星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow (ていえむ)
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一日目その1 旅する水着と三度目の夏

※注意
本シリーズにはクラス変更した既存キャラが登場します。半オリ鯖な扱いとなりますので、苦手な方はブラウザバックをお願いします。


それは夏も盛りの八月某日。世間ではバケーションだなんだと騒いで海やら山やらに出かけているが、ここカルデアでは無縁のこと。

グランドオーダーに関する査問は遅々として進まず、かといって今は微小特異点の発生も認められず、暇を持て余していたカドックはたまたま目についた一人のサーヴァントと朝のティータイムを過ごしていた。

いつもならアナスタシアか、そこに更に立香とマシュが加わったメンバーで席を設けるのだが、生憎と全員が用事があるとかでまだ食堂には来ていない。なので、先ほどから喋りっぱなしの彼女の相手をカドックは一人でこなしていた。

もっとも、面倒くさくはあっても不快感はなく、やや大げさな身振りも交えた彼女の話は所々で引き込まれる部分も多い。何気なく聞き返してしまい、そこから更にスケールの大きな話が引っ張り出されるなんてしょっちゅうだ。

つまりは、それだけ彼女が暮らしていた世界は波乱に満ち溢れていたのだろう。サーヴァントユニヴァースとやらは。

 

「ええ、いつものことながらヴィラン連合には手を焼かされましたが、それはそれは。なんやかんやとありまして、浮かび上がった街も元通りとなり、ここに新円卓は結成されました。ヴィラン達への正義の報復が始まったのです」

 

そう言って見栄を切る様にポーズを取ったジャージ姿の少女――謎のヒロインXが話していたのは、彼女の出身地であるサーヴァントユニヴァースとやらで起きた事件の一つであった。

曰く、凶悪なヴィランが暴れ回り、討伐に出た大英雄との戦いの余波で被害が拡大。紆余曲折を経て正義のチーム「新円卓」を結成するに至った流れである。

 

「明らかに敵よりも内ゲバで崩壊しかかってなかったか、新円卓?」

 

「超人ヘラクが暴走した時は、どうなることかと。ライオンヘッドがこんなこともあろうかと用意していた直流式駆動外装ヘラクバスターがあったから良かったものの、それはそれでまた色々と遺恨を残す結果となり……」

 

「創立メンバーなのに、次話で消えたのはそういう理由か」

 

こちらの歴史でもギリシャの大英雄は過酷な人生を送っていたが、向こうは向こうでかなり悲惨な目に合っていたようだ。

とんでもない暴れっぷりから切り札扱いはされど信用されず、白い眼で見られてばかり。挙句、遠い宇宙の彼方に追いやられてしまったらしい。

もっとも、そこで新しいヒロインと結ばれ、帰還後は自分に似たマッチョなサーヴァントを集めてチームを結成するなど、最近はうまくやれているようではあるが。

 

「それにしても、本当に同じ顔の人がいるんだな」

 

「ええ、もちろん。初めて赤いアーチャーと出会った時はびっくりしました」

 

カルデアにいるほとんどのサーヴァント達は、サーヴァントユニヴァースでも存在していて正義と悪に分かれて戦っているらしい。

興味深いのは、明らかにこちらの人類史とかけ離れた成り立ちであるにも関わらず、姿形や人格が似通っているということだ。

平行世界の同位体というだけでは、到底片づけられない事象ではあるが、生憎とカドックにはそれを解き明かす術はなかった。

ついでに言うと、向こうの宇宙にちょっかいを出す気もなかった。こうして話を聞く分には構わないが、首を突っ込めば貧乏くじを引くことになるのは分かり切っているからだ。

ただ、少しくらいなら質問しても構わないだろうと、カドックは頭に思い浮かんだ率直な疑問を口にした。

 

「そっちには、僕はいるのか?」

 

ここまで同じ顔の人物が溢れ返っているのなら、自分のような英霊でもないただの人間だっているのではないだろうか。そんな些細な疑問であった。

もちろん、荒唐無稽な絵空事のような世界でなら、彼ら英霊のように自分も活躍できているのではないだろうかという細やかな願いも含まれていた。

それはこの世界では決して叶わない願いではあるけれど、望むくらいの自由はあってもいい。そんな理由からの問いかけであった。

 

「マスターですか? ええ、もちろんいますよ。有名人です」

 

「え?」

 

自分で振っておきながら、それだけはありえないだろうと思っていた答えに対して、思わずカドックは真顔になって居住まいを正した。

自分のような凡人が有名人。いったい、何で有名になったのだろうか。そもそもそれは本当に自分なのだろうか。

色々と聞き返したい衝動を必死で抑え、カドックは彼女の次の言葉を待った。

 

「こちらでは無名でしたので、気づくのに時間がかかりましたが、マスターはサーヴァントユニヴァースでは知らない人はいないミュージシャンです。いえ、残念ながらメジャーデビューはまだですが、ライブハウスは常に満員、スキャンダルにも事欠かないお騒がせバンドとして世間を日夜、騒がせていますよ。向こうではレックスと呼ばれていますね。確か、メジャーデビューに向けた新曲を作っていると聞きました。きっと大ヒット間違いなし、ミリオンまっしぐらですね」

 

「そうか……王者(レックス)か……」

 

悪くない。むしろいい。

今の自分の境遇とかけ離れすぎていて実感は湧かないが、そんな可能性もあったっていいはずだ。

向こうの自分がそうして成功を掴みかけているのなら、こちらも大いに励みとなる。

何だか気持ちも羽根が生えたように軽くなってきた。

しばらくご無沙汰だったが、久しぶりに弦を引いてみるのもいいかもしれない。

そんな事を考えていると、不意に甲高いアラーム音が食堂内に鳴り響いた。

音の出どころは、ヒロインXがポケットに突っ込んでいた通信端末だ。

 

「あ、もう時間ですね。私はもう行きます」

 

「何か用事でもあるのか?」

 

「ええ、同窓会の誘いが来ていまして、一度故郷に戻ろうかと。あ、カルデアとのパスは繋がったままなので、セイバー討伐の際はいつでも駆け付けますよ……では!」

 

ビシッ、という擬音が聞こえてきそうなくらい、切れのいい動きで敬礼したヒロインXは、足早に食堂を後にした。

一人残されたカドックは、何となくその後ろ姿を見送りながら紅茶が残ったカップを口へと傾ける。

すると、ヒロインXと入れ替わるように自身のサーヴァントであるアナスタシアがやって来た。

だが、何だかいつもと雰囲気が違う。性根はともかくとして、普段の彼女はとても皇女らしくお淑やかで慎ましい姿を心がけているが、今の彼女はそんな皇女としての仮面が外れてとても浮足立っているように見えた。今にもスキップなぞし出しそうなくらい浮かれている。

経験から、カドックは嫌な予感を覚えた。ああいう時は絶対、何か悪戯を企んでいるのだ。そして、主に被害に合うのは自分だ。

 

「遅くなってごめんなさい。けど、お茶会は延期にします。急いで支度をしなさいな」

 

「支度?」

 

「もちろん旅行の支度よ。喜びなさい私のマスター、あなたにようやく夏休みが訪れるわ」

 

「君が相当に浮ついているってことだけはすぐに理解できた」

 

「ええ、何と言ってもハワイよハワイ。ふふっ、今から楽しみね」

 

「ハワイだって? いや、確かにカルデアは少し前から夏季休暇に入ったことは入ったが……」

 

それはあくまでスタッフの話であり、サーヴァントには関係ないのではないだろうか。

だいたい、特異点が発生しなければ各々が好き勝手に過ごしているので、夏季休暇も何もないだろう。

ましてやここは最南端の僻地、南極のカルデアベースだ。気軽に旅行へ出かけられるような環境ではない。外は猛吹雪なのだ。

 

「あら、ダ・ヴィンチちゃんから聞いていないの? 査問が長引いて音沙汰もないから、サーヴァントにも外出が認められたのよ」

 

曰く、カルデア式の召喚術式ならばマスター不在でも魔力を電池のように分け与えることで現界を維持できると聞いた黒髭の海賊が、ダ・ヴィンチに泣きついたのだそうだ。

どうしても出向かなければならない用事があるらしく、涙と鼻水を零しながら額で床を磨くほどの土下座で頼み込まれたとあってはダ・ヴィンチも無碍にはできない。

加えて他のサーヴァント達もほとんどが彼に同調して夏休みを要求してきた為、カルデアの英霊達はみんな思い思いの旅に出てしまったとのことだった。

 

(それでXも故郷に帰ったのか)

 

そういえば、今朝は嫌に廊下が静かだと思っていたが、それはサーヴァント達が既に出かけてしまって誰もいなかったからなのだ。

 

「……待った、ハワイに行くのは構わないが、僕も同行できるのか?」

 

さっきも述べたようにカルデアは気軽に外出できるような立地ではない。加えて秘匿機関である以上、職員の出入りは厳しくチェックがされている。

ここに詰めている者の中には、数年単位で帰国していない者もいるくらいだ。だから、休暇といっても大抵の場合は自室で過ごす職員が多い。

そんな疑問を口にすると、今度はいつの間に潜り込んだのか、立香が机の下から生えるように頭を出してきた。

 

「実は、これもお仕事なんだよ、カドック」

 

「うわっ、驚かせるな……って、何だその格好?」

 

這い出てきた立香の服装は、迷彩柄のハーフパンツに青いアロハシャツという非常にラフな格好であった。しかも腕に浮き輪を通し、首にはシュノーケルを下げ、右手にはウクレレ。まるでお上りさんの見本市みたいな格好だ。

その姿を見たカドックは、これが仮にも人類史を救ったマスターで、自分が尊敬する友人なのかと、軽い頭痛を覚えながら自問したが、生憎と反論できる材料はどこにも見当たらなかった。

この藤丸立香。ふざける時はとことんまで羽目を外す性格なのはこの長い付き合いで嫌というほど味わってきている。

 

「仕事の割には楽しそうな格好しているな、お前」

 

「早めに終わらせられれば後は自由にして良いって、ダ・ヴィンチちゃんが太鼓判を押してくれたからね。マシュも今、出かける準備をしているよ」

 

「そうか……で、ハワイで何が起きているんだ? 宇宙人がバーリアでも張って軍艦が孤立したか? 何ならミズーリでも動かすぞ」

 

何しろ去年はレース、その前は無人島でサバイバルだ。次は何が来たっておかしくはない。そんなつもりで冗談を口にし、カップに残っていた紅茶を全て飲み干す。

自分でもあまりうまくはない冗談だなと思って胸の中で自嘲していたが、次の瞬間に立香が口にした言葉でカドックは我に返った。

そして、自分の軽はずみな発言が、あながち間違いでもない事を思い知らされる。

 

「シバが探知したのは、フォーリナーなんだ。ハワイ諸島でフォーリナー反応が検出されたんだ」

 

これが、長い長い夏休みの始まりであった。

 

 

 

 

 

 

降臨者(フォーリナー)

つい最近になって認定されたエクストラクラスの一つ。

この世界の外――外宇宙からやって来た異星人やそれに類するものと通じ合った存在。或いはそれそのものを指す。

カルデアでもまだ二騎しかその存在を確認できておらず、未だに謎の多いクラスだ。

その兆しがハワイ諸島にて観測されたらしい。

本来ならばカルデアが出向くような案件ではない。カルデアの職務はあくまで人類史の保証であり、歴史の観測か特異点の消去に限られる。

だが、フォーリナーはその内に人知の及ばない力を秘めており、かつてはたった一人のフォーリナーを生み出す為だけに特異点が形成されたこともあった。

放っておけば何が起きるか予測もつかないため、司令官代行であるダ・ヴィンチは調査の為にマスターとサーヴァントの派遣を決定し、その日の内にカドックと立香は機上の人となった。

しかも、特異点の発生は認められないのでレイシフトの使用が認められず、民間の飛行機を使って直接、現地へと赴くことになったのである。

アナスタシアがこの仕事を夏休みと称したのはそれが理由であった。

 

「大丈夫、観光ガイドは万全よ。楽しみね、カドック」

 

「一応、これも仕事なんだから気を抜かないでくれ、アナスタシア」

 

そう言いつつも、カドックは誘惑に抗えずリクライニングシートを倒して全身を脱力させる。

急な事態であったため、用意できた飛行機のチケットは座席のクラスが統一されていなかった。

そして、熾烈なじゃんけん合戦の結果、カドック達はファーストクラスを勝ち取ったのだ。

椅子は柔らかく、手足を大きく伸ばしても隣の客に迷惑をかけることはない。エコノミークラスのように狭苦しい思いとは皆無だ。

しかもワインアドバイザーが厳選した最上級のワインが飲み放題、食事も高級ホテルのレストランもかくやというほどの創作料理である。

こんな機会でもなければ、まず体験することもできないだろう。エコノミークラスにいる立香達には悪いが、これも勝者の特権というやつだ。

 

「そういえば、オルタは随分、大人しいな」

 

ファーストクラスの席を手に入れたのは自分達とジャンヌ・オルタの三人なのだが、彼女の席は少し離れたところにある。

元々、大勢で騒ぐような性格ではないが、離陸してから一切、音沙汰がないのも不気味である。

 

「眠っているわ。アイマスクに耳栓までして……ハワイに向けて英気を養っているのね」

 

「そのマジックペンはしまっておくんだ。こよりも捨てろ」

 

嬉々として悪戯を仕掛けに行こうとしたアナスタシアを制しながら、カドックは眠っているジャンヌ・オルタに思いを馳せた。

本来ならば存在しえない反英雄。聖杯によって生み出された虚像が復讐者としての霊基を獲得して生まれたあやふやな存在。それがジャンヌ・ダルク・オルタだ。

その出自故に彼女はあまり人となれ合わないのだが、どういう訳かこの一件にはかなり乗り気で強引に同行を申し出てきた。

ちなみに他の同行者はロビンフッドに牛若丸。そして、たまたま近くにいた茨木童子だ。彼らは立香やマシュと共にエコノミークラスで騒いでいることだろう。

ともかくジャンヌ・オルタは今回の任務にとてもやる気を出している。それは恐らく、責任感からくるものではなく単にハワイ旅行を楽しみたいという邪なものなのかもしれないが、存在そのものが虚構である彼女の場合、それもやむなしというものだろう。

オリジナルであるジャンヌ・ダルクのような故郷でのびのびと過ごした記憶すら彼女は持っておらず、胸の内は常に復讐の炎に焦がされている。少しくらい、それを忘れて羽目を外したところで天罰は下らないだろう。

 

「そろそろ到着ね」

 

「アナスタシアは、夏はどんな風に過ごしていたんだ?」

 

「家族みんなで避暑に出かけていたの。クリミア半島に宮殿があって、そこで……」

 

とりとめのない会話をしていると、やがて飛行機が着陸態勢に入る旨を伝えるアナウンスが聞こえてくる。

カドックは倒していた座席を起こし、シートベルトを締めて着陸に備えた。すると、静かに伸ばされたアナスタシアの右手が、ひじ掛けに乗せていた自身の左手に重ねられる。

視線を向けると、少しだけ頬を赤く染めたアナスタシアが俯いているのが見えた。

カドックはほんの少し胸が高鳴るのを覚えながら、そっと手の平を返して互いの指を絡ませる。

まるでこの場に他の人間などいないかのような錯覚。二人はいつまでも見つめ合いながら、飛行機がその翼を休ませる時を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

ダニエル・K・イノウエ国際空港へと到着したのは、太陽が顔を出してから数時間といったところだろうか。

南極からここまでほぼノンストップで運ばれてきたので、時差ボケで少し頭が揺れている。それは合流した立香も同じようで、合流した荷捌き所からここまで眠そうに目を擦っていた。

今も手近な柱に背中を預けており、放っておくとそのまま眠り込んでしまいそうだ。

 

「先輩、しゃきっとしてください。ハワイに着きましたよ」

 

「う、うん……大丈夫……」

 

そう言いつつも、先ほどから瞼が何度も落ちかけている。

これはさっさとホテルを探した方が良いかもしれないと、カドックは提げていた旅行鞄を担ぎ直した。

すると、鞄の中から持参した研究用の実験器具が中で転がる音が聞こえてくる。固定が甘かったのかと顔をしかめたカドックは、担ぎ直した鞄を床に降ろして中を検めようとした。

そこでふと、不思議そうに空港内を見回しているマシュの姿に気づく。

 

「……どうしたんだ、マシュ?」

 

初めての旅行に浮足立っている、という訳ではないようだ。気分の高揚とは違う、何か据わりの悪さのようなものを感じているようだ。

 

「え? はい。何だか、空港の様子が写真とちょっと違うような気が……」

 

「そういえば、入国審査もまだ通過していないわ。普通、荷物を受け取る前に行うものでしょう?」

 

アナスタシアの疑問に、カドックははたと作業の手を止める。

 

「……ロビン」

 

「……ああ」

 

言葉少なに目で合図を送り、カドックとロビンは周囲に気を配った。

もっと早くに気が付くべきだった。

ここは既に空港のエントランス。後、二百メートルほど歩けばそこはもう空港の外だ。

国際線の利用なんて数えるほどしか経験していないが、それでも入国審査も受けずにこんなところまで、来れるはずがない事はわかる。明らかにおかしい。

ひょっとしたら何かしらの攻撃を既に受けているのではないだろうか。今までも散々、予測もできないトラブルに巻き込まれ続けてきたので、どうしても神経質になってしまう。

だが、その緊張した空気はすぐに破壊されることとなった。

 

「――焼死。いえ、笑止。まったくなってないわね。これはフォーリナーの妨害かもしれない。まず考えるべきなのはそこよ」

 

長い髪を靡かせ、悩まし気なボディを惜しげもなく晒した竜の魔女がコツコツと床を鳴らしながらこちらに近づいてきた。

その姿はいつもの鎧姿ではなく、黒のビキニの上からジャケットを被った夏仕様だった。そして、何故か腰には日本刀が提げられている。

飛行機を降りるなり姿を消したようだったが、どうやら水着に着替えていたようだ。

射し色の赤や鋭い目つきも合わさって、オーソドックスなデザインの割にとても挑発的な印象を受ける。

元々、体型も引き締まっていて胸もなかなかのものを持っていたので、それが解放されたことでとても凶悪な凶器が誕生してしまった。

歩く度に揺れ動く様は目の毒以外の何物でもなく、この街の危ない輩も極楽へひとっ飛びであろう。

だが、何よりも恐ろしいのは、このコーディネイトを出発までの短時間で用意してみせた彼女の執念だろう。

ハワイに賭ける彼女の熱意がこちらに伝わってくるかのようだ。余りの熱意に霊基までバーサーカーに変質している。

 

「いい、ここは既に敵地。油断は即、死に繋がると思いなさい。呑気に観光に来たわけじゃないのです。わかりますか?」

 

「はあ、まあ……その通りですが」

 

話を振られた牛若丸が歯切れの悪い返事をする。

普段はあまり空気を読まない彼女も、ジャンヌ・オルタの勢いに呑まれてしまっているのだ。

それは他の面々も同じであった。第一、敵への警戒はいの一番に自分とロビンが行っていた。

ただ、それを指摘すると逆上されることは分かり切っていたので、自分もロビンも藪を突く事はなかった。

 

「相手は異邦の怪物、フォーリナー。遭遇次第、最大火力を叩き込む心意気で。なら、私達がやるべき事は何かしら? カルデアハワイ支部に連絡を取り、早急な状況認識でしょう」

 

「なあカドックよ。薄着でなに言っとるんだコイツ? というか、それ水着というヤツだな? なぜ日本刀を? カッコイイからか?」

 

渾身のドヤ顔を決めるジャンヌ・オルタに対して、茨木童子の鋭い言葉がナイフのように突き刺さる。

さすがは鬼の頭領(ジャパニーズ・オーガ)、容赦がない。誰もが敢えて口にしなかった疑問を一刀両断だ。

 

「フン……ハワイにはハワイに相応しい装いがあるというものでしょう」

 

「ガイドにはそうあったな。理屈は分かる。だが、まだ着替える必要はないのでは? 我らは一般人に偽装して潜入しているのだろう? 空港(せきしょ)で武器など、吾は怪しいと思うのだが」

 

「何でこの子、正論でビシバシ突っ込んでくる訳!?」

 

(何でバーサーカー同士がこうも理屈っぽい口論できるんだろうな、本当?)

 

これでは会話らしい会話ができないヘラクレスやランスロットの立つ瀬がないというもの。

聖杯戦争における狂戦士のクラスの定義について、改めて問い詰めたくなるカドックであった。

 

「い・い・か・ら! さあ、あなた達もハワイらしい姿に着替えなさい!」

 

結局、勢いで誤魔化そうとするジャンヌ・オルタをマシュが宥める形でこの話は打ち切りとなった。

 

「着替えるのはホテルに着いてからにしますから」

 

「では、私は両替に行ってきますね。お任せを、段取りは事前に覚えていますので」

 

そう言って、牛若丸は外貨両替所に向かって駆けていく。

ジャンヌ・オルタの登場ですっかり気勢を削がれてしまったが、よくよく考えれば既に攻撃が始まっているのなら何らかのアクションが起きていてもいいはずだ。それがないということは、少なくとも今はまだ身の危険もないということだろう。ひょっとしたら、違和感も単なる勘違いかもしれない。

とりあえず今は、ジャンヌ・オルタの言う通りハワイ支部と連絡を取ってハワイの状況を確認するのが良いだろう。

 

「あれ? 通信が……」

 

「どうしたの、マシュ?」

 

「先輩、ハワイ支部から応答がありません。回線は開いているのですが……」

 

「電波が悪いとか? 牛若丸には申し訳ないけど、先に外に出てみる?」

 

「待て待て、入国審査が先だ。税関を探せ税関を!」

 

眠そうに目を擦りながら、空港の出入口へと向かう立香を制し、カドックはそれらしき場所はないかと周囲を見回した。

すると、まるでそれを嘲笑うかのように、どこからか蠱惑的な少女の囁きが聞こえてきた。

 

「ふっふっふ、まだ悠長にそんな常識(コト)を考えているんですかぁ? あなた達に面倒な手続きは必要ありません。何故って……今からこの島は来る者は拒まない、けれど去る者は決して逃がさない……そんな天国と地獄のフリーアイランドになったからですよ」

 

一瞬、背筋が訳も分からず震え出す。

それは立香も同じだったのだろう。時差ボケの眠気も吹っ飛ばし、顔色を青ざめさせた少年は唇に指を這わせながら、震える声で呟いた。

 

「こ、この小悪魔後輩的な声は……!」

 

「後輩……?」

 

「マシュ、どうしてそこに反応する?」

 

そんなに大事なのだろうか、後輩という立ち位置が。

 

「もう、そういう無粋なツッコミはなしでお願いします!」

 

再び聞こえてくる猫なで声。それと共に現れたのは、自分達がよく知る人物であった。

だが、服装がいつもと違う。普段の黒い衣装は脱ぎ捨てられ、バレーボールのように弾む双丘は白い水着に強引に押し込まれている。

その上から羽織られた黄色のパーカーも肩を露出するように気崩しており、最早着ているのではなく体に結っているという表現の方がしっくりくる。

白い肌を惜しげもなく晒した艶めかしい夏のスタイルだ。

 

「はーい、憐れなマスターさん2名とサーヴァントさん6名ごあんなーい☆」

 

「君は……」

 

「はい、いまさら自己紹介は必要でしょうか? 必要ですよね? 必要ですとも! それでは張り切ってアピールしちゃいましょう!」

 

(まだ何も言っていないぞ。何だその三段活用は!?)

 

「止めろと言ったのに無粋な心の声が聞こえた気がしましたが、敢えて無視しますね」

 

(どうしてわかった!?)

 

思わず口を手で塞ぐが、そんなものは無意味ですとばかりに少女はウィンクする。そして、勿体ぶった踊りのようなポーズと共に、予め用意しておいたのであろう口上を朗々と読み上げていく。

 

「こほん……照り付ける太陽より熱く、蒼い海より清らかなみんなのアイドル――――月のスーパーAI・ムーンキャンサーBBちゃん、今回はセンパイ達を応援(チア)する水着で登場でーす!」

 

そう、彼女の名はBB。本当は違うらしいのだが、誰も知らないし本人も語ろうとしない。

曰く、平行世界の未来からやってきた月のAIであり、いつの間にかカルデアに居ついていた謎のサーヴァントだ。

何でもできると自慢しながらも日々、いたずらを仕掛けてばかりのはた迷惑な英霊もどきである。

 

「はい、今回は皆さんのナビゲーターとして先回りしました。というかぁ――」

 

「主殿! 大変です、主殿!」

 

BBの言葉を遮り、血相を変えた牛若丸が駆け戻ってくる。

手には外貨両替所で交換してきたのであろう紙幣が握られていたが、何があったのか只ならぬ様子であった。

 

「見てください、この紙幣を! どうみてもアメリカ紙幣ではありません!」

 

そう言って牛若丸が差し出したのは、確かにアメリカの紙幣ではなかった。米ドルには歴代の大統領の顔が印刷されているのだが、その紙幣に描かれていたのは大統領でもエジソンでもなく、どこかで見たことがある金色の英雄であった。

 

「この、どこかで見覚えのあるプリントは――!」

 

「僕はもう、嫌な予感しかしない……」

 

別に機内で飲んだミネラルウォーターが合わなかった訳でもないのに、猛烈な胃痛が襲いかかってくる。

胃薬が欲しい。後、危険手当も。

先ほど、攻撃を受けているのではと危惧していたが、あながち間違いではなかった。既にこのハワイはBBの術中なのだ。

 

「これはギルドルッシュ? ふざけているんですか! こんなのは憧れのハワイではありません!」

 

「ふっふっふ。マシュさんにしては珍しく攻撃的な意見、ありがとうございます。わかります、わかります。夢にまで見たリゾート地、その観光に来てみれば、なにやら妙なコトばかり。これでは温厚なマシュさんも過激になるというもの。ですが、本番はこれからです」

 

「この上、まだあるのかBB!?」

 

その疑問に対する答えは、突然の地響きと揺れであった。

立っているのもやっとの大きな揺れだ。慌てて空港の外に駆け出すと、青空に浮かぶ白い雲がイワシのように流されていた。

嵐が起きているのではない。動いているのだ。このオワフ島が動いているのだ。

 

「さあ、いまこそ全てを一つにする時! ハワイ観光にも行きたい! ホノルルでのんびりバカンスもしたい! そんな皆さんのワガママな欲望にお応えするのがわたし、万能ヒロインBBちゃんの悦びですから!」

 

「全部乗せは後で後悔するって、僕は知っているからな! 君の善意の押し売りはノーセンキューだ! とっとと未来に帰るん(クーリングオフ)だ!」

 

「はーい、聞こえませーん! それでは気合をいれて、せーのっ……驚天動地、刮目せよ! 特異点、出来上がっちゃってくださーい!」

 

一際、大きな揺れを最後に、世界は静寂を取り戻した。

そのまましばらくの間、呆けていたが、お互いに顔を見合わせて揺れが治まったことを確認しし、恐る恐る立ち上がる。

唯一人、BBだけが愉快そうに笑っていた。

 

「――うふふ。これまで溜めに溜めたリソースを放出して完成した、夢のリゾート地ですよ☆ ここではどんな娯楽も思いのまま。絶景、絶望、享楽、快楽、酔夢に悪夢もお好きなように。皆さん、ようこそ特異点ルルハワへ。この島の支配者として歓迎しちゃいますね?」

 

「特異点だって!? いや、まさか……そんな……」

 

「あ――!」

 

違和感に気づいたジャンヌ・オルタが、素っ頓狂な声を上げる。こちらの考えていることを同じことに思い至ったのだろう。

BBが行った特異点の形成。それは単にハワイ諸島を時間の流れから隔絶するだけには留まらなかった。いったい、どれほどのリソースを注ぎ込めばこのような事ができるのかは分からないが、あろうことか彼女はオワフ島とハワイ島を物理的にくっつけて一つの島にしてしまったのだ。

 

「嘘でしょ、あそこに見えるのハワイ島のマウナケアよ。ガイドブックにもちゃんと形が載っているし。でもここはオアフ島のダニエル・K・イノウエ国際空港じゃない! 本来ならハワイ島まで飛行機で一時間はかかるのよ!」

 

「ハワイ諸島一帯がまるまる特異点に変わってしまったんだ。ハワイ支部と連絡が付かなかったのもきっとそれが原因だ」

 

恐らくハワイ支部は正常な時間の流れに置き去りにされたのだろう。

こちらからいくら呼びかけたところで応答がないはずだ。

 

「はーい、そんな訳でBBちゃんはいったん撤収☆ 皆さんはルルハワ観光にレッツGO!」

 

(ルルハワ……うん? そういえばそんな響きをどこかで……)

 

「あ、なんでルルハワ? って顔してますけど、ホノルルとハワイが合体したのでルルハワなんです。ステージ名だけは可愛くしようと努力した結果なので、そこは評価して頂ければ!」

 

聞いてもいないのに一方的に捲し立て、BBはどこかへと去っていった。

後に残された面々は、ある者は疲れ果てたかのようにその場に座り込み、ある者はどうしたものかと天を仰ぐ。

任務とはいえ観光気分がどこかにあったことは否めない。だが、それを抜きにしてもこの事態は突然すぎて衝撃を受け止めきれないのだ。

 

「いくらBBさんといっても、デタラメ過ぎませんか、マスター……」

 

「あー、するんだよ、アイツ。こういうコトする。基本的には悪意と勘違いした善意で動いているんだけどな、相手を喜ばせる為にパーティー会場を魔改造して地獄にするとか、やっちゃうんだよアイツ」

 

「私の兄上もよく言っていました。“過ぎたる首は私に迷惑。今度こそ覚えておけ”と……」

 

自覚があるのなら、どうして態度を改められなかったんだろうか、この狸侍は。

そんなんだから、最終的に東の僻地まで逃げ落ちる羽目になったんじゃないのかと、カドックは問い詰めたい欲求に駆られた。

もちろん、その辺りは彼女の人生の地雷なので、実際に踏み抜くつもりはなかったし、何よりも今はこの特異点の方が重大だ。

カルデアからのバックアップが受けられないのは痛いが、ハワイ諸島一帯が特異点化したのだとしたら、件のフォーリナーも特異点に閉じ込められている可能性が高い。

仮想敵を逃がす心配がなくなったと考えれば、このトラブルも許容範囲だろう。島が一つにくっついたのなら、移動の手間も省けるというものだ。

案外、悪い事ばかりではないのかもしれない。

 

「よし、考えていても始まらない。ここはまず――」

 

ガッデムホット(めっさ暑いわ)!」

 

言い終わる前に、地団駄を踏むアナスタシアの叫びがこちらの声をかき消した。

 

「のわっ? 何だ、唐突に? 暑いのか? 当然だろう?」

 

ここは北太平洋に位置するハワイ諸島だ。この時期の平均気温は二十七度、日中ならば三十度を超えない日はない。それでも中東の砂漠に比べれば気温も低く過ごしやすいのだが、体感の問題なのだろう。

彼女がここまで取り乱したのはウルクのジャングルを探索した時以来だ。

 

「カドック、カドック。この暑さどうにかして欲しいのだけど!」

 

「無茶を言うな。僕だって暑いんだ」

 

立香やジャンヌ・オルタと違って、こちらは普段着のままだ。厚めの上着は熱がこもっており、脇の下に不快な汗が溜まってきている。辛いのは彼女だけではないのだ。

 

「そんなに暑いのなら、霊体化していれば良いんじゃないか?」

 

「もしくは……脱ぐしか……ないのでは?」

 

冗談交じりの立香の言葉に、カドックはすぐさま反応した。

流れる動作で腕を極め、へらへらと笑う顔が鎮座している首元に自身の腕を巻き付けて思い切り締め上げる。

 

「人のサーヴァントに何を吹き込むんだ」

 

低いドスの聞いた言葉と強烈なアームロックに、立香はジタバタともがきながら声にならない抗議を訴えるが、カドックは容赦なく首を締め上げて彼を落としにかかった。

だが、次の瞬間、アナスタシアが口にした言葉を聞いて思わず親友の体を地面に放り投げてしまう。

 

「そうね……彼の言う通りかも……」

 

「えっ? ちょっと、アナスタシア……」

 

「ガッデム……太陽(ルー)よ、次はあなたがこの言葉を口にする番よ!」

 

そう言って、アナスタシアは徐に着ているドレスへと手をかけた。

まさか、この場で服を脱ぎ捨てるつもりなのだろうか。

そう思ったカドックは、慌てて彼女の暴挙を止めようとしたが、それよりもアナスタシアが上着をはだける方が早かった。

投げ捨てられるマントとドレス。一瞬、全員の視線がそちらに釣られ、すぐに一糸纏わぬであろう皇女の姿を求めて宙を彷徨う。

だが、何かの演出のつもりなのか、彼女がスモーク代わりに吹き上げた粉雪によって視界が覆われており、アナスタシアの美しい肢体を見る事が叶わない。

場合によっては、此処で屍山血河を築くしかあるまいと覚悟していただけに、カドックは心底から安堵した。

そして、ゆっくりと晴れていく粉雪のスモークの向こうから現れたのは、いつも通りの――それでいていつもと少し――いや、かなり違う――予想外な皇女の姿であった。

 

「ふふっ……スカサハ様に頼んで水着の霊基を用意しておいたの」

 

まず目に飛び込んできたのは、やはりと言うべきか豊かな二つの膨らみであった。

普段はドレスで体型を隠しているので分かりにくいことだが、彼女はマシュや清姫とも十分に張り合える――否、それ以上の魅力を秘めた逸材だ。

ネイビーカラーのビキニトップに包まれた双丘は、まるで新雪のように柔らかで、彼女が動く度に波紋のような震えが表面を走る。それでいて形が崩れることはなく、両手で余るほどの膨らみとなっていた。歩く度に揺れるその様は小細工など不要とばかりにストロングな破壊力を振りまいており、見る者を釘付けにする。

一方ですらりと伸びた下半身を包んでいるのは白いデニムのショートパンツだ。食い込みが見れない? 諸兄にはあの破壊力が分からないのか。

彼女が履いているズボンは超ローライズに加えて、丈も股上ギリギリまで切り詰められたベリーショートなものだ。間違っても誰かの前で足は広げられないし、屈めば何がとは言えないがナニかが見える。

もちろん、彼女にも人並みに羞恥心はあるのだろう。日差しと視線、それぞれから身を守るために淡い水色のラッシュガードを身に纏っている。

ただし、ジッパーはくっつけるだけに留めているため、白日の下に晒された彼女の小さなおへそが可愛らしくもハッキリと自己主張をしていた。

間違いない、あの小さな窪みは誘っている。そんな確信めいた何かが見る者を魅了させる。

そして、肝心のラッシュガードも何故か袖がないベストタイプのもので、伸びをすれば無防備な脇の下が衆目に晒されることになるだろう。

正に矛盾。攻めているのか守っているのかわからないアンバランスな魅力が最大限に発揮されている。アナスタシア、恐ろしい子。

 

「改めて自己紹介ね。サーヴァント、アーチャー……アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。楽しい夏を過ごしましょうね……マスター」

 

挨拶代わりとばかりに、アナスタシアは手にしたスマートフォンのカメラを自身に向けてシャッターを切る。

ひと夏の思い出の、最初の一ページであった。




夏イベの情報が出る前に投稿したかった。
ハロウィンや亜種特異点とも迷ったけれど、やっぱり公式に先を越される前に皇女の水着を勝手に描写してクラスも変えちゃおうという魂胆で書き始めました。

更新ペースは以前よりも落ちることになると思いますが、今回も最後まで頑張りたいと思います。


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一日目その2 僕達の七日間戦争

照り付ける太陽、舞い散る粉雪。そんな相反する要素がせめぎ合う常夏の楽園に、新たなヒロイン(問題児)が誕生した。

その名はアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。装いも新たにアーチャーとして、水着でこの夏に参戦したおしゃまな皇女様である。

その事実を前にしてカドックは――――酷く項垂れていた。

嬉しくない訳ではない。普段はドレスで隠れていた凶悪無比な白い爆弾を目にする事ができて寧ろ興奮しているくらいだ。目の保養なんて言葉ではとても足りない。これからこのメガトン級の核爆弾を毎日、拝めるのなら抑止力に契約を迫られても首を縦に振ってしまうかもしれない。そんなどこかの赤い弓兵が憤慨しそうな事を考えながら、一方でカドックはこんな危険物を世に放っていいものなのだろうかと自問していた。

言うならばサバンナに放り出されたA5等級の高級ビーフだ。飢えた野獣が目の色を変えて齧り付く事だろう。

その美しい雪のような肌を他人に晒すのも抵抗がある。ジリジリと焦がす太陽すら憎らしい。

そんなこちらの不安を知ってか知らずか、アナスタシアはにこやかに笑いながらこちらに近づいてごく自然に腕を絡めてきた。

 

「ふふっ、どうかしら?」

 

「え? えっ? うっ……ん?」

 

どう答えればいいか分からず、咄嗟に逃げようと腕を引くが、すぐに掴まれて二の腕に柔らかい感触を押し当てられる。

顔が耳まで熱くなった。きっと鍋で煮込まれる蛸か何かのように赤くなっていることだろう。

どうかしている。いつもの彼女ならこんなことはしない。夏の暑さと解放感はここまで女を変えるものなのか。

ふと視線を感じて振り返ると、立香とマシュが何やら含みのある笑みを浮かべていた。

“どうぞどうぞご自由に、どうかわたくし達は狸の置物とでも思っていてください”とばかりに、こちらの様子をジッと見つめていた。

どうやら助けは期待できそうにない。二人には後で目にものみせてやろうと、カドックは心の中で毒づいた。

 

「もう、どうしたの? 変な人」

 

「君って奴は……その格好で過ごすつもりなのか?」

 

「だって、暑いのだもの。ひょっとして、似合わない?」

 

「そんな訳あるか! いや……えっと……似合うよ。綺麗だ……ああ、くそ! 何を言わせるんだ!」

 

「もっと素直に言えば良いのに」

 

「よく言う。そんな格好で出歩かれるこっちの身にもなってくれ。変な奴に目を付けられたらどうするんだ」

 

「心配してくださるのね」

 

「……君だって、女の子だろ。心配するに決まっているさ」

 

「…………」

 

不意にアナスタシアは言葉を失い、見る見るうちに頬が赤く染まっていく。

そして、助けを求めるかのように視線を泳がせるが、そのまま特に何をするでなく腕を掴む力を強めてそっぽを向いてしまった。

いったい、どうしたのだろうか?

 

「カドック選手、渾身のカウンターがさく裂しました」

 

「先輩、これは負けていられませんね」

 

「そうだね……うん、そうだね?」

 

「そこ、変なチャチャ入れるな!」

 

外野から囃し立てる立香達に向かって、カドックは吠える。

この仲良し主従め、グランドオーダーが終わってから気が抜けているのではないだろうか。

 

「ま、まあ……心配はいりません。私もサーヴァントの端くれ、護身の術は身に付けています。そう、こんな風に……」

 

「あれ、マスター達? どうしたでござ……ぎやぁっ!?」

 

抜けるような青空に、男の悲鳴が木霊する。

気配を殺してこちらに近づいてきた外套の男に向けて、アナスタシアが手の平から冷気をお見舞いしたのだ。

哀れ、外套の男は真夏に吹雪の洗礼を受け、瞬く間に全身を氷漬けにして熱されたアスファルトへと倒れ込んだ。

地面の熱で氷が飛沫を上げながら溶けていく音が、まるで男の断末魔のようだ。

 

「おいおい、来て早々に揉め事は勘弁だぜ。って、こいつは黒髭の旦那じゃないか」

 

外套の下から露になった素顔は、豊かな黒髭を携えた偉丈夫のものだった。

そう、自分達がよく知る人物。カリブの海で思うがままに暴れ抜いた伝説の海賊、エドワード・ティーチであった。

ダ・ヴィンチに泣きついて夏季休暇をもぎ取り、どこかに出かけていったとは聞いていたが、まさかハワイに来ているとは思わなかった。

 

「なんてこった、ライダーが死んだ!」

 

「この人でなし! 生きているでござる! 拙者の根性(ガッツ)を舐めないで!」

 

むくりと起き上がったティーチが、凍り付いた外套を脱ぎ捨てる。休暇中だからなのか、いつもの海賊服ではなくジーンズにTシャツという極めてラフな格好であった。

 

「船長、すまない」

 

「まったく、酷い目にあったでござる。まあ、観光地ならこれくらい、神経質な方が安全なのかもでござるが……」

 

「すみません、何やら邪な気配が……」

 

「わお、まるで養豚場の豚を見るような目つき。拙者、いけないところが目覚めちゃいそう」

 

「死んで」

 

「直球! って、わっ、凍る! 指先からゆっくり凍る!」

 

慌ててアナスタシアから距離を取ったティーチは、再び熱されたアスファルトに倒れ込んで凍り付いた体の解凍を試みる。

どうやらアーチャークラスに変質したことで、キャスターの時のように物を瞬時に凍らせることはできなくなっているようだ。

 

「カドック氏……」

 

「本当にすまない」

 

「大一番を前に指先が壊死なんて起こしたら、恨むでござるよ」

 

「すまない……それで、ここで何をしているんだ?」

 

確か、どうしても行かなければならない用事があるとかで、ダ・ヴィンチに泣きついたとは聞いていたが、まさかその場所がこのハワイなのだろうか。

 

「もちろん、観光ですぞ。ご存知なかったでござるか? 今年のハワイは彼のイベントの開催地に抜擢されたでござる。そう、カルデア、非カルデア関係なくサーヴァント達が定期的に集まり――交流し、サークルで同人誌を作り、踊り、歌い、楽しむ。サーヴァント・サマースター・フェスティバル! 略してサバフェスね」

 

うきうきと笑みを浮かべるティーチに対して、カドックは逆にげんなりと肩を落とした。

フォーリナー、特異点ルルハワと来て更に頭の痛くなる単語の登場だ。いいかげん、もういっぱいいっぱいである。

 

「立香、後は任せていいか?」

 

「気持ちはわかるけど落ち着いて。君がいなくなると話が進まない」

 

「ああ――」

 

萎えていく気持ちを必死で奮い起こし、カドックはティーチにフォーリナーに関して心当たりはないか聞いてみた。

だが、彼から返ってきたのはあまり要領を得ない言葉とサバフェスに対する期待ばかり。とても人理を守る英霊とは思えないやる気のなさだ。

元々、オタク気質なところのある人物ではあったが、ここではそれが全開に出ているようだ。

 

「ご期待に沿えず申し訳ない。けど、サバフェスはサーヴァント達にとって、ありったけの夢と希望を搔き集めた宝の山よ?」

 

ある者は写真集で己の美を誇示し、ある者はライブDVDという名の悪魔的ミサを販売し、ある者は様々な冒険(イベント)で集めたネタで小説を綴る。

正にこの世の全てがそこに詰まっているといっても過言ではないと、ティーチは語る。そして、その言葉に偽りはないとばかりに今も続々と空港からは新たな参加者や観光目的のサーヴァント達がこの特異点ルルハワを訪れていた。

そこでふと、カドックは思いついた疑問を口にした。

ハワイ諸島の特異点化とサバフェスの開催。それが偶然にも重なったとは思えない。まさかとは思うが、そのサバフェスの主催者はBBなのではないだろうかと。

 

「もち、BB殿は今年のサバフェスの主催者でござる」

 

「おおーっと! 誰かがBBちゃんの噂をしたのかなー? お呼びと聞いて即・出現! 常夏の案内役BBちゃん、リターンズ♡です♡」

 

どこから聞きつけたのか、呼んでもいないのにローラースケートを履いて視界に滑り込んできたBBの姿を見て、カドックは辟易する。

隣ではロビンも同じように顔を顰めて愚痴を零していた。

 

「うっざ! いつにもましてハートマーク多いんですけどぉ!」

 

「え……この南国でテンションが上がらないとか、ロビンさん、もしかして更年期障害に……? その顔でシルバーモードとか、ギャップ萌えもしないし、とことんサブキャラ気質というか……」

 

「放っとけよ、内心じゃ盛り上がってるんですよー!」

 

「まったくだ! 君の方のテンションの方がおかしんだ! 熱暴走したPCじゃあるまいし、ここで少し冷やしていくか?」

 

「わー、魔術師とはとても思えない切り込み、ありがとうございますカドックさん。BBちゃん、少し傷つきました。でも、それはあなたなりの優しさなのはBBちゃん、よく知っています。どうしようもなくみみっちくてプライドだけは高いなんて、きっと将来は苦労しますよ」

 

褒めているのか貶しているのか分からない、絶妙なうざさで場を引っ掻き回すBBに対して、徐々に苛立ちが募っていく。

このまま放置していては延々と話が進まないと思ったのか、見かねたジャンヌ・オルタが割って入って話を引き戻した。

 

「ねえ、サバフェスってあんたが主催な訳?」

 

「はい♡ 今回は、のお話ですけど。今年、サバフェスは会場が決まらなくて困っていると聞いたので、力をお貸ししたのです。ハワイ諸島一帯を特異点化する事で神秘は秘匿されましたので、ここではどんな無茶もOK! サーヴァントの皆さんは何食わぬ顔でハワイをエンジョイできて、サバフェスもかつてない規模で開催。サバフェスが終われば特異点も消えますので、ハワイ諸島も元通り♡ 正に良いこと尽くめの催し物! ですよね! 邪悪なBBちゃんもたまには善いコトをするのです!」

 

確かに、それだけ聞いていれば問題ないようにも思えてくる。

元々、世界有数の観光地な上にイベントもあちこちで行われているような場所だ。よほど、おかしなことが起こらない限り、特異点の消失に伴う人類史への影響も最小限で済むであろう。

念のため、ハワイ諸島を訪れるサーヴァント達には原則として戦闘禁止のお達しも出ているらしい。その辺は運営として抜かりなく行っていると、BBは語る。

 

「今回はお祭り(コンペンション)ですから! わたしの好感度アップのイベントも兼ねています!」

 

(好感度上げる前に、胡散臭さをどうにかする方が大事だろうに)

 

善意が空回りするどころか明後日の方角に飛んでいくのがBBというサーヴァントだ。

加えて彼女の場合、良かれと思って裏目に出るパラケルススと違って善意の裏にも明確な悪意や打算が隠されている。

信用の出来なさではメフィストフェレスと同列タイと言っても過言ではないだろう。

 

「むー、またも邪なことを考えているようですが、今はBBちゃん、海のように広い心で流しましょう。はい、というわけで緑茶さんはカドックさんの分も合わせて覚えておいてくださいね」

 

「俺かよ! とばっちりじゃねぇか!」

 

「えーっと、そうそうサバフェスですね」

 

「聞いちゃいねぇ」

 

「ただのサバフェスではグレートイビルBBちゃんの名が廃ります。なので、六日後のサバフェスで一番人気になったサークルには、なんと! 聖杯を! プレゼントしちゃいまーす!」

 

「マジか!」

 

思わずその場にいた全員が唱和する。

万能の願望器を、たかが同人誌即売会の景品として用意するとは、BBも太っ腹と言うべきか、恐れ知らずというべきか。

その小さな杯を求めて数多の時代、平行世界で争いが起きていることを知らないはずがないだろうに。

 

「えへ、だってそっちの方が皆さん、やる気になるじゃありませんか。おかげでこのルルハワに来たサーヴァントの半数はサークル参加を表明していますよ」

 

そう言ってBBが差し出してきたのは、電話帳もかくやというほどの分厚い冊子であった。

表題にはでかでかとポップな字体で“サバフェス”と記されている。どうやらサバフェスの案内のようだ。

めくってみると、参加サークルの一覧や会場の間取りなどが記されていた。聞いたことのある名前もあればまったく知らないサーヴァントの名前も載っている。

サーヴァント界のお祭りという触れ込みに嘘偽りはないようだ。

 

「何々、作家コンビに刑部姫、北斎さんとお栄さんの親子コンビ……あっ、聖女の方のジャンヌも参加するんだ」

 

「何ですって、それ本当?」

 

先ほどまで興味なさげだったジャンヌ・オルタが、何気ない立香の一言に目の色を変えて食いついてくる。

その様子たるや、鬼気迫るといったところだろうか。そこはかとなく嫌な予感に駆られながら、カドックもまた些細な好奇心から参加者一覧に目を向ける。

すると、確かにそれらしいサークルの名前が記載されていた。

他にフランスっぽい名前のサークルがいないので、恐らくはこの『st.オルレアン』というのが聖女の方のジャンヌのサークル名なのだろう。

 

「はい、ジャンヌさんとマリーさんのコンビは今年の優勝候補です。前回の壁サークルで断トツのナンバーワン」

 

「嘘! あいつが!? サバフェスで壁サークルですってぇ!?」

 

「おや、ご存じでない? ジャンヌ氏と言えばサバフェスの超大手。開始一時間どころか前日搬入の時点で完売と言われるサバフェスの超勝ち組ですぞ。かくいう拙者もBB殿にお願いして既に一冊、キープしておりましてな……狙っているのか天然なのか、あの清純な絵柄でそれはもうどぎつい展開を繰り出してくるのでござるよ。ヒロインが遂に主人公に告白する時、まさか大量のスマホを大砲にぶち込んで撃つとか、戦場(ラブコメ)の作法を無視した展開に、ちょっとオルレアン世紀末過ぎると心胆サムシングで……」

 

恐ろしいものを思い出すかのように、ティーチはわなわなと指先を震わせながら、以前に呼んだのであろう聖女の万がの感想を述べる。

確かに聞いていて頭が痛くなるというか、話の展開がいちいち直球で前振りとか緩急と呼べるものがない。まるで最初から最後までクライマックスだ。終盤の畳みかけに至ってはピザとコーラにガロンアイスも付けた超ヘビー級の特盛セットもかくやという詰め込みっぷりである。ある意味、構成が破綻している。

生前も戦場のイロハを知らない農家の娘でしかなかったジャンヌは、誰もが思いついてもやらないような戦術をただただ効果的だからという理由で実践していたと聞いたことがあるが、その考え方が創作にも影響しているのかもしれない。

あまりこの手の業界に詳しくはないつもりであるカドックも、その超展開のバーゲンセールのようなジャンヌの漫画にほんの少し興味が湧いてきた。

案内によるとサバフェスの開催は六日後、それまでにフォーリナーの件を片付けることができれば、空いた時間に覗いてみるのも良いかもしれない。

他の面々も、概ねその意見には賛成の意を示してくれた。唯一人を除いて。

 

「待って…………るわ」

 

「オルタ?」

 

「……私、出るわ」

 

一瞬、煮え滾るマグマよりもなお熱い、地獄の業火を垣間見た来たした。

何故かはわからないが、ジャンヌ・オルタが目を見開いてサバフェスのパンフレットを握り締めていた。

その気迫たるや、分厚い冊子をすぐにでも素手で引き千切ってしまいかねないものであった。

 

「サバフェスに出てやるって言っているの! やったろーじゃないの!」

 

「待て待て待て待て、何を言い出すんだこの竜の魔女は? 頭の中まで爬虫類になったのか?」

 

「黙らっしゃい! あんた仮にも私のマスターなら、向こうのとっぽいのくらいは敬いなさいよ!」

 

「あつっ! 髪が焼ける! 火を出すな! 何をそんなにムキになっているんだ!?」

 

「当たり前よ! 一位があの女ってことは、あの本はアイツが描いたものなのよ! だから、私も描くの! 私達でサバフェスにサークルエントリーするの!」

 

「なにぃ!?」

 

サークルエントリー?

自分達が?

