連盟の狩人、鬼を狩る (まるっぷ)
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連盟の狩人による“鬼”狩り

アニメを見ていて衝動的に書きたくなったので書きました。原作未読なので細かい設定とか間違っていても、どうかご了承下さい。

※短編ですので続きません


場所は日本。

 

時代は大正。

 

そのとある田舎町に、一人の異邦人がやってきた。

 

 

 

 

 

「失礼、少しよろしいか」

 

「はい?何でしょう……」

 

まだ雪の残る季節。息を吐けば白く変わり、空に混じって消えてゆく。

 

そんな日の夕暮れ。家の前を掃除していた若い女性が、背後から声をかけられた。

 

こんな時間に珍しい、誰かしら?と思い振り返ると……そこに立っていたのは、一人の異邦人だった。

 

日本人よりもずっと高い背丈。恐らくは180cm以上か、小柄なこの女性は必然、見上げるような恰好になる。

 

服装は黒いコートのようなものを着ており、そこに短いマントが取り付けられている。手袋、ズボンも共に黒く、まさに黒づくめといった風貌だ。

 

唯一肌を晒した部分……ぼんやりとした陽の光を背にした壮年の異邦人の顔は、にっこりと優し気に微笑んでいた。

 

 

 

 

 

「まぁ。それではフランシスさんは、その“ヤマムラさん”という方の故郷をお探しに?」

 

「ええ。異国で亡くなった彼の遺品を、せめて彼の生まれた場所に埋葬したいのです。俶子(としこ)殿は何かご存知ありませんか」

 

囲炉裏を挟み、若い女性と異邦人という奇妙な組み合わせの二人が会話をしている。

 

フランシスと名乗った異邦人は女性のはからいにより、こうして囲炉裏で暖をとっていた。まだまだ外は寒く、立ち話もなんだから……との事だった。

 

「ええっと……すみません。そのような苗字の方はこの辺りにはいないですね。そもそも、あんまりこの辺りは人がいませんので」

 

「そうですか……彼は私と同じ仕事仲間だったのですが、不慮の事故で亡くなってしまい。こうして供養の旅をしている訳です」

 

「それは何とも大変な……あ。よろしければ、どうぞ」

 

「いえ。旅は慣れておりますし、道中それほど不便を感じた事はありません。ただ彼はあまり自身を語る事がなかったので、生まれ故郷を探すのには苦労しておりますが……ああ、かたじけない」

 

フッ、と。フランシスは過去を懐かしむように微笑み、女性より差し出された茶を啜る。

 

「ふむ……これは美味しい茶だ。そう言えば、廻しつぎも手慣れておりましたな」

 

「あら!お分かりになるので?」

 

「以前に彼が教えてくれた、数少ない知識の一つでしてね。よく故郷の茶の味を懐かしんでおりました」

 

和気あいあいとした雰囲気の中、話は弾み。

 

気が付けば、外はすでに夜になっていた。

 

満月が照らす、雪の残る寒い夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハァァ、と獣が森の中より這い寄ってくる。

 

爪をざわつかせ、歯を鳴らし、だらだらと涎を垂らしながら。

 

充血した目が捉えるのは民家の明かり。

 

 

 

ああ、もう我慢の限界だ。

 

腹が減って仕方がない。

 

中にいるのは男?女? 

 

女がいいな。

 

年の頃は?十代?二十代?

 

最後に喰ったのはいつだったか。

 

美味かったなぁ。

 

瑞々しい肌に歯を突き立てた感覚が忘れられない、まさに至上の味だ。

 

ああ、ああ、ああ!

 

もう、我慢できない!!

 

 

 

堪え性のない獣は駆け出し。

 

民家の戸を、勢いよく蹴り破った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ふん」

 

閉ざしていた瞳を開き、そして鼻を鳴らす。

 

「ふぁ……どうかされましたか、フランシスさん?」

 

布団に入っていた俶子が眠たそうにしながら問いかける。

 

すっかり夜も更けてしまったが故、フランシスは今夜はこの家に一泊する事となったのだ。食事を振舞われ、風呂まで頂き、しかし布団に入ってはいなかった。

 

こうしていると落ち着くので、と家の壁に寄りかかっていた彼はおもむろに立ち上がると、俶子に振り向く事もせずに口を開いた。

 

「俶子殿。布団をかぶり、しばし耳を塞いでいなさい」

 

「へ?」

 

「それから……寒い夜に気の毒だが、少しこの家の風通し(・・・)が良くなる」

 

頭に疑問符を浮かべる俶子。

 

その疑問を口にしようとした―――――その瞬間。

 

 

 

「がああぁ―――――ッッ!!?」

 

 

 

突如として戸が蹴破られ。

 

何者かが侵入してきて。

 

そして―――――いつの間にか散弾銃(・・・)を構えていたフランシスが、その引き金を引いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぉ―――――ッッあがぁ!?」

 

飛び込んできた獣を迎えたのは女性の柔肌ではなく、無慈悲な散弾だった。

 

ズドンッ!!と銃口より吐き出された血と水銀の弾丸は獣の身体に深く食い込み、その衝撃によって弾かれたように屋外へと叩き出された。

 

「きゃあぁぁぁああああああ!?」

 

戸が蹴破られる音とけたたましい銃声に、俶子から鋭い悲鳴が上がる。

 

そんな中であっても顔色一つ変えないフランシスは、懐に忍ばせていたある帽子を取り出す。地味な色合いの帽子。しかしそれこそが、彼が供養したいと言っていた“ヤマムラ”の遺品であった。

 

「さぁ、友よ……共に獣を狩ろうじゃあないか」

 

そう言葉を漏らした口が、弓なりに曲がる。

 

タンッ、という軽い音が響き……次の瞬間には、家の中にいるのは俶子だけとなっていた。

 

 

 

 

 

「ぐぁ……畜生、痛ぇ……!!」

 

獣は悶え苦しんでいた。

 

この身体になって、かれこれもう数十年の時を過ごしてきたが、こんな痛みは初めてだった。そもそも銃で撃たれるという事自体、そうある事ではない。

 

「やあ、こんばんは」

 

「ぁあ!?」

 

げほっ、と血の塊を吐き出し、見上げれば、そこには一人の男が立っていた。

 

着物ではない服装と高い身長、そして月下の下に晒された堀りの深い顔が、彼を異邦人であると雄弁に語っている。左手には武骨な散弾銃が携えられており、それを見た獣は頭の中がカッと熱くなる。

 

こいつだ、こいつが俺を撃ちやがった!人間の分際で!!

 

怒りと屈辱、そしてそれに勝る飢餓感が、獣を瞬時に行動へと移らせた。

 

「喰い殺してやるうぅうううう!!」

 

牙を剥いて襲い掛かる獣。

 

目の前の異邦人の喉元に噛み付き、そして思い切り食い千切ってやろうと、欲に塗れた眼球を血走らせる。

 

「良い満月(つき)だ」

 

一方の異邦人。

 

彼はゆるりと、右手を宙に彷徨させ―――――。

 

 

 

 

 

「獣狩りには……ああ、うってつけの夜じゃあないか」

 

 

 

 

 

―――――がしり、と。

 

虚空より、己の得物を掴み取った。

 

「―――あ?」

 

大口を開いた間抜け面の獣。その顔面に、歪に並んだノコギリの刃を叩き込む。

 

「ごっっ!!?」

 

ヂャリッッ!という悍ましい音を奏で、獣は地面に叩きつけられた。溶け残った雪を赤く染め、痛みのあまりに獣が絶叫を上げる。

 

「ぎゃああぁぁあああああああ!!痛ぇ、痛ぇよおおぉぉぉおおおおお!?」

 

顔面を、それもノコギリで削られるという激痛。特殊な治癒力(・・・・・・)を持つ獣であっても、それは耐えがたいものであった。

 

耳を塞ぎたくなるような叫びを前にした異邦人は、しかしやはり動じない。得物を振るって血を払うと、眼下の獣へ視線を落とし、そしてある事に気が付いた。

 

「……む?もう傷が治りかけているのか」

 

顔面に叩き込んだ深手。骨まで砕くほどの威力であったにも関わらず、もう傷が塞がりかけているのだ。

 

獣は血塗れの顔に憤怒の形相を浮かべつつ、口汚く異邦人を罵った。

 

「この糞野郎!!痛ぇだろうが何しやがる!!あとそのノコギリはどっから出しやがった!?持ってなかったじゃねぇかよさっきまで!!」

 

「ああ、これか?気にするな、所詮獣の脳では理解できんよ」

 

「馬鹿にしてんのかテメェ!?」

 

足元でぎゃあぎゃあと喚く獣に異邦人が呆れた、その時。

 

ビュッ!と、異邦人の顔面目掛けて鋭い拳が迫った。

 

「おっと」

 

「避けんなテメェ!!」

 

しかしそれをステップで回避する異邦人。怒りに任せて何度も拳を振るう獣であったが、それら全てを回避されてしまう。

 

「糞がぁ……テメェは絶対にぶっ殺す!!ズタズタにして骨も残さずに喰ってやる!!」

 

遂にこの日一番の力を込めた拳が溜められる。異邦人の顔面に狙いを定め、十分に引いた腕の筋肉が、一際大きく隆起した。

 

が、獣は知らなかった。

 

異邦人は、この瞬間をこそ待っていた事に。

 

 

 

―――タァン!

 

 

 

乾いた音が木霊する。

 

散弾銃よりも軽い、しかし鋭い銃声。発射された血と水銀の弾丸は獣の鳩尾を正確に撃ち抜き、びくりとその身体が強張った。

 

「がっ……?」

 

膝を突く獣が見たのは、やはり異邦人。

 

彼は先ほどの獣同様、腰を捻り思い切り右腕を引いていて―――――そして。

 

 

 

 

 

ぞぶっっ!!と。

 

獣の内臓が、月明かりの下で露わとなった。

 

 

 

 

 

「ぎょぉげべぇ」

 

よく分からない音を吐きながら後方へと飛ばされる獣。その身体は生えていた巨木にぶち当たり、そのままずるずると地面まで落ちてゆく。

 

「………はぁあ」

 

右手で掴み取った獣の内臓。異邦人はその香りに鼻腔をくすぐられ、満足げな溜め息を吐く。

 

が、それも僅かな出来事だった。興味を失ったように内臓を放り投げた異邦人は、ぴくぴくと痙攣する獣の下へと歩を進ませる。

 

さく、さく、さく。

 

溶け残った雪の上にばら撒かれた獣の血と内臓。

 

鮮やかな赤と、どす黒い赤。ほんの少しのピンク。そんな極彩色に飾り付けられた雪の上を歩く異邦人は、まるでレッドカーペットの上を歩いているかのようだ。

 

 

 

―――ああ、とても気分が良………っ!

 

 

 

「……いかんな。やはり獣狩りは昂ってしまう」

 

腹の内からじわりと広がる興奮を冷気で抑えつつ、とうとう異邦人は獣の目の前までやって来た。

 

「ぉ……げぇ……!」

 

「なんだ、まだ生きているのか。随分と丈夫な獣だ」

 

冷えた瞳で獣を見下ろし、異邦人はそう呟いた。

 

問いかけではないそれに対し、獣は弱弱しくもまだ悪態を吐く。

 

「あ、当たり前だぁ……俺ぁ“鬼”だぞ………こんな傷、すぐに治して……!!」

 

「“鬼”?」

 

獣の口から語られた聞き慣れない単語に、異邦人は小さく首をかしげる。

 

しばらく考えたが、やはり新たに分かる事はない。はっきりしているのはこの“鬼”と名乗った獣が、一泊の恩がある女性を喰らおうとした、という事だけだ。

 

異邦人の瞳が一層冷ややかなものになり、すっ、と瞳孔が小さくなる。

 

「友の祖国にもこんな“獣”が蔓延っていたとは、実に嘆かわしい………人喰いの獣、人紛いの獣、穢れた獣……みんなうんざりじゃあないか。なぁ、片目の友よ?」

 

異邦人はとある男性の姿を脳裏に思い浮かべ―――そして、新たな得物を携える。

 

それは奇妙な、しかしその狂暴性、凶悪性を隠しもしないものだった。

 

長い棒状の持ち手の先端に取り付けられた円盤状のノコギリ……『回転ノコギリ』を取り出した異邦人はゆっくりと、ゆっくりとそれを振り上げる。

 

「なっ……!?」

 

獣……否、“鬼”の双眸が驚愕に彩られる。

 

月光を背に得物を振り上げる異邦人の姿は、まさしく西洋の“死神”を彷彿とさせるものであった。

 

「だからこそ、殺し尽くそう。きっとこいつらの腹の中にも『虫』がいるに違いない。糞の匂いのする血の中に、きっといるに違いない」

 

ぞっっ、と。“鬼”の顔に初めて別の感情が宿る。

 

それは“鬼”が久しく忘れていたもの………『恐怖』だった。

 

「お、おい!テメェ知らねぇのか、俺らは不死身なんだぞ!そんなモンじゃ俺を殺せねぇぞ!?」

 

「そうか。ならばいつか貴様が死に絶えるその瞬間まで、何度でもこれを振り下ろそう」

 

