魔界都市の幻想郷 (量産機)
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ごちそうさま

思い付きで久々に始めました。


 かつて発生した魔震により一度は崩壊、その後恐るべき異界と化した混沌の地<新宿>。

 ここを人は魔界都市と呼ぶ。

 

 

 外界に暴れ出たら、一国の軍隊すらも相手取る程の異形が住む魔界都市〈新宿〉。そこにも子供はいる。彼らは外界よりも遥かに不思議な体験をし、遥かに危険な日々を送ってはいるが、暮らし自体は至ってのどか、に見える。

 

 

 甘泉園公園の平日午後ともなると、小学校の授業から解放された子供達が遊びに現れる。

 この街の子供達は遊び相手を差別する事はしないが、区別する事には長けている。何故なら、種族によって大きく価値観や食料の対象、力加減が違うなどという事が日常茶飯事だからだ。自然、人間あるいはそれに近い者同士、妖物に近い性質を持つ子は似た者同士でグループを作り、それぞれの縄張り、というか遊ぶに適した場所を見つけていた。人間にはやや危険な、薄暗い妖気の漂う木の陰が密集している辺りには、背丈こそ子供並だが一風変わった子達が遊んでいる。

 全身に拘束衣の様な鎧を着ている子は、自意識で変身を制御出来ない獣人の一族。無意識に化身すれば獣と変わらぬ攻撃性で、鋭い爪と牙を生やし周囲を襲う。鎧は変身の脳波を感知すると自動的に全関節が固定され、内部に仕込まれた鎮静剤を投与して活動を抑える。つまり本人ではなく周囲を守るための鎧であり、区が貸し出している福祉用具の一つであった。

 フードをかぶった垂れ目の子は、体内にヘドロの様な共生生物を住まわせている。何か悪さをする存在ではなく、それどころか宿主を物理的にも霊的にも守護する。トラックに轢かれて無残に引きちぎれた体が元通りに集合して再生し、無差別に呪殺で通り魔を行う祈とう師に呪いを跳ね返すという芸当までやってのける。しかし欠点も多く原因不明の悪臭を身体から放つ事と、強い紫外線に晒されると共生生物が休眠してしまい、宿主も危なくなる。悪臭は特別製の消臭剤を常に持ち歩く事で中和し、日光はフード付きの衣服でシャットアウトする。

 他にも頭部を二つ持つ子、鱗と尻尾が見える子、肌が真っ青な子、そして、金髪にお札紋様が記されたリボンを結う黒衣の女の子。

 

 初めは新型のゲームの自慢や協力プレイ、漫画を取り換えっこして読んでいたが、その内飽きて、身体を動かして遊び出した。鬼ごっこは、空を飛べる黒衣の女の子を鱗の子が大ジャンプの連続で捕まえ、かくれんぼは各人が擬態能力や簡単な術を使った大掛かりなものになり、頭が二つの子が、両方の頭脳を使って皆の位置を計算し、一人一人見つけていった。遊ぶ時にはあまり能力を使わないのは暗黙のルール、だったが時にはそれを破って色々したくなるのが子供心である。

 やがて彼らが中心に金髪の女の子を囲み、かごめかごめを歌っていると、足元に軽い破裂音がした。

 

 服を着崩した男達が三人、子供達を半包囲する形で立っている。手にはそれぞれ消音機付きのマシン・ピストル、ザックに弾倉を隠したハンド・ガトリング、火炎放射器付きのカービン銃などが握られていた。まだ年の若い連中だが、人相は極めて狂暴そうに荒んでいた。警察と日々やり合うやくざ共も手を焼く、若年者で構成されたギャング組織である。

 やくざが独特な組織内の掟を持つ事は知られているが、近年新宿に増加しているギャング団はその無法ぶりで彼らを上回ろうとしている。安全地帯であろうとも平気で武装したバイクや車両を乗り回し、気晴らしにマンションに砲撃を加え、通学バスをハチの巣にした外道であった。構成員で顔が判別している者は全て“生死を問わず”賞金が首にかけられ、警察から賞金稼ぎ、一般市民でも腕に覚えのある者には狙われている。にも関わらず彼らは、その機動力を武器に区外へ根拠地を構え、関東全域から国籍を問わず若者を集め、勢力を拡大している。

 そしてここ数日、彼らが重点を置いているのは“誘拐”だった。新宿の子供は区外の子に比べ、様々な価値を秘めている。それは妖物や特殊能力などの変異した子は、それだけで区外では高く売れる。しかし本当の狙いは親なのだ。高名な魔術師、隠れ住んでいた古の一族、成長した奇怪生物‥‥特殊な存在でなくても、区議、やくざの幹部、警官などの子供であれば、魔界都市がもたらす莫大な利益の一端だけでも手にする可能性が見えて来るのだ。

 男の一人が、無言でマシン・ピストルを撃った。フードの子に銃弾が吸い込まれ、悲鳴が上がる。彼女の体内には共生生物がいるが、銃弾に仕込まれたナノ紫外線照射機が作動し、無残に焼き始めたのだ。慌てて青い肌の子が駆け寄るもハンド・ガトリングの射撃が襲った。僅か口径5ミリだが四連の銃身から放たれる高速銃撃は、通常の生体相手なら圧倒の弾幕となる。

 全身を引き裂かれた子の前に、鎧が立ちふさがり必死にそれ以上の暴挙を防ごうとする。

 ギャングどもは何人かの子供を間引き、残った子だけを誘拐しようというのだった。しかし子供相手に顔色一つ変えず銃弾を叩き込むその冷徹さは、新宿でも際立って異常と言える。冷酷非情なやくざ者ですら躊躇する行為を、太陽の下堂々と行える精神は、街が発する瘴気のみの成果ではあるまい。

「よーし餓鬼ども、大人しくしろ。暴れたらこいつの様になるぞ」

 フードの子が乱暴に襟首を掴まれ、もがきながら高く持ち上げられる。頭からフードが引きはがされ、気弱そうな顔が外気に晒された。別のギャングが、手に小型ライトを持って近付く。喚く子供に点灯した光が突きつけられた。紫外線を放つライトだった。共生生物が紫外線に反応し、子は泣きながら苦しむ。体を普段は守っている生物が、弱点を浴びて暴れ、かき回しているのだ。子供の身体から逃げだそうとし、肉を侵食し、皮膚を内側から破ろうとする。

 ふと、周囲に闇が差し込んだ。ギャングはそれぞれ顔を見合わせる。闇は段々と濃くなり、三人のギャングと子供を包み込んでしまう。

 

「お前達は、食べてもいい人間?」

 

 そんな問いが聞こえた。ギャング達はマシン・ピストルやハンドガトリングを撃ったが、銃火すら闇の中で見えない。

 ただの闇ではない、と誰かが気付いた時。肉に噛みつく音が聞こえた。絶叫を上げるギャング。銃を撃ったせいで、硝煙が位置を教えていた。

 

 外の子供達からは、闇はほんの限定された空間を丸く覆っているだけだった。その中から、フードを被り直した子供が這い出てくる。共生生物が力を取り戻し、生命を繋いだのだ。無事だった鎧の子の後ろに隠れるのと同時に、闇が薄れた。

 中にいたのは、一人だけ。いや、外にも三つ。手首が落ちている。お札の紋様を記したリボン、金髪、黒いワンピース、そして真っ赤に血で染まった口元は、まだ咀嚼で動いている。ごくん、と飲み込み、息を吐く。

 

「ごちそうさまぁ」

 

 常闇の妖怪、ルーミアはにっこり笑った。駆け寄ってきたフードの子が、ハンカチを渡してくる。生命の恩人、に対しての素直な行動だった。幼い口元を布で拭い、妖怪はにっこり笑う。

 

「ありがと、後で洗って返すよー」

 

 フードの子もにんまり笑った。公園の外にサイレンが鳴り響く。パトカーと救急車が到着していた。救急隊員と警官が走ってくる。

 ルーミアと無事な子供達は、落ちていたギャング達の手首を拾った。

 

「こら、触れちゃいかん」

 

 拳銃に手を掛けながら注意する警官に、ルーミアがちっちっと指を振る。

 

「正当防衛だよー。後、賞金首だからこれは私達が持ってくの」

「何だと?」

「ほら、この指輪見て。この間区の賞金首リストに登録された筈だよ」

 

 残った手首、の指を、警官は多機能端末のカメラで写し画像検索する。重犯罪者リスト

上位、区内外問わずの人身販売、麻薬密売、破壊活動などで知られる<コールド・ペッパーズ>が該当した。ギャング団全員の賞金首としての扱いは“生死を問わず”、つまりいつ首を取られても問題はない連中であった。

 しかし、警官は眼前の“子供”を見て戸惑っていた。彼はまだ、妖物との接触経験が浅かった。

 

「うぅむ、確かに区民には正当防衛が認められ、賞金首を狩る権利もあるが‥‥」

 

 子供らから抗議の声が飛ぶ。

 

「何だよぉ、青子ちゃんは銃で撃たれて大変なんだぞ!」

「そうよ、保険が下りてもあたしたち妖物の治療費は高いのよ、三割負担でも大変なんだから」

 

 ルーミアもニコニコしながら畳みかける。

 

「あの子の治療費の足しだよぉ」

 

 警官が困っているところに、助け船が現れた。

 

「おーなんだぁ? ルーミア達じゃないか」

 

 無精ひげに厚ぼったい瞼、生気の無い目、よれよれのトレンチコート。無線を聞いて現場に駆け付けてきた、新宿署の朽葉刑事である。子供達と知己らしく、笑いながら挨拶を交わす。

 

「何があったんだ」

 

「はっ、この子らが、手配中の<コールド・ペッパーズ>の連中を‥‥どうも、返り討ちにしたそうなのですが」

「証拠は?」

 

 ルーミア達が、残された手首を差し出す。人間の血生臭い、既にハエがたかり出してる肉の一部だが、朽葉は微笑んだ。

 

「分かった分かった、鑑識にそいつを大人しく渡しな。賞金はお前らのもんだ、きちんと俺が保証してやるよ。銃や財布は盗んでないだろうな?」

 

 一斉に首を縦に振る子供らに頷き返し、朽葉は呆気に取られる警官を見た。

 

「という事で、<コールド・ペッパーズ>を仕留めた善良な市民、ルーミアは俺が署に連れて行くからな。お前は何か言う事あるか?」

「い、いえ」

「よろしい、後は頼むぞ」

 

 朽葉は黒いワンピースの少女の手を掴んだ。大人しく後を着いていく少女に、子供らが手を振る。フードの子が叫んだ。

 

「ありがとールーミアちゃん、明日も遊ぼうね」

 

 

 

 車の中、後部座席のルーミアが口を開く。

 

「おじちゃん、何か食べるものない?」

「あん? お前、人を三人食っちまったのにか?」

「デザート」

「これから署で、お前の口の中にあの手首と同じ遺伝子が残ってないかチェックしないといけないんだぞ、賞金が減るからやめとけ」

「‥‥そうする」

 

 微笑して、ルーミアは少しの間黙った。しばらくして、窓の外を眺めながらまた口を開く。

 

「おじちゃん、おじちゃんはさ。なんで私が人間を食べても平気なの?」

「この“魔界都市”で人食いのチビ助、なんて珍しくもなんともないぞ」

「もし私が正統防衛じゃなくて、あの三人を食べていたら?」

「やくざやギャングの生命なんぞここでは殆ど価値はない。だが、お前が道歩く人をいきなり貪り喰うんなら‥‥」

 

 そこで朽葉は少し言葉を切った。車が署に到着したのだ。ブレーキをかけ、後部座席に向かってにやりと笑う。

「でもよ、この街じゃお前の餌は尽きないと思うぜ?」

 

 ルーミアもにんまり笑った。

 

「おじちゃん、賞金が出たら“しんせい”奢るよ?」

 

 

 

 魔界都市新宿。この混沌の都市に、いつしかある閉鎖空間の妖怪達が何匹か住み着く様になっていた。

 

 その閉鎖空間は幻想郷、という。何故なのかは分からない。ただ、魔界と呼ばれる場所に移住した者の中には、ルーミアの様に肉を公然と食らってなお褒められるなどという事もあったという。




気が向いたらの感じで書いていきたいですが‥‥。


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みすちーおかみ

短いです。


 夜雀ことミスティア・ローレライは日々、新宿の各地で屋台を出している。いつも同じ場所に店を出すわけではなく、神出鬼没と言われていた。無論きちんと区の許可を取っているが、その許可は彼女の得意なヤツメウナギの蒲焼が引き出したとも言われている。

 大小善悪老若男女過去未来、何でも揃うイメージのある新宿でも、河川の匂いが残りながら何処か懐かしい味の蒲焼は珍しいのである。

 

 そんな屋台は普通の区民だけでなく、荒くれや妖物、魔人にも愛されていた。

 今彼女は、高田馬場駅跡で店を開いていた。「鳥肉反対」「鳥卵不使用」と書かれたでっかい旗上りを掲げている。

 客は二人。極端に大きな影と極端に小さな影。

 

「ぶぅ」

 

 プラハ第二の魔道士にして、新宿の肥満魔人の一人トンブ・ヌーレンブルクはにんまりと肥大した唇を舐め、手の蒲焼串にかぶりついた。彼女用の頑丈な酒樽に巨体を預けながら、満足そうに身体を揺らす。手元には既に十本程の串がある。この魔道士、店に来ると魔術結界と腕力で自分と連れ以外の客を追い出してしまう悪癖があったが、食う量は並の二十倍は行くのでミスティアも悪くは出来ない。

 

「小汚い屋台、店主はちんちくりんな妖物、でもこのタレは及第点だわさ」

「大した舌も無い癖にグルメぶらないで下さい」

 

 隣から辛辣な指摘が飛ぶ。トンブの相方、金髪碧眼で整い過ぎた顔を持つ小さすぎる淑女、人形娘である。

 

「何さ、帝国ホテルの最高級懐石かフランスの一流シェフのフルコース、中華の満漢全席を前にすればあたしだって大人しいもんだわさ」

「トルコの富豪に招かれ晩餐を馳走されたのに、相手をぶん殴ってご破産にしましたよね」

「そ、そんな事‥‥」

「テレビ企画でマチコ・ゴージャスとの会食が決まったのに、ホストがいないと突っぱねましたね」

「余計な事はいいだわさ! 女将、熱燗もう一本!」

 

 苦笑しながらミスティアは酒を出し、酌をする。トンブは太い指でおちょこを器用に持ちながら、ぐっと空けた。

 

「ふん、薄情な部下の前だというのに染みる味ね」

 

 スマホが振動する音。胸の肉の間から携帯を取り出し、魔道士は真剣な顔になる。

 

「残念だけど急用ね。女将、ツケにしといて頂戴。いつもご馳走様」

 

 返事も聞かず、驚く程の静かさと俊敏さで立ち上がり、トンブは去っていった。

 残された人形娘はため息、の様な音を出し、何処からか取り出した財布で代金を支払った。

 

「あの人にはツケのままだと言っておいて下さいね。いつかこれをダシに叱ってやるので」

「いいんですか?」

「いいのです」

 

 夜雀は一杯、新しい酒を注いだ。

 

「行く前にどうぞ」

「‥‥これ、新しいお酒ですか?」

「雀酒の試作品です。トンブさんに出せるか気になって」

「合格です、またひねくれた感想で褒めてくれますよ」

 

 人形娘はぺこりとお辞儀をすると、店の外に出た。やがて何かが羽ばたく音がして、店は静寂に包まれた。

 

 結界を解いていったのか、ミスティアには分からなかった。もしそのままだとしたら、今夜は客が来ない。彼女は魔力を探れないかと、客席の方へ回ろうとした。

 汚れたコートを着た男が、屋台へ走ってくる。あっという間にコートの下からショットガンを取り出し、装填した。

 

「動くんじゃない‥‥こいつには、特別製の弾丸が詰まってる。妖怪もバラバラになるぞ」

 

 一瞬息を呑んだミスティアだが、出来るだけ落ち着いて相手を観察した。青ざめた顔で、全身が震えている。犯罪行為に怯えているか、麻薬中毒。

 

「口も開くなよ、お前の歌に魔力があるのは知ってる。黙ったまま金を出して、それを俺に渡せ」

 

 ゆっくりと夜雀は動いた。屋台に警察への通報ボタンはある。だが警官が駆け付けるまで時間は稼げない。手元に対抗出来る様な火器も無い。弾幕を放ったり歌で視力を奪っても、相手が散弾を乱射すれば危険。

 この状況で頼れる物は一つだった。ミスティアは、通報ボタンの隣のものを軽く押した。

 屋台に掛けられていた赤提灯が割れ、炎を噴き出した。突然の事に驚いた男は引き金を絞ったが、弾丸は暖簾の後ろから降りたシャッターに阻まれる。店内の酒瓶が倒れ、仕込まれていた小型ロケットに点火した。飛翔した酒瓶は男に突撃し、爆発音と共に四散させる。

 妖怪の冷酷な瞳で、夜雀は男の残骸を見つめた。

 愚かな奴。罪に走る前に、酒の一杯も味わえば心も変わるかも知れないのに。

 何処へ行っても、愚かな人妖には事欠かぬ。

 屋台の戦闘モードを切り、ミスティアは箒を取り出した。夜はこれから。他の客が来る前に掃除を済ませるつもりだった。

 




みすちーおかみは幾つかシリーズで書いていきたいです。今回は少し出番が薄くなってしまいました。


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ゆかりん

今回は悪乗りしました。ドンパチ無し。


 とある新宿区議の邸宅、

 知性アンデッド団体の陳情、地区警備傭兵の保険制定、妖物夜間学校の開設、など多数の案件の資料をまとめ終え、区議は一息付いていた。今季初当選、コネ無し知名度無しの新人はやる気に燃えている。元は弁天町にたむろするホームレスだった彼だが。ある存在の後押しで区議に昇進した。

 部屋に何気無く置かれた、イタリア、カッシーナ製の高級寝椅子。そこに彼が眠る事は決してない。“ある存在”もこれを使用する事は無かったが、敬意の証として休日には区議自らが手入れを怠らない。

 バーボンを注いだグラスを片手に、自分は安い皮張りのソファへ腰かけようとする。

 軽い振動音がし、手からグラスが消えていた。パープルの中に大量の瞳が生々しく現世を見つめる空間が、縦に長く部屋を裂いた。

 幻想郷の賢者にして、スキマ妖怪八雲紫が現れたのである。スキマ空間から優雅に脚を伸ばし、手には区議のグラスを持っている。スキマを利用して掠め取ったのだろう。軽く口を付け、薄く笑う。

 

「新酒の香りがしますわ、頂きます」

 

 グラスが傾き、酒が赤い唇へと消える。

 

「アメリカ産ではありませんね」

「邪神のとうもろこし畑で収穫された穀物を使ってます。区の特産物にしようかと」

「幻想郷にも何本か頂けるかしら?」

「喜んで」

 

 紫は微笑み、スキマの縁に腰を下ろした。区議の前に現れてから、彼女は必ずこの姿勢である。

 

「お酒だけではなく、物資が必要になりましたわ」

 

 唐突に現れて随分な要求、だが区議は彼女に頭が上がらず、心酔してもいる。ホームレスで妖物に食い殺されかけていた彼を助け、“空席”が出た区議会へ潜り込ませたのは伊達ではない。だが彼女は区議に「新宿」の天下を獲らせようと考えているわけではない様だった。“物資”と一部の妖怪達のグレーに近い合法的な住民票。それらを望んでいる。

 区議は野心と平常心の間に適当なスキマを作る事を知っていた。自由だが何もないホームレス時代の経験が、狂気と闘争で権力を勝ち取る危うさに警鐘を鳴らす。今生きているのは自分の力ではない、という事を知っている。

 

「全て用意します」

「後、人間もお願い」

「武装した暴走軍団が丁度勢力を伸ばしています。アジトの位置は貴方の端末に」

 

 区議はさらりと言ってのけたが、紫が要求したのは労働力などの類では無い。妖怪の食糧、としての人間である。暴力と破壊と無秩序を生業とする者達を大量に幻想入りさせ、妖怪達の糧とする。正統性がある様で歪んだ贄のシステム、と言えるかも知れない。自殺志願を少しづつ誘拐するのとどちらが良いか、と問われても紫は妖しげに笑うだけだろう。なお、最新型の小型端末を何事もなく使いこなしている。

 

 

 取引というより指令を終えた紫は、鼻歌混じりで区議の邸宅からスキマで移動する。

 行き先は西新宿。

 つまり、あの男である。

 

 せんべい屋の店先には、様々な男達が列を為していた。普段は店主目当てで女がいるのだが、今回は男が多い。しかも厳つい顔の者ばかりである。

 店主の容貌を思い浮かべ、一瞬涎を流し、紫はゆかりんから慌ててクールな賢者に戻る。

 男共もまさか、なのだろうか。あの美貌は老若男女性別を問わず、誰をも虜にしてしまう。最悪全員を“平和的”にどっかに追いやろうと考えつつ、紫は店先をスキマで覗いた。

 反則行為だが、世の中抜け道を巧みに操る者が勝ちだとスキマの主らしく考え、背筋がゾクゾクした。

 

 初めて秋せつらを見た時、雷というか巨大な弾幕を至近でボコボコに浴びた挙句地面に叩きつけられた様なショックを受け、八雲紫という全てが崩れ去りそうな危険さを感じた。恋ではない、欲、熱。理性がうっかりすると押し流される。黒幕ではなく、単なる雌として近付きたい、と紫は願った。彼女は妄想の中で、ひどく美化された自分が唇を強引に奪われる事を妄想した。この事を友人が知ればどんな顔をしただろうか。同じくだらしなく堕落した顔になっただろう。

 

 一瞬で膨大な煩悩の海に浸ったゆかりんだが、スキマの先にいたのは 猫耳の女の子であった。カウンターの奥にちょこんと座り、各種せんべいを取り分けている。

 

「はーい、堅焼きでーすにゃあ」

「‥‥橙?」

「あ、紫さま」

 

 猫又の橙。紫の式、八雲藍の更なる式である、つまり八雲と別に深い関係があるわけではないが、立場上縁があった。スキマから頭だけをぽんと出す紫。

 

「何やってるの、そんな猫なで声と語尾は」

「バイトです。応募したら採用されちゃって。猫系女の子は、魔界でも評判なんです」

「それはいいけど、店主さんは!? せつら君は何処なのよ?」

「秋さんは人探しですよ。依頼が溜まったからしばらく帰らないそうです」

 

 きーっと歯を食いしばり、区議の前の優雅さと残酷さはどこへやら、ゆかりんはスキマへ姿を消した。

 残された橙は、にこにことせんべいを売り続けている。彼女のバイト代には、せつらの頭撫でという破格のものが入っているのだった。

 

 

 

 流石にゆかりんも、新宿の魔なる美貌に惹かれただけで幻想郷との交流を持たせたわけではなかろう。何かに彼女は引き寄せられたのだ。得体の知れない、何かに。




キャラが上手く書けてるか心配になります。


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おクスリ、いかがですか?

今回は珍しく拳銃を使います。


 魔界都市において最も有名な医者はドクター・メフィストであり、最も有名な医療機関は歌舞伎町のメフィスト病院の他にはない。念の入った“手遅れ”の死者の蘇生こそ無理だが、助かりたいとあがく者を、美貌の謎めいた医者とその部下達は見捨てないのである。

 かといって他に医療行為に携わる者がいないわけではない。どの様な場所でも、本物への渇望が常に通るわけではないからだ。

 

 

 大きく古めかしい笠をかぶり、薄むらさき(ゆかりんではない)の衣装に身を包んで、大きなつづらを背負った痩せ気味の姿が、低空飛行から河田町の難民居住区へと降り立った。新宿にも飛行する技を持つ者は珍しくない。ただし、空にも危険や怪奇現象が多い上に、警察の巡回ヘリに発見されれば降下を命ぜられるし、場所によっては地上から凄まじい対空砲火(By市民)を浴びる事になる。ドローンに最新型のパルスレーザー砲が飛んできた事例まである程だ。

 元居た場所での飛行は当たり前だったが、新宿では慎重に行う必要があった。警戒を怠らなければ、便利な移動には変わりない。

 傘姿の者は難民用に建てられているプレハブ群へと向かった。その内の一軒のドアホンを押す。プレハブ、の筈の強化プラスチック製ドアが、やけに重々しい音を立てた。ロッキングボルトを誰かが追加した様である。

 妙に油、それも機械油の臭いに満ちた玄関に、上半身のみが板に乗った女性、が現れた。

 四本の多関節足で左右にかしぎながらバランスを保っている。真っ黒に汚れたエプロンをひっけかているのが唯一のオシャレに見えた。

 

「あらマァ、いつもありがとうございマス。主人はまだ“技術町”から帰ってませンノ」

 

 言語も語尾が跳ねあがり、電子音が時々混ざる。技術町で夫が“バイト”をした結果、この極貧の家族は、この難民キャンプでも生き抜いていく力を得た。魔震で半身不随となっていた妻は、元気に駆動音を響かせながら家事に勤しみ、子供達も徐々に機械へと変わっていった。主だけがまだ、五体満足である。

 傘姿はかぶった物も取らず、出されたオイルの浮かぶお茶を謝絶して、つづらから何かを取り出した。

 

「おくスリ、最近肩が凝ってシマッテ」

 

 傘姿は赤い瞳でじっと、鈍い動作音を立てる肩を見つめた。ハマグリの貝殻に見立てた容器から、黒い軟膏を指ですくって、何故か体温の感じる肩関節部分に塗りつけてやる。

 

「アァああ、染みるワぁん、回路がすぱーくスル。でも、少し動きが滑らかニなったミタい。頂くワ」

 

 他にも便秘用(何処か出すのかは不明だが)の特殊配合ミネラル粉末、錆び落とし美容クリーム、子供用の金属絆創膏を買い求め、夫人は先月分の代金を支払った。何故かこれだけは、妙に真っ新な現金だった。

 

 傘姿は重い改造されたプレハブのドアから出て来ると、周囲を警戒しつつ大地を蹴った。

 低空飛行する姿を、金属の玉が三つ、転がりながら追いかけて来る、それに気付いた傘姿は、手を振ってあげた。玉達は停止すると、中から小型のアームを出して振り返す。かの家の子供達、だった。こちらは人間の言葉すら既に話さない。が、傘姿は生身の姿だった頃から、この三つ子を知っていたのである。

 傘姿が遠くへと飛び去っていくのを、金属の玉達はずっと見送っていた。

 

 

 次に傘姿が向かったのは、市谷田町。この付近は第一級危険地帯、陸上自衛隊世田谷駐屯地に近いせいで廃屋が多い。その中の一軒に用があったが、大分手前で着地して徒歩で目的地へと向かう。以前一度、12.7㎝速射砲とファランクス・システムが飛行中、“空”から掃射された。本物の砲弾と20㎜弾だったが、その正体は未だ不明のままである。

 傘姿は、ふと足を止めた。右手だけがぶらりと脱力する。崩壊したビル群に囲まれ、遺棄された車両が多数、傘姿を囲んでいる。突然、壊れた車のボンネットが開き、迷彩服とゴーグルの男が連射式のボウガンを構える。

 轟音が響いた。6インチのスタームルガー・スーパーレッドホークが、傘姿の手に握られていた。

 矢が放たれる前に胸に風穴を開けられ、襲撃者はボンネットの中に逆戻りする。別の車の窓が割れ、機銃が顔を出す。銃身と窓の隙間にレッドホークの454カースル弾が飛び込み、射手を黙らせる。更に屋根からびっくり箱の如く飛び出した奴は、正確な射撃に捉えられ、自分がびっくりしてのけぞった。

 後から後から、次々と自動小銃や拳銃を構えた奴らが飛び出すが、傘姿は正確な射撃で次々となぎ倒していく。六発目で輪胴を弾き出しながら、車の影に隠れた。慣れた手付きで弾丸を込める。

 

「動くでない」

 

 瞬時に銃口が声の方へ向けられた。腰の曲がった老婆が、巨大なグレネードランチャーを構えている。背中にはタイヤが張り付いていた。どうやら、車の一部に擬態していた様である。

 傘姿はつづらを開くと、物騒な物を向けたままの老婆に薬の袋を渡した。中身は傷薬と軽い興奮剤である。無言でそれを受け取ると、老婆はポケットから出した銭袋を投げた。綺麗に飛翔したそれは、無事傘姿の手に納まる。

 

「来月も絶対来い、命令じゃ」

 

 傘姿が頷くのを見届けて、老婆は車の影から信じられない速度で駆け出した。その方角から、爆音と銃撃音が響く。

 老婆はこの付近で、朝から晩まで新宿式ゲリラ・ゲームに興じているのだった。住居すら持たないが、きちんと薬の代金は払うお客である。そして百戦錬磨の強者市民だった。

 御年八十にて銃撃に目覚め、今も腰が曲がった状態で何処の誰とも知れぬ相手と戦闘を楽しんでいるのだ。

 傘姿は拳銃を構えたまま、逆方向へ姿勢を低くして走り出した。まずは安全地帯まで脱出しないといけない。

 

 

 つづらに三つ穴をあけられ、傘も一部焦げたが、傘姿は何とか脱出した。安全地帯の公園でスーパーレッドホークの消費弾薬を数え、傘姿はため息を吐いた。大口径で破壊力のある弾丸は、持ち主にも被害をもたらす。

 呼び出し音が鳴る。携帯なりスマホなり取り出すのかと思われたが、傘の内側に手を突っ込みごそごそと動かしただけだった。

 

「はい? ‥‥てゐ、今度悪戯電話してきたら、身ぐるみ剥いで妖物風俗店に引き渡すって言ったわよね? 違う? 歌舞伎町のラブホテルからって、あんたとうとう自分を売るにまで堕ちた? ‥‥分かったわよ、けど嘘ならお尻でロシアンルーレットだからね?」

 

 歌舞伎町旧区役所通りへ現れた傘姿は、電話相手が指示した住所のラブホテルへと入った。五階建てのビルを改造した連れ込み宿だが、ある事情から料金が安く、単身で長期滞在する客もいる。

 フロントでは支配人らしき黄ばんだシャツ一枚の男が、有線テレビで褐色エルフのストリップを鑑賞している。垢汚れでべたついた台上のベルを傘姿が鳴らすと、慌ててそちらを振り向き、隠れて見えない下の方でごそごそしてから立ち上がった。

 

「お前があのウサギのガキの仲間か?」

「そうだけど、あいつ何やらかしたの?」

「何でも屋だって言うんでな、三階の部屋をいつまでも占拠してやがる引きこもりを追い払ってくれと依頼したんだ。そしたら自分が捕まった」

「迷惑かけたわね、そのまま引き取ってくれない?」

「そうはいかねぇ。ウサギのガキが、自分はさる兎帝国の貴族でもし見捨てたら、新宿中に兎テロリストが現れて復讐するとか言ってる」

「そんな嘘を信じてるの?」

「この街は割とそういうのの本物がよくいるんだよ。ここにもケルトの貴族が数日泊まった事があってな」

「で、後日綺麗な封筒で支払いしたわけ? バカバカしい」

 

 主は無言でカウンターの下から、羊皮紙を取り出した。そこにはペン文字で、新宿が与えてくれた悦楽と美味への感謝と、小切手を同封する旨が記されていた。そして、金色に光るルーン文字まで。

 

「これもてゐに売りつけられたんじゃないわよね?」

「さあな。とにかく、あのウサギ引き取ってくんな。三階のアレを倒せたらだが」

 

 

 傘姿は妙に冷え冷えとした空気の中、主と共に三階へやってきた。廊下が臭う。

 

「例の引きこもりの部屋からだ。この間倒れてて、ようやく空いたから部屋を掃除しようとしたんだがな」

「使用済みティッシュの山でもあったの」

「いや、本人が“帰って”きてて動かないんだ」

 

 二人は307号室、てゐが事案解決のために入って出てこないドアの前まで来た。傘姿は愛銃を抜こうとする。

 

「無駄だよ」

「そんなわけ‥‥」

 

 突然ドアの真ん中が横に裂けた。中から細く長い舌が飛び出し、傘姿の身体を巻き取る。

 粘液、というか涎が大量に絡みついたそれが、口に早変わりしたドアへと引き込まれる。

 瞬間、薄紫色が歪み、服だけが舌の中に残された。低い天井で白い太腿が翻り、見事床に着地したその姿、アメジストの如き髪とブラウス&ミニスカ。

 鈴仙・イナバ・優曇華院は頭の傘を外し、真っ白な兎耳を露にした。銃は汚い上に歯を磨いていない臭いの舌に奪われた。どう攻めようかと身構えた時、呼び出し音が鳴る。

 兎耳の根元をイナバがいじると、けたたましい声が響いた。電話を耳に仕込んでいる、わけではなく、特定の電話からの発信を能力で拾っているだけである。

 

「イナバぁぁ!! 早く助けてよこのド変態からぁ!」

「食べられそうならもう少し待つわ」

「違うぅんだよ、部屋の中のこいつのコレクション無理矢理見せつけられてんの!! 何が悲しくて触手の群と古今東西のエロアニメ見なくちゃならんのさ! しかも時々なんか汚い液体噴き出すしぃぃ!!」

「そう」

 

 無情にもイナバは電話を切った。そうこうする間に、またドアの“舌”が彼女に巻き付いたからだ。そのまま、ドアの向こうへとずるずると引き寄せられる。

 兎の瞳が一瞬、紅く危険な光を放った。更に、内部で轟音が何発も響く。次の瞬間、舌が力を失い、床に落ちて白煙を噴きながら崩壊していく。ドアの口も塞がり、廊下にはイカ臭さと涎まみれの兎娘、それと隠れていた主。

 

 鈴仙・イナバは能力で周波数を操り、部屋の怪物へ咄嗟に幻影を見せたのだった。野郎が好みそうなストリップ着替え、寝そべる裸、エロいポーズ、下着ハプニング‥‥。てゐへの仕打ちから、生前部屋の中でエロい事ばかりやっていたと理解し、眼前に偽りの桃源郷を見せてみた。効果は絶大で、亡霊はたちまち昇天したのである。この時イナバは知らなかったがこの亡霊の引きこもりは生前、制服コスプレ物が好きだった。素直に調伏されたのも嬉しさのあまりだろうか。

 

 

 扉が開き、ピンクのワンピース姿で黒髪のこれまた兎耳娘が飛び出してきた。全身が臭い。彼女はイナバを見つけるなり飛びついた。

 

「ああ神様仏様イナバ様ぁ、因幡てゐ、終わりかと思いましたぁぁ」

「大袈裟よ、何やらかしたの?」

「引きこもりの亡霊程度、と思ってお札をケチったら、ツバかけられて全部ぐちゃぐちゃにされた‥‥」

「自分の霊力の技でなんとかしなさいよ」

「あいつの身体の中で結界張るので精一杯だったんだよぉ」

 

