月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか (いくらう)
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00:人物紹介

ダンまち原作に登場しないキャラの出典等の紹介です。
現在36話分まで。出典元の作品、及び作中のネタバレがあります。


36話の更新に際していろんなとこに更新を行いました。


キャラクターについては原作での説明、拙作における設定の順で書かせていただきます。

両原作に関わる部分もありますが基本的に独自設定、独自解釈マシマシとなりますのでご了承ください。

 

36話現在、

 

・【エリス・ファミリア】

・【ゴブニュ・ファミリア】

・【ギルド】

・【鴉の止り木】亭

・【鴉の止り木】亭の常連

・冒険者達

・過去の英雄

・オラリオの人々

・古狩人達

・【上位者】

 

の順で並んでいます。

 

 

 

・【エリス・ファミリア】

女神エリスが運営する探索系ファミリア。ランクは最低のI。15年ほど前までは中堅上位程度のファミリアだったが、【隻眼の竜】討伐の折など近年のオラリオで何かが起きるたびに巻き添えに近い形で団員を減らし続け、5年前にエリス以外の全ての構成員を失いルドウイークの加入まで主神のみを残した名前だけのファミリアとなっていた。

 

 

・ルドウイーク

出典:Bloodborne、Bloodborne The Old Hunters

 

かつてのヤーナムで英雄と呼ばれた教会最初の狩人。<聖剣のルドウイーク>。

彼の使っていた装備は以降の狩人達の装備の基礎となったものも多い。

 

主人公。<最後の狩人>によって葬送された後<月光の聖剣>と共にオラリオで目を覚ました彼は、なし崩し的にその場に居合わせたエリスと約定を結び、【エリス・ファミリア】の一員となった。

その後は他の神に目を付けられないようにと言うエリスの配慮に従い、新参の冒険者を装ってオラリオでヤーナム帰還の為の手がかりを捜している。

 

エリスにはファミリアに入る際ヤーナムについての多くの知識を差し出しているが、自身や<月光>についてや<獣の病>など曖昧な説明で済ませている者もある。

特に<上位者>に関する事は真実の一端すら語っていない。危険だからだ。

 

 

【ステイタス】(17話現在)

 

【名前:ルドウイーク】

【Lv:―(書類上2)】

【二つ名:白装束(ホワイトコート)

【所属:エリス・ファミリア】

【種族:人間】

【職業:冒険者、狩人】

【到達階層:18階層】

 

【スキル(狩人の業)】

・<加速>

 

【装備】

・<月光の聖剣>

 

・<ルドウイークの聖剣>、あるいは【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)

 

<教会>の狩人が用いた<仕掛け武器>の一つ。銀の長剣と長大な金属製の重い鞘で構成されており、状況に応じて使いやすい長剣と威力のある大剣を切り替えて使用される。

 

鍛冶師【エド】の手による<ルドウイークの聖剣>の再現品。オリジナルと同様長剣と大剣の形態を使い分けて使用される武器で、最低品質品は一振り20万ヴァリス(希望小売価格)。

ルドウイークの手に渡った試作第一号はミスリル、アダマンタイト、オリハルコン(エドが倉庫からちょろまかした最上質品)などの上質な素材が惜しげなく使用されており、材質等の違いもあり完全な再現品と言う訳では無いがむしろ基礎的な性能自体は上がっている。

契約上無償でルドウイークの手に渡ったが、素材の品質からその価値を金額に換算すれば一億ヴァリスは下らない。

 

・短刀

 

【防具】

・ルドウイークの狩装束

・ルドウイークの手甲

・ルドウイークのズボン

 

【秘儀】

・<エーブリエタースの先触れ>

・<精霊の抜け殻>

・<夜空の瞳>

・<聖歌の鐘>

・<彼方への呼びかけ>

・<使者の贈り物>(未装備)

・<小さなトニトルス>(未装備)

 

 

 

・エリス

出典:ギリシャ神話

 

ギリシャ神話における争いと不和の女神。トロイア戦争の火種を作った。

 

【エリス・ファミリア】の主神。嘗ては原典に違わぬ争いを嗤いその為に策謀を巡らせる女神であったが、ここ15年ほどで不幸が重なり他者に頭を下げなければならない生活を送り続けたため以前の酷薄さや計算高さなどはすっかり抜け落ち随分と丸くなってしまった。

よく笑い、よく驚き、よく怒る感情豊かな女神。

突如自らの家に現れたルドウイークを即戦力兼最高に珍しいおもちゃとして認識し自らのファミリアに引き入れたが、その常識の差と人間性の違いに振り回されている。

 

最近は如何に彼をエリス・ファミリアに留め置くかについて考えているが、今の所妙案が浮かばずにいる。

 

得意料理は玉葱のスープ。好きな物は甘いもの、嫌いな物は竜とセクハラジジイとエルフ、さらに最近苦手だったナメクジが決定的にダメになった。

苦手な神はヘスティアとフレイヤとヘファイストス。

 

【鴉の止り木】亭における地位は【黒い鳥】と同じくらい低い。

 

 

・<先触れ>

出典:Bloodborne

 

<星の娘>エーブリエタースの先触れたる軟体生物。ヤーナムにおいては精霊と呼ばれた存在。見た目は青白いナメクジ。

資質にもよるが、所有者は<エーブリエタースの先触れ>なる秘儀の使用が可能となる。

 

ルドウイークが所持している<秘儀>の一つ。外見上は体長20センチほどの大ナメクジ。

所有中に触媒の消費を行う事で、<エーブリエタース>の体の一部を顕現させる事が可能。

普段はルドウイークの持つ雑嚢の一つに収まっているが、エリスの家を自身の縄張りであると認識しており時折雑嚢から抜けだして徘徊している。

 

お気に入りの場所はエリスのベッドの横の小棚の上、寝る時に彼女が眼鏡を置く所のそば。

 

 

・【炎剣(ブレイズブレイド)

出典:なし

 

最後のエリス・ファミリア団長。広義の人間(ヒューマン)(ハーフエルフと人間の子)。最終到達レベルは3。最初の二つ名は【卍紅蓮の聖炎剣士(クリムゾンホーリーブレイズナイト)卍】。

炎に関連する魔法を操る魔法剣士であり、現在エリスやルドウイークが暮らす家の本来の持ち主。

 

エリスは彼女を、娘か妹の様に可愛がっていた。

 

 

 

・【ゴブニュ・ファミリア】の鍛冶師たち

 

・アンドレイ

出典:DARK SOULSシリーズ(無印、3)

 

DARK SOULSシリーズにおける鍛冶(装備強化を行う者達)の一人。

無印、3ともに序盤から終盤通して世話になる鍛冶師。

ぶっきらぼうだが、不死者たる主人公に対して確かな信頼とその身を心配する言葉をかける良識人。

 

【ゴブニュ・ファミリア】頭領。二つ名は【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】。年齢不詳。

かつては名実ともにオラリオ最高の鍛冶師だったが、近年は【ヘファイストス・ファミリア】の【単眼の巨師(キュクロプス)】にその座を譲り、半引退状態にある。

しかしその腕前はいまだ健在で、後進の指導に当たりながら時折専属契約を結んでいる冒険者に対して武器を提供している。

現在オラリオに居るファミリア構成員の中でも最年長であると専らの噂。

 

 

・エド・ワイズ

出典:ARMORED CORE LAST RAVEN、Demon's Souls

 

ARMORED CORE LAST RAVENにおいては主人公らの雇った辛辣な語り口が特徴の諜報屋(リサーチャー)として、Demon's Soulsにおいては最後まで世話になる凄腕の鍛冶師として登場。

 

【ゴブニュ・ファミリア】構成員。二つ名は【ひねくれ(シニカル)】。三十代前半の人間(ヒューマン)

常に黒いグラスで目元を隠した男。その皮膚は所々が鱗じみた硬質化現象を見せている。

鍛冶師としての腕は確かだが口が悪い上性格に問題があり、弱みを握ったうえで直接契約を結んでいる数名の冒険者以外の為に装備を作る事は無い。

 

主な顧客は【黒い鳥】。

 

 

・リッケルト

出典:DARK SOULS

 

ヴィンハイムのリッケルト。不死となったのち小ロンド遺跡の檻の中に閉じこもって鍛冶を行っている青年。鍛冶は脳にいいとしており、武器に魔法属性を付与する強化などを行っている。

 

【ゴブニュ・ファミリア】構成員。【魔剣屋】の二つ名を持つ魔剣専門の鍛冶師。黒い鍛冶衣に身を包んだ、黒いポニーテールの青年。低威力ではあるが、均一の品質の魔剣を量産して市場へと卸しており、一時期魔剣自体の平均価格を大きく下落させた。その事でギルドからは要注意人物と見做されている。

その魔剣は何よりも使用回数が明記されているのが特徴で、上位下位を問わず幅広い層の冒険者の人気を得ている。

 

 

・真改

出典:ARMORED CORE 4、ARMORED CORE for Answer

 

レイレナード社所属のリンクス。<スプリットムーン>と言う名の機動力特化の格闘機を操り単語のみを話す寡黙な男。

アンジェの死後、その代名詞とも言えるレーザーブレードを受け継いだ。

 

【ゴブニュ・ファミリア】構成員。二つ名は【刀匠(サムライスミス)】。刀を専門に製造する鍛冶師で、腕前はオラリオでも最上級のもの。寡黙で人との関わりを殆ど持たないが、仕事には誠実でありオラリオの刀使いの多くが彼の元へと通っている。

主な専属顧客はアンジェ。

 

 

・シーラ・コードウェル

出典:ARMORED CORE LAST RAVEN

 

ACLRにおける主人公のオペレータ。元ミラージュ社所属でそちらでもオペレータ業に携わっていた。

何かと賞金や報酬を気にする守銭奴じみたセリフが多いものの、一方で主人公を親身に心配する一面も見せる。

 

【ゴブニュ・ファミリア】経理担当の女人間(ヒューマン)。元ギルド職員であり、恩恵を持たぬ一般人。

悪人ではないが非常に金の管理に厳しく、彼女が来てからゴブニュ・ファミリアの財政状況は一気に改善された。

エド、そして【黒い鳥】とは浅からぬ因縁を持ち、二人の現在の借金総額を把握、管理している。

 

 

 

・【ギルド】

 

・ラナ・ニールセン

出典:ARMORED CORE MASTER OF ARENA

 

ACMoAにおいて主人公を傭兵(レイヴン)へと誘い、そのマネージャーとなった女性。

作中ではメールや通信でのやり取りのみで姿を見せる事は無い。

 

ギルドの職員の一人。30歳過ぎ。人間(ヒューマン)秩序(ルール)に厳格でそれを破る者には容赦しない苛烈な性格の為、担当の冒険者や同じギルドの後輩職員からも恐れられている。

 

 

・ジャック

出典:ARMORED CORE NEXUS、LAST RAVEN

 

ジャック・O。ACNX及び、ACLRに登場するレイヴン。

NXではトップランカーと言えレイヴンの一人でありながら所属する傭兵斡旋組織の態勢を変革させるなど政治面での辣腕を見せ、LRにおいては『傭兵による新たな秩序の創出』を掲げ<バーテックス>を結成。企業連合である<アライアンス>を相手に、例のない大戦争を仕掛けるに至った。

 

ギルドの職員の一人。40代の狐人(ルナール)。特に恩恵を持たぬ身でありながら、その卓越した危機管理能力と傑出した観察力、知の神にさえ比肩する知性を備え一部では【黒幕(フィクサー)】とも呼ばれる男。建前上は一般職員ではあるがその影響力はギルドだけに留まらない。嘗ては【黒い鳥】の担当アドバイザーでもあった。

 

 

 

・オニール、ネイサン、マリー

 

出典:ARMORED CORE for Answer

 

管理機構カラードを通し企業からのミッションを仲介する仲介人たち。

それぞれGAグループ、オーメルグループ、インテリオルグループを担当する。

フルネームは【ジョージ・オニール】、【アディ・ネイサン】、【マリー=セシール=キャンデロロ】。

 

ギルド業務に従事する職員達。受付業務、書類・資料整理、担当ファミリアとの折衝などを行っている。

オニールは三十代の人間(ヒューマン)の男性。気さくで人当たりも良く、配慮も行き届いているが書類仕事や情報の整理は苦手。担当は【ガネーシャ・ファミリア】。

ネイサンは若いエルフの男性。基本的に慇懃無礼で事あるごとにギルドのオラリオにおける役割の大きさをアピールしてくるなどあまり性格が良いとは言えないが、仕事の優秀さは高い評価を得ておりギルド長からの覚えも良く出世は間違いない。担当は【ヘファイストス・ファミリア】。

マリーは妙齢の狐人(ルナール)の女性。可愛いもの好き。担当は【ゴブニュ・ファミリア】であるがむさ苦しい男ばかりのファミリアに内心辟易しており、駆け出しの少年冒険者に世話を焼くエイナを羨望の眼差しで見つめている。

 

 

・メルツェル

出典:ARMORED CORE for Answer

 

<ORCA旅団>の所属メンバーであり、結団時メンバーである『最初の五人』の一角。

実力は旅団内でも中堅と云った所であるが、その智謀と交渉力を以って旅団の行動を大いに助けた。

 

【アテナ・ファミリア】を担当するギルド職員。同時にコロッセオ興行の司会も任されている。

素晴らしい声の持ち主でコロッセオに通うものの中には彼のファンであるというものも少なくない。

 

 

 

 

・【鴉の止り木】亭

出典:強いて言えばARMORED COREにおける傭兵斡旋組織《レイヴンズ・ネスト》。

 

オラリオの西大通りから少し入った場所に居を構える酒場兼宿屋。あるファミリアによって運営されており、店員は皆そのファミリアの所属で殆どが冒険者か元冒険者。

程々の価格と大食いの者も満足させる食事の量、悪く無い味の料理を出し、独特の雰囲気を持つため冒険者が良く集まる。

現在は店主が滅多に姿を現さないため、マギーと店主代理が店を管理している。

 

 

・マグノリア・カーチス(マギー)

出典:ARMORED CORE VERDICT DAY

 

ACVDにおける主人公の仲間の一人。他の作品におけるオペレータに相当する。

一見冷静に見えるが割と短気で喧嘩っ早い。過去の出来事によって左腕を欠損している。

 

【鴉の止り木】亭の店員。元冒険者。人間(ヒューマン)。年齢は二十代中盤。

かつては【青木蓮(ブルー・マグノリア)】の二つ名を取った新進気鋭の冒険者だったが、ダンジョンで左腕を失う大怪我を負って以前所属していたファミリアを脱退。その後【鴉の止り木】亭を運営するファミリアに拾われ今に至る。

店では店主に次ぐ権限を振りかざし、出禁の判断も任されているため常連達には手を出してはいけない相手と認知されている。

 

 

・フレーキ

出典:Demon's Souls

 

Demon's Soulsにおいて魔術を伝授してくれるNPC。

最初はある場所に囚われているが、救出後は特別なアイテムと引き換えに魔術を教えてくれる。

 

冒険者。狼人(ウェアウルフ)。現在の二つ名は【啓くもの】。嘗ての二つ名は【書庫(ライブラリー)】。一応【鴉の止り木】亭の店員ではあるが、人手が足りないなどの非常時以外はダンジョンか部屋に籠って【神秘】アビリティの研鑽を行っている。術師の少ない狼人の生まれでありながら魔術師としては凄腕で、主な仕事は暴走しがちな【彼】のお目付け役。

魔導書(グリモア)を作れると噂されている他、魔導書を読んでスロット増加の判定に成功した際、限界数の3を越えてスロットを増やす事の出来るスキルを保有している。

 

 

【魔法】

・【ヤーン(望郷)】出典:DARK SOULSⅡ

 

波紋を放つ球を打ち出し、着弾点に敵を惹きつける魔術。

直接的な殺傷力は無いが、使い方次第では下手な攻撃魔法など及びもつかぬ効力を発揮する。

 

魔力を発散させモンスターを惹きつける球を生み出す魔法。

それが生み出す波紋はあたたかく、人が触れた場合、どこか懐かしさを感じさせる。

主にモンスターを集め、そこを一網打尽にするのに使われるが、逃走時の陽動や前方の安全確認など用途は幅広い。

高い知性を持つ相手には基本的に通じるものではないが、場合によっては何よりもよく効く技となりえる。

 

 

・【ソウル・ストリーム(ソウルの奔流)】出典:DARK SOULSⅢ

 

凄まじいソウルの奔流を放つ魔術。

長い射程と即座に着弾する攻撃速度、何より高い威力と長い攻撃判定を誇る魔術であり、

魔術師ビルドの不死人達の切り札の一つとして認知される大技。

 

魔力を収束させ、轟音と共に光線として打ち放つフレーキの魔法。

彼の持つ魔法の中でも最大の威力を誇り、切り札として幾度と無く彼の窮地を救っている。

部屋同士が通路で繋がるダンジョンの構造上、非常に有効な場面の多い魔法だが、負荷が大きいため彼は安易に放ちたがらない。

 

 

・【プロテクション(防護)】出典:Demon's Souls

 

物理攻撃のダメージを半分近く削減する防護魔術。上位種に『完全なる防護』がある。

 

泡状の形を成す魔力を付与し、物理防御力を飛躍的に高める魔法。領域系の防御魔法とは違い、付与した相手にしか効果が無いものの対象は自由に動けるという利点がある。

 

・【トゥランキル・ピースウォーカー(穏やかなる平和の歩み)】出典:DARK SOULS

 

一定時間、周囲の相手にダッシュ、ローリングを禁止する(歩行以外の移動方法を封印する)奇跡。歩み寄らねば平和は訪れぬと言うが、その凶悪な性能が飛び道具による一方的な蹂躙などに使われたシリーズ中でも特に悪名高い奇跡。

 

フレーキの使用する中では数少ない呪詛(カース)の一つ。

周囲一定範囲内の相手に歩行以外の移動行動が行えなくなる特殊な状態異常を付与する。呪詛の代償は『自身の移動禁止』だが、術者であるフレーキが多彩な遠距離攻撃の使い手であるため代償としてはあまり意味を成していない。

 

・【スナップ・フリーズ(瞬間冷凍)】出典:DARK SOULSⅢ

 

<絵画世界>を去った若き魔術師がその前に残した魔術の一つ。

極低温の霧によって、相手に冷気の状態異常を与える。

 

狙った方向に強力な冷気の霧を放ち、射線上の相手を凍結させる魔術。

殺傷性は低いものの拘束、妨害に向く。

 

・【ファイアーストーム(炎の嵐)】出典:ソウルシリーズ

 

各作品によって由来は違うものの、自身の周囲に火柱を発生させ相手を吹き飛ばす魔術、あるいは呪術。

炎に関連する術技の中でも特に強力な一つ。

 

自身の周囲に強力な火炎を発生させる、フレーキの操る魔法の中で特に強大な魔法。だが、それは精霊の使うそれと酷似しながら、威力は精霊のものには遠く及ばない。

しかしフレーキはこの超長文魔法を高速で移動しながら扱うほどに熟達しており、如何なる状況でも安定して発動する事が出来る。

 

 

・【彼】

出典:ARMORED COREシリーズ

 

ARMORED COREシリーズの主人公。拙作においては「彼」だが、殆どの作品で性別も年齢も人種も決まっていない。

 

年齢二十代(マギーより年下、ベート・ローガと同世代)。【黒い鳥】の二つ名を取る冒険者であり【鴉の止り木】亭の用心棒。身内からは【フギン】あるいは【ムニン】と呼ばれ、それ以外にも過去の実績から【闘技場の覇者(マスターオブアリーナ)】、【沈黙させるもの(サイレントライン)】、【九頭竜破り(ナインブレイカー)】などと呼ばれており、創作じみた逸話に事欠かない。

あらゆる武具に適性があり、状況に応じて幾種もの武器を使い分ける事で有名だが、真に頼る得物は盟友の一人であるエドの手による【闇屠り】と銘打たれた一振りの剣。

 

ギルドや他のファミリアからの依頼を受けてダンジョンに潜る事もあるが、仕事の無い日は基本的には気ままにダンジョンを探索しており、単独での到達階数はオラリオ最強の冒険者である【フレイヤ・ファミリア】の【猛者(おうじゃ)】に匹敵する。

 

フレイヤからはたびたび誘いをかけられているが、本人は『【猛者】と戦えなくなりそうだから』とその誘いを固辞している。

 

店主とマギーには頭が上がらない。

 

【装備】

・【引き合う石の剣】出典:DARK SOULSⅡ

刀身が幾つにも割れた石の剣。

振った勢いを利用して刀身が分離する特殊な長剣で、モーションの優秀さが光る武器。

 

【黒い鳥】が愛用する得物の一つ。

ダンジョンの特定階層の更に特定の場所で採取できる特殊な鉱石をエドが加工した逸品。

磁力に似た力で引きつけ合っており、腕の振り具合を使って刀身を分離させて剣としては考えられない程の広範囲を攻撃できる。

 

・【バスタードソード】

一般的な扱いやすい大剣。ただし、アンドレイの手によって偏執的なまでに強化が施されており数打ちの品とはもはや別物の切れ味と強度を誇る。

 

・【ミルド・ハンマー】出典:Demon's Souls

硬い嘴を持つ竿状武器。打撃属性を持ち、盾などの防御に長けた敵に対して有効。竜ミルドと呼ばれる火炎属性を付与した物が多くの悪魔殺し達の手で猛威を振るった。

 

2M(メドル)近い長さを持つ、長柄の戦鎚。

普段は【黒い鳥】のサポーターを務める【古き王】が携行しているが、彼が背負う大型の背嚢にさえ明らかにしまい込めるサイズでは無い。

 

・【黄金の残光】出典:DARK SOULS

グウィン王の四騎士が一人、<王の刃>キアランの用いた黄金の曲剣。

振るわれた軌跡に金色の残光を残す美しさと高い攻撃力を持ち合わせ、数多の不死人に愛用された。

 

【古き王】が持つ数多の武具の一つ。伝説的な名剣であり、相手を幻惑する残像とたとえようも無いほどの恐るべき切れ味を誇る。普段は【黒い鳥】では無く【古き王】が携えており、【仮面巨人】としての彼が愛用する得物でもあった。

 

 

・【闇屠り(ダークスレイヤー)】出典:KING'S FIELDシリーズ 

キングスフィールドシリーズにおいて<ムーンライトソード>に並ぶもう一つの聖剣。光の力を宿すムーンライトに対し、それ以外の火、土、風、水の全ての属性を秘める。

 

世界中を飛翔する【黒竜】が各地に残した鱗などの素材。その内の一つをエドが加工し作られた大剣。元となった素材同様他のモンスターを威圧する力を持ち、武器としても超級の力を秘める。

 

・【戦神力帯(メギンギョルズ)】出典:北欧神話

トール神の力帯。腹に巻かれ、彼の力を倍にまで引き上げた。

 

【黒い鳥】が主神より借り受け、片手の二の腕に結びつけている帯。絞った力に比例して力のアビリティを大きく向上させるが、効果を強め過ぎた場合後々酷い後遺症に苛まれる。

本来の使い手――――雷を司る戦神その人であれば腹に巻き、全身を強化する事で途方もない力を引き出す事が出来たと言う。

 

 

【スキル】

・【戦天適性(ドミナント)】:戦闘ごとのステイタスの自動更新。ただしこのスキルによる更新ではスキル、魔法の発現やレベルアップは発生しないため主神の手による正規の更新が別途必要。

 

 

【魔法】

・【バニシング(Vanishing)】出典:ARMORED CORE V

ACVのPVに使用されたFrequency(フリーケンシー)の楽曲。

 

詠唱完了と同時に一秒にも満たない僅かな時間の間自身の『当たり判定』を喪失させる。

以前アンジェと戦い、彼女の居合で斬り殺されかけた後の更新で発現した。

 

・【スターダスト(Stardust)】出典:ARMORED CORE for Answer

ACfAのPVに使用されたFrequency(フリーケンシー)の楽曲。

 

展開した魔法円から小さな魔力弾を無数に打ち出す魔法。

一つ一つの威力は小さく相手を倒すには向かないが、衝撃力は高く妨害、格下の掃討に向く。

 

 

・ジジイ

出典:ARMORED CORE VERDICT DAY

 

ファットマン。主人公、マギーとコンビを組む伝説の運び屋(ストーカー)。

現役最年長でありながら幸運を呼ぶ男としてその腕前の高さは広く知られ、彼と組んだものはまず大成するとも言われている。

基本的には気楽でフレンドリーな男でどこかいい加減で軽薄そうな言動が目立つものの、経験から来る洞察力や判断力は確かな物。

自らの信念に基づき、マギーや主人公と共に在り続ける。

 

【鴉の止り木】の店主にして主神である隻眼の老神。ウラノスとそう変わらない時期からオラリオに在った最古参の超越存在(デウスデア)であり、数多の英雄達を目にしてきた。

好奇心旺盛で様々な事業に手を出してきた変わり者であり、嘗てはゼウスやヘラに匹敵する大勢力を率いていた時期もあったが現在は表舞台に立つことは殆ど無い。【鴉の止り木】も嘗ての好奇心から始めた店。

ファミリアの団員たちに対しては基本的に放任主義で、それぞれが『好きなようにする』事を楽しんでいるが、それとは別に時折店を離れ情報収集に精を出している。

 

 

 

・【古き王(オールドキング)

出典:ARMORED CORE for Answer

 

武装勢力『リリアナ』を率いる危険思想の持ち主。普遍的な罪悪感どころか他者はもちろん自身の命にさえ葛藤を抱く事も無い異常者。

原作では主人公に一つの道を提示し、主人公の選択如何によっては億単位の死人を出した。

 

【鴉の止り木】店主代理。【黒い鳥】を相棒と呼ぶ素顔を隠した身長2M(メドル)を超える偉丈夫。

ギルドの『危険人物一覧(レッドリスト)』にも大きく名前が乗せられている危険人物で、『摩天楼(バベル)爆破未遂』、『前々リヴィラ殲滅』、『超越存在(デウスデア)連続殺害』、『海竜の封印(リヴァイアサン・シール)破壊画策』など関わったとされる罪状の規模はオラリオ史上でも類を見ない。

自身を匿う代わりに主神らに協力しており、フレーキの作った魔道具で姿を変え【鴉の止り木】の店主代理として料理担当を務め、同時に個人的な思惑もあって【黒い鳥】のサポーターとして共にダンジョンに潜っている。

 

【黒い鳥】との付き合いは主神やマギーよりも長く、彼が冒険者になる前からの知り合いだった。

 

 

・ロスヴァイセ

出典:ARMORED CORE

 

初代ARMORED COREにおける最上位ランカーレイヴンの一人。

スナイパーライフルとスラッグガンを装備した白い軽量機体を操る強化人間。

他の上位ランカーに比べ明らかに早い時期のミッションに登場し、余りにも無法すぎる違法改造スラッグガンによって数多のレイヴンにトラウマを刻みつけた。

 

戦乙女(ヴァルキュリア)】のロスヴァイセ。【黒い鳥】やマギーらと同じファミリアに所属する第一級冒険者。

エルフの女性であるがあまりエルフらしい感性は持っておらず、エルフ特有の横のつながりも薄い。それ以前にそもそもとしてエルフが嫌い。実年齢はフレーキよりもずっと上。

基本的には弓矢による狙撃を主にしたスタイルを取り、それだけでも第一級冒険者に相応しい実力を持つが、更に何らかの魔法を切り札として持つ。

主神の傍仕えを自認しており、依頼時を除いて彼と行動を共にしているためしばらく【鴉の止り木】には顔を出していない。

 

まだ無名だったころの【黒い鳥】を死の一歩直前になるまで叩き潰した事があり、性格的にも反りが合わないため彼との仲はあまり良くない。

 

 

 

 

・【鴉の止り木】亭の常連たち

 

・ハベル

出典:DARK SOULSシリーズ

 

<太陽の光の王>グウィンの盟友である大戦士。

作中には名前のみで本人は登場せず、その信奉者である<ハベルの戦士>達が登場する。

彼らは信奉対象であるハベルの二つ名に違わぬ作中最重クラスの鎧を装備しており、その防御力と高い攻撃力で数多の不死人を葬って来た。

 

岩のような(ザ・ロック)】ハベルと呼ばれる第一級冒険者。『【アンフィス・バエナ】の【焼夷蒼炎(ブルーナパーム)】を浴びて無事だった』、『【ブラッド・サウルス】に噛み付かれたが相手の歯の方が砕け散った』と言われるほど異常に防御力が高く、モンスターの攻勢をものともせず竜の牙を加工した大槌【大竜牙】で真正面から相手を叩き潰す戦闘スタイルの持ち主。

最近はギルドからの依頼で単独で深層に出向いており、マッピングに勤しんでいる。

 

 

・ジークバルト

出典:DARK SOULSⅢ

 

主人公と同じくロスリックを旅し<薪の王>を連れ戻す使命を負った<火の無い灰>の一人。

前々作に登場していた<ジークマイヤー>あるいは<ジークリンデ>と同じく全身を<カタリナ一式>で固めており、その見た目や作中での行動から人気の高いキャラクター。

火の無い灰としての使命とは別に、ある約束の為に動く。

 

嵐の剣(ストームルーラー)】と呼ばれる第一級冒険者。その肩書きに似合わぬ陽気な男で、ファミリアの垣根を越えて敬愛するものの多い人格者。昼寝と宴が大好き。主に両手遣いの特大剣と棘付きの盾を操るが、切り札として嵐を放つ旧い魔剣を持つ。

 

何かと巨人と因縁があるほか、彼と同じ鎧を身に付けた破天荒なパーティが目撃されている。

 

 

 

・冒険者達

 

・アンリとホレイス

出典:DARK SOULSⅢ

 

主人公の行く先々に現れる二人組の騎士。アンリは人当たりが良い一方、ホレイスは終始無口。ある<薪の王>と因縁を持つ。

アンリは主人公の性別によって性別が変化する。

 

ルドウイークと行動を共にした二人組の冒険者。アンリはエルフ、ホレイスはドワーフであるが特に仲が悪い様子は見受けられない。

双方ともにレベル1だが、素質はある。

 

 

・心折れた戦士

出典:DARK SOULS

 

物語の拠点となる<火継ぎの祭祀場>で座り込み、試練に挑む事を諦めた戦士。

皮肉めいた言葉を主人公に掛けて来る。

彼の装備するチェインメイルは本来鉄色であるが、青空の色を映し出していて青く見える。

 

ある零細ファミリアに所属する専業サポーター。他の冒険者達との実力差に心折れ冒険者としては廃業しているが、アンリとホレイスの専属となりサポーターとして冒険を続けている。

 

 

・ロザリィ、RD

出典:ARMORED CORE V

 

主人公と同様に雇われ、彼の輸送や弾薬の補給を行う運び屋の女性とその部下である臆病者の男。

ロザリィは金にがめつく明るい。対してRDは危険を本能的に察知する才能の持ち主で、わざわざ危険に飛び込んでいく周囲に置いてきぼりにされがち。

 

冒険者のアマゾネスとサポーターの小人(パルゥム)の二人組。それぞれレベルは2と1。

主に地上からリヴィラに対して物資を運ぶことで生計を立てている。

RDは冒険者達の間でもビビリとして有名であり、余りのビビりっぷりに【ビビリ(チキンハート)】なるあだ名さえ付けられている稀有な存在。彼の恐れ具合でその時々の危険度が分かる、とさえ言われ逆に恐れられている。

 

 

・パッチ

出典:ARMORED CORE for Answer、Demon's Souls、Bloodborne、DARK SOULSシリーズ

 

【ハイエナ】【不屈】など幾つかの異名を持ち、ACfA以降多くのフロム作品に出演するキャラクター。

ソウルシリーズでは共通したビジュアルと性格の持ち主で、いいも悪いも多くの感情をプレイヤーたちから受けている。

 

【黒い鳥】の専属サポーター、【ハイエナ】のパッチ。オラリオの専業サポーターの中では

最強の一角と称されながらもその素行から評判は非常に悪い。

専属と言えば聞こえはいいが、彼を喜んで雇用するのが【黒い鳥】のみと言うだけ。ただ、【黒い鳥】自身は彼との間柄を【腐れ縁】と評するなど関係はそれほど悪く無いらしい。

 

 

・アンジェ

出典:ARMORED CORE 4

 

<国家解体戦争>で多大なる戦果を上げたレイレナード社所属のリンクスNo.3。多くの<レイヴン>を討ち取ったことから<烏殺し>とも呼ばれる。

愛機<オルレア>は専用装備を多数装備した高機動格闘戦仕様。

AC4では珍しい登場時演出持ちで、戦闘シチュエーションも相まって多くの傭兵の心にその姿を刻みこんだ。

 

かつて【黒い鳥】に勝利した経験から<烏殺し(レイヴンキラー)>の異名を取る女傑。抜刀術の使い手で、その剣速は【剣姫】に並んでオラリオ最速とも。強者に挑む黒い鳥に逆に挑む命知らずとしても知られている。

【ゴブニュ・ファミリア】の【真改】と専属契約を結んでいる。

 

 

・フォグシャドウ

出典:ARMORED CORE 3 SILENT LINE

 

AC3SLにおけるランク3レイヴン。アリーナ上位に見られる特別な措置を受けた強化人間では無いにも拘らずその圧倒的な操縦技術でそのランクに相応しい能力を見せる超実力者。

その紳士的なメールのやり取りやミッションに同行した際の口調も相まってファンの多いレイヴンの一人。

 

霧影(フォグシャドウ)】の異名を取る第一級冒険者。本名不詳。男性。

所属は【ホルス・ファミリア】。主神よりファミリア最強の証たる『目』の(エンブレム)を身に付ける事を許されているが、気質からか団長の座には無く、徹底して一戦闘員としての立場を堅持している。

相手の死角に回り込み一方的に撃破する戦闘スタイルで対人戦の名手として恐れられており、ダンジョン探索よりも賞金首の確保でその名を挙げて来た。

近年はギルドの依頼を積極的に受け、その存在をアピールしている。

 

 

・【仮面巨人】

出典:DARK SOULS

 

DARK SOULSにおいて流行った装備の組み合わせの一つ。

対人戦に興じるプレイヤーの多くに愛用されたこの装備は、仮面を被り重厚な鎧を着てバック転や側転を繰り返しその姿は多くのプレイヤーから親しみと憎しみを持たれている。

 

オラリオの上級冒険者達の前に姿を現す正体不明の冒険者。

大抵出会った相手を挑発して戦闘に持ち込み、その実力を計るような戦い方をする事で知られている。

ギルドからも追われる危険人物ではあるが、出没の度に違う得物を操る事からその姿を装う人物は一人ではなく、数人の第一級冒険者による愉快犯だとされている。

 

その正体はオールドキング、フレーキ、【黒い鳥】の三人が正体を隠して活動するために作ったある冒険者をモデルとした架空の人物。

最も初期にはオールドキングがその姿を装っていることが多かったため、彼の大柄さから巨人と呼ばれるようになった。

 

 

・ロートレク

出典:DARK SOULS

 

黄金の鎧に身を包んだ騎士。ただその言動は騎士らしい物では無く、持っている武器もショーテルとDemon's Soulsの<沈黙の長、ユルト>を思わせる。

最初は道中で捕まっており、解放することで祭祀場の火守女の元へと移動する。

 

【フレイヤ・ファミリア】に所属する冒険者。二つ名は【女神の騎士】。

フレイヤからの寵愛を受けるためならば汚れ仕事も辞さない過激派で、ショーテルを使った幻惑的な太刀筋を持ち味とし対人を得手とする。

同ファミリアの第二級冒険者である術師と戦士とパーティを組みダンジョンに潜っていることもあると言う。

 

 

・バンホルト

出典:DARK SOULSⅡ

 

ウーゴのバンホルト。各地を遍歴し己を鍛える騎士であり、言葉遣いは堅いものの、気さくな武人。

蒼く輝く美しい刀身の大剣を持ち、それとともに各地を放浪しているため共闘の機会も多い。

 

蒼大剣士(ブルーブレイダー)】の二つ名を持つ【ガネーシャ・ファミリア】所属のレベル4冒険者。その二つ名の由来となった家に伝わる蒼い大剣を武器にした豪快な戦闘スタイルを持つ。

気さくな人柄から交友関係も広く、良くジークバルトと酒を交わしているのを目撃される。

ただ、余り装備を脱がないため彼の防具は少し臭うらしい。

 

 

・トーマス

出典:DARK SOULSⅡ

 

道化師の格好をした呪術使い。特定の場所で助っ人として召喚可能であるが、その余りの強さにダークソウル2のNPCの中では最強との呼び声も高い。

 

道化(ピエロ)】のトーマス。状況に応じて大きさを変える火球投擲の魔法と周囲に火柱を生み出す範囲攻撃魔法など、炎の魔法に特化した人間の魔法使い。時間当たりの火力に関してはオラリオでも最高の魔法使いとも呼ばれている。

その余りの火力にモンスターの魔石やドロップアイテムも焼却してしまうらしく。ダンジョンに潜っていない時、特に祭りが開催されている時期などは観光客の前で大道芸人として芸を披露して日銭を稼いでいる。

 

 

・チェスター

出典:DARK SOULS

 

過去のウーラシールで主人公の前に姿を現した黒づくめの男。

主人公同様の過程を経てこの時代に現れたらしく、主人公を私と同じと評する。

多少割高ではあるがアイテムの売買を行ってくれるNPCであると同時に、道中敵として襲い掛かってくることもある特殊なNPC。その際に倒しても特に敵対せず、引き続き物の売買は行ってくれる。

クロスボウと体術を組み合わせて戦う、一般のNPCとは一味違う戦闘スタイルを持つ。

 

素晴らしい(マーヴェラス)】チェスター。所属不明、出自不明の冒険者。

二つ名も自称ではあるが、その実力に疑いの余地はない。

ダンジョン内でふらりと現れ、消耗したパーティにアイテムを割高で販売したり高額で護衛を買って出るなど、そのがめつさは良く知られている。

専用のクロスボウでの射撃は正確無比。攻撃力に関して実力での補正が効かない武器でありながら、体術を組み合わせたその独特の戦闘スタイルで戦う。

 

 

・グレイラット

出典:DARK SOULSⅢ

 

<高壁>に盗みに入ったが、牢に囚われていた老いた義賊。

頼みを聞き牢から助け出す事で、彼が収集していた品をソウルと引き換えに譲ってくれる。

物語の進行とともに幾度か盗みに出かけ、その度に新たな商品を入荷して戻ってくる。

 

【リヴィラ】を拠点に活動する老いた冒険者。本名、年齢不詳。二つ名は【灰鼠(グレイラット)】。

主に地上では出回らない非合法な品を扱っているが、それに反し筋を通す性質から意外な人物にまで一目置かれている腕利き。

オラリオで妻が暮らしているが、しばらく顔を合わせていない。

 

 

・ミヒャエル

出典:ARMORED CORE 4

 

リンクスナンバーNo.27。元レイヴンであり、ネクストACの実験部隊にも在籍した経験を持つ準オリジナルと呼ぶべき存在。冷静沈着な男で、トラブルにも動じず安定した戦果を挙げる。

 

爆散(イクスプロード)】のミヒャエル。攻撃した相手に魔力を付与し、蓄積された魔力量が一定を超えると爆発を発生させる特殊な付与魔法の使い手。周囲に被害を与えかねない魔法を的確に使いこなす冷静沈着さを持つ。父親は発泡酒の職人。

 

 

・タルカス

出典:DARK SOULS

 

黒鉄のタルカス。大力で知られた重装の騎士。DARK SOULSで召喚可能な味方NPCの中では屈指の能力を誇り、凄まじい攻撃力で多くの不死に頼られた。

 

黒鉄(ブラックアイアン)】のタルカス。オラリオの重装前衛の中でも五本の指に入るとされる実力者。敏捷には劣るものの圧倒的な筋力と頑強を誇る重装騎士のお手本のような戦士であり、巨大な特大剣と大盾、そして二つ名の由来となる黒鉄製の鎧で身を固めている。

 

 

・ジョシュア・オブライエン

出典:ARMORED CORE 4

 

AC4の主人公と同様、ネクストACを駆る傭兵として自らの故郷であるコロニーの為戦い続ける男。天才アーキテクト『アブ・マーシュ』の携わった高速機『ホワイト・グリント』を駆り、人の域を越えた機動を見せる。

 

閃光(グリント)】ジョシュア・オブライエン。壮年も近い、人間の男冒険者。レベルは6。ギルドからオラリオ外での活動を特別に許可され、【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】の後を継ぐ任務――――【黒竜追跡】の特別重要任務(エクストラ・ミッション)を請けて、十年以上オラリオを離れている。

 

 

・ラップ

出典:DARK SOULSⅢ

 

記憶を無くしたラップ。時代の果てに現れた吹き溜まりに辿り着いた不死人であるが、余りに長い時間の経過に自らの記憶を失い、それを取り戻す旅を続けて来た。

自らと同様に果てに辿り着いた<灰>に親し気に対応する気のいい男。

その実力は作中のNPCの中でも相当な物であり、呼び出す事の出来る戦いでは凄まじいタフネスと攻撃力によって八面六臂の活躍を見せる。

 

不屈(アンブレイカブル)】のラップ。レベル6。オラリオ最高の重装前衛の一人であり、どれほどの攻撃を受けても立ち上がるその耐久はオラリオでも一二を争う。

人当たりの良い対応を行う事で知られるが、意外と金にはシビア。

 

 

 

 

・アルフレッド、メタス、ウーラン

出典:Demon's Souls

 

ボーレタリアの王に仕えた三人の騎士、塔の騎士アルフレッド、つらぬきの騎士メタス、長弓のウーラン。この三人の内アルフレッドとメタスはその生きざまを体現したデーモンがボスとして立ち塞がり、王城の最深部では三人のファントムが揃って現れ、主人公に襲い掛かってくる。

 

塔の(ジ・タワー)】アルフレッド、【つらぬき(スティンガー)】メタス、【白弓(ホワイトボウ)】ウーラン。同じファミリアに所属し、パーティを組む三人組で、メタスのみレベル6、他の二人はレベル5だが、得意分野においてはレベル6にも十分通じる。

アルフレッドはレベル5でありながらオラリオ屈指の重装前衛として名を知られ、二つ名の元となったオラリオで最も巨大とされる大盾、そしてその陰に隠れて目立たないが、不壊属性(デュランダル)の武具を破壊したとも噂される刃の部分がノコギリ状になった槍を操る。

メタスは他の二人に比べて面倒事を嫌う言動が目立つが、自身の騎士としてのルールを厳格に定めており、非道な行いをする相手をその長大な刃を持つ長剣で串刺しにして放り投げ叩きつけることからその二つ名を付けられた。

ウーランは三人の中で唯一中遠距離戦を旨とする弓使い。彼女の持つ白木の弓は生半可な腕力では引く事は出来ず、その速度と威力はオラリオの弓使いの中でも【ロスヴァイセ】や【ファリス】に迫る。更には、近接された際の為の剣術や魔法も習得しており、三人の中では最も戦力的に隙がない。

 

 

 

 

・カニス、ダン・モロ

出典:ARMORED CORE for Answer

 

企業に所属しない独立傭兵のリンクス。カニスがランク22、ダン・モロはランク28。

カニスは自信過剰で自惚れが強く自信を疑わないタイプ。企業らからは扱いづらいリンクスとされており評判は良くない。

ただし、実力は大言ほどでは無いがそれなりにあり雇用した場合普通に活躍する事も多い。

ダン・モロは一見真っ当な言動でこちらを気遣うようなセリフを口にする物の、自身に実力が無いことを自覚している臆病な性質であり、ダメージを受けたり常識を超えるような敵と相対すると盛大にビビリ散らしてしまう。

 

さるファミリアに所属する男冒険者の二人組。

カニスは【猛獣(サベージビースト)】の二つ名を持つレベル2の犬人(シアンスロープ)。ハッキリ言って実力は名前負けしているが、レベル2としては弱い訳では無い。

ダン・モロは人間(ヒューマン)のレベル1で、殆ど活躍の無い凡百の冒険者の一人。RDに並ぶと称される臆病者で、ダンジョン探索に向かう度に廃業するべきか否かを真剣に考えている。

 

正反対の性格だが仲は存外に良く、別ファミリアのレベル3、【ダリオ・エンピオ】と組んで探索に向かったり、RDと三人で高レベル冒険者が寄り付かないような安酒場で飲んだくれていたりする。

 

 

・エイ=プール

出典:ARMORED CORE 4、ARMORED CORE for Answer

 

インテリオル社所属の女性リンクス。自動追尾ミサイルを全身に装備した支援機を操る。

fAでは僚機として雇う事が可能だが、戦法の特性上弾薬費が嵩み収支が大赤字になりかねない。

 

ハーフエルフの女性冒険者。標的を自動追尾する矢を開発し己で扱うアイテムメイカー兼射手なのだが、矢を作るのに必要なコストが尋常では無く、実力の割にひもじい生活を送っている。

 

 

・リリウム・ウォルコット

出典:ARMORED CORE for Answer

 

BFF社所属のカラードNo.2リンクス。王女と称され、狙撃を主とする同社のスタイルとは異なる前衛での戦闘を旨とする機体<アンビエント>を駆る。

名門たるウォルコット家の出身であり、戦闘従事者とは思えぬ程に礼儀正しい。

 

ベル・クラネルが現れるまでのオラリオで特に際立った成長速度を見せた冒険者の少女。

十代半ばでありながら既にレベル5目前とされ、その才は【剣姫】に並ぶとも称される。

代々優秀な冒険者を輩出してきた名門ウォルコット家の最高傑作と呼ばれ、その名声に違わぬ戦闘能力と他者を指揮するカリスマを発揮する【王女】。

ファミリアでは自身の親衛隊でもある射手隊【サイレント・アバランチ】を率いるが、彼女自身の戦闘スタイルが前衛であるため彼らからは大いに心配されている。

 

 

 

 

・過去の英雄

 

・【最初の賢者(ファースト・セイジ)

出典:DARK SOULSⅢ

 

原作には名前のみの登場。<ロスリック>の王家を支えた三つの柱「賢者」「騎士」「祭儀長」の内「賢者」の創始者。<火継ぎ>の懐疑者であったとされる。

 

まだ神の居ない時代、世界で初めて魔法を学問として体系化し、エルフや人間と言った種族の隔てなく数多の魔導士達を教え導いた伝説的な術師。

3つと言う魔法の習得限界を遥かに超えてあらゆる魔法を操ったとされる。

【学区】や【魔導大国】では未だに彼(男性であったとされる)の名が歴史書に残っており、一部のエルフの里ではその教えを未だに引き継いでいる場所もあるという。

遥か昔の人間であるはずだが、数年おきに目撃証言が噂される。

 

 

・【混沌の魔女(イザリス)

出典:DARK SOULS

 

作中世界において、<王のソウル>を見出した呪術の祖。古竜を殲滅するほどの火力を持つ炎の魔術を自在に操ったが、やがて炎への畏敬を忘れ、陰り始めた<はじめての火>の代用品を生み出そうとした結果、多くの娘たちと自らの都共々滅びた。

 

神の降り立つ以前の時代に活躍した術師。『空を焼く』と称されるほどの圧倒的な炎の魔術を操り、混沌の娘と呼ばれる魔女たちを率いて世界に跋扈する怪物たちと戦った。

 

 

 

・オラリオの人々

 

・狼、竜胤の御子

出典:SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE

 

隻狼と呼ばれる義手の忍びと、彼の仕える特別な血筋の御子。

 

極東から渡って来た少年とそれに仕える隻腕義手の男。

茶屋を開くため、まずは屋台で故郷の甘味を売り資金を稼いでいる。

 

 

・ンジャムジ

出典:ARMORED CORE NEXUS、LAST RAVEN

 

NXにおいてはアリーナに登録しているレイヴンらが戦死した際、補充として追加されるレイヴンの一人。LRにおいてはジャック・Oの率いる武装組織『バーテックス』の一員であり、彼とは強い友情で結ばれているとされる男。

 

ジャックの経営する酒場【箱舟(アーク)】唯一の店員。元は非常に低い身分の出ではあったがジャックに見出されオラリオへとやって来た。その為、彼への忠誠にも似た強い友情を持つ。

店員としてちゃんと客達に酒を供しては居るものの、そもそも共通語(コイネー)が良く分かっていないため、何か難しい話をしていると言った程度しか理解できていない。

 

 

・絵描きの少女と赤衣の老従者

出典:DARK SOULSⅢ

 

世界を描く少女と、彼女の絵に使われるべきものを探し求める従者。

 

さる都から出奔してきた少女とその従者。少女はいつもオラリオのどこかで新たな絵を描いており、その絵を老従者がファミリアや上流階級に売り込んで生計を立てている。

 

 

 

・古狩人達

ルドウイークのかつての同輩達。全員出典はBloodborne。

 

 

・ゲールマン

 

<最初の狩人>。多くの狩人達に教えを授けた狩人達の祖。

既に年老いて一線を退いており、作中では助言者として時折主人公の前に姿を現す。

 

ルドウイークら最初期の狩人達を鍛えた狩人達の祖。

ある時期を境に失踪するが、その時まで最初にして最強の狩人であり続けた。

 

 

・マリア

 

ゲールマンの弟子の一人。卓越した技量を誇る双刀使いの女狩人。とても美しい容姿を持ち、時計塔の最上階である秘密を守っている。

 

ゲールマンの元へと身を寄せた女傑。その美しさと強さはあらゆる狩人の尊敬と畏怖の対象だった。しかし獣と化した初代教区長を狩った後に失踪したゲールマンを追い姿を消す。

その後死んだと思われていたが、獣の病の根源を暴くために悪夢に挑んだルドウイークと対峙し、友に対して月光を抜けぬ彼の首を抉り殺害した。

その生まれから、ゲールマンの直弟子たちの中では特に舌が肥えていて料理が上手い。

 

 

・<加速>

 

<古い狩人の遺骨>の主。作中には登場しない。

 

自身の速度を大幅に上昇させる<加速>という業を編み出したゲールマンの高弟。

その後一部の古狩人達にこの業は広まり、獣狩りの大きな助けとなった。

<銃槍>の卓越した使い手で、それと加速を組み合わせた多彩な技を持っていた。

最後は<カインハースト>においてカインハースト最強の騎士<流血鴉>との一騎打ちを演じるが腕を切り落とされて敗北。しかしその間に<殉教者ローゲリウス>率いる<処刑隊>が血族の殲滅には成功した。

 

その骨の大きな部分はそのまま流血鴉が後の時代まで受け継ぎ、残りの一部は彼自身がゲールマン派の拠点である古工房へと持ち帰る。その後しばらくして、流血鴉の武器に含まれていた毒によって世を去った。

 

口の上手い男で、良くも悪くも個性的だったゲールマンの弟子たちの間を良く取り持っていた。数多のヤーナムの女性に声をかけていた軟派者で、口の上手さはそこから培ったもの。

 

 

・<烏>

 

血に酔った狩人を狩る<狩人狩り>最初の一人。異邦人。作中には登場せず。

 

ゲールマンの弟子の一人。何を考えているのか良く分からないと評される自由人で、狩人達の中ではトラブルメーカーとして知られていた。ただその実力はゲールマンに迫る物があり、それ故に<慈悲の刃>を手にして血に酔った狩人達を狩る狩人狩りの祖となった。

 

その後しばらくは狩人狩りとしての役目を良くこなしたが、元々ある時期に故郷へと帰ると決めており、その予定通りにヤーナムを去った。その帰郷の道中カインハーストに立ち寄り、一人の騎士を指導して<流血鴉>へと成長させてしまうなどヤーナムを去ってなお幾つかの騒動の種を残している。

 

 

・シモン

 

市井に紛れ、獣の兆候をいち早く見つけ出す任を負った<やつし>と呼ばれる<教会>最初期の狩人。

銃では無く弓矢を得物として用いることから、その特異さを嘲笑の的にされていた。

 

嘗ての教会における数少ないルドウイークの友の一人。常識的な人物で、ルドウイークの事を英雄と称した。ルドウイークが悪夢に消えた後、彼もまた悪夢に挑んでいる。

 

 

・<狩人>

Bloodborneの主人公。病の治療の為にヤーナムを訪れ、それに寄ってこの街の悪夢に巻き込まれる事になった。その結末はプレイヤー次第。

 

醜い獣と化したルドウイークを狩り、葬送した狩人。自身を狂っていると嘯くが、人間性を強く残している。ルドウイークは<最後の狩人>と呼んではいるが、実際に最後の狩人となるのかは定かではない。

 

 

 

・【上位者】

 

・<大いなる上位者の獣>

出典:Bloodborne

 

Bloodborne本編には登場する事無く、没になったボスモンスター。

麒麟の様な体格に<銀獣>同様の毛皮を持つ怪物。

特定の聖杯文字の入力で戦う事が出来るが、自己責任の面が幾つかあるので注意。

 

<銀の獣>。<深きローラン>の更に奥、<ローランの果ての大聖杯>の最深に座していたローランの獣たちの王。獣としての身体能力と啓蒙無くしては視認する事も叶わぬ炎や雷撃を操り、物理攻撃を通さぬ<銀獣>と同様の毛皮の下に竜の如き異形の素肌を隠している。

 

 

 




新話の投稿と同時に追記を行います。
気まぐれに追記したりもします。


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01:再起

死んだはずのキャラクターが別世界に飛ばされてそこでカルチャーショックを受ける話が大好物なのと他の人の作品を見て描きたくなったのと友人との約定の履行を兼ねて初投稿です。
19000字くらいです。戦闘シーンはありません。


 …………私の生涯は、血と肉と呪詛に彩られたものであった。

 

 

 唐突に故郷を襲った、人が獣と化す<獣の病>の蔓延。その被害を僅かでも食い止めんが為<最初の狩人>へと師事し、かの地に<血の医療>を広め獣の病へと対抗せんとした<教会>に与した。

 

 そうして市井の人々から同胞たる<狩人>を募り、共に獣と化した人々を狩り、一人でも多くの人々を救わんと奔走する日々。

 

 その中で得難き師と、僅かばかりの友を得た。ゲールマン翁、ローレンス殿、ローゲリウス殿、マリア、<加速の狩人>、<(からす)>、そしてシモン。彼らと過ごした日々に、喜びや温もりを感じていなかったと言えば嘘になる。

 

 だが、そんな日々は長くは続かなかった。いつしか、元々陰気で排他的なヤーナム人の間に、狩人こそが獣を生むのだと、そんな根も葉もない噂話が流れるようになったのだ。

 

 そこからは早かった。彼らから投げかけられる余りに多くの嘲り、侮蔑、そして罵倒。多くの狩人がその前に心折れ、一人、また一人と姿を消して行く。それでも、それでも私達は人々の為に獣を滅ぼした。滅ぼし続けた。しかしその返り血に濡れた我らの姿をこそ、彼らは獣だと恐れたのだ。

 

 だがそれも、間違っているとは言えなかっただろう。私が募った狩人達の多くがその歓びと血に溺れ、酔い痴れ、人と獣の境無く獲物を狩り続けるだけの殺害者と化した。それだけではなく、我らの内よりも真に獣と化すものが現れ始める。ローレンス殿に始まって、多くの者たちが悍ましき獣と化しその前に多くの狩人達が散って行った。

 

 そうして、私の知る者達も表舞台から姿を消して行く。故郷へと戻った<烏>。ローレンス殿を狩ったゲールマン翁は古工房を残して失踪し、その後を追ったマリアもいつしか行方知れずとなった。ローゲリウス殿と共に裏切りの<カインハースト>に挑んだ<加速>は烏の残した<流血鴉>と痛み分けとなって一線を退き、僅かな間夜を共にした市井の人々は自らも獣と化しかけている事に気づかない。

 

 それでも、私は一つの導きと共にあった。我が師、秘されるべき煌めき、宇宙からの色――――背に負った月光と共に、私は狩人であり続けた。そうして最後には、獣の病の始まりを求めてヤーナムを離れたのだ。トゥメルの王墓へ潜り、イズの深奥に見え、ローランの果てを越え……そしてビルゲンワースの罪、秘匿されし狩人達の悪夢へと辿り付いた。

 

 そこで立ちはだかったのは、時計塔に座したかつての友。罪の前に立ち塞がる彼女に私は最後まで剣を向ける事が出来ず、無惨に屍を晒す事となる。

 

 だが、私の生涯はそこで終わらなかった。救い? 否。その血に宿した罪が、呪いが私に死ぬ事を許さなかった。悪夢で導きの真実を垣間見た私を待っていたのは獣の発露。自らも獣と化し、呪われた悪夢の屍山血河をひたすらに彷徨い続け、悪夢に囚われし古狩人達と喰らい合うだけの日々。

 

 人間性などとうに失い、永延と獣として生き続ける思えた血みどろの獣としての生。悪夢の中でそれを永久(とこしえ)に続けるかと見えた<醜い獣>も、最後には引導を渡される事になる。

 

 有り触れた格好の名も知れぬ狩人。異形の狩り道具を操る官憲衣装の怪人。

 

 二人の狩人の前に醜い獣は斃れ、再び人を取り戻した私さえも狩人達は打ち倒して見せた。そこで、真に私の生涯は幕を閉じる事となる。

 

 結局、後悔だらけの人生だった。一時は英雄などと称されながら、禍根を断つことも出来ず、後進の狩人達に全てを託す事になってしまった。だが、誇りある剣たる、かの者達なら大丈夫だろう。彼女を、私の暴けなかった罪を……そして、真に秘匿されし<青ざめた血>を知り、その元へと辿りつけるはずだ。

 

 これでようやく、ゆっくりと眠れる。獣の遠吠えに悩まされる事も無く、罪に悔いる事も無く、自らの休息の内に誰かの命が脅かされているのだと、恐れる事さえも無い。それをどれほど望んだ事か。どれほどの狩人が、ヤーナムの人々がそれを求め、獣狩りの夜の内に人を失って行った事か。

 

 それを最後に手にする事が出来た私は、間違いなく恵まれた最期を迎える事が出来たのだろう。

 

 だが、最後に心残りがあるとすれば、一つ。

 

 

 

 

 

 

 私があの輝きに、暗い夜に見た月光に導きを求めたのは――――――果たして、間違っていたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 板張りの床に寝そべったまま、私はこの現状とは何ら関係の無い事を茫とした頭で思案し続けていた。

 

 ――――宇宙は空にある。かつて<医療教会>の上位会派が一つ、<聖歌隊>が見出した真理の一つだ。地底には墓があり、海の底には呪いがあり、そのどちらにも星は無かった。ならば、星がある空こそが宇宙であり、真に<上>にたどり着くための道筋なのではないか?

 

 学も無く、ただ只管に狩りを続けていた私には結局理解する事は出来なかったが、聖歌隊の(ともがら)や<メンシス>の学徒たちは熱心にそれを探求していた様だ。

 

 彼らが求めていた<瞳>とは、結局何を意味していたのかも私は知る事は出来なかった。その一端に足を踏み入れかけていたであろう事だけは辛うじて解ってはいたのだが……ビルゲンワースのウィレーム学長に謁見することも出来れば、また違った景色が見えていたのやもしれぬ。

 

 …………いや。所詮私は因果に挑み敗れ去り、獣と化して狩り殺された愚か者だ。そんな私が更に啓蒙を得た所で結末は変わらなかっただろう。

 

 だが、そんな私でも分かる事が一つだけある。

 

「――――何故、私は生きている?」

 

 この状況の、余りの不可解さだ。

 

 

 

 嘗て獣と化した私の最後は、文字通り凄惨たる有様であったはずだ。最早四本に収まらぬ四肢を投げ出し、その首を落とされ、引導を渡された。その私がこうして生きて、現状を認識している。それだけでは無い。今の私には、人間の肉体がある。頭と、両手と、両足。獣と化した時に失われたはずのヤーナム人の平均より些か大柄で、狩人らの中でも際立って頑強であった五体が嘗てのその姿を持って存在している。

 

 服装も、嘗ての私が纏っていた装束そのままだ。<処刑隊>のそれを改良して作られた厚手の白装束。その上に同色の外套を纏い、夜霧漂うヤーナムの冷気を、一部の獣が生みだす毒を、そして上位者の操りし有り得べからざる神秘にさえ僅かながらの耐性を持つ優れ物。獣へと変態し引き千切られてもなお失われなかった教会の聖布さえも過去のまま、ここに存在してしまっている。

 

 何よりも驚くべきは、最後に私が手放したはずの師たる導き――――<月光の聖剣>が私の横に無造作に転がっている事だ。

 

 今のそれは真の姿たる輝きに満ちてはおらず、芯とも言うべき武骨な大剣の姿を取って乱雑に布が巻き付けられている。しかし私がこれを抜き、そしてそれに相応しき場ともなればこの大剣は再び宇宙よりの色を放ち、如何なる夜闇の中でも我が道を照らすであろう。

 

 …………だが、今は少なくともその必要は無さそうだ。己の状態と、とりあえずの身の安全を確認し終えた私は、その集中力の矛先を自身の内側から外側へと向け直した。

 

 今私がこうして寝そべっているのは、何処かの民家の一室だろう。私は上体を起こし、床に座り込みながら部屋の様子を確かめる。ベッドと机、その上の未知の文字で書かれた本と小さなランプ、窓にかけられた無地のカーテン…………そのどれもが使い古された、年季の入ったものだ。だがどれも愛着を持って使われていると言う感じではない。質素倹約――――そう言えば聞こえはいいが、椅子の足の擦り減り具合やカーテンの(ほつ)れ具合を見るに、満足に家具を買い替えることも出来ていないのかもしれぬ。

 

 しかし、それでもこの部屋には生活感が漂っている。掃除はしっかりされているようではあるし、人が住んでいないという事は無いだろう。そこで一度私は目を閉じ、部屋の空気を鼻で幾度か吸いこんでみる。

 

 ヤーナムでの狩りの中、そしてかの<死体溜り>で獣臭と人血の匂いにやられて久しいかと思っていた私の鼻は、意外にも鋭敏さを保っていた様だ。この部屋の空気から、多少の埃臭さと、ほんの僅かな女性の芳香を伝えて来る。まず間違いなく、部屋の主は女性だろう。

 

 で、あればまずいな……。私は顎に拳を添えるように手をやってしばし思案した。

 

 この部屋の様子や埃の溜り具合からして、それなりに短い間隔、日常的な頻度で人の出入りがあるのが分かる。つまり、このままここに居ればそう遠からず部屋の主が現れるだろう。そしてそうなった時――――女性が自らの部屋で座り込んでいる剣を持った見知らぬ大男の姿を見た時、一体如何なる反応を示すのか。それは想像力に乏しい私にも容易く予想出来た。

 

 ならば、とりあえず外へと抜け出すしかあるまい。窓から差し込む灯りは暗く、外ではただの日常的な一夜が巡っているのか、あるいは未だに<獣狩りの夜>の最中なのか……その判断はつきそうに無い。だが狩りの最中であるならば、この私にも出来る事はあるはずだ。

 

 私は覚悟を決めた。再び獣狩りの夜に身を投じる覚悟を。まだそうなると決まった訳では無いはずだが、私は構わず心を狩人としてあるべきそれへと切り替えてゆく。もしも夜が明けていたのであれば、それはまた後で考えればいい。今この時もこの街の民が獣に脅かされているのであれば…………私の成すべき事は、嘗てと何も変わらん。私は立ち上がり、月光を拾い上げ背に帯びる。

 

「夢から覚めても、まだ狩人とはな」

 

 そう独りごちて、私は扉の取っ手に手をかけた。

 

 …………その時、下方から扉の開く音。それに次いで何者かがこの家へと上がり込んでくる。耳を澄ましてみれば、足音の主は足早にこの部屋へと向かってきているようだ。獣か、或いは人か。それを探る手段も無ければ、判断に要する猶予もない。もし獣であれば狩れば済むが、それで人であった場合は取り返しがつかぬ。

 

 この部屋が恐らく二階ほどの高さに位置していると状況から判断した私は正規の道程で家を出る事を諦め一つある窓へと向かう。まずは一旦この家を後にし、街の状態を把握する事を最優先としたのだ。獣狩りの夜の最中であればこの家を再び訪れ、状況を問うなり狩り殺すなりできる。そうで無ければ、後程謝罪の品を携え勝手に侵入した謝罪をせねばならぬ。

 

 だが一先ずは後回しだ。急ぎ、私は窓の前に立って鍵を開け放とうとして――――

 

 

 

 ――――遠景に巨大な塔が一つ聳え立つ、ヤーナムとは比べ物にならぬ程賑やかな街並みを見た。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ――――そうさね。

 

 それは、遠い遠い、遥か昔の出来事さ。

 

 いつか、ずっと上から世界を見下ろしていた神様たち。

 

 彼らはいつかその代わり映えのしない暮らしに飽きて、私達の住む世界、所謂【下界】に降りて来た。

 

 楽園じみた上での暮らしに飽きて、不自由で無駄だらけな、それでも営みを育み続ける子供たち――――下界に住む私達とこの世界を、より間近で目にしたかったのだと。

 

 何の為に? 娯楽さね。全知全能の【超越存在(デウスデア)】たる自分達、その力に制限をかけて、子供()たちと(おんな)じ視点で物を見て、(おな)じ尺度で生きて見る。上で決して味わえぬその時間が、彼らは甚く気に入ったのだと。

 

 最初は旅行気分か何かだったのかもしれないが、彼らが地上に居つくのに、長い時間はかからなかったそうだよ。まるで、子供が新しい御伽噺に夢中になったみたいにね。

 

 それから千年くらいかね。彼らはまだ飽きずにここに居る。子供たちを慈しんだり、嘲笑ったり、恋してみたり、見下したり――――やり方は神それぞれだけれど、彼らは彼らなりにこの世界を楽しみ、人々はその恩恵に(あずか)って生きている。

 

 その仕組みが、いちばん顕著なのがこの街さ。

 

 ここは、迷宮都市オラリオ。神の降臨以前より怪物(モンスター)蔓延る【迷宮(ダンジョン)】を有し、今やそこにある全てを求めて人々が集まる地。

 (そび)える【摩天楼(バベル)】、その下にある迷宮。そこにまだ見ぬ栄光や希望を求めて挑む者たちを眺める為に、数多の神が住まう街。

 

 

 今日もどこかで、見知らぬ新たな英雄が、静かに産声を上げる場所。

 

 

 けれどね。栄光を掴める者なんて、ほんの一握りの者だけさ。きっと多くは名も知れぬ脇役止まり、英雄になるどころかこの街に骨を埋める者も五万といる。

 

 そういう意味じゃあ、世界は悲劇に満ちていると言えるかもしれない。

 

 だからこそ、皆がこの街を気に入るのさね。

 

 

 

 

 

 

 

 月も昇った時間だというのに、道の隅で木箱に腰掛けた老婆が何やら子供に言い聞かせるのを横目に、年明けのお祭りムードもなりを潜め始めたオラリオの街路はしかし行き交う人々で溢れかえっていた。

 

 人間(ヒューマン)犬人(シアンスロープ)猫人(キャットピープル)、エルフ、ドワーフ、アマゾネス。彼らだけではなく、ありとあらゆる人種の人々がすれ違う街路。その服装も多種多様だ。

 

 市民、商人、職人。そして、明らかに物騒な装備を身に付けた冒険者。そんな彼らが混然一体となって、元より雑然としたこの街に消えない喧騒を生みだしている。

 

 その中を、一人の女性が歩み行く……否、一人の女性、と言うのは正しくない。この街に住む者ならば、行き交う人々の中にあって彼女の周囲にだけは人が寄り付かないのを見て、容易くその答えを理解するはずだ。

 

 ――――そう。彼女は人ではない。嘗て天よりこの世界に降り立った全能存在の一柱、正真正銘の女神である。一目見れば、その整った美貌と常に発する神威がそれを嫌でも知らしめす。

 

 美しい金の長髪をうなじで纏め、その体は特筆するべき所は無いものの完璧な比率を保ち、供物と思しき眼鏡の奥より覗く瞳は翡翠の如し。だが、本来色褪せぬはずのその美貌には、ありありと疲労の色が滲み出ていた。

 

 基本的に神とは不変不滅の存在である。しかし、地上に降りた神はその【神の力(アルカナム)】に禁をかけ、地上の人々と同等の能力を持って暮らしている。故に疲労もするし、怪我もするし、病にだって罹りうる。当然、死に至る事すらも。

 

 ただし、神が地上で死んだところで、それは消滅を意味しない。それが意味するのは送還だ。この地上を離れ、再び天にてその力に相応しい役目をこなし続ける日々。しかし、何処に好き好んで娯楽から遠ざかる神が居ようか。

 

 故に地上で神がする事は多くの場合二つ。その生活を大いに楽しむ事と、この地上に居つくために必要な物――――有り体に言えば、金を稼ぐことである。

 

 だがほとんどの神は自ら疲労困憊してまで金を稼ぐことは無い。なぜなら彼らの多くは自身の【神の眷族(ファミリア)】を有し、そこに所属する子供達(人々)に金銭の工面などを任せているからである。

 

 当然、何の対価も無く従うほど信心深い者は少ない。むしろ信心とは、神に仕える内に培うものである。故に神は自らの【眷族】に対して【恩恵(ファルナ)】を授ける。それは、ただの喩えや比喩ではない。【恩恵】を受けた者は実際に並の人間を凌駕する力を得て、多くはこのオラリオの中央に聳える摩天楼の地下に広がる【迷宮(ダンジョン)】へ潜り、そこで怪物どもを狩り屠り、迷宮を探索し、その成果として怪物どもの体の一部やその核たる魔石を持ち帰って莫大な金と代え難い名誉、そして神からの寵愛と己の成長を得るのだ。

 

 そうして、子供たちの協力を得る事によって、多くの神は娯楽を楽しむ事に注力し、正にこの下界を謳歌する事に成功している。だが、全ての神がそうで無いのも確かな事で。

 

 それぞれの事情を以って、【眷族】を得る事の叶わなかった――――或いは【眷族】を失った――――神の在り様とは憐れな物である。全能なる【超越存在】の身でありながら、最高の娯楽たる地上に留まるべくそれぞれの身一つで日銭を稼ぐ日々だ。それこそ、まるで下界の子ら()の様に。

 

 例えば、神としての己の技術を子らに授け、その対価として金銭を要求する者。ひっそりと都市の片隅で自給自足の生活を送る者。同郷の神の元に身を寄せる者。そして、この女神の様に他の神が経営する酒場で給仕まがいの仕事をし日銭を稼ぐ者もいる。

 

「はぁ……」

 

 とぼとぼと歩く彼女は、この世の幸運と云う幸運が素足で逃げ出したくなるであろう程の昏い昏い溜息を吐いた。彼女は十五年ほど前まで、オラリオでもそれなりに名を知られたファミリアの主神であった。そんな自分が今やこの様な有り様で、人々でごった返すオラリオの大通りを一人寂しく帰路に着いている。

 

 以前の自分であれば、今頃の時間には眷族より献上された美酒に舌鼓を打ち、その酔いに任せて寝床に潜り込んでいるころだろう。昔は良かった。あの頃の自分は、頂点には立てずともこの様な労働や疲労や困窮や貧困とは無縁の存在であった。

 全てはあの【黒竜】と、忌々しい道化師気取りのせいだ。特に道化師気取り、奴の口がもう少し堅い物であったならば――――――――そんな事を時折考えては、こうして嫌気が差して溜息を吐いているのである。

 

 そんなふらふらと下を向いて歩く彼女も、神であるが故に誰かにぶつかるとか、躓くなどと言った災難に見舞われる事は無い。それはその身より溢れる神威が無意識の内に人々を忌避させているからである。だが、彼女が生粋の神である以上、その事実に喜ぶような事はことはまず無いだろう。

 

 しばらくすると、彼女は大通りから外れ、それまでとは対照的な人通り無き道を歩き始める。オラリオの東と南東、二つの大通りに挟まれたここ【ダイダロス通り】はオラリオの中でも貧しい者が集まる住宅街だ。嘗て奇人と呼ばれた<ダイダロス>によって設計され、完成後度重なる区画整理が行われたそこはもはやもう一つの迷宮と呼ばれるほどに複雑化しており、知らぬ者が足を踏み入れれば自力で外に抜け出すのは困難とされている。

 

 そのダイダロス通りの外れ、南東の大通りからごく近い位置に、彼女の家――――かつて彼女の眷属が住まい、元々の【本拠地(ホーム)】と持ち主を失ってからは彼女のものとなっている二階建ての小さな建物はあった。その外装は、建てられた当時の持ち主の羽振りの良さを所々に偲ばせるものの、今や装飾を失い塗装も剥がれ、その内から頑丈であろう外壁が露わとなっている。

 

 それを見上げ、壁に入った僅かな亀裂に気が付いた彼女はまたしてもどんよりとした溜息を吐き、最近立て付けの悪くなってきた扉を開いて家の中に足を踏み入れた。

 

「ただいま戻りました……」

 

 そう呟く彼女に応える者は誰一人としていない。彼女の眷属たちはもはや一人として残っておらず、この家に住むのは彼女ただ一柱であるからだ。故に、彼女は習慣的に帰宅の挨拶を口にした自身へと虚しさを覚え、虚ろな目で自室へと向かって階段を昇り行く。

 

 そして、彼女はそのまま無造作に自室の扉を開いた。もはや何年も変わり映えのしない部屋。ほつれたカーテン、擦り減った床、足の一つが浮いた椅子、大剣を背負った人間(ヒューマン)の大男、薄汚れたベッド。その見慣れた光景に疲れ切った彼女は何ら心動かされる事無く、机に手荷物と今日の給金を放り出して無造作にベッドに飛び込んだ。

 

 そして仰向けになって古ぼけた天井を眺めながら、彼女は思う。一体、いつまで自分はこのような暮らしを続けていればいいのだろう。以前のように眷族を集めようにも、不和と争いの女神であり、実際に『美の女神への果実』事件を初めとした幾つかの騒動で悪名を馳せた自身の元に今更やってくる物好きなどいない。

 

 少なくとも、一人でも腕の立つ眷族が出来ればずっとマシにはなるのでしょうけど…………。

 

 そう考えて彼女は寝返りを打ち、窓際で外を向き立ち尽くす大男に目を向ける。

 

 うん、丁度あんな感じの、いかにも強そうって感じで、出来ればそれなりに見た目もよくて、あと私に忠誠を誓ってくれるような………………。

 

 そこまで考えた彼女は、ふと上体を起こし、近くにあった布で眼鏡を拭いてかけ直し、大男を見て、眼鏡を外して眉間を押さえ、もう一度大男を見て、少し考え込んで、眼鏡を放り投げて布団に顔を埋めた。

 

「もうダメだ…………」

 

 少し涙ぐんで、彼女はそう呟いた。仕事で疲れ切った頭ではロクに判断もつかなかったが、まさか幻覚を見てしまうほどに疲労困憊しているとは。いや、幻覚ではないのかもしれない。ならば尚の事タチが悪い。他者の家に無断で踏み込むのはズバリ犯罪者のやる事であるからだ。つまり自身は今大剣を背負った正体不明の大男の前に無防備な姿を晒しているという事になる。

 

 【神殺し】はオラリオにおいて一族郎党まで罪に問われる重罪中の重罪だ。故に、彼女が殺される事は無い――――訳ではない。千年ほどの神と人の時代において、実際に今まで幾度かそういう事は有った。故の重罪である。そんな事をするのは当然余程の命知らずか向こう見ず、詰まる所極まった愚か者だけであるのだが、そこの大男が愚か者でない保証などどこにも無い。

 むしろ、一般的な常識のある者であれば不在の他神(たにん)の家に無断で上がり込むような真似はしないだろう。それも、これほど困窮した零細ファミリアの主神の元へなど。そう思うと、彼女はもうどうしようもなく絶望的な気持ちになるのだった。

 

 ああ、こんな形で地上での暮らしを終える事になるなんて……。

 

 そう嘆き、布団により深く顔を埋める彼女。その脳裏に、地上での楽しかった思い出が走馬灯の如く駆け抜けては過ぎ去ってゆく。おいしかったディナー、眷族からの供物、己の策に嵌って相争う神々の滑稽な姿…………。

 

 心残りが無いはずなど無い。もっと、もっとこの地上と言う最高の娯楽を謳歌したかったのに!

 

 悔やんでも悔やみきれず、彼女は布団に顔を埋めながら寝返りを打って、そのまま布団を巻き込み簀巻きめいた姿へと変貌してしまう。もはやすべてを拒絶する構えである。

 

 ――――これは悪夢だ。仕事疲れが引き起こした、意味不明で手ひどく、無駄に現実感のある悪夢。ならばいっそ眠ってしまおう。夢の中で眠れば、きっと目が覚めるはず!

 

 もはや現実から目を背け、簀巻きの中で目を閉じ眠りに落ちんとする彼女。だが無慈悲にも、目を閉じた事で鋭敏となった聴覚は(くだん)の大男が振り返り、ぎしりと床を鳴らして此方に歩み寄ってくるのをハッキリと感じ取ってしまった。

 

 簀巻きになっているせいで耳を塞ぐことも出来ない。簀巻きになっているせいで沸き上がる恐怖から逃れることも出来ない。せめて布団に顔を埋めたままなら、部屋から飛び出して逃げ出す事も出来たというのに。

 

 その事実に彼女は改めて打ちのめされ、そして完全に諦めきった。今から自身はあの神威の如き神秘を漂わせる(つるぎ)によって断ち切られ、まな板で調理される食材の如く輪切りにされてしまうのだろう。ああ、何故簀巻きになってしまったのか。余りにも神らしくない、間抜けすぎる最後ではないか。ならばいっそのこと【神の力】を用いて――――

 

「……すまない、無粋な訪問を許して欲しい。ここの住人の方とお見受けするが、少し話を聞かせては貰えないか? 不躾な話だとは自分でも思うが……」

「……………………えっ?」

 

 実際気の抜けた声を上げ、彼女は簀巻きの端から器用に顔だけを表に出してベッドの横に立つ男の顔を見据えた。男は困惑したような、目の前の彼女をどうしたものかと計りかねるような、そんな顔をしていた。

 

「……殺さないのですか?」

「…………いや、そのようなつもりは毛頭ないが…………」

 

 震えて聞く彼女に、男は努めて穏やかな声色で答える。

 

「殺さないんですね?」

「……貴方の不安も当然だ。此度は本当に申し訳なかった。どうか、話だけでも聞いていただきたい」

 

 重ねて確認する彼女に、男は背に負った大剣を手の届かぬ机の上へと置き、改めてベッドの前にやってきて床に座り込んだ。

 

 それを見て、ようやく彼女は男に敵意や悪意、そう言った此方に害を成そうとする意思がない事を理解した。神ゆえに地上の子らの嘘を見抜く事が出来るのは彼女も同様だったのだが、あの異様な大剣から感じとれる神秘がその眼を曇らせていたのやも知れぬ。

 

 それは気になるが、今は目の前の男だ。

 

「……じゃあ、とりあえずまずは名前を聞かせてください、剣士さん。自己紹介から始めましょう」

「そうだな。私は――――――――」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「大体分かりました。ひとまず整理しましょう。……ええと、貴方は<ヤーナム>と言う街から来た狩人で、名前は…………」

「<ルドウイーク>だ」

「ルドウ()ーク」

「ルドウ()ークだ」

「言いづらいですね」

「皆、そう言う」

 

 諦めたように苦笑いして返すルドウイークを前に、彼女は少し難しい顔をした。

 

「…………やはり聞いたことありませんね、ヤーナムなど。余程田舎の街だったのでしょうか」

「確かに排他的で、周辺とは隔絶した谷あいの街ではあったが、言うほど田舎という事は無いと思う」

「ですが<医療教会>に<狩人>、そして<獣>……聞いたことの無い事柄ばかりです」

「ううむ……」

 

 その味気ない反応に、ルドウイークは先ほどの彼女の様に難しい顔をする。全てを説明したわけでは無いとは言え、自身の持つ知識がこの【オラリオ】なる街では一切通用しないのだという事を、彼女の反応と説明から十二分に悟ったからだ。

 

「すまないが、少し考えさせてもらいたい。その間に、もう一度ここについて聞かせてくれないか?」

「分かりました、整理します。ここは【オラリオ】と言う街で、私は神です」

「…………やはり、にわかには信じ難い。貴女が真っ当な人間とは違う、かといって<上位者>とも違う、別の存在である事は解るのだが……」

「まぁ神なので。と言うか、<上位者>とは?」

「<獣>以上の力を備えた未知の存在だ。一応上位者と名付けられてはいたが、詳しい事は私も知らない」

 

 ルドウイークは慎重に言葉を選び、嘘を吐かぬよう、だが決定的な真実も語らぬようにして彼女の問いに答えた。聞けば、神は人の嘘を見抜く力を持つと言う。

 知識がどれほどの狂気をもたらすか知らぬルドウイークでは無い。故に、彼は煙に巻くような不明瞭な説明で誤魔化そうとした。自身もそれほど上位者に詳しくなかったのは僥倖(ぎょうこう)と言える。実際嘘にはなりえぬからだ。そして幸いにもその欺瞞に彼女は気づいた様子も無く、納得したように次の問いへと話を進めた。

 

「まあ、それは置いておいて……私の説明した事に一つも心当たりがないのは、ルドウイークも同じですよね?」

「ああ。【オラリオ】と言う街の名前、【神】なる存在、【ギルド】に【ファミリア】…………【迷宮(ダンジョン)】と言う言葉には覚えがない訳では無いのだが、私の知る<ダンジョン>(聖杯ダンジョン)とこの街にあると云う【迷宮】が同じものだとは到底思えん。私の知る<ダンジョン>は、深くても5層ほどしか無かったしな」

「浅いダンジョンですねえ。こっちの【迷宮】なんて50階層とか普通にあるっていうのに」

「50か…………まったく、驚きしかないな」

 

 50と言うその数字に、ルドウイークは心底で恐怖した。それほどの階層のダンジョンともなれば、一体いかなる獣やトゥメル人、未知の上位者が現れるのか想像もつかぬ。同輩であった墓暴きや<地底人>とも揶揄された一部の狩人であれば、喜々として突撃していたであろうが……。

 

 彼らが我先にと【迷宮】に飛び込む姿を想像して、ルドウイークは思わず小さく笑った。それをちらと見て、彼女はルドウイークに懐疑的な視線を向ける。

 

「ともかく、貴方はその、ヤーナムとやらで死んで、気づいたらここに居たって……嘘ついて無いのは分かるんですけど、ちょっと信じられないですね…………あと、死んだのヤーナムじゃないですよね? そこだけちょっと嘘入ってません?」

「すまない。正直、何と説明したらよいか私にもわからない。ヤーナムと言えばヤーナムなのだが…………」

「なのだが?」

「説明しづらいんだ。何と言うか、悪夢と言うべきか…………」

「分かりませんね……」

 

 腕を組んで唸るルドウイークの様子に、彼女も腕を組んで首を傾げる。そうして、しばらくお互いうんうん唸って、どちらともなく諦めた。実にならない話だと本能的に直感したからだ。そしてルドウイークに先んじて彼女はこの話題を締め、次の話に移る事を提案した。

 

「…………何となく、互いによく分からないという事が解りました。それはもう、いっそ置いときましょう」

「置いて、どうするのだね? それに他にわかる事も――――」

「貴方がどうしたいか。それを聞かせてください、ルドウイーク」

 

 その言葉に、ルドウイークははっとしたように顔を上げた。彼女は真剣そのものの、真贋を見通す神の瞳で彼の答えを待っている。その視線を受けたルドウイークはしかし、即答に近い速さでその答えを口にした。

 

「ヤーナムへと戻る。こうして私が生きているならば、出来る事があるはずだ」

「それほどまでに<獣狩りの夜>とやらは深刻なのですか?」

「…………あの<狩人>なら、きっと何とかしてくれているとは思う。だが、夜が明けているかどうかは定かでは無い。如何にヤーナムが悍ましき街とは言え、故郷である事には代わりは無い…………案じずには、居られないんだ」

 

 絞り出すようにヤーナムへの思いの丈を継げるルドウイーク。彼女はその選択の重みを知らぬ。だが、ルドウイークがどれほどの想いを持ってその判断を下したのか、そこに込められた重みを多少なりとも感じ取る事が出来た。ゆえに、彼女は重苦しく口を開く。

 

「…………一つ、提案があるのですが」

「何だ?」

「私の【ファミリア】に入りませんか? ルドウイーク」

 

 その言葉に、ルドウイークは驚きを隠せなかった。何故、この神物(じんぶつ)は今宵、突如として己の部屋に現れた人物にそのような提案が出来るのか。自身の如き愚か者に対して、何故手を差し伸べるのか。その理由が分からず、彼は困惑した。

 

「何故、私に手を差し伸べる? 私のような愚か者を抱えた所で、貴女に利する事などそうは無いと思うが……」

 

 彼女の置かれた現状を知らぬルドウイークは皆目見当もつかぬといった顔で彼女に問うた。その質問を聞いて、大事な部分の説明を意図的に避けていた彼女は待ってましたとまるで善神じみて穏やかな顔で笑う。

 

「単純な事です。ここで会ったのも何かの縁、その貴方が困っているのであれば少しを手を差し伸べて上げるのが神の慈悲と言う物です」

「……だが、それほど貴女の手を煩わせるようなことでは無い。ヤーナムの場所さえ解れば後は如何様にも――――」

 

 それでもなお申し訳なさそうに遠慮するルドウイークに対して、彼女は決定的な言葉を口にした。

 

「私の考えでは、おそらくこの世界にヤーナムと言う街はありません」

「………………何?」

「この世界には、今はあらゆる場所に多くの神々が降りてきています。その一柱にさえ会ったことも無く、我々の間の常識も、オラリオという名前すらも知らない。小さな村の一人二人なら世間知らずで済むかもしれません。ですがそれほど大きな街で誰も知らないとなれば………………」

「……………………」

 

 彼女の言葉に、自身の置かれた状況の深刻さを突きつけられたか、ルドウイークは俯きぶつぶつと何やら呟いている。それを見た彼女は、今こそ攻め時だと言わんばかりに自らの推論を捲し立てた。

 

「いいですか、結論から言います。ルドウイーク……貴方は、別の世界から来たんじゃあありませんか? 我々の知らぬ異世界。全く別の法則で成り立つ、未知の世界。で、あれば貴方がオラリオの事を何一つ知らないというのも、かつて全知の存在であった私がそちらの事を一切知らないのも納得できます。……どうですか?」

「………………すまない、流石に想定外だ。<共鳴>を用いた渡りの経験はあるが、まさか別世界とは……」

「<共鳴>?」

 

 苦悩するように頭を抱えるルドウイークがつぶやいた言葉を彼女は聞き逃さなかった。だが、ルドウイークがそれを説明する事は無かった。

 

「……一つ聞きたいのだが、そもそもその【迷宮】とやらを調べるのに貴女の【ファミリア】に入る必要性はあるのか? 【ギルド】とやらの許可を得る事さえ出来れば、【迷宮】に足を踏み入れる事は出来るのだろう?」

「その許可を得るのに【ファミリア】に入る必要が、【恩恵】を授かる必要があるんですよ! 【恩恵】を持たない人間が【迷宮】に潜った所で無駄死にするだけですから…………黙って潜ろうなんて考えてませんよね? 【迷宮】に無断で潜るなんて、そんな事したら貴方はこの街のお尋ね者ですよ。それこそ地上から追い立てられて、【迷宮】で屍を晒すだけです! ……それに5階層のダンジョンとやらで唸っている貴方が、50階層以上もあるオラリオの【迷宮】をどう探索しようって言うんですか?」

「反論の材料が見当たらん…………」

「それに身一つ――――いえ、その剣もですけど、そんな状態でこのオラリオにほっぽり出された貴方なんて、ヤーナムに戻る方法を見つける前にのたれ死ぬか、結局何の手がかりも得られず年老いて死ぬかしかありませんよ」

 

 無慈悲な現実を突きつけられたルドウイークは、その大柄な背丈が頭一つ分縮んだかと思うほどにあからさまに肩を落とし俯きながら溜息を吐いた。

 

 ……確かに、彼女の言う通りなのだろう。ヤーナムにて悪夢の深奥へと歩みを進め、そこで屍を晒した己が今こうして真っ当な人間として在る事が完全に異常な事態なのだ。そして恐らく、ここは悪夢など比べ物にならぬ程ヤーナムから遠い。<共鳴>による世界渡りとは異なり、帰還する手段など、それこそ上位者の深淵なる知啓でも無ければ知る事も出来まい。そして、この世界に上位者はいない、あるいはまったく知られてはいない。詰みだ。

 

 もはや打つ手無しかと、手で目元を覆うルドウイーク。その姿を見て、神としての嗜虐心を抑えるのに苦労していた彼女は、ですが。と、切り出した。

 

「ですが……きっと、【迷宮】にはその秘密が隠されているでしょう。そう思えるだけの謎が、あそこにはあります。逆に言えば、この世界にヤーナムの、ひいては貴方の転移の手がかりがあるとすれば、あそこ以外に考えられないというのが本音なのですが…………」

「それ以外、無いか…………」

 

 ルドウイークは彼女の推論に、俯いたまま疲れ切ったような声色で呟く。実際、この世界の事など、彼女に知らされた程度の事しか知らぬのも事実。見当もつかぬ未知が溢れる世を単独で生き延びるのは、ヤーナムの<獣狩りの夜>とどちらが困難なのだろうか。彼はしばらくそうして思案していたが、そのうちふと顔を上げ開き直ったかの様に、彼女の誘いに首を縦に振るのだった。

 

「わかった。どっちにしろ、私一人で出来る事など限られている。この様な異常事態も初めてだし、手を貸してくれるというなら、甘んじてその提案を受けるべきだろう…………それに、この世界の文字も読めぬ私では、結局単独での探索はできんからな」

「話が早くて助かります……よかった……」

 

 ついに折れ、彼女の提案に乗ったルドウイークに彼女は安堵した表情を浮かべ、ほっと一息つく。その様子に一瞬疑問を感じたルドウイークだったが、それよりも彼女の【ファミリア】に身を置く上での『条件』について話し合うのが先だと考え視線を彼女へと向けた。

 

「それでだが…………協力と言っても、余り、長い事厄介になる訳にもいかぬだろうし、だからと言って、すぐ手がかりを見つけられた所で直後に【ファミリア】を抜けさせてもらう訳にも行かんだろう…………結局の所、どれほどの間貴女の【ファミリア】に置いて貰えるんだ?」

「ああ、それでしたら『ヤーナムへの帰還の方法が見つかるまで』で構いませんよ」

 

 慎重に落とし所を模索するルドウイークに対し、彼女はやけにあっさりと事実上無期限の在籍、そして彼自身の一存での脱退を許した。その余りに破格の条件にルドウイークは驚愕を禁じえない。

 

「…………本当にいいのか?」

「ええ。それが分かったら、帰ってもらっても大丈夫です。最後の挨拶くらいには来てほしいですけど、ね」

 

 念を押すように聴くルドウイークに、彼女は小さくはにかんで答えた。その笑顔に、ルドウイークは後ろめたさを感じ黙り込む。その間に彼女はベッドから降りてルドウイークの前に立ち、緊張を抑えるかの如く深呼吸してからぴしりと姿勢を正して彼へと相対して、【ファミリア】の主神として新たなる眷族を迎えるのだった。

 

「では改めまして…………ようこそ、【エリス・ファミリア】へ。ルドウイーク、この神<エリス>が貴方を歓迎します。これから、よろしくお願いしますね」

「…………このルドウイーク、約定に従い貴殿の剣となり、鋸となりて戦う事を誓おう。どれほどの間、世話となるかは定かでは無いが…………」

「私は構いませんよ。その間、キッチリ働いてくれるのでしたら!」

 

 格式ばった言葉で歓迎の意を示すエリスに、しばしの沈黙の後狩人の礼を以って誓約を示しながらも、どこか煮え切らぬルドウイーク。だが、その彼の態度を気にした様子も無く、エリスは満面の笑みを浮かべて手を差し伸べた。

 

 その手を見て、ルドウイークは一瞬逡巡する。しかし、曲者揃いの狩人の中では比較的穏やかで真っ当な人間性の持ち主であったルドウイークは、この世界についての情報を提供し、衣食住を保証してくれ、更にはヤーナムへの帰還の手助けをしてくれるというこの女神への恩義と、勝手に家に上がり込んだと言う引け目を今更ながら感じ、結局はその手を取り、握手に応じるのだった。

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

「して、これからどうするエリス神。早速【迷宮】とやらに潜ればいいのかね?」

「……とりあえず、明日の朝になったら【恩恵】を刻んで、用意が出来次第【ギルド】へと向かいましょう。一応、朝までに()()を考えておきます」

「……設定?」

 

 鸚鵡返しに訝しむルドウイークに、エリスは呆れたように肩を竦めた。

 

「だって、突然別の世界から現れたなんて言っても誰も信じてくれるわけないじゃあないですか。とりあえず【ファミリア】の加入希望者っぽい話を作っておくので、そういう事にしておいてください」

「……神に嘘は通じないのでは?」

「ギルドの職員に神はいませんし、それに嘘は通じなくても隠してる内容まで見抜けるわけでは無いので。まぁ任せてくださいよ。私、こう見えて結構やり手なんですから」

 

 言ってエリスは誇らしげに両手を腰にやり、ふふんと胸を張った。その胸は標準的である。しかしルドウイークにはそれに目をくれる事も無く机の上にあった大剣を手に取り、再びそれを背に負う。その態度にエリスは少々機嫌を損ねかけたものの、気を取り直して部屋の扉へと向かい、ルドウイークを手招きした。

 

「とりあえず、ここは私の部屋なので今日は居間で寝てください。貴方には小さいかもですが、一応ソファーもありますので」

「恩に着る」

 

 壁に大剣がぶつからぬよう気を付けながら、ルドウイークはエリスの後に続いて階段を降り、普段はあまり使用されていないであろう居間に足を踏み入れた。

 

「それでは、私はちょっと疲れてるので今日はこれで。おやすみなさい」

「ああ、ありがとう…………貴公のような神が初めて出会う神で良かった。礼を言わせてくれ」

「いえいえ、そんな畏まらないで下さいよ。明日から忙しくなりますから。それでは……」

 

 就寝の挨拶を終えドアの向こうに去ってゆくエリス。それを見送った後、ルドウイークはソファーへと<月光の聖剣>を立てかけ、自身もその柔らかさに身を任せた。

 

 ……激動ともいえる時間だった。ルドウイークは天井に向け、深く長い息をつく。

 

 悪夢より目覚め、再びヤーナムの夜に身を躍らせようとすればここはそもヤーナムでは無く。【神】なる存在が跋扈(ばっこ)し、多くの人々がその【恩恵】に(あずか)って【迷宮】へと挑む街だと言う。何という、己の知る世界とかけ離れた世界であろうか。

 

「――――まるで、夢でも見ているようじゃないか。それとも、これも君の計らいなのか?  <最後の狩人>よ」

 

 <醜い獣>へと身を堕とした己を狩り、引導を渡したあの狩人。あの狩人が最後に己に掛けた言葉が、実際に形となっているのだろうか。少なくとも、今の所<悪夢>とは言えまい。そこで、一つの疑念がルドウイークの中に沸き上がる。

 

 もし、この世界に今在る事が狩人の計らいによる物なのであれば、その私が自ら悪夢の如きヤーナムへと帰還しようとするのは、狩人の厚意を踏みにじる行為なのではないだろうか? ならば甘んじて、この未知なる世界の事を謳歌するべきではないのか? その程度なら、許されるのではないだろうか。

 

 …………だが、それを確かめる術など無い。ヤーナムの無事を知る手段も無い。なら、それこそあの狩人は許してくれるだろう。そこで、彼は自身が存外故郷の事を愛していた事に今更気づいて、小さく笑った。

 

 さて、明日は【ギルド】へと向かい、あわよくば【迷宮】へと足を踏み入れその程を確かめておきたいものだ。それに【ギルド】には少なからず世界に関する資料程度は存在するはず。そこでヤーナムの名を見つける事が出来れば、それもまた僥倖だ。

 

 そう考えている内に、ルドウイークは自身の瞼が重くなるのを感じた。眠気など、何時ぶりに感じるものであろうか? おそらく、悪夢に囚われるずっと前……市井の狩人達を率い、獣を狩っていた頃には疾うに忘れ去った感覚だった覚えがある。

 

 うむ。あれは、一体何時の事だったか……確か<烏>が大橋のど真ん中で眠っていて、マリアと共にそれを広場に放り出し、随分と疲労困憊した時――――いや、もっと前の事だったか? あれも<烏>が…………。

 

 そんな、懐かしい思い出を想起している内にルドウイークは目を閉じた。それはヤーナムの狩人達が、どれほど求めても手に入ることの無かった穏やかな時間。

 それを取り戻した躰がルドウイークを安らかな眠りへといざなうのに、そうさして時間はかからなかった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 足早に階段を昇り自室へと戻った私は、今宵同様に帰宅した際とは真逆のベクトルの感情をもって勢い良くベッドへと飛び込み、ついつい快哉の叫びをあげた。 

 

「やっ、たぁ!」

 

 仰向けになって天井に向け手を突き出すと、そのまま力を抜いてベッドの上で大の字になって私は笑う。

 

 まさか、まさかあんなに素晴らしい【眷族】を手に入れる事が出来るなんて!

 

 まだ【恩恵】こそ刻んではいないが、それでもあのルドウ()……ルドウイークは間違いなく腕の立つ男だ。今まで多くの冒険者たちを眺めてきたからこそ、それが分かる。

 しかも彼はこの【オラリオ】について殆ど知識を持たない。故に、私のような神の眷属になる事を受け入れてもらう事が出来た。

 

 何より、彼は恐らく、本物の異界人。この【オラリオ】の歴史にも、一人として現れた事が無いであろう稀有なる存在。そんな最高の玩具、絶対に手放してなる物ですか。

 

 彼は見た所、そこまで知恵を回すようなタイプには見えない。どちらかと言うと、あの少しばかり血生臭さを感じさせる雰囲気に似合わず真面目で良識的な人間なのだろう。誓約の内容だって、それを物語っている。

 確かに私は帰れるようになるまで居てもいいと言ったし、帰れるようになったら帰ってもいいと言った。だが、ヤーナムなる都市の手がかりなど、そう簡単に見つかるはずが無い。彼の世界へ戻る方法だって、同様だ。なにせこの千年、そんな話はこの【オラリオ】でさえ聞いた事が無いのだから。

 

 なんか、騙しちゃったようなのは少しだけ気が引けるけど…………いいじゃないですか。私は、【神】なのだから。

 

 まあ、お陰様でこれからの立ち振る舞いには気を付けて、しっかり彼からの信頼を手に入れていかなきゃいけなくなったのと、他の神々にばれない様にしなきゃいけなくなったんだけれど…………多分大丈夫でしょう! 私は無根拠な確信をもって、また満面の笑みを浮かべた。

 

 だって、別の世界から現れる人がいるなんて思っている神なんか居るはずが無いのだから! 私だってそうだったんだから、他の神も真実を知るまでは想像すらつかないはずだ。

 

 ああ楽しみだ。早く彼の背に【恩恵】を刻んで、どれほどの【ステイタス】が現れるのかを見たい! もしかしたら、彼には特別な【スキル】が発現するかもしれない。異世界人なのだからそれくらいのことはあって然るべきだろう。

 

 ……それに、あの剣。神威じみた神秘を感じさせるあれは、一体何なのだろう。【魔剣】? いや、あの剣を扱う彼の手付きには、発動の際にしか振るわれぬ【魔剣】に対するそれとは違って確かな慣れと信頼があった。

 おそらくは、向こうの世界から彼が持ち込んだ物なんだろうけれど…………この十年ほどで培った庶民的感覚が、私の好奇心に対して『アレには触れるな』と小さな警告を送ってくる。

 

 ――――まぁ、信頼を得ていけばそのうち彼から聞く機会も出来るでしょう。

 

 そう結論付けた私は、ひとまず机に向かってノートを開きペンを取ると、さらさらと彼の素性に関する設定を書き上げ始めた。

 

 生まれは……【ラキア王国】あたりでいいかな。<アレス>のやり口に耐えかねて出奔したって感じで。【レベル】は……いや、そこは【ステイタス】を見てからだ。もしかしたら最初から高い【レベル】を持っているかもしれない。普通ならありえないことだけど、彼は異世界人。常識なんて通じない。家族は……うーん……とりあえず父と母が遠くに居るって事にしておこう。この辺あんまりハッキリさせちゃうと後がめんどくさいし。うーん、後は…………。

 

 そうして彼の設定を考えている内に、私は何だか眠くなって来た。そう言えば今日は、そもそも普段の倍くらい店に客が来て散々あの太っちょにこき使われたのだった。それを思い出して、私はちょっと不機嫌になる。

 

 今日はこの辺にしとくかな。どうせ、この【オラリオ】に居る冒険者の出自なんて気にする者なんか多くない。ただでさえ人々の坩堝ともいえるこの都市だ。一人くらい異世界人が紛れ込んだところで、気に留めるような者も居ないだろう。

 

 そうして、私は新たなる眷族を得てようやくの再スタートを切れる事に安堵し、穏やかにベッドに入る。その頭の中ではルドウイークをいかにうまく扱いつつ、自身のファミリアを再興させオラリオに名だたるファミリアとして返り咲かせるか、そればかりを考えていた。

 

 彼の力を元手にいずれは【本拠地(ホーム)】も取り戻し、多くの【眷属】を再び得て、いつか私に憐みの視線さえ向けた神々を見返してやるんだ。特にあの道化師気取り……の鼻を明かすのはちょっと難しいかもしれないが。向こうの【ファミリア】の規模的に。

 いやいや、何を弱気になる必要がある。もしかしたらルドウイークがレベル6、いや7、いやもしかしたら8かもしれない! それなら十分に勝ち目はある!

 

 そんな風に暫く鼻息を荒くしていた私も、しばらくすると疲れには抗えず、ゆっくりと瞼を閉じて夢の世界へと旅立って行く。そうして、私はこの十年近く感じていなかったほどの穏やかさで希望に溢れた眠りへと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 ――――私が、ルドウイークがどれほど常識の通じぬ場所からやって来た男で、どれほど自身の手には持て余す存在かを理解するのは、もう少し後の事である。

 

 

 

 




Bloodborneで好きなボスはルドウイーク(すごいすき)、ゴースの遺子(老いた赤子と言う見た目が考えた人天才だと思うし戦ってて楽しいのですき)、エーブリエタース(見た目がすき。喉裏のひげ状器官推し)です。

読んでいただき、ありがとうございました。


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02:【恩恵】

初続投稿です。【恩恵】周りだけで約11000字行ってしまいました。まさかこんなに文章量感じるとは思わなかったんで……独自設定ありでお送りします。

早々に赤評価ついてたり400お気に入り頂いてたりして凄いビックリしました。両原作の偉大さをひしひしと感じております。

改めまして、感想評価お気に入り誤字報告等して下さった皆様、ありがとうございました。


 オラリオの朝は早い。……いや、それは不正確な表現だ。

 

 ギルドは昼夜を問わず常に開いているし、夜には眠る者が殆どとは言え、深夜であろうと迷宮へと潜っていく冒険者は少なくない。その理由は様々だ。ただ冒険へと出るのに朝を待ちきれないもの、冒険者の増える昼を避け早い内に浅い階層を抜けたいと考える者、ただ夜でなければ力の出ない者。

 

 そう言った者達が、それぞれの理由で街路を行き交っている時間。その間も惰眠を貪っていたエリスは、陽が既に半ばほどまで登り街も賑わいを見せ始めた時間帯になって、ようやくベッドから起き上がった。

 

「ふぁ………………」

 

 着替えを終えたエリスは、盛大にあくびをしながら階段を降りルドウイークの元へと向かった。そう、昨夜いつの間にやら家に上がり込んでいた、自称狩人の異世界人。今日は彼に【恩恵(ファルナ)】を与え、真に【ファミリア】の一員となって貰わねばならぬのだ。

 

 だが、それも楽しみではある。【眷族】が増えるというのは、今も昔も変わらず嬉しい物だ。そんな逸る心とは裏腹に未だに疲れの取り切れぬ体を引きずるようにして居間の扉を開くと、そこではルドウイークが元在った机やソファーを押しのけ、床に様々な道具と思しきものを並べていた。

 

「…………何してるんですか?」

「ああ、おはよう、エリス神。少し場所を借りている」

「いえ、だから何してるんですか?」

「いや、だから場所を借りている。今の手持ちを整理したくてな……」

「……はぁ」

 

 少し、話の噛みあわぬルドウイークにしばし呆れてから、エリスは床に並べられたものに目を向けた。

 

 まず目についたのは、彼の背負っていた大剣。そこからは変わらず、神威じみた神秘が滲み出ているのを感じる。これは、外に持ち出すならば何かしらで隠すなりしなければなるまい。他の神が見れば、興味を持つのは明らかだ。

 

 その次に彼女が目を向けたのは、皿の上に転がされたやけに刺々しい形をした結晶。放射状の物と、三角形の物と、三日月型の物があり、さらに斑の様に毒々しい泡が浮かんだ物とそうでない物がある。魔石の一種であろうか? だが、それからは何やら不吉な気配を感じる。ただの魔石では無さそうだ。

 

「ルドウイーク。この、なんだか触ると痛そうなとげとげは何ですか?」

「それは<血晶石(けっしょうせき)>だ」

「<血晶石>?」

「ああ。獣たちの体内で凝固した成分で、武器に捻じり込む事でその――――」

「あ、なんだかやっぱいいです。こっちの瓶の青いやつは何です?」

 

 いやな予感がしたエリスは、ルドウイークの説明を遮り咄嗟にその横に置かれた青い液体の入った小瓶を指差した。自身の説明を無理やり中断させられたルドウイークは少し残念そうな顔をしたが、エリスの要求に律儀に説明を口にする。

 

「それは、見た目そのままに<青い秘薬>と呼ばれている」

「……まんまですねえ。ポーションみたいなものですか?」

「そのポーションとやらが良く分からないが、これは一種の麻酔薬でな。本来は被験者の脳を麻痺させるのに使うらしい」

 

 ルドウイークの呟いた被験者と言う言葉に、エリスは思わずその薬から距離を取った。

 

「えっなんですかそれ……被験者って……」

「さあな。少なくともロクな物では無いと思うが。だが、これは狩人の強い意志を持って服用する事で、一時的にその存在を希薄に出来る。何かと便利な薬だよ」

「自分からそんなのを飲んでいくんですか…………」

 

 話を聞いて恐怖したように、実際声を震わせてエリスはルドウイークからも距離を取った。それを見たルドウイークは、何故これが恐怖されるのかわからないという顔をして、それから少しだけ悲しそうな目をして再び道具の整理に戻った。

 

 エリスはそんなルドウイークの様子に気づく事無く、床に並べられたものを少し震えながら眺めて行った。正直、神としてあるまじき姿ではあるが、そこにあるものを見れば彼女が怯えるのも当然の事だろう。

 

 何せ、そこにあるのはオラリオではとても見る事が出来ぬような奇怪な狩り道具の数々。赤黒い丸薬、毒々しい液体の付着したメス、明らかに真っ当では無い骨刀、鉛色の湯気の滲み出す小瓶、異様な色の何かの血、眼球じみた石ころ、謎の骨、眼球にしか見えないもの、そして――――

 

「ナメクジ!?!?」

 

 素っ頓狂な声を上げて飛びあがったエリスにルドウイークが驚いて鉛色の小瓶を転がし、その大きさからは考えられぬほど重苦しい音を立てた小瓶にナメクジも驚いて触角を引っ込ませた。

 

「……エリス神。突然声を荒げないでくれ。獣の怒号かと思った」

「いやいやいや! 何ですかそのでっかいナメクジ!? なんでそんなのが?!」

 

 うんざりしたように首を巡らせたルドウイークに、部屋の隅に押しこまれたソファーの影に転がり込んだエリスが錯乱したかのように叫ぶ。その様子を見て、ルドウイークは優しくナメクジを手に取りエリスの元へと歩み寄った。

 

「ナメクジでは無い。これは<精霊>。<エーブリエタース>――――上位者の先触れであり…………いや、私も詳しくは知らんのだが…………まぁ、そこまで嫌悪するほどの物では無いさ。そもそも、獣どもに比べればなかなか可愛いものだと思うがね」

 

 言って、ルドウイークは手の上の精霊に笑いかけた。すると、精霊は周囲を伺うようにゆっくりと触角を伸ばして、見渡すように頭をもたげる。そうしてキョロキョロと周りを観察していた精霊はソファの陰で怯えるエリスに気づくと、興味深そうに首をそちらに伸ばした。エリスは悲鳴を上げた。

 

「ああああああダメですダメです!!!! こっち近づけないで下さい殺す気ですかイジメですか!? 無理無理!!! 早く仕舞ってくださいルドウイーク何でもしますから!!!」

「むう…………」

 

 その神とは思えぬ憐れな姿を見て、理不尽だとは思うが申し訳なくも思い始めたルドウイークは、外套の裏に縫い付けられた<秘儀>の数々を収納した袋の一つに<精霊>を滑り込ませた。そして、これ以上整理をしていれば更なるエリス神の不興を買うと直感して、テキパキと床に広げられた品々を仕舞い始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「では、これから【恩恵(ファルナ)】を授けますので……うう……」

「……大丈夫か? もし辛いのであれば、無理はしないでくれ。また後でも――――」

「いえ、大丈夫です……。とりあえず、上半身の服を全部脱いでください」

 

 ルドウイークは荷物を仕舞い終えた後、「ナメクジの跡が残った部屋でなんて嫌です!」と駄々をこねたエリスに従い、【恩恵】を授ける儀式の為にエリスの部屋にまで上がってきていた。

 精霊を見てから、暫くひどい頭痛に悩まされていたエリスもようやく調子を取り戻してきたようで、ベッドにルドウイークを腰かけさせその後ろで膝立ちとなり、机の奥に仕舞い込まれていた針を取り出して自身の指先にそれを近づける。

 

 しかし、針を持つ指先が随分と震えるのを見るに、本調子にまで体調が戻ったわけでは無いようだ。

 

 それを見たルドウイークは純粋に彼女の事を心配してその様子を横目に見ていたが、ふんすと鼻を鳴らしてから指に思いっきり針を突き刺し悲鳴と共に蹲った彼女を見て、諦めたかのように前を向いた。

 

「で、では行きますよ……動かないでくださいね……」

「エリス神、少し落ち着け。儀式は久々なのだろう?」

「大丈夫です、任せてくださいよ……何せ私、こう見えて地上歴3ケタのベテラン女神なので……!」

「…………慎重に頼む」

 

 ――――未だ【恩恵】を持たぬ【眷族】に対して【恩恵】を与えるのは【ファミリア】の主神がまず行うべき事であり、それを経て初めて【眷族】は【ファミリア】の団員としてのスタートを切ったと言える。何せ、【恩恵】の有無はその力に天と地ほどの差異をもたらす。それが無ければ、【ギルド】に冒険者であるとは認められぬ程に。

 

 指先の痛みを何とか克服したエリスは、ようやく起き上がってルドウイークの背中を見る。そこには大小の傷。一体、如何なる戦いを彼は経てきたのか。それに思いを馳せずにはいられぬような痛ましい背中であった。

 だが、彼女の視線をもっとも集めたのはその首元の二つの傷。首半ばまで凄まじい一撃で抉られたような火傷を伴う大きな傷と、まるで断頭台でも経験してきたかのような――――だがしかし見たことがないほどに綺麗な――――明らかに首を切り離していたであろう傷。そんな傷を受けて、彼はいかにして生き延びたのだろうか。

 

「…………どうかしたかね?」

「あっ、いえ……それでは、行きますよ」

 

 ルドウイークの背をじっと見つめていたエリスは彼の声に気を取り直し、血の滲む指を彼の背の上にやった。

 

 【恩恵】を与える儀式と言うのは、神の血――――【神血(イコル)】を媒介に神々の文字【神聖文字(ヒエログリフ)】を対象に刻み込む事を指す。人々がその身に得た経験の記憶……【経験値(エクセリア)】。本来、不可視であり利用など出来るはずも無いそれを神々は見通して抜き出し、【神聖文字】としてその背に刻み込む事で力を上乗せし、塗り替え【ステイタス】を、【位階(レベル)】を上げる。それは【神の力(アルカナム)】を封じた神々が地上にて操れる、数少ない神の御業だ。

 

 それにより人々は様々な分野にて今までとは比べ物にならぬほどの力を発揮して、凄まじい発展を遂げてきた。そして、エリスの差し出した指から一滴の【神血】が滴り、ルドウイークの背に触れる。

 

「……があっ!?」

「きゃあ!?」

 

 瞬間、ルドウイークの背に触れた血は、じゅっと言う嫌な音を立てて弾けてその背に吸いこまれて行った。同時にルドウイークはまるで熱した鉄でも押しつけられたかのような熱と激しい痛み、そしてその裏に生半な血とは比べ物にならぬ強い<酔い>を感じて飛び退き床に叩きつけられ、エリスもその衝撃でひっくり返ってベッドから転げ落ちた。

 

「ああ、もう! なんなんですかもう……! 頭痛い……」

 

 打った頭を抑えながら立ち上がって口を尖らせるエリス。打ち所が悪くなかっただけ幸運だったが、お陰で先程の頭痛がまたぶり返してきた。おまけにぴちゃぴちゃと、水滴が落ちるような音まで聞こえてくる。過労で耳までやられたのかと一瞬顔を歪ませたエリスだったが、目の前で床に突っ伏すルドウイークを見て慌てて彼の元へと駆け寄ろうとした。

 

「ルドウイーク!? どこか、変な所でも打ち――――」

「近づくな!!!」

 

 今までとは打って変わって乱暴に叫んだルドウイークに、エリスは思わず立ちすくんで足を止める。その眼前でルドウイークは顔を上げ、そして止める間もなく思い切り頭を床へと打ち付けた。

 

「なっ!?」

 

 驚くエリスの前で、ルドウイークは更に一度、更にもう一度床に頭を打ち付け、そこまでしてようやく落ち着いたように顔を上げ、そのまま背中から床に倒れ込んだ。

 

「……ハアッ……すまない…………床が割れた様な気がするのだが……」

「そこ心配する所じゃあないでしょう!?」

 

 足を止めていたエリスは慌ててルドウイークの元へと駆け寄り、一瞬逡巡した後近くにあった自身のハンカチを手にとって、彼の血を流す額の傷にそれを押しあてた。

 

「一体どうしたんですか突然!? 変に飛び跳ねたと思ったら頭を床に打ち付けるなんて! 何なんですか!?」

「……すまない、油断した」

 

 自身の額をハンカチで抑えつけるエリスの腕をそっと除けて、自身の手でハンカチを抑え直したルドウイークは上体を起こし確認するように言った。

 

「我々狩人が『血に酔う』と言う話はしていたな?」

「えっ? いやそれ聞いて無いですけど。どう言う事ですかルドウイーク!?」

「そうか、うっかりしていた」

 

 狼狽するエリスに対して彼は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。

 

「我々狩人は<血の医療>を受けたのち、返り血を浴びるなどして血を摂取する事で傷を癒す業を身に付けていた。それについては伝えていたと思うが……」

「ええ、そこは聞いてますよ。貴方の故郷を牛耳っていた、えー、<医療教会>でしたか? そこが生んだ技術で、<ヤーナム>では当たり前に用いられていた技術だと」

「その通りだ」

 

 エリスの言葉を肯定して、ルドウイークは一度額をハンカチで拭う。しかし先ほどの自傷行為によってどこかに切り傷でも負ったか、その額からはすぐに再び血が滴り始めた。

 

「だが、その医療には一つ、副作用があってな…………血の摂取には多かれ少なかれ、快感が伴う。少量を常習するくらいなら問題は無いのだが、我々狩人の様に<獣狩り>に伴って大量の血を浴びる者達の中にはその快感に酔い痴れる者が現れた。そう言った者はいずれ人間性を失い、本当の意味で獣へと成り下がる」

「でも、さっきのは一滴ですよ!?」

「血の質、<血質(けっしつ)>によって、血の齎す効果も、それに伴う快感も大きく変わる……エリス神、貴女の血は私の知るどんな血よりも特別だ。それこそ、私でさえ一瞬意識が飛ぶ程には」

「いや、特別なのは当然なんですよ神なんですから……じゃなくて、それじゃあどうするんですか!? 血を垂らす度にあんなふうに暴れられたんじゃ、とても【恩恵】なんか刻めませんよ!?」

「その外套の内側、右の三段目、その一番外側に入っている赤黒い液の入った瓶。それを取ってくれ」

 

 ルドウイークの指示に従ってエリスは未だに狼狽しながらも椅子に掛けられた外套の内側の雑嚢を調べてゆく。その内の一つが、妙に湿った感触と共に妙に柔らかい弾力を伝えてきたが、彼女はむしろそのお陰で一気にクールダウンして、むしろ素早く目的の物の入った雑嚢を探し当てることに成功した。

 

「これですか? なんですこれ?」

「ああ、それだ……そいつは<鎮静剤>と言ってな。狂気を抑える効能を持つ。覚悟の上でやれば耐えられるはずだが、念のためこれも服用しておきたい」

「…………大丈夫なんですか?」

「そのはずだ」

 

 短く応えたルドウイークは<鎮静剤>の蓋を開き、一気にそれを飲み干した。すると荒かった息はすぐに落ち着きを見せ、脂汗を流し紅潮していた肌からもスッと赤みが引いていく。ルドウイークはその後しばらく息を整えていたが、意を決したように立ち上がり、ベッドの先程まで自身が腰掛けていたのと同じ場所に座り込んだ。

 

「……大丈夫なんですね?」

「ああ。頼む」

 

 それを聞いて、エリスは先ほどと同様に――――しかし可能な限り少量となるように――――ルドウイークの背へと一滴の血を垂らした。するとその血も先ほどと同様に焼けるような音を立てて弾け、そうしてから彼の背に吸いこまれて行った。ルドウイークはそれに耐えるべく俯き、目を閉じて歯を食いしばっている。

 それを見て、エリスは慌ててその背に指を這わせて【神聖文字】を刻もうとした。だが――――

 

 

 

 

「……【恩恵】が刻めません」

 

 ――――そう、絶望的な顔で声を上げるのだった。

 

 

 

 

「…………何だと?」

 

 先程よりも早く血の齎す感覚が引いたのか、眼を見開いて首を巡らせたルドウイーク。額の傷は、いつの間にか塞がったのか既に血も止まっている。だがその視線に少なからず驚愕が込められているのをエリスは悟って、自身の潔白を主張するかのように両の掌を彼に向けた。

 

「いや、冗談とかじゃないんですよホントに! 【神聖文字】が書けないんですよ、貴方の背中!!」

「どういうことだ……? 手順を間違ったりは――――」

「してませんよ!!」

 

 訝しむルドウイークに対して狼狽して叫ぶエリス。そして揃って考えては見るがその理由は共に分からず、二人で俯いて考え込む。

 

「…………えっと、とりあえず整理しましょう。何故【神血】があんな反応を見せたのか、何故貴方の背中に痛みが走ったのか、何故貴方に【恩恵】を与える事が出来ないのか!」

「私にはさっぱりだぞ」

「うむむむ…………」

 

 その時、エリスは突然何かを閃いたかのように、不安に凍り付いた表情で顔を上げた。

 

「あの、ルドウイーク。正直に答えてください」

「何だ?」

「…………貴方、もう【恩恵】を受けたりしてないですか?」

「いや、馬鹿な。私がこの街――――いや、この世界に来たのは昨晩の事だ。その間私は貴女以外の神は愚か、貴女以外には誰とも出会ってはいない。【恩恵】を受けるタイミングなどどこにも……」

「――――<血の医療>」

 

 エリスはぼそりと、極めて複雑そうな顔でその単語を呟いた。

 

「貴方の住んでいた<ヤーナム>では、特別な血を使った医療が発展していたと言っていましたね?」

「ああ、そうだ…………いや、待て。まさか、そのような事が……?」

「多分、きっと、そのもしかしてだったりしませんか?」

 

 エリスの言わんとする事を理解したルドウイークは、口を抑え眼を見開き、先程とは全く違う理由で脂汗を流した。

 

 まさか。そのような事があってなるものか。だがしかし、<血の医療>と【恩恵】、どちらも血を用いるという共通点がある。もしもそれが、我々ヤーナム人の血に混じる<呪い>と関係しているとすれば――――――

 

「――――――――ありうる」

「ああ~…………」

 

 愕然としながら肯定したルドウイークの前で、気の抜けるような声を上げてエリスはベッドに崩れ落ちた。

 

 ……その後しばらくして、なんとか気を取り直したエリスの語った推理はこうだ。

 

 ルドウイークら、ヤーナムの民が受けた<血の医療>。それは本質的に【神の恩恵】と類似した行為であり、故にエリスは彼に【恩恵】を与える事が出来ずに弾かれたのだろう。【恩恵】を二重に施すことなど出来ようがないからだ。

 

 それを聞いて、ルドウイークはますます頭を抱えた。確かに、神の血を受けてこの額の傷が治癒している事もそれを裏付ける現象の一つではないか……? しかしまずい。【恩恵】が無ければ【迷宮】に潜る事は出来ぬ。【迷宮】に潜れなければ<ヤーナム>への、ひいてはあの世界への帰還の方法を探す事さえ叶わぬ。彼女への恩も返せぬ。

 

「だめか……すまない、エリス神。まさかこのような事態になるとは…………」

 

 もはや頭を下げるよりないルドウイーク。だがしかし、そんな彼を尻目にエリスはむしろほんの少し希望を持った表情でその絶望を否定した。

 

「いえ…………でもそれでしたら、もともと【恩恵】に近い物を持っているという事ですよね? だったら何とか誤魔化せるかもしれません」

「……本当か?」

「ええ。念のため聞きますけど、貴方が戦っていたと言う<獣>とやらのなかで、一番弱いと思うものと一番強かったと思うものについて教えてくれませんか?」

「…………? ああ、すまない。そうだな……」

 

 エリスの言葉に少しばかり絶望から脱したルドウイークは、自らの記憶の中から彼女の要求に相応しいものを引き出し、伝え始める。

 

「弱かった者だが、あれは単に<患者>と呼ばれていた。<獣>へと成り立ての者をそう呼んでいた。恐らく、駆け出しの狩人でも一対一ならば遅れを取る程の物では無かったはずだ」

「えーっと……じゃあ、ここにある物ではどれを壊せそうですか……?」

「ふむ……それなら、ドアを何とか破れる位だろう。時間はかかるだろうが」

「なるほど……聞く限りでは【コボルト】などと同レベル……かな? まあ、多分同じくらいだと思います。それじゃあ、強かった者はどんな感じでしたか?」

「強かった者、か――――」

 

 その言葉に、ルドウイークは自らがもっとも窮地に追い込まれた一つの狩りを思い出す。

 

 ――――あれは、<最初の狩人>最後の狩り。マリアを打ち据え、決死の彼女が生んだ隙に左眼を頭蓋ごと破壊し勝利を確信したルドウイークを容易く吹き飛ばし咆哮した、あの獣。地に伏したルドウイークには目もくれず、()は自身の最も信頼した知己であった、一人の狩人に目を向ける。

 

 燃え盛る大聖堂の中対峙する二()。汗さえも煮え立つような熱を放つその獣と、その灼熱にも、殺意にも動じず、手に持った大曲剣を背に負った仕掛けと結合させ大鎌へと転じさせた老狩人。獣の肥大化した腕に膨大な炎が集まると同時に老狩人は<加速>に乗って飛び出し、そして――――

 

「――――私の知る最も強かった獣は、炎を操る獣だった。少なくとも、この家ぐらいは容易く破壊出来るであろう膂力の持ち主でもあったよ」

「うえっ…………でしたらレベルは少なく見積もっても5……いや6は行ってますかね……」

 

 ルドウイークの言葉を聞いて何かを想像したのか、身をぶるりと震わせて呟くエリス。その様子に、ルドウイークは少々不安げに疑問を口にした。

 

「その……レベル、とやらがこの世界における強さの指標なのか?」

「ええ。多分詳しい事は【ギルド】で教えて貰えると思いますが………………ああ、でもですね! とりあえず、そんな<獣>とやり合って生きている貴方もレベル5か6くらいはあると思っていいと思いますよ!」

 

 先程までの怯えっぷりが嘘の様に、大喜びで立ち上がったエリス。それを前にしてルドウイークは首を傾げるばかりだ。

 

「それは、それほど喜ぶべき事なのか?」

「当たり前じゃあないですか! レベル5や6なんて並の冒険者には一生届かない領域! 5でも十分に第一級冒険者、6であればこの【オラリオ】でも最上位の実力者と言ってもいいんですよ!」

「そう言う物なのか?」

「そう言うものなんです!」

 

 喜びを露わにしたエリスは拳を握ってルドウイークに向き直った。それは当然の反応である。あれ程求めた眷族が手に入り、しかもそれが並の冒険者とは一線を画する最上級冒険者に匹敵する実力者だと分かったのだ。

 そして、その勢いのまま眼を細めるルドウイークを尻目にエリスは楽し気にこれからの予定をルドウイークに語り始める。

 

「ともかく、それなら多分【迷宮】でも十分に通用しますから、早速ギルドに向かって登録を済ませてしまいましょう!」

「……【恩恵】が無ければ【ギルド】の承認は得られないのではなかったのか?」

「えっ? いや言いましたけど、アレはあくまで【恩恵】を持っているっていうのが最低限の能力基準ってだけであって、それよりずっと強いのであればきっと誤魔化せますから……とにかく大丈夫ですよ!」

 

 言ってエリスは満面の笑みでサムズアップした。もはやすべて解決したと言わんばかりの笑みである。それを見て、ルドウイークは何やら嫌な予感がするのを禁じえなかった。

 

 しかし、この世界については自分はエリス神には到底及ばぬ程に無知なのだ。従う他あるまい…………導きの糸も、見えぬしな。そう自身を納得させ、ルドウイークは肩を竦めた。

 

「まあ、大丈夫なのは分かった。では、早めに【ギルド】とやらに顔を出してしまおう。手続きがどれほどかかるかも分からんし……」

「ああ、ではちょっと待ってください。地図を書きますので……」

 

 言ってエリスは机に飛びついていそいそとノートにペンを走らせ始めた。だがしかし、上着を纏い終えたルドウイークはその肩を掴んで顔を寄せ、息が掛かる程の距離で凄んだ。

 

「エリス神。まさか私一人で【ギルド】に向かわせるつもりではなかろうな?」

「えっ……いや、神である私がわざわざ【ギルド】にまで出向くってなんだかみっともないし……」

「私はこの世界の文字一つ読めないんだぞ? 野垂れ死にさせる気かね?」

「あっそっかぁそうでした…………そっかぁそうでしたねえ…………」

 

 興奮に今までルドウイークがこの世界に来て二日目の新参者であるという事実をすっかり忘れていたのか、エリスは心の底から【ギルド】に向かいたくないと誰が見てもわかるような気だるげな表情を浮かべた。しかし、それをルドウイークは許さぬ。

 

「分かったら貴女も準備をしてくれ。出来る事なら、今日中に一度【迷宮】をこの目で確認しておきたい」

「ええ……うう、【ギルド】、いくのやだなぁ……」

「困った神様だな……」

 

 ――――彼は知らぬことであったが、この家がある【ダイダロス通り】は知らぬ者が迷いこめば抜け出すことは叶わぬ、とさえ言われるほどに複雑な作りをしており、幾ら大通りに近い場所にあるとは言え、この家の周囲も例外とは言えぬものであった。

 故にエリスを無理やりにでも同行させようとする判断は間違いなく正しいものであったし、それを理解しているエリスも渋々ながら外出着の袖に手を通し始めた。

 

「そういえば、【ギルド】の手続きとやらはどれほどかかる物だ? 夜までには終わるのか?」

「……多分、昼の内には手続き終わると思いますけど。年明けで人も居ないでしょうし」

「ならば尚更だ。普通は【迷宮】にはそれなりに長く籠る物なのだろう? どこまで潜れるか、と言うのにも興味がある」

「それはダメですよ!」

「何?」

 

 意気込むルドウイークの言葉をいきなり遮ったエリス。それに眉を顰めるルドウイークであったが、エリスはその視線に気付いた様子も無く必死な顔で力説し始めた。

 

「いいですか? 登録したばかりの冒険者がいきなりそんな深い階層まで潜ったりしたら絶対に目を付けられます! 【レベル】だってそう! 最初っから強い人なんて本当は居ないんですから、貴方にはレベル1だって【ギルド】には申告してもらいますし、しばらくは浅い階層から始めてもらって、【オラリオ】の常識を理解してもらいますからね!」

「……私も、最初から強かったわけでは無いのだが。というか、それはまずい事なのか?」

 

 その捲し立てるような言葉にルドウイークがどこか憮然とした様子で対応すると、先程までの力強さが嘘の様に、エリスは身を縮こまらせ、弱弱しい声になって言った。

 

「それは……えっと、割と本気でマズいので、ここに関しては従って貰えませんか……?」

「………………わかった。他でもない主神の言葉だ、従おう。その代わり、【ギルド】での手続きには同行してもらえるな?」

「わかりましたよ、だからあんまり力をひけらかしたりしないで下さいね?」

 

 そう、ルドウイークがエリスの頼みを了承すると、安堵したかのように彼女は胸に手をやって小さく溜息を吐いた。そして、もう一度悪目立ちしないよう念押しをすると、部屋を出て階段を降りていき、ルドウイークもそれに続く。

 

「しかし、ヤーナム以外の都市を見るのは初めてだな……正直、楽しみだよ」

「そうなんですか? だったら幸運ですよルドウイーク。【オラリオ】はとてもいい所ですからね!」

「ああ。期待している」

「驚いてひっくり返ったりしないで下さいね? ……ささ、行きましょう!」

 

 そう言って玄関から出て行ったエリスに続いて、ルドウイークはオラリオの街路へと足を踏み出す。その顔を、殆ど登り切った太陽が照らした。

 何時振りかも知れぬその眩しさに彼は思わず眼を細め、感極まって立ち尽くすルドウイーク。なんと、暖かい光だ。この光を、あの悪夢の中でどれほど求めたことか。

 

 ――――思えば、長い長い夜だった。ゲールマン翁も、同輩の狩人達もそのほとんどが姿を消し、己一人で市井の狩人達を率いて獣どもへの対処を続ける日々。あの頃の私は、まさかこれほど穏やかに陽の光を浴びる日が来るなどと、想像する事も出来なかっただろう。

 

 ルドウイークは何となく、ずっとここで立ち止まっていたい、そんな気分に襲われた。いや、ずっととは言わぬ。本当にもう少しだけ、この日の光を意味もなく浴びていたい。それほどまでに、彼にとって陽というものは久しく味わっていない物だった。

 

「どうしたんですかルドウイーク、こっちですよ!」

 

 そんな彼に、既に先を行っていたエリスがちゃんと付いてくるように促すべく手を振った。……先程まであれ程嫌がっていたと言うのに。神と言うものは、果たしてああも気まぐれなものなのだろうか?

 

 打って変わって明るく振る舞うエリスの姿に、そんな疑問を一瞬浮かべるルドウイーク。だが、すぐに彼はそれを無為な物だと判断して歩き出した。それも、この街で自分が知るべき事の一つなのだろう。だがまずは【迷宮】だ。あそこに踏み出さぬ事には、ヤーナムへの帰還など夢のまた夢。

 

 だが、それに至るまでの道程……この【オラリオ】が、そして待ち受ける【迷宮】とやらに向かうのが、今は少し楽しみであった。一体どのような場所なのか。どのような者達が居るのか。どのような文化が息づいているのか。

 それはまるで、正しく世を知らぬ少年が抱くような冒険心だ。血に濡れた狩人であり、青年すら疾うに通り越した年齢の自身が、余り抱くような物ではないのだろうが……。

 

「あの悪夢に足を踏み入れる時よりは、よっぽど悪く無い気分だな」

 

 ルドウイークはそう独りごちて、年甲斐も無く新たなる景色への期待を胸に秘めながら石畳に靴音を鳴らし出すのだった。

 

 

 

 




次回はギルド行って手続きこなしてダンジョンに潜るとこまで行くと思います(書くとは言ってない)

すきな仕掛け武器を3つ挙げるなら王道を往くノコギリ鉈、重みを感じずにはいられない葬送の刃、金切り声のような咆哮がすきな獣の爪です(月光は殿堂入り)

今話も読んで下さって、ありがとうございました。



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03:【ギルド】

【ギルド】周り、突貫ですが丁度10000字くらいです。

UA10000!? お気に入り750!? 嘘でしょ!?
息抜きのつもりで書いたものが伸びてて盛大にビビっております。

感想評価お気に入りありがとうございます。そして誤字報告等して下さる皆様、大いに助かっております。


「エリス神。あそこで何やら運んでいるのは何と言う種族だ?」

犬人(シアンスロープ)の男性ですね」

「あちらの女性は……耳の形からして、狐人(ルナール)とやらか?」

「そうですね……と言うかそれ、さっきも話しませんでした?」

「いや、とても興味深い。何度でも聞きたいほどだ。ヤーナムでは、ああ言った獣の特徴を持つ人々など存在しえなかった……何がどうなってああなったのか、実に興味がある」

「……『獣』って彼らにとってはひどい侮辱なので、程々にしといてくださいね?」

「そうか……デリカシーという奴が足りないと昔からよく言われてはいたが……すまない」

「分かればよろしいです」

 

 初めて見るオラリオの街路は、ルドウイークにとって驚きの連続であった。

 

 見た事も無い数多の人種、<ヤーナム>では決してありえぬ人々の活気、ひそひそと言葉を交わすヤーナム民とは対照的な、ざわざわと言う喧騒。その全てが、ルドウイークに新たな経験を与えてゆく。

 それを、彼は心の底から楽しんでいた。あのヤーナムでのみ暮らしていた自身の見識の狭さを痛感しながらも、世にこれほどのものが存在したのだという驚き。そこには少しの羨望も含まれていたが、それを時折見上げるエリスもどこか誇らしそうに微笑んでいた。

 

「そう言えばエリス神」

「なんです?」

「<月光>をこうまで隠す必要が、果たしてあったのか?」

 

 そう言うルドウイークの背に負われた<月光の聖剣>は、それをすっぽりと覆う革袋の中に封ぜられていた。最初、そのままの姿で家を出た彼らだったが、思い出したようにエリスが家から革袋を持ちだして月光に被せて隠したのだ。

 それを疑問に思わざるを得ないルドウイークに、エリスはその外套の襟を掴んで顔を引き寄せた後、周囲の誰にも聞こえぬよう小声でつぶやいた。

 

「大アリですよ……! この剣が特別な物だってのは、私にだって一目で分かりました……! だったら他の神だってわかるはずです。覚えておいてください。この【オラリオ】で特別であるっていう事は、ロクでも無い神様に目を付けられる理由になるって事を……!」

 

 自分の事を棚に上げてエリスは特別である事の危険性をルドウイークに力説した。それを聞いて、彼は納得するように小さく頷く。

 

「なるほど……だからまずはレベル1とやらからのスタートなのだな」

「そうです!」

「分かったから、苦しいので離してくれ。息が詰まる」

 

 ルドウイークが嫌そうに言うと、渋々といった様子でエリスは彼の外套から手を離して少し不機嫌そうに歩き始めた。彼はその様子を見て訝しんだ後、大人しくその後に付いて歩き始める。

 

 道中、朝食をすっかり忘れていたエリスが腹を空かせて屋台へと引き寄せられていった以外は、彼らの歩みは順調なものだった。ルドウイークは歩きながら視線を巡らせる。その先にあるのは巨大な塔。【摩天楼(バベル)】。【迷宮(ダンジョン)】の真上に立てられた50階建ての巨大な塔であり、そこには公共施設、商業施設、神々の住まう階層などがひしめく正しくオラリオの中心とも言える存在である。

 それを横目にした北西第七区。そこに、【ギルド】の本部は存在した。白い柱に囲まれた荘厳な雰囲気とは裏腹に、誰もが足を踏み入れる事の出来る開かれた場所だ。

 

 その手前に辿り付いた二人は、すぐにギルドの門を潜り――――はしなかった。ひそひそと話し合い、冒険者として【ギルド】の認可を受けるための最後の確認を始めるのだった。

 

「ではルドウイーク、()()は覚えてますね?」

「…………私はルドウイーク。【ラキア王国】の生まれで、徒に戦火を広げる【アレス】のやり方に耐えきれずに出奔してきた元兵士。レベルは1で、【恩恵】を受けたのは25の頃。【スキル】は無し。先週【オラリオ】にやってきて、【エリス・ファミリア】へと【改宗(コンバージョン)】した……他に何かあったかね?」

「よろしい。大体分かってるみたいですね」

 

 ルドウイークの語る設定が自身の伝えたそれと相違ないのを確認して、エリスは満足そうに頷いた。そして、今度こそ二人はギルドの門を潜ろうとして、エリスが慌ててルドウイークの前にさっと立ち、その外套の襟を掴んで自身の視線の高さにまで顔を引き寄せた。

 

「一つ、言うのを忘れてました」

「人の服の襟を引っ掴んでまで言わねばならぬことかね、エリス神」

「……うちの【ファミリア】担当の職員、ロクでも無い奴なので……不在なのが一番なのですが、もし出てきた時は気を付けてくださいね」

「……わかった。わかったから、手を離してくれ。息苦しい」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「へっきし!」

 

 【ギルド】本部に設けられた冒険者達の窓口。そこで働く受付嬢、【エイナ・チュール】は突然の鼻のむず痒さに襲われ、盛大なくしゃみの音を待合室に響かせていた。

 

「どしたの~エイナ~? 風邪でも引いた~?」

 

 彼女の居る窓口の隣で、のんびりと書類にペンを走らせていた同僚が仕切りの影から顔を出して不思議そうに彼女に声をかけた。それを聞いたエイナは大丈夫だとジェスチャーを送り、小さく洟を啜る。

 

 今日の【ギルド】では、盛大に閑古鳥が鳴いていた。普段であれば換金等の為に昼夜問わず訪問者のあるこの窓口ではあるが、まだ年明けムードが残っているのか冒険者たちの足取りはほとんど無い。その為、彼女を初めとした職員達はそれぞれ何かの業務を探して時間を潰しているのだった。

 

 かく言うエイナも自身の分の書類の始末を終わらせた後は暇を持て余し、手慰みに各【ファミリア】の情報を整理している最中であった。急ぎでもない仕事だが、なんだかんだで日々睨み合っているそれぞれの【ファミリア】では、時折小競り合いが起きたりもする。

 その時のために、こうして各【ファミリア】の事をしっかりと頭に入れておくことはこの暇な時間を潰すのには打ってつけの仕事であった。

 

「エイナ~暇~」

「……いや、仕事しなさいよ。書類溜まってるんだから。それが嫌なら、普段から書類はちゃんと処理しておいたほうがいいわよ」

「代わってよ~エイナ~もう終わったんでしょエイナの分~」

 

 先ほどの同僚が無数の書類にひたすらサインを書き連ねる事に耐えかねたか、自身の仕事をエイナに丸投げするべく彼女へとすり寄って来た。エイナはその頬を思いっきり押し返して、心底嫌そうに同僚へと白い目を向ける。

 

「もう……いいけど、そしたらあなたはどうするのよ。()()()と一緒に資料の整理でもする?」

「え゛っ、やだ。あの人怖いし、厳しいし」

「だったらさっさと書類片付けちゃいなさいよ。そしたらもうやる事ってそんなにないんだし」

「先日みたいに、新しい【ファミリア】の創設願いとか来れば、いい感じに時間潰せるんだけどね~」

 

 遠回しに仕事の丸投げを咎めたエイナに、同僚はのんびりとした口調で今日の本業の少なさを嘆いた。

 

 確かに、今日は異様にお客さんが少ないのはわかるけど、もうちょっとしゃんとしなさいよ…………。エイナがそんな考えを思いっきり顔に滲ませた瞬間、同僚ははっと顔を上げ、【ギルド】の入り口へと目を向けた。

 

「ありゃ、こりゃ珍しいお客さん」

「ん?」

 

 同僚のちょっと驚いたような声にエイナも釣られるように視線を向けると、そこには此方へと向かってくる一人と一柱の姿が目に映った。

 

 一人は背の丈2(メドル)近い大男。波打つ灰色の長髪と恵まれた体格、そして頑なそうな表情。首から下は露出の皆無な白装束で覆い、さらに厚手の外套を着こんでいる。何より目を引くのがその背中に背負った革袋だ。恐らくは、あそこに彼の得物が仕舞い込まれているのだろう。正しく、歴戦の戦士と言った雰囲気だ。

 

 一柱は彼女が初めて見る女神だ。その背丈は隣の男よりは頭二つほど小さく、しかし神特有の美貌を持ち、その体からはハッキリと神威が滲みだしている。

 

「ここが【ギルド】で間違い無いかね?」

 

 エイナが一人と一柱を観察している内に、彼らは窓口へとやってきて、男がエイナの前に立つ。その身長と醸し出す雰囲気に一瞬気圧されるエイナだったが、そこはプロの受付嬢。すぐさま気持ちを切り替えて営業スマイルを浮かべ、男に対して応対し始めた。

 

「ようこそ【ギルド】へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ああ、すまない。冒険者としての申請をしたくてね」

「神様が付き添って下さっているなんて珍しいですね。どちらの【ファミリア】ですか?」

「【エリス・ファミリア】だ」

「少々お待ちくださいね……えーっと担当は……」

 

 彼の言葉を聞きエイナは先程までめくっていた資料に手を伸ばす。

 しかし、神様が新規の【眷族】の申請にこうしてギルドに顔を出すというのは珍しい。神様が【ギルド】に顔を出すというのは何らかの手続きが必要な時や【ギルド】からの依頼をこなした時くらいで、新たな【眷族】の登録に【ギルド】まで同行してくるのは『保護者みたいでみっともない』とかそんな理由で稀である。神様とは、そういう所でメンツを気にする生き物なのだ。

 

 そんな事を考えている内にエイナは目当ての資料を見つけ、そこに書いてある担当者の名前を見つけた。そして、隣で暇そうにしていた同僚に声をかける。

 

「ねえちょっと、資料室に行ってあの人呼んで来てくれない? 私、この人と神様に話聞かなきゃいけないし」

「ええっ!? やだよ! あの人の仕事の邪魔したら何言われるか分かんないじゃん!」

「これも仕事だからそんな事言う訳無いでしょ! 怖がり過ぎよ」

「ええ~……ハイハイ了解、ちょっと待っててもらってね~」

 

 それだけ言い残すと、同僚は足早に受付の奥へと消えて行った。その姿を見送って、エイナは資料の履歴と、大男の隣に立つ女神へと目を向けた。

 

「【エリス・ファミリア】への加入者はしばらくぶりですね。【恩恵】はもう?」

「授けてあります! 彼は【ラキア王国】の出身で、【アレス】のやり方についていけなくなって出奔してきた……」

「エリス神。聞かれても無いのにそんなことまで話す必要があるのかね?」

「……そうですね」

 

 そんなやり取りをする一人と一柱を見て、エイナは仲の良さそうな人達だなと少しほっこりした。そう思っていると、受付の奥から同僚が顔を出してエイナの元へと駆け寄ってくる。

 

「えっとね、すぐ行くから2番の応接室で待っててもらってくれって」

「あ、了解。……と言う訳ですので、応接室にご案内します」

「ああ、よろしく頼む。行こう、エリス神」

「やっぱ行かなきゃなんですかね……」

「当然だろう」

「はぁ~…………」

 

 随分と応接室に向かうのを渋るエリス神であったが、男に促されて嫌々と言った具合で歩き出し、その後を男が追う。そんな二人をエイナは部屋へと案内してお茶を出すと、あとを訪れるであろう担当者に任せ、自身の仕事へと戻るのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 応接室のソファーに並んで座り込んだエリスとルドウイークは、担当者が来るまでの間、これからの展望について話を重ねていた。

 

「で、ここで認可が得られれば私はもう【迷宮(ダンジョン)】へと潜れると言う訳だな?」

「そうですね。ただ【迷宮】への出入りはキッチリチェックされますから、どうあがいてもギルドに無断で【迷宮】に潜るのは無理ですよ」

「無断で潜る必要もあるまい。出入り自体を隠す理由は私には無いからな」

「まぁそうですけどね…………あと、許可がもらえても最初は【迷宮】についてのレクチャーがあると思いますから、それはキッチリ受けてもらう事になりますね」

「基礎的な知識は既に貴方に教えてもらっているから問題は無いと思うが……丁度いいか。私も【オラリオ】の常識(ルール)はキッチリと理解しておきたいし――――」

 

 そう話していると、ドアの取っ手が捻られ一人の人間(ヒューマン)の女性が部屋へと足を踏み入れて来た。

 

 先ほどこの部屋に案内してくれた受付嬢より少し短い黒髪に、血のように赤い瞳を持つ女。【ギルド】の制服を一部の隙も無く着こなし、その身長はちょうどエリスとルドウイークの中間程で、おおよそ170(セルチ)程度か。脇には幾つもの資料を抱えており、それを机の上に置くとルドウイーク達の向かい側のソファへと腰掛け、まずエリスへとその怜悧な視線を向けた。

 

「久しいな。まさか、お前が新しい【眷族】を連れてくることに成功するとは。少々驚いたよ」

「久しい、って3日くらい前に会ったばっか……っていやいや、神様に対してお前ってちょっと生意気じゃないですか!? 私貴方の神様じゃありませんしー!?」

「3日前と言っても、それはお前の職場での話だろう。こうしてお前と【ギルド】で出会うのが久しい、と言ってるんだ。後、神らしく崇めてほしいなら昔のお前に文句を言っておく事だな」

「むう……」

 

 唸るエリスにその女職員は皮肉っぽく笑いかけ、ついでルドウイークの方へと目を向けて立ち上がり、手を差し出して自己紹介した。

 

「ああ、失礼したな。私はニールセン。【エリス・ファミリア】担当の【ラナ・ニールセン】だ。この【ファミリア】にとっては10年近くいなかった新規加入者だが……お前がエリス神の新しい【眷族】か? 名前を聞こう」

「<ルドウイーク>だ」

「ルドウ()ーク?」

「ルドウ()ークだ」

「言いづらいな」

「よく言われる」

 

 立ち上がって自己紹介を返しながらその手を握り返すルドウイークに、ニールセンはどこかで聞いたような反応を返してからその頭の先からつま先までを眺めるように視線を動かし、それからまたソファーに腰掛けて資料を開いた。

 

「そうか……ふむ、最近見た新米の中では、一番真っ当な顔をしているな。悪くない。あんまりすぐに死なれてしまうと、私も寝ざめが悪いからな」

「そうなんですよ! 【ステイタス】もそれなりですし、きっとこの先彼は大きく名を――――」

「お前は少し黙っていてくれ。さて、ルドウイークと言ったか。冒険者になりたいとの話だったが、【恩恵】はもう受けてきているんだろうな?」

 

 来たか、とルドウイークの膝の上に置く手に力が籠った。設定自体は頭に入れて来てはいるが、自身はこうして嘘を吐くのに慣れていないのが実情だ。元来他者には誠実に接するように心がけてきたし、マリアや<加速>には何度『ルドウイークは腹芸に向かない』と笑われたことか。

 だがしかし、今回はそうは行かぬ。自身の為にも、エリス神の恩に報いるためにも、この嘘は必ず吐き通さねば。先程まで騒いでいたエリスも今や固唾を飲んでその様子を伺っている。それを見てルドウイークは自身に喝を入れて、自然体を心掛けながらニールセンの質問に答えていった。

 

「…………ああ。今朝【エリス・ファミリア】への【改宗】を終えて、後は【ギルド】の認可を待つばかりだ」

「【改宗】? すると元々別の【ファミリア】に居たのか?」

「【ラキア王国】……いや、【アレス・ファミリア】の所属でな。戦争という奴に疲れてね」

「ああ……私もあそこは好かん。徒に戦火を広げ、秩序を乱す愚か者どもだ。まぁ、全盛期の戦力も失った今、その内痛いしっぺ返しを食らうだろうがな。そこから抜けたのは賢明な判断だと評価しておこう」

「そう言ってくれると助かる」

 

 資料にルドウイークの証言を書きこみながらも疑う様子を見せないニールセン。覚悟していたよりも些かあっさりと窮地を切り抜けたルドウイークは、大物狩りとも呼べる激戦を制したかのような安堵を感じ、心中で胸を撫で下ろした。

 エリスもルドウイークの嘘をニールセンが疑わなかったのを見て、安心しきったようにソファにへたり込んでいる。だが、ニールセンはそんなエリスにちらと目を向けると、資料に視線を戻しつつどこか気遣うように言った。

 

「ところで、いいのかエリス神?」

「えっ!? えーっと……何がですかね?」

「もう昼を過ぎるぞ。もし遅刻したら、またマギーの奴に説教を食らうんじゃあないか?」

「…………あっえっもうそんな時間!? すみませんニールセン後お願いしちゃっていいですか!?」

 

 一瞬前までの訝しんでいた顔から一転、急に顔面蒼白となってあたふたしだすエリス。それを見てニールセンは口元を歪め、愉快でたまらないといった風な顔をして一度茶を口にした。

 

「ふぅ……いいだろう。だが、タダと言う訳には行かん。今度【鴉の止り木】で何か奢れ」

「えっ!? そんな事したらまた給料から天引きされちゃうじゃないですか!?」

「秩序を守るには多少の犠牲は必要だ。今回はそれが、お前の所持金だったと言うだけだ。それとも黙っていればよかったか? その時は手ひどく大目玉を食う事になっただろうが……」

「あーっやっぱ来るんじゃ無かった! ルドウイーク私は行きますからね!? 後はとにかくなんとかしてください!! じゃ!」

 

 それだけ言い残すと、エリスは脱兎の如く駆け出して部屋を飛び出し、あっという間に居なくなってしまった。その場に一人残されたルドウイークは、どう対応していいか分からず開けっ放しのドアを見つめるばかり。一方その姿を見たニールセンは、愉快でたまらないと言う風に口元を隠して笑った。

 

「まったく……お前も苦労するだろう? あのような主神では」

「………………付き合いがそう長いわけでは無いが、彼女には大恩がある。あまり悪くは言わないで貰いたい」

「律儀な男だな、良いだろう。ではそうだな……」

 

 その返答に満足そうに頷くと、ニールセンは開けっ放しのドアを閉めてから資料を一枚取り出し、ルドウイークへと差し出してソファーに座り机に両肘を立てて指を組んだ。

 

「まずは、【迷宮】についてお前がどれほどの知識を持っているか。それから試させてもらおうか」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「成程、それなりの知識はあるようだ……認めよう、その資格を。今この瞬間からお前は冒険者だ」

 

 昨日(さくじつ)エリスから教えられた知識を総動員してニールセンの質問攻めを何とか捌き切ったルドウイークは、体をそう動かしたわけでもないと言うのに肩で息をしながら机に置かれた茶を一気に飲み干した。それを見てニールセンは楽しげに笑い、傍らのポットの茶をカップに注いでやる。

 

「すまない、礼を言う」

 

 そう言ってその二杯目もすぐさま空にしたルドウイーク。ニールセンはそれを見て三杯目を注ぐことはせず、代わり机の資料を何枚か手に取って自身の目の前に広げて見せる。

 

「ふむ……エリスの奴も最初は浅い階層までにしておけ、と言っていたのだったな? とりあえずその程度の知識があるならば、私も最低限の安全は保障できる」

「そうか…………安心した」

「だが、これからすぐに【迷宮】に潜る気か? 確かに戦闘向けの服ではあるようだが……鎧などの用意はしてあるのか?」

「ああ。だが鎧やらを用意するのはひとまずは浅い階層でどんなものか試してみてからだな。昔からこの装束を着て戦って来たもので、鎧と言う物には不慣れなんだ」

「鎧に不慣れとは、本当に戦士だったのか? 珍しい男だ」

 

 ニールセンは知らぬことではあったが、ルドウイークが渡り合ってきた<ヤーナム>の獣たちは多くが恐るべき膂力を誇り、生半な鎧や盾など容易く引き裂くほどの怪物であった。故に<ヤーナム>の<狩人>達はその爪牙を躱すための軽装を重視し、鎧と言った重装の防具を身に付けることは無かったのだ。

 

 この世界特有の、特別な鉱石とやらで作られた防具であればまた違うのかもしれないが――――

 

 エリスから伝えられた知識から、ルドウイークは幾つかの可能性を思案する。だが、それでもルドウイークは慣れ親しみ、そして十二分な性能を持つこの装束を鎧に着替えようなどと言う考えを持ってはいない。

 しかしそれを揶揄されたことが自身の素性の露呈に繋がるのではという可能性に気づいて、彼は慌てて取り繕った。

 

「いや、私は鎧を着て自由に動けるほどの力を持っていなくてね。それについては置いておいて欲しい。ともかく、この装束が気に入っているんだ。なので問題は無い」

「あ、ああ……まぁ、どのような服装で冒険に出るかまでは、ルールに無い事だ。好きにするといい」

 

 その剣幕に押されたニールセンがあっさりとそれを認めるのを見て、ルドウイークは胸中で安堵した。しかし、ニールセンは更に質問を重ねて来る。

 

「それで武器は? その……大剣か? とにかく、その大きさの得物一つでは取り回しが悪いだろう。何か買っていくつもりなのか?」

「いや……あー……実は、【オラリオ】に来るために路銀は使い果たしてしまってな。今はほとんど無一文なんだ」

「ほう? 主神と揃って貧乏人か。悲しい話だ」

 

 そう皮肉るニールセンにルドウイークは曖昧な愛想笑いを返す事しか出来ない。すると、ニールセンは何かを思いついたかのように立ち上がって一度部屋を後にする。

 

 そして数分ほどして帰ってきた彼女は幾つかの包みを抱えており、早速机の上に包みを並べ出した。そこには短刀や軽防具を初めとした装備と、安物の治療薬(ポーション)を初めとした幾つかの消耗品が用意されている。

 

「これは餞別だ。持っていくといい」

「いいのか?」

 

 驚いたようにその品々を検めるルドウイーク。確かに、この装備があれば駆け出しの冒険者もある程度安定した狩りが見込めるのだろう。しかし、この世界に渡ってきたばかりの彼にこの装備の代金を返す余裕も保証もない。それをニールセンに伝えようとルドウイークが口を開こうとすると、それを察したかのように彼女は肩を竦めた。

 

「何、案ずることは無い。冒険を始める者への、ギルドからの支給品さ。だが、慈善事業でやっているわけでは無いからな。可能な限り返済してくれ。その代金の内訳は、今度エリス神に奢ってもらう時にそれと無く伝えておくよ」

「いや……ここまでしてもらえるとは、驚きだ。礼を言う、ニールセン。……もし私が死んだりしたら、その借金はどうなる?」

「理想としては生きて全額返済してくれる事だが、死んでしまったならある程度をエリス神に請求してそこまでだな…………まぁ、奴の懐事情は私も知っている。つまるところ、お前の頑張り次第、と言う事だ」

 

 あくまでドライに生死を語るニールセン。その姿勢にむしろ好感を抱いて、ルドウイークは彼女に対し出会った時とは逆に握手を求めた。ニールセンはそれを見てほんの一瞬呆気に取られるが、すぐに微笑を浮かべてその手を握り返した。

 

「ニールセン、貴方が担当で助かった。お陰で、何とかこの街でもやっていけそうだよ」

「それほどの事はしていないさ。お前の冒険に幸運がある事を…………そうだ、最後に警句を一つ伝えておこう」

「警句?」

 

 『警句』と聞いて、ルドウイークの体に緊張が走る。嘗て、<ビルゲンワース>の<ウィレーム学長>からゲールマン翁とローレンス殿に伝えられたという、ある『警句』が脳裏を過ぎったからだ。初代教区長ともなったローレンス殿が獣の愚かに呑まれたのも、その警句を見失ったからだとされている。

 

 しかし、当然の事ながら、ニールセンの語った警句はそれとは全く異なるものであった。

 

「――――『冒険者は、冒険してはいけない』。矛盾しているが、まぁ、死んだら終わり、と言う事だな。未来ある駆け出しに徒に死なれると、それだけこの街の秩序が乱れる。それを常に胸にして、冒険を謳歌するといい」

「承知した……では、私はここで失礼する。本当に助かった」

「ああ。早速死なぬよう、精々気を付けるといい」

 

 そう言って大仰な礼を見せるルドウイークに、腕を組んでいたニールセンは小さく手を振った。満足そうに顔を上げてルドウイークはニールセンに背を向けて部屋を後にして、彼女はそれを追い、荷物を持って応接室を後にする。

 

 すると、ギルドの入り口から外に抜けようとしていたルドウイークが速足でこちらへと戻ってきた。何事かと身構えるニールセン。その目前にまで迫ったルドウイークは自身の無知さを恥じるように少し顔を赤くして、ニールセンに頭を下げた。

 

「…………すまない。【迷宮】への道筋を教えてもらってもいいか? 如何せん、この街にはまだ不慣れでな……」

「そう言う事は先に言え……主神同様、世話の焼ける男だ」

 

 とんぼ返りして申し訳なさそうに言うルドウイークにひとしきり呆れた後、ニールセンはメモとペンを取って机に向かうのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

【名前:ルドウイーク】

【Lv:―(1)】

【二つ名:無し】

【所属:エリス・ファミリア】

【種族:人間】

【職業:冒険者、狩人】

【到達階層:0階層】

 

【スキル(狩人の業)】

・<加速>

 

【装備】

・<月光の聖剣>

・短刀

 

【防具】

・ルドウイークの狩装束

・ルドウイークの手甲

・ルドウイークのズボン

 

【アイテム】

・ポーション×1

・青い秘薬×3

・鎮静剤×1

・石ころ×10

・鉛の秘薬×2

 

・水銀弾×0

 

【秘儀】

・<エーブリエタースの先触れ>

・<精霊の抜け殻>

・<夜空の瞳>

・<聖歌の鐘>

・<彼方への呼びかけ>

 

 

 




原作勢で初めての登場となったのはエイナさんでした。

今回一人と名前だけ一人出ましたけど、今後もちょくちょく(?)フロムキャラを出してくつもりです。

好きなオペレータはファットマンとマギー、セレン姉貴、2AAのオペレータです。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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04:【迷宮一層】

初【迷宮】とか、14000字ちょいです。

何かもう見たことのないような評価の仕方されてこれ以上無くビビリ散らしております。

感想評価お気に入りしていただいた皆様ありがとうございます。そして誤字報告等して下さる皆様、ご苦労様です。



 【迷宮(ダンジョン)】。神が降臨する以前よりこの地にあり、このオラリオを【迷宮都市】として成り立たせている世界に唯一の存在。

 嘗てはここからモンスターたちが地上へと進出し、人々はそれを防ぐためにこの大穴を囲うように街を築いた。オラリオの原型である。

 

 それから千年以上、ここオラリオでは人々とモンスターたちの終わりなき戦いが続いていた。数多の階層が攻略され、それとは比にならぬ程の冒険者が陽の届かぬ場所で命を落とし、それでも【迷宮】は底を見せず、挑戦する人々が途絶える事も無い。

 

 新たなる年が明け、そう日が立たぬ今日もそれは変わらず、幾人もの冒険者達が各々の思いを胸にバベルの地下一階からダンジョンの入口に向かい、そしてその中へと消えて行く。それがまるで、怪物の口へと自ら飛び込むかのように思え、ルドウイークは地下へと向かう列の中に紛れ、唸るように溜息を吐いた。

 

 そうして俗に『始まりの道』と呼ばれる大通路、そして巨大な縦穴を螺旋階段で降りている内に、ルドウイークは階段の石の感触ではなく、土のような、石のような、どちらともつかぬ物へと足場が変化した事に気づく。それは【魔石】と似た素材で形作られた、ダンジョン特有の表面だ。

 

 この物質で構築されているダンジョンは、驚くべき事に生きているのだとエリスもニールセンも語っていた。まあ、生きていると言っても突如動き出したり、ダンジョンそのものが冒険者を押し潰そうなどとしてくることは無い。

 だがしかし、例えどれほど傷つけられようと原理不明の再構築現象を見せるその表面は、正しく生きていると呼ぶに相応しいのだろう。

 

 ――――このような現象は、聖杯ダンジョンではまずありえない事だったな。

 

 そう、ルドウイークは短刀で傷つけた壁が修復するのをまじまじと見つめながら思案した。それを周囲の冒険者が訝しげに、あるいは不思議そうに眺めつつ通り過ぎてゆく。その視線も大して気にせず、ルドウイークは『始まりの道』と第二層を繋ぐ最短ルート上から外れて、第一層の探索を開始した。

 

 

 

 

 

 ダンジョンの天井は、多くの階層で灯りが必要ないほど明るく輝き、冒険者とモンスターの区別なく彼らを照らしている。故に冒険者たちはランタンといった照明を携帯する事は普通無い。

 ルドウイークにとってのダンジョンとは薄暗く、あらゆる物陰にこちらを殺しうる獣が潜んでいる危険地帯であったため、その差異に些か違和感を覚え、星空の如く所々に燐光を輝かせるその天井を興味深そうに眺めていた。

 

 そして、彼が歩き始めて20分ほど。ニールセンからの餞別の中に紛れていた第一層の地図を広げ、自らの位置を確認するルドウイーク。既に『始まりの道』へと繋がる道からは十二分に離れ、周囲には冒険者は愚か、モンスターの一匹も見かける事が出来ない。

 本来であれば、ルドウイークは既にモンスターとの交戦を経験しているつもりであった。だが今日はいかなる理由によってか、人間に問答無用の殺意を向けるというモンスターの姿が鳴りを潜め、彼は些か肩透かしにされたような徒労感を覚える。

 

 しかしそれならばと、ルドウイークは一つの確認をするべく、左手を正面へと伸ばした。

 

 そして外套へと仕舞い込んだ<エーブリエタースの先触れ>を意識して小さな<交信>を行い、その左腕にまるで花が咲くような、神秘の噴出をイメージ。そして力を込める。

 

 ……だがしかし、ルドウイークの左腕には何の変化も無い。

 

 本来<エーブリエタースの先触れ>を用いた<秘儀>は<先触れ>を通じて<エーブリエタース>本体と交信し、その力を借り受けて無数の触手を出現させるものだ。ルドウイークは数ある秘儀の中でも最も顕著に空間を超えるこの秘儀に、自らがヤーナムへと帰還するヒントがあるのではないかと考えた。

 

 しかし、実際の所はその試みは不発と言う形で失敗に終わった。すぐさま、ルドウイークはその失敗の理由を考察し始める。

 

 一つ。時間的、空間的にあまりにも隔絶していたが故。これはもはや根本的問題であり、これが原因だった場合解決の手段は無い。

 

 二つ。触媒の不足。本来、秘儀には触媒――――血液を練り込んだ水銀弾が、秘儀に応じた数だけ必要だ。正確に言えば、神秘に対する強い適性を持つ血液が必要で、水銀弾とは体外でそれを手っ取り早く用意する手段に過ぎない。

 

 そして、狩人達には自らの血と意志を触媒として水銀弾の代用として扱う事の出来る血液製の弾丸を用意する技能が存在する。当然、それはルドウイークも修めている業だが、その血液弾は時間が経つと崩れて使いものにならなくなってしまったり、その為に自身の体力を大きく削る必要があったりと何のリスクも無しに使用できる業では無い。

 

 故にルドウイークは、そこまでして()()()触媒を用意しようとは考えていなかった。むしろ彼は、何かこの世界の品で水銀弾の代わりの触媒となる物が無いか、その可能性を模索している。

 

 その第一候補がダンジョンにてもっとも一般的な資源――――【魔石】だ。

 

 魔石はモンスター達が存在するための核となっている魔力の詰まった結晶の総称で、その大きさや内封されている魔力に差はあるが、おおよそ、強いモンスターであればある程その大きさも内包される魔力も跳ねあがってゆく。

 

 故に、強いモンスターが現れる下層に向かう事が出来る様になるに従って、魔石の換金を主な金銭の入手手段とする冒険者たちの稼ぎの量は飛躍的に高まって行くのだそうだ。さらに、モンスターは魔石を抜きとられたり、破壊されたりするとその場で黒い塵となって消滅する。その現象こそが魔石が彼らの核であるという説の証明にもなっている。

 

 それゆえに、窮地に陥った冒険者が全てを賭けた一撃でモンスターの魔石を破壊し、それによって奇跡的に生還する――――そんな類の話はオラリオでは有り触れた話だ。もっとも、実際にはそれを成せず死んでいった冒険者の方が遥かに多いのだろうが。

 

 そう言った情報をエリスやニールセンから得たルドウイークが、ひとまずその魔石を触媒にして秘儀の発動か可能かどうか試そうとするのは、ある意味自然な発想だったと言えるだろう。

 

 ルドウイークは精霊との交信を丁寧に切断し、今度はモンスターの姿を探してダンジョンを歩き出した。まずは、彼らのその強さの程を丁寧に確かめる必要がある。今朝のエリスの喜びようからして遅れなど取らないはずであるが、あの獣の跳梁跋扈するヤーナム、そして未知のひしめく聖杯ダンジョンを踏破したルドウイークは格上が格下によって無惨に殺される事など、よくある事だと知っている。

 

 むしろ、格上に勝つのが相当難しい事だとされるこのオラリオの常識はルドウイークの肌に余り馴染むものでは無かった。何せ彼ら狩人は時に、人を遥かに上回る膂力、狩人さえ到底及ばぬ敏捷性、恐るべき能力による搦め手と言った、自身よりも遥かに強大な能力を持つ獣を相手に打ち勝ってきたのだから。

 

 するとその時、ルドウイークの目前で壁が崩れ、中から一匹の【ゴブリン】が生まれ落ちた。壁から転がり出たそのゴブリンは起き上がると、近くに居たルドウイークに対して大きな口を開け、咆哮して見せる。それをルドウイークは光纏わぬ月光で頭から真っ二つにして殺した。

 

 幸運にも、何が起こったかさえ理解できなかったであろうゴブリンの死体は、ルドウイークが剣を振り下ろし終えてからしばらくして思い出したかのように重力に引かれて崩れ落ちる。

 

 その様を真剣に見届けたルドウイークはその体から魔石を取り出そうと短刀を抜き屈みこんだが、その前にゴブリンの死体は黒いすすのように崩れ落ちて消えてしまい、そこには粒ほどまで砕かれた魔石の欠片のみが残された。それを見たルドウイークは、複雑そうな顔で顎に手をやって少し悩んだ。

 

 ――――輝きを纏ってはいなかったが、それでも強すぎたか。

 

 次はもう少し力を抜こうと決心したルドウイークは、曲がり角から現れた【コボルト】の胴体を光纏わぬ月光で貫き、胸ごと魔石を吹き飛ばして殺した。

 

「ふむ……」

 

 上手く行かぬ。嘗て獣と戦っている時は、いかにして素早くその命を奪い葬送を成すかが肝要であり、わざわざ弱点へ攻撃せずに戦うなどと言う発想自体が想像の埒外であった。故に、どうしても致命に足る一撃を放とうとしてしまい、それが災いして入手するべき魔石を破壊してしまっている。

 

 ……ならば、次は剣の背を打ち付ける事による撲殺を狙うべきか。真剣に悩むルドウイークの前に、今度は二体のゴブリンが姿を現す。ルドウイークは月光を構え、無慈悲に無知なる彼らへと飛びかかった。『試行錯誤』が始まった。

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 それから四時間ほど経って、両手の手甲を血で真っ赤に染めたルドウイークは第一階層の更に端を目指していた。

 

 そもそも、輝きを纏わせずともこの階層の敵に対して<月光>による攻撃は威力過剰であると気づく頃には、その背嚢にはモンスター達が低確率で落とす素材、俗にいう所の【ドロップアイテム】がそれなりに溜まり、初めてダンジョンに潜る冒険者が稼ぐ金額としては十分過ぎるほどの稼ぎを得る事が出来ていた。

 

 故にルドウイークは今回の探索をこの程度にして帰還する事を選択する。本来であれば、魔石を使っての秘儀の発動の可否を試すつもりであったのだが、明らかに切迫していたエリス神の金銭事情を鑑みて、今回は金銭的な報酬の入手へと彼は舵を取ったのだ。

 が、その前に秘儀とは別にもう一つ試さねばならぬ事を思い立ち、より人目の無いであろう場所を目指してルドウイークは歩みを進めている。

 

『ガアアアッ!』

 

 飛びかかって来たゴブリンの頭蓋にかつての同業、<のろま>と呼ばれた女狩人の如き拳を叩き込んで昏倒させたルドウイークは、その胸元に短刀を突き刺し魔石を引き抜いてからまた歩き出す。その後ろで、ゴブリンの骸がまた黒いすすのような物へと変わって崩れ落ちた。

 

 この第一層の危険性は、ルドウイークからすれば聖杯の一つ、<トゥメル>の最も浅い層にも等しいものであった。ゴブリン、コボルト、彼にとってはどちらも恐るるに足るものでは無い。

 

 また、本来ルドウイークは月光の聖剣以外にも自らの名を冠した長剣を有し、平時はそれを操る事で月光の露出を極力抑えてきた。しかし、此度は全くの未知なる世界における初めての狩り。

 故に彼は狩人の鉄則の一つである『獣に対し手を抜くべからず』と言う警句に忠実に、真の姿こそ晒さぬものの月光を振るいながら迷宮を駆け抜ける事で既に百に届こうかという数のモンスターを殺害していた。

 

 最終的に、彼はこの第一層においては月光を抜く必要性は無く、鍛え抜かれた狩人の身体能力のみで如何様にもなると判断した。その為、既に一時間以上月光はその背に負われたままだ。

 

 そのうちルドウイークの歩みは行き止まりへと辿り付いた事で終わりを告げる。そこで彼は周囲を注意深く観察して近くに誰も居ない事を確認すると、月光を抜いて、その背をゆっくりと掌で撫ぜた。

 

 だが、そこに導きたる光刃が現れる事は無い。月光は担い手であるルドウイークの意思以上に、時と場所、そして相手を選ぶ。かつてもそうであった。月光がその真の姿を晒すのを許すのは多くの場合、凄まじき強敵と対峙した時や、それを振るう以外に切り抜けようが無い窮地など、ごく僅かな機会のみであった。

 

 しかし、それでもルドウイークはこの月光の聖剣を深く使いこなしている。それはその導きゆえか、あるいは、彼が探索の中で得てきた啓蒙がそうさせるのか。その答えはルドウイークさえも知らぬ。

 

 分かっているのは、宇宙よりの色、翡翠色の光刃を纏った月光は正しく純粋な神秘の塊であり、物理に拠らぬ何らかの法則で敵を薙ぐ力を得る事。そして<秘儀>に類似した数多の技の発動を可能とする、と言う事だ。この数多の技……<戦技>とも呼ぶべきそれは、秘儀と良く似たものであるにもかかわらず、ルドウイークが触媒を必要とする事は無かった。

 

 ルドウイークはその理由を、自らの強く神秘への適性を持つ血の成せる業か、あるいは昏い夜の中でこの月光と結んだ(えにし)による物だと考えている。だが、真実はまたしても不明瞭なままだ。それだけではない、この月光の聖剣は、持ち主であるルドウイークでさえ知らぬ秘密が無数にある。

 

 だが、未知の塊であるはずの月光の聖剣に対し、ルドウイークは絶大な信頼を置いて来た。

 しかしあの<時計塔>或いは<実験棟>での探索で事情は変わってしまった。あの、<医療教会>の闇の中で垣間見た導きの真実の一端。それによって心の軋んだルドウイークは時計塔の頂点に座した友に自らの長銃を砕かれ、長剣を折られ、最後には首を抉られて<死体溜り>へと落ちる事になったのだ。

 

 それでも、導きの月光は彼と共にあり、あの悪夢の中でも人を取り戻した獣によって確かに振るわれた。故に、ルドウイークは未だに月光を背負いゆく。それが正しかったのか、間違っていたのか。未だにその答えは暗い夜の中に隠れて見通せぬ。

 

 しかし、その導きを信じたが故に救えたものが、確かにあったのだから。

 

 しばらくその場で月光の聖剣、その芯たる大剣を眺めていたルドウイークは、輝きを見せることの無かったそれを流れるように背に戻して、帰路に就くべく踵を返した。

 

 ――――その時、突然彼の周囲を囲むように四体のコボルトが生まれ落ちる。その瞬間から既に目の前のルドウイークを認識していたコボルトたちは着地と同時に間髪入れず、それぞれの鋭い爪を閃かせルドウイークに飛びかかった。

 

 しかし、それをルドウイークは容易く把握して回避する。彼は最も近くのコボルトへと跳ね飛び、その爪が振り下ろされる前に手首を掴み取って思い切り地面に叩きつけた。

 次に真正面から迫るコボルトが爪を振るうがその瞬間にはルドウイークは爪の軌跡より一歩外側に立っており、爪が振り抜かれ隙が生まれた時には低空の跳躍を見せたルドウイークの槍じみた蹴りがその顔面を射抜いていた。

 

『ギャンッ!』

 

 その蹴りの威力に宙を舞ったコボルトが壁に叩きつけられ悲鳴を上げる。それを見て激昂したもう二体はここぞとばかりに前後から同時に襲い掛かった。

 

 そこでルドウイークは左足を大きく後ろに下げつつその勢いで上体を回転させ、後方のコボルトの下あごに思い切り裏拳を叩き込んて空中できりもみ回転させた後、自身の回転の勢いをさらに強め、正面に居たコボルトの肋に後ろ回し蹴りじみて踵を叩き込んだ。

 悲鳴を上げることも出来ずに二体のコボルトは勢い良く地面に叩きつけられ、ピクピクと泡を吹いて痙攣する。

 

 その様子を見てルドウイークは淡々と短刀を取り出して彼らから魔石を抜き取ると、それを背嚢へと放り込んで何事も無かったかのようにその場を後にするのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 地上に出たルドウイークは、夕暮れの陽を浴び景色の一変したオラリオで早速道に迷い、本来かかる時間の倍の時間をかけてようやく【ギルド】への帰還を果たした。そこには昼と違って、換金の順番を待つ者やそれぞれの相手と談笑するもの、ソファーで居眠りをする者など、多くの冒険者がたむろしていた。

 

 彼らに見咎められぬよう手甲を外し背嚢に放り込んだ後、周囲を興味深そうに眺めながらルドウイークも此度の探索の成果を換金するために換金所に並ぶ列の後ろへと並ぼうとした。しかしその前に一人の受付嬢が立ち塞がる。

 

「戻ったかルドウイーク。壮健そうで何よりだ」

「お陰様でな、ニールセン。あの短刀と地図は大層役に立った。改めて、礼を言わせてもらおう」

 

 そう言って、ルドウイークは大仰な礼をして感謝の意を示した。しかし、それが一気に衆目の視線を集めた事でニールセンは何とも言えぬ気持ちになって、ルドウイークの襟を引っ掴んで受付の隅にあるソファーへと引きずって行った。

 

「……まったく。お前には羞恥心という奴が無いのか? 目立つ事に無頓着すぎる。巻き込まれる身にもなってみろ、生きた心地がしなかったぞ」

 

 ルドウイークはその言葉に、かつてヤーナムの市井より募った狩人達の先頭に立って、彼らを指揮していた時代の事を思い出した。あの時代、獣の叫びに負けぬ程の大声を上げつつも自ら先頭に立って彼らを鼓舞し、そして皆で多くの獣を狩っていた。当時が恐らく、狩人達の犠牲が最も少なかった時代に違いない。

 

「生きた心地、か…………実際に死ぬよりはマシだろう。とりあえず、まずは換金に行かせてくれ。魔石の引き取り額によっては、この短刀やらの借金をそれなりに返せるかもしれない」

「ほう? 初めてのダンジョン、しかも半日程しか潜っていなかった割には言うじゃないか」

「いや、運が良かったお陰だ。次はこうもうまくは行かないだろう」

「ふむ……謙虚なのは良い事だ。これからもその調子で、うまい事やっていってくれ。それ、人も捌け始めたし、さっさと換金を終えてくるといい。引き留めて悪かったな」

 

 それだけ言い残すと、ニールセンは立ち上がって受付の奥へと向かって行く。だが、昼のルドウイークがそうしたように途中で踵を返して戻ってくると、その厳格そうな雰囲気とは打って変わって、何処かいたずらっぽく笑って言った。

 

「一つ言い忘れていたがな、エリスにはどれだけ稼げたか…………そうだな、5000ヴァリス以上稼げていたようなら、少し少なめの金額を申告しておくといい。正直に伝えると泡を吹いて倒れて、しまいには自分も冒険者になるだとか騒ぎだすぞ」

「…………忠告、痛み入る。一応、心に留めておこう」

 

 ルドウイークの返答を聞いて満足そうにしたニールセンは、今度こそ受付の奥へと消えて行った。ルドウイークもそれを見送った後すぐに立ち上がると先程から随分と短くなった換金所の列へと並んで、黙って自身の順番を待つのであった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ギルドから出たルドウイークは、真っ直ぐエリスの家に戻る事は無く、当てもなく大通りやその一つ裏の通りをうろつくなど、何処か気ままにその日の夜を過ごしていた。

 

 その理由はギルドで行った換金にあった。ニールセンは5000と言っていたが、実際にはドロップアイテムが大層手に入ったおかげで合計した金額は7000を越え、このままの金額を丸々持ち帰るとエリスの精神衛生上に良くない影響を与えるとルドウイークは判断したからだ。

 

 この金をどうしたものか。その使い道を考えながら、ルドウイークはオラリオの通りを当ても無く彷徨う。だがしかし、自身がオラリオに詳しくも無く、かつ文字を読めないことをすっかり失念していたルドウイークは結局上手い使い道を思いつくことも無く、かといって人に聞くことも出来ずにただただ街の喧騒をすり抜け、時に立ち止まってそれを眺めるばかりだ。

 

 確かに、こうして夜となっても人々の活気が溢れる街と言うのは、とても新鮮で、いいものだとは思うのだが……ニールセンに【鴉の止り木】とやらの場所だけでも確認しておくべきだったな……。

 

 彼がそう一人ごちて、一旦ギルドへ戻ってそこからエリスの家へと向かおうかとした時、行き交う人々を捉えていたその視界の端に、ありうべからざる細い光が映る。

 

 ――――光の糸。月光の齎す、導きの輝き。

 

 その導きは、今までルドウイークが見た導きの中でも最も緩く、か細い糸であった。

 真に必要な時、導きの糸はルドウイークを強く強くそちらへと導き、運命へと手繰り寄せる。だが今宵見たそれは、そんな抗いがたいようなモノなどどこにも無い、揺蕩う一本の細い糸であった。

 

 しかし、それをルドウイークは追わずには居られない。

 

 その先に何があるのか、誰かが自分を待っているのか。あるいは何かが起こるのか、起こっているのか。誰かが助けを求めていたこともあった。自身が戦わねばならぬ獣が待ち受けていた事もあった。故に、ルドウイークは導きを追う。

 窮地に陥って居る者がいるのか、あるいは、ヤーナムへの帰還の他がかりがそこにあるのやも知れぬ……!