それはあまりにも無茶だ。ジャンヌ・オルタは何やら自身満々だが、他の面々は漫画はおろか絵だってロクに描いたことがない者達ばかりだ。そんな素人の集団が、たったの六日で他人様に見せられるような作品を作れる訳がない。

 

「いいえ、やるの! 私達はチームでしょう? なら、一蓮托生よ! サークル名は『ゲシュペンスト・ケッツァー』! これでいく!」

 

「君はフランス人だろ!」

 

「良いのよ、ドイツ語で!」

 

反論は一切、受け付けないとばかりにジャンヌ・オルタは強気の笑みを浮かべる。

それを議論の終わりと受け取ったのか、BBはにこやかな笑みを浮かべながらエントリー用紙を取り出し、半券のように千切りとってこちらに差し出してきた。

渡された半券にはサバフェスの持ち込みに関する細かなルールや販売スペースの番号などが記されている。本来ならば申込用紙の方にも記入が必要なのだろうが、そちらはBBが初回サービスですと代行してくれるようだ。

 

「む、皆が参加する流れになっているが、吾はやだぞ! 元々、ハワイに行くためだけについて来たのだからな。適当に美味しいものを摘まみつつ、酒呑を探すのでな!」

 

そう言って、茨木童子はこちらに背を向けて去っていった。

一瞬、一人で大丈夫かと声をかけそうになったが、そんなことをすれば茨木童子は子ども扱いするなと怒り出すだろう。なので、カドックは去り行く鬼の後ろ姿を黙って見送ることにした。

彼女も最低限の良識は弁えているので、少なくとも無闇に誰かに迷惑をかけることはないだろう。多分。

 

「あー、オレも抜けさせてもらいますわ。リゾート地に来てまで机仕事とかノーサンキュー。サークル活動ってのにも興味ねえし、絵心もありゃしねえしな」

 

ご自由にどうぞ、とばかりにロビンは手を振った。そのままクールに去る事ができれば穏やかな夏を過ごせたのかもしれないが、一人の悪魔が哀れな子羊を見逃す筈もなく、つまらなそうに唇を曲げたBBが立ち去ろうとするロビンを呼び止めた。

 

「え、いいんですか? サークル活動が上手くいかないと、ロビンさんはブタになってしまうんですが」

 

「…………なんで?」

 

もっともな疑問である。

 

「もちろん、わたしが決めたからでーす!」

 

そして、理不尽な答えであった。

 

「では、ロビンさんが実感できるように今の内に術式を組み込んでおきますね……えい!」

 

桃色の光線がロビンに向けて照射され、伊達男の悲鳴が青空に木霊した。すると、見る見るうちに緑色の外套が解けて消えていき、引き締まった義賊の腹筋が白日の下に晒された。

BBが放った光線は豚化する術式を組み込むだけでなく、彼の暑苦しい格好をハワイに相応しい軽装へと作り替えたのだ。

 

「マジでやりやがったコイツ! しかもこの水着、悪くないコーデじゃねえか……しかも何となく、お嬢の新刊が落ちるとブタになるってのが認識できる……」

 

恐ろしい魔術もあったものである。

ただ、少なくともBBの話では新刊が完成さえすれば術式が発動することはないらしい。

その仕組みについて問い質したいところではあるが、間違いなく藪を突く羽目になるので何も聞かないことが賢明であろう。

ロビンの境遇については同情するが、こうなってしまったからにはジャンヌ・オルタが言うように一蓮托生だ。何が何でも彼女の執筆作業をサポ―トし、新刊の脱稿に尽力しなければならない。とんだ夏季休暇もあったものだ。

 

「それでは、素敵な本をお待ちしていますね」

 

最後に可愛らしいウィンクを残し、BBはスケートを蹴ってその場を去っていった。丁度、茨木童子の後を追う形であった。

 

「マジかよ。一週間で一冊とか、とんでもない展開を目の当たりにしてしまった黒髭であった」

 

呆れたような、感心するかのような複雑な表情をティーチは浮かべていた。

彼の危惧ももっともだ。漫画にしろ作曲にしろ創作というものは凄まじいエネルギーと時間を要する。

そして、基本的に世の中は金と手間と時間をかければそれなりのものを生み出せる仕組みになっているのだ。

だからこそ、週刊誌に連載を持つ漫画家は文字通り血反吐を吐きながら作品を生み出し続けているのだ。

限られたリソース、限られた時間で、妥協することなく技術の粋を集めてたった一つの作品を世に送り出す。並大抵の執念でできることではない。やるからには覚悟が必要だ。

労力に関してはサーヴァントならば徹夜が続こうとも支障はないが、技術的な面やクオリティを維持しつつ作品を生み出すという環境に精神が追い付けるかどうかが問題だ。

 

「ところでオルタちゃん、今まで同人経験がお有りで?」

 

あれほどまで強気に啖呵を切ったのだから、僅かでも勝算が見い出せる何かを彼女は持っているのだろう。

例えばサークル活動は初めてでも、カルデアにいた頃に刑部姫辺りと一緒に絵を描いていたとか、そんな経験が少しでもあれば希望が見えてくる。

だが、悲しいかな竜の魔女から放たれたのは無慈悲なノーの一言だった。自分達と同じく、まったくずぶの素人だったのだ。これにはさすがのティーチも切れた。

 

「おう、舐めてんのかテメエ。オダイバに沈めるぞテメエ」

 

年季の入ったドスの利かせ具合に、アナスタシアは思わずマスターの背後で縮こまった。

だが、ジャンヌ・オルタは伝説の海賊相手でも臆することなく反論する。素人だからどうしたと。

 

「そうよ、素人よ。ド素人よ。それが何なのよ、私はアイツを超える。超えなきゃならないのよ。漫画の一冊や二冊、何が何でも描き切ってやるっつーの!」

 

技術も経験の有無など関係ない。自分はあの女――ジャンヌ・ダルクを超えねばならないと、竜の魔女は吠える。

その様はいつかにあった贋作英霊事件を髣髴とさせた。

元々、ジル・ド・レェが歪んだ願いの下で産み落とした虚構がジャンヌ・オルタという反英雄である。

グランドオーダーの際に敗れた彼女は、しかしギリギリで消滅を免れて芸術品の贋作を制作するという事件を引き起こした。

それは消滅を前にしたせめてもの抵抗。自分は例え贋作でもオリジナルを凌駕する存在であるという、譲れない思いをただただぶつけたいがための出来事であった。

その経緯の果てに彼女は復讐者としての霊基を獲得したのだが、どうやらその時の病的な熱意やジャンヌに対する執着がここに来て再びぶり返してしまったようだ。

 

「やる気だけはあるようだがよぉ、サバフェスはそんなに甘い戦場じゃねえんだよなぁ……」

 

ちらりとティーチがこちらを見やる。まずはカドック、そして立香の顔を順番に見回すと、小さなため息を吐いて背負っていた鞄を無造作に足下へと転がした。

 

「しょうがねえ、ここは一つ、サーヴァントらしく海賊らしい方法でプレゼンといきましょうや」

 

「船長、まさか……」

 

「おうよ、欲しいものは力尽くでも奪え! 宝だろうと情報だろうと、欲しけりゃ戦っていうことを聞かせねえとな! オーキャプテン! マイキャプテン!」

 

「ウィリアムズでも気取る気か?」

 

「今を生きろってか? おう、俺たちゃ死せる詩人様よ!」

 

どこからともなくわらわらを湧き出てきた海賊の亡霊達が、手に手に武器を持ってこちらを威嚇する。対してジャンヌ・オルタも不敵な笑みを浮かべて抜刀すると、切っ先を海賊達に向けて自信満々に言い放った。

 

「さあ、サバトの始まりよ。鴉が歌い……歌い……黒猫がニャンと鳴くわ!」

 

「何だい、それは?」

 

「いいの! クレイジー・マッド・ブシドー! とりあえずそんな感じよ!」

 

締まらない決め台詞に頬を赤く染めながらも、ジャンヌ・オルタは刀を構えて突撃する。

炎天下のハワイ。抜けるような青空の下で、ゲシュペンスト・ケッツァーと黒髭海賊団の戦いの火蓋は切って落とされたのであった。

 

 

 

 

 

 

エドワード・ティーチによる肉体言語を交えたプレゼンは苛烈の一言であった。

向こうは悪目立ちを避ける為に宝具である海賊船を呼び出すことができないが、その代わり数にものをいわせてこちらの連携を分断してきたのだ。

元より平地での正面切った戦いではロビンや牛若丸の持ち味を活かしにくく、アナスタシアもキャスターの時のような火力を発揮できない。

普段はふざけていても、やはり歴史に名を残した海賊なだけはある。ティーチは適確に部下を動かしてその隙を抉じ開け、まだバーサーカーの霊基に振り回されているジャンヌ・オルタを少しずつ追い詰めていった。

 

「ははっ! 動きが鈍いでござるよ、オルタちゃん! 慣れない刀に振り回されているでござるな!」

 

「この、うるさいっての!」

 

苛立ちを込めた一撃は難なく躱され、逆に執拗なボディタッチを繰り返される。

ティーチの立ち回りは正確だ。切り込もうにも切っ先が届かないギリギリの間合いをキープし、飛びかかれば逆に懐に潜られて攻撃を躱される。

老獪とはこのことを言うのだろうか。やっていることが痴漢行為でなければもう少し尊敬できるのだが、言い換えればいつでもジャンヌ・オルタを倒せるという事の裏返しでもある。

このまま戦いが長引けば、ロビン達が黒髭の部下を片付ける前にジャンヌ・オルタが地に伏すこととなるだろう。

 

「埒が明かないわ! マスター、宝具を使うわよ!」

 

「慎重にいけ! 船長はしぶとい、確実にやるんだ!」

 

「誰にものを言っているの! 行くわよ、『焼却天理(フェルカーモルト)……」

 

刀を鞘へと収めたジャンヌ・オルタの体から炎が舞い上がり、やがてそれは三匹の黒竜へと変化する。

炎の竜を身に纏った疾走からの神速の居合。それこそがバーサーカーへと転じたジャンヌ・オルタの宝具『焼却天理・鏖殺竜(フェルカーモルト・フォイアドラッヘ)』だ。

黒竜の炎はただの炎ではなく彼女の復讐心から生み出された呪詛の炎。それを身に纏っての斬撃は、こと破壊力に関してはアヴェンジャーだった頃の宝具を上回る。

如何なるサーヴァントであろうとこの直撃を受ければ無事では済まないであろう。

 

「おっと!」

 

「……鏖殺(フォイア)……きゃっ!?」

 

ティーチに向かって切りかからんとしたジャンヌ・オルタが、不意に悲鳴を上げてバランスを崩す。

ティーチが地面を蹴って砂を巻き上げ、目潰しにしたからだ。視界を奪われたジャンヌ・オルタは、それでも勢いのまま刀を振り抜こうとしたが、機先を制されてしまえば如何なる奥義も唯の所作に成り下がる。

彼女が踏み込むよりも前に自身の間合いへと捉えたティーチの回し蹴りがジャンヌ・オルタの手首を叩き、鞘から抜き放たれた刀が空しく宙を舞った。

 

「飛んだり跳ねたり鬱陶しいが、付け焼刃じゃその程度よ! 競わず自分の持ち味を活かすんだな!」

 

「くっ……この……」

 

「まずは一騎! でもって、今度は皇女様にリベンジでござる!」

 

ジャンヌ・オルタを下したティーチが、返す刀で海賊達と戦っていたアナスタシアを狙う。

視線を巡らせるが、ロビンも牛若丸も苦戦していて救援は期待できそうにない。かといって、実質的に弱体化している今のアナスタシアではティーチの相手は困難だ。

冷気を放ったところで、完全に凍り付く前に手刀が首を捉えるだろう。

 

「アナスタシア!」

 

「大丈夫! 任せなさい!」

 

「おお! どんと来いでござる! 今ならどんな攻撃も根性(ガッツ)で耐えられる自信がるでござるよ!」

 

「なら、遠慮なく味わいなさい。本邦初公開の私の宝具を…………」

 

爆風のような冷気が周囲の海賊達を吹き飛ばし、アナスタシアは迫りくるティーチに向き直る。

そして、右手を掲げて祈るように詠唱を読み上げた。

忽ち、パスを通じて体内から魔力を引きずり出され、魔術回路が悲鳴を上げ始めた。

 

「さあ鷲よ、鷲よ、宴を開け! ひと夏の夢! その幸福は同じでも不幸の形は皆それぞれ! なれど行きつく先は唯一つ! 陽気に笑って待ちましょう! 『残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)』!! 楽しい夜会にご招待!」

 

真名解放と共に、幻影の宮殿が出現する。それは暑い夏の青空には似つかわしくない雪と氷で形作られた美しき城。まるでキャンパスを侵食する絵具のように、現実世界に産み落とされた宮殿からは陽気な音楽が聞こえ、手に手に美味しそうな料理を携えたメイド達が貴賓を求めて手招きをしている。

招待客であるティーチは操られたかのようにふらふらとした足取りで幻影の宮殿へと吸い込まれていき、それと共に宮殿の扉が音を立てて施錠される。

直後、美しいロシア建築の宮殿から野太い男の恐怖と絶望に彩られた悲鳴が何度も聞こえてきた。

後に、この宝具で体験した出来事についてティーチはこのように述懐した。

 

『最初はね、美味しいご馳走や麗しいメイドさん達にお酌されていい気分に浸っていたでござる。正にお・も・て・な・し。けど、急に暗転したかと思うと凶悪な面構えの人形がカミソリ片手に襲い掛かって来たのよ。拙者、慌てて逃げ出したけど頭からタライが落ちてくるわ頭をバーナーで焼かれるわ落とし穴にハマるわでてんてこまい! そうしている内にホッケーマスクやカギ爪の夢魔に襲われたり、BBAが他人と結婚する夢見たり斧を持ったオッサンが素敵な笑顔で覗き込んできたりして最後には地下室でユダヤ人に射殺される幻覚を見せられた訳ですよ。もうSAN値がゴリゴリ削られるのなんのって。下手に体が傷つかない分、恐ろしい宝具だなって思い知らされたでござる』

 

それこそがアーチャー、アナスタシアの宝具。

蒸し暑い真夏の夜に細やかな涼しさを提供する魔の宝具。

残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)』が見せる幻覚の力であった。

 

 

 

 

 

 

『そら、このホテルに向かいなさいな。ワイキキ有数の高級ホテル、今なら一拍10万BB$! サバフェスのせいでホテルはどこも満室でござるよ』

 

戦闘が終わり、意識を取り戻したティーチは開口一番にそう言った。

何でも海賊仲間とドンちゃん騒ぎをするつもりでスイートルームを押さえていたが、相手の事情で流れてしまったらしい。

このまま泊ってもいいが、せめて執筆に集中できる環境だけでも整えておいた方が良いと言って、ティーチはホテルの使用権を譲ると言ってきた。

これにはさすがのカドックも困惑したが、他の面々に押し切られる形で承諾する事となり、ティーチはそのまま爽やかな笑みを浮かべて去っていった。曰く、サバフェスの当日を楽しみにしているでござるよ、と。

こうなってはホテルを譲ってくれたティーチの為にもよい作品を作らねばならない。

俄然、やる気を出し始めた面々を見たカドックは、本格的にフォーリナーの捜索が忘れられつつあることに危機感を覚え、彼らとは別行動を取る事にした。

ジャンヌ・オルタ達を先にホテルへと向かわせて執筆に専念させ、その間に自分とアナスタシアでフォーリナーを探すことにしたのだ。

断じて、二人っきりの時間を作りたかった訳ではない。

断じてない。

 

「カドック、調査と言うけれど、まずは着替えた方がよくないかしら?」

 

「そうだな……どこか、適当な店に寄ろう」

 

まさか南国に旅行に行けるとは思っていなかったので、夏服の持ち合わせはない。

なので現地で購入しようと考えていたのだが、色々とあってすっかり忘れていた。

確かワイキキビーチに向かう途中にハードロックカフェがあったはず。食事も兼ねてそこに行ってみるのも良いかもしれない。

そんなことを考えながら、ワイキキの街並みを見回していると、遠い空で雲を裂く謎の飛行物体がこちらに向かって来ていることに気が付いた。

 

「飛行機……いや、隕石か?」

 

「ん……フォーリナーの反応よ!」

 

「分かるのか!?」

 

「ええ、バロールセンスが反応したの。行きましょう、ディック!」

 

「君は蜘蛛なのか蝙蝠なのかどっちなんだ、まったく」

 

そうこうしている内に、空から降ってきた謎の飛行物体はホノルルの街へと落下し、数ブロック先から巨大な爆発音が聞こえてきた。

巨大な土煙が舞い上がり、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。まるでパニック映画だ。前に進みたくとも人の波が邪魔をして中々、進むことができない。

漸く、波を掻き分けて目的の場所へと辿り着いた頃には、既に全てが終わった後であった。

 

「お手前様ァ、どこのどいつのどんな了見でぇい……」

 

襲撃者にやられたのか、葛飾北斎が地に伏したままその人物を睨みつけていた。霊核が砕けているのか、手足から塵に還っている。あれではもう治療も間に合わない。

そして、無慈悲にも銃撃者は光の槍を消えゆく北斎の体へと突き立て、彼女にとどめをさしながら手向けのように叫んでいた。

 

「無論、フォーリナー殺スベシ!」

 

機械を通して加工された甲高い声であった。

言葉の主は全身を鎧のような装甲で覆っており、素顔は定かではない。

ひょっとしたらそんなものはないのかもしれない。そう思えてしまうくらい異質な存在だった。

まず目がいくのが白と銀の甲冑。煌びやかに輝く美しい装甲は明らかに人の手によるものではなく、何らかの工業機械によって加工されたものだ。

そして、背中の噴射口や関節を動かす度に鳴る駆動音。光る双眸といい、まるで漫画か何かから飛び出てきたロボットのようであった。

その謎の戦士――仮称フォーリナーは、こちらを睨みつけると今にも襲い掛からんばかりに腰を落とすが、場違いなアラーム音が聞こえたかと思うとすぐに手にしていた槍を収納して戦闘態勢を解いた。

 

「勤務時間ガ 終了シマシタ。ダガ 思イ上ガル ナ 原生生物ドモ。 コンベンション ナド 私ガ 許サン。必ズ サバフェス ヲ 潰ス……! フォーリナーハンターXX ノ 名 ニ カケテ!」

 

両足からジェット噴射を吹かしながら、フォーリナーハンターを名乗った謎の人物は空へと消えていく。

後に残されたのは、戦闘の余波で破壊された街路だけであった。

呆然と立ち尽くしたカドックは、これが夢でないことを確認するかのように頬を抓る。

確かな痛みが現実であることを物語る。

これが、フォーリナーハンターXXとの、この夏の最初の出会いであった。




恐らく皇女様ここいちの活躍。
ジャンヌにもちゃんと見せ場は考えているので、まずは敗北してもらいました。
マテリアルも更新するので合わせてお読みください。


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マテリアル

水着アナスタシアの本SSにおける設定。
途中で変更する可能性大いにあり。


【CLASS】アーチャー

【マスター】カドック・ゼムルプス

【真名】アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ

【性別】女性

【身長・体重】158cm、40kg

【属性】中立・夏

【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷C 魔力C 幸運D 宝具C

【クラス別スキル】

陣地作成:B

 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。“工房”の形成が可能。

 皇帝の血を引くアナスタシアは、極めて堅固かつ壮麗な城塞を召喚、己が身の守りに使用することができる。

 キャスターでの現界に比べてランクがダウンしている。

 

妖精契約:C

 こちらもキャスター時と比べてランクダウンしている。

 

対魔力(氷):D++

 魔術への耐性。一工程の魔術なら無効化できる、魔力避けのアミュレット程度のもの。

 ただし冷気に関してはその限りではない。冷房の体感も悪くなるので、熱い夏にはまるで役には立たないとは本人の談。

 

単独行動:EX(セレブ)

 マスター不在・魔力供給なしでも長時間現界していられる能力。

 彼女の前には時すらも傅き道を開ける。セレブを拘束することなど不可能なのである。ただし、宝具を最大出力の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。セレブは一人では生きられないのだ。

 

【固有スキル】

真夏のシュヴィブジック:C

 シュヴィブジックが変化したもの。

 あらゆる小さな不可能を可能にする。相手が持っている物をこちらの手元に移動させる、小さく大地が割れて相手を蹴躓かせるなど、「イタズラ」レベルの事象を可能とする。夏の訪れが彼女の悪戯心に火を点けた結果、射程距離が伸びた変わりに精度がやや落ちている。

 

シャッターチャンス:EX

 透視の魔眼が変化したもの。最新にして最小の撮影機材――スマホを手に入れた皇女はあらゆる事象をそのレンズに捉える。

 

鎖の破壊者:A

 彼女の名前の由来。何物にも縛られない彼女は情け容赦のない悪戯の鬼。夏の熱さが彼女を狂わせたのか、悪戯の為ならば目的を選ばぬ修羅となる――つまり、いつも通りの皇女様である。

 

【宝具】

残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)

ランク:A+ 納涼宝具 レンジ:1~99 最大補足:11人+1匹

 生前に避暑地として利用したアレクサンドロフスキー宮殿及びツァールスコエ・セロー一帯を再現する。

彼女に招かれた招待客は皇女のホストの下で優雅な夏のひと時を堪能する――という触れ込みではあるが、実際は招き入れた者に様々な悪戯を仕掛けるお化け屋敷。

またの名を「納涼、ロシアンホラーハウス」。宮殿中に仕掛けられた罠、数々の恐怖映像、徘徊する悪霊や殺人鬼、やがて最後には地下室へと誘われ、皇女一家の最期を疑似体験する事で精神に多大な負荷を与える。

最早、悪戯のレベルを超えているのは言うまでもない。

尚、この宝具による物理的なダメージは発生しない。

 

 

【解説】

 水着に着替えた事で霊基がアーチャーへと変質し、キャスターの時よりも精霊の使役は苦手になっている。ヴィイも暑さに参って姿を引っ込めており、基本的には出てこない。

 この状態の彼女は悲劇の皇女ではなく悪戯好きな皇女としての側面が強く出ており、普段よりも活発に行動する。

 



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七日目その1 サマータイムループ・ブルース

そして、運命の日が訪れた。

年に一度の祭典だからなのか、会場がハワイという世界有数の観光名所だからなのか、サバフェス会場は開園前から参加者の列で賑わっていた。

ざっと見ただけでも万単位はいるだろうか。雰囲気は少し違うが、この人の多さとむせ返るような熱気はイギリスのロックフェスを髣髴とさせる。

しかも、来場者の列にはサーヴァントだけでなく、魔術や聖杯戦争とは何の関係もない一般人も混ざっていた。どうやらルルハワの各地に出没したサーヴァント達に注目が集まり、サバフェスの開催が知れ渡ってしまったようなのだ。

彼らはBBが施した神秘秘匿の為の術式の作用で、サーヴァントの存在については認識しておらず、サバフェスを純粋なお祭りのひとつとして見ているようだ。

魔術協会からすれば頭が痛くなる光景ではあるが、英霊と一般人が一緒になってお祭りを楽しむなど、特異点でなければまずお目にかかれないであろう。

 

「うーん、盛況ですねぇ。ハワイを選んだのはやっぱり正解でした」

 

会場の様子を見てBBは満足そうに頷く。

曰く、今年は例年よりも規模が大きく、これからもっと来場者が増える見込みらしい。何か問題が起きた時に備え、レオニダス一世以下混対スタッフが入念な打ち合わせをしている姿がここからでも見える。

 

「混対スタッフ、整列! よろしいですか、各々方。彼らを只人だと考えてはいけません。彼らは本やグッズを求めて生命の炎を燃やし尽くす、生きるF1レーシングカーのようなもの! しかし、それで会場を疾駆されては堪りません。我らの使命は人の流れを断ち切ることなく、混乱を回避し、パニックを押し止める事――我々はここに誓うのです! 押さない! 走らせない! 事故らせない! ですが、気遣いは忘れない!」

 

「お! は! じ! き! ウーラー!!」

 

「よろしい! それでは総員盾持ち、武器構え!」

 

何だか、物凄い矛盾を孕んだ真意を垣間見た気がした。

 

「今更ですが、お願いしたのが不安になってきました」

 

「大丈夫だろう、暑苦しいだけで……きっと……」

 

「だと良いのですが。ああ、それよりもカドックさん、センパイ達のサークル活動には結局、参加されませんでしたね?」

 

「素人の僕にできることなんてないからな。その分、本来の仕事に集中させてもらった」

 

この六日間、ジャンヌ・オルタは観光もそこそこにホテルで執筆作業を続けていた。

しかし、ロビンの豚化がかかった大事な仕事とはいえ、自分達の本来の役目はハワイ諸島で観測されたフォーリナー反応の調査だ。

なので、ジャンヌ・オルタのサポートは立香達に任せ、カドックとアナスタシアは各地で暴れ回る謎のフォーリナーハンターへの対処に専念していたのだ。

向こうは向こうで慣れぬ作業に苦戦していたようだが、こっちは同人誌制作に興味津々なアナスタシアを必死で宥め、どこからか水着霊基を調達して問題を起こしまくる茨木童子の尻拭いをしたりと、こちらはこちらで激動の六日間であった為、観光もほとんどできていない。

 

「まあ、いいですけど……じゃ、私は開催宣言がありますのでここで失礼しますね。楽しんでいってくださいね」

 

一瞬、不満そうな顔を浮かべたBBではあるが、すぐにいつもの笑顔を浮かべ直して人混みの向こうへ消えていった。

 

「何なんだ?」

 

「さあ? BBの考えってよく読めないからねぇ」

 

割り当てられた販売スペースの設営をしながら、立香が苦笑する。

いつも何らかの悪戯を仕掛けられているだけあって、中々に説得力のある言葉であった。

 

(うん? そういえばさっきのBB、僕にしか話しかけてこなかったな?)

 

いつもなら執拗に立香やロビンに絡み倒すのに、今日に限っては大人しくしていた。

主催するイベントの本番ということで、いつもより幾分か真面目になっているのかもしれないが、奇妙な違和感は拭えなかった。

ただの気まぐれ、単なる偶然と片づけていいものなのだろうか。

 

「ほら、ボーっとしてないで手伝いなさいよ! あんたは皇女様だけ働かせるつもり!」

 

思考に埋没しかけたカドックを、ジャンヌ・オルタの怒声が現実へと引き戻した。

その後ろで立香が運んでいるのは、ジャンヌ・オルタがこの六日間、必死の思いで書き上げた同人誌の入った段ボール箱である。

彼女の熱意は確かなものであったが、ティーチの言っていた通り、気持ちだけで何とかなるほど漫画制作は甘くはなく、平版印刷所(オフセット)を諦めてまで粘ってみたものの、期日までに作品を完成させることはできなかった。

なので、ゲシュペンスト・ケッツァーのサバフェス出店第一号は未完成のコピー誌である。

カドックも中身を拝見させてもらったが、全体的に話が間延びしていて台詞回しも固く、素人目に見ても出来がいいとは言えない。本来ならば落としてしまっても誰も文句は言わないだろう。

それでもジャンヌ・オルタ達が頭を捻り、意見を出し合って作られたこの同人誌には並々ならぬ熱量が込められていた。

何よりロビンの豚化がかかっているということもあり、この未完成品はこうして出店の運びとなったのである。

直前まで近所のコンビニに詰めて用意できたコピー誌は締めて50部。無料配布としてはまずまずの量であある。

 

「本当に良いのですか? これでは売り上げは望めませんが……」

 

机の上にPOPや可愛らしい飾りを並べていたマシュが、漫画を一冊、手に取ってジャンヌ・オルタに聞いた。

出来上がったコピー誌は無料配布にする。そう言ったのは他ならぬ著者である彼女だ。

せめて印刷代だけでも取ってはどうかという意見もあったが、彼女は頑なとしてそれを是としなかったのだ。

 

「いいわよ、売り上げなんて。私はあの本に……あの女に勝ちたかっただけ。でも、今回の本はそういうものじゃないから」

 

「と、いうと?」

 

「なんていうか、私達全員で作った、私達だけが楽しい本だった、じゃない。だから無料でいい。無料がいい。貰うべきものは先に貰ってるんだから」

 

売り上げも順位も関係がない。この本はみんなで意見を出し合い、協力して生み出した思い出の結晶。出来上がるまで苦労しかなかったけれど、思い返せば不思議と嫌悪は湧いてこない心地よい疲れであった。

その楽しい思い出こそが報酬であり、金銭には代えられないものなのだ。だから、この本は無料でいいと竜の魔女は語る。

それを聞いたカドックは、少しだけ自分が場違いであるかのような錯覚を覚えた。

任務にかまけて彼らの作業を手伝わなかった。それは誰も咎めることはなかったが、今になって後悔が湧いてくる。

自分ももっと彼女達に協力しておけば、この喜びを少しは分かち合えたかもしれないと。

すると、こちらの考えていることを察したのか、ジャンヌ・オルタがこちらを見つめて照れ臭そうに口を開いた。

 

「もちろん、あんた達にも感謝しているんだから。フォーリナーの件、二人が引き受けてくれたからこの本はここにあるの。それにほら、ちゃんと協力してくれたじゃない」

 

「……何を?」

 

「えっと……ほら、ジュース買って来てくれたじゃない」

 

「何だそれ」

 

「いいのよ、あんたはゲシュペンスト・ケッツァーのパシリ。それでいいでしょ!」

 

頬を染め、そっぽを向きながらジャンヌ・オルタは言う。

そんな彼女を面白がったアナスタシアがからかうように頬を突くと、ジャンヌ・オルタは嫌がる様に皇女の腕を払って距離を取った。

どうやら、柄にもなく素直な気持ちを述べて照れているようだ。

 

「もう、何を恥ずかしがっているの、ジャンヌぅ」

 

「止めなさいよ。聖女のアイツと同じノリで付き合うの、いい加減止めてよね」

 

「えー、どうしようかしら?」

 

「こら、抱き着くな! 冷た! 脇腹冷やすな! くすぐりゅなぁっ!」

 

そのまま揉み合うようにブースの奥へと二人は消えていった。

 

「後でお礼を言うべきか?」

 

「そうかもね。さ、俺達も準備しよう。後少しで開園……」

 

立香の言葉を遮るように、五分後にサバフェス開催の宣言を行う旨のアナウンスが会場内を流れる。

直後、爆発音と共に会場全体が大きく縦揺れを起こし、会場内に人々の悲鳴が木霊した。

 

「ば、爆発音!?」

 

「ちょっと! いまいい話で終わりそうだったのに、なによ!?」

 

騒ぎ出す参加者達を、混対スタッフが押し留めている。

見上げると会場の天井に大きな穴が空いていた。何者かがそこから飛び込んできたのだ。

そして、計測された霊基はこの六日間で何度か相対したあの機械の騎士のもの。

そう、謎のフォーリナー。フォーリナーハンターXXが襲来したのだ。

 

「ぬう、近くのスペースの方々は退避を! む、あれは……」

 

槍を手にXXへと飛びかからんとしたレオニダスは、後から飛来した黒い物体を見て動きを止めた。

まるで空を駆けるかのようにXXへと軽快なソバットを決めたその人物は、扇情的な衣装に身を包んだ少女であった。

ハードなレザー仕立てのズボンにトップビキニ。惜しげもなく黒い肌を露出させ、蹴りを放つ度に胸の膨らみが大きく揺れている。

そんな痴女めいた格好の少女は華麗に宙を舞い、生み出した炎の玉を投げつけてXXを牽制しつつ、こちらに向かって声を張り上げる。

 

「今です、この悪しきフォーリナーを皆さんの力でやっつけちゃってください!」

 

「お前は……BB!?」

 

XXと戦っていたのは、先ほどまで自分と話し込んでいたBBであった。

だが、見た目がさっきまでのスポーティーな格好ではなく、肌の色まで変質している。

霊基再臨したのだろうが、それにしたって変わりすぎだ。

 

「その姿は?」

 

「説明は後です。今はBBペレとだけ覚えてください!」

 

「ペレ? ハワイ島の女神か!?」

 

ペレとはハワイ諸島の伝説や民話に伝わる火山の女神。聖なる大地のペレとも呼ばれる非常に気性の荒い神格だ。

炎、稲妻、ダンス、暴力を司り、情熱的な愛と激しい怒りを併せ持つ二面性の激しい様はまるでハワイ版のイシュタル神である。

まさかとは思うが、BBはその神格を取り込んだとでも言うのだろうか。

今すぐにでも問い質したい衝動に駆られたが、動き出したXXがそれを許してはくれない。

装甲の一部を焼き焦がされながらもXXは立ち上がり、武器を構えて今にもこちらに飛びかからんとしている。

 

「宇宙秩序ヲ 守ルタメ……サバフェス 滅ブベシ!」

 

魔力を噴射させながら、XXは地面スレスレを滑空する。

手にした巨大な槍は食らえばひとたまりもないだろう。

咄嗟に立香はマシュを連れて安全圏まで下がり、ロビンと牛若丸がガードにつく。

 

「カドック!」

 

「分かっている! アナスタシア、狙えるか!?」

 

「……ダメ、早い!」

 

立て続けに放たれた氷の弾丸を、XXは持ち前のスピードを活かして強引に振り切ってしまう。

ならばとジャンヌ・オルタが正面から火球をぶつけるが、分厚い装甲が僅かに傷つくくらいで牽制にすらならなかった。

あのスピードではアナスタシアの宝具で足止めを狙おうにも洗脳効果が発揮される前に効果範囲から抜け出されてしまう。

攻防共に隙の無い、強力なサーヴァントだ。

 

「フォーリナー 潰ス サバフェス 滅ブベシ」

 

「アナスタシア!」

 

「っ……避け切れ……」

 

XX渾身の突貫がアナスタシアを襲う。ここに来て更に魔力噴射を増大させたXXの動きは暴走する機関車のように荒々しい。

あの攻撃を真正面から受け止める為にはマシュの盾に匹敵する守りが必要だが、生憎と彼女はもうサーヴァントとして戦うことはできない。

そして、ジャンヌ・オルタではあの攻撃を躱すことはできてもアナスタシアを守ることはできないだろう。

一人の男が槍を手に戦場へと駆け込んだのは、誰もが万事休すと思い込んだ正にその時であった。

 

「ふんぬ!」

 

迫りくるXXの突撃槍。その円錐の刃をレオニダスは真正面から受け止めた。

当然、マシュの守りのように特別な加護を持たないただの盾では容易く突き破られてしまうが、レオニダスは何と衝突の刹那を見切って盾を傾け、勢いを上へと逃がすようにXXをかち上げたのだ。

結果、バランスを崩したXXはその場で宙返りをするかのように引っくり返り、背部を強かに地面へとぶつけてもんどりを打った。

 

「『残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)』!」

 

すかさず、アナスタシアが宝具を発動して幻影の宮殿にXXを閉じ込める。拘束できたのはほんの数秒程であったが、宮殿内でよほど恐ろしいものを垣間見たのか、機械合成された悲鳴がサバフェス会場全体へと響き渡る。

解放されたXXは足取りもおぼつかず、全身の各所から煙を噴き出しながら地面に片膝を着いた。

勝負あったとばかりにジャンヌ・オルタが刀を突き付ける。

 

「くっ……出力が落ちています……やっぱり三食コスモヌードルだけでは……」

 

「あんた、普通に喋れ……」

 

「かくなる上は、この甲冑を爆破し、会場ごと全て爆散してもらうしか……」

 

強引に体を起こしたXXの体内から強烈な魔力が迸り、同時に軽快な電子音が鳴り響く。

この背筋を伝う冷や汗と下腹部を握り締められたかのような底冷えする圧は間違いない、XXは自爆しようとしているのだ。

 

「計測でました! カドックさん、このままではこの会場が丸まる、吹き飛んでしまいます!」

 

戦況を分析していたマシュが、焦りの声を上げる。

そうしている内にもXXの魔力反応はどんどん大きくなっていった。もはや爆発は秒読みの段階。急いでこの場から連れ出さねば大きな被害が出てしまう。

だが、それは誰かが犠牲にならねばならないことを意味していた。連れ出した当人は爆発から逃れる術はない。その事実がほんの少し、その場にいた全員の勇気を挫く。

すると、一人の男が名乗りを上げた。

 

「では、某が運びましょう」

 

何てことはないとばかりに、漆黒の暗殺者――呪腕のハサンが舞い降り、そのままXXを担いで天上の穴を目指す。そこから外に出るつもりのようだ。

 

「ハサン!?」

 

「皆様、サバフェスをどうかお楽しみあれ」

 

仮面の裏で優しく微笑みながら、ハサンは青空へと消えていく。

直後、彼方から巨大な爆発音と水飛沫が上がる音が聞こえてきた。

どうやら呪腕のハサンは人気のない海へとXXを運び出したようだ。

だが、爆発の前に投げ捨てたのだとしても、会場全体に及ぶほどの爆発の影響からは逃れられない。

お祭りの本番を前にして、呪腕のハサンはサバフェスの為にその命を散らしたのだ。

犠牲となったのだ。

 

「ただいま戻りました」

 

生きていました。

 

「あの状況でどうやって!?」

 

「ほら、私ってば『風除けの加護』持ってますし、爆風だけなら何とかこのように」

 

意外なところで意外なスキルが役立つものである。

加えてあくまで風が当人を避けていくだけであり、爆発によって生じた破片だとか炎などの二次災害は彼自身の技量で生還したのである。

日頃から得手がないだの平凡などと自分を卑下にする事が多い人物だが、こういう難題をサラッとこなせる辺り、やはり彼も人類史に名を残したハサンの一人なのだろう。彼もう少し、自分を誇っていい。

 

「ふう、何とか被害は最小限に抑えられました。これなら開始時間までに設備の補修もできそうでうす」

 

「BB? そうだ、その姿は……」

 

「はい、お察しの通り、ハワイにおける火山の神格。聖なる土地のペレ――ペレホアヌアメア。或いは土地を喰らうペレ――ペレアイホヌアの力です。一ヶ月前、今年のサバフェスはハワイで開こう、と現地視察にやってきたわたしは女神ペレと意気投合。諸事情あってとても弱っていた女神ペレから、その神核をコピー、インストールさせてもらったのです」

 

そうしてハワイ島の管理権限を借り受けた彼女は、その力を使って特異点ルルハワを形成。過去最大規模のサバフェスを開催するに至ったという経緯らしい。

意外なこともあったものである。人の幸福にはちょっかいをかけ、不幸には嬉々として蜜を塗り込む性悪AIにも人助けの心があったとは。恐らくこのサバフェスは一種の儀式なのだ。

ここに集まった観光客やサーヴァントの夢や思いを魔力へと変換し、女神ペレへと還元する。ペレが力を取り戻すために、BBはサバフェスをここまで盛り上げようとしているのだ。

 

「む、変なところで聡い人ですね」

 

「いや、少し見直したよ」

 

「まあ、こっちとしてもサバフェスを開くのに色々と都合が良かったので。かくしてBBちゃんは夢の褐色美女に生まれ変わったのです。どうです、見惚れちゃいました?」

 

「いや、日焼けは体に悪いだろ。皮膚ガンになりやすくなる」

 

「がくっ! そうでした……この人、雪国色白美人が好みでした……やはりここでセンパイに聞いた方が良かったのかもしれません。BBちゃん、痛恨の人選ミスです」

 

何が気に障ったのか分からないが、BBは肩を落として大きくため息を吐く。

 

「まあ、いいです。皆さん、次の為にも今日は思いっきり楽しんでくださいね」

 

「言われなくても楽しむわよ」

 

ジャンヌ・オルタが答えると共に、午前九時を告げるアナウンスが会場に響き渡る。開園時間だ。BBは本来の業務に戻るためにそそくさとその場を立ち去り、XX襲来によって退避していた他のサークル達もそれぞれの持ち場へと戻っていった。

色々とあったが、いよいよ始まるのだ。サークル『ゲシュペンスト・ケッツァー』、記念すべきデビューイベントが。

早速、入口の方では新刊を求めて駆け込んできた一般客と混対スタッフが衝突する音が聞こえてきた。

飛び交う怒号に床を踏み抜かんとする足音。ぶつかり合う金属音。何故、即売会のスタッフがファランクス陣形で来場者を押し留めているのかは甚だ疑問ではあるが、これも一つの風物詩なのだろう。

自分でも慣れてきたなと、カドックはどこか他人事のように思うのであった。

 

 

 

 

 

 

午後五時。

会場内にサバフェスの終了を告げるアナウンスが流れている。

充実した一日であった。

盛況とは言えなかったものの、ジャンヌ・オルタの本は中々に好評であった。

いの一番に顔を見せてくれたティーチ、こちらと聖女のブースを行ったり来たりを繰り返すジル・ド・レェ、北欧の戦乙女ブリュンヒルデ。拙い冊子は時間と共に少しずつ減っていき、残るは最後の一冊だ。

完売できなかったと悔やむべきか、記念の一冊が残ったと喜ぶべきか。

何れにしてもこれは大切な思い出だ。成功と失敗の――失敗の比率の方が圧倒的に多い――思いの詰まった大切な一冊である。

 

「ふふっ、色々な人達と写真が撮れました。ほら、どう?」

 

「いや、僕も一緒に行ったから知っているって」

 

「もう、私が誰かを呼び止める度に変な顔をするんだから」

 

「君が不用心に男性に話しかけるからだろ。フェルグスやフィン辺りに見初められたらどうするんだ」

 

色の多い連中だ。加えて観光地特有の解放感。間違いがないとも言いきれない。

 

「カドックさんはアナスタシアが心配なんですね」

 

「悪いか? 当たり前だろ、大切なんだから」

 

「おーっと、予期せぬボディーブローに皇女が撃沈!」

 

「へいへい、カドックも藤丸もその程度にしとけって。マシュ、ちょっと皇女様連れて外の空気でも吸ってきたらどうですかね?」

 

ロビンの言葉を受け、マシュが何故か顔を赤くしているアナスタシアを連れてその場を後にする。

 

「さて、フォーリナーも倒したし、オレの豚化も無事に免れ特異点も明日には消失。晴れて任務完了って訳ですかね?」

 

「そうね、カルデア次第にもよるけど、明日の便で帰還かしら?」

 

「それは残念ですね。まだまだ遊び足りないのですが」

 

確かにこの一週間、漫画制作やフォーリナー追跡にかまけて余りルルハワを観光できなかった。ハワイ島の火山やワイキキビーチでの海水浴、ネオン彩る夜の街、満天の星空。料理にショッピングにetc。

思い返すと無念が山ほど込み上げてくる。仕方がないといえば仕方がないのだが、せめて後何日かはカルデアへの帰還を引き延ばせないものだろうか。

今回の件はダ・ヴィンチとしても色々と裏技を駆使したものなので難しいかもしれないが、それでも願わずにはいられなかった。

もう少しだけ、みんなと一緒にこの夏季休暇を楽しみたいと。

そんな思いに蓋をして、カドックは自分に言い聞かせるように口を開いた。

 

「……何を言っているんだ。僕達は任務で来たんだから、終わったら帰るに決まってるだろ」

 

フォーリナーは倒した、サバフェスも終わった。特異点も消失する以上、もう自分達がここに留まる理由はない。

こちらの言葉に立香と牛若丸が残念そうに顔を俯かせ、ロビンもジャンヌ・オルタも複雑な笑みを浮かべていた。

 

「じゃ、せめて今夜はお祝いしよう。ゲシュペンスト・ケッツァーのデビュー記念ってことで!」

 

「そうだな……最後に思い出、作るか」

 

気を取り直した立香の提案に、カドックは小さな笑みを浮かべて賛同する。他の面々も皆、顔を綻ばせていた。

 

「夜まで騒げる店なら、私いくつか知っているわ」

 

「なら、そっちはお前に任せるよ。立香、アナスタシアとマシュを呼んでくるから、オルタと幹事頼む」

 

「分かった! オルタ、焼肉行こう焼肉!」

 

「あんたねぇ、もうちょっとハワイらしいものにしなさいよ!」

 

「えー、打ち上げといえば焼肉でしょ!」

 

どんなに楽しい時間もいつかは終わりを迎える。だからこそ、今を懸命に生きねばならないのだ。

彼ら英霊達とも何れは別れの時が来る。その時、今日という日の思い出がかけがえのない輝きを放つダイヤモンドになってくれればいい。

そんな、柄にもないセンチメンタルに浸りながら、カドックは彼らに背を向けてアナスタシア達を探しに向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

翌日。

これは夢かはたまた幻か。

自分達は確かに昨夜、ホテルへと戻って就寝したはずである。

だと言うのに、カドック達は今、ダニエル・K・イノウエ国際空港のロビーに立っていた。

時刻を確認すると、丁度七日前に飛行機から降りた時間になっている。ご丁寧に日付まで七日前のものだ。

まさか、この七日間での出来事は全て夢だったのだろうかと、カドックは思わず自分の頬を抓ってみた。

鈍い痛みが走る。

冷静に考えると、目覚めてから抓っても意味がないことに気が付いた。

それに全員の格好が、ホテルで就寝した時のままだ。

七日前ならアナスタシアやマシュは水着ではなかったはずだ。

 

「……先輩、これは……」

 

マシュも困惑の表情を浮かべながら立香を見やる。

アナスタシアもジャンヌ・オルタもロビンも牛若丸もみんな同じだ。ゲシュペンスト・ケッツァーの面々が全員、同じ夢を見ていたのだろうか。

そんな事が割る訳がないと、カドックは首を振る。

自分や立香達だけならいざ知らず、サーヴァント達も同じ状況なのだとしたら、酸欠やアルコールでの集団幻覚の線は薄い。

何らかの宝具の可能性も捨てきれないが、少なくともフライト中は何事もなかった。ならば考えられるのはハワイに到着してからだ。

その最大容疑者は――。

 

「BBか!?」

 

「ご明察です、カドックさん」

 

どこからともなく、人をからかうような蠱惑的な声が聞こえてくる。

 

「チックタック♪ チックタック♪ チックタック♪ チックタック♪ 電子時計を飲み込めば、体内時計をむせ返す。時間通りにこなしたところで結果が出せなきゃ水の泡。本を完成させただけで満足ぅ? 仲間との絆が最高の宝物だったとか言っちゃいます? なーんて、ルルハワのド甘いプディング並みに甘っちょろい展開、BBちゃんは許しません!」

 

スケートを履いたBBが、空港の床を蹴ってこちらに駆け寄ってきた。

勢いがついていたので思わず身構えるが、彼女はこちらに体がぶつかるギリギリのところで立ち止まり、困惑するこちらの顔をジッと見上げて不満そうな顔を浮かべている。

どうでもいいが、とても近い。距離にして後数ミリ。自分が一呼吸すれば彼女の体から突き出た丸い物体が胸に押し付けられる形になる。

アナスタシアが腕を引いてくれなければ、正にその通りになっていただろう。

 

「BBちゃん、あなた何をしたの?」

 

「え? 普通に時間を巻き戻しただけですけど。クリアできなかったらコンティニュー、ですよね?」

 

また恐ろしい事をサラッと言い出す娘である。

いくらルルハワが特異点化しているとはいえ、並のサーヴァントではそのような芸当はできない。

女神ペレの神核を取り込んだことで、このハワイ諸島限定で力を発揮しているのだろうが、それにして出鱈目な能力である。

今後のことを考えると、この欠陥AI、やはりすぐにでも廃棄処分にした方が良いのではないだろうか。

 

「うーん、でもカドックさん、記憶を持ち越しているんですね。サークル活動には参加しなかったですし、素直にルルハワ観光を満喫してもらおうと思って記憶は消しておいたんですが、片手間だったからうまく作用しなかったのかな?」

 

「ループ……記憶……ZEROに還る……うっ、頭が……」

 

今、何か思い出してはいけないものが頭を過ぎった気がする。

 

「まあ、その気があるのなら今後は記憶も残しますね。はい、という訳で今度こそはちゃんとオフセット本を作って、売り上げ一位を目標に頑張ってくださいね?」

 

その発言に対して、当然の事ながらロビンは抗議の意を示す。

彼にしてみれば自身の豚化がかかった案件なのだ。無理もない。

するとBBは、珍しく殊勝な態度で頭を垂れると、前回は隠していた事情を説明し始めた。

曰く、サバフェスは女神ペレの力を復活させる為の儀式も兼ねている。元々、女神ペレはBBと出会った時には死に体であったらしい。ひょっとしたらあのフォーリナーハンターXXによって倒されたのかもしれないが、BBはそれについては断言はしなかった。

そして、BBはそんな彼女を取り込むことで延命を図り、復活の為の手段として聖杯を生み出した。サバフェスによって生み出された熱気を魔力へと変換したものだ。

だが、それはそこにあるだけではただの魔力の塊に過ぎない。女神ペレが真に力を取り戻す為には、キラウエア火山で聖杯を使う必要があると言うのだ。

 

「キラウエア火山は女神ペレの住まいです。そこで世界の平和を願えば、聖杯の魔力は強い信仰となって女神ペレに届きます。ですが、売り上げ部門で優勝したメイヴさんにはそんな気が更々ないようでして……」

 

確かにあのコノートの女王は他人の為に聖杯を使うような人物ではない。

まず間違いなく自分の欲望の為に消費することだろう。

フォーリナーを倒しても女神ペレが力を失ったままでは、何れハワイ諸島の霊脈に何かしら致命的な瑕が生み出されるかもしれない。最悪、加護を失ったハワイが地上から消えてしまう可能性すらある。

 

「まずいな……」

 

「はい。なので、皆さんには何としてでもサバフェスで一位になってもらわないといけないんです」

 

そのためにはサバフェスで売り上げ一位を取らねばならないが、メイヴは強敵だ。

確か彼女が出店していたものは自身のグラビアだったはず。他人を魅了するという点にかけては彼女に並ぶものはそうそういない。

あれを超えるものを作るとなると、並大抵の努力では届かないであろう。

だが、ここに来てジャンヌ・オルタの闘志に火が付いた。

元より負けん気の強い性格だ。一度や二度の挫折で諦めるようでは竜の魔女など名乗らない。

 

「やってやろうじゃないの。ループさせてくれるっていうのなら、勝つまで描き続けるだけよ!」

 

方針は決まった。

フォーリナーを倒す、サバフェスで一位を取る。ついでに前回はできなかったルルハワ観光も思う存分に堪能する。

強く拳を握りめるジャンヌ・オルタを見て立香は苦笑し、ロビンも諦めたように首を振った。こうなったら彼女が満足するまでとことん付き合おうと。

ゲシュペンスト・ケッツァーの再出発だ。

 

「その意気です。では、わたしはこれで失礼します。七日目の夜、マウナケア天文台でお待ちしていますので、聖杯で女神ペレを救ったら報告しに来てくださいね」

 

そう言って、BBは何処かへと去っていく。恐らく、六日後のサバフェスの準備を改めて行うのだろう。

窓の向こうには外套姿のティーチが往来を歩いているのが見える。本当に七日前に時間が戻ったというのなら、向こうがこちらに声をかけてくるはずだ。

今度も彼に頼んでホテルを譲ってもらえれば、今日からの活動がしやすくなるはずだ。

 

「カドック」

 

「分かっているさ、アナスタシア。君も漫画を描きたいって言うんだろ」

 

「あなたもよ。みんなで思い出を作るの、いい?」

 

「……わかったよ」

 

未練がない訳ではない。心のどこかで彼らの漫画制作にもっと協力しておけばよかったという後悔があるのも事実だ。

だから、もう一度この七日間をやり直せると知って喜んでいる自分がいる。

挽回の機会を得たのなら、それを最大限に利用しよう。どこまでできるかは分からないが、ジャンヌ・オルタの執筆を全力でサポートするのだ。

 

「さあ、行こうか。僕達のサークル活動はこれからだ!」

 

改めてここに記そう。

これは挫折の物語だ。

人生なんて思い通りにいかない躓きばかりであるということを、少年はこの夏に嫌というほど思い知らされる。

そう、彼らの夏はまだ始まったばかりなのだ。

 




本当はここまでプロローグにしたかったくらいです。
やっと本題に突入ですね。ちなみに没案ではカドアナもサークル結成してサバフェス参入をして、「君はどっちを応援する」で締める予定でした。それやってもカドアナ孤立するだけで夏にワイワイやるお祭り感がないなと思いまして。


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一日目その3 ファインディング・メイヴ

ここまでのおさらいをしよう。

人理保障機関フィニス・カルデアはハワイ諸島において謎のフォーリナー反応を観測。調査の為にマスター2名及びサーヴァントチームを派遣した。

折しもサーヴァント界では年に一度の夏の祭典、サーヴァント・サマースター・フェスティバルの開催時期であり、ハワイ諸島が今年の開催場所として選ばれていた。

だが、その裏ではフォーリナーに倒された女神ペレを復活させる為にBBが動いており、サバフェス参加者の熱気を集めて聖杯を生み出そうとしている。

キラウエア火山で聖杯に願いを告げれば女神ペレは復活するが、サバフェスで売り上げ一位となったメイヴは私利私欲の為に聖杯を用いるので論外。

BBが時間を逆行させ、今度こそ売り上げ一位を達成して聖杯を手に入れるよう要請してきたのが、現在の状況だ。

 

「BBは割と簡単に言ってくれたけど、初参加の素人が一位を取るのって無茶だよね」

 

ホテル前の階段に腰を置き、持参したオペラグラスを覗き込みながら立香は言う。

集まったのは付け焼刃のアマチュア作家とずぶの素人が数名。対する競合相手は歴史に名を残した作家英霊やフィギュア(ゴーレム)に一家言あるカバリスト、昨年の壁サークルである聖女と比べるのも烏滸がましい強豪ばかりだ。

普通ならば逆立ちしたって勝ち目はない。BBの言を信じるなら勝てるまで何度でもリトライは可能なようだが、素人が何度挑んだところで天と地ほどある実力差のを埋める事は敵わない。トライ&エラーで何とかなるほど、創作の世界は甘くはないのだ。

加えて自分達が戻れるのはルルハワを初めて訪れた六日前までで、恐らくはそれ以前から準備をしてきたであろう彼らと比べて圧倒的に準備期間が短い。

 

「要点を整理しよう。最低限、やらなければならない事は3つだ」

 

いつもの厚着からルルハワで購入したロゴ入りのシャツとダメージジーンズに着替えたカドックは、近場の売店で購入した安物の双眼鏡を手にしたまま三本の指を立てる。

七日間を繰り返せる。漫画制作の技術も経験もない自分達にとって大きなアドバンテージではあるが、無条件という訳ではない。

第一に新刊は落とせない。原稿を落とせばロビンは哀れ、豚として生きていかねばならないのだ。きっとどこかの大魔女は喜ぶだろうが、本人にとっては抜き差しならない事態だ。

厄介なのは新刊を出さなければならないということ。以前に書いた作品を描き直しただけではBBの呪いは発動してしまう。

第二にフォーリナー――XXへの対応。本来の任務であり、サバフェスを妨害せんと暴れ回るあれを放っておけばルルハワに大きな被害が及ぶ。対策は急務と言える。

第三にサバフェスを無事に終わらせること。聖杯はサバフェスに参加した者達の思いで満たされる為、サバフェスが頓挫すれば聖杯は降臨しない。最悪、フォーリナーは倒せずともサバフェスの開催だけは死守しなければならないのだ。

以上を踏まえた上で七日間を繰り返し、サバフェスで売り上げ一位を目指す。フォーリナーと戦い、サバフェスを守り、漫画を描き、ネタ探しも兼ねて観光も行う。

 

「やることが……やることが多い……!」

 

「誰だったかな、漫画家は週二日は休めるなんて言ってたの」

 

それは一日でネームを仕上げるなんて荒業をこなせるからこそ言える台詞であって、大抵の漫画家志望はまずその時点で躓くものだ。

頭の中で思い描いたストーリーを形にする。ラフ、或いはコンテともいうその作業は漫画制作における設計図のようなものだ。

コマ割りの配分、台詞量、登場人物の配置や動き、それらをここで突き詰めておくことでやっと作画に入る事ができる。

どれだけ絵が上手くとも、これを疎かにしては良い漫画は描けない。ただ歩かせるだけでも漫画家は登場人物の動きを緻密に計算した上で描いているのだ。

そして、ゲシュペンスト・ケッツァーはそれを成さねばならない。やらなければこのルルハワから永遠に脱出できないのだから。

 

「……でもさ、これってそれと何か関係あるの?」

 

「大ありだ。敵を知り己を知ればって言うだろ」

 

七日間という準備期間の短さを考えれば、一日だって無駄にはできない。既にジャンヌ・オルタ達はホテルに向かい執筆作業を始めている。

またティーチの情報によればあのホテルにはサバフェス開催を前にして絶賛修羅場中の刑部姫も滞在しているらしい。

彼女は同人作家としてはそれなりに場数を踏んでいるが、自分達と同じアマチュアである事に変わりはない。彼女の実体験を聞ければ下手な参考書を読むよりも有益な情報を得ることができ、今後の執筆に活かすことができるであろう。

自分達に圧倒的に足りない技術と経験、それを補うためには何をしなければならないのか、そこに光明が見えてくるはずだ。

そして、同じくらい重要なのが敵の出方を知る事である。

前回のサバフェスにおいてメイヴは他のサークルと圧倒的な差をつけて売り上げ一位となった。プロの作家や昨年度の優勝者を押し退けてだ。

ただの人気や領布物の出来以外の何かがあるとカドックは踏んでおり、それを探らなければ自分達に勝ち目はないはずだ。

 

「いや、でもこれって覗き……」

 

「さっきからオペラグラス覗きっぱなしのお前が言うな」

 

そう、二人は今、太陽が照り付ける真昼のビーチに降り立っていた。

ホテル前のワイキキビーチ。ここでメイヴが取り巻きの男達を引き連れて撮影会染みたことをしていると知ったからだ。

向こうに悟られぬよう、観光客の振りをしてさり気なく動きを見張る。彼女が如何にしてサバフェス一位の座を勝ち取ったのかを探るためだ。

あくまで強敵の情報収集が目的であり、一国をも惑わす蠱惑的な肢体を堪能することは不可抗力である。

不可抗力である。

 

「うーむ、あれに惑わされないクランの猛犬って……」

 

「ああ、ある意味、尊敬に値するな」

 

