人間じゃないけど魔法学校に入学します!! (狛犬)
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前置き
いざ、ハリポタの世界へ!


某日某所

 

「暇だ。」

 

少女はボソッと呟いた。

一見普通の人間に見える彼女は、端的に言えば人間には理解しがたい存在である。感性は恐らく人間に近いものであるが、いろいろな所でぶっ飛んでいる。

 

そう、やろうと思えば人間の理性など蟻を潰すように砕くことができるだろう。

だが、それでは面白くなどなんともない。

 

「あー。兄さんの所に行こうかなあー。でもなー。兄さんはなんかどっか行くって言ってたし、かといってあの子らと絡むのも気分じゃないしー、んんー。」

 

白い髪を絡ませ、ごろごろと転がりながら思案する。持ち前の頭脳をこんなどうでもよいところでフルに活用するのはどうかと思うが、今の彼女らにとっては暇つぶしこそが気分転換になるのだ。

 

二つの勢力の懸け橋となっている彼女には特に。

 

金の目を飴玉の様に左から右、右から左へと何回も転がす。そうしている間にも時間は過ぎていく。何かをするとき、彼女の兄の様に暗躍するのも一つの手ではあるが、やはり身近に体験することほど楽しいことなどない。そのためにも彼女は入りこみやすい物語を探している。

 

「‥‥‥うーん、でもなー、うーん…あっ、そうだ!」

 

思いついた途端、彼女の瞳がきらりと光った。楽しそうなことは思いついたらすぐ実行するのが彼女だ。こうなったらたとえいつものストッパー役である彼でも止めることは七割がた無理だ。仮に止められるとしても、今現在彼がいなければ意味がない。

故に今誰も止める者のいない彼女は今、ワクワクしながらステップを踏み、外へ出ようとしている。

 

いざ参る!と思っていた時、

 

「‥‥!?」

 

彼女の視界の隅に門が現れた。

それを見てピクリと肩を動かすが、その中から出てくる影を視認し見開かれた眼は細められた。

 

「セレ、ただいま戻りました。‥‥ふぁ~。」

 

門から青年が現れる。

ググっと伸びをし、縛った長髪の尾を揺らしながら眠たげな眼をこすり、フラフラと歩いていく。いたって普通の光景ではあるが、何故か画になる。

そんな彼は少女の兄。人間で言うなら次男である。そして、恐らく兄や姉の中で妹である彼女を一番可愛がっている存在だ。

 

「あ!兄さんおかえり!」

「はい、ただいま。‥‥おや?どこか出かけるのですか?」

「ハリポタの世界行ってくる!」

「ああ、あそこですか。ということは七年間ですね。」

「はい!あ、兄さんも来る?」

 

少女が花を咲かせたような明るい笑顔で問う。それを聞いて彼は首を横に振り、少し残念そうに笑ってみせた。

 

「…いえ、私は少しやることが残っているので。」

「そう‥‥」

 

彼女はしょんぼりと俯く。先程までの雰囲気が嘘の様だ。そんな彼女を見て、ふと彼は口に手を当てて考え込んだ。

(忙しいのならしょうがない。だからといって決めたことを今更キャンセルするわけにもいかない。)

彼女は門を開いて出ようとする。

 

「でも…ふむ、そうですねぇ‥‥」

 

だが、彼の言葉に耳をピクリとさせ、足を止めた。

 

「二年が終わり、七月に入る辺りには片付かせて向かいます。」

「…!?本当?」

 

少女はその言葉に勢いよく振り返る。顔はキラキラと輝いており、その瞳は歓喜に満ち満ちていた。青年もそれを見て彼女とよく似た金色の瞳を細める。

「はい。私が嘘ついたことありましたか?」

「あるよ。」

「…でも、今度はつきませんよ。」

 

少女の返答に彼は少し苦い顔をするも、次の瞬間にはまたいつもの笑顔の表情に戻っている。

 

「約束破ったら僕、化身三割殺すよ?」

「分かりましたよ、だからって口角だけを上げて微笑まないでも結構です。」

 

だからといって彼女らは“人間”ではないためこういう微笑ましいとは程遠い会話もある。怖い?そんなことはない。

 

約束は、破らなければいいのだ。

 

「じゃあ、行ってきまーっす!」

「行ってらっしゃい。」

 

少女と青年は手を振り、一時の別れをした。

 




少女の一人称は親しさによって変化します。
友人未満であれば「私」
友人以上、または兄、姉に対しては「僕」(一部例外有り)
他にもパターンがありますが、それは後程。
ちなみに兄はクトゥルフ神話に登場しています。


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The philosopher's stone
変化する世界


「というわけで、やってきました人間界!」

 

誰に向けられてもいない言葉が周囲に響く。しかし、その声に周囲の人間はピクリとも、目線を向けさえしなかった。

彼女の容姿は人間から見て相当なものだ。けれどもその口から発せられる鈴を転がすように澄んだ音色さえ誰も気に留めやしない。

主婦達の長話。人ごみを縫うように走る子供のはしゃぎ声。それにぶつかって怒鳴る低い声。笑う人々。猫のじゃれつく声、歌い鳥のバラード。そう、何もかもが自然に行われていた。何も変わらない日常が、平凡がそこには存在していたのだ。

 

まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

なのに彼女もそれをさも当たり前のことの様に気にしなかった。第三者が見れば間違いなく不自然な状況だと思うだろう。だが今はそれに何かを申し立てる者も、疑問に思うものも存在していないのだ。

 

「さて、では家へと向かいましょう!」

彼女はどこか異国のメロディを口ずさみ、その長く真っ白な三つ編みを一本のしっぽの様に跳ねさせ軽快な足取りで進む。大通りを外れ、家々の先のそのまた先へ行く。喧噪から程遠く、静かともいえない音が満ちる場所。そこにある通りに彼女の家はあった。

 

さて、家へと向かっていた彼女だったが、どこか聞き覚えのない鳴き声を聞いた途端にその足取りを止めた。

音をたどるようにポストに視線を移す。そこには小さくて白い綿雪のようなフクロウが小首をかしげ佇んでいた。嘴に、どこかからの手紙をちょこんと咥えて。

彼女はそれを見ると、それに向かって優しく微笑んだ。

 

「ご苦労様です。あ、少し待っていてください。」

そう言って黄色みがかった封筒を受け取ると、ガサゴソと持っている袋の中を探り始めた。そして

 

「うーん、確かこの辺に、あ、あったあった。」

袋からネズミ肉を取り出してフクロウに与える。フクロウは肉をちょんちょんと少しずつ嘴で挟みながら食べ、ぴゅーふるると一声鳴いた。

少女は羊皮紙と羽ペンを取り出し、返しの手紙をつらつらと書いていく。

 

「‥‥‥よし、これをホグワーツに届けてください。」

「ピー!」

少女はフクロウの返答を聞き、「良い子。」と言って頭を優しくなでた。

フクロウは手紙を受け取ると空へ羽ばたいていった。行先は自分たちを送った主人たちの居る場所だ。

 

 

「魔法学校‥‥さてさて、彼等は一体どんな道を歩んでいくのでしょうか?」

誰も居なくなった家の前で、少女は紋章の入った紫色の蝋印で封をされた手紙を裏返し、フフッと笑った。

――――『サレー州 リトル・ウィンジング プリペット通り4番地 ベランダ付きの小部屋』

 

()()()()()()()()()()()()を記したエメラルド色のインクは、日の光を浴びてキラリと輝いた。

 

●○●

 

八月一日

 

少女はちっぽけな薄汚れたパブの前に立っていた。

そのパブはいささか日常とはかけ離れた場所だ。ただの通行人はこのパブに目もくれずに通り過ぎていく。このパブは、彼らの意識の外にあるのだ。…いや、正確には意識を“外させている”というのが正しい。

ここはそんな常識とは外れたある一種の人間が集まり、少女が今目的とする場所に行くためのいわば一般人たちの常識との境界。

 

――――『漏れ鍋』。

魔法使いの間では有名な場所だ。もちろんパブとして利用することもできるが、ここは魔法使いたちの世界へとつながる場所でもある。マグル生まれの者たちは大体ここを通ってダイアゴン横丁へと進む。

いつもは物静かな場所であるはずなのだが、今日は外へと声が聞こえてくるほど騒がしい。

 

(おっ、もしかして件の“生き残った男の子”かな?)

少女は少し心躍らせながらパブの扉を開いた。

パブの中はがやがやと騒がしく、その中心には眼鏡をかけた十一歳ほどの少年がいた。その隣には大男が。

パブにいる全員が彼に握手を求めていた。中には「覚えていてくださったぞ!」と叫ぶ男もいた。少年はまさしく、“皆の人気者”の様であった。

けれども、その周囲の反応とは対照的に少年は訳が分からないという風な顔をしている。

 

(――――面白い。)

なんと滑稽なのだろうと彼女は笑った。

 

「ポッポッターく「失礼、ダイアゴン横丁とやらはこちらで?」

ターバン巻いた白い顔の男が言葉をかけるのを見計らったように、それを遮って彼女は人々に歩みよって声をかける。

 

「おう嬢ちゃん。魔法界は初めてかえ?」

騒がしくなった場に突然介入した少女に何事かと人々の目線がいく中、にこにこと大男は彼女に話しかけた。「ええ。」と言葉を返し、彼女はその隣の少年に声をかける。

 

「貴方も?」

「え?」

「‥‥貴方も初めてですか?」

「え、あっ、うん。そうだよ。」

「それは良かった。」

フードでの下で彼女は笑顔を見せた。だが、目は隠れてみることが出来ない。

それを不思議に思いながらも、少年はほっと安堵した。自分だけじゃない。自分の様に始めてくる人もいるんだと。

彼女もまたその一人なんだと。

 

「ねえ、君もホグワーツに行くの?」

「ええ。おや?もしかして貴方も新入生なのですか?…ああ、自己紹介が遅れました。」

そう言って彼女はフードを脱ぎ、中に入っていた髪を後ろへと払いのける。

そして、向き直って見せたその容姿に誰もがはっと息をのんだ。

 

―――――シュッとして少し赤みがかった頬、陶器の様に白くきめ細かい肌。、滑らかな曲線を描いた薄紅色の唇、長いまつ毛とともに弧を描く海の色を流し込んだ碧玉(サファイア)の様に深く鮮やかなブルーの瞳。そして雪の淡く白い光を紡いだように真っ白な髪。その全てが、寸分の狂いもなしに存在していた。

精巧に造られた人形が人間のように動いている様だった。

 

「ご機嫌麗しゅう、皆様方。(わたくし)Selena(セレナ)Spencer(スペンサー)と申します。以後お見知りおきを。」

少女は優雅に一礼をした。

 

「驚いた!そのお人形さんみてぇな顔!お前さん、ヴィーラの親戚か何かか?」

「ヴィーラ?いえ、違いますが。」

少女は小首をかしげる。もっとも、マグルの世界から来たであろう彼女になぜその質問をしたのか。

 

「…して、ダイアゴン横丁はどちらに?」

「ああ、そうだったな。二人とも、ちょっとこっちに来てくれ。」

大男はそう言って二人を中庭へと連れていく。

 

◆◇◆

 

人々が元のざわざわとした雰囲気に戻る中、一人…いや、正確には()()()()が呟いていた。

 

『‥見たか、アイツの瞳を。』

「…どんな宝石にも勝るような、非常に美しい瞳でした。」

 

一人から二つの声が聞こえてくる。だが、先程の興奮でそれを聞いているものは誰一人居ない。

 

『あの瞳は…いや、あの者は他とは違う。あの碧玉色の瞳、白雪のごとき髪、白磁の様な肌。それが他とは違う輝きを持っていた。嗚呼、美しかった。』

「ご主人様?」

『あの者は穢れた血などではない。純血とも違う。あれは、そう、あれは…星の様な、空そのものの輝きだった。

そうだ、あの者を使えば…そうすれば完璧な‐‐‐‐が…。』

 

ブツブツと呟く一人。もう一人はそれに僅かながらの恐怖を覚えながらも、その主人に問う。

 

「…()()に加えて彼女もですか。」

『察しが良いな。時が満ちたとき、あの者を連れてくるのだ。瞳だけでも良い。それだけでも()()以上の力になるだろう。』

「…仰せのままに。」

 

その言葉を皮切りにもう一人の声は消える。闇は、世界はもう変わり始めていた。

 

◆◇◆

 

中庭にはレンガの壁が佇んでいた。

(内三つに魔力の反応あり。しかもこれは順番にやっていくタイプだね。一つ以外の魔力が低い。)

 

“ハリーポッター”という物語についてだが、実のところ彼女は序盤中の序盤、大男…ハグリッドが来る場面までしか見ていない。あと知っているとすればホグワーツが七年制という事くらい。言うなれば初見だ。

彼女は経験から魔法生物や薬草、魔法詠唱、薬学等々に対する知識は持ち合わせている。だがイギリス魔法界についてやこの世界の歴史については知らない。故に、ワクワクしているのだ。

既視感の感じる物語など面白くもなんともない。作業となったゲームなんてうんざりだ。だからこの世界を選んだ。

 

 

彼女は、ただただ楽しみたいだけなのだ。

 

「三つに上がって…横に二つ‥‥‥」

ぶつぶつと彼は呟いている。ごみ箱の上のレンガを数え、押すべき場所を調べているようだ。

 

「よしと。お前さんら下がってろよ。」

ハグリットはそう言うと、傘先で壁を三度叩いた。

すると叩いたレンガが小刻みに、しばらくすると大きく震え、次第にグワリグワリと波打つように揺れ始めた。

そして、真ん中に小さな穴が現れたかと思ったら周囲のレンガを吸い込むようにどんどん広がり、次の瞬間、目の前に、ハグリットでも十分通れるほど大きい、アーチ形の入り口が出来た。

 

「ダイアゴン横丁へようこそ。」

ハグリットはにこりと笑い、傘をしまった。

 

(‥‥あの傘、杖かな?生きているみたいだけれど。)

少なくともただの傘ではなく、杖、あるいはそれと同様のものであることは間違い無い、と彼女は思った。しかも亀裂の様に魔力が微かに漏れているところが横にスッと入っている。ということは恐らく一度折られているのだろう。

まずそもそも杖というものは生半可な力では折れはしない。少女が回ってきた世界の殆どでは魔力や杖の剥奪は重罪を犯した者に課せられる罰だ。恐らく彼もそのようなことをしたのか。‥‥あるいは()()()()()()()()()

 

(状況から見てどちらかといえば後者の方が筋が通るかな。)

一旦考察するのをやめ、少女は入り口へを潜り抜ける。ふとハリーが振り返った。優しいグリーンの瞳が大きく見開かれる。つられて少女が振り返ってみれば、そこにはもう入り口はなく、固いレンガの壁だけがあった。

 

