Same Ol' (草之敬)
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1.

「あー……」

 

 突然己を襲った寝苦しさに目を覚ませば、思わずそんな唸り声が喉から漏れ出した。

 結い上げた髪が乱れるのも構わず、乱雑に頭を掻き毟る。

 とりあえずケツが熱い、と立ち上がり、眉の上に手で笠を作り、辺り一面を見渡した。

 砂。

 砂、岩、砂、砂。

 腰に取り付けた水筒を探して、その存在を確認するとひとまず安心する。

 これでしばらくは干からびないだろう、と。

 

「さてはて、人がいたらいいんだけどなあ」

 

 言って、彼女は歩き出す。

 轍じみて残る足跡も、舐めるように吹き荒ぶ風に埋もれてしまう。

 いずれ彼女自身も、この風に攫われるように消えてしまうだろう。

 だけど、それまでは。

 それまでは、彼女の物語。

 

 

 新免武蔵守藤原玄信――宮本武蔵ちゃんの物語。

 

 

      §

 

 

「死ぬかと思った!!」

 

 月が目立ち始めたという頃合いに、武蔵ちゃんは岩陰に身をひそめ、消え入りそうな声で怒鳴るという器用な真似を誰ともなしに披露していた。

 砂漠といえば夜は極寒が常。だというのに、ここら一帯は昼間のようとはいわずとも、過ごしやすい程度には温かいままだった。そういう地域なのかと勘ぐっていたのも束の間、やおらソレは現れた。

 

 山のような巨躯に、岩石を練り固めたような表皮。間抜けな眼窩と口腔、節々に流れる溶岩のような肉。以前、同じく山のような像の鼻を叩き切ったこと記憶に新しいが、その大きさの怪物が平気な顔で闊歩している。

 おまけにその怪物の間抜けな頭には、まっすぐに天を衝く角が二本。つまり。

 

「鬼か、あれ!?」

 

 相変わらず押し殺した叫びに、信じたくない現実を突きつけられてしまう。言うんじゃなかったと後悔する余裕もなく、暫定鬼の様子を岩陰から窺った。

 武蔵ちゃんの見るところ、獲物を探している、というよりはただ徘徊しているようだった。このまま息を殺し続ければ、いずれ離れて見つからずに済むだろうとも。

 

「うわー、うわー。もう、ホント勘弁してよ。このまま寝たらすぐに別世界ってわけにはいかないかしら」

 

 逃避じみた愚痴をこぼすものの、同意してくれる者はいない。

 だがまあ、と武蔵ちゃんは考える。辺りに一晩過ごせそうな場所もなく、砂漠のど真ん中では枯木もない。暖が取れないと内心焦っていたところだったので、ある意味では渡りに船かと思えないこともない、と。

 

 というのも、武蔵ちゃんがここら一帯が夜になっても過ごしやすい気温のままなのは、あの暫定鬼のおかげだろうと予想したからだった。あの節々から見える赤く発光するような肉は、そのもの溶岩でないにしろ陽炎を伴っていることから相当の高温であることが窺える。

 眠れずに体力回復できないのは痛いが、凍死してしまうよりは万倍マシ。

 生きていれば儲けもの、と生き汚い武蔵ちゃんらしい思考が働いていた。

 さて、しかし、どうしたものか、とも思う。

 

 隠れてはいるものの、実はかなり距離がある。あの距離感の狂う巨体のせいでかなり間近に思えてしまうが、おそらく十町といったところ。なのにこの距離でこれだけ温かくなっているのも脅威的ではあるが、なにより武蔵ちゃんが懸念しているのはそこではない。

 

「なんか小さいのもいるしさぁ~」

 

 距離のせいで米粒のように小さいが、武蔵ちゃんの目測では六、七尺といったところ。自分より頭ふたつ、みっつは大きい。そのような小鬼らが、複数匹。

 そこらじゅうの世界を飛び回った経験則から、幾度か鬼に遭ったことはある。

 だが、武蔵ちゃん自身の知る鬼とは姿かたちが違いすぎる。夜であることと遠く離れているから正確ではないにしろ、武蔵ちゃんが見る限り、小鬼の方はがらくたに襤褸切れで無理やり人型に組み立てた絡繰り人形のような容貌なのだ。

 

「ただの木っ端なら苦もなし。けどなあ……」

 

 以前訪れた下総国……英霊剣豪と名乗る悪鬼たちと同じく、倒すために〝何か要る〟のなら、来たばかりの今では挑むのも無謀というものだろう。

 武蔵ちゃんは勝てないなら逃げる選択ができるえらい子なのだ。

 死んでないなら負けてないという暴論を振りかざすような脳筋だが、必要もないのに勝てるかもわからない勝負は挑まない程度には頭は回る。えらい。

 

 なら迷うことはないだろう、と武蔵ちゃんは行動に移す。

 見つからないよう、凍え死なないよう、距離を取りつつ一晩を明かす。

 あの暫定鬼らがどこに向かっているのか――あるいは彷徨っているだけなのか――はわからないが、とにかく生き抜くことが肝要だと武蔵ちゃんは思う。

 

 

      §

 

 

「大将、大将! おい、起きろ!」

「ああ、起きた。起きてるよ」

 

 気怠げな言葉遣いとは裏腹に、機敏な動きで起き上がると、胸当て、具足や小手をよどみなく装備し、枕元に置いてある刀を腰に差して、そのうえから黒装束を纏う。「行くぜ」と起こしにきた男が声をかけるとうなずいて、風のように部屋から飛び出す。

 滑るように階段を下りると、すでに表の通りはドヤドヤと騒がしくなっていた。

 

「犬っころとキジは先に出た」

「鳥の王国の方面からか」

「ああ。キジの野郎が言うには、規模からして先遣だろうとよ」

「だろうな。鳥の王国にはまだ数日かかる」

 