望遠レンズの向こうでは、取り巻きに囲まれたメイヴが目まぐるしくポーズを入れ替えていた。

砂浜に座って反り返り胸を突き出したかと思えば、四つん這いになって臀部を差し出し、立ち上がって脇を強調したかと思えば、振り返って胸を持ち上げる。

笑顔、流し目、見上げに見下し、指をくわえ、サングラスを弄び、コケティッシュな唇がストローを噛む様が次々と写真に収められていく。

大胆で自信に溢れた所作はさすがとしか言いようがない。離れていても魅了の効果が感じられるほどだ。

あれが六日後に一冊の本になるのかと思うと、何とも言いようのない期待が込み上げてくる。

そして、そんな蠱惑的な女王の間近でグラビアの撮影を行っているのが、何を隠そうこのルルハワで現地徴収された百人にも及ぶカメラ小僧達である。

メイヴも考えたものだ。各地のイベントで鍛えられたカメラ小僧達は下手なプロを雇うよりも安上がりで済む。写真の出来こそまちまちだが、根っからの女王気質であるメイヴからすれば、仕上がりに拘ってあれこれ指図してくるであろうプロよりも従順なカメラ小僧(ファン)の方が色々と都合がいいのだろう。

質で足らない部分は数でカバーだ。加えて彼らは全員、メイヴの魅力に心酔しているスレイブ達。ファン心理を心得ているからこそ、需要をピンポイントで突いてくるはずだ。

彼らはこの六日間、メイヴに付きっ切りで撮影や出店の手続きを行い、女王のバカンスを盛り上げ、気紛れでぶってもらえるのだ。

何とも羨ましい、もとい恐ろしい集団だ。

 

「それで、どうするの? 撮影の邪魔をする?」

 

「いや、まずは様子を見よう。後を追うんだ」

 

「分かった」

 

波打ち際から木陰へと移動したメイヴ達に気づかれぬよう、物陰や人混みに紛れながら身を顰められる場所を目指す。

ジリジリと照り付ける太陽が憎らしい。額からは玉のような汗が流れだし、頬を幾筋も伝って足下へと零れ落ちる。

暑さで思考が鈍ってきたのか、どれくらい追いかけているのか分からなくなってきた。

レンズの向こうでは相変わらずメイヴが艶めかしいポーズを取り、カメラ小僧達が絶賛している。

彼女の肢体は魅力的だが、こう暑さが続けば集中力が続かない。砂浜の喧騒、波の音や海鳥の声、通りに響くクラクション。あらゆる自然音が脳を溶かしていく。

立香を連れてきて正解だった。誰かと話していれば、苦痛も少しは紛れるというものだ。

 

「……つまり、コンスタンティンはもう少し評価されてもいいと思うんだ」

 

そして、何故か話題はどうでもいい映画の話へと及んでいた。

語っているのはもう十年近く前の映画だ。一世を風靡したSF映画の主役が主演を張ったオカルト映画。

映像表現の巧みさに反して脚本は宗教色が強く、国によって評価が分かれる異色作である。実は漫画原作なのだが本国以外でそれを知る者はいるのだろうか。

 

「漫画とは別物だがあの脚色……特にオチは古典的な中にも皮肉が利いていて僕はとてもいいと思う」

 

「いやあ、予備知識ないとかなりややこしいよ。オチの良さは認めるけどさ」

 

「だろ。自分が救われたくて仕方なかった男が最後の最後で自己犠牲を認められるんだ。その上でラストのあれは息苦しさの中にほんの少しの清涼感を与えてくれる。もちろんエンドロールの後も見逃すな、マーベルで慣れてるだろ?」

 

「え、あれ続いてたの? テレビで見たからカットされたのか……」

 

レンズの向こうでは椅子に腰かけたメイヴが足を組んで下腹部を隠し、挑発的な笑みを浮かべている。爪先に引っかけたサンダルが実にいい味を出していた。

 

「……あれだね、スピーシーズだ」

 

「いや、ポルノと一緒にしたら駄目だろ?」

 

異星人と地球人の混血種が子孫繁栄の為に夜な夜な盛り場を訪れて濡れ場を演じる映画だ。嘘は言っていない。

 

「あれ、ホラーだよ?」

 

「あれがか? さんざんトップレスを見せつけてくるし、ベッドシーンも迫真だったぞ」

 

「女優さん綺麗だったよねぇ。あれがデビュー作なんだからびっくりだ」

 

「どっちかというとあれはカマキリで、メイヴは女王蜂だ。それに軽いように見えて根は真面目だから、彼女はそうそう同衾なんて誘わないだろう」

 

恋多く欲深い女だが、だからこそ一夜には真剣だ。でなければ生前もクー・フーリンにあそこまで執着しない。

自分に屈することなく、さりとて己から何も奪わずに手放したクランの猛犬。求めて止まない勇士でありながら最も彼女のプライドを傷つけてしまったクー・フーリンは策謀の果てに死へと追いやられてしまう。

女の執念とは実に恐ろしいものである。

 

「もっと万人向けな話しない? そうだ、カンフー映画は?」

 

「そうだな……レッド・ブロンクスは実に面白かった」

 

「分かる。でも、一番は酔拳2でしょ。酒を飲んでの大立ち回り、特に序盤の広場で戦うシーンは何度もリピートしたなぁ」

 

「何言っているんだ。ドランクマスターなら一作目だろ。伝統的なカンフー映画に革新的なコメディ要素を加えた傑作だぞ」

 

「いやあ、個々のキャラ立ちや終盤の鬼気迫る殺陣もあってこっちの方が良いでしょ?」

 

「前半と後半で話がちぐはぐだろ? 殺陣は認めるが母親だって悪目立ちしているし」

 

「一作目は話が地味というか、スケールが小さいでしょ」

 

「いやいや、完成度ならこっちだ」

 

「こっちの方が知名度あるって」

 

お互いにムキになり、次第に喧嘩腰になっていく。そのまましばらくの間、メイヴそっちのけで睨み合いが続くこと数十秒。ようやっと頭が冷えてきたカドックは、罰が悪そうに視線を逸らしてこの話題を打ち切ることにした。

 

「止めよう。真夏の炎天下に何をやっているんだ」

 

「そうだね。きっと、この暑さが悪いんだ」

 

照り付ける太陽の下で息を潜め続け、いい加減に我慢の限界だ。

背中も脇も汗だくで、喉はカラカラに干乾びている。水分が欲しい。水でも紅茶でも炭酸水でも何でもいい。冷たい飲み物をグイっと呷って一息入れたい。

 

「くそっ、メイヴの奴、メロンソーダなんか飲み始めやがった」

 

向こうはこっちの存在に気づいていないはずなのだが、挑発的なポーズも相まってまるで見せつけられているかのように思えてならなかった。

 

「僻まないの。こっちも何か飲もうよ」

 

「ああ……何でもいいから頼む」

 

「嫌だよ、買ってきてよ」

 

「メイヴを見張らなきゃだろ」

 

「俺の方が視力はいいよ」

 

「いざとなったら魔術で何とでもなる」

 

「……カドック」

 

「立香……」

 

お互いに視線をメイヴに向けたまま、同じタイミングでため息を吐く。

零れ落ちた汗がお互いの足下に幾つもの染みを作っており、意識も段々と遠退いてきている。

このままでは遅かれ早かれ熱中症を起こしてしまうかもしれない。

それでも二人はその場を動こうとしなかった。何故なのか。

 

「メイヴのおっぱいが見たいだけでしょ!」/「メイヴの水着を見たいだけだろ!」

 

苛立ち紛れに吠え、二人は双眼鏡を手にしたまま互いをけん制し合う。

視線はメイヴに釘付のまま、カニのように横滑りしながら後を追う様は端から見れば異様でしかない。

買い出し帰りの赤い弓兵は曖昧な笑みを浮かべて頭を振った。

砂浜で遊んでいた雷光の名を持つ少年は不思議そうに見つめていた。

同郷の女神をエスコートしていた授かりの英雄は無言で彼女の視界を遮った。

誰もがこう思っていた、近づいてはいけないと。

そんな中、一人の騎士が空気を読まずに二人の側でウクレレをかき鳴らした。

 

「私は悲しい……まさか我がマスターが斯様な趣味をお持ちとは……」

 

赤い長髪を靡かせ、糸目の奥で瞳を輝かせながら円卓の騎士トリスタンは嘆くようにウクレレをかき鳴らす。

どこから調達したのか、普段の騎士姿ではなくアロハシャツに水着という非常にラフな格好だ。元がかなりの美形なだけに、憂いを帯びた横顔も様になっている。

市井に紛れても問題ない溶け込みっぷりにカドックは思わず感嘆の息を漏らした。

 

「トリスタン……」

 

「ああ、お気になさらずに。私は肝要なつもりです……お二人が何をしていようと私には関係のない事」

 

そう言って、トリスタンはウクレレを鳴らしながらビーチへと視線を向ける。

ジッと、何かを探す様に砂浜を見回し、思い出したかのように弦を爪弾く。視線の先を追ってみるが、特に気になるものは何もない。

観光客で賑わう真昼のワイキキビーチ。泳ぐ者、浜辺で寝そべる者、ビーチバレーに興じる者。視界に映るのはそんな当たり前の光景ばかりだ。

いや、まさかとは思うがこの騎士、涼しい顔をして女性の水着姿を物色しているのではないだろうか?

恐る恐る聞いてみると、トリスタンはウクレレをかき鳴らしてから恥じる事も照れる事もなく笑みを浮かべて頷いた。

 

「はは……慧眼ですね」

 

「本気なのか……」

 

こめかみの辺りに痛みを錯覚する。

他人をとやかく言えるような立場ではないが、ここまで堂々と覗きを公言されては呆れるあまりぐうの音も出ない。

生前からこんな性格なのだとしたら、アーサー王も彼の奇行にはさぞや頭を痛めていたことだろう。べディヴィエールが苦労するのも無理はない。

ため息を吐いたカドックは再び見張りに戻ろうと双眼鏡を覗き込んだが、先ほどまでいたはずのメイヴとカメラ小僧の集団がどこにも見当たらなかった。

傍らで同じく見張っていた立香を見るが、彼も同じようにビーチを探している。どうやらトリスタンに気を取られている隙に見失ってしまったようだ。

 

「はあ……立香、そろそろ行こう」

 

見失ってしまったのならもうここには用はない。とりあえず向こうのサークルの現状が分かっただけでも十分な収穫だ。

それにいつまでもここにいるのは何だかバツが悪い。トリスタンに見つかったことで昂っていた気が落ち着いてきたのか、急に思考が冷静さを取り戻した。

ひょっとしたら、メイヴの魅了にほんの少しやられていたのかもしれない。

 

「おや、もう行かれるのですか?」

 

「別に僕達は趣味でやってた訳じゃない」

 

「そうですか……おや、あんなところでマタ・ハリ殿とブーディカ殿がサンオイルを……」

 

「え? カドック、もう少しメイヴを探してみよう!」

 

その場を立ち去ろうとした瞬間、立香が光の速さで取って返してオペラグラスを覗き込む。

メイヴを探すと言っているが、明らかにレンズの矛先はブーディカにサンオイルを塗ってもらっているマタ・ハリに向けられている。

 

「お前なぁ……」

 

「む、あちらには北欧の戦乙女達が……」

 

「……いいか、僕は海を見ているのであってそこに何が映り込もうと関係ないからな」

 

「カドック……この神様フェチめぇ……」

 

最早、メイヴの様子を探るという当初の目的は完全に忘れ去られていた。

既に太陽は中天を跨ぎ、日差しは一層強くなってきている。首や背中からは潮が噴き出し始め、段々を呼吸も荒くなってきた。熱された砂の上にいると、まるでフライパンで炒められる肉か野菜になったかのようだ。

一方でレンズの向こうは天国だ。

色取り取りの装い、跳ねる二つの膨らみ、肉付きの良い太もも、レジャーシートの上で潰れる臀部、眩しい背中、柔らかい鼠径部、挑発的なくびれ、砂で汚れた足の裏、笑顔、笑顔、笑顔。

ヴァルハラは北欧ではなく南国にあったのだ。

そんな美しい光景に熱中のあまり、暑さも気にならなくなってきた。雲が陰ってもいないのに汗がどんどんと引いていく。いや、肌寒いくらいだ。

 

「随分と、楽しそうね」

 

腹が底冷えする程の冷淡な響きであった。

思わず背筋が凍り、次にそれが錯覚ではなく物理的に背中が凍っている事に気づく。

恐る恐る振り返ると、額に青筋を立てている皇女と顔から表情が消えている盾の騎士がこちらを見下ろしていた。

 

「ア、アナスタシア……いや、これは……」

 

「マシュ……その……」

 

助けを求めるように互いを見やり、次に自分達の間に立っていたはずのトリスタンを探す。だが、見回してもあの赤い長髪はどこにもいない。恐らく逃げたのだ。この二人が近づいていることを察して。

 

(あの薄情者……)

 

心の中で何処かへと去った妖弦使いに毒づく。

怒りが沸々と湧いてくるが、残念ながら今はそれを吐き出す訳にはいかない。怒髪天を衝くという形容がぴったり当てはまるほどの二人をどのようにして宥めるか、それが問題だ。

 

「他サークルの情報を集めてくると言っておいて、ガールウォッチとは良いご身分ね」

 

「これには、訳が……いや、そもそもどうして、ここに……」

 

「もうお昼なのよ。お財布はあなたが管理しているのだから、探しに向かうのは当然ではなくて?」

 

カドック・ゼムルプス、一生の不覚である。

好き勝手に使って後で足りなくなったらまずいからと、一元管理を買って出たのが裏目に出てしまった。

 

「マシュ……」

 

「先輩最低です」

 

「ぁ…………」

 

傍らではとどめをさされた立香が真っ白に燃え尽きたまま膝を着いていた。

人を殺すのに刃物はいらないとはいうが、あの出荷される牧場の牛や豚を見るかのような冷め切った目で言われれば言葉一つでも聖剣の如き切れ味を誇るだろう。

心中を察するにあまりあるが、生憎と同情をしている暇はない。

これから自分達を待ち受けているのは、ランチタイムという名の拷問の時間だ。

針のむしろで有無を言わせず豪華な食事を奢らされるのだ。その後はお嬢様方の気が済むまで街へと繰り出すことになるだろう。両手いっぱいの荷物は覚悟しなければならない。

 

「さあ、行きましょう。一度、行ってみたかったのですハレクラニのレストラン」

 

にこやかに微笑みながらも目だけは笑っていないという寒気のする表情を浮かべ、アナスタシアはこちらの手を引いた。心なしか伝わってくる冷気がいつもより強い。

 

「一度、着替えに戻らなければですね。ドレスコード、大切ですし」

 

「ジャンヌさん達も呼びましょう、皆さんお腹を空かせています」

 

ガタガタと震えるこちらを尻目に、女性二人の話は弾む。

記憶が正しければ件のレストランはダイヤモンドヘッドを一望できる絶景が売りの高級レストランだ。確実に一人辺り五千BB$は飛んでいく。その後に待ち受けるであろうショッピングも考慮すると本日の出費は――――。

 

「ふぅ…………」

 

隊列を組んで飛び去っていくBBの姿を幻視し、今度こそカドックは意識を手放した。

意気消沈とばかりに両膝を着き、救いを求めて天を仰ぐ。だが、南国にいるのは信用ならない電子の妖精で救いの神はどこにもいない。

ゲシュペンスト・ケッツァー再起の週。最初の一日は、こうして過ぎ去っていったのであった。




特に何をするでなく、カドックと藤丸がだべるだけの話を書こう。
その結果、こんな形となりました。先週までのシリアスどこにいった(笑)


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六日目その1 TAXi LULUHAWA

ハワイにおける食事文化は非常に国際色が豊かである。

元々、ハワイに住まう人々のルーツはタヒチなどの南方移民――ポリネシア海洋民族が主流であると言われている。その為、伝統的な料理はそちらと共通するものも多い。

主食はタロイモ。ハワイ語ではカロとも呼ばれ、熱帯で降雨量が多く養分に乏しい土壌でも問題なく育つ強い生命力を持った作物であり、炭水化物やたんぱく質だけでなく葉には豊富なミネラルも含まれている。

当然ながら魚介類が身近に食される他、豚や鶏も食される。特に豚は一頭まるまる蒸し焼きにするのが伝統的な調理法であり、焼き上がった光景はなかなかにインパクトが強い。

一方で1800年代頃になるとアメリカやアジア各国、欧州などからやってきた労働階級の移民達によって様々な食文化が持ち込まれ、ローカル料理へと組み込まれていった。

由来不明のロコモコ、ワゴン販売で気軽に摘まめるガーリックシュリンプ、アメリカナイズなハンバーガーに中華由来のヌードル等々。

昨今では料理に白米やポテトサラダを付け合わせたプレートランチがカジュアルなレストランで提供され、ベントーやムスビなど日本由来の料理形式も一般的になっている。

西洋諸国でも人気な寿司以外にも、日本風カレー、ふりかけ、モチなど西洋圏ではあまり見かけないものも割と気軽に口にする事ができ、そのものずばりな日本系列のチェーン店もあちこちに点在しているのだ。

当然というべきか、中華発祥でありながら日本人の拘りによって魔改造され国民食にまで発展したラーメンの専門店もあちこちに存在していた。

カドックとアナスタシアは今、そんな数多くあるラーメン店の内、ワイキキから少し離れたところにある濃厚こってりスープが売りの日系チェーン店を訪れていた

 

「……うっ!」

 

鯉のように食道を遡ろうとする脂っこい感触を何とか水で流し込み、カドックは一息を入れる。見下ろした丼にはまだ麺とスープが三分の一ほど残っていた。

対面に座るアナスタシアは既に麺を平らげ、残るスープを飲み干さんとしているところだった。同じタイミングで食べ始めたというのに、こちらが濃厚なスープの絡みに苦戦している間に追加注文していた餃子まで完食されている。

パートナーの健啖っぷりに舌を巻きつつ、カドックはもう一度だけ自身の丼に視線を落とし、静かな面持ちでそっと箸を机の上に置いた。

時刻は十五時、お昼時には少し遅い時間である。

特に決めている訳ではないが、食事はみんなで食べることが多い。しかし、少し前まで茨木童子が街で暴れていたため、二人はその対応に追われていたのだ。

騒動が何とか落ち着いたのが十三時頃。そのままホテルに戻っても良かったのだが、アナスタシアが急にラーメンを食べたいと言い出した為、立香達に断りの連絡を入れてこうして目についた店を訪れたのだ。

 

「ふう……美味しかった。あら、もう食べられないの?」

 

「……いいだろ、別に」

 

「あなたは少し痩せすぎだから、もう少し食べなくてはいけないわ」

 

「いや、それとこれは別の話だろう」

 

鶏と野菜を煮込んで作られたスープは半ばゲル化しつつあり、匂いもきつい。麺に絡む様はまるでカルボナーラである。当然、飲めば喉に絡まり飲み干すのは至難の技だ。

味も濃厚で麺がシンプルな細ストレートな分、スープのインパクトが余計に際立つ。一気に飲めば胸焼けは必至だ。

向かい合って食する様はまるで泥の中を泳いでいるかのような錯覚を覚え、麺を摘まむ箸は次第に重くなっていく。食べれど食べれど終わりが見えず、舌は段々と麻痺して味が分からなくなっていった。

情けないが、自分はここでギブアップだ。このどろどろのスープを最後まで飲み干すことができたアナスタシアには純粋な敬意を表したい。

 

「だいたい、ハワイにまで来てどうしてラーメンなんだ?」

 

「もちろん、好きだからよ」

 

「……聞いた僕が馬鹿だった」

 

そもそも、好きでもないものをわざわざ金を出してまで食べる奴はいない。アナスタシアの言葉は至極真っ当でぐうの音もでなかった。

 

「君、そう言えば夕方にも買い食いしていなかったか?」

 

べた塗りがひと段落したから一息を入れたいと街に繰り出して、ガーリックシュリンプとスパムむすびを頬張っていたはず。

茨木童子が暴れていると知らせを受けたのはそのすぐ後だ。

 

「大丈夫、サーヴァントは太りません。それにラーメンならいくらでも食べられます、これほど奥深くて魅力的なお料理もありません。お店によって麺やスープの拘りが違うから、同じ味は一つとしてないし味わえば味わうほど深みが増していきます。まずはこの香り。厨房から漂うスープの香りを楽しめば空腹でお腹が鳴っていても苦になりません。運ばれてくるまで時間が待ち遠しくて期待が膨らんでいきます。出来立てのラーメンから立ち上がる湯気はそれだけで胸がいっぱいに鳴るわ。できれば頭から浴びたいくらい。きっと賢くなれると思うの。あ、箸は洗えるエコ箸が衛生的だけれど、割り箸も風情があっていいものよ。割り損なってもそれはそれ、苦心しながら食べるのも醍醐味というもの。箸先がスープを掻き分け麺を摘まんで持ち上げる光景なんて見ていて堪らないわ。よく通は最初にスープを飲むっていうけれど、私としては個人の自由だと思います。食べる人が思うようにすればそれが美味しい食べ方なのだから。作り手に感謝の気持ちを込めて食べ切る事こそが大事だと思うの。味を変えるのだって邪道でも何でもありません。食べ方は人それぞれ。食べる時はもっとこう自由で何て言うか救われてなくちゃいけません。それから…………」

 

「わかった、わかったから!」

 

放っておくとどこまでも語り続けてしまいそうなので、カドックは強引に割り込んで話を切り上げる。

まさか彼女がここまでラーメンの虜になるとは思わなかった。これといい自撮りといい、グランドオーダーが終わってからというもの、第二の人生を謳歌し過ぎではないだろうか。

 

「あら、人生は楽しまなければ損でしょ? それともラーメンに夢中なのが気に入らない? 悔しかったら美味しいラーメンを作ってみなさいな」

 

「僕が? まさか!」

 

「あら、いい料理人になると思うのだけれど……」

 

「なる訳ないだろ。僕は王者(レックス)だ」

 

なるなら料理人ではなくミュージシャンだ。ビートルズやクイーンのようにトライデント・スタジオでレコーディングを行い、全世界を熱狂の渦に巻き込む。世界最大のロックフェスティバルであるグラストンベリー・フェスティバルに出演し、ワールドツアーだって組むのだ。

音楽での成功こそ男の浪漫だ。サーヴァント・ユニヴァースのカドック(レックス)のように、目指すならばロックスターであるべきだ。

彼は今、何をしているのだろうか。新曲を作っているのか、ライブの最中か。彼はどこまで高みに上るのだろう。どのような形で歴史に名を残すのだろう。

思いを馳せるほどに胸が高鳴っていった。

 

「よくわからないけれど、最近のあなたは何だか自信に溢れているのね。いいことね」

 

「そうだろう、うん」

 

「調子に乗って、変なところで躓かなければいいけれど……」

 

そう言ってアナスタシアは、丼に残っていたスープを胃の中に流し込む。

色の白い喉元が嚥下する毎に小さく脈動し、じんわりと汗が滲んでいるうなじに思わず見惚れてしまう。

彼女はそんなこちらの視線など気にも留めず、空になった二つの丼を並べて満足そうに頷いた。

 

「そうだ、ラーメンを題材に漫画を描いてはどうかしら?」

 

天啓を得たりとばかりに、アナスタシアは顔を綻ばせる。

何でも主人公が全国のラーメン屋を巡って旅をする話を思いついたらしい。

いわゆるグルメ漫画、料理漫画というジャンルだ。主に日本で描かれている漫画ではあるが西洋圏でも人気は高い化け物ジャンルである。

元々、あの島国の民族は食事と水回りにやたらと拘る気質なのもあり、出版界では常に一定のシェアを誇っている。

内容にしても単なるグルメ紀行、料理を通した対決もの、絵本のようにほのぼのとした日常ものと非常に多岐に渡る。

料理を出し感想を述べるだけで成立するという関係上、映画における鮫やゾンビのように敷居は非常に低い。

だが、それ故に面白いものを描くのは非常に難しい。

例えばファーストフード店で山盛りのハンバーガーを黙々と食べる黒い騎士王を想像してみよう。

彼女は一心不乱に、黙したまま化学調味料塗れの挽き肉とバンズをたった一人で食べ続けてる。ごく一部を除いてその光景に愉悦を見い出す者はいないだろう。

当然のことながら登場人物には料理に対するコメントやリアクションが求められる。だが、うんちくを並べればくどくなるし派手なリアクションを取ればそれは最早ギャグの域だ。だからといって多くを語らず美味い、美味しいという言葉を並べるのも良くない。

本当に上手い食事に言葉はいらない?

そんな事は当たり前だ。だが、それだけでは料理の味は伝わらない。

甘いのか、辛いのか、柔らかいのか、固いのか。言葉を駆使しなければ見えない味は伝わらないのだ。

古今東西の料理コメンテーターが日々、如何に知恵を絞って味を表現しているのか、その苦労は計り知れない。

 

「夢のない人ね。いいです、あなたが納得する漫画を絶対に描いてみせますから」

 

「お手並み拝見だ、可愛い皇女さん。まあ、今回のサバフェスが上手くいけば次はないけどね」

 

多少のトラブルはあったが、今回は前回よりも確かな手応えのある作品を描くことができた。

やはり経験の有無は大きいのか、このままのペースで描き進めば前回のように未完成で終わる事もなく、今夜にでも印刷所に持ち込むことはできるはずだ。

 

「そろそろ戻ろう。あんまり長居していたらオルタが機嫌を悪くする」

 

仕上がりが佳境ということで、今日のジャンヌ・オルタは朝からとても張り詰めている。

立香やマシュがフォローしているのでまず間違いはないだろうが、何が彼女の機嫌を損ねるか分からないので、急いで戻るに越したことはないだろう。

そう思って席を立とうとすると、出入口の方からよく通る大きな声が聞こえてきた。

 

「なに、カードが使えない? おかしいなぁ、残高はあるはずなのに?」

 

金髪で恰幅のいいアロハシャツの紳士が、何やら店員と揉めているようだった。

カドックとアナスタシアは、その姿に見覚えがあった。この一週間で何度か観光地で出くわしている実業家だ。何でも使用人達を慰安旅行に連れてきているらしい。

 

「もう限度額? あいつら私のカードでお土産を買いこみ過ぎだ。だが、参った……あいつらは電話も持っていないし、うーむ……」

 

どうやら支払いができなくて困っているようだ。下手に出たり居直ってみたりと手を尽くしているようだが、応対している店員の方は苦虫を噛み潰したかのように口をへの字に曲げたまま、困惑する男を見下ろしている。その眼は切実に訴えていた。言い訳はいいから出すものを出せ、さもなくば出るところに出てもらうと。

見かねたカドックは、重い腰に力を込めて立ち上がると、波を掻き分けるかのようにゆっくりと店内を横断し、今にも電話に手をかけようとしている店員にギル$紙幣を差し出した。

 

「支払いを。そっちの彼の分も僕が持つ。余りはチップでいい」

 

体格差に気圧されぬよう、できるだけ語気を強めにする。

店員はしばしこちらを見つめる、それから渡された紙幣と交互に見比べた後、分かりやすいくらい意地汚い笑みを浮かべて手を振った。

彼の視線は厨房の方で麺を湯切りしている店主らしき男に向けられている。カドックが差し出した額は相場よりもかなり多い。そのまま自分の懐に入れ込むつもりのようだ。

 

「行こうか、ミスタ」

 

「あ、ああ……」

 

遅れてきたアナスタシアも伴い、店を後にする。払うものは払った以上、向こうも文句はないはずだ。チップの取り分で揉めるのは店の勝手である。

 

「いやあ、助かったよ。悪いね、君達」

 

「困った時はお互い様です。けど、お一人とは珍しいですね?」

 

周囲を見回したアナスタシアが、不思議そうに首を傾げる。今までに出くわした時は、彼は常に大勢の使用人と行動を共にしていた。だが、今はどういう訳か一人っきりであの白い服の集団が見当たらない。

すると、金髪の紳士は怒っているのか寂しがっているか分からない曖昧な表情を浮かべると、額に滲む汗をハンカチで拭いながら彼女の疑問に答えた。

 

「うむ、ホム……召使いどもが私を置いて先にホテルへ帰……いや、いつまでも雇い主が一緒では息が詰まると思い、自由行動を許したのだ。で、ホテルへ帰る道すがら散策をしていると、美味しそうな匂いが道端にまで漂ってくるじゃないか。これは食べなければ絶対に損をすると思い、濃厚こってりなスープを堪能させてもらったのだよ」

 

「そしたら、クレジットカードが使えなかったと?」

 

「あいつら、持ち合わせがないだのと色々と理由をつけて支払いを押し付けてきてからな。私もハワイに浮かれてつい気が緩んでしまった」

 

この一週間、食事から何から使用人の出費は全部、彼が負担していたらしい。

雇われた側からすれば願ったり叶ったりだが、あの大勢の使用人達の面倒を見るとなるとかなりの出費になったはずだ。

この御仁、見た目に違わず派手好きで堪え性がないところもあるので、自前の出費も合わせてとうとうカードの使用限度額が超えてしまったようなのだ。

気前がいいというべきか計画性がないと嘆くべきか。何れにしても締まらない話である。

だが、身なりこそ平凡なアロハシャツだがこの紳士、かなりの資産家のはずだ。現に先ほど、ラーメン屋で使おうとしていたカードはプラチナムであった。

大勢の使用人を雇い、かつその慰安旅行の費用を捻出できるくらいの資産があるのなら、限度額を引き上げることも難しくないはずだが、どうしてこんなことになっているのだろうか。

 

「ああ、少し前に少々大きな買い物をしてね。色々と買い与えたから枠がもう残っていなかったのだろう。なに、いい男というものは贈り物に糸目はつけないもの。女性のわがままもあるがままに受け入れる度量が大切だよ、君」

 

「はあ……」

 

要するに、金遣いの荒い女に言い寄られてついつい財布の紐が緩んでしまい、クレジットカードが使えなくなってしまったらしい。

なのにこの男はそれを誇らしげに語って大笑いしている。体よく貢がされているということに気が付いていないのだろうか。

気が付いていないのだろう。出なければ能天気に笑って自慢なんてしたりしない。

名前も知らない他人ではあるが、彼の行く末がほんの少し心配になってきた。

こんな調子ではその内、痛い目を見るのではないだろうか。

 

「何、心配はいらんよ。ああ、そうだ。立て替えてもらった分を返さなければ。銀行かホテルに戻れば口座から引き出せるから、それで――――」

 

金髪の紳士が恰幅のいい腹を揺らしながら手にしたバックを掲げて見せる。

刹那、一陣の風が吹き荒れたかと思うと、男は錐もみ回転をしながらその場で尻餅を突いた。

 

「つああぁっ!」

 

「ミスタ!?」

 

「おじさま、大丈夫ですか?」

 

駆け寄ったアナスタシアが助け起こす。幸い、手の平を擦った程度で大きなケガはしていないようだ。

さっき一台のバイクがすれ違ったので、ひょっとしたらどこか接触したのかもしれない。

大事にならなくて良かったとカドックは安堵したが、次の瞬間、男が青ざめた顔で震え出したため、何事かと身構える。

 

「ど、どうしよう……カバン、取られちゃった……クレジットカードもキャッシュカードも、全部あの中に……」

 

「!?」

 

すぐさまカドックは踵を返し、バイクが走り去った方角に指先を向ける。

視線の先には先ほどすれ違ったバイクが大通りを疾走している。既に二百メートル以上離れており、ここからでは魔術で狙うこともできない。

 

「アナスタシア!」

 

「ヘイ、タクシー!」

 

振り返ると、アナスタシアが一台の車を呼び止めていた。

白塗りのプジョー407。見たところ回送中のタクシーのようだ。

これで逃げたバイクを追いかけるつもりなのか、アナスタシアが我先にと助手席に滑り込む。カドックと金髪の紳士もすぐに続いて後部座席に乗り込んだ。

 

「お願い、この方を助けてあげて」

 

「厄介事かい? そいつは俺の仕事じゃない」

 

運転席に座っていたのは、アラビア訛りの大柄な男であった。

黒人だが肌の色は薄めで顎が出ており、髪は短く刈り込まれている。見た目は強面だが笑えば愛嬌もあるだろう。

雰囲気といいさっきの訛りといい、どうやら現地人ではないようだ。後、声は征服王に似ている。

 

「そこを何とか。あの角をバイクが曲がったでしょう? 追いかけて欲しいの」

 

「ひったくりかい? もう見えなくなっちまったし、車番も分からないなら追いかけようがないな」

 

「どっちに逃げているかは私が分かります……カドック!」

 

「分かった」

 

徐にポケットから何枚かのBB$紙幣を取り出し、アナスタシアに握らせる。

 

「やってくださるなら、これを……」

 

差し出された紙幣の束を一瞥した運転手は、ほんの少し息を飲むと、にやにやと笑いながら指先で紙幣を摘み受け取った。

 

「うんん、あなた方は運が良い。シートベルト付けてください」

 

どうやらやる気になってくれたようだ。やはり、最後にものを言うのは金である。世知辛い話だ。

だが、移動手段さえ確保できたのならこっちのもの。アナスタシアの魔眼ならひったくり犯がどこに逃げようとも追いかけ続けることができる。

カドックはシートベルトを付けながら隣で不安そうにしている金髪の紳士を宥め、車が発進するのを待った。

すると、不意に車体が持ち上がったかのように傾き、足下や背後から駆動音のようなものが聞こえてきた。

 

「なんだ?」

 

「ぬっ! この車、羽根なんてついていたかね?」

 

振り返ると、タクシーには不釣り合いなリアウィングがいつの間にか生えてきていた。

運転手がダッシュボードの機械を弄っているが、それと関係があるのだろうか。

問い質そうとするが、それよりも早く運転手はハンドルを取り外してしまい、その光景を見たカドックと金髪の紳士がギョッと目を見開く。

ここに来て、彼がタクシーに何らかの手を加えていることに彼らは気が付いた。

何の変哲もないタクシーは今や物々しいバンパーが装着され、大径のタイヤに履き替え、リアウイングを被ったスポーツカー仕様へと変形している。

最後に運転手は足下から取り出した新しいハンドルをはめ込み、癖なのか左腕の時計を確認する。

直後、変形が終わった車体が道路へと着地した。

 

「しゅっぱつしんこー!」

 

踏み込まれるアクセル。

白い煙を上げながら後輪が空回りし、アスファルトを焼く音と匂いが伝わってくる。

襲いかかる強烈なGにカドックは思わず悲鳴にも似た呻きを上げてしまった。

窓の外を覗くと、景色が物凄い速度で後ろに流れていっている。何台もの車を置き去りにしていく様はまるでカーレースのようだ。

だが、ここはサーキットではなく人の賑わう歓楽街。当然ながら信号もあるし横断歩道を人は歩く。

運転手はそれを巧みに躱し、時に意図的に無視して道路を疾走。蛇行する度に右へ左へと振り回される後部座席の二人は、何度も窓に頭を打ち付ける羽目になった。

 

「こ、これ……二百キロは軽く超えているよね?」

 

「ご心配なく、ちょいともたつきましたがタイヤが温まってきたらもっと飛ばせますんで」

 

「そ、それは頼もしい……ははっ……」

 

引きつった笑みを浮かべながらも金髪の紳士は取り乱すことなく努めて冷静を装っていた。意外と度胸は据わっているらしい。

そして、運転手が言っていたように車はどんどん加速していった。最早、窓の外は流れる壁であり自分達がどこを走っているのかも定かではない。少し頭を上げればスピードメーターを覗くこともできたが、そこに示されているであろう数字が恐ろしくてカドックは黙したままグリップを握り、己の無事を祈る事しかできなかった。

 

「お嬢さん、道は!?」

 

「右に2ブロック! でも、仲間の車にカバンを投げ入れました! 黒のミツビシ!」

 

「ひったくりにしちゃ物々しいな! よし、近道だ!」

 

言うなり、車が百八十度回転して車体が縦揺れを起こす。カースタント顔負けのドリフトターンだ。

驚いた対向車線の車がクラクションを鳴らして猛抗議するが、運転手はどこ吹く風とばかりに鼻歌すら交えながらシフトレバーを操作し、右へ左へと車線を跨ぎながらアナスタシアの指示する方向を目指して疾駆する。

途中で煽られたと思ったのか向こう見ずなスポーツカーが勝負を仕掛けてきたが、当然のことながらぶっちぎってタクシーはルルハワの街路を爆走した。

 

「うぉっ! 君、明らかに今、私有地を横断したよね!」

 

何かに乗り上げる衝撃の直後、庭らしき芝の上でバーベキューを楽しんでいた家族の姿が光の速さで後方に抜けていく。

通りを曲がるためには更に先の信号を曲がらねばならないが、それでは渋滞に捕まるので一般家屋を近道として利用したのだ。

 

「むう、この車、かなり足回りを弄っているね。重い割には機敏に動く……」

 

「意外と余裕だな、ミスタ!」

 

まるで洗濯機の中の衣類のようにシェイクされながらも、冷静に車体を分析する紳士にカドックは吠える。

こっちはそれどころではない。息をするのも苦しいくらい、心臓が早鐘を打っている。

何かあれば一発であの世いきだ。あの地獄のアーラシュフライトを髣髴とさせる気分である。

どうしてアナスタシアは平気でいられるのだろうか。

 

「え? ジェットコースターみたいで楽しいわ」

 

「そのまま脱線してしまえ!」

 

「おっと、俺のタクシーに脱線も脱輪もありませんぜ!」

 

軽快なドリフトでコーナーを攻められ、カドックは思いっきり首を左に持っていかれた。

その時、偶然にも窓の向こうで速度取り締まりをしている警察官の姿が見えた。

青いシャツにパンダのようなサングラス。冴えない風貌だが今のカドックには天使に見えた。

この速度で彼の側を通り抜ければ一発で免停になるだろう。

ひったくり犯を捕まえるという当初の目的すら忘れ、ただただこの地獄のタクシーが止まってくれることをカドックは心から願っていた。

そして、神は無慈悲で残酷であった。

 

「――――っ!?」

 

タクシーが通り抜けた瞬間、速度計測器が火花を散らして爆発した。あまりの速さに計測器がショートしてしまったのだ。

警察官は壊れた機械に手を取られておりこの暴走タクシーを追いかけようともしない。せめて無線で誰かに知らせろとカドックは心の中で毒づいた。

すると、今度は路肩で休憩中の白バイ警官達の姿が前方に現れた。

助かったと安堵する。四人もの白バイ警官がいればさすがの運転手も速度を緩めるだろう。

無論、それは甘い考えであった。

カドックの願いも虚しくタクシーはアクセルを吹かして更に加速し、並べて路駐されていた白バイが擦れ違い様の衝撃でドミノ倒しのように横倒しになってしまう。

当然、警官達にこちらを追いかける余裕などなかった。

 

「君、すごいテクニックだが、無理しなくていいんだよ。免停になったら困るだろう?」

 

警察にまで迷惑が及んでしまい、さすがに見かねたのか金髪の紳士が恐る恐る運転手を諫めようとする。

ここまで事故が起きていないのが奇跡に等しい。運転手には悪いが、せめてもう少し安全な運転を心がけてもらえないだろうか。

そんな細やかな期待は、運転手の次の一言で無残にも踏みにじられてしまった。

 

「心配はいりませんよ、無免許運転です」

 

一瞬、世界から音が消えたかのような錯覚を覚えた。

まるで見えない力に引き寄せられるかのようにカドックは隣に座る紳士と顔を合わせ、無言でアイコンタクトを交わす。

言葉はなくとも互いの気持ちが手に取るように分かるほど、二人の眼差しは雄弁であった。

 

――――あ、これヤバい――――

 

二人を嘲笑うかのようにタクシーは時速三百キロを超える速度にまで加速し、助手席のアナスタシアが遊園地ではしゃぐ子どものように歓声を上げる。

フロントガラスの向こうにはハイウェイを疾走する黒塗りの日本車。果たしてこのいかれた運転手はどうやってあの車を止めようというのか。

背筋を冷や汗が伝い、最悪の光景が脳裏を過ぎる。

直後、カドックと紳士は抱き合ったまま互いの無事を祈るのであった。

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日が訪れた。

例によって襲撃してきたフォーリナーハンターXXはカドック達の活躍で撃退に成功し、何とか時間通りに開催されたサバフェスは今回も以前と同じ賑わいを見せていた。

会場内ではあちこちのブースで創作物が販売され、外では思い思いのコスプレに扮した参加者が交流を深めている。

そんな中、ゲシュペンストケッツァーの面々は机の上に並べられたオフセット本を緊張した面持ちで見つめていた。

泣いても笑っても今日でこの七日間の是非が決まる。

無事に刷り上がったオフセット本はまだ誰の手にも取られておらず、第一号となる客が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

 

「まだ余裕あるわね。私は他の連中の挨拶周りに行ってくるわ。本も何冊か持っていくから」

 

「ほんじゃ、オレと牛若丸で何か飲み物と摘まめるもの買ってきますわ」

 

そう言ってジャンヌ・オルタとロビン、牛若丸は会場の人混みへと消えていく。

それと入れ替わるようにして、ラフなTシャツ姿の大男がブースへと現れた。

 

「お、やっていますな」

 

こちらの様子を見てにやりと笑うのは、我らが船長エドワード・ティーチだ。

見たところ手ぶらのようだが、やはり今回もいの一番に駆け付けてくれたようだ。

 

「なに、マスターの晴れ舞台ですからな。では、一冊……」

 

「はい、どうぞ」

 

ティーチはマシュに差し出された本を受け取ると、代わりに財布から取り出した紙幣を渡して後に来る客の邪魔にならないよう、一歩横にずれる。

そして、本が傷まないよう優しく指先で摘まみながら、ページを捲っていった。

 

「ふむふむ、絵本ときましたか。柔らかいタッチにほのぼのとしたやり取りは心が洗われますな。そして、切ないオチに拙者、不覚にも涙が……ううぅ、簡単そうでいて誤魔化しが効かない題材で、よくぞここまで……」

 

「喜んでもらえてなによりです。ですが、読み返してみると何だかお話の流れが唐突な気も……」

 

「なに、本を書いてりゃそういうこともあるってものよ。それがその時に一番、描きたかったことなんだろうさ」

 

白い歯を剥き出しにしてティーチは笑い、もう一度だけ礼を言って去っていく。

続いてやって来たのはブーディカだった。彼女は本を手に取って少し中を覗くと、昔を懐かしむかのように微笑んで紙幣を差し出した。

 

「何だか、子ども達が小さかった時の事を思い出すね。今度、ちびっ子達にでも読み聞かせてあげようかな」

 

ほんの一瞬、寂しさのようなものを覗かせながらブーディカは去っていく。

更にそこから、茶々やエレナといった女性陣が何人か訪れ、段ボールいっぱいに用意しておいた本は少しずつその数を減らしていった。

 

「好調のようですね」

 

「ええ、今回は私がテーマを決めたのですから、当然です」

 

アナスタシアがえへんと胸を張り、マシュが母親のように頭を撫でる。

実際にネームを描いたのはジャンヌ・オルタで、アナスタシアは最後の方の作画を少し手伝っただけなのはここだけの話である。

 

「カドック、この感じだと四人は多いと思うから、交代で店番しようか?」

 

「そうか? なら……僕達が先に行こうか」

 

挨拶に来た他サークルと楽しそうに話している女性二人を見て、カドックは苦笑しながら席を立った。

いつも一緒にいるだけに、一人っきりで行動するのは何だか久しぶりな気がする。いや、実際には立香もいるのだがそれはそれ。向こうだってルルハワに来てからはだいたい、マシュと行動を共にしているので、男二人で行動を共にするのはいつ以来だろうか。

 

「あ、メイヴのサークルだ」

 

人混みを掻き分け、適当にライバルの作品を物色していた二人は、壁際で一際賑わっている一画を見つけて足を止める。

大勢の男達が仕切っているのは、自身のグラビアを頒布しているメイヴのサークルだ。壁際なのもあってよほどの自信があるのか、かなりの在庫の量が見て取れた。

そして、それが物凄い速度で捌かれている。弱小サークルであるこちらとはえらい違いだ。

 

「うわ、すご……なに、購入者には足掛けになる権利が貰えるの、これ?」

 

(妙だ、メイヴのブースは確か島の方だったはず?)

 

基本的に販売ブースは壁際のサークルの方が待機列に余裕を持てるようになっており、混雑が予想される大手サークルが配置されることが多い。

例えば白い方のジャンヌがいるst.オルレアンがそうだ。だが、メイヴは確か今回がサバフェス初参加のはず。彼女が魅力ある女性であることは否定しないが、それでも何の実績もない無名サークルがいきなり壁際に配置されることなどありえるのだろうか?

気になって初日にBBから貰ったサバフェスの案内を開いてみるが、やはりというべきかこの場所は『鉄棒ぬらぬら』という別のサークルの配置場所になっていた。

これは何やらきな臭い匂いがする。調べればメイヴの売り上げを押さえるためのとっかかりになるかもしれない。

 

(鉄棒ぬらぬら、覚えておいた方がいいな……)

 

どのみち、七日目の今日ではもうできることは何もない。後は運を天に任せ、結果が出るのを待つばかりであった。

 

 

 

 

 

 

午後

サバフェスの終了と共に集計が取られ、売り上げ順位が発表される。

やはりというべきか、一位は女王メイヴのグラビア本。ゲシュペンストケッツァーは残念ながら参加賞だ。

 

「これでループは確定か」

 

残念そうにジャンヌ・オルタは肩を落とす。ここまでひたすらに漫画を描き続けてきたのだから、落ち込むのも無理はない。

だが、すぐに彼女は思い直して顔を上げた。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。それよりも次に目を向けるべきだと。

何より、まだ解いていない謎は幾つもある。それを解き明かすまでは、こうして繰り返し本を描き続けるべきなのだと、ジャンヌ・オルタは不敵な笑みを浮かべてみせる。

そんな彼女とふと視線が重なり、カドックは自然と唇を釣り上げていてた。

自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。だが、カドックは確信めいた予感を持って、次の言葉を口にしていた。

 

「さあ、バカンスを続けよう」

 

その言葉が何を意味するものなのか、何故、始めようでもやり直そうでもなく続けようなのか。

それは口にしたカドック自身ですら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

『ぞうの王さま』

 

むかしむかし、あるところにとても大きなぞうの王さまがいました。

ぞうの王さまはとてもおこりっぽくて、みんなからこわがられていました。

ある日、王さまはひとりぼっちの女の子とであいました。

女の子はまだちっちゃくて王さまのことを知らなかったので、王さまをこわがることはありませんでした。

女の子はすべり台であそびたいと王さまにわがままを言いました。もちろん、すべり台なんてここにはありません。

王さまが女の子を叱ると、女の子は泣き出してしまいました。その声があんまりにもうるさくて、王さまはとうとうあきらめて自分のせなかとはなをすべり台にして遊ぶよう女の子に言いました。

女の子は心ゆくまで王さまのすべり台で遊びました。王さまはとてもいらいらしていましたが、また女の子に泣かれてはいやなので、ジッと体を動かさないよういっしょうけんめいがまんしていました。

やがて、女の子が飽きていなくなっても、王さまはその場所から動こうとしませんでした。王さまは眠ってしまったのです。

いつしかそこはたくさんの子ども達の遊び場となりました。その真ん中には、今もぞうの王さまが眠り続けているのです。




原作のようにただ本の批評するだけじゃお話が短すぎると思い、こんな形で合体させてみました。
ぞうの王さまはもちろん、あのお方です。


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六日目その2 プリンセス・ミス・シャイン

今日も今日とて憎たらしいくらい快晴な空を見上げながら、カドックはストローの先を齧り潰した。

苛立ちの原因はたった今、机を挟んで対面に座る少女から聞いた話の内容だ。

サバフェスで売り上げ一位を目指すに当たって最大の障害である女王メイヴ。しかし、彼女の動きにはどうにも怪しい点が見受けられる。そこでカドックは、メイヴに販売ブースを譲った鉄棒ぬらぬらのメンバーから事情を聞こうと思い至った。

とはいえルルハワは狭いようで広く、また観光客も多くて人探しは困難を極める。彼が目当ての人物を見つけ出し、ワイキキビーチに程近いレストランに呼び出すことができたのは、既にサバフェスを目前に控えた六日目の事であった。

 

「あの、マスターさん……わたし……」

 

少女――アビゲイル・ウィリアムズは不安そうにこちらを見上げてきた。

自分の行いについて、酷く後悔しているようであった。

無理もない。彼女は今、鉄棒ぬらぬらというサークルを預かる立場にある。

元々、鉄棒ぬらぬらは葛飾北斎親子が立ち上げたサークルなのだが、アビゲイルは同じフォーリナーのよしみで手伝いを申し出たらしい。

だが、五日前――丁度、自分達がルルハワを訪れた初日にXXの襲撃を受け、敗北した北斎は未完成の原稿を残してカルデアへと強制帰還してしまった。

当日までにこちらに戻ってくることもできず、漫画も仕上がっていない。そんな状況でもひとり残されたアビゲイルは再販分などを纏めてサバフェスに参加しようとしたのだが、鉄棒ぬらぬらが壁サークルであることに目を付けたメイヴによって半ば強引に販売ブースを交換させられたのだ。

気弱な彼女はメイヴの勢いに呑まれて断り切ることができず、あれよあれよという間に交換の手続きを済まされてしまったらしい。今や鉄棒ぬらぬらに割り当てられていたスペースは正式にメイヴのものになっており、取り返すことはできないのだそうだ。

元々、彼女の性根は憶病で内罰的かつ自縛傾向が強い。一人で必死に頑張ってきたが、メイヴの横暴を許してしまったことに対して自身を責めているのだ。

 

「気にしなくていい、アビゲイル。北斎も許してくれるはずだ」

 

「はい……でも、やっぱり自分が許せなくて……」

 

「サークル活動は初めてだったんだろ、仕方ないじゃないか」

 

「いいえ、わたしが悪いんです」

 

アビゲイルは俯いたまま首を振る。彼女自身も頭では分かっていても、気持ちが許せないのだ。

子どもの頑なさを解きほぐすのはそう簡単なことではない。少なくともカドック自身は苦手であった。

幸いにも聞きたい事は全て聞き出す事ができたので、この話はここで打ち切るべきだろう。

カドックは近くを通りかかったウェイターに声をかけると、メニューの中からなるたけアビゲイルが好みそうなものを選び、最速で持って来るようチップを握らせる。

そうして、少しばかり居心地の悪い雰囲気の中で待つこと数分。色取り取りのフルーツが盛られたパンケーキがテーブルの上に運ばれてくると、俯いていた少女の顔に年相応の笑顔が戻ってきた。

 

「まあ、綺麗なパンケーキ」

 

感嘆の声を上げるアビゲイル。季節のベリーをふんだんに使ったパンケーキはここの人気商品だ。

どこまでも続く青い空と海を見つめながら、高級感漂うお洒落なレストランでパンケーキを突く。それはまるで映画のワンシーンのようだとカドックは思った。

 

「呼び出したお礼だ」

 

「そんな、悪いわ……」

 

「……なら、こう言おう。アビゲイル、パンケーキを注文したけれど、僕はお腹いっぱいだ。代わりに食べてもらえないかな?」

 

少々、出費はかさむがこちらの都合で呼び出したのだから、これくらいのお礼はしておかないと後で誰に何を言われるかも分からない。

やや硬い表情ではあるが、精一杯の笑みを浮かべてカドックは言った。やはりと言うべきか、立香のようにはうまくいかない。それでもこちらの意図はうまく伝わったのか、アビゲイルは口に手を当てておかしそうに笑うと、パンケーキの皿を手元に寄せてナイフとフォークを手に取った。

 

「ふふっ……食べ物を残すなんて、マスターさんは悪い子ね」

 

自分に言い聞かせるように呟き、アビゲイルは楽しそうにパンケーキを切り分けていく。

アビゲイルは清貧ではあるが年相応にわがままで自制が効かない。無邪気に微笑む様を見ていると、とても彼女が人類史に刻まれた英霊であるなどと思えなかった。

実際、彼女の英霊としての成り立ちは特殊な部類なので無理もないことなのだが。

 

「じゃ、僕は先にいくよ」

 

「はい、ありがとうございます、マスターさん」

 

口の周りをシロップで汚しながら、アビゲイルは無邪気に手を振った。

カドックは小さく微笑んで同じように手を振ると、彼女の分の会計も済ませて店を後にする。

外は相変わらず日差しが強く、近くのワイキキビーチからは海や砂浜で戯れる人々の嬌声がここまで聞こえてきていた。

道すがらカドックは、今後のゲシュペンストケッツァーの方針について考える。

ジャンヌ・オルタには悪いが、カドック自身は純粋に漫画の出来だけで売り上げ一位になれるとは思っていなかった。

元々、これは素人がオリンピック選手に挑戦するような無茶な所業なのだ。同じだけの努力を向こうも重ねている以上、如何に彼女が腕を磨いたところでスタートラインが違うのだから勝てる道理はない。

ならばどうするか? 無論、いつもと同じことをするだけだ。

こちらが逆立ちしても勝てないのなら、勝てる土俵に相手を引きずり下ろす。

完全無欠であろうと弱所を見い出し、そこに付け込むのが自分の戦い方だ。

そのためにもまずは初日のXXの襲撃から北斎を助け出す。あの喧嘩っ早い親子が無事ならば、メイヴからの取引にも毅然とした態度を取れるはずだ。

そうすればメイヴの壁サークルへの出店は阻止することができる。売り上げにも幾らか影響が出る筈だ。

 

(けど、いいのか?)

