが、それでも暗くなるのは割とすぐだろう。

 そんな空の下で来た道を戻っていると、来る途中でメグミが気になっていたペットショップが目に入る。

 

「あ、寄って行ってもいい?」

「うん、いいよ」

 

 メグミが確認を取ってから入店し、桜雲もそれに続く。

 店の中のスピーカーからは明るめのBGMが流れており、壁には犬や猫などの動物のシルエットが描かれている。ペット用の餌や遊び道具、ケージなどが販売されていて、店の中全体が外とは違う匂いがした。

 

「思えば、ペットショップなんて初めて来たかもしれないわ・・・」

「まあ、動物にそこまで興味が無かったり、飼っていたりしないとそんなに縁は無いだろうしね」

 

 物珍しそうに中を見回しながらメグミは店の中を進み、桜雲はその後に続く。やがて2人は、ペットを販売している一角にやってきた。壁に埋め込まれるように置かれているガラス張りのケージには仔犬や仔猫が入れられていて、近づいてきたメグミと桜雲に視線を向けた。

 だが、メグミがまず注目したのは、その近くのケージに入れられていた別の動物だった。

 

「え、カワウソ・・・?こういう子まで売ってるの・・・?」

「最近になってね。こういう変わり種の子も増えてきたんだ」

 

 カワウソと言う動物自体はニュースで度々話題に上がるから、メグミは知っている。だが、個人でペットにできるということは知らなかった。

 よく周りを見てみれば、インコや文鳥などのオーソドックスな動物に混じって、ミーアキャットやフェレットという珍しい動物までいた。今まで自分の持っていた『ペットにする動物』のイメージを超える動物がいて、メグミは心底驚き『はー』と言いながら動物たちを眺める。

 その中でもひと際異質なのは。

 

「何、この子・・・?」

「ミミズクだね」

「・・・・・・飼う人、いるの?」

「いるんだよこれが・・・」

 

 木の切り株のような置物の上に佇んでいる、濃い灰色の大きな鳥は桜雲の言った通りミミズク。ぎょろっとした丸い眼と嘴、(動物は基本そうだが)感情の読み取れないそんな顔をしたミミズクは、いるだけで存在感と威圧感を醸し出している。

 

「もはやちょっとした動物園ね・・・」

「あはは・・・それは言えてる」

 

 他にもウサギやウズラ、カメレオンまでいるので、『ちょっとした動物園』と言う表現も間違ってはいなかった。

 そうして動物を見ていると、メグミはふと思ったことがある。

 

「意外と・・・」

「?」

「お手頃価格なのね・・・」

 

 ペットを飼ったことがないメグミには、ペットは大体値が張るものかと思っていた。しかし、ほとんどの動物はその予想を下回るほどの値段だった。特に文鳥など、1羽が1万円もかからないのが驚きだ。

 

「・・・そう思うでしょ」

 

 だが、メグミのその言葉を聞いた桜雲は、少し悲しみを帯びるような感じの言葉を洩らした。これまでとは違った様子の桜雲に、メグミは思わずそちらを見る。

 

「でも実際、ペットを飼うのには結構お金がかかるんだ。ペットにする動物自体が安くても、餌代とか手入れとか、病院での健康診断の費用とかね」

「あー・・・・・・要するに、維持費ってこと?」

「ぶっちゃけるとそうだね。戦車で例えると・・・・・・戦車そのものがどれだけ安くっても、燃料とか弾薬、新しいパーツとかメンテナンスにもお金はかかるでしょ?」

「あっ、確かにそうね。うん、分かりやすい」

 

 ペットを飼ったことがなくて薄っすらとしか分からないメグミ。だが、そんなメグミに桜雲が戦車で例えると一気に分かりやすくなった。

 メグミの顔が明るくなると、桜雲は壁際のガラスケージへと向かう。メグミもその桜雲の隣を歩く。メグミが桜雲の顔をちらっと見ると、その顔が少し悲しげなのが見えた。

 

「でも、そのお金がかかるってことを知らないまま、『安いから飼おう』って結構衝動的に飼う人もいてね」

「そうなの・・・」

「それで・・・・・・お金がかかるってことを知って捨てる人もいるんだ」

「・・・・・・」

 

 ガラスケージの前にたどり着く。つぶらな瞳をした仔犬や仔猫たちが、ガラスの向こう側から桜雲とメグミのことを見つめている。その姿にメグミの心は少しだけ和むが、先ほどの桜雲の言葉を聞いてみる目も少し変わった。

 

「ペットを飼う時には、相応の覚悟が必要なんだよ」

 

 ガラスケースの中にいるずんぐりむっくりな体躯のグレーと白の猫―――スコティッシュフォールドに、桜雲は人差し指を向ける。猫カフェの猫とは違ってそこまで人に慣れていないせいか、反応は薄い。

 

「だって、たとえ自分より小さくても・・・生き物を、命ある動物を飼うんだから」

 

 先ほどの猫カフェでメグミの膝の上に猫が乗った時、猫のぬくもりやお腹の律動、身体の重みを感じて、メグミは猫にもちゃんと命があって、自分と同じように生きているという当たり前のことに気づいた。

 桜雲の言葉に、メグミは確かにその通りだと頷く。

 そして実際に飼っていたことがあるからこその桜雲の言葉に、メグミは重みを知った。

 

「・・・それもやっぱり、猫を飼ってて分かったの?」

 

 桜雲の隣に立ってスコティッシュフォールドを見据え、メグミは桜雲に訊く。

 

「うん・・・飼っていた猫から教えてもらったよ」

「・・・・・・」

 

 スコティッシュフォールドを見る桜雲の目は悲しそうだったが、それでも笑っていた。

 そんな桜雲のことを、メグミは―――

 

「桜雲って」

「?」

「本当に・・・・・・すごい人だって思う」

 

 今度は、メグミの真剣さを帯びた言葉に、桜雲は指を下ろしてメグミのことを見る。

 メグミは微笑んではいるが、それでも瞳には真っ直ぐな意思を宿しているように、桜雲は見えた。

 

「それだけ生き物のこと、命のことを大切に、真剣に考えているのは私からすればすごいことよ。何せ私は、ずっと戦車戦車で、そんな当たり前のことにもついさっきまで気づけなかったんだから」

「・・・・・・」

「そのことに、桜雲はずっと前の自分の経験から気付いていて、学んでいて、そしてそれを今日までずっと真剣に考えてきていることも、誰にだってできることじゃない」

 

 だから、とメグミは区切ってから、桜雲に向けてにこっと笑った。

 

 

「私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う」

 

 

 そのメグミの言葉に、桜雲の身体が一瞬で熱くなった。

 そのメグミの言葉が、桜雲の心に弓矢のようにとんと刺さった。

 その言葉を聞いて、桜雲の中の引っ掛かりが消えてなくなった。

 どうして自分がメグミのことを意識してしまっていたのか、その理由に気づいた。

 

 

 再び電車に乗って大学の最寄り駅まで戻ってきたころには、夏になって陽が伸びていたとはいえすっかり暗くなってしまっていた。

 

「今日はありがとうね、色々教えて貰っちゃって」

「ううん、僕も楽しかったし」

 

 陽が落ちてしまった住宅街を、桜雲とメグミは並んで歩く。生ぬるい風が時折頬を撫でていく。

 

「それと、ごめんなさい・・・。急に変なこと頼んで、苦労をかけちゃって。何かお礼をさせてほしいんだけど・・・」

「お礼なんて、そんな・・・。僕も楽しかったし、好きでやったことだから」

 

 桜雲はメグミの申し出をやんわりと断るが、さらにメグミは『いやいや』と首を横に振る。

 

「それでも、私から頼んであなたに手間をかけさせちゃったのは本当のことだから。何かお礼をさせてほしいわ」

「いや、でも・・・」

 

 メグミが引く様子はない。このままでは膠着した状態が続いてしまうだろうと思った桜雲は、大人しくここで折れることにし、メグミの厚意に甘んじることにした。

 

「それじゃあ・・・・・・メグミさん」

「?」

「僕と・・・・・・」

 

 足を止めて、桜雲がメグミのことを見て切り出す。メグミも足を止めて桜雲のことを見るが、その桜雲が穏やかながらも真面目そうな顔をしているのを見て、メグミは『まさか・・・?』と桜雲の次の言葉を考える。

 メグミだってもう21歳だし、『そのこと』について割と真剣に考え始めている今日この頃である。だからこの2人きりの状況で、その真剣そうな雰囲気で、そんな話し方で桜雲が告げる次の言葉に妙な緊張感と、淡い『期待』を抱く。

 

「僕と・・・・・・」

「・・・・・・うん」

「友達になってください」

「え」

 

 だが、桜雲の告げた言葉はメグミの予想とは違った。まさか、『友達になってほしい』とは。

 そして、その桜雲の言葉を聞いてメグミは。

 

「ふふっ・・・なんか改めて言われると、ちょっと恥ずかしいわね・・・」

「?」

 

 メグミはちょっとだけ笑うメグミ。

 だが、ちょっとだけ『悲しかった』。

 

「でも、そうね・・・・・・」

 

 これまでのことを振り返ると、『猫カフェを探してほしい』とか『猫との接し方を教えてほしい』と頼んでしまったのは厚かましいとは思う。けれど、タメで話をすることができて、下見とはいえ2人で一緒に出掛けたのは友達らしいともいえる。

 アズミたちにはこの前は桜雲のことを『知り合い』と言ったが、そう思い返してみると桜雲との関係は友達と言うにふさわしいものだった。

 

「・・・・・・うん、いいわよ」

 

 メグミがふわりと笑う。

 そのメグミの表情に桜雲は一瞬見惚れて動けなくなるが、すぐに自分の意識を奮い立たせてメグミに話しかける。

 

「それじゃあ、メグミさん。これからも・・・よろしくね」

「・・・・・・ええ、よろしく」

 

 そうして2人は途中の交差点で別れ、それぞれが自分の暮らすアパートへと戻っていく。

 その途中でメグミはふと思った。

 

(もう遅いし、一緒に晩ご飯でも食べてくればよかったかな)

 

 今日行った猫カフェの料金は、メグミの分も含めて全て桜雲が払ったので、メグミは今日電車に乗る時以外で財布を取り出していない。

 それと、今日のために桜雲に苦労を掛けてしまったことに対するお礼は結局できていないから、何かしらの形でお礼はしなければと思った。

 戦車道を歩んでいると、自分で言うのもなんだが礼儀や貸し借りについてしっかりしなければと思うようになる。戦車道がそもそも礼儀礼節を重んじる淑やかな女性を育成することを目的としているのだから、間違っているわけではないのだが。

 そこでまたメグミは、別のことを考える。

 

(・・・・・・なんでさっき、期待しちゃったんだろう)

 

 メグミは桜雲のことを『のんびり屋』と評していたが、同時に『ちょっと頼りない感じがする』とも思っていた。のんびりした感じが、柳に風とは少し違うが、ゆらゆらしていて不安定な感じがして、頼りなさそうに見えたのだ。

 しかし今日、桜雲と一緒に過ごしてその認識も改めざるを得なかった。

 桜雲はやっぱり猫が好きだったけど、怖いものを遠ざけずに頑張って向かい合う強さを持っていて、動物のことをちゃんと考えていて、命の大切さもまた知っているということが分かった。

 

 桜雲にも芯の通った考えがあって、大切にしている感性があったのだと。

 全然不安定でも頼りなさそうでもなかったのだと。

 そしてそれは、メグミの中にはない考え方で、それでいてとても重要な考え方だった。

 

 そんな桜雲から『友達になってください』と言われる直前、メグミはある『期待』をしていた。その期待していたこととは口に出すのも恥ずかしいことだったが、どうしてそれを期待していたのか。

 そしてその期待が外れてしまった時、なぜメグミはちょっとだけであっても『悲しい』と感じてしまったのか。それは、桜雲がメグミのことをそこまで親しい人と見ていなかったのもあるだろう。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 もっと『別のことを』期待していたからではないだろうか?

 

(あー、もう・・・ちまちま考えるのは性に合わないってのに・・・)

 

 頭を振って歩く速度を速める。

 自分の中の正体不明の『期待』についてはさておき、やっぱり何かしらのお礼を桜雲に返さないとメグミの気が済まない。桜雲は『気にしないで』と言うのだろうが、これだけはさせてほしかった。

 何か、目に見える形でのお礼の方がいいだろうけど何にするべきかな、と考えながらメグミはアパートへと戻っていく。

 

 

 桜雲はアパートに戻って玄関のドアを閉めると、明かりも点けずにドアに寄り掛かる。

 

「・・・・・・そうかぁ」

 

 暗い天井を見上げても、先ほどメグミと過ごした時間、交わした言葉を鮮明に思い出すことができる。

 先ほどのメグミとの外出は、猫カフェの下見と、猫との触れ合い方を教えるためだということは当然分かっていた。

 だが、それでも桜雲はどこか浮かれているような感じがした。

 猫カフェに行く前も、自分とメグミが一緒に歩く姿が周りからはどう見えているのだろうと気になった。いざ猫カフェに行った時は、猫と遊んでいるメグミを見て温かい気持ちになってしまったり、メグミとの距離が詰まったことに鼓動が早まったり。そして最後にペットショップで、メグミに評価されて他の人から褒められた時は得られないような高揚感を抱いた。

 他の人と接した時とは違う、メグミと接した今日に限ってそんな気持ちになったのは、一体なんでだろうと自分でも分からなかったが、さっきのメグミの言葉でそれもようやく分かった。

 

『私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う』

 

 その言葉でようやく、桜雲は自分の心の中にある気持ちに気づいた。

 メグミのことを強く意識していたその理由を考えると、自分もまだ年相応には若くて、青くて、『それ』には興味関心が残っていたんだと改めて思った。

 ともかく、今日自分の中にあることに気づいたこの気持ちは、間違いなく本物だ。

 

 

 

 ―――僕は、メグミさんのことが好きだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Lovers Lunchbox

諸事情によって投稿が遅れてしまいました。
大変申し訳ございません。

また、今回より作品のタイトルが変わりました。


 迎えた日曜日、愛里寿たちとともに猫カフェへお出かけに行く当日。

 場所は、昨日メグミが桜雲とともに下見をした猫カフェ。

 

「そうです、まずはゆっくりと指を近づけて・・・」

「うん・・・」

 

 メグミの優しい言葉通りに、愛里寿はおずおずと白くほっそりとした人差し指を伸ばす。

 その先にいるのは、茶色い縞模様―――茶トラの猫。愛里寿のことをきょとんとした目で見上げている。

 愛里寿も猫と接したことがほとんどないせいか、猫に対しては少し怯えている様子だ。

 

「大丈夫、怖くありませんよ」

 

 そんな愛里寿にメグミは優しく言葉をかける。2人のそばに座るアズミとルミも、愛里寿のことを静かに見守っている。

 その言葉に背中を押されたのか、愛里寿はそーっと指を茶トラへ近づけていく。

 茶トラは、視線を愛里寿の顔からその指へと移し、音もなく匂いを嗅ぐ。

 やがて警戒心が解けたのか、顔を愛里寿の指に擦り付けてきた。

 

「わ、わ・・・っ」

 

 初めての感触に愛里寿が戸惑いの声を洩らすが、その茶トラを拒みはしない。そばに経験者のメグミがいるのと、猫が気持ちよさそうにしているからだろう。

 

「もう大丈夫です。この子は警戒してませんよ」

「本当?」

「はい」

 

 警戒していない、という言葉に愛里寿はほんの少し嬉しそうに声を弾ませた。こういうところは年相応だと、メグミたちは思う。

 

「それじゃあ次は、顎の下を軽く指で掻いてみましょう」

「顎の、下・・・?」

「そこは猫にとって気持ちのいいところですから」

 

 そこに触れること、そこが猫にとって気持ちいいところというのが少し理解できないのか、愛里寿は小首を傾げる。

 しかし、言われた通りに顎の下を掻くと、茶トラは実に気持ちよさそうに目を細めて、喉をゴロゴロと低く鳴らし始めた。

 

「ゴロゴロ鳴きだした・・・?」

「リラックスしてるんですよ。隊長の指が気持ちよかった証拠です」

「そうなんだ・・・」

 

 喉を鳴らす理由を伝えると、愛里寿は嬉しそうに微笑む。

 顎から指を話して、小さな手を茶トラの頭にそっと置いて優しく撫でる。茶トラはまるで笑うかのように目を細めて、愛里寿の手を受け入れた。

 とりあえず基本的な猫との触れ合い方は教えたので、まずはひと段落と言ったところだ。

 メグミは一旦アズミとルミとともにそれぞれ猫カフェを楽しむことにした。もちろん、視界には愛里寿を収めておきながら。

 

「しっかし、こんな近場にいいお店があるとはね」

「隊長も気に入ってるみたいだし、ナイスよメグミ」

「ありがと、アズミ。ここは結構最近オープンしたみたいでね、でも気に入ってもらえてよかったわ」

 

 アズミとルミも、メグミがさっき愛里寿に教えていたのを聞いていたのか、多少まだぎこちなさはあるものの、2人とも猫と軽く戯れていた。

 愛里寿も入店した時は緊張した様子だったが、今となっては猫を怖がっているようにも、気を悪くしているようにも見えない。メグミはそんな愛里寿を見てホッとした。

 すると、メグミの下に一匹の猫が近づいてきた。グレーの毛並みのその猫は、昨日自分の膝の上に乗って、一緒に遊んだのと同じ猫だと、メグミは直感的に気付く。

 グレーの猫は、メグミを見上げると『みゃ~』と小さく鳴く。

 

(昨日ぶりね)

 

 心の中でそう挨拶をしてから、メグミはそっと人差し指を猫の鼻に近づける。すぐに猫は指に顔を擦り付けてきて、さらにメグミは顎の下を優しく掻く。

 そして、昨日と同じく猫はぴょんと身軽そうに飛び上がってメグミの膝の上に乗ってきた。

 

「あらら・・・」

 

 猫はメグミの胸に前脚をかけて、『みゃ』と甘えるように鳴く。メグミがそんな猫の背中をそっと撫でると、猫は安心したように膝の上で丸まって寝転がる。

 どうやら、昨日一緒に過ごしたのもあって顔を覚えられ、懐かれてしまったようだ。

 

「すごいわねぇ。もうそんなに手懐けるなんて・・・」

「意外ねー。あのメグミが」

「まあね」

 

 アズミとルミが感心したように、膝の上に寝転がるグレーの猫を見ながら口々にそう言う。メグミは適当に返事をするが、まさか昨日もここへきてこの猫と遊んだからとは言えない。

 

「・・・・・・いいな」

 

 と、そこで愛里寿が、その膝の上で寝転がるグレーの猫を見ながらそう呟いた。先ほどまで愛里寿と接していた茶トラの猫は、既に去って行ったらしい。

 そこでメグミは、昨日桜雲から教わった通りに、左手を尻尾の付け根、右手を首の後ろに添えて抱きかかえて立ち上がる。

 

「よろしければ、隊長もどうですか?」

「え、でも・・・」

 

 抱きかかえたグレーの猫をそっと愛里寿に近づける。愛里寿は少しだけ迷ったようだが、グレーの猫が愛里寿の顔をじっと見ており、その猫の眼を見て決心がついたのか。

 

「・・・それじゃ」

 

 ゆっくりと、控えめに、愛里寿は腕を広げる。メグミはそっと猫を差し出して、自分が桜雲から教わった通りの抱き方をそのまま教える。

 

「まずは左手を尻尾の付け根に・・・そう、そうです。そして右手は首の後ろあたりに・・・はい、OKです」

「わぁ・・・・・・」

 

 自らの腕の中にいる猫を見て、愛里寿は瞳を輝かせる。グレーの猫も愛里寿の顔を見上げると『みゃ』と小さく鳴く。

 思わず愛里寿は、そんな猫の頭にそっと自分の頬を寄せて、猫の毛の感触を確かめるように頬ずりをした。

 

「すごい・・・ふわふわ・・・」

 

 そんな愛里寿の仕草と表情が、どうしようもなく可愛らしくて。

 

(((眼福だわぁ~!!!)))

 

 心の中で悶絶していた。しかしそんな暴れるような感情は面にはひとかけらも出さず、静かに紅茶を飲んだり、猫を撫でたりしつつ、愛里寿のことを見て静かに微笑む程度に抑える。

 

(メグミ、ホントにグッジョブよ!あんな隊長の姿なんて普通じゃ絶対見ることができないんだから!)

(今日のMVPは間違いなくあんたよ!今夜は一杯奢ってあげるわ!)

(私だってここまで可愛い隊長が見れるなんて思わなかったわ!これを肴に今日は一杯やりましょう!)

 

 素早く3人は距離を詰めて、愛里寿やほかの客には聞こえないような絶妙な声量で、

早口で語り合う。

 

「みんな、どうかしたの?」

 

 そんな3人が少し不審に思えたのか、愛里寿は猫を抱きかかえながら訊ねてくる。

 その瞬間、3人は何事もなかったように元の位置に戻って柔らかい笑みを浮かべる。

 

「すみません隊長、ここの次はどこへ行くかを考えてました」

「そうなんだ・・・。あ、それなら来る途中で見かけたペットショップが、ちょっと気になるな・・・」

「ペットショップですね?わっかりました、次はそこへ行きましょう!」

 

 愛里寿の提案ならば『NO』とは言わない。満場一致で次はペットショップへ行くことになった。

 それからまた、各々で猫カフェを楽しむ。愛里寿は猫を抱っこするのが気に入ったのか、抱きかかえているグレーの猫の頭を撫でたり、たまに頭に頬ずりをしたりしている。猫も嫌がっている様子はない。

 ルミを見れば、にへら~と緩み切った表情で白猫にキャットフード(別途料金がかかる)をあげている。

 アズミは、メグミが言っていた通り三毛猫を抱っこしているが、どうやら母性本能をくすぐられているらしく、春風のような笑みを浮かべていた。

 そんな3人の様子を見てメグミは、安心していた。3人とも、猫カフェに対して不満を抱いているわけでもないようだし、猫と接することにも抵抗はない。

 そして3人は、戦車に乗っている間は見られないような和み切った表情をしている。

 それだけで3人とも、リラックスできているのが分かった。今回のお出かけは、成功したと言っていい。

 

(何かお礼をしないとね・・・・・・)

 

 だからこそ、この猫カフェの下見に付き合い、猫との触れ合い方を教えてくれた桜雲には何かしらのお礼がしたいと思っていた。

 自分たちの当初の目的である『愛里寿を楽しませる』という目的は成し遂げられた。そして、愛里寿とメグミたちとの間にある年齢の差によって生まれた壁も、ほんの少しだけ低くなったように感じる。

 それに愛里寿に加えてアズミとルミも、戦車道のストレス、疲労から解放されてリラックスしている。

 この成果の裏にあるのは、桜雲が自分の頼みごとに付き合ってくれたからだ。だからメグミは、何かしらのお礼がしたいと思っているのだ。

 そう思っていたメグミの足下に、黒と灰色の縞模様―――サバトラの猫がやってきた。メグミが人差し指を差し出すと、顔を擦り付けてくる。

 そのサバトラと戯れながら、メグミはどんなお礼をしたらいいだろうと考える。

 

『友達になってください』

 

 確かにお礼として桜雲はそう言って、メグミも頷いたからそれで十分なのかもしれない。

 だが、それだけではメグミの気が済まないのだ。もっと何か、具体的な形でお礼がしたい。

 そのお礼を告げられる直前、自分が『期待』をしたのもメグミは忘れていないが、今はとにかく桜雲に対するお礼をどうするべきかを考えながら、右手でサバトラと戯れる。

 

 

 カチ、カチと時計の秒針が回る音が部屋の中に響く。カーテンの隙間からは傾き始めた太陽の光が差し込み、少し開けた窓から風が流れてカーテンが揺れる。

 桜雲はそんな過ごしやすい自分の部屋で、コーヒーを傍に置き読書をしていた。

 桜雲の休日はと言えば、猫カフェに行きつつ街を散策したり、サークルのメンバーと一緒に出掛けたり、あるいは部屋でのんびりまったりと過ごすぐらいだ。

 今日は、特に予定もなかったので、悠々自適に部屋で1日を過ごしていた。

 いや、悠々自適とは少し違う。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 本を閉じ、コーヒーを一口飲んで息を吐く。正直、本の内容は半分程度しか頭に入っていない。

 こうして1日を自室で過ごしていたのは、自分の気持ちを整理したかったからだ。外に出ると、目だの耳だのから入ってくる情報が多すぎて落ち着かないから。

 その整理したい気持ちとは、自分の中で無視できなくなるほど大きくなり、それでいてなぜか心地よい感情だ。

 と、そこでテーブルの上のスマートフォンが電話の着信音を鳴らす。

 手に取り、画面に表示されている『着信:メグミさん』の文字を見て息が止まりかけ、目を見開く桜雲。そして、『応答』を努めて冷静にタップする。

 

「もしもし?」

『ああ、桜雲?今、ちょっと大丈夫?』

「うん、大丈夫」

 

 電話越しとはいえメグミの声を聞いて、桜雲の心が温かくなる。

 それはともかく、今日は愛里寿と一緒に猫カフェに行くと言っていたが、どうしたことだろう。

 

『さっき愛里寿隊長たちと解散して、何事もなく終わりました~』

「そっか。よかったよかった」

 

 どうやら、話を桜雲にも伝えていたから、知らせておくべきと思っての事後報告だったようだ。そして平穏無事に事が終わったようで安心する。

 だが、そのメグミの言葉を聞いて桜雲は引っ掛かりを覚えた。

 

「『愛里寿隊長“たち”』?」

『あ、言ってなかったかな・・・戦車隊の友達2人も今日は一緒だったの』

 

 確かにその話は聞いていなかった。

 すると、それまで何とも思っていなかった桜雲が今更になって不安感に駆られる。もしもそのメグミの友達2人が猫カフェに気を悪くしていたら、どうしようと。

 

『その2人も、愛里寿隊長も「楽しかった」って言ってくれたわ』

「本当?」

『ええ』

 

 だが、そんな桜雲の心を見通していたかのようにメグミが教えてくれた。それが本当のことなのか社交辞令なのかは分からないが、今はそのメグミの言葉を信じることにしよう。

 

『桜雲のおかげよ』

 

 メグミがそう言ってくれる。

 だが、桜雲はその言葉は素直には受け取れない。

 

「でも、今日実際に島田さんたちと出掛けたのはメグミさんだし。僕はお礼を言われるようなことなんて何も―――」

『何言ってるの』

 

 桜雲の言葉を遮って、メグミがさらに言葉を重ねてくる。それには桜雲も口を閉ざすしかない。

 

『昨日あなたが下見に付き合ってくれて、猫との遊び方を教えてくれたから、今日は上手くいったんだから。あなたのおかげでもあるのよ?』

 

 桜雲は何も言わない。何も言えない。

 

『だから、ありがとう、桜雲。あなたのおかげで、私たちは楽しかったわ』

 

 その言葉はメグミからすれば、本当に何てことのない、さも当たり前のような気持ちによるものだろう。

 だが桜雲からすれば、その言葉は自らの心を大きく揺り動かすには十分すぎるほどのものだった。

 

「・・・どういたしまして、メグミさん」

 

 そして最後には、『また大学で』とお互いに言い合って電話が切れた。

 桜雲は少しの間スマートフォンを見つめていたが、やがてまた小さく息を吐いてコーヒーを飲む。淹れてから少し時間が経ってしまったので、大分温くなってしまっていたが。

 さて、桜雲が今日1日部屋で気持ちを整理していた理由だが、それは先ほど電話を交わしたメグミという1人の女性に、桜雲が恋をしていると気づいたからである。

 生まれて初めて抱いた恋心と向き合うために、桜雲は今日1日は気持ちの整理に努めた。

 だが、それだけの時間を取ったところで結果は変わらず、自分はやっぱりメグミのことが好きなのだと再認識した。

 

「・・・・・・はぁ・・・」

 

 昨日の下見で、自分とメグミが2人で歩く姿は周りから見ればどう映っているのだろうと気になり、メグミが猫カフェで猫と遊んでいる姿に見惚れて、彼女との距離が詰まった時は胸が高鳴った。