 話しながら厩舎へ向かい、二人はそれぞれの馬へ歩み寄る。

 騒がしい村の様子にも動じず、泰然と佇む頼もしい馬だ。黒装束の男は馬に飛び乗り、村の大通りへ出ていく。追い付いたもう一人も並ぶと、村の正門へ向けて駈足。

 

「おおい、どうなってる!」

「へい!」正門横に作られた物見櫓の上から顔が出る。「村から一里半ほど遠方に、大鬼の影が見えやす!」

「近いな!」

「地形の問題でやす。二里ほど先に砂丘がありやして、その方向から近づかれやした!」

「なるほどな。サル!」

「あいよ大将!」

 

 物見役からそれだけ聞くと、黒装束の男ともう一人――サルと呼ばれた男――は襲歩で大鬼へ向かう。夜明け前の一番暗い時間、一里以上の距離からでもわかる溶岩人形のような大鬼めがけ、二人は駈け抜けていく。

 近づけは近づくほど、周囲の気温があがっていくのがわかる。

 一里を駈け抜けたあたりで、二人は何か様子がおかしいことに気付く。

 

「おいおい大将、俺の見間違いか? オレたち以外に鬼退治しようなんて物好きがいるなんて聞いたことないぜ?」

「俺も聞いたことないな。できる人に心当たりはあるが」

 

 だが、黒装束の男が思い浮かべる人物は、鬼退治をするような人間ではない。

 試しに斬ってみようとか、降りかかる火の粉を払う程度はしそうだが、それ以外では視界に入らない限りは放っておくだろう。

 

「……強くね?」

「ああ。相当使うぞ」

 

 どこか忌々し気に、サルはいう。

 それに対して、黒装束の男も目を細めて件の人物を観察する。

 鮮やかな瑠璃を思わせる色の装束を身に纏い、小鬼を相手に八面六臂の活躍を見せている女だった。とはいえ、サルにはそう見えなかったようだが。

 

「女だよな?」

「ああ、女だな」

「マジかよ……鬼婆か?」

「犬とキジが一匹始末する間に三匹は斬ってるな」

「お、オレだってそれくらいできらあ!」

「そいつは頼もしい。行くぞ!」

 

 襲歩のままさらに鞭打って馬を加速させる。ぐんぐん近づいてくる大鬼の巨躯と、小鬼の群れ。黒装束の男は腰からすらりと刀を抜き放つと、姿勢を低く突撃の構えを見せた。

 

「助太刀する!」

「お?」

 

 馬の速力そのままに、真一文字に刀が閃く。

 小鬼は胴から真っ二つに割断され、どさりと砂漠に転がった。

 続くサルも手近な小鬼に襲い掛かる。馬上から飛び上がり小鬼の肩に着地すると、鋭い鉤爪を拵えた小手を首筋に突き立てた。振りほどこうと抵抗した小鬼の肩の上で器用に踊りながら、骨格の隙間を縫って内臓に届く突きを幾度も放つ。

 やがて小鬼がガクガクと体を痙攣させ始めた頃、指笛で己の馬を呼び戻し、倒れ伏す直前に走り寄った馬へと飛び移る。

 

「キャホウ!!」

「助太刀かたじけない!」

 

 サルはそのまま戦線に飛び込み、瑠璃の女と共闘し始めた。

 黒装束の男はそれを横目に、先に戦っていた犬とキジの二人へと駆け寄る。

 

「犬、キジ、無事か」

「ああ、馬を失ってしまったが……」

 

 答えたのはキジと呼ばれた男だ。今も戦う瑠璃の女に負けぬほどの極彩色を散りばめた大翼を模して造られた大袖を纏う戦士で、つい先日黒装束の男らに合流した新参だった。

 彼の言葉通り、二人が乗っていたはずの馬は後方で小鬼の餌になっていた。

 

「お前たちが無事でいれば仔細問題ない。あの女は誰だ?」

「貴公の知り合いではないのか」

「いや、あいにく武芸に通じる女の知り合いはいないな」

「鬼と死合うともなればなおさらか。……彼女は馬を失い進退窮まった我々に加勢してくれた恩人だ。なにより麗しの乙女だ、捨て置くこともできまい?」

「麗しの乙女?」

 

 疑問を呈しながら黒装束の男は、荒ぶる女に目を向けた。

 鬼の返り血を浴びながら、冷徹な表情のまま相手を切り伏せる姿を見て、その表情は苦笑いに変わる。この伊達男はあの鬼婆が守らねばならない小娘に見えているらしい。

 

「おおよそ理解した。俺は大鬼にかかる、小鬼は続けて任せたぞ」

「承知した。ゆくぞ、犬殿!」

「オウ!」

 

 獣のような吠え声をあげ、犬と呼ばれた白髪の青年がキジに続く。

 そして黒装束の男は、宣言通り大鬼と向かい合う。この距離になると気温は肌を焼くような温度に達しており、大鬼の頭部を見上げようものならほぼ真上を向く羽目になる。

 普通に考えれば、この巨躯相手に刀一本馬一頭で立ち向かうなど正気の沙汰ではない。

 それでも己ならば何とかできるという自信を、この男からは感じることができる。

 

「ハッ!」

 

 再び襲歩で駈け出すと、大鬼の注目を浴びるよう猿叫に似た咆哮をあげ、刀をぐるぐると頭上で振り回す。夜明けを迎えた空の光を反射して煌めく刀に誘われたか、大鬼は黒装束の男を狙って動き始める。

 大鬼が腕を振り上げる。その動きは戦場にいる全員が見えていた。

 このまま振り下ろされれば、掠るどころか、その衝撃だけで大打撃を受けるだろうことは容易に想像できる。

 