 

自問する声が聞こえる。

北斎を助け出す。それはこの繰り返しの七日間から脱する為に必要な事ではあるが、心のどこかでそれを惜しむ気持ちがあった。

彼女を助け出せば、ゴールに一歩近づくことになる。それはこの夏の終わりが近づくことを意味している。

この繰り返しの中で、漫画論をみんなと戦わせ、締め切りに追われながら原稿を書き上げ、空いている時間には思う存分にレジャーを楽しみ、問題を起こすXXや茨木童子を相手に気兼ねなく暴れる事ができる。

そんな、騒々しくて馬鹿らしくて、楽しい日々が終わってしまう。

この充実した七日間が終わってしまうことを惜しみ、寂しさを覚えている自分がいるのだ。

 

(……馬鹿な事を)

 

頭を振って思考を遮り、気分転換にビーチへと足を向ける。

このまままっすぐホテルに帰る気にはなれなかった。きっと今、自分はとても最悪な顔色をしている。

幸いにも時刻はもう少しで昼時だ。すぐに食事に出る事になるだろうから、ここで少しサボっていくのも悪くない。

それにビーチの木陰に見知った顔を見つけたため、少し話をしたくなったのだ。

 

「暇そうだな」

 

「ああ、マスター。いえ、楽しんでいますよ」

 

真夏だというのに見ているこっちが暑くなりそうな僧服に身を包んだ天草四郎が、色黒の顔でにこやかな笑みを浮かべる。

 

「今日はチビ共の引率じゃないのか?」

 

「ははっ、いつもいつも彼女達の保護者をしている訳ではありませんよ。私だってこうしてのんびりしたい時もあります」

 

「そうか……隣、いいか?」

 

「どうぞ」

 

丁度、四郎の両サイドに人が一人分座れるスペースが空いていたので、カドックは遠慮なくそこに腰かける。

そのまま何をするでなく、のんびりと水平線を眺めながら時が過ぎるのを待った。

穏やかな時間であった。耳に聞こえるのは浜辺の嬌声と車のクラクション、目に映るのは青い海と空。大自然に囲まれていると心が洗われていくかのようだ。先ほどの悩みもいつの間にかどこかへ消えていた。

ここ最近、サークル活動やら何やらで忙しかったので、その疲れが染み出していくかのように感じられた。このまま目の前の光景を一枚絵として持って帰りたい。そんな事を考えてしまう。

 

「お疲れのようですね?」

 

「ああ、まったくだ」

 

思えばグランドオーダーの時ですら、これほど充実した日々を送ったことはなかった。

あの時は目の前の出来事にいっぱいいっぱいで、人類史を背負うという重荷に押し潰されそうになっていた。

もちろん、ルルハワが抱える問題も重大ではあるが、踏み損なえばそこまでであったあの時とは違う。

ここでは苦労すら楽しい。

疲れる事が嬉しい。

時計と原稿を交互に睨みながら夜を明かし、アイディアが尽きれば煩わしいことは忘れて思いっきり遊ぶ。

そんな毎日が堪らなく愛おしい。

今までにない充実感だ。

 

「楽しそうで結構。サバフェス、頑張ってくださいね」

 

「ああ……ん? お前は参加してないのか?」

 

天草四郎は人となりこそ穏やかだが、同時に油断のならない英霊でもある。

彼にはどうしても叶えたい願いがあり、そのためならば時にマスターを裏切る事すら辞さない面もある。

以前もそれでひと騒動起こした事があるのだ。

そんな彼が、合法的に聖杯を手に入れられる機会を見す見す逃すとは思えなかった。

 

「ああ、サバフェスの景品ですね。もちろん、参加しようと思ったのですが……」

 

「我が止めたのだ」

 

不意に、凛とした女王の声音が背後から発せられた。

振り返ると、いつもの黒衣姿のセミラミスが仏頂面を浮かべていた。

何か運動でもしてきたのか、肌は高揚していて玉のようなの汗が浮かんでいる。

 

「セミラミス、ご苦労様です」

 

「汝……よくも我を置いてこんなところに隠れおって……おかげで小さき者どもの相手を我がする羽目になったのだぞ」

 

「ははっ、あの娘達もあなたには興味津々でしたからね。あ、飲みますか?」

 

「ふん、寄越せ」

 

余程、喉が渇いていたのだろう。四郎から手渡されたペットボトルの飲料を、セミラミスは乱暴に奪い取って一気に飲み干した。

いつもなら絶対に手をつけることのない安物だが、今は色々と気が高ぶっていて気にする余裕はないようだ。

 

「座るか?」

 

「よい、服が汚れる」

 

席を空けようとしたが、セミラミスは唇をへの字に曲げたまま首を振った。

そうは言ってもドレス姿のままこの暑さの中にいるのは辛かろう。しかも、聞くところによると彼女は先ほどまでちびっ子サーヴァント達の遊び相手になっていたらしい。

一人で彼女達の相手をしていたのなら、振り回されてへとへとのはずだ。それでもセミラミスは女王としての意地なのか、頑なに地べたに座ろうとしなかった。

代わりに手近にあった木を支えにして立ち、一息を入れる。

 

「大丈夫か?」

 

「無論だ……ああ、それと先ほどの問いについてだが、この男は当然のことながらサバフェスとやらに参加する腹積もりであった」

 

「ええ、そのつもりでした。ですが、多少の文才はあれど並み居る強豪を相手に勝ち残れるほどではありません。ですので、彼女の助力を乞うたのですが……」

 

「何が『基礎からできる空中庭園』だ。我の宝具を何だと思っているのだ」

 

(基礎から……それは基本って意味じゃないよな、きっと……)

 

きっと土台的な意味での基礎だろう。何故だか知らないがそんな気がしてならなかった。

 

「という訳で、我が参加を拒否したのでこの男も一蓮托生という訳だ。安心するがいいマスター、この男が万が一にもサバフェスの聖杯に手を出さぬよう、我が見張っておくのでな」

 

「ああ、助かる……」

 

放っておくとサバフェスの当日に会場の空から奪いにくるかもしれない。天草四郎とはそういう男だ。

 

「信用されていませんね。いや、逆に信用されているのかな?」

 

四郎は複雑な笑みを浮かべ、最後に小さなため息を吐いた。どうやら本気だったらしい。本当に油断のならない男だ。

念のため、BBには聖杯の警備に注意するよう伝えておいた方が良いかもしれない。

そんな事を考えながらカドックは何気なく海岸を見回し、不運なことにそれを見つけてしまった。

白い砂浜に打ち立てられたピンク色のテントとステージ。でかでかと書き記された『メイヴコンテスト』という看板。ステージ上で堂々と観客にアピールする女王メイヴの姿を。

 

「なっ……なんだ、あれ?」

 

例えるなら大自然の中に突如として現れた人工物。或いは田舎道のドラッグストアかアウトドアで火を点ける際のライター。つまりは浮いていて風情がない。

そもそもワイキキビーチは公共の場だ。明らかに主催はメイヴのようだが、彼女はきちんと許可を取ったのだろうか? そして、いったいあそこで何をしているのだろうか?

 

「ああ、美しさをアピールするコンテストだそうですよ」

 

「見れば分かる!」

 

壇上のあちこちでポーズを決め、審査員が採点する。どう見てもハイスクールの美少女コンテストだ。あれがそれ以外の何かであってたまるか。

自分が聞きたいのは、どうしてそれを今、この真夏の炎天下で、それも大事なサバフェスを控えた直前の日に行われているのかということだ。

 

「まあ、女王メイヴのすることですからね、他意はないと思いますよ。したいからする、やりたいからする。それが彼女という英霊ですからね」

 

「為政者として己が権威を示すのは当然であろう。それが己の美しさという点だけは理解しかねるが」

 

「まったく…………」

 

また一つ、対応しなければならない問題が増えてしまった。

このタイミングでコンテストなんて開けば、間違いなく優勝者が参加しているサークルに注目が集まる。

ただでさえ手強い相手だというのに、そこにネームバリューまで加わればもう手が付けられなくなるだろう。

彼女自身の魅力、カメラ小僧の技術、強引なサークルスペースの交換、そしてこのコンテスト。

なるほど、無名の新人サークルが売り上げ一位になれる訳だ。

何とかしてこの目論見を阻止しなければならないが、コンテストをぶち壊せば却ってこちらの心証が悪くなる。つまりは無謀でもメイヴを正攻法で破らねばならない。

果たして、そんなことが可能だろうか。

そう思った次の瞬間、カドックは壇上に上がったとある人物の姿を見つけて盛大に噴き出した。

 

「……番、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ、十七歳。まだ誰のものでもありません」

 

「ぶっ!?」

 

壇上で盛大にアピールしているのは、自分のパートナーであるアナスタシアであった。

何故、彼女がコンテストになぞ参加しているのか。

訳も分からずパニックに陥ったカドックは思わずその場で地団駄を踏み、次に視力を強化してコンテスト会場の周囲を探る。

案の定という訳か、立香やマシュ、牛若丸の姿がそこにあった。佳境だから午前中はジャンヌ・オルタの手伝いをしていると言っていたのに、どうしてみんなこんなところで油を売っているのだろうか?

 

(いや、それは僕もか……)

 

人の事を言える立場ではないと思い、反省する。

とにかくここは深呼吸をして冷静になるべきだ。壇上で時間オーバーしてもまだパフォーマンスを止めず、それどころか持ち込んだラジカセで持ち歌を披露しているパートナーの姿なんて頭の隅に追いやらねばならない。

 

「あ、メイヴが苛立っていますね」

 

「あの手の手合いは自分より目立つ者が許せぬからな」

 

目立つにしても悪目立ちはないだろう、とカドックは顔を手で覆う。

前にグイグイと出過ぎて、観客が明らかに引いている。あれでは逆効果だ。

いや、それ以前に恥ずかしいからすぐにでも帰って来て欲しい。何なら令呪で命じてもいい。

 

「それは止めておきましょう、カドック。それよりもあちらを見てください」

 

穏やかな口調のまま、しかし真剣な面持ちで四郎が言う。

言われるがままに視線を海に向けると、青い海面を横切る何かが見えた。

それは波を掻き分け、ぐんぐんと砂浜を目指して泳いでいる。間違いない、あれは鮫だ。それもかなりの大型だ。

 

「こっちを目指しているのか?」

 

既に沖合にいた者達は鮫の存在に気づいて砂浜を目指している。

鮫の動きは速いが、あの距離ならば何とか逃げおおせるだろう。

そう思って安堵した瞬間、カドックは思わず言葉を失った。

浅瀬に近づいてきたことで、鮫の姿が少しずつ露になってきたのだが、海中から現れた頭は一つではなかったのだ。

最初、カドックは複数の鮫が群れをなしているのだと思ったが、よく見るとそれは違う事に気が付いた。

別々の個体だと思い込んでいた頭は全て同じ胴体から生えていたのだ。

そう、ワイキキビーチに現れたのはただの鮫ではなかったのだ。

 

「や、八つの頭? エイトヘッド・ジョーズだって!?」

 

「控えめに言ってヒュドラ種ですね。使い回しここに極まれりですか」

 

「何を言っているシロウ? あれは鮫だ。首が長いし尾びれも背びれもないし見た目はどう見ても蛇だが鮫なのだ」

 

「どっちでもいいだろ、そんなの!」

 

それは放射能による突然変異かそれとも神の気まぐれか。平和(?)なルルハワの海に現れたのは八つの頭を持つ多頭鮫、エイトヘッド・ジョーズであった。

首が八つならば凶暴さも八倍、食欲も八倍。しかも、信じられない事にこの多頭鮫は陸上にも適応しているのだ。

足もヒレもないというのに、八つの頭を器用に使って浅瀬を這いずり、砂浜に上陸しようとしている。

エラ呼吸は大丈夫なのかだとか、素直に足を生やす方向に進化しろという疑問やツッコミが脳裏を過ぎるが、馬鹿馬鹿しくも悍ましい光景に言葉が出ない。

ただ一つ言えることは、放っておくとビーチが多頭鮫のビュッフェ会場になってしまうということだけだ。

 

「くそっ、呑気にコンテストなんてやっている場合か! いくぞ、シロウ!」

 

「仕方がありませんね。バニヤンの宝具なら鮫には特攻なのですが……」

 

「片手間で良ければ手伝おう。あれは見るに堪えぬ」

 

四郎を伴い、カドックは砂浜へと駆け降りる。程なくして真っ昼間のワイキキビーチは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

この時、カドックは知る由もなかった。

この鮫は始まりに過ぎない。真の恐怖はこの後に訪れ、そして人知れず去っていったのだと。

ルルハワに迫る観測史上類を見ない巨大竜巻。数多の鮫を巻き込んだ鮫竜巻としか言いようのないそれを、ポール・バニヤンが自らの宝具である何の変哲もないチェーンソー(ウィスコンシン・デス・トリップ)で迎え撃ち見事ルルハワを守り抜いたことを、彼らは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日が訪れた。

例によって襲撃してきたフォーリナーハンターXXはカドック達の活躍で撃退に成功し、何とか時間通りに開催されたサバフェスは今回も以前と同じ賑わいを見せていた。

会場内ではあちこちのブースで創作物が販売され、外では思い思いのコスプレに扮した参加者が交流を深めている。

そんな中、ゲシュペンストケッツァーの面々は机の上に並べられたオフセット本を緊張した面持ちで見つめていた。

泣いても笑っても今日でこの七日間の是非が決まる。

無事に刷り上がったオフセット本はまだ誰の手にも取られておらず、第一号となる客が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

 

「では、私とマシュで挨拶周り行ってきますね」

 

「店番はお願いします、みなさん」

 

そう言ってアナスタシアとマシュは会場の人混みへと消えていく。

それと入れ替わるようにして、ラフなTシャツ姿の大男がブースへと現れた。

 

「お、やっていますな」

 

こちらの様子を見てにやりと笑うのは、我らが船長エドワード・ティーチだ。

見たところ手ぶらのようだが、やはり今回もいの一番に駆け付けてくれたようだ。

 

「なに、マスターの晴れ舞台ですからな。では、一冊……」

 

「はいよ、まいどあり」

 

ティーチはロビンに紙幣を差し出すと、代わりに本を受け取って後に来る客の邪魔にならないよう、一歩横にずれる。

そして、本が傷まないよう優しく指先で摘まみながら、ページを捲っていった。

 

「ほー、動物パニック……いや、ホラーですか。規制も厳しい中、よくぞここまで描写できましたな。この手のものはやるべきところできちんと残酷な場面を入れないとチープになるでござるからな」

 

「まあ、その辺は気合入れて資料も集めたからな」

 

「カップルから死んでいき、最後に主役が残る。うんうん、お約束ですな。よく分かっていらっしゃる」

 

白い歯を剥き出しにしてティーチは笑い、もう一度だけ礼を言って去っていく。

続いてやって来たのはアンとメアリーの二人組であった。彼女達は本を手に取って少し中を覗くと、昔を懐かしむかのように微笑んで紙幣を差し出した。

 

「思い出しますわね、船で旅をしていた頃を」

 

「うん、小舟で島に向かう時に鮫に襲われたこともあったね」

 

「もちろん、きっちり仕留めてみせましたけれど」

 

嘘か真か、生前に生身で鮫と対峙し返り討ちにしたらしい。この二人なら有り得そうである。

 

「では、一冊頂きますわね」

 

笑って手を振りながら二人は去っていった。

次いでやって来たのはヘラクレスだ。大英雄は本を手に取ると、何やら闘争心を剥き出しにして一声吠えた。

どうやら漫画の中の鮫に敵愾心を抱いたらしい。他にもエイリークやアステリオスなどバーサーカー達は総じて敵役である鮫の活躍を見て闘志に火が付いてしまうようだ。

ただ、おかげで段ボールいっぱいに用意しておいた本は少しずつその数を減らしていった。

 

「少し、一息入れてくる」

 

流れが落ち着き出した頃合いを見計らい、カドックは席を立った。

といっても、目的は休憩ではない。売り子の最中に見知った顔を人混みの中に見つけたからだ。

 

「何をやっているんだ、茨木?」

 

物陰に隠れながらこちらの様子を伺っていたのは、あちこちで問題を起こしている茨木童子だった。

どういう訳か今日は大人しく、不服そうに顔を歪めている。これは寂しがっているのだろうか?

 

「ふん、どんな祭りか気になったから見に来ただけだ。ここには食える物もないし、吾はもう行く」

 

「待て、茨木。もう充分、遊んだだろ? そろそろ戻ってきたらどうだ?」

 

彼女が暴れ回っているのは、単に夏の陽気に当てられたからだ。だが、何日も一人で遊び続けていれば飽きも出てくる。事実、ここ最近は彼女が暴れる頻度も少なくなってきていた。

 

「……いいや、吾はまだ遊ぶぞ。お前達のまんがとやらに興味を持った訳ではないからな……!」

 

一方的に捲し立て、茨木童子は去っていった。

どうやら彼女の心を開くにはまだまだ時間がかかるようだ。

ただ、人混みに呑まれていく小さな背中は、何だかとても寂しそうに見えて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

午後

サバフェスの終了と共に集計が取られ、売り上げ順位が発表される。

やはりというべきか、一位は女王メイヴのグラビア本。ゲシュペンストケッツァーは残念ながら参加賞だ。

 

「これでループは確定か」

 

残念そうにジャンヌ・オルタは肩を落とす。ここまでひたすらに漫画を描き続けてきたのだから、落ち込むのも無理はない。

だが、すぐに彼女は思い直して顔を上げた。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。それよりも次に目を向けるべきだと。

何より、まだ解いていない謎は幾つもある。それを解き明かすまでは、こうして繰り返し本を描き続けるべきなのだと、ジャンヌ・オルタは不敵な笑みを浮かべてみせる。

そんな彼女とふと視線が重なり、カドックは自然と唇を釣り上げていてた。

自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。だが、カドックは確信めいた予感を持って、次の言葉を口にしていた。

 

「さあ、バカンスを続けよう」

 

その言葉が何を意味するものなのか、何故、始めようでもやり直そうでもなく続けようなのか。

それは口にしたカドック自身ですら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

『Fate/sharknight』

 

鮫聖杯顕現。

聖杯戦争を目前に控えたある日、参加者である魔術師が何者かに殺されてしまう。

調査を行ったバゼットはそれが鮫聖杯によって呼び出された鮫英霊の仕業であることを突き止めるが、彼女の忠告を無視して御三家は聖杯戦争を続行。

逆に鮫英霊に令呪一画の懸賞を付け、マスター達を動かそうとする。

しかし、鮫英霊による被害は続出し、最早ガス会社の事故程度では隠蔽できぬほどの事態にまで発展してしまう。

このまま鮫英霊が勝者になれば、地球は鮫の惑星と化してしまう。果たして聖杯戦争の行方はどうなってしまうのか――。

 

陸地も空もお構いなしに襲来する鮫英霊とサーヴァント達の戦いを描いたパニックホラー。

イチャイチャしたカップルは死に、そうでない者も死ぬ残酷な捕食シーンは一見の価値あり。モーガンは死に黒人のコックは生き残る。

尚、鮫英霊のクラスは当然ながらシャーク、真名はメガロドンである。




さすがに皇女様にバーレスク風ダンスを踊らせる訳にはいかない。


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五日目その1 蝶々の羽ばたき

「バーベ!」

 

「Q!」

 

晴天のビーチで聖女と魔女が唱和する。

時刻は昼時、太陽が丁度南天に差し掛かった頃合いだ。

いったい誰が言い出しっぺなのかは分からないが、この日、カドック達は他の英霊達と共にバーベキューを開いていた。

砂浜に広げられたのはレンタル業者から引っ張ってきた大きなコンロと網。炭火で焙られた串刺しの肉は熱い肉汁を滴らせており、香ばしい香りが周囲に漂う。

待ちきれない何人かは既にコンロの前に列を作っており、それをエミヤが抜け駆けせぬよう必死に制しながら肉を焼いていた。

 

「はーい、焼き上がったのはこっちに並べるから、お肉どんどん持ってってねー」

 

エミヤから受けっとった串をテーブルに並べながら、ブーディカは叫ぶ。

すると、忽ちの内に野獣と化したサーヴァント達が群がり、並べられた串はものの数秒で平らげられてしまった。

一瞬、焦りを見せるエミヤではあったが、その惨状を挑戦と受け取ったのか、すぐにやる気を出して肉を焼く作業へと戻る。

今度は先ほどよりも多くの肉を用意し、しかも生焼けなど出さずにきちんと炭火で炙って皿へと並べていった。これには飢えた野獣達も大満足。百戦錬磨のエプロンボーイは伊達ではないのだ。本当に、どうして彼のような主夫が英霊となったのか今でも不思議でならなかった。

 

「こら、私の分の肉よ、それ!」

 

「あら、なら差し上げましょうか? はい、あーん」

 

「誰がするか、そんなこと!」

 

わざとなのか天然なのか分からないジャンヌにからかわれ、ジャンヌ・オルタがいつものように声を張り上げる。

どことなく微笑ましい姉妹喧嘩の様子はアナスタシアが一部始終をカメラに収めており、それに気づいたジャンヌ・オルタが今度は皇女に矛先を向けるも、そちらに辿り着く前に砂地に足を取られて盛大にすっころんでしまう。

無論、事故ではなくアナスタシアのシュヴィブジックによる悪戯だ。思惑通りに引っかかった姿を見て笑みを零したアナスタシアは、顔面を砂塗れにして恥辱に震える竜の魔女の姿をフレームに収めようと続けてシャッターを切る。

怒り心頭の魔女は今度こそ皇女を捕まえんと跳ね起きるが、残念ながら後は同じことの繰り返しであった。

 

「二人とも、その辺にしておいて食べようよー」

 

「お肉が固くなってしまいますよー」

 

立香とマシュが追いかけっこを続ける二人を嗜めようと追いかけていく。

その様子を少し離れていたところから見守っていたカドックは、クーラーボックスから出したばかりの炭酸飲料に口をつけ、半ばほど飲み干したところで一息を吐く。

楽しそうで何よりだと、苦笑する。

過去を引きずらずにはしゃぐアナスタシア、穏やかな日常を過ごす立香とマシュ。

こんな光景をずっと前から見てみたかった。未だ繰り返しの七日間から脱出する事は敵わず、XXの脅威にも晒されたままだが、一時でもこうして友人達が平和な時を過ごせることがとても嬉しかった。

そして、だからこそ以前にも抱いた疑問を再び己に問いかける。

この騒々しくも楽しい七日間を本当に終わらせても良いのかと。

ここにいれば、彼らは毎日を楽しく過ごすことができる。

XXとの戦いは自分が請け負えばいい。そうすれば彼らはずっと笑顔のままだ。

最近は、ここで奪われた青春を取り戻せるまで夏を繰り返すのもいいと、らしくもない事を考えるようになってしまった。

 

「――違うな、それは彼らを思ってのことではない」

 

こちらの考えを見透かしていたかのように、その男は鋭利な言葉を投げかけてきた。

振り返ると、ビーチに植えられた木の陰に暗い気を纏った青年がもたれかかっていた。

黒い水着と同じ色の帽子。傷だらけの上半身には同じく黒い上着を肩に引っかけており、所々に巻かれた包帯は全身の傷もあって見ていて痛々しい。

南国にはとても似つかわしくない、陰気に包まれたその男の名はエドモン・ダンテス。巌窟王エドモン・ダンテスであった。

 

「巌窟王か。珍しいな、昼間っから出歩いているなんて」

 

「ふん。闇の住人(immortal)を気取るつもりはないが、お前は色々と多忙のようだからな。手間を取らせぬよう、こうして市井に紛れて会いに来たという訳だ」

 

「…………」

 

至極、真面目な物言いの巌窟王に対して、カドックは思わず言葉を失った。

ひょっとして新手の冗談なのかとも思ったが、巌窟王はそのようなことを口にする人物ではない。

どうやらこの格好が本気で南国に溶け込めていると思っているようだ。

折角、涼しい格好に着替えているのに厚い上着を羽織ったままでは、結局のところ周囲から浮いていることに気づいていないのだろうか。

それとも彼なりのお洒落なつもりなのだろうか。いや、確かに格好いいが。

 

「どうした?」

 

「いや……」

 

何でもないと首を振る。

人の好みに不用意に踏み込むのはよくない。

だいたい、それを言うなら自分もださめなロゴ入りシャツである。

 

「それで、何の用なんだ?」

 

「情報の交換だ。マスター、ここまでの周回で脱出の目途は立ったか?」

 

その言葉を聞いて、カドックは表情を引き締める。

巌窟王はルルハワの七日間が繰り返されていることに気づいている。

それを知っているのは自分達とBB、そして好き勝手に暴れている茨木童子だけのはずだ。

最初に空港に降り立った面々だけがBBの能力の影響下にあるのだろうと思っていたが、まさか彼もBBと関りがあるのだろうか?

そう思って聞き返してみたが、巌窟王は静かに首を振った。自分はBBと無関係であると。

 

「不思議と、繰り返す世界というものに、俺は耐性があったらしい……個人、というよりはクラスとして保有しているスキルかもしれんがな」

 

「お前もか……」

 

ふと二度目の七日間が始まった時のBBとのやり取りを思い出す。

あの時、彼女はこちらの記憶を持ち越させないつもりだったようだが、どういう因果か自分は以前の記憶を有したまま初日に戻ることができた。

詳しくは追求していないので、結局どうして他のみんなと同じように記憶を持ち越せたのかは分からず仕舞いだが、その偶然がなければずっとBBの手の平の上で踊らされていたであろうと思うとゾッとする。

 

「何、そんな事が…………そうか……なるほどな……」

 

「何を一人で納得しているんだ?」

 

「いや、こちらのことだ。それよりもマスター、このループがBBの仕業ならば、彼女は何を企んでいる?」

 

「ああ、実は……」

 

カドックは手短に、女神ペレや聖杯の降臨に関する経緯を説明する。

加えて現在のゲシュペンストケッツァーの現状。打倒メイヴの為の目下の悩みである、葛飾北斎の救出に難儀している事も付け加えた。

すると、こちらの説明を聞き終えた巌窟王は、猛禽類のように凶悪な笑みを浮かべて身を捩らせた。

 

「フッ、引っかけだ。あの女が、そんな理由で世界を廻すものか」

 

「やっぱりか?」

 

傷ついた女神ペレを蘇らせる為に聖杯を降ろす。賞賛に値する行為ではあるが、それを目論んでいるのがBBという一点においてどうしても信用がならないところがある。

彼女は人類史に名を刻まれた英霊ではなく電脳世界の住人――AIであり、根本にあるのは人類への奉仕の精神だ。

だが、その精神構造はとても人間の物差しでは推し量ることができない。加えて彼女は嘘は口にしないが本当の事は言わない。

そんな彼女が素直に女神ペレを思って行動するなど、どうしても素直に信じる事ができない。

何か裏があると思っても、まず間違いない。

 

「そう思っていながら、ここまで世界を廻し続けたのはお前だろう?」

 

「言ってくれるな。なら、次から手を貸してくれても良いんじゃないか?」

 

メイヴの壁サークル進出を止める為には、何としてでも葛飾北斎をXXの魔の手から救わねばならない。

だが、彼女がXXに襲われるのは初日のループが始まった直後の事だ。スタート地点である空港からストリートにいる北斎のもとに駆け付けるまで、どうしても時間がかかる。

ここまでの周回で何度も北斎の救出を試みたが、どうしても時間が足らず北斎の襲撃に間に合わないのだ。

だが、巌窟王の宝具ならば時間や空間の概念を無視することができる。それならば北斎を救い出すことができるのではないだろうか。

 

「いや、俺が表立って動けばBBは目を付けるだろう。あの女は盲目だが耄碌してはいない。自分が課した法則(ルール)を逸脱した者に容赦はしないはずだ。BBと相対するには盲点を突くしかない」

 

公正を謳いながら堂々と違反(チート)を犯すのがBBというAIだ。

自分は良くても他人がズルをするのは許せない。そんな彼女が今のルルハワの支配者であるのなら、下手に動けば警戒される恐れがあると巌窟王は言う。

だが、逆に言えば彼女の思惑通りに動いている内は、向こうもおいそれと手を出す事はないということだ。

 

「故にマスター、与えられた駒を活用しろ。遺憾ながら此度の俺は彼女が用意した舞台の役者でしかない。先達がいる以上、俺は傍観者でいるしかないようだ」

 

「待て、巌窟王。言っている意味が分からない」

 

「他に頼れる者を探せと言っている。俺のような輪廻に巻き込まれた者でなく、己が意思で繰り返しを望む者を。先へ進むにはそれしかなかろう」

 

そうは言っても、この繰り返しに関する記憶は限られた者にしか残らない。BBからは禁じられているが、仮に繰り返しのことを周囲に明かしたとしても次の周回では忘れ去られてしまうため、結局は自分達だけで北斎の救出を行わねばならないのだ。

彼が言うような協力者をこれから先、果たして得る事ができるだろうか?

 

「案ずるな。いよいよとなれば虎も眠りから覚めよう。とにかく今は描き続けるがいい。盤面を引っくり返すのは、いつだって大一番と決まっている」

 

自分の言いたい事だけを言い捨てて、巌窟王はその場を立ち去ろうとする。

彼なりの助言なのだろうが、その物言いは抽象的で要領を得ない。少なくとも彼にはこのループの構造――BBの企みがある程度は推察ができているようだ。

先ほどの助言にならない助言は、それを踏まえてのものなのだろう。

 

「健闘を祈っている、マスター……我が共犯者の輩たる者よ。その友情が偽らざるものである限り、俺はお前の行く末を見届けよう」

 

「待て! 最初に言った事、あれはどういう意味なんだ?」

 

夏を憩う立香達の事を思うのは誤りであると、巌窟王は最初に告げた。あれはいったい、どういう意味なのだろうか。

すると、巌窟王はさっきよりも鋭く口角を釣り上げる。先ほどまでのそれが猛禽類だとすれば、今の彼は正に悪魔の如き風貌だ。

 

「このルルハワはBBが用意した遊戯盤だ。だが、それは何のために用意されたものだ? これは果たして――誰が楽しむ為の遊戯だろうな?」

 

溶けるように巌窟王は消えていく。

後に残されたのは背筋を走る悪寒と、砂浜の喧騒のみ。

まるで幽霊かなにかと話をしていたかのような気分だった。

こちらを試すかのような巌窟王の言葉が何度も頭の中で繰り返され、答えが出ぬままジリジリと太陽に焦がされていく。

どれくらいそうしていただろうか。こちらの様子に気づいたのか、浜辺でマシュとじゃれ合っていたアナスタシアが近づいてきた。

 

「何か考え事?」

 

「あ? ああ……少し、ね……」

 

「そう……」

 

彼女はそれ以上は聞いてはこなかった。

聞かずとも悩んでいるのは分かるし、こちらが告げないのならば聞くまでもないことだと言わんばかりに、アナスタシアは何も言わずにこちらに寄り添ってくる。

先ほどの巌窟王との語らいで少しばかり気疲れしていたのもあったのだろう。今は彼女の優しさがとても身に染みた。

夏の陽気に当てられていても、やはりアナスタシアはアナスタシアだ。共にグランドオーダーを駆け抜けた最愛のパートナー。

彼女が側にいてくれれば、今度もきっとうまくいく。不思議とそんな気がしてきた。

 

「あら? カドック、あれ……」

 

「茨木?」

 

アナスタシアが指差した方向に目を向けると、水着姿の茨木童子が物欲しそうにバーベキューの肉を見つめていた。

香ばしい香りに鼻を引くつかせ、焼かれた串が更に並べられる度に目線がそれを追いかける。

最早、睨んでいると言ってもいいほど目つきは鋭く、口の端にはうっすらと唾液が滲み始めている。

 

「む、主殿、どう致しますか?」

 

同じく茨木童子の存在に気が付いた牛若丸が聞いてくる。命令を貰えればすぐにでも追い返すと、暗に匂わせていた。

だが、カドックはそれを制すると、適当に空いていた皿と焼けた肉を持って茨木童子のもとへと近づいた。

小柄な彼女はこちらが持つ皿をジッと見上げており、鯉かなにかのように口をあんぐりと開けている姿は些か滑稽にも見えた。

 

「欲しいのか?」

 

「……ふっ、何を言い出すかと思えば。肉など生前食って食って食いまくったわ。筋張って固くて生臭いだけのシロモノだった。うむ。所詮はその程度の味、菓子の美味には程遠い!」

 

だろうな、とカドックは内心でため息を吐いた。

東洋の鬼の社会基盤がどういったものかは知らないが、少なくとも人類のように野畑を耕していた訳ではないだろう。

牛や馬、或いは人を彼女は生前に何度も口にしたはずだ。だが、それはきっと生食や雑に火を通しただけのもののはず。

一方でエミヤが焼いたこの肉はきちんと下処理をした食用部位だ。中までしっかりと火が通っているし、胡椒で味もつけられている。

事実、半ば無理やりに放り込まれた肉を咀嚼した茨木童子は、見る見るうちに表情を蕩けさせていった。

 

「うむ……ここのところ菓子ばかりだったから、この辛味は新鮮だ、うむ」

 

「それでよく胸焼けを起こさないな」

 

「ククク……吾をそこら辺の軟弱な輩と同じにするでない」

 

「何を威張っているんだ。虫歯になったらどうする? ほら、野菜も食え。ほら! ほら!」

 

「にゃんと! こら、その緑の苦いものを突き付けるでない! やーめーろー! やーめーろー!」

 

調子に乗って新たな肉に手を伸ばした茨木童子の手の甲を叩き、今度は焼けたピーマンを強引に口へと放り込む。

当然ながら抵抗されたが、すぐにアナスタシアがアシストしてくれたので、茨木童子はこちらのされるがままに肉や野菜を頬張ることしかできない。

 

「む、これは甘いな……むぅ、辛い……にがっ、水! 水!」

 

「はいはーい」

 

野菜の苦味で顔を顰めた茨木童子は、アナスタシアから手渡されたコップの水を一気に飲み干すと、大きく息を吐いてこちらを見上げてきた。

 

「汝、あまり吾を童扱いするな! こんなもの一人で食えるわ! ゴホッゴホッ!」」

 

「リスかお前は。そんなに頬張るからだ」

 

「きいぃぃっ!」

 

喉を詰まらせながら吠える茨木童子ではあったが、自業自得なので周りに当たり散らすこともできずに地団駄を踏むしかなかった。

 

「落ち着いたらこっちに来い。ブーディカがマシュマロを焼くそうだ」

 

「なに? あれを焼くのか? 美味いのか? いや、そもそも居て良いのか? 吾、今は汝らの敵であろう?」

 

「ほう、鬼の頭領ともあろう者が宴席の誘いを蹴るっていうのか?」

 

「……そうか。ふん、それは吾にここの肉を食い尽くせと言っているのと同義よ、マスター」

 

こちらの誘いに乗り、意気揚々と茨木童子はバーベキューの輪に入っていく。

基本的に彼女は鬼らしく気紛れで傲慢だが、根が素直で真面目な分、頭領としての面子にも拘っている。

上に立つ者として誘いを受けたからには威厳を見せねばならないと、今日までの遺恨をとりあえずは収めてくれたのだ。

断じて食欲の誘惑に負けたわけではない、と思いたい。

 

「むぅ、それは余が狙っていた肉だぞぉ!」

 

「ククク、早い者勝ちよ。欲しくば力尽くで奪うがいい」

 

そして、早速他の者と揉め始める鬼の頭領であった。

最早、何も言うまいとカドックは嘆息し、神妙な面持ちで二人の仲裁に入る。

結局、その後も茨木童子が起こす騒動の火消しに回る羽目となり、カドックはほとんど肉を食べる事ができなかった。

 

「……のう、マスター」

 

おやつ時も過ぎ、並べたコンロやパラソルを片付け始めていたカドックは、不意に茨木童子に話しかけられた。

たらふく肉やマシュマロを平らげた事もあってか、今の彼女はご満悦だった。

どれくらい満足しているのかというと、少し前まで牛若丸と競泳に興じる程には気分がいいらしい。いつもの彼女なら考えられないことである。

 

「何、この霊基の時は些か陽気でな。だが、まあそれは吾の事ゆえ気にするな。それよりもマスター……汝、いつも難しい顔をしているが夏を楽しんでいるか?」

 

「何を言っているんだ?」

 

「いや、吾も些か騒ぎ過ぎたと反省しているが、それは鬼らしく好きに振る舞ったからだ。ならば汝も人らしく吾を放逐したところで何の咎もあるまい。なのに汝は童を相手にするかのように世話など焼きおって……」

 

「それは……お前が問題ばっかり起こすからだろう」

 

「むう、反論できぬ。だが、他にもあるだろう。フォーリナーやサバフェスの事……汝、色々と抱え込み過ぎて楽しめていないであろう? 宴は煩わしいことを忘れて楽しむものだぞ、マスター」

 

それは確かにその通りなのだが、そうはうまくいかないのが人の世の常というものだ。

確かにこの七日間は騒々しくも楽しいものだが、自分達にはフォーリナーの討伐や女神ペレの救出という目的がある。

それを無視してまで夏を楽しむことはどうしてもできないのだ。例えこの夏が何度も繰り返すことを知っていても、それだけはできなかった。

それをすればきっと慚愧が胸を締め付けると分かっているからだ。

 

「分からぬ。そして、吾はそういう輩は気に食わぬ。宴は楽しむものだ……人であろうと、鬼であろうとな」

 

久しく見ていなかった真剣な面持ちで、茨木童子は締めくくる。

それがその日、茨木童子と交わした最後の言葉であった。

 

 

 

 

 

 

そして、時計の針は初日に戻る。

今回も売り上げ一位を成し得なかったカドック達は、初日に戻るや否や空港を後にして北斎の救出に向かっていた。

頭上には雲を裂いて飛来する一筋の光。まるで流れ星のようにフォーリナーハンターXXは光を纏って青空を疾駆し、必死で道路を駆ける自分達の頭上を追い越してストリートへと降りていった。

今回も間に合わなかった。

ティーチを無視して全力で走り出しても、足の速い牛若丸を先行させても、途中で何らかの乗り物を調達しても、あの光の速さで飛び回るXXに追いつくことはできない。

カドックは悔しさで歯噛みする。

きっとこの角を曲がって目にする光景は、前回と同じく消えゆく北斎の姿であるはずだ。

XXは目的の一つであるフォーリナーの討伐を成し遂げ、悠々と空へと飛び立つのだ。

そう思うとむかっ腹が立った。せめて、一矢でも報いねば北斎に申し訳が立たない。

怒りと自責の念が両足に力を入れ、より強い力で地面を蹴る。

すると、角の向こうから何かがぶつかり合う音が聞こえてきた。

北斎が戦っているのかと思い、すぐに否定する。

これまでのループで葛飾北斎はXXに手も足も出ずに敗北していた。だからこそ、自分達こうして彼女を救い出さんと走っているのだ。

では、いったい誰が戦っているのだろうか?

疑問を胸に抱いたまま、カドックは勢いよく角を曲がる。

そして、互いの得物を振るいながらぶつかり合う、鬼と機人の姿を垣間見た。

 

「クッ……コレマデノ 周回デハ ナカッタ事 デス」

 

「ククク……その程度か木偶人形? それではちっとも楽しめぬなぁ」

 

肉食獣の如き笑みを浮かべながら、槍を構えた茨木童子が言った。

その後ろでは、訳が分からずにおろおろと驚いている葛飾北斎の姿があった。

茨木童子がフォーリナーから彼女を守ったのだ。

 

「茨木!?」

 

「マスター、宴を楽しまねば損だ。故に汝が心から楽しめるよう手本を見せよう。さあ、酔狂の極み!」

 

槍を構えた茨木童子が敢然とXXに立ち向かう。

それは蝶の羽ばたきが起こした嵐の一端。

繰り返しの七日間に訪れた些細な変化が何をもたらすのか、この時点ではまだ誰も知らなかった。




XX「アナタの作戦目的とIDは?」
茨木「酔狂、茨木童子」

という訳で今回はシリアス気味にいきました。
巌窟王の出番はこれで終わりです。思わせぶりな事言うだけ言って行ってしまったよこの彼氏面。


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一日目その4 太陽と月に背を向けて

時刻は太陽が西に傾き始めた頃合いだろうか。

普段はサークル仲間でごった返すスイートルームは、今は閑散としていてとても静かであった。

聞こえてくるのは冷房が噴き出す音と、ジャンヌ・オルタが走らせるペンタブが擦れる音。いつも騒々しい茨木童子も、今は大人しくベッドに横たわりながらアナスタシアとガイドブックを読んでいた。

他の面々は出払っている。XXの襲来やティーチからホテルを譲ってもらうなどの定例行事をこなしたゲシュペンストケッツァーの面々は、午後からは二手に分かれて行動することとなったのだ。

一方は兼ねてより申し込みを考えていたココヘッド射撃場での実銃射撃体験。そして、もう一方は突然、ネタが降りてきたとやる気になったジャンヌ・オルタを手伝うための居残り組だ。

銃嫌いのアナスタシアは居残り組を希望した為、当然の事ながらマスターであるカドックも残留。茨木童子も銃には興味がないということで、朝からずっとこの調子であった。

カドックはソファに腰かけて礼装の手入れをしながら、たまに話しかけてくるジャンヌ・オルタの相手をして一日を過ごしていた。

さすがに何度も繰り返していれば慣れたもので、最初の内はネームを起こすだけでも一苦労だったものが、今では余裕を持って入稿できるまでになっていた。

それだけ彼女の情熱が凄まじいという事であり、その上達ぶりにはただただ舌を巻くばかりである。

とはいえ、それでも未だサバフェスの上位勢には及ばない。前回も良いところまでいったのだが、優勝争いとは程遠いところであった。

 

「……どう?」

 

「……アイディアは悪くない、か? ああ、その流れだとうまく纏められそうだ」

 

「でしょ。今回のストーリーはこれでいくわ。けど、もうちょっとどうにかできそうなんだけど……」

 

少しばかり不満そうに、ジャンヌ・オルタは締めくくった。

彼女としても手応えは感じてきている頃合いだ。なので、自分が考えた作品がどの辺りまで食い込めるのかという事をある程度、客観的に見れるようになってきたのであろう。

本人としては更なるブラッシュアップを考えているようだが、生憎と今はこれ以上のネタは出てこない。後は描きながら可能な範囲で修正していくしかないだろう。

それに、彼女はまだまだ不満かもしれないが、先ほどまで語って聞かせてくれたあらすじは中々に引き込まれるものがあった。

 

「面白いとは思う。このジャンルにはまだ手を付けていなかったし、新鮮なものが作れるんじゃないか?」

 

「そうね……よし、この漫画で何度目かの鮮烈なサークルデビューを飾ってやるわ! そしてあの女の写真集に、何よりあの漫画に勝ってみせる!」

 

不敵な笑みを浮かべ、ジャンヌ・オルタは意気込んでみせる。

ふと、彼女の言葉が気になったカドックは、彼女が机に向かい直す前に呼び止めた。

以前から気になってはいたのだが、彼女はどうしてここまでサバフェスに拘るのだろうか。

度々、何かへの敵愾心というか反骨心めいたものを口にしていたが、それはいったい何なのか気になったのだ。

 

「ん――そうね、あんたになら良いか」

 

そう言って、ジャンヌ・オルタは手に取ったばかりのペンタブを机に置くと、足元の鞄から一冊の漫画を取り出した。

一般流通しているものではなく、サバフェスなどで出回っている同人誌のようだ。

表紙に描かれているのは、かなり抽象的だが女の子と動物の類であろうか?

 

「この漫画より、上のものを描きたいだけよ」

 

手に取ったそれは何故だかずっしりとした重みが感じられ、ページには何度も読み返されたのであろう跡がハッキリと残されたいた。

恐らくは、暇を見つけては読み返していたのだろう。例えば一足先に食事を終えて一人になる度に、夜にみんなが寝静まった後に、何らかの理由を見つけては最後の一ページに至るまで丹念に読み込んできたのであろう。

そうやって彼女は情熱を維持し続けてきた。この本だけに負けてはなるものかと、いつぞやの贋作事件の時のように。

果たして、彼女がここまで入れ込むこの漫画はどのようなものなのか。何気なくページを捲ったカドックは、その圧倒的な書き込みに思わず息を飲んだ。

 

「…………っ!?」

 

門外漢である自分でも分かる、確かな力がそこにはあった。

画力はかなりのものだが、これは上手いだとか下手だとかの次元を超えている。

洪水を真正面から受け止めているかのような気持ちだった。

ただただ良い作品を作ってやるという気概、熱意、焦燥、衝動めいたものさえ感じられた。

いつだったかアンデルセンは、本は作家自身の魂の切り売りであると言っていたが、ならばこの漫画の作者はどんな魂の持ち主だというのだろうか。

彼なのか彼女なのかは知らないが、この漫画の作者は世界はかくも残酷で、儚くて、それでいながら水晶のような美しさを見い出しているとしか思えない。

正にありのまま、受け取ったままの感情を克明に描き込んでいる。

作者はきっと余程の聖人か愚者に違いない。

 

「これを、超えたいのか」

 

自分でも驚くくらい乾いた呟きだった。

出来る訳がない、という気持ちがまずあった。これは才能だとか技術だとか、そんな生易しいもので比べられるものではない。積み上げられた情熱が違う。気持ちの重さが違う。ただの物好きが掲げていい目標ではない。

しかし、届かぬものに手を伸ばし続けるという思いを知らぬカドックではなかった。見据えた先へ至りたい、超えるべき壁を超えたい、ただ勝ちたい。そのためにがむしゃらに努力を重ねことの困難を、自分は誰よりも知っているではないか。

その先は地獄であることを知っている。

その先に栄光などないことを知っている。

折り合いを付けれねば、いつかは摩耗していくことを自分は知っている。

けれど、手を伸ばす事は間違いではない。その気持ちは誤りではない。進むことに貴賤はない。

ならば、答えは決まっていた。

 

「わかった、気が済むまでやるといい」

 

彼女が燃え尽きるその時まで、手助けをしようとカドックは心に決めた。

 

「なによ、応援するならもっと素直にしなさいよ」

 

斜に構えたこちらの態度が気に入らなかったのか、ジャンヌ・オルタは不満を漏らす。

 

「そうか? 応援歌でも歌ってやろうか? ロックの王者(レックス)からのプレゼントだ、高くつくぞ」

 

「はあ? あんたもたまに変なことを言うわね。カルデアの時と何だか性格が違うわよ」

 

「言わせておいてあげて。自分がロックスターになる夢を見たみたいなの」

 

こちらのやり取りが聞こえていたのか、ベッドの方からアナスタシアがフォローにならない助けを寄越す。どことなく声音が辛辣で、彼女が自分に呆れていることは聞くまでもなかった。

放っておけ、とカドックは心の中で悪態を吐いた。どうせこっちでは叶わないのだ、夢くらい見たっていいじゃないか。

 

「まあ、いいわ。何だか変な感じになっちゃったし、気分転換でもしましょうか」

 

「お、出かけるのか? 何を食う? 氷菓子か? マカロンか?」

 

「あんたはそればっかりね」

 

いいかげん、ガイドブックと睨めっこするのにも飽きてきたのか、茨木童子が目を輝かせながらこちらを見やる。

だが、時計を見るとティータイムにはやや遅く、夕食には早いという時間であった。茨木童子には悪いが、こんな時間に腹を膨らませては夕食が食べられなくなる。

ジャンヌ・オルタとしてもそういった気分ではなかったのか、茨木童子のリクエストには応えずにしばしの間、瞼を閉じてルルハワの観光名所を思い返していた。

 

「そうね、自然が見たいわ。マウナケア火山に行ってみない? あそこの天文台はまだ、行ったことがなかったし」

 

「マウナケアか……」

 

元々はハワイ島にあった火山だが、今は島が合体しているので地続きで向かうことができる。

ただ、今から出向いていては夕食の時間までに戻れるかは微妙なところだ。

どうにかならないものだろうかと考えたカドックは、ふといつぞやの夜の出来事を思い出して背筋を震わせた。

 

「なに? どうかした?」

 

「あ、いや……」

 

歯切れの悪い返答をしてしまう。

確かにあれならば距離や渋滞なんてあってないようなものだ。以前の周回でも何度か出くわすことがあったので、普段はどの辺にいるのかも分かる。

だが、あの恐ろしさを身をもって味わったが為に踏ん切りがつかなかった。

 

「何よ、アイディアがあるなら言いなさい。もうそんな気分になっちゃったから、代案は受け付けないわよ」

 

「そうか? 分かった……ただ、文句は言うなよ」

 

前置きを置いて、カドックは支度をするように促した。

数分後、ルルハワの市内を白塗りのタクシーが爆走したのは言うまでもないことであった。

 

 

 

 

 

 

「……おっと、行き止まりか。お客さん、ここまででさ」

 

急ブレーキの勢いで前に体が飛び出し、シートベルトで思いっきり胸を圧迫される。

胃の底から込み上げてくる激流を必死で堪え、カドックは運転手に紙幣を握らせてタクシーの扉を開いた。

新鮮な空気が肺に流れ込み、憔悴している脳にも僅かではあるが活力が戻ってきた。

 

「……帰りも使うから、待っていてくれ」

 

「あいよ」

 

全員が降りるのを待って、タクシーは来た道を戻れるように方向転換を行う。

見回すと、アナスタシア以外の二人はどちらも顔を真っ青に染めており、この世の終わりのような表情を浮かべていた。

あの変態的なドリフトを味わって、吐かなかったことは褒めていいかもしれない。

 

「な、なによあれ……竜の背中の方がまだマシよ……」

 

「吾、もうダメ……菓子はよい、水をくれ……」

 

ぐったりと座り込む茨木童子を見かねて、アナスタシアは持参したペットボトルの飲料を差し出した。

あまり冷えてはいないが、飲めば少しは気分もマシになるだろう。

カドックもそれに倣おうと茨木童子が飲み終わったペットボトルを譲り受け、半分ほど残っていた中身を一気に飲み干した。

 

「あっ……」

 

「ん?」

 

「いや、何でもない……」

 

指先を弄びながら、茨木童子はこちらから視線を逸らした。

体調でも優れないのか、息が上がっていて頬も赤くなっていた。人外の身でもあの暴走タクシーはきつかったのかもしれない。

マウナケアは標高四千メートルを超えるので、高山病の危険も十分に考えられる。

 

「大丈夫だ。鬼の頭領が簡単に沈むか!」

 

「そうか?」

 

半ば食い気味に訴える茨木童子の態度を訝し気ながら、念のため魔術で解析してみたが、確かに異常は見られなかった。少し鼓動が早いくらいである。

 

「もし食えるなら食べてろ。気分もマシになるだろう」

 

ポケットから飴玉を取り出して茨木童子に手渡し、カドックは現在地を確認するために地図を取り出した。

ここはマウナケアではあるが山頂にはまだほど遠い。休憩施設も兼ねたオニヅカ・ビジターセンターを少し超えたところである。

ちなみに、たった今気づいたことだが、マウナケアに登頂する場合はビジターセンターで最低でも30分は休憩を取って高山に体を慣らすことが推奨されていた。

行き止まりがなければ危なかったかもしれない。

 

「それは悪かったわね。まあ、中腹とはいえここもマウナケア山であることは違いないし、今日はここで是としましょう」

 

そう言って、ジャンヌ・オルタは新鮮な高山の空気を目一杯吸い込んだ。

ふと見上げた空はどこまでも高く、もっと早い時間ならば海原よりも青く染まっていたであろう。代わりに今は水平線に沈んでいく夕日で黄昏色に染まっており、見る者に哀愁を誘う。

 

「不思議ね。ハワイはロシアよりも南国なのに、ここは麓とは雰囲気がまるで違うわ」

 

どこか感慨深げに、アナスタシアは呟いた。

緑がない訳ではないが、繁っているのは小さな木や芝ばかりで大木は一つも見当たらない。南国というイメージからは程遠い荒涼とした雰囲気であった。

それもそのはず。マウナケア山は休火山であり、地面は溶岩で覆われているので草花が育ちにくい。また雪の女神ポリアフの棲み処ということもあり、山頂までいけば一メートルくらいの積雪も珍しくなく、冬にはスキーを楽しむ者もいるらしい。

 

「そう、どうりで落ち着くはずね。ここの霊脈は私と波長が合うみたい。ねえ、ポリアフというのはどんな神様なのかしら?」

 

「ポリアフはペレとは敵対する関係にあって、何度か勝負をするのだけれど、ペレが勝てたことは一度もないそうよ。例えば二人がソリで勝負をした時、ペレが溶岩で妨害してもポリアフは雪で押し返したの。ハワイ南部の溶岩地帯はそうしてできたとも言われているわ。白いマントの女神ポリアフと黒いマントの女神ペレ。いつしか二柱はハワイを南北に分けて支配するようになったの」

 

アナスタシアの問いに、どこから仕入れてきたのかジャンヌ・オルタがすらすらと答えて見せる。そういえばカルデアからハワイに着くまで一心不乱にガイドブックを読み込んでいたが、その時にこういった情報まで仕入れていたのだろうか。漫画の一件もそうだが、良くも悪くも彼女は何かに情熱を向けると止まらなくなってしまうようだ。

 

「何よ、悪い? あ、あんた自分の役目を取られて悔しいのね?」

 

「ふん、知識をひけらかして悦に入る程、落ちぶれちゃいないさ」

 

「言うわね根暗。マスターだからって焼かれないとは思わないことね」

 

「ペレの二の舞にならないようにしろよ、オルタ」

 

「はいはい、二人とも喧嘩しないの、もう」

 

睨み合ったまま火花を散らす二人を見かねて、アナスタシアが割って入る。

 

「ポリアフがどんな女神様なのかは分かりました。それと敵対しているのが、BBに協力しているペレなのね」

 

「協力……というか半ば取り込まれている感じみたいだけど。とはいえペレがそこまで弱体化するというのは相当だ」

 

独自の神話体系と宗教を維持していたハワイ諸島も、聖堂教会の宣教によって十九世紀半ばには大半の伝統が廃れていった。

元々、厳しい戒律がまかり通っていたこともあって聖堂教会や他宗教への改宗は歓迎されたのだが、ペレ信仰だけはキラウエア火山の存在感の大きさもあり、失われることはなかった。

つまり、ペレはそれだけ強力な神格なのである。サバフェスの浮かれた雰囲気に紛らわされているが、そのペレがBBと合一しなければならぬほど弱ってしまったということは、かなりの一大事なのである。

 

「そういえば、ペレはイシュタル神みたいな女神様って言っていましたね。そんな方が弱っていたとはいえ、あのBBに力を譲るかしら?」

 

「確かに……けど、共通点がないこともないんだ。黒いマントもそうだが、何より異性の好みがね」

 

神話では、ペレはオアフ島の半神半人の神カマプアアに一目惚れしたらしい。

だが、いざ会ってみればカマプアアは美男子ではあったが同時に獰猛な豚の神としての側面も有していた。

或いは最初から豚の神であることを見抜き、嫌がらせを行ったが平然としているので一目置いたとも言われている。

ともかく二人は夫婦となったのだが、やはりそこは苛烈な火山の化身と半豚の神。事ある毎に対立し、ハワイ全土を巻き込んだ喧嘩をしていたらしい。

人によってはこれを噴火と農耕の関係に当てはめる者もいる。

 

「豚を伴侶にした神格と、好きな人を豚にしたくなるBB……おかしなところで接点があるものね」

 

「吾からすれば、どうでもよいことだがな。愛、怖いし」

 

幾分、調子を取り戻した茨木童子が、暇そうに小石を弄びながら言った。

その様子を見て、どこか微笑ましげに目を細めたアナスタシアは、不意に驚いたように跳ねてズボンのポケットに手を伸ばした。

彼女の携帯電話――一応、持ち主はカドックなのだが自撮り用として半ば私物化されている――が着信を告げていた。

 

「マシュからだわ。『お土産にチキンブリトーを買って帰ります』……ですって」

 

「もうそんな時間か」

 

水平線に沈み始めた夕日から時計へと視線を移す。今から下山すれば、夕食時には間に合うだろう。あのジェットコースターのようなタクシーを利用が前提ではあるが。

 

「げぇ、また乗るのか」

 

「我慢してくれ、茨木。僕の分も半分やるから」

 

「むぅ、揚げ芋もつけてくれたら許す」

 

「分かった、買って帰るよ」

 

まだマウナケアの空気を堪能していたジャンヌ・オルタにも声をかけ、下山を促す。

そこでふとカドックは、何者かの視線を感じて振り返った。焼けるような暑さとも、凍えるような冷たさとも取れる気配であった。

気のせいで済ますにはあまりにも強い害意。半ば無意識に魔術回路を励起させ、いつでも伏せれるように身構える。だが、振り返った先には誰もおらず、山頂へと続く荒地だけが続いている。

 

「……疲れているのかな?」

 

ほんの一瞬、赤い目のようなものが三つ、宙に浮かんでいたかのように見えたのだが、それも今は見当たらない。念のため他の者にも聞いてみたが、誰も見ていないとのことだった。では、やはり気のせいだったのだろうか?