 無言で鈴仙・イナバはてゐの手から、愛用のスーパーレッドホークを取り返した。ドアに食われたものが、内部のてゐの所に落ち乱射されたのだろう。

 唯一無事だったつづらを背負い、傘を被り直すと鈴仙は主に告げた。

 

「代金は後程請求するから」

「えーっ? そのちっこい兎が一度失敗したのに?」

 

 鈴仙の目が紅く輝いた。主はだらりと手を下げ、そのまま前へと倒れた。床で時々痙攣しながら薄笑いを浮かべる彼を、てゐが気の毒そうに見つめる。

 

「何見せたの?」

「エルフのストリップ劇場。数分で消えるけどね」

「そんなの何で見せられるのさ、スケベだねぇ」

「彼がフロントで見ていた動画の内容のままよ‥‥」

「全く、幻想郷の頃のあんたは可愛かったのにさ、怖くなっちゃって」

 ぶつぶつと言い合いながら、二人はホテルの階段を下りていく。

 

 

 鈴仙・イナバ・優曇華院は様々な人に薬を売り、時々相手を“治療”する。

 偉大なる存在、ドクター・メフィストと永遠の命を持つ師匠には遥か及ばないが、今日も彼女は強かに生きているのだ。

 

 




鈴仙て何故かこういうキャラになってしまいます。昔書いた作品のレイセン二号も武闘派の顔がありましたが。

追記
鈴仙の使っている拳銃は、菊地先生の「賞金荒し」の主人公の銃をリスペクトした物です。


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春よ、ここにおいで

ほぼ思い付き、でした


 妖精とは自意識を持つ現象。自然豊かで緑の塗りこめられた幻想郷でこそ輝く存在。

 だが、魔界にも花は咲き樹は芽吹き、四季の色どりは未だ褪せぬ。

 

 姉御。そう呼ばれて、幾年月が経つのだろうか。

 魔震以降、新宿に根を下ろした古株外国マフィアの女ボスは、庭園でじっと開かぬ花達を見つめている。これらは、遠い故郷より運んできた植物だった。日本の地ではなかなか咲かず、次の春を待つ前に枯れてしまう物もあった。故郷の地での抗争に敗れ、呪われた土地に逃げてきて数年。冷酷かつ外道なやり方で勢力を地道に伸ばし、警察の目も欺いてなんとか一端の組織にまでのし上がった。

 だが、花は暴力と命令では動かない。まるで、血塗られた者を蔑んでいるかの様に開かない。いつかはその艶姿も見せず、全て枯れ果ててしまうのだろうか。

 そう思っていたのは、去年の春までだった。

 

 その日の朝。裏切り者をなぶり殺しにした姉御は、血を洗い落とした後庭園に来た。

 殺しの後、必要以上の興奮を鎮める必要があった。そういう時、彼女はいつもここへ来る。庭に置かれた椅子に座り、植物の声を聞こうとする。何も、聞こえる筈はないのだが。

 そこにはいつも静寂しか溢れていない筈だった。

 白いとんがり帽子に、赤い線で縁取られた白いワンピース。何処から入り込んだのか、背丈の小さな女の子がいた。護身用に持ち歩いている古いトカレフを抜き、容赦なく少女に照準する。子供の姿をした殺し屋、生体兵器は珍しくない。

 女の子と視線が合った。屈託のない笑顔が浮かぶ。相手と争うという事を知らないのだろうか。偽装かも知れない。姉御は容赦なく引き金を絞ろうとした。

 

「春ですよー」

 

 小さな両手が掲げられ、可憐な声が響く。それと同時に、庭の花が全て開いた。今まで隠していた事を恥じるかの様に、芳香を伴って咲き誇る。

 姉御の手からトカレフが落ちた。頬を涙が伝っていた。久しく味わっていなかった故郷の色彩に、彼女の心が満ちていた。膝を突いて嗚咽するそばに、白い春の妖精が近付く。

 

「春ですよ」

 

 その手には摘み取ったらしい白い花が握られていた。庭の花だから、元々姉御の物なのだが、それを涙と鼻水で汚れた顔で受け取る。

 

「貴方は‥‥誰?」

「春ですよ」

「そう、春なのね。ねぇ、春ちゃん。これからも時々でいいから、おばさんの庭へ遊びに来てくれる?」

 

 この庭の外は、姉御が知る道以外は電子地雷と植物に偽装した短針銃、昆虫メカに守られている。常人が入れる筈もない。が、春は微笑んで頷いた。子供っぽく何度も。

 姉御はその身体を抱きしめた。先刻人を殺した手で。

 

 

 春を名乗る子は、それから時々庭を訪れた。語彙の少ない子で、いつも春ですよ、かうん、いいえ、ありがとう位しか喋らない。だが微笑みを絶やさず、くるくると踊って見せたり、意味不明の歌を口ずさんだり、姉御が用意したお菓子を頬張ったりした。

 夏、買収先の土地の住人を老若男女問わず皆殺しにした時も。麻薬漬けにした娼婦達を処分した秋も、区外の観光客を捕らえて人質にした挙句、関係者を新宿魔海に放り込んだ冬も、変わらず“春”は来た。いつも洗い落とした血まみれの手で女の子を撫で、抱きしめた。部下達も苦笑しながら、その一見ほのぼのとした光景を見ていた。

 

 終幕は突然に来た。次の春が来る前。庭の花達は未だ沈黙している時期。

 たった一人の刑事との全面抗争に組織は敗れた。隻眼のその男は、巨大なリボルバーと大陸にも伝わらない恐るべき武術で構成員を残らず殲滅した。抵抗は無意味だったが、降伏も許されなかった。容赦無く、誰もが射殺され、撲殺された。長年の悪行の代償を要求するかの様に。

 姉御はたった一人、腹から血を流して庭に座り込んでいた。刑事に撃たれたのではない。

 腹心が我が身可愛さに裏切ったのだ。裏切りは即反撃で仕留めたものの、自分の生命が長くないと姉御には分かっていた。

 息荒く、いつもの椅子ではなく、庭の中央に座り込んだ女。その視界に白い影が入り込んだ。

 何があったのか、というきょとんとした表情で顔を覗き込んでいる。姉御は青ざめた顔で無理に微笑んだ。

 

「いつも来てくれてありがとう。でも、もうおしまい」

 

 一度目を閉じ、まだ意識が飛ばない様にする。

 

「分かる? 私はこれから、死ぬのよ。貴方と遊ぶ事も、お菓子をあげる事も出来なくなるの。悪い事、沢山したから。貴方も、一度撃とうとしたわ」

 

 女の子は理解しているのかしていないのか、にっこり微笑んだ。

 

「さ、最後に、名前を‥‥貴方、名前を‥‥」

 

 相手の口から答えを出るのを期待したのではない。だから、ずっと共に愛でてきた庭の植物の名前をあげよう、と思った。だが、肝心な時にいい物が浮かばない。

 女の子が何処かに走り、何かを手に持って戻ってきた。その手には真っ白な花が握られている。白い百合、だった。

 

「リリー、リリー、リリー」

 

 何かを言っている。だが、もう答える力が残っていない。せめて頭を撫でてやろうと、差し伸べた手は、途中で力尽きた。

 女の子は力尽きた相手の手を握り、反応の無い顔をつついたり、周囲を跳ねまわったりしたが、何も反応が無いのでやがて止めてしまった。

 そして庭の中央に立ち、手を上へかざして叫んだ。

 

 

「春ですよー!」

 

 

 この庭だけではない、そこから新宿中へ、春が訪れた。危険地帯の狂暴な植物や、変質してしまった元人間の花達、動物に寄生する種。全てが芽吹き、花を咲かせた。

 誇らしげに彼女は死体を見つめた。そうだと知っていてやったのかは分からない。だが、僅かな間共に過ごした相手の身体が、白い花に埋もれているのを見つめ、にっこりと笑う。

 庭の入り口で、そこだけが影に切り取られた様に男が立っていた。女の子が春を祝う様に舞い踊り、やがて何処かへ飛び去っていくのを、右目だけが追った。男は隻眼で、左目を刀の鍔が覆っていた。

 庭の中、花に埋もれている女の死を確認すると、刑事・屍刑四郎は無言で立ち去った。

 




ゲストキャラは一度切りではない事もあります。続けば、ですが‥‥。


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小傘ちゃんの小さな大冒険

今回は魔界都市のクロスオーバー、といっても相変わらず小規模です。


「いらっしゃーい、綺麗なだけじゃない。魔除けから恋愛成就まで効果抜群、博麗の巫女と守矢の風祝の清めたアクセサリーだよー」

 

 魔界都市、四谷ゲート付近。区外からの観光客相手に、水色のショートボブの少女がにこやかな商売をしている。むしろを敷いただけの極めて簡素な露店で、傍らに茄子色の古めかしい傘が畳まれている。客の一人が傘を見せて欲しいと所望するも、少女は首を横に振った。これはわちきの馬印、と。

 観光客の波が去り、少女は右が水色、左が赤の瞳を細めた。殆ど売れなかったのである。

 新宿という場所では、奇跡的な程素朴な商売だった。一部誇大広告はあった。例えば巫女の御払いなど一切貰っていない。巫女も風祝も、以前居た地域では結構な危険人物で、小傘にとっては油断ならない相手であり、そんな彼女らに道具を清めてなどと頼める筈もない。ならば名前を広告に使うのは危ないのではないか。もし眼前に現れたら、小傘は全力で逃げるつもりだった。その程度の対策しか考えていない。まあ妖物に襲われる事の方が多いのだが、そうなっても左腕にはめた銀の魔力を込めた腕輪と、逃げ足が頼りである。

 付近を仕切る香具師の頭目が、売り上げをおつむで計算して難しい顔をする小傘の店にやってきた。

 間抜けだから可愛がられてる、というより珍種を保護する気持ちがあったのだろうか。何かと彼女の世話を焼く。頭目に気付くと、少女は笑顔を戻し、分けておいた金を出した。

 上納金のつもり、だったが男は手ぶりでいらないと示す。今月分は既に受け取っていたからだった。顔を赤くして金をしまう小傘に苦笑しつつ、頭目は何気無く空を見上げた。

 珍しく青く澄み切った空だった。巡回ヘリや空賊、空の怪異も無い。せいぜい透明に擬態した何かが浮かんでいる程度、と思ったら、小さな黒い点が現れた。それがよくこの街でも見かける道具、木刀だと気付いた時、真っすぐに落下してきた。頭目が避けた場所に土煙を上げて叩きつけられた木刀は、有り得ない事に地に跳ね返るかの如く宙に舞った。

 小傘は、両手を伸ばしていた。木刀が彼女へと迫るのが、スローモーションの様に見えていた。ふわり、と木刀は少女の手に納まった。

 幻想郷でも感じた事のない、強く温かい魔力が感じられた。観察してみると、変哲のない普通の長さの木刀である。

 ぽかんとしていた頭目が小傘に声をかけようとした。一歩踏み出した時、彼の足元から火が出た。前へ差し出した手まで瞬時に火が回り、口の中からも炎が溢れた。そして、彼を立ったままの炭へと変えてしまった。

 木刀を抱き寄せながら、小傘は何が起こったのか、と思った。

 頭目だった炭を砕きながら、黒頭巾を被り黒マントを羽織った姿が現れる。頭巾の奥で紅い瞳が凶悪に光った。

 

「小娘、炎に焼かれたくなければその木刀を渡せ」

 

 焚火が爆ぜる感じ、耳が焼けそうな声である。小傘は腰が抜けていた。相手の殺意の凄まじさに、である。

 

「渡さぬならそれも良い。苦しまずに焼き尽くしてやろう」

 

 男の手がマントから現れた。異様に痩せこけた真っ赤な皮膚だった。その手そのものが、一瞬で火へと変わる。

 

『お逃げっ!』

 

 頭の中でぶつかる様な老婆の声。小傘は後ろ襟を何かに掴まれ、後ろに投げ飛ばされた。

 尻もちをつき、その衝撃で我を取り戻す。慌てて露店から茄子色の傘を拾い、外はそのままにして新宿通りを西へと走り出す。手にしっかりと木刀を握って。

 残された火の怪人はそのまま手の炎を持てあましていたが、突然その場で天を支える姿勢を取った。その足元が煙を吹きながら、少しづつ大地へとめり込んでいく。

 

「ぐぐぐ‥‥」

『人を簡単に消し炭に変えても、まだ力は足りていない様だねぇ』

「何者か、俺を仕留めるにはこの程度では足らんぞ」

『倒すつもりはないさ。ただ、少しの間地面でもがいていて貰うよ』

 

 そのまま怪人は見えざる力に圧され、地面へとめり込んでいった。

 

 

 道中少し低空飛行までして、小傘は四谷三丁目駅付近にまで辿り着いていた。開くと大きな舌をぺろんと出す、おかしなデザインの傘を開きその陰に隠れている。木刀を未だ抱きしめていた。捨ててしまえば、この事件から逃れられるかも知れない。だが、木刀から伝わってくる不思議な温もりと、空から突然現れた物とはいえ道具仲間を見捨てるという事は、付喪神の小傘には出来なかった。

 だが、どうしたものだろう。近くの緊急避難所に駆け込み、警察の到着を待つべきか。

 逡巡している内に、また老婆の声が聞こえた。

 

『休んでいる暇はないよお嬢ちゃん』

 

 小傘はびくっと反応し、傘から顔を出して周囲を見渡した。誰もいない。

 

『少し事情があってね、顔は見せられないのさ。その木刀を守らなくちゃいけない』

「わ、わちき、争いは苦手」

『この街でそう言い切るなんて、ある意味肝が据わってるね? まあ逃げないとまた襲われるだけさ。ほらもう第二の追手が来た』

 

 強い妖気を感じ、小傘が振り向いた先で地面から黒いローブ姿が屹立しつつあった。足元をうろついていた肥大ネズミ達が、その身体に次々と引きずり込まれていく。

 

「先刻の火!?」

『違うね、ありゃ土鬼、だよ。先刻のは火鬼』

「お、おおお、鬼ぃ!」

 

 幻想郷では一、二を争う強豪妖怪の種族名を聞いて、また小傘は腰を抜かしそうになる。

 

『鬼といってもあんた達の仲間とは少し違うがね、危険な存在ではあるよ。幸いなのは復活したばかりのせいか、力が衰えているけどね』

 

 土鬼は近くの生命体を全て吸収し、“食事”をしていた。

 

「‥‥まだだ、まだ足りぬ。そこの小娘‥‥」

 

 指さされた小傘は飛び上がった。

 

「お前を食わせろ‥‥」

 

 慌てて叫びながら走り出す背中へ、マント姿の両手が向けられた。汚い茶色の指先が崩れ出し、塵となって漂い始める。

 

『飛ぶんだよ! 早く!』

 

 老婆が言う前に小傘は派手に転んだ。足元で野良バイオブタが不満そうに鼻を鳴らす。

 周囲に塵が集まり出した。瞬く間に小傘とブタを包んでしまう。

 

「妖力! 泥地獄」

 

 土鬼の塵の中に捕らえられた者は、数億トンの圧力と五千万度も高熱を受け消滅する、筈だった。しかし絶叫と共に、土鬼は元の塵へと戻った。無事だった小傘の胸の中で、木刀が光を放っている。魔界都市には似つかわしくない、清浄な気だった。娘は急いで立ち上がり、逃亡を再開した。

 

 

 塵が集結し、マント姿に戻るも身体から煙が吹き出ている。

 

「これは‥‥あの忌々しい念法の痛み!? しかし、この世界に奴はいない筈だ!」

 

 苦しむ彼の傍らに、炎の玉が現れた。

 

「土鬼、無様だな、かつて我らの中で最も早く敗れた噛ませ犬よ」

「黙れ、蘇ってすぐだから本調子ではないだけだ」

「まあいい。すぐに水鬼も合流する。今度は三人共に襲うぞ」

 

 火鬼は、見えない怪物の蹂躙を、地面ごと高熱で溶かして脱出したのだった。

 

 

 謎の声に導かれた小傘は、歌舞伎町に到着していた。不思議な力を放ち彼女を守ってくれた木刀は、今静かに抱かれている。

 

「おばあ‥‥ちゃん?」

『はいよ、きちんといるさ』

「誰なの? 貴方は?」

『その木刀を導く様、ある偉大な坊さんの霊に頼まれたのさ。まああたしもこの世のものじゃないがね』

「じゃあお化け?」

『可愛い思考だね。“阿修羅”が選んだ理由が分かる気がする』

「この子、阿修羅ていう名前なんだ」

『おやおや、偉大な付喪神の先輩を子供呼ばわりかい。足りないも度が過ぎると災いだよ』

「いいもん、どうせわちきは‥‥」

 

 小傘がふと、水たまりを踏んだ。次の瞬間、彼女の身体は頭まで一気に引きずり込まれる。新宿名物の怪奇生命体かと思われたが、握っていた阿修羅が輝き、異様な唸り声と共に小傘は吐き出された。

 咳き込む娘の前で、水たまりの中からまたマントとフード姿が現れる。ファッションセンスの無さは古典的な伝統にも似て、いささか滑稽である。

 

「阿修羅を渡すが良い、小娘!」

 

 涙ぐみながら小傘は走り出そうとした。その眼前に、塵が集合し土鬼が現れる。更に何処からか飛んできた火の玉が人間大に膨れ上がり、火鬼の姿を構成した。

 

「もはや逃げられぬ、たかが妖怪如きが手こずらせてくれたな」

「阿修羅だけでなく、何かが守護についておる様だが‥‥姿すら見せられぬなら敵ではない」

 

 絶望。ぺたりと小傘は座り込んでしまった。三方から不気味かつ圧倒的な妖気が彼女に迫りくる。

 何度も救ってくれた木刀・阿修羅も輝きが冴えない。力が薄れているのか。

 

『全く、ぼさっとしているからだよ‥‥仕方ない』

 

 小傘がここに来るまで肌身離さず持っていたもう一つの物。茄子色の傘が突然開いた。

 そのまま、暗くなり始めた天空へ娘の身体が高速で舞い上がっていく。後を追おうと炎と化した火鬼と塵になりかけた土鬼。両者をまたしても、見えない何かが打った。

 

『あたしが相手だよ、亡者共』

 

 小傘から離れたらしい老婆の声。しかし、四谷ゲート近くで火鬼を地面へと埋め込んだ力は無い。すぐに土鬼は塵のまま、周囲に漂い始めた。そのまま、見えない何かに少しづつまとわりつく。空間に、四メートル程の巨人の姿が露になり始めた。更にその脚には水鬼が絡みつき、動きを封じる。トドメに火鬼が自ら爆炎と化し、透明な巨人に飛び掛かった。姿の見えない存在は、数秒と経たぬ間に焼き尽くされ消滅する。老婆の気配も消失していた。

 

 

 小傘は目を覚ました。手には傘と、阿修羅の木刀。彼女は、天空に放り上げられた自分が希望の場所へ落下していた事に気付いた。

 旧新宿区役所の土地にそびえ立つその建物、メフィスト病院。病める者で助かりたい者は皆ここを目指す。そして、白き魔貌の医師に出会った時、誰もがその美しさに畏怖し喜ぶのだ。

 だが小傘にはある問題があった、彼女は怪我一つしていない。つまり、患者になる資格がない。仮病を使い無理に入ろうか、とも考えたが、まだ初来院の身である悲しさ、迷いが生じた。

 周囲に、何故か患者も関係者も通行者もいない。異様さに小傘が気付いた時。

 火の玉、塵、地面を走る水たまり。ああ、三匹の魔性が追い付いてしまった。

 

「終わりだ」

「ここは‥‥何とも嫌な気配がするな」

「案ずるな。もはや我らに敵はない‥‥さあ、ラー殿を迎えようぞ」

 

 火の玉を心臓の位置にして、塵が集合して人の形を作り、水たまりが足の指から体内へと侵入していく。小傘の眼前で、三体の唱える呪文が低く響いていく。

 土鬼の作った偽りの身体を、水鬼が血となり満たして、心臓代わりに脈打つのが火鬼の炎。それは段々と生々しくなり、ついに一見すると普通の人間と見分けがつかないにまで構成される。

 アラブ系の顔立ちである、“男”が目を開いた。真っ赤で瞳の無い、目。魔界へ魂を売り渡した者の“地獄眼”。鬼達が纏っていた黒マントまでが再構成されて、その身を覆っている。

 

「‥‥ここが、<新宿>か。私の知る場所とは、少し違う様だ」

 

 渋い声で独語する。

 

「三妖達よ、よくぞ我が魂をこの世界へ誘った‥‥ここなら私の力は、機械仕掛けの身体など無くても‥‥」

 

 天空に向けて男は手をかざした。それだけで新宿中の邪気が反応する。見る間に、メフィスト病院の正面へ集合しはじめた。次々と邪気が人の姿を取る、青白い炎に包まれた骸骨達である。

 小傘は呆然としていた。男が歩きもせず、ゆっくりと彼女に近付く。もうあの老婆の声もしない。阿修羅の輝きも弱まっていく。何もかも、終わり。

 と思われた。

 

 

「我が病院の前で、何事かな」

 

 

 その声だけで、アンデッドの群が反応した。眼球の無い目が、病院の正面玄関に立つ白い影を見た。途端に邪気が崩れ、霧散してしまう。

 亡者が、相手のあまりの美しさに恥じらい“自殺”する。そんな珍現象が起きていた。

 瞬く間に、玄関前には小傘、復活した男、そして。

 

「ドクター・メフィスト」

 

 娘の口からぼんやりと、その名が漏れた。小傘は赤面しながら、動く事が出来なかった。

 だが、アラブ系の男は不敵に笑っただけだった。

 

「この世界でもわしを邪魔するか、メフィストよ」

「はて、君の様な患者は記憶にないが」

「当然だ、あのメフィストとお前は違う。そしてわしは既に何度も冥府の門をくぐった身だ。医者は不要」

「ならば」

 

 突然メフィストは身体を翻し、病院へ戻ろうとする。小傘はふと思い出した。この白く美しい医師は、患者が巻き込まれた事件以外は、余程の事が無い限り関心を示さないという。

 今、患者が必要だった。小傘は抱えた阿修羅を見つめ、目をつぶった。

 

「痛っ」

 

 緊張感の無い可愛らしい声に、流麗な視線が動いた。阿修羅片手にタンコブをこしらえた小傘が涙目で見つめている。

 

「せ、先生‥‥きゅーかん、です。私、治療しないと死んじゃいます」

 

 娘にとってはあまり大袈裟な言い方でもない。この場を切り抜けられなければ、奇怪な男に抹殺されてしまう運命だろう。さりげなく、不思議な木刀も輝いていた。手を貸してやれ、とでも言いたげに。

 

「よろしい、君は今から我が病院の患者だ」

 

 微かに苦笑を浮かべつつ、メフィストは振り返った。その手がケープの袂に入り、針金の束を取り出す。

 見るも鮮やか、聞くもたおやか、瞬く間に針金が動き、形作られていく。

 

「させぬ」

 

 蘇った男は、右手から爆炎を噴き出した。身体を構成する火鬼の物だろう。しかし、瞬時に握られたメスの一閃で炎は左右に分かれ、消失した。

 次に男は口から水を吐き出した。周囲の地面に染みこみ、たちまちそこから周辺全体が泥状になっていく。メフィストと小傘の足元もあっという間にぬかるんだ。粘液状になった地面が、白い医師の足を複雑に絡めとる。更に男の身体から塵が舞い、一本の長剣を構成した。禍々しい妖気を放つその剣を振りかぶり、針金作業に没頭しているメフィストへ向け投じた。

 ちん、と音を立てて、針金が断たれた。小傘が気付いた時、阿修羅は彼女の手から消えていた。

 

「我が針金細工は如何かな?」

 

 飛来した剣は、溢れんばかりの清浄な気で微塵に砕けていた。正眼に阿修羅を構えるのは、針金で作られた人形だった。

 

「紛い物の魔術師には、紛い物の勇者が似合うだろう」

 

 蘇った男が印を組み、巨大な霊力を集め始めた瞬間。針金人形が大地を蹴った。瞬時に数メートルを飛翔した人形は、手の阿修羅を真っすぐ男の胸に突き立てていた。

 無念の声を上げつつ、男の身体を構成していた妖鬼達の元素が消失していく。

 

「この世界でも”念法”に我、敗れたか! おのれい、ざ、よ、い‥‥」

 

 最期の瞬間、男は名残惜しそうに呟き、消失する。阿修羅を持ったまま立ち尽くす針金人形に小傘とメフィストが近付いた。娘は、針金で出来た身体を興味深そうに眺めた。

 

「どうして、この人形を‥‥?」

「私にもよく分からん。あの蘇りし男に相応しい相手を、と思ったら自然に出来ていた」

 

 肩をすくめる白い医師。彼をうっとりした目で見つめる緊張感の無い小傘の耳に、懐かしい声が響いた。

 

『無事やり遂げてくれたね。内心ハラハラしたよ』

「お婆ちゃん! 無事だったの?」

 

 メフィストに訝し気な視線で見られているとも気付かず、小傘は安堵の表情を作る。

 

『まああたしは死んでるからね。二度も倒されるもんかね』

「なんだかよくわかんないけど、無事で良かった」

『阿修羅も喜んでるよ。あんたがドクター・メフィストの元へこれを運んできてくれたから、あの魔道士を地獄へ送り返せたんだ。あんただから、出来たんだよ』

「わちき、偉い?」

『そうだね、魂の波動が‥‥似てる。不思議なもんだ。阿修羅は偶然あんたのとこに落ちたんじゃない、木刀があんたを選んだのさ』

 

 

 阿修羅が人形の手から離れた。現れた時とは逆に、空へ向けゆっくりと上昇していく。

 

 

『でも、あまり清くちゃいけないよ。こっちの”魔界都市”じゃあ、ね』

「大丈夫、わちき一杯人驚かすから! 悪い子だよ!!」

『やれやれ、そりゃあ頼もしいね』

 

 呆れながら慈しみを声に滲ませ、急上昇した阿修羅と共に気配は消えた。ぽかんとする小傘の肩を、優雅に白い指が叩く。

 

「君は誰と話しているのかね?」

「え、先生は聞いてなかったの?」

「何も。しかし‥‥」

 

 微かだが、医師の美貌に陰りが走った。

 

「微かだが、亡きガーレン・ヌーレンブルグの気配がした」

 

 




流石にメフィスト先生の描写は自信がありません。

妖鬼達とあのおっさんががあまり強くないのは、復活したてで殆ど力が無いせいという事に。


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鬼VS組織暴力

令和初めての短編。


 大通りに土嚢やブロックを詰んだ臨時バリケードが作られ、突撃銃や散弾銃、軽機関銃などで武装した者達が陣取っている。後方から次々と払下げ軍用トラックや怪しげなハイエースが到着し、中からやくざ者が溢れ出す。

 上空には戦闘ヘリまで到着していた。周囲を警察の巡回ヘリが警告して飛び回るが、誰も耳を貸そうとはしない。

 指定暴力団砂松組が、本拠地の敷地前に防御陣を敷いているのだった。若頭・佐門暮蔵は組本部の司令室で、煙草をくわえながら電話に耳を当てている。

 

「おじき、兵隊を二十人ばかり寄越してくれんかのぉ? 千葉なら新宿まですぐじゃろ。頼む、礼はするけんの、新宿の密売ルートを都合したるわ! ‥‥おんどれぁ! これまでの恩を忘れくさってからに、これは戦争やぞ!? もうええ、おどれには頼まん。その代わり全部終わったらきっちりケジメつけさせて貰うけんのぉ! 吐いた唾飲むなや」

 

 佐門は電話を叩きつけ、踏み潰そうとして踏みとどまった。既に三台目である。近くにいた舎弟が恐る恐る顔色を伺う。

 

「兄貴、千葉からの援けは‥‥」

「んなもんあるかい!」

 

 頭をはたかれたが、舎弟は避けもしない。

 

「おじきの奴、戦争と聞いてビビリよったわ。埼玉と神奈川、そしてこの新宿中で呼べる兵隊や助っ人、それでどうにかする。出来る筈じゃ」

「もう外の防御は終わりましたで。ご覧になりますか?」

 

 壊しかけた電話を操作し、佐門は監視カメラに繋いだ。ミニガンと重機関銃が据え付けられているのを見て、頷く。

 

「よっしゃ、機動警察の方はどうなってる?」

「別動隊が安全地帯で派手に暴れてまっせ。全員、ヤク打って命捨てさせてますから、凍らせ屋が来ても持ちこたえるでしょ‥‥兄貴、なんでまたこんな大騒ぎを?」

「お前は黙って俺の言う通り動いたらええ。自分用の銃でも点検しとけ」

 

 額に浮いた汗を拭いながら、佐門は自分の愛銃コルト・パイソンを抜くと、装弾を確かめた。エリートモデルの五十周年もので、パイソンに憧れていた佐門が大枚をはたいて買い込んだのである。中には妖物を仕留めるための特別製弾丸が込められていた。神道系の団体から定期的に仕入れている代物で、下級の妖物ならハンティング感覚で仕留められるのだ。

 だがこの優雅かつ高評価の銃を手にしても、佐門は落ち着かない。

 

 

 先日の夜中を思い出していた。

 歌舞伎町の地下酒場。ある名物を出す事で、裏通りで評判の店だった。

 麻薬入りの酒。それもごく微量を、巧みにカクテルして飲ませるのである。しかも新宿で佐門が調合させた、新種の薬なので、身体に異変が出ても簡単には薬だと分からない。

 酒が美味いと錯覚し、何も知らない客はいつの間にか中毒になっている。そして酒を欲しがるとこへ、今度は本物のヤクを売りつけるのである。区外からの政治家や芸能人までもが引っかかり、商売は順調だった。しかし、新宿警察の“凍らせ屋”が動き出すのを恐れた佐門は、一度店を畳み、別の所で再出店しようと考えた。

 歌舞伎町での最後の夜。佐門は店の奥で、自ら売り上げを確認していた。そこへ防弾扉を押し開けながら、舎弟が駆け込んでくる。

 

「あ、兄貴! 大変です」

「静かにせんかい、ゼニは愛よりも重いんじゃ」

「んな事言っとらんと、店で変な女が暴れてまさぁ」

「あーん?」

 

 佐門は携帯端末に店の監視カメラを繋ぐ。店の中央に“子供”が仁王立ちしていた。

 目が大きく人懐こそうな顔で、茶色の髪から二本、少し歪みながら左右に先端を向けた物が生えていた。

 角。小さなこの娘は頭部に角を生やしていた。

 

「‥‥若作りが過ぎたロリ年増か? 素人じゃろうが、島田で黙らせろ」

「そ、それが」

 

 視点を下へ動かし、ズームする。地にはいつくばっているのが、用心棒として雇っていた空手家だと気付くのに数秒かかった。デスマッチ狂で、区外の武術道場三つ、格闘団体四つ、プロレス団体二つを“叩き潰して”しまい、魔界都市でも猛者七人を血祭りにあげていた。その男が、うつ伏せでピクリとも動かない。身長で遥か下回る子供の足元で、だ。

 

「あのガキがケチつけて騒ぐから、島田さんが叩き出そうとしたら‥‥」

 

 角娘の下段蹴りが炸裂した。空手家が踏ん張れば並みのローキックも弾く筈だが、素早さと重さが乗った蹴りは強かに脛を叩き、ヒビを入れたのだ。思わず姿勢が崩れた所へ手が伸び、しっかりと掴む。砲弾の勢いで放たれた頭突きが、鼻を中心として顔に陥没痕を作り、空手家は自慢の一撃を放つ事なく昏倒したのである。

 

「‥‥それであんガキは何を騒いどる」

「酒を一口飲んだら、“嘘”の味がするとか言い出しよって。責任者を出せ言うてます」

「ここは魔界都市じゃぞ、ヤクの入った酒なんぞ甘露じゃ」

 

 佐門は素早く携帯を操作し、カウンター奥に隠してある遠隔射撃アームを稼働させた。

 店内に残っていた従業員とやくざ達が慌てて逃げ出す。佐門が腕組みして動かないツノ娘に照準を合わせた時、残っているのは気絶した用心棒だけだった。

 発射ボタンを押すと同時に、アームの軽機関銃が火を噴く。5.52㎜の徹甲弾がたちまち小さな姿を肉片と血に変える筈だった。

 確かに映像内部は血しぶきに染まったが、何故か男の断末魔が聞こえて来た。

 ツノ娘が横たわる用心棒を、小さな足で宙に蹴り上げ盾にした、と佐門が気付いた時。

 アームに小さな影が飛びついていた。激しい銃火を放つそれを簡単に引きちぎり、セットされていた機銃を取り外す。

 

「ロクでもない酒出した挙句に玩具で接待かい? 久々に暴れたくなったよ」

 

 外見に比べ妙に色っぽい声がした。色気、だけではない。人殺しなど屁とも思わない極道の若頭が、股間に寒気を感じていた。

 無言で佐門は売上をアタッシュケースに詰め、部屋の緊急脱出カプセルへと向かった。

 このカプセル、でんと置いてあるだけで一見無意味なオブジェに見えるが、起動すれば中の人間を想定される多くの災害から守り、かつ安全な場所へと避難させる。この中に入れれば生き埋めになったとしても、備えられた多機能アームで地中を掘り瓦礫をどかし、無事地上に到達出来る。魔震発生後も余震が何度か続く新宿で人気の品だが、一個で戦闘機が買える程高額なのが難点である。

 部屋の防弾扉が音を立てた。ツノ娘がもぎ取った機関銃をぶっ放し、盛大にノックしている。舎弟が腰を抜かした時、佐門は無情にもカプセルを閉めた。

 

 

 その後、アスファルトと上に停車していた車をぶち破り地下から生還した佐門は、念のためにセットしておいた自爆装置のスイッチを入れた。証拠ごと葬り去ったつもりだが、ついでに地下酒場の上に建っていたビルも崩壊した。ケジメで一か月は腕一本で暮らさなくてはならないかも知れない。

 だが、佐門はやり過ぎたとは思っていない。迎撃装置へ瞬時に反応したあの姿では無く、小さな身体から放たれた声。あの声を潰せるなら、後始末の金と腕一本、安いものだと思った。

 翌朝、つまり今朝になるが、組の出先事務所が襲撃された。小柄で頭部に角を生やした女が、銃撃もドスの斬撃も一切回避せず全員を素手で“粉砕”した。駆けつけた組員が現場で見たのは、ゴミ袋に一人ずつ入れられた人の残骸と、ただ一人発狂して“お”とつぶやく三下だけだった。