 

 そんな焦燥感と共にルドウイークは足早に人ごみをかき分けて、大通りから路地へと飛び込む。しかし、その時には既に導きは姿を消し、そこに残されたのは大通りの魔石灯に僅かに照らされる自身のみであった。彼は首を巡らせ導きの糸を探してみるが、最早影も形も無い。

 

 その事実にようやく気付いて、認めて、ルドウイークは残念そうに肩を落とした。

 

「ヘイ! そこの上から下まで真っ白な服の君! ちょっといいかい!?」

 

 その落胆した背中に間髪入れず、場違いとも言えるほどに明るい少女の声がかけられた。だがルドウイークはそれを自分に向けてのものとは考えず、そちらへ振り向きはしない。それに痺れを切らしてか、声の主はどこか切実な声色でルドウイークへと呼びかけた。

 

「君だよ君、そこのビックリするくらいガタイのいい君!」

「……私かね?」

 

 そこまで言われて、ようやくルドウイークは首を巡らせる。その視線の先に居たのは、小柄な人影。大通りの魔石灯の光が逆光になって、その姿は判別しづらい。だが、その身から溢れる神威と先ほどの声から、辛うじてその人影が女神である事はルドウイークにも理解できた。

 

「君さ、さっきからその辺を行ったり来たり! と思ったら突然走り出してこんな路地に飛び込んじゃって! 何か悩みでもあるのかい? ボクでよければ、話し相手になってあげてもいいぜ!」

 

 そう、朗らかに言う女神は嘘をついているようにはルドウイークには思えなかった。だが真実を語る訳には行かぬ。故にルドウイークはその女神を誤魔化そうと、出まかせを口にする事にした。

 

「…………いや、特に何も。人混みは苦手でね、少し落ち着きたくなっただけだ」

「嘘だね」

 

 そのルドウイークの杜撰な嘘は、即座に看破された。

 

「流石に、そこまであからさまに嘘吐かれるとは思わなかったよ! でも、ボクはただの女の子じゃなくて神様だからね、それくらいすぐ解っちゃうのさ」

「…………しまったな」

 

 そこでようやく神に嘘が通じぬ事をルドウイークは思い出し、苦々しく眉間に皺を寄せた。そんな彼の様子を見かねて、その小柄な神はルドウイークの元へとぱたぱたと足音を立てて走り寄って来た。

 

 近くに来て、ルドウイークの目にもその女神の姿形がようやく見出す事が出来た。エリス神とは対照的な黒い髪を左右対称に結い、またしても彼女と真逆の肌を多く露出した丈の短い白のドレス。そして、二の腕に結ばれた青いリボンに支えられたその胸は、エリス神とは比べ物にならぬ程豊満であった。

 その女神はまた一歩ルドウイークの方へと近寄って、上目遣いにその眼を見て笑いながら自己紹介した。

 

「まぁ、いきなり声を掛けたのも悪かったかな? ボクは【ヘスティア】。【ヘスティア・ファミリア】の主神をやってるんだ。君は?」

「<ルドウイーク>だ」

「ルドウ()ーク?」

「ルドウ()ークだ」

「ああ、ごめんごめん。ちょっと言いづらくてさ」

「……何故なんだかな。皆、同じ事を言う」

 

 このオラリオに来て僅かな間に全く同じやり取りを何度も経験したルドウイークは、流石にそろそろうんざりして悩ましげに呟いた。しかし、ヘスティアはそんな彼のつぶやきも気にする事無くさらに彼に歩み寄り、彼を見上げて小首を傾げた。

 

「ところで、話は戻るけどさ。こんな所で何してたんだい? 路地裏って、何だかんだ危ないからね。夜踏み込むのはやめた方がいいぜ」

「…………少し、探し物があってな。内容は言えないが、大事なものなんだ」

「ふぅん。それって、すぐ見つかるような物なのかい?」

「いや、そうそう見つかるようなものでも無い。ともすれば、永遠にな」

 

 神は嘘を見抜くが、その裏にある真実までは見通せぬ。そのルールを既に理解していたルドウイークは、先ほどの二の轍を踏まぬよう皮肉めいた言葉廻しで、嘘を吐かぬように慎重に答える。その彼の言葉に、ヘスティアは何の違和感も持たなかったように腕を組んでうんうんと唸った。

 

「探し物かー……ある意味じゃあ、ボクと同じだね」

「同じ?」

「実はボクは今、【ファミリア】に入ってくれる子を探しててね…………もし君さえ良ければ、ウチの【ファミリア】に来ないかい? まだ作ったばっかの【ファミリア】なんだけど、寝床くらいは保証してあげられるぜ?」

 

 悪意の欠片も見せず、ウインクをして親指を立てるヘスティア。その誠実さの伝わる有りようは、ルドウイークにとって実に好ましい物だった。しかし、既にエリスと言う主神を戴くルドウイークはその誘いに残念そうに首を振る。

 

「申し出はあり難いが……私は既に【ファミリア】に所属していてね。残念だが、主神の許可も得ずに他の【ファミリア】の【本拠地(ホーム)】に足を踏み入れるのもまずいだろう」

「えっ、君、もう【ファミリア】には入ってるのかい!? 当てもなくふらついてる感じだったから、オラリオに来て日が浅くてどの【ファミリア】に入ろうか迷ってるのかな、って思ったんだけど………………」

「……確かに、私は今日でこの街は二日目だ。ヘスティア神、貴女は素晴らしい慧眼を持っていると言っていいだろう」

「えっ、そうかい? いやー、そう褒められると照れちゃうなぁ~」

 

 心からの賛美を受け取って、本当に照れくさそうに頭に手をやりどこか誇らしげにするヘスティア。それを見て、ルドウイークはどこか自身の主神に通じるものを感じ、思わず小さく笑った。

 

「神々と言うのは、本当に楽し気で愉快な者たちだな。ウチのエリス神も、貴女のようにもっと素直ならいいのだが」

「エリスぅ?」

 

 ルドウイークの口から出た名前にヘスティアは一瞬眉を寄せて、それから何がしかを思案するように口元に手をやり小さく唸った。

 

「そっかぁ、エリスかぁ…………ルドウイーク君、良ければあいつに、よろしく言っておいてもらっていいかな? 実はあいつとは同郷でさ。ボクよりずっと先に地上に降りたのは知ってたんだけど、あいつもオラリオで【ファミリア】の主神やってたんだね」

「ふむ……わかった。彼女にはヘスティア神がよろしく言っておいてくれと言っていたと伝えておく」

「うん、頼んだよ。じゃ、ボクはここで失礼させてもらおうかな。早くボクの【ファミリア】に入ってくれる子を探さないと! それじゃあね!」

 

 それだけ言い残すと彼女は手を大きく振りながら大通りへと向け小走りに立ち去って行った。その姿が視界から消えるのを待ってルドウイークは小さく振っていた手を下ろし、つぶやく。

 

「ヘスティア神、か…………」

 

 エリス神とは違う意味で、愉快な神だったな。人混みに紛れて行ったその後姿を想起しながら、ルドウイークはそんな事を考える。そして、その裏にあるもう一つの思考。もしや、彼女との出会いが、導きの意図したものだったのだろうか?

 

 だとすれば、今私とヘスティア神が出会った事に、何の意味がある?

 

 立ち尽くしながら、しばらく幾つもの可能性を脳裏に巡らせていたルドウイーク。しかし、結局は有力そうな答えを思いつかず、一先ずギルドへと戻る事にするのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「あ、ルドウイーク! おかえりなさい、ずいぶん遅かったですね」

 

 ダイダロス通りの端、大通りからすぐの場所にある家の居間で、エリスはルドウイークの帰りを歓迎した。しかしそれに対して、ルドウイークは困惑したような視線を向け、彼女の目を睨みつける。その視線に押されて、エリス神は一歩後ずさった。

 

「えっと……私の顔にゴミでも付いてます?」

「エリス神」

「はい?」

「ここから通りまで、朝は五分ほどで辿りついたな?」

「ええ、はい。それが何か?」

「通りからここまで、三十分以上かかった。これは一体いかなる神秘だ? もし理由を知っているのなら、その秘密を教えて貰えるかね?」

 

 不思議そうに、しかしどこか威圧的に尋ねるルドウイークに、エリス神はしまったと言わんばかりに口元を隠した。

 

 ダイダロス通りはその設計者である奇人ダイダロスによる度重なる区画整理によってもはや複雑怪奇な真なる迷宮と化しており、慣れ親しんだ者でなければまず遭難する。むしろ、ルドウイークが三十分程度で辿り付けたのが奇跡的な事なのだ。

 

 だが、その真実を伝えようと言う想いなどエリスには無く。彼女はこの後の事を考え、ルドウイークに糾弾されるのは少し嫌だなと考えて姑息にも開き直って誤魔化す事にした。

 

「いえ知りませんけど? ルドウイーク、単に道を間違えたんじゃないですかね? 仕方ない人ですねえ、明日、私がこの辺を案内してあげますのであり難く思ってください」

「ぬう……わかった。地理を知らぬというのは、間違いなく困るからな……よろしく頼む」

「ええ。分かればよろしいです」

 

 普段と変わらぬ顔でそう答え、咄嗟に恩を売る事にまで成功したエリスは心の底で盛大にガッツポーズした。一方ルドウイークは、不服そうな顔でソファに腰掛け背負っていた背嚢を机の上に放り、そして月光の聖剣を下ろしてソファの後ろに立てかけた。

 

「おっと、それが今日の収穫ですか? 拝見しても?」

「ああ」

 

 心うきうきと言った様子で、エリスは背嚢を開き、机の上に詰められていたヴァリス硬貨をざらざらと放り出す。その大きさを揃え、重ね、そして数え終えたエリスは、満足そうな満面の笑みを浮かべ、硬貨を別の袋にジャラジャラと移し替えた。

 

「4000ヴァリスとは……初めてにしてはすごいですよ! まあ、ちょっと時間の割には少ないんですけど、最初の探索でこれなら十分です! あーよかった、これでしばらく食いつなげますよ……」

 

 どこか安堵したようにエリスは胸を撫で下ろす。ルドウイークはその姿を見て、ニールセンの言葉を思い出す。彼は自身の外套の雑嚢の一つに本来の換金額との差額、3000ヴァリスを仕舞い込んで誤魔化していたのだが、今回はそれをエリス神に教えるつもりは無かった。

 

 その内、実際の報酬に小出しに足していけばいいだろう。そう独りごちている内に、エリス神は部屋の隅に置かれていた包みを手に取って、また彼の向かいのソファーに腰を掛けた。

 

「エリス神、何だねその包みは?」

「気になりますか? ふふふ、実はですね……」

 

 ルドウイークに問われたエリスはその反応を待っていたとばかりに笑い、包みの結び目に手をかけ一気にそれを解いた。

 

「おお、これは……」

「ええ、見てください! 【鴉の止り木】亭自慢の品の数々です!」

 

 そこには、湯気こそ立っていないものの、<ヤーナム>ではまず見る事の出来なかった美味であろう料理の数々がひしめいていた。

 

「この揚げ物は何だね?」

「それは【じゃが丸くん】です! それだけは私が買ってきました!」

「この肉は? ここまで脂の滴る肉はヤーナムには無かった」

「これは【鴉の止り木】亭名物の……名前は忘れちゃったんですけど、豚肉をなんかいろんなものを入れた脂の中で何かいろいろして、表面をきれいに焦がした物です! 味に関しては保証しますよ!」

「説明が下手では?」

「はいそこ茶々を入れないで下さい! ……それで、こちらのパンは【鴉の止り木】で料理やってる神が丹精込めて焼いた品で、第二の名物と呼ばれています! 正直私も頂けるなんて思ってませんでした!」

「神の作った食事か、興味があるな…………しかしエリス神。懐が寂しかっただろうに、どうやってこれほどの品を?」

 

 ルドウイークがそうエリスに尋ねると、彼女は誇らし気に腕を組んで笑い、その顛末を語り出した。

 

「いえ、実は今日働いてる時に、私の【眷族】が初めてのダンジョン探索に出かけたって言うのをそれとなく同僚の子に伝えたんですよ。そしたら彼は私の目論見通り、料理担当に話を通してくれたみたいで帰りに頂いたんです! 持つべきものは情の深い知り合いですね…………」

「……………………エリス神。いろいろ言いたい事は有るが、とりあえず後で【鴉の止り木】の場所を教えてくれ。謝罪したい」

「なんでですか!?」

「当然だろう……」

 

 呆れたように呟くルドウイークに、エリスは全く訳が分からないという風に声を荒げた。それを見て、ダンジョンに潜る前にニールセンが『苦労するだろう?』と言っていた事を思い出してルドウイークは顔を覆う。その様子を見て、しかしエリスは気にせず机の上に皿を並べ、上機嫌そうにルドウイークの分の料理を取り分け彼の前に差し出した。

 

「そんな複雑そうな顔しないで下さい! とりあえず、今夜は貴方がダンジョンから無事帰ってきたお祝いです! お酒は無いのが残念ですが、とりあえず食べて食べて食べまくりましょう! あ、でも明日のご飯もこれでどうにかするので食べ切りはしないようにして下さいね!」

 

 その満面の笑みに、先程まで憮然としていたルドウイークは一つ溜息を吐き、それから素直にその皿を手にとって、小さく微笑んだ。

 

「…………ああ、そうだな。ありがとうエリス神。私の為にこの食事を用意してくれたのは、素直に嬉しいよ」

「いやぁ~それほどでも…………さ、いただきますして、食べ始めましょう?」

「ああ……いや、そう言えば一つ伝えるのを忘れていた」

「なんです?」

「ヘスティア神からの言伝でな、『エリスによろしく伝えておいてくれ』と」

「んなっ!?」

 

 それを聞いて、エリスの顔にさっと朱が差す。そして、彼女はルドウイークを問い詰めるように身を乗り出し、矢継ぎ早に質問を繰りだして来た。

 

「何処で会ったんですか!?」

「確か、ギルドのある通りと、酒場や宿が密集している通りの近くだったかね」

「あいつ、【ヘファイストス】の所でぐーたらしてるんじゃなかったんですか!?」

「知らんが、【ファミリア】を作ったと言っていたぞ」

「なんですって!? あのおせっかい焼きめ……! 天界では、何度あいつに私の楽しみを阻止されたことか……! ずっとヘファイストスの所で駄女神やってればよかったのに!」

「何でも【ファミリア】にまだ誰も所属していないらしくてな。【眷族】にならないか誘われたよ」

「なんて答えたんですか!?」

「断ったよ。私の神はエリス神だからな」

 

 それを聞いてエリスは一瞬顔を真っ赤にした後、自身の頬を両手で張って少しクールダウンし、胸を撫で下ろしながらソファに戻った。

 

「で、ですよね……と言うか、あいつ誰も【眷族】が居ないんですって?」

「本人はそう言っていたよ」

「あっ、ふーん…………じゃあいいです。今度会ったら鼻で笑ってやりますので」

「……まぁ、それは貴女たちの問題だ、好きにしてくれ」

 

 呆れてぞんざいな答えを返したルドウイークに気付く事も無く、エリスは熱の籠った瞳でぶつぶつと何やら呟いている。それを見たルドウイークは、今度はこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。

 

「エリス神、そろそろ食事にしてもいいかね? これ以上冷めるのはちとうまくないぞ」

「……えっ、あっすみません。それじゃあ食事にしましょう!」

 

 言ってエリスは目を閉じ、食事に対して小さく祈りを捧げた。ルドウイークもそれに倣って目を閉じる。

 

 その瞼の裏に、この世界に来てからのいくつかの光景が浮かんでは消えて行った。初めて窓から眺めた、この街の賑やかな夜景。コロコロ表情を変える【ファミリア】の主神エリス。人々の行き交う大通り。皮肉っぽい笑みの【ギルド】の受付嬢ニールセン。星空の如く煌めく【迷宮】の天井。見ず知らずの相手にも明るく振る舞うヘスティア神。

 

 ヤーナムに居た頃は、この様な友好的な人付き合いなどほんの限られた者としか出来ないのだと思っていた。しかし、まだ二度目の夜も越えぬうちにこうなのだ。これから、自分はこの街で、どのような経験をしてゆくのだろう? どのような者達と出会って行くのだろう? そして、ヤーナムへと戻る事は出来るのだろうか……いや。

 

 ――――その時が来たとして、自分はヤーナムに戻りたいと思うのだろうか?

 

 ルドウイークは頭を振ってその考えを脳裏から追い出した。その姿に既にパンを頬張ろうとしていたエリスが不思議そうな目で彼を見つめている。

 

 ……ひとまず、エリス神に出会えたのは幸運だったな。

 

 彼女の顔を見たルドウイークは何となく満足げに笑い、自らも食事へと手を伸ばすのだった。

 

 

 




やっぱ原作キャラの口調エミュレイションが甘い気がする……もっと読み込まなきゃ(使命感)

それはそうととりあえず一区切りです。
考えてはあるので筆が乗れば続きも書くと思います(気分次第)

好きなフロムゲーのおじいちゃんはファットマン(すべてがすき)、一心様(宗教上の理由で声にやられた)、ゲールマン(とても楽しかった)です。

今話も読んでいただき、ありがとうございました。


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05:【サポーター】

冒険したり街をふらついたり、12000字くらいです。

投稿から一週間でお気に入り1700とか総合評価3000到達とかもうどうビビればいいか分からんですね……。


感想評価お気に入り誤字報告等して下さった皆様、ありがとうございました。
特に誤字報告してくださった方ね! 前回キャラ名間違えてましたからね!
本当にありがとうございました!


 ――――ルドウイークが初めてダンジョンに潜ってから、二週間が経とうとしていたその日。変わらず、彼は【迷宮】に居た。階層は第三階層。

 既に探索の開始から3時間を過ぎたそこで、彼はエリスの精神に手ひどい傷を負わせぬために外套の雑嚢に隠す事で溜め込んでいた12000ヴァリスを使いようやく手に入れた長剣、それを天井や壁を縦横無尽に移動するトカゲ型のモンスター、【ダンジョン・リザード】相手に振るっている最中であった。

 

 茶色の鱗を持つダンジョン・リザードが天井から跳躍しルドウイークを狙うも、彼は横にステップを踏んでそれを回避し地面に叩きつけられたそのトカゲの首を横薙ぎに切断する。さらに壁を走り抜け、彼の後ろへとすり抜けようとした個体の背に杭じみた蹴りを放ってその胴体を踏みつぶし、またしても容赦なく首を切断した。

 その首が転がるのも気に留めず素早く正面を向いたルドウイークの前には既に跳躍したダンジョン・リザードが2体。しかしルドウイークはその2体の間に出来た間隙をすり抜けるように跳ね抜け、それと同時に放っていた横薙ぎによってその双方を一息に殺害せしめる。

 

 その2体を最後に、彼が相手をしていたダンジョン・リザードは全て殲滅された。だが彼は止まらぬ。すぐさま踵を返すと、後方で7体ものコボルトを相手にしていた二人組の元へと馳せ参じ、その内の一人、ルドウイークと同じく――――と、言っても明らかにあちらの方が『良い』ものであったが――――長剣を握りしめたエルフの少女に襲い掛かろうとしていたコボルトの顔面に一閃を食らわせてたたらを踏ませると、そのまま胸の魔石を切っ先で貫いて灰へと帰した。

 

「ルドウイークさん!」

「後6匹、切り抜けるぞ!」

「はい!」

 

 二人のそんなやり取りに応じるように、残り6体の内4体のコボルトを相手取っていたドワーフの青年が斧槍(ハルバード)を構えて回転し周囲のコボルトたちを弾き飛ばす。それに乗じてルドウイークは一体のコボルトに肉薄し、エルフの少女は逆にコボルトを迎え撃った。

 

 ルドウイークは爪の届かぬ距離から剣を振るいコボルトを追い立て、反撃しようと相手が前傾姿勢になった瞬間にその胸を斬りつけて怯ませた後、懐に潜り込み傷口に右腕を突き立て、返り血を浴びぬよう丁寧に魔石を摘出して殺す。そしてすぐさまドワーフの青年の援護へと向かった。

 

 エルフの少女はコボルトの攻撃に合わせて後ろへと下がる事で間合いを調整しつつ機を伺う。一回、二回、三回。立て続けに攻撃を回避され焦れたコボルトは踏み込みつつの大振りな爪の薙ぎ払いで決着をつけようとした。

 その瞬間、少女は目を見開き爪を紙一重で回避、伸びきったその腕を大上段から振り下ろした長剣で切断する。そしてがら空きの懐に飛び込んで下からその頭蓋を串刺しにしてコボルトを絶命させ、素早く蹴り飛ばし床へと放り出して死体を前に残心した。

 

 少女が踵を返す頃には、ドワーフの青年とルドウイークは残りのコボルトを殲滅しており、二人の無事を走り寄って確かめた少女は安堵の溜息と共に、緊張が解かれた反動で思わず尻餅を付いた。

 

「ハァ、ハァッ…………ふうっ! あの、少し休憩、しましょうか…………」

「ああ」

 

 ルドウイークが短く応えると、彼は青年と共にダンジョンの壁に武器で傷を付けてゆく。それは冒険者達の間では常識的な行動だ。ダンジョンには、自身が傷つけられた場合モンスターの生成を後回しにし、自身の修復を優先するという()()がある。

その為、冒険者は休憩中に自身が背を預けていた壁からモンスターが生まれ落ちると言う事故を防止するためにこの様にダンジョンを傷つけ、その修復が済むまでを休憩時間とするのである。

 

「怪我はないかね、【アンリ】」

「ああ、ええ……私は大丈夫です。それよりも、【ホレイス】は大丈夫?」

「………………」

「そう……彼も大丈夫みたいです」

「そうか」

 

 無言のままのドワーフの青年、ホレイスの様子をいかにしてか確認したエルフの少女、アンリは安心したように微笑んでルドウイークに告げた。それを聞いた彼は見張りの為に立ち上がって周囲を警戒する。

 

 

 

 ルドウイークが彼女らと行動を共にしているのは、昨日(さくじつ)のエリス神の言葉による物だった。ルドウイークはこの二週間常に単独(ソロ)でダンジョンへと潜り、そしてそれなりの成果を出している。だがそのやり方は人目の無い場所で自身の強さに任せモンスター達を蹴散らし、それでもって成果を出すある意味強引なものであった。

 

 それを彼から聞いたエリスはいつかその姿を他の冒険者達に見咎められ、他の神の元にルドウイークの強さの噂が届いてしまうのではと急に心配になり、他の冒険者と合同でダンジョンに向かう事で知識だけではなく『レベル1冒険者のあるべき姿』をルドウイークに学ばせようと画策したのだ。

 

 そしてルドウイークはその後、ギルドのニールセンの元に向かい他の冒険者と協力してダンジョンに挑む為の【パーティ】を組む際の注意点についての説明を受け、そして、思案の末冒険者では無く【サポーター】として探索を共にするものを探したのである。

 

 

 

 【サポーター】。読んで字のごとくの存在である彼らは、矢面に立って戦う冒険者達を補助する荷物持ち兼雑用係である。その仕事は装備の運搬、アイテムの使用、マッピングなどと言ったありふれたものから、戦闘中に死体から魔石を回収しての場の整理まで多岐に渡り、冒険者たちの探索の中で重要な役目を担っている。

 

 その重要度は上位【ファミリア】が時折行う深層探索にレベル3やレベル4と言った高レベル冒険者がサポーターとして集められることもある程で、とても軽視出来る物では無い。だが一方で、冒険者稼業から脱落した低レベルの専業サポーターたちは冒険者達に負け犬、役立たずだなどと蔑まれ、奴隷じみた扱いを受ける事も多々あるという。

 

 そんなサポーターについての情報の内、『駆け出しの冒険者が勉強の為ベテラン冒険者のサポーターを務める事がある』という話を聞いたルドウイークはその日の内に大型の背嚢(バックパック)を用意して【摩天楼(バベル)】周囲の中央広場(セントラルパーク)に赴き、『自分は腕利きのサポーターである』とでも言いたげな顔を演じて冒険者からの勧誘を待ち受けたのだ。

 

 しかし、ルドウイークはそう言った行為が行われるのはまず同じファミリアの身内同士である事を知らなかったうえ、その演技は嘗ての同輩たる狩人達が見れば一生ものの笑い話にしていたであろう程お粗末な物だった。が、しかしどこにでもそのような事を気に留めない者と言うのは居るもので。

 

 丁度普段雇っているサポーターが負傷し雇う事が出来ず、代わりのサポーターを探していた二人組、アンリとホレイスが朝から昼まで難しい顔で仁王立ちしていたルドウイークを見かけ、サポーターとして雇い入れたのだった。

 

 彼らに雇われ自己紹介を済ませて『始まりの道』の大階段を降りている時、ルドウイークは随分と安堵していた。それは彼を雇った二人組の冒険者が巷で語られるようなサポーターに対して手酷い扱いをする類の物では無かった事もそうだったが――――ルドウイークはそれがどれほどの幸運だったのかを知らぬ――――かつて<加速>が語った<カインハースト>の<古の落とし子>、いわゆるガーゴイルの如く、あのまま不動の立ち姿を続けずに済んだ安堵だった。

 

 ともあれ、これで間近から『普通』の冒険者達の姿を見て、自身がどれほどの節度を保つべきなのかを知る事が出来るだろう。

 

 だが、そんなルドウイークの展望虚しく、彼は途中からサポーターとしての役割を放り出して剣を振るう事になってしまっている。ルドウイークは人のいい男であった。故に、利害の一致にすぎぬとは言え、共に(くつわ)を並べた冒険者達の窮地を見過ごす事が出来なかったのである。

 

「しかし、『サポーターなりに動けるつもりだ』とは言っていましたが、随分と腕が立つのですね」

「偶然さ」

 

 一息つきながら、純粋にルドウイークの事を称賛するべく笑うアンリに、背を向けて警戒に当たっていたルドウイークは苦々しい顔をした。しかしそれに気づかず、アンリはあくまでルドウイークを称賛し続ける。

 

「まさか! あれ程動ける『サポーター』さんは初めてですよ! 良ければ、今度は冒険者としてパーティを組みませんか?」

「有り難い申し出だ。だが、主神から釘を刺されていてね。しばらくはサポーターに徹するつもりだ」

「そうですか。でしたら、もし冒険者としてダンジョンに潜る時は一声かけてください。ホレイスも楽しみにしているそうです」

「ああ。その時は是非、頼むよ」

 

 とは言うものの、彼らは互いに自身の主神すら明らかにしていない。それは知らぬ者同士でパーティを組む際に好まれるやり方の一つだ。互いの所属を知らせぬ事で、無用な軋轢や対立を避け円滑に冒険を行う。有名な冒険者ともなればそうは行かないだろうが、レベル1の無名冒険者が野良のパーティを組む際はむしろ当然の考えだろう。

 仲間同士で争っている所をモンスターに襲われるなど、ダンジョンでの死に方の中でも下から数えた方に入るというのは皆重々承知しているからだ。

 

「……今日は、まだ行きますか?」

 

 先程までの快活さとは打って変わって、ぼそりとアンリが呟いた。判断に迷う所ではある。実力を詐称している自身はともかく、10体近いモンスターを退けたアンリやホレイスの疲労はそれなり以上に溜まって居るはずだ。しかし、彼女が意思決定の権利を此方に投げてきたのは、それなりに重みを増し始めたこの背嚢の事も気遣ってだろう。

 

 ――――危険を冒す必要は無い、な。

 

 これ以上探索を続けたところで持てる魔石やドロップアイテムの限界も近い。それに何より、また二人が窮地に陥れば自分は間違いなく彼らを救うため剣を振るうだろう。

 それでは意味が無いし、彼女ら――――いや、ホレイスは良く分からないが、アンリから私についての話が広まってしまう可能性もある。そうなれば、エリス神はいい顔をしないはずだ。

 

 そう判断したルドウイークは今日の探索を切り上げることを提案し、アンリとホレイスもあっさりとそれに同意するのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「では、本日はどうもありがとうございました。是非また、一緒に冒険しましょう」

「そうだな、君たちのような相手に雇って貰えると、私も助かる。また、声を掛けてくれ」

「それはもう是非! では…………ほら、行くよホレイス」

「………………」

 

 夕刻。魔石やドロップアイテムを分配した後手を振るアンリと小さく頭を下げるホレイスと別れたルドウイークは、すぐに【ギルド】には向かわず中央広場(セントラルパーク)を少し歩き、ダンジョンへと向かう摩天楼(バベル)の入り口にほど近い馴染のベンチに座り込み、のんびりと行き交う冒険者達を眺め始めた。

 

 今日は小人(パルゥム)が目立つな。

 

 彼らはルドウイークからすれば幼い子供ほどにしか見えないが、その実立派に成人しているものである事が殆どだ。そんな彼らが時に身の丈に合った、あるいはその背丈を大きく超える武器を持ちダンジョンへと潜っていく様は、ここ数日ダンジョンでの探索帰りにここで休憩を取っているルドウイークにとっても眺めていて未だに新鮮なものであった。

 

 このオラリオには、数多の人種が(ひし)めいている。ルドウイークと同様の人間(ヒューマン)だけではなく、小人(パルゥム)を初めとしたエルフ、ドワーフ、アマゾネスと言った異種族。あるいは犬人(シアンスロープ)猫人(キャットピープル)を初めとする獣人たち。彼らの殆どはルドウイークにとって未知の存在であり、故に彼らを眺めるのは新たな知啓を得る良い機会であった。

 

 特に、ルドウイークの目を引いたのは獣人たちだ。その名から、最初ルドウイークは<獣憑き>の如き人型の獣を想像したが、実際の彼らはより人に近く、どちらかと言えば獣の部位を持つ人間、とも言うべき存在であり、ルドウイークはその事実に全く安堵したものだ。

 

 ――――獣の如き姿をされていれば、殺意を向けずにはいられなかったやも知れんからな。

 

 それが、ルドウイークの取り繕う事無き本心であった。本来、狩人達にとって獣とは姿形だけではなく、その有り様までもを表す言葉だ。だがそれでも、多くの狩人は獣の姿をしたものに対して強い拒絶感を覚える。本人の嗜好以前に、日々そんな姿をした者と殺し合いを続けていればそうなるのも当然であろう。

 

 ただ、人の姿をしていても、その内面が獣に堕ち切ったものも存在するのは確かだが。

 

 そう言った者を『始末』するのが役目のものも居た。異邦の狩人、<(からす)>を始祖とする<狩人狩り>達である。彼らは獣では無く、その名の通りに狩人達を狩る特殊な立ち位置に居る狩人達だった。

 度重なる<獣狩り>の中では、如何様にしても狩りの喜び、血を浴びる歓喜に溺れ、いつしか人をも手にかける者、人間性を喪い、<獣>へと堕ちる者が現れ始める。それを処理するのが彼らの生業であり、故に彼らは獣相手では無く『対人戦』に特化した<仕掛け武器>や業を身に付けていたのだ。

 

 だが、故にそんな彼らの中から獣に堕ちた者が現れると、それは例外無く凄惨なる過程と結末を迎える事になる。

 

 狩人狩りに優れるという事は、すなわち人狩りに優れる事と同義であり。並の狩人がなまじ獣狩りに優れるが故に、狩るために全く違うやり方を要し手に負えぬ彼ら、いつしかそんな堕ちた狩人狩りを狩るのが<烏>の役目となっていた。

 

 <烏>は他の狩人と比べ、何を考えているのかよく分からない奴だった。

 

 ルドウイークは嘗て共にゲールマンに学んだかの狩人の事を想起する。誰よりも自由であったが故に、誰よりも重い、人狩りの役目を請け負った狩人。だがあれは最後まで心折れる事も無く、当初予定していた通りの期日を以って、自らの故郷へと帰って行った。

 

 あれが去った後は、その意志を継いだ幾人かの狩人がその羽根装束と<慈悲の刃>を受け継ぎ、連綿と狩人狩りの業を伝えていた。かの<最後の狩人>の時代も、その伝統は残っていたのだろうか? せめて、最後に問うておくべきだったか…………。

 

 ルドウイークがそんな思案に浸っていると、広場の冒険者達の間から争う声が聞こえて来た。そちらに目を向ければ、大柄なドワーフと背の高いエルフが互いにいがみ合い、今にもそれぞれの武器を抜き放とうとしている。

 

 ドワーフとエルフは古くからのいざこざからして、種族レベルの対立関係にあるらしい。詳しい事はルドウイークも知らぬが、同じファミリアの所属であろうと罵り合う彼らが強い友誼を結ぶのは、極めて珍しい事なのだと何故か楽しげに語るエリスには聞かされていた。

 だが、そう言った者はかのオラリオ最大派閥【ロキ・ファミリア】に所属する【リヴェリア・リヨス・アールヴ】と【ガレス・ランドロック】などを初めとした、ほんの一部にしかいないと言う。

 

 そう言えば、先程のアンリとホレイスもエルフとドワーフと言う組み合わせだったが、彼女らからはそう言った嫌悪感だとかは一切感じ取れなかった。一体、どう言った関係だったのだろうか。

 

 ――――詮無き事だな。

 

 他者の関係を無為に覗きこもうとする思考を頭を振ってかき消したルドウイークは、争うドワーフとエルフをそれぞれ幾人かの冒険者が羽交い絞めにしているのを見て、少し安心してから立ち去ろうとした。

 

「そこの方、そこの方。白い外套のお兄さん」

 

 その声にルドウイークが正面を向くと、彼の前には小柄な人影。身長はルドウイークの半分より大きい程度。クリーム色の少し色褪せたローブを身に付け、そこからは明らかな軽装が垣間見える。そのフードの隙間からは栗色の前髪が覗き、その大きく丸い瞳が、その背丈以上に幼い印象を見るものに与えて来る。

 何より、その体の二倍、あるいは三倍はあろうかという巨大な背嚢(バックパック)。それが彼女がどのような役目を負っているかを、ルドウイークにはっきりと認識させた。

 

「……私に何か用かね?」

「突然申し訳ありません。この様な所で独りでぼうとしているものですから、サポーターでもお探しではないかと思いまして」

 

 その少女はあくまで穏やかに、ルドウイークの腰の長剣を指差して言った。

 

「あなた、冒険者様ですよね? でしたら、是非とも今宵の探索に、この【リリルカ・アーデ】をお供させて頂けないでしょうか?」

 

 リリルカは小首を傾げて、満面の笑みで彼に提案した。しかしそれに対して、ルドウイークは申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すまないが、それは出来ない」

「何故ですか? もしや、リリに何か落ち度でも――――」

「いや、そう言う訳ではないさ」

 

 ルドウイークは言って、自身の膝の上の背嚢を指で指し示した。今回の冒険ではアンリとホレイスはルドウイークの貢献の大きさを考え、当初の契約より多くの取り分を渡してくれていた。おかげで、分配した魔石やドロップアイテムがそれなりに詰まっている。

 

「私はもう、今日の冒険を終えていてね。帰りがけ、ここで休息をとっていたんだ」

「ああ……そういう事でしたか。でしたら、落ち度も何もありませんね」

 

 リリルカはそれを聞いて背嚢にちらと目をやり、残念そうに――――或いはどこか安心したように溜息を吐いた。それを見てルドウイークは改めて立ち上がり、背に背嚢と<月光>の隠された袋を背負う。

 

「すまないな、時間を無駄に使わせて」

「いえいえ、こちらこそすみませんでした。ですが次リリを見かけたら、ぜひお声がけを」

 

 ぺこりと頭を下げ、リリルカはそのまま彼の前から去って行った。小柄なその背中は冒険者達の喧騒にあっという間に紛れて見えなくなる。

 

 訳アリか。

 

 ルドウイークは彼女をそう評した。表情こそ明るい物だったが、所作の所々から不安、あるいは不満のような物が滲み出ていて、彼女が自身の現状を快く思っていない事をルドウイークは見抜いていた。

 だが、それよりも彼が興味深いと考えたのは、彼女に纏わりついていた、一本の光の糸。その糸は強く、強く、それでいて何処へも伸ばされていない、まるで何かを待ち望むかのような導きであった。

 

 そのような他者の導きを見たのは、ルドウイークにとっても初めての事であった。今まで見た導きとは、例外無くルドウイークの前に現れ彼の道を指し示すものであり、どんなものでも彼は少なからずそれに引き寄せられる引力のような物を感じていた。

 

 だが彼女のそれからは、そう言った引力を一切感じぬ。まるで、ルドウイークではなく、他の誰かに惹かれるべき運命があるとでも言うように。

 

 彼女を追うべきだったか? そう一瞬考えたルドウイークであったが、すぐにその発想を否定する。確かに、彼女の纏う導きは珍しい物だ。だがそれが別の誰かによって成されるべきだと言うのなら、私が自ら干渉する意義もあるまい。

 

 一人納得したルドウイークはそれ以降振り返ることもなく、確固たる足取りで薄闇の広がり始めたオラリオをギルドに向かって歩み始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ギルドでの換金を終え、3900ヴァリスを手にしたルドウイークはニールセンとの世間話もそこそこに、エリスの待つ家へと向かって街路を歩んでいた。

 ルドウイークの収支は基本的に、同階層で戦う冒険者達よりずっと良い。まず傷を負わぬので摩天楼(バベル)の治療施設やポーションの世話にならず、一人であれば素手で事足りるために武具の消耗も無いからだ。

 

 そのため、徐々にではあるが懐事情が上向いてきたと言うエリスは今日珍しく休みを取り、家でルドウイークの帰りを待っているとのことだ。サポーターとしての活動であれば、命の危険もそうないだろうとタカを括っているのだろう。

 

 そこまで、甘いものではないのだがな。

 

 ルドウイークはダンジョンの危険性を思い、そう結論付けた。目の前の敵と戦うのに集中する冒険者に比べ、サポーターの仕事は細かく、多岐に渡る。この稼業をこなし続けるには、ダンジョンやモンスター、冒険者の装備に至るまでの深い知識に広い視野、何よりもそれらの情報を整理し、その時々に何をするべきかを冷静に見極め実行する判断力が必要となるだろう。

 

 ともすれば、それは補助者と言うよりパーティのリーダーとして必要な資質であるようにも思える。

 が、実際には戦闘を受け持つ――――より直接的に危険に晒される冒険者達の方がパーティ内での地位が高く、サポーターはあくまで補助者、あるいは小間使いめいた存在であり、最悪の場合には冒険者達が生き残るための囮として、モンスターにその身を差し出された、と言う話まであるというのをルドウイークは先ほどニールセンより聞かされていた。

 

 そのため、余計なリスクを回避するために明日からは冒険者としてパーティを探そうとルドウイークが考えていると、目の前を一条の光がちらついた。

 

 光の糸、導き。先日【ヘスティア】と出会った時のそれに良く似た、か細く淡い輝きを放つそれはすぐ先の角を曲がった先へと続いてゆく。

 それは先ほどリリルカに見たような何かを待つ糸ではなく、弱いが、確かにルドウイークを手繰り寄せる導きであった。

 

 先日とは違い、ルドウイークは慎重にその後を追う。余り派手に動いてヘスティアに見咎められた時のような事は避けたいからだ。

 あの時は彼女が善良と言える神であったから助かったものの、ろくでなしの神や良識の無い冒険者に遭遇してしまえば、余計なトラブルになる事も考えられる。そうなれば、限りなく低いとは言え、自身の素性が明らかになる可能性も危惧しなければならない。

 

 そうで無くても、エリスに目立つことは避けるよう、ルドウイークは言いつけられている。故に、ルドウイークは周囲の人々の様子を伺いながら、慎重にその光の糸を追った。

 

 

 行き交う人々の間をすり抜けてゆらゆらと揺れる糸。それは通りを曲がり裏路地に出て、しばらくするとまた通りへと戻る――――何か作為的な物を感じる軌跡で、ルドウイークを導いていた。

 これも、先程のリリルカの導きと同様、ルドウイークにとっては初めての現象だ。

 

 導きは常に、彼の向かうべき場所に最短の距離で導いてきた。故に、このように彼に遠回りを強いるというのは、全く想像だにしなかった事だ。まるで時間を稼ぐような、あるいは、この道順でなければダメなのか……。ルドウイークには、その意図ははっきりしない。

 

 ――――そうして、導きを追っている内またしても通りから路地に入った所の十字路で、導きは途切れていた。

 

 ルドウイークはその結末に顔をしかめた。導きが何をさせようとしているのか、それが全く読めぬ。<ヤーナム>で見た導きは、その向かう先には善い物であれ悪い物であれ何かがあった。しかし、此度、そしてヘスティア神との邂逅の際はその先には何も無い。それが、ルドウイークには分からぬ。

 

 何故ここに私を導いた? ここで何か起こるのか? あるいは、ここに私が居るというのが導きの意図した事だと言うのか。

 ヤーナムで見た、自らを手繰り寄せる光の糸だけではなく、このような形での導きが起こるのは一体何故か? 世界を渡った事で、導きが何かしかの変質を見せているのか?

 

 ――――あるいは、変わっているのは己自身か?

 

 そんな思考の海に潜っていたルドウイークの背に、誰かがぶつかったような衝撃があった。彼はそれに驚いて飛び退き<月光>に手を伸ばす。

 このように後ろを取られ背に触れられるとは、ルドウイークにとって初めての経験であった。今のが獣による物であれば、彼はまずこの場で屍を晒していただろう。

 

 …………だが、振り向いたルドウイークが見下ろす先に居たのは、尻餅を付き、驚愕に顔をこわばらせた白髪の人間(ヒューマン)の少年であった。

 

 それを見て、ルドウイークは過剰に反応した己を恥じ、月光から手を離した。そして、その少年の元へと歩み寄り彼へと手を差し出す。

 

「大丈夫か? 立てるかね?」

「えっ……あっ、はい、すみません…………」

 

 少年がおずおずとその手を取ると、ルドウイークは力強く彼を引っ張り上げる。その手の力はお世辞にも強いとは言えず、体も軽い。白い髪と赤い瞳は、ヤーナムでは図鑑の中でのみ語られた兎のそれを思わせ、さらに今し方の『事故』に際しての物であろう申し訳なさそうな表情が、その小動物めいた印象を加速させた。

 

「えっと……すみません、ぼうっとしてて。前見てなくて……すみません」

「いや、道のど真ん中に突っ立っていた私の方に非があると言えるだろう。すまない」

 

 頭を下げ謝罪をする少年に、ルドウイークも小さく謝罪を返した。そして、自身がこの少年の接近に気づかなかったのは、少年の方もルドウイークに気づいていなかったからだと納得し、少し安堵した。

 しかしルドウイークがそう安堵している前で、少年は一度、ルドウイークが腰に()いた長剣を少し見つめ、それから意を決したように力を振り絞って口を開いた。

 

「あ、あの……!」

「ん?」

「えっと、あの、冒険者の方……ですよね?」

「……そうだが?」

「あの、良ければどこの【ファミリア】か教えて貰えませんか……?」

「……【エリス・ファミリア】だ。それがどうかしたかね?」

 

 おずおずとルドウイークに問いを投げていた少年は、彼の所属ファミリアを聞くと、突如機敏に頭を下げ、それまでの様子が嘘のような大声で叫んだ。

 

「いきなりですみませんが、お願いがあります! どうか、どうか僕を【ファミリア】に入れてください!!」

「…………何だと?」

 

 その大声に、驚愕したルドウイークは思わずたじろいだ。これは初めてのケースだ。彼は判断に悩む。

 見た所、田舎からオラリオに出てきて、所属する【ファミリア】を探している…………そんな所だろう。そして、まだこの少年はエリス神の所には顔を出していない。それも当然か。あの様なただの民家に神が住んでいるなど、普通はわからないはずだ。

 それに【ダイダロス通り】はそこに住まうルドウイーク自身も辟易するほどの複雑怪奇な構造をしている。知っていれば、オラリオに来たばかりの人間がそんなところに足を踏み入れるはずも無い。

 

 そう判断した彼は、次に頭を下げたままの状態で硬直し答えを待つ彼の体をまじまじと眺めた。それほど大きいわけでもなく、線の細い体。素質があるとは思えない。もしルドウイークが狩人達を率いていた時代に彼がその仲間入りを志望して来ても、ルドウイークは断固として認めなかっただろう。

 

 だが、今ルドウイークは【エリス・ファミリア】の唯一の団員であり、そしてこの判断は彼の権限だけでどうにかなる物では無いことを重々承知していた。

 

「それは、私の一存では何とも言えない」

 

 その一言に少年は息を飲み、拳を強く握り締める。しかしルドウイークは、そんな彼の様子を目に留めて、更に言葉を続けた。

 

「だが、君さえ良ければ主神に掛け合ってみよう。その上で彼女がどう判断するかはわからないが……」

 

 その言葉に少年はばっと顔を上げ、凄まじい剣幕でルドウイークに詰め寄った。

 

「神様と会わせてくれるんですか?!」

「あ、ああ……」

 

 その剣幕にまたしてもルドウイークはたじろぎ、それだけでは無く一歩引きさがる。しかし少年はそれに気づいた様子も無く、まさに子供のように両手を握りしめ感極まったように叫んだ。

 

「ありがとうございます……! 僕、今日オラリオに来てからいろんな【ファミリア】のところに行ってきたんですけど、どこも門前払いばかりで、今夜の宿もないしどうしよっかって困ってて……!」

「…………喜ぶのはいいが、少年。まだ私の主神が君の入団に許可を出したわけでは無いぞ」

「あっ、そっか……」

 

 ルドウイークの指摘に、少年は一気にクールダウンして肩を落とした。その表情をコロコロ変える様子がエリスのそれに重なって、ルドウイークは小さく笑い、少年の肩を軽く叩いた。

 

「まぁ、先に言っておくがウチは零細【ファミリア】でな。もし入れたとしても、酷く苦労すると思うぞ? それでもいいのか?」

「構いません! 僕には、『夢』がありますので!」

 

 今し方落ち着いたのが嘘の様にそう力強く宣言する少年を見て、今度はルドウイークは笑って首を縦に振るだけだ。

 この子は、恐らくその夢の為に、覚悟を決めてこの迷宮都市(オラリオ)に足を踏み入れたのだろう。ならば、私がそれに対してどうこう言うべきではない。そう考えて、ルドウイークは彼の肩に置いていた手を下ろし穏やかに笑いかける。

 

「分かった。その前に…………私は<ルドウイーク>と言う。【エリス・ファミリア】所属の、レベル1の冒険者だ。少年、君の名前を聞かせてもらっても構わないか?」

「ルドウ()ークさんですか、分かりました! 僕はベル、【ベル・クラネル】です! ……って言うか、レベル1なんですかルドウイークさん!? そんな強そうなのに!?」

「クラネル少年。このオラリオで、見た目と強さに関係性を求めない方がいい。君もすぐに分かる」

「そ、そうですか……」

 

 引きつったように笑うベルを見てルドウイークもふっと笑った。そして付いてくるよう彼を手招きし、二人で並んで歩き始める。

 

 ――――【ベル()】、か。

 

 隣で様々な事を質問してくるベルに答えを返しながら、彼は懐にしまい込んだヤーナムの<狩り道具>、<狩人呼びの鐘>に意識を向ける。他の世界の狩人と繋がりその協力を得るその道具。実際の所彼とは無関係ではあるのだろうが、どうしても連想せずにはいられない。

 

 彼もこのオラリオで、<鐘>を用いた狩人達と同様、多くの出会いを経験するのだろうか? 多くの別れを経験するのだろうか。数多の狩人達を募り、教え、共に戦ったルドウイークは、そんな想像をせずにはいられない。

 

 ――――ともあれ、まずはエリス神との出会いが良いものになればよいのだが。

 

 そう独りごちたルドウイークとそれに気づかず楽しげに話を続けるベルは、そのままエリスの待つ家に向かって街路を進んでいくのだった。

 

 




ダクソから彼女や彼が登場したり原作から彼女や彼が出ました。
原作のストーリーは大きく変わらないです(再三の宣言)

早くあのキャラとかあのキャラも書きたいな……。
でももし今後の原作と被ったりしたら怖いけど、完結まだの作品の二次創作ってそんなもんだし(別作品でもそう言う経験あったし)
とりあえず原作も読み進めないと……。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。



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06:英雄志望

ルドウイークのベル君勧誘の顛末、19000字くらいです。
ちょっとベル君がショックうけるシーン有るので苦手な方はご注意を。


2000お気に入り総合評価3000、本当にありがとうございます。
同様に感想の投稿、及び誤字報告して下さる皆さま。励みになりますし、助かっております。
良ければこれからもよろしくお願いします。


 ――――初めてその人を見た時、僕は『まるで英雄みたいだ』なんて、場違いもいい所の感想を抱いた。

 

 それは僕と同じ人間(ヒューマン)の男性だった。だが、その姿はひ弱な僕とは大違いだ。2M(メドル)近いがっしりとした体格に、波打つような白、あるいは灰の長髪に白装束を着込み、その上に外套を重ね腰には一本の長剣を()いている。何よりも、その背に負った大きな包み。咄嗟にそちらに手をやったという事は、きっと何らかの武器なのだろう。

 

 その姿は、僕が祖父に幾度となく聞かされた御伽噺に出てくる英雄のような姿だった。

 

 道の真ん中に居たであろうその人に気づかず、思いっきりその背中にぶつかった僕は尻餅をついたまま動けない。驚愕半分、恐怖半分、後羨望がちょっと。そんな感情が渦巻いて尻餅を付いたまま動けぬ僕に、その人は背の包みから手を離して、目の前まで歩み寄ってそっと手を伸ばす。

 

「立てるかね?」

「えっ……あっ、はい、すみません…………」

 

 僕は震えながらその手を取ると、その人はぎゅっと手を握りしめ一気に引っぱり、立ち上がらせてくれた。そして慄く僕に、厳めしい顔から感じる印象とはどこかちぐはぐに、心から安堵するように微笑んだ。

 

「えっと……すみません、ぼうっとしてて。前見てなくて……すみません」

「いや、道のど真ん中に突っ立っていた私の方に非があると言えるだろう。すまない」

 

 その笑顔を見て少し安堵した僕は頭を下げて謝罪する。すると、それを否定するようにその人も謝罪した。

 

 よかった。どうやら、この人はそんな怖い人じゃあないらしい。そう思って顔を上げようとした僕は、その人が腰に佩いた長剣を改めて見つめる。それは、何の変哲もない長剣だ。咄嗟に背中の包みに手を伸ばしてたし、きっとこの人の本命の武器はそっちなんだろう。……やっぱり、冒険者なんだろうか。

 

 その時、僕の脳裏に一つの考えが過ぎった。少し不躾かもしれないけど、もう背に腹は代えられない。この人も冒険者なら、何処かの【ファミリア】に所属している筈。それが、僕がまだ訪れていない【ファミリア】なら……!

 

「あ、あの……!」

「ん?」

「えっと、あの、冒険者の方……ですよね?」

「……そうだが?」

「あの、良ければどこの【ファミリア】か教えて貰えませんか……?」

「……【エリス・ファミリア】だ。それがどうかしたかね?」

 

 【エリス・ファミリア】。その名前は未だに耳にした事の無い、未知のファミリアだ。

 

 ――――きっとここが、今日僕が挑む事の出来る最後のチャンス。

 

 そこからは早かった。僕は一度上げた頭を再び勢い良く下げて、その人に向けて大声で叫ぶ。

 

「いきなりですみませんが、お願いがあります! どうか、どうか僕を【ファミリア】に入れてください!!」

「…………何だと?」

 

 その人は驚きに目を丸くして、それから僕の事を上から下まで推し量るように眺めた。今までの【ファミリア】でも、何度も浴びた視線だ。相手を値踏みするその視線を僕は黙って受け続ける。せめて、もっと体を鍛えてくるべきだったんだろうか。でも、今までの【ファミリア】にもっと体を鍛えて訪れたとして、彼らはきっと僕を受け入れてくれないだろうと言うネガティブな自信がある。

 

「それは、私の一存では何とも言えない」

 

 その自信を裏付けてしまうような、否定のニュアンスを含んだ言葉。やっぱり駄目なのか。僕は思わず拳を強く握りしめる。でも、この人の言葉はそれで終わらなかった。

 

「だが、君さえ良ければ主神に掛け合ってみよう。その上で彼女がどう判断するかはわからないが……」

 

 その言葉に僕はバッと顔を上げて、その人に勢い良く詰め寄る。

 

「神様と会わせてくれるんですか?!」

「あ、ああ……」

 

 その人は驚いたように仰け反ってそのまま一歩後ずさる。だが僕はそれを追うように距離を詰め、両手を握りしめて叫んだ。

 

「ありがとうございます……! 僕、今日オラリオに来てからいろんな【ファミリア】のところに行ってきたんですけど、どこも門前払いばかりで、今夜の宿もないしどうしよっかって困ってて……!」

「…………喜ぶのはいいが、少年。まだ私の主神が君の入団に許可を出したわけでは無いぞ」

「あっ、そっか……」

 

 唐突に現実を突きつけられ、興奮していた自分に気が付いた僕は溜息を吐いた。……でも、これはやっと巡ってきた大チャンスだ。それを逃すわけにはいかない!

 

 僕はそう自信を奮い立たせて気合を入れた。すると、その人はそんな僕を見てどこか楽しげに笑い、肩を軽く叩いて言った。

 

「まぁ、先に言っておくがウチは零細【ファミリア】でな。もし入れたとしても、酷く苦労すると思うぞ? それでもいいのか?」

「構いません! 僕には、『夢』がありますので!」

 

 その人の優しげな忠告に、僕は怯む事無く力強く宣言した。そう、夢だ。かつて祖父の語っていた夢。そして僕が心に懐いた、大切な夢。その為に、僕はこのオラリオにやって来た。

 村を出てからここまでも、平坦な道程じゃあ無かった。でも、これからはもっと険しい道のはずなんだ。こんな所で躓いちゃあいられない!

 

 そんな僕の意気込みを感じてかその人は僕の肩に置いたままの手を下ろして、どこか懐かしい物を見るかのように微笑んだ。

 

「分かった。その前に…………私は<ルドウイーク>と言う。【エリス・ファミリア】所属の、レベル1の冒険者だ。少年、君の名前を聞かせてもらっても構わないか?」

「ルドウイークさんですか、分かりました! 僕はベル、【ベル・クラネル】です! ……って言うか、レベル1なんですかルドウイークさん!? そんな強そうなのに!?」

「クラネル少年。このオラリオで、見た目と強さに関係性を求めない方がいい。君もすぐに分かる」

「そ、そうですか……」

 

 目の前の英雄じみたこの人――――ルドウイークさんがレベル1、と言う事実に僕は驚愕して、そんな僕にルドウイークさんは窘めるように肩を竦めた。オラリオは世界有数の冒険者が集うって聞いてたけど、やっぱレベルが違うって事なのかな……。一瞬不安になる僕を他所にルドウイークさんは歩き出して、小さく手招きをした。

 

 僕は慌てて彼に小走りに追いつき、並んで歩き始める。そして、いろいろと気になっていた事を質問してみた。

 

「えっと、ルドウイークさん」

「何だね?」

「【エリス・ファミリア】って零細って言ってましたけど、実際どんな感じなんですか?」

「…………何でも、ここ十年ほどは新規の入団も無かったらしい。今では、団員は私一人だよ」

「じゃあルドウイークさんって団長さんなんですか?!」

「……いや? エリス神とも、そういう話はした事が無いな」

「へぇ~……そう言うものなんですかね?」

「【ファミリア】によるのだろうな。私は他のファミリアの事をよく知らんから何とも言えないが……」

「そうなんですね……」

 

「ルドウイークさんって、ダンジョンには潜ってるんですよね? どのくらいの階層まで行ったんですか?」

「4階層だな。何でも6階層以降は敵のレベルも構造の複雑さも跳ね上がるらしい。お陰でエリス神にはそこへの進出は止められている」

「【眷族】想いの神様なんですね」

「……ああ、そうだな。少なくとも悪い神ではないよ」

 

 ルドウイークさんは何やら考え事をしているみたいだったが、それでも僕の質問にはちゃんと答えてくれた。……もし、この人とダンジョンに一緒に潜れたなら、心強いだろうなぁ。レベル1だとは言っていたし、そこまで深い階まで行った事が無いらしいけれど、単独(ソロ)でダンジョンに挑むのと仲間がいるのでは、その生存率は段違いだ。

 

 前後を挟まれた時でもそれぞれが片方の対応に集中できるし、状態異常になってしまっても治療してもらう事だって出来る。だから、浅い層ならともかく深い層まで行くには仲間の存在は必要不可欠だ。一人でどうにかなるほど、【迷宮】は甘くない。

 

 もし一人でどうにかなってしまうなら、とっくの昔に踏破されてるはずだしね。

 

 何せダンジョンの深層など、有力な【ファミリア】が準備に準備を重ねて大規模なパーティを組み、数週間単位で挑むものだ。いかに能力があっても、単独で辿り付くなんか夢のまた夢。まぁ、【ファミリア】に入れるかどうかも怪しい僕には夢以上に非現実的なレベルの話なんだけれど。

 

 

 

 

 そうこうしている内に、どれほどの距離を歩いたのだろう。僕とルドウイークさんは通りを抜けて何度も曲がり路を通り、そして一軒の民家の前へと辿り付いた。

 

「……ここが【エリス・ファミリア】の今の拠点だ。少し古めかしいが、ガタが来ているわけじゃあない。そこは安心してくれ」

「えっと……じゃあ、ここが【本拠地(ホーム)】って事ですよね?」

「エリス神はそう言いたがらないが、実際にはそう思ってもらって構わないだろう」

 

 ……え? これが【本拠地(ホーム)】?

 

  僕はその、年季の入った一軒家を見てそんな感想を抱く。今まで見た【ファミリア】の【本拠地】は、規模の違いこそあれ、そのどれもが最低限ここはどこの【ファミリア】の【本拠地】か分かる様に看板なり、モニュメントなりが設置されていた。だけどここは違う。どう見てもただの民家だ。

 

 驚愕している僕を尻目に、ルドウイークさんは玄関の脇にある鉢植えの前でしゃがみこんでその裏から鍵を摘み出す。そして扉の鍵を空けると僕を手招きした。……なに驚いてるんだ僕は。零細【ファミリア】だって話は、最初にしてくれてたじゃあないか。

 

 僕は意を決して家へとお邪魔した。その内装も、何の変哲もない普通の家だ。だけど一つ。神様の放っているであろう【神威】か、ピリピリとした存在感を感じる。そうだ。僕は神様に会って、【ファミリア】に入れてもらう為にここに来たんだ。

 

 緊張する僕の前にルドウイークさんが立って、奥の扉を開く。すると、美味しそうな香りが僕の鼻を擽った。なんだろう。スープか何かだろうか。そこで僕は自分がお昼から何も口にしていなかった事に気づいて、溢れた涎を喉を鳴らして飲みこむ。その様子を緊張の表れと捉えたのか、ルドウイークさんが少し腰をかがめて僕に笑いかけた。

 

「……一つアドバイスだが、エリス神は割と感情の起伏が激しい所がある。気まぐれと言うべきか何と言うか……ともかく、何か言われた時には返答には気を付けてくれ。フォローはする」

「ハ、ハイ……!」

「では、少し待っていてくれ。話を付けて来る」

 

 そう言うと、ルドウイークさんは部屋の中へと消えて行った。

 

 うう、緊張してきた。一体どんな神様なんだろう。女神って言ってたけど……そういえばおじいちゃんが言ってたな…………昔このオラリオには【ヘラ】というとんでもなく怖い女神さまがいたらしい。何でも地獄耳って言われるくらい情報通な上滅茶苦茶女性関係に厳しく、ある老神は大変酷い目に合わされていたって。

 

 そんな、怖い女神さまじゃあなきゃいいなぁ……。

 

 僕がそう祈っていると、目の前の扉が開きルドウイークさんが顔を出した。

 

「クラネル少年。エリス神がお会いになって下さるそうだ。……神は嘘を見抜く。気を付けてくれ」

「は、はぃ!」

 

 ルドウイークさんの忠告に、僕は緊張して変な調子で答えてしまう。しかし、それをルドウイークさんは笑う事も無く、何事も無かったかのように真顔で手招きした。

 

 

 

 

 部屋の中に僕が足を踏み入れると、そこにはルドウイークさんと、ソファに腰掛けた一柱の女神さまが待っていた。

 

 美しい金髪を首の後ろでまとめ、ファッションだろうか、掛けた眼鏡の奥からは翡翠色の瞳がこちらを見つめていた。肩には精緻な刺繍の施されたケープを羽織っており、首元でそれを留めているブローチに填められている宝石――――多分魔石だ――――が僕の目を強く惹く。

 間違いなく、僕が今まで見てきた女性の中でも一番綺麗だと言ってもいいと思う。神様なんだから、当然と言えば当然なんだけど。

 

 そんな風にその女神さまの事を目を皿にして見つめていると、僕の横に立ったルドウイークさんが、促すように女神さまに声を掛けた。

 

「エリス神、黙っていては始まらない。折角の入団希望者を無下にするつもりかね?」

「むう…………今、何て話し始めるか考えてたんです」

「そうか。では頼む」

 

 どこか咎めるような言葉をかけられた女神さまは、何やら難しそうな顔で唸ってルドウイークさんに反論する。だが、それを言質と取ったルドウイークさんが笑って言うと、また難しい顔で少し考えてから、諦めたように溜息を吐いて僕へと視線を向けた。

 

「…………どうも、初めまして。貴方が【エリス・ファミリア】への入団を希望したと言う子ですか?」

「は、はい! 【ベル・クラネル】と言います! ほ、本日はお日柄も良く……」

「お日柄?」

 

 混乱した僕の様子に、女神さまは小首を傾げた。その姿がいちいち綺麗で、僕はよりどぎまぎする。すると、肩をポンと叩かれて、思わず僕はそちらを振り向いた。

 

「クラネル少年、落ち着け。君には夢があるんだろう?」

 

 その一言にはっとさせられて、僕はルドウイークさんを見上げる。その顔は小さく微笑み僕の事を鼓舞していた。

 

 ……そうだ。僕には夢がある。その為にここまで来たのに、神様に会っただけでビビってる場合じゃない。僕は拳をぐっと握りしめて神様の方へと向き直る。その様子に、神様は少し驚いているようだった。でもそんな事お構いなしに、僕は早口でまくしたてた。

 

「すみません! もう一度やらせてください! 僕は【ベル・クラネル】、歳は14で種族は人間(ヒューマン)! 『夢』を叶えるために今日、このオラリオにやってきました! その為に色んな【ファミリア】に入れてもらおうとしたんですけど、何処も取り合って貰えなくて……でもそんな時、ルドウイークさんが僕に声を掛けてくれたんです! 自分自身、頼りなさそうなのは知っています! でも、きっとこの【ファミリア】の役に立って見せます! ですからどうか、僕をこの【ファミリア】に――――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 その静止の声に驚いて口をつぐむと、神様は驚いたような、あるいは少し苛立ったような顔で僕の事を睨んでいた。

 

「あの、熱意は感じるんですけど、物事には順序という奴があります! 貴方が名乗った以上、私にも自己紹介のタイミングを頂くのが段取りじゃあないですか!?」

「あ、すみません……つい……」

「それくらい許してやってもいいだろうに」

「ルドウイークさん茶々を入れない!」

「失礼した」

 

 謝る僕。一方で、僕を叱咤した神さまをルドウイークさんが咎めると神さまはムッとした顔でルドウイークさんを注意した。それを受けルドウイークさんはあっさりと引き下がる。

 僕はそんな【エリス・ファミリア】の一人と一柱を見て、本当に仲がいいんだろうなぁ、なんて些か場違いなことを考えてしまう。……この人達にも、色んな苦労とかあったのかなあ。零細【ファミリア】とそれに所属する唯一の団員なんて、『いかにも』って感じだ。もしかして、ルドウイークさんと神様は僕が思うよりずっと仲が深かったりして。

 

 ――――それこそ、別ち難い愛で結ばれてるとか。

 

「……オッホン! ま、まぁいいでしょう。私が【エリス】。【エリス・ファミリア】の主神です。よろしくお願いしますね」

「あっ、はい! こ、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 そう僕がルドウイークさん達の関係についてちょっと邪な考えを巡らせていると、改めて神さま――――エリス様は名乗った。僕はすぐさま姿勢を正して、勢い良く頭を下げる。それをエリス様はちょっと満足げに眺めると、すぐに頭を上げさせて話し始めた。

 

「では、クラネルくん……でしたね? 貴方には、これから幾つか質問をさせてもらいます。その返答によって、貴方が我が【エリス・ファミリア】に相応しい人材か否か……それを確かめさせてもらうとしましょう。よろしいですね?」

「はい、エリス様!」

 

 エリス様の言葉に、僕は声を張り上げて返事した。するとエリス様は我慢しきれず、と言った様子で口角を上げ、すぐに口元を隠してからルドウイークさんに話しかけた。

 

「聞きました? エリス『様』ですよ……? やっぱり神様って言うのは、こうすごい勢いで崇拝してもらわないとだと思うんですよね……なんだか懐かしいなぁ……」

「そういうものなのかね、エリス神? 私には、良くわからないのだが」

「そういうものなんです! 全く、デリカシーの無い人ですね貴方は!」

「そういうものなのか……」

 

 本当に良く分からない、と言ったルドウイークさんとは対照的にエリス神は先ほどから随分と上機嫌だ。これなら、いけるかもしれない……! 少なからず光明を見出した僕は、一体これからどんな質問をされるのか、思いつく限りのそれを頭の中で必死にシミュレートする。その内、ルドウイークさんに向けてちょっとムッとした視線を向けていたエリス様は一度小さく溜息を吐くと、僕へと視線を向け直して微笑みながら質問を始めるのだった。

 

「まぁ、大体の事は貴方が一気にしゃべってしまったのでそう幾つも聞く事はありませんがね。とりあえずはまず一つ。ウチは一応、『探索系』に属する【ファミリア】です。その認識は間違っていませんね?」

「はい!」

 

 ……【ファミリア】には、基本的に様々な種別がある。このオラリオにおいて最もメジャーな、ダンジョンを探索してその成果を得る『探索系』、物を売って財を成す、文字通りの『商業系』、魔石製品を初めとした様々なアイテムを作り出す『製作系』、冒険者達の傷を癒したり、製作系の中でも医薬品――――ポーション作りを生業にしたりする『医療系』などだ。

 果てには数多の人々を集め、国と呼べる規模にまで巨大化した『国家系』なんてのもあるみたいだけど、この群雄割拠のオラリオでそこまで突出した勢力のある【ファミリア】はいない。まぁ、【ロキ】と【フレイヤ】の二つが今のオラリオの頂点に君臨する【ファミリア】だなんて僕でも知ってる事なんだけど。ちなみにその二つも『探索系』の【ファミリア】だ。

 

「……うん、そこは分かってたみたいですね。では次ですが、モンスターと出会った事は有りますか?」

「昔にちょっと……『ゴブリン』に。殺されかけちゃって……」

 

 苦い思い出だ。英雄に憧れていた頃の僕が、たった一匹のゴブリンにも太刀打ちできずに殺されかけた。村の外を探検してみようなんて思って、ゴブリンにボコボコにされて、それで結局助けられたんだっけ。その話をすると、エリス様は少し悲し気に目を伏せた。

 

「…………それは辛かったでしょう。ですが、ダンジョンにはゴブリンは愚か、それよりも恐ろしい力を持ったモンスターがそれはもううじゃうじゃと存在します。それに立ち向かう『勇気』はお持ちですか? 困難を乗り越えるのに、必要不可欠な勇気は」

 

 同情を見せつつ、エリス様はそんな試練がダンジョンには数多に存在するのだと、それに立ち向かう気概があるのかと僕に問いかけた。その質問に、絞り出すように僕は答える。

 

「……それは、ちょっとわかりません。地上の弱いゴブリン一匹にどうにもならなかったくらい、僕が弱かったのは事実ですから。でも、御伽噺の英雄にはなれなくても、『夢』を叶えるために、必要なだけの勇気は胸に抱いていたい。そうでありたいとは、思ってます」

「…………なるほど。そういうの、嫌いじゃあないです」

 

 僕の答えに、エリス様はどこか満足そうに頷いた。その様子に僕は内心胸を撫で下ろす。ここでゴブリンにも勝てないような人はお断りだ、なんて言われたらどうしようかと思った。そんな僕の前でエリス神はそれまでの微笑みをスッと引っ込め、これまでに無い真剣な視線で僕の事を射抜いた。

 

「では、最後の質問です」

 

 その言葉に僕の全身が強張る。目の前の神様から放たれる神威が、その圧をぐっと増したからだ。

 

「――――貴方が、そうまでして追い求める『夢』とは一体何なんですか? 私は、それが知りたい………………秘密にしたいのなら、いいんですけど」

「僕の『夢』は――――」

 

 少しソファから身を乗り出して、エリス様がその続きを待ちわびる。それを前にして、僕の脳裏に過ぎるのは嘗ての祖父の白い歯を見せた笑顔。

 

 ――――そうだ。幼い頃から抱いていた、あの夢。背が伸びるに従って萎んでしまった英雄へのあこがれとは裏腹に、心の内に懐き続けた、大切な夢。それを僕は、胸を張ってエリス様に向けて叫んだ。

 

「――――僕の夢はこのオラリオでたくさんの女の子と出会って、仲良くなって、『ハーレム』を作る事です!!!」

「………………へっ?」

 

 僕の叫びと共に、エリス様は呆気に取られたように目を丸くした。……言ってやった。言っちゃった。少し自分の顔が熱くなって、頬が赤くなるのが分かる。その眼の前でエリス様は、唖然としたまま二の句を次げずにいた。

 

 失敗したかな。少しゾッとして、段々と僕は紅潮していた頬を青褪めさせ始める。すると、僕の横に立っていたルドウイークさんが物珍しそうな声色で僕に尋ねて来た。

 

「すまない。その『ハーレム』…………とやらは何かね? 聞いたことの無い単語だ。もし、それが私の学の足りなさゆえであれば謝るが」

 

 申し訳なさげに尋ねるルドウイークさんを前に、僕は心底驚いていた。ルドウイークさん程の人がハーレムを知らないなんて! これは教えてあげないと!

 

「ご存知ないんですか!? ……えっとですね、ハーレムって言うのは、なんて言うんですかね、その、一人の男の人がいっぱいの女の子と仲良くして、えっとその…………そうだ! ハーレムって言うのはとどのつまり、『男のロマン』です!」

「…………『男のロマン』? では、爆発するのかね。そのハーレムと言う奴は」

「爆発?! なんでハーレムが爆発するんですか?!」

「……いや? 男のロマンとは詰まる所爆発だと、知り合い達(火薬庫の狩人)が語っていたが」

「絶対騙されてますよ! 男のロマンっていうのはもっとこう、満たされてて、おっきくて……うーん、なんて言えばいいのか……」

 

 どこか的外れな事を語るルドウイークさん。この人は、一体今までどんな生活をしてきたんだろう。とりあえず、男のロマンと爆発が直結するのはおかしい。もしかしてこのひと、僕が考えてるよりずっととんでもない人なんじゃあなかろうか――――

 

「………………です」

 

 その時、何事かをエリス様が呟いた。それに気づいて、僕とルドウイークさんはエリス様の方へと目を向ける。すると彼女はいつの間にか立ち上がっており、顔を赤くして、わなわなと体を震わせていた。

 

「……エリス神? どうしたのかね? 何か、ハーレムとやらに嫌な思い出でも――――」

 

 ルドウイークさんがエリス神をなだめるようにそう声を掛けた瞬間、エリス神は僕をきっと僕を睨みつけ、こちらに人差し指を向けて思いっきり叫んだ。

 

 

「――――不採用、ですッ!!!!」

 

 

 その言葉に、僕は口をあんぐりと開けたまま呆然とするより無かった。横に立っていたルドウイークさんも驚愕に目を丸くして、だけどすぐにエリス様を問い詰めようと彼女に歩み寄った。

 

「突然どうしたエリス神!? クラネル少年に何かよからぬところでもあったか!?」

「だーっ! ありましたとも! ハーレムですよハーレム!? 私はね、ハーレムと言う奴を聞くと、昔の大っ嫌いな知り合いの事を思い出すんですよ!!!」

「何を言うエリス神!? それはクラネル少年とは関係あるまい!」

「無いですとも! でもね、ダメな物はダメなんです!! あー今思いだしただけでも腹が立つ……! あのセクハラエロジジィめ!」

「それほどまでに嫌な思い出があるのかね、エリス神」

「大アリですよ! 事あるごとに尻撫でやがって、その挙句に『尻はいいけど、もうちょい、【デメテル】くらい胸が大きけりゃあなぁ……』とか宣うんですよ!? 最後には私の【ファミリア】の主力貸し出させた挙句全滅させてくれちゃったりしてぇ! 【黒竜】も死ぬほど嫌いだけど、あのジジィは殺したいほどに嫌い! あーもー!! ムカつきます!!!」

 

 顔を真っ赤にして地団駄を踏むエリス様にどう対応するべきか分からぬといった風にその前で困惑するルドウイークさん。その一方で、僕は唖然としていた所から、ようやく状況を理解できる所にまで自身を取り戻していた。…………どんよりとした、冷え切った諦観と一緒に。

 

 ――――また、ダメだった。しかも、途中までは悪く無かったのに、僕の最大の動機である『夢』のせいでエリス様に受け入れて貰えなかった。僕は泣きたくなりそうになる自身を堪えながら、がっくりと肩を落とした。すると、それを見たエリス様がしまったというような顔で慌てて僕の前まで駆け寄って来た。

 

「あ……えっと…………あの、クラネルくん。本当に申し訳ないとは思います。君に悪い所は、何処にも無かったです。……でも私、ハーレムは、昔の事を思い出して、ダメなんです。………………ごめんなさい」

「いえ…………それなら、仕方ないですよ」

 

 そう取り繕いながらも、僕は震えていた。僕の夢が、良くなかったのだろうか。でも、僕にとって夢は、とても大事な物で。それを、エリス様とルドウイークさんが心配そうに見つめている。それが、僕にはむしろ耐えられなくて。

 

「…………すみません、ありがとうございました。それじゃあ、僕はここで失礼します。……お邪魔しました」

 

 僕はそれだけ言い残して、【エリス・ファミリア】の本拠地(ホーム)を後にするのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 彼らの前から姿を消すベルの背中を見送ってから、ルドウイークはエリスへと鋭い視線を向けた。それを受け、エリスは気まずそうに視線を彷徨わせる。

 

「エリス神」

「……何ですか?」

「もう少し、言い方という奴は無かったのかね? あれでは、余りにもあんまりだろう」

「…………そうですね、私の浅慮だったかもしれません」

 

 珍しく、心底落ち込んで口にするエリスの姿に、ルドウイークはそれ以上の批難をやめ小さく溜息を吐いた後、壁に立てかけられた<月光>の入った袋を再び担ぐとドアへと手を掛けた。

 

「何処か行くんですか、ルドウイーク」

「クラネル少年を放って置く訳にもいくまい。今日オラリオに来たばかりの少年が【ダイダロス通り】から抜けれるとは思えんしな」

「そうですね、そうしてください。…………あの、ご飯とか、どうします?」

「心配せずとも、適当に済ませてくるさ。いつ戻るか分からんから、戸締りだけは気を付けてくれ」

「分かりました。いってらっしゃい」

「ああ」

 

 短く返すと、ルドウイークは足早に部屋を出て行った。そうしてしばらく、エリスは部屋のドアに寂し気な視線を向けていたが、その内台所へ向かい、今夜ルドウイークと食べるはずだった二人分の玉葱スープを温め始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 僕は【エリス・ファミリア】のホームから出た後、とぼとぼと来た道を戻ろうとしていた。これから、どうしようか。空はもう真っ暗で魔石灯も見当たらないけど、満月の光のお陰で最低限道を歩くのには不自由しなかった。でも、今の僕は文字通りお先真っ暗で、そんな事は何の慰めにもならない。

 

 考えて見れば、当たり前の事だ。どんな夢でも、それを応援してくれる人がいれば、同様にそれを嫌う人だっている。

 

 きっと受け入れてくれると、胸を張って答えた僕が悪かったのだろうか。そんな事は無い、と思う。ただ偶然、エリス様がハーレムに嫌な思い出があっただけだ。だからこそ、僕はどうしようもなくやるせなくなって、涙が零れそうになるのを我慢しながらただただ歩く。

 

 そのうち、どっちに行けば通りに出れるのかさっぱりわからなくなっているのに気付いて、僕は途方に暮れて空を見上げた。

 

「クラネル少年」

「ひゃいぃ!?」

 

 突然後ろからかけられた声に、僕は驚きのあまり情けない声を上げてひっくり返った。その声の主も僕の行動に驚きを隠せなかったようで、少しの間仰天してたけど、その内、初めて会った時と同じように尻餅を付いた僕に優しく手を差し伸べた。

 

「立てるかね?」

「あ……ありがとうございます、ルドウイークさん」

 

 また初めて会った時と同じようにその手を取って立たせてもらうと、それからすぐにルドウイークさんは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「クラネル少年、此度はすまなかった。まさか、エリス神にそんな過去があるとは思いもしなくてな…………」

「いえ、ルドウイークさんは悪くないですよ…………強いて言うなら、僕の夢が悪かったんだと思います」

 

 そう言って僕はまた下を向いて、石畳の網目に視線を彷徨わせる。そんな僕を見かねたか、ルドウイークさんは小さく笑って、その大きな掌を僕の肩に置いた。

 

「そんな事は無い。君の夢はとても立派な物だ。ただ、それがたまたま彼女に合わなかったというだけさ。君の夢の価値は、君にしか付けることはできない……私も多くの若者を見てきたが、君はその中でも特に希望溢れる、良い少年だ。そんな君が抱いた夢なんだ、きっと、それは素晴らしい物なのだろう。だから、胸を張ってくれ。自分の夢の価値を疑わないでくれ」

「ルドウイークさん…………」

 

 その励ましに、僕は何故だかさっきとは違う理由で涙が出そうになって、それを寸での所でぐっとこらえる。ルドウイークさんはそんな僕の顔を見る事も無く肩から手を離すと、背を向けて少し歩いて、僕の事を手招きした。

 

「道に迷っていたんだろう? 【ダイダロス通り】は酷く複雑な作りだからな。私も最初は随分と迷ったものだ」

「そうなんですか? 確かに、なんだか曲がり角が多くてよくわかんない道だなって思ったんですけど……」

「ああ。この通りを作ったという【ダイダロス】が奇人と呼ばれるのも素直に納得できるよ」

「あはは……」

 

 そうして並んで二人で歩いていると、3分も立たずに僕らは通りへと出た。なんでも、僕がルドウイークさんと合流した所は通りからほど近い所で、すぐにでも表へ出られる所だったとのことだ。全然表の喧騒も聞こえなかったのに……。僕はしばらく【ダイダロス通り】に近づくのは止そうと、心に決めるのだった。

 

「さて、こっちだクラネル少年。はぐれるなよ」

「えっ? ルドウイークさん、帰らないんですか?」

「食事もまだ、泊まる所も無いのだろう? ウチに泊められれば良かったんだが、エリス神がいる以上、そうも行かぬしなあ……」

「で、でもそんな! ルドウイークさんにそこまでお世話になる訳には……」

 

 そこまでしてもらうなんて、流石に悪い。だが焦って捲し立てるばかりの僕を見て、振り返りながらルドウイークさんは困ったように笑った。

 

「そう言うなクラネル少年。本当なら、君は今頃暖かいベッドに身を躍らせていてもおかしく無かったのだからな。それに、これは謝罪でもあるんだ。エリス神も気まずそうにしていたし、今夜の食事と一泊を私がどうにかするから、どうか彼女の事を嫌いにならないでやってくれ」

「そ、そんなにしてもらわなくても僕は別に気にしてないですし、お金も……あんまりないですけどどうにかなりますし、エリス様の事だって嫌いになりませんよ!」

「いや、私が気にする。君が首を縦に振ってくれるまで、私は梃子でも動かないぞ」

「ええ……」

 

 僕が断らないと確信しているのか、何処か茶目っ気を感じさせる笑顔でそう言うルドウイークさんに僕は困惑した。でも、この提案は実際渡りに船だ。お腹だってもうペコペコでスープのおいしそうな匂いで涎がやばかったし、寝る所だって最悪野宿を覚悟してた。

 

 ……他に無いかぁ。割と短い時間でその結論に達した僕は、早々に諦めてルドウイークさんに頭を下げた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「凄い賑わいですね」

「君もそう思うかね? 私も、初めてオラリオの人混みを見たときは随分慄いたものだよ」

 

 人混みの中を、ルドウイークさんを見失わないように僕は急ぎ足で歩いていた。オラリオの西大通り(メインストリート)。一般の市民の住居や酒場や宿屋がたくさん見受けられるここは、今の僕達が来るのにピッタリなところだったと思う。僕はルドウイークさんの背中を追いながら軒を連ねる酒場や宿屋の看板を眺めて行った。

 

 ……【豊穣の女主人】亭、【黒い象牙】亭、【赤い宝玉】亭……どこもすごそうなお店だなぁ……。

 

 僕の故郷の村では想像もつかぬ程に賑わい、煌びやかな姿を見せるそう言った店に視線を向けていれば、ルドウイークさんは途中で一本の横道に逸れその先に進んでゆく。僕が慌ててその姿を走って追いかけると意外とルドウイークさんはすぐに足を止めて、僕を手招きしていた。

 

「あの、ここですか……?」

「ああ」

 

 彼が足を止めたのは二階建ての建物だった。壁にかけられた看板を見上げると、酒場と宿屋それぞれの看板が吊り下げられており、もう一つ、樹にとまって羽を休める鳥の絵が描かれた看板がある。名前は【鴉の止り木】亭。

 …………酒場と宿屋、両方やってるって事なのかな? 僕は少し首を傾げたけど、ルドウイークさんがドアを開けて中へと足を踏み入れるのを見て、慌ててお店へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 店に入ると、ランプの淡い光に包まれた店内が僕らを出迎えた。全体的に木目が目立つ内装で、法則無く並べられた四人掛けの丸テーブルとカウンター席、それと奥の階段が目につく。多分、満員になれば30人くらいは入れるだろうか。

 そんな店内の中には僕ら以外にお客さんは片手で数えれる程度しかおらず、少し寂れた様な雰囲気を感じさせる。店の隅でお酒を飲んでいる二人組の片方が何やら弦楽器の物悲し気な音色を響かせていて、それもこの雰囲気の原因なのかな、と僕は思った。

 

「いらっしゃい」

 

 店内を眺めていると、テーブル席の一つに腰掛けていた女性が僕らの顔を見て立ち上がりそう言った。青黒い髪とどこか鋭い目をしているその人は、カラスと思われる黒い鳥のアップリケが縫い付けられた無地のエプロンを掛けていて、テーブルに座っていなければ一目で店員さんだとわかっただろう。でも一番目を引くのは首元からその強気そうな顔の左頬あたりにまである火傷の跡と、肩口より少し先で縛られたシャツの、中身の無い左袖だった。

 

「やあ【マギー】。ここまで客がいないとは珍しいな、今日はどうした?」

「さぁ? そういう日なんでしょ。……貴方こそどうしたの? 今日はエリス神は休みだけど。喧嘩でもした?」

「いや、そう言う訳ではないがね。いろいろあったのさ」

「ふぅん……」

 

 【マギー】と呼ばれたその人は、ルドウイークさんと話し終えると次は僕の方に目を向けた。その気の強そうな美貌に僕はちょっとドギマギして、慌てて頭を下げて自己紹介した。

 

「は、初めまして! 僕は【ベル・クラネル】と言います! よろしくお願いします」

「…………ウチは初めてでしょ? なら自己紹介なんか必要ないわ。何度かウチに来てくれれば、自然と覚えるから」

「おうマギー、折角の客なんだ。そういう事言うもんじゃあねえぜ」

 

 僕の自己紹介にドライな対応を返したマギーさんを咎めるように、カウンター裏の厨房から一人の男性が顔を出した。歳を感じさせる白髪の短髪、少し恰幅のいい体と片目を覆う黒い眼帯。でもその姿に不潔さは無く、にっこりと笑うその顔の皺からは人の良さと温かみが溢れている。

 

「簡単に言うじゃない。ただでさえ癖の強い常連が山ほど居るっていうのに、一見さんの名前なんて覚えてらんないわよ」

「ハハ、それもそうだがな。とりあえずお冷くらい出してやれ。仕事だぜ?」

「ハイハイ了解。それじゃ、すぐ持ってくから好きな席に座っていいわよ」

 

 そう言い残し、カウンターの裏へとマギーさんは消えて行った。ルドウイークさんと僕はそれを追うようにカウンター席に付きメニューを眺める。

 

「好きなものを食べてくれ。私の奢りだ」

「いいんですか?!」

「ああ。見た所、随分と腹を空かせているようだしな」

「で、ではお言葉に甘えて……」

 

 笑うルドウイークさんに、僕は遠慮していたことなんてすっかり忘れて食い入るようにメニューを眺め始めた。どれもお手ごろな値段で、僕一人でも気兼ねなく頼めそうだ。と、なると量と味はどうなのか……そんな事を考えていると、目の前に良く冷えていそうな水の入ったグラスがコトンと置かれて、僕は顔を上げてお礼を言った。

 

「ありがとうございます!」

「ありがとうマギー…………そう言えば今日は姿が見えないが、【彼】はどうした? まさか、喧嘩でもしたのかね?」

 

 先ほどの仕返しとばかりにルドウイークさんが笑って言うと、マギーさんはあからさまに不機嫌そうな顔をしてルドウイークさんを睨んだ。それに彼がまあまあとジェスチャーで返すと、マギーさんは溜息を吐いて苛立たしげに話し出す。

 

「別に。喧嘩なんかしてないわよ。彼が急に休みやがっただけ…………ねぇ! 彼がどこ行くとか聞いてた!?」

「んー? 【フギン】か? アイツならそうだな……」

「昨日は【ムニン】とか呼んでなかった? ちゃんと本名で呼んでやりなさいよ」

「俺はどっちでもいいけどなぁ……奴なら【リヴィラ】に用があるとか言ってたぜ。飲みにでも行ってんじゃねえか?」

「ふぅん。人が仕事してるのを尻目にサボって宴会か。笑わせてくれるじゃない……」

 

 厨房の男性と会話し、怒りに満ち溢れた口調とは裏腹に笑顔を見せるマギーさん。その姿は、今まで見たどの女性よりも恐ろしく、僕はその【彼】という人が今後どんな目に合ってしまうのか、想像するだけでぶるりと身震いする。

 しかし、そんなマギーさんに対して物怖じせずにルドウイークさんが話しかけたせいで、僕の緊張は更に高まった。

 

「お怒りの所悪いがねマギー。部屋は一つ空いてないか?」

「……やっぱりエリスと喧嘩したんじゃないの?」

「違う、そうじゃない。実は訳あってクラネル少年の寝床を探していてね。ここなら、食事と寝床が同時に確保できると思って来たのだが……」

 

 その言葉に、明らかに苛立ったマギーさんは口をへの字に曲げながらカウンターにあった帳簿を手に取って紙を幾枚か捲る。そして目当てのページに目を通した後、近くの棚に掛けられていた鍵の一つを手に取って言った。

 

「二番の部屋は今日誰も使ってないわ。好きにして」

「恩に着るよ」

 

 下手に投げられた鍵を片手でキャッチしてルドウイークさんは礼を言う。しかし、マギーさんはそれに目もくれず厨房へと引っ込んでいった。それを見たルドウイークさんは少し苦笑いして、そしてその鍵を僕にそっと手渡す。

 

「よし、これで君の寝床の問題もクリアだ。寝室は二階にあるから、食事が終わったら向かうといい」

「……珍しいですね。酒場と宿が併設されてるなんて」

「酔い潰れるヤツが多かったからな、ウチの客は」

 

 マギーさんと入れ替わりに厨房から顔を出した眼帯のお爺さんが楽し気に僕らの話に割り込んで来た。しかしその笑顔のおかげか不快感は無く、むしろその語り口に興味を持った僕は更にその人に向けて質問をぶつけてみた。

 

「酔い潰れるって、そんなになるまで飲んじゃうんですか?」

「そりゃあ坊主、冒険者ってのはそう言う奴らが多いからな。そいつらに店の中でグダられてもめんどくさいから、空き部屋に放り込んで後から金を取ってたのさ。いい商売だろ?」

「…………凄い商売だと思います」

 

 そのおじいさんがニカッと歯を見せて笑うのを見て、僕は苦笑いしながらそれに応えた。商売の上手い人だな……でも、この人の笑顔を見てると、何だか祖父を思い出す。全然顔は似てないんだけど、雰囲気と言うか明るさと言うか……そう言うものが、何処か似通っているように感じるのだ。

 

「さて、クラネル少年。お喋りもいいが、そろそろこちらの方にも仕事をして頂こう。私はコショウと鶏肉のスープ、後バゲットを」

「了解。坊主は?」

「えーっと……悩みますね……」

「ちなみに俺のオススメは『テイク・ザット・ユー・フィーンド』ランチだ。後悔はさせねえぜ?」

「じゃ、じゃあそれでお願いします!」

「了解。じゃ、ちょっと世間話でもして待っててくれ」

 

 ルドウイークさんに促された僕がメニューを眺めれば、お爺さんがオススメのメニューを教えてくれたので僕はそれに決めた。しかし変な名前だなあ。勢いでつい頼んじゃったけど、変な物じゃあなきゃいいな…………。

 

「……しかし、今日はすまなかったね、クラネル少年」

「えっ?」

「【ファミリア】入団の事さ。君はあれだけ期待していたのに、それを裏切るような事になってしまったからな……」

 

 また、ルドウイークさんは寂しそうに先ほどの事を話し出した。僕はそんなルドウイークさんを慰めるように、慌ててその話を遮った。

 

「もう大丈夫です。僕は気にしてないですから……」

「そう言ってくれると助かる……ああ、そう言えば【ファミリア】の事なんだが…………【ヘスティア】と言う女神が先日、新設したファミリアの団員を募集していた」

「それ本当ですか!?」

 

 ルドウイークさんの話を聞いて、僕は一気にその話に食いついた。思ったよりも大きい声が出て、僕は自分でも驚いて周囲を見回した。しかし、今は僕ら以外のお客さんは店の隅の弦楽器をかき鳴らす詩人と陰気そうな剣士の二人だけで、その二人もさして此方を気にしていないようだった。僕はそれにホッとして、少し声を抑えてルドウイークさんに話しかける。

 

「そ、それって本当の話なんですか……?」

「ああ。前もこの近くで姿を見たから、明日は彼女を探してみるといい」

「ありがとうございます……! 本当に何から何まで……!」

 

 僕はもうルドウイークさんに頭が上がらず、ただ頭を下げるばかりだ。それをルドウイークさんは一度嫌味なく笑って、それから穏やかな口調で話し始めた。

 

「いや、気にしないでくれ。これは謝罪の気持ちと……あとは、未来への投資かな」

「投資、ですか?」

「ああ…………私には、君がきっと『英雄』になる素質の持ち主だと思えてね。そういう<導き>が、君には見えるんだ」

「そ、そんな! 僕が、英雄なんて……」

「本音さ」

 

 否定する僕に、ルドウイークさんはあくまで真剣な面持ちで対応する。でも、いくらルドウイークさんの言う事でも、僕が英雄になれるなんて流石に言いすぎだと思う。僕はあれだけいろんな【ファミリア】に拒否されて、今日の寝床にも苦労するくらいだったのに……。でも僕のそんな沈んだ気持ちを他所にルドウイークさんは真剣な顔を崩さず、だがどこか寂しそうな顔をして呟いた。

 

「だが、気を付けるといい。英雄と言う奴は、『なるまで』よりも『なった後』の方が難しい…………らしいからな」

「それって――――」

 

 その言葉に僕がどう言う事なんだろうと尋ねようとしたとき、

 

「よう、待たせたな。そんじゃ『これでも喰らえ!(Take That, You Fiend!)』」

「わっ、凄い量ですね!」

 

 ドン、と大きな音を立てて僕の前に置かれた皿の上には、ライスとソースのたっぷりかかったハンバーグ、瑞々しいサラダに切られたオレンジと彩り豊かな品々だ。それがお皿の上にこれでもかと乗せられていて、正しくより取り見取りと言った感じだ。でも、量が流石に多い。これ食べ切れるのかな……?

 

「そいつはとにかく『腹一杯食いたい』って奴向けのメニューでな。俺の気分次第で、とにかくたんまりと皿に乗せてやるんだ。好きなように食って、好きなように味わうといいぜ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 その威容に僕が恐れおののき、何処から手を付けたものかと悩んでいると隣のルドウイークさんの元へとマギーさんが片手で器用にお皿を運んできた。そのお皿には、琥珀色のスープの中に幾切れかの鶏肉が沈んでおり、散らされているコショウの香りが隣の僕の食欲までもをそそった。

 

 ……何だか、いける気がする! 僕はルドウイークさんと一緒に手を合わせ、食材へと祈りを捧げる。

 

「……それでは、食べるとしよう」

「はい。じゃあ、いただきます!」

「いただきます」

 

 祈りを終えた僕達は、それぞれの食器を手に取ってそれぞれの食事に手を付け始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「では、私はここらで失礼させてもらおう」

「もご……んがっぐ…………ごく、ごく……ぷはっ! 今日はありがとうございました、ルドウイークさん!」

「ああ。それではクラネル少年、またどこかで会ったらその時はよろしく頼む」

「はい!」

「それではまた、な」

 

 早々に食事を終えたルドウイークさんは僕の食事代や宿泊費を含めたお金をマギーさんに支払うと、足早に店を去って行った。

 

 凄い人だったなぁ。ルドウイークさんに対する僕の感想は、結局そんなところだった。冒険者としての腕前は知らないけれども、良く気遣いが出来て、誰を相手にも物怖じしない。少し顔は怖いけど、その笑ってる所はむしろ親しみが持てるし……。多分、モテるんだろうなあ。

 

 僕はそんな羨望を胸に少し物思いに耽った後、再び目の前の『これでも喰らえ』ランチに目をやる。その皿の上の食事は最初出てきた時の威容をとうに失ってはいたけど、それでもまだ四分の一くらいは残っていた。

 

 お腹の調子を鑑みて、僕はその力の前に屈服するべきか本気で悩んだ。だけど明日は、ルドウイークさんの言っていた【ヘスティア】様と言う神さまを探してここらを駆けずり回らなくちゃいけない。なら、こんな所で食べ物相手に降参してる場合じゃあ無いはずだ!

 

 僕は気合を入れ、一気にその残りを口の中に流し込んだ。バター風味の付いたライス、濃厚なソースのかかったハンバーグ、そして瑞々しいシャキシャキ感のあるサラダが僕に強い満足感を与え、元から得ていたそれとお腹の中で激突して一瞬戻ってくるような感覚を感じるがそれを何とか抑え込んで口の中の残りを飲みこんだ。

 

「おお、やるじゃあねえか坊主。正直食いきれないと思ったぜ」

「冒険者は、体が資本、ですから…………!」

 

 僕は、脂汗の浮かんだ顔で苦々しいサムズアップをお爺さんに向けた。するとお爺さんは、満面の笑みでにかっと笑い、お皿の上に乗った分厚い豚肉を差し出してきた。

 

「気に入ったぜ。こいつはサービスだ! もう好きなだけ食いやがれ!」

「ウワーッ!?」

 

 叩きつけられた暴力的な善意に、僕は思わずその場でカウンターに突っ伏した。流石にもう無理だ。残りのオレンジの清涼感で何とかやり過ごす僕の計画が、根底から覆された。

 しかし次の瞬間、苦悩にまみれた僕の脳細胞が突如としてなんかすごい勢いで回転し、ダンジョン内で起きるというモンスターの同時多数発生、【怪物の宴(モンスターパーティ)】とその豚肉を瞬時に結び付ける。

 

 ――――追いつめられたところからの敵の増援。これはきっとダンジョンでも遭遇する事象だ。だったら、これはその時の予行演習! 負けてなる物か!

 

 僕は全ての力を振り絞って起き上がり、その豚肉の塊と睨み合う。そしてそこから溢れる湯気が一瞬揺らいだ瞬間隙を突くようにナイフを手に取り、一気に豚肉を真っ二つ。それを口に運んですさまじい速度で咀嚼し呑み込んだ。

 

「うお、すげえ食いっぷりだな……ま、無理すんなよ」

 

 そんな僕を他所にお爺さんはさっさと厨房へと引っ込んでしまった。それに気づく事も無く豚肉を切っては食べ、切っては食べて行く僕。そして五分近い格闘の末、僕は恐るべきモンスター級の肉料理を討伐する事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 ――――次の日、僕はお腹の痛みでお昼前までベッドから出る事が出来ず、【ヘスティア】様と出会うのも予定よりずっと時間がかかってしまい、それは結局夕方あたりの事になってしまうのだった。

 

 




・【彼】:二つ名は【黒い鳥】。


ベル君はこの後無事【ヘスティア・ファミリア】初の団員となります。
マギーとか彼とかあの人とかいろんな人を出すの楽しいです。
逆にベル君のキャラをしっかりつかめてるか不安ではありますが……。

ルドウイークとベル君のコンビで迷宮浅層とかやりたいですね。

今話も読んで下さり、ありがとうございました。


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07:同行者

ギルドでの会話とか。戦闘はないです。本当はその後の冒険パートとかも書きたかったけど10000字行ったりやりたい事があったので一旦投稿です。

感想が100件いきました。とてもうれしいです。
皆様の反応が小説更新の大きなモチベーションとなっております。ありがたいです。
評価お気に入り誤字報告してくださる皆さまもありがとうございます。
これからも読んでいただければ幸いです。



「ニールセン」

「何だ?」

「『ハーレム』……と言うのは、一体何だ?」

「は?」

 

 その日のオラリオは雲一つ無い快晴で、とても清々しい一日を迎えていた。既に年明けから一月が経ち、北西第七区の【ギルド】本部も年明けごろが嘘のような忙しさで賑わっている。

 しかし太陽が真上に昇り切った昼食時。幾人かの職員や冒険者達が昼食の為に席を立ちギルド本部を離れてゆく傍らで、ソファーに座ったルドウイークはニールセンの顔をひどく不機嫌に歪めさせていた。

 

「……突然どうした? その様な秩序に反するような物言いを」

「いや。先日知り合った少年がやたら『ハーレム』について拘っていてな。それが如何なるものなのか、物事をよく知る君なら知っているのではと思ったんだ」

「こいつをくれてやる」

 

 眼前の大男を射殺さんばかりの眼差しを湛えながらそう言うと、ニールセンはカバンの中から一冊の分厚い本を取り出しルドウイークに向けて放り出した。それは10C(セルチ)を優に超えようかと言う厚みと頑強さを伺わせる革の表紙を持っており、少なくとも、片手間の読書に用いるような書ではない。その存在感にルドウイークは少し首を傾げて、ニールセンに問いかける。

 

「これは何だねニールセン。辞書か?」

「そうだ。そいつでその秩序を乱しうる小僧の頭に清く正しい恋愛という奴を叩き込んでやれ。物理的に」

「…………物理的に?」

「その通りだ」

「……………………良く分からないが、それは私の『ハーレムとは何か』と言う質問の答えにはなっていないのでは?」

 

 その反論にニールセンはカバンの中からもう一冊の辞書(鈍器)を取り出して凄んだ。

 

「聞くな。次に聞いたらお前の頭にもそいつを叩き込むぞ」

「…………わかった。この話は忘れてくれ」

 

 彼女の余りの剣幕にルドウイークは参ったと諸手を上げて、そのままソファに深く寄りかかった。ニールセンはそれを見て二冊の辞書を再びカバンの中に放り込んで、机に置かれていたグラスを手に取りその中身を口にする。

 

「……ハァ。それで、今日お前は6階層へと挑戦するんだろう? 大丈夫なのか?」

「恐らくは。予習は、君にしっかりと叩き込んでもらったしな」

「知識だけでどうにかなるなら、ダンジョンで死ぬ奴などいるものか」

「そうだな」

 

 どこか捨て鉢に、吐き捨てるかのように言うニールセンの言葉に同意し、ルドウイークも用意されていた水を口にした。そして机に肘を突き、顔の前で両手の指を組んで先ほど聞かされた第6階層についての情報を整理し始める。

 

「6階層からは、モンスターの顔触れが変わると言っていたが……」

「ああ。覚えているだろうな? 言ってみてくれ」

「………………【ウォーシャドウ】。通称【新米殺し(ルーキーキラー)】。影じみた異形の人型モンスターで、頭部は謎の円盤、そして両手に備わった三本の指がそれぞれ短刀のような形状をしており、並のレベル1冒険者以上の剣戟を繰り出す…………合ってるか?」

「まあ、概ね正解だ」

 

 腕を組みルドウイークの解説を聞いていたニールセンは、その内容に満足そうに頷いた。ルドウイークはそれを見て口角を上げ小さく肩を竦める。

 

「やはり、講師の腕が良かったからだろうな」

「……フン、当然だ。今まで何人にこの説明をしたと思ってる」

 

 その返答にルドウイークは苦笑いして、冗談とも本気とも取れないような称賛を送った。一方、ニールセンはどこか遠い目をしてから小さく鼻を鳴らすと、一抹の寂しさじみた物を滲ませながら答える。

 そこにルドウイークは彼女が今までこの知識を授けて来た者達の後姿を僅かに見出して、その者達が如何なる道を歩んだのか……それに興味を持ちはしたが、彼女に問い質そうと考える事は無かった。

 

「…………さて、では私は行くとしよう。6階層までは、短い道程では無いしな」

「ああ。精々気をつけろ」

「分かっているとも」

 

 笑って言うニールセンに皮肉めいた笑みを返すと、ルドウイークはグラスの水を飲み干し<月光>を隠した革袋と背嚢(バックパック)を背負って席を立った。その腰に()いた長剣が白装束に括りつけられた巾着とぶつかって音を鳴らす。

 

 この巾着の中には、先日の探索の際換金しなかった【魔石】が幾つか詰められていた。今回、ルドウイークの大目的は第6階層への到達と調査ではあるが、同時に魔石を用いた<秘儀>の使用の可否も成すべき事の内に入っている。

 元より、水銀弾を用いるための形状に最適化された<小さなトニトルス>は持ち込んではいないが、<エーブリエタースの先触れ>を初めとした純粋な神秘のいくつか、それをルドウイークはダンジョンの中で試してみる腹積もりだ。

 

 ――――上手く行けばいいが。

 

 ルドウイークは外套の裏に縫い付けられた雑嚢の内、神秘を潜めた幾つかのそれに意識を向けた。秘儀の使用において最も重要な要素は神秘に強い適性を持つ<血>である。だが、神秘に良く似た要素である【魔力】を内包する魔石であればその代用となりうるのではないかという仮説は、当初からルドウイークの内に在った。

 当然、使用できればそこから<ヤーナム>への帰還の手掛かりを探るのが最も肝要ではある。しかしそれに並ぶ程度には、秘儀が使えるという事実は大切だ。

 

 何せ、それは<宇宙>に繋がる生粋の神秘。自由に月光の真を振るえず、全力を出す事の叶わぬルドウイークにとって、その力はとてつもなく有用な物だ。

 それにこの世界には個々人に発現する【魔法】なる業があると言う。その効力は千差万別であり、故に秘儀を他者に目撃されてもそれは彼の習得した魔法であると言い訳できるとルドウイークは踏んでいた。

 

 そしてヤーナムへの手がかりは秘儀のみならず、ダンジョンそのものからも見いだせるかもしれない。ルドウイークは常にその可能性を頭の隅に置いている。そして5階層までの調査が終わった以上、彼が6階層にその焦点を合わせるのは当然の帰結であった。

 

 しかし、既に上層の調査(マッピング)などは過去の冒険者達によって成されている場合が殆どだ。<啓蒙>無き彼らとは言えその情報は幾度と無く検証され、具体的な信頼性を持っている。故に、上層では啓蒙無き彼らが手がかりを見落としていることに賭けるしかルドウイークには無い。

 中層ともなれば未知の区域も出てくると言うが、ダンジョンは下層に向かうほどその面積を増す。であるからして、ダンジョンの調査を進めるほどそれにかかる労力も加速度的に増えていくだろう。

 

 前途多難だなと、ルドウイークは少しげんなりした。

 

 ヤーナムへと繋がる<導き>も未だに見える事は無い。結局、この迷宮都市の人波に紛れ一歩一歩やるしかないと言う訳だ。<聖歌隊>や<メンシス>、そして<ビルゲンワース>の者たちもこの様な果て無き探索を己に課していたのであろうか。で、あればそれは間違いなく狂熱と言うより無いだろう。

 

 …………彼らからすれば、私の持つヤーナムへの帰還の動機も、きっと似たものなのだろうが。

 

 その諦観を一旦脇に置き、立ち上がったルドウイークはニールセンに小さく会釈すると彼女に背を向けてギルド本部の出口へと歩を進め始める。その時、彼らが座していたテーブルの傍に設けられた応接室の扉。そこから見覚えのある白髪紅目の少年と、初めてギルドに来た際に応対に当たった受付の女性が姿を見せた。

 

「――――ベル君。確かに君は【神の恩恵(ファルナ)】を身に付けて冒険者になったけど、でも、だからこそ気を付けなきゃダメだからね? 最初の冒険が、最期の冒険になっちゃった人だって居るんだから」

「は、はい……」

 

 恐らく、その受付嬢が何度も何度も口にしたであろう戒めを改めて受けた少年は、目に見えて緊張しながら彼女の言葉にブンブンと首を縦に振っている。真新しいギルド支給の軽防具にこれまたギルド支給のルドウイークも未だに携帯する短刀を身に付け、小さな背嚢を背負った姿はまさしく駆け出し冒険者の典型と言った所か。

 

 それを見てルドウイークは、初めてこのギルドの門を潜った時の事を思い出して小さく笑う。一方、おどおどと縮こまりながら受付嬢と共に歩いていた少年はルドウイークの姿をその視界に認めると、それまでの不安げな顔が嘘の様に満面の笑顔を浮かべてルドウイークに向けて大きく手を振った。

 

「ルドウイークさん!!」

「おっと」

 

 彼と彼女の邪魔をしては悪いだろうと思い、早々にこの場を立ち去る腹積もりであったルドウイークはその声に足を止め改めてそちらへと向き直った。その彼の元に白髪の少年が小動物めいて駆け寄ってきて、元気良く頭を下げる。

 

「お久しぶりです! 先日はどうもありがとうございました!」

「ああ。と言っても二日ぶりだが……その様子を見るに、【ファミリア】には入る事が出来たようだね、クラネル少年」

「はい! ルドウイークさんが教えてくれたおかげです! お陰様で無事【ヘスティア・ファミリア】に入れて頂く事が出来ました!!」

「それは喜ばしい事だ。それで、今日はギルドで何を?」

「えっと、昨日【ヘスティア】様と登録には来たんですけど、今日まで【エイナ】さんにダンジョンについての講習を受けてまして。ようやくダンジョン挑戦にOKが出た所です」

「成程……で、これからダンジョンに向かおうと言った所か」

「はい!」

 

 元気よく事情を詳らかにするベルに、納得したようにルドウイークは頷く。そして、こちらに歩み寄って来たハーフエルフの受付嬢へと視線を向け小さく会釈をした。

 

「どうも、先日は世話になりました。<ルドウイーク>です」

「ああ、どうも。ニールセンさんからお話は伺ってます。【エイナ・チュール】です」

「よろしく」

「こちらこそ」

 

 そのまま二人は友好的な笑顔を浮かべたまま軽く握手をした。それをベルは横から少し不思議そうに見つめている。

 

「ルドウイークさんとエイナさん、お知り合いだったんですか?」

「私がギルドに来たときに最初に応対してくれたのが彼女でね。顔は覚えていたが、まぁ名前は今まで知らなかった」

「私はニールセンさんから聞かされてましたけどね。『この数年で担当した冒険者の中では一番死ななそうだ』、と珍しく褒めてましたよ」

「チュール、余計な事を言うな」

 

 エイナがルドウイークへのニールセンの言葉を暴露すると、三人の様子を眺めていたニールセンが不機嫌そうな顔で会話へと割り込んで来た。それにルドウイークとエイナは実に意外そうな顔をし、ベルは突然の乱入者に目を白黒させる。

 

「え、えっと、どちら様ですか……?」

「【ラナ・ニールセン】。【エリス・ファミリア】の担当だ。それよりお前、短刀以外に武器が無いなら腰の後ろではなく左右どちらかに身に付けろ。背嚢が邪魔になるし、今のままでは右手でしか掴めんぞ。左手しか空いてなかったらその時如何するつもりだ?」

「あっ……はい、仰る通りです、すみません…………」

 

 勇気を持って彼女に名前を聞いたベル。だがしかし、端正な顔から繰り出されるその苛烈な物言いにあっという間に委縮し、先ほどの元気さも見る影なくしょんぼりと肩を落とした。それを見て、エイナが少しムッとした表情でニールセンに口を尖らせる。

 

「ニールセンさん、言いすぎです。ベル君はまだダンジョンに潜った事無いんですよ」

「ならばむしろ幸運だったな。怒られただけで死から遠ざかる事が出来たのだから」

 

 しかしニールセンはその反論もどこ吹く風と言った様子でベルを睨むような目つきで見据え、更に鋭く彼に向け口を開いた。

 

「クラネルと言ったか。チュールにも聞いただろうが、ダンジョンで最も近しい隣人とは死そのものだ。だからこそ常に最適化は怠るな。初期は可能な限り短い間隔で【ステイタス】を更新し、それに合わせて装備や動きを最善のものに組み直せ。これは装備の交換だけじゃなく、そもそもの装備位置、持ち込むアイテムの配置、自身のステイタスに即した行動選択肢の模索と言った物も含まれる。ダンジョンの中だけでなく、地上ですらやるべき事は多い。その事を忘れれば、死はすぐにでもお前の首に手をかけるぞ」

「………………むぅ」

 

 ニールセンの論を聞き終えたエイナは、納得は行かなそうな顔ではあったが反論する事は無かった。一方ベルは最初こそ下を向いて暗い顔をしていたものの、彼女の話を聞き終えるや否やまず短刀の位置を腰の横へと直して他の装備の位置を確かめ始めた。

 

 確かにニールセンの物言いはお世辞にも褒められた口調では無かっただろう。しかし、それは新人に向け経験から導き出した彼女なりの激励であるのだろうと、ルドウイークは好意的に考えた。そして、場の空気を取り成そうと穏やかに笑って、苛立ち気味のニールセンに声をかける。

 

「ニールセン、随分とクラネル少年には手厚いな。君は私に対して、そこまでしっかりとしたアドバイスはしてくれなかった気がしたが」

「心配が必要か? 今までロクに傷一つ負ってきた事も無いお前に?」

「………………ぬぅ」

 

 どこか冗談っぽさを交えて言ったルドウイークは、帰ってきた言葉と視線の冷たさに気まずそうに顔を歪め、何かを誤魔化すかのように視線を彷徨わせた。

 事実、ルドウイークは未だにダンジョンで手傷を負った事は無い。迷宮上層のモンスター達では、とてもではないが彼に太刀打ちする事など出来ぬ。

 それ以上に、ヤーナムでの経験が彼にそれを許さない。熟練の狩人が僅かな傷から調子を狂わせ、獣に貪り食われる姿をルドウイークは幾度と無く目撃してきた。そして、彼自身もそうなりかける事などもはや数え切れぬ程経験してきた身である。

 

 故に、回避に特化した軽装の装束を狩人達は好む。無事に帰還するには、無傷が一番の近道だからだ。…………実際の所は、そもそも獣ども相手に重装の防具など何の頼りにもならぬと言うのが最大の理由なのだが。

 

 ふと、今まで相対してきた獣どもをルドウイークは想起する。ヤーナムに跋扈する異形の怪物ども、<聖杯>を用いて<地下>へと潜った先で待ち受けていた<トゥメル>の<番人>たち。そして、現実とも悪夢ともつかぬ深奥にて見えた、真なる<上位者>ら。

 

 ――――この【迷宮(ダンジョン)】の奥にも、彼らの如き存在が居るのだろうか。

 

 その思索に、ルドウイークは未だに果てを見せぬという迷宮都市(オラリオ)のダンジョンへの畏怖を新たにした。この様な神秘がヤーナムに存在すれば、それこそ<教会>は屍の山を築いてでもその深淵へと手を伸ばしたであろう。だが、この世界ではそうはなっていない。

 未だに陽の目を見ぬ秘密は数多にあるのであろうが、少なくとも、表向きはそれが取りざたされる事も無い。故にこのオラリオは、ヤーナムに比べてずっと気楽に過ごす事が出来るのだろう。ルドウイークはそのように納得した。

 

「ルドウイークさん、ダンジョンで傷一つ負わないってホントですか?」

 

 その時、不意に投げかけられた声にルドウイークは振り返った。視線の先にはベル。ルドウイークが思案を重ねている内に調整をしていたのか、その装いは先程までの見かけの物とは違い最適な物へと近づいている。

 

 この短い間に、よく調整したものだ。素直であるのは彼の美点だろう。ルドウイークは感心し、そして質問にどう答えるべきか策を巡らせた。無視するのは悪い。だが正直に『出会った敵は大抵一撃で殴り殺すなりしているからな』などと答える訳にも行かぬ。何と答えるべきか………彼はこの時、自身が<ローレンス>や<加速>程に頭の回る人間であればと少しばかり悩んだ。

 

「この男は確かにお前と同じレベル1だが、全くの新米と言う訳ではないからな」

「そうなんですか?」

 

 眉間に皺を寄せ、何と答えるべきか思案していたルドウイークの心中など知らずにニールセンが助け舟を出した。その言葉にルドウイークは内心で安堵し、一方ベルは首を傾げる。

 その姿を見かねたニールセンは、淡々とエリスがルドウイークに与えた『設定』通りの話をベルにも教え始めた。

 

「こいつは【ラキア王国】……【アレス・ファミリア】の元団員でな。戦場での経験は10年近くあるはずだ。幾らオラリオ外でのレベルアップが困難な物だとしても、それだけの経験があれば迷宮上層の内更に浅い階層なぞ片手間で切り抜けられるはずだ。そうだろう?」

「ああ、その通りだニールセン。助かるよ」

「これで一つ貸しだな。今度何か奢れ」

「喜んで」

 

 ニールセンのフォローにいたく感動したルドウイークはその厳めしい顔に似合わずバツの悪そうな苦笑いを見せた。それを見たニールセンは腕を組み、どこか楽しげに笑う。しかしベルはその説明を聞いて、少し不思議そうに首を傾げた。

 

「…………あれ? でもルドウイークさん、確か前に『他のファミリアの事はよく知らない』って……」

 

 ベルのそのつぶやきを捉えて、ルドウイークは彼と初めて出会った日の会話を即座に思い出し絶句した。そう言えばそんな事を語っていた気がする。完全に考え事をしながらの雑談であったので、真実を何気なく口にしてしまったのだろう。ルドウイークには演技が分からぬ。彼は誠実な男であった。眉間の皺を更に深くし、どうやってこの状況を脱するべきか必死に思索を巡らせる。

 

 しかし、あの時雑談で語った事をキッチリ覚えているとは……素直で吸収が早い彼の美点を、ルドウイークは小さく恨んだ。そして先程よりも悪化したこの状況を自身の拙い演技力でいかに乗り切るか――――<導き>は何も示さない。

 

 …………もはや、万事休すか。活路を見いだせず、ルドウイークが勝手に深刻さを増していたその時、蚊帳の外にいたエイナがふと時計を見て口を開いた。

 

「……ねぇ、ベル君。そろそろ出発してもいいんじゃない? 早くしないとお昼を終えた人達が一気に戻ってくるから、その前に行こうって話だったよね?」

「っそうでした!」

 

 彼女の言葉に、ベルは慌てて時計に目を向けた。まだギルドの職員達は戻ってきてはいないものの、ここからダンジョンに向かう間にその状況は一変するだろう時間帯だ。彼は慌てて装備の調整のため降ろしていた背嚢を背負い直す。その様子に、ふとルドウイークは疑問を感じて横のエイナへと問いかけた。

 

「なぜそれほど急ぐのかね? 他の冒険者が多い時間の方が、安全は安全だろう?」

「他の冒険者さんたちが居たら【経験値(エクセリア)】が溜まらない……経験になりませんからね。確かに冒険者の半数はレベル1ですが、ダンジョンの第1階層に苦しむ人と言うのは流石にその中でも多くありません。ベル君くらい駆け出しだと、他の冒険者さんたちに先にモンスターを倒されてロクに戦う事も出来ずお金だけが減っていくなんて事もあるんですよ。まぁ、周りに人が居ればいるだけ、助けて貰える可能性は上がりますけどね」

「成程。それは、確かに世知辛い――――」

 

 同意を口にしたその時。ルドウイークは導きではない、閃きとでも呼ぶべき思索を見出した。

 自身が逆の立場であれば、詮索を止める理由は何がある? 思い出せ。アレは確か<マリア>が<ゲールマン>翁の元へと転がり込んでから、そう経っていなかった頃だ。彼女はいかにして、自身の出自への詮索をかわしていたか。

 

「…………なら、折角だ。君の初挑戦に、私も同行させてもらえないか?」

「いいんですか!? ぜひお願いしたいんですが!」

「おい待てルドウイーク。お前、今日は6階層に挑む予定だったはずだろう」

 

 驚愕し、そして喜ぶベルに対して、ニールセンは予定の変更を強く咎めて来る。しかし、ルドウイークはその追及に肩を竦め、それが的外れの物であるとでも言いたげに笑った。

 

「ニールセン。そう慌てずとも、ダンジョンは逃げも隠れもしないだろう?」

「確かに……そうだがな」

「それにこれも何かの縁、という奴だ。あとは――――」

 

 そこで一度言葉を切ってから、ルドウイークは少し寂しそうな目をしてベルを見た。

 

「――――顔見知りに死なれてしまうかもしれないと思うとな」

「下らんセンチメント(感傷)だ」

「君が言うかね」

 

 不満げに、しかし満足に反論できなかったニールセンの姿に目を細めた後、ルドウイークは改めてベルに向き直る。そしてその顔を真っ向から見据えてから、自身を納得させるかのように一度頷いた。

 

「……ついでに言えば、彼に【ヘスティア・ファミリア】について教えたのは私だからな。ある程度責任は取っておかねば、かの女神にも示しがつかん…………まぁ、そう言う訳だ。構わないかね、チュール嬢?」

「えっ。あ、いえ、私からすれば、願ったり叶ったりではありますが……」

「決まりだな」

 

 彼女の同意に頷いて、ルドウイークはベルの前に歩み寄った。その体格差にベルは僅かに気圧されたようだったが、彼が自分に向けて手を差し出すと、少しだけ迷った後にしっかりと握手を返して、力強い目でルドウイークを見上げた。

 

「ではクラネル少年、よろしく頼むよ」

「はい、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 ルドウイークは彼の手を握りながら小さく笑いかけ、ベルもそれに笑顔を返す。そうして二人は見送るエイナとニールセンを背に、ギルドを後にしてダンジョンへの道を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………やっぱり、緊張しますね」

 

 ダンジョンへ向かう道すがら、通りすがる冒険者達の威容をまじまじと見てベルが呟いた。すれ違う彼らは皆が皆それぞれ全く違う装備で身を固めており、更にはその多くが使いこまれた物である事が見て取れる。

 その姿は、今だ傷一つ無い新品の装備を手にしたばかりのベルにとっては緊張を持って見据えるべきものなのだろう。それを横目に、ルドウイークは神妙な顔で呟いた。

 

「私も最初は緊張したものだ。不必要に気合を入れすぎて、やる気ばかりが空回りしてしまったものだよ」

「ルドウイークさんでもそうなんですか?」

「ああ」

 

 ルドウイークは目を伏せ、ベルの言葉に小さく頷く。

 

「何せ、初めての冒険と言うのは初めての事だらけだ。命だってかかっているし、緊張するのは当然の事だろう」

「そうですよね…………ちょっと安心しました」

 

 胸をなでおろすベル。その姿を眺めながら、ルドウイークは幾つかの思案を並行して進めていた。この同行で、本当の意味でのルーキーの立ち回りを見て覚える事が出来るという打算。ベルへの同行による<秘儀>の試運用の中断。6層から1層への挑戦階層の変更による今日のスケジュールの変更。

 

 ――――そして、彼に詮索をさせぬ方法。実の所、ルドウイークのベルによる詮索に対する警戒は些か過剰に値するものであったのだが、彼はエリス神の指示を律儀に守ろうと考える余りその事に気づいてはいなかった。

 そんな発想に至らぬルドウイークは、かつての同輩である<マリア>がその素性を探られずに済むために取った方法に今一度思いを馳せる。

 

 マリアがその秘密を守るべく取った方法は、これ以上無く穏やかな物だった。それは詰まる所単純に『恩を売る』事である。かつて彼女は自身の素性を探ろうとする者達を尻目に、狩人達へ余りに多くの貢献を成していった。<加速>や<烏>と共に挑んだ<双黒獣>との戦い、突如現れた<銀獣群>の殲滅、<僻墓>の最深における<番人長>との壮絶な剣戟戦………………彼女の逸話は語り始めればきりが無い。

 その内、その美しさも相まって彼女を支持するものの数は加速度的に増えて行った。小さな疑念などそれが霞むほどの功績の前には余りにも無力で、いつのまにか彼女を訝しむ声も聞かれなくなったものだ。

 

 

 

 だが、時を経て時計塔の最上部で相対した彼女は秘密を守るためならば他者の殺害さえも躊躇せぬ番人と化しており、その刃の前にルドウイークは死を迎える事となったのだが。

 

 

 

 ルドウイークは嘗ての彼女の行動に倣い、自身を疑ったベルに対して誠意を持って対応し続けようと考えていた。

 それで疑念が消えるわけではない。それは疑念を『どうでもいい』と思わせる類のやり方だ。本来であれば何らかの方法で彼に詮索しない方がいいのだと理解させるのが良いのであろうが、ルドウイークにはそれの上手いやり方は自身がやりたくないと思えるものしか思いつかず、結局はこうしてベルと並んでダンジョンを目指している。

 

 だが、ルドウイークはそれを悪く無い事だと捉えていた。確かに彼にとって無用な詮索は避けねばならぬ。しかし同時に、同じ道の先達故の後進を思いやる心もある。それが自ら導いた結果であるのならなおさらだ。

 

 畢竟(ひっきょう)、ベルの詮索を止めさせる事が出来ればいいのだ。ならば、善意によってそれを成す事が出来れば、それは正しく最良の結果であろう。

 

 ルドウイークはそう、ベルの疑念に対する対応への結論を出して、次にこれから始まる彼の初めての冒険に対し、自身がどう関わっていくべきかを考えはじめた。

 

 ……あまり、私が前線に立ちすぎても意味が無い。実力から更なる疑念を持たれる危険もあるし、彼の『経験』にもならないだろう。やはり程よく彼を窮地に追い込むべきか…………いや、彼は<狩人>では無い。とりあえずは、【ゴブリン】あたりと戦わせて様子を見るとするか。

 

 かつて<ヤーナム>にて市井の物から狩人を募り彼らを鍛えた経験から、ルドウイークはベルに対してどこまで戦わせるかを慎重に計画してゆく。本来、ルドウイークは後進の命を心配するあまり少しばかり訓練が過度になるという悪癖があったが、ここはオラリオ。ヤーナムと違い<血の医療>も無く、<輸血液>の手持ちも無い。

 せめてポーションでも大量に持っていれば話は違ったのだろうが、元来一人でダンジョンに潜る予定だったルドウイークの手持ちには大した在庫は用意されていなかった。

 

 慎重を期してやるより無いか。ルドウイークがそう結論付ける頃、二人は摩天楼(バベル)直下の中央広場(セントラルパーク)へと辿り付く。目前には、幾人もの冒険者が姿を消して行くバベルの入口。それを見たベルが緊張につばを飲み込み、一方ルドウイークはどれほどの間地下に潜り続けるべきかを思案している。

 

 二人の冒険は、今まさに始まろうとしていた。

 




やっぱ原作主人公とパーティ組ませるのは二次創作の醍醐味だと思うでございます。
ベルくんビビらせたい(小学生的発想)

フロムの新作ダークファンタジー発表ありましたね。
宮崎さんと『氷と炎の歌』のマーティン氏とか完全に覇権でベストマッチでグランドクロス現象でしょ……。
ニンジャヘッズとしても見逃せない(逆噴射クラスタ)
絶対買うからそのお金をアーマードコア6の開発費に回して(懇願)

あと活動報告で少しリクエストとかアンケート的な物をやっております、良ければご協力ください。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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08:挑戦と再会と

ベル君の初ダンジョンに同行、19000字くらいです。

感想評価、お気に入りに誤字報告、何時もお世話になっております。


 【始まりの道】を抜けダンジョンの第一層に到達したベルとルドウイークは、しばし足を止めその光を放つ天井をしばし見据えていた。

 

「ダンジョンって、こんな風になってるんですね……話には聞いてましたけど」

「上層の殆どはこのような明るい洞窟じみた場所らしい。ただ、下の層に行けば大きく景色も変わると言うが」

「ふーん……」

「何でも大樹の(うろ)や湖じみた場所もあるらしい。私は、そこまで潜った事は無いがね」

 

 そこで一度言葉を切るとルドウイークは周囲を見渡す。第一層に到着したばかりの二人のそばを何組もの冒険者が通過してゆく。昼を過ぎ、腹ごしらえを終えた者が殺到し始める時間帯ともなれば、この辺りの混雑具合は今の比ではなくなるだろう。

 

「まずは、2層に向かう人達の通らない場所へ向かおう。モンスターが生まれてもここではすぐに倒されてしまうからな」

「はい!」

 

 当面の目標を決めたルドウイークはこのルートを離れるべく歩き出し、ベルはその後に続いた。彼らは少し進んだ後脇道に逸れ、そのまま奥へと進んでゆく。

 前を行くルドウイークの歩みは慎重そのものだ。警戒を怠らず、時折後方の様子も見ながらモンスターを探している。しかし、そこにベルは一つおかしな点を見つけて小さく首を傾げた。

 

「あの、ルドウイークさん?」

「む?」

「どうしてそんなに壁際を歩くんですか? エイナさんは『モンスターの出現があるから道は壁際より真ん中を歩いた方がいい』って言ってたんですけど…………」

「…………………………」

 

 その問いにルドウイークは何かに気づいたように目を丸くして、しばし額に手を当てて考え込んだ。

 

「いや、そうだな……盲点だった…………ここでは、足元のトラップに気を付ける必要性も薄かったな……」

「ルドウイークさん?」

 

 顔を伏せ何やらぶつぶつと呟くルドウイークに、ベルは何かよからぬことを聞いてしまったのかと申し訳なさげに声をかける。しかしルドウイークはそれに対し誤魔化すように笑って、取って付けた様な答えを返した。

 

「いや、昔は道の真ん中を歩くと良からぬ事になったものでね……その時の癖が抜けないんだ」

「あ、そうなんですか……」

 

 その返しに何となく、これは聞かない方がいい事なんだなと直感したベルは苦笑いしながら前を向く。するとかなり先で所在なさげにうろつく一匹の【ゴブリン】が目に入った。そのゴブリンは二人の見ている前で道を曲がり、姿を消してしまう。

 

「丁度いいな」

「そうですね」

 

 二人は顔を見合わせて頷くとそのゴブリンの後を追い、辿りついたT字路から顔を出して様子を伺う。そこでは先ほどの個体と思われるものを含め三体のゴブリンがたむろしており、ベルは過去のトラウマに身をぶるりと震わせた。

 

「や、やっぱりこうしてまじまじと見ると怖いですね……」

「一体ならともかく、三体相手は余りしたくないな」

「ならどうするんですか?」

 

 疑問を浮かべるベルに対し、ルドウイークは小さく笑いかけた。

 

「アレは私がやる。クラネル少年は、一先ず見ておいてくれ」

「……はい! お願いします!」

 

 元気の良いベルの返答を聞き届けたルドウイークは外套に縫い付けられた雑嚢の一つに手をやり何かを取り出した。何らかのアイテムであろうか? 一体何を取り出したか気になって仕方のないベルは、それを間近に見ようと身を乗り出す。

 少なくとも武器では無い。ルドウイークの持つ武器は背負った革袋に隠された何か、腰に佩いた長剣、そして自分と同じ短刀である事は見て理解していたからだ。その為、どんな道具が飛び出すのかと彼は目を皿のようにしてルドウイークの手元を注視していたが、彼が握っていたのはそんなベルの予想を大きく裏切るものだった。

 

「…………石?」

「ああ、<石ころ>だ」

 

 ベルの拍子抜けしたような声に、ルドウイークは手に握りしめたそれを良く見えるよう彼に差し出した。それは、どう見てもただの石であった。ただ、妙に綺麗な球形をしているのがベルには引っかかったが、まじまじと見つめてもそれは石以外の何物でもない。

 

「それで、どうするんです?」

「見ていたまえ」

 

 ベルが首を傾げる前で、ルドウイークは綺麗なフォームで振りかぶって握りしめた石を思いっきり放り投げた。そのまますぐに壁の陰に身を滑り込ませて彼は気配を殺す。次の瞬間何かがぶつかる音と共にゴブリンの『ギャン!』という短い悲鳴。それを聞いたベルは、納得したようにルドウイークに話しかけた。

 

「……もしかして、ゴブリンの注意を引くために?」

「可能な限り、有利な状況で戦うのは狩りの基本だ。三匹を同時に相手するより、一匹を相手する方が容易い…………あくまで我々は【レベル1】。御伽噺に出てくるような英雄では()()()()からね」

 

 笑って言うルドウイークに、ベルは何故か一抹の寂しさと言うか、予想が空振りしたような感覚を覚える。自分をこのダンジョンに導いてくれた眼前の人物に何か期待でもしていたのだろうか。英雄じみたルドウイークと言う男に、実際に英雄らしくあってほしかったのか……。

 そんな子供じみた思いを身勝手なわがままだと振り払って、ベルも気配を殺してゴブリンの接近を待った。5秒、10秒、30秒…………まるでその時間が、無限遠じみた長さに感じ、息を飲む。かつて自分を殺しかけたゴブリン、その一体が今まさに目の前に現れようとしているのだ。ルドウイークが相手をすると言うが、いざとなったら自身も戦わねばならない。

 

 もし、ルドウイークさんじゃ無くて僕の方に襲い掛かってきたら。ベルは短刀を抜いて、万が一の事態の事も考える。そして緊張に滲んだ汗を袖で拭った。

 

 一方、ルドウイークは神妙そうな顔をして、首を傾げて口を開く。

 

「……………………遅いな」

「えっ?」

 

 その言葉に、錯覚ではなく実際にそこそこの時間が経っているのだとベルは気づいてルドウイークへと目を向けた。眼前のルドウイークは長剣に手を掛けつつ、難しい顔をしてゴブリンを待っている。しかし、当のゴブリンが近づいてくる気配はない。

 そこで、ルドウイークは手ぶりで様子を見るようにベルに促した。それに従い、ベルは顔を曲がり角から覗かせて様子を見る。

 

「………………あっ」

 

 そこには二匹のゴブリンと、その間に倒れ伏して後頭部から血を流す一匹のゴブリンを見る事が出来た。

 

「どうだね?」

 

 ルドウイークの問いに、ベルは難しい顔で振り向いて気まずそうに口だけを歪ませた。

 

「えっと……当たり所が悪かったみたいで……倒れちゃってますね、ゴブリン」

「本当か?」

 

 訝しむような声色で返したルドウイークは自身も角から顔を出しその光景を確認して、頭に手を当て溜息を吐く。そしてすぐさま意識を切り替え、長剣を手に取り曲がり角へと姿を晒した。

 そしてちらと、横目にベルに目を向けるルドウイーク。その試すような視線に、ベルは強く短刀を握りしめた。

 

「クラネル少年、右のは私がやる。左は任せても構わないか?」

「……分かりました」

 

 ルドウイークの指示にベルもまた道へと姿を晒した。しかし、倒れた同胞に気を取られているゴブリン達は未だにこちらに気づいた様子はない。そんな彼らの元へ、一歩、また一歩距離を詰めて行く。

 

 ベルの短刀を握った手に更に力が籠った。イメージは出来ている、練習もした。しかし、実際に命懸けで戦うとなれば話は別だ。一番安全なのはこの場から踵を返しすぐさま立ち去る事なのだろう。だが、彼がそれを選択する事は無い。

 それは、自身の用事を取りやめ付き合ってくれたルドウイークへの義理。ずぶの素人であった自身に知識を与えてくれたエイナへの恩。冒険者として、これが自らが抱いた夢の為の第一歩だと理解している自分自身。

 

 何より、自身を受け入れてくれた大切な神様(ヘスティア)の為に。

 

 ベルは眼前のゴブリンに気づかれぬよう慎重に歩みを進め、その首に狙いを定める。モンスター最大の弱点は魔石だ。だが、それ以外にも生き物を殺すためのやり方は大抵通用する。首を切るのもその一つ。しかし自身の腕では、一撃でゴブリンの首を刎ねられるかと言うと、まだまだ不安が残る。

 だからこそベルは更に慎重を期して彼らへと忍び寄った。もっと。あと五歩。そこまで行ったら、飛び出して首を、あるいは心臓を――――――――彼がそう思案した瞬間、隣で白い影が翻った。

 

 眼を見開いたベルの横から、ルドウイークが先んじて駆け出した。まだ、ベルの間合いには幾分遠い。それに驚き彼もその後を追って走り出そうとする。だが、寸での所で気づく。その疾走の静かさに。

 そして、思わずベルが足を止めている間に気付かれる事無くゴブリンへと肉薄したルドウイークは、自身が狙うと宣言したゴブリンに対し杭じみた勢いの飛び蹴りを撃ち込んで二体を分断するように盛大に吹き飛ばした。

 

『ギギィッ!?』

 

 目前で同胞を蹴り飛ばされたもう一匹のゴブリンが、勢いそのままに自身の前を通り過ぎるルドウイークに気を取られ彼を追おうとベルに背を向ける。それが、ルドウイークのお膳立てした好機である事にベルが気づくのに、それ程の思案は不要だった。

 

 瞬間、ベルは一気に駆け出す。これほど最高の形で迎えられる『一撃目』が他にあろうか。短刀を振りかざし、一気にゴブリンへと肉薄する。その一歩一歩の速度も、オラリオに来る以前の自分よりも確かに速くなっていると確信できた。

 

 それこそ、地上で許された数少ない神の御業。人々の可能性を引き出し、開花させる【恩恵(ファルナ)】の(もたら)す力だ。それを得てからの経験など数えるほどしか無いのかもしれないが、今までの人生で得てきた経験を元にして、恩恵は確実にベルを成長させ始めている。

 

「うおおおーっ!」

 

 そして、混乱するゴブリンの背後へと肉薄したベルは雄叫びと共に短刀を一気に振り抜く。声に反応したゴブリンは、振り向いてその声の主の姿を見据えようとするが、その時には既に短刀の切っ先が喉の皮膚を破り、かき分け、そして血飛沫と共に、首の半ばまでを斬り裂いていた。

 

『ァ……!』

 

 短刀を振り抜きその場で残心するベルの前で口をパクパクと動かして声にならぬ悲鳴を上げたゴブリンは、しばし手を虚空に彷徨わせてから糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。それを見て短刀を振り抜いた姿勢のままで硬直していたベルは一気に緊張を切らせて、思わずその場に座り込んでしまった。

 

「はぁ、はぁっ…………!」

 

 座り込んだまま、ベルは荒い息を吐く。そして、手に握った刃渡り20C(セルチ)程のナイフにこびり付いた血を眺めてから、先ほどの斬撃の手応えを反復するかのようにぐっと手に力を込めた。

 

「無事かね、クラネル少年」

 

 その声にベルが顔を上げれば、そこには悠々と歩み寄るルドウイークの姿。最初の不意打ち(アンブッシュ)で決着が着いていたのか剣を抜いた様子も無く、代わりにその手は気絶しているらしきゴブリンを引きずっている。ベルと違い彼は普段と顔色一つ変わっておらず、息切れ一つ無い。

 

 しかし、彼のそんな様子も今のベルにとってそんな事は些末な事で。今はただ、胸の中にこみ上げるこの想いを伝えたいという気持ちで一杯だった。

 

「やりました……僕、やりましたよ! モンスターを倒したんです! 僕はやったんだ!」

「ああ、いい一撃だった」

 

 快哉の叫びを挙げてガッツポーズを決めるベルにルドウイークは短い、しかし心からの賛辞を送った。それにベルは気を良くして短刀の刀身をまた眺めてから勝利の美酒を味わうように眼を閉じ、ついには嬉しくてたまらないと言うように表情をほころばせる。

 その様子を横目にルドウイークは身を屈めて、自身が引きずっていたゴブリンの胸元に短刀を突き立てて肉を抉り、そしてその傷口から魔石を取り出した。

 

「それ、これが【魔石】だ」

「わっ!?」

 

 ゴブリンから抜き出した魔石をベルにルドウイークは投げ渡した。それは小指の爪ほどの小さなものであったが紛れもない魔石であり、核たるそれを失ったゴブリンの死体は、すぐさま色を失い灰の様に崩れ去ってしまう。それを見たベルは、興味深そうにその現象をまじまじと見つめていた。

 

「うわ、ホントに崩れちゃうんですね……」

「私も初めて見た時は驚いたよ」

 

 ベルの驚きに、本当に驚愕したのか疑わしくなるような平然とした態度で答えると、ルドウイークは先ほどベルが倒したゴブリンを顎で指し示す。

 

「折角だ、クラネル少年も魔石を取り出して見るといい」

「いいんですか?」

「もちろん。これからダンジョンを潜るうち、魔石を抜き出す機会など幾らでもあるだろうからな」

 

 それだけ言うとルドウイークは差し出すように脇に避け、ベルの眼前に彼自身が倒したゴブリンの死体が良く見えるように位置取った。先程まで喜びに震えていたベルもスッと落ち着きを取り戻し、死体の前に屈みこんで逆手に短刀を構えてルドウイークに問う。

 

「えっと……胸のどの辺にありますかね、魔石」

「なんだ、チュール嬢から聞いて無いのかね?」

「いや聞いてはいますけど、ちょっと自信が……」

「そうか……。魔石があるのは心臓より少し浅い部位だ。血が付着すると武器の劣化が早まるから、深く刺し過ぎて心臓を破らないように気をつけ」

「わぷっ!?」

 

 忠告したルドウイークの配慮も虚しく、無理に短刀を押しこんだ傷口から血が勢い良く吹き出しベルの顔面を直撃した。そのままベルはまたしても尻餅をつき、真っ白な頭が真っ赤に染まって一見重傷でも負ったような姿になり果てている。

 そんなベルの姿を見たルドウイークは仕方がないと言いたげに小さく息を吐くと、懐から手拭いを取り出してベルの頭をわしゃわしゃと拭き始めた。

 

「あはは……すいません……」

「気にする事は無い。誰しも失敗はある物だ」

「はい…………あ、後は自分で拭きますから」

「そうかね?」

 

 ルドウイークが彼の元から離れると、そのままベルは手拭いを被ったままそれを頭にこすり付け、血を拭ってゆく。その姿を見ながらルドウイークはこの後、いかに行動するべきかを思案し始めた。

 

「クラネル少年、この後もまだ行けそうかね?」

「えっ? あ、大丈夫です! ゴブリン相手も意外と何とかなるってわかったんで……まだまだ行けますよ!」

「そうか、それは良かった」

 

 ――――無事、自信をつけてくれたようだな。

 

 冒険者と言う、死と隣り合わせの職に就くのであれば、まずは自分に何が出来て、何ができないかを把握する事が最も肝要だとルドウイークは考えていた。その為には、まずは挑戦してもらう事が必要だ。障害に挑まずして、自身の能力を見極める事など出来ようはずもない。これは、かつてルドウイークが市井の狩人達を育成する際にも取っていた手法だ。

 

 まずは、自分たちが『戦える』のだと理解させる。それは自信に繋がり、更には成長へと直結している。どんな者でも、スタートラインの地点で大きく他を引き離しているという事は少ない。故に同様の手法が異世界の人間であるベルにも通用すると考えたルドウイークだったが、幸いにもその想像は的外れと言う訳でもなかったようだ。

 

 だが、自信は慢心に、慢心は増長に、そして油断と死にも繋がっている。自身の力を過信して格上の獣へと挑み、その胃袋の中へと収まった――――或いは、ヤーナムの路地裏に転がる死体の一つとなった――――狩人は数知れない。ならばそんな自信のみを手にした彼らに、『上には上がいる』と言う残酷なこの世のルール(根本原理)を教えるためにはどうするか。自信だけではなく、自戒をも身に付けさせるにはどうするのか。その方法にも、ルドウイークは心当たりがあった。

 

「…………さて、クラネル少年。そろそろ出発して大丈夫かね?」

「あ、ちょっと待ってください。この手拭い、思いっきり汚しちゃいましたけど……」

「正直君に譲ってもいいんだが、もし気が引けるのであれば洗って返してくれ。また後でも構わない」

「了解です!」

 

 ベルが取り出し損ねた魔石をゴブリンの死体から手早く取り出すと、ルドウイークは彼にそろそろ出発する旨を伝え魔石を背嚢の中へと放り込んだ。それにベルは元気な返事を返し、手拭いを自身の背嚢に放り込んで立ち上がる。そして二人は、第一層の更に奥へと歩みを進め始めた。

 

 ……さて、と。丁度よく集まってくれていればいいが。

 

 ルドウイークはベルに気づかれぬよう、軽く周囲を見渡す。しかしその視線がモンスターを捉える事は無かった。今日はやけにモンスターの出現が少ない。最悪の場合、口での注意だけに留める事にもなりかねないだろう。

 

 それは良くない。自戒と言う奴は、その身で体感してもらった方が間違いなく身につく。

その為にルドウイークは【コボルト】を探している。ゴブリンよりも手足のリーチが長く、ベルにとっては不利になるであろうモンスター。可能であれば、10匹近い集団が望ましい。

 何故なら、ルドウイークの考える自戒を身に付けさせる手段とは『適度に痛い目に合わせる』事だからだ。

 

 勝利を経て自信を身に付けるのであれば、自戒を身に付けるには敗北を味わうのが手っ取り早い。ニールセンも『冒険者は冒険してはいけない』とルドウイークへと警句を授けていた。故に、ルドウイークもベルに無謀な選択肢を選ぶ無知の愚かを冒さぬよう、あからさまな危険を危険だと判断する能力を身に付けさせるつもりだ。

 

 だが、その為にはそれなりに危険となる敵が居なければな……。

 

 ルドウイークはそう独りごちて、少し悩んで眉間に皺を寄せる。今のベルであれば、コボルトが2体もいれば窮地には陥るだろう。だが、それをただ眺めているわけにもいかないので、ルドウイーク自身が戦うべき相手も同時に用意する必要がある。彼が助けてくれる、と言う意識があっては本当の意味でベルが窮地に陥る事は無い。

 

 しかし、この試み自体に死の危険が伴うというリスクがある。故にルドウイークは細心の注意を払い、万一の場合には必ず助けに入る事が出来る様な状況を作り出すべく苦心していた。

 ルドウイーク個人としては、そのような手痛い敗北を無垢なベルに味合わせるのは心が引ける所だ。だが、自信だけを付けて慢心し増長すれば、この先いつかベルは無謀な冒険に挑み、そこで屍を晒すだろう。

 

 故にルドウイークは我が子を谷底へと突き落とす獅子めいて心を鬼と化し、自身の運命を知らぬベルを連れてモンスターの集団を捜索した。だがそう都合よく集団でモンスターが現れる事も無く、しばらく彼らは遭遇した少数のモンスターを指したる危険も無く倒して回るのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……それで、結局どうなったんだい?」

「最初のゴブリンを倒した後はルドウイークさんに付いて回って、コボルトとも戦いました。けど本当に凄かったですよ! ルドウイークさん、現れるモンスターを片っ端からささっと倒してっちゃうんですもん。同じレベル1でもここまで差があるんだなあ、ってビックリしちゃいました!」

「……そうじゃなくて、ベルくんの戦いはどうだったのかって話!」

 

 ムッとして怒る神様に、僕は初めての挑戦となったダンジョンでの自分をどんなふうに彼女に伝えればいいか少しばかり頭を悩ませた。

 

「僕の戦いかぁ……」

 

 呟いて、ダンジョンでの出来事を思い出す。脳裏に浮かぶのは、ルドウイークさんとの実力差を痛感したシーンが殆どだ。最初の頃こそモンスターに自分の攻撃が通用するのが嬉しかったのだけど、僕が一体のコボルトとにらみ合っている間にコボルト二匹の魔石取りまで終わらせられてると気づいた後は、モンスターと戦う事よりルドウイークさんの動きを見る事の方がメインになっていた。

 

 まずはともかく攻撃力。ルドウイークさんの長剣は何の変哲もない数打ちの品で、質としては僕の短刀とそう変わらないと思う。ただどの攻撃も的確に急所を狙っていたみたいで、モンスター一匹に対して一回の攻撃であっという間に仕留めていた。

 

 次にその見切りの巧さ。僕がゴブリンなんかと組み合って引っかかれたりしている一方、ルドウイークさんはニールセンさんの言っていた通り最後まで傷一つ負う事も無くダンジョンを後にしてる。そういえば、探索の途中で一回だけルドウイークさんの戦いを注視出来たタイミングがあったけど、動きのレベルが違うのかびっくりするくらい良く分からなかった。

 僕が見たのはコボルトが降りかぶった爪が間違いなく当たると思った次の瞬間、ルドウイークさんはその爪の届かない位置に下がっていて、眼前で攻撃を空振った相手に対して斬撃を放って勝負を決めるという流れ。正直、これは経験もあるんだと思う。相手の攻撃がどこまで届くのかをちゃんと理解できてなきゃああいう避け方は出来ない。

 

 後、一番驚いたのはそのいわゆる『気配』ってやつの少なさ。ルドウイークさんはあんないろんな装備を身に着けてるのに、軽装の僕よりずっと静かに動く。走ってる時も全然音がしないから不意打ち(アンブッシュ)の成功率だってめちゃくちゃ高い。

 多分あれはレベルとかは関係ない、ルドウイークさん自身の技術だと思う。あれは、ぶっちゃけ僕も欲しい。手足が長いわけでもなく、武器も短刀で間合い(リーチ)の短い僕にとって、敵にどう接近するかと言うのは死活問題だ。

 ……そこに来てあの静かな動き。あれを体得できれば、生き残るチャンスもぐっと増えるだろう。

 

 今度、時間ある時に教えて貰えないかなぁ。

 

 そんな事を考えて上の空になる僕にしびれを切らしたのか、ヘスティア様は顔を上げ、ちょっと不機嫌そうな表情で僕の手首を掴んで引っ張り始めた。

 

「もう! そろそろ急ぐぞベル君! このままじゃ待ち合わせに遅れちゃうぜ!?」

「わわっ?! ちょっと神様!?」

 

 女の子――――それも女神さまに手を引っ張られるなんて生涯初の事態に直面して、僕は顔が赤くなりそうになる自分を懸命に抑えた。これが普通の女の子だったら心置きなく顔真っ赤にしていたのかもしれないけど、何せ相手は神様だ。そんな事したら流石に不敬が過ぎる。

 

 でも、自分からその手を振り払うなんてことは僕には出来なかった。そんな畏れ多い事なんかできないと言うのが最大の理由だったけど、曲がりなりにも女の子と手を繋いでいるという状況が僕にとって魅力的に過ぎたというのもあっただろう。そのまま僕らは、待ち合わせの場所である中央広場(セントラルパーク)へ向かい、そして相手の姿を探す。

 

 分かりやすい風体(ふうてい)の人だからすぐ見つかると思うけど……。そう僕が首を巡らせるのと、ヘスティア様がその人を見つけて僕を引っ張るのはほとんど同時だった。

 

「おーい、ルドウイークくーん!」

 

 僕を引っ張ったまま、神様は空いた手でその人――――ルドウイークさんに向けて大きく手を振った。ベンチに腰掛けていたルドウイークさんはその声を聞いて立ちあがり、こちらへと歩み寄ってくる。そして僕たちの前で足を止めた彼は、まず神様の姿を見て丁寧な礼の姿勢を取った。

 

「どうも。ご無沙汰しております、ヘスティア神」

「やぁ! 半月ぶり…………かな? 元気そうで安心したよ。エリスも元気かい?」

「ええ、お陰様で。少し仕事疲れを見せる事はありますが、基本的には健康そのものですよ」

「仕事かぁ……アイツも大変なんだなぁ……」

 

 出会い頭、何やら世間話を始める二人。以前からの知り合いが互いの近況を確認するその会話の内容に、僕は少し困惑して神様に声を掛けた。

 

「神様、ルドウイークさんとお知り合いだったんですか?」

「ん? ああ、前にちょっとね。彼の事をファミリアに勧誘したんだけど、断られちゃってさ」

「あ、それで神様が入団者募集してるって知ってたんですね……」

 

 肩を竦める神様の説明に、僕は納得して頷いた。それはルドウイークさんも同様だったようで、ついこの間の事をどこか懐かしむように語り始める。

 

「その通りだ。あの時はいろいろあったし、クラネル少年も結局宿無しとなりそうだったからな……あの時ヘスティア神の事を思い出したのは正に<導き>とでも――――」

「ちょっと待った!」

 

 ルドウイークさんの言葉を、何かに気づいたような顔の神様が大声を出して遮った。そしてすぐ、何故かちょっと震えながらルドウイークさんを問いただすように何事かを尋ねはじめる。

 

「……えっとだね、ルドウイーク君。つまりだよ? ベル君は人づてに聞いてボクのファミリアに来てくれたって言ってたけど、それってもしかして……」

「ええ。ルドウイークさんに教えてもらって僕は【ヘスティア・ファミリア】に入ろうって決めたんです」

「なんだって!? それは本当かい!?」

「ヘスティア神。貴方も神ならば、嘘かどうかはお分かりになるでしょうに」

「いやそうだけど、そうだけどね!?」

 

 僕らの言葉に神様は落ち着きを失い大声を上げ、その後下を向いて何かぶつぶつ言い始めた。その声を僕は聞きとる事が出来ず、仕方なくそっとルドウイークさんに耳打ちする。

 

「あの、ルドウイークさん?」

「何だね」

「とりあえず、行きませんか?」

「…………それがいいか」

「僕はそう思います…………神様、行きますよ!」

「へっ?」

 

 僕の呼びかけにようやく気付いた神様は、驚いたように目を丸くして顔を上げた。それを僕は手招きして、ルドウイークさんと並んで歩き始める。それから、10M(メドル)くらい歩いた頃には神様がパタパタと駆け足で追いついてきたので、僕達三人はそのまま並んで中央広場を後にした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 そうしてベルとルドウイーク、そしてヘスティアの二人と一柱が揃って辿りついたのは【鴉の止り木】亭。元々は、無事に帰還したお祝いとしてルドウイークがベルを誘ったのだが、彼はヘスティアが帰りを待っているとのことで一度は断った。

 

 …………のだが、「だったらヘスティア神も連れてきては?」と言うルドウイークの言葉と、ノリノリで付いてきたヘスティアに押し切られる形で彼らは今に至っている。

 

「へぇ、こんな所に店なんてあったんだね。結構駆けずり回ってたのに全然気づかなかったぜ」

 

 その軒先まで来て、店の構えを眺めながらヘスティアが呟いた。確かに、【鴉の止り木】は大通りから少し入った所にあり、表の数々の料理屋に比べれば知名度は低い。しかし、そこそこの味と食事の量、そして駆け出しの冒険者にも手の届く価格と、この街の主役である冒険者達にはあり難い店として知られている。

 

 そんな【鴉の止り木】の中からは先日ベルとルドウイークが訪れた時とは打って変わって賑やかな喧騒が聞こえてくる。どうやら、冒険を終えた者達がその帰りに立ち寄り、半ば宴会と化しているようだ。

 

「とりあえず中へ。席が空いていればいいんですが」

 

 そう言ってまずルドウイークが店の戸を潜り、ベルとヘスティアもその後に続いて入店した。

 

 外まで聞こえる喧騒からも予想出来ていたが、店内は多くの冒険者達でごった返していた。私服である者も多いが、それ以上に防具、あるいは鎧を身に付けたままの物の姿が目立つ。そんな店内の様子を彼らが見渡していると、酒瓶とジョッキを運んでいた一人の店員……術師めいたローブとフードを身に着け、その上から無地のエプロンを雑に身に付けた壮年の男が悠然と彼らの元へと歩み寄って来た。

 

「おお、済まない。お客様方、何名かね?」

「三名だ。しかし【フレーキ】殿、貴方まで駆り出されているとは、今宵は随分とお忙しいようで」

 

 気遣うようなルドウイークの言葉に【フレーキ】と呼ばれた男性はどこか諦めたようにふっと笑って、これ見よがしに肩を竦めた。

 

「何、これも一つの探求と言えるだろう。それに放っておけば後でマグノリアに何を言われるか分からんし、【フギン】の奴のような目に合わされるのも御免なのでな。……カウンター席でも構わないかね? ちょうど、三人分の空きがある」

 

 彼の言葉にルドウイーク達は顔を見合わせて頷き、案内されるまま並んでカウンターに着く。

 

「ごゆっくり」

 

 彼らを案内し終えたフレーキはそのまま注文を待つ客の元へと去って行ってしまう。そして残された二人と一柱は、ひとまず注文を決めようとメニューを手に取った。

 

「ヘスティア神、クラネル少年。私は何を頼むか決まっているので、じっくり考えてもらって構わない」

「あ、ありがとうございます」

「むう」

 

 そう言ってルドウイークは隣のベルへとメニューを手渡し、ベルはそれをじっくり眺め始める。一方、ベルと一緒にメニューを眺めるべく表を手に取っていたヘスティアはその空気を読めぬルドウイークの行動に人知れず頬を膨らませた。

 

 その時、人数分の水の入ったグラスを乗せたトレイを持って店員が三人の元へとたどり着いた。美しい金の長髪をうなじのあたりで結った彼女は、まず一番近くのルドウイークの前に良く冷えた水の注がれたグラスをコトリと置く。

 

「お冷です、お客様……なんちゃって。思ったよりずっと早く戻ってきたみたいですね、ルドウイーク」

「ああ、少し予定に変更があってね」

 