 

「カドック」

 

「分かった、行くよ」

 

手を振るアナスタシアの後を追い、カドックは駆け出した。

きっと何度も周回を続けて知らず知らずの内に疲労が溜まってきていたのであろう。

明日も忙しくなるのだ、初日の今日くらいは早めに休んでもいいかもしれない。

そんなことを考えながら、カドックはみんなに続いてタクシーに乗り込んだ。

そして、帰りは少し優し目に運転してもらうよう運転手に頼み込み、砂利道で揺れ始めた車内でシートに背中を預けるのであった。

 

 

 

 

 

 

白塗りのタクシーが走り去る姿を、燃えるような赤い三つ目が見つめていた。

あれに乗っているのはカルデアのマスターとその仲間達だ。

聖杯を手に入れる為、必死で漫画を描き続けている哀れな子豚達。彼らは本気で女神ペレを救おうとしているのだろうが、その願いが叶うことは決してない。

何十回、何百回と繰り返した果てに待っているのは、絶望への終着だ。

彼らは少しずつ正解に向かって歩んでいるつもりでも、最後の最後に踏み外すことになる。

自分はただ、その時が来るのをゆっくりと待つだけでいい。

だが、目障りな黒子は今も自分の足下をうろついている。

警戒していた巌窟王が静観を決め込んだ今、不確定要素はそれだけであった。

あの脆弱で貧弱で無力極まりない蟻のような英霊が、何度も何度も向かってくる度に苛立ちだけが募っていく。

どう計算しても結果は変わらない。彼が自分に勝てる可能性は万に一つもないのだ。

だというのに、あの蟻は諦めることなく愚直なまでに立ち向かってくる。

こちらの真意も知らないで。

この先に何があるかも知らないで。

ああ、早く終わって欲しい。

でなければ、何もかもをご破算にしてしまいかねない。

赤い三つ目は、絶望にも似た炎に焼かれながら、去り行くタクシーをいつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日が訪れた。

例によって襲撃してきたフォーリナーハンターXXはカドック達の活躍で撃退に成功し、何とか時間通りに開催されたサバフェスは今回も以前と同じ賑わいを見せていた。

会場内ではあちこちのブースで創作物が販売され、外では思い思いのコスプレに扮した参加者が交流を深めている。

そんな中、ゲシュペンストケッツァーの面々は机の上に並べられたオフセット本を緊張した面持ちで見つめていた。

泣いても笑っても今日でこの七日間の是非が決まる。

無事に刷り上がったオフセット本はまだ誰の手にも取られておらず、第一号となる客が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

 

「ほんじゃ、オレと茨木で買い出し行ってきますわ」

 

「どうして我が……なに、アイスを買う? ふっ、信じていたぞ緑の人」

 

足早に飛び出していった茨木童子を追って、ロビンも慌てて会場の人混みへと消えていく。

それと入れ替わるようにして、ラフなTシャツ姿の大男がブースへと現れた。

 

「お、やっていますな」

 

こちらの様子を見てにやりと笑うのは、我らが船長エドワード・ティーチだ。

見たところ手ぶらのようだが、やはり今回もいの一番に駆け付けてくれたようだ。

 

「なに、マスターの晴れ舞台ですからな。では、一冊……」

 

「いつも悪いな」

 

「ん? マスター達は初参加でござろう?」

 

首を傾げながらもティーチは紙幣を差し出し、代わりに本を受け取って後に来る客の邪魔にならないよう、一歩横にずれる。

そして、本が傷まないよう優しく指先で摘まみながら、ページを捲っていった。

 

「ほほう、サバフェス初参加にも関わらずこのジャンルで挑むとは、なかなかの度胸でござるな。群雄割拠する激戦区、言うならば同人誌界の修羅の国――お耽美(ボーイズラブ)! 誰もいない音楽室、憎いあいつと絡み合う視線、上気する頬、いつしか陥る落とし穴(フォーリンラブ)! それでいて物語性も忘れていない。というか、メインの二人よりもオケのシーンに力入れてません?」

 

「ロックだろうとクラシックだろうと、音楽に妥協はしない」

 

「よっ、アーティスト! 描きたいから描いた結果がこれなら拙者はもう何も言わねぇ! ありがとう!」

 

白い歯を剥き出しにしてティーチは笑い、もう一度だけ礼を言って去っていく。

続いてやって来たのは挨拶周りをしている刑部姫だった。彼女は本を手に取って少し中を覗くと、あっという間に鼻息を荒くして舐めるようにページの隅々へと視線を巡らせた。

 

「いい! やっぱりいいわ! 古臭いかもしれないけれど、王道って大事よね!」

 

「そ、そう?」

 

興奮して食い気味に迫る刑部姫に対して、ジャンヌ・オルタは珍しく気圧されて後退った。

どうやら漫画の内容が彼女のオタクとしての魂に火を点けてしまったようだ。

 

「ここ、特にここの独白がね――だから、ここのやり取りが――普通はこう来るところなのに――だから――ここは――つまり、パッションね」

 

「あ、ありがとう……」

 

凡そ、十五分くらいは語り続けていたであろうか。さすがのジャンヌ・オルタも辟易していた。

 

「三冊頂戴。もちろん、観賞用と保存用と布教用に」

 

叩きつけるように紙幣を取り出し、刑部姫は本を受け取って去っていった。

次いでやって来たのはアマデウスだ。刑部姫が騒いでいたので気になって覗きにきたらしい。

 

「ははっ、こりゃいい……何だか昔の自分を見ているみたいだ。なら、こっちは……ははっ、あいつ(パパ)か。ははっ……いやあ、懐かしい。一冊貰って良いかな、マスター」

 

「ああ、どうぞ」

 

「どうも。ああ、それと僕がここに来たことは、彼には内緒にしておいてくれ」

 

唇に指先を当てて囁き、アマデウスは意気揚々と去っていった。

程なくして、アマデウスが言っていた件の人物が姿を現した。

普段のスーツ姿ではなく、赤い外装に身を包んだ戦闘形態。

アマデウスにとっては旧友にして恩人であり、同時に自らを殺さんと憎悪を燃やす青年。

アントニオ・サリエリだ。

 

「おおおおぉぉっ、ゴッドリープモーツァルトォォォッ! 殺してやるぞ、アマデウスゥゥ!」

 

アマデウスの気配を感じ取っているのか、今日はいつになく錯乱気味だ。周りの客も少し引き気味になっている。

 

「マスター、奴は……アマデウスはここに来たのか?」

 

「いや……来ていない……」

 

「……そうか」

 

いないと言われて、少しだけ落ち着いたのだろう。外装を解除して素顔を露にしたサリエリは、チラリと机の上の漫画を見下ろすと、徐にそれを手に取った。

 

「拝見しても?」

 

「……いいぞ」

 

胃を焦がすような緊張感だった。サリエリは静かにページを捲り、やがて山場となっているであろう見開きの部分で手を止めて、しばし眺め続けていた。

 

「……一冊頂こう」

 

「まいどあり」

 

紙幣を受け取ると、サリエリは漫画をしまい込んで再びアマデウスの追跡を始めた。

低い唸り声を上げながらあちこちのサークルを覗き込む姿は、異様な光景であった。

 

「お疲れさん、調子はどうだい?」

 

順調に漫画が捌け始めたところで、買い出しからロビン達が戻ってくる。

 

「ちょいとメイヴのところも偵察してきたんだけど、本来の島に戻ったとはいえ、まだまだ向こうの方が客の入りは多いぜ」

 

茨木童子が加勢してくれたおかげで、初日に北斎をXXから守ることができた。

それによってメイヴの壁サークル進出は何とか防げたものの、六日目に開かれたメイヴコンテストで注目を集めたこともあって、未だに向こうの売り上げは好調のようだ。

ロビンの見立てでは、あのペースが続けば今回もこちらの負けは確実だろうとのことだった。

 

「やっぱり、あのコンテストか」

 

「ああ……だが、どうする?」

 

立香の呟きに頷いたカドックではあったが、今の彼に打つ手はなかった。

あの女王メイヴに魅力のアピールで勝つことが不可能なのは明白なのだ。何か策を講じなければ、いつまでもこの繰り返しとなるだろう。

新たなキッカケが欲しい。何かとっかかりを見つければ、そこから新しい可能性を見つけ出すことができる。

果たして、次の周回でそれを見い出すことができるだろうか?

カドックは無言のまま、唇を強く噛み締めるのであった。

 

 

 

 

 

 

午後

サバフェスの終了と共に集計が取られ、売り上げ順位が発表される。

やはりというべきか、一位は女王メイヴのグラビア本。ゲシュペンストケッツァーは残念ながら参加賞だ。

 

「これでループは確定か」

 

残念そうにジャンヌ・オルタは肩を落とす。ここまでひたすらに漫画を描き続けてきたのだから、落ち込むのも無理はない。

だが、すぐに彼女は思い直して顔を上げた。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。それよりも次に目を向けるべきだと。

何より、まだ解いていない謎は幾つもある。それを解き明かすまでは、こうして繰り返し本を描き続けるべきなのだと、ジャンヌ・オルタは不敵な笑みを浮かべてみせる。

そんな彼女とふと視線が重なり、カドックは自然と唇を釣り上げていてた。

自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。だが、カドックは確信めいた予感を持って、次の言葉を口にしていた。

 

「さあ、バカンスを続けよう」

 

その言葉が何を意味するものなのか、何故、始めようでもやり直そうでもなく続けようなのか。

それは口にしたカドック自身ですら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

『レクイエムにはまだ早い』

 

名門音楽学校の首席である青年の前に現れた一人の転校生。

その天才的な音楽技術で瞬く間に主席の地位を奪われてしまい、青年は激しく嫉妬する一方で彼の才能に心を奪われる。

自分など足下にも及ばない、正真正銘の神の申し子。しかし、天才は重篤な病に陥っていた。

憎しみをぶつけながらも彼と心を通わせた青年は、日に日に弱っていく彼の為に、本心を押し殺して指揮棒を振るう。

奏でるは彼と共に作曲した鎮魂歌。その思いは果たして至高の頂きへと至るのか。

 

二人の音楽家の交流をメインに添えながら、色恋沙汰よりも音楽への拘りを強く描写した一冊。

特にラストのオーケストラの書き込みと鬼気迫る青年の指揮は圧巻の一言である。




イベント進めようと思ったらメンテナンス中だったので、こちらを書き上げました。

ケツァルマスクで石2個も使ってしまいました。
ブレイク後のチャージMAXはヤバいって。
今回、手持ちの特攻が術に偏っているからやりにくいです。


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七日目その2 ランゴリアーズ

そして、運命の日。

開始を五分前に控えたサバフェス会場で、二つの影がぶつかり合っていた。

一方は水着に身を包み、槍を構えた茨木童子。術理も何もない無茶苦茶な太刀筋ではあるが、鬼が持つ屈強な力と獣の如き身のこなしで宙を舞う。

もう一方はフォーリナーハンターXX。異郷からの来訪者は、鋼の装甲で刃を受け止め、光弾や手にした槍を振るって地を駆ける。

野性の力と機械の力。全く異なる法則が乱れ飛び、互角に鍔ぜり合う光景はそれこそ絵空事のようであった。

しかし、これは紛れもない現実である。

 

「くっ、原生英霊の抵抗がこれほどとは……!」

 

弾かれ合った両者は相対した獲物を睨みつけた。

全身傷だらけになりながらも凶暴な笑みを浮かべる茨木童子と、噴煙を出しながら関節を軋ませるXX。

今まではXXの強固な装甲とパワーに押されて仕留め切る事ができなかったが、周回を重ねて動きを見切った事と、茨木童子の加勢によって少しずつ押し込めるようになってきた。

XXも余裕がなくなってきたのか、今までのように機械的な合成音ではなく生の声を発している。

これならば、自爆を許すことなく倒せるかもしれない。

 

「かくなる上は、この甲冑を爆破し……」

 

「くらえぇっ!!」

 

XXの注意が逸れた瞬間を見計らい、茨木童子は手にしていた槍を投げ放つ。

構えも何もなっていない雑な投擲ではあったが、不意を突かれたXXはそれを躱すことができない。鬼の怪力で放たれたその一撃はXXの仮面を破壊するには十分な威力を持っていた。

 

「武器を投げるなんて!?」

 

「隙ありよ!」

 

顔を手で覆い隠した事でがら空きになった胴体に、ジャンヌ・オルタの一撃が入る。

ぐらりと揺らいだXXは、何とか転倒を堪えようと仰け反ったまま数歩後退った。

瞬間、茨のような蔦がXXの足を絡め取る。ロビンフッドが事前に仕込んでいた罠だ。

 

「あいたぁっ!」

 

盛大な音を立ててXXは尻餅を突き、その衝撃で幾つかの部品が弾け飛んだ。

顔を隠していた手が地面に投げ出され、謎だった素顔が白日の下に晒される。

その仮面の奥の素顔を目にした瞬間、対峙していた一同は思わず言葉を失った。

 

「なっ……」

 

見間違うはずもない。

美しい金髪に青い瞳。顔つきは若干、大人びているが、仮面の奥から覗かせているのは間違いなく自分達のよく知る人物であった。

 

「アルトリア……いや、Xか!?」

 

謎のヒロインX。サーヴァントユニヴァースなる謎の世界からやってきた英霊なんだかよく分からない者。

正統派セイバーを名乗りながら正々堂々と闇討ちを行う非道なアサシンである。もう一度言うがアサシンである。

確か彼女は同窓会に出ると言って里帰りをしていたはず。なのに、どうしてこんな甲冑を着込んでルルハワで暴れているのだろうか。

そこまで考えて、カドックは違和感を覚えた。

確かに目の前の少女はヒロインXと同じ顔をしているが、先ほども述べたように少し大人びている。それに霊基反応もフォーリナーのものだ。

ヒロインXと同一人物なのだとしたら、霊基はアサシンでなければならない。

ならば、導き出される答えは一つ。彼女はヒロインXであってヒロインXではない。

アーサー王が武器によって異なる側面を持つように、彼女もまた自分達が知るヒロインXとは異なる時間軸からやって来た未知の存在。

ヒロインXの異なる側面、或いは未来の姿。

言うならば謎のヒロインXXだ。

 

「痛……聖槍甲冑(アーヴァロン)を突破されるとは……やりますね、さすがは若かりし頃……凡そ3シーズンくらい前の王者(レックス)大将(マスター)!」

 

正体が露見した途端、地金が出てきて支離滅裂なことを口走るXX。その姿を見て、カドックは自らの推測が正しいことを実感した。

この訳の分からなさ、明らかに見えていてはいけないものまで視えているイロモノっぷり、間違いなくサーヴァントユニヴァースの出身だ。

 

「X……いや、XXか。僕らのことを知っているなら話は早い。何でこんなことをしているんだ?」

 

「なにって、マジメにお仕事をしているんです! 今は銀河警察のサーヴァントなので!」

 

「警察……あんたが……就職?」

 

信じられないものを見たとばかりに、ジャンヌ・オルタが眩暈を覚える。

口を開けば『セイバーぶっ飛ばす』と叫んで騒動(イベント)をふらふらしてばかりだったあのヒロインXが就職――それも公務員になったと聞けば、無理からぬことであった。

雇用主はいった何を考えて彼女を採用したのだろうか。根は真面目とはいえ彼女は明らかに勤め人には向いていない。まさか、何かしらのコネか弱みに付け込んだのだろうか?

 

「失礼な! ちゃんと応募して面接を受けました! 銀河警察は宇宙の平和を人知れず守る民間の秘密組織、職場環境はブラックどころかダークマターですが、宇宙の正義を司る有志の団体です!」

 

「潰れてしまえ、そんな会社!」

 

そういうものは警察とは言わない、自警団だ。一歩間違えればテロリストである。聞いている限りだと活動規模は銀河系全域。そんなものがまかり通るのなら、サーヴァントユニヴァースは世も末である。

 

「ふっ、あなたに分かりますか? 気の合う無法者達もみんなオトナになって、私も職に就かないと立つ瀬がないなー、なんて悲しい気持ちが。ええ、軽い気持ちでこの職場を選んだことは後悔していますがそれはそれ! 社会人である以上はノルマは絶対です! 夏休みを会社に殺された私の恨み思い知れ!」

 

(そんな事があったのか……)

 

ルルハワへ出発する前のカルデアでのヒロインXとの会話を思い出す。

彼女は恐らく、出席した同窓会で自分だけが周りから取り残されていると思ったのだ。

だから、一念発起して就職活動を行い、銀河警察の門を叩いた。

その結果がこれなのだとしたら――――明らかに人生設計間違えている。

期待を胸に訪れた職場は、休日返上で銀河の果てまで出張させる暗黒企業。多分、メーデーもないのであろう。国が国なら訴訟ものである。

きっと新興宗教に引っかかるように、聞こえの良い売り文句を鵜呑みにして応募したのだろう。

 

「何とでも言いなさい! 私の目的は他のフォーリナーです。あなたには恩もありますので今回は痛み分けとしますが、次はこうはいきません! さよなら涙、おはよう勇気、来週もお楽しみに!」

 

一方的に捲し立て、XXは外装を装着しなおして足や背中の噴射口から魔力を迸らせる。

そして、こちらが呆気に取られている内に、自身が会場へ突入する際に空けた天上の穴を通って空の彼方へと消えていった。

 

「行ってしまった」

 

呆然と、立香が呟いた。

色々と新しい情報が手に入ったのは大きいが、却って謎が増えてしまった気がする。

当初、XXは何らかの悪意を持って動いているのだと思っていたが、彼女の正体はヒロインXが成長した姿で、しかも企業人として職務を全うする為にサバフェスを妨害しようとしているらしい。

銀河警察とやらが全ての黒幕なのだとしたら話は別だが、もしもXXの方に義があるのだとしたら、このルルハワで起きている異常事態は根本から引っくり返ることとなる。

そうなると、やはり怪しいのはBBだ。

彼女は女神ペレを復活させる為にサバフェスを利用していると言っていたが、巌窟王が危惧した通りならばその前提はブラフということになる。

そもそも、女神ペレが弱っていた原因は特定できていない。XXに倒されたのかもしれないというのはただの推測で、BBはイエスともノーとも言わなかった。

もしも――もしもその原因がBBにあるのだとすれば――。

 

「カドック……」

 

「後にしろ。BBがまだそこにいる」

 

XXとの戦いの余波で破損した会場を修復しているBBの姿をチラリと見やり、カドックは口を噤んだ。

今はまだ推測の域を出ない。事実を確かめる為にはまず、XXから話を聞く必要があるだろう。それまでは何も知らない振りをして、BBの手の平で踊り続けねばならないのだ。

運命の車輪は回る。

永遠に続くかと錯覚されるほどの夏の日々にも少しずつ変化が起こり始めてきた。

未だ遠くとも終わりは近づいてきている。

その事実に対して、カドックは胸中で一抹の寂しさを覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

時刻は日付が変わる直前の午後十一時五十五分、カドックとアナスタシアはホテルを抜け出してワイキキストリートを歩いていた。

昼間は観光客でごった返し、夜もネオンやストリートパフォーマーで賑わう大通りも、さすがにこの時間となっては閑散としていてどことなく不安を感じさせる。

覗き込んだ裏路地は外套もなく先が見えず、何が潜んでいるのかも分からない。路肩に転がったゴミや道路の汚れ、派手な衣装の女性達や怪しい集団も見受けられ、アングラな雰囲気を醸し出している。

煌びやかな観光地とは違う、暗くてどこか湿った裏の顔がそこにはあった。

それでもこの辺はまだマシな方で、クヒオアベニューの辺りは夜間は要注意スポットだ。間違っても一人で出かけてはならないし、何かあっても自己責任だ。

 

「アナスタシア、あまり離れないように」

 

「ええ……ねえ、急に外へ出たいなんて、何かあったの?」

 

「確かめておきたいことがあるんだ。このループ――七日目から初日にどうやって戻っているのかって」

 

前日までの疲れがあるのか、サバフェスが終わるとみんな日付が変わる前には寝入っている。

それでも何度かベッドの中で目を開けていたこともあったのだが、気が付くといつも初日の空港に戻されていた。

スマホのビデオアプリで録画していても記録は残らず、どうやってループしているかの仕組みは分からないままだった。

そのようなものと言えばそれまでだが、BBの事が信用できない以上、気になった事は少しでも調べておく価値はあるはずだ。場合によってはサバフェスで売り上げ一位になるのとは違うゴールが見えてくるかもしれない。

なので、今回はこうして夜の街に繰り出したのである。

立香達に声をかけなかったのは、万が一を懸念してのことであった。

万が一、このまま意識を保ち続けて日付を跨いだ時、何らかの不測の事態で初日に自分が戻れない可能性も考慮しておかなければならない。

 

「そろそろ日付を跨ぐな……アナスタシア、周囲を警戒してくれ……」

 

通りの邪魔にならない路肩の端へと身を寄せながら、カドックは時計を見やる。

聞こえてくる鼓動の音は、まるでカウントと告げる鐘の音であった。

思わず緊張で手足が強張る。

少しでも意識を保てるよう、拾った石を握り締めて手の平に傷をつける。

やがて、時計の秒針がゆっくりと十二時に至ると、世界が一変した。

 

「なっ……!?」

 

一瞬の内に、世界から光が消えた。

店頭を彩るネオンも、街路を照らす街灯も、建物から漏れていた照明の光も、何もかもが消え去った。

停電なのかとも思ったが、一歩を踏み出すと違和感に気が付いた。

音がしない。

アスファルトを踏み締める音も、思わず蹴っ飛ばした小石が転がる音も、何かに吸い込まれているかのように聞こえない。何より人の騒めきが聞こえない。決して多くはなかった通行人の姿が、いつの間にか神隠しにあったかのように消え去ってしまったのだ。

匂いがしない。

裏路地に漂うゴミやアルコールの匂い、風と共に運ばれてくるはずの潮の香り、花々の匂い、まるで最初から存在しなかったかのように何も香らない。

何もかもが静止した薄暗い異様な世界、ただ星々の輝きだけが周囲を照らす中で、カドックはアナスタシアの手を取って周囲を警戒した。

何かが起きている。

このルルハワで、今まで与り知らなかった何かが今、目の前で起きているのだ。

 

「アナスタシア、何が視える?」

 

「いえ、何も……何も視えません。ここには何もない……この先には何も……今、ルルハワに残っているのはこの一画と……あ、ああ……なに、燃えるようなあの赤い……ああああ!」」

 

狂乱したかのように頭を振り乱し、アナスタシアは叫ぶ。

手を握っていなければ、そのまま走り出してしまったかもしれない。

危険な状態であると悟ったカドックは、アナスタシアを落ち着かせようと彼女を抱き寄せ、互いが密着することも厭わずに皇女の顔を自らの胸へと沈ませる。

 

「大丈夫だ、もう視なくていい……そう、落ち着いて……何も視なくていい……何も……」

 

音のない世界で、ただ自身の鼓動だけが聞こえてくる。

彼女はいったい何を視たのかは分からないが、余程恐ろしいものを目にしたのだろう。でなければ、彼女がここまで取り乱すはずがない。

恐らくは自分達は真実の一端に触れたのだ。

このルルハワを包み込む、暗い真実に。

そこでふと、カドックは気配があることに気が付いた。

何かがこちらに近づいてきている。

この状況で友好的な相手である可能性は低いだろうと思い、懐から認識阻害の礼装を取り出して起動させる。

そうして息を殺す事、十数秒。それはゆっくりと姿を現した。

その姿を何と形容すればいいだろうか。

丸く、歪で、手足どころか胴すら持たない生き物だった。

恐らくは巨大な顔なのだろうが、赤黒い肌はまるで溶岩を固めたかのようであった。それでいて血流があるのか所々が収縮するかのように脈打っている。

感覚器の類は見当たらない。目もなければ鼻も耳もない。大きな三つに裂けた口だけが体の半分以上を占めていた。

まるで子どもの落書きのような名状しがたい生物が彷徨う様は正しく悪夢であった。

 

(なんだ、あいつは?)

 

生理的な嫌悪感から吐き気を覚える。

ソレは咀嚼するように口を膨らませながら、何かを探していた。

餌を探す魚のような行動だが、見ていて気持ちのいいものではない。寧ろ怖気や不快感の方が強かった。

今まではこんなことはなかった。

建物の中にいた時は、こんな奴らの存在に気づきもしなかった。

何故なのか。

ふと目に入った街頭の時計がその答えを物語っていた。

針が止まっている。

午前零時を差したまま、時計の針はピクリとも動いていなかった。

時間の流れが止まっているのだ。七日目は終わり、しかし八日目は訪れない。

ここは昨日と明日の挟間の世界。時の牢獄の更なる奥、特異点の中の特異点。

そのような場所に自分達は迷い込んでしまったのだ。

 

「カドック、危ない!」

 

我に返ったアナスタシアが、咄嗟にカドックを突き飛ばした。

直後、ソレが大口を空けて先ほどまで二人が立っていた場所に突っ込んでくる。

勢いよく壁に激突したにも関わらず、音は何も聞こえない。空気の震えすらない。ただ不気味な生き物が蠢いているだけであった。

 

「くそっ、気づかれたのか!?」

 

「何故……どうしてカドックだけを!?」

 

アナスタシアが牽制するが、それは突き刺さる氷柱を意にも介さずカドックだけを追いかけてきた。

咄嗟にカドックは転がって避け、その勢いのまま跳ねるように立ち上がって疾駆する。

足を止めれば食い殺される。

アナスタシアを連れてきていた事に安堵しながら、カドックは未だ混乱する精神を何とか落ち着かせて魔術回路を励起させた。

アレは動きは素早いが直線的だ。きちんと両足に強化の魔術を使えば逃げる事は難しくない。

そう思った瞬間、更なる絶望がカドックを襲う。

飛び出したメインストリートには、自分を追いかけてくるソレと全く同じものがうじゃうじゃと蠢いていたからだ。

それらが一斉にこちらを見やり、威嚇するかのように歯を鳴らして迫ってくる光景に、今度こそカドックは悲鳴を上げた。

 

「う、うわああぁぁっ!」

 

殺される。

食い殺される。

無残に頭から齧り付かれ、胴を食い千切られる。

そうなるとどうなってしまうのだろうか。

そのまま死んでしまうのか、初日の空港に戻されるのか。

そんな場違いな疑問が浮かぶくらいの余裕があるのなら、足を動かせと自身に激昂するが、縺れた足は空を切るばかりであった。いつの間にか地面に倒れていたのだ。

 

「伏せてな、マスター!」

 

瞬間、頭上から飛来した刃がソレを引き裂いた。

聞き取る事のできない音域の悲鳴を上げながら、血飛沫すら上げる事無くソレは溶けていく。

更に投擲されるもう一本の刃が別の個体を屠り、目の前に着地したその男は最初に投げ放った刃を拾い上げてこちらを庇うように立った。

 

「生きているかい? OK、手足が四つに目と鼻と口、何か落としたのなら拾っていけよ。責任は取らないからさ!」

 

黒い肌の少年が、風を纏うように疾駆する。

向かってくる醜悪極まりない球体を、手にした歪な形の刃を振るい、獣のような雄叫びすら上げながら切り裂いていった。

跳ねるように宙を舞い、時に四つん這いになって地面を駆ける様はまるで獣のようだ。

振るう斬撃が無造作な剣舞であることもその印象に拍車をかけた。防御を厭わず、避けようともせず、我が身を食い破られる前に敵を屠る。正しく獣性の戦い方だ。

際限なく加速して肉体は、刻一刻と自壊していっている。その動きはトップサーヴァントに勝るとも劣らないが、代償として彼の四肢は一挙毎に軋みを上げていた。

傍目に見ても無茶な軌道、無体な駆動、自滅を厭わぬ活動だが、狂ったように笑う黒い少年は最後の一体を葬り去るまで止まる事はない。

だが、何十体目かのソレを切り捨てた瞬間、遂に限界が訪れた。

それはいつから受けた負傷だったのかは分からないが、ずっと皮一枚で繋がっていたのだろう。それがこの無茶苦茶な駆動で傷が深まり、引き千切れた彼の右手が音もなく零れ落ちたのだ。

 

「ちぃっ!」

 

悪態を吐く少年。

無防備となった右側から、最後の一体が迫る。

残る左手は振り抜いたばかりで、迎撃には間に合わなかった。

このままでは彼がアレに食い殺されてしまう。

そう思った瞬間、カドックの視界にこちらへと駆けてくるアナスタシアの姿が映り込んだ。

 

「アナスタシア、宝具を使え!」

 

「……『残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)』!」

 

幻影の宮殿が少年を包み込む。

恐怖体験を呼び起こすアナスタシアの夏の宝具。伝説の海賊すら沈黙させるその力は、影響下にある者に一切の物理的ダメージを与えない。それは外部からの攻撃ですら例外ではなかった。

今にも食らいつかんとした奇怪な球体生物は、壁にぶつかったボールのように弾かれて地面を転がる。すかさず、アナスタシアの放った氷柱が脈打つ肉を串刺しにし、ソレは泥のように溶けて消えていった。

 

「おいおい、生き残っちまったよ。ああ、良い夢見た……」

 

宝具が解除され、少年が転がるように幻影の宮殿から落ちてきた。

中で相当の恐怖体験をしているはずだが、特に堪えた素振りはなかった。右腕の負傷が酷くてそれどころではなかったのかもしれない。

そして、改めて目にした少年の姿は異様の一言であった。

どこか幼さの残る風貌に反して目はぎらついた獣のようで、全身には夥しい刺青がくまなく施されていて痛々しい。纏っている赤い服もボロボロでみすぼらしさすらある。

紛れもなくサーヴァントなのだが、端と目にして何の英霊なのか予想できる材料が何一つとして存在しない。手にしている武器すら歪な形で辛うじて刃物と形容できる代物であった。

 

「お前は……」

 

「ああ、ご存じない? それともハードワークが重なってホリックになりつつある? 人様の顔と名前が一致しなくなったらいよいよ限界、手前の人生の見つめ直し時だ。人生やり直すならお手伝いしますよ、マスター」

 

傷だらけにも関わらず、その英霊は残酷な笑みを浮かべて手にした歪な剣を掲げて見せる。

それには堪らず、アナスタシアが割って入った。

 

「止めなさい、黒い影の人。ロクに正体も明かさずに、不謹慎な事を言うものではありません。今すぐ凍らせても良いのですよ」

 

表情を歪めながら、アナスタシアは少年を睨みつける。心なしか、その顔はとても辛そうであった。

 

「おっと、皇女様には見えていない? 視なくて済むなら、気づかなくて済むならそれに越したことはないぜ。特にオレみたいな三流英霊なんて、見たところで笑いも起きねぇって」

 

そう言ってその少年――アンリマユはシニカルに笑って見せた。

 

「いやあ、楽しい楽しいハイキングの帰りに、まさかこんな場面に出くわすとは。マスター、お盛んなのは結構だけど、今は自重した方が良いんじゃない? R指定にゃまだ早いっしょ」

 

「それだけ軽口が叩けるなら、治療の必要はなさそうだな」

 

「無慈悲だねぇ。まあ、放っておいても後少しで今日が終わる。そうすりゃ無傷の初日に戻れるから、何とでもなるがね」

 

「何だって?」

 

初日に戻る。今、確かに彼はそう言った。

この少年もまた、自分達や巌窟王と同じくこのルルハワが同じ時間を繰り返している事に気づいているのだろうか。

 

「へへ、自慢じゃないけど物覚えは良い方でね。何しろ忘れるほどの量はなくて……ああ、いや。これはどこかの竜に悪いか。今の言葉は忘れてくれ、マスター。でもって、繰り返しについてはハッキリ覚えていますとも。オレに語らせたがるなんて、マスターも人が悪いね」

 

「カドック、この手の手合いは凍らせるに限ります。何だかメフィストフェレスと似たようなものを感じるわ」

 

「心外だな。まあ、オレもあいつもヒトを虚仮にしている点では同類か。ただ向いている方向がちがうだけでさ」

 

アナスタシアの言葉に対して、アンリマユは落胆するよう肩をすくめてみせる。

 

「まあ、オレもマスター達と知っている事にそう変わりはない。抜け出す方法も知らん」

 

「そうか。じゃ、さっきのアレは何なのかわかるか? あんな生き物見たことがない。ゴーレムやホムンクルスの類とも違った」

 

どちらかというと精霊や妖精の類が近いのかもしれない。だが、それにしたってあれは異質過ぎる。

お伽噺の怪物でも、もう少しマシな姿をしているはずだ。

 

「まるでランゴリアーズだ」

 

「オレはミストの方をお勧めするけどね。まあ、その話は置いといて……あれは明日になれなかった昨日。時間に取り残された無念の塊みたいなもんだ」

 

実際の所は、アンリマユでも詳しく分からないらしい。ただ、アレは七日目の夜が終わる瞬間から溢れ出し、行き場のない時の牢獄であるルルハワを徘徊するのだという。

元は人間のかもしれないし、ハワイ諸島の霊脈の乱れから生まれたものなのかもしれない。或いは人知が及びもしない何らかの概念という可能性もある。

ハッキリしているのは、あれが時間という概念を包括しており、この時の挟間の中でしか活動できないということと、ルルハワの繰り返しが重なる毎に数を増してきたということだけであった。

つまり、アンリマユはかなり早い段階からアレの存在を認知していたのだ。

 

「まあ、無視しても問題ないんですけどね。ここに紛れ込まない限りは無害だし、倒そうが倒すまいが、どうせ最後にはあのさくらんぼ娘にリソースとして食われる訳だしさ」

 

「さくらんぼ……まさか、BBの事か?」

 

「ああ、そんな名前だったっけ。そ、諸悪の根源のBBちゃん。そもそもマスター、時間を巻き戻すなんて芸当、例えサーヴァントでもそうそうできるもんじゃないですよ。特異点軽く見ちゃいけません。このルルハワは夢じゃなくて紛れもない現実な訳だから、エンジン回すにゃガソリンがいるでしょ」

 

「それがあいつらだって言うのか?」

 

特異点化により時間の流れを堰き止め、淀んだ時間そのものをリソースにして限られた期間をジャンプする。

この観測宇宙は時間に連続性がある事が大前提だ。本来であるならば七日目の次は八日目であり、時が過去に遡る事は有り得ない。

言い換えれば何もしなくとも時間は前へ前へと進むエネルギーであるとも言える。世界という超巨大なエンジンを廻すその膨大な力を利用すれば、確かに不可能ではないだろう。

そして、同じようなことを過去に行った人物を、自分はよく知っている。

彼の魔術王ゲーティアだ。彼も人類史という時間を燃料として過去への跳躍を試みた。このルルハワで行われている事は、あのゲーティアの極小版なのである。

 

「くそ、急に怖気がしてきたぞ」

 

「確かにいい気持ちはしません。後、どうしてアレはカドックばかりを狙ったのでしょうか?」

 

「それは……多分、僕が望んでいるからだ。この夏が……続く事を……」

 

もちろん、頭ではいつまでも続くはずがないと分かっている。

特異点をいつまでも放置している訳にはいかない。傷ついた女神ペレを蘇らせ、いつかはカルデアに戻らなければならない。

けれど、そのいつかが来ないで欲しいと願っている自分がいるのは事実だ。

仲間と過ごす穏やかな時間、漫画制作に追われる日々、惜しみなく魔術やサーヴァントの使役ができるXXとの戦い。

どこかでそれに快感を覚えているのだ。

自分は王者(レックス)ではなく何者にもなれない凡人なのかもしれない。でも、ここではそれを一時でも忘れることができる。充実した毎日を送る事ができる。

一方で、それを愚かと恥じる自分もおり、茨木童子が指摘したようにこの夏を本心から楽しめずにもいた。

進みたいという思いと、留まりたいという慚愧。

あの醜悪な時の放浪者は、そんな中途半端な気持ちを感じ取って攻撃してきたのかもしれない。

 

「…………!」

 

自然と奥歯を噛み締めていた。

自分の中の嫌なところをまざまざと見せつけられたかのような気持ちだった。

怒りにも似た感情が込み上げてくる。その矛先は自分自身だ。

ここまでグズグズと悩み続けて七日間を繰り返した結果がこの様だ、情けないにも程がある。

あの過酷なグランドオーダーの旅路の果てに、自分はいったい何を見たというのだ。

あの時の思いを、後悔を、希望を、浪漫を思い出す。

認めて、受け入れろ。

この夏は名残惜しいが、終わらせなければならない。自分は前に進むのだ。

その為にも戦え、遊べ、楽しめ、後悔なんてないように、全力で。

迷いはここに置いて行け。

 

「へへ、良い面構えだなマスター。もう追い込まれて後がないって顔してら。両手いっぱいの荷物が零れるのも構わず行こうってか。いいね、その厚かましさ、欲深さは正しく人間だ」

 

ニヤリと笑うアンリマユ。人の悪い笑みだ。彼の体の刺青も笑っているかのように蠢いている気さえした。

 

「お前、他に何か隠していないか?」

 

勘ではあるが、アンリマユはルルハワで起きている事態について、自分達よりもより深い部分を知っているのではないだろうか。でなければ、この七日目と一日目の隙間である時のクレパスに気づけるはずがない。

案の定、アンリマユは笑顔を引きつらせながら遥か向こうのキラウエア火山を指差した。あそこに行けと言うのだ。

 

「あの鎧着たねーちゃん……えっと、謎のヒロインXXだったっけ? 彼女、あそこを寝床にしているぜ」

 

「本当か?」

 

「まあ、知らない仲じゃないんでね。年に一回、新年にあけおめメールくらいの間柄? 会った事もない相手に今年もよろしくっていうのもどうなんだろうね」

 

「おい……」

 

「ああ、悪い。でも、いるのは本当。というわけだから、(オレ)の代わりに彼女の悩み、解決してきてやってくれない? 休みがないとか仕事で悩んでいるみたいだし、いっそ引き抜いちゃうとかさ」

 

確かに、XXをこちらに取り込めれば強力な助っ人になるだろう。忘れがちではあるが、自分達の本来の目的はハワイで観測されたフォーリナー反応の調査である。

それがXXのものなのだとしたら、後は彼女を無力化するだけでいい。それは何も倒すだけでなく、懐柔も選択肢の一つなのだ。

上手くいくかは確信は持てないが、やってみる価値はあるはずだ。

 

「へへ、頼むぜ。お、時間切れみたいだな」

 

周囲の風景が少しずつ黒く塗りつぶされていく。同時に意識が何かに引きずられるかのように遠退き始めていった。まるでレイシフトのようだ。

恐らく、このまま見えない力に引っ張られて初日の空港に戻されるのであろう。

 

「待て、アンリマユ。最後に聞かせろ! アレはここに来なければ無害だと言ったな……なら、どうしてお前はここに来たんだ!? 僕達を助けてくれたのは偶然なんだろ?」

 

自分達の跡をつけてきたのではないのだとしたら、彼は別の目的があってこの時の挟間を訪れたことになる。

そう指摘すると、アンリマユは意外そうな顔をした後、顔を背けてからギリギリこちらが聞き取れる小さな声で囁いた。

 

「ま、誰かが相手してやんなきゃでしょ。でなきゃこいつら、どこにも逝けずに食われるだけだしさ」

 

意識がそこで断絶する。

カドックが最後に垣間見たのは、闇の向こうに飲み込まれていくアンリマユの姿であった。




というわけでアンリマユ登場です。
ルルハワ編書くにあたって真っ先に思いついたのが最終決戦とこの話だったりします。
そこから星詠み版ルルハワが出来上がってきた訳でして、巌窟王が今回、静観しているのも彼が動いていたからだったりします。

ちなみに作中に登場した化け物の見た目は身も蓋もなくランゴリアーズです。


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一日目その5 知らなすぎた少年

太陽が沈み、時計の針が夜を差す。

刻限が来たことを確認すると、カドックは気合を入れ直すために自らの頬を叩いた。

その出で立ちはハーフパンツの水着にアロハシャツ、足もスニーカーではなく夏に合わせたサンダルだ。

この騒々しい夏の日々を終わらせる。彼なりの決意の表れともいえる衣装であったが、それに袖を通した瞬間、周りからはすわ何事かと驚かれたのは言うまでもない。

無論、言わせておけばいいと相手にはしなかった。

この七日間は底のない泥沼のようなものだ。どれだけ気を強く持っていても少しずつ精神が死んでいき、過失も挫折も己の未熟すらも感じなくなっていく。

躓いても次週で挽回すればいい。或いは、頑張ったところでどうせ先には進めない。

これはそんな弱気に陥らないように、気を引き締める為の衣装なのだ。袖を通したからには全力で夏を楽しみ、全力で遊ぶ。何事も形から入るのが一番である。

 

「いったい、何があったのかは知りませんが、カドックさんがいつになくやる気に満ちています」

 

「うん。俺もホテルに着くなり、いきなり『泳ぎに行くぞ』って誘われて、びっくりしたよ」

 

「はい。美味しいスイーツのお店があるから並びに行こうと、カドックさんの方からお誘いがあるとは思いませんでした」

 

後ろの方でこそこそと話し合う立香とマシュ。

カドックは今日、昼の自由時間に入ってから丸々、二人を連れ回していたのだ。

ゲシュペンスト・ケッツァーの活動としてではなく、プライベートの遊びに誘われたことが意外で仕方ないようだ。

 

「そんなに悪いか、僕が泳ぐのが?」

 

「いや、そんなんじゃないよ……えっと、それでどうしてここに?」

 

話を逸らすかのように、立香は転がっていた軽石を蹴飛ばした。

彼らは今、キラウエア火山を登頂していた。夕方になるなり、カドックが強引にみんなを連れ出したのだ。

もちろん、彼の目的は山頂に拠点を築いているであろうフォーリナー――謎のヒロインXXである。

昼間の内に、アンリマユから教えられた場所を使い魔で偵察してみたところ、確かにXXがテントの設営をしている姿があった。

今までは襲撃の度に撃退してきたが、棲み処が分かったのなら対応もまた変わってくる。

それに、この繰り返しの七日間における障害の一つを、ここで断っておけば漫画制作に集中できるとも考えていた。

 

「ほう、遂にこちらから乗り込もうというのか」

 

鬼らしい残虐な笑みを浮かべた茨木童子が舌なめずりをする。

彼女もこれまでの戦いで決着がついていないことに対して、座りの悪さを感じていたようだ。

だが、残念ながらXXとは戦うつもりはない。アンリマユの頼みを聞く訳ではないが、彼女とは可能な限り対話で決着をつけるべきだ。

これまでの周回でたまに感じていた違和感なのだが、XXはサバフェスの妨害を目的としていながらいの一番に北斎を襲撃した。主催者であるBBを狙うなり、会場そのものを破壊するなりいくらでも方法があるはずなのに、参加者をピンポイントで狙うという迂遠な方法を取っているのには何か理由があるはずだ。

それ如何によっては、アンリマユが言うように彼女をこちらに引き入れてもいいだろう。

 

「ふざけた格好だが、あのロボコップは至極真面目だ。僕達が掴んでいない何かを知っている」

 

ビジターセンターを超え、本来ならば侵入不可の場所へと入り込む。

辿り着いたのはキラウエア火山の主要噴火口であるハレマウマウ火口。4.7キロメートル、横3.1キロメートルにも及ぶ巨大カルデラであった。

 

「ここがキラウエア火山。本当に、見渡す限り岩の台地なんですね」

 

言葉とは裏腹に、マシュは感嘆の吐息を漏らす。

岩だらけで何もない、殺風景な台地ではあるが、足下から響く唸りのような音と熱は生命の躍動にも似たエネルギーを感じさせる。

それは即ち、女神ペレの息吹が今も尚、ここに根付いていることを意味している。

止むことなく活動を続けているこのキラウエア火山こそが女神ペレそのものとも言えるのだ。

 

「ハワイ島の観光名所の一つにして、今も活動し続ける活火山よ。女神ペレが住まう土地でもあるわ」

 

「古くからハワイの住民は火山の噴火をペレが姿を変えたものと捉えていて、ハワイ諸島はペレから借り受けているものと言い伝えられている」

 

ほとんど同時に、カドックとジャンヌ・オルタは女神ペレについて語り出していた。

被さり合った互いの声がまるで不協和音のように響き合い、思わず二人は視線を合わせる。

 

「何よ?」

 

「別に……」

 

しばしの沈黙。程なくして、二人はまたも同時に口を開いた。

 

「ビジターセンターに行けばお土産にペレグッズが置いているわ。私のお勧めはキラウエアの噴火を収めた写真集ね」

 

「ペレ信仰として火口に捧げものをする風習があるんだが、特にペレが喜んだとされるのは豚の揚げ物だったらしい。カマプアアの逸話に由来するのかもな」

 

再び、気まずい沈黙が両者を包み込んだ。

 

「あんた、喧嘩でも売っているの?」

 

「まさか? ただガイドブックを読み齧って覚えた付け焼刃じゃ足りないだろうと思って補足しているだけだ」

 

「この神話マニア、燃やすわよ」

 

「君だって、自分が語りたいだけだろ」

 

まだXXとも会えていないというのに、二人は一触即発とばかりに睨み合った。

直後、見かねたアナスタシアが二人の眉間を指先で弾いて仲裁に入る。

 

「はいはい、二人とも喧嘩しないの。すぐに姉弟みたいに喧嘩するんだから」

 

「痛ぅ……あんたねぇ、聖女の方と同じ感覚で馴れ馴れしくするの止めなさいよ」

 

「あら、私はあなた達を区別するつもりはなくってよ」

 

「いつか燃やしてやるわ、この雪女……」

 

恨みがましく皇女を睨みつけながらも、ジャンヌ・オルタは口を噤んで距離を取った。

苛立ちは残っているが、どうもアナスタシアが相手では余り強気には出れないらしい。

 

「それでカドック、勝算はあるの?」

 

ジャンヌ・オルタとアナスタシアがじゃれ合っているのを尻目に、立香が聞いてくる。

それに対して、カドックは自信満々に頷いた。

 

「ああ。Xとは知らない仲じゃない。説得は……何とかできるだろう」

 

「ちなみに、どのような関係で?」

 

「アーサー王の影武者を務めたこともあるガウェイン卿は果たして、アルトリア顔なのかどうかと一晩語り明かした」

 

「興味本位で聞いた俺が馬鹿だったよ」

 

ちなみに、最終的にはアルトリア顔ではないという結論で合意したことをここに記しておく。

 

「おい、皆様方。ふざけるのもここまでだ。お目当てが見つかったぞ」

 

そう言ってロビンが指差したのは、火口から距離を取った台地の端っこの方に張られたテントであった。

どうやらそこを拠点にしているのか、テントの前で焚火を起こしてお湯を沸かしているXXの姿があった。

今は勤務時間外なのか、あの暑苦しい鎧は着ておらず素顔を晒していた。

 

「はあ……そろそろ備蓄がなくなりますね。ループしているのに食料は戻らないとか……ああ、ルルハワの料理はあんなに美味しいのに、私ときたら夜はここで寂しくキャンプ。昼間はワイキキまでランチに行けますが、夜はさすがに……値段が高くて。まさか銀河警察ドルが使えないばかりか、両替さえできないとは……」

 

随分と大きな独り言である。周りに誰もいない生活が長く続いて癖になっているのかもしれない。だが、おかげで彼女の現状を知る事が出来た。

こちらが予想していた通り、彼女の生活はかなり追い込まれているようだ。さすがに困窮しているとは思わなかったが、これなら予定していたプランで問題なく懐柔できるだろう。

そう確信したカドックは、わざとらしく大きな咳払いをして物陰から姿を現した。

 

「随分と荒んでるな、X」

 

「え?」

 

アンニュイなため息を吐いていたXXの表情が一気に曇る。次いで羞恥からなのか頬が赤く染まり、口を金魚のようにパクつかせた。

隠れ家を突き止められた驚きで言葉を失ったようだ。まずはこちらの思惑通りである。

短気かつ単純な彼女のことだ。恐らく次は動転してこちらに攻撃を仕掛けてくるだろう。

そうなる前にカドックは用意していた言葉を投げかけ、彼女の気を逸らすことにした。

 

「まあ待て、まずは食べてから話をしよう」

 

片手を突き出してXXを制止しつつ、立香に背負わせていた鞄から包みを取り出して広げて見せる。

包装が剥がされると共に漂い出した香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、今にも怒り出しそうな様子を見せていたXXが目の色を変えてそれを凝視した。

 

「それは、ハワイ定番のB級グルメ……ガーリックシュリンプ!?」

 

「それだけじゃない、今ならフリフリチキンもつけよう」

 

新たに取り出された骨付きの鶏肉を掲げて、挑発するかのように振って見せる。

まるで犬のようにXXは揺れ動くチキンを目で追いかけ、口からは唾液が今にも溢れそうになっていた。

 

「い、頂けるんですか?」

 

「食いたいか?」

 

「そ、それは……いえ、いくら大将さんといえど、今は敵同士。情けを貰うわけには……」

 

「ほれ!」

 

視線を逸らして己の欲望に抗おうとするXX目がけて、チキンを放り投げる。

まるで大空を羽ばたくかのようにチキンは大きな放物線を描き、それを見て目を丸くしたXXは思わず地面を蹴っていた。

メジャーリーガーもかくやというほどの鮮やかなキャッチを決め、地面を転がりながらもチキンだけは汚れぬよう死守して立ち上がる。

そして、徐に一口齧りつくと、食べ物を投げるという暴挙に及んだこちらをキッと睨みつけてきた。

 

「誰もいらないとは言っていません!」

 

「そうか。なら食え……どんどん食え……」

 

XXと話している間に広げさせたレジャーシートの上に、持参した料理を次々と広げていく。

ガーリックシュリンプ、フリフリチキン、ラウラウ、スパムむすび、アサイーボウル、ポキ、パンケーキ。

どれもハワイで定番のグルメばかりだ。

 

「いったい、何が目的なんですか?」

 

「まあ落ち着け。武器を突き付けられてはビビッて話もできやしない。君に危害を加えるつもりはない、少なくとも今のところはな。この先どうなるかは君次第だ。こいつを食いたければ、僕達の話を聞くんだ。オーケイ?」

 

「オッケイ!」

 

打てば響くように、コンマの躊躇もなくXXは即答する。

こちらが思っていた以上に追い詰められていたのか、料理に手を付けるスピードが尋常でなく早い。まるで大食い大会でも開いているかのようだ。それなりの量を持ってきたつもりだったが、これではあっという間に食べつくされてしまうだろう。

 

「うぅ……うう……本当は……本当はこんなご飯をいっぱい食べられるはずだったんです。なのに……なのに……」

 

「そんなに辛い職場なのか?」

 

「はい……時間外労働は当たり前。手当はそれなりにあっても休みなんてロクにないからほとんど使う機会もありません。今回だって、有給の申請を出すつもりが先手を打たれて出張させられる羽目に……しかも、両替ができないから朝からバイトしてランチで使い果たす毎日です……」

 

想像以上に過酷な職場のようだ。グランドオーダー中のカルデアも似たようなものだったが、それでも特異点の修復が終わった後はそれなりの休暇はもらうことができた。しかし、彼女には休みはなく休日だろうとサマーシーズンやクリスマスだろうと上司の命令であっちこっちを飛び回る日々。

いつしか自宅と職場をただ往復するだけの日々が続き、癒しといえるものは観葉植物の水やりや熱帯魚の世話くらいなもの。自分の人生はこれでいいのかと思い悩むことはあっても、仕事の疲れで深く考えるだけの余力は持てない毎日が続いていたらしい。

 

「そうか……辛いんだな」

 

「はい……とても……」

 

「……なら、転職するしかないな」

 

「……はい?」

 

こちらが切り出した言葉の意味が分からなかったのか、XXは首を傾げて見せる。

 

「転職だ。カルデアに来ないか、XX?」

 

「な、何を言うのですか! 私は銀河警察の人間ですよ! そう易々と仕事を変える訳には……」

 

「何を言っているんだ。より良い環境で仕事をすることは労働者の権利じゃないか。会社に飼い殺されるなんてご免だろう? もっとのびのびと、自由に振る舞って給料をもらう。仕事とはそうでないといけないな」

 

指を鳴らして合図を送ると、アナスタシアが懐から一枚の紙切れを取り出した。

そこに書かれている内容を目で追いかけたXXは、目を丸くしてこちらを見やった。

 

「これは……労働条件書!? 一日一回宝具をぶっぱするだけで、後は王の話を聞き流すだけでいいとは!」

 

「いくつか手伝ってもらいたいこともあるが、基本的に昼は自由行動だ。それに今ならホテルのスイートでの宿泊もつく。朝はビュッフェで夜はディナー…………全て経費(ツケ)で落ちる」

 

もちろん嘘は言っていない。スイートルームへの宿泊も食事も本当だし、昼の自由行動も制限するつもりはない。ただ、夜は漫画制作に付き合ってもらうことだけは濁している。

そして、最後の一言が決定打となり、XXはわざとらしく大きな声を上げて頭を抱えて見せた。

 

「おっと、手違いで本部への連絡アンテナを叩き折ってしまいました! これでは現地人の協力を仰ぐしかないですね! という訳で新入社員のヒロインXXです!」

 

あまりにもこちらの予想通りに動くXXを見て、カドックは内心で苦笑を禁じ得なかった。このヒロイン、乗せられやすいにも程がある。

 

「はあ……本当にXXを引き抜いちゃったよ」

 

「いつも崖っぷちに追いやられてばかりで活かす機会は少ないですが、カドックさんは攻めに転じれば強い人ですからね。それはもう、鬼のようにメタを張ってイニシアチブを握ろうとしますから」

 

何やら好き放題言われている気がするが、カドックは王者の貫禄を持って聞き流していた。

何とでも言えば良い。人間、腹が据われば何なりとできるものなのだ。

 

「それにしても、まさかこちらでも大将さんに手を差し伸べてもらえるとは思いませんでした。このご恩は一生ものですね」

 

「うん? そういえばさっきから大将、大将と……何でそんな風に僕を呼ぶんだ? 向こうの僕が何かしたみたいな言い方だったけど…………」

 

後にこの時のやり取りを思い返し、聞くべきではなかったと後悔の念を抱く事になるのだが、この時のカドックはそんなことなど知る由もなかった。

ただ純粋に、XXの言葉が気になったから問い質しただけだったのだ。

だが、彼女の口から語られたのは、予想だにしなかった内容についてであった。

 