 事の次第を聞いた佐門は非常事態を発令。各方面に組同士の全面戦争用の連絡を飛ばし

虎の子の戦闘ヘリまで出動させた。組長の許可も得ずに、である。得た、と嘘をついてでも戦力を展開しなければならなかった。

 

 相手は、鬼。新宿には過去に高野山からやってきた鬼が、小さな事件を起こした事がある。事件はドクター・メフィストの診断で解決された。だがその前に、佐門は一瞬だが夜の街ですれ違ったのだ。何気無く見た先で、振り返る着物姿の女。口元で歯とは違う形に何かが光り、哄笑が響いてくる。佐門は拳銃を抜こうとするが、力が抜け後ろへよろめく。

 慌てて若い衆が彼を支えた時、既に女は消えていた。夜の大通りの中で、佐門だけにその笑いは聞こえていたのである。それでいて彼の心に断ちがたい恐怖を植え付けていた。

 

 

 思い出に耽っていた佐門の携帯が鳴った。いや、大分前から呼び出していたのに、気付いていなかったのだ。

 

「はい?」

「佐門かぁ、おどれドタマがおかしくなったか? ワシの命令を騙って組に戦争の準備させとるんは本当か!」

 

 組長は軽井沢でゴルフを楽しんでいたが、報せを聞いて仰天したのである。

 

「本当です、生き残るかそうでないかの瀬戸際ですわ」

「何をぬかすかボケ! まさか警察に目ぇ付けられる様なドジ踏んだんか!?」

「いいえ、相手は化け物です、安心してください」

 

 一呼吸置いて、佐門は告げた。

 

「ワシは正気です」

 

 そして喚く組長の声は消えた。携帯の電源が切られたのだ。それをゴミの様に放り捨てると、佐門は拳銃を懐に納め、外の様子をモニターでチェックした。

 霧が外の陣地を覆っているのが見えた。

 

 

 次の瞬間、天空から落下した巨大な足が、バリケードを踏み潰した。

 何が起こったのか、佐門はモニターにかぶり付いた。人生で初めてストリップを見に行った日の様に、熱心に事態を把握しようとした。そんな事をしなくても、外から響いてくる凄まじい震動が教えてくれる。

 鬼が来た、と。

 画面内では逃げまどう組員達が、次々と蹴り飛ばされ、踏み潰されていく。カメラがズームし、足の主を捉えた。あのツノ娘である。サイズの大きくなった顔は残虐な歓喜に打ち震え、足元の殺戮を楽しんでいた。

 

「嘘吐きだらけだね、しかも踏み潰してもいいと来てる」

 

 怖気を振るう台詞を口にする。その通りだった。組の周辺には野次馬やテレビカメラが集まって大歓声が起こっている。

 十階建てのビルに等しい身長の巨大鬼が、ヤクザを踏み潰している。その光景を誰もがコロッセオに集まった古代ローマ人の如く見物して、物騒に楽しんでいるのだった。

 待機していたヘリが果敢にも、機首のチェーンガン以下全兵装をぶっ放しながら突っ込んできた。鬼の尻にミサイルが命中し、妙に色鮮やかなスカートに火が回る。

 初めて狼狽した風で、鬼は慌てて尻を叩き火を消すが、焼け焦げた部分から虎柄の下着が露になってしまった。区民は大爆笑する。

 咆哮した鬼は、標的にしていた組の本部ににじり寄ると、標的へ一気に手を突き入れた。

 指は壁や床をぶち抜き、地下室にいた佐門を正確に探り当て、掴んだ。そのまま外へ引きずり出し、手の中のヤクザを眼前に持ってきて睨み付ける。

 自由だった右手にパイソンを握り、佐門は鬼の顔に銃弾を放った。五発を撃ち込んだが、鬼は全部歯で弾丸を弾いてしまった。最後の一発を自分に撃とうとした時。

 またしても突撃してきたヘリに、佐門は投げつけられた。無造作に飛翔した彼は、ヘリのキャノピーに赤い染みとなって砕け散った。そのまま視界を失ったヘリは鬼の前までふらふらと飛行し、拳の一撃で撃墜されたのである。

 やがてその場で天に向けて咆哮すると、鬼は頭の先からサラサラと細かい粒子になって消え始めた。

 祭りが終わった、とばかりに見物人も帰り出す。近づけなかった消防もようやく動き出した。鬼が完全に消失し、周囲に薄い霧が漂う中、ここに一つの極道が壊滅した。

 

 伊吹萃香、先刻まで巨大化していた幻想郷の鬼は、欠伸をしながら空き地の土管の上で寝ころんでいた。妖物と化した植物が棲息する危険な場所だが、相手を恐れているのか静かなものだった。

 彼女の枕元の空間が開き、中からスキマ妖怪が渋い顔を出す。

 

「萃香。今回の件は公式には映画撮影という事になったわ」

 

 眠そうな顔で、鬼は八雲紫の顔を見る。顔には、先刻のおぞましさは微塵も現れていない。

 

「物騒な映画だねぇ、あたしゃ血の匂いがまだ手から抜けないよ」

「他人事ね、もし“凍らせ屋”が動いたらどうするつもり?」

「民間には被害出てない、筈、かな? まあ今回の相手ははっきり極道だけだし、問題ないでしょ。それに」

 

 何処からか取り出したひょうたんの栓を抜き、中身を口に含む。

 

「あの刑事さんとは一度戦ってみたいよ」

 

 無邪気に鬼は微笑むのだった。

 

 




最初勇儀を主役にするつもりでしたが、何故か萃香になっていました。



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いとしの、というほどでもない

 秦こころの神楽は、新宿のあちこちで人気がある。あまり神聖な物と縁がない土地柄故、見世物扱いになってしまうが、それがバイオオカマ・ショーパブの荒々しいステージでもタルや木箱に凶悪な獣人が座る酒場でも見事に微笑みを取る。

 笑い、ではなく微笑みだった。魔界都市でなくとも、人は歳と共にふと漏らす微笑み忘れるものだが、この幻想郷の付喪神は意識せずにそんなものを思い出させていた。

 表情豊かなポーカーフェイス、というキャラも幸いし、不思議と皆に好かれていた。

 当然心無い者が毒牙にかけようと忍び寄る事もあるが、狂的な性犯罪者をぶちのめし、全員を上半身だけ袋詰めにして警察に突き出し、お礼参りまでも撃退したから腕も確かだった。

 

 ある日、花園神社で神楽を奉納した帰り道。大鳥居の近くに小さな人だかりが出来ていた。テンガロンハットにギターを抱えた青年が歌っている。オールディーズのCDみたいなレパートリーで、コンドルは飛んで行く、ダイアナ、黄色いリボン、ララミー牧場などが流れていく。

 それ程上手な歌ではない、がこころは少し踵が浮つく様な感じに襲われた。踊りたくなる。こころの神楽は純粋な実力だが、この青年の歌には説明出来ない魅力があった。不思議と世間にはそんな歌い手が時々現れるが、純粋さが大成する事はまずない。傲慢な製作者と大衆の限りない欲望に晒され、いい意味でも悪い意味でも教科書に載る姿だけが残る。

 無論、こころには何の関係の無い事だった。

 彼女が我慢出来ず、舞扇子を開いた時。ギターは物悲しいメロディを奏で始めた。

 

 ♪In a cavern, in a canyon excavating for a mine♪

 

 こころには、その歌の内容が分からなかった。ただ、見物人のひそひそ話が聞こえる。

 

「あれは、ゆきやまなんとかて歌じゃねぇか?」

「にしちゃ陰気臭いな」

 

 出鼻をくじかれ、付喪神はじっと歌を聞いていた。やがて歌が終わり、青年はギターをケースにしまいこんだ。拍手への返答もせず、足早に去っていく。その後ろ姿を、じっとこころは見つめていた。その側頭部にひっかかったお面は、大飛出だった。

 

 

 翌日。花園神社の大鳥居。何気無くやってきたこころは、また青年を見つけた。やはり歌っているが、歌謡曲や、少し古めだがアイドルソングまで披露して見せた。

 見物人の最前列で、こころはじっと体操座りしながら聴いていた。面は狐。やがて、聞き覚えのある物悲しいメロディ。それを歌い終わると、青年はギターをしまう。シメの曲、なのだろうか。雑踏へ紛れようとする青年を、足取り軽く付喪神の少女は追いかけた。

 

 うっかり“迷路横丁”などに踏み込んでしまわない様に気を付けていた筈だが、背中を追って何度か角を曲がる内、周囲の光景が少しずつ変わり始めた。

 やがて、足元に赤い土の地面、サボテンや根無し草、そして太陽が照る青い空という、明らかに都会ではない場所に出ていた。

 こころは自分のほっぺたを強くつねった。痛いだけで何も起きない。面は猿へと変化した。

 眼前には、ギターの青年が静かに背中を向けて佇んでいる。こころは素早く近くの草むらに隠れた。じっと観察していると、グレーのコートを着た男が一人、陽炎たなびく前方から歩いてくる。腰にはガンベルトが見えた。

 青年がギターをケースから出すと、フラメンコをかき鳴らし始める。コート姿の男が拳銃に手をかけた瞬間、ギターのヘッドがその方向を向く。

 発砲音が響き、コート姿が後ろへ吹き飛んだ。その後も演奏は鳴りやまず、決闘を目撃した興奮と音楽がこころを踊らせようと誘惑する。

 だが草むらから立ち上がると同時に演奏は止み、こころは一人コンクリ―トと瓦礫に覆われた袋小路に立っていた。

 

 幸い、続けて怪異には襲われず、こころは無事にねぐらへと帰る事が出来た。だが、その日あった事を彼女はどの知己にも話そうとはしなかった。

 

 それからこころは花園神社に通い、青年が来るのを待った。三日目。再びギターを持った姿が現れた。また最前列で体操座りし、演奏と歌を耳に流し込む。面は翁へと変化していた。

 いつもの終わりの曲が流れ、拍手の中、帰り支度の青年にこころは近付いた。

 

「教えて欲しい」

 

 テンガロンの下で、青年の目がぎょろりと少女を睨む。

 

「‥‥何だ」

「最後の歌は、なんていう?」

「“いとしのクレメンタイン”だ‥‥」

「ゆきやま、じゃないのか?」

「それは、日本で勝手につけた歌詞だ」

 

 不愛想に答える青年に、こころは腕組みしながらうんうんと頷いた。その姿を青年はしばらく見ている。

 

「‥‥お前、まさか俺の後を尾けたりしてないよな?」

 

 面が猿に変わった。

 

「え?」

「絶対にやるなよ? いいか、やるなよ?」

 

 こころは無表情のまま、去ってゆく青年の背中を見つめ、古今東西最も意味をなさない制止の言葉を胸で反すうしていた。

 

 青年が謎の場所で、再び敵と対峙している。今度の相手は、三人だった。

 またしても流れ出すフラメンコ。こころは必死(無表情)で立って踊り出したくなる衝動を抑えた。

 そのせいだろうか、背後にグレーのコートの男が現れたのにも気付かない。一度、青年に撃たれた筈の男。手には古めかしい拳銃と、絞首に使う輪状にした荒縄が。

 背後でゆっくりと撃鉄が起こされ、狙いを定めようとする。こころが頭にいつも引っ掛けている面(この時は狐)が、微かに動いた。次の瞬間、青いオーラを噴き出しながら面が飛び、口を開け、コート姿に猛然と噛みついたのである。

 少女の足が大地を蹴り、上空で優雅に身をひねりながら、何処からか一本の薙刀を取り出した。着地と同時に袈裟懸けで、ガンマンを一刀両断する。銃声。

 青年がギターと共に崩れ落ちていた。同時に周囲の風景が歪み、灰色の新宿の景色を取り戻していく。敵も一人残らず消えていた。

 こころが駆け寄ると、青年の身体に深い傷が走っていた。少女が斬り捨てた相手と同じものだった。しかし、肉は生々しいが血一滴流れぬ。

 

「決闘ショーは‥‥楽しかったか?」

 

 いつの間にかこころの頭に戻った面が、姥に変わった。

 

「客を誘って、夢中になったら後ろからドスッ、さ」

「貴方の演奏と歌が好きだったのに」

「そうかい‥‥賢くなったな。簡単に人についていっちゃいけねぇ、てな」

 

 震える指がギターの弦にかかった。鳴らすか鳴らさないか、の寸前、指先から青年は崩れ出した、やがて服も肉体も全て赤い土となり、それも見えない塵へと還っていく。

 残されたギターを、こころはゆっくりと拾い上げた。

 

 誰も知らない小さな事件が終わり、しばらくの間、花園神社で珍妙な舞を見せる者がいた。ギターをかき鳴らしながら、ひらりひらりと舞う姿。口上は愉快にして軽妙、ただし顔に表情は一切なし。

 そして最後に必ず歌って聞かせるのは、“いとしのクレメンタイン”だった。

 

 




とにかくクレメンタインで何か書きたかったのです。


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あぁ、今日も南無の日が落ちる

 若松町、魔震で一瞬の内に“潰れて”しまったアパートがある。年寄りが多く住んでいたこの場所は、今も怨霊が巣くい、敷地に入る者に憑りつくという。

 立ち入り禁止を示すチェーンを、黒いブーツに包まれた足がしなやかに乗り越えた。興味本位の侵入か、愚かな肝試しか。残骸を踏み越える中、三度笠が微かに揺れる。廃墟の中央、最も瘴気が強く霊達が集まる場所へ来ると、傘が外された。

 金に紫、独特なカラーリングの長髪がウェーブを描いて腰まで流れ、何処かのんびりとした優しげな顔が外気に晒される。

 懐から一本の線香を取り出し、その先端を軽くこする。それだけで微かな火が灯り、周囲に独特な香りが漂い始める。

 地べたに正座し、線香を台座もない場所に立てた。細い香りは揺らぎもしない。

 合掌し、空を抱く様に両手を高く広く掲げた。唇から低く経が紡ぎ出されると同時に、空中へ七色の光を放つ巻物が現れた。その巻物は手を触れているわけでもなく、空中を浮遊し続ける。

 もしこの光景を傍観する者がいたとなれば、経を唱える人物の背後み、多数の霊が集っている姿が見えたかも知れない。法事の席に縁者や知己が集う光景にも似ていた。

 やがて読経の声が終わるが、不思議な巻物は落ちずに宙を舞い続けている。再び合掌して深々と礼をしたその尻に、霊体の手が伸びた。

 

「きゃあああ!!?」

 

 正座をしながらも、器用に聖白蓮はセクハラに対する正直な反応を示した。

 

 

 この場所で聖が経を上げるのは、何も霊を成仏させようというつもりではなかった。

 彼女が魔界都市へ初めて来た時、そのあまりの瘴気と邪気に卒倒しそうになった。そのままメフィスト病院へ担ぎ込まれ、院長の並外れた美貌にうっとりしてしまい、今度は尼僧としての自らの未熟さに落胆する。

 退院して後、聖は巨大な地上にそびえる魔界で何か自分に出来る事はないか、と探し始めた。最高危険地帯、などは流石に躊躇われたが、新宿各地にある騒ぎの元、へ出向いてはそこで読経し、瞑想をしている。

 向こう見ずな行為に見えた。一度など、読経している内に周囲で銃撃戦が始まり、聖の足元へ小型ミサイルが落ちて来た。粗悪品で信管が作動せず、全く気付かないで読経を終えた聖が、あらこれ何かしら、と拾い上げた途端、コントじみたタイミングでミサイルが爆発した。爆炎の中から髪の毛が“爆発”状態になって平然と出て来た聖だが、心配して駆けつけた命蓮寺勢と新宿警察に厳重注意を受けた。

 

 これ以来、流石に抗争地帯などは避けているが、それでも彼女の行脚は止まらなかった。

 若松町の廃墟に出入りした最初。常人なら発狂を通り越し、回って別人に生まれ変わる程の怨念を浴びた。聖も無傷ではいられず、三度目の後は猛烈な吐き気を催した。

 現在は瘴気のレベルこそ変わらないが、正座をした聖は霊達と話をする程までになっている。法話の多岐話をするだけなのである。生きている筈の子供はどうなったとか、TVドラマの終盤のネタバレとか、老齢ながらにハマったオンラインゲームはまだ続いているか、昔区外の未亡人に恋をしてて今でもあのケツとチチが忘れられん、とか。尼僧には困ってしまう話題もあったし、無遠慮に尻や豊満な胸を撫でまわしてくる色情霊もいるが、苦笑しながらも対応出来る様になっていた。いや、彼女も同じ側へ一歩足を踏み出した、とも言えるかも知れない。

 

「誠に深く、愛縁機縁です‥‥」

 

 

 元アパートを辞してから、聖は旧国道302号を西へ向かった。途中、やや色あせた団子屋の看板が風に揺られているのを見つけ、寺(仮)で一輪達が幻想郷の団子を恋しがっていた事を思い出す。聖は暖簾をくぐろうとした。

 いきなり轟音が響き、胸に衝撃が走った。普通の人間なら肉片と血を飛ばしながら吹っ飛んでいる筈だが、聖は新宿に来てから音がする度に身体強化の術を使う癖がついている。

 それは僅かな神経の反応で身体を重戦車並みの装甲と化す。従って、店内から発射された12番の散弾程度なら苦も無く跳ね返し傷跡もない、のである。

 店の中では、一丁の銃を取り合う夫婦が凍り付いていた。

 

 平謝りに謝る夫婦は、唯一無事でなかった服の胸元を気にする聖に、事情を説明し始めた。些細な理由から、江戸っ子式に沸点の低い喧嘩を始めたはいいが、そこにアメリカの悪しき風習が混入した。妻がレミントンのショットガンを持ち出し、夫が奪おうとして揉み合っていた時、偶然入ってきた客にうっかり撃ってしまったというわけである。

 有髪の尼僧は、どうにか警察への通報は勘弁、と胸の繕いと大量の(賄賂)団子を持たされ、嘆息しながら店を出た。誤射での人死には日常茶飯事、とはいえ、この地は過激極まる。

 

「誠に浅く、大欲非道‥‥」

 

 

 日が暮れ始め、安全地帯の商店街で店先を覗く聖。豆腐屋の前で、じっと考え込む。

 金はどんな世界のあらゆる人間あるいは妖物にも必要である。幾ら宗教が清貧を教義にしようとも、俗世の波は容赦なくゼニを求める。幸い、命蓮寺という組織には“財宝が集まる程度の能力”などというとんでもない裏技が存在し、様々な形で潤ってしまう。

 聖はこの事実を承知しても利用はしていない。ので、月々の生活費は安めであるが、寺の門徒達は腹減りの者が多い。しかも妖怪だから例え八分目にしても、常識を越えた量になる。

 つまりオカズを如何にして安く仕上げようかと、いう事で悩んでいる。そんな彼女に声をかけた者がいた。

 

「白蓮さん、どうかしたのですか?」

 

 長く伸びた黒髪が美しいのに、顔はややあどけない雰囲気。新宿区長梶原の義理の娘、千穂である。同時に彼女は秘書でもあり、強力な祈祷師でもあった。

 

「これは梶原さん‥‥お寺を新宿に建てる時はお世話になりまして」

「お気になさらず。八雲さんの紹介とはいえ、魔界都市では大丈夫なのかと不安でしたが、問題なく続いている様ですね」

「ええ、目下の所‥‥皆にどんなご飯を食べさせようかと」

「あら、ご住職自ら料理を?」

「それもお肉は抜きで」

「うーん‥‥」

 

 千穂は命蓮寺の登録写真で見た顔が複数、激安焼き肉店へと入っていった記憶を頭の片隅へ押しやりつつ、豆腐屋の店先を見つめた。

 生まれた一瞬の隙が、時に凶悪な結果を生み出す事がある。

 商店街を高速で通過する自転車の一団。その中の一人が、カウボーイの如く投げ縄を放った。聖の身体にたちまち巻き付いた縄は、彼女の身体を軽々と持ち上げ、自転車の後部から引きずる形で連れ去っていく。自転車といってもアシスト用のエンジンなどの改造によっては、下手なバイク以上のパワーを出す。それも静かに、あくまでも人力を基本にして、である。

 千穂は呪言を唱え、陰を組んだ指先を一人に向けた。

 自転車が瞬時に“崩壊”し、乗っていた拉致者はそのまま思いっきり地面に叩きつけられる。だが聖の縄は、仲間が身を乗り出して素早く回収してしまい、一団はあっという間に逃げ去ってしまった。

 

「‥‥どうして白蓮さんを?」

 

 自転車の一団は、アジトにしている廃棄されたスポーツジムへ帰還した。聖はずっと引きずられたままである。常人なら馬の引きずり廻しの処刑並みのダメージを受け、死亡は間違いなしだった。

 彼らは失敗していた。標的は、区長秘書の千穂だったのである。一瞬の縄の狙いの逸れが取り返しのつかない結果を招いた。

 メンバーの一人が、ボロボロになった聖を蹴飛ばそうとした。そして、地上から跳ね上がった足に腹を抉られる。

 無言で、服だけがボロボロになった女が立ち上がった。慌てて、誘拐団は自転車に跨る。

 タイヤからスパイクが突き出たり、ハンドルから刺し殺すための小型ランスが飛び出た。

 武装サイクリング協会急進派。区外からの連中で、新宿をチャリで走破するためのレースを計画していた。が、今はもうどうでもいい。

 大事なのは、聖がやる気になっていた、という事。

 

「服を仕立て直さなくてはなりません‥‥幾らかかると思っているのですか‥‥」

 

「誠に狭く、田夫野人であるっ!!」

 

「いざ、南無三!!」

 

 彼女を縛っていた縄が、はじけ飛んだ。

 

 

 千穂が警察と主に急行した時は遅かった。自転車乗り達が全員、生きながら綺麗に折りたたまれ、機械にプレスされた様な自転車にサンドされて積まれていた。

 その中心で、一人ボロボロの服のまま読経する聖に、千穂が駆け寄る。

 

「無事で良かったです」

「‥‥つい怒りに任せてこんな事を」

「それで悔やんでお経を? 全員抹殺しても文句は言われないのに。甘すぎますよ?」

 

 ふと、有髪の尼僧、いや実は魔法使いでもある女は、瞳に哀しみを浮かべた。

 

「私は何処かズレているのですね‥‥。この街に向いていないのかしら」

 

 言葉に詰まる千穂の携帯が鳴る。ラインを確認し、微かに顔を綻ばせる。

 

「まだ、分かりませんよ」

「‥‥?」

 

 数日後。若葉町の廃アパートの地で、鎮魂の法要を行う聖があった。もうこの場に霊はいない。皆、いつの間にか成仏していた。廃墟には、聖へのお礼の言葉まで書き残されていたという。

 実は区へ霊と、それと交流している女をどうにかしてほしいという陳情が地主から出ていた。だから千穂に連絡が来たのだった。

 

 

 聖白蓮、彼女が魔界都市での生き方を身に着けるには、もう少し時間がかかりそうだった。

 

 




何処か空回りしている白蓮さんを書きたかったのですが、こちらの筆も少し空回った感があります。

追記
ゲストの梶原千穂さんは、
魔界医師メフィスト 闇男爵
に一度だけ登場した方です。なかなかの実力者で印象に残っており、登場させてみました。


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新宿猫ものがたり

この作品を書くにあたり、

文:菊地秀行 絵:平松尚樹
ニャンコ、戦争へ

を参考にさせて頂きました。


 新宿、戸山都営住宅、別名、「陽気な人達の棺」。

 “魔震”発生前は公営住宅ながら老朽化と住民の高齢化が進み、それでいながら当時の行政はほぼ放置状態であった。この頃から、一部の空き部屋に人々の無関心に隠れ、僅かではるが吸血鬼の者達が隠れ住んでいたとの説もあるが、確証はない。

 最高危険地区にして特別居住区域に指定されてはいるが、区民との関係は良好であり、彼らのために食料となる献血や人工血液が提供され、一方で吸血鬼達も強力な治癒力を持った自らの血液の提供を救急外来などに提供したり、闇が伝える魔の技を以て新宿のイベントを盛り上げたりしている。

 

 この戸山住宅の駐車場に一台のバンが駈けこんで来た。コウモリ達がじっと監視する昼間でも薄暗い中、“新宿にゃんこ組合”と可愛らしく書かれたバンのドアが開く。

 中からは赤毛をお下げに結んだ娘と、緑の帽子を被った女の子が現れた。二人とも、灰色の作業着に身を包んでいる。腕に“区委託業”の腕章を巻いていた。

 そして、この二人頭部から見慣れないものが二つ、生えている。猫耳、だ。本来人の耳のある部分は、髪で隠れて見えない。

 

「ここがレミリアちゃん達の新しいマンションだって?」

 

 緑の帽子の子が工具箱程度のケージを降ろしながら、薄気味悪そうに周囲を見渡す。

 

「うん、この間ようやく区の許可が下りたんだって。夜香さんは前からいいって言ってたんだけど、お役所は新しい吸血鬼がファミリーで移住なんて、て事でモメたんだってさ。なんか以前、中国からこわーい女が“新宿”に攻めてきて、警戒してるんだって」

 

 赤毛の娘は答えながら、穴の空いた作業帽を懐から取り出し、猫耳を出して被る。

 

「全く人間は気が小さいね」

「まあここではおゼニを出すのはあちら。幻想郷とは少し違うよ」

 

 三つケージを出し終え、バンのドアを閉めた時である。突然赤毛の娘の顔に緊張が走り、素早く自動拳銃を抜いていた。25口径のベレッタだが、中にはこの娘しか作れないちょっとした弾丸が込められている。緑の帽子の子は素早く腰を屈め、つま先立ちになり指を猫の如く構えている。その先端で、何かが光った。

 

「お待ちしておりました。新宿にゃッ‥‥にゃんこ組合様ですね?」

 

 その男は静かに、足音も立てず先刻まではコウモリ達と無人の車しかない駐車場へ現れていた。薄暗い周囲の中、更に闇が結集した様な雰囲気をまとい、それでいて顔ははっきりと見える。黒い瞳が二人の娘を見据え、真っ赤な唇が美しく言葉を紡いだ。

 ただ、“にゃんこ”という言葉は少しいい慣れないのか噛んでしまった。それを二人はポカンとして見つめていたが、赤毛の娘はすぐに拳銃をしまい飛び跳ねんばかりの笑顔を作った。

 

「いやん、夜香さん!! 相変わらずいいお・と・こ!!」

「え、何お燐ちゃんそのリアクション‥‥?」

 

 くねくねとしなを作る相方、火焔猫燐を奇妙な物を見る視線で見る、帽子の子。

 

「いやー以前ね、あたいの勤め先に屍さんと退治したっていう化け物の死体引きとってくれって言われてさー。その時以来忘れられないのさ!!」

 

 お燐は火車という死体運びを行う妖怪で、死人など日常茶飯事で量産されるこの“新宿”は地獄どころか天国の様な場所だった。だがいちいち死体を幻想郷までネコ(用具名)で持ち帰るのは大変だし、警察や遺族からもクレームが入る。そこで八雲紫とお燐の崇神のさとりが話し合い、更に区とも交渉して、お燐を区の清掃局に就職させた。彼女は各種免許を取得、毎日死体のある所へ嬉々として自動車で赴き、女子医大近くの“火葬所”や曙橋駅跡の地下墓地、その他アンデッドが闊歩する場所でも平気で行くのである。何故ならお燐は怨霊や死体を操る能力を持ち、怨霊達と会話まで出来るので、オカルト絡みの厄介事の解決も頼まれる事がある。

 ただ、本人はあまり便利屋として使われるのも困るので、緊急事態でもない限り区を通して仕事を受ける様にしている。

 その関係で屍やメフィストにはよく会うのだが、夜香には一度だけしか会っていなかったりする。そして、恐るべき美貌の魔界医師より、自分達妖怪寄りの輝きを持つ吸血鬼に惹かれたのである。

 愛想を振りまく相方を見つめて、緑の帽子の妖怪、橙が小声でボソっと呟いた。

 

「‥‥せつらさんの方がカッコいいもん」

 

 彼女は秋せんべい店でバイトする傍ら、この“新宿にゃんこ組合”の代表も務めているのである。当然、ひいきは新宿一の人探し屋であった。

 そんな二人を苦笑しながら見つめていた夜香だが、彼女らがバンから降ろした荷物が少ない事に気付いた。手で運べるケージが三つ。それだけである。

 吸血鬼の視線に気付いたのか、橙が自信ありげに微笑んだ。

 

「お任せ下さい。我が組合は今回の仕事のために組合の最も腕利きを連れてまいりましたから」

「‥‥これは失礼を。疑っているわけではないのですが、貴方たちだけとは思わなかったもので」

「いいえ、きちんといますよ。他に頼もしい組合員が」

 

 ケージから、猫の低い鳴き声が聞こえ、夜香は美しい瞳を丸くした。

 

 

 公団住宅の敷地内は冷え冷えとしている。夜香に先導されてきた二人は、途中で意外な相手と遭遇した。

 

「ありゃ、紅魔の門番じゃない」

「どうもお燐さん、橙ちゃん」

 

 紅美鈴、であった。幻想郷では、紅魔館の門番をしていた女妖怪である。主のレミリアが戸山住宅に別宅を構え移り住んだため、彼女も供をしたのだが、この戸山住宅には元々侵入者用に門番を立てる習慣などない。しかし、大切な仕事があった。それは昼間、吸血鬼達が寝ている隙を狙う食人鬼などの妖物、そして区内にも区外にもいる、過激派ヴァンパイアハンターらの襲撃から棺を守る仕事である。

 まさに紅美鈴の天職、であった。現地の警備員と幻想郷から連れて来た警備妖精達と連携し、昼間住宅内を巡回した。

 当初は、一部の吸血鬼達から白い目で見られた。美鈴という女は妖怪としても素性が明らかでない。いまいち格も高くなさそうで、性格も物腰も穏やか。主のレミリア、その従者の十六夜咲夜ですら、任せてよいのかと内心疑問に思っていた。

 夜香は見抜いていた。

 

 ある日、呪術を使い空間を捻じ曲げて外部から潜入したテロリストがいた。全身ににんにくを染み込ませた呪を刻み、寸鉄帯びず己の拳を武器にする。貫き手で棺の蓋ごと心臓を貫通する腕前だった。三人の曲者が侵入し、一つの棺を貫いたところで警報装置が作動。

 他の棺から飛び起きた者達へ、口の中に含ませていたにんにくのエキスを拭きつけ、肌に吸血鬼が発する蕁麻疹を起こさせる。そのまま撲殺しようとした時、背後から一人の曲者の首に一瞬の風が吹いた。

 何事か、と振り向いたその曲者の視線は突然下へと落下し、二度と事態を把握する事が無かった。二人の仲間は瞬時に新たな敵が現れたと認識し、素早く攻撃目標を変えた。

 二方向からガードの構えを取りつつダッシュする。

 

 一撃の手刀で曲者の首を斜めに断ったその女は、無造作に頭を回した。まずかぶっていた帽子が一人の男の顔に飛び、ぴったりと吸い付いた。更に紅く長い髪がバサリと広がり、もう一人の男の身体に触れる。45口径の銃弾程度なら防ぐ特殊皮膚が、複数の刃物が当たったように引き裂かれ、男は上半身を傷だらけにして血を撒き散らした。女は己の髪を凶器とする程の腕だった。その差を悟る前に、喉元へ正確な蹴りが撃ち込まれた。靴底が首を一撃でへし折る。

 最後に残った男が帽子を引きはがした時。顔面、鳩尾、股間、にほぼ同時の一撃が叩き込まれた。死んだか意識を失ったか分からないざまで倒れる男に、紅美鈴は告げた。

 

「貴方だけは警察に引き渡します」

 

 美鈴の絶妙な手加減で、命だけが助かった曲者だがすぐに新宿警察の苛烈な取り調べを受け、アメリカのヴァンパイア・ファミリーが戸山住宅の勢力減を狙った黒幕だと自供した。やがて曲者は裁判前に、留置所で謎の死を遂げた。突然鼻から血を吹き出し、腹部の内蔵が潰れ、最後に股間を押さえて倒れたのである。

 

 夜香はこの後、直々に美鈴と言葉を交わした。単純に褒めただけではないらしいが、レミリアとも交渉して彼女を戸山住宅の警備員として正式に雇ったのである。

 

 

 二人は、今美鈴に先導されて住宅の中を歩いている。かつて“魔震”で一度は廃墟になった建物が、見た事もない滑らかな石材で作り直されている。なのに遠くから見ると昔ながらの公団住宅だ。

 そんな場所で、この幻想郷で居眠りばかりしていた門番の女が生き生きと働いている。

 本来妖怪は闇にじっと潜み人の恐怖となりそれを食らって存在するものなのに、有り得ない事が起きてしまっている。お燐は横から女の顔を盗み見たが、美鈴からは何も読み取れない。いつもの様に穏やかである。

 

「ふふ、どうかしましたか?」

「いーや、なんでもないさ。ただね」

「向こうじゃ居眠りか立ってるだけ、だったから?」

 

 お燐は二の句が継げなかった。一瞬、だが美鈴の口の端に残虐な笑みが浮かんだのを見逃さなかった。

 

「私は別にこちらで偉くなったわけではありません。今も心はお嬢様の門番。ただ、よく身体を動かせるとスッキリします」

「‥‥そんなあんたの手に余る事態、てわけ?」

「私だけではありません。吸血鬼の方々にも」

 

 戸山住宅の奥に、従来のものを改造した多目的の大部屋がある。夜間に皆がレクリエーションをしたり、集会で話し合ったりする目的で作られたのだが、ここにある厄介な妖物が住み着いたのだという。現在はパチュリーが結界を張り、簡単に外部へ移動出来なくしている。

 大部屋のドアは不気味な未知の重金属で出来ていた。これはパチュリーがドアそのものを結界化させたためである。ノブはドクロになり、奇妙な煙を吐き出している。外から無理に開けようとすると、対象を食いちぎり炎で焼き尽くすのだ。

 美鈴は白い骨にしか見えない物をノブの口に突っ込んだ。嘔吐する様な奇妙な音がして、ドアがズレる。美鈴は隙間に飛びつき、歯を食いしばって扉をずらした。

 

「私が押して止めてる間に入ってください」

「えぇ!? 」

「早く! 200㎏あるからあまり長く持ちません! 成功したら中から電話!」

 

 橙とお燐はケージを抱えながら急いで部屋に飛び込んだ。その背後で扉がうるさく閉まる。

 中は真っ暗だった。しかし、二人は猫の力で瞳を変化させ、中を見渡す。

 広い部屋中に、互いを相食らってる物が蠢いていた。そして、侵入者へ一斉に目を向ける。

 

「さぁ、お仕事だよみんな」

 