 だからこそ、と黒装束の男は決断的に懐へと飛び込む。

 股下へは拳は振り下ろせない。足元へ辿り着いた黒装束の男を潰すのならば、踏み潰すほかない。拳をおさめ、大鬼は右足を持ち上げた。そしてそれは、黒装束の男が待ち望んだ態勢でもあった。

 

「デェヤッ!」

 

 巨体を支える片足――左足を目掛け、馬の速力を乗せて刀を振り抜く。

 例え大鬼の巨躯に対して刀がどれほど小さくとも、切り裂けるのならば痛撃は与えられる。その実、刀身に似合わない裂傷を大鬼の足に刻んでいく。

 

 黒装束の男が大鬼の股下を駈け抜けると、大鬼は刻まれた裂傷にたまらず膝から崩れ落ちた。片足を上げた態勢からの転倒だったこともあり、膝をつくだけでなく、全身が傾いでいく。

 

「馬鹿野郎この大将馬鹿!」

「サル殿! 乗せてくれ!」

「犬も乗るぞ!」

「だーっ! てめえらもふざけんじゃねー!!」

「悪い!」

 

 傾いでくる大鬼から逃げるため、馬を失ったキジと犬がサルの操る馬に群がるという地獄絵図が展開され始める。

 それに一言だけまったく悪びれる素振りを見せず、黒装束の男が謝る。

 もちろん犬サルキジの三人も別に本気で潰されるとは思っていない。半ば悪ふざけだ。

 

 だが、本気で潰されようとしている人物が一人いた。それに最初に気付いたのはサルだった。黒装束の男からは大鬼に隠されて見えず、犬とキジはサルに続いて気付く。

 

「おいアンタ!?」

「サル殿、戻るぞ!」

「戻ったところで間に合わねえし、間に合ったところで四人も乗せて走れねえよ!」

 

 ここまで騒いで、ようやく黒装束の男も事態を把握した。

 瑠璃の女が、倒れようとしている先にいたのだ。サルの叫び通り、彼らからでは間に合わない。だが、己ならばと黒装束の男が襲歩を刻む。掻っ攫うように走り抜ければ助けることもできるとの判断だった。

 だが。

 

「っ――!?」

 

 脳天から股下まで一刀のもと両断された錯覚が、黒装束の男を襲う。

 鬼にさえ怯えず走破する馬が、足が折れても構わないのかと疑うほどの急制動をかけた。

 次瞬、大鬼の胴が輪切りにされた。

 瑠璃の女は潰されることなく、大鬼の肉の谷に佇んでいた。

 涼やかな血振りの音の後に、甲高く切羽が詰まる音が響く。

 巨体が巻き起こした風を受けて、瑠璃の女の、異様に白い髪が揺れている。

 大鬼の赤く熱を持った肉に照らされる女を見て、黒装束の男はごくりと唾を飲んだ。

 

「…………」

「あ、さっきは助太刀ありがとう」

「いや……」

 

 助太刀は必要なかっただろう、とは言わなかった。

 瑠璃の女の傍まで行くと、黒装束の男は馬から降り、しかし近づきすぎることはなかった。四間ほどの間合いを取り、向かい合う。瑠璃の女も相手が警戒していると察したのかやや緊張した面持ちになった。

 

「うちの者が助けられたと聞いた」

「ああ、あのド派手な伊達男と野生児くんね。いえいえ、こっちもあの……鬼? どうしたもんかと頭を悩ませていたところですから、倒せるってわかって一安心」

 

 明るい人柄を覗かせる言葉遣いに、黒装束の男は毒気を抜かれかける。

 が、黒装束の男は気を抜くことはなかった。軽やかに紡がれる言葉とは裏腹に、瑠璃の女は刀の柄から手を放していない。とはいえそれは黒装束の男も同様なのだが。

 

「……ひとまず、礼を言う。助かった」

「どういたしまして。それで質問なんだけど、コレって結局なに?」

「お前も言った通り、鬼だ。おそらく鳥の王国から流れてきた尖兵だな」

「へえ、やっぱり鬼なんだ。……うん、鬼らしくて大変よろしい」

「なにがだ?」

「いえいえこっちの話。続けて?」

「……ああ。俺たちは今、お前が伊達男と呼んだキジの故郷である、鳥の王国へ向かっている途中だ。お前も王国方面から来たようだが、出身は鳥の王国か」

「…………っすぅー」

「なんだ?」

 

 黒装束の男が仲間の名前を言ったあたりで瑠璃の女の表情がひきつり、途中から話を余所になにかを考える素振りをしたと思えば、頭を抱えて大きく息を吸う始末だ。

 このような反応を予想していなかった黒装束の男は、今度こそ完全に毒気を抜かれる。

 瑠璃の女も完全に警戒を解いた様子で、腰に手を当て天を仰いでいた。

 

「……参考までに、なんだけど」

「ああ」

「キジさん以外のお仲間の名前を伺っても?」

「構わん。野生児と言った方が犬。俺と共に助太刀に入ったのがサルだ」

「…………ぅそでしょー…………」

「なんださっきから」

 

 黒装束の男も、名を名乗っただけでこれほど困惑するは思っていなかった。

 さすがに怪訝に思って「そちらの事情を話すまではもはや語らん」という構えを見せる。

 それは瑠璃の女の方も思っていたのか、いまだ困惑の渦中にありながらも姿勢を正し、名乗りをあげるため大きく息を吸い込んだ。

 

 

「私は新免武蔵守藤原玄信――人呼んで、宮本武蔵よ」

 瞬間、黒の風が瑠璃の女――武蔵ちゃんに殺到したのだった。

 

 

 

 




ここまで本編
ここから戯言。読む価値なしです。
 
 