「…すごいや。今までのことじゃ信じられないことが一杯…!僕、まだ夢の中なのかな?」

彼はまだ開いた口が塞がらないようだ。その目はキラキラと輝いている。

 

「恐らく現実ですよ。」

「そっか…そっか!」

さえない回答ではあるが、彼はその言葉を聞いて期待と喜びで顔を満たす。

 

 

――――まあ、全て幻想と思われし世界は存在し、全ては大いなるものの夢幻に過ぎないのだが。そんなこと、人間である彼らには知る由もないことだ。

 

 

小さなアリに、大鷲の見る広大な世界は理解出来ないだろうから。

 

「よーしお前さんら、ちゃんと付いてこいよ!」

さすが魔法界、といったところだろうか。科学によって構成されたマグル世界とは違った神秘が溢れている。やはり古風な雰囲気も良いな、と彼女は感じた。

 

「一つ買わにゃならんが、まずは金を取ってこんとな。」

大鍋の積み上げられた店を見てるハリーを見ながら彼はそう言った。

 

「…そういえば、セレナだったか。お前さん金はどうするんだ?」

「兄が前にグリンゴッツで我が家の金庫を作っているので、そこから引き出します。」

「お前さんの兄も魔法使いか。」

「はい。兄さんはボーバトンに行きました。」

 

この言い訳は彼女の兄が考えたもので、勿論嘘だ。バレたらどうするのか?まず証拠が見つからないため不可能だろう。

 

「おお、ボーバトンか。お前さんは同じ所じゃなくてもいいんか?」

「はい。」

「ボーバトン?」

ハリーは訳が聞きなれない単語に首をかしげる。

(‐‐ああ、そういえば彼はまだ知らなかったか。)

 

「ボーバトン魔法アカデミー。フランスの魔法学校です。」

「フランス!?」

「魔法学校は世界各地、兄さんの話だとその中でも歴史が長いものは全部で十一校あるそうです。」

「へえー!」

尤も、彼女もつい先日知ったばかりなのだが。

 

「見ろよ、ニンバス2000新型だ‥‥超高速だぜ。」

ハリーは興味津々といった様子で周囲の音、景色に目を輝かせていた。

蝙蝠の脾臓、ウナギの目玉の樽をうずたかく積み上げたショーウィンドウ。今にも崩れそうな呪文の本の山々、羽ペンや羊皮紙。

 

「グリンゴッツだ」

ハグリットが立ち止まった。

視線の先、小さな店の立ち並ぶ中、見上げればひっくり返りそうになるほど高い真っ白な建物がそびえたっていた。イギリス魔法界唯一にして魔法界内で二番目の守りを誇る銀行、グリンゴッツ。その玄関口である磨き上げられたブロンズの観音開きの扉の両脇にピシッとした制服を着て立っていたのは…

 

「さよう、あれが小鬼だ。」

白い石段を登りながら、ハグリットがヒソリと言った。

小鬼は鉱物や貨幣を好み、扱うのに特化した種族だ。銀行の守りにはうってつけで金属や宝石、さらにはマグルの貨幣に関しても詳しく、またそれらを見分けることが出来る。換金作業についても完璧だ。だが種族的に守銭奴のため、彼らとの貴金属等のやり取りやそのほかに関してもあまり干渉しないのが利口だろう。

 

中には二番目の扉があった。こんどは銀色の扉で、何か言葉が刻まれている。

 

-見知らぬ者よ 入るがよい 欲のむくいを 知るがよい

奪うばかりで 稼がぬものは やがてはつけを 払うべし

おのれのものに あらざる宝 我が床下に 求める者よ

盗人よ 気をつけよ 宝のほかに 潜むものあり-

 

「言ったろうが。ここから盗もうなんて、正気の沙汰だわい。」

 

(確かに並の人間だったら小鬼が営んでいる銀行を強盗するのは正気の沙汰ではないね。まあ、あくまで、『人間ならば』の話ではあるけど。)

銀色の扉を通るとき、左右の小鬼がお辞儀をした。

 

中は横にも奥にも広い大理石のホールだった。百人を超える小鬼たちが背の高いカウンターの向こう側で、同じように足高の丸椅子に座り、大きな帳簿に書き込みをしたり、よく手入れされた真鍮の秤でコインの重さを慎重に計ったり、片眼鏡で宝石を吟味したりしていた。

ホールに通じる扉は無数にあって、それと同等、またはそれ以上の小鬼が出入りする人々を丁寧に案内している。

彼女たちはカウンターに近づいた。

 

「おはよう。」

ハグリットは比較的手のすいている小鬼に話しかけた。

「ハリー・ポッターさんの金庫から金を取りに来たんだが、それと」

「スペンサー家の金庫もお願いいたします。」

「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」

小鬼は話しかけた二人を順に見た後、手を止めて言う。

 

「ええ、ここに。」

「どっかにあるはずだが。」

少女は持っていたバッグの中から小さな黄金のカギを取り出し、手渡した。小鬼はそれを慎重に調べ、「承知いたしました」と言った。

ハリーは右側にいる小鬼が、豪炎を封じ込めたように赤々と燃える大きなルビーを山と積んで次々に秤にかけるのを眺め、隣にいる少女をふと見た。

肩にかかる長い髪を払い、ブルーの瞳を細めてそっと微笑む姿はそれはまるで…

 

「…どうか致しましたか?」

「!?い、いや、なんでもないよ。」

「‥?そうですか。」

少女は首を少し傾げ、今度はグリットの方に視線を移す。

ハグリットはポケットをひっくり返し、中身をカウンターに次々と出していた。小鬼は経理帳簿に散らばったカビの生えたような犬用ビスケット見て鼻に皺を寄せ、それをさっと払う。

「あった。」

ハグリットはやっと出てきた鍵をつまみ上げた。

小鬼はまたそれを先程の様に慎重に調べてから、「承知いたしました」と言った。

 

「それと、ダンブルドア教授からの手紙を預かってきとる。」

重々しく言いながら、ハグリットは手紙を小鬼へと渡す。

「七一三番金庫にある、()()()についてだが。」

小鬼は手紙を丁寧に読むと、「了解しました」とハグリットに返した。

 

「誰かに両方の金庫へ案内させましょう。グリップフック!」

グリップフックも小鬼だった。ハグリットが犬用ビスケットを欠片ごと詰め込んでから、三人はグリップフックについて、ホールから外に続く無数の扉の一つへと向かった。

 

「七一三番の金庫の例の物って、何?」

「ハリー君、深く言わない方がよろしいかと。」

「えっでも、」

「セレナの言う通りだ、ハリー。それは言えん。」

 

ハグリットは曰くありげに言った。

「極秘なんじゃ。ホグワーツの仕事でな。ダンブルドアは俺を信頼してくださる。お前さんにしゃべったりしたら、俺がクビになるだけではすまんよ。」

 

(…おかしな話だ。まず、そんなに大切ならば何故この日にしたのか。“極秘”であれば普通はそのやり取りでさえ外部に漏れたら不味いはず。そして、悪いが彼は素直過ぎて秘密を抱えさせるにははっきり向いていないのに、何故信頼しているとはいえ任せたのか。そのダンブルドアとやらがハリーにそのやり取りを見せる必要があったからか、あるいは彼のうっかりか…少なくとも、手紙でするという事は事前に決められていたはず。つまりは‥‥)

 

そうこうしているうちにグリップフックが扉を開けてくれた。先程までの大理石から一変。そこは松明に照らされた細い石造りの通路だった。急な傾斜が下の方へと続き、床に小さな線路が付いている。

グリップフックがヒューッと口笛を吹くと、小さなトロッコと、その後ろにもう一つ乗る場所をつけたものがこちらに向かって元気よく上がってきた。彼女らは乗り込んだ。

くねくね曲がる迷路のような道をトロッコはビュンビュンと風の様に走った。

一瞬ドラゴンの息吹が見えたような気がしたが、気が付けばもうそれは遠く離れていった。ジェットコースターの様にトロッコは深くへ潜っていく。

地下湖のそばを通ると、あちらこちらから白く巨大な鍾乳石と石筍が伸びている光景が、彼女たちの目の前に広がった。。

 

「僕、いつも分からなくなるんだけど、鍾乳石と石筍ってどう違うの?」

ハリーはトロッコの音に負けないよう、ハグリットに大声で呼びかけた。

 

「三文字と二文字の違いだろ。たのむ、今は何にも聞いてくれるな。吐きそうだ。」

確かにハグリットの顔は青ざめ、かすかに震えているように見える。

 

「セレナは知ってる?」

今度は少女に問いかける。目の前のハグリットに対し、彼女等二人は余裕そうだ。

 

「上から生えているのが鍾乳石、下から生えているのが石筍ですよ。」

「へえー、そうなんだ。」

 

小さな扉の前でトロッコはやっと止まり、ハグリットは我先にと降りたが膝の震えが止まるまで壁にもたれかかっていた。

グリップフックが扉の鍵を開けた。すると、緑の煙がモクモクと吹き出してきた。

 

‐‐‐‐そこは、まさに金銀財宝の山だった。

ガリオン金貨の山、シックル銀貨の山、小さなクヌート銅貨の山。

眩しくて目を覆いそうになるほどの山がそこにあった。

 

「ハリー、みーんなお前さんの分だ。」

ハグリットは微笑んだ。

まるでドラゴンの巣かというほどきらびやかな宝に包まれた金庫。それを見てハリーはまた目を見開く。

あの育ちだとどうやらまともな境遇にはいないだろう。それでこの山を見たのだ。反応が大きいのは当たり前と言えるだろう。

 

ハグリットと少女はハリーがバックにお金を詰め込むのを手伝った。

 

「金貨はガリオンだ。銀貨がシックルで、十七シックルが一ガリオン、一シックルは二十九クヌートだ。簡単だろうが。

よーしと。これで、二、三学期分は大丈夫だろう。残りはここにちゃーんとしまっといてやるからな。」

 

少女はハリーがバックの口を閉めるのを確認し、グリップフックへと向き直る。

 

「次は私の金庫をお願いします。」

「ところで、もうちーっとゆっくり行けんか?」

「速度は一定となっております。」

 

ハグリットはガクリと項垂れた。

 

一行はさらに深くへと潜り込んでいった。途中ハリーがトロッコから身を乗り出すという危なっかしい行為をしたが、ハグリットがそれを引き戻して事なきを得た。

 

彼女の金庫は先程の金庫からトロッコを少し走らせたところにあった。

 

「…!おお、こりゃたまげた!」

 

彼女の金庫もまた煌びやかであった。先程の金庫に勝ることも劣ることもない。

だが、先程の金庫よりもクヌート銅貨やシックル銀貨が少ない。ほとんどガリオン金貨だ。黄金の光が周囲にその色を放つ。

 

「すごいや…!」

「‥‥お前さんの兄は何者なんだ?」

「…さあ?私もこれを知ったのは初めてですし…」

 

少女はしばし困惑しているように眉を下げる。しかし、驚いているという雰囲気ではない。

彼女もまた、金貨、銀貨、銅貨を袋へとしまう。その袋も不思議で、入れても入れても溢れることは無かった。

 

「次は七一三番金庫を頼む。」

「かしこまりました。」

小鬼はぺこりとお辞儀をする。

トロッコは先程よりも急な降下を繰り返す。曲がり角に差し掛かるたび凍てつく風が頬を擦り、痛いほどだ。それでもトロッコのスピードは緩まず、地下渓谷を横切り、クリスタルの小道を進み、さらに奥へ奥へと進む。

そして最後の降下を緩やかなスピードで走り、目的地へと着いた。

七一三番金庫には先程の様な鍵穴は無かった。

 

「下がってください。」

グリップフックがもったいぶって言う。長い指の一本で扉をなぞると、扉はぐにゃりと溶けるように消えた。

 

「グリンゴッツの小鬼以外がこれをやりますと、扉に吸い込まれて中に閉じ込められます。」

グリップフックが言った。

「中に誰か閉じ込められていないか時々調べるの?」

「十年に一度ぐらいでございます。」

 

グリップフックはニヤリと笑った。

小鬼にとって資格のあるもの以外に何かを奪われてしまうのは屈辱でしかない。だからこそこんなに厳重な警備なのだ。侵入する術は術並の人間にはあるまい。

ハリーは期待して身を乗り出す。一方少女はただボーっと立っている。彼女はこの金庫の中にあるものに既視感を覚えていた。

 

(…ああ、アレは‥‥そうか、成程。確かに今の技術じゃあ彼らにとって素晴らしく重大なものだね。そして極秘任務、物言い。先程の些か妙な人間。…ふーん。)

 

彼女は僅かに口角を上げる。そして事の現状を把握した。

その目に先程の青色は無く、黄金の黄昏を映した様な琥珀色に染まっていた。瞳を淡く輝かせ笑みを浮かべる姿は、何人の心を奪ってしまうような妖艶さを持っていた。

 

ハリー達がトロッコへと向き直る時、その瞳は元の碧玉へと姿を変える。そして彼女は何事も無かったかのようにトロッコへと乗り込んだ。

猛烈な速度で走るトロッコは、上りではさすがにスピードが落ちていた。

上りスッと目に入ってくる陽光に目を細めながら、彼女たちはグリンゴッツの外へと出た。

 

「ねえセレナ。さっきから気になってたんだけど、それ何で膨らんでいないの?」

ハリーは自分のバッグと彼女の袋を交互に見ながら言う。彼女は「兄がこの前くれたんですよ。」と言ってしぼんだままの袋を片手で上げて見せる。ハリーはまさか袋の中に吸い込まれて消えてしまったんじゃないかと思ったが、彼女がその中からダリオン金貨を一つつまんで出したことにまた目を見開いた。

さて、初めて来る魔法界で、どこに行こうかなんて二人に分かりはしない。そんな彼女等を見かねたのか、

「制服を買った方がいいな」

 

とハグリットが言う。顎で指した先には、『マダムマルキンの洋装店-普段着から式服まで-』という看板がぶら下がっていた。

 

「なあ二人とも、『漏れ鍋』でちょっとだけ元気薬ひっかけてきてもいいか?グリンゴッツのトロッコには参った」

ハグリットはまだ青い顔をしていた。自分の言った言葉にすら反応し、肩を震わせる。

二人はハグリットと一旦別れ、ハリーは少し緊張しながら、少女は悠々とした態度でマルキンの店へと入って行った。

マダム・マルキンは、黄色ずくめの服を着た愛想のよい、ずんぐりとした魔女だった。

二人を見ると目を見開き、穏やかな笑みを浮かべながら話しかけてきた。

 

「お嬢ちゃん達、ホグワーツなの?」

「はい、そうですよ。」

「どんな服も全部ここで揃いますよ…今、もう一人お若い方が丈を合わせているところよ。」

 