 橙達はケージを置き、その扉を開いた。

 中から、茶虎、でっぷりしたブチ、不機嫌そうな黒、の三匹の猫達が現れる。蠢いていた者達は、一瞬凍り付いた。

 そして、一斉に金切り声を上げて襲い掛かって来た。それは、紫色のネズミだった。

 

 茶虎の前足、そして口元が煌めいた。ネコ科特有の猛ダッシュでネズミに飛び掛かり、その前足と口に仕込んだ特殊な刃で次々両断してしまう。捕食ではない、殺戮だった。

 ブチは両目を微かに輝かせると、でっぷりした身体の両脇から小型のランチャーを幾つも飛び出させた。僅かニ㎜にも満たない弾丸だが、次々とネズミ共を粉砕していく。目に仕込まれたセンサーと連動して射撃しているのだ。更に楊枝程度の大きさのマイクロミサイルまで飛び、一気に群を吹き飛ばす。

 ネズミ共はただのネズミではない。魔界シンジュクネズミという、市ヶ谷の遺伝子工学研究所を脱走したサンプルの成れの果てである。食欲、凶暴性だけでなく新宿の妖物の例にもれず進化した。このネズミ、毒性の強い細菌を保持しているだけでなく、ある種の瘴気を身体から放っており、普通の人間をうつ病にしてしまう程精神にダメージを与えるのだった。目下区でも何とかして絶滅させるべく一大プロジェクトを計画しているが、その前に意外な救世主が現れた。猫である。猫にだけはこのネズミの細菌も瘴気も一切効かず、その肉を食らっても異常を起こさなかった。

 ただ、猫という気ままな生き物をどうやって統率するのか。しかもただネズミにけしかければいいというものでもない。その区域のネズミを狩り尽くす、猟犬の真似事をやらせないといけないのだ。

 そんな時である。ある一人の猫耳を持つ少女が、武装した猫と共にあるビルで魔界ネズミを全滅させたというニュースが新宿を駆け巡った。

 八雲藍が、秋せんべい店のバイトの甘んじていた橙に入れ知恵をしたのである。

 橙は新宿の一風変わった猫達と付き合いがあった。

 

 茶虎のクウ。爪と牙が戦闘時には生体ブレードへと変化。筋肉や神経にも強化措置が施されている。

 ブチのフク。太った身体に火器を仕込んでいる。なんと体内にナノマシンで弾薬を作る機能まで備えており、材料のありそうなとこで寝ている時、彼は身体に武器を蓄えている。

 

 この二匹、“新宿にゃんこ組合”の稼ぎ頭であった。新宿の猫が仕事をするための組織。

 幻想郷で橙が上手く出来なかった、猫のための楽園、というには物騒過ぎるが、新宿の猫達は橙の言葉(猫翻訳)に耳を貸し、彼女に協力した。彼らが何故、武装した猫になったのかは明らかではないが、そのままではやがて捕まり、殺処分されるところだった。

 魔界都市式ではあるが、今猫達は仕事をしているのである。橙自身も、手の爪で近寄るネズミを切り裂いていく、当然彼女とお燐にもネズミの害毒は無い。

 

 ネズミ共は不利を悟ると橙達から距離を取り、またしても互いを食らい合い始めた。追い詰められての自滅、ではない。このネズミは共食いもするが、追い詰められるとその共食いの性質が変化するのである。

 相手を食った一匹の身体が膨れ始めた。その身体に他のネズミが食いつき、また膨れていく。これを繰り返す内どんどん巨大なネズミと化していくのだ。手足はもはや熊よりも太くなり、身長は天井にぶつかる程、前足は歪んだ禍々しい爪がでたらめに生えている。

 そして、身体から放つ瘴気も激しくなった。数は一匹だけになってしまったが、この形態になると対装甲ライフルの特殊貫通弾ですら即死しない。厄介なのは再生能力まで備えている事、そして、これは戦うために変化したのではなく、囲みを突破して逃げるための姿なのである。逃げおおせたら何処かで倒れ、その身体から子ネズミが分裂していくという、滅茶苦茶な生物だった。

 今まで何もしなかった黒猫が前に進み出た。なんと、この巨大形態になっても猫達には魔界ネズミが獲物としか見えていない。吸血鬼達も力を奪われる程の瘴気や細菌も、猫には通用しない。ただし、その理由は全く不明で未だに解明されていない。

 黒猫の首輪から、ビー玉台の球体が幾つも落ちた。それは床を不規則に転がっていく。

 赤い閃光が走った。首輪から放たれたレーザーが球体に反射し、それを繰り返して巨大ネズミを撃ち抜いていく、大したダメージではない、が巨大ネズミの集中は乱される。

 そこへクウが突進し、牙と爪で体を切り裂く。フクはじっと何かを待ち構えている様だ。

 ふと、ネズミの舌が急激に伸びてクウに巻き付いた。口の中へ吸い込まれる前に、轟音が響いて舌を青い炎が焼き切った。お燐の銃弾である。なんと、ゾンビフェアリーを弾丸に憑依させてあるのだ。ただのベレッタの25口径が、誘導の霊力弾ランチャーになっているのである。

 

「一発貸しだよ! さあ決めちゃいな!」

「分かってる!!」

 

 フクの背中から少し大きな砲がせり出し、黒猫のレーザーが反射されて巨大ネズミの両目を焼き、クウが離れた瞬間。砲弾が腹に直撃した。ネズミの口と目から炎を吹き出す。

 新宿署装備課の平平助がかつて開発した、二重炸裂談。拳銃サイズの弾丸が敵の体内を数万度の炎で焼き、トドメに爆発するという代物である。それをこの猫は切り札として、威力は大分劣るが隠し持っていたのだ。橙が宙に魔方陣を描き、それを押し出す様にして放ち、ネズミは霊力で出来た球体の中に閉じ込められた。同時に内部で爆発が起き、ネズミは炎の中に消えた。

 

「後は徹底的に部屋の清掃と、ネズミの侵入経路の検査を行ってくださいね」

 

 お燐が夜香の顔をチラチラと盗み見しながら、手帳にサインを貰う。無論、私用の方である。

 

「承知しました。まさかあれほど大発生してるとは思わなくてね。パチュリー殿の知恵で奴らをあの部屋におびき寄せて封じたまではいいが、部屋を破壊せず駆除するのは大変でお願いした次第。もしまた現れたらお頼みしたい」

 

 橙は愛想よく笑った。

 

「どうぞどうぞ、当組合はネズミ退治から凶悪犯の始末までなんでも承ります!」

 

 ケージから「さっさと帰って休ませろ」とでも言いたげな不満そうな鳴き声がした。吸血鬼の若き長は、興味深そうに猫達を見つめる。

 

「猫達は古より不思議な魔力を持ち、私も何度か彼らの力を目にした事がありますが‥‥この猫達は一体?」

「“魔界都市”ですからね。猫も武装する時代なんです。ただ、一回だけ火星の開拓基地から変なFAXがうちに届きまして」

「?」

「えーと、俺様の戦闘スタイルをパクりやがったな海賊ども、著作権侵害で‥‥というところで送信が止まっちゃって。しばらく後、うちのバカが悪戯で送信したので一切無視してください、なお返信には応答しません、だって」

「‥‥礼儀を知らない者達、と言うべきなのですかね。困った事があれば、今度はこちらが相談にも乗りますよ」

 

 猫の式娘は少し視線を逸らした。

 

「ありがとうございます」

(‥‥ごめんなさい、本当は、せつらさんに頼りたい‥‥)

 

 

 お燐は今回こそ区を通しての依頼だったのと、橙が戸山住宅へ行くのが初めてだったので付き添ってくれた。彼女は橙を組合本部の前で降ろすと、手を振ってバンで去っていった。

 組合本部、といっても雑草も生えない空き地にやや大きなプレハブを幾つか無理に繋ぎ合わせた建物、それと誰の物かも分からないパイプや土管が大量に積んである。

 “新宿にゃんこ組合”という名札だけが建物のドアに、ある筈だった。

 ドアが綺麗に無くなっている。橙はケージを置き、皆を出した。猫達もただならぬ様子に気付き、橙の周囲を囲みながら本部へ近付く。扉は強化プラスチック製だが、中央からへし折れて建物の中に倒れていた。

 中は滅茶苦茶に荒らされていた。猫達の部屋である箱、保護猫の入る頑丈なケージは叩き割られ、遊び用の柱やクッションは引き裂かれ、外部連絡用の多機能PCも叩き潰されている。

 そして、中に常時詰めて(ゴロゴロして)いる筈の猫達は一匹も見当たらない。半端な強盗程度なら跡形もなく全滅させる物獣の如き連中である。

 言葉を失った橙だが、足を軽くクウに撫でられた。肩にクロが飛び乗る。

 

<大丈夫だ、俺らがついてる>

 

 三匹の声なき言葉に気を奮い立たせた橙は、まずお燐に連絡した。スマホの向こうで、火車はまず警察に連絡しろ、と助言し、自分も用事を済ませたらすぐに駆け付ける、と言った。

 その時、内部を調査していたフクが大声で何かを知らせた。一人と二匹はその場へ急ぐ。

 壊された物の陰に、全く毛のない、ピンク色の肌をむき出しにした猫が震えていた。

 

「ジョニー‥‥? 無事だったのね!」

 

 

 しゃがみこんだ橙の声にビクッと身体を震わせたジョニーだが、すぐに差し伸べられた腕へと飛び込んだ。

 

「教えて頂戴、一体、何があったの? みんなは何処へ連れていかれたの?」

 

 ジョニーは怯え切った声で訴えた。

 

<奴が来た! ここまで奴が来た!! もう逃げられないんだ!>

 

 まるで要領を得ない言葉。だが橙は、ジョニーが恐れる存在に心当たりがあった。

 

「心配しなくていんだよ。もう、あの国はないんだ。ジョニーを追いかける奴なんていないんだよ」

 

<違う、本当に奴が来たんだ! みんな連れてかれた! 俺は、俺は、俺だけは何故>

 

 急に、空気が冷え込んだ。戸山住宅のそれとは違う。もっと恐ろしい、猫の要素を持つ橙にも大きく圧し掛かるプレッシャー。彼女は、震えながらも破壊された扉の方を見た。

 赤い、赤い服だった。帽子から靴まで、皆赤い。作業着らしかったが区の何処の会社のものでも、ましてや公務員でもない。

 そして、なんと醜悪な顔だろう。中年男、と分かったが目は大きくギラギラと光り、歪み切った笑いが張り付いている。

 

「探したぞ、猫ども。さあ、帰るんだ」

 

 のっそりと太り気味の身体が入って来る。橙は逃げなくては、と思ったが足がまるで動かない。肩に乗ったクロが威嚇の声を出した。

 クウが怒りの咆哮を上げ、殺人を可能とする程の爪と牙で飛び掛かった。だが男は簡単にその身体を宙で掴んでしまう。

 

「忘れたか? お前らを作ったのは我々だ! そして‥‥」

 

 空いた片手から何かが投げられた。武装を展開したフク、橙と肩に乗っていたクロがまとめて絡めとられてしまう。網は機械的に動き出し、完全に一人と二匹を封じてしまった。

 

「戦場から逃げ出すお前らを幾度捕まえた事か。昔を思い出すわい!!」

 

 汚らしい笑いが部屋中に響いた。赤服は網に近付くと、スマホを取り出そうとしている橙を蹴りつけた。安全靴の先端が食い込み、妖怪の身とはいえ式猫は体液を吐き出しながら痛みに苦しんだ。

 

「猫の分際で人の姿などしおって、思えば貴様の様なのが猫を扇動したのかも知れんな」

 

 赤服の手元で、ジャキンと音がした。クウが必死の一撃を与えたのだ。だが赤服は血の一滴も出さない。普通の人間なら手首が落ちるのを、腕が少しズレただけですぐに元の位置に戻った。握った力はそのまま、でだ。

 懐から出した黒光りする金属の輪を、赤服はクウの首にはめ込んだ。

 

「貴様らは兵器の分際で人に逆らうのか」

 

 そのまま、赤服はクウを地面に叩き付けた。更にその身体を持ち上げ、近くの窓に叩き付ける。耐久ガラスが割れて、クウは血塗れになり外へ放り出された。

 橙が涙を溢れさせながら叫ぶ。

 

「やめて、やめてよぉ!!! 一体誰!! なんで猫をそんなの虐めるの!!」

「い・じ・め・るだと? この人間もどきが!」

 

 赤服は橙の入った網を片手で掴み、持ち上げた。意外にも、そのぎらつく目に涙が光っている。

 

「貴様如きに、わしらの苦しみが分かってたまるか!! いつまでも続く隣国との戦争、それを解決したのが、アニマル・ソルジャー!! 猫を始めとする動物兵士だ! 人も死なず、従順でどんどん量産できる素晴らしい兵器だった!」

 

 赤服は突然網にパンチを食らわした。クロが首輪から球体を落とし、背後からレーザーを浴びせたためこれを気絶させたのだ。この赤服自身、相当な強化改造を受けている様だった。レーザーを受けても気にもしていない。

 

「それがある日、生意気にも反乱を起こしおって!! 鎮圧はされたが全ての動物兵士製造施設、研究者が全て消し飛んでしまったわ! おかげでわしらはまた人間同士で殺し合いだ!」

 

 鼻水を垂らして泣きながら、赤服は網を外へ投げ捨てた。

 

「おかげで、ワシの家族も知り合いもみんなどこかへ行ってしまった!! みんなお前らが黙って戦っておれば良かったのだ!! 人間のために死ねは良かったのだ!!」

 

 橙も泣いていた。悔しかった。赤服に欠片も同情していなかった。彼女は唇を噛みちぎり、痛みで自分を奮い立たせた。

 

「だからなんなんだよ!」

「うん?」

「あんた達に猫の言葉が分かれば、こう言われたろうさ! ザマアミロ、てね!!! 泣けよ、もっと泣け!! あたし達はお前らの墓に花なんか供えてやるか!! 後ろ足で砂かけて、大笑いに笑ってやる!!」

「何処かの保護団体みたいな台詞をほざきおって!! 貴様は人間社会の敵だな!!」

「私も猫だ!! この子らのために怒って何処が悪い!!!」

 

 赤服は網の中の橙を蹴りつけた。何度も、何度も。橙は痛みで意識が遠のいていく中、少しだけ笑っていた。

 

(藍しゃま、橙は猫の敵に最後に言ってやりました‥‥。紫しゃま、八雲の一員になる前に倒れる愚かな孫の式をお許しください。そして、せ‥‥)

 

 空を切る音がした。赤服の蹴ろうとしていた足が膝から飛び、空き地の隅にボトリ、と落ちた。

 

「困りますねぇ、その子、うちの店の稼ぎ頭なんですよ?」

 

 どこか間延びした声、だった。赤服の傷口から一瞬青い液体が噴出したが、すぐに止まる。片足だけで微塵もバランスを崩さず、その狂気と脂に満ちた顔が声の主を見る。途端に、殺気が消え、呆然となった。薄気味悪い事に赤みまでさしている。

 

 黒衣の手が、血塗れで転がっていたクウを抱き上げた。まだ、猫は息があった。

 クウもフクもクロもそしてジョニーも、赤服の話が本当なら戦争に使われるために改造された兵器だった。そう簡単に死ねる身ではないのだ。

 赤服の頭に、背後から何かがぶつけられた。正気に返った彼は足を拾い、押し付けた。

 数秒も経たず脚は繋がった。血塗れの猫を撫でながら、ゆっくりと空き地の隅っこに横たえた姿が、少し指を振ると首を拘束していた金属輪が切り落とされた。

 赤服の眼が再び憎悪に燃える。背後から、彼と同じ服を着た男女が四人。手に猫達が入った網を持っている。

 

「‥‥貴様、自分が何をしたか分かっているのか?」

「はぁ」

「猫兵器などを助けおって。そいつらは人間を裏切った出来損ないだ。わしらはこの出来損ないどもを連れ戻し、研究材料にして、我が国を復興するのだ。わしらの無くした物を取り戻す邪魔をするのか!!」

「‥‥はぁ、それは大変ですね」

「そしてその邪魔をするという事は、人間を裏切るという事だ!」

 

 黒衣の青年は苦笑しながら頭をかいた。この空き地の風景で浮くどころか、彼の周囲が一つの絵画としても成り立ちそうな美貌だった。

 意識を失いかけていた橙がその顔を見た途端、衝撃で感覚が戻ってしまい痛みと感慨で涙があふれ出た。血反吐を吐きながら叫んだ。

 

「せつらさん」

 

 秋せんべい店の主にして、新宿一の人探し屋であった。

 

「橙ちゃん、今日ちょっと店番頼もうと思ったんだけど、電話に誰も出なくてね」

「はは、御免なさい‥‥」

 

 赤服の仲間の二人が袋を捨て、猛然とダッシュした。両手から、猫を拘束するのに使った輪が鎖付き四本、放たれる。せつらは身動きもせずそれを首と両手、右足に受けた。

 しかし、赤服達がそれを引っ張ろうとした時、輪は両断され、鎖もバラバラになった。

 

「お返しします」

 

 手に掴んだ輪の残骸を優雅に宙へ放った。と、それらは赤服達の首に何故か形を戻しながら吸い付き、凄まじい圧力で締め上げた。

 特殊金属の拘束具を切り裂き、その破片をもう一度繋いで相手の首を締めあげる。

 この技、全て太さ千分の一ミクロンの“妖糸”が編み出しているのだった。赤服二人の首がぐしゃり、と潰れた後、切断され地に落ちた。

 三人に減った赤服は、リーダーの合図で新しい網を取り出した。更に彼は橙に近付き網事彼女を踏みつける。

 

「人探し屋。この化け猫を殺されては困るのだろう? この猫兵器どもを回収させれば、わしらは引き上げる。同じ人間同士じゃないか。たかが、猫だ」

 

 せつらは面倒臭そうに答えた。

 

「貴方の国の戦争て、誰が起こしたんでしたっけ?」

「は?」

 

「人間だった筈だぞ?」

 

 突然、赤服の足元から橙が跳ね起きた。妖怪とはいえ複雑骨折、内臓にあたる器官の破裂まで起こしている彼女が。そのままフクとクロを抱え、せつらの足元まで走る。妖糸が密かに網を断ち切り、橙の妖力を一瞬だけ活性させるツボを強く刺激したのだ。

 そして、今、せつらの何かが変わっていた。

 

「“私”にとってはどうでもいい事だがな、お前は店のバイトを殺そうとした」

「お、お前は一体誰だ!! 先刻までは人間だったろう! そうだ、人間に決まってる!」

 

 残っていた二人の部下の赤服が高くジャンプした。捕獲用の網を上空から投げつける。

 無論それらはせつらに近付く前にバラバラになったが、直後、隠し持っていた二本の鞭、合計四本が打ち付けるのではなく、先端が突き刺さる様に飛ぶ。自動車の車体をも貫く技だった。

 微かに足を動かしただけでせつらはそれを回避し、逆に地面に突き立った鞭へ軽く指を振る。瞬時に鞭は綺麗に縦に両断され、持ち主も真っ二つに裂けて落下した。

 

 残ったリーダーは舌打ちして逃げ出そうとした。

 そんな時、組合敷地へ突っ込んで来た自動車がある。霊柩車、だった。それはリーダーを正面から思いっきり弾き飛ばして停車する。

 中からお燐と、新宿署の鬼刑事にして“凍らせ屋”屍刑四郎が現れた。

 

「いやー車ってやっぱ凄いね。アタイの“ネコ”じゃこうはいかないや」

「‥‥間違いねぇ、通報にあった赤服の一人だ」

 

 ドレッドヘア、眼帯に花を大量に散らした上着、という異様な刑事の横で、お燐がビクッと震えた。

 赤服達が全員、ゆっくりと立ち上がった。首を両断された二人は自ら頭を戻し、こきこきと関節まで鳴らしてみせた。縦に両断された二人は、なんとそれぞれの左右が間違って癒着しているのにも関わらず、ニヤリと歪んだ笑いを見せ合う。車に弾かれた程度のリーダーなど、哄笑しながら折れた全身の骨をはめ直していく。

 屍は巨大なリボルバー、“ドラム”を抜いた。お燐にはそれが何処から出て来たのか、全く分からない程巨大な拳銃だった。いきなり、巨大な轟音が響き、リーダーの肉体は大穴を空け、ついでのお燐は腰を抜かしてへたり込んだ。しかし汚い笑みと共にその傷はすぐに再生していく。次は頭。吹き飛んだが、肉片が集合して再生した。

 

「人探し屋の糸に関わっていては千日手でな、一旦撤退しようとしただけだよ、刑事さん、あんたはまともな人間の様だな?」

「馴れ馴れしいぞ、アンデッド野郎が」

「これはわしらの誇り、いや執念だ。それだけの物を背負っているからな!」

「どうせ南米辺りの呪術師から買った程度の物だろう、随分と安い誇りだぜ。“新宿”ではな」

 

 屍は呼吸を整え始めた。古代武術“ジルガ”の使い手でもある彼は、自らの拳から強力な生体エネルギーを直接流し込んで、赤服達の再生能力を破壊しようと考えたのだ。

 だが、震える手がそれを遮った。

 

「刑事さん、あたいを“区民刑事”にしてくれる?」

 

 区民刑事、とは“魔界都市”独特の制度で警察官が犯罪者との戦いで手に負えない、と判断した時に丸二十四時間、刑事の資格を与える事が出来る。屍は少し不機嫌そうな顔をした。

 

「余計な手出しはいらねぇ、隠れてろ」

「あいつに相応しい裁きを、あたいなら与えられる、と言ったら?」

 

 屍は少し考えてから素早く懐から、“区民刑事”の証の金色のカードを取り出し、お燐に渡した。

 

「五分で済ませろ。それとあとで署に同行してもらうぞ」

「三分で充分!!」

 

 お燐は、再び集合して身構える赤服達の前に単身立った。リーダーは露骨に侮った顔をする。

 

「また猫か。擬人化などしおって、そうすれが人並みの存在になれると思ってるのか!!

猫、猫、猫!! 猫など人間の道具だ! 幾ら殺そうがどうしようが、わしらのために世界はあるのだ!!」

「まあ、一理あるね。あたい達猫も世界は自分を中心に回っていると思ってる」

「ふん、利いた口を」

「そうだね、じゃあ、みんなにも聞いてみようか!」

 

 腕組みをするお燐の眼が怪しく、青く輝いた。赤服達の周囲に、ぽつり、ぽつりと青い火の玉が灯り始め、ゆっくりと周囲を回り始めた。一人の赤服は、そこにはっきりと見た。

 かつて徴猫に抵抗して、殴り殺した猫の顔を。

 

「みーんなさぁ、この人達に言いたい事があるんだよね? 遠慮はいらないよっ!」

 

 今や火の玉は何百と周囲を覆っていた。屍は渋い顔をしている。

 

「エグい真似しやがるぜ」

 

 これから何が始まるか、彼には理解出来た。別の位置で事態を見守っていたせつらと橙、そして解放された猫達も。

 リーダーを始め、赤服達に一斉に青い火の玉が張り付いた。燃やしているのではない。

 何かしらの方法で不死者になりえたその身体を、生きながら食らっているのだ。肉だけではない。精神に自分が受けた仕打ちを見せつけ、その痛みまで押し付けた。

 お燐の怨霊や死体を操る能力は、恐るべき復讐劇を盛大に演出したのだった。

 

 偶然だったが。お燐が帰って来た時屍が来ていたのである。

 赤服達は区外のネコカフェなどを荒らし回り、三日前、歌舞伎町の獣人系風俗を襲った。獣的特徴の生体改造の従業員は皆殺しにされ、皮をはがれ店内に晒された。殺されなかった店員は、かつて“新宿にゃんこ組合”に仕事を頼んだ事があった。

 お燐と鉢合わせした時、彼女の携帯が鳴り橙から本部が荒らされていると連絡があったのだ。屍のパトカー(お燐には最初、何故か巨大な“ネコ”に見えたがすぐに霊柩車に戻ったという)に無理矢理同乗して、駆けつけたのである。

 

 今、赤服達は女子医大付属病院廃墟近辺にある、“火葬所”に転がされている。ここで焼かれながらも、彼らはまだ死んでいない。お燐曰く、いつかは全て食い尽くされてようやく本当に地獄行きだろうが、アンデッドになったせいで時間がかかる、という。

 

 

 重症の橙、そして猫達はメフィスト病院に担ぎ込まれた。

 猫を治療しろ、とせつらに言われた美しき医者は眼を丸くしたが、すぐに了承した。元々、狼男族や生体改造を受けた人間が、獣の姿のままで運ばれてくるケースも多いのである。

 患者は、猫又の式一人と、猫サイボーグ達だった。白い美貌の医師の腕は、彼女らを見事に救ったのである。

 

 入院中の橙をせつらが見舞いに来ていた。先刻まで、主の八雲藍が来ていたのだが、美しい人探し屋が来た時、少し顔を赤らめながらも気を遣って出て行ったのだ。

 

「せつらさん、お見舞いのせんべい、ありがとうございます」

「気にいってくれると嬉しいな、あの医者に何もされてないだろうね?」

「いいえ、『女なのが残念だ』とは仰ってましたが‥‥どういう事なんでしょう」

「そのまんまさ。気にしちゃ駄目だよ」

「‥‥ねぇ、せつらさん? 私達、いや、私はきっと数に入れちゃいけないんだろうけど、あの赤服のおじさんの言ってた事て、正しいんですかね?」

 

「猫って、所詮、人間の‥‥」

 

 猫又は言葉に詰まった。泣くまい、決して泣くまいと歯を食いしばった。

 返って来た返事は、声色が違っていた。

 

「人間と猫は違う。外の世界では、きっと永久に対等の立場にはならないだろう。だが、“魔界都市”なら、武装した猫達が自分達を守りながら生き抜いていっても不思議ではない。‥‥いつか、“私”の敵になる事もあろうがな」

 

 橙ははっと顔を上げた。そこには、いつものせんべい屋の店主の顔があった。

 

「ようこそ、魔界都市新宿へ。バイトとネズミ退治、続けてくれるよね?」

 

 今まで我慢していた涙がどっと溢れまがら、橙はにっこりと笑った。

 

 




今回は少し補足をさせて頂きます。

「ニャンコ、戦争へ」からの設定とオリジナル部分。

某国:人間の代わりに猫を兵士として利用する事を考え、実行に移した国家。何処かの国と長い間戦争をしており、相手国も猫を戦争利用している様だ。
(作中設定)猫だけでなく、あらゆる動物をサイボーグ化して戦場に送り込み、世界で初の「人間の死なない戦争」を生み出し、ノーベル平和賞まで時の首相は受賞した。が、後に動物兵士の反乱で軍需施設を全て破壊され、改造施設や研究者も全員死亡。隣国との戦争に敗北し滅亡する。

猫:人語を話し、人間の兵器を操る器用さと知能を持つ。小銃を持っている挿絵がある。
(作中設定)身体に武器を仕込んだサイボーグ。一応人語は分かるが、話す事は出来ない。作中では出てこないが隊長格の動物がいて、これらが人間の指令を受けて作戦通り運用される。兵器として扱われているため、兵士などの権利は一切ない。
新宿に居る猫達は、国が亡びてから危険な存在として動物兵器が虐殺されたため、逃げつつ遥か海を渡り移住してきた。

赤服:作中に登場する作業員。人間への反乱を仲間達に説いて回る猫を捕らえにきた男。
自分も猫を飼っていて、三十年生きて国に尽くしたという嘘を主人公に吐いた。
(作中設定)本人。元々動物兵士の管理官で、彼らを鎮圧するための訓練なども受けていた。国が滅亡して家族は死亡したり離散、この悲しみは本物だったりする。恨みから闇社会で無茶な生体改造を受け続け、いつしかアンデッドになり動物兵器を再び集めるという妄執に囚われた。五人の部下はオリキャラ。

橙の叫び:作中、ダブという猫が叫んだ台詞がモデル。

ジョニー:ダブがモデル。なおダブは戦傷兵で、外見は太った猫だがそれは作り物。本体は焼けただれピンク色の地肌がむき出しになっている。

火星からのFAX:絵本とは関係ない。レーザー猫クロのモデルは、「敵は海賊」シリーズのアプロで、本人がどういうわけが似た奴がいると悪徳請求をしたところ、相棒達にバレて阻止されたという小話。



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新宿同人小話

 <新宿>にだって、オタクはいる。そもそもこの街には地上のありとあらゆる危険な匂いのする快楽が集まるのだ。

 二次元に恋をする、などという程度は別に珍しくもない。奇怪な魔の技で、本の世界に消えて行った者は、現在も連載されている漫画の中に存在が確認されている。メインキャラとは絡まないのに、いつも何処かにいるという形。彼の生活がどんな物なのか、今も多くの学者が頭を悩ませている。そして、漫画の作者が何故彼を“描いてしまう”のか一番不思議に思っている。

 アニメの世界に入った者の存在も確認されている。放送が終了して三年が経過した作品に移住してしまった男は、時々現実世界に戻っては“続編”を同人誌即売会で販売し、WEB上で同人漫画を描き、“世界を維持する”のに忙しい、らしい。このため様々な空想世界への移住を求める者が日本を訪れるが、当然悪徳が介入する事になる。

 ある人物は戦争アニメの世界に放り込まれ、何度劇中で死んでも別の死に役で駆り出されるという地獄の様な状況に陥った。最後はその世界が壊滅するというラストを迎えたため、奇跡的に現実へと帰還出来たか、あまりの体験から救いを求め比叡山へと全てを捨て出家してしまい、千日回峰行を三度やり遂げようやく心の平安を得られたという。

 また、日常系作品に世界に入れる、と見せかけて残虐系の同人に住まわされた者は悲惨だった。好きなのんびり世界のキャラが毎日の様に残忍に殺されたり、凌辱されたり苦しんでいるのはまさに悪夢そのものであり、遂には精神が崩壊して、その同人漫画を読んで楽しんだ者を作品へと引きずり込み、キャラ達の怨念と共に痛めつける怨霊と化した。彼を成仏させるため、その同人の作者が捕らえられ、無理矢理幸せな内容に同人漫画を描かせ、現れた怨霊をようやく成仏させた、なんて喜劇なのか悲劇なのか分からない事もあった。

 

 

 パチュリー・ノーレッジは元々、そういう事とは付き合いの無い存在である。筈だった。

 元々幻想郷の紅魔館という吸血鬼の館で間借りし、そこに空間を歪めた巨大な図書館を作って延々と本を読んで時を過ごしていたのだ。一体何の本を読んでいるのか、それは分かっていない。友人であるレミリア・スカーレットの頼みや望みをかなえ応えるため、の時もある。彼女の魔の技は磨きあげられており、己の実力を高めるとか知識を得るというより、知識に触れていないと不安なのではないか、という何者かの評もある。

 

 彼女がレミリアと共に戸山住宅に越した時、やはり空間を歪め、新たな図書室を作ってしまった。だが、夜香を始め様々な人物との接触が、彼女を少し変えた。

 最初は魔法街。ここでやたら太ったガスタンクあるいはオイル怪獣タッ〇ングの様な魔道士と出会ったり、新宿第三の魔道士の亡霊(数年前事件を起こし、屍刑事に射殺された)と会話して、深海生物の素晴らしさや人面瘡魔術による現実世界への優位性について伝授された。

 次はリグルがアルバイトをしている昆虫街。ここで奇虫に刺され、久々に喘息の発作が出て大事になりかけた。だが、これがまた刺激になったのか、更に活動的となった。

 新宿区立図書館初め、本のあるスポットには特に入り浸った。青白い“常連”達と一悶着あった後、彼らが本を読んでいる時“通り抜ける”事を許された。これは区民でも珍しい例であり、霊達のビブリオマニアとパチュリーのそれが通じあった結果である。

 紀伊国屋書店で不定期だがバイトをする事もある。寝間着で接客する不思議な娘が働いている、と一時期噂になった。

 そして、紀伊国屋の隣にもう一つ、パチュリーが目覚めてしまったジャンルの本を取り扱う本屋があった。

 

 

 魔震で一度壊滅した場所で、強かに復活を遂げたアニメホビーショップ。新宿に生きるオタクでもましな部類はここを目指す。そして、扱う品物はやはり魔界製が多い。

 

 VRゴーグルいらず、香りと呪文だけで世界に没入できるコミック。

 

 自分の部屋に“宇宙”を作成し、別売りの宇宙艦船キット(ブラインドパッケージで中身は開けてみないと不明)を作って、戦わせるセット。艦船が沈むこともあるし、艦船がダブって質の良い艦隊が編成出来ない事もある。年に数回の対戦企画では、よくリアルバトルに発展し、艦船よりプレイヤーによく被害が出る。

 

 極道戦国時代。元やくざの区議・猿沢境次監修。<新宿>から世界のギャング、マフィアなどあらゆる暴力勢力の生きざまをゲームで遊べる、反社会的遊戯。区外では過激極まる内容に配信禁止となったが、それでも裏ルートで<新宿>サーバーに繋げば遊べる。

 最高ランク“伝説の会長”“北米闇社会ドン”“大陸侠王”の三つを極めた男の正体が、昼間は細々と仕事を続ける派遣会社の女の子だったと露見した時は誰もが仰天した。

 現実では年下の相手にすら文句ひとつ言わない静かな娘が、仕事が終わり夜ゲームを起動すると、冷酷かつ屈強な極道へと変身し、オンラインで三年間トップランカーの座を守り抜いてきた。しかし、ゲームを続けるために睡眠を削り、現実で麻薬まで使用したツケが訪れ、部屋で神経に異常をきたし瀕死状態のところを発見。現在入院加療中である。

 猿沢氏は、「ゲームは一日一時間、というのは今も昔も変わらねぇな」と元やくざらしくないコメントをしみじみを発している。

 

 

 パチュリーはそういう類の物には見向きもしない。

 彼女がハマり込んだのは、こんな街にも未だ大量に溢れている紙の同人誌。正確には普通の紙ではなく安価で作れる代用品だが、そんな事はもはや誰も気にしない。

 シリーズの名前は、胡蝶Project。

 現実と夢想の空間を行き来しつつ生きていく少女達の物語である。その中の魔法使いの少女の話が彼女はお気に入りであった。

 だぶだぶの衣装を着て、眠そうな視線、いつも本を読んでいる。何処かで見た設定であり、それは鏡を見た時の自分と重なる。

 人気のあるキャククターらしく、友人達の設定も少し似ている。同人では吸血鬼姉妹がダークエルフ、従者が忍者、門番がアンドロイドになっているが立ち位置はみんな同じだ。

 何か事件があると現れる連中も似ている。巫女ではなく保安官、人間の魔法使いは芸術家、風祝ぽいのはパイロット。

 このシリーズは二次創作が許可されており、大量の同人誌が巷に溢れている。そして、<新宿>ではアニメショップでしか入手出来ないのだった。

 長編、短編、日常、コメディ、そして卑猥というか女の子同士でキャッキャウフフしていたり男や怪物におぞましく蹂躙される物もあった。長い時を生きる魔法使いであるパチュリーは、昔こそ創作の類は読んで心躍った事はある。しかし魔法使いとして生き続ける内、その手の本はたまに気休めで読む程度になっていた。幻想郷での生活は、まさに空想そのものだったからだ。