性懲りもなく新作。
武蔵ちゃんの口調難しくない?
時折まざる丁寧語の塩梅ムッズ……。
それはそれとして渡れい先生の「英霊剣豪七番勝負」すっごいので皆も見て(大胆なステマは二次創作者の特権)(唯一の立香ちゃん)(黒タイツすこ)(武蔵ちゃんはおっぱいより足)(ギャグ顔まで完備)(胤舜エロい)(酒呑ちゃんのプリケツ)(朧裏月ナイスゥ)(マガポケで配信中)(第四話まで無料公開中)(第五話は四月二日更新)。
 
それはそれとして、この小説ではできる限りカタカナ語とか英語とかは使わない予定。

ジュード・ロウも別に英語はしゃべらないし、出演予定もないです。
小栗旬以外明らかに海外の人っぽいけど全員日本語しゃべります。
わがんねえ。わがんねえよう。
わがんねえからよう、日ノ本言葉しゃべれよう。

そもそもタイトルからして英語で、あらすじにも書いてる?
(目逸らし)
 
今作のモモタロサァンのイメージは小栗版銀時が白夜叉演技して適度に生真面目な性分だったらという感じになってます。自分で書いてて意味がわからんけど、つまりそういうことだ。サルは加瀬あつし先生の漫画に出てきそうなイメージで、キジは色男で紳士、犬は幼い少年(たぶん武蔵ちゃんが一番好きになる子)というイメージでキャラを作っています。


ここまで戯言


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2.

月影のいたらぬ里はなけれども
眺むる人の心にぞすむ――
 
            法然上人「月かげ」


「なにしてんだ、大将!」

 

 刃金がかち合う音の彼方で、誰かの叫びが聞こえた。

 猛然と迫る剣戟の嵐に、それでも武蔵ちゃんは慌てることはなく、ただこうなったのならば、と冷徹な視線で眼前の男の発剣からの所作を見極めていた。

 見事な抜刀術だった。四間もの間合いを瞬く間に埋め、相手の胴を狙った真一文字。疾風のような縮地に反応してこちらも抜刀するか、あるいは後ろへ飛び退くしか防ぐ手立てのない必死の一撃だった。

 あの赤い月の夜を超えた武蔵ちゃんでなければ、最初の抜刀で致命傷を負っただろう。

 

「残念だけど、あなたじゃ私を斬れないわ」

「……っ」

 

 幾合かの打ち合いで、黒装束の男もそれはわかっていた。

 息を詰めるほどの連撃の中で呟かれた言葉が、なによりの証拠でもあった。

 男は必死に己の武を発しているにも関わらず、武蔵ちゃんは泰然としたまま一刀一刀を丁寧に受け流している。数合前からは紙一重の回避も織り交ぜはじめ、いよいよ見切られるのも時間の問題だと思われた。

 

「大将、やめねーか! なんだってんだ、らしくねえ!」

「ぐ……っ!?」

 

 サルが黒装束の男を背後から覆い被さるように羽交い絞めにすると、一瞬武蔵ちゃんへ恨めしそうな視線を向けた後、己の未熟さを悔いるように刀を鞘へと納めた。

 

「私の勝ちー」

「やめて? 煽るのやめたげて?」

「絶対ぶった切ってやる!」

「乗るな大将!」

 

 武蔵ちゃんも遅れて納刀すると、手を握り解きを繰り返す。

 なんちゅう馬鹿力だ、と。斬鉄するほどの力ではないものの、骨にまで痺れが残るような剣戟だった、と思い返す。

 まだ少し興奮した様子の残る黒装束の男のもとに、サルの他、キジ、犬が集まってくる。

 一同は男の興奮度合いに困惑気味で、その説明をしろと視線で武蔵ちゃんへと訴えかけている。

 

「知らないわよ。名乗ったら突然襲いかかってきたもの」

 

 肩をすくめてそれに応えると、三人は次に黒装束の男へ問いかけるような視線を向けた。

 が、男は説明するつもりがないらしく、口を不機嫌そうに結んだまま、武蔵ちゃんをにらみつけるばかりだった。

 武蔵ちゃんはといえば、もちろん心当たりはない。

 だが、もう一度名乗ることでなにかしら情報を得られるのではないか、と再び名乗った。

 

「私は宮本武蔵。それは間違いないことよ」

「おいおい、そりゃいくらなんでも笑えねーな姐さん」

「貴女のそれが真実であるという証拠は?」

「証拠って言われると~……その~、困るんだけど、なにか不都合があるの?」

「宮本武蔵は俺の師だ」

 

 表情そのままの声音で、黒装束の男がそう答える。

 武蔵ちゃんはそれに瞠目する。そんな話聞いたことない……!!

 

「俺は宮本武蔵の弟子……! 桃太郎だ!!」

 

 やっぱり桃太郎だったか、と思う反面、どうなっているんだと混乱する武蔵ちゃん。

 金太郎――坂田金時がいたのなら、桃太郎がどこかにいても不思議ではない、とは思っていたものの、それが宮本武蔵の弟子だなんてどこを探しても聞いたことのない話だ。

 そもそも童話の中に、宮本武蔵が入り込む余地はない。

 

 おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。

 上流から流れてきた桃を拾って割ると、そこには赤ん坊が。

 すくすくと育った彼を、老夫婦は「桃太郎」と名付けた。

 やがて桃太郎は村を荒らす鬼の噂を聞き、鬼退治に向かう。

 おばあさんは手製のきびだんごを持たせ、それを見送る。

 道中、桃太郎は犬、猿、雉の三匹のお供を仲間に、鬼が棲む鬼ヶ島へ。

 鬼ヶ島で鬼を退治した桃太郎一行は、貯め込まれた財宝の山を手に、村へと帰ってくる。

 めでたしめでたし……。

 