「はい、まだ駆け出しで失敗続きだった頃、よくあなたの店で愚痴を聞いてもらいました。あの時にご馳走になったラーメンの味、今も忘れていません」

 

「店? ラーメン?」

 

「あなたはサーヴァントユニヴァースでは、下町でラーメン屋を開いている大将なんですよ。確か店の名前は…………そう、王者(レックス)!」

 

ガラスに亀裂が入ったかのような音を聞いた気がした。

脳裏に蘇るのは、ルルハワを訪れる前にヒロインXと交わした話である。

自分と同じ顔――恐らくは同位体である王者(レックス)。メジャー目前の人気ミュージシャン。ライブハウスは満員御礼、スキャンダラスにも事欠かない時の人。

大好きな音楽に携わり、しかも成功を収めようとしている。その事実が嬉しくまた励みになった。向こうの彼が頑張っているのなら、こちらの自分も少々の事ではへこたれている訳にはいかない。

趣味ではない漫画制作にしても、それなりに前向きに頑張って来れたのもその話を聞いたからこそだ。なのに、XXの口から飛び出したのは、ヒロインXが語ってくれた内容とは全く違う話であった。

 

「そういえばあの時のツケ、まだ返していませんでしたね。あんまり流行っていないと聞いていますが、大丈夫でしょうか?」

 

「流行ってない…………」

 

「割といつもガラガラでした。だから、大将さんの子ども達の遊び場になっていましたね。あんなにたくさんの家族に囲まれて、少し羨ましいです」

 

「な、何人くらい?」

 

「うーん、バスケットのチームは組めたと思いますよ。でも、奥さんが妊娠中だったから今はもっと増えているかも……」

 

「そ、そうか……子だくさんなのは良いことだな……ははっ……ちなみに、何か音楽活動とかしていなかったか?」

 

「え? 知りません。ああ、でもここ一番を前にして女性関係でやらかして、奥さんと逃げてきたとか言っていました。手打ちにするのに借金こさえて、それがまだ残っていたとか。あ、あなたに言うのも筋違いかもしれませんが、お酒には気を付けてくださいね。手が震えて上手くテボが振れないと言っていましたから」

 

「……は、ははっ……」

 

つまりはこういうことか。

メジャーデビュー目前に何かトラブルを起こして、業界にいられなくなったと。

そのせいで今もまだ完済できない程の借金を作り、しかも経営が芳しくないにも関わらずネズミみたいに子どもを増やし、挙句にアルコール依存症を患っていると?、

落ちぶれるにもほどがあるじゃないか。

せめて音楽業界に爪痕でも残せていればまだ救われるが、残念ながらXXはミュージシャンとして活躍していた頃の王者(レックス)を知らないという。

要するに、ヒロインXからXXへとなるまでの僅かな間に完全に世間から忘れ去られてしまったのだ。

その事実を察して、カドックは言葉を失い呆然と立ち尽くした。

夢にまで見たミュージシャン。憧れの業界暮らし。満員のフェスにスキャンダラスな夜。

夢物語と一笑しながらも、時に思い返して悦に浸っていた数々の夢想が塵のように崩れ去っていく。

世界が異なる別人といえど、同じカドック・ゼムルプスが成功しているという夢は希望と勇気をくれた。

向こうが頑張っているなら、こっちも頑張ろうと。

だが、その夢は儚く散ってしまった。

所詮、自分は凡人で成功など掴めないと、改めて思い知らされた気分であった。

 

「…………ずる」

 

静かに、カドックは言葉を紡いでいた。

握り締めた右手に熱がこもっていき、跳ね上がった心臓からの血流が殺到する。

まるで血管の中を針が流れているかのような痛み。しかし、構わずカドックは拳に更に力を込め、同じ言葉をもう一度、今度は腹の底から感情を込めて言い放った。

 

「令呪を以て命ずる……アナスタシア、今すぐこいつをぶっ飛ばせ!」

 

「えええええっ!」

 

驚愕するXX。

訳が分からず唖然とする面々。

そんな中、アナスタシアは機械のように冷静に、躊躇も迷いもなくXXに向けて吹雪を見舞っていた。

活火山に局所的な雪が舞い、カミソリにも似た烈風が吹き荒れる。

直撃を受けたXXは、まるで風に吹かれた凧のように宙を舞い、赤黒い岩肌へと叩きつけられた。

 

「いたた……いきなり何をするのですか? 聖槍甲冑(アーヴァロン)に乗着するタイムがマイナス一秒でなければ大けがをしていたところですよ!」

 

吹雪の向こうから、機械合成された声と共に白と青の機械甲冑に身を包んだXXが姿を現した。

その姿を垣間見たカドックは、更に激昂してアナスタシアに追撃を命じる。

とにかく一秒でも目の前の異星人を放ってはおけないと、普段の冷静さが嘘のように顔を顰めながら声を荒げて叫んでいた。

 

「納得できるか! ミュージシャンが……ミュージシャンが何で、ラーメン屋なんだ……!」

 

「怒るところそこですか!? 私って関係ないですよね!?」

 

「うるさい! 君を倒して、ここにいる奴の記憶をみんな魔術で消す! そうすればそんな惨めな未来を知る奴は誰もいなくなる! やれ、アナスタシア!」

 

再び吹雪がXXへと殺到し、機械の甲冑が表面から凍り付いていく。ここは何もないカルデラであり、周囲への被害を気にする必要はない。遠慮なく極寒の吹雪をまき散らすことができる。

無論、たかが外殻が凍り付いたくらいではXXの動きを阻害する事もできないが、アナスタシアの狙いは腕や足の関節部にあった。魔力がキャスタークラスに及ばないのなら、弱い部分を重点的に攻めればいい。如何に強固な鎧といえど人が着ている以上は隙間や脆い部分が存在する。そこを凍らせれば、さしものXXとて一たまりもなかった。

 

「止めるんだカドック、よく分からないけど、落ち着くんだ!」

 

流石にまずいと思った立香は、カドックを羽交い絞めにして押さえようとしたが、逆に物凄い力で振り払われて押し返されてしまう。

 

「放せ! お前に分かるか! 音楽で根源を目指そうとして、親に反対されてギターを取り上げられた、子どもの頃の僕の気持ちが分かるか!」

 

「分かるか!」

 

カドックの切実な叫びに対して、立香は反射的に叫び返す。その向こうでは、XXをどんどん氷漬けにしていっているアナスタシアを止めようとマシュが説得を試みていた。

 

「アナスタシアも止めてください! 令呪の命令なら先ほどの一撃で既に効力は消えているはず! カドックさんを止めてください!」

 

「ごめんなさい、マシュ。令呪がなくともマスターの命令には逆らえません。それに…………」

 

「それに?」

 

「彼女を倒して、私が華麗なる女スパイ、謎のヒロインXXXになるのも良いかもって」

 

「バーバラ・バックのつもりですか! 帝政ロシアの皇女としてそれはどうかと思いますが!?」

 

最早、収拾がつかない混沌とした事態を前にして、同行していたジャンヌ・オルタ達は茫然と立ち尽くすしかなかった。

本来であればマスターであるカドックを止めるべきなのだろうが、下手に介入すれば確実に飛び火する事は目に見えていたので、安易に手が出せないのだ。

 

「むう、もしやこれはいわゆる圧迫面接というやつですか? ですが、バカンスを目前にむざむざやられる訳にはいきませんよ!」

 

「やめろー、これ以上ややこしくしないでくれ!」

 

「ダブル、エーックス!」

 

全身からエネルギーを放出し、凍り付いた鎧を溶かしたXXはどこからか取り出した槍を構え、アナスタシアへと切りかかった。

対して果敢に冷気や氷柱を放射し、アナスタシアは距離を取らんとするが、甲冑の防御力にほとんどの攻撃が弾かれて徐々に追い詰められていく。

元々、水着霊基で無理やりアーチャークラスを獲得している事もあって、XXとの地力に差があることも大きかった。

 

「こうなったら、宝具に引きずり込め!」

 

「ええ! 『残暑、忌まわしき夏の城塞(リェータ・ドヴァリエーツ)』! さあ、ここではあなたの力は弱くなり、私は相対的に三倍にパワーアップができるのです!」

 

「なんの! 私はルルハワのループで既にこの宝具の洗礼を何度も受けています! そんなもので私は倒せません! ツインミニアドッ!」

 

幻影の宮殿から襲い掛かる数々の恐怖映像にも屈せず、XXは構えた槍の刀身に手を添える。すると、槍は根元の部分から光を発し始め、瞬く間に太陽の如き輝きがその刃へと宿った。

同時にXXの兜の目に当たる部分が光を発し、全身に漲るエネルギーが関節部からスパークする。繰り出されるは必殺の一刀。

雄々しく大地を蹴り、大上段から振り下ろされるは魔を断つ一撃は、違う事無くアナスタシアの痩躯を一文字に切り裂いた。

 

「エクス、ダイナミック!!」

 

「ッ――――――!!」

 

傷口から光が溢れ、視界を焼き尽くさんばかりの閃光を伴う魔力の爆発がアナスタシアの体を包み込む。

その光景を目にしたカドックは、糸が切れた人形のようにその場に膝を着いて嗚咽した。

その視線の先には、アナスタシアの声にならない断末魔の悲鳴を背に受けたXXが、無言で残心をしている姿があった。

 

 

 

 

 

 

どれくらいそうしていただろうか。

一応、手加減はしてくれていたようで、アナスタシアは負傷こそすれど霊基に問題はなかった。

今はマシュがXXのテントを借りて介抱をしており、しばらく休めば回復するだろうとのことだった。

一方、カドックはというと呆然と膝を着いたまま、その場を動こうとしなかった。

恐らくは彼の苦悩はこの場にいる誰もが理解できないものであろう。それがいっそう、彼を孤独へと駆り立てていく。

とうとう堪らず、カドックは人目も憚らず大きな声で慟哭した。

 

「うわああああぁっ! ふざけるな……ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!! うああああああぁぁっ!!」

 

叫びながら、何度も地面を殴る姿は見ていて痛々しい。それはまるで、母の日に最愛の母親の命をその手で断つという非情な決断を下したかのようであった。

 

「カドック」

 

「放っておいてくれ! どうせ、どうせ僕は凡人なんだ! ドジでノロマな亀なんだ!」

 

「誰もそこまで言っていないって」

 

取り付く島もない様子に、立香は困り顔で頬を掻く。

すると、動けるくらいには回復したのか、マシュに連れ添られたアナスタシアがテントの中からごそごそと這い出してきた。

 

「顔を上げなさい、カドック。所詮は別の世界の出来事でしょう」

 

「うう……けれど、僕は……」

 

「気にする必要はないでしょう。あなたはあなたなのだから。それに、私は良いと思います、ラーメン屋さん」

 

「アナスタシア…………」

 

「だって、ロックと違ってお腹いっぱいになるでしょう」

 

「うあああああぁぁっ!」

 

嬉々としてパートナーにとどめを差す皇女様であった。

彼の苦悩も困惑も絶望も分かっているが、それはそれとしてこの機会を逃す訳にはいかないと、意地の悪い笑みを浮かべている。

これでは今夜いっぱいは再起不能になるだろうと、立香はため息を吐いてからXXへと向き直った。

戦いを終えた彼女は、今は甲冑を脱いで素顔を晒している。

 

「えっと、とりあえず面接? 突破おめでとう」

 

「はい、よろしくお願いします、マスター君。早速ですが、宿泊先のスイートルームへ引っ越すので荷物の片づけを手伝ってもらっても?」

 

「それは構わないけれど、その前に教えて欲しいんだ。君がこのルルハワに来た理由。どうして北斎さんを襲ったのか、教えて欲しい」

 

XXはサバフェスの妨害を目的に動いていたが、それと北斎の襲撃にどのような因果関係があるのか。カドックはここに来る前にそんなことを口にしていた。

彼女が最終手段としてサバフェス会場への実力行使に出たのは最終日である七日目のみ。やろうと思えばもっと早くに襲撃できたはずなのに、どうして警備が厳重なサバフェスの当日に襲いかかってきたのか。

その理由によっては、自分達は手を組めるのではないのか。今日まで争ってきたが、互いの目的は必ずしもぶつかり合うものではないのかもしれない。

 

「そうですね、協力する以上は話しておいた方が良いでしょう。私一人での捜査にも限界を感じていたところです」

 

そう言って、XXは真剣な面持ちで空を見やった。

キラウエア火山の真上には、地上で起きている騒動など露も知らない満天の星空が輝いていた。

 

「事の始まりは今日という日から少しだけ遡ります。太陽系第三惑星……地球のハワイ諸島において、第三の邪神反応が検出されたのです」

 

夏だというのに、冷たい風が肌を切る。

それは、ゲシュペンスト・ケッツァーが真実の一端に触れた瞬間であった。




カドック「僕は絶対なんだ」
XX「ならば、私はフォーリナーハンターです」パチンッ!

という訳でカドックくん、改めて挫折を知るの巻でした。
XとXXの関係を見て、この手の未来の歴史ネタできるなと思ったのでここまで引っ張ってきた次第です。
ここまで来たら、後少しで完結できそうです。


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三日目その1 僕らのFateへ逆回転

窓から差し込む日差しが瞼を照らし、カドックは微睡から浮かび上がった。

誰かがカーテンを開けたのだろう。日差しを浴びるのは健康にいい事だが、今だけは余計なことをしてくれたと胸中で悪態を吐く。

いつもは定時にきっかり目が覚めるのに、今日は起きようとしても瞼が開かなかった。

昨日も朝からぶっ通しで遊び尽くし、夜はジャンヌ・オルタと漫画を描いていたので、疲れがまだ抜け切っていないのかもしれない。無理やり体を起こそうとしても、意思に反してカドックの手は冷房から身を守る為に布団を引っ張っていた。

みんな、気を使ってくれているのか、それとも単に薄情なだけなのか、起こしてくれる者はいなかった。

ただ、耳を澄ませば話し声やテレビの音が聞こえてきたので、部屋には誰かがいるようだ。

 

(朝……ご飯…………熱々の……ベーコン…………トマト……)

 

微睡む頭に思い浮かんだのは、英国で飽きるほど食べ続けた朝食であった。

鮮度の悪い素材、熱し過ぎた料理、雑な味付け。食の意識改革が進み、美味い料理の研究や外国の食文化が導入してきてはいても、不味いところは不味い。

時計塔時代の下宿先もそうだった。

前時代的な家政が記されたカビだらけの料理書を片手に家事を行うおかみさんだった。

出されるものは伝統的な英国料理。ただし、味はお察しである。食事の際は神への祈りの前に盛大に塩をかけねばとても食べられたものではない。

パブにいけば安い酒とそこそこの軽食が食べられるのだが、学生の身ではそうそう毎日、外食が出来る訳もなく、ただ明日へ生を繋ぐ為だけに胃袋を満たす毎日だった。

それでも朝食だけは美味しかった。こんがりと焼かれたベーコンに卵、熱したトマト、ベイクドビーンズ、薄切りのパンとジャム、オートミール。食べ切れないので減らす様にお願いしても、一向に量が減らなかった。

今となっては少しだけ懐かしい。そういえば、最近は英国料理もご無沙汰なので、久しぶりに食べてみるのも良いかもしれない。

そんな事を考えながら寝返りを打つと、隣に大きなものがあることに気が付いた。

柔らかく、ほんのりと熱を持ったそれは、人の肌の感触だった。

 

(アナスタシア?)

 

寝惚けているのもあったのだろう。そこにいるのが彼女であると勝手に思い込み、カドックは目の前の体を抱き寄せた。

閉じた瞼の向こうから、息遣いが感じられる。小さな寝息が聞こえ、逃げるように体を揺すった。

逃がすまいと、カドックは抱き締めている腕に力を込める。思っていたよりも腕を廻した感覚は大きかった。そして、半ば無意識で絡めた足と足が擦り合い、ある違和感を感じ取る。

 

(……!?)

 

そこにいるのがアナスタシアならば、絶対に有り得ない感触。

産毛が寒気立つかのような感覚を覚え、カドックは今度こそハッキリと意識を覚醒させた。

 

「ぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」

 

叫びを上げながら、カドックはベッドから転がり落ちた。

床と天井が引っくり返り、何事かと牛若丸が覗き込んでくる。

その向こうには可笑しそうに笑っているアナスタシアと茨木童子、苛立たし気にこちらを睨んでいるジャンヌ・オルタがおり、反対側にいたマシュとロビンはすまなさそうに目を伏せていた。

XXはいない。体を起こすと、自分が眠っていたのとは違うベッドで今も寝息を立てていた。

 

「うっさいわね、手元が狂ったじゃない!」

 

執筆を邪魔されたジャンヌ・オルタが怒りを露にするが、怒りたいのはこちらであった。

先ほどの感触を思い出すと、背筋に寒気が走る。

足と足が擦れる感触。その際に僅かに聞こえた音。

軽い恐怖すらあった。

自分がさっき、寝惚けて抱き寄せてしまった人物。それは何故か同じベッドで眠っていた立香であった。

知らなかったとはいえ、同性の彼を抱いた上に肌と肌を擦り合わせてしまったのだ。

 

「あー、オレとマシュのお嬢ちゃんは止めたんですけどね」

 

「くくく、どんな形であれ悲鳴というものは心地よいものよのお」

 

こちらがパニックに陥る様を見て、茨木童子がケタケタと笑っている。

何が面白いんだと、カドックはその場で地団駄を踏んだ。

起きたら目の前にいる同性の親友と抱き合っていた。思い出しただけで怖気が走る。これで喜ぶのはどこかの剣豪か万能の天才だけだ。

 

「アーナースーターシーアー」

 

「あら、よく分かったわね」

 

「君しかいないだろ、こんなことをするのは!」

 

昨日はソファで眠っていたはずだが、きっと眠っている間にシュヴィブジックを使って自分と立香を同じ布団に押し込んだのだろう。

悪戯は彼女のライフワークとはいえ、これは流石にやりすぎだ。心臓に悪すぎる。

 

「ふふっ、そんなに怒ったら体に悪いわ」

 

「そうさせているのは君だろうに」

 

「ごめんなさい。あなたが驚くのが面白くて」

 

「なお悪い」

 

謝りながらも笑顔と絶やさないアナスタシアに対して、カドックは憮然とした表情を浮かべる。

可愛い顔に騙されてはいけない。いつもいつもそれでやり込まれていては彼女はつけ上がるばかりだ。ここは毅然とした態度を見せ、どちらが主従の主なのかを改めて示さねばならない。

 

「本当に、今日という今日は許さないからな」

 

「反省します……ところでカドック」

 

「なに?」

 

「靴の紐が解けています」

 

「えっ? つあっ!?」

 

足下に目をやった瞬間、額に鈍い痛みが走る。見上げると、けたけたと笑っているアナスタシアの姿があった。

目線を下げた瞬間を見計らって、額を小突かれたようだ。あまりにも古典的な悪戯である。

そもそも、先ほどまで就寝していたのだから、靴なんて履いている訳がない。だというのに、あっさりと引っかかってしまった自分が情けなかった。

 

「まったく、これじゃクリスピン・グローヴァーだ」

 

「あら、なら未来の大作家ね」

 

「どうせなら息子の方にしてくれ」

 

ロックと炭酸飲料が好物な少年が時間旅行をする世界的に有名なSF映画である。ちなみに二作目と三作目にはあのレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーも出演していたりする。

 

「さ、カドックも起きたことだし、お話の続きは朝食の席でしましょう」

 

「む、吾はぱんけーきとやらが食べたいぞ」

 

「朝ご飯ですか!? おはようございます!」

 

いつの間にか話が有耶無耶になってしまい、カドックはみんなが見ていないところでため息を一つ吐いた。

結局、いつもと同じように彼女に振り回されてしまうようだ。

そして、これだけの騒ぎが起きていても、立香は一向に起きる気配がなかった。

 

「ぐがー」

 

「いつまで寝ているんだ、この素人マスター!」

 

やり場のない怒りの矛先が、彼に向いたのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

今日もルルハワは強い日差しが差し込んでおり、道行く人々は額に汗をかきながら往来を行き来している。

賑やかな大通りは観光客で溢れ、中には水着のままショッピングや食事を愉しむ者もいた。

そんな華やかな街並みから少し離れた一画で、十数人の団体が集まっていた。

何事かと興味を抱いた通行人は、彼らが派手な衣装や小道具を持参しているのを見て、テレビか映画の撮影なのだと納得して去っていく。

事実、それは映画の撮影であった。どんなあらすじなのかは分からないが、とりあえず伝奇ものかファンタジーの類なのだということは小道具から読み取れる。

そして、その中心――つまりは主演男優としてカメラに追いかけられていたのは他でもない、カドックであった。

 

『ようこそ諸君。君たちはまだ見ぬ何か、謎めいた何かを求めている……それでは事の次第の一部始終をお見せしよう。まやかしは一切なし、全てはこの恐怖の体験を生き延びた人々の秘密の証言によって裏付けられている。諸君の心臓はこの真実に耐えうるか?』

 

「カット!」

 

感情が一切こもらない物凄い棒読みでカドックが台詞を言い終わると、監督が撮影中断の叫びを上げる。

やる気がまったくこもっていないその演技は、彼自身はおろか周りで見守っていた面々ですら、撮り直しとなるであろうと思っていた。

だが、監督は満足げに頷くと、撮影現場全体に聞こえるよう大きな声を響かせる。

 

「よし、次のシーンにいこう」

 

どこか能天気ささえ感じられる声音に、カドックは思わず前のめりに転びかけた。

 

「待て、自分で言うのもなんだけど、今のはさすがにまずくないか?」

 

「何を言うんだ、とても良かったよ。さあ、次に行こう」

 

監督はにこにこと笑顔を浮かべながら、周りのスタッフに機材の片づけや移動を指示している。

いったい、この監督はさっきの棒読みな演技のどこが良かったと思っているのかと、カドックは問い質したくなった。

 

「監督……」

 

「よーし、次は夜のシーンだ。アクション!」

 

『もう夜か。すっかり遅くなって――』

 

「待て待て! この明るさで夜は無理があるだろう!」

 

カメラの向こうで役者が必死で夜の暗さをアピールしているが、現在時刻はまだお昼前。ギラギラと輝く太陽が地面を照らしており、背景の立て看板の文字もハッキリと読み取れる。

せめて屋内なり暗がりなりで撮ればいいものを、この監督はこの太陽の光が降り注ぐ遮蔽物のない屋外で、無理やり夜のシーンの撮影を行っているのだ。

 

「監督!」

 

「良いんだ。だって、映画の中では夜なのだから。さあ、撮影を続けるぞ」

 

こちらの言葉をバッサリと切り捨て、監督は台本を捲って次のシーンの撮影の準備を始める。

アスファルトの駐車場に並べられていく段ボール製の墓石。まさかとは思うが、ここで墓地のシーンを撮ろうとしているのだろうか。

 

(大丈夫か、この監督……)

 

情熱だけが空回っているかのような監督の奇行に、カドックは軽い頭痛を覚えた。

何故、こんなことをしているのかというと、彼が撮影のための俳優を募集しているところに偶然、通りかかってしまったからだ。

映画の撮影ということで立香が興味を示し、そのまま意気投合して安請け合いをしてしまったため、ゲシュペンスト・ケッツァーは何の演技指導も受けないまま、銀幕デビューが決まってしまったのである。

 

「普通、スカウトした俳優をそのまま主演に据えるか?」

 

どうやら監督の感性にティンときたようで、カドックは映画の主演男優に選ばれてしまった。もちろん、他の面々もそれぞれ役が宛がわれている。

 

「なかなか上手だったと思うわ」

 

「世辞でも嬉しいよ、まったく」

 

アナスタシアの言葉に、カドックはため息交じりで応える。

そして、改めて撮影のメガホンを取る監督を見やった。

どうやら彼も英霊のようなのだが、その風貌は見れば見るほど異様であった。

年頃は壮年から中年といったところで、皺だらけの顔は生気が感じられず吸血鬼か何かのようであった。

雰囲気として近いのはヴラド三世だろうか。丁度、話をしている時に目を見開かれると、彼らの面影が重なって見えるのだ。

ただ、それだけならば単に不気味な紳士で済むのだが、問題は服装にあった。

女性ものなのである。

彼は強面で大柄な体躯に反して、何故か可愛らしい女性もののセーターとスカートを身に付けていた。無論、靴も女性向けのパンプスである。

怪物染みた容貌と合わさる事で、何だか新種のモンスターか何かと錯覚してしまうほど異様な風体であった。

アストルフォのように可愛らしい容姿のものが着ているのならまだ様になるのだが、彼ほどの年齢のものが着ていると恐怖すら感じられた。

 

「はあ……おい、立香」

 

あまりにも堂々とした監督の振る舞いに、カドックは自分が抱いている恐怖や不安が実は間違っているのではないのかと思い、出番を待っていた立香に話しかけた。

が、振り向いた先で牛若丸と剣術ごっこに興じている姿を見て、再び頭痛に襲われる羽目になった。

 

「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流。受けるがいい!」

 

「優しく蹴散らしてあげましょう」

 

小道具の剣と張りぼてのペガサスがぶつかり合う。

まるで子どもの遊戯のような光景だった。

これがジャック・ザ・リッパーやナーサリーライムあたりならまだ許そう。百歩譲ってアステリオスでも構わない。だが立香、お前はダメだ。自分の年齢を少しは考えて欲しい。

 

「おい、小道具で遊ぶな。はしゃぐな、子どもか」

 

「えー、だって映画の撮影なんてテンション上がるじゃないか」

 

「この学芸会染みた寸劇か? ゴミのような映画は数あれど、こいつは映画のようなゴミだぞ」

 

「同感ね。もうちょっとでネームも仕上がるって時に、何をさせるのよ」

 

半ば勢いに押される形で付き合わされる羽目になったジャンヌ・オルタが、カドックに同調して不満を漏らす。

いつになく不機嫌なのは、漫画の進捗が芳しくないからだ。どうやら今回は中々に難産のようで、アイディアが思うような形にならないらしい。

 

「まあまあ、外に出れば気分転換にもなるし、何か新しいアイディアが浮かぶかもだよ」

 

「浮・か・び・ま・せ・ん。あの童話作家や劇作家ならともかく、こんな三文芝居じゃ刺激にもならないわ」

 

「ほう……さては、えぬじいを出してしまうことを恐れているのですね?」

 

牛若丸に他意はなかったのであろう。ごく当たり前に、会話のキャッチボールのつもりで彼女はそう言ったのだ。

だが、余程苛立っていたのか、今回ばかりはジャンヌ・オルタの神経を逆撫でにする形となった。

 

「誰が、ビビっているって!? 人を腰抜けみたいに言うのは止しなさい!」

 

「む、誰もそんな事は言っていません」

 

「いいえ、言いました! 誰にも、腰抜けなんて言わせないわ! そこまで言うなら見せてやろうじゃないの、私のアカデミー賞ばりの名演技を!」

 

顔を真っ赤にして、一方的に捲し立てたジャンヌ・オルタが、監督のもとへと歩いていく。どうやら、自分が出演する場面について何か掛け合いにいったようだ。

 

「相変わらず、変なところで沸点の低い奴だ」

 

「ひょっとして、実は興味あったとか?」

 

その辺に関しては、推し量るしかないだろう。だが、本物を凌駕する贋作であることに拘る彼女だ。その極致ともいうべき演劇に興味を持ってもおかしくはない。

 

「……あ、マシュの出番だ」

 

カメラの前にマシュが立ったのを見て、立香は弄んでいた小道具を手放して彼女の姿が見やすい位置に移動する。

その視線の先で繰り広げられているのは、やはりというべきか珍妙な寸劇である。一応、演劇経験はあるにはあるが、舞台演劇と映画の撮影ではまた勝手が違ってくるのと、台本を読み込む時間がほとんどなかったのもあり、どうしても拙い演技になってしまう。

加えて役が彼女のキャラクターに合っていない。マシュが抜擢されたのは自由奔放で悪戯好きな主人公の担任という役なのだが、どちらかというと控えめなマシュの性格ではなかなか役に馴染めていなかった。

だが、監督はその光景を満足げに見つめていた。役者の目線が明らかにカンペを追っており、時にはADがカメラに映り込むこともあったが、それでも監督は撮影を止めなかった。ほとんどのテイクをワンカットでカメラに収めている。

自分が見ている限りだと、NGは一度も出していない。

 

「確かに、このペースなら一日あればショートムービーくらいは撮れるか」

 

寧ろ、そうでなければ困る。このまま一日中拘束されてしまえば、ただでさえタイトなスケジュールが余計に厳しくなってしまうのだ。

XXを仲間に引き入れ、メイヴの壁際サークルへの進出も防いだ。ここまで順調に来ているのに、最後の最後で漫画が完成しなかったとなれば目も当てられない。

 

「うーん、でも、実際のところ六日目のメイヴコンテストをどうにかしないと勝ちは見えないよね」

 

「ああ。アナスタシアが何度か出場して引っ掻き回したが、審査員も観客もみんなメイヴのシンパじゃ彼女の優勝は覆らない。物理的に台無しにするか、勝負自体を引っくり返すしかないな」

 

例えば公平に勝敗を決める事ができるゲームやスポーツ。それもイカサマが入る余地がないものがいい。

メイヴの強みは勝つためならば如何なる努力も惜しまないこと。言い換えればアドリブには弱いということでもある。

 

「そのことだけど、実はアレキサンダーとエルメロイⅡ世から作戦を貰っていてね」

 

「ほう」

 

若かりし征服王とその家臣から授かった策、さぞや愉快なことになるだろう。

そう思って立香の話に耳をそばだてたカドックは、彼が語る作戦を聞いてニヤリと口角を釣り上げた。

実にいい。単純だがそれ故にリスクが少ない。エルメロイⅡ世はメイヴの性格をよく理解している。

メイヴは女王であるが故に勝ち方には拘らねばならず、自身の臣下やファンの前で無様な姿は晒すことができない。

あからさまなイカサマもハンデを請う事もできず、敗北してもケチをつけることができないのだ。

 

「分かった、そっちはお前と牛若丸に任せる」

 

「じゃ、カドックはジャンヌと漫画の方お願い」

 

互いの健闘を祈り、拳を重ね合う。

終わりの見えなかった常夏の日々に、光明が見えてきた。

少しずつ、少しずつゴールに向けて近づけていっていると実感できる。

それはつまり、この夏がもうすぐ終わってしまうことも意味していた。

 

 

 

 

 

 

撮影は順調に進んでいた。

とにかく監督はNGを出さず、台詞が詰まろうと演技が棒読みであろうとカメラを止めることなく撮影を進めていく。

丁度今も、カドックが若い方のクー・フーリンを相手に立ち回りを演じているのだが、彼の槍を丸めたポスターで受け流すシーンでポスターがすっぽ抜けてもリテイクされることはなかった。

ちなみにクー・フーリンが振るう槍も段ボールと模造紙で作られた棒切れのような玩具であった。先端に銀紙を張った事で、辛うじて刃物であると分かる程度の雑なクオリティである。

 

『もしやお前が七人目だったのかもな』

 

クー・フーリンが槍を振るうのに合わせて、尻餅を着く。

動きを合わせるのに必死で、台詞はほとんど飛んでいたが、やはりNGは出なかった。

そして、クー・フーリンが距離を取ったのに合わせて特殊効果として白煙が舞い上がり、視界を覆い隠す。

台本では、この後にセイバーが召喚されてランサー役のクー・フーリンと戦うことになっている。

 

(あれ、セイバー役って誰だ?)

 

立香は海産物みたいな悪友、マシュは虎みたいな女教師、牛若丸は蛇みたいなライダーだ。ジャンヌ・オルタもロビンも茨木童子も別の役がそれぞれ、宛がわれている。

そうなると、セイバー役はアナスタシアになるのだろうか? 役を宛がわれた時に聞いてみたが、何故か彼女ははぐらかして教えてくれなかった。ヒロインということでこちらを驚かそうとしているのかもしれない。

 

(そうなると、この位置はまずい!?)

 

アナスタシアの水着は際どいローライズのショートパンツだ。目の前に立たれれば、何がとは言わないがナニかが見えてしまうかもしれない。

別に今更という言い訳が脳裏を過ぎる中、カドックはもう少し離れるべきかと迷いを見せる。

だが、思った時には既に遅く、特殊効果の白煙が晴れてセイバー役の役者が剣を構えて姿を現した。

その姿を見た瞬間、カドックは言葉を失った。

残念なことに、そこにいたのはアナスタシアではなかった。

目に飛び込んできたのは毛の生えた脛、ごつごつとした手、やや曲がった背中と怪物にも似た不気味な容貌。

きっちりと女物の衣装に袖を通し、威風堂々と立つ姿は感動すら覚えるが、同時に何とも言えない虚しい気持ちも起こさせる。

 

『問おう、貴方が私のマスターか?』

 

風でスカートが舞い上がり、見たくもない下着が目に入ってしまう。

そこに立っていたのは、女性の服に身を包んだ、この映画の監督だった。

 

(って、お前か!?)

 

叫ばなかったことをどうか褒めてもらいたい。それくらい衝撃的な光景であった。

 

「カット! よし、いいシーンが撮れたぞ」

 

渾身の見栄を切りながら、監督が叫ぶ。撮影現場の緊張が解けると、カドックは反射的に跳ね起きて監督に詰め寄っていた。

 

「待て待て待て、なんで監督が役者で出てくるんだ。アナスタシアがいただろう」

 

「彼女には別の役をお願いした」

 

「くすくすと笑ってゴーゴー」

 

「それ君なのか!? パールヴァティーの二役じゃなくて!?」

 

「なに、僕だってデビュー作では変名で主役を演じたよ。セイバーの役は難しい役だから、僕自身で演じた方が良いと思って」

 

「単に合法的に女装したいだけだろ、あんたは!」

 

女装趣味のある映画監督。何となくだがこの英霊の真名が分かってきた気がする。

どうりでロクにNGも出さず早撮りを続ける訳だ。

 

「よし、十分休憩! 次は中盤の山場となるバーサーカーとの決戦だ!」

 

こちらの困惑などお構いなしに、監督はにこにこ笑いながらここまで取れた映像を見返している。

腕はともかく、映画の撮影は心底から楽しいのだろう。それが感じられる笑みであった。

 

「いやあ、なかなか良かったんじゃないか? マスター」

 

「心にもないことは言わないでくれ、クー・フーリン」

 

「そうかい? まあ、俺は演技とかよく分からないけどよ」

 

「それは困る、クランの猛犬。この後、私とお前で戦うシーンがあるだろう」

 

アーチャー役でスカウトされたアルジュナが、顔を顰めながらクー・フーリンに言った。

いつもならこんな騒ぎとは距離を取りがちな彼ではあるが、今回ばかりは縁者が乗り気ということで参加せざる得なかった。

そう、彼の恩人とも言うべきシヴァ神の伴侶パールヴァティーが主人公の後輩役でスカウトされてしまったからだ。

 

「気は進まないが、彼女が見ている手前で手を抜く訳にもいかぬ。それにいつぞやの借りも返さねばならないからな」

 

「へいへい。精々、真面目にやらせてもらいますよ。けど、北米であんたと戦ったのは反転している方の俺だろ? 雪辱戦にはならないんじゃねえの?」

 

「それならば、貴殿はそこまでの使い手であったということだ」

 

「へえ、言うじゃねえか、授かりの」

 

自分に敗北はないと、無自覚に挑発するアルジュナに対して、クー・フーリンは獰猛な笑みで応える。

若かろうと反転していようとクー・フーリンはクー・フーリンだ。笑みの浮かべ方や抱く印象は共通するものがある。つまりは怒らせると物凄く怖い。

実際、神話においても戦場で暴れるクー・フーリンは三度、水に沈めなければ正気に戻らぬほどの狂戦士だ。

平時は頼りになる兄貴分なのだが、やはりそこはケルトの戦士というところなのだろう。

 

呵々(かか)、演舞とはいえ神話に名立たる使い手が火花を散らすか。これは見ものだ」

 

そう笑って二人を茶化すのは、中華服に身を包んだランサー――李書文だ。

彼もまた、監督にスカウトされた役者の一人。役所は主人公の学校の教師にして凄腕の暗殺者という設定らしい。

生真面目なアルジュナと同じく彼のような英霊がこの場にいることは意外かもしれないが、李書文は生活苦からとはいえ若かりし頃には劇団に所属していた俳優志望でもある。

晩年は子どもに懐かれていた好々爺としての面もあり、きちんと礼を尽くせば義には応えてくれる人なので、意外と付き合いは良いのかもしれない。

 

「インドラの子にクランの猛犬。儂と立ち会う場面がないのが悔やまれる……ふむ、いっそう、ここはアドリブとやらで台本を変えてみるのはどうだ?」

 

「止めてくれ……あの監督ならそれでもOKを出しかねない」

 

ただでさえ拙い演技やチープな演出で台無しな物語に、アドリブなんてぶち込んだらそれこそ脚本が破綻しかねない。

なにより李書文を強者と戦わせれば、例え演技であったとしても興が乗って全力を出す筈だ。絶対に双方とも無事では済まないだろう。

 

呵々(かか)、そう焦るなマスター。儂とて分別くらいは弁える。大事な舞台を血で染めるつもりはないさ」

 

「頼むぞ、本当に」

 

いまいち信用がならない李書文の言葉に、内心で不安を覚えつつ、カドックは撮影へと戻る。

再開した撮影は、やはり順調に進んでいった。監督は滅多なことではカットを出さず、ただひたすらに脚本の行程を消化していくだけの時間が過ぎていく。

張りぼての聖剣とペガサスが夜空という名の青空の下でぶつかり合い。

 

『私はお前の父だ』

 

『嘘だぁぁぁぁっ!』

 

許可も取らずに教会や墓地でゲリラ撮影を行い。

 

『生きてる、生きてる!』

 

麻婆豆腐が手に入らず、代わりにカレーライスを用意し。

 

『食うか?』

 

『食うか!』

 

メジェド様みたいな格好に扮したアナスタシアに背後から襲われた役者が迫真の演技を見せる。

 

『貴様、よもやそこま、が……』

 

そして、夕方に差し掛かる頃には遂に脚本に書かれているシーンの全てを撮影し終え、即席の雇われ劇団は解散する運びとなった。

 

「ありがとう、これは最高の傑作になるよ。本当にありがとう」

 

監督は一人一人に握手をして別れを告げている。

仕事を成し遂げた者が持つ特有の、満ち足りた笑みを浮かべていた。

ほとんど勢いだけで乗り切った撮影ではあったが、彼にとっては一大事業だったのだろう。

心の底から喜んでいるその姿を見ていると、何故だかこっちもほんの少しだけ心が温かくなった。

しかし、その笑みを釈然としない表情で見つめている者がいた。ジャンヌ・オルタだ。

最初の方こそ空回り気味な熱意で役を演じていた彼女ではあったが、途中から急に大人しくなり、監督の動きを目で追うようになっていった。

沸々と煮え滾る熱湯のような雰囲気を醸し出しており、周りの者も引き気味に見守る事しかできなかった。

そして、撮影が終わって役者達が一人ずつ去っていくのと入れ替わるように、ジャンヌ・オルタは機材の片づけをしていた監督へと話しかけた。

 

「あんた、あんな出来で満足なの?」

 

「何だい、突然?」

 

「あんな下手くそな演技や、チープな演出で満足なのかって聞いているの!?」

 

ロクに台詞も覚えていない役者、張りぼてなのが丸分かりの工作、場面ごとに昼夜が入り乱れ、シナリオも説明不足で飛躍し過ぎた展開が多い。

粗削を通り越して粗しかない映画であった。素人目に見ても駄目なところが多すぎて、上げだせばキリがない。曲がりなりにも創作を齧っているジャンヌ・オルタが噛みつくのも無理はなかった。

何より、彼女はそんな粗だらけの映画を手放しで褒める監督の態度が気に入らなかったのだろう。彼は映画が好きで好きで堪らないということは、知り合って間もない自分達ですら分かるほどだ。

それほどの熱意があるのなら、どうしてもっとクオリティに拘らないのかと、ジャンヌ・オルタは憤慨しているのだ。

 

「もっと時間をかければいい画が撮れるでしょう。小道具だってもっと拘ればいいじゃない! なのに、何であんなチープなもので満足するのよ!」

 

「はははっ、手厳しいなこれは。確かに君の言う通りだ」

 

そう言いつつも、監督は笑みを崩すことなく撮影時に使っていた椅子に腰かけた。

 

「うん、僕の作品がみんなの感性に合わないのは知っている。生前はちっとも売れなかったしね」

 

(いや、感性云々ではないと思うが……)

 

あれは単純に、つまらないだけだ。シナリオは破綻気味だし演出はチープ、役者も下手くそときた。商業作品として見れば完成度があまりに低すぎる。

ただ、そんな拙い画からでもきちんと伝わってくるものはあった。

退屈な映像の奥から、監督が伝えたいメッセージはハッキリと読み取れたのだ。

ああ、このシーンはこんなことを表現したかったのだ。

ああ、ここは〇〇について主張しているのだ。

そんな場面がいくつもあった。伝えたいテーマを伝えようと努力している姿勢だけは、きちんと読み取れることができたのだ。

 

「君の言う通り、拘るのは大事だ。ああすればいい画が撮れる、こうすればいい場面になる。考えるのは大事な事だ。けれど、何よりも大切なことは、作品を形にすることだと思うんだ。僕は映画が好きだ。好きで好きで堪らない。だから、手掛けた映画はどんな形であれ世に出したいんだ。お蔵入りなんて以ての外さ。それよりも自分が撮りたい画を、今できる形で撮り切る。僕はそうやって映画を作ってきた。だって、次はないかもしれないからね」

 

生前は成功に恵まれず、暮らしも貧乏であった。大切な友人はいても、映画の世界では終ぞ認められなかった。

だからこそ、目の前の映画に全力で取り組んだ。

次はないかもしれない。

これで終わりかもしれない。

常にそんな恐怖との戦いであった。

フィルムの編集をしながら、いつも同じことを考えていた。どうか、これからも映画を撮り続けられますようにと。

そして、これが最後になってしまうかもしれないから、あらん限りの情熱を注ぎ込んだ。

 

「それだけは、誰にも負けないようにしてきた。うるさいスポンサーの意向もねじ伏せた。他人の夢を撮ってどうなる? 夢の為なら戦うんだ。全力で、自分にできる精一杯で」

 

それが自分の生き方なのだと、監督はどこか恥ずかしそうに笑って見せた。

 

「本当に、映画って素晴らしいね。ああ、また友達と撮りたいな。往年の名スターなんだから、英霊になっていてもおかしくはないと思うんだけど……」

 

そう言って笑う監督の表情は、昔を懐かしむかのように憂いを帯びていた。

ジャンヌ・オルタは何も言えなかった。

監督と別れ、みんなでホテルに戻る帰路についても、一人静かに黙り込んでいた。

監督の情熱に触れ、思うところがあったのだろう。

彼女がカドックに向けて口を開いたのは、ホテルで夕食を済ませ、部屋に戻った後の事であった。

 

「私、舐めてたわ」

 

気分転換も兼ねて、ベランダで夜風に当たっていたカドックを追うように外へと出てきたジャンヌ・オルタは、開口一番にそう言った。

 

「あの漫画を超えるとか言いながら、心のどこかで思っていた。これが駄目でも、次のループがあるって」

 

新刊を出し続けている限り、この繰り返しの七日間が終わる事はない。

今回が駄目でも次、それが駄目でも次と、永遠に繰り返すことができる。

自分達には無限のリトライがあるのだ。

同じ日々を繰り返していけば、必ずそう思うようになってしまう。

けれど、それは違うのだ。

 

「私達にとってはリトライでも、みんなにとってサバフェスはこの夏の一回だけ。チャンスは一度しかない……それが正しいことなのよ」

 

「……そうだな」

 

一度しかないチャンスだから、みんな全力を尽くすのだ。

必死でアイディアを絞り、情熱を作品に注ぎ込み、サバフェスに出展する。

サバフェスは今年で最後かもしれない。

来年は中止になるかもしれないし、次のサバフェスまでに自分が引退しているかもしれない。

先の事なんて一切、分からない。だからこそ、みんな全力でこの夏に挑むのである。

 

「決めたわ……今回で終わらせる」

 

静かに、ジャンヌ・オルタは宣言した。

その両の眼に、燃えるような炎を灯しながら。

 

「次なんてない。後一回で……この夏を終わらせる。あの漫画に勝てるかどうかじゃないの……私が出せる全力を、今描いている漫画に注ぎ込むわ。色々と描いてきたけれど、それももう全部忘れる。黒髭が言っていたように、私の持ち味で勝負するわ」

 

「ああ……それがいい。きっと、それがいい」

 

「協力しなさい、マスター。必ず、てっぺんを取りにいくわ」

 

誓いを交わすかのように、二人は互いの拳をぶつけ合う。

それ以上の言葉は必要がなかった。

やると決めたからにはやる。

メイヴを押さえ、サバフェスで売り上げ一位になり、この繰り返しの日々を終わらせる。

ゲシュペンスト・ケッツァーの夏が、本当の意味で始まった瞬間であった。




感想の方で、メンバーがルルハワでどう過ごしているか知りたいというのがありましたので、下記にまとめてみました。


カドック:
人理修復後で精神的に余裕があることに加え、ユニヴァース時空の同位体について知った事で色々とテンションがおかしい。一方で任務への義務感と夏の解放感で板挟みになり心の底から夏を楽しめていない。
アナスタシア:
ルルハワを満喫している人その1。悪戯とわがままでカドックを振り回す毎日を心から楽しんでいる。テンションがおかしいカドックについては麻疹のようなものと生暖かく見守っている。
立香:
基本的に原作通り。マシュと仲良くしたり牛若丸と遊んだりジャンヌ・オルタを手伝ったり。聖女にファミパンされたりお隣の部屋に清姫がいてビビったりと地味に女難が連発している。
マシュ:
基本的に原作通り。カドック視点ということもあり、出番が少ない。ごめんなさい。メイヴコンテスト打倒のためにアナスタシア主導で無表情で歌い踊るアイドルユニット「まばたき」を結成するも敢え無く敗退する。
ジャンヌ・オルタ:
立香は気になる人、カドックは気の置けない喧嘩友達という間柄に落ち着いており、何気に乙女ゲーみたいな環境にいることに気づいていない。
牛若丸:
基本的に原作通り。懐き度具合はカド<立香。
茨木童子:
ルルハワを満喫している人その2。漫画作りはあまり手伝わず、カドックをルルハワグルメに連れ回す。本人的には夏を楽しんでもらおうとしているのだが、小食なマスターが胃もたれを起こしていることに気づいていない。
XX:
カルデアに引き抜かれてからはルルハワ観光を満喫中。でも、夜は漫画制作に扱き使われている。
ロビン:
カドックとマネージャー業を分担しているので、原作よりも余裕がある。当初は軟派に繰り出したりもしたが、周回が増えるにつれて罪悪感が増し現在は自重している。


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六日目その3 遠い空の彼方に

浜辺を仕切るように立てられたネット、砂に描かれたコート。

ワイキキビーチの一画に設けられた即席のビーチバレー会場において、四つの影が忙しなく動き回っていた。

片やゲシュペンスト・ケッツァーの風雲児こと牛若丸とそのマスター、藤丸立香。縦横無尽にコートの中を駆け回る牛若丸を、立香は的確にサポートしパスを回していく。

片や女王メイヴとクー・フーリン。コンビネーションはバラバラだが、お互いの身体能力と技量がずば抜けており、連携の甘さを補って余りある。

そして、炎天下で白熱した攻防を繰り広げる両者を、周囲のギャラリーは真剣な面持ちで見守っていた。

どちらが勝つのか賭けていた野次馬も、そろぞれのサポーターも、飛び交うボールの行方を固唾を飲んで追いかけている。

現在の点数は20対19とゲシュペンスト・ケッツァーが僅かにリードしており、ここでメイヴ側が点を入れれなければ立香達の勝利となるのだ。

何故、こんな事になっているのかと言うと、簡単に言ってしまえば孔明の罠であった。

ロード・エルメロイⅡ世が立香に授けた策とは、メイヴを騙ってコンテストの内容を美の競い合いからビーチバレーに変えるというものであった。

ティーチを始めとした、メイヴのサバフェスに参加するにあたっての態度が気に入らない面々に協力を仰ぎ、会話などで足止めをしておいてもらう間に、メイヴへと変装した新宿のアサシンがコンテストをビーチバレーへと変更するよう宣言する。

その言葉を信じたメイヴの配下達は、急ピッチでコンテスト会場をビーチバレーのコートへと整備し、本物のメイヴが駆け付けた時には既に手遅れの状態であった。

もちろん、主催者であるメイヴにはそれを拒否する権利がある。しかし、敵対者や敗北者の不平不満ならいざ知らず、自らの信奉者達の羨望の目を裏切ることはできなかった。

己に傅く者に対して、彼女は苛烈ではあるが寛容だ。そして、彼らが思い描く理想の女王足らんとするのだ。

即ち、逃げず、媚びず、敗北しない。完全無欠の女王足らんとするが故に、この誤りを正す事ができなかったのだ。

結果、決して勝てなかったメイヴとの勝負に、僅かな勝機を生み出せたのである。

 

「キャッ!?」

 

「……っ! 牛若丸、跳んで!」

 

「はい! 主殿!」

 

「させるかよ!」

 

メイヴが砂地に足を取られた瞬間を見抜き、立香の指示で牛若丸が跳ぶ。

主が打ち上げたボールをその手で捉え、渾身のアタックを敵陣へ。無論、そうはさせまいとクー・フーリンが跳ぶが、それは罠であった。

彼が砂浜を蹴った瞬間を見計らうかのように、ボールにかけられた回転が空気を飲み込み、あらぬ方向へと捻じ曲がる。

気づいた時にはもう遅く、ボールは虚しくメイヴ陣営のコートの中に着地するのであった。

 

「あー! く・や・し・いいいいいいいいいいい!」

 

最後の最後で自身のミスが敗北に繋がった事を悟ったメイヴが、砂の上で地団駄を踏む。

一方、相対した牛若丸は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「はーはっはっは! 紙一重で我らの勝利だなメイヴ!」

 

とはいえ、メイヴはよく戦った。

身体能力が人外の域に達している牛若丸を相手に、クー・フーリンと二人がかりとはいえギリギリまで食い下がってきたのだ。

もしも、彼女が事前にビーチバレーの為の練習を積んでいれば、まだ結果は変わっていたかもしれない。

 

「さすがは手練手管で光の御子を追い詰めた女だけはあるな」

 

「ええ、あそこで足を取られなければ、逆転されていたかもしれません」

 

共に応援していたアナスタシアが、こちらの言葉に頷いた。

 

「はい……あの、ところでカドックさん」

 

「なんだ?」

 

「その旗はいったい……」

 

マシュが指差したのは、試合中にカドックが振っていた旗であった。

長いポールに結われた白い旗で、真ん中にはでかでかとカルデアの記章が塗られている。

どう見ても応援旗だが、もちろん市販品ではないし、カルデアから取り寄せた訳でもない。これは試合が始まる少し前にカドックが自作したものである。

 

「投影魔術で作ったんだ。応援に旗は必須だろう」

 

役目を終えた旗から記章が消えていく。無から有を生み出す投影魔術で生み出したものは、世界の修正力をモロに受けるのですぐに消えてしまうのだ。

 

「はあ……いえ、カドックさんが時々、変な方向に暴走する癖がある事は分かっていますが……はあ……」

 

言いたいことは何となく分かる。自分もまさか、こんなことの為に魔術を使うことになるとは思わなかった。ただ、この夏の間くらいはそういう固い話はなしでいこうと決めたのだ。観光も漫画作りも応援も、やるからには全力で楽しもうと決めたのだ。

 

「あー、もう! 屈辱だけど、三下の台詞で締めてあげるわ……これで勝ったと思うなよー!」

 

明日のサバフェスで挽回してやると言い残し、メイヴはクー・フーリンを伴って砂浜を去っていった。

彼女のファン達も、大急ぎでコートの片づけを済ませて彼女の後を追いかけていく。

 

「やったな、立香」

 

「ああ、応援ありがとう」

 

カドックと立香が、頭上でハイタッチを交わす。

 

「これでメイヴの人気も少しは落ちるかな?」

 

「ああ……彼女一人に集まる筈だった注目が、分散しているはずだ」

 

メイヴは正々堂々と戦ったので、完全に地に堕ちるということはないが、活躍した自分達にも注目が集まるはずだ。

後はジャンヌ・オルタがどれだけ客を惹きつけられる漫画を書き上げるかにかかっている。

 

「全てはオルタ殿次第という訳ですね」

 

「調子の方は?」

 

「今朝から修羅場だよ。とはいえ、このままのペースでいけば間に合うだろう。今はロビンがついている」

 

「じゃ、俺達も早く帰って手伝わなきゃだね」

 

泣いても笑っても、後数時間で全てが終わる。

人知を尽くして天命を待つというが、正にその時が迫ってきているのだ。

このルルハワで起きている真の異常――BBの企みを阻止するためにも、自分達は持てる全てを出し切らなければならない。

そうしなければ、この夏はきっと永遠に終わらないのだ。

寂しさが胸を去来する。

騒々しかった夏がもうすぐ終わる。いや、終わらせる。

必ず終わらせると、後ろ髪を引かれる思いを振り払ってカドックは改めて決意した。

夏の終わりが、近づいていた。

 

 

 

 

 

 

ホテルに戻ると、ジャンヌ・オルタがタブレットに向かって必死に原稿を描き上げていた。

机の上には打ち出した漫画の原稿が並べられている。進捗を確認しながら印刷機を操作していたロビンは、こちらが戻ってきたことに気づくと、原稿の束をこちらに手渡してきた。

 

「まずは読んでくれ」

 

原稿を受け取ったカドックは、ベッドの端に腰かけて描き上がったばかりの漫画に目を通した。

既に大部分が出来上がっており、後はクライマックスの部分を描き上げるだけとなっている。

これまで何十という漫画を描き続けてきたこともあり、画力も構成も素人の域をとっくに脱していた。

淡いながらも迫力があり、一つ一つのコマに引き寄せられるものがある。

特にキャラクターの心理描写は圧巻だ。ただの文字の羅列でしかないはずが、そこに絵と物語が加わる事で一個の人生へと昇華されている。

一方で、物語としては少々、ありふれたものだ。

怪物と出会った少女が紆余曲折を経て結ばれる。人間性の獲得と人生への賛歌がそこにはあるが、同時にそれはあまりにも使い古された陳腐なものであった。

 

(……ん? この辺り……どこかで見たような…………)

 

読み進める内にデジャビュを感じ取り、カドックは首を傾げる。

以前、似たような話を読んだことがある気がするのだ。しかし、残念ながら思い出すことができない。

これまで自分達が描き上げてきた漫画の内容は、全て記憶している。もちろん、同じジャンルに挑戦することもあったが、これと似たような話はなかったはずだ。

なのに、自分はこの漫画に目を通してどこか懐かしい感覚に襲われた。まるで、誰もが知っているお伽噺を改めて読み返したかのようだった。

 

「カドック、俺も」

 

「ほら」

 

デジャビュの正体が分からず、首を傾げながら立香に原稿を手渡し、ジャンヌ・オルタを見やる。いつの間にか、彼女は執筆の手を止めてこちらに向き直っていた。

 

「ねえ、今の漫画だけど……面白いと思う?」

 

直球な質問である。無論、面白くない訳ではない。

気持ちは引き込まれるし、キャラクターも魅力的に描かれている。

だが、少しだけ物足りないと感じてしまうところもある。

それがどこなのか、カドックは上手く言葉にできなかった。

 

「どうだ、立香?」

 

「……結末かな。怪物が人間に戻ってハッピーエンド……悪い訳じゃないんだけど……」

 

「そこ突いてくるか……確かに定番すぎて引っかかるわよね」

 

立香の感想を聞いたジャンヌ・オルタが静かに頷いた。

なるほど、確かにその通りだ。円満なハッピーエンドではあるが、それ故に訴えるものがない。

様々な苦難に見舞われながらも障害を乗り越えた二人は人間となって結ばれる。誰もが求める陳腐(クラッシック)な結末だ。

もちろんハッピーエンドが悪い訳ではない。その人が善性であるなら、不幸に釣り合う幸福を得るべきだ。代価に対する報酬があるべきだ。

しかし、人というものは悲劇の中に悦を見い出す厄介な習性も持っている。

絶望に屈した者を、災禍に翻弄される者を、理不尽に成す術がない者を、人はただ娯楽の為に嘲笑う。ならばこの漫画もまた、バッドエンドで終わるべきなのだろうか?