言われるがままに奥を見てみると、青白い、顎の顎尖った少年が踏み台に立ち、もう一人の魔女が長く黒いローブを丈に合わせてピンで留めているところだった。マダム・マルキンは少女に椅子に座って待っているよう促し、ハリーを少年の隣の踏み台に立たせ、同じように頭から長いローブを着せ掛け、ピンで留め始めた。

少女は窓の外に映る風景を眺めながら時間を潰す。人の流れを作っているほとんどが魔法族であるが、中には彼女たちの様なマグルの格好をした生徒もちらほら姿があった。

「さあ、終わりましたよ、坊ちゃん。」という声に振り向くと、少し不機嫌そうな顔でハリーはこちらへと歩いてきた。

何があったのかはあえて聞かず、彼女はハリーと交代した。

店を出て、彼らはハグリットと合流する。ナッツ入りのチョコレートとラズベリーアイスを二人並んで食べている間、少女は「美味しいですね。」と感想を述べるが、依然としてハリーは黙りこくったままだ。

 

「どうした?」

流石に不審に思ったのか、ハグリットがハリーの顔を覗き込む。

「なんでもないよ。」

彼と目を合わせずにハリーは言う。明らかに嘘をついている顔だ、と彼女は感じた。

羊皮紙と羽ペンを買ってから、ハリーが聞いた。

 

「ねえ、ハグリット。クィディッチってなあに?」

その聞き覚えのない新しい単語に、少女はピクリと反応する。

「なんと、ハリー。おまえさんがなんにも知らんという事を忘れとった。‥‥‥クィディッチを知らんとは!」

「これ以上落ち込ませないでよ。」

「…やはり、先程の店で何かあったのですか?」

 

その言葉にハリーは頷くと、ポツリポツリと事の一部始終を話し始めた。

 

「…その子が言うんだ。マグルの家の子はいっさい入学させるべきじゃないって‥‥」

「お前はマグルの家の子じゃない。お前が何者なのかその子がわかっていたらなあ‥‥その子だって、親が魔法使いならおまえさんの名前を聞きながら育ったはずだ‥‥魔法使いなら誰だって、『漏れ鍋』でお前さんが見たとおりなんだよ。とにかくだ、そのガキになにがわかる。俺の知っている最高の魔法使いの中には、長い事マグルの家系が続いて、急にその子だけが魔法の力を持ったという者もおるぞ‥‥‥おまえの母さんを見ろ!母さんの姉貴がどんな人間か見てみろ!」

 

「…やはり、ハリー君は有名なんですか?」

「そうだ。例のあの人…ヴォ、ヴォルデモート…という世界最悪の魔法使いに襲われて唯一生き残ったのがハリーだ。魔法使いはみーんなハリーの名前を聞いて育っておる。『生き残った男の子』とな。」

「成程、『生き残った男の子』ですか。」

 

彼女はその言葉を口に出す。これを聞いて何故だれも疑問に思わず、英雄英雄と讃えるのか、と心の中で笑った。

(…おそらく、アレが‥‥)

先程見た“一人で二人の人物”を思い出しながら。

 

「それで、クィディッチって?」

「俺たちのスポーツだ。魔法族のスポーツだよ。マグルの世界じゃ、そう、サッカーだな。

――――誰もがクィディッチに夢中だ。箒に乗って空中でゲームをやる。ボールは四つあって‥‥ルールを説明するのはちと難しいなあ。」

「じゃあ、スリザリンとハッフルパフって?」

「学校の寮の名前だ。四つあってな。ハッフルパフには劣等生が多いとみんな言うが、しかし‥‥」

「僕、きっとハッフルパフだ。」

ハリーはまた俯く。

 

「スリザリンよりはハッフルパフの方がましだ。」

今度はハグリットの表情が暗くなった。

 

「悪の道に走った魔法使いや魔女は、みんなスリザリン出身だ。『例のあの人』もそうだ。」

「ほう…。」

「ヴォル…あ、ごめん。…『“例のあの人”』もホグワーツの出身だったの?」

「昔々のことさ。」

 

そこで話を切ると、彼女らはまた歩き出した。

 




この世界のボーバトンアカデミーは映画の様な女子高ではなく、原作小説と同じ様に共学となっています。


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杖選びと帰り道

次に彼女らは教科書を買った。

『フローリッシュ・アンド・プロッツ書店』では、本棚はもちろん。天井まで本が積み上げられていた。

 

敷石のように大きな革製本、シルクで切手くらいの大きさの本など種類は様々で、奇妙な記号…『ルーン文字』でぎっしりと書かれた本もあれば、特定の行動で作動するまっさらなページの本まであった。だが、とりわけ珍しい本などは売っていない。

ハリーはというと、呪いのかけ方の書かれた本を読みふけっている。彼のこれまでの生活からしたらそうしたくなるのも無理はない。だが、興味本位なのが危ないところだ。

 

―――――好奇心は猫をも殺す。

埋まっているものを見て後悔するかもしれないのに、綺麗な雪原の下をわざわざ掘り返す彼は何といえばよいのだろうか。

 

愉快。少女の中ではその言葉に尽きた。

そしてそのハリーを店の中から引きずり出すのに苦労しているハグリット。しかしハリーは一向に目を離そうとしない。

そんなやり取りを横目に、少女は教科書に加えて歴史本を何冊か買っていった。

 

「僕、どうやってダドリーに呪いをかけたらいいか調べてたんだよ。」

「それが悪いちゅうわけではないが、マグルの世界ではよっぽど特別な場合でないと魔法を使えんことになっておる。それにな、呪いなんてお前さんにはまだどれも無理だ。そのレベルになるにはもっとたーくさん勉強せんとな。」

 

その後、鍋屋や薬問屋と巡り、ハグリットはハリーのリストを調べた。

 

「あとは杖だけだな…おお、そうだ、まだ誕生祝いを買ってやってなかったな。」

「おお、ハリー君誕生日だったんですね。おめでとうございます。」

 

その言葉を聞いて、ハリーの肌は顔から耳まで真っ赤になっていった。

「そんなことしなくていいのに‥‥」

「しなくていいのはわかっとる。そうだ、動物をやろう。ヒキガエルはダメだ。だいぶ前から流行おくれになっちょる。笑われっちまうからな‥‥猫、俺は猫を好かん。くしゃみが出るんでな。フクロウを買ってやろう。子供はみんなフクロウを欲しがるもんだ。なんたって役に立つ。郵便とかを運んでくれるし。」

 

ハグリットはハリーに笑いかける。ハリーは顔を上げ、興味津々といった表情で目をぱちぱちさせる。

「‥‥‥私もご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?私も手紙に記述されていたことに興味があるので。」

「おう、いいぞ。」

 

三人は並んで歩く。主役は真ん中で、二人はそれを挟むような形だ。道中で雑談を交えながら、彼らは目的の店へと向かった。

イーロップフクロウ百貨店は、暗くてバタバタと羽音がし、見渡せば赤、青、金、緑と宝石の様な目がキラキラと明滅している。フクロウたちの潜む森。まさにそうだった。

 

フクロウという生き物は夜行性で、“鳥目”という言葉に反して暗闇でも獲物を探すことが出来る。その動きは静かで素早く、極東では『森の忍者』という異名を持っている。

 

フクロウは古来より魔法使いや魔女が従える使い魔(ファミリア)の一つとして親しまれていた。この世界のフクロウは似たようなもので、少女が見たように郵便物の配達を担っている。そしてフクロウは不思議なことに行先を伝えればたとえ海を越えようとも必ず目的地へと届けてくれる。

だから、彼らは郵便配達員として最適なのだ。

 

そんな彼らの店で暗闇の中慣れない目を凝らす二人と、きょろきょろとフクロウを見る一人。

 

二十分後、二人はハグリットとともに大きな鳥かごを下げて店から出てきた。ハリーの籠では雪の様に白く美しいフクロウが、羽に頭を突っ込んでぐっすりと眠っている。少女の籠には対照的にカラスの濡れ羽の様に艶やかで青みがかったこれまた美しいフクロウが、左右で色の違う双眸をぱちくりとさせていた。

ハリーはハグリットにどもりながら何度もお礼を言った。

 

「礼はいらん。」

ハグリットはぶっきらぼうに言った。

「ダーズリーの家ではほとんどプレゼントをもらうことが無かったんだろうな。あとはオリバンダーの店だけだ…杖はここに限る。杖のオリバンダーだ。最高の杖を持たにゃいかん。」

 

魔法の杖。人類が魔法を使うときの主な媒介道具の一種だ。人の身長ほどある大きな杖や、それこそ小さなネズミのしっぽほどのものなど、世界によって種類は様々。

 

この世界の杖は細い枝の様なものだ。彼女らが歩いている側でも様々な人間が懐から杖を取り出して身だしなみを整えたり、物を小さくして軽くしたりと普通に使っていた。杖とは、それを扱うものにとっては体の一部そのものなのだ

 

 

そんな杖を売っている店は狭くてみすぼらしいという感想を抱くものだった。けれどもどこか不思議な、この世界でも“異質”と感じられる雰囲気が漂っている。それは、騒がしい街並みから少し離れ、小道に入るときのうすら寒いとも感じられる静けさにどことなく似ていた。

 

扉には剥がれかかって読みにくい金色の文字で『オリバンダーの店―紀元前三二八年創業 高級杖メーカー』と書かれていた。

扉の横にある古ぼけたショーウィンドウには、色あせた紫色のクッションに、一本の杖がポツンと座っていた。それがどことなく寂しさを感じさせる。

 

ギギギと軋む扉を開けると、扉ではなく奥の方でチリンチリンとひそかにベルが鳴った。小さな店内にはふちにうっすらと埃を積もらせたアンティークじみた華奢な椅子があり、ハグリットはそれにずんと腰を掛ける。ハリーはその心の中で渦巻く“不思議”をぐっと喉奥へとしまい込み、天井近くまで積み上げられた数多の細長い箱を眺めていた。

少女はそんな中ゆらりと一点に視線を向ける。

 

「おお、お嬢さん。わしに気が付いくとはのう。あなたみたいな人は久しぶりですな。」

 

柔らかな声が店の中に響いた。ハリーとハグリットは飛び上がり、椅子の方からはバキバキと音が鳴った。だが少女はそれに驚かず、ただ突然現れた老人の月の様にぼんやり輝く大きな二つ目にそっと目を合わせるだけだった。

 

「ほう、そうなのですか。

ご機嫌よう、お初にお目にかかりますMr.オリバンダー。私、セレナ・スペンサーと申します。以後お見知りおきを。」

「…成程、雰囲気にそぐわぬ不思議さじゃ。お主、何者だ?」

「……さあ、貴方の見る通りだと思いますよ?」

 

少女は上瞼をすっと落とし、少し下を向いて顎に手を当て、悪戯っぽく微笑んでみせる。一瞬、ほんの少しの間、彼女の瞳の色が変わったように見えたのは老人の気のせいだろう。

老人は探るようにその瞳をジッと覗き込む。少女はにこやかに微笑みながらその瞳を見据える。

シンと静まり返る店内。僅かな呼吸音でさえ聞こえてくるほどの静寂。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…どうも、この老いぼれには分かりそうもないですな。」

それを先に破ったのはオリバンダーだった。彼は困ったように言うと、その瞳を閉じて苦笑する。少女も、それに合わせてフフッと微笑んだ。

残る二人は、彼らの間に何が起こったのだろうと首を傾げる。その考えはすぐに消えていった。

 

数秒後、オリバンダーが二人へと視線を向けた。

 

「こんにちは。」

ハリーはぎこちなく挨拶をした。

老人はグリーンの瞳をとらえると、「おお、そうじゃ。」と声をこぼした。

「そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思ってましたよ、ハリー・ポッターさん。」

 

彼はハリーがまだ名乗っていないというのにそう言った。ハリーの目が大きく見開かれる。

 

「お母さんと同じ目をしてなさる。あの子がここにきて、最初の杖を買っていったのがほんの昨日のようじゃ。あの杖は二十六センチの長さ。柳の木で出来ていて、振りやすい、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃった。」

 

オリバンダーはさらにハリーに近寄った。瞬きもせずにじっと見つめる彼の瞳から、ハリーは逃れたくなった。しかし、その場に足が縫い付けられたように逃れることは出来なかった。

「お父さんの方は、マガホニ―の杖が気に入られてな。二十八センチのよくしなる杖じゃった。どれより力があって変身術には最高じゃ。いや、父上が気に入ったというたが…実はもちろん杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ。」

 

オリバンダーはハリーの鼻の先がくっつくほど近づいていった。まだ彼の瞳を覗き続ける。ハリーの目には、両親のことが知れた嬉しさに勝る困惑、混乱が映っていた。

 

「それで、これが例の…」

老人は、白く長い指でハリーの額に触れ、その稲妻型の傷にそっと触れた。瞳はその傷へと注がれ、ハリーはその奇妙な感覚から抜け出すことが出来た。

 

「悲しいことに、この傷をつけたのも、わしの店で売った杖じゃ。」

重く静かな言い方だった。ハリーは老人の顔をすっと見る。霧の様につかみどころのない瞳には、どこか葛藤の様な感情があった。

「三十四センチもあってな。イチイの木でできた強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に…そう、もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう…」

 

老人は頭を振る。声色は少し震える様で、後悔、悲しみ、怒りが入り混じっていた。

その“ヴォルデモート”とやらがどんな人物なのか、何故彼はそんなことを起こしたのか、過去に一体何があって生き残った男の子がその名を轟かせたのか。彼女はハリーをチラリと見ると、愉しそうに微笑む。

老人は何か思案するような顔をした後、後ろにいるハグリットに気が付いた。

 

「ルビウス!!ルビウス・ハグリットじゃないか! また会えて嬉しいよ…四十一センチの樫の木。良く曲がる。そうじゃったな。」

「ああ、じい様。その通りです。よく覚えております。」

ハリーは老人の視線が自分からハグリットへ移ったため、ほっと安堵の声を漏らした。

 

「良い杖じゃった。じゃが、おまえさんが退学になったとき、真っ二つに折られてしもうたのじゃったな?」

オリバンダーは懐かしむような顔をしたあと、急に険しい口調になって眉間に皺を寄せてジロリとハグリットを一瞥する。その目が細められたとき、ハグリットの顔が強張った。

 

「いや…あの、折られました。はい」

目を逸らしてしどろもどろにそう答える。すると、老人の目線が一層厳しくなった。

 

「でも、まだ折れた杖を持ってます。」

ハグリットは威勢よく言った。

「じゃが、まさか使ってはおるまいの?」

「とんでもない!」

 

ピシャリとした声に慌てて答えるハグリット。だが、その手に持っているピンクの傘を握りしめたのを老人は見逃さなかった。霧の世界に、一筋の陽光が垣間見える。ハグリットはそのキラリと輝いた目を親に叱られる子供の様にびくつきながら見た。もう肌寒くなってきたというのに、彼の額に汗が流れた。

「ふーむ」と彼はハグリットを探るような視線で見つめた。

 