 確かに、童話通り何の訓練もなく鬼を退治するならその手腕は恐ろしい。

 物語の裏で宮本武蔵に師事していた可能性も、なくはない。

 

「なくはないけど、ありもしないってところかな。いつも通りね」

「なにをぶつくさ呟いている。師匠の名を騙る女狐め、何が目的だ?」

「騙ると(そし)られる謂れはないけれど、目的だけはハッキリしてるわ」

「なんだ」

「そんなに怖い顔しない。別にあんたらをどうこうしようって話じゃないわ」

 

 もはや敵意なし、と示すため、諸手を挙げて武蔵ちゃんは続ける。

 

「私はただ旅をしているだけ。ここにもたまたま立ち寄っただけ。さいわいなことに止まり木のような人もいる。通りすがりの女剣士ってところね。よろしく」

「ふざけているのか。この時世で旅だと……?」

「ああ、鬼が出るんだものね。でも、充分力は示したはずでしょ?」

「そうだな。それは認めざるを得ない」

「あら素直」

「…………」

 

 桃太郎は武蔵ちゃんへと不満の色を隠さずにらみつける。

 確かに、武蔵ちゃんの言う通り、鬼に対しても、己に対しても、桃太郎はいやというほどその実力を味わった。激情に身を任せて切りかかったのが間違いだと――今、頭と胴体が繋がったままなのは、彼女の恩情によるものなのだと、理解している。

 

 認めたくはない――それは、師の神格化に近い感情だった。

 だが、認めねばならない。

 この女剣士は師よりも――宮本武蔵よりも強い、宮本武蔵だ。

 

「俺を鍛えてくれ、と言えばうなずいてくれるか」

「……ふうん。すぐ頭に血が昇るけど、考えは柔軟なのね」

「世辞はいい。どうなんだ」

「衣食住……は求めすぎだから、そうね、私も旅についてくわ。どうせやることないし。その道中のごはんの面倒見てちょうだい。あとできれば宿も。そこまでしてくれるっていうなら、一時の用心棒兼地稽古の相手を努めましょう。なんなら全員面倒見てもいいわよ」

「是非もない。よろしく頼む」

「じゃあごはん! ごはん食べに行こ! もうお腹ぺこぺこでさぁ~!」

 

 と言って、武蔵ちゃんはずんずんと歩き始めてしまった。

 それに慌てたのは桃太郎の仲間三人だ。犬とキジが戦い始めたのも、サルと桃太郎が駈け付けたのもまだ夜明け前の黎明時。今になってようやく日の出となったのだから、まずは方角を確認しなければ村へと戻ることもままならない。

 

「ちょっと待ってくれ姐さん。今村の方角を――」

「なんで君らが忘れてるのよ。みんなこっちから来たじゃない」

「……は」

「すごい。オレ、ニオイ消えてわからなくなってた」

「いや、しかし本当に我々がそちらから来たと?」

 

 サル、犬、キジの三人は懐疑的だった。

 あの激しい戦闘の中で誰がどの方向から来たかなど覚えていられるものか?

 よしんばわかるとして、それが一面の砂漠であればどうだ?

 

「サルよ、俺とお前の差はそこだな」

 

 と、桃太郎。

 その物言いからして、彼もどの方向から自分がやってきて、どの方向へ帰れば村へ着くのかがわかっている様子だった。それが強さと何の関係があるのか、とんとサルにはわからない。方向がわかったって勝負に勝てなければ元も子もないと、サルは思うのだが。

 

 不満顔になっていただろうサルに、桃太郎はどこか嬉しそうに笑って馬の腹を足で叩く。

 馬鹿にした、というよりはもっと優し気な雰囲気だった。

 やっぱり不満そうなサルが犬とキジを馬に乗せて桃太郎に着いていく。

 

「ていうか姐さん。ほんとにどっから来たんだ、アンタは」

「どこから来たのか、もう私にもわかんないのよね」

「さっきと言ってる事違うだろーが!」

「いやもう方角とかそういう枠じゃないんだよね~」

 

 お気楽そうに言うだけ言って、武蔵ちゃんは振り向く。

 あまり気にしていないようにも、そういう仮面をかぶっているようにも見える、微妙な表情だった。サルは思わずぐっと唇を結び、眉根を寄せた。本人的には聞かれて痛痒もないのだろうが。

 

「ん~、そうね。……アそうだ、亡国の女剣士ってカッコよくない? それで!」

「アンタなあ……」

「亡国と冠するからには、貴女の国も鬼に?」

「オレと同じ! オレも、鬼に、奪われた!」

 

 尋ねてしまった、という負い目を感じるサルだが、キジと犬は特段気にしている様子もなく追及する。

 桃太郎は、ちらりと馬上から武蔵ちゃんを横目で見るだけで、「そんなわけがないだろう」とは思っても口にしなかった。これほどの使い手がいる国が、そう簡単に滅びるとは思わないし、仮にその一歩手前だったとして手放すとも思えない。

 

 とはいえ、もちろんそれを今口にする意味がない。

 それでいいと判断して武蔵ちゃんが「亡国の」などと名乗ったのだと察したからだ。

 それに、これから旅についてくるというのなら、ここで仲間と距離を詰めておくのも悪くはない。

 ――と、つらつら考えたところで、桃太郎の本心は「余計なことを言って目をつけられたくない」というものなのだが。

 

「そうそう、あなたたちは鬼退治をしてるんでしょう?」

 

 今はどこに向かっているの、と武蔵ちゃんは訊ねるのでした。

 

 

      §

 

 