 畏まった応対を見せたかと思えば、すぐに茶目っ気を覗かせ普段通りの口調でエリスはルドウイークに笑いかけた。そのエリスに、ルドウイークも普段通りの態度で対応する。

 

「とりあえず、こちらの方々にもお冷を頼めるか?」

「ええ、仕事ですから」

 

 ルドウイークの言葉に嫌な顔一つせず対応して、エリスはまずベルの前に水を置こうとした。しかし、彼女を気遣ってかベルはそれをさっと受け取って小さく頭を下げる。

 

「ありがとうございます!」

「いえ、その……元気そうで、安心しました」

 

 にっこりと笑顔で答えたベルに対し、エリスはこれ以上無くやりづらそうだ。彼女の中では先日の叱咤が気まずく残ってしまっているらしい。その為か、彼女はベルの視線から逃れるように最後のグラスを手に取って、ヘスティアの顔も見ずカウンターへとそれを置こうとした。

 

「どうぞ、お客様。ごゆっくり――――」

「エリス!」

「えっ」

 

 その時、ヘスティアが彼女の名前を呼び、それに気づいてエリスは顔を上げた。そして、目の前の神物(じんぶつ)が一体誰なのかにようやく気付いて、驚愕に顔をこわばらせながら震える声でヘスティアを指差した。

 

「な、なななな、あな、貴女は……!」

「久しぶりじゃあないか! ボクだよボク! もう百年以上ぶりじゃないかい!? とりあえず、元気そうで安心したよ!」

「ヘスティア?! な、なんでこんな所に居るんですか!?」

「実はルドウイーク君の発案で、ベル君と誘われてね!」

「ルドウイーク!?」

 

 ヘスティアの告白にエリスは怒りも露わにルドウイークを睨みつけた。しかし、当のルドウイークはその視線もどこ吹く風と言った様子でグラスを傾け水でのどを潤す。それを見たエリスはさらに怒りを迸らせてルドウイークの外套の襟を掴み、額がぶつかりそうな距離まで彼の顔を引き寄せた。

 

「どういうことですか!? 何で貴方がヘスティアと一緒に!? どう言う関係ですか!?」

「待てエリス神。顔が近い」

 

 ルドウイークがその剣幕にうんざりしたように言うと、エリスは外套の襟を離してしかしルドウイークの事を眉間にしわ寄せ睨み続ける。それを見て、ルドウイークは薄く笑って事情を説明しようとした。だがその時、席を立ったヘスティアがエリスの背中に抱きつき、驚いた彼女は手に持っていたトレイを盛大に取り落とした。

 

「ひゃあっ!? 何するんですか?!」

「いやいやぁ、ちょっと説明をね? 実は今日、ボクのベル君の初めての冒険にルドウイーク君が同行してくれたみたいでさ! その上、無事生還したお祝いも兼ねて一緒に食事でもどうかなって提案してくれたんだよ!」

「ルドウイーク、貴方何よりにもよってヘスティアのファミリアに塩送っちゃってるんですか!? それと抱きつくな! 離れてください!! 無駄に大きい胸押し付けるな!!!」

 

 苦笑いを浮かべるルドウイークに声を荒げながら、エリスは無理矢理にヘスティアを振り払う。その勢いでヘスティアは足をもつれさせ、床に尻餅をついてしまった。それを助け起こそうと、ベルが慌てて彼女の元へと駆け寄る。しかしヘスティアはそんなベルの手をやんわりと押し返した後、そのまま手を口元に持っていき眼に涙を浮かべてよよよと泣き真似をした。

 

「ううっ、酷いぜエリス……【天界】じゃあんなに仲のいい、誰もが認める神友(しんゆう)同士だったじゃあないか……」

「私と貴女が!? まさか! いっつもいっつも貴方がおせっかい掛けてくるせいで、何度私の計画が崩されたことか……!」

「まぁまぁ、最後は皆笑顔で終わってたんだからいいじゃないか。終わり良ければ全て良し!」

「私が良くない! この際だからはっきりさせちゃいますがね、私は貴女の事が――――」

「エーリースー?」

 

 その時、エリスの肩に手が置かれ、同時に声がかけられた。それは深淵の底から相手を引きずり込まんとするかのごとき、底冷えのする声だった。瞬間エリスは全身の毛を総毛立てびくりと縮み上がり、震えながら後ろを振り向いて、声の主をその視界にとらえて呻いた。

 

「マ、マ、マギー……!」

「ねぇエリス? 私はね、一応あなたの事を神として最低限の敬意を払っているつもりよ。でもね…………」

 

 恐るべき満面の笑みを見せたマギーは、そのまま流れるようにエリスの肩に乗せていた手を滑らせて、有無を言わせずその首根っこを引っ掴んだ。

 

「仕事中は別!! 知り合いが来たからってサボるな!!! 行くわよ!!」

「くっ首ーッ! 締まる締まる……! ルド、助け…………」

 

 一瞬でその顔を怒りの表情に変貌させたマギーに引きずられ、苦し気にルドウイークに助けを求めようと手を伸ばすエリス。しかしルドウイークは一度すまなそうに謝るそぶりを見せた後、再びグラスを手に取って水でのどを潤した。

 

「いいんですか、ルドウイークさん?」

「何がかね?」

「いや、エリス様、めっちゃ助け求めてましたけど……」

 

 そのままマギーによって連行され客達の喧騒の中に姿を消したエリスを見て、ベルが恐る恐るルドウイークに尋ねた。しかしベルの心配をよそに、ルドウイークは落ち付いた様子で、特段あの光景を気にしているという風ではない。

 

「私が手を出した所でどうにかなる訳では無いさ。それに、これも彼女の仕事だからね。それは、ちゃんとこなして貰わなければ…………ですよね、ヘスティア神?」

「そうだよ。当たり前の事だぜベル君。知らなかったかい? 仕事からは逃げられないって……!」

 

 至極真っ当に、しかし主神を敬愛する眷族らしからぬことを言ってルドウイークはヘスティアに同意を求めた。それに便乗した後、大魔王めいた悪い顔をして薄ら笑いを浮かべるヘスティアにベルは苦笑いを浮かべるしかない。

 すると、カウンター裏の厨房から眼帯を掛けた老いた男が顔を出し、二人と一柱に向け白い歯を見せて笑いかけた。

 

「おう、そこの。注文は決まったか? 今日は大繁盛だからよ、早く決めねえと、どんどん後回しになっちまうぜ?」

 

 その言葉に、ベルとヘスティアは慌ててメニューへと目を走らせた。一方注文を既に決めていたルドウイークは、落ち着き払って彼に自身の注文を伝える。

 

「玉葱のスープとバゲット、後、この店で一番弱い酒を」

「おいおい、いっつも思うが、もうちっと食わねえと力出ねえぞ?」

「そう言ってくれるな店主、私はこれが良いんだ」

「それじゃ、俺から口出しする事は無えな」

 

 ルドウイークの言葉に諦めたように笑った店主は、次いでベルとヘスティアに目を向けた。彼らはメニューを見て、何やかんやと慌てて、しかし楽しげに語らっている。

 

「神様! この『これでも喰らえ!(Take That, You Fiend!)ランチ』はお勧めですよ! 値段の割にすごい量が多くて、その上普通に美味しいんです!」

「なんだって、それは本当かい!? 店主! この店、お持ち帰りは!?」

「んー、容器さえ持参してくれりゃ構わんぜ」

「なっ!? し、しまったよベル君! 容器を忘れて来た!」

「えっ!? じゃあどうします?」

「安心しな、容器ならある。特別に100ヴァリスでどうだ?」

「しょ、商売が上手い……!!」

 

 店主の抜け目ない商人の眼とその語り口に愕然とするヘスティアの姿にベルは笑って、自分はバゲットと旬のサラダ、そして『ニダヴェリール牛の秘伝たれステーキ』なる注文を店主へと伝えた。それを見たヘスティアも意を決したようにメニューに指を差して店主へ注文を伝え始める。

 

「じゃあボクは『これでも喰らえランチ』を一つ。それとね、デザートにプリンを四つ頂けるかな!」

「四つぅ? おいおい、ふたつで充分だろ?」

「いーや、ボクは四つがいいんだ!」

「解ってくれよ……」

 

 呆れたような店主に対して、ヘスティアはその注文をゴリ押した。…………結局店主の方が折れ、ヘスティアの注文を了承して厨房へと引っ込んでゆく。それを見届けた後、ルドウイーク達は食事が来るのを待ちつつ世間話に興じるのであった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ま、待てカーチス殿! 私は冒険者の中ではかなり控えめでこの店にも迷惑はかけていない! その私が何故!」

「椅子潰しといて何を言う! 今後、鎧を着ての入店はNG! と言うか、自分が何て呼ばれてるか知らない訳じゃないでしょうね!? 【オラリオ一重い奴】、【脳筋権化大戦士】、つーか二つ名【岩のような(ザ・ロック)】!!」

「知っているがまさか、座っただけで椅子が潰れるとは……」

「当たり前だ!」

 

 誰がどう見ても重厚極まりない鎧の戦士に対して切れ散らかすマギーの姿を、かき入れ時を過ぎ人も疎らになり始めた店内で既に食事を終えたルドウイークとベルはそれぞれ酒やデザートを口にしながらのんびりと眺めていた。

 

「……あの戦士さんも、やっぱ凄い人なんですか?」

「ああ。【岩のような(ザ・ロック)】こと【ハベル】。オラリオでも随一と言われる耐久性から、ソロでの深層探索を幾度と無く繰り返す大戦士だ。30層あたりから出現する【ブラッド・サウルス】に噛み付かれたが、結局歯が立たずに退散させたという噂もある。……しかしその彼も、マギーの逆鱗に触れてはそうも行かなかったようだが」

 

 怒り狂うマギーを前にすごすごと退散していく大戦士の姿を見て、ルドウイークは苦笑いした。ベルもそれに倣い、小さく愛想笑いを浮かべる。その横で、調子に乗って店で一番強い酒を口にしたヘスティアは幸せそうな顔で寝息を立てていた。

 

 それにベルは一度暖かい目を向けてから、また店で騒ぐ冒険者達に目を向ける。そしてその視界に映った内の一人、大きなテーブルについた冒険者達をまとめて乾杯の音頭を取る一人を指差し、その者についてルドウイークに尋ねてみた。

 

「じゃあルドウイークさん、あそこで乾杯の音頭取ってるあの人、タマネギみたいな……」

「シッ。クラネル少年、あの鎧を着ている者達はその形を揶揄されるのを猛烈に嫌う。トラブルを避けたいなら覚えておくんだ」

 

 何やら深刻な顔で話すルドウイークにその様子を見て、ベルは少し畏怖の混じった眼で陽気に自前の木製ジョッキを振りかざす戦士に目を向ける。それを見たルドウイークは一度咳払いをすると、ベルの要望に応えてその玉葱めいた鎧の戦士について話し始めた。

 

「……話を戻すが、彼は【嵐の剣(ストームルーラー)】こと【ジークバルト】。見た目はああだが、神は愚か、ファミリアの枠を超えて彼を敬愛する者達が現れるほどに人の良い、オラリオ屈指の人格者だ。たまに彼と同じ鎧を着たパーティがダンジョンに潜って行くのを見た事がある。本人の強さも折り紙付きで、何でも深層で出会った身の丈数十M(メドル)の巨人の相手を単独で引き受けて、その後無事に生還した事もあるらしい」

「……このお店、凄い人多すぎじゃあないですか?」

「私も来るたびそう思うよ」

 

 ルドウイークの説明を聞き、その畏怖をさらに強めたベルが息を飲みながらルドウイークに問う。それに笑って酒を口にして、ルドウイークはどこか諦観めいた言葉をつぶやく。

 

 冒険者達をおもにターゲットとした【鴉の止り木】亭には、当然の事ながら冒険者たちが集う。料理の味、量、値段、そこに不満に思う点も無く、更にその店の店主やスタッフたちの持つ独特の雰囲気を気に入って常連となる者は数多い。エリスがこの店に勤めている、という理由もあるがルドウイークもその一人だ。

 

「……そうだな、確かにこの店に訪れる高レベル冒険者の数は驚くべき所だろう。多分、常連の【レベル】の高さはここか【豊穣の女主人】が一番ではないかね?」

 

 ルドウイークは、未だ店に残る者達の顔を手早く眺めてから考え込むように口にした。実際、この店の中においてはオラリオの冒険者達の半数を占めるというレベル1の冒険者はごく少数だ。今居る者達も殆どがレベル3や4。中にはレベル5以上の【第一級冒険者】さえも紛れている。そこで、ベルは一つの危険性に気づいた。

 

「あの、ルドウイークさん。このお店で喧嘩とか起きたら、凄い事になるんじゃあないですか? だって皆、凄いレベル高い人達ですし……」

 

 そのベルの懸念は確かな物だ。ここに居る者達の何人かは、比喩無くこの店を滅茶苦茶にするだけの力を秘めている。そんな者達が揃って喧嘩など始めれば、この店どころか周辺の民家や店舗にも被害が及ぶだろう。

 だが、ルドウイークはその懸念に対して、それは無いと言わんばかりに小さく笑うだけだった。

 

「…………何か、大丈夫な秘密でもあるんですか?」

「ああ。この店には優秀な用心棒が居てね。【彼】が居る限り、この店は平和そのものさ」

 

 不思議そうにその様子に首を傾げるベルに、ルドウイークは店の隅を指差した。ベルがそちらに目を向けると、そこには椅子に縛り上げられた上に紙袋で顔を隠され、首からは『私は二日連続で仕事をサボりました。助けないで下さい』と荒々しく書かれた板を下げている青年と思しき男の姿。その姿をベルが見て困惑していると、またルドウイークは笑って、【彼】についての話を語り始めた。

 

「……【彼】がこの店の用心棒兼店員、ついでに冒険者でもある【黒い鳥】の二つ名を持つ男だ。本名は知らないが、店の者からは【フギン】や【ムニン】と呼ばれている」

「……やっぱり、強いんですか?」

「【闘技場の覇者(マスターオブアリーナ)】、【沈黙させるもの(サイレントライン)】、【九頭竜破り(ナインブレイカー)】…………そんな、二つ名以外の異名だけでも分かる程度には強いらしい」

「…………きっと、本当の意味での英雄なんですね」

「【彼】自身、英雄と呼べる人物であるかは些か疑問符がつくらしいがね」

 

 そう言ってルドウイークは酒の入ったグラスを傾け、僅かにその中身を口にする。その様子はどこか楽し気で、ベルも無意識にヘスティアから貰ったプリンの残りをスプーンですくい取って口に含んだ。そこに、エプロンを脱ぎ普段通りの服装に戻ったエリスが疲れ切った顔で歩み寄って来た。

 

「おや、エリス神。仕事は終わったのかね?」

「ええ……まったく……【彼】があのザマじゃあなければ、もう少し楽できたんですがね……」

「お疲れさまです」

 

 愚痴を言う彼女にベルは苦笑いしながら頭を下げる。それにエリスもぺこりと小さく頭を下げた。そしてルドウイークの元へと近づくと、彼が手を付けていなかったプリンの皿を取ってあっという間に食べ尽くし、幸せそうに机に突っ伏すヘスティアを見て一度鼻を鳴らしてからルドウイークに席を立つように促した。

 

「さ、帰りますよルドウイーク。私疲れましたので……」

「おや、ヘスティア神を放っておくのかね? 神友なのだろう?」

「ち・が・い・ま・す! …………クラネル君が居るなら彼に任せればいいじゃないですか。眷族なんですし」

 

 言って、エリスは無遠慮にヘスティアの事を指差した。それに対し、ルドウイークは少し申し訳なさそうにベルへと口を開こうとしたが、それに先んじてベルが立ちあがり胸を張ってエリスに応える。

 

「大丈夫ですよ! 神様は僕が家まで送るのでご心配なく! 今日はお世話になりました!」

「ほら、クラネル君もこう言ってますから。帰りましょう?」

「むう」

 

 我が意を得たりと笑うエリスに、少し納得の行かないようにルドウイークは唸る。だがそれもしばしの事で、彼も諦めたように席を立ち、伝票を手に取って歩き始めた。

 

「では、クラネル少年。ヘスティア神は任せた」

「はい! 今日は本当にありがとうございました! また、よろしくお願いします!」

「ああ、こちらこそまた頼むよ」

 

 手を振るベルに片手を上げて答えたルドウイークはカウンター越しにフレーキへと代金を支払って、そのままエリスの後を追い【鴉の止り木】を後にした。

 

 

 

 

 外へ出れば、もうすぐ日を跨ごうかと言う時間帯だ。そんな街の中を、エリスは早急に家に戻るべく速足で歩んでゆく。ルドウイークはその背に小走りで追いつくと、彼女の横に並んで、帰路につき始めた。その途中、エリスが少し不機嫌そうに、憮然として口を開く。

 

「ルドウイーク」

「何かね?」

「仲良くするのはいいんですけど……万一【ヘスティア・ファミリア】に負けるような事があれば、私怒っちゃいますからね」

 

 ――――負けるも何もあるまいに。その、子供の意地のような言葉にルドウイークは思わず小さく吹き出して、エリスの視線から身を逸らした。それを見たエリスはますます苛立って彼に突っかかってゆく。

 

「ルドウイーク! 何で笑うんですか! バカにしてませんか!?」

「いや、エリス神が随分可愛らしい事を言うのだと思って、ついな」

「なっ……!」

 

 少し身を震わせて、涙目になりながら笑うルドウイークにエリスも顔を赤くして、怒りに顔を歪ませるように彼の外套の襟を引っ掴んだ。

 

「あのですね、私は神様ですよ!? 神がメンツを大事にするのは当然! だから、私はぽっと出のファミリアに過ぎないヘスティアのとこなんかに負ける訳には行かないんですよ! クラネル君には悪いですけど!」

「わかった、わかったとも。だから、苦しいから手を離してくれ」

「…………ふん!」

 

 ルドウイークの懇願に、エリスは不機嫌そうに鼻を鳴らして彼を突き飛ばすように手を離した。しかし彼女の腕力では大柄なルドウイークをどうこうする事など出来ず、彼はさほど動じずにまたエリスの横に並んで歩き出す。

 へそを曲げてしまったエリスはそれからルドウイークに話しかける事も無く、ずんずんと大股で帰路を急いだ。しかし元々の歩幅が違うためにルドウイークを置き去りにする事は出来ず、その位置関係が帰宅まで変わる事は無い。その歩みの中で、ルドウイークは空に浮かぶ月に目を細め、そしてベルとヘスティアを結んでいた、強い強い<導き>の糸に思いを馳せる。

 

 ――――やはり、彼らの事は気に留めておくべきなのだろうな。

 

 あの自身の関連の無い導きの糸。ヤーナムでは見る事の出来なかったそれに何らかの光明がある事を期待して、ルドウイークは今後の方針を一つ決定した。

 

 自身の素性が知られぬよう、程々に彼らと友好的な関係を築いてゆく。ヘスティア神と因縁のあるエリス神には悪いが、彼女もヤーナム帰還の為には協力してくれるという言質は取っているし、いざとなればそれを盾に彼女を説き伏せることも出来るだろう。

 

 後は、そろそろ武具の調達も必要だな。

 

 彼が腰に佩いた長剣も、かなり酷使していたが故に少しずつ劣化が見られてきた。それに、これも所詮は数打ちの品。ルドウイークには難なく使える物ではあったが、真に彼に符合した武器だとは言い難い。

 ならば、自身に合った武器を探すためにはどうするのか……。一応の案が、ルドウイークの内には既に有る。溜め込んだヴァリスも一週間程度ダンジョンに潜らずとも問題無い量には到達していたし、故に明日から数日は、その案の実行に邁進しようとルドウイークはまた一つ今後の方針を決定した。

 

 そしてしばらくの帰路の後、家に到着した一人と一柱は短い就寝の挨拶を交わすとそれぞれ寝室とリビングに分かれ、その日の予定を終える。

 だが、ルドウイークはすぐにソファーに横になる事は無く、ベルたちとの合流前に購入しておいた製図紙とペンにインク、そして定規を背嚢から取り出すと机に向かい、そこに何やら複雑な図面を描き始めるのだった。

 

 





原作主人公との同行は二次創作の醍醐味。
戦闘シーンはやっぱ難しいです。二人の間に実力差があるのでなおさら。

まあエリスとヘスティアの絡み書けたしいいか……。

登場キャラのリクエストとかはまだ活動報告で受け付けております。良ければご協力お願いします。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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09:鍛冶師

鍛冶屋回、13000字くらいです。

100000UA行きました。多くの皆様に読んでいただけてありがたい限りです。
感想評価お気に入り、誤字報告もいつもありがとうございます。


「………………むぅ」

 

 オラリオに日が昇り、それが天頂に近づいてきた時刻。エリスは夢の世界から半分ほど現実世界に意識を戻して、ベッドに横になったままむにゃむにゃと口を動かした。

 

「んん……」

 

 そこに、雲が晴れたかカーテンの隙間から日光が差し込んできて、彼女の寝顔を一筋照らす。しかし、彼女はそれを嫌う様に寝返りを打ってから僅かに眼を開き、眼を閉じて枕に抱き着いて、次の瞬間突如覚醒してベッドから転げ落ちた。

 

「遅刻!!!!」

 

 叫んだ彼女は弾けるように立ちあがって着ていた寝間着を脱ぎ散らかすと、手早くハンガーに掛けてあった普段着に袖を通し度の入っていない眼鏡をかけ椅子に掛けてあったケープを引っ掴み――――そして今日が休みである事を思い出して、衝動的に手に持ったケープをベッドに向けて叩きつけた。

 

 ……それから、彼女は酷く落胆して肩を落とす。せっかくの休日の始まりをこの様な形でスタートさせてしまった悔しさゆえだ。しかし、自身に喝を入れて飛び起きた彼女は今更ベッドに飛び込もうという気分では無く…………結局、彼女はベッドの上のケープを肩にかけると遅い朝食を取るべく部屋を出て階段を降り、リビングへと足を踏み入れた。

 

「おっと、おはようエリス神……いや、もう昼か。今日は仕事は休みかね?」

 

 エリスが戸を閉めると、その物音に気づいたルドウイークが顔を上げて穏やかに笑いかける。机に向かう彼は目前に大きな製図紙を広げており、そこには何やら二本の剣と思しき図が描かれ、その各所に細かく説明文が記されている。

 

「おはようございます、ルドウイーク…………何書いてるんですか?」

「いや、新しく武器を用立てようと思っていてな。その図面作りだ」

 

 そう言うと、彼は図面の上に乗っていた筆記用具を避けてエリスが座れるようにとソファの端へと寄った。その空いたスペースにエリスは腰を下ろして、図面をまじまじと見つめる。

 

 それは一見、何の変哲もない長剣である。いや、実際その長剣()()特別な物は無い。問題はそれを仕舞うべき鞘の方だ。

 

「…………長剣の鞘にしては、大きくないですか?」

 

 そう言って、エリスは長剣と共に描かれた長大な刃じみたそれを指差した。実際、それは腰に()くものとは思えない大きさだ。図面によれば、それは1.5M(メドル)に迫る大きさを持つと言う。そんな鞘を持ち運ぶことに、意義があるとは思えない。エリスはそう考えて、ルドウイークに少し冷たい視線を向ける。

 しかしその視線を受けたルドウイークはその反応を予想していたと言わんばかりに頷き、身を乗り出して図面の長剣に指を滑らせた。

 

「これは、私がヤーナムで使っていた武器でね。貴女の反応から察するに……どうやらオラリオには無い物のようだな。安心した」

「えっと、つまり……つまりこれ、異世界の武器ですか?!」

 

 ルドウイークの言葉を飲みこんだエリスは彼の耳元でひどく驚き、突如耳元で大声を出されたルドウイークは珍しく、心底驚いたように目を丸くした。一方エリスはそんな彼の様子にも気付く事無く、驚愕したまま図面に食い入る様に顔を近づけ説明文に視線を走らせる。

 

「んん……えっとこれ……長剣を鞘に入れると固定されて…………? これもしかして、鞘ごと振るうんですか!?」

「その通りだ」

 

 この短時間で武具の概要を正しく理解したエリスの驚愕をルドウイークは首肯を持って迎え、そして再び身を乗り出して図面を指差し補足を始めた。

 

「これはヤーナムで私が考案した武器の一つでね。扱いやすい長剣と攻撃力の高い大剣、二つの側面を持った<仕掛け武器>だ。他の仕掛け武器に比べれば単純な構造ではあるが、その分耐久性に優れ整備も行いやすい。それにオラリオの鍛冶師たちの腕を聞く限りでは再現も困難と言うほどの物ではないように思えるし、何よりも私にとって慣れ親しんだ武器だ」

「成程……じゃあ、この図面を元にこの武器を誰かに作ってもらうつもりって事ですね?」

「ああ。後の問題は、どの【ファミリア】にこの図面を持ち込むかだが――――」

 

 ――――やはり【ヘファイストス】か。ルドウイークはこのオラリオでも最大規模の鍛冶【ファミリア】の名前を思い浮かべて口に出そうとした。しかしそれに先んじて、エリスが悩まし気に腕を組んで口を開く。

 

「……【ヘファイストス】の所に頼むのはちょっと怖いので、まずは【ゴブニュ】の所に持ち込んでみませんか?」

「【ヘファイストス】はダメなのかね?」

「えーっと…………昔、ちょっといろいろあって、彼女には少しばかり借りがありまして……」

 

 ルドウイークの疑問に、エリスはバツの悪そうな顔で答えた。それを見たルドウイークはその借りとやらが『少しばかり』では済まない物なのだろうと看破して、しかしそれを指摘するような事はせずに納得し、図面を巻いて机の横に置いてあった背嚢へと放り込んだ。

 

「ならば、まずは【ゴブニュ・ファミリア】だな」

 

 そう言うと彼は席を立ち、壁に立てかけてあった<月光>を革袋に仕舞い込んで背負いその上から背嚢も背負いこむ。それを見て、エリスは眉を顰めた。

 

「鍛冶屋さんに<月光>も持っていくんですか? それはちょっとまずいんじゃ……」

「家に置いておく訳にもいくまい。心配せずとも、鍛冶師たちには見せぬよ」

 

 エリスの疑問にあっさりとした口調でルドウイークは答えると、そのまま部屋を出て行こうとする。しかし、エリスはそんな彼の背を快く送り出す事はせず、むしろいくつかの心配事で頭がいっぱいだった。

 

 万一、あの<月光>がゴブニュに一目見られでもしたら。それは正しく大問題だ。自分でも容易く察知できたあの大剣の異常性を、鍛冶の神たるゴブニュが見抜けぬはずはない。

 それにルドウイーク、彼は意外に頭も回る男だが、交渉事があまり得意でないのは知っている。ゴブニュの所の職人たちに限ってまず無いとは思うが、もし偉い金額を吹っ掛けられてもあっさりと首を縦に振るだろう。それは良くない。ようやく日常生活が真っ当に送れる様になってきたのだ。ここでの余計な出費は致命的である。

 

 ――――もう、休み無しで出ずっぱりはこりごりです!

 

 一時期の超過労働ぶりを思い出したエリスは、もう二度とそのような目に合って堪るかという、強い決意に満ちた瞳でルドウイークの事を呼び留めた。

 

「ルドウイーク! 五分くらい待っててください! 私も行きますので!」

「突然どうしたのかね? せっかくの休日だろうに」

「そりゃ、ルドウイークさんって割とお人よしなので、不利な取引になったりしないか心配だからですよ! 私の目の黒いうちは断じて無駄遣いは許しませんからね!」

「交渉事が苦手なのは否定しないが…………まぁ、私は構わない。休日をどう使うかは、貴方の自由だからな…………」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 オラリオの大通りは、相も変わらず多種多様な人種、職種の人々でごった返していた。丁度昼時と言う事もあってあちこちにある食堂は人々で賑わっており、道に立ち並ぶ屋台の中には行列が出来ているものもいくつかある。

 

 その一つ、ジャガ丸くんなる惣菜を売る屋台にヘスティアらしき店員の姿を見かけたルドウイークは、エリスと彼女の関係性から鑑みてそれを見なかった事にして、隣を歩くエリスに目を向けた。

 

「エリス神」

「……………………」

「エリス神?」

「…………むぐっ?」

「無駄遣いは許さないのでは無かったのかね?」

 

 ルドウイークの冷ややかな視線を受けて、エリスは口の中に詰め込んだ甘味――――『おはぎ』なる、極東の出と思しき少年と義手の男が売り歩いていた品だ――――を一気に飲みこんでから、知らぬ存ぜぬと言わんばかりに視線を逸らす。その様を見たルドウイークは頭痛を堪えるかのように額に手をやって、溜息を吐きながら苦言を呈した。

 

「まったく。我々にそこまでの経済的余裕がないのは、貴女は良く分かっているだろう。無駄遣いは避けるべきだ」

「わ、分かってますよ! でも私は神なので、もっとこう奔放に過ごしていたいというか……」

「口の周りが真っ黒だが。それでは神の威厳も何もなかろうに」

 

 そうルドウイークが指摘すると、エリスは顔を逸らして懐からハンカチを取り出して口元を拭き、それから何事も無かったかのように歩き出す。ルドウイークは聞き分けの無い子供を見るような目で彼女の背を眺めてからその後を追った。

 

 そうして二人並んで歩いていると、ふとエリスが思い出したように口を開く。

 

「…………そう言えばルドウイーク。あの図面の説明はこちらの共通語で書かれていましたが、いつの間にこの世界の文字を?」

「ニールセンに頭を下げて教えてもらったんだ。何分、読み書きが出来ないというのは些か以上に不便でね」

「ニールセンに……それなら、何で私に聞いてくれなかったんですか? 言ってくれれば一からキッチリ教えてあげたのに」

「エリス神の多忙さを知っていれば、そんな事は言えんよ。毎日夜遅くまで給仕の仕事など……神たるあなたには耐え難い物なのではないか?」

「えっいや……確かにキツイですけど、そこまで嫌いではないんですよあの仕事。いろんなお客さんが居て楽しいですしね」

 

 喧嘩してるところとか、【黒い鳥】やマギーに店の外に放り出されたりするところとか……。

 

 そんな争いの女神としての本音をエリスは飲みこんで、張りつけた笑みをルドウイークに向けた。彼はそれを疑う事は無かったようで、少し安心したかのように微笑むと、また周囲の喧騒に目を向ける。

 

 まだ、彼はこのオラリオの雰囲気に慣れ切ってはいないのだろう。

 

 きょろきょろと様々な店や人に目を向け、時に考え込み、時に目を輝かせるルドウイークを眺めて、エリスは争いを見たときとは別の楽しさをしばしの間感じていた。

 

 

 

 

 そうして歩き続けた彼と彼女は北と北西、それぞれの大通りに挟まれた区画へと足を踏み入れた。更に立ち並ぶ民家の間を潜り抜け、複雑に入り組んだ区画をしばらく進んでいった先で、彼らの前に石造りの平屋とも言える建物が姿を現す。その入り口には、誇らし気に三つの鎚の刻まれたエンブレムが掛けられていた。

 

「ここがそうかね?」

「ええ。知名度や規模は劣る物の職人たちの腕に関しては【ヘファイストス・ファミリア】に並ぶという鍛冶の古豪。神【ゴブニュ】の率いる【ゴブニュ・ファミリア】の本拠地(ホーム)ですよ」

 

 その姿を眺めながら尋ねたルドウイークに、その横顔を覗き込みながらエリスは答えた。彼女の顔には、彼の驚きや好奇心を楽しむ笑顔が浮かんでいる。暫く一人と一柱はそこで足を止めていたが、すぐに意を決し、その入り口をくぐってゆく。

 

 入り口をくぐればそこは正しく鍛冶屋の工房、それをファミリア単位に相応しい規模へと拡大したとでも言うべき巨大な空間へとすぐに辿りついた。

 そこには炉の前で火の粉が散る中赤熱したインゴットに鎚を振るうドワーフ、完成した武具を荷車に乗せ運搬する猪人(ボアズ)、火の気配から離れた位置に無造作に置かれたテーブルに向かって、冒険者と何やら交渉を行う人間(ヒューマン)と、鍛冶仕事全般に従事する者達が(ひし)めいていて、まさしく鍛冶ファミリアの本拠と呼ぶに相応しい場所である。

 

 そんな場所へ足を踏み入れたエリスとルドウイークだが、そんな彼らの作業風景を前に誰に話しかけるべきか分からず、しばらく入り口近くにただ立ち尽くしていた。

 

「…………どこもかしこも、鍛冶師ばかりだ。受付とかは居ないのかね?」

「さぁ……? 私も、ここに来るのは初めてな物で…………」

 

 彼らは顔を見合わせ、そしてきょろきょろと誰か手の空いている者が居ないかを探し始めた。すると、工房の全てを見渡せるであろう場所にあるテーブルで全体を眺めていた一人の老人が、彼らに気づくと立ち上がって歩み寄って来た。

 

 その老人は、周囲の鍛冶と比べても明らかに一線を画した風格を放っていた。何処が境かも分からぬ白い髭と頭髪を長く伸ばし、髪は頭の後ろで一つに纏めている。上半身裸のその赤銅色に焼けた肉体はまさしく筋骨隆々と呼ぶしかないほどに鍛え上げられており、所々に痛々しい火傷の跡。だがその古傷はまさしく鍛冶屋の勲章とも言うべきものであり、それだけで彼の鍛冶屋としての経歴の長さを示していた。

 

 ルドウイークは彼から感じる圧に、一瞬彼こそがこのファミリアの主神【ゴブニュ】では無いかと訝しんだ。しかしすぐに神威を感じぬ事に気が付いてその考えを振り払う。

 そんな彼を気にも留めず、老人はその威厳すら感じる風貌とは裏腹にどこか親しみやすささえ感じるような仕草で尋ねた。

 

「おう、お客さんかい? ちと、もうすぐ【ロキ】の所の奴らが帰ってくるんでよ、皆奴らの武器を修理するための準備に忙しいんだ」

 

 そう言った彼は、【ロキ】という名に一瞬げえっと言わんばかりの顔をしたエリスの姿に人の良さげな笑顔を向けた後、自身が先程まで腰掛けていたテーブルを肩越しに親指で指し示した。

 

「商談か何かなら、とりあえず俺が話を聞くぜ? けど、立ったまま話すのもなんだし、ひとまず座れるところに移動しようや」

 

 エリスとルドウイークはその提案に従い、そのテーブルに向かってそれぞれ席に腰掛ける。そして老人は彼らの向かい側の席に腰掛け、テーブルの隅に置かれていた水筒からコップに水を注いて二人の前に差し出し、それから豪快に自身の分を飲み干してから己の名をどこか楽しげに明かし始めた。

 

「そんじゃ、まずは自己紹介と行こうぜ…………俺は【アンドレイ】。ここの親方衆の頭領をやってる。ま、他のファミリアで言ったら団長みたいなもんか……」

「アンドレイ……貴方があの噂に名高い【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】ですか!? お目にかかれて光栄です!」

「ハハッ、よせよ女神さま。俺はこの通りただの口うるさい爺さんだ。とりあえず座りな。んで、あんたらも自己紹介頼むぜ」

 

 立ち上がり、驚くエリスにアンドレイは席に着くように言うと自己紹介をするように促す。それに応じて、ルドウイークとエリスは自身等の素性を明かし始めた。

 

「私はルドウイーク、冒険者だ。こちらが私の主神である【エリス】神」

「どうも、エリスです」

「エリス……【エリス・ファミリア】か、久しく聞くな! てっきり五年前の時に潰れちまったもんだと思ってたが……」

「五年前?」

 

 アンドレイの発言を捉えて首をかしげるルドウイーク。しかしその疑問にアンドレイが答える素振りを見せる間もなく、エリスが会話に割り込んで、別の疑問をアンドレイに投げかけた。

 

「お気になさらず。それより、何故団長である貴方がいきなりやって来た私達に対応してくれるんですか? うれしいですけど、他の者に任せてもいいでしょうに」

「ああ、あんたらウチは初見だろ? そういう奴は、まず俺が見る事に決めてる。で、それから誰に仕事を回すか、或いは叩き出すかを考えるわけだ」

 

 にっこりと歯を見せて笑うアンドレイのその言葉に、エリスは緊張で体を強張らせた。つまり、ここで彼のお眼鏡にかなわなければゴブニュ・ファミリアを利用できない。それだけではなく、今後の依頼を行う際の優先順位やらにも影響するだろう。

 

 何としてもいい印象を得てもらわないと……!

 

 エリスは膝の上に置いた手を握りしめ、緊迫した視線をルドウイークに向ける。彼もエリスと同様、緊張した面持ちでアンドレイの動向を見つめていた。

 

「とりあえず、まずは注文を貰うとするか。何がお望みだい、お客様方?」

 

 そんな彼と彼女とは対照的に、あくまで明るく振る舞うアンドレイ。その言葉にルドウイークが降ろしていた背嚢を開き、中から一枚の図面を取り出してアンドレイの前に差し出した。

 

「……武器の制作を頼みたいのだが、ここに私の書いた図面がある。それを見て、まずは見積もりを立ててほしい」

「おいおい大丈夫かよ。そう言ってくだらねえ落書きを自慢げに見せつけてくる奴、年に両手で数えきれんほど居るぜ?」

「と、とりあえず見てみてください! お願いします!」

「はいよ。じゃ、ちょっと時間くれ」

 

 現れた図面を一瞬アンドレイは訝しんだが、切羽詰まって迫るエリスの剣幕に応えるように図面を広げ、そこに描かれた図に視線を走らせた。

 

「ふーん、ほうほう。成程……んん? こいつは…………」

 

 老鍛冶は図面を見て何やらぶつぶつと呟きながら、それを食い入る様に見つめている。その様子をエリスはガチガチに緊張して見守り、隣に座したルドウイークも顔こそ平静を装っているが、手に汗握り彼の反応を待ちわびていた。

 

 そうしてしばらく彼らがアンドレイの様子を見つめていると彼は突然立ち上がり、近くの壁に設置されていたラッパじみた口を開けたパイプの一つに歩み寄って、その口に向けて工房中に響き渡るような大声で叫んだ。

 

「俺だ!! テメェ暇してるだろ!! ちょっと工房に来い!!!」

 

 体を強張らせた一人と一柱を他所に、何処かへの連絡を終えたアンドレイは椅子にどっかと腰掛け自身のコップに水を注ぎ、それを一息に飲み干してから腕を組んで沈黙した。

 

 ルドウイークとエリスは彼が何者かをこの場に呼びつけたのだとすぐに理解して、片や固唾を飲み、片や周囲をせわしなく見渡してその何者かの到着に備える。そして、すぐにそれらしき男は現れた。

 

 黒いレンズのグラスを掛けた、一見何処にでも居そうな人間(ヒューマン)の男だ。歳はルドウイークと同世代だろうか。しかし良く見ればその肌の一部は鱗じみて硬質化しており、本当に真っ当な人間なのか不安が過ぎる。だがその男はルドウイークとエリスの怪訝そうな視線を無視して、アンドレイに対して不機嫌そうに食って掛かった。

 

「老いぼれめ、人の昼寝を邪魔して一体どうしたんだ」

「いいから見てみろよ。こいつは中々面白いぜ」

「…………ふむ…………ほう?」

 

 図面を投げ渡された男はつまらなそうにそれに目を走らせた後、アンドレイの座る椅子の隣に腰掛けてそれをまじまじと見つめ始めた。その様子を横目に見た後、アンドレイはルドウイークとエリスに向き直って、その男について紹介し始める。

 

「こいつは【エド】。腕は立つんだが、俺以上に偏屈な野郎でな。片手で数えるくらいの冒険者にしか武器を作ってやってねえんだ。あんまりタダ飯食わせるのも癪なんで呼び出したんだが…………おいエド! どうだ? 仕事する気にはなったかよ」

「………………」

 

 しかしエドは黙して答えず、図面に視線を向けたままだ。それを見て、エリスは口元を隠してルドウイークの傍に寄りながら図面を眺め続ける男に訝し気な視線を向けた。

 

「あの……大丈夫なんでしょうか。めっちゃ図面睨んでますけど……」

「私に聞かないでくれ。ひとまず、彼の反応を待つしかなかろう」

「アンドレイ」

 

 ルドウイークがそう呟いた瞬間エドが顔を上げ、隣に座るアンドレイに向け声を掛けた。机に肘を突きその行く末を見守っていた老鍛冶が顔を上げると、エドは不機嫌そうに、しかしどこか興奮した目で図面を見せつける。

 

「何だこの武器は? 今までに見た事の無い発想だ。これを考えた奴は妄想癖があるか、よっぽどろくでもない状況に追い込まれたか、あるいは頭の狂った奴だろう」

「褒められてますよ」

「褒められてないだろう」

 

 苛立ちのような物を見せつつアンドレイに詰め寄るエドの言を聞いて、エリスは先程までとは打って変わりにやにやと楽し気にルドウイークに笑いかけた。それをルドウイークがうんざりと言った様子で受け流していると、エドは不機嫌そうに彼らを睨みつけた。

 

「お前達がこの武器を考えたのか? それほど賢い発想が出来る部類の奴らには見えないが」

「……言いますね、この子。かつては謀略で鳴らした私に、頭のよさで喧嘩を売るとは――――」

 

 瞬間、いつの間にか立ち上がっていたアンドレイがその拳骨をエドの頭に叩きつけテーブルに盛大にキスをさせた。その様子を見たエリスは一瞬呆気に取られたが、すぐにそれを腹を抱えて笑い出す。一方それに驚いて目を丸くしていたルドウイークは、案ずるようにエドへと声を掛けた。

 

「…………無事かね? 貴公」

「無事に見えるか…………!?」

 

 その言葉に、顔を上げたエドは鬼のような形相で額から血を流しつつ答える。そして歪んだグラスを無理やりに曲げ直して掛け直すと、ルドウイークに睨みつけるような視線を向けて尊大に腕を組んだ。

 

「……お前がこの武器の考案者か。今日来たのは、これを形にしてほしいという認識で構わないか?」

「あ、ああ。そう思ってもらって構わない。だが、まずは見積もり……いや、先に怪我をどうにかした方が」

「怪我はどうでもいい。代金もタダでいいぞ」

「タダですか!?」

 

 エドの予想外に都合のいい発言に、今まで彼を笑い続けていたエリスがそれを止めテーブルに身を乗り出して声を上げた。それにエドはアンドレイに対して一度目を向け、彼が黙したままなのを確認するとテーブルに肘を立てて指を組み、エリスの言葉に頷いた。

 

「ああ、タダだ。しかし、何の対価も無しと言う訳では無い」

 

 その言葉にエリスとルドウイークの目に緊張が走った。一体何の対価を彼は要求しようと言うのか。素材集め……それなら分かる。だがその必要な素材がルドウイークに手の出せぬ階層にて出土するものであれば、一気に道は閉ざされてしまう。他にもいくつかの対価の可能性は考えられたが、もっともあり得そうで、もっとも彼らが心配するのはそれであった。

 

 しかし、エドの口から語られたものは彼らの予想とは全く別の物だった。

 

「…………その図面の権利をよこせ。そして、他のファミリアにこの武器の構造を口外しないことを誓ってもらおう。そうすれば、この武器の試作や完成品をタダでお前に卸してやる」

「えっ? そんなのでいいんですか?」

「そんなのとは何だ。新武器の図面など鍛冶ファミリアが欲しがるのは当然だろう。それにこの武器、図面では大剣だが、先端をメイスや鎚のような物に変えたなら斬撃と打撃攻撃の切り替えなども出来るだろう……そう言った意味では将来性も見込める。俺としては、まずここで手に入れておくべき品だと思うが…………お前もそう思うだろ、アンドレイ」

「ああ、俺もそう思うぜ…………って訳で、こっちとしてはそう言う感じで話を進めたいんだが、どうだ?」

 

 このオラリオにおいては、数々のファミリアが切磋琢磨し、成長を続けている。

 

 …………と言えば聞こえはいいが、実際には互いのファミリア同士で争う事で結果としてそれぞれの勢力を、そしてオラリオ全体の技術を伸ばしてきていた。このゴブニュ・ファミリアも例外ではなく、日夜鍛冶と言う面で他のファミリアとの競争を続けているのだ。

 そんな彼らが市場に無かった新種の装備に興味を示すのは至極当然な流れと言えるだろう…………しかし何よりも、エドの推論にルドウイークは驚きを隠せなかった。何せ、ヤーナムにはそう言った武器が実在していたからだ。

 

 <教会の石鎚>と呼ばれるそれは、今回ルドウイークがエドやアンドレイに見せた大剣と同様、長剣を元に大槌型の装備を装着する事で巨大な石槌とする武器である。

 教会、という言葉が示す通り教会の狩人達に愛用されたそれは、扱いやすい長剣で様々な状況に対応し、一方巨大で頑強な肉体を持つ相手に対して破壊力の高い石槌で対抗するというコンセプトの武器だ。

 

 それと同様の武器をすぐさま考え付いたエドの頭脳はルドウイークを感嘆させるには十分だった。そしてそれは彼らとの取引を肯定的に進めたいと思う格好の材料となり、ルドウイークはエドとアンドレイの提案に、何ら異論なく首を縦に振る。

 

「私としては、それで構わない…………エリス神はどうかね?」

「いや、タダで作ってもらえるって言うなら文句ないです! ぜひぜひ!」

「ハッハッハ! 決まりだな!」

 

 エリスとルドウイークの反応に気を良くして、アンドレイは白い歯を見せて豪快に笑った。そして、未だに額から血を垂らしながらも尊大そうに眼を細めるエドの肩を今度は軽く叩く。

 

「じゃ、頼むぜエド」

「…………俺が? お前がやれよアンドレイ。引退考えてるからって、人に仕事を丸投げするな」

「俺はロキ・ファミリアが帰ってきた時の準備に忙しいんだよ。お前も仕事しなきゃそろそろマジで怒るぜ?」

「チッ…………おい、移動するぞ」

 

 アンドレイに食って掛かるもあっさりと言いくるめられて、エドは席を立ち、人気のない工房の隅に置いてある円卓を顎で指し示した。それに従いルドウイークとエリスはアンドレイに礼を言ってからエドの後に続き、彼と共にテーブルの上に広げられた図面を囲むのだった。

 

「…………改めて自己紹介と行くか。俺は【エド・ワイズ】、鍛冶師だ。そっちの女神は?」

「【エリス】です。そしてこちらが<ルドウイーク>」

「よろしく頼む」

「ああ、とりあえずルドウ()ーク。その腰の剣、そいつを見せてくれ。冒険者の人となりを知るなら、話を聞くより武器を見る方が早い」

「私はルドウ()ークだよ」

「フン、紛らわしい名前だな」

 

 自身が名前を間違えても悪びれる様子も無く、あまつさえその名の判別のしにくさに口を尖らせるエドにルドウイークはただ苦笑いを返し、エリスもムッとして彼を睨みつける。

 だがエドはそんな彼らの反応もどこ吹く風と言わんばかりに鞘ごと剣を受け取って、それを抜いてみたり柄を握り手に力を込めてみたりと慎重に剣を検めていた。

 

 そしてそれが一通り終わると、彼は剣を抜き放ったままにルドウイークに確認するように尋ねる。

 

「…………数打ちの、普通の剣だな。アンタレベルは?」

「1だ」

「嘘つけ」

 

 ルドウイークの答えに瞬時に否定を叩きつけ、エドは苦虫を噛み潰したような顔で彼を睨みつけた。確かに、ルドウイークの実力は到底レベル1に収まる物ではない。だが看破されていいものでも無い。万一ギルドにレベルの偽装の件が露呈すれば、まず間違いなく多額の徴税など大きなペナルティを受ける事になるだろう。

 故にそれを聞いたエリスは内心の動揺や驚愕を一切表に出さず、ふてぶてしい態度を保ったままにその否定に対して否定で受けて立つ。

 

「何を言ってるんですか? ルドウイークは正真正銘レベル1の冒険者ですよ?」

「謀略で鳴らしてた割に三文芝居だな、エリス神」

 

 しかしエドはエリスの悪あがきをバッサリと切り捨てて、抜き身の剣を二人に向けて見せつけた。

 

「隠そうとしてるとこ悪いが、レベル1の腕力じゃこう言う摩耗の仕方はしないんだよ。普通剣ってのは相手を切り裂く刃から摩耗するもんだが、こいつはそれより先に柄の方がイカれ始めてる。持ち主が身の丈に合わない――――自分の力を大きく下回る武器を加減抜きに使うとこう言うガタが来るんだ。心当たり、あるだろう?」

 

 その武器職人の見地からの物言いに、エリスとルドウイークは一つの反論もする事が出来なかった。実際にルドウイークは武器の摩耗を感じてこの場へと足を踏み入れており、むしろ彼の指摘に対して舌を巻く思いであった。エリスに至っては渾身の演技を三文芝居と評価されたことで怒りで眉間に皺を寄せていてとても理性的な反論ができるような雰囲気ではない。

 

 そんな二人の様子を見て自身の見解への自信をさらに強めたエドは、しかし一度溜息を吐くと今までに無かった友好的な表情を浮かべて、一人納得するように頷いた。

 

「だが、悪くない」

「……何がですか?」

 

 そんな彼の様子に、怪訝そうに眉を顰めたエリスが声を掛けた。それに対して、彼はまたどこか楽しげに、安心したように椅子へと深く寄りかかりコップに入った水を口にする。

 

「…………何。俺は、武器を作ってやる相手に一つ条件を課しててな。偶然だが、アンタ合格だ」

「……すみません。あの、条件って?」

「『弱み』だよ」

 

 もう一度コップに口をつけて中身を飲み干したエドは、エリスの問いにひねくれた笑みを見せながらに言った。

 

「『俺に弱みを一つ握らせる事』。それが俺が武器を作ってやる相手に求める条件だ」

「この男……初めて見た時から思ってましたけど、マジでロクでも無い男ですね……!」

「俺の武器で下手な事されちゃあ堪らんからな。そうならないように釘を刺しとくのは当然。悪趣味って言うよりも、ちゃんと責任感が強いって言ってほしいね」

 

 怒り心頭のエリスの恨み言をあっさりと竦めた肩でいなしたエドは、自身が絶対的優位にあるという確信を持った笑みを彼女に向ける。それがもう限界近くにまで癪に障ったのか、エリスはそっぽを向いてもはやエドの顔を見ようとしない。

 

「まあ、そう邪険にするなよ。折角やる気になったんだ。あんたらが気に入ろうが入るまいが、俺はこの図面の武器を完璧に仕上げてやる。それでいいだろう? ビジネスライクに、ドライに行こうぜ。【黒い鳥】の奴みたいにな」

 

 言ってエドは心なしか非協力的になりかけている二人の意向を一切無視して立ちあがると近くの棚から紐を取り出して、まずルドウイークの手の大きさを計る所から作業を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【ゴブニュ・ファミリア】の本拠に足を踏み入れてから五時間後。どこか疲労に染まった表情でエリスとルドウイークは石造りの平屋から外へと踏み出した。

 既に夕方も近い時間帯ではある筈だが、いつの間にやら暖かい日の光は消え、空を灰色の雲が覆い隠している。

 

 これは降るな。

 

 指先をすり合わせて湿気の度合いを計ったルドウイークが今後天気が崩れるだろうと言う事を予測していると、それよりも早く怒りのタガが外れたエリスは口から大声で八つ当たりの雷を放った。

 

「あーもう何なんですかねあの鍛冶師! ほんっっとムカつきます! 確かに武器の問題も解決してゴブニュ・ファミリアの鍛冶師とのコネも出来ましたけど、それがあんな奴ってのは腹立ちますよ!」

「……そうだな。だが、武器が工面出来たのはあまりに大きい。彼も私の本当の実情を知っているわけでもないし、言いふらす気も無いようだからな。我慢のしどころだろう」

 

 確かに、エドはルドウイークの真実を知らぬ。まさか、レベル1ではありえない戦闘力を持つこの男が実際には【恩恵(ファルナ)】も得ていないなどと、このオラリオの人間であればまず夢にも思わないだろう。だがエリスはそんなルドウイークの意見を楽観視だと溜息を吐く。

 実際の所恩恵があろうとなかろうとレベルの偽装がばれれば結果は同じなのだ。故にエリスはどうにもあの鍛冶師に対して納得しきれぬようで、思い付く限りの辛辣な言葉を口にした後、溜息を吐くようにして言った。

 

「うー、しかも武器の完成まで半月ちょっとかかるなんて……それまでどうしましょうか……」

 

 エドは、武器の完成まで半月以上…………丁度月の半ばを過ぎて数日経った日に行われるという【怪物祭(モンスターフィリア)】なる催しの辺りまではかかるとルドウイークに告げていた。

 彼はその言葉に嘘は混じっていないかと一瞬訝しんだが、嘘を見抜けるエリスが特に反応を見せなかった事、そしていつか自身達であの武器――――<ルドウイークの聖剣>――――を試作した際はその倍近い期間がかかった事を思い出して、その言葉をひとまずは受け入れたのだ。

 

 しかし、余計な作業も要求した以上、予定よりは遅れるかもしれないな……。

 

 ルドウイークはエドとの会話の中で設計図には書いていなかった要望(リクエスト)を一つエドに伝えていた。それは細かい作業であり、実際成功するかも分からぬものだ。

 彼はその内容を想起しながら、懐の雑嚢に入れていた刺々しい石――――<血晶石>を摘みだして指先で転がす。

 

 ……彼がエドに要求したのは、血晶石を捻じ込むための(スロット)を武器に細工する事だ。成功すれば、かつて自身が使用していた武器とほぼ同じ性能の物が手に入る。

 エドには彫刻(エングレーブ)の一種だと説明しておいたし、失敗時のリスクも無いに等しいとあればその要求は理にかなったものであったろう。まぁ、成功した所でこの世界の素材が血晶石と適合するかどうかはわからないのだが……。

 

 その時、血晶石を弄んでいたルドウイークの手にぽつりと冷たい感触。それを受けた彼が血晶石を仕舞い両掌を上に向けてみると、少しずつではあったが、雨粒が降り始めるのを感じる事が出来た。

 

「雨か。早く戻ろう、エリス神」

 

 そう言ってルドウイークが歩き出そうとすると、いつの間にか落ち着きを取り戻していたエリスは足を止めたまま、申し訳なさそうにルドウイークに謝る仕草を見せた。

 

「あ、すみません。私ちょっと寄りたい所があるので、ルドウイークは先に戻っててください! ご飯も食べちゃって構いませんよ!」

「何処へ行くのかね?」

「ふふ、秘密です。それじゃ!」

 

 それだけ言い残してエリスは走り出し、ルドウイークに一度大きく手を振ってから街の中へと消えて行った。一方、その場に残され彼女の後姿を見送ったルドウイークも、今宵の食事や、そもそもこれからの時間をどうするかなどと考えながら大通りへと向かって歩みを進めて行く。

 

 ――――とりあえず、替えの長剣を用意しておくとするか。

 

 そう思い立ったルドウイークは大通りに出た後、一先ずギルドの本部へと足を向けて歩き出すのだった。

 




ルド聖剣の血晶石強化の幅本当にすき。
お気に入りの他の武器もそうだけど各属性分揃えて使ってました。

エドはラストレイヴンの彼とデモンズソウルの彼の折半です。

登場キャラのリクエストとかはまだまだ活動報告で受け付けております。良ければご協力お願いします。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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10:運命の陰で

ようやく原作一巻冒頭に追いつきました。13000字くらいです。

お気に入り2500到達しました。
投稿してる別の小説のお気に入り数超えちゃった……予想外に見ていただけていて困惑しつつも喜ばしいです。ありがとうございます。

そのほか、評価感想誤字報告してくださっても居る皆さま、いつもありがとうございます。
これからも応援していただければ幸いです。


 二月も半ばを迎え、【怪物祭(モンスターフィリア)】まで残り一週間を切ったこの日。ダンジョンに潜るべく中央広場(セントラルパーク)へと現れたルドウイークは、しかしすぐにダンジョンに潜る事は無く、いつものベンチに腰掛けて空に流れる雲を見上げている。

 

 彼がそうして時間を浪費し、休息に充てている理由は二つほどあった。

 

 まず一つ、【ゴブニュ・ファミリア】の【エド】に頼んでいた装備の進捗度合いだ。今朝彼らの工房へと足を運びその様子を確かめたルドウイークであったが、そこで目にしたのは想定外の状況であった。

 

 何かの襲撃でも有ったかと勘繰るような有り様の工房と、そこら中で倒れ伏す鍛冶師達、そして顔中を殴打され気絶していたエド・ワイズその人の姿である。

 

 その様を見てすぐにルドウイークは周囲の者達の介抱を始めようとしたが、すぐに彼らから漂う酷い酒臭さに気づいた。後に目を覚ましたエドによれば、ルドウイークの依頼した<仕掛け武器>、それを巡っての一悶着があったのだと言う。

 

『……俺が設計図に手を加えようとしたらあの馬鹿ども、やれ設計図通りやれだの、どうせならもっと長剣の固定機構を複雑化しろだの好き勝手な事をぬかしやがって。それで結局殴り合いになってあのザマだ。割に合わん』

 

 そう言い捨て流した血を服の袖で苛立たしげに拭き取るエドは、殺意すら込めた視線を周囲の鍛冶たちに向けていた。

 

 …………彼の言を疑ったルドウイークが後々他の者に聞けば、そうして喧嘩になった後、騒ぎを聞き駆け付けて堪忍袋の緒が切れたアンドレイによってその場の全員が成敗され、結果としてあの様な有り様になったのだそうだ。ルドウイークには装備の構造一つでそこまでいがみ合う精神は良く分からなかったが、職人と言う生き物は『そう言うモノ』である事は何となくであるが分かっていた。

 嘗ての<火薬庫>など、意見の対立を発端として結果的に爆発事故を起こした事は一度や二度では無い。つまりどこの世界でも、鍛冶やら職人やらの性根は変わらないらしいとルドウイークは少し呆れ気味に納得した。

 

『とりあえず、お前に渡す一本目の完成予定は【怪物祭】当日だ。本当なら後二日もあれば作れるんだが、素材の手配の都合上でな。しばらくは、その粗製の長剣でも使っているといい』

 

 ルドウイークはそう言い捨てたエドに半ば追い出されるようにしてゴブニュ・ファミリアを後にした。どうやら、まだこの長剣を使って行かなければならないようだと悩みながら。

 

 既に一本目の長剣は摩耗しきって処分したため、今使っているのは都合二本目の長剣となる。だがこの一週間で既にこの剣も相当ガタが来ており、今日の冒険の帰りには、また新しい剣を工面するべきだろうとルドウイークは考えていた。

 

 

 もう一つの理由は単純に昨晩からほぼダンジョンに籠っていた事だ。狩人たるルドウイークはこの世界に来てから久しく安らかな眠りを手に入れていたものの、それでも常人よりも睡眠の必要性は薄い。

 その為彼は昨晩、ダンジョンに比較的人気(ひとけ)の無い深夜にダンジョンへと潜り、集めた【魔石】を使っての<秘儀>の発動の可否をようやく試していたのであった。

 

 今、ルドウイークは5つの秘儀を装備している。

 

 <星の娘、エーブリエタース>の一部を召喚する<エーブリエタースの先触れ>、内の夜空から隕石を撃ち放つ<夜空の瞳>、その身に残された粘液を装備に塗りたくる事で神秘を付与する<精霊の抜け殻>、周囲の者の生命力を回復する<聖歌の鐘>、そして精霊を媒介にして『上』への交信を試み、副次的に星の小爆発を伴う<彼方への呼びかけ>。

 

 それ以外にも夢の内の<使者>の姿を借りる<使者の贈り物>と<アーチボルト>の手による傑作、<小さなトニトルス>も所持してはいるが、前者はこの世界の者達に一見悍ましき使者の姿を晒せばどのような啓蒙を与えてしまうか分からぬ危険性、後者は<水銀弾>の使用を前提とした構造故に魔石での代用が効かぬので使用していない。

 

 そして、結果だけ言えば――――この内、<エーブリエタースの先触れ>と<夜空の瞳>の発動に、ルドウイークは成功していた。

 

 ダンジョンの5階層、その内の人気の無い場所まで進み秘儀を試用していたルドウイーク。彼が発動に成功したその二つの秘儀は、かつて<ヤーナム>で彼が操ったそれと寸分たがわぬものであった。だが何故、『二つだけ』発動に成功したのか。

 

 成功した理由はルドウイークにも終ぞ理解できなかったのだが、失敗した理由は明白である。空を見上げていたルドウイークは懐から雑嚢を一つ取り出して、その中に詰まった『色を失った魔石』を空に透かして見た。

 

 <先触れ>と<夜空の瞳>以外の秘儀の発動が失敗したその理由…………それは単純に『触媒が足りなかったから』である。

 

 かつて、ヤーナムにおいて秘儀を発動する時にも、必要とされた触媒の数――――用いる水銀弾の数はそれぞれ異なっていた。1つで済むものもあれば、10近い水銀弾を要求するものもあり、使用する秘儀によっては『銃』に使用する分の銃弾との兼ね合いを常に考えなければならない。

 そして今回使用できた二つの秘儀――――水銀弾を1つ用いれば扱う事の出来たこの二つに必要となった魔石の数は、ルドウイークの想像を大きく超える物だった。

 

 たった一度先触れを用いただけで、50体近いモンスターから集めたはずの魔石は瞬時に色も魔力も失い、ただの透き通った石に成り下がってしまったのだ。

 

 一度家へと戻り就寝中のエリスを起こし見せてみてもなにも感じぬただの石、という評価であったし、睡眠を邪魔された怒りを彼女がぶつけたらあっさりと砕けるほどのもろい物体でもあった。価値は無い。

 処分に困り、殆どは家へと置いてきたが、その内一袋だけは何かに使えぬかと持って来てみた。しかし、いくら思案してみてもこれと言ったものは思いつかなかった。

 

 そして今、ルドウイークは集めていた魔石を幾つかの袋に小分けにして持ち歩いている。彼は幾度かの試用の末に水銀弾一発分の量で袋を分けているのだが、それで用意出来たのは三発分、三袋だけだ。これ以上は持ち運びの邪魔でしか無く、普段の狩りに支障が出る。

 

 ――――やはり、血が介在していないのが問題か。そう考えて自身の血を塗ってみたりもしたが、芳しい結果は得られない。

 最終的には、魔石の質の問題であるとの仮説を立てるに至った。ルドウイークが持っていた魔石は5層までの弱小モンスターの物にすぎない。より『下』に住まう強力なモンスターの魔石であれば少ない量で多くの水銀弾の代替となりうるかもしれぬ。

 

 ただ、それには冒険者としての直接的な収入源である魔石を諦める必要が出てくるというジレンマを抱えていた。色を失った魔石は換金できるとは思えぬし、それ以上に出所を聞かれるのは危険だ。

 故に、今しばらくは現状維持。もう少し時間が経ち、レベルを上げた事にしてより深い階層に潜れるようになってからそれぞれの秘儀については確認するべきだと、ルドウイークは判断した。

 

 そして、失った分の稼ぎ(魔石)を取り戻す為に、ルドウイークは今ここでダンジョンに挑む前の小休止を取っていたのだ。

 

 その周囲では人影疎らだった中央広場にも少しずつ冒険者達が集まり始め、ダンジョンへと向かう姿がそこらで見受けられる。彼らは意気揚々とダンジョンに向かう者もいれば、逆に心底憂鬱そうに歩む者もおり、否応なくそれぞれの事情をうかがわせる。

 

 そうして彼らの喧騒を眺めていると、ルドウイークは行き交う人々の中に一人、迷う事無くこちらに向かってくる人物を見出した。

 

 疲れ切ったような顔の人間(ヒューマン)の男だ。青みがかったチェインメイルを身に着け、長剣と盾、そして大きな背嚢(バックパック)を装備している。

 その男は真っ直ぐにルドウイークの元へと向かいその前で一度立ち止まると、彼に顔を向け、何処か申し訳なさそうに口を開いた。

 

「隣、いいかい?」

「どうぞ」

 

 彼の言葉にルドウイークはベンチの端へと体をずらした。それに男は小さく会釈すると、ルドウイークと逆側の端に座って、誰かを探すように一度周囲を見渡す。そしてしばらくそうしていたが、目当ての人物が見つからなかったようで、どこかつまらなそうにルドウイークに対して声を掛けて来た。

 

「…………あんた、冒険には行かないのかい? 心折れたわけじゃあないだろうに、こんなとこに座ってても意味ないぜ?」

 

 大いに自虐的な含みを持った言葉を、それに相応しくどんよりとした口調で話しだす戦士。その視線は行き交う冒険者達に向けられてはいるものの、どこか遠くを見ている様な眼差しであった。それを横目に見て、ルドウイークは同じように人ごみに視線を向けたまま穏やかに答えた。

 

「……いや、実は朝方までダンジョンに居たんだが、手持ちがいっぱいになってしまってね。換金を終えたついでに、小休止を取ってからダンジョンに挑もうと思ったんだ」

「なるほど。単独(ソロ)かい?」

「ああ」

「レベル1には見えないが……サポーター位雇った方がいいぜ。効率が段違いだ」

「はは、売り込みが上手いな。ならば何かの縁だ、貴公に頼むのもいいかもしれん」

「ああ、いや、そう言うつもりじゃ無くてだな……俺はもう先約があるんだ。悪いな」

 

 そう言うと、彼はそれきり黙り込んでしまう。気まずい沈黙が流れる。それに耐えかねたか、今度はルドウイークの方からその戦士に向けて話しかけた。

 

「……貴公、見たところサポーターのようだが、この一月ほど広場では見なかった顔だ。何か事情でも?」

「………………実は、前にちょっと怪我をこさえちまってね。まぁ、怪我自体は先週には治ってたんだが……引退するか悩んでたのさ。ただ、いつも雇ってくれてる奴らが良い奴らで、まだ雇ってくれるらしくてね。それで復帰してきた、って訳だ」

「ふむ……」

 

 彼のその物言いに、何処か諦めを感じるルドウイーク。恐らく、彼は所謂専業サポーター……それも、一般の冒険者達の中から脱落(ドロップアウト)した者の一人なのだろう。

 運良く雇い主には恵まれていてそのお陰で帰還出来たのだろうが、それでも諦観が強くその表情に現れている。そんな彼がこのオラリオと言う街をどう思っているのか、それがルドウイークは気になって、周りに聞こえぬよう少し小声で彼に問いかけてみた。

 

「私は、オラリオに来て一月と半分ほどだが……貴公は、この街についてどう思う?」

「生き辛い街さ」

 

 ルドウイークの問いに、男は皮肉めいた笑みを浮かべ小さく肩を竦めた。

 

「強ければ神々に目を付けられ、弱けりゃ歯牙にもかけられねえ。上位ファミリアの横暴のツケを払うのは何時だって俺らみたいな弱小ファミリアか市民たちだ。【ギルド】の連中も市民のガス抜きの為に【怪物祭】なんてやるみたいだが、本当に意味があるのか俺には良くは分からんね…………まぁ、神と共に生きる以上、多少の理不尽はあるもんだとはわかっちゃ居るんだけどよ」

「……そうだな。ダンジョンと言う大目標があるにもかかわらず、ここの人々は少々いがみ合いが多いように感じる。オラリオの最上位ファミリアが力を合わせれば、ダンジョン攻略ももっとスムーズに行くだろうに」

「そう言う時代がない訳でも無かっただろ、【ゼウス】と【ヘラ】が手を組んでの【三大クエスト】への挑戦。あれが最後までうまく行ってりゃ……って、俺は今でも思っちまう」

「世知辛いな」

「まったくだよ」

 

 話し終えた直後、半ば呆れたように同時に溜息を吐いて彼らは顔を見合わせておかしそうに笑った。そしてルドウイークは背嚢を背負い直すと、ベンチを立ち、彼に別れの挨拶をする。

 

「……さて、私は行くよ。暗い話に付き合わせて、すまなかったな」

「なぁに、愚痴の一つたまに言わなきゃ、人は擦り切れて折れちまう。アンタ、その内出世しそうだしな。精々頑張ってくれよ」

「ああ。では失礼する」

 

 そう挨拶して、ルドウイークは喧騒の中に消えて行った。彼の後姿を、その戦士はどこか羨ましそうに眺めている。すると、ルドウイークの消えた方向と逆側から二人組――――エルフとドワーフと言うオラリオでも珍しい組み合わせの冒険者が戦士の元へと歩いてきた。

 

「どうも、お久しぶりです。お元気そうで安心しました……ほら、ホレイスも」

「……………………」

「すみません、こう言う奴なので……」

「知ってるよ。ま、それじゃ行こうぜ……前みたいに欲かかんでくれよ」

「アハハ……とりあえず、今日は3層くらいまでにしておきますか。我々も少し強くなっているので、大船に乗ったつもりでいてもらっていいですよ」

「だといいけどな」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ダンジョンに潜って2時間ほど。第5階層で魔石集めを続けていたルドウイークは最後のコボルトの頭に握り拳を落とし頭蓋を凹ませて昏倒させると、素早くその魔石を抉り出して雑嚢へと放り入れた。

 

 既に水銀弾一発分に等しい量の魔石を収集し、目的は達成したと言える状態にはなっていたが、ルドウイークは普段よりも更に気を張り絶え間なく周囲を警戒している。

 

 ――――今日のモンスター達は、明らかに緊張しているな。

 

 ルドウイークは普段とのモンスター達の雰囲気の差異に、強い警戒を向けていた。どうにもモンスター達も何やら不穏な気配を感じ取っているようで、しきりに周囲を警戒し、明らかに苛立ちを持ってダンジョンを徘徊している。

 

 頭上から襲い掛かったダンジョン・リザードの顔面に振り払うように裏拳を与え首を270度回転させつつ、ルドウイークは今日の雰囲気を訝しむ事を止められなかった。

 

 今日はもう切り上げるか。

 

 第5階層の端まで来ていたルドウイークは最大限のリスクを考慮して、今日の探索を切り上げることを決定する。既にひと月以上親しんだとはいえ、彼にとってダンジョンはまだまだ未知の塊である。<聖杯ダンジョン>の如き悪辣さをこの場所が見せる事はまだ無いが、もう少し下層に行けば天然の(トラップ)じみた構造や、陰湿なモンスターも出現するとはニールセンからよく聞かされていた。

 だが、ここから第4階層に戻るには少しばかり離れすぎてしまっている。あまり端に来すぎるべきでは無かったかとルドウイークは後悔した。

 

 ――――その時、ルドウイークの聴覚は遠方からの、誰かの叫び声を察知した。入り組んだヤーナムで助けを求める者を素早く発見するために鍛えられた彼の聴覚は、このダンジョンでも遺憾なくその力を発揮している。

 ルドウイークは即座にその場を駆け出し、声のする方に向かった。通り掛けに徘徊していたモンスターを鎧袖一触の勢いで処理して、凄まじい勢いで声の元へと向かってゆく。

 

 その内、悲鳴の声がどんどん近づいてきた。何やら喚き散らすその声は、最早この世の終わりだと言わんばかりな悲痛な響きを持って、支離滅裂に現状の危険性を叫んでいる。

 ルドウイークは更に速度を上げ、その声の元へと迫る。すると、声に近づくにつれてその叫んでいる言葉も明確になって来た。

 

「ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ! 姐さん今日はマジで帰りましょうって!!! 何かすごいヤバイのが来るんですよ!!」

「今日はまた一段とうるっさいねぇ…………【RD(アールディ)】、もーちょっとシャンとしなよ」

「無理無理無理!! 何で姐さん解ってくれないんですか!!! ああもう来る! 来ます! 来てます!」

「なんかの宣伝かい? まったく……」

「無事か貴公ら!?」

 

 彼らの元へとルドウイークは飛び出し、その姿を視界に捉えた。そこに居たのはうんざりとした表情の赤毛のアマゾネスと、その足に縋りついて涙を流す頼りない小人(パルゥム)の男。ルドウイークの声にその二人は揃って振り向いて、次の瞬間小人の方が絶望したかのように目を見開き、今までで一番大きな叫びを上げた。

 

「ギャ――――――――ッ!!!!!! ヤバ、ヤバーイ!!!!! 姐さん無理です、もう無理! 俺ら終わりです!! 何でこんな人がここに居るんですか!? 死ぬ!! 今死ぬ! 俺死んだ! 死体ですから!! 俺死体なんで殺さないで!!! 死ぬーッ!!!」

「ちょっと黙ってなRD!!!!」

 

 ギャン! と言う悲鳴と共に、振り下ろされた拳によって小人は沈黙させられその場に死体じみて倒れこんだ。

 

「……悪いね。コイツ、普段はここまでならないんだけど、今日は一段と騒がしくて」

「いや…………ひとまず、無事で何よりだ」

 

 気まずそうに、見せたくないものを見せてしまったと表情を歪めるアマゾネスにルドウイークは苦笑いを浮かべる。そして、僅かに沈黙した後、思い出したように雰囲気の違和感を伝え始めた。

 

「だが、彼の言っていた事にも一理ある。今日は何かおかしい。私も冒険を切り上げた所なんだが、君達も戻った方がいいと思う」

「そうさね……こいつもそんな事を叫んでたし、多分今日がヤバイのは間違いないみたいだ」

 

 溜息を吐き、アマゾネスはピクリとも動かぬ小人を雑に指差した。その仕草に、だが確かな信頼をルドウイークは見て取って眼を閉じ、腕を組んでしばし思案する。そこに、アマゾネスの女が待ちきれぬという風に一つの提案を投げかけた。

 

「アンタも帰るって言うのならどうだい? 即席のパーティを組んで上を目指すのは? 一人で動くより、よっぽど安全だと思うけど」

 

 そうだな……。と、ルドウイークは彼女の提案に乗ろうとして眼を開いた瞬間、視界に一筋の光を見る。

 

「……すまない、用事が出来た。君たちだけでも戻ってくれ。失礼する!」

「ちょっとアンタ!?」

 

 言い終えた瞬間、ルドウイークは呼び留めるアマゾネスの声も無視してこれまで以上の速度で駆け始めた。光の糸、<導き>。このような状況下で現れるのであれば、間違いなく何かが起きている!

 

 ルドウイークは覚悟を決め、走りながら背の<月光>を仕舞い込んだ袋の口を開いた。緊急となれば、これを振るう事もあるやも知れん。エリス神との関係の為にも、抜かずに済むのがもっとも良いのは間違いないが。

 そう思案するルドウイークの耳に、今までこの階層では聞いた事も無い何かの叫び声が届く。正しく、ルドウイークが知る獣の如き咆哮。それに危機感を新たにしながら、彼は導きに従いダンジョンを駆け抜けて行った。

 

 

 

<◎>

 

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』

「ほああああああああああああああ!?!?!?」

 

 その時、ベルはルドウイークと同じ5階層の隅で、この階層に居るはずもない中層のモンスター、【ミノタウロス】の脅威を前に、絶体絶命のピンチに陥っていた。

 

 レベル1、それもまだ駆け出しのベルとギルドからレベル2に認定されたミノタウロスの間には、文字通り天と地ほどの差がある。

 それだけではなく、ミノタウロスは階層ごとに評価されるモンスターの危険度の評価で、当該層である15階層での最高ランク、星三つの危険度を有する強力なモンスターだ。同じレベル2の冒険者でもそう容易く無い相手がレベル1のベルとぶつかればどうなるか…………その答えは、火を見るよりも明白な物であった。

 

『ヴモオッ!』

「うわぁっ!?」

 

 その筋骨隆々の腕がベルの先瞬まで居た場所の地面を易々と殴り砕き、触れても無いのに衝撃だけでベルを放り出して無様に地面を転げさせる。そして壁にぶつかり、動きを止めたベルの前でミノタウロスは彼をヒトから肉塊へと変じさせるであろう拳を引き絞った。

 

「ひいっ!?」

 

 ベルは咄嗟に腕で防御の姿勢を取る。だが、そんな物が何の助けになろうか。その腕ごと彼を叩き潰さんとしてミノタウロスが拳を放とうとして――――

 

 ――――瞬間、一筋の白閃が閃いた。

 

『ヴォ?』

「へっ?」

 

 その身に感じた違和感にミノタウロスが、次いでその声を聞いたベルが怪訝そうに疑問の声を上げる。するとその閃光――――余りにも研ぎ澄まされた斬撃が、胴体、腕、大腿、首、全身を奔り抜け、次の瞬間にはミノタウロスは断末魔の叫びと共に、盛大に血を撒き散らしながら肉塊へと変じていた。

 

「…………大丈夫ですか?」

 

 血のシャワーを浴び、その白い髪だけではなく上半身を真っ赤に染めたベルに、鈴がなるような可憐な声で斬撃を放った少女は話しかけた。

 

 女神にも引けを取らぬ美貌、光をそのまま形にしたかのごとき金の長髪、あどけなさを残す表情、宝石にも劣らぬ金色の瞳、なにより、圧倒的なまでの剣の冴え。都市最強の一角、【ロキ・ファミリア】の幹部にして【剣姫(けんき)】の異名を取るレベル5、【アイズ・ヴァレンシュタイン】がそこに居た。

 

「…………ぁ」

 

 その彼女を前に、真っ赤になったベルは何も口にする事が出来ず、ただ呆けたように目を丸くして彼女を見上げるばかりだ。

 

「………………大丈夫、ですか?」

 

 念を押すように問いかける彼女の言葉も、呆然自失としたベルには届かない。それを訝しんで、より一歩ベルに近づくアイズ。瞬間、少年は血塗れの顔を更に赤くして、震える唇で何か声にならない声を上げた。

 

「――――だ」

「……だ?」

 

 アイズが形の良い眉を顰めると、尻餅をついていたベルはがばっと跳ね起き、そして。

 

「だあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

 叫びながら、脱兎のごとく彼女から逃げ出してしまった。

 

「………………」

 

 それを見たアイズは、ベルと立場が逆転したかのように口をぽかんと空け、その後姿を見届ける。すると、その後ろからくぐもった笑い声と足元が聞こえ、アイズは其方へと振り向くと、そこには灰色の髪の狼人(ウェアウルフ)の青年が立っていた。

 

「くっ……くくっ……お前、あんなチビにビビられちまって……折角助けてやったのに、ひでえ仕打ちだなぁ、おい。くくっ……」

「…………ベートさん」

 

 彼女の前にいたのは、同じくミノタウロスを追跡してきたロキ・ファミリアのレベル5。【凶狼(ヴァナルガンド)】こと【ベート・ローガ】だ。先程の一部始終を目撃していたのか、おかしくてたまらぬと言った彼の姿にアイズはその形の良い眉を顰めて、咎めるように呟いた。

 

「…………笑わないで、ください」

「ハッ、笑わずにいられるかってんだ。……ともかく、ミノタウロスは後一匹残ってんだ。雑魚どもがくたばらねえうちに、さっさと叩き潰すぞ」

「…………うん」

 

 アイズの返事が終わらぬうちに、狼人の優れた嗅覚を生かしてミノタウロスを追跡し始めたベートに彼女は続いた。先ほどの少年の姿に、少し、後ろ髪を引かれるような思いを感じながら。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「成程。実際、上層のモンスターとは比べ物にならないな」

 

 そう呟きながらルドウイークは一歩身を引き、眼前を通過するミノタウロスの拳をじっくりと観察した。

 

 光の糸に導かれルドウイークがたどり着いた小部屋(ルーム)では、この階層に居るはずもないミノタウロスが獲物を探すように、或いは何かを警戒するように周囲を見渡していたが、ルドウイークを見つけるなり咆哮を上げ襲い掛かってきたのだ。

 

 その攻撃能力はこの階層のモンスターとは比べ物にならず、それだけではなく、耐久性も比べ物にならない。その証拠にルドウイークの握りしめた長剣は柄の部分だけとなっており、その刃はミノタウロスの脇腹に深々と食い込んでいた。

 

 ルドウイークはまず、襲撃してきたミノタウロスに自身の肉体だけで対応するのは軽率と考え、その耐久力を試すため長剣でその脇腹に一撃を加えた。だがそれさえも軽率であったようで、摩耗した長剣はミノタウロスの筋肉に食いこんで、彼の手元には柄だけが残ってしまったのだった。

 

 さて、どうしたものか……。

 

 その後、ルドウイークはミノタウロス相手に月光を抜くべきかを思案しながら、その動きを淡々と『解剖』し続けている。動きも力も、確かにレベル1とは比べ物にならない。だが、それを更に上回るルドウイークにとっては問題が無く、故に悩みどころでもあった。

 

 『狩人は油断してはならぬ』。当然の警句である。そして狩人は同時に『相手を獲物とせねばならない』。故にルドウイークは慎重に、ミノタウロスの力を推し量っていた。

 

 ――――おそらくは、自分自身の身体能力でまだ対応できる範囲。だが、万一と言う事もある。

 

 そして、回避の繰り返しの中でルドウイークはいかにしてこのモンスターを殺害するかについてを決定した。拳でも倒す事は出来るだろうが、耐久力の程までは分からぬ。無為に反撃を食らえばそれが元となり死亡する可能性はいくらでもある。それゆえ一撃で殺す。

 

 真面目腐った顔でそう結論付けたルドウイークは、眼前をミノタウロスの大振りな右フックが通りすぎた瞬間一歩前に出る。それに反応して、ミノタウロスは拳の動きを留め、反転させ、強烈な裏拳をルドウイークへと叩き込もうとした。

 

 それを、ルドウイークは容易く足掛かりにする。跳躍し、自身の下を通り過ぎる拳を踏んで瞬時に再跳躍した彼はそのままミノタウロスの左肩に着地すると、そっと左掌をミノタウロスの側頭部に向けて開いた。

 ミノタウロスはその行為を手酷い挑発だと判断して振り抜いた右手を戻し彼を握りつぶそうと鼻息を荒くする。そして、その眼は向けられたルドウイークの左掌を見た。

 

 ――――それが、そのミノタウロスが知覚出来た最後の光景となる。

 

 直後、ルドウイークの掌から爆発的に触手の奔流が躍り出てミノタウロスの顔面を破壊した。眼窩を貫き、鼻孔をこじ開け、耳から脳をぶちまける。そしてその威力に耐える事など敵わぬその頭部はまるで爆ぜるように吹き飛んで、ダンジョンへと盛大に脳漿を撒き散らした。

 

 頭部を失ったミノタウロスが、力を失いあっけなく崩れ落ちる。その転倒に巻き込まれぬよう離脱し着地したルドウイークの背後で、ミノタウロスの死体は地面に叩きつけられて盛大な轟音を響かせるのだった。

 

 振り向いたルドウイークはさも当然の光景だという風に動揺も無く、その魔石を抉り出そうと短刀を抜いた。彼にとって、自身の挑めぬ階層のモンスターがこうして現れたのは幸運であった。秘儀の触媒として、よりよい物を手に入れる事が出来るからである。

 それに魔石を抜いてしまえば死体も残らず、彼が暴れた証拠も残らない。

 

 まこと、都合のいいものだ。そうルドウイークが一人ごちた瞬間。

 

「オイそこの白装束!」

 

 背後からかけられた声に、ルドウイークは焦って振り返った。

 

 そこに居たのは苛立たし気な狼人の青年と、人形めいた美しい人間(ヒューマン)の少女。その身に纏う雰囲気と血の匂いから、ルドウイークは彼らがミノタウロスなど比べ物にならない強者だと判断し、緊張を持って正対する。すると、青年の後ろに控えていた少女が、表情を動かさずにルドウイークに問いかけて来た。

 

「…………大丈夫ですか?」

「………………あ、ああ。何とかね」

 

 その質問の意図を一瞬理解できなかったルドウイークだったが、ふとここは5階層でミノタウロスはここには存在しえぬモンスター、そして自身がレベル1を装っているのだと今更ながらに気が付いた。

 

 ――――まずい。見られたか? ルドウイークは適当な答えを返しながら冷や汗を流す。恐らく、彼らはこのミノタウロスを追ってきた冒険者だ。そのレベルは最低でも3はあるだろう。

 そんな彼らからすれば、レベル1であるはずの自分がレベル2のミノタウロスを手玉に取る、と言うのは些か不自然な事態である。怪しまれても無理はない。

 

 いかにしてこの状況を切り抜けるか、ルドウイークは友好的な顔の裏で必死に思案してゆく。だがこう言った状況に滅法弱い彼はいい方法を思いつく事が出来ぬ。その内、悩んでいるのが顔に出て、それに気づかぬままルドウイークはうんうん唸り始めた。それを見た狼人の青年は苛立って声を上げる。

 

「おいそこのテメェ。お前がミノタウロスを()ったのか? 所属はどこだ?」

 

 その言葉を聞いて、彼らが事の一部始終を見ていたわけではないと理解したルドウイークは、咄嗟に手ひどい嘘を吐いた。

 

「…………いや? 私ではない。私が来た時にはもうミノタウロスは斃れていたよ。大方、どこかの高レベル冒険者が通りがかりに始末していったのではないかね?」

 

 折れたままの剣の柄を雑嚢に滑り込ませつつ、ルドウイークはあっけらかんと言い放った。それを聞いて少女はミノタウルスの死体を検め始めたが、一方で青年の方が納得が行かないと言った顔でルドウイークを睨みつける。

 

「あン? 適当な事言いやがって。他に誰の匂いも感じねえぞ! つーかやたら……何の匂いだか分からねえが…………あー、面倒くせえから、何がありやがったか正直に答えろよ」

 

 そう言って、青年は前かがみになって凄んだ。必要とあれば何時でも飛びかかれる態勢だ。それを見たルドウイークは、どうやって彼を欺くべきかさらに思案を重ねる。すると、死体を検めていた少女が座り込んだまま、青年に声を掛けた。

 

「ベートさん、ちょっと」

「あン? んだよアイズ」

「この死体、凄い事になってます」

「はぁ?」

 

 青年はそれを聞き、一度ルドウイークに睨みを効かせると少女の元へと歩み寄って、その横に屈みこんだ。

 

「ンだよ、今忙しいってのに」

「この傷、凄い力で、頭を打ち抜いたみたい。それも同時に、原型が無くなるくらいの回数を。よっぽど特殊な武器か魔法じゃなきゃ、こういうのは出来ないです」

「…………何が言いてえんだよ」

「多分、あの人じゃない。変な武器も持ってなかったし、マナの残滓も無かった」

 

 そこまで言って、少女はルドウイークの方に目を向ける。青年もそれに釣られてそちらを向けば、そこには既にルドウイークの姿は無く、まるで最初から誰も居なかったかのような空間があるだけであった。

 

「クソッ、あの野郎いつの間に……!」

 

 怒りに顔を歪め歯ぎしりする青年。その姿を見て、少女は少し愉快そうに笑った。

 

「ふふ、ベートさんも逃げられた」

「うるせえ!」

「ビビらせる、からですよ」

「うるせえぞ、何度も言わせんな! ……畜生、とりあえず戻るぞ!」

 

 少女――――アイズの言葉にいきり立って言い返すと、彼――――ベートはミノタウロスの魔石を手早く抜き出して、その場を後にするのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ふぅ……追っては来なかったな…………」

 

 地上へ戻り、中央広場のいつものベンチに疲労困憊して寄り掛かったルドウイークは、此度の冒険での成果を頭の中で整理した。

 

 ミノタウロスの魔石を得る事は出来なかったが、そのミノタウロスの戦闘能力を学習でき、更に<先触れ>にはレベル2のモンスターを容易く殺害できる程度の威力がある事を知れたのは決して悪い成果ではない。ただ、まさかあれ程の有名冒険者に出くわすとは思わなかったが……。

 

 【ベート・ローガ】、そして【アイズ・ヴァレンシュタイン】。このオラリオで最強とされる探索系ファミリアの一角【ロキ・ファミリア】の中核メンバーだ。エリスがロキの名にあからさまに嫌な反応を示していたことからして、出会ったと知れればエリスはいい顔をしないだろう。

 

 とりあえず、しばらく休んだら換金して、家に戻るか……。

 

 そう考えたルドウイークの思索を、大歓声が遮る。何事かと思ってそちらに視線を向ければ、冒険者たちがある集団に道を開け、彼らを羨望の眼差しで眺めているのが見えた。

 

 小人の男性を筆頭にしたその集団は、誇らしげにファミリアのエンブレムを掲げて中央広場を横切ってゆく。その中には今し方ルドウイークが想起していた灰髪の狼人と金髪の少女の姿も含まれていた。

 

 ロキ・ファミリア。しばらくギルドの遠征クエストによってダンジョンに潜っていた彼らが、この度地上へと凱旋(がいせん)したのだ。その威容は長い戦いの後とは思えぬほどに誇り高く、周囲の冒険者達に熱を持たせるには十分過ぎた。

 そして同時に彼らに対していい想いを持っていないであろう者たちが、確かに緊張感をあらわにするのをルドウイークは感じ取る。

 

 ――――これから、少し騒がしくなりそうだな。

 

 彼らの姿を見て、ルドウイークはこの先のオラリオに何らかの波乱が待ち受けているような言いようのない予感を抱きつつ、その場を後にしてギルドへと向かうのだった。




原作の時系列に突入しました。ここまで長かった……。
ロキ・ファミリアも登場し始めたし、ルドウイークにも原作キャラの皆と程々に絡ませたいですね。

今回も何人か顔を出しましたが、フロムキャラの登場リクエストを活動報告で受け付けております。
その他のご要望共々、良ければご協力お願いします。(遂行できるとは言ってない)

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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11:【豊穣の女主人】

16000字ちょいです。

感想150、ありがとうございます。
皆様からの感想、特に濃い物は読ませていただくのを大いに楽しみにしております。
また評価お気に入り誤字報告などをして下さる方々、誠にありがとうございます。
これからも応援していただければ幸いです。


 【ロキ・ファミリア】がダンジョン【深層】への遠征から帰還した翌日、昼下がり。人々の行き交う南東の大通り(メインストリート)を歩くルドウイークの横を、ガラガラと車輪の音を鳴らしながら馬車が駆け抜けて行った。

 

 馬車がその音の聞こえぬところまで遠ざかる事には、人々が馬車の生んだ間隙を埋めてごった返す。その騒がしさは、ルドウイークがオラリオに来てから一番の物だ。

 

 それはやはり、【怪物祭(モンスターフィリア)】を目前に控え外部から来訪した者も混じっているから――――だけではない。おそらく、オラリオ最強の一角【ロキ・ファミリア】の帰還が市民や冒険者達に与えている影響も少なくないのだろうとルドウイークは推測していた。

 

 思案を続ける一方で、ルドウイークは物資の買い出しのためにいくつかの店舗を回っている。火の車であった【エリス・ファミリア】の財政事情はルドウイークの尽力により、彼とエリスが日常生活を送るには不足の無い程度には改善の兆しを見せていた。

 ルドウイークは大通りに立ち並ぶ店に足を踏み入れ、生活必需品などを購入し、背嚢へと放り込んでまた次の店へと向かう。そしてその内最後に訪れる予定だった雑貨屋で今朝エリスが取り落とし砕いた皿の替えを買うと、ついでに店頭に並んでいたギルド発行の新聞を一つ手に取った。

 

 そして買い物を終えたルドウイークはすぐには家へと戻らず、そのまましばらく歩いて中央広場(セントラルパーク)へと向かい、そこのいつも座っているベンチに腰掛けて新聞を広げて紙面に視線を向け始める。

 

 その第一面には、まずロキ・ファミリアの文字。そしてそれには彼らの無事の帰還を喜ぶ文章が続いて――――は居なかった。そこにあったのは、ロキ・ファミリアが今回の遠征において未踏査階層への進出に失敗したという客観的な成果についてと、彼らに撤退を決断させる原因となったらしい新種のモンスターについて。

 

 そして彼らの失態として、ミノタウロスを上層にまで逃がしてしまった件が簡素に記されていた。

 

 ギルドの新聞はオラリオの情勢だけではなく、こう言った冒険者向けのニュースも掲載される事もある。他には新たに決まった冒険者達の【二つ名】だったり、神々の会合のお知らせだったりだが……。

 

 ルドウイークはその新種モンスターについての情報に素早く目を走らせる。芋虫型で、極彩色(ごくさいしき)の魔石を持つそのモンスターとロキ・ファミリアの遠征隊は51階層、及び50階層で激突し、遠征隊に殲滅されるもその特殊な溶解液によって甚大な被害をもたらしたとのことだ。

 ギルドは一応の注意を呼び掛けているが、そもそもその階層にまで到達できる者自体がオラリオでもごく稀なため、注意喚起としては意味を成さないだろう。

 

 そして、ルドウイークも遭遇したミノタウロスの上層への逃亡の件。これは、当のロキ・ファミリアにとっても想定外の案件で、幸いにも犠牲者は居なかったとのことで文量はそれほど割かれていないが…………もし犠牲が出ていたならかなりの批判、そしてギルドからのペナルティなどもあったはずだ。

 

 ――――上位ファミリアにも、それなりの気苦労はある物なのだな。

 

 オラリオにおける権力闘争の一端を推察したルドウイークは一通り第一面を読み切った後、第二面に目を向けた。そこには【怪物祭】の開幕まで一週間を切っている旨とその開催スケジュール、当日の交通規制についてなどが事細かに記されている。

 だが、それがルドウイークの興味を引く事は無かった。怪物祭当日は【エド】の元へ新たな武器を受け取りに行く手はずになっている。その為、彼は怪物祭にそこまで強い参加の意志を持つ事が出来なかったからだ。

 

 そのままルドウイークは新聞を矢継ぎ早にめくって、それぞれの面に目を通していった。

 

 しかし、そのほとんどは彼の興味を引くような物では無かった。新製品の宣伝や加入者を募集するファミリアの広告、ギルド職員によるコラム、商業系ギルドによる会合のお知らせなど…………。

 

 『【ゴブニュ・ファミリア】、新製品開発中との噂』『料理店組合会合のお知らせ』『【ガネーシャ・ファミリア】のモンスター捕縛隊、【仮面巨人】と遭遇。一触即発か』『【ディアンケヒト・ファミリア】、ポーション大安売り開催中!』。

 

 それらの記事に軽く目を通したルドウイークは【ゴブニュ】の新製品とは己の依頼した仕掛け武器の事なのだろうな、とどこか他人事のように思案する。そして新聞を畳んで背嚢に放り込むと、ベンチから立ち上がって帰路につくのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「おかえりなさい、ルドウイーク」

「ああ。買い出しの品はこれで良かったかね」

「んー、オッケーです。そっち置いといてください」

「分かった。何か手伝えることはあるかね?」

「えーっと……もう終わるんでだいじょぶです。休んでてもらっていいですよ」

 

 家に戻ったルドウイークは荷をエリスの指定した場所に並べると、衣服を畳む彼女に、何か手伝う事は無いかと尋ねた。しかしエリスがその提案に大丈夫だと笑いかけると、ルドウイークはソファに座って<月光>の手入れをし始めた。

 

 光を反射するその刀身は、しかしここしばらく戦いの場で抜き放たれたことは無い。単純に必要がないからだ。ルドウイークにとって今まで戦ったモンスターの殆どは数打ちの長剣、あるいは徒手空拳で対応出来る相手であり、特別な装備である月光を抜くほどの相手ではなかった。

 

 唯一、ミノタウロスは長剣では対応できなかったものの、それでも月光を振るうには至らない。更に<ルドウイークの聖剣>が完成してしまえば月光を用いる機会はさらに減る事になるだろう。

 だが、振るう機会がない訳でもない。それ以降、更なる下層に向かえば月光の力を要する事はあるだろうし、月光自身が輝く事を要求する場面もない訳では無いはずだ。

 

 それに、オラリオに居る第一級冒険者と呼ばれる者達。彼らと渡り合うのであれば、ルドウイークの聖剣だけでは足りぬ事もあるだろう。先日ダンジョンで出会った狼人(ウェアウルフ)の青年と人間(ヒューマン)の少女の姿を想起してルドウイークはそう結論付けた。

 

 基本的にルドウイークが『人』に対して月光の<輝き>を見せる事はまず無く、それを向ける事もまた同様だ。ただ、月光の芯たる大剣のみであれば戦いに用いる事はあったし、それだけでも彼の実力は十二分に強大なる物である。

 

 ――――ただ、時と場合によっては『人』に対して月光を開帳する事もある。あの悪夢の中で、<最後の狩人>を相手にそうしたように。

 

「そうだルドウイーク、ちょっといいですか?」

「何だね、エリス神」

 

 思案の海に沈みかけていたルドウイークに、衣服を片付け終えたエリスが声を掛けた。それに首を巡らし、何事かと目を向けるルドウイーク。その彼に、エリスはどこか申し訳なさそうに笑いかけた。

 

「いえ、実は昨晩【鴉の止り木】亭で喧嘩がありまして。その後始末で今日は休み……なんですが、私は後片付けに行かなきゃなんですよ」

「…………昼の内に片付けて夜は営業、ではないのかね? 仮にも商売だろう」

「元々店主の道楽でやってますからねぇ、あそこ。まぁそういう訳で私夜はいないので、今夜の食事はどうにかしてください」

「了解だ。しかしあの眼帯の店主、割と抜け目ない方だと思っていたが」

「んー、実はあの人、店主の代理なんですよねー。店主本人はパン作りに夢中で、別の場所に工房作ってそこであーだーこーだやってるらしいですよ。直接会った事無いんですけど」

 

 どこか不思議そうに答えるエリスに、一方ルドウイークは今宵の食事をどうするか早くも思案し始めていた。そこにエリスが別の話題を、世間話のように気軽に口にする。

 

「所でルドウイーク、一つ提案があるのですが」

「なんだね?」

「そろそろ【レベルアップ】するつもりはありませんか?」

 

 そのエリスの提案に、ルドウイークは一瞬きょとんとした顔をした。

 

 【レベルアップ】。読んで字の如く、冒険者達の強さを明確に示す【恩恵(ファルナ)】の数値だ。彼らは自身の【ステイタス】を鍛え上げ、その上で自身の限界を突破するような特別な経験――――【偉業】を経ることで自身のレベルを上昇させる事が出来る。

 当然、レベルを上げずともステイタスを伸ばす事は出来るが、それだけではいずれ頭打ちになってしまうために、より上を目指すのであればレベルを上げるため何らかの困難に挑む事が冒険者には必要となってくるのだ。

 

 だが、それは一般の冒険者の話だ。レベルは愚か恩恵さえも持たず、その身一つで冒険者を装っているルドウイークにレベルアップという概念は無い。その為、思案したルドウイークは一層首を傾げた。

 

「レベルの無い私にレベルを上げろとは、一体どういうことだ? 何か理由が?」

「ありますとも。基本的に冒険者のステイタス……と言うのは部外秘なのですが、レベルだけは【ギルド】への公開と申告が義務付けられているんです」

「成程。その義務への違反のペナルティが大きいからこそ、【エド】に欺瞞を見抜かれた時に焦った訳か」

「そう言う事ですけど、あんまりアイツの名前出さないで下さい。嫌いなので」

 

 今も仕掛け武器の製造に汗を流しているであろう嫌味な鍛冶師の名を出されエリスは眉を顰めた後、至極面倒くさそうに、ギルドがレベルの申告を要求するその思惑について推察した。

 

「ともかく、ギルドはレベルだけに関しては大真面目に申告義務を要求してきます。オラリオの秩序を担う者達として、全体のパワーバランスは常に把握しておきたいのでしょうね。そう言った努力があったからこそ、【ゼウス】と【ヘラ】の退場後もファミリア同士の内戦なんて事にならずに済んでいるんでしょう。ですけど、レベル2になればもう少し下層まで行っても疑われる事がありませんし、貴方にとっても悪い話では無い……って私は思いますけどね。どうですか?」

「ああ、それはいい。本当にいい話だ」

 

 ルドウイークはエリスの補足に実に嬉しそうに頷く。実際、もっと下へと進出しなければならないとは感じていた。何せ、今彼が探索している上層の前半より更に下に居るはずのミノタウロスを容易く撃破出来るのだ。

 それにレベル1の身ではあまり突飛な事も出来なかったが……レベル2ともなれば13階層以降、レベル2以上が適正とされる区域にも進出出来、今までよりも遥かに行動可能な範囲も広がる。

 

 故に、レベルアップはルドウイークにとって非常に喜ばしい事であった。彼はまだ、ヤーナム帰還への希望を捨ててはいない。その為に出来る事があるならば、それが己の矜持に反せぬ限り彼は喜んでそれを成すだろう。

 

 そのルドウイークの有り様を見てエリスはちょっとだけ憮然とした表情を作った後、ギルドに対して如何なる虚偽の報告を行うかについてを、メモに記し始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 そうして、エリスの承認を受けたルドウイークはレベルが上がったという虚偽の報告を行うため、数日ぶりにギルド本部を訪れた。そこには多くの冒険者がたむろしており、皆が何やら一所(ひとところ)に集まっている。

 何事かとルドウイークもその人垣の後ろへとつけば、奥の扉から大柄な狐人(ルナール)の男性職員が現れ、人垣の前に置かれた台に登壇して深々と頭を下げた。

 

「お集まりいただき、恐縮です。それでは今回の『ミノタウロスの上層進出』の件についてですが――――」

 

 頭を上げたギルド職員が話し出す。だが、それはすぐに聴衆の罵声じみた叫びによってあえなくかき消された。

 

「どうなってんだ5層にミノタウロスって!! 俺達もう下に潜れねえぞ!!!」

「ギルドは何か対策をしたんですか!? ロキ・ファミリアは!?」

「奴らにペナルティは無ぇのかよ! せめてすぐにミノタウロスが残ってねえか調べさせろ!!!」

 

 怒号が飛び交い、聴衆の中には丸めたチラシを放り投げる者もいる。しかしギルド職員はそれを首だけを動かして回避すると、落ち着き払ったまま説明の続きを話しだした。

 

「皆様ご安心ください。既にギルドは数名の冒険者に依頼を出し、ダンジョン内のモンスター分布の再調査と掃討を行わせております」

「誰が出たんだ!?」

「まずは【黒い鳥】です」

 

 その名を挙げられた聴衆は、一種の諦めを持って静まり返った。【黒い鳥】。オラリオ最強の冒険者である【猛者(おうじゃ)】に次ぐとされる実力者。そんな彼がレベル2モンスターであるミノタウロスを相手にするためにダンジョンに潜っていると聞いて、誰もが過剰な戦力だと思わざるを得ない。

 

「次に彼のサポーターとして【ハイエナ】のパッチ、それ以外にも【嵐の剣(ストームルーラー)】ジークバルト、【烏殺し(レイヴンキラー)】アンジェ、更に【霧影(フォグシャドウ)】らを初めとした第一級冒険者らが現在【上層】を調査中です。この調査は18時まで行われる予定ですので、それまでミノタウロスに対して応じる事の出来ない冒険者の方々はダンジョンへの侵入はお控えください。後、【象神の杖(アンクーシャ)】こと【シャクティ・ヴァルマ】率いる【ガネーシャ・ファミリア】のモンスター捕縛隊にも同様の依頼を出しましたので、調査は予定よりも早く終わると考えられます。以上ですが、何かご質問等あれば」

 

 ギルド職員の口から語られた錚々たる面々の名を聞いて、一人また一人と聴衆はその場を後にした。それだけの面々が動いているとなれば、下級冒険者である彼らに出来る事は無い。精々良い報告を待つ事くらいだろう。

 そして、殆どの聴衆が去って行ったのを確認し終えてから、ギルドの職員は台を降りて忌々し気に溜息を吐いた。そんな彼に、一人の女性職員がコップに入った茶を手渡す。

 

「ご苦労な事だな、ジャック。私ならば怒鳴り散らしている所だが」

「もしこれ以上の策を打て、などと言われれば私も怒りを覚えただろうな。アレだけの面々を動かすのに私がどれだけ駆け回ったか」

「確かによくもまあ集めたなと言わざるを得ないメンツだ…………本当に良く請け負ってくれたな」

「実際に仕事をしているのは【嵐の剣】と【霧影】だけだろうがね。【黒い鳥】と【烏殺し】はあからさまにダンジョン内でやりあう心算のようだった。昨晩いざこざがあったらしい。…………それでも、夜が来るまでには済むはずだが」

 

 肩を竦めるジャックなる男の言を女性職員は一笑に付した。残っていた僅かな聴衆の中に混じっていたルドウイークは、そんな女性職員――――ニールセンの元へと歩み寄った。

 

「やあニールセン。用事があってきたのだが、構わないかね?」

「ルドウイークか。何の用だ?」

「レベルアップの申請にな」

「ほう……? 応接室9番で待っていろ。書類を用意してくる」

「承知した」

 

 彼女の言葉に従ってルドウイークが応接室へと向かうと、ニールセンはジャックと別れ奥の資料室へ一度引っ込む。ルドウイークは彼女のその動きを横目に見ながら応接室のドアを開けて、そこにあるソファへと腰を下ろした。

 

 すると、それからそう時間も経たずに書類を抱えたニールセンが入室してきた。彼女はルドウイークの向かいのソファに腰掛け机の上に書類を置くと、尊大に腕を組んでソファに寄り掛かった。

 

「さて……私の予想よりも随分早かったが…………レベルアップか」

「ああ、お陰様でね」

「ふん、どんな魔法を使ったのやら」

「短いにしろ長いにしろ、結局は積み重ねだよ。何一つせずに変われる奴は居ない」

「知ったような口を」

 

 朗らかに答えるルドウイークに、辛辣ながらも口角を上げてニールセンは言った。しかしすぐに彼女はその表情を神妙な物にして、腕を組んだままその視線を所在なさげに天井に向ける。

 

「…………まぁ、【ラキア】に居た頃からの経験を考えれば遅いくらいか。お前の様に他所(よそ)で経験を積んでいた奴がオラリオに来た途端それを開花させるというのは良くある話だ」

「そうらしいな。エリス神も同じようなことを言っていた」

「まぁ、それはどうでもいい話だ。とりあえずお前の戦歴を教えろ。どんなモンスターと戦ったか、ダンジョンのどこまで潜ったか、どんな【冒険者依頼(クエスト)】を受けたのか……思い出せる範囲でいい」

「オラリオに来てからので構わないか?」

「ああ」

「ふむ…………」

 

 考え込むような仕草の裏で、ルドウイークは正直安堵していた。これが【ラキア】……【アレス・ファミリア】時代の事まで教えろとなれば多くの嘘が必要になる。彼は過去、他のファミリアに居た事は無いのだから。

 

「モンスターか……やはり直近で言えばミノタウロスだろうな」

「やりあったのか? レベル1のお前が? ミノタウロスと?」

「いや、逃げただけだ。ミノタウロスと遭遇して無傷で逃げ切った――――恩恵やレベルの仕組みなど把握出来よう筈も無いが、それだけでも十分偉業に値すると判断されたのではないかね?」

 

 訝しむニールセンに対して、ルドウイークは必死のイメージトレーニングとエリスの指導によって培った演技力で以って真顔で嘘を吐いた。『嘘とか間違いでも自信満々で言えば実際疑われにくい』、エリスの教えである。

 その教えに従ったルドウイークの演技は、今までのそれとは質の違うものであった。どちらにせよその道に長けた者が見れば大根役者の域を出ないものではあったのだが。

 

「…………まぁいい。恩恵やレベルアップの条件に付いて神ならぬ我々がいくら議論しても徒労にすぎんからな。それで到達階層は?」

 

 しかしルドウイーク渾身の演技を受けたニールセンは、結局その出来に殆ど目を向ける事も無く書類に目を通しながらに言った。それを見た彼はどこか残念そうな表情を一瞬浮かべた後、気を取り直して自身の戦歴をでっちあげ始める。

 

「ミノタウロス以外はパッとしない物さ。結局6階層にも少し顔を出した程度だし、冒険者依頼も受けた事は無い」

「…………良くそれでレベルアップできたものだな。それではステイタスの伸びもまだまだだろうに」

「エリス神の意向だ。彼女としては一刻も早く戦力が欲しいようだからな」

「私個人としては、もっとステイタスを伸ばしてからの方がいいと思うがね」

 

 レベルアップを果たした場合、その者が今まで鍛えたステイタスは表記上0にリセットされるのだという。だが、前のレベルで鍛えたステイタスは未表示の数値として確かに能力に反映される。その為可能な限りステイタスを高め、その上でレベルを上げるのがこのオラリオでは常道とされている。

 

 だがそれは常なる道を行くものの話だ。そこから大いに外れたルドウイークにとってそのような前提など意味が無い。故に彼は、ニールセンの指摘に対して苦笑いを浮かべるだけであった。

 

「…………まぁ、大体わかった。【エリス・ファミリア】のルドウイーク。お前のレベルアップをこのラナ・ニールセンがギルドを代表して承認した。これからも冒険者としてダンジョンでの探索に善く励むように」

 

 そんなルドウイークを他所に、書類への記入を終えたニールセンは事務的な、しかし確かな激励を以ってこの件を締める。それを受けたルドウイークはニールセンに先んじて席を立ち、ドアの取っ手に手を掛けた。

 

「礼を言う、ニールセン。君のお陰で、これからも何とかやっていけそうだよ」

「私の事より、お前はこれからの身の振り方…………そうだな、妙な【二つ名】を付けられる事でも覚悟しておけよ。今のエリスでは、真っ当な名前を付けさせるのは難しいだろうからな」

「肝に銘じておくよ」

 

 ニールセンの忠告にルドウイークは笑顔で応じて、その場を後にした。残されたニールセンも書類の幾枚かにサインをすると、ドアを開け他の書類の作成へと向かう。

 

 そうしてこの日、ルドウイークはレベル2――――上級冒険者と呼ばれる者達の一人となった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 星々の輝く夜空の元、ルドウイークは一人西大通り(メインストリート)を当てもなく歩いていた。

 月の無い夜だ。空を見上げたルドウイークは煌めく星々の悍ましさと暗黒の空の広大さに眉を(しか)めて、それを振り払うように速足でまた歩き出す。

 

 レベルアップの申請を終え手持ち無沙汰となった彼は、少し前まで【ゴブニュ・ファミリア】の本拠地(ホーム)に依頼の進捗度合いを確認するため顔を出していた。そこでエドとの会話や製作中の品を確認し、更には実際の作業を手伝う―――とは言ってもエドに小間使いめいた事をさせられただけだが――――などして時間を過ごしていた。

 

 そしてゴブニュの本拠地を離れた後、食事をどうするかに悩んで、こうして西大通りまでフラフラと歩いて来てしまっていたのだ。

 

 既に夕食と言う時間は過ぎ去り、宴会の喧騒が多くの店から聞こえてくる。しかし、【鴉の止り木】も開いていない以上、ルドウイークにはこれと言って突出して戸を潜ろうと思える店は見つかっていないのが現状だ。

 

 ――――せめて、何か他と違う、特筆すべき店でもあればいいのだが。

 

 半ば無気力に大通りを進みながら思案するルドウイーク。そんな彼の前に、その店は現れた。

 

 作りはその他の店とも変わらない。ルドウイークも幾度か通りすがった大通りに面した店。だが、その店がその他の店と違って彼の目を引いたのは、店先に灰髪の狼人(ウェアウルフ)――――ロキ・ファミリアの幹部である【ベート・ローガ】が縛られ吊るされていたからだろう。

 

 それを見てまず、ルドウイークは彼の縄を解き降ろすべきか逡巡した。だが、縛り上げられた彼に『下ろすな!』という張り紙が張られていたことで、何らかの訳があってこの状態になっているのを理解したルドウイークは、それに興味を惹かれて店の看板を見上げる。

 

 【豊穣の女主人】亭。ルドウイークは好奇心に屈するように、その店の戸を潜った。

 

 店は、【鴉の止り木】とは比べようも無く盛況であった。数多の冒険者達が各々食事に勤しんでおり、幾人かの店員――――全員女性だ――――が忙しなくテーブルの間を行き交っている。特に目に付いたのは、店の奥側半分と外のテラスを領有している一団だ。

 外にベート・ローガが居た地点で予想出来ていたが、あの赤毛の少女めいた神を中心に宴会を楽しんでいるのがロキ・ファミリアなのだろう。

 

 ルドウイークがその神や幹部と思しき者たちの顔と名前を一致させていると、ウェイトレスの一人、エルフの女性が彼を視界に捉えその前まで歩み寄ってくる。

 

「いらっしゃいませ。お客様、一名でよろしいですか?」

「ああ」

「でしたら……カウンターの空いてるお席へ。ご案内します」

 

 事務的に言う金髪のエルフの背中を追いながらルドウイークは訝しんだ。只者では無い。見れば、この店で働く少女たちはその殆どが常人とは違う、冒険者に似た――――それも良くある下級では無く、一線級の実力者じみた――――雰囲気を纏っていることを彼の瞳は見抜く。

 

 だがルドウイークはそれに何の感慨も抱かなかった。彼女らには彼女らの事情がある。それほどの実力を備えながらにこうして酒場で働いているとなれば、何らかの理由あっての事なのだろう。

 そんな、何故料理店の店員をしているのか良く分からない者達が集まる店には十分に慣れ親しんでいた彼はこの店も同様なのだろうと考えて、一先ず警戒は保ちつつ食事に集中する事にした。

 

「いらっしゃい、初めて見る顔だねえ! たんまり食ってってくれよ!」

 

 席に着くなり、カウンター内の厨房で料理を作っていた大柄な女性――――この店の中でも、明らかに一線を画した実力を持つであろう――――がルドウイークの内心の警戒など知らぬ風に話かけて来た。その彼女に対してルドウイークはにこやかに程々にしておくと返した後、置いてあったメニューに目を通す。

 

 【鴉の止り木】に比べ全体的に高額なメニューばかりだな、と言うのが彼の第一印象だった。だがそれも店の性格の範疇だ。そこまで顔を青くするほどのものでもない。ルドウイークは手早くメニューを選び終えると顔を上げ、カウンター内の大柄な女性…………は調理中だったため取りやめ、からの食器を抱えて傍を通りかかった猫人(キャットピープル)のウェイトレスに声を掛けた。

 

「すまない、注文いいかね?」

「はいニャ少々お待ちください!」

 

 慌てた様子のウェイトレスは素早く食器をカウンターの裏に置いてくると、伝票を取り出しルドウイークの前に戻ってくる。そんな彼女に向け、ルドウイークは淡々とメニューに指差し自身の注文を伝えた。

 

「『タマネギと鶏肉のスープ』とバゲットを一つずつ。後この店で一番弱い酒を頼む」

「承知いたしましたニャ! ごゆっくりどうぞ!」

 

 猫人のウエイトレスは注文を聞き終えると早足に厨房へと引っ込んでいく。一方、ルドウイークは彼女の『ニャ』と言う言葉遣いに、それが彼女個人の癖なのか、あるいは種族ごとに特定の言葉を会話中に差し込まねばならぬ文化があるのだろうかと真剣に考え始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「もうダメやこれ以上呑めん! 誰かこのドワーフ止めたってやー!!」

「応、応。ワシは誰の挑戦でも受けるぞ! 次の酒はまだか!」

「団長、これ以上あの人(ガレスさん)に大きい顔させるのはまずいです。ここは是非威厳を!」

「ティオネ、幾らなんでもそれは無謀だよ。それに僕はもう君に十分飲まされてるし……」

「アイズた~んウチ負けてもうた~ナデナデして慰めてや~」

「…………」

「あーん拒否られたー! でもそんな所もマジ萌え~~!!」

 

 【豊穣の女主人】の閉店も見え始めた夜分。客も少しずつ店を出て、店の中の喧騒もロキ・ファミリアの面々が起こすそればかりになってきていた。彼ら彼女らの起こす喧騒をどこか楽しみながらちびちびとスープに浸したパンを食らうルドウイークに、【ミア】と呼ばれた店主と思しき大柄な女性が声をかける。

 

「アンタ、そんな少しで良かったのかい? 懐が寂しいなら少しくらいサービスしとくよ?」

「いや、私は大いに満足している。これくらいで丁度いいんだ」

「少食だねえ。そんなんじゃダンジョン生き残れないよ」

「ダンジョンに潜るならそれなりの用意をするさ……それよりも酒がまだなのだが」

「あー……そいつはすまないね。【アーニャ】! こっちのお客さんにお酒がまだだよ!!」

「申し訳ありませんニャー!!!」

 

 店主であるミアの叱咤に、アーニャと呼ばれた猫人のウェイトレス――――最初にルドウイークが注文をした者だ――――が幾つもの酒瓶を携え、その内の一つをルドウイークの前に置き、そのまま大急ぎで残りの酒瓶をロキ・ファミリアの面々に供するべく走り去ってしまった。

 

「ったく、落ち着きのない子だよ」

「まぁまぁ、元気でいいじゃあないか。客としても、アレ位微笑ましい方がいいと私は思うよ」

 

 そう言ってルドウイークは酒を自身のグラスに注いで一息に飲み干した。それを見たミアは何か言いたげな顔をしたが、エルフの店員から注文を伝えられ調理へと戻ってゆく。

 その姿に目を向ける事も無く、矢継ぎ早にルドウイークは酒を注ぎ、そして飲み干して行った。

 

 狩人は酒に酔わぬ。血と狩りにのみ酔うものだ。既に【鴉の止り木】でも幾度と無く酒を注文し、睡眠同様に酒による酔いをも取り戻してはいないかと試していたルドウイークだったが、そちらに関しては店を変える意味も何らなく、無縁なままであるようだと何杯かグラスを空けた頃には結論付けていた。

 

 これを飲み終えたら帰るか。

 

 彼はどこかつまらなそうに、虚空を見つめながらそう思案した。するとその時、ロキ・ファミリアの面々の方から驚きに満ちた声が聞こえてくる。

 

「おおっ!? 急に薄くなったと思ったら、この酒は注文しとらんぞ!? 『ドワーフの火酒』が足らん!!」

「ニャんだって!?」

 

 叫ぶ老ドワーフの声にアーニャが慌てて駆け寄ると、彼女は酒に張られたラベルを見てサッと顔を青褪めさせた。そして彼女は何かを思い出したようにルドウイークの元へと駆け寄って彼が更に注ごうとしていた酒瓶を奪い取ると、そのラベルを見て、蒼白となった顔面をより一層真っ青にしてよろめいた。

 

「やっちゃったニャー!? 出す酒間違えたー!!!」

 

 この世の終わりだとばかりに叫ぶアーニャを前にルドウイークは目を丸くする。一方、彼の目の前で崩れ落ちそうになったアーニャの襟をいつの間にやら現れたミアがむんずと掴み、その顔に向けすさまじい剣幕で凄んで見せた。

 

「アンタねぇ……ちょっと慌てたらこれだ……忙しい時こそ落ち着いて仕事しろっていつも言ってるでしょうが!!」

「ごめんなさいニャー!!」

 

 目の前で繰り広げられる叱咤を目にして、ルドウイークはただ驚くばかりだ。その二人の元に何人かのウェイトレスが駆け寄って事態を収拾しようとしている。そしてそのうちの一人、人間(ヒューマン)と思しき少女が慌ててルドウイークの元へと駆け寄り、深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません! すぐにお下げいたします! それと、お体は大丈夫ですか!?」

「いや、問題ない。だからだね、そこまで彼女を責めないでやって――――」

「『ドワーフの火酒』ですよ!? これってドワーフの皆さんしか飲めないくらい強いお酒で、とてもじゃないですが人間が平気な顔して飲めるモノじゃ…………いえまさか、もうそれ程に深刻に酔ってしまって……!」

「いや、私は別に……」

「本当に申し訳ありません! すぐに代わりの……じゃなくて、お水をお持ちいたしますので! 少々お待ちを!」

 

 ルドウイークは、微塵も酔ってはいない。だがそれは正しく慮外の異常事態であるようで、その少女は彼の言葉を聞く余裕も無く一刻も早く対処する案件だと見做しているようであった。

 確かに、店で一番弱い酒を要求した彼に特別強い酒を供したのは大失態と言っても過言ではないだろう。ただルドウイークにとっては本来頼むべきだった酒とこの火酒の間にそれ程の違いは無く、それ以上にロキ・ファミリアの居る場で騒がれる事の方がよほど迷惑であった。

 

 その彼の願いも虚しく、アーニャはミアに引きずられて店の奥へと姿を消し、人間の少女は足をもつれさせてすっ転び、エルフの店員に助け起こされる。お手本のような負の連鎖にルドウイークは嘗ての友人である<やつし>の如く、頭痛を堪えるように額に手をやった。

 

「おう、隣失礼するぞ」

 

 そんな彼の隣の席に、一人の老ドワーフが腰掛けた。酒精の匂いを滲ませるそのドワーフは、それ以上に体格に見合わぬ凄まじい存在感を醸し出している。

 

「『火酒』を飲んでそうまで平然としているとは、オヌシ相当『イケる口』じゃな?」

「…………いや、そういう訳では無いのですが」

 

 そのドワーフは酒に酔わぬルドウイークの顔を見て、楽し気に酒を飲むジェスチャーを見せる。ルドウイークはその言葉を否定したが、しかしドワーフはそれを豪快に笑い飛ばしてその肩を強烈に叩いた。

 

「なぁに謙遜するな……どうじゃ? わしと呑み比べをせんか? もうウチのファミリアで相手になる奴は居なくてのう……何、タダとは言わん。相手してくれるなら、今日の代金は儂が全額払おう」

「いや、しかしですな……」

「そう言うなて。老人の道楽に付き合うと思って、少し付き合ってはくれんか?」

 

 その老ドワーフの少し寂し気な笑顔に、ルドウイークは口をつぐみ、そして小さく溜息を吐いてグラスに残った火酒を一息に飲み干した。それを肯定と受け取ってその老ドワーフは水を持ってきた店員に火酒のお代わりを持ってくるように伝えて追い返す。そして、ルドウイークの顔を見てにんまりと人の良い笑みを見せた。

 

「自己紹介がまだだったの。わしはガレス。【ガレス・ランドロック】じゃ」

「【ロキ・ファミリア】三傑の一人、【重傑(エルガルム)】ことガレス殿。お目にかかれて光栄です」

「ほう、わしを知っておるか」

「知らない方がおかしいでしょう…………」

 

 呆れたように言うルドウイークに老ドワーフ――――ガレスは心の底から楽し気に笑い、それではと逆にルドウイークの名を聞くべく彼をその穏やかささえ湛えた目で見据えた。

 

「して、オヌシは? あまり見た事無い顔じゃが、何処のファミリアに所属しておる? ぜひ聞いておきたいものじゃ」

「…………【エリス・ファミリア】の<ルドウイーク>と言います。以後、お見知りおきを」

 

 その言葉にガレスはどこか思い出すような仕草を見せ、そして懐かし気に目を細める。一方、カウンターの奥に居たエルフの店員が【エリス】の名を聞いて手にしていた皿を取り落しそうになっていたが、二人がそれに気づく事は無かった。

 

「……【エリス】か……何やら懐かしい名前だのう。あやつ、ようやく表舞台に戻ってくる気になったか」

「ご存知で?」

「まぁ、うちの神が随分と迷惑を掛けたからのう……とりあえずまずは一杯」

 

 言って、ガレスはルドウイークのグラスに火酒を注ぎ、次いで自身のグラスには並々とそれを注いだ。そして、ルドウイークに向けてそのグラスを掲げる。

 彼はそれが乾杯を求めているのだとすぐに気づいた。そして、このオラリオ最強の一角に類する老ドワーフと酒を飲み交わす理由も見出していた。

 

 エリスは、ルドウイークに対して自身と自身のファミリアの過去を語りたがらない。聞いてみてもそれとなく話題を逸らしてしまう。故に、自身の属するファミリアの事をルドウイークは未だに良く知らずにいた。

 それは彼にとって不本意な事である。いずれヤーナムへと戻るつもりのルドウイークではあるが、この世界での寄る辺となってくれた彼女への恩を返すべく、自身の帰還の前にこのファミリアを可能な限り再起、あるいは発展させる事を心に決めているのだ。

 

 少々失礼ながら、ガレス殿から過去エリス神に何があったかを聞き出せるかもしれぬ。

 

 ルドウイークは一抹の申し訳なさを感じながら、いかにこの老人の口を割るかを胸にその乾杯に応じるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「――――それでのう、わしはロキに言ってやったんじゃ。『アイズの服を買ってやるのはいいが、せめて着て貰えるデザインにしろ』とな……それを聞いたロキの奴は…………」

「ああ、ああ……それは大変ですね…………」

 

 その話は既に四度目だとルドウイークは心の中で頭を抱え、同時に自身の見立ての甘さが足りなかったと呪わしく思った。

 初めこそ細やかに、怪しまれぬよう日常的な話題を続けていたのだが、酒が五杯目を越えた辺りからガレスの言葉に愚痴が混じり始め、十杯を越えた辺りから話が一方的になり、二十を越えた所で同じ話を繰り返すに至ったのだ。

 

 おそらく、こちらに来るまでに相当な量の酒を飲んでいたのだろう。彼の空になったグラスに酒を注ぐばかりで自身は十杯ほどから殆ど酒を口にしていないルドウイークはそう結論付けて、既に彼からエリスの過去を聞き出す事を諦め聞き役に徹している。

 

 こんな時間まで帰れぬとなれば、流石にエリス神に何を言われるか分からんな……。

 

 この状況から脱する術も無く、ガレスが再び語り出した主神や団員たちの話に適切に返事を返していると、厨房から現れたミアが大きな声を張って残った者達の注目を集めた。

 

「さあさあ、そろそろ店閉めるよ!! 【フィン】、そこの爺さんどうにかしな!」

 

 その声に応じて、ロキ・ファミリアの面々は荷を整理して、ある者はふらつきながら席を立ち、またある者は酔い潰れた者に肩を貸して店の外へと退出してゆく。そして、ルドウイークの隣のガレスの元へも一人の小人(パルゥム)が歩いてくる。

 

「ほらガレス、もう行くよ。立てるかい?」

「んー、もう時間か。呑み足りんのじゃがのぉ…………」

 

 ガレス以上に小柄なその小人は、一度ルドウイークに軽く会釈すると、小さな体でガレスを軽々と支え歩き出す。その背中をルドウイークは難しい顔をしながら見送って、ふむ、と顎に手をやり思案した。

 

 ――――あれがロキ・ファミリア団長。【勇者(ブレイバー)】こと【フィン・ディムナ】か。

 

 その幼くさえ見える体に見合わぬ風格をルドウイークはひしひしと感じ取ってグラスを握る手に込めた力を僅かに強くした。彼の見ている前で、フィンはガレスを支えて店の出口へと向かうが一人のアマゾネスが彼に走り寄るとガレスの支えられて居ない側に肩を貸して共に歩き出す。二人の間に身長差がありすぎてむしろフィンの負担は増したようにも思えるが、彼は笑顔で礼を言うとアマゾネスは顔を赤くして俯く。

 

「そこの。<ルドウ()ーク>と言ったか」

 

 そんな二人を眺めていたルドウイークは駆けられた声に振り向いた。そこに居たのは豊かな緑の長髪を持つ、気品ある一人の女エルフだ。彼女は振り向いたルドウイークに対して小さく頭を下げると、懐から硬貨の入った袋を取り出して彼の前に置く。

 

「ガレスの相手をしてくれていた様だな、礼を言う。奴の呑み相手が出来る者はウチのファミリアにも居なくてな。手間が省けたよ」

「いや……私も都市屈指の実力者の話が聞けて大いに参考になりました。礼を言うなら私の方です」

 

 ルドウイークは彼女に向け、出来うる限り優雅な礼を見せた。それを前にして、そのエルフはどこか感心したような顔を見せる。

 

「ほう。大抵の冒険者は、我々を見れば大抵委縮するものだが……」

「敵に回すならばともかく、ここは地上の酒場で互いに客でしかありませんので」

「確かにそうだ……その硬貨だが、ガレスの言っていた呑み代だ。良ければまた相手してやってくれ。では失礼する」

 

 自身を恐れぬルドウイークの言葉に納得したように微笑んだ彼女は、ガレスの代わりに代金を渡すとそのまま店外へと出て行った。その後を何人かのエルフが追い、その内の幾人かがルドウイークに剣呑な視線を向けて来る。

 

 オラリオ最強の魔法使い。【九魔姫(ナイン・ヘル)】の名を持つ【リヴェリア・リヨス・アールヴ】か。噂通り、随分とほかのエルフに慕われているようだ。

 

 ルドウイークはそんな彼女らの敵対的な視線にどこかいじましさを感じて小さく笑う。そして店の中に誰が残っているのかを見渡した。彼の目に映ったのは幾人かの無名の団員。そして金糸の如く煌めく髪を持つ人間の少女と、それにべったりとすり寄る赤毛の女神。

 

 【アイズ・ヴァレンシュタイン】と【ロキ】神か。ルドウイークは、彼女らと顔を合わせるのはエリスとの関係も鑑みてまずいと直感的に考え、机の上の硬貨袋を手にして人間の少女の店員に代金を支払うと早々に店の戸を潜って大通りに踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 月の無い空の元を、酒の酔いも無くルドウイークは歩く。『導かれた』訳でもないのにとても収穫の多い時間であったと、彼は【豊穣の女主人】での出来事を想起した。

 

 オラリオ最強と謳われる、二つのファミリアの片割れ。そこに所属する強者たちを『見て』理解したが、彼らの実力は凄まじい物だ。<月光>以外に真っ当な武具も無く<秘儀>も十二分に扱えぬ今の自身では、勝利をもぎ取るのは簡単な事ではないだろう。

 

 幾ら彼が己より強大な敵を相手取って来た狩人とは言え、ルドウイークは『対人』に関しては経験はあるとは言え専門ではない。その上、『獣』でない『人』相手に月光を抜く事が()()無い以上、彼らに対して全力で相対する事自体が有り得ぬ事だ。

 

 出来るだけ、敵に回らぬよう……そして、万一にも月光の事を知られぬよう努力するしかない。だがしかしルドウイークの目的はヤーナムへの帰還であり、彼らがその邪魔をする理由も無いはず。

 

 ただ、心配事があるとすればエリス神だ。彼女がロキ神に対してあからさまに拒絶的な反応を見せていた以上、そちらの方面で利害が発生する可能性がある。そうなれば、私はエリス神に従い、彼らと刃を交えねばならなくなるだろう。

 

 ――――出来れば、そうはならぬといいのだが。例え彼らのうちの一人を討ったとて、ファミリアの規模に差がありすぎる以上エリス・ファミリアがロキ・ファミリアに勝る可能性は一切ない。そのような何も残せぬ戦いは彼の本分では無かったし、同時に彼の目的、自身の帰還までにエリス・ファミリアを再興する事にとっては最悪の結末と言ってもいい。

 

 帰ったら、エリス神に釘を刺しておくとするか……。だが、もう眠ってしまっているだろうな。明日起きたら、彼女に今宵の事を伝えるとしよう。そんな事を考えながら、ルドウイークはオラリオの夜闇の中を歩いて行く。

 

 

 

 ルドウイークの帰りを待ちわび、眠たげな眼をこすっていたエリスに夜遅くの帰宅を果たした彼が叱咤されるのは、もう半刻ほど後の事であった。




ルドウイークが酒飲んでいるころ、ベル君はダンジョンで特攻中です。

エリス・ファミリアの再興云々言ってるけど新規の団員これっぽっちもアイデアないんですよね。
皆様に募集とかかけた方が手っ取り早いかしら。どちらにせよ暫くはルドウイークにソロで頑張ってもらうつもりですけど。

しかし難産だった……ロキ・ファミリアの面々の口調エミュレイションが甘いですね……外伝の方も早く買って読破しなきゃ(危機感)

あとフロムキャラのゲストについてはまだ募集中です。
よろしければ活動報告からリクエストください。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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12:鍛錬

17000字ほどです。

総合評価が4500を超えました。これもひとえに評価お気に入り等して下さる皆さまのお陰です。
また感想の投稿および誤字報告してくださる皆さまありがとうございます、毎回目を通させて頂いております。
これからもこの作品を楽しんでいただければ幸いです。


 ――――【オラリオ】。世界で唯一【迷宮(ダンジョン)】をその中心に保有し、娯楽を求めた数多の神と栄光を求める数多の冒険者が集う街。

 

 その周囲は【市壁】と呼ばれる巨大な壁に囲われている。嘗て、神無き頃にはこの壁こそがダンジョンより溢れるモンスター達を逃がさぬよう『柵』の役割を果たしていたというが、それはもはや神々の記憶にのみ留まる時代の話だ。

 しかし過去には内側に対する備えであったこの壁は今や【ラキア王国】を始めとした外敵への備えとなっており、幾度もの改修を経てその堅牢さはより一層強固な物となっていた。

 

 この市壁に迫る規模の建物ともなればオラリオにもそう多くはないが、幾つかのギルドの本拠地(ホーム)巨大闘技場(コロッセオ)、そして高さでは優に上回る【摩天楼(バベル)】と存在しない訳では無い。

 しかしほとんどの建物がここからの視界を遮る事は無く、故にここからオラリオを見下ろす景色は雄大そのものでもある。観光に来たものが街を見下ろし、感嘆の溜息を吐くことなどよくある話だ。

 

 そんな、全てを見下ろすバベル以外からの視線を通さぬこの場所で、二人の冒険者が戦闘を繰り広げていた。

 

 一人は【ヘスティア・ファミリア】の白兎、【ベル・クラネル】。それに対するは【エリス・ファミリア】の白装束、<ルドウイーク>。彼らは本来の得物ではない武器を用いて幾度と無く激しくぶつかり合っている。

 

 ――――いや。ベルがルドウイークに挑み続けている、と言った方が正確か。

 

「はあっ!」

 

 優れた『敏捷』を生かしてルドウイークに肉薄したベルが気迫と共に木製の短剣を振りかぶった。訓練用の武器とはいえ、当たれば無傷では済まない鋭さの一撃。

 しかしルドウイークはそれを一歩分飛び退いて悠々と回避。その眼と鼻の先をベルの短剣が振り抜かれ、次の瞬間跳ね返るように跳躍したルドウイークの槍じみた蹴りがベルの腹に叩きこまれた。その威力に彼の小さな体は吹っ飛ばされ市壁の上を盛大に転がる。

 

「すまないクラネル少年、無事か?」

 

 心配げなその言葉とは裏腹に自然体で立ちベルを眺めるルドウイーク。そんなルドウイークに対してベルは素早く立ち上がると、短剣を構えて腰を落とす。

 

「大丈夫です! 続けてください!」

「そうか。なら、次はこちらから行くぞ」

 

 言って、ルドウイークは木剣を抜く。そして先程のベルとほぼ同じ速度で彼に接近。それに対してベルは自分からその間合いの内側に踏み込んで短剣を振り上げた。それはルドウイークの突撃に合わせてカウンターを狙った一撃だ。

 ベルのリーチの短さでは待って攻撃を捌くだけでは防御一辺倒になり、反撃の余地がなくなって押しつぶされる。それを彼は幾度かの激突を経て既に学んでいた。

 

 故の、攻めによる防御。だがルドウイークはそれに対して横から斬撃に剣をぶつけるようにして弾き、体勢を崩した彼の胸倉を掴んで引き落とす。更にはその倒れた背に剣の切っ先を当て押さえつけるとベルを見下ろして小さく笑った。

 

「良い反撃だ…………が、一手に賭けすぎたな」

「レベル1の差って、大きいですね……」

 

 それに呼応して、うつ伏せのまま首だけを巡らせたベルも疲れたように笑う。そんな様子を見てルドウイークは剣を引き、市壁の端に歩み寄って腰を下ろしベルに笑いかけた。

 

「もう昼だ。そろそろ休憩にしよう…………ポーションが幾つかある。使ってくれ」

「ありがとうございます!」

 

 駆け寄ってきたベルはルドウイークからポーションを受け取るとそれを痛む場所に振りかけ、それから自身のバックパックを手に取ってルドウイークの横へと座り込んだ。

 

 何故、今二人がこのような場所で対峙しているのか。それは、今朝の事に(さかのぼ)る。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 おとといの夜。酔いはせずとも、酒臭さに塗れて遅くの帰宅をしたルドウイークはエリスに今までで一番こっぴどく叱られた。ルドウイークとしてはそれほどの落ち度は無かったように思っていたが、彼女はそうは思わなかったらしい。

 そして、<秘儀>によって色を失った【魔石】に八つ当たりしながら彼女は『酒を飲むときは自分も呼べ』、『【ロキ】の所の団員とあんまり仲良くしないで』『不安になるから遅くなる時は言って』と自らも安酒の瓶を開けながら喚き散らしていた。

 

 最終的に彼女は『お酒臭い!』と自分を棚に上げて叫び、『何日か朝からダンジョンに潜ってとにかくどうにかして来てください!』とルドウイークに主語の無い支離滅裂な命令を下したのだ。そんな彼女は今頃職場(鴉の止り木亭)に向かうか二日酔いに苦しんでいるだろう。

 

 そして、当のルドウイークはそんな酔いどれ女神の要望に応え、律儀にもダンジョンの前までやってきていた。

 

 しかしその足取りは重い…………当然の事である。あれ程呑んだのは彼の生涯においても初めての事だ。例え酔いはせずとも、酒ばかり口にしていれば狩人と言えど体調を崩すのは自明の理。

 

 『狩人は常に最善の状態で狩りに赴くべし』――――そうでなければ、獣どもに狩られるのは自身らである――――その、<最初の狩人>がかつて語った警句の一つに従い、懐の魔石を詰めた雑嚢の一つ、数千ヴァリスにはなろうかというそれを換金の犠牲とする事で今日の探索に向かわないことをルドウイークは選択した。

 

 そうして彼は、エリスに若干の申し訳なさを感じつつも中央広場(セントラルパーク)のいつものベンチに腰掛けて、何をするでもなく広場を行き交う人々を眺め続けていた。

 

 その様にルドウイークが一所で人々を眺め続けるのは今に始まった事ではない。彼は<ヤーナム>にて英雄と呼ばれるそれ以前から、教会の大聖堂を降りた先にある広場にて人々の営みをつぶさに観察していた。そうして彼は己の守るべきものとそれらが享受する平穏の価値を自らの中で定義していたのだ。その習慣が、今もこうして彼の中には残っている。

 

 

 

 

 そうして彼がベンチで人々を眺め、穏やかな時間を自身の休息に充てていると、その視界に一人の見知った顔が現れた。

 

 ベル・クラネル。ルドウイークがこのオラリオに来てから幾度と無く関わってきた冒険者であり、何よりも彼の知るそれとは異なる<導き>を纏う少年。そんな彼が自分を見つけると慌てて駆け寄ってくるものだから、ルドウイークは少し怪訝そうな顔をした。

 

「おはようございます、ルドウイークさん!」

「ああ、おはようクラネル少年。ダンジョンに行くのかね?」

「あ、いえ……」

 

 彼の装備を見て問うたルドウイークの言葉に、ベルは答え辛そうに僅かに視線を彷徨わせる。何かを迷うようなその表情にルドウイークは僅かに眉を顰めた。だが、その逡巡もわずかの間の事。ルドウイークがベルに対して何かを尋ねる前に、彼は決意したような瞳でルドウイークに対して口を開いた。

 

「あの、ルドウイークさん」

「何かね?」

「……実は、お願いしたい事がありまして。僕にルドウイークさんの技を……技術を教えて貰えないでしょうか」

「…………何かあったのか?」

「目標が出来たんです」

 

 驚いたような顔のルドウイークの問いに、ベルは拳を握りしめながら絞り出すように答える。

 

「実はおとといの夜、一人でダンジョンの6階層まで潜って……酷い目に合って……神様といろいろ話をしまして。それから…………いろいろ考えたんです。前、ニールセンさんに言われたみたいに、ダンジョンの中だけじゃなくて地上でも……何か出来る事は無いのかって」

「………………」

「それで、ルドウイークさんの【ステイタス】に因らない戦う技術……静かに走る技とか、的確なカウンターとか、そういうのを思い出してですね」

「その、私の持つ技術を習得したい……と言う訳か」

「……はい」

 

 答えるベルの眼を、ルドウイークは半ば睨むように見つめる。しかし、その眼はルドウイークの知るどこか相手の様子を伺う小動物めいたものではなく、決意を秘める戦士の物であった。それを見て取ったルドウイークは、厳しい目をしたまま口角だけを僅かに上げて諭すように口にする。

 

「なるほど、大体わかった。結論から言えば、私個人としてはそれは構わない」

「本当ですか!? じゃあ――――」

「だが」

 

 喜ぶベルに水を差すようにそこで一度言葉を切り、息を飲むベルの顔をちらと見てからまるで重苦しいかのような表情でルドウイークは口を開く。

 

「だがね……君も知ってはいるだろうが、エリス神はヘスティア神の事を――正直そうは見えないが――嫌っておられる。ある意味では【エリス・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】は敵対していると言ってもいいだろう」

「それって……」

「ああ。これがエリス神に知れれば背信行為とみなされ……私はひどい目に遭うだろうな」

「そんな!」

 

 そう、何処か笑いをこらえるかのように言うルドウイーク。それにも気づかずに、ベルは青い顔をして狼狽した。自身の頼みごとのせいで、恩人でもあるルドウイークが窮地に立たされる。それはベルの望むところではない。なら、どうすればいいのか…………それをベルが必死に考えていると、ルドウイークは何処か申し訳なさを感じさせるように肩を竦めた。

 

「冗談だ。冗談だよクラネル少年。時間も持て余していた事だし、その頼み受けさせてもらおう。すぐ始めるかね?」

「えっ……えーっと…………はい、ありがとうございます?」

 

 未だに困惑しっぱなしのベルを他所に、ルドウイークはベンチを立って背嚢を改めて背負い、そして中央公園を後にするべく歩き出す。その背中を立ち尽くしていたベルは慌てて追いかけ、その横に並んだ。

 

「ルドウイークさん……えっと、これからどうするんですか?」

「とりあえずは、君の今の実力が見たい。どこか邪魔の入らない所に心当たりはないかね?」

「うーん……市壁の上とか?」

「いい案だ。行ってみよう」

 

 ベルの提案に頷くと、ルドウイークはその肯定の意とは反するようにギルド本部のある方へと足を向けた。それにベルはすぐに気づいて、ルドウイークを引き留めた。

 

「あの、ルドウイークさん。市壁は逆方向ですよ? 何か訳が?」

「まずは、訓練用の武器を調達しようと思ってね。流石に真剣でやりあう訳にはいかないだろう。ヘスティア神に迷惑をかける訳には行かないし、エリス神を心配もさせたくない。ギルドにちょうどいい武器があればいいが、無くてもそう言った物を用立てられる店の場所くらい聞けるはずだ」

「なるほど……」

 

 ルドウイークの説明は確かに筋の通ったものであった。それにベルは目的こそ明確になったものの、時間に追われているわけじゃあない。何より、また怪我をして神様に心配かけるなんてのは御免だとベルは思った。そして、彼はルドウイークの横に並んで、共にギルドへの道を歩き出す。

 

「それにしても……ルドウイークさんも冗談なんて言うんですね」

「ははは、そうだな。もしや、エリス神に影響されたか。だが存外に悪く無い気分だよ」

「こっちはヒヤヒヤしましたけどね……」

 

 そんな他愛のない話をしながら彼らはギルドに向かい、そこで訓練用の武器を貸し出してもらうと市壁へと昇り、人目に付かぬそこで訓練を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 そうして、訓練を開始して数時間。ルドウイークとベルは市壁の上で座り込み、それぞれの背嚢(バックパック)から昼食をそれぞれ取り出して食事を始めていた。

 

 ルドウイークが取り出したのは紙に包まれたサンドイッチ。間に玉子のサラダが挟まれているそれを、彼は大きく口を開け手早く腹に収めてゆく。

 一方、ベルが取り出したのは丁寧に包装された弁当箱だ。誰かの手作りと思しきそれの中身は綺麗に整えられたもので、それをベルは幸せそうに頬張りながらちらとルドウイークの方に視線を向けた。

 

「そのサンドイッチ、美味しそうですね。ルドウイークさんが作ったんですか?」

「いや、エリス神が持たせてくれた……と言うか、背嚢の中にいつの間にか突っ込んであったんだ。彼女なりの気遣いだと思うよ」

「なんていうか、エリス様らしいですね」

 

 感情豊かな女神の姿を想起してベルが言うとルドウイークは同意するように首を縦に振り、水筒の水で喉を潤してから小さく笑う。

 

「そう言う君のそれは、ヘスティア神が?」

「いえ。えっと、【豊穣の女主人】亭って言う酒場の店員さんが渡してくれたんです。『ダンジョン探索頑張ってきてください』って。今日は探索してないんですけどね」

「そうと知ったら、ヘスティア神がむくれそうなものだが」

「神様が……?」

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

 ルドウイークはそう言って話題を打ち切ると、また一口サンドイッチを口にした。彼は既に、昼食をほとんど食べ終える勢いだ。ベルもまた、その持たせてもらった弁当の出来に舌鼓を打ちつつ、穏やかに時間を過ごして行く。

 

 そうしてしばらく経った時、唐突にルドウイークが口を開いた。

 

「ところでクラネル少年」

「何ですか?」

「6階層まで降りたと言っていたが……何があった?」

 

 そう問いかけたルドウイークの眼は今までベルの見てきたそれとは比にならぬ程に真剣な物だ。真剣に心配している。

 

 それは彼自身、6階層以降の危険度を重々承知しているからだろう、とベルは考えた。道中聞いた話では、彼がレベル2になった偉業は、おそらく6階層から逃げ帰った後のミノタウロスからの逃走劇であろうと語っていた。

 最初は自分と同じ目に遭っていたのかと共感を込めた視線を送っていたベルだったが、自身が逃げきれなかったミノタウロスから結局無傷で逃げ延びたと聞いて、そんな所でも差を感じてしまう。

 

 そのちょっとした屈辱感にも似た感情とルドウイークの真剣極まりない視線に、ベルはしどろもどろになりながら言葉を選んで答えた。

 

「えっとですね……ちょっと、思い知らされるって言うか……なんて言えばいいのかな、悔しい目って言うか……」

「……言いづらいなら構わないが」

「いえ、うーんと……とにかく、今のままじゃ目標に辿り着けないって、ハッキリ突きつけられたんです。それで、居てもたっても居られなくなって……」

「勢いに任せて6階層まで降りたという訳か」

「……はい」

 

 言いにくい事を遠慮なしに口にしたルドウイークの見解に、ベルは小さく返事をして、それ以降黙りこくった。気まずい空気が二人の間に流れる。

 

 ベルは既にこの事について、ヘスティアと話し合いを重ねており、答えは既に見出していた。思い知った自身の無力さ、分かってしまった彼我の距離の大きさ。それでも、あの人の居る場所に少しでも近づくために『強くなりたい』。その為にベルは、自身に出来る事を必死に探している。

 今ここでルドウイークと共に居るのもその一環だ。自身の知る冒険者達の中で近しいステイタスの持ち主でありながらその個人の技術によってベルの遥か先を行く男。

 

 そんな彼に技の教えを受ける事でステイタスだけでなく、自分自身を鍛える事に繋がるのだと考えてベルは今ここに居る。そんな彼がベルのした無茶に対してどんな厳しい言葉を口にするのか……ベルはそれが気が気では無く、ルドウイークの様子を伏し目がちに伺った。

 

 そんなベルにとって、どこか予想通りの言葉がルドウイークの口から発せられる。

 

「流石に、それは擁護できないな」

 

 そのルドウイークの言葉に、ベルは目を伏せて俯いた。自身の主神であるヘスティアを悲しませたことを想起したからだ。そして実際にルドウイークは、何処か諭すような穏やかな口調でありながら、ベルのミスを明確に指摘する。

 

「君の、その強くなりたいという願いは間違っていない。けれど、少々前のめり過ぎさ。試練に挑むにはそれに相応しい備えが要ると私は考えていてね…………一時(いっとき)の衝動に任せて探索に望むのは、挑戦でも冒険でもなくただの自殺だよ。それでヘスティア神を悲しませるのは君の本意では無いはずだ。チュール嬢も似たような事を言ってはいなかったかね? 『冒険者は冒険してはいけない』と」

「…………はい。仰るとおりです」

 

 俯いたまま、苦々しく声を絞り出すベル。ルドウイークはそんな彼を見て、対照的に肩の力を抜きふっと笑って言った。

 

「…………だが、口ではそうは言っても試練の側がこちらに配慮してくれる訳では無い。冒険せざるを得ない時も、必ず来るはずだ。だからこそ、我々はその時の為に鍛錬を重ね、それに備えてゆく……今日この日のようにな。だろう、クラネル少年?」

「……そうですね」

 

 ベルだけではなく、自身にも言い聞かせるようなルドウイークの言葉。それに短く答えると、ベルも食事を終えて弁当箱を背嚢へと仕舞い、短剣を握りしめ立ち上がる。

 

「お待たせしました……始めましょう、ルドウイークさん」

「もういいのかね? 食事後に運動すると、体調を崩しかねないぞ?」

「ダンジョンの中では、そうも言ってられませんから」

 

 決意に満ち溢れたベルの表情に気を良くしたか、ルドウイークは楽しげに口角を上げると自身の木剣を手に立ち上がった。その背に、思い出したかのようにベルが声をかける。

 

「あ、そうだルドウイークさん。一つだけいいですか?」

「何かね?」

「あの……『クラネル少年』、って言うの、なんだかむず痒いんですよね。僕、呼び捨てでも構いませんよ?」

「…………私個人としては、『クラネル少年』も悪くはないと思うのだが……分かった、善処しよう」

 

 困ったように呟いたルドウイークは、そのまま数歩先まで歩いて行ってそして振り向き、ベルにその木剣の切っ先を向けて、彼に訓練の再開を宣言した。

 

「ではベル。始めよう。食後で悪いが、頑張ってくれ」

「はいっ!」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 迫るベルの短剣を、私は一歩引いて空振らせた。生まれた隙に蹴りを叩き込もうとしたものの、彼はむしろ体勢を大きく崩す事で体をズラして私の蹴りを回避。低い姿勢のまま私の軸足を薙ぎ払おうとする。

 

 昼前の戦いから学んだか。悪く無い。私はその一撃を片足のみでの跳躍で回避し、たたらを踏むように距離を取る。その隙に素早く立ち上がり態勢の整わない私にベルが飛びかかった。勢い良く迫るベル。しかし空中で身動きの取れない彼の胸に向け、私は木剣を突き入れて撃墜。地面に叩きつけられ手放された短剣を蹴り飛ばしてからうつ伏せの彼の背に切っ先を突きつける。

 

「……少し、上半身ばかりが(はや)ってしまっているな。倒れかけの体勢からの攻撃は見事だったが、そもあのようなリスクを冒すべきではないよ」

「あはは……結構いい線行ってたと思ったんですけど」

「行っていたとも」

 

 言いながら、私は彼の背に落ち着けていた切っ先を引き、その手を引いて助け起こす。

 

「だが、リーチの短さがどうしても出てしまう事が多いな。やはり踏み込みの改善だろう……その点、私が退がってからの追撃は良かった。今までで一番の速度だ」

「本当ですか!?」

 

 良かった点を私が挙げると、ベルは食いつくように私ににじり寄って来た。そのきらきらと輝く瞳に押されて私は一歩距離を取る。

 

「あ、ああ。だが勢いに任せて跳躍したのが良くない。空中では身動きが取れないからね」

 

 それを聞くと、ベルは委縮したように目に見えて大人しくなった。私も多くの狩人の育成に携わったが、これほど分かりやすいのは初めてだ。私はそんな彼の姿に少しばかり苦笑を隠しきれないながらも、そのやる気を引き出すべく彼自身の長所について語り始めた。

 

「君の強みはその脚力……いや、『敏捷』だ。それも、直線の速さでは無く跳ねまわるような機敏さ。真っ直ぐ目標に迫ろうとする気概は認めるが、前のめりになりすぎれば強みが生かせないぞ」

「うーん……ルドウイークさんがダンジョンでやってたようなステップ、アレが出来ればいいんですけど」

 

 言って、ベルは試すようにその場で左右に跳び始めた。だがそれはただの跳躍であり、我々狩人の行う歩法の足元にも及ばぬものだ。

 

 しかしそれも致し方ない事だろう。我ら狩人の歩法は<獣>と対し、その爪牙を掻い潜り狩り殺すための血塗られた業の一つ。流石に、今のベルに習得するのは難しいだろう。

 だが、彼には何らかの素質がある。将来何かの役には立つかもしれない。そんな風に私は少し考え込んでから、とりあえずアドバイスだけはしておくことにした。

 

「コツは焦らず余裕を持って跳び、着地も含めて動きを止めないこと。それと『一回の跳躍』では無く『一歩』だと意識すること。後これは実戦で使う時の話だが、敵の攻撃を良く見極めることだな」

「うーん、『ピョーン』じゃなくて『トッ』って感じなのかなあ」

「そこは鍛錬を重ねるしかあるまい。私も師に睨まれながら横跳びを只管繰り返したものだよ」

 

 言いながら、嘗ての鍛錬を私は想起する。<ゲールマン翁>の元、狩人の道を志し集まった者達。それぞれが生半な者達では無かったが、それが揃ってゲールマン師の元で跳躍の訓練に勤しんでいたとは……今思えば中々に滑稽だったと思う。

 

 目前のベルも無理な姿勢で飛んでみては足をもつれさせたりと、危なっかしいことこの上ない。私は見ていられず、訓練の再開を以って彼の跳躍を止めさせる事にした。

 

「さて、続けようベル。今度は私は守りに徹するから、好きなだけ打ってきてくれ」

「わかりました!」

 

 元気のいい返事と共に、ベルは短剣を構えて一気に飛び出す。4M(メドル)程の距離を一気に詰めた彼による短剣の振り下ろし。それを私は半身を引き回避するが、ベルはそれにすぐさま反応して、振り下ろした短剣を弾かれるかのように跳ね上げそのまま切り上げを狙う。

 

 攻めに躊躇が無い。それに、踏み込みが良い。先程私の言った事をもう反映してきたか! ベルの見せた適応能力に舌を巻きながらも、私は立ち回りと長剣を用いて丁寧にその技を逸らしてゆく。突きをすれ違う様に躱し、振り上げを長剣で弾き、横薙ぎを後方への跳躍(ステップ)で回避する。

 それはさほど難しい作業ではない。何せ私と彼の間には、彼に知らせているよりずっと大きな力の差がある。

 

 だが、これがもし同格だったらと思うと背筋の凍る思いだ。ベルの速度は、明らかに冒険を始めたばかりの新人(ルーキー)とは思えない領域に達している。かつて見た同格のレベル1である【アンリ】や【ホレイス】と比べてもなお速い。

 おそらく『敏捷』に特化したステイタスを持っているか、あるいは何らかの【スキル】を発現しているのだと見るのが自然だろう。だが、冒険を初めてから僅かな期間でこれだけの速度とは――――

 

「はあっ!」

 

 そんな思案を重ねる私の目と鼻の先をベルの短剣が通過した。これは、認識を改めねば。彼は私が見積もっていたよりもずっと速い。既に訓練の開始時とさえ別物だ。

 恩恵によるステイタスの更新もしていない以上、この短時間に何らかのコツを掴みつつあるのだろう。更には、『私が守りに徹する』と言った事で攻撃に専念しているのが大きいか。

 

 やはり、素晴らしい素質だ。初めて見た時頼りなさげな小動物めいた印象を抱いたのが今では遥か昔の事にさえ思える。この調子で実戦の場でも気負わずのびのびと戦う事が出来れば、すぐにでも彼は『化ける』だろう。

 

 私の思索を他所にそのままベルの連続攻撃は続いてゆく。今度は軽い前方跳躍からの突き、と見せかけ身を反らしながらの回転切り。更にはそこからの回し蹴り。それを私は長剣で受けつつ、念のため余計に一歩分距離を取って退き下がった。

 

 技同士の連結を意識できていて隙を大幅に減じているな…………悪く無い。ともかく一度仕切り直すか。剣を構え、私は反撃の構えを取る。

 

 

 

 ――――瞬間、私は何者かの視線を受け全身に悪寒を奔らせた。

 

 

 

 他に誰もおらず、視線も通るはずの無いこの場所で、そのような物を感じるなどありうべからざることだ。幸いにも<上位者>の(かも)すそれに似た気配を感じたのは一瞬の事で、その感覚はたちどころに消え失せていたが、私は鋭く視線を巡らせ、その出所を探る。

 

 下か? ありえぬ。そもそも視線が通らない。ならば同じ市壁の上か? それはありえる。双眼鏡などを用いれば、遠方からでも我々を――――否。ただの文明の利器による物であれば、あれ程の悪寒を感じるはずもない。今のは魔法か、あるいはスキルか。ともかく、何らかの特別な能力の行使の結果による物だろう。

 

 私は更に注意深く周囲を警戒し……一つの建造物を捉えた。【摩天楼(バベル)】。オラリオの中心部に聳えたつ、巨大なる塔。そこから僅かながらの引力を感じ取る。

 

 バベルから? 神か? まさか。彼らは地上においては、人とそう変わらぬ力しか持たぬはず…………。

 

 その思索を断ち切るように、視界の端を影が過ぎる。しまった。完全に意識を他所に向けていた私にベルの攻撃が迫る。

 だがその攻撃に対し私は反射的に剣を振るって彼の得物である短剣を腕ごと弾き、体に染みついた動きのままにがら空きになった胸へと抜き手を突き込み――――そうになって、咄嗟に掌底へと技を変じさせて彼を突き飛ばすに留める事に成功した。

 

「げほーっ!!」

 

 胸を打たれ、肺から空気を押し出されながら突き飛ばされた彼はごろごろと転がった後市壁上の胸壁にぶつかって動きを止め、そして立ちあがろうとしてへたり込んだ。

 

 やってしまったか。私は彼の元へと急いで走り寄り懐からポーション瓶を二つ取り出して、一つを彼に振りかけもう一つを口に含ませる。そうするとすぐに彼は調子を取り戻したようで、ごほごほと咳き込みながら悔しそうに頭をかいた。

 

「今の、は、いけたと、思ったんだけど、ゲホッ……」

 

 俯き咳き込みながら呟くベル。その様子からとりあえず死んではいないと判断した私は安堵の溜息を吐く。それから、一度遥か遠くに聳えるバベルを見た。もう既にあの視線はなりを顰め、その気配も何も感じない。

 

 ……上位者では無いはずだ。彼らの視線であれば、あのような怖気では無くもっと名状しがたき物を感じるはずであった。それよりもあの視線は品定めするような、多分に楽しさを含んだものだ。

 

 ――――この街も、ヤーナム同様一筋縄ではいかないのかも知れないな。

 

 私はオラリオへの、そしてそこに在る者達への警戒を新たにするとひとまずバベルから眼を逸らし、痛そうに胸をさするベルの手当てに移るために背嚢の中の医療品を漁り始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 市壁の上で訓練するベルとルドウイーク。そんな彼らの様子を、遥か高みから見下ろすものが居た。

 

 オラリオの中心、ダンジョンの真上に聳えたつバベルの最上階。その窓際で彼女は立ち尽くし、遥か遠方より剣を交える二人――の片割れである白髪(はくはつ)の少年の事を熱心に見つめている。

 大理石さえもくすませる白い肌、黄金の比を持ちながらにして柔らかくシルエットを変えるその肢体。長い銀髪は揺らめく光の如く輝き、そのかんばせは咲く花の如く他者の視線を惹きつけて止まない。彼女の持つ美麗極まりない立ち姿を目にすれば、百人の画家が居れば皆(こぞ)って筆を執り、詩人が居ればその美しさを讃える詩を謡い出すだろう。

 

 彼女の名は【フレイヤ】。オラリオに君臨する二大ファミリアの片割れ【フレイヤ・ファミリア】の主神であり、このオラリオで並ぶものの無い【美の女神】の代名詞とされる存在。そして、その下界の子供たちに対する手癖の悪さでよく知られる、神らしい神である。

 

 彼女が、ベルに視線を向けるのにはもかねがねそう言った理由だ。彼女はある日街中を歩くベルを見かけ、その魂を『視て』大いに興味を惹かれた。一目惚れの様に。

 そして先日の【神の宴】に顔を出す事でベルの所属するファミリアを知り得た彼女は、それから一層その神の瞳を彼に向け、惜しげなくその麗しい視線を注いでいたのだった。

 

 ふぅ、と一度息を吐いて朱の差した頬に手をやった彼女は目を細め、再び剣を取り立ち上がったベルをじっくりと見つめる。普通のヒトであれば捉える事など出来よう筈も無い距離。しかしそれも、フレイヤの魂の色を見通す『(ひとみ)』の前では目と鼻の先のような物だ。

 

 彼女はベルへと向けた眼を良く凝らす。そうすれば彼の魂の色が、その神の眼にはありありと見て取れた。

 

 透明。透き通り、そして輝くその魂の色は、今まで数多の子供たちを見てきたフレイヤでさえ、一度たりとも見た事の無いような物だった。それは、特別な物を大いに好む神にとっては大いに喜ばしい物で、この美の女神にとっても例外では無かった。

 

 それゆえに、彼女はベルへと惜しみなく感心を寄せる。今はまだ小さいその輝きが、いずれ素晴らしい物になる。してみせる。そんな神らしい思いを胸に抱きながら。

 

 ふと、彼女はそのベルと剣を交える男に気取られぬよう慎重に眼を向けた。彼もまた、フレイヤの見た事の無い、特別な魂を持った子供だ。

 

 ――――だが、その魂の姿はベルとは真逆の、直視するのも悍ましい物だ。まるでこの世の全てに呪われ、ねじれ狂ったような歪んだ魂。赤黒く穢れたその色は、だが不思議な翡翠色の光に縁どられている。

 それは熱せられたガラスの塊が溶けて偶然芸術品の形を取ったような、何故人としてある事が出来るのか不思議でならないような魂であった。どれほど危険と称された戦士たちを見ても、これほど異常な魂を見た事は無い。

 

 フレイヤは堪えきれずに、すぐに彼に視線を向ける事を止めた。その魂を見ていると、何故か頭が小さく痛む。あの魂にはあまり関わり合いになりたくはないと彼女は結論付けた。

 

 ――――あの無色透明な魂が、穢れた魂に影響されてしまわないといいのだけれど。

 

 関係のある者の魂によって他の者の魂がねじ曲がるなど、見たためしはない。だが、前例がないからと言ってあり得ないという訳では無い。彼女はそんな未来が訪れてしまわないか少し不安になって、近くのテーブルに向かい椅子へと腰掛けた。その時、部屋のドアが軽くノックされる。

 

「どうぞ」

「失礼致します」

 

 彼女の許可を待って部屋に足を踏み入れたのは、身長2M(メドル)を超える猪人(ボアズ)の偉丈夫。その重厚な存在感に、並の冒険者では彼に視線を向ける事さえ躊躇するだろう。

 

 彼の名は【オッタル】。この迷宮都市オラリオの頂()に立つ冒険者であり、【猛者(おうじゃ)】の名を持つレベル7。そして【フレイヤ・ファミリア】の団長であり、同時にフレイヤの懐刀でもある。

 

 そんなオッタルの接近に、フレイヤは眉一つ顰めず、むしろ心待ちにしていた様に顔をほころばせた。そんな彼女の前にオッタルは跪くと懐から一つの書簡を取り出し、彼女へと恭しく差し出した。

 

「【フィリア祭】の【ガネーシャ・ファミリア】が行う調教(テイミング)、その催しの予定表です」

「ご苦労様。でも良く手に入れられたわね。お祭りの中身なんて、きっと大変な秘密のはずなのに」

「いえ。偶然ガネーシャ様にお会いできまして。『楽しみにしています』と伝えた所快く渡して頂けました」

「あら。彼らしいけど、しょうがないわね」

 

 ふふ、とフレイヤは上品に唇を隠して笑った。しかしオッタルは微動だにせず跪いたままである。そんな彼の様子を見てさらに機嫌を良くしたフレイヤは、椅子から腰を上げてその書簡に目を通した。

 

「あら、今回はレベル1だけじゃなく、レベル2のモンスターも連れてきてるのね」

「先日のミノタウロスの上層進出に関連して、捕縛隊が少し下の層まで向かったのが要因かと。ここ数年の中では、特に盛り上がると思われます」

「そう…………でも残念。昨日ロキに呼び出されちゃったのよ。断る訳にもいかないし、フィリア祭には行けないかも」

「それは……残念です」

 

 どこか楽しげな表情を崩さないフレイヤに対して、あくまでオッタルは真剣な面持ちで跪いたままだ。それを見て、フレイヤは少し生真面目なその猪人をからかってやろうと口を開こうとした。

 

 その時、またドアがノックされる。オッタルへの悪戯を中断したフレイヤが声をかければ、彼女の身の回りの世話役として常駐しているメイドの一人が顔を出し、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「お取込み中失礼します。オッタル様、よろしいでしょうか」

「どうした、何かあったか?」

「いえ、来客がありまして…………」

 

 立ち上がったオッタルの姿にますます委縮しながらも、メイドはオッタルに対して簡潔に用件を伝えた。それを聞いてオッタルはちらとフレイヤへと目を向ける。

 

「急ぎの話でも無いし、行ってきて構わないわよ」

「……ご配慮痛み入ります」

 

 その視線に応じてフレイヤが頷くとオッタルは敬服したように頭を下げ、そしてメイドの元へと歩み寄った。そしてメイドの前に立つと、落ち着いた様子で要件を問いただす。

 

「で、誰だ? その来客と言うのは」

「えっと、その………………【黒い鳥】様です」

「不在だ」

「えっ?」

「私は不在だ。そう、奴に伝えてくれ」

「…………畏まりました」

 

 その来客の名を聞いた途端、冷静沈着で知られるオッタルはあからさまに眉を顰めて居留守を使った。それに驚いたメイドが目を丸くするが、有無を言わせぬ剣幕でオッタルは指示の履行を命じ、あくまでメイドにすぎぬ彼女は事情が分からぬと言った顔でその場を後にした。

 

「……あら、つれないわねオッタル。貴方目当てに来たのだから、少しは顔くらい出してあげればいいのに」

 

 書類に目を通しながらその顛末を眺めていたフレイヤが、揶揄うようにオッタルに柔らかな笑みを向けた。しかしそれに対して、彼女の命とあらばどのような苦労をも厭わぬ武人は珍しく眉間に皺を寄せた。

 

「…………奴の相手をするのは疲れるのです。戦いであろうが、あるまいが。どうせまた、何かロクでもない事でも思いついたのでしょう」

 

 溜息を吐きながら、心底嫌そうに【黒い鳥】について語るオッタルに、フレイヤはますますその笑みを深くする。

 

「でも、彼と戦っている時の貴方、とっても楽しそうだったわ。私が嫉妬しちゃいそうになるくらいに。それに彼自身も中々面白い子よ。強さもそうだけど、なかなか話も通じるし……」

「お戯れを。奴は確かに紛れもない強者ではありますが、何を考えているかは理解しようのない危険人物です。あまり好意的に評価するのは――――」

「失礼致します!」

 

 本当に珍しくフレイヤの言に眉を顰めたオッタルの言葉を遮り、先程とは別のメイドが部屋に飛び込んできた。その様子にオッタルは素早く何らかの緊急事態である事を判断し、そして絨毯(じゅうたん)に爪先をひっかけて転びそうになったメイドを紳士的に支えて助け起こすと鋭い目で彼女を問いただした。

 

「どうした? 一体何があった?」

「も、申し訳ありません! 【黒い鳥】様にオッタル様の不在をお知らせした所、突然バベルの壁をよじ登り始めまして……!!」

 

 その報告にオッタルは苦悶の表情を浮かべて額に手をやる。

 

「またか……! 【アレン】は居ないのか?」

「フローメル様は現在装備の受け取りで不在、それと【ガリバー兄弟】の方々に【ロートレク】様も今は不在で…………」

「………………仕方あるまい、私が出る。君は【ギルド】に向かい、奴の元担当の【ジャック】と言う職員に苦情を伝えておいてくれ」

「は、はい! 畏まりました!」

 

 急ぎ足でメイドは部屋を後にし、オッタルはその背中を追い――――はしなかった。彼はメイドが開けっ放しにしたドアを丁寧に閉めると、そのまま踵を返して最寄りの窓へと向かう。その彼を、フレイヤは名前を呼んで呼び留めた。

 

「オッタル」

「はい」

「頑張ってね」

 

 その言葉に立ち止まっていたオッタルは改めてフレイヤに振り返ると恭しく一礼して、その後窓を開け放ち、そこからオラリオの市街へと無造作に身を翻した。

 

「ふふっ」

 

 そして窓から姿を消したオッタルを見送ったフレイヤは、これから【猛者】と【黒い鳥】の間でどのようないざこざが起こるのか想像して楽し気に笑う。そして棚からグラスと白ワインを取り出すと、元居たテーブルに向かいグラスにほんの少しだけワインを注ぎ、先ほどの書類を眺めながら誰ともなく呟いた。

 

「二人の喧嘩を眺めるのもいいけれど…………フィリア祭、楽しい思い出になるといいわね」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 夕刻。ベルとの訓練を終えたルドウイークはギルドでの換金を済ませてエリスの待つ家へと帰宅した。しかし、彼が戸を潜ってもその神特有の神威を感じない。

 

 外出中か。そう判断した彼は、後ろ手にドアを閉め、家の鍵をかけようとする。

 

「ちょーっと待ったぁー!!!」

 

 その声にルドウイークが振り向くと、エリスが全速力で家の中へと滑り込んできた。

 

「セーフ! いやあ危ない所でした!」

 

 息を切らしながらもどこか楽しげに言うエリスを前に、半開きのドアに駆けこむのは危ないだとか、そもそも鍵があるから閉められても大丈夫だろうとか、そんな注意をしようと言う気概はルドウイークの中から消え失せた。代わりに一度溜息を吐いて、そしてリビングへと向かう。

 

「あっ、ちょっと待ってくださいよルドウイーク! ダンジョンはどうでしたか!」

 

 エリスは今日の成果が気になるようで小走りに彼の背に追いすがった。そんな彼女にルドウイークは換金したヴァリスの入った雑嚢を手渡すと、ソファに座り込んで背嚢と<月光>を傍に降ろす。

 

「とりあえず、その金で大目に見てくれ。すこぶる調子が悪かった」

 

 ルドウイークは嘘を見抜く神特有の眼力を警戒して、ダンジョンがどうだったかについての返答は避けた。サボっていたと知れれば、間違いなく彼女は怒るだろう。故に早々に金だけを渡して、視線を逸らす事で追加の質問を受け付けまいとした。

 

「ふーん、3600ヴァリスですか……まあいいでしょう」

 

 だが、彼女はそれで納得してくれた様で、金額を検めるとそのヴァリスを袋の中へと仕舞い込んで棚に入れた。その様子を見てルドウイークは何とか誤魔化せたかと小さく安堵する。するとエリスが振り返りルドウイークの向かい側にあるソファへと腰掛け、鋭い目で彼の顔に視線を向けた。

 

「……それで? ダンジョンに潜っていなかったときは何してたんですか?」

「……なんのことかよくわからんな」

「演技が下手ァ!」

 

 エリスはバン! と両手でテーブルを叩きながら立ち上がるとルドウイークに人差し指を突きつけて得意顔で彼を見下ろして言う。

 

「貴方が朝から夕方まで潜ってこれだけしか稼げない訳無いんですよ! 一体どこで油売ってたんですか? 正直に話してもらいます!!」

「…………しくじったな」

「しくじったぁ?」

 

 ルドウイークがぽろりと零した言葉に、エリスは身を乗り出してこれでもかと睨みつける。それに観念したかのように諸手を上げて、ルドウイークは身を引くようにソファの背もたれに深く寄りかかってから今日あった事を正直に話し始めた。

 

 

 

 

「ダンジョン行ってない上に、ベル君に手ほどきしてたんですか!? ヘスティアに塩送るなってこの前も言ったじゃあないですか!!!」

 

 叫ぶエリスの声量に、思わずルドウイークは身を仰け反らせた。正直、ダンジョンに行かなかった事で怒られて、ベルの相手をしていた事は多少なりとも許されるのではないかと彼は考えていた。

 しかし『ヘスティアに』と苛立ったように口を尖らせるその姿に、実はエリス神は本当にヘスティア神の事が苦手で嫌いなのではないかと、彼は少しばかり疑い始めた。

 

「ベル君に頼まれてっていうのは百歩譲っても……うーん……ベル君かぁ…………とにかくルドウイーク、貴方には罰を受けてもらいましょうか!」

「罰?」

 

 ルドウイークはエリスの宣言に、どうしようもなく嫌な予感がして鸚鵡返しに首を傾げた。それに対してエリスは胸を張り、そして勢い良く台所を指差してあくどい笑みを浮かべる。

 

「今回の罰はずばり、今日の夕飯作ってください! 私疲れたので!」

「なっ!?」

 

 それを聞いたルドウイークは酷く狼狽した。その姿に、言い出しっぺのエリスはむしろきょとんとしてその顔を見つめる。

 

 何かまずい事があったのだろうか……。ちょっと不安になったエリスは、一瞬その宣言を取り下げるべきか思案する。するとルドウイークは、悩ましげに眉間に皺を寄せながら苦々しく声を絞り出した。

 

「エリス神。私は料理が苦手だ…………もう一度言う。私は、料理が、苦手だ。私に料理などさせないでくれ。例えこの世界での料理経験が無いとは言え、絶対にロクな物は作れない」

 

 そのありきたりな発言を聞いて、委縮しかけていたエリスは優位を取ったとすぐさま気を取り直しその笑みをますます悪い物に変えてルドウイークの事にねめつけるような視線を送った。

 

「へぇ~じゃあ丁度いいですねえ! やりたくないと抵抗する相手にそれをやらせるのは罰として最も普遍的な物ですからね! 本当にぴったりです!」

「すまない。恐らく、この世界には私の知らない食材や調味料がある。せめてレシピを見せてくれ」

「ダメです! 貴方の独創性を私は楽しみにしてますので! 満足させてくれるまでやらせますからね! 毒……じゃなくて、味見もしてから出してくださいよ!! ではどうぞ!」

 

 その言葉に、ルドウイークは愕然として頭を抱えた。これはエリスには話していなかった事ではあるが、かつてゲールマン翁に師事した狩人達の中で、最も料理の心得が無かったのがルドウイークだ。

 

 彼の料理は軟派で女性たちの料理を幾度と無く堪能していた<加速>や元々尊い生まれであった<マリア>のそれとは当然の様に比べ物にはならず、適当で雑な癖してそれなりに食えるものを作っていた<烏>の料理にさえ水を開けられていたと言う認めがたい事実がある。

 

 <教会>の狩人達の中で最も仲の良かった<シモン>でさえ『ゲールマン殿には食わせるな。寿命が縮む』とまで言わせたその腕前は、この世界に来て更に知らぬ食材というハンデキャップを背負い恐らくもう手に負えないことになっているだろう。

 

 そんな自身がぶっつけ本番で見た事の無い食材で料理を作る…………絶対にそれはロクな事にはならないとルドウイークは直感し、同時にエリスの胃袋が強靭である事を願わずには居られなかった。

 

 

 

 

 ――――その後、ルドウイークの料理により、エリスは深刻な出血を強いられる。見た目も、味も意外とそれなりだったその料理は、彼女が地上に降りてきて史上最もひどい腹痛をもたらした料理となった。

 

 

 




フレイヤ様に啓蒙+1です。

次で怪物祭に入れそう。


ゲストキャラとして採用するフロムキャラについてはまだ募集中です。
よろしければ活動報告から注意事項をお読みの上リクエストください。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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13:【怪物祭】(前)


怪物祭前半、13000字ちょっとです。原作キャラの言動エミュレイション難しい……難しくない?