「さて、まずはポッターさん。拝見しましょうか。」

 

先程とは打って変わって、老人は柔らかな声で言う。懐から銀の目盛りの入った巻き尺を取り出すと、「どちらが杖腕ですかな?」と聞いた。

 

「あ、あの、僕、右利きです。」

「腕を伸ばして、おー、そうそう。」

彼はハリーの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周りを慣れた手つきで測っていく。対してハリーにまだ落ち着いた様子はなく、動作の一つ一つがロボットの様に「ギギギ」となりそうなほどで、表情は石像のように固まっていた。

オリバンダーは測りながら話を続ける。

 

「ポッターさん、スペンサーさん。オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣(ユニコーン)のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。一角獣(ユニコーン)も不死鳥もみなそれぞれ違うのじゃから、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないわけじゃ。」

 

ハリーは巻き尺がにょろりと伸びて勝手に鼻の穴の間を測っているのにハッと気が付いた。オリバンダーは棚の間を飛び回って、箱を取り出していた。

「もうよい。」と彼が言うと、巻き尺は床の上にカランと落ちて、くしゃくしゃと丸まった。

 

「ではポッターさん、これをお試しください。ブナの木にドラゴンの琴線。二十三センチ、良質でしなりがよい。手に取って、振ってごらんなさい。」

 

ハリーは杖を取り、いざ直面してなんだか気恥ずかしくなりながらも、杖をちょっと振ってみた。だが、それが下げられるかのところでオリバンダーはあっという間にハリーの持っている杖をもぎ取り、箱からもう一本杖を取り出した。

「楓に不死鳥の羽根。十八センチ。振りごたえがある。どうぞ。」

 

ハリーはそれを受け取り試す。しかし、今度は振り上げる前に老人が杖をひったくっていった。

 

「だめだ、いかん。―—―――次は黒檀と一角獣(ユニコーン)のたてがみ。二十二センチ、バネのよう。さあ、どうぞ試してください。」

 

ハリーはこの後も次々と試した。楡、葛、桜に林檎‥‥しかしどれも振ってはひったくられまた振ってはひったくられを繰り返している。一体オリバンダーが何を期待しているのかがさっぱりわからない。試し終わった杖の棚がもうハリーの身長の四分の三まで積みあがってきているのに、老人の表情はますます嬉しそうになっていく。

 

「難しい客じゃの。え?心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな。‥‥さて、次はどうするかな。‥‥‥おお、そうじゃ。‥‥めったにない組み合わせじゃが、柊と不死鳥の尾羽、二十八センチ、良質でしなやか。」

 

ハリーは杖を手に取る。握った瞬間、指先が暖かくなった。春の太陽の光のように優しい暖かさだ。

みなぎるエネルギーをそのまま、杖を頭の上に振り上げ、薄暗い店の空気を裂くようにヒュっと振り下ろした。

 

すると、杖の先から赤と金色の火花が何本も溢れ、光の玉が踊りながら壁に反射した。

ハグリットは「オーッ!」と、少女は「素晴らしい!」と声を上げて手を叩き、オリバンダー老人は「ブラボー!」と叫んだ。

その光はまるで花火の様で、見る者を興奮させるような派手さと、鮮やかな色合いがあった。ハリーはその光景に驚愕しつつも、その素晴らしさに目を大きく開き、口角を上げる。

それもほどなくして終わり、また店内に静寂が訪れる。

 

「素晴らしい。いや、よかった。さて、さて、さて……不思議なこともあることよ‥‥‥まったくもって不思議な‥‥‥」

老人はハリーの杖を丁寧に箱へと戻し、茶色の紙で包みながらブツブツと繰り返す。神妙な趣でその目を細め、少しばかり手を強張らせる。

 

「不思議じゃ…不思議じゃ…」

「あのう…何がそんなに不思議なんですか。」

ハリーはそのつぶやきに重ねるようにして言った。

オリバンダー老人はハリーの方へゆらりと向き、その淡い色の瞳でジッと見た。

 

「ポッターさん、わしは自分で売った杖はすべて覚えておる。全部じゃ。あなたの杖に入っている不死鳥の尾羽はな、同じ不死鳥が尾羽をもう一枚提供した。…たった一枚だけじゃが。あなたがこの杖を持つ運命にあったとは不思議なことじゃ。兄弟羽が……なんと、兄弟杖がその額に傷を負わせたというのに‥‥‥」

ハリーは息を呑んだ。まさか、自分と例のあの人の杖が兄弟杖だなんて。両親を殺した人物と自分の杖が‥‥。ハリーの手が微かに震える。

 

「さよう。三十四センチのイチイの木じゃった。こういうことが起こるとは、不思議なものじゃ。杖は持ち主の魔法使いを選ぶ。そういう事じゃ‥‥‥。ポッターさん、あなたはきっと偉大なことをなさるに違いない‥‥‥。『名前を言ってはいけないあの人』もある意味では偉大なことをしたわけじゃ……恐ろしいことじゃったが、偉大には違いない。」

ハリーは、背筋がぞわぞわと震え上がるのを感じだ。オリバンダー老人の雰囲気が、人間性があまり好きになれない気がした。

 

「さて、次はスペンサーさん、拝見いたしましょうか。」

「はい。」

 

少女は右手を伸ばす。オリバンダーは先程の様に採寸を取り、棚の中から何本か杖箱を取り出した。

「胡桃に一角獣のたてがみ、三十センチ。性能は良いがいたずら好き。」

受け取ってみるも、特に変化を感じられない。試しに振ろうとすると、杖が手からすり抜けた。老人はそれをキャッチし、箱にしまう。

「‥‥‥これはまた、難しそうじゃのう。」

老人は少し嬉しそうに笑った。

 

「桜にドラゴンの琴線。振りごたえがある。」

これは手に取った瞬間、逃げるように杖が飛んだ。

他にも何度も試してみたが、どれも手にした瞬間すっぽ抜けてしまった。何を思って杖がそうするのか。それはオリバンダー老人にすらわからなかった。

 

「‥‥‥はて、二・三回程持ち主が合わずに飛ぶことがあれども、ここまで逃げるものかのう‥‥‥」

まるで、少女を怖がるかのように。そんなことは彼の人生の中では無かった‥‥‥はずなのだ。

(おかしい‥‥何か、何かおかしい。彼女の様なことが‥‥‥うむむ、思い出せん。一体、何が‥‥‥)

彼が記憶の引き出しをひっくり返して探そうとするも、肝心の場面は見つからない。当然だ。

 

 

 

‥‥‥その記憶は()()、存在しないのだから。

(あー、これは。うん。そうだろうねえ。この世界に兄さんは()()()()()()()()()()()()()()から。‥‥‥まあいいや。兄さんが来れば直る。多分。)

 

彼女は少し困ったような顔をする。老人が唸る中ふと、少女は自分の右側を見た。

杖の棚の中、一つだけ淡く光る杖の箱があった。小刻みに震えているようで、かすかにガサゴソと言う音が聞こえてくる。

「Mr.オリバンダー、あれは‥‥」

「‥‥ふむ?」

 

老人は彼女の指先へと目線を移す。すると、すこし目を見開いてそれを手に取った。

 

「‥‥‥アカシアに不死鳥の尾羽、三十一センチ。良質でしなやか、選り好みが激しい。」

埃をかぶった箱の中には赤くさらさらと滑らかな質感の布があった。赤い布を老人がゆっくりと取り、中から細長い物体を取り出した。それは柄から杖先まで繊細な飾り彫刻の施された薄い黄色の杖だった。

少女が握ると指先から魔力が溢れ、体全体に熱が巡る。膨大な魔力が、エネルギーが、感情が混ざり合い、その杖先へと導かれている様だ。

 

(―――これだ。)

そう確信した少女は気分の高揚に口角をぐっと上げ、杖をそっと振る。

 

 

 

 

―――――すると、何という事だろう。光の玉と帯、そして燐光が、それぞれ違う輝きを放ちながら飛び散っていくではないか。

玉は色を変えながらゆっくりと飛び出し、帯はゆらゆらと、まるでオーロラの様な幻想的で美しい光を残しながら伸び、彼女の周りをぐるぐると旋回する。燐光は杖から上へと弧を描き、雪の様に落ちるかと思えば、床に触れた瞬間ぱっと弾けた。

 

 

その景色は、大自然が紡ぐ美しい夜空の様であった。

 

「‥‥‥美しい。」

そんな声を漏らしたのは誰だっただろうか。それは誰にも分からない。少女以外の皆が、その光景をぼんやりと眺めていた。

 

彼女がもう一度杖を振ると、その景色は段々と消えていった。

 

 

「…実に見事な…見事な相性じゃ。」

老人はまたもやブツブツと呟く。そして、杖を紙で包みながら話し始めた。

 

「‥‥‥この杖に使われているアカシアと不死鳥の尾羽は、持ち主に対する選り好みが激しく、特に不死鳥は忠誠心を得るのに時間がかかる。じゃがアカシアの性質でひとたびふさわしい持ち主が見つかれば杖としての最大限の力を発揮することが出来る強力な杖なのです。‥‥‥アカシアに選ばれる人間は滅多にいないのじゃが……そうか、あなたがそうなのですか。」

老人は話し終えると、少女に袋を渡す。少女はお代の九ガリオンを手渡した後、ハリー達とともに店を出た。

気が付けば、辺り一帯にオレンジ色の優しい光が落ちていた。見上げれば、太陽はもう沈みかけているところだった。昼間と同じ様にダイアゴン横丁には賑わいがあるが、子供の姿は見当たらない。

 

――――夕暮れになって子供が帰るのは、どこでも共通なのだ。

 

 

 

彼等は元来た道を遡るように歩き、もう人気のない『漏れ鍋』へ戻った。しかしハリーはいかんせん黙りこくったままで、変な荷物をどっさりと抱え、膝の上に眠るフクロウを乗せていて乗客が自分たちを見ているというのに気が付かないままであった。(フクロウを抱えているという時点では少女も同じなのだが。)

 

バンディントン駅で地下鉄を降り、エスカレーターで駅の構内に出る。ハグリットに肩を叩かれて、ハリーはやっと自分が何処にいるのかに気が付いた。

 

 

「電車があるまで何か食べる時間があるぞ。」

ハグリットが言った。

ハグリットはハリーにハンバーガーを買ってやり、少女はもう一つのバッグからチョコレートを取り出し、三人でプラスチックの椅子に座って食べ始めた。少女は地下鉄でせわしなく動く人々を無機質な瞳で眺め、チョコを口の中へと放り込む。

 

「大丈夫か?なんだか随分と静かだが。」

ハグリットの声に少女ははりーの方を見る。ハリーは周りを困惑したような表情で眺めていた。そしてハンバーガーを少し噛んだあと、ポツリポツリと話し始めた。

 

「みんなが僕のことを特別だって思ってる。」

ハリーは少し言葉を探すように目線を下へと下ろす。

 

「『漏れ鍋』のみんな、オリバンダーさんも‥‥‥でも、僕、魔法のことは何にも知らない。それなのに、どうして僕に偉大なことを期待できる?有名だっていうけれど、何が僕を有名にしたかさえ覚えてないんだよ。ヴォル‥‥‥あ、ごめん‥‥‥僕の両親が死んだ夜だけど、僕、何が起こったのかも覚えていない。」

ハリーはどこか言い捨てる様な感じで話した。俯いた顔の表情は見えない。けれども声色がそれを代弁していた。相槌を打ちながら聞いていた少女は、チョコレートを飲み込み、口を開いた。

 

「気にする必要はないと思いますよ?」

「え?」

ハリーは少女の方を向いた。少女はまたチョコレートを口に放り込み、飲み込んで続ける。

 

「‥‥それが起こったことは今現在覚えてていないのでしょう?でしたら気にする必要はありません。今から知っていけば良いのですから。」

「そうだとも、ハリー。心配するな。すぐに様子がわかってくる。大変なことは分かる。お前さんは選ばれたんだ。大変なことだ。だがな、ホグワーツは楽しい。俺も楽しかった。実は今も楽しいよ。」

 

ハグリットはテーブルの向こう側から身を乗り出して言う。もじゃもじゃの髭と眉毛の奥に、優しい笑顔があった。

それを聞いてハリーの顔がじんわりと明るくなる。

少し雑談を交えながら食事をしていると、「そういえば‥‥‥」とハリーが話を始めた。

 

「セレナは何処に住んでいるの?僕と同じ駅を通っているけど‥‥‥。」

「私の家ですか?リトルウィンジングのプリペット通り4番地ですよ。」

「!?僕の家の近くだ!」

「おや、そうでしたか。」

少女は目を大きく開く。ハリーはこの子を見かけたことがない気がすると少し不思議に思ったが、魔法界のことで頭がいっぱいになって深く思い出すことが出来なかった。

 

「おっ、もうすぐ発車するぞ。」

ハグリットが声を上げる。彼女らが時間を確認してみればもう電車が発車する五分前だ。

ハリーは荷物の準備をし、少女はぐぐっと伸びをする。

階段を下りてハグリットと少女はハリーの重い荷物を電車の中に運び入れる。電車の中の乗客は驚いたような顔でハリーを見た。しかし、少女に目は向けられない。そのことに気づく者は誰も居なかった。

 

「ホグワーツ行きの切符だ。九月一日――――――キング・クロス駅発―――全部切符に書いてある。ハリー、ダーズリーのところで不味いことがあったら、おまえさんのふくろうに手紙を持たせて寄こしな。ふくろうが俺の居るところを探し出してくれる。」

ハグリットはハリーに封筒を手渡す。「あれ、セレナは?」と聞くが、少女は「心配ないですよ」と返した。彼女はもう切符の魔法術式を覚えていたからである。つまりは偽造コピーだ。

「‥‥‥じゃあな。ハリー、セレナ。またホグワーツで会おう。」

 

がたりがたりと揺れる電車。二人がハグリットの姿を眺めていると、瞬きをした瞬間ハグリットの姿は消えていた。

 

「消えちゃった!」

思わず声を上げるハリー。周りの目線が彼へと集中する。ハリーはそれに気づき、はっとする。

(あっ、そういえば魔法使いじゃない人間‥‥えっとマグルだっけ。それに魔法のことは知られちゃいけないんだった。)

 

慌てて席にきちんと座るハリー。ふと彼が少女の方を見ると、少女はいつの間にか本を取り出して静かに読んでいた。だがよく見てみると、その本はハリーがよく分からなかった字の本だった。ハリーは彼女の行動にびっくりしながらもそれを口にしてはいけないと思い、下を向いたまま電車が止まるのを待った。

 

一方彼女はルーン文字の文章を読んで(ああ、なんだ。この程度か。)と読んで早々興味をなくしていた。

 

心地の良い振動を響かせながら、がたんごとんと列車は進む。何度かの駅を抜けたとき、列車のアナウンスが目的地に着いたことを知らせた。

 

●○

 

「じゃあまた今度。」

 

少女は手を振ってハリーの元から去った。見上げてみればもう日暮れを通り越して夜に入ろうとしている。籠の中にいるフクロウがピーと鳴き、その白い羽で顔を擦る。

 

「‥‥‥さて、貴女の名前はどうしましょうか。」

彼女はフクロウに呼びかける。フクロウはきょとんと首を傾げる。金と青の双眸をぱちくりとさせた。彼女はその目を覗き込んだ後、口元に手を当てて目を伏せる。

 

 

「オレンジに青。青とオレンジ‥‥‥青‥‥青‥‥海?金は‥‥‥太陽!そうです!」

 

少女は目を輝かせ、フクロウを見つめる。その碧玉の様なの双眸が金色へと変化したのは一瞬だった。それは蜂蜜のようにとろりとした甘美な輝きを湛えていて、琥珀のように奥が深かった。

 

「その二つ目に映った海と太陽。今から貴女の名前はMarisol(マリソル)です。」

 

フクロウは、その言葉にピューと歓喜の声を上げた。

 

もう空には先程までの焼ける様なオレンジが無く、境目である紫色から夜の藍色へと移ろうとしていた。しかしまだ一番星すら輝いていない。

凛とした空気も涼しさを通り超して寒々としてきて、風がびゅうびゅうと吹いて彼女の三つ編みを大きく揺らす。

 

 

遠くの藍色に淡青の月のきらめきが見えたとき、彼女は満足げに微笑んだ。

 

To be continued.........