 極めつけに、メグミからかけられたあの言葉。

 

『私はあなたのこと、すごい素敵な人だって思う』

 

 その言葉で、桜雲はすとんと恋に落ちてしまったのだ。我ながら単純な気がしないでもないが、それでもメグミのことが好きになってしまっていた。

 だから先ほどのメグミとの電話だって、かかってきた時は緊張し、話している最中も気を付けなければ噛んでしまうかもしれないぐらい一杯一杯で、何よりも嬉しかった。

 まったくもって、自分も単純だと思う。まだまだ青いなぁと思う。

 温くなったコーヒーを飲み切ってから、夕食の時間まで本の続きを読もうと決めた。

 ただし頭には、メグミのことが浮かんだまま。

 

 

 日曜が過ぎて、週の始まりとなる月曜日。メグミはグレーを基調としたタンクジャケットを着て愛機・パーシングに乗っていた。

 この時間は大学選抜チームでの練習だが、今はチーム内での模擬戦に向けて各戦車の調整をしている時間だった。戦車ごとに車長が主体となって、目視点検や機器類の調整をする。

 メグミが車長を務めるパーシングはその作業もほとんど終了し、残りは細かいチェックだけとなる。

調整の時間が終わるのを待つだけ、となったあたりでメグミは装填手の対馬に話しかけた。

 

「対馬、ちょっといい?」

「なにー?」

 

 この調整の時間の装填手の仕事と言えば、戦車の目視点検と弾薬の数を確認するぐらいだ。対馬は決まってその後に軽いストレッチで体をほぐしていたが、それも終わったようなのでメグミは声をかけたのだ。

 この戦車の乗員は皆メグミが大学選抜チームに入ってからの付き合いだが、対馬はさばけた性格をしているのでメグミとも馬が合う、気軽に話せるやつだった。

 

「お世話になった人にお礼をする時って、何をあげたらいいと思う?」

「え?また急な話だね・・・」

 

 対馬が苦笑するが、メグミは至って真面目そうな顔だった。なので、対馬も自分なりに考えて『あー』とか『えーと』とかもごもご呟いてから、答えを見つけた。

 

「その相手がどんな人かにもよるね。相手が年上でお世話になった人だったら、菓子折りとお手紙が普通だし・・・同い年だったら菓子折りまではいかなくても何かしらのプレゼント・・・かな」

「そうね・・・うん、ありがとう」

「何?誰かに入用でもあるの?」

 

 話の流れで対馬が訊くと、メグミは苦笑しながら頷く。

 

「昨日、私と愛里寿隊長、ついでにアズミとルミでお出かけしたのよね」

「ああ、そう言えばそんなこと言ってたような言ってなかったような」

 

 すると、照準器の調整を終えた砲手の平戸が、メグミの方を振り向いて会話に参加した。

 

「楽しかったですか?」

「ええ、大いに楽しめたわ」

「それはよかったですね」

 

 普段から平戸は物腰が低いので、メグミと同い年であっても敬語なのは今に始まったことではない。

 

「でね、そのお出かけで行った場所を教えてくれた人に何かお礼がしたいなーって思ったのよ」

「へぇ、そりゃまた義理堅い」

「まあまあ」

 

 茶々を入れる対馬と、それをなだめる平戸。

 そこで、操縦手の深江がエンジンを点けたようで、『ドルルン!』という大きな音ともに、パーシングの中が微かに振動し始める。

 

「けど、場所を教えてくれただけの人にそこまでする必要ってあるかな」

 

 対馬の言い分も分かる。『こことかどう?』『こんな場所良いよ』と教えてくれただけの人にわざわざ贈り物を用意して渡すというのは、多少行き過ぎかもしれない。行動に対するお礼が大きすぎると、場合によっては気を悪くしかねないからだ。

 

「実は・・・・・・そのお出かけした場所ってのは、猫カフェでね?」

「「猫カフェ?」」

 

 意外な場所に、対馬と平戸が声を揃えて聞き返す。メグミは頷いて続ける。

 

「そこに行きましょうって提案したのは私なんだけど、まだちょっと猫との触れ合い方とか、どんな場所がいいのかとか分からなくてね・・・それで、猫カフェを探すのを手伝ってくれたり、猫との触れ合い方を教えてくれた人がいるの」

「ああ、そういう」

「それで昨日楽しめたのはその人のおかげだから、やっぱり何かお礼をしないとって思って」

「なるほど・・・それは確かに、お礼をした方がいいかもですね」

 

 ようやく対馬と平戸も納得した。確かにそれだけお世話になったのなら、お礼はしておくべきだと。

 車内ではエンジンのアイドリング音に混じって『カチカチ』という何らかのスイッチをいじるような音が聞こえてくる。それは恐らく、通信手の生月(いきつき)が無線機の調整をしているからだろう。

 

「私も最初はお礼をしたいって言ったんだけど・・・その人は『友達になってください』って言ってきてね」

「「・・・ん?」」

 

 ところが、続けてメグミが明かしたことに対馬たちは首を傾げた。

 

「私はそこで『もちろんいいよ』って返したんだけど、それじゃやっぱりお礼にならないでしょって思って」

「・・・・・・そうなんですか」

 

 何だか平戸が何かを期待しているような輝いた目つきをしている。その様子が変わったのを見て、メグミは『ん?』な顔をする。

 

「で、その相手ってどんな人なの?」

 

 対馬が一番重要なことを聞いてきた。それを知らないと、何を贈ればいいのか具体的なアドバイスができないからだ。

 

「ああ、うん。同い年の男の人なんだけど」

 

 その瞬間、アイドリング状態だったエンジンが切れた。

 無線機のスイッチをいじる音が聞こえなくなった。

 それでメグミは、場の空気が一瞬で変わったことに気づいたがもう遅い。

 

「え、あれ?何か変なこと言った?」

「メグミさん・・・今、『同い年の男の人』と言いましたね?」

「あ、はい」

 

 平戸の一層落ち着いた口調に気圧されて、思わずメグミは畏まった話し方になってしまう。

 一方で対馬は平戸と少し目を合わせて、メグミに問いかける。

 

「メグミ、聞かせてほしいんだけど」

「え、え?」

 

 平戸に限らず対馬まで妙に改まった態度をとってくるので、余計メグミは困惑する。

 

「その男の人のこと、あんたはどう思ってるの?」

「どうって?」

「単なる知り合いか、普通に友達なのか、それともそれ以上の人なのかってわけよ」

 

 『それ以上』とは端的に言って恋人ということだろう。だがそれは違ったのでメグミは首を横に振る。そして残り2つの中で自分と桜雲の関係を表すに相応しいのは。

 

「友達よ、友達」

「そう・・・友達ね・・・」

 

 まだ対馬は納得していない模様。本当に一体どうしたんだろうか。

 続けて平戸が訊いてくる。

 

「メグミさんは、その人のことはいい人だと思ってるんですか?」

「そりゃまあ、友達だし」

 

 メグミは、悪い感じがするような人とは進んで関わりを持とうとはしない。

 それと、桜雲からは悪いようなイメージなど全く感じられない。むしろその真逆で、ものすごく優しい人というのが今の桜雲に対するイメージだ。

 すると今度は、通信手の生月が話しかけてきた。

 

「メグミはさ、その男の人と友達以上の関係になりたいと思ってる?それとも思ってない?」

「は、はぁ?どういうこと?っていうかあんた無線機の調整は・・・」

「たった今終わった。で、どうなの?」

「それ、何言って・・・」

 

 生月は社交性が高くて、こうして物怖じしないで単刀直入にものを聞くことが度々ある。

 さっきの質問もまた突拍子もないものだった。友達以上の関係になりたいということは、すなわち桜雲と恋人同士になりたいかと聞いているのと同義だ。

 それをメグミは笑い飛ばして否定しようとしたが、ふと桜雲と自分が一緒に過ごした時間がフラッシュバックする。

 桜雲と出会い、話をして、猫カフェに一緒に行って、猫との触れ合い方を教えてもらって、また話を聞いて。

 桜雲という男と、一緒の時間を過ごして。

 そのことを思い出すと、なぜか笑い飛ばすこともできなかった。

 『なりたくない』ときっぱり拒絶することができなくなった。

 

「まあ、その・・・・・・どっちかと言えば・・・なりたい、かな」

 

 生月は『なるほど』と頷く。

 が、メグミ以外の乗員全員は、生月の問いにメグミが逡巡した時点で『脈があるな』と確信していた。

 それに、白か黒かではなくぼかすような形で答えるのが、普段から割とはっきりした物言いのメグミらしくないと思う。

 ともかく、これまでの問いに対するメグミの答えを聞いて、どうするべきかは決まった。

 

「さっきの話、どんなお礼をしたらいいかって話だけどさ」

「あ、うん」

 

 対馬の言葉に、ようやくメグミも本題を思い出す。なぜか話が脱線したようだったが、そもそもお世話になった桜雲にどんなお礼をしたらいいかというのが発端だ。危うく見失いかけていた。

 

「何か手作りのものでも贈ったらどうよ?」

「・・・・・・・・・え、ぇ?」

 

 だが、突拍子もない対馬の提案にメグミはまたしても話の流れが見えなくなりそうだ。いったいなぜそんな結論に至ったのか。

 

「いい、メグミ?戦車道の世界は男っ気がほとんどないわ。それに戦車乗りの女性ってのは、大体男から敬遠されがちなものなの。だから、彼氏を作るってのは中々に至難の業なのよ?その辺はお分かり?」

「まあ・・・それは分かるけど」

 

 対馬の言う通り、戦車道は乙女の嗜み、伝統的な武芸として世間に認知されているが、女の戦う世界故に男が入り込む余地はほとんどない。

 そして戦車乗りの女性とは、プロ選手として活躍し注目を集めない限りは、男性からも敬遠されがちなのが現状だった。その原因については諸説あるが、とにかく大学選抜チームの中でも男と関わりがあるチームメイトはあまりいない。彼氏持ちのチームメイトもいるにはいるが、あれは稀なケースだ。

 

「だから、メグミさん。せっかく同い年の男の人とつながりが持てたんですから、その人とは仲良くした方がいいですよ」

 

 平戸が対馬に加勢するが、メグミはまだ首を素直に縦には振れない。

 

「いや、でも・・・」

「いつも飲み会で『出会いが欲しい』って愚痴ってたのはどこの誰だっけ?」

「う」

 

 そこで若干ぶっきらぼうな口調で割り込んできたのは、これまで沈黙を保ってきた操縦手の深江。良くも悪くも裏表のない発言をしてくる彼女は、たまに真理を突いてくるので侮れない。

 そして深江が言っていた『出会いが欲しい』という言葉には、確かに覚えがあった。

 メグミは比較的酒に強い方で、酔ってもちょっとやそっとではあまり前後不覚にならない。だから酒の席でのことを覚えているのはよくあることで、そんな恥ずかしい発言をしたことだって記憶にある。

 

「選り好みしてる場合じゃないでしょ、現状」

「うぅ・・・」

 

 畳みかける深江の言葉に、メグミは小さくなっていく。

 続いて生月が話しかけてくる。

 

「メグミだって、その人のこと嫌ってないんだし、むしろどっちかと言えば友達以上の関係になりたいとは思ってるんでしょ?なら、自分から動かなくっちゃ」

 

 どちらかと言えば友達以上の関係になりたいという言葉は、メグミの本心ではある。

 桜雲のことは良い人だと思っているし、仲も良好だとは思っている。

 それと、土曜日に別れる直前で『友達になってほしい』と言われた時、妙な期待を抱いていたのは事実だから、メグミは彼のことを好意的に見ているということになる。

 だがその先―――メグミが桜雲のことを本当に好きなのかどうかは、まだ定かではなかった。

 

「・・・・・・でも、手作りったって何を贈ればいいのよ?」

「鉄板なのは弁当か」

 

 誰に問いかけたわけでもないメグミの言葉に、深江が天井を仰ぎながら答えた。

 しかしその答えに、メグミは内心で『あっ』と声を出す。

 

「メグミって料理できた?」

「・・・・・・できない」

 

 対馬の問いにメグミは力なく答える。

 メグミは料理ができない。自分の部屋に調理器具の類は一切ないし、日々の食事もインスタントか冷凍食品かレトルトかで、およそ女性らしくはない。正直に言えば、だらしない。

 ただ、それが逃げる言い訳になるわけでもなく。

 

「メグミさん、料理できるようにしましょう」

「えー、でも・・・」

「好きな人どうこうの以前に、食卓事情がそんななのは女子力的な意味ではアウトです。どころか、アウト3つでチェンジです」

「だからまだ好きな人って決まったわけじゃなくて・・・」

 

 平戸がまくしたてるが、まだ本当にメグミが桜雲のことをそう思っているとは決まったわけではないので、そこは訂正しておく。女子力云々についてはぐうの音も出ない。

 

「それに彼氏持ちの矢巾(やはば)だって、『まずは料理ができるとベターね』って言ってたよ」

「まー、確かに。料理は覚えといて損はないな」

 

 生月と深江もまた平戸と同意見だった。

 ちなみに矢巾とは、メグミが隊長を努める中隊に所属している、ヴァイキング水産高校出身のパーシング車長の1人だ。

 それよりも、対馬たちから『料理覚えろ、手作り弁当贈ってやれ』と無言で訴えかけられてメグミはぐぬぬと唸る。

 するとそこで、生月の近くに置いてあったタイマーがアラームを鳴らし始めた。

 それは、戦車の調整の時間が終わり、模擬戦の時間がもうすぐ始まるという合図だ。

 

「はい、おしゃべり終わり。戦車道はきっちりやるわよ」

『了解!』

 

 メグミが手を軽く叩いて締めると、先ほどまでのお気楽ムードは見事に隠れ、戦車の中が緊迫した空気に包まれる。

 メグミは、『桜雲へのお礼は手作りのお弁当』に決まったこと、そして『そのために料理を覚える』ということを一度頭の隅に追いやって、試合に向けて気を引き締める。

 今日は新しいバミューダアタックのパターンを試す予定だ。このことはアズミとルミ、そして対馬たち乗員にも伝えてある。それで我らが隊長、島田愛里寿に勝てるかどうかは分からないが、それでも自分たちはできることを成すだけだ。

 対馬たちも、先ほどの話は置いておき意識をこれから始まる戦いに向けて、試合に臨む。

 ただ、頭の片隅でちょこっとだけ、『メグミが面白いことになりそう』とは思っていたが。

 

 ちなみにその日の模擬戦では、メグミたちのチームは敗れたものの、車輌の撃破数が一番多かったのはメグミのパーシングだった。

 

 

 桜雲へのお礼が『メグミお手製の弁当』と決まった日から、メグミの料理の練習が始まった。

 同じ戦車に乗る対馬たちから焚きつけられたその日には調理器具と料理の本、そして食材を買って夕食を自分で作ってみた。

 しかしレシピ本を見ながら作っても、これまでメグミはろくに料理などしなかったせいで焼き加減や味付けが上手くできず。

 

「・・・・・・うーわ」

 

 味は筆舌に尽くしがたいほどのものとなってしまった。

 しかしそれでもメグミはめげずに、トライアル・アンド・エラーの要領で練習を続けた。時には料理がそれなりにできるという対馬や平戸、生月に教えを乞い、どこがダメでどうすればいいのかを厳しく指導してもらう。

 そして指摘を受ければ、メグミはそれを真摯に受け止めて次の教訓へと生かす。

 すべては腕を上げるために。

 感謝の気持ちを桜雲に伝えるために。

 

「・・・・・・おっ、良い感じ?」

 

 そしてメグミの料理を味見して、対馬が『いいね』と言ってくれたのは、猫カフェに下見に行ってから実に5日が経った日のことだ。

 

「うん、これならいけると思うよ」

「ほんと?」

 

 対馬がもう一度頷いて、メグミは大きく安堵の息を吐いた。度重なる練習の末にようやく認められたのだから、達成感は相当なものだ。

 

「これでようやく、弁当を渡せるね」

 

 元々そのために料理の練習をしていたのだから、当然のこととばかりに対馬が告げる。

 

「・・・・・・・・・」

「って、あれ。どうしたの」

 

 だがその途端に、メグミが不安そうに俯いてしまった。なにも変なことは言ってないはずだが、と対馬は不審に思うが、やがてメグミが顔を上げて訊いてくる。

 

「・・・もし、迷惑だって思われたらどうしよう」

 

 いつになく弱気なメグミを前にして、対馬は小さく息を吐き腕を組む。

 普段のメグミはここまで弱気になることも、誰かに愚痴ではなく弱音を吐くことは滅多にない。だのに、同い年の男にお礼の気持ちを込めた弁当を渡すことにここまで尻込みしてしまうとは。

 メグミは、自分の感謝の気持ちが拒絶されることを恐れている。

 

「ねえ、メグミ」

「?」

「そのお礼がしたいっていう男の人は、そんなメグミの感謝の気遣いも『いらない』って突っぱねるような人なの?」

「それは・・・言わないと思う」

 

 桜雲はのんびり屋ではあるが、生き物の命のことを真剣に考えて、メグミにも優しく接してくれている心優しい人だ。人の善意や厚意を切り捨てるような冷酷な風には思えない。

 

「なら、心配することはないでしょ?メグミがそういう人だと思ってるんなら、心配する必要もないんじゃない?」

「・・・そう、ね」

「それと、これはチャンスよ?メグミ」

 

 対馬が人差し指を立てる。

 

「そのお弁当を渡してみて、その相手の反応が良ければ付き合いを続ければいいし、感じ悪い反応をしたらさよならしてもいいし」

「つまり・・・試してみるってこと?」

「そういうこと」

 

 桜雲を試すような感じなのは、少しせこい気もする。

 だが、桜雲の人柄をなんとなくではあるが知っているメグミは、対馬の言葉で拒絶することもないだろうなと、少し気持ちが上向きになってきていた。

 メグミはふと、自分の作った弁当を桜雲が食べた時の反応を予想してみる。

 

『うん、すごく美味しいよ』

 

 桜雲が笑ってそう言ってくれた時のことを思い浮かべると、メグミの心はなぜかドクンと跳ねた。

 ただ想像しただけなのに、イメージしただけなのに、なぜか心が温かくなる。顔が熱くなってくる。

 

「メグミ?大丈夫?」

「え?いやいや、大丈夫よ?」

「どっちなのよ・・・」

 

 メグミが急に黙ったので、対馬は疑問に思う。

 大方弁当を渡したときの反応を思い浮かべて不安になったのかもしれないが、対馬はそんな心配もいらないんじゃないかなと思う。

 

(大丈夫だよ、メグミ)

 

 そう思う理由は1つ。

 

(『友達になってください』って頼んだんだから、そいつはたぶんあんたのことは全然悪く思ってないよ)

 

(っていうか、そいつはメグミのこと、結構好きなんじゃないかな)

 

 

 

 

『明日のお昼ご飯、一緒に食べない?』

 

 桜雲の下にそんなメグミからのメールが来たのは、木曜の夜。メグミからのメールは初めてで、それに翌日に備えて眠ろうとしていた直前だったので二重の意味で不意打ちだった。

 桜雲はそのメールに対して1分も経たずに『いいよ』とメールを返した。

 そして当日、午前の講義が終わり昼食の時間になると、待ち合わせ場所に指定された中庭の日時計前で桜雲は待っていた。

 

(・・・・・・・・・)

 

 昨日のメール以来、桜雲は自分が浮かれているのが分かっていた。

 あの猫カフェに下見に行って以来、桜雲はメグミと顔を合わせてはいない。同じ大学に通ってはいるが、大学の敷地は広い。それに2人の日中の行動パターンも違うから、会うこと自体難しいのだ。以前帰りがけに偶然出会ったのも、食堂の前で鉢合わせたのも、全て偶然であり、それが普通なのだ。

 しかし、今日までのメグミと顔を合わせず話もしなかった状況に、桜雲は寂しさを覚えていた。メグミという1人の女性に会うことができず胸焦がれる思いをしているのは、桜雲がメグミに恋をしているせいだろうとは分かっていた。

 メグミに対して恋をしていると気づいてからそこまで日は経っていないが、メグミに会えなかったことを寂しく思っていたのは事実だ。

 これまでは誰か1人に会えないことを寂しく思っても、胸が苦しくなるほどにはならなかった。しかし、メグミへの恋心に気づいてからそんな思いをするようになったのだから、それは恋をしているからだろうと思う。

 ともかく今は、目の前のこと―――メグミが昼食に誘ってくれたことを嬉しく思わなければ。

 

「桜雲、お待たせ」

 

 軽やかな挨拶とともに手を軽く挙げて、メグミがやってきた。

 薄いグリーンのブラウスに、ブラウンのチノパンに身を包むその姿は清涼感を覚える。肩には黒いトートバッグを提げているが、中に箱状の何かが入っているらしく妙に角ばっていた。

 そしてよく見てみれば、その挙げている手の指には絆創膏が巻かれている。戦車道で怪我でもしたのだろうか?

 だが、それについて言及するのは後にして、まずは挨拶を返す。

 

「ううん、大丈夫。待ってないよ」

「そう?それならよかったわ」

 

 それにしても、昼食を一緒にとのことだったが、今自分たちがいる中庭は食堂からは離れている。どういうつもりだろう?」

 

「ちょっと場所を移しましょうか」

「?うん」

 

 メグミは桜雲の疑問にも気づかず、歩き出す。桜雲もあとに続いたが、やがてメグミは同じ中庭のベンチに腰掛けた。その隣に、桜雲も並んで座る。

 

「・・・・・・・・・」

 

 メグミは、膝の上に乗せたトートバッグを見つめたままで、桜雲とは顔を合わせようとはしない。妙に前と少しメグミの雰囲気が違うと桜雲は思ったが、やがてメグミが口を開いた。

 

「この前、一緒に猫カフェに行ってくれたじゃない?」

「うん」

 

 今日ここに呼び出したこととあまり繫がりがないような話の気がするが、桜雲は頷き返す。

 

「それで・・・その時のお礼がまだできてないな、って思ったのよ」

 

 その話は、桜雲の中ではもう済んだ話だと思っていた。

 

「いやいや、僕がメグミさんに『友達になってください』って言ったでしょ?それメグミさんもOKしてくれたから、それで僕はもう―――」

「それでも」

 

 メグミが桜雲の言葉に被せてくる。そしてじっと、桜雲のことを見据えてくる。

 メグミの瞳は揺れていて、頬もわずかに赤くなっている。不安を孕むようなその顔に、桜雲は口をつぐむ。同時にそんな顔がまた、可愛いと思ってしまう。

 

「それでも私は・・・まだあなたにお礼ができてないと思ってるの?」

 

 メグミの何らかの決意が含まれているようなその言葉に、桜雲は反論できない。

 

「だから、その・・・・・・」

 

 トートバッグに手を入れて、メグミが何かを取り出す。

 

「迷惑かもしれないけど・・・お礼を込めてってことで・・・・・・」

 

 途中から不安が隠し切れずにメグミの語気が萎んでいくが、やがてメグミは『それ』を取り出した。

 その何かは赤い包みにくるまれた直方体のようなもので、それを見て桜雲は『まさか?』と、それが何なのかに気づく。

 桜雲がもう一度、メグミの顔を見る。その顔は、包みほどではないがなお赤くなっていた。

 

「お弁当・・・・・・作ってきたの」

 

 メグミの手が震えている。

 桜雲はその震えを止めようと、赤い包みの弁当をそっと受け取った。

 

「・・・ありがとう、メグミさん」

 

 ここまでされては『別に気にしなくてもいいのに』とか『気持ちだけ受け取っておくよ』と遠慮するのも失礼に当たる。そもそも、メグミの手作りという時点で断る選択肢など最初から存在しない。

 

「開けても、いい?」

「うん・・・・・・初めて作ったから、形とか味の保証はできないけど・・・」

 

 その言葉は、聞き逃さなかった。初めてということは、それだけメグミが桜雲のことを考えてくれているということだ。

 なおさら、この弁当は絶対に、何としても食べなければと使命感が湧いてくる。

 ゆっくり包みを解いていき、銀色の弁当箱が姿を現す。

 そして蓋を開ければ、実に美味しそうな料理が詰められていた。

 まず半分を占めているのは白いご飯。もう半分はおかずだが、目を引くのはハンバーグ。その脇には彩るようにブロッコリーとミニトマト、そして卵焼き。どれも美味しそうで、綺麗な形だった。

 

「・・・本当に初めて?」

「そうなんだけど・・・」

「すごい美味しそうだよ」

 

 同じくメグミも自分の分の弁当を取り出して、箸を桜雲に渡す。メグミの弁当も、中身は同じだった。

 そして2人で『いただきます』をし、桜雲がまずハンバーグを箸で小さく切って口に運ぶ。メグミは桜雲の反応が気になるからか、まだ箸をつけようとはしない。

 

「・・・うん、美味しい!」

 

 桜雲の表情が明るくなる。

 それはメグミが想像した、弁当を食べてくれた桜雲の反応と同じような、穏やかな顔。

 その顔に、メグミの心が、ぽっと温かくなる。

 

「・・・そう?よかった~」

「うん、美味しい。初めて作ったとは思えないよ」

 

 続けて卵焼きの味も楽しみ、桜雲は実に嬉しそうにうんうんと頷く。

 ようやく安心したのか、メグミも弁当を食べ始めた。我ながらいい出来だと思ったのか、小さくメグミも頷いた。

 

「喜んでもらえてよかった。苦労した甲斐があったってものよ・・・」

 

 メグミがハンバーグを食べて、苦笑しながら絆創膏が巻かれ痛々しくなってしまった自分の指を見る。嫁入り前の身体なのに、は少し大袈裟か。

 

「大丈夫?」

 

 そこで桜雲は、自然とメグミの手を握って絆創膏の巻かれた指を見つめる。

 その瞬間、メグミの顔が熱くなる。鼓動が高鳴る。身体が硬くなる。

 桜雲はよほど心配なのか、労わるようにメグミの手を見つめ、実に悲しそうな顔をメグミに向ける。

 

「僕のことを考えてくれたのは嬉しいけど、無理はしないでね?」

「・・・・・・うん、分かったわ。でも大丈夫、もうそんなに痛まないし」

 

 メグミは小さく笑って桜雲を安心させ、優しく手をほどく。

 それから2人はまた弁当を食べ始めたが、その間に会話がない。

 メグミは、桜雲が自然と手を握ってきたことが忘れられなくて、心が跳ねてしまっているのを自分で感じ取っている。顔だって恐らくは赤くなっている。それを悟られたくなくて、メグミは何も話しかけることができなかった。

 一方で桜雲は、自然とメグミの手を握ってしまったことを反省していた。いくら心配だったとはいえ、女性の手を無遠慮に握ってしまったことは正直今思えば嫌われるかもしれないような行動だ。相手は友達であっても女性で、こういったことに関しては敏感なはずなのだから。

 

「・・・隊長、ね」

「?」

 

 お互い沈黙を続けながら弁当を食べ進め、桜雲が半分ほど食べたところでメグミが口を開いた。沈黙に耐えられなかったのだろうか。

 

「猫カフェに行った時、猫を抱っこして遊んでた」

「あ、もう抱っこできたんだ?すごいね」

 

 さっき手を握ったことには反省していたが、それでもその話は興味深かったので、桜雲は素直な反応を示す。

 

「下見の時に遊んだのグレーの猫・・・覚えてる?」

「?ああ、あのメグミさんの膝に乗った?」

「そう、あの子」

 

 猫と触れ合うのに慣れておらず、しかも初めて来たはずのメグミの膝に乗ったものだから、桜雲もその記憶は鮮明だ。

 

「なんか私を覚えていて懐いちゃったみたいでね?それで、また膝の上で寝転がっていたんだけど、隊長がそれを見て羨ましそうにしてたから・・・抱っこさせてあげたの」

「まあ確かに・・・あの子人懐こそうだったし」

 

 こうしてメグミと話している間は、好きな人と分かっていても変に意識して舌が回らなくなるということにはならない。それが不思議だと桜雲は思う。

 