総合評価5000に到達しました。これも感想評価お気に入り、誤字報告等して下さる皆さまのお陰です。
今後ものんびりやって行きますので、良ければ応援していただければ幸いです。


 

 

 その日のオラリオの喧騒は、ルドウイークの知るあらゆる人混みを遥かに上回っていた。

 

 空では花火と思しき破裂音が断続的に続き、人々はそれを耳にしながら顔を上げる事も無く思い思いに街を歩んでゆく。そしてこの大通り(メインストリート)に並ぶ店の幾つもが、そう言った潜在客達の眼を少しでも引くために普段よりも店先の構えを派手な物にし、店員に声を張らせていた。

 

 今日は、かねてより準備の進んでいた【怪物祭(モンスターフィリア)】当日。その人々の流れの間に紛れるようにエリスとルドウイークは並び歩いている。

 ルドウイークにとっては、今日はどちらかと言えばかねてより依頼していた装備――嘗てのヤーナムにおいて<ルドウイークの聖剣>と呼ばれたそれの再現品――の完成日である、という意味合いの方が強い。

 

 だが、あくまでも自身は図面を引いただけで、実際の完成品がどのような物になるかはこの武器を製作している【エド】次第だ。あの男、腕は間違いないようだが、性格が致命的に良くない。既に素材や機構などに無断で調整を加えているようで、それをルドウイークが問い詰めても答える事は無いと言う性悪ぶりだ。

 

『そういうのは、受け取ってからのお楽しみの方が俺が楽しい。だから調整については当日説明してやる。お前も楽しみにしとくといい』

 

 仕掛けの部品を調整しながらそんな事を言って自身を適当にあしらったエドの姿を想起して、ルドウイークは少し顔を顰めた。その後『だが要望があるならそれは言え』と言ってきてはいたが、正直心配である。

 

 その心配の表れか、彼らは速足に【ゴブニュ・ファミリア】のホームへと向かっていた。実際の所剣を受け取って多少話をするだけなので、それ程急ぎの用事でもないのだが……それでも彼らが急ぐのには理由がある。エリスが怪物祭を見て回るのを実に楽しみにしているからだ。

 

 何でも、ここ十年ほどは貧困故にこう言った催し事をただ眺めている事しか出来なかったらしく、彼女は安定した収入を得て久しく祭りを満喫できそうなこの機会を心底楽しみにしていたのだ。それこそ、先日酷い腹痛に襲われながらも祭り行きたさからそれを気合で克服するほどに。

 

 その自身の欲望への忠実さにルドウイークも正直舌を巻くと同時に、多少安堵しても居た。自身の料理を食べた後のエリスの苦しみ様は、余りにも痛ましい物だったからだ。偶然<先触れ>の精霊が彼女を気絶させなければきっと一日中彼女は呻いていた事だろう。

 

「どうしたんですかルドウイーク、難しい顔して」

 

 そんな事を考えながら歩いていたルドウイークに、エリスがその顔を見上げながらに言った。それを聞いて、自分はそこまでの顔をしていたのだろうか、とルドウイークは一瞬だけ考えてからその問いに応じる。

 

「いや、エリス神が回復してよかったとね。今日を随分楽しみにしていた様だからな」

「まったくですよ! 主神にあんな料理食べさせるなんて……正直死ぬかと思ったんですからね!」

「いや、確かに作ったのは私だが、作らせたのは貴女だろう」

「さあルドウイークさっさと武器を受け取って街に繰り出しましょう! なんたって折角のお祭りですからね!!」

 

 自身の責任を指摘された途端、エリスはそっぽを向いて速度を速めた。その後姿に、都合のいい主神だとルドウイークは首に手をやって、それから彼女の後を追う。しかし、人混みが邪魔でうまく彼女と距離を詰める事が出来ない。

 

 2M(メドル)近い身長とそれに相応しい体格を持つ彼からすれば、行き交う人々の間を抜けるのは中々に難行であった。それに、基本的に閑散としていたヤーナムより来たった彼には到底人混みを抜ける技術への慣れなど期待出来よう筈も無い。

 一方で、160C(セルチ)半ばのエリスは人々の間をすいすいと抜けて行く。神の放つ特有の神威によって、人々は無意識的に彼女に道を譲るからだ。そんな自身の優位に気付いているのかいないのか足を止める事の無い彼女の姿が少しずつ離れていくもので、ルドウイークは少しげんなりする。

 

 だが、そこは彼もあのヤーナムの夜を戦った古狩人。気を取り直すと、すぐに人々の流れの中に空いた間隙へと体を滑り込ませ、素早く歩く技術をこの経験の中で習得してゆく。

 

 それには彼自身の資質も関係していることだ。その背の高さと、<獣狩りの夜>の内に置いて数多の狩人を指揮する事を可能にした視野の広さ。同期の他の者には無かったその能力を持って人々を率いた彼は、今その能力を人々を避けるために活用している。

 

 向かって来るものの正面に立たぬように立ち位置を調整しつつ、歩く速度の緩急を利用して同じ方へと流れる人々の間を横に流れて追い越してゆく。その途中で、彼の眼にはすれ違う人々が皆程度の差はあれこの祭りを楽しんでいるように映った。

 

 ――――祭りなど、私には無縁だと思っていたが。

 

 脳裏を過ぎったそんな考えに自嘲した笑みを浮かべると、ルドウイークはそのまま、少しずつ近づきつつあるエリスの金色の髪を目印にその背中を追うのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 二人がゴブニュ・ファミリアの本拠地(ホーム)にたどり着くと、そこでは団員の鍛冶師と思しき者たちが忙しそうに右往左往していた。聞く所によれば、本日は彼らのファミリアが新たに開発した武器を発表する場を設けているらしい。それは十中八九ルドウイークの注文した仕掛け武器の事だろう。

 

 そんな彼らを眺めながら、ルドウイークとエリスは首を巡らせて当の制作者であるエドの姿を見出そうとした。しかし行き交う鍛冶師たちの中に彼の姿は見えない。

 まだ、工房に籠っているのだろうか――――そんな事を考えてエリスがルドウイークの事を見上げた時、後ろから声をかけられて二人は揃って振り返った。

 

「なんだ、お前ら揃って突っ立ちやがって。武器を受け取りに来たんじゃあねえのか?」

 

 振り返った先に居た男――――ルドウイークの武器製作を請け負った鍛冶師である【エド・ワイズ】は、どこか気だるげに言って腕を組み工房を顎で指した。その体からは、僅かに酒の匂いが漂っている。

 

「安心しな、武器なら出来てる。中に置いてあるから、付いて来いよ」

 

 それだけ言い残すと、エドは二人には目もくれずふらついた足取りで工房へと向かって歩き出す……その後姿を見て、エリスは不満げな顔でルドウイークの事を見上げた。

 

「私、行きたくないんですけど……」

「はは、気持ちは分からなくも無い。だが必要な事だ」

「…………こんな事なら、大人しくヘファイストスの所行った方が良かったのかなぁ」

 

 ぼやくエリスに苦笑いを向けた後、ルドウイークは諦め気味にエドの後を追う。その背中を、エリスが小走りに追いかけて二人は工房の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 この日のゴブニュ・ファミリアの工房では、殆どの炉に火は入っておらず、それでいて多くの団員が外と同様に方々(ほうぼう)を駆けずり回っている。どうにも昼の新武器発表に向け、慌ただしく準備を進めているようだ。その中にあって、その最大の当事者の一人であるはずのこの性悪な鍛冶師はどこ吹く風と言った様子で歩いてゆく。

 

 そしていつだかの打ち合わせに使った工房の隅にある卓にたどり着くと、彼はその上に置かれた、布にくるまれた物を指示した。

 

「コイツだ。アンタの設計図のもんより、ずっといいもんに仕上げてやった。あとリクエストにも応えたし、崇めてもらっても構わんぜ」

「検討しておこう」

 

 ルドウイークはエドの言葉に対して極めてぞんざいに返すと、布を取り払いその内に隠された品を皆の視線の元へと晒す。

 

 そこに在ったのは銀の長剣と、それを仕舞うには些か大型すぎる金属製の鞘だ。剣は刀身をランプの橙色の反射に煌めかせ、鞘には余すことなく技巧の粋を尽くした装飾が彫り込まれている。その美麗な彫刻(レリーフ)を見て、エリスが思わず感嘆の声を上げた。

 

「うわ、まるで美術品じゃないですか……凄いですね。このデザイン、ルドウイークが考えたんですか?」

「いや。私は書いてはいないよ。エド、これも君の独自調整の成果かね?」

「あー、ぶっちゃけ暇つぶしだ。仕掛け部分に使う素材の納品まで時間があってな。折角だしかっこよくしてやろうかと」

「いや暇つぶしで付ける装飾じゃあないですよねこれ……性格と腕前に差がありすぎる……」

「聞こえてるぞ」

 

 エリスがボソッと呟いた本音にエドは蔑むように凄むが、対する彼女はエドに視線を合わせようともしない。それを見たルドウイークは一瞬笑ってしまいそうになるが、すぐにそれを気の迷いだと振り払う。

 一方、エリスを睨んでいたエドはその内反応する気の無い彼女に興味を失ったか、机の上で指を組んでルドウイークにどこか伺うような視線を向けた。

 

「それで、折り入って相談なんだがな。この武器……こう言った変形機構を備えた武器の名前の案は何かないか? 考案者の意見を聞きたい」

「私としてはそれよりも武器そのものに対する意見交換をしてほしかったがね…………」

 

 そう言うエドは椅子に寄り掛かって尊大に腕を組み、質問している側とは思えない態度である。そんな彼に対しルドウイークがらしくなく口を尖らせていると、何かを閃いたのかエリスが勢い良く手を上げ立ち上がった。

 

「はいはい! それじゃあ、考案者の名前を取って【ルドウイークの大剣】なんてどうですか?」

「却下だ」

「ねえな」

 

 勇ましく手を上げたエリスの案を、二人はバッサリと切り捨てる。その余りの息の合いように、エリスは唖然とした後真っ赤な顔でがなり立てた。

 

「な、何なんですか二人そろって! 私割と真面目に考えたんですけど!?」

「あのなぁ、人名つけたら分かりにくいし後でややこしいんだよ。それに『ルドウイークの大剣』じゃあどう言う武器かピンと来ねえだろうが。そもそも俺が名前付けたいのは武器の種類にだよ。客に分かりやすいようにしたいからな」

「確かに、新しい装備に相応しい名を付けるのは重要だな……ふむ」

 

 地団駄を踏むエリスに対してエドは呆れたように指摘をし、一方のルドウイークは顎に手をやって少し真剣な面持ちで思案し始めた。

 

 エドが求めているのは武器の種別名……つまりは『剣』や『斧』と言った大きな範囲での名前だ。今回用意した<ルドウイークの聖剣>は『長剣』や『大剣』の性格を切り替える武器ではあるが、確かにどちらかとして発表するのは難があるだろう。

 もし長剣として売り出せば大剣の部分に客は疑問を持つだろうし、逆であっても同じ事だ。素晴らしい武器である事に間違いはないのだが……いい物が(あまね)く売れる訳では無いと言うのを、いつだか<教会>に籍を置いていた雷に魅せられた工匠が嘆いていたのを覚えている。

 

 故に、武器を作り販売する側にとっては分かりやすさと言うのは非常に大事な事である様に考えられた。ならば、この武器を体現するに相応しい名前とは……。

 目を閉じ、神妙な顔で考えようとしたルドウイーク。しかし彼は、そもそもこう言った武器を表す名は最初から付いていたことに気づいて、にも拘らず真面目に悩んでいた自分が愚かしくて小さく笑った。

 

「一つ案がある…………<仕掛け武器>と言うのはどうだね?」

「ほう……? <仕掛け武器>……【ギミック・ウェポン】ってとこか? いいな、それで行こう」

「随分とまぁあっさりと決めますね……」

 

 ルドウイークの案にエドは彼らしくなく素直に眼を輝かせ首を縦に振る。それに怪訝な視線を向けるエリスに、エドはまた尊大にふんぞり返ってフンと鼻を鳴らした。

 

「お前に分かるかなんか期待しちゃいないが、物作り(クリエイター)には咄嗟のインスピレーション(閃き)が大事なんだよ。他人からいいアイデアをもらえるなら万々歳――――」

「おいエド、話は済んだか?」

 

 エリスを見下すように講釈を述べるエドの所に、一人の鍛冶師がやってきて声をかけた。黒い長髪を後ろで結んだ、不健康そうな顔色の青年である。その青年の問いにエドは振り返ると、一度笑ってからそれに答えた。

 

「ああ。まだ途中だが……この武器種は【仕掛け武器(ギミック・ウェポン)】って種別名にしようと思う。ついでに言うなら、こいつは【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】ってとこか」

「ギリギリまで待たせただけあって悪く無い名前だな。誰からパクった?」

「うるせえな。とりあえずこれでアンドレイも納得するだろ?」

「多分な。俺が旦那だったらOK出すけど」

「そうか…………安心したら気ィ抜けたわ。トイレ」

 

 青年の返答に一人納得したエドは、会話を打ち切り席を立ってその場を離れる。残された者達は少しの間その後姿を眺めていたが、ふと苛立たしげにエリスが口を開いた。

 

「…………女神の前で堂々とトイレ宣言とか、下品にも程がありすぎじゃないですかね……?」

「アイツはああ言う奴なので……。許して頂きたい、美しい女神殿」

「美しい…………まぁいいでしょう。貴方は?」

 

 あからさまなお世辞に、しかしエリスは機嫌を少し直して青年に視線を向けた。ルドウイークも彼の事を推し測るように観察している。それに気づいた青年は、何処か慇懃に礼を取って見せた。

 

「ああ、紹介遅れた。俺は【リッケルト】。今回の発表の進行役をやらされる事になってるんだ。ホントは出てくるつもりなかったんだけど、たまには陽に当たれってアンドレイの旦那に引っ張り出されちまって……」

「リッケルト殿か。名うての職人と見たが」

「ええ。【魔剣屋】リッケルト。ひたすら【魔剣】ばっか作って市場に流しまくって、魔剣自体の市場平均価格を1割くらい落としたって方です。その魔剣も品質の均一さには定評があって……今では逆に彼自身の魔剣はちょっと価値上がっちゃったんですけど、多くの冒険者達が愛用しているんです」

「的確な説明助かる、エリス神」

 

 その言葉に、ルドウイークはリッケルトなる眼前の青年をかなりの鍛冶師なのだと推測した。そして次に、未だ直接触れた事の無い【魔剣】について思案する。

 

 ――――【魔剣】。

 

 『疑似的に魔法を放つ事の出来る剣』。その名を唱えそれを振るえば、いかに魔法の才の無い者であれ、剣に封ぜられた魔法を放つ事の出来る特別な剣の総称だ。

 

 その威力は製作者や品質によって大きく上下し、また数回使えば壊れてしまう使い切りの代物。故に信頼性は高いとは言えないのだが、それを差し引いても長い詠唱も必要とせず魔法に類似した攻撃を扱う事が出来るとあって、その有用性は筆舌に尽くしがたい。

 

 ちなみに、常に発動しているような特殊な性質を秘めた武器については【特殊武器(スペリオルズ)】と呼ぶらしい。ならば、<血晶石>を捻じ込んで属性を得た装備もそう呼ばれる種別に入るのだろうか。<月光の聖剣>は、そのどちらの性質も併せ持つという事になるのか……? そう思案を重ねるルドウイークを他所に、リッケルトはエリスに対してバツが悪そうな笑みを見せた。

 

「いや、言いすぎですよ神エリス。俺の打つ魔剣は性能を落として値段を下げた廉価品で、皆のイメージするような威力は無い最低等級品です。褒められるようなもんじゃありませんよ」

「そんな事ありませんよ! 貴方の打つ魔剣……均一の安定した品質を持つ魔剣が、どれだけ冒険者達の助けになっているか! あの値段が何よりの証明ですよ!」

「それに、一日にあれだけの本数の魔剣を生産する等人間業では無いだろう。かの【鍛冶貴族】でも、ああはいかんと手前は思うがな」

 

 謙遜するリッケルトの言葉を否定するエリスの声に、その場にいた誰とも違う女性の声が続いた。皆の視線がそちらへと向けば、いつの間にかそこに立っていた女性は少し意外そうに目を見開く。

 

「……どうした? 手前の顔に何か?」

「いやいや、何でアンタがここに居るんだ【コルブランド】。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」

 

 リッケルトに咎められ、コルブランドと呼ばれた彼女はふむと顎に手をやり悩むような仕草を見せた。白いリボンで一本に纏められた黒髪を揺らしながら、眼帯に隠された左とは対照的に赤い右目は鋭く、しかし楽しげに周囲の顔色を眺めている。その腰には相当な業物であろう刀を一本佩いており、佇まいも併せて剣士としての高い実力も伺わせていた。

 

 そしてその火に焼けた鍛冶師特有の肌の上に雑に上着を羽織っており、その間から垣間見えるサラシに包まれたその胸は抑えつけられている現状の大きさで評しても十分に豊満である。

 

「何、【ゴブニュ・ファミリア】――――アンドレイ殿の新製品と聞いたら居ても立っても居られんでな。こうして呼ばれても無いのに馳せ参じたわけだ!」

 

 彼女はそう呵々大笑してから、止める間もなく卓の空いている椅子に腰を下ろした。そこに悪びれた様子などなく、しかしそれがどうにも悪い印象に結びつかない不思議な魅力の持ち主でもあった。そんな彼女に探るような視線を向けていたルドウイークは、対応に困っていたエリスに顔を寄せてそっと耳打ちした。

 

「エリス神、こちらは?」

「えっとですね………………こちらは【単眼の巨師(キュクロプス)】こと【椿・コルブランド】。【ヘファイストス・ファミリア】の団長であり、十人ほどしか存在しない最上級鍛冶師(マスタースミス)の一人…………そして、今のオラリオで名実ともに最高の鍛冶師と呼ばれる方です」

「おっと、他はともかく最後のだけは有名無実だ。手前は()()アンドレイ殿を越えたとは思っておらんからな」

 

 エリスの評を耳ざとく聞き取り、だが変わらずコルブランド――――椿は楽し気に笑うばかりだ。その言葉からは、既に最上級鍛冶師(マスタースミス)と呼ばれる彼女がその領域に至ってなお尽きぬ向上心の持ち主であることが伺える。そして、そのまますぐに会話を打ちきった彼女は勇ましく卓に身を乗り出し、机の上に寝かされた<ルドウイークの聖剣>――――あるいは【仕掛け大剣】を指差した。

 

「それよりも新製品だ! 昼に発表と聞いたがもう待ちきれん、早く見せてくれ! 長剣と大剣の合いの子だと聞いたぞ!」

「いやいや、あと何時間か待ってくれって。今から場所取っとけば最前列で見れるぜ?」

「いいや、もう限界だ。手前がどれだけこの日の発表を楽しみにしていたと思ってる」

「…………発表が終わるまでは口外しないでくれよ?」

「『鍛冶の神』に誓って」

「どっちのだよ」

 

 その言を咎めたリッケルトに対して諦めなど微塵も垣間見せずに食らいつく椿。それにあっさりとリッケルトは折れ、一度口止めした後どうぞと手の平で許可を出す。そしてその合図が出された瞬間彼女は飛びかかるように長剣を手に持って、興味深そうにその刀身を眺め始めた。

 

「うむ、これは…………ミスリル製か……いや、偏執的なまでに強靭性に拘り鍛え抜かれた刀身、もはや並のミスリルと比較するのもおこがましい。大剣部分にもミスリルが……いや、縁の部分は超硬金属(アダマンタイト)か。長剣と大剣二つの性格を併せ持つというのは、そう言う事だったのか。そしてこれが結合部分…………この部品最硬精製金属(オリハルコン)製か。あのオリハルコンをこれほどの部品に加工するとは生半な労力では無い……しかし一般の市場に流通するものにはこれほどの素材は使われないだろうが……いや、そもそもこの構造なら十二分過ぎる強度を確保できるはず……そうか! あくまでオリハルコンの使用は更に念を入れてという事だな……!? 流石はアンドレイ殿……武器自体の品質も紛れもなく第一等級品でありながら、使い手によってはその性能限界を更に引き上げうる可能性、更には複雑な機構部分に最高品質の素材を使う事で強度を底上げし信頼性までも高めているとは…………何たる生半可な鍛冶師には到底到達できぬ領域に立つ者にのみ生み出す事の出来る逸品か! かの二つ名に相応しい業前と感嘆せざるを得ない…………!」

 

 武器のあらゆる部分を穴が開くほどに眺めまわし、椿は炉にくべられた鉄の如くに熱の入った様子でこの品の持つ要素を徹底的に精査してゆく。そしてしばらくの間一人で捲し立てていた彼女は、最終的に素晴らしく満足した様子で溜息を吐いた。

 

 エリスはその剣幕に若干引いていたが、彼女のお陰でルドウイークもこの武器に対する評価をある程度定める事が出来た。その言を聞く限り、武器としては素晴らしいことこの上ない物であると言うのは間違いないだろう。特に強度については折り紙付きとのことだ。それは元来からのこの武器の特徴である頑強さを更に改良した結果得たものなのだと彼は推測した。

 

 ――――エドの腕はなんだかんだで確かだったという事か。

 

 らしく無く皮肉めいてエドを称賛しながら、ルドウイークはさらに思案を進めた。

 

 この強度があれば数打ちの長剣では成し切れなかった自身の筋力を生かした戦い方も出来るだろう。そしてもう一つ、この武器には椿にも思考の及ばぬであろう特別な要素がある。

 

 彼は目立たぬように剣に刻まれた、何かを(よじ)り込むために(しつら)えられた3つの穴に目を向けた。それは、彼の持つヤーナムより持ち込んだ品の一つ、<血晶石>を装着するための箇所(スロット)である。

 

 血晶石。獣や眷族どもの血の中に生まれる血石の一種であるそれは、武器に取り付ける事でそれぞれの石に対応した能力を付与する事が出来る。火や雷と言ったいわゆる属性や、特定の対象に付ける傷が深くなる、手にしているだけで体力を回復する等だ。その原理については嘗ての狩人達も随分と調べ回ったものだが、結局それを暴く事は出来なかった。当然、ルドウイークの知る所でもない。

 

 しかしその原理を知らぬままでも、その力は確かに振るう事の出来るものだ。多くの戦士が、自らの武器が如何様にして生み出されているのかを知らぬのと同様に。

 

 そんな事をルドウイークが考えている間にも、椿は興奮冷めやらぬという風に何度も武器を調べ上げ、ついには仕掛けの起動を試みようと金属製の鞘に長剣を押しこみガチャガチャとやり始める。

 だが、初めて触れる仕掛け武器の変形機構に彼女は苦戦し始め、その内腕を組んで武器に対してどこか怪訝な視線を向け始めた。

 

「むう……意外と難しいな。アンドレイ殿らしくない。あの人ならば、もう少し簡易な機構にする気もしてきたが……」

「そりゃそうだ…………コルブランド。盛り上がってる所悪いけど、それ作ったのアンドレイの旦那じゃあないぞ」

 

 変形が上手く行かずに首を傾げる椿に、リッケルトが呆れたように話しかける。すると椿はその眼を訝しげに細めて、思案するような仕草を見せた。

 

「何? しかしあの人以外にここまでの物を作れる者と言えば……」

「俺だぜ」

 

 その声に皆が振り返ると、手布で濡れた手を拭いながらエドが戻ってきていた。その姿を見て椿の顔が隠しきれない嫌悪に歪む。それはエドも同様だったようで、グラスの奥から覗く瞳は実に攻撃的であった。その二人の視線が空中でぶつかり、火花を散らすかのようにルドウイークとエリスは錯覚する。

 

「……何故お前がここに居るのだ、【ねじくれ】エド公」

「俺の二つ名は【ひねくれ(シニカル)】だ。……お前こそ何でここに居やがる鍛冶狂い(キチ)女。またアンドレイ目当てに人んちのファミリアの敷地に勝手に上がり込んだのか? 常識ねえのかよ……」

「むむ……実際間違っていないが…………お前に言われると腹が立つ!」

 

 そう言い切ると椿は席を立ちエドの前に仁王立った。その威圧感はすさまじい物で、咄嗟にエドはファイティングポーズを取って身を引く。

 

「待て暴力反対だ。俺は弱い!」

「だったら態度を改めろ。それだけの腕があるのだから、少しは真面目に鍛冶仕事に精を出せ!」

「知るか! 俺は好きに武器を作るんだよ! つかテメェこそ見境なしにぽこじゃか第一等級品量産しやがって!! お前と比較されたせいで俺がどんだけなぁ!!」

「何を言うか! お前なら手前に及ばずともそれなりの評価をされただろう!?」

「テメェのそう言う自分が上である事を信じて疑わねえところが嫌いなんだよ露出過多鍛冶女!!!」

「何だと貴様!?」

「ハッ、折角だしここらで白黒つけてやろうか!? かかって来やが――――あっ待て今の嘘おいマジでグーはやめろ!!!」

 

 互いが互いの言に耐えきれなくなったか、エドの挑発を皮切りに二人の鍛冶師の取っ組み合いが始まった。突然の喧嘩に慌ててリッケルトが止めに入ろうとするものの、工房の隅だったこともあってか、溜まっていた灰が巻き上がってその子細な様子を覆い隠してしまう。

 だがどうやら二人の間には致命的までに力の差があったらしくすぐに取っ組み合いは終わり、舞っていた灰が晴れるとボロボロになって突っ伏すエドとその上に跨って腕を組み鼻を鳴らす椿の姿が露わとなった。その姿に、呆れたようにリッケルトは溜息を吐く。

 

 すると、大柄な一人の人影が呆れたような表情で彼らの元へと歩いてきた。

 

「…………何やってんだ、お前ら?」

「げっ」

「アンドレイ殿!?」

 

 彼と彼女の起こした騒ぎを聞きつけたか、その場にのそりと現れたのはゴブニュ・ファミリア頭領、【薪の鍛冶】アンドレイ。彼の視線を受けた椿のそこからの動きは早かった。

 

「げっふぁ!?」

 

 情けない悲鳴をあげてエドが転がる。椿が即座に尻に敷いていたエドを壁際に蹴り飛ばしたのだ。そして彼女は何事も無かったかのようにアンドレイの前に仰々(ぎょうぎょう)しく正座し、両手を膝の上に置いて深々と頭を下げた。

 

「お久しぶりです。突然の訪問の上、見苦しい所をお見せしてしまい誠に申し訳ありません。椿・コルブランド、ゴブニュ・ファミリアの新武器が完成したと聞いて居ても立っても居られず、こうして参上した次第です。アンドレイ殿も、相変わらずご健勝のようで何より」

「おう。ウチのエドが迷惑かけちまったみてえだな」

「クソが…………! 迷惑かけてるのはどう考えてもこのグワーッ!?」

 

 吹き飛ばされていたもののしぶとく復帰したエドが彼ら二人の最上級鍛冶師(マスタースミス)の会話に割り込もうとした瞬間、突如として凄まじい衝撃により視界外へと吹っ飛ばされた。そうして消えて行ったエドの軌跡をアンドレイは裏拳を戻しながら横目に見て、腕を組んで椿にどこか呆れたような目を向ける。

 

「ま、事情は大体わかった。……新製品を楽しみにしてくれたのはうれしいけどよ、お前だって今やファミリアの団長なんだ。もうちっと落ち着いた方がいいと思うぜ、お転婆め。ハハハ」

「はい、ご忠告痛み入ります」

 

 エドに対するそれとは180度違う態度を見せる椿と、娘を見る様な面持ちでそれに対するアンドレイ。ルドウイークが、どこか楽し気にその様を眺めていると、何やら我慢の限界を迎えたように焦るエリスが彼にそっと耳打ちしてきた。

 

「あの、ルドウイーク。そろそろですね、時間が本格的にですね……」

「本格的? 何かあったかね?」

「ガネーシャ・ファミリアの公開モンスター調教(テイミング)の時間ですよ! 確か昼過ぎからスタートですから、まだ何とか席を確保できるかもしれません」

「そうか。失念していたな」

 

 その言葉にエリスがちょっとムッとするのを見て、ルドウイークはすぐに行動に移った。会話を続ける椿やアンドレイの脇を抜けて素早く仕掛け武器を布に包み背負い込んだ彼は、その場の鍛冶師たちと相対して礼儀正しく頭を下げる。

 

「それでは、我々はそろそろお暇させてもらおう。エドに世話になったと伝えて置いていただきたい」

「おう。その試作品、後で使い心地を教えてくれ。流通品にフィードバックさせてくからな。刃こぼれとかがあったらあの野郎に頼むぜ」

「了解した」

「エド公でなくとも、手前の所に持ち込んでくれても構わんぞ」

「ご厚意は嬉しい限りだが……契約上難しいな」

 

 首を横に振るアンドレイを見て、ルドウイークは椿に対して申し訳なさげに否定を返した。それに対して椿はアンドレイに視線を向けるが、彼はダメだと言わんばかりに首を振り椿はあからさまに肩を落とした。すると、その様子を伺っていたルドウイークを見て我慢できなくなったか、エリスがルドウイークの腕を引っ掴む。

 

「ほら! もう行きましょうルドウイーク! 祭りですよ、祭り!」

「そう急がずとも祭りは逃げんよ、エリス神」

「何言ってるんですか! 時間は待ってくれませんよ!」

「……そうだな」

 

 そうして引きずられるまま、一人と一柱は工房を後にしようとする。だがその背に思い出したようにアンドレイが声をかけ、ルドウイークに楽しげな顔で話しかけた。

 

「そうだルドウイーク、アンタすげえ()()なんだってな。ガレスの奴といい勝負したって聞いたぜ。良ければ俺とも今度どうだ?」

「勝負したつもりは無かったが……それについてはまた後で詳しく話しましょう」

「応。それじゃ、祭り楽しんで来いよ!」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ゴブニュ・ファミリアを後にしたエリスとルドウイークは、このフィリア祭の最大のイベントであるガネーシャ・ファミリアによるモンスターの公開調教を目撃するべく、一路闘技場へと向かっていた。その道中、いつぞやの少年と従者の屋台でおはぎを購入したエリスは、甘いそれを時折幸せそうに頬張って、そしてルドウイークに楽し気な感情を隠さぬ笑顔を向ける。

 

「うーん、おいしい! やっぱり、食べ歩きは祭りの華ですね!」

「あまり食べ過ぎない方が良いのでは? 折角の催しを前にしてお腹を壊してしまえば、悲しいぞ?」

「確かにそうですけど……楽しく無いはずがないじゃないですか! それにやっと、ルドウイークもちゃんとした武器が手に入ったんですから、もっと楽しそうにしましょうよ!!」

「そうだな……これで探索もやりやすくなる。と言っても、深度が進むにつれてダンジョンは著しく高難易度化すると言うから、そう容易い話ではないのだろうが」

「そう……ですね」

 

 祭りが終わった後の事、ヤーナムへの帰還へと邁進しようという意思を隠さぬルドウイークに、エリスは少しだけ寂しそうな顔で俯いた。しかし、彼女はそんな顔をすぐに笑顔で覆い隠して普段通りの態度で彼の前に回り込み、上目使いに(たず)ねる。

 

「……ね、ルドウイーク。一つ相談があるんですけど」

「何かね?」

「新しい武器も手に入って、格好もついてきたことですし……そろそろウチの団長の肩書き、名乗るつもりはないですか?」

「いや、それは私には相応しくない看板だよ」

 

 その団長と言う地位への誘いを、ルドウイークは即座に辞した。その答えに……と言うより、その逡巡の無さに驚いたように目を丸くするエリスに、彼はどこか申し訳なさそうに笑って腕を組んだ。

 

「……なんだかんだで、私にはファミリアへの忠誠心は無いに等しい。貴女への恩義で動いているだけだ…………このファミリアに何があったのかという事情も、未だに知らないしな」

 

 その言葉に、笑顔を浮かべていたエリスは一瞬呻いて痛い所を突かれたとばかりに表情を歪める。一方ルドウイークはそれを見て少し笑みを浮かべた後、一転して真剣極まりない顔で首を横に振った。

 

「それに、結局私は異邦人だ。いずれ去る者に重要な役職を任せてしまうと、後が面倒だと思うよ」

「じゃあ、ダメですか?」

「……ああ。それよりも、新入団員を募集して、その者に団長を任せた方がよっぽどいいだろう。第一、私は人の上に立てるような()()()()()()よ」

「……………………そっか」

 

 下界の子らの嘘を見抜く力を持つ神であるエリスは、ルドウイークの言葉に一切の偽りがない事を本能的に見抜いてしまい、少し悲しそうに呟いた。

 

 彼の言う事は、実際に正しい。もしも彼が団長となったとして、エリス・ファミリアを軌道に乗せた後ヤーナムへと戻ってしまえば、団長の席は空席となる。それはつまり、穏便であろうとなかろうと、他に団長の座に相応しい者を選出しなければならないことを意味している。その為の人員は彼女の元には居ない。

 

 彼の言う通り、新しい眷族を増やすのが賢明な判断なのだろう。だが、ルドウイークに団長と言う座を与える事で万一ヤーナム帰還の術が見つかった時に引き留めるための口実を作っておきたかったエリスは、彼の意思の強さを再び見せつけられたことで心の中で肩を落とした。

 

 ――――まあ、そう簡単には見つからないと思いますけど。でも、万一の為に彼を捕まえておく手をまた考える必要がありますね……。

 

 そう自分に言い聞かせてすぐにエリスは気を取り直したように手を叩き、その心中の企みをルドウイークに悟られぬよう、普段よりも三割増しの笑顔を見せた。

 

「解りました! それでは団長云々は忘れまして、今日はフィリア祭を楽しみましょう! なんたって、一年に一度のお祭りですからね!」

 

 その時、街を歩く人々の間に大きな声が沸き上がった。一瞬、歓声だと思えたそれにエリスは闘技場での公開調教が早くも開始されたのかと驚きに困惑した表情を見せる。だが、必死の形相で道を戻ってくる市民や観光客の姿を見て、ルドウイークは苦虫を噛み潰したような顔で背の【仕掛け大剣】――――<ルドウイークの聖剣>に手をかけた。

 

「お祭りのー…………アトラクションですかね?」

「……そう言う感じでは無さそうだ。エリス神、一先ず戻っていてくれ」

「ええっ!? それじゃあ祭りはどうするんですか!? 公開調教(テイミング)は!? それに私が戻った所で、ルドウイークはどうするんです!?」

「言ってる場合では無さそうだ。恐らく、ロクでも無い事が起きているぞ……!」

 

 そう言うとルドウイークはまずはエリスを逃がすべく腕を引っ掴んで走り出――――そうとして、それでは彼女に大いに負担をかけると判断し、その体を素早く小脇に抱えると、それに対する抗議の声も無視して路地裏へと飛び込んで走り出すのだった。

 

 





後半は明日までにはあげられると思います。


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14:【怪物祭】(後)

怪物祭後半、18000字無いくらいです。


 事態は、切迫していた。

 

 ガネーシャ・ファミリアの行っていたモンスター調教の会場、オラリオ屈指の大きさを誇る建造物である闘技場から、突如モンスターが脱走したのだ。

 

 彼らは何故か積極的に人を襲うような事はしなかったが、血走った眼で街路を跳梁跋扈し、何かを探すように邪魔な屋台などを破壊して暴れ回る。

 

 当然、観光に来ていた多くの一般人に彼らに抗う力は無い。人々はあっという間にパニックとなり、蜘蛛の子を散らすように混乱が広がって行った。

 

「くそっ、どうなっておる……! 我がファミリアの調教師(テイマー)達は何をしているのだ!!」

 

 毒づきながら、コロッセオへの道筋を示す看板を武器代わりに振り回して【蒼大剣士(ブルーブレイダー)】の【バンホルト】は逃げ惑う市民たちの盾となりモンスター達を迎え撃つ。後方では大道芸人として道端で芸を披露していた【道化(ピエロ)】の【トーマス】が彼の代名詞とも言える巨大火球の連続投擲では無く、避難者達を巻き込まぬ規模の小さな火球を放り投げていた。

 

 普段通りのダンジョン内であれば彼らはその実力を発揮し、レベル1や2のモンスターであれば圧倒していただろう。だが今日は地上、それも戦闘など考慮されぬ祭りの日だ。バンホルトのような戦士たちの殆どは愛用の武器を持ち歩く事も無く、トーマスのように強大な魔法を操る者はその破壊力が仇となって満足にそれを振るう事が出来ない。

 

 だが、彼らもこのオラリオで二つ名を得るほどに名を挙げた冒険者達だ。今の自身等が振るえる範囲の力で何とかモンスターを排除し、市民たちを安全と思える方角へ誘導してゆく。

 

 その時、街路に在った屋台の一つが盛大に吹き飛ばされ、一匹のモンスターが姿を現した。

 

 【ソードスタッグ】。中層の最深部分、24階層付近に出現する雄鹿のモンスターであり、凄まじい突進力とその名の由来たる鋭く強靭な角で数多の冒険者を突き殺してきた強力な敵である。だが、本来なら単独でバンホルトとトーマス、二人の相手をできるモンスターでは無い。その突進攻撃こそレベル3にも通用するとされているが、彼らはさらに上の位階に相当する冒険者であるからだ。

 

 しかしそれも、この状況下では大いに話が違う。守るべき市民たちを背にした彼らはその突進に対して回避という選択肢を取る事が出来ず、同時に全力の迎撃も行えない。更に彼らに状況を打開するための思案を与える暇も無く、ソードスタッグは街路の真ん中に固まる彼らに対して邪魔だと言わんばかりに角を突き出して突進を開始した。

 

 本来の武器では無い今の得物(看板)では、防御は困難。市民たちを挟んで反対側に居るトーマスの位置からは援護は期待できない。万事休すか。そうバンホルトが歯ぎしりした瞬間、突進の最中に在ったソードスタッグの前に路地から飛び出してきた一人の女が立ちふさがった。

 

 次瞬、彼女は腰に差した刀に手をやって一切の躊躇なくその暴走と交錯する。そして彼女が刀を鞘に納め小さく音を鳴らした瞬間、ソードスタッグの全身が切り刻まれ盛大に肉と血と臓物が街路にぶちまけられた。その姿を見て、返り血を多少浴びたバンホルトが市民を気遣い呻く。

 

「【烏殺し(レイヴンキラー)】か、助かった! だが少し周囲に気を遣ってくれ!! 救ってくれたのは間違いないのだが、市民たちを怖がらせんで欲しい!!」

「それはすまない事をした。普段の愛剣があれば、もっと綺麗にやれたのだが」

「常在戦場」

 

 【烏殺し】と呼ばれた彼女――――オラリオ一の剣速を【剣姫】と争うとされる女冒険者【アンジェ】の後に続いて、いくつもの刀や剣を突っ込んだ背嚢を背負った白い衣服の男が現れた。アンジェは刃の欠けた刀を彼に放り渡すと、男は背嚢から新たに刀を引き抜いて逆にアンジェに差し出す。

 

「そう怖い顔をするな【真改(しんかい)】。お前と合流出来たのは実際僥倖だった。【蒼大剣士】に剣をくれてやってくれ」

「承知」

 

 そのやり取りの後真改と呼ばれた男はバンホルトの元へと向かい、その背に在った物の内最も大きな剣を彼に手渡した。

 

「いいのか? 今は手持ちも無いが」

 

 バンホルトが尋ねると、真改はアンジェを後ろ手に指差して彼女に支払ってもらう旨を伝える。バンホルトはその答えに安心して剣を受け取ると、市民たちの方を向き腹の底から声を上げた。

 

「皆、安心してくれ! これより我々が皆を護衛し、安全な所まで離脱する! まずはギルドの詰め所に向かおう! さあ、着いて来てくれ!」

「私もか?」

「協力」

「仕方ないな」

 

 バンホルトが剣を掲げて叫ぶと、市民たちが安心したような声をあげる。アンジェは自らも護衛に組み込まれたのが少し不満そうではあったが、真改の言に諦めたように小さく笑った。

 一方、後方にいたトーマスも周囲の安全を確認できたようで片手を挙げバンホルトに合図を送り、それを受けた彼は市民を先導してまず最寄りのギルドの詰め所へと向かおうと思案する。

 

 その時、突如として地鳴りと共に地面が揺らいだ。

 

 直後、いくつか先の区画で凄まじい音を立てて土煙が上がり、そこから女性の悲鳴とも似た、けたたましい叫びが聞こえて来た。その土煙の中から、巨大な大蛇じみたモンスターが一瞬姿を見せ、市民たちの間に酷く動揺が伝播する。

 同じように、バンホルトも一瞬だけ垣間見えた知りもしない怪物に対して呻き、そんな彼に流石に切迫した顔のアンジェが並び立って、武者震いに小さく震えた。

 

「随分な物が出て来たな。あれも、お前達の所(ガネーシャ・ファミリア)のか?」

「そんな訳なかろう……! 一体、何が起こっているというのだ……!?」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスの前を走るルドウイークがミスリルの長剣を振るう度、立ち塞がるモンスターは致命的な一撃を受け、その命を終わらせてゆく。その死骸の魔石に即座に切っ先を突き立て死体を崩壊させ、ルドウイークは周囲の騒ぎに耳を傾けた。

 

「どうなっている……何かを探しているのか?」

 

 そう呟いて剣を振るい血を払いながらに、ルドウイークは視線を後ろに向けた。そこでは、はぁはぁと息を切らしながらエリスが俯いている。

 

「はぁ、はぁっ……ちょ、ちょっと待ってください……! 死ぬ……!」

「抱えられるのは神としてのプライドが許さないと言うから降ろしたのだが……辛ければ」

「大丈夫です!! それはそれで、死ぬほど恥ずかしいので!!!」

 

 大声を上げ、それによって更に息を切らしつつ胸を張るエリスの様子を見て、見栄を張っている場合か? とルドウイークは眉を顰める。だがすぐに彼は彼女を先導し路地裏から通りへと躍り出た。

 

 その眼前には、目を血走らせた虎のモンスター。ルドウイークはその外見から、ニールセンによる講義の一端を即座に想起する。名は【ライガーファング】。確か、15階層付近に出現するレベル2相当のモンスターだったはずだ。

 

 瞬間、ライガーファングはルドウイークの白っぽい髪を見咎めると咆哮し、勢い良く飛びかかって来た。その名の通りの牙による攻撃では無く、爪による薙ぎ払い。しかし、その爪による旋風に巻き上げられる木の葉のようにルドウイークは穏やかに跳躍、空中で体を捻るとその背に馬乗りとなる。そして剣で首筋を傷つけた後、生物の生命維持において最も重要な場所の一つである脳幹に対して後頭部から抜き手を突き込んで徹底的に破壊しその大虎をあっさりと殺害した。

 

 生命活動を停止し、崩れ落ちるライガーファング。その転倒に巻き込まれる前に背から飛び降りたルドウイークは再び躊躇なく魔石を剣で貫いて、死体を崩壊させる事を選んだ。その様を見ていたエリスが、顔面蒼白になって片手を真っ赤に染めたルドウイークに声をかける。

 

「よ、容赦なさすぎですね……いつもそんな事してるんですか……!?」

「いつもではないがね。絶対に殺しておきたい相手は脳を破壊するのが間違いない」

「ヤーナムの狩人ってそんなのばっかなんですか?」

「いや? 皆は大抵臓物をぶちまける方を好んだよ」

「なにそれこわっ…………そんな精神性が求められるなんて、絶対やばい街ですよね……」

 

 ルドウイークは恐れを露わにしたエリスに対して、何も答える事は無い。しかし何かを感じ取ったか、周囲の様子をくまなく警戒してゆく。その時。

 

『オオオオオオオオオオオオッッ!!!!』

 

 聞くものを恐怖させる、けたたましい咆哮。それが、ごく近い区画から全身に振動が走る程の音量で聞こえてくる。

 

「ひえええっ!? な、何ですか今の!?」

「…………!」

 

 思わずその場にへたり込んで耳を塞いだエリスを他所に、ルドウイークはオラリオに来て以来最悪の状況であると現在の自身等を認識した。今の咆哮を行ったのは、まずヒトでは無い、モンスターだ。そして、姿は見えずともかのヤーナムで数多の獣と対峙したルドウイークは、その声の主が持つ強大さを総身でひしひしと感じ取っていた。

 

 ――――この状況は、拙い。自身だけならばその咆哮の主の元へと向かい一刻も早く葬送を成すべきなのであろうが、エリス神がまだこの場に居る以上それは叶わない。だが、このままでは街の被害は大変な物になるだろう。それを許す事など出来はしない。ならば、やはりまずは彼女を安全な所に送り届けるのが最善……!

 

 幸いにも既に避難したか、周囲に他の人影は無い。だがその代わりとでも言うように、路地から四体のモンスターが姿を現した。

 

 【トロル】、【シルバーバック】、【オーク】、【バグベアー】。いずれも上層の中でも強力なモンスターであったり、中層以降に出現するレベル2相当のモンスター達だ。それを見たルドウイークはどこか諦めたように溜息を吐いて手にしたミスリルの長剣を背の鞘へと仕舞い込んだ。

 

「どうしたんですかルドウイーク!? あ、もしかしてその仕掛け武器の力を……!?」

「見た目こそ似ているが、これにはまだ私は馴染んでいない。新武器など本来修練を経て馴染ませるものだし、何よりまだ『石』を入れていないからな……」

 

 眼前のモンスター達を睨みつけて牽制しながら、ルドウイークはエリスとモンスター達の間を遮るように立ち位置を調整する。そしてルドウイークの聖剣を握りしめていた手を離し、もう一つの彼の武器――――革袋の中に隠された<月光の聖剣>の柄へと手をかけた。

 

「『使う』ぞ、エリス神。状況が状況だ。許可を」

「っ…………わかりました! でも、最速で終わらせてくださいよ!!」

「了解」

 

 <月光>に手をかけ腰を落としたルドウイークの周囲で、突如土ぼこりが舞った。<加速>。ヤーナムの古狩人達に伝わる業であり、己の速度を大きく上昇させて、跳躍(ステップ)の際には夢との境にまで至り己の存在をズラす事さえ可能とする<秘儀>。それを発動させたルドウイークは、モンスター達が一歩踏み出した瞬間既にその懐にまで迫っていた。

 

「オオッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、縦一閃。背の革袋から抜かれ、片手で握られた光纏わぬ月光によってシルバーバックの正中線を真っ二つに叩き割る。そしてルドウイークはそのまま横回転。軽く跳躍しながらの回転切りでオークの胸に刃を振るいその上と下であっさりと両断した。一瞬の交錯で四体の内二体のモンスターが殺害され、驚愕に反応の遅れるトロルとバグベアー。その内、素早さに長けるバグベアーが振り向こうとしたときには既に月光による突きがその頭蓋を吹き飛ばしており、その返り血が振りかかるよりも早くトロルの首はねじ切られていた。

 

 一瞬で四体のモンスターを殺害し、その死体達の只中に立ったルドウイークは月光を振るって血を払い落して、なお周囲への警戒を続ける。振動、咆哮。近隣区画でルドウイークの察知した強大なモンスターがどうやら戦闘を始めていたようだ。その声の響き方からして恐らく一体では無い。二体、あるいは三体。それほどのモンスターを相手に一体誰が戦っているのか。彼はすぐさまその場に救援へと赴きたい衝動に駆られたが、まずはへたり込んだままのエリスの元へと駆け寄り、彼女を助け起こす。

 

「無事かね、エリス神。ひとまずモンスターは排除した。行こう」

 

 そう言ってエリスの手を引き立ち上がらせたルドウイークに、彼女はどこか興奮したような様子で目を輝かせて声を上げた。

 

「ルドウイーク、貴方強いとは思ってましたけど、予想よりずっと強くないですか!? すごいですよ! これなら、エリス・ファミリアの再興も夢じゃ……!」

「言ってる場合ではあるまい。とりあえず早くこの場を――――」

 

 その時、ルドウイークの全身を貫くような寒気が走った。ヤーナムでは感じ得なかったそれに、彼は全身を強張らせてその感覚が示す方向――――かの咆哮が響き、強大な何かが暴れ回っているであろう近隣区画へと警戒を向ける。

 

 瞬間、何らかの力の炸裂の感覚と共に、街路を伝って寒波がルドウイークらの居る場所へと吹き荒れて来た。ルドウイークは咄嗟にエリスを抱き寄せて彼女を守るべく背中を冷気へと向け、足に力を込めてそれが通過するのを待った。そして、その背に霜が張り付き白い装束が更に白く日の光に輝くときには先ほどの方向や振動は嘘の様に収まっている。

 

「…………無事かね、エリス神」

 

 白い息を吐きながら、ルドウイークは懐のエリスに対して問いかけた。当の彼女は少し顔を赤くして彼を見上げた後、慌ててその身を彼から離して気丈に振る舞った。

 

「だ、大丈夫です! それよりも今の【魔法】、噂に聞く【九魔姫(ナイン・ヘル)】の【ウィン・フィンブルヴェトル】じゃあないですか!? 余波でこんな事になる程の冷気魔法、他に聞いたことありません」

「今のが、魔法……」

 

 ルドウイークは薄く霜に覆われ気温すらも落ち込んだ周囲に目を向けて、寒気とは別の理由でぶるりと震えた。だがすぐに彼は気を取り直して周囲にモンスターが居ないかを確認すると、月光を握っていない方の手でエリスの手を引き、その場を離れようとする。

 

 しかしその瞬間、地震かとも思えるほどの振動と共に眼前の地面が吹き飛ばされ、その土煙と霜によって日光が遮られる中から巨大な蛇じみた何かが姿を現した。

 

「なっ……!?」

 

 その威容に、驚愕とともにエリスが立ちすくんだ。周囲の家屋すら凌駕する長い体躯。その長さに比べて細いと言えるものの、それでも大樹の如き太さを誇る胴体。太陽の光を反射する艶めいた体表は生半なモンスターとは一線を画す耐久性を想起させ、頭部は花の蕾のような形状で、目や鼻と言った感覚器は存在していない。

 

 そして、淡い黄緑色を帯びたその蛇じみたモンスターは、ルドウイークとエリスが驚く暇も無くその頭部を花の如く開いて凄まじい勢いで飛びかかって来た。

 

「エリス神!」

 

 ルドウイークは叫び、エリスの手を引いてその突進を回避しようとする。だが立ち竦んだ彼女が逃げ出すよりも、明らかに大蛇の突進の方が早い。加速の影響下か、あるいは走馬灯じみた遅延現象か、迫る大蛇の動きが泥のように遅く見える。その引き伸ばされた時間の中でルドウイークはエリスの手を離し、月光を両手で持ち頭の横へと構え、その切っ先を迫りくる大蛇へと向けた。

 

 ――――我が師。

 

 その心中のつぶやきに、月光が応えて震える。その刀身へと、虚空から現れた光の粒子が集い宇宙色の刀身を形成していく。

 

 ……それこそ、月光の聖剣の神髄。翡翠色の輝きに縁どられた、形成す宇宙。嘗てのルドウイークを英雄と称させた、導きの月光。本来秘されるべきそれを、自らの隣に在る恩神を守るために、ルドウイークは躊躇なく開帳した。

 

 ――――導きの月光よ!!!

 

 炸裂。突き出された月光の光が弾け、そこから膨大な光の奔流が放たれる。斜め上へと放たれたその奔流とぶつかり合った大蛇は一瞬でその光の中に呑まれて消し飛び、それが晴れた時には残った体が力を失い轟音とともに地に倒れ伏した。

 

 それを見届けたルドウイークはすぐさま月光を振るい、その光を払い散らした。そして急いでエリスの方へと振り返る。だが、そこに居たエリスは瞳を見開いたままの姿勢で固まっていた。

 

「エリス神? どうした!?」

 

 月光を仕舞い込んだルドウイークがその肩を揺らすも、その瞳は光を失い、呆けたように虚空に目を向けたままだ。ルドウイークは焦る。まさか、月光から何らかの啓蒙を得てしまったのか? ひとまずルドウイークは前後不覚となったままの彼女を小脇に抱えて、その場を疾く離れようとした。

 

「おーいそこの白装束、大丈夫!? 今のは何、魔剣!? ちょっとー!?!?」

 

 そんな彼らにどこか場違いな、とても明るい声がかけられる。今の月光の輝きを見て駆け付けたか、屋根の上に一人のアマゾネスの少女と、嘗てダンジョンで遭遇した金髪金眼の少女の姿をルドウイークは認めた。

 

 アレは確か【剣姫】、【アイズ・ヴァレンシュタイン】。ならばその隣に居る少女も【ロキ・ファミリア】の者か……!

 

 ルドウイークは普段からのエリスの言動を考慮して、その声に反応する事無くエリスを抱えて走り出した。その背にアマゾネスが大声で静止を呼びかけるものの、彼はそれに反応する事も無く、昏い路地裏へと飛び込んでいった。

 

 

 

<●>

 

 

 

 …………気づいた時、私は中央広場のど真ん中で、一人立ち尽くしていた。

 

 周囲を見渡しても人っ子一人いないその広場は、心なしか幕が下りたかのように赤く染まって見え、私はふと空を見上げてみる。

 

 そこに広がっていたのは青ざめた、血のような空。そして、驚くほど大きな満月。そんな異様な光景を前に、私はどうしてこの場所に自分が居るのかを、どうにか思い出そうと頭を抱えた。

 

 そう、あれは怪物祭の途中、モンスター達が街に溢れてきて。それからルドウイークが手にした【仕掛け大剣】を、そして<月光の聖剣>を振るい私を守っている最中、地中から巨大な蛇が現れて私達を食らうべく襲い掛かった。

 

 そしてその事態を打開するべく彼は常から秘匿していた<月光>の真の力を垣間見せ、翡翠色の光の奔流の中にかのモンスターを消し飛ばしたのだ。

 

 そこまで思い出して、私は違和感に眉を顰める。あの月光は、本当に()()()()()()()()()()? 私は何か、別の物を見た気がする。あの月光の奔流の向こうに隠されたもの……宇宙色。煌めく星々の輝き。広がる無限遠の暗黒。

 

 …………そして、向こうからこちらを覗き込んでいた、何かの視線。

 

 それを思い出した私は、全身を奔る怖気に体を震わせた。あの時、確かに向こう側から何かが私を見ていたのだ。この世界ではない、別の宇宙からこちらを覗き込むだけの(すべ)を備えた何か。そして、その瞳が私を捉えた事に思い当たって、私は恐怖のあまり自分の体を抱きしめるかのように腕を回した。

 

「……ルドウイーク?」

 

 無意識にこぼれた私の声に応える者はいない。

 

「居ないんですか、ルドウイーク……?」

 

 恐る恐る、周囲を見回しながら人に呼び掛けているとは思えない小声で私は呟く。大きな声を出せば、見つかってしまいそうな気がしたからだ。

 

 ――――何に?

 

 思考がまとまらない。頭が痛む。水滴が落ちるような音が、何処からともなく聞こえて来る。

 

 私は走り出した。とにかく、ここに居るのはまずい。家に戻らないと。そんな強迫観念じみた思いに縛られて、脇目も振らずにオラリオの街区を駆け抜ける。

 

 べちゃべちゃ、ぐちゃぐちゃ。堅い地面の上を走っているはずなのに変な音がする。考えるな。踏んでいるのはただの水たまりだ。そのはずだ。慣れ親しんだオラリオの通りが、そんな水っぽい音を立てるはずがない。

 

 耳を塞いで街を行けば、いつの間にかオラリオには無かった時計塔がその視界に映り、そこに一瞬、何かが張り付いていたように見えて、私は足元だけに目を向ける。あれはなんだ。蜘蛛? いや、もっと悍ましい――――

 

 見るな。理解しようとするな。知ってはいけない。

 

 その時、路地裏から何かが飛び出した。薄汚い襤褸(ぼろ)を纏った、浮浪者じみた人影。私は一瞬、人が居たのかと足を止めそうになったが、その手足の病的なまでの白さと細さ、そして被った襤褸の顔の部分から覗く(ひげ)じみた触手を見て、泣き出しそうになりながら足を速める。

 

 あの蠢くものは何だ。考えるな、走り続けろ。

 

 息を切らしながら、ただ走る事に集中し、何一つ考えないようにして私はオラリオの大通りを駆け抜けた。そして私がダイダロス通りに飛び込むと、すぐに見慣れた背中を見出せる。大剣を背負った白装束。ルドウイーク。私は躊躇なく、その背中に飛びついた。

 

「ルドウイーク! 無事だったんですね!? 心配させないで下さいよ! と言うか、一体何がどうなってるんですかこれ!? とりあえず、早く家に戻りましょう! そこら中、変なのがうようよしていて……」

 

 私は、無意識に見栄を張って、心配するように彼に捲し立てた。自分から飛びついていた時点で、誤魔化せてなどいなかったろうに。またきっと、どこか呆れたような優しい視線と言葉を向けてくるのだと思って、私は彼から身をもぎ離して一歩離れる。だが、彼は微動だにせずに立ち尽くしたままだ。

 

「……ルドウイーク?」

 

 私はそんな彼の様子に、無意識に一歩足を引いた。この狂ったオラリオで、唯一真っ当な姿を見せた目の前の彼。だがそれがうわべだけの物でしかないように感じて、私は涙を浮かべながら目の前のモノの動きを注視する。すると、彼はそれまでの不動が嘘の様にあっさりと振り向いて、私のささやかな抵抗を粉々に打ち砕いた。

 

 先程見た襤褸の如き、病的に白い肌。変形し、歪み狂った恐るべき顔。馬を悪意を持って百倍醜くした様だとも言えるその顔の横に、首から生えた口だけの器官が蠢いている。そしていつのまにか彼はズタズタになった白装束を纏う、四本を大きく超えた本数の手足を生やした巨体の獣へと変じており、その本来の口から薄汚れた息を吐いて腰を抜かした私の事を見下ろしていた。

 

 ――――<醜い獣>。そんな言葉が私の脳裏に思い浮かぶ。そして、それを前にして、私はその恐ろしさに涙をこぼしてただ震える事しか出来ない。

 

 どうして、こんな事になっているのだろう。あの月光の輝きの向こうに居た何かが、私にこんなものを見せているのか。あるいは、この目の前の怪物が、本当のルドウイークだとでも言うのか。わからない。なにも、わからない。

 

 その時、何かの影が目の前に落ちる。月の光を浴びながら、何かが私の後ろに降りて来たのが分かった。振り返る間もなくそれは私の背中に寄り添うと、そっと首に腕を絡めて来る。その感触は、一瞬ぬめる触手じみた悍ましい物に感じたものの、すぐに人肌の優しい感触に取って代わった。そして、私が凍り付いた顔で僅かに首を巡らせ振り向こうとして見たのは――――私そのものの姿をした何かだった。

 

「……つらい? こわい? 逃げ出したい? それなら、いいですよ……わたしが助けてあげます」

 

 私にそっくりな彼女は、そう囁くとぎゅっと抱きしめる力を強めた。でもそれは苦しい物では無く、柔らかいその肢体の感触が、私を少し安心させる。

 

「眼をとじて。こうして、怖いものから瞳をそらしていればいいんです。見なくていいの。ずっと、そうしていればいいんですよ」

 

 そう囁きながら、彼女は私の眼鏡を外して、両目を撫でるように掌で覆った。その慈しむような感触と自分と同じ声に、こんな意味不明な状況にも関わらず私はぼんやりと安心して、言うがままに瞼を閉じる。

 

「ほら、まっくらですけど、怖いものは見えないですよね……? さぁ力をぬいて……眠ってしまいましょう……。そうすれば、怖いものの声も、聞こえなくなりますから……。ずっと頑張ってきたんですし…………夢の中でくらい、ゆっくり休んでいていいんですよ……。さあ、力をぬいて……深呼吸して……手足をだらんと投げだして……そのまま、昏くてあたたかいところで、ぼーっとしていましょうね…………」

「ぁ…………」

 

 私の耳元でぼそぼそと囁くその声に誘導されるようにして、私は全身の力を抜いて彼女に寄り掛かるように身を預ける。彼女はそんな私の様子に満足げに笑うと、その柔らかい掌で髪を梳くように頭を撫でた。それが心地良くて、私は半開きの口から呆けた声を上げて安心感に溺れて行く。

 

 揺蕩(たゆた)う意識の中で、私は自分の思考が薄れて行くのを知覚していた。私と言う灯が、ふっと消え入りそうな小さなものになってゆく。「でも、それでいいんですよ。何も、こわくなくなるし、とっても安心できて、きもちいいんですから」。もう、それが自分の心の悲鳴なのか、私を抱き留める彼女の声なのかの区別もつかない。相変わらず頭を撫でる手が、頬に降りてきてぬるりと粘液の跡を残す。そして沈んでゆく意識の中で、彼女が楽しげにつぶやくのが聞こえた。

 

「いいこいいこ……ふふ。そのまま、休んでいていいですよ………………その間、わたしが私をしていてあげるから」

「…………っ!!」

 

 その言葉を聞いた途端、私は瞑っていた目を見開き、四肢に鞭打ってその抱擁から力づくで抜け出した。転げるように前に出れば、いつの間にかそこにいたはずの醜い獣は消えている。私はふらつく足取りで獣が――ルドウイークが――居た所までよろめいてから、浮遊感の抜けない頭を巡らせて振り向いた。

 

 そして、ソイツと相対する。私そっくり、いえ、まったく同じ顔の何か。私の行動に驚いていたそいつはしばらくどこか驚いたような顔をしていたけど、すぐに立ち上がって服の埃を払い、そしてにっこりと微笑んだ。

 

「うふふ。おはよう、私。どうして起きちゃったの? もう少しで、私の代わりに、私になれそうだったのに……ちょっと残念です」

「何ですか……何なんですか、あなたは!?」

「んー……? 見ての通りですよ?」

「ちゃんと質問に答えなさい!!」

 

 私はまるで怒ったようにそいつに向けて叫ぶ。いや、確かに怒りはある。だがそれ以上に私の心を占めていたのは恐怖だ。この狂ったオラリオの街。怪物となったルドウイーク、あの異様にも程がある満月。その全てがこの目の前にいる何かに繋がっている気がして、その底知れぬ何かを少しでも払拭しようとしての叫びなのだ。

 

 だがそんな私を前にして、それは微笑ましい物を見たようににっこり笑い、そして小首を傾げて、質問の意図が良く分からない、とでも言いたげに答えた。

 

「わたしはエリス……ですよ?」

「エリスは私です!!」

「そうですよ? だから、わたしもエリス」

 

 意味不明なことを言ってからそいつは少し考えるように頬に人差し指を当てて、ちょっとだけ悩んだような仕草を見せながら言葉を続けた。

 

「んー、なんて言うんですかね……わたしは貴方に見出されたから、私になった……だからわたしは私。でも私にとってはそうじゃないかもしれない……だから、わたしは私になりたいんです」

「意味が……分からない……!」

「むむっ、結構頑張って説明してるんだけどなぁ。えっとですね、だって、私が、あの宇宙からわたしを見出してくれたので。元々のわたしは、<あの人>に狩られて取り込まれて、悪夢の宇宙に消え散ってしまいましたから…………だから、何か収まりのいい形が欲しかったんです」

 

 まるで、ヒトの形になった自身を楽しむかのように、そいつはその場でくるりと回った。神の美貌を持つその私と同じ姿に少し身惚れそうになって、けれど己に喝を入れて目の前の物を睨みつける。だけどそいつはそれを意にも介していないのか、ぱんぱんと私の着ているのと同じ服の埃を払うと、ぐるりと首を巡らせて、青ざめた空の月を見上げる。

 

「そう。彼の導きの月光が、ほんの(かす)かに私とこの世界の(よすが)を繋いでくれた。ルドウイーク自身が、あの人と月光の導きによってこの世界にやってきたみたいに…………それは本当はありうべからざることなんですけど、でも、それだけじゃ本当はダメだったんです。あの導きの光の向こう側……こっちを覗き込める人が、この世界にはいなかったから」

 

 そこまで言い切ったそいつは、首を巡らせるのを止めて私の方へと振り返る。その眼は、あの月と同じように、青ざめた血の色に染まっていた。

 

「でも私には出来た…………ふふ、聖剣のルドウイークに感謝ですね。夢に招待した事も無い彼が、こんな形でわたしを導いてくれるなんて……ね」

「何者ですか、あなたは……」

 

 もはや怒りすらも萎び切り、震えるような声で私は呻く。それさえも楽し気にそいつは笑うとぺこりと丁寧なお辞儀をして、そして話し始めた。

 

「えっとね、わたしは…………わたしは<繝輔Ο繝シ繝ゥ>。あるいは<髱偵*繧√◆縺。>。<繝ュ繝シ繝ャ繝ウ繧ケ>達の<譛医?鬲皮黄>。あの人に狩り殺されたモノの、わずかに残ったそのかけら…………ふふ、聞き取れました? もし聞き取れたなら、私も立派にこっち側なんですけど」

 

 目の前のそれの発した言葉。そのうちのいくつか、それ自身の事を指し示す音は、確かに私の耳に届いていた。だが、それが何と言う意味なのか分からない。理解してはいけないと、私の全てが私に懇願しているようだった。そんな戦慄に身を竦ませる私にそいつは上目遣いに尋ねて来る。

 

「……ね、私。一応聞いておきたいんですけど、全部わたしに譲ってくれるつもりって、無いですか?」

「ふざけるな!!!」

 

 その傲慢極まりない言葉は私の逆鱗に触れ、それによって息を僅かに吹き返した怒りに火を付ける事で、私は何とか大声を上げてそいつを拒絶した。そして、今はもういなくなってしまった者達の事をまた思い返して、全力で啖呵を切る。

 

「誰が譲ってやるモンですか……! 私はエリス・ファミリアを必ず再興させるって、皆に約束したんです……! 私の下界での生は、もう私だけの物じゃあないんですよ!!」

「ふぅん…………じゃ、いいです」

 

 私の言葉を聞いてそいつはあっさりと背中を見せて諦めの言葉を口にした。そして首だけを此方へ巡らせて微笑んで見せる。

 

「今回は、私の気丈さに免じて諦めます。でも、わたしは常に私と共にありますから、全部から逃げ出したくなった時はいつでも呼んでくださいね。目を覚ました私が、この夢で見た事をちゃんと覚えていてくれるかはわからないけど…………」

 

 また、訳の分からないことを目の前のそいつが話している内に、街の景色が歪み始め、全てがねじ曲がり、薄れ、ぼやけ、真っ白になって消えてゆく。

 と同時に私は強い眠気を覚えてその場で酔っ払いのようにふらふらとたたらを踏み、慌てて家屋の壁に寄り掛かろうとした。ところがその瞬間その家は薄れ消えてしまい、支えを失った私は呆気無くその場に倒れ込む。

 

 結構な勢いで倒れたと思ったけれど、不思議と痛みは無い。それよりも眠気に抗えず瞼がどんどん閉じて来る。

 

 真っ白になる視界と対照的に、瞼は私の意思に反してゆっくりと目を塞いでいった。その僅かに残った隙間から目の前の女がこちらに歩み寄ってくるのが見える。そいつは私の事を覗き込んだ後、満面の笑みを浮かべてしゃがみこみ、半ば意識を手放しかける私の頬を楽しげにつついていた。

 

「ふふ。それじゃあおやすみ、私…………また来てね」

 

 その声を聞いたのを最後に、私の意識は真っ白な闇の中に暗転した。

 

 

 

<●>

 

 

 

 暖かい、ふかふかとした感触の中。目を覚ましたエリスは、自分が家のベッドに横たわり、天井を見上げていることをまず知覚した。

 

「目が覚めたかね、エリス神」

 

 エリスがその声に首を巡らせると、そのベッドの隣で椅子に座ったルドウイークが心底安心したかのように彼女に笑いかける。

 

「正直心配したよ。月光の<奔流>を見た途端、意識を失ってしまうのだから。何か、良く無いものを見なかったかね? もしそうであれば、少し話を……む?」

 

 穏やかに、しかし淡々とエリスに状況を問いただすルドウイーク。しかし彼のその心配から来る行動は、エリスの不可解な様子によって止められてしまう。

 

 彼女は、その翡翠色の瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。

 

「どうした、エリス神……」

 

 彼が身を乗り出してその様を訝しんだ時、エリスは必死な様子で彼を引き寄せてその胸に顔を埋めて必死に叫んだ。

 

「ああ、ルドウイーク! 良かった無事で! 本当に良かったです、私、貴方が……あれ?」

 

 有無を言わせぬ剣幕で泣き叫び、彼に縋りついていたエリスはそこでふと彼から身をもぎ離し、何かに気づいたようにきょとんと悩ましげな顔をした。

 

「私、貴方の何を心配してたんでしたっけ……?」

 

 小首を傾げ、真剣に訳が分からぬと困惑するエリス。その普段通りの様子に、ルドウイークはまた安心したような溜息を吐くと立ち上がって扉の取っ手に手をかけた。

 

「ひとまず、喉が渇いていないか? 水を取ってこよう。貴女はそこで休んでいてくれ」

「あ……」

 

 エリスの見ている前で、ルドウイークは扉を開いて部屋から出て行ってしまう。その背に手を伸ばして引き留めようとしたエリスは、何故か声をかける事が出来ずに泣きそうな顔で俯く。

 

 その時彼女の脳裏に過ぎったのは、振り向いた姿、覚えのない怪物。醜い獣。彼に声をかけて振り向いた時、そこにルドウイークではない怪物が現れてしまうのではないかと言う出所の分からぬ不安を抱いてしまい、彼女はベッドのシーツをぎゅっと握りしめる。

 

 眠っていたのでしょうか、私は。

 

 彼女はふとベッドから降りて、カーテンの開かれた窓から景色を見た。そこからは既に日の沈んだオラリオの夜景が広がっており、普段見るそれと変わらぬ光景に、彼女は少し安心して溜息を吐く。

 

 そして彼女は忘れていたかのようにベッドに戻って、枕の横に置かれていた度の入っていない眼鏡をかけた。

 

「失礼する」

 

 その時、声と共にルドウイークが戻って来た。その手の上には木製の御盆と水の注がれた二つのコップ。エリスは手渡された一つ目のそれを一気に傾けて流し込むと、もう一つの方にも少し口をつけてベッドの横の小棚の上に置く。

 

「少し落ち着いたかね?」

「……はい。お陰様で」

「そうか」

 

 息を整えたエリスを前にして、ルドウイークは安心したように頷き再び椅子に腰掛けた。

そして、エリスが落ち付いてきたのを見計らって、昼の大蛇との戦いの中で何があったのかを問い始める。

 

「……エリス神。貴方は私の振るった月光の奔流を目にした後、魂が抜けたかのように気を失っていた。何か、月光に見出してしまったのか? 良ければ、小さなことで構わない。深く考えないようにして聞かせてくれ」

「うーん、何か見出したか、ですか……」

 

 エリスは首を傾げて、真面目にその時の光景を思い出そうとした。だがダメだった。その時の記憶が何やらぼんやりとしていて、霧を掴もうとするかのように憶測無いのだ。そして、深く考えないように、と言うルドウイークの言葉。その言葉が何を危惧しているのかわからなかったが、その記憶にかかった霧を晴らそうと集中すると、全身が総毛立つような不安に襲われる。

 

「……すみません。どうにも、思い出せないです」

「そうか……」

 

 それを聞いたルドウイークは、神妙な顔で腕を組み、少しの間思案した。だがすぐに首を振って、諦めたかのように席を立つ。

 

「いや、すまない。変な事を聞いた。もし思い出したらでも構わない。何かあれば聞かせてくれ」

「……はい。わかりました」

「それでは、もう寝た方がいい。祭りに参加できなかったのは残念だが、貴女の体の方が大事だからな……では、失礼する」

「あ、ルドウイーク!」

「何かね?」

 

 部屋を去ろうとしたルドウイークを、エリスは今度こそ呼び留めた。その声におかしい事も無くルドウイークは振り向いて、エリスの元へと戻ってくる。そんな彼に対して、エリスは心底申し訳なさそうに、小さな声で呟いた。

 

「その……なんだか、ちょっと怖いので…………私が寝るまでの間でいいので、そこに居て貰えませんか…………?」

 

 その言葉に、一瞬ルドウイークは驚いたように目を丸くする。そして、その後彼らしくなく、肩を震わせて笑い出した。

 

「ふふふ、はははは!」

「な、何ですかルドウイーク、突然笑い出して……」

「いや、らしくないと思ってね。エリス神。普段の貴女であれば、そこは見栄を張って私を追い出している所だろうに」

「なっ、なんて事言うんですかルドウイーク! 見栄を張るだなんて! ちょっと最近不敬じゃあないですか!?」

「親愛の表れと受け取って欲しい物だ」

 

 肩を竦めて、楽し気に笑うルドウイーク。その皮肉じみた笑顔にエリスがムッとした視線を向けていると彼はベッドへとまた歩み寄って、椅子にゆっくりと腰かけ微笑んだ。

 

「安心してくれ。私はここに居るよ」

「そう、ですか……」

 

 その笑みに毒気を抜かれたか、エリスは眼鏡を外してぼふりと上体を倒し頭を枕に預ける。そして目を閉じると、すぐにすぅすぅと心地よさそうな寝息を立て始めた。その様を微笑ましげに見てまた一度笑った後、ルドウイークはしばらく、そこで彼女の事を見守っていた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 怪物祭での混乱もある程度収まった、その日の夜。後始末に右往左往する職員たちの騒ぎとは裏腹に、静寂を湛えたギルド本部の地下祭壇。

 常に祈祷を捧げ、地上へのモンスターの進出を抑え込んでいるギルド――――否、【ウラノス・ファミリア】の主神たる老神【ウラノス】の元に、三人の人影が集まっていた。

 

 一人は黒いローブに身を隠し、徹底的なまでに露出を減らした男か女かの判断もつかぬ者。一人はギルドの制服に身を包み、書類をめくる狐人(ルナール)。そしてもう一人、部屋の隅で暇そうに座り込んでいるのは何処にでも居そうな黒髪の青年であった。

 

「……以上が、今回のフィリア祭におけるモンスター脱走の顛末です」

 

 話を終えた狐人の男が書類を眼前に抱えていた手を下ろすと、ローブの者とウラノスは、忌々し気に溜息を吐く。

 

「負傷者が少なかったことが幸いだな。だが、これで市民から我々への心証は大いに悪化するだろう」

「由々しい事態ですね」

「まったくだ。ダンジョンでの異変調査も行わなければならんと言うのに…………ひとまず、これについては後で【ガネーシャ】と相談する事にしよう。【ジャック】、次を頼む」

 

 頭痛を堪えるように眉間を抑えたウラノスの言葉にローブの人影が追従する。そして、ウラノスはジャックへと次の報告を催促した。そしてそれに応じてジャックは新たな報告書をめくり上げる。

 

「それでは次の報告ですが……モンスターの脱走と時を同じくして街区に出現した計五体の巨大モンスター、仮称【大蛇花】についてです」

 

 その名を聞き、ウラノスと黒衣の人物は緊張も露わに報告へと耳を傾けた。一方、部屋の隅で所在なさげにしていた青年は退屈そうに欠伸をして、眠たげに目をこすっている。それを無視して、ジャックによる報告はつつがなく進行した。

 

「……まず、最初に現れた三体はロキ・ファミリアの【剣姫】【怒蛇(ヨルムンガンド)】【大切断(アマゾン)】そして【千の妖精(サウザンド・エルフ)】による連携で撃破されました。【千の妖精】が用いた魔法による損害も……まぁ、軽微なようです。それと同時期に出現した一体。それは【黒い鳥】の手で討伐されました」

 

 そこまで男が言い終えると、部屋の隅に座り込んでいた青年――――【黒い鳥】がアピールするように片手を上げた。一瞬その場にいた者達は彼に視線を向けるが、すぐに興味が無いとでも言いたげに視線を戻して報告を再開する。

 

「残りの一体は?」

「はい。ロキ・ファミリアの面々が対処に当たった三体の付近に新たに現れた一体は、目撃者によれば何らかの第一等級以上の魔剣によって討伐された模様です」

「ほう、魔剣か…………どのような魔剣だ? その使用者は?」

 

 黒衣の人物が興味深そうに尋ねるとジャックは手元の報告書に目を向ける。

 

「どうやら使用された魔剣はすさまじい光を放つ物だったようです。使用者については現在捜索していますが、発見できておりません」

「あれ程のモンスターを討伐するとは……もしや【鍛冶貴族】の手による物か?」

「鍛冶貴族と言えば、炎の魔剣というイメージがあるが」

「ヘファイストスの所に一人、未だに魔剣を打てる血族の者が所属しているとの事です。その者がその場に居たのかも知れません」

 

 その報告を聞いた黒衣の人物は考え込むように腕を組み、ウラノスも興味深そうに己の意見を口にした。そんな一人と一柱に対し自身の知る情報を開示して話題を終わらせた後に、ジャックは報告を再開する。

 

「それとガネーシャ・ファミリアの者によれば、アレは彼らが地上に連れて来たモンスターでは無く実際無関係であるとのことです。実際、その戦闘能力は予定にあったレベル1や2のモンスターとは別次元の物でした」

「市民はそうは思わんだろうな。やはり、何らかのペナルティが必要か……?」

「それについても、ガネーシャ様と話し合った方がよろしいかと思われますな」

 

 この事件を如何に穏便に終息させるかに対して、ウラノスは心を砕く。彼はこのオラリオの統治の中心となるギルドの長であり、同時に各ファミリア間の諍いを調停し、秩序を守るべき立場にある。

 そんな彼がオラリオの中でもかなりの上位ファミリアであり、かつ市民にも友好的でギルドとも協力関係にあるガネーシャ・ファミリアの戦力を大きく削るような事態を避けたいと考えるのは当然の事であった。

 

「ひとまず、ガネーシャ殿とは明日会談の予定を取りつけてあります。その場で、じっくりと話すのが良いかと」

「そうだな…………よし、ジャック。報告ご苦労であった。下がってよいぞ」

「はい」

 

 ウラノスが退室を促すと、ジャックはそこで一度礼をして祭壇から立ち去って行った。その姿を見届けると、ウラノスと黒衣の人物はまた新たな話題について会話を始める。

 

「下層を調査中の冒険者……【ハシャーナ】と【ハベル】から何か報告はあったか?」

「ハベルからは何も。ですが、ハシャーナは数日中に18層、【リヴィラ】に戻るとのことです。何か発見があったのかもしれません」

「良い発見であればいいが」

「悪い発見でも、それを元に対策を立てる事が出来ますので……」

「そうだな……」

 

 ウラノスは黒衣の人物の言葉に深く思案し、これからの展望に当たりを付けた。

 

 まずは、調査の報告を確認し、そして動く事の出来るファミリアか冒険者へと依頼して、その問題を追及する――――中立を示すためにギルド員たちに【恩恵(ファルナ)】を刻んでおらず、更には数多の秘密を抱え表舞台に立つ事の出来ぬウラノスは、そうしてこれまでも数多の問題を解決してきた。

 

 嘗て、【ゼウス】や【ヘラ】の協力を得ていた時期であれば、この様な歯がゆい思いをする事も無かったのだが……今では彼が真に信頼できる戦力はこの黒衣の人物だけだ。ジャックが退室した後も退屈そうに部屋に残る黒い鳥のような傭兵気質の冒険者を使う事もあったが、ウラノスとしてはあまり彼らに依存したくはないというのが本音である。

 

 そこで黒い鳥の顔を見たウラノスは、ふと思い出したように黒衣の人物へと視線を向けた。

 

「そう言えば、件のモンスターの魔石はどうした?」

「それならば一つ確保してあります……黒い鳥。例の魔石を」

 

 黒衣の人物の声に反応して、黒い鳥は懐から取り出した魔石をウラノスに向けて無造作に放り投げた。その軌跡の先に黒衣の人物が立ちふさがってそれをキャッチすると、ウラノスに対して恭しく魔石を差し出した。

 

 その魔石は中心が毒々しい極彩色(ごくさいしき)に染まっており、他の魔石とは違う忌まわしい雰囲気を纏っている。今まで発見されたことの無い――――否。先日、遠征から戻ったロキ・ファミリアの報告にあった深層で遭遇したモンスター。この手の内に在るモノと酷似した魔石を、それらが持っていたという話をウラノスは思い出す。

 

 一体、ダンジョンで何が起ころうとしているのか……。

 

 ウラノスはその魔石を明かりに透かすように掲げた後、ダンジョンで起き始めている異変に如何に対処してゆくのが最善か、それを思案して難しい顔で溜息を吐くのであった。




お待たせしてしまいました。
椿さんやフェルズさんのキャラがつかめず、滅茶苦茶苦労しました。
違和感あったらごめんなさい……それほどまでにエドが嫌いと言う事で、一つ。登場部分しっかり読み直したら改稿するかも。

あと軽くではありますがルドの全力が書けて楽しかったしやっぱもっと戦闘させたいな……。第一巻終わったけど、原作二巻と外伝二巻、次からはどっちを元にしようかな……。

ゲストとしてのフロムキャラの募集については次話の投稿を一区切りにして、一旦打ち切ろうかと思います。
まだ外伝2巻を手に入れてないので次の投稿までちょっとかかるかと思いますが、よろしければ活動報告の該当記事から注意事項をお読みの上リクエストください。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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15:【エリス】

エリスとルドのコミュ回、13000字くらいです。

お気に入り3000、感想200、評価数150に到達しました。ありがとうございます。

お陰様で何とか投稿にこぎつけました。
やっぱ感想いただけるとうれしいですね……モチベにも参考にもなる……。
また誤字報告してくださる方々、誠に感謝しております。

良ければ今話も楽しんでいただければ幸いです。




 【怪物祭(モンスターフィリア)】でのモンスター脱走騒動の、翌日。

 

 ガネーシャ・ファミリアを初めとした幾つかのファミリアは後始末に多くの団員を駆り出しているようであったが、かの事案に無関係なファミリアであるエリス・ファミリアの本拠地(ホーム)ではルドウイークが静かに朝を過ごしていた。

 

 普段通りリビングのソファに腰掛けた彼は時折目を瞑り、何かを考え込むような仕草を見せている。

 

 それは憂い故だ。あの日、<月光>を開帳した事が生んだいくつかの懸念。

 

 まずは何よりも、エリスの様子だ。あの時間近(まぢか)で導きに触れた彼女の様子は全くもって平常では無かった。月光は形を成した神秘。生半に啓蒙を得ていたものであれば、少なからず影響を受ける事はありえる。故に彼はヤーナムでも月光を秘匿(ひとく)し人目に触れぬようにしてきたのだが……。

 

 まさか、ヤーナムの血を持たぬエリス神があそこまで月光に強い反応を示すとは。

 

 ルドウイークは頭を抱えた。あの状況、彼女を守るために咄嗟に導きを振るったが、それが却って彼女に害を成そうとは思いもしなかった。更に、彼女があれ程の影響を受けた理由が彼には分からぬ。

 <先触れ>の精霊との接触やルドウイークによるヤーナムの情報開示によって多少なりとも啓蒙を得ていた可能性も考えられたが、その程度で前後不覚となる程かと言えば疑問が残る。

 

 ……何かがあるはずだ。彼女が、決定的にこちら側に()()()原因が。

 

 ルドウイークは再び真剣に唸り始めたが、しばらくの苦悩も虚しく結局彼にその要因が思いつく事は無い。そして悔しそうに唇を噛みながら、別の懸念に思考の矛先を向けた。

 

 次に彼が想起したのは、月光の輝きを察知して現場に駆けつけてきた二人の少女。【ロキ・ファミリア】の【剣姫】こと【アイズ・ヴァレンシュタイン】。そして、彼女と共に現れた一人のアマゾネス。

 

 もしかしたら、彼女らも月光の輝きを目にして駆け付けたのやも知れぬ。だが、彼女らにエリス神のような症状は見られなかった。ならば、やはりエリス神に特別な要因が――――

 

 ルドウイークはそこまで考えて一度頭を横に振った。思考がひどく横に逸れている。子を心配する親か、全く。

 

 ……ともかく、あの時アマゾネスの少女が『今のは何だ、<魔剣>か?』、と言うような事を言っていた気がする。それ自体は好都合だ。月光の<奔流>だけを見れば魔剣と勘違いするのは恐らく自然な事だろう。

 

 だがそこで、彼は一つの違和感に気づいた。彼女が口にしたのが『今の魔剣は何だ』と言う問いでは無かったことだ。

 

 本当の意味で魔剣だと彼女が考えたのであれば今彼が考えたように『その魔剣は何か』について尋ねてきていたはずだ。しかし彼女は実際には『魔剣なのかどうか』について尋ねて来た。それは、月光が彼女の知る既存の魔剣の枠組みからは多少外れている、と言う事を暗に示している。

 

 ……マズいな。ルドウイークは歯噛みした。エリスは、明らかに【ロキ】に対して警戒を向けていた。知啓に優れたトリックスター。オラリオ最強の二大ファミリアの片割れ、その主神。そんな女神の眷属に僅かでも月光の情報を与えてしまったのは、明らかに失敗であったのだと彼にも理解できる。

 さらにはあの場に居たアイズ・ヴァレンシュタインとは初対面と言う訳では無い。以前のミノタウロス騒動で、ルドウイークは彼女と一度対面している。あの時彼女はルドウイークの事を怪しむ素振りを見せてはいなかったが、二度目ともなれば怪しむのが道理だろう。

 

 考えれば考えるほど、ルドウイークは自身の知性がかつての友たちほど高くないことを少し呪った。<(からす)>は論外だが、口の達者な<加速>や聡明な<マリア>であればこの状況を打開する名案でも思いついていたであろうに。

 

 悩む彼に、月光が導きを示す事は無い。当然の事なのだが、ルドウイークは思わずその刃に写り込んだ自身の顔を眺めていた事に気づいて一度溜息を吐いた後、再び思索に戻ろうとする。その時。

 

「いぃやあああああああああーーーーーっ!?!?!?!?!?」

 

 悲鳴。上階から、エリスの絶望的な叫びがルドウイークの耳に入った。次瞬、彼の表情は悩む男の顔から一人の狩人のものへと切り替わり、月光を携えて急ぎ部屋を後にする。そして一息(ひといき)に階段を昇り切ると、破壊せんばかりの勢いでエリスの部屋のドアを開いた。

 

「エリス神!?」

 

 叫びながら月光に手をかけ突入したルドウイーク。そんな彼の前には、部屋の隅で恐怖に打ち震えて被った布団で身を守るエリスと、彼女の視線の先、ベッドの横の小棚の上で威嚇するように首をもたげる<先触れ>の精霊。

 

 それを見たルドウイークは呆れたように肩の力を抜き、精霊の元へと歩み寄ってそれをひょいと掴み上げた。

 

「……何かと思えば。朝からあまり叫ぶのは体に良くないだろう、エリス神」

「叫ばずにいられますかこれが!! ちゃんと管理しといてくださいよそのナメクジィ!!!」

「精霊だよ」

 

 苦言を呈するルドウイークに対して、エリスは布団の中から顔だけを出して喚き散らす。その彼女に向けて精霊を向ける事で黙らせると、ルドウイークは雑嚢の中に精霊を放り込んだ。そして腕を組み、エリスに対して諭すように声をかける。

 

「さてエリス神。脅威は去った。もう、布団から出てきてもいいんじゃないかね」

「ほんっとにもう……朝一番に遭遇すると心臓がヤバイので、あんまり放し飼いにしないで下さいよ」

「……飼っているわけではないんだが」

「知りませんよそんな事……」

 

 腕を組んだまま納得しかねると言った表情を見せるルドウイーク。しかしエリスはそれを意に介した様子も無く、纏っていた掛け布団を八つ当たりするかの如くベッドに向けて放り投げる。そしてそれで機嫌を少し直した彼女は眼鏡を直しながらに彼に尋ねた。

 

「…………あ、そうだ。ルドウイークは、今日はどう言う予定ですか? 迷宮(ダンジョン)探索には行きます?」

「そうだな、上層の最深部……12階層までは行くつもりだ。あわよくば13階層にも顔を出そうと思う。<聖剣>の試し切りも兼ねてね」

 

 言って、ルドウイークはリビングに置いてきた【エド】の手による<ルドウイークの聖剣>の姿を脳裏に浮かべた。

 

 あの武器は、長剣こそ嘗てのそれとほとんど変わらない物の、変形後の大剣の形態は以前の物とは同じとは言い難い調整を施されている。先日【椿】が語っていた内容を信じるならば【ミスリル】なる銀に良く似た金属と【超硬金属(アダマンタイト)】という金属、二つの素材が各部位に使用されているとのことであった。それ故か、重量のバランスがかなり異なってしまっているのだ。

 そうなれば、以前の聖剣と同様に扱う事は出来ない。再度の慣れが必要であるというのが彼の出した結論である。

 

 ただ、武器としての品質自体は文句の付けようが無い。それどころか此方の素材による物か性能自体は以前の物を上回っている。少々疑ってはいたが、実際にあのエドの腕前は確かな物であったのだと今ならば断言できた。

 

 その上、この武器には<血晶石>による更なる強化が可能だ。ルドウイークの持っていた最高の石はマリアとの戦いで破壊された聖剣と共に在ったために紛失しているが、聖剣自体の性能向上を加味すればほぼ同等の能力を得る事が出来るはずだ。

 

 ――――そのためにも、まずは血晶石を武器に捩り込むために必要な<血晶石の工房道具>を調達せねばな。

 

 血晶石自体はこのオラリオで入手できるものではないが、かの工房道具はありふれた木や鉄などで作られた品だ。作り方は頭に入っているし、材料さえ入手できればルドウイーク自身で製作する事が出来るだろう。

 

 そこまで考えた所で、彼は自身がエリスとの会話の只中にあった事を思い出して彼女へと視線を戻した。だがエリスも同様に何かを考えていた様で難しい顔で俯いていて、暫くそれを眺めていたルドウイークが声をかけようとした時になってようやく顔を上げる。

 

「……わかりました。それじゃあ、その前にちょっと手伝ってほしい事があるんですけど」

「ふむ、手伝ってほしい事とは?」

 

 興味深そうに問い返したルドウイーク。そんな彼に向けてエリスは皮肉たっぷりに口を尖らせる。

 

「朝ご飯食べながらでもいいですか? 折角早起き『させられた』んですし」

「……そこで私を睨むのかね?」

「当然じゃないですか。あのナメクジちゃんと面倒見てっていつも言ってるのに!」

 

 溜息を吐きながら、忌々しいという考えを隠さずにエリスは毒づいた。それも当然。彼女が精霊によって被害を負うのはこれが初めてではない。

 

 ルドウイークが彼女の元に現れて二か月半余り。あの荷物整理の際の初対面で絶叫させられたのに始まり、ある時は卒倒させられ、またある時は恐怖に震えさせられた彼女からの精霊への印象は最悪そのものだ。しかしそれを知りながら、ルドウイークはお手上げと言わんばかりの諦め顔で肩を竦める。

 

「そう言われてもね……確かに、やたらと貴女の部屋に侵入するのは憂慮すべきだと思うが」

「ほんっとに何なんでしょうか……」

「まぁ、精霊の思考など我々には到底想像の及ぶ所ではないからな…………とりあえず、スープを温めてこよう。構わないかね?」

「……大丈夫ですか?」

 

 以前の嫌な思い出を想起したか、疑る様な眼差しでルドウイークを見つめるエリス。それに対して彼は心外だと言わんばかりに眉を顰めた。

 

「酷いな。幾らなんでも完成品のスープを温める程度は出来る。一から作るとどうしようもなくなるんだ」

「はいはい、お願いします。じゃ、着替えるんで出てってください」

「了解した」

 

 そうしてルドウイークは部屋を出て、台所へと向かう。その姿を見送ったエリスは姿見の前に立つと眼鏡を外し、寝間着を脱ぎ放り投げて着替えると、その長い髪を結い始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスの家は、貧民の多いダイダロス通りにある家としてはそこそこの規模を誇っている。と、言ってもその大きさは二階建ての一般の民家とそう変わらない。

 一階にはリビングと台所、階段とその下の物置。二階には部屋が四つ。その内の一つはエリスの部屋だが、残りの三つはほぼ倉庫と化している。

 

 これは嘗ての本拠地(ホーム)を失った際団員たちの荷物をこの家に引き揚げたためで、この家に住まう者がエリス一人となっていた間には手に負えずもはや埃を被った荷物の山が連なっていた。そんな部屋のうちの一つ。

 

「エリス神、この荷物は?」

「んー……うわ、使用期限3年前のポーション!? よくこんなの取ってありましたねえ……廃棄で。とりあえず廊下にお願いします」

「了解」

 

 そこでは、外套を脱ぎ軽装となったルドウイークとエプロンをかけ頭巾を被り手袋を填めたエリスが詰め込まれた荷物を一つ一つ整理していた。

 

 事の始まりは、怪物祭の日にルドウイークの発言した『新入団員を募集した方がいい』との言葉である。それを聞いたエリスはとりあえず新入団員を受け入れる事が出来る場所を確保するため、いつまでもリビングに居座るルドウイークを(ともな)って荷物の整理に乗り出したのだ。

 

 ちなみに、今片付けているのは二部屋目だ。一つ目の部屋は数年前まで人が居たとの事で他の部屋に比べ荷物が少なく比較的短時間で掃除を終える事が出来ていた。と、言っても既に時刻は正午になろうとしている。

 

「…………まさか、今日中に全ての片付けを終える気では無いだろうな」

 

 作業の進捗具合を見てまだまだ完了まで時間がかかると悟ったルドウイークは、危機感を覚えてエリスを見た。彼女はもはや使い物にならぬ錆び付いた剣をしばらく眺めていたが、それを赤塗りの鞘に納めて放り出すとルドウイークに視線を向ける。

 

「流石に無理ですよ。この部屋の片づけがある程度済んだらまた後日にします。今日は私もお仕事ですしね」

「そうか、安心した」

 

 その返事にルドウイークも一安心して作業に戻った。彼自身、ずっとリビングのソファを領有しているのはいかがなものかと思っていた事もあり、この提案には随分と乗り気である。彼の助けが無ければ、エリスは一部屋目に鎮座していた不気味な美術像の下敷きになったまま出勤の機会を逸し、様子を見に来たマギーによって助け出されその後こっぴどく叱られていただろう。

 

 そんな有り得た可能性など知る由も無い一人と一柱は暫く、黙々と作業を続けて行く。

 

 そうして二つ目の部屋の片付けがちょうど半分程度まで進んだ頃。息も絶え絶えなエリスが顔色一つ変えないルドウイークの様子を盗み見て作業中断のタイミングを伺っていると、小さな箱を抱えようとしたルドウイークがその想像を遥かに上回る重さに箱を取り落とし、落下した箱が盛大な音を立てて床にひびを入れた。

 

「あ―――――っ!?!?!??!」

 

 ちらちらと彼の様子を伺っていたエリスはその出来事に大声を上げて彼を思いっきり指差した。その次に床を指差し、そしてまたルドウイークを指差して口をパクパクと動かす。一方、当のルドウイークはあくまで冷静に再度箱を持ち上げると、床のひび割れを難しい顔で見聞してからエリスに向けて頭を下げた。

 

「すまない、エリス神。随分重い荷物だな……」

「なぁーにしてるんですかウチ貧乏だって知ってるでしょうが! これじゃあ床の補修費用まで……うぇっ!?」

 

 ルドウイークを糾弾しようと勇ましく近づいてきたエリス。だが彼女はその箱を良く見ると驚いたように飛び退いて、そしてだらだらと嫌な汗を流し始めた。

 

「……エリス神?」

 

 甘んじて彼女の怒りを受け入れるべく粛々と姿勢を正していたルドウイークは、想定とはいささか異なる彼女の様子に訝し気な視線を向ける。それを受けたエリスは、明らかに誤魔化すように引きつった笑みを浮かべてわたわたと両手を不格好なダンスの様に振り回した。

 

「いえ、何でもない何でもないのですよ! それよりルドウイークそろそろ休憩にしましょうか! ちょっと先に下行っててもらえますかちょっとやるべき事がありますので!!」

 

 しかし、それに対するルドウイークの反応は冷ややかな物であった。

 

「…………………………エリス神」

「はひぃ!?」

「言いたくない事があるのと同様、見せたくないものがあるのは分からなくもないが……そろそろこのファミリアの過去について教えてしてくれてもいいんじゃないかね?」

「せ、『詮索好きの犬人(シアンスロープ)が早死にした*1』ってコトワザがありまして……」

「『好奇心は猫をも殺す(Curiosity killed the cat)』か。どの世界にもある物なのだな、似た(ことわざ)と言う奴は」

 

 溜息を吐きながらルドウイークは言って箱のふたに手をかけた。それを止めようとエリスが一歩踏み出すが、それを彼は視線だけで封じ込め苛立たし気に口を開く。

 

「…………私はあくまで部外者で、いずれ居なくなる者だとも確かに言ったよ。だが、エリス・ファミリアを立て直すという目的は一致している筈だ。それに必要な情報の提供位求める権利はあると思っている。それに……貴女に限って無いとは思うが……上の者の思惑も知る事無く、ただ都合良く使われると言うのは……もう懲り懲りなんだ」

 

 ルドウイークは語気を強めながら、最後はどこか悲し気に遠い目で呟いた。英雄と称されかのヤーナムで人々を率いながら、自身が身を置いていた<教会>こそがあの街の悲劇の原因、その一端を担っていた事に気付く事の出来なかった過去への悔恨。あの時の二の轍を踏みたくはないと言う、彼のネガティブな望み。そしてそれはこの世界でエリスの元に付いて以来、初めてルドウイークが心底から見せた不満であった。

 

 一方で、その視線を受けたエリスは致命的に難しい顔で頭を抱えていた。ルドウイークは、彼女のその唸り様にそれほどまでに重要な事なのかと推理して恐る恐る声をかける。

 

「エリス神、もし気を悪くしたなら謝る。だが…………」

「いや。えーっとですね…………それは無関係な……いや、そうじゃない、そうじゃなくてですね……それは何と言うか、言いたくないのは同じなんですけど、それはエリス・ファミリアの傷と言うより、私個(じん)のやらかしのアレで…………」

 

 絞り出すように言葉を選んでエリスは答える。その内容はルドウイークが予想していたような語り難い苦悩、傷を開くような苦悶を感じ取れたが、同時に何かを誤魔化そうとする彼女の往生際の悪さをも感じ取れた。そんな彼女の様子を見て、彼は何かに気づいたような顔で困ったような視線を向ける。

 

「エリス神、まさか……この箱の中身とエリス・ファミリアの没落には関係が無く、貴女の個人的な知られたくない過去、と言う事か?」

 

 やってしまった。そんな心中をがありありと見て取れるような申し訳なさそうな顔でルドウイークは尋ねた。嘗てマリアの素性を暴こうとした者達と同様の事を自らもしてしまっていたのか。

 ルドウイークは自らの愚かさと主神たる彼女を信じきれなかった信心の無さに愕然とする。一方で、エリスは彼の心中などこれっぽっちも知らず、言葉の内容からそれに便乗するのが最善だと閃いて、また彼に向けて勢い良く人差し指を向けた。

 

「そう! それ! それが言いたかったんですよ! それは私の過去に関係ある物なので見せたくないんです!! ……いやまぁ、ウチのファミリアの零落に無関係って訳でもないんですけど」

「…………無関係ならば不躾だったと頭を下げ謝る所だったのだが、無関係ではないのだな」

「あっ」

 

 一旦は頭を下げ、深刻な顔で女性の秘密に土足で踏み入ろうとした責を受け止めんとしていたルドウイークは彼女が最後に小声でぽろりと零した言葉を聞き逃さなかった。一方エリスは、しまったという顔をした。

 

 言い逃れはもう出来なかった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「…………整理しよう」

 

 リビングのソファに腰掛けたルドウイークが普段とそう変わらぬ声で告げる。その前では、自主的に床に正座したエリスがバツの悪そうな顔で俯いていた。

 

「つまり、『これ』は嘗てエリス神が他の神々――――所謂『美の女神』達に対してちょっかいをかける為に【ヘファイストス】神に頼んで作ってもらった物で……その際の負債が15年前の団員の減少で支払えなくなって、本拠(ホーム)を引き払うなどファミリアを大幅に縮小せざるを得なくなった…………この理解で間違ってないかね?」

 

 尋ね終えたルドウイークは手に持ったそれ――――黄金に輝く林檎を弄びながらエリスに視線を向ける。一方俯いていたエリスはおずおずと片手を上げ、それにルドウイークが頷くと沈んだ顔で補足の説明をし始めた。

 

「えっと……ヘファイストスには正式に頼んだというより、個人で飾りたいって嘘ついて作ってもらったので……その後めっちゃくちゃ怒られました…………」

「それに加えてこれの代金は未だに払い切れてないんだろう? それで良く【エド】とヘファイストス神を天秤にかけて『ヘファイストスの方が良かったかな』などと言えたものだ」

 

 呆れて物も言えぬルドウイークは、改めてその果実と箱を見聞し始めた。どうやら果実自体は見た目通りの材質では無いらしく、軽々しく持ち上げられる程度の重さしかない。そして、箱の中には神聖文字(ヒエログリフ)で説明が記されていると思しき一枚の紙と、この箱の予想外の重さの原因であろう、重厚な鋳塊(インゴット)。その内紙をルドウイークは摘み出すと、エリスにそれを差し出した。

 

「読んでもらっても?」

「えっ……ルドウイーク、読み書きは勉強したんじゃ?」

共通語(コイネー)はな。神聖文字は分からん」

「あはは、左様で……」

 

 愛想笑いしながら紙を受け取ったエリスは、ルドウイークの睨みを受け慌ててその内容に目を走らせる。そして少しだけその顔を歪ませた後、その内容を口にし始めた。

 

「えーっと……『エリス神へ。この度のご注文ありがとうございました。少々遅くなりましたが、貴女の美貌に相応しい品が完成したと――――』」

「エリス神。本当にそんな事が書いてあるのか?」

「…………『エリスへ。今回は注文ありがとう。一応だけどサンプルを送るわ。重さの確認の為に同じ程度の重さの鋳塊を付けておいたから、持ち運ぶ時は気をつけて。当然本物を運ぶ時もだけれど……それは希望通り、今度の【神の宴】の日に会場に届ける事になってるから、そこで受け取って頂戴。でも、あんまり自慢しちゃダメよ? 追伸:今度こそローンの払い忘れが無いように。ヘファイストス』………………以上です」

 

 読み終えたエリスは、神聖文字の書かれた紙を箱へと戻した。それを神妙な顔で聞いていたルドウイークは、首を傾け睨むように彼女を見下ろす。

 

「……それで?」

「それで、宴に到着する寸前の包みに張ってあった宛先の紙を『オラリオで一番美しい女神へ』って改竄(かいざん)しまして。その後はあの果実を巡って醜く争ってる美の女神たちを眺めて大笑いしてました」

「いい趣味だな」

「褒めてませんよねそれ」

「当然だとも」

 

 溜息を吐いてエリスを皮肉るルドウイーク。そしてそれに肩を落とす彼女に、彼は更に質問を投げかけた。

 

「……それで、その後はどうなった? 事は丸く収まったのか?」

「神の宴では。【フレイヤ】が果実を手にして、彼女の名は美の女神の代名詞となりました」

「……なるほど。美の女神が何人もいるであろうはずのこのオラリオで、彼女が特別扱いされているのはそう言う理由か。てっきり、一番勢力の強いファミリアを率いているからだと思っていたが」

「当時から彼女は美の女神最強でしたけどね。ただ、この話はここで終わりじゃなくて……」

 

 エリスはそこで一度言葉を切ると、傍のテーブルに置かれたグラスを手に取りその中身を飲み干してのどを潤し、そしてつらつらと話の続きを語り出す。

 

「……【イシュタル】。同じく美の女神の一柱にして、その中でもフレイヤに次ぐ権勢を誇るオラリオ繁華街の主。元よりオラリオにおける美の女神の頂点に立とうと目論んでいた彼女が、フレイヤの躍進に目くじらを立てるのは当然の事でした」

「神の宴でフレイヤ神に負けたイシュタル神が納得いかずに突っかかっているわけか」

「あ、いえ。イシュタルはその時は宴を偶然欠席してたんです。それで『自分の不在の間に決めるなんて何のつもりだ!』って」

「……当然の考えだな。むしろそういう事情なら、貴女こそイシュタル神に恨まれているのではないか?」

「それは私も危惧しました。実際に喧嘩吹っ掛けられそうにもなったんですけど……なんでかフレイヤがフォローしてくれたんです。『それは美しくないわよ』ってフレイヤがイシュタルに言ったら彼女もう私には目もくれなくなりました」

「フォローと言えるのか、それは?」

「うーん、結果的には……」

 

 疑問を呈したルドウイークに、同じく疑問符を頭の上に浮かべるエリス。彼女はそうして少し考え込む仕草を見せた後、諦めたように溜息を吐いて首を横に振った。

 

「……はぁ、私、彼女(フレイヤ)苦手なんですよねー。何考えてるか分かんなくて」

「ふむ。私も美の女神と類される者達には、多少気をつけておくとしよう。フレイヤ神の健在は知っているが、イシュタル神もまだオラリオに居るのだろう?」

「ええ。ですからルドウイークも南の繁華街には近づかないようにしてくださいよ。イシュタル本(にん)は兎も角、あそこの団長も構成員も、いい男には目がありませんから」

「何だエリス神。褒めてくれているのか?」

「そーゆー意味じゃないです!! 危ないからですよっ!!!」

「冗談だよ」

「ったく……! なんか最近口が達者になってきてませんか貴方……!?」

「ははは、私もオラリオに来て少し変わったかな。こういうのは元々、<加速>の役だというのに」

 

 ひとしきり笑うと、ルドウイークは立ち上がって外套を纏い、<ルドウイークの聖剣>と<月光の聖剣>を背に負った。そしていくつかの狩り道具を身に付けるとその具合を確かめ、そしてドアの取っ手に手をかける。その後姿を、エリスはきょとんとした顔で見上げた。

 

「……あれ、ルドウイーク。もう怒らないんです?」

「貴女も正直に話してくれたしな、必要ないだろう。それにもう時間だ。これ以上貴方にかまけていては帰りがどうしようもなく遅くなる」

「あ、ダンジョンですか……そう言えばそういう予定でしたね」

 

 思い出したように頷くエリス。彼女は立ち上がって膝の埃をぱんぱんと払うと、ダンジョンに向かうべく部屋を後にしようとしたルドウイークの背に声をかける。

 

「そうだ。私今夜は居ないので、食事はとにかく何とかしてください」

「わかった。仕事が長くなるのかね?」

「いえ、別件です。仕事が終わり次第用事があるんで。多分ルドウイークより帰りは遅くなりますよ」

「ふむ……ひとまず夕食は【鴉の止り木】にするつもりだが」

「居るかどうかは微妙なラインですね……ま、頑張ってください。おーかーね、期待してますから!」

 

 言ってエリスはルドウイークに向けてウインクし、片手を突き出して親指を立てた。そんなエリスの稼いで来いアピールに、しかしルドウイークは素気無く肩を竦める。

 

「現金な主神殿だ。期待しないで待っていてくれ」

「えーっ、頑張ってくださいよ! ルドウイーク、多分深層に行ける程度には強いんですから」

「今回の目的はそれではないからな……まぁ、幸運に恵まれる様に努力はする。ではな」

 

 それだけ言い残して、ルドウイークは家を後にする。残されたエリスは少しの間不満げに頬を膨らませていたが、その内諦めて、廃棄する予定の品の幾つかを片付けてから服を着替え、そして家の戸締りをして出勤して行った。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「――――()()ているのか、いないのか」

 

 迷宮、12階層。中層の第一階層たる13階層で幾体かのモンスターの実力を検証し、問題なしと判断して上層の最深部である12階層へと戻ってきたルドウイークは、11階層へと向かう途中の空間(ルーム)でミスリルの長剣を握りしめたままうんざりとしたように呟いた。

 彼の前には、琥珀色の鱗を持つ、体長4M(メドル)はあろうかと言う(ドラゴン)のモンスター。

 

 【インファント・ドラゴン】。上層に存在するモンスターの内、最強の名を(ほしいまま)にする小竜。下級(Lv.1)冒険者のパーティであれば単独で殲滅しうる力を持つ希少種(レアモンスター)だ。希少種、という括りは伊達では無く、生息域である11、12階層に多くて5匹ほどしか存在せず、他の階層へと階を跨いでくることも無い。

 

『ゴガアアアアアアッッ!!!』

『オオオオオ――――ッ!!!』

 

 それが、2体。

 

 もはや遭遇する事は不幸を通り越して幸運だとさえ呼ばれるモンスターによる挟み撃ち(サイドアタック)を受けて、ルドウイークは出発時にエリスに向けて軽口を叩いた自身を軽く呪った。

 

 瞬間、後方のインファント・ドラゴンが動く。咆哮と共に一歩後ずさり、そのまま激しく体を回転させた。その勢いによってその体の末端――――尻尾の先端が勢いをつけ、ルドウイークの体を粉砕するべく迫る。しかしルドウイークは振り向く事も無く。

 

「ハァッ!」

 

 彼の声と共に、迫ったインファント・ドラゴンの尾が切断される。その尾が届かぬ高さまで跳躍しつつその足元へ向け振り抜いた長剣による斬撃だ。回避と攻撃を両立させる狩人の業の片鱗とも言える一撃だった。

 

『ゴオオッ!?』

 

 悲鳴をあげるインファント・ドラゴン。しかしルドウイークはその巨体が振り返る暇を与える事も無く、既にその体に迫りながら背の鞘に長剣を結合させ、大剣と化したそれを小竜の胴へと振り下ろした。

 

 その一撃で、体高1.5Mはあろうかと言う丸太のような太さと下級冒険者の剣戟など容易く弾く鱗に覆われた胴体が一撃で両断される。即座にルドウイークは飛び退いて、吹き出す血飛沫を極力浴びぬ様に距離を取った。

 過剰に血を浴びる事による酔いへの恐れとも言えるその動きだが、それによって彼は倒れ込む小竜の死骸を回避して残る一体へと殺意を向け走り出す。

 

 その途中で対応力に優れた長剣に武器を切り替えようとするルドウイーク。しかし、剣を結合させている仕掛けの機構がガチガチと音を鳴らし、噛み合ったまま離れない。ルドウイークはエドへの文句(クレーム)を脳裏に浮かべながら舌打ち一つ、迫りくる竜の爪撃をその軌跡の外へと跳躍(ステップ)して回避し、すれ違いざまに腕を斬り飛ばした。

 

『ガアッ!?』

 

 瞬時に切断された腕に悲鳴を上げ狼狽するインファント・ドラゴン。ルドウイークはその隙を見逃さぬ。痛みにのたうち回ろうとする小竜の動きを察知して一旦距離を取ると、普段は高く上げられた頭部、それが振り回され高度を下げた瞬間に狙い澄ました突きでその頭蓋を貫いた。

 

『ガ……ア……』

 

 頭部を破壊され、断末魔のうめきと共に倒れ伏すインファント・ドラゴン。それを慈悲深く看取ると、ルドウイークは鞘に納められたままの<ルドウイークの聖剣>を背に負って、腰の短刀を抜き彼らの死体から魔石を取り出そうとする。

 

 だが、ギルド支給の短刀では彼らの鱗には刃が立たず。結局、面倒になったルドウイークは勢い良くその胸に腕を突き立てて魔石を摘出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 既に夜分遅くとなった、オラリオのとある一角。不自然に人気の無いその通りを、仕事帰りのエリスは歩いていた。周囲をしきりに確認し、誰にも見咎められていない事を念入りに確かめている。

 

 その内、ついに魔石灯すらなくなった区画まで彼女は踏み込むと、するりと人がすれ違う事も難しいであろう小道に身を滑り込ませ、その先のあまり大きくない、ありふれた扉の一つをコン、コン、コンと規則正しいリズムで三度ノックした。

 

「……どちら、さん?」

 

 扉ののぞき穴――それも、内側に金網の仕込まれた防犯性の高い物――が僅かに開かれると、そこからたどたどしい、強い訛りを持った男の声。その声には、強い警戒感が露わとなっていた。相手が神であるエリスであっても、一切緩められる事の無いその鋭い視線。しかし彼女は、普段の様にそれに怖気づく事も無く、こともなげに口を開いた。

 

「『こんにちは。狐さんに、ここでいいお仕事があると聞いて伺ったのですが』」

「………………」

 

 しばらくの沈黙の後、扉の鍵がガチャリと音を立てた。エリスはそれを聞き、取っ手に手をかけ力を込めると、大した抵抗も無く扉は内側に開く。そして彼女が戸を潜ると、そこには髪を編み込んだ、浅黒い肌の精悍な男。彼は彼女の空けた扉を閉じて鍵を閉めると、訛りの酷い共通語で彼女を奥へと案内した。

 

 そこは建物の外観に相応しい、小さな酒場であった。淡い橙色の魔石灯に照らされた店内にはカウンター席しか無く、店員と思しき者も、彼女を案内した浅黒の男以外には居ない。だが、客の姿がない訳では無かった。フードを目深にかぶり外套でその姿を画した人影――――エリスが今宵この隠された店を訪れた目的である()物が、彼女を待ちわびるようにグラスを揺らしていた。

 

「おっ、ようやくお出ましかいな」

 

 その人物は、場にそぐわぬあっけらかんとした態度で身を反らしエリスを出迎えた。一瞬、その姿勢のせいで重心を崩してぐらりと後ろに倒れかかるが、膝をカウンターに引っ掛けて何とか踏み留まる。そして力を込めて姿勢を立て直すと、エリスを手招きして隣の席に座らせ、そして手にしたグラスの中身を一気に飲み干すと身を乗り出して彼女に笑いかけた。

 

(ひっさ)しぶりやん。しっかし相変わらず地味な恰好しとるなぁ自分。もったいない」

「貴女こそ相変わらず無駄に露出の高い服を着て……【剣姫】にも似たような格好させてるって聞きましたけど」

「アイズたんは何着せても似合うからなぁ~。自分で言うのも何やけどウチの趣味(センス)とベストマッチしてまうんよ。最近、ちょっと選り好みされてるのは悲しいんやけど、そこもまた萌えポイントや」

「ふっつーに興味無いですね」

「何や何や冷たいわ~。ウチと自分の仲やん。愚痴くらい聞いたってぇな」

「私、昔貴女が口滑らせたせいで酷い目に遭ったのはまだ許してないですからね…………って言うか何ですか『ゼウスとヘラの失敗に私が一枚噛んでる』って。あれ信じてマジで動いちゃった奴ら全員スカポンタンですよ」

「いやなぁ、まさかウチも『エリスが何かやらかしたんとちゃうん?』って酒の席で()ーただけであんな騒動になるとはなぁ……自分どんだけ恨まれとったんって話やん?」

「それよりも自身の発言力を自覚してくださいよ。当時でさえ、【勇者(ブレイバー)】を擁した貴女の発言力は十分大きいものでしたよね? あれでウチ、主力失った挙句にギルドにめっちゃ睨まれて酷い目に遭ったんですけど」

「あーあー、やめたってぇな説教は。あの時はウチも割と本気で反省して、一月くらい禁酒したんや」

「へぇ、それは初耳ですね」

「あの時は皆にめっちゃ心配されたんやで。ガレスも飲み相手居らんくて暇そうにしとったなぁ」

「それでも禁酒できたのは一か月……ってそれはどうでもいいんです。今日はそんな思い出話をしに来たんじゃないんですから」

「あらうっかり。忘れとったわ! いやー、久々に友(じん)と話すとなると、ついな」

「友神、ねぇ…………まぁいいです」

 

 溜息を吐いてその女神を一瞥すると、エリスはカウンター裏で佇む男に棚の酒の一つを注ぐように促した。男はそれに片言で答え、エリスに新しいグラスと豊潤なスタウト酒を、隣の女神のグラスには彼女が今まで飲んでいたものと思しき琥珀色のミード酒を注ぐ。

 

 そして彼女らはそのグラスを互いに掲げると、にこやかな笑顔と共に剣呑な神威を交わしながら、小気味いい音を立ててグラス同士をぶつけ合った。

 

 

 

*1
いくら鼻の効く犬人でも、事あるごとに首を突っ込めば絶対にロクな事にならない。転じて、弁えろと言う意味の警句




実はここ1週間位風邪ひいてズッタンボロンでした。
とりあえず本編外伝両方7巻まで揃えたんで読むフェーズを挟むために次はまた遅れそうです。

ゲストキャラの募集は一旦終えましたが、それとは別の、新入団員に関するアンケートを設置しました。
こちらの数値を見て、何人の新入団員を入れるか、その内訳をどうするかなどを検討します。(あくまでサブキャラになるとは思いますが)
たぶん次話投稿くらいまでは置いておくと思います。
良ければ投票していただけると幸いです。

お試しで注釈とか触ってみたりしたけど個人的には楽しかった。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。



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16:嵐が(きた)るその前に

18000字ほどです。

UA20万行きました、ありがとうございます。
多くの方に見て頂けるというのはそれだけで嬉しく、またあり難いものです。

感想を送ってくださったり評価お気に入り誤字報告してくださる皆さまもありがとうございます。お陰様でモチベーションを保つ事が出来ます。

良ければ今話も楽しんでいただければ幸いです。


 日付が変わり、オラリオの街並みから多くの灯りが消え失せた時間帯。ダンジョンの13階層まで到達した後問題なく帰還したルドウイークは幾つかの寄り道を経て本拠(ホーム)へと戻り、リビングで作業に(いそ)しんでいた。

 

 机の上には幾つかの木製の部品。彼は作られたばかりと(おぼ)しきそれらにヤスリをかけ、その接合部分を丁寧に整えて行く。そして出来上がった部品を組み合わせ、木槌で叩いて()め込んだ。

 

 完成したのは、三本の足で立ち中央に何かを抑えつける為のハンドルが取りつけられた、万力めいた代物。ルドウイークはそれの各部の出来栄えを確認した後、おもむろに自身の短刀を取り出して、その下へ慎重に設置。そして三つの足を回しがっちりと短刀を固定する。

 

 その短刀の刀身、根元部分には一つの彫刻めいた放射状の穴が開いている。そこにルドウイークは懐から取り出した海栗(ウニ)毬栗(いがぐり)めいた形状の<血晶石>を置くと、ゆっくりとハンドルを回し始めた。それに連動してハンドルの逆側に備えられた皿めいた物を押さえつける機能を持つ部分、万力で言う口金がゆっくりと下降してゆく。

 

 そして、口金が短刀との間に置かれた血晶石を押し潰すかのようにしながら短刀を押さえつけた。しかしルドウイークは手を緩めず、器具が動かないように押さえつけながら更に力を加えて行く。

 短刀の刀身がミシリと音を立てるまでの数分間、ルドウイークはそうして圧力を加え続けていた。

 

 しばらくして彼はハンドルを戻し、短刀を手に取って血晶石のあった場所、放射状の穴が開いている部分を確認する。果たして、そこには穴を埋めるように()じ込まれ、扁平となった血晶石が鈍く光を反射している。

 

 ――――これでよし。

 

 その状態に満足した視線を向けたルドウイークは、短刀を鞘に仕舞い込む。そして懐からさらに3つの血晶石を取り出すと、机の横に寝かせてあった<ルドウイークの聖剣>……その長剣部分を取り出した。そのミスリルの刀身には、穴が3つ。その3つ空いた穴にも、それぞれの形に適合する血晶石を短刀と同様の手順で彼は捩じ込んでいった。

 

 

 

 石の捩じ込みを終えたルドウイークは、改めて装備を観察する。

 

 短刀に対しては、石を一つ。狩人らの間では『脈動』と呼ばれた種の血晶石で、装備者の体力をゆっくりと回復する力を持つ。<輸血液>を持たぬ今、ただ持つだけで傷を癒せるこれはルドウイークにとっては実に重宝する品だ。

 当然、こんなものの存在が知れれば他の冒険者達に目を付けられてしまうだろうが……そこは彼は心配していない。あくまで体力の回復は遅々とした物であり、さらに元となった武具が何の変哲もない短刀とあっては万一他者の手に渡っても効果を自覚する前に手放してしまうだろう。

 

 一方<ルドウイークの聖剣>に対しては、手持ちで最も効果の高い『物理攻撃強化』の石を3つ捩じ込んである。嘗てはもっと効果の高い石も持ってはいたが、今の手持ちではこれがもっとも良い。単純に攻撃性能が高く、さらに炎や雷といった全く違う能力を武器に付与する石に比べ圧倒的に怪しまれにくいというのが利点だ。ここはヤーナムではないのだから、そのあたりには可能な限り気を遣わなければならない。

 

 ……開帳した<月光>まで目撃されてしまった今、これ以上怪しまれるのは危険だからな。

 

 ルドウイークは苦虫を噛み潰したような顔で一度溜息を吐くも、すぐに気を取り直して血石をそれぞれの武器に捩じ込んだ箇所へと目を向ける。

 

 何故短刀には一つの石しか装着せず、ルドウイークの聖剣に対しては3つの石を捻じ込んだのか。それは単純に武器の強度の問題であった。嘗てのヤーナムにおいても武器に血晶石を捻じ込む事で強化を図るのはありふれたやり方であったが、その中でもある程度の強化が成され、強度の確保された武器でなければ石を捻じ込む事が出来ないと言う事実は、狩人らには周知の物である。

 

 ちなみにではあるが、ヤーナムにおける武器の強化には<血石(けっせき)>と呼ばれる血晶石とはまた違う血中結晶が使用されていた。『欠片』を使って一度強化した武器には一つ。三度強化したものに二つ。更に『二欠片』を用いて三度、都合六度の強化を重ねる事で三つ目の血晶石の装着に耐えうる強度を得る。

 

 強化段階としては二欠片での強化で終了する訳では無く、そこから『塊』や『岩』を用いる事でさらに強化を行う事が出来るのだが…………その際には血晶石を装着可能な限界数が増える事は無い。それ以上の数を捻じ込もうとすれば、石は大きく力を減じ最悪武器や石自体が破損してしまう。恐らくは石同士の干渉に因る物とされてはいるが実情は不明だ。

 

 そして今回の短刀とルドウイークの聖剣には、ルドウイークの眼から見て許容範囲であろう数の石が埋め込まれている。彼からすれば、このオラリオの武器の質の高さには舌を巻く思いだ。数打ちの品であろう短刀にさえ一つ、更にエドと言う相当の腕前であろう鍛冶による物とは言え、ルドウイークの聖剣に三つの石を埋め込んでみたのは一種の賭けでもあった。

 

 これが実際にどのような効果をもたらすか、剣が耐えきれるかどうかについてはこれから試す事になる。だが、実際に使用してみたその感触からして恐らく問題無いだろうと彼は判断していた。ともすれば、元となった武器よりも強靭やも知れぬ代物だ。

 

 欲を出して、更に一つの穴を増やしてもらうべきかという考えも一応ではあるが彼にはあった。ヤーナムには存在しなかった超硬金属(アダマンタイト)、そしてこの世界におけるもっとも強靭な金属である【最硬精製金属(オリハルコン)】製の装備などであれば、三つを上回る数の血晶石を装着しても使用できるほどの強度があるかも知れない。

 

 だが、それを試すだけの余裕(資金)は彼には無かった。

 

 ――――そう言えば、いつの事だったか。<加速>が自身の<銃槍(じゅうそう)>に間違えて捩り込んだ『神秘』に類する血晶石を<(からす)>と共に無理矢理に外そうとして槍をへし折った事があった。以来それを見ていた<マリア>に嫌がられて、彼らはマリアの愛刀を触らせてもらえなくなったのだったか。

 

 何時だかの思い出を想起して、ルドウイークはふっと懐かしんで笑った。その時、肌に感じる神威と共に玄関の扉が開かれた音に彼は気づく。そして彼がミスリルの長剣を鞘に納めるのと同時に、リビングのドアが開いてエリスが部屋へと入ってくる。それを見たルドウイークは大剣となった<聖剣>を脇に置いて、短刀を手にしたままエリスに笑いかけようとした。

 

「遅かったじゃないか、エリス神。こんな時間まで一体どこで――――」

 

 何をしていたのかね。そう言いかけたルドウイークは、彼女の疲労困憊した顔を見て硬直した。目は虚ろで顔は赤く、眼鏡はずれ足元もおぼつかない。更に、部屋に彼女が踏み込んだ途端漂ってきた強烈な酒精の匂い。それにルドウイークは顔をしかめて、彼女を急ぎ部屋に送るべく腰を上げる。

 

 だがその時、エリスは既にルドウイークの懐へと迫っていた。

 

「ルドウイーク~~~~!!」

「ぐおっ!?」

 

 反応の遅れたルドウイークに飛びかかるようにして、ぐずるエリスは彼の鳩尾(みぞおち)に顔を突っ込ませた。その勢いたるや、体格や身体能力に著しい差のあるルドウイークを数歩後ずさらせ、腹へのダメージで僅かに吐き気を催させるほどのものだ。

 

 今回のダンジョン探索も無傷で済ませたルドウイークは、想定外のタイミングで受けたダメージによって苦悶に顔を歪ませる。その時彼は、いつだかベルに背後を取られた時の事を思わず想起した。

 

 今まで、凶暴極まりない獣や血に酔った狩人らと相対してきたルドウイークは殺意や敵意と言う物に非常に敏感だ。だが、そう言ったものの無い『結果として自身がダメージを受ける行動』に対してはその警戒も流石に及ばぬ。鞘に収まっているとはいえ、手に持っていた短刀が万一にも彼女に刃を立てぬよう可能な限り遠くへ手を掲げたことも、エリスの突進攻撃を許した原因だろう。

 

 ひとまず腹に力を入れ吐き気を何とか抑え込んだルドウイークは腹に顔を埋めたままのエリスを無理やり引き剥がす。そうして距離を取らされた彼女は目を真っ赤にして涙を流しており、ルドウイークはそれを見て心中に生まれていた苛立ちを呆れたように忘れ去った。

 

「……ひとまず、水を用意しよう。事情を聞くのはそれからでも遅くない」

「はい…………」

 

 意外にも、ルドウイークの言葉にあっさりと従うエリス。彼女はルドウイークに言われるままソファに腰掛けて(うつむ)き、そして涙を拭った。

 

 ――――この様子。一体、何があったのだ?

 

 ルドウイークはそんなエリスの様を見て思わずひどく(いぶか)しむ。だがどうにも、本人にとっても望まぬ目に遭ったのであろうことは察しが付いたため、とりあえず多少落ち付いてきた様子の彼女から話を聞き出すべく台所へと向かってコップに水を用意し始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークが戻って来た時、エリスは変わらずソファに腰掛け俯いたままだ。それだけ見れば、普段の申し訳なさを感じていそうな時と変わりないのだが、その眼は潤み時折鼻を(すす)る様子も見られる。更に既に部屋中で感じる酒の匂い。息だけでこれほど匂う事はないはずなので、恐らくは服に酒を零したのだろう。

 

 彼はそんな推測を経て溜息一つ。そして彼女の向かいのソファに腰掛けて水を差し出した。エリスはそれを少しの間見つめた後おずおずと手に取って一息に飲み干し、ぷはぁと一息ついてコップを置く。ルドウイークはそれを見届けてから、彼女に穏やかに声をかけた。

 

「……少し、気分は良くなったかね?」

「お陰様で……」

 

 本人は苦笑いでも浮かべているつもりなのか、引きつった顔でエリスは肯定の意を示す。だが、その様子を見て持ち直したなどと鵜呑みにするルドウイークでは無い。上半身を少し乗り出したまま、エリスの目を見て案じるように声をかける。

 

「なぁ、エリス神。一体何があった? 貴方がそのザマでは、心配でダンジョンにも潜れん。出来れば教えて貰えると助かるんだが」

「………………実は仕事帰り、【ロキ】と会ってきたんです」

「ロキ神だと?」

 

 か細いエリスの返答に、ルドウイークは驚愕に目を見開いた。日頃からエリスはロキに対する嫌悪感を剥き出しにしていた。そんな彼女がロキと会って何をすると言うのか。それが彼にはどうにも思いつかず、再び彼女に質問をぶつける。

 

「……どう言う事だ? ロキ神とは仲が悪いものとばかり思っていたが」

「多分、向こうも良いとは思ってないでしょうけど……ただ、お互い謀略やら陰謀やら好きでしたから、ある程度の付き合いはありました。それにあいつよりちゃんと損得勘定できる神ってオラリオに殆ど居ないですし…………こちらに損の無い形で交渉できるんじゃないかと思ったんです…………」

 

 向けられた質問に、エリスは今の現状とは裏腹にしっかりとした口調で答えて見せた。そして語られたその内容に付いてルドウイークはしばし沈思黙考する。

 

 ……つまり、普段言っているほど彼女らはいがみ合っているわけではないという事か。むしろエリス神はロキ神の能力についてはかなり評価しているようだ。それ故の警戒だったとも言える。それだけならば、最上位ファミリアの主神とのコネと言うのは好ましい事だとは思うが……彼女の言う『交渉』、それについて詳しく聞いてみる必要があるな。

 

「……交渉か……ちなみに、何を要求するつもりだったのかね?」

「今度の【神会(デナトゥス)】……神々の会合でルドウイークに付けられる二つ名、出来れば目立たなくてかつダサくないのにしたくて…………今どう言うの付けられそうになってるか知ってます!? 【地獄白装束(フロムヘル・ホワイトマン)】ですよ!? 誰が地獄ですか! ふざけてる!!!」

「その名を考えた神…………誰だか知らんが、余程の慧眼(けいがん)を有していると見ていいな」

 

 エリスの口から出た自身の二つ名候補を聞いて、ルドウイークは呆れたように口角を上げ肩を(すく)めた。疲れたような笑みを見せる様は、心底下らないと思っているのが明らかな姿である。しかし酔いからかエリスはそんなルドウイークの様子に気づかず突っかかって、怒りに満ちた顔で吠えた。

 

「褒めてる場合ですか!? 貴方が良くても私が許せませんよそんなダッサい二つ名!!」

「エリス神が嫌だというのであれば私は従うがね。それで、ロキ神との交渉はうまく行ったのか?」

 

 怒り心頭と言った様子でテーブルを両手で叩き身を乗り出したエリス。しかしルドウイークが核心に触れると、怒りを見せていた姿が嘘の様に縮こまって俯き、ぼそぼそと呟く。

 

「えっと……それがですね……あいつ、『そンくらい構へんけど、代わりにそのルド何とかと一対一(サシ)(はなし)させてもらえへん?』とか言い出して……」

「それは、マズいな」

「ですよねえ? 私も、まさかアイツがルドウイークを怪しむくらいにまで情報収集やってるとは思ってなくて…………」

 

 困った顔で言うエリスに応じるように、ルドウイークも顎を撫でながら難しい顔で思案し始めた。

 

 ――――恐らく、ロキ神の目的は私の素性を(あらた)める事。そして月光の正体を確かめる事も入っているかもしれん。嘘を見抜く神に対面で質問されるなど、考えただけでゾッとする。もしそうなった時は言葉を慎重に選ばねばならん。下手をすれば、エリス・ファミリア自体の消滅を招く可能性すらありうるな。

 

「……ロキ神の評判は方々(ほうぼう)で聞くが、相当な切れ者なのだろう?」

「多分、オラリオでも三本の指には入るかと」

「そんなかの神が私との接触を求めるとは……既に私の怪しさにある程度確証を持っていると見ていいだろうな。あの日<月光>を見た団員からの報告を聞いてのものかもしれん」

「だとしたらマズイですよ……あいつ、<月光>の事を知ったら絶対興味持ちますもん。『寄越せ』って脅してきたり――――」

「それはダメだ」

 

 断じるように語気を強めたルドウイークに、エリスは少し驚いたように目を丸くした。一方彼はそんな彼女の様子にも気付く事無く、忌々し気な視線を虚空に向ける。

 

「月光は好奇心や興味で触れていい物ではない。そうすれば、必ず災禍が降りかかる」

「貴方がそう言うのなら本当にやばいんでしょうね、その大剣。でも、そういうのが通じる相手じゃないですよ。むしろ、余計興味持つタイプです」

「であれば、最悪ロキ神を手にかける事になるかもしれないな」

 

 眉間に皺をよせ、冗談ともとられかねない程の発言を口にするルドウイーク。しかしその言葉に一切の嘘や虚飾が無い事を見抜くエリスは、驚愕を隠さずに彼に尋ねた。

 

「…………それ、本気(マジ)で言ってます?」

「月光の――――神秘の(もたら)す超思索と狂気。それの生みかねん災禍の程を考えれば、神一柱の首程度釣りが来るくらいだ」

「……あの、その剣とかそのヤーナムとか、私が思ってるよりずっとずっとヤバイやつじゃないですか? って言うか本当に『聖剣』なんですかそれ?」

「事実<聖剣>だとも。ただ、これがもたらす導きが良いものばかりではないというのは、貴女はもう垣間見たはずだ」

「…………何があったか、未だに思い出せませんけど……そのせいで今回遅れ取ったんですが」

「事ここに至っては思い出さない方がいいかもしれないな」

 

 言って、ルドウイークはコップの水を一息に飲み干した。そしてエリスに対して懸念するような視線を向けて核心に迫る問いを投げた。

 

「……で、そのロキ神の提案にどう答えたのだ?」

「いやですね、向こうが足元見やがりましてねぇ! …………ぶっちゃけ昔ならいざ知らず、今の勢力差で交渉かけようとした私が間違ってました。ごめんなさい」

 

 一瞬、誤魔化すようにエリスは声を荒げたが、その後すぐに大袈裟な所作を納めて頭を下げた。そこに嘘が含まれていない事を直感的に読み取ったルドウイークは、一度小さく溜息を吐くと眉間に手をやって一度二度揉み(ほぐ)し、それから諦めたかのような顔でエリスの顔を見る。

 

「分かった、これ以上は責めん。その結果に至るまでの経緯もこの際脇に置いておこう。それで私の二つ名とやらに対してロキ神の協力は得られたのか?」

「……一応、貴方がロキと会うことを条件に名付けへの介入はやってくれるとのことです」

「そうか。期限は?」

「少なくとも、来月半ば過ぎに行われる次の神会の少し前までには。二つ名決まった後に顔出してもこっちにメリット……あっちょ待っ吐き気が…………」

 

 ルドウイークの質問に答えていたエリスは突如として顔を青くした後立ち上がり、そのまま部屋から立ち去ってしまった。

 

 ……しばらくして戻ってきた彼女は先程会話していたときとは比べ物にならぬほど顔を青ざめさせ、フラフラとしたおぼつかない足取りでソファへと歩いてくる。ルドウイークはその有り様に居てもたっても居られずに彼女の元へと歩み寄ってその体を支えてやった。

 

「……今日はもう寝たまえ。幸い期限までにはしばらく時間がある。それまでに策を考えてくれればいい。……私には、そう言った戦いは向かんからな」

「うぅ……すいません……」

「歩けるか? 何なら部屋まで送るが」

「私は神ですので……それくらい……だいじょぶです……」

 

 エリスはルドウイークの提案を意地で断ると、そのまま部屋を後にして自室へ戻って行った。ルドウイークはしばらく立ったまま彼女の様子に聞き耳を立てていたが、ベッドに飛び込んだと思しき音と振動を聞きとって、安心したようにソファに戻った。

 

 そしてソファに腰掛けた彼は短刀や聖剣の具合を再び検めて、更には手持ちの消耗品や狩り道具、<秘儀>の数々をテーブルの上に並べ始めた。そして十分以上かけてそこに抜けや不具合のある物が無い事を確認すると、それを再び外套の雑嚢や背嚢(バックパック)へと仕舞い込み、<月光の聖剣>と<ルドウイークの聖剣>、そして<脈動の血晶石>を捩じり込んだ短刀を装備して腰を上げた。

 

 本来であれば、ダンジョン13層の確認を行った後の彼は休息に入る予定であった。だがしかし、ロキ神の目が自身に迫っていると知った彼は、予定を少し早め次の探索に早々に向かう事にした。

 目指すはダンジョン18層。ダンジョンにおける最初の【安全階層(セーフティポイント)】、モンスターの出現がほぼ無い特殊な階層であり、冒険者らによって築かれた【リヴィラの街】と呼ばれる冒険者達の拠点が存在する場所だ。

 

 ルドウイークは今しばらく、13層から始まる中層序盤の探索を行うつもりであった。だがしかし、ロキ神に怪しまれているとなれば余りゆっくりとはしていられないやも知れぬ。いざとなればダンジョン内で時間を過ごし、それを口実に彼女との接触を避ける必要がある……そんな想定も彼は考えていた。

 

 その為に、ダンジョン内で安全に長期の滞在を行う事の出来るリヴィラの様子、そしてそこへ向かうルートを確認しようと彼は思い立ったのだ。どちらにせよ、それ以降の階層を探索するのであればかの街には身を置かねばならぬ時はあるだろう。

 

 故に、今の誰にも関心を持たれていない内にリヴィラへと向かうというのが急遽彼の立てた計画であった。用意を終えたルドウイークは出発するべく席を立ち、部屋を出ようとする。しかしそこで彼は一つ、やり残した事に気が付いた。

 

 

 ――――エリス神に、何も言わずに出て行く事になるな。

 

 

 ルドウイークにとってはそれはあまり好ましい選択肢では無かった。彼女には恩があり、形だけとは言え主神とそのファミリアの構成員と言う関係上、一応許可くらいは取っておきたい。しかし自分から部屋に戻る事を進めた手前、今から彼女を起こすのも忍びない。

 仕方なく彼女が起きて来るまで時間を潰そうかとルドウイークは考えて、月光を磨くための道具を用意しようとした。

 

 その時である。部屋の扉が開いて、眠りについたとばかり思っていたエリスが戻ってきた。その顔色は先ほどと違い普段通りの血色で表情も落ち付いている。多少足元が怪しかったが先の様子に比べればずっとマシだ。それと、実際寝ようとしていたのか眼鏡を外し髪も解いて下ろしている。そんな彼女に、ルドウイークは驚いたような視線を向けつつ尋ねた。

 

「どうしたエリス神? 何か忘れ物でもあったか?」

「あ、いえ……何だかやり忘れた事があった気がしたんですけど…………階段降りてる間に忘れちゃいました。あはは……」

 

 苦笑いしながら、朗らかに答えるエリス。その普段通りの様子にルドウイークは肩の力を抜いて、小さく笑いかける。

 

「ならば、さっさと寝た方がいい。明日の仕事に差し支えるぞ」

「ふふ。ご安心ください。こんな事もあろうかと明日は休みにしてもらいました。二日酔いでも大丈夫ですよ!」

「そうか……しかし最近休みすぎではないかね? 幾ら私が稼いでいるとは言え、ヘファイストス神に対する借金返済の事もある」

「んー、そこはまぁうまい事やりますから……それよりルドウイーク、こんな時間からまたダンジョンに行くんですか?」

「ああ、そうだ。私もそれを伝え忘れていたんだが……18階層を一目見に行きたくてね。恐らく戻るのは早くとも夜になるだろう」

「そうですか…………」

 

 納得したように頷くエリスを見て、ルドウイークは安心したように席を立つ。しかしそこで家を出てダンジョンに向かおうとする彼をエリスが声をかけて引き留めた。

 

「そうだルドウイーク、一つ渡すものがあるんですよ」

「何かね?」

「これです!」

 

 彼女は懐から、一本の試験管を取り出した。中には赤い液体が揺れている。その正体をルドウイークは一目で見て取った。

 

「……血かね?」

「はい。私の血です」

「まさか【神血(イコル)】か!?」

 

 彼の確認にあっさりと自身の血であると答えたエリスに対し、ルドウイークは目を見開き問い質した。

 その脳裏に、以前【恩恵(ファルナ)】を与えて貰うべく血を受けた時の出来事が蘇る。あれが皮膚に触れた瞬間の、焼けつくような熱と痛み、そして途方もない酩酊(めいてい)感。

 

 あれは、ヤーナムの民であるルドウイークにとってあまりいい物ではない。普段通り精神を強く持っていれば問題は無いだろうが、状況によっては――――そのような回復手段が必要になるまで追いつめられた時に使用すれば、取り返しがつかぬ程に酔う可能性もある。彼がそうなれば、このオラリオでも多くの悲劇が生まれるだろう。当然それは彼の本意ではない。

 

 だが、<輸血液>の無い今、強力な回復手段は獣が手を伸ばす様ほどに欲しい物だ。その需要にあの血は間違いなく合致する。

 

 ……少し考え込んでから、ルドウイークは仕方なく、といった顔でその試験管を受け取った。そしてそれを目の前に持ってくると、くるくると振って揺れ動く血の様子を確かめる。

 

「…………これだけの量を使うのは流石に怖いな。一滴ですらあれ程の酔いをもたらしたのだから」

「そのあたりはうまい事調整してください。ちょっとだけ口にするとかちょっと傷に塗るとか皮膚に垂らすとか…………一応言っておきますけど、傷口にかけたり一気飲みしたりはお勧めしませんよ」

「同感だ」

 

 エリスの意見に同意を示して、ルドウイークは神血の入った試験管を空いた雑嚢の一つにしまい込んだ。

 これからの中層へと向かう探索の中……あるいは、それ以降の階層を調査する中でこれは切り札にすらなりうる。まるで噂に聞く【エリクサー】めいて、例え致命傷であろうと回復する事が可能だろう。だが、だからこそ扱いには気を付けねばならない。

 

 ――――万一私が再び獣となれば、どのような事になるか分からぬのだからな。

 

 彼は獣と化し、悪夢の中を彷徨っていた自分が振るっていたであろう暴威を想像して少し嫌な気分になった。そしてそれを心の中の脇に置き、いくつかの疑問をエリスに尋ねるべく彼女に視線を合わせる。

 

「しかしエリス神。こんな物いつの間に用意したのだ?」

「えーっと……何日か前ですね。私も何とか貴方の力になれないかと思って、こっそり用意してたみたいです。前の反応からして、渡すのには慎重になってたみたいですけど……18階層まで潜るって言うなら、一応渡しておいた方がいいかなぁって」

 

 ルドウイークの問いに心配そうに応えるエリス。その様子を見た彼は、彼女を元気づけるかのように自信に満ちた態度で笑いかけた。

 

「そうか。ならばうまい事使わせてもらおう。あるに越した事は無いからな……安心して待っていてくれ」

「あんまり遅かったら、先にご飯食べちゃいますからね!」

「そうしてくれると私も心配が無くて助かるよ」

 

 そう答えるルドウイークにエリスはニコニコと屈託のない微笑みを向ける。それを受けて彼は何かをほんの少し訝しんだが、改めて雑嚢の状態を検めるとダンジョンに向かうべくエリスに背を向けた。

 

「では、行ってくる。留守は頼んだぞ、エリス神」

「んー……あ、いえ。お任せください! 探索頑張ってくださいね!」

「ああ。それではな」

 

 そう言うとルドウイークは部屋を後にし、そのまま家を出てダンジョンへの道程を歩き始めた。それを玄関までついていって見送ったエリスは。後ろ手に扉を閉めて施錠し、部屋へと戻ろうと歩き出す。

 

 しかし何歩か踏み出して、彼女はふらりと足をもつれさせて壁に寄り掛かった。そしてなぜか、面白くてしょうがないという風に笑い出し、また自室に向けて歩き出しながら、誰ともなく独り言をつぶやき始めた。

 

「ふふ、ふふっ、ふふふ…………まったくもう。()にも困っちゃうなぁ。こんなに酔ってたら、真っ直ぐ歩けないよ……気持ち悪いの誤魔化すのだって苦労するし……でもまぁ、お陰様でちょっとだけ表に出てこれてるし大目に見て上げようかな」

 

 どこか他人事のように呟いた彼女は、階段を少しだけ苦労して登り切り自室に入る。そしてベッドの前を通り過ぎて窓を開き、空に浮かぶ月をどこか懐かしそうに見上げて笑った。

 

「ルドウイーク……悪くなさそうだなぁ。彼にはいろいろお礼しなきゃ。折角、()()()を素晴らしいこの世界に導いてくれたんだもの。何かしてあげるのが道理ってものだよね。()もそう思…………ああ、もう寝ちゃってるんだっけ? お酒がすきって大変だなぁ……そのままずっと寝てればいいのに。ふふっ」

 

 誰ともなく彼女は笑うと、眼を細めて月を見上げる。その青ざめた瞳は確かに空に浮かぶ月を見てはいたが、そこにある月をそのまま見ているわけでも無かった。それは上に居る者にのみ知覚できる高次元宇宙、超思索。それを以って、この世界の色を楽しげに眺めるその上位者のなれの果ては子供のように無邪気に笑みを浮かべた。それからどこか眠たげに眼をこすり、窓を閉じて鍵を閉めてから自身に語り掛ける。

 

「うーん……今日はそろそろおしまいかな……。ありがと私。短い間だったけど、楽しかったよ。じゃ、おやすみ……」

 

 彼女は自分の中で眠る誰かに向けて呟いた後、ふらついた足取りでベッドに入り、そして何事も無かったかのようにすぅすぅと寝息を立て始めた。それは普段と何ら変わらぬ、女神エリスの寝姿。だが彼女に起き始めている異変を知る者は、この時点では誰一人として存在しなかった。

 

 

 

<●>

 

 

 

 ――――【最初の死線(ファーストライン)】。上層を超え、中層の序盤に辿り着いた冒険者達はそう呼ばれ畏れられる領域の猛威をすぐさま味わう事になる。岩石に覆われた洞窟じみた構造は相も変わらずだが、明らかに光量を減じた薄闇の中に上層とは比べ物にならぬ能力を備えたモンスター達が跋扈(ばっこ)している。

 

 その最たる物が【ヘルハウンド】と呼ばれる犬型のモンスターだ。仔牛ほどの体躯を持つ彼らは殆どの場合集団で現れ、その高い敏捷性で冒険者たちを素早く射程に捉える。そして口から吐く火炎によって無知な、或いは熟練の冒険者さえも焼き殺してしまう、【放火魔(パスカヴィル)】なる異名さえ持つ危険極まりない敵だ。間違っても、レベル2の冒険者が単独で挑んで良い相手ではない。

 

 それ以外にも新たに出現するモンスターはいる。上層にも出現したゴブリンの亜種、【アルミラージ】。小人(パルゥム)程の体躯を持ったその一本角の小獣人たちは、かわいらしい見た目に反し非常に攻撃的で、特に集団での攻撃を得意とする。その見た目に油断した冒険者が【天然武器(ネイチャーウェポン)】の手斧によって頭をカチ割られた話など、全くもってありふれたものだ。

 

 他にも、11階層でも出現したアルマジロめいて丸まって転がるモンスター、【ハード・アーマード】なども薄暗く見通しの悪い中層においてはその危険度は段違いだ。特に明るい上層から中層へと降りてきたばかりの目が慣れていない冒険者にとってモンスターとの突発的な遭遇が増えるというのは命の危険と直結する事態だ。故に、この中層序盤の13、14階層は全くもって【最初の死線】と呼ばれるに相応しい危険地帯なのである。

 

 その中層14層。四匹のアルミラージの群れがダンジョン内を行進していた。冒険者と対峙すればすぐさま凶暴性を露わにする彼らも、同族以外誰も居ないとなれば牙を向く必要も無い。ダンジョンへと足を踏みこんだ愚か者を探すかのように、のんびりと通路を進んでゆく。

 

 彼らが曲がり角を曲がると、いくつもの岩石が転がる部屋(ルーム)に出た。中層ともなれば、部屋と部屋を繋げる通路も長い距離がある場所があり、そこに踏み込んだ結果壁から生まれ出たモンスターによって前後から挟み撃ちに合う冒険者と言うのも良く見られる光景だ。その為中層ともなれば無為に通路で長い時間を過ごす事は半ば自殺行為と取られる事さえある。

 

 だが、モンスターである彼らにとってそれは関係ない話だ。()匹のアルミラージは意気揚々と岩石から取り出した【天然武器】の手斧を手に、部屋を後にして更に奥へと進んでゆく。しかし今は地上では誰もが眠る時間帯。当然冒険者の数も少なく、彼らはその力を持て余していた。

 

 彼らは再び曲がり角を曲がり、苛立ち始めながら襲うべき冒険者の姿を探す。だが無情にも殆ど冒険者の居ないこの時間帯に獲物を見つける事は出来ず、()匹は苛立ちを紛らわせるように手斧を振り回したり、ダンジョンの床にガリガリと傷をつけながら歩いて行った。

 

 ……この時間帯に冒険者が少ないのは何も地上の彼らが眠りについているからではない。当然、夜も眠っていない冒険者も数多くいる。だが彼らがそれでもこの時間帯にダンジョンに踏み入らぬのは、単純に『モンスターが多い』からだ。

 一つの階に出現するモンスターの最大数は決まっていると言われる。故に冒険者が少ない時間帯ともなれば、それだけ少ない数の冒険者で多くのモンスターを相手取る機会が増えるのだ。単純に多くのモンスターの相手をせねばならない状況とは、冒険者の死に様として最も一般的な物だろう。

 

 特にこの中層序盤で出現するモンスターは集団戦に秀でた者が多く、一対多となってしまえばレベル3の冒険者すら危うい事もある。その為、ギルドではレベル2に至った冒険者らには複数人での探索を推奨している。

 

 一方、二匹のアルミラージは苛立ちの余り来た道を戻ろうとしていた。彼らはダンジョンに生まれ落ちてからしばらく経った個体であり、本能的に今まで向かっていた方向……14層の奥地に冒険者が少ない事を知っていた。

 

 だがそこで、ようやく自身等の後ろに居た二体の姿が無い事に彼らは気づく。彼らは慌ただしく鳴き声を交わし、二手に分かれて走り出した。片方は階層の奥へ、もう片方は今まで歩いてきた方へ。文字通り脱兎のごとく、しかしその凶暴性を隠さず走り出した。

 鬱憤が溜まっていた彼らの様子は正に獲物を見つけた獣のごとし。姿の無い二匹が気まぐれに群れを離れた可能性も考慮せず、敵による事態と決めつけて通路を駆け始める。

 

 しかし階層の奥へと向かおうとしたアルミラージは、来た道を戻ろうとしたもう一体が通路の角を曲がった途端に上げた短い断末魔を聞き取った事で足を止めた。

 

 もはや、敵の仕業であることに間違いない。最後の一体となったアルミラージは急ぎ道を戻り、同胞が悲鳴を上げた曲がり角へと飛び出した。

 

 

 ――――そこに在ったのは、無残な姿となった同胞の死体。角を無理やりにへし折られ、それによって喉を貫かれダンジョンの壁に縫い止められている。顔は恐怖で硬直し、まだ暖かな血が折られた角と喉の傷から垂れ流されっぱなしだ。

 

 アルミラージは周囲を警戒しながら死体へと一歩一歩近づいてゆく。死体の出血からして、その内匂いを嗅ぎ付けたヘルハウンドが現れるだろう。この場を離れなければ、彼らの狩りに巻き込まれるかもしれぬ。

 だが、そんな事実も同胞を無惨に殺された彼の頭の中には無かった。そこには怒りだけがあり、一刻も早く同胞に手をかけた冒険者を見つけ出して、殺してやるという復讐心だけがあった。

 

 故に、彼はその背後に音も無く現れた白装束の冒険者の存在に最後まで気づく事は出来なかった。

 

 

 

 アルミラージは死んだ。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 四体のアルミラージを執拗なまでに丁寧に殲滅した白装束の冒険者――――ルドウイークは、最後に殺害したアルミラージを手早く解体してその肉体の構造を頭に叩き込むと魔石を引き抜いて死体を処理。そのまま、ニールセンに伝え聞いた15階層へ向かうルートへと急ぎ移動を開始する。

 

 道中、彼は何度かモンスターとすれ違った。先程のアルミラージの血の匂いを嗅ぎ付けた数体のヘルハウンド、別のアルミラージの群れ、転がり続けるハードアーマードに、大猿のモンスターであるシルバーバック。

 

 しかし彼はそのどれとも戦闘を回避し、澱み無く15層へと迫って行く。……本来であればモンスターが冒険者をこうも見逃すなどありえない。だがルドウイークがそれを可能にしたのは、上層以上に高さを増した天井、方々に突き出した岩の物陰、薄暗く視界の通らぬ闇……そう言ったダンジョン内の環境を十全に利用したためであった。

 

 だがそれは、誰にでも出来る事ではない。ルドウイークの持つ、ヤーナムで培った戦闘経験と気配の消し方の上手さ。そして薄暗い空間――――<夜>における、闇の利用方法に関する知見の厚みからだ。

 

 確かに、暗く先の見えぬ闇はモンスター……獣たちの姿を覆い隠す、恐るべき帳である。だが、そんな彼らを狩るべく数多の夜を駆け抜けた狩人達にとってもそれは同じ事。夜は獣と狩人、遍くその隣人であり、そのどちらにも牙を剥きうる存在なのだ。

 

 特にルドウイークは、あの語られるべきでない夜を幾度と無く超えてきた手練れ中の手練れだ。獣相手に、夜闇の力を幾度借り受けたかなど数え切れぬ。それに、ダンジョンに侵入する冒険者達を敵視し襲い掛かるモンスター達とただ己の内の獣性に支配され只管に喰らい殺すばかりの獣どもでは脅威の方向性が違う。

 

 ルドウイークにとっては、理不尽な凶暴性と暴力の化身とも思えるヤーナムの獣どもより、どのような形であれ営みと言う物を少なからず持つオラリオのモンスター達の方が幾分真っ当に見える存在であった。

 

 そんな彼らの習性や思考を読み解く事で、出来うる限り戦闘を避け進むルドウイーク。異形の怪物であったヤーナムの獣どもにはこのような手法は殆ど通用しない。

 彼らは視界に映る者に襲い掛かり殺害する一種の暴力装置。時に諦めが早く単純であるが、時にどうしようも無く執拗かつ予測のつかぬ存在だ。だからこそ、多少なりとも生物らしい振舞いをするモンスター達の方が彼としては多少気が楽である。

 

 しかし、彼と言えども戦闘を避ける事の出来ない状況と言うものは必ずある物であり。前方から横並びに歩いてきた二体のヘルハウンドが、ついに物陰を渡り歩くルドウイークの姿を捉えた。

 

『オオオオオオオッ!!!』

 

 雄叫びをあげると同時に、二体のヘルハウンドは疾駆し、一気にルドウイークとの距離を詰める。そして一体が先に飛び出し跳躍、彼の顔を食いちぎるべく飛びかかった。

 

 しかし、それを甘んじて受けるルドウイークでは無い。喉の奥から火の粉を散らしつつ大口空けて迫るヘルハウンドを、素早く抜いた長剣で迎え撃つ。接近の瞬間、ルドウイークは足をもつれさせるようにして上体の姿勢を保ちながら一人分横にズレる事でヘルハウンドの飛びかかりの軌道から体を逃れさせ、そして長剣を横薙ぎに振り抜いた。

 

 大きく開いた口に長剣が振るい込まれると、ヘルハウンドの肉体は速度を保ったままその刃を受け入れまるで引き裂かれるかのように上下で真っ二つに断ち切られた。その二つに増えた死体が、勢い良く彼の背後に叩きつけられ血や臓物を巻き散らす。

 ルドウイークはその様を確認一つしない。何故なら、眼前で身構えたもう一体のヘルハウンドは口の中に炎を溜め、今まさにルドウイークへとそれを吐きかけようとしていたからだ。

 

 正に一瞬の猶予も無い状況。しかし、長剣を握った右手をだらりと下ろしたルドウイークは落ち着き払った様子で左手の親指と人差し指を使って輪を作り、眼前に掲げたそれを通してヘルハウンドを見つめる。その理解しがたい行動の間に口内に炎を溜め込んだヘルハウンドが、自身の最も恐るべき能力である火炎放射を放つべく勢い良く口を開いた。

 

 ヘルハウンドの火炎放射は高い温度とその10M(メドル)程にまで達する事もあると言う射程によって、多くの冒険者達を消し炭にしてきた。数匹で同時に炎を吐きかけられれば例えレベル3、時にはレベル4の冒険者でさえ致命打となりうる。今は一匹だけではあるが、それでもその火力は専用の装備でも無ければレベル2の冒険者に受け切れるものではない。ヘルハウンドの前で何の行動も見せずに立つルドウイークも、数瞬後には全身を焼き尽くされ死に至るだろう。

 

 だが、そうはならなかった。ルドウイークは何の行動も見せていなかった訳では無く。数多の<秘儀>に精通した彼は、既にヘルハウンドを殺すための手を打っていたのだ。

 

 ルドウイークの視線を通す指の輪に虚空より青白い光の粒子が集まる。そしてその輪の中にヘルハウンドが広がる暗黒宇宙を垣間見た瞬間、そこから飛び出した拳大の隕石が光の尾を引きながら火を放たんとするその口の中へと直撃。隕石は魔法とも異なる<神秘>の力を放ちながら玉砕し、その衝撃に耐えきれなかったヘルハウンドの肉体を破壊して体内に溜めた炎を周囲に爆発的に撒き散らした。

 

 これこそ、彼の持つ秘儀の一つ<夜空の瞳>。隕石渦巻く宇宙を内包したその眼球は、外部からの刺激と触媒の消費によって内の宇宙から隕石を外部へと飛び出させる。<エーブリエタースの先触れ>と同量の触媒(魔石)を消費して放たれたそれは、先触れに比べれば威力は低いものの射程においては遥かに上回る。

 

 ヘルハウンドがルドウイークの視線だと思っていたのは、実際のところこの眼球のものであった。そして、それほど高くない筈の威力も神秘への強い適性を持つルドウイークが用いれば中層序盤程度のモンスターを容易く殺害せしめる威力を持つ。

 

 その神秘的な接触によって死亡したヘルハウンドが溜め込んでいた炎と爆風を外套で顔を覆い受けるルドウイーク。爆発によって撒き上がった土が払われて視界が戻れば、肉どころか血も魔石も焼け消えた黒ずんだ爆発痕を残してヘルハウンドは消滅していた。それを見て取って、ルドウイークはすぐさま走り出した。僅かな間を置いて、音を察知した数体のヘルハウンドが爆発跡を踏みしめて走り出した彼の背を追う。

 

 ルドウイークは自身を追うヘルハウンドの群れを肩越しにちらりと確認して15階層への階段へと全速力で急いだ。だが、階段も目前かと思われたところで曲がり角からごろごろと転がる岩石じみた影が現れる。