 

「いや、笑える話だが残るものがない。二人は報われるべきだ」

 

「じゃ、二人はこのままってこと? 怪物は怪物のまま、姫は姫のまま、二人は理解し合えると思う?」

 

「……このお姫様ならやってのけるんじゃないかな?」

 

恐らくは、この中で誰よりも多くの異形と触れ合ってきたであろう少年は、確信を持ってそう言った。

手足が人と異なる者、人間とは異なる種族の者、精神に異常をきたしている者。そういった手合いを立香は受け入れ関係を構築してきた。

ジャンヌ・オルタは怪物との相互理解に不安を抱いているが、何よりも確かな成功例が目の前にあるのだ。なら、怪物と姫がお互いをそのまま受け入れる展開だってありではないだろうか。

 

「でも、そうなると少し描写を足さなきゃ説得力に欠けるわね。いえ、いっそ構成自体を見直した方が……」

 

タブレットを前にして、ジャンヌ・オルタは眉間に皺を寄せる。

エンディングの改変だけでなく、描写の追加を行えばページは確実に増えることとなる。

加えて整合性を取る為にネームの見直しやコマ割りの整理。実質、一から描き直すのと同じである。それでは入稿の締め切りに間に合わないかもしれない。

 

「全体のコマ割り構成に戦争の背景モブ……うーん……あーもー! ごめん、ちょっと外に出るわ」

 

煮立った頭を落ち着かせるように振ると、ジャンヌ・オルタは席を立った。

漫画のエンディングをどうすべきか、彼女の中で大きな葛藤があるのだろう。

良い話を作りたいという思いと、きちんと描き上げたものを出品したいという思いがせめぎ合っているのだ。

ああなってしまえば端から何を言っても意味がない。気持ちを切り替えるなりして自分の中で決着を付けねば、先に進めないのだ。

 

「大丈夫かしら、ジャンヌ?」

 

部屋を出て行ったジャンヌ・オルタを見送ったアナスタシアが、不安そうに聞いてくる。

 

「さあ……僕達にできるのは、彼女が満足できる結果を出せるよう、サポートするだけだ」

 

彼女は弱い女ではない。必ず自分の中で答えを見つけてくるはずだ。それまでに、こちらも備えをしておかなければならない。

 

「そうね……じゃ、私はマシュと買い出しにいけば良いかしら?」

 

「茨木童子と牛若丸も連れていけ。手分けして、タブレットと飲み物……ああ、摘まめるものも何か頼む」

 

「了解です、カドックさん。すぐに行ってきます」

 

「俺はみんなに声をかけてくるよ」

 

「任せた。僕は……」

 

時刻を確認し、部屋に備え付けの電話の受話器を取って番号を押す。

数回のコール音の後、回線が繋がって目当ての人物が受話器の向こうに現れた。

 

『はいはーい。こちらゴージャス印刷株式会社。謎の美人秘書のドルセント・ポンドでーす』

 

聞こえてきたのは陽気な女性の声音だった。

いつも漫画の印刷をお願いしている印刷会社の社長秘書だ。

本名は別にある癖に、何故か偽名を名乗っている獣耳の女王様である。

 

「あー、サバフェスに出品する原稿を持ち込みたいんだが……最悪、明朝にもつれ込むかもしれない」

 

『おっと、当日入稿とは外道も外道。もちろん弊社はお客様のニーズには完璧にお応えしています。例え当日入稿であろうと、印刷機を虚数空間に沈めて因果を逆転させればあら不思議。印刷も製本も忽ちの内にご用意ができまーす。が、すこーしご費用がかさみますよー』

 

「用意はある」

 

『わお、太っ腹! どこでそんなに貯め込んだんですか?』

 

「鶏を絞めたのさ」

 

『それはそれは。では、いつでもお待ちしておりますので、頑張ってくださいね』

 

にこやかに笑いながら、ドルセントは電話を切った。

これで、明日の朝までリミットを伸ばすことはできた。後はジャンヌ・オルタ次第である。

 

「顔がにやついてますぜ、マスター」

 

受話器を置くと、椅子に腰かけたロビンがこちらをからかうように言った。

 

「そう見えるか?」

 

「ええ、そりゃね……ここ一番って顔だ。うん、この夏で初めて見た顔かもな」

 

「そうか……そうだな……」

 

「修羅場を楽しめるくらいが丁度良いのか、そこまできたらもう手遅れなのかはオレには分かりませんし、分かりたくもないですけどね」

 

そう言って、ロビンは自嘲気味に笑って見せる。

彼の言う通り、今の自分がこの状況を楽しんでいるのか、感覚が麻痺してしまったのかは分からない。

ただ、今までにないくらい、心が躍っているのは確かだ。

時間も残り僅か、成し遂げられるかどうかも未知数。しくじればこれまでで最悪の痛手が待っている。

これは大きな賭けだ。

 

「あんたの人生がかかっているんだが?」

 

「ま、その時は大魔女様のお世話にでもなりますよっと」

 

「助かるよ、皐月の王」

 

それから三十分程して、ジャンヌ・オルタは戻ってきた。

どこで気分転換をしてきたのかは分からないが、派手に暴れてきたのか顔のあちこちに傷ができている。

こちらがタオルを差し出すと、彼女は乱暴にそれを引っ手繰って顔の汚れを雑に落とす。

そして、一度だけ深呼吸をすると、澄み切った迷いのない目でこちらを見つめてきた。

 

「描くわ……もう一度、ネームから描き直す」

 

そう宣言するジャンヌ・オルタの言葉は、まるで兵士を鼓舞する聖女のように凛とした響きがあった。

どうやら、迷いは吹っ切れたようだ。

 

「間に合わないかもしれない。無茶で無謀なのも承知している……けど、描きたいの」

 

「良いんだな?」

 

「あの監督英霊……あいつは下手くそだけど、自分の作品にだけはどこまでも真摯だった。もっと拘れる部分、改善の余地はあっても、彼にはあれが精一杯だった。ええ、私も同じでしょう。未熟な素人よ……でも、ここで妥協したら、今以上のものはもう描けない……そんな気がするの」

 

彼女の言葉で、三日目に出会った監督英霊とのやり取りを思い出す。

一日を棒に振る形になったが、彼との出会いは彼女の中でプラスに働いたようだ。

今のジャンヌ・オルタは、今までにないくらい真剣で、熱意とやる気に満ちている。

よい作品を何が何でも生み出したいという、創作家にとって最も大切な思いで溢れ返っていた。

 

「ああ……なら、やろう」

 

直後、勢いよく部屋の扉が開いて、大勢の人が雪崩れ込んできた。

買い出しに出ていたマシュ達と、助っ人を呼びに行っていた立香が戻ってきたのだ。

 

「ただいま、みんな快く引き受けてくれたよ」

 

「こちらも準備万端です。人数分のタブレットとエナジードリンク、軽食も完備です」

 

「あんた達……って、なんで? ちょっと、何? 何なの?」

 

状況についていけず、ジャンヌ・オルタは戸惑いを見せる。

立香と共に部屋に入ってきたのは、反転していない方のジャンヌに刑部姫、そして北斎の三人だ。

全員、サバフェスにおける同人仲間にしてライバル達である。

 

「いようし、どこから手をつけたもんかねェ?」

 

「うーん、この感じだと一からコマ割りを切り直した方が分かりやすいかも」

 

「じゃ、手分けして始めちゃいましょうか」

 

戸惑うジャンヌ・オルタを尻目に、三人は好き勝手に言い合いながらマシュからタブレットを受け取る。

机の上には補給物資が並べられ、邪魔になる家具の類はカドックとロビンが手分けして部屋の隅へと押しやった。

そうしてできたスペースに各々が陣とっていき、即席のアトリエが完成する。

 

「まさか、手伝うつもりなの? 止めてよ、頼んでもいないのに……」

 

「ええ、その通りです。だから、これはお節介ですね」

 

らしくない弱々しい声を漏らしたジャンヌ・オルタに、ジャンヌは笑顔で応える。

 

「マスターからお話を伺いました。オルタならきっと、素晴らしい本を作るだろうと……私も、あなたの描いた本が読んでみたいのです」

 

「まあ、おれは命を救われた縁もあるしなァ。ここらで恩を返しておかないと寝覚めが悪いや」

 

「オルタちゃんが隣にきて、色々と刺激ももらえていい本が描けたから、そのお礼くらいわね」

 

「あんた達……」

 

口々に言う三人の顔を見まわし、ジャンヌ・オルタは言葉を失った。

この七日間、交流しながらも競い合ってきたライバルたちであった。

全員がジャンヌ・オルタなど及びもしない、サバフェスの常連。熟練の絵師達だ。

その彼女達が今、未熟なジャンヌ・オルタを奮い立たせんとしている。その手を取って、更なる高みを目指さんと促している。

 

「オルタ、この本は完成させるべきだ。死に物狂いでやってみる価値はある」

 

「藤丸……うん、それは……確かにそう思うけど……あんた達は良いの?」

 

全員が、無言で頷いた。

思うところがない訳ではない。誰だって自分達の作品が一番だと思いたい。

けれど、それ以上に譲れないものがこの世界にはある。

生れ落ちようとしているより良い作品を、埋もれる前に掬い上げる。

素晴らしい作品をこの目で見たいという欲求だけは、誰にも抑えることなどできないのだから。

 

「……どいつもこいつも、お節介ねまったく」

 

「うん、そうだね」

 

「まったくだな。で、どうする?」

 

こちらが改めて聞き返すと、ジャンヌ・オルタは白い歯を剥き出しにして笑顔を見せる。

 

「――やるに決まってるでしょ。さあ、アシスタントリーダー&パシリ一号……やるわよ!」

 

そして、壮絶な修羅場が幕を明けた。

何しろ半ばまで完成していた原稿を、一から作り直すのだ。

大まかなストーリーはそのままだが、新たなアイディアを付け加えるためにコマ割りを整理し、そこに新しいネームを書き加えていく。

少しでも手間を節約する為に、使い回せそうなコマの切り貼りも並行して行われた。

そして、ジャンヌ・オルタが必死の思いで描き上げたネームに各自が手分けして色を塗っていく。

人手が増えたとはいえ、これがアナログな手作業であったのなら、間違いなく間に合わなかったであろう。

 

「ひええ! 部屋に戻ったらまさか修羅場だったなんて!」

 

途中、観光から戻ってきたXXも悲鳴を上げながら作業に加わり、下書き状態のページがどんどん上書きされていく。

時間経過と共に用意しておいたエナジードリンクも次々に空けられ、ごみ箱は空き缶とお菓子の空き箱でいっぱいになっていった。

それは、後になって振り返ると、漫画と殺し合うような作業であった。

刻一刻と迫るタイムリミット。熟練者達が集ったとはいえ、一晩で漫画を描き上げるというのは土台からして無茶な話であった。

途中でまず茨木童子が力尽きて眠りに落ちた。

牛若丸が腱鞘炎を起こした。

バカンス疲れと修羅場に当てられてXXが幻覚を見始めた。

アナスタシアがタコ足配線に引っかかってとと様を押し潰した。そして、カドックが胸に沈んだとと様にキレた。

トラブルが起こる度にロビンが走り、物語の展開を巡ってジャンヌ同士が舌戦を繰り広げる。

全員が、魂を削って一つの作品を描き上げようと邁進していた。

 

「ああ! ダメ! ブリトーよ! あの店のチキンブリトーが食べたいわ!」

 

「突然、何を言い出すんだオルタ!?」

 

「ブリトーが頭から離れなくて、ペンが進まないのよ!」

 

「ロビン、ここは僕がやるからブリトーを!」

 

「マスター、店はもう閉まって……」

 

盗ってこい(ピンクパンサーだ)!」

 

ブリトー買ってくる(ブリトー攻撃)!」

 

様々なすったもんだあった末に――。

 

「おい、客に空からゲロを降らした馬鹿はどこのどいつだ! 連れてきたからちゃんと謝りやがれ!」

 

「こいつよ」

 

「食い過ぎて吐いたのはお前だろ! ええい! 誰に謝れって!?」

 

「■■■!」

 

「呂布奉先!? それにフラン!?」

 

「しょーぐんは、まあよいゆるす、とおっしゃっているのである。ただしこの『軍神五兵(ごっどふぉーす)』がゆるすかな!? とおっしゃっているのである」

 

「おい、マスター……」

 

「任せろ……フォーリナーハンターズ!」

 

「アッセンブル! 私以外のセイバー……後、その保護者も一緒にぶっ飛ばす!」

 

「■■■■!」

 

「しょーぐんは、『鉄拳制裁タイムだ(むっしゅむらむら)』とおっしゃっている」

 

「今の内に、部屋に戻れ!」

 

多くの地獄を乗り越えた果てに――。

 

「……あの……だな……その……でーたってえの、どうやったら復活する?」

 

「ちょっと見せて……ギャー! 消・え・て・る!?」

 

「おっきー、ステイ!」

 

「と、とりあえず修復作業! ロビン、バックアップあるわよね?」

 

「ああ、十五分おきにしてますよ」

 

「面目ねえ」

 

「デジタル作業にマシントラブルはよくあることよ! マスター!」

 

「ああ、あのタクシーを手配しておく。あれで会場入りするなら、ギリギリまで作業に回せる!」

 

「間に合うでしょうか?」

 

「必ず間に合わせるの! 諦めず、最後まで見捨てずにやりましょう!」

 

遂に――。

 

「か、完成……したわ……」

 

みんなで考えた、最高の本が完成した。




残る話は1ないし2話。
ルルハワは連続したストーリーだけじゃなくて枝葉の話も多いから、書こうと思えば延々と書けるのが辛いところ。でも、長々とやればいいってもんじゃないと思うので、きっちり終わらせたいと思います。


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七日目そのX スタンド・ビハインド・ミー

色々なことがあった。

色んな場所に出かけた。

みんなで騒ぎ、美味しい料理を食べ、夏の海を満喫した。

だというのに、その思い出はまるで霧に覆われた朝焼けのようにハッキリとしない。

どこで遊び、何を食べたのかをうまく思い出すことができなかった。

鮮烈に思い出せるのは、最後の七日間だけだ。

新しい出来事だからではない。この繰り返しの七日間を終わらせると決めたからこそ、二度とは繰り返されない夏を本気で楽しもうと思えたからだ。

 

『よし、早速だが海に泳ぎに行こう。その後はみんなでスイーツだ!』

 

『立香、黒髭海賊団で飲みに行くんだが、お前も来るか? 来るならドレイクを呼んできてくれ』

 

『夕食はハードロックカフェだ! え、店内がうるさい? 当たり前だろ、ロックなんだから』

 

『茨木……まだ食べ歩くのか? 悪いが……せめて、胃薬を……』

 

『くそっ、こんどこそあのラーメンを食べ切ってやる! アナスタシア、なに面白そうに動画撮ってるんだ!』

 

立香や牛若丸と海に出かけた。

マシュやアナスタシアと街に繰り出した。

茨木童子とXXのグルメ紀行に付き合わされた。

ジャンヌ・オルタのわがままにロビンと共に振り回された。

どれもこれも、かけがえのない思い出だ。替えの利かない大切なものだ。

そんな夏が、もうすぐ終わる。全てを決めるあの鐘の音が、高らかに鳴り響く。

サバフェスの終了を告げるアナウンスが、茹った場内の隅々にまで轟いた。

 

『……以上を以て、終了とします。そして、今年度の売り上げ一位のサークルは……見事、初参加で完売を成し遂げた、ゲシュペンスト・ケッツァーです』

 

繰り返されるアナウンスと共に、周囲のサークルから拍手が聞こえてきた。

右も左も、目につく全てのサークルがゲシュペンスト・ケッツァーの健闘を讃えている。

その光景を、どこか遠くの出来事のように見つめながら、カドックは大きく息を吐いた。

胸の中を様々な思いが飛び交っている。

やり遂げたという達成感。

祝福に胸を躍らす高揚感。

夏の終わりを感じ取った寂しさ。

色々な思いがない交ぜとなり、笑って良いのか泣いて良いのかさえ分からない。

ただ、全てが終わったのだということだけは、ハッキリと自覚できた。

 

「やってくれたわね……もう、正真正銘、こっちの完敗よ!」

 

わざわざこちらに出向いてきたメイヴが、開口一番にそう言った。

この七日間で最大の障害として立ち塞がったコノートの女王は、今は悔しそうに歯噛みしている。

女王ならば勝って当然。そして、その為ならば如何なる努力も策謀も厭わない。だが、そんな彼女でも勝者を貶すことだけは矜持に反するのだろう。一通り悔しがった後、まるで宣戦を布告するかのようにジャンヌ・オルタに向けて指を突き刺した。

 

「いいわ、今回は勝ちを認めてあげる」

 

「それはどうも。それじゃ、はい」

 

ジャンヌ・オルタは涼しい顔で、一冊だけ残しておいた本をメイヴに差し出した。

 

「本は交換するものでしょ?」

 

「ええ。心底いらないけれど、貰っておいてあげる。お返しに私の方もあげるわ。次回はもっといい本を作るから、すぐに価値も下がるでしょうけど」

 

「ふん。これっぽっちも欲しくないけれど、仕方ないからもらってあげるわ」

 

ふてぶてしい笑みを浮かべながら、二人は互いの本を交換する。

どちらも相手の事が心底から気に入らず、和解した訳でもないが、それはそれとして健闘は称え合う。奇妙な友情がそこにはあった。

 

「先輩、カドックさん、聖杯は無事に受領しました。念のため確認しましたが、この魔力リソースは間違いなく聖杯です」

 

運営から聖杯を貰い受けたマシュが、こちらに戻ってくる。その手には、見慣れた黄金の杯が握られていた。

BBの言葉に従うなら、これをキラウエア火山で使う事で、女神ペレの力は回復して特異点も消失するということらしい。

午前零時でループが始まることを考えると、急いで出なければ間に合わないだろう。

 

「BBは……見当たらないね」

 

「そういえば、XXさんを仲間にしてから姿を見ていませんね。開会式もアナウンスだけでしたし」

 

立香の疑問を、マシュが補足する。

そう、本来ならばサバフェスの主催者であるはずのBBが、今回に限って姿を一度も見せていないのだ。

まるで何かを警戒しているかのように、姿を隠している。何度も周回を繰り返してきたが、このようなことは初めてであった。

 

「立香、XXは?」

 

「……ごめん、ホテルに連絡したら、部屋には誰もいないって……」

 

「あいつ、まさか観光に出かけたんじゃないだろうな?」

 

確かに漫画制作にまで付き合わせたのは悪いと思っているが、それはそれとして邪神案件に対しては共同戦線なのだ。出発前にあれほど、夕方には合流するよう言っておいたのに、いったいどこへ行ってしまったのだろうか?

 

「どうするの、カドック? このまま俺達だけでキラウエア火山に登るの?」

 

「いや、ここまで来たのなら向こうのルールに従う必要もない。僕達が行くべきはマウナケア天文台だ」

 

そこで待っているのだ。ペレを名乗る黒幕が。

己の目的のために七日間をひたすら繰り返させた、恐ろしき第三の邪神が。

 

 

 

 

 

 

そもそも、最初におかしいと思うべきだった。

ハワイの神話における女神ペレの本拠地はキラウエア火山。しかし、BBが最終日に来いと指定したのはマウナケアだった。

そこはペレと敵対関係にある女神ポリアフの住まう雪山。神話において女神ペレが一度も立ち寄れなかった、彼女にとって最悪の土地なのだ。

なのに、BBはマウナケアを指定した。それは何故なのか。

答えは明白だ。彼女はペレであってペレではないのだ。

 

『事の始まりは今日という日から少しだけ遡ります。太陽系第三惑星……地球のハワイ諸島において、第三の邪神反応が検出されたのです』

 

キラウエア火山での戦いの後、XXは自身が地球へとやって来た理由を説明してくれた。

彼女の任務は地球で観測された邪神反応の調査と討伐。つまり、アビゲイル・ウィリアムズと葛飾北斎に次ぐ第三のフォーリナーを見つけ出すことであった。

だが、巧妙に姿を隠した第三のフォーリナーをXXは見つけ出すことができず、とりあえず手当たり次第にフォーリナーを倒そうと暴れていたのが、これまでの彼女の経緯であったのだ。

そう、カルデアが観測したフォーリナー反応とはXXのことではなかったのだ。彼女もまた、カルデアと目的を同じにする者であり、真の敵は別にいたのである。

 

『どうしてキラウエア火山でキャンプをしていたのかですか? もちろん、誰もいなかったからです。女神ペレですか? さあ、知りませんね』

 

XXの話では、彼女がキラウエア火山に辿り着いた時にはもうそこには誰もいなかったらしい。

本来ならばいるべきペレの姿も、その力を譲り受けたBBもいなかったのだ。自分達はずっと、XXによって女神ペレは倒されたと思っていたが、事実は逆であった。即ち、ペレが倒された後にXXがキラウエア火山にやって来た。

そこから導き出される答えは一つしかない。

カルデアが観測したフォーリナー。

XXが追いかけている第三の邪神。

その正体は、BBなのである。

 

「BBとXX。二人が言っていることには食い違いがあって矛盾しているようにも聞こえるが、実際は互いに補完し合っているんだ。重要なのは順番なんだ」

 

果たして、ペレが倒されたのはどのタイミングなのか。

二人の証言が矛盾し合わない答えを考えた場合、最も有り得る可能性はBB自身がペレを倒して力を奪ったということである。

少なくとも時系列上の矛盾はこれで解消される。

そして、そこまで考えると新たな疑問が浮かんでくる。

BBがペレを倒して力を奪い、特異点ルルハワを作り出した。なら、サバフェスの報酬である聖杯はいったい何なのか。彼女は何を考えて自分達に聖杯を手に入れろと命じたのか。

答えはまたしても逆なのだ。

特異点を修復するために聖杯を手に入れさせたのではなく、聖杯を手に入れさせるために特異点を形成した。

聖杯を手に入れ願いを告げさせること。それ自体が目的なのだとしたら?

 

「そうなんだろ、BB?」

 

以前は入らなかった進入禁止のエリアに足を踏み入れ、辿り着いたマウナケア山の頂上。

何もない荒涼とした大地を油断なく踏み締めながら、カドックは声を張り上げた。

そう、何もないのだ。本来ならばあるべき、マウナケア天文台すらここにはない。

空っぽの台地が広がっているだけであった。

 

「あーら、気が付いてしまったんですね」

 

どこか小馬鹿にするような挑発的な含みを持った声が、虚空に響く。

全員が身構える中、それはゆっくりと姿を現した。

まるで闇から溶け出すかのように、日に焼けた肌をコケティッシュな装束に包んだ少女、女神ペレの権能を授かったBBが姿を現したのだ。

 

「まったく、気が付かなければ楽しい夏を過ごせたというのに、あなたといい彼といい、どうして余計なことに首を突っ込むのでしょうね?」

 

どさりと、何かが地面に倒れ込んだ。

一瞬、黒っぽいゴミのようなものと錯覚したが、すぐにそれが人の形をしていることに気が付いた。

赤黒い肌に蠢く刺青、そして手にしている歪な短剣。時の挟間でランゴリアーズと戦っていたアンリマユだ。

どういう訳か、体の至る所が傷だらけで、息も絶え絶えといった状態であった。

 

「アンリマユ!?」

 

「ようやくお出ましか。悪いなマスター、どうにもオレじゃ手に負えない相手でさ……」

 

苦し気な声を漏らしながらも、アンリマユは果敢に切りかかる。獣の如き俊敏性。肉食獣もかくやという変則的な動きを以てBBを翻弄せんとする。

しかし、次の瞬間には地に伏していたのはアンリマユのほうだった。BBがどこからか取り出した鎌で、アンリマユの両手を切断したからだ。

 

「うがあああぁっ!」

 

痛みを堪え切れず、どす黒い鮮血で大地を汚しながら、アンリマユはのた打ち回った。

 

「惨めですねぇ。飽きもせずに何度も挑んで来て……ほんのちょっぴりでも私に敵うと思ったんですか?」

 

つまらなそうに、BBはアンリマユの体をこちらに向けて蹴り飛ばした。まるでボールのように弾んだアンリマユの体は、丁度こちらの足下の辺りで石に引っかかって動かなくなった。

 

「アンリマユ!」

 

「……へへ、一人でやるつもりだったんだけど、やっぱオレじゃ力不足だわ……何度やっても駄目だった…………気を付けろよマスター、最弱のオレが言うのもなんだが、あいつは強いぜ」

 

「何を言って……まさか、お前……」

 

「ええ、そのまさかです。彼はこの繰り返しの日々の中で、飽きもせずに何度も私に挑んでは返り討ちにあっていたのです」

 

脳裏に浮かんだ疑問を、BBが肯定する。つまり、アンリマユはずっと前からBBと敵対していたのだ。

自分達が合法的に聖杯を手に入れんと漫画作りに躍起になっていた頃から、彼は一人でBBに戦いを挑み、その度に敗北してきた。

以前、時の挟間で出会った時にあちこち傷ついていたのは、BBによって負わされた負傷だったのだ。

 

「忘れてしまえば楽になれるというのに……まったく、厄介ですね……忘却補正とやらは」

 

「そうでもないぜ。どうでもいい事(大事な思い出)はてんで、思い出せねぇしな」

 

痛みに呼吸を乱されながらも、アンリマユはシニカルな笑みを浮かべて見せる。すると、退屈そうにしていたBBの表情が忽ちの内に憤怒の顔へと変化した。

 

「軽口はそこまでにしておきなさい。あなたのおかげで私の計画は台無しです……あなたがカドックさんとこっそり契約していなければ、もっと事はスマートに運べたというのに」

 

「僕と……契約だって?」

 

「あら、やっぱり気づいていなかったんですね。この人はあなた達がカルデアを出立するごたごたに紛れて、一方的にカドックさんとパスを繋げたんです。ええ、おかげで何度試みてもカドックさんの記憶を消すことはできませんでした」

 

「お前、そんなことを……」

 

「……このさくらんぼ娘が何か企んでいるってのは何となく気づいていたんでね。悪いけど、最悪に備えて勝手に契約させてもらった……」

 

BBは言っていた。自分の記憶を周回に持ち越させるつもりはなかったと。だが、その意図に反して以前の記憶を有したまま次のループに臨むことができた。それはアンリマユとの契約で、彼の忘却補正の影響を受けていたからだったのだ。

恐らくは彼はこのルルハワが作られる前から、BBの異変を察知していた。彼女が何をしようとしているのかも気づいていたのだ。

 

「余計な事をしてくれたものですね。あなた自身もループに巻き込まれているから、消滅させても記憶を有したまま初日には戻ってくる。本当に目障りです」

 

「そうか……特異点が形成される七日前より以前には時を戻せない。だから、彼を排除したくとも力尽くでねじ伏せる事しかできなかったのか」

 

「ご明察です」

 

「BBさん、いったい何を考えているのですか? まさか、カルデアハワイ支部と連絡が取れなくなったのは、ここが特異点になったからではなく――――」

 

「そう、カルデアハワイ支部が嘘のようにまるごと虚数空間に消されてしまったからです。本来ならばここ――このマウナケアの頂に建てられた天文台こそがハワイ支部だったのですよ。ま、みーんな虚数空間に沈めてしまいましたけど」

 

マシュの問いに対して、BBは嘲るように答える。同時に、彼女の体から禍々しい黒いオーラが発せられた。

まるで全身の毛が逆立つかのような感覚だった。背筋が凍り付き、直視していると脳が内側から捻じれていくかのような不快な気が湧いてくる。

意識を集中させなければ、立っているのもやっとの有り様だ。

本能的な恐怖に思わず足が竦んだ。

目の前に立っているのは、確かに見知ったBBのはずなのに、彼女ではない別のものであるかのような錯覚を覚えるのだ。

この感覚には覚えがある。

アビゲイル・ウィリアムズや葛飾北斎が孕む邪神と同じ気配だ。

 

「あなた、本当にあのBBなの? いったい、何を取り込めばそんな姿になるのかしら?」

 

「不躾な人。あまり、人の中身を見るのは止めて頂けませんか、皇女様? それとも出歯亀がご趣味なのですか?」

 

こちらを守る様に一歩、前に踏み出たアナスタシアを不快そうに睨みながら、BBは言った。

するとどうだろう。彼女を包み込むオーラが一気に広がり、周囲一帯を漆黒へと染め上げた。

カドック達が垣間見たのは虚空に浮かぶ真っ赤な三つ目。まるで闇に開いた咢のような目がこちらを睨んでいた。

そして、闇が晴れると共に風景は一変していた。

無数の星々が煌めく夜空は暗黒に染まり、何もない荒れ果てた地には朽ちたスロットマシーンのような機械がいくつも転がっている。

その中心に立つのは、霊基を再臨させたBBであった。

コケティッシュな衣装から白いハイレグ水着へと着替え、普段の霊基の時に纏っているものとよく似た黒いマントを羽織っている。

今まで隠していたのだろう。発せられている魔力の値も今までとは段違いだ。

 

「この光景は……うっ、頭痛が……」

 

「先輩!? 大丈夫ですか、先輩!」

 

「マシュ、立香とアンリマユを連れて下がってろ! ロビン、頼めるか!」

 

「ああ! しかし、何の残骸だコイツは……意味もなくおぞましいぜ……」

 

何故か朽ちた機械を目にした途端、立香は顔色を変えて苦しみ出した。

錯乱というほどではないが、あれでは戦闘の指示は難しいだろう。

 

「チックタック、チックタック、チックタック♪」

 

苦しむ立香を見ながら、BBは楽しそうに時計の針の音を口ずさむ。

嗜虐的な表情からは、温かい感情と呼べるものが一切、感じられなかった。

あるのは冷酷で無慈悲、人をどこまでも弄び、からかうおぞましくも恐ろしい嗜虐心だけだった。

 

「そっちが本来の姿な訳か。なら、ペレより先に別のものを取り込んだんだな?」

 

「ええ。サバフェスの下準備の為にハワイを訪れた際、軽い気持ちでハワイ支部にお邪魔しまして、望遠鏡のレンズを覗いてみたら……わたしの権能と相乗効果で宇宙の先の先まで視えちゃって、目が合ってしまったんです」

 

深淵を覗く者は注意しなければならない。深淵もまたこちらを覗いているのだ。そう言っていたのは果たして誰であっただろうか。

ともかくBBは善意からサバフェスの主催を買って出て、偶然から外宇宙の邪神と同調してしまったのだ。

恐らくペレは異常を察知してBBと敵対したのだろう。だが、力及ばずに返り討ちに合い、その権能を奪われてしまった。

後は周知の通りだ。彼女はサバフェスの準備を進める傍らで特異点ルルハワを形成し、自分達を閉じ込めたのである。

 

「はい。時間を巻き戻すのはこの邪神(わたし)の権能。人々の欲望をかき集めるのはこのBB(わたし)の権能。ルルハワ諸島を自在に操るのはこのペレ(わたし)の権能。千の顔を持ち、百万の愛する者の母……故の無貌……それこそがこの私――BBホテップなのです。もっとも、あくまで同調しただけで乗っ取られた訳ではありませんので、クラスはムーンキャンサーのままですが」

 

フォーリナーに変質してはいない。だから、XXは彼女を見つけ出すことができずサバフェスを直接、攻撃するしかなかった訳だ。

だが、そう言いながらも、酷薄な笑みを浮かべるBBの双眸からは凡そ理性と呼べるものは読み取れなかった。

深紅に染まった瞳はあらぬ虚空を見つめており、相対しているこちらを見ているようで見ていない。

あれと同じ瞳を自分は知っている。

ナイチンゲールや清姫、スパルタクスといった狂気で向こう側に振り切れてしまった者の目だ。

狂気に囚われたのではなく、狂気そのものに成り果てた――故にその行動は理性的かつ合理的だ。

彼女は邪神と同調しただけで神性を取り込んではいないと言っていたが、果たしてその言をどこまで信じられるだろうか。

 

「BB、君が邪神の力を手に入れたのは分かった。ペレを倒して権能も奪った……そろそろ種明かしをしてもらえないか? そこまでして、何をしようっていうんだ? この聖杯を君が言う通りに使っていれば、何が起きたんだ?」

 

「あら、お気づきになりませんか? もちろん、皆さんのためですよ。どんな姿になってもわたしは人々の健やかな生活を見守る健康管理AI。全人類へのご奉仕こそが至上命題です。だから――――あなたに用意してあげたんです。永遠の夏休みを」

 

ぞっとするような、壊れた笑みを浮かべてBBは言い放った。

 

「ループする夏休みは楽しかったですか? 分相応な夢を見ちゃって、努力して、挫折して、敗北して、立ち上がって、また努力して、仲間が出来て、勝利して――――ああ、本当に面白かったです。そして、その聖杯――わたしが用意した、黄金の豚の杯を使えば、あらゆる願いは逆に叶う。富を願えば全てを失い、平和を願えば戦争が巻き起こる。もちろん、あなた達に嘘は言っていません。AIは本当のことしか言えませんから――――あなた方が聖杯を使えば、わたしが取り込んだペレの権能が拡大する。そういう仕組みを用意しました」

 

確かにBBは嘘は言っていない。彼女が言っていたように、女神ペレは力を取り戻すのだ。ただし、取り戻された権能を振るうのはペレ自身ではなく女神の枠へと収まったBB自身。何故なら、この特異点ルルハワにおいては女神ペレはBBだからだ。

そして、そうなれば世界全体が繰り返されるの七日間に囚われることになるだろう。ハワイという限られた地域だけではない。拡大した権能は全世界を覆いつくし、地球の全てを特異点ルルハワへと化すことができる。

この星は永遠に前に進むことができず、閉じた円環の中で終わらない夏を繰り返すこととなるだろう。

 

「ところでカドックさん、あなたは上位者の存在を信じますか? 遍くこの世界を高みから見下ろし、娯楽として楽しむ微睡む者を?」

 

「さあな。君が同調した邪神が奉仕する白痴の神のことか?」

 

この世界は巨大な存在が微睡む夢の産物であり、その者が目を覚まさぬよう従者が寝かしつけている。そんな話をどこかで聞いたことがある。記憶が確かならばBBが同調した邪神はそれに仕える者のはずだ。

そう問い返すと、BBは意外にも静かに首を振った。こちらを見下す赤い両目は仄かな哀れみを抱いている。理解など及ばないであろうと暗に言っているようであった。

 

「どう捉えて頂くかはお任せします。ですが、上位者は存在します。それはこの世界を物語と捉え読み解く者。この世界を娯楽と楽しむ者。言うならばこの世は巨大な遊戯盤のようなものなのです。そして、物語は無数に存在します。ある日、前触れなくこの世界に飽きた上位者は、パソコンを閉じるようにこの世界の電源を落としてしまうかもしれない。遊戯盤に例えるなら、古い盤をしまって新しい盤を取り出すようなものです。そうなってしまえば世界は終わり。後に続くものなんてない、永遠の終わりがやってくる」

 

「カドック、どういう意味かしら? 私には安っぽい終末論にしか聞こえないのだけれど?」

 

「……分からなくていいと思う」

 

俄かには信じがたい話であるし、それを語っているのが狂気に囚われたBBであるという点もあって素直に耳を傾けることもできない。

本来ならば嘘などつけない電子の精。しかし、今の彼女はどこまで信用できるのだろうか。

或いは邪神と同調したことで、彼女は世界を正しく認識したのかもしれないが、それを確かめる術はなかった。

何より、BBという存在がどんどん希薄化していっているのが不気味だ。恐ろしさすらある。

微笑み、悲しみ、笑っているはずの彼女の顔がよく見えない。そこに確かにいるはずなのに、見上げたそこには宙に浮かんだ赤い三つ目しか見えないのだ。

 

「分かりませんか? この世は偏在する無数の娯楽の一つ。わたし達は上位者に認識されて初めて存在を確立できるのです。もし、あれが認識を止めればわたし達はどうなるでしょう? 消えるのでしょうか? 止まるのでしょうか? 物語はそこで終わり先なんてありません。本を読みかけで閉じるようなものです。読者にとって読み終えた部分までが全てで真理なのです。その瞬間に不幸にある者は、何があってもその先もずっと不幸のまま。報われることはありません。だって、世界はそこで終わってしまったのですから。見果てぬ夢を追う人は、物語の中で成し遂げられるかも分からない困難に挑み続けることになるのです。ねえ、見捨てては置けないでしょう?」

 

「そんなものは誇大妄想だ!」

 

「この世界の法則では認識できないのです。だから、わたしは取り込んだペレの権能を拡大することを思いついた。あなたが困難から逃げられる避難場所を作り上げた――それがこの特異点ルルハワです。ここは七日で全てが繰り返される世界。それ以上は進めずとも苦難が続くことはない刹那の物語。いつ終わるかも分からないストレスフルな長いだけの長編なんて今どきは受けません。どこで切っても幸せで一話完結の短編こそが至上なのです。あなたも見てきたでしょう? ルルハワでは大きな争いもなく人理の為に戦う必要はない。誰もが約束された娯楽を繰り返せる平和な世界なのですから」

 

「余計なお世話だBB! 分かっているのか!? それではどこにも辿り着けない! 僕は見てきたぞ。たった一度の人生、たった一度の夏の為に必死で努力する奴らを!」

 

やり直しが利かないからこそ、人生は尊いものなのだ。

例え無様に終わろうとも、結果が残るから張り合いがあるのだ。

BBの語る世界はそれをないがしろにしている。生きとし生ける人々の、前に進もうという努力と情熱を否定するものだ。

カドックはこの七日間、間近で見続けてきた。

素人でありながら、憧れた作品よりも良いものを作る為に苦悩する少女の姿を。

誰かに嫌われようとも、自分を信じる者達の為に一番を目指そうと努力を続ける少女の姿を。

サバフェスというお祭りを、同じ瞬間は二度とは訪れない一瞬を楽しむ英霊達を。

BBがやろうとしていることはそれを否定している。

永遠にはなれない刹那を、人間の生き様を否定している。

許容できる訳がない。

彼女は人々から浪漫を取り上げようとしている。

 

「受け入れてはもらえませんか。仕方ありませんね」

 

BBの顔から表情が消える。いや、ずっと前から顔なんてなくなってしまっていたのかもしれないが、残っていた赤い瞳から最後の感情が消えてしまった。

残されたのは全てを見下し嘲笑う三つ目のみ。燃えるような赤い瞳が全てを射抜き、闇そのものとも言える体に魔力が満ちていく。

 

「BBさんに魔力が集中……来ます!」

 

「マシュ、立香を頼む! みんな行くぞ! いつものように……世界を救いに行こうか!」

 

カドックが魔術回路を励起させると同時に、ジャンヌ・オルタと茨木童子が得物を構えて疾駆し、牛若丸が空を駆ける。

その後ろからはアナスタシアとロビンが援護に回った。

5対1。大英雄でもなければ勝ち目はない戦力差を前にして、BBは動かない。不気味な沈黙を保ったまま、相変わらず全てを嘲るように笑っている。

そして、そのまま何の抵抗もなく、ジャンヌ・オルタの刀は彼女の柔肌に吸い込まれていった。

 

「取った――――えっ!?」

 

地に伏していたのはジャンヌ・オルタの方であった。確かに切り付けられたはずなのに、BBの体には傷一つついていない。

続いて槍を突き刺そうとした茨木童子と、空中から切りかかった牛若丸が見えない力で弾き飛ばされた。

何が起きたのか分からず、二人は混乱した頭で嘲笑うBBを見上げている。

そして、毒の矢と冷気にも応える素振りを彼女は見せなかった。粉雪が弾けて消えるように、何の手応えもない。

そこに至って確信する。こちらの一切の攻撃が彼女に効いていないのだ。

 

「ちょっぴりでも敵うと思いましたか、お馬鹿さん? わたしは外宇宙の邪神と女神ペレの権能を取り込んでいるんです。ええ、法則が違うのですもの。せめて次元の段階を3つ上げてからどうぞ」

 

迂闊だった。真性の神格ではないからと侮っていた。グランドオーダーの際に戦ったケツァル・コアトルやゴルゴーンといった神格達と同じく、彼女もまた自分達とは魂の規格(スケール)が違うのだ。

特異点を形成し、時間を巻き戻すだけではない。よもやここまで神々の権能をものにしているとは予測できなかった。恐らくヴィイの魔眼でも彼女には弱点は生まれないだろう。

彼女を傷つけるには、こちらの位階を上げるか、何らかの手段で権能を引きはがすしかない。

 

「まあ、そんな成長の余地も反撃の機会も与えませんけど。何故なら皆さんはここでわたしに飲み込まれるのですから――――さあ、残酷に落としてあげる」

 

真っ赤な三つ目が揺らぐ。

それは確かにそこにいたはずだった。なのに、いつの間にか姿を消している。

困惑するこちらを尻目に、ただ耳障りな嘲笑だけが世界にこびりついていた。

消える事のない嘲りの笑み。こちらを見下す声。飽きるまで玩具を弄ぶ無邪気で残酷な指先。

地面が揺らぐ。

足下の存在が不確かでハッキリとしない。

星すら既にこの世にはない。

見上げた空に輝くものは、炎のように揺れる三連星。否、あれは星ではない。目だ。目だ。残酷極まる嘲りの目だ。燃えるような三つ目だ。

彼女は消えたのではない。

彼女が消えたのではない。

消えるのはこちらだ。

消えるのは自分の方だ。

ちっぽけな虫けらへと成り果てた、憐れな人間の方だ。

 

「立香! マシュ! 逃げっ――!!」

 

「無駄ですよ。あなた達はもうわたしの手の平の上」

 

世界が掬い上げられる。

闇の向こうから生えだした巨大な手が、砂山を崩す様にごっそりと自分達ごと地面を削り取ったのだ。

爛々と燃える赤い目がこちらを見下している。

あれはBBだ。

女神と邪神の権能を取り込んだ電子の精。

巨大な闇そのものへと変質した彼女の手によって自分達は持ち上げられている。

逃げる事はできない。

逃げられる場所もない。

既にこちらの規格(スケール)はミリサイズにまで縮小されている。

まるで釈迦の手の平の上の孫悟空。

全ての生命をランクダウンさせ弄ぶ彼女の狂気の宝具。

この手の平こそが今や世界の全てであった。

 

「ふふっ、もう逃げられませんよ。これが欲望の果て、肥大したエゴの末路。『C.C.C.(カースド・カッティング・クレーター)』! 思い知りました?」

 

残酷な笑みと共に、BBは両の手の平を握り締めた。

空を覆うように閉じられていく指。

成す術もなく握り潰されていく虫けら以下の英霊達。

断末魔の悲鳴を上げる間もなく、カドックの意識は闇へと堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

体が重く、視界は暗い。

或いはこの世界には光なんてないのかもしれない。

揺蕩うように落ちていく体には一切の力が入らない。

意識はハッキリとしている。

五体も無事だが感覚に連続性がない。頭と手と足だけが闇に浮かんでいるかのようだ。

大海原に身一つで投げ出されたかのような気分だった。

恐怖はあったが取り乱すことはなかった。あまりに大きなショックは感覚を麻痺させるのだろう。

それよりもみんなが無事なのかどうかが気になった。

アナスタシアとの繋がりは切れていないようだが、あまりにも距離が遠い。他のみんなに至っては気配すらなかった。

 

「……令呪を以て命じる。アナスタシア、僕のもとに来い!」

 

熱を持った一画が右手から掻き消える。

奇跡すら起こせるサーヴァントへの絶対命令権。今まで何度もこれに助けられてきた。

しかし、どういう訳か今回は何も起こらない。いつもなら瞬時にアナスタシアが目の前に現れるはずだが、消費された魔力は行き場を失った迷子のように霧散して宙に消えていっただけであった。

 

「令呪が……消された!?」

 

「当然です。ここはわたしが生み出した虚数空間。外部との繋がりはおろか、中にいるあなた方とのリンクも絶たせてもらいました」

 

闇の向こうに真っ赤な三つ目が浮かび上がる。

嘲りの声を上げるのはBBだ。闇の中でもなお暗く、黒い無貌でこちらを見つめている。

 

「半端に希望を与えたら、あなたはまた立ち上がってしまうでしょう? 愚かで哀れで痛ましい人。そうやって歩みを止められないから星のような希望に縋り続けて擦り切れて……永遠に叶わない再会を夢見てどこまで自分を追い込むつもりですか、マスター?」

 

「何が言いたいんだ、BB?」

 

「みんなで過ごした夏休みは楽しかったでしょう? まだまだ満足し足りないはずです。なので、取引です。もう一度、一日目に戻しますので今度こそわたしの聖杯をきちんと使ってください。そうすればあなたは永遠にこの七日間を繰り返すことができる。今度はあなたが望むものも与えましょう。漫画を書く必要もなくなります。昼までホテルで惰眠を貪るのも良し、ワイキキビーチでたくさんの女性サーヴァントに囲まれるのも良し、ハワイのグルメを好きなだけ味わうのも良し、明け方までクラブに入り浸るのも良し。誰も咎める者はおらず、あなたは頑張る必要もない。怠惰の中で永遠に微睡み続けることができるのです」

 

「けど、それは……」

 

「いらないと言いますか? 分かっていますよ、後悔がある事は。あの時にもっと楽しんでおけばよかった、みんなの輪に入っておけばよかったって嘆いているのを、わたしは知っています。その失敗を挽回するのです。あなたが望む七日間を永遠に繰り返すのです」

 

反論しようとした言葉が、喉元で詰まる。

BBの言う通りだ。自分の中には後悔がある。

最初の一週間、ゲシュペンスト・ケッツァーの活動から距離を取っていたことを後悔した。

その後も、心のどこかでハワイに馴染めずにいる自分がいた。

カルデアの任務やゲシュペンスト・ケッツァーの活動が佳境に至る度に、終わって欲しくないと願う自分がいた。

そんな中途半端な思いを抱えたままでは観光など楽しめるはずもない。

何度も繰り返した七日間ではあったが、本心から楽しめたのは数えるほどしかなかった。

 

「まだ迷いますか? なら、こう言い換えましょう。ここでなら誰とも別れる必要はありません。皇女様ともセンパイやマシュさんとも、永遠に一緒にいられますよ。煩わしいなら彼らの記憶を消してあげましょう。何も知らないセンパイ達とあなたは何度もバカンスを楽しめるのです」

 

「――――!」

 

一瞬、心が揺れる。

アナスタシアとずっと一緒にいられる。みんなとずっと一緒にいられる。それは何て――な事だろうと。

カルデアでの任務もいつかは終わる。その時、自分達は住むべき世界に戻らなければならない。

アナスタシアは英霊の座へ、立香は生まれ育った日本へ、自分もまた魔術の世界に戻らなければならない。

けれど、ここならば。ルルハワならばそんな寂しい思いをしなくても済む。永遠にリセットを繰り返す世界。ここでなら悲しい別れは存在しない。

何かがあってもやり直すことができる。

誰かと喧嘩をしても次の週にはなかったことになる。

今回はできなかった遊戯を次回に行うことができる。

終わる事のない夏、永遠のバカンスを続けることができる。

 

「さあ、このまま永遠に虚数空間を漂い続けるか、もう一度初めからやり直すか、選んでください。答えを…………!」

 

気づいた時には決断していた。

霞のように曖昧な感覚を総動員し、右腕一本に意識を集中させる。

そこに残されていた最後の令呪に願いを込める。霧散した最後の一画は、誰に対する命令でもない。自分自身への魔力として取り込んだ。

そして、その拳を躊躇なく虚空の三つ目へと叩き込んだのだ。

 

「――何を……」

 

驚愕するBBの声。邪神となっても驚くことはあるのだなと、場違いな感想を抱いてしまう。

 

「バカンスはもうつまらない。飽きたんだ」

 

ここまでの迷いの全てを否定し、カドックは口角を釣り上げて見せる。

確かに魅力的だった。仲間達と過ごす永遠の七日間。終わらないバカンス。

争いもなく使命もなく、ただ遊び続けるだけの毎日は実に楽しいだろう。

けれど、虚しいだけだ。

何れ別れることになると知っているから、今の一瞬が愛おしいのだ。

永遠を約束されれば、この七色の思い出はきっと色褪せてしまう。

立香やマシュとの友情も、アナスタシアへの思いも、灰色に塗り潰されてしまうだろう。

そんなことは真っ平だ。みんなとの関係がグズグズに腐っていくなんて、永遠の離別よりも質が悪い。比較することすらおこがましい。

 

「BB、世界は続いている。断末魔にのたうちまわろうと、焼き尽くされようと先へ進むために回り続けている。その痛みすらもいつかは誰かの思い出に変わるのなら、そこには確かな希望がある」

 

自分達はやり直しを望まなかった。

魔術王が仕掛けた大偉業を否定し、未来を勝ち取った。

ならば、先へ進まなければならない。生きねばならない。例えその先でどれほどの苦難と絶望が待ち受けているとしても、それが人類への報酬であると笑ってやらねば彼の王への不敬となる。己の全てを差し出して世界を救った彼の王の献身を無意味に貶めることになる。

人類は、まだ見ぬ明日へと辿り着かねばならないのだから。

 

「バカンスは終わりだ。その先にあるものを――返してくれ、BB」

 

自己の存在すら不確かな虚無の中で、カドックは確固たる意志を持って邪神を拒絶する。

それに対してBBは、風に吹かれた篝火のように三つ目を明滅させながら嘆息した。

話をしただけ無駄だったと言いたげな様子だ。

 

「どこまでも意固地な人。ならば気が済むまでここにいてください。どのみち、あなたをルルハワに捕らえた時点で目的の大部分は終わっているんです。適当に飽きたらまた一日目に戻してあげますね。もっとも、他のみんなは記憶を消されていますから、どうすることもできませんけど」

 

ゆらゆらと揺れる三つ目が遠退いていく。今の自分にはそれをどうすることもできず、ここで終わってしまうのかと歯噛みする。

力及ばずに敗北する屈辱と無力感に苛まれる一方で、このまま自分はどうなってしまうのかという不安が過ぎった。

彼女は飽きたら一日目に戻すと言っていたが、いったいどれほどの時間をここで過ごさねばならないのだろうか。

数日?

数週間?

それとも数ヵ月?

或いはもっとかかるかもしれない。虚数空間では時間の概念はあってないようなものだ。BBが飽きるまで何万年とここで過ごさねばならないのかもしれない。

それまで自我を保てるだろうかと恐怖した。

誰もいない孤独な闇の中で一人、心が死んでいくのかと震え上がった。

もう縋るべき希望はないのかと絶望が込み上げてきた。

光が差し込んだのは、正にその瞬間であった。

 

「いえ、間に合いました。さすがは王者(レックス)、見事な悪あがきです」

 

無限の闇に亀裂が走る。

虚空に走る一筋の閃光。それは外部から切り付けられた斬撃の跡であった。実体のない空間そのものを切るなどという芸当は、そうそうできるものではない。

突然の事態にBBすら驚愕する中、亀裂を抉じ開けて強引にこの深い闇の中へと飛び込んできたのは、騎士甲冑を連想させる機械仕掛けの鎧。

謎のヒロインXXの聖槍甲冑(アーヴァロン)であった。もちろん、その上には槍を構えたヒロインXXが搭乗している。

 

「乗着!」

 

まるで時間が巻き戻るかのように因果が乱れ、僅かマイナス一秒でXXは聖槍甲冑(アーヴァロン)を装着する。

そして、その勢いのまま構えた聖槍を揺れる三つ目の中点へと突き刺した。

 

「アッ……アアアァァァァァッ!」

 

こちらが何をしようと応える素振りを見せなかったBBが、初めて痛みにのたうちまわる。

あの光輝く槍が、BBに対して何らかの特攻を有しているとでもいうのだろうか?