「私の友達2人・・・アズミとルミって言うんだけど、2人とも猫カフェを楽しんでたわ」

「へぇ~、良かった」

「もちろん隊長も猫を抱っこして笑ってたし・・・・・・ホント、皆楽しんでた」

 

 メグミがその時の光景を鮮明に思い出しているのか、空を見上げて小さく笑っている。

 

「その後はショッピングをして・・・あ、あのペットショップにも行ったわ」

「そうなの?」

「ええ。隊長、あのミミズクを見てすごいびっくりしてた」

「あはは、やっぱり?まあ僕も最初見た時は驚いたよ」

 

 ミミズクの存在感と威圧感もさることながら、『なんでここにいるの?』という意外性もあって、初見の人は驚きやすいのだ。

 

「帰り際に隊長、笑って『今日はとっても楽しかった』って言ってくれて・・・アズミとルミも『面白かったし、癒された』って言ってくれたわ」

「じゃあ・・・成功ってこと?」

「ええ。もうバッチグーよ」

 

 メグミは親指を立てて、いい笑顔を見せてくれる。

 

「桜雲のおかげよ。ありがとね」

 

 当たり前のようにメグミが告げる。

 それに桜雲は心が躍りだしそうになるぐらい嬉しかったが、そのお出かけが成功したのは実際にその場にいたメグミのおかげなのが大きいだろう。

 それは電話でも伝えたが、メグミの答えは既に聞いている。

 そして桜雲は、ふと思ったことがあった。

 

「・・・前に、『メグミさんは猫に好かれやすいのかも』って言ったの覚えてる?」

「え?うん・・・」

 

 以前、大学の正門近くで野良猫と少し遊んだ時に言われた言葉だ。それは印象的だったので覚えてはいるが、なぜ今その話をするんだろうとメグミは思う。

 

「猫に限らず動物に好かれやすいってのはある意味天性のものなんだけど、動物によっては本質を見抜くとも言われてるんだ」

「本質?」

「まあ、平たく言うと性格とか気持ちとかかな」

 

 それで、と桜雲はメグミを見る。

 

「メグミさんが猫に好かれやすいのは、メグミさんが優しいってことが猫にも伝わってるからじゃないかな」

「え・・・」

 

 その言葉に、手に持っている箸を思わず落としそうになるが、何とか持ちこたえるメグミ。

 

「ほかの人は優しそうに見えないってわけじゃないけど、メグミさんは何て言ったらいいのかな・・・。優しそうなのはもちろん、話しやすい、親しみやすいって思えるし、柔らかいイメージがあるんだ」

 

 話しやすいというのは、友人知人から何度も言われたことがある。メグミ自身はそんな自覚は無かったので、人からはそう見えてるのかな、と深く考えてはこなかった。

 だが、桜雲から同じことを言われると、同じように軽く考えることができず、どころか『そうなんだ』と自信が持てるようになる。

 

「それにメグミさん、僕にお礼がしたいって思ってこうしてお弁当を作ってきてくれたでしょ?初めてで、ケガしてまで・・・」

 

 絆創膏が巻かれ痛々しく見えるメグミの指を見ながら、桜雲は悲しそうに笑う。

 そんな桜雲に、メグミの視線はくぎ付けになっていた。

 そして桜雲はもう一度、メグミの顔を見る。その顔はいつか見たような、柔らかい笑顔だ。

 

 

「メグミさんは僕のことを優しいって言ってたけど、メグミさんだってそれ以上にすごく優しいんだよ」

 

 

 その言葉にメグミは、ハッとしたような顔になる。

 目の下あたりが、ほんのりと赤く染まる。

 

「メグミさんは話しやすいし、優しいし・・・だから猫にも好かれやすいのかもね」

 

 もちろん、猫に好かれない人は優しくないというわけではないし、動物が人の本質を見抜いているということも立証されてはいない。

 しかしそれが分かっていても、メグミに限ってはそんな気がしてならないと、桜雲は思っていた。

 

「って、ごめんね。なんか偉そーなこと言っちゃって」

「・・・ううん、私は嬉しかったわ」

「そっか。ならよかった」

 

 桜雲が弁当を食べ終えると、メグミもほぼ同じタイミングで食べ終えた。弁当をまた赤い包みでくるんで、2人は『ご馳走様』と手を合わせる。

 

「すごく美味しかったよ、ありがとう」

「どういたしまして。そう言ってもらえると、作った甲斐があったわ」

 

 2人は少しの間笑い合って、やがてメグミが話しかける。

 

「ねぇ・・・桜雲」

「?」

「あの、さ・・・・・・」

 

 自分の髪を指でいじりながら、メグミは何かを言おうとしている。今更ながら、今日のメグミはどこか様子が違うと桜雲は思う。

 

「もし、桜雲さえよければなんだけど・・・・・・また、一緒にお昼ご飯を食べたいんだけど・・・いいかしら?」

 

 顔を上げて、揺れる瞳と共に不安そうな口ぶりで、メグミは聞いてきた。

 それに対する桜雲の答えは、ただ1つ。

 

「もちろん、いいよ。メグミさんとなら」

 

 桜雲の微笑みながら返した答えに、メグミは心から安心し、そして嬉しくなった。

 そして、メグミ自身が桜雲のことをどう思っているのか、ようやく分かった。

 

 

 メグミと別れて、桜雲は午後からの講義に向けての教室へと向かう。

 今の桜雲の心はとてもホクホクと温かい。何しろメグミの手作りの弁当を食べることができて、しかもその弁当を作るというのもメグミにとっては初めてのことと来た。それが恩返しということであっても、それだけ自分が特別に思われているということで嬉しく思う。

 普段は自他ともに認めるほどのんびり屋な桜雲ではあるが、恋をすると随分変わるものだと切に思う。普段はあまり動じないのに、メグミの言動が気になり、一喜一憂していたのだから。

 その過程で、らしくもなく踏み込みすぎたことを言ってしまい『しまった』と思うこともあった。メグミが笑ってくれたのでよかったが、この先はもうちょっと考えて言った方がいいだろう。

 ともあれ、また一緒に昼食を食べたいと誘われたことは大歓迎だ。親しい人から誘われるのは嬉しいし、それが好きな人となればなお良い。

 

「さて、頑張ろう」

 

 メグミの手作り弁当を食べることができたし、また一緒に昼食を摂るという約束もできて、万々歳だ。午後からも十分頑張れる。

 小さく伸びをして、桜雲は校舎の中へと入って行った。

 

 

 桜雲が去った後も、メグミはベンチに座り続けていた。

 空を見上げれば、いっそ憎らしいほど澄み切った青空が広がっており、7月になって輝きを増したように感じる太陽がジリジリとメグミを照らす。

 しかし、メグミの頭の中には先ほどの桜雲と過ごした時間の記憶が居座っていた。

 

『メグミさんだってそれ以上にすごく優しいんだよ』

 

 その言葉を聞いて、メグミは嬉しくなって、それで自分の中の気持ちに気づくことができた。

 

『もちろん、いいよ。メグミさんとなら』

 

 メグミの不安と隣り合わせだったお願いに、桜雲は一も二もなく笑って頷いてくれた。それもまたどうしようもないぐらい嬉しくて、心が沸騰しそうになるほど喜ばしかった。

 これまで桜雲と過ごした時間、交わした言葉が流れ込み、それらが心を満たしていく。

 そして桜雲のことを想うと、心が温かくなってきて、幸せな気持ちが湧き上がってくる。

 それはどんな感情なのかは、もうわかった。

 

『もしもし?』

「・・・あ、もしもし対馬?」

 

 スマートフォンを取り出して、今回の事情をある程度知っていて、そして弁当作り、ひいては料理の練習に付き合ってくれた対馬を呼び出す。

 

『おっ、メグミ。首尾はどうだった?』

「うん、上々・・・・・・というか最高だった」

『ほほー、それはよかったじゃない。でも、その割になんか元気なさそうだけど・・・?』

 

 自分の声はそんな風に聞こえているのか、とメグミは苦笑する。だが、今の自分はいつもよりも逆に落ち着いているということは分かっていたし、仕方がないとも思っている。

 

「・・・・・・あのね、対馬」

『んー?』

「私さ・・・その、お弁当を渡した、そのお世話になった人のこと・・・・・・」

『うん』

 

 息を吸って、もう一度空を見上げる。雲一つない空を見れば、心が穏やかな感じになる。

 そしてメグミは、自分が抱いたある感情を口にした。

 

 

 

「―――好きになったみたい」

 

 

 

 電話の向こうの対馬が、息を呑んだように感じた。

 だが、沈黙は十秒も続かず対馬は言葉を発する。

 

『・・・・・・そっか。それで、これからどうするの?』

「うん・・・もちろん、これからも付き合いは続けるよ。さよならなんて、したくない」

『・・・そっかそっか。それなら、頑張りなさい。私は全力で応援させてもらうから』

「ありがと・・・」

 

 そこで電話を切ろうとしたが、割り込むように対馬がメグミのことを呼ぶ。

 

『メグミ』

「?」

『よかったね』

 

 それは、何に対しての言葉だろう。

 でも、メグミはそれには同感だった。

 

「・・・・・・ええ、本当に、良かった」

 

 そして今度こそ電話を切る。脇を見れば、先ほどまで桜雲が座っていたスペースが空いている。

 メグミはそこにそっと手を置いて、また空を見上げる。

 やっぱり空は、青く澄んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Careful Contact

 自宅の最寄り駅から電車で1時間とちょっと、そこからさらにバスに揺られて数十分。そんな感じでようやく辿り着いた洋風の建築物の前に、メグミ、アズミ、ルミの3人は立っていた。

 その3人が着ているのは大学選抜チームのユニフォーム。今日は日曜日で講義もなければ戦車道の訓練もないオフの日だが、どうして彼女たちは戦車道のユニフォームを着ているのか。

 

「・・・・・・お腹痛くなってきたわ・・・」

「嫌だなぁ・・・怖いなぁ・・・気が滅入る・・・」

 

 その洋風の建物を前にしてアズミがお腹を押さえ、ルミはげんなりとする。ルミはともかく、アズミはバミューダ3姉妹でもひと際繊細な性格なので、緊張が過ぎて胃を痛めることが結構あった。

 

「だったら、ちゃちゃっと済ませちゃいましょ?」

 

 そして3人の中でも肝の据わっているメグミが、何の躊躇もなく敷地内へ足を踏み入れて先へ行ってしまう。アズミとルミはそれを見て、いつまでも突っ立っているわけにはいかなかったので仕方なく後に続く。

 

「こういう時は・・・あの肝っ玉の強さが羨ましくなるなぁ・・・」

 

 メグミの後姿を見ながら、ルミが独り言つ。アズミは特に反応を示さない。

 そんなメグミは受付で、若い女性と手続きをしていた。

 

「すみません、本日11時から家元とお約束をしております大学選抜チームのメグミと言う者ですが・・・」

「畏まりました、少々お待ちください」

 

 受付の女性はどこかへと内線で連絡をして、一言二言交わすと電話を切る。

 やがて数分も経たないうちに、今度は若い男性の使用人がやってきて、メグミたちを中へと招き入れる。その使用人に従ってメグミたちは扉をくぐり、洋風の建物―――島田流戦車道本家へと上がった。

 

 

 島田流戦車道は、戦車道において日本でも格式高い流派であり、大学選抜チームの母体となっている組織でもある。

 メグミたちが所属している大学選抜チームの隊長・島田愛里寿も、その名から分かるように島田流の直系であり、島田流戦車道の後継者である。メグミたちは、その愛里寿を支える副官。

 その副官たるメグミたち3人がこうして島田流本家に呼び出されたのは、大学選抜チームの成果や状況などを報告するためだ。この報告会は毎月1度ずつ開かれているので、今日が初めてということではない。それでも、島田流家元という重要人物と話をするのは、緊張しないはずがなかった。

 3人が副官となったのは愛里寿が隊長になった今年度からであるため、そこまで回数も重ねていない。だから余計、緊張していた。

 

「こちらへどうぞ」

 

 使用人の後に続き、赤いカーペットが敷かれ、レトロな雰囲気のするランプが灯る廊下をメグミたちは歩いていく。先ほどまで胃が痛いとお腹を押さえていたアズミも、どこから目をつけられているか分かったものではないので、今は背筋を伸ばして歩いている。

 

(いつ来ても、シャレオツなところねぇ)

 

 メグミは、外見といい内装といい島田流が洋風の雰囲気を突き詰めているのは、同じく戦車道の由緒ある流派・西住流をライバル視してのことだと聞いたことがある。

 島田流と西住流は、戦術や有する戦車など多くの面で正反対の要素を持ち、そのせいか特に島田流は一方的に西住流をライバル視しているきらいがある。そのライバルである西住流は全体的に和風なイメージで、本家もそんな感じの建物らしい。それに対抗して、島田流は真逆の洋風をコンセプトにこの本家を立てたとの噂だ。

 出自はどうであれ、メグミはこの洋風の建築物も悪くないとは思っている。個人的には『和』よりも『洋』の方がそこまで厳かさは感じないし、敬愛する愛里寿の人形のようなイメージとも合っているからだ。

 

(・・・いけない。気を引き締めないと)

 

 そこで、余計なことを考えて表情を崩してはならないと思い、メグミはぎゅっと口をつぐむ。

 やがて、報告会を行う書斎兼事務室の前にやってきて、使用人がノックをして中から返事を貰うとドアを開ける。

 部屋は普通の家のリビングぐらいの広さがあり、窓際には書斎机、部屋の中央には赤を基調とした応接セットが設えてある。壁際には多くの戦車に関する本が収められた本棚、その近くには『婦人公輪』という雑誌の表紙が飾られている。それは今メグミの後ろに立つアズミが表紙を飾ったヤツだった。

 応接セットの1つであるソファにはすでに愛里寿が座っており、彼女もまたメグミたちと同様に大学選抜チームのユニフォームを着ていた。

 その愛里寿の隣に座っているのが、愛里寿の母であり、島田流戦車道の家元でもある島田千代。赤い服を着た千代は、その全体的な色の薄い感じから愛里寿の親族であることが窺えるが、正直言ってその外見は子持ちの女性にしては若々しく見える。妙齢の婦人と言うべきか。

 

「座りなさい」

「「「失礼します」」」

 

 千代のにこやかな笑みと共に告げられた言葉に、メグミたちは口を揃えて一礼しソファに座る。無意識に唇が真一文字になり、背筋も伸びる。

 ここまで案内してきた使用人がメグミたち3人の前に置かれたカップに紅茶を注ぐが、3人はそれに目もくれない。そして紅茶を淹れ終えると退室してしまった。

それを見計らい。

 

「さて、まずはこの暑い中来てくれて、ありがとう」

「いえいえ、お気になさらず」

 

 千代が最初の挨拶をするが、アズミは首を横に振る。メグミたちもかすかに笑い会釈をする。

 とはいえ、季節は既に7月、夏本番へと向かっており気温も上がってきている。厚手のタンクジャケットで出歩くのはメグミたちも正直言ってキツかったが、そんなことをこんなところで愚痴ってはなるまい。

 

「さて・・・それでは始めましょうか」

「はい。本日はよろしくお願いします」

 

 千代が仕切りなおすと、バミューダ3姉妹の中でもリーダー格のメグミが頭を下げて挨拶をする。それに倣いアズミとルミも礼をして、愛里寿もぺこりと頭を下げる。

 報告するのは、ここ1ヶ月の大学選抜チーム内での訓練の内容と、各戦車の乗員含めたスペック、練習試合の成果などを書類を傍らに話す。さらに、各中隊ごとの練度と大学選抜チーム全体での練度、戦い方の変化などを私見を交えて隠すことなく伝える。

 その説明は、隊長である愛里寿と、副官であるメグミたち3人で行ったが、粗相をしたりはしていないようで、千代もしっかりと相槌を打ってくれている。

 

「―――といった具合です」

「・・・なるほどね」

 

 一通り報告を終えると、千代は手に持つ扇子で口元を隠して小さく息を吐く。ひと段落してホッとしたのだろう。

 

「愛里寿はどうかしら?他に何か、気になるところでもある?」

「いえ、私からは・・・・・・特にありません」

 

 千代の愛里寿に対する話し方は、親が子に対するようなものに聞こえる。

 だが反対に、愛里寿の千代に対する言葉遣いはどこか他人行儀なものだった。

 島田流家元と、大学選抜チームの隊長という立場上仕方ないのだが、それでもメグミたちはどこか寂しさを覚えていた。普段はどうなのかは分からないが、血の繫がりのある親子だというのに、こうした距離を感じさせる話し方をしているのが。

 

「そう・・・なら、報告はもう十分よ。ご苦労様」

「いえ、これが私たちの仕事ですので」

 

 メグミたちはお辞儀をする。頭を上げると、ルミが広げていた書類をファイルに戻していき、テーブルの上は陶磁器のティーカップとポットだけが残る。

 

「では私からも・・・あなたたちに1つ、伝えることがあります」

 

 千代が姿勢を正したので、メグミたちも背筋を自然と伸ばす。既に背筋は真っ直ぐだったのだが、それでも気を引き締める意味を込めてそう努める。

 

「来月の22日、くろがね工業と大学選抜チームの試合を行うことが決まったわ」

 

 その言葉に、メグミたちは息を呑む。

 くろがね工業は、メンバーが社会人で構成されたいわゆる実業団チームの1つであり、実業団の中でも抜きんでて強いと言われているチームだ。直近の成績では、関西地区2位を誇っていたはずだった。

 高校戦車道の情勢は少し前までは気にしていなかったが、社会人の戦車道については、何度か試合をしたこともあったので情報は集めてきていた。だから、くろがね工業がどれだけ強いのかは分かっている。

 それは愛里寿も同じだろうが、彼女の表情は微塵も変わっていない。その試合をするという話を既に聞いていたのか、相手が誰だろうと狼狽えるまでもないというのか。

 

「あなたたち大学選抜チームは、島田流を体現していると言っても過言ではないチーム。島田流の名に恥じぬよう、心して試合に臨むようになさい」

『はい!』

 

 千代の言葉に、その場にいる大学選抜チームの全員が力強く返事をする。

 その返事を聞き届けると、千代は何とも上品な仕草で紅茶を飲む。メグミたちも少し喉が渇いていたので、紅茶を頂くことにした。

 ほろ苦い紅茶の風味を堪能しながら、メグミはさっきのくろがね工業との試合のことを思い出す。

 

(・・・桜雲も、誘ってみようかしら?)

 

 以前、桜雲は『くろがね工業との試合をするのなら観に行きたい』と言っていた。それに『戦車道にもちょっと興味がある』とも言っていたし、誘ったらきっと喜んでくれるだろう。

 その桜雲が喜ぶ様子を思い浮かべると、少しだけ頬が緩んだ。

 

「あら、何を嬉しそうに笑ってるのかしら?メグミ」

「えっ、あ、すみません・・・・・・」

 

 千代に指摘されて、メグミは『しまった』と内心で思う。紅茶を飲んで、気が緩んでしまっていたか。

 メグミはすぐに謝罪するが、千代はころころと笑っている。だが感情の読み取れないようなその笑みは、背筋が凍るような恐ろしさも秘めていた。アズミとルミ、そして愛里寿もまたメグミの方を見ていたが、彼女たちは反対に怪訝な顔だ。

 

「くろがね工業との試合が、嬉しいのかしら?」

「ええっと・・・・・・そうですね。はい、私たちの実力を発揮する機会なので、楽しみですね」

 

 とりあえずメグミは無難な答えを返しておく。ただ、メグミの脳裏に浮かんでいるのは桜雲の顔だった。

 

「・・・まあ、そう言うことにしておきましょうか」

 

 どうやら、メグミの考えていることは他にあるとお見通しのようだ。メグミは、じんわりと自分の顔に熱が集まってくるのを実感する。

 すると千代は『あ、そうそう』と両手を合わせながら話しかける。その様子はもはやお茶を傍らにお喋りをする主婦に見えた。

 

「この前は、愛里寿を猫カフェに連れて行ってくれてありがとう。愛里寿も帰ってきてから、色々と嬉しそうに話してくれたわ」

「お母様、それは・・・・・・」

「いえ、隊長もリラックスしていたようでしたので、良かったです」

 

 千代とメグミのやり取りに、愛里寿は赤面する。あのの猫カフェに行った日の夜に、千代に嬉々として話をしたことが今思うと恥ずかしいのだろう。

 そんな愛里寿の様子を見て、メグミたちは心の中でだけその可愛らしさを堪能しながら、紅茶を静かに飲む。

 

「しかし、猫カフェねぇ・・・随分また、ニッチなところを選んだわね」

「あ、それは・・・」

「ああ、違うわ。怒ってるわけじゃないのよ?それに、愛里寿が自分で行きたいって言ったのも聞いたから」

 

 ここからはどうやら、先ほどまでの堅苦しい話し合いではなく、軽いお喋りの場になるようだ。多少気持ちに余裕が生まれるが、それでもどんな粗相も許されないことに変わりはない。こういう時こそボロを出さないようにしないと、とメグミたちは気を引き締める。

 

「メグミが猫カフェに行ったのが気になって、と愛里寿は言っていたけど・・・確かに私も興味があるわね」

「たまたまテレビの特集で取り上げられていて、それで気になったんですよ」

 

 そもそも猫カフェに行こうとしたのは、致命的な女子力の無さを痛感してどうにかしようと思ってのことだったのだが、それは言わない。

 そこでまたメグミの思考が、脇道にずれる。

 

(桜雲と出会ったのも、そのおかげなんだけどね・・・・・・)

 

 あの特集を見て、メグミ自身が行こうと思い至らなければ、桜雲に出会うことは無かった。少しでも日にちや時間がずれてしまっていたら、桜雲と出会い話をすることは無かったし、こうして親しい間柄となることさえもできなかった。

 メグミが桜雲のことを好きになることだってなかったのだ。

 

「そう・・・私も行ってみようかしら・・・?」

「是非行ってみるといいですよ。とても楽しいですし、癒されますので」

 

 メグミは微笑みながら、千代に薦める。桜雲のことはともかくとして、猫と触れ合うと気持ちが落ち着くし、何より心がほだされる。

 あの猫たちと遊んだこと、その感触や温もり、そして桜雲と過ごした時間のことを思い浮かべながら、メグミは一口紅茶を飲む。温かく、そしてほろ苦かった。

 

 

 明けた月曜日。その日も、大学選抜チーム内で模擬戦が行われていた。

 大学が所有している草原地帯の練習場の中を多くの戦車が縦横無尽に行き交う中、ルミのパーシングが相手チームの戦車を1輌撃破した。

 

「よし、次!」

「はい!」

 

 ペリスコープ越しに撃破を確認すると、ルミは砲手の野々市(ののいち)に次を狙うように指示する。

 すると、またしても戦車の砲撃音と装甲が砕ける音が別方向から聞こえた。

 

「メグミか」

 

 外の様子を見れば、赤い四角形のパーソナルマークが描かれていたパーシングの砲身から白煙が上がっていた。あのパーソナルマークは、メグミのものだ。

 

「今日だけでもう5輌目ですねー」

「今日はずいぶん飛ばしてるな」

 

 ルミの言葉に、装填手の小松(こまつ)が間延びした声で反応する。野々市も同意見らしく、照準器に顔をくっつけ頷きながら発砲した。

 今日の模擬戦は15対15の殲滅戦なので、メグミだけで相手チームの3分の1の戦車を撃破したことになる。普段のメグミは1試合あたり大体2~3輌だから、それよりも多い。

 

七塚(ななつか)、向こうのチームは残り何両?」

「えっと・・・パーシング2輌にチャーフィー1輌、センチュリオン1輌の4輌」

 

 通信手の七塚が報告したところで、また外から戦車が撃破された音が聞こえてくる。見れば、チャーフィーが黒煙を上げて擱座したところだった。

 そしてその近くには、メグミのパーシングがいる。

 

「これで、あと3輌です」

「んで、あれで6輌目と」

 

 さらに遠くからまた別の撃破音。距離からして、メグミの戦車ではない。

 

『こちらアズミ、パーシング1輌撃破』

「よし、後は2輌か」

 

 どうやらあの戦車はアズミが仕留めたようだ。ルミは握りこぶしを作るが、アズミからの通信はまだ終わっていなかった。

 

『ねえ、ルミ』

「ん?」

『今日のメグミ・・・すごいわね』

「気づいてたか」

『そりゃあ、ね』

 

 前とは比べ物にならないペースで敵を撃破していたら気づくだろう。特に、同じ副官で親しいアズミとルミはなおさら。

 そして当然、相手チームの隊長を務めている愛里寿だってこの戦果は知っているはずだ。

 すると、そこでまた通信が入る。

 

『こちら末広(すえひろ)!敵パーシング1輌撃破も相打ちです!すみません!』

 

 メイプル高校出身のパーシング車長・末広の報告に、ルミは『ご苦労さん』と答える。

 彼女は元々ルミの中隊に所属しており、この模擬戦でバミューダ3姉妹と愛里寿を除いて最後まで残っていたのだから、実力はそれなりに高い方だろう。

 

「これで残りは、私たち3人と愛里寿隊長だけね」

『そうね・・・ここまでは予想通りだけど・・・』

 

 試合終盤に残っているのは、愛里寿のセンチュリオンとルミたちのパーシングだけなのはもはや当たり前になってきていた。他の戦車がどれも弱いというわけではなく、むしろ強い。だが、この4輌はそれ以上に強いのだ。

 

『よし、アズミ、ルミ!バミューダアタックの準備!今日のパターンはFで行くわよ!』

「『了解!』」

 

 バミューダ3姉妹の中でもリーダー格のメグミの弾むような指示に、ルミとアズミは力強く返事をする。最終局面なので無駄話もそれぐらいにして、アズミからの通信は切れた。

 それにしても、メグミの指示もどこか張り切っているようにルミには聞こえた。

 

「くろがね工業との試合が決まって、張り切ってるのかね?」

 

 操縦手の珠洲(すず)が、パーシングを所定の位置へ向けて動かしながら言う。

 くろがね工業との試合が決まったことは、今日のミーティングで周知済みである。

 その試合に参加する戦車はまた後日決めるつもりだが、恐らくバミューダ3姉妹の戦車が出るのは確実。つまりメグミの戦車も当然起用されるだろう。

 今日メグミたちの戦車が絶好調なのは、選ばれた気になって張り切っているからか、それとも選ばれるように努力しているからなのか。だがどちらにせよ、それだけで今日いきなり急に強くなるとは、ルミは考えられなかった。

 

(何かいいことでもあったのかな?)