 

 【ハード・アーマード】。上層の最終盤から現れる鎧鼠(アルマジロ)のモンスターで、その防御力はこの階層においても圧倒的に高く、体を丸め転がっている間はほぼ無敵状態とさえ言われるモンスター。そんなモンスターがルドウイークを押し潰すべく、その後ろに同胞のモンスター達が居るなどと考えてもいないように加速を開始した。

 

 前方からは圧倒的な防御力で敵を押し潰さんとするハード・アーマード。後方からはいきり立ち、ルドウイークを焼き殺すべく迫るヘルハウンドの群れ。間違いなく、14層で遭遇する交戦(エンカウント)の中でも最悪に近い状況だ。レベル2にランクアップしたばかりの冒険者では成す術も無く()き潰されるか、後方のヘルハウンド達に焼き殺される事になるだろう。

 

 だが、それに対してルドウイークは速度を緩める事無くハード・アーマードへと向かってゆく。そして、背にしたルドウイークの聖剣を鞘ごと手にすると、接触する寸前で裂帛の気合と共に振り下ろした。

 

「ハアッ!!」

 

 ハード・アーマードの突進とルドウイークの聖剣。二つの暴力がぶつかり合った瞬間凄まじい激突音が鳴り響き、甲殻と刃が(しのぎ)を削り合い火花を散らす。

 

 だが、それも長くは続かない。

 

 超硬金属(アダマンタイト)に縁どられ、更に血晶による強化を成された刃がその甲殻を削り、内部まで傷を到達させ、柔らかい肉に触れる。瞬間、ルドウイークは今までオラリオで出す事の無かった己の全力を以って刃を押しこんだ。その威力は、肉を、骨を容易く切り裂き、ハード・アーマードが持っていた速度が減衰する間もなくその肉体を縦一線に両断する。

 結果、半分に分かたれたハード・アーマードはそのままの勢いでしばらく転がり続け、ルドウイークの後続として彼を追い込まんとしていたヘルハウンドの群れを轢き潰していった。

 

 全滅に等しい状態へ追い込まれたヘルハウンド達。だが、それでも真横を通り過ぎた恐るべき半球体に臆せずルドウイークに迫る個体が居た。幸運にもルドウイークの真後ろに位置取っていたために轢殺(れきさつ)に巻き込まれなかった最後の一体。

 

 そいつは更なる敵意に目をぎらつかせ、放出寸前の状態となった炎を口に蓄えたままルドウイークに飛びかかる。

 空中から飛びかかっての火炎放射、或いは噛み付いてからの零距離火炎放射。例え迎撃され切り裂かれても、溜めに溜めた炎の爆裂に巻き込まれればルドウイークは無事では済まないだろう。

 

 ヘルハウンドにそれを意図するほどの知性があったかは定かではないが、どう転んでも多大な痛手を負わせうる状況。ヘルハウンドは同胞を殺された怒りか、あるいは獲物を焼き殺す喜びか、そんな感情に目を光らせ獰猛に牙を向く。

 

 だがその時、ヘルハウンドの下顎をしたたかに衝撃が襲った。かち上げられるように体勢を崩すヘルハウンド。その下顎には、ルドウイークが懐から取り出し投げつけた何の変哲もない石がめり込んでいる。そしてその攻撃をヘルハウンドが知覚した時には胸の魔石をミスリルの切っ先が過たず貫き、魔石を破壊された体が灰になる時にはルドウイークはその数歩先で既に炎の炸裂に備えていた。

 

 しかしルドウイークの警戒とは裏腹に、魔石を破壊されたことでモンスターの持つ魔力が四散したか炎は一瞬虚空を照らしただけで消え失せ、後には僅かに灰が残るばかり。

 未だに警戒を解かず周囲を観察していた彼はその灰溜まりに歩み寄ってそれを見聞した後、すぐ興味を無くしたように立ち上がってまた走り出した。

 

 彼としては、これ以上この階層の敵に関わっている理由は無い。何時現れるとも知れぬモンスターを警戒しながら15階層を目指してひた走る。岩を回避し、闇に紛れ、穴を飛び越え――――

 

 そこでルドウイークは足を止めた。振り返ったその背後には、ぽっかりと口を開けた大穴。慣れ親しんだ方のダンジョン(聖杯ダンジョン)でも時折見かけた落とし穴の一種だろうか。無意識に回避したそれを見ながら、ルドウイークはニールセンに教授された知識を思い出す。

 

 中層以降では、こうした危険な落とし穴が時折出現するのだという。ダンジョンが生きているという事実に基づくよう無作為に出現するそれは見た目通りの落とし穴であり、下の階層に直接繋がっている。

 

『いざと言う時は逃走に使え』

 

 彼女はそう言っていた。だが、ダンジョンにおいてはそのような行動を取れば、それはすなわち博打に等しいのだとも。

 

 何せ、ダンジョンは広大だ。階層間の昇降に使った場所を起点に現在位置を把握するやり方が一般的なここにおいて、想定外の上下階層の移動はすなわち遭難する事と同義である。そして方位磁針も効かぬこのダンジョンにおいて、遭難する事はもはや死に直結した事象だ。

 

 上下に入り組んだかのヤーナム市街で戦ってきたルドウイークも、自身の現在位置を把握する事の重要性は身に滲みるほど知っていた。一人仲間からはぐれた事で、獣に食い殺された狩人など数えきれぬ程に居るのだから。

 

 故に、彼は落とし穴に身を躍らせて道中をショートカットするという選択肢を素気無く振り払う。そして、未だに距離のある15層への階段を目指して、振り返る事無くダンジョンの闇へと飛び込んでいった。

 

 

 




やっぱ戦闘シーンは難しいけど書くの楽しい……欲を言えば両原作の描写をうまい事落とし込んで説得力や躍動感のあるホンが書けるようになりたいもんです。

新入団員の出典についてのアンケですが、フロムキャラがぶっちぎりなのでフロムキャラにする事になるかと思います。
一人は考えてあるけど……何人にするかもきっちり決めないとですね。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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17:【リヴィラ】

18000字くらいです。

評価6000! 未知のエリアに踏み込んだ感があります。
何はともあれ感想評価お気に入り、誤字報告してくださる皆さまのお力によって作者のモチベは成り立っております。
本当にあり難いです。

やっと原作にまた絡めそうですが、今話も楽しんでいただければうれしいです。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 オラリオの街路を駆ける、影が一つ。

 

 時刻はようやく空も白み始め、夜明けを迎えようとしている時だ。だが、とても朝とは言えるタイミングではない。そんな魔石灯もいまだに煌々と灯り街路を照らす薄闇の元を、彼女は足元も見ず走り抜けていく。

 

 目指す場所は一つ。自らの住まうダイダロス通りから西の大通り(メインストリート)まで一度も足を止める事無く走り続けた彼女は、この時間にも拘らず明かりが灯ったままの一件の店の前に辿り着くとロクに確認もせずにその戸を派手に蹴り開いた。

 

「ルドウイークッ!!」

 

 店内に飛び込んだエリスはあらん限りの声を上げて叫んだ。店内にその声が響き渡る。

 

 ……だが、そこに居たのは一つのテーブルに着きコーヒーを飲もうとしていたマグノリア・カーチスと干し肉を齧っている【黒い鳥】のみ。故に自身の眷属を呼ぶその声に応える者はなく、【鴉の止り木】亭に奇妙な沈黙が訪れた。

 

「……………………」

 

 その場に居る三人の内、元より店内に居たマギーと黒い鳥はエリスの方を見て硬直している。まず、この夜明け前の時間帯にこうして揃って起きているというのも奇妙な話ではあるが、そこに突然女神エリスが乱入してきたのだ。二人の内心の驚きは相当の物だっただろう。

 

 一方エリスは、ルドウイークが居ない事に気づいて、恥ずかしくて死にたくなって、一瞬後それよりも姿の無いルドウイークを探す方が大事だと思って、何事も無かったかのように愛想笑いを浮かべて後ずさり、そのまま店から立ち去ろうとした。マギーがそれを許す筈も無かった。

 

「エリス?」

 

 マギーはエリスに対して、無表情で呼びかける。基本的に、彼女が激怒した時は口汚い言葉で相手に怒鳴り散らすものだ。それはエリスも良く知っていた。そして、それを更に上回るほど怒った時はどう言う顔をするかと言うのを、エリスは今日まで知らなかった。

 

「ご、ごめんなさい……今私、ちょっと気が動転してまして…………」

「説明」

 

 その平坦な表情に途方もない恐怖を感じたエリスは慌てて平謝りしようとする。しかしマギーはそんな彼女の言葉に耳を貸す事も無く、変わる事の無い無表情を向けながら端的な要求を突きつけた。凄まじい圧力に、エリスは短い悲鳴を上げて冷や汗を流す。その後ろで、いつの間にか扉の前に立っていた黒い鳥が後ろ手に戸を閉め、ついでとばかりに鍵をかけた。

 

「こんな時間に何? どうしてウチに来たの? 今ドアぶち開けた時に取っ手が壁に当たって凹んだんだけど弁償は? それより私のコーヒータイムをどうしてくれるわけ?」

 

 エリスが逃げ場を失ったのを見て、マギーは矢継ぎ早に質問を繰り出した。下手な弁明など許さぬという意思を隠さないその眼に見つめられ、しかし余裕のないエリスは必死に身振り手振りを交えて、一刻も早くこの場を切り抜けるために話し始める。

 

「えっと、実はルドウイークが起きたら見当たらなくて、でも彼が私に黙ってどっか行くなんて考えられないし、でも実際いない訳で、それでとりあえずまずこの店に来たんだけど、彼はいないし迷惑かけるしで、本当にごめんなさいなんですけど、とりあえず彼を探しに行きたくて……」

 

 自分でも何を言っているのかわからないと言った具合のエリス。すると、その肩を軽く叩いて黒い鳥はおどけたように笑って見せた。それを見てエリスは何度か吸って吐いてを繰り返し、そして先より多少落ち着いた口調で再び話し始める。

 

「とにかくですね、ここにルドウイークは来てないですか? 私、心配で心配で……!」

「少し落ち着いて考えてみた方がいいんじゃない? そういう話だったら、まずはギルドに顔出して見るべきだと思うけど」

「あっ……」

 

 失念していたのがはっきり分かる声色で、エリスは呆気に取られた顔を見せた。それに対して、事情を理解したマギーは先程までの圧力を嘘の様に収めて呆れたように溜息を吐く。そして困ったように肩を竦めた黒い鳥に一度目を向けると、頭痛を堪えるかのように額を掌で抑えた。

 

「まぁ、事情は分かったわ……。貴女の過去の事を考えれば、確かに同情の余地がある。さっさと出て行きなさい」

「えっ。いいんですか!?」

「そんな都合のいい話私がすると思う?」

 

 一瞬安堵に目を輝かせたエリスに射殺さんばかりの視線を向けてマギーは言った。そのまま彼女は机に頬杖を突くと、怒りを堪えるかのようにエリスを睨みつける。

 

「……ねぇエリス。アンタがルドウイークを探しに行きたいのは分かるし、早く行かせてもあげたいわ。でもね、それじゃ私の怒りが収まらないの。ぶっちゃけ、あの律儀さの塊みたいな男がアンタを放り出して逃げ出すとも思えないし、多分、昨日呑みすぎて覚えてないとかそう言うオチじゃないの? …………だから、私としては今ここでそれなりのお仕置きをしておきたいの。分かる?」

「わ、私の記憶が飛んでる可能性があるのは正直有り得ないとは言い切れないんですが、でも何でそれがお仕置きに繋がるんですか!? 意味わかんない……っていうかそれ、ルドウイークが帰ってきた後じゃだめなんですかね……?」

「ダメ。お仕置き。それも、私の怒りが収まるような奴」

 

 震える声で後ずさろうとするエリスに辛辣に言い切って如何なる罰をエリスに加えるべきか、マギーは思案する。しかし、そこでエリスの後ろに立つ黒い鳥が『本(にん)も反省してるみたいだし、いいんじゃないか?』とマギーを諭すように声をかけた。

 

「ちょっと黙っててフギン。これは私とエリスの問題よ」

 

 だが、マギーの圧はそれを許さない。そして何か名案を思い付いたか、自身を諫めようとする黒い鳥を制しつつ、震え、怯えるばかりのエリスに対して、彼女は右手を伸ばしてその左の頬を摘んだ。

 

「ふぇ? ふぇっと、なんです、これ……」

「フギン。逆お願い」

 

 マギーの突然の行為に困惑するエリス。彼女はマギーによるお仕置きは、きっと普段黒い鳥が喰らっているような無情極まりない鉄拳制裁だとばかり思っていたため、頭が付いていけず混乱する。だが、マギーはそれに反応を返す事も無く、難しい顔でその様を眺めていた黒い鳥に指示を出した。すると彼はその簡潔な言葉だけで言わんとする事を理解して、マギーに倣ってエリスの頬を摘む。そして。

 

「せー、のっ!」

「にぎゃあああああ!!!!」

 

 二人によって頬を千切れんばかりに引っ張られたエリスの情けない悲鳴が、夜明け前のオラリオ西大通りに響き渡った。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスがマギーと黒い鳥による折檻(せっかん)を受けている丁度その時。

 

 当のルドウイークはダンジョンの17階層にまで到達していた。彼のオラリオでの評価を考えれば脅威的な速度である。少なくともレベル2の冒険者が単独で行う事の出来る所業では無い。

 もし同様の事を成した冒険者がこのまま地上に帰還することが出来れば、ステイタスによってはその者はランクアップを目前とする、あるいはレベル3に手をかける事が出来るだろう。

 

 だが残念ながらルドウイークはレベルの概念に囚われぬ存在であり、同時にそのような偉業を成しても、何ら糧と出来るわけでもない存在でもある。故に彼はそのような事に思考を浪費する事も無く、今はただ目の前の煌めく壁に手を触れながら自身の担当アドバイザーに教えられた情報を頭の中で反復していた。

 

 他の歪な部屋(ルーム)とは異なる、広い広い大広間。ヤーナムの大聖堂下広場よりも広いそこに聳える継ぎ目のない一枚板の如き真っ平らな巨大な壁。それこそが、安全階層(セーフゾーン)である18層への道を遮る正真正銘最後にして最大の壁。

 

 ――――【嘆きの大壁(たいへき)】。

 

 数階層ごとに君臨する【階層主】、正式には【迷宮の孤王(モンスターレックス)】と呼称される別格の怪物の一体を……その一体のみを生み出す壁だ。しかし、本来生み出されたその【階層主】はこの部屋の奥にある18層への入り口の前に陣取っているとのことだが、今はその姿は無い。

 

 ニールセンの言によれば、17層の階層主である巨人のモンスター【ゴライアス】の再出現にかかる時間は、約二週間ごと。つまり、今は前回ゴライアスが倒されてから再出現までの時間を満たしていないのだと考えられた。

 

 何でも、ゴライアスはこの部屋に居座る事で地上と18層にある【リヴィラ】の間の物流を停止させてしまうため、定期的に有志の冒険者達によって討伐されているらしい。確かにそれは憂慮すべき事態であり、定期的に討伐されるのも止む無しだとルドウイークは一人納得した。

 

 ただ、聞けばこのゴライアスのように次階層への昇降路前に立ちふさがる様に待ち受ける者も居れば、自ら階層を縦横無尽に移動し暴威を振るうタイプの階層主も居るらしい。下層最初の関門である27階層に現れるという【アンフィス・バエナ】なる双頭竜は、流れ落ちる滝を昇る事で幾つかの階層を股にかける事もあるという話だ。

 

 だが、強大な階層主になればなるほど、再出現までの次産時期は長くなる。それを見極めて行動すれば、無用な危険を避ける事が出来るだろう。ルドウイークはニールセンから与えられた知識をしっかりと記憶に刻み込むと、かつてモンスターであった灰の跡をそこら中に残したまま大広間奥の洞窟から18階層へと降りて行った。

 

 

 

 

 

 18層に降り立ったルドウイークの頭上をうすぼんやりとした明かりが照らす。彼が上を見上げれば、まばらに生えた木々の隙間から見える天井には少しずつ光量を増し始めた水晶の群れ。天井を隙間なく覆ったそれは時間の経過によって光量を変化させ、朝昼夜と地上のそれに似たサイクルをこの18層にもたらしている。

 

 もっとも、その時間配分は地上と同一では無く、時に小さく、時に大きくずれたりはするのだが……今日のリヴィラの時間進行は、地上とそれほど変わりが無いようであった。

 

 上を見上げていたルドウイークは、天井の白み具合を見てから森の中を歩き始めた。連絡路の木々の中を行く彼は、ダンジョンの中とは思えないその穏やかさに驚いたように周囲を見渡しながら進んでゆく。これほど安全な森と言うのは、彼にとっては初体験の環境だった。

 

 ヤーナムに僅かにあった森というのはいずれも暗く陰鬱(いんうつ)で、狂った住人達、彼らの仕掛けた罠、そして獣となり果てた者達までもがうろつく一瞬の油断すら許さない危険地帯だ。そんな場所で気が休まる事など無い。

 そのような過去の経験との齟齬(そご)(もたら)した違和感からか、安全地帯とされる18階層の森の中でありながらルドウイークはどうにも落ち着かず、早々に森を抜けようと足を速める。

 

 所々に薄く光を放つ結晶が生える森の中を彼は進んでいった。その足が止まる事は無く、道に迷う事も無い。それは多くの人の出入りの痕跡を地面の様子から読み取る、狩人としての追跡技能の応用だ。その業によって彼は森の中で一度も足を止める事無く歩を進める。そしてその森が小規模な物であったが故にルドウイークの視界はすぐに開け、この階層の全貌が彼の前に露わとなった。

 

「……絶景だな」

 

 その景色を見たルドウイークは、見て感じたそのままを思わず呟いていた。

 

 小高い丘となった森の出口からは、眼下に広がる大草原が目に入った。階層の中心を覆い尽くすそこには、天井などから生えている物と同質の水晶が所々に点在し、淡い光を放っている。その中心には読んで字の如くである【中央樹】と呼ばれる巨木が生えており、その根元が19層への入り口となっているとの事だ。

 

 北側には手つかずの湿地帯が広がり、そこは南から東に広がる森の南端に位置するここからでもその大きさがはっきりと分かるほど雄大だ。そして西に見えるは湖と呼んで差支えの無い広大な水辺と、その中央に浮かぶ島。そこには人造の建造物が幾つか立ち並び、人の息遣いを感じさせる。

 

 あれが【リヴィラ】か。ルドウイークはそこと今居る場所の位置関係を記憶すると、再び周囲に目を向ける。彼の目に映ったのは、オラリオの半分近い面積を誇る広大なこの階層の至る所に生える水晶。それらも今の夜明け時に合わせて柔らかい光を放ち、同様の水晶に埋め尽くされた天井からの光も合わせて、この階層の絶景を素晴らしく演出している。

 

 正に【迷宮の楽園(アンダーリゾート)】の名に相応しい、壮大極まる光景であった。

 

 皆がこの光景を見たならば、何と言っただろうか。この景色を前にしたルドウイークはそんな想像をせずには居られなかった。

 シモンであれば、私同様に感嘆の意を示していただろうか。<加速>やマリアならば、何か気の効いた比喩でも口にしていただろう。<(からす)>はダメだな。ただでさえ自由人なあの男のことだ。こんなものを目にすれば、この階層を隅々まで探索せずには居られないだろう。

 

 まぁ、奴ならば最後には中央樹の上で眠っていそうなものだがな。ルドウイークは嘗てヤーナムの時計塔に無断で入り込み寝床としていた男の有り様を思い出して、呆れたように口元を歪めた。

 

 そんな、懐かしさに浸るような思索をしながらも、彼の足は着実にリヴィラへと向かっていた。モンスターのまず出現しない階層であると言う情報通り、道中のような戦闘の起こる気配も無い。一応、ルドウイークは警戒を常に怠る事は無かった物の、結局それは杞憂に終わり、無事リヴィラの街の膝元、湖畔に架けられた大木の橋の元へとたどり着いた。

 

 湖畔から架けられた橋を渡って島へと上陸すると、ルドウイークの前に木柱と旗で作られた簡素なアーチ門が姿を現した。そこに記された名は【リヴィラの街】。嘗てダンジョン内に中継拠点を築こうとしたギルドの計画を冒険者らが勝手に引き継ぎ今日に至るまで維持発展させて来た。

 

 そのアーチ門には街の名とは別に、三百三十四と数が記載されている。ニールセンによればこれは現在のリヴィラの街が何代目の街であるかを示す数字であるとの事だ。つまり、この街は過去三百回以上壊滅しながらもそれを上回る回数の復興を遂げている。同時にそれは、安全地帯と呼ばれるこの階層でも街が壊滅するような事態は起こりうるという事を暗に示していた。

 

 その門を潜ると、遠目にはわからなかった街の細部がはっきりと見て取れるようになった。街は隣接階層からやってくるモンスターの襲撃に備えてかこの階層に点在する水晶や岩を利用した半天然の外壁によって取り囲まれている。

 既に湖に浮かぶ島であると言う要素に加え東部を除き200(メドル)近い断崖に囲まれた防衛という観点からはこの上なく強固な立地のこの街だが、それでも更にこうした守りを固めているのはルドウイークにとっては驚くべき事であった。それほどの事態も起こりうるのかと、彼はダンジョンへの警戒を新たにする。

 

 そして、その内側に足を踏み入れたルドウイークの前にまず姿を現したのは簡素な天幕や木製のあばら家、露天じみた数多の商店だ。ここは冒険者達の休息地であると同時に、余剰の素材や魔石を売却したり不足した消耗品を補充するための補給地点でもある。

 当然、商品の仕入れも困難であることからその価格は地上の比ではないが、それでもこのように店が立ち並ぶほどの活気が冒険者の出入りによってはあるのだろう。ただ今は地上も、ここも夜が明けた程度の時間だ。街に人の気配はあまりなく、開いている商店も見当たらない。

 

 だが、全ての店が戸を閉じているという事は無いだろう。他の商店が店を閉めた時間に顔を出す客を相手にする店があるのは、地上もここもそう変わらないはずだ。出来れば、どの店がこの時間帯にも開いているかと言うのは知っておきたい。潜伏するともなれば、その程度の情報は持っていなければ。

 

 ある程度この世界に馴染んで来たルドウイークはそう考える。それは夜であれば狩人のみが出歩くヤーナムでの経験だけではありえなかった思考だ。彼もまた、この世界へ順応し始めているのだろう。

 

 だがしかし、このリヴィラに初めての来訪となったルドウイークに土地勘など一切ない。どこから見て回るか。彼は思案し始める。

 

 すると、ルドウイークの元へ一人、何者かが歩み寄って来た。彼を観察でもしていたのか。気配を隠さぬその歩みをルドウイークはすぐに察知して、ちらと視線を向ける。

 

 その男は、他の冒険者とは一線を画した装いを――――どちらかと言えばヤーナムにでも居そうな類の格好をしていた。背の高いハットに丈の長いロングコート。黒く染め抜かれたその胸元には赤い一輪の薔薇。背には巨大な石弓(クロスボウ)を背負い、足にはそれに装填されるボルトを幾つも身に付けている。そしてその顔は仮面に隠され判然としないものの紳士めいた口髭が描かれており、何処か諧謔(かいぎゃく)的な人格を予感させた。

 

「おや、貴様は……もしや、私と同じか?」

 

 その背の高い男は視線を向けたルドウイークに目をやると、謎めいた言葉をまず彼に投げかける。それにルドウイークは訝し気に眉を顰めるが、すぐに気を取り直し問い返した。

 

「ふむ。同じとは?」

「いや何、こんな時間に街の入り口で思案しているなど随分な変わり者が居たと思ってな。それに、私の記憶には無い顔だ」

「ああ。今し方、初めてここに辿り着いたばかりでね……どちらから見て回ろうか、迷っていた所さ」

 

 はぐらかすように答えた男の言葉に、ルドウイークは探るような視線を向けながら会話を繋ぐ。その表情は仮面に覆われ定かではないが、向こうもこちらを何やら探っているらしい。彼はそんな相手に警戒を行いながらも自身の事情を包み隠さず答える。すると、男はくっくっと喉を鳴らしてから、ルドウイークを歓迎するかのように大仰な礼を示した。

 

「それはそれは、道中さぞかし苦難もあったろう。ようこそ【リヴィラ】へ。一人かね? ぜひ名を聞いておきたいものだ」

 

 礼を終えて顔を上げた男は、ルドウイークに名を問うた。それに対してルドウイークは可能な限り警戒を隠しながら慎重に名を名乗る。

 

「二つ名は無い。<ルドウイーク>だ。貴公は?」

「私か。私は【チェスター】。【素晴らしい(マーヴェラス)】チェスターだ。主神は……おっと、それは語るべきではないか。お互いの友好の為に」

「同感だ」

 

 相手の名を聞き出す事に成功したルドウイークは、改めてその佇まいを見つめ直す。チェスターは彼の前に立ちながらもその立ち姿は斜に構えていて、一見気障(キザ)な紳士、あるいは伊達男と言った具合だ。それだけであれば別に構わないのだが、背に負った石弓や醸し出す雰囲気からして恐らく生半(なまなか)な腕前では無い。その不気味さを、顔に貼り付けた仮面がさらに助長している。

 

 話を早々に切り上げて去るべきか。ルドウイークはチェスターを信頼してはおらず、その場を去るべきか思案する。だが当のチェスターは、そんな彼に対して何でもないように話を振って来た。

 

「しかし二つ名が無いとは、まさかレベル1かね? だとすれば驚くべき事だが」

「いや、私は一応レベル2だ。ただ、まだ二つ名が決まっていなくてね」

「ほう! それはそれは、ますます驚きだとも! 二つ名が無いのであれば、ランクアップしてからまだそう長くないのだろう? それでこのリヴィラまで降りてくるとは、いやはや大したルーキーが現れたものだ」

「ルーキーと言う歳でもないが。それにここに辿り着いたのも、どちらかと言えば不幸が重なっての事でね。降りて来たと言うよりは落ちて来た、と言う方が正しいだろう」

 

 自身に対する視線が、レベルを聞いて品定めするようなそれに代わったのを感じ取って、ルドウイークは内心焦りながら話を逸らそうとする。そんな彼に、チェスターは表情を見せずに腕を組んで頷く仕草を見せた。

 

「なるほど、例の落とし穴か。良くある話だ。しかしその割には身綺麗(みぎれい)だが、そういう事もある物かね?」

「かもしれん。だが私も初めての体験だ、正確には答えられんよ」

「それもそうだ」

 

 一瞬訝しむような視線を向けたチェスターだが、ルドウイークの返答にまるで納得したかのように肩を竦めた。その仕草にルドウイークは演技めいた雰囲気を、うっすらと感じ取る。だが、それを偽りだと断じる事は、そう言った方面の能力に乏しい彼には出来なかった。

 

 そんな彼の考えを表情の読めぬ仮面の奥で見透かしたようにくっくっと喉を鳴らしたチェスターは、その油断ならぬ雰囲気とは裏腹に実に友好的にルドウイークの間合いに踏み入って、今後の展開を予想するかのように腕を組み一つの提案をする。

 

「さて、ルドウ()ーク。ここで顔を合わせたのも何かの縁だ。貴様が望むのなら、私がこの街を案内してやろう。無論タダとは言わんが」

「……いくらだ?」

「そうだな、ここまでに入手した魔石……その七割でどうだね? 破格だと思うが」

 

 無論、高い方にである。だがそれを聞いたルドウイークは懐から雑嚢を二つ取り出すと、無造作にそれをチェスターに投げ渡した。

 

「正確には確認していないが、恐らくそれでここまでに入手したものの三分の二、約七割だ。構わないか?」

「………………」

 

 チェスターは仮面の下で驚きに目を見開いていた。こう言った時の金額交渉は、基本的にお互い吹っ掛け合う所から始まる。それをこうもあっさり了承するとは……彼は訝しんだ。

 単にまだ経験が浅く、交渉慣れしていないのか。それとも何らかの思惑があるのか。実際には前者なのだが、それは雑嚢の内の魔石の重みと合わせて彼にひとまずルドウイークに対して友好的な振舞いをさせておくのに十分な不安要素であった。

 

「…………ふむ、交渉成立だな。今この時を以ってこのチェスターが、リヴィラにおける貴様の道先案内人となろう」

「助かるよ。実際、何処から回るか悩んでいた所だったからな」

「何、礼には及ばん。このダンジョンにおいて、ヒトはすべからく異邦人だ。お互い、助け合って行こうじゃあないか。まず何を知りたい?」

 

 その問いに、ルドウイークはまずリヴィラにおける商店や換金所の位置を知りたいと答えた。ここに長期滞在するのであれば、生活物資の補給は必要不可欠と判断したからだ。それを聞いたチェスターはならば人通りの少ない内だと、今居る通りのいくつかの店を指差す。

 

 そしてルドウイークは、チェスターを先導としてリヴィラの街を回り始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 陽も十分に昇り、少しずつ人通りも賑やかになり始めた地上の、西大通り。その一本裏の道に店を構える【鴉の止り木】亭では、苛立ちを隠せず歩き回るエリスとそれを呆れたような目で眺めるマギーが朝を過ごしていた。

 

「ああ……大丈夫かなルドウイーク……何で突然……ああもう……」

「ねえエリス、少し落ち着きなさいよ。あんまりウロウロされるとこっちがイライラする」

 

 ぶつぶつと何やら呟きながら落ち着かぬエリスに、珍しく厨房に立ったマギーが苦言を呈しながら、フライパンに卵を落とし目玉焼きを作り始めた。

 

 店内には今や二人だけ。そこに【黒い鳥】の姿は無い。彼はギルドにルドウイーク捜索の【冒険者依頼(クエスト)】を掲示しに行こうとしたエリスから書類を奪い取って、早々にダンジョンへと向かったからだ。

 

 【黒い鳥】ほどの冒険者が依頼を請けたとなれば、普通は安心して成果が出るのを待つ事が出来るだろう。だがそうならぬ事情が彼女にはあった。

 

「ねえエリス。貴方もファミリアの主神なんだから、眷族の生死くらいわかるでしょ?」

「えっ。あ、そりゃそうですけど……」

 

 …………分かるはずもない。本来、【恩恵(ファルナ)】を与えた眷族(子供)の生死を神は感じ取る事が出来る。だが、恩恵を与えていない相手の事を感知できる神などいない。故にエリスにルドウイークの生死を判断する術はないのだ。

 

 普通の神であれば眷族の生死を判断した上でそう言った捜索の依頼を出す。だがエリスとルドウイークは特別だ。彼と彼女の間に恩恵による繋がりは無い。普通の神であれば生存か死亡か、どちらにせよそれを感知できるが彼女には出来ない。それが【黒い鳥】が動いているにも拘らず彼女が一切安心できない理由であった。

 

 そんな事は露知らず、落ち着かぬエリスにマギーはパンと目玉焼きの乗った皿を運びながら声をかける。その表情は、どこか予想外の物を見たとでも言いたげな顔であった。

 

「しかし、貴方がそこまで彼に入れ込んでるなんてね。ちょっと意外」

「入れ込んでる……ってそれは違いますよ。彼は唯一の眷属なんですから、死んでもらっちゃ困るに決まってるじゃないですか」

 

 それだけではない。彼はオラリオでただ一人の異世界人だ。そんな珍しいものが自身の元に来るなんて、もう二度とない事だと彼女は考えている。同様に、ルドウイーク個人の有り様も彼女にとっては好ましい物だった。更にあの実力と、冒険者としては真っ当な人間性。時折価値観の違いを露呈するのとナメクジが家の中を這い回るようになったのを除けば、彼は実に理想に近い眷族だとエリスは考えている。

 

 だが、そんな真実どうして他人に明かせようか。言った所でメリットは何一つ無い。まず正気を疑われるだろうし、よしんば信じられたとしても争いの火種にしかならぬ。故にエリスは苛立ちながらも、真実に繋がる言葉を漏らさぬように配慮していた。

 

 目の前のマギーと言う女性は本来思慮深いタイプではない。だがその直感は侮りがたい。それに救われたことも幾度かある。

 そんな友人であり、同僚であるはずの彼女に対して欺くような配慮をしなければならない事で更に苛立つエリスを他所に、マギーはコーヒーを作りつつテーブルの上に置かれた料理を指差した。

 

「とりあえずさ、朝飯でも食べたらどう? その様子じゃ、起きてから何も食べてないんでしょ?」

「えっ」

 

 呆れかえったような様子で提案するマギーに、エリスは目を丸くした。そして彼女が指差すパンと目玉焼きの姿を見て、あからさまに動揺を隠せずに問い返す。

 

「い、いいんですか? 突然押しかけていろいろ迷惑かけたのに……」

「別に。情けない顔してるのが居るとこっちの気まで滅入るから」

「店の準備そっちのけで作ってくれたんですか? 私の為に?」

「アンタがその様子でアイツ(黒い鳥)もフレーキも不在、店主代理の野郎だっていつ来るかわからないし、私一人で店回せるわけないじゃない。今日は臨時休業よ」

 

 エプロンの紐をほどきながら溜息を吐くマギー。そんな彼女に対して、エリスは眼に涙を溜めながら勢い良く飛びついた。

 

「マギー! この際言っちゃいますけど割と本気で大好きです! ありがとうございます!!」

「はぁ!? 突然何……いや抱きつくなうっとおしい! 冷める前に食べちゃいなさいよ折角作ったんだから!!」

「はい……! うう、優しい味がする……!」

 

 突然大胆な告白をかましたエリスを当惑しながらも無理やり引き剥がして離れるマギー。引き剥がされたエリスは彼女に従って大人しく席につき、涙を滲ませながらにパンと目玉焼きをもぐもぐと貪り始めた。それを見たマギーは自身もテーブルの向かいに着くと頬杖を突き、そして夢中で朝食を咀嚼するエリスを眺めながらほんの少しだけ笑みを浮かべる。

 

 そして自身も今し方入れたばかりのコーヒーを入れたカップを手に取ると、外に視線を向けながらそれを傾けるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……さて。大体は案内し終えたか。他に何かあるかね、ルドウィーク?」

「そうだな……」

 

 チェスターの問いに、ルドウイークは顎に手をやって考え込むような仕草を見せた。

 

 現在のリヴィラはルドウイークが訪れた当時とは違い、天井の水晶の光に明るく照らされ、戸を開く店も増え始めている。既に朝と呼べる時刻は過ぎたのだろう。それと共に街には少しずつ活気が感じられ始め、訪れる冒険者、あるいは探索に向かう者の姿もちらほらと見受けられる。

 

 そんな街で黒と白の二人の冒険者は、明らかに人目を集めていた。最初から目立つ格好のチェスターはともかく、白装束に身を包み防具を殆ど身に着けていないルドウイークも十二分に目立つ存在だ。それ故の好奇の視線に晒されながらも、彼は思索を進めて行く。

 

 商店や換金所の場所はあらかた記憶した。どの店がどのような品を好むか、そしてこのリヴィラにおける物品の相場もある程度は。この街の金銭事情は地上に比べて遥かにシビアだ。ダンジョン内で補給が出来るとなれば当然の事ではあるが、長期滞在にはそもそも向かないのかもしれん。

 その情報も、このチェスターと言う男の言が正しければであればだが、そこまで嘘をついているようには思えない。素直に要求を呑んだのが功を奏したか。

 

 ルドウイークはそこで一度チェスターの方をちらと見た。目深にハットを被り、仮面で顔を隠した彼からは感情を読み取る事が出来ない。ルドウイークは心中でお手上げと言わんばかりに溜息を吐くと、すぐに彼の感情を伺うのを止めて思索に戻る。

 

 恐らく、この階層で自身が潜伏するならば野宿がメインになるだろう。だが、一応街にある宿屋も確認しておくか。そう決断して、彼はチェスターへと向き直った。

 

「なら、次は宿だ」

「ふむ?」

「この街の宿屋をいくつか教えてくれ。寝床は重要だ」

 

 真面目腐った顔で頼むルドウイーク。対してチェスターは肩を竦めると、懐から一枚の紙を取り出した。そして更にインクと羽ペンを取り出してそこに幾つか印を書き込んでいき、それが済むと紙をルドウイークに対して差し出してくる。

 

「ほれ、宿についてはこの紙に書いてやった。これで構わないかね?」

 

 その紙には簡易なリヴィラの地図が記されており、そこに宿があると思しき場所に名前と印がつけられている。確かに、これでも十分過ぎるほど宿の位置が分かる。だが今まで自分の足で街を案内していたにも拘らず突然このような形に切り替えたチェスターの思惑を読めず、ルドウイークは少々困惑した。

 

「……この地図でも確かに分かるが、突然どうしたね? 今までは、その足で実際に案内してくれたろうに」

 

 尋ねたルドウイークに対して、チェスターは腕を組み、そして片方の手で天井を指した。その先では、天井より生えた大水晶が煌々と輝いており、朝日の如き明るさを18階層全体にもたらしている。

 

「すまないが時間切れ(タイムアップ)だ。そろそろ別の用事の時間でね、ここらでお暇させて頂きたい。報酬分は十分に働いたと思うが……」

 

 上を見上げるルドウイークに、申し訳なさなど一片も見えぬ声色で答えるチェスター。その言葉が真実かルドウイークは訝しんだ。だが、一瞬して考え直す。

 

 確かにこの男は怪しい。だがそれは、その多くが外見の占める要素ではないか? もし本当の事を言っているとしたら失礼にも程があるやも知れぬ。実際彼の案内は有用な物だった。

 

 ――――引き留める理由も無いか。既に宿屋の場所についての情報は自身の手元にある。

 

「ああ。随分助けられた。後は私だけで構わんよ」

「そうか。では、私はここらで失礼させてもらおう。ではな」

 

 チェスターはそれだけ言うとすぐさま踵を返し、大股でその場を去って行った。後ろ手に手をひらひらと振るその背中を見送って、ルドウイークもまたその場を離れ、地図にある宿を巡るため歩き出す。

 

 あばら家めいた建築といくつもの水晶の突き出た通りには既に、幾人かの冒険者が姿を現している。それらとすれ違いながら地図を読み、一件目の宿を目指すルドウイーク。地図には宿の場所だけではなく共通語(コイネー)によって店の名まで記されていたが、その多くが経営者の名と思しき人名が含まれている。

 

 どうやら、この街では自身の店に己の名を付けるのが通例になっているようだ。その例に漏れる店は当然いくつも存在したが、店の区別を付きやすくするために人名が付けられているのだろうか。ルドウイークはそんな事を思いながらも、向かおうとしている宿の名をぼそりと呟く。

 

「ふむ……【ヴィリーの宿】、か……」

「呼んだか?」

 

 突然横からかけられた声に、ルドウイークは思わず飛び退きそうになった。

 

 そこに居たのは、先程から同じ方へ向かって歩いていた獣人の青年。中肉中背、ぼさぼさの髪の彼は、ルドウイークとは対照的に興味深そうにルドウイークを見つめている。

 

「俺の宿に何か用なのかい、兄さん」

 

 首を傾げて尋ねる男。その口調からして、彼こそが今から向かおうとしていた宿の主である【ヴィリー】なのだろう。ルドウイークはこの偶然に動揺しながらも、偽る事も無いと考え正直に事情を話した。

 

「あ、いや……この街に来るのは初めてでね。宿を見て回ろうとしていた所なんだ」

「おー、そうかいそうかい。だったら案内するぜ。ウチはリヴィラの中でもかなり上等な宿だから期待してくれよな」

 

 ルドウイークが答えるとヴィリーはどこか嬉しそうに、積極的に案内を買って出た。それを幸運と取るべきか少し悩みつつも、ルドウイークはそれを了承して彼の後を追い始める。

 

「しっかし、こんな時間に辿り着くとはなぁ。兄さんアンタ、夜通しダンジョンを降りてきたのかい?」

「いや、本当は朝から潜る予定だったんだが、今後忙しくなりそうでね。今後の予定との兼ね合いもあって、今降りざるを得なかったというか」

「オイオイ良く生きて辿りつけたな。そういう風に浮足立った奴ってのは、たいてい死んじまうもんだぜ?」

「幸運……だろうな。それ以外あるまい」

「ふぅん……そういやアンタ、もしかして単独(ソロ)かい? 地上までどうやって戻るつもりなんだ? まさか一人で昇ろうってんじゃねえだろうな」

「物流の運び手たちが居るだろう? うまい事、そこに同行させてもらえればと思っている」

「あー、そいつら丁度今日出る予定だな。腕がありゃ同行も許されると思うが、早くした方がいいぜ」

「そうか」

 

 二人は他愛のない話を続けながら、街の中心を過ぎたあたりにあるというヴィリーの宿に向かう。リヴィラの街がある島は湖側に向かい昇る傾斜があり、道も坂道気味になっていて時折段差もある。その複雑さはまるでヤーナムのようだと、ルドウイークがどこか懐かし気に目を細めながら余り広さの無い路地を歩いていると、先導していたヴィリーが立ち止まり片手で前を指した。

 

「着いたぜ、あそこがウチの宿だ」

 

 上げた腕の先には、整えられた洞窟の入口。天然の洞窟をそのまま利用しているのか、半ば無理矢理に据え付けられた看板や飾り布が妙にルドウイークの目を引く。その少し斜めに傾いた看板には、彼の持つ地図同様共通語(コイネー)で【ヴィリーの宿】と記されていた。

 

「さて……中も見せてやっから、ちょっとここで待っててくれ。今貸し切りの客がいてよ……ま、もうチェックアウトしてるだろうが、万一って事もある」

「何か問題があるのか?」

「そいつら、男女の二人組でよ……わかるだろ?」

「ああ、そうか。では待っていよう」

 

 ヴィリーの伝えんとした事を言外に感じ取ったルドウイークはヴィリーに首肯一つ返して送り出した。そして彼は近場の石段に腰を下ろすと、疲れからか大きく溜息を吐き深呼吸する。だがそこで、彼は平和なはずのこの階層にそぐわぬ臭いに眉を顰めた。

 

 ――――――血の匂い? ルドウイークが訝しんだ、その時。

 

「うわあああああっ!?!?」

 

 洞窟の中からヴィリーの悲鳴が鳴り響く。その悲鳴にルドウイークはすぐさま反応して宿へと飛び込み、広々とした通路を駆け抜け尻餅を付いたヴィリーの元へと辿りついた。

 

「ヴィリー、どうした!」

「あ、ああ……! あれを……!」

 

 部屋の前で腰を抜かしたヴィリーが指差す先、そこにルドウイークは視線を向ける。

 

 そこに有ったのは、無惨にも頭を砕かれた死体。部屋中がぶちまけられた血と脳漿(のうしょう)で汚され、床に力なく横たわり下半身のみに衣服を纏ったその死体の周りには血溜まりが出来、異臭を放っている。更には部屋中の調度品が引き裂かれ、死体の物と思われる荷物は酷く散らかされ荒らされていた。

 

「なんだ……? 殺しか……?」

 

 眉を顰め、その様を観察するルドウイーク。すると一人、悲鳴を聞きつけたか外から一人の犬人(シアンスロープ)の女が走り込んで来た。

 

「おいヴィリー何があった!? クソ血生(グセ)ェぞ!?」

「こ、殺しだ! 殺されてんだよ人が!」

「あァ!? っておいおいマジか……う゛えっ……! ひっでぇなこりゃ……!」

「【ボールス】を、あの野郎を呼んできてくれ! 頼む!!」

()ーった、ちっと待ってろ! そっちの白いの、ヴィリーを頼んだ!」

「ああ、任せてくれ」

 

 その犬人の女はルドウイークにヴィリーを任せるとあっという間にその場を離れ姿を消してしまう。現場にはルドウイークとヴィリー、そして無惨に殺害された死体のみが残される事となった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 部屋の惨状に吐き気を催したヴィリーを表に連れ出し、介抱していたルドウイークの元に先の女に連れられた幾人かの冒険者が到着したのは、それからしばらくしての事だった。既に騒ぎを聞きつけたか、大して広くも無い路地には野次馬が集まり始めている。

 

 先頭に立つのは強面の眼帯をかけた筋骨隆々とした中年の男、【ボールス】。自身も換金所を経営する彼はこのリヴィラでも最も強いレベル3の冒険者であり、同時に街の顔役でもある。ギルドによる統治が及ばぬこの街で、他のファミリアとの折衝(せっしょう)を一手に担っているのが彼だ。

 

 無論、それも善意からでは無く、利益を求める強欲な冒険者の(さが)から来るものだが……それでも彼はこのリヴィラの顔役としてよくやっている。そんな彼が久方ぶりにここで起きた殺しの話を聞いてこの場に現れるのは、至極当然の事であった。

 

「おう、ヴィリー。殺しがあったってな、どうなってる?」

「ああ……」

 

 尊大に尋ねるボールスに、多少動揺の収まって来たヴィリーが立ち上がり、事情を説明し始めた。

 

「昨晩、二人組の冒険者が来てよ……全身鎧(フルプレート)の男とローブの女、両方顔を隠してたんで、何処の誰かはわからねえ。くたばってやがったのは男の方だ。頭をぶっ潰されて、中身ぶちまけられてやがる」

 

 それを聞いてボールスは、周囲に居た内の一人に中を確認してくるよう指示した。そしてその者が現場の部屋の場所を聞いて中へと入って行くのを見送ると、ヴィリーに話の続きをするように促した。

 

「そんで? 女の方はどうした?」

「朝来た時には、どこにも。影も形もありゃしねえ」

「って事は、そいつが犯人って事か」

「いや、事件に巻き込まれて(さら)われた可能性もある。早合点は良くないだろう」

 

 早々に結論を出そうとしたボールスに、ルドウイークが口を挟んだ。それに対してボールスは不愉快そうにルドウイークを睨みつけ、ヴィリーに対して素性を訪ねる。

 

「おいヴィリー、この白い野郎は何だ?」

「ああ、偶然俺と一緒に死体を見つけたんだ。名前は……」

「<ルドウイーク>だ。ルドウィークでは無い」

「細かい奴だな。そんでルドウイーク、テメェの言う事に筋は通ってんのか?」

「いや。それはこれからだ…………私もある程度死体は見慣れている。良ければ協力させてくれ」

「勝手にしやがれ」

 

 ルドウイークの申し出に一度周囲の者たちに目を向けた後、吐き捨てるように言うボールス。その彼の元に、先程宿の中に消えて行った者が青ざめた顔で耳打ちをした。それを受けたボールスはすぐさま周囲の何人かに指示を出す。

 

「よしテメェら、とりあえず街から出てく奴を足止めしとけ! 少なくとも、よっぽどの有名人でもなきゃ外に出すんじゃあねえぞ! おいヴィリー、お前は俺と来い。中を見せろ。それと二人ぐらい、宿の入り口を見張っとけ!」

 

 指示を終えると、ボールスは部下とヴィリーを引き連れ洞窟の中へと足を踏み入れた。その後にルドウイークも続き、事件の有った部屋へと向かって歩いてゆく。

 

「チッ、随分と派手にやられてやがるな」

 

 その部屋の惨状を見て悪態をつき、ボールスは強まった異臭に鼻を摘む。部屋の状態は発見時のままであり、相も変わらず凄惨だ。ボールスはそこに無遠慮に踏みこむと死体の前にしゃがみこんでその体を検めだす。しかし直接死体に触れるのは(はばか)られるのか手を出す事は無い。

 

 暫くそうして死体を眺めていたボールスは、再びヴィリーに目を向けて幾つかの質問を尋ね始めた。

 

「なぁヴィリー、こいつの正体に繋がるモンはねえのか? 身元不明の死体じゃ調べ様が無えぞ」

「俺だって知らねえよ。こいつら、破格の値段で部屋を借りたいって言ってやがったからな。どっさり現物の魔石渡されて、俺もろくに確認せず通しちまった」

「バカ野郎、せめて証文ぐらい作れよ……」

「いや、こいつらのお楽しみを聞いて愉しむ趣味もねえし、魔石だけ貰ってさっさと離れちまったんだ。くたばっちまえとは思ってたけど、あの時はこんな事になるなんて……」

 

 ボールスの指摘に、困ったように頭をかくヴィリー。するとその後ろに控えていたルドウイークが慎重に部屋に上がり込んで、死体に触れぬように検め始めた。その手慣れた様子に、ボールスはヴィリーに耳打ちする。

 

「おい、この野郎なんなんだ? 随分と慣れてるみてえだが」

「いや、俺も知らねえ……今日リヴィラに来たばっからしいが、宿を案内してくれって頼まれてよ……」

「今日来たばっかなのにお前のこと知ってたのか? 怪しいとは思わなかったのかよ?」

「いや、偶然俺から話しかけたんだ。それに死体見て随分と驚いてたし、殺しとは無関係だと思うぜ」

 

 そんな二人の会話を他所に、死体を検めていたルドウイークは立ち上がって部屋を見渡す。そして得心が行ったように一度頷くと、腕を組んで何事かを思案し始めた。それを見て、恐る恐るヴィリーが声をかける。

 

「なぁルドウイーク、何か分かったのか?」

「ああ……先ほどは巻き込まれたのではないかなどと言ったが、どうやらその女が下手人のようだ」

「だから言ったじゃねえか。そんで、その理由は?」

「見てくれ」

 

 ルドウイークは二人を手招きして、まず死体の首を指差した。そこにははっきりと、強い力で締め付けられた跡が刻まれている。

 

「まず、この男は首を絞められ、へし折られて殺害されている。この跡を見ればわかるだろう」

「確かにな。んで、これで何が分かるんだ?」

「痕の様子からして素手での絞殺だな。その大きさからして、少なくとも大男では無い事が解る。そして、同時に下手人はこの男よりも数段上の実力の持ち主だ。そうでも無ければ素手での絞殺など難しいだろう」

「じゃあよ、こいつの実力が分かればあの女のレベルも予想できるのか?」

「可能性はあるな。だが、それだけの魔石を持って来た男を殺しているんだ。間違っても弱くはあるまい」

「確かにな……おい、誰か【開錠薬(ステイタス・シーフ)】持って来い! 急げ!」

 

 ボールスが声を張り上げると、外に居た冒険者の一人が慌ててその場を離れる足音が聞こえて来た。それを聞き届けたボールスは、先程疑念を向けていたのが嘘の様に真剣な面持ちでルドウイークに続きを促す。

 

「そんで、他には何がある?」

「ああ、次はこれだ」

 

 言ってルドウイークは床を指差した。そこには血溜まりを踏んだと思しき一つの足跡。ここに居る三人の誰のものでもないそれは、そこに居る誰の者よりも小さいものであった。

 

「この足跡。大きさと靴の形からして、少なくともこの男の物ではあるまい。まぁ既に靴は履き替えているだろうから、手掛かりにはならないと思うが……まず間違いなく女の物だろう」

「なるほど……そんじゃあ、とりあえずその女を探させるか。重要参考人、って奴だな…………ヴィリー、女の特徴はなんかねえか?」

「いや、ローブを着てて顔ははっきりと見てねえ。だが、体つきだけ見ても相当良い女だったぜ。身長は……俺より少し小さいくらいだったかな」

「十分だ。リヴィラの奴らは美人に目がねえからな。目撃情報の一つや二つあるはずだぜ」

 

 話を聞き、そこから犯人像を割り出して捜索の算段を付ける二人。それを他所に、ルドウイークはぶちまけられた頭の欠片を眺めていたが、そこで一つの違和感に気づいた。

 

 ――――少ない。頭の中身は盛大にぶちまけられているにも拘らず、顔の表面に当たる部分が見当たらない。まさか顔を剥がしでもしたのか? そうなれば、その女が高い実力だけではなく、危険な精神性の持ち主でもある可能性が出て来る。それに剥がした顔をどうしたというのか…………殺しの証拠として持ち去ったならば、そもそも殺しを生業とする者の仕業と言う線もあった。

 

 恐るべき可能性に思い至って、ゾッとするルドウイーク。その時外の野次馬たちが妙にざわつき出した。何事かと部屋の入り口に目を向けると、何人かの足音が部屋の前で立ち止まって、見張りをしていた者達を説き伏せて入り口にかけられた布を潜って来た。

 

「――――ッ!」

 

 まず入って来た三人が、部屋の中の惨状に息を飲む。皆、まだ歳若い少女たちだ。良く似た顔の造形をした二人のアマゾネス、そして金髪金眼の、女神にも匹敵する美貌の持ち主――――

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン?」

 

 訝しむように呟いたルドウイーク。その後ろにいつだか【豊穣の女主人】亭で見た小人(パルゥム)の団長とハイエルフの副団長、知らぬエルフの少女が続く。

 

 資金調達のため、深層に向かおうとしていた【ロキ・ファミリア】の到着、そして介入。それを機として、この殺人事件は更なる波乱をこのリヴィラに齎そうとしていた。

 




二巻分への関わりは外伝側です。

身を隠す算段の為にダンジョンに潜ったのに善人さが災いして騒動を見て見ぬふりできず巻き込まれるなんて、やっぱ慣れない事するもんじゃ無い(確信)
原作から大筋が変わる事は無いとは思いますが、彼にはこの騒動にも頑張って望んでもらいたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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18:嵐、(きた)

19000字くらいです。

感想の投稿、お気に入り評価、誤字報告して下さる皆さま。何時もあり難く思っております。
今話もお楽しみいただければ幸いです。


 ロキ・ファミリアの面々の登場に、ルドウイークは大層面食らっていた。

 

 そもそも、彼が18階層まで降りてきたのも彼らの主神であるロキの目を掻い潜るための下準備であり、己の持つ危険な情報がかの女神、ひいてはその眷族達に渡るのを防ぐためである。

 自身の持つヤーナムや獣に関する数々の知識がこの世界に流布する危険を予測できぬ程、彼は愚かでは無かった。

 

 ただ、ロキとの遭遇自体は既に約束された出来事であると言ってもいい。周囲から目立たせぬため地味な二つ名を付けようとしたエリスの根回しによって、既にロキと会う事は決定事項となってしまっている。

 その期日までにはそれなりに猶予がある――――とは言え、時間とは思いのほか早く過ぎ去るものだ。万一ロキ神の思惑が危険極まりない物だった場合の備えを早くに用意しておくべく、こうしてルドウイークはここまでやって来ていたのだ。

 

 だが実際の状況はどうか。偶然ではあろうが、彼が下準備と捉えていたこの段階で既にロキ・ファミリアの面々と遭遇する羽目になっている。

 

 確かに、よくよく考えて見ればロキ・ファミリアはオラリオ屈指の大ファミリアであり、ルドウイークが滞在しているタイミングでこのリヴィラにも顔を出す者が居るのも不思議ではない。

 

 だがまさか、己と直接の接触がある何人かが揃いも揃って、しかも団長や副団長と言ったオラリオ全体で見ても屈指の大物を(ともな)って現れるとは…………。

 

 この状況に名案も思い浮かばず、とりあえずルドウイークはロキ・ファミリアの面々の顔と名前を一致させようと視線を巡らせた。

 

 まず部屋に踏み込んできた三人。二人のアマゾネスの少女らについては詳しくないが、短髪の方は確か怪物祭で月光の開帳を目撃したものの一人だ。同じ黒い髪に良く似た顔立ちからして、長髪の方とは血縁関係にあるのと思われる。それに同行者らの顔ぶれから見て彼女らもそれに準ずる実力者なのだろう。

 更に【剣姫】。彼女とはミノタウロスの上層進出の際と怪物祭の折、合わせて既に二度遭遇している。その噂や名声はあまり情勢に聡いとは言えぬルドウイークの耳にも届くほどだ。既にレベル5の、このオラリオに置いて最上位一歩手前と言える者達の中でも最強とされ、レベル6へのランクアップを控えているとさえ噂される。出来ればそんな有名人とはかかわり合いになりたくないと彼は考えた。

 

 三人の背後で部屋の惨状に目を覆っているのはあからさまに魔法使いめいたエルフの少女。彼女についてはルドウイークも良く知らない。先日、【豊穣の女主人】で食事をした際にも特に気にしていなかった。恐らく、向こうも私の事など目に入っていなかっただろう。そう願いたい。

 

 そして最大の問題である、彼女らの更に後ろで様子を伺う二人。ロキ・ファミリア団長、オラリオ最高の(やり)使いであり、数多の英雄を輩出したこの街にあって【勇者(ブレイバー)】の二つ名を(いただ)小人(パルゥム)、【フィン・ディムナ】。同じく副団長であるオラリオ最強の魔法使い、ハイエルフの王族にして【九魔姫(ナイン・ヘル)】と呼ばれ畏れられる【リヴェリア・リヨス・アールヴ】。

 

 この二人は【猛者】(おうじゃ)を初めとする片手の指も余るほどの例外、それらを除いて都市最強とされるレベル6の内でも更に上位に位置する戦闘能力を持ち、それだけではなくリヴェリアとは【豊穣の女主人】で【ガレス・ランドロック】を相手にした際に言葉も交わしてしまっている。流石に名前までは覚えていなくとも、以前遭遇した事くらいは記憶に残っているだろう。

 

 …………いや、だが彼女らは所謂(いわゆる)大ファミリアの人間だ。自分で言うのも何だが、数多の零細の一角であるエリス・ファミリアの、それも一構成員の事をいちいち記憶しているだろうか? 普通は無いはずだ。だから、頼むから忘れていてくれ。

 

 一通り彼女らの顔を確認し終えたルドウイークは死体を注視するふりをして顔を伏せた。そして、足元に横たわるそれを調べて回るかのように少しずつ体を回転させて完全に顔を死角にする。だが彼のいじましい努力をぶち壊す、驚いたような声を短髪のアマゾネスの少女が投げかけた。

 

「あ! そこの人、もしかして怪物祭の時に滅茶苦茶な魔剣ぶっ(ぱな)した人じゃない!? ね、アイズ、そうだよね!?」

「……うん。ミノタウロスの時に名前を聞いた……確か、ルドウ()ーク?」

「いや、こいつはルドウイークだ。てかルドお前、【剣姫】や【大切断(アマゾン)】と知り合いなのかよ?」

「……………………そう言う訳でも無い」

 

 剣姫の間違いを訂正しつつ訝し気に尋ねるヴィリーに長い沈黙のあと否定を向けるルドウイーク。不満気なその様子に剣姫とアマゾネスは不思議そうに首を傾げる。その時、後ろで様子を見ていたフィン・ディムナが彼女らの間をかき分けるようにして部屋の中へと踏み込んでくる。その顔を目にしたボールスは眉間に皺を寄せて忌々しげな表情を作った。

 

「あぁ? ロキ・ファミリア? テメェら、ここは今取り込み中だぞ! 見張りは何してやがる!」

「やぁボールス。忙しい所すまない。実は、数日この街に滞在してダンジョンに潜ろうと思ったんだけど、来てみたら随分慌ただしいじゃないか。これじゃおちおち休息も取れないし、事件解決に協力させてもらいたい。どうかな?」

 

 至極真っ当な動機での提案ではあったが、ボールスはそれこそが気に入らないという風に眉間に皺を寄せ、吐き捨てるかのように口を尖らせる。

 

「チッ、物は言いようじゃあねえか。テメェらといい、【フレイヤ・ファミリア】といい、事件と見れば首突っ込みやがって…………強けりゃ何しても許されるとでも思ってんのか?」

「は?」

 

 喧嘩腰のボールスの言葉に、長髪のアマゾネスが苛立ちを露わにドスの効いた声で反応した。今すぐにでもボールスを殴り飛ばしそうなその剣幕に短髪のアマゾネスとエルフの少女が間に割り込み、長髪のアマゾネスをまぁまぁと静止する。

 

 一方で彼女らへの信頼の表れかそちらに一瞥をくれる事も無く、フィンはボールスに現状について問いただし始めた。

 

「……それで、一体どういう状況だい? この冒険者の身元やら、事件のあらましやら、分かっていることがあれば聞かせてくれないか?」

「チッ……そうだな、ヴィリー、教えてやれ」

「あいよ」

 

 ボールスの呼びかけに前に出たヴィリーが、フィンを初めとするロキ・ファミリアの面々へと今ある情報を話し始めた。ルドウイークは現状を整理するためにも、その話にともに耳を傾ける。

 

「死んでるのは昨晩ウチを貸し切った冒険者の男だ。全身鎧で顔まで隠してやがったもんで、素性はさっぱりわからねえ。んで、こいつがローブの女と一緒に宿に入ったもんで俺は昨夜はさっさとここを離れちまったんだが、朝戻ってみたらこの有り様だよ」

「え、何で店離れちゃったんですか?」

「そりゃあなぁ、男と女が宿貸し切りにしてまでヤることっつったら一つだろうが。俺は覗きの趣味はねえ」

「あっ……」

 

 疑問をすぐさま口に出したエルフの少女の質問にヴィリーがそっけなく返すと、少女は答えに思い至ったか顔を真っ赤にして俯いてしまった。エルフや小人は外見から年齢が把握しづらいが、彼女は見た目相応の年齢なのだろうかとルドウイークは一人思案する。それを他所に、遺体の顔に布をかけて黙祷をしばし捧げていたリヴェリアが顔を上げ訝しむように眉を顰めた。

 

「ローブを着ていたというその女、顔は見ていないのか?」

「全く。フードを目深にかぶっててよ。メチャクチャいい女だってのは、体つきで何と無く分かったんだが……」

「そんなすげえ女だってんなら、俺も一目お目にかかりたかったぜ。チェスターの奴との商談で忙しくてよォ」

 

 こんな時だというのに、少なからず助平心を覗かせるヴィリーとボールスに周囲の冷たい視線が殺到する。だがそんな浮つきかけた雰囲気を戻そうとするかのように小首を傾げながら短髪のアマゾネスが尋ねた。

 

「それじゃあ、やっぱその女の人が犯人なの?」

「多分、間違いねえぜ。俺はあの二人が入った後は宿閉めちまったし、こっちのルドウイークもそう言ってる」

 

 そうヴィリーはルドウイークを指差し答える。すると周囲の視線が自身に集中し、居心地悪くなったルドウイークは腕を組みかえ質問に備えた。そして彼の想像通りに、フィンが穏やかに口を開く。

 

「ふむ。根拠はあるのかい?」

「そうだな……」

 

 尋ねられると、ルドウイークは先ほどボールスやヴィリーに対して行った物と同じ説明をロキ・ファミリアの面々にも繰り返した。その際、死体の顔にかけられた布を一度剥ぎ取ったためにエルフの少女が短く悲鳴を上げたが、それ以外のものは彼の説明に真剣に耳を傾けている。

 

 その状況こそが、ルドウイークにとっては好ましくないことこの上なかった。だが事ここに至っては今更逃げ出す事など出来ない。今彼に出来るのは、ただ早くこの事件を収束させる事。それによって、堂々とロキ・ファミリアの幹部陣から離れる事だ。

 

 …………そう言えば、ヴィリーの言っていた物資の輸送隊はどうなったのか。やはり今頃、運悪く街で足止めを食らっているのか……。ルドウイークは出来ればそうであってくれと祈らずには居られない。それを他所に、フィンは提案するかのようにボールスに視線を向ける。

 

「で、あればまずその女性に話を聞くのが間違いないね。もう聞き込みとかは……?」

「やってるぜ。子分どもを総動員してる。だがまぁ、今んところ(かんば)しくはねえな」

「ふむ……そう広いわけじゃないここで証言が無いというのは、厄介だね…………ヴィリー、代金の取引に使った証文は残ってないのかい?」

「いやぁ、それがどっさり現物の魔石渡されたもんで、それで納得して作んなかったんだ。釣りもいらないなんて言うもんだしさ…………よっぽど楽しみだったか、あるいは時間が惜しかったのかもな」

 

 リヴィラの街において、現物での取引が成される事は意外と少ない。そもそも並以上の実力者でなければ辿りつけぬこの場所では物資の流通に難があり、品々を効率的に搬送するためにヴァリス貨幣さえも切り詰められる物品の範疇に入る。

 

 同じくかさばる物であれば実際に使い道のある道具か、或いは実際に求められている『商品』の方が優先されるのだ。その為、このリヴィラにはそもそもヴァリスでの取引自体が少ない。では何を使って物資のやり取りを行っているのか……その為の証文である。

 

 彼らは取引の際、その対象の物品や金額、自身の所属を記した証文を用意して、それを地上に持ち帰る事で相手のファミリアに改めてヴァリスを要求するという形を取っているのだ。証文が今回も作られていれば、被害者の身元も早々に割れていたに違いない。

 

 だが今回のような、あるいはルドウイークとチェスターの間の取引のような例外もあるにはある。理由はそれぞれ違うものだが……腕を組んで、事情をヴィリーは推理する。しかし彼に、不満気に顔を歪ませて短髪のアマゾネスが叫んだ。

 

「えーっ! 証文は作らないし店は離れちゃうしで、ヴィリー全然だめじゃん! 少なくとも残ってれば何時出てったかくらいわかるかもしれなかったのに!」

「いや、そうは行かなかったと思うが」

 

 しかしそのアマゾネスの不満を諭すようにルドウイークが首を横に振る。

 

「……その女が犯人であるなら、彼が宿に残っていれば躊躇なく殺していただろう。顔を隠していたとはいえ、二人で宿に入ったのを把握されているわけだからな。生かしておく理由が無い……そういう意味では、ヴィリーは命拾いしたと言える」

「確かにそうだね。むしろ、死体が二つ無かったのは幸運と言うべきかな……ヴィリーが死んでしまっていたら、現状その女の情報はゼロだったんだからね」

「おいおいやめてくれよ只でさえ気が滅入ってんのに!!」

 

 ルドウイークの推察に賛同を示すフィン。彼らの物言いに、自身の有り得たかもしれない結末を幻視したヴィリーが青ざめた顔で悲鳴を上げる。その時、外で見張りをしていた人間(ヒューマン)の男を伴って、頭巾めいた粗末な布袋で顔を隠した小男が布を潜って部屋に踏み込んできた。その手には透き通った赤い液体の収められた小瓶。ボールスはそれを見て、ようやくかと言わんばかりに歯を見せて笑った。

 

「おう、来やがったか! そらどけどけ! 今からこいつのステイタスを開錠するぞ!」

 

 ボールスが手を振って邪魔だと示すのを見て、ルドウイークとロキ・ファミリアの面々は死体から離れてその様子を伺う。ボールスは皆が死体から離れたのを見ると無遠慮に死体をひっくり返し、そこに屈みこんだ小男は背中に付着した血を拭きとり清めると、小瓶の蓋を引き抜いてその中身を背中に垂らし、それを文様を描くように塗り広げ始めた。

 

「ええと……『開錠薬(ステイタス・シーフ)』って確か……」

眷族(われわれ)のステイタスを暴くための道具(アイテム)だな。正しい手順を踏まなければ、それだけでは神々の(ロック)を解除できないが……」

 

 素性を知る程度ならば十分だろう、とエルフの少女に対して言うリヴェリアの説明にルドウイークは横合いから耳を傾けた。

 

 ……どうやら、余り褒められた物ではないようだな。

 

 ルドウイークは僅かに感じる匂いから、それが【神血(イコル)】を原材料としていることに気が付いた。同時に彼女らの視線から神の血を材料としたその薬があまり受け入れられる物でない事にも。事実、開錠薬は地上で出回る事の無い非合法な品であり、『神秘』の発展アビリティを習得した僅かな者だけが作成できる希少品だ。そんな物さえ必要に応じてすぐさま顔を出すのが、このリヴィラと言う街の一側面を端的に表している。

 

 ルドウイークがそんな考察をしている間にも作業は進み、数分間指を躍らせていた小男は最後に指を手布で拭き取ると、目元の覗き穴から部屋の者達を睥睨(へいげい)して、低いしわがれ声でボールスに言った。

 

「済んだぞ、ボールス」

「ああ、すんません【灰鼠(グレイラット)】の旦那。貴重な『開錠薬』まで使わせちまって」

「ま、事が事だからなぁ。(わし)もこの街で楽させてもらっとる以上、協力はさせて貰うとも」

「どうも。今度の仕入れ、安くしときやす」

「期待しとるよ」

 

 小男はそれだけ言うと、立ち上がってさっさとその場を去って行ってしまった。それを見送った後、ボールスは死体の背の文字を読み取ろうとそれに近づき、しかし困ったように額に手をやって呻いた。

 

「ああくそっ、神聖文字(ヒエログリフ)か! おい誰か、外行って頭良さげなエルフを一人二人――――」

「いや待て、エルフならここに二人いるだろう」

 

 神聖文字が読めず、苦悶するボールスにルドウイークがその場に居る二人のエルフ――――リヴェリアと少女を指差した。それを聞いてリヴェリアが首を縦に振り、続いて剣姫がそれに続いた。

 

「任せてくれ。神聖文字なら私は読める」

「私も」

 

 学に精通していることの多いエルフの中でも殊更高貴な血筋にあるというリヴェリアが神聖文字を読めるのはオラリオで学んだ知識からある程度予測していたルドウイークだが、剣姫までがその手を挙げたのには内心驚きを隠せなかった。だが少し考えて、リヴェリアから学んだのだろうかと勝手に納得すると、己も誰かから学ぶべきなのだろうかなどと思案していた。

 

 その間に、リヴェリアとアイズによるステイタスの解読は進んでゆく。二人が小言で内容を照らし合わせるのを、周囲は固唾をのんで見守るばかり。その内、彼女らは困惑するように顔を見合わせると、皆の方に向かって読み取ったその名を口にした。

 

「……名前はハシャーナ。【ハシャーナ・ドルリア】」

「所属は……【ガネーシャ・ファミリア】」

「【ガネーシャ】だと!?」

 

 その名と所属を聞いて皆が静まり返る中、唯一ボールスが驚愕のあまりに声を荒げる。それも当然の事だ。【ガネーシャ・ファミリア】はオラリオに在する【ファミリア】の内でも【ロキ】や【フレイヤ】に次ぐ勢力を誇る大ファミリアであり、なおかつ都市屈指の穏健派として知られている。その団員がここで殺されているというのは、明らかに【ファミリア】同士の勢力争いでは片付けられない、憂慮すべき問題だ。

 

 故に、ボールスは今までの落ち着きが嘘の様に顔を青褪めさせ、あからさまに慌て出した。

 

「クソが……よりにもよって【ガネーシャ】!? それもハシャーナっつったらレベル4、【剛拳闘士】じゃねえか!? つまり――――」

「――――下手人の女は少なくともレベル5を超える実力者で…………」

「……相当な訳アリ、って事だね。まだ街に潜んでいる可能性も、大きいだろう」

 

 動揺したボールスの言葉を、ルドウイークとフィンがそれぞれ継ぐ。つまり、このリヴィラに、正体も、動機も知れぬ第一級冒険者に匹敵する人殺しがまだ潜んでいるというのだ。その可能性に、彼らを含めた部屋の者達は一様に顔を強張らせた。

 

「ほ、本当に間違いないんですか? そんなレベルの高い人が、こんな殺され方をするなんて……毒とか使われたって事は……」

「毒とかじゃ、ないと思う。彼は『耐異常』のアビリティも持ってるから……」

「ハシャーナほどの『耐異常』なら、劇毒を受けてもそう効かないだろうな」

 

 震えてその惨状を観察していたエルフの少女が尋ねるも、剣姫とリヴェリアが首を振ってそれを否定した。

 

 『耐異常』は【発展アビリティ】と呼ばれるレベルアップごとに発現する可能性のある能力の一つで、多岐に渡るそれの中でも『耐異常』は読んで字の如く毒を初めとした状態異常を軽減、無効化するものだ。それもレベルやステイタスの様に等級で効力の強さが示されていると言うが、彼女らの物言いからして彼のそれは相当な等級であったのだろう。

 

 ただ、そうなると下手人は情事という状況下で相手が油断していたとはいえ、自らの実力でレベル4のハシャーナを殺害した事になる。それ程の実力者――――レベル5を超える者はそもそもオラリオにもそういないはずだ。

 

「……ひとまずは、街の高レベル女性冒険者を集めて話を聞くのが一番だろう。それだけで、かなり数を絞れるはずだ」

 

 だからこそ、それ自体が一つの手がかりとなる。ルドウイークは提案して皆の顔を見た。彼女らも少し思案した後、納得した様に首を縦に振る。

 

「その辺は任せとけ。おい、聞いてたか? とりあえず街中のレベル2以上の女冒険者を集めて来い!」

「は、はい!」

 

 ボールスにとってもその提案は納得できるものだったようで、彼はすぐさま先ほどの小男を連れて来た男に向かって指示を出し、彼を走らせた。

 

 こんな所か。

 

 ルドウイークは他に出来る事が無いか思案する。……ただ、上手く考えがまとまらない。表面的には違和感がないが、流石に疲れが溜まっているのだろうか……。この事件の捜査が一段落したタイミングで、多少なりとも休息を取るべきかもしれないと彼は一人ごちた。

 

「すまないけど、少しいいかな。ハシャーナの荷物を調べたい」

 

 その思考を遮る様にフィンが提案する。確かに、遺体は検めたが、遺留品まではまだ調べていない。彼が許可を求める様にボールスに一度視線を向けると、ボールスも少し納得いかなそうではあったが首を縦に振った。

 

「確かに、遺留品はまだだ。構わねえぜ」

「ありがとう、それじゃ失礼して――――」

「待ってください!」

 

 礼を告げ、リヴェリアを伴って遺体の周囲を整理しようとするフィンを、長髪のアマゾネスが突如制止した。

 

「団長がわざわざお手を汚す事はありません! そのような雑務、どうか私にお任せください!」

 

 彼女は心の底からフィンが遺留品に触れるのが我慢ならぬとばかりに、素早く彼の手を取って力強く主張する。対して、フィンはその対応にしばし困ったような表情を浮かべた後、彼女を諭すように優しく笑いかけた。

 

「ありがとうティオネ。でもこれは僕が直接見ておきたいんだ。今は、ちょっと任せてくれるかな?」

「あ、はい……申し訳ありません、出過ぎた真似を……」

 

 フィンの言葉を受けたティオネなるアマゾネスは、その笑顔に一度顔を赤らめた後、眼を伏せて身を引いた。

 

 その後、フィンとリヴェリアが破壊された調度品や破損した携帯品などを手早く整理し死体の周りを片付けた。そこには元々ハシャーナが装備していたと思しき装備と背嚢(バックパック)などが残され、まず装備を検めたフィンが訝しむように眉を顰める。

 

「……これは少し、おかしいね」

「何かあったか、フィン」

「見てくれ。彼の装備だが、何処にも【ガネーシャ・ファミリア】を示す(しるし)が無い。あそこほどの【ファミリア】になれば、余計ないざこざを避けるためにも自身の所属は明らかにしている筈だ」

「そういやハシャーナの奴、普段は主神(ガネーシャ)のと似たような兜を被ってた……ような気がするぜ」

「ハシャーナ自身も正体を隠していたと言う事か」

「だろうね。リヴィラに何人か滞在しているだろう【ガネーシャ】の者が、この騒ぎに首を突っ込んでこないから不思議には思ってたんだ」

 

 彼の発言にルドウイークはなるほどと唸った。流石に大ファミリアの団長を務めるだけはある。ルドウイークには遺留品から被害者の事情から知ろうという発想は思いつかなかった。ヤーナムでの<検証>では殺害者が如何なる獣であったかを知る事が肝要であり、獣に相手を区別するほどの理性も無い以上、被害者について必要以上に知る理由が無かったからだ。

 

「ティオネ、背嚢を。彼がダンジョンに居た動機について、何か手掛かりがあるかもしれない」

「はい!」

 

 フィンが指示を出すと、ティオネと呼ばれた長髪のアマゾネスは喜び勇んで血の汚れも気にせず背嚢を漁り始める。その手付きは控えめに言っても雑で、無造作に中身をベッドの上に放り出して行くのを見てリヴェリアが少々苦い顔をした。

 

「あっ!」

 

 割れた回復薬の瓶やら血の滲みた携帯食料など、荒らされた形跡を感じさせるものを次々と掘り当てていたティオネが突如声を上げた。その手が摘んでいるのは酷く血に汚れた羊皮紙。彼女が素早く差し出したそれをフィンは受け取り書面に目を走らせた。

 

「なんですか、それ?」

冒険者依頼(クエスト)の依頼書?」

「み、見えない……」

 

 その後ろからリヴェリアと剣姫、短髪のアマゾネスが書面を覗き込み、更に彼らに視線を遮られたエルフの少女が背伸びをしている。ルドウイークも彼女らの背後へと回って、その頭越しに文面を垣間見ようとした。

 

「『30階層』……『単独』、『回収』、『秘密裏』…………」

「やはり、何らかの単独依頼(クエスト)を受けていたのか?」

「らしいね。それも、彼ほどの冒険者を使うあたり相当な品のようだ。それを狙われて襲われた、と見るのが筋じゃないかな」

 

 フィンのつぶやきに考え込むように問うたリヴェリアに、彼は首を縦に振って、懸念を示すようにハシャーナの死体へと目を向けた。確かにその通りであれば、ハシャーナを狙った犯人の動機にも筋道が通る。で、あれば次の問題となるのは当の犯人の行方であるが……。

 

「部屋の様子を見るに、犯人がまだこの街に潜んでいる可能性は高いだろうな」

 

 ルドウイークのつぶやきに、死体を前にしていたロキ・ファミリアの面々は驚いたように振り返った。リヴェリアが射抜くような視線でルドウイークの目を見ながらに尋ねる。

 

「良ければ、その推察の理由を聞かせてもらいたい」

「……あくまで状況証拠だが、もし目的の品が見つかったならこれほど部屋を荒らす必要はあるまい。わざわざ証拠を残す危険も冒さず、早々にこの場を後にしている筈だ。それに、犯人にとってはハシャーナ殿ほどの相手を殺してまで探している物だ。手に入れないまま街を去るのは考えにくい」

 

 彼の説明に、リヴェリアは考え込むように顎に手をやってしばし唸る。そしてしばらくすると、否定する材料が無かったようでフィンに向けて一度視線をやった。フィンはそれを見ると立ち上がって深く頷く。

 

「うん、僕もその意見に同意だね。多分相手は、まだこの街でその品を探しているか、こちらの様子を伺っているか……どちらにせよどこかに潜んでいる筈だ」

 

 重苦しく言った彼は周囲の者達に目を向ける。その緊張した表情に、ロキ・ファミリアの面々の顔が一様に険しくなった。一方、それを見たルドウイークは彼がオラリオの最大派閥と呼ばれるファミリアの頂点に位置するのに相応しい者なのだと警戒を新たにする。

 

 凄まじい物だ。これ程の面々にここまで慕われ、信頼されている。更に、彼自身の風格……もし敵に回せば、勝てるかどうかわからんな。

 

 万が一、ロキ・ファミリアと対立する事になった時の絶望的な結末をルドウイークは明確に脳裏に描いた。このフィン・ディムナ一人で、おそらく自分と同等かそれ以上の戦力になる。更には周囲の第一級と思しき実力者たち。彼女らまで率いられれば、まず間違いなくルドウイークに――――エリスに勝利の目はないだろう。

 

 だが、未来に目を向ける考えはこの場にそぐわぬ物だ。今想定するべき相手は、正体不明の女殺人者なのだから。ルドウイークは首を振って未来への不安を脳裏から追い出すと、皆に指示を伝えるフィンの言葉に耳を傾ける。

 

「よし。ボールス、改めてになるが今回の件に関しては僕らも全面的に協力しよう。是非使ってくれ」

「ちっ……分かったよ。とりあえず、そろそろ冒険者を集めるのが終わるはずだ。そいつらの尋問やらに人数を貸してもらうぜ」

「分かった、それについては僕も行こう。オラリオの第一級冒険者の顔はおおむね記憶してるつもりだ。リヴェリア、君もいいかな? 無理に集めた街の皆を抑えるには、僕らの『顔』が要る」

「ああ。異論はない」

「ありがとう。次にティオナ、アイズとレフィーヤ。君たちは街の皆への布告が終わり次第、捜索を頼む。万一敵がレベル6相当の実力者であっても、君たちなら僕らと合流するまで逃げおおせることは出来るだろう。ただし、レフィーヤはアイズから離れないように」

「りょーかーい!」

「分かった」

「了解です!」

「あ、あの、団長。私は……?」

 

 皆にきびきびと指示が行き渡る中で、一人名を呼ばれなかったティオネがおずおずと手を挙げた。彼らと出会ってそう長くなく、なおかつ他者の感情の機微に疎いルドウイークにすら彼女がフィンに対して特別強い思慕を抱いているのは明らかで、自身だけ名を呼ばれなかったと言うのは恐らく相当堪える物なのだったのだろう。

 

 だがその心の動きもフィンにとっては折り込み済みだったようで、彼はティオネの前に歩み寄るとにっこりと笑ってその肩に軽く手を乗せた。

 

「ティオネ、君には僕らの補佐を。僕らは皆の前に出るせいで動けないタイミングが出来るだろうから、その時の対応を任せたい。頼めるかな?」

「は、は、はい! お任せください、団長!! この【ティオネ・ヒリュテ】、必ずやその期待に答えて見せます!!!」

 

 その気合の入り方に、フィンはいい事だと笑いながらに頷く。一方、リヴェリアやもう一人のアマゾネスはどこか冷ややかな視線を彼女に向けていた。恐らく、ティオネの想いは他の団員たちにとっては周知の事実なのだろう。自身にも分かる事なのだからとルドウイークは溜息を吐く。その間に彼女らはヴィリーやボールスを伴いさっさと宿の外へと歩み去ってしまった。

 

 残されたルドウイークは一度部屋を見渡す。これから、自身はいかに立ち回るか。恐らくはロキ・ファミリアの幹部陣が居る以上、今よりも面倒な事にはならないだろう。だが、警戒を怠る訳にも行かぬ。それに彼らに信頼されたとも言い難い。

 

 だが、街が封鎖されている以上出来る事は少ない。ならば、一先ず私も街を捜索するか。

 

 彼は考えをまとめると、自身のいくつかの荷物を改めて確認し小さくハシャーナの死体に礼をする。そして宿を出て、足早に現場を離れ――――ようとしたが、ヴィリーが宿に常備されていた食料を融通してくれたので一先ずそれを口にしつつ、広場の隅のベンチに腰掛けて集まった冒険者達にフィンやリヴェリアが呼びかける様子を眺めていた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 広場では、第二の騒ぎが起き始めていた。

 

「団長の傍に近寄るなァァァ――――――ッッ!!!!!!」

 

 その怒号と共に、集まっていた女性冒険者達がティオネの手によって放り投げられフィンから遠ざけられてゆく。

 

 事の始まりはこうだ。まず、最初に集められた女冒険者達に対してボールスが『俺達が身体検査を行う!!』と大声で宣言し、それを遥かに上回る声量での顰蹙(ひんしゅく)を買った。明らかに下心丸出しだったその提案に対しては正しい反応としか言いようが無く、ルドウイークはまずそこで一度溜息を吐いた。

 

 その後、ボールスの宣言を見かねたリヴェリアが『身体検査は我々が行う』と宣言したのだが、今度はそれが良くなかった。街の女性冒険者達は前に立ったリヴェリアとティオネの横をすり抜け、自分の出番ではないと一歩引いていたフィンの元に殺到したのだ。

 

 結果がこの有様である。激怒したティオネはフィンに群がる女性たちの輪の中に飛び込み、彼女らを千切っては投げ、千切っては投げ…………見る見るうちにフィンの周囲の女性冒険者は放り出されて行き、最後にはフィンと彼を守護するように腰を落とし、荒い息を吐きながら周囲を威嚇するティオネ、その様を見て顔を抑えるリヴェリアのみが残った。ルドウイークもリヴェリア同様少しうんざりとした気持ちになって二度目の溜息を吐き、下を向いたまま首を横に振った。

 

「…………幾ら異性に餓えているとはいえ、この街の者達には今が非常時だという実感はないのか?」

「同感。どっちもどっちって感じー」

 

 同意する声に、ルドウイークは横に目をやる。そこに居たのは、ロキ・ファミリアの短髪のアマゾネス。彼女は両側に刃を取りつけられた、嘗て<マリア>が使っていた二つの刀剣を持ち手部分で接合した武器、<落葉(らくよう)>と呼ばれたそれを巨大化させたような物騒な得物をベンチ脇に横たえ、自身はベンチの上に胡坐をかきオラリオから持ち込んだと思しき食料を豪快に貪っている。それに対して答えようとしたルドウイークは、彼女の名を未だ知らぬ事に気づいて少し首をひねった。

 

「ああ、ロキ・ファミリアの……ふむ……?」

「そーいえば言ってなかったっけ。あたしはティオナ! ロキ・ファミリアの【ティオナ・ヒリュテ】! よろしくね……えーっと……」

「ルドウイークだ。よろしく頼む」

「うん! よろしく!」

 

 差し出された手に応じ、ルドウイークはティオナと握手を交わす。そして騒ぎの方へと目を向けると、表面上は気負った様子も無く世間話を始めた。

 

「ティオナ、と言ったか。やはり、あちらのティオネ嬢とは姉妹なのかね?」

「うんうん、ティオネが姉で、あたしが妹だね。髪型で見分けつくでしょ?」

「ああ。しかし、余り双子と言うのは故郷では目にした事が無くてな。本当にそっくりだ」

「まぁねー。性格は割と違うと思うけど」

 

 言って、ティオナは未だにフィンの前に仁王立ち周囲の女性冒険者達を威嚇するティオネに目を向け、少し笑った。それを見たルドウイークはティオナとは対照的に訝し気に目を細める。

 

「私はこの街に来るのは初めてなんだが……いつもこうなのか? 確かに【勇者】とまで呼ばれるロキ・ファミリアの団長とあれば人気もあるだろうが……」

 

 リヴィラの人々の逞しさに、思わずまた溜息を吐くルドウイーク。彼としてはとにかく早く事件が収束して欲しいのだが、ダンジョンと言う環境によって麻痺しているのか街の人々の協力は十分とは言えなさそうだ。確かに人死になどダンジョンでは日常茶飯事なのかもしれないが……。

 

「んー、正直良く分かんない! あたしもあんまりこの街で過ごした事がある訳じゃないから。普段の『遠征』でも、この街には来ないで下行っちゃうしね」

「物価が高いからか?」

「そのとーり!」

 

 にこやかに答えるティオナを相手に、ルドウイークは少し考え込んだ。あのロキ・ファミリアが素通りする事を選択するほどだ。そもそもとしてこのリヴィラと言う街は、潜伏には不向きなのではないか? それ以前にエリス・ファミリアの財政状況は日常生活に支障が出ない程度にまではなってきたがあくまでその程度で、ダンジョン探索に対してそれ程の予算を捻出する事など到底出来はしない。

 

 例えば、現在ルドウイークが背にしている【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】などもエドらが無償で手を打ってくれなければこの手には無かっただろう。

 

 ……では、このリヴィラに潜伏するというのは悪手かもしれん。また別の手段を考える必要があるか。或いは、諦めてロキ神との会合をどう切り抜けるかに集中した方がいいかもしれんな……。

 

 しかし、また未来の事を考えている自身に彼は気づいて、その考えを振り払い再び騒がしい広場に目を向ける。そこでは改めてフィンが街の冒険者達に協力を呼びかけ、リヴェリアが被害者の身元などの致命的な部分は伏せつつ事件の中身についての説明を行い始めた。

 

 これで、多少は皆纏まるだろうが…………夕食には間に合いそうにもないな。

 

 ルドウイークは自身を快く送り出したエリスの顔を思い浮かべて溜息を吐く。

 そんな彼の居る場所とは逆側の野次馬の中で、怯えるように逃げ出した犬人(シアンスロープ)の少女を見出したアイズとレフィーヤが後を追って人混みをすり抜けていったが、さしもの彼も視界の外で起こったそれに気付く事は無かった。

 

「よぉ、ルドウイーク。飯は食えたか?」

 

 少し沈んだ顔をしたルドウイークの元に、彼以上に疲れた顔をしたヴィリーがそれでも笑顔を浮かべながら歩いてきた。当然か。朝になって自身の店に顔を出してみればそこで殺しが行われていて、それがリヴィラ全体を巻き込む大騒動に発展しているのだ。心中穏やかではあるまい。そこでルドウイークは、彼にも休むよう提案するべく口を開く。

 

「ああ、とても助かったよ……しかしヴィリー、君の潔白はもう証明されているし、これ以上出せる情報も、わざわざ関わる理由もあるまい? 自宅があるなら戻ってもいいんじゃないか?」

「ああ、いやよぉ。もしかしたら俺もあの女に狙われてるかもしれないってんだろ? そう思ったら、一人でいるのが怖くなってさ……」

「成程。であれば、この場に居るのも道理だな」

「どゆこと?」

 

 二人の会話に小首を傾げるティオナ。それに対して、ヴィリーはその通りだと言いたげにルドウイークに対し首を二度縦に振る。

 

「そうそう。いざとなったらロキ・ファミリアに守ってもらおうと思ってさ」

「あ、そゆこと? でもそれなら私のとこより、他の皆のとこの方が良くない? あたし守るのって、そんな得意じゃないよ?」

「いやぁ、【勇者】や【九魔姫】のそばは何つーか居心地悪くてな……【剣姫】と【千の妖精(サウザンド・エルフ)】は…………どこ行ったか分からんし、【怒蛇(ヨルムガンド)】は【勇者】の護衛みたいになってるし……」

「あれ程の戦士に護衛など必要なのか?」

「要らねえだろ」

 

 肩を竦めて薄く笑うヴィリーに、同じく笑いをルドウイークは返す。そこでふと、ルドウイークは今の会話の中で目の前の少女の二つ名が話題に上がらなかった事が気になって、本人に尋ねてみた。

 

「そう言えば、ヒリュテ。君の二つ名はなんだったか。良ければ教えてくれないか?」

「あたし? あたしの二つ名はねー……んー……」

 

 考え込むように人差し指を己の唇にあてると、何かを思いついたように手を叩いたティオナはベンチから飛び降り、手に自身の大双刃を持ってそれを凄まじい速度で振り回す演武を始めた。その速度と圧に、ルドウイークは目を見張りヴィリーは驚愕を見せる。二人のそんな様子を確認した彼女は、振り回される大双刃をびたりと押し留めて構えると同時に、腹の底から轟くような声で自身の二つ名を高らかに叫んだ。

 

「――――ん【大切断(アマゾン)】ッッッ!!!!」

 

 突如彼女が発した体格にそぐわぬ大声量に、ヴィリーは飛びあがりルドウイークでさえも喰いかけの食料を取り落とした。一方ティオナは構えを解くと、二人の様子に大層満足したように笑って胸を張る。その胸は平坦であった。

 

「ビ、ビビった……」

「耳が……」

 

 ふらつく二人を尻目に、ベンチに再び腰を下ろして別の食料をぱくつくティオナ。一方でベンチに座ったままのルドウイークはともかくとして、ヴィリーが何とか体勢を立て直して自身もベンチに腰掛ける。隣同士に座った二人は互いの鼓膜の無事を確認すると、乾いた笑いを浮かべた。

 

 その横で二人を気にする事も無く、ティオナは更にじゃが丸くんを取り出してまた頬張り始める。すると、何か引っかかったのか思案するように腕を組んだヴィリーはベンチ横に置かれた大双刃に一度目を向けた後、ティオナに一つ質問をぶつけた。

 

「そういや、アンタの二つ名……由来は分からねえでもねぇけど、他の幹部陣の二つ名とは何か毛色が違う気がするな……実際どうなんだよ?」

「んー? ああそれ、それね。ウチって基本、幹部とかはロキの付けてくれた二つ名を名乗るんだけど、あたしだけ違うんだよね。ロキも一応考えててくれたらしいんだけど、神会(デナトゥス)でどっかの神様が提案したのを聞いて『それや!』ってなったらしくってさ」

「へー、それでか」

「確かに、あの武器を扱うに相応しい二つ名だ」

「でしょー? あっそうだ。折角だし持ってみる? 気分いいから特別だよ」

 

 指差すティオナに促され、ベンチ横に置かれた大双刃を持ち上げようとするヴィリー。しかしその重さは尋常では無く、彼の腕力ではびくともしない。

 

「おっも!!!! これ何で出来てんだよこれェ!」

「んー、最高品質の超硬金属(アダマンタイト)! 重いだけじゃなくてすっごい高いよ!」

「通りで!! ルドお前も持ってみろよ!!」

「ああ」

 

 言われるままにルドウイークも大双刃を持ち上げようとする。だが、自らの持つ【仕掛け大剣】以上の重量に、何とか持ち上げる事は叶うものの彼女のように軽々しく振り回すのは少々無理をする必要がありそうで、その事実に彼は眉間に皺を寄せ力みながらに驚愕した。

 

「これは、凄いな……!」

「でしょー? でも、レベル2でそれ持ち上げられるなんて凄いよ! 筋力特化なの?」

「まぁ、似たような物だ。私の得物も一応大剣に類するものではあるし……」

 

 ルドウイークは大双刃を地に横たえ、額に浮いた汗を腕で拭った。そして、自身の背にした仕掛け大剣に手をかける。

 

 その時、広場に集った冒険者達の中から一人の小人(パルゥム)が勢い良く飛び出した。真っ青な顔をした彼は一人の赤毛のアマゾネスを無理やりに担いでおり、下ろすように怒号を叫ぶ彼女に対して何か喚くように言い返しながら広場を離れていく。

 

「なんだ、ありゃ?」

「どこかで見覚えがあるが……」

 

 それを見て目を丸くするヴィリーとルドウイーク。同じく、自身の記憶から今の二人組の事を思い出そうと(つと)めていたティオナが、はっとなったように目を開いた。

 

「思い出した! 今の、確か【ビビリ(チキンハート)】の【RD(アールディー)】だよ! オラリオのサポーターで一番の小心者!」

「ああ、アイツか! 【ロザリィ】の専属サポーター!」

 

 それを聞いて、ヴィリーもまた思い出したように声を上げる。それとは対照的に、ルドウイークは不思議そうな顔で首をひねった。

 

「……ふむ? 以前聞いた話では、彼はレベル1だった気がするが。何故二つ名が?」

「ああ、アイツは非公式の二つ名持ちさ。神様には認められちゃいねえけど、あまりに有名すぎてあだ名付けられてんだよ」

「そう言う場合もあるのか」

 

 自身の疑問に答えたヴィリーに対して、納得できる説明を受け頷くルドウイーク。だがそこで、彼は今見た光景に対する一つの違和感を感じ取った。

 

「…………そんな小心者で臆病な男がロキ・ファミリアの幹部陣が居る広場から離れたのはどう言う事だ? ここ以上に安全な所はそうはないだろうに……何か気づいたのか?」

「確かに、怪しいね。追っかけてみよっか」

「おいおい、アイツ確かにビビリだが、ビビリが行き過ぎて悪巧みなんかするようなタイプじゃねぇぞ」

「だとしたら……」

 

 ルドウイークの脳裏に、一つ嫌な想像が浮かび上がった。確か、彼は前に出会った時も、ルドウイークに対して凄まじい恐怖を覚えていた。それも、初対面でレベルを偽装していたにも拘らず、同時期に同じ階層に居たミノタウロス以上の恐怖を感じていたようであった。

 

 もしや、彼は脅威を恐怖と言う形で感じ取るスキルか何かの持ち主なのでは?

 

 ルドウイークはそんな可能性を組み立てるが、流石に馬鹿馬鹿しいと首を振る。であれば、彼は別世界の住人であった私の隠している物を――――狩人やヤーナムの血の脅威を何のヒントも無く見抜いたという事になる。幾らなんでも、それはあるまい。

 

 そう、ルドウイークが自身の仮説を否定したその時、街のどこかから何かの破壊音と誰かの悲鳴が聞こえて来た。広場の面々を含めた皆が、そちらの方角へと振り返る。すると、その視線の先、あばら家の屋根が連なる区画に立てられた見張り用の高台に一人の冒険者が飛び乗って、そこに備え付けられた鐘を思いっきり叩きながら必死極まりない顔で叫んだ。

 

「敵襲――――――!!!!」

 

 ある程度の距離がありながらもあまりに明確に届いた声にその場に居たすべての人間に戦慄が走る。と同時に、見張り台の上で叫んでいた男は後ろを振り返って顔を強張らせると慌てて見張り台から飛び降りて見えなくなった。

 

 その直後。突如、見張り台の後方に見覚えのある人食い花のモンスターが首をもたげ、体を振り回して見張り台の屋根を一撃の元に吹き飛ばす。

 

「なっ……!」

 

 現れたそのモンスターを見てティオナが驚愕に言葉を失った。ヴィリーも似たような物だ。驚きのあまり目を見開いて尻餅を付いたまま硬直している。さしものルドウイークも、この状況には驚愕を覚えずには居られなかった。

 

「な、何でモンスターが街に入ってきやがってんだ!? 見張りは何してやがる!?」

 

 突然のモンスターの出現に、ヴィリーが動揺して喚き散らす。その間にも街中で家を破壊する轟音と共に人食い花が出現し始め、一度首をもたげると、それぞれの出現地点の周囲を無差別に破壊し始めた。更には街の外壁のうち人工的に作られていた一部が破壊され同様の人食い花が街へと殺到してくる。

 

『キァァァ―――――――ッッ!!』

 

 次の瞬間、ルドウイーク達の横にあった水晶塊を破壊して、一体の人食い花が広場に到達した。その個体はそのまま眼前に居るルドウイーク達へと花開くように口を開いて襲い掛かる。対してルドウイークは咄嗟に背に負った大剣を抜きその剣背を用いて盾でそうするように人食い花の顎をかち上げるが、しかしその衝撃に耐えきれず地面を転がった。

 

「ルドウイーク!!」

 

 尻餅をついたままのヴィリーが目を見開き叫ぶ。その間にティオナが大双刃を手に取って先ほどの演武とさえ比べ物にならぬ勢いでそれを振りまわし、かち上げられた衝撃を味わっていた人食い花の頭部をバラバラに切り裂いていた。

 

「に、逃げろ――――ッ!!」

 

 その光景を見ていた冒険者の一人が青ざめた顔で叫ぶと、広場に集まっていた冒険者達の半数近くが蜘蛛の子を散らすようにその場から走り去ってゆく。先程までどこか浮ついていた者達とは思えぬ速度だ。それを見たティオナが驚きのあまり声を荒げる。

 

「あっコラ、何逃げてるの!? あんたたちの街でしょーが!!」

「…………この街は、今まで三百度以上壊滅してきたんだ」

 

 それを、復帰したルドウイークが諫めるように声をかける。

 

「ならば、生きていればまた再建の機会があると考えるのは、むしろ自然とさえ言えるだろう……なっ!」

 

 破壊された大水晶によってできた進入路を通って再び現れた人食い花の突撃を先程同様、しかし今度は吹き飛ばされずにかち上げるルドウイーク。そして彼が隙を作った人食い花にティオナが襲い掛かって瞬時に大双刃を振るい、魔石ごと頭部を両断して絶命させる。

 

「あーもう、意気地なし! そういうのあたし大っ嫌い!!」

 

 着地して大双刃を振り回し血を払い、後ろ手にそれを構えながら毒づくティオナ。彼らの目の前に広がる侵入路からは、未だ迫り来る人食い花の咆哮と、遠方で悲鳴を上げる冒険者の声が聞こえてくる。

 

 一方で後方に居たフィンやリヴェリアは驚愕を顔に浮かべてはいたものの、急ぎ周囲の面々に的確な指示を与えて行く。

 

「ボールス! ひとまずこの場に居る者達をまとめて広場を死守!! 五人一組で時間を稼がせてくれ!」

「わ、わかった!」

「リヴェリア! 敵が以前【怪物祭(モンスターフィリア)】に現れたモンスターと同種なら、魔力に強い反応を示すはずだ! 魔法を詠唱して、敵を広場に集めてくれ! それで被害の範囲を抑えられるはず!」

「了解だ!」

「ティオネ! 君もティオナとまず広場の防衛を! 敵が途切れたら今逃げた冒険者達や逃げ遅れた者達をここに避難させてくれ! 行けるか!?」

「お任せを!!」

 

 指示が終わると同時にリヴェリアが魔法円(マジックサークル)を広げ魔法の詠唱に入る。すると、街中で破壊活動を行っていた人食い花たちは何かに気づいたように広場へと向き直って、大挙して此方へと向かい始めた。それらが迫る前に布陣を敷こうと、ボールスが残っている冒険者達に怒号を浴びせる。更にはティオネが駆け、広場に繋がる道に現れた人食い花を曲刀の二刀流で圧倒し、瞬時になます切りにして灰へと帰した。

 

「くそっ!」

 

 一方で三度(みたび)出現し突撃してくる人食い花にルドウイークは思わず悪態を口走る。その間に迫る突撃を先程とは異なり壁を駆け上がって回避してから壁を蹴り、身を翻した空中で大剣の切っ先を下に向けて攻撃後の隙を晒した人食い花の頭部へと勢い良く突き立てた。さらに間髪入れずに並々ならぬ力を加えて深々と刃を突き刺し、人食い花を絶命させる。

 

「やるぅ!」

 

 ルドウイークの動きを横目に見たティオナが、自身も別の場所から現れた人食い花を真っ二つにしながら称賛した。

 

 しかし、彼女の称賛を受けてもルドウイークの顔に喜びはない。先ほど彼が行った動きは明らかにレベル2の範疇(はんちゅう)を逸脱するものであったからだ。この時点で、自身の能力の隠蔽は既に失敗したと同義である。

 だが、最早どうこう言っている場合ではない。何せ迫り来る人食い花の軍勢の総数――――自らから方々に伸びる導きの糸の本数から考えれば、手を抜けばここに居る者も全滅する可能性が十分にあり得ると彼は判断したのだ。

 

 ルドウイークは自身の行動を改めて俯瞰する。ロキ神対策の為にこうしてリヴィラまで来たはいいが、殺人事件に巻き込まれ、ロキ・ファミリアと遭遇し、その団員達から離れる事も出来ず、予断を許さぬ状況とは言えあまつさえ共闘してしまっている。この一部始終を知れば、恐らくエリス神は激怒するだろう。だが――――

 

「人の命には代えられん……!」

 

 他に良案の思いつかぬ不甲斐なさに歯を食いしばりながら、ルドウイークは再び飛びかかって来た人食い花を態勢を低くして回避しつつ、即座に下から大剣をその喉に当たる部分へと突き込む。そして剣を担ぐ様に肩に沿えると己の膂力の限りを尽くして剣を無理矢理に振り抜いた。その一撃は抉る様に人食い花の体を斬り開いて、頭部の魔石までをも破壊して灰へと帰す。

 

 さらさらと降り注ぐ灰を被りながら、ルドウイークは苦々し気に目を細めた。脳裏に描くは、在りし日のヤーナムでの<獣狩りの夜>。罪なき民草が理不尽に食い殺されてゆく悲鳴を聞きながらも、眼前の獣の対処に手一杯で駆け付ける事の出来なかったいつかの悔恨。あのような悲劇を、そう何度も起こさせてなるものか。

 

 顔を上げたルドウイークは一度振り返り、広場の様子を確認した。そこではボールスによって組織された冒険者達の即席パーティが人食い花の対処に当たっており、フィンとヒリュテ姉妹が縦横無尽に駆け巡り彼らが足止めしている人食い花を次々と撃破してゆく。一方でリヴェリアは広場の中心で強大な魔力を発散して敵をおびき寄せつつ、来たるべき機会に向けて詠唱を着々と進めていた。それを見て、ルドウイークはこの広場は充分彼らに任せられると判断し、広場では無く街全体の状況に意識を向ける。

 

「一人でも多く、護らねば」

 

 そして決意を新たにすると、ルドウイークは咆哮と悲鳴と怒号の飛び交う中から導きの光の糸による引力を特に強く感じる方向を見出して、そちらで暴虐の限りを尽くしているであろう人食い花を葬送し、かつ広場の外で戦う冒険者達の命を一人でも多く救うべく広場を飛び出していった。

 

 

 




難産でした。仕事都合で時間が無く次話も多少かかるかもしれません。
お忙しい中、校正等して下さった某氏に多大なる感謝を。

読者モデル特有のシャウトすき(獣の咆哮)

次話で戦闘シーンいろいろ書ければと思います……。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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19:リヴィラ動乱

20000字ちょっとです。

25万UA、3500お気に入り、総合評価6500、誠にありがとうございます。
同様に感想をくれる皆様方、誤字を修正してくださる方々、感謝してもしきれません。
今話もお楽しみいただければ幸いです。


 

 街中に人食い花の怪物(モンスター)が現れ、大混乱に陥ったダンジョン18階層、【リヴィラ】の街。もはや、そこで起こっていた騒動は完全に一線を越え、あちらこちらで悲鳴と怒号の飛び交う戦場の如き様相を――――否。

 

 今や、【リヴィラ】は完全に戦場と化していた。

 

「クソが! 今朝まで何人かレベル4以上居ただろうがよ! 誰も残ってねぇのか!?」

 

 突如として街を襲った人食い花の軍勢から多くの者が集っていた広場を守るためにフィンとボールスによって急遽結成された無数の即席パーティ。その一つに加えられた犬人(シアンスロープ)の女は、触手めいた蔦を大曲剣を振り回して断ち切りながら不満をぶちまけるように叫んだ。その後方からエルフの男が放った数本の矢が飛び来たって人食い花を貫き、仰け反らせて隙を作る。

 

「隙ありだ!!」

 

 それを好機と見て取った人間の大男が大鎚を力強く振り抜いて人食い花を広場の外に叩き出す。そうして彼が生んだ隙に乗じて、犬人の女は周囲の商店からかき集められたポーションの一つをヴィリーから引っ手繰(たく)り、それを飲む時間も惜しいとばかりに頭から被って瓶を投げ捨てた。

 

「おいヴィリー。どうなんだ? 二級以上の冒険者はどこ行っちまったんだよ」

 

 抱えた苛立ちを紛らわすかのようにヴィリーに女が尋ねる。それに対して、ヴィリーは力なく首を振って自身の知る限りの事を答えた。

 

「【チェスター】は朝まで居たみたいだけど街を出ちまったらしい。【爆散(イクスプロード)】のミヒャエルは昨日から下層の探索に出てる。後は【黒鉄(ブラックアイアン)】のタルカスだけど、あの人は今単独でリヴィラ入口の橋を確保してるらしいぜ」

「つまり今ここで頼れんのは【ロキ・ファミリア】の奴らだけってか。完全にクソだ」

「落ち着けよ、それにクソって何がだ」

「あいつらに頼らなきゃ街も守れない、私自身の無力さがだよ!!!」

 

 そう吐き捨てた女は犬人らしく濡れた顔を振るいポーションを払い落すと、大曲剣を肩に担いで跳躍し再び顔を出した人食い花に襲い掛かる。どうやら人食い花たちは、その表皮によって打撃には強い耐性を持っているものの斬撃に対しての防御力はそれほどではない。証拠に、彼女の出会い頭の斬撃は人食い花の顔に斜めに走る大きな傷跡を残す。

 

 だが倒すには至らない。それどころか鋭い痛みに怒りを見せた人食い花は着地際の彼女に向けその巨体を打ち振るった。

 

「やべぇ!」

 

 咄嗟にヴィリーが走りだそうとするが、彼の敏捷では彼女を救うには到底間に合わない。連携を狙っていた人間の大男も、後方で魔法の詠唱に入っていたエルフの男も同様だ。それでも自身の全速で駆けるヴィリー。

 

 その横を小柄な影が信じられない速度で疾駆し、彼女を抱え上げてその場から瞬時に離脱した。

 

「大丈夫かい?」

「フィン・ディムナ……!」

 

 彼女を横に抱き、安心させるべく微笑みかける【勇者(ブレイバー)】。大多数の女性であれば頬を赤らめてしまうであろうそれに、しかし彼女は舌打ち一つ。素早く彼の腕の中から抜け出すと、礼を述べる事も無くまた人食い花へと向き直った。

 

「すまねえフィン! 助かった!」

 

 代わりに頭を下げたのは慌てて駆け寄って来たヴィリー。フィンは彼に気にしていないと微笑み、再び人食い花へと挑もうとする犬人の女が人間の大男に制止されるのを横目に見つつヴィリーに小声で話しかけた。

 

「……彼女には、あまり前に出過ぎないように言っておいてくれ。君達ならそれさえ守れば十分ここを防衛出来る筈だ。先に他のパーティを援護しに行きたい」

「俺から言っときます。アイツ、上位ファミリア嫌いなもんで」

「頼むよ」

 

 言い残して、フィンは別のパーティの元へと駆けた。オラリオでも最上位の冒険者に数えられる彼の速度は、傍から見ればまさしく風の如く。すぐさま劣勢に陥っている場所へと割って入ると人食い花が咄嗟に伸ばした蔦をあっさりと置き去りにして、口腔の奥に隠された魔石を一撃で貫き打ち倒した。

 

「【勇者】か! 助かった!!」

 

 灰と化す人食い花の前で(やり)を振るい付着した体液を振り払うその様に、救われたパーティの者達が快哉の声を上げる。彼らの声に応え、そして鼓舞するためにも余裕のある顔を作るフィン。そこへ必死の形相のボールスが駆けこんできた。

 

「フィン! 【九魔姫(ナイン・ヘル)】の詠唱が終わるぞ!」

「分かった。 ……皆、下がれ! 派手なのが来るよ!!」

 

 体格からは想像も出来ぬ程の声量で撤退を叫ぶフィンに、戦っていた全てのパーティが全力で踵を返して広場の中央へと集結。遠距離攻撃手段を持たぬ者は衝撃に備え、持つ者は万一の事態に備えてそれぞれの技を構える。直後、護る者の居なくなった防衛線を人食い花たちが我が物顔で突破して来た。

 

 ――――だが。彼らが目にしたのは追いつめられた獲物達では無く、強く輝く魔法円(マジックサークル)と、その中心に立つオラリオ最強の魔導士によって放たれる、比類なき威力の極大魔法であった。

 

「――――【レア・ラーヴァテイン】!!!!」

 

 瞬間、魔力の鳴動と共に地面から何本もの巨大な火柱が生まれ、爆音と共に夜闇に包まれていた街を赤く染め上げて星空の如く火の粉を巻き散らした。広場の入り口で足を止めていた人食い花達は一瞬でその煌々(こうこう)とした輝きの中に呑みこまれて姿を消し、確固たる形を残す事無く焼け落ちて行く。

 

 そして、輝く焔とそれが残した(くゆ)る黒煙が薄れた後の広場に、燃え尽きる事を逃れた人食い花はただの一体として存在しなかった。

 

「うおおおおおお!!!!」

「やった! 【九魔姫】がやった!」

「助かった!」

 

 ふぅ、と息を吐くリヴェリアの後方で、戦っていた冒険者達の歓喜の叫びが爆発した。中には緊張の糸が切れたかへたり込む者まで居る。突然のモンスターの襲撃を耐え、只管に戦い続けてきたのだ。彼らの心的負担は生半可な物ではない。しかし、そんな彼らの喜びに水を差すようにボールスが怒号を上げた。

 

「何喜んでやがるんだテメェら! まだ終わってねぇぞ! 気ィ緩めてんじゃねぇ!!」

 

 次の瞬間、彼の言葉を証明する様に新たに一匹の人食い花が現れ、広場へ踏み込むべく周囲の家屋や壁を破壊し出入り口を開こうと暴れ出す。対して、沸き立つ周囲に気を取られず気を緩める事の無かった数人の冒険者が素早く人食い花の元へと駆け出し戦闘に入った。

 

 先程フィンに助けられていた犬人の女が行く手を阻む邪魔な蔦を斬り飛ばし、その間隙に滑り込んだ人間の大男ががら空きの胴を大鎚で殴りつけて隙を生む。そこへ若いドワーフが投擲した斧が直撃し大きな裂傷を付けると、最後にエルフの男が傷に魔剣を突き立ててその名を叫び、剣から炎を溢れさせて体内から人食い花を焼き尽くした。

 

「やるね!」

 

 自身も別の場所から現れた人食い花を打ち倒しながらフィンは笑った。だが、未だにこの場所へと辿りついていなかった人食い花達が先ほどの魔法に惹かれ再び集結してくるのを見て取った彼は、冒険者達に鋭く指示を飛ばして再度防衛に入らせる。

 

 それに応じて出入り口を固め、迫る人食い花を抑え込む冒険者達。彼らも必死である。先程までの先の見えない状況とは違い、今は【九魔姫】の魔法と言う明確な勝算が見えているからだ。

 

「リヴェリア! もう一発行けるかい!?」

「任せろ!」

 

 フィンの要請に応じ、そして周囲の冒険者達の期待に応えるべくリヴェリアは再び詠唱準備に入る。それによって魔力に反応した人食い花達の更なる侵攻を招くものの、再度奮起した冒険者達と彼らを的確に援護し救援に走り回るフィンが戦況を拮抗させる事で詠唱の為の時間を稼いでゆく。

 

 だが、その時だった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!』

 

 街の外れから突如として上がった凄まじい咆哮に、冒険者達が思わず反応する。彼らの視線の先で大規模な破壊音と共にもうもうと砂埃が沸き上がり、その中に今まで戦っていた人食い花とすら比較にならぬ巨大な影が浮かび上がる。

 

 巨躯を震わせる怪物は一見蛸じみた輪郭を煙の中に映していたが、煙の外へと抜けると同時にその程度では収まらぬ異様としか言いようの無い威容を現した。

 下半身は何体もの人食い花達が寄り集まって構成されており、一体一体が元々巨木染みていたその体を更に大型化させそれぞれに意思があるかのように暴れ回っている。更に集結点から生えた極彩色の上半身はあたかも美しい女性を象っているかのような形状をしており、蠢く下半身とは対照的にどこか穏やかさえ湛えた依然とした佇まいで熱風に緑色の頭髪を揺らしていた。

 

 それを目にし広場の皆が戦慄した直後、屋根を飛び渡ってアイズがレフィーヤと気絶した犬人の少女の二人を抱え広場に滑り込んで来る。

 

「アイズ!」

 

 詠唱への前準備を進めながらリヴェリアがアイズへと心配そうな声を向ける。対するアイズはレフィーヤを下ろし、更に気絶した少女をそっと地面に寝かせると即座に広場から飛び出して行く。すると広場に迫りつつあった女体型のモンスターは足を止め、広場を離れるアイズに惹かれるようにその進路を変更した。

 

「…………アイズが狙いか!」

 

 リヴェリアによる魔法の行使直後にも拘らず、アイズ以外眼中に無いとも言いたげなその行動にフィンが眉間に皺を寄せていると、そこに入れ替わりになる様に慌てた様子のティオネまでもが飛び込んで来る。

 

「団長! 広場に向けて、新手のモンスターが接近して来ています! 既にティオナが交戦中!!」

「嫌な流れだね」

 

 彼女の報告に、一見冷静に答えたフィンが親指を噛んだ。そんな彼に、今まさに詠唱に入ろうと杖を振るったリヴェリアが叫んだ。

 

「フィン! 広場に迫る残敵は私が何とかする! 皆で先にあの新手の対処に向かってくれ!」

「…………分かった。任せる、リヴェリア。レフィーヤや皆を頼むよ」

「ああ」

 

 端的な会話を交わすと、フィンはティオネを伴ってアイズを置い広場を飛び出して行った。その後姿に、置いて行かれたレフィーヤが(ほぞ)を噛む。だが、戦場が彼女の為に足を止める事などありはしない。彼女を背に、リヴェリアが最強の二文字に相応しい己が法を解き放つべく今再び詠唱を開始した。

 

「――――【終末の前触れよ、白き雪よ】」

 

 詠唱開始と共に咲き誇る巨大な魔法円(マジックサークル)を展開し、二度目とは思えぬほどの膨大な魔力のうねりを生み出す【九魔姫】。それを感じ取る事によって狂乱した人食い花どもは、もはや進路上にある障害物などお構いなしに粉砕しつつ広場へと迫った。

 

「【黄昏を前に(うず)を】――――」

 

 しかしそれも意に介する事無く詠唱を続けて行くリヴェリアはその最中で、広場手前の通りの中心に波紋の如き揺らぎが生まれているのに気づいた。同時に、先程まで広場へと迫っていた人食い花たちがそれに向けて吸い寄せられるように突撃してゆくのに気づく。

 

 そして、そんな状況を生み出す事の出来る魔法の詳細と使用者に――――それだけでは無くこの後如何なる魔法が用いられるかに心当たりのあったリヴェリアは、詠唱を中断してまで己の喉の許す限りの声を上げた。

 

「全員、伏せろッ!!」

 

 彼女が叫んだ、次の瞬間。

 

「――――――【ソウル・ストリーム(ソウルの奔流)】!!!!」

 

 今まで紅く染まっていたリヴィラ全域を再び塗り潰さんばかりの光量を放つ青い閃光と、(つんざ)くような轟音を伴う魔力砲撃が彼女らの後方から放たれた。

 

 光芒は人食い花の集う通りの中央を貫くと、そのまま街の建物の屋根を(こそ)ぎ取るかのように薙ぎ払われ、通りに密集していたものだけではなく軌道上に首をもたげていた人食い花たちの体をことごとく消し飛ばし、断ち切り、殺害せしめる。

 

 そして閃光が収まり、舞い散る灰の中でリヴェリアがまず顔を上げて振り返れば、その視線の先から古びた司祭服を纏い、フードを被った一人の老狼人(ウェアウルフ)が悠然と歩みを進めて来る。彼は彼女の元に辿り着くと、思案するようにうっすらと(ひげ)の生えた顎を撫ぜた。

 

「ふむ、ふむ。どうやら只事では無いようだ。こうなれば、私も加勢するのが最良だろう…………邪魔してしまったか、アールヴ」

「――――驚きだ。まさか、お前がこんな所に顔を出すとはな、【フレーキ】」

「意外かな? 私もだよ」

 

 リヴェリアの返答に肩を竦めて答えたその狼人――――【啓くもの】フレーキは、本当に意外そうにリヴィラの惨状に視線を向けた。するとその隣に屋根から飛び来たった黒づくめの男が着地して、仮面に覆われた顔で疲れたような溜息を吐く。

 

「フレーキ。急ぐのはいいが、少しはこちらにも気を遣ってくれ。この食人花に私の装備では相性が悪い」

「すまない【チェスター】。だが、街を荒らされるのは君も望むところではないだろう? 何、これはオマケだ。それだけの物は貰っているからな」

「貴様と【九魔姫(ナイン・ヘル)】が揃って暴れれば、街ごと吹き飛びかねんと思うがね」

「買いかぶりすぎだ」

 

 遅れて現れ、愚痴をこぼすチェスターに対して気安い態度で返すフレーキ。しかし当のチェスターはむしろ彼と、目前に居るリヴェリアに対して懸念を向ける。それを受けたフレーキはまたしても軽く笑って肩を竦めた。

 

 直後、轟音と共に近くのあばら家を突き破って人食い花が現れる。フレーキによる先程の誘導に釣られ今更やってきたか。二人の魔法使いがその威容に対して身構える。だが次の瞬間、その頭部は三度の爆発を起こし、弾け、その中身をぶちまけた。驚きを以ってそれを見届けた二人の魔法使いの後方で、チェスターは仕事を終えたクロスボウを背に負い苛立ちを露わにする。

 

「空気の読めぬ蛇どもめ。このままではおちおち話も出来んぞ」

「…………チェスター、今のは何かね? 新しいボルトか?」

「そんな所だ。【ヘルメス・ファミリア】の【万能者(ペルセウス)】が作った特殊な油を仕込んだボルトでね。着弾すると爆発する。【爆裂ボルト】と私は呼んでいるが」

「ほう、それはいい。今度少し譲ってくれないか?」

「交渉次第だ」

 

 場の空気を読まずに商談を始めた二人の冒険者。だがその異質感に意見できる冒険者は、オラリオ全体を見てもごく僅かな数しかいないだろう。その僅かな数の中にリヴェリアは入っていた。

 

「お前たち、商談などしている場合か? 今は私達で状況を打開するぞ。まずは――――」

「君はディムナ達と合流するのが最善だろうな」

「何?」

 

 しかし、小言を交えつつ提案する彼女の言葉をフレーキが腕を組み遮った。それに対してリヴェリアはその形の良い眉を僅かに顰めて彼を睨みつける。

 

「小物どもは私やチェスター、リヴィラの冒険者達で十分だ。君にはファミリアの同胞たちと共にあの大物をどうにかしてもらった方がいいだろう」

 

 彼の案に対して、リヴェリアはしばらく唸る様に目を細めて思案を巡らせた。現在の状況。フィン達と自身等は二手に分割され、向こうは未知の大型モンスターの対処に追われている。こちらはこちらで同様のモンスターの対処に手を焼いているが……。彼女はそこで、目の前の狼人の顔をちらと見た。

 

 【啓くもの】フレーキ。このオラリオにおいて数少ない自身に比する魔導士であり、同時にオラリオにおいて最も多くの魔法を修めている男。彼の実力は操る魔法の数だけではなく、多岐に渡るそれを扱いこなす自身の手腕あっての物であり、強さに関しては疑いようも無い。

 

 ――――リヴェリアはその事実を、()()()()良く知っている。

 

「…………任せられるか?」

「私では不足かね?」

 

 リヴェリアの問いに、フレーキは逆に試すような言葉を返した。それを聞いて、リヴェリアは一瞬その血筋に似合わぬ苛立たしげな表情を作ってフレーキを睨みつけるが、すぐさまその場を離れ、後方で目まぐるしく移り変わる戦況に追いつこうと頭を回していたレフィーヤの元へと駆け寄った。

 

「レフィーヤ」

「は、はいッ!」

「着いて来い。お前の力が必要だ」

「…………はい!!」

 

 リヴェリアは弟子を呼び寄せると、彼女を伴って街を我が物顔で蹂躙する轟音の元へと走ってゆく。そして残されたフレーキとチェスターは周囲で戦う冒険者達に目を向けると、それぞれ彼らの戦闘を援護するべく戦いの中へとその身を躍らせて行った。

 

 

 

 

 

<ー>

 

 

 

 

 

『――――誰が一番早く到着するか、競争しないか?』

 

 獣狩りの夜の到来を知らせる鐘の音が鳴り響き、皆が狩場に向かう最中(さなか)で、余りにも場違いな言葉を<加速>は口にした。私も、珍しく顔を隠していない<(からす)>も彼の無神経な発言に耳を疑った。

 

『いや、こうして四人で出る事もこれからは無くなるだろ? 折角だし、な』

『正気か? 今この状況で競争? 正気かよ』

 

 普段誰よりも正気を疑われている<烏>が、蔑むように呟いた。対して<加速>は肩を竦める。

 

『<加速>なんて呼ばれる様になってこの方、人と早さを比べた事はないな、と思ってな……試してみたくなった』

『………………人の命が係っているんだぞ?』

 

 私は彼の言葉に苛立ちを隠せず眉間に皺を寄せる。だがそれを溜息一つついたマリアが諫めた。

 

『皆、止せ。……<加速>。お前はただ皆を急かしたいだけだろう。下層市街は、お前の生まれだ』

『何だ、知ってたのか』

『知らいでか。何度お前の身の上話を聞かされたと思っている』

『ははっ、美人相手には口が緩くなっちまうんだ、俺は…………』

 

 マリアに真意を見透かされ、<加速>はおどけるように笑う。私もそれを聞いて彼に対する苛立ちをさっと収めた。自身と強い(よすが)がある場所で獣が現れたと言うのは、悪夢と呼ぶに相違ない最悪の一つだからだ。彼はこれから見たくも無い、見るべきで無いものを見る事になるだろう。

 

 友の死体? ならばまだ良い。獣と化した友が別の友を貪っているよりは、余程良い。

 

 彼を待ち受けるであろう、余りにもハッキリとした輪郭の悲劇を想像し、思わず私は唇を噛んだ。それは彼も同様であったようで、先程のおどけた様子など嘘の様に沈んだ顔持ちを浮かべる。

 

『……悪い、見栄張った。あそこには、知ってる奴が大勢いる。誰にも死んでほしくないんだ』

『最初からそう言え』

 

 絞り出すような<加速>の本音に、それがどうしたと言わんばかりの辛辣極まりない口調で<烏>が吐き捨てた。彼はヤーナムの生まれで無い事を示すような異国の顔立ちをこれでもかと歪ませている。

 普段から思ったことをすぐに口に出す<烏>ではあったが、ここまで辛辣な物言いをしたのは初めて見た。しかし私とマリアは、それを否定する事はない。

 

『<烏>の言う通りだな。お前の口が上手いのは認めるが、時には直情的な言い回しが好まれる時もあると言う事だ』

『うむ。それに、我々の繋がりはそこまで弱くはない。他ならぬ君の頼みなら、全力で対応するさ。なぁ、マリア?』

『当然だ』

『どいつもこいつも回りくどいんだ。そんな事は解り切ってたろうに』

 

 そうして我々は<加速>に対する協力を惜しまぬと彼に笑いかけた。口調こそ褒められたもので無かったが、同様の感情を抱いていたと見える<烏>も頷いて見せる。それを見た<加速>は、ヤーナム狩人特有の三角帽を目深に被って目元を隠しながらに呟いた。

 

『…………すまん。頼む。俺の友人達を、助けてくれ』

『ああ。皆行くぞ。一人でも多く、救うんだ!』

 

 次の瞬間、我々は『加速』し、各々の最短経路を駆け始めた。<加速>は誰よりも秀でた最高速度を以って、通りを一直線にひた走る。<烏>と<マリア>はその身軽さを生かして家の壁を駆け登り、妨害の無い屋根を飛び渡ってゆく。そして我々の中で最も速度に劣る私は、市井の狩人らへの召集の鐘を鳴らしつつ彼らの背中を追って下層街への門を目指し、狭い家と家の間を無理矢理に駆け抜け、路地に積まれた木箱を飛び越えて――――――

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ――――――家と家の隙間を飛び出した私の前にヤーナムでは無い、リヴィラの景色が戻って来た。眼前には口を開く人食い花。その正面には二人の冒険者。片足を折られた狼人(ウェアウルフ)の男に女エルフが肩を貸している。

 

 必死に逃走しようとする二人に無慈悲に襲い掛かる人食い花。その顎は容易く二人を食いちぎる事が可能だろう。

 

 だが、私はそれを許さない。

 

 瞬時に『加速』に乗った私は弾丸じみた速度で人食い花に肉薄し、横っ面に長剣を深々と突き立てた。それを楔として体表に取り付いた私を振り落とそうと、狂ったような咆哮を上げ人食い花が暴れ出す。

 

「今だ! 広場を【ロキ・ファミリア】が守っている! そちらに避難するんだ!!」

 

 叫ぶ私に感謝の言葉と首肯を返すと、二人は急ぎこの場を離れ、曲がり角に消えてゆく。その間も暴れ回る人食い花に振り落とされぬよう必死に剣を握りしめていた私は、二人が去った事を確認して剣を引き抜き、人食い花から飛び離れた。

 

『アァァァァァ――――――――ッ!!!』

 

 着地し長剣を構えた私に向け全身から怒りを放ち、人食い花が咆哮する。総身が震えるほどの声量だ。しかしそれも、ヤーナムの獣どもに比べれば足りぬ。恐れる事無く、背の鞘に長剣を収納して結合させ、大剣となった【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】を抜き構える。

 

 瞬間、全身をバネの様にして飛びかかる人食い花。だが既に再度『加速』を発動した私は即座に突撃軌道の一歩外へと躍り出て、本来この体を食いちぎるはずだった奴の顎に向け両手持ちした大剣を叩き込み、裂帛の気合と共に雄叫びを上げた。

 

「おおおおおおッ!!!」

 

 声と共に割れんばかりの力で地面を踏みしめて、それによって生まれた威力で大剣を振り抜いて人食い花の顎を元より大きく斬り開く。そして苦悶し、限界まで開かれた口内に向けて自ら飛び込むようにして踏み込み、魔石のあると思しき喉の上側へ向け躊躇なく右手を突き込んだ。

 

 柔らかな内部組織をかき分けた指に触れる、堅い感触。私はそれを握りしめ、一息に引きずり出して飛び退く。

 

 握りしめた右手には極彩色の魔石。モンスターの存在を確たるものとする核であるそれを奪われた人食い花は、断末魔と共に倒れ込んで近くの家屋に激突し、その身を灰へと変じさせた。

 

 家屋倒壊と怪物の死による粉塵を外套で顔を覆いやり過ごした私は魔石を外套に備えた雑嚢へと放り込んだ。これで、七発分。手持ちの魔石と今手にしたものを合わせれば、<秘儀>の触媒としての魔石は、<水銀弾>の七発分に相当する。

 

 だが、まだ足りない。街中にモンスターが散らばり各所で戦闘となっているこの状況。広場から離れたためにそれほど人目を気にせずに済むのは利点だが、ここまで狩場が広大になると、私一人の力では打開できないと言う問題点のある状況でもある。

 

 一体一体葬送している時間は無い。それは例え<月光>を用いたとて変わらぬ事であっただろう。一体に掛かる時間は短縮出来るかもしれないが、開帳のリスクとそもそもの移動時間を天秤にかければ使う理由も無い。

 

 ならば、この状況下での最善手は何か。……私には一つだけある。このように、方々(ほうぼう)に散らばった怪物どもを一挙に仕留めるその手段が。

 

 立ち止まっている時間など無い。私はその場を発ち、別の導きの糸を辿る。今は、とにかく人食い花の数を減らして、早急に必要量の魔石を収集する事が必要だ。それこそが今の私が可能な最善手。最も多くの人命を救出する事の出来る――――或いは、最も早く多くの人食い花を殺害しうる方法であると私は直感的に理解していた。

 

 『加速』の速度で駆け、景色が溶けて後方へと流れて行く中で、私は手酷く破壊された街を目に焼きつける。このような状況はヤーナムでさえ無かった。ヤーナムの獣は執拗なまでの凶暴性を持って、街に生きる者達を只管に襲い引き裂き貪り喰らう存在だ。逆に一部を除いて、街そのものを破壊する行為に出る事はまず考えられぬ事でもあった。

 

 だが、この街を襲う怪物どもはどうか。内より溢れる破壊衝動に忠実に、その巨体を持って人々の営みの証を叩き潰し蹴散らしている。

 

「――――獣どもめ」

 

 どうしてそれが許せようか。例え奴らがヤーナムの獣どもとは全く別の存在だと頭で理解していても、腹の底から沸き上がる耐え難い熱を感じる。

 

 それを、即座に抑え込む。

 

 狩りとは、葬送だ。ゲールマン翁がそうであったように私もそうでなければならない。私は己の内の激情に駆られてではなく、今を生きる民草の平穏のため、そして死んで行った者達、この手で命を断たねばならぬ者達の静謐(せいひつ)なる眠りの為に狩りに臨まねばならぬのだ。

 

 自らの決意を再確認した私の視界で、導きの糸、無数に広がる光の一つが一際強く輝いた。私はそれに従い十字路を左へ。さらに次の角を右へ。既に耳には、悲鳴を上げる誰かの叫びが届いている。

 

「ああヤバイヤバイヤバイ!!!! 姐さんなんで逃げさせてくれなかったんスか!? こんな街さっさと逃げ出しましょうって!!! 死にます! マジで!!!!!」

「ワケわかんない事言ってんじゃないよ【RD(アールディー)】!! 仕事ほっぽり出して逃げれるワケないでしょ!? てか、アンタが担ぎ出さなきゃ今頃【ロキ・ファミリア】の連中の目の届くとこに居れたかも知れないのに!! 二人で心中でもするつもり!?」

「いやヤバいんスってこの街!!! 人食い花もそうだし【剣姫】もそうだけどなんかそれどころじゃないのが集まってきてるんスよ!!!! ほらまたヤバイのがこっち迫ってきて」

「無事か!?」

 

 私が辿りついた時、二人組の冒険者――――いつだか、そして先程も見た赤毛のアマゾネスと小人(パルゥム)の青年は、二体の人食い花に睨みつけられ八方塞がりの状況であった。それぞれ長剣と短刀を構える二人の抵抗も意に介さず、今まさに飛びかかろうとしていた人食い花たち。しかし彼らは突然の乱入してきた私の様子を伺う様に首を巡らせる。同様に赤毛のアマゾネスもこちらをちらと見てわずかに安堵したように口角を上げたが、一方で小人の青年は私を視界に捉えた瞬間、真っ青な顔になってけたたましい叫びを上げた。

 

「ギ、ギャ――――――――ッ!!!! ヤバイの来た―――――ッ!!!!! ってかこれなんか前も同じような事あった気がするんスけど夢ですかそうッスよねいやいやマジで勘弁してくださいって言っても聞いてくれないんスよね――――ッ!? どうかマジでやめてください俺美味しくないんでとりあえず俺と姐さんは見逃してもらってあっちのデカい花の方行ってホント死ぬ死ぬマジで死ぬ俺死ぬのだけは勘弁……いや俺もう実は死んでる? じゃあ俺とは……死とは…………死…………」

 

 人間の肺活量の限界を容易く突破しているとしか思えぬほどの絶叫を上げた青年は、突然クールダウンして生気の無い瞳を虚空に向け何やらぶつぶつと呟き始めた。理解しがたい行動に私、そして意外にも人食い花さえ次の行動に移りかねその様子を伺っている。

 

 すると余りの事態に目を丸くしていた赤毛のアマゾネスがはっと我に帰り、青年の後頭部を剣を持たない方の手で思いっきり引っぱたいた。余りの威力に膝から崩れ落ち両手を地面に突いて、土下座めいた姿勢を取らされる青年。その背中に向け顔を真っ赤にした彼女が怒鳴り散らした。

 

「折角の救援に何言ってんだいRD!! 状況見ろ!!! (わめ)いてないで手ぇ動かしな!!」

「でっ、でも姐さん!」

「でもも何もあるか!! 死にたくないなら、今出来ること考えろっての!!!」

 

 全くの正論をぶちまける彼女に対して真っ青な顔の青年は怯えるばかり。更に苛立った彼女は、その後頭部に今度は拳骨を落とすべく腕を振り上げる。

 

 瞬間、私は高く跳躍した。遅れて、人食い花の一体がその体をバネの様に伸縮させて飛びかかる。死地において意識を逸らした二人に対しての容赦ない突進。だが既にそれを予測していた私は跳躍の着地点――――人食い花の通過地点へと向け大剣の切先を突き出し、想定通りに直下を通過しようとした人食い花の頭部、魔石の存在する箇所を貫いて破壊。そのまま灰と化した頭部を貫通して着地する。

 

 死亡した人食い花は突進の勢いを保ったまま灰と化して、私の後方に居た二人にぶちまけられる。同時に同族が倒され激昂したもう一体の人食い花が雄叫びを上げ、我々三人を一挙に押し潰そうと(もた)げたその巨体その物を武器として振り下ろした。

 

「姐さんッ!」

 

 青年の叫びが聞こえる中で私は迫りくる巨体を見上げ、極度の集中によって遅延した時間の中で思索を巡らせる。回避は可能。だがそれは私のみの話だ。位置的に私の後方となった上、灰によって視界を遮られた彼らは成す術も無く巨体に押し潰され、死ぬだろう。

 

 ではエリス神を守った時の様に<月光>を開帳するか? 否。あの時は目撃者が他に()らず、なおかつ守るべきエリス神が身内であった事が大きい。人の口を塞ぐことは出来ぬ。彼らの前で月光を開帳すれば、遅かれ早かれかの<聖剣>の存在はオラリオ中に知れ渡る事になるだろう。

 

 ならば、方法は一つ! 私は再度跳躍し、空中で迫る人食い花の首に当たる部分に大剣を叩きつけ、刃をその半ばまで到達させる。足場があれば斬り落とす事も出来ただろうが、踏ん張りの効かぬ空中ではこれが限界だ。

 

 だが、それでいい。私は右手で剣を握りしめたまま、左手を破壊された家屋の柱へ向けて強く突き出す。

 

 瞬間、左手が<先触れ>の精霊との交信を通じて<エーブリエタース>の触手と化し勢い良く伸長した。それは家屋の柱へと巻き付き、取り付いた私の体ごと人食い花をそちらへ引き寄せる事で攻撃の軌道を二人の居た場所からズレた地点へと無理矢理に変更させる。

 

 そして手首の動きで大剣の仕掛けを起動し鞘から長剣を引き抜いた私は人食い花が地面に接触する寸前に跳躍し離脱。触手が縮むのに任せて空中を移動し、崩壊した家の前に滑るように着地。派手な音を立て灰を更に撒き上げた人食い花と、恐らく巻き込まれずに済んだであろう二人の様子をどうにか見通そうとする。

 

 舞い上がった灰はすぐに降り積もり、視界は張れた。そこに横たわっていた人食い花は先程私が与えた以上の深手を負っている。恐らく、地面に叩きつけられた際の衝撃で体に残された鞘がより深くその身を斬り裂き、瀕死の状況に追い込んだのだろう。私は万一にも復帰される事の無いよう素早くそちらへと駆け寄って頭部を長剣で斬り付け、上から右手を突き立てて魔石を摘出した。

 

 魔石を抜かれた人食い花はすぐさま灰となって崩壊し、周囲に舞うそれと区別が付かなくなる。私は視線を外し魔石を雑嚢へと放り込み、そして地面に転がっていた大剣の鞘を回収すると、二人の無事を確認するためその姿を探した。

 

 しかし、二人の姿は無い。聞き及んだ二人のレベルからして、あの視界も通らぬ咄嗟の状況に安全を確保できたとは考えにくい。

 

 ――――まさか、灰に埋もれてしまったか? 私は積み重なったそれを少し払ってみようと、特に大きな灰溜まりへと近づく。すると。

 

「だぁーッ! こらRD、アンタどこ触ってんのさ!! は、な、れ、ろ……!!!」

「あいだだだだだ!!!! ちょっ、ワザとじゃないワザとじゃ!! 首もげ、もげる……!! あいだぁっ!?」

 

 眼前の灰溜まりとは別方向。崩れた瓦礫によって生まれた隙間の暗がりから放り出された小人の青年が、別の灰溜まりに頭から突っ込んでそれを盛大にぶちまけた。同時に、同じ暗がりから窮屈そうに赤毛のアマゾネスが顔を出す。

 

 私は驚いていた。あの一連の攻防の僅かな間にこれほど周到に身を隠しているとは。奇跡的な幸運の助けがあったか。それとも異様に動き出しが早かったか。気にはなるが、それを知る手段も無い。一先ず彼らの無事を喜ぶべきだろう。私は瓦礫から抜け出すのに苦労しているアマゾネスに手を貸して、彼女をそこから引っ張り出した。

 

「大丈夫か?」

「ああ、なんとかね……って、アンタ確か、ミノタウロスの事件の時の」

「ルドウイークだ。無事で何より」

「お陰様で。デカい借り作っちゃったわね」

 

 言ってアマゾネスは皮肉めいた笑みを浮かべ、肩を竦める。それを私は首を振って制した。

 

「気にするな。それよりも、ここを早く離れた方がいい。【ロキ・ファミリア】が守る広場までに居た人食い花はほぼ掃討されている筈だ」

「そうね。やっぱそれが最善策か……よしRD、行くよ! こんな所に居たら命が幾つあっても足りないからね!」

 

 私の提案を吟味した彼女は、すぐに判断を下して、未だ灰に頭を突っ込んだままの小人に声をかけた。しかし彼から返事は無く、それに溜息を吐いた彼女は無造作に彼の足を掴んで引っ張り出すと、少し悩んだ後頬を思いっきりつねり上げた。

 

「RD、起きな! 移動するよ!」

「あ、あが……あがっ!? ね、姐さん!? 何するんスか酷いっすよ~!」

「そっちこそいきなり人担ぎ上げてあんな狭い所押し込んで……無事だったからいいけどさぁ……」

「だったらいーじゃないスか! さ、逃げましょう姐さん!」

 

 何かをやり遂げたような顔で、背嚢を背負い直し歩き出そうとする彼。だがその足は街の出口の方を向いており、それに気づいた彼女は背嚢を思いっきり引っ張り彼に尻餅を付かせた。

 

「何言ってんのさ。広場に戻るよ」

「ええっ!? 無理無理無理!! あんなとこ居たら戦わされますよ!? 無理ですって! さっきの剣士さんみたいにバケモノじみて強けりゃいいですけど、姐さんも俺の弱さ知ってるでしょ!?」

「バケモノ、か」

 

 ふっと私は自嘲的な笑みを浮かべた。彼にそのような意図は無いのは分かってはいるが、かつて市井の人々に怪物だと罵られた記憶が鮮明に蘇る。

 どれほど必死に戦っても、守り切るという事は出来ず失うばかりの日々。あれ程自身を磨り減らした時間など、他にあるまい。

 

「アンタなんて事言うんだい! 命の恩人に向かって!!」

「げはぁ!?」

 

 私がそんな感傷に浸る一方で、彼は今度こそ後頭部に一撃拳骨を食らって痛みに悶え苦しんでいた。

 

「悪いね。こいつ、ビビリが極まって、強そうな奴何でもかんでも怖いっていう様になってさ」

「いや、構わんとも。彼の言う事もあながち間違ってはいない」

「…………悪いね」

 

 肩を竦める私に、心底申し訳なさそうにアマゾネスは頭を下げた。それに大丈夫だと返し、私は広がる導きの糸に目をやる。

 

 少し、時間を取られてしまったな。未だに街で暴れるモンスターは数多い。すぐに、そちらに向かわなければ。

 

「では、私も失礼する。他の怪物にも対処せねば――――」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 導きを手繰り、次の狩りへと赴こうとした私を青年が呼び留める。振り向けば、視線の合った彼は小さな悲鳴を上げるが、勇気を振り絞るようにして私に対峙した。

 

「ア、アンタ相当強いんだろうけど、今回は逃げた方がいいッスよ……なんか、滅茶苦茶ヤバい気がするんス……!」

「どう言う事だ?」

「なんつーか、説明しづらいんスけど、目茶目茶怖い事が起きそうな予感が…………」

 

 その時。彼は突然あらぬ方向を振り向いて硬直した。

 

「マジかよ」

 

 ぼそりと、目を見開いたまま青年は呟く。その顔に先程までのような怯えは無い――――いや。自身の許容を超えるほどのものを感じ取り、逆に冷静になってしまったのか。私は彼に何を感じたのか声をかけようとする。だがその時彼は既に息も吐かせぬ速さでアマゾネスを担ぎ上げ、全速力で走りだしていた。

 

「姐さん行きますよ!! 広場に避難ッス!!!!」

「なっ!? 突然何だい!? アンタ、さっきまで街出る気満々だったじゃないの!!」

「街の外の方が今スゲェ怖いんス!!! とにかく戻りますよ!!!!」

「てゆーか人を担ぐな!!! 降ろせ、降ろしな!!!!」

「今回はマジ無理ッス――――――――!!!」

 

 言い争いながら、走り去って行く彼らを私は見送る事しか出来ず、ただ立ち尽くす。そして一つの可能性を思案した。

 

 ――――もし、先刻予想したように、彼が脅威を恐怖として感じ取る能力の持ち主だとしたら。その感知の範疇が、今起きている事だけではなく、これから起きる脅威にも対応しているのだとしたら。

 

 直後、凄まじい轟音と共に街の広場から巨大な火柱が幾つも生まれ天を()いた。その輝きによって街が、18階層の天井が煌々と照らされ、黄昏時の如く世界が赤く染まる。

 

 あれも、【魔法】か。私はその恐るべき威力に思わず小さく呻き、頬に流れる一条の汗を意識する。しばらくすると、その輝きは徐々に収まり、風に乗って木を焼いた時特有の焦げた匂いが私の元へも流れて来た。

 

 恐らく今のは、広場に残った【ロキ・ファミリア】の――――【九魔姫】の放った魔法に相違無いだろう。ニールセンから聞いていた情報の一つと、その威容が合致する。

 

 あそこの戦いの決着は付いたか。残るは広場に迫っていなかった、そう多くない残敵のみ。そう判断した私は、更に魔石を収集するべく幾つもの導きの中から特に強く輝くものを手繰った。だが――――

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!』

 

 ――――その時、街のどこからか今まで対峙した人食い花のものとは質の違う凄まじい咆哮が聞こえてくる。聞きようによっては女性の声にも似た響きを持つそれは、私にこれまでにない危機感を与えた。

 

 まさかこれが、彼の言っていた『怖い事』なのか? であれば、魔石を集めている余裕など、私には残されていないのではないか?

 

 焦燥が私を苛む。だが、先ほど<先触れ>を使用した結果、魔石は水銀弾六発分の量しか残されていない。これでは、数が足りない。何か、何かないか? この騒動の趨勢を決めるために、大量の触媒を用意する方法は――――

 

 ――――ある。触媒を水増しし、必要数に届かせる方法が。リスクを伴う方法ではあるが、これ以上思案する余地はない。後は場所だ。かの秘儀を使用したとしても、場所が悪ければ意味は無い。

 

 その気付きがもたらしたか、新たな一本の導きが眼前に現れ、それが私を強く引きつける。

 

 導いてくれるのか。私は背の<月光>に意識をやるが答えが返ってくる筈も無く、ただ武骨な大剣の重みが感じれるだけだ。しかし迷いはない。私は縋るように導きを手繰り寄せ、それが示す場所へと向かって全速力で走り始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「そぉれぇーッ!」

 

 溌剌(はつらつ)とした掛け声と共に、ティオナの大双刃(ウルガ)の極厚の刀身が女体型のモンスターの足を過剰とさえ言える攻撃力で両断する。

 

「まだよ!」

 

 あまりにも威力のある攻撃を放った直後僅かに隙を晒したティオナを貫くべくモンスターが振るった腕の触手が、瞬く間にティオネによって切り刻まれる。

 

 【ロキ・ファミリア】と街に突如として現れた女体型のモンスター、彼らの戦いは時間が経つにつれてロキ・ファミリア側の優位が色濃くなってきていた。

 

 合流したリヴェリアとレフィーヤ、二人の魔導士師弟による高度な連携詠唱によって発動した炎の矢を降り注がせる【ヒュゼレイド・ファラーリカ】の直撃、圧倒的な攻撃力を誇るティオナの大双刃による斬断、その隙を突く事を許さぬティオネの双曲刀の連撃。

 そして【勇者】たるフィンがその全てを指揮、カバーする怒涛の攻めに、モンスターは焼かれ、斬られ、裂かれ、貫かれ…………既に満身創痍の有り様となり果てていた。

 

 だが、彼らは攻めの手を緩める事は無い。先程突然乱入してきた赤い髪の女――――ハシャーナ殺害の犯人と思しき敵がアイズと一対一で激突している今、可及的速やかにこの女体型と化したモンスターを殲滅するのがフィン以下ロキ・ファミリアの面々の目標であったからだ。

 

 オラリオ最強の一角たるファミリアの圧倒的な攻勢に防戦一方となり追いつめられた女体型のモンスター。その、口以外に感覚器官の存在しない無貌の顔をだが確かに苦痛と怒り、そして屈辱に歪ませた彼女は、懐に潜り込んだフィンの連続刺突を受けて穴だらけになった下半身から突如として上半身を切り離して離脱させ、当初泰然としていたその様からは想像も出来ぬようなおぞましい声を上げながら這い回るような恰好で逃走を図った。

 

「うぇっ!? 何それキモッ!?」

「逃げる気だ!」

「アイツ、湖に飛び込もうって言うの!?」

 

 三者三様の声を上げその後を追おうとするティオナ、フィン、ティオネ。しかし切り離された下半身が最後の力を振り絞ったか、突如として蛸じみた触手を嵐の如く周囲に叩きつけ、最も近くに居たフィンの道を塞いでしまう。

 

 一方で最も危険な相手の追撃を阻んだと見た上半身は腕の力で一気に跳躍し、街の外壁をぶち破る。そして斜面を転げ落ちて、湖の上に浮かぶこの島から身を投げた。

 

 重力と浮遊感に身を任せた彼女は、未だに体を苛み続ける火に顔を顰め、だがしかし逃走の成功に安堵を顔に浮かべる女体型のモンスター。強靭な皮膚を持ち、生命力に長けた人食い花達を素体とした自身であればこの高度から墜落しても十二分に生き延びれる。

 

 だが、彼女の希望を打ち砕くように、その顔に二つの影が落ちた。

 

「逃がすかァ!」

『!!』

「おおおッ!!!」

 

 追撃してきたのは二人のアマゾネス。既に逃げきれたのだと油断していた彼女に対して、ティオネが双曲刀を振るい彼女に残された最後の攻撃、そして防御の手段である両手をズタズタに引き裂く。

 

「いっくよぉ――――――ッ!!!」

 

 そして、勢い良く飛び出したティオナが、トドメの一撃とばかりに空中で大きく縦回転。頭上に構えた大双刃を相手を真っ二つにするべく振り下ろした。

 

 

 

 

 ――――だが、その時。横合いから突っ込んできた影が凄まじい衝突音を響かせながらその爪先を女体型の脇腹へとめり込ませ、そのまま湖のほとりへと蹴り飛ばした。

 

「んなーっ!?」

 

 思いっきり振りかぶった上、回転の勢いまで乗せた縦切りを空振りしたティオナが素っ頓狂な声を上げる。一方でその影、黒い髪の冒険者の男も、勢いそのままに女体型に追従するように岸辺へと吹っ飛んでゆく。一瞬の交錯で男の印象の薄い無表情を見咎めたティオネが、驚きも露わに叫んだ。

 

「【黒い鳥】ッ!?」

 

 彼女の驚愕に一瞥をくれる事も無く乱入者――――【黒い鳥】は勢いを緩める事も無く、女体型に追従するように湖のほとりに生い茂る森の中へと飛び込んでいった。その様を見届けたティオネが怒りのあまり顔を歪ませて、心中の熱の赴くままに叫ぶ。

 

「あの【黒い鳥】(馬鹿野郎)、何考えてんのよ!? 他人(ひと)の獲物を横取りしやがって!! ってかどっから飛んできた!? 湖の端から跳躍してきたとでも言う訳!? ふざけ――――」

「ねぇティオネ!!」

 

 だがその言葉は、真っ逆さまに落ちながら首を傾げるティオナの声によって遮られた。ティオネは思わず、怒りの矛先をティオナへと向ける。

 

「あぁ!? 何よ突然!?」

「こういうの、確かあったよねことわざに!」

「だから何よ!?」

「それって何て言うんだっけ!?」

「今それ重要!? それよりもあのモンスター、どうにかしないと……!」

「あ、そうだ思い出した!」

 

 突然場違いな事を云い出したティオナに、ますます苛立ちを募らせるティオネ。だがティオナはそんな彼女を他所に、一人合点がいった様に手をポンと鳴らして、胸のつかえが取れたような笑顔で笑った。

 

「【猟師の一人勝ち】*1――――」

 

 そう彼女が言い終える前に、二人は揃って派手な音を立てて湖へと着水した。

 

 

 

 

 

 二人のアマゾネスが湖へと叩きつけられたのと同じ瞬間。女体型の上半身も湖のほとりの森の天蓋たる木の枝を突き破り、地面に強かにその体を打ち付けられていた。

 

『ガ、アアッ……!?』

 

 彼女は衝撃を受け、息を絞り出すように苦悶の呻きをあげる。だがすぐに、その顔に生気が戻って来た。

 

 あの恐ろしい二人の女からは逃げ切った。ならばまだ生き残る目がある。

 

 その様な事を考えて、彼女は両腕を再生させ、そして仮初の下半身を構築してこの場を離れるべく、魔石の力を全身に巡らせた。

 

「……ダメだ、こりゃ」

 

 そして顔を上げると、彼女はいつの間にか自身の眼前に一人の男が立っているのに気が付いた。

 

 男は何処にでも居そうな人間の、烏の濡れ羽色の如き、黒々とした髪の青年だった。取り立てて特徴の無い、平凡な外見。だがそれは彼自身の話だ。彼の装備する武具の量は、オラリオの冒険者の常軌からは外れた所にある。

 

 モンスターの革から作られたと思しき外套を纏う背には、ミスリル製と思しき盾と大剣が二本。黒々とした鞘に納められた一振りと。鞘の上から更に布を巻かれ秘匿された一振り。そして腰には手斧が二振り、長剣が一本、刀が一本。だが刀は既に抜かれており、彼は抜き身の刀身を眺めて不服そうに唇を尖らせていた。

 

「【アンジェ】みたいにゃ行かないか」

 

 男は――――【黒い鳥】は少し曲がった刀身を眺め、悔し気な声を上げた。そしてそれを無理に鞘に納めて、溜息を吐く。余りにも隙だらけだ。彼女は眼前の人間の体躯を虫けらの如く叩き潰さんと再生した両腕の触手を振り上げた。そこで突然、世界が横に傾く。彼女は流れて行く視界を目にして困惑する。

 

 これは何だ? 何が起きた? 目の前の男の、何かの魔法か?

 

 否。そのような事は有り得ない。彼女には――――彼女の素材となった者達には、元より魔力を敏感に感知する力が備わっている。そしてその感覚は魔力と言う物を一切感じ取れなかった。ならば一体?

 

 そう思考を巡らせる彼女の知性とは反するように、世界はゆっくりとその速度を落として傾いてゆく。そしてその角度が90度に達しようとした所で、衝撃と共に横合いに叩きつけられた。そこでようやく、彼女は灰と化していく自らが既に二度斬られており、斜めに走るその傷によって首から上と上半身、更にはその上半身も胸から上と下に別たれている事を認識した。

 

「やっぱ【エド】か【アンドレイ】に打ってもらわなきゃ、ダメだ。【真改】の打った奴もいいけど、俺の為のものじゃない…………」

 

 反省するように呟きながら、【黒い鳥】は手の内の極彩色の魔石を弄ぶ。【黒い鳥】は、後方で灰へと化していく彼女の事など一切気に留める事は無い。先日、アンジェとやりあった際に考案した技、それの()()()()試し斬りで、既に殺し終えているからだ。彼は手にしていた魔石を懐に仕舞い込み、未だに喧噪飛び交うリヴィラへと振り向いた。

 

「…………常連さん(ルドウイーク)、あそこにいるかな?」

 

 思い立った事をぽつりと口にして、【黒い鳥】はその場から跳び去る。彼の居なくなった後には、リヴィラを半壊せしめたモンスターの灰と化した亡骸だけが、寂しく残されていた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 導きを追ってルドウイークが辿り着いたのは、戦いの幕を開ける鐘を鳴らした、屋根の吹き飛ばされた見張り櫓だった。ここからは周囲で戦う者達の様子が良く見て取れ、広がる導きの糸が彼へとモンスターの位置を知らしめていた。

 

 そこで彼は周囲を確認して、一つの懸念を覚える。あれ程の咆哮と戦闘音を響かせていたはずの、別格とも言えたはずのモンスターが影も形も無い。まさか、ロキ・ファミリアが既に殲滅してしまったのか。その結論に至った彼の中で、ロキ・ファミリアの脅威度が更に高まった。

 

 だが、そのような思索に没頭しかけた彼の意識を街を未だに破壊し続ける人食い花と抗う冒険者達の怒号が引き戻した。状況は未だに芳しくない。それを打開する手段が自分にはある――――ならば、使うしか無いだろう!