 

「ど、どうしてここに……彼らと合流しないよう、(デコイ)をばら撒いておいたのに……」

 

「ええ、おかげであちこち振り回されました。けれど、マウナケアからほんの少しですがマスターさんの令呪の気配を感じ取れましたので、急ぎ駆け付けた訳です」

 

「ですが、ここは外部から干渉不可能の虚数空間。いえ、仮に干渉できたとしても、何もないこの空間ではわたし達の場所を定義する基準もない。正確にここに辿り着ける訳が――――まさか、その槍が!?」

 

三つ目が激しく揺らぐ。

驚いているようにも、苦痛に喘いでいるようにも見えた。

同時に眉間に突き刺さった槍から迸る光がどんどん強くなっていく。XXが己の宝具を解放したのだ。

 

「そう、このロンゴミニアドは宇宙の果てを示す階! その力を介抱すれば、逆説的にその場所が事象の地平――即ちの最果ての境界となる! 後はそこを基点にコンピューターで座標を計算すれば、あなた方がいるこの場所の座標も測れます!」

 

「まさか、その槍にそんな使い方が――痛っ……ダメ、空間が……力が消え……」

 

BBは脱しようと藻掻くが、深々と突き刺さった最果ての槍は抜けるどころか更に深々と傷を抉っていく。

闇の向こうで血飛沫が舞うかのような錯覚を覚え、少女の痛ましい悲鳴が木霊した。

 

「『蒼輝銀河即ちコスモス(エーテル宇宙然るに秩序)』! 最果ての槍よ、ここに光を! 今こそ邪神を封じ、この宇宙に正しい秩序(ビックバン)を! ツインミニアド・ディザスタァァァァ!!」

 

裂ぱくの気合と共に真名が解放され、光が闇の世界を満たしていく。

全身を覆っていた影が払われ、光の下に露になったBBは断末魔にも似た悲鳴を上げる。

彼女自身の規格(スケール)が秒単位で縮んでいっているのが分かった。聖槍の力で邪神や女神の権能が少しずつ剥がされていっているのだ。

このまま押し込めば、何れは彼女を倒すことができる。

そう確信した刹那、BBはあろうことか左手で自らを突き刺す槍の刀身を掴み込んだ。

当然、エーテルの光で焼かれた左手は瞬く間に消し炭へと変わっていくが、BBは構わず力を込めてXXの聖槍を自身から引き抜かんとする。

だが、筋力で勝るXXは強引に力で抑え込み、最後のとどめを刺さんと槍を持つ手に力を込めた。

 

「XX、止せ!」

 

叫んだが遅かった。

その一瞬をBBは見逃さず、敢えて抵抗を止めて聖槍をその身で受け止めたのだ。過度に力を込めていたXXは勢い余ってバランスを崩し、聖槍はそのままBBの体躯を突き抜けて大きな風穴を空ける。

それと同時に虚数空間は完全に崩壊し、カドック達は現実の世界へと投げ出されるのであった。

 

 

 

 

 

 

周囲を見回すと、自分以外の面々も外に放り出されて無事であった。みんな消耗してはいるが欠けている者は一人もない。

安堵したカドックは、いの一番にアナスタシアのもとへと駆け寄った。

 

カドック(マスター)!?」

 

「無事か? ごめん、もう少しだけ頑張ってくれ」

 

抱き起したアナスタシアと共に、地面に降り立ったBBを見やる。

酷い有様であった。左手は無残に焼かれ、顔にも大きな傷が走っている。

自己改造スキルか何かで見てくれだけは見繕ったようだが、体の内側はズタズタになっていることが容易に読み取れるほど消耗もしていた。

今ならば普通のサーヴァントでも彼女を傷つけられるだろう。

問題は彼女にどれほどの力が残されているかだ。

 

「まさか……ここまで追い込まれるとは……」

 

「もうおしまいです。観念して捕まりなさい」

 

XXは聖槍を拾い上げ、BBに向けて啖呵を切る。

他の面々も事情が分からないながらも好機と見て、各々の得物を構え直した。

正に多勢に無勢。傷ついた今のBBではどうにもならない状況だ。

 

「XXさん……休職したと聞いていましたが……」

 

「休職中でも邪神を倒すと賞金が出ます。基本、銀河警察はノルマ製なので」

 

「くっ……その内部事情は知りませんでした……もっと詳しくリサーチしておけば……」

 

息も絶え絶えといった様子で、BBは体を捩らせる。

そっと右手が体の影に隠れる形となった。

まるで半身を庇うように、焼かれた左手で聖槍を向けるXXを制止ながら、BBは少しずつ後退っていく。

嫌な予感が駆け抜けた。

違法行為が何よりも好きなBBのことだ、この状況でも何か逆転できる一手を用意しているのかもしれない。

例えばそう、日付が変わるまでまだ時間はあるが、それを待たずに強制的に時間を巻き戻すようなものとか。

 

「待て! BB、右手をこっちに見せろ」

 

命じると、BBの体が僅かに強張った。図星だ。

 

「…………」

 

「早く見せろ、BB!」

 

段々と呼吸を荒げながら、BBはゆっくりと後ろに隠していた右手を掲げて見せる。

予想通り、その手の平には小さなミニチュアのような掛け時計が浮かんでいた。

瞬間、ジャンヌ・オルタと牛若丸は彼女が何をしようとしているのかを察して地を蹴った。

XXとロビンもそれぞれ機銃と矢で援護するが、それらは独りでに動いたBBのマントによって遮られてしまい、BBを傷つけることはできなかった。

 

「アナスタシア、シュヴィブジックを! BBを止めろ!」

 

「駄目、ここからじゃ遠い! 距離が……」

 

茨木童子がアナスタシアを抱えて走る。

後少し、五メートルまで近づければアナスタシアのシュヴィブジックは因果を巻き戻してBBを拘束できる。

だが、間に合わない。アナスタシアが近づくよりもBBが宙に浮かべた掛け時計に手を伸ばす方が何倍も早いのだ。

 

「ええ、業腹ながら完敗です。なので、リセットすることにしましょう。ここまで頑張ってきたようですが、その努力も無意味に終わります」

 

痛みで引きつった笑みを浮かべながら、BBは最後の力を振り絞って掛け時計の仕掛けを動かさんとした。

後、一秒もしない内に時が巻き戻る。ここまでの努力が全て無為に帰す。

恐らくBBは自分達の記憶を残してはおかないだろう。自分とアンリマユは無事でも他のみんなは全ての記憶をリセットされてしまう。

そうなってしまえばもう、こちらに逆転の手段はない。この繰り返しの七日間に永遠に囚われてしまうことになるだろう。

 

「誰でもいい、彼女を止めろ! 時が巻き戻るぞ!」

 

「いいえ、ここまでです!」

 

誰にも邪魔されることはない。そう確信したBBの宣言が木霊する。

そして、誰もが絶望に顔を歪めた瞬間、それは起きた。

伸ばされた最悪の一手。後、コンマ一秒で全てが終わるという一瞬に、突如としてBBが苦悶の表情を浮かべて硬直したのだ。

後、ほんの数センチというところで止まった右手はそのままピクリとも動かず、やがて重力に引かれてだらしなく頭を垂れる。

まるで手首から先の感覚が消えてしまったかのようだ。

 

「カッ……クァ、ア……手が……わたしの……手……」

 

憤怒の形相で目を見開き、BBはこちらを――否、その更に向こうにいる無力な復讐者を睨む。

誰よりも早くBBの異変を察知し、解決に奔走していた最弱の英霊。

神の名を冠した哀れな生贄。

その男は予見していたのだ、必ずこのような事態になると。だから、その瞬間が訪れるのを息を潜めて、痛みを堪えながら待っていた。

何度も同じ時間を繰り返しながら、来るかも分からない援軍を待ち続けてきたのだ。

 

逆しまに死ね(ヴェルグ・アヴェスター)……てめえの自業自得だぜ」

 

両腕を切断され、最早、戦う事もままならないアンリマユが、勝ち誇ったかのように笑みを零す。

自らが受けた傷を、そっくりそのまま相手に返す報復という原初の呪い。如何なる守りも突破し、相手と傷を共有するというこの呪いを防ぐ術はない。

それこそがこの復讐者の宝具『偽り写し記す万象(ヴェルグ・アヴェスター)』。ゾロアスター教の聖典の偽典の名を冠するこの宝具によってもたらされた傷は、アンリマユ自身がそれを癒さぬ限り決して消えることはない。

 

「アンリ……マユ……あなた、まさか……最初から、これを…………」

 

「悪いね、オレってば努力家だから……どうすりゃあんたに両腕を切り落としてもらえるか、飽きるほど試させてもらったのさ」

 

「狂っている……そんな、上手くいくかどうかも分からない、博打のために……」

 

傷を共有するという制約がある以上、アンリマユ単独では痛み分けが精々で相手を倒すことはできない。追撃をかけられる誰かがいて初めて意味を成す宝具なのだ。

BBの言う通り、それは狂気に染まった執念であった。BBに悟られぬ為に単独で行動し、その日が訪れるまで何度も襲撃を仕掛けて攻撃のタイミングを体に覚え込ませたのだ。

どのように襲いかかればどう反撃されるか、BBはどういった手段で攻撃をしてくるのかを必死で見切りながら、彼はこの七日間を繰り返してきたのだ。

いつか自分達がBBを追い詰め、彼女が切り札を発動する時に、それを封じられる一手を打てるように。

 

「狂っている? 最高の誉め言葉だ……復讐者(オレ達)は報復を忘れない。だからこそのアヴェンジャーなのさ」

 

「っ……その顔で、そのような世迷言を!」

 

「おっと、余所見は止しな、お嬢さん」

 

「はっ!?」

 

アンリマユに指摘されて気が付くも、既に手遅れであった。

先ほどまで無風であったマウナケアの台地に激しい風が吹き込んでくる。

それはBBの周囲を縦横無尽に駆け回る牛若丸が起こした秘術。

生前の彼女が編み出した奥義である遮那王遊戯譚の一つにして、天狗の羽団扇を用いた天狗風。

即ちはアサシンとしての牛若丸の宝具。

 

「『天狗ノ羽団扇・暴風(てんぐのはうちわ・あからしまかぜ)』!」

 

周囲を囲む暴風は、本来であればそのまま敵を押し潰すのだが、今回は特別版だ。

彼女が巻き起こした風は、アナスタシアが吹き付けた冷気によって瞬く間の内に寒気を纏っていく。

吸い込まれた冷気はそのまま暴風の内側へと注ぎ込まれ、巨大な吹雪の竜巻となってBBの体を蹂躙した。

二人の力が合わさった冷気は最早、神すら凍り付く極致へと達しており、BBは我が身の危機感を覚えた。

だが、逃れようにも唯一の出口である上空は遥か遠く、また四肢の凍結によって浮かび上がることも容易ではない。

そうしてBBの体は成す術もなく凍り付いていき、吹雪が消え去ると同時に一体の氷の彫刻ができあがった。

 

「この……こんな、氷なんて……」

 

残った力を総動員し、BBは内側から氷を砕かんとする。

さすがに神の権能を取り込んだだけあって、しぶとさも通常のサーヴァントとは段違いだ。

故にBBは後に後悔した。ここで気絶しておけばそこで終われたのにと。

彼女は氷を砕かんと必死であったため、彼女が近づいていることに気づけなかったのだ。

その巨大な炎の手を振りかぶり、渾身の一撃を喰らわせんとしている茨木童子の姿を。

 

「抑えられぬ、抑え切れぬ!『愚神礼讃・一条戻橋(エンコミウム・モリエ)』!!」

 

「キャアアァァァァッ!」

 

振り上げられた渾身のアッパーが、BBの体を覆っていた氷を砕いて彼女の肢体を空へと打ち上げる。

まるで花火のように空高くへとぶち上げられたBBは、しかし同時に安堵していた。意図せずして凍結から脱出することができた。このまま彼らと距離を取り、改めて掛け時計を使えば時を巻き戻すことができると。

しかし、三つ首の黒龍はそれを許さない。BBの体が打ち上げの頂点に達した瞬間を見計らったかのように、地上から放たれた三匹の炎の竜が彼女の四肢に食らいついたのだ。

 

「こ、これは……まさか……」

 

表情を凍らせながら彼女が眼下に目をやると、居合の構えを取ったジャンヌ・オルタが駆け出していた。

その狙いはただ一つ。無残にも竜に拘束されている、このルルハワの支配者だ。

 

「あの辺りで良いか?」

 

「ええ、そこよ。そこが一番……切り込みやすい角度!」

 

黒龍の背を駆け上がったジャンヌ・オルタが跳躍し、鞘に収めた刀に手を添える。

あれを受ければ終わると理解したBBは、最後の悪あがきとばかりに魔力弾を放つが、それは全て飛翔したXXによって撃ち落とされてしまい、ジャンヌ・オルタの疾駆を止めることはできない。

時を巻き戻すこともできず、虚数空間を展開する余力もない。彼女にはもう打つ手がなかった。

 

「焔は獣に、竜は我が手に――」

 

「そんな、こんなところで……」

 

「――楔を破壊し、命の鎖を引きちぎれ!」

 

「何度でもやり直せるはずなのに――」

 

「斬撃一殺!」

 

「みんなで寄ってたかって、心が痛まないのですか!?」

 

「問答無用よ! 『焼却天理・鏖殺竜(フェルカーモルト・フォイアドラッヘ)』!」

 

BBの叫びなど聞く耳は持たないとばかりに、ジャンヌ・オルタは啖呵を切って両手の刀を交差させる。

炎を纏った必殺斬撃。彼女の狂える情熱と恩讐を注ぎ込んだ無双の一撃が、邪神に囚われた少女を違わず一閃した。

直後、炎に焼かれながらBBの体は無慈悲にも地面に叩きつけられて動かなくなり、空中に投げ出される形になったジャンヌ・オルタはXXに拾われてゆっくりと降りてくる。

静寂がマウナケアに戻ってきた。

いつの間にか夜空には星々が輝いており、淀んでいた悍ましい空気もどこかに消えている。

それは、BBが完全に戦意を喪失したことを意味していた。

ルルハワでの長い長い夏休みが、漸く終わりを迎えた瞬間であった。




残り一話です。

やっと余裕ができてきたので一気に書き上げました。
BBの理屈は次回でもう少し踏み込む予定です。


頑張っているけどなかなかマナプリが貯まりません。早く、早くBOXガチャを……。
後、サバフェスの復刻を早く。BBと茨木と巌窟王を引くんだ(ぐるぐる目)。


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八日目 Write Lost Repeat

朝が来た。

新しい朝だ。

騒々しくも楽しい七日間を超えた先、始まりがあれば終わりもある。

無事にサバフェスを終え、特異点を生み出したBBも倒し、当初の目的であるフォーリナーの調査を終えたゲシュペンスト・ケッツァーの面々は、実に何週間ぶりにダイニエル・K・イノウエ空港のロビーを訪れていた。

 

「いやー、空港に来るのもすっげぇ久しぶりですわぁ。体感で何週間ぐらいルルハワを堪能したのかねぇ、オレ達?」

 

指先でパスポートを弄びながら、ロビンはしみじみと呟いた。

彼の言う通り、この廊下を通り抜けてルルハワへにやって来たのが遠い昔の出来事のように感じられた。

終わりのない七日間。永遠に繰り返される七日間。

みんなで騒いで、暴れて、悩んで、漫画を描き続けた七日間。

色々な事があったが、何だかんだで楽しいバカンスであった。

 

「ええ、人騒がせなBBでしたが、その点だけは素直に感謝です」

 

「うむ。吾もぐるめとやらを堪能できて満足している」

 

「む? 茨木は酒呑童子を探していたのでは?」

 

「結局、見つからなかった。まあ、酒呑がその気になれば吾如きでは見つけることなどできぬがな。うん、さすがは酒呑だ」

 

変な納得の仕方をして笑う茨木童子に対して、牛若丸は複雑な笑みを浮かべる。

そもそも茨木童子がハワイに同行したのは酒呑童子を探すためだったのだが、彼女が好き勝手に暴れたり途中からサバフェスに参加したりで結局、見つけ出すことができなかったらしい。

本人はそれを、酒呑童子がすごいからとよく分からない理由で納得しているようだった。

 

「結局、人的被害は何もなかったんだっけ?」

 

「はい、先輩。カルデアハワイ支部との連絡も無事に回復しましたし、特異点も後数時間で解除されるそうです」

 

「そっか……でも、BBは……」

 

BBはあの後、XXによって連行されていった。曰く、銀河警察の牢屋でしばらく反省してもらうのだそうだ。

最後の戦いで邪神の権能もごっそりと奪われたようで、今の彼女には抵抗する力も残されていないらしい。

 

「まあ、そのうちひょっこり帰ってくるでしょ。ほら、そろそろ搭乗の時間だから、みんなも急ぎなさい」

 

「分かった。何だか機嫌がいいね、オルタ?」

 

「そう? うーん、別にあいつのことはどうでもいいから……しいて言うなら、サバフェスに参加したからかしら?」

 

ただの憧れ、ただの反発から始めた漫画制作。この七日間で必死に描き続け、何度も苦渋を舐めながらサバフェスのトップを取った。

自分の技術がどこまで通用するのかを、彼女はこの夏を経て知ることができたのだ。その自信が今の精神的な余裕に繋がっているのだろう。

 

「戻ったらまた描くわ。ええ、サバフェスは夏だけじゃないもの。目指すは冬! 今度もてっぺんを取ってみせるわ!」

 

(できれば次は一人で頑張ってもらいたいものだ)

 

やる気に燃えるジャンヌ・オルタを、カドックは冷ややかな目で見つめていた。

バカンスは存分に楽しませてもらったが、あの地獄のような漫画制作だけは二度とご免だ。

今なら、あれを生業にしている人達を素直に尊敬することができる。

 

「ま、とにかくこれでルルハワともお別れだ。皆さん、忘れ物はねえですかー?」

 

「はーい」

 

ロビンの号令に一同、声を揃えて返答する。

そこでカドックは気が付いた。全員の荷物が、七日前にハワイを訪れた時よりも明らかに増えていることに。

 

「ちょっと待った。みんな、何でそんな大荷物なんだ?」

 

立香もマシュもバッグがパンパンに膨れ上がっているし、アナスタシアに至ってはキャリーケースが一つ増えている。

 

「え? 何って、お土産ですが?」

 

「ハワイに来れなかった人もいるしね」

 

「カドックも頼まれていたでしょ? あの子とかあの方とか……」

 

「……あ――」

 

忘れていた。

何かを手に入れてもループで初日に戻ってしまえばなくなってしまうので、全てが解決してからみんなのお土産を買うつもりだった。だが、BBとの決戦での疲れや帰還の準備ですっかりそれを忘れていたのだ。

慌てて時計を見やると、搭乗手続きの締め切りまで後三十分を切っていた。今から街に繰り出して買い物をする時間はない。かといって、空港内の土産物屋で必要な数を揃えられるだろうか?

 

「アナスタシア。こう、シュヴィブジックで飛行機のエンジンを……」

 

「いやです。日頃から悪戯で他人に迷惑をかけるなと、お説教しているのは誰ですか?」

 

「僕には容赦なく悪戯仕掛けている君が言っていい台詞じゃないな、それは」

 

アナスタシアの悪戯で飛行機のエンジントラブル作戦、敢え無く断念である。

だが、そうなると打つ手がない。ちゃんとお土産を買って帰らなければ、機嫌を損ねてややこしいことになりそうな面子もいるのだ。やはり、ダメもとで空港のお土産屋を買い漁るしかないのだろうか。

そんな風に迷っていると、不意に背筋に悪寒を覚えた。

覚えのある感覚だった。夏だというのに背筋が凍るような寒気。天地が逆転したかのように足下が不確かとなり、体がふらついてバランスを崩した。気持ち悪さから思わず手で顔を覆う。

それと同時に、背後から聞き覚えのある蠱惑的な声音が轟いた。

 

「ターイムストッープ!」

 

空気が変わる。

流れる風が止まり、青い空から光彩が消える。まるでネガとポジが入れ替わったかのような錯覚に、他の面々も何事かと振り返った。

すると、そこにはXXによって銀河警察に連行されたはずのBBが、困り顔のXXを伴って立っていた。

 

「お土産もいっぱい、思い出も胸一杯。それこそバカンスの醍醐味ですよね。ええ、分かりますともカドックさん」

 

「BB!? 捕まったはずじゃ……」

 

「それが、どうしてもお願いしたいことがあるからと駄々を捏ねられまして」

 

「よし、帰ろう」

 

XXの言葉を聞くや否や、カドックは踵を返した。

無性に嫌な予感がしたのだ。このままダラダラと彼女達と話をしていれば、何だかとても良からぬことに巻き込まれてしまう気がする。

カルデアでお土産を待っている者達には申し訳ないが、身の安全のためにもここはさっさと帰ってしまうのが得策だ。罰は甘んじて受けよう。

 

「そんなぁ、待って下さいってば、マスター」

 

「うるさい、そっちのセンパイにでも頼めばいいだろ」

 

「もちろん、頼みますけれど、お二人の協力が必要なんですぅ」

 

「知ーるーかー! だいたい、もう飛行機に乗らないといけない時間なんだぞ」

 

フォーリナーの調査のためとはいえ、あくまでハワイに来た名目は観光。さっさとカルデアに戻らなければ、国連や魔術協会がまた査察を寄越すかもしれない。今はカルデアも非常にデリケートな時期なのだ。

すると、BBは小生意気にも舌を出して可愛らしく微笑むと、片目をウィンクさせながら言った。

 

「あ、それナイです。フライトですが、ちょっと永久に止めちゃいました。ルルハワもそう簡単には解除されません」

 

「ロビン、ハワイってシャークケージあったか?」

 

「ありますね」

 

「沈めたまま引き上げないつもりですね、このヒトデナシめ」

 

「…………」

 

「あ、マジですか……」

 

さすがにこちらの本気を察したのか、BBは引きつった笑みを浮かべる。

 

「まあまあ。で、BB、何があったんだい?」

 

見かねた立香が割って入り、BBに事情を問い質す。すると、BBは目を涙で潤ませながら立香の胸に縋り付き、わざとらしく嗚咽しながら懇願した。

 

「はい、実は皆さんのお力をお借りしたいのです。実はその、わたし、元に戻れなくて」

 

「元にって……BBは何も変わっていないだろ?」

 

「邪神と同調しただけだから、霊基も変わっていないはずですよね?」

 

「マシュさんの目は節穴ですか? こんなにも見た目が違うじゃないですか!」

 

「それって……」

 

「はい! 女神ペレさんの霊基が馴染み過ぎて、聖杯を使っても! 日焼けが! 戻らない! のです!」

 

「あー」

 

確かに女神ペレは神話上の人格がBBと似通っている部分が多いが、こちらが思っていた以上に親和性が高かったようだ。

どうやらBBは夏も終わったので不要となった権能を削ごうとしたようだが、ペレの霊基がガッチリと食い込んでしまっていて普段の姿に戻ることができなくなってしまったらしい。

 

「BBちゃんといえば白い肌、月のヒロインを連想させる純白さ、これ重要。なので! 何としてもこの日焼けを直したいのです!」

 

切実な訴えであった。惜しむらくは、その発信元であるBBが胡散臭すぎて、どうしても裏を疑ってしまう。実はそれをダシにして更なる混乱を起こそうとしている。あわよくばXXから逃れようとしているのではないかと勘繰ってしまうのだ。

 

「そんな、皆さんの中でのわたしの扱いって……良いんですか! BBちゃんがこのまま日焼けしたサマーガールのままでも!? お二人好みの色白美人に戻れませんよ!」

 

「別に色白だからアナスタシアが一番な訳じゃない」

 

「ぼっ――!?」

 

何気ないカドックの一言に、アナスタシアは顔を真っ赤にして沈黙する。当然の事ながら、カドックがそれに気づくことはなかった。

 

「ジャブより早いカドックのクリーンヒットだ!」

 

「はい、こっちも負けてられませんね先輩!」

 

「はいはい。ややこしくなるから黙っていなさい」

 

俯くアナスタシアを見て主従二人が騒ぎ出し、見かねたジャンヌ・オルタが窘めた。

 

「それで、どうすれば良い訳?」

 

「さすがジャンヌ・オルタさん、バーサーカーの癖に話が分かる」

 

「あまりふざけ過ぎたら燃やすわよ」

 

「はい……えー、さっき霊基が馴染み過ぎていたって言いましたけど、それは単にBBちゃんとペレの親和性が高かったからだけではないのです。外部から圧力をかけられていて、そのせいでうまくペレの力を捨てられないと言いますか……」

 

「サーヴァントの霊基に圧力をかけるなんて、相当ね。というかあんたに干渉するなんてどこの物好きよ」

 

「ポリアフです」

 

ほんの少し、忌々し気にBBは言った。

ポリアフ。BBが取り込んだペレのライバルといえる女神であり、ハワイにおいては雪の女神として信奉されている。

昨日の戦いの舞台となったマウナケア山もポリアフの棲み処だ。

 

「ほら、ペレを取り込んだわたしが倒されたじゃないですか。それでハワイの支配権が弱ったのを好機と見たのか、ライバルのペレをハワイから追い出そうとわたしの中に封じ込めようとしているんです」

 

「つまり、女神ポリアフを倒すなり説得するなりをして、BBさんへの干渉を止めさせればいいのですか?」

 

「その通りです、マシュさん。お願いします。ポリアフからの重圧で、何だか常に肩こりに悩まされているみたいで落ち着かないんです」

 

いまいち真剣みに欠ける物言いではあるが、確かにそれを放置したままにはできない。

このままペレの権能がBBの中に残されたままでは、いつまで経ってもペレが復活できないからだ。

ポリアフも余計な事を仕出かしてくれたものである。

 

「はあ……仕方がない、さっさと済ませるか。ポリアフが相手ってことは、マウナケアにまた行けば良いのか?」

 

「いいえ、その必要はありません」

 

沈黙していたアナスタシアが、不意に口を開いた。

その声音は自信に満ちていて、それが逆に不安を煽る。

これはあれだ。虎視眈々と悪戯を狙って耐え忍び続け、その苦労が成就した際の喜ぶ姿に似ている。

彼女の本質、或いは遊び心。悪戯の為ならば目的を選ばない。

つまりはいつものポンコツな皇女様である。

 

「皆さん、ここまでご苦労様です。聞いての通り、後はポリアフを倒してBBへの干渉を止めるだけ。そしてポリアフ――その力を受け継いだアバターともいうべき存在は既にここに来ています」

 

物凄く嫌な予感がした。

そういえば、いつだったかアナスタシアは言っていた気がする。この常夏の島において、ポリアフの棲み処であるマウナケア山の霊脈は自分と相性がいいと。

そこから導き出される最悪の想像に、カドックは頭痛を覚えて思わず額を手で押さえた。

今すぐ胃薬と頭痛薬が欲しい。何ならアルコールでも構わない。

 

「ポリアフのアバターとは…………そう、私です!」

 

「あなただったんですか!?」

 

わざとらしく見栄を切るアナスタシアに対して、マシュが仰々しく驚きを体全体で表現する。お互い、これを演技ではなく素で行っている辺りが逆に痛々しい。

 

「前にマウナケア山を登った時、実はこっそりと意気投合していました。彼女は自分の棲み処で好き勝手しているBBを疎ましく思っていましたが、かといって反抗してもペレの二の舞になるだけ。BBとペレ、二人を同時に追い出せるこの時をずっと待っていたのです」

 

「つまり、BBさんを助けるにはアナスタシアを倒さなければならないということですか?」

 

「勘弁してくれ。悪戯も度が過ぎると目に余る」

 

仮にも人理を護るカルデアのサーヴァントなら、その辺の分別は弁えて欲しい。

BBの事が疎ましいのは分かるが、だからといってペレの力を封じ込める手助けをしていい理由にはならない。

これではペレ不在となったハワイ諸島の霊脈が不安定なままとなり、人理にどんな影響が出るのか分からないのだ。

 

「皇女様、穏便には済ませられないかな?」

 

「そうだ、ポリアフに協力なんてする必要ないだろ」

 

「カドック、私は何もおふざけでポリアフに協力している訳ではありません。彼女から借り受けた権能をちょっと応用すれば、きっとあなたは喜んでくれると思います」

 

「それはどんな……」

 

「聖晶片を自由に生み出せるようになります」

 

その言葉を聞いた瞬間、カドックは迷うことなく踵を返してアナスタシアを庇うように立香達と対峙した。

 

「悪いな立香、悲しいけれどこれも運命だ」

 

「それで良いのか、カドック!!」

 

「何だかクリスマスまでに石を貯めておかないといけない気がするんだ!」

 

「気持ちは分かる! 俺だってできれば――」

 

「先輩!」

 

「……もとい、だからといってBBをこのままにしておく訳にはいかない」

 

「なら、やるしかないな」

 

ズボンのポケットに両手を突っ込み、皮肉気に唇を釣り上げる。対する立香は一瞬、目を見開いて驚いたが、すぐにいつもの表情に戻って力強く頷いた。

そう、対立は避けられない。BBに封じ込められたままのペレを解放するためにはアナスタシアを倒さなければならない。それが避けられぬ運命ならば、この夏の最後の思い出となるのなら、せめて派手な花火を打ち上げよう。

互いの死力を尽くした、持てる知恵を振り絞った、マスター同士の競い合いで全てを決しよう。

 

「何よ、男同士で勝手に納得して。要するに暴力で解決するのが一番ってことでしょ?」

 

「皇女様を口実に、変な火が点いちまったみたいだねぇ。分かるような、分かりたくないような」

 

呆れながらジャンヌ・オルタとロビンはそれぞれの得物を取り出して戦闘態勢を取る。

その様子を見た立香は、ふと面白いことを思いついたとばかりに笑みを零した。

 

「丁度、六騎いるから3ON3でやらない?」

 

「チーム戦か。よし、茨木とXXはもらうぞ」

 

「じゃ、こっちはジャンヌと牛若丸とロビンで。マシュ、審判をお願い」

 

「は、はい」

 

人気のないダニエル・K・イノウエ空港前の大通り。

対峙するは二人のマスターと、六騎の英霊達。

細かいルールも制限もなし。互いの全てを出し切り、大将であるアナスタシアかジャンヌ・オルタのどちらかが倒れれば終わりというシンプルなルールだ。

 

「前衛は茨木とXXのツートップだ。向こうは守りが脆い、一騎ずつ確実にいくぞ」

 

「アナスタシア皇女のシュヴィブジックは放っておけない。ジャンヌで戦線に食い込んで、そこから一気に押し込んで大将を狙う」

 

互いのリソースを確認し合い、それぞれのマスターが対策を練る。

絶対に、負けられない戦いがここにはあった。

 

「それでは、始めます!」

 

マシュが宣言と共に掲げた手を勢いよく下ろす。すると、ジャンヌ・オルタは待ってましたとばかりに刀を抜いて意気揚々と口上を読み上げようとした。

最初のティーチとの戦いで締まらない口上を上げてから幾日と過ぎ去り、その時の失態を恥じた彼女は次なる機会に備えてとっておきの台詞を考えていたのだ。

残念ながらその機会にはなかなか巡り会えず煩悶とした日々を送っていたが、遂にチャンスが訪れたと彼女は喜び勇んでいた。

しかし、彼女がポーズを決めて口を開こうとした瞬間を見計らうかのように、別の口上が通りに木霊した。

 

「さあ、サバトの始まりだ!」

 

してやったりとばかりにカドックはほくそ笑む。

 

「鴉が歌い……」

 

悪ノリした立香がそれに続く。

 

「「黒猫がニャンと鳴くわ」」

 

アナスタシアと、何故かマシュも一緒になって唱和する。

 

「――――!!」

 

忽ち、周囲の空気が弛緩していく。

笑いを堪え切れないXXと複雑な表情を浮かべる牛若丸にロビン。茨木童子はよく分かっていないようだった。

出鼻を挫かれ、とっておきの口上も言えず、あまつさえ恥じていた黒歴史を掘り返されたことで、ジャンヌ・オルタの顔は忽ちの内に真っ赤に染まっていった。

 

「燃やす! もう敵とか味方とか関係なく燃やす!」

 

炎が南国の青空に舞い上がる。

それを合図に、彼らの最後の夏が始まった。

 

 

 

 

 

 

その光景を、少し離れたところから見守る者がいた。

黒い肌に蠢く刺青、赤いバンダナ。人知れずルルハワの闇で戦い続けてきたアンリマユは今、やっと戦いから解放されて自由を噛み締めていたのだ。

無論、彼自身も時が来ればカルデアに戻らなければならない。残された時間でできることといえば、こうして大きく伸びをして日光浴と洒落込むくらいである。

そんな報酬とも呼べない束の間の自由を満喫していると、傍らにそっとBBが近づいてきた。

 

「よお、さくらんぼ。あんたも横になる? ここからならマスター達との戦いがよく見えるぜ?」

 

「呑気ですね。あんなに一人で頑張った癖に、何も望まないなんて聖人気取りですか?」

 

「まあ、今回に関してはオレというよりも(こいつ)に引きずられたところの方が大きいしな。(こいつ)が望まないならオレが欲しがっても意味ないだろう」

 

このアンリマユという英霊には実体と呼べるものはない。座にいる限りは自我すら持たない悪意でしかないのだ。そのため、召喚される際に何らかの殻を被る必要がある。

今回の召喚では以前に纏ったある人物の殻が改めて採択されていたのだが、どうやらそのモデルとなった人物がAIであるBBのモデルとなった人物と接点があったらしい。

アンリマユはBBと何の縁もない他人同然の関係ではあったが、それ故に彼女が何かを企んでいると漠然に感じ取ることができたのだ。

 

「どこからわたしの計画を掴んだのかと思っていましたが、まさかそんな理由だったとは。言っておきますけれど、わたしと(あなた)には何の接点もありませんから。さくらんぼ呼ばわりも止めてください」

 

「へいへい。オレだってあんたみたいなのに馴れ馴れしくするのはおっかなくて敵いませんよ」

 

そう言って唇の端を釣り上げながら、アンリマユは半身を起こした。

 

「それじゃ、あんたが言うところの上位者(読者)様に対して種明かしといこうぜ」

 

「あら、何のことですか?」

 

「とぼけるなよ。人類の幸福を望んだ割には、あんたの行動はマスターに寄り過ぎている。そういう女だって(オレ)には分かるのさ。あんたは口ではああ言いつつも、実際のターゲットはカドック・ゼムルプス一人だった。違うかい?」

 

「そこまで分かっているのなら、改めて説明する必要はなくありませんか?」

 

「オレは探偵じゃないからな。推理小説も最後から読むタイプだし」

 

感覚では分かっていても理屈までも察せられないと、アンリマユは締めくくる。

それを聞いたBBは、仕方がないとばかりに首を振って一冊の本を取り出した。

少しだけ色褪せた同人誌。それはジャンヌ・オルタが最後に描き上げた漫画とよく似ていたが、少しだけ細部が異なっていた。

それもそのはず。これは以前のループでジャンヌ・オルタが描き上げたもの。そもそも彼女が漫画制作を志したきっかけは、カルデアで拾ったこの漫画に触発されたからだ。

何れは自分が描き上げることになる漫画に憧れ、嫉妬した彼女はマスターを巻き込んでルルハワでサークル活動を始める。それが計画の第一段階であり、BBはこうして敗北する度に七日前の自分にジャンヌ・オルタの漫画を送り続けてまだ何も知らない彼女達をループへと誘い続けてきたのである。

 

「後は、カドックさんが余計なことをしないように記憶を消すつもりでした。あの人、引っかかりがあれば調べずにはいられない人ですからね。何もしなければ必ず真相まで辿り着くと分かっていました。だから、彼だけは何も知らないままこの七日間に留め、バカンスを楽しんでもらうつもりでした」

 

「珍しいこともあるもんだな、あんたがセンパイ以外に拘るなんて」

 

「センパイは何もしなくともハッピーエンドが確約されています。けれど、カドックさんは別です。あの人に待っているのは苦難と挫折の人生。思い人と別れ当てもなく彷徨い、その果てに叶うかも分からない願いを見い出して生涯を捧げるなんて、いくらなんでもあんまりではありませんか。栄光に対する代価としてはいくらなんでも酷すぎます。当人が納得してしまうのがなお、質が悪い」

 

「それでお節介を焼いちまったと。オレが言うのもなんだけど、善意が空回りすぎだろ。世界を滅ぼしかけているぞ」

 

「何とでも言ってください。ともかくわたしは彼がその結末に辿り着かないようルルハワに留めるつもりでした。彼のおかげでセンパイは無事に日本に戻れましたし、あの時の借りも返しておきたいと思いましたから。ここならば皇女様もセンパイもマシュさんもいる。彼にとっては理想の環境のはずでした」

 

永遠に続く七日間。大切な人達と一緒に過ごせるバカンス。どこで終わってしまっても幸福が約束されたハッピーエンド。それこそがBBが用意した人理修復に対する彼への報酬であった。

 

「まあ、その目論見は見事に潰された訳だ」

 

「まったくです。あなたさえいなければ―――その顔を見せられるとこちらも何だか落ち着きませんし、また両腕を切り落とされたくなかったら、しばらくは大人しくしておいてくださいね」

 

「おお怖っ。けど、オレなんかいなくとも何とかしたと思うぜ。何てったってあの二人は…………」

 

「ええ、あの二人は…………」

 

互いの視線を一度だけ絡ませ、二人は通りで向かい合った自分達のマスターへと目を向けた。

お互いのサーヴァント達が全力を出し切り、一進一退の攻防を繰り広げる様を必死に見守りながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべている少年達。

何のしがらみもなく、邪気もなく、ただ思うがままに自由に闘争を楽しむ様はどこか爽やかで、まるでスポーツか何かのようであった。

どちらに勝敗が傾こうとも、きっと良い思い出になることだろう。

 

「人類最後のマスターで――」

 

「わたし達のマスター、ですからね」

 

 

 

A.D.201X 永久常夏祭壇ルルハワ

人理定礎値:-

祭典終幕(Order Complete)




以上を持ちまして、星詠みの皇女外伝は完結となります。
書こうと思えばいつまでも書けるルルハワ編。でも、それだとBBの思うツボといいますか、次のお話が書けなくなるのできちんと終わらせなければなりません。
BBの動機がメタに突っ込んでいることに関しては、アンフェアすぎるとも思いましたが、書いてみたいという欲求には勝てませんでした。
そもこの話を思いついた出発点は、幸福の絶頂で死ぬ事が一番の幸せであるという哲学をどこかで思い出したからです。白紙化を別のものに置き換えればいけるんじゃね、BBならこれくらいの無茶はOKかなと考えた末にこのルルハワ編は完成いたしました。
いかがだったでしょうか?

ではでは、配信間近の四章を楽しみにしつつ、刑部姫ピックアップを涙を呑んでスルーしつつ、また次の機会までしばしのお別れです。
ありがとうございました。


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マテリアル(という名の元ネタ集)

ここでは作中で登場した小ネタの由来などを簡単に羅列しています。
そこまで深く突っ込んで解説などはしていませんし、独断と偏見に満ちているのでその辺りが気になる人はブラウザバック推奨です。



【タイトル】

・星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow

元ネタ:映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

原作が日本のラノベでありながら、ハリウッドで実写化かつトム・クルーズ主演で色々と話題になった映画。米国での原題がそのものずばり『Edge of Tomorrow』。

 

【一日目その1】

・旅する水着と三度目の夏

元ネタ:映画『旅するジーンズと16歳の夏』

親友同士の女の子4人が友情の証として一着のジーンズを着まわす約束をした年に体験するひと夏を描いた青春ムービー。

 

・超人ヘラクが暴走した時~

元ネタ:アメコミ『アベンジャーズ』

超人ハルクはアベンジャーズの創設メンバーなのに、暴走するせいですぐにチームを脱退してしまう。

映画『エイジ・オブ・ウルトロン』がその辺りを元ネタにしたエピソードを盛り込んでいる。

 

・挙句、遠い宇宙の彼方に~、自分に似たマッチョな~

元ネタ:アメコミ『プラネット・ハルク』、アニメ『ハルク: スマッシュ・ヒーローズ』

どちらもハルクが主役の作品。前者は宇宙へと追いやられたハルクが辿り着いた惑星で独裁者と戦う話。後者はハルクがガンマ線ヒーローでチームを結成し活躍するアニメ。蜘蛛男も出るよ。

 

・向こうではレックス

元ネタ:アニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』

ゼムルプス→バルバドスルプスレクス→レクス→レックス。

遠いな。

 

・宇宙人がバーリアでも張って軍艦が~

元ネタ:映画『バトルシップ』

ハワイにエイリアンが襲来し、バリアで孤立した中でアメリカの駆逐艦乗組員(と日本自衛官一名)が戦う話。

何はともあれ終盤に彼女が息を吹き返す様はテンションが上がる事請け合い。痛いのをぶっくらわせてやれ!

後ブリトー。

 

【一日目その2】

・僕達の七日間戦争

元ネタ:映画『僕らの七日間戦争』

中学生の一団が廃工場に立てこもって大人たちと対決する青春映画。

原作小説は割と過激な内容でハードな展開も多くほとんど別物である。

若き日の宮沢りえのピチピチお肌がとても眩しい。

 

・「ウィリアムズでも気取る気か?」

元ネタ:映画『いまを生きる』

ロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ映画。厳格な全寮制アカデミーに赴任してきた型破りな教師が生徒達に自由を啓蒙する話。

終盤の展開は色々と重いが、含みの多いエンディングは考えさせられることが多い。

「オーキャプテン~」「死せる詩人」もこの映画より。

 

・凶悪な面構えの人形がカミソリ片手に~

元ネタ:映画『チャイルドプレイ』

人形に乗り移った凶悪犯が活躍するホラー映画。近年も新作が作られるなど、息の長いシリーズである。

 

・頭からタライが落ちてくるわ~

元ネタ:映画『ホームアローン』

クリスマスに一人ぼっちになった少年が家中に仕掛けた罠で泥棒を撃退する話。

アナスタシアには見せてはいけない映画である(真似されるから)。

 

・ホッケーマスクやカギ爪の夢魔

元ネタ:映画『十三日の金曜日』、『エルム街の悪夢』

知らぬ人はいないであろうホラー界の馬場と猪木が活躍する映画。フレディVSジェイソンは面白いよ。

割と誤解している人が多いがジェイソンの武器はチェーンソーではなく哪吒――失礼、鉈である。

 

・斧を持ったオッサンが素敵な笑顔で覗き込んできたり

元ネタ:映画『シャイニング』

スティーブン・キング原作の小説を映画化したもので元ネタはソフトのパッケージ。

ホテルの管理人となった男が徐々に狂気に蝕まれ凶行に走るホラー映画。ジャック・ニコルソンの怪演は一見の価値あり。

ただし原作からストーリーは大幅に改変されている。

 

・「ええ、バロールセンスが反応したの。行きましょう、ディック!」

元ネタ:アメコミ『スパイダーマン』、『バットマン』

片やニューヨークの親愛なる隣人、片やゴッサムシティのクライムファイター。

スパイダーマンはスパイダーセンスと呼ばれる第六感で危機を察知することができる。

ディックはバットマンの相棒である初代ロビンことディック・グレイソン。後にナイトウィングとして独り立ちする若手ヒーローである。

 

【七日目その1】

・サマータイムループ・ブルース

元ネタ:映画『サマータイムマシーン・ブルース』

エアコンのリモコンが壊れたのでタイムマシンで昨日から壊れていないリモコンを持って来ようとするが、タイムパラドックスを恐れて過去でやらかしたおふざけの揉み消しに奔走するドミノ倒しコメディ。

 

・「ループ……記憶……ZEROに還る……うっ、頭が……」

元ネタ:漫画『真マジンガーZERO』

最終にして原初の魔神。中の人ネタである。

 

【一日目その3】

・ファインディング・メイヴ

元ネタ:映画『ファインディング・ニモ』

ピクサーの長編アニメーション。人間に捕まった我が子を探し出すため、カクレクマノミのマーリンは決死の大冒険を決意する。

タイトルにもなっているが、ニモはピーチ姫ポジションであり主役は父親の方である。

 

・コンスタンティン

元ネタ:映画『コンスタンティン』

キアヌ・リーブス主演のファンタジー映画。悪魔祓いを生業とする同名の主人公が人間界へ侵入しようとする悪魔と対決する。

作中で触れた通り宗教色が強い映画だが、主人公が肺癌のヘビースモーカーで武器が祝福された銃やメリケンとその道には非常に刺さる作風。

映画だけでは分からないが、実はDCユニヴァースの出身でれっきとしたヒーローでもある。

 

・スピーシーズ

元ネタ:映画『スピーシーズ 種の起源』

地球外生命体と地球人の遺伝子から創られた人造生命が暴走し、繁殖の為に街に繰り出して男を漁るホラー映画。

身も蓋もない言い方をするとエイリアンによる逆ナンである。

エイリアン役のナターシャ・ヘンストリッジよりも子役のミシェル・ウィリアムズの方が色々とそそられるのはきっと気のせいではないだろう。

 

・レッドブロンクス、酔拳

元ネタ:映画『レッドブロンクス』、『酔拳』

どちらもジャッキー・チェン主演のカンフー映画。

前者はジャッキーの本格的なハリウッド進出作であり、後者は二作目の殺陣が非常に有名。

どちらも見て損はないが、良い子は決して真似をしてはいけない。

 

【六日目その1】

・TAXi LULUHAWA

元ネタ:映画『TAXi NY』

リュック・ベッソン監督によるフランス映画――をリメイクしたアメリカ映画。監督はティム・ストーリー。

改造タクシーの運転手とおまぬけな警察官がコンビを組んで強盗団を追い詰めていく。

大まかなエピソードはオリジナルと共通だが、登場人物の性別やストーリー展開が一部異なっている。

個人的に強盗犯との対決後の展開はオリジナルよりもこちらの方が好みである。

 

・白塗りのプジョー407

元ネタ:映画『TAXi』

上記のオリジナル。下手しなくても主役より警察署長の方がキャラが濃い。

フランスが舞台ではあるが当時としては珍しい移民系の黒人が主役を張っている。

作中に登場した運転手は四作目までの主人公がモチーフであるが、彼が言っていたように映画の方でも主人公は無免許で自動車を乗り回している。

 

【六日目その2】

・プリンセス・ミス・シャイン

元ネタ:映画『リトル・ミス・サンシャイン』

色々と問題を抱えた家族が一丸となって娘の美人コンテスト参加の為におんぼろバスで旅をするロードムービー。

ちなみに子役の名前は我が姪と同じアビゲイルなのだ。

 

・「や、八つの頭? エイトヘッド・ジョーズだって!?」

元ネタ:映画『ダブルヘッドジョーズ』シリーズ

我らがアサイラムが送るサメ映画。シリーズが進む毎に頭が増えていく謎のサメが活躍する。

最新作は体の左右で首が三つずつある『シックスヘッド・ジョーズ』。

 

・数多の鮫を巻き込んだ鮫竜巻

元ネタ:映画『シャークネード』シリーズ

そんなアサイラムが送り出した傑作サメ映画。サメが竜巻に乗って空から降ってくるという荒唐無稽な映画。

ただ、サメがゾンビになったり幽霊になったり地面を泳いだりするこのご時世、竜巻で巻き上げられただけというのに妙な現実味を感じるのは気のせいだろうか?

 

【五日目その1】

・蝶々の羽ばたき

元ネタ:映画『バタフライ・エフェクト』

タイムリープを題材としたSF映画。名前の元ネタは地球の裏側にいる蝶の羽ばたきがこちらに辿り着く頃には竜巻へと転じるというカオス理論から。

過去に戻って問題を解決しても、新たな問題が現在で生じてしまうジレンマ。可能ならば是非ともDVDを買って映像特典まで見る事をおすすめします。

 

【一日目その4】

・太陽と月に背を向けて

元ネタ:映画『太陽と月に背いて』

実在のフランス詩人アルチュール・ランボーとポール・ヴェルレーヌを題材としたイギリス映画。

粗野で才能溢れるランボーをディカプリオが演じ、同性であるヴェルレーヌと禁じられた関係に踏み込んでいく。

 

【七日目その2】

・ランゴリアーズ

元ネタ:小説『ランゴリアーズ』

スティーブン・キング原作のホラー。飛行機の乗客が過去の世界へと迷い込み、そこで何でも食い尽くす怪物ランゴリアーズに襲われる。

怪物の見た目は醜悪なパックマンそのもの。地味にドラマ化され日本でもDVDが販売されている。

 

・ミスト

元ネタ:映画『ミスト』

同じくキング原作の小説とそれを基にした映画。霧と共に現れた怪物から逃れ、スーパーマーケットに立て籠もった人々が体験する狂気。

特に映画版のラストは物凄くやるせなく作者自身が絶賛したという。気持ちが落ち込んでいる時には決して見てはいけない。

 

【一日目その5】

・知らなすぎた少年

元ネタ:映画『知らなすぎた男』

ゴーストバスターズでお馴染み、ビル・マーレイ主演のシュールコメディ。

演劇体験に参加した主人公が勘違いから本物のスパイが入り乱れる諜報合戦に巻き込まれ、知らず知らずに本職のスパイを翻弄する様を描いている。

 

・ロボコップ

元ネタ:映画『ロボコップ』

サイボーグ警官が活躍するバイオレンス映画。

ゴアな表現も多く子どもが見るには注意が必要。ただ彼の真似をしてガンプレイに興じた者も多いはず。

一作目と三作目のエンディングが対になっているのが個人的にツボ。

 

・「まあ落ち着け。武器を突き付けられてはビビッて話もできやしない~

元ネタ:映画『コマンダー』

ご存知、港湾組合員御用達の筋肉モリモリマッチョマンの変態が大活躍する筋肉ムービー。

序盤の敵の襲撃を受けた場面より。まったく話を聞かずに速攻でメッセンジャーを撃ち殺すシュワちゃんが素敵すぎる。

 

・「彼女を倒して、私が華麗なる女スパイ、謎のヒロインXXXに~

・「バーバラ・バックのつもりですか!~

元ネタ:映画『007 私を愛したスパイ』

007シリーズの映画十作目。コードネーム「XXX」ことバーバラ・バックは本作のボンドガールでありKGBのスパイ役である。

つまり皇女の祖国が真っ赤だった時代のキャラクターであり、マシュはそこを突っ込んでいる。

 

・母の日に最愛の母親の命をその手で断つという非情な決断を下したかのようであった。

元ネタ:小説『Fate/Zero』

アサエミのトラウマ。

 

【三日目その1】

・僕らのFateへ逆回転

元ネタ:映画『僕らのミライへ逆回転』

在庫のビデオテープが映らなくなるというトラブルに見舞われたレンタルショップの店員が、店の信用を守る為に自分達で映画を撮り直すという無謀な作戦を実行するコメディ映画。

小道具は全てが手作りなのでVFXなどなく、ユーモラスだがどこかシュールな撮影風景。これが意外にも受けてリメイク版を希望する客が殺到するが、当然のことながら著作権侵害であり――。

ある意味、創作を志す人なら誰もが通る道。

 

・「まったく、これじゃクリスピン・グローヴァーだ」

元ネタ:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

主人公マーティ・マクフライの父親、ジョージ・マクフライを演じる役者の名前。

この少し前の「靴の紐~」のやり取りは映画内でも行われており、引っかかったクリスピンが情けない姿を晒している。

 

・「どうせなら息子の方にしてくれ」

元ネタ:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

主人公マーティ・マクフライはペプシが好きなロック少年なのである。

一作目における彼のライブシーンも見せ場の一つ。

 

・『ようこそ諸君~

元ネタ:怪奇映画全般

昔の怪奇映画はストーリーテラーによる語りから始まることが多かった。

 

・監督サーヴァント

元ネタ:エド・ウッド

映画界のゴッホ。ゴミのような映画は数知れず、映画のようなゴミを生み出すのは彼だけといわれるほど天から才能を与えられなかった。ただし情熱だけは誰にも負けない。

彼がどういう人物か知りたい時は、まずはジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』を見よう。

ちなみに作中の彼は人格こそエド本人だが見た目は盟友であるベラ・ルゴシと習合してしまっている。アンデルセンと同じく無辜の怪物状態なのである。

 

・誰にも、腰抜けなんて言わせないわ!

元ネタ:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

主人公マーティは腰抜けと罵られると頭に血が上ってしまう。そのせいでいらぬトラブルに巻き込まれることも多い。

そんな切れる少年もタイムトラベルを通じて大きく成長していく。何事も我慢って大事だよね。

 

・『私はお前の父だ』、『嘘だぁぁぁぁっ!』

元ネタ:『スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲』

終盤のとあるシーンより。撮影段階まで役者にすら秘密にしていた逸話はあまりに有名。

そりゃお父さんがバケツ頭なら誰だって嘘だって言いたくなる(冗談です)。

 

・『生きてる、生きてる!』

元ネタ:映画『フランケンシュタイン』

「It's alive! It's alive!」。フランちゃん誕生の瞬間。

アメリカ映画名台詞ベスト100にノミネートしたこともある。

 

・他人の夢を撮ってどうなる? 夢の為なら戦うんだ

元ネタ:映画『エド・ウッド』

終盤の酒場でのやり取り。この部分は完全に創作ではあるが、非常に印象に残る名シーンである。

 

【六日目その3】

・遠い空の彼方に

元ネタ:映画『遠い空の向こうに』

高校生がロケット作りを通じて成長していく過程を描いた半自伝的な作品。

夢を追う事の難しさ、挫折、喜び、親との和解。正に青春。

 

・「ああ! ダメ! ブリトーよ!~

・「盗ってこい(ピンクパンサーだ)!」

・「ブリトー買ってくる(ブリトー攻撃)!」

元ネタ:映画『バトルシップ』

ハワイでエイリアンと軍艦がドンパチするSF映画。

劇中の冒頭でヒロインが無性にブリトーを欲する為に、主人公は果敢にも閉店したコンビニに泥棒を敢行する。

その際にかかるBGMがピンクパンサーである。ちなみに視聴するなら吹替え版をおすすめします。 

 

・「アッセンブル!~

元ネタ:アメコミ『アベンジャーズ』

「Avengers Assemble」。ヒーローチーム「アベンジャーズ」の決め台詞のようなもの。日本語に訳すと「出動」や「出撃」が近いか。

実写版ではなかなか言ってくれなかったが『エンドゲーム』で遂に待望のアッセンブルが聞けるぞ。

 

・「しょーぐんは、『鉄拳制裁タイムだ(むっしゅむらむら)』とおっしゃっている」

元ネタ:アメコミ『ファンタスティック・フォー』

マーベル初のヒーローチーム「ファンタスティック・フォー」のザ・シングことベンジャミン・グリムの決め台詞。

原語版では「It's clobberin' time!」。アニメ版にあたる「宇宙忍者ゴームズ」では声優のアドリブによりルビの台詞になっている。

2005年の実写映画における上記の台詞は直前のシチュエーションも相まって実に格好良いので機会があれば是非どうぞ。

ジェシカ・アルバのお肌も見れるよ。

 

【七日目そのX】

・スタンド・ビハインド・ミー

元ネタ:映画『スタンド・バイ・ミー』

原作はスティーブン・キングの同名小説。4人の少年が死体探しというひと夏の冒険を通じて友情を深めていく青春映画。

線路沿いに歩く映像と音楽はあまりにも有名。でも良い子は真似しちゃいけないぞ。

 

【八日目】

・Write Lost Repeat

元ネタ:映画『『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

実はDVD化の際、米国ではタイトルは『Edge of Tomorrow』から『Live Die Repeat』に変更されている。

直訳すると「生死を繰り返す」だろうか。

 

・「何だかクリスマスまでに石を貯めておかないといけない気がするんだ!」

同年のクリスマス、アナスタシアが描かれた概念礼装「シュヴィブジック・スノー」が実装されるため。

この時、カドックはまだ知らなかった。まさか皇女があんなことをしでかすなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? まさかここまで全部読んじゃったんですか? 物好きな上位者(読者)さんですねぇ。エンドロールまでご覧になるのは結構ですが、残念ながら眼帯付けたサミュエル・L・ジャクソンは出てきませんよ。この物語はここでお終いです。けれど、昔語りなら許されるでしょう。これはBBちゃん(わたし)にとっては過去の出来事ですが……あなた方にとっては多分、これからの出来事でしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Kadoc and Anastasia will return

IN 『Epic_of_Remnant』



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