いかがでしたか?
Marisolとはスペイン語で海と太陽を表す女性名です。
安直過ぎないかって?‥‥‥ははは。
あと少女のAPPは18です。その理由は彼女の兄や家族構成にあります。
上は長男、長女、次男の順です。その中でも次男はよくAPP18の容姿で描かれています。
性別設定してもいいんだろうかって思いますが(特に長男次男)、しっくりくる表現がこれしかないのです。

アドバイスや感想、修正点などお待ちしています。



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ホグワーツ特急にて

年内に滑り込んでいくスタイル


○●○

いつもよりも少し遅い時間、寝ぼけ眼を覚ましたのは大量の教科書と荷物、白いフクロウ。

ぼやけた視界に映るそれを見てハリーは顔を明るくした。

 

「‥‥‥やっぱり夢じゃないんだ。」

噛みしめるようにそう呟くと、眼鏡をかけて伸びをする。カーテンの隙間からベッドに注がれる暖かな陽光が、外で跳ね踊る鳥たちの鳴き声が、今の彼にはちょっぴり優しく感じられた。

 

ダーズリ一家での一か月間は、ハリーとって楽しいものでは無いが、決して悪い事ばかりというわけでも無かった。

部屋の中に閉じこもっている間は教科書を夜遅くまで読みふけることができたし、何よりもホグワーツへの期待でダーズリー一家のことなど食事の時間まで忘れるほどだった。

 

そして、あの日であった彼女も一緒であるということも大きな理由の一つだった。誰か知り合った人と行けるということが、彼にとって嬉しかったのだ。

 

 

「あと一日…!」

 

毎晩壁に張った暦にバツ印が増えていく度彼はうずうずしながら瞼を閉じる。

フクロウにおやすみと告げ、眠りについた。

 

 

 

▽▼▽

 

「そーれ、着いたぞ小僧。九番線と‥‥‥ほれ、十番線だ。お前のプラットホームはその中間らしいが、まだできていないようだな。え?」

一体自分は何をしているのだろう、とハリーは思った。耳に聞こえるのは彼らの笑い声。ジロジロと自分を見る人々。繁く雑踏。

駅員に聞いてみてもそんなものはないと呆れたようないら立ちの表情をしてどこかに去って行ってしまった。

いよいよ列車があと十分で発車するという時間。しかし、ハリーにはどうしたらよいか分からない。いよいよ困り果てた。その時だった。

 

「‥‥‥マグルで混みあってるわね。当然だけど‥‥‥」

「――!」

 

その言葉を耳にした瞬間、ハリーは急いで振り返った。

そこでは、ふっくらとしたおばさんが息子兄弟と思わしき赤毛の四人に話しかけていた。

彼らはハリーと同じ様なところがあった。トランク、そして一羽のフクロウ。ハリーは期待を寄せながら、けれども少し緊張しながら一緒にくっついていった。

 

九番線と十番線の間。尚もそこは通行人で入り乱れている。一行がハリーが先程いたところまで戻ると、突然立ち止まった。ハリーも彼等に合わせて止まる。彼は彼女らの声に耳を傾けた。

 

「さて、何番線だったかしら。」

「九十四分の三番よ。」

一番小さいと思われる女の子が言った。その子は寂しそうに「ママ、私も行きたい‥‥‥」と手を握って言うが、まだ小さいからと母親になだめられた。女の子はまた顔をしゅんとさせる。

母親が左右を確認し、後ろを向く。

 

「はい、パーシー、先に行ってね。」

 

パーシーと呼ばれた一番上らしき男の子がプラットホームの「9」と「10」の間に向かっていく。ハリーは一生懸命目を凝らして、彼がどうするかを見ようとした。

しかし彼がその間へと差し掛かった時、ちょうどハリーの目の前に旅行者の集団が通って行った。密集しすぎていて、隙間から向こう側を覗こうとしても見えるのは色とりどりのリュックサックと服だけ。やっと通り抜けたと思ったら、ハリーの目の前には9番線と10番線の間にある柵しかなかった。

 

驚いて目を擦ってみても、先程の男の子の姿は見えない。

一体どうなっているんだろう、と狐につままれたような顔でハリーは首を傾げる。

 

「フレッド、次はあなたよ。」

おばさんがまた彼らに声をかける。それを聞いてそのフレッドと呼ばれた人物は呆れたような顔をする。

 

「僕フレッドじゃないよ。ジョージだよ。まったく、この人ときたら。これでも僕たちの母親だってよく言えたよな。十年ちょっとも見ているのに僕がジョージだって分からないの?」

「あら、ごめんなさい、ジョージちゃん。」

 

「冗談だよ、僕フレッドさ。」

 

「まあ!」と母親が言うと同時に、双子の片方が急げと声をかける。からから愉快そうに笑いながら彼はカートを走らせる。しかし、ハリーが瞬きをした後には何もなかったかのように消えていた。そのまた次に片方が行くが、柵に差し掛かったあたりでまた跡形もなく消えてしまう。

これじゃあ幾ら見ても分かりやしないと感じたハリーは、思いきって直接聞いてみることにした。

 

「すみません。」

その声におばさんは振り返るとハリーの持っているものを少し見て、もう一度彼の顔を見てにっこりと微笑む。

「あら、こんにちは。

坊や、ホグワーツは初めて?ロンもそうなのよ。」

おばさんは後ろにいる男の子を指さした。背が高く、やせてひょろっとした子で、そばかすがあってこれまた燃えるような赤毛をしていた。

 

「はい。でも、あの、その、僕‥‥‥分からないんです、えっと、どうやって‥‥」

「プラットホームにどうやって行くかってことね?」

おばさんが優しい笑顔で問いかけてくる。ハリーはコクリと頷いた。

 

「心配しなくていいのよ。九番と十番の間の策に向かってまっすぐに歩けばいいの。立ち止まったり、ぶつかったりするんじゃないかって怖がったりしないこと。これが大切よ。

怖かったら少し走るといいわ。さあ、ロンの前に行って。」

 

「うーん……はい。」

ハリーはカートをくるりと回してジッと柵を見据える。ぶつかったら衝撃で吹っ飛んでしまうかもしれない。もしかしたら自分は入れないのかも‥‥‥

 

でも、

(怖がっちゃだめだ。おばさんの言う通り小走りで行こう。大丈夫、大丈夫…)

自身を落ち着かせるように深呼吸をして、目を開いて覚悟を決める。

ハリーは怖さを押しこむようにぐっとカートを滑らせて少し歩くと、だんだんスピードを上げて小走りで柵に近づいていく。幸い人影は見当たらない。そのまま直進するだけだ。

 

瞬きよりも早く、距離は縮まっていく。いつのまにかスピードも小走りを超えていて、ハリーはもう止まることが出来なくなっていた。

柵にぶつかる瞬間、目の前の壁に自身が差し掛かる刹那。ハリーは目をギュッと目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

‥‥だが、何かにぶつかった感触はなく、代わりに足裏から程よいリズムで振動が伝わってくる。

まだ、彼は走っていたのだ。

 

 

ハリーは一度止まり、そっと目を開ける。

 

 

 

 

――――そこには、大きな紅色をした蒸気機関車が、がやがやと集まる人々の中でモクモクと煙をふかしながら堂々と鎮座していた。

ホームの上には『ホグワーツ特急11時発』の文字。

目を少し見開いて、でも驚きより安心が勝ったのかハリーは脱力感と共にほっと胸を撫で下ろす。

 

そういえばと彼が振り返ると、改札口だったところには九と四分の三と書かれた鉄のアーチがあった。その先は壁で、これも魔法なのかと改めて驚かされる。

全てが全て鮮やかで朧気な、けれども確かに在る夢幻の様に期待と夢の詰まったものにハリーは見えてきた。

(これからどんな未来が待っているのだろう。)

 

機関車のそばの人ごみはそれぞれ別れの挨拶をしあう。各々動物を見せ合ったり、何かを探しているような声も聞こえてくる。席の取り合いの喧嘩を通り抜け、ハリーはすでに席の埋まった先頭車両からカートを押し続けた。人ごみも多く進むのが大変だったが、なんとか開いているコンパートメントを見つけることが出来た。

 

ヘドウィグを先に入れてからトランクを列車の戸口から入れようとする。だが、片側すら持ち上がらない。

何回も挑戦してみるが、一向に持ち上がる気配がない。何とか持ち上げてみたが、手から滑り落ちて二回もつま先にぶつけてしまった。

痛みに顔を顰めつつハリーがしばらくトランクと格闘していると、上の方から声がかかった。

 

「おお、その様子だとだいぶ痛い目に遭ったみたいだな。手伝おうか?」

「うん、お願い。」

 

ゼイゼイと息を切らしながらハリーは声を絞り出す。見てみると、彼は先程の集団の中にいた双子のどちらかの様だ。彼は双子のもう一人を呼ぶと、一緒に運ぶのを手伝った。

やっと客室の隅にトランクが収まると、ハリーは「ありがとう」と言いながら拭うように汗で引っ付いた前髪を掻き上げた。

 

 

返事をしようとした双子が同時にあっと声を上げる。

 

「それ、何だい?」

「驚いたな…君は…。」

()だ。

君、違うかい?」

 

目を大きく開きながら、一人が稲妻型の傷を指さす。彼とは一体誰のことだろうか?ハリーは首を傾げる。

 

「なんのこと?」

「「ハリーポッターさ。」」

双子が同時に言った。一か月前の漏れ鍋でのことをハリーは思い出した。

(そういえば自分の名前は魔法界じゃ有名なんだっけ。)

やっと彼の中で合点がいった。ハリー「ああ、そのこと」と言って少し照れ臭くなりながら

 

「うん、そうだよ。僕がハリー・ポッターだ。」

 

と言った。

双子の呆気にとられたような目線が、キラキラとした目が、霞んだレンズ越しでも感じ取ることが出来る。ハリーは恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。白い頬が熟れた林檎の様に赤く染まるのも時間の問題だった。

はやくこの目線から逃げたい。ハリーがそう感じ始めた、その時だった。

 

「フレッド?ジョージ?どこにいるの?」

開け放された窓から、さっきのおばさんの声が流れてくる。ハリーはナイスタイミング、と頬を緩ませた。

双子は返事を返すと、もう一度ハリーを見つめて列車から飛び降りた。先程の家族が気になってハリーは窓際に座って会話を見ていると、あっという間に汽車の笛が鳴り響く。

時刻は十一時。ホグワーツ特急が期待を乗せ、重々しい音を立てながら滑り出した。

 

●○●

一方少女は…

 

「‥‥わぁ、これがホグワーツ特急‥‥!物語にあった通り厳かで鮮やかで美しいですね!」

誰も居ないプラットホームで汽車を眺めていた。

時刻は八時半。まだ出発まで三時間もある。彼女がこの時間に来たのにこれといった理由はない。

ただ早い時間に目が覚めてしまったからだ。

ぐぐっとのびをして欠伸をする。

 

「‥‥さて、のんびりと席を取りますか♪」

少女は()()()()()()()()()と、ゆったりとした足取りで軽いトランクを持ち直した。その表情は実にうれしそうだ。

見上げると、天窓に白みがかった青く澄んだ空が映っている。ぼやけていても周りとは確かに違う色を持ったそれは、彼女の青い瞳をうっすらと滲ませる。少しそれを眺めた、彼女はローブの裾から何やら笛を取り出し

 

ピィー

 

そっと吹いた。甲高く澄んだ音色が鳴り響き、それがどこまでも広がっていく。

すると、突如空に一つの黒い塊が通り過ぎていった。カラスの様に、けれども大きな影だ。

飛び去るそれを見た彼女はフフッと笑うと笛を袖に仕舞い、列車へと入って行った。

 

かつり、かつりと無機質な音が列車内を満たす。誰も居ない通路を少女は歩く。

 

「‥‥‥?」

 

ふと、彼女はなにとなしに足を止め、首をかしげる。

 

「‥‥」

 

しばらく見つめて扉に触れると、そっと開けた。

 

コンパートメントは意外にも広く、四人は座れそうなスペースがあった。

赤く座り心地のよさそうな座席にトランクを置き、隣に自分も座る。そして、おもむろにトランクを開いて杖を取り出した。

杖の細やかな細工は日の光を浴びて生き生きと呼吸をしているように煌めき、少し動かすだけで杖先から小さな光の粒が溢れてくる。

 

それを見た少女は少し考えこんだ。すると今度は、杖を横に倒して左手の人差し指でそっと触れる。目を瞑り、口をそっと開く。

 

 

「——————。」

 

謳うように紡がれたのは魔法の呪文。春の鳥たちの声の様に軽やかなその旋律は誰にも理解することはできない。かの有名なホグワーツ校長でさえも、だ。

 

指が杖先から持ち手の部分まで動かしていると、突如杖に変化が起きた。

杖先が淡く光ったと思うと、あっという間にそれが杖を包み込んだではないか。

薄い霧の様に杖を覆うそれは陽光の様に暖かく、月明かりの様に美しかった。彼女の口から言葉が発せられるごとにそれは空を舞う雲の様にゆらゆらと動き、踊る。

それは彼女が口を止めると同時に、杖を雨天の雲のように厚く包み込んだ。

 

 

―――――その瞬間、光は大きなシャボン玉のようにパッと弾けた。

 

彼女はそっと目を開く。

 

―――――しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()

けれども彼女は、杖を振ってその変化に口角を上げる。

「‥‥‥よし、これで大丈夫ですね。」

 

彼女は杖を確かめるように何度も振る。その先には光の泡は見られない。至って普通の杖だった。

少女は満足そうにうんうん頷きながら手をそっと止める。彼女は杖をローブの中にしまい、トランクの中から一冊の本を取り出した。

 

The history of hogwarts(ホグワーツの歴史)』。

彼女はダイアゴン横丁で以前購入したこの本を読んでいなかったことを思い出し、暇つぶしにと思って持ってきていたのだ。

 

ぱらぱらと本をめくりながら読んでいく。指を滑らせて送られるそのスピードは速い。傍から見ればただ眺めている様にしか見えないが、彼女は内容を認識し、しっかり頭の中で記憶している。

伊達に人外やってるわけではないのだ。

 

(ふむ。勇猛果敢なグリフィンドール、忍耐強いハッフルパフ。古き賢きレイブンクローに、鋭敏に満ちるスリザリン‥‥‥兄さんに聴いた通り獅子、穴熊、鷲、蛇とそれぞれの特徴をよく表したシンボルと文章だね。)

十分弱経過し、最後のページを読むと彼女は本を閉じる。最近できたこのホグワーツの歴史には興味深いところがたくさんあった。

秘密の部屋に隠し通路、謎の事件に偉人達。どんなに面白いのだろうと心を躍らせるものばかり。しかし、やはり気になるのがヴォルデモートなる人物のことだ。恐らくハリー・ポッターのことを殺そうと思っていることだろう。

 

(さて、どうしようかな。

ハリー・ポッター(このお話)を自分は知らないけれど、ヴォルデモート(あの男)はこちらが動かなくともあの様子であれば勝手に介入して来るはず。

 

だったらこの学校生活を謳歌してみようかな?)