「ひっ―――!」

 

上擦った声が感情を的確に伝えてくれる。

 

尤も、異邦人がその感情を酌んでくれる事などないのだが。

 

「同士ヤマムラの祖国で、この私が全ての『虫』を踏み潰そう」

 

「まっ、待―――――ッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数時間後。

 

もはや原型を留めない“鬼”の死骸が、異邦人の足元に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明けて、朝。

 

陽の光を浴びた“鬼”の死骸は塵へと還り、フランシスの身体にこびり付いた血と肉片もことごとく消え去った。

 

「あ、貴方は、一体………?」

 

回転ノコギリを肩に担いだままのフランシスに、俶子の声がかけられる。

 

振り返った彼は、彼女と初めて会った時の同じ微笑みを浮かべつつ、こう答えた。

 

「私の名はフランシス……しがない一人の狩人です」

 

 




満足(恍惚)。

やはり狩人様は良い……。


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情報収集と実験

思わず続いてしまった。

まだ原作未読なのでおかしな部分もあるかとは思いますが、それでも宜しければご覧ください。

……本当は自分の中の理想の狩人様に、好き勝手させたかっただけという。


「ヴァルト―ル」

 

「ああ、君か。狩りは順調かね?」

 

「無論だとも。汚らわしい獣も、血に潜む『虫』共も、一刻も早く根絶やしにせねばならん」

 

「フフフ……何とも君らしいな」

 

「ところで、そこの彼は?」

 

「ああ、彼は我ら連盟の新たな仲間だ。出身は日本という国だ」

 

「“二ホン”?……聞き慣れない響きの言葉だ」

 

「ここより遥か東に位置する国さ。文化も違えば言葉も違う、違和感はあって当然だろうよ」

 

「ほう。それほど遠くの国からこんな汚物塗れの地に来るとは、どうやら訳ありと見える」

 

「理由もなくここに来る者などいないさ……ところで君、彼の狩りに同行する気はないかね?」

 

「同行?私がか?」

 

「彼はまだ狩人となって日が浅い、人一倍狩りに執着してはいるが経験が不足している。先達として共に獣を狩り、殺し、『虫』を踏み潰すのだ」

 

「………良いだろう。他ならぬ君の頼みだ、断る道理はないさ」

 

「ありがとう、我が同士よ」

 

 

 

 

 

「私の名はフランシスと言う、君は?」

 

「……山村だ」

 

「そうか。ではヤマムラよ……共に獣を狩りに行こうじゃあないか」

 

―――全ての獣と『虫』共に、苦痛と絶望を味わわせようじゃあないか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「思えばあの日も、このような雲の濃い夜だった」

 

誰に語るでもなく、暗闇のなかで独白するフランシスの声が周囲に反響する。

 

周りには木々が生い茂っており、僅かしかない月の光を更に阻んでいる。もはや常人では目を凝らすのもやっとという暗さでありながら、当の本人はまるで気にしている様子はない。

 

「ヤマムラは最初から狩りが上手かった。カインハーストの系譜が用いる『千景』という狩り武器を手に獣共を斬り殺す様は、いま思い返しても見事という他ない」

 

かつての記憶に浸るように語るフランシスの口の端には笑みすら浮かび、それがいかに大切な思い出だったのかを物語っている。事実、今の彼の顔はとても優し気だ。

 

が、そんな彼の足の下。

 

そこには一匹の鬼が居た。

 

「ぅ……がぁ……!」

 

苦悶の表情を張り付けた鬼は、漏れ出す呻きを止められない。理由は単純極まり、深手を負っているからである。

 

とは言っても鬼は人間よりも遥かに丈夫だ。首が飛ぼうが平然とし、生半可な事では死にはしない。そんな鬼が深手を負っている。それはつまりどういう事なのか。

 

『達磨』だ。

 

付け根から手足を切断されているのだ。断面はひどくズタズタで、周囲には血と肉片が振り撒かれている。鬼の手足はガラスの欠片(・・・・・・)が散乱する地面に転がっており、さながら猟奇殺人現場のようだ。

 

「私がやってもああはいくまい。異邦の刃よりも、やはり刃を並べ血を削るノコギリの方が性に合っている」

 

このようにな、と、ようやくフランシスは自らが踏みつけている鬼と目を合わせた。

 

「ひぃっ!?」

 

「どうした、鬼よ。最初の威勢はどこへ行った?」

 

見下ろす瞳は酷く冷たく、鬼の喉から情けない悲鳴が絞り出される。

 

切断面からは絶えず肉瘤が隆起し、腕を再生させようとしているが、何故だか上手く作用していない。もぞもぞと身体をよじる姿はさながら『虫』のようで、フランシスの顔に満足げな笑みが浮かんだ。

 

「醜いなぁ……今すぐにでも踏み潰したくなってくるよ」

 

それでも殺さないのは何故か?

 

それは一つ、聞きたい事があったからである。

 

「一体、貴様らはどこから湧いた?」

 

「……っ」

 

それは単純な疑問だった。ヤーナムのように“獣狩りの夜”という特定の期間だけではなく、日常的に鬼は湧いている。

 

当然何らかの原因があって然るべきだ。それを特定しようとフランシスは足元の鬼へと質問を投げ掛けたのだが……。

 

「っ……!う、うぅ……!」

 

どうにも鬼の様子がおかしい。先ほどまでの苦痛を忘れてしまったかのように、今度は酷く怯え始めたのだ。

 

一体何に怯えているのか。フランシスは踏みつける足にかける力を増し、問いただす。

 

「言いたまえよ。そうすればすぐに楽にしてやろう」

 

「い、言えない!これだけは駄目だッ!?」

 

が、鬼の意地は存外に固かった。苦痛の最中にいるというのに、口を割ろうとしないのだ。

 

「……そうか」

 

フランシスはこれ以上詰問しても無意味と悟ると、鬼を踏みつけている足を退ける。一瞬ぽかんとした表情を浮かべた鬼であったが、地面にへばりついた頬の反対側に、何か硬質な感触を感じ取った。

 

ゴリ、と押し付けられる鉄筒。それはまさしく、散弾銃の銃口だった。

 

「喋らん口ならば、必要あるまい」

 

「―――――ッ!?」

 

鬼が何か言いかけ、口を開いた瞬間。

 

銃口から火花が炸裂し、肉と骨の華が地面に咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある山道。うっそうと生い茂った木々は人の視界を制限し、否が応でも足取りを遅くさせる。少し道から外れればすぐに方向感覚を失い、迷子になってしまいそうな程だ。

 

こんな山道でも近隣の村人たちにとっては重要な近道である。この道を通るのと通らないのでは、実に三倍近くの時間がかかってしまうのだ。無論山の中なので、熊や猪といった野生動物に襲われる危険性も孕んでいるが、それでも利用する者は後を絶えない。

 

しかし最近、特に失踪者が多い。

 

獣に襲われたにしては道に血痕は見当たらず、荷物も綺麗に無くなっている。まるで神隠しにでも遭ったかのような消え方に近隣の村人たちは気味悪く思いながらも、まさか自分は大丈夫だろうと、どこか他人事のように捉えていた。

 

真犯人が何であるのかも知らずに。

 

 

 

 

 

その鬼たちは三人組だった。正真正銘、三人の鬼が徒党を組んでいたのだ。

 

「昨日喰らった男は良かったなぁ」

 

「ああ、女も美味いが喰いごたえがねぇ。やっぱ多少硬い肉の方が俺は好きだ」

 

「だが次は子供の肉が喰いたい。あの柔らかさは格別だぞ」

 

月夜が照らす山の中、三つの声が響き合う。

 

通常鬼は群れない。一匹狼を気取っているのではなく、単純に一人当たりの肉にありつける量が減ってしまうからだ。

 

それぞれで縄張りを持ち、それを侵した場合は殺し合いにも発展する。まさしく野生動物のような関係性である。

 

しかし、何事にも例外は存在する。稀な例ではあるが、確かに群れる鬼たちもいるのだ。そしてこの三人組の鬼も、それに該当した。

 

この鬼たちはとある山に縄張りを持ち、そこにある山道を通る村人たちを食糧としていた。三人で手分けして見張っていれば広い山の中でも獲物を見落とさず、食事にありつける可能性が高まるという訳だ。

 

「着物も新しいのが手に入った。どうだい、これ?」

 

「ははっ、その柄はお前にゃあ似合わねぇな!それよりも、コレだ!」

 

「おお、帽子か!良いモン拾ったなぁ」

 

食糧がある程度確保されれば、腹が減るだけの無駄な争いも起こりにくい。鬼たちは喰い殺した村人たちの所持品を見せ合い、談笑する程の余裕を持っていた。

 

そうして鬼たちが次の獲物について語り合っていた、その時であった。

 

「……ぉ―――――ぃ―――……」

 

「あん?」

 

遠くから響いてくる声。これに反応したのは、先ほど帽子を自慢していた鬼だ。

 

こちらに呼びかけているというよりも、闇雲に大声を上げているという印象。こんな夜に、熊などが出るかも知れないというのに騒ぐ理由など、一つしかない。

 

「へへ、どうやら今日は夜食にありつけるみたいだぜ」

 

「ああ……それじゃあ人助け(・・・)に行こうとするか」

 

 

 

 

 

鬼たちはすぐに現場に到着した。

 

そこはすぐ近くに崖があり、道幅も細く、慣れない者が歩けば滑落する危険のある道だった。幸いにして崖下まではそこまで深くはないが、落ちれば一人でよじ登るのは難しい。

 

道には革製の鞄が転がっており、中から放り出された衣服などが横たわっていた。鬼たちは願ってもいない品物ににやりと笑い合い、ゆっくり崖際へと近付いてゆく。

 

「くく……おーい。どうしたんだぁ?」

 

一体の鬼が忍び笑いしながら語りかける。その声に崖下にいる人物は安心したように息を吐き、引き上げてくれと語りかけて来た。

 

「手を差し出してくれ。もう少しで上まで届きそうなんだ」

 

「ああ、分かったぜ」

 

鬼は後ろの二体に目配せし、その場に待機させる。彼らはやはりにやにやと笑いながら、仲間が餌を掴み上げるのを待った。

 

(ひひ、馬鹿な人間め。一気に引き上げて、後は囲って踊り食いだ)

 

舌なめずりをしながら、鬼は崖下へと手を指し伸ばす。

 

これだけ暗ければ尖った爪も、異様に白い肌も気付かれはしない。助けが来たと安心しきった愚かな人間。その顔が激痛と恐怖に歪む瞬間を、鬼が脳裏に思い浮かべた―――――次の瞬間。

 

「うぉッ!?」

 

がくんっ!と、鬼の身体が崖下へと引っ張られた。

 

堪える隙もなく崖下へと消えていった仲間の姿に、後方に控えていた二体の鬼の顔に驚愕と戸惑いの色が浮かぶ。

 

一体何が起こったのか。その疑問を声にする間もなく、事態はすでに動いていた。

 

「……ぎぃゃぁあああああああああああああっっ!?」

 

パリン、と何かが割れる音に、何かが噴き出す音。そして迸る悲鳴。それは紛れもなく、今さっき崖下へと消えていった鬼のものだ。

 

絶叫が木々を揺らし、羽を休めていた鴉たちを驚かせる。明らかな異常事態に残された鬼たちが僅かに後ずさりした……その時。

 

崖下から何か(・・)が放り投げられた。それは固まる鬼たちの足元まで転がってきて、当然彼らはそれがなんなのかを確認すべく、視線を足元へとずらした。

 

「なっ……!?」

 

「お、お前!?」

 

鬼たちが、本日二度目の驚愕に顔を歪ませる。しかしそれは、先ほどの者とは比べ物にならない程のもの。

 

彼らの足元へと転がってきた何か(・・)

 

それは手足を付け根から切断された、仲間の鬼の姿であった。

 

「がっ、がぁ……!?」

 

口から泡を吹き白目を剥く鬼。どういう訳か切断面は上手く再生せず、ぼこぼことした肉瘤が浮かんでは弾けて潰れていく。

 

もはや二体の鬼たちは動けなかった。餌にありつけると思った矢先のこの事態に脳が混乱し、現状を理解しようとするので精一杯だった。

 

「やあ、こんばんは」

 

「!?」

 

だからだろう。

 

恐らくは崖下からやって来たであろう、全身黒づくめの異邦人の姿に気付くのが遅れたのは。

 

 

 

 

 

「お前たちは低能で助かる。これが罠だと欠片も疑わなかったからな」

 

地面に散らばった衣服……旅の道中で手に入れた品々を、これまた旅の道中で手に入れた鞄に入れ直しながら、フランシスは語りかける。

 

そう、これは罠であった。この山で妙に村人が居なくなるという噂を聞きつけた彼は、こうして夜になるのを待って、鬼たちを捕まえる事に成功したのだ。

 

鞄を閉じ、近くに突き立てていた松明を手に取り、すっくと立ち上がるフランシス。

 

彼の瞳が見下ろすのは三体の鬼。全員が全員、腰回りを鎖で縛られており、その端を鉄杭によって穿たれ地面に固定されている。

 

そして全員、両手足を切断されていた。

 