 

 しかしルミはそれぐらいに留めておいて、昼休みの時間にでも聞いてみるかと思考を切った。

 目の前には、愛里寿の乗る漆黒のセンチュリオン。

 あの戦車と戦う時は、余計なことを考えていると一瞬でやられる。

 だからルミは、センチュリオンを見据えてメグミの合図を待った。

 

 

 結局、今日のバミューダアタックも愛里寿には及ばず手痛いカウンターを喰らってしまった。新しいパターンを試しても成功しないので、愛里寿にはずっと勝てないのかもとメグミたちは錯覚する。

 

「メグミ、今日は随分とすごかったわね」

「え、何が?」

 

 模擬戦の後のミーティング、さらにシャワーで汗を流して私服に着替えてから、メグミたちは食堂へと向かう。その途中でアズミがメグミに話しかけた。

 

「何って、今日の模擬戦よ。あんたの戦車、6輌も倒したじゃない」

「ああ、あれね」

「急にどうしたの?くろがねとの試合が決まって張り切ってるの?」

 

 それはルミも同じく疑問に思っていたので、メグミに訊いてみる。

 

「あー、うん。それもあるんだけど・・・・・・まあ、色々ね」

「「?」」

 

 珍しく要領を得ない答えに、アズミとルミは首を傾げる。

 もちろんメグミは今日、乗員たちの調子がいいことには気づいていた。あれほどの成果を上げていたことに驚いていたのはメグミも同じだ。

 気になったので模擬戦の後で聞いてみたが、それに代表して答えたのは操縦手の深江。

 

『あんたにも春が来たんだなぁと思うとね』

 

 かすかに笑いながら答えていたが、つまりはそう言うことだった。

 同じメグミの車輌の乗員として、そして男とあまり縁がない戦車乗りとして、メグミに好きな人ができたのが嬉しいのだ。それが、それぞれのポテンシャルをより大きく引き出したのだろう。

 にわかには信じがたいが、感情によって人それぞれの能力に変化が現れるというのはよくある話である。今回は悪い感情に動かされたわけではないし、悪影響を及ぼしたわけでもないので責めることはできなかった。

 

「でも今日のメグミ・・・本当にすごかった・・・。私も、『もしかしたらやれるかも・・・』ってちょっと思ってた」

「いえいえ・・・でも今日も勝てませんでしたし・・・・・・やっぱり隊長には敵わないです・・・」

 

 愛里寿も、メグミの戦果には驚いていたらしい。『負けるかもしれない』という不安をあの愛里寿に植え付けただけでも上出来だ。

 

「もしかしたら・・・いつか私のセンチュリオンがメグミに倒されるかもしれない」

「・・・精進しますね」

 

 愛里寿はそれを悔しそうには言わず、むしろ心から楽しみにしているとばかりに小さく笑った。その『受けて立つ』というような笑みに、メグミも戦車乗りの血が少し騒いで、同じように笑って返す。

 その様子にアズミとルミは、嬉しさと悔しさがごちゃ混ぜになったような表情になった。

 さて、とメグミはそこで思考のスイッチを切り替える。

 深江の言っていた『春が来た』とは、メグミに好きな人ができた―――桜雲に恋をしたということだ。

 この先もメグミは桜雲と向き合っていくと決めたし、いつか絶対にこの想いを告げるとも心に決めていた。

 その気持ちは、気づいてからすぐに電話で対馬に伝え、そしてそこから深江達乗員全員に伝わった。彼女たちもその話は聞いてはいたので別にいいのだが、今思うと少し恥ずかしい。

 ただ、同じ戦車乗りとして、男とあまり縁がなく恋をすることも難しかったから、対馬や深江は今のメグミを応援してくれている。そして、今日のように嬉しさが戦車道にも表れた。

 喜ばしいような、恥ずかしいような、甲乙つけがたい現状だ。

 

「あっ、メグミさん」

 

 そんなことを考えていたら、渡り廊下の曲がり角で偶然にも桜雲と出くわした。以前正門前で会った時もそうだったが、この広い大学の敷地内で偶然出会うとは、何たる偶然にして幸運か。

 

「こんにちは、桜雲」

「「え?」」

 

 メグミは普通に挨拶をするが、それにアズミとルミが理解できないとばかりに揃って声を洩らす。

 

「島田さんも、こんにちは」

「・・・こんにちは」

「「は?」」

 

 それには気づかず、桜雲は前にも顔合わせ程度に挨拶をした愛里寿にも声をかける。愛里寿も桜雲のことを覚えていたが、やはり少し怖いのかメグミの陰に少し隠れて挨拶を返した。それにもアズミとルミは解せず、声を揃える。

 

(あ、しまった・・・)

 

 そこでメグミは、事の重大さに気づいた。

 この中で桜雲のことを知らないのはアズミとルミ。

 そして桜雲が真っ先に挨拶をしたのはメグミ。

 

 これは間違いなく、いじられる。主にメグミが。

 

 

 

 

「隊長、お箸をどうぞ」

「隊長、お手拭きを持ってきました」

「隊長、こちらにどうぞ」

「・・・・・・・・・」

 

 もはや定番となりつつあるメグミたちの世話を受けて、愛里寿が若干不満そうな顔をしつつも席に座る。それに桜雲は気づいていたが、話しかけるのもちょっと憚られた。

 さて、メグミたちと会ってから一触即発な空気になってしまったのだが、桜雲はこうして昼食の席をメグミたちと共にすることになった。誘ってきたのは意外にも、ルミだった。

 メグミたちが愛里寿の食事の席をセッティングし終えると、ようやく全員が席に着く。

 

「えっと・・・改めまして。桜雲って言います」

「よろしく、桜雲。私はアズミ」

「ルミよ。よろしくね」

 

 初対面同士の桜雲とアズミ、ルミが挨拶をする。先ほどは若干気まずい空気だったが、今2人はにこやかに桜雲に向けて笑っていた。

 しかし、同じように笑っている桜雲の隣に座るメグミは、少しだけ厳しい顔をしていた。

 

「メグミさん、どうかしたの?」

「へ?」

「いや、何だか怖い顔をしていたから」

 

 そのメグミにいち早く気付いた桜雲が声をかける。

 心配そうにのぞき込む桜雲の顔を見て、厳しい顔が緩みメグミは少し頬の温度が上がってくるが、目元を抑えて大丈夫な風を装う。

 

「ううん、何でもないの。ありがとうね」

「それならいいけど・・・」

 

 桜雲は安心するが、そこで。

 

「へぇ~」

 

 桜雲の正面に座るアズミが何かに納得するかのような、間延びした声を出した。表情も相まって、妙に色っぽい。

 

「2人とも、結構仲が良いみたいね。タメで話してるし」

「ええ、僕らは同い年ですから」

「だったら、私にも敬語は必要ないわよ?メグミと同い年だし」

「私もオッケーだよー」

「分かった。それじゃあよろしくね、アズミさん、ルミさん」

 

 アズミの申し出にルミも便乗し、桜雲は小さく頷いてから敬語を外した。

 それは一見穏やかなやり取りだが、メグミはマズいと危惧している。アズミとルミとはかれこれ3年ほどの付き合いになるから、この2人がこの状況でどう動くのかは手に取るように分かった。

 ちなみに愛里寿だが、桜雲たちのやり取りを気にしつつもハンバーグを食べていた。

 

「でも、隊長も桜雲のことを知っていたんですね?」

「・・・前に、メグミが一緒に帰っているところを見かけて」

 

 ルミが隣に座る愛里寿に訊くと、愛里寿はちらちらと桜雲のことを見ながらたどたどしく答える。

 その瞬間、ルミとアズミの顔がぴかっと光ったように見えた。メグミの中で『しまった』と電流が走る。

 

「へぇ、そっかそっか。桜雲だったのか」

「え、何が?」

 

 合点がいったとルミが頷くと、桜雲はルミのことを見る。

 

「いや、前にメグミが男の人と一緒に帰ってるのをちらっと見てね。それが桜雲だったのかって」

「あ、そういうこと」

 

 さらにルミの言葉から、アズミは記憶を掘り起こす。

 

「それじゃ、メグミが猫カフェで知り合ったって言ってたのも桜雲なのね?」

「うん、そうだと思うけど・・・」

 

 そこで桜雲は、メグミの方を見る。確認を込めて。

 

「・・・ええ、そうよ。私が猫カフェで会ったって言うのも、ルミが見たって言うのも、桜雲のこと」

 

 アズミとルミが『ほっほう』と言うような感じでにやける。よくない兆候だなと思いながら、メグミはラーメンを啜った。

 

「なるほどねぇ・・・ようやく腑に落ちたわ」

「?それならいいけど」

 

 アズミがうんうんと腕を組みながら頷く。その態度が少し引っかかったが、桜雲は深くは考えずにカレーを食べる。

 

「・・・メグミもようやく、桜雲と付き合い始めたってことね」

 

 アズミの前振りなしの唐突すぎる言葉に、メグミは思わず咽てしまい、愛里寿はぴくっと肩を震わせる。桜雲はびっくりして『大丈夫?』とメグミに声をかけた。

 

「友達として」

「紛らわしい言い方しないで!」

 

 とってつけたようなアズミの一言に、メグミがかみつく。ここが食堂でなければ、今頃ここは水を打ったように静まり返っていただろう。

 アズミはその反応が面白いのかくすくすと笑い、ルミが『からかうのも大概にな~』と軽く注意する。そんなルミも同じく笑っているので、彼女もまた面白がっているのは目に見えた。

 

「全く・・・驚かせないでよ」

「そうだよ、アズミさん」

「ごめんなさいね。前はメグミ、ただの知り合いとしか言ってなかったから」

 

 水を飲んで落ち着いたメグミが不満そうに告げる。桜雲も苦笑して目を向けるが、アズミは少しも反省していないように笑ったままだ。

 そんなメグミと桜雲の心は。

 

((緊張した・・・・・・))

 

 2人は当然知る由もないが、メグミと桜雲はお互いに隣に座っている人のことが好きである。ただでさえ距離が近くて、おまけに冗談とはいえそんなことを言われると動揺するしかない。元々抱いていた緊張感も割り増しとなってしまう。

 

「隊長、どうかしましたか?」

 

 そこでメグミが、愛里寿の方を見る。桜雲も見てみれば、彼女はぽかんとした顔で2人―――メグミと桜雲のことを見ていた。

 

「あ、ううん・・・何でもないよ・・・」

「そうですか?」

「何か気になるのなら、言ってみていいよ?」

 

 桜雲が優しく話しかけると、愛里寿は少し俯く。

 アズミとルミは、愛里寿が男と関わりを持ったのも初めてだと思う。元々、愛里寿は13歳の身で大学に通っているから孤立しがちであり、同じ大学の男と縁があるようではなかった。メグミたち大学選抜チームの面々が、不埒な男を愛里寿に近づけないように細心の注意を払っているからでもあるのだが。

 だから、こうして愛里寿が桜雲という男との繫がりができかけているのが、初めてで、新鮮に見えた。

 

「・・・2人は、猫カフェで知り合ったんだよね?」

「ん?うん、そうだよ」

 

 愛里寿は、ハンバーグを食べる手を止めて桜雲の方を見る。先ほどのようにちらちら見るのではなくて、視線を合わせていた。

 

「桜雲は・・・猫が好きなの?」

「そうだね。動物全般好きだけど、一番猫が好きだな」

 

 愛里寿の質問に、桜雲は即答する。この手の質問は、桜雲にとってはもう慣れっこだった。

 

「意外だなー」

「え?」

「男の人って、ライオンとか犬とか・・・こう、かっこいい系の動物が好きなイメージがあったから」

 

 とんかつを食べていたルミの言葉ももっともだと、桜雲は思う。明確なものではないが、男らしいイメージのある動物と、女性的な感じのする動物がある。桜雲の所属する動物サークルの男子は、大体が犬や鳥(主に猛禽類)が好きだったりする。桜雲の好きな猫は、若干女性的なイメージだ。

 

「それはよく言われるよ。周りの男子は犬派なのに僕一人だけ猫派ってこともあった」

「犬が好きか猫が好きか、って質問?」

「そう、それ」

 

 アズミの口ぶりからして、この話題は1度経験したことがあるらしい。

 

「女みたいだ、ってからかわれたこともあったなぁ。まあ、今もそんな感じはしてるけど」

「でも、あんまり気にしない方がいいわよ?」

 

 自嘲気味な桜雲の言葉に被せるようにそう言うのはメグミ。それに桜雲だけでなく、アズミとルミ、愛里寿もメグミの方を向く。

 だが、今のメグミに映っているのは桜雲だけだ。

 

「誰がどんな動物を好きになるかなんてのは人それぞれだし・・・何かを好きだって思うことは絶対恥ずかしがることじゃないから」

「・・・メグミさん」

「だから、落ち込むことはないと思うわよ」

 

 桜雲は別に、『女みたい』と言われたことに腹を立ててはいないし、特別落ち込んでいるわけでもない。

 だが、メグミからそんなことを言われると、勝手に心が温まり、そして嬉しくなってくる。

 

「それに・・・・・・あなたが猫を好きだったからこそ、私と知り合えたわけだし・・・」

 

 そして、そんなメグミの消え入るような声を、桜雲は確かに耳にした。

 そう、桜雲が猫が好きで、猫カフェに行く趣味を持ち合わせていなければ、メグミと出会うことだってなかったのだ。

 桜雲が、メグミのことを好きになることだってなかった。

 

「・・・そうだね、その通りだ。ありがとう、メグミさん」

 

 桜雲が笑ってそう返すと、メグミは少し恥ずかしくなってきてしまったので、顔を背ける。

 

「・・・2人とも、仲良さそうだね」

 

 その桜雲とメグミの様子を見て、愛里寿がぽつりと呟いたので、2人はハッとする。

 そして目の前には、何とも微笑ましいものを見る目をするアズミとルミ。

 

「いやぁ、お熱いようで」

「青春してますなー」

 

 茶化され、2人は互いに顔を合わせることもなく食事を再開する。恥ずかしくて、顔を合わせることなんてできやしない。

 

「ってことは、メグミがあれだけ猫を手懐けられたのも、桜雲に教えてもらったから?」

「・・・・・・ん、そうね。教えてくれたの」

「へー、やっさしいのねぇ」

 

 メグミが視線を合わせず、アズミの質問に答える。その答えを聞いたルミが桜雲に向けて、にかっと爽やかな笑みを向ける。

 桜雲は、そのルミに対して曖昧な笑みを浮かべて返した。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、メグミはその様子を横目に見て、猛烈に胸がもやもやし始めた。啜っているラーメンの味がしなくなる。

 この気持ちは、恋をしている今だからこそ抱くことができる―――

 

「ああ、大丈夫よメグミ。別に他人の男を取るような真似はしないから」

 

 メグミの変化に気づいたルミが、いち早く弁明のような冗談を言う。

 

「だからそんなのじゃないってば」

「はいはい」

 

 メグミは否定するが、ルミが間の抜けた返事をする。

 こうして男と交流を知られると、弄られたり茶化されたり面倒なことになるのが予想できたから、知られたくは無かった。

 この上、メグミが桜雲に好意を寄せていることを知られたら、どうなることか分かったものではない。

 ただ、こうして図らずも桜雲とまた一緒に昼食を摂ることができたのは嬉しいので、それについては嘆かない。

 一方で桜雲も、ここでメグミを除く女性2人と愛里寿1人を相手にするのが少々きついので、カレーを食べ進める。

 桜雲が女性と一緒に食事をするのは初めてではない。サークルのメンバー男女混合で食事会をしたことがあるし、この前も柊木とサシで昼食の席を一緒したことがある。それでも男女比1:4は初めてだから、桜雲自身緊張はしている。

 しばらくの間は食事に集中していたが、カレーが残り一口ぐらいまで減ったところで、桜雲は1つ思いついた。その時には、流石にメグミに対し感じる恥ずかしさや気まずさも薄くなっていた。

 

「あ、そうだメグミさん」

「ん、何?」

「今度さ―――」

 

 と、そこで桜雲はここにはアズミとルミ、愛里寿もいるんだということを思い出す。これから言うことを考えれば、確実にアズミとルミにからかわれるのが目に見える。

 この短時間で桜雲は、メグミがアズミ、ルミと親しい間柄だということは分かったので、からかわれるのも日常なのかもしれない。だが、そうなるのは桜雲はそこまで好きじゃないし、メグミももしかしたらあまり好きではないのかもしれない。

 

「・・・いや、何でもないよ。ごめんね」

「う、うん・・・・・・そう」

 

 それを考えて、桜雲は会話を打ち切ってしまった。メグミも、何か釈然としないようではあるが、一応は納得する。

 だが、その桜雲の行動はかえって仇となってしまった。

 

「・・・ここじゃ話しにくいこと?」

「あー、それは・・・えっと・・・・・・」

 

 愛里寿に純粋な瞳を向けられて、桜雲も少し動揺する。

 

「あら、いったい何を話そうとしたのかしら?」

「いいんだよー?別に恥ずかしがらなくっても」

 

 結局、アズミとルミにからかわれることに変わりはなかった。メグミは黙り込んでしまったし、愛里寿は興味深そうだったし、アズミとルミはグイグイ来るしで、桜雲が最後のカレーの一口を食べるのは、ずっと後のことになった。

 

 

 その日の帰り道、メグミは小さく息を吐いた。

 今日は実に疲れた。戦車道はこの暑い時期は余計疲れるものとなるが、それ以上に昼休みの一幕が疲れた。

 メグミの車輌の乗員全員だけでなく、アズミとルミにまで桜雲とのかかわりを知られてしまったのは、少し痛い。今後、今日のようにからかわれることが目に見えるから。

 少し前までのメグミと同じで、アズミとルミも言ってはなんだが女子力はそれほど高くはない。そして、対馬たちと同じで男にあまり縁のない戦車乗りだから、男との出会いを求めている。

 そんな彼女たちからすれば、最近になって男とのつながりができたメグミは羨望の的であり、同時にいじり甲斐のある絶好のおもちゃだ。

 メグミ自身、自分の性格と出身校の校風ゆえに盛り上がることが嫌いではないものの、自分が中心になって、しかもそれで自分がからかわれるのは御免被りたかった。

 しかしもう過ぎてしまったことだし、これから先もまたあの2人に色々言われるんだろうなと思い、また嘆息する。

 桜雲と出会ったことに後悔などは、毛頭していないが。

 

「っと、電話か」

 

 ポケットに入れていたスマートフォンが電話を知らせる。画面を見て誰からの電話かを確認するや否や、考えることなく『応答』をタップする。

 

「もしもし?」

『こんばんは、メグミさん。今、ちょっと平気?』

「ええ、大丈夫」

 

 電話の相手―――桜雲の声を聞くと、メグミの唇が自然と緩む。

 

『お昼ご飯の時に話そうと思ったんだけどさ・・・』

 

 メグミはそれで、あの時桜雲が何か言いかけて止めたのを思い出す。どうやら、あそこでは話せそうになかったことのようだ。

 

『明日のお昼も・・・メグミさんと一緒してもいい?』

 

 なるほど、それは確かにあの2人の前では話せそうにないなと思う。メグミ自身は気にしないしむしろ大歓迎だが、その言葉は捉え方次第では恋人的な意味で付き合っていると思われるから。

 

「うん、いいわよ」

『そっか・・・よかった』

 

 桜雲が安心したような声色になる。

 メグミだって、抵抗などない。自分が好きでいる人から食事に誘われることが、嬉しくないなど、鬱陶しいなど、思うはずもない。

 桜雲のことを好きでいるからこそ、その人と一緒にご飯を食べて、一緒の時間を少しでも長く過ごしたかった。

 

『それじゃ、明日の・・・・・・12時過ぎぐらいかな。食堂の前で待ち合わせよう』

「了解よ・・・あ、そうだ」

『?』

 

 電話が切れそうになるが、今度はメグミが桜雲に話しかける。

 

「明日のお昼・・・私とあなたの2人だけの方がいい?」

 

 もしかしたら、桜雲も今日のアズミとルミの弄りに疲弊しているかもしれなかった。桜雲は終始朗らかな笑顔を浮かべてはいたが、内心どう思っていたのかは分からない。

 

『あー・・・うん、そうだね。その方がいいかも』

「OK、分かった」

 

 そしてメグミが『それじゃあ明日ね』と言おうとするが。

 

 

『・・・・・・むしろ、最初からそのつもりだったし・・・』

 

 

 桜雲の紡いだ言葉に、メグミも歩みを止める。

 かあああっ、と顔が赤くなるのが自分でもわかる。

 

『・・・って、ごめんね。変なこと言って。それじゃ、また明日ね』

「う、うん・・・・・・」

 

 そして、電話が切れる。

 今のメグミの頭には、2つの言葉が漂っていた。

 1つは『また明日』。これまで別れる時は、明確に次はいつ会おうと言葉を交わしたことは無かった記憶がある。だから、明日もまた会えると分かって、メグミはホッとしていた。

 そしてもう1つは、『最初からそのつもりだった』という言葉。

 何の変哲もない言葉に聞こえるだろうし、もしかしたらメグミの考えている意味とは違う意味が込められていたのかもしれない。

 だが、それでも今は、良い方向に考えて、期待することを許してほしい。

 桜雲もまた、メグミと2人だけでの昼食を望んでいた。

 メグミのことを、想ってくれているのだと、考えることを。




メイプル高校出身のパーシング車長の名前は、
メイプル高校の本籍地である北海道の地名から、
ルミのパーシング乗員の名前は、
母校・継続高校の本籍地である石川県の地名からそれぞれ戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Escalate Energy

 この暑い時期、戦車道の後で浴びるシャワーは格別だ。

 戦車の中は蒸し暑く、タンクジャケットも厚手なせいで熱がこもりやすく、ここ最近では訓練が終わったころには汗だくになってしまうのがお決まりだった。

 そこで浴びるシャワーは、汗と一緒に不快感や疲労感も流してくれるようで、さっぱりする。

 そうしてシャワーを浴び、身も心もすっきりしたメグミは鏡の前で髪を整えている。

 

「~♪」

 

 鼻歌交じりにブラシで髪を整えるメグミに近づく影が1つ。

 

「やけに上機嫌みたいじゃない」

「あら、対馬」

 

 鏡に映っている見知った仲間の姿に、メグミは大して驚きはしない。対馬は首にタオルをかけて、水筒の水を飲んでいた。

 

「メグミって、シャワーの後でそんなに真剣に髪整えることなんて、あんまりなかったと思うけど」

「ああ、そう言えばそうかも・・・」

 

 普段のメグミと言えば、シャワーの後はタオルで拭いて、その後ちょっとブラシを入れる程度だ。ここまで何分もブラシで整えることはない。

 

「何?誰かと待ち合わせでもしてるの?」

 

 対馬に問われるが、メグミは答えにくそうな顔になり、視線を対馬から鏡に戻す。だが、その態度だけで対馬は察した。

 

「・・・コレか」

「・・・そう、ソレよ」

 

 小指を立てるジェスチャーをとる対馬に、メグミは頷く。

 今この鏡の前にはメグミと対馬しかいないが、ここにいないだけでこの更衣室にはまだ多くの大学選抜チームのメンバーがいる。一応、メグミに好きな人がいるという情報はまだメグミのパーシング内だけで共有されている情報であり、オフレコだ。うっかり聞かれて情報が広がるのは避けたい。

 

「そうかそうか、順調に付き合いが進んでるみたいだな」

「まあね」

「色々、頑張んなさい」

「何をよ」

「んー・・・色々?」

 

 対馬が首を傾げ、メグミはふっと笑う。

 メグミは仕上げにドライヤーで髪を乾かし、改めて鏡を見直して問題が無いのを確認する。

 

「アズミたちはもう行ったかしら?」

「さっきね。でも、これからメグミが会う人のことは、アズミたちも知ってるんでしょ?」

「存在自体はね。顔合わせもしたし。でも、その・・・私にとってそういう人ってことには気づいてないはず」

「ほー」

 

 流石に平然と『桜雲が好き』なんて言うことは、直情的なメグミであってもできない。

それに、誰それが好きなどとは、色々拗れないために、たとえ内輪であっても言うのは控えた方がいい。

 

「ま、私たちからは言わないでおくよ。だからあんたは、心置きなく楽しんできなさい」

「ありがと、恩に着るわ」

 

 対馬と話している合間にもメグミは着替えを済ませ、それが終わると軽く手を振りながら更衣室を出て行った。

 残った対馬は、小さく息を吐きながらドライヤーを手に取る。

 

(あそこまで丁寧にお手入れするとは、よっぽど気合い入れてるんだな~)

 

 スイッチを入れると、熱風が対馬のショートヘアに吹き付けられる。直射日光の殺人的な暑さや、戦車の中の蒸し暑さとはまた違う心地よい熱に、対馬は心地よさを覚える。

 

(浮かれてるねー・・・青春してるねー・・・)

 

 髪が短いので、まんべんなく熱風を当てても時間はそれほどかからない。熱風から冷風に切り替えて、最後にドライヤーを切る。

 ドライヤーを元あった場所に戻し、対馬はまた一つ溜息を吐く。

 

(・・・いいなー)

 

 先ほどのように恋しているメグミが、羨ましかった。

 やはり対馬も、男との出会いには、恋愛には少しだけ興味があったのだ。

 

 

 メグミが待ち合わせ場所である食堂の前に着いた時、桜雲は既に待っていた。

 

「ごめんなさいね、待たせちゃった」

「全然、大丈夫だよ」

 

 桜雲は笑って手を軽く振り、メグミを出迎える。そして挨拶も手短に、2人は食券を買って食堂へと入る。

 中へ足を踏み入れた直後、メグミは辺りを注意深く見回す。アズミやルミたちが近くに座っていて、桜雲と2人でいるこの状況を見られたら確実に厄介なことになるので、いないかどうかを確認していたのだ。

 だが、その2人をはじめとした知人の姿は確認できず、メグミはホッとする。

 

「どうかしたの?」

「ううん、何でもないわ」

 

 メグミの態度が少し気になったが、桜雲は『何でもない』というメグミの言葉を信じてあまり引きずって考えはせず、豚の生姜焼き定食を受け取る。メグミも同じようにとんかつ定食を受け取って、2人掛けのテーブル席に着く。

 近くには、知り合いの姿は無い。この食堂もそこそこ広いし、そう簡単に出くわすことや、見つかることもないだろう。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 お互いに手を合わせて食事を始めるが、ほどなくして桜雲が話しかけてきた。

 

「ごめんね、昨日は急に誘っちゃって」

「謝ることはないわ。私だって、誘われて嬉しかったし」

 

 それはどういうことか、と桜雲が訊こうとしたが、前にメグミは『桜雲とまた一緒にお昼ご飯を食べたい』と言っていたのを思い出す。

 それなら迷惑と思われていないのかも、と桜雲は少し楽観的に考えたが、それでもまだ不安は残る。

 

「誘った後で聞くのも何だけど・・・島田さんやアズミさんたち大学選抜チームの方は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。昼ご飯はいつも軽いお喋り程度で、別に大事な話をするとかそんなことはほとんどないから」

「そうなんだ・・・」

 

 そして食事を再開。だが、今度はすぐに会話が生まれることは無かった。

 忘れてはいないが、桜雲もメグミもそれぞれ、目の前に座っている相手のことを好きでいる。そんな人と面と向かって2人きりの状況になってしまって緊張し、どんなことを話したらいいのか分からなくなっているのだ。

 桜雲が誘った身ではあるが、何を話せばいいのを探していて結局口が開けず、ダメだなぁと桜雲は結局自分を卑下する。

 メグミも同じだったが、先に話題を見つけたのはメグミだった。

 

「そうだ、桜雲」

「?」

 

 一旦箸を置いて、メグミが桜雲を見る。桜雲も同じく、何かを話そうとするメグミのことを見る。

 

「夏休みにね、大学選抜が社会人チームと試合をすることが決まったの」

「本当?」

「ええ。相手は、くろがね工業」

 

 そのチームの名前を聞いて、桜雲が自分の記憶を手繰り寄せて思い出そうとする。

 そして、3秒足らずで思い出した。

 

「それって、この前言ってた?」

「そう、けっこー強い実業団チーム」

「うわ・・・厳しそうだね・・・」

 

 桜雲が苦笑し、メグミも『ホントにね』と言いながら同じく苦笑いを浮かべる。

 

「その試合、いつやるのかはもう決まってるの?」

「ええ。来月8月の22日よ」

「8月、22日・・・・・・」

 

 日付を反芻し、桜雲は少し考えてから。

 

「よければ観に行ってもいい?」

「ええ、もちろん。そのつもりで話したんだし、桜雲が前に『やるなら観てみたい』って言ってたんだから」

 

 メグミが言うと、桜雲は『やった』と小さく呟く。

 同時に桜雲は、自分の言葉を覚えてくれていたことに少しばかり嬉しくなる。

 

「じゃあその日は、応援させてもらうね」

「ありがと。応援してくれる人がいると、やる気も出てくるし」

 

 その応援してくれる人が、メグミにとって好きな人だからなおさらなのだが、それはとても言えない。

 そこで桜雲は、『あれ?』と疑問に思う。

 

「ということは・・・夏休みの間も、戦車道があるってこと?」

「そうよ。休みもあるけど・・・週1ぐらい」

「うわ・・・大変そうだね・・・」

 

 大学選抜チームに属さない友人にこの話をすると、大体桜雲のような反応をする。

 だが、メグミが副官となる前、大学選抜チームに入った時から、このタイトな訓練スケジュールは変わっていない。最初こそ『厳しい・・・』と何度弱音を吐いたかは分からないが、3年経った今では『キツイなぁ』程度にしか思わなくなってしまった。時として慣れとは恐ろしいものである。

 

「それじゃ、夏休みの間の練習も観に行っていい?」

「え?」

 