 

尤も、そんなことで終わらせてくれるなんて期待外れなことなんてないだろうけど。

 

そう考え、彼女は()()()を愉しげに細める。

瞳を冷ややかな月の様に光らせ、微笑みながら考える少女は―――――

 

 

 

 

 

 

 

――――ただただ美しかった。

 

 

 

 

彼女は本をトランクの中に納めると、教科書を、今度もまた早いスピードで読む。一語一句を逃さぬよう大切に。青い瞳をビー玉のように転がし、時折横に落ちてくる白い髪の束を払いながら。

 

 

長い時間が過ぎたころ、彼女はすべての教科書を読み終えた。ふうと息をついて閉じた本を膝に乗せ、手を上に伸ばして大きく伸びをする。

そのとき視界の隅に写った太陽は、先程見たときよりも上へと移動していた。耳を澄ませてみればがやがやと色々な人間の声が鼓膜を震わせてくる。

 

 

「ああ、結構時間経ってますね。」

 

少女は懐中時計を取り出してポツリと呟いた。黒く細い短針は既に(10)よりも少し先を行っていた。

 

蓋を閉じ、彼女はローブの裾から杖を取り出した。

「さて‥‥これからどう致しましょうか…」

 

杖をペンの様に指で滑らし回しうんうんと唸る少女。

ふと、彼女は手を止めた。遠くからこちらに向かうような気配を感じたからだ。

耳をすませばどこか強い足音が通路の方から近づき、扉の前で止まる。

 

 

コンコンと三回ノックが鳴り、ガチャリと扉が開いた。

 

 

「席が混んできたの。相席してもいい‥‥かし‥‥ら?」

扉から飛び込んできた声は、その主が扉を開けて少女を見たと同時に止まった。

栗色のふわふわとした髪の毛。小さな口から覗く前歯は少し大きくて、彫りの深いその綺麗な顔は、気が強そうにとれる。しかし今の彼女の表情は驚きに満ちていて、見開かれた(まなこ)はただ一点をとらえていた。

 

「あ…えっと、あの、」

「どうぞお掛けになってください。」

「え、あっ、はい。」

 

見かねたように少女が微笑んで述べると、その女の子は戸惑いながら席に着いた。

少女は首を傾げる。

 

座った彼女は自分を落ち着かせようとするも、青色の瞳を静かに光らせ、こちらをじっと見つめてくる少女を見てすこし慌てる。

 

「あ、あの、その手に持ってるの杖、よね?今から魔法を使うの?」

「ええ。そうです。」

「えっと、それじゃあ、見せてもらってもいいかしら?」

「私のでよければ喜んで。」

微笑みながら言う彼女の瞳に吸い込まれそうになりつつも、女の子は少女がどんな魔法を使うのかを見ようと視線を杖先に集中させた。

 

 

「では、『ラカーナム・(火よ)ンフラマレイ』」

 

少女の杖先に竜胆(リンドウ)色の火が灯る。揺らり揺らめくその火が彼女の杖を離れると、また新たな火が一つ、また一つと杖の先から姿を現し渦を作った。ぐるぐると宙に浮かぶ小さな輪は波打ち、ふわりと咲き誇るバラの花弁の様に滑らかに渦を巻く。

 

「『インパービ(防水せよ)アス』」

「『アグアメ(水よ)ンティ』」

 

今度は杖先に銀色の光が現れる。光がそっと溢れたかと思うとそれは透明な水の帯となり、瞬く間に炎を包み込んだ。

水は命を吹き込まれたかのように躍動し、帯の中では火が水のレンズの中で蝋燭の炎の如く怪しげに、悠々と揺らめいている。しかし、それらが消え入るようなことはなかった。

女の子がその光景に「わぁ…」と感嘆の息を漏らした刹那、またもやそれは姿を変える。

 

「『グレイシア(氷河となれ)ス』」

 

彼女が言うと水はぴたりと動きを止め、小波すら立てない凪の水面がその透明さをそのまま、内にある炎を閉じ込めた。まるでその中でだけ時間が止まっている様に水も炎も動きはしない。

 

―――――それは、精巧な飴細工を丸いショーケースにそっと入れたような透き通った美しさを持っていた。

光に照らされたそれは水晶のように輝く。

 

ハッと、女の子は息を呑む。表情に写るのは驚愕、感動。しかし少女はそれを気に留めはしなかった。ただその静寂に浸っているだけだった。外も列車内も賑わっているというのに、この空間だけは息をするのも忘れてしまうほど静かだった。

 

そのコンパートメント内を満たす凛とした静寂を肌で感じ、少女は目を瞑り、肺で深く息を吸う。

 

「‥‥‥」

 

ゆっくりと目を開き、目の前の物体を見据える。青色の瞳は海の藍色の様に深くなり、陽光に照らされた水面のごとくきらりと煌めく。すると共鳴するように氷の中に在る竜胆色もその色を淡くした。

その瞬間を待っていたかのように少女は口を開き、優し気に笑う唇でそっと言葉を紡ぐ。手にもった杖を躍らせて。

 

 

 

「――――『レダクト(砕けろ)』」

 

その言葉と共に水晶にピシリという音を立てて白い亀裂が水晶全体に走った。透明な光が割れ動き、飛び散った小さな飛沫が光を反射して空中に溶ける。しかしそれも一瞬のこと。

 

 

 

――――その刹那、水晶が粉々に砕け散った。

 

 

「えっ‥‥!」

 

その声はその変化についてではなかった。驚くべきことは彼女の目線の先。先ほどまで水晶が存在していたところにある。

 

 

 

――――その中から現れたのは、竜胆の(はな)だった。

散らされる氷の破片の隙間から滑るように青が溢れる。青色が次第に青紫となり、瞬く間にパッと広がり燃え上がる。力強く、威風堂々と。満開に咲く花火の様に華やかに、雪の様に儚げに光る氷の粉に包まれながら。

 

 

「『フィニー(終われ)ト』」

 

その言葉で、竜胆は(ほど)けるように消えた。

淡い青色の火の粉を艶やかに、静かに散らして。

 

少女の唇がゆるりと弧を描く。満足げに、嗚呼と感嘆するように目を細める。

一方女の子は先程の現象の驚きが残っているのか、目を見開いたまま呆然としていた。

少女はクスクスと口に手を当てて笑う。

 

その声にハッと我に返ると、女の子は少女の方を向いて話し始めた。

 

「さっきの魔法、まさかあなたもう上級生で習う魔法を覚えているの?」

「ええ。これから先付いていくための予習を兼ねて。」

「私も練習のつもりで簡単な呪文を試したことがあるけどね、そこまでは思いつかなかったわ。私の家族に魔法族は誰も居ないの。だから、手紙をもらった時驚いたわ。もちろんうれしかった。だって最高の魔法学校だって聞いているもの‥‥‥教科書はもちろん、全部暗記したわ。でもあなたみたいにもっと先の予習もしておかないと。やっぱりこれだけじゃあ足りないみたいね。

‥‥‥私、 Hermion(ハーマイオニー)e・Grange(グレンジャー)r。あなたは?」

 

なんとこの言葉、驚きのことに一気に言ってのけているのだ。息一つ吸わずに強く、誰もが引いてしまうようなその言葉。

しかしこのマシンガントークを聞いても少女は表情を崩さない。

いやむしろ、先程よりもいっそう笑みを深めているようにも見えるだろう。

 

「Sele(セレナ)na・Spence(スペンサー)rと申します。気軽にセレナとお呼びください。」

 

柔らかな声色で、彼女は言った。白い睫毛の落ちた星のように煌めく青色の双眸は、ハーマイオニーの瞳をはっきりと捉える。その瞳は美しい星雲の様に何処までも吸い込まれてしまうような、晴天の空が何処までも透き通っているように、そこに映る天の川の一つ一つの星がぼやけているように曖昧だった。ハーマイオニーはその瞳を覗き込む。無意識に、そこに何かを見出そうとして。

 

 

「‥‥?私の顔に何か?」

「え、あっええ、何も、何でもないわ。」

「そうですか。」

 

慌てて目をそらした彼女に、少女はまたもやはて、と首を傾げる。

その顔から目を背けようと必死になったハーマイオニーはふと、彼女の膝上にある本に目を留めた。

 

「それ、もしかして教科書?」

「はい。魔法薬学のです。」

 

少女はそう言うと、自分の前にハーマイオニーが表紙を見れるようにして本を持ち上げた。

それは至って新品そのままで、まだ誰も触ってすらいないんじゃないかというほど綺麗だった。

ハーマイオニーはその本を何度も読んだ。幾通りからなる薬草の調合やその名称の隅々まで。さすがに実践したわけではないが、厚みのあるその本を彼女は丸暗記をしているためその分野の知識だけでもほかの者たちより優れている自信がある。

 

「あなた、もしかしてその本今日初めて読んだの?」

「ええ。」

お恥ずかしながら、と言って少女は眉を下げ、頬を掻いた。

 

 

――――すべての教科書も今日初めて読んだのだけどね。

彼女は心の中でそう溢す。

 

「私はもうその中にあるものは全部覚えたわ!大変だったけど…。それでも新しい世界のことだから、知るのが楽しくて苦じゃなかった!」

「そうですね。私もこうやって知っていくのは楽しいと思います。」

「でしょう!だからセレナもたくさん読むことをお勧めするわ!」

「ふふっ。はい、分かりました。」

 

少女はハーマイオニーの様子を見て笑う。

その花がほころんだような子供らしい笑顔を見て、ハーマイオニーは少し目を見開く。同い年の何人も自分に見せたことのなかったその親しげなあどけない笑み。それを見ることができたのが嬉しくて。

 

 

 

彼女は、少女の笑みに答えるように、目を細めてクスリと笑った。

 

「ああ、もうそろそろ発車しそうですよ。」

少女は懐中時計を開いてそう言った。

窓の外を覗けばもう太陽は真上へと近づいている。

 

 

ホグワーツ特急は駅から発車した。

 

 




遅くなってしまい申し訳ありません。

コンパートメントとか列車の構造ってどうなってるんでしょうね。いまいち分からず「ええい、こうだ!」とやってしまいました。
もし間違いがあれば、報告していただければありがたいです。

余談ですがこの小説、多分兄が出てきてからが本番です。現段階で決まっていないことは多いですが、意味わからない要素が多くなるのは確かです。

最後に、できれば一度この小説の評価をつけていただきたいなと思います。どうしても客観的な視点に欠けてしまうため、読者様からの評価が欲しいのです。

長くなってしまいましたが、ここまで御閲覧頂き、誠に感謝致します。

それではまた次回をお楽しみに。




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カエル騒動と組み分けの儀

〇●〇

さて、二人の談笑が収まっていき社内販売のおばさんが過ぎて行ってどのくらい経ったのだろうか。外の太陽はすこし下がり、白い雲の中に隠れていた。

二人は本を読んでいる。話すことはないが気まずさはそこにはなく、心地の良い静寂がその空間を満たしていた。ぺらりとページをめくる音だけがその空間に響く。

何十回目かの音が鳴った時、ふとそれに紛れて扉の方から重い音が三回鳴った。耳をすませば、外側から鼻をすする音がかすかに聞こえてくる。

少女は不思議そうな顔で本にしおりを挟み、ぱたんと閉じた。

 

「どうぞ。」

 

少女がそう言うとドアが重々しく開き、丸顔の男の子が泣きべそをかいて入ってきた。その子は彼女たちのことを見ると―――あっと声を上げて離れていってしまった。

 

「?」

「私、行ってくる。」

 

どこか強い態度でハーマイオニーは男の子を追いかけていった。しかし走らずできるだけ早足ですたすたと。

少女は首をこてんと傾げ、しおりを挟んだ場所をもう一度開く。残りの文章に目を通し、ページをめくる――――そうする前に、彼女はふとその指を止めた。そして、コンパートメントの入り口にゆっくりと目を向ける。

 

 

「ゲコッ」

「おや。」

 

コンパートメントの空いたドアから一匹のヒキガエルが覗いていた。彼女が本に目を戻すと、ヒキガエルは彼女の向かいの席まで移動しちょこんと跳ねる。

 

 

(誰かのペット、かな。)

 

彼女はもう一度本にしおりを挟んで閉じ、ヒキガエルを見る。堂々とした姿でそこに居座るその生物は、我関せずといった様子で身を屈めていた。

彼女は本をトランクへと仕舞ってヒキガエルに手を伸ばす。

すると、ヒキガエルは意外にもすんなりと彼女の手のひらに乗った。

 

「素直ですね。」

 

彼女はヒキガエルを両手で持つと、先程丸顔の男の子が言った方向に歩を進めた。

 

「…」

 

向こうから、どこか貴族らしき三人組が歩いてくる。彼女はその中の一人に覚えがあった。

そう、ダイアゴン横丁でハリーと話していた男の子だ。

青白い肌に尖った顎。そしてオールバックにした綺麗なプラチナブロンド。どこか幼いながらも貴族のような風貌をした彼は、不機嫌そうな顔でがっちりとした体格の二人組を連れていた。

少女はそれを気にすることもなくすれ違う。

 

しかし、向かってくる三人が彼女に気が付いた様子は無かった。

 