最初の鬼と同様に再生する気配はなく、歪な肉瘤を生み出すばかり。切断された三体分の手足はまとめて一か所に打ち捨てられている。鬼たちは三者三様に苦痛と憎悪を孕んだ表情を浮かべており、今にも噛み殺さんばかりにフランシスの事を睨んでいた。

 

「さて……始めるとするか」

 

一歩、鬼たちへと近付く。

 

それと同時に、鬼たちは火が付いたかのように暴れ出す。

 

「がぁああああああぁぁあああああああ!!」

 

「糞がッ!!糞がああぁあああああ!!」

 

「殺してやるッッ!!この真っ黒野郎!!」

 

滾る殺意を身体で表現するも、落とされた手足は未だ生えてこない。鬼たちは芋虫のような姿で、それでもなお殺意の矛先を収めようとはしなかった。

 

「糞、クソ、くそぉ!!なんで治らねぇんだ!?」

 

一体の鬼が怒りと共に疑問を吐き出した。

 

鬼たちからすれば手足などはいくらでも生え変わる消耗品。それがいつまでたっても再生しないというのだから、彼の疑問も尤もである。

 

その質問に答えたのは、他でもないフランシスであった。

 

コレ(・・)だ」

 

「あぁ!?」

 

頭上より振ってきた声に反応する鬼。

 

その目に移った黒づくめの男の手には、ある丸いガラス瓶が握られていた。

 

「『感覚麻痺の霧』と言う代物だ。本来ならば私たち狩人にのみ有効であるとされているのだが、どうやら貴様ら鬼にも効くらしい」

 

どちらも“血”に縁があるからかな?と締め括るフランシス。

 

言っている事は全く理解できないが、それでもあのガラス瓶が再生を妨げている原因であると理解した鬼たちは、一層殺意を強くする。

 

「てめぇ、許さねぇぞ!!絶対殺してやる!!」

 

「腹わた食い破ってやらぁ!!」

 

「鎖をほどけぇ!!さっさとしろぉお!!」

 

「……全く、貴様らとの会話は疲れる。喋らない分、獣の方がまだ気楽というものだ」

 

やれやれ、と首を振るフランシス。彼もこれ以上無意味な会話を続ける気はないようで、手にしていた『感覚麻痺の霧』を仕舞い込むと、再び鬼たちへと向き直る。

 

「さて、今から貴様らには私の実験に付き合ってもらおう。なに、夜が明ける頃には終わるから安心しろ」

 

そう言うが否や、一匹の鬼が怒りに任せて咆哮する。

 

「ざけんなテメェ!!ンな事したら死んじま」

 

が、その先を言う事は叶わなかった。

 

 

 

何故ならば、大きく開いたその口に、燃え盛る松明の先端がねじ込まれたからだ。

 

 

 

「がっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!?」

 

「黙りたまえよ……ああ、煩くて敵わん」

 

油の染み込んだ松明の先端で口腔内の粘膜全てを焼かれるという激痛。

 

再生能力の高い鬼であるはずなのに、何故か治らない身体。

 

松明を離されても焼かれた喉は、舌は爛れたまま。鬼になってから初めて経験する消えない激痛に、彼は身体をよじるばかりだ。

 

「なぁ……!?」

 

残る二体もようやく事態の深刻さに気が付いたのか、見開かれた瞳で、喉と舌を焼かれた鬼とフランシスとを何度も見比べている。

 

彼らの視線を完全に無視し、フランシスは懐より新たな代物を取り出す。そしてそれを、喉の痛みに悶える鬼へとぶつけた。

 

「がゃ!?」

 

がしゃんっ!と、音を立てて割れる何か。

 

その正体はぬるりとした液体が入った壺。全身にそれが降りかかった鬼は一瞬唖然とし、そしてその意味に気が付いたように、焦燥し切った瞳をフランシスへと向ける。

 

フランシスが松明の先端を鬼の身体に押し当てたのは、まさにその時だった。

 

 

 

「あああぁぁぁぁあぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」

 

 

 

瞬間、業火の如く燃え盛る鬼の身体。

 

着物が燃え、皮膚が焼け、肉が炙られる。全身を巻く炎は鬼の皮下脂肪を舐めとり、更に勢いを激しくする。

 

炎より生じた血肉の焼ける香りがフランシスの鼻腔をくすぐり、彼は満足げに吐息を漏らした。

 

「あっ、あ゛ーーーーーーっ!!あ゛ぁあ゛ーーーーーーーーーっ!?」

 

「………はぁあ」

 

生きたまま焼かれるという地獄のような苦痛を味わう鬼。しかしフランシスは、傍から見れば異常者の目つきで、目の前の光景を眺めるばかりだ。

 

「ああ、良いぞ……獣の悲鳴、苦痛、汚物の……『虫』の焼ける匂い。これこそ狩りだ」

 

闇夜に現れた火達磨。絶叫を上げるそれの明かりに照らされた堀りの深い顔は、見下すように嗤っていた。

 

一方で慌てだすのは残った鬼たちの方だ。人間だとか鬼だとか関係ない、血が流れ、脳を持つ生物としての勘が、目の前の異常者に対してこれでもかと警鐘を鳴らしている。

 

(こいつ、イカれてる!?鬼殺隊でもねぇだろうに、俺たち相手にここまで……!)

 

今も焼かれ続けている鬼。その隣にいる鬼が、必死にここから逃れる術を模索する。しかし手足を奪われ、自由に動けない彼は焦るばかりで何も出来ない。

 

そうしている内に異常者……フランシスはくるりとこちらを見ていたのだ。

 

「さて……」

 

「っひ!?」

 

鬼たちの喉から思わず情けない声が漏れる。

 

今やこの場を支配しているのは、紛れもなく彼であった。

 

「言い忘れていたな。この実験の趣旨なのだが……」

 

ごり、と、ブーツに包まれた足で鬼の頭を踏みつける。

 

得体の知れない恐怖故か、踏みつけられた鬼は怒る事も忘れ、不気味に浮かんだ双眸に釘付けとなっていた。凍り付いたかのように動けない鬼たちに向け、フランシスはただ淡々と語る。

 

「貴様ら鬼の、より効率的な殺し方とは何なのか、というものだ」

 

「……お、俺たちの殺し方……?」

 

 

 

 

 

鬼。

 

主食、人間。

 

身体能力が高く、治癒力も高い。斬り落とした手足も肉が繋がり、新たに生やす事も可能。

 

以上が、これまでにフランシスが経験を基に得た情報であった。

 

「確かに貴様らの生命力は高い。バラバラの挽肉にしてやるか、日光の下に引きずり出すかしなければまともに殺せん」

 

だからこそ、より効率の良い殺し方を求めているのだ。フランシスは足元の鬼に言い聞かせるように、そう語った。

 

「……ぅ、あ゛………ぁーーー………」

 

その背後ではようやく火の勢いが収まり始めた鬼が、呻きともつかない音を漏らしている。

 

衣類などは既に燃え尽きていた。引き攣り、焼け爛れた皮膚を全身に張り付かせた達磨の肉体は、もはや芋虫程にも動かない。

 

唇や鼻といった部位は焼失。剥き出しの歯は黒く焦げ付き、鼻骨の先が露出してしまっている。辛うじて残された白濁した瞳は像を写すこともなく、ただただ無意味に夜空を見上げていた。

 

「試しに今まで何度か火で炙ってみたが、この通りだ。見ていて飽きないが、効率的な殺し方とは言えない。いつも最後はこのように……」

 

フランシスは鬼の顔から足をどけると、今度は焼けた肉塊と成りかけている鬼の顔面を踏みつけた。

 

じりじりと、ゆっくりと。足にかける体重を増してゆき―――――そして。

 

「あ゛」

 

ばちゅっ、と。

 

ブーツに包まれた足が、鬼の顔面を踏み潰した。

 

「……踏み潰してしまうんだ」

 

炙られ、黒ずんだ血液がどろりと地面を汚す。

 

割れた頭蓋から溢れた脳漿と脳の欠片が飛び出し、その一欠片が、隣の鬼の頬へと付着した。

 

「………っ!!?」

 

ないはずの脚から、恐怖が這い上がる幻聴が聞こえてきた。

 

恐怖と言う名の何かが、鬼の身体を内から食い荒らすのが分かった。

 

顔面を普段以上に蒼白にさせた二体の鬼は、もはや助からないと悟る。であればせめて、この哀れな骸を晒した同族のような死に方ではなく、ひと思いに頭を潰された方がまだ救いがある。

 

まともな思考能力を失った鬼たちは、自分たち鬼の確実な殺し方をフランシスに暴露した。

 

それがこの悪夢から逃れる唯一の術―――“死”への乗車切符であると信じて。

 

 

 

 

 

「ほう。“日輪刀”か……」

 

残った二体の鬼から得られた新たな情報。それは鬼を殺す為の刀“日輪刀”という武器の存在であった。

 

聞くに、特殊な鉱石から造られるというその刀で鬼の首を刎ねれば、まるで陽光に当てられたかの如く鬼は消滅するのだという。その効果に例外はなく、まさしく鬼狩りの武器と呼ぶに相応しい代物だ。

 

「特殊な鉱石が原材料……ならば、その鉱石を細かく砕きヤスリに塗布すれば、私の武器にも同様の効果が発現するか……?」

 

ぶつぶつと、なにやら独り言を呟き始めるフランシスに、鎖で囚われた鬼たちは気が気ではなかった。

 

未だ燻った異臭を放つ同族の亡骸ばかりに目がいき、どうか自分だけはこうはなりたくない、ひと思いに頭を潰して終わらせてくれ!という事ばかりに考えがいってしまう。

 

それ程までに、フランシスのした行いは恐ろしかったのだ。

 

つい先ほどまで、鬼たちにとって鬼殺隊とは脅威の対象であった。それでもただで殺されるものか、逆に殺してやると息巻くほどに、戦意には自信があった。

 

それがどうだ。

 

この正体不明の異邦人によって、鬼たちはあっという間に“捕食者”の座から転落し、狩られるだけの“獣”にまで堕ちてしまった。

 

それについてさえ、もはや怒りも憎しみもない。

 

本能で理解してしまったのだ。

 

この男には絶対に敵わない。出来る事はその足に縋りつき、極力苦しみの少ない“死”を乞う事だけなのだと。

 

「有意義な情報だった。礼を言おう」

 

「ひっ!?」

 

怯えきった声で返事をした鬼たち。

 

フランシスはそれに少しも構う事なく、鎖によって地面に張り付けにされている鬼へと手を伸ばす。

 

(ああ、俺は死ぬのか……)

 

標的となった鬼は目を閉じ、遂にやって来たその瞬間を前に観念する。しかしそれでも、生きたまま炎に包まれるよりはマシだ。

 

さぁ、早くやってくれ!その一心で歯を食い縛る鬼であったが……不意に、ある異変を感じ取った。

 

「へ?」

 

思わず目を開けてみれば、目の前には自身と同様に間抜けな顔を晒す同族の姿が。徐々に小さくなってゆくその姿に、鬼は自分が引きずられているのだと理解する。

 

「あ、え?な、何を……」

 

見上げれば、そこにはやはりフランシスの背中があった。自身の胴に巻かれた鎖を持ち、こちらを振り向く事もせずに、やがて一本の巨木の下へとやって来た。

 

まるで意図が分からない鬼が、その疑問を口にしようとした―――次の瞬間。

 

「かっ!?」

 

じゃらり、という音と同時に、鬼の首に冷たい金属の感触が伝う。腰より伸びた鎖を手繰らせ、フランシスが素早く巻き付けたのだ。

 

目を白黒させる鬼に構うことなくフランシスは素早く腰回りの鎖を解き、そしてそれを巨木より伸びる枝を目掛けて放り投げた。上手く引っ掛かり目の前に垂れてきた鎖の先端を、今度は勢いよく引っ張る。

 

「げェッ!?」

 

宙に浮く鬼の身体。

 

手足がないとはいえ全体重が首にかかり、窒息による苦悶の表情をその顔面に張り付ける。

 

「かっ、ぁ……な。何っ、で………!?」

 

フランシスは手元にある鎖の先端に再び鉄杭を打ち込み、地面に固定。鬼は完全に首吊りの状態となる。

 

『何故ひと思いに殺してくれない』

 

点滅する意識の中、辛うじて紡いだ声を耳にしたフランシスは、何て事ないようにこう口を開いた。

 

「貴様らには感謝している。お陰で効率的な殺し方が分かったのだからな……だが、それとこれとは別問題だ」

 

すっ、と。僅かにずれた帽子を手で調節しつつ、フランシスは首を吊られた鬼を一瞥する。

 

ぞっとするほどに、底冷えするその瞳で。

 

「頭を潰せば死ぬのは分かっている。だが脳死なら?長時間酸素が脳に回らなくても死ぬのではないか?……まだまだ疑問は尽きない」

 

「………!!」

 

本当に、一体幾度目になるのか。

 

涙すら浮かんだ鬼の瞳が、決定的な絶望に彩られる。

 

「何、安心しろ。最初に言った通りだ……『夜が明ける頃には終わる』」

 

そう言い捨てたフランシスは、今度こそ完全に背を向けた。

 

窒息の苦痛のさなかにいる鬼の絶望に口の端を歪めつつ、残る一体の鬼のもとへと歩を進める。

 

「ぁ……ぁあぁ………」

 

恐怖に凍り付いた瞳。

 

切断した脚の付け根、その真ん中からは、アンモニア臭のする液体が流れている。

 

「おいおい、それはまだ早いぞ」

 

フランシスは嗜虐的な笑みを深めつつ、懐から新たに複数、何らかの道具を取り出した。

 

毒々しい紫色のメスに、二種類のヤスリ。骨で出来た歪な刃に、半ば朽ちかけた頭蓋骨……およそ、まともな神経の持ち主では考えられないような道具の数々を見せつけるようにして、更に一歩近づく。

 

「まだ夜は明けない……実験を続けよう」

 

そう語る口元は、まるで三日月のように鋭く裂けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄明かりの中、一人の若者が山中を駆ける。

 

彼の目的は鬼狩り。鬼殺隊たる彼は命令を受け、こうしてここまでやって来たのだ。

 

(情報によれば、ここに潜む鬼の数は三体。夜明けが近い今なら、どこかの穴倉にでも閉じこもっているはず……!)