 再びの桜雲の提案に、今度はメグミは少し

 大学選抜チームの練習は非公開となっているわけではない。戦車道関係者はもちろん、一般人も観ることはできる。専用の簡易的な観客席も設けてあるぐらいだ。

 だから、観る分には問題は無いのだが。

 

「別にいいけど・・・何で?」

「もちろん、興味があるから」

 

 何の逡巡もなく、メグミの問いに桜雲が答える。

 その答えを聞いてメグミも、くろがね工業との試合を観たいと言うぐらいには戦車道に興味があったのだし、練習を観てみたくなるのも当然かと思う。

 

「それに、メグミさんのこと応援したいし」

 

 だが、桜雲がしれっと呟いたその言葉に、メグミも硬直する。

 ここで迂闊に口を開くと、うっかり桜雲に自分の想いを告げてしまいそうになりそうだ。

 

「・・・ありがとう、桜雲」

 

 だが、何とかしてその本音は飲み込み、感謝の気持ちは伝える。

 一方で桜雲が先の言葉を告げたのは、打算があったのではなくて、ただ純粋にメグミのことを応援したかったからだ。好きな相手であるメグミに少しでも良く見られたい、という気持ちも無いわけではなかったが、それでも応援したかったことに変わりはない。

 

「桜雲が応援してくれるのなら、私も頑張れそうだわ」

「あんまり無理はしないでね」

 

 その後は、桜雲のサークルの話をしたり、戦車道のちょっとした小噺をメグミが披露したり、他愛もない言葉を交わしながら食事の時間を和やかに過ごしていく。

 そして、2人ともに食べ終えて手を合わせてから。

 

「あ、そうだメグミさん」

「?」

 

 立ち上がろうとしたメグミに、思い出したような桜雲の声がかかる。

 

「この前メグミさん・・・お礼ってことで僕にお弁当を作ってきてくれたじゃない?」

「うん、作ってきたけど・・・」

 

 いきなり何の話を蒸し返したかと思えば、な感じだ。

 だが、あの日はメグミにとってもとても意味のある一日だったし、あの日があったからこそ今のメグミがいるわけでもある。

 

「それで、考えてたんだ。僕だけ作ってもらうのも何か悪いなって・・・」

「え?」

「だからさ・・・今度は僕が、作ってくるよ」

 

 メグミは、桜雲の顔を見たままで動きを止める。

その桜雲の申し出はメグミからすれば、不安とか迷惑とか思えないほど嬉しいことだったし、心がぐつぐつと湧き上がってくるのが自分でも分かる。

 

「ええと・・・いいのかしら?と言うか、桜雲って料理できるの?」

「うん、曲がりなりにも一人暮らしだし」

 

 その自分の提案も、料理をすることも全く負担と感じていないような桜雲を見て、メグミもあれこれ考えることを放棄する。

 残ったのは、自分のために桜雲が弁当を作ってきてくれることが嬉しいと思う気持ちだけ。

 

「・・・ホントにいいの?」

「うん。すぐってわけにはいかないけど・・・」

「それじゃ・・・楽しみにしてるわね?」

「よし、分かった」

 

 桜雲が言いたかったことはそのことだけのようで、桜雲は食器を持って立ち上がる。メグミも後に続いた。

 

「昨日急に誘っちゃった僕が言うのも変だけど、メグミさんは戦車道優先で良いからね?」

「ええ、分かったわ」

 

 食器を返す途中で桜雲が申し訳なさそうに話す。

 メグミとしては、確かに昼休みは愛里寿たちと食べることが多く、戦車道の話も時折する。だがそれは、絶対というわけではない。アズミとルミも、たまに自分の戦車の乗員たちや、戦車道絡みではない友人と食べることもある。

 だから正直、愛里寿たちとの食事を優先することもないのだ。

 

「じゃあ、桜雲」

「?」

「また明日も・・・・・・一緒に、どう?」

「うん、いいよ」

 

 メグミにとって勇気ある一言に、桜雲はあっさりと答える。メグミはそれに拍子抜けし、同時に桜雲は自分との食事をそこまで特別と思っていないのかもしれないと不安になる。

 だが、桜雲だってメグミから再び昼食に誘われたこと自体は飛び跳ねるぐらいに喜ばしいことである。それがメグミに知れて拒絶されるのが怖くておくびにも出していないのだが、結果的にそれはメグミに不安を植え付けることになってしまった。

 

「それじゃ、また明日ね」

「ええ、また明日」

 

 食堂の前で2人が別れるが、2人の足取りは軽やかで、微かに笑っていた。

 それだけで、先ほどの時間がそれぞれにとってとても楽しいひと時だったのが、他人からも分かった。

 

 

 

『バミューダアタック、パターンSで行くわよ!』

「了解!」

 

 無線から聞こえるメグミの掛け声にアズミが応え、操縦手の早島(はやしま)の手によってパーシングが加速する。

 掛け声の主であるメグミのパーシングは、アズミのパーシングの左隣を走る。ここからは見えにくいが、ルミのパーシングはメグミのパーシングのさらに左隣にいるはずだ。

 しかしアズミは、今は前しか見ない。これから戦う相手を前に余所見などしていては、一瞬でやられる。

 

『今!』

 

 メグミの合図を聞いた早島は、操縦桿を倒してパーシングを左にドリフトさせる。

 今回のバミューダアタックは、3人のパーシングがそれぞれ同じ方向、同じ角度、同じスピードで目標の脇をドリフトして移動し、3輌で狙い撃ちするスタイル。これはルミが提案したものだ。

 ただし、今目標としているセンチュリオンの車長・愛里寿は、コンマ5秒ほどの初動で相手がどんな動きをするのかを瞬時に予測し、最速で対処してくる。

 戦車が横滑りにドリフトし、世界全てがスローモーションとなっているように錯覚する今も、センチュリオンは信地旋回を始めてこちらを1輌ずつ屠る態勢に入っていた。

 こうなった今できることは、砲撃して少しでもセンチュリオンを撃破しようとすることしかない。

 既に装填手の美作(みまさか)は装填を終えているので、アズミの指示1つでいつでも砲撃できる準備ができていた。

 

「撃て!」

 

 アズミが指示を出すと、即座に砲手の真庭(まにわ)がトリガーを引き砲弾を放つ。

 だが、愛里寿はそれを読んでいたようにセンチュリオンを超信地旋回させて砲弾を避け、返すように砲撃。3輌の中で一番端にいたアズミのパーシングに直撃し、はじかれるようにスピンして動きを止めた。

 軽い音ともに白旗が揚がるが、それでもアズミはセンチュリオンから目を逸らさなかった。悔しがるよりも、行く末を最後まで見届けて次のために何か活かせることはないかを見つけるために。

 そのおかげで、アズミの眼はしっかりと捉えることができた。

 

 

 『ギィン!』という音とともに、センチュリオンの側面装甲を何者かの砲弾が掠めたのが。

 

 

 

「!」

 

 これまで掠りもしなかったセンチュリオンに、誰かの砲弾が掠った。

 一体それは、誰の戦車のものなのか。

 

「・・・・・・メグミね」

 

 しかしアズミは、直感的にその砲撃がメグミのパーシングによるものだと気づいた。ここ最近の伸び具合からして、その可能性が高かったからだ。

 そのメグミのパーシングも、今やセンチュリオンの砲撃を受けて黒煙を上げてしまっていたが。

 

『島田チームの勝利!』

 

 審判役の隊員からの通信が入り、戦車の中の空気が緩む。それぞれは肩や首を回したり、溜息を吐いたりして緊張をほぐすが、その中で通信手の鴨方(かもがた)がアズミに話しかけてきた。

 

「さっきの音・・・隊長の戦車に当たったんですか?」

「・・・正確には、掠ってたわ」

 

 先ほどのセンチュリオンに砲弾が掠った音は、他の乗員にも聞こえていたらしい。鴨方だけでなく、他の乗員も先ほどの音のことについて話していた。

 

「まさか、あの隊長のセンチュリオンに掠らせるなんて・・・誰の戦車です?」

「多分・・・メグミよ」

 

 早島の質問にアズミが答えると、納得したようにうなずいた。

 

「確かに、メグミさんのパーシング、ここ最近は力を伸ばしてますからね・・・」

「ああ、今日もそうだったね」

 

 真庭と早島が話すが、確かにここ数日メグミのパーシングは力を伸ばしつつある。1つの模擬戦での撃破数を見れば、メグミのパーシングが一番多い。

 そんなメグミのパーシングの方を見れば、乗員たちはそれぞれ拳と拳を合わせて、健闘したのを喜び合っていた。メグミと、砲手の平戸に至ってはハイタッチを交わしている。

 センチュリオンを撃破したわけでもないのだが、今まで掠りもしなかったのだからあれだけ喜ぶのも仕方がないと思う。

 

「さ、そろそろ行きましょ?」

『はい!』

 

 アズミが一声かけると、乗員全員が返事をしてそれぞれ外へ出る。

 軽やかに地面に降りたアズミは、メグミの下へと歩み寄る。

 

「メグミ、すごいじゃない。まさか隊長の戦車に傷をつけるなんて」

「ああ、ありがとアズミ。平戸はもちろん、みんなのおかげよ」

 

 メグミは誇らしそうに自分の戦車の乗員を見る。そのメグミの顔には一切の驕りは無く、あのセンチュリオンに一矢報いることができたのは自分の仲間のおかげだと、顔に書いてあった。

 メグミは直情的なところがややあるが、だからといって自分の仲間の手柄まで自分のものと思う我田引水な性格をしてはいない。そんなことでは副官など務まらないし、そもそも戦車乗りには向かない。

 

「・・・・・・あ」

 

 そこで、メグミの視線がセンチュリオンを降りた愛里寿とかち合った。

 愛里寿は、模擬戦が始まる前と同じように凛々しくも愛らしい表情をしていたが、何かメグミに言いたそうにも見える。

 

「今日のお昼はどうするの?」

「そっちで食べるわ」

「そ」

 

 アズミが質問したのは、一昨日、昨日とメグミが珍しく愛里寿たちとは別で昼食にしたものだから、気になったからである。

 

「愛里寿隊長も、何か言いたそうだしね」

 

 どうやら先ほどの愛里寿の顔には、アズミも気づいていたらしい。

 今日の模擬戦は、恐らくは愛里寿にとっても思うところのあるものだったに違いない。

 メグミが記憶している限りでは、愛里寿が大学選抜チームの隊長に就いてから、センチュリオンは傷を負ったことなどない。撃破などもってのほかだ。

 だから、今日の掠り傷は愛里寿にとっても初めてのことである。その初めての傷を負わせたメグミには、愛里寿も何か話したいことがあるだろう。この後行われるミーティングで言及されるかどうかは分からないが、戦車道の時よりは軽い雰囲気の食事の席では話がしたいと思っているはずだ。それはメグミも分かっている。

 

(・・・・・・桜雲には、明日話そうかな)

 

 今日、メグミは桜雲と一緒に昼食にしようと約束をしてはいなかった。

 メグミは今日もまた桜雲と一緒でもよかったのだが、桜雲の『戦車道優先で良い』という言葉も捨て置くことはできなかったので、その言葉に甘えてメグミは2日に1度は愛里寿たちと食べることに決めた。

 けれど、今日の成果は桜雲にも話したかった。桜雲は既に愛里寿がどれだけ強いのかということは知っているし、これまで掠り傷1つ負ったことがないというのもメグミは話したことがある。

 だから、今日その愛里寿のセンチュリオンにメグミのパーシングが傷を負わせたことが如何にすごいことなのかを、桜雲にも伝えて喜びを分かち合いたかった。

 ただ、もちろん今日の成果にずっと浮かれて鍛錬を怠るつもりはない。次は掠り傷ではなくて、確実に命中させる。あわよくば撃破したいが、その前にまずは弾を当てることだ。

 心の中で次の目標を立てたところで、同じく戦車を降りたルミと合流し、ミーティングに使う会議室へと向かった。

 

 

 

「それは・・・すごいね」

「でしょ?」

 

 その翌日、メグミは自分で決めた通り桜雲と一緒に昼食を摂っていた。

 細心の注意を払って自分の知り合いが周りにいないことは確認済みなので、メグミは心置きなく桜雲との昼食を楽しんでいる。

 

「だって、撃破することも、傷1つ付けることもできなかったんでしょ?それはすごいよ」

「うん、私も驚いた。結局撃破することはできなかったけど、私たちはてんやわんやの大騒ぎだったわ」

 

 盛り上がる気持ちも桜雲には分かる。今までずっと届かないと思っていた相手に、致命傷には至らずとも傷を負わせることができたのだから、まさに万々歳。それに相手が相手なのもあって、その喜びはひとしおだろう。

 

「でも、なんでそんなに急に強くなったんだろうね?だって、今までできなかったんでしょ?」

「あー・・・・・・ホント、何でなのかしらね?やっと努力が実を結んだから、かしら?」

 

 まさかその理由が、今自分の目の前にいる桜雲が一端にあるなど、メグミは言えるはずもない。

 

「それじゃ、この調子で島田さんのセンチュリオンを倒すことができるかも?」

「ん・・・・・・それはちょっと、難しいかも」

「え?」

 

 やけに消極的なメグミの言葉に、桜雲も戸惑う。てっきりこの調子で行けると思ったのだが、何か心配なことがあると言うことか。

 

「昨日掠り傷を付けちゃったせいで・・・隊長も警戒を強めてるっぽいのよ」

 

 メグミが言うには、今日は愛里寿のセンチュリオンの動きがいつもよりも俊敏になり、また前のように傷1つ付けることもできず返り討ちに遭ってしまったのだ。

 それはメグミの言った通り、昨日のことがあって愛里寿がより注意深くなったからだろう。

 だから、その愛里寿に1発当てるということ、あまつさえ撃破することは、難しくなってしまったのだ。

 

「・・・・・・僕は戦車には乗れないから、ただ応援するしかない。だから頑張って、メグミさん」

「ありがと、それだけで十分よ」

 

 箸を置いて、桜雲がメグミのことを見る。

 

「それじゃ、前言ったお弁当だけど・・・・・・」

「?」

「明日にでも作ってこようかな」

 

 お弁当―――公平にという意味で桜雲が弁当を作ってくるというのは、メグミは覚えていたし、それを楽しみにもしている。

 その楽しみにしていることが明日になるとくれば、メグミのやる気も湧いてくるものだ。

 

「・・・明日ね。それなら、私も頑張れるわ」

 

 メグミが小さく拳を握って、桜雲はそれを見て小さく笑う。

 

「ところで桜雲って、そう言うお弁当を誰かに作ったことはあるの?」

「ううん、無いよ」

 

 即答する桜雲。

 もしここで桜雲が『ある』と言えば、メグミはがっかりしていた。そうだとすれば、桜雲は誰にでもやっていることであって、メグミだけが特別というわけではないのだから。

 だから、桜雲の答えを聞けただけでメグミは嬉しかったというのに。

 

「メグミさんにだけ、特別だ」

 

 そこまで言われてしまっては、メグミは。

 

「・・・そう」

 

 満面の笑みになってしまうのを必死に堪えて、はにかむように笑って誤魔化す。

 桜雲は、メグミのことを好いていて、特別に想っていたからこそ、先の言葉を言ったのであり、嘘はない。

 だが、実際に言うのはとても恥ずかしさを伴うものだ。面と向かって『あなたが特別』と言うのがこれほどまでに恥ずかしいものだとは。

 

「・・・よし、決めた」

「え?」

 

 メグミが食器を持って立ち上がり、桜雲を見下ろす形になるが笑って告げる。

 

「明日、頑張るわ。愛里寿隊長に、一発お見舞いして見せる」

「おお、急にやる気になったね・・・」

 

 メグミは、ニッと笑う。

 

「だって、あなたが私のことを特別って言ってくれたじゃない。だからあなたの期待に応えるために、頑張るわ」

 

 真摯な瞳で告げられて、桜雲は言葉を失った。意見・反論などできるはずもない。

 メグミの言葉がトーンチャイムのように桜雲の心に響く。

 

「・・・・・・頑張って、メグミさん」

「ええ、頑張るわ」

 

 ただ、食堂を出た後の2人は、それぞれが言われた言葉を思い出してしまって、嬉しいという気持ちが抑えきれず笑みを浮かべていたが。

 

 

 ギラギラと鋭い夏の日差しが、キューポラから身を乗り出す愛里寿に容赦なく降り注がれる。

 だが、愛里寿はそんな日差しなど気にせず涼しい顔で目の前を見る。

 黒煙を上げたパーシングが何輌も擱座しており、残りの相手チームはバミューダ3姉妹のパーシングのみ。

 反対に、愛里寿のチームもセンチュリオン以外は皆やられてしまっていた。だが、他の戦車がどれも弱いというわけではない。最後まで残った向こうのバミューダ3姉妹の練度が高いだけだ。

 しかし、それを差し置いても、今日はいつもと違う。

 

「残り3輌です」

 

 通信手の信濃(しなの)が、センチュリオンを含めた味方が撃破した戦車の情報を照らし合わせて、残存車輌数を報告する。その3輌が、あのバミューダ3姉妹だ。

 

「ここからが・・・正念場ですね」

「ああ、気は抜けん」

 

 装填手の三笠(みかさ)と砲手の大和(やまと)が顔を合わせて話す。三笠は気合を入れているのか、指をポキポキと鳴らしている。大和は照準器を覗いたままで、いつでも撃てるように準備をしている。

 

「あの3人の練度は上がってきている。各自留意して、それぞれの役目を果たせ」

『はい!』

 

 冷静な愛里寿の指示に、乗員たちが頷く。

 このセンチュリオンの乗員は、愛里寿が大学選抜チームに入ってから自分で選んだメンバーである。それぞれの実力は折り紙付き、大学選抜チームの中でも指折りの強さだ。

 その強さは、“一昨日まで”の戦いでセンチュリオンが傷1つ負うことも無かったのが証明している。故に、このセンチュリオンはチーム内でも『難攻不落』と呼ばれてきた。

 だが先日、このセンチュリオンに初めて傷をつけた者がいた。

 

「4時方向に敵戦車3輌」

 

 戦車の気配を感じ取り、愛里寿が端的な指示を飛ばす。その指示だけで乗員全員は臨戦態勢に入り、操縦手の霧島(きりしま)が超信地旋回を素早くこなしセンチュリオンを4時方向に向ける。

 こちらへ向かってくるのは3輌のパーシング。

 その中でもとりわけ愛里寿が警戒しているのは、赤い四角形のパーソナルマークが描かれたメグミのパーシングだ。彼女のパーシングこそ、愛里寿のセンチュリオンに初めて傷を負わせたものである。

 愛里寿もあの時は、一瞬ではあるが『ヒヤッ』とした。

 掠り傷程度で済んだが、少しでも位置がずれていたらただでは済まなかったかもしれない。

 だから昨日今日と愛里寿は警戒を強め、乗員にもメグミの戦車には十分注意するように通告をしておいた。

 それでも、今日の模擬戦はまた違った。

 

(・・・メグミの中隊に手こずらされたな)

 

 模擬戦であるため参加したのは一部にすぎないが、メグミの中隊が試合終盤まで多く残っていたのだ。

 メグミたち副官3人の配下にあるパーシングは、大体が愛里寿のチームの戦車と相打ち、もしくは愛里寿側が打ち勝つのがほとんどだった。

 しかし、今日はその3人の配下にあるパーシング、特にメグミ中隊に属していた戦車がしぶとく生き残ってきた。どころか愛里寿のチームの戦車を立て続けに倒し続け、普段は最終局面まで撃つことがない愛里寿のセンチュリオンも動かなければならないほど、粘り強かった。

 どうしてメグミの戦車、そしてメグミの中隊がこうして急に練度が上がってきているのだろう。愛里寿はそんなことを試合の中でも戦う片手間で考えていた。

 これだと思う原因は愛里寿にも分からないが、ここ最近で変わったことと言えば思いつくことはある。

 メグミが最近知り合い、そして付き合いが増えてきている桜雲という男だ。

メグミが桜雲と知り合ったのはつい最近と言っていたし、それはメグミの戦車の練度が上がってきた時期と一致している。

 

(・・・一体、どんな関係があるんだろう?)

 

 その変わったことが分かっても、どうしてそれでメグミが強くなれるのか、愛里寿は分からなかった。

 愛里寿は関係者やチームメイトからは天才少女などと持て囃されてはいるが、年相応に男女の関係についてはまだ疎く、完全に理解することができてはいない。

 その桜雲とは、愛里寿は2回ほどしか顔を合わせてはいないが、その場には常にメグミがいて、そしてメグミと桜雲は仲がよさそうに見えた。

 ともかく、メグミたちが強くなってきたことと桜雲には何らかの関係があるのかもしれない。

 

「敵戦車接近」

 

 愛里寿が告げると、三笠が砲弾を装填する。

 大和が照準器を覗き込み、前方から迫ってくる3輌のパーシングを照準に収める。十分に撃破できる距離まで近づいてから撃てばいい。それに霧島の腕があれば、近づいてきても超信地旋回で弾を避けられる。

 やがて、接近してくるパーシングのエンジン音が上がり、加速してきた。

 

「前進」

 

 短い指示に応じた霧島が、センチュリオンを前進させる。すぐにシフトチェンジして速度を上げ、こちらからもパーシングの方へと接近する。

 今までメグミたちがバミューダアタックを仕掛けてくる時、センチュリオンはずっとその場に留まったまま、超信地旋回や砲塔旋回など最低限の動きで回避してきた。

 なのに今日、こうしてセンチュリオンから近づいていくのは、愛里寿の中でちょっとした胸騒ぎがしたからだ。動かないままでいたら、やられるかもしれないと。

 

「回避行動」

 

 正対しているパーシングの砲身を見て、愛里寿は指示を出す。何をどう回避すればいいのが具体的な指示はなかったが、それでこのセンチュリオンの乗員には通じる。

 センチュリオンの車体が左にすっとズレた直後、黄色いひし形のパーソナルマークのアズミのパーシングが発砲して砲弾が横を通り過ぎていく。

 だが、バミューダ3姉妹の戦車の動きはそれだけで終わらず、ドリフトをしてセンチュリオンの後ろに回り込もうとする。

 

「停止、旋回。2秒後に1時の方向へ発砲」

 

 センチュリオンが動きを止め、超信地旋回と砲塔旋回を駆使して旋回速度を速める。

 その間に青い三角形のパーソナルマークのルミのパーシングが発砲するが、これも当たらない。そんなルミのパーシングに照準が定められ、愛里寿の指示から丁度2秒後に大和が発砲し、ルミのパーシングを撃破した。

 

「旋回、3秒後に12時の方向」

 

 さらに指示を出し、超信地旋回をするが砲身は12時の方向へ固定され、今度はアズミのパーシングの砲撃を避ける。お返しとばかりに、アズミのパーシングへ発砲して撃破した。

 

「旋回、4秒後に10時の方向、それで終わる」

 

 これで残りは、気になっていたメグミのパーシングだけだ。どう出るのかは気になったが、気を取られずに冷静に処理するべきだ。

 霧島が超信地旋回をしてメグミのパーシングから来るであろう1発を避けようとし、三笠が装填、大和が砲塔を旋回させてメグミのパーシングに照準を合わせようとする。

 

 

 その直後、『ゴンッ!!』という鉄を打つような音と衝撃が、センチュリオンの乗員たちを襲った。

 

 

 

「えっ?」

 

 驚いた声を上げるのは信濃。そして恐らく、霧島も、大和も、三笠も声に出してはいないが内心では驚いているだろう。

 それは愛里寿も同じだった。

今の音と衝撃は、間違いなく砲撃を受けたから。

 掠り傷ではない、命中だと。

 しかし白旗は揚がっていない。まだこのセンチュリオンは撃破されたわけではないのだ。

 音と衝撃がした数秒後に、我に返ったのか大和が照準を改めてメグミのパーシングに向けて発砲する。その砲弾は見事命中し、メグミのパーシングはスピンして停車し、白旗を揚げた。

 

『・・・・・・・・・』

 

 だが、模擬戦の決着がついても、愛里寿の戦車の中は異様な空気に包まれていた。誰もが、勝利したというのに、疑念や困惑の表情を浮かべている。

 そんな中、愛里寿は戦車から1人降りて、愛機・センチュリオンを見上げる。

 

「・・・・・・あ」

 

 これまで傷つくことなどなかったのに、センチュリオンの右側の履帯を覆う装甲が凹んでしまっていた。当たり所が悪かったら、恐らくはこの程度では済まなかっただろう。もしかしたら、撃破されていたかもしれない。

 

「・・・・・・・・・」

 

 続けて愛里寿は、メグミのパーシングへと目をやる。

 キューポラから身を乗り出していたメグミは、腕を伸ばしてうつぶせになるように上半身を倒す。その後ろから、対馬が笑って抱き着いていた。

 

「・・・・・・本当に、強くなったんだ」

 

 疲れた様子のメグミを見ながら、愛里寿はポツリと呟く。

 その愛里寿の声には多少の羨ましさを孕んでいるようだったが、愛里寿のセンチュリオンの乗員にも、誰にもその声は届かなかった。

 

 

 

「で、その主役様がいないってのはどういうことよ」

 

 時間は少し流れて場所も変わり、昼休みの食堂。テーブルに着いたルミは憮然とした口調でそう告げた。

 今このテーブルに着いているのはルミとアズミ、そして愛里寿のみ。普段は一緒にここにいるはずのメグミが、今ここにはいない。

 そのメグミこそが、ルミの言う『主役様』だ。

 

「ここ最近、どこぞの誰かと一緒にご飯を食べてることは知ってたけど、今日もか」

「あの子・・・自分がどれだけのことをしでかしたのか分かってるのかしら?」

 

 アズミも自分の頬に手を当てて、心配そうにやれやれと首を横に振る。

 アズミの口ぶりでは、メグミがとんでもないことをやらかしたように聞こえるが、メグミがしたことは『良いこと』だ。

 

「まっさか、隊長のセンチュリオンに、掠り傷どころかあんなデカい傷をつけるなんてね」

「私の戦車の子たちも、度肝を抜かれたわ」

 

 メグミのパーシングが、愛里寿のセンチュリオンに砲弾を命中させた。

 撃破には至らなかったものの、これまであそこまで綺麗に命中することなどなかったのだから、十分すごいことだ。

 

「なのに、なーんでそのメグミ様はここにいないのかね」

「隊長だって色々と話したいことがありますよね?」

「えっと・・・・・・うん。メグミとは、ちょっと話したかったかな」

 

 唐突に話を振られて、愛里寿は少しばかり目をぱちくりさせる。それでも告げた答えに、アズミも『ですよねぇ』と演技臭いほどの相槌を打った。

 

「隊長もこういってるのに、メグミときたら・・・」

「いやぁ、いったい誰なんだろうね?隊長よりも優先するような人とは」

「誰なのかしらね?ホントに」

 

 顔を見合わせるルミとアズミは、やれやれと首を横に振る。

 そこでようやく、愛里寿が自分から会話に参加した。

 

「・・・2人とも、どうして嬉しそうなの?」

 

 ルミもアズミも、笑っている。笑いながら先ほどのような会話をしていたのだ。それも、全て分かっているようなニヤニヤした笑みを浮かべていて、発言と表情が一致していない。

 愛里寿に訊かれ、アズミは少し考えてから愛里寿に話しかけた。

 

「隊長は今日・・・いいえ、メグミのパーシングがここ最近で力を伸ばしている理由について、何かご存知ですか?」

 

 質問に質問を返すような形になったアズミの言葉に、愛里寿は少し考える。

 それは愛里寿自身でも少し考えていたことだったので、答えは割とすぐに見つかった。

 

「・・・もしかしたら、メグミが最近仲良くなったっていう、桜雲?」

 

 答える途中で自信がなくなってしまったが、言い終えた直後にルミがぱちんと指を鳴らす。指パッチンは彼女の得意技だ。

 

「その通りです。十中八九、桜雲が原因ですよ、あれは」

 

 アズミも同意見らしく、笑って頷く。

 

「何せ、メグミに力がついてきたのは、桜雲と知り合ったここ最近という時期とほぼ同じですもの」

「でも・・・それだけで戦車や中隊全体の練度が上がるものなのかな・・・」

 

 愛里寿が解せないでいるのはそこだ。

 例えメグミが桜雲と知り合って、さらにそこに何らかの理由があるのだとしても、それでメグミの戦車や中隊が強くなるとは思えない。戦車を動かし戦っているのはメグミだけではないし、中隊もメグミの意思と直結しているわけではないのだから。

 

「恐らくですが・・・・・・メグミの戦車のメンバーも、メグミと桜雲が出会えたことを嬉しく思っているのでしょう。そして中隊の面々も、恐らくそれには気づいている」

「・・・どうして?」

 

 心身状態でパフォーマンスが変わるというのはよくある話だ。だから愛里寿も、メグミに何か嬉しいことがあったことを嬉しく思い、乗員たちや中隊のメンバーもコンディションが良くなって結果的に戦車と中隊全体の練度が上がっていると考えれば、筋は通ると思っていた。

 だが、そこまで他の面々も嬉しくなるようなこととは、いったい何だろうか?