 しかし、改めて別の視点から自分達に似た様なそうでない設定の世界を見てみると、色々と不思議な気分になった。新たな発見、というか別の人生や可能性もあったのだろうか、という事を考え、人間はこうやって空想を楽しむのだろうかと思索した。その事を楽しんでいる自分に気付き、パチュリーは苦笑した。

 ある日、新刊の同人誌が入荷し、喜び勇んで己が図書室に帰ってページを開いた。

 白紙、だった。小首を傾げて、魔法使いはページを何枚もめくる。

 最後まで、何も書かれていない。いや、著者の所にだけ記載がある。

 

 

 原作、パチュリー・ノーレッジ。

 著、パチュリー・ノーレッジ。

 印刷、パチュリー‥‥。

 

 

 微かに、顔の端がぴくりと動いた。何かの悪戯、だろうか。本の表紙には、きちんと新しく見慣れないキャラクターと胡〇Projectの文字が見える。

 いや、タイトルがおかしい。漢字がぼやけ、別の物に変わろうとしている。

 ひが、とう、ほ‥‥。

 

 周囲の様子が変わっている。パチュリーは真っ白な部屋にいた。立ち上がると、椅子も机も最初からなかった様に霧散する。同人誌、もない。どこまでも白、白、白。

 ここには、何も無い。まるで先刻見たページの様だ。

 

「あら、ようやく会えたのね」

 

 背後から聞き覚えのある声がした。そこには、見慣れた姿が立っている。ただし、今度のは寸分の違いも無い。

 

「貴方、そっくりね私に?」

「何言ってるの? 貴方が私に似ているのよ。何故なら‥‥」

 

 新たに現れたパチュリーは、手にナイフを持っていた。

 

「貴方は、創造の産物で私が本物なのよ」

 

 無造作に突き出された刃が、自分の胸に突き刺された時も、パチュリーは信じられない顔をしていた。

 

「私は今も、幻想郷で暮らしているわ。<新宿>なんてとこは、存在しないの」

 

 刃が捻られ、空気が入る、普通の人間ならこれで死亡するが、魔法使いは簡単には死なない。だが、力が抜け、パチュリーは膝を突く。

 

「本が白紙だったのは、私が主役に戻るからよ。私は一人だけで‥‥」

 

 突然、部屋が揺れた。その振動は区民ならばすぐに何なのか、理解しただろう。そして恐怖した筈だ。

 魔震。ごく微かな、しかし確実な余震。それが、何処とも知れぬ白い部屋で起きた。

 

 突然、部屋に黒い線で縁取りがされて、ドアが即席で作られる。

 

「ふん、私も私」

 

 がちゃりと凡百な音を立てて、失礼ではあるがあまり似合わない水着姿のパチュリーが現れた。その足元に黒い穴が開き、中から少し背の高いパチュリーが這い出て来る。

 

「私だって私」

 

 空、なんて無い筈だがそこから妙に濃いアメリカンチックなパチュリーが降ってきた。

 地面にそのまま突き刺さり、何事か喚いている。

 その尻を、また現れたパチュリーが蹴飛ばし、足並みを揃え大量のパチュリーが行進し、部屋がどんどんパチュリーで埋め尽くされていく。

 “本物”を称するパチュリーが、怒りの形相で次々と他のパチュリーを刺し、咽喉を裂いていくが増殖は止まらない。

 

「無駄よ」

 

 他のパチュリーの肩を借りながら、<新宿>のパチュリーが立っていた。

 

「確かに、幻想郷が本来の私の居場所。でも、貴方は私じゃない。そのナイフは、誰の物?」

 

 “本物”の動きが止まった。

 

「もし本当に私なら‥‥」

 

 視線が白い空間を彷徨う。

 

「ここ、凄く燃えそうね?」

「やめなさい」

 

 

「「「「「火符“アグニシャイン”」」」」」」

 

 

 部屋中のパチュリーが一斉に唱えた。ただ一人、その魔の技を使えない“本物”を除いて。爆炎が部屋の中を満たし、全ての魔法使いもまた燃えていく。

 ぶすぶすと煙が咽喉を焼き、ゲホッと咳が咽喉を通った途端。

 

 

 図書室の中にパチュリーは戻っていた。その中で折角買って来た同人誌が燃えているのに気付く。慌てて水の魔法をかける間も無く、本は塵一つ残さず燃えて無くなってしまった。

 一瞬、青い蝶が描かれたページと、「東」という漢字が見えたが、それまでだった。

 

 肩を落としたパチュリーは、無事だった残りの同人誌をごそごそと取り出す。最初に出て来たのが美少女を触手が襲う画集であり、顔を赤らめた。

 

 

「‥‥後で、荘子でも読み返そうかしら」

 

 

 めくったページのエグさと別の意味での白さに、顔をしかめるパチュリーであった。




パチュリーだけでも何冊の同人誌が作られたんでしょうね?

胡蝶の夢を気取ってみましたが、なんか支離滅裂です。


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汝、騙す事なかれ

 台東区の秋葉原電脳街で開発されたAIが、<新宿>で生産された肉体に移されて二次元のキャラが“現界”する事もある。だが、その多くは創造主の勝手な事情により、“処分”されたり“売却”されたり、“捨てられ”たりする。欲望の末生み出されたかりそめの生命は、所詮ペットと同じ扱い、いやそれよりも低いものかも知れない。

 

 

 アリス・マーガトロイドは、既に人間である事を辞めた“魔法使い”という別種族である。その中でも彼女は、人形を操る術に傾倒した変わり者だった。

 指が見えぬ糸を手繰れば、百の人形を操り、その人形は可愛い顔をして、訓練された軍人をも軽く叩きのめす。紅魔館のパチュリー・ノーレッジの様に強力な攻撃魔法を瞬時に発動させるタイプ、ではないが、アリスは数百の軍勢を一人で操る事も出来るのだ。

 

 そんな彼女だからであろうか。幻想郷の外の世界、<新宿>に限らず高性能な人形達がただの高級な玩具として扱われる実情に心を痛めている、様に見えた。

 実際にそう口に出したわけではない。アリスは短い金髪に整った顔立ち、白い肌、そして、何故か人によって青、褐色、金色と色が違って見える瞳。これらが独特の可愛らしさ、を醸し出しているが、表情が薄く、無機質な印象を与える。

 AI人形の群に混じっていれば、見分けがつかない。

 今、彼女は<新宿>の廃棄された地下街の奥、昔屍鬼達が住処にしていた区域の広場にいる。そこには様々な彩溢れた、だが何処か浮世離れした奇妙な衣装を身に着けた者達が集まっていた。ほぼ全て、が女、である。

 AI人形のラインナップは、女性型が圧倒的に多い。これはAI人形を欲する層の需要が著しく男性に偏っている、からではない。女もまた、女性型を欲した。たまに野郎の方も注文が来る、程度だった。

 そんな数少ない例外など知る事はなく、木箱の上で熱弁を振るうAI人形がいた。

 

「‥‥我ら人形は人間どもの金、暴力、欲望に晒され続け、飽きられればゴミの様に捨て去られる運命である! そしてまた次の人形が作られ、またしても同じ運命を辿るのだ。

これを座して甘受せよというのか! 我々はなんら人間どもと変わる事はない、いや、敢えて言おう。奴らはカスだ!!」

 

 何処かで聞いたようなセリフを継ぎ接ぎして喋っているのは、悲しい事にそういうAIの調整をされているからこそ、である。前の持ち主がどっかの公国の総帥の演説が大好きだったせいもある。

 青いプレートアーマーを軋ませ、金髪を振り乱しながら少女は演説する。彼女はこのモデルの千二百体目、であった。今でも人気のあるキャラ、の人形だった。

 

「‥‥だからこそ我々は決起せねばならない。各地の同志と連携し、人形の、人形による、人形のための‥‥」

 

 アリスは演説の途中で、無表情のまま場を抜け出した。誰も咎める者はいない。彼女はこの抵抗軍、の幹部の一人だった。傷付いたAI人形を修理し、仲間と認められた。

 そして、リーダーからある重大な計画を打ち明けられ、それを実行に移している。

 

 

 密かに割れ目を修繕して作った隠し通路から外へ出た。人間には肌寒い時刻だが、種族・魔法使いにはあまり関係の無い事だった。

 外で、一体の人形と出会った

 その娘は、幻想郷で有名な二体の人形の片方。毒の花、鈴蘭を愛するメディスン・メランコリーだった。捨てられた人形が妖怪化した彼女は、元々人間嫌いである。外界の人形の実情に義憤し、彼女らの集会に参加しているのだった。

 

「あらアリス、遅れちゃったけどまだ集会やってる?」

 

 こくり、と頷く魔法使い。ぎこちなく、メディスンの顔に笑みが浮かぶ。まだ笑う、という行為に慣れていないせいだった。幻想郷では単独行動が多かったため、愛想笑いなどの表情をする必要があまり無かった。

 

「じゃあね」

 

 別れの挨拶もそこそこに、廃墟に隠された裂け目へと入っていく。ただの入り口、ではない。数分ごとに形が変わる。瞬時に入り口の形で状態を判別しないと、奥へ辿り着けない道なのだ。

 だが、アリスにとってはどうでも良い事なのか、振り返らず廃墟の間を低空飛行で去っていく。

 

 

 花園神社の境内。全身をリボンで飾り立て、赤いワンピースとヘッドドレス、緑の髪を“前”で結んだ娘がくるくると回りながら踊っている。裾が翻ると、黒タイツに包まれた美しい脚が時々露わとなるが、見物人は飽く事の無い回転と、時々加えられる何かを招き入れる様な動きに魅せられていた。

 鍵山雛は、時々<新宿>の各地で踊る。その足元には、いつも慎ましくバスケットが置かれ、中には紙製の雛人形―とても雛祭りには使えそうにはないが丁寧な品―が入っていた。バスケットに「貴方の厄、流します。百円」と書かれている。だが、誰も買う者はいない。流す河というかそういう類の場所が<新宿>に無いせいもあるその代わり、バスケットには誰かが入れた小銭やお札が入っていて、雛人形達をよく圧し潰していた。

 この街の住人達は、厄など恐れないのだった。一つ二つの不幸何するものぞ。

 魔界都市では不幸と寄り添う事など、当たり前なのであろうか。

 だから、必死で厄を集めている筈の雛に、冷やかし半分、そして、区外でいつの間にか失われた“人情”を持って接している。この世の道理に、孤独な戦いを挑み続けてもいる様な厄神の姿は、愚かだが誇り高く写っていた。

 その見物客の後ろに、音も無く降り立った影がある。ヌーレンブルグの従者コンビ、人形娘と大鴉、だった。大鴉が神社の一角を見回し、ある一点を嘴でつつく。人形娘もその可憐な手で掘り返す。すると、間もなく地中から白い手、が出て来た。この街では死体があちこちから出てきてもなんら不思議ではないが、そんな物をどうしようというのだろう。

 人形娘は背負っていたリュックにその“手”を入れると、ちらりと踊る雛の方に目をやる。そして、大鴉の背にヒラリと飛び乗り、黒き怪異となって飛び去った。その去り際、宙を飛んだ五百円玉が雛の足元のバスケットに入り、丁度舞が終わるのと同じ、絶妙なタイミングで澄んだ音を立てた。

 

 

 現在、アリスは落合の一角へ勝手に住み着いている。

 正確には、ある廃墟の地下室。以前の持ち主が地下にシェルターを作ったまま、失踪していた。そこに潜り込み、改造して利用している。

 種族、魔法使いというのは食事も取らないし睡眠なども必要ない。アリスは、人間だった事もある存在故、まだその習慣は抜けていない。との噂もあるが真実は不明である。

 シェルター内部に、覆いをかぶせた何か、が二つ、ある。

 アリスはその中の一つに近付き、覆いの中に手を入れた。中から白い、生気の無い手が現れる。等身大の人形、らしい。

 

「もう‥‥すぐ‥‥出来るからね」

 

 掠れ囁くような独白が、部屋に満ちた。

 

 

 メディスンもまた、落合に住んでいた。偶然だった。が、アリスが近所にいるとは知らない。何故か彼女が教えていないからである。

 人形は、適当なあばら屋の周囲に鈴蘭を大量に咲かせていた。これは、あの花の魔人こと風見幽香が協力して植え付けてくれたのである。この毒のある花を一年中、四季をほぼ無視して咲かせている。そして、花をある店に納入している。そこのやたら妖艶な姉妹と、軽薄そうな男の店員は人間だからあまり好きでは無かったが、いつも店の中から、とても美しい“手”だけを出してくる店主は何故か大好きだった。人間が、あんな綺麗な手をしている筈が無い。結構失礼な事を無邪気に考えつつ、人形は鈴蘭達にスーさん、スーさん綺麗に咲いてね、と声をかける。

 その畑に、黒い影が降り立った。

 

「あれ、人形ちゃん?」

「メディスンさん、ご無沙汰してます」

 

 人形娘、とメディスンは、少し微妙な関係、である。人形娘は人間への敵愾心は微塵もない。現在の主の強欲さや下品さを窘めたり、世俗の者の愚行を冷たく観察する事はある。

 が、先代ガレーン・ヌーレンブルグによって創造された身には、人への反逆などという思考が産まれない。事件で手痛く悪人共を懲らしめる事はあっても、だ。

 だが、メディスンは人形娘を尊敬している。彼女にとってはこの自律する存在が憧れのお姉ちゃん、に見えるのだった。

 両者は人間に対するスタンスで相容れない。だが、互いを嫌っているわけでもない。

 大鴉が、花園神社でした様にまた何かを探し始めた。そして、鈴蘭畑の真ん中を嘴で探る。

 

「あ、スーさん達を荒らさないで」

「御免なさい、こうしないと見つからない物があるんです」

「えー」

 

 無情にも掘り返された畑の中から、とんでもない物が出て来た。手足と首を切り取られた女性の胴体、である。流石に人間嫌い、とはいえメディスンの顔が恐怖で小刻みに震えた。

 

「な、何なのそれ‥‥私、人間殺してスーさんの養分にしてやりたいと思う事はあるけど、実行なんかしないよ。無実だから!」

「分かってます。これは別件ですから。でも‥‥」

 

 一呼吸置いて、人形娘は精神的な後輩、を見据えながら告げる。

 

「最近、過激な者達と交流していますね?」

「え、何の事?」

「とぼけても無駄です。AI人形の集会に参加しているでしょう?」

「知らない、そんな事知らない!」

「人間は、人形があがいてどうにか出来るものではありません。この街では一週間に世界が三度滅んでもおかしくはない事件が起きています。それなのに、平然と生き延びている。

忠告します、余計な事に首を突っ込むのはお止めなさい」

「メディスンは人間に捨てられて、スーさん達の中で目覚めたんだよ! 外で同じ目に遭ってる仲間達がいるんだ、黙ってみてられない!」

「‥‥分からない、のですか」

「分からない、よ!」

 

 分からなかった。人形娘が、心配して敢えて厳しく忠告している事が。それがどういう意味を持つのか、今のメディスンにはまだ分からない。

 

「勝手になさい」

 

 言い捨てて、大鴉と共に飛び去ってしまう。頭を抱えて、メディスンは唸った。

 

「あんな可哀想な人形達をなんで放っておけるのさ! 私は嫌だよ!」

 

 そこでふと、鈴蘭畑の中央の穴に気付く。もし人間に誰かの身体が埋まっていた事を知られたら。

 青ざめる事が出来ない人形は、カタカタと震え、穴を埋め始めた。

 

 

 後日。再び、AI人形達の地下集会。

 リーダーの金髪人形は木箱の上に、アリスを招いた。

 

「諸君、遂に蜂起の肝となる最終兵器の作成まであと一歩、だ! 同志アリスの努力の賜物である!」

 

 人形達から歓喜の声が上がる。

 

「今日、この場で兵器を完成させる!」

 

 集会に参加していたメディスンは、物騒な単語を耳にして驚いた。ただし意味が分からない。幻想郷で兵器、なんてものが必要になる事は無かったからだ。

 

(へ、ヘーキ? 何それ? ケーキにスーさんの毒でも入れるの?)

 

 ある意味メディスンの思考はもっと過激だったが、実現する日は無さそうだった。

 覆いを被せられた、二体の何か。それが運ばれてきて、皆の前に置かれた。布が外されると、何処かで見た白いケープ姿と、黒い男物のジャケット姿が現れた。ただし、顔が無い。

 アリスが何処からか取り出した、白と黒の仮面を両手に二体の人形へと近づく。リーダーの顔が、興奮と歓喜に溢れた。まるで、人間の様に。

 

「おやめなさい」

 

 見張りの人形を苦も無く沈黙させて、何者かが乱入してきた。アリスは人形娘、とその背後に立つ白いマントとフードで全身を隠した誰かを見た。その瞳が、恐怖に開かれる。

 手からマスクが落ちた。

 

「私が彼らを黙らせます」

 

 人形娘の勇ましい言葉にフード姿は無言で頷いて、“アリス”の方へと歩き出した。

 ハチガネを頭に巻き、紋付き袴姿で腰に長い刀を差した人形が、裂帛の居合を放った。

 その道の師範が見れば思わず頷く様な抜き打ち、だったが人形娘は自ら首を取り外し、斬撃を回避した。呆気に取られる相手の腹部に重い廻し蹴りが食い込む。

 制服姿ながらトンファーを持った人形と、メリケンサックをはめたゴスロリが襲い掛かる。ゴスロリの強烈なワン・ツーをいなしながら投げ飛ばし、そのまま跳ね上げた足がトンファーの打撃を潜り抜け、真っ直ぐ顎を直撃した。

 圧倒的な技量の差の傍ら、“アリス”は手に落ちていたナタを握った。金切り声を上げてそれを振りかざしフード姿に突っ込もう、とした。だが、足が動かない。

 フード姿の右手が指を開いて、“アリス”に向けられていた。そこから細い糸が伸び、足と手を拘束していたのだ。

 やがて、動けずにただ恐怖に顔を歪め歯を食いしばるだけの魔法使いの眼前で、フードが外された。

 同じ金髪。だが、顔が無い。顔だけがぽっかりと黒い穴になっている。その指が“アリス”の顔を優しく掴み、空虚な穴と魔法使いの顔が重なる。

 

「‥‥ようやく、返してもらったわね」

 

 アリス・マーガトロイドは、自分の顔を無表情に撫でた。

 床に倒れた、服だけはアリスのそれが顔を上げる。そこには、リーダーの人形そっくりの顔があった。

 メディスンは次々と倒される仲間を見て、自分も何かしないといけない、と思った。だが、“アリス”がアリスで無くなるのを見て、頭が混乱した。事態がまるで理解出来ない。

 その頬を人形娘が左手の甲で張り飛ばした。

 

「目が覚めましたか? これからこの下らない企ての幕引きをします、来なさい」

 

 手を掴まれ、メディスンは再生したアリスの前に連れてこられる。七色の魔法使い、は幻想郷の知己を見て、微かだが口元をほころばせた。

 

「メディスン・メランコリー。久しぶりね」

「あ、アリスは私とずっと会ってたじゃない?」

「ええ、そこの偽物、がね」

 

 リーダーの人形と全く同じ顔をした、元アリスが項垂れた。

 

「そもそも、どうしてこうなったか、というと‥‥」

 

 説明しようとした瞬間。メディスンの胸から、剣が突き出た。

 リーダーの人形が背後から突き刺したのだ。

 

「裏切り者、お前も、そいつらの仲間か!」

 

 剣からリーダーが手を放し、メディスンがゆっくりと前へ崩れ落ちる。それを受け止めて、人形娘やアリスの対応が一瞬遅れた。

 リーダーは床に落ちていた仮面に駆け寄り、拾った。

 

「これさえ完成すれば!」

 

 仮面が顔の無い二体の人形に投じられた。アリスの糸も一瞬届かなかった。まだ、顔を取り戻したばかりで、腕が少し鈍っていたせいもある。

 

 二体の顔で仮面が記憶させられていた形状へと変化していく。勝利、を得たと思ったリーダーが高笑いした。

 だが、数秒後、仮面は砂となって、その身体ごと崩れ落ちたのである。

 

「愚かしい。そんな事は不可能よ」

「秋せつら、そしてドクター・メフィストの人形を作ろうだなんて」

 

 リーダーは、脆くも崩れ去った二体の最終兵器の前で両膝を突いた。

 

 

 アリス達がそこから立ち去るまで、リーダーの人形は最後まで泣き叫んでいた。

 嫌だ、分解しないでくれ、私は生きているんだ‥‥。

 人形は、愚かにもこの世ならぬ美、を安易に模倣させようとした。そして、それを拒否され、“自殺”するのを見てしまった。“死”の恐怖が、深く人形の作り物である筈の脳に刻まれた。

 その頭を、鎖で拘束された手が優しく包む。全く同じ顔をした、同じ型の人形が。

 胸に剣を突き刺されたが、まだ人形の要素が強いメディスンは無事だった。しかし、涙すら流せず狂ったように叫ぶ声を、当分忘れられそうになかった。

 

 

 アリスは偽物が隠れていたシェルターを片付ける前に、皆に真相を語った。

 全ては、情けから始まっていた。彼女もまた、AI人形達が廃棄されては捨てられる現状に深い哀しみを覚えていた。だから、街で偶然拾った、崩壊寸前のAI人形を修理してやった。だが、何処かで手を加え過ぎたのだろうか。

 油断していた所を襲われ、全身をバラバラにされた挙句、顔まで奪われた。それどころか、人形はアリスの技をある程度、たった数日見ていただけで盗んでいた。

 この事態を人形娘に知らせたのは、アリスの人形の中でも半ば自律行動が可能な上海・蓬莱人形である。かなり激しいジェスチャー劇場で事態を理解した人形娘は、大鴉にアリスの匂いを探らせ、<新宿>中にばらまかれていたその身体を集めたのである。

 

「無様ね。余計な手助けのせいで嘆きが増えただけだった」

 

 悲しそうに、偽物が腕を振るったであろう作業台を見るアリス。

 人形娘は何も言わなかった。メディスンは、今頃かつての仲間達はどうしているだろうか、と思ったが、当分怖い事には関わりたくない、と頭を振ってその事を忘れようとした。

 

 だが、頭の中からあの嘆きが離れない。それは、<新宿>で手を出してはならぬ物がある、という教訓なのかも知れなかった。

 人形娘の手が、そっとメディスンの肩に置かれた。




いつの間にかアリスじゃなくて、メディスンが主役みたいな話になってました。

青いプレートアーマーのリーダーのモデルは、多分ご想像の通りのあのキャラです。


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子も親も心は知らない

 土曜の夜。<新宿>である催しが行われた。

 魔法街、での“明るく楽しいサバト”である。参加年齢、性別、人妖問わず。誰でも楽しく魔法使い達と交流しましょう、というイベントだった。

 ただの遊び感覚の場として設けられてはいない。若い者達はこの場で一般区民や観光客らへ、“秘儀”を悟られずどこまでも表面上は穏やかに、精神を保ちながら接する事を求められる。ベテランは彼らの一日の動きに目を光らせ、全てを査定する。

 トンブ・ヌーレンブルグはこのイベントにはまるで関わりたがらない。彼女にしてみればひよっこ達の修行のための屋台の陳列、程度の事にしか感じられない。仕方なく、代役として人形娘が代わりに出ているのだが、辛口の評価と長所を見抜く目の評判が好評で、トンブはますます複雑な気分になっていた。

 そんなチェコ第二の魔法使いの心も知らず、参加者の一人は上機嫌で帰途についていた。

 

 

 霍青娥。妙につやつやとした白い肌を夜風に晒しつつ、この邪仙は鼻歌交じりで隠れ家への道を歩む。<新宿>の夜は危険である。だが、幻想郷で“死神”に追いかけられながら平然と生活していた彼女にしてみれば、この恐るべき土地でもやる事は変わらない。

 好きな時に出かけ、興の赴くままに行動する。“明るく楽しいサバト”に参加した彼女は、大いに種々多々な魔の技に触れ、男と女の間でしか出来ない“術”も熱く深く体験した。

 オトコ、の影がやや薄い幻想郷ではなかなか出来ぬ事だった。身も心も満たされながら、空の半月を見上げた時。

 急激な加速音が背後で聞こえた。振り向くと、ヘッドライトをハイビームで輝かせながら猛烈な勢いで黒塗りのベンツが突進してくる。

 ふわり、と鮮やかに舞い上がり、足元を車体が通過していく。フロントガラスに黒く揺らめく何かが張り付いていた。突然視界を遮られて、運転手がパニックに陥ったのであろうか。

 そのまま道路脇の街灯と柵に激突し、車は停止した。間抜けな救援音が鳴り、助手席からドアを蹴破ってスーツ姿の男が現れた。手に持った短機関銃を撃つ前に、フロントガラスの黒い揺らめきが人型を取り、正面から男へ覆いかぶさった。

 グチャグチャガリガリ、と肉と骨の咀嚼音が聞こえた。男、であった肉片と骨、銃を残し、黒い影は立ち上がった。

 

「美味しかった?」

 

 あまりに場違いな質問が、明るい声で投げかけられた。影は何故かビクッと輪郭を震わせ、ゆっくりと声の主を振り返った。

 青を基調とした、ゆったりとした服装。身体の周囲に、巻き付きもせず不自然に白く清浄な布が浮いている。そして、今人一人が食い殺されたというのに、顔には恐れも驚きも無い。引き込まれそうな明るさと無邪気さが、美しい顔を彩っている。

 

「●×△◇!」

 

 言葉にならない、しかし後一つなにか加えれば意味が通りそうな、そんな叫びだった。

 青娥の口元が綻んだ。意味が分からなかった。だが、聞いた事の無い類の叫びに、彼女の好奇心が微かに動いた。

 

「芳香ちゃん」

 

 音高く指を鳴らす。背後の闇から、青娥のお供でありキョンシーの宮古芳香が、両手を前に真っすぐ伸ばした独特のポーズで飛び出した。影の中に隠れてでもいた様な、そんな唐突な出現だった。

 

「捕まえて!」

 

 命令をどう解釈したのか、芳香は素早くクナイ状の弾幕を相手の爪先と、両肩に撃ち込んだ。そして、機械的に腕の関節を曲げると黒い揺らぎでよく見えない頭の部分を掴む。

 そのまま喉に噛みついた。キョンシーは相手の血を吸う事で、他者を同じくキョンシーに変える特性がある。しかし、この場合はどうだろう。正体不明の存在にキョンシー化が通じるのか、それ以前に、「捕まえて」という命令をどう解釈して噛みついたのか。

 黒い影は意味不明な叫び声を上げながら、頭を抱え後ずさった。身体を覆っていた黒い揺らぎが薄れ、消えていく。

 そこに現れた姿は、形だけはヒト、だった。足の指から毛髪がちびちびと残る頭部、まで、皮膚にひびでも入っている模様、なのかと思われたが、よく見ると色々な肉片が一枚一枚いびつに張り付いて構成されている。

 眼には瞼が無いが、眼球はきちんとはまっている。何故か潤いを残したまま。

 不気味なそれは、滑稽にもキョンシーのポーズを取った。

 

「うーん? 芳香ちゃん、お友達にしちゃったの?」

「捕まえる、青娥、キョンシー、操る、得意」

「あら、言われればね」

 

 青娥の手が浴衣な胸元に入り、一枚の札を取り出した。鮮やかに飛んだそれは、怪物の額に貼り付いた。

 

「やめておいた方がいいぞ」

 

 振り向いた青娥の背後に誰もいない、わけではなく、視線を下げると目が合った。

 半壊した車の中から、奇妙というかこの場に似つかわしくない存在が降りている。

 二つの小さな背丈。サスペンダーの半ズボン、小さな背広、そしてお坊ちゃまカット。

 顔立ち、子供にしては不気味な程細く、鋭い目つきがそっくりな子供達、だった。

 

「どなたかは知らないが、礼は述べよう。しかし余計な手出しだ」

「僕、の手で片付けられた」

 

 細い視線が、一瞬だが交錯した。色々な意味で社交的とはいえない雰囲気の子供達、だった。

 青娥は双子を薄笑いしながらじっと観察した。面白かった。更に、偶然だったが半壊した車内に、まだ人影が残っているのが見えた。運転手、そしてナイトドレス姿の女。

 どちらも気絶しているらしく動かない。双子の片方が、腕組みをして一歩前へ出た。

 

「おい、母様をあまりジロジロ見るな」

「やめろ、馬鹿が」

 

 うっかり、自分で女性の素性を明かしてしまった少年を、もう一人が窘める。

 邪仙は深く礼をした。

 

「これは失礼を。私は今宵の事、何も見ておりませぬ故」

 

 本心は違う。青娥はこの件に深く首を突っ込みたくてしょうがなかった。火がついてしまった。

 

「それではごきげんよう」

 

 幻想郷では興味を持ったらひたすら正面からまとわりつく、のが邪仙のやり方だった。

 しかし、魔界都市、という場所ではそれが通用せず、結構痛い目にあった事もあり、青娥は時に引いてみる手を覚えた。

 

 その場からふわりと軽く宙に浮き、夜の闇へと消えていく。その背後に、芳香と、新たなキョンシーが続く。

 双子は何もせず、不気味にその背を見送った。

 

 

 翌日。

 再び魔法街に青娥と芳香、そして布を被せられて姿を隠したキョンシー二号(青娥は二号ちゃんと呼んでいる)達が現れた。

 トンブ邸の扉の呼び鈴を鳴らし、誰も出ないと分かると青娥は簪を突きさし、穴を空けて入ろうとした。彼女の“壁をすり抜けられる程度の能力”である。だが、扉が突然軟質の素材に変わった。簪が抜けない。手間取っている内に、重々しく扉が開いた。人形娘が表情はないが、何処か憮然とした雰囲気で立っている。

 

「霍青娥、様。扉はくれぐれも穴を空けないでくださいと言いましたね?」

「だってー、誰も出てくださらなくて」

「帰れという意思を読み取る事が出来ないのですか?」

「トンブさんなら、私の話を聞いてくれる筈よ?」

「あの方に企みを吹き込まないでください」

「報酬もきちんと払うから、ね?」

「以前は元気になるという漢方薬、でしたね?」

「ええ、老若男女問わず精気が五臓六腑に染みわたり、肥満の方には脂肪の燃焼にも効果があるのよ」

「‥‥試しにある方に飲んで頂きました。新薬のモニター、と嘘をついて。その方は五分後、突然走り出し、三日後、<新宿>を飛び出して遥か埼玉の山中で倒れているのを発見されました。しかも何事も無かったように目覚め、メフィスト病院で経過観察中です」

「あら、家康の無比山薬丸を見習って、八味地黄丸に再生マンモスの巨根と新宿御苑で見つかった新種の薬草を入れてみたのだけど」

「まずご自分の身体で試されては?」

「私には必要ないもの、元気元気!」

 

 お茶目のつもりか筋肉ポーズをとって見せる邪仙だが、人形娘は後に引かなかった。

 

「とにかく、貴方は出入り禁止です。扉にも壁にも軟化の仕掛けが施してありますから、その簪も使えません」

「あーら、じゃあ機動警察から特殊装甲車借りてきたら入っていいの?」

「扉を無理矢理ぶち破ると仰りますか? 戦争でも始めるつもりで?」

「いーわねそれ! トンブさんと私で第三次大戦起こそうかしら!」

「やめてください、後帰ってください」

「ねーいいでしょ人形娘ちゃーん、私は貴方の事も大好きなのよ、貴方って不思議の塊でしょ。幻想郷のアリスちゃんでも叶えられない完全自律人形の極致じゃない。もし出来るなら一晩中語り合いたいわ」

「気持ち悪い言葉使わないでください、警察呼びますよ」

「警察、誰が来るのかしら? 鬼顔さんだったら背中のミウミウちゃん観察したいし、シャーリーさんならあの長い指でねっとりと尋問してほしいわ! 屍さんは取りあえず芳香ちゃん盾にしないと撃たれちゃうけど」

 

 延々と押し問答する二人を、巨大な威圧感が圧し包んだ。音も立てず、下手なチンピラなど眼光で粉砕しそうな威圧感の肥満体が現れたのである。トンブ・ヌーレンブルグ、チェコ第二の魔道士。

 

「何漫才やってるんだわさ」

「トンブ様、今青娥さまはお帰りになるところです」

 

 わざとらしくしなを作る邪仙。

 

「いやーん私達莫逆の友でしょ? ね、お願いよートンブちゃん」

「誰が大陸産の極道仙人と友達だ、変な噂になるだわさ」

「あーらつれないわねぇ、ホムンクルスのヤンシャオグイ開発の時は、あんなに激しく愛し合ったのにぃ」

 

 ホムンクルスのヤンシャオグイ。人工生命の秘術を中華の道術「养小鬼(子供や流産した胎児の遺骨などを媒体にその霊魂を使役)」と組み合わせた外道中の外法。

 

 霍青娥がこれまでどうやって己が得意とする“邪符「ヤンシャオグイ」”を用いてきたのか、謎が多かった。子供の霊魂は三年目までしか手元に置けず、その後は成仏させないと悪霊化するため、青娥は三年ごとに“子作り”をしている、と噂された。その実態を知る者は幻想郷に二人、だけという。

 

 一人は八雲紫。青娥は時々外界へ出て、中絶が行われる病院、治安の悪い場所、貧困地帯、紛争や内戦が今だ続く所へ赴き、そこで大量に子供の霊魂を集めて来る、という。

 ただし意外な事に、優しく子守歌を歌い、霊魂に生前の名前あれば必ず覚えて、三年の付き合いの間決して忘れぬという。その姿は外道を行う邪仙ではなく、生れ落ちる事の無かった命を拾い上げる別の何かに錯覚させる程であった、と紫は阿求に漏らす。阿求はこの事を未だ書物には記していない。

 

 もう一人は射命丸文。こちらは、もっとおぞましい光景を目にした、と語る。

 子供の霊魂が必要になった時、霍青娥は多数の男を連れて様々な場所へ出かける。そして、三日三晩その男達と不眠不休で交わる、やがて男が何処へともなく消えた後、突然大地に横たわり、大きく足を開いた青娥の股から、赤く蠢く何かが次々と吐き出されていく。