 

優秀なこの若者は、疾風の如く駆けてゆく。

 

やがて血の匂いがし始めて、若者は表情を険しくしつつもさらに足を速める。

 

(くそ……遅かったか?)

 

新たな犠牲者の可能性が脳裏にちらつくも、努めてそれを無視する。今は鬼を殺す、ただそれだけを考え、血の匂いの元を目指した。

 

そうして見つけたものは―――――。

 

 

 

「………なんだ、これは」

 

 

 

一面、血に染まった地面。

 

手足を切断された焼死体に、同じく手足を切断され、全身に様々な傷を刻まれた死体。

 

地面と木の枝によって固定された鎖。そこに首を吊るされていたものは、やはり手足を切断されていた。

 

「…………」

 

小さく、本当に小さく痙攣を繰り返している事から、それが鬼であると分かる。若者が探していた三体の鬼は、見るも無残な姿で発見されたのであった。

 

やがて日が昇る。

 

顔を見せた太陽は木々の隙間から陽光を差し込ませ、鬼たちへもその光を降り注がせた。

 

目の前で塵へと還ってゆく鬼たち。その光景を前に、若者は―――冨岡義勇は、呆然とした様子で立ち尽くしていた。

 

 




古狩人 解体屋フランシス

かつての狩人たちの間でも恐れられた古狩人。
手にかけた獣は一切の例外なく八つ裂きにされており、それが通り名の由来となった。

ある時期を境に、彼は連盟員となる。以降凄惨な狩り方は鳴りを潜め、代わりに何かに対して異様な執着と嫌悪感を持つようになったという。

人の本質が、そう簡単に変わる訳がないのだけれど。



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血鬼術と狩人の血

どこまで続くんだ……?


『鬼』について

 

鬼……同士ヤマムラの祖国に生息する人喰いの“獣”。発生原因は未だ不明だが、恐らくヤーナムの獣とは無関係であると思われる。

 

共通して牙と爪が鋭く、言葉を解し、また話す。身体能力が高く、一般人ではまず太刀打ちできない。治癒力も高く、切断した手足も即座に癒着し、また生やす事も可能。稀に首を斬り落とした後に首から手が生え、自立行動する場合も。

 

殺すには全身をばらばらの肉塊にするか、脳を完全に破壊する。どちらにしても『感覚麻痺の霧』で回復能力を奪うか、全身の血を流させてからでなければならない。日光には特に弱く塵となるが、日の出前は姿をくらますので現実的ではない(四肢を拘束して日の出まで待つという手段も有りか?)。

 

追加情報……先日尋問した鬼の口から“日輪刀”という武器がある事が判明。これで頸を落とされた鬼は即座に絶命するらしい。信憑性は不明。しかし探す価値はありそうだ。所有している者たちは『鬼殺隊』というらしいが、詳細は不明。より確かな情報が求められる。

 

 

 

鬼への攻撃手段等について

 

『感覚麻痺の霧』

鬼の再生能力を著しく抑える事が可能。持続効果は鬼によって異なり、最高で5時間ほど。最低でも2時間ほど(現段階のみの結果)。個体ごとの力の差によるものか?

 

『毒メス』

鬼に対しても効果自体はある事が判明。毒が回ると鬼は苦しむが、絶命には至らない。今後尋問などの局面で使えるか?

 

『狂人の智慧』

鬼の頭部付近で割り砕いたところ、その後1時間ほどに渡ってうわ言を呟いた。経過観察したいところであったが、突然暴れ出した為にやむなく処分。今後はしっかりとした拘束が必要か。

うわ言の内容……湖、赤い月、瞳などの断片的なものばかり。しかしその単語が指し示すものを考えると、啓蒙を得たと考えて良いだろう。

 

『鬼の血』

鬼より採取した血液。複数の個体から採取したがどれもどす黒い。人間のものとはどこか違っているように見える。試験管越しに日光に当ててみた所、やはり消滅してしまった。保存には日光を完全に遮る容器が必要。用途は模索中、輸血液の代用になるか?

 

……………

 

………

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

羽ペンで手帳に何やら書き込んでいたフランシス。一区切りついたのか彼は羽ペンを置き、インクの入ったガラス瓶に蓋をする。

 

現在、彼は一軒の茶屋に腰を下ろしていた。道中立ち寄ったとある町で入用になった物(主に食糧や衣類など。衣類は返り血が落ち切らない場合の非常用である)を買い足し、その合間の休憩中というところだ。

 

茶屋の主人から注文した茶と軽い菓子をつまみながら、彼は今後の事を考える。

 

(ヤマムラの故郷の情報は今の所なし。鬼に関するものもせいぜいが噂話程度。思っていたよりも鬼共の数は少ないのか?)

 

ヤーナムでの惨状を見てきた故、ここ日本でも同じような現象があちこちで起きているものかと思っていたが、どうやら違うらしい。その証拠に道行く人々の顔は明るく、鬼の脅威など微塵も感じていないようだ。

 

これも『鬼殺隊』とやらが人知れず鬼狩りに精を出しているおかげか。フランシスは未だ見た事もない者たちを密かに称賛し、残った菓子を口の中に放り込み、茶で流し込む。

 

(が、私のやる事に変わりはない)

 

コト、と湯飲みを置き、フランシスはその表情を剣呑なものへと変えた。

 

(獣だろうが鬼だろうが、人の世に仇成す者どもをのさばらせておく道理はない……一匹残らず皆殺しだ)

 

この遠い異国の地にやって来てから狩り殺した鬼たち。その数々の末路が彼の脳裏に浮かんでは消えてゆき、思わず口角が吊り上がってしまう。

 

(はた)から見れば何とも近寄り難い雰囲気であったが、それも一瞬の出来事。道行く人々に悟られないようフランシスはすっくと立ち上がり、店の主人に勘定を頼んだ。

 

「はい、ちょうど頂きました」

 

「美味しい茶と菓子だった。それでは」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

そう言って茶屋を出てゆき、次の目的地へと向かうフランシス。

 

茶屋の主人はその後ろ姿を見送りつつ、毛の薄くなった後頭部をかきながらポツリと呟いた。

 

「……えらい流暢な言葉遣いだったなぁ」

 

「おじさん!」

 

と、そんな彼の背に掛けられた元気な声。

 

振り返ってみれば、そこには見知った顔の少年の姿があった。

 

「おお、炭治郎!今日も炭を売りに来たのかい?」

 

「はい!お一ついかがですか?」

 

「もちろん買うさ、ちょっと待っててくれよ」

 

そう言って茶屋の主人は店の奥へと消えていった。炭治郎と呼ばれた少年は顔をほころばせ、これで家で待たせている家族たちを満腹にさせてやれる、とすっかり上機嫌だ。

 

しかし、その少年の鼻が急に異変を感じ取る。

 

「ん?」

 

すんすん、と鼻を鳴らす。

 

匂いに敏感な彼の鼻は様々なものを感じ取る事が出来た。飯屋から漂ってくる美味しそうな匂いから、人々が歩く度に巻き上げる土の匂い。すれ違う一人一人から発せられる固有の匂いまで、実に様々だ。

 

そんな彼が捉えた匂いとは―――――。

 

「……乾き切っていない、血の匂い……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……かはっ」

 

暗い夜道。一人の青年が血の塊を吐き、地面へと倒れこむ。

 

黒い隊服に身を包んだ青年に片腕はなく、残ったもう一方の手に握られているのは青い刀身をした刀。それすらも半ばが罅割れ、今にも折れてしまいそうである。

 

青年は倒れたままぴくりとも動かない。ただ腹部から、止めどなく赤い血が流れている。腹が破れているのだ。零れ落ちた臓腑はもとには戻らず、嫌に鮮やかな色を晒している。

 

「くそ……ここまで、かよ……」

 

力なく吐き出される、しかし激しい無念さを感じさせる声。彼はあと一歩のところまで追い詰めた敵を討ち取れなかった悔しさと、返り討ちにあってしまった自身の未熟さを心から呪った。

 

こんなはずではなかった、などと宣うつもりはない。しかしせめて、死にゆく自分の代わりに、誰かあの敵を討ってくれという思いが脳内に渦巻いていた。

 

 

 

そして、その祈り(・・)は一人の異邦人のもとに届いた。

 

 

 

「こんばんは」

 

「……?」

 

頭上から振ってきた男性の声。すでに首を動かす力も残されていない青年は、眼球だけを声のもとへと向ける。

 

「だ、れ……だ……」

 

「私の名はフランシス、しがない一人の狩人だよ。君はひょっとすると、『鬼殺隊』という組織の者かね?」

 

「……そう、だ」

 

血に濡れた唇で言葉を紡ぎ、顔も分からない人物との会話を続ける。血を失いすぎてロクに頭が回らぬ中、それだけが今の彼を現世(うつしよ)に縛り付ける唯一の鎖だった。

 

「……単刀直入に言おう。私が君の仇を討つ、鬼の居場所は分かるかね?」

 

「………はぃ、そっ、がふ!ごほっ……廃、村……すぐ、さきの……」

 

咳込みながらも、青年は問われた質問に的確に答えた。そればかりでなく敵の……鬼の情報までも、最後の力を振り絞って伝えようとする。

 

「やつ……つよい。けっきじゅつ………つか、う……」

 

「無理をするな。それだけ分かれば十分だ、後は私に任せろ」

 

直後、声の主の気配が強くなった。

 

どうやらその場で片膝をついたらしい。地面に染み込んだ青年の血で膝が汚れるのにも構わず、声の主は青年の肩にそっと手を置き、最後にこう問いかけた。

 

「君の名前は?」

 

「………ひでお」

 

「ひでお……ヒデオだな。確かに覚えた」

 

声の主は肩にかけた手の力を僅かに強める。それを感じ取る事も出来ぬほどに、ヒデオと名乗った青年の意識は薄れていた。

 

「ヒデオよ。よく戦った……ゆっくりと眠りたまえよ」

 

「…………」

 

やがて、青年の瞳から完全に光が消える。

 

骸と化した青年。声の主はその薄く開かれた双眸へと指を持って行き、そして静かに瞼を閉じてやる。

 

暗い夜道で骸に寄り添う一人の異邦人。彼は立ち上がる際に青年が最後まで握り締めていた刀を拝借すると、顔を夜道の先へと向けた。

 

周囲には木々がぽつりぽつりと生えているだけで、人はおろか動物の気配さえない。空を覆う黒い雲は月さえも遮り、僅かな明かりしか与えてくれない。

 

ごろごろと遠くで雷鳴が響く中、異邦人は歩き出す。

 

目指すは道の先……廃村である。

 

 

 

 

 

どかりっ、と埃を巻き上げながら、朽ちかけた床に一人の男が座り込んだ。

 

否、それは人ではなかった。頭部には二本の角が生え、筋骨隆々の肉体は成人男性よりも二回り以上も大きい。まさしく伝承に相応しい姿をした鬼が、そこにはいた。

 

鬼は廃村となった場所にある、朽ちかけた建物の中で胡坐をかいている。囲炉裏に火はなく、溜まった灰だけが死体のように小山を作っていた。

 

「糞、あのガキぃ……!」

 

忌々しく怨嗟の声を吐き出す。

 

着ている着物のところどころは切れ、破れ、血に彩られている。それらが全て一人の青年によってつけられたモノであるという事に、鬼の中での苛立ちが更に加熱していった。

 

「すぐに喰っちまいてぇが、焦っちゃあいけねぇ。あいつも瀕死だ。それなら俺はここでちっと待って、それから死体を喰えばいい。なぁ、そうだろう……?」

 

まるで自分に言い聞かせるように呟く鬼。

 

事実そうなのだろう。青年によってつけられた傷は思いの外深く、多く、何より血を流し過ぎた。即座の回復すらも出来ない程にやられた鬼は、こうして傷の回復を優先させている訳だ。

 