 

「まだ確証はありませんが・・・メグミは恐らく、桜雲のことが気になっているんでしょうね」

「気に、なってる?」

 

 アズミのぼかした表現では愛里寿もまだよく分からないらしい。いかに天才少女であっても、『そのこと』についてはまだ疎かった。

 そこでルミが。

 

「つまり、メグミは桜雲のことを好きなんじゃないかってことです。1人の異性として」

 

 核心を突いた。

 食堂の中は未だざわめきに包まれていて、彼女たちの会話に耳を傾けている人など全くいない。

 しかし、その言葉を聞き間違うことなく聞き届けたアズミはニコッと笑い、ようやく意味を理解することができた愛里寿は、口を小さく開けた。

 

「同じ戦車に乗る仲間に、中隊長のメグミにようやく春が来たから、皆も嬉しくなったんでしょうね」

「ま、大学選抜チームの練度向上に、メグミには十分協力してもらいましょう」

 

 もちろん、アズミとルミの言っていることが全て真実とは限らない。だが、信憑性があるように愛里寿には感じた。

 

「じゃあ、メグミがここにいないのも・・・?」

「恐らく、桜雲繫がりでしょうね」

「全く、どこで何をしているのやら・・・・・・」

 

 アズミとルミが天を仰ぎ、白い天井を見る。

 愛里寿も同じように上を見たが、あるのはやはり白い天井だけ。メグミと桜雲がどこで何をしているのかなど、答えが示されているはずなどなかった。

 

 

 

「・・・暑い」

 

 その食堂から少し離れた中庭。木陰のベンチに座ったメグミが空を見上げて声をひねり出す。季節は夏真っ盛り、太陽は激しく自己主張をしており、容赦ない光を地上に向けて放っている。

 本当に、暑い。

 

「大丈夫?やっぱり食堂で食べた方が・・・」

「いやいや、流石に今日ばかりは誰かに見られるのは避けたいわ」

 

 隣に座る桜雲が、水筒に入った冷たい麦茶を紙コップに注いで、メグミに渡す。それをメグミは遠慮もなく受け取ると一呷りで飲み切った。何とも良い飲みっぷりである。

 今日誘ったのは桜雲の方だが、この暑さに最初は『食堂で食べた方が涼しい』と提案した。しかしメグミは、先ほどと同じ理由で中庭で食べることを頑として譲らなかった。

 

「ふぅ・・・ありがと」

「無理しないでね?」

 

 桜雲がもう一杯麦茶を注いでメグミに渡し、肩に提げていたバッグから赤と白のチェック模様の包みを取り出す。メグミは包みを受け取り、目で『開けていい?』と断りを入れてから包みをほどいていく。

 姿を見せたのは、木目調の模様が入った弁当箱。蓋を開ければ、白いご飯とから揚げ、甘辛く炒めたキャベツ、ほうれん草のおひたしがバランスよく収められている。

 この桜雲が作ってきた弁当こそが、今日メグミが愛里寿たちとの昼食をパスしてまで桜雲と今ここにいる理由だった。

 

「すごい、美味しそう・・・」

「そう?それはよかったな」

 

 桜雲も自分の分を取り出し、さらに使い捨てのおしぼりと箸をメグミに渡す。

 

「召し上がれ」

「それじゃ遠慮なく、いただきます」

 

 箸をとり、まずは唐揚げを一つ食べる。

 

「ん、美味しい!」

 

 メグミは思わず、弾むような声を上げてしまう。それを桜雲は嫌がりもせず、恥ずかしがりもしなかった。

 

「よかった・・・一応得意料理だし」

「桜雲は普段から自炊してるんだっけ?」

「うん、節約にもなるし」

「そうなんだ?」

 

 節約、と聞いてメグミも興味が湧く。

 桜雲に弁当を作って以来、メグミが自分で夕食を作るのは週に1~2回程度になった。しかし、節約できるのであれば、これからは自発的にやってみるべきではないかと思う。メグミも貧乏というわけではないが、それでも締めるところは締めていきたいと思っている。

 炒めたキャベツを食べて、メグミが小さく息を吐いて空を見上げる。

 

「どうかしたの?」

「ちょっと・・・現実味がないっていうか・・・」

 

 メグミの変化に気づいた桜雲が声をかけるが、メグミは変わらず空を見上げたままだ。

 

「愛里寿隊長のセンチュリオンに、1発当てたのよ。掠り傷じゃなくて、ホントに、命中」

 

 メグミがデリンジャーのように指を立てて、桜雲を見る。

 そして、一瞬遅れて。

 

「本当に?すごい!」

 

 桜雲が嬉しそうに声を上げた。

 掠り傷を負わせただけでも上出来なのに、次は当てると決意した昨日の今日で命中させるとは。愛里寿がどれだけ強いのかは桜雲も聞いているからこそ、本当にすごいと思った。

 掠り傷を負ったことで警戒を強めているはずなのだから、そんな愛里寿のセンチュリオンへ命中させたのだからやっぱりすごい。

 

「いやぁ、すごいなぁ。何だか僕まで嬉しくなるよ」

「私だって、すごいと思ってる。でも、ちょっとやり遂げて気が抜けたっていうか・・・」

「お疲れ様、だね」

 

 メグミを労わるように、言葉をかける桜雲。そんな桜雲に、メグミは小さく笑みを返す。

 ふと空を見上げたメグミは、弁当箱を膝の上に置いて言葉を洩らす。

 

「・・・夏ねぇ」

 

 ギラギラ照り付ける太陽も、青空に浮かぶ入道雲も、右肩上がりの気温も、全てが夏と感じさせる要素だ。

 

「・・・もうすぐ、夏休みだね」

「戦車道の訓練漬けだけどね・・・」

 

 やたら感傷的になったメグミを元気づけようと言葉をかけた桜雲だが、逆効果にしかならなかった。

 

「えっと、また訓練で疲れたりしたら、また猫カフェでリラックスしようよ」

「あ、それはいいかも」

 

 桜雲の提案も悪くはない。ちゃんと戦車道の訓練がない休日はあるから、その日にでも行くといい気分転換となるだろう。

 それなら。

 

「それじゃ、その時はまた一緒に行きましょ?」

「うん、分かった」

 

 メグミが桜雲に告げると、一も二もなく桜雲は頷いた。

 

(あれ)

 

 だが、その直後で桜雲は気づいた。

 一緒に、ということは今度もまたメグミと2人でということ。それも、今度は下見や予行演習などとは違う、純粋に猫カフェを楽しむこと。

 それはすなわち、本当にデートに近いと言うことに。

 軽く返事をしてしまったことを恥ずかしく思うが、それも悪くはないと思ったので、桜雲は今更断ることができなかったが。

 

(あ)

 

 メグミも言った後で、桜雲が考えていたのと同じように気づいてしまった。

 しかしメグミも、撤回するつもりはない。桜雲と2人で出かけることはむしろ望むところだった。その時が来るのはいつかは分からないが、その日のことを楽しみにしておくことにしよう。

 セミの鳴き声が響き、昼休みの時間が過ぎていく。青空に浮かぶ白い雲も、風の向くままに流れていく。

 本当に夏真っ盛りを感じさせ、そして夏休みが近づいてくるのを実感させてくれる。




アズミのパーシングの乗員は、
母校・BC自由学園の本籍地である岡山県の地名から、
愛里寿のセンチュリオンの乗員は、
旧日本海軍の軍艦の名前から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Bermuda’s Blues of Bridal

 夏休みに入ってからも、メグミの言った通り大学選抜チームの戦車道の訓練は続いていた。

 メグミ曰く、訓練の内容は基本的には模擬戦がメインで、後は隊列の訓練や戦車の整備などが少しずつだが、くろがね工業との試合も近づいてきて、訓練に参加する戦車の数も増えているという。

 社会人同士、もしくはプロリーグでは1チーム20輌以上で試合を行うことが常であり、基本ルールも敵チームの車輌を全て倒した方が勝利する殲滅戦となる。元々大学選抜チーム内の模擬戦は殲滅戦だったので問題ないが、車輌数を実際の試合に近づけたと言うことだ。

 

「・・・すごいなぁ」

 

 そんな大学選抜チームの練習風景を、桜雲はほぼ毎日観に来ていた。それは純粋な興味もあれば、頑張っているメグミの姿を見てみたいという欲もある。専用の観客席からはメグミの姿など見えるはずもないのだが、それは考え方次第というやつだ。

 そして、そんな位置からでも戦車の戦いはすさまじいものだというのが、何度か観ているて分かった。砲が火を噴き、装甲が砕け、時に激しく車体をぶつけ合うその戦いぶりは、まさに熾烈。これこそが、戦車道の醍醐味だろう。

 桜雲は祖母から戦車道の話を聞かされたことはあったが、生で戦車の戦う姿を見たことはほとんどなかった。そして実際に見て、嫌いになると言うこともなく、俄然興味が湧いてくる。

 

『島田チームの勝利!』

「あらら・・・」

 

 試合の結果を見届けて、メグミの所属するチームが負けてしまったことを確かめると、桜雲は立ち上がって校舎へと向かう。その目的はもちろん、訓練を終えたメグミと昼食にするためだ。

 夏休みの練習も観に行くと桜雲が言ってから、自然とメグミが『一緒にお昼も食べない?』と誘ってくれた。桜雲はそれだけでも願ったり叶ったりだったのだが、メグミはまた弁当を作ってきてくれたのだ。『節約になる』という桜雲の言葉を聞いてから自炊をする機会が増え、さらに仲が良いと言うことで作ってきてくれた。

 それは桜雲も嬉しかったが、また作ってきてもらうだけなのも申し訳なかったので、桜雲もまたその次の日に弁当を作ってきた。その結果、2人が交互に弁当を作るということになってしまった。

 今日は、メグミが弁当を作ってくる日で、桜雲はすっかりお馴染みの待ち合わせ場所となった中庭の日時計の前で桜雲は待つ。

 

「お待たせ」

「ううん、大丈夫」

 

 10分ほど経ってから、ユニフォームから着替えたメグミがやってきて、そしてベンチに移動してメグミお手製の弁当を楽しむ。

 

「ん、美味しい!」

「あら、よかった」

 

 小さなハンバーグを一口食べて、表情を明るくする桜雲と、それを見て笑うメグミ。

 ここ最近では、メグミもレパートリーに富んでいて、それでいて凝った料理を作ってくるようになった。それでもハンバーグが得意料理らしく、数回に1回のペースで作ってきてくる。

 この2人で並んで弁当を楽しんでいる姿が、以前大学選抜チームのメグミ中隊の一部メンバーに見られ、それが原因で中隊の練度が上がってきていることに当人たちは気づいていない。

 

「模擬戦、残念だったね・・・」

「うーん、後ちょっとで行けそうだったんだけどね・・・」

 

 先の模擬戦でも、愛里寿のセンチュリオンを倒すことは叶わなかった。

 前にメグミのパーシングが命中させて以来、センチュリオンは鬼のように強くなった。掠り傷さえも負わせることができなくなり、また前のような状態に戻ってしまったわけだ。

 ただ、それでもメグミたちが弱くなると言うことにはなっていないので、大学選抜チーム全体の練度は上がってきている。

 

「そろそろ、くろがね工業戦の戦車も決まるし・・・ちょっと心配ね」

「でも、メグミさんは副官だし確定なんじゃ?」

「そう願いたいんだけどね・・・」

 

 空を見上げるメグミと同じで、桜雲も同じで空を見ることしかできない。

 少しだけ重い空気になってしまったので、桜雲は話を変えることにした。

 

「・・・明日は食堂で食べるんだよね」

「あ、ええ。だからまあ・・・アズミたちが一緒になるんだけど」

「うん、平気だよ?」

 

 桜雲とメグミは互いに夏休み中、弁当を作ってきている。

だが、3日に1度は戦車道のあれこれもあって、食堂でアズミ、ルミ、愛里寿の3人と昼食にしている。桜雲は最初は同席を辞退しようとしたのだが、アズミとルミが『いても大丈夫』と言っていたので、結局一緒になった。

 最初こそ、メグミとの関係を茶化されるのではと不安になったが、そんなことはほとんどなく和気藹々とした昼食の時間になっている。今は抵抗もない。

 

「・・・そう」

(あれ?)

 

 ところが、桜雲の答えを聞いた途端、メグミが落ち込むような声になってしまった。何かミスをしただろうかと桜雲は考えをめぐらすが、答えは見つけられず、その日の昼食の時間は過ぎてしまった。

 

 

 その翌日。

 戦車道の訓練の後は、大学選抜チーム内でミーティングが行われる。ミーティングの内容は、愛里寿と副官3人をはじめとしたチームのリーダー格のメンバーから見たその日の練習の様子とその評価、次に向けての課題、そして連絡事項を伝えるくらいだ。

 今日もまた、最初に愛里寿が模擬戦の総評を告げて、さらに中隊長のメグミ、アズミ、ルミの3人がそれぞれの中隊の様子を報告する。

 そして最後に連絡事項となるが、そこで愛里寿が2つのことを伝えた。

 1つは、くろがね工業との試合に参加する戦車の発表。今日までの練習を見て、愛里寿が決めるのだが、幸いにもメグミたちバミューダ3姉妹の中隊のメンバーは、彼女たちを含めて全車輌参加になった。それはメグミのみならずアズミとルミも不安だったようで、それが決まった時は胸を撫で下ろしていた。

 そして、もう1つの連絡事項は。

 

「これまでの練習の結果を鑑みて、T28重戦車をメグミ中隊に配備することに決めた」

 

 愛里寿の言葉に、隊員たちはざわめきはせずとも、少しだけ空気が変わった。

 T28重戦車は、最大装甲が305mmと分厚く、主砲口径は105mmと、これだけを見れば中々に強力な戦車だ。しかしこの戦車はその装甲の厚さゆえに致命的なほど足が遅く、路上でも時速19kmしか出ない。しかも前面固定砲塔なので、使い勝手は悪い方だ。

 動く要塞と言っても過言ではないスペックだが、その使い勝手の悪さから、試合に参加することはあっても特定の中隊に所属すると言うことはなかった。T28がいる中隊は、整然とした隊列を組むには速度を落とさなければならず、中隊の動きが却って悪くなるからだ。

 だから、中隊の練度がT28を使いこなせるようにならない限りは、T28はどこの中隊にも配備することはできなかった。

 しかし、今日を持ってそのT28はメグミの中隊へ正式に配属されることになった。それは、メグミの中隊の練度がそれに相応しいほど上がったと言うことになる。

 

「メグミ、頼む」

「はい」

 

 今この場で初めてメグミはそれを聞いたのだが、動揺したりはせず、そして断らずに頷く。愛里寿がメグミと、メグミの中隊のことを評価してくれているからT28を配備したのだ。それを断るつもりなどない。

 

真鶴(まなづる)は、メグミと話をして調整をするように」

「了解」

 

 名前を呼ばれて、真鶴という隊員は返事をする。『調整』とは、メグミ中隊での配置や役割、隊形などの擦り合わせのことだ。

 ちなみに真鶴は、(セント)グロリアーナ女学院の卒業生で、在学中は『ロンネフェルト』という名前を戴いていたらしい。曰く、聖グロリアーナで紅茶の名前を戴けるのは選ばれた者だけだというので、彼女もまた実力者ということになる。だからこそ、T28という扱いにくい戦車の車長を任されているのだろう。

 それはともかく、メグミにはくろがね工業との試合までの間にまた1つ課題ができた。新たに加わる、強力ではあれど動きが鈍いT28をどう運用するか。それを考えなければ。

 

「ではこれで、ミーティングを終了する」

 

 その課題のことは留意しておきつつも、メグミはもうすぐの昼食の時間を楽しみにしていた。だって、今日も自分のことを応援しに来てくれているであろう桜雲に会えるのだから。

 ただ、今日は愛里寿はともかく、アズミとルミも昼食を一緒に食べるというのが少し残念だったが。

 

 

 

「ね、メグミ。今夜、どう?」

 

 メグミと桜雲、アズミとルミ、そして愛里寿の全員が同じテーブルに着く昼食の席。そこで席に着くなりアズミが、メグミにそう話しかけた。右手の曲げた人差し指と親指をくいっと傾けるジェスチャー込みで。

 

「おっ、いいわねぇ。うん、オッケーよ」

 

 誘われたメグミも嬉しそうに頷く。隣に座るルミも『よし』と笑っているので、ルミも事前にアズミから誘われていたらしい。

 アズミのジェスチャーは桜雲も見たことはあるので、メグミたちがどこへ行こうとしているのかはすぐに分かった。

 

「・・・3人とも、どこかへ行くの?」

 

 だが、愛里寿はアズミのジェスチャーの意味が理解できなかったようだ。

 

「あ、すみません。今日は、メグミとルミを誘って居酒屋で一緒にお酒を飲もうと思っていまして」

「そうなんだ・・・」

 

 その話を愛里寿が知らないと言うことは、アズミたちは最初から愛里寿を誘ってはいなかったと言うことだ。愛里寿の年齢と立場を考えれば仕方ないのかもしれないが。愛里寿も自分から行きたいとは言ってこないので、恐らくはこれでいいのだろう。

 

「それにしても急ね・・・どうして?」

「そりゃまあ、なんとなく飲みたくなって」

 

 メグミの質問に答えるのはルミ。特別な理由などなくとも、なんとなく居酒屋で共に酒を飲みたくなる気持ちは、同じ年齢の桜雲には分かる気がした。

 

「それに、メグミの中隊にめでたくT28が配備されたし、そのお祝いも込めてね」

 

 アズミが付け加えると、今度は桜雲が『ん?』と疑問符を浮かべる。T28という戦車が(当たり前だが)桜雲には聞き覚えが無かったからだ。

 そんな桜雲に気づいたメグミは、簡単に補足する。

 

「T28っていうのは、装甲は分厚いし火力も高いけど、ものすっごくノロくて扱いにくい重戦車なのよ」

「・・・そのT28が配備されたってことは、それだけメグミさんの中隊がすごいってこと?」

 

 自分なりに論点をまとめて、桜雲が大学選抜チームの隊長である愛里寿に確認すると、彼女は小さく頷いた。

 扱いにくい戦車を任されると言うことは、メグミがそのT28を使いこなせると愛里寿が考えているからだ。つまり、メグミの能力が高く評価されていると言うことでもある。

 

「メグミのパーシングも、メグミの中隊も、最近は力をつけてきてるから・・・。メグミなら、T28を使いこなせると思ったから」

「ありがとうございます、隊長。必ず、隊長の期待に応えて見せます」

 

 愛里寿が真っ直ぐにメグミを見て告げると、メグミは頭を下げて微笑む。

 

「だから、そのお祝いも込めてね」

「そういうことね」

 

 それで、今日の飲み会の話は終わりと思ったが、アズミは桜雲のことをじっと見ていた。

 

「どうかした?」

「良ければ、桜雲も一緒にどう?」

 

 聞き返すと、アズミから意外な誘いを受けて、桜雲の目が点になる。

 

「え、戦車道のことなんだし、アズミさんたちだけでも・・・」

「まあ、メグミのお祝いってのもあるけど、普通にただ軽くしゃべってお酒飲むだけだし」

「私も別に気にしてないよー」

 

 アズミとルミにそう言われて、桜雲も断るのを迷い始める。

 とはいえ、夏休みに入ってからこうして昼食を共にする機会も増え、何かと話すことも多くなった。遠慮するような間柄ではないのだが、それでもまだ不安というものはある。

 

「メグミさんは、大丈夫?」

「うん、問題ないわよ」

 

 念のために、メグミにも聞いておくことにする。しかしメグミは、迷いもなく頷いた。

 メグミがそう言ってくれるのであれば、桜雲も断る道理はなくなる。

 

「・・・お酒は飲めないけど、それでいいのなら」

「オールOK」

 

 一応それだけは言っておいたが、それでもルミは笑って親指を立てた。これで、桜雲がメグミたちの飲み会に参加することになった。

 

「あー・・・桜雲?1つ言っておくけど・・・」

 

 そこで、メグミが桜雲に話しかけてきた。その顔は桜雲に向けられてはいるが、視線はアズミとルミの2人に向けられている。

 

「・・・この2人、相当飲むわよ」

「何言ってんの、メグミだってよく飲むくせに」

「そうそう」

 

 どうやらこの3人は、結構な大酒飲みらしい。

 桜雲は『どれぐらい飲むんだろう?』とちょっと考えてみたが、それは後で確かめればいいやと思い考えるのを止めた。

 そこで桜雲は、愛里寿の表情が妙に陰っていることに気付く。普段からあまり表情を面に出しはしない愛里寿ではあるが、今のその顔は無表情というよりは寂しそうだった。

 メグミたちはそれには気付かず、桜雲だけが気付いていたが、今この場で話すのは避けるべきかと思って、愛里寿のことをそっとしておくことにした。

 

 

 その日の夕方6時に、桜雲とメグミ、アズミとルミは再び落ち合った。

 場所は、以前メグミたちが愛里寿と共に行った猫カフェのある街の駅。これから向かう居酒屋は、アズミがその猫カフェに行った時に偶然見つけたらしい。

 駅から少し歩いたところにあるその店は、中々雰囲気の良さそうな場所だった。予約をしていたアズミが先導して入ると、個室タイプの4人掛けテーブル席に通される。

 

「さて、何にしようかね?」

 

 席に着くなりルミがメニューを開く。こういう時は、まず1杯目の飲み物と軽い料理を頼むものだ。

 

「僕は・・・ウーロン茶で」

「了解、あんたたちは―――」

「「とりあえず生で」」

「だと思ったわ」

 

 メグミとルミが揃って答えて、アズミは苦笑しつつも頷いた。最初の注文はウーロン茶と3杯の生ビール、そして焼き鳥と唐揚げになった。

 注文してから、それほど時間も経たずに飲み物がやってきて、全員がグラスとジョッキを手にする。

 

「全員持った?」

 

 メグミの呼びかけに全員が頷いて答える。

 

「それじゃ、えっと・・・まあ、諸々乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 どんな音頭をとればいいのか分からず曖昧な形になってしまったが、他の3人は笑ってグラスを掲げる。グラスとジョッキを軽くぶつけて、飲み物を飲む。

 

「かーっ、美味い!」

 

 一気に半分ほどのビールを飲み干したメグミは、心底気持ちよさそうな声を上げる。こういう爽やかな酒の飲み方は桜雲も嫌いではない。やけ酒は見るに堪えないが。

 

「改めて、T28の配備おめでとう、メグミ」

「ありがと、アズミ。まっ、まだまだ課題はあるけどね」

 

 メグミに向けてグラスを小さく掲げるアズミ。ルミも同じく、ビールを半分ほど飲み切ってからメグミの方を見る。

 

「まあ大丈夫でしょ。あんた最近アゲアゲなんだし」

「えー、そうかしら?」

「そうよ絶対。誰が愛里寿隊長の戦車に傷を負わせたのかなんて、忘れたとは言わせないわよ?」

 

 アズミがくいっとビールジョッキを傾ける。

 そこから戦車道の話が始まり、チーム入りしたての頃、高校時代とどんどん話はさかのぼっていく。

 

「高校って言えば、あなたたちは高校戦車道のこと調べてる?」

 

 メグミが話の流れでアズミとルミに問いかける。

 以前、大洗女子学園が高校生大会で優勝を果たしたことで、メグミたち大学選抜チームも高校戦車道には目を向けるようになった。多くの戦術を積極的に取り入れる傾向が強いチームだから、多様な戦術を見せた高校生の戦いを調べておこうと、メグミが言い出したのだ。

 

「まあ、一応ね。有名な選手とか戦車とか、戦術とかは調べてるけど・・・」

「調べるだけじゃ技術とか戦術は身につかないし、実際に戦ってみるしかないんだけどさ、そう簡単にはいかないわけよ」

 

 一方桜雲は、その会話を聞きながら一言も発さず相槌を打っている。分かってはいたが、メグミたち3人が戦車道の話をしている間は、桜雲は置いてけぼりを食らってしまう。桜雲は男で戦車に乗れず、大学選抜チームのメンバーでもないのだから仕方ないし、桜雲もそれで凹みはしなかった。

 だが、その隣に座るメグミは、話していても桜雲のことをしっかりと気にかけていた。

 

「あ、ごめんね?戦車道の話ばかりしてて・・・」

「ううん、大丈夫。聞いているだけでも、面白いし」

 

 桜雲は思っている本当のことを言った。すると、アズミがそれに反応する。

 

「戦車道の話をしても引かない男ってのも、珍しいわよねぇ」

「確かにね。何で男は戦車が嫌いなんだろうね?」

 

 ルミもそれは気になっているようで、その男である桜雲を見る。まるで、その理由を問うかのようだ。

 

「それは、僕にも分からないよ。僕は元戦車乗りのおばあちゃんの影響で興味がわいたからだし、僕の周りに戦車道に興味があるって男友達もいないし・・・」

 

 桜雲は戦車が好きとまでは言わないが、そこそこ興味がある方である。だがそれも身内の影響であり、自分から進んで興味を持ったわけではない。だからこそ、桜雲は『男はなぜ戦車が嫌いなのか』という疑問に対する答えが分からなかった。

 聞いたルミは『そっか』と言いながら背もたれに寄り掛かる。

 

「でも、だから桜雲みたいな男が貴重なのよね。戦車道が嫌いじゃないって男が」

「そうね。こんな私たちにも普通に接してくれているのは、とてもありがたいわ」

 

 ルミとアズミから口々にそう告げられて、桜雲も少しばかり嬉しくなる。自分が普通に接していることを必要としてくれているのは、悪い気持ちではない。

 だが、その桜雲の隣に座るメグミはどこか不満そうにムッとしていた。

 

「・・・メグミさん、どうかした?」

「んん?別に?」

 

 そう言ってメグミはビールを呷るが、その仕草には若干の苛立ちが混じっているかのようにも見える。もしや、もう酔いが回ってきているのだろうか。

 

「メグミ、嫉妬は見苦しいわよ?」

「はぁ?誰が嫉妬なんて」

 

 ビールを飲み切ったメグミに対し、アズミがからかうようににんまりと笑って告げる。メグミがギロッと視線を返すが、アズミはその程度に屈しない。

 

「嫉妬って・・・」

「桜雲は気にしなくて大丈夫だから、OK?」

「あ、うん・・・」

 

 何が嫉妬なのか分からなかったが、メグミに強く言い伏せられたので口を閉ざさざるを得ない。そんな2人の様子を眺めるアズミとルミの表情は訳を知っているように微笑んでいるので、疑問は消えない。

 そこへ、空気を換えるようなタイミングで頼んでいた唐揚げと焼き鳥がやってきた。各々が箸を手に料理を楽しんでいく。

 

「いやぁ、こーいう手の込んだ料理ってのは作れそうにないわ・・・」

「本当にね・・・材料とか調味料を用意するのも手間だし・・・」

 

 ルミとアズミが、皿に盛られた唐揚げを見ながらしみじみと呟く。どうやらこの2人、あまり料理は得意ではないらしい。

 

「メグミもそう思うでしょ?」

「あー、そうね・・・唐揚げはちょっと作れないかな・・・」

 