 朝餉時にちょうど帰ってきた桃太郎一行と武蔵ちゃんは、村人から暖かく迎えられ、砂まみれの体を清める間もなく食卓へと通された。

 食卓ではパンと牛乳、それに一粒が大きめの豆のようなものが出されていた。

 いくつかの世界を回った武蔵ちゃんだが、この豆がなんなのかはわからない。

 この世界特有の生産物なのか、それとも元から地球に存在しているものなのか。

 ただ、感謝の念と共に出された食料なので、決して悪いものではないだろう、と武蔵ちゃんは恐れることなく、両手を合わせていただきますしてから手を付けた。

 

「んん……、ん! これは……なんだっけ……どこかで……でも、たぶんこういうのじゃなくて……そう、ソース? 確かあれはどこの……」

「なんだブツブツと。気持ち悪いやつだな」

 

 という桃太郎の言葉も耳には入れず、どこかで確かに味わったことのある記憶を武蔵ちゃんは掘り下げていく。今出されているような果実そのまま――完熟しているのかしっとりした食感――ではなく、ソースとして味わったことがある、と彼女の舌は訴えている。

 では一体どこのなんのソースだったか。

 訛りの強い地域だった記憶がある。

 時代は現代に近く、周囲の人々はアジア系の顔つきだった。

 じゅうじゅうと焼けるソースの匂いがなんともかぐわしく――。

 

「思い出した! お好み焼きだコレ!!」

「おい、大声出すな。食事中だぞ」

「あはは、ごめんなさいね。つい」

 

 上機嫌になった武蔵ちゃんは、果実とパンとを交互に食べながら、それらを牛乳で流し込む。果実の芳醇な甘みは、お好み焼きにかかるソースの根幹で味わったものによく似ていた。

 とはいえそれだけではここがどのあたりの文化文明を基に続いた世界なのかがわからない。食事の雰囲気だけでいえば中東の砂漠地帯そのままかな、と武蔵ちゃんは中途半端な知識の紙片を持ち上げる。

 

 だとすれば、この果実はナツメヤシ……デーツだ。

 

「うん、おいしかった。ご馳走様でした!」

「ほんとにたらふく食ったなお前……」

「見ていて気持ちのいい食べっぷり。鳥の王国の馳走も召し上がっていただきたいものです」

「キジよぃ、そんな悠長なこと言ってる場合かよおめーは」

「がふっ! もぐもぐ……んまっ、はふはぐっ!」

 

 いまだにむさぼるように食べる犬を余所に、武蔵ちゃんの食事終わりを待っていた桃太郎一行は、その食べっぷりに呆れるやら感心するやら、反応に困っていた。

 牛乳で喉を潤してから、武蔵ちゃんは一行へと質問をする。

 

「それで、ちょくちょく名前が出てくるけれど、鳥の王国って?」

 

 桃太郎はキジの方を向くと、うなずき合う。

 武蔵ちゃんと向き合ったのは桃太郎だったので、事情を抱えているのがキジらしいことがわかったが、説明自体は桃太郎が行うのだろう。

 

 いわく――。

 鳥の王国には護国の双子戦士がいたという。

 兄の名はカラス。鳥の王国の〝力〟。畏怖と暴威の象徴だった。

 弟の名はキジ。鳥の王国の〝愛〟。博愛と融和の象徴だった。

 決して仲が良かったわけではないが、互いが互いを補い合い、鳥の王国の発展に大いに貢献した偉大な勇者だった。

 その繁栄は彼らが続く限り長く、長く続くものだと誰もが思っていた。

 

 鬼。

 鬼が現れた。

 鳥の王国は双子の勇者を将に据え、果敢に挑んだ。

 だが、その人智を超えた力の前に、徐々に追い込まれていく。

 

 カラスの心が奪われた。

 圧倒する力。灰塵すら残さぬ猛火。踏み潰されていく尊厳と、折れる心。

 万物を塵芥の如く粉砕していく鬼の力に――魅入ってしまったのだ。

 

 カラスは己の軍団を引き連れ、鬼へと転身した。

 キジは、離れゆく兄の心を繋ぎ止めるべく、大きく翼を広げた。

 伝心の舞。全身で伝える愛を、毎日毎日、ひたすらに踊り続けた。

 

 愚かだったのかもしれない。

 だが、必死だった。

 砕けゆく兄の心よ、わが舞に絆を見いだしたまえと、その大翼を模した大袖の鎧をさらに大きく、もっと大きく、色鮮やかに華々しく、信じ続ける姿は悲壮すら漂いながらも、キジは兄の心を取り戻すため、その舞踏を続けた。

 

 キジの愛は、とても大きかった。

 カラスのことだって、愛していたのだ。

 強い人だった。憧れていた。だから、知っていた。

 兄はいつだって張り詰めていたことを。

 

 カラスは、だけど確かに、鳥の王国を愛していた。

 支配と映るその治世が、兄の愛であることを、キジは知っていた。

 ただ鬼の振るう怪力乱神に、心が千切れ、己を見失っているだけなのだと、信じていた。

 

 ――だから届く。

 ――届けてみせる。

 

 民たちは確かに、カラスをおそれていた。

 だが、同時に、やはりカラスは英雄だった。

 荒ぶ人。そして、気高い人。

 心の片隅で、彼らも確かに、彼の愛を受け取っていた。

 

 ――翼をたため、と鳥の王はキジに言った。

 今いっとき羽を休めるがいい、と、王は言った。

 諦観さえ覗くキジの瞳に、しかし王は言った。

 

 足りぬのならば、みなで舞おう。

 想いを繋ごう。手を取り、羽を絡め、比翼となって大空を征こう。

 おまえまでが翼を折ることはない。お前だけがはばたくことはない。

 祈りによってわれらは繋がっている。

 兄に届けと舞ったお前の心は、われらの心もゆさぶった。

 