この鬼は拠点を変えつつ、決して周囲に気取られる事無く今日まで生きてきたのだった。その間に力を貯め、特殊な力『血鬼術』を使えるまでに至った個体である。腕っぷししか能のないようでいて用心深い、見た目にそぐわぬ慎重な鬼なのだ。

 

現にこうして自分の巣で傷を癒す事に専念しており、怒りを晴らす事よりも自分が生き残る事に重きを置いている。長年に渡って自らに課してきた、生き残るための掟である。

 

「鬼狩りがやってきたって事はだ、もう俺の居場所はバレてる。ならさっさと別の場所に移動して……あぁ、だが他の鬼に死体を横取りされちまうかも知れねぇ。早く取りにいかねぇと……」

 

ぶつぶつと独り言を呟く鬼は今後の方針を模索する。

 

脅威は完全に去り、あとは死体を喰ってから逃げればいいという考えに支配されていた。万が一という事もある。偶然やってきた他の飢えた鬼に得物を横取りされないよう、早く回収に行かねば、とも。

 

だが、この鬼はもっと考えるべきであった。用心深いならば尚の事である。

 

 

 

瀕死の重傷を負い、大量の血を流していた鬼殺隊の青年……その血の匂いに誘われてやって来るのは、鬼だけではないかも知れないという事を。

 

 

 

ジャコンッ、と。硬質で無機質な音が、鬼の耳を打った。

 

「?」

 

訝しげに背後を振り向く鬼。

 

朽ちかけの壁の外側から聞こえてきたその音に何事かと警戒心を高めるも、時すでに遅し。

 

その僅か一秒後……壁は粉々に砕け、同時に鬼の全身を無数の弾丸が貫いた。

 

「なっ……ぐおあぁぁああああああああああっ!?」

 

ドドドドドドドドドッッ!!という連射音が響き渡り、鬼の絶叫と混ざり合う。銃弾の嵐は十秒間に渡って続き、あばら家同然だった建物は瞬く間に木片の山へと変えられた。

 

この奇襲を仕掛けた張本人、フランシスは左手に携えた武器『ガトリング銃』をその場に投げ捨て、代わりに『教会の連装銃』を取り出した。銃口が二つあるこの銃は一撃の威力が高く、彼も度々使う代物である。

 

右手に愛用のノコギリ鉈を携え、潰れた建物内部に埋まっているであろう鬼へとずんずん近付いてゆく。その歩みに淀みはなく、ただ純粋な殺気のみが溢れていた。

 

「……っばはぁ!!」

 

積み重なった木片を吹き飛ばし、鬼の上半身が姿を現す。

 

銃弾を全身に浴びたというのに致命傷を負った気配はない。全身から血を流してはいるものの、こちらへとやって来たフランシスの姿を見つけるや否や、血走った目でフランシスへと襲い掛かろうとする。

 

「貴様っ―――!」

 

が、フランシスの方が早かった。

 

教会の連装銃を構え、正確に鬼の顔面を撃ち抜く。飛び出した血と水銀の銃弾は夜闇を切り裂き、一直線に鬼の脳天を貫いた。

 

「カっ!?」

 

ばちゅんっ!という水っぽい音がして、鬼の頭部が弾けた。

 

鼻から上を失った鬼は口をパクパクとさせ、両手で宙をかき抱くような奇怪な動きをし始める。脳を失ったために、一時的に身体の制御が出来ていないのだろう。

 

その隙を見逃さず、フランシスはすかさずノコギリ鉈を振るう。幾多の獣の肉をズタズタにしてきたノコギリの刀は鬼の右腕を削り取り、肘から先を斬り飛ばした。

 

返す刀で振るわれるのは、ノコギリ鉈のもう一つの顔。狩人が持つ武器の本領を発揮したそれは、重厚かつ肉厚な刀身を持つ鉈の姿をしていた。

 

削り取る、ではなく叩き斬る。そういう性質へと変化した武器は、腕から血を噴出させる鬼の右肩へと深く食い込んだ。

 

「がっっああぁあ!?」

 

絶叫する鬼の顔は、すでに眼球までの再生を終えていた。剥き出しの脳を保護するように頭蓋骨が形成されてゆき、その上を肉で覆い隠してゆく。

 

「ぎざば、ぎざま、貴ざまぁ!!」

 

完全に元通りとなった頭部。斬り飛ばした腕も新たなものが生え、両手でフランシスに掴みかかろうとしてくる。

 

「っ!」

 

瞬時に後方へとステップし、これを回避する。そのまま更に後方へと跳び、一旦鬼との距離を取る事に成功した。

 

鬼はようやく木片の山から這い出てきて、ボロボロになった上半身の衣服を引き千切りながらこう言い放つ。

 

「いきなり仕掛けてきやがって……てめぇ何者だ!!」

 

「………」

 

激高する鬼に対し、フランシスは取り合わない。普段であれば悦を感じさせる声色で鬼を嘲笑ったりするところなのだが、一言も言葉を発しようとはしない。

 

別に言葉を忘れた訳ではない。それすら忘れてしまえば獣同然の存在に成り果ててしまう。

 

そう。彼はただ単純に、激しい怒りの中にいるのだ。

 

人を喰い、殺し、無垢の血を流させる醜悪な鬼という存在に対し、もはや言葉を交わす事さえも汚らわしいと感じていたのだ。

 

先ほど死に目に立ち会った鬼殺隊の青年の存在が大きかったのだろう。今までに狩ってきた鬼たち、それらに向けるものを遥かに上回る殺意がフランシスの腹の中に渦巻き、溢れていた。

 

その殺意はフランシスにこう囁く。

 

『早く殺せ』と。

 

「!」

 

タンッ、という軽い音と共に、フランシスの身体が鬼へと肉薄する。瞬時に間合いを詰めてきた謎の黒づくめに、鬼は怒声を上げながら腕を振るう。

 

「このっ、何なんだよ!?」

 

薙いだ腕を姿勢を低くして躱し、そのまま変形させたノコギリ鉈を振り抜く。刃の先端が鬼の腹を浅く裂き、真っ赤な鮮血が宙を舞った。

 

「ぐっ!」

 

それだけでは終わらない。振り抜いた力を利用し、フランシスはノコギリ鉈を変形させたのだ。

 

瞬時に元の形態へと戻ったノコギリ鉈を翻し、下から斬り上げるようにして肉を削る。ヂャリヂャリとした感覚が武器を通して伝わり、フランシスの身体に鬼の血肉が飛び散った。

 

「ぎゃあっ!?」

 

斬られた衝撃のせいか、大きくよろけて転倒する鬼。その胸を踏みつけ動きを封じ、フランシスは首に手をかける。

 

「終いだ」

 

誰に語るでもなく呟きを落とし、彼は手にしていたノコギリ鉈を手放した。

 

そうして空いた右手を、懐へと伸ばした……その時。

 

「……ひ、ひひ!」

 

鬼が引きつったような笑い声をあげた。

 

瞬間、フランシスは首を締め上げていた左手を離すも―――――同時に少量の血が、左手から噴き出した。

 

「……っ!」

 

瞬時に後方へと逃れ距離を取る。その間に鬼は身体を起こし、再び両者は相対する恰好となった。

 

フランシスは目の前の鬼から気を抜かず、ちらりと横目で左手を見る。

 

その左手は、親指と人差し指の間の僅かな肉が、手袋の生地ごと無くなっていた。

 

「ははっ、はぁ」

 

ぐちゃぐちゃと、気味の悪い咀嚼音が夜闇に反響する。発生源は鬼の口回り―――もっと言えば、フランシスが締め上げていた首の辺りだ。

 

「……成程」

 

未だぼたぼたと流れ落ちる自身の血など意に介さず、フランシスは納得したような顔で鬼を見る。

 

彼の脳内で思い出されるのは先ほどの事。死んでいった鬼殺隊の青年、ヒデオが死の間際に言っていた言葉である。

 

 

 

『やつ……つよい。けっきじゅつ………つか、う……』

 

 

 

「『血鬼術』という奴か」

 

断定は出来ないが、恐らくそれしかないだろうと当たりを付ける。

 

鬼も隠す気はないのか、肉をごくりと飲み込むと大声でひけらかす。

 

「そうだ!俺は血鬼術で身体の至るところから“口”を生やせるんだよ!」

 

言うや否や、鬼は威嚇のためかこれ見よがしに新たな“口”を生やす。

 

首、肩、腕、手のひら。ズタボロになった上半身の衣類を引き千切り、もはや異形と成り果てた鬼が、改めてフランシスの目の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空腹。それだけが人間だった頃の“彼”が覚えている唯一の感情だった。

 

大正となった今の時代よりもずっと昔。江戸と呼ばれていた頃に生まれた“彼”は貧しく、常に空腹に苛まれていた。

 

育てた作物はほとんど年貢として納められ、自分たちが食べられるのはごく僅か。同じ村に住んでいた人々も次々に餓死し、残ったのは“彼”一人だけだった。

 

『……死ぬ前に……何か、食べたい』

 

木の根も枯草ももう食べ尽くしてしまった。土は食べれば食べる程腹を壊し、衰弱するだけ。ほとんど骨と皮だけになった“彼”は迫り来る死を前にし、静かに横たわる事しかできなかった。

 

村を出てどこかで暮らそうと思った事もある。しかし生来気弱で臆病な性格だった“彼”に村を捨てる事など出来ず、ずるずるとここまで来てしまった。

 

『もう……殺してくれ』

 

そうすればこの苦しい世界から解放される。そう信じて天に願いを乞うも、返ってくる言葉などあるはずもなく。

 

“彼”は生まれた事を後悔しながら、朽ち果てるのを待つだけだった。

 

 

 

 

 

『いいや。お前はまだ生きるんだ』

 

 

 

 

 

その()の声を聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼になってからも慎重に生きてきた。

 

息を殺して獲物を見定め、決して無茶はしない。こまめに拠点を変え、自分がいた痕跡を出来る限り残さないようにしてきた。

 

そうして血鬼術まで使えるようにまで成長した。貧相だった身体も見違えるように大きくなり、それでも慎重な行動を心掛けてきた。

 

それなのに……それなのに、それなのに!

 

「あの鬼狩りのガキに見つかっちまったせいでパァだ!しかもお前みたいな訳の分からん奴まで出てきやがって!!」

 

喉の“口”のまわりに付いた血を舌で舐めとり、臨戦態勢をとる鬼は再び怒声をまき散らす。自分の思い通りにならなかったせいか、酷く怒っている様子だ。

 

「絶対生き延びてやる!お前なんかに殺されて堪る―――!」

 

と、その時だった。

 

ドクンッ、と。鬼の中で何かが大きく蠢いた。

 

「……はっ、あ!?」

 

蠢きは更に大きくなり、鬼の身体の中で何かが起きている事を告げていた。

 

しかしそれは悪いものではなく―――――むしろ鬼にとって、歓喜すべきものであった。

 

「は、はは。はははは!はははははははははっ!!」

 

突然笑い出した鬼。気がふれたのかとも取れる反応であったが、どうにも様子がおかしい。

 

やがて鬼の身体……正確には背中の筋肉が隆起しだし、そこから二本の管のようなものが生えてきた。

 

見た目は筋線維が露出した、関節のない腕のようなもの。その先端には“口”が存在し、まるで獣のような鋭い牙が並んでいる。それらは絶えず唾液をまき散らし、ぎちぎちと歯軋りを響かせる。

 

「ははははは!何だこれ、何だよこれは!?力が漲ってくる!!」

 

身体の調子を確かめるように、鬼は両手を天へと掲げる。

 

雷鳴が轟く曇天の中、鬼は嬉しくて仕方がないという風に笑い続けていた。

 

「そこらの稀血なんて目じゃない!たった一口、それだけでこんなに力が滾る!お前は一体何なんだ!?」

 

ギンッ!と、爛々と輝く瞳がフランシスに注がれる。先ほどまでとは別人のような鬼の姿、そしてその雰囲気に、流石のフランシスも眉をひそめた。

 

「あぁ、いや。そんな事はどうでもいい!お前をもっと喰えば、俺は更に強くなれる!!あのお方に認められれば、十二鬼月に加えて下さる事も夢じゃない!!」

 

もはや鬼の頭からは“生き残る”という考えは抜けているのだろう。フランシスを喰らい、更なる力を得る。その事で頭がいっぱいになっているのだ。

 

鬼は地面に爪を突き立て、獣を彷彿とさせる前傾姿勢をとる。顔面に喜色を張り付け、涎を垂らしながら咆哮を上げる。

 

「もっと、もっと、もっトォ……喰わセロォオオオオオオオオッッ!!」

 

「!?」

 

直後、地面を粉砕させて飛び掛かる鬼。

 

その速度はまさしく獣のそれであり、フランシスの脳裏にヤーナムで屠ってきた獣の罹患者の姿を重ねさせた。

 

突進してきた鬼を、横へのステップで回避するフランシス。その直後立っていた場所は粉砕され、舞い上がった土埃の中から筋肉の管が襲い掛かる。

 

「はっハァ!逃ゲルなァ!!」

 

鋭い牙がフランシスの顔面を狙う。咄嗟に首を捻ってその噛み付きを躱すも、頬を僅かに切り裂かれる。

 

明らかに力が上がっている。鬼の言った通り、自身の血肉を喰らった結果、何らかの変化があったのだろうとフランシスは考察した。

 

(チッ、厄介な事になった……!)