 焼き鳥を食べながらメグミが答えるが、それを聞いてルミとアズミの眼が光る。

 

「・・・その言い方だと、『唐揚げ以外は作れる』って聞こえるんだけど?」

「え?あー、それは・・・」

 

 メグミもルミの指摘を受けて失言だと気付いたらしいが、上手い言い訳が見つけられずに桜雲を縋るようにちらっと見た。それは今は悪手だと思い、桜雲は顔を逸らす。

 

「あら、桜雲は何か知っているのかしら?」

「いや、僕は・・・・・・」

 

 アズミが訊ねてくるが、メグミが弁当を手作りしていると言うことは、ここでは伏せておくべきだと桜雲は思う。

 正面に座っているアズミは、『んー?』と顔をわずかに傾いでいて、お酒が入って少し顔も赤くなっていて、その様子はオブラートに包んだ言い方をすれば色っぽい。

 とりあえず直視するのは難しいので、現状打破のために周りに目をやり、3人の飲み物が空になっていることに気付く。

 

「あー、えっと・・・飲み物がないね。何か飲む?」

「あら、気が利くじゃない」

「羨ましいわー、メグミが」

「何がよ」

「それはまぁ、色々とねぇ?」

 

 場を流すつもりが、却って火に油を注ぐ結果となってしまった。しかし一応、アズミは赤ワイン、ルミはカクテル、メグミはまた生ビールと決まり、桜雲はジンジャーエールにして新たに注文する。

 だが、桜雲は雲行きがだんだん怪しくなってきているのを感じていた。

 酒が入ってくると気も大きくなって、人の本質的なものが見えてくる。それは桜雲が経験したサークルの飲み会で分かっていた。

 だから今、この場で酒を嗜む桜雲以外の3人がどんな行動に出るのかは、正直わからない。もしかしたら変に絡んでくるかもしれないし、それ以上に面倒なことになるかもしれない。

 それを留意しつつ、桜雲は飲み物が来るのを待った。

 

 

 飲み始めてから1時間後。

 アズミは赤ワインのボトルが2本目に突入し、ルミは何杯ものカクテルやサワーを飲み干している。そしてメグミは、3杯目のビールジョッキを傾けているところだ。

 しかし。

 

「いやぁ、お酒は大人の特権よね~」

「そうねぇ。最初飲んだ時はそんなにだったけど・・・今じゃもう虜♪」

「これが飲めることに関しては、歳を取ってよかったと思うわぁ~」

 

 多少声が間延びしていて、顔も先ほどより赤みが増してはいるが、まだべろんべろんに酔っているようではない。

 その最中、アズミがワイングラスを携えながら桜雲に話しかける。

 

「桜雲は飲まないの?」

「飲まないっていうか、飲めないんだよ。1杯飲んだだけでもうだめ」

 

 それを聞いたアズミは、まだ赤ワインが半分ほど入ったままのグラスを桜雲に向けてそっと傾ける。

 

「飲む?」

「いや、飲めないんだってば」

「あら、残念」

 

 アズミはくいっとワインを飲み干す。その仕草が妙に絵になるのは何故なのだろうか。

 すると、桜雲の横で『ゴトンッ』という音と共にビールジョッキがテーブルに置かれた。その音を出したのはメグミで、その目は据わっている。

 

「アズミ、あんまり桜雲をからかわないで」

「はいはい、ごめんなさいね」

「桜雲も、あんまりアズミをジロジロ見ないの」

「う、うん・・・」

 

 本当に酔いが回ってきたのか、メグミが絡んでくる。桜雲に対するその絡み方は若干の理不尽が混じってきているようにも感じたが、それは指摘しないでおく。

 

「なーんか、メグミって桜雲のこと結構気にしてるよね」

「そう?」

 

 ルミの指摘に、メグミはしらばっくれるようにビールを飲む。だがそれだけでは逃げ切れず、アズミも会話に参加してくる。

 

「そうよねぇ?何かここ最近だと2人でお昼とか楽しんでるみたいだし~?今日もこうしてさらっと一緒に座ってるし~?」

「何言ってんのよ?それは別に友達同士でもやってることでしょ?」

「そうだよ。2人が思ってるようなことは特にないから」

 

 メグミに続いて桜雲も関係を否定する。

 だが、2人の心は揃って『辛い』だった。何しろ、桜雲もメグミも心の中では互いのことを好きでいて、友達以上の関係になりたいとも思っているのだから、自分から『ただの友達』と言うのが悲しかった。

 

「いやぁ、でも羨ましいわぁ。男と仲が良いメグミがさ」

「私らにもそういう人がいればねぇ・・・」

 

 桜雲は別に、メグミとだけ仲良くしているわけではなくて、アズミやルミとも知り合ってからはそこそこ話をして、仲良くしているつもりではあったのだが。

 

「ところでルミ、聞いた?OBの元副官、結婚するんですって~」

「えー?ホントに?」

 

 アズミとルミが何やら盛り上がってくる。だが、その話題で今盛り上がるのは非常に厳しいと桜雲とメグミは思う。

 

「大学選抜にいた時から付き合ってたんですって~?」

「え、あの人彼氏いたんだ?全然そうは見えなかったなぁ」

 

 桜雲たちの反応を窺うように、アズミとルミは2人をちらちらと見てくる。何の意味があっての視線なのかは、わざわざ聞くまでもないことだ。

 

「結婚か・・・・・・もうそろそろ、考える時期よねぇ・・・」

 

 以外にも、しんみりとそう呟いたのはメグミだった。桜雲は驚いてメグミの方を見ると、メグミはとても物憂げな表情を浮かべている。

 

「何言ってんのよ、メグミ。隣にいいのがいるじゃない」

 

 ルミに指を指され、桜雲は飲んでいたジンジャーエールを噴き出しそうになる。

 

「だ、だから・・・桜雲はそういうのじゃないって・・・」

 

 咽る桜雲を傍らに、メグミは首を横に振る。

 そんなメグミの顔は赤いが、それは果たして酒だけのせいだろうか。

 

「そっかそか、それじゃあ桜雲に訊いてみようかな」

「へっ?」

 

 突然質問され桜雲は内心震えるが。

 

「桜雲はメグミのこと、どう思ってるのよ?」

 

 一番本質的で根本的な質問を、ルミは投げかけた。

 今、彼女たちは大なり小なり酔っている。酒の力とは良くも悪くも強力で、人の本音と建前の壁を取っ払い、根っこの部分を引きずり出す。

 ルミやアズミは、最近になって仲良くなった桜雲とメグミに対してそんな疑問をずっと抱いてきたのだろう。それは、良心や理性が働いて聞ずにいたのかもしれない。

 しかし今は、その良心も理性も薄らぎ、率直な質問をぶつけてきた。

 訊いた本人のルミはもちろん、アズミも、そして当人のメグミでさえも桜雲を見ている。

 特にメグミは、一言一句聞き逃すまいと桜雲のことをじっと見ている。

 

「・・・・・・その」

 

 ここは居酒屋で、他のお客も盛り上がっている。だが、周りの喧騒が今だけは遠い世界の音と化している。

 6の瞳を向けられて、喉を鳴らす桜雲は思っていることのほんの一部だけを伝えた。

 

「・・・いい人だと、思ってる」

 

 その答えは果たして、吉と出るか、凶と出るのか。

 

「へぇ。なるほどね」

 

 アズミが頬杖を突き、とろんとした目を桜雲に向ける。ワインを飲むアズミは怒っているようには見えず、むしろ面白がっているような感じだ。

 

「よかったね、メグミ」

 

 訊いた本人のルミは、メグミに対してニッと笑いながらカクテルを飲む。先ほどの答えで、ルミはどうやら満足したようだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ところが、メグミだけは顔を合わせようとはしてくれなかった。そしてビールを呷り、『はぁ』と鬱屈そうな溜息を吐く。

 もしや自分の答えは間違っていたのだろうかと、桜雲は猛烈に不安になった。

 

「じゃあ、私からも質問」

 

 今度はアズミが軽く手を挙げてくる。桜雲は先の質問だけでも十分心が疲れたので、『勘弁してよ・・・』と心の中で嘆く。

 

「この中で、一番可愛いと思うのって誰?」

 

 心が折れそうになった。

 何と答えても角が立つような質問は無視するに限るのだが、なぜか酔っているはずなのに3人の眼が本気になっているようなので、逃げることも許されない。

 答えなければならないのは目に見えているので、どう答えるべきか悩んだが、答えを1つ考えついた。

 

「・・・・・強いて言えば・・・メグミさん」

「その心は?」

「まあ・・・何度か話をしたりして、この中だと一番距離が近いし」

「ほっほう」

 

 下心など一切見せず、ただこの中で比較的親密な関係だからそう見えると思わせる。

 苦肉の策ではあるが、打開策としてはなかなかいいものではないかと思う。

 

「だとさ。よかったじゃん、メグミ。可愛いって?」

「・・・・・・・・・」

 

 だが、そのメグミはルミの呼びかけにも応じずに俯いてしまった。

 桜雲も『変なこと言ってごめんね』とフォローするが、直後にメグミはガバッと顔を上げて残ったビールを飲み干して、やけっぱち気味に4杯目を注文した。

 

 

 そのおよそ数時間後。

 

「ヴあー・・・」

 

 そんな空気の抜けたような声を口から洩らしながら、メグミは机に突っ伏していた。完全に酔いつぶれている。

 桜雲が記憶している限りでは、ビールジョッキを2桁近く空にしている。それも、桜雲が間接的に『メグミが可愛い』と言って以来飲むペースは格段に上がっていた。あのペースであれだけ飲んでは、流石の上戸もこうなるだろう。

 

「美味しかったぁ・・・・・・ひっく」

 

 桜雲の向かい側に座るアズミも、メグミと同じ体勢でしゃっくりをしている。彼女は彼女でワインボトルを3~4本1人で空にしているので、やはり当然の帰結だ。

 

「・・・・・・ふぅ、ご馳走様」

 

 一番意外なのはルミで、彼女も多少顔は赤いがメグミやアズミのように酔いつぶれているようには見えない。彼女が飲んだ酒の量と種類は一番多いはずなのだが。

 

「ルミさんって・・・結構お酒に強い方なの?」

「あー、ううん。今日私が飲んだのって、ほとんどノンアルコールのやつだから」

「え?」

 

 気になって桜雲が聞いてみると、意外な答えが返ってきた。メグミからはルミも飲む方だと聞いたのだが、今日はノンアルコールの気分だったのだろうか。

 

「大学選抜チームでも飲み会は何度かやっててね。この2人はいつもこんな感じで飲みまくるし、私も大体同じような感じになって他の人に送ってもらうことが多かったんだよね・・・」

「へぇ・・・」

「でも、今日ここで全員飲みすぎて動けなくなったら、桜雲に迷惑かけちゃうからね。それはさすがに忍びないから」

「そうか・・・・・・なんか、ごめんね?」

「いやいや、謝ることはないわよ」

 

 今明かされたルミの気遣いに、桜雲も素直に感謝して頭を下げる。

 それにルミは笑って手を振ると、テーブルの上に並べられた空の皿とグラスを見て、『さて』と告げる。

 

「そろそろお開きにしようか」

「うん、そうだね」

 

 時計を見れば、この店に入ってから実に3時間以上が経過している。日没はとうに過ぎているし、明日が休みであってもそろそろ帰るべきだ。

 

「じゃあ、私はアズミを送って帰るから、桜雲はメグミをよろしくね」

「うん・・・・・・・・・うん?」

 

 さも当然とばかりのルミの言葉に、桜雲は納得しかけるが即座に聞き返した。

 

「いや、だから・・・桜雲が、メグミを、家まで、送って?」

「え?」

「流石に私1人じゃアズミとメグミを支えて家に送るってのも難しいし・・・」

「いやいやいや、待って。え?」

 

 ルミの言い分も分かるが、それ以前に問題がある。

 酔った女性を男が自宅まで送るとなれば、何かしらの“間違い”が起きる可能性だって考えられるのだ。無論、桜雲はそんな“間違い”を犯すつもりなどないのだが、ルミにとっての親友をそう簡単に預けてもいいものなのか。

 

「大丈夫だって。桜雲はそんな悪い奴には見えないし」

「いや、でもメグミさんは・・・」

 

 肝心なのはそこで、メグミが桜雲に部屋まで送られたことを不快に思ったら、桜雲との関係にも亀裂が生じる。最悪喧嘩して別れてしまったら、悔やむに悔やみきれない。

 

「そこも平気だと思うよ」

「なんで」

「メグミ、桜雲のことは悪い風に思ってない、と言うかかなり好意的に見てるみたいだから」

 

 ルミのよどみない言葉に、桜雲は改めてメグミを見る。気持ちよさそうに笑って目を閉じているその顔は可愛らしくもあるが、その裏には自分のことを好く思ってくれていると思うと、顔が熱くなってくる。

 だが、まだ問題は別にある。

 

「いや、でもメグミさんの家の住所は分からないし―――」

「ほい、住所」

 

 刹那も間を与えずにメモ用紙を桜雲に渡すルミ。『準備の早いことで・・・』と桜雲が口の中でもごもごと呟きながら、大人しくそのメモを受け取る。

 それでもまだ問題はある。

 

「でも、鍵は?流石にメグミさんのバッグから勝手に取るのは・・・」

「はい。メグミからもしもって時のために、事前に渡されてたの。貸しておくよ」

 

 これで、桜雲がメグミを部屋まで送る条件はすべて整ってしまった。ここまでされては断ることもできないし、ルミ1人に任せるというのも確かに負担が大きいので、ここは大人しく言われた通りにすることにした。

 

「あ、そうだ桜雲」

「?」

 

 果てしなく気まずくて気が重くなってきたが、立ち上がる直前で桜雲にルミが話しかけてきた。

 

「さっきは桜雲、メグミのことを『いい人』って言ってたけど・・・本当のところはどうなの?」

「・・・・・・・・・」

 

 先ほどの桜雲の答えが、本音全てを言っていないというのは、ルミには分かっていたらしい。

 隣に座るメグミを見る。机に突っ伏して目を閉じていて、まるで眠っているかのようだった。それは正面に座るアズミも同じで、舟をこいでいる。

 希望的観測ではあるが、今この場で桜雲が言うことを、酔いつぶれたメグミとアズミは覚えはしないだろう。ルミも恐らく、桜雲が言うことを他人に言いふらしはしないと思う。

 聞いているのがルミ1人、本人たるメグミは聞いていないとなれば、まだ答えることはできる。

 

「・・・・・・言っても、引かないでね?」

「内容にもよるけど」

 

 声を潜めて前置きするが、ルミの冗談めいた答えに桜雲は苦笑する。

 やがて答えた。

 

「・・・・・・素敵な人だと、魅力的だと思ってる」

 

 たとえ酔っていても、好きな人の目の前で第三者に『好きだ』なんて言えないので、本当の本当の気持ちまでは言わなかった。

 

「・・・・・・へぇ」

 

 それでルミもようやく理解し、満足したようで、頷いた。

 

「・・・・・・メグミが羨ましいよ、本当に」

 

 そう言ってメグミを見るルミの表情は、少し悲しそうではあるが、笑っていた。

 

 

 メグミとアズミが酔いつぶれてしまっていたので、代金は桜雲とルミで割り勘となった。後日改めてアズミとメグミにも請求するとルミは言ったが、桜雲は『あまり気にしないでね』とだけ言っておく。

 それからが、桜雲にとっての正念場だ。ルミは言った通りアズミを連れてタクシーで帰り、桜雲もまた半分眠っているようなメグミを支えてタクシーに乗り、ルミに教えてもらった住所の場所へと送ってもらう。

 やがて辿り着いたのは、大学の最寄り駅から少し離れたところにある3階建てのアパート。メモに書いてある住所を見た時も思ったが、桜雲が住むアパートと割と近かった。もうここに来ることは無いだろうとは思うが。

 

「メグミさん、着いたよ?」

「・・・・・・すぅ・・・すぅ・・・」

 

 メグミは完全に眠ってしまっていた。やれやれと思いつつ、桜雲はタクシーの代金を払う。正直言ってこの出費は痛いが、そんなことも言ってられない。

 メグミに肩を貸す形で部屋まで送ることになるのだが、メグミの顔がすごく近い距離にある。酒の匂いに混じった花のように甘い香りが桜雲の鼻腔をくすぐり、腕辺りから伝わってくる柔らかい感触が桜雲の理性を全力で揺さぶるが、前だけを見て桜雲は心をつなぎとめる。

 ただ、メグミの身体は軽く、戦車道の賜物なのかメリハリのある体つきをしているのが否が応でも分かってしまっていて、心臓に悪い。

 そして、間近にあるメグミの顔を改めて見ると、酒気のせいで顔はわずかに赤くなってはいるが、薄いピンク色の唇や、綺麗な肌、艶やかな髪が桜雲の眼をくぎ付けにさせてくる。

 そんなメグミの横顔に惹かれそうになる衝動を抑えて、やっとのことでメグミの部屋の前に着く。そこでもう一度起こそうと声をかけたが反応せずに寝息を立てたままだったので、誠に申し訳ないが部屋に上がらせてもらうことにした。

 

「・・・・・・お邪魔します」

 

 鍵を開けて、小さく呟いてからついにメグミの部屋に足を踏み入れ、壁に手を這わせて電気のスイッチを点けた。

 メグミの部屋の間取りは1Kでそこまで広くはないが、広く感じられるような家具など調度品の配置だ。壁紙や家具は白を基調としたもので統一されており、また掃除もしっかりされているのか塵一つ落ちていない。ローテーブルと2つのクッションがフローリングに置かれ、キッチンも片付けられており、意外というわけではないが全体的に整然としていた。

 そんなメグミの部屋を目の当たりにして、ここで普段メグミが生活しているという事実がふと頭をよぎる。途端に胸がざわざわしだすが、頭を振ってメグミをそっとベッドに寝かせる。

 何とも罪のない幸せそうな寝顔を浮かべていて、桜雲の心が妙にほっこりする。風邪をひかないように、一応布団もかけておく。

 

「さてと・・・」

 

 桜雲は自分の鞄から小さな箱を1つ取り出してローテーブルに置き、ルミからもらったメモ帳の裏に手早くボールペンで何かを書き、それも一緒に置く。

 

「・・・・・・・・・」

 

 改めてそこで、メグミの方を見る。起きる気配は今も全くなく、静かに安らかな寝息を立てている。

 そんなメグミの姿が愛おしく思えてきて、つい、手を伸ばし。

 

「・・・・・・ん」

 

 そっと、その髪を撫でた。

 触れてから、メグミが小さく息を洩らし、身をよじったので、桜雲は慌てて手を引っ込める。なんてことをしてしまったんだと自虐的になってしまい、早々に部屋を出ようとする。この部屋に長くとどまっていては、良からぬ情を覚えかねない。

 だが、またしてもそこで桜雲は気づいてしまった。

 

「?」

 

 先ほどは気にも留めていなかったが、ローテーブルには雑誌が開かれたまま置いてあった。ページの内容からして、料理に関する雑誌のようではある。

 その開かれているページをよく見ると、そこに載っている料理は、この前メグミが桜雲に作ってきてくれた弁当に入っていたのと同じものだった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そのページの端は折られていて、目立つようになっている。さらには他のページにも折り目がついていて、そのページの料理は確かにメグミの弁当に入っていた料理だった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 無性に桜雲の心がごぼごぼと湧き上がるように熱くなってくる。

 メグミは以前料理には慣れていないと言っていた。だからそれまでは、料理をすることもほとんどなかったのだろう。

 それでもこうして料理本を持ち、お礼と言って桜雲に弁当を作ってきて、そして今もこのような本を使って料理を作り弁当を桜雲のために作ってきてくれている。それは、それだけメグミが桜雲のことを大切に考えてくれているからではないだろうか。

 

(いやいや・・・変なこと考えたらダメだってば・・・)

 

 ここにいては、自分は冷静ではいられない。

 桜雲は早急に判断して電気を消し、ドアを閉めて鍵をかけ、新聞受けに鍵を入れてその場を立ち去ろうとする。

 夏本番となって昼間は気温も高かったが、陽が落ちた今ではそこまで暑くは感じられない。むしろ涼しく感じる。

 

「・・・・・・おやすみ、メグミさん」

 

 桜雲は小さく告げてから、そんな夜の町を自分の家めがけて走り出した。

 

 

 カーテンの隙間から陽の光が差し込み、メグミの顔に当てられる。

 

「んん・・・・・・っ」

 

 ベッドの上で目を開いたメグミは、直後鋭い頭痛が頭を貫いて、思わず頭を押さえる。

 

「また飲みすぎた・・・」

 

 昨日飲んだ酒の量は普段とあまり変わらなかったが、大体翌日は二日酔いに悩まされる。

 しかも昨日は、初めて桜雲と一緒に居酒屋に行った。自分の想っている人と、だ。それだけで十分に緊張するものではあった。

 だというのに、アズミとルミが桜雲と妙に仲良さげなのを見て無性にモヤっとして、それを払拭しようとペースを早くしすぎた。結果酔いつぶれて、またこうして二日酔いに悩まされている。

 

「・・・・・・って、あれ?」

 

 体を起こして周りを見て、そこでメグミは気づいた。

 今自分がいるのは、メグミ自身の部屋だと。

 

「・・・送ってくれたのかしら」

 

 昨日は居酒屋でビールを飲んだ後の記憶が朧気だ。誰かに支えられながらタクシーに乗り込んだところまでは、なんとなくではあるが覚えている。だが、誰に支えられたのかは思い出せないし、途中から眠ってしまったのか記憶は完全に無くなっていた。

 ルミか、アズミが送ってくれたのだろうか。でも桜雲は違うだろうなと、メグミは思った。

 またしても二日酔いの頭痛が襲ってきて『いたた・・・』と告げながら頭を押さえるが。

 

「・・・?」

 

 ローテーブルに小さな箱と、1枚のメモが置かれているのに気づく。

 ゆっくりと起き上がってその箱を手に取ると、それは整腸作用もある二日酔いに効く薬。そしてメモの方にはこう書かれていた。

 

『メグミさんへ

 ルミさんから送るように頼まれて、お邪魔させていただきました。

 起きたら薬を飲んで、ゆっくりと休んでください。

 それではまた、大学で。

 桜雲より』

 

 メグミは絶句した。

 まさかの、昨日居酒屋からここまでメグミを送ってくれたのは、違うだろうと思っていた桜雲だった。

 つまりメグミは、知らない間に自分の部屋に好きな男を上げてしまっていた(?)わけだ。

 そして送られてきたと言うことは、桜雲は恐らくメグミのことを支えて送ってくれたのだろう。肩を貸す形だったのか、背負う形だったのかは分からないが、どちらにしたって桜雲と密着していたことになる。

 途端に猛烈に恥ずかしくなってきて、メグミの顔が赤く染まっていく。二日酔いの頭痛などどこかへ消え去ってしまっていた。

 もしかしたら、何か見られて恥ずかしいものさえも見られてしまったのではないかと思い、視線を配ると同じローテーブルの上にある料理雑誌が目に入る。ページの端まで折られているそれは、自分の衣類ほどではないが見られて恥ずかしいものに値するものだった。

 

(うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ・・・・・・!!)

 

 恐らくこの雑誌は、桜雲も見ただろう。だって、あのメモは雑誌のすぐそばに置いてあったのだから。

 恥ずかしさのあまり布団にもぐって身体を丸め呻きたい衝動に駆られる。

 だがそれは後にして、まずは送ってくれた桜雲にお礼を言うことの方が先だ。

 そこでメグミは二日酔いなど完全に無かったことのように素早く起き上がり、バッグの中からスマートフォンを取り出して、桜雲へ連絡しようとする。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、やはり恥ずかしさがこみ上げてきて、結局スマートフォンを持ったまま数分ほど硬直してしまうことになった。




T28の車長・真鶴の名前は、
出身校の聖グロリアーナ女学院の本籍地である神奈川県の地名から戴きました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Date Day

 駅の近くに植えられたイチョウの樹から、けたたましいミンミンゼミの鳴き声が響いてくる。路上をトコトコ歩いていたハトの群れが、ふとした拍子に翼を広げて飛び立っていく。

 そんなハトを見上げ、セミの鳴き声を聞き流しながら、桜雲は小さく息を吐いた。

 

「・・・暑いなぁ」

 

 空にはギラギラ光る太陽。8月に突入して、ここ最近のニュースでは『過去最大級の猛暑』と報じられている。毎年『過去最大級』とか『観測史上最大』とかそんな感じのことを言っているので、そんな調子で言っていると言葉の価値もストップ安だろう。

 

「・・・・・・」

 

 腕時計を見る。待ち合わせの時間までまだ少しあるが、ここ数分の桜雲が時計を見る間隔は狭い。これから始まることは、桜雲にとってはずっと待ち焦がれていたことなのだから、浮かれるのも、待ち遠しくて時計を何度も見るのも仕方ないのだが。

 

「桜雲~」

 

 そんな桜雲にかかる1つの声。それは、メグミのものだ。

 彼女は白のインナーに薄い青色の前結びブラウス、下はストレートデニムと清涼感を抱かせる服だ。肩には白のショルダーバッグを提げている。

 

「ごめんなさい、待った?」

「ううん。今来たところ」

 

 気持ちが逸ってしまい、待ち合わせの10分前に来てしまっていたことについてはそっと胸にしまっておく。

 

「それじゃ・・・行こうか」

「ええ・・・今日はよろしくね」

「こちらこそ」

 

 お互いに並んで、駅の改札へと向かう。

 その足取りや表情は、傍から見ればどことなく嬉しそうにも見えるだろう。

 それもそのはずで、今日は2人にとって初めてのことである、デートなのだから。

 

 

 そもそもどうしてこうなったのか。それは桜雲がメグミに『一緒に出掛けよう』と誘ったことに他ならない。

 事の発端は、1週間前。桜雲がメグミ、アズミ、ルミの3人と飲みに行った日の翌日。

 桜雲に自分の部屋まで送ってもらったことを知ったメグミは、恥と後悔を忍んで桜雲にお礼とお詫びをするために電話をかけた。

 

「本当に、ごめん!まさか桜雲が送ってくれるなんて思わなくて・・・」

『ううん、大丈夫。気にしないで』

 

 酔った女性を家まで送ったことを全く苦とも思っていないような声色に、メグミは心底桜雲が優しいと思う。

 だが、その優しさに触れて気が緩みそうになる前に。

 

「でも、何かお礼をさせてくれないかしら?正直、ここまでしてもらって何もしないのは・・・」

『いやいや、ホントに気にしなくて大丈夫だから、ね?』

「でも・・・」

『まあまあ・・・』

 

 そんな感じで一歩も譲らない応酬が続いた末に、桜雲が悩むように小さく唸ってから告げた。

 

『じゃあさ、メグミさん・・・』

「?」

『1つ、提案いいかな?』

「言ってみて?」

 

 今回迷惑をかけてしまったのは完全にメグミであり、しかもその迷惑をかけた相手は想い人と来た。ならば、その迷惑を帳消しにすることができるように、桜雲の頼みには可能な限り応えたい。

 

『今度の休みの日・・・一緒に、出掛けない?』

「え」

 

 メグミの心が真っ白になり、桜雲の言葉だけが浮かび上がる。

 

『最近メグミさん、大学選抜の練習が続いて疲れてるんじゃないかなって思って。だから・・・また一緒に猫カフェとかに行って、リフレッシュしたらどうかなって』

 

 ほんの少し、メグミは考える。確かに、夏休みに入ってから大学選抜チームの練習はほぼ枚に続き、おまけにくろがね工業との試合も近いので訓練はハードモードだ。

 だからこそ、どこかで休息をとろうと思っていたし、それは桜雲にも話していた。『一緒に猫カフェに行こう』とも話していたので、その提案はタイミングが良かった。

 その誘いが嬉しくて、メグミは思わずこう言ってしまった。

 

「・・・・・・それはつまり、デートのお誘いかしら?」

 

 電話の向こうの桜雲が息を呑んだのが分かる。

 ちょっと意地悪しちゃったかな、と思いメグミは『ごめんね、からかって』と言おうとしたが。

 