 

 ルドウイークは自らの胸に手を当て、血流を強く意識する。瞬時に熱が掌からあふれ出し、それはルドウイークがかつてヤーナムで慣れ親しんだ、銃弾に良く似た形を成した。

 

 <血液弾>。自らの血と遺志、体力を凝縮させ、銃弾の形を成した<水銀弾>の代用品。それは長らく形を保ち続ける事の出来る物ではないが、その性能に関してはあらゆる面で水銀弾と同一だ。それは、<秘儀>の触媒としても同様である。

 

 ルドウイークはそれを握りしめたまま、壁を駆けあがるかのごとき動きで見張り台の上に飛び移る。そして元来持つ狩人達を率いるに能う程の視野を全力で用いて自らを強く引きつける光の糸の導きを見定めた。それによって、彼の眼には視界に入る全ての人食い花に光点が灯って見え、それを以って怪物どもを標的として認識する。準備は整った。

 

 瞬間、彼は自身の手持ちの魔石と、血液弾を合わせた総量を再確認した。魔石が六発分。血液弾が五発分。これで十一発分。あの秘儀を用いるためには、十二分。

 

「『成功』など、してくれるなよ……!」

 

 口に出してそう願うと彼は両手を頭の上で合わせ、視覚と導きを限界以上に酷使する苦痛の中で<交信>を試みた。

 

 ――――それは、遥かなる星界との交信を行わんとした、教会による儀式の副産物。ただの一度として成功した事の無かった無為なる試み。だがそれは何も生まなかった訳では無く。その失敗をこそ求め、彼は頭上に宇宙を啓いた。そして、星が降る。

 

 ルドウイークの頭上に開け放たれた暗黒の揺らぎより、全方位へと数多の流星が飛び出しリヴィラの空を駆ける。それは容赦なく街中の、人食い花たちに過たず着弾し、星の爆発によって命中箇所を大きく抉り、吹き飛ばした。

 

 秘儀の名は<彼方への呼びかけ>。教会の有する秘儀の中で最も高位に位置するそれは、精霊を媒介に高次元暗黒に接触し、遥か彼方への交信を行う秘奥。しかしそれに答えが返ってきた事はただの一度として無く。すべてが徒労に終わった。

 

 しかし儀式はその過程において降り注ぐ星の小爆発を生み、それは<聖歌隊>の特別な力となった。本来であれば、未知なりしものと繋がるための崇高なるそれを戦いの場に持ち込む事など、ありうべからざる事ではあるが…………有効ならば使うと言うのは、人の歴史における当然の選択肢であったのだろう。

 

 現に、星の炸裂をその身に受けた人食い花たちの体は(むご)く抉れ、或いは弾け飛び、また或いは魔石を吹き飛ばされ灰と帰す者さえいた。だが、まだ健在のものも多い。故にルドウイークはまた強く手を握りしめ、苦悶と大きな喪失を自らに強いながら血液の弾丸を再度生成すると、もう一度頭上で手を組んで高次元暗黒への穴を穿った。

 

 再び降り注ぐ流星雨。それは一度目の攻撃を切り抜けた人食い花たちの命を今度こそ

穿ち、抉り、弾けさせて行く。それでも、流星より逃れ生き残った個体は幾体か存在していた。

 

 だが、今まで守勢を強いられてきた冒険者達がその余りに大きな機会を見逃すはずが無かった。

 

「今だ! 行くぞお前らーッ!」

 

 突然降って湧いた援護射撃に戸惑う幾人かを、ボールスが声を張り上げて鼓舞する。そして自ら頭部の抉れた傷から露出する魔石に剣を突き立てて一体の人食い花を灰に帰すと、腕を振るいその戦果を周囲に見せつけた。すると、他の冒険者達も堅い表皮を避けて肉の露出した部分に狙いを定めて徹底的にそこを攻撃する事で人食い花たちを追い詰めて行く。

 

「は、はッ……ははッ……! 後は……ハッ、任せられるか……」

 

 手負いの人食い花たちに集団で襲い掛かり、次々と灰にしてゆく冒険者達の姿を見下ろしてルドウイークは肩で息をしながらも喜ばしげに笑った。そして自らも戦線に向かおうと足に力を込めるが、頭に走る痛みとめまいに思わず膝を突く。

 

「流石に、無理を、しすぎた、か…………」

 

 血液と<遺志>の消費による血液弾の精製、そして自身の許容を越えた視野の酷使と導きの併用は、彼の脳に非常に大きな負担をかけていた。更にはこの18階層に来るまでの強行日程が祟ったか、急激な眠気に襲われ彼は両手を突き、そのままその場に突っ伏して意識を失ってしまう。

 

 それを見下ろすかのように、一体の人食い花が首をもたげ姿を現した。その頭部には先の<呼びかけ>によってか血を流す抉れた跡がある物の、未だに動きを損なう事も無い。その人食い花はむしろ傷を受けた怒りに満ちて下手人たるルドウイークを食らわんとその顎を開く。

 

 だが、その顎が閉じられる事は無かった。いつの間にやらルドウイークの横に現れた一人の冒険者が、刀身が幾つもの部位に分かれる石の長剣――――【引きあう石の剣】を用いて人食い花の頭部を貫き、口内に隠された魔石を破壊して殺害せしめたからだ。彼が腕を振ると分かたれた石剣の刀身は糸に手繰られるように宙を舞い、小気味よい音を立てて青い文様の浮かぶ長剣の姿へと戻る。

 

 そしてそれを腰の鞘に仕舞うと彼――――【黒い鳥】は、横たわるルドウイークを無言のまま担ぎ上げて、誰にも見咎められる事も無く見張り台から飛び降りていった。

 

 

 

*1
『漁夫の利』




やはりバトルパートすき(根っからの傭兵)
次話は事後の後始末かな。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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20:嵐の去ったその後で

15000字くらいです。

感想評価お気に入り、いつもありがとうございます。
誤字報告もとても助かっております。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


 ――――カーテンに覆われた窓の隙間から差し込む陽の光を受けて目を覚ましたルドウイークが最初に見たものは、特段変わった所の無い板張りの天井だった。

 

 彼はぼうとした頭で自らの置かれた状況を思い返す。【リヴィラ】でのモンスター出現、街の冒険者、そして【ロキ・ファミリア】の面々と共にそれの対処に当たり、最終的には<彼方への呼びかけ>の連続使用の後、血液弾の過剰な生成を引き金とした貧血、或いは疲労によって倒れたのだ。

 

 だが、私が生きているという事は、無事戦いは収まったのだろう。

 

 ルドウイークはそう結論付け、上体を起こして拳をぐっと握りしめた。体の調子に特段問題があるようには思えない。次に彼は部屋の様子を見渡した。その部屋はそれほど広くなく、自身の寝ているベッドと荷物を置くための棚程度しか備えられていない。飾り気のない壁の柱に備えられたフックには自身の外套がかけられており、その下には<月光>と<ルドウイークの聖剣>が敷かれた布の上に横たえられている。

 

 ルドウイークはそれを見て一度思案した。今の自身がこうしてベッドに居ると言う事は、誰かが自身の装備を解除し、その際に月光に触れたという事に他ならぬ。

 

 <ヤーナム>では自身以外に触れさせる事も無かった月光を、僅かな間であっても誰かが手にしていたと言う事実に、ルドウイークは少し不安げに唸る。特段問題は起きなかったのだろうか。礼も兼ねて話をしておきたい。

 

 彼がそう考えていると、ガチャリと音を立て戸が開いた。部屋に入ってきたのは青黒い髪をした、不機嫌そうな顔の女性。彼女は目を覚ましているルドウイークの姿を見ると、どこか驚いたように目を(しばたた)かせた。

 

「あら、起きた? エリスが心配してたわよ」

「…………マギー? どう言う事だ? ここは、リヴィラではないのか?」

 

 安堵したように彼女――――マギーが口にすると、ルドウイークは疑問符を頭に浮かべた。リヴィラで倒れたのであれば、目覚めるのもリヴィラだろう。だが、ダンジョンの探索からは既に退いたはずの彼女がここに居るというのは…………。

 事情を知らぬルドウイークはダンジョンに居るはずの無いマギーを見て少々混乱したが、一方のマギーはそれを見てくすりと笑っただけだった。

 

「残念ながらここは地上(オラリオ)、【鴉の止り木】よ。今呼んでくるから、詳しい事はエリスに聞いて」

 

 それだけ言い残すと、マギーはさっさと踵を返し部屋を後にしてしまった。その後姿を見送ったルドウイークが半ば呆然としていた所、すぐに階段を一段飛ばしに駆け上がってくる足音が響いて、戸が力任せに開け放たれる。

 

「はぁッ……はッ……ルドウイーク……!」

 

 扉を開けたままルドウイークに視線をやるのは【エリス・ファミリア】の主神エリス。彼女は息を切らして肩を揺らし、そして真っ赤な顔で口をつぐむと、その表情のままルドウイークに向け駆け出した。

 

 それを見たルドウイークは思わず目を伏せる。どれだけ彼女に心配をかけてしまったのか。彼女は早く帰ってこないと夕食に間に合わないとも言っていた。だが、今は恐らく夜を越えて、少なくとも朝にはなっている筈だ。だとしたら、彼女は今までずっと私を心配してくれていたのだろうか。

 

 ルドウイークは申し訳なさで一杯になった。【ロキ】神に<ヤーナム>の地と、そこで用いられていたもの、跋扈(ばっこ)していたものについての情報が漏れる可能性があると言うだけで、無理を押してまで18階層まで潜った自分。

 

 確かにその秘密が漏れれば、このオラリオ自体を危機に直面させる事になるかもしれぬ。だが、それがどれほどロキ神を恐れる理由になろうか。例えかの神がそれに興味を持ったとて、自身が口を(つぐ)めば知られる事もまず無いはずだ。

 ならば、私の行動は神々の好奇渦巻くこの街で、異分子である自身を目立たせぬようと苦心していたエリス神の配慮を無下にするものなのではないか? それで結局彼女をこれほど心配させてしまうなど……まったく滑稽極まりない。

 

 自嘲するようにふっと笑うルドウイーク。そして彼はまず、顔を上げてエリスに対して謝罪を口にしようとする。だが彼が見たのは、涙ぐむエリスと、彼女が放った右拳が自身に迫ってくる光景であった。

 

「バカ――――――ッ!!!」

「グワ――――ッ!?」

 

 エリスの放った右フックは油断しきっていたルドウイークの顔面に直撃。そのまま彼は元来貧弱であったエリス神の腕力からは到底考えられぬ威力で吹き飛ばされ、派手に回転しつつベッドから転げ落ちた。

 

「何考えてんですか貴方はーッ! 人が泥酔してるからって黙ってダンジョンに行くわ、18階層まで勝手に潜るわ、モンスターの襲撃に巻き込まれるわ!!! どうしてこう心配、いや心配してませんけど、私を不安になんかさせるんですか!? 困るんですよそういうの!! 聞いてます!?」

 

 転げ落ちたルドウイークに対してエリスは間髪入れず喚きたて、まるで子供がごねるかのように顔を真っ赤にして地団駄を踏む。正しく神の怒りと言って相違無い大声量であった。だがしばらくして、ベッドの向こうに転げ落ちたルドウイークがいつまで立っても出てこないのに気づいて、彼女はサッと顔を青褪めさせる。

 

「ル、ルドウイーク……? もしもーし……」

「エリス?」

「ひゃっ!?」

 

 転げ落ちた彼の様子を覗き込もうとしていた所に突如として背後からかけられた声に飛びあがりそうになった後、石臼じみてゆっくりと顔を背後へと向けるエリス。そこには苛立ちに満ちたマギーが右手を腰に当てて仁王立ちしていた。

 

「ねぇエリス?」

「はいっ!?」

「ウチであんまり暴れられても困るの。喧嘩なら自分の本拠(ホーム)でやってくれる?」

「え、いや、これは喧嘩って訳じゃなくて……」

「へぇ、【彼】が折角助け出してきた奴を殴り飛ばしておいてそれ言う? 貴女の頬も張っておいた方が良さそうね」

 

 そう言うと、顔の前で握り拳を作ってエリスを威嚇するマギー。エリスはそれを見て、慌てて床のルドウイークの元へと駆け寄って必死にその体を揺り動かす。

 

「ちょっとルドウイーク! 起きて! 起きてください! 殺される!!」

「殺しはしないわ。ちょっと痛いだけよ」

「ちょっとの基準が絶対おかしい!!!」

 

 迫るマギーに涙ぐみながら、ルドウイークの襟を両手で引っ掴んでひたすら揺さぶるエリス。その努力が功を奏したか、一度か細い呻き声を上げてから、ルドウイークがゆっくりと目を開いた。

 

「ぐ……エリス神、揺さぶらんでくれ……首が……」

「ああ! 良かったルドウイーク、起きたんですね!」

 

 満身創痍となったルドウイークの復帰を喜ぶように、あるいは先程殴り飛ばしたのも忘れたかのようにエリスが顔をほころばせた。だが彼女の安堵もつかの間、エリスの羽織るケープの首元を掴んで引っ張り上げたマギーが、その耳元に口を寄せ、どすの効いた声で囁く。

 

「それじゃあエリス? 彼も起きたみたいだし、早く荷物をまとめて出てってもらっていいかしら?」

「えっ。ちょ、ちょっと待って、今彼は起きたばかりで……」

「部屋代、タダにしてあげてるの忘れた? あんまり長居されるとウチの経営が傾くんだけど。そうなったらまず切られる首は……」

「すぐに出ていきます!! ルドウイーク準備を!!!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何が何だか……」

「いいから早く!!!」

 

 無慈悲極まりないマギーの言葉に、切羽詰まった顔で敬礼するエリス。そして彼女は未だに状況が掴めていないルドウイークを引っ張り出すと無理矢理荷物を持たせ、自らも彼の背嚢を背負い込むと慌てて部屋を飛び出していった。一方で彼女に置いて行かれるような形となって部屋に残されたルドウイークは、少し納得いかぬままに手早く装備を行い、それを終えた後マギーに対して頭を下げる。

 

「正直、まだ良く分かっていないんだが…………ひとまず世話になった。まさか地上にまで連れて来て貰った上、無償で部屋まで使わせてもらうとは」

「別に。依頼を請けたのは【彼】だし、頼んだのはエリスだから。感謝するならそっちにお願い。それにこの部屋も空いてたし…………アフターサービスの一環とでも思ってちょうだい」

「ああ、では、私もお(いとま)させてもらおう。あまり長居してはマズイのだろう?」

「ホントは別にいいんだけどね、どうせまだ店も空けてないし…………それよりほら、早くエリス追っかけないと」

「そうだな……では失礼する」

 

 ルドウイークは改めて頭を下げると、部屋を退出しそのまま表へと出てエリスの後を追いかけて行った。部屋に残されたマギーは軽くベッドを整えると自身もまた部屋を出て、一階の店舗へと降りて行った。

 

 時刻は朝。ようやく人通りも激しくなってきた時間だ。朝の陽射しが差し込む店内はまだ肌寒く、テーブルも端に寄せられたままで広々としているのもそれに拍車をかけている。その中で唯一、窓際の日が当たる場所に出されたテーブルの席には普段着の【黒い鳥】が座っていて、日差しの温かみを独り占めしていた。

 

「マギー、どうだった? 常連(ルドウイーク)さんとエリスの様子は」

「問題は無さそうね」

「俺もそう思う。でも、エリスの奴随分必死な顔してたけど、マギー何か言ったのか?」

「別に」

 

 笑いながら尋ねる【黒い鳥】に素っ気なく返すと、マギーは入口の戸に鍵をかけ、片手で器用にエプロンをかけてから箒を手にし店内の掃除に取りかかった。その姿を黒い鳥はテーブルに片肘をついたまま、眩しそうに眼を細めてふっと小さく笑う。

 

「どうせタダで部屋使うと給料に関わるとか言ったんだろ。そんな気なんか無い癖に」

「何か言った? 喧嘩なら買うけど」

「いや何も」

 

 耳ざといマギーの威圧に、黒い鳥は扉の外を眺めたまま薄く笑って答えた。そして、何の気も無しに空に目を向け、雲の流れの速さを眺めてふと呟く。

 

「………………なんか、また荒れそうだなぁ。退屈しなくていいけどさ……」

「そうね。夕方から天気崩れるらしいから、昼の内に稼ぐわよ。掃除手伝って」

「了解……」

 

 気だるそうな声を上げて、黒い鳥は陽の温かみを惜しむようにゆっくり立ち上がった。その時、入口の戸がドンドンと叩かれる。

 

 エリスが忘れ物でもしたのだろうか? マギーは黒い鳥と一度顔を見合わせた後、箒を黒い鳥に預けると先程閉めたばかりの戸の鍵を開ける。そして、開かれた戸の外に立っていた二人のアマゾネスの顔を見て、マギーは少し嫌そうな顔をした。

 

「やっほ、マギー! ひさしぶり!」

「…………久しぶり。こんな朝から何の用?」

「【黒い鳥】は居る?」

 

 マギーに問われたその二人――――【ロキ・ファミリア】の幹部であるアマゾネスの双子の内、姉であるティオネ・ヒリュテはわずかな苛立ちを持って彼女の問いに質問を返した。対して、マギーはその眼を更なる嫌悪に細めて自身の問いにまず答えるように促す。

 

「何の用か、って聞いてるんだけど」

「昨日、リヴィラに現れたモンスターについて調べててね。私達が相手したんだけど、黒い鳥が乱入したせいで仕留めそこなったから……もしかしたらアイツがあのモンスターの魔石持ってないか、気になったの」

 

 それを聞いて、マギーは店内の黒い鳥に確認するべく後ろを振り向いた。だがそこには床に転がった箒があるばかり。僅かに目を離した間に黒い鳥の姿はさっぱりその場から消え失せていた。何を考えているのやらとマギーは頭痛を堪えるように額に手をやって溜息を吐き、再びティオネに向き直る。

 

「残念だけど、彼はどっか行っちゃったわ」

「はぁ!? さっき店の中見たときは居たわよ!?」

「逃げ足速いねー」

 

 声を荒げるティオネとは対照的に、その後ろに控えていた妹のティオナは頭の後ろで両手を組みながらけらけらと笑った。それが気に入らなかったかティオネは鋭くティオナに肘を入れて黙らせると、苛立ちも露わに店の中に踏み込もうとする。だが、彼女の前にマギーが見下ろすように立ち塞がった。

 

「……ロキ・ファミリアの幹部陣はガレス以外出禁なのを忘れた? 勝手に踏み込むなんて許してないけど」

「今日は私達だけ、アイズは居ないわよ」

「そういう問題じゃない」

 

 睨み合い、二人は視線をぶつけ合って火花を散らす。戦闘能力では隻腕のマギーではティオネに及ぶ筈も無いのだが、それがどうしたと言わんばかりの態度だ。だがしばらくして、ティオネも争いを望んでいるわけでもなかったか、気には入らなそうではあったものの一度鼻を鳴らして後ろに退いた。

 

「じゃー、次はアタシなんだけど……」

 

 ティオネが退いた場所に、続いてティオナが滑り込んだ。マギーが首を動かして質問を催促すると、彼女はどこか申し訳なさそうにマギーに尋ねる。

 

「あのさ、エリスって神様、ここで働いてるよね? 住んでる所、教えてほしいなぁって」

「従業員のプライバシーに関する質問は受けてないわ」

「えーっ!?」

 

 彼女の質問をマギーはバッサリと切り捨て、ティオナは思わず不満気な声を上げた。それに対してマギーは首を横に振って、溜息を吐くばかりだ。

 

「あのねティオナ。エリスの住んでる所……【エリス・ファミリア】の本拠はね、今は何処にあるか良く分かんないのよ。あなたもロキに聞いてもわからなくてここに来たんでしょ?」

「うっ、そうなんだけど……」

 

 諭すように言ったマギーの口調と指摘に、ティオナは言い返す事が出来ずに肩を落としてしょんぼりと俯いた。

 

 エリス・ファミリアの嘗ての本拠はギルド本部にほど近い所に居を構えていたが、そこを引き払ってからの彼女の本拠の位置は驚く程に知られていない。単純に、そんな零細ファミリアの本拠の事など興味の無い神が大多数だったというのが大きいが……。探したとしてもあの入り組んだ【ダイダロス通り】の中に紛れた何の変哲もない民家の一軒である。見つけろと言う方が酷な話だろう。

 

 まぁ、本当は知ってるんだけど。

 

 その言葉をマギーが口にする事は終ぞ無かった。この【鴉の止り木】の従業員のほぼ全員が同じファミリアに属している中で、エリスだけは神であり、更には自身のファミリアを持つ主神である。その本拠についての情報など、勝手に口にする事の出来る類の情報では無い…………それだけで無く、エリスがロキの事をさんざ嫌っているのを知っていたマギーは、友人としてもその情報についてティオナに話すつもりは無かった。

 

「うーっ、困ったなぁ。またすぐにダンジョンに潜る予定なのに………………」

「……何か用事があるなら、伝言くらいはしてあげるけど。良ければ教えて貰える?」

 

 ただ、ティオナの性格もある程度知っているマギーは別の形の助け舟を出した。彼女に限って、何か企んでいるとかは有り得ないだろうと判断しての事だ。それを聞いたティオナは、一瞬ばっと顔を上げたものの、すぐに俯き加減になってぼそぼそと彼女らしからぬ声量で話し始めた。

 

「実はさ……その、エリス・ファミリアのルドウイーク、って人と一緒に戦ったんだけど、戦いが終わった後も全然見つかんなくて…………もしかしたら、先に地上に戻ってきてるんじゃあないかなって――――」

「普通に戻ってきてるけど、彼」

「ホント!?」

 

 心配そうに下を向いていたティオナは、マギーの言葉にまた顔を上げて、先程とは逆に喜びと安堵に思わず笑顔を見せる。

 

「よかったー! 死んじゃったんじゃないかって心配だったんだ! ねぇマギー、やっぱりエリス・ファミリアの本拠の場所教えてよ! あの人絶対面白そうだし、一回勝負してみたかったんだよね!」

「それはダメ」

「えーっ! いいじゃんそれくらい!! 減るもんじゃなし!」

「どうせ生きてるんだから、また会う機会もあるでしょ? その時に当事者同士で話を付けてちょうだい。私は店の準備があるから。じゃあね」

 

 聞こえるティオナの抗議の声を無視して、マギーは戸を閉め素早く鍵をかけた。その後もしばらくティオナは店の前で騒いでいたものの、姉であるティオネに(たしな)められて自身の本拠へと戻って行った。

 

 窓から外の二人を眺めていたマギーも、彼女達が去って行くのを見届けてから再び掃除に戻ろうと箒を拾い上げる。すると、厨房からガタリと音がして、調理台の陰からのそりと黒い鳥が姿を現しふぅ、と一息ついた。

 

「やっぱ怖いな、アマゾネス。俺、あいつら苦手だ」

「あっそ」

 

 苦笑いを浮かべる黒い鳥に対して、マギーは全く興味無さげな素っ気ない返事を返すと手にしていた箒を彼に向けて軽く放り投げた。それをキャッチした黒い鳥はコメディアンの持つステッキめいて箒をくるくると回した後、特段余計な事をするでもなく掃除を始めようと埃が溜まっていそうな場所を見定め始める。

 

 すると、突然店の戸が無理矢理開かれようとしてガタンと音を立てた。二人はそれを聞いて驚いたように硬直した後、先程ティオネたちが訪れた時と同様に顔を見合わせて、マギーが戸の元へと近づき外に居る何者かに向け声をかける。

 

「…………どちら様?」

「スマン、私だ。開けてくれ」

 

 外から聞こえて来たその声に、マギーは素早く戸を開けて声の主を中へと招き入れた。その男は、古びた修道服に身を包む老いた狼人(ウェアウルフ)。先のリヴィラの騒動でもその魔法を持って戦い抜いた男――――【啓くもの】フレーキ。彼は、普段と特に相違ない何処かくたびれたような表情で【鴉の止り木】へと踏み込んだ。

 

「朝からスマンな。準備の邪魔をしてしまったか?」

「いいえ、お帰り【フレーキ】。リヴィラでの騒ぎに巻き込まれなかった?」

「いやはや、久々にいい運動をしたよ。部屋に籠るばかりでなく、たまには戦場に出なければダメだな」

「何だフレーキ、アンタもリヴィラに居たのか?」

 

 二人の前で肩を回し、自らの老いをアピールするフレーキに対して、黒い鳥は意外そうな顔で首を傾げる。それにフレーキもまた、予想していなかったと言わんばかりの顔で目を丸くした。

 

「む? 君もか、フギン。気づかなかったが」

「長居はしなかったからな……何やってたんだよ?」

「【チェスター】と取引をな」

 

 言って、フレーキは懐から一冊の本を取り出した。過度とも取れる装飾を施された表紙には題名が載っておらず、厳重に紐で封を施されている。その表紙を見た黒い鳥は驚きに眼を見開いてフレーキの元へと迫った。

 

「おお、【魔導書(グリモア)】か! 久々に見るな、本物かよ!?」

 

 彼の驚きも当然の物である。フレーキは持っていた本は、それ程に貴重な物であったからだ。

 

 ――――【魔導書(グリモア)】。読んだ者に【魔法】を発現させると言う特別な魔道具であり、一度きりしか効果を発揮しないその性質上、オラリオの冒険者達が(こぞ)って手に入れたがる稀少品(レアアイテム)。その効力はただ魔法を習得するだけには留まらず、ある程度の確率で人々に備わった魔法の記録領域(スロット)を増加――人の限界である、三つを越えて増やす事は無いが――させる事もあるという。

 

 それ程の効力を持つこのアイテムは、制作するのには高ランクの【魔導】と【神秘】のアビリティを必要とし、条件を満たす者の少なさ故に絶対数自体が少なく市場に出回れば価格は軽く数千万ヴァリスを越えるほどだ。もしも魔導書を作れるようになれば、それだけで一生食って行く事のも容易いとされる。

 

 一方でその稀少さと高額さから、既に使用済みとなった物を未使用であると偽ったり、全くの偽物を掴ませようとする詐欺はこのオラリオにおいても後を絶たない。当然ギルドも目を光らせており、魔導書絡みの詐取には厳しい刑が適用される。

 

 だが、それは地上での話。ギルドの眼が届かぬリヴィラではそう言った偽物も多く流通している。そして、その中には時折本物の魔導書も紛れている。今回フレーキが重い腰を上げ18階層へと向かったのも、チェスターからそう言った掘り出し物の取引を持ち掛けられたためであった。

 

「まあ、偽物であればチェスターを絞り上げるだけだ。マギー、部屋を借りても?」

「二番がちょうどさっき空いたところよ。好きに使って」

(かたじけな)い」

 

 フレーキはマギーに頭を下げると、魔導書を読み明かすために二階へと向かって行った。その背中を羨望めいた眼差しで見送った黒い鳥は、マギーに対して皮肉る様に肩を竦める。

 

「羨ましいな。フレーキの奴、魔導書を読めば読むだけ魔法を習得できるんだろ? 酷いスキルだよな」

「記録領域が増えなきゃ、覚えられるはずだった魔法も、魔導書までも無駄になるらしいけどね…………って言うか、よく自分を棚に上げて言えるじゃない限界突破野郎の癖に」

「俺に言われてもな……それより、アイツ魔導書の取引なんてやってたら破産しないか? 一冊ウン千万だろ?」

「何言ってるの? 彼はウチのファミリアで一番の稼ぎ頭じゃない。ちょっと見習った方が……あなたはまず借金どうにかする方が先ね」

 

 辛辣な言葉に、黒い鳥は知らぬ存ぜぬと言わんばかりに明後日の方向を向いてしまう。それを見たマギーは一度大きく溜息を吐いてから、眉間に皺を寄せつつ彼の持つ箒を指差した。

 

「とりあえず、私達も開店準備を始めるわよ。私は仕込みやるから、掃除任せる」

「了解」

 

 指示を出した後、厨房へと向かうマギー。その背中を目で追いかけながら箒を振るっていた黒い鳥は、ふと何かを思い出したかのように動きを止めて、マギーの背中へと声をかけた。

 

「なぁマギー、そういや相談があるんだけど……今日俺、知り合いと飲みに行くんだ。そういう訳で、夜休んでいい?」

「ちょっと倉庫に来い」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ルドウイーク!」

「ああ」

「聞かせてもらいましょうか。何故私に無断でダンジョンに潜ったのか、何故ロキ・ファミリアと共同で事に当たっていたのか! そしてあのリヴィラで一体何が起こっていたのか!」

 

 【エリス・ファミリア】の本拠である一軒家のリビング。そこでは、ソファの上にふんぞり返ったエリスが自主的に正座したルドウイークをこれでもかと言わんばかりに見下ろしていた。彼女の苛立ちは頂点に達しており、それを察したルドウイークが自ら姿勢を正した形である。だが、そんな姿勢を取った彼はむしろエリスを諭すように声を上げる。

 

「待てエリス神。一つ訂正させてくれ」

「何ですか?」

「私は、きちんと貴女に許可を取った。無許可と言うのは間違いだ」

「そんな覚えないですけど???」

 

 記憶に無いとエリスはルドウイークの事をすさまじい目つきで睨みつけた。嘘を見抜ける神である彼女は彼の発言の真贋を容易く判断する事が出来るはずだが、その事もすっかり忘れたような物言いである。一方で、突き刺さる視線に思わず顔を伏せたルドウイークは、意を決したように顔を上げ自身の潔白を主張する。

 

「いや、ロキ神に対する対策を話そうとした時に気分の悪くなった貴方は、眠りにつくと部屋を出て行った後に戻ってきて、そこで私は許可を取ったはずだ」

「えっ何それは」

「神には嘘は通じないのだろう、エリス神。ならば信じてくれてもいいのではないか?」

「私達の力はあくまで嘘を見抜くだけです。前も言いましたけど、何を隠してるかとかは分かりませんし……そうだ、言った本人がそう思い込んでいれば嘘を吐いてないって感じちゃうんですよ」

 

 ルドウイークが嘘をついていないというのを暗に認めつつ、しかしそれでも彼の言い分が間違っているとエリスは主張する。しかし、対するルドウイークはやはり納得が行かぬという風に眉間に皺を寄せた。

 

「…………つまり、私の思い込みだと?」

「じゃあなんですか!? 私は寝た後知らない間に置き上がって貴方と長話していたって言うんですか!?」

「いや、そうとは……」

「嘘ですねっ!? 本音は!?」

「正直、それ以外考えられん……」

「やっぱり!!!」

 

 難しい顔で告白するルドウイークを指差しエリスは声を荒げた。そして、更に畳みかけるように要求を彼に突きつける。

 

「っていうか、証拠はあるんですか証拠は!? やっぱルドウイークさん、疲れで幻覚でも見たんじゃないですかね!?」

「いや、証拠ならあるが」

「えっ」

「これだ」

 

 予想外の返答に、目を丸くするエリス。それに対してルドウイークは、羽織った外套の内側から赤い液体の入れられた試験管を取り出して彼女に差し出した。試験管を受け取ったエリスは自身の目の前にそれを掲げて、中でちゃぷちゃぷと揺れる液体を目を細めて睨みつける。

 

「これは……?」

「貴女の血だ。私がダンジョンに向かう際、治療薬代わりに持たせてくれたものだ」

「えっなにそれは……知りませんよ……こわ……」

「その反応こそ意味が分からんぞ。やはり酔いのせいで忘れていただけでは?」

 

 決定的な証拠だと考えていた彼女自身の血を見て知らぬと困惑するエリスに対して、だんだんとルドウイークの対応がどこか呆れたような物になって来た。それを敏感に感じ取ったエリスは試験管の蓋を抜き、指先に一滴液体を垂らすとそれをぺろりと舐め取って、顔を(しか)めて呻いた。

 

「………………ホントに【神血(イコル)】ですね……なんか甘いですけど」

「味など私は知らんが、これで分かってくれたかね?」

「えっちょっと待ってくださいよそれじゃあ私無駄に【黒い鳥】に救出依頼出してお金無駄にしたって事ですか!? うわーっ!!!」

 

 論戦における自身の敗北を理解したエリスは、椅子から立ち上がって頭をわしゃわしゃとやり始めた。その錯乱したような行動に、同じく立ち上がったルドウイークが肩を軽く叩いて慰めるように声をかける。

 

「いや、それに関しては本当に助かった。だからそう気を落とさんでくれ」

「うっ……うう……」

 

 床に崩れ落ち、先程までとは打って変わってぐずるエリスを慰めるように彼女の背をさすり、ルドウイークは優し気な笑顔を見せた。するとエリスは暫く肩を震わせていたものの、突如として何かを思い出したかのように立ち上がり、ルドウイークに対して勢い良く人差し指を向ける。

 

「そうだルドウイーク!!」

「何かね?」

「その、18階層まで潜ったんですよね!? だったらそのう、収穫は、どうでした……?」

 

 エリスはルドウイークが18層までの探索で手に入れたであろう魔石に、幾ばくかの希望を見出したのだ。普段から、上層を軽く回るだけでも1万以上のヴァリスを稼いでくるルドウイークである。彼が18階層まで強行軍を行ったのであれば、もしかしたら十万ヴァリス近い金額に換金できるほどの魔石を入手している可能性があり、それは半月分の給料を前借りして【黒い鳥】を動かした彼女にとって、心から縋りたくなるような可能性であった。

 

 だが彼女のその思いから生まれる眼差しを受けたルドウイークは、驚くほど暗い表情でそっぽを向いた。

 

「………………………………」

「えっ、何でそこで黙るんです!? ちょっとー!?」

「…………いや、エリス神。本当に言いにくいんだが……」

「ちょっと待ってちょっと待って何ですかその不穏なのやめてください、いやちょっと少し覚悟をさせてください」

 

 彼の醸し出すあからさまな不穏さを感じ取ったエリスは、一度ルドウイークに背を向け胸に手をやってすーは―すーは―と深呼吸を繰り返し、考えうる限りのあらゆる最悪に対する備えを行う。そして最後に長い息を吐くと、意を決したようにルドウイークへと振り返った。

 

「よしおっけーです、お願いします!」

「…………ゼロだ」

「は?」

 

 呆けた顔をしたエリスの前でルドウイークは立ち上がると、外套に備えられた魔石用の雑嚢を取り出して中に詰まっていた色を失った魔石をその場に投げだし、念を押すように言った。

 

「全て、リヴィラでの戦闘で使い切ってしまった。換金できる魔石は、ゼロだ」

「……………………はへぇ」

 

 それを聞いたエリスは、喉から気の抜けるような音を発してその場に崩れ落ちた。ルドウイークは突然ダウンした彼女の体を慌てて受け止めて、うめき声を上げる彼女を必死に揺り動かして励ます。

 

「エリス神!? どうした、しっかりしてくれ! エリス神!」

「は、ははは…………か、家計が……借金が……やばい……」

「心配するな! すぐに私がダンジョンで稼いでくる! 今は少し休んでいてくれ!」

「そ、それよりも今はおとといの夜からやり残してた家事を……お皿洗いとか……」

「ああ、分かった任せておいてくれ。心配をかけてすまなかった。だから気を取り直してくれエリス神! エリス神? エリス!?」

 

 しばらくの間ルドウイークは必死に彼女を励ましていたが、虚ろな目で乾いた笑いを零すばかりの彼女の有り様にこれ以上の励ましは効果が無いと理解し、彼女を背負って自室のベッドに運び横にした後、すぐに台所へと降りて山積みになった食器達と格闘を始める。

 

 その後、ルドウイークは慣れぬ家事に手こずり5枚もの皿を割って、【鴉の止り木】への出勤の為に起きてきたエリスの胃に再び大ダメージを与える事になるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 一度は街を照らした月が雨雲に隠され、既に人通りも途絶えたオラリオの裏通りの一角。不自然に人の眼の無いその道を、雨避けのフードを目深に被って素性を隠した男が迷いの無い足取りで歩いていた。彼はしばらく真っ直ぐに道を進んでいたが、慣れた様子で人がすれ違う事も出来ない程の幅の小道へと踏み込んで、いつかエリスがロキと密会するのに使った酒場の扉を、無遠慮に何度かノックした。

 

「俺だ。開けてくれ」

 

 しばらくすると内側から鍵の開くカチャリという音がして、髪を編み込んだ浅黒い肌の精悍な男が顔を出す。フードの男は彼に向けて、友人がそうするように気軽に話かけた。

 

「【ンジャムジ】、久しぶり。元気か?」

「…………【黒い鳥】。もう、相手は、待ってる」

「そっか。失礼するぜ」

 

 軽い挨拶を【ンジャムジ】と呼ばれた店員と交わした男――――【黒い鳥】は、彼の催促に従って戸を潜り、少し階段を下りた。そこは通称【箱舟(アーク)】と呼ばれる酒場で、【ギルド】の職員の一人である【ジャック】と言う狐人(ルナール)の男が個人的に経営しており、主に神々や立場ある冒険者らによる密会の場所として提供されている。

 

 その徹底した秘匿主義は利用者には信頼されており、従業員も先ほどの異国の男、ンジャムジ一人しかおらず、予約が無ければそもそも店も空いていない。更にはンジャムジは共通語(コイネー)をあえて習得しておらず、挨拶や注文程度ならばともかく長い会話などの意味は殆ど理解する事が出来ないなど、その情報管理は徹底的だ。

 

 そう言った整えられた条件と、ジャックと言う稀代の謀略家によって庇護されているこの店は、用途の後ろ暗さに反して多くの顧客、常連客を抱えている。【黒い鳥】も、そんなお得意様の一人であった。

 

 彼が階段を降りると、カウンター席のみの小さな酒場があり、その一つに大柄な猪人(ボアズ)の男が座っている。そして彼は一度黒い鳥にその威圧感溢れる風貌を向けると、待ちくたびれた様に鼻を鳴らした。

 

「遅かったな」

「悪い、マギーに倉庫に閉じ込められてよ。抜け出すのに苦労したんだこれが……」

「大方、お前のせいなのだろう? 後で、甘んじて責めは聞いておくことだ」

「【ジョシュア】みたいな事言うなよ【オッタル】…………ンジャムジ、スタウト頼む」

 

 黒い鳥は彼――――【フレイヤ・ファミリア】団長にしてオラリオにおける最強の冒険者と称される【猛者(おうじゃ)】、オッタルに対しながらも、気の置けぬ友人であるかのようにその元へと歩み寄って隣の席に腰掛ける。対するオッタルも、現在のオラリオで最も関わり合いになりたくない冒険者とさえ言われる【黒い鳥】を前に普段通りの泰然とした態度を崩す事は無い。

 その内、黒い鳥の眼前にンジャムジが注いだ黒々とした麦の発泡酒の入ったグラスが置かれると、彼はオッタルに向けてそれを掲げて、オッタルもそれに応じて蜂蜜酒の入ったグラスを掲げる。

 

 そして軽くグラス同士を打ち鳴らして乾杯を終えると、彼らは酒を飲みながら世間話に興じ始めた。

 

「…………リヴィラは、随分騒がしくなったようだな」

「俺もビックリしたよ。終わり際に顔出しただけだけどいいとこ半壊って感じだったな。しばらく、あそこに世話になってたファミリアは苦労するだろうぜ」

「例の【極彩色の魔石】のモンスターも現れたと聞いたが?」

「俺も一応戦ったけど、手負いだったし大したことなかった。フィンなんかは数人がかりで慎重にやってたらしいが…………お前の所の奴らならアレンは当然として、ヘグニやヘディンとかでもまあ倒せると思うぜ」

「レベル6をぶつけなければならん程か?」

「んー、多分な。レベル5なら二人か三人は欲しい」

「そうか」

 

 そこで一杯目の酒を飲み干した黒い鳥はンジャムジに対してお代わりを要求する。そして彼は、カウンターの向こうでンジャムジが黒々とした酒をグラスに再び注ぐのを眺めながら、頬杖を突いてオッタルに話しかけた。

 

「そんじゃ、世間話はこれくらいにして……話ってなんだ? 大体予想はつくけどさ」

「……依頼がある。受けてくれるか?」

「分かった」

 

 グラスを受け取りながらあっさりと了承の意を示した黒い鳥。オッタルは、それに対して驚いたように黒い鳥の方を振り向いた。

 

「……内容を聞かないのか?」

「アンタに騙されるなら、それはそれで面白い。で、何すればいいんだ? 曖昧な奴は勘弁だぞ」

「【エリス・ファミリア】のルドウイークと言う男、彼の素性を洗ってもらいたい」

 

 オッタルの言葉に、今度は逆に黒い鳥の方が意外そうに目を丸くした。今までオッタルからの依頼は幾度と無く請けた事のある彼ではあるが、その内容はオッタル自身のダンジョン探索への同行や訓練相手、フレイヤ・ファミリアのダンジョン踏査の下調べと言った戦闘力を要するものが殆どで、冒険者の素性調査と言うのは初めての経験だった。更にルドウイークと言う表向き実績のある訳でも無い男がその対象であるというのが、一層その困惑に拍車をかけていた。

 

「ルドウイーク、ねぇ。ありゃ、お前達からすれば数居る冒険者の一人だろ? それがどうして」

「フレイヤ様が気に掛けておられる。それも、お前と同様の性質の持ち主だと」

「…………やっぱいい目してるなぁ、フレイヤ……様は。でもあれは、俺とはまた違うタイプだよ」

「違う、とは?」

 

 黒い鳥の言に、オッタルは訝しむように眉を顰めた。対する黒い鳥はグラスを思い切り傾けて一気に酒を腹に流し込むと、少し考え込むように腕を組む。

 

「そうだな、言葉にはし辛いんだが……」

「お前の見解だ、今更疑いはせん」

「そっか。でも先言っとくけど、あれは深入りしない方がいい奴だ。あんな血生臭い奴見たの、生まれてこの方三人目だよ」

「お前がそう言う程か」

「んー。たぶんレベルは、偽装じゃあねえかなぁ。俺やアンタに及ぶかはわかんないけど、レベル5程度じゃ手に余るだろうぜ」

 

 そう結論を示した黒い鳥は、いつか見たルドウイークと言う男の姿と、そして彼の持つ、盟友【エド】が携わった【仕掛け武器(ギミック・ウェポン)】を想起しながらどこか楽しげに口元を歪めた。

 

「…………ありゃあ相当な修羅場を、これでもかって潜って来てる風格だ。ああいうタイプは単純な実力以上の強さを持ってる……アンタと同じでな」

「そうか。ならば、お前にはその戦闘能力も含め調べてもらった方が間違いないだろう」

「…………戦っていいのか?」

「願っても無い話だ」

「よし!」

 

 自らの質問に是と答えるオッタルを見て、黒い鳥は楽しそうに手を打ち鳴らす。そして、すぐに頭の中でルドウイークの実力を想像し、如何に挑み力を計るべきかを思案し始めた。

 

「それじゃ、やり方はこっちに任せてくれ。期限は特にないんだろ?」

「ああ。それでは頼むぞ、【黒い鳥】。フレイヤ様がお与えになった、その名に恥じぬ働きを期待している」

「別に、そんな名前くれなんて言った覚えはないけどなぁ。気に入ってるけど」

「【天敵】などよりはずっとマシだろう」

「ん、確かに」

 

 黒い鳥はそこで三杯目のグラスを空にすると早くも席を立った。そして懐から財布を取り出してヴァリス硬貨の数を数えながら、オッタルに声をかける。

 

「じゃ、俺はもう行く。今度は【鴉の止り木(ウチ)】で呑もうぜ。安くしとくから」

「そうだな。この依頼が済んだら考えよう」

「おう。そんじゃ、すぐにでも仕掛けるか。どの装備で挑むかな……」

「………………そういえば」

「ん?」

 

 金勘定を止め、黒い鳥はオッタルへと向け顔を上げた。対してオッタルは顎に手をやり、何かを思い出すかのようにしばし目を閉じる。黒い鳥がその様子を訝しんでいると、オッタルは眼を開いて思い出したかのように口を開いた。

 

「ロキ・ファミリアに【ウダイオス】が討伐されてから、そろそろ三か月だろう。こちらの依頼に精を出すのもいいが、お前はアレと戦いたがって居なかったか?」

「………………悪い、依頼後回しでいいかな」

「構わん」

「この店の支払いも任せていいか?」

「断る」

「そこは断るなよ!」

 

 どさくさに紛れて支払いをオッタルに押しつけようとした黒い鳥は、彼の素気無い返事に笑いながら声を上げた。そしてカウンターの裏に立つンジャムジに少し多めのヴァリス硬貨を握らせると、自身の肩越しにオッタルを見ながら、店の入り口に向かって階段を昇り始めた。

 

「じゃ、とりあえずまた戻ったら顔出す。話はそれからな」

「ああ。次は摩天楼(バベル)をよじ登るような真似はするなよ」

「そりゃそっちが居留守使うせいだろ…………それじゃ、また」

 

 軽口を叩き終えると、早々に黒い鳥は店を去って行った。恐らくは、これから【ウダイオス】――――深層37階層に君臨する階層主の元を目指して、ダンジョンに潜るのだろう。そうなれば流石の黒い鳥とはいえ、一週間以上は地上に顔を出す事は無いはずだ。

 

 フレイヤ様に報告しておかねば。

 

 オラリオにおける美の女神の代名詞たる彼女の利になるであろう情報は、常にその耳にもたらさねばならぬ。オッタルはそう普段と変わらぬ結論を出すと、蜂蜜酒の注がれたグラスを素早く空にして、自らも席を立つのだった。

 

 

 

<●>

 

 

 

 【黒い鳥】とオッタルが別れ、それぞれの帰路についたその頃。

 

 全てのモンスターが駆逐され、僅かずつではあるが落ち着きを取り戻し始めたリヴィラの街。夜を迎え、被害の確認の為に幾人かの住人が眠る事無く作業を続けるそこで、ルドウイークが<呼びかけ>を発動した見張り台の上に僅かな揺らぎが生まれる。

 

 その揺らぎ、遥か別宇宙、暗黒の高次元と繋がる穴は、誰も気に留める間もなく肥大化し――――そして消えた。街に何の変革も齎さず、誰一人気付く事の無い異変。

 

 

 

 だが、その揺らぎを通り抜けた者が居た。

 

 

 

 それは腐った果実の如き頭部に、無数の閉じられた瞳を持つ存在であった。その者は奇妙な猫背めいた姿勢を取る存在であり、頭部に比べ細い胴体は枯れ木のような質感を想像させながら、体高7M(メドル)に届こうかと言う巨体の持ち主でもあった。そいつは物珍しげに初めて見るリヴィラの景色を見回した後、無数の腕を器用に使いリヴィラの建造物の上を軽快とも言える速度で進んでゆく。

 

 そして普段は他者の眼には映る事の無い特性を備え、現と夢の境を渡る力すら持ったこの世界にはありうるべくも無いそれは、誰一人にも気取られる事無くリヴィラを離れ、静かに18階層のどこかへと消えて行った。

 

 

 




リヴィラ動乱編(今考えた)エピローグでした。
今後不穏になりそうな要素を設置していく作業です。
いつ爆発するかな(そこまで書けるとは言ってない)

そろそろロキとご対面かな……どうしよう。アイデアにモチベと筆力が付いてくれば……!

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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20.5:【黒い鳥】

幕間、14000字ほどです。ルドとエリスは出ません。戦闘シーンもありません。
独自設定……と言うかキングス要素もちらほらです。

今回意図的に描写を飛ばしている部分がありますが、その辺については原作外伝二巻を読んでいただければと思います。

感想や誤字報告、お気に入りしてくださる皆さま、毎度あり難く受け取っております。
お陰様で評価者数が200に到達いたしました。これからもこの小説を応援してくださると嬉しいです。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


 世界中に神が降り立ち、その恩恵によって人々が躍進するこの時代。人々は神より与えられた恩恵を受けて世に跋扈(ばっこ)する【怪物(モンスター)】達を打ち倒し、或いは今まで受け継いできた物を更に発展させてきた。そんな世界の中で、一際人々を呼び寄せる街がある。かの街の名は【オラリオ】。数多の冒険者が各々(おのおの)の願いの為に【迷宮(ダンジョン)】へと足を踏み入れる、この時代の中心地だ。

 

 世界で唯一存在するダンジョンの上には約千年前の【降臨】によって現れた神々によって建立された塔、【摩天楼(バベル)】が聳え立ち、蓋となってモンスターの地上進出を押し留めている。この塔が無かった千年前、オラリオはダンジョンから進出するモンスター達を堰き止める内向きの防衛線となっていたが、それも遠い過去の話だ。

 

 ダンジョンは今や冒険者達の功名と利益を求めた『冒険』の場となっており、同時にオラリオも冒険者らが所属する【ファミリア】を有す神々らの権力闘争の遊戯盤となっている。真にダンジョンを踏破し、世に害なす怪物どもの根を断とうと言う『英雄』が久しく現れぬ程に、底の無い地下迷宮とそこから生まれる利益は魅力的であったのだ。

 

 一日に数多の冒険者が挑むダンジョンであるが、そこにはオラリオの冒険者らを統括する【ギルド】によって危険性、到達難易度から算出された四つの区分が設けられている。

 

 まず、1階層から12階層までを示す『上層』。レベル1、このオラリオで冒険者と認められた者達、文字通りの初心者はまずここに足を踏み入れて、本場の怪物たちの脅威をその肌で知る。同時に、半数以上の冒険者――レベル2の位階に踏み込む事の出来なかった者達の殆ど――がこの先を見る事無く生涯を閉じる。

 

 13階層から24階層が『中層』。【最初の死線(ファーストライン)】と呼ばれるここからは肉弾戦ばかりの上層のモンスターと違い、火を吐くなど魔法めいた能力を行使するモンスターが現れるのが特徴だ。モンスターの殆ど出現しない【安全階層(セーフティポイント)】である18階層、【リヴィラの街】が存在するかの階層を除き、どの階層でも致命的な事象が発生しうる危険地帯だ。

 

 さらにその下、25階層からは『下層』と呼ばれる領域。パーティの規模や力量にもよるがレベル3以上の冒険者で無ければ到達するのも不可能とされ、出現するモンスターの強さは中層までの比ではない。

 27階層の【アンフィス・バエナ】など、レベル6に相当する【階層主】の出現もあって、この下層を突破できるのは一部のファミリアの大規模部隊か、第一級、あるいは第二級の上位に位置するような強力な冒険者の携わるパーティだけだ。それに準じない者が下層に挑めば、間違いなく死を迎える事になるだろう。

 

 そして、それを越えた先にあるのが『深層』と呼ばれる区域。一体どこまであるのか、未だに先の見えぬその場所は、レベル4の冒険者に単独で匹敵しうるモンスター達の大量出現、危険極まりないダンジョン内の環境、更には強大無比なる階層主の実力も相まって、到達出来る者さえも稀だ。

 今のオラリオで深層の土を踏む事が出来るのは、【ロキ】や【フレイヤ】、【ガネーシャ】と言ったごく限られた大ファミリアと、一部の第一級冒険者によるパーティのみだろう。

 

 

 

 

 

 その、滅多に人が足を踏み入れぬ深層、37階層。生半な冒険者では生涯近づく事すら出来ぬそこで、今まさに『偉業』が達成されようとしていた。

 

 

 

 

 

 黒い杭の乱立する部屋を、彼女は進む。女神にも例えられる美しい横顔には幾筋もの切り傷が痕を残し、全身にも怪我を負って満身創痍と言ってもいい有り様にも関わらず、その足取りは確固たるものだ。

 彼女は破壊され積み重なった黒杭を足場として、目的の場所を目指す。そして部屋の中心、数多の黒杭に囲まれた場所に、それは居た。

 

 骸骨。それも白い骨ではなく、漆黒に染め上げられた巨大な人骨だ。しかし、腰から下は地面に埋まって存在しない。更にはその腰自体も骨盤部分と腰椎で切り離され、苦しげに身じろぎするばかり。

 

 彼の名は【ウダイオス】。深層37階層、【白宮殿(ホワイトパレス)】中央の玉座とも言える部屋(ルーム)に君臨する【階層主】であり、ギルドからレベル6相当のモンスターであると認識された文字通りの怪物である。

 

 しかし、今はその怪物も打ち破られ、仰向けに倒されている。その胸の上に立った彼女――――【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは凪の如き面持ちでウダイオスの眼窩の奥で灯る消えかけの光を見下ろして、その胸に向け風纏う愛剣(デスペレート)を振り下ろし魔石を破壊。二時間近い激闘にピリオドを打ち、単独での階層主討伐と言う偉業を成し遂げた。

 

 戦いの余韻に浸る様に顔を天井に向けていた彼女は、しばらくすると剣を鞘に納めてウダイオスの変じた灰の山から床へと降り立った。そこへ、一人のエルフが近づいてくる。【ロキ・ファミリア】副団長、リヴェリア・リヨス・アールヴ。アイズの我儘(わがまま)を聞き入れその無謀とも言える戦いを一人見届けていた彼女は、案じるようにアイズへと手を伸ばした。

 

「…………リヴェリア」

「じっとしていろ」

 

 近づいてくる手に身じろぎしようとしたアイズを制して、リヴェリアはその白い頬にそっと手を触れさせ回復魔法を詠唱する。手の触れた場所から広がる翡翠色の輝きが瞬く間にアイズを包み込んで、その体に刻まれた大小の傷を穏やかに治癒していく。

 

 そしてリヴェリアは、アイズにこれほどの冒険に挑んだ理由を問い質した。アイズは、俯き気味になりながら己の心中を吐露する。【リヴィラ】での戦いの中、殺人事件の下手人たる赤髪の女からかけられた言葉。彼女に事実上に敗北した事とその言葉が引き金となり、焦燥感に駆られこの様な無茶をしたのだと。

 

 それを聞き届けたリヴェリアは、まるで母親がそうするように彼女の頭を撫で、同じファミリアの仲間に――――『家族』に頼ってほしいとアイズを諭した。その温もりにアイズは頑なだった表情を緩め、年相応の少女のように頬を淡く染めて小さく謝罪を口にする。それを柔和な微笑みで以って受け入れたリヴェリアはアイズの頭を軽く叩くと会話を終え、帰路に着くために戦利品の回収をどうするか、アイズに相談し始めた。

 

 

「おや、面白い事になってるな」

 

 

 その時、突如として響いた声に反応した彼女らは急ぎ振り返る。その視線の先、玉座の間の入口に佇んでいたのは真鍮(しんちゅう)色の全身鎧。隙間なく総身を覆う装甲に隠れて表情こそ見出せぬが、この場所に居る時点で相当な強者だ。その手には薙刀じみた大得物と、円の両端を抉り取ったような鈍色(にびいろ)の大盾。男の声を響かせたその人物は、二人が自らの方を振り向いたのを見て取ると武器を手に持ったまま大仰な礼をして見せた。

 

「お初にお目にかかる、ロキ・ファミリアの方々。俺は――――」

「【ラップ】。【不屈(アンブレイカブル)】のラップ。何故ここに?」

「仕事さ」

 

 自身の正体を看破したリヴェリアの問いに、肩を竦めて朗らかに答えると、ラップは繰り広げられた激戦の痕に目を走らせた。

 

 【不屈(アンブレイカブル)】のラップ。オラリオの重装前衛――――ロキ・ファミリアの重鎮である【ガレス】と同系統の冒険者の中で、ガレスや【タルカス】、【ハベル】にも匹敵する実力を備えるとされている、レベル6冒険者。その素顔は誰も知らぬと言われ、紳士的な立ち振る舞いから結局は否定されたものの、一時期は謎の冒険者襲撃犯【仮面巨人】の正体ではないかと噂されたこともある男だ。

 

 何故、そんな男がこの場に現れるのか。警戒も露わにラップを睨みつける二人。だが、そんな事など意に介さぬという風に、ラップは自らが踏み込んできた道に向かって軽快に呼びかける。

 

「皆来てくれ! 中々面白い事になっている!!」

 

 彼の呼び声に応えて通路の先からいくつかの人影が姿を現した。それを見て、アイズが目を見開き、リヴェリアが息を飲む。何故なら彼らが、彼女も良く知る者達であり、同時にこの状況で出会いたいとは万が一にも思えないような面子であったからだ。

 

 先頭を行くのは、古びた司祭服に身を包んだ老いた狼人(ウェアウルフ)。【啓くもの】フレーキ。それに続くのは布を巻いて顔を隠し、背嚢と巨大な包みを背にした一人の大柄なサポーター。そして、最後に現れたのは。

 

「【黒い鳥】……!」

 

 アイズが眉間に皺を寄せ呟くと同時に、その男は暗がりから歩み出る。相対すれば、誰もが震えあがるオラリオ冒険者の二番手。【闘技場の覇者(マスターオブアリーナ)】、【沈黙させるもの(サイレントライン)】、【九頭竜破り(ナインブレイカー)】などの雷名を轟かせた人間(ヒューマン)の男、【黒い鳥】。

 

 過剰装備で有名な【黒い鳥】であるが、今回の装いもその評判に準じたものであった。外套こそ装備していないものの、背には布に隠された一振りと装飾の施された黒塗りの鞘の一振り、計二本の大剣。更に腰の左右には一本ずつ、計二本の長剣を()いている。右腿には一振りの短剣が収められたホルダーが巻かれており、そしてその手には骨で出来た盾と鎚鉾。恐らくはこの階層に出現する骸骨兵士のモンスター、【スパルトイ】から奪い取ったものだろう。

 

 それをステッキのようにくるくると振り回しながら、【黒い鳥】は無表情でウダイオスの残した灰を見つめていた。

 

「…………どうやら、手遅れだったみてぇだな」

 

 玉座の間の現状を鑑みて、顔を隠したサポーターの男が乱雑な口調で声を上げた。そして【黒い鳥】が振り回していた骨の鎚鉾を奪い取って、苛立たし気に灰の中へと放り捨てて睨みつけた。

 

「だから【闘技場(コロッセオ)】なんかで遊んでないでさっさと済まそうっつったんだ。お前の過失だぜ、相棒」

「うっせぇ。俺だってまさか、【ロキ】の所の奴らがウダイオスに挑んでるなんて思いもしなかったんだ」

「だろうな。でもよ、万が一にも他人に先を越されるって考えは無かったのか? 浅はかじゃあねえか?」

「分かった、分かったよ。俺が悪かった。とりあえず、これからどうするか考えようぜ」

「フン」

 

 言い争いを終えるとサポーターの男は機嫌を損ねたようにそっぽを向き、【黒い鳥】は顔を俯かせて溜息を吐く。アイズとリヴェリアがその様を緊張した顔で見つめていると、彼女らの元にフレーキが気負った様子も無く歩み寄って来た。

 

「最近よく会うな、アールヴ。しかし【剣姫】を(ともな)っているとはいえ、こんな深層でたった二人きりとは流石に危なくはないか?」

「すこし、アイズの我儘に付き合っていてな。もう要件は終えた所だし、すぐ帰らせて貰うとも」

「…………アールヴ。余計なおせっかいだと認識しているが言わせてくれ。君達(ロキ・ファミリア)は【剣姫】を甘やかし過ぎだ。彼女ほどの才を失う事を恐れるのも分からんでも無いが…………」

(うるさ)いフレーキ。自覚はある」

「……ならいい」

 

 リヴェリアの不機嫌さを隠さぬ返答に呆れたように納得しながら、ムッとした表情を浮かべるフレーキ。しかし、首を巡らせて後ろの同行者達の様子をちらと見ると、彼は懐から二本の小瓶を取り出し彼らに見咎められぬ様にリヴェリアへと差し出した。

 

精神力回復薬(マジック・ポーション)だ。丁度、必要な時ではないか?」

「……いいのか? この階層での消耗品の貴重さは、お前も知っている筈」

「君にはいくつも借りがある。これくらい安い物だ」

「……受け取っておこう」

 

 穏やかに言うフレーキの態度に、リヴェリアは大人しく小瓶を受け取って懐にしまい込んだ。その二人のやり取りを無言で眺めていたアイズは、そこでふと他の三人の方を振り向く。

 

 無表情の【黒い鳥】と、目が合った。

 

 緊張にアイズは全身を強張らせる。【黒い鳥】。今現在オラリオに存在する冒険者達の中で、【猛者(おうじゃ)】オッタルと唯一渡り合えると言われる逸脱者。

 37階層に存在する【闘技場】――――モンスターが一定数連続で補充され続ける特殊な部屋をレベル4時代に制覇し、レベル5時代には【アンフィス・バエナ】に代わって27層に出現した正体不明の竜種、【九頭竜(ナインヘッド)】の討伐をほぼ一人で成し遂げたと言う経歴の持ち主だ。間違いなく、今の自分よりも高みに居る存在。

 

「……ああ、【剣姫】か。【ベート】はどうした? 居ないのか?」

 

 そんな男は、まるで今彼女の存在に気づいたかのように、無表情そのままにアイズに問う。対するアイズは彼の出方を伺うように、慎重にその問いに対して答えた。

 

「……ベートさんは、居ません。今は私達だけ」

「そっか」

「…………貴方は、何故ここへ?」

「ウダイオス」

 

 あまりに直球な答えを返され、アイズは硬直した。つまり、彼は自分達に先を越されたのだ。これが真っ当なファミリア同士での話であれば、横取りだ何だと争いになりかねないだろう。しかし、彼の顔からはそのような覇気を感じない。もはやどうでもいいとでも言いたげな顔だ。

 

「……ウダイオスは、私が倒しました」

「そっか。じゃあまた三か月待ちだな」

 

 緊張感を持って告白するアイズに対して、まるで他人事のように呟く【黒い鳥】。今置かれたこの状況を、何とも思っていない風ですらある。むしろその態度こそが不思議でアイズが眉を顰めていると、フレーキがどこか楽し気にリヴェリアに声をかけた。

 

「すまんね、奴は喜び勇んでダンジョンに潜ったはいいが、目標が達成できずに凹んでいるんだ。許してやってくれ」

「余計な事言うなよ…………あっと」

 

 内情を暴露したフレーキに対して、ようやく疎ましげに表情を変えた【黒い鳥】は突如はっとしたように目を丸くして、リヴェリアをじっと見つめた。

 

「ああそうだ、見て思い出した。【九魔姫(ナイン・ヘル)】、アンタに聞きたい事があったんだ」

「私に?」

「ああ」

 

 意外そうに問い返すリヴェリアに、【黒い鳥】は小さく頷く。そして、『聞きたい事』について迷いなく切り出した。

 

「アンタ、所謂【ハイエルフ】って奴なんだろ? だったら<白い竜の信仰>……あるいは、<ヴァーダイト神話>って知ってるか?」

「…………<白い竜>? <ヴァーダイト>?」

「…………【超硬金属(アダマンタイト)】の親戚か何か、かな?」

 

 全く心当たりのないリヴェリアとアイズは、【黒い鳥】の言葉に揃って(いぶか)しむような声を上げた。その様子を見て【黒い鳥】は思わず額に手をやり溜息を吐く。

 

「知らねえのかよ。いいか、ヴァーダイト…………いや、正確に言うなら<ヴァシリア神話>ってのは……」

「おい【黒い鳥】」

 

 説明しようとした【黒い鳥】を、サポーターの男が制止した。その苛立ちを隠さぬ声に、黒い鳥は振り向いて眉間に皺を寄せる。

 

「なんだよ」

「それ以上は止せ。今後に関わる」

「良いだろ別に。もしかしたら、こいつらが何か知ってるかもしれない。そしたら儲けもんだ…………『かつて、創造神シルヴァルは世界……ヴァシリアを創造する為に三柱の神を遣わした』」

 

 男の制止を半ば無視して【黒い鳥】は無表情のままリヴェリアとアイズに再び向き直った。そして、<ヴァーダイト神話>なる物語の冒頭を厳かに語り出す。

 

「『…………天空神エルウィン、海神エルフォス、そして、大地神ヴォラド。しかしエルウィンとエルフォスの二柱は、早々にその役目を放棄しシルヴァルの元へと帰還した。残されたヴォラドはただ一柱ヴァシリアに残り、様々な命を――――エルフ、ドワーフ、人間(ヒューマン)と言った、数多の種族を生み出した』」

 

「『しかし、地上に生み出された生物たちは、時代を経る内に争う事を覚え、平和な世界を目指した父母たるヴォラドの意に反して互いを滅ぼし合い始める。その様を長らく目にして苦悩し、思案したヴォラドは彼らの争いを鎮め今一度団結させるために万物の敵たる魔物を生み出し、次に自らの体を二つに裂いて崇拝されるべき物と憎まれるべき物を生み出した』」

 

「『それは竜。崇拝されるべき竜と、憎まれるべき竜の二体であった』……まぁ、冒頭はこんなとこか」

 

 語り終えた【黒い鳥】は、腰の後ろに装備したポーチから水筒を取り出して喉を潤した。それを終え一息つく彼に、目を細めたリヴェリアが疑問をぶつける。

 

「…………確かに、神話としての形は出来ているように感じる。だがあくまで『神話』だろう? お前が今上げた神々の名など、聞いた事が無い」

「まぁ、そうだろうな。俺も、あくまでこれは作り話だと思ってる」

「ならば、なぜそれを?」

「ああ、作り話だからこそなんだ。作り話だからこそ、信憑性がある……何の根拠も無く、こういう話は生まれない。冒頭の部分はともかく、この後の話には現実に存在するものと符合する描写がいくつかあるんだ」

「ならば、その描写とはなんだ? 何故、お前はこの話にこだわる?」

「大地神ヴォラドがその身から生んだ存在……その内、『憎まれるべき物』。そいつは現実でも倒されるべきものとしてその存在を知られている……何となく、心当たりってないか? この神話はな――――」

 

 首を傾けて言う【黒い鳥】。無表情であったはずの顔は、ほんの僅かに笑っていた。

 

「――――現存する中で最も古い、『黒竜』の登場する昔話なんだよ」

 

 彼が言い終えた瞬間、場の空気がぞわりと冷え込んだ。【剣姫】。彼女は『黒竜』と言う言葉を耳にした途端、小さな体から溢れるほどの凄まじい殺気を発散したのだ。

 

「ほう?」

 

 それに真っ先に反応したのは、【黒い鳥】たちの同行者、サポーターの男。彼は殺気に対して剣呑な声を漏らすと、ねめつける様な眼差しでアイズを見て、そして芝居がかった口調で言った。

 

「随分な殺気を放つじゃねぇか、【剣姫】。これは宣戦布告か? だとしたら、俺たちも黙っちゃいられんが……」

 

 男は緊張感たっぷりに言うが、顔を隠す布の隙間から覗く目には空虚だけがある。自分達を殺す事は、この男にとっては少なくとも目的ではない。殺気を収めたアイズはそう感じ取って、背筋を凍り付かせた。一方で、男は周囲の三人を呼び寄せて大仰に手を広げて呼びかける。それはまるで、聴衆に向け演説を行う思想家の様であった。

 

「いつも通り多数決だ。俺は殺すに一票。こんな機会二度と無いぜ? 四人で掛かれば間違いねぇ」

 

 男はくっくっと笑いながら、物騒極まりない言葉を口にした。どこか楽しげでさえある口調だったが、眼に喜びは無い。それをどこか冷めた目で見つめるフレーキが次に声を上げた。

 

「私は反対だ。殺す理由が無い。わざわざロキと事を構えるような真似をすれば、流石に面倒だ」

「俺も反対しとくよ。確かに四人がかりなら殺すのは簡単だけど……契約に入って無いし、次の機会って事で」

 

 現実的なフレーキの主張に、ラップが契約を盾に同意を示した。それにサポーターの男は苛立たし気に口を挟む。

 

「ラップ。お前、機会を選べる立場かよ」

「あんたが言うか? それより【黒い鳥】、君の意見は――――」

「反対。嫌だよ、こんな所で【剣姫】殺すの。まだあんな若いんだぜ? 心が痛む」

「本音は?」

「今後もっと強くなる奴を今殺すなんて勿体無い」

「…………チッ。お前はそう言う奴だったな、相棒」

 

 あくまで自身本意の観点から反対意見を示した【黒い鳥】に、男は苦虫を噛んだような顔をしてから諦めたように両手を上げた。多数決の結果を覆してまでアイズとリヴェリアを害するつもりはないのだろう。

 それから無言になった男は大人しく引き下がって、何もしないのなら早く帰ろうとばかりに入り口横の壁に背中を預ける。黒い鳥は彼のあからさまな態度を見て、仕方がないと言いたげに溜息を吐いた。

 

「方針は決まったな。帰ろうぜ。マギーも苛立ちながら待ってるだろうし」

「一応、稼ぎの半分は店に入れると言う約束をしたのだろう? ならば、そこまで怒られると言う事は無いと思うが」

「その話、俺の稼ぎには関係ないよな」

「当然だろラップ。お前の稼ぎはお前のもんだ」

「流石話が分かる! 安心したよ」

「……フン、面倒だな。あんな店を開け続ける事がそんなに上等かね?」

「『ジジイ』の頼みだ。お前だって楽しんでやってるんじゃあないのか」

「誰が。俺はお前がサボりすぎでマギーに殺されないかヒヤヒヤしてるんだぜ」

「俺、割と節度を持ってサボってるつもりなんだが」

「フギン、君は少し身の振り方を考えた方がいいな…………とりあえず戻ろうか」

「待って」

 

 背を向け、玉座の間を、ひいてはこの37階層を後にしようとする【黒い鳥】とパーティの者達をアイズが引き留めた。意外な人物にかけられた声に、【黒い鳥】がゆっくりと振り返る。その彼の視線を受けながらアイズは愛剣(デスペレート)を抜き、その切っ先を黒い鳥へと向けた。

 

「【黒い鳥】。少し、手合わせしてほしい」

「アイズ!?」

 

 アイズの申し出に、誰よりも驚いたリヴェリアが声を上げる。【黒い鳥】と共に居た三人もまた多少の動揺を見せた。当然の事だ。黒い鳥の実力は、文字通り隔絶している。オラリオ全体でもオッタル以外に相手を出来る者がいない彼に、この場に居る者で及ぶ者は一人として存在しない。無謀と言っても差し支えない選択だ。

 

 だが、対する【黒い鳥】の顔はあくまで無表情であった。

 

「……そいつは、『依頼』か?」

「うん。今あなたと戦えば、何か見えそうな気がする。だから、手合わせしてほしい」

「……訓練って事でいいんだな?」

「うん」

「了解。報酬はそうだな…………」

 

 周囲が驚愕している間に話を進める二人。【黒い鳥】がいくつか内容について質問を行い、【アイズ】がそれに応えて行く。そして黒い鳥は報酬について少し悩むように視線を巡らせて、それからウダイオスの残した大量の灰に向けて指を指した。

 

「ウダイオスの魔石、アレを半分もらえるか?」

「分かった、それじゃあ……」

「アイズ、やめろ。ウダイオスにはまだ勝ち目があった。だが、いくら治療したとはいえあれ程の戦いの後にこの男とやりあうなど流石に――――」

「リヴェリア」

 

 アイズの身を心配して、どうにか【黒い鳥】との交戦を阻止しようと諭すように言うリヴェリア。だが彼女の言葉を遮る様に、アイズは彼女の眼を見据えてわずかに微笑んだ。

 

「大丈夫。リヴェリア(家族)が、見ててくれるから」

「ッ……! お前は……はぁ…………」

 

 それを聞いたリヴェリアは、一瞬だけ顔をほころばせそうになって、それから頭を痛めたように額を手で抑えた。そして、溜息を吐いて沈痛そうな面持ちで声を絞り出す。

 

「まったく、我儘の言い方ばかり上手くなって…………あまり心配をかけるなよ。訓練とは言え、相手は【黒い鳥】だ」

「うん」

 

 リヴェリアの言葉を受けて、アイズは構えた。一方の【黒い鳥】は今までの無表情とは違い、何処か楽しそうに口角を上げてサポーターの男に声をかける。

 

「なぁ、どの武器使おうか。訓練だし、殺しちまわないようなのがいいんだが」

「知るか。さっきの鎚鉾でも使っとけよ」

「いや仕事しろってなんの為のサポーターだ。何でもいいから出してくれよ」

「じゃあこれでも使ってろ」

 

 男は背嚢を開くとその中から武具を取り出し、【黒い鳥】に向け放り投げた。それを素早くキャッチすると、彼は骨の盾と共に装備したそれ――――鉄製の小盾を構えて、しばらくして両手に盾を構える自身の姿に一度訝しんだ顔をして、そして今渡された小盾を男に向けて投げつけた。

 

「なぁオ…………お前! いやなんで盾を渡すかなお前そこで!」

「何でもって言っただろうが、相棒」

「限度を考えろよ!」

「お前が言えた義理か」

 

 喚き立て、睨みあう二人。突如として始まった彼らの余りに無為な言い合いに、アイズは毒気を抜かれたかのように切っ先を少し下ろした。その肩を、フレーキが軽く叩く。

 

「【プロテクション(防護)】」

 

 彼が魔法の名を唱えると、泡めいた光がアイズの体を覆った。驚いたようにフレーキの顔を見上げるアイズ。それに彼は一度好々爺じみた笑顔を向けると、未だに言い合いを続ける【黒い鳥】とサポーターの男に向け声を上げた。

 

「ヴァレンシュタインには防御魔法を張った! 多少過剰な威力でも構わんぞ!」

「本当に気が利く奴だなフレーキ!」

 

 彼の気遣いを見て取った【黒い鳥】は喜びと共に手を打ち鳴らして、腰に佩いた剣の片方を抜き放って骨の盾と共に構えた。石製の刀身に青い文様の走る長剣。何らかの能力を保有する【特殊武装(スペリオルズ)】だろう。互いの距離は、僅かに5M(メドル)程。彼女ほどの上位冒険者にとっては目と鼻の先の距離だ。

 だがそれは相手(黒い鳥)も同じ事。先程途切れかけた緊張の糸が再び張り詰めるのを感じながらアイズは腰を落とし、いつでも跳び退けるように足に力を溜め込んだ。

 

「どっちが勝つか賭けないか、フレーキ。俺は【黒い鳥】に10万ヴァリス」

「訓練に勝敗も何も無いだろう」

「つれないな。【九魔姫】、あんたはどうだい?」

「私もフレーキと同意見だ」

「おいおい、魔導士って奴は皆こんな感じなのか? 少しは付き合ってくれてもいいだろうに……」

 

 対峙するアイズと【黒い鳥】を賭けのダシにしようとしたラップは、二人の魔導士に素気無くあしらわれ肩を竦めた。そしてウダイオスが黒杭を操る際に破壊した床の破片に腰を下ろし、興味深そうな様子で相対する二人を眺め……気まぐれに、手に持った大盾で床を軽く打ち鳴らした。

 

 瞬間、【黒い鳥】が居合の如く剣を振るう。その振りに応じて刀身が分離した剣――――【引き合う石の剣】の切先がアイズに迫るが、彼女は愛剣を下から振るい難なく迎撃。切先部分を派手に打ち上げ、【黒い鳥】の視線がそちらに向いた一瞬の隙を突いて瞬時に肉薄し突きを繰り出す。それを切先以外の戻った石剣で逸らし、鍔迫り合いに持ち込む【黒い鳥】。

 

 刃同士を挟んで二人の冒険者は向かい合った。火花と共に迸る、これから始まる訓練には過剰なほどに苛烈な戦いの予感。それを感じ取って【黒い鳥】は思わず口角を上げて笑い、対する【剣姫】は口をきつく結ぶのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 同時刻。オラリオの中心に(そび)え立ち、星空にその影を浮かび上がらせる【摩天楼(バベル)】の最上階。静謐(せいひつ)さを(たた)えた部屋の窓からオラリオを一望できる、極上の絶景を独占する居住者――――愛と美の女神【フレイヤ】は、魂の輝きや色を見抜くその神の瞳を以って、一人の冒険者を見下ろしていた。

 

「…………相変わらず、とっても歪んだ魂」

 

 形の良い眉を少しばかり歪ませて呟く彼女の視線の先には、往来で酔ってふらつく一柱の女神をそれとなくフォローする、大柄な男の冒険者。年初めに突然オラリオの街に現れた彼は、彼女が今まで見た魂の中でも特に異質な物の一つを持った存在である。だがそれだけであれば、彼女は彼を忌避すべき存在として、遠巻きに眺めるだけだったであろう。

 

「【オッタル】」

「はっ」

「彼……<ルドウイーク>の調査については、どうなってるのかしら?」

 

 視線を向ける事無く呟いた彼女の声に、今までどうやって隠していたかも定かでない程の威圧感を持つ猪人(ボアズ)の男が応え、彼女の後ろに(ひざまず)いた。

 

「外部の冒険者――――【黒い鳥】に、あの男の調査は依託させて頂きました。ルドウイークなる男の正体も我々では調べようも無く、実力も隠している様でしたので……【黒い鳥】であれば、どう転んでもあの男の力を見極めてはくれるでしょう」

「確かに、【彼】なら失敗する事はまず無さそうね。もし私達との関係を知られたとしても、絶対に漏らす事は無いだろうし…………本当に手に入らないのが残念だわ」

 

 フレイヤは眼を閉じ、いつか見た……今は自ら【黒い鳥】なる二つ名を与えた男の魂の姿を思い出す。

 

 ――――それは黒。ひとかけらの輝きも無く、ただただ深すぎる黒を(たた)えた()()()。天上の美を誇る自身の美貌を目の当たりにしてもあの漆黒は身じろぎ一つせず、むしろオッタルや他の実力ある冒険者達にその視線は向けられている。

 

「嫉妬しちゃうわね」

「…………」

 

 ほんの僅かに眉を顰めたフレイヤの呟きを、オッタルは黙して受け止めた。

 

「最終的には頼みを引き受けてくれるのが殆どとは言え、私が彼を納得させるにはとっても気を遣うわ。なのに貴方の頼みは二つ返事で受けてくれたのでしょう? どうしてかしら?」

「申し訳ありません。あの男の思考回路は私にも理解するのは困難です」

 

 (こうべ)を垂れ、自らの不徳を責めるかのように述べるオッタル。美の女神の代名詞たるフレイヤの力をもってすれば、如何なる存在であれ虜にし、その頼みを聞かせる事は出来るはずである。オッタル自身も例外ではない。だが【黒い鳥】は例外だ。あの男はフレイヤの秋波(しゅうは)を受けながらそれを気にも留めぬ。全くもって理解できないというのが、オッタルの偽らざる本音であった。

 

 しかしフレイヤはそれを聞いて、何処か納得したかのように頷いた。

 

「そうね。彼は本当に良く分からない。でも、そこが良いわ。それでいいの。だからこそ私は、彼を眺めているのが楽しくて仕方ない」

「…………」

「それに今は……もっと気になる子が居るもの」

 

 フレイヤは全てを魅了するような熱っぽい微笑みを湛えて、テーブルの上の一枚の羊皮紙を手に取った。そこには、ある新人冒険者についての調査報告が記されている。

 

 【ベル・クラネル】。新興の零細ファミリア【ヘスティア・ファミリア】に所属する、レベル1の冒険者。フレイヤが見たことも無いような光輝く魂を持ち、その未知によってフレイヤを惚れさせた、ある意味では幸運な人間(ヒューマン)の少年。現在フレイヤは高みより彼を見守り、そして美の女神である自身に相応しい魂へと彼を鍛え上げるべく心血を注いでいる。

 

 ルドウイークと言う男の素性を調査しているのもその一環だ。以前はあまりにも異質なる魂の有り様に、関わり合いになるべきでないと直感的に判断したフレイヤであったが、先日のリヴィラの動乱において自身のファミリアに所属する二人の冒険者――――狼人の男とエルフの女が彼の手によって人食い花のモンスターから救われたという報告を受けた彼女は、ベル・クラネルに関わりのある人物であるとして彼についての調査を命じたのだ。

 

 その後、調査が始まってまだ数日程ではあるものの、既にルドウイークがベルに対して大きな貸しを持つ――――ヘスティア・ファミリアに入団するきっかけを作った――――人物であると言う事実が判明していた。それを受けて、フレイヤは次のステージへと調査のレベルを進めている。

 

「ルドウイーク……彼がベルの為に、何かの役に立ってくれればいいのだけれど」

 

 その懸念するような口調には、事実、ルドウイークがベルにとって害を成すようであれば即座に排除するという強い意志が込められていた。

 

「……排除しますか?」

「流石にまだ早計ね。彼はベルの大恩人であることに間違いはないし、どう転ぶかもまだまだ分からないわ。それに本人は随分【エリス】の為に頑張っているようだしね…………友神(ゆうじん)(眷族)を消すのは、余り気分のいいものじゃないわ」

 

 彼女の意図を敏感に察知したオッタルの決断的な問いに首を横に振る事で答えたフレイヤは、先日まで表舞台から姿を消していた友神の顔を思い出して記憶の中の彼女の振舞いにくすりと笑いを漏らすと、近くの棚へと歩み寄ってそこに飾られていた『黄金の果実』を涼しい顔で手に取り、置いてあった手布でその表面を磨き始めた。

 

「まったく……エリスったら、自分がどんな爆弾を抱えているか分かっているのかしら?  五年前の件といい、本当に他神(たにん)を心配させるのが得意なんだから……」

 

 友神の行く末を心配するように、慈しみを湛えた微笑みを果実へと向けるフレイヤ。しかし、彼女の細腕で持ち上げるには些か難がある重量の果実を持つその二の腕がふるふると震えているのに気付いていたオッタルは、むしろそちらの方が気が気でなかった。

 

 その時、丁寧なリズムで戸がノックされた。フレイヤが流麗な動作で果実を元置いてあった飾り台に戻して呼びかけると、一人の冒険者が部屋へと踏み込んでくる。オッタル程ではないが、凄まじい強者の風格を纏う猫人(キャットピープル)の青年。彼は迷いなくフレイヤの元へと向かうと素早い動きでオッタルの隣に跪いて頭を垂れる。

 

「お帰り【アレン】、ご苦労様。頼んだ事は上手く行ったのかしら?」

「はっ。【豊穣の女主人】、その指定された席へと確かに」

「知り合いが働いているとは言え、忙しい貴方にわざわざ向かってもらってすまないわね。見るべき子が増えてしまったから、手が離せなくて…………本当は私が行ければよかったのだけれど」

「いえ。貴女様にお選びいただけたこと、光栄の極みであります。そのお手を煩わせることもございません」

 

 フレイヤの言葉に僅かの躊躇も無く礼を尽くした言葉を返す猫人の男。対するフレイヤは総身で忠誠を示す彼の姿に気を良くしたか、にっこりと微笑んでその頭上より声をかける。

 

「ありがとう、アレン。とっても助かったわ。また、私の為に役に立ってね」

「はっ!」

 

 フレイヤの言葉を賜った彼は感極まる様に声を上げると立ち上がり、未だ跪くオッタルに一度剣呑な視線を向けると、来た時と同様の迷いない歩みで部屋から退出していった。その後姿を見たフレイヤは誰ともなくにっこりと微笑む。

 

「これでよし、と……あとはベルにあの本が渡るのを待つだけね」

 

 満足したように呟く彼女はゆっくりと壁に向けて歩みを進めると、そこに掛けてあったグラスを二つ手に取り、さらに近くの棚から白ワインの瓶をまた一つ手にしてから窓際に置かれたテーブルへと着いた。そしてワインの封を開けそれぞれのグラスに均等に注ぐと、未だに跪いたままのオッタルをその白磁の彫刻の如き手で招いた。

 

「どうかされましたか?」

「ふふ、いえ、今私、ちょっと気分がいいの。少し付き合って貰えるかしら?」

「承知いたしました」

 

 彼女の願いを聞き届けたオッタルは、澱みの無い動作でテーブルの向かいについて姿勢を正した。一方、屈強極まりない彼が少し窮屈そうにして自身に合わせ作られた椅子に座るのを見て、フレイヤはますます機嫌を良くする。

 

 そして彼女がグラスを持ち上げるとそれに合わせるようにオッタルもグラスを掲げ、誰の邪魔が入る事も無いオラリオの頂上に小気味よい音を響かせた。彼女はそのまま一口グラスを傾けると、窓の外に浮かぶ満月に視線をやって、少し眩しそうに眼を細める。

 

 オッタルはしばし、その絵画の如き姿に眼を奪われていたが、ふと自身も窓の外に眼をやって月を目にして呟いた。

 

「……月が綺麗ですね」

「………………ふふ、オッタル。その言葉、どういう意味で言ったのかしら?」

「申し訳ありません。いかに月が美しいとは言えど、フレイヤ様には及びもつきますまい」

「あら、そういう意味ではないのだけれど…………まぁいいわ。注いでくれる?」

「はっ」

 

 一瞬、彼女の機嫌を損ねたかと内心で動揺しかけたオッタルであったが、楽しそうに笑うフレイヤの姿にまた見惚れ、彼女の願いを聞き届けてワインの瓶を傾ける。

 

 そうして、しばらくオラリオ最強の男とその主たる美の女神は、酔いと夜の静謐(せいひつ)の齎す穏やかな時間の中で空に座す満月を眺めていた。

 

 

 




キングスのヴァーダイト三部作すき。
初代ACといい現代の画質で再収録していただけませんかね……(切望)

次あたりから原作三巻前後の時系列に入るかと思います。
ルドとロキを対面させないと。
新入団員の話何処で出せばいいんだろ……入れる隙間が見つからない……。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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21:それぞれの準備

お待たせしました。
日常回、25000字無いくらいです。

感想評価お気に入り、誤字報告もいつもありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。


 

 

 

「……朝か」

 

 私は窓から差し込む光に気づいて、自らの装束を修繕していた手を止めた。

 

 現状、ダンジョンでの冒険で殆ど傷を受けていない以上この装束に消耗は殆ど無いのだが、それでも細かい(ほころ)びは幾つか見られる。更にはヤーナムから私自身や<月光>、幾つかの狩り道具と共に持ち込まれたこれは今や替えの効かぬ貴重品だ。なるべく長く使って行きたい以上、(こま)やかな整備は必要不可欠となる。故に、常人に比べ睡眠の必要性の薄い私が暇を潰すには丁度いい。

 

 私は机の上に広げた裁縫道具を片付け装束をハンガーにかけると、与えられた私室から出た。今までリビングに居着いていた私であったが、先日片付けを行った際に真っ先に清掃が済んだ一室をエリス神にあてがわれたのだ。この話は以前の清掃の終了直後からあったが、今まで保留になっていたものであった。

 正直、私としてはあのリビングもかなり気に入っていたのだが…………こうして大人しく自室に移動したのも理由がある。私はリビングへと向かった。

 

「入るぞ」

 

 一声かけ、ドアを開いて私はリビングへと踏み込む。そして最初に目に入ったのは、ソファに寄りかかってどんよりとした雰囲気を放つエリス神の姿だった。私がリヴィラから帰還した日、エリス神は自身の酒の飲みすぎが遠因となって手酷い出費をしてしまった事を認識してからと言う物の、私の代わりにリビングに居着くようになった。

 私が部屋を移る事になったのはそのためだ。流石に、沈んでいる彼女を部屋へと追い立てるほど不敬では無い。私は腕を組み彼女に尋ねる。

 

「……まだ立ち直れないのかね、エリス神?」

「………………ああ、おはようございますルドウイーク。スープ作ってあるんで、あっためて食べてください……」

 

 私の質問に答える事無く返答を終えた彼女は、机に突っ伏してあらゆる幸運が(おのの)くような暗い暗い溜息を()いた。既に私が【リヴィラ】から戻って二週間近く経っているが、その間彼女はずっとこの調子だ。私も彼女の好物を用意する等して幾度(いくど)となく(はげ)まそうと試みたのだが、効果が無い。

 

 一度だけ『酒でも飲まないか?』という文言で西大通り(メインストリート)へと連れ出す事に成功した事があったが、酒に酔う事の無い私が酒の力で彼女の機嫌を良くしようなどと考えたのは(いささ)か無謀であったと今では断じる事が出来る。

 そもそも、自身が女性の扱いに長けていないのは良く分かっているのだが、こうまで上手く行かないと言うのは一種の才能ですらある気がしてきた。もしも<加速>があの時の私を見れば、溜息一つ吐いてから長い事説教をしてくるだろう。

 

 その後、酒でダメならばと私は彼女の心労の直接的原因である金銭問題を解決すべくダンジョンに向かおうともしたのだが、それは彼女自身に止めてくれと懇願(こんがん)され、私は粛々とそれに従った。

 何せ、私が彼女としっかりと情報を共有しないまま18階層に向かった事で彼女に心配をかけ、【黒い鳥】へ依頼を行い、そのせいで金銭的余裕がなくなったのだから……彼女の言葉に首を横に振る余地はそもそもなかったと言えるだろう。

 

 更に現在、不幸が重なるかのように【鴉の止り木】が臨時休業に突入してしまっている。お陰で彼女は『休み明けから半月タダ働きさせられる』などとぼやき、日がな一日リビングで沈んで居るという有り様だ。

 実際私も確認に向かったが店の入り口には閉店中との札が下げられていて、マギーに彼女の給料についてどうにかしてもらえるよう頼み込むことも出来なかった。

 

 八方塞がりとでも言った所だろう。こうしている間にも僅かに残った貯蓄は削れてゆく。私も【ギルド】でニールセンに相談してみたりと様々な方法を模索していたがそれももう限界だ。せめて、そろそろダンジョンに潜る許可を貰えるよう、説得に励むしかないか……。

 

 私は意を決して、テーブルに突っ伏すエリス神を揺り起こそうとその肩へと手を伸ばした。しかし、今まさに彼女の肩に指が触れようとした時。ドンドンと家の戸が力強く叩かれて彼女が驚き、弾かれたように飛び起きて私は思わず一歩後ずさった。

 

「…………見て来ます」

 

 一瞬呆然としていたものの、すぐに陰鬱とした雰囲気を纏ったままエリス神は立ち上がった。私は何も言えず、それを見送ろうとしたが…………それよりも早く、ガチャリと音を立てて部屋のドアが開かれた。

 

「お邪魔するわね」

 

 姿を現したのは、私も良く知る、青黒い髪をした人間(ヒューマン)の女性。顔の左側には火傷の跡があり、着ている服の左袖は結ばれている。

 

「マギー…どうしたんですか、突然……」

 

 彼女の姿を見たエリス神は驚いたように声を上げた。その反応を見た彼女――――【鴉の止り木】において他を寄せつけぬ権限を持つ、エリス神の実質的な雇い主である【マグノリア・カーチス】は呆れたように肩を竦めた。

 

「ちょっと前に、西大通りでふらついてるあなたを見たから。もしかして、まだ先日【黒い鳥】に依頼を請けさせた件で給料前借りしたので凹んでるんじゃないか……例えば、『半月分の給料前借りしたのに二週間休業してるから、営業再開からまた半月分がタダ働きになる……』とか考えてるんじゃないか、って心配になってね」

「えっ、いや、その…………」

 

 マギーにその心中を容易く看破されたエリス神は一歩後ずさり、驚きのあまりしどろもどろになりながらマギーの顔色を(うかが)う。だがマギーは彼女の警戒に反して、他者を安心させるような柔らかい表情を浮かべて、笑った。

 

「安心して。今回の臨時休業は完全にこっちの過失だから、再開してからタダ働きさせようなんて思ってないわよ」

「えっ!? ホントですか!?」

 

 マギーの言葉を聞いて驚愕のあまり詰め寄るエリス神。今までの沈み具合が何だったかとさえ言いたくなる程の調子の代わり具合に私は呆気に取られるが、マギーはそんな彼女の様子にも慣れ切っているように、目を閉じて幾度か首肯を返した。

 

「ええ。明々後日(しあさって)から営業再開するつもりだけれど、ちゃんと初日から給料出すから――――」

「マギー!」

 

 喜びを露わにしたエリス神はまだ言い終える前のマギーに勢い良く抱きついて、その火傷の跡の残る顔に頬ずりした。一方で眼を閉じていたマギーはエリス神の突然の行動に対応しきれず流石に面食らったか、慌てて振り払おうとして語気を荒げる。

 

「ちょっとエリス!? 止めなさい! 離れろ!!」

「ああマギー! 本当に貴女って人はいつも最後は手を差し伸べてくれるんですから!! そういう所がすき!!」

「何よもう急に! なんですぐ抱きついてくるの…………あーッ、離せッ!!!」

「あっ!? ぎゃーっ?!」

 

 しがみつくエリス神に抵抗していたマギーは暫く彼女の顔を押しのけようと右手で押し返していたものの、怒りが限界に来ると同時に素早くその襟首を引っ掴み足払いをかけて体勢を崩し、更には襟首をつかんだままの腕を振るって彼女をソファに向けて叩きつけた。

 

「あっ! あ! 頭が!!!」

「良くなった?」

「割れるーッ!!!」

「ふん、自業自得よ」

 

 ソファに激突してそのままひっくり返り床に叩きつけられたエリス神に一見大きな怪我は無かった物の、どうやら頭を(したた)かに打ち付けたらしい。ゴロゴロと床を転がりながら苦悶するその姿を見下ろしたマギーは(さげす)むように鼻を鳴らした。そして、私の方へと振り返って苦笑いを見せる。

 

「ドタバタしちゃって悪いわね、ルドウイーク。多分これでエリスも元気になると思うし、それで見逃してもらえる?」

「……いや、エリス神の今の様子を見てこう言うのも何だが、正直助かった。どうやっても彼女を立ち直らせられなかった私からすれば正しく降って湧いた助けだ。感謝する」

「そこまで言われるとは思わなかったけどね」

 

 肩を竦めるマギーに、私は反応に困ってひとまず笑みを返す。ともかく、これでエリス神の精神面に起因する問題はほぼ解決したと言っていいはずだ。ならば、私も彼女に対処している間に積み重なっていた事の処理を始めるべきだろう。

 私は未だに床を転がり続けるエリス神を両手で抑えつけて止めると、顔を覆ってぐすぐすと鼻を(すす)る彼女に対して少しばかり心配しながら声をかけた。

 

「大丈夫かね、エリス神」

「頭が割れそう……いや割れたかも……」

「大丈夫だ、中身は出ていないよ」

「いやそれ出てたら死にますよね!?」

「それだけ元気なら心配あるまい。私は出かけてくる」

「うぇっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいルドウイーク……! あいたた……ダンジョンに行く気ですか!?」

「いや、【ゴブニュ・ファミリア】に。【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】の整備(メンテナンス)をして貰いにな」

「あ、ああ……なるほど……わかりました……」

「それと、何かダンジョンに潜らずに済む【冒険者依頼(クエスト)】が無いか、ギルドで探してくる。…………しかしエリス神。頭は本当に大丈夫かね? 随分と派手にぶつけたようだが」

「言い方ァ! …………大丈夫ですよ。心配しなくて構いませんので、用事済ませちゃって来てください」

 

 痛みを堪えながらに起き上がって頭をさすりながらも、平気だと宣うエリス神。やせ我慢しながらも気丈に振る舞う彼女の姿を見てひとまず安心した私は、彼女の事をマギーに任せて足早に自らの本拠(ホーム)を後にした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 薄暗く、それでいて広大な室内。所々に備えられた炉からは火の粉が(ほとばし)り、煌々とした赤光を薄闇にもたらす。屈強な肉体を持つ焼けた肌の職人らが行き交うそこで、ルドウイークは久々に一人の鍛冶師(スミス)と言葉を交わしていた。

 

 【仕掛け大剣】――――<ルドウイークの聖剣>の複製品――――が横たえられた机の向かい側に座って彼と会話するのは、火の入った炉を直視するための遮光グラスをかけた男。肌は所々火傷が変じたと思しき硬質化現象を見せており、見ようによっては鱗のようにも見える。そんな特徴的な容姿を持つ彼、【ゴブニュ・ファミリア】に所属する鍛冶師【エド】は、何処か不満気にルドウイークに話しかけた。

 

「――――俺は、思うんだよな。『武器作ってくれ』とかほざきやがる奴らがアンタみたいに実力と礼儀、それにアイデアを兼ね備えてりゃあいいのになって」

「君がその性格を矯正すればそう思える事はずっと多くなると思うがね」

「ハン、褒めた(そば)からそれか。まぁんな事より、確認したが武器に損傷は殆どねえな、流石俺の武器。ちょいと仕掛けんとこに油挿したくらいでメンテも終わったから、この調子でガンガン使ってくれ」

「了解だ」

 

 ルドウイークは整備と調整を終えた自らの得物を手にとって、調整の具合を確かめた。状態は一目で見て取れるほどに万全で、エドの性格の悪さに反する腕の良さをルドウイークは改めて実感した後、大剣部分と長剣部分を結合させていつものように背に負った。

 

 その様子を、手の空いている幾人かの鍛冶師が興味深そうに見つめていた。気になるのだろう。オラリオでは生まれたばかりのこの武器を使用するにあたって、強度や劣化の経過、使用感や戦歴などを鍛冶師達に報告するようルドウイークは彼らと契約を結んでいる。

 それを元に【仕掛け大剣】の改良――――あるいは新型の【仕掛け武器(ギミック・ウェポン)】発明へと繋げるのが彼らの狙いだ。

 

 ルドウイークにそのあたりの職人らの考え方と言うのは理解できなかったが、情報と引き換えに自身には手の負えぬ部分まで丁寧に整備してくれるのであれば受け入れない理由はない。

 ヤーナムの狩人であった当時は自身で整備を行っていた事もあったが、やはり本職の方が腕がいい。当然の事だ。

 

 ヤーナムでも狩人が獣を狩り、工房がその為の武器を用意する図式は変わらなかったなとルドウイークは懐かしむ。オラリオでは冒険者がダンジョンに潜り、鍛冶師が武器を鍛えるのも同じような物だろう。

 

 だが何物にも、例外と言う物はあるようで。

 

「おお、そちらは【仕掛け大剣】のルド殿! 久しいな!」

 

 片手を上げ朗らかに火事場の真ん中を突っ切ってくる、火に焼けた肌をした隻眼の女性鍛冶師。彼女こそは鍛冶師でありながら冒険者としてもレベル5に相応しい実力を持つ現在のオラリオ最高の鍛冶師であり、【ゴブニュ】を上回る規模の鍛冶ファミリア【ヘファイストス・ファミリア】の団長、【椿・コルブランド】。

 

「どうも、コルブランド殿。お久しぶりです」

 

 ルドウイークはオラリオにさえごく僅かである【最上位鍛冶師(マスタースミス)】であり、同時に冒険者としても数多の功績を上げて来た彼女に対して敬意を持って頭を下げた。一方で、彼と先程まで向かい合っていたエドは憎悪に顔を歪め、これでもかと苛立ちを込めた視線を椿へとぶつけている。

 

「おいテメェ、何ここは自分の工房ですみてぇな顔してやがんだ? また勝手にウチの敷居跨いでんじゃねえよ【超硬金属(アダマンタイト)】の角に頭ぶつけて死ね」

「ん? ああエド公か。相変わらずコボルトのように吠え散らしているな。元気そうで何より」

「誰のせいだと思ってやがんだこのアマ。テメェこそ……アー…………」

「良い例えが思いつかないか?」

「うるっせぇ!」

 

 噛み付いてきたエドを容易くあしらった椿は、申し訳なさそうにルドウイークに複雑な笑顔を向ける。

 

「ああすまんルド殿。奴は見た目通り性格がねじ曲がっていてな。もし耐えきれなくなったらウチに仕掛け大剣を持ち込んでくれ。歓迎する」

「ええ、彼の性格は既に思い知っておりますが…………覚えておきます」

「覚えんじゃねぇよ!」

 

 二人の会話を聞いてがなり立てるエドを尻目に、椿は工房内を目を皿にして見回した。そして、腕を組んでエドに尋ねる。

 

「ところでエド公、【アンドレイ】殿はどうした? 不在か?」

「うるせぇ話しかけんな頼むから死んでくれ」

「なるほど。まぁアンドレイ殿は良く外出するからな……ならば【リッケルト】か【マックダフ】殿は? 彼らの事ならば知っているだろう」

「はぁ? 俺が何でお前に教えてやらなきゃなんねぇんだよこのグギャッ!?」

 

 尋ねる椿に対してエドが汚い言葉を口にしようとしたその時、その側頭部にどこからともなく飛んできた金槌が直撃した。出てはいけないような音を喉から発して崩れ落ちるエド。ルドウイークは慌てて彼の横へとしゃがみこんで側頭部の傷を確認する。

 

「おいエド!? ……意外と傷は浅いな」

「浅いからって痛みは本物だぞこの野郎……!」

 

 拍子抜けするルドウイークに倒れ伏したまま呻きを上げたエド。その一方で、エドの頭を直撃した金槌を拾い上げた椿は驚いたような声で捲し立てる。

 

「この小振りながら確かな重量感があり更に類を見ない程に使い込まれたミスリル製の金槌は……アンドレイ殿!?」

 

 叫ぶ彼女は何かに気づいたようにばっと振り返った。その視線の先には、工房の入口に立つ一人の鍛冶師。乱雑に伸ばされた白い頭髪と髯を持ち、上半身には何も身に付けずこれ以上無く鍛え抜かれた筋骨隆々の肉体と炉の火に長く焼かれ続けた赤銅色の肌を惜しげなく人前に晒している。

 

 彼こそがアンドレイ。【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】の異名を取り、かつてはオラリオ最高の鍛冶師の名を欲しいままにしていたゴブニュ・ファミリアの現団長。彼は堂々とした歩みで工房へと踏み込むと、呆れたような顔で未だに倒れ伏すエドに視線を向けた。

 

「ロクに仕事もしねぇで只飯喰らってばっかの穀潰しがよく聞きやがれ。客に対してその態度を取るのはちといただけねぇな」

「いや今まさにしてただろうが仕事を! つか客? 客だと? こいつが?」

 

 ようやく起き上がったエドはアンドレイの言に反論しつつ、傍観する椿を不躾(ぶしつけ)に指差して苛立たし気に尋ねた。アンドレイはそれに不思議そうに首を傾げる。

 

「なんだ、【コードウェル】から聞いてねぇのか? てっきり話行ってるもんだと思ってたが」

「俺シーラの事避けてるから。金金うるせえし」

「お前が稼がねぇからだろ……」

「いや絶対違ぇよ。ギルド職員時代からアイツのがめつさは天下一だぞ」

「お陰様で金勘定任せられるから助かってるけどな」

 

 ハハハ、と笑うアンドレイ。一方のエドは彼を睨みつけて席に戻り、八つ当たりするように近くの酒瓶を掴み取って一気に煽った。それを見ていた椿はどこか楽し気に小さく笑うと、姿勢を正してアンドレイの元へと歩み寄り、深々と頭を下げた。

 

「アンドレイ殿、お久しぶりです。本日は貴重な時間を手前の為に割いて頂き、ご厚情痛み入ります」

「おう、久しぶりだな。【怪物祭(モンスターフィリア)】ん時以来か。あん時は新武器の発表会が延期になっちまって悪かったな、折角来てくれたのによ」

「いえ。アンドレイ殿に落ち度はありますまい。全ては事件を画策(かくさく)した者に責があるかと」

「そう言ってくれると助かるぜ。で、用ってなんだ?」

 

 挨拶もそこそこに、アンドレイは本日客として椿がここに訪れた目的について問いかける。対する椿は彼の前に片膝を着き、自らの事情を(つまび)らかにし始めた。

 

「はい。今現在手前は【ロキ・ファミリア】から八日後の遠征に備え、【不壊属性(デュランダル)】を有する武器の『連作』を依頼されておりまして……それに、アンドレイ殿の助力を仰ぎたく参上した次第です」

「ほう」

 

 椿の言葉に、アンドレイは興味深そうな顔をした。ルドウイークも彼女の話に聞き耳を立て、それは随分な大業(たいぎょう)だと思案に耽る。

 

 【不壊属性(デュランダル)】と呼ばれるそれは【最硬精製金属(オリハルコン)】を素材とした【特殊武装(スペリオルズ)】の一種で、読んで字の如く事実上破壊不可能とされる特別な武器である。同時にこのオラリオに存在する武装の中でも特別途方もない価格となるものの一つだ。

 そもそも【最硬金属(アダマンタイト)】などを初めとした幾種もの希少金属を素材とするオリハルコン自体の価格がとんでもない物の上、加工が出来る鍛冶師の数自体がごく少数の為に工賃や手間賃も破格。その連作ともなれば正に経済が動くと言っても過言ではない。

 

 それを必要とするほどの事情が、【ロキ・ファミリア】にはあるのだろう。ルドウイークは結論付けて、目の前のオラリオ最高の鍛冶師である二人の会話を注視した。しばらくすると腕を組んでいたアンドレイはどこか楽しげに笑って、頭を垂れる椿に今回の頼みを快諾する旨を伝えようとする。

 

「まぁ、いいぜ。他でも無いお前の頼みだ、材料を持ってきな。俺とお前で手分けしてやれれば、長くとも一週間で――――」

「いえ。アンドレイ殿にお力添えいただきたいと言うのは、『分担』の話ではありません。【不壊属性】の付与と引き換えに、どうしても攻撃力が第二等級品並まで落ちてしまう【最硬精製金属(オリハルコン)】製の武器……それを攻撃力の低下を抑えながら制作する技術について、練磨を受けたいと考えたのです」

「…………ほう?」

 

 アンドレイの認識を訂正した椿の言葉に彼は先ほどと同じ、しかし決定的に異なるニュアンスを持った言葉で疑問を示した。いつの間にか、彼は周囲の鍛冶師が思わず手を止めるほどの重圧を放っており、それはルドウイークの体にもビリビリと伝わっている。隣のエドなど、何かトラウマでもあったのか机に突っ伏して痙攣(けいれん)している有様だ。それに一瞥(いちべつ)もくれる事無く、巨人の如き威圧感を纏いながらアンドレイは椿を睨みつける。

 

「椿、お前ずいぶん大きく出たな……俺を『踏み台』に使おうって? 言うじゃあねえか。すると、あくまで武器を打つ事自体はお前がやるって話かよ?」

「はい。一時は【ヘファイストス】の鍛冶師達の手を借りる事も考えましたが……私の一存で彼らの研鑽の邪魔をするのは余りにも横暴が過ぎるかと考えまして。いろいろと検討しましたが、品質と納期の両立を行うに当たっては貴方の知恵をお借りするのが最高の選択肢だと判断しました」

「……………………」

 

 アンドレイの放つ威圧感に、しかし椿は僅かな動揺も見せずに真っ直ぐな視線を向けながらに答えた。それを見下ろして、冷ややかに沈黙するアンドレイ。工房中の鍛冶師達が固唾を飲んで見守る中で二人は永延にも思える数秒間の睨みあいを続けていたが……その内、我慢しきれぬと言った具合にアンドレイが笑い声を漏らした。

 

「……くふっ、くっくっく…………いいぜ。【ゴブニュ】の旦那に許可取ってくる」

「ありがたく存じます」

 

 あくまで敬意を持って答える椿に背を向け、アンドレイは工房の隅にある神ゴブニュの居室へと足を向けた。しかし、その背に先程まで瀕死の(てい)であったエドがいつのまにやら立ち上がり自身のファミリアの団長へと詰め寄って肩を掴む。

 

「待てよアンドレイ! お前、幾らなんでも軽々しく話を請けすぎじゃあねぇか!? もう少し自分の技術の価値ってモンを理解しろよ!!」

「おいおいエド、お前こそ何言ってやがる。この迷宮都市(オラリオ)最高の鍛冶師が俺の腕を借りたがってるんだ、ここで行かなきゃ自分何で鍛冶師やってんだ、って話になるだろ?」

「いやならねぇだろ、絶対アンタが楽しんでるだけだろうが!」

「分かってるならいちいち聞くなよお前は。俺は行くぜ」

 

 アンドレイは肩を掴むエドの手を素気無く振り払って、ゴブニュ神の部屋へと消えて行った。その背を歯ぎしりして睨みつけるエドを、未だに片膝をついたままの椿が神妙な顔で眺めている。ルドウイークは一連の会話を聞いて、しばらく思案を続けていたが…………ふと何かに気づいたように顔を上げると、何かに八つ当たりするべく周囲に目をやっていたエドに近づいて声をかけた。

 

「エド。ロキ・ファミリアがそれ程の武器を必要とするとは、何かあるのか?」

「あぁ? ……ちッ、大方『遠征』の【強制任務(ミッション)】じゃねぇか? 奴ら、前回は途中で逃げ帰ってきてるしそのせいで早まったんだろ………………つか、それにしてもリッケルトを初めとしてオラリオ中の鍛冶に【魔剣】を大量注文しただけじゃなく【ヘファイストス】の団長に【不壊属性】の武器を連作で注文たぁ、流石金のある大ファミリア様は違うぜ。マジで死んでくれねぇかな」

「そうか…………確か、遠征は八日後と言っていたか」

「あー、そんな事言ってたか? ま、俺には全員くたばれ以外の感想はねぇけど」

 

 眉間に皺を寄せ、不機嫌極まりない顔で毒づくエド。対してそれを無視したルドウイークは、顎に手をやって深い思案をしながらに呟いた。

 

「――――ならば、今こそいい機会かもしれんな」

「あぁ?」

「こっちの話だ……では、用事も済んだ事だし私はそろそろお暇させてもらうよ」

「さっさと失せやがれ。俺はそこの鍛冶狂い(キチ)女に思い知らせてやらなきゃいけねぇ…………ああ、また来週にでも剣持って来いよ」

「分かった、よろしく頼む。ではな」

「おう。…………オイこらコルブランド! テメェ何工房の真ん中でしゃがみこんでやがんだ!? 用が済んだらとっとと失せろよ! 放り出してやろうか!?」

「用は済んでないし……放り出そうというなら相手になるぞ?」

「あぁ!? …………チッ、平和的に行こうぜ。お前はさっさと消え失せる。俺は気分が良くなる。それでいいだ……おい待てやめろ近づくな触るな腕を回すなあ痛だだだだ!!!!」

 

 妙案を携えたルドウイークは早々に工房を後にしようと入口へと向かう。そして、エドがまた椿に無謀な喧嘩を売って関節技を極められる悲鳴に一度振り返った後、彼女に対する鍛冶師達の快哉の声を背にしながら【ゴブニュ・ファミリア】の本拠(ホーム)から外へと踏み出した。

 

 次はギルドだな。ルドウイークは一人ごちて、背にした<ルドウイークの聖剣>の重みを確かめるように様に一歩ずつ歩みを進める。

 ようやくエリス神も立ち直り、武器の整備も終えた。準備は整ったと言っていい。後は彼女が許可を出してくれさえすればダンジョンにも潜れる。

 

 …………それに、ロキ・ファミリアの遠征についての情報も偶然手に入れる事が出来た。彼女に伝えれば、【ロキ】神との面会の日程も明確に決まるだろう。

 正直、この期に及んで彼女との対談を如何に切り抜けるかなど思いついてさえもいないが……そもそも、そういう頭を使う戦いは私には無理な話なのだ。下手をすればリヴィラの時のように悪目立ちするのが関の山だ。エリス神に、良き知恵を借りるのが一番だろう。

 

 既に自身が政治的な駆け引きにとことん向いていないのだと開き直ったルドウイークは、そこでふと立ち止まって流れる雲を見上げると、その異様な流れの速さを自身を待ち受ける波乱の予兆のように感じ取って、一度大きな溜息を吐くのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 翌日、朝。まだ夜明けを迎えているとは言い難いオラリオの街を、ルドウイークは困惑したままに歩く。

 

 ――――何故こうなった? ルドウイークはその問いを、昨日ギルドの門を出てから今まで幾度と無く繰り返していた。

 

 事の始まりは、ゴブニュ・ファミリアを後にしたルドウイークが向かったギルドでの一騒動だ。ギルド本部へと足を踏み入れると同時に入り口に向かって駆ける【ベル・クラネル】と鉢合わせたルドウイークは、彼の背に向けて叫ぶギルド職員【エイナ・チュール】の声を聞いてベルの前に立ちふさがった。

 そして、ルドウイークによって足止めを食らったベルの背に全速力で突っ込んできた【剣姫】――――【アイズ・ヴァレンシュタイン】によって、揃ってギルド本部から外へと転がり出る羽目になったのだ。

 

 そして、二人の少年少女のやり取り――――【剣姫】によるベルへのプロテクターの返却などの様子を親の如き暖かい視線で見つめていた彼は、しばらくして自身がギルドに来た本来の目的を思い出しその場を後にしようとした。

 

 だが、【剣姫】による鍛錬の申し出に混乱したベルは、彼女による『戦い方を教えてくれる人が居ないのか』という問いに、咄嗟にその場に居たルドウイークを指差していた。

 

 確かに、ルドウイークはベルの初探索に同行し、訓練の相手にもなった事もある。だがそれもベルが本当の意味で駆け出しだったごく初期の話であり――――と言っても一般的に言えばベルはまだまだ駆け出しの新人もいい所であるはずの時期であったが――――昨今の【怪物祭】の騒動や【リヴィラ】での動乱によってその事は頭の隅へと追いやられていたため、自身の名を挙げられたのはルドウイークにとって予想外もいい所の話であった。

 

 更に、リヴィラにおいてロキ・ファミリアの面々と僅かながらとは言え共同戦線を張り、特に彼と近しい場所で戦っていた【ティオナ・ヒリュテ】から【剣姫】へとルドウイークについての話が伝わっていた事、そもそもミノタウロスの上層進出事件の際に顔を合わせていた為に彼女自身ルドウイークの事を覚えていた事なども重なったか、【剣姫】は少し納得いかないような怜悧な双眸をルドウイークへと向ける。

 

 それに彼が困惑している内に、少年少女の会話はこんがらがりながらも進んでゆき、最後はベルが申し訳なさを感じさせるような声色で【剣姫】へと頭を下げ、彼女からの鍛錬の申し出を受けたのだ――――ルドウイークを巻き添えにして。

 

『いやだって僕なんかがいきなりヴァレンシュタインさんと二人きりなんて無理です!! お願いだから付き合ってください!!!』と懇願するベル。そして『大人の方が居てくれると安心なので、私からもお願いします』と頭を下げるエイナ。

 二人に挟まれたルドウイークは結局断り切ることも出来ずに、諦めきったように首を縦に振ったのだ。その時の彼の姿は【ロキ】が見れば『あの主神にしてこの眷属あり、ってとこやな!』と大笑いしていた事だろう。

 

 その後、明日朝からの訓練に付き合う事となったルドウイークは夕方前には帰宅し、ロキ・ファミリア及び【ヘスティア・ファミリア】の眷属とまた関わる事になってしまった事を自主的に正座しながらエリスへと伝えた。彼は、折角機嫌を直したエリスがこのことを聞いて激怒し、また自堕落な生活に戻ってしまうのではないかと心底危惧していた。

 

 だが彼の懸念に反し、エリスは『別に構いませんよ』とあっさり言うと、真剣な顔で何やら思案を始めてルドウイークを困惑させた。

 

 実はルドウイークがゴブニュ・ファミリアへと向かった後ロキ・ファミリアの遠征についてマギーから聞き及んでいたエリスは、むしろこのタイミングで【剣姫】とルドウイークの間に繋がりが出来るのならばロキとの対談の際にそれを利用できると判断したのだ。

 ルドウイークが懸念した通り、【ヘスティア】に塩を送るような行為は彼女の本意では無く、本音としては認めがたかったが……それよりも【剣姫】を通じてロキとの対話を有利な形に持っていけるのであれば、有り余るほどのリターンがあるとエリスは判断していた。

 

 故に、彼女はルドウイークに対して遠征が始まるまでは彼女らの鍛錬に付き合うように命じたのだ。そしてまったくエリスの意図が読めず困惑するルドウイークに、自身の考えとこの間にロキとの日程調整を済ませるとの案を伝え、明日早朝の鍛錬にいきなり遅れたりなんて事が無いようにと彼に厳命した。

 

 その様に主神が命じたのであればルドウイークに断る理由は無い。彼は心中に困惑を残しながらも、こうして【剣姫】によるベルの訓練に付き合うために市壁の上へと続く階段を昇っている。

 

 

 

 途中、踊り場で絵を描く髪の長い少女とそれを見守る赤い外套の老人の脇をすり抜けて、ルドウイークは市壁の上へと続く階段を昇り切った。市壁の上に辿り着いた彼は背に負った【回復薬(ポーション)】の詰まった背嚢をその場に下ろす。

 

 まだ、彼以外に人の姿は無い。エリスの『遅れないように』との指示をしくじらぬために早めに本拠を出たルドウイークであったが、それにしても少々早かったようだ。彼はまだ夜明けには早い暗色の空を何となく見つめて、時間を潰し始めた。

 

 

 

 しばらくして、僅かに空が白み始めた頃。気配を感じたルドウイークがそちらに振り向けば、女神の如き美しさを湛えた少女が丁度市壁の上へと現れた所だった。

 

 【剣姫】の二つ名を持つオラリオで最も有名な冒険者の一人、【ロキ・ファミリア】の【アイズ・ヴァレンシュタイン】。まだ十代半ば過ぎの年齢でありながら数多の偉業を成し遂げたその実力は正しく神の寵愛を受けているとも囁かれるに相応しい物で、現在のオラリオにおけるレベル1から2への最速到達記録保持者(レコードホルダー)でもある、とルドウイークは記憶している。

 そんな彼女とこうして訓練を共にさせて貰えるなど、普通の冒険者であれば願っても無い話だろう。

 

 だがルドウイークは普通の冒険者ではない。古都<ヤーナム>より来たりし正真正銘の異邦人。【神の恩恵(ファルナ)】も持たず、それを知られまいと元来持ち合わせた<狩人>としての実力で周囲を欺いてきた彼としては、周囲の懇願と主神の命じが生み出したこの状況に対して暗澹(あんたん)とした気持ちを持たずには居られなかった。

 

「どうも、ヴァレンシュタイン殿」

「…………どうも」

 

 心中の憂いを表に出さず、ルドウイークは【剣姫】に向けて<簡易拝謁>の礼を取った。年齢はルドウイークの方が上であろうが、冒険者としての経験も実績も彼女の方が遥かに上だ。そして何よりも彼女は今後顔を合わせるであろうロキのお気に入りである為、エリスにも失礼が無いように仰せつかっている。故に彼は自身の知る中でも特に格式ばった礼を見せた。

 

 対して、彼女はルドウイークの礼に眉一つ動かさず、その場で立ち止まってぺこりと頭を下げる。彼女の動きは少々ぎこちない。何となくではあるが……対応に困っているような印象をルドウイークは受けた。

 それは良くない。出来るだけ友好的な関係を築いてほしい、と言うのがエリスの希望だ。ならばと、どうにか彼女の態度を軟化させるべく適当な世間話をルドウイークは切り出した。

 

「流石に、この時間はまだ肌寒いですな」

「……そうですね」

「…………」

「…………」

 

 ――――――話が続かん。

 

 【剣姫】が物静かなタイプなのか自身の話題の切り出し方が不味かったか彼には判断が付かなかったが、こんな事ならば女性との話し方くらい<加速>に習っておくべきだったとルドウイークは内心頭を抱えた。

 そもそも彼がヤーナムやオラリオで築いてきた交友関係には女性があまり居ない。現在オラリオで日常的に会話する機会がある女性などエリスのみであるし、他に話す女性と言えばニールセン、マギーくらいのもの。ゼロでは無いが、それでも片手の数に収まる程度だ。

 

 少女の対応が素っ気なかったのもあるが、ルドウイークの持つ話の種が元々乏しいというのもある。かつては、ただただ獣を葬送するばかりの生涯を送った男だ。そのような男に女性と対する甲斐性を求めるのは苦と言う物だろう。

 

 それでも、腕を組み口を堅く結んでルドウイークは悩んだ。どうにかならぬものか。一方で、きょろきょろと周囲に首を巡らせていた【剣姫】はしばらくして諦めたように周囲を伺うのを止めると、ルドウイークを見据えてぼそりと口を開いた。

 

「…………彼は、まだ来てないですか?」

「……ああ、クラネル少年であれば、まだ。少し早すぎたかもしれませんね」

「……そうですか」

 

 そこでまた、会話が途切れる。ルドウイークはこのオラリオで得た経験を糧に、必死に頭を回した。今何と口にすべきだ? 朝何を食べたか……いや、この時間であれば流石に真っ当な食事は口にしていまい。ならば天気は……先ほど寒いという話をしてしまったな。であれば遠征の事は……事情を探ろうとしていると取られかねん。ならばどうするか――――

 

「あの」

 

 ルドウイークの出口無き思索は、横合いからかけられた声によって遮られた。何処か訝しむような瞳をした【剣姫】が彼に視線を向けている。

 

「ルドウイークさん、でしたよね?」

「あー……ルドウイークで構いませんよ、ヴァレンシュタイン殿。貴女の方が冒険者としては先達ですし、何より私は学ぶ側です。そう畏まらずとも構いません」

「……私にも、そんな丁寧にしなくていいですよ。アイズって呼んで下さい。(みんな)もそう呼びますから」

「………………」

「………………」

 

 互いに視線を交わしての、しばらくの沈黙の後。ルドウイークはそれに耐えきれなくなって小さく溜息を吐いた。そして、何処か申し訳そうな笑みを浮かべる。

 

「…………いや、すまないアイズ殿。貴女とクラネル少年の訓練に割り込むつもりは無かった。チュール殿に頭を下げられた手前、顔を出さないわけにもいかなかったが…………私の事は、居ないものと思って貰って構わない」

「別に構わない……です」

「そうか」

 

 少し目を伏せて言う【剣姫】の委縮したような口調に、ルドウイークは苦笑いを浮かべて答えた。どうやら、思ったよりも気難しい訳では無いらしい。彼は少し安心して、次にどうしても聞きたかった問いを彼女へと投げかけた。

 

「しかし、何故クラネル少年に訓練など? 遠征も控え、貴女も暇ではありますまいに」

「…………この前戦った人に、ちょっと言われて」

 

 ルドウイークの問いに、アイズは嫌な事を思い出すように眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「『強くなりたいなら、もっと余計な事をしてみるといい。年の近い異性の友達一人くらい作ってみたらどうだ』…………って」

「ふむ……【ロキ・ファミリア】には女性が多いと私も耳にした。同世代の異性は居ないので?」

「居なかったと思う……」

「成程」

 

 納得したような顔で頷きながら、ルドウイークは更に違和感を強くしていた。

 

 本来であれば、最上位ファミリアの幹部である彼女がクラネル少年のような一般の冒険者に(かかずら)っている暇など無かったはずだ。時期と立場の両方がそんな事を許すまい。もしかしたら、この様な都市の隅にやってきているのも、身内からの眼を誤魔化すためなのかもしれぬ。

 

 しかし異性の友人作りとは……俄かには信じ難い。どう見ても彼女は自分から異性に話しかけるタイプには見えない。

 あの高名さだ。もし己から異性にアプローチをかけるような性格であれば、今までにも男女の噂がいくらかあっても良かっただろう。だがエリス神が教えてくれた限りではそう言う話は無かった。

 

 まぁ、恐らくは本来の目的を隠すための方便だろう。近日中に私とロキ神が対話する手はずになっているのを、彼女が知らないとは考えにくい。情報をできるだけ隠そうとするのも当然の事だ。

 

 ……ただもしそれが事実ならば、これは彼女自身にとって一種の挑戦であるはずだ。それであれば今ここに私が居るという状況は彼女からして見れば邪魔になってしまっているのではないか?

 

 そうして無駄な思いやりを発揮し、思考の迷路に嵌ったルドウイークが自身がこの場に居る現状に対して本格的に頭を痛め始めた頃。必死に階段を駆け上がる足音が聞こえて、息を切らせたベルが市壁の上へと姿を現した。

 

「お、おはようございますヴァレンシュタインさん、ルドウイークさん! 遅くなりました!!」

「おはよう。少し早く来すぎちゃったのは私だし、気にしないで。それに…………ルドウイークさんは、もっと早く来てたから」

「そうなんですか!?」

 

 まだ薄暗い時間だと言うに、それを思わせない程の快活さで挨拶をしたベルはアイズに言われて、ルドウイークへと驚きの視線を向ける。その眼に明らかな申し訳なさを見て取ったルドウイークは素早く笑顔を浮かべて肩を竦めた。

 

「おはよう、ベル。【剣姫】の鍛錬が見れるとあって、年甲斐も無く眠れなくてね……では、私は脇に退いておこう。回復薬はあるから、安心して初めてくれ」

「そんな! 無理矢理巻き込んだみたいなものなのに、回復薬まで用意してくれたんですか!?」

「私ではなく、アイズ殿に頼まれたんだ。元手を出したのは彼女だよ」

「ヴァレンシュタインさんが!? あ、ありがとうございます!!」

「……気にしないで」

 

 ベルに思いっきり頭を下げられたアイズは、相変わらずの仏頂面で答えた。しかし咄嗟(とっさ)に視線を逸らして僅かに眉を(しか)めるのをルドウイークの位置からは見る事が出来た。

 彼女にも複雑な事情があるのだろう。いろいろ考えたが結局、そうルドウイークは結論付けて市壁の端にどっかと腰を下ろした。その視線の先で、少年は困惑に苛まれつつも少女の眼を見てから、また頭を下げる。

 

「そ、それじゃあよろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん! ま、まずは何から……」

「……アイズ」

「へっ?」

「アイズでいいよ。皆もそう呼ぶから」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 しばらくして始まった少女による少年への稽古は、それはそれは過酷な物だった。

 

 最初は素振りから始めようとしたアイズはどうにもしっくり来なかったか、ベルを一度吹っ飛ばして気絶させてしまった後すぐに実戦形式の訓練へと手法を変更した。

 どうやら、彼女は口で教えるのはそれほど得意としているようではないようだと言うのはルドウイークにもすぐ理解できた。元々口下手なのかもしれない。彼は僅かに彼女に親近感を抱いた。

 

 それからと言うものの、彼女にベルが無謀にも挑み、返り討ちにされて市壁の上を転がるという光景が幾度と無く繰り返された。無理も無い。アイズの動きは手加減しているとはいえレベル1のベルに捉えられるような物では決してなく、これでは【耐久】アビリティの成長くらいしか期待できないのではないかとルドウイークも懸念する程の一方的な展開だ。

 

 しかしこれは彼と彼女の訓練であり、自身は傍観者に過ぎない。ルドウイークはあくまでそう自身に言い聞かせて、あくまでも見物とベルがダウンした際に回復薬を与えるという役目に徹した。幾度も幾度も瓶の蓋を抜いて倒れたベルに飲ませたり、気絶している時は顔にぶちまけて目覚まし代わりにするなど、割と忙しい。

 

 アイズのポケットマネーから捻出された金で用意したポーションは中々の上物で、気絶していたベルもすぐに起き上がって再び稽古の場に戻ってゆく。そしてまたすぐに転がされて戻ってくる。その繰り返しだ。

 

 今もまたがむしゃらに突っ込んで容易く頭蓋に剣の鞘による一撃を貰っている。それを眺めながらに、ルドウイークは彼と彼女の会話には耳を傾けぬように努めた。流石に、そこまで踏み込むのは自身の役割を越えている。しかし彼と彼女――――特にアイズの動きには、ルドウイークは眼を見張っていた。

 

 金糸の如く流れる髪、神々の眼すら釘づけにする美貌、天性の剣の冴えと流麗極まりない体捌き。それは嘗て狩りを共にした女狩人、<マリア>を思い出させるには十分過ぎた。ルドウイークは郷愁の念と嘗ての黄金のように輝く日々の思い出に苛まれ、思わず悲し気に微笑む。

 

 あれはいつだったか。<ゲールマン>翁に認められた彼女が、修行の一区切りとして彼と一騎打ちをした日の事だ。私と<加速>、<烏>や<ローレンス>殿までが見守る中で繰り広げられたあの戦いの事は、今でも鮮明に覚えている。

 

 それを経て一人前と認められた彼女は、実際に素晴らしい狩人としてヤーナムの夜に身を投じ続けた。共に【大物狩り】に挑んだ事も一度や二度では無い。当時のルドウイークは彼女が友であるならば、いつかかの古都に自身等が求める意味での夜明けを齎す事が出来るのだと信じて止まなかった。

 

 

 だがそれ故に、何故彼女と悪夢の中で対峙する事になったか、今でも良くわからない。

 

 

 そこでルドウイークは首を横に振って自身の内から意識を浮上させると、短刀を突き出したベルの横に回り込んでその足を強かに剣の鞘で打ち付けたアイズへと意識を向けた。

 

 ――――彼女とも、いつか戦う事になるのだろうか。悪夢でマリアとそうなったように。

 

 しかし、足を打たれ転がり苦悶するベルに手を差し出して引っ張り上げる彼女の姿に、ルドウイークはそんな嫌な未来を脳裏から追い出して溜息を吐いた。

 もしそうなれば、エリス神に迷惑をかける事になるだろう。そのようにならぬために私はここに居て、彼女も頑張ってくれているのではないか。

 

 ルドウイークは気を取り直して、背嚢から新たな回復薬を一つ取り出した。それと同時にベルがアイズの連続攻撃を受けて大ダメージを負い、最後の横一閃で吹っ飛ばされてルドウイークの眼と鼻の先に転がってくる。

 

 目を回した彼は完全に気絶してしまっており、駆け寄ってきたアイズも申し訳なさげな表情で彼を見下ろした。ルドウイークは手にした回復薬の瓶の栓を引っこ抜くと、目覚ましの水の代わりにそれをベルの顔へと思いっきりぶちまける。

 

 その衝撃に飛び起きたベルに笑いながら、ルドウイークは背嚢の中から回復薬を幾つか渡して飲むように促した。その時陽が地平線の彼方より登り、【摩天楼(バベル)】の影が市壁を超えて長く伸びる。アイズはそれを見て訓練の終了を告げ、明日も同様に訓練を行うとだけ言い残し、慌ててその場を去って行った。

 

 一方、残された二人はベルが回復するまでそこに残っていたものの、治癒が済んだと見るやルドウイークも本拠へ戻ろうと腰を上げる。それを見たベルはルドウイークにも稽古をつけてもらいたいと懇願するものの、彼は『今日もダンジョンへと潜るのだろう? 訓練に力を入れすぎて本番がおろそかになるのは、それこそ本末転倒だ』とベルを(いさ)め、すぐ戻ってちゃんと休息を取ってから探索に向かう様に忠告してから帰路へと着かせたのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 市壁の上で行われた訓練が解散してから数時間後。陽も登りきり、街に人が溢れ始めてからしばらく経った西大通り(メインストリート)から一本入った場所に店を構える、【鴉の止り木】。ルドウイークは翌日に営業再開を控えたその店のテーブルの一つを借り、自らの主神とこそこそと言葉を交わしていた。

 

「…………で、どうだったんですか、ベル君と【剣姫】の訓練は……何かありました……?」

「……いや、特段想定を超えるような事は何も無かった……。強いて言えば、あれだけ滅多打ちにされてクラネル少年の精神がどうにかならないかと言うのが心配だが……」

「うへっ、そうですか…………そうだ。【剣姫】、何か私について聞いてきませんでした……?」

「いや……それも無かった。私は只管に彼女達を眺めていただけだったよ……」

「ふーむ、【剣姫】もやっぱ、一筋縄じゃ行かない相手みたいですねぇ……」

 

 手応えを感じさせぬルドウイークの言にエリスは椅子に深く背中を預けて、唸りながら頭を抱えた。その後ろでは箒で雑に床を撫でていた【黒い鳥】がマギーに腰を蹴られて机に頭から突っ込んだのが見える。

 

「……ところで、エリス神こそ朝早くから出ていた様だが、成果はどうだった?」

「ばっちしです!」

 

 ルドウイークはエリスの背中越しのゴタゴタを意識せぬように堪えて問いかけた。対するエリスは満面の笑みで答える。

 

「明日の午前中に【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)である【黄昏の館】に入れるよう、話をバシッと付けて来ました! あの道化師気取りとの話し合いは怖いですけど、ま、何とかなるでしょう! 対面は二人きりになると思いますが、一応私の同行も許可させましたしね!」

「それは安心した。流石に<月光>を背負ったまま対面と言うのは無理がある話だからな。エリス神が預かってくれるのであれば心配せずに済む」

「ええ、流石に武器を所持したまま対面とはいかないでしょうからね。その辺は任せてください」

「しかし、明日から【鴉の止り木】も再開のはずだが、皆には伝えてあるのかね?」

「……………………」

 

 ルドウイークの指摘を受けたエリスは、満面の笑みのままに硬直した。その背後にはいつの間にやら冷酷に彼女を見下ろすマギーの姿。マギーはエリスの弁明を今か今かと待っている様で、威圧感を一片も隠そうとしない。対するエリスは油の切れた機械の様にギリギリと首を回して、引きつった笑みをマギーに向けた。

 

「あ、マギー、あの、これは……」

「エリス、その話詳しく聞かせて貰えるかしら?」

「え、えぇ……いやですね、ちょっと明日は用事があるので、お昼の部は休ませてほしいかなーなんて」

「ははは、有罪だろマギー。いくらなんでもその連絡遅れは良くないよな」

「サボり常習犯が何言ってんですかぁ!?」

 

 いつの間か復帰した【黒い鳥】が邪悪な意図を隠さずに笑うとエリスは食って掛かる様に立ち上がった。それをマギーが押さえつけて席に戻すと、けたけたと笑っていた【黒い鳥】の爪先を思いっきり踵で踏み潰してからの足払いで床に転がし、悶えながら転がる【彼】を踏みつけにしてからエリスに対して改めて問いかけた。

 

「……理由は?」

「あ、ええっと、実は明日の午前中に、【ロキ】の所に行く用事が出来まして……」

「それって急な話?」

「ま、まぁ急な話と言うか、実は前から話自体はあったんですけど、明確な日にちは今日決まったって言うか……」

「ふぅん…………」

 

 そこまで聞いたマギーは呆れたかのように溜息を吐く。エリスとルドウイークは、その一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていたが……困ったように笑う彼女を見ると揃って安堵したように笑い合った。

 

「ま、明日の昼なんて再開直後だし、客もそんな居ないだろうから構わないわ。聞いた限りじゃ大事な話みたいだしね」

「そうなんですそうなんです! だから大目に見てください!」

「いいわよ。でも次同じ事したら給金減らすけどね」

「ひえっ……」

 

 肩を竦めたマギーがそうエリスに脅しをかけると、彼女は余りの恐怖に身を震わせる。それを見て、マギーは足元の【黒い鳥】を蹴り転がしつつ開店の準備へと戻って行った。

 

「……あの【黒い鳥】もマギーの前では形無しだな」

「ほんっと、あれで【オッタル】の次に強い、って言われてるんですから笑っちゃいますよね」

 

 驚愕したように笑いながら、ルドウイークは呟いた。彼も【黒い鳥】が店内で起きたいざこざを力で収めて来た光景を幾度か見てきたが、その際の姿からは想像もつかぬ事だったのだろう。エリスも呆れて溜息を吐くばかりだ。

 

 そこで、ふと、ルドウイークはずっと気になっていた事を思い出した。いつも聞こう聞こうと思っていたことだが、最近は忙しく口に出せずにいたことだ。今こそ丁度いい機会だろう。ルドウイークは、意を決するようにエリスに尋ねてみる事にした。

 

「……気になっていたんだが、何故【彼】よりも【猛者(おうじゃ)】の方が強いと言うのが通説になっているんだ? 直接対決でもあったのかね?」

「それがあったみたいなんですよ。目撃者は居ないですけど」

 

 エリスは自分で入れたすっかり冷えたコーヒーを一度口にしてから、転がされる黒い鳥を眺めながらに話し始めた。

 

「確か、一年くらい前でしたかねぇ。二人揃ってダンジョンに潜った後、オッタルに担がれて戻ってきたんですよ、死にかけで」

「……興味深いな」

「詳しい事は知りませんけど、それ以降彼は『自分よりオッタルの方が強い』って言うようになったんですよ。(ちまた)じゃ、横槍が入らない階層まで潜って殺し合ったって話になってます」

「…………ずいぶんキナ臭い話だな」

「……やっぱそう思いますよね。でも、嘘ついてるって感じはないんですよ。神々(わたしたち)の間でも随分な話題になったらしくて、オッタルに『どっちが強いのか?』って聞いた(バカ)も居たって話は聞きましたが…………」

「【猛者】は、なんと?」

「確か……『時と場合による』って。それだけ」

「何の答えにもならんな、それは」

「はい。なので、とりあえずは本人の言う事を信じているわけです。嘘も吐いて無いですしね」

「ふうむ……」

 

 エリスを初めとして、嘘の通じぬ神々の間でそう言った認識がされているならば信憑性はあるのだろう。しかし…………。ルドウイークはちらと、既にマギーも去り床に置いて行かれてピクリとも動かぬ【黒い鳥】に目を向け、難しい顔をして唸る。

 

 【鴉の止り木】で戦う際の彼はあくまで鎮圧に終始していた。本気を出しているとは到底思えぬ。やはり、実際にダンジョンで戦う所を見なければ分からないのだろうな……。この都市における最強の一角を、出来ればこの目で視て知っておくのは後々の役に立つと思っていたのだが。

 

「ま、そんな事よりも目の前の【ロキ】に集中しましょうか。彼女への応答はある程度考えてあるので、ウチに帰ったらお伝えしますね」

「了解だ」

 

 ルドウイークはエリスの言葉に迷いなく首を縦に振った。そして、考え込むように腕を組んで椅子に背中を預け、天井に視線を向ける。

 

 ついに、明日に迫ったロキ神との会談。出来れば何事も掘り下げられぬのが理想ではあるが、そうはうまく行かないだろう。もし私自身の知識だけで対応しようとすれば、無様にボロを出して情報を搾り取られる事になっていたやも知れぬ。

 少なくとも私が【リヴィラ】で見せた身体能力からレベルの偽装について……そして、あの【怪物祭】で放った<月光>の事について問われるのは間違いない。そのどちらも応対が難しい内容だ。場合によっては<ヤーナム>の事にまで話が発展しかねない。

 

 しかしそれは、私がこれまで絶対にあってはならないとして忌避し続けて来た事でもある。エリス神も、その事については重々承知してくれているはずだ。

 

 ――――やはり、彼女の知恵に賭けるしかないか。ロキと言う百戦錬磨の謀略神に対して私は余りにも無力だ。私が狩りの場において彼女を遥かに上回る様に、知略の場では向こうに絶対的な優位がある。

 悔しいとは思わん。人は愚か神にさえ得手不得手はあるのだから。しかし譲れぬ戦いだ。エリス神が知に長けた神であり、ロキ神と少なからず関係を持っているのなら――――頼る他あるまい。

 

 その他に光明を見出せぬルドウイークは、同時に彼女にどれだけ迷惑をかければ気が済むのかと自虐に顔を顰めた。悲愴とも言える思索を続けるルドウイークの横顔を、心配そうにエリスは見つめている。

 

「エリス、ちょっといい?」

「あ、はい。どうしました?」

 

 その時、厨房から顔を出したマギーに呼ばれて、エリスは彼女の元へと向かって行った。そして、何らかのメモを手渡されて、それに書かれた文面に目を走らせる。

 

「ちょっと買い出しをお願いしていい? これが終わったら今日は帰っていいから」

「はいはい、大丈夫ですよ。えーっと……一人じゃ持ち切れませんね。【彼】をお借りしても?」

「アイツには別の使い道があるからちょっと無理ね。悪いけど、何往復かして貰う事になるかな」

「えーっ……だったら…………」

 

 悩ましげに唇に人差し指を当てたエリスは、ふと首を巡らせてルドウイークの方を振り向いた。そして彼の顔をじっと見て、小さく呟く。

 

「丁度いい……」

「……エリス神? 何か私の顔についているか?」

「いえ。それより、なに座ってるんですかルドウイーク。買い出し行きますよ」

 

 エリスは手提げ袋をマギーから受け取ると、それを持ったままの手でルドウイークを指差した。

 

「……? 私はこの店の店員では無いぞ?」

「なぁに言ってるんですか。主神が店員である以上、それを手伝うのは眷族の義務でしょう!」

「屁理屈では?」

「そんな事言ってないで席を立つ!」

「いや待て。おい、エリス神。押さないでくれ」

「いいから行きますよ……じゃあマギー、すぐ戻ります!」

「気を付けてね」

「はい! 行ってきます!」

 

 乗り気でないことが容易く見て取れるルドウイークを、エリスは無理矢理引っ張って、そのまま店を後にしていった。二人の後姿を眺めていたマギーは思わずくすりと笑い、ようやく起き上がった【黒い鳥】に向けて他では見せないような柔らかい視線を向ける。

 

「……あの二人、本当に仲がいいわよね。他に眷族が居ないっていうのもあるだろうけど」

 

 呟くマギーを前に、【黒い鳥】は腕を組んで姿勢が傾くほどに首を傾げた。

 

「んん……? そうなのか? 俺には良く分からん」

「ばーか。見ればわかるでしょ」

「……マジで良く分からん」

「はぁ。そんなだから【オラリオで一番関わり合いになりたくない冒険者】とか言われるんじゃない? 【ファットマン】も草葉の陰で泣いてるわよ?」

 

 呆れたように肩を竦めるマギー。しかし、そこには【黒い鳥】への確かな信頼が見て取れた。一方で【黒い鳥】はむしろその言葉に疲れた顔をして溜息を吐く。

 

「いや死んでないだろ、つか死ぬタマかよあのジジイが。最近見てねぇけど」

「その内ひょっこり戻ってくるわよ。店を『代理』に任せて、今何やってんだか知らないけどね」

「だな……しかし、アイツも良くやるよな。ガラじゃあ無い癖に」

 

 先程自身が突っ込んで位置のずれた机を直しつつ、【黒い鳥】はこの場に居ない男について揶揄しながら笑った。それを他人事のように聞き流しながら、マギーは厨房の棚の戸を開いて中に収まっている調味料を漁りながらに口を開く。

 

「彼は表を歩ける立場じゃないし、他に行く当てもないんでしょ……それより、エリス達が食材買って戻ってくる前に仕込みやれるようにするわよ。倉庫から調味料と……料理酒持ってきてくれる?」

「あいよ。アイツは待たなくていいのか?」

「別にいいんじゃない? どうせ開店ギリギリまで来ないでしょ」

「そうだな。じゃ、調味料と料理酒な?」

「よろしく」

「了解」

 

 二人は短い確認を終えると、万全の状態で明日の営業再開を迎える為にそれぞれ分かれて下準備を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 同時刻。【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)、【黄昏の館】。

 

 尖塔が並び立つ広大な敷地を遠征に備える為に数多の団員たちが右往左往する中にあって、対照的なまでに物静かな部屋があった。

 北端の塔の一角に位置する、ファミリア団長の執務室。【勇者(ブレイバー)】の二つ名を持つレベル6、【フィン・ディムナ】の座する部屋である。

 

 現在その部屋には部屋の主であるフィンの他に、三つの人影を見る事が出来た。

 

 窓の横の壁に寄り掛かり、腕を組んで目を伏せる【九魔姫(ナイン・ヘル)】こと【リヴェリア・リヨス・アールヴ】。

 口を固く(つぐ)み、武骨な顎を凄まじい鍛錬によって硬くなった指で撫でる【重傑(エルガルム)】、【ガレス・ランドロック】。

 

 そして、一際豪奢な来客用の椅子の上で胡坐をかいて、糸のように細い目を更に細める赤毛の女神――――【ロキ】。彼女は周囲の沈黙を打ち破って、楽しげに口元を歪めた。

 

「に、してもや……エリスん奴、とんだタイミングで仕掛けて来よったなぁ」

「遠征まで残り一週間を切るこのタイミングとはのう。忙しいと言うに」

 

 笑いながら言うロキに対して、ガレスはどこか気だるげに同意を示した。

 

「いや、むしろ僕らが居なくなる前に来てくれてよかったよ。【ティオナ】の見立てじゃ、最低でもレベル4は堅いんだろう? 遠征で人が少ない時に敵になりかねない相手を本拠に入れる訳にも行かないからね」

「そう言う意味では、向こうとしてもここ以外ないタイミングだったのだろう。【神会(デナトゥス)】も目前だしな」

 

 女神とドワーフがどこか気だるげな雰囲気を漂わせるのに対して、小人(パルゥム)とハイエルフの二人は淡々と状況を振り返る様に言った。ロキは、それを聞いて難しそうな顔で唸って見せる。

 

「ゆーたって、相手はエリス。うち程やないけど、天界(うえ)じゃアタマん良さで鳴らした奴や。ホンマに何企んどるんかなぁ」

「流石に、警戒しすぎじゃないのかい? 今の彼女は団員もルドウイーク一人しかいない零細ファミリアの主なんだろう?」

「だからこそや」

 

 ロキは組んでいた足を下ろして顔の前で指を組み、薄目を開いて深刻ぶった声色を部屋に響かせる。

 

「アイツにとって、今の環境は我慢ならんもんのはずや。どうにかしてもう一度返り咲くのを狙っとるのは間違いあらへん」

「お主がそこまで警戒するほどか、あやつは」

「せや。普段はアホでお人好しやけど、何だかんだ【フレイヤ】が今の地位に居るのだってあいつのせいやしな。本気になったら何しでかすか分からへん」

「先日、リヴィラに【黒い鳥】が現れたのも彼女の依頼が関係しているという話を耳に挟んだ。もし神エリスが【彼】を容易に動かせるなら、ファミリア間の戦力差などそうさしたる意味は無いからな」

 

 エリスに対して過剰なまでの警戒を示すロキの評にリヴェリアが自らの抱えていた疑念を口にし、フィンとガレスも難しい顔をして思案し始めた。

 

 【黒い鳥】をすぐさまけしかけられる立場にエリスがあるのならば、ヘタに応対するのは拙い。少なくとも、ロキ・ファミリアの首脳陣で一斉にかからなければ勝ちの目が無い相手である上に、【黒い鳥】が単独で動く保証は無く、【啓くもの】や【不屈】と言った他の最上位冒険者達を従える事さえもある。

 

 しかし、ロキの脳裏に過ぎっている警戒対象は【黒い鳥】とその仲間達では無く、さる一柱の神。そして、エリスに従う得体の知れぬ白装束の大男の姿。

 

「正直…………このタイミングで【黒い鳥】の相手すんのも御免やけど、個神(こじん)的には『ジジイ』とぶつかるんがいっちゃん困るで」

「確かに。そうなれば、それこそどこから何をされるか分かった物ではないからのう」

「それに、あのルド何とかや。何の目的があってエリスんとこに居座っとるんか……どこであんだけの強さを身に付けたんか……あの【クロッゾ】並の魔剣は一体何なんか…………全部まとめてキッチリバッチリハッキリさせてもらおか」

「彼とは【ティオナ】が随分戦いたがっていたけれど、彼女との調整は済んでるのかい?」

「そこはアレや、時間あったら好きにさせたる。話にどんくらいかかるんかのメドも立っとらんけどな」

「賢明だな。あれだけ気合が入っていたんだ、それで戦えないとなったらヘソを曲げるぞ」

「……ティオナには何か仕事を任せて、外に出ててもらおうか? 彼女が相手に悪い印象を与えるって事はあまり考えられないけど」

 

 うーんと腕を組んでフィンは唸る。しかしロキは問題ないと言わんばかりに笑って、よっと一声上げながら椅子から飛び降りて立ち上がり、自らが最も信頼する子供(眷族)達の顔を見回した。

 

「ま、そこまで心配する事はあらへん。うちに任せとき。ルドウィークとやら、舌先三寸で仰山情報絞ったるわ」

「期待してるよ、ロキ」

「おう、やったるでー!」

 

 そう言い切る彼女の言葉に、ファミリアの首脳陣は信頼の表れからか堅かった表情の緊張を緩めて、それぞれの顔を見合わせて笑った。

 一方でロキは窓際へと歩いてゆき、窓の外に広がるオラリオの景色を楽しむように眺めるとにやりと笑い両手を腰に当てて胸を張る。その胸は平坦であった。

 

「さぁてエリス、首洗って待っときや! この名探偵ロキが、そんの企みキッチリ暴いたるかんな~!?」

 

 

 

「…………名探偵って、君、前の下水道調査の時もそんな事言ってなかったかい?」

「それに待っておけなどと言うが、待つのは私達の側だぞ? 待っていろと言うのは完全に向こうのセリフだろう」

「そもそも相手するのはエリスじゃのうてルドウイークじゃろうが。あんまりよそ見しとるとそれこそ足元を(すく)われるぞ?」

「うっさいわ! そんな鋭くツッコミ畳みかけられるとうちかてちょっと『ないーぶ』になってまうやろが!!」

「自分で言っとる内は大丈夫じゃろ」

「違いない」

「そうだね」

「くっ、自分ら…………」

 

 締まらんなぁ。と呟いて、ロキは自分の眷族(子供)たちの容赦無さに溜息を吐きつつ肩を落とすのだった。

 

 

 





次回は恐らく『道化の神、ロキ』戦です。(戦闘になるとは言ってない)
ヤーナムでも医療教会にさんざ政治利用されたルドウイークは、大ファミリアの主神による尋問を耐えきる事が出来るでしょうか……?

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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22:【ロキ】

どうにか年内に間に合いました。
27000字、交渉パートです。

30万UAに到達してました、ありがとうございます。
その他、感想評価お気に入りや誤字報告などして下さり毎度助かっております。
楽しんでいただければ幸いです。


 その日、一年を通して晴れの日ばかりのオラリオには珍しく曇天の帳がかかり、空を見上げてもいつもそこに有る太陽は顔を見せずただ聳え立つ【摩天楼(バベル)】の影が鎮座するばかり。

 そんな薄暗い鼠色の雲に覆われた空を見上げたルドウイークは、まるでそれが自身等の今後、今日の対談の先行きを表すようだといやに迷信深い感傷に囚われて小さく溜息を吐いた。

 

「……何溜息なんか吐いちゃってるんですかルドウイーク。縁起でも無い」

「まだ朝だと言うに、こうも空が暗いと憂鬱になる。貴方にはそういうのは無いのかね?」

「んー……別に。私、晴れも曇りも雨もそれなりに好きなので。大雨は出勤きついんで大っ嫌いですけど」

 

 言ってエリスも空を見上げるが、すぐに興味を失ったかぶつぶつと呟きながら足早に歩みを進めて行く。ルドウイークは一瞬その背中に声をかけるべきか迷ったが、すぐに彼女を追いかけて歩き始めた。

 

 二人は今、普段足を踏み入れる事の多い西大通り(メインストリート)では無く、北の大通り(メインストリート)を歩いている。そこにある【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、【黄昏の館】へと向かい――――ルドウイークの『地味な二つ名』の対価として要求された、ルドウイークと【ロキ】神の対談という条件を履行するためだ。

 

 飲食料店や市民の住居が集まる西大通りと比べて、北大通りは服飾雑貨を初めとした日用品を主だって扱う店が多い。多種族都市であるオラリオにおいて、自身の種族に合った衣服や家具、日用品の調達は文字通りの死活問題であるためか、この通りも西大通りと比べて遜色のない程には栄えているようであった。

 

 しばらく二人が歩いていれば、彼らの目前に幾つもの塔が密集して形作られた威厳ある輪郭がゆっくりと近づいてくる。あれが【黄昏の館】。オラリオ最大のファミリアの一つであるロキ・ファミリアの団員たちとその主たるロキ神が住まう知らぬものの無い大建造物だ。

 

 その威容を前にして一旦足を止めたエリスは、自身のすぐ後ろを歩いていたルドウイークの襟首を引っ掴むと最後の確認を行うべく彼の顔を自身と同じ高さになる様に屈ませて、こそこそと小声で話し始めた。

 

「ではルドウイーク。実際に乗り込む前に少しおさらいしておきましょう」

「それはいいが、襟首を掴むのはやめてくれ。息苦しい」

「いや……何だか掴みやすいんですよね。ごめんなさい」

 

 エリスがルドウイークを開放すると、彼は調子を確かめるように首を捩じって音を鳴らし、今度は自ら屈んでエリスの言葉に耳を傾けんとした。

 

「では、道化(ロキ)対策まず一つ目。覚えてます?」

「……内容は覚えているが、意図は良く分からない」

「…………分かりました、もう一度言いますよ? ……これは命令です。『私が不利になるような事は言わないでください』」

「……未だに良く分からないのだが、それにはどう言う意味があるのかね?」

 

 腕を組んで首を傾げるルドウイークに対して、エリスはこれ見よがしに溜息を吐いて見せた。

 

「昨日説明したじゃないですか……貴方がこの命令に従ってくれるなら、『エリス神に不利になる事は言えない』ってロキに宣言してもそれは嘘じゃなくなるんですよ」

「ああ、神の真贋を見抜く力を騙そうと言うわけか。しかし、そううまく行くのか?」

 

 ルドウイークの疑問は最もであった。

 

 地上(下界)に生きる人々(子供)達の発言の真贋をはっきりと見抜く神々の持つ眼力。最も明確なる神々のヒトに対する優位を、そのような心持ちだけで攻略できてしまう物なのか? 幾らなんでも、そこまで甘いものではないだろう。

 

 しかし彼の予想を裏切る様に、エリスは質問に首を縦に振る事で応じた。

 

「ええ、すでに実績はあります。私がそう命じて、貴方がそれに従ったという『事実』があれば十分行けるはずです…………多分」

「多分か? それではダメだろう。今回ばかりは、大真面目な話をしているんだが」

 

 最後の最後で自信を失い尻すぼみとなるエリスの言葉にルドウイークは思わず呆れたような顔になって溜息を吐いた。それを見たエリスは慌てて取り繕うかのように捲し立てる。

 

「あ、いえいえ! 多分大丈夫です! それにですね、私達の眼は皆が思っているほど万能ではありませんから…………無能でもありませんけど。とりあえず貴方はまず、話し始めに私に不利になる事は言わないように命じられている、とハッキリ断言しちゃってください」

「…………了解だ。だが、それでロキ神の追求が止まるのかね?」

「多分止まらないと思いますけど……むしろそっちはオマケの要素で、本命は一種の演出です」

「演出?」

 

 ルドウイークは思わず聞き返した。今回肝要なのは、ロキ神からの追及をいかにして(かわ)すかの筈。演出とは一体……。しばらく思索を回してみたものの、既に自身の交渉能力では到底理解できない域にエリス神の思考はあるのだろうと考えたルドウイークは、諦めを以って彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「それは……どう言った意味かね? 教えてくれないだろうか」

「はい。私から口止めがあったという事実は、イコールで貴方が私の信頼を得ていない、と推測させる材料になります」

「そうなのか」

「ええ。『後で何を話したか聞かれる』とでも言っておけばいいでしょう。それで、彼女は私とあなたの関係を誤解してくれるはずです。ろくでなしの女神に引っかかった憐れな子供だとね」

「いや待てエリス神、貴女はろくでなしではあるまい」

「演技ですよっ! そう思わせとくんです! 彼女の私への認識なんて、十年前か五年前で止まってるでしょうからね!!」

 

 心底から演技と言う物を理解していないルドウイークに、エリスは思わず彼の外套の襟首をまたしても引っ掴み耳に口を寄せて叫んだ。彼にはそれが大層堪えた様で、彼女が手を離すと耳を抑えて数歩ふらつきながら後ずさり、頭を押さえ首を振る。そんな彼の姿にやりすぎたかと少々反省したエリスは大仰に咳払い一つして、次の説明へと移り始めた。

 

「……ごほん。次に二つ目。ロキは幾つか質問をしてくると思いますが、その意図をしっかり読んでください」

「あ、ああ……。これは覚えている。確か、ありうるのは『確認』と『詮索』だったか」

「はい。質問と言う奴の意図って言うのは基本『確認』か『詮索』かです。例えば、確かリヴィラでの戦闘でレベル2どころじゃない動きしてるのを見られたって言ってましたよね?」

「そうだな…………【大切断(アマゾン)】の【ティオナ・ヒリュテ】。彼女の前で例の人食い花を倒してしまったのでね」

「でしたら、ロキはもう貴方の実際の能力がレベル2に相当しない事を彼女から聞いているでしょう。その上でレベルを訪ねてくるのであれば――――」

「それは『確認』の意図を持った質問、と言う訳だな」

「そうなります。この質問に限ってはもう相手も分かり切っていることでしょうし、正直に話してもらって構いません。他の質問で確認を取られた場合は、ブラフである可能性も否定しきれませんがね……それと詮索についてですが。こちらに関しては貴方で取り捨て選択してください。流石に、何を聞かれるかまではわかりませんから」

 

 エリスの説明を咀嚼していたルドウイークであったが、ロキ神の質問による『詮索』について自己判断で対応しろとの彼女の言に、思わず不安に駆られて声を上げようとする。

 しかしそれに先んじてエリスが説明の続きを初めたために、彼はタイミングを逃してしまい黙って耳を傾けるばかりとなった。

 

「後、三つ目ですが……相手の立場になって考えてください。現在、ロキはオラリオでも頂点に等しいファミリアを率いています。そして『遠征』と言う大事業を目前に控えた今、成果より安定を取る心理が生まれるはずです」

「…………で、あれば余程尻尾を出さなければ」

「今すぐに突っ込んでくることはないでしょうね、ええ」

 

 安全はある程度担保されていると頷くエリスに、ルドウイークは少し安心した。だが、ほんの少しだ。やはり心配が心の大部分を占めてしまっている彼は、念を押すようにエリスに尋ねる。

 

「もしも。それ以上に迫られたら、どうする?」

「『言えぬ』『存ぜぬ』『明かせぬ』で押し通して絶対に教えないでください。そうすれば、アイツは私に聞きに来るでしょう」

「そこからは貴女に任せる、と言う訳か…………何だか申し訳ないな」

「お気になさらず、適材適所ですから。アイツと舌戦(ぜつせん)でやりあえる地上の子なんて――――あ、【ジャック】。でもあれは例外だからいいや…………」

「【ジャック】? ギルド職員のか?」

 

 確か、ニールセンと話している所を見たことがあったか。ルドウイークは自身の記憶からジャックと言う男の姿をどうにか探し出して脳裏に思い浮かべる。

 

 確か種族は狐人(ルナール)。どちらかと言えば線の細い印象のあるかの種族にしては珍しく、自身に迫る体格の持ち主であったのでそこは覚えている。彼は以前のミノタウロス上層進出の際には押しかけた冒険者達に対して真摯に対応を行っていたはずだが、例外とは……?