 

油断していた訳ではない。それでも肉を喰われ、こうして予想外の事態に陥っている。フランシスは自らの不用意を呪い、攻撃を躱しながらも反撃の一手を探していた。

 

回避を強要されるフランシスに気を良くしたのか、鬼の饒舌にも拍車がかかってきた。筋肉の管と両腕の鋭い爪、そして腕から生える“口”による連撃を繰り出す鬼は、嘲笑うかのように叫び散らす。

 

「もウこそこソスる必要はねぇ!!これかラハ毎日、毎日っ、腹一杯にナルまで喰ッテやる!!あの鬼狩りのガキの死体も、ワザワざ喰いニ戻る必要もねェ!!」

 

 

 

「   」

 

 

 

瞬間。

 

フランシスの中で、何かが切れた。

 

脳裏を過ぎる、あの青年の死に顔。

 

苦痛の絶望の中、自分に最期の願いを託して逝った鬼狩りの青年。

 

獣と鬼。決定的に違いがあるも、人に仇成す存在である事に変わりはない。であれば狩人と鬼殺隊も、志を同じくする者たち―――――すなわち“同士”である。

 

連盟の狩人たるフランシス。

 

人の世に蔓延る『虫』の根絶を願い、しかし決して他人には理解されない狩人の集まり。だからこそ、彼らは同士を大切にする。その思いを、フランシスは鬼殺隊に対しても抱いたのだ。

 

それは一方的な、それこそ理解されないものなのかも知れない。異邦の人間が勝手に抱いた、はた迷惑な感情なのかも知れない。

 

けれど、けれど―――――。

 

 

 

 

 

「私は託されたのだ―――――ヒデオから、最期の願いを」

 

 

 

 

 

その呟きの直後―――――フランシスの身体は、鬼の連撃をすり抜けた。

 

「!?」

 

今度は鬼が驚く番であった。

 

確実に仕留めたかに思えた一撃。筋肉の管と両腕による、四方向からの挟み撃ち。しかしそれは空を裂き、気が付けば己の懐深くにまで接近を許していた。

 

「クソっ!!」

 

焦りが顔に出た鬼は、フランシスが懐から取り出したそれ(・・)により表情を凍らせた。

 

それは一振りの刀。半ばほどで折れ、その青い刀身には酷く見覚えがあった。

 

(あのガキの―――――!?)

 

そう。

 

それはフランシスがこの廃村へと向かう直前に、鬼殺隊の青年から拝借した日輪刀であった。折れかけていた刀身をわざと折り、懐に収まる程度に小さくした代物である。

 

折れはしていても、使えない事はない。むしろ長物の特性を失ったそれは、懐深くにまで飛び込む事により真価を発揮する。狩人の本領である素早い立ち回りを組み合わせた事により、折れた日輪刀は必殺の刃となる。

 

そうして振り抜かれた刃。

 

折れた刀身は一直線に鬼の頸へと放たれ―――――曇天の空を、大量の鮮血が彩った。

 

「があぁァアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアッっ!?」

 

勢いよく振り撒かれる鮮血。

 

動脈を斬られたのか、尋常ではない量の血液が振り撒かれ、鬼は痛みのあまりに絶叫を迸らせた。

 

しかし……。

 

「まっ、ダ、だぁあああああああああ!!!」

 

血を吐き、それでもなお足掻く鬼は、力が抜けかけていた両足で地面を踏み締める。

 

頸は完全に斬られてはいなかったのだ。皮一枚で繋がっており、斬られた断面からは筋線維と血管が再び結合しようと、互いに管を絡ませている。

 

それだけではない。

 

鬼は獲物を絞め殺すべく、筋肉の管と両腕を大きく広げている。すでにフランシスは日輪刀を振り抜いており、返す刀で振るっても間に合わない。

 

鬼は勝利を確信し、嗤う。これで自分はこの獲物を喰い、更なる高みへと昇れるのだと。

 

 

 

 

 

が、鬼は最後の最後で、油断してしまった。

 

そも狩人とは、獣を狩る者の事を指す言葉。そして狩人とは、最後の最後まで、決して気を抜かない存在である。

 

そんな狩人(フランシス)が、気を抜いた()に敗北を喫する事など―――――絶対にないのだ。

 

 

 

 

 

ヒュッ、と。青い一閃が迸る。

 

「……え?」

 

間の抜けた、呆けたような声が鬼の口から漏れ出した。

 

次の瞬間、鬼の視界が反転。そのまま地に落ちる。

 

「あっ、ア……え?」

 

ぼとりと落ちた鬼の頸。相変わらず鬼は、状況が理解出来ていない様子だ。

 

頸はころころと転がってゆき、やがて空を見上げる形で静止した。鬼は唯一眼球だけを動かし、喰えるハズだった獲物の姿を確認する。

 

その獲物は左手(・・)を振り抜いていた。恰好はちょうど、両腕を斜め上に掲げているような形か。

 

その左手には、青い刃が握られていた。

 

柄の存在しない剥き出しの刀身。持ち手部分にはなめし皮が巻き付けられており、簡易的な短刀のようになっている。

 

その正体は紛れもなく日輪刀。フランシスが懐に隠し持っていた、折れた日輪刀の片割れであった。

 

「そ……そん゛ナ゛……!」

 

頭部を失った巨体は後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。筋肉の管は未だうぞうぞと蠢いてはいたものの、間もなくその動きを完全に停止させる。

 

頸と身体はやがて黒ずんでゆき、そこから塵のように崩れていった。その様を見て、フランシスは陽光に晒された鬼の最期を思い出した。

 

「い、嫌だ……まだ、まだ、これから……俺、腹、いっぱい……!」

 

頸だけになってもまだ意識が残っている鬼。そのもとへとフランシスは歩を進ませる。

 

人間の頃から抱いていた願望。

 

鬼になってからも慎重に生き繋ぎ、ついぞ真の満腹感を知る事のなかった鬼は、未練だけを感じさせる声で力なく喚く。

 

しかし、フランシスにそんな事は関係ない。そも、鬼の成り立ちすら把握していない。

 

尤も、それを知っていたところで、彼は鬼に情など欠片も抱きはしない。かつての狩り場……ヤーナムにいた頃から、獣となった人間を狩ってきたのだから。

 

だから、彼が鬼にかける言葉はこれしかないのだ。

 

「汚物めが……あの世で自分の腸でも喰っていろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雷鳴轟き、曇天が月を隠す夜。

 

やがて降り注ぐ雨が、廃村に一人立ち尽くす異邦人を包み込んだ。

 

流れた血も、戦いの跡も、全てを洗い流す。

 

そうして夜が明けた時―――――異邦人の姿はなかった。

 

 

 




折れた日輪刀

半ばから折れてしまった日輪刀。その刀身は青く美しい。
もとは鬼殺隊の青年の持ち物であり、フランシスが使うためにわざと折ったもの。
狩人にとって、武器の供養は供養にならない。死した同士の分まで共に戦い、共に朽ちる事こそが真の供養になるのだ。
少なくとも、フランシスはそう考えている。



鬼狩りの隠し刃

折れた日輪刀、その片割れ。柄はなく、代わりになめし皮が巻き付けられている。
もとは鬼殺隊の青年の持ち物であり、フランシスが使うためにわざと折ったもの。
狩人にとって、武器の供養は供養にならない。死した同士の分まで共に戦い、共に朽ちる事こそが真の供養になるのだ。
少なくとも、フランシスはそう考えている。


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珠世と愈史郎

漫画の方、15巻までは読みました。とりあえず那田蜘蛛山までは書きたいとは思いますが、それ以降はちょっとわかりません。更新日時も不定です。

まだ見て下さる方がいれば嬉しい限りです。鬼滅×ブラボの小説を書いて下さる方がいれば更に嬉しいです。どうかどなたか、お願いします。


鬼殺隊の間である噂が広まっていた。

 

我々以外にも、鬼を狩っている何者かがいるという噂が。

 

 

 

「次は東京府、浅草!鬼が潜んでいるとの噂あり!カァー!」

 

 

 

その何者かに襲われた鬼の姿は悲惨の一言に尽きた。

 

バラバラに刻まれ、千切られ、血肉と臓物を至る所に晒した状態で発見されている。

 

 

 

「え、もう次行くのか!?」

 

 

 

まるで巨大な獣に食い荒らされたような有様。しかしよく観察してみれば、それはノコギリ状の何かで解体された事が分かる。

 

この異常事態に対し、鬼殺隊はまずこの何者かに対する仮称を決定した。そして、隊士全員にある命令を下した。

 

その命令とは―――。

 

 

 

「カァー!炭治郎!忘れてないな!?」

 

「大丈夫だって、忘れてないから!」

 

 

 

 

 

「妙な鬼の死体と、()()()()らしいものを発見次第、すぐ報告する事!忘れてないからつつくなって!」

 

「カァー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京府、浅草。

 

ここは近代化が進んだ街で、夜になっても本通りは明るく照らされている。見上げる程大きな建物が並び立ち、人通りも非常に多い。

 

しかし、一歩路地裏へ入ってしまえばそんな煌びやかさとは無縁。読み捨てられた新聞や酔っ払いの吐瀉物があちこちに転がり、不衛生な環境が広がっている事もしばしばである。

 

そんな汚い場所を、二人の人物が並んで歩いていた。

 

一人は妙齢の女で、もう一人は少年と青年の、ちょうど中間に位置する位の年齢の男。彼は大きめの鞄を手にしており、何やら色々入っているようだ。

 

男は女の後を付いて歩きながら、語りかける。

 

「珠世様、こんな汚い場所はあなたには似合いません。表を歩きましょう」

 

「いいえ、愈史郎。こんな場所だからこそです。鬼舞辻と遭遇する可能性は少しでも低い方が良い」

 

珠世と呼ばれた女はそう返し、歩みを止めようとはしない。愈史郎と呼ばれた男の方もそれに対し反論する事はなく、従順にその言葉に従っている。

 

「こちらに気付かれない限り、あの男はこんな場所にまでは来ないでしょう」

 

「流石は珠世様!」

 

妙に瞳をキラキラとさせながら、愈史郎は尊敬の眼差しを珠世へと送った。

 

この二人は鬼である。

 

珠世は既に二百年以上、愈史郎は見た目以上の年月を生きている。多くの鬼が“鬼舞辻”という鬼の“呪い”を受けている中、彼らは例外的にその呪いを外した状態なのだ。

 

その呪いを外した張本人こそ、ここにいる珠世である。

 

彼女は医学に精通しており、自身の身体を弄って他の鬼よりもかなり人に近くなっている。食事も少量の血を摂取するだけで飢餓状態を回避でき、人を喰う必要性もない。

 

とは言っても、鬼である事に変わりはない。陽の光を浴びれば消滅してしまうし、日輪刀で頸を落とされれば死亡する。彼女は悲願である『人間に戻る方法』を研究し続け、今日にまで至っている。

 

「そう言えば……もうそろそろ誰かから血を頂かなければ」

 

人を喰う必要はないが、血は必要だ。それも一滴二滴では全く足りない。無理矢理に襲って血を採るという手も無くはないが、そんな事は珠世自身が禁じている。

 

「大丈夫です、珠世様!こんな事もあろうかと『器具』はご用意してあります!」

 

それ故の『輸血』である。

 

そう称して金銭に余裕のない者たちから金で血を買い、それを飲んで生きているのだ。こうすれば無暗に物騒な噂が立つ事もないし、人の世に溶け込む事も出来る。

 

「ありがとう愈史郎。帰り道でそれらしい方を見かけたら、声をかけてみましょう」

 

「はい!!」

 

持っていた鞄を差し出し、再度キラキラとした眼差しを向ける愈史郎。珠世に褒められた事が余程嬉しいのか、腹の底から大きな声で返事を返す。

 

と、そんな時だった。

 

「おぉい、そこのあんた」

 

暗がりから、男の声が聞こえて来た。

 

その声に愈史郎は身構え、珠世の前へと身体をずらす。いつ何時、どのような事があったとしても彼女を守るためである。

 

しかし珠世は彼の肩に手を置き、そっと前へと出て行こうとする。

 

「珠世様!」

 

「大丈夫です愈史郎。これは『鬼』ではない」

 

長年の経験から声の主は鬼ではないと判断し、音の出どころを探る。もしも病人であれば、医学の心得がある自分なら助けてやれるかもしれない。その一心で。

 

どうやら声の主は、路地と路地の間の暗がりにいるらしい。心配する愈史郎を他所に、珠世は臆する事無く足を進ませる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、今はまだ……な」

 

果たして、そこにいたのは一人の男であった。

 

年の頃は三十代後半といったところか。古新聞やらぼろ布で身を包み、小刻みに身体を震わせながら壁に背を預けて胡坐をかいている。どこからどう見ても完璧に浮浪者といった風貌だ。

 

目深に被った帽子で目元が隠れてはいるが、体格や鼻筋から日本人とは考えにくい。恐らくは日本にやって来た外国人であると、珠世は瞬時に当たりを付けた。

 