 われらもおそれずはばたこう。

 今、おまえに願いを託す。一族の翼をまとい、飛べ。

 われらの、おまえの英雄を取り戻すのだ。

 

 あの行方の知れぬ力に冒させてはならぬ。

 完全なる鬼に堕としてはならぬ。

 それは間違いなく、われらの願いであるのだ――。

 

 果たしてキジは、鳥の王国の一族全員の願いを託された。

 英雄に愛を届けるため。

 兄へ愛を伝えるため。

 

「つまり、その鬼になったカラスって人をどうにかするってことね」

「そういうことだな」

「……今鳥の王国はどうなってるの?」

「王を中心に民たちが祈祷と舞によって王国を守護している。時間は然程かけられん」

「なるほどねえ」

 

 おそらく王国に踏み込めない鬼たちは、王国から出たキジの行方に向かって派兵しているのだろう。戦力の逐次投入で一見愚策のようにも見えるが、時間稼ぎが目的ならまだうなずける。

 鬼の心境は完全に見通せないものの、武蔵ちゃんはカラスが故郷を落としたがっている理由を想像してみた。考えられるものとしては、己を疎んでいた一族への復讐か、あるいはしがらみを切り捨て、完全に鬼へと転じてしまおうというところか。

 

 最悪なのは「力をふるってみたい」という餓鬼くさい理由だったときだ。

 だが、武蔵ちゃんはその心配はあまりしていない。というのも、そこまで堕ちたのならばもはや容赦のしようがないからだ。前者二択ならばまだ、キジらの言う「愛」を伝える余地はあるのだろう。

 

 だが、怪力乱神たる鬼になって後者を選ぶのならば、それはもう完全なる鬼だ。

 斬るしかなくなる。武蔵ちゃんからするとあとはもう斬るだけ! となるなら簡単だ。だが、桃太郎一行がそう簡単に終わらせてくれないだろう。

 そのあたりが面倒だ、と武蔵ちゃんは思うところだ。

 

「ま、私はどこまで付き合えるかわかんないからね。ある日宿屋から消えてても驚かないで頂戴ね。自分でもわからないうちに消えちゃうことってよくあるから」

「まるで神隠しにでも遭ったかのように言いますね、貴女は」

「あー、そっか。神隠しか。そうね、私の境遇って神隠しが一番近いのかも」

 

 キジと武蔵ちゃんとの会話に牛乳で口内を潤していた桃太郎は訝し気に顔をゆがめた。

 

「お前、神隠しに遭ってるのか?」

「そんな感じです。頓珍漢な世界から、今にも滅びそうな世界まで、迷子のようにあっちに行ってはこっちに行って、巡り巡って桃太郎。まさか鬼退治に同行するなんて思ってなかったわ」

「…………つまり、それは……」

 

 桃太郎はそこまで言って、言い淀んで飲み込んだ。

 犬とサルは特段気にする風でもなかったが、キジも桃太郎同様になにかに勘付いたようで口をつぐんだ。

 想像を膨らませるだけで、背筋をぞくりと悪寒が駆け抜ける。

 

「そんなに重く受け止めないでよ。私は気にしてないんだしさ」

 

 察するに余りある態度を取った二人に、武蔵ちゃんはそう言って気遣う。

 最後にコップを覗き込んで牛乳がもうないことを確認してから、武蔵ちゃんは立ち上がった。まずは装備を整えねばなるまい。砂漠を行くというのなら、それに似合った装備をしなければ死んでしまう。

 

「誰か買い物に付き合ってくれない?」

「俺は今から村長に報告をあげなきゃならない」

「オレもだ。大将に付き合わなきゃなんねーからよ」

 

 そうすると、残りのキジと犬はどうだろうか。

 視線を向けると、キジはゆるりとうなずいた。

 犬は無邪気そうにうなずくと、さっさと立ち上がって宿の外へと出ていく。

 

「じゃあ二人、借りてくわね」

「待て。金だ」

「おっとと」

「今朝の報酬だ」

「そ。ならもらっておきます。ありがと」

 

 武蔵ちゃんは桃太郎から投げ渡された銭の詰まった袋を掲げ、キジと犬とを引き連れて村の市場へと向かった。

 武蔵ちゃんが提示した「旅の間の食住」の充実とは別のものだったが、契約締結前の今朝の助太刀分だと言われたのなら受け取らないのは礼に失する。武蔵ちゃんにしても、誰かを連れて行こうとしたのは金がなかったからなので、渡りに船とはこのことだった。

 

 

      §

 

 

 キジは目の前の不可思議なる女性の背を眺め、物思いに耽る。

 風のように現れ、自身と犬の窮地を救った女剣士。その腕は桃太郎に迫るものがある――と最初は思っていたのだが、実際にはその遥か上をゆく腕前だった。

 村の帰り道に、いささか不躾かと思ったものの、キジが桃太郎へ武蔵ちゃんの所感を問い質したところ、彼は難しい表情を浮かべはしたものの、ぽつぽつと語ってくれた。

 

『あれは奥義に至った剣士だ。己の理想のもと剣の術理を構築し、己の哲学のもと剣の合理を磨き、己の信念のもと剣の道理を通す、その果てにたどり着く剣の究理――それが奥義だ』

 

 キジが桃太郎は、と聞けば、渋い顔をされてしまった。

 つまり、彼と互角以上に剣を振るう師である方の宮本武蔵も、まだそこには至っていないということだろう。その途上、あるいはたどり着けずに終わってしまう才能である可能性も捨てきれない。

 

 つまり武蔵ちゃんは、あの若さで奥義に開眼した天賦の剣才を持つということ。

 キジは聞かなかったし、桃太郎も言わなかったが、もしかしたら鬼化したカラスでさえ武蔵ちゃんには届かないかもしれない。

 