 

 ジャックと言う男について明るくないルドウイークはしばしの間彼がエリスに例外とまで呼ばれる理由をうんうん唸りつつも探していたが、殆ど接触の無かったルドウイークに答えが見いだせるはずも無く、結局腕を組んだまま思考の迷路に嵌って行った。それを見かねて、エリスが一度咳払いをする。

 

「気にしないで下さい。後、あの男には関わらないでくださいね。ニールセンなんか比べようも無い位の厄ネタなので」

「ふむ……?」

 

 あからさまにはぐらかしたエリスに、得心が行かぬとルドウイークは首を傾げた。しかし彼女は彼の態度に取り合わず、自身も腕を組んで話を再開する。

 

「まぁそんな事より、何より大事なのは自然体です。動揺すれば、アイツはそこをこじ開けて来ますから」

「…………しかし、いくら貴女に薫陶(くんとう)を受けたとはいえ、私の言葉であのロキ神とやりあえるかどうか……不安だ」

「言葉は何にも勝る【魔法】ですよルドウイーク。使いようによってはどうにでもなります。下手をしてしまえば取り返しのつかないことになりかねませんが…………私も、それ以上に貴方も、そうなるのは望んでいないはずです」

「……そうだな。それは全くうまくない。私が上手くやるしかないか」

「そゆことです…………じゃ、そろそろ行きますか」

 

 言い終えるとエリスはルドウイークを背にして歩き出し、ルドウイークも彼女の横に並んで無言で足を進める。

 

 しばらくして、見張りと思しき二人の人間と、一人の猫人の女が待ち構えるように並んだ【黄昏の館】の正門がエリスとルドウイークの前に迫ってくる。それを目の前にした所でルドウイークがふと立ち止まり、エリスに声をかけた。

 

「そうだエリス神。結局<月光>と【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】の両方を持ってきたがこれはどうするつもりだ?」

「<月光>は私が責任もって預かります。意外と軽くて助かりましたよ……【仕掛け大剣】は……まぁ、誰か私にも付くでしょうし、持ってもらいますか」

「む? 両方とも貴女が管理してくれるのではないのか?」

「そんな無茶言わないでくださいよ。二振りも大剣担いでらんないです……重いし。<月光>は常に抱えておくつもりではありますが、【仕掛け大剣】の方まで手が回るとは思わないでくださいね」

「そうか。頼むぞエリス神」

「任せといてください。ささ、今度こそ行きますよ!」

「ああ」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 その頃。黄昏の館の一角にあるロキ・ファミリア団長【フィン・ディムナ】の居室では、部屋の主である彼と主神たるロキが机を挟んで向かい合っていた。

 

 部屋には他に人影は無く、普段であればこの場に居るのがふさわしい二人の内、ガレスは【椿・コルブランド】の元へ作業の進捗を確認しに本拠(ホーム)を離れており、もう一人であるリヴェリアは遠征を前にしてファミリア全体の状態を急ピッチで最終確認している真っただ中である。

 

 で、あるならば本来フィンもこの場に座しているのは相応しいとは言い難い所であったのだが……どうしても気になっていた不安要素を放置できない彼はこうして黄昏の館をぶらついていたロキを呼び留めて、自身の居室に連れ込んだのだった。

 

「……一ついいかい、ロキ?」

「んー? 何や神妙な顔して。ほれ、ウチに言うてみぃ」

 

 大真面目な顔をして机の上で指を組み、ロキの瞳に真っ直ぐな視線を向けるフィン。一方、机の逆側のソファの上で胡坐をかくロキはリラックスした様子で普段通りの調子を崩す事はない。

 その姿を見たフィンは一度溜息を吐いてから、改めて自身の抱える疑念をロキに開示した。

 

「昨日も言ったけど、やはり僕にはエリスへの君の警戒は過剰に思える。……何かあるのかい?」

 

 腕を組んで尋ねるフィン。今まで楽しげに笑っていたロキは一瞬視線を斜め上に逸らしたが、すぐに諦めたように視線を戻して、小さく溜息を吐いた。

 

「…………やっぱ敵わんなぁ~フィンには。理由なら二つあるで」

「へぇ。それは何だい?」

「まず一つ目――――何となく、や」

 

 それを聞いたフィンは泰然とした普段の態度からは程遠い呆れた表情をして、どこか徒労感を滲ませるように少し俯き問いを投げた。

 

「…………それ、真面目な話だよね?」

「当たり前やん…………自分でもようわからんのやけど、今のアイツ見てるとなんか背筋がゾワゾワするんや。フィンの親指と似たようなもんかなぁ」

 

 寒がるように震えながら自身の体をかき抱くロキ。彼女の動きはどこかコミカルで緊張感の無い物であったが、フィンはこの状況で彼女が無用な冗談を言う事はないと長年の付き合いから良く分かっていた。故に彼は顎に手をやってしばし熟考し、そしてロキが先程挙げていた二つ目の理由について尋ねる。

 

「ふむ……じゃあ、二つ目は?」

「もっとツッコんでくれたってえ―んとちゃうん? …………ままええわ。二つ目は、そもそも今この状況が成立してるっちゅー事やな」

「どういうことだい、それは」

「ここで問題や」

 

 ロキはソファから身を乗り出し、自身の顔の前で人差し指を立てにっこりと笑いかけた。

 

「今日うちらはそんのルドウィークとやらと会う事になっとる……それは何故でしょーか! はいフィン!」

「女神エリスが、眷族であるルドウイークに付けられる二つ名を出来るだけ地味な物にしてほしいとキミに頼んできた対価だろう?」

「ピンポンピンポーン! 正解や! ご褒美にアメちゃん食べる?」

「折角だけど遠慮しよう。で、それがどうしたって言うんだい?」

「うん。おかしいやろ?」

 

 ロキはけろりとした顔で、フィンに答えになっていない答えを返した。フィンは思わず、小人(パルゥム)特有の少女のように端正な顔を僅かに歪める。

 

「……はぐらかさないでくれ。割と僕も多忙だよ」

「すまんすまん。ウチが言いたいのはな、『何で今ンとこウチらくらいしかヤバイってのを知らへんルドウィークをそうまでして周囲から目立たせたくないんや?』っちゅーとこやねん」

「…………それは」

 

 ロキの齎した疑問に言葉を詰まらせるフィン。確かに、そう言われてみればそうだ。ルドウイークと言う男は現状、それほど目立っているとは言い難い。ロキ・ファミリアが彼の不自然さに気づけたのも【リヴィラ】で実際にその実力に触れる機会があったからだ。

 であれば、他の神々や冒険者達は彼の実力を知らぬはずで、にも関わらずわざわざ二つ名を地味な物にまでして正体を隠す必要も無いはず。

 

 ついでに言えば、遠征の準備の片手間とは言えロキ達もルドウイークの情報を集めていなかった訳では無い。同行経験のある冒険者やギルド職員への聞き込みを幾度か行っており、ある程度の調べはついている。

 

 以前は【ラキア王国】――――女神エリスとも縁の深い【アレス】が主神を務め、闘争を至上とし周辺地域へと侵攻を仕掛ける【アレス・ファミリア】に所属していたが、紆余曲折あってエリスの元へと転がり込んだと言うのが聞き込みによって得られていた情報だ。

 オラリオでの活動を始めてから極めて短期間でレベル2へとランクアップしたと言うのも、ラキアで長らく経験を積んでいたというのなら頷ける。瑕疵の無い、ありきたりな経歴だと言えるだろう。

 

 だからこそ、そうまで逸脱した所の無いルドウイークの存在感をロキの要求を呑んでまで小さい物にしようとする目的が分からない。更に言えば、そもそも実力を偽装している時点で怪しいし、ラキアにあれ程の実力者が居たという話は無く、そうなると伝えられた経歴すらも怪しくなってくる。

 フィンはますます難しい顔をして自らの思考回路を激しく回転させ、エリスの真意を今までに得られた情報を材料に推理し始めた。

 

 …………だが、しばらくしてもこれと言った答えは思いつかず。降参と言わんばかりに肩を竦めてソファの背もたれに深く寄りかかったフィン。そんな彼の姿を見たロキは、どこか懐かしむような顔をしつつ自身の知るエリスについての記憶を掘り返し始めた。

 

「そもそもな……さっきからそもそもばっかゆーとるけど、エリスん奴は今まで二つ名なんてそこまで気にした事あらへん。昔、アイツが一番可愛がっとった眷族の子の最初の二つ名は【卍紅蓮の聖炎剣士(クリムゾンホーリーブレイズナイト)卍】とか言うひっどい名前やった。でも、そん時のアイツは別段気にしとらんかった。当時は既に主要な団員を失って落ち目になって久しかったけど、それでも何の抵抗もせえへんかったんや」

「……ああ、【炎剣(ブレイズブレイド)】か。覚えてるよ。アイズとどっちが先にレベル4になるか、神々の賭けの対象になってた」

「そうそう。アイツらには10歳そこらのアイズをなに賭けのダシにしとんねん、ってめっちゃ言ってやったん覚えとるわ」

 

 エリス・ファミリア最後の団長として活躍した冒険者の在りし日の姿を思い出して、懐かしむようにフィンが答えるとロキも当時の神々に肩をすくめつつ、すぐに真面目な顔になって僅かに目を見開き、僅かに口元を歪めて楽しげにつぶやいた。

 

「ま、話逸れてもうたけど……今回はそん時とは違う。アイツはルドウイークの為に『地味な名前』を要求しとる……『目立たない名前』やなくてや」

「……確かに、それは妙だね。ルドウイークの存在を埋もれさせたいのなら、むしろ痛々しい名前の方がありふれていて目立たないはず。例え一時神々の嘲笑の的になっても早々に忘れられるだろうに」

「流石やな、フィン。ウチの説明必要ないんとちゃう?」

「最後まで続けてくれ。内容によってはルドウイークではなく、女神エリスを警戒しなければならない」

 

 促すフィンの言葉を受けたロキは、しかし首を左右に振ってソファに思いっきり背中を預けて笑う。

 

「いんや、今のでうちの結論と同じやで。だから元々ルドウィークと一対一(サシ)で話す予定だったんを、エリスも来ていいって変更してやったんや」

「彼女まで問い詰める気か? 大丈夫かい? もし彼女にとってクリティカルな部分を踏んでしまえば、それこそ敵に回るんじゃないか?」

「安心しぃ。昨日はああゆーたけど、そんな根掘り葉掘り聞いて別に敵に回すようなつもりはあらへん。そんなにうちら(ロキ・ファミリア)に余裕あらへんし」

 

 天井を向きながら手をひらひらとさせるロキ。その言葉に先程までロキに視線を向けていたフィンは深刻な顔をして指を組み机の表面を難しい顔で睨みつける。彼の明晰な思考の多くは、今年に入って急激にロキ・ファミリアの前にわだかまり始めたいくつもの問題に向けられていた。

 

「…………そう、今の僕らには問題が山積だ。目前に迫った【遠征】だけじゃない。アイズを狙った【怪人】、極彩色の魔石を持つ異様な【怪物】ども。更にはその裏で暗躍する何者か…………出来る事なら無駄な争いの火種を生む事は避けたいんだ。穏便に済ませてくれよ?」

「せやから敵に回すつもりはないゆーとるやろ! 全部うちに任しとき!」

 

 胸を張ってロキは笑った。傍から見れば無謀なだけに見える様な態度ではあったが、しかしこう言った交渉事で出す結果に関してフィンはロキの心配をしてはいない。

 

 今までも、彼女はこうして飄々とした顔を見せながらも数多の対立神をその類稀なる知性と謀略の手管によって退けてきた。そんな彼女がエリス・ファミリアを敵に回す事はないというのであれば、実際にそうなりはするのだろう。

 

 だが、それだけでは済まないような不安が、フィンにはあった。今回の交渉は穏便に終わらせる事にはなるのだろう。だが、そもそも本当にそれが最適解なのか? 目前に迫った遠征について考えた時よりも、これから相見えるであろう一柱と一人の事を考えた時の方が指先が(うず)く。

 

 何かを見落としている気がする。そもそもの条件を見誤っているような、前提からして間違えているような――――

 

 深刻な表情で考え込むフィン。それを他所に、いつの間にか窓際に立って外を眺めていたロキは何かに気づいて声を上げた。

 

「っと……どうやら、お出ましみたいやな。来たでフィン、エリスとルドウイークや」

「……ふむ。じゃあ僕は配置に戻ろうか。ロキ、君も例の部屋で――――」

「うちも出迎え行ってくるわ」

「…………わかった。皆にも伝えておくよ」

「頼むわ。んじゃ、行ってくるで~」

「気を付けるんだよ」

 

 普段通りの軽薄な態度で、ロキは部屋を去って行た。フィンはそれを見送って不安げに眼を細める。

 

 これからの交渉は、思ったより忍耐の要る物になるかもしれないね。

 

 彼はそれから今すべき最善の行動に対して思索を巡らせていたが、しばらくすると、本来であれば既に遠征向けの最終確認の為に手元を離れているはずの己の得物、【フォルティア・スピア】を手にとって、その金色に輝く穂先を丁寧に磨き始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【黄昏の館】の正門に辿り着いたエリスとルドウイークは、そこで待っていた猫人(キャットピープル)の女と対峙し、表面上は穏やかに挨拶を交わしていた。

 

「【黄昏の館】へようこそいらっしゃいました、エリス様、ルドウイーク殿。ロキ・ファミリアの【アナキティ・オータム】です。以後お見知りおきを」

「レベル4、【貴猫(アルシャー)】。貴女ほどの冒険者が出迎えてくださるなんて光栄です。あ、申し遅れました。【エリス・ファミリア】の主神、エリスです! よろしくお願いします!」

 

 深々と頭を下げるアナキティを見て、エリスはルドウイークに説明するかのように彼女の素性を語ってから自らも元気良く頭を下げる。ルドウイークもそれに倣って、アナキティへと<簡易礼拝>の礼を向けた。

 

「<ルドウイーク>です。よろしく頼みます、オータム殿」

「こちらこそ。では、ロキ神の元へと案内させて頂きたいのですが……まず、武器を預からせて戴いても?」

「ええ」

 

 アナキティの申し出に、ルドウイークは背にした<ルドウイークの聖剣>を下ろして彼女へと差し出した。

 

 今この大剣からは<血晶石>が抜かれている。以前エリスが血晶石を見て禍々しさを感じたと言う話を告白していたからだ。その眼は間違いなく正しい。ルドウイークが武器にねじ込んでいた血晶石の殆どは、真実呪われている。

 

 通常の血晶石と違い、毒々しい泡の浮いたその血晶石は装備や自身へのプラスの恩恵だけではなく、体力や特定相手への攻撃力の低下、武器の脆弱化などの様々な負の恩恵をもたらす。その分プラスの恩恵は通常の血晶石とは比べ物にならぬ程効力を増しており、出来るだけ自身に影響のない負の効果を持ちつつ、強力な効果を得た石を使うのが狩人達のセオリーである。

 

 更にこの血晶石と言うのは元となった獣の血質などの個体差によって質の高低が変化するため、とにかく数を集めて選別する必要があった。故に当時の狩人の中で<聖杯>に潜る程の領域に立った狩人達は只管に地の底に潜って良質な血晶石を求めるようになり、その中でも獣を狩るためではなくもはや『良い』石を手にするために狩りを続ける、本末転倒な者も現れた。

 

 <地底人>などと呼ばれた彼らも、ある意味では狩りに酔っていると言えたのだろう。他に被害を与える訳でも無く、むしろ余った血晶を他の狩人に融通していたことから狩人狩り達もわざわざ相手にしては居なかったが。

 

 ともかくとして、ルドウイークはエリスが血晶石に忌避感を感じたのであれば当然ロキも同様の物を感じ取るのだろうと考えており、石はしっかりと抜き取って本拠(ホーム)の棚の奥に隠して来た。これなら問題はない筈だと彼は考えていた。

 

 大剣を受け取ったアナキティはしばらくそれを検分した後、見張りの冒険者に手渡して、再びルドウイークの顔を見つめて待つような表情を見せる。<月光>も差し出すように催促しているのだとルドウイークはすぐに気づいた。

 

「エリス神。これを」

「どーも!」

 

 しかしルドウイークは無言の要求に応じる事は無く、下ろした月光をそのままエリスへと手早く預けてしまった。多少苦労しながらも、エリスは急遽取りつけられた紐をたすき掛けにして月光を背負う。元来より月光はその重厚さに比して、割と重量は軽い。本拠(ホーム)を出る前にも試したが、一般人程度の体力しか無いはずの彼女でも剣の重みに引かれてひっくり返るような事はなかった。

 

 …………本当のことを言えば、ルドウイークは自身以外の存在が月光を手にしても何か問題があったりしないかの方がずっと心配だったのだが……月光とエリス、双方の様子を見るに特段何か反応を示したりと言う事も無かったので、彼は内心心配しながら月光をエリスに預けている。

 

「すいません、こちらは私が責任をもって預かります! なのでご安心を」

「あ、いえ、しかしですね……」

 

 <月光>を背負ったエリスが言外にこれは触らせないと、圧力のある笑顔をアナキティに向けた。だが、彼女はそれにあまり乗り気ではないようだ。当然、ファミリアの冒険者として来客から武器を預かるように指示されているのなら正しい反応だったろう。

 

「流石に来賓(らいひん)である貴方に武器を背負わせるのも……我々の方で預かりますので」

「かまへんでー【アキ】。好きにさせたってや」

 

 だが、本音とも方便ともつかぬ言葉を並べながらアナキティがエリスから<月光>を預かろうとしていると、陽気な声がその言葉を遮った。

 

 場に満ちる神威に、ルドウイークは眼を細める。建物の中から現れたのはこれでもかと丈の短いシャツとパンツを身に付けた、快活そうに笑う赤毛の女神。

 

「…………お久しぶりですね、【ロキ】。いつも思うんですけど、その服寒くないんですか?」

「自分こそなんや、相変わらず野暮ったい服着とんなぁ。女神なら女神らしく、もーちょいぼでーらいん強調したらええんとちゃうん?」

「……ぼでーらいん?」

「ぼでーらいん。くふふっ……!」

 

 何が面白かったのか、一人で堪えるように肩を震わせ笑いを漏らすロキ。それを見たエリスが普段の彼女から想像もつかぬ程に残酷な目つきをしているのを見てルドウイークはそちらの方にこそ笑いそうになったが、彼女がそれに気づけばまた耳元で大声を出されそうなのでやめておいた。

 それに、ルドウイークにとって興味深かったのはエリスだけではなくアナキティまでもが楽しげなロキに対して冷ややかな視線を浴びせていた事だ。

 

 意外と、神と眷族の距離が近いファミリアなのだな。もっと上下関係がはっきりしている物とばかり思っていたが。

 

 ルドウイークは自身の持っていたロキへの心証を僅かばかり修正する。そうしているとロキはエリスから視線を外して、ルドウイークの元へと敵意を感じさせぬ足取りで歩み寄って、気軽な動作で片掌を差し出した。

 

「自分がルドウィークやな? うちが【ロキ】。仲良くしようや」

「こちらこそお会いできて光栄です。今日はよろしくお願いします」

 

 ルドウイークは意識して笑顔を作りながら、その手を軽く握り返した。ロキも楽しげに笑って何度か手を振った後にどちらともなく握手を終える。それを横から見ていたエリスは、少々不機嫌そうに口を開いた。

 

「…………ルドウイーク、他の女神と私に対してなんか態度違くないですか? なんというか、丁寧と言うか……」

「何か良くないのか、エリス神?」

 

 ルドウイークが尋ねるとエリスは少しむくれたような顔をして、ルドウイークを見上げるようにして食って掛かった。

 

「それですよそれ! ルドウイーク、私に対してもう殆ど丁寧な言葉遣いして無いじゃないですか!」

「それはまぁ、初対面の相手に慣れた相手と同じ言葉遣いをする事はないだろう?」

「ぐっ……確かにそうですけど、私が言いたいのはもう少しこう、崇め奉ってほしいというか何と言うか……」

「なんやなんやお熱いな~。でもなぁ、イチャつくんなら自分のファミリアでやったってや~~」

「ロキ!!!!」

 

 茶々を入れたロキに大声で怒鳴りつけるエリス。しかしロキはそれを軽くあしらう様に手をひらひらさせて笑うと、複雑な表情で傍らに侍っていたアナキティに笑いながら声をかける。

 

「そんじゃあアキ。エリスの奴を待合室に案内したってや」

「はい、わかりました」

「エリスも迷子にならんようにな~。何かあったらアキに頼むわ」

「はいはい!」

 

 苛立ちを露わに、エリスは建物に向かって大股で歩き始めた。アナキティがすぐにその後を追い、エリスの前に着いて門を潜り足早に去ってゆく。その時、一瞬エリスが自分にちらと視線を向けたのに気づいて、ルドウイークは小さく首を縦に振って応じた。

 

「そんじゃルドウィーク、自分はうちが案内したるわ。ちと階段上るけど、ちゃんとついて来てもらうで」

「はい。よろしくお願いします、ロキ神」

 

 それだけ言うと、ロキもまたさっさと建物の入り口に向け歩き出した。それを追わない選択肢はなく、周囲をそれとなく警戒しながらルドウイークも彼女に従って黄昏の館へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「スマンなぁゴチャゴチャしとって。今遠征前であーだーこーだ忙しくてな、堪忍してや」

「いえ。こちらこそこの忙しい時期にこうして時間を作っていただいた事、感謝せずにはいられません」

「ほほー、随分と殊勝な心掛けやん。感心感心……っと、着いたで」

 

 【黄昏の館】内を歩き回る事数分。ルドウイークの想像よりずっと複雑な道程を経て辿り付いた部屋の戸をロキが開くと、現れたのは特段何の変わり映えもしない普通の応接室だった。

 

 長方形のテーブルが部屋の中心に置かれ、その向こう側と手前側に全く同じデザインの椅子が置かれていた。机の左右には小型の魔石灯があり、雲によって薄暗い今日は既に小さく灯され部屋の明るさを保っている。

 

 そして机の向こう側にある椅子……恐らくロキが腰掛けるのであろう物の隣に、一人のエルフの女性が立っていた。

 

「……久しいな、【リヴィラ】以来か。私は君とあまり言葉を交わしていなかったが……ロキ・ファミリアへようこそルドウイーク。歓迎しよう」

 

 神々にも比肩する美貌、充溢する魔力、そして高貴なる佇まい。【ロキ・ファミリア】副団長、【リヴェリア・リヨス・アールヴ】。このオラリオにおける最強の魔導士の登場に、ルドウイークは身に走った緊張を隠しながら(うやうや)しく<簡易礼拝>の礼を取った。

 

「どうも。名を覚えていただけたとは光栄です、リヴェリア殿」

「そう畏まる必要は無いさ。それよりも、今日はよろしく頼む」

 

 礼を失する事の無かったルドウイークに、上機嫌な様子でリヴェリアは応じた。しかし逆にルドウイークは彼女の言葉に訝しむ様子を見せ、机の横を回って向かい側の椅子に腰を落ち着けたロキに問い質すように視線を向けた。

 

「…………私は、ロキ神と一対一で会談するものとばかり思っていましたが。リヴェリア殿は何故?」

「書記だ。他のファミリアの人間との会談ともなれば、内容を記録しておくのは必要な作業だからな。まぁ、私は居ないものと思って話を進めてくれ」

 

 楽し気な笑みを浮かべるロキに代わってリヴェリアが穏やかに答え、幾枚かの紙の挟まった冊子を手に、気にも留めていなかった部屋の片隅の机に着く。

 

 ―――言うほど歓迎されている訳ではないようだな。

 

 交渉能力や政治的手法の知識に縁のないルドウイークであったが、彼女らの見せた欺瞞(ぎまん)は見落とすにはあまりにもあからさま過ぎた。書記を置くならば、わざわざ多忙な副団長にその任を与えるのはおかしい。ロキ程の規模の大ファミリアであるならば、他に書記程度をこなせる人間は十二分に居るはずだ。

 

 だが実際にはロキ・ファミリアでも三本の指に入る実力者がその役目を買って出ている。それが何を意味するのか……そこまでは、ルドウイークには良く分からなかった。少なくとも警戒されているのは間違いない。彼は全身の感覚を研ぎ澄ませて周囲の状況を探る。

 

 しかしルドウイークが部屋を把握し終える前に、ロキが満面の笑みで手を鳴らした。

 

「さ、ぼちぼち始めよか。よろしく頼むで、ルドウイーク」

「…………私はエリス神の不利益になる事は言わぬよう、彼女に命じられています。それ以外であれば、お答えできますので」

「まぁまぁ、そんな緊張せんでええよ! 別にエリスん奴に迷惑かけるつもりも無いし、取って食うつもりだってあらへんし……せや、茶でも入れたるわ。ちょい待っとってな」

 

 それだけ言って、ロキは楽しそうに一旦部屋を後にした。その背中を目で追っていたルドウイークは思わず顔を不安に歪める。

 

 明らかに好意を持たれているとは思えない状況だ。にも拘らずロキ神の行動は友好的と言って差支えが無い。自分の演技力や交渉力に自信は無かったが、まさかここまで読めないとはな…………。

 

 ルドウイークは自身の知るなけなしの知識を総動員させこの場を切り抜ける方策を考えようともしたが、今までにエリスに示された対策以上のものは全く思いつかなかった。ここまで来て、ようやく彼はあの少女めいた女神に対して明確な危機感を抱く。

 そして彼女が戻って来るまでに少しでも精神を落ち着けようと、目を閉じて周囲の環境に意識を向けるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークとロキ、そしてリヴェリアが応接室で笑顔の仮面を被り視線を交わしているその時、隣の部屋では幾人かの人影が息を殺していた。

 

 団長であるフィンを始めとして、出先での仕事をほかの団員に任せ戻ってきた【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン、【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネと【大切断(アマゾン)】ティオナのヒリュテ姉妹、そして【千の妖精(サウザンド・エルフ)】レフィーヤ・ウィリディス。現在ロキと共に居るリヴェリアと【凶狼(ヴァナルガンド)】ことベート・ローガを除くロキ・ファミリアの幹部陣がそこには勢揃いしていた。

 

 腕を組んで目を閉じ、耳を澄ませているガレスの隣に窮屈そうに座ったレフィーヤが机の上に置かれた紙に素早くペンを走らせる。

 

『来たみたいですね』

『そうね』

 

 それにティオネが、同様に紙の上に短い言葉を記して返す。他の者達は物音ひとつ立てる事無く、漏れ聞こえる会話の内容を耳に焼きつけようと努力していた。

 

 元より、ロキらが居る部屋と今皆が居る部屋の間の壁は建築の時から意図的に薄く作ってある。音を聞こえやすくして、隣の部屋で行われた会話の内容を記録、調査するために使われている館の中でも特殊な用途が与えられた一室だ。

 時には隣室でロキが他の神の相手をしている間に会話内容や情報をまとめたり、逆にロキが隣の部屋で耳を(そばだ)てて会話の内容に嘘や欺瞞などが無いかどうかを確認するなどの謀略戦に大いに役立ってきた部屋である。

 

 この部屋に幹部陣の皆が揃っているのも、当然部屋の用途に則った理由…………つまり、ルドウイークと言う男とロキの対談の内容を皆で評論するためだ。その為に、部屋に居る皆が物音を立てたりなどして逆に気取られぬよう、細心の注意を払って耳を澄ませている。

 

 ――――ティオナ・ヒリュテ一人を除いて。

 

「は、はっ、むぐっ!!」

 

 突然、鼻のむず痒さを感じたティオナが派手なくしゃみをしようとしたので、隣に居たティオネが慌てて口を塞いで堰き止めた。見事にくしゃみをせき止められてティオナは何とも言えぬ不快感に眉を顰めるが、くしゃみを止めた側であるティオネは必死に怒りを堪えながら力強く紙にペンを走らせてティオナに突きつける。

 

『何考えてんのよアンタは!! バレちゃうでしょーが!!』

 

 普段であれば叫び出しているであろう所を現在の目的とフィンが同室に居るという状況を考慮に入れて何とか抑え込んだが、ティオネの表情は今にもティオナに掴みかかりそうな勢いだ。しかしティオナはどこか気だるげに口を開こうとして、遮る様にレフィーヤの差し出した紙を受け取りあまり綺麗とは言えない字で文章を書いてティオネに差し出した。

 

『ルドウイークいいひとだし、こんなことするいみなくない?』

『良い人だからって調べない訳にはいかないでしょ』

 

 自分の疑問に対する答えをティオネにすぐさま突き返されてしばらくティオナは紙を前にして悩んでいたものの、文を記すと立ち上がって両手を上げて伸びをして、部屋の出口へと歩いてゆく。

 

『あたし、おとたてちゃいそうだから、やっぱそとにいるね』

 

 そう記された紙を残して、ティオナは足早に部屋を後にしてしまった。目を閉じ、微動だにしないガレスと考え込んでいるフィンを除いた少女たちは困惑からかお互いに顔を見合わせて、それぞれ紙にペンを走らせる。

 

『行っちゃいましたね、追いかけます?』

『必要ないわ。自分で言ってた通り、こういう場には向いてないもの』

『静かにするのって難しいよね』

 

 ティオナを心配するレフィーヤにティオネが反対意見を提示し、アイズが落ち付かぬ様子で天井に目をやった。三人とも隣室の様子に耳を澄ませながらも、音を立てぬようにするのに苦慮しているようであった。その一方で、今まで目を閉じて無言に徹していたガレスが突如として口を開いた。

 

「……ダメみたいじゃの」

「だね」

 

 フィンもそれに応じて、諦めたように小さく笑う。ロキ・ファミリアの大幹部であるはずの二人が、作戦と全く違う、むしろ台無しにするような行動を取ったのにこれ以上無くティオネが驚いて、慌てて紙にペンを走らせた。

 

『二人とも何喋ってるんですか!? ちゃんと筆談でやらないとバレちゃいますよ!?』

「……向こうはもう気づいとるわい。ルドウイークめ、ただもんじゃあ無いと思っとったが」

「流石にこうもあっさりばれるとは予想外だね。こりゃあ、ロキに頑張って貰うしかないかな」

 

 驚愕から顔を見合わせる三人の少女を他所に、老練のドワーフと小人は現在進行形で想定以上の相手と相対(あいたい)しているはずの自らの主神が、どうにか上手くやってくれる事を願わずにいられなかった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 …………一人出て行ったか。

 

 精神が落ち着きを取り戻すうちに、隣室に幾人もの団員が待機していることを察知していたルドウイークは隣室の状況の変化を正確に把握していた。

 

 元より、入り組んだヤーナムの市街に息を潜める獣を狩る者であった彼の五感は皮肉にも獣じみて鋭い。特に聴覚は家屋の中に潜む獣に先手を取ったり、遠くで獣に襲われる悲鳴を捉えるのに必要なためにヤーナムの狩人達の間では重要視されていた。当然、彼らを率い長期間ヤーナムで戦ってきたルドウイークに薄い壁一枚の遮蔽はそう意味を成さない。

 

 そのせいで、突然エリスに耳元で叫ばれると大分効くのだが…………それについては彼も仕方のない事なのだろうと割り切っていた。

 

 思索に耽っていたルドウイークの前で、かたんと何かが置かれる音がする。目を開けば湯気を立てるカップが目の前に置いてあり、リヴェリアの所にも同様にカップを置いたロキが自身も手に持ったカップをゆっくりと傾け、中身が熱かったのかすぐさまカップを話して口元を抑えて飛びあがった。

 

「あひ、あひ……! りへりあ(リヴェリア)ひず()……!」

「まったく……少し待っていろ」

 

 赤い顔で懇願するロキを見たリヴェリアは呆れたような顔をして、一旦部屋を離れて行く。それをルドウイークが何の気なしに見送っていると、先程まで口元を抑えていたロキがさっと手を戻して特段火傷を負った風も無く流暢に話し出した。

 

「さてま、リヴェリアが戻ってくる前に話しよか。記録取られたくないもんもあるやろ?」

 

 ニヤリと笑って、気の置けぬ友人にするような声色で提案するロキ。一見、こちらの事を(おもんばか)っている様な態度であり、隣室との遮蔽(しゃへい)の薄さを知覚出来なければ多少口が緩んでしまっていただろうなと内心冷や汗をかいた。

 

「そうですね。では、まず何からにしますか」

「んー……自分、ラキア生まれって聞いとったんやけど、あれホンマなん?」

「…………いや、それは正しくない。生まれは別の場所です」

「ふんふん。どこなん、それ」

 

 興味深そうに尋ねるロキ。気軽そうな彼女の態度とは裏腹に、ルドウイークは既に追いつめられていた。

 

 ここで適当な街を答えるのは簡単だが、流石にすぐ嘘だと発覚するだろう。だからと言って答えなければ、エリス神が口止めしているのだと判断される。ロキ神が『私の故郷の情報はエリス神の害になる物』だと判断してしまうだろう。それはマズイ。だがしかし、正直にヤーナムと答えるのは…………。

 

 ルドウイークは狩りに臨んだ時と同様の素早い思索を持ってどうにかこの状況を切り抜ける術を模索する。数多の狩り、鍛錬、邂逅。残念ながら、それらの経験は彼の交渉能力や権謀術数への適性の低さを表すように殆どが役に立つ事は無かったが――――ふと、このオラリオに来たばかりの時の出来事を彼は思い出して、簡単な気づきを得た。

 

「――――――――<ヤーナム>」

「ム?」

「ヤーナムと言う街です。ご存知ですか?」

 

 真実ゆえにさらりと口にされたその名前にロキは首を傾げた。どうやら、やはり彼女もヤーナムと言う街は知らぬらしい。

 

 そう、知らぬのだ。ロキ神はヤーナムと言う街がこの世界にそもそもないという事を知らない。エリス神でさえ、詳しく説明するまではその可能性に至る事など出来なかった。

 そもそも前提として、目の前に居る相手の故郷が別世界にあるなどと想像する者がどこに居ようか。世界を渡る実例が知れ渡っていたのならば話は違うだろうが、そんな事があるはずもない。

 

 実際、ロキは自身の記憶からヤーナムという名の街を探し出そうとするが……手応えは無く、ルドウイークからその街の情報を引き出すべく質問を投げかけて来た。

 

「聞いたことない街やなぁ。どの辺にあるん?」

「山間部の谷あいにある、それなりの規模の街です」

「いや、どう言う場所かやなくて、どの位置にあるかや。自分その街から来たんやろ?」

「それが、あの街が一体どこにあるのか、そこからオラリオにどうやって辿りついたか、私にも良く分からないんです」

「はぁ?」

 

 ロキの驚愕した顔を見て、ルドウイークは会心の手応えに内心でほっと一息ついた。今語った事は全て真実であり、ロキもそれは神の眼で以って見抜いている。だからこそ、大前提となる『ヤーナムが別世界にある』という情報が抜けているせいで、ロキから見ればルドウイークは『どことも知れぬ故郷から如何にしてかオラリオにやってきてしまった男』と言う真実を(かす)めながらも絶妙に離れた認識に辿り着いてしまったのだ。

 

「そんな事あるん!? せめてオラリオまでどんくらいかかったとか、いつ頃までその……ヤーナムとやらにおったとか……」

「それも分かりません。むしろ、私こそそれは知りたい」

 

 困惑するロキに、大真面目な顔でルドウイークは畳みかけた。

 

「探り合っても仕方ないですし、率直に言ってしまいましょう。私の目的は我が故郷、ヤーナムへの帰還。その為にエリス神は私に協力してくれていて、私もその恩に報いるべくファミリアの再興を目指す彼女の元で戦っている……と言う訳です」

「………………あー……」

 

 ロキは頭を抱えた。彼女としてはルドウイークから少しずつ情報を引き出して、それでもってエリスの思惑に当たりを付けるつもりであったのだが…………逆に、相手に先に答えを提示されてしまったためだ。

 それにルドウイークの語るエリスの思惑自体はロキの想像の範疇を出るものでは無く、納得も行く内容である。彼女はもう少し何か込み入った事情があるのかと身構えていた故に、空振りに終わったような徒労感を感じ取っていた。そしてルドウイークはその隙を見逃さず、焦りを内に秘めながらも彼女に余裕を与えぬよう、落ち着いた声で問いかけをぶつけた。

 

「……他に何かありますか? リヴェリア殿が戻ってくる前に、聞かれたくないような事は話してしまいたいのですが」

「あー、せやなぁ…………」

 

 悩む仕草を見せ、カップの中の液面に映る自身の姿をしばらくロキは見つめていたが、その内切り替えた様に顔を上げ、少し眉間に皺を寄せてルドウイークに問いを投げる。

 

「……自分がどっから来たかっちゅーのは、なんとなくわかった。でも、その強さはダンジョンも抜きにどうやって鍛えたん?」

 

 ルドウイークは彼女の視線を真正面から受け止める。これはエリスも予想していた質問の一つだ。だが、ヤーナムと言う街の存在を明かしてしまった事で本来エリスが用意していた答えである『放浪の内でモンスターと戦っていた』と言う嘘を吐く前提の答えを使う事はない。

 

「ヤーナムには、ダンジョンの【怪物】に勝るとも劣らぬ<獣>が現れる事がありました。私は、人々を襲うそれを狩る<狩人>だったんです」

「……実戦で鍛えたっちゅー訳か」

「そうなります」

 

 小さく笑って肩を竦めたルドウイークに、ロキは全く納得いかないような顔をした。

 

 現在の世界においてある程度以上の位階(レベル)に至るには、オラリオでの戦闘経験がまず必要とされている。ダンジョンに出現する強力なモンスターとの戦いがレベルアップに必須となる【偉業】の達成にどうしても関わってくるからだ。

 

 オラリオ外にも一応モンスターは存在しているものの、その力は大元であるダンジョンに出現する物よりも数段劣る。何でも、外のモンスターは嘗てダンジョンに蓋がされる前に外に飛び出したモンスター達の末裔(まつえい)であり、繁殖、世代交代の際に代償として核たる魔石の力を消費したことがダンジョンから生まれ落ちるものに比べ弱い原因であると言うが……オラリオ外の世界を知らぬルドウイークにはあまり詳しい事は解らない。

 

 独自の方法でオラリオの冒険者らに迫るレベルを獲得しているファミリアもあるにはあるとされているが、それでも、『外』においてはレベル3もあれば飛び抜けた実力者とされていると言うあたり、差が伺い知れると言う物だ。

 

 それ故に【ギルド】は都市戦力たる冒険者の流出に非常に気を遣っており、稀に見るような特別な事例を除き、冒険者が自由に街の外へと出たりする事はまず許されない。

 特に第一級冒険者ともなればギルドは常にその動向に気を配っており、外出には煩雑(はんざつ)かつ厳しい審査と許可が必要となってくるのだ。それがレベルの偽装へのギルドの厳しい措置の一つの理由でもある。

 

 その中で、外の街での実戦のみで明らかに第一級冒険者に匹敵する実力を身に付けたと言うルドウイークの言を本来ロキは信用するはずもない。だが、嘘を吐いていない事をはっきりと感じ取ってしまう神の瞳の存在ゆえに、ロキはそれ以上の詮索を如何に行うべきかの糸口を見失ってしまっていた。

 

 ……ロキはちらと、部屋にかけられた時計を見た。リヴェリアが部屋を出てから既にそれなりの時間が経過している。ロキとリヴェリアが事前に打ち合わせた予定では彼女が戻るまでの間に詮索を終えているつもりであったが…………ロキはルドウイークが目前に居るにも拘らず、小さく溜息を吐いた。

 

 とんだ食わせ者やな、コイツ。準備不足や。

 

 ロキはティオナから聞いていた「良い人」と言うルドウイークの評価に心の中で思いっきりバツを付けた。嘘を吐いていないが、故に付け入る隙がない。確かに善人ではあるのだろうが、全くの白と言う訳でもないのだろう。この男の隙を見つけるにはもっと念を入れた段取りが必要になる。

 

 遠征を前にして元よりそこまで本腰を入れていなかったとはいえ、ロキにとって今回の会合はあまり成果の無い物となろうとしていた。そろそろリヴェリアも戻ってくる。彼女の思考は既に、この後エリスとどう言った会話をするかに向けられていた。

 

「……んじゃ、最後に一つええか?」

「はい」

 

 最後と聞いて、ルドウイークは身構える。一方ロキとしてはもはや時間切れ前の悪あがきのような物であり、あまり気をやってはいない。だが質問の内容自体は、エリスとルドウイークが想定していたものの内、最も恐れて止まないものであった。

 

「――――あのどえらい光を放つ<魔剣>。あれはなんや?」

 

 その質問を受けて、ルドウイークはロキの前で初めて目を見開いた。想定はしていたのだろうが、動揺を抑えきれなかったような仕草だ。それを見たロキは殆ど閉じられていたような目を薄く開いて彼の動向を鋭く見守る。

 

 しばらくして、ルドウイークは絞り出すような声で申し訳なさそうに答えを返した。

 

「……………………それは、答えられません。申し訳ない」

「…………ふぅん」

 

 疑念に満ちた目だった。ルドウイークは少々顔を強張らせながら神の視線を受け止める。彼は<月光>について語るつもりはほんの一かけら程もなかった。例え、どれほど怪しまれようとも…………既にエリスも巻き込みかけているというのに、これ以上被害を広げてしまう事は彼にとって耐え難い事だった。

 

 しかし、ルドウイークのそんな心中を知る由も無いロキの視線はますます鋭い物へと変わっていた。目の前の少女じみた存在から発せられる凄まじい神威に、ルドウイークは背を汗が伝うのを感じる。

 

 その時前触れ無く部屋の扉が開き、リヴェリアが水の入ったコップを乗せたトレイを持って戻って来た。彼女が部屋に踏み込んだ瞬間室内に発散されていた神威はなりを潜め、ロキは普段通りの気さくな表情に戻ってリヴェリアに水を要求する。

 

「りべりあ、おそいで~! 水、水!」

「ほれ、二つもあれば十分だろう?」

「四つくれ」

「二つだ」

「ケチ!」

 

 ロキは素早くトレイの上からコップを引っ手繰ると、両手にそれぞれ持ったそれをがぶがぶと交互に飲み干した。その様をどこか呆れたような、母親が娘を見るような目で見ていたリヴェリアは喉を鳴らし終え満足そうに机にコップを置いたロキに問いかける。

 

「で、話は進んでしまったか? まだ記録する事は――――」

「いんや、もう話は終わったで。リヴェリア、ルドウイークを別室に案内したってや。ウチはエリスの奴とちっとばかし話あるから、そこで暫く待っててもらうで」

 

 先程までの鋭い視線は何だったのかとルドウイークが思わずにいられないような態度で笑うロキに、リヴェリアは困ったように溜息を吐いてコップを回収するとルドウイークに視線を向ける。

 

「そう言う話だが……構わないか、ルドウイーク」

「はい。私から話せることは、元々多くありませんでしたから」

 

 見定めるように問うリヴェリアにルドウイークはすぐさま首を縦に振った。これ以上ロキ神に問い詰められていればどこでボロを出すかもわからない。寧ろボロを出さなかったのが不思議なくらいの心境であった。

 

 もう、後はエリス神に任せよう。<獣狩りの一夜>が明けるまで駆けまわるのとは別種の疲労感に苛まれながらも、それをおくびにも出さずルドウイークはロキに向け深々と頭を下げ、リヴェリアの後について部屋を後にした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 呼び出され、ロキが待つという応接室を訪れたエリスは、ソファの上で憮然とした表情を受かべるロキを見て彼女とは対照的な満面の笑みを浮かべた。

 

「どうもロキ。ルドウイークとのお話はどうでしたか?」

「どうもこうもあらへん。自分、よくもまぁあんな奴見つけてきたもんや」

「まぁ、ひっどい言い草ですねぇ……そんなに楽しかったんです?」

「ぬかせドアホ。ちっとも楽しくあらへんわ」

 

 言ってソファに思いっきり背中を預けてぼふりと音を立てるロキ。エリスはそんな彼女の向かい側、先刻までルドウイークが座っていたソファに行儀よく腰を下ろした。

 

「大方、あんまり情報抜けなかったんじゃないですか? 彼、そんな口巧くないですもん」

「<ヤーナム>っちゅー街で生まれたって事と、そこの<獣>仰山狩って鍛えたってことぐらいや。それ以外なんも――――」

「ちょっと待って下さいその話どのくらい話したんですか聞いて無いんですけど私!?!?」

「お、おう」

 

 今し方、余裕綽々でソファに座ったのとは同一神物とは到底思えない剣幕で身を乗り出し顔を青褪めさせるエリスに、ロキは思わず圧倒されて不明瞭な返事を返してしまう。そんな彼女を他所にエリスは頭を抱えて早口で何やら当てもなく捲し立て始めた。

 

「ルドウイーク……! 自分である程度判断してとは言いましたが流石にそれはマズいですよ……! っていうか私も知らない事話してませんよね……ロキ!!」

「なんや」

「ルドウイークはヤーナムについてなんて言ってました!? 詳しく!!!」

「いやどっちの味方やねん自分」

 

 呆れたようにエリスに憐憫交じりの視線を向けるロキ。彼女としてはルドウイークからロクな情報が取れなかった以上、何とかエリスから情報を引き出そうと考えていたのだが……半ば錯乱したように叫ぶエリスの様子に毒気を抜かれてしまって、気の抜けたように話し出した。

 

「まぁ、ラキアから来たのは嘘でホントはヤーナムってとこから来たかってのと、ヤーナムがどこにあるのかわからんくて、帰りたいんやけど困っとるってとこやね」

「あー……うん、まぁ、それくらいなら……」

「いや自分そこでそう言う事言ってどうすんねん。ルドウイークが頑張って隠しとった事を自分が口走ってもうたらあかんやろ。ホンマにどっちの味方なん?」

「……私は彼の味方ですよ。それに、貴女の味方にもなりたいと思ってます」

「どう言う意味や?」

 

 ロキはエリスの行動を訝しんで、彼女の顔を両の眼で確と睨みつけた。ルドウイークには口止めをしておきながら、こうして対面した途端その事をあっさりと明かしてしまうなど、自身の知るエリスらしくない。もう少し、うまい隠し方をするはずだ。

 

 なら、考えられるのは何か。そもそも、エリスにはルドウイークについてなんら隠すつもりなど無く、こうして二人きりで話をする事自体が目的なら……。ロキは恐るべき速度でその結論を見出したものの、それよりもエリスが立ち上がって、にこやかに提案する方が少し早かった。

 

「じゃあはっきり申し上げちゃいますけど…………ロキ。私達【エリス・ファミリア】と協力関係……いえ、同盟でも組みませんか?」

「同盟ィ?」

 

 自身の想像したのと似通った言葉を発したエリスに、ロキは思いっきり怪訝そうな視線を向ける。

 

「どう言う風の吹き回しや。自分、うちの事正直好きやあらへんやろ?」

「そうでもないですよ。ぶっちゃけ、今地上にいる神々の中で一番信頼置ける神が誰か聞かれたら、私は貴方の名前を挙げるでしょう…………ムカつくのは、確かですけど」

 

 不満気なエリスの確かな褒め言葉を聞いたロキは一瞬更に怪しむような顔をして、その言葉の裏を探ろうと、揺さぶりをかけるべく疑問を投げかけた。

 

「………………いやいや、エリスなぁ、自分のとこがどんだけ零細か分かっとん? うちらにメリットこれっぽっちもあらへんやろ」

「でも、言うほどのデメリットもありませんよね?」

「そらぁ…………うん、まぁそうやけど」

 

 あっけらかんと答えるエリスに言葉を詰まらせるロキ。その隙を見逃さないとばかりに、しかし穏やかな口調でエリスはロキが無いと断じたメリットについて語り始めた。

 

「メリットはありますよ、ロキ。ルドウイークが十分な戦力になるというのは、貴女はともかく、貴女の子供(眷族)達がリヴィラで見ているはずです」

「だったらなんや? うちにルドウイーク貸し出してくれたりするんかい?」

「条件次第、では」

「……それこそアホ抜かせ。わざわざ何処の馬の骨とも知れん奴の協力仰ごうなんて、誰が思うねん」

「それだけの価値があると言ってるんですよ、ルドウイークにはね」

「はぁ? 言うのは簡単やけど、それをどう証明するっていうんや」

「そう思いますよね、そこで提案があります」

 

 エリスは立ち上がって、自身の顔に人差し指を立ててロキに笑いかけた。

 

「ルドウイークと、貴女のファミリアのどなたかを戦わせてもらえないですか? そうすれば、彼の実力をあなたにも分かってもらえるはずです」

「…………うちが遠征を目前にしとるの、分かってて言っとるん? 誰か怪我でもしたらタダじゃスマンで?」

「大丈夫です。【ディアンケヒト】の【戦場の聖女(デア・セイント)】が作った、最高品質の【万能薬(エリクサー)】がありますので」

 

 ロキの反論を受けたエリスはその内容を予想していたように、懐から一本の厳重に保護された小瓶を取り出した。未開封である事を示す封が成された蓋には大手医療系ファミリアである【ディアンケヒト・ファミリア】の刻印がされ、中身がエリクサーである事を証明する文章と製作者の名前が書かれたラベルが瓶の横には張りつけられている。それを受け取り目を皿のようにして眺めまわすロキに、エリスはやはりにこやかな表情を崩す事無く口を開いた。

 

「これがあれば、万一大怪我したって死にはしませんし、遠征本番までに復帰するのも容易いでしょう。ま、それ以前に貴女の子供にも回復魔法くらい使える人いそうですけど」

「……自分、最近メチャ貧乏だったんとちゃうんか? どうやってエリクサーなんぞ調達したんや。これ一本で50万ヴァリスは堅いやろ」

「逆ですよ、エリクサーを用意するために貧乏だったんです…………まぁそれでも用意できたのは、消費期限が一月ちょっとの物だったんですけどね」

 

 苦笑いを見せてソファにエリスは腰を下ろした。一方のロキはと言うと、手にしたエリクサーの瓶を眺めながら、頭の中で電撃的に思考を巡らせていたが……しばらくして一つの結論を出して顔を上げた。

 

「わーった。そこまで言うなら相手させたる。丁度、アイツと戦いたがっとったのが()るしな」

「【大切断(アマゾン)】ですよね?」

「……何で知っとるん?」

「【マギー】から聞きました。あのアマゾネスの子、ルドウイークと戦いたがってたそうじゃないですか。これって丁度いい機会だと思いませんか?」

「…………自分、今日の為にどんだけ準備しとったんや」

「大事な眷族の為ですもん。やれることは全部やったつもりですよ」

 

 堂々としたエリスの言葉を前にしてロキは若干の敗北感を感じながらも、先程思いついた、ここから最善の方向にもっていく為の方案を成功させるべく更なる速度で思考を走らせた。

 

 確かに、ファミリアの幹部陣も認める実力の持ち主を味方に付けられるのであれば文句はない。ファミリアの規模の違いからして、切り捨てようと思えばいつでも切り捨てられる相手でもある。

 それに、あの正体不明の冒険者に対して同盟と言う形で堂々と監視を置くこともでき、彼とエリスがひた隠しにする謎――――ヤーナムと言う都市の詳細やら、彼の持つ魔剣の正体やらを調べる時間も出来るだろう。

 

 そう言った面を鑑みると、先刻エリスが語った通りデメリットに対してメリットが勝るようにも思えた。だがそのメリットと言うのは決してプラスになる物では無く、むしろ保険となる物の類である。

 

 …………この申し出を断れば、エリスとルドウイークは己の目の届かぬところで何かやらかすかも知れない。そんな予感が、彼女の内にはあった。ならば、同盟という名の首輪を彼女達に付けておくのはそう悪い判断でも無いはず。万一何かあれば、それをお題目にしてエリス・ファミリアとは手を切ればいいだけの話だ。

 

 ロキはこれ見よがしに溜息を吐いて、それから気だるげに天井を仰いだ。

 

「……そか。こりゃもう、一本取られたなぁ」

「そりゃまぁ貴女は遠征の準備に忙しかったでしょうし、それに引き換えこっちはこの会合に全賭けしてましたからね。気に病むことじゃありませんよ」

「わかっとるけどさぁ、それと悔しいんは話別やん」

「ふふ、そうですね」

 

 慰めるようなことを言いながら楽しげに笑うエリスを見て、やっぱそういう女神なんやなとロキは自身を棚に上げながらに思った。そして姿勢を戻すと、この後行う流れになったルドウイーク相手のテストの事を考えて、エリスに疑問に思った事を問い始める。

 

「話戻すんやけど、ウチの子供とやりあうって話、ルドウイークには伝えてへんのやろ? 大丈夫(だいじょぶ)なん?」

「ルドウイークは、本当に必要な事であれば必ず協力してくれます。いいやつなんですよ、彼は」

「そんな奴を良いように使っとるなんて、正に神の鑑やな」

「貴女ほどじゃないです」

 

 信頼の見え隠れする態度でルドウイークについて語るエリスを揶揄するように言って、ロキはそれに応じて皮肉るエリスと笑い合う。だが次の瞬間、何かを思い出したように不安げな顔になると、ロキは深刻ぶって、エリスに一つの心配を提示した。

 

「……今更な話になってまうけど、自分はええんか? ティオナの奴強いで? ……あんまルドウイークに大怪我されても、うちが気まずいんやけど」

「はは、そもそもの話、そんな心配する必要なんてないと思いますけどね」

「どーゆうこっちゃねん、それ」

 

 エリスは不思議そうに問うたロキの顔をまっすぐ見て、勝ち誇るように笑った。

 

「――――ルドウイークは、負けませんが?」

「……へぇ?」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【黄昏の館】中庭。普段団員たちが武器の素振りなどに使っているそこは目前に迫った遠征に備えて資材の一時置き場となっていたが、久方ぶりに整理され本来の機能を取り戻していた。その理由は、鍛錬場の中心で対峙する二人の冒険者にある。

 

 本日ロキ・ファミリアを訪れたルドウイークの実力を計るため――――或いは示すため――――ロキ、エリス両女神の同意の元、ルドウイークとロキ・ファミリア団員による模擬戦が行われる事となったのだ。

 

 中庭の周囲に集まり、ざわざわと騒がしくロキ・ファミリアの団員たちが言葉を交わしている。中には酒やつまみを持ち出し、観客気分で場を眺める者も居た。本来であれば遠征の準備に追われるはずの彼らが仕事を放り出してこの場に赴いている理由は、これから剣を交える二名の存在にあった。

 

 エリス・ファミリア側の冒険者は当然、白装束を纏う【二つ名無し】のルドウイーク。2M(メドル)近い恵まれた体格を持ち重厚な大剣を背負って居る彼はあからさまに力のアビリティに優れている事が解る風体をしており、実力も全くの未知数だ。

 

 対するは、【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ。愛用の得物である【大双刃(ウルガ)】こそ持ち出してはいないが、手に持つ両刃の大剣も相当な業物である。更に、レベル5のステイタスから生み出される身体能力の高さは同胞たち皆の知る所だ。

 

 彼女はロキ・ファミリアの団員の中でもフィンら首脳陣やアイズに次ぐ実力の持ち主であり、その人間性と実績から周囲の信頼も厚く、故に彼女の勝利を疑う者はこの場には居ない。だがルドウイークと言う男はティオナが18階層での動乱以降、ずっと闘いたがっていたと言う相手である。

 

 そんな相手とぶつかり合う彼女の戦いが一体どのような物になるのか。探索系ファミリアの【ロキ・ファミリア】に所属し、皆がそれぞれ相当な修羅場を(くぐ)ってきている冒険者であるロキの眷属達も、それが気になってしょうがなかったのだ。

 

 一方で、二人を見下ろす特等席。当の二階部分から突き出したテラスに座しているはずの二柱の女神は用意された椅子から離れ、手すりから身を乗り出してこれでもかと言わんばかりの大声を張り上げていた。

 

「やったれティオナーッ!!! キャン言わしたれーッ!!!!」

「ルドウイーク!!! もう強いのばれてんですから遠慮せずにやっちゃってください!!! こちらはお気になさらず!!!!」

「そんのデカいのに一発いてこましたれやー!!! おニューの剣の錆にしたれーッ!!!」

「ルドウイーク!! このちんちくりん女神に『大は小に勝る』って事を証明しちゃってやってください!!!」

「ハァー!? それ言うんなら『大は小を兼ねる』やろ~ッッ!? 裏舞台に居た間に頭すっからかんになったんかエリス~ッ!?」

「何か喚いてますねぇセクシャルハラスメント女神が!! 貴方は少しファミリアの看板に泥塗らない振舞いを考えた方がいいんじゃないですかね!?!?」

「なんやとぉ……」

 

 特等席で喚き立てる二柱の女神。彼女らの声を受けたルドウイークとティオナは、その神と呼ぶには些か威厳や神性に欠けた声援を受けて、どちらともなく笑い合った。

 

「…………随分仲がいいのだな、ロキ神とエリス神は」

「あたしもビックリ! ロキが他所の神様の前であんな風になるのって殆ど無いし、ホントに仲良しなんだろうね」

 

 どこか安心したように呟くルドウイークに答えると、ティオナは背にした大剣を抜き、相当な重量であるはずのそれを片手で振り回した後切っ先をルドウイークに向けて獰猛に歯を見せる。

 

「それよりさ、早く始めようよ! あたしずっと楽しみにしてたんだから!」

「ああ。しかしティオナ、【大双刃(ウルガ)】はどうした? 君と言えば、アレが代名詞だろう?」

「んー、次の遠征でワケあって大剣使う事になってさ。その練習!」

「そうか。君の能力からすれば十分に大剣の適性もあるだろう。励んでくれ」

「言われなくても!」

 

 猛獣のように笑って、ティオナは大剣を両手で持ち直し構えた。ルドウイークはそこに、確かな不慣れを見て取る。

 

 しかし、大剣を長剣の様に扱うあの腕力は間違いなく危険だ。一撃でも受ければ、敗北は免れないだろう。正直、敗北する事は構わない。だが負け方は重要だ。あまりにも容易く地に伏してしまえばロキ神との今後の交渉に瑕疵が出るのは間違いないだろう。

 

 ――――まるで、獣と相対しているようではないか。

 

 人間の体を容易く引き裂く獣の爪牙と、剛力から放たれるであろう大剣による斬撃は一度でも受ければ終わりという点では大きな違いはない。ならば、一度も喰らわぬように立ち回るのみだ。

 

「では両者、もう好きに始めてもらって構わないよ。万が一の事態になりそうな時は僕が割って入るから、安心して戦ってくれ」

 

 二人の間に立っていた輝く穂先の(やり)を手にするフィンが宣言と共に退(しりぞ)く。遮るものの無くなったルドウイークとティオナの間に緊張と興奮、そして、相手の出方を伺う周到さをないまぜにした沈黙が走った。

 

 ……何処から攻めてくるか。彼女の性格的に言えば、真正面からの振り下ろしか突き。それがもっとも『らしい』だろう。ならば横に避けるべきだが、そこから体術に発展されれば捉えられかねない。回避では無く防御か? だがそれこそ真正面から割られかねない。あの大双刃(ウルガ)を平然と操る彼女の剛力はその華奢な細腕からは想像も出来ないものだろう。で、あれば――――

 

「ルドウイーク?」

 

 思索の海に沈んでいたルドウイークは、構えを解き不思議そうな顔でこちらを見つめるティオナに声を掛けられて、思わずそちらを見返した。

 

「ねぇルドウイーク、来ないならこっちから行きたい所なんだけど…………」

 

 アマゾネスには似合わぬもったいぶった言い回しをして、ティオナはごまかすように笑った。

 

「ロキに先手は譲れって言われてるんだよね。ルドウイークの攻めを見たいんだってさ」

「……そうか、そうだったな。すまない」

 

 彼女の言葉に、ルドウイークは納得した様に小さく笑った。そもこの戦いの趣旨はルドウイークの実力を見る事が目的であり、ティオナが相手になっているのは副次的な物に過ぎない。そもそも冒険者と言うのは自ら迷宮に挑む事を生業としている以上、攻めの技術は特別重要視されている。

 

 ――――ただ守るだけでは、偉業は成し得ない。それが獣狩りと冒険の、最も大きな違いであると言えるだろう。

 

 ならば、己のやるべき事は一つ。

 

 ルドウイークは少女に見えるティオナに剣を向けるという罪悪感を、エリスへの恩義とそれに応える為の覚悟で抑え込んで<ルドウイークの聖剣>を構える。

 そして、目前のティオナが獰猛な笑顔を向け応じるように大剣を構えるのを見届けると、跳躍によって彼我の距離を瞬時に詰めて大上段から大刃を振り下ろした。

 

 

 




次回、ルドウイーク対ティオナ。狩り開始です(AMZNZ)

ひっさびさに交渉パートかいたけどバトルパートより正直キツイ(吐露)
更に言えばロキの口調エミュレイションがキッツイのなんのでした。
狂いそう……!(獣性の発露)

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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23:同盟

お待たせしました。約27000字です。

独自設定独自解釈、Bloodborneの没要素があります。
そういった物がダメな方はブラウザバックをお願いします。

総合評価が7000行ってました、ありがとうございます。
これも評価お気に入りしてくださる皆さまのお陰で、同様に感想を下さる方々や誤字報告してくださる方々も毎度非常に助かっております。

楽しんでいただければ幸いです。



 激突。

 

 ルドウイークの初太刀は、あっけなくティオナが盾にした大剣によって防がれた。激しく金属音が響き渡る中で顔を(しか)めるルドウイークに、ティオナは獰猛(どうもう)な笑みと、盾にしていた大剣を力任せに薙ぎ払う事で答える。

 

「そおれぇ!」

 

 ルドウイークはティオナの圧倒的な破壊力に逆らわず跳び下がりながら薙ぎ払いを受け止め、その勢いを利用して更に距離を取って着地。そこに飛びかかったティオナによる意趣返しと言わんばかりの振り下ろしを横に飛び跳ねて回避し更に跳躍して改めて距離を取り、地面を割った己の大剣を引き抜いて構え直すティオナの次の動きを待つ。

 

 その様子をロキやエリス同様の特等席から(なが)めていた幹部陣の中で、ガレスがうらやましそうに声を上げた。

 

「ほう……ルドウイークの奴、酒だけではなくこっちも行ける口じゃったか。是非儂とも手合わせ願いたいもんじゃのう」

「止せガレス。流石に、お前まではしゃぐと下の者に示しがつかん」

 

 それを(たしな)めるように憮然と言うリヴェリア。しかしガレスは彼女に不満げな表情を向けて答える。

 

「儂だけじゃあ無かろうさ! 強い奴と()り合いたくなるのは男の(さが)よ。のうティオネ!」

「私は女です」

「でもアマゾネスじゃろ? だからフィンに惚れたんじゃろうが」

「………………」

 

 ガレスの言葉を受けて、ティオネは滅茶苦茶に嫌そうな顔をしてガレスを睨みつける。しかし、無言でリヴェリアに小突かれた彼はそれもどこ吹く風と言った様子で再び眼下の戦いに視線を戻した。

 

 ルドウイークの斬撃を弾いたティオナが彼の懐に入り込み、軸足を破壊すべく低い蹴りを放つ。だがルドウイークはそれを予期していたかその場で素早く小跳躍。蹴りが足元を通過する瞬間逆にそれを踏み潰すべく足を突き出す。

 だがティオネも体勢をあえて崩す事で蹴りの機動を曲げ、空中でルドウイークの爪先にひっかけるように当てる事で逆に彼の体勢を崩して墜落させるが、彼女自身も崩れた体勢を立て直すべく一旦距離を取ったために仕切り直しとなった。

 

「……凄いですね」

 

 今度声を上げたのは、幹部陣の中に混じって戦いを見下ろすレフィーヤ。彼女は周囲で戦いを見守る皆に比べ一段劣るレベルの持ち主であり、故に眼下で戦うティオナの強さを良く知っている。だからこそ、まだ小手調べの段階だろうとは言え彼女と真っ向から渡り合うルドウイークの動きに目を見張っていた。

 

「ティオナさんと互角にやり合うなんて、ホントに何者なんです、あの人」

「……良い人なのは間違いないけど」

 

 二人の戦いを見下ろしながら、レフィーヤ以上に目を見張るアイズが答えた。

 

 現在【剣姫】と呼ばれ、ついにレベル6の大台に到達した彼女は、元々【戦姫(せんき)】などとあだ名されていたロキ・ファミリアきっての戦闘狂である。怜悧(れいり)な表情のままひたすら怪物たちを(ほふ)り続けるその姿に畏怖を覚えた冒険者は少なくない。

 

 今まで何度となくダンジョンで想像を絶する窮地を渡り歩いて来た経験を持ち、【階層主】であるレベル6相当の【ウダイオス】を単独で倒し【黒い鳥】とも戦った。更には先日正体不明の【怪人】とも刃を交えた彼女の戦闘経験値は同世代であるレフィーヤの比ではない。その彼女が今、刃を交わす二人を見て重苦しく呟いた。

 

「もしもティオナが負けたら――――次は私が行く」

 

 

 

<ー>

 

 

 

『……なぁ、ルドウイーク』

『何かね?』

『いつも思ってたんだが、お前それ邪魔じゃないのか?』

 

 短い<夜>の、狩りからの帰路。<ルドウイークの聖剣>と<月光の聖剣>を背負い、更には自らの名を冠した長銃までもを腰に備えたままのルドウイークに、<(からす)>は呆れたような顔をして言った。

 

『そんなんじゃあ、獣に追っかけられたら逃げきれんぜ。ヤーナムの道は狭い』

『残念だが、君の様に小さい得物で獣を殺せるほどの器用さは私には無くてね』

 

 ルドウイークは<烏>の腰に下げられたままの短銃と、隕鉄製のねじくれた剣に視線を向けて笑う。<烏>は何となしにその仕掛け武器――――<慈悲の刃>を手に取って、歩きながらそれを分離させたり接合させたりを繰り返し始めた。

 

『……俺も(たま)に、お前のその大得物が羨ましくなる時はあるけどな。一撃必殺ってのは良いもんだ』

『誰よりも『致命』の巧い君が言うか? 私にも、ぜひあの技を伝授してもらいたいものだが』

『お勧めしねぇよ。目ん玉抉って脳みそ引きずり出すのは』

『なら何故君はそれを?』

『九割方それで殺せるからな』

 

 ――――目玉を(ついば)むなど、正に烏のようではないか。

 

 肩を(すく)める<烏>にルドウイークは思わず言いかけたが、<烏>と言う男にそう言った(こだわ)りが無い事を良く知っていたが故に口を(つぐ)む。

 『人』を重んじ、人間性を誇示せねばならないはずの狩人にあるまじき様式美への頓着(とんちゃく)の無さ。<烏>がヤーナムの狩人の中で一際異端の者とされる理由には、異国からやってきたと言う出自だけではなくそう言った狩人としての姿勢の違いもが含まれていた。

 

『しかし、やっぱ見ていて重苦しい。<月光>があるんなら、二本も大剣背負う理由はねえんじゃねぇか?』

 

 開帳された<月光>の狩りに(まみ)えた経験を持つ、数少ない者でもある<烏>は言う。確かに光(まと)わぬ<月光>も大剣として凄まじい業物(わざもの)ではあるし、それを用いて戦った経験のあるルドウイークとしても頭ごなしに否定するべきでないと感じさせる合理性のある意見だった。

 

 だが彼は笑って首を横に振る。そして、今し方通り過ぎた家の灯りの付いた窓に目を向けた。

 

『私は既に、狩人達の代表としての立場にある。そんな者が扱う武器だ。出来るだけ、人を感じさせるものがいい』

『だったら<杖>もあるだろ? 人らしさで言えば、向こうの方が上だと思うが』

『少し語弊があった。私が欲するのは、『英雄』らしさだ』

『はぁ?』

『英雄の武器と言えば、剣だろう』

 

 笑いながら言うルドウイークに、<烏>は珍しく困惑したような、あきれ果てたような呆けた顔を見せる。それが面白くて、ルドウイークもまたらしくなく饒舌(じょうぜつ)になって語り始めた。

 

『私は、人々に示したいんだ。この街には、狩人(我ら)が居る。だから、夜に怯えず、夜に迷わず、安心して寝床で(まぶた)を閉じてよいのだと。その狩人の先頭に立つ者があまり血生臭い得物を使っては、皆を怖がらせてしまうからな』

『それで『剣』に拘るのか。呆れたぜ』

 

 烏は不満気に、足元に転がっていた瓶を路地裏へと蹴り転がした。しかしルドウイークは不機嫌さを露わにした彼を見て小さく笑うと、一転して神妙な顔になって(あかつき)に薄ら浮かぶ(おぼろ)な月を見上げた。

 

『――――それに、本来<月光>は秘されるべきものだ。導きの輝きは、常に私達を照らしてくれる訳では無い。故にどれほど暗い夜にも、我々は自らその輝きを模索せねばならんのだ』

『だから普段はそっちの剣使うって? 俺には意味がわからんね』

 

 面倒そうにそっぽを向いて、明けつつある空の赤らみを睨みつけた<烏>はそれきり黙りこくった。ルドウイークも二の句を次ぐことはなく、黙々と帰路を歩み続ける。

 

 しばらくして辿りついた、聖堂街広場前の辻。二人はそこで一度立ち止まると、短い挨拶を交わして別々の方を向き歩き出した。しかしすぐに<烏>が立ち止まり、首をぐるりと巡らせてルドウイークを呼びとめる。

 

『一つ言っておくけどよ、ルドウイーク』

 

 <烏>は面倒そうに、しかし確かにルドウイークを気遣って口を開いた。

 

『いざって時、覚悟もプライドも、優しさだって捨てなきゃならねぇ事はある。その覚悟は最低限決めとけよ。それが、お前の流儀に真っ向から反するとしてもな』

『………………それは、難しいな』

『だよな。お前、そういう奴だし』

 

 ルドウイークの返答を見透かしていたかのように、烏は溜息を吐き、気を紛らわすように首元を引っかきながら何処か捨て鉢に舌打ちした。

 

『チッ…………余計な事言ったな。とりあえず、俺は寝床に戻る。お前は?』

『<教会>で預かっている孤児たちの様子を見にな……いや、その前に返り血を落とさねばならんか』

『本当にガキが好きだな、お前。アレの何がいいのやら』

『そう言うことを言うな。可愛らしい物だぞ? まぁ、確かに獣よりも厄介な生き物だが』

『ハ、笑える……』

 

 それだけ言い残すと、<烏>は鴉羽の狩装束を(ひるがえ)して振り返る事も無く歩き始めた。ルドウイークはその背中に向けて小さく肩を竦めて微笑むと、聖堂街の広場へと足を進め、(そび)える大聖堂に向け歩いてゆく。

 

『…………お前の優しさがいつか、ひどい(あだ)にならきゃいいんだけどな』

 

 <烏>は歩きながらに軽く振り返って、彼に聞こえるか聞こえないか程度の小さな声でぼそりと呟く。しかしルドウイークの鋭敏な聴覚は、既に距離の離れていたはずの彼の小言を自分でも驚くほどに明確に捉えていた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……チィッ!」

 

 これが、第一級冒険者か!

 

 ティオナの渾身の斬撃を掻い潜るように回避したルドウイークはすぐさまその場から飛び退く。転がりつつもその耳で後方で地面が砕かれた破砕音を聞き取り、更に一歩飛び退けば今の今まで居た場所を大剣の刃が空気を引き千切りながら通過する様を見せつけられた。

 

 戦闘は最初こそ互角の様相を(てい)していたものの、互いに決定打も無いまま時間が流れる内大剣の扱いに慣れを見出し始めたティオナ有利に傾いてゆく。その中でルドウイークはいつか(かつ)ての友に言われた、自身の甘さを再び痛感していた。

 

「戦いは攻めなきゃ勝てないよルドウイーク!」

 

 その通りだ。攻めの手を緩めぬティオナの言葉にルドウイークは思わず臍を噛み、袈裟斬りの一閃を回避してティオナの足を僅かに切り裂かんと大剣を低く横に振るう。

 だがそれを跳躍して飛び越えたティオナは勢いそのままにルドウイークに迫って、思い切り彼の胸に飛び蹴りを見舞った。

 

「がっ!?」

 

 ギリギリで飛び退くのが間に合わず、胸に痛打を受け後ろによろめくルドウイーク。その姿を見たティオナが大剣を肩に担いでがっかりしたような顔をした。

 

「……ねぇルドウイーク」

「ゲホッ、ゲホ…………何かね?」

「ルドウイークの攻撃、全然殺気が無いんだけど。もしかして、手加減してる?」

「……そうでもない。割と真面目にやっているつもりだよ」

 

 その言葉に嘘はない。だが、本気には程遠い。ヤーナムでは人々を守るために戦っていたルドウイークにとって血に酔った同胞を<獣>として剣を向ける事はあっても、十代半ばの少女に剣を向けるのは生まれて初めての経験だ。それは、ただ斬りつける事にさえ罪悪感を押さえつける必要のある大事(おおごと)であり、本当の戦いの様に急所を狙う事など出来るはずもない。

 

 確か、エリクサーなる特別な回復薬(ポーション)が用意されているから怪我をさせても問題はない、とエリスは言っていたが…………それがどれほどの効力をもたらす物なのかは彼女から伝えられておらず、まだオラリオに来て長いという訳でもないルドウイークにもエリクサーの効能の強さについての知識は無かった。

 

 それ故に彼は一度も決定的な攻撃を放たず、どうにか手足を傷つける程度で済ませようと考えていた。だが、戦に生き、強さを信奉するアマゾネスに生まれたティオナをそんな甘い考えでどうにか出来る筈も無く、結果として彼は当然の如く劣勢に追い込まれていた。

 

「真面目って言うけどさ……その割には、顔も胴も狙ってこない。腕とか足ばっかじゃん! そんなん当たる訳無いよ!!」

 

 既にルドウイークの太刀筋の甘さを見抜いたティオナは、腰に手をやって不満気な表情を見せる。彼はそれに対して、至極真面目な顔で返した。

 

「少女の顔も、それに腹も傷つけられるわけがあるまい」

「…………言ってくれるじゃん」

 

 その一言を聞いたティオナの顔から人懐っこい表情が消え失せ、今まで以上に全身に力をみなぎらせて大剣を構えた。

 

「いいよ、やる気がないなら。すぐに終わらせてあげるから!!!」

 

 今までの倍にさえ思える速度でティオナが飛び出す。ルドウイークは眼の前で大剣を構え彼女との激突の衝撃を何とか受け止めるものの、もはや大剣の習熟など頭に無いティオナは即座に剣を手放してルドウイークの右足を蹴りつけ、ふらついた彼の懐に飛び込んでその顎に下からの強烈な拳を振り上げた。

 

「がっ……!?」

 

 衝撃。顎を強烈に打ち付けた拳によって数M(メドル)の高さに吹き飛ばされたルドウイークは、世界が止まったかのような時間の遅さの中で暗澹(あんたん)とした曇り空を見上げ、そのまま背中から地面に叩きつけ――――

 

「ルドウイーク!!!」

 

 声に反応したルドウイークは空中で身を翻して、どうにか両足で着地した。しかしすぐに顎を揺らした拳のダメージに呻き、膝を突く。ティオナが(いぶか)しむように目を細める。

 だがルドウイークはそれも気にせず先程自身の名を呼んだ声の主へと目を向けた。泣きそうな顔のエリスが手すりから身を乗り出して、涙を浮かべた青褪めた顔でこちらを見つめている。

 それを見たとき、ルドウイークは己の余りの情けなさに思わず笑いそうになった。出たのはただ、切れた口の中に溜まった血とそれを押し出すゲホゲホと言う咳き込む音だけだった。

 

 ……また、情けを振りきれず負けるのか。

 

 ルドウイークは嘗ての人としての最後の戦い――――悪夢の中の時計塔に座した、旧友との殺し合いの事を思い出していた。あの当時は既に狩人は獣だと見做(みな)され、市民たちからの非難の的となっていた時代だ。どれ程獣を狩っても変化が訪れる事は無く、獣が生まれ続け、狩り続けるばかりの日々。

 

 それ故に、ルドウイークは全てをひっくり返すべく獣の病の根源を求めた。

 

 <トゥメル>の王墓で血の医療のルーツを探り、<イズ>の奥地で宇宙的神秘に対する術を学び、そして古き病の地である<ローラン>に向かい、<深きローラン>の更に先、<ローランの果て>の大聖杯にて異形なりし大いなる上位者の獣――――<銀の獣>に挑んだ。

 

 <ローレンス>に匹敵する煮え滾る溶岩の如き血液と炎、<銀獣>や<黒獣>達を従えるに相応しい途方もない雷撃、剣を通さぬ銀色の毛皮と、その下に隠された異形の竜の如き肌。『獣』の領域を超え、正しく『上位者(グレート・ワン)の獣』と呼ばれるに相応しいそれとの狩り合いをルドウイークと<月光>は制した。

 そしてその<生き胆>を用いた儀式によって悪夢に向かい、<狩人の悪夢>を乗り越えた先で非道なる<教会>の真実と秘密の番人と化した嘗ての友に(まみ)えたのだ。

 

 そこでルドウイークは、彼女を相手に全力になる事が出来なかった。<月光>を抜く事が出来なかったのだ。結果として、忌み嫌っていた筈の血刃を振るう彼女によって<ルドウイークの聖剣>と<長銃>を砕かれ、首の半分を抉り飛ばされて命を落とした。

 

 その後、ヤーナムがどうなったかを知る術は無い。

 

 獣と化して、悪夢を彷徨っていた頃の事は覚えていない。今や失われた味覚だけが、当時の悪食ぶりを思わせるのみ。

 

 だが、<獣狩りの夜>が終わる事は無かったのだろう。<最後の狩人>があれ程完成された狩人として在ったのがその証拠だ。そうでなければ、ヤーナムの夜を生き残れる事は出来なかったのだ。

 

 ――――もしも自身が彼女を前に、導きに従って<月光>を輝かせていたのならば。戦いの結末は分からず、護られていた秘密の先へと辿りついていたかも知れぬ。

 しかし辿り付いたとて、それを自身がどうにか出来た保証はない。マリアがそれを知って心折れたのならば、自身もそうならぬという保証はなかっただろう。

 

 それでも悔いは無かった。<最後の狩人>に<月光>を託した時、あの狩人ならば全てを越えて行くのだろうと言う不可思議な確信があった。だからこそ、こうしてヤーナムを離れた今も穏やかな己を保てている。

 

 そして、今自身の立つオラリオなる都市。如何にしてか手の内にあった二度目の生にてヤーナムへの帰還を目指し、出会ったばかりの女神エリスの手を借りた。ファミリアの再興に燃える彼女の元で過ごし、迷宮を駆け、多くの人々の営みを見た。その日々は本当に楽しかった。本来の目的を忘れそうになるほどに。

 

「は、はは、ヒッ、ヒヒッ……!」

 

 幾度と無く友人たちに気色が悪いと言われ、一度は矯正した笑い方が顔を出すほどにルドウイークは笑いを堪えられずにいた。先ほどのエリスの悲鳴に心打たれた自分が居た。共に過ごした中でずいぶん彼女に絆されていたのだと、ルドウイークは気づいた。

 

 確かに、『人』であり少女めいた容姿のティオナに剣を向けるのは辛い。だが、エリスの期待を裏切るのに――――彼女の涙を見るのに比べれば。

 

「ルドウイーク…………!」

 

 背に、今生で自身が主と定めた女神の祈りが届く。それにルドウイークは、いつか感じたものと同じ懐かしさを感じた。

 己の命を賭して守ったヤーナムの人々の営み、そこから生まれる人々の笑顔。ヤーナムの人々にそうあってほしいと思っていたのと同じように、エリスにも笑っていてほしいとルドウイークは考えた。

 

「…………ふうっ」

 

 口の中に溜まっていた血を出し終えたルドウイークは下を向き、己を切り替えるべく息を吐いた。

 

 ここで負ければ、彼女は悲しむだろう。だが剣を向ける気概が無ければティオナには勝てない。しかし殺すのは本意ではない。それでは、今までとそう変わらない。

 それでもやり方はあるはずだ。ルドウイークは今までの己の経験を総動員して思索を巡らせる。そしていくつかの案を思いつく。

 

 それに加え、エリスは大丈夫だと言っていた。ならば、大丈夫なのだろう。ルドウイークは不安を払拭(ふっしょく)して大剣を強く握り立ち上がる。

 

 そして自身に優しさを捨てろと助言した嘗ての友の一人に、心の中で詫びる。

 

 ――――悪いな、<烏>。私は己自身に課した生き方()を曲げられるほど器用ではない。今までも、これからも…………だが。

 

「うまくやるさ。今度こそ」

 

 ルドウイークは口元から流れる血を拭って真っ直ぐにティオナを見た。そして一旦<聖剣>を地に突き立てて、彼女に向け<狩人の一礼>を見せる。

 

「今までの非礼を詫びよう、ティオナ。本気を出せず、すまなかった」

「……うん、そう来なくちゃ! 私はもうどんとこいだから、心配しないで掛かってきて――――」

「そして許してくれ」

「へっ?」

 

 ルドウイークの再起に喜び、胸を張っていたティオナは、ルドウイークの突然の謝罪に目を丸くした。対するルドウイークは<聖剣>を再び手に取って顔の前で掲げ、左眼のみを覗かせて射抜くような視線を彼女に送る。

 

 いつか、<最後の狩人>を前にした時と同じように。

 

 

 

「――――ルドウイークの狩りを知るがいい」

 

 

 

 ティオナの全身が一気に(あわ)立ち大剣を両手で構える。しかしその時には既に彼女の懐に入り込んでいたルドウイークが(すく)い上げるような逆袈裟(けさ)を放っていた。ティオナはそれを身を反らせて思いっきり飛び退く事で何とか回避、だが間断なく狙い澄ました追撃の刺突が彼女を襲う。

 その切っ先をどうにか大剣を振るい弾くティオナだったが、次の瞬間剣を弾かれた勢いを利用して回転を乗せたルドウイークの蹴りが脇腹にみしりと食い込んで、そのまま弾かれるように吹き飛ばされごろごろと中庭の地面を転がった。

 

「……動きが変わった」

 

 テラスの手すりから身を乗り出し、目を爛々と輝かせたアイズがぼそりと呟いた。

 

「手加減、してたのかな」

「そうじゃないのう、アレは」

 

 ルドウイークの一挙手一投足を注視しながら考え込むアイズ。その横で、いつの間にかそこに立ち腕を組むガレスが口元を楽しげに歪ませながら答えた。

 

「ルドウイークとしては儂らと同盟を組みたい手前、ティオナにどこまで本気で相対すればいいか分からなかったんじゃろう。動きに躊躇(ちゅうちょ)が満ちとった…………だが、どうやら吹っ切れちまったみたいじゃな」

 

 顎を撫で、立ち上がろうとするティオナとそれを待つルドウイークに目を向けてガレスは笑う。そして、ティオナへ試すような言葉を呟いた。

 

「さて、どうするティオナ。お前も今まで本気ではなかったろうが、今のままのお前じゃ、ちと手に余るぞ……?」

 

 ガレスを含めたファミリアの皆の視線の先でティオナが立ち上がった。その口元からは血が一筋垂れていたが、彼女の表情は戦い始めた時と同じくこれ以上無く楽し気な物だった。

 

「はは、痛くない……! これだよこれっ……!」

 

 脇腹に走る痛みを噛み殺し、満面の笑みを見せるティオナ。その姿は戦いに生きるアマゾネスと呼ぶに相応しいものであり、ルドウイークも背筋に走る危機感に口元を引き締めた。

 

 ――――これほどの『人』を相手にするのは何時ぶりだっただろう。マリアを除けば、街を去る際の<烏>に挑んだ時以来か。あの時は相手がヤーナムにおける『対人』の第一人者であった事もあり、手も足も出なかったが……。

 

 獣狩りの時に感じ、抑え込んでいる物とはまた違う昂揚(こうよう)。誰かと競い合う歓びをルドウイークは久方ぶりに感じていた。

 

 次瞬、ルドウイークとティオナが示し合わせたように踏み込んで鏡合わせのように剣を振るう。全力で剣を振るい(せめ)ぎ合いを制そうとするティオナ。だがルドウイークは咄嗟(とっさ)に勝負を避け、瞬時に横に飛び退き攻撃を回避。そして横から殴りつけるように大剣を振るう。だがティオナも振り切った大剣をその剛力で以って無理矢理に戻して防御。更にすぐさま姿勢を立て直して、ルドウイークに対して果敢に攻めかかる。

 

 大剣ではなく木の枝でも振るっているのかと思える程の速度で縦横無尽に振るい笑顔で前進を続けるティオナだが、対するルドウイークの顔は闘争の歓びの中にあって真剣そのもので、その眼球を忙しなく動かしてティオナの動きを見切ってゆく。

 

 戦いが始まって以降、ティオナの大剣への習熟は進み続けており、既に付け焼刃とは思えない動きを見せていた。だが、ヤーナムに跋扈(ばっこ)する獣たちに相対し常に命を賭けた狩りに挑み続けたルドウイークの学習速度はそれさえも上回る。

 

 実際、ティオナがどれほど速く大剣を振ってもルドウイークに防御すらさせられず、それどころか彼の回避は更に精度を増して行く。本来、狩人に防御と言う概念は無縁のものであり回避を以って隙を見出すのが常道であるのだが…………それを知らぬティオナにとっては焦りを抱くのに十分過ぎる状態が続いていた。

 

「はっ、ははっ!」

 

 息を切らし、冷や汗を流して笑いながらティオナはルドウイークの顔を見る。息をしているのかも怪しいほどに表情を変えず、ただ淡々と自身の攻撃を(さば)いて行く。彼女の内では強敵と相見えた歓びと、勝利への道筋が潰えつつあるという焦りが渦巻いていた。

 

 【大双刃(ウルガ)】があれば大剣よりも遥かに高い攻撃密度で、ルドウイークを追いつめることも出来たかもしれない。しかし、愛用のかの得物は今や遠征へと持ち込むための整理資材の一つとして整理されており、戦いに持ち込めるような状態では無い。

 

 それに、武器の有無を勝敗に関連付けるというのは彼女にとって好ましい事では無かった。

 

「おおおおっ!!!」

 

 ならば、今ある物で手を尽くすしかない。ティオナは賭けに出た。これ以上戦いが長引いてしまえばルドウイークは完全に彼女の動きを把握しきるだろう。その前にケリを付けなければならない。彼女は、大剣の切先を下ろし油断なくこちらを見据えるルドウイークに咆哮と共に全速力で接近して――――彼に二歩届かない間合いで剣を思いっきり振り下ろした。

 

「……!」

 

 想定より早い攻撃のタイミングにルドウイークの動きが一手遅れ、ティオナの行動の意味を見出すべく思索を走らせた事がもう一手の遅れを生む。ティオナはその隙に地面に叩き込まれた大剣の切先を持ち上げて、ヒビの走った地面を爪先で思いっきり蹴り上げた。

 

「やーっ!!!」

 

 彼女の掛け声と共にひび割れた地面が一気に(まく)り上げられ、砕かれ、飛沫の様に土と石が散らされた。ルドウイークは咄嗟に大剣を横に構えて顔を防御する。

 それこそが、ティオナの狙い。爪先に激痛が走ったが、それが何だと言わんばかりに彼女は土煙の中へと更に一歩力強く踏み出して、思いっきり大剣を振り上げた。

 

 激突。

 

 凄まじい金属音が鳴り響き、土埃に遮られた中から精緻な彫刻のなされた大剣の()が空高く打ち上げられる。それを見たエリスが焦って、ロキは勝利を確信して更にテラスから身を乗り出した。

 

 彼女らが土煙の向こうを見透かそうと目を凝らしていると、隠れていた二人の姿が小さく吹いた風と共に露わになった。両者ともに動きを止めて、頬には緊張を示すような汗が流れている。

 

 ――――その二人の間で、フィン・ディムナがルドウイークとティオナにそれぞれ(やり)の切先と石突(いしづき)を突きつけていた。

 

「…………双方そこまで」

 

 フィンの言葉と共に、宙を舞っていた大剣の刃が少しばかり離れた場所へと堕ちてきて地面に突き刺さった。その音を聞いて今の状況を飲み込んだか、石突を鼻の手前に突きつけられて硬直していたティオナがこれ以上無く悔しそうな表情で声を荒げた。

 

「あーっ、もーっ!! フィン! 何で邪魔しちゃうの!!! 今良い所だったのに!!!」

「いや、すまない。幾らエリクサーがあるとは言え、君に大怪我されると流石に困るからね」

 

 詰め寄るティオナにフィンは申し訳そうに肩を竦めた。しかし、彼女はその態度では無く彼の言い分自体に納得が行っていなかった。

 

「いやいや、あたし勝ってたじゃん! 武器だって吹っ飛ばしたし!!」

「……ティオナ。ルドウイークの手を良く見てくれ」

「手?」

 

 フィンの指摘を受けたティオナは身を引いていたルドウイークの手へと視線を向ける。

 

 ――――そこには、戦闘中は影も形も無かった上等なミスリルの長剣が握られていた。

 

「えっ、ちょっ、どゆことどゆこと!? どっから出て来たのその長剣!? 隠してた!? いや隠してなかったよね!? 口から出て来たとか!?」

 

 想定外の事態に、呆けたような顔で驚きの声を上げるティオナ。その顔を見たルドウイークは一度長剣に目を向けると、地に突き立ったままの大剣に向けて歩き出した。

 

「すまない、ティオナ。私は最初から、この場に武器を二つ持ち込んでいた」

 

 そう言ってルドウイークは地に突き立った大剣の鞘の根元側に長剣を指し込むと、手首の動きによって仕掛けを稼働させてしっかりと固定し、大剣となった武器を引き抜いてティオナへと示す。

 

「これは【ゴブニュ・ファミリア】が【怪物祭(モンスターフィリア)】の時に発表した武器、【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】だ。この様にして大剣と長剣、二つの武器として使い分ける事が出来る」

「えっ何それ、聞いた事無いんだけど」

「新聞に書いてあったじゃないか。いつも談話室に置いてあるの、読んでないのかい?」

「読んでない……」

 

 未だに納得行かなそうな顔のティオナだったが、フィンに呆れたように言われるとがっくりと肩を落として(うつむ)いてしまった。それに微笑ましい視線を向けていたルドウイークだが、その背中に中庭へと全速力で降りてきていたエリスが涙を浮かべながら両手を広げて飛びかかった。

 

「ルドウイーク!!」

 

 しかしルドウイークは彼女の突進に目を向ける事さえなく、ひょいと二歩分横にズレることで無情にもそれを回避した。

 

「えっ……ぐえっ!?」

 

 ルドウイークに抱きつくつもりが回避され、勢い余ってつんのめったエリスが蛙の鳴き声のような声を上げる。ルドウイークがケープの襟首を掴み転びそうになった彼女を留めていたからだ。しかし、ケープが喉元に食い込んだエリスはげほげほと喉を抑え、顔を赤くしてルドウイークに食って掛かった。

 

「げほ、げほ……何するんですか、ルドウイーク!?」

「いや、いつも襟首を掴まれているからな。そんなにも掴みやすいのかと気になってね」

「もう二度とやらないでください! それに避けるのも禁止です!」

「君こそ、余り人に飛びかかるのは止した方がいい。その内もろともに叩きつけられるぞ」

「むうーっ……!」

 

 ルドウイークの指摘にしばらく不満気な顔で彼を睨みつけていたエリスだったが、諦めたかのように一度鼻を鳴らすと、普段より心なしか穏やかな表情になって安堵したように小さく笑った。

 

「でもまぁ、良かったです。これだけ頑張ってくれたなら、ロキも納得してくれるでしょう」

 

 エリスは首を巡らせると、未だに降りてこないロキが居るであろうテラスへと視線を向けた。恐らく、あの場に居た者達とルドウイークの処遇について話し合っているのだろう。もしかしたら、予定されている遠征に急遽組み込まれるかもしれない。そうなれば同盟関係となった以上ルドウイークを貸し出す事にはなるだろう……正直、本意ではないが。

 

 そこでエリスは、自ら考え出した計画にも拘らずルドウイークがしばらく不在になるという可能性に嫌な気持ちになって溜息を吐いた。一方でルドウイークは彼女を元気づけるためか、笑顔を浮かべて声をかける。

 

「そうだな、全てエリス神の考えだした案のお陰だ。聡明な主神を持てて幸せ者だよ、私は」

「そ、そうですか? いやぁ、そう言われると照れちゃいますね……」

「ああ。お互い大きな怪我も無いし、上手く行ったと言っていいと思う。フィン殿にも感謝だ。しかし……エリス神には随分心配させてしまったか」

「全くですよ。もし、貴方があのままボコボコにされるような事があれば私は――――」

 

 ――――この場に居る全員を。

 

「…………?」

 

 エリスは、唐突に頭を過ぎった思考に違和感を感じて、ルドウイークから離れて俯き自身の爪先に目を向けた。全員? 全員……どうすると言うのか。良く分からなかったが、あまり深く考えない方がいい気がする。

 そんなエリスの様子を見て何か責任感にでも(さいな)まれているのかと思ったのか、ルドウイークは小さく笑って彼女の肩を軽く叩いた。

 

「そう気にする必要は無いさ、エリス神。折角うまく行ったんだから嬉しそうにしてくれ」

「あ、はい……と、ともかく、無事で何よりですルドウイーク! よくやってくれました!」

「ああ。お陰様でな」

 

 互いを(ねぎら)い合って、笑い合うエリスとルドウイーク。そこに複雑な表情を浮かべたティオナとフィンが歩いて来た。ルドウイークが二人に向けて<狩人の一礼>を見せ頭を下げると、フィンも同様に頭を下げる。

 

「ルドウイーク、今回は君のお陰で良いものを見れた。エリス様、今一度、貴女の眷属に敬意を」

「いや、フィン殿。こちらこそいい勉強になった。今後も……」

「ルドウイーク! 後でもう一回! 次は絶対負けないから!!」

「勘弁してくれ。君程の実力者と何度もぶつかれるほど私はタフではない」

「エリス様、今ルドウイーク嘘ついたでしょ!?」

「いえ、大真面目に言ってますねこの人」

「えーっ! 自己評価低いよ! いいし、絶対次は負けないからね!!」

 

 ビシッとルドウイークに対して人差し指を向け再戦を誓うティオナだったが、フィンが苦笑いしながらティオナの腕に自らの掌を乗せて手を下ろさせた。ルドウイークは彼女らの様子に危惧していた敵対的な雰囲気を感じ取る事が出来ず、心中でほっと胸をなでおろす。

 

 その時、強く風が吹いた。

 

 偶然だったのだろうが、ルドウイークはただならぬものを背筋に感じて振り返る。視界には今し方テラスから飛び降りてきたと思しき金の長髪を風に揺らす少女剣士。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがルドウイークに向けて鋭い視線を放ち、剣に手をかけていた。

 

「あれ、アイズどうしたの? もう戦いは終わったけど」

 

 不思議そうに首を傾げて、ティオナがアイズに話しかけた。しかしアイズはそれに反応する事も無く、ただルドウイークだけを怜悧な表情で見つめている。それを見たフィンが得心が行ったように「悪い癖が出たか」と呟いて、彼女を諭すようにその前に立った。

 

「アイズ。彼と競い合いたい気持ちは分からなくもないが、君まで挑むのはダメだ。今日の所は我慢してくれ」

「……でも」

「我慢だ、アイズ。彼と戦うのは今じゃなくても出来る。次の遠征は絶対に失敗できないからね……それは、君も分かってるだろう?」

 

 口調こそ穏やかな物だったが、その声には有無を言わせぬ重みと道理があった。フィンの放つ圧にアイズは残念そうに、しかし大人しく従って愛剣から手を離す。それを見たルドウイークとエリスも安堵の表情を浮かべた。

 

 すると、テラスから駆け降りてきたか息を切らせるロキが中庭に現れて、先ほどのエリスの様に両手を広げてアイズへと飛びかかった。

 

「アーイズたーんっ!! ってあら!?」

 

 しかしロキもエリス同様抱きつこうとした相手にさっと回避されてしまう。唯一違う点は、アイズが地面に叩きつけられる彼女に救いの手を差し伸べなかった事だろう。

 

「ぶへぇーっ!!」

 

 顔面から地面に叩きつけられ、そのまま1(メドル)ほど滑ったロキを周囲の皆が青い顔をして見守っていた。唯一、エリスだけは口元を抑えてどうにか笑わぬように努力していたものの、肩を小刻みに震わせ(うずくま)っている様子から笑いをこらえているのは誰の眼からも明らかだった。

 

「ア、アイズたんが消えた? トリックなんか!?」

 

 一方で周囲の視線を一身に集めるロキはばっと顔を上げ、まるで錯覚でも見てしまったかのような顔をして首を左右に振りアイズの姿を探す。そしてすぐに立ち上がって後方でとても冷たい目をした彼女の姿を見つけると、土に汚れたまま彼女に飛びつこうとして、今度は前に出たフィンに遮られた。

 

「ロキ、顔が土まみれだ。ハンカチ要るかい?」

「おっ、気が効くやん、あんがとな~フィン」

 

 彼女はそれを受け取りごしごしと顔をこすって土を拭うと、未だに固唾を飲んで中庭の様子を見つめる団員たちに向かって大きな声を上げた。

 

「さあて。見せモンは終いや!! 自分らも仕事に戻りぃ! 今日は遠征前の壮行会やからそれまでに済ませるんやで! ついでに、エリスんとことの同盟成立記念もあるから、今夜は飲みまくろか~!!」

「「「「うおおおおーっ!!」」」」

 

 今まで黙りこくっていた団員たちはロキの宣言に歓声で答えるとそれぞれの持ち場へと戻って行き、中庭にはエリスとルドウイークのエリス・ファミリアと、ロキとフィン、アイズ、ティオナにテラスから飛び降りて来たガレス、リヴェリア、ティオネ、レフィーヤらロキ・ファミリアの首脳陣だけが残された。

 

 そして、皆はしばらくそこで視線を交わしていたが、その内エリスが恐る恐ると言った様子で、ロキに先程の言葉の真意を訪ねた。

 

「あのー、ロキ。同盟成立記念、って事は……」

「おう、自分の言う(ゆー)通り組んだるわ、同盟。悔しいけど、そいつの実力は本物みたいやし。ちゅー訳で、今後こき使ったるから覚悟せえよ~?」

「お手柔らかに頼みます、ロキ神」

「そーゆー真面目なところ嫌いやないで。さて、そんじゃ解散と行こか。うちらも今夜までに仕事一段落させたいし……また今夜【豊穣の女主人】で詳しいとこは話そうや」

「えっ、今夜ですか?」

「なーに言うとんねん!」

 

 ロキはエリスと気の置けぬ友神にするように肩を組んで、回していない方の手の人差し指を立てて、その頬を突っつきながらに笑った。

 

「同盟成立記念なのにうちらだけで酒飲めって? んな寂しい事言わんといてや~! ちゃーんと、こっちで呑み代は持つから安心しぃ」

「えっ!? マジですか!?」

「おうマジマジ、ホンマのホンマや」

「マジでナイスですロキ!!! 思えば、何時ぶりでしょうか、心行くまで安心してお酒が飲めるというのは……」

 

 ロキの言葉に驚愕し、そして目の奥に酒飲み特有の煮えるような熱気を宿して口元を歪めるエリス。それを咎めるようにロキは笑いかける。

 

「飲み明かすんもええけど程々にしとき~。せや、ちゃんとルドウイークも連れてくるんやで?」

「いいですとも! いいですよね、ルドウイーク!!」

「貴女にそう言われてはな」

 

 あまりのエリスの喜びっぷりに、是非も無いとルドウイークは肩を竦めた。それに大いに反応する者が一人。ロキ・ファミリアきっての大酒飲みである老ドワーフが満面の笑みを顔に浮かべてルドウイークの肩をドンと叩いた。

 

「ほう、そりゃ僥倖(ぎょうこう)じゃ! また飲み比べと行くかのうルドウイーク!」

「ええ、吐かぬ程度にはお付き合いしますよ、ガレス殿」

 

 にたりと笑うガレスにルドウイークは小さく引きつった笑いを返して、今宵の酒飲み合戦の約束を受け付けた。ルドウイーク本人としては酔えるわけでも無くあまり飲みすぎると調子が悪くなるので正直避けたかった部分はあったのだが、同盟相手の大幹部からの誘いを断る訳にも行かない。

 

 そんな様子を見ていたリヴェリアが、安堵したような溜息を吐いて二人の会話に割って入って来た。

 

「それは助かる。毎度毎度この男に皆が勝負を吹っ掛けられていたからな。介護してもらえるのであれば万々歳だ」

「介護ォ? リヴェリアお前、自分の年齢(とし)を棚に上げて……」

 

 言いかけたガレスはリヴェリアから一瞬研ぎ澄まされた殺気が滲むのを鋭敏に感じ取って言葉を収める。長年の付き合いが成せる業であった。

 

「……おっと、失言じゃった」

「ガレス、後で倉庫に来い。まだまだ整理するべき荷物は山ほどあるからな」

「ガハハ! 副団長ともなれば口が上手くなるもんじゃのう! よし、いい汗かいた後の酒は格別じゃからな。すぐに始めるとするかの」

 

 言い終えたガレスはリヴェリアを(ともな)い、ルドウイークに一度小さく手を振ってその場を後にした。これは夜に吐くほど飲まされるのだろうなと、ルドウイークが数時間後の自身の無事を真面目に祈っていると、エリスがやり終えたかのような清々しい顔をしてルドウイークの袖を引き、ロキへと声をかけた。

 

「では、これ以上居ても邪魔になりそうですので我々はこれで!」

「ん、もう帰るんか?」

「ええ……ちょっと汗をかいてしまったので。ルドウイーク、摩天楼(バベル)のお風呂にでも行きますか」

 

 自身を見上げるエリスの提案に、ルドウイークは自身の状態を改めて確認する。土埃にまみれた服、血を擦った後の残る口元。確かに同盟相手との食事に相応しい状態ではないと彼も考えて、エリスの提案に首を縦に振った。

 

「そうだな。だがどちらにせよ、着替えを取ってこねばなるまい。一度家に戻ろう」

「そうですね! それではロキ、また夜に」

「失礼します、ロキ神」

「おう、また夜よろしく頼むで~」

「はい。では失礼します」

 

 ロキにひらひらと手を振られながら、エリスとルドウイークは深々と一礼して【黄昏の館】を後にする。北の大通りは既に昼近くとなって、人々の出足が食料品店などが軒を連ねる西大通りに持っていかれたのかそれ程活気はない。そんな穏やかな道を歩きながら、エリスは暗さを増した曇り空とは対照的な晴れやかな顔でグッと拳を突き上げた。

 

「やっ、たぁ! いやまさか、ここまでうまく行った上お酒も奢ってもらえるなんて!! 今日は最高の一日になりそうですよルドウイーク!!!」

「そうだな。ともかく、ロキ神との交渉が上手く行って良かった。エリス・ファミリア復興に一歩前進だ」

「はい! 今日はお祝いですのでルドウイークもガンガン飲みましょうね!」

「ああ」

 

 ここ最近で最も上機嫌なエリスの様子に、自身も緊張が解けた笑顔で答えるルドウイーク。だが、そこで彼はふと何か大事な事を忘れている気がして立ち止まった。

 

「夜……夜か。何か、予定が入ってはいなかったか、エリス神」

「夜ですか……? いえ、特に予定は。【鴉の止り木】だって、今日は休んでいいってマギーと…………」

 

 そこで二人は、先日の【鴉の止り木】での会話を電撃的に想起した。

 

 

 

『エリス、その話詳しく聞かせて貰えるかしら?』

『え、えぇ……いやですね、ちょっと明日は用事があるので、『お昼の部は』休ませてほしいかなーなんて』

 

『ま、明日の昼なんて再開直後だし、客もそんな居ないだろうから構わないわ。聞いた限りじゃ大事な話みたいだしね』

『そうなんですそうなんです! だから大目に見てください!』

『いいわよ。『でも次同じ事したら給金減らすけどね』』

 

 

 

「……………………」

「……………………」

 

 街路のど真ん中で立ち止まり、思い出した全く同一の記憶に硬直する一人と一柱。マギーに伝えたのは『昼の部』の休みだけだ。夜ロキ・ファミリアの面々と飲みに行くのであれば、『夜の部』も休むという事をマギーに伝えなければいけない。

 

 ……のだが。

 

 ギリギリと、油の切れたねじの様にぎこちない動きでエリスはルドウイークに視線を向けて、無言で助けを懇願する視線を送った。だが、【鴉の止り木】の従業員ではないルドウイークにそれに答える術は無い。彼は本当に申し訳なさそうに、エリスの視線から逃れるためにそっぽを向く。

 

 そんな彼の襟首をエリスは必死に引っ掴んで、殆ど泣きながらに助けてくれるように訴えた。

 

「助けてくださいルドウイーク!! このままじゃ私の給料が! やばい! やばいんですよ私が!!!」

「いや、私にどうしろと言うんだ。代わりにマギーに頭を下げに行けとでも?」

「いえそこまでは言いません! でもですね、私一人で行くのはちょっと無理かなって!! 殺されちゃうかなって!!!」

「流石にマギーもそこまではしないだろう」

「するんですよマギーは! いえ私にはした事無いですけど、【黒い鳥】はしょっちゅうやられてます!!!」

「そうなのか。所で首が締まっているんだが」

「それは謝りますから! だからお願いします、私と一緒にマギーに事情説明を! お願いします!!!」

 

 これまで見た中で一番必死なエリスの姿を見て、ルドウイークは思わず頭を抱えたくなった。一難去ってまた一難とは正にこの事か。

 しかし、ロキ・ファミリアからの誘いに一度は首を縦に振り、その時にエリス神の夜の予定に気が付かなかった以上自分がとやかく言う権利はない。ルドウイークは先程までのエリスとは真逆の暗澹たる表情を浮かべて、やはり先行きは怪しい物だったのかと、対談が始まる前に思った事を今更ながらに思い返した。

 

「……分かった。ここまで来たら我々は運命共同体だ。二人で頭を下げる他あるまい」

「本当ですか!? ありがとうございます……それしか言葉が見つからない……」

「そうなれば善は急げ……いや、まだ昼の部も始まったばかりだろう。今から手伝って夜の方を休みにして貰えるよう頼み込む事は出来ないか?」

「それだ! それです! 天才ですか!? それ以外道はありません! では行きましょうルドウイーク! マギーが怒らない事を祈って!!」

「多分、こっぴどく言われるとは思うがな……」

「うーっ……!」

 

 話がまとまると、彼らは人目も憚らず、必死になって【鴉の止り木】に向けて走り始めた。どうか、マギーが許しを出してくれますように。それだけを願って。

 

 

 

 ――――その後彼らが【鴉の止り木】に辿り着いた時、そこは順番待ちの客で溢れかえっていた。何でもあれだけエリスの事を揶揄していた【黒い鳥】が店に現れず、結果として怒りに燃える形相のマギーと店主代理がフレーキを伴い必死で店を切り盛りしていたのだ。

 

 そんな所に現れたエリスとルドウイークをマギーは問答無用で店に引きずり込み、有無を言わせず店員としてフロアに立たせた。そしてエリスは余りの客の数に、ルドウイークはこれっぽっちも慣れぬ仕事に悲鳴を上げながらもどうにか昼の客のラッシュを乗り越えて、その代価として夜の部の休みを取る事に成功したのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスとルドウイークが去り、その背中を見送ったロキ・ファミリアの幾人か。急速に戦闘の熱気が覚めて行く中庭に残った者たちの内、フィンがロキに気さくな口調で話しかけた。

 

「いいのかい、ロキ? 人が増えるなんて、【豊穣の女主人】には伝えてないだろう?」

「かまへんかまへん。とりあえずラウルにでも伝え行って貰うわ」

「ねーロキー、ちょっとダンジョン行ってきていい~? 悔しくてさ~」

「何言ってるのティオナ。夜の為にも早く仕事終わらせないと。ほら、いくわよ」

「はーい……」

 

 二人が話す横で、我儘を言おうとしたティオナをティオネが叱り、そのまま腕を引っ張って何処かへ連れて行ってしまった。今や残るのはロキとフィン、そして不満気な表情を隠さないアイズと、複雑そうな顔をしたレフィーヤのみである。

 

 その場においてもへらへらと緊張感無く笑っていたロキは、周囲に残った面子の顔を一度見回すと、突然今までの道化めいた仮面を脱いで、オラリオ最強のファミリアの主神に相応しい鋭い視線でフィンに問いを投げた。

 

「……で、どやった、フィンから見て。あのルドウイークっちゅー男は」

「おそらくは、レベル6。少なくとも、成ったばかりではないだろうね」

 

 フィンの返答を聞いたアイズとレフィーヤに緊張が走る。特に、先日レベル6に到達したばかりのアイズは人知れず右手を握り込んだ。

 

「レベル6かぁ……そん中でもどんくらいや?」

「【エアリエル】抜きのアイズと同じくらいかな…………今日見たのが全てなら、の話だけどね」

「まぁ、そこは悪い事やない。仲間に引き込めたんやからな。『壁を斬ったらアダマンタイト*1』や」

「そうだね。詳しく調べる機会は今後いくらでもあるだろうし……ところで、エリス神の様子はどうだったんだい?」

「んー……あいつ、なんか変やわ。ビビりすぎや。ホントに自分の眷属のステイタス解っとるんかって感じやで」

 

 ロキは考え込むようにしながら、観戦中に抜け目なく観察していたエリスの様子を思い出す。

 

 フィンの言う通り、ルドウイークのレベルが6であるのならエリスの動きは正直不自然であった。オラリオにおいて、何らかの特別な理由無くレベルが下の者が上の者に勝つ事は出来ないとされている。ティオナのレベルは5であり、それは対外的にも良く知られていることだ。

 ならば、エリスの性格上もっと余裕をもって観戦していていいはずだろう。そう言わしめる程にレベル5が成りたてでも無いレベル6に勝つのは困難極まる。しかしそれにしては、エリスは二人の戦いに一喜一憂しすぎていた。

 

 そこから導き出される推論は幾つかある。例えば、一番ありえるのはルドウイークはまだレベル6に上がって間もない冒険者だったと言う可能性だ。しかしそれは最も近くで戦いを見ていたフィンによって否定されている。

 逆に最も有り得ないのが……エリスはルドウイークの実力を知らなかった。これは本当に有り得ない。眷族がステイタスを更新するのには神の手を借りる必要があり、その際に神は眷族のステイタスを目にしている筈だからだ。

 

 しかし、ロキの脳裏にそれが真実であると言う可能性が尾を引くように残っていた。

 

 例えば……ルドウイークは本当の意味でエリスから恩恵(ファルナ)を受けていないのかも知れない。それ故に彼女がルドウイークの本当の能力を知らなかったとしたら…………であれば、ルドウイークに恩恵を与えている者が他に存在する事になる。

 

 そう言う『戦力を平気で他のファミリアに貸し出す変わり者』を、ロキは一柱知っていた。滅多に表に出ないながらも、(フギン)(フレキ)を従え、オラリオの裏で知恵を巡らせる隻眼の大神。もしもあの老神(ろうじん)が、エリス・ファミリアに絡んでいるとしたら。

 

 ――――同盟(首輪)組んど(付けと)いて正解だったかもなぁ。

 

 文字通り好きなように生きるあの奔放な老神に、一つ(くさび)を打つ事が出来るかもしれない。ロキは自身の一手が想定外に良い手だった可能性を視野に入れて、今後の展望を描く事にした。

 

 ……とりあえずは信頼を得る所からやな。

 

 ロキはまず、今日の壮行会でエリスをどう酔わせて情報を引き出すかを考える為に、ファミリアのレベル4、【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドを呼び出し、予約の人数が二人増える旨を伝えるのと、今あの店にどのような酒が置いてるのかを調べさせる為に【豊穣の女主人】亭へと向かわせるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 夜。賑わいを見せる西大通り(メインストリート)に面した酒場【豊穣の女主人】。そこで、【ロキ・ファミリア】と【エリス・ファミリア】による合同での宴会が催されていた。

 

 しかし、人数の差が余りにも大きいために事実上ロキ・ファミリアの宴会となってしまっており、ルドウイークは目立たぬよう端の席で静かに食事を取ろうとしていた。

 だがそう上手く行く筈も無く、早々にガレスに見つけ出され、カウンター席に連れてこられてドワーフの火酒が入ったグラスを延々と勢い良く煽る羽目になっていた。

 

「ぷはあっ! やはり、働いた後の一杯は格別じゃのう!! そう思わんかルドウイーク!!」

「ええ。働いた後には対価が必要ですからね」

「すぐお持ちしますニャー!」

 

 内心やけになりながらも飲み干したグラスをガレスと同時に置くと、店員が駆けてきて空のグラスを回収し、すぐに次の一杯が運ばれて来る。それを躊躇(ちゅうちょ)なく手に取って一気に飲み干す二人に、いつしかロキファミリアの団員たちは何か恐ろしいものでも見るような目で距離を取っていた。

 

 ――――その一方で、エリスはロキが薦める酒をロクに確認する事も無く思うままに呑み進めており、結果としてルドウイークどころか、周囲のどのロキの眷属達とも比べようも無いほどに酔っぱらっていた。

 

「それでですねぇ……私は言ったんれすよお! ナメクジを家の中で放し飼いにするなってぇ……でもルドウイー、ヒック、そう言われても……なんて言うんれすよぉ!? 意味わかりまへんよねぇ!?」

「おうおう、せやなー…………で、ルドウイークとはいつ、何処で出会ったん?」

「【怪物祭】の少し前れすねぇ……いつの間にかいたんれすよいつの間にかぁ」

「いつの間にィ? 何や信用できへんなぁ」

「なんれすかぁロキぃ! 私が嘘ついてるとれも!?」

「言うてへん言うてへん。ミア母ちゃん、水ええかー!」

「ちょっと待ってな!! シル、水持ってっておやり!!」

「はい!」

 

 既に呂律も回らず目が据わってしまっているエリスを見たロキは、普段閉じているのではないかと思われるほど薄く開いている目を更に細めてその様子を確認した。

 

 ……ちと酔わせ過ぎたかぁ。

 

 そう内心ロキが思って、酔い冷ましの水を用意してやりたくなるほどにエリスの言動は怪しくなっていた。それに思ったよりも情報が出ない。

 分かったのはルドウイークが戦闘衣(バトル・クロス)でも無いあの装束をダンジョンにおいても愛用しているとか、30(セルチ)はあるドデカいナメクジを家の中で放し飼いにしているとか、そういうどうでもいい情報ばかりだ。

 

 これじゃ飲ませ損やんけ。ロキが自身もちびちびと酒の入ったグラスを傾けていると、それをニコニコしながら見つめていたエリスがにへらと表情を更に崩してテーブルに寄り掛かり、笑いながらロキに尋ねる。

 

「そういえばー、ルドウイークも連れてっちゃったりするんですかー? 遠征…………」

「んにゃ、流石に遠征には連れていかれへんわ。確かに強いんは間違いなさそうやけど、今から追加メンバー突っ込んでも連携がガタガタになってまう」

「れすよねー、よかったよかった! あははは!!」

 

 ロキの答えを聞いたエリスはそれが面白くて堪らないという風に気の抜けた笑い声を上げ、テーブルの上に置かれた酒のグラスを見もせずに探り出そうとする。それを見て、ロキは今し方店員の一人が運んできた水を受け取ると未だにテーブルの上を這いずるエリスの手にグラスを握らせてやり、彼女がそれを一気に飲み干すのを何となしに眺めていた。

 

 その時、ルドウイークと飲み勝負に興じていたガレスが尿意を催して席を立った。ルドウイークはそれを見送ると、自身でも酷く酒臭いと思える息を吐き膨れて来た腹に思いを馳せる。

 

 幾ら酔わぬと言っても、どれだけ酒を飲めるかには物理的な限界がある。ルドウイークはその限界がだんだん迫ってきているのを自覚して、また酒精に塗れた溜息を吐いた。

 

「ルドウイークさん」

 

 その彼に後ろから声をかける者が居た。先程までレフィーヤやティオナと共に食事をしていたアイズ・ヴァレンシュタインだ。ルドウイークが振り返ると、彼女はガレスが戻ってくる前に要件を済ませたいのか、あるいは他の人に話を聞かれたくないのか戸の外にあるテラスを指差した。

 

「少しいいですか。話があるんですけど」

「分かった、今行く」

 

 ルドウイークは立ち上がると、アイズの後ろに続いて屋外へと出て行った。その様子をロキとエリス、そしてレフィーヤが目を丸くして見つめており、特に驚愕を隠していないロキとエリスが同時に似たような呻き声を上げた。

 

「ど、どういうことや……!? アイズたんが、あの男と何を……!?」

「ど、どういうことで……あっそっか、そうれした~。そりゃしゃーないですねぇ……」

 

 ロキと同様に動揺しかけていたエリスだったが、水を飲んで僅かに調子を取り戻しかけた頭で二人には『ベル・クラネルの特訓』と言う共有する秘密がある事に思い至って納得し、安堵する。だがロキはその言葉を聞き逃さず、鬼気迫る形相でエリスに掴みかかった。

 

「ちょい待ちエリス!! 自分あの二人についてなんか知っとんのか!? 吐け! 吐けや!! 吐け!!!」

「ロキ、ちょ、待、止め、気持ち悪……」

 

 彼女のケープの襟首を掴み前後に激しく揺さぶりながら、ロキはエリスに尋問を仕掛けた。

 だが、既に随分と酒に飲まれ平衡感覚を失い始めていたエリスにとって、ロキの取った手法は激しくうねる海に浮かぶ小舟を想起させるほどの揺れであり、案の定すぐに限界を迎え、こみ上げる物を抑える事が出来なくなった。

 

「う、おえ、おえええーっ!!」

「きゃあっ!? 神エリスが!!」

「ぎゃあああーっ!! こんアホ、マジで吐くやつがあるかーッ!? タオルタオル!!!」

「何やってるんだいそこの女神たちはぁ!?」

「ちょ、ちょい待ち!? 吐いたんはうちやなくてエリスやでミア母ちゃん! うちは何も悪くあらへん!!」

「こっちは何してたか見てた上で言ってんだよ! いいからさっさと掃除しな!! 返事ィ!!!」

「すんませんしたァーッ!!!」

 

 怒り心頭のミアの前ではさしものロキも形無しで、地面に這いつくばって吐瀉物の処理をさせられる事となった。一方のエリスは眼を回してダウンしてしまっており、丁度アイズに関する会話を聞き出すべくいつの間にやら隣に忍び寄っていたレフィーヤが彼女の口元やらを拭いてあげている。

 

 そんな店内の喧騒を尻目に、オラリオの夜を望むテラスに出たアイズは神妙そうな顔つきで、ルドウイークに話を切り出していた。

 

「ルドウイークさん」

「何だね、改まって。まぁ、なんとなく何を言われるか分かるが」

 

 真っ直ぐな視線をぶつけてくるアイズに、あくまでルドウイークは普段通りの自然体で応対した。するとアイズも多少緊張していたのか、少し肩の力を抜いて平坦な声で本題を切り出した。

 

「はい。…………明日の『訓練』なんですけど、折り入って頼みがあります」

「ふむ。何だね?」

「少し早く来て、私とも戦ってくれませんか?」

 

 ルドウイークはアイズの眼を見て、彼女の真意を探る。だが、その真っ直ぐな瞳に害意や悪意と言ったものを感じる事は出来ない。

 

 きっと、ティオナとの戦いを見て彼女も自分と戦いたくなったのだろう。フィンが『悪い癖』と発言していた事も加味してルドウイークはその様に結論付けた。そして、自身とエリスにとって最もいい答えを引き出すにはどう返すべきかをしばらく考え込んだ後、彼女の金色の眼を真っ直ぐに見返して、とても短い答えを返した。

 

「断る」

「えっ」

 

 余りに率直で直球な答えに驚いて目を丸くしたアイズ。ルドウイークはそれを見てから、彼女が何かの反論を思いつく前にと適当な出まかせを(まく)し立てるように話し始めた。

 

「まず、あの訓練は秘密裏に行うべき事案だろう? それなのにあまり時間を取りすぎれば発覚する危険が増す。クラネル少年も、自分の訓練が始まる前に我々がボロボロだったら訓練に身が入らない…………いや、それよりもボロボロになったまま帰ればロキ神やほかの眷属達は絶対に怪しむはずだ、多分。だから模擬戦を今受ける事は出来ない」

「あ…………はい、そう、ですね……」

 

 どうにかなったか。勢いのままアイズを言いくるめたルドウイークは悟られぬよう、アルコールの過剰摂取による物か今の綱渡りによる物か判別のつかぬ頬の汗を装束の袖で拭き取った。その時、丁度トイレから戻ってきたガレスがテラスに顔を出し、ルドウイークを見つけて手招きをする。

 

「おおい、ルドウイーク何をしとる。まだまだ飲むぞ。今夜はベートもおらんし、お主くらいしか相手がおらん、早う戻ってきてくれい」

「申し訳ない、今行きます」

 

 ルドウイークはガレスの言葉に助け舟だと言わんばかりに肯定を示してすぐさま店内へと戻ってしまった。

 

 席に戻る道中、随分と周囲の視線が突き刺さるような気がしたが、それよりもガレスが手招きして急かすために余り気にせず速足で歩く。

 そしてカウンターに戻ると、いつの間にか並々と注がれていた火酒のジョッキを手に取ってガレスの差し出したそれにぶつけて小気味よい音を立てつつ、ちらと未だにテラスから戻らぬアイズへとガラス越しに視線を向けた。

 

 ――――きっと、あれだけで諦めてはくれないのだろうな。

 

 彼は、アイズの人間性をあまり良く知らぬ。しかしベルとの訓練の様子や幾度か出会った時の言動から判断してそう結論付けた。また明日の朝も訓練がある。そう思うとどうやって彼女に対応するべきか、先行きが少々不安になる。

 きっと彼女と顔を合わせた時、先ほどと同じように模擬戦の要求をかけてくるのだろう。そう容易に想像がついて、その不安を誤魔化すかのようにルドウイークはドワーフの火酒を一気に喉に流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その頃。

 

 ダンジョン下層、第27階層で、【ロキ・ファミリア】幹部であり、今日のエリスとの会談に唯一姿を現す事の無かった【凶狼(ヴァナルガンド)】こと【ベート・ローガ】は、誰にも知られぬままダンジョンへと潜って、今やただ只管に時を待っていた。

 

 朝からダンジョンに潜った彼が一日足らずでこの階層まで到達している――――それは本来、有り得ない事態である。例え彼が、レベル5の冒険者でありながら都市屈指の敏捷を誇っていようとも、数多のモンスターによる襲撃を潜り抜けながらでは精々日帰り出来るのは20階層が関の山だ。

 

 しかし、この場にはもう一人冒険者が居た。黒い外套を着込み、二本の大剣と一張(いっちょう)の大弓と矢筒、更には長刀と長剣を一振りずつ()いて、小型のバックパックを身に付けた装備過多の冒険者。

 

 ――――【黒い鳥】。本来であれば、ファミリアに来客が居る間低階層で時間を潰しているつもりだったベートは、彼に誘われてこの27階層まで足を運んでいたのだ。

 

「…………遅ぇ」

 

 眼前に広がる水場に目をやりながら、胡坐をかいて座ったベートが苛立たしげに呟いた。後方で水晶めいた大岩に寄り掛かって座っていた【黒い鳥】は、その声に反応して身を起こす。

 

「…………おい手前(テメェ)、本当に来るんだろうな?」

「んん? そうピリピリするなよ。本当なら先週中にはもう出てるはずなんだ。でもまだ出てこないなら、見に来る価値はあるだろ?」

「出るっていうから付き合ってやったんだろうが。もし出なかったら分かってんだろうな?」

 

 ベートは苛立ちに毛を逆立て、犬歯を剥きだして【黒い鳥】を威嚇した。しかし、【黒い鳥】はそれもどこ吹く風といった風にまた大岩に寄り掛かって目を閉じる。

 

「ハッ……【アンフィス・バエナ】を狩りに行くっつったら、喜んで着いてきたくせに……遠征の邪魔になりそうだからか? 健気なもんだぜ……」

「殺すぞ」

「ははッ……」

 

 気だるげな【黒い鳥】は、生半可な冒険者であれば震えあがる様な名前を気軽に口にして緊張感無く笑い、それに怒りを見せたベートの威嚇をも楽しげに笑って流した。

 

 ――――【アンフィス・バエナ】。27階層に出現する【階層主】。レベル6に相当する力を持つとギルドに認定され、25階層から27階層を流れ落ちる大瀑布、【巨蒼の滝(グレートフォール)】を中心とした生態系に君臨する双頭竜。

 

 約一か月ごとにダンジョンに生まれ落ちるかの竜は三階層にも(またが)る大瀑布を昇る事が出来、出現階層である27階層から25階層までをも縄張りとしている。

 その為もし大部隊での遠征を志す場合、移動中の隊列が突如として狙われる可能性がある。そうなれば先の攻略に関わりかねない。当然、【黒い鳥】にロキ・ファミリアの遠征を助ける意図など無かったが……ベートにその障害を排除できるという誘いを断る理由は無かった。

 

「こうしてると思い出すよなぁ…………あのクソッたれ【九頭竜(ナインヘッド)】と殺し合う羽目になった時も、お前と、それと【ロスヴァイセ】の(あね)さんが一緒だった」

「思い出したくもねぇな」

「そう言うなよ、ベート。俺とお前の仲だろ?」

「テメェから先に殺してやってもいいんだぜ、俺は」

「ハハ……やめとけよ。それこそ【ロキ】の迷惑だ……だってお前、朝までに無事で帰らなきゃあ怒られちまうだろ? 遠征目の前にしてなにやってんだ、ってな……」

「……チッ!」

 

 楽しげに笑う【黒い鳥】とは対照的に、ベートの怒りは既に限界に近づいていた。彼は苛立ちを紛らわすためにか、近くにあった小石を目の前の水源に向けて思い切り叩きつける。

 

 すると、広がった波紋の中心で大きな泡が立った。そして一気に水が盛り上がり何かが浮上して来る。

 

「来たな」

 

 【黒い鳥】が跳ね起きて、背にした大剣の一つである【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】アンドレイの手によるバスタードソードに手をかける。ベートもゆっくりと立ち上がって姿勢を低く落とすと、水を割って姿を現した純白の鱗を睨みつけた。

 

『ガアアアアアアアアアア――――――ッッ!!!!!』

 

 姿を現した双頭竜。二つある頭の内、片方の頭が目の前に存在する矮小な二人のヒトに向けて途方もない声量の咆哮を上げた。もう片方の口は対照的に静かであったが、既にその口から魔法効果を四散させる力を持つ【紅霧(ミスト)】を漏らし臨戦態勢に入っている。

 

 これこそがアンフィス・バエナ。全高20(メドル)を超える水の竜王。迷宮に君臨する【迷宮の孤王(モンスターレックス)】の一体。

 

「ハハ、相変わらず怖い顔してるな」

 

 しかし、並の冒険者では拝む事さえ叶わない双貌(そうぼう)と向かい合った黒い鳥は、心の底から楽しそうに笑った。その楽し気な表情とは裏腹に全身には力が漲り、アンフィス・バエナの最も強力な攻撃手段である【焼夷蒼炎(ブルーナパーム)】に備えている。一方でベートは、【黒い鳥】とは真逆に苛立った顔をしながらアンフィス・バエナに向けて歩き出した。

 

「手ェ出すな【黒い鳥】。こいつは俺一人でやる」

「……おい、本気か?」

 

 驚いたように顔を(しか)める【黒い鳥】。しかしベートはそれを意に介さずにさらに歩みを進めた。

 

「誰がテメェの手なんか借りるか。こいつは俺が潰す」

「やめろベート。【剣姫】に先越されて焦ってんのは分かるが……」

「うるせぇんだよクソが!! 黙って見てろ!!!」

 

 【黒い鳥】の、ベートの逆鱗を逆撫でするような推測に反射的に彼が噛み付いた、その瞬間。アンフィス・バエナの噛みしめられた歯の間から僅かに光が漏れたかと思えば、勢い良く竜は顎を開き煌々と輝く蒼い炎を恐るべき勢いで放射する。

 

 これこそアンフィス・バエナの誇る【焼夷蒼炎】。火炎を吐くモンスターはダンジョンにも数居れど、蒼く輝き、水上ですら燃焼し続ける炎を吐くのはアンフィス・バエナの特権だ。当然その温度は中層の【ヘルハウンド】どころか更に下の階層に出現する竜たちさえも上回り、特別な耐性装備無く人が受ければまず消し炭確定である。

 

 迫る蒼炎を前にベートはギリギリまでそれを引きつけ回避しようとする。だがそれよりも速く彼と炎の間に【黒い鳥】が躍り出て、先ほど手を掛けていたのとは別の厳重に封のされた大剣を振るっていた。

 

「オオッ!!」

 

 迫っていた蒼炎は、振り下ろされた剣に届く前にまるで蝋燭の火を吹き消すかのように吹き散らされた。大剣としては細身の、水晶の様に輝く刀身。しかしその実、抜かれた瞬間に目前のアンフィス・バエナさえも凌駕(りょうが)する余りにも重苦しい存在感をその剣は放っている。

 

 蒼炎を防いだ【黒い鳥】は大剣をすぐさま背に戻し、厳重に封のされた鞘へと納めた。それを見届けたベートは思わず舌打ちする。あの剣。【ゴブニュ・ファミリア】の【ひねくれ(シニカル)】エド・ワイズの手による、得体の知れぬ一振り。

 わずか半日で二人がこの階層まで辿り着いたのも、僅かに封を解かれたあの剣の圧力が本来ならば狂乱したように襲い来るはずのモンスター達を怯えさせ、隠れる事を選択させたからだ。

 

 自分がここ(レベル5)で足踏みしている間に、嘗ては下に居たはずのあの男は遥かな高みへと自分を置いてゆき、その強さに見合った武器をも手にしている。

 

 ベートにとってはどうにも許せなかった。嘗ては自身に劣り、一時は横に並んでいたこの男の背に、今や手の届かぬ自分自身が。

 

「流石に、そう時間をかけちゃあられねえのよ」

 

 【黒い鳥】はちらと後ろのベートに視線を向けながら言った。確かに、彼の言う事には一理ある。既に地上は夜になっているだろう。ここで時間をかけていては、朝までには到底間に合わない。それが――――言外に、お前一人では時間がかかりすぎると言う【黒い鳥】の言い回しが――――ベートは気に入らない。レベル5であったアイズがアンフィス・バエナを上回る【ウダイオス】を単独で撃破し、【黒い鳥】ともそれなりに渡り合ったと聞いては尚更だ。

 

 だからこそ、【黒い鳥】の言葉も聞かずに前に出る。それは無謀な冒険だ。『冒険者は冒険してはならない』。それは死に直結しているから。

 

 だが、『竜』を前にして退けば、()()()()自分は死んでしまうのだとベートは直感していた。

 

「うるせえ」

 

 ベートはそれだけ呟いて、【黒い鳥】の横に並び立った。そして、アンフィス・バエナに、更には【黒い鳥】にまで睨みを効かせて啖呵(たんか)を切る。

 

「どいつもこいつもうるせえんだよ。お前も、オッタルも、このクソトカゲも。俺は雑魚じゃねえ。すぐに、お前らにそれを分からせてやる」

「…………そうでなきゃな、お前は」

 

 その、傍から見れば挑発としかとれないような啖呵を受けて、普段の戦闘の際は無表情で通している黒い鳥は本当に嬉しそうに笑った。

 

「本当はお前に任せてやりたいとこだがさ、今回はマジで時間が無い。俺も店サボってきちゃったからな」

 

 【黒い鳥】は大弓を手に取り、矢筒から一本矢を抜いた。そして彼はベートに向かってにっこりと人当たりの良さそうな笑顔を見せる。

 

「だからさっさと済ませようぜ。早い者勝ちだ。それならお前も文句ないだろ?」

「チッ」

 

 舌打ち一つで答えたベートは低く構え、所持していた魔剣を自らの武具である具足、【魔法吸収】の属性を持つ第二級の【特殊武装(スペリオルズ)】、【フロスヴィルト】に触れさせてその力を充填した。

 魔剣が音を立てて破損するのと同時にフロスヴィルトが輝いて、そこから僅かに雷の魔力が漏れ出す。

 

「『獣に炎、竜には雷』」

 

 それを見て呟いた【黒い鳥】が笑うと(やじり)が小さく雷撃を発してバチリと光り、彼はそれを大弓に(つが)えた。相対するアンフィス・バエナは眼前で瞬いた光に少し目を細めたが、すぐに口内を輝かせ、焼夷蒼炎の二射目を充填する。

 

「さぁ、死ぬなよベート。無事に帰らなきゃ、何言われるか分からんぜ」

「テメェは死ね。このトカゲ野郎潰したら、次はテメェの番だ」

「そりゃあいい!」

 

 気遣うような発言をした【黒い鳥】がベートから殺害宣言を返されて笑った瞬間。双頭竜の口から蒼い輝きが再び放たれ、27階層に流れ落ちる大瀑布をより蒼く、より鮮烈に染め上げた。

 

 

*1
想定外の幸運。転じて、想定外の結果が次にいい形で繋がる様を表す言い回し




同盟成立完了です……。

平時のルドウイークの強さについては非常に悩ましい所がありましたが、今作においてはこのような落とし所になります、ご容赦ください。
血晶石や秘儀、何より月光を十全に使えばもっと強くなるんですが、秘するべき輝きの為非常時以外に抜く事はないので。

没要素の<大いなる上位者の獣>については見た目と動き以外に情報が無いので能力は独自設定および独自解釈です。あれ程完成されたモーションであれば是非完成品とやってみたかった……。

次話からはまたベル君の特訓に戻ります。夜襲を乗り切って一区切りかな。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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24:襲撃

ずいぶんお待たせしました。24000字です。
話の都合上、原作とほとんど展開は変わらないです。

感想評価お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 夜更けも近い時刻の、オラリオ外周市壁の上。

 

 壁に寄り掛かり、そよ風に流れる金糸の髪を揺らすアイズ・ヴァレンシュタインの機嫌は、見かけの穏やかさとは裏腹にあまりいい物とは言えなかった。

 

 『遠征』への出発を三日後に控え、ベルに対する訓練も佳境に入ったその日。下準備を終えた【ロキ・ファミリア】は遠征の当日までが自由時間となり、その内の丸一日を、アイズはベルとの訓練に費やす予定だった。

 

 だったのだ。

 

 だが、それだけでは済まなくなった。<ルドウイーク>。ベルに対する訓練に付き合うようベルの担当アドバイザーに頼まれた白装束の大柄な男。

 

 彼の事を、アイズは知らない訳では無かった。

 

 以前の遠征の帰りに起きた『ミノタウロス上層進出事件』の時に、彼が自身達ロキ・ファミリアが逃がしたミノタウロスの一体――――の死体と遭遇していた所に出くわしている。あの時は、運よくミノタウロスの激突を逃れた幸運な冒険者と思って、特段気にしては居なかったが…………次に出会った時、【リヴィラ】での遭遇でその認識は大きく覆った。

 

 アイズ自身も息を呑むような凄惨(せいさん)な殺人現場で、歴戦の猛者であるフィンやリヴェリアと同様、表情一つ変えずに遺体を見聞する死体への慣れ。広場を襲撃した食人花に対した際に見せた当時の公示レベルを遥かに逸脱した戦闘能力。そして、単身街へと飛び出して、最終的には大きな負傷も無くオラリオに帰還したという生存能力。

 

 人食い花との戦闘や街へと飛び出した話についてはティオナからの伝聞ではあったが、アイズはその時からルドウイークと言う男が何かを隠しているのだろうと、漠然(ばくぜん)と考えていた。

 

 その思索は正しかったと、先日の【黄昏の館】におけるティオナとの戦いで証明された。

 

 最高の状態では無かったとは言え、本気のティオナを相手に優勢を保って戦いを終え、明らかに並の使い手では操る事の叶わない【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】を手足の延長かの如く振るう。

 そして何より、怒涛と言うに相応しいティオナの連続攻撃にあっという間に順応し、一度倒された後は一切の傷を受けずに戦い抜いた観察力、学習能力、体捌き。最も間近で二人の戦いを見ていたフィンは、彼を指して『レベル6』だと断言した。

 

 なら、私も戦ってみたい。

 

 そう思ったアイズは、その後の壮行会の時にも、一昨日も、昨日も出会う度にルドウイークに戦いを申し込んだ。しかし、その全てに彼は似たような返事を返すばかりだった。

 

『断る』

 

『私は『人』と戦うのが苦手だ』

 

『クラネル少年の訓練の為に我々はここに居る。もし私達が戦うのであれば、また今度の機会にしよう』

 

 それらしい言葉を並べて、彼はアイズと戦うのを兎角嫌がった。主神である女神エリスに止められているのか、あるいは個人的な事情があるのか……流石にそこまでの判断は付かなかったものの、お陰様であまりベルとの――――更に最近朝早くから外出するアイズの行動を不自然に思い問い詰めてきたレフィーヤとの――――訓練に身が入っていないような気がする。

 

 確かにルドウイークの言う通り、諦めて後回しにするのが正解なのだろう。だがアイズとしては、余りもやもやした気持ちを遠征に持ち込みたくないという建前と、ルドウイークの強さを自身でも確かめて、自分が強くなるための糧にしたいと言う本音があった。

 

「今日も早いですな、アイズ殿」

 

 そんな事を考えていれば、市壁の内側に通じる扉から当のルドウイークが姿を現した。以前はまた別の、外側に階段のある区画の壁上で訓練していたのだが、数日前に立ち入りが禁じられてしまっていたために市壁の内側にある薄暗い階段を昇ってくる必要のある区画へと移動している。

 以前の訓練場所では、毎日階段の踊り場でオラリオの情景を描いている少女の絵の進み具合を通りがかりに覗くのが日々の小さな楽しみになりかけていたのだが……訓練に使えなくなってしまったとなれば仕方ない。彼女は小さな感傷を振り払う様にルドウイークに顔だけを向けた。

 

「おはようございます」

 

 素っ気なくルドウイークに対して挨拶を返すアイズ。それは戦いを拒み続ける彼に対する当てつけのような物だったが、彼は特段何とも思わなかったようで、回復薬(ポーション)の詰まった背嚢(バックパック)を壁際に置いて白み始めた空へと目を向ける。

 

「アイズ殿、約束の時間にはまだある。立っているのもなんだし、少し休んでいたらどうだ?」

 

 ルドウイークはそう言って、市壁の壁に寄り掛かるようにして腰を下ろす。しかし、そんな事を言うルドウイークと戦う時間を取るために早くこの場に参じているアイズは彼の言葉を聞いてますます不機嫌になって、少しムッとしながらに口を開いた。

 

「ルドウイークさん」

「何かね」

「今日こそ、戦って貰えませんか?」

 

 半ば捨て鉢に彼女はルドウイークを睨みつける。どうせ、今回もこちらに目を合わせる事も無く、断るの一言で流すつもりなのだろう。そう思ってますますやり場のない感情をわだかまらせるアイズ。しかし、彼女の予想に反してルドウイークはアイズの事を真っ直ぐに見返して、悩むかのように腕を組んだ。

 

「…………それについてなんだが、いろいろ考えて来た」

「えっ?」

 

 ここ数日とは明らかに異なる彼の返答に、アイズは拍子抜けしたかのように目を丸くする。今までは何度聞いてもそれらしい理由を付けて断るだけだったのだが、今日になって突然意見を変えるとはいったいどういう考えなのか。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、難しい顔をしてルドウイークが肩を竦めた。

 

「何、君にそこまで求められている以上、私としてもどうにか落とし所は無いかと思ってね。同盟を結んでいる以上、ただ断るばかりでは角も立つ」

「じゃあ、つまり」

「戦おうか――――今ではないが」

 

 一瞬期待から顔を綻ばせそうになったアイズはルドウイークが付け足した言葉に足元を掬われたかのように態勢を崩しかけたが、どうにか態勢を持ち直して納得行かないように彼を見つめた。

 

「どうして、今じゃダメなんですか?」

「アイズ殿。君が望むのは、ティオナの時同様の本気の模擬戦だろう? であれば、遠征が終わって君が無事に帰ってきた後。正式にエリス神やロキ神の了解を取ってからだ」

「私は、今すぐでもいいですけど……」

「遠征を前にした貴女の身に万が一の事があったらどうする。流石に責任が取れん。だから、皆が遠征から戻ってきてから正式に模擬戦の話を組もう。それなら、貴女の満足いくまで付き合ってあげられると思う」

 

 ルドウイークは座ったまま、アイズを見上げて(さと)すように言う。その言葉には、フィンが下の者達に言い聞かせる時と同じような不思議な圧があった。

 

「そう言う訳で、申し訳ないが今すぐに君と戦う事は無い。そこは、見逃してくれ」

 

 言い終えたルドウイークは目を閉じて、腕を組んだまま壁に深く寄りかかった。そして、何かを思案するかのように(うつむ)いて、それからは何一つ語る事も無く黙りこくっている。

 

 ……本当の事を言えば、ルドウイークとしては今だろうと今後だろうと彼女と戦うのは望むところでは無かった。だが、以前エリスが【剣姫】と友好的な関係を結んでおくように指示していたのを思い出して、どうにか首を捻って落とし所を考えてきたのだ。

 ルドウイークがエリスの意図――――アイズと友好を結んでおくように指示していたのは、対談の時に何か役に立つカードになるかもしれないという打算的な物であり、対談を終えた今、既にその必要性は失われているという事実――――について理解が及んでいなかったのは、アイズにとっては幸運であったと言えるだろう。

 

 アイズは未だにうまくルドウイークの言葉が呑み込めていなかったものの、遠征明けになれば模擬戦に付き合ってくれると彼から言質(げんち)を取る事が出来たというのはしばらくしてハッキリと理解した。それによって、ずっと良くなかった彼女の機嫌も多少上向く。

 

「おはようございます!!」

 

 二人が話している内に約束の時間になり、市壁の上にベルが姿を現した。市壁内の階段を走って昇って来たのか、まだ多少肌寒い空気の中でじわりと汗を滲ませ、ぜーぜーと肩で息をしている。

 

「おはよう」

「おはよう、ベル」

 

 彼に対して二人は片や表情を変えず、片やにこやかに挨拶を返した。それを聞いたベルは小走りに駆け寄ってきて二人の前で頭を下げる。

 

「今日もよろしくお願いします!」

「うん。よろしくね」

  

 挨拶を終えるとすぐにアイズはベルに構えさせ、自らも愛剣を抜き――――それを脇に置いて、鞘だけを握りしめ構える。

 

 訓練が始まった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ――――今日の鍛錬は随分と激しいな。

 

 ルドウイークは下ろした背嚢の中にある回復薬の瓶をまさぐりながらに二人の戦闘に目を向けていた。

 

 どうにも今日はアイズの調子が普段より良いようで、愛剣の鞘を普段より更に素早い速度で間断なく振るっている。

 そもそも、彼女の動きが普段より良いのはルドウイークが模擬戦の相手を今後と言う形で了承した事によって、彼女の胸のつかえが取れた事が原因であるのだが……それを知らぬルドウイークは叩き伏せられるベルを心配そうに眺めるばかりだ。

 

「ぶはぁ!!」

 

 短刀を構え突っ込んだ所に足払いを掛けられ更には後頭部に鞘を打ち付けられたベルは地面に顔から叩きつけられ、そのまま動かなくなる。既に十回。今やアイズはこれまでを大幅に超えるペースでベルの気絶回数を伸ばしていた。

 

 アイズは倒れ伏したベルをひっくり返すと、それを市壁の(きわ)まで引きずっていき仰向けに寝かしてやる。そして、一度その頭を持ち上げると地面との間に小さく正座した自身の腿が来るようにして乗せてやった。膝枕だ。

 

 それを見て、まるで姉弟のようだなとルドウイークは優し気な視線で二人を眺めていたが、すぐに回復薬を手に二人の元へと歩み寄り背嚢(バックパック)から取り出した瓶を差し出す。

 

「アイズ殿」

「うん」

 

 瓶を手渡されたアイズは、たどたどしい手つきで先ほど派手に地面にぶつけられ擦りむいたベルの額に回復薬を塗り込んで行く。彼女の細い指が傷を撫でるたびにベルが僅かに呻くのでその度にアイズは不安そうにルドウイークに目をやるが、ルドウイークは大丈夫だと小さく肩を竦めた。

 

 しばらくしてベルの呼吸が落ち着いたころ。ルドウイークは背嚢の中の回復薬の数量を見て、ベルの髪を優しく撫でているアイズに声をかけた。

 

「アイズ殿、少しいいかね」

「……何ですか?」

回復薬(ポーション)の数が心許ない。補充して来ても構わないか?」

「わかりました。お金は……」

「大丈夫だ。君から預かっている分で十分足りるだろう。行ってくる」

 

 ルドウイークは背嚢を背負うと、足早に市壁の上を後にした。

 

 ……実の所、背嚢の中の回復薬の量にはまだ余裕がある。だが、今までに無い速いペースで気絶していくベルを見て、一旦小休止を入れるべきだとルドウイークは判断したのだ。流石に、回復薬をこうして持ち去ってしまえば今までのように派手な訓練は行えまい。

 

 ルドウイークから見て、アイズはあまり他者に物を教えるという事に慣れているようには思えなかった。手加減が足りないというか、ベルが良い動きをするとそれに呼応して自身の速度も上げてしまう。特に今日は訓練している時間よりも気絶している時間の方が長いのではと言う状態だ。

 

 なので、彼はこうして訓練を中断するタイミングを作って時間の調整を行っていた。我武者羅に戦い続けるのもいいが、少し腰を落ち着けて自身の動きを思い返す事なども立派な鍛錬である。

 それは回避を重点とし、常に人として思考し続けるヤーナムの狩人特有の考え方であったが、敏捷に優れ、かつ体格には恵まれないベルの訓練には応用できる所があるとルドウイークは考えていた。

 

 薄暗い市壁内の階段を降りきって外に出たルドウイークはしばらく今居る位置から最も近くにある医療系ファミリアが【ミアハ】か【ディアンケヒト】のどちらかであるか考えていたが、諦めて懐から取り出した地図に目を走らせると、【ディアンケヒト・ファミリア】を目指して歩き出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「あれ? どうしたんですかルドウイーク、こんな所で」

 

 西の大通り(メインストリート)、自身の職場である【鴉の止り木】亭前の道路に水を撒いていたエリスは想定外の来客に首を傾げた。

 

「まだ用事中のはずですよね? 何かあったんですか?」

「いや、少々時間調整が必要だと思ってね……あまり早く訓練を再開させるとクラネル少年の体が持たん。今日のアイズ殿は力が入っているものでな」

 

 問われたルドウイークは肩を竦め、力なく笑う。想像以上に場所が近く、店員の手際も良かった【ディアンケヒト・ファミリア】の店舗では殆ど時間を潰す事の出来なかったルドウイークは、帰りがけに少々遠回りをして【鴉の止り木】の様子を見に来たのだ。

 

「ふぅん。真剣に訓練やってるなら別にいいと思いますけど……」

 

 ルドウイークの言に対しあからさまに興味無さげに相槌を打つエリス。しかしそれも仕方のない事。彼女からすれば大目的であったロキとの同盟も成り、既にこの訓練の利用価値は殆ど無くなっている。未だにルドウイークを訓練の場に送っているのも、ロキ・ファミリアの重要人物である【剣姫】と彼の関係を険悪にしたくないなどと言った程度の動機だ。

 それはルドウイークも承知しており、しかし生来の生真面目さから真剣に彼らの訓練に付き合っている。エリスとしてはその姿勢こそ好ましいものの、余りヘスティアに対して塩を送り過ぎたくは無いとも思っていた。

 

 ルドウイークの顔を眺めながらそんな事を考えているエリスをよそに、ルドウイークが店の軒先に一度目を向けると、そこに在ったあからさまな異常を認識して訝し気にエリスに顔を寄せて尋ねた。

 

「……ところでエリス神」

「はい?」

「あれは……何だね?」

 

 そう言って彼が指差す先にあるのは、軒先から吊り下げられた大きなズタ袋。きつく縛り上げられ、明らかに人が詰められていると分かる輪郭を持った上に『降ろしたら殺す』とまで記されているそれを見て、エリスはあっけらかんとした態度で答えた。

 

「【黒い鳥】ですよ」

「何?」

「だから、【黒い鳥】ですよ。出勤して来たらああなってました」

「どう言う事だ? 彼は何故あんな事になっている?」

「そりゃ、先日サボった件でマギーを怒らせたからでしょうね。今回ばかりはマジでブチ切れてたので、むしろアレで済んでるのが不思議なくらいです」

 

 溜息を吐いて呆れたように言い捨てたエリス。ルドウイークは彼女の説明に腕を組んだ。先日、ロキ・ファミリアとの同盟を行った日の昼間に店の手伝いをさせられた件は彼も良く覚えている。

 

「ああ、あの日か。あの時は散々な目に遭った……客商売と言うのは、まさしく戦場に違いあるまいて」

 

 先日の常軌を逸した忙しさを想起し、うんざりとしながら話すルドウイーク。あの日は当時のマギーの想像を裏切り、普段の倍近い数の客が【鴉の止り木】にやってきたのだ。話を聞く限り完全に偶然の産物だったらしいのだが…………そんな日に行方を絶った【黒い鳥】については、流石のルドウイークも思う所がある。

 

 その時、【鴉の止り木】の戸を開いて【黒い鳥】を宙吊りにしたと思しき張本人――――マグノリア・カーチスが顔を出した。

 

「エリス、外の掃除――――ん、ルドウイーク」

「ああ、マギー。どうも」

「いや、こちらこそ。先日は急に手伝いに入ってもらって悪かった。お陰様で助かったわ」

「礼には及ばん。いつも、エリス神が世話になっているからな」

「否定できない自分が悔しい……」

 

 互いに頭を下げる横で、エリスが悔しそうに歯噛みした。その様子を気づかぬふりをして、ルドウイークは先程エリスから伝えられたことの裏付けを取る様に恐る恐るマギーに尋ねた。

 

「……ところでマギー、これは何だね?」

「割引キャンペーンよ」

「割引キャンペーン」

「そう。これをこうして……」

 

 想定の斜め上を行った答えを聞き思わずそれを鸚鵡(おうむ)返しにしたルドウイークの声に(うなづ)いて、マギーは戸の横に立てかけてあった棍棒を手に取り【黒い鳥】の元へと歩み寄る。そして何の躊躇(ちゅうちょ)も無くそれを振り被って思いっきり振り抜いた。

 

「――――こう!」

「グワーッ!」

「もう一度!」

「グワーッ!!」

「おまけ!!」

「アバーッ!!!」

「……こんな感じで本日の入店時にこいつを殴ると、ドリンク一杯無料となっております」

 

 悲鳴を上げ身を(よじ)るズタ袋を前に、冷酷極まりない目をしたマギーは棍棒を放り捨ててルドウイークに振り向き肩を竦めた。それを見たエリスが、目の前で繰り広げられた恐るべき残虐行為に思わず身震いしながら驚愕を露わにする。

 

「えっなにそれは…………その為に吊るしてたんですか!?」

「そうだけど。これくらいでどうにかなるタマじゃ無いし、サボりの罰にはちょうどいいでしょ」

「え、いや、確かにサボりやがったのは許せませんが、えぇ……?」

 

 その動機には理解を示しつつも、あまりにあんまりなマギーの【黒い鳥】の扱いに恐るべきものを感じながらマギーから少しずつ距離をとるエリス。一方で、二人を眺めていたルドウイークが何かに気づいたように複雑な顔をし、既に動かなくなったズタ袋を横目に見つめるマギーに自らの懸念(けねん)を伝えた。

 

「……なあマギー」

「ん、何?」

「彼に仕置きをする事を(とが)めはしないが…………それに報酬を付けるとなるとだ、その無料の一杯を目当てに客が押し寄せて、またひどく忙しくなったりはしないのか? 私は今日は手伝えんぞ?」

「………………あっ」

「今『あっ』て言いましたよこの人」

 

 今後の可能性を提示され、マギーは驚愕に(うめ)きを上げた。この案は【黒い鳥】を痛めつけるという点においてはとても優れた考えであるかもしれないが、生まれる副産物――――客足の増加や【黒い鳥(店員一名)】の不在による作業負担の増加、それに対応できるだけの人員の調整などを怒りに任せていたが故に考慮していなかったマギーは眉間に皺を寄せ腕を組み、俯いて真剣に悩み始めた。

 

「そこまでは考えてなかった……! どうしようか……何か他にいい拷問のアイデアは無い?」

「突然聞かれてもな」

 

 唐突に顔を上げたマギーに問われ、困惑と共に答えるルドウイーク。その横で箒を握ったまま立ち尽くしていたエリスが片手をぐっと握りしめ、会話に割り込んできた。

 

「そうだ! だったらぁ、彼に酷く恥ずかしい格好をさせてぇ、営業中の間ずっと店の隅に縛り上げとくって言うのはどうですかぁ!?」

「ナイスアイデア」

「いや待て正気か?」

 

 エリスの提案に乗り気な様子を見せ口角を上げるマギー。それを見てにっこりと楽しそうに、或いは邪悪に笑みを見せる。そんな彼女らを見て、思わずルドウイークが彼女達の正気を疑うとエリスがそれを耳ざとく聞き取って食いついてきた。

 

「何言ってるんですかルドウイーク。我々は正気ですとも! 彼に痛い目見させてやりたいっていう目的は同じですからね!!」

「……本気かね?」

「本気ですよ!!」

「じゃあエリス、このバカに一体どういう格好させる? すぐ用意出来る奴だといいんだけど」

 

 親指でズタ袋を指差すマギーの質問を受け、エリスは顎に手をやって首を傾げながらしばらく唸っていたが、すぐに何事かを思いついたようでポンと右拳を左掌に乗せた。

 

「やっぱり私はベターに……女装とかどうでしょう」

「面白いわ」

「基本的に仏頂面で愛想の悪い彼がおめかしされて縛り上げられて居たらそれこそいい笑い話になると思います!」

「うん」

「服もマギーのを着せれば、わざわざ買ってくる必要も無いですし」

「そうね……ってちょっと待ってどうして私のなの?」

 

 初めはエリスの提案である【黒い鳥】に女装をさせようという話に乗り気であったマギーだが、自身の服をそれに使おうと言う提案を受けると途端に機嫌を悪くし始めた。しかしエリスは普段と違い、難しい顔をしたマギーにも物怖じせずに話を続ける。

 

「え、だって他に女物の服、ここには無いじゃないですか」

「いやいや、あなたはどうなの?」

「サイズが合わないと思います。逆にマギーと彼って背格好は割と似通ってるじゃないですか。丁度いいんじゃ?」

「いや……流石に私が着たことある服を着せるのは……なんて言うかね……」

「何です?」

「恥ずかしい…………じゃなくて! なんか嫌。やっぱ止めましょ、この話」

「…………あっ、なるほど~」

「何よ」

 

 言いよどむマギーの様子を見たエリスは、何やら悪い顔をしてにたりと目元を歪めた。それに不穏な物を感じ取って彼女を睨みつけるマギーであったが、エリスはそれに動じる事も無く、口元を隠して心の底から楽しそうに笑った。

 

「ふふふ! いえいえ、何でもありませんよ!」

「……ホントに?」

「無いです無いです、何も無いです! 変なこと考えたりなんて、何も――――」

「エリス神」

「あ、ルドウイーク。どうしました?」

「少しいいかね」

 

 マギーに睨まれていながら何故か余裕を崩さないエリスをルドウイークは有無を言わせず振り向かせ、マギーを背にしたままの状態でこそこそと話し出す。

 

「そのくらいにしたまえエリス神。ロクな事になるまい」

「いや、何がですか? 折角面白そうな所だったのに……」

「それだ」

「はい?」

 

 不満気な態度を見せた所を指摘され、目を丸くして首を(かし)げるエリス。ルドウイークはほんの一瞬自身の考えを彼女に伝えるべきか迷ったが、しかし自身が居なくなった後の彼女の事を考えて真剣な顔で話を切り出した。

 

「これはだな、いつか言うべきだと以前から思っていたのだが…………貴女は優位に立ってから調子に乗るのが早すぎる。以前私に料理させた時も、それが原因でひどい目に遭っただろう」

「アレは貴方の料理が原因じゃないですか!」

「否定はしないが……」

「それになんですか調子って! それじゃ、私が毎回調子に乗って足元(すく)われてるみたいな……」

「事実そうだろう」

「ふ、不敬っ! 本当に不敬ですね貴方は!!」

 

 ルドウイークの指摘を受けたエリスは彼から素早く飛び離れて顔を真っ赤にしながら彼を指差す。そして、赤い顔のままに腕を組みそっぽを向くと、店の入り口に向けてずんずんと大股で歩き始めた。

 

「もう知りません! 今日はどこかで夕食は食べてきてください私作りませんので!! 行きますよマギー、あと今夜飲みたいのでちょっと付き合ってもらっていいですか!!!」

「嫌だけど……」

「よろしくお願いします!!!!」

「はいはい」

 

 ルドウイークに背を向けたエリスは吐き捨てるように今夜の食事を作らないと叫ぶと、そのままマギーに仕事後の呑みに付き合うよう強要して振り返りもせずに店の中に消えて行ってしまった。マギーも彼女の放り出した箒を手に取って一度ルドウイークを振り返り、小さく頭を下げて店の中へと消えてゆく。

 

 その場には、袋に詰められ吊られたままの【黒い鳥】と困ったように後頭部をかくルドウイークだけが残された。びゅうと一際強い風が吹き、彼は無性に空虚な気分になる。

 そしてしばらくして、今後の予定を頭の中で想起し眉間に皺を寄せるとルドウイークは絞り出すように呟いた。

 

「…………困ったな」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 昼近くになってルドウイークが市壁の上に戻ると、そこでは少年少女が市壁の隅に寝そべっていた。それを見た彼はなるほどと、顎に手をやってその『訓練』の目的を見出す。

 

 ダンジョンである程度以下の階層を目指すとなれば、それは一日で済むような事業ではなくなる。どうしてもダンジョン内での休息が必要となってくるのだ。

 何処で、どう休息を取るのか。それこそダンジョンでの単独行の難易度を上昇させている最も大きな要因の一つであり、同時に冒険者達の永遠の命題でもある。

 

 その中で、最も大きな休息となるのが眠る時間だろう。しかし、常に命がけの状況にあるダンジョンで、満足な休息となるほどの質の眠りを得る事は容易い事ではない。モンスターや他の悪意ある冒険者らに気を配りながら素早く眠り、素早く回復する事が必要だ。それ自体は単独でもパーティを組んでいても変わらない。

 

 …………だからこその『眠る訓練』か。ルドウイークも納得して、回復薬(ポーション)の詰まった背嚢(バックパック)を静かに降ろして自身も壁際に腰を下ろす。

 

 嘗て、<血の医療>を受けた狩人であるルドウイークは常人に比べ眠りの必要性が薄い。今では3、4日おきに数時間ほど眠っている状態だが、ヤーナムに居た頃は眠気を覚える事も無く<夜>を戦い抜いていた。そう言う意味では、ルドウイークはダンジョンでの単独行動に適性があると言える。

 

 だからこそ、二人を見てルドウイークはどこか羨ましいような気分になって、しばらく彼らの事を穏やかに眺め、ふと空に目をやった。

 

 太陽はそろそろ最も高い位置に差し掛かろうとしている。今までの訓練は陽が昇った頃には切り上げていたために、ルドウイークが今回の一連の訓練で昼まで市壁の上に留まったのは初めてだ。

 

 そろそろ小腹が空いてきたな。

 

 以前、ベルと昼を跨いで鍛錬を行った事があったが、その時は両者ともに予め食料を持ち込んでいた。だが、今回はそうでは無い。ひとまず二人が起きたら昼食について切り出してみるかとルドウイークは思案する。

 

 その時、突然ベルが赤い顔で飛び起き、ルドウイークにも気づかずにそっとアイズに近づいて至近距離でその顔を見つめ始めた。

 

 何をしているのかと、ルドウイークは興味深そうにその姿を横目で見る。ベルの顔には絶え間なく葛藤が浮かんではいたが、それとは裏腹にアイズとの距離を徐々に詰めて行っており既に息が掛かりそうな距離だ。

 

 ルドウイークは彼の行動を止めるべきか迷った。ルドウイーク個人としては他人の関係に口を出すのは主義では無かった物の、かつてヤーナムに居た頃<加速>が『寝込みを襲うのだけはない』と酔いに任せて熱く語っていたのを思い出したからだ。

 

 しかしここはヤーナムでは無くオラリオ。そもそもの価値観が違う以上、そう言った事も許されているのかもしれない。そんな的外れな事を大真面目に考えているが故にルドウイークは動かず、ベルの行動を注視している。

 すると、もはや触れそうな距離までベルが近づいた瞬間アイズが小さく唇を動かした。それに驚いたかベルが慌ててアイズから距離を取る。

 

 どうやら、オラリオでも女性の寝込みにつけ込むのはいい事ではないようだ。自らの内の獣性に打ち勝ったのであろうベルに複雑な心境を抱いたルドウイークは、彼に気づかれぬように立ち上がり、今し方帰って来たような顔をしてベルに声をかけた。

 

「ベル」

「ほあああああああっっ!?!?」

 

 ベルが口から心臓が飛び出すのではないかとさえ思える過剰な反応を見せて飛び上がり、慌ててアイズから距離を取ってルドウイークの方へと振り向く。ルドウイークは小さく笑顔を向けて背負っていた背嚢を下ろし、自らも再び腰を下ろした。

 

「睡眠の訓練か、なるほど。ダンジョンでの休息の効率を上げるのはさらなる階層に向かうには必須だからな。しかしこんな昼間から眠るのは中々に難儀だろうに、こうもあっさり眠るとはアイズ殿の慣れが垣間見える。そう思わないか、ベル」

「そう思います! 僕なんか全然、全然眠れなくて!!」

「折角だし私も眠ろうか。君も寝直したらどうだ?」

「そうですね!」

 

 見られていた事にも気づかずに必死に取り(つくろ)うベルを見て、ルドウイークは正直笑ってしまいそうになった。だが、彼のどうにか誤魔化そうとする反応を見るに、ああ言った行為はオラリオでも褒められたものではないのだろう。

 

 ひとまず、釘の一つは刺しておくか。ルドウイークはアイズを起こさぬ様に、小声でベルに声をかけようとする。しかし先ほどのベルの悲鳴が原因か、眠たげな眼をこすりながらアイズがむくりと起き上がって不思議そうな顔で二人に目をやった。

 

「……おはようございます」

 

 小さく挨拶をしたアイズにベルが真っ赤になって硬直する。それ程動揺するのであれば下手な事などしなければいいのに、などと思いながらルドウイークはアイズへと視線を戻した。

 

「おはようアイズ殿。一応、薬は補充してきたが……すぐに訓練を始めるかね?」

「ん…………うーん……」

「それとも、そろそろ昼時だし食事にするかね? 時間としては、キリがいいと思うが」

「んー……そうですね。そろそろ、何か食べますか」

 

 アイズは一度眩しそうに空にちらと目をやって、ルドウイークの提案に首を縦に振った。

 

「ベルもそれで構わないか?」

「あ……はい、そうですね。丁度お昼ならそれでいいと思います」

 

 ルドウイークが確認すると、ベルも首を縦に振って承諾した事で今後の方針が決定した。アイズは立ち上がって剣などを装備し直し、ルドウイークは降ろしていた背嚢を背負い直す。ベルもボロボロになっていた自身の身だしなみを慌てて整えると、アイズやルドウイークに続いて市壁内部の階段へと足を進めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「――――で。これはどう言う事なんだいベルくぅぅぅぅん!!!!」

「ごめんなさぁぁぁぁい!!!!」

 

 昼時の北大通り(メインストリート)に、女神の叱咤と眷族の謝罪の悲鳴が響き渡った。アイズの案内で昼食として選んだ【ジャガ丸くん】の屋台へとやって来た三人は、そこでバイトをしていた【ヘスティア】と遭遇し逃げる間もなくベルが捕獲されてしまったのだ。

 

「ボクは何も聞いてないよ!? 何故君が最近朝早くから出かけてたのか、誰とどこで何をしていたのか…………ボロボロになってるから頑張ってダンジョン潜ったり訓練してるんだろうなぁと思って見逃してたけど、これは一体どういう事なんだいっ!?」

「じ、実はかくかくしかじかで…………」

「かくかくもしかじかもなぁぁぁい!!!」

「ごめんなさ――い!!!」

 

 まさか、クラネル少年はヘスティア神に何も伝えていなかったのか? 片手で手にしたジャガ丸くんを齧りながら、近くのベンチに腰掛けたルドウイークはベルたちの様子に目をやった。その隣ではアイズがジャガ丸くんを手にしたまま心配そうに彼らの事を見つめている。すると、顔を真っ赤にしたヘスティアがベルの首根っこを掴みながらこちらに顔を向けて大声で叫んだ。

 

「ルドウイーク君も何をしてるんだい!? 君が居ながらベル君と彼女を一緒にするなんて……!!」

「ベル。ヘスティア神には了解を取ってある物とばかり私は思っていたのだが」

 

 しかし、普段からヘスティアより声の大きな女神(エリス)の怒号に晒されているルドウイークはそれを気にした風も無くベルに話しかける。すると、一旦はこちらに向いていたヘスティアの怒りの矛先があっという間にベルへと戻った。

 

「説明っ!!」

「じ、実はですね、ルドウイークさんと訓練をしていたら偶然アイズさんが顔を出してくれましてですね……」

「嘘だねぇ! 神であるボクには嘘は通じないよっ!!」

 

 咄嗟に嘘を吐き誤魔化そうとするベルにルドウイークは思わず顔を覆った。当然、嘘を見抜く事の出来るヘスティアは騙される事など無くさらにベルの首を掴む力を強める。それを見かねたルドウイークが立ち上がり助け舟を出すべく口を開こうとしたが、アイズが先に立ち上がって申し訳なさそうに話かける方が早かった。

 

「あの……今、彼には私達が戦い方を教えていて……」

 

 おずおずと、ベルを庇う様に口を開いた彼女の言葉に嘘はない。しかしその事実こそがヘスティアにとっては何やら重要だったらしく、今度はベルの顔を掴んでぶんぶんと前後に揺り動かし始めた。

 

「ベル君、まさかとは思うけどこの子に【ステイタス】なんか見せてないだろうね!?」

「み、見せてませんよ! 見せちゃいけない物だって神様にもエイナさんにも言われてますからぁっ!!」

 

 ベルの必死の弁明を受けて、ヘスティアは何やら物思いにふけるように口元に手をやって何やらとぶつぶつ呟いた。そして、彼を守る様に――――或いは誰にも渡さぬとでも言う様に、ひしとベルへと抱きつく。

 

「ボクのベル君に手を出そうったってそうは行かないからな!? ベル君は僕の家族(眷族)なんだからぁっ!!」

「かかかか神様何してるんですか!? 胸が! 胸が!」

「えっ……うわあああああ!!! ベル君なんて大胆な距離の詰め方をぉ!?!?」

 

 自分から抱きついておきながら、顔を真っ赤にして叫ぶヘスティア。しかし、彼女の手はベルを離そうとはしておらずむしろ抱きつく力を強めたようにさえ見える。そんな一柱と一人にどう対応するか思いつかず、困惑したように視線を泳がせるアイズ。ルドウイークも彼女と同様額に手をやり困惑を隠せずにいた。

 

 すると、屋台の裏から顔を出した恰幅の良い女性がうんざりとした顔でヘスティアに声をかける。

 

「ヘスティアちゃんさぁ。痴話喧嘩を店先でやられるのは困るよ! 悪いけど少し離れててもらっていいかい!?」

「ご、ごめんなさいおばちゃん! ほら行くよベル君! ここじゃ迷惑だからね!!!」

「あっちょ、引っ張らないで神様……!」

 

 店主と思しき獣人の女性に叱られ、慌ててベルを引きずりその場を離れようとするヘスティア。ずんずんと路地裏へ踏み込んでゆく彼女の後をルドウイークとアイズも大人しく追いかける。

 

 そして人目に付かない所まで来るとヘスティアはベルを開放し、後からついてきた二人――――の内、アイズの事をキッと睨みつけてから、これ見よがしに咳払いをした。

 

「ごほん……それじゃあ、話を聞かせてもらおうか……詳しく、ね」

 

 一見冷静さを取り戻したように言うヘスティアだが、その眉は先ほどからピクピクと引き()り、握りしめた手はふるふると震えていて、とても真っ当な精神状態とは思えない。しかしそんな中でも彼女は神らしい――――むしろらしからぬ――――強い自制心を以ってベルの話にしっかりと耳を傾けた。

 

 しばらくの間、ベルによる弁明が続く。自分の信用が既に地に墜ちているのを察しているのか、細かくアイズやルドウイークに確認を行いながらこれまでの経緯、訓練の内容を説明していった。

 

 腕を組み、目を閉じて話に聞き入っていたヘスティア。ベルの説明が終わり、伺う様に彼女の顔に視線を向ける彼に、眼を開いた彼女は納得したかのように頷いた。

 

「話は大体わかった。じゃあルドウイーク君。君はこれまで同様、ベル君に訓練を付けてあげてくれ」

「ふむ」

 

 ルドウイークは訝しむように反応して小さく声を上げた。彼女の反応が予想していたよりも小さい物だったからだ。しかし、彼女の次の発言で自身の懸念が正しい物だったとすぐに知る事になる。

 

「そしてヴァレン何某(なにがし)君。君はすぐにファミリアに戻って、ベル君の事はきれいサッパリ忘れてくれ」

「神様!?」

 

 ヘスティアの決断的な答えに、ベルは顔を青褪めさせて眼を見開いた。悲しい目をしたアイズも、恐る恐ると言った様子でヘスティアに向かって懇願するように口を開く。

 

「あの、どうしても、ダメですか……?」

「ダメだ。ボクのベル君に君はもう関わらないでくれ。君にだって立場があるだろう。お互いのファミリアの為にも、これが一番のはずだ……」

 

 強い意志を秘めた瞳でヘスティアはアイズの事を睨みつけた。その言葉には一理あるとルドウイークは考える。

 確かに、【ヘスティア・ファミリア】の駆け出し冒険者に都市最強の一角である【ロキ・ファミリア】の幹部である【剣姫】が訓練を付けていると周囲に知れれば、アイズにとってもベルにとってもロクな事は無いだろう。このオラリオで行われているファミリア同士の鬩ぎ合いを多少なりとも知るならばそう考えるのは自然な事だ。

 

 しかし、ヘスティアが口にしたのは完全に建前でありその本音が個人的な理由で占められているのはルドウイークにでさえ分かってしまったし、ファミリア同士の関係と言った社会的な要素を多分に含む理由で納得するほどベルはこの街のルールに慣れてもおらず、賢しくもなかった。

 

「お、お願いです神様っ!! どうかもう少し、もう少しだけアイズさんとの訓練を許してください!!」

「少しだけだって……? そんな事言って、君は今までボクにこの事を黙ってたんだぞ!! 流石に虫が良すぎやしないかいっ!?」

「あと二日、後二日だけでいいんです!! それで、約束の期日を迎えますから!!」

 

 痛い所を突かれながら、それでもベルは頭を下げてヘスティアに向けて懇願した。彼はヘスティアに三日後にはロキ・ファミリアが『遠征』のためダンジョンに潜るという話を伝え、そしてさらに何度も何度も頭を下げる。

 

「絶対、この時間で強くなって、神様にもっと楽をさせられるように頑張りますから!! だからどうかお願いします!! 最後まで、最後までアイズさんと訓練をさせてくださいっ!!!」

「む、むぅ……!」

 

 その、余りにも必死な様子にさしものヘスティアも気まずそうに喉を唸らせる。ルドウイークはそんな彼女の様子を見て、しばし思案した。

 

 彼としては確かにヘスティア神が言ったようにベルがファミリア同士の抗争の槍玉に上がってしまうような事はあまり好ましくはない。

 …………だが、熱意ある若者の望みを絶つというのはあまり気分のいい物でもないし、この訓練は間違いなくベルの強化、ひいてはヘスティアの助けにもなるはずだ。

 

 仕方ないか。エリスにヘスティアに対してあまり塩を送らぬ様に言いつけられているルドウイークは、これもロキ・ファミリアとの友好の為だと心の内で大声を上げて怒る彼女に謝ってから、ベルに助け舟を出す事にした。

 

「…………ご安心を、ヘスティア神。私は訓練にほぼ付きっきりでしたが、二人とも健全に訓練をしていました。貴方が心配するような事はちっとも起きていませんでしたよ」

「…………そうなのかい? ……はぁ。ルドウイーク君がそう言うなら、そりゃちょっとは信用しない事も無いけどさ……しょうがないなぁ」

「か、神様?」

 

 ルドウイークに教えられ、少しムッとしながら横目にベルとアイズを見たヘスティアはこれ見よがしに溜息を吐いた。ベルはその様子に驚いたように彼女に声をかける。

 

「あの、神様……」

「…………はぁ。ほんっとうに、後二日間だけだぜ?」

「神様……!」

 

 ベルにか、あるいは自分に呆れたかのように肩を落とし、仕方なくと言った様子でベルに向けて二本指を立てるヘスティア。彼女に対して感極まった声を上げて、ベルが真摯に頭を下げ、アイズもそれに(なら)って腰を折った。

 

「とりあえず、ロキ達にこの事は絶対にばれないようにする事。そ・れ・と! もしもベル君に変な事をしたら訓練はその時点で終わり! いいね?」

「はい…………ありがとうございます」

「礼を言われる必要は無いよ。それと、ルドウイーク君もしっかりと見張っててもらうからね!」

「承知しました、ヘスティア神」

 

 アイズとルドウイークの返事を聞いて、ようやく納得したのか厳しかった表情をいくらか緩めたヘスティアは、一先ず今日の仕事を上がる旨を店主に伝える為にベルを連れ一旦その場を離れた。その背を眺めながらルドウイークはふと、一つヘスティアに言い忘れていた事に思い至った。

 

 ……【エリス・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が同盟を結んでいる以上、自身もどちらかと言えばあちら側の人間なのだが、ロキに対してしばしば強い警戒を見せている彼女に、これは伝えなくてよいのだろうか? そんな事を今更ながら彼は考えたが、更に少し思案して、口にすれば余計に話がこじれそうだったので今回は黙っておくことにした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ヘスティア神を伴って市壁へと戻ったルドウイーク達は早速訓練を再開し、午前中以上に熱の入ったベルとアイズによって更に苛烈な模擬戦が行われる事となった。

 自らの主神が見守っているというのがベルの気を引き締めたか、彼の動きは訓練再開から見る見る良くなっていき、結局手酷く痛めつけられはしたものの、午後は一度も気絶させられる事も無く戦い抜いた。

 

 その最中で、ルドウイークとアイズが手分けしてベルの手当てをしていた事を聞くなりヘスティアが『彼の手当てはボクが担当する!』と宣言し、以降の回復薬(ポーション)による治療を一手に引き受けてベルが顔を赤くしてアイズが名残惜しそうな顔をすると言った事もあったが、特段それ以外は何事も無く訓練はつつがなく進行する。

 

 そうしている内に太陽に照らされていたオラリオも、剣戟の音が響く中で黄昏に染まり、しばらくすればいつの間にか夜となっていた。

 月と星が輝く空の下でもしばらく訓練は続けられたが、アイズがロキ・ファミリアに戻らなければならない時間を迎えた事もあり今日の訓練は終了する事になった。

 

 

 カツン、カツンと階段を踏む音を鳴らしながら三人と一柱は市壁内の暗い階段を降りて行く。先頭には小型の魔石灯で道を照らしながらアイズが行き、その後ろにはベルが続いて、彼に手を引かれて上機嫌なヘスティアがその後を追う。そして、随分と軽くなった背嚢を背負ったルドウイークが殿(しんがり)を務めて静かに歩いていた。

 

「なぁ、ベル君。あんなにもボコボコにされてるなら最初っからボクに教えてくれればよかったのに。そしたらあんな痛い目には遭わせなかったし、ヴァレン何某(なにがし)君よりちゃんと治療もしてあげられたぜ?」

「か、神様……」

 

 言葉とは裏腹に何処か楽しそうにしながら言うヘスティアに、ベルが先を行くアイズの背にちらちらと目を向けながら気まずそうに応じる。一方、後方からそれを眺めていたルドウイークはヘスティアの言葉に混じる棘の不自然さに首を傾げていた。

 

 彼女の言動は、アイズの事を眷族(子供)であるベルに近づく相手と見ての嫌悪にしてはあからさま過ぎる面がある、それに、【ロキ】と口にする際の眉間の皺の寄り。そんな言動をして居た女神に良く心当たりのあった彼は、もしやと一つの閃きを得た。

 

 ……もしかしたら、彼女もロキ神とはあまり関係が良くないのかも知れぬ。そう仮定すればアイズ殿とクラネル少年が親密となる事に目くじらを立てるのも納得できる。だが……一体なぜ、ロキ神はこうも女神たちに嫌われているのやら。

 

 実際の所、圧倒的な勢力を誇るロキに大っぴらに嫌悪を示していた神などエリスとヘスティアくらいのものなのだが、そうとは露知らぬルドウイークは的外れにもロキは他の女神とおしなべて険悪な関係にあるのではと思い始めていた。

 

 後でニールセンにでも聞いてみるか。そんな事を彼が考えている内に下り階段は終点となり、そのまま普段は鍵のかかっているであろう戸を開けて彼らは市壁の下、市街の外れへと歩み出した。

 

「あの、神様。月も出てますし、もう手を離してもいいんじゃ……」

「おいおい、確かにさっきの階段に比べれば明るいけど、まだまだ全然薄暗いじゃないか! 転ぶの怖いし、ちゃんと手を握ってておくれよ」

「は、はい……」

 

 自身の提案を切り捨てられて、顔を真っ赤にしたベルが俯きながらに歩き始めた。そうすればすぐに彼の顔色は陰に紛れてよく見えなくなる。それ程に、今日のオラリオは暗い。

 

 ――――不自然な程に。

 

 ルドウイークは、感じ取った違和感の源を探すべく、素早く周囲に目を走らせた。人影のない薄暗く小さな通り。いや、既におかしい。日は落ちたとはいえ、冒険者達が昼夜問わず活動するオラリオでこの時間にこれほど静かなのは滅多にある事ではない。そして、薄暗さの原因。道に並ぶ魔石灯が砕かれその機能を失っていることに気付くと、ルドウイークは先頭を歩くアイズへと緊張感を持って声をかけた。

 

「…………アイズ殿」

「……うん」

 

 どうやら、彼女も既に違和感に辿り着いていたようで、感情の起伏の少ない顔に更なる怜悧さを漂わせ、足を止めて周囲を警戒する。

 

「うわ! あ、アイズさん? どうしたんです?」

「おいおい、急に立ち止まると危ないぜ? ただでさえ暗いんだから…………」

 

 突然立ち止まったアイズに困惑するベルと思わず気遣うような言葉を口にして、途中で彼女の異様な様子に気づいて口を噤むヘスティア。ルドウイークはそんな彼らに歩み寄ると、自身も気を張り巡らせながらに小さい声で話しかける。

 

「ベル。ヘスティア神から離れるな。何かがおかしい」

「え……は、はい!」

「ちょ、ちょっとルドウイーク君? どうしたんだい?」

 

 真剣極まりないルドウイークの言にベルは慌ててナイフを抜き、一方ヘスティアは困惑するばかりだ。そんな中でも自身の五感を総動員して周囲を警戒したルドウイークは、アイズが視線を向ける先に何者かが蠢いたのを感じ取ってそちらに顔を向ける。

 

 家と家の細い隙間、薄暗い道の更に暗く影となった場所から現れたのは、闇に溶けるような黒い軽防具と外套、そして顔の上半分を隠すこれまた黒のバイザーを身に付けた猫人(キャットピープル)の男。その手には、これまた闇に隠すように黒く塗られ艶の消された槍が握られている。ルドウイークは彼を見て、更なる警戒に力を込めた。

 

 ――――強い。今までオラリオで見て来た者達の中でも、最も強い者達(レベル6)と同等の実力者!

 

 ルドウイークはロキ・ファミリアの幹部たちや【鴉の止り木】で見た第一級冒険者たちの風格と彼の雰囲気を比較して、自身も最大限に警戒しなければいけない存在だと視線の先の男を認定した。男は敵対的な視線を気にも止める事無く、闇の中から歩み出して此方との距離を詰めて来る。

 

 そして彼我の距離が20M(メドル)程になった瞬間、唐突に軽く石畳を蹴って男が跳躍した。

 

 凄まじい速度。今まで見て来た者達の中でも、明らかに一線を画す敏捷能力。ルドウイークは即座に前に出ようとするが、男の跳躍を知覚出来ていないベルとヘスティアが前にいるせいで動きを阻害される。それでは間に合わない。男の速さは、ヤーナムの一部の古狩人達が操った『加速』にさえ匹敵する――――!!

 

 ルドウイークさえ驚愕を禁じ得ぬ突撃速度。当然、それに対処できる様な能力も、術も体得していないベルにとっては十分過ぎる致命の一撃。だが、ベルへと一直線に突っ込んだ男の槍はその前に立ち塞がった少女の抜いた銀閃によって弾かれた。

 

「……チッ」

「貴方は……!」

 

 互いに視線を交わすと激突の残響も鳴りやまぬうちに再び槍と細剣が激突し、そのまま二人の時間だけが早くなったかのような凄まじい剣戟戦が開始される。ベルの前にここは通さぬとばかりに立ち塞がり猫人の突き、薙ぎと言った槍による連携を弾いてゆくアイズ。ルドウイークは即座にアイズとベルの間に割り行って更なる安全を確保するべく彼らを退がらせようと声を張る。

 

「ベル、ヘスティア神、退がってくれ! 相手は相当の手練れだ!」

「お、おいおいおいおい!? どうなってるんだいこれぇ!?」

「速過ぎる!」

 

 慌てふためくヘスティアを背に、猫人とアイズの攻防を目にしたベルはその自身とのレベルの違いに驚愕する事しか出来ない。既にどれだけの回数剣と槍が振るわれたのかも分からぬ程の速度。

 

 それ程の差を感じながらも、圧倒的な格上の戦いに目を見開くベル。その時、屋根の上に現れたそれぞれ異なる得物を持つ四人の小柄な人影に気づいて彼は必死に声を上げた。

 

「アイズさん!!」

 

 声を受けたアイズは、瞬間凄まじい反応を見せる。猫人の男に対し踏み込み槍を弾いて後退させると、飛び降りてくる途中で飛来した二発の光弾に狙われて空中で弾かれてしまった二人を除く二人の落下攻撃を二度空中へと無慈悲なる曲線を描く事で弾き飛ばして見せた。

 

 ベルは今し方頭上を通り過ぎて四人のうち二人を撃ち落とした光弾が【魔法】だと直感的に判断した。詠唱も聞こえなかったがあの状況だ。恐らく、自身が気付く間もなく後ろのルドウイークが咄嗟に放ったのだろう。そう理論立ててルドウイークに目を向けようと首を巡らせる。

 

 その眼前で、振るわれた湾曲した剣による攻撃をルドウイークは長剣を振るって弾いていた。

 

 いつの間に現れたのか、弧を描くような特殊な曲剣の二刀流を構えた黒衣の襲撃者とルドウイークは既に激突を始めていた。踏み込み、真っ当な物からは程遠い剣閃を描いて彼を襲う斬撃の攻勢に、ベルたちを巻き込まぬ様にかルドウイークは立ち位置を調整してベルとヘスティアから離れて行く。

 

「クラネル少年! ヘスティア神を頼む!!」

「は、はい!」

 

 斬撃に対応しながら叫ぶルドウイークに思わずナイフを握りしめて答えたベルにアイズも剣戟戦の中で視線を向けるが、恐るべき槍捌きを見せる猫人に加え先ほど弾き飛ばした二人の小人、更にルドウイークの魔法によって落とされたと思しきもう二人の小人までが参戦してきた事で彼女からは余裕が即座に奪われていた。

 

「…………!」

 

 それでも彼女は怜悧な表情を崩さず、五人の襲撃者による攻撃に的確な対応を返しながら隙を突いて自身からも攻勢に転じるべく幾度も攻めを試みる。

 

「チッ……化物め」

 

 その攻めを弾き、再び攻勢に転じながら猫人の男が毒づいた。それにアイズがピクリと眉を動かし訝しむと、後方から小人たちによる連携攻撃が襲い掛かる。

 剣、槌、槍、斧。異なる得物による時間差攻撃をしかしアイズは瞬時に見切り、閃光の如き速さと針の穴を通すような正確さを兼ね備えた剣技を以って全ての攻撃を迎撃して見せた。

 

 思わずその光景に目を見開き、ますます自身と前方で戦う彼女らの差にナイフを握りしめるベル。その周囲でいくつかの影が蠢き、彼にひしとしがみついていたヘスティアが悲鳴に近い声を上げた。

 

「ベ、ベル君っ!」

 

 その声に応じて周囲に視線を巡らせれば、家と家の間から四つの人影がベルとヘスティアを取り囲むように姿を現していた。男性二人、女性が二人。彼らはアイズやルドウイークを襲撃した者と同じ、黒い外套とバイザーで正体を隠している。

 

 一瞬、彼らの出現にどう対応するべきか視線を巡らせ逡巡するベル。その僅かな時間の間に、彼らはそれぞれの得物を抜きベルに向けて踏み込んでいた。

 

「くっ!」

 

 ベルは咄嗟にナイフに加えて短刀も抜き、彼らを迎え撃つべく姿勢を落とす。アイズも、ルドウイークも眼前の敵に手一杯でこちらに援護をよこす余裕はない。僕がやらねば。そう強く決意したベルはヘスティアを庇うように前に出て叫ぶ。

 

「神様、僕の後ろにっ!」

 

 両手にそれぞれ握りしめて構え、いち早く挑んできた短剣の女冒険者を迎え撃つ。瞬間、ベルは僅かな驚きを得た。

 

 動きが、見える。アイズさんの閃光のような攻撃に比べれば、まるでこう振ると示されてさえいるように斬撃の軌道が予測できる。

 

 過酷だった訓練の確かな手ごたえを得て、ベルは相手の攻撃に先んじてその間合いに踏み込み驚愕する彼女を他所にその胸防具(ブレストプレート)を力強く斬りつける。強烈な一撃を貰って、短い悲鳴と共に吹き飛ばされ、女冒険者は石畳の上を転がった。

 

 その時すでにベルはヘスティアを優しく押しのけて、迫っていたもう一人の迎撃に動いていた。突き出された長剣の突き、鋭く、しかし以前の訓練で見たルドウイークのそれには遠く及ばぬ攻撃を短刀で逸らして下手人である男冒険者の懐へと飛び込み防具に守られていない太腿に蹴りを加え、体勢が崩れた彼の外套をむんずと掴み迫っていたもう一人の女冒険者へと向けて全力で放り投げる。

 

「うおっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 突如飛来した男冒険者と激突して悲鳴を上げて倒れ込む二人の襲撃者。ベルは二人に対しての残心もそこそこに、遅れてやってくる重装の男冒険者へと射抜くような視線を向けた。

 

 彼らは、僕と同じレベル1だ。少なくともアイズさんが相手をしているようなでたらめな相手じゃあない!