「どうされたのですか?」

 

「へへ……一攫千金を夢見てはるばるこんな島国にまでやって来たがな、それが運の尽きよ。今や素寒貧でな、飯代もねぇ」

 

無い話ではない。時代の過渡期であるこの国にやってくる外国人は意外と多い。彼もその一人だったのだろう。

 

しかし思うように上手くいかず、このような場所に留まってしまっているのだ。自業自得と言えばそれまでだが、珠世は彼の境遇に僅かながらでも同情の念を抱いた。

 

「そんな時に噂を聞いたんだ。夜な夜な街をうろついて、血を買ってるって言う男女の噂をな」

 

彼が自分たちを呼び止めた理由を知り、合点がいった。そして同時に、少し目立ってしまった事を悟る。

 

血を買うという特殊な行為。それは一般的な感覚からすれば、かなり逸脱しているものだろう。例えそれが浮浪者のような者たちからであっても、噂くらいは出回ってもおかしくはない。

 

「なぁ、あんた。俺の血を買ってくれねぇか?もう、ぎりぎりなんだ……」

 

助けを乞うかのように、男は珠世へと手を差し出す。

 

「分かりました……貴方の血液、買わせて頂きます」

 

後ろから見ていた愈史郎は彼女が他の男に触れられる事を毛嫌いしているのか、露骨に顔を歪めている。珠世はそんな彼を一瞥して窘め、その手にあった鞄の中身を広げていく。

 

ランタンに火を付け、周囲を明るく照らす。消毒液の入った瓶の蓋を開け、清潔な布に中身の液体を染み込ませてゆく。

 

これで準備は万全だ。珠世は慣れた手付きで男の腕を取り、針を指す箇所を入念に消毒していく。

 

「少し痛みがありますが、どうかご安心下さい。すぐに済みます」

 

「構わねぇさ。血を抜くくらい、どうって事ねぇ。ところで……」

 

ピク、と、僅かに身を固める珠世。

 

消毒をしている最中、男が急に珠世の腕を掴んできたのだ。その行為に愈史郎は顔を険しくして、苛立ちを隠さずに声を荒げた。

 

「おい、お前!」

 

「やめなさい愈史郎、それ以上は許しませんよ」

 

「でっ、ですが……!」

 

食い下がろうとする愈史郎。しかし、彼の反応も致し方ないだろう。

 

鬼とは言え、珠世の容姿は非常に整っている。一般の人間たちでは人と鬼の区別などつく訳もない。そんな彼女が浮浪者に対し、こうも優しくしてくれるのだ。()()()してしまう者が出てくるもの無理はない。

 

そう言った事も考慮して、珠世は愈史郎を黙らせたのだ。相手は人間、無暗に暴力を振るってはいけない、という信条の下に。

 

「ああ、綺麗な手だなぁ。染みひとつない、まっさらな肌だ」

 

すり、と、値踏みするような手付きで腕を握ってくる男。愈史郎は相変わらず怒り心頭と言った様子で、ぎりぎりと歯を鳴らしている。

 

ランタンに照らされた珠世の白い腕。いつまで経っても放そうとしない男に、流石の珠世も痺れを切らして、それとなく促してみる。

 

「あの、針を刺しますので、もう手を離して……」

 

「まるで」

 

困り顔に曖昧な笑みを浮かべた珠世が口を開くと同時に、男も被せるようにして言葉を乗せる。

 

それは有無を言わせぬ妙な気迫を纏い―――――決定的な言葉を響かせた。

 

 

 

 

 

「まるで……太陽とは無縁の生き物じゃあないか」

 

 

 

 

 

「「ッ!?」」

 

瞬間。

 

珠世と愈史郎は目を剥き、身体を硬直させた。

 

しかしそれはこの局面においては余りに悪手。男はバネのように勢いよく跳ね起き、身に着けていた古新聞やぼろ布の欠片を周囲にばら撒いた。

 

「くっ!?」

 

その勢いで割れ、光を失うランタン。突然の目くらましにたじろぐ愈史郎は思わず腕で顔を覆ってしまう。その一瞬の内に、男と珠世の姿は眼前からかき消える。

 

「あうっ!」

 

次に聞こえて来た声は後ろからだ。珠世の苦し気な声が耳に飛び込み、愈史郎はほとんど反射的に叫び声を上げてしまう。

 

「珠世様ッ!?」

 

そして、目を見開いた。

 

そこに広がっていたのは―――――正体不明の長身の男が、自身が敬愛する女性の首を締め上げている光景だったのだから。

 

 

 

 

 

東京府・浅草。

 

ここには以前から噂が立っていた。

 

曰く、夜な夜な街を歩いて回っている、妙に身なりの整った男女を見かけると。

 

どちらも肌は白く、まるで長く陽の光に当たっていないかのような、そんな見た目をしていると。

 

その噂は鎹鴉(かすがいがらす)たちによって鬼殺隊隊士たちにも広く流布された。今こうしている間にも、桐の箱を背負った一人の少年が近付いてきている。

 

そして()は、その誰よりも早く、この街にやって来ていた。

 

 

 

 

 

「こんばんは、鬼ども」

 

柔らかな声色とは正反対に、言葉の端から滲み出る狂気。

 

目の前の男……フランシスから感じ取れる濃厚な殺意に、珠世と愈史郎は我知らず身震いしてしまう。

 

「うっ……!」

 

「貴様……!」

 

右手で首を締め上げられ、苦し気に呻く珠世。身長差ゆえにつま先立ちとなってようやく気道を確保できる状態にある彼女は、その異様に強い握力を前にどうする事もできない。

 

一方の愈史郎も同じだ。いかに鬼が不死に近いからと言っても、痛みはきちんと感じ取れる。この世で最も尊いと考えている女性が、今にも首をへし折られそうなのだ。神経が焼き切れそうな怒りに身を震わせると同時に、下手には動けないという理性が彼を押し留めている。

 

「どうやら噂は本当だったようだな。夜な夜な血を求めている奇妙な者たちがいると聞いてきたが……」

 

フランシスは少しずれた帽子をかぶり直しながら、余裕しゃくしゃくといった風に言葉を漏らした。

 

腕に込められた力は緩まない。それどころか、徐々に強くなっている。苦悶に歪む珠世の表情を楽しむかのように、ゆっくりと、ぎりぎりと。

 

「っ……あ、貴方は、一体……?」

 

「貴様らが覚えておく必要などはないさ。私はただの狩人なのだから」

 

どうにか絞り出した疑問を一蹴するフランシス。

 

それをただの時間稼ぎであると知っているのだろう。小賢しい、無駄な足掻きだと嘲笑った彼は視線を愈史郎へとずらすと、変わらぬ調子で口を開く。

 

「人々を襲うでもなく、わざわざ金を払って血を手に入れる、か……ククッ、滑稽な」

 

「なっ……!」

 

「そんな事をして……人の真似事か?」

 

フランシスは獣を憎んでいる。

 

人を襲い、その血肉を喰らい、我が物顔でそこら中をうろつく獣を憎んでいる。

 

それと同じくらいに、鬼も憎んでいる。

 

姿形がいくら人に似ていようとも、中身は目も当てられない程に悍ましい鬼を。人々の恐怖を嬉々として貪る害獣を、心底憎んでいる。

 

だからこそ、フランシスはここに宣言する。

 

「鬼なんぞ、所詮は獣も同然。薄汚い『虫』の苗床に過ぎん」

 

だからこそ、狩り殺す。

 

三日月のように不気味な笑みを浮かべ……彼は虚空より、刃を取り出す。

 

「!!」

 

愈史郎の目がこれでもかと見開かれる。

 

それは紛れもなく日輪刀だった。本来の姿からは外れているものの、なめし皮が巻き付けられた刀身の色は綺麗な青色。色変わりの刀が持つ特徴に他ならない。

 

「感謝しろよ、鬼ども。ここは人目が多い、手短に済ませてやる」

 

刃を逆手に構え、珠世の頸の前に付きつける。あれで斬られれば再生は不可能、彼女の身体は灰へと還り、あっけなく死んでしまう事だろう。

 

「待っ―――!」

 

「やめ、なさいっ、愈史郎!」

 

交渉も、我が身の安全もかなぐり捨て、愈史郎は珠世を助ける為だけに動こうとする。そんな彼を押し留めようと、珠世は満足に呼吸も出来ない中で叫びを上げる。

 

互いが互いの命を救うために動く。

 

いかに感動的な場面であっても、フランシスの心は動かない。所詮は獣同士のなれ合いに過ぎない。彼の目にはそうとしか映らない。

 

重要なのは、この二匹の頸を落とす事。刃を握った手を握り直し、その頸を一気に斬り落とそうと力を込める―――――その直前で。

 

「………?」

 

ピタリ、と、フランシスの動きが止まった。

 

突然止んだ殺意の波動に、珠世と愈史郎も動きを止めた。

 

下手に動けば何が起こるか分からない。それ故に動けない、という方が正しいだろう。顔を見合わせて動揺する二人を他所に、フランシスは眉間にしわを寄せながら珠世に目を合わせ、質問を投げかける。

 

「貴様……どういう事だ?」

 

「え……」

 

突然の事に珠世は言葉を失い、間の抜けた言葉を漏らしてしまう。

 

さっきまで殺意を隠そうともしていなかった者から放たれた質問。何故今、そのような事を?という疑問が彼女の頭を駆け巡り、咄嗟に言葉を返す事が出来ない。

 

「貴様も、そこの貴様からも、死血の匂いを感じない」

 

不可解そうに、あるいは不愉快そうに、フランシスは告げる。

 

血の匂いは感じた。しかしそれは生者のそれであり、人を襲ったものではないのだ。これまでに狩ってきた鬼たちとは違い、人を殺めた特有の『匂い』がないのだ。

 

特に男の方……愈史郎からは『匂い』が全くしない。鬼でありながら人を喰らった気配がない事に気が付いたフランシスは、ここで初めて動揺してしまう。

 

(まさか血を買うという行動は擬態ではなく、本当に今までもこうしてきたと言うのか……薄汚い鬼風情が、本当に……!?)

 

脳天を金槌で殴られたかのような衝撃に苛まれる。

 

そんな彼の様子に二人も数瞬唖然としていたが、直後に取るべき行動へと移った。

 

「ふッ!!」

 

フランシスの目を盗み、珠世が自らの腕を爪で切り裂く。

 

途端に、視界全体が奇妙な花柄模様で埋め尽くされた。

 

「!?」

 

目くらましか、と表情を険しくさせるフランシス。既に足元さえ見えない程に花柄模様は周囲を支配し、五感が麻痺していく気さえしてくる。

 

「珠世様!!」

 

次の瞬間、腕に発生した衝撃。一緒にいた男の方がこちらへ体当たりをかましたのだろうと察し、反射的に刃を振るう。

 

確かな手ごたえ。しかしそれは致命傷を与えるには到底及ばず、気が付けば暗がりの路地の中、フランシスは一人立ち尽くしていた。

 

もう二人の気配はない。逃げ足が速いのか、はたまた『血鬼術』でも使ったのか、ともかくこの場にはもういなくなっていた。

 

「………ちっ」

 

僅かに血が付着した刃を一瞥し、舌打つ。

 

到底認められない存在を突き付けられたかのような気分に陥ったフランシスは、不愉快そうに口の端を曲げ―――――やがて街の中へと消えていった。

 

 

 




どこからともなくやって来る。

鬼を殺しにやって来る。

ノコギリ片手にどこにでも。

鬼を殺しにどこまでも。

真っ赤に染まってやって来る。

鬼を殺しにやって来る。

今夜も聞こえる鬼の声。

身の毛もよだつその叫び。

血に酔いしれる鬼狩りの。

熱い吐息が立ち込める。


――――――――――とある農村の童歌より。






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鬼舞辻無惨という『虫』

恥ずかし気もなく5~6か月ぶりに投稿した糞虫野郎は、どこのどいつだぁ~い?