もう外は夕暮れの赤から紫、そして深い深い碧へと染まろうとしていた。明るい空にはもう白い三日月が浮かんでいる。ざわざわという声が聞こえる廊下を、ヒキガエルを抱えながら彼女は歩いていた。

 

 

「い――って―――の?」

 

聞き覚えのある声が聞こえてくる。彼女は一瞬立ち止まる。そしてその声を辿るように歩き、声の主であろう見覚えのある栗色のふふわふわした髪の毛の後ろに立った。

 

 

「いいわよ。みんなが「ゲコッ」――っうわ!?」

 

突如後ろから聞こえてきた声に、ハーマイオニーは勢いよく振り向いた。そのコンパートメントにいた二人――ハリーと赤毛の男の子も驚いて少女の方を向く。

 

 

少女が()()()()()()()()()()()()()()()音もたてず立っていたのだ。三人が驚くのは必然的だった。

 

 

「セレナ!」

「おやハリー君、一か月ぶりですね。」

 

 

彼はぱっと笑顔になってそう言った。呼ばれた少女も微笑んで返事をする。それを見て我に返ったハーマイオニーは現状についてを少女に愚痴り、赤毛の男の子はというと、少女を見て顔をほんのり赤く染めていた。

がやがやとコンパートメント内に騒がしさが出てくる。

遅れて赤毛の男の子がはっとすると、ハーマイオニーの方を向いてうんざりだというような顔で尋ねた。

 

「…何かご用?」

「あ、そうだった。二人とも急いだほうがいいわ。ローブを着て。私、運転手に聞いてきたんだけど、もうまもなく学校に着くって。二人とも、けんかしてたんじゃないでしょうね?まだ着いてもいないうちから問題になるわよ!」

高圧的なハーマイオニーの態度にロンはムッと顔を顰める。

「スキャバーズがけんかしてたんだ。僕たちじゃないよ。よろしければ、着替えるから出てってくれないかな?」

彼女を睨みつけながら彼は言った。ハーマイオニーはそれにフンと小さく鼻を鳴らす。少し目を細め、ロン、そしてハリーを睨む。

 

「いいわよ―――みんなが通路でかけっこしたりして、あんまり子供っぽい振る舞いをするもんだから、様子を見に来てみただけよ。セレナ、行きましょう。」

ツンと小ばかにするように、扉の方に振り向きながら彼女は言った。ハリーがそれにほっと息をついたところで、彼女は思い出したように顔だけ赤毛の男の子の方へ振り向かせる。

 

「ついでだけど。あなたの鼻、泥がついてるわよ。気が付いてた?」

 

赤毛の男の子の顔はぴくりと止まるとすぐに顔を真っ赤にして、もうコンパートメントのドアから出ているハーマイオニーをぎっと睨んだ。ハリーは彼とハーマイオニーを今後に見た後にもう一度息をついた。と思えば、あっと声を上げて少女の方を向いた。

 

「セレナはどうしてここへ?」

「ああ、忘れるところでした。…実はこの子の飼い主を探しているんです。何か心当たりは?」

「もしかしてヒキガエル?それならさっきあの子と一緒にここに来たよ。」

「そうですか。ありがとうございます。ではハリー君そして赤毛の方、またホグワーツで会いましょう。」

「うん、じゃあね。」

「あ、ああ。」

 

ハリーにそっと少女は手を振る。赤毛の男の子はぽーっとした顔で少女をコンパートメントから出るまで見つめていた。

 

かつり、と小さな足音が響く。

 

コンパートメントの外はやけに静かだった。少女はそこに出るとヒキガエルを足元に降ろし、一歩動いて頭を振る。そして長い長い廊下に耳を澄まし、青い目を右から左へと移動させ、目を閉じて拍手を一つ打った。

 

パァンという乾き澄んだ音は周囲の喧噪を包み込み、同時に凛とした空気が列車内に満ちさせる。拍手の余韻が無くなると同時に、周囲のざわつきの音も跡形もなく消え失せた。

 

少女はクスりと笑う。

次に彼女は勢いよく廊下側の窓を開けた。空は紫色が藍と交わり濃くなり、研ぎ澄まされた刃の様に鋭く舞い込む風がひゅうひゅうと彼女の頬を撫でる。少し視線を下げてみると、夕焼けも過ぎたその空の下には薄暗い森が広がっていた。帰路に着く鳥の影を追い越し、紅い列車はぐんぐんと駆け抜ける。

彼女は早々と移り行く景色をぼーっと眺める。そしてふと、窓の外にその細く白い手を伸ばした。ローブの袖口がカラスの羽の様にばさりとはためく。蕩ける蜂蜜色の三日月が、白い睫毛の間からのぞいた。

 

「おいで…」

 

ゆっくりと。手招きをするように、ふわふわとした声色で甘くささやくように言う。

 

すると突如、紫色の中にぽんと黒い影が現れた。

影はスピードを上げる列車と並走すると少女の下へと飛んでいき、ふわりと彼女の腕に留まる。

少女は口を開いた。

 

「お疲れ様、Marisol。」

 

黒い塊は汽車の明かりに照らされてその全貌を現す。

それは、彼女のフクロウだった。それは青みがかった黒い羽根をブルりと震わせた後にオレンジと青の瞳を輝かせ、実に愛らしい表情で主を見る。

少女は少し目を輝かせると、そのフクロウの嘴に咥えられた封筒を受け取り、フクロウの頭をやさしく撫でた。

目を細めてフクロウはぴぃとひと鳴きする。

 

白い艶やかな髪が風になびく。金色の瞳が目の前の風景を鏡像のように映す。

 

(さて、何が書いてあるのかな?)

 

キラキラとその瞳に期待を宿して真っ白な封筒を開け、中にある手紙を読む。

 

 

「…。ふふっ。」

 

彼女の口から笑い声が漏れる。読み終わった手紙を畳んで封筒に戻すと悪戯っぽく微笑み、その目に浮かぶ下向きの淡い三日月をきらりと光らせる。そしてくくっと口元に手を当ててもう一度笑うと、フクロウをふわりと撫でた。

 

「んじゃ、ホグワーツで待っててね。」

 

フクロウに笑いかけ、彼女は腕をもう一度空へと伸ばす。フクロウは腕の上で羽を動かし、

 

「ぴぃ!」

 

ばさりと黒い翼をばさりと鳴らし、どこまでも遠い空めがけて大きく飛び上がった。

 

「さぁて、もうすぐ着きますね。」

 

 

窓辺に頬杖を突いて少女はそれを見送る。

もう空には紺色のヴェールが下りている。汽車が平地を抜けて、神秘に満ちた透明な護りを通り過ぎるのを少女は眺める。

(もうすぐホグワーツに着く。)

そう考えると彼女は口角をぐっと上げ、顔を伏せた。空にはその感情を表すかのように、彼女の瞳と同じ金色の三日月がうかんでいる。

 

 

ゆっくりと、ゆっくりと揺られながら、風をその身に受けながら。すうっと息を吸って彼女は目を閉じた。

 

 

 

ぱちんと泡が弾ける様な音が響く。

彼女の居る空間に雑踏が溢れる。

窓はいつの間にか閉まっていて、ゆるりと開いた少女の瞳もまた青に染まっていた。

程なくして、彼女の耳に声が聞こえてくる。

 

「あ、セレナまだここにいたの?運転手に聞いたんだけど、あと五分でホグワーツに着くって。もうあなたも準備した方がいいわよ。」

「ああ、もうそんなに。ありがとうございますハーマイオニーさん。」

 

話しかけてきたハーマイオニーに、少女は微笑む。

彼女はもう一度空を見て目を細めると、ヒキガエルをそっと抱えて汽車の出口の方へ向かった。

出口はもう出ようとする人で賑わっていた。我先にと急ぐ生徒たち。その眼には期待、緊張と様々な感情が映っている。

 

 

 

月が昇り、暗闇は更に黒くなる。少女は一瞬後ろを振り返ると、人ごみに掻き消えていった。

ホグワーツ特急は滑らかにゆっくりとスピードを落とし‥‥ゆっくり止まった。続いて列車の扉が開き、わぁわぁという声が外に溢れ、黒いローブの集団が次々と降りて行く。

少女もまた、それに乗じて外へと出た。

 


 

そこは、小さなプラットホームだった。無人駅のようで、人気のない場所。けれども街灯がそこを明るく照らしていた。夜の肌寒さがツンと鼻をつく。

その中で少女は、人ごみの向こうに仄かな光を見た。ほどなくして聞き覚えのある声が響く。

 

イッチ()年生!イッチ年生はこっち!ああ、ハリー。元気か?」

ハグリッドが生徒の波の向こうからハリーに明るく笑いかけた。ハグリッドはランプを額の高さまで掲げる。

 

「さあ、ついてこいよ―――あとイッチ年生はいないかな?足元に気をつけろ。いいか!イッチ年生、ついてこい!」

そう声を張り上げ、彼は後ろの小道を進んでいった。

 

小道はプラットホームよりも暗く、険しい道のりだった。ついていくのに精一杯で、時折何人かが足元の小石に躓いたり、小さく悲鳴を上げるのが聞こえてくる。後ろの方に居た少女の目の前でも、突然誰かが大きくこけた。

どさっと鈍く大きな音が鳴り、声なき悲鳴が上がる。少女はその子の前方に回り、手を差し伸べた。

 

「大丈夫ですか?」

 

目の前の子は鼻を少しすすり、少女の手を取った。彼女はそれを見てぐっと引っ張り上げる。その子は、汽車でコンパートメントを開いた瞬間逃げてしまった子だった。目の前の彼は痛みに少し呻きながらも、少女の方に向き直る。

「あ、ありが―――あ、トレバー!」

目を上げたところで、彼は驚きの声を上げた。少女は合点がいったのか、ああと言ってヒキガエルを彼の前に差し出した。

「貴方のだったんですね。はい。――――今度は手放さないように、しっかり持った方がいいですよ?」

「うん、そうするよ。ありがとう。」

 

ヒキガエルが手元に来たことに涙目になりながらも、男の子は少女に頭を下げる。そして、自分が後ろの方に来ているのを知って慌てると足元に気を付けながら急ぎ足で小道を歩いて行った。少女はそれを見送ると、ゆっくりと歩きだす。うっそうと茂る森に隠れた向こう側に期待を寄せ、誰も知らない歌を口ずさみながら。

道を照らす星明かりを頼りに、時折吹き抜ける風に身震いしつつ、生徒たちは緊張と疲れが混ざった表情でどんどん奥へと進んだ。誰も口を開かず、足を止めなかった。

何人かの足が痛みを訴えてきた頃

「みんな、もう少しでホグワーツが見えるぞ。この角を曲がったらだ。」

ランプを全員が見えるように掲げ、振り向きながらハグリッドは言った。

すると、一斉にわっと歓声が沸き起こった。誰もがその先に在るものを思い、キラキラとした表情で歩を進めた。少女はそれに混ざらず、ただ傍観していた。

 

―――急に視界が開け、一行は夜空を注いだように黒く大きな湖のほとりに出た。向こう岸には高い山がそびえ、その頂上の壮大な城が見える。そこには大小様々な塔が立ち並び、窓から、ぽつぽつとある街灯が明るいオレンジ色の光が漏れ出ていた。その上に映る優美な夜空も相まって、まさに一つの写実的な絵画のようだった。

全員が森から足を踏み出しホグワーツを見たところで、ハグリッドは立ち止まり振り返った。

 

「よーし、四人ずつボートに乗れ!」

 

彼は岸辺につながれた小舟を指さした。皆がそこへぞろぞろと向かう中、少女は杖を振ってローブ裾の汚れをさっと拭った。

 

「さて。」

 

少女は小舟を見渡し、空いているところに向かう。

その船には暗闇に覆われて栗のようになったショートヘアの男の子と、金髪のおさげ髪の女の子、赤みがかった琥珀色の髪の女の子がいた。

 

「すみません、相席してもよろしいでしょうか?」

 

少女は三人に問うた。その声を聞いて三人は彼女に目を向け―――見開いた。

薄暗い中、それでも目立つ真っ白な髪。そして夜の湖面とそれに映る星明りのような仄かな暗さと幻想的な煌めきを湛える青い瞳。気づかなかったのが不思議なくらいだった。

 

「あ、ああ、うん。」

 

男の子が言った。その言葉にハッとして、女の子二人が頷いた。少女はその返答ににっこりと微笑み、ゆったりとした動作でボートに乗った。

ゆらりゆらりと上下する乗り心地はとても心地よいもので、黒々とした湖面をぼんやりとオレンジ色のランプが照らしているのもまたミステリアスな雰囲気を漂わせていた。

少女は、三人を見てにっこりと微笑む。

 

「私はセレナ・スペンサー。あなた方は?」

「ええっと、私はSusan(スーザン)Bones(ボーンズ)。」

琥珀髪の女の子が少し遠慮気味に答えた。

「僕はSeamus(シェーマス)Finnigan(フィネガン)。よろしく。」

「私はHannnah(ハンナ)Abbot(アボット)。よろしくね、スペンサーさん。」

「はい、こちらこそよろしくおねがいします。」

薄茶色のショートヘアーの男の子と、金髪のおさげ髪の女の子が答える。少女はその返答を聞いてもう一度微笑んだ。

さざ波の音が、四人の周囲を包む。ピンと張られていた三人の緊張感も、少しだけ緩んだようだった。

 

一瞬だけ、穏やかな静寂が辺りを満たした。

 

「みんな乗ったか?」

静寂を呑むように、ハグリッドが大声を出した。彼は一人でボートに乗っていた。

「よーし、では、進めえ!」

張り裂けるような大声が、その静寂を薙いだ。するとその途端、ボート船団が一斉に音を立てず悠々と滑り出したではないか!