『・・・そう受け止めてもらっても、大丈夫だよ』

 

 控えめなその言葉に、今度はメグミが息を呑む番となった。

 自分で蒔いた種なのに、手痛い反撃を食らってメグミも思わず目を伏せる。

 

「・・・そっかぁ。うん、でもいいよ。一緒に行きましょ?」

『分かった、ありがとうね』

 

 あくまで冷静に、努めてメグミが返す。桜雲もようやく緊張が抜けたようだ。

 斯くして、デートかどうかはさておいて、メグミは次の休日に桜雲と共に出掛けることが決まった。

 

 

 まず最初に今日行く場所は、事前にメグミにも話してある。

 

「結構昔ながらの家みたいな感じで、いい場所だよ」

「へぇ・・・それは楽しみね」

 

 その場所とは猫カフェではあるが、これまでとは違い桜雲が何度か行ったことがあるお気に入りのお店だ。その言葉通り昔ながらの家のような感じのする場所で、さらに近くには大型の商業施設もある。休日を過ごすのにはもってこいだろう。

 最寄り駅で電車を降りて街へ出ると、夏休みシーズンに加え休日なのもあって人の行き来は割と多かった。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 そして猫カフェまでの道で、自然と2人の間に会話がなくなってしまった。

 桜雲もメグミも、1週間前の飲み会(帰路含む)でのあれこれを覚えているから、その時のことを意識してしまって言葉が紡げない。

 そんな状況が数分続いて、誘った本人の桜雲が何か話した方がいいと思って話題を探す。

 

「・・・メグミさん」

「?」

 

 着目したのは、メグミの服だ。

 

「今日のメグミさん・・・」

「?」

「何て言ったらいいのかな・・・。いつもと違って、すごく・・・綺麗だ」

 

 言われて、メグミは少し頬を掻く。

 今日のメグミの服は、普段とは違って少しばかり活発さと清涼感を持たせる服だと、自分でも思う。

 桜雲は、その服装も相まってメグミが可愛く見えた。しかし可愛いと言うのは些か恥ずかしくて『綺麗』とぼかしてしまったが。

 

「・・・ありがとね」

 

 その変化に気づいてくれたことを、メグミは嬉しく思う。

 今日のこの服は、ファッション系の雑誌やネットを見て、自分に合うような服はどんなだろうと自分なりに調べ、さらには同じ戦車の通信手・生月の知恵も借りた結果のものだ。

 その服を桜雲に褒めてもらえたのだから、調べたことやアドバイスが無駄にならなくて本当に良かったと思う。

 そして、その変化に桜雲が気付いてくれたことが、メグミは嬉しかった。

 

「・・・・・・」

 

 その嬉しいという気持ちを抑えられず、メグミは隣を歩く桜雲の手をそっと握った。

 その行動に桜雲は驚きメグミを見るが、彼女が穏やかな笑みを浮かべているのを見て、桜雲は何も言わず小さく笑う。

 そしてその手を、優しく握り返した。

 メグミの手は少し温かくて、そして柔らかかった。

 

 

 駅から10分ほど歩いた場所にあるその猫カフェは、一見昔ながらの木造二階建ての一軒家にしか見えない。

 

「ここが、その猫カフェ?」

「うん」

 

 だが、この建物こそが、桜雲のお気に入りの猫カフェだ。大きな看板が出ているわけでもなく景観に溶け込んでいるので、知る人ぞ知る穴場のような場所らしい。

 そこでメグミは、桜雲と手を繋いだままだったことを思い出し、慌てて手を離す。

 

「あ、ごめんね?馴れ馴れしく触っちゃって」

「ううん、平気・・・僕も嬉しかったし」

 

 そこでぽろっと本音が零れてしまった。

 桜雲は『しまった』と内心焦ったが、メグミは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後で嬉しそうに小さく微笑んだのを見て取り消せなくなる。

 結局、そそくさと扉を開けて中に入ることにした。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 出迎えてくれたのは初老の女性。彼女こそがこの猫カフェの店長だ。

 

「こんにちは、予約していた桜雲です」

「あら、こんにちは~。いつもどうも~」

 

 何度かこの猫カフェに通っている桜雲は、すっかりおばちゃん店長に顔を覚えてもらっていた。最早桜雲とは顔馴染みぐらいの関係である。

 そこで店長は、桜雲の少し後ろに立つメグミに気付いた。

 

「あら、そちらの方は?」

 

 桜雲はここに来る時は、いつも一人だった。それは店長も知っていたから、桜雲が今日初めて連れてきた誰かが気になった。

 

「あ、ええと―――」

「ひょっとして、彼女さん?」

 

 桜雲が説明する前に、おばちゃん店長は軽く笑いながらそんなことを宣った。休日に男女が揃って私服で来れば、そう見える可能性は少なくないだろう。かといって、これは流石に読めなかった。

 ちなみに桜雲は気づいていないが、その言葉にメグミの顔はまた赤くなってしまっている。

 

「いえ、ただの友達ですよ」

「あら、そうなの?ごめんなさいね」

 

 桜雲が事実を伝えると、店長は大人しく引き下がった。やれやれ、と思いつつ桜雲は2人分の代金を払う。ただし、桜雲は自分の言葉に胸が締め付けられるようだったし、メグミだってちょっとばかり寂しかった。

 それはともかくとして、桜雲とメグミは消毒をしてから中に入る。

 カフェの中は本当に昔の家のようで全面畳張り、木の箪笥や卓袱台も置かれている。配置されている木製のキャットタワーも黒いニスが塗られており、縁側からは庭を臨むことができる。

 そして、そんなどこか懐かしさを抱かせるような空間を彩るのは、やはり猫だった。座布団の上に寝転がっていたり、卓袱台の下から来訪者の様子を窺う猫もいる。天井の梁から中を見下ろす猫もいた。

 

「・・・本当に、イイ感じの場所ね」

 

 先ほどの店長の発言による恥ずかしさから立ち直ったメグミが、中を見回して呟く。

 これまでメグミが訪れた2軒の猫カフェは、どちらもここのような和風な感じではなく、洋風または近代的な感じがした。だからここの雰囲気が新鮮に思える。

 

「桜雲が気にいるの、分かるかも。こういうところが何だか似合うし」

「そうかな?」

 

 メグミから見れば、穏やかでのんびりとした桜雲には、ここのような味わい深い落ち着いた場所が似合うように思える。

 卓袱台の近くに桜雲とメグミが腰を下ろすと、早速1匹の白い猫がトコトコと近づいてきた。

 

「この子は結構人懐っこい子でね。大体自分から来てくれるんだ」

 

 桜雲が顎の下を指で撫でると、早くもゴロゴロと喉を低く鳴らし出す。

 試しにメグミが人差し指を伸ばすと、白猫は躊躇もなく鼻を擦り付けてきた。

 

「・・・久しぶりかも。猫と触れ合うのって」

 

 白猫の横顔を撫でるように、メグミが手を動かす。猫の顔が少しだけぶにっと歪み、それが可笑しくてメグミは小さく笑う。さらに耳の付け根や顎の裏を優しく撫でて、気持ちよさそうに目を細める白猫。そしてついには、メグミの傍で横になった。

 

「それでもメグミさん、もう猫に触るのに慣れているみたいだね」

 

 寝転がる白猫のお腹を撫でるメグミに、桜雲がそう告げる。そんな桜雲も、グレーの縞模様のサバトラの猫を撫でていた。

 

「桜雲に教えてもらったんだもの。簡単に忘れたりはしないわ」

 

 白猫を撫でるメグミの手つきは優しく、愛おしむかのような笑みを浮かべている。その様子をトリミングしたら、一枚の絵になるんじゃないかと思える。

 その様子に目を奪われつつも、桜雲はサバトラの背中や耳の付け根を優しく撫でる。すると、サバトラは桜雲の脚の上に丸まって寝転がった。

 

「桜雲もやっぱり上手ね」

「まあ、これが取り柄みたいなものだし」

 

 そういう桜雲だが、メグミに褒められて満更でもなかったりする。

 ふと縁側の方を見ると、太陽の光が差し込んで明るい部分に猫が寝転がっている。外は暑いがこのカフェの中は冷房が効いて涼しいので、あの部分は猫にとっては丁度いい温度なのだろう。

 

「・・・美味しい」

 

 振り返ってみれば、メグミが湯飲み茶碗を傾けて何かを飲んでいた。卓袱台にはもう1つの同じ茶碗と煎餅が置かれており、先のおばちゃん店長が奥へと引っ込んでいく。どうやら、冷たい緑茶とお茶請けを持ってきてくれたようだ。

 桜雲も有り難く受け取り、一口飲む。心地よい冷たさが、喉を通り抜けていく。

 

「お茶とお煎餅ってサービスしてくれるのね」

「うん、他の飲み物は別料金だけど」

 

 ここは基本料金にドリンク代が含まれていないため、比較的安い方だ。それにこうして緑茶と煎餅を用意してくれるのだから、頼まなくても問題ない。

 

「なんだかね・・・猫を撫でてると、疲れとか不安とか・・・抜けていくような感じがする」

 

 白猫の背中を指でつうっと撫でながら、吐息交じりにメグミは言う。

 猫を撫でることで得る感触は、形容しがたいほど心地よいものだ。それに加えて、生き物故のぬくもりがある。そんな猫に触れていると、自然と心の中のしこりが解れていくようだ。

 

「・・・それが、癒されてるってことだと思うよ」

「・・・かもね」

 

 メグミは猫を撫でる手を止めない。桜雲の脚の上のサバトラが撫でるのを催促するように鳴くと、『はいはい』と言いながら頭を優しく撫でる。

 

「もうすぐ試合だし・・・ちょっと不安だったから」

「・・・あと1週間だね」

 

 試合とは、前から話に上がっていたくろがね工業との試合だ。桜雲の言う通りあと1週間ほどしかなく、刻一刻とその日は近づいている。

 

「やっぱり不安なんだ」

「それはもちろん」

 

 それも仕方がないと思う。

 桜雲がメグミと同じ立場にいたら、やはり不安になる自信がある。戦車道を歩むメグミは逞しいと思っているが、いかに彼女でも自分が副官で、しかも相手は経験豊富で強力な社会人チームとなれば、気弱になってしまうのも無理はない。

 

「これまでも社会人チームとは戦ったことがあるけど、今度ばかりは格が違うし」

 

 メグミも大学選抜チームに入ってから、社会人のチームと戦うことは何度かあった。しかし、今までの相手はどこもくろがね工業のように『べらぼうに強い』と言うわけではなく、『そこそこ強い』レベルだった。

 そんな相手との戦いを前に、メグミ自身少し気弱になっていたところもある。

 

「でもね・・・こうして猫と遊んでいると、そんな不安な気持ちも軽くなっていく感じがするのよ」

「・・・それはよかった」

 

 傍で寝転がる白猫のお腹を、メグミは少し荒っぽく撫でる。『ふみゃ』と気持ちいいのか嫌なのか分からない声を上げる白猫。桜雲が『ほどほどにね』と注意すると、その手をピタと止めた。

 

「ところで、2階もあるの?」

 

 メグミが後ろを振り返ると、そこには確かに上へと続く階段がある。猫が入らないように柵が設置されているが、近くには『御用の方はお声がけください』と注意書きがあった。

 

「ああ、2階には小物とかが置いてあるんだ。買うこともできるよ」

「へぇ・・・ちょっと見てみたいかも」

「分かった」

 

 桜雲は、脚の上に寝転がっていたサバトラをそっと下ろして立ち上がる。おばちゃん店長を呼んで一言二言話すと、『行こう』とメグミを上へ促した。

 メグミと共に2階へ上がると、そこもまた畳張りとふすまの戸が懐かしさを感じさせる部屋だった。

 そんな部屋の中央のテーブルには、ペンダントやブローチなどのアクセサリーや本の栞が並べられていて、壁には手作りと思しき時計が掛けられている。

 

「あっ、可愛い・・・」

 

 そこに飾られているものは全て、猫をあしらったものばかりだった。例えばハンカチには猫の刺繍が入っていて、ペンダントのロケットの部分には猫のシルエットの模様入りである。壁に掛けてある時計も振り子の部分は猫の形になっていた。

 

「・・・手作りみたいだけど、全部あのおばあちゃんが?」

「全部じゃないみたい。知り合いの人も協力して作ってるんだって」

「へぇ・・・」

 

 メグミは商品を流し見して、ふと思う。

 

「・・・ホント、ここはまた変わったところよね・・・」

 

 こうしてハンドメイドの商品を売っていることもそうだが、何よりもこの猫カフェ自体のコンセプトがこれまで行ったどことも違う。

 

「確かにそうだね・・・」

 

 聞いた話では、元々ここはおばちゃん店長とその夫で二人暮らしをしていた家だという。しかしその夫が先立ち、元々猫好きだったおばちゃんが人との出会いのきっかけになればと思い猫カフェを始めたらしい。

 数年ほど経った今では大分人も来るようになり、楽しくやっているようだ。

 

「いいよね、こういう感じの場所・・・」

 

 部屋を見回しながら告げる桜雲は、どこか羨ましそうな声だった。

 メグミは商品を見る手を止める。

 

「・・・桜雲ってもしかして・・・将来はこういう仕事に?」

「ううん、そうはならないかな」

 

 猫が好きで、こういった猫カフェも好きでいるのなら、猫とかかわる仕事に就く未来も考えられた。

 だが、桜雲の答えは否だった。

 

「やっぱり、生き物を扱う仕事に就くとなると、絶対に別れの場面に立ち会うことになるだろうから。それに僕が耐えられるかって訊かれると、素直には頷けないし・・・」

 

 別れの場面とは、生き物を飼っているうえでは避けては通れない『死』のことだ。それはメグミにも分かる。

 そして、命あるものの死とは何らかの形でネガティブな感情を芽生えさせる。それに耐えられなければ、生き物にかかわる仕事など到底就けない。

 その自信が桜雲にはないから、そのつもりはなかった。

 

「僕の実家の猫も大分歳だし・・・いつまでも遠回しにはできないことなんだけどね」

 

 桜雲はまだ、その別れの場面に直面したことはない。しかし桜雲の実家の猫はその言葉通りのご老体だから、知らなければずっと無関係とも言えないのだ。

 

「それで、できれば・・・猫を不自由なく飼えるようにはなりたいかな」

「あ、猫は飼うのね?」

「うん。こうして猫カフェで色んな猫と触れ合うのも楽しいけど、家族として猫と一緒に暮らすのにも憧れてるから」

 

 小さい頃に猫を飼い始めて、実家で暮らしている間はずっと一緒だったから家族みたいなものだと、桜雲は言っていた。

 だから、実際に『別れ』の場面に立って、耐えることができるのであれば、独り立ちしてから猫を飼うつもりなのだろう。

 生き物の命と向き合う仕事に就けば、別れの場面に立つ機会も多くなり、最初は耐えられても次第に疲弊する。だが、家族として向き合うのならば、できるかもしれない。

 桜雲は、自分の将来を少し考えたところで、1つ気になった。

 

「メグミさんは・・・戦車道を続けるの?」

「そうね・・・。私にとって戦車道って、切っても切れないようなものだし。将来はプロを目指してるわ」

 

 プロを目指すというのは口で言うのは簡単だが、そこに辿り着くことは簡単ではない。

 だが、桜雲はその夢を笑い飛ばすことも、『無理なんじゃない?』と無下にすることもなく。

 

「・・・できるよ、メグミさんなら」

 

 ここ最近のメグミの戦車道での成果は、メグミの話に加えて練習を観ていたから知っている。あの島田愛里寿の戦車に大きなダメージを負わせ、T28の配備も認められるほどの腕に成長した。それはメグミ1人のものではなく、メグミのパーシングの乗員たちの力によるものではあるが、それでもメグミの実力だって含まれている。

 難しいかもしれないプロ選手と言う夢を、実現できるかもしれないと思わせてくれるほどに、メグミは強くなっていた。

 

「僕は、メグミさんの夢が叶うように応援する。だから、頑張って」

 

 そしてメグミに惚れた男としては、その夢が実現するように祈り、願い、そして背中を押して応援するだけだ。

 そんな桜雲の言葉に、メグミは嬉しそうに笑った。

 

「・・・ありがとう」

 

 

 

 その猫カフェには、およそ2時間ほど滞在した。メグミも桜雲も、猫じゃらしなどのおもちゃで猫と戯れ、猫を膝に乗せてまったり撫で、これでもかと言うほど寛いだ。

 桜雲はそんなメグミの様子を見て、少し微笑ましくなりつつも、リラックスできていると安心した。

 

「これ、2つください」

「はーい」

 

 帰りがけにメグミは、2階の小物コーナーで何か良いものを見つけたらしく、1階のレジでそれを買っていた。桜雲が支払おうとしたが、メグミはそれを拒み自分で払う。

 そして今2人は、猫カフェに来る途中に見つけた喫茶店にいる。そろそろお昼時だったが、猫カフェで煎餅を出してもらったのでそこまで空腹ではなく、何か少し食べておこう程度の感覚だった。

 

「なんか・・・ごめんね?払わなくて・・・」

「謝ることはないわ。だって、この前は桜雲に色々迷惑をかけちゃったし・・・」

 

 それは1週間前の飲み会のことを言っているのだと、桜雲はすぐに気付く。

 あの時4人分の食事費の半分+タクシー代を払ったのは正直痛かったが、それで別にメグミに腹を立ててはいない。

 だから過剰に気遣わなくていいし、今日こうしてメグミと2人で出掛けているだけで十分お釣りがくるようなものだ。

 しかし、メグミは貸し借りについてはきっちりしているようである。

 

「それで、何を買ったの?」

「これよ」

 

 紙袋からメグミが取り出したのは、ロケットの付いたペンダント。猫の模様が入ったロケットが付いている代物だ。

 2つ買ったと言うことは、1つはメグミが持つとして、もう1つは誰かに渡すのだろう。一番濃厚なのは愛里寿だが、あるいは誰か恩師に渡すのかもしれない。

 

「はい、桜雲」

「へ?」

「あなたにこれ、プレゼント」

 

 桜雲の予想はことごとく外れ、そのペンダントは桜雲に差し出された。

 そんなペンダントを差し出すメグミは、いつものように笑ってくれている。

 それを受け取る前に桜雲は聞いておきたかった。

 

「・・・なんで、僕に?」

「それはもちろんこの前のお礼。それと、親愛の気持ちも込めてね」

 

 親愛、と言われて桜雲の心が跳ねそうになる。メグミとは仲が良いと自分では思っているつもりだったが、いざ実際にメグミからそう言われると嬉しくなってしまう。

 その嬉しさを噛み締めながら、桜雲は手を伸ばしてペンダントの入った箱を受け取る。

 

「ありがとう、大切にするね」

 

 そのペンダントを慎重に鞄に仕舞う桜雲。

 

「でも、いい場所だったわ。あの猫カフェは」

「でしょ?」

 

 先ほどの時間を思い出すメグミ。素朴な感じがするような場所ではあったが、とても居心地の良い場所だった。桜雲が気に入るのも頷ける。

 

「この後は・・・どうする?」

 

 この後の予定は、特に決まってはいない。『猫カフェに行く』と言う当初の目的は達せられたので、後はどこへ行くのも自由だった。

 桜雲はどこへ行きたいという希望はないし、ぶっちゃけメグミと一緒であればどこでもいいぐらいだ。

 

「そうね・・・・・・あの駅近くのモールが気になったから、あそこへ行ってみたいかな」

「よし、分かった」

 

 来る途中でも見かけたあの大型商業施設。先ほど手早く調べてみたが、色々なお店が並んでいるようだった。多様なジャンルを網羅しており、ただ見て回るだけでも楽しいと書いてあったので、2人で回るにはうってつけだろう。

 

「・・・ねぇ、桜雲」

 

 そしておもむろに話し出すメグミ。だが、その顔と声はどこか申し訳なさそうだった。

 

「改めて・・・言わせて。この前の飲み会は、本当にごめんなさい。あなたに迷惑をかけちゃって・・・」

「そのことならもう十分だよ。今日、メグミさんと一緒に出掛けられてるわけだし」

 

 今日桜雲とメグミが一緒に出掛けているのは、桜雲のたってのお願いだ。それはメグミ自身も分かってはいるが、この程度で本当にお礼になっているのかどうかが不安なのだ。

 

「それに・・・」

 

 桜雲が、手の中のグラスへと視線を落とす。

 

「メグミさんとは、こうして・・・・・・デートしたかったし」

 

 水を飲もうとしたメグミの動きが止まる。

 桜雲ははにかんで見せているが、その顔にはわずかな朱が混じっており、恐らく自分でも恥ずかしいことを言ったという自覚があるのだろう。

 そしてメグミが思い出すのは、この前の桜雲からの誘いの電話。あの時も『デート』と言う単語が上がった。

 それを思い出し、そして桜雲から同じ言葉を聞いて、同じぐらい顔が赤くなってしまっている。

 何せ、嬉しいのだから。そんな言葉を桜雲からかけて貰えたことが。

 

「・・・えっと・・・・・・」

 

 上手く言葉が紡げないが、今この場で黙ってしまっていては、恥ずかしさだけがこの場に留まってしまう。

 何か言わなければと、メグミがあれこれ悩んだ末に。

 

「私も、同じ。桜雲とは・・・一緒に出掛けたかったから」

「・・・・・・・・・」

「だから、誘ってくれて・・・ありがとう」

 

 ハッと桜雲が顔を上げる。

 その桜雲の反応を見て、メグミもまた恥ずかしいことを言ってしまったのだと気付いた。

 

「・・・そうなんだ。何か、嬉しいよ」

 

 俯いてそう言った桜雲はそれっきり、顔を上げようとはしなかった。

 メグミは『やってしまった』と心の中で少し後悔する。

 こうして男と2人だけで出掛けたことなどなく、ましてや相手が恋慕している者となれば、なおのことどんな言葉をかけていいのか分からなくなる。その結果、今のような何とも言えない微妙な雰囲気になってしまった。

 結局、その気まずい雰囲気は店員がコーヒーと料理を持ってくるまで晴れることはなかった。

 

 

 流石に後ろめたいことがあるとはいえ、喫茶店の代金までメグミに払わせるわけにはいかず、代金は割り勘と言うことになった。

 店を出て外を見上げれば、青空に白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。まっさらな青空よりも、こちらの方が夏らしく感じる。

 そんな感じで空を見上げるメグミは、まだ先ほどのやり取りが尾を引いていて、少しだけ気まずかった。

 メグミがそんな感じで少し気持ちが下向きになっているのに気づいた桜雲は。

 

「・・・それじゃ、行こうか」

 

 メグミに手を差し伸べる。

 メグミはほんの少し迷ったが、桜雲の優しい笑みを見ると、その手をそっと握る。

 桜雲も優しく握り返し、2人は並んでモールへと向かう。

 そして、モールでのショッピングは午後の時間を丸々使って楽しんだ。特別どこを見て回ろうとは決めずに、気になったお店に片端から入ってみた。

 雑貨屋では目新しい小物を見て2人してほうほうと頷き、洋服店では『中々センスには自信がないわね・・・』『僕も・・・』と苦笑して、さらにはバッグや帽子、甘い香りの漂うアロマのお店も見て回った。

 

「ここは・・・割と普通なのね」

「まあ、あの店が特殊なんだろうね・・・」

 

 中にはペットショップもあって2人はそこも見てみたが、以前行った場所とは違いフクロウやカワウソのように突飛な動物はいなかった。仔犬や仔猫とウサギが数匹だけだが、それでも十分だと思う。

 2人の目当ては専ら猫だったので、ゲージの中の猫を軽く眺める。猫カフェのように人慣れしているわけではないので、少し猫はそっけなかったが。

 それでも、2人で色々なお店を回ることができたのは楽しかったし、実にデートらしいと思う。

 2人で歩いている中で、桜雲は度々メグミのことを見ていたが、彼女も十分リフレッシュできていたと思う。戦車道の訓練の疲れを癒し、1週間後のくろがね工業戦に対する不安もある程度払拭できたかもしれない。

 何にせよ、とてもいい1日となった。

 

「あら、メグミ。桜雲も」

 

 モールの『せんしゃ倶楽部』と言う戦車道ショップでアズミとばったり会わなければ。

 

「「・・・・・・・・・」」

 

 メグミと桜雲は、硬直する。ただ気になったから入ってみた店で、偶然にも知り合いと出会うとは、何たる偶然か。

 

「・・・この前ショッピングに誘ったのに断ったのは、そういうことね」

 

 アズミの言葉に、桜雲は『えっ?』と小さく口の中で言いながらメグミのことを見る。

 メグミはなおも、ここでアズミに見られてしまったことを深くと思っているようで、ぐぬぬと言った感じの顔をしていた。

 

「あれ?」

 

 後ろから声がかかる。桜雲が振り返ってみれば、そこには私服のルミの姿が。

 どうやら、アズミとルミは2人でこのモールにショッピングに来ていたようだ。

 それはともかくとして、アズミだけでなくルミにまで今を見られてしまったのは非常によろしくない。

 そして、その予感は的中してしまった。

 

「さあさ、ルミ?お邪魔虫は退散しましょうか♪」

「そうだねー。それじゃ2人とも、ごゆっくり~」

 

 アズミとルミ何かを察したように笑って、肩を組んで去ってしまった。

 メグミは顔を押さえる。よりにもよって見られたくない奴に見られてしまった。

 

「しまった・・・・・・・・・迂闊だったぁ・・・」

「まあまあ・・・」

 

 うなだれるメグミの方を優しく慰めるように小さく叩く桜雲。桜雲だって、メグミと2人でいるところを見られたのは確かに恥ずかしかったが、何事にも例外と偶然はつきものなので仕方がないと諦めた。

 

 

 その後は気を取り直してせんしゃ倶楽部の中を見て回り、満足したところで2人はそろそろ帰ろうと言うことになった。

 

「今日はありがとうね、付き合ってもらって」

「こちらこそ。私も楽しかったわ」

 

 モールを出て駅へ行くまでの間、2人は並んで歩く。楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、太陽もすでに傾き始めている。

 

「でも、特に何も買わなかったけど、大丈夫だったの?」

「ええ。そんなにまだ欲しいものはなかったし」

 

 色々見て回ったが、桜雲もメグミも何かを買うことはなかった。それは別に悪いことではないのだが、少しばかりに気になった。

 

「桜雲と一緒に過ごせただけで、十分嬉しいし」

 

 けれど、そんな嬉しいことを言われては桜雲も何も言えない。メグミがそう思ってくれたことは桜雲にとっては至上の喜びである。それにとやかく口答えするなど、考えられない。

 

「・・・ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

「それに、これが買えたし」

 

 メグミはバッグの中から、先ほどの猫カフェで買ったペンダントの入った箱を取り出す。

 

「今度の試合、これを着けて頑張るわ」

 

 試合中はピアスや指輪、ブレスレットなどの目に見えるようなアクセサリーの着用は原則として認められていない。戦車道には、礼儀礼節を重んじる淑やかな女性を育むという理念があるからだ。

 だが、ペンダントであればユニフォームの下にあるから隠れて見えないだろうというのが、メグミの意見だった。

 

「・・・じゃあ、僕はこれを着けて応援する」

 

 桜雲も自分の鞄から、メグミが持っているのと同じものを取り出して見せる。

 メグミがそのペンダントを着け戦うのであれば、自分は同じものを着けて応援する。それだけで、なぜか自然とメグミと戦っているような気持ちになれる。

 

「それで、試合が終わったら、次の休みにまた一緒に出掛けよう」

「ええ、いいわよ」

 

 今日のことは、最後のアクシデントを除き、桜雲にとってもメグミにとっても楽しかった。

 今日のような楽しいお出かけ―――デートをまた一緒にと約束する。それだけで、メグミは今度の試合は頑張れる。モチベーションが上がる。

 そして桜雲は、その時にはメグミのことを心から労いたいと思う。勝つと信じているが、勝っても負けても、それでも桜雲はメグミの傍にいたいと考えている。

 その時が来たら、できることなら、自分の想いを全て告げたいとも思っていた。




次回、くろがね工業戦

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。