……私だよ!!(お久しぶりです)



東京府、浅草。空からは柔らかな朝日が差し込み、新たな一日の幕開けを告げている。

 

そんな朗らかな始まりとは裏腹に、()()()()は酷く荒れ果てていた。

 

まずここは、血鬼術によって巧妙に秘匿された木造洋館がある敷地の中である。しかし立派な造りであったはずの家壁には大穴が開いており、そこから覗く内部の状態もめちゃくちゃだ。

 

敷地内の木は折れ、地面は至る所に穴が開いており、何やら激しい騒動……否、殺し合いに等しい何かがあった事は想像に難くない。

 

そんな惨状を目の当たりにした、長身黒ずくめの男―――フランシスは小さく鼻を鳴らし、そして懐から取り出した青い小さな小瓶を煽った。

 

 

 

 

 

「それじゃあ……行こうか、禰豆子」

 

家壁が壊れた洋館から、傷だらけの少年が出てくる。少年は背負った縦長の木箱に優し気な視線を流し、そして決意を新たにしたような瞳で街へと歩み始めた。

 

破壊された木の塀から身を乗り出し、次なる目的地へと向かう―――と、その時。

 

「………?」

 

ふと何かに気が付いたように振り返る少年。すんすんと鼻を鳴らし周囲を探るも、見えるのは街の景色ばかり。人影らしきものは一つも見えない。

 

しかし、少年の鼻は微かに、その匂いを感じ取っていた。

 

(この匂い……どこかで嗅いだような……)

 

どうにか記憶の引き出しを探ろうとするも、やがてそれは鎹鴉の急かす声によって遮られてしまう。どこか引っ掛かる気持ちを抱きつつも、少年は歩みを再開させた……。

 

「………」

 

その背に静かに視線を送り続ける、一人の狩人の存在に気付かぬまま。

 

 

 

 

 

「それでは私たちも準備を急ぎましょう、愈史郎」

 

「はい、珠世様!」

 

洋館内部に存在する地下室、そこに珠世と愈史郎はいた。

 

彼らは偶然出会った鬼殺隊の少年と、鬼にされてしまった彼の妹と共に、襲撃してきた二人の鬼を撃退したところである。二人の衣服にはその最中に負ったであろう負傷の痕跡が残っているが、そこは鬼の生命力、身体に傷などはすでに残っていない。

 

「鬼舞辻も日が出ている内は他の鬼をけしかけられないはずです。必要な器具と、あとは例の患者さんをどうにか眠らせて……?」

 

この土地を去る準備を進めるべく愈史郎に指示を送っていた珠世。しかしその言葉は途中で区切られ、その視線は今しがた鬼殺隊の少年が上がっていった階段へと向けられる。

 

「……珠世様?」

 

愈史郎も彼女の異変に気が付いたのか、様子を窺うように呼び掛ける。しかと耳に届いているはずなのだが、彼女からの返答はない。

 

「……炭治郎さんですか?」

 

その呼びかけに対する返事はない。忘れ物でもしたのかしら、と一縷の望みに懸けた呼びかけに反応がないのなら―――今階段を下りて来ているのは、一体誰だ?

 

ゴツ、ゴツ、ゴツ、という木製の階段が軋む音が、地下室に反響する。少年が履いていた足袋から発せられるような音ではない。これはもっと別の、ブーツにような硬い靴が生み出す音だ。

 

それは獲物を追い詰めるかのように不気味に、ゆっくり、じっくりと近付いてきて……そして。

 

 

 

「……―――――!!」

 

 

 

珠世と愈史郎の目が、これでもかと大きく見開かれる。

 

何故なら、そこにいたのは……昨夜遭遇し、辛くも逃れる事の出来た、異国の鬼狩りの姿だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

接触は簡単だった。

 

それは日が出ていて鬼が外に逃れる術を持っていなかったという事もあるが、理由はそれだけではない。

 

フランシスは一息に飲み干したその小瓶『青い秘薬』の効果が切れる直前を狙い侵入した。こうすれば万が一、地下室から這い上がっていたとしても気が付かれる心配もないからだ。そして地下室に入り込みさえすれば、鬼たちに逃げ場はない。

 

フランシスの読み通り、二人の鬼……珠世と愈史郎は、予想外の人物の登場に狼狽えている。

 

「お前は、昨日の……っ!」

 

「ああ。数時間ぶりだな、鬼ども」

 

不気味な笑みを浮かべ、フランシスは余裕しゃくしゃくにそう言ってのける。すぐさま珠世の身の安全を確保しようとした愈史郎だが、その行動は彼女の伸ばした手によって制される。

 

「珠世様!?」

 

「やめなさい愈史郎。ここまで来られた以上、抵抗は無意味です」

 

「しかし……!」

 

「ここは地下室です。上に行くにはあの方の背後にある階段を使うしかありませんが……素直に通してはくれないでしょう」

 

ぎりり、と歯噛みする愈史郎。

 

珠世は口ではこう言ったが、今死ぬつもりは毛頭ない。どうにか交渉を試み、その隙を突いて逃走しようと思考を巡らせる。

 

「私たちを、殺しに来たのですか?」

 

「無論、そのつもりだ……と言いたいところだがな」

 

が、しかし。彼女の心配は杞憂に終わった。

 

何故ならば……。

 

「こちらも少々事情が変わった。貴様ら鬼について知っている事、全て話してもらうぞ」

 

他ならぬフランシスの方から、会話を持ち掛けられたのだから。

 

 

 

 

 

場所は移り、一階。

 

鬼にされた夫に噛み付かれ、傷を負った女性が寝かされている簡易ベッドがある診察室。そこと壁を隔てて存在する客間に、現在三人はいた。

 

襲撃してきた鬼によって壁は破壊され、僅かながら日の光が差し込んでいる。鬼を瞬時に消滅させる最大の武器を背に突き付けられた状態で座る珠世と愈史郎の額に、冷や汗が伝う。

 

「……もう少し、奥の方に行っても構いませんか」

 

「ならん。そこで話せ」

 

一方のフランシスは壁に背をもたれさせ、立ったまま腕組みをしている。左手に『獣狩りの短銃』を持ったままの狩人は、鋭い視線を二人に向け、情報の開示を迫る。

 

「この部屋を日の光が満たすまで小一時間はかかる。それだけの時間があれば十分だろう」

 

「っ……全て話せば、見逃して下さるのですか」

 

「それは貴様らの話次第だ。有用ならば生かしてやるが、私が無用と判断すれば……こうなる」

 

そう言ってフランシスは、右手を虚空へと伸ばす。何をする気かと身構えた二人であったが、その目は驚愕の色に彩られる。

 

なんと右手を伸ばした先の空間が歪んだではないか。血鬼術かとも思った珠世であったが、即座にそれが別の物であると見抜く。

 

そうして出てきたモノ―――遮光板の取り付けられた30cm四方のガラスケースから取り出し、こちらへと放られた()()を見て、言葉を失った。

 

「………っ!?」

 

どさっ、と重たい音が響く。

 

()()は失った下顎から覗く舌を懸命に動かし、這ってでも逃げようとしている。

 

顔面の皮膚はことごとく剥かれ、眼球はすでにない。がらんどうとなった二つの穴からは、どろりと腐った涙が止めどなく溢れている。

 

 

 

「ぉごっ、じで!(ごろ)……ぎ、ぇ!」

 

 

 

それは正しく、鬼の頭部であった。

 

「う、ぐっ!?」

 

だんっ、と愈史郎が床に手をつき、込み上げてきたものを必死に飲み下す。珠世もまた顔面を蒼白にさせるも、目の前で蠢く肉塊から目を逸らせないでいる。

 

「こ、この方は、一体……っ!?」

 

「道中で捕らえた鬼だ。少しばかり()()()()を施してあるからな、再生はしないが死にもしない」

 

良い研究材料だ、というフランシスの口元には確かな笑みが浮かんでいた。

 

それは人とも鬼ともつかぬ狂人のそれ。研究材料と言いつつも、鬼が苦しむ姿を愉しんで鑑賞する、()()の外れた人外の笑みである。

 

「………っ!!」

 

ぞっっ、という悪寒が這い上がる。

 

珠世はその端正な顔を思い切り歪め、このような所業を見せつけた張本人の精神を疑った。

 

鬼を憎むのは理解できる。人間を殺し、その血肉を喰らう。野生動物のように必要なだけの狩りに落ち着く事なく、ただ喰いたいから、ただ楽しいからという理由で人間を殺す生物、それが一般的な鬼である。憎んで当然だ。

 

しかし、これは度が過ぎている。

 

一体どのような処置を施したのかは知らないが、このような状態になってまで生きている鬼を珠世は知らない。再生もせず、しかし死ぬことも出来ない事の恐ろしさは鬼が一番よく知っている。自身も同じことをされたらと思うと、血の気が引く思いだ。

 

そんな事を考えていた珠世へとフランシスは近付く。否、正確には、その目の前で蠢く哀れな肉塊の下へ、だ。

 

「げェ、げェ、げェ!!」

 

いよいよ脳に痴呆の虫が湧き始めたのか、人語すら怪しくなってきた鬼。その鬼をフランシスは冷めた眼で見下ろし、そして―――。

 

ぐちゃり、と踏み潰した。

 

飛び散った肉片、血液が珠世と愈史郎にも付着するも、それすら気にも止まらない。日輪刀すら使わずに踏み潰された鬼は、この部屋が日の光に満たされるその瞬間まで、小さな肉片のまま苦しみ続けるのだ。

 

この時、二人は静かに悟った。

 

これは脅しでも何でもない。目の前にいるこの狂人は無用と判断すれば、本当にやる……日輪刀で首を刎ね飛ばされるだけではない、この哀れな肉片と同じ目に、自分たちを遭わせる気なのだと。

 

およそ考えうる限りで最悪の殺し方を見せつけたフランシスは、そのままじろりと二人を睨みつける。

 

「そら、空き部屋ができたぞ」

 

そして、赤黒く汚れた(から)のガラスケースをかざし、告げた。

 

「……泊まっていくか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後数十分に渡り、珠世は必死にフランシスへと事情を説明した。

 

自分たちが血を買う理由から、ここで行っている事。

 

昨夜出会った鬼殺隊の少年の事、その妹の事。

 

そして、鬼という存在が生まれた、全ての元凶となる人物の事を。

 

―――鬼舞辻無惨。

 

曰く、その鬼は自身の血を介し、人を鬼へと変える。つまりは、今までフランシスが狩ってきた鬼は全て、元を辿れば哀れな犠牲者に過ぎないのだ。

 

そう伝えた珠世は、これでフランシスがもう残酷な殺し方をしない事を祈った。いくら人を喰らう鬼とは言え、あれ程までに悍ましい最期を迎えるなど、とても他人事とは思えなかったのだ。

 

自分の事を棚に上げて、とは思う。

 

勿論、今までの自分の所業が赦されるなどとは思っていない。もし仮に人間に戻れたとしても、周囲が望むのであれば自害する事もやぶさかではない。

 

しかし、今はまだ死ねない。あの鬼殺隊の少年、その妹を人間に戻し、そして憎き鬼舞辻無惨を倒すまでは。

 

そんな様々な思いを胸に、珠世はフランシスに全てを打ち明けたのだ。

 

「すべての鬼は、元はただの人間だった……という事か」

 

「……はい」

 

悲痛な表情を浮かべる珠世。隣に座る愈史郎も言葉こそ発しないが、沈痛な面持ちで彼女の横顔を見つめていた。

 

そのまま数十秒の時が流れる。

 

やがて沈黙を破ったのは、フランシスの言葉だった。

 

「ふん、やはり『獣の病』と同じか」

 

吐き捨てるような独り言を最後に、フランシスは銃を懐に収める。そして珠世と愈史郎へと近付いてゆき―――そのまま壊れた壁をくぐり、外へと出て行った。

 

「なっ……」

 

動き出したフランシスから珠世を守るかのようにかばった愈史郎は、こちらに一瞥もくれずに出て行った男の背を呆然と見ている。彼の腕の中、珠世もまたその後ろ姿を目にしていた。

 

「あっ、あの……」

 

「理由はどうあれ、私は私のやり方で鬼どもを殺す。貴様らにとやかく言われる筋合いはない」

 

振り返る事もせずにそう言ったフランシスの意志は固く、到底覆せるようなものではない。そう悟った珠世はそれ以上は何も言えずに、しかしこれだけは伝える。

 

「もしも貴方が強力な鬼……『十二鬼月』の鬼を倒す事があれば、どうかその血を採取しては頂けないでしょうか。それがあれば、私たちの研究も飛躍的に進みます」

 

「………」

 

フランシスからの返答は、やはりなかった。

 

二人を見逃す……つまりは有用であるとの判断を下した訳だが、慣れ合うつもりはないのだろう。ほぼ無害であるというだけで、鬼である事に変わりはないのだから、当然と言えば当然の事なのだが。

 

しかし、それよりも今のフランシスの心は、ある一つの単語に激しく反応していた。

 

「………鬼舞辻、無惨」

 

全ての鬼を作り出した病の元凶。

 

鬼舞辻の呪いを外した珠世から聞き出したその名を、フランシスは忌々し気に呟く。

 

「ああ、感じるぞ。その名から漂う、隠しようもない汚物の気配を」

 

見た事も、今まで聞いた事もなかった男。初めて聞く名であるにも拘らず、彼の心には激しい殺意の感情が渦巻いていた。

 

それはあたかも『連盟』に属する狩人が、『虫』を目の前にした時のようである。

 

「きっとその(はらわた)の中には、汚物に塗れた『虫』がいるのだろうなぁ。腐れ切った臓腑の奥底には、『虫』が溢れているのだろうなぁ」

 

血走った眼で、フランシスは未だ見ぬ標的の姿を思い浮かべる。

 

『虫』への憎悪で溢れ返る感情。しかしそこには、同居するもう一つの感情があった。

 

「ああ。ああ。踏み潰してやる、一匹残らず」

 

それは『歓喜』だ。

 

同士ヤマムラの祖国にて『虫』の元凶を踏み潰す。逝ってしまった友への最大の贈り物を思いついたフランシスは、狂笑をたたえながら日の光が降り注ぐ街を歩く。

 

「『虫』は……根絶やしだ」

 

 




怯えたような表情の珠世様もまた美しい!(啓蒙99)


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