静かに、鏡の湖面が波紋を立てる。ランプの炎がゆらゆらと揺れる。けれども生徒は全員黙っていた。話すことが無かったからではない。むしろ話すべきことがたくさんあった。しかし話せなかった…いや、言葉が出なかったのだ。

目の前の景色の故に話すことを忘れてしまったのだ。

 

向こう側の崖がだんだんと迫ってくる。その上にそびえたつ巨大な城を皆見上げていた。その圧迫感と重厚感のすべてはのしかかってくるようで、雰囲気に大勢が圧倒された。非魔法族はその非現実的な景色の壮大さに。魔法族は話に聞いたものよりも素晴らしいその雄大さに、積み重なってきた歴史が示す重々しさに。

 

「頭、下げぇー!」

 

少女が乗っている船を含めた先頭の何隻かが崖下に入るとき、ハグリッドがまた大声を上げた。

全員が一斉に頭を下げると、蔦のカーテンが頭の上を通り過ぎた。頭を上げたとき、船はその陰にある崖の入り口に入ろうとしていた。そこは、城の真下と思われる暗いトンネルだった。

外よりもひんやりとした空間。時折風が音を鳴らしながら通り過ぎる。後ろを振り返ってみれば、数多もの光がぼんやりと灯篭流しの様にふわふわと流れていた。

程無くして、地下の船着き場に到着した。小舟はぴたりと静止し、全員が岩と小石の上に降り立つ。少女もまたふわりとそこに降りる。まだ船に揺られる感覚が少し足をふらつかせた。

 

「よーし、もうすぐだ。しっかりついてこーい!」

ハグリッドがまた大声を出し、進んでいく。生徒たちは暗い中、彼のランプの炎を頼りにごつごつした岩の道を登り、夜露でしっとりと湿った草むらを進み、城影の中にたどり着いた。

全員石段を登り、巨大な樫の木の扉の前に集合する。

「みんな、いるか?」

そうぐるりと見まわして確認すると、ハグリッドはその大きな握りこぶしを振り上げ、城の扉を三回たたいた。

 

すると、扉がぱっと開き、向こう側から静かなエメラルド色の滑らかなローブを着た背の高い黒髪の魔女が現れた。姿勢がしゃんとしていて、とても厳格そうな顔つきをしている。逆らってしまったら不味い、と生徒のほとんどが感じ取った。

(けれども、その厳しさゆえに優しい。)

少女は彼女の顔をじっと見上げる。

「マクゴナガル教授、イッチ()年生の皆さんです。」

ハグリッドが報告した。

「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう。」

マクゴナガル先生は、扉を大きく開けた。そこでまず目にしたのは、巨大な玄関ホールだった。

一つの家ならば丸々入って余るほど広く、大理石の白い壁を松明の光が照らし、天井は闇がその光を吸い込んでしまうほど高かった。そして眼前には、長い歴史を刻んだ重々しい大理石の階段が上へと続いている。

マクゴナガルが歩き出す。その後を生徒たちは何も言わず付いていった。石畳のホールを横切る。その中央にかかるとき、入口の右手の方からざわめきが聞こえてきた。おそらく何十、いや何百にまで近いそれを聞いて皆が緊張する。もうすぐ自分たちはそのざわめきの主たちの目の前を歩むことになるのだろう、と。

ところが、マクゴナガル先生はホールの脇にある小さな空き部屋に案内した。

全員入るには少し窮屈な部屋で、そこに詰め込まれた生徒らは大勢の前ではないことの安心感と何が始まるのかという不安感を同時に抱いた。背中を預けるものがない中、皆きょろきょろしながら互いに寄り添い立っている。

 

「ホグワーツ入学おめでとう。」

マクゴナガル先生の挨拶に、ばっと皆首を動かした。

「新入生の歓迎会が間もなく始まりますが、大広間の席に着く前に、皆さんが入る寮を決めなければなりません。寮の組み分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が皆さんの家族の様なものです。教室も寮生と一緒に勉強をし、寝るのも寮、自由時間も寮の談話室で過ごすことになります。

寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。それぞれに輝かしい歴史があって、偉大な魔女や魔法使いたちが卒業しました。

ホグワーツにいる間、皆さんの良い行いは寮の得点になりますし、反対に規則に違反した時は寮の原点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。

―――どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りになるよう望みます。」

優しい声色で締めくくる。生徒たちはそのプレッシャーに緊張したり、逆に目を輝かせたりと様々だった。

一拍置いて、マクゴナガル先生が口を開く。

「まもなく前項列席の前で組み分けの儀式が始まります。待っている間、できるだけ身なりを整えておきなさい。」

そう言ってマクゴナガル先生は丸顔の男の子のマントの結び目が左耳の下の方にずれているのに、赤毛の男の子の鼻の頭が汚れているのに目を留めた。

少女はネクタイをいじり、袖や裾を確認して満足そうにうなずく。

「学校側の準備ができたら戻ってきますから、静かに待っていてください。」

先生は部屋を出ていく。

寮は一体どう決められるのだろうか。そう思うと他の生徒もこわがってあまり話をしなかった。赤毛の男の子は兄から聞いたことを口にしたり、ハーマイオニーが今までに覚えた全部の呪文について早口でつぶやいたりするのを聞いてその緊張はさらに高まっていく。

 

 

すると、突然不思議な出来事が起こった。何人もの生徒たちが一斉に悲鳴を上げたのだ。他の生徒がそれにつられて振り返り―――息をのんだ。

 

後ろの壁から、すっと、真珠の白に薄く青を垂らしたような色をした幽霊(ゴースト)がざっと数えて二十人以上現れたのだ。しかしそれらは新入生の方に見向きもせず、互いに何か話をしながらするすると横切っている。

そんな中、太った小柄な修道士らしいゴーストが言う。

「もう許して忘れなされ。彼にもう一度だけチャンスを与えましょうぞ。」

「修道士さん。ピーブスには、アイツにとっては十分すぎるくらいのチャンスをやったじゃないか。我々の面汚しですよ。しかも、ご存じの様にやつは本当のゴーストじゃない―――おや、君たち。ここで何をしてるんだい?」

 

ひだ襟の付いた服を着てタイツをはいたゴーストが、急に一年生たちに気づいて声をかけた。生徒たちは誰も答えなかった。ひゅっと呼吸をすることしかできなかったのだ。

「新入生じゃな。これから組み分けされるところか?」

太った修道士が一年生に近づき微笑みかけた。その中の二、三人が黙ってうなずく。

「ハッフルパフで会えるとよいな。わしはそこの卒業生じゃからの。」

と、朗らかに修道士が言った。その生前の話に少し興味を持ったのか、何人かがその話に耳を傾けようとした。

「さぁ行きますよ」

…とその時、厳しい声がした。ゴーストが不意に黙る。生徒たちがその声の方向にぱっと振り向き、緊張した表情になった。

「組み分け儀式が間もなく始まります。」

マクゴナガル先生が戻ってきたのだ。ゴーストたちはすぅっと壁の向こうに消えていく。

「さあ列になって、付いてきてください。」

凛とした声が教室に響いた。全員が一列になり、マクゴナガル先生の後に続く。一年生は部屋を出て再び玄関ホールに戻り、重厚な二枚扉を通る。

 

 

大広間は、まさに魔法界と形容するに相応しかった。

 

何千という白い蝋燭が宙に浮かび多くの群を作り、四つの長いテーブルから大広間全体にかけてを明るく、きらびやかに照らしていた。テーブルには多くの上級生たちが着席している。皆ざわざわとしていて、新入生たちを期待のこもった目線で見つめていた。どうやら長いテーブルは四つの寮に分かれているらしく、左と右ではその襟元にあるネクタイの色が違っていた。

広間の上座には両側にある紺色に染まった窓を背に、校長と見られる老人を中心に先生たちが長いテーブルに並んで座っている。

 

マクゴナガル先生は上座に向かって、上級生たちのテーブルの間を歩いていた。

 

「本物の空に見える様に魔法がかけられているのよ。『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ」

どこからかハーマイオニーの声が聞こえてくる。それを聞いて少女は上を見上げた。

そこには天井とみられるものは無く、大きな天窓をがらりと開けたように清々しい晴れの夜空が広がっていた。紺よりも深く鮮やかな空に、細くたなびく白い雲。その隙間から小さな白い点がぽつぽつと顔をのぞかせている。その遠さと美しさにすっと吸い込まれそうになるほどだ。

「おー」と少女は感心したように声を上げる。純粋な瞳で、その自然を映す。

そうしているうちに列が止まり、彼女は目の前の子にぶつかりそうになって慌ててぐっと急停止した。周りを見てみれば、生徒たちはいつの間にか先生たちの方を見る形でずらりと並んでいる。

すると、マクゴナガル先生が一年生の前に四本足のスツールを置いた。その上に、もう一つ何か乗せた。その途端、大広間に静寂が訪れる。緊張の糸がピンと張られ、全員の視線がその上の物体に向かった。少女も列の隙間から顔をのぞかせる。

 

それは、魔法使いが被っているようなとんがり帽子そのものだった。つぎはぎで、どのくらい使われてきたのか分からないほどくたびれている。一体何が始まるというのか。彼女がそれを気にし始めた、その時だった。

帽子が、ピクリと動いた。つばのヘリの破れ目が口の様に開き、その上にある二つの大きなしわがぎゅっと縮こまりかっと目の様に開く。そして口のような部分を大きく開き、歌い始めた。

 

 

 

私はきれいじゃないけれど 人はみかけによらぬもの

私をしのぐ賢い帽子 あるなら私は身を引こう

山高帽子は真っ黒だ シルクハットはすらりと高い

私はホグワーツ組み分け帽子 私は彼らの上をいく

君の頭に隠れたものを 組み分け帽子はお見通し

被れば君に教えよう  君が行くべき寮の名を

 

グリフィンドールに行くならば 勇気あるものが住まう寮

勇猛果敢な騎士道で 他とは違うグリフィンドール

 

ハッフルパフに行くならば 君は正しく忠実で

忍耐強く真実で 苦労を苦労と思わない

 

古き賢きレイブンクロー 君に意欲があるならば

機知と学びの友人を ここで必ず得るだろう

 

スリザリンではもしかして 君はまことの友を得る

どんな手段を使っても 目的遂げる狡猾さ

 

かぶってごらん!恐れずに!

興奮せずに、お任せを!

君を私の手にゆだね(私に手なんかないけれど)

だって私は考える帽子!―――

 

その歌が終わると同時に、広間全体から拍手喝さいが巻き起こった。帽子は四つのテーブルにそれぞれお辞儀をして、再び静かになった。新入生達は、ぽかんとした顔で帽子を見る。

(へぇ…。意思でも入っているのかな?少し試してみる価値はありそうだね。)

新入生の間で影を落とす彼女の目が、きらりと一瞬光る。

マクゴナガル先生が、羊皮紙の巻紙を手にもって進み出た。

「ABC順に名前を呼ばれたら椅子に座り、組み分けを受けてください。」

そう言って、彼女は羊皮紙の巻紙をすらりと開く。

「アボット・ハンナ!」

最初に呼ばれたのは、先程少女と舟に乗っていた女の子だった。転がるように前へ出てくると、ハンナは椅子に腰かける。マクゴナガル先生がその頭に帽子を乗せると、彼女の目は隠れてしまうほどだった。

一瞬広間が沈黙する‥‥

 

ハッフルパフ!」

 

高らかに、帽子が宣言した。

すると右側のテーブルからわっと歓声と拍手が起こり、てとてととハンナはハッフルパフのテーブルに着いた。

「ボーンズ・スーザン!」

次に呼ばれたのも彼女と舟に乗っていた女の子だった。彼女が帽子を被せられるとすぐに

ハッフルパフ!」

と、帽子が叫んだ。スーザンはたっと小走りでハンナの隣に座った。

少女は目を閉じる。歓声を流すように、意識にふたをするように。

 

(うーん、暇すぎる。だめ‥‥もう‥‥瞼が…。)

そして‥‥立ったまま眠りについた。すやすやと静かに寝息を立てて、緊張感のあるなかで堂々と。

ただ単に、睡魔には勝てなかったのだ。

時間がどんどん流れていく‥‥

 

グリフィンドール!」

その帽子の言葉と共に出てきた今までよりも大きく割れるような拍手喝采で、彼女の意識は覚醒した。

前を見てみれば、ハリーが椅子から立ち上がって一番左端のテーブルに移動する。その表情は非常に嬉しそうで、安心していた。

ふと周りを見てみれば、少女以外にはあと三人しか残っていない。

 

「セレナ・スペンサー!」

マクゴナガル先生が呼ぶのを聞いて、彼女は振り向き、椅子へと歩いていく。

 

カツリと彼女の靴が硬質な音を立てるとともに、大広間は水を打ったような静寂に包まれた。それは緊張ではなく唖然呆然というもので、大広間全体に凛とした“無”が広がる。オレンジ色の光に照らされて仄かに光る少女の髪が、三つ編みがふわりと波打つ。白い睫毛の下からどこから見てもわかる澄んだ青い瞳が覗いている。薄紅色の唇がゆるりと弧を描く。軽やかで重力すら感じられない動き。嗚呼、それはまるで――――美しい小さな妖精のようだった。

 

彼女の靴がまたカツリと次の音を鳴らすと同時に、さっと小さなざわめきの波が広がっていく。

 

彼女が椅子に座って見たのはーーー色々な感情が入り混じる色とりどりの目線だった。

遅れて彼女の視界が真っ暗になる。

 

(フーム?少し君の心の内を見せてくれないかね。)

困惑のこもった低い声が彼女の耳の内に聞こえてくる。同時に心の周りをぐるりと這うような感覚が少女の内に起こる。

 

(おや、何もしてないんですがねぇ…。あぁ、もしかして読心術か何かですか?なかなか高度なものをお持ちのようで。…へぇ、創設者の意思を入れた帽子。重んじることで選ぶ…備わっている素質と合わせて?ほう、ここまでのことができるとは。いやぁ君たちのことを過小評価していたみたいだね。)

(…っ!ここまでの子が来るとはね。驚いた。心を読まれることに怖気づかない勇気、侵入されても何一つ言わない寛容さ、そして隅々まで知ろうと調べる探求心、――ああ、何よりも君はよく頭が回るようだ。君にはどの寮にも入れる素質が備わっている。君の意思を知れたらすぐにでも決められるのだが…さてどこに入れたものか。)

(ふふっ、どうやら意志そのものがあるみたいですね。おまけに賢い。)

 

帽子のつばの影で、彼女の口角がぐっと上げられる。帽子シワがやけに焦った表情になる。

静かな戦いが幕を開けた。

ざわざわという声が、大広間に反響し、増幅される。せっかちな誰かが金色の皿をカチリと指で鳴らした。

―――彼女が座ってから、長い時間が過ぎていく。五分を超えたとき、帽子がもう一度少女の心に語り掛ける。

 

(・・・君の内を見ることは諦めよう。それほどの知恵と力があるなら、君の素質は自信が何よりも知っている筈だ。

ーーー君に何か望みの寮はあるかね?)

(私の望みの寮?私の望み‥‥望み‥‥)

突然の質問の一単語を、飴玉の様に彼女は頭の中でその言葉を転がす。何度も何度も。わざと結論を出そうとせず、焦らせるように。

少し時間をおいて、あっと少し大げさに彼女が声を上げる。

 

(ああ、あります。これから一番面白くなりそうなことを直に体験できそうな寮。そこは―――)

 

 

ざわめきが大きくなる。どこの寮になるのか皆が気になり始めていく、まだかまだかと思い始めたその時だった。

 

 

 

 

 

グリフィンドール!

一瞬の静寂。そしてハリーの時と同じくらいの歓声とそれに勝らず劣らずの落胆の悲鳴が響いた。そんな中、歓声の上がった赤ネクタイの寮へと少女はゆっくり歩いて行く。彼女は歓声を気に止めず、心の中でくつくつと笑った。

 



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