 この風のように軽やかな女性が、今朝には鬼の返り血にまみれていたなんて、間近で見ていたキジ自身ですら信じられない。それほどまでに、今の武蔵ちゃんは自然体だった。

 

「ねえ、えっと、犬くんだっけ?」

「んん、オウ、犬だぞ」

「あなたはどうして桃太郎と鬼退治してるの?」

「……母さんが殺された」

 

 朝日が、彼の白髪とまとう毛皮を銀色に輝かせた。

 悲しみの表情の中に、怒りを瞳に湛え、唸るように犬は言った。

 

「母さんは、人間のオレ、自分の仔のように育ててくれた。山で、みんな、狩りをして生きてきた。でも、鬼が突然来て、母さんと、みんな殺した……! だから、オレも殺す! 鬼、殺す!」

「……なるほどね」

 

 毛皮の外套を強く握る様子と、犬の口振りから「親は人間ではない」ことを察した風に、武蔵ちゃんはこぼす。

 同情をしているようにはキジには見えなかった。

 まして復讐なんてやめろ、とも言わないだろうと感じていた。

 

 剣の道に生きていれば、多かれ少なかれそういう輩が現れる、とは桃太郎。

 彼自身は鬼退治に切っ先を向けているため、今は誰からも恨まれるようなことはないはずだが、これからどうなるかはわからないと世間話のように話していたことをキジは思い出す。

 目の前を行く可憐な少女も、そういった血腥い道程を歩んできたのだろうか。

 そう思うと、キジはどうしてもいたたまれなくなってしまう。

 

「犬くんはさ、親の仇を殺すだけじゃ満足しなかったの?」

「? ……よく、わからないぞ」

「ああ、そうね……」武蔵ちゃんは思案顔になって、一言一言確かめるように続けた。「あなたの山を襲って、あなたの母上と仲間を殺した鬼を、桃太郎と斃したのよね?」

「そうだぞ。皆殺しにした」

「犬くんの復讐は、そこで終わらなかったの?」

「いいや、終わったぞ」

「あら……」

「今は、桃太郎と一緒に戦ってるんだ。オレみたいな思いをするヒトは、いない方が絶対にいい。だから鬼を殺す。みんな殺す」

「へえ、なるほどね」

 

 慈愛すらにじませる笑顔で、武蔵ちゃんは犬の頭を撫でた。

 それにキョトンとした犬も、次の瞬間には褒められていると解釈して無邪気に笑った。

 それから武蔵ちゃんは、どこか晴れやかな顔をして、キジに向き直った。

 

「犬くんの言葉で、桃太郎のこともすべて納得しました。ごめんなさい、私ってば素直じゃないから、あなたたちの善性を信頼するなんてことできないの。でも、あなたたちの中で一番純粋な犬くんが、こうして桃太郎につくというなら、もはや憂いはありません」

「……それは、どういう?」

「この宮本武蔵、心根からあなたたちの助けになると約束します」

「我々に稽古をつけてくれる、用心棒になってくれる、という契約を交わしたはずですが?」

「それって口約束だし、私は対価を要求したわ」

「ではこれからは無償で協力してくれると?」

「それはそれ。これはこれ」

「ふふ……なるほど、私もあなたの性格が見えてきました」

 

 つまり武蔵ちゃんは、契約上の関係のみならず、それある限り仁義にて助太刀すると言っているのだ。素直ではなさそうだが、律儀ではありそうだ、とキジは武蔵ちゃんの性格を見た。

 

 そして、先ほどの犬との問答。

 己の中に迷うものはないとはいえ、今一度見つめ直すのも必要かもしれない、とキジは思う。

 兄へ愛を伝えること。

 それではもう、兄が鬼から戻らぬことは理解している。

 だから、打ち倒す必要があることも、わかっている。

 それでもわが想いを――われらの想いを伝えたいと、心をつなげたいと願うのは。

 

「兄上……」

 

 陽も昇り切った蒼天に、キジのつぶやきが溶けていく。

 兄を討ったのち、自身の心は果たして、犬のような勇気と共に進めるのだろうか。

 生ある限り、終わりではないのだ。

 為したこと、選んだ道を噛みしめながら、進まねばならぬのだ。

 

 ああ。であれば。

 選んだ道は、決して間違いではないと、胸を張るほかない。

 その果てに死ぬるとも、これこそ我が人生と、言わねばなるまい。

 だからこそ、揺れてはならぬのだ。

 

 比翼にならぶ連理の枝。

 願いこそが翼ならば、意志こそが枝である。

 比翼連理を揃えねば、キジはカラスを救えまい。

 カラスには愛を。しかし、それだけでは足りないのだ。

 

 この天賦の才を持つ女剣士と征く旅の中で、鍛えてもらわねばなるまい。

 さいわい、桃太郎との助太刀契約の内容には稽古も含まれている。

 いや、もしかしたら桃太郎はキジの内心を読んでいたのかもしれない。

 カラスを越えた、その先をまで見据えて。

 

「誰もかしこも皆、私よりも逞しく美しい。それでこそ、私の翼も広げ甲斐があるというものか。……私のこの愛、皆の願いを受けて大きく広げるとしようではないか」

 

 旅は続く。

 





Fate/Grand Order -Epic of Remnant- 英霊剣豪七番勝負
次回更新は4月23日(火)!
 
次回からいよいよ村正登場で物語も七番勝負本番へ。
圧倒的画力で描かれるFGO屈指の難易度を誇る物語が読めるのは、
マガジンポケットだけ!

単行本もまだ発売予定はたってないっぽいので、
先行公開分以外は全話無料で読めますよ!
 
やはり大胆なダイマは二次創作者の特権であるな。


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