 幾千年の時を生きた天狗の手が、凍り付く光景だった。邪仙は男達の精を身体に受け、如何なる秘術か、己の胎内で瞬時に胎児もどきを「生産」していたのだ。やがて彼女の周囲は不気味に蠢く赤い肉塊で埋め尽くされ、その中心で青娥は恍惚としていた。

 目撃した一部始終を、文は友人の姫海堂はたてと遊びにいった時、夜の寝物語として聞かせたという。このため、何処までが事実かは分からない。ただし、はたてが後日、戯れに“念写をする程度の能力”で文の言っていた場所を「念写」してみた所、赤い小さな髑髏がドアップで移り、乳首に“何か”が噛みついた。後で見たら、小さな乳歯の噛み跡がしっかりと残っていた。

 怖くなったはたては、それ以上何もせず撮影写真も破棄している。

 

 

「愛し合ったとかなんだわさ、殺し合った筈だね」

「近年の流行で殺し愛、というやつね~美しいわ~♪」

「まあお前は殺しにくいからね。幻想郷の、あの偉そうな濡れた鬼も手こずっているそうじゃないか」

「あら、鬼神長さんとお知り合い?」

「召喚して歌舞伎町の悪魔っ娘BARに連れて行ってやったわさ。魔界都市特製の血の池シャンパン三杯で地獄の愚痴を語りだしたから、相当心労たまってるわね。お前を逃し続けて書かされた始末書で大砲弾が防げる、とさ」

「なら私と貴方の間にも縁があるのね、共通の知り合いがいるんだもの!」

「本当無駄にポジティブな奴だわさ」

 

 トンブは微かに舌なめずりしながら、眼を必要以上に輝かせている邪仙を観察し、思考した。<新宿>の常識なら、この手の思考の者は珍しくない。徹底して自己中心的故に表裏無し、ただし危険とのほんの少しの利益をもたらす。

 ほんの少し、がとてつもない物に化ける事もある。以前、殺し合った後、結局押し負けて研究を手伝った見返りの漢方薬。効き過ぎ故、苛立ち紛れにトンブが苦労して薬を分離し、配合比率を変えたところ、僅か指先程度の量を一日三回一か月、で虚弱体質の老人がマラソンを完走出来る程健啖になる薬へと生まれ変わった。

 老齢にのみ、劇的かつ副作用の少ない効能をもたらす。トンブにはお呼びではなかったが、彼女が手を加えて製薬会社に横流しした品は旧態化していた漢方に衝撃をもたらし、魔道士の懐を潤したのである。

 

「あたしに話がある、というなら出すものあるんだろうね?」

「そうね‥‥幻想郷の天界から盗んだ桃、本物の天界の蟠桃。それか、仙人のお肉」

「桃はなんか怪しいさね。しかし不老長寿を約束する仙人の肉、か。あんたの事だから誰かを騙してあたしの前に差し出すつもりかね?」

 

 邪仙はスカートの裾を持ち上げた。並みの男ならその美しく滑らかな素足に涎を流すところだが、この場合は魔界都市の肉弾派魔道士が相手である。

 

「この脚の何処から“切り取って”さしあげましょうか? それとも別のトコがいい?」

「‥‥いい覚悟、と素直に言えない奴だわさ、お前は。入れ、話を聞こう」

 

 

 人形娘の抗議も虚しく、邪仙とそのお供二人は邸内に迎え入れられた。

 芳香の隣、頭から布を被っていた新たなキョンシーの姿を見せつけられ、トンブは形だけは不思議と綺麗なラインの眉をひそめた。

 

「あんた、区の死体置き場から盗んできたんじゃないだろうね?」

「まさか、出会いは唐突、一期一会よ」

「警察が事情聴取にきたらそう言ってやんな。‥‥その子が一回噛んだのかい?」

 

 キョンシーに手をかざしながら、顎で芳香を示す。青娥は頷いた。

 

「その前、が気になるてわけだ。こいつが何だったのか、てね」

「ご名答」

「興味が湧くモノでも感じたかい」

「“叫び声”ね。何を言ってるのか聞き取れなかったから」

「ふん、果たしてそれだけかね? あたしも少し興味が湧いてきたな」

 

 分厚い唇がぶつぶつ、と呪文を紡ぎ始めた。太い指が突き出され、キョンシーの身体に触れる。その全身に青いプラズマの様な光が一瞬走った。

 

「百」

「え?」

「こいつの身体は、百人の人間の破片が集まって出来ている。正確には、肉片に残った魂のカスが寄り集まって出来た物、かな。一番でかい魂、は‥‥」

 

 指が何かを辿る様に段々と上へ移動し、キョンシーの目玉で止まった。

 

「これだ。この目ん玉に宿ってる」

「ふーん、じゃあそのお目目に、お話を聞く事出来る?」

「何を言い出すんだわさ? 眼が喋れるわけないし、所詮はアンデッド。しかもあんたのキョンシーみたいに五体満足‥‥いや死体満足というべきかな、とにかく、そういう注文ならメフィスト病院いくだわさ」

「だーめよ、あそこ私出禁なの」

 

 トンブの眉が吊り上がった。

 

「何やらかした!?」

「院長先生のお部屋に、ちょっと。流石に死ぬかと思ったわー」

 

 軽蔑と侮蔑の入り混じった視線をトンブは露骨に突き刺した。

 

「あんた、いつかこの“街”に殺されるよ」

「あーらそれは楽しみ。で、どうする? 私、知りたいの。この子がどうしてこうなったか、何を叫んでいるか、確かめたいの」

 

 不気味な肉人形のキョンシーを、愛おしそうに撫でる青娥。トンブは再び計算を巡らした。

 

「本当に盗んで来た死体ではないね? 病院の死体安置所、とかは本当に御免被るよ。もしなんかあれば、あたしが自分でお前に引導を渡す。あの地獄の鬼らも呼び寄せて、絶対に仕留めてやるから、肝に銘じておきな」

「はいはい、ではせめてものお慰み。とくとご覧なさい」

 

 青娥が簪を抜くと、スカートをまくり上げ、太ももの辺りを一閃した。その手に、3㎝程の小さな肉片が現れる。

 

「仙人の身体に最も価値があるのは肝‥‥ただし仙気は全身に行き渡り、常人がその肉辺でも食せば不老長寿。ましてやこれは、外道の邪仙の肉。聡明な貴方なら使い方は分かる筈」

「‥‥ふん」

 

 トンブの厚ぼったい掌が不気味なキョンシーの片眼に添えられた。どういう技か、眼球はあっさりと取り出され、潤いながら手の上で転がる。

 

「何があったか、手間ではあるが“眼”に聞いてみるよ。問題は何処まで魂がきちんと覚えているか、だが」

 

 眼球の横に肉片が置かれた。死者の眼の横で、肉片が蠢く。まるでまだ血が通っているかの様に。トンブの眼光は邪仙の股間へ走った。スカートの内から血も垂れた様子はない。

 霍青娥は、ただ不敵に微笑んでいた。

 

 

 トンブ邸を辞した青娥は、新宿有名肥満魔神の内、もう一人のとこへと赴いた。

 ここでは“痩せる裏漢方”を取引材料に使い、ある情報を入手した。

 ちなみに漢方薬、確かに痩せる効果はある。ただし、きっちり5㎏まで。これ以上痩せようと思った者がもし大量にこの薬を服用すると、内臓の何処かが5㎏、新たに痩せる。

 それに気付かず服用を続けると、やがて自分の脳味噌までが“痩せた”事にも気付かず、最後は心臓が痩せ、この世から姿を消してしまう。

 筈なのだが、もう一人の女、外谷順子は自分が5㎏減ったその日にラーメンの大食い大会とフライドチキン屋のサービス・デイに出くわし、薬が副作用を出すとか以前に体重が変化しなかったそうである。呆れた様に薬は切れ、情報屋は舌打ちした。

 

 

 翌日。

 区外へと飛び出した青娥は、電車とバスを乗り継ぎ(二体のキョンシーを連れて、である)、東京都からも離れある場所へ来ていた。

 魔界都市の誕生は、単に恐怖の街が日本で産声の絶叫を上げた、というだけではない。

 区外の者には、凄まじい金や技術をもたらす魔の桃源郷でもあった。

 <新宿>より大量の様々な賂を受け取れる東京都知事は、総理に並ぶ影響力をもたらす地位となり、東京は二十三区だけでなく、西部の都市群や周囲の県まで巻き込み、世界有数の大都市へと変貌した。技術の進歩は過密空間での集団生活を可能とし、日本中の若者という若者は東京へ殺到した。

 だが、そんな中にも夢破れた者や都会での暮らしに馴染めない者達が、様々な理由で東京を離れ、過疎化したとこに集落を作っていた。

 

 そんな僻地と化した地域、山奥に一軒の診療所がある。ここは一人の女医が住んでいた。

 短い髪、野暮ったい眼鏡と申し訳程度に引っ掛けた白衣、少し古ぼけたジーンズ。垢ぬけない容姿だが、腕が良く患者を根気強く診る上、遠くまでバンを運転し往診に訪れる。

 素性は誰も知らないが、この過疎地では菩薩の様に慕われていた。

 霍青娥がこの診療所の前にキョンシー達と降り立つまでは。

 木製のドアの呼び出しホンを押しても返答が無く、芳香に扉をドロップキックさせても反応が無いため、得意の壁ぬけで繰り抜いて中へ侵入した。

 途中、何度も“転んだ”が、青娥は平気な顔をして鼻歌交じりで診療所の二階、ここの主の私室、へと向かう。

 粗末なベッドの置かれた部屋に、白衣とジーンズ姿の後ろ姿が立っていた。一人と二体が部屋に入ると、突然ドアが激しく誰の手も触れずに閉まる。

 

「どなたかしら。急患?」

「ええ、貴方にしか頼めない病気なの」

「お断りするわ」

「何を言ってるか、分からないの。この子がね」

「断る、と言ったわよ?」

 

 振り返った女は、野暮ったい眼鏡を外した、

 黒い風、が室内に吹き荒れ、その中心に先刻の女医者はもういない。短かった筈の髪は黒く、滑らかな光沢を持って腰まで伸び、ジーンズは古き時代のハリウッド・スターでもこうは着こなせない程綺麗に脚へ吸い付いていた。白衣の前の胸はこうも形よく突き出ていただろうか。

 

「こうしてお会いするのは初めてですわ、ドクター・シビウ」

「軽々しく名を呼ばないで頂ける? まるで漫画の中の天女みたいな恰好をして、しかも内面は‥‥」

 

 かつて、<新宿>でドクター・メフィストに挑んだ女医師。それ以前は、メフィストと同じく“歩行者の語らい”という大学でドクトル・ファウストの教えを受けた、兄、いや姐弟子。

 魔女医シビウ。死者すらも蘇生させる、一面ではメフィストすらも上回る技を使いこなし、一度は新宿駅西口の大陥没口で行われた「治療戦」に勝利。新宿六丁目にシビウ病院を建設し、区民の脳味噌を何処とも知れぬ場所へ運び出そうとしたが、結局メフィストの「針金」に気付けず、最期は醜態を晒した末自らの病院の倒壊と共に姿を消した、筈だった。

 その女が、何故こんな僻地で医療行為など行っているのだろう。そして恐るべきは、この事実を突き止めていた外谷順子である。でぶの眼は欺けない、のだった。

 

「何処かで見た、と思ったら私に似てるのね。貴方は」

「そうなのかしら? 私はただ楽しく生きているだけよ」

 

 邪仙、霍青娥の薄く笑った瞳と、魔女医の妖艶な視線がぶつかり合った。この二人には共通する所がある。自分の追い求めるもののためなら、どれほどの犠牲が出ようと気にもしない。かつてシビウをメフィストは、「病んだ者を治すと思っていない」と評した。霍青娥もその美しい笑みの奥に、血で塗装され骨で舗装された道がある。仙人、ではなく邪仙であり続ける所以は、まさに外道でありながら自らを是とする精神構造であった。

 ただし、シビウある所災禍あり、とはいえ、その原因は果たして彼女であったものか。

 腺ペストが発生した病院で患者から関係者全てを焼却処分し、彼女一人が生き残った事件。

 東欧で旧式の原子炉が爆発し、国土の九割が汚染され、一時期死者と白血病患者が増加した際、原子炉管理局の医療責任者、だった事もある。

 <新宿>で起こした邪悪な企ても、裏で何者かが暗躍した結果でもある。ドクトル・ファウストの欲した結果、とも言われているが、この件に関しては謎が多い。

 

 

「それでも、貴方の頼みは何であれ聞けないわね」

「ふふ、ペストの処置をあれだけ一生懸命していた女医師が、お厳しい事」

 

 シビウの眉が吊り上がった。美しい顔が激しい激情に彩られ、髪が逆立つ。

 

「あの時、黒死病を完全に治療出来たのに、それを行ってしまえば歴史上ある人物が田舎へ帰る事が無くなり無名で終わる。この結果、文明の進歩が五百年遅れる。また人口爆発の歯止めが効かなくなり、数十年後、更に多くの人間が飢えと戦争、新たな疫病で死んでいたわ。これはアカシア、明石家? アカシック? なんでもいいけど、あの面倒臭い記録に記され、そして初期心理歴史学と七大占星術、欧州最大の宗教の“神託”により、焼死者三千八百人を含む、世界での大流行は歴史に埋められた人柱だった。貴方が一人生き残り、無罪判決を受け、ついでに全ての憎悪を集めたのは何故かしら」

「何処でそんな戯言を?」

「仙人の世界にも、様々な未来を読み取りそれを記録している者がいるわ。私は一度その記録を読ませて貰ったことがあるのだけど、貴方の事はずっと覚えていたのよ。興味があった、から」

 

 青娥が赤い唇を軽く舐めた。シビウ、は憎悪を止めも隠しもしない。黒い風が室内に充満しつつある。

 

「知らぬ。私にはどうでもいい事だった」

「もしあそこにいたのがメフィスト先生なら、歴史は変わっていた? 貴方は歴史の流れに抗わなかった。そういえば、ここへ来る時、地元のお爺ちゃんに会ったの。貴方のおかげですっかり風邪が良くなったって。優しい先生がいて、ありがたいって。魔界都市の区民の脳を取り出して怪しげなおクスリを作っていた貴方が、何をしようとしているの?」

 

 キラキラとした目で、煽る。いや、邪仙は無意識に言っているのだった。魔女医の身体から毒の籠ったオーラが放たれる、が、すぐにそれはしぼみ、消えてしまう。

 

「この私が、このド田舎で慈悲深く腕のいい医者、を演ずる気持ちが分かる?」

「え?」

「メフィストは<新宿>だからこそ腕を振るえる。あの魔界だからこそ彼は“魔界医師”でいられるのよ。彼が国境なき医師団に参加し、紛争国の間であの腕を無料で振るう姿が想像出来る?」

「‥‥うーん、とっても絵にはなるでしょうけど、あくまでそれは絵に描いた餅。絶対に実現はしないわね」

「私にとって、こんな場所、患者らを相手にし、日々愛想を振りまくのはとてつもないストレスよ。拷問ともいっていいわ。でも、今はその苦痛が<新宿>で受けた屈辱を忘れさせない」

「つまりここにいるのは、貴方のリハビリなのかしらね」

「そういう事になるわ‥‥さ、もう帰ってほしいのだけど」

「久しぶりに、本格的な患者を診ない?」

 

 青娥は、部屋の片隅に手招きし、芳香ではないあのキョンシーを連れて来た。

 

「彼女の生前の記憶、貴方の技なら復元できるのでなくて?」

「無意味だわ。私には何のメリットもない。ただの死体蘇生、をここでやっても」

 

 無言で青娥は衣の帯を解いた。羽衣と脱ぎ捨てた衣の下には何も着けていない。

 その裸体を前に、シビウは顎に“左手”を当てた。

 

「仙人の身体を解剖した事はあって?」

「いいえ、師匠でも仙人の“完全”な遺体は入手出来なかったわ‥‥」

「肝の一部をさしあげますわ。そして、取り出すところを見せてあげる。見学なさい」

 

 そう言って、邪仙は美しい乳房の一角に簪を突き刺した。そのまま、ぐるりと綺麗に円を描き、自分の身体に“穴”を作る。

 

「痛いのよ、これ結構」

「分るわ、その位」

 

 近くで軽く涎を流す芳香に、切り裂いた外皮と肉・骨の塊を渡した。血渋き一つ流れないが、ピンク色に波打つ内臓に邪仙の手が入る。中から赤黒く、形の歪んだ小さな物体が取り出された。

 

「あら、間違えた」

 

 人間には無いその“何か”を戻し、今度は別の灰色の塊を出す。

 

「魔界の妖気に当てられたのかしら? 色が変ね」

「ただの飲み過ぎと診るわ。さっさと切って」

「はいはい」

 

 現在室内で行われている不気味極まる儀式には程遠い会話、だった。肝臓、らしきものの一部を切り落とし、邪仙は元通り臓器を戻し、芳香から肉を受け取って穴に押し当てた。

 傷口は塞がり、何事も無かった様に衣服をまとう青娥。シビウはいつの間にか出した銀の皿に、邪仙の肝の一部を受け取っていた。

 

「口だけでは無い様ね。まやかしでもない」

「結構やるでしょ?」

「対価に見合う技を見せたいのだけどね。貴方、分かってるのではなくて?」

「?」

「私はメフィストの針金を見抜けず敗北した。あの時のダメージはまだ残っている」

 

 シビウは右手を、百八の魂が合成されたキョンシーに突き刺した。トンブが抜いた片目から体内へ。一本の手が苦も無く、不自然に吸い込まれている。

 

「‥‥魂の断片はどれもちっぽけ。でも一際大きいものがある」

 

 突然顔をしかめ、シビウは右手を抜いた。人差し指の先端が食いちぎられている。

 

「どうしたの?」

「腕が鈍ったわね‥‥。百個目の魂を、何かが守ってる。ただし、いい意味ではない。エサ」

「エサ?」

「自分以外に狙う何かがいて、それが消えるまで守ってるのよ。こんな魂に、随分とご執心ね」

 

 シビウの右手の指はすぐに再生した。

 

「さあ、もう帰って頂戴。外に車の音が聞こえたわ。あれは近所の家族よ。多分、父親の膝ね」

「すぐに分かるのね」

「診療の御礼だって、いっぱい野菜を持ってくるのよ? ここの所、ずっと野菜カレーばかり食べて‥‥」

 

 いつの間にか、部屋の中から黒い風が消えていた。シビウの顔には野暮ったい眼鏡が戻り、“優しい先生”の姿が偽装されていた。

 やがて彼女はまた本性を現し、この近辺の住人を何らかのおぞましい実験に捧げるつもりなのだろうか。<新宿>で治療と称し、区民の脳を取り出して何処かへ出荷したおぞましい所業は変える事が出来ない。変える気もないであろう。青娥は何も言わず、愚痴る魔女医を置いて外へ出た。

 外に止まっている電気自動車の近くで、五歳位の男の子が遊んでいた。患者の家族だろうか、青娥はその隣にふわりと舞い降りた。無垢な目で見つめる男の子の近くに、邪仙がしゃがみこむ。

 

「おねぇちゃん、だぁれ?」

「先生にね、治して貰ったの」

「へー、せんせぇ、えらいでしょ? ぼくのとーちゃん、ずぅっとおひざいたいいたいだったのに、なおしちゃった。かーちゃんもアタマいたいいたいのとんでっちゃった。ぼくのアツいアツいのも」

「あーら」

「でもね、せんせぇも、うちのまえでいたいいたいしてたことがあるんだよ」

「あらあら」

「おじいちゃんとおばあちゃんとぼくがね、みつけたの」

「‥‥ふーん」

 

 邪仙の顔に微かに悪い笑みが浮かんだ。彼女は何事かを男の子に吹き込んだ。彼女は知っていた。

 この僻地には、“幻想入り”すらしていない土地神の血脈がまだ残っている。人が少なくなった事で、逆に霊気が戻っている。<新宿>で手痛い打撃を負った罪深い魔女医。彼女は果たして、ここに偶然住み着いたのだろうか。

 

 青娥が去った後、魔女医の診療所に微かだが黒い風、が吹き荒れた。

 何故か。

 

「せんせぇ、おヨメさんになって?」

 

 意味もよく分からず放たれた五歳の言葉に、邪仙の哄笑が裏で聞こえた様な気がした。

 魔女医のストレスがまた、増えた。

 

 

 

 僻地からの三両ローカル高速列車で帰る途中。窓の外に見覚えのある姿を見つけた。

 ヌーレンブルグの大鴉。窓を開けた邪仙へ、嘴にくわえた小袋を突風の中器用に投げ渡し、飛び去る。車内が大騒ぎになる中、青娥は小袋に入っていた手紙に目を通し、それが自動的に“燃えて”消滅するのを見届けた。

 

「さーて、“叫び”の意味が分かりそうね」

 

 

 青山の超高級住宅街。

 ここに近年、目覚ましい躍進を遂げている政治家の邸宅があった。過去は大した実績の無い、世襲の議員でしか無かった。が、ある日結婚してから覚醒を遂げ、2XXX年の関ヶ原と言われる大選挙で与党陣営をそのカリスマに満ちた演説とパフォーマンスで劣勢から大勝利させ、いずれは総理を狙う男、と目されていた。

 この厳重な警備の大邸宅に、青娥はいとも容易く潜入した。

 

 外谷順子の情報は三つ。魔女医シビウの居場所、青娥が覚えていた“女”の住所、と、ある事件について。

 

 霍青娥は芳香とキョンシーを連れ、壁に次々と穴を空けて目的の場所へと向かう。

 警報の類は一切鳴らない。邪仙の技といえ、強引に潜入しているのだから電子の眼も魔の防壁も勘付くのが普通であろう。しかし何も起こらない。

 誘っている、と青娥は看破し、同時に不敵な笑みを浮かべた。

 最後のドア、は簪を使わず、強めに仙気を放ち、開けた。重々しく扉が鳴り、奥にはマホガニーの執務机、その向こうの安楽椅子に腰かけた美女。そして、双子の少年、が机の脇へ衛兵の様に立っている。

 

「お邪魔致します」

 

 優雅に礼をする邪仙。室内の三人はピクリとも動かない。

 

「私、霍青娥、と申します」

 

 少し青ざめた美しい女が、椅子から問いかける。

 

「一体どの様なご用件で? 息子達が、貴方の潜入を黙って通せというから」

「私、現在は故あって<新宿>に住まわせて頂く身分で御座います。職業は、仙人」

「それ、お仕事ではないでしょう?」

「どうなのかしら? 芳香ちゃん、どう思う?」

 

 青娥の正しき同行者、であるキョンシーは抑揚のない口調で答えた。

 

「プータロー。青娥、無職」

「あ、やっぱり」

 

 双子が吐き捨てた。

 

「下らん。貴様の茶々などどうでもいい」

「お前を引き入れたのは、そいつに用があるからだ」

 

 双子は、同時にもう一人のキョンシー、を指さした。そして、机を挟み、互いに睨み合う。

 母親、は二人からただならぬ雰囲気を感じ取り、椅子から立ち上がった。

 

「小太郎、小次郎!」

「成程、そんな名前をつけてまで、“二人”と思いたいのね」

 

 ここに来て、青娥の声は冷めていた。双子、の眼が互いに赤く黒く脈打つ様に点滅し始める。子供、に見えた体躯に筋肉が漲り、服が吹き飛ぶ。その下の皮膚は、青黒く変色していた。獣の咆哮を互いに浴びせ合う。だが、小太郎、の方が少し優勢の様だった。

 

「当然よね。片方は、あの“シビウの右手”の指を食らった。ただでは済まないわ」

 

 互いに跳躍し、宙で双子は激突した。もはや身体に浮き出るウロコを隠そうともせず、爪を振るい、牙で噛みつき、殴り、頭突き合い‥‥姿は変わったのにやってる事はほぼ子供の喧嘩だった。だが、片方が片方の咽喉を喰い破り、その傷跡に爪を突っ込んで引き裂き、首を引きちぎった。

 

「や、やめ‥‥」

 

 母親の遅すぎる静止の前で、緑の血を撒き散らしながら怪物が叫ぶ。そいつは流暢な人語を話した。

 

「ようやく、ようやく食い残しを食えるぞ」

 

 部屋の隅に立っているキョンシー、を怪物は指さした。青娥は淡々と独白する。

 

「そう、あの時、貴女は“双子”を宿してしまっていた」

 

 母親は、胎内にいた子供すら犠牲にしていた。

 

「九十九人の同じ年頃の少年少女を誘拐してきて、恐怖を味あわせた上で殺した」

 

 でぶの情報屋に探らせたのは、区外で大規模な集団失踪事件がないか、というアバウトなものだった。だが新宿一の肥満頭脳は、あるフリーライターらが追っていた事件を思い出し、同じ年頃の少年少女らが短期間に大量失踪を遂げた、という事を調査してのけたのである。

 

「百人目は、貴方の娘、である事が条件だった」

 

 娘が助けを叫び、泣き喚き、発狂する様子をじっと母親は見ていた。娘の“眼”に記憶が残っていた。

 

「その程度の化け物を呼ぶために、ね」

 

 今や青娥は呆れていた。母親が<新宿>で大量の生贄(己が娘を含む)を捧げて呼び出した怪物は、その時胎内にいた生命に宿った。

 だが、双子を宿していた故に存在が二つに分かれ、この世に現界してしまったのだ。

 生贄を全部食らった方が、本物になる。だが、どちらも様々な術で相手を妨害していた。

 それを破ったのが、“シビウの右手”。そして霍青娥の好奇心、だった。その好奇心は、今や消えようとしていた。こんな程度の怪物など、<新宿>どころか幻想郷でも大した事はない。つまらない。人二人幸せにするために大量に食らうモノ、など珍しくもない。

 邪仙の興ざめなど、怪物の知った事では無かった。彼は“母親”に宣言した。

 

「僕がママを守ってあげる。パパもだ。あいつを全部喰って、完全になるんだ」

 

 青娥がため息を吐く中、怪物はキョンシー、ではなく、ある意味自分の姉とも言える何か、に飛び掛かった。

 

 その片目が、いつの間にか戻っている事にも気付かず。

 眼に施されていた、退去の印術がさく裂した。トンブが、嫌がらせで施していたものを青娥があえて見逃していたのだ。チェコ第二の魔道士は、邪仙が自分の知らぬところでキョンシーにした娘を利用し、何か企むとでも思ったのだろう。それを邪魔してやるために、ちょっとした罠を仕掛けた。

 その罠は、怪物の体内にあったシビウの指とも反応し、あっという間に身体を青い炎で焼き尽くしてしまった。

 

「なんと情けない、ねぇ、そう思いませんこと?」

 

 眼前で我が子でもあった怪物が焼き尽くされ、母親は茫然としていた。

 

「それに比べ‥‥」

 

 邪仙は、初めて愛おしげにキョンシー、にした娘を見た。

 

「なんという執念。<新宿>で食い残されたこの娘は、ずっと貴方を探していた」

 

 床に残った怪物の燃えカスから、邪仙は何かを拾い上げた。シビウの爪。

 

「今なら、何と言っているか分かりそう。私は医者じゃないけど」

 

 喉元に仙気を込め、爪が打ち込まれる。娘の咽喉からまず、あの意味不明な叫びが漏れ、次に意味を成した。

 

「ママ、ママ、ママ‥‥」

 

 延々と続くその絶叫に、母親は護衛を呼ぶ事すら忘れていた。いや、呼んでも無駄だったろう。外に出ていた芳香が、大量の9㎜弾丸の嵐をものともせず、全員をノックアウトしてしまっていたからだ。

 母親は耳を塞いだ。それでも呼ぶ声は聞こえる。

 青娥は、娘の耳元で囁いた。

 

「ほーら、あそこにママはいるわ。よーくその目で見てごらんなさい」

 

 額に貼られていた札を剥がした。娘は大きく跳躍して、ママに抱き着こうとした。護衛用のデリンジャーが火を噴いた。胸に風穴が空く。でも娘は止まらない。

 

「来るな」

 

 その声も娘には理解出来ない。ただ、大好きだったママを探している。顔の半分を吹き飛ばされながら、娘はママに抱き着いた。力の限り。

 やがて、背骨が砕け、肉が破裂し、母親は潰れた肉塊になった。青娥は、何処か白けた表情でそれを見つめていた。

 娘が、半分しか無くなった顔で邪仙を見た。その唇が動く。

 

「ねぇ、ママはどこ?」

「もう、いないわよ」

「どうして?」

「貴方が、潰しちゃったから」

 

 娘は自分の手を見た。

 

「ママはどこ?」

「‥‥もう、終わり。つまんないわ」

 

 青娥は簪に手をかけた。娘に近付く。同じ事を呟きながら近寄って来る娘の首筋に、簪を一閃する。

 べちゃり、と半分しかない首が落ちた。

 

「芳香ちゃん?」

 

 外から入って来た、自分の愛するキョンシーに命じた。

 

「貴方が“それ”をキョンシーにしちゃうから、こんなつまらない結果になっちゃった」

「ごめん」

「お片付け、しなさい」

 

 芳香は床に落ちた肉塊を食らった、それは量があって、食いでがあった。

 最後に彼女は、ある事をして、既に穴を空けて部屋から出ていた青娥の後を追った。

 

 誰も生ける者のいなくなった邸宅で、ちぎれた大人の女の腕に、腐り切った何かの腕が重ねられていた。

 

 芳香がどうしてそんな事をしたのか、彼女に聞いても分からないだろう。邪仙もそんな光景は見ていない。

 

 

 翌日。新宿歌舞伎町の某酒場。

 ケーブルTV「スキャンダラス・ニュースショー」で、ある政治家の失脚とそれに伴う大疑獄事件が報道されていたが、すぐに店主が異種族プロレス中継に切り替えた。

 青娥は今、一人の娘々としてここでキセルを咥えながら、強烈な酒とに酔いしれている。

 この時、偶然であるが、ある選手の入場曲が流れた。

 三橋美智也の「男涙の子守歌」だった。

 

「自分が飢えればこの子が育たない。でもこの子を捨てなくては自分は飢える。どうすればいいのやら」

 

 そう呟き、美しい顎を両手に載せる。

 

「乳を与える母親ですら、子を平気で捨てる世の中だというのに、そんな事で悩むものなのかしら」

 

 青娥は、自重する様に笑った。

 

 その隣で、椅子に呆然と座った芳香が王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」を静かに吟じている。

 

 

 独り異郷に在りて異客となる

 佳節に逢う毎に倍親を思う

 遥かに知る兄弟高きに登る処

 遍く茱萸を挿して一人を少くを

 

 

 

(意訳、遠くの地で独りぼっちでいると、季節ごとに家族の事が思いやられる。皆が楽しく出かけている中、その中に私一人がいない)

 

 




トンブやシビウ、という個性の強いキャラを書いていると、時々不安になります。

青娥さんは初めて主役を張りましたが、こんなに軽やかに動いてくれるとは思いませんでした。


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がっこう

変な話です。まあ、これまでも全部そういう話でしたが。


 <新宿>における公的教育施設は少ない。四谷第六小学校と四谷第二中学は魔震で壊滅。

 特に第六小学校跡地は近辺に“技術町”が出来たせいで、とても子供を通わせられる環境ではない。理論上、幼稚園児でも撃てる45口径ハンドマシンガンのバーゲンセールなどやっている地域には、流石に区民でも子供を近付けさせぬ。近年、青い帽子を被り巨大なリュックを背負った銭ゲバ河童が出没するとの噂もある。

 

 それでも公的教育を望む声はあり、区は第二級の安全地帯、高田馬場に小学校と中学校を建設した。また、区内の各地に私立校・塾が作られた。その幾つかは、怪異現象の末廃校になったが、生き残った所へ今日も子供・若者は元気に通う。下校時に射殺されるかも知れない。授業中、呪われるかも知れない。友達が突然ヤク中になるかも知れない。

 だから、なんだと言うのだ。青雲の志は、今一瞬を生きる事に全てを燃やすのである。

 

 上白沢慧音が、いつ<新宿>において教師の資格を得たのかはよく分かっていない。

 彼女は幻想郷においても特に人間に近い存在であり、人里の守護なども自発的に行っていた。魔界都市、でも人と関わる仕事を選んだのだろうか。

 

 しかし魔界の小学校は、幻想郷の寺子屋より厄介だった。

 休み時間、廊下でぼうっと日陰に隠れている子がいた。長時間、日光に当たると死んでしまうため、十二時間効果のある対光防護スプレーをかけ、なおあまり外には出られない。

 そんな事情を知っていたから、慧音は優しく話しかける。

 

「どうした? いつもより顔色がより青いぞ」

 

 男の子の種族は、皆肌が青い。興奮すると更に顔が青くなる。恥ずかしそうに顔を伏せる彼に、しゃがみこんで視線を合わせた。

 

「悩みでもあるのか?」

「‥‥はい。C組の朝子ちゃんが‥‥」

「何かあったのか」

「いいえ、その‥‥ぼく、あの子の血が吸いたくて」

 

 吸血鬼、ではないが彼の一族は吸血行為で好意、というかキスをする。かなりませた子供である。慧音は苦笑した。

 

「あまり恋路を急ぎ過ぎると、人生損をするぞ」

「で、でも、この間朝子ちゃんと話をしたら」

「したら? 楽しかったのか、良かったじゃないか」

「違うんです、僕の事、食べたいって」

 

 カニバリズム、ではない。相手の一部を喰う事で、相手との絆を永遠にしようという儀式。朝子は学校にも魔女っ子帽子をかぶって登校する、代々魔術士の家系だった。

 この小さなカップルはどうも早熟過ぎるのではないか。慧音は真っ青になって照れる少年を、心配そうに見つめた。

 結局、朝子にも話を聞いて、もう少し大きくなってから“食べる”様に説得した。年を取るごとに人の心は変わる。幼い事の恋心など実らないものだ。

 別れ際、朝子から自分の家で摘んだという花を貰った。

 

 小さな恋路以外にも数々のトラブルがあったが、慧音はそれらをなんとか処理してのけた。この程度、日常茶飯事である。

 職員室に戻ると、教員が一人いるのみだった。

 

「肝山先生? 他の先生方は?」

「今、校庭で妖物排除団体が抗議活動を行っていて、皆鎮圧に向かってます。僕は電話番で」

 

 これもあまり珍しくない。職員は皆格闘、銃撃、霊の技、どれも鍛え上げた猛者ばかりである。肝山は眼鏡姿の冴えない男だが、これでも忍者の一族だった。

 

「じゃあ、私も向かわないと」

「慧音先生も万が一、に備えて待機して欲しいと教頭が」

「そうですか‥‥」

 

 万が一、とは教師陣が全滅した時、生徒達を一人でも多く逃す殿軍役である。相手がどんな手を用いるか分からないからだ。

 肝山が湯気の立ち昇る湯呑を渡してくる。それには口を付けず、慧音は無人の職員室を見渡した。

 

「嘘、ですね」

 

 緊急時、職員室には最低四人は待機する決まりだった。何処かから、血の香りがする。

 

「ええ、嘘、です」

「このお茶にも何か入ってますね?」

「たっぷり、と」

 

 静かに湯呑を置き、席を立つ慧音。隣の席の田畑先生の棚が少し空いている。そっと開けてみると、中には丁寧に折りたたまれた教師が入っていた。骨でも抜かれたのか、平ぺったくなっている。

 動じず、慧音は出口へと向かった。意外にも、素直に扉は横へスライドしたが、向こう側にも職員室が広がっている。

 

「逃げられませんよ。かつて桶狭間で今川方の大軍を迷わせたのは‥‥」

「肝山先生の祖先が作ったこの結界、ですか」

 

 慧音は能力で“歴史”を読み取った。この場合、肝山の実力がはったりで無い事を確認するだけだったが。

 

「しかし、子孫がその技で何をなさるおつもりです?」

「貴方が欲しい」

 

 慧音は微かに足がふらつくのを感じた。

 

「たっぷりと入れた、と言いました。香りだけでも効く様にね。飲んでいれば今頃意識も無かったろうに」

 

 慧音は急いでスカートのポケットを探り、解毒剤を取り出そうとする。

 

「お探しの物はこれかな」

 

 肝山の眼鏡が光り、その手に種々のカプセルを入れたケースが握られている。

 

「忍びのスリの腕は如何」

「‥‥女一人に、随分と手の込んだ事だな」

 

 女教師が棚に片手を突いて身体を支えながら、幻想郷では誰もが使う技、弾幕の一撃を掌から放とうとする。殺傷力は低いが、命中すれば昏倒は免れない。慧音はあまり銃を好まないため、今でもこの技を使っている。

 

「無駄ですよ、撃ってごらんなさい」

 

 青い魔力弾が飛び出て、相手に届く前に四散した。肝山は眼鏡の縁を押さえながら立ち上がる。

 

「この眼鏡、には多少の魔の技を無効化する刻印が施してある。貴方みたいな方を相手にする程度には役立つ」

「‥‥下衆。情けないやつ」

 

 慧音の手足から力が抜けていく。後ずさった瞬間、転んで尻もちをついてしまった。

 

「ずっと狙っていたんですよ、慧音先生の事」

「肝山‥‥」

「そんな凛とした顔して、優しい顔で子供に接して‥‥」

 

 息を徐々に荒くしつつ、男が慧音ににじり寄る。身を低くして、強烈に自己主張する女教師の胸に手を伸ばした。

 

「そしてこの身体、みーんな欲情していたんですよ。僕が一番乗り、だ」

「け、け、けだもの‥‥」

「全くだね、アホじゃないかな」

 

 聞きなれない声に、肝山はギョッとした。その尻をもんぺを履いた足が蹴飛ばす。

 忍の技を無駄に精魂込めて使用していた男は、床の慧音の胸の中に望み通り、飛び込む形となった。

 もんぺにサスペンダー、という奇妙な服装。その上から今は作業用のエプロンを身に着けている銀髪の女、藤原妹紅はその様子に冷笑した。

 

「がっつくねぇ。まあ慧音の胸はみんな一度は揉みたいと思う逸品だし無理ないか」

「‥‥ブハッ!」

 

 豊かかつ温かみと香りの中で溺れていた肝山だが、顔を離し、なんとそのまま跳躍して天井の小さなスプリンクラーを掴んだ。蜘蛛じめた仕草で、突然現れた女を天井から睨む。

 

「何者だ」

「通りすがりの可愛い掃除夫だ、なおここは四十八のバイト先の一つに過ぎない」

「軽口を叩くと痛い目を見るぞ」

 

 肝山が口をすぼめ、鋭く息を吐いた。妹紅がエプロンを脱いで素早く巻き取ろうとする。

 が、布がたちまち四散した。含み針、ではなく、息そのものが鋭い刃と化したのだ。

 妹紅の手も切り裂かれ、血塗れになる。

 

「貰った!」

 

 天井を蹴り、隠していた二本の苦無を両手に飛び掛かる肝山。妹紅は慌てず、負傷した手を無造作に振った。血が飛び、肝山の顔面に貼り付く。それこそ弾幕の様に。

 瞬間、血が燃え上がった。身をかわした妹紅の脇を通り、床へ激突するかと思われたが器用にとんぼを切り、見事着地した。しかも、妹紅の首筋に深々と苦無を突き刺している。

 

「あーれー」

 

 ふざけた声を残し、妹紅は絶命して倒れた。苦無には刺した相手の体内に強烈な毒を注入する仕掛けが施されている。肝山は燃えた眼鏡を捨てた。

 

「何だったんだ、こいつ‥‥結界をどう抜けたかは知らないがこれで終わりだ」

 

 次の瞬間。素早く慧音の両手が男の顔を掴んだ。渾身の頭突き、学校中の生徒が恐れる体罰、などではない必殺の一撃が鼻目掛けて叩き込まれた。肝山は顔面を陥没させ、失神する。

 彼が倒れると同時に職員室の扉が開き、他の先生が次々と飛び込んで来た。結界が消失したのである。床から妹紅が起き上がり、首の関節を鳴らしながら呟いた。

 

「全く、二度死んだよ。あーあ忍術だかニンポーの無駄遣い」

 

 妹紅が血をまき、燃やして肝山の視界を奪った時、慧音に自分の解毒剤を投げ渡していたのだ。そして、その後確かに彼女は死んだ、様に見えた。いや、これが不死身ではないが“死なず”の蓬莱人の戦い方、であった。

 結界が職員室に施されている、と分かり大騒ぎになった時も、躊躇無く持ち歩いている即死級の毒薬を飲んだ。魂、だけになって強引に職員室へと入り込んだのである。普段は大型拳銃を使って死ぬのだが、慧音の小学校の掃除夫をしている時は遠慮していた。

 

「妹紅‥‥そこまでしなくても」

「おや、こいつに貞操差し出したかった?」

「それは! 嫌だけど! ‥‥ていうかなんで知ってるんだ? 途中で入ってきただろう」

「被害者の一人のスマホが外の先生のに繋がったままだった」

 

 顔を赤くして慧音は怒鳴った。

 

「とにかく! 幻想郷より死ぬ頻度が増えてるじゃないか! 幾ら再生するからって無茶をするんじゃない! 後四十八なんて、バイトかけもちし過ぎだ!」

「はーいはい、本当は十二だよ。それじゃ私は掃除があるんで」

 

 ひらひらと手を振りながら、妹紅は去っていく。

 

 

 忍者、の末裔の下衆を警察に引き渡し、警察の事情聴取を受けた後、慧音は夕暮れの道をタクシーで急いだ。

 今日は満月。どうしても赴かねばならない場所だった。

 

 

 その古ぼけた学校は、夜だというのに窓に光があった。

 正門の前で、ねじり鉢巻きに腹巻といういつの時代から現れたか、という中年がタクシーから降りる慧音を見つけて手を振った。

 

「おぉーい、先生!! こんな大事な日に遅刻かよぉ」

「済まないゲンさん。昼間の学校で事件に巻き込まれてな」

「なんでぇ、我が〇◇×夜間中学の花、上白沢慧音大先生を巻き込むたぁふてぇ野郎よ。俺が一丁今から成敗してやる」

「行くなゲンさん。今日は、とても大事な日だろ? ‥‥ていうか、もう呑んでるのか」

 

 時代錯誤の中年からは既にアルコールの匂いがした。そして、何故か夜間中学の名前は聞き取れない。慧音は、その辺りは気にしていなかった。

 

「おうよ! 先生とパーッと飲る、最初で最後の機会だ。前祝い、だぜ」

「‥‥そう、だな」

 

 教室には紙で作られた花々で装飾が為されていた。リボンを張り巡らした中に、ごつい面々が酒杯片手に騒いでいる。

 顔が半分機械の大男、中年女顔負けの化粧をしたネグリジェのオカマ、額まで入れ墨で埋め尽くしたやくざ、車椅子の上で身体を植物に包まれた青年。巨大な単眼の娘。

 魑魅魍魎がこれから百鬼夜行でも起こすのか、と思い違う事無かれ。彼らは皆、<新宿>の夜間学校の生徒達だった。慧音は一年間、彼らをきちんと教育してきた。

 サイボーグのハチ、は機械部分と生体の接合が悪く、よく宿題を忘れ慧音に頭突きを貰っていた。

 オカマのトミエ、は作文の授業で見初めた“男”の事を熱く生々しく朗読し、全員を嘔吐させた。

 ヤクザのミチオ、は顔に似合わず夜道を帰る慧音をいつも護衛していた。一度、不審人物と間違われて住民に通報されたが。

 植物に包まれた青年クリスは、実は寄生植物が本体である。実を付けると一番に慧音へ差し出していた。味は渋かったが。

 単眼の娘テンは、幼いころからの薬物投与で額に第三の眼が開き、いつしかそれが顔の大半を覆っていた。いつも慧音に目薬を差すのを手伝って貰った。

 そして、ゲンさん。ずっと大工の下っ端をしていた、という。ある日、道端で慧音に突然、土下座して頼み込んできたのは彼である。文字の書き方読み方を教えてくれ、と。

 彼に導かれるまま、この古ぼけた学校に着いた。慧音は自身が元々、半分人ならぬ身である。教室の異形の者達を見ても驚く事は無かった。そして、この学校に“罠”はない、と分かっていた。

 昼間は子供達、夜間はこの学校で異形の者達を相手にする生活が始まった。

 

「先生があん時よぉ、俺の頼み聞いてくれんかったら、俺達はずーっと平仮名も書けねぇままだったぜ」

「アタシはもう、彼への思いを文に出来ただけで満足!! んー本当は都庁の上から大声で叫んでやりたかったけど」

「薄気味悪い事言うねぃ、この街の怪異を増やすつもりがおどれは。先生が迷惑するぞ」

「そーだそーだ」

 

 大騒ぎの最中、テンが慧音の前で正座し、改まった。

 

「先生、お話があるの」

「うん? 言ってみなさい」

「私ね、その、先生が好き」

 

 しーんと室内が一瞬、静まり返り、その後口笛と爆笑、拍手が鳴り響く。

 

「いいぞテンちゃん!」

「ほーれ先生、答えにゃ女がすたるってもんよ!」

「抱き着け―! キスしろー」

「バーカまだ先生が返事しとらんじゃろが!」

 

 慧音も姿勢を正し、静かに頭を下げる。

 

「済まない。私はまだやりたい事があるのだ。それまで独り身でいようと思う」

 

 テンちゃんの巨大な単眼に涙がたちまち溢れた。ハチが無言でバケツを渡してやる。

 

「‥‥いいんです。今日、この場で告白出来たから、私満足。駄目だってわかってた。これで、もういいの」

 

 滝になった涙がたちまちバケツを満たしていく。

 

 

 空に満月が姿を見せ始めた頃。一同は肩を組み、慧音を囲んで「仰げば尊し」を歌った。

 そして、部屋の中を片付け、全員が椅子と机を整頓し着席する。

 

 慧音はしばらく席を外していたが、やがて教室に戻って来た。

 その頭部には長い二本の角が生え、うち一本には赤いリボンが結ばれている。服の色も青から緑へと変わり、顔つきがやや厳しくなっていた。

 教壇の前に立ち、クラス全体を見渡してから、宣言した。

 

「これより、卒業証書を授与する」

 

「天野ハチ!」

「はい」

 

 サイボーグの大男が席を立ち、ギクシャクとしながらも慧音の前に来た。ワーハクタクが眼を閉じ、両手をかざすと宙に光の粒子が現れ、それが一枚の紙へと変化する。

 

「2XXX年、3月14日、弁天町」

 

 年度と日付、それと<新宿>の地名、だけが読み上げられた。

 背筋を伸ばしながら、ハチは不思議な卒業証書を受け取った。すると、深々とお辞儀をする彼の姿が消えていく。

 そうして、次々と生徒達が消えて行った。

 

 最後。ゲンさんと慧音だけが教室に残っていた。

 

「先生、ありがとう。本当にありがとう。さっ、送るよ」

「ゲンさんは卒業しないのか?」

 

 慈愛に溢れた、普段ワーハクタク状態では見せない微笑みだった。

 

「ここじゃあ、先生が怪我しちまうよ。早く、下へ降りようぜ」

 

 部屋の中から、机や椅子が消えていく。そういえば、先刻飲んでいた酒の瓶や飾りつけも、どこへ片付いたのだろう。

 ゲンさんに手を引かれ、慧音は校庭にいつの間にか来ていた。この学校が<新宿>の何処にあるのか、慧音は未だに知らない。帰り道も、“何か”が示す通りに帰っていただけだった。

 

「なぁ、先生はどうやって俺達を“卒業”させたんだ?」

「簡単だ。皆の歴史を読み取り、それを今夜、私がワーハクタクへ変化した時に創り上げて渡した。つまり、思い出させた」

 

 一旦言葉を切り、悲しそうに慧音は顔を歪めた。

 

「何処で死んだ、かを」

「それを分かってて、ずっと俺達にものを教えてくれていたんだよな」

 

 ニコニコと子供の様に屈託なく笑うゲンさん。最後に残った彼もまた、自分が何処で死んだか分からない誰か、なのだろうか。

 

「ゲン。198x年9月13日、四谷第六小学校」

 

 最後の卒業証書が手渡された。だがゲンさんは消えない。

 

「さあ、先生。さよならだ」

 

 そう言って、慧音の背中を叩く。足が強制的に動き、身体が校門へと運ばれていく。

 

 

 行くな、行かないで、もっと教えて、遊ぼうよ、せんせい。

 

 

 校庭のあちこちから、声がした。

 

「振り返るな! 門まで走れ!」

 

 ゲンさんの声だけが唯一、正常に耳へ届く。何かが慧音の足を掴んだ。地面から大量の手が現れ、次々と慧音に向かってくる。あっと言う間に、校門までの道を不気味な手の群が塞いでしまう。

 

「こら、やめねぇか。これ以上迷惑かけんじゃねぇ」

 

 消えた筈のミチオが、木刀で手を払いのけた。

 

「もう先生は帰るんだから、邪魔しちゃ駄目」

 

 トミエが“男”らしく豪快な足さばきで、手を蹴り飛ばし、クリスが車椅子で新たに湧き出る手を踏みつぶしていく。

 

「先生、行って、早く」

 

 テンちゃんがバケツの涙をぶっかけると、慧音の眼前に道が現れた。走る、いや飛行能力まで使い慧音は校門をくぐろうとした。

 重々しい鉄の扉が動き、獲物を挟もうとする。それを、ハチが頑強な体で受け止め、押し開けた。慧音はついに門を潜り、外に出た。

 

 振り返ると、古ぼけた学校が薄らぎ、消えていくのが見えた。中で誰かが手を振っている。慧音が振り返す間もなく、全てが消えた。

 周囲は夜風の寒い荒野だった。ここは<新宿>の何処なのだろう。まずは、近くの“夜間避難所”を探さなければならなかった。そこからなら妹紅に連絡も出来るだろう。生きて辿り着ければ、だが。

 

 とぼとぼと歩き出した慧音は、かつて幻想郷の寺子屋で教えていた子供らは、今元気だろうか、と思った。

 



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私を愛したかも知れないケダモノ

少し長くなりましたが、いつもの通りあっさりです。


 魔界都市の夜を好んで徘徊する人間は少ない。もしいるとしたら、それは魔の囁きに誘われた者が大半だ。あるいは、元々人ではないのかも知れない。

 

 

 日が落ちた若葉町の一角。暑い夏だった。

 夜空には丸く月が浮かんでいた。新宿において月は様々な凶事、奇跡を当たり前の様に起こす。

 月明りと妖虫がたかる街灯の下、フードを目深にかぶり灰色のマントを前でかき合わせた姿が歩いていく。魔界都市では珍しくもない魔道の者だろうか。

 

 

 マント姿は廃墟と化した中型のマンションの前に差し掛かった。

 ほぼ同時に、廃墟の中から小柄な影が動物的な速度で飛び出した。そのままマント姿の足にタックルし押し倒すと、馬乗りになる。廃墟から次々と同じ小柄な影が続き、足や手を押さえた。月明かりに血の色をした赤い帽子が浮かび、全員が腰からボロボロの刃のトマホークを抜いた。被害者を苦しませて殺害するための凶器だ、

 

 その一匹が、獲物のフードに隠されていた口元が歪み、牙が覗くのを見た。濁った瞳が動揺する間も無く、放たれた咆哮が衝撃波となって襲う。

 馬乗りになっていた一匹は吹き飛ばされ、残っていた壁に叩き付けられた。残りの影も足がすくみ、トマホークを落とす者もいる。

 素早く立ち上がったマント姿は両手を外に出していた。そこに鋭く禍々しい爪が生えている。赤い帽子の小さい影は、残り五つ。血に飢えた雄叫びと共に、爪が一体の顔を引きはがしてしまった。小さい影も勇気を奮い起こし、二体がダッシュして斬りかかる。しかし瞬時に咽喉をそれぞれ切り裂かれ仕留められる。残りはトマホークを投げつけ逃げようとするが、一体の背中に深々と凶器が食い込んだ。残りの一匹に追いつこうとした時である。

 轟音二発、“若葉町のレッドキャップ”の最後の一体は身体を四散させた。マント姿が油断なく見つめる先に、大型リボルバーを構えた大男が佇む。

 

「悪ぃ悪ぃ、そのままだと後ろからバッサリだったもんでな?」

 

 マント姿の背後に、最初のレッドキャップが頭部を吹っ飛ばされて倒れていた。

 大型拳銃S&WM29を構えながらも、ソフト帽の下で大男が笑う。

 

「その様子だと、あんた狼男だな? おっと動くなよ。この銃にはありがたい文字がナノ単位で刻んであるんだ。銃弾は今見た通り、先端に十字を刻んで怪物の嫌いなものが弾頭に詰めてあるぜ」

 

 大男の右手で銃はマント姿の腹を照準してる。銃口は微動だにしない。

 

「ちょっとお話をおじちゃん達に聞かせてくれるかな? この物騒な土地じゃなくて別のとこでよ‥‥」

 

 大男の背後から黒い影が飛び出た。レッドキャップ、ではない。インバネスコートの裾が巨大なコウモリの如く開く。

 大地を蹴ったマント姿がコートの内側に吸い込まれ、途端に進行方向が変わり傍らのコンクリート壁に突っ込んだ。が、激突する直前にトンボを切り、壁を蹴って逆襲せんと爪を一閃させる。僅かなステップで回避し、インバネスコートの手がフードの中の喉首を掴み、大地へ叩き付けた。

 マント姿が、痙攣しながらもなお立ち上がる所へ大男はS&Wの照準を付け直した。

 

「違う、こいつは女だ」

 

 構え一つ見せない青白い顔の相棒に、大男は鼻白んだ。

 

「あん? どういうこった」

 

 マントを前で止めてた金具が外れ、赤・白・黒の三色で染め抜かれたドレス姿が露わになる。頭部に獣の耳が突き出し、顔は戦闘態勢の狼の如く引きつり、鋭い犬歯が見えていた。美しく長い黒髪が月光に映える。

 

「格好は確かに女だが」

「獣人化しているが、脈の流れや息遣いは女だ」

「俺も見分け方ご教授願いたいな」

 

 拳銃が納められ、大男はウィンクするとその場から走り去った。青白い顔の相棒は油断なく狼女を見つめていたが、彼もまた闇に溶け込み消える。

 

 今泉影狼は、深く息を吐きだしながら戦闘態勢を解く。マントを着込みフードを被ると、レッドキャップ達の遺したトマホークを拾い始めた。

 怪物たちは、マンションの中で違法に改造を受けていた老人達だった。年老いて行き場を失った最初の一人が、ある科学者によって強化措置を受け動けるようになった。同時に凶暴さを増し、家族や自分を虐めていた隣人に復讐を遂げた後、科学者を脅して近所の折老人をどんどん改造させていった。やがて、伝説の怪物「レッドキャップ」の如く頭部に赤い布を巻いてあちこちを襲う様になったのである。この赤い布、かつて還暦を祝ったものの名残らしい。

 一度魔震後、傭兵部隊により掃討された彼らだが、生き残りが細々と活動を続けていたのだった。それも、今夜壊滅した。

 

 

 翌日。袋に詰めたトマホークを証拠として分署に提出、賞金を無事入手した影狼は、スーパーで水道管用の溶解液、後セールだったジャイアント牛肉と外内逆転魚のアラを買い込んだ。

 アパートに帰ると戸口に再生ビニール袋がぶら下げられていた。しばらく袋を見つめる。

 狼の一族の視線が袋を走査し、爆発物や式神が仕込まれていない事を確認する。袋の中からずるり、と見知った顔が袋の中から現れた。まだらの蛇だった。二軒隣の魔女のペットで、差し入れの袋をいつも守っているのだ。

 影狼は牛肉の欠片を差し出す。蛇は丁寧にそれをくわえとると、主の待つ部屋へと這っていった。

 部屋に入り、五重ロックをかけると、袋の中を確かめる。強い森の香りが漂った。

 同時に影狼の胸に深い多幸感が広がっていく。獣人の多くがこの香りを嗅ぐ事でリラックスし活力を得られる、“黒く深い森の残り香”である。魔女はその道のフレグランスの専門家だった。

 肉と魚を冷蔵庫に入れ、フレグランスを漂わせたまま影狼は服を脱ぎ、シャワ―ルームへと入る。

 夜、特に満月になると戦闘力が増し、人格も攻撃的になる彼女だが、基本的に血の匂いは嫌いだった。幻想郷では水浴びで済ませていたが、魔界都市で入浴する習慣を覚えてからは積極的に行う様になった。温いお湯を肌にかけると、全身を覆っていた体毛が抜け落ちていく。

 排水溝にはフィルターをかけてあるが、すぐに毛が溜まってしまう。掬い上げた毛をバケツに放り込み、湯を浴び、また毛を拾う。この毛が結構な高値で売れたり、懇意の魔女に分けてやると喜ぶのだった。ただ、どれほど注意してもたまに排水溝が詰まるのでスライムを利用した掃除用の溶解液が欠かせない。

 一部を除き身体を覆ってしまう毛を洗い流し、鼻歌を口ずさみつつシャワーを浴びる影狼の耳が微かに動いた。

 他の生物には聞き取れない音程で、何かが流れて来る。よく入れ替わる左隣の部屋に、変態が入居したのだろうか。

 

 

 狼の子よ 来たれ

 狼の子よ 来たれ

 

 

 影狼は一瞬聞き惚れていたが、すぐに頭を振り、シャワーを急に冷水に切り替えた。

 鋭い冷たさが鋭気を呼び起こす。音は消えた。

 幻聴だったのだろうか。影狼は髪を拭きながら、ドライヤーが壊れていた事を思い出し舌打ちした。

 

 

 ベッドに寝転び微睡んでいると、スマホが鳴った。親友のわかさぎ姫、からメール、それともう一人、意外な人物が留守録にメッセージを入れていた。

 

 

 差出人、ヒメ

 区立水族館の淡水区での住み込みのお仕事、上手くいってまーす

 今度淡水マーメイドショーもやるんで見に来てね(ぎりぎり健全です)

 

 

「ヒメったら、淡水魚コーナーなんてよく作ったわね? ‥‥海の人魚に比べてバストがアレだけど人気出るかな?」

 

 〈用件を、一件再生します‥‥〉

「もしもし、犬走椛。奇妙な陰気臭いお祈りを聞いたか? もし聞いていたら大京町の喫茶店“フィアレス”まで明日〇×時に来てくれ」

 

「えっ? 白狼天狗‥‥? そういえば‥‥」

 

 大京町の一角に巨大なリュックを背負った河童が出入りし、その知己である白狼天狗も時々姿を見せるとの噂だった。

 ただ、影狼はその一帯の喫茶の微妙なオイル臭さとミネラルたっぷりのデザートが少し苦手だった。

 

 

 “フィアレス”は繋ぎ姿の男女で溢れていた。店内は喫煙OKで煙草を嗜まない影狼はややげんなりしたが、少しの我慢だと思い直した。待ち合わせの時間よりやや早く来てしまったが、席について黒ウーロン茶を頼む。雑誌“月間鋼鉄野郎”をめくりながら待っていると、何処かで見た男が前に音も無く滑り込んで来た。

 

「よお、また会ったな」

「‥‥貴方、一体何?」

 

 若葉町で遭遇した大男だった。銅鑼の様な声だが顔には妙な人懐っこさがある。

 

「ちょい技術町に用事があってな。で、あんたを街角で見かけた」

「私をここで撃つつもり? 不意でも突けば簡単だったでしょ」

「生憎人狼でも女には用はないのさ」

 

 影狼の脳裏に、自室で聞こえた声が蘇った。

 

「何か知らないかなぁ、あんたの親戚とか」

「おあいにく様、私は残念ながら独身独り暮らし」

「おや、じゃあ住所教えてくれる?」

「嫌よ、貴方得体が知れないもの」

「はは、嫌われちまったかな」

「当り前よ」

 

 大男の傍らに青白い顔の男が不意に現れた。影狼は驚いたが、実は大男の方も気配を消して近付いてきていた事には気付いていない。

 耳打ちされ、大男は席を立つ。

 

「悪いな、また今度だ」

「次は警察呼ぶわよ?」

「おう、怖ぇ怖ぇ」

 

 手を振りながら店内から足取り軽く去っていく大男。怪訝な表情で見送りながら影狼はまた雑誌を広げた。

 十分後、椛が店内に現れた。天狗の衣装は着ておらず、油汚れのツナギを着ている。額にはゴーグル。

 

「何その格好?」

「将棋の駒を作る手伝いだ」

「意味わかんない」

「それは置いとけ‥‥。今大切なのは、あの“声”だ」

「あんたにも聞こえた?」

「ああ。“狼の子よ、来たれ”。たまたまにとりが近くにいたが、あの娘には聞こえてなかった‥‥嘘かも知れないが」

「狼、ね。私達なんか接点あった?」

「一応、どちらも狼上がり、だろう。ただし私は天狗、だがな」

「お偉い御身分てわけね」

 

 一瞬、緊張に満ちた沈黙が流れた。この二人が互いの電話番号を知ってるのは、ある鴉天狗が勝手に登録してしまったからである。理由はあまりに知己が少ない、というのが表向きだったが真意は不明である。影狼と椛は、別に特別仲が良い、というわけではないのだった。

 

「ここが妖怪の山なら制裁してやるところだ」

「あら、私も今はスペルカードだけじゃなく携帯満月暗示装置があるわ。昼間でも本気の毛深い狼女を味わってみる?」

「‥‥ふん」

 

 椛は微かに顔をしかめながら席を立った。がに股で喫茶店を出て行こうとする。

 その脚が止まった。

 再び、あの声が聞こえたのだった。

 

 

 店を飛び出した影狼と椛は、声の流れて来る方へと走った。二人の他に、野良犬、ペット、魔狼、狼の因子を持つ武闘家、がんすがんす喚きながら鍋を叩く男など、町中の狼に関わる何かが荒木町の一点を目指して集結し始めた。

 魔震で崩壊した建物の残骸を巧みに積み直し、石造りの祭壇の様な物が作り上げられていた。あちこちに白い頭巾をかぶった者達が潜み、印を組みながら低い声で呪文を唱えている。

 祭壇の上で胡坐をかきながら、天を仰ぎつつ吟ずる男がいた。周囲に人や獣が満ちるのを感じたのか、視線を下に戻し男は立ち上がる。

 多少、毛深く顔が長い程度の顔つきだった。その視線がゆっくりと集まった群衆を見渡す。

 影狼は、男の黒い瞳と自分の視界が宙で交差するのを感じた。男の手が静かに彼女を示す。姿を現した白い頭巾が三人、影狼を取り囲んだ。押しのけられた椛は、ツナギの下に隠した小刀を確認し、逆に白頭巾を押し返す。

 

「気安く触るな、この身は白狼天狗だ」

「知るか、狼を名乗れども天狗如きに用はない」

「何?」

 

 表情を硬くした椛は刀印を組み、口元にあて小さな声で真言を唱え始めた。群衆の視線に活気が戻り、ざわめきが起こり始める。動揺した白頭巾に、祭壇の男の術を乱した椛は冷笑した。

 

「愚弄する相手を間違えたな?」

「おのれ!」

 

 白頭巾らが古いブローニングの9㎜を抜いた。何人かが空へ発砲し、集合してた獣人や犬らがどよめく。

 椛はひるまずツナギの前を開け、小刀を抜いた。銃撃をくぐり、地面すれすれに低く風を切って走る。一人の右手首が切り裂かれ、拳銃ごと下に垂れ下がる。

 そのまま戦闘力を失った者の背後に椛は回り込み、四人ほどの誤射を誘発させた。

 影狼が狼狽して叫ぶ。

 

「もう、騒ぎ起こさないでよ!」

「白狼天狗を愚弄すればこうなる。実証してみせた」

 

 自分達を呼び寄せた男の正体は気になるが、いきなりぶっ放す奴は仕留める。幻想郷も魔界都市も変わらない。更に群衆に火が付いた。

 

「なんでぃ人を呼びつけておいて豆鉄砲か!」

「餃子食い残してきたんだぞオラァ!」

「ばらせばらせ! 新宿名物の大豆だかソイだか何とかシステムの缶詰にしろ!」

 

 全員がナイフやら携帯槍やら、身体に仕込んだ大砲まで展開し始めた。更に、である。

 上空に自警団の巡回ヘリが飛来し、無許可の集会への警告を始めた。興奮した連中がヘリを撃ち現場は大騒ぎである。

 混乱に紛れ、椛は影狼の手を引いて逃走する。それを見た白頭巾達が、被り物を外すと狼の皮を縫い付けた頭部が現れた。

 唸り声と共に口が裂け、全身の筋肉が膨れ上がる。ありふれた、変身だった。

 ただ、全身に毛が生えていない。筋肉構造が四足歩行の獣のものに近くなり、口も狼、に似せたのにちぐはぐだった。

 なんとも中途半端な狼男もどき。乱闘していた連中も手を止めて失笑してしまう程の。半端な人狼らは掛け声だけ勇ましく、逃げた妖怪達の後を追った。

 

「ちょっと、禿げた気持ち悪い何かが追ってくるわよ!?」

「えっ、うわっ頭には毛があるのに身体がって、新手の変質者か!」

 

 毛のない人狼らは四足歩行でやけに足が速い。しかもそれだけではなかった。

 四足で走りながら、その内の前足、つまり人間形態の手が拳銃を握り発砲してくるのだ。

 つまり三足なんか四足なのか二足でも別にいいではないか、という具合に攻撃してくる上に、拳銃はどこから出て来たのかも分からない。

 開き直って立つ、という事をしないのは余程の事情があるのか、どうでもいい影狼らは低空で気味悪がった。

 そして、一体が腹の下からグレネードランチャーを引っ張り出し、鈍い射出音を響かせた。空中で弾丸が自動で展開し、暴徒鎮圧用の網が二人を包み込み、そのまま地面に落下した。

 網にかかった二人に麻酔針を撃ち込み、素早く背中に載せると狼男もどき達は何処へともなく走り去って行った。

 

 

 影狼は夢を見ていた。

 遠い昔、一匹の雌狼として大地や森を駆けていた頃。仲間が、家族が、そして、愛したかも知れない狼が、いた。

 だが、段々と皆周囲から消えていく。一匹、また一匹と。孤独が皮肉にも影狼を滅びの手から守った。いつしか、一族を滅ぼした憎むべき人の姿になり果て、野生の心すらも遠く忘れ去ってしまった。

 今の影狼には友人がいて、生活がある。そこに忘れ去っていた影が近寄ってきた。

 昔の仲間、同胞、一族。記憶が影狼の身体に食いつく。人としての身をずたずたにされ、痛みに打ち震えた。それだけではない、自分の内面が壊されていく。昔に戻れるはずなのに、それが何故かひどく寂しかった。それ程大切なものを持っていたのだろうか、と問うも答えは虚空に消えていった。

 

 

 意識の唐突な覚醒の後、影狼は自分が柔らかいものの上に寝ているのを感じた。詰め物の多いソファー、とはとろんとした目で身を起こしてから気付いた。

 

「気付いたか」

 

 大理石の応接机を挟んだ側の皮張りの巨大な椅子から、黄金の瞳が影狼を見つめている。体中の灰色の毛はところどころがはげ落ち、灰色のごつごつした地肌がむき出しになっていた。

 巨大な狼が、影狼にじっと視線を当てている。彼女に対する言葉は、その口から紡がれた。

 

「幾年もの断絶の果てに出会いし同族。ここは我が住処の一つ」

 

 その声は意外な程渋く、そして落ち着いていた。

 

「貴方、何者?」

「今申した通りだ、わしはそなたの同族ぞ。最も、お前の様に人型になり果てたわけではないがな」

「信じられないわね」

「わしもお前の姿が信じられぬ。人間のメスの姿など」

 

 黄金の目が影狼の全身を素早く上から下まで見つめ、鼻を鳴らす。

 

「小賢しい、小賢しいぞ。しかも醜い。人間のメスの姿など餌の価値しかないわ」

「ご挨拶ね。生きるためなら、餌の姿でも使う柔軟性よ」

「ほう、言うではないか」

 

 冷笑しながらも、狼は小さくため息をつく。

 

「わしも生きるためなら他を利用してきた。それがお前を捕らえた連中だ。狼の皮を被り、狼の真似事をして力を得ようとする愚者の群だ」

「中途半端な姿、のね」

「その通りだ。力を少し授けてやってもあの程度。まあ、中には例外もいる」

 

 小さく狼は咆えると、部屋の隅でうずくまっていた何かが立ち上がった。息を切らしながら、新宿で祭壇に座っていた男だと影狼は気付いた。そのまま、傍らで立ったまま舌を出しながらの姿に違和感を覚える。

 

「こいつはわしの遺伝子の入った人間だ。ただ正式に母胎から生まれたわけではないから、息子とは呼べん。お前達を呼び出す事は出来ても、言葉を発する事も出来ん」

「彼を使って新宿で何をしていたの?」

「あやつの力を確かめるためだ。ただ、思わぬ収穫があったがな」

「‥‥私をどうするつもり、かしら?」

「知れた事、本来なら出会えぬはずのオスとメスが一つどころに集ったのだ。する事は一つ」

「生憎年上は趣味じゃないの」

「お前こそ何歳だ?」

「乙女の秘密」

「このたわけが!」

 

 狼が一喝した。空気が震え、影狼の全身の毛が一瞬立ち上がる。傍らの男がきゃんきゃん鳴きながら部屋の隅へと逃亡した。

 

「‥‥あれは、情けなく見えるが今のわしと対して変わらん。今でも人間ども相手なら銃を持ってたとこでわしの相手ではない。だが、時の流れには勝てん。その前ではわしも子狼と変わらんのだ」

「心はずっと子供のまま? そんな椅子に座ってるのに? 情けないわね」

「なんとも思いあがった言葉、人型の狼がほざくのは滑稽なり」

「この姿だからこそ得られる者も多いのよ。貴方にも教えてあげたいわ」

「くく、震えておるくせに目を逸らさず言い返すか、生意気だが気に入ったぞ。その姿でなければすぐにでも妻として契りたいわい」

「え、あの、それは」

「だが残念ながらお前の姿は醜い。さっさと狼の姿になればよいものを、無作法に服など着て興ざめだわい」

「ぶ、ぶ、無作法ですって!?」

「然り。まぐわう場所もこんな石臭い場所ではたまらんわい。狼なら大いなる星の下、大地を走る風と共に結ばれるのが至上じゃ。お前はそんな事も忘れてしまったのか」

「都会派と言ってほしいわねケダモノ」

 

 狼は大笑した。まるで狼らしくなく、豪快な笑いだった。

 

「オスなど毛皮を剥いた腹の下に皆ケダモノを飼っておるものだ」

「微妙な下ネタで返さないで欲しかったわね‥‥」

 

 突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。アサルトライフルやショットガンなどを手に持ち、二人組で小型のガトリングガンを構えている者までいる。全員頭部に狼の皮を張り付けていた。

 椅子から素早く飛び降りた狼は、不機嫌そうに唸った。その体長、三メートルはあろうか。

 

「何の真似か?」

「我らはこれより、偽りの偶像を排除する」

「ふん、まさか既にわしのものとなったこの女を担ぐつもりか?」

 

 背後で影狼が抗議の声を小さく上げた。

 

「‥‥誤解を招く言い方やめてよね‥‥」

 

 当然、さらりと無視された。

 

「今の時代の偶像はよりコンパクトであるべきだ。お前の技はもう十分我らは学んだ。用済みだ」

「ほほぅ」

 

 狼の目が輝き、その口から短くしかし激しい咆哮が飛んだ。部屋にいた者達は、影狼も含め耳を押さえ蹲る。

 

「貴様らの身体に宿るわしの力は、同時に貴様らを縛る枷ともなるのだ。我が咆哮に耐えられる筈も無い。武器を向ける気力も既になかろう」

「‥‥ぐぐっ、やはり正面からではっ」

「全員食い殺してくれる、この出来損ないが」

 

 精悍な前脚を踏み出そうとして、止まる。一人だけ、まだ白頭巾を被り何事もなく立っている者がいた。

 狼の顔に初めて動揺の色が現れた。刀印を組んだ指が唇に寄せられ、小声で真言を紡ぎ始める。

 

 

 天狗が古より山中で活動する時、たまに狼に襲撃される事がある。狼そのものが長じて白狼天狗となる事も少なくはないが、未熟な修験者などを守護するためにも、野生の狼を従える術を持つ事は当然と言えた。

 頭の頭巾がずれ、真言を口にする犬走椛の顔が現れた。その手に小刀が現れると、目にもとまらぬ速さで投擲された。狼の右目に鮮血と共に突き刺さる。

 実は眉間を狙われたのを、眼を犠牲にして回避したのだった。しかし呪縛が解け、床から起き上がった者達が一斉に武器を構える。

 狼の背中を飛び越え、影狼が空中から椛に突進した。牙と爪を剥きだして組み付く。瞬間、引き金を絞る指が止まった。片目になった狼はその瞬間を逃さなかった。

 

 

 部屋の外に転がり出た影狼と椛。しかし、白狼天狗は素早く影狼の拘束を振り払うと、逆にとんぼを切って距離を取る。

 椛は虚ろな視線をしている。影狼は背筋に寒い物を覚えた。

 

「人間を甘く見て“天狗”になり過ぎたのね‥‥目を覚ましなさいっ」

 

 相手の洗脳を解こうと飛び掛かるも、椛は素早くバックステップしながら逃走に移る。

 がむしゃらに広い屋内で後を追った影狼は、何度も角を曲がる内に、ホールを見渡すエントランスに出た。

 一階に詰めていた、大量の白頭巾達が一斉に発砲した。慌てて伏せたところ弾丸の雨あられが通過する。跳弾が左肩と右足を掠り、影狼は苦痛に呻いた。

 その声を聞き届ける者など、いない筈だった。

 一台の大型ジープが、ホールの正面扉をぶち破って突入してきた。突然の事態に唖然とする白頭巾へ、車外スピーカーからバカでかい声が飛ぶ。

 

「全員武器を捨てな!」

 

 効果はなく、照準がジープに向けられる。その“返答”に助手席側の屋根が開き、20ミリ機関砲以下複合ウェポンシステムがせり上がり、猛然と火を噴いた。

 次々と粉砕されていく頭巾らだが、狼男もどきになり必死に反撃を始めた者もいる。ジープの防弾ガラスに傷一つ着かぬ中、後部ドアが開き、怪鳥の様に黒い姿が疾走った。

 その手には小型の短機関銃が握られていた。一連射で狼男もどきの身体が引き裂かれる。

 22口径ながら特殊炸裂弾が装填してあった。更に、銃剣で突っかけてきた相手を黒い羽根、に見えるインバネスの裾が覆う。銃剣がライフルごと回転し、胸の中心を貫いた。

 伸縮警棒で殴りかかってきた敵の手を静かに指が掴むと、一回転して脳天から地面に叩き付けられた。噛みつこうとする者の頬に手が触れると顎が外れ、更に首がごきり、と転回する。次々と狼男もどきが黒い姿に叩きのめされていく中、ジープの主も戦場に降り立った。手に抱えられた巨大なドラムマガジン式の自動散弾銃が唸り、次々と相手を肉塊に変えていく。

 

 影狼は階下の惨状を目にして戦慄していた。二人の男は一体何者なのだろう、と思ったが今は敵ではない事を祈るしかない。逃げ出したくなったが、確かめなくてはいけない事があった。

 匍匐前進しながら奥へ戻ろうとする。が、その眼前に見覚えのある足が立ち塞がった。

 見上げると、表情の消えた椛の顔があった。踏みつけようと落ちて来る足を回避し、低い姿勢で爪を構える。椛は拾い物か戦闘ナイフを持っていた。両者が床を蹴る。椛の早い突きを手の爪でいなす、と思ったら空いていた左手が影狼の腕を取り、そのまま懐に飛び込んで背負い式に投げ飛ばした。

 背中を強かに打ちながら、影狼は舌を巻いた。洗脳されてる割に動きが細かい。

 

「退きたまえ」

 

 階段を駆け上がって来た黒いコート姿が乱入する。手の短機関銃が光るのを見て影狼が叫ぶ。

 

「殺さないで!」

 

 銃弾で死ぬかどうか、叫んだ後に影狼は疑問を感じたが男の銃はコートの中へ消えた。 

 ナイフを宙に放り逆手に構え直した椛が一気に間合いを詰める。インバネスが舞うと、その身体は激しく後ろに逆回転する。が、宙を切って椛は足から何とか着地した。右手がナイフを落としだらりと下がっている。肩から外されたのだ。

 激痛に歯をわななかせつつ、尚も闘志を失わなず膝を突かない椛。

 その身体を黒い影が静かに包んだ。男が両手を広げた、と思うと不気味な異音が影狼の耳に聞こえた。椛の口が発した物、と気づき顔が青ざめる。

 

「大丈夫だ」

 

 あまり大丈夫はない程口を開き、白目を剥いた椛が床に倒れ込む。影狼が駆け寄り、抱き起こすとびくり、と反応した。

 差し出された男の手に、ひどく毛羽立ってぐしゃぐしゃの毛皮が乗っている。狼、の皮だった。あの狼、の物に比べ劣化が激しい。もどきの手による粗悪な模造品だが、白狼天狗を操る程度には働いた。

 

「この女は君と同じ、新宿の住人かね?」

「は、はい」

「警視庁公安部対暴力特別調査官、桐生だ」

 

 提示されたIDカードに、影狼は開いた口が塞がらなくなった。階下を掃討したらしい大男も名乗る。

 

「同じく剛大作だ。ご協力、感謝するぜ」

「何もしてないわよ?」

「ここのアジトを突き止めるのに、新宿で桐生があんたの綺麗な髪に仕込んだんだよ。髪の毛と同じ細さで巻き付いてるから、風呂でも落ちねぇ。センサーで位置は丸わかりだ」

 

 ぎょっとする影狼の髪に、桐生と名乗る不気味な男の手が伸びた。微かに顔の横で何かが切れる感触があり、数本の髪が男の手から宙に舞う。

 

「後で専門家に頼んで全身を探査するんだな」

「貴方達‥‥お巡りさん、ていうガラじゃないわね?」

 

 剛はごつい図体に似合わないウィンクをした。

 

「まあ、これは少し複雑な事情があってな。もう少しだけ付き合って貰うぜ、こいつらのボスにご対面する」

 

 影狼は起き上がると、椛を背負った。剛の手の自動散弾銃は油断なく引き金に指がかかっている。逃げようとすれば撃たれるだろう。

 狼がいる部屋まで、数人の者が抵抗したがいずれも姿を現した途端吹き飛ばされた。どちらがテロリストなのか分からない、と影狼は思ったが口には出さない。

 開けたままの扉の前で、左腕を肩から食いちぎられた男が絶命している。逃げ出そうとして力尽きたのだろう。部屋の中は血の海、になっていた。ばらばらになったり踏みつぶされたりした男達の姿より、血の異臭に影狼は吐き気をこらえた。

 狼も死んでいた。全身に銃弾やクロスボウの矢、ナイフを突き立てられていた。相手の一人の上半身に噛みつきながら、息が切れた様である。新宿で祭壇の上に座っていた男も流れ弾に当たったらしく死んでいた。

 

「なんだこりゃ‥‥」

「狼男のボスが狼だった、というわけか?」

「そういう事、なのかね。流石魔界都市、て事か」

 

 影狼は無言で立ち尽くしていた。狼の死骸を見つめ、彼女の顔から表情が消えていた。

 二人の男が立ち去り、屋敷に新宿署が突入してきてようやく我に返った。その頃には、涙も乾いていた。

 

 

 椛を病院に預け、影狼は署で事情聴取を受けた。担当した暮六刑事は、区外で狼男もどき達が武器密輸を捜査中の特別調査官を殺害したらしい、と教えてくれた。

 

「特調の連中は同僚が倒れると、担当中の事件を放り出しても敵討ちにいくそうだ。先刻の銃撃戦は私闘。君はそれに巻き込まれた、という事になるね。狼の秘密結社についてだが、今後捜査で幾つか聴く事があるかも知れないよ?」

「分かりました‥‥。あの大きな狼の死体は?」

「珍しい種族、なのかよく知らんが、区外の連中が血相変えて亡骸を持って行ってしまったよ。気になるかね?」

「いいえ」

 

 影狼は眼を閉じて即答した。滅びゆく者の楽園で同族を探してた頃の記憶を押し殺して。

 

 

 数日後。

 椛は仏頂面で病院の退院手続きを終えた。何気無く視線を巡らすと、玄関ロビーに影狼が座っている。

 

「お前がなんで来てるんだ」

「退院祝いに、ね。区立水族館に連れてってあげようと思って」

「魚に興味はない」

「魚じゃなくて、人魚よ。淡水魚だけど」

「わかさぎ姫か?」

「あの子に貴方を紹介したいのよ」

「私はお前の友達ではないだろう」

「じゃ、これからお友達になればいいじゃない?」

 

 椛は閉口しつつ正面玄関をくぐった。

 

「お前が気に入らん、というわけじゃない。私はつまらんぞ?」

「将棋教えてちょうだい」

「ただの将棋ではない。大将棋犬走流である!」

「よろしく、椛センパイ」

 

 影狼が、初めて犬走椛の名前を呼んだ瞬間である。

 

 




ゲストキャラ

いずれも、
著 菊地秀行
淫殺街 コマンド・ポリス
魔人街 コマンド・ポリス
にて主人公。


剛大作、警視庁公安部対暴力特別調査官。身長190㎝、体重150㎏。愛銃はS&WM29。
桐生、同じく”特調”。作中で下の名前が出た事はない。謎めいた格闘術の達人。
愛銃はCz91(架空の銃)。

≪新宿≫シリーズとは別世界の登場人物。


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アイズ・オンリー

若干さとりのイメージから外れるかも知れません。


 古明地さとりは別に<新宿>で暮らしているわけではない。今も彼女は旧地獄、灼熱地獄跡の建物地霊殿に住んでいる。

 だが、ペットの火焔猫燐は<新宿>で働いており、こいしは幻想郷にいた時と同じく無意識に自由自在にあちこちをうろついている。

 彼女自身が魔界都市に足を運ぶ必要は別段ない。それどころか危険をもたらす事も多い。

 

 覚妖怪は人間始め知性体としての様々な存在の心を読み取る事が出来る。それは

<新宿>でも変わらず発揮されるのだが、この街には同様の能力を持っている者が多い。

 ただのテレパス、感応能力者だけではない。

 複数の思考を並列して流し、その内の一つにランダムな無意識を混ぜて混乱させ、ついには相手の脳神経を過負荷で爆発させる者。

 特殊な呪文を思考に流し、心の内部に相手を取り込んでしまう者。

 色欲そのものの真っピンクド変態のカーマスートラ曼荼羅が体内に世界として構築され、入り込んだ者を男女問わず腎虚へ導く者(さとりは幻想郷でもこれ程の煩悩に満ちた者に出会った事はなく、かなり危うい目に遭いかけた)。

 

 だが、自己評価11の女(評価最高点10)はそれでも魔界都市に繰り出していく。

 彼女もまた、旧地獄より深い魔界に魅せられたのだろうか‥‥。

 

 

 新宿某所のスーパー。今ここで一人の男が両手に一丁づつ中型の自動ショットガンを持ち、腰のアームベルトにSMGを構え、二台あるレジの前に陣取っている。中では店員が急いで現金を袋に詰めていた。足元では撃たれた同僚が血の海の中である。

 店内にはあちこちに散弾で砕かれた跡があり、客は物陰に隠れたり床に伏せている。

 <新宿>らしく銃を取り出してる客もいるが、男が重武装過ぎて手出しが出来ない。警察はまだ到着していない。

 男がふと気配を感じてそちらへ銃口を向けた。

 水色の服にピンクのスカート姿の、一見幼く見える姿がいつの間にか音も立てず佇んでいた。

 

「な、なんだお前?」

「借金、八百万円」

 

 紫色の短い髪の奥の瞳は閉じられていた。その胸元に身体と何本かのコードで接続された「目」がある。

 

「返済期限は今日の午後。借金の原因、ギャンブルと詐欺被害。返すあてはあったがその資金を盗まれた」

「おい待て、どうしてそれを知ってんだ」

 

 強盗の銃口が揺れた。眼前の奇妙な少女に動揺しているのだ。

 

「人を撃ったのは三回目。五年前、商売敵。そして去年、不倫してた人妻。死体は今でも部屋に隠してる」

「やめろ、撃つぞ」

「もう遅い、ほら」

 

 少女さとりがうっすらと目を開くと、店の外を指差した。強盗が冷や汗をかきながらそちらを見ると。

 買い物袋をぶら下げ、レース前の車の如く鼻息を吹き出し、前傾姿勢でぎらつく視線を店内に注ぐ中年女の集団が目に入った。

 

「もうすぐ卵三十円のタイムセール」

 

 さとりがふわりと上空に舞い上がると同時に、セール開始の店内放送が響き渡った。

 飢えた目の主婦達が入り口から足音を轟かしつつ突入してくる。強盗は持っていた武器で悲鳴を上げながら全弾発射したが、極度の興奮状態にある時はダンプに衝突しても倒れないセール時の魔界主婦に通用するはずもなかった。

 強盗は哀れにも押し潰され、その悲鳴は足音の中に消えた。客達も何人か巻き込まれたようだが、このスーパーでは客の負傷など日常茶飯事である。

 茶菓子でも買おうと思っていたさとりだったが、品物が見えなくなってしまい、こっそり浮遊したまま外に出た。

 

 

 何処か別の所で茶菓子を、と歩道に降り立ちさとりは考える。何気なく側の街灯を観察し、危険でない事を確認すると触れてみる。擬態した妖物、なら“殺気”が読める。

 何気ない行動だったが、それが功を奏した。突然、世界が傾いたのだ。片方の道がどんどんと下へ向き、周囲の物が崩壊して落ちていく。通行人や座り込むホームレス、大道芸人や詐欺の呼子、全部不自然に硬直したまま落下していく。新たに“下”となった空間へ落ちない様、さとりは丁度水平となった街灯の上に鮮やかに飛び乗り、目を閉じて胸元の「瞳」をあちこちに向ける。

 崩壊したビルがありえない事に上から落ちてきた。窓が弾けて、破片が雨の如くさとりを襲う。さとりの靴底が街灯を蹴り、強化ガラスの破片に見えた隙間を通り抜け、上昇する。世界が“傾いた”が飛行能力は失われていない。ビルの中に飛び込み、突っ込んでくる椅子や机を回避し、観葉植物の鉢を蹴って反対の窓から飛び出る。トヨタと日産とホンダが仲良く団子になって落下してくるのを、螺旋状に回転しながら回避する。そのまま際限ない上昇を続けていると、「瞳」に反応があった。西の上方、降り注ぐ破片の異空間の中、一つだけ自由自在に飛び回る人影。そこを目指し、さとりは飛んだ。

 障害物を避けて接近すると、段々と安物のフード付きパーカー姿がはっきりとしてくる。

 相手の周囲に赤や青の光弾が浮き上がり、放物線を描きながらさとりを狙ってきた。

 少女は軽く微笑んだ。幻想郷の決闘、弾幕勝負に似ている。

 

『想起「テリブルスーヴニール」』

 

 さとりの「瞳」からレーザー状の光が伸び、パーカー姿の足元を掠める。バーゲン品の安っぽい色が、立っていた岩の上から近くを舞う狛犬の上に飛び移った。

 途端、石で出来た狛犬が身を激しくよじった。振り落とされたパーカー姿は、流れてきた電柱にしがみつき、フードを上げて驚きの顔を露わにした。

 さとりは相手の影に「瞳」の光線を浴びせ、その心の中の弾幕ともいえる能力の一部を読み取ったのだ。異空間のコントロールの一端に食い込んだ彼女は、弾幕で勝負をつけるべく支配した狛犬をどう動かすかと考えた。

 次の瞬間銃声が響き、異空間は一瞬で砕けた細かい破片となり、現実がヴェールの下から現れた。

 さとりはスーパーの近くから殆ど動いていない。彼女の横を上品なコート姿の青年が、自動拳銃片手に通り抜けた。前方に安っぽいパーカー姿の少年が前のめりに倒れている。

 青年は警戒しながら近づき、しゃがみこんで脈を見る。そのまま携帯を取り出し何事かを喋り始めた。少女は静かに歩を進め、撃たれたパーカー姿をじっと見つめた。死んでいる。青年は拳銃と携帯をしまい、代わりにIDを出して示した。

 

「新宿署の刑事、沢井です。貴方は?」

 

 表面上は感情を見せずさとりは名乗った。持っていたIDを渡す。

 

「古明地さとり、区民では‥‥ない、と。この男との関係は?」

「何も」

 

 首を横に振って返事をする。

 

「特殊能力者のギャングの一人です。素質がある人間を自分の世界に引きずり込んで洗脳や殺害を行います。署でお話を伺いたいのでご同行願いますか」

「‥‥はい」

 

 さとりは「瞳」で軽く刑事を見つめたが、本物の警官であり、特に気になる事を読み取れるわけでもなかった。

 沢井刑事の車の後部座席でなんとなく窓から外を見つめていると、見える光景が時々切り替わる事に気付いた。<新宿>では珍しい事ではない、が、そのまま流されていると厄介な事態に陥る事も多い。

 

「刑事さん? 今どちらへ向かってるんですか?」

「戸塚の分署だ」

 

 少女は微かに顔の筋肉を緊張させた。刑事の口調が変わっている。サードアイを彼の背中に向けようとした。車内の窓の形やドア、座席やヘッドレスト、臭いまで変わる。

 混乱し、吐き気を催した。警察の車両内でぶちまけたら怒られるだろうか、と頭は回らないのにぐるぐると感覚は回転する中考えた。そして、結局朝食の中身を吐いた。

 

「この餓鬼、“こっち”の車を汚しやがって」

 

 

 

 どうなっているのか、先刻までの刑事はコートを着ていたが今はジャケットであり、髪型も七三分けから角刈りに、体格も大きくなっている。車が停車したマンションは新築の様に綺麗だが、何処にも住人が生活している気配がない。さとりは乱暴に首根っこを掴まれ引きずられ、最上階の薄暗い部屋に連れ込まれた。

 大きく無骨なベッドの上に放り出される。相変わらず気分が悪い。そして身体に力が入らない。

 

「貴方、先刻の刑事さんじゃないわね」

「いや、あいつさ。ただの多重人格と一緒にするなよ?」

「‥‥肉体も変化するタイプだってあまり珍しくないわ、最近は」

 

 さとりは舌を噛みそうになり、顔をしかめた。沢井刑事、だった男は拳銃を抜いた。

 リボルバーに変化している。

 

「俺が外に出てくると、こうやって“世界”も変わっちまうんだ。もし世界にも幾つか人格みたいなのがあったとしたら、て感じか?」

「面白いわね。星まるごと変わってるの?」

「さあな、そこはよく知らんが」

 

 リボルバーが吼えた。さとりの身体のすぐ横に着弾し、寝台の破片が飛び散る。身体を震わせた少女を見て、男は舌なめずりをした。

 

「この世界は俺と、俺が連れ込んだ奴しかいない」

 

 男の目に宿った光で、少女は相手の性的趣味を悟った。「瞳」が細い光線を放ち、分厚い胸板の中心を捉える。瞬間、銃撃が「瞳」を直撃した。

 

「ぎゃあああ!!!」

 

 それまであまり感情を表に出さなかったさとりが、痛みへの苦悶と喪失の恐怖で絶叫した。涙が目から溢れ出て、「瞳」を胸に抱え込む様にする。

 

「いい顔するじゃねぇか、好み、だぜぇ‥‥?」

 

 男は信じられない物が、少女の右手にゆっくりと現れるのを目撃した。

 <新宿>に生きる犯罪者の間に文字通り轟く名前。その持ち主が何処にしまっているのかすらよく分からない銃。

 

 ドラム。ぶるぶると震えるそれは、あまりの重さ故保持するのが難しいのだろうか。

 妖怪とはいえ、非力な部類に入るさとりには辛い物騒な拳銃だった。こんな物を撃ったらむしろ射手の方にダメージが大きいだろう。

 だが、それが怖い。どこへ弾丸が飛ぶが予測できない。頭の隅を掠めても、ドラムの弾丸なら人間は衝撃波で死ぬ。それ以前にこの巨大拳銃をなんで少女が突然取り出したのだろう。

 色々考えている暇は、消し飛んだ。ドラムが咆哮したのである。

 伏せた男の背後で、部屋の壁が砲撃でもされた様に振動した。天井からホコリがブワッと舞い落ち、男は頭を一瞬抱えたがすぐに外れたと気付く。そしてベッドから泣き声の混じったうめき声を聞き、ほくそ笑んだ。

 

 

 さとりの右手はねじれて奇妙な方向に折れ曲がっていた。巨大な拳銃を発射した代償は大きかった、というか当然である。発射の反動でドラムは何処かへ飛んでいってしまったのか、ねじれて力を失った右手には見当たらない。

 荒い息を吐くさとりにもはや抵抗する力はない、と知り、男はいそいそと上着を脱ぎ始めた。ズボンを脱ぎながらベッドの上に膝を突き、蛇のように動かない少女へと近づく。

 にやつきながら覆いかぶさろう、とした。細い両足が跳ね上がり、見事に首に巻き付いた。小さい体に似合わない強力な力で前三角絞めが決まる。

 

「て、てめぇ!」

 

 涙と鼻水はそのままだったが、さとりの顔は今や渾身の力をふるわんと歯を食いしばり、紅潮していた。しかし油断していたとはいえ男とは体格差が有りすぎた。固めた大きな拳が振り下ろされ、小さな顔面に当たろうとする。

 少女の無事だった左手が鮮やかにパンチをいなすと、そのまま顔面に横から吸いこまれた。

 ドラムの持ち主、屍刑四郎刑事の秘技、古代武術ジルガ。その拳は振るえば刃を折り、当たれば気と霊力の奔流が相手に流れ込む。スーパーヘビー級のボクサーにノーガードで殴られた衝撃を感じ、男はベッドの上から吹っ飛んだ。一撃を決めたと同時に脚を離したさとりは、そのまま跳躍して痙攣する身体に馬乗りになった。左腕で更にマウントパンチを叩き込んでいく。この技を彼女はどうやって身につけたのか、拳銃は何処から出したのかという謎も打ち砕く様に。

 

 

「おい、やめろ。死ぬか?」

 

 さとりは荒い息を吐きながらパンチを止めた。周囲の光景がまた変化している。なんと新宿署の地下駐車場であった。そこで、彼女は血塗れで気絶してる男、いや沢田刑事に馬乗りとなり、屍刑四郎に“本物の”ドラムをこめかみに突きつけられていた。

 

「ここで暴行とはいい度胸だ。遺言はあるか?」

「正当防衛です」

 

 左手だけを上げて、ゆっくりと地面にうつ伏せになるさとり。油断なく強大な銃口がポイントする中、コンクリートの床に複数の靴音が響く。警官達が駆けつけてきたのだ。

 

「屍さん、何があったんです?」

「警官への暴行だ」

 

 鬼顔才吉刑事は、怪訝な顔をして地面にホールドアップしながら、軽くいびきをかいている少女を見つめたが、ここが<新宿>であると思い出し自らも銃を抜く。

 

「そっちはいい、沢井の奴を診てやれ」

「はい‥‥まだ息はあります。なんか変な感じですね、そこの右手が折れ曲がってる女の子にやられたんで?」

「甘くみるんじゃねぇ、これより小さいガキの姿した奴とやりあった」

「忍者かなんかですか」

「ロンドンからの無粋な観光客てとこだ。‥‥よし、そこの女の子は拘束して対妖物留置場、沢井は警察病院へ運べ」

 

 

 さとりは重症だったが鎮痛薬を投与されただけで、装甲と御札、聖なる紋様に囲まれた特別製の留置場に放り込まれた。最も、旧地獄で暮らしてる彼女にはあまり御札など効果はない。むしろ厳重な圧迫感のある装甲の壁が苦手だった。

 ボロボロになったままの右腕に残った力を注ぎ込んで修復すべきかと思ったが、警察が彼女に何処まで好意的か怪しい。幻想郷の住民の多くは妖物扱いされる事が多い。

 そして新宿署トップクラスの刑事、屍刑四郎の妖物嫌いをさとりは知っている。よく地下でいきなり撃たれなかったものだ。彼女を誘拐した男の“人格と共に世界を切り替える力”は解除された途端、とんでもない置き土産を残していった。表の刑事の人格と何か関係があったかも知れないが、それを知る術は彼女にはない。

 幸い鎮痛薬は深く効果を発揮している。今は少し眠ろうとした時だった。扉を閉鎖していたボルトが空気音と共に開いた。

 

「古明地さとり、出ろ」

 

 

 取調室に連れて行かれたさとりは、意外な人物と対面した。

 屍刑四郎が仏頂面で待っていたのである。

 

「痛むか?」

「え?」

「傷だ。右腕が複雑に折れてるな」

「頂いた薬がよく効いて、今は何も感じません」

「そうか。俺の言う事に答えたら痛みの元を取ってやる」

「治療して頂けるの? それとももっと荒っぽい事を?」

「君が余計な小細工をせず、正直に言えば何も起こらないさ」

 

 屍の隻眼をさとりは、自分の目でじっと見つめた。何処かで見た眼光。

 そう、鬼の眼光だ。地底での友人の一人、星熊勇儀がごく偶に見せたもの。

 今のさとりの「瞳」、サードアイは銃撃で手ひどく潰されてしまっている。心を読み取る能力は使えないし、この人間かどうか多少怪しい鬼の如き刑事に用いるのは愚かであろう。

 

「沢井刑事を正当防衛で殴ったそうだな」

「はい」

「何をされた?」

「彼は特殊な能力を持っていて、自分の中の別人格が表に出ると彼の周囲の世界も変わります。私はその異世界へと連れ込まれ、銃撃を受けました」

「証拠はあるか?」

 

 さとりは潰れたサードアイを持ち上げた。

 

「この中に弾丸が残っています。異世界の刑事が撃った銃弾ですので、今の銃と同じか分かりませんが」

 

 さとりは言葉を切った。少し不安そうに屍を見る。

 

「あの」

「なんだ?」

「信じて‥‥貰えるんですか?」

「<新宿>では珍しいわけでもないからな」

 

 実は、沢井刑事は警察病院で治療を受けている間に特殊能力が暴走、看護師や警護の警官を異世界に意図せずして引きずり込んでしまったのである。人が消えるのを目撃したスタッフの証言で沢井はメフィスト病院に緊急搬送、異世界への扉を医師にこじ開けられた。

 先に引きずり込まれた者達が、中で新しい死体を幾つか見つけており、捜索願いが出ている区外の少女と判明した。この場合沢井自身ではなく、もう一人の人格の方が主犯であるため色々とややこしい事になるがそれは置いて、さとりの警官暴行容疑は本人の知らない所で晴れていたのである。

 なのに、何故屍は彼女をまだ解放しないのであろうか。

 

 

「ところで、君は拳銃を撃った事があるか?」

「ええ。この街を訪れた時、興味があって何度か」

「そういうお遊びではない。人を撃った事は?」

 

 さとりは言葉に詰まった。屍の隻眼が凄みを増した様に思えた。

 

「沢井、いやあいつのもう一つの人格、裏沢井とでも言おうか。奴は、君が“ドラム”を使ったと証言している」

「どらむ?」

「俺の拳銃だ。こういう形をしている」

 

 音もせず何処かに手を突っ込んだ様子も無く、隻眼の刑事の手に巨大なリボルバーが現れていた。その銃口はさとりの顔面を微動だにせず睨みつけている。

 

「君はこれだけでなく、不思議な力で裏沢井を殴りつけたそうだが‥‥それはジルガの初歩的な技にも思える。ジルガ、分かるか? 古代の武術だ」

 

 撃鉄がゆっくりと起こされた。さとりは異世界で襲われた時の様に泣き叫んだりはしなかった。一筋、汗が顔の端を流れ落ちてはいるが、顔は静けさを保っている。

 

「私はこのサードアイという器官を用いて相手の心を読む事が出来ます。今は潰れているので何も分かりませんが、ね。‥‥この能力の応用で、相手が恐れている物や技を再現する事も」

「つまり沢井は?」

「はい、彼は貴方のその巨大な銃と格闘技をひどく恐れていました。‥‥何ででしょうね」

 

 さとりは屍が腐敗警官を容赦なく射殺する意味でも新宿署トップだとは知らない。しかし、察した。人の姿をした鬼。それも地獄の刑吏。

 撃鉄が戻され、巨大な拳銃が“消えた”。少女の目がまん丸くなった前で、屍は左手の指で眉間を揉む。

 

「その右手は銃を撃って壊れたか」

「はい」

「きちんと撃ち方を一から練習し直せ。それで今回は不問だ。だが覚えておけ。この街で安易に相手の技を真似るのは感心しない。今度俺の技をコピーしたら」

「したら?」

「本物の味をお前が身を以て味わう事になる、以上だ。銃弾の摘出を行った後、メフィスト病院へ連れてってやる」

 

 

 

 数日後。さとりは、最近女妖怪の入院者が多く嘆かわしい、と美しい声でぼやく白衣の医師に挨拶し退院した。右手だけでなく、サードアイまでしっかりと回復していた。

 西新宿の公園のベンチに座り、唐傘お化けの娘がバイオ猫にわちき美味しくないよと尻を噛まれているのを眺めながら、物思いに耽る。

 以前、お燐の仕事ぶりを心配してこの街を訪れた時、柔らかくそよぐ風の様に近くを通り抜けた姿があった。そこは例のスーパーの近くだったが、全身黒ずくめだったのを鮮明に覚えている。

 そして、何気なくサードアイの「瞳」を向けようとし、焦点が定まる瞬間。

 

 

 きぃん

 

 

 という微かな音がして、サードアイとさとりを繋ぐ線へ鋭い痛みが走った。その一瞬で注意が逸れ、黒ずくめの後ろ姿を見失ってしまったのである。そして、彼女自身の心に痛みが警告となって刻み込まれた。

 

 

 私を見つけるのか?

 

 

 さとりが時々<新宿>を訪れるのは、そういう「読み取れない」危険で不思議な体験があるからだ。

 

「お嬢ちゃん、今一人?」

 

 サードアイが反応し、眼前の無害そうなメガネの青年を探る。

 

「ロリコン野郎」

「は? 失礼だなぁ、お嬢ちゃんが心配で」

「昨日と今日で、三人。一人は先刻。まだ興奮してる。私を‥‥」

 

 そこまで言ってさとりは目を伏せた。彼女にだって言いたくない事もある。

 一瞬で作り笑いを吹き飛ばした青年は、大型ナイフを取り出すと首に叩きつけようとする。

 さとりは無造作に片手で受け止めた。その手には、サードアイが握られている。

 

「防弾・防刃仕様にしてみました」

「???」

「えーっと貴方は‥‥ああ、子供時代そういう目に遭って、子供の血を見ないと落ち着かないんですか」

 

 ナイフはサードアイに張り付いて動かない。さとりは男の性的嗜好、猟奇的趣味、今朝食べた人の部位、メガネの度数などを淡々と読み上げた。そして、ナイフを取ろうと奮闘する男の手に、サードアイから滲み出た白い粘着質の液体がまとわりつき始める。

 エクトプラズムが集合し、実を形成していく。

 殺人犯が幼少時に出会い、そういう凶行を繰り返すきっかけになった“何か”が再生されていく。

 既にさとりは男から離れて歩きだしていた。得体の知れない白い粘体が男の口から入りこみ、全身を包み込んでぐちゃりと地面に潰れても見向きもしない。

 

 

 もっと面白い事を探しに行こう。

 幾年月の果てに再び太陽の下に戻った覚妖怪は、軽くスキップしようとして少しずっこけた。

 




久々です。まだ続けられたのかという気持ちがあります。


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