 

 確信し、奮起するベル。能力にそれほど大きな差が無いのであれば、後は自身の持つ技量、経験、そして駆け引きの勝負。経験の量だけで言えば、未だに駆け出しのベルより相手の方が上だろう。だがその質。アイズとルドウイークの相手をした濃密な時間は、間違いなく彼に確かな物を与えていた。

 

 

 

 

 

 一方で、ベルが最後の重装冒険者を迎撃するために踏み込んだ時、ルドウイークは変幻自在の攻めを見せる湾曲剣の二刀流を相手に剣を交えていた。

 

「……その曲剣、良い武器だな。扱いに難があり、それでいて致命的。更にその防ぎ難い形状、常道の剣技を修めているほど対しにくい。相手をしたのを正直後悔している」

「『後悔は常に死の一歩先を行く』。かの(ことわざ)からすれば、貴公は既に手遅れだろう」

「そうでもない。諦めは怒りより悲しみより、後悔よりも致命的だ」

「一理ある」

 

 だが、その語り口は互いに穏やかだ。雲に月が隠れより暗さを増した道に陣取りながら、命のやり取りをしているとは思えぬほどの雰囲気で二人は言葉と剣を交わして行く。

 

 剣士は大ぶりとも思える横薙ぎでルドウイークの首を的確に狙いに行く。その湾曲した切先を向けられたルドウイークは一歩後退する事によってそれを回避した。

 

 三日月を更に歪めたように湾曲させたその曲剣は防御で相手にした場合、切っ先が障害を掻い潜って相手に突き刺さるようになっており、真っ当に受ければそれが致命の一撃に繋がってしまう。更に一見真っ直ぐな突きには向かない形状ではあるものの、剣自体は両刃であり受ければ無傷とはいかず常に意識を張っておく必要がある。

 

 生半可な修練では自身さえも傷つけかねないこの剣は、使いこなすのに凄まじい修練が必要になるだろう。それこそ、<仕掛け武器>の様に。

 

 ルドウイークは興味深げに目を細めながら、一瞬の隙を突いて剣士の胴に向けて突きを放つ。しかし、それを曲剣の切っ先で絡め取るような動きを剣士が見せた瞬間ルドウイークは即座に剣を引いていた。恐らく、あのまま剣を突き込んでいれば切先を綺麗に逸らされ大きな隙を晒していただろう。

 

「やるな」

「貴公も」

 

 称賛し合い一旦距離を取るルドウイークと剣士。ルドウイークは今までの動きから敵の力量を推測する。

 

 …………【ステイタス】自体は恐らくアイズ殿と渡り合っているあの黒衣の青年の方が上。恐らくはティオナと同格のレベル5か。だが、技量に関してはティオナを大きく上回る。

 それは優劣の問題では無く戦い方の違いではあるが、ルドウイークにとってはよりやりづらい事は間違いない。

 

 本来獣を狩るのが本業であるルドウイークにとって対人戦は本職では無い。故に、こうして技量を磨き上げた相手を彼は苦手としていた。嘗てはヤーナムを去る<烏>に挑み、その対人に秀で過ぎた技量を前に完敗した経験もある。

 

 ならば。ルドウイークは長剣を背の鞘に一旦仕舞い、仕掛けを起動させて大剣へと武器を変じさせる。それを見た剣士は訝しむようにバイザーの奥の眼を細めた。

 

「【ゴブニュ】の【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】か」

 

 ルドウイークの抜き放った大剣に警戒を見せ、姿勢を落とす剣士。ルドウイークはそれに意識をやりつつちらとアイズやベルに視線を向ける。未だに槍使いの猫人や小人の四人組の攻勢を凌ぎ続けるアイズ。重装の冒険者に挑み、大剣を弾いて回し蹴りで彼を吹っ飛ばして武器を奪い取り、再び挑んできた三人を迎撃するベル。

 

 あちらは大丈夫そうだ。

 

 安心して眼前の剣士に意識を集中するルドウイーク。大剣を構え、軽やかに迫る剣士を大剣で迎え撃つ。

 横薙ぎの弧を描く薙ぎ払いを鉤状となった刃に引っ掛けられぬように外側から剣を当てて打ち落とす。逆側の剣による縦の振り下ろしは半身になって紙一重で回避、拳を振り回して相手に距離を取らせると、即座に大剣を握り直して凄まじい速度で横に薙ぎ払う。

 

 空気を引き千切り迫る横薙ぎを剣士は二本の曲剣を重ね、全力で弾き逸らす。結果として軌道を変えられ地面に切先を叩き込んだ大剣を見て剣士は口元を歪めたが、その時既にルドウイークは石畳に突き立った大剣を手放して超近距離戦へと移行していた。

 

 引き戻す前の曲剣を握った手を拳で弾き、ガラ空きとなった胴に向け槍じみた勢いの蹴りを叩き込むと、真鍮色をした胴防具に強い衝撃が走り数歩剣士がよろめく。ルドウイークは自身の足に返ってきた感触からその防具が相当な頑強さを備えている事を確かめると、突き立ったままの大剣を手にして先程よりも力を込めた横一閃を剣士の胴に向けて振り抜いた。

 

 迫る横一閃を剣士は不安定な姿勢から片手の曲剣でそれを弾き逸らそうとするが、ルドウイークの横薙ぎに込められた威力は彼の想像を遥かに上回る物だった。受け止めた曲剣の刃にヒビが入り、そこから真っ二つにへし折れる。

 驚愕しバイザーの下で目を見開いた剣士だったが、それに続くルドウイークの蹴りを飛び退いて回避。折れた曲剣を腰に吊るすと、新たに弾きに特化していると思しき特殊な形状の短剣を取り出して左手に構えた。

 

「……やはりあの方が仰っていた通り、レベル2と言うのは虚偽だったか」

 

 先程までとは違い、ルドウイークを睨みつけるその眼には確かな怒りと敵意が渦巻いている。一方のルドウイークも、彼の言葉にやはりかと眉間に皺を寄せた。

 

 戦場の状態を見るに、相手――――この襲撃を意図した首謀者は、それぞれの相手に相応しいだけの実力を持つ者をぶつけているようであった。つまりそれは、エリスの指示によって普段は隠しているはずのルドウイーク自身の実力の程を既に見抜かれているという事でもある。彼の言葉からその懸念が現実のものであるという事を確信したルドウイークは今までとは質の違う警戒を以って、眼前の剣士の事を睨み返した。

 

 

 

 

 

 その頃、奪い取った大剣で以って襲い来る三人の冒険者を一挙に吹き飛ばしてヘスティアを守り抜いたベルは、握りしめた大剣の重厚な感触を手に感じながらアイズとルドウイークに交互に視線を送っていた。多数の敵に囲まれながら、一歩も引かぬ戦いぶりを見せるアイズ。一対一の戦いの中で敵の武器の一つを破壊し、睨みあいに移行したルドウイーク。

 

 どちらの相手も明らかに自分より格上だ。それでも援護をするべきだと心では決断を終えてはいたが、どちらを援護するべきかの判断は経験浅い彼にはすぐには決める事が出来ない。

 

「クソッ、舐めやがって……!」

 

 すると先程大剣を奪い取った重装の男冒険者が立ち上がって、敵意に満ちた目でベルを睨みつけた。そして腰から小ぶりなショートソードを抜いてベルへと再度挑むべく一歩踏み出し、ベルもそれに対するべく腰を落として大剣を構える。

 

 

 

 その時、通りに面した民家の戸が開いて、一人の人影が姿を現した。

 

 

 

 男冒険者とベルは同時に驚愕する。一方は既に人払いが済んでいたはずのこの周辺に未だに人が残っていたことに。一方は一般の市民がこの戦いに巻き込まれてしまう可能性に。

 

 ベルがその人物に警告の声を上げようと口を開く。だが、雲から顔を出した月の照らした目前の人物は、黒の外套とバイザーで所属を隠した襲撃犯達とはまた一線を画す異様な装いを纏っていた。

 

 生半可な筋力では扱えぬであろう、大型の重鎧。それに反して下半身は薄手のズボンを纏っただけで、些かちぐはぐな印象を覚える。

 背には大剣が二本。鞘に収まった一振りと、ルドウイークが操るそれと同じ【仕掛け大剣】の最高等級品。

 

 何よりも特徴的なのは頭部を守るその防具だ。それに比べれば、装い自体はまだ常識的な範疇に収まってしまうだろう。頭髪や素肌を隠すために被られた黒い布、それを外れぬ様に乱雑に撒かれた古びた紐。

 

 

 

 

 

 そして、布の上から身に付けられた得体の知れない造形の『仮面』。困惑と戦慄の注目を受けたそいつ――――【仮面巨人】は、ぐるりとこの場に居る冒険者達に視線を巡らせ、今ここで起きている出来事自体が楽しくて仕方がないという風に肩を震わせた。

 

 

 

 




次回、【仮面巨人】。



年明けから宇宙ニンジャゲームに熱中していたり(ATLAS PRIMEイケメンすぎでしょ)令ジェネ見に行って滂沱の涙を流したり異様に仕事が忙しくなったり春節セールでゲーム(civ5)買ったりしてたせいでしばらくぶりの投稿となりました。

次話には既に手をつけてますがまたお待たせする事になるかも……申し訳ないです。

活動報告でまたキャラクター募集を再開しております。興味あればご協力していただけるとあり難いです。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。



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25:【仮面巨人】

お待たせしました。仮面巨人戦、約20000字、半分くらいバトルパートです。

感想評価お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。



 ――――【仮面巨人】。

 

 一年ほど前からダンジョン、あるいはオラリオに出没し、主に第二級以上の冒険者に突如として襲い掛かってきた謎の冒険者。

 出没の度に別の得物を使い、狡猾に少数の相手を選んで襲い掛かって来た彼は多くの冒険者に蛇蝎(だかつ)の如く嫌われている。

 

 死者は襲撃の回数に比べそう多くはないものの、問答無用で殺害されたケースも存在するために【ギルド】も彼――幾つかの証言から、恐らく男と思われる――を【要注意人物一覧(ブラックリスト)】に加え捕縛を狙っており、その首にかかった高額報酬を目当てに幾人もの冒険者が彼の行方や正体を捜索したものの、結局確かなものは何も得る事が出来ず、今現在に至るまで、遭遇報告と被害人数は確実に増え続けているというのが現状だ。

 

 神出鬼没、正体不明、凶悪無比。

 

 そのように語られる男が、オラリオ屈指の冒険者である【剣姫】の絡んだ乱戦の場に姿を現した。本来、少数の冒険者のみが居る場にしか現れなかったこの狂人が、何故これだけの人数が集った場に姿を現したのか。周囲で戦う者達――――特に第一級の冒険者達にとって、それは手を止め、彼の動向に注目するのに十分過ぎる出来事であった。

 

 

 

「嘘だろ……まさか、仮面――――」

 

 

 

 ベルと共に、最も近くで仮面巨人の出現に遭遇していた重装の男冒険者が言い終える前に、彼の体は吹き飛ばされて最寄りの民家の窓に突っ込んでいた。奇怪な、そしてあまりにも素早い三連続側転で接近した【仮面巨人】が有無を言わせず彼の腹に蹴りを叩き込んでいたからだ。

 

 仮面巨人の見せた身のこなしは正しく異常と言う他無い。重装の鎧を身に付けたならば、どうあっても動きを害されるのが常であるはずにも拘らず、そんな事など知らぬとばかりに見せた体技は今までベルが相対した者の中でもアイズや先の猫人(キャットピープル)の青年同様一線を画している。

 

 どうやら民家は無人の空き家だったらしく、中の住人が騒ぎ出す事は無い。仮面巨人は家の中へと突っ込んだ冒険者が復帰するのを待ちわびているかのように両手を広げ窓に歩み寄ったが、彼が再び姿を現す気配は無く諦めて窓から離れ、勝利を喜ぶかのように小さく飛びあがって拳を振るう。

 

 その頃には、この場に居る全員が仮面巨人に対して全力で警戒を向けていた。

 

「…………呪われでもしてんのか、今日は」

 

 驚異的な速度でアイズと接近戦を繰り広げていた猫人の男が嫌悪感に(まみ)れた声でつぶやき、小人の四人組も揃って手を止め仮面巨人の出方を伺うようにそちらを睨みつけた。

 一歩下がって油断なく愛剣を構えたアイズ、更にルドウイークと二刀流の剣士も同様に突如現れた乱入者に向けて注意力を割いている。

 

 一方の仮面巨人は、喜びを表現するのもそこそこに、次の獲物を選別するかのように不自然に首を傾けて周囲の冒険者達を睥睨(へいげい)した。

 

 オラリオに雷名(らいめい)(とどろ)かせる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。彼女を上回る敏捷を見せた、同格と思しき黒衣の猫人。それと同様に正体を隠し、凄まじい連携を誇る四人組の小人と奇怪な湾曲(わんきょく)した曲剣を操る剣士。周囲の相手を退(しりぞ)け主神を守るベル・クラネル。そして――――

 

 

 

 ――――緊張を露わにするルドウイークを見て、体ごと振り向いた仮面巨人は足元の石畳を踏み潰しルドウイークに向けて跳躍した。

 

「なっ!?」

 

 驚愕しつつも素早く飛び退がったルドウイークと高速で迫る仮面巨人。二人の間に居た湾曲剣の剣士は咄嗟にその場を飛び退こうと足に力を込めた。

 

 だが、それよりも早く二歩目の跳躍で加速した仮面巨人が稲妻の如き軌道で銀の剣を振るって彼を容易く吹き飛ばし、それに驚愕したルドウイークの懐へと潜り込み斬撃を寸止めするフェイントからのタックルを仕掛け彼を他の冒険者から引き離すように無様に転がした。

 

「くっ……!」

 

 苦悶の声を漏らしながらルドウイークが素早く立ち上がるも、そこに仮面巨人の姿はない。ルドウイークはしかし一瞬の困惑を見せる余裕も無く、背筋に走った警告に従って即座にその場を飛び離れた。

 

 ビュン、と刃が空を裂く音。再び転がるようにして距離を取ったルドウイークが目を向ければ、先程まで彼が居た場所に剣を突き出している仮面巨人の姿。もしも敵の姿が無い事に困惑などでもしていたら、ルドウイークは今頃自らの名を冠した剣によって串刺しにされていただろう。

 

 なんという身のこなし、そして、攻撃への躊躇(ちゅうちょ)の無さ。

 

 ルドウイークの頬につうと冷たい汗が流れる。一方仮面巨人は突き出した剣を戻し、今の回避を称賛するような拍手をして見せた。ルドウイークはそれを見て思わず歯ぎしりをしたくなったが、小さく息を吐いて狩りの高揚と同様の熱を持ったその感情に冷や水を浴びせた。

 

「何者だ、貴公」

 

 ルドウイークの問いに、仮面巨人は無言の突撃を以って答えた。

 

 激突し、同じ銀剣同士が火花を散らす。ルドウイークが膂力(りょりょく)に任せて剣を弾くも、仮面巨人はすぐさま切り返し、次の斬撃を放つ。更に三歩ルドウイークが後退した。その生まれた距離を一息に踏み越えて更なる連続攻撃を放つ仮面巨人。

 

「ちィッ……!」

 

 引き離されてゆく。最も近くに居たベルとヘスティアの背中も既に小さく、人気の無い辻へと押しこまれたルドウイークはこれ以上追い込まれてなる物かと横薙ぎの一閃を放った。

 

 対する仮面巨人が回転する。後方への嘲笑(あざわら)うかのような宙返りで横一閃を回避した仮面巨人は、跳ね返るように地を蹴ってルドウイークに突撃。彼の横をすり抜けて再び背に長剣を突き立てるべく反転し、弓を扱うかのように引き絞った右腕を一気に前に突き出す。

 

 受ければ死。心臓を背中側から貫こうとするその技に、しかしルドウイークはこの上なく冷静に応じた。咄嗟(とっさ)に長剣を背の鞘に納め、仕掛けを稼働させてそのまま振り返りながらに抜き放つ。大剣と化した得物は長剣の切っ先を綺麗に弾いて、その衝撃で以って仮面巨人を後退せしめた。

 

 ルドウイークは仮面巨人が再び距離を詰めて来る前に素早く仕掛け大剣を背に戻して長剣へとその形を戻す。この手の(はや)い相手に大剣で対するのはあまり好ましくない。隙を付かれるのがオチだ。寧ろ、ここぞという時だけ大剣へと変じさせるのがもっとも良い。

 

 数多の獣とのせめぎ合いの経験から自らの方針を打ち出したルドウイークに、唾棄(だき)すべき三連続側転で距離を詰め仮面巨人が襲い掛かった。

 

 薄暗い中で月明かりを反射し閃く銀剣の連続攻撃、それをルドウイークは弾き、回避し対処してゆく。

 だがルドウイークは、忌々しいまでのしつこさを持つ仮面巨人によってベルやアイズたちとの距離がどんどん開いてしまっている事に内心で焦りを覚えた。大刃を二本背負う自身の機動力ではこの異常者からただ逃げきるのは不可能。交戦して、撃退するなり手傷を負わせなければならない。

 

 一旦大きく飛び退き、仕切り直しを目論(もくろ)むルドウイークを仮面巨人が忌まわしき八連続側転で追跡する。ヤーナムの狩人達さえ見せなかった異様極まりない動きにさしものルドウイークも驚愕を隠し切れない。更に側転しながら背から長剣を抜き、着地と同時に独楽(こま)の如き回転へと動きを変化させ斬撃を放ちつつルドウイークに迫りくる。

 

「チッ!」

 

 退()き続けても追いつめられるだけと舌打ち一つして悟り、足を止めたルドウイークの全霊の切り上げが仮面巨人を弾き上げた。だが、派手な吹き飛び方に比して手応えはない。ルドウイークは攻撃に合わせられたことを瞬時に判断。壁に着地した仮面巨人が恐るべき脚力で跳ね飛び迫り長剣を振り下ろすが一瞬前に何とか回避を成立させてその場から飛び退いた。

 

 先刻までルドウイークの居た場所を弾丸の如く通過した仮面巨人は石畳を滑り土ぼこりを上げながら急制動。そして一瞬の停止から即座に今の突撃と同等の速度にまで加速してルドウイークを追撃する。

 

 だが、ルドウイークも圧倒的な身体能力(フィジカル)を武器としたヤーナムの獣どもを数えきれぬほど葬送して来た狩人の一人。もはや目にも止まらぬ程の仮面巨人の一閃を掻い潜って、その腹目掛け思いっきり右拳を撃ち込んだ。

 

「……!!」

 

 歯を食いしばるような僅かな軋みと共に、今度こそ直撃した攻撃によって弾き飛ばされる仮面巨人。地面に一度二度バウンドして転がり倒れ伏すが、どうにか立ち上がって態勢を立て直す。

 一方、攻撃に成功したルドウイークも無傷では無い。如何にヤーナムの狩人が強靭と言えど、高い防御力を誇る重装鎧に相手の速度をも利用したカウンターを入れれば拳の方にもダメージは来る。

 

 右手の痛みに顔を(しか)めながら仮面巨人の動向を睨み、左手で長剣を抜くルドウイーク。すると仮面巨人は右手に長剣を握ったまま左手を背にやる。

 

 そして、仕掛け大剣の鞘を握るとそれをルドウイークに向け思いっきり放り投げた。

 

「なっ!?」

 

 想定外の攻撃にルドウイークは必要以上に大きな動作で飛んできた鞘を回避する。もし直撃していれば体が真っ二つになっていただろう。だがそれで終わりではない。鞘に追随してきた仮面巨人が小さく跳躍し、膝を畳んだ姿勢から降りかぶった長剣でルドウイークの頭蓋を輪切りにするべく飛びかかる。

 

 何たる真っ当な剣士には到底思いつく事の無い奇抜な二段攻撃か。剣と鞘の両方が十二分に殺傷力を持つ【仕掛け大剣】にのみ許された連携と言えるだろう。

 そんな、オラリオにもたらされたが故にまったく自身の知らぬ使われ方をする己の名を持つ武器を前に、しかし仮面巨人の下を潜り抜けてからの振り向きざまのカウンターを狙うべくルドウイークは姿勢を屈めて前に出る。

 

 驚愕はしたものの、戦いに慣れ切った体は余りにも冷静だ。跳躍によって生まれた足元のスペースを咄嗟の蹴りを警戒しつつ(くぐ)り抜ける。頭上で風を斬る音。跳躍と同時に舞った土が僅かに顔にかかるが気にも留めぬ。次に急制動をかけて反転し、着地際の仮面巨人の背中を――――

 

 

 ――――その時、自身の背中で鳴るガチャリという音と、背負った重みが取れる感覚。

 

 

 常人ではあり得ぬ程の思考速度と全身に染みついた脅威感知に基づいて勢いを保ったまま前方へ跳躍したルドウイークの居た場所を、長剣ではあり得ぬ威力の一閃が切り裂いた。

 

 驚愕と焦り、そして嫌悪感を顔に(にじ)ませながら振り向いたルドウイークの視線の先には、大剣となった【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】を振り抜いた仮面巨人。その、結合された刃を見て彼は改めて歯噛みする。

 

 あの交錯の一瞬で背の鞘に向けて長剣を突き込み、仕掛けを起動させて大剣へと変じさせる事で奪い取ったというのか。初めての経験にルドウイークの警戒がこれまでに無いほどに引き上げられる。

 

 確かに、この世界における仕掛け武器は【エド・ワイズ】、或いは【ゴブニュ・ファミリア】の手による量産品だ。当然ルドウイークもいつか自身と同じ武器を持つ相手と激突する可能性は考慮していた。

 

 だが、幾らなんでもこれはない。戦闘中の相手から武器の特性を利用して仕掛けを奪い取るなど普通は思いつかぬし、それを可能とするのに必要とされる技量は生半可な物では無いからだ。

 

「………………何者だ、貴公」

 

 思わずルドウイークは二度目となるその問いを呟いた。対する仮面巨人は楽しそうに肩を揺らし、大剣を振り被って突っ込んでくる。

 

 ルドウイークはそれを正面から迎え撃った。振り下ろされる大剣の刃を長剣で流すように逸らし、派生する拳を放たれた傍から片手で叩き落とし、生まれた隙に腹へと前蹴りを突き入れる。よろめいて後ずさる仮面巨人に対するルドウイークの眼は今までに無く怜悧で、感情の揺らぎが見えぬものに変じていた。

 

 仮面巨人は訝しんだ。只管(ひたすら)に距離を取っていた今までとは別人だ。自身の武器を奪われた怒り……では無い。ルドウイークは先程まで交戦しつつ彼を撃退、或いは自身が離脱する事が出来ないかと思考を巡らせていたが、仮面巨人を強敵と理解し、この異常者には勝つか負けるかしなければ逃げ切る事は出来ないのだと覚悟を固めたのだ。

 

 それを察した仮面巨人は、躊躇なく左側の民家の窓へと飛び込んだ。窓の砕ける音とともに仮面巨人は姿を消し、そして通りにはルドウイークのみが残された。アイズたちの物と思われる剣戟の音が微かに聞こえてくる。逆に、付近に居るはずの仮面巨人の気配は全く感じ取れない。恐るべき精度の隠密であった。

 

 ルドウイークは自身の集中力を極限まで研ぎ澄まし、周囲の家屋に向けて注意を払う。仮面巨人の姿は消えた。だが背にのしかかるような圧力は消えていない。ルドウイークはその出所を探るべく意識を張り巡らせながら、一つの違和感に気づいた。

 

 ……仮面巨人から感じる圧力からは、おおよそ殺意や、敵意と言ったものを感じ取れない。まるで(たわむ)れるような、享楽(きょうらく)的な戦意を向けてくるばかりだ。それでいて、彼の攻撃はどれもが致命に足る威力と精度を持って放たれている。それが意味するものは、何か。

 

 ――――仮面巨人に自分を殺すつもりはない。だが、死んでしまっても構わないと思っている。

 

 その可能性に至ったルドウイークに呼応するように、仮面巨人が飛び込んだ隣の家屋の一階の窓を突き破りルドウイーク目掛け影が飛び出す。彼は即座にそれを毛布を被せられた椅子だと見切って、即座に飛び退いて回避する。

 

 本来であれば大刃を用いて迎撃するところであるが、仮面巨人によって奪われている以上ルドウイークの意識にその選択肢は無い。更にその家の二階から、次は更に隣の家の二階から家具が窓を突き破って飛来すると、さしもの彼も難しい顔をして眉間に皺を寄せた。

 

 これではまるで、狩りのようだ。ルドウイークは仮面巨人が自身の体力を削ろうとしている事を察する。

 

 試しているつもりなのか? 自身が狩るに相応しい獲物であるかを計っているとでも? ルドウイークは飛来した家具が石畳に叩きつけられる音を聞きながら、この状況を打破する手段を模索した。

 

 四つ目の家具が少し離れた家の窓を破ってルドウイークへと吸い込まれるように突っ込んで来る。軽やかな跳躍(ステップ)で飛来物を回避したルドウイークは視線を巡らせると、月明かりを反射する物の存在に気づいた。

 

 自身の奪われた物と同じ、仕掛け大剣の大鞘。仮面巨人が奇襲をかける際に放り投げたものだ。道の真ん中に突き立ったそれを視界に収めたルドウイークは電撃的な思索を巡らせ、鞘に向けて長剣を片手に全速力で駆け出した。

 

 彼の行く先を遮る様に左側から絶え間なく家具が飛び出してくる。しかし、上位者の用いる神秘の中を駆け抜けた経験さえも血肉としたルドウイークにとってそのような乱雑な攻撃など児戯(じぎ)に等しい。彼は長剣を構え、地に突き立った鞘に迫り素早く接合させようとした。

 

 瞬間、窓では無く戸を破って仮面巨人がルドウイークに向けて飛び出した。仕掛け大剣を取り戻そうとする事を読んでルドウイークを投擲攻撃によって誘導していたのか。

 鞘に辿り着き仕掛けを起動させて大剣として、それを以って迎撃するにはまず不可能であるタイミング。仮面巨人はルドウイークから奪った大剣を突き出して彼の背を串刺しにしようと踏み込んでゆく。

 

 

 ――――しかしルドウイークは鞘へと向かう足を止め、左の掌を仮面巨人へと向けた。

 

 

「!」

 

 仮面巨人は魔法の発動を予期し、咄嗟に大剣の腹を盾代わりにして前へ掲げる。だが、彼の予想に反しルドウイークから放たれたのは溢れ出すような勢いの生々しい触手の束であった。

 

 触手は物理的な質量と勢いによって生まれた衝撃で仮面巨人とぶつかり合う。そして、目を見開いた仮面巨人の前で大剣に絡み付くと、腕を振るったルドウイークの動きに連動して大剣ごと仮面巨人を宙へと振り上げる。

 

 仮面巨人は即座に手首を動かして仕掛けを起動、鞘から長剣を分離させて自分から宙へと放り出された。くるくると空中で回転していた仮面巨人。だが、数秒で姿勢を制御して長剣の切っ先を下に向けルドウイークへと落下してくる。

 

 一方、<先触れ>によって鞘を取り戻したルドウイークは、戻ってきたそれに直接剣を突き込んで仕掛けを起動。瞬間的に大剣と成して落ちてくる仮面巨人を迎え撃った。

 

 凄まじい金属音と火花を散らし、衝突するルドウイークと仮面巨人。落下の衝撃で長剣を押し込もうとする仮面巨人の力は生半可な物ではない。だが、エド・ワイズが素材に糸目を付けずに生み出した【仕掛け大剣】の試作第一号と、ルドウイークの持つ狩人の中でも<ガラシャ>に次ぐほどであった腕力はその圧力を見事に跳ね返した。

 

 振り抜かれた大剣によって弧を描くように吹き飛ばされた仮面巨人は、一度地面に手をつくとそこを支点に回転して着地、石畳を滑って丁度地に突き立った自らの【仕掛け大剣】の鞘の元で動きを止めた。

 ルドウイークは油断なく<ルドウイークの聖剣>を構え直すと、真っ直ぐに仮面巨人を見据え、その次の動きを見切るべく彼を注視する。仮面巨人は大剣の鞘を背に負い直すと、ルドウイークの視線を真っ向から受け止めた。

 

「……お前」

 

 ぼそりと、男の声で仮面巨人が呟く。心底から驚いたような声色であった。ルドウイークは声とともに一挙に増した威圧感を受け、緊張を総身に(みなぎ)らせる。

 対する仮面巨人も、最早今までの浮ついたような、何処か享楽的だった雰囲気など影も形も無い。前傾姿勢だった姿勢を直立の物に戻し、一片の隙も無い油断なき立ち姿へと変じさせている。

 

 二人はそのまましばらく、相手の出方を伺った。<ルドウイークの聖剣>を真正面に構えるルドウイーク。【仕掛け大剣】の長剣を右手に握ったまま、無駄な力みのない自然体でそれに対峙する仮面巨人。夜の広がるオラリオの静寂が、二人の均衡を維持している。

 

「……お前、なんだ?」

 

 先ほどのルドウイークの質問と同様の問いを、仮面巨人が呟いた。ルドウイークは答えぬ。仮面巨人はどこか不機嫌そうに首を小さく傾けて、また何やら問おうとする。

 

「なぁ、お前……」

 

 仮面巨人は何か言葉を選ぶかのように、一瞬言葉を途切れさせた。しかしそれもつかの間の事で、仮面巨人はゆっくりと空いている左手を持ち上げて、自身を睨みつけるルドウイークの顔を指差して、重苦しく問いを発した。

 

 

 

「――――【ギーラ】、【シース】、【闇屠り(ダークスレイヤー)】、あとはそうだな、【月光(ムーンライト)】って聞いたことあるか?」

 

 

 

 真剣な雰囲気で尋ねる仮面巨人。彼の口にした言葉は、どれも何かを指す言葉であり、知らぬ者にとっては特段意味を成す事も無い言葉であった。しかし最後に【月光】と言う言葉が口にされると、途端にルドウイークはこの戦いの中で初めて自分から仮面巨人の間合いへと踏み込んでいた。

 

 大剣と長剣が衝突し、激しく火花を散らす。剛力に任せて剣を押しこむルドウイークに仮面巨人が一歩後ずさり、片足を上げてルドウイークの腹を蹴ろうと試みた。だがガチリと言う音と共に鞘から長剣を分離させたルドウイークは体を捩って蹴りを避け、体の捻じりを回転に転化させて横薙ぎにその仮面を狙いに行く。

 

 だが仮面巨人もそう容易く行く相手では無く、電撃的な速度の後方宙返りで間合いから離脱する。しかしルドウイークは地に落ちた鞘を拾い上げて即座に長剣と接合させるとそのまま伸びた大刃の切っ先を向けて跳び退がる仮面巨人を突きに行った。しかしその間合い以上の距離を飛び退いた仮面巨人を捉える事は出来ない。

 

 着地する仮面巨人。そこへ更にルドウイークは一歩、二歩踏み込む。右下からの全力での斬り上げ。獣の毛皮さえ一撃で断ち切りかねない一撃を前に、仮面巨人は迫りくる大剣の腹に横から拳を打ち付ける事で斬撃軌道を上へと逸らした。今までの捉えどころのない攻勢とは真逆の穏やかで精密極まりない防御。平時であれば大きな驚愕を禁じえないであろう仮面巨人の妙技であったが――――それを見ても、ルドウイークの攻めは止まらない。

 

「オオッ!」

 

 上へと逸らされた大剣を反射的に振り下ろす。仮面巨人は半身になって紙一重でそれを回避、長剣をルドウイークの顔面めがけて突き出す。首を傾けそれを躱したルドウイークは頬に赤い線が刻まれたのも意に介さず一歩踏み込み、仮面目掛け強烈な拳を繰り出した。仮面巨人は咄嗟に空いた手でそれを受け止め、突き出したままの長剣を握りしめてその柄でルドウイークの頭を殴りにかかる。

 

 しかしルドウイークは反射的に大剣を手放した手を滑り込ませて掴み取る事でそれを防いだ。そのまま仮面巨人の手の骨を砕くべくヤーナムの狩人らの中でも屈指の握力を一気に振り絞る。

 

 たまらず仮面巨人は手を振り払って一歩飛び退いた。その際長剣を取り落としたがそれに頓着(とんちゃく)する様子も無い。そこへルドウイークはまたしても踏み込み拳を振るう。仮面巨人はルドウイークの手首を打ち払うようにして防御。自らも拳を繰り出しつつ間髪入れず腰を狙った蹴りから眼球を狙った手刀へと繋いでくる。

 

 流れるような連続攻撃をルドウイークは自らの剛力に任せて振り払いつつ跳躍し距離を取ろうとした。だが仮面巨人はそれを許さない。まるで影の如くルドウイークとの距離を一定に保ち絶え間なく拳を振るい続ける。

 

 次瞬、突然ルドウイークが突如立ち止まった事で互いの距離は一気に近づきほとんど密着しているような間合いとなった。

 その中でも仮面巨人は右手を繰り出すがそれをルドウイークは左手で受け止め防御。左手は右手で手首を掴んで妨害、右足の爪先を左足で踏みつけ固定、左足の蹴りを左手首を掴んだまま無理矢理に右手を引くことで体勢を崩して妨害。

 密着距離での攻防で四肢による攻撃を封じられた仮面巨人はしかし、即座の戦闘判断で仮面の強度任せにルドウイークの額を砕く頭突きを繰り出そうと首を後ろへと逸らす。

 

 それこそがルドウイークの狙いだった。即座に『加速』したルドウイークは仮面巨人をあっさりと開放、相手が対応するよりも早く周囲を回転しながら時計回りに回り、無防備な左のこめかみを全力の裏拳で打ち抜いた。

 

「!」

 

 一気に吹き飛ばされ、石畳を転がる仮面巨人。だがすぐに飛び跳ねるように体勢を立て直して拳を構える。しかし今までのように即座に飛びかかって来る事は無い。今の裏拳が、少なからず平衡感覚を狂わせたのだろう。むしろ油断なく構えているように見せているその精神力こそが油断ならぬ。

 

 対するルドウイークはそう思索を巡らせ仮面巨人と睨みあいながら、以降の行動を決定していた。この男は、月光について何かを知っている。だが、わざわざ聞いてくるあたりルドウイーク自身が背にしているものが月光であるという知識は無い。であれば問い質さねば。この異常者は月光の何を知り、何を求めているのか。どうにかしてこの男を捕縛し、連れ帰る。

 

 強い覚悟を以ってルドウイークは背の<月光>に手をかけた。開帳するつもりは無い。だが、この男に<ルドウイークの聖剣>で挑んでも、相手は己同様にあの剣の使い方を良く理解している。時間をかければ人も集まってくるだろうし、アイズ殿が救援に来るかもしれない。

 

 そうなる前に、仕留めたい。思考を巡らせ、威圧感を剥き出しにするルドウイーク。それに応えるように仮面巨人も放り出されていた【仕掛け大剣】の長剣を拾い上げて構えた。

 

 その時。

 

「【ファイアボルト】ッ!!」

 

 真っ暗な路地裏の闇を引き裂くように、少年の声と赤雷が閃いた。

 

 横合いから放たれた魔法は路地を真っ赤に染め上げて迸り、無防備な仮面巨人の横っ腹に綺麗に直撃した。突然の一撃に反応を見せなかった仮面巨人はそのままぐらりと体勢を崩す。一方でルドウイークは頬に汗を垂らして、目を見開き振り返った。

 

 ――――クラネル少年!?

 

 ルドウイークが失態に肌を粟立たせる。焦りが生まれる。ファイアボルトの直撃を受けた仮面巨人が、ゆっくりと崩れ落ちる。魔法を放った態勢のままで戦況を見極めようとしているベルに向け、ルドウイークは死に物狂いで声を上げた。

 

「クラネル少年ッ!!」

 

 仮面巨人の目が、ベルを捉えていた。

 

「逃げろ!!!」

 

 倒れ込む仮面巨人が片手を地面に突き、バネで弾かれたかのような前方宙返りを見せて体勢を立て直すとその姿が残像を残して消え去り、と思えば砂を踏む音と共にベルの目前に着地していた。ルドウイークの眼から見ても一瞬の内の肉薄に、当然ベルは反応出来ない。

 

 ルドウイークは咄嗟に輪を作った片手の指を己が眼球の前へと持っていき<夜空の瞳>を発動させようとする。必死に反応しようとしたベルがナイフを振り抜くよりも早く、仮面巨人が長剣を振り抜かんと小さく構える。

 

 死に物狂いの<加速>と極度の集中がもたらした鈍化した時間の中で、ルドウイークには自身が間に合わないことが良く理解できた。そう冷静に状況を分析する狩人としての自身の裏で、人としてのルドウイークが自身の無力への怒りに歯を食いしばらせる。そしてどうにか間に合わせようと全力で足掻くも時間が止まる事はない。彼の抵抗も虚しく、無防備なベルの脇腹へと銀刃が吸い込まれて行き――――

 

 

 

 

 横合いから飛び込んできた(シルエット)がその間に割り込んで長剣を弾くと、大ぶりな回し蹴りで仮面巨人を跳び退がらせた。

 

 

 

 

 石畳を滑りながら片手を地に着き急制動をかけ辻の丁度中心辺りで動きを止めると、顔を上げて乱入者を見据える仮面巨人。それに対して、濃緑の外套を揺らめかせたその男は異様な相手の姿に動じる事も無く笑って、短剣の刃を見せびらかした。

 

「どーもどーも、初めましてだな【仮面巨人】。【霧影(フォグシャドウ)】だ。ギルドからアンタの捕縛依頼が来てる。大人しく来てくれないか?」

 

 【霧影(フォグシャドウ)】。ここ数年で頭角を現してきた第一級冒険者。ダンジョンでの功績は元より、地上での【要注意人物一覧(ブラックリスト)】及び、【危険人物一覧(レッドリスト)】登録者の捕縛或いは抹殺で名を上げ位階(レベル)を上げて来た『対人』特化のレベル6。

 そんな彼がこの場に姿を現したのは、当然要注意人物としてギルドにマークされている仮面巨人の捕縛の為だ。ギルドは先ほど仮面巨人の出没の通報を受けてすぐ、建物内や近場に居た幾人かの第一級冒険者に緊急依頼(エマージェンシー)を与えていたのである。

 

 短剣の切っ先を向けて降伏を勧めるフォグシャドウの構えには一分の隙も無い。相手が提案に応える事は無いとわかり切っているのだろう。それを裏付けるかのように仮面巨人は長剣を構える事で答えた。フォグシャドウは小さく「やっぱりか」と笑って口角を上げる。

 

「じゃあ…………実力行使と洒落込むか!」

 

 その声と共に、フォグシャドウはこれ見よがしに二本目の短剣を抜き構えた。仮面巨人は正面から応じるべく姿勢を落とし仕掛け大剣を見せつけるように構え――――弾かれたように顔を上げ、直後咄嗟に右を向く。

 

 瞬間、何処からか飛び来たった矢が仮面巨人の顔から数センチの位置で静止していた。その矢の中ほどを仮面巨人が(しか)と握りしめており、凄まじい握力による物かそこで矢はへし折れてしまっている。

 

 だがそれで終わりでは無かった。突如として仮面巨人を上方からの剣閃が襲う。気配も無く一人の女が屋根から飛び降りて来て、腰の刀を抜き縦横無尽に刃を閃かせたのだ。

 

 次の瞬間、空気を切り裂く鋭い音と共に石畳に格子状の傷が刻まれた。並の者どころか、第一級冒険者であろうと致死を逃れ得ぬであろう一撃。だが仮面巨人は転がるようにして既にその場を離脱していた。それでも仮面頭部の飾り部分が斬り落とされ鎧は斬り傷で半壊しており、異様なまでの剣閃の速度と鋭さの程が伺える。

 

「ほう、今のを(かわ)すとは。昔【黒い鳥】を一度殺しかけた技なのだが」

 

 飛び降りて来た女は改めて刀を持ち直すと、仮面巨人に対してぎらぎらとした目で獰猛な笑みを向けた。鴉の濡れ羽色の長髪、闇に溶け込む黒い外套、それらと違い、暗がりで滲むような紫の光を放つ長刀。先程までどうやって隠していたのかわからぬ程の威圧感を放ちながら仮面巨人を睨みつける女に、フォグシャドウは仮面巨人に意識を向けつつ気楽そうに話しかけた。

 

「今のを(かわ)すかよ。捕縛だからって手抜いてないか、【アンジェ】」

「いや、殺すつもりだった。だが避けられた。奴め、中々に驚かせてくれる」

「ったく、アンタは楽しそうでいいね……」

 

 油断なく仮面巨人の出方を伺いながら、二人は軽口を叩き合う。不機嫌そうに姿勢を正す仮面巨人。彼は後方から飛来した矢を視線を向ける事さえせずに切り払った。

 

「……驚きね」

 

 小さく声を発したのは後方に立つ、髪を後ろで結んだ白木の弓を構える女冒険者。その横を更に二人の冒険者が固めている。その内、大柄な体格を持った大男が目を見開いて驚きの声を上げた。

 

「見もせずに矢を払うとは何たる腕だ。噂以上の相手のようだが、上手く行きそうかね、【メタス】」

「…………面倒だ」

「【アルフレッド】、目を離さないで。今までやり合ってきた相手とは訳が違うよ」

「そうだな【ウーラン】、いつも通り私が前に出る。援護は任せた」

 

 巨大な大盾とノコギリの様な刃を備えた槍を持つ重装鎧の男が一歩前に出た。その後ろに面倒くさそうな顔をした、しかしながら確かな風格を感じさせる美丈夫が大剣と見まごうほどの長大な刃を持つ長剣を構える。彼らの後ろで弓を構えた女は、未だに視線を前に向けたままの仮面巨人の背中を苛立ちを抑えたような顔で睨みつけた。

 

「【塔の(ジ・タワー)】アルフレッド、【つらぬき(スティンガー)】メタス、【白弓(ホワイトボウ)】ウーラン……かなりの面子だな」

「知るか。仮面巨人は私がもらう。【霧影】、援護してくれ」

「簡単に言うよな……」

 

 新たに現れた三人の冒険者に目を見張るフォグシャドウ。対して苛立たし気な口調で彼らに目を向けながらも、仮面巨人にのみ凄まじい殺気を叩きつけるアンジェ。辻の中心に立つ仮面巨人を挟んで逆側に立った三人も、彼ら二人の存在に気づいて足を止めた。

 

 同じ獲物を狙う冒険者がかち合った事による、一瞬の視線による牽制が宙を飛び交う。その時、それをこそ隙と見て取った仮面巨人は突如として素早く背にしていたもう一本の大剣――――橙色に縁どられた刀身の【魔剣】を抜いて、即座に振り下ろしながら名を唱えた。

 

 

「――――【怒鎚(いかづち)】!!」

 

 

 巨大な落雷が、轟音を轟かせた。

 

 

 衝撃によって周囲の家屋の窓を砕き、閃光がその場に居た者全員の視界を奪う。そして視界が元に戻るころには仮面巨人の姿は既に無く、残された者達の前には捲れ上がった石畳とぽっかりと空いた穴だけがあり、フォグシャドウとアンジェが奇襲に気を配りながらその大穴に駆け寄ると、中からは僅かに水の流れる音が聞こえてくるばかりだった。

 

「マジかよ……魔剣を逃走用に使うとは……見事な引き際だな、くそっ」

「どうやら下水道に逃げ込んだようだな…………追撃するかフォグシャドウ。追撃しよう」

 

 ぎらぎらと目を光らせながら提案するアンジェ。対するフォグシャドウは気だるげに短剣を鞘に仕舞う事でそれに答えた。

 

「…………いや、俺はこの辺で降りるぜ。地下じゃ【ロスヴァイセ】さんの援護も望めんし流石にリスキー過ぎる。咄嗟にこんな逃げを打つくらいだし、(やっこ)さんはオラリオの地下構造も知り尽くしてるっぽいしな」

「なんだお前、意外と臆病なのだな」

「勇敢だったダチは大体死んだよ」

「そうか」

 

 素気無くフォグシャドウにあしらわれたアンジェは、残念そうに刀を鞘へと納めた。

 

「逃がしたか……どうする?」

「諦めるのが筋だろう。俺は面倒が嫌いなんだ」

「メタス、お前は少しやる気を出しなさい……って言っても確かに追っかける気にはならないね」

「メタスの言う通りにするのは(しゃく)だが、我々に地下下水は不利だ。撤退するぞ」

 

 後から現れた三人の冒険者も追撃を諦めて武器を収めると、早々に大穴に背を向けて立ち去ってしまった。アンジェは彼らの背にも剣呑な目つきを向けていたが、フォグシャドウもその場を去ろうとすると溜息を吐いて外套の前を閉める。そしてちらと、一連の流れを見守っていたルドウイークに視線をやった。

 

「ところで、そこのお前」

「…………何かね」

「【鴉の止り木】で幾度か見かけたが、名は聞いていなかったな。私はアンジェ。お前は?」

「……ルドウイーク。【エリス・ファミリア】のルドウイークだ」

「ルドウイークか、覚えた。いずれ戦場(いくさば)で会えることを願っている」

 

 楽し気に一度笑うと、アンジェは民家の屋根へと飛びあがってそのまま姿を消してしまった。残されたルドウイークはしばらく周囲を警戒するように視線を巡らせていたが、完全に脅威が去ったと見ると力を抜き、仮面巨人に肉薄されへたり込んでいたベルの元へと歩み寄った。

 

「立てるか、ベル?」

「ど、どうも……」

 

 ベルに手を貸してルドウイークがその小柄な体を軽々と引き上げると、屋根を飛び渡ってアイズが現れ、それに次いで息を切らしたヘスティアが姿を現した。

 

「はぁ、はあっ……ベル君、ルドウイーク君、無事かい…………?」

「ヘスティア神、お気遣い痛み入ります。何とか二人とも無事ですよ」

「それは、ふぅ、よかった……安心したぜ…………」

「【仮面巨人】はどうなりました?」

 

 疲労と安堵の息を激しく吐くヘスティアとは対照的に、普段通りの怜悧(れいり)さを保ったままのアイズがルドウイークに尋ねた。ルドウイークは肩を竦め、交差点のど真ん中に空いた大穴をちらと見て顎で指す。

 

「逃げたよ。どうやら彼は、私が思っているよりも人気者らしい」

「人気者…………?」

「他の冒険者が彼を狙って現れたんだ。それで不利と見たのだろうな」

 

 言って、ルドウイークは仮面巨人に対するために現れた冒険者達の顔を反芻(はんすう)した。誰も彼もが生半可な雰囲気では無かったが、特に最初に現れた【フォグシャドウ】と【アンジェ】、後から現れた三人のうち気だるげな雰囲気を醸し出していた【メタス】。彼らは第一級冒険者の中でもさらに上位に位置する、レベル6の冒険者だろう。

 

 だが。戦ってみたからこそ分かる。仮面巨人、あの男の実力は別格だった。ルドウイークが知る者達の中でも、師である<ゲールマン>翁や比類なき対人の名手であった<烏>と肩を並べうるだろう。ルドウイークはあの男の常軌を逸した立ち回りを想起して、このオラリオと言う街の、あるいはこの世界に生きる人々が辿り付きうる領域の高さをその身を以って痛感していた。

 

「でも、ルドウイークさんも無事でよかったです。僕、心配で……」

 

 剣呑な思考を続けるルドウイークの耳に、安堵したようなベルの声が届く。それを聞いて、ルドウイークは今まで続けていた思考を中断して、いつか子供たちに向けていたような優し気な笑みを己に強いて顔に浮かべた。

 

「流石に、無傷とはいかなかったがね…………ベルやアイズ殿の方はどうなった? どうやら、深手を負うような事は無かったみたいだが」

「僕が魔法を撃った後すぐ、襲ってきた人たちは皆帰って行きました…………怖気づいたとか、そういう感じじゃ無かったですけど」

「そんな事無いぜ! 彼らはきっと、ボクのベル君に震えあがったのさ!」

「か、神様……」

 

 彼の心配に控えめに笑って返したベルに抱きついて、ヘスティアは会心の笑みを浮かべた。だが、ルドウイークはそんな彼女から隠し切れぬ緊張を見て取る。彼女なりに、ベルや自身を安心させようと気を張っているのだろう。ルドウイークは彼女のそんな善性をとても好ましく思った。そして、黙ってベルと彼に抱きつくヘスティアを見つめるアイズへと声をかける。

 

「アイズ殿も無事そうで何よりだ。こういう事には、慣れているのかね?」

「……はい。闇討ちは、割とよくある事ですから」

「よくあるんですか!?」

「うん」

 

 ルドウイークの問いにあっさりと答えたアイズの平然とした態度に、ベルが驚きの声を上げた。ルドウイークはその様に自らの主神が喚くときの事を想起し小さく肩を震わせるが、周囲の誰一人としてそれに気づいた様子も無く話を続けて行く。

 

「流石に、ダンジョンの外でここまで大規模な物は珍しいけど……」

「じゃあ中では……?」

「割とある」

 

 恐る恐る聞くベルに人形の様な無表情のまま答えるアイズに、やはり名を上げるというのもいい事ばかりではないのだなと、ルドウイークはいつだかエリスが懸念(けねん)していた事柄について今更ながらに納得した。

 

 すると、周囲から人の足音が向かって来るのをルドウイークは聞き取った。それも一人や二人では無く、十人や二十人が慌てて走ってくる音だ。流石に騒ぎが大きくなりすぎたかと判断して、ルドウイークはアイズに視線を向ける。

 

「アイズ殿、人が集まってくる。我々はあまり一緒に居る所を見られるべきではない」

「そうですね……ルドウイークさん、彼とヘスティア様を」

「任された」

「ありがとうございます…………じゃ、またね」

 

 それだけ言い残すと、アイズは素早く民家の屋根へと飛びあがってその場から早々に立ち去ってしまった。名残惜しそうに彼女の飛びあがった先を見つめるベルの脇腹をヘスティアが肘で小突く。

 

「ベル君……? ほら、ボクらも行こうぜ。騒がしくなる前にさ」

「あ……はい。行きましょうか」

 

 歩き出すベルとヘスティア。その背を追いながら、ルドウイークは再び思案に耽り始める。

 

 今宵の襲撃者達。明らかに、対象である我々の個々の実力に拮抗するように担当の襲撃者が選ばれていた。ならば、その目的は何だ? アイズ殿についた者達の目的は分かる。アレは足止めだろう。彼女を自由にする事はあまり彼らにとって好ましい事では無かったはずだ。

 

 自分に付いたあの湾曲剣の剣士はどうだ。彼もあまり積極的では無かった。で、あれば彼らからすれば、私も真に標的とするべき相手では無かったのだろう。となると、考えられるのはクラネル少年かヘスティア神。

 しかし、ヘスティア神はそもそも現在大きな影響力を持っている神では無く、ここで始末しようとする理由はないはずだ。更には『神殺し』はこのオラリオにおいて途方もない重罪である事はルドウイークでさえも知っている。

 

 そこまで考えたルドウイークは、突然立ち止まって摩天楼(バベル)へと目をやったベルに合わせて歩みを止め、その白い髪と赤い瞳をまじまじと見つめる。

 

 彼を、クラネル少年を狙っていた? 一体なぜ? 彼に執着する美の女神の思惑も、彼の成長速度が異常な域にあるという事実も知らぬルドウイークは、手がかりの無い思索を経て思わず空を見上げる。そして――――

 

 

 ――――小さく鳴った自身の腹の虫に驚いたように振り返ったベルとヘスティアの顔を見て、誤魔化すように白い歯を見せた。

 

 

 

<●>

 

 

 

 既に日付も変わろうとする深い夜の下、ルドウイークは【エリス・ファミリア】の本拠(ホーム)である民家の戸を潜って少しアルコールの匂いが残るリビングへと上がり込み、<ルドウイークの聖剣>を壁際に下ろし、<月光>をソファに立てかけて自身もソファへと座り込んだ。

 

 彼の脳裏ではヘスティアらと小さな酒場で食事を取っていた時から続けていた思索が今だに渦巻いている。此度の襲撃者達の目的、そして何よりもあの【仮面巨人】の思惑だ。

 

 彼……仮面巨人は、<月光>について何らかの情報を掴んでいる。そしてなお<月光>についての情報を求め、ルドウイークに問いを掛けていた。それを聞いたルドウイークは、ヤーナムの秘密を知るのやも知れぬと反射的に彼に挑みかかっていたわけなのだが……今やルドウイークはそれを大きな失敗だと断じていた。

 

 そもそも、彼の口にした【月光】と、ルドウイークの知る<月光>が同一の物であるという保証はどこにも無い。ルドウイークの持つ月光が彼と共に異なる世界より来たりし物であると考えれば、むしろその可能性は低いだろう。

 

 彼がルドウイークの知らぬいくつかの単語を共に上げていたのもその証拠だ。一体何であるかも見当が付かぬ謎めいた呼び名。彼の求めた月光について知るのであれば、まずはそこから調べる事が必要だろう。

 

 ルドウイークがそう結論付けて虚空を睨みつけていると、階段を降りてくる足音が彼の耳に聞こえて来た。ルドウイークは一度目を閉じて、眉間に寄った皺を指でほぐす。彼が手を下ろすのとエリスが部屋の戸を開いたのは、ほとんど同じタイミングであった。

 

「おかえりなさい。遅かったですね、ルドウイーク」

 

 そう言って小さく笑うエリスは、いつものように髪を束ねてもいないうえ眼鏡もかけておらず、寝間着の上にケープを羽織っただけの簡素な出で立ちであった。それを見たルドウイークは、少し申し訳なさそうに口を開く、

 

「ああ、遅くなった…………起こしてしまったかね?」

「うーん、そうですね。いい感じに寝れそうだったんですが、貴方が帰ってきたので目が覚めちゃって」

「それは……すまない。邪魔をした」

「お気になさらず」

 

 微笑みを顔に浮かべたエリスは小さく肩を竦めてその笑みを深くした。そして、小首を傾げてルドウイークに提案する。

 

「あ、そうだルドウイーク。今日夕食に作ったスープが、まだちょっとばかり残ってるんですけど――――」

「いや、それには及ばない。腹ごしらえは済ませて来た」

 

 エリスの申し出を、ルドウイークは素早く断った。気遣い自体は好ましかったが、寝起きの彼女にそのような労働はさせられない。しかし、それを聞いたエリス神はなんだか可笑しそうに笑って、それから彼に言い聞かせるように穏やかな声で語りかける。

 

「ふふ、そういう意味じゃないですよルドウイーク。貴方の為にスープを用意してたんじゃなくて、食べ切れなかった分がもったいないんで食べてくださいって話です」

「…………そうか。気遣い、痛み入る」

「だから違うんですけどね、とりあえず温めちゃいますよ」

「ああ」

 

 エリスの行動を気遣いによる物だと判断したルドウイークが頭を下げる横を、おぼつかない足取りでエリスが通りすぎる。彼女の通った後に隠しようのない酒精の香りを嗅ぎ取ったルドウイークは、最後に顔を合わせた時に比べて彼女の機嫌が格段に良くなっている理由を何となく理解した。

 

 台所でスープの入った鍋に火を入れたエリスがすぐに戻ってきて、ルドウイークの向かいのソファに腰掛ける。眼鏡のレンズを通さぬ瞳で自身を見つめてくる彼女にルドウイークが物珍しそうな視線を返すと、エリスは不思議そうにそれを見つめ返し、すぐに目を閉じてルドウイークに問いかけた。

 

「今日は、ずいぶん遅かったみたいですけど……何かあったんですか?」

「……ああ、少し、ヘスティア神に厄介になってな」

「ヘスティアに?」

「食事の出来る酒場を一つ、紹介してもらってね…………怒らないのかね?」

「はい?」

「余りヘスティア神と仲良くするなと、普段から言っているだろう。それでな」

 

 申し訳なさそうに、あるいは恐る恐ると言った様子でルドウイークはエリスに告白した。彼としては、折角治った彼女の機嫌をまた損ねるような事は口にしたくなかった。だが、口にしないというのも誠実さに欠ける。それ故の正直な白状であった。

 

「正直に答えてくれたので、別に。それに、夕食を作らないって言い出したのはこっちですからね」

 

 しかし彼の危惧とは裏腹に、エリスはあっさりとそれを許した。しかも自らの非まで認めて。ルドウイークはそんな彼女の様子にらしくないなとも思いながら、穏便に済むのであればそれに越した事は無いと、安堵の溜息を吐く。

 

「良かった。ともすればまた君に怒鳴られるのではないかと戦々恐々としていた所だよ」

「うわ、ひどい! 言い方ってものがありますよぉルドウイーク」

「すまない」

「謝らなくたっていいんですけどね」

 

 そう言って小さく笑うエリスにルドウイークもまたつられて笑う。彼と彼女はそのまま穏やかに口を閉じて、しばしの間心地の良い沈黙を共有した。

 

 

 しばらくして、リビングに温められたスープの香りが流れてきた頃。今までとは違う、何処か思い詰めたような覚悟の見える目をしたエリスが、ルドウイークの顔を真っ向から見つめて、慎重な様子で口を開いた。

 

「あの、ルドウイーク」

「何かね?」

 

 対すルドウイークは、あくまで自然な様子でそれに応じる。エリスは彼から帰ってきた視線の真っ直ぐさに一瞬気圧されるように黙ったが、すぐに気を取り直して身を前に乗り出した。

 

「以前、ここに来た時に貴方は<ヤーナム>の街についてや<狩人>、それに<獣狩りの夜>について話してくれましたよね」

「ああ」

「でも、あれって全部じゃあありませんよね? まだきっと、表面上の事しか貴方は口にしていない。教えたくない事が、多分たくさんあると思うんです」

「………………つまり?」

「貴方が、何を秘密にして、守ろうとしているのか。出来れば、その事も教えてくれないかなって」

 

 エリスは酔いの力によってか、あるいは別の要因によってか。今まで踏み込もうとしなかった、ヤーナムでのルドウイークにこれまでに無く踏み込もうとした。対するルドウイークは、僅かに絆されそうになる自身を自覚しながら、憮然とした顔で言葉を選んで口を開こうとする。

 

「…………それは」

 

 言える訳が無い。その返答を、ルドウイークは寸での所でどうにか飲み込んだ。

 

 知識と言う物は一度知れば際限がない。知れば知るほど気づきが生まれ、取り返しの付かない蒙を(ひら)く事になる。それが連環の様に連なればどうなるか、彼はその眼で目撃してきた。だからこそ言えぬ。特に自らの恩神たる彼女は、絶対にヤーナムの地に継がれてきた悲劇に巻き込むわけにはいかぬのだ。

 今までも頑なにヤーナムについて隠匿してきた理由を、ルドウイークは再び認識した。故に彼は二の句を継がず、視線を下へと向け(うつむ)くばかり。しかし、彼の沈黙を否定と受け取ったエリスは、それでも穏やかに手を伸ばして、(いつく)しむようにルドウイークの頬に触れた。

 

「ふふ、構いませんよ。いつか、貴方が自分からそれを教えてくれるように……()()()、頑張りますから」

 

 エリスはどこか熱っぽく言ってその()()()()()を細めて笑い、そっとルドウイークに触れていた手を戻す。そして、一度小さく欠伸をすると眠たげに目を擦って立ち上がった。

 

「それじゃ、そろそろ寝ます。スープは全部食べ切ってください。あと、お皿は水に浸けといてくださいね」

「…………ああ。ありがとうエリス神。良い夢を」

「ルドウイークも。おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 自室に向かうエリスの背を笑顔で見送ったルドウイークは、彼女の姿が見えなくなるとその表情を厳しいものに変じさせ机に肘を立てて顔の前で指を組んだ。

 

 彼女もまた、自身の事を心配してくれている。同じ世界の生まれでさえも無い自分をこうまで気にかけてくれる彼女の恩に、どうにか報いるべきだとルドウイークは決意を新たにした。そして同時に、自らがこの世界に悪い影響を残してしまう前に一刻も早くヤーナムへの帰還の手段を見つけるのだと意気込む。

 

 だがもし。その過程でもしもヤーナムに関連のある悪影響が、この世界のどこかで起きる様であれば。自身は責任を取らねばならない。その全てを狩り滅ぼして、まっさらな状態にして帰るべきだ。禍根を残す事はまかりならぬ。

 

 ならば余計に、帰還の方法を早く見つけ出さねばな。

 

 ルドウイークは<獣狩りの夜>の暗闇以上に先行きの見えぬ自らの境遇に乾いた笑いを零して、ソファに立てかけられた<月光>に触れる。しかし、導きの輝きが彼の前に姿を現す事は無い。今は、その時ではないのか。何か、足りぬ要素があるというのか。

 

 ひとまず、明日は訓練の後知り合いの元を巡って、【仮面巨人】についての情報でも漁るとするか。ニールセンあたりであれば、今までの出没情報も知っているかもしれん。

 

 (わら)にでも(すが)りたい心境のルドウイークは今現在、自らの前に現れた最も大きな疑問を解決するべく動く方針を固めると、思索を巡らせながら台所へと向かい、煮立ったスープを皿に移してソファへと戻る。

 そして、心ここにあらずと言った様子で明日の予定を脳内で整理しながらスプーンでスープを掬い取って口に含み、盛大に口の中を火傷してスプーンを取り落とした。

 

 




ベルたちとの訓練は一段落です。

もっと筆力がほしい……バトルをもっと重厚に描きたい……難しいもんです。
ただルド聖剣の仕掛け奪取はやりたかったのでそこは満足……。
あと【つらぬき】のルビがペネトレイターじゃないのはスティンガーを出したかったからです。本当に申し訳ない。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っております。
よろしければご協力よろしくお願いします。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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25.5:帰還

幕間、17000字くらい。会話パートのみです。

35万UAに到達しました。読んでくださる皆さまには感謝しかありません。
感想評価お気に入り、誤字報告も毎回ありがとうございます。

今回も楽しんでいただければ幸いです。


「…………以上が、今回の作戦の顛末(てんまつ)になります」

 

 片膝を着き、(こうべ)を垂れた【アレン・フローメル】は、目の前に在る美の女神、【フレイヤ】へと今宵(こよい)の【ベル・クラネル】に対する襲撃についての報告を終えた。

 

 フレイヤは窓際の椅子に腰掛けながら、彼の言葉を吟味(ぎんみ)するようにじっくりと聞いている。今この部屋――――摩天楼(バベル)の頂上階にあるフレイヤの私室に居るのは、彼とフレイヤのみだ。普段であれば彼女の傍仕(そばづか)えをしている【オッタル】は、現在彼女の命を受けてダンジョンに潜っている。

 

 それはまたとなく巡ってきた機会であった。アレンにとってフレイヤ・ファミリアの団長であり、オラリオ最強の冒険者であり、何よりも今現在最もフレイヤからの信頼を集めているあの猪人(ボアズ)は正しく目の上の(こぶ)と言うべき存在であり、彼を押しのけフレイヤの最も大きな寵愛を得る事はアレンを含めたフレイヤの眷族()たちの悲願である。

 

 しかし、今回巡ってきたチャンスはあまりいい形で彼の手の内に収まる事は無かった。【剣姫】を足止めし、素性の知れぬ白装束の剣士の男を一対一に持ち込ませ、標的である白髪の少年に同格程度の冒険者をけしかける事には成功した。そして彼は襲い来るその冒険者達を単独で撃退せしめ――――アレンとしては認めがたい事であったが――――フレイヤが関心を持つに足る理由を持っているのだと示して見せた。

 

 だが、そこからが良く無かった。

 

 【仮面巨人】。あの狂人の乱入によって白装束の剣士とこちらの人員二名が戦場から引き離された。相変わらず理解できぬその行動にも彼らは動じずに作戦を続け、ベル・クラネルの【魔法】を引き出す事にも成功して撤退したが…………その後白装束の剣士の救援に向かったベル・クラネルが仮面巨人に斬られかけたと言うのだ。

 

 とんだ失態だ。アレンにベルの人となりなど知りようも無かったし、目標を達成した以上撤退した判断に間違いはなかった。だが…………例え己に非も無く、気に入らぬ相手とは言え、フレイヤの意向を全てにおいて優先する以上ベル・クラネルが必要以上に危険にさらされるのは避けなければならなかっただろう。

 

 故にアレンは己の不手際を恥じ、如何なる罰をも甘受する覚悟でこの場に在った。たとえそれが、あらゆる困難を乗り越えて掴んだ副団長の座の剥奪(はくだつ)、あるいはそれ以上の罰――――ファミリアからの放逐(ほうちく)などであろうとも、フレイヤの命じに逆らう理由は、彼には無い。

 

 だがそんなアレンの覚悟を肩透かすかのように、得心が行ったような顔をしたフレイヤはにこやかにアレンへと話しかけた。

 

「…………成程。じゃあ【ベル】は、無詠唱で発動可能な魔法と、同格の冒険者を歯牙にもかけない強さを得ているのね?」

「……はい。状況を鑑みるに、そのように考えて問題ないかと」

「ありがとう【アレン】。お陰様で、随分肩の荷が降りたわ。【魔導書(グリモア)】からどんな魔法を習得するかは、その時までわからないものね」

 

 言って笑みを深くし、テーブルの上に置かれたグラスを優雅に傾けるフレイヤ。アレンは一瞬、窓から覗くオラリオの夜景さえも霞むその美貌に身惚れていたが、すぐに気を取り直して、自身の失態への処遇についてを切り出した。

 

「フレイヤ様」

「ん、何かしら?」

「今回、私の判断ミスにより、仮面巨人がベル・クラネルへと危害を加えかねない状態となってしまいました。もしも【霧影(フォグシャドウ)】が割り込んで来なければ、あの少年がどうなっていたかは想像に難くありません。それについては、作戦を任された私に全ての責任があります。如何なる罰も受ける所存で――――」

「不問よ」

「…………はっ?」

「不問と言ったのよ。気にしないで」

 

 ぴしゃりと、彼の詮索を許さないという態度でフレイヤは言い切った。想定外の言葉に思わず顔を上げ、目を丸くするアレン。一方、フレイヤは彼を(とが)めるような事も無く、再びグラスに口を付け傾ける。それを見てアレンは少しの間思考を巡らせていたが、彼女の寛大さによって自身が許されたという事実を重く受け止め、今まで以上に深く頭を垂れた。

 

「ご厚情(こうじょう)、痛み入ります。このアレン・フローメル、その恩情に報いる事が出来るよう、これからも研鑽(けんさん)を重ねて行く所存であります」

「ふふ、いいのよ。それじゃあ、今日は下がっていいわアレン。今はゆっくり、体を休めなさい」

「はっ! では、失礼させて頂きます」

「ええ、おやすみなさい、アレン」

「おやすみなさいませ」

 

 自身の失態を許されたアレンは、彼女に対して何か詮索すると言うような事も無く、その言葉に従い早々に部屋を後にした。オラリオの夜景を一望できるバベルの最上階に、フレイヤだけが残される。

 彼女はアレンを見送った後しばらくはテーブルに着いていたが、グラスの中身を優雅に飲み干すと立ち上がり、部屋の真ん中まで歩いた所で足を止め、外に誰も居ないだろうと気配を探ってから、小さな声で虚空に向け呼びかけた。

 

 

「……出てきていいわよ」

 

 

 その声に呼応するように、部屋の隅の棚の陰から一人の人影が姿を現した。

 

 窓から差し込む月明かりに照らされたその姿は、正しく異様。背に負った二本の大剣、上半身に装備した斬り傷塗れの重装鎧に対する、防御力の低い軽装のズボン。そして、頂部を斬られ失った『仮面』。先程まで、アレンとフレイヤの会話の中でその名を幾度と無く挙げられた男――――【仮面巨人】が、そこに居た。

 

 しかしフレイヤは、普通に出れば思わず(おのの)いてしまうであろう【仮面巨人】の姿に特に動揺する事も無く、咎めるような声で口を開いた。

 

「随分と派手にやってくれたみたいね。道に穴まで空けちゃって、今頃ギルドは大騒ぎよ? ウチの【ロートレク】がギルドに第一報を入れてくれたおかげで、彼らが目の色を変えるようになる程の被害が出る前に済んだみたいだけれど…………」

 

 アレンを相手にしていたファミリアの主神としての姿とは違いあくまで自然体で言うフレイヤの言を完全に無視し、仮面巨人は手近なワイン棚からまだ封の空いていないワインを一本引っ張り出し無理矢理に栓を開けて仮面をずらし直接飲み始めた。その余りに行儀のなっていない行動に、フレイヤは盛大に眉を(ひそ)める。

 

「……そんな風に呑むなら、その仮面も外したらどう? 今ここには、私と貴方しかいないのだから」

「…………」

 

 無言ではあったが、彼女の提案を受けて仮面巨人はあっさりと、その正体を隠す仮面をテーブルの上に放り出した。

 

 黒い髪と黒い目の、極東ならばともかくこのオラリオではあまり見かけぬ色味。そして、印象の薄い顔と、張り付いた様な無表情。美の女神たるフレイヤを前にして何ら反応を示さずにワインの瓶に口を付けるのは、このオラリオにおいてオッタルに次ぐ実力者と言われる冒険者、【黒い鳥】。

 

 『死を告げる』とまで噂され、任務によってどのような汚れ仕事も成し遂げるという、オラリオの権力構造から完全に逸脱した存在。時には神に刃を向け、実際に振るった事もある危険人物。しかしそのような相手に何ら怖気づくような様子も見せず、呆れたようにフレイヤは口を開いた。

 

「どうかしら、お味は? 本当は、ちゃんとグラスに注いだ方がいいと思うのだけれど」

「……そうなのか?」

「ええ。何せ、あの【デメテル】の所から直接卸してもらってる品よ。良ければ【鴉の止り木】にも置いたら?」

「…………ウチにはちょっと上品すぎるな」

「ふふ、かもしれないわね」

 

 そう評価してワイン一瓶を早々に飲み干した【黒い鳥】は、フレイヤの花が咲くような笑顔に身惚れる様子も無く床にどさりと腰を下ろして周囲へと視線をきょろきょろと巡らせた。

 

「…………で、フレイヤ様よ。オッタルは不在か? 俺、今回の依頼はアイツから受けたんだけど」

「ええ、彼はちょっと……野暮用でね。ダンジョンに居るわ」

「マジか。帰ってきたらウチに顔出すよう伝えて貰っても?」

「それには及ばないわ。報告は私が受けるから」

「…………まぁ、オッタルはそれOKするだろうなぁ。分かったよ」

 

 面倒くさそうに胡坐をかき、頬杖を突いてフレイヤを見る【黒い鳥】。その体からは気だるげな雰囲気がこれでもかと発散されている。

 

 当然と言えば、当然である。【黒い鳥】としては終了した調査の内容をオッタルに報告し、そのまま彼と酒でも飲み交わしに行こうと考えていたのだ。だが、実際に顔を出してみれば彼は不在だと言う。故に、機嫌が良いとはとても言えない【黒い鳥】に、フレイヤは気遣う事も無く直球で調査の成果を問うた。

 

「それで、どうだった? あの…………ルドウイークって子の腕は。お気に召したかしら」

 

 すると、今まで能面のように顔色を変える事の無かった【黒い鳥】は、先程まで参加していた戦闘の記憶を想起して僅かに口元を緩め饒舌(じょうぜつ)に話し始める。

 

「ああ、凄かったぜ。アイツ、俺の裏回りや串刺し、とにかくどれもこれもを(しの)ぎきりやがった。レベル2なんて嘘もいいとこ、まず間違いなく6はあるな。しかも、まだ本気じゃなかったみてぇだし……それにだ、意味の分からん魔法……アレ魔法か? なんか、詠唱抜きの術を使いやがってさぁ」

「あら、彼も?」

「彼も?」

「ベルも詠唱無しで魔法を撃ったと聞いたけれど、彼もそうなのかって話よ」

「ベル……? 誰だそりゃ」

 

 首を傾げる【黒い鳥】に、今宵初めてフレイヤからあからさまな怒気が放たれた。神威を伴うそれを受けて、気だるげに頬杖を突いていた彼は驚いたように身を逸らせる。

 

「うわ、何だ突然。ビックリした。心臓に悪いからやめてくれよ」

「心にも無いことを言うのはやめなさい。神に嘘は通じないなんて、今更な事を言わせる気?」

 

 まるで驚いたような顔で言い放った【黒い鳥】の言葉に、フレイヤが鋭い釘を刺す。【黒い鳥】は観念したように諸手を上げて、それから一度首を傾げてフレイヤに尋ねた。

 

「で、誰だベルって?」

「今日、あの乱闘の中にいたでしょう? 【ヘスティア・ファミリア】に所属している、白い髪の少年よ」

「白い髪……ああ! あのちびっこい女神を守ってた奴か!」

 

 手を叩いて、今宵彼女の前で初めて笑顔を見せた【黒い鳥】にフレイヤは白々しいとばかりに目を細める。すると【黒い鳥】はおどけるように笑って、平然と嘘を吐いた。

 

「何だよ、そう怖い顔されると震え上がっちまう。俺はナイーブなんだ」

「そう…………丁度いいから、一ついいかしら」

「何だ?」

「依頼したいの。今後、ベルには関わらないでもらえる? 正直、貴方が関わると予定が狂うのよね」

 

 一見にこやかに、だが確かな不機嫌さを(はら)ませながらフレイヤは【黒い鳥】に言い放った。実際、彼女の見立ては正しい。既にたった一度の接触で彼はベルへと剣を向け、その身を危険に晒している。今後もベルに対して様々な形で成長を促して行くつもりであるフレイヤにとって、文字通り全てを台無しにしてしまうこの男がベルと関わらないようにしておくのは当然の懸念であり、取るべき措置であった。

 

 笑顔の裏でそのような思考を巡らせるフレイヤ。しかし、彼女とは対照的に【黒い鳥】は心底楽し気に肩を揺らし笑うと、先ほどのベルに関わるな、と言うフレイヤの言葉の意味を確認するように尋ねる。

 

「おいおい、そいつはちょっと難しい任務になりそうだ。何せ期間の指定が無いし、内容も漠然としすぎだろ。それにだ、その言い方じゃまるで――――」

 

 彼はそこで一度眼を閉じて言葉を切る。そして一呼吸置いた後、今までの無表情を通り越した冷え切った瞳でフレイヤの双眸(そうぼう)を貫いた。

 

 

「――――命令みたいだな」

 

 

 フレイヤは、彼のその言葉に久しく感じていなかった危機感が体に走るのを感じ取った。

 

 【黒い鳥】は、強制や命令を酷く嫌う。それが任務の最中であり妥当性があるのであれば文句を言う事は無いが、それ以外、納得の出来ない理由で自身を押さえつけようとする相手にはとかく不快感を示すのだ。

 

 そうした言動で【黒い鳥】の逆鱗(げきりん)に触れ、オラリオから姿を消した者は少なくない。彼ら彼女らがどうなったかなど、知られることも無いし、語られる事もないだろう。

 

 だが、フレイヤにそんな愚か者たちと同じ末路を辿るつもりは毛頭なかった。聡明な知性を最大限に働かせ、【黒い鳥】が納得するであろう依頼条件の落とし所を即座に弾き出す。

 

「…………依頼内容だけれど、そうね……【ベル・クラネルとの戦闘の禁止】と言うのはどうかしら? 報酬は……【鴉の止り木】(あの店)に投資をさせて貰うわ。あの店の財政状況が安定すれば、マグノリアの貴方への風当たりも多少は優しくなるんじゃない?」

「ふーん……悪くないけどそれ、もしかして【永久任務(エターナルリング)*1か? 流石に即決で首を縦に振れる奴じゃあねぇな」

「あら、だったら一度持って帰って考えてもらってもこちらは構わないけど?」

 

 調子を取り戻したフレイヤはあくまで余裕たっぷりに笑みを浮かべて言う。対する【黒い鳥】はほんの少し興味深そうなふりをして…………結局、首を横に振った。

 

「…………いや、遠慮しとく」

「あら、悪い話ではないと思ったのだけれど」

「んー、まぁそうだなぁ。そもそも、俺は別にそのベルってのに積極的に関わるつもりは無いんだよな。なのに任務となると、万一の時にどうしようも無くなるから避けたいってだけ」

「こちらとしてはその万一が怖くて提案してるのだけどね」

「そう言われても、【永久任務】は拘束が厳しいからお断り。そんな長期の任務を全う出来る【ジョシュア】みたいな一貫性は俺にはないよ……ま、でもそいつに出来るだけ関わらんようにはするからさ。それじゃあダメかい?」

 

 申し訳なさそうに肩を竦め、黒い鳥は自分なりの妥協案(だきょうあん)をフレイヤに提示した。彼女は神の眼を持ってその言葉に嘘が無い事を見抜くと、少しの間形の良い顎を摘むように指を添え、そして諦めた様に溜息を吐いた。

 

「貴方が配慮してくれるというなら、私から言う事は無いわ。でも、そうなるとそれなりにお礼はしなくちゃね。何か希望はあるかしら」

「じゃあさ、日時を指定するからそこで仮面巨人の討伐指示をアレンの奴に出してくれ。アイツとは一度戦ってみたかったんだ」

「取り返しのつかないケガはさせないでね、彼だって私の大事な眷族なんだから」

「分かった。じゃ、それでよろしく頼むぜ」

「こちらこそ」

 

 互いに納得の行く内容で話をまとめる事に成功した女神と傭兵はどちらともなく軽く笑い合って、それから思い出したように、話題をルドウイークが使用したと言う魔法についてへと戻した。

 

「それで、話を戻すけど……ルドウイークが使ったって言う魔法は、どういう名前でどう言う効果の魔法だったの?」

「ん……ああ、その話だったか。そうだな、奴の使ってた魔法だけど、詠唱が聞こえなかったんで名前は分からん。俺の【バニシング(Vanishing)】や剣姫の【エアリエル】みたいな超短文魔法で詠唱を聞く暇が無かったか、多分ねぇと思うけど、【フレーキ】がやってるような【静穏詠唱(サイレント・キャスト)】で発動させたのかもな」

「ベル同様の無詠唱呪文と言う線はないの?」

「いやいや、そんなん歴史上の伝説――――【最初の賢者(ファースト・セイジ)】とか【混沌の魔女(イザリス)】みたいなレベルの術師がやるような奴だろ。つか、無詠唱魔法使えるのかそのベルって奴は? 才能有りすぎて笑っちまうな」

 

 歴史に名を残す伝説の名を挙げ、それとまだ駆け出しのレベル1を比べ震えあがるように体をかき抱く【黒い鳥】。しかし、彼の演技に対するフレイヤの対応は一貫して冷ややかな物だった。

 

「さっきも話したでしょうに、茶化すのは程々にして。とりあえず魔法の名前が分からないのはいいけど、中身はどう言う物だったの?」

「ああ、なんかタコかイカの足みたいなのを滅茶苦茶呼び出す奴でさ。もしかしたら……【召喚魔法(サモン・バースト)】の一種かも」

「【啓くもの】と【千の妖精(サウザンド・エルフ)】以外に【召喚魔法】を使う子が居るなんて驚きね。しかも彼、生粋の術師ではないんでしょう?」

「あんな動ける術師がいてたまるかって。どう見ても本職は剣士だよ」

「そう。やっぱり、しばらく彼には手を出さない方が良さそうね」

 

 【黒い鳥】の報告から明らかになった、その近接戦闘能力と得体の知れぬ特異な魔法。それが元より感じていた異形の魂への警戒感を後押しする形で、ルドウイークへの不干渉と言う結論をフレイヤに決定させる事になった。しかし、当然ながらそれはあくまで現時点の話だ。

 

 今後のベルの成長の度合い、或いはその辿る道筋によっては、今回の様にルドウイークも巻き込まねばならない状況と言うのは起こりうるだろう。個神(こじん)的にはあまり望ましい事ではないが、その時はその時だ。

 それに、如何に彼が【黒い鳥】に並ぶほどの異様極まりない魂を持ち、個人の戦闘能力も生半可な物でないとしても、排除する方法は如何様にでもある。彼の主神であるエリスの事も、見知らぬ神であるという訳でも無い。

 

 今度の【神会(デナトゥス)】に来たら声をかけてみようかしら。

 

 久しく顔を合わせていない、自身の美の女神としての地位を確固たるものにする切っ掛けをくれた感情豊かな女神の横顔を思い出して、フレイヤはくすりと微笑む。

 

 一方で、その様子をつまらなそうに眺めていた【黒い鳥】はどこか疲れた様に、報告の終了と報酬の要求をフレイヤに対して提示した。

 

「……じゃあ報告はそれくらいでいいか? 報酬の話をしたいんだが」

「あら、私は報告を受けただけよ。報酬についてはオッタルと話してちょうだい」

「嘘だろ、じゃあ今日はタダ働きかよ!? アイツいつ戻ってくるんだ?」

「今週中には戻ってくるはずだけど……ひとまず、帰ってきたら貴方と話をするように言っておくわ」

「それ、本気(マジ)で頼むぜ…………。じゃあ、俺は帰る」

「ええ。今度は私の依頼も受けて頂戴ね、【黒い鳥】」

「内容次第だ」

 

 あからさまに嫌そうな顔をして立ち上がった【黒い鳥】はフレイヤの言葉を素気無く振り払って、その神の美貌を一瞥する事すら無く窓から外へと飛び出して行った。

 

 それを見送ったフレイヤは、彼が残していったワインの空き瓶を丁寧に片づけると、『後でオッタルに彼の機嫌を取っておいてもらおうか』などと考えながら、戸棚に仕舞ってあった【黄金の果実】を取り出してその表面を手布で丁寧に拭きつつ、外に広がる迷宮都市の夜景に視線を向けるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【鴉の止り木】。そこでは、店主代理の男が鼻歌を奏でながら積み上がった皿を洗っていた。既に客の姿は無く、普段は片付けを行っている筈のマギーやエリスと言った店員の姿も無く、最低限の(あか)りのみが(とも)された室内に、皿を洗う音と空虚な鼻歌が反響している。

 

 しばらくして皿を洗い終えた彼は布巾(ふきん)で皿の表面の水を拭い、乾燥させてから棚に仕舞い込んだ。そしてのそりと調理場からフロアへと歩み出るとカウンター席の椅子にどさりと腰掛け、懐から取り出したパイプに煙草の葉を詰めて火を点けると、彼はその煙を大いに吸い込み満足したように息を吐く。そして再びパイプを口に加えて、(かぐわ)しい煙を再び味わうべく息を吸い込む。

 

 

 

 その時、突如として店の戸が勢い良く開け放たれた。

 

 

 

「っ!? げっ、ごほっ、ごほっ!?」

 

 静謐(せいひつ)な余暇の時間を突如引き裂く乱入に思わず店主代理はむせ返り、ごほごほと煙を吐き出した。そんな彼の姿を盛大に音を立てて戸を開いた乱入者――――【仮面巨人】、もとい【黒い鳥】は(いぶか)しむような目でそちらを見てから戸を閉めて、手近なテーブル席に着き仮面を放り出して代理へと問いかけた。

 

「おいおい、どうしたそんな咳して。大丈夫かよ」

「ゲホ、ゲホ……どの口で、言いやがる……! 俺が、マギーなら……ぶん殴ってるぜ……?」

「ああ、煙草か。程々にしとけよ」

 

 代理から向けられる恨みがましい視線もどこ吹く風と言ったように、【黒い鳥】は無為に天井を見上げて欠伸を一つ。そしてすぐに椅子から降りて立ち上がると、気を削がれ煙草の火を消した代理の男に問いかけた。

 

「なぁ。この鎧何処に置いときゃあいい? 倉庫でいいか?」

「好きにしろよ、相棒……いや待て。随分とボロボロになってるじゃあねえか。何があった」

「いやさ、アンジェの奴に斬られかけて……バラバラにされそうにな」

「相変わらずだなあの女。戦うこと以外考えてねぇのかよ……そのザマじゃあ、直すより買い直した方が早いな。とりあえず倉庫に置いとけよ。後でバラして捨てちまう」

「了解了解」

 

 【黒い鳥】は気の抜けたような了承の声を返すと、足早に戸を潜って倉庫へと向かった。残された代理の男は、息を整え終えると椅子から降り、首から吊るしていた白木製の護符(タリスマン)を握りしめる。

 

 すると、男の姿がじわりと滲むように揺らいだ。

 

 変身魔法に特別な適性を持つ白木の枝からフレーキが己の【神秘】アビリティの(すい)を尽くして生み出したこの【魔道具(マジックアイテム)】は、己の姿を偽装する変身効果を秘めた品である。

 

 変身できる姿が制作の際に指定した相手のみに限定される事、そもそも白木の枝が稀少な上用途も狭いために滅多に出回らない貴重品である事、制作難度が高くフレーキの腕をもってしてもこの一つしか製作できておらず、更には激しい動きをした瞬間解除される可能性があるほどに変身魔法の強度が低い事などから、このオラリオにも今彼が持つ一つしか存在しない貴重な不良品だ。

 

 だが、そんな物を使ってでも正体を隠したい者にとっては正しく垂涎(すいえん)の品だろう。

 

 滲むような揺らぎが消え失せた時、そこに居た店主代理の男は虚無的な雰囲気を持ち、これでもかと布を纏って正体を隠した身長2M(メドル)を優に超える大男へと変じていた。

 

「なんか、久々にその(つら)拝んだ気がするぜ」

 

 倉庫に繋がる戸から現れた薄着の【黒い鳥】はそう男に話しかけると、先程まで座っていたテーブルに戻って席に着き、ゆっくりと背もたれに体を預ける。対して、男は虚無的な瞳のまま、自身も椅子に座り直して彼の言葉に答えた。

 

「ハ……前に【ウダイオス】の所に行った時も一緒だったろうが」

「それでも久しぶりな気がするなぁ、俺。ところで、あの鎧随分血生臭かったんだけど前使ったのお前だよな?」

「フレーキ……いやお前だぜ相棒。ちゃんと洗ったのかよ?」

「洗ってるって俺は! 面倒臭いけど、放っておくと臭くなってもっと面倒臭いし……」

「フン。うっかり忘れたんじゃあねえのか?」

「かも」

「そこは否定しろよ」

 

 首を傾げる【黒い鳥】に呆れたように大男は溜息を吐く。すると、二階から足音がして老いた狼人(ウェアウルフ)……【啓くもの】フレーキ。彼が姿を現して、驚いたように二人の顔を交互に見た。

 

「ふむ。下が騒がしいと思えば、二人揃ってどうした? 何かあったのかね?」

「年末に新調したあの偽装用の重鎧、あれをこいつがもうダメにしやがった。新しいのを用意せにゃあならん」

「それはそれは。次は是非、もう少し軽い物にして貰いたいものだが」

 

 術師が着るには(いささ)か重い鎧を皮肉って笑みを浮かべたフレーキは【黒い鳥】とも、代理の男ともまた違うテーブルの席に着き、懐から金属製の水筒を取り出して中に詰まった蜂蜜酒を少し口に含んだ。一方、【黒い鳥】は自身なりに考えた次の鎧に対するアイデアを口にする。

 

「いや、もう少し小さい鎧にして貰おうぜ。こいつに合わせたサイズにすると流石にデカい。俺らまで『巨人』呼ばわりされちまうよ」

「体格の差こそ俺が知るか。小さい奴はデカい鎧を着れてもデカい奴は小さい鎧着れねえ以上仕方無えだろ、相棒」

「そうだ! サイズを簡単に調整できるような機能を付けた【仕掛け鎧(ギミック・アーマー)】ってのを【エド】に提案してみるか! いい線行くと思わないか?」

「アホだろ、相棒」

「流石に無理があると思うがね、【フギン】」

「えー。いいアイデアだと思ったんだけどなぁ……」

 

 両者に揃って否定され、【黒い鳥】は()ねるように机に頬杖を突く。それを見てフレーキはまた水筒を傾けて蜂蜜酒を口にし、代理の男もまた、先程吸い損ねた煙草を吸い直そうとパイプに煙草の葉を詰める。

 

 そこで、三人は唐突に店の外に繋がる入口へと目を向けた。何者かが入口の前に立って、聞き耳を立てるような気配を感じたのだ。フレーキが懐に水筒を仕舞い、代理の男は剣呑な瞳で席を立つ。そして【黒い鳥】は訝しむようにそちらを睨みつけた後、視線を扉に向けたまま口を開いた。

 

「マギー、じゃないよな」

「奴はエリスに付き合わされて、酔ってダウンしてるぜ」

「それ速く言えよ。看病しに行っていいか?」

「後にしろフギン…………一人では無いな。恐らく二人」

「闇討ちか……? 面白い。久々に腕が鳴るぜ、なぁ相棒?」

「嫌だよ俺は店が壊れる。マギーに後で殺される」

「ああ、【剣姫】が酔って暴れた時のマギーは割と見物だったな」

「嫌な事思い出させんなマジで……!」

 

 嘗ての騒動を想起させる代理の発言に【黒い鳥】が苦悶の声を漏らした直後。扉の鍵がガチャガチャと音を立て、そしてカチャリと言う開錠の音を鳴らして内側に開き一人の女エルフが姿を現した。

 

 マギーとも、エリスとも違う、腰のあたりまで伸ばされた黒い長髪。厚手の外套を(まと)った露出の少ない格好をして、背には一張の弓、腰にはポーチと矢筒を装備している。身長はおおよそ170C(セルチ)程か。そのゾッとする程に端正な顔に眼鏡をかけたその女エルフは睨みつけるような鋭い視線を身構える三人に向けそれぞれの様子を確認し、そして、その視線とは裏腹に深々と頭を下げて挨拶した。

 

「どうも皆さんお揃いで。お久しぶりです」

 

 その丁寧な言葉遣いに、【黒い鳥】はあからさまに嫌そうな顔をして眉間に皺を寄せ、絞り出すようにして女の名を呟く。

 

「【ロスヴァイセ】……うわ、マジかよ……」

 

 再会の時に取る反応としては余りにも失礼なそれを聞いた女エルフ――――【戦乙女(ヴァルキュリア)】の異名を取る【ロスヴァイセ】は、呆れたように冷たい瞳で【黒い鳥】の顔を睨み付けた。

 

「ああ、フギンですか。お元気そうで残念です」

「あぁ!?」

 

 怜悧な顔から吐かれた毒に先ほどの自身の発言の失礼さを棚に上げ【黒い鳥】が凄むが、対するロスヴァイセは一歩も引かず、あまつさえ顎を上げて見下ろすように【黒い鳥】を睨みつける。その胸は平均より少々控えめであった。

 

「久しいなロスヴァイセ。元気そうで安心したよ」

「フレーキ。貴方こそ健康そうでホッとしました」

 

 二人の間に火花が散ったのを察してか、二人の視線を遮るようにフレーキが割って入って彼女の元へと歩み寄り右手を差し出した。ロスヴァイセは【黒い鳥】に向けていたよりは多少表情の厳しさを和らげて手を取り、再会の握手を交わす。

 

 その様子を、店主代理の男はカウンターの席へと戻って、遠巻きに眺めていた。

 

「しかし、どうしたんだねロスヴァイセ? 連絡があれば、多少は備えておけたのだが」

 

 握手を終えたフレーキは、突如戻って来たロスヴァイセに軽い口調で問いかける。その質問に答えるべくロスヴァイセが口を開こうとした時、外から陽気ながら何処か老いを感じさせる声が彼女の背にかけられた。

 

「おーい。まだかー? 寒いから、俺も中に入れてくれー」

「あ、申し訳ありません」

 

 声の主の懇願に先程までの怜悧な顔はどこへやら、ロスヴァイセは小走りに【鴉の止り木】を飛び出した。そしてすぐに、少々太り気味で片目の潰れた――――代理の男が変じた姿とそっくりな壮年の男が乗る車椅子を、からからと音を立てながら店の中へと押して来る。

 

 その老人――――否。老神を見たフレーキは素早くその場に膝を着き頭を垂れて従順な様子を見せた。一方で【黒い鳥】は驚きに目を見張り、車いすに乗った老人に視線を走らせている。二人がそうしている陰で、店主代理の男は面倒くさそうに舌打ちした。

 

「よぉ、ただいま。元気してたか、フギン、フレーキ」

「はい」

「ジジイ!」

 

 片手を上げて老神がにこやかに笑うと、フレーキがますますその俯きを深くし、【黒い鳥】はとても嬉しそうに席を立って老人の元に駆け寄ろうとしたが、割り込むように立ったロスヴァイセに阻まれて非常に嫌そうな顔をした。

 

「んだよ」

「我が主神に寄らないで頂きたいですね不届き者。血生臭いのが移りかねません」

「は??? 臭いのは俺じゃなくて鎧の方なんだけど???」

「何の話ですか」

「じゃあこっちが行くわ」

 

 言い争う二人を前に、老神はのそりと立ち上がろうとした。しかし、それに気づいたロスヴァイセが素早く彼の方へ反転しその肩を押さえつけて車いすに座り直させる。

 

「お待ちください。今、御身(おんみ)は怪我をされています。まだとても立てるような状態ではありません」

「マジで!? 大丈夫なのかよジジイ!?」

 

 老神が怪我をしているという話を聞き、慌てた様子で駆け寄りその肩を掴む【黒い鳥】。ロスヴァイセと彼の二人に抑え込まれて車椅子に圧しつけられた老神はうっとおしそうに二人を手で振り払うと、恥ずかしい事を思い出すように視線を明後日の方向へと向けた。

 

「すっ転んで足首捻っただけだよ。まぁ確かに、俺もちと自分のデブさが不安になるような転び方だったが……」

「御身に何かあれば私はそれに耐える事はできません。どうか、ご自愛を」

「分かった分かった、じゃーさっさと押してくれ」

「はっ!」

「おい待てよ俺が押すって」

「触らないでください、血生臭いのが移ってしまう」

「血生臭さならお前の方が上だろうが!!」

「何を言っているのですか? 私が返り血を浴びた事などそうありませんよ」

「そりゃあお前は遠くから……いや俺の事昔挽肉(ミンチ)みたいにしかけたじゃあねえか! あれのどこが綺麗なんだお前――――」

「はぁ。二人とも離れろ。私が押す」

 

 老神を取り合う【黒い鳥】とロスヴァイセの醜態を見かねたフレーキが二人を押しのけ、車椅子を押してフロアの中心にある一際大きいテーブルの元へと移動させた。そこまで辿り着くと老神は周囲を見回して不思議そうに首を傾げる。

 

「ん、マギーは? 正直、アイツの顔が一番見たかったんだがなぁ」

「飲みすぎでダウンしてる。エリスの奴に連れ回されたらしくてさ」

「ああ、エリスかぁ。アイツちゃんと働けてるか? すっ転んで料理ぶちまけたりしてねぇか?」

「最近はぁ……三日前」

「相変わらずで逆に安心したぜ」

 

 呆れたように笑い合う【黒い鳥】と老神。彼らを他所(よそ)に店主代理は人数分の水をグラスに()いでテーブルに並べ、ロスヴァイセは椅子を用意し、フレーキは老眼鏡をかけて何枚かの書類を手に席に着いた。

 

 一柱の神と、その元に集った四人。卓を囲んだ彼らから和やかな雰囲気はなりを顰め、厳かとは言い難い、ならず者たちが報酬の取り分を相談しているかのような剣呑さが卓を中心に満ちて行く。

 

 そして全員が準備を整えたのを見計らうと隻眼の老人はニヤリと笑って手を叩き、周囲に向けて宣言した。

 

「じゃあマギーは不在だが……久々に会議を始めるか。とりあえず、それぞれ現状の目的を教えてくれ」

 

 言って彼はまず左右に座る【黒い鳥】とロスヴァイセの内、なんとなく【黒い鳥】の顔を見て発言を促す。それにロスヴァイセが少し眉間に皺を寄せたものの、彼らはそれに気づく事無く、淡々の己らの内を明かし始めた。

 

「……俺はそうだな、とりあえずマギーの左手持って行きやがった自称死神野郎をとっ捕まえる事かな」

 

 【黒い鳥】はどこか楽しげに、しかし確かな苛立ちを以って己の目的を吐露した。老神は納得した様に首を縦に振り、店主代理の男がその詳細について確認する。

 

「【黒いスパルトイ】か」

「おう。【闘技場(コロッセオ)】は定期的に見に行ってるんだが、どうにも別の階層に行っちまったみたいで見かけねぇんだよな…………あとはまぁ、とにかくレベル上げる事かね。ジジイ、後で【恩恵(ファルナ)】更新してくれ」

「あいよ。【戦天適性(ドミナント)】じゃステイタスは更新されてもそれ以外は据え置きだしな」

「自分のスキルながら面倒だぜ。早く俺もオッタルに追いつきてぇなぁ」

「そもそもステイタスの自動更新と言うのが完全にふざけ切った効果だと言うのをお忘れですかね」

「おうロスヴァイセ、あんまり突っかかるなって。で、フレーキ。お前は?」

 

 苛立たし気に口を出したロスヴァイセを窘めながら、神は次にフレーキに目を向けた。彼は書類に落としていた顔を上げるとかけていた老眼鏡をずらして己が主神の顔を見る。

 

「私の目的は変わりません。ダンジョンの完全攻略……いえ、最深部への到達です。しかしながら、それは些か困難と言えるでしょう。本来であればもっと下の階層に到達していたはずの【ゼウス】や【ヘラ】の眷属達を退け、【三大冒険者依頼(クエスト)】の攻略に軸足を移させた『彼ら』を如何に攻略するか。それについて、全く希望が見えていませんからね」

「ジジイ。『あの二人』について何か分かった事はねぇのかよ」

「流石に俺もあんな下の階層での事は良く分からん。お前とオッタルがかち合って以降目撃証言もねぇしな」

 

 身を乗り出して尋ねる【黒い鳥】に、老神は残念そうに首を横に振る事で答えた。彼の答えを聞いた【黒い鳥】は行き場の無い感情を飲み込むためにか、グラスを掴んでその中身を一息に飲み干し、次の一杯を継ぎ足すために一旦席を立つ。彼が通りすぎた横で、フレーキは真剣な顔をして一つの提案をした。

 

「三日後に、【ロキ・ファミリア】が未踏査階層への遠征に向かう予定ですので、その後を追って深層の偵察に出るというのはどうでしょう。彼らに露払いをして貰えば、我々は力を温存できます」

「遠征の手柄を横取りするような事になったら一発で戦争じゃあねえか。リスクがちとデカすぎる」

「我々には【迷宮外縁(アウトサイド)】の知識と言うアドバンテージがあります。然るべきタイミングで使えば、彼らを迂回して先に進む事も可能でしょう」

「そう上手く行くもんかね」

 

 【ロキ・ファミリア】のメンツを汚すような行動に、老神は少々躊躇するような態度を見せる。彼は神として、ロキやフレイヤと深い関係を持つ神であるからだ。それに、彼女らのファミリアのような組織としての強大さは、彼の眷属達には無い。如何に【黒い鳥】を初めとする個々の戦力が高くとも、所謂大ファミリアとされる彼女達の戦力を前にすれば自身等が容易く追いつめられる事になると正しく理解していた。

 

「俺は賛成だ」

 

 しかし、その思考を店主代理の男が挙手を()って(さえぎ)った。

 

「俺としては避けたい事だが……いざとなったら、こっちの持ってる情報を切れば奴らとて黙るしかなくなるはずだ。どちらにせよ、俺らも一度下に潜らなきゃいけねぇとはつくづく思ってはいたしな」

「そうか。じゃあ多数決と行こう。賛成は手を挙げてくれ」

 

 老神の声に応じて、その場に居た内の三人…………店主代理、フレーキ、そして【黒い鳥】が片手を上げた。一方で老神とロスヴァイセは動かず、彼らの主張を見届けている。

 

「3対2……決まりだな。フレーキ。じゃあ、この件に関してはお前に任せる」

「承知しました、我が神」

「頼むぜ…………で、【古き王】よ、アンタは?」

 

 『評決』を終え、それを受け入れた老神は、次に彼が現れてから口数の減った店主代理の男へと問いの矛先を向けた。店主代理はそれに特段反応を示す事も無く、平然と己の描くものを口にする。

 

「俺か。俺も変わらねぇよ。ダンジョンとオラリオの殲滅。それ以外にねぇ」

「相も変わらず物騒だな、お前。俺は後回しにしてくれよ?」

「選んで殺るのがそんなに上等かね…………俺一人ならそう言う所だろうが、フギンの戦力を失うのは流石に愚策だ。後回しにはするつもりだぜ」

「協力するなんて俺一言も言ってないけどな」

「お前にもいつか分かるさ、相棒」

 

 【黒い鳥】の言葉を謎めいた笑いで流すと、それきり代理――――【古き王】と呼ばれた男は黙り込んだ。その様子を見届けた老神は最後に、少し気まずそうな顔をして、口をきつく結んでいた己の傍仕えたる女エルフに声をかける。

 

「お前には今更聞くのもどうかと思うんだが…………ロスヴァイセ、お前は?」

「私の望みはただ、貴方に仕える事のみです」

「いや、もっと自由な生き方があるだろうよ。また別なさ」

「『好きなように生きて、好きなように死ぬ。誰のためでも無く』。私は、私の望みであるが故に、貴方に仕える事を願っています。それを否定するのは、貴方自身の言葉に反するでしょう」

「ハハ…………それ言われると、俺は弱い」

「自分の言葉には責任持てよ、ジジイ」

「うっせぇな」

 

 確固たる意志を見せたロスヴァイセと茶化す【黒い鳥】に笑った老神は、それから全員の顔に視線を巡らせて楽しげに笑う。それぞれが各々の目的の為に生き、そのために互いを利用しあう自由なファミリアとして、己のファミリアが機能していることを確認できたからだ。

 

「よし、それじゃあ大体の話は分かった。他になんかあるか?」

 

 眷族達の今後の展望を聞き届けた老神は、それぞれが確とやりたい事を抱いているのに満足して頷き、それからまた眷族達の顔をぐるりと見渡す。すると代理の男が小さく片手を上げたので、彼は頷いて議題を明かすように促した。

 

「おう、何かあったのか?」

「ああ。こいつはまだ表の神々の間にも出回って無い情報だが……【ジョシュア】の奴が【黒竜】の足取りを掴んだらしい」

 

 彼の発言に、周囲の者たちも思わず緊張を露わにした。

 

 ――――【黒竜】。遥か昔より大空を自由に羽ばたく、人類にとっての不倶戴天の敵。嘗ての伝説の英雄や最強の二文字を千年背負い続けた【ゼウス】と【ヘラ】を(ことごと)く返り討ちにし、未だに世界に君臨し続ける【三大冒険者依頼(クエスト)】最後の一角。

 

 その行方はこの十五年(よう)として知れなかったが、オラリオ外での探索をギルドに依頼され、十年以上この街を離れていた【ジョシュア・オブライエン】がついに尻尾を掴んだというのだ。誰もが知りたがる情報であるそれを、老神はしかし表情を変える事無く代理へと問いただした。

 

「そいつはめでたい。で、何処に居るかってのは聞いてるのか?」

「詳しくはまだだ。だが、何処かの島に居着いてるって話は聞いたぜ。多分今度の【神会(デナトゥス)】で発表されるか――――」

「俺は太ってるから行かねえけどな」

「…………【ウラノス】が握り潰すか、どっちかだろうな」

 

 自らの所見を語り終えた代理はまた口を結び、周囲の意見を待つように黙り込んだ。それにまず、【黒い鳥】が諦めきったような顔で笑う。

 

「流石に、そいつは【神会】待ちだろ。どっちにしろ【黒竜】を相手にして俺達が出来る事は何もねぇし、精々オラリオに飛んでこないのを願うばかりだ」

「そうだな。我々としてはそれよりも、昨今の【闇派閥(イヴィルス)】の活性化に目を向けるべきだろう」

 

 自身等の無力さ、あるいは余りに強大過ぎる【黒竜】の力を無感情に比較して、手に負えぬと黒い鳥は宣った。それに同意しつつフレーキはまた別の懸念を表明した。老神がその話題に心当たりがあると口を開く。

 

「ああ。【怪物祭(モンスターフィリア)】の騒動といい【リヴィラ襲撃】といい、どこぞの邪神がオラリオ壊滅に向けて暗躍を始めているらしい。俺とロスヴァイセも調べちゃいるが、ロクに情報はねぇ」

「なぁ【古き王(オールドキング)】、お前もそれに一枚噛んでたりしねぇよな」

「いや? 俺とはやり方も目的も違うみたいだからな。今は様子見中だ」

「ふぅん。じゃあいいや」

 

 不謹慎に笑う【黒い鳥】に微動だにせず返した代理の男を見て、あっさりと納得した【黒い鳥】はグラスを傾けて一口水を口にした。そして、そこで話は途切れ、一動を微妙な沈黙が包み込む。それを居心地悪く思った老神は、とりあえず真面目な話はもう終わりにするかと考えて、車椅子から立ち上がり皆の前で音頭を取った。

 

「じゃあ話も終わった事だし、帰還祝いに酒でも飲むか! フレーキ、倉庫に極東の酒があったはずだ。折角だし開けちまおう」

「仰せのままに」

「なぁ我が【鴉の止り木(レイヴンズ・レスト)】の店主代理。俺は何か、塩っ気の効いたもんが欲しいなァ」

「後で金は取るからな」

「構わねえよ。ロスヴァイセ。さっき一仕事してきたんだろ?」

「はい。【仮面巨人】とやらの捕縛任務で、まぁ成功はしなかったんですが……緊急依頼としてある程度の前金をギルドから戴いて――――」

 

 その時、ロスヴァイセの話す緊急任務の内容を聞いた【黒い鳥】が、目を丸くして彼女へと詰め寄った。

 

「おい待て。俺の頭ブチ抜こうとした一発目の狙撃、もしかしてあれお前か???」

 

 真顔で問い詰める【黒い鳥】に迫られて、ロスヴァイセも呆気に取られたような顔をする。そして、仮面巨人の正体と目の前の男の関係性に気づいた彼女は、思わず舌打ちをして彼の事を睨みつけた。

 

「え、もしかしてあれ貴方だったんですかフギン? しくじりましたね。きっちりあの場で殺しておくべきでした」

「やんのかテメェ!? 絶対勝てるとは言い切れねぇけど昔の俺と同じとは思うなよ!?」

「望むところです。昔渡せなかった引導を今ここで叩きつけて差し上げましょう」

 

 剣呑な目で殺気立ち、睨みあう人間(ヒューマン)とエルフ。しかし、その間を取り成すように割り込んだ老神が二人の肩を抱いて体重をかけると、互いにそっぽを向いてしまう。

 

「そう睨みあうなってお前ら。今日は折角の宴なんだから、喧嘩は今度やってくれよ。とりあえず今日は仲良く、な?」

「へいへい」

「貴方様がそうおっしゃるのであれば」

 

 了承の返事を返しつつも、二人は視線を合わせる事無くそれぞれ離れた席に腰を下ろした。そんな二人を見て老神は引き攣った顔で苦い笑いを零したが、フレーキが手にしてきた古びたラベルの酒を見て、すぐさまそちらに向けてのしのしと歩み寄り、楽し気に栓を開ける。

 彼が全員のグラスになみなみと酒を注ぎ終える頃には店主代理の男が用意した薄切りの肉が大量に乗せられた皿がテーブルへと到着し、そして分け隔てなく全員がグラスを掲げ、上機嫌に笑う老神が宴の開幕を告げる声を上げた。

 

 

 

「よし、準備出来たな……? それじゃあお前ら、乾杯!!!」

「乾杯!!」

 

 

 

 夜も遅くなった西の大通り(メインストリート)の一角、【鴉の止り木】で始まった騒ぎ。ロスヴァイセと【黒い鳥】がいがみ合ったり、【黒い鳥】がフレーキの老眼鏡を踏み割って焼きを入れられたり、ロスヴァイセが酔いの回った主神を寝室に拉致しようとしたりといろいろあったが……宴は朝、日が昇る頃まで続いた。

 

 そして、酷く泥酔しきった宴会の参加者たちは、朝になってようやく現れたマギーに凄惨な状態となったフロアで眠っているのを見出され分け隔てなくこっぴどく叱られるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

*1
永続的、あるいは超長期の任務に対する俗称。任務に伴う拘束時間と、それによって発生する依頼者側と当事者側両者の責務の重さから結婚指輪になぞらえてそう呼ばれる。




【黒い鳥】がフレイヤの事を様付けで呼ぶのは昔うっかりオッタルの前で彼女を呼び捨てにしてめちゃくちゃ説教(物理では無いマジ説教)されたのがトラウマになっているからです(こぼれ話1)

仮面巨人としての活動は店主代理、フレーキ、【黒い鳥】の三人による独自の活動なので主神とロスヴァイセは与り知りません。むしろ物騒な奴がいるな程度にしか思っていませんでした(こぼれ話2)

【ロキ】の面々が基本【鴉の止り木】を出禁なのは昔アイズのレベルアップ記念で宴会をした時にアイズが酒を飲んで暴れ店を半壊させたからです。(こぼれ話3)

小生、主人公らとは別の思惑で動く強キャラ集団が今後の展望について会議してるシーン大好きマン。一度自分でもやってみたかった。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っております。
よろしければご協力よろしくお願いします。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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26:出立

長くなりそうなので分割、16000字ちょいです(後半はまだ執筆中)

前半なので会話パートばかりです。
総合評価7500に達してました、ありがとうございます。
感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまのお陰です。今後も精進していきたいと思います。

今回も楽しんでいただければ幸いです。

あっ合計50万字行ってる! こんなに執筆続いた自分すごい! これからもがんばろ!


 

 黒衣の男たち、そして、【仮面巨人】による襲撃から三日。今日はついに、【ロキ・ファミリア】が遠征に出立する予定の日だ。

 私は朝早くから【中央広場(セントラルパーク)】のベンチに座って周囲に目をやり、流れゆく雲や人々を目で追い時間を潰している。

 

 

 あの襲撃の後の二日間は、特になにがしかの事態が起こる事も無く、私とアイズ殿はクラネル少年の訓練を順調に進め、昨日(さくじつ)の黄昏時、彼と彼女の打ち合いを以ってつつがなく終了した。

 

 ……クラネル少年の成長速度は、今まで多くの狩人を指導した私から見ても目を見張るものだった。

 

 戦えば戦うほど、剣を振るえば振るうほど、動きが洗練され、出来なかった事が出来る事に近づいているのが分かった。彼自身の素質もあるのだろうが、共に参加していたヘスティア神が『更新』を行う度に彼の力は間違いなく増していたのだ。

 あれが【恩恵(ファルナ)】のもたらす力。人々の経験値(エクセリア)を効率的に抜き出し、それに基づいた成長を与える神の御業(みわざ)

 

 成程、確かに人々が(こぞ)って神の庇護(ひご)を求めるのも分かる。恩恵を得るだけで普通に生きていたのでは手の届かぬ程の強さへの道が開け、しかも特段副作用がある訳でもない。聞けば聞くほど、素晴らしいもののように思えた。

 

 だが、私はどうにも、恩恵と言う物にむず(がゆ)さを感じている。

 

 上位の存在の血を用いて、人を超えるその力。あまりにも似過ぎているのだ。あの、(おぞ)ましき<血の医療>と。

 

 私とて、狩人として人々を守るためにその力を受け入れた一人ではあるし、故に強く物を言える立場でも無い。だが、過ぎた力を与えられれば、人は歪む。私個人としては、ベルがそのように――――血の(もたら)(よろこ)びに酔い果ててしまった後進達の様にならない事を祈るばかりである。

 

 

 

 そんな事を考えながら時間を潰す私が、そもそも何故ここで時を待っているのか? それは、エリス神の指示だからだ。

 

 殆ど形だけの物とは言え、【エリス・ファミリア】は今や【ロキ・ファミリア】と同盟関係にある。しかしそれは平等な物であるとは言い難い。

 余りにも規模が違いすぎる故に、こちらから提示できるメリットが殆ど無に等しいのだ。

 

 で、あれば最低限、礼を尽くす事を欠かしてはならぬと言うのが、私とエリス神の相談の結果導き出された共通の見解であり、そういう訳で今回私には『遠征に行く彼らを見送りに行く』と言う、ファミリアの主神直々の命令が下されている。

 

 ――――その癖、自分は顔を出さぬのだから困ったものだな。

 

 後日行われる事になっている神々の会議、【神会(デナトゥス)】の準備だ何だと理由を付けて結局この場に現れなかったエリス神の事を想起して私は溜息を吐く。

 彼女は『どうせ口だけの私よりも、冒険者として実力の認められてる貴方が顔を出した方が喜ぶ』などと言っていたが、やはり主神が直々に顔を出した方がよいのではないだろうかと私は内心思っていた。

 

 その時だ。広場の大通り(メインストリート)に繋がる道から、ここ最近毎日目にしていた白髪の少年と小柄な栗毛の少女が二人並んで歩いてくるのが視界に映る。私が何と無しに片手を上げると少年の方がこちらに気づいたようで、少女を連れて小走りに此方へと駆け寄ってきた。

 

「ルドウイークさん! おはようございます!」

「やあ、ベル。今日は早いな。迷宮探索かね?」

 

 にこやかに挨拶するクラネル少年に、私は気負う事も無く挨拶を返す。しかし、あれほど体を虐め抜いたと言うのに随分元気そうだ。若さのなせる業と言った所だろうか。自らの半分の歳も重ねていない少年が元気そうにしているのを見て、私は少し安心する。それ程、昨日の最後の戦いで彼は全力を振り絞っていた。

 

「今日は、訓練の成果を試そうと思って……少しダンジョンに。ルドウイークさんもですか?」

「そんな所だ」

 

 クラネル少年の質問に肩を竦めて私は答える。そこで私は彼の隣に付いてきた少女に目を向けた。種族は見た所小人(パルゥム)か、幼い見た目だがもしかしたら年上と言う事もあり得る…………いや、よくよく見ればその顔には見覚えがあった。ならば、挨拶をしておくのが礼儀だろうと私は考えて彼女にも小さく頭を下げた。

 

「久しいですな、アーデ嬢。今はベルのサポーターを?」

「……えっ。あの、失礼ですが、どこかでお会い……しましたか?」

 

 目を丸くして驚く彼女の答えに、私は自身の無神経さに泣きたくなった。

 

 思えば、彼女と出会ったのは私がオラリオに来て二週間ほどの頃だ。【アンリ】と【ホレイス】の二人と行った探索を終え丁度このベンチで休んでいた私に、サポーターが入り用でないか尋ねてきたのが彼女だった。

 しかし、その時彼女とした会話など数分にも満たない短い物で、自身がそれをはっきり覚えているからと言って相手にも同様の記憶力を求めるのは(いささ)か無理があると言う物だ。驚かせてしまったようだし、謝っておくべきだろう。

 

「いや、申し訳ない。以前一度、アーデ嬢にサポーターの話を持ち掛けられたことがあってね。ほんの少しの会話だったし其方が覚えてないのは無理もないと思うが、小人(パルゥム)のサポーターはあまり見ないので珍しいなと思っていたんだ」

 

 すると、突然二人が慌てたような顔になって周囲を確認すると、必死極まりない様子で揃って私に良く分からないことを言い始めた。

 

「え、あ、ルドウイークさん! 彼女はですね、小人(パルゥム)じゃなくて犬人(シアンスロープ)なんですよ! 身長のせいでパッと見そう見えるかもですけど!!」

「そうなんですよえっとルドウィーク様! 私は小人では無く犬人です!! 小さいですけど!!!」

「……いや、小人だろう?」

「いやいやほら見てくださいませこの耳! 完全に犬人です!!」

「ふ、ふむ……? 私の勘違いだったか?」

「そうですそうです! 誰にでも間違いはありますよ!!」

「そういう事ですよルドウィーク様!」

「そうだな…………」

 

 凄まじい剣幕の二人に押されて頷いてしまったものの、体格や所作、何より嗅ぎ取れる血の匂いからして、彼女が小人なのは間違いない。だが、二人がその話をどうにか逸らそうとしているのは流石に察せて私は閉口し、ひとまず話題を変えるべく今回の目標階層を彼に(たず)ねる事にした。

 

「……それで、ベル。今日はどの程度の階層まで行ってみるつもりなのかね?」

「9階層までは行きたいです! ルドウイークさんとア……じゃない、神様に随分見ててもらいましたし!」

 

 逃げを打った私の意図など知る事も無く、希望に溢れた顔で笑うクラネル少年。訓練へのアイズ殿の関与を隠すのを見るに、余り口外しないようにしようと言う我ら三人とヘスティア神で決めた事を忠実に守ろうとしているのも確認できたために、私は少し安堵した。

 

「そうか……そうだな、私から言えることはあまり無いが……」

 

 教えるべき事、その内今の彼に役立ちそうないくつかは、訓練の小休憩の間にクラネル少年には伝えてある。それを生かせるかどうかは彼次第だ。アイズ殿の薫陶(くんとう)(あわ)せて、彼の糧となっていればよいのだが。

 

「ひとまず、生きて帰ってきたまえよ。ヘスティア神もエイナ殿も悲しむだろうからな」

「はい!」

 

 元気よく返事をしたクラネル少年に私は目を細める。そして、どこか心配そうに彼を見つめるアーデ嬢。彼と彼女を繋ぐ、強い強い<導き>の光の糸を見極めようと目を凝らした。

 

 やはり、このような導きは初めて見るものだ。記憶に無く、経験にも無い。恐らくは、彼と彼女の間に特別な絆が生まれている事を示しているのだと思われるが……流石に考察の材料不足だ。

 もしかすれば、我が故郷への帰還に繋がる糸口となりうるやも知れぬ。そのためにも、今後も彼らとの関係を保ち続けたい所だ。

 

 私がそう思索を巡らせていると、【中央広場(セントラルパーク)】から北のメインストリートへと繋がる道で大きな歓声が上がった。集っていた人々が一斉に道を開けると、そこにオラリオでは知らぬ者の居ない【道化師】のエンブレムを掲げた旗を掲げた幾台もの荷車が広場へと到着したのだ。

 

「【ロキ・ファミリア】か」

 

 私はさも知らぬかのようにそのエンブレムを見て呟いた。当然、クラネル少年やアーデ嬢も知っているであろうが、『遠征』に際しては物資を運搬するためのこう言った隊列がしばしば組まれるのだと言う。

 特に今回はこれまでにない深層への挑戦(アタック)となる上、以前に50階層で遭遇したという武器破壊能力を持ったモンスターへの対策か随分と大量の武器が積み込まれているのが見て取れる。私はそれを守る様に周囲を囲む冒険者達へと視線を向けた後、同じようにしてアイズ殿を探していると思われるベルに小さく声をかけた。

 

「ベル」

「ひゃいっ!? な、何ですか!?」

「ロキ・ファミリアも到着した事だし、そろそろ出立してはどうだ? 彼等がダンジョンを降り始めればしばらくの間騒がしくなるぞ」

 

 彼らのような大部隊がダンジョンを降り始めればそれだけ正規のルートは混雑する事になる。通過する事自体に相当な時間が必要となるのだ。

 故に、彼らの後に出立すれば、その歩みは遅々としたものとなるだろう。クラネル少年も当然それは分かっていた様で、視線を此方に戻して答えると隣のアーデ嬢に慌てて声をかけた。

 

「そ、そうですね……それじゃあリリ」

「はい、ベル様。ではルドウイーク様、リリたちはここで失礼させていただきます」

「また今度パーティを組みましょう、ルドウイークさん。それじゃ!」

 

 そう、私への勧誘を残して、クラネル少年とアーデ嬢は人混みをかき分けてバベルの冒険者用の入り口へと消えて行った。小さく手を振って、それを私は見送る。しばらくして私が手を下ろしたころ、更に大きな歓声が人混みの方から上がった。

 

 人混みをかき分ける冒険者の集団。その先頭に立つ、黄金の穂先を持った(やり)を掲げる小人(パルゥム)。生まれ持った高貴さと身に宿す膨大な魔力を滲ませる女エルフ。小柄ながら、鍛えに鍛え抜かれた肉体と大得物たる斧を誇示する老いたドワーフ。

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ、【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック。都市屈指の実力者である彼らに率いられたロキ・ファミリアの主力陣が中央広場へと足を踏み入れたのだ。

 

 当然そこには、昨日まで共にクラネル少年の訓練に付き合っていたアイズ殿の姿も見えた。私は、ようやくエリス神の指示を遂行できると安堵し、彼らの元へと向かうべくベンチを立って歩き出す。

 

 しかし私が彼らの元へ辿りつくよりも、こちらに気づいたアマゾネス――――ロキ・ファミリアの幹部の一人である【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテが大きく手を振ってくる方がずっと早かった。

 

「おーい、ルドウイークー!!」

 

 ぶんぶんと元気良く手を振る彼女に私は軽く右手を上げる事で応える。すると彼女はにこやかに笑い、小走りに此方へと駆け寄って来た。

 

 背には彼女の代名詞たる大得物、【大双刃(ウルガ)】。かの武器の重厚さに反して、身に着けているのは露出度の高い肌着とパレオのみと言うアマゾネスらしい姿。その胸は、双子の姉であるティオネに比べて明らかに平坦である。

 私はその双子らしからぬ体型の差に第二次性徴期の食生活に大きな違いでもあったのだろうかとしばし思考を巡らせたが、自身に迫った彼女が笑顔で話しかけて来たので、思考を中断して彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「やっほルドウイーク! もしかして、見送りに来てくれたの?」

「ああ。エリス神が来れぬと言うので、代わりにな」

「そうなんだー、残念。まぁでもありがと! 頑張ってくるから期待しててね!」

「楽しみに待っているとも」

「うんうん。それとさ、遠征から無事に戻れたらその内あたしとまた戦ってよ! 次こそ勝つから!」

「ああ。だが一人先約が入っているのでな。その後であれば構わんよ」

「先約?」

 

 首を傾げるティオナに私は小さく笑みを零して、荷車の傍で空を見上げているアイズ殿に目をやった。

 

「ああ、アイズ殿が私と戦いたいとな。レベル6の彼女とやり合うとなると……正直恐怖を覚えているが、そう言う希望とあれば仕方ない。それなりに頑張らせてもらうつもりだとも」

「えー、いいなー。私も早くレベル6に……あっ! 今回の遠征でレベル上げればいいじゃん! よーし頑張る! じゃあねルドウイーク!! アイズの次はあたしが相手だから!!」

「あ、ああ……」

 

 一人合点して(まく)し立てると、ティオナはそのまま元気よく私の前から走り去ってしまった。それを私は少々呆然とした風に見送る。確かに、遠征と言うのはレベルアップに必要とされる『偉業』を達成する大きなチャンスであるという話はニールセンから聞いていたが、そう上手く行くものなのだろうか。例え上手く行ったとして、それは茨の道なのではないのか?

 

 ……そんな事は、百も承知か。

 

 私は自身と彼女の差を想起して、自らを戒める。己はこの世界において(ことわり)への理解も浅い新参者に過ぎず、彼女はレベル5にまで至った百戦錬磨の強者だ。今更何を心配する事があろうか。

 

 いかんな。歳若いものを見るとどうしても心配が先に立つ。()も歳を取ったな。

 

 ゲールマン翁も、同じような気持ちで我々の事を見ていたのだろうか。そんな事を考えて空を見上げていると、【ロキ・ファミリア】の隊列に合流しようとしていた一人の女性が私に気づき、こちらに歩み寄ってくる。

 

「これはこれはルド殿! 奇遇ですな!」

 

 黒い髪を一つに結び、鍛冶師(スミス)特有の焼けた肌をアマゾネスめいて惜しげも無く晒す女性。片目は自らの主神同様眼帯に覆われており、その胸はサラシに包まれ押さえつけられていながらも一目で分かる程に豊満であった。

 

「どうも、【コルブランド】殿。貴女もロキ・ファミリアの出立を見物に?」

「いやぁ。手前らは今回、彼らの遠征に同行する手はずになっておってな! それでこうして推参したという訳よ」

 

 オラリオ最大の鍛冶ファミリア、【ヘファイストス・ファミリア】の団長であり、現在のオラリオにおける【最上位鍛冶師(マスタースミス)】と呼ばれる【椿・コルブランド】。彼女は腰に()いた刀と、背に負った鍛冶道具の詰められている背嚢(バックパック)を指して笑った。

 

「どうにも、装備を破壊するモンスターの出現が予測されるらしくてな。手前らの『鍛冶』で壊された傍から直していこうという腹積もりらしい! 対症療法と言わざるをえんが、全員の武器を【不壊属性(デュランダル)】にする訳にもいかん以上、最善の策ではあろうよ」

「私も新聞で目にはしました。50階層あたりでしたか」

「うむ。まぁ、幹部陣の殆どには手前が【アンドレイ】殿の知恵を借りて作った【不壊属性】の連作(シリーズ)を提供しているし、【リッケルト】の奴を含めた鍛冶師達が打ちに打ったという大量の魔剣もある故、問題ないとは思うがな」

 

 私はその話に、改めて遠征の規模の大きさとロキ・ファミリアの大ファミリアと呼ばれるに相応しい組織力や資金力の強さに舌を巻いた。魔剣など、一本用意するだけでエリス・ファミリアであれば傾きかねんと言うのに、それを大量に、更にはオラリオ屈指の鍛冶師(スミス)二名による【最硬精製金属(オリハルコン)】製の武器を相当数用意するなど……。

 

 ――――彼女(エリス神)が聞いたら、ひっくり返るか激怒するかであろうな。

 

 その様子が容易く脳裏に浮かべる事が出来て思わず私は小さく笑う。それにコルブランド殿は一瞬怪訝気(けげんげ)な様子を見せたが、ロキの隊列が動き出すと軽く挨拶をして、その中に混じって行った。

 

 歓声と僅かな怨嗟の声に背を見送られ摩天楼(バベル)へと隊列は消えてゆく。これから彼らがどのような冒険に直面するのか。どれほどの困難に立ち向かうのか。彼らと同じ舞台に立つ事を許されていない私にはただ無事を祈る事しか出来ない。

 

 <夜>に向かう私を見送った者達も、このような心持ちだったのだろうか?

 

 私は何となく、嘗てあのヤーナムで関係の有った者たちの顔を思い浮かべて……しばらくの間俯いていたが、ロキ・ファミリアの出立と共に再び流れ出した人混みをかき分けて、広場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 その広場の喧騒を、【黒い鳥】は近くの民家の屋上に陣取り見下ろしていた。

 

 彼は摩天楼へと消えゆく面々の顔を目に焼きつけるように観察しながら、手に持ったパンを(かじ)り喰らっている。

 その、彼の背後。行儀悪く座り込んで彼を見上げるのは、禿(はげ)頭に鷲鼻(わしばな)の不愉快な笑みを浮かべる男だ。

 

「ん、そいつはアンタの所の神様が焼いたってぇパンで?」

 

 慇懃(いんぎん)ながらどこか卑屈に、(うかが)うように聞く男。その装備は、黒く染められた革の軽鎧に長大な槍、木製ながら各所がしっかりと補強された頑強な大盾。そして強欲な性根を表すような口の広い背嚢(バックパック)。明らかにサポーター然とした装備をしているが、そこに冒険者から脱落(ドロップアウト)してサポーターとなった者たちのような諦観の念は欠片も無い。

 

 そんな男は欲深い目で【黒い鳥】の持つパンに視線をやっていたが、彼はそれに気づくと嫌そうな顔で男を睨みつける。

 

「ああ、そうだよ。やらねぇぞ」

「いやぁ、いりませんや。朝くらい、どっかの店でちゃんとしたのを食いますねぇ俺は」

「おいおい、ジジイのパンは最高だぞ? 年期が段違いだからな」

「あー、確か最近はパン作りに夢中だっつー話でしたかねぇ?」

 

 思い出すように顎を撫でて男が言った。【黒い鳥】は忌々しげにパンを睨みつけ、空を流れる雲を見上げて答える。

 

「……いや。俺はそう聞いてたけど、本神(ほんにん)に聞いたら『100年前に満足して最近は片手間にしかやってねえ』ってよ。マギーに騙された」

「笑っちまいますなぁ」

 

 けたけたと人の神経を逆なでするように笑う禿頭の男に【黒い鳥】は面白くなさそうに視線を向けると、再び広場へと向き直りパンを齧り始める。ひとしきり笑っていた男はしばらくそうしていた後顔を上げて、【黒い鳥】の背中に問いかけた。

 

「しっかしいいんですかい? 【猛者(おうじゃ)】に用があるからって一足先にダンジョン潜っちまって。ロキ・ファミリアとは遭遇しないようにしたいって、フレーキの旦那は言ってやせんでした?」

「上層で鉢合わせた所で奴らの邪魔するわけでもねぇし問題ねぇよ。それに結局集合はリヴィラだし、ロキ・ファミリア(奴ら)は遠征の時18階層は素通りするからな」

「ならいいんですがねェ」

「お前こそ着替えてきたらどうだよ、【パッチ】。今回は前金ばっちり払ってんだから逃げんなよ?」

 

 苛立った声で言う【黒い鳥】の睨みを受けた禿頭の男――――オラリオの専業サポーターの中で最強の一角であるとされる【ハイエナ】のパッチは、にやにやと顔に浮かべた嫌らしい笑いをふっとかき消すと、先程とは別人のように人当たりの良い笑みを浮かべ、異名に似合わぬ爽やかさを感じさせる声色で答えて見せた。

 

「そうだな、友よ。俺も準備してくるとするか」

「その(ツラ)でそっちの喋り方になるなよ気持ち悪い」

「注文が多いなァ。ま、そんじゃあ18階層で落ち合いましょうぜ」

「おう。じゃ、先に行くわ」

「精々死なんでくださいよぉ。金払う人が居なくなるんで」

「任せとけ。じゃあな」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークが【ギルド】に足を踏み入れた時、そこはロキ・ファミリアの出立の影響か相当数の冒険者と職員達が右往左往していた。目的であったニールセンも資料室に引っ込んで出てこなかったため、ルドウイークは一旦ギルドを離れ昼前まで時間を潰して再び訪れると、冒険者達は探索に向かったのか既に姿も無くギルドは平時の穏やかさを取り戻していた。疲労困憊してぐったりとした職員達の体力までは取り戻されていなかったが。

 

 【人間(ヒューマン)】の男が書類に突っ伏して気絶するように眠っており、エルフの男性職員が死んだ目で署名欄から大きくはみ出すようにサインを記している。奥ではルドウイークも世話になった【エイナ・チュール】が首を揺らして舟を漕いでおり、隣席の獣人の女性など虚空の何かを見つめていた。

 

「……ルドウイーク。こんな所で何をしてる」

 

 そんな有り様を眺めていた彼に声をかけてきたのは、ルドウイークがこの場所にやってきた理由である、【エリス・ファミリア】担当職員【ラナ・ニールセン】。彼女も他の職員に違わず目の下には隈を作って、随分と疲れ切った様子を見せていた。

 

「ニールセン、ここ数日ギルドは騒がしかったようだが、一体何があった? 随分と皆疲れているようだが……」

 

 口ではそう言いつつも、ルドウイークには心当たりがあった。先日の襲撃で最後に現れ、自分に襲い掛かってきた謎の人物、【仮面巨人】。

 彼がもたらした被害によってギルドの職員達が七転八倒しているという話をエリスから既に聞かされていたルドウイークは、その顛末を確認し、仮面巨人の手がかりを得るためにギルドにやってきたのだ。

 

「知らんのか? 【ロキ・ファミリア】の遠征に伴う処理がもろもろ……いや、それに【仮面巨人】と言う狂人が暴れた後始末が重なってな……」

「ふむ。たしか家屋及び器物の損壊と……道路の破損だったか?」

「ああ。奴め、民家で暴れた挙句十字路のど真ん中に大穴を開けるなど本当に理解に苦しむ。あまり交通量の多い道で無かったのがせめてもの救いだが……」

 

 ニールセンはそこで言葉を途切れさせると、忌々し気に眉間に皺を寄せ舌打ちした。ルドウイークは内心申し訳なく思いながらも仮面巨人の情報を引き出すべくニールセンに話題を振る。

 

「仮面巨人……どのような奴なんだ? 良ければ教えて貰えると助かるのだが」

 

 ルドウイークの懇願(こんがん)にニールセンは酷く辛そうな顔をしたが、「ここで待っていろ」と彼に告げ離れる。そしてすぐに一冊の本を手に彼の元へと戻って来た。

 

「今は奴について真っ当に説明してやれるほどの精神的余裕がない。こいつでも読み込んでおけ」

「これは?」

「【要注意人物一覧(ブラックリスト)】だ」

 

 彼女の言葉を示すかのように黒い表紙には共通語(コイネー)でそう記されており、中を開けば多くの人物の名前とその人物が記されたページ数が書かれている。

 

「この並び順、名前順ではないようだが何か意味が?」

「数か月に一度改定されるんだが、目撃報告のあった時期順だな。直近の目撃報告があったものほど手前に記されている。仮面巨人なら、かなり手前に記されている筈だ。見てみるといい」

「ふむ」

 

 ルドウイークは彼女に促されるままに目次に視線を走らせて、仮面巨人の名を見つけ出しそこに記されたページを無造作に開いた。

 

 

 

 【仮面巨人】。性別:おそらく男性。年齢、種族不詳。ファミリア、レベル不明。

 

 数年前にダンジョンに現れたのを皮切りに、幾度と無く高レベルの冒険者を襲撃し、それを撃破、あるいは殺害してきた謎の人物。その出現傾向から未発見の被害者も多数いると思われ、ギルドではその危険性をレベル6相当と認定している。

 

 戦闘スタイルは出現時によってまちまちであり、非常に高度な戦闘技術による真っ向からの近接戦を仕掛けてくることもあれば、他者の迅速な行動を阻害する【呪詛(カース)】を用いてからの魔法による一方的な戦闘や、時には罠を仕掛けての奇襲まで多岐に渡る。

 

 装備の熟練や戦法、体型の差異などから数名の冒険者がその装備を用いる事で一人の冒険者に成りすましているものとされ、特に170~180C(セルチ)程度の仮面巨人が最も危険とされるが、被害者の数で言えば最も大柄である2(メドル)を超える大男の場合が抜きんでて多い。

 

 数十年前に存在し行方知れずとなった冒険者、【死仮面(デスマスク)】こと【メイトヒース】との関連は不明。

 

 仮面巨人と遭遇した場合ギルドは早急な撤退と通報を推奨しており――――

 

 

 

 一通りの文章を読み終えたルドウイークが顔を上げると、ニールセンが彼をじっと見つめている。ルドウイークは、彼女が仮面巨人の項を読んだ感想を求めているのだとすぐに気が付いて、言葉を選びながら感想を口にした。

 

「随分と大暴れしているのだな。この……仮面巨人を名乗る者達は」

「全くだ。秩序を乱す愚か者共だよ。オラリオがどれだけ微妙なバランスの上に成り立っているのか、まったく分かっていない」

「バランス、とは?」

 

 ルドウイークが問うと、ニールセンは眉間に皺をよせ忌々し気に口を開く。

 

「このオラリオは人々や神々、それらが生み出す複雑な相互採用の上に成り立っている。故にこの街において秩序と言うのは非常に繊細で、かつ難解な物だ。常に形を変えるピースを使った答えの無いパズルとでも言えようか……」

「途方も無い仕事だな」

「……まあな。そんな物を維持するのを生業としている以上、こう言う事もあるとは十二分に実感して来ているはずなんだが」

「頭で分かっていても、と言う奴か」

「その通りだよ」

 

 彼女の疲れを滲ませる口調からは、その為にどれだけの苦労をしているかと言うのがありありと察する事が出来た。

 

 実際、それはとんでもない話だ。神々――――【超越存在(デウスデア)】は程度の差こそあれ、下界の人々とは異なる感性と倫理の持ち主たちだ。己の思うままに地上での神生(じんせい)を謳歌せんとする彼ら彼女らによって、この世界は幾度と無く変革を余儀なくされている。神々の降臨によってこの土地に在った大穴に摩天楼が立てられ(蓋がされ)、モンスターがダンジョンに封じ込められたことなどその最たる物だろう。

 

 世界全体で見てそのような有り様なのだから、数多の神々が集い【ファミリア】と言う形で下界の子供たちの力を借りてしのぎを削り合うこのオラリオでは、頻繁にニールセンの言う所の【秩序】を揺るがす出来事が起きているのは言うまでもない。

 

 十五年前の【ゼウス】、【ヘラ】の失墜。十年前の第一級冒険者四名による【古き王】討伐戦。五年前の【アストレア】壊滅とそれを引き金にした【疾風】による多くの人間を巻き込んだ復讐劇。

 

 オラリオの歴史上、千年の間最強の座にあったゼウスとヘラが退いた後の十五年間だけでもこのオラリオの情勢は大きく移り変わっている。特に、ここしばらくは五年ごとに何かしらの事件が起こっていた事から、口には出さぬもののギルド職員達は再びの節目であるこの一年が無事に終わる事を皆真剣に祈っていた。

 

「だからこそ、この仮面巨人のような愚か者がこのオラリオにのうのうとのさばっているのは我慢ならん。私も恩恵を受けていたならば、すぐにでもこいつの仮面を引っぺがしてやりたい所だ」

 

 ニールセンは苛立ちを露わにしながら開かれたままの仮面巨人にページを見て歯噛みする。本当に嫌いなのだろう。その視線には当然のように殺意が込められていた。

 

 一方で、ルドウイークはニールセンの言葉から一つ気になっていた事を思い出し、疑問を解決するべく彼女へと質問を投げかけた。

 

「所でニールセン。今君も言っていたが、【ギルド】には恩恵を与えられたものが居ないのは何故だ? 少なくとも、多少の戦力は持っているべきだとずっと思っていたんだが……」

「は?」

 

 ニールセンは短い言葉と共に唖然としたような顔をしてルドウイークを目を丸くして見つめていた。ルドウイークは彼女の予想外の反応に自身がおかしいことを口走った事に気づいて思わず呻き、慌てて取り繕う。

 

「いや待てニールセン、私はあまりこの街に詳しく無くてだな……」

「お前は今更何を言っているんだ。オラリオに来て何か月目だと思っている?」

 

 あきれ果てたような顔で自身を睨みつけるニールセンにルドウイークはただ戸惑うばかりしか出来ない。逆に、ニールセンからすればこのオラリオにおける知識以前の常識を実は全く分かっていなかったルドウイークに蓄積した疲れと合わせめまいが来る様な心持となったが、しかし尋ねられたことに答えられないと思われるのも(しゃく)なのでこれ見よがしに溜息一つ吐いてから口を開いた。

 

「はぁ…………いいかルドウイーク、ギルドは『中立』だ。このオラリオそのものをひっくり返そうとでもしない限り、善にも悪にも加担する事は無い」

「それは分かっているが……」

「力を持ってしまえばどうしてもどちらかに偏るものだ。ウラノスは中立を示すために、あえて力を持たない事を選択したんだ」

「大丈夫なのか? そうなれば、少なからず力でギルドを懐柔しようとする輩も現れるのでは?」

「武力はなくとも完全に無力と言う訳では無い。ギルド傘下のファミリアや個人は、ギルドから緊急の指示を受けた際それに従う決まりがある。それでなくとも、オラリオ自体の運営や迷宮の管理を司るギルドを直接敵に回そうとする者はいない…………ギルドを敵に回す事は、イコールでその『恩恵』を受けるオラリオの冒険者一同を敵に回す事に他ならんからな」

 

 ルドウイークはニールセンの説明を受け、神妙な顔で思案した。彼としては、ギルドがヤーナムにおける<教会>の様に何かしら裏で蠢動(しゅんどう)するような組織ではないかと言う心配が少なからずあったのだが…………そう言ったものではないらしい。ニールセンの言を信じるのならば、だが。

 

「一応、昔はウラノス自ら恩恵を与えた者もいたと聞いている。と言っても千年近く前の話だし、今はもう無関係と言ってもいいだろう…………だがまぁ、これは個人的な意見だが、今も私兵の一人や二人くらい抱えていてもおかしく無いとは思うがね」

 

 そう付け加えて、説明すべき事は全て言い終えたニールセンは腕を組みルドウイークの返答を待つ。ルドウイークとしてはオラリオ――――それ以前に、この世界における常識がまだまだ欠如しているのを痛烈に実感できた故に、心底から目の前の女性に頭を下げた。

 

「なるほど、ありがとうニールセン。勉強になった」

「ああ。お前もウラノスを(うやま)い、ギルド職員ら(我々)をもっと労わってくれ。冒険者はどいつもこいつも、人使いが荒い」

「心得た。しかし、このオラリオを事実上纏めているとは…………流石に、最古参の神と言うだけはあるか」

「ウラノスの『格』とその手腕があってこそ、ギルドはオラリオの中でも中立であり続けられるんだ。まぁ、中にはそれを利用して私服を肥やしているような輩も居るがな……」

 

 ギルドの壁に飾られた歴代のギルド長が描かれている絵画のうち、最も新しい一枚に憮然とした顔で視線を向けた後、ニールセンは溜息を吐いて言った。

 

 ――――ギルドも一枚岩ではないという事か。

 

 その視線から彼女が言わんとする事を理解して、ルドウイークも口を噤む。それはあまりこの場で口にすべきことではないと、流石の彼にも分かったからだ。それで話題を打ち切った彼らはしばらく向かいあったままであったが、ルドウイークがもう一つ、仮面巨人に繋がる手がかりとして聞くべきと考えていた事柄を思い出し、彼女に尋ねた。

 

「所でニールセン、もう一ついいか?」

「……そろそろ休憩も終わりだ。手短に頼む」

 

 時計に目を向けて時間を気にし始めたニールセン。ルドウイークはそれに応じて、率直に問いを口にする。

 

「――――【月光】と言う武器を知っているか?」

 

 ルドウイークは真剣極まりない声色で彼女に尋ねた。【仮面巨人】が口にしていたいくつかの単語。その内、彼にも心当たりがあった唯一の名前であり、何よりも彼が良く知り、何も知らぬ背の聖剣の銘でもある。

 

 彼としては、自身の素性にも繋がりかねないこの(カード)は切りたくはなかったが……直接仮面巨人の事を調べても手応えが無い以上、彼の求める物について知る必要があるとルドウイークは考えた。

 

 それに、もしこの世界にも、私の知らぬ月光があるのなら。

 

 ルドウイークとしては知っておきたかった。この世界で新たに目にするようになった、他者同士を繋ぐ月光。その正体を知る一つの手がかりとして。それが自らの帰還に繋がる可能性は、到底無視できるものでは無かったからだ。

 

 一方で、問われたニールセンは考え込むように腕を組んで、意外とすぐに一人の冒険者の名を挙げた。

 

「月光…………ああ、【アンジェ】の長刀がそんな名前だったな…………確か銘は【クレール・ド・ルナ(月光)】。【ゴブニュ・ファミリア】の【刀匠(サムライスミス)】、【真改】の作だ」

「ふむ…………」

 

 ルドウイークは彼女の言葉を聞き、先日目にした【烏殺し】と渾名される女剣士の得物を思い出して唸った。紫に(にじ)む光を放つ長刀。その美しさは確かに、月光の名を持つに相応しい。だが違う。あれからは、ルドウイークの持つそれと同様の何かを彼が感じる事は無かった。故に、彼は再び問いを投げる。

 

「…………他に心当たりはないかね?」

「他にか………………ああ待て、【月光】と言えば【バンホルト】だ」

 

 ニールセンはまた少し考えるような仕草をしたが、すぐに別の冒険者の名前を上げて話し出す。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】に所属する【バンホルト】と言う男がいるのだが、その男は自身の持つ剣は己の家に代々受け継がれてきた【月光】と言う伝説の名剣であると喧伝(けんでん)している……まぁ、由緒あるものには間違いないのだろうが、とても伝説に残るような品ではないと皆は見ているがな」

「それは、どのような武器だ?」

「奴の二つ名の由来にもなっているが……蒼く透き通る水晶じみた刀身と、精緻な装飾の施された『大剣』だ。美術品としては間違いなく一級だろう」

 

 蒼く透き通る刀身。その余りにも決定的な要素にルドウイークは驚きに目を見開き、ニールセンに迫るように一歩踏み出して彼女にその詳細を要求する。

 

「事実かニールセン? そのバンホルトと言う男とはどうすれば会える? 確か【ガネーシャ】の所属と……」

「待て待て、そうがっつくな…………【オニール】! 少しいいか!?」

 

 必死な顔で問い質すルドウイークを押しのけるように両手を前に出して距離を取ったニールセンは首を巡らせ、事務机で書類に突っ伏す人間の男職員に向け叫んだ。

 彼女の声にむくりと男が起き上がる。少しくたびれたその顔には今まで接触していた書類の文章が判でも押されたかのように写ってしまっていたが、彼には特に気にしていない――――気にする程の余力は残っていないようであった。

 

「……なんだよ【ニールセン】…………少し休ませろ…………」

 

 もはや死に体と言った有り様で呟く男の顔にルドウイークは少しばかりの同情を覚え話を保留とするべきか逡巡したが、それよりも早く、ニールセンが男に問い詰める。

 

「お前はガネーシャの担当だろう? こいつがバンホルトに用があるらしくてな」

「…………奴らは今頃、先日の【怪物祭(モンスターフィリア)】の後始末と謝罪回りでてんやわんやだぜ……? 【シャクティ】はガネーシャのフォローで振り回されてっし、【ローディー】の旦那は病み上がり、【メノ】は下の統制で大忙し……バンホルトも奴らの誰かに付いてるだろうし暇はねえだろ……」

「ふむ。だそうだ。すぐに会うのは難しいな」

 

 手早くオニールなる職員から情報を引き出したニールセンはルドウイークに向き直って肩を竦めた。ルドウイークには彼の上げた名前の冒険者について知識は無かったが、先日の怪物祭のメインイベントであったモンスターの【調教(テイミング)】の実演の中止とその顛末については良く知っている。

 オラリオの住人が少なからず被害を受けたあのモンスター脱走事件の後始末に【群衆の主】を自認する【ガネーシャ】はファミリアの総力を挙げており、ガネーシャ本神(ほんにん)は愚か幹部陣までもがその為に奔走しているのだとオニールは語った。

 

「そうか……だったら、落ち着くのは何時頃になるか、目途はつかないかね?」

「……少なくとも【神会】の後にはなるだろうぜ、白装束の旦那……。今はちと、時期が悪い………………」

「そうか…………」

 

 オニールと呼ばれた職員の気だるげながら道理の通った言葉に、ルドウイークは諦めたように肩を落とした。流石に、その理由を前にしては彼は諦めざるを得なかった。

 

「そう気を落とすなルドウイーク。じきに機会は来るさ」

 

 そんな彼の姿を見て、ニールセンは珍しく微笑んで彼を励ました。そして、壁にかけられた時計に一度目を向けるとルドウイークに視線を戻して口を開く。

 

「さて。そろそろ私は仕事に戻る。もしもまた何かあったら顔を出せ」

「今日はいろいろと勉強になった。また頼む、ニールセン」

「その内、何か飯でも奢れ。それでは、またな」

「ああ、また」

 

 短く別れの言葉を交わすと二人は別れ、片やギルドの資料室に、片や外へと向かおうとした。

 

 

 

 その時。

 

 

 

 青ざめた顔をした一人のギルド職員が、慌てふためいたままギルドの正面入口から飛び込んできて大声で叫ぶ。その内容は疲労困憊していた職員達を飛びあがらせるには十分過ぎる内容であった。

 

「緊急!! 上層に【ミノタウロス】が出現!!! 既に死者が出ている模様!!! 大至急、第二級(レベル3、あるいは4)以上の冒険者に【緊急任務(エマージェンシー)】の発令を!!!」

 

 それは、以前のロキ・ファミリア帰還の際の事件を強烈に想起させる情報だった。瞬間、今まで死人かと見まごうほどの表情をしていた職員達が鬼気迫る表情で顔を上げ凄まじい勢いで動き出し、先程までどこか淀んだ空気が流れていたギルド受付は戦場の如き怒号の飛び交う場所へと一変していた。

 

「ミノタウロスは何体だ!?」

「目撃情報は一体のみ!! 片方の角が折れているとの情報と、冒険者から奪ったと思しき武器を装備しているとの情報がある!! 報告を受けた摩天楼駐在の職員が【ロキ】の遠征隊に報告を上げるべくその場にいた第三級(レベル2)に後を追わせたが、現状の状況は不明!!」

「オニール! 最寄りの第二級以上の冒険者がいるファミリアに馬を走らせてください!!」

「あいよ【ネイサン】! お前は摩天楼(バベル)に行って、入口を封鎖している奴らに加わって冒険者達への事情説明行けるか!? どうせ奴らグチグチ言って管巻いてんだろ!!」

「引き受けました!!」

「【エイナ】、緊急時用の依頼書を用意しろ!! 【ミィシャ】、お前は窓口での緊急応対に当たれ! すぐにこちらにも冒険者が駆け込んでくるぞ!! 【マリー】、お前はギルド長に確認を取りに行って居たらここに呼び出してくれ! もし不在ならこの際ウラノス様に直接話を通せ!! 責任は私が取る!!」

「ニールセンさんはどうします!?」

「ジャックもギルド長も居ない以上、今は私が臨時に指揮を()る!」

「わかりました!!」

 

 その場にいたギルド職員達は素早く情報共有と意思疎通を済ませるとそれぞれの最善を尽くすべく幾人かは飛び出し、幾人かは必死の形相(ぎょうそう)でいくつもの書類にペンを走らせ始めた。ルドウイークも手に汗握り、以前の事件を想起する。

 

 【ミノタウロス】。14階層付近に出現する、18階層以前の中でも最も危険な一体に数えられる雄牛の怪物。強靭に過ぎる鋼の肉体と正に怪物的と言うに相応しい膂力を持ち、並の攻撃も防御も通じず更には咆哮で相手の動きを封じてしまうと言う恐るべきモンスター。

 

 当然、上層である10階層で戦っているようなレベル1冒険者がどうにか出来る相手ではない。放っておけばさらに被害が大きくなるのは明白で、可及的速やかに事態を収拾しようとする職員達の必死ぶりにも納得が行く。

 

 故に、ニールセンが真剣極まりない顔でルドウイークに声をかけるのも、当然の帰結であった。

 

「ルドウイーク、頼みがある」

「ああ」

「今からダンジョンに向かい、状況を確認して来てほしい。本来であれば第三級(レベル2)であるお前に頼むべき案件で無いのは事実だが、お前には18階層への到達経験があり、今一番早く動かせる冒険者であるのも事実だ。別にミノタウロスを倒せとは言わんから、とにかく被害状況の詳細確認だけでも頼む」

「……(うけたまわ)った」

 

 二つ返事でルドウイークはニールセンの頼みを引き受けた。本来在るべきでない所に居るべきでない者が要る。そのような理不尽で人が死ぬのはありうべからざることだ。そしてもう一つ。今あのダンジョンには、今朝方顔を合わせたばかりの友人(ベル)が居る。彼が首を縦に振らない理由など無い。

 

 対するニールセンは彼の返答に頷くと、一旦机に向かい、手早く書類を取り出して幾つかの事項を記入しルドウイークに手渡した。

 

「これを持っていけ、許可証だ。こいつを見せれば、迷宮入口の封鎖を抜けられる」

「わかった。では」

 

 ルドウイークは簡素な書類を受け取ると、全速力でギルドの建物を飛び出した。

 

 

 




次はバトルパートになると思います(ルドが戦うとは言ってない)
ベルくんVS牛さんの観戦になるかな……。

緊急事態を受けてテンポのいい連携するシーンすき(平ジェネFINALの病院シーンの長回しカットみたいな奴)。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っておりますが、次話の投稿を持って一旦打ち切りとさせていただきます。
代わりと言っては何ですがゲストモンスターの募集を始めましたので、注意事項をお読みの上ご協力していただければありがたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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27:壁


遅くなり申した。後半部分、24000字くらいです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 

<ー>

 

 

 

『オイオイオイオイ追ってくるぞまだ!! どうすんだよ!?』

『ひとまず走れ! 我々の得物では通路で戦うのは無理だ!!』

『何なんだアイツら……(ひつぎ)開けただけだってのに……』

『どう考えてもそれが原因だろうがぁ!!!』

 

 言い合いながら、追われながら、走る。槍を手にした長身の男が黒い烏羽外套を纏った男に向けて叫び、二人の後ろに付いた大剣を二本背負った男がしきりに後方を確認している。

 

 その日、老<ゲールマン>の四人の弟子の内の三人、<ルドウイーク>、<(からす)>、<加速>は教区長<ローレンス>が新たに入手した<ローランの聖杯>を調査すべく、儀式を行い<聖杯ダンジョン>へと足を踏み入れていた。

 

 今まで発見されていた<トゥメル>の区画とは異なり、砂が舞い時折宙を電撃が走る過酷な環境は手練れであるはずの彼ら――――<烏>は物珍しそうにあちこちを見て回っていたが――――の体力や精神力を容赦なく削って行った。しかし、彼らは幾つもの苦難を乗り越え第一階層の番人と思われる銀色の獣を撃破し、その地点で撤退する事をルドウイークが提案したため、二人はそれに従って帰路を歩み始めた。筈だった。

 

 帰還の道中。儀式の要点となっている『灯り』まであと僅かとなった所で、突然<烏>が言い出したのだ。

 

『そう言えば脇道があるが、あっちは調査しないのか? 後から来る奴らの為にも、少しは調べといた方がいいと思うぜ』

 

 <烏>がそう言う事を言う時は何よりも自分が行きたいだけなのだと良く知っているルドウイークは即座に首を横に振った。一方、同じく<烏>の性格を知っている筈の<加速>は首を縦に振った。より多くの功績を上げて、工房で師と共に朗報を待っているであろうマリアに良い格好をしたかったのだ。

 

 二人は違う意図を持って意見を一致させると、先程までの疲れはどこへやら意気揚々(いきようよう)と脇道の調査を開始した。もはやこうなれば引き留める事は叶わぬと、諦めに肩を落としたルドウイークも巻き添えにして。

 

 そしてこのザマである。

 

 行き止まりの大部屋で発見した棺を、<烏>は二人が止める間もなく乱雑に開け放った。その行為に、<加速>とルドウイークの聖杯ダンジョンに特有の悪意に満ちた罠を警戒したが、心配を他所に罠がある訳でも無く中には強力な<血晶石>が収められているばかりであった。

 

 のだが…………無警戒に蓋を開け放った『音』が良く無かった。

 

 鋭敏な聴覚によって音を聞きつけその場に現れたのは、髪を振り乱した三人の女墓守。二人は両手に鎌めいた得物を、一人は毒々しい瘴気を放つ何かの遺体めいた物体を手に持って、耳を(つんざ)く奇声を上げながら恐るべき俊敏さで三人に襲い掛かって来たのだ。

 

 その余りの勢いに三人は途方もない身の危険を感じて素早く(きびす)を返し、今に至る。

 

『『『アアアアアアアアア!!!!!』』』

 

 黒い長髪を振り乱し迫る墓守は、確かに人間的な姿をしていながら明らかに正気では無い。血の気の失せた白い肌、限界まで開かれた口、手にした悍ましき得物、何よりも異様に機敏なその挙動。それが三人の狩人をして驚愕し、恐怖させる要因となっており、彼らは視覚的な脅威と自身の経験から来るこの敵は危険だと言う直感に従って這う這うの体で逃げ出す事になったのだ。

 

『クソッ! クソッ! <烏>!! 何であんな音立てて開けたんだお前!!』

『理由が必要なのか?』

『君は物事を単純に考えすぎだ、<烏>よ!!』

『どうするルドウイーク! 部屋に出たとして、どうする!?』

『<烏>が二体を足止めして、その間に私と君が一体をどうにかすれば良かろう!』

『おい待てよ、何で俺が一番きつい役割なんだ? 不公平だろ』

『『そもそもお前のせいだろうが!!!』』

 

 <烏>に揃って罵倒を浴びせつつ全力疾走を続ける彼らの行く先に、ようやく開けた空間が見えて来る。だが、しかし。その入り口の陰から、ぬっと姿を現す影。松明を持った異様に肌の青白いその人型はトゥメルの区画にも見られた<遺跡の守り人>と呼ばれる敵だ。

 当然対話など不可能であり、侵入者を見つければそれぞれの手に持った得物で以って殺す。しかし、彼ら三人のような手練の狩人にとっては対した相手ではない。今のような、足を止める事が即ち死に直結してしまうような窮地(きゅうち)でなければ。

 

『くそっ、邪魔な……!』

 

 <加速>が文字通りの障害たる守り人の姿を認め思わず舌打ちして毒づいた。

 

 彼の得物である槍では貫いた守り人の亡骸が次の行動を阻害し、後方の狂乱した墓守に追いつかれる危険がある。味方が横にいる状況で槍を振り回す訳にも行かず、武器に備わった<仕掛け>も足を止めて使う類のものだ。

 

『………………』

 

 嫌そうに眉を(ひそ)めながら<慈悲の刃>を分割した<烏>だが、状況を打開する術がないというのは<加速>と変わりない。

 

 彼の狩りの技はあくまで速度と技術に特化したものであり、当然のように守り人を細断しうるだけの領域に達してはいるがそれには一撃では足りぬ。一対一ではどれほど強大な相手にも勝利するだけの実力を備える彼でも、一撃一撃の攻撃力には(とぼ)しいのだ。

 それ故に眼球や脳髄を引きずり出す(ついば)みじみた『致命』の技やあらゆる攻撃を()(くぐ)る体技を身に着けているのだが…………時間をかけられぬ今の状況には合致していない。

 

 しかし、この場には状況に即した武器と技を持つ者が一人いた。

 

『どいてくれ二人とも! 私がやる!!』

 

 声と共に有無を言わせず前に出たルドウイークは背の大剣――――<月光>の芯たる鈍色(にびいろ)の大刃を握り締めた。そして緩慢な動きの守り人の眼前に速度を緩めることなく迫り、一撃で蹴散らすべく腕の筋肉に緊張を走らせ引き絞って捻じりを加えた杭の如き突きを放った。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 その一撃は目前に立ち塞がった【ウォーシャドウ】の上半身を容易く消し飛ばして絶命させ、ルドウイークは崩れ落ちる下半身に一瞥もくれる事無く『加速』の速度を以って7階層へと続く道を駆け抜ける。

 

 ギルドを飛び出した彼は人目を気にしつつ、所々で『加速』も交えた全速力でダンジョンに辿り着き、下級冒険者達を足止めしていたギルド職員にニールセンの許可証を提示してミノタウロスが目撃されたという10階層付近へと向けに突き進んでいた。

 それまでの道程で何匹かのモンスターと遭遇していたルドウイークだが、彼はその全てを無視するか、あるいは大剣となった【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】の破壊力によって速度を緩める事無く突破し、既に6階層へと到達している。

 

 途中、【ロキ・ファミリア】の遠征隊と彼は幾度もすれ違っていた。凄まじい規模となる場合が殆どの大ファミリアによる遠征では、幾つもの隊に遠征隊を分割して下の階層で合流すると言う手法を取る事で一般の冒険者達への影響を最小限とするように配慮がなされるからだ。

 

 実際、彼が中央広場に辿り着いた時にはまだ遠征隊が何隊か待機していた。そしてミノタウロス出現の報もルドウイークよりも早く伝わっており、既にミノタウロス掃討の為に幾人かの団員が更にパーティを分割して捜索を開始しているとの事だ。

 しかし、露払いとして先行した幹部陣にはまだ情報は伝わっていないと言う話を彼らに聞いたルドウイークは即座に彼らを追う事を決断しダンジョンの暗闇へと身を(おど)らせた。結果として、彼は未だにその背中に追いつけずにいる。

 

 ……ともすれば彼らが先にミノタウロスと遭遇し、早々に始末してしまったかも知れぬ。

 

 ルドウイークは、心底からそうであってほしいと考えた。だが、この様な状況では往々にしてその様な希望が裏切られる事が多いと、幾度(いくたび)もの<獣狩りの夜>を駆け抜けた彼は良く知っていた。

 

 故に、速度を緩める事は無い。一気に6階層を抜け、そのまま7階層に辿り着きひた走る。走る。走る。

 

 その中で、彼は明らかな『異変』に気づき足を止めた。今し方通り過ぎようとした道端に転がっていたモンスターの死体。最初は、先行したロキ・ファミリアの人間か、或いは遠征隊の先陣に情報を飛ばすべく【摩天楼(バベル)】の職員が送り出したという第三級(レベル2)の手による物かと思ったが……。

 

 ルドウイークはその死体――――頭を引き千切られた【キラーアント】の死体を前に屈みこみ、素早くそれを見聞する。

 

 【キラーアント】。ダンジョンにおいて7階層から初出現する、【ウォーシャドウ】に並ぶかあるいは上回るとされる悪名高き新人殺し(ルーキーキラー)。蟻をそのまま大きくした様な姿をしており、昆虫特有の強固な甲殻を持つ。

 そして、このモンスターの最大の特徴として危機に陥った際には人には嗅ぎ取れぬ類のフェロモンを放出し、同種のモンスターを集結させるという行動を取る事が知られている。

 

 新人殺しと呼ばれるのも、このモンスターの強固な防御力に新米程度の冒険者では倒すのに時間がかかり、追いつめる事が出来ても決定打となる攻撃を放つ事が出来ずにフェロモンを放たれ、結局集まったキラーアントを相手に数の暴力で押し潰されるという嫌な、しかし確固とした流れがあるからだ。

 

 このモンスターと戦う際には、多くの冒険者がそうであるようにルドウイークも一撃必殺を強く心掛けている。数の暴力と言うものは、どれほどもの実力差も覆しうるものであると、身に滲みて良く知っているが故に。

 

 そして、その習性等を鑑みればやはりこの死体はおかしい。急ぐ冒険者が始末したのであればこうして死体を残したままなのは分かるが、わざわざ頭を引き千切るという残虐かつ非効率的な手段に打って出る理由はない。それに、無理矢理に引き千切るとなればただ殺すよりもよほど大きい力が必要で、かつキラーアント自身の抵抗にも合うだろうし、何より耐え難い力を受けたキラーアントがフェロモンを放つことにもなるだろう。

 

 だが、この場には他のキラーアントもおらず、その鉤爪の付いた四肢が何かを引っ掻いた様な痕跡も無い。つまり、この死体となったキラーアントは……途方も無い力で、一瞬の間にこのような有り様に()()()のだと推察出来た。

 

 まさか、ミノタウロスはこの階層に? ルドウイークは一瞬疑い、すぐにそれを否定する。

 

 レベル2のモンスターの中では身体性能に特化し、強大な腕力を誇るミノタウロスであるが、その大きな手でキラーアントを引き千切るとなるとむしろ繊細な作業となるだろう。それ程の繊細な作業が出来る知性があのモンスターにあるとはルドウイークには思えなかった。

 

 ならば一体誰が……? ルドウイークは訝しんだ。その視界の端に、光が揺らぐ。

 

 顔を上げた彼の前に揺蕩(たゆた)うのは、光の糸。<導き>。師たる月光が照らす、道筋の発露。ルドウイークは即座に走り出した。こういった緊急時に<導き>が道を照らす時、それは自身が一刻も早く馳せ参じるべき事態が起きている証だからだ。そして光の糸は真っ直ぐ、ルドウイークが向かおうとしていた方向――――8階層へと向かうルートを示している。

 

 まさか、この階層にミノタウロスが? 8階層手前まで迫るルドウイークの耳に届いた咆哮が、その予感を色濃く彼の脳裏に浮かび上がらせる。そして、叫び声に混じるは剣戟音。誰かが戦っている。導きもさらに光の強さを増してゆく。

 

 光の糸は、目前の8階層への通路がある部屋(ルーム)へと繋がっていた。戦闘もその中で起こっている。ルドウイークはそこで【仕掛け大剣】ではなく、直感的に<月光>に手をかけ部屋(ルーム)に飛び込んだ。

 

 その部屋は一見殺風景なありふれたものだ。ルドウイークが踏み込んだ入口とは逆側に8階層に繋がる昇降口があり、平時であれば幾人かの冒険者が行き来していてもおかしくはない。

 

 だが今そこには、この7階層を住み家とする怪物たちの、無残な死骸が積み上げられていて。

 

『ガアアアアアッ!!!』

「っ……!」

 

 冒険者と見覚えの無い怪物による、文字通りの死闘が繰り広げられていた。

 

 手前側に立ち、怪物と相対するのは軽装の、大剣を握りしめた冒険者。衣服の上から黒いベストじみた防具を装備し、頭には大きな尖り帽子を被っている。その顔は翁の仮面によって覆い隠されていて、表情や性別を伺い知る事は出来ない。

 

 対するは、明らかにこの階層に元から存在するものではない、未知の怪物。

 

 筋骨隆々なその体は、遠目から見れば一見ミノタウロスに見えなくもない。だが明らかにそれよりも小柄で身長は3M(メドル)もなく、頭部は山羊の頭骨を被っているようにも見える。

 だが、それ以上に目に付くのは、両手それぞれに握りしめた異形の大鉈(おおなた)。それを力任せに振り回して、仮面の冒険者を追いつめる。

 

 暴力としか言いようの無い連撃を、大剣を駆使して冒険者は必死に捌く。だが、怪物の一撃一撃が技も何もない片手での振り回しにも拘らず、並外れた破壊力を誇っており、故に均衡は長く続く事は無く、防御が破られてゆく。

 

「しまっ……」

 

 横に寝かせた大剣で左右の大鉈による交互の連撃を凌ぎ続けていた冒険者だったが、怪物側がそれに()れたか突如として両手を振り上げ、左右同時の振り下ろしによって大剣を叩き落とす。その破壊力に驚愕し声を漏らした冒険者を、感情の見えぬ頭骨から覗く眼差しが貫いた。そして。

 

 振り上げられた大鉈を、横から飛び込んだルドウイークが薙ぎ払った。

 

「ッ……無事か、貴公!?」

 

 剣を振り回して怪物を飛び退かせると、ルドウイークは足元に転がった大剣を蹴って片膝を着く冒険者の方へと滑らせながら大声で問うた。仮面の冒険者は一瞬驚愕に狼狽(うろた)えていたものの、咄嗟(とっさ)に自身の大剣を拾い上げて構え、ルドウイークの横に立つ。

 

「すまない、助かった……! 貴公は?」

「【エリス・ファミリア】の<ルドウイーク>、救援だ。状況を!」

 

 二人並んだ剣士の前で、唸り声を放ちながら焼け付く息を吐き出す怪物。その一挙手一投足を注視しながら、仮面の冒険者は自身を強いて落ち着かせるように一つ一つ話し出した。

 

「バベルで偶然緊急依頼(エマージェンシー)を請けてロキ・ファミリアの先頭の部隊を追っていたんだが、この怪物がここに居座っていてな……! 未確認の敵を相手に、無理矢理に突破するリスクを冒す訳にも……!」

 

 冒険者――――その厳つい仮面に反して、女性であった彼女――――は、苛立たし気に声を荒げると剣を更に強く握りしめる。瞬間、予備動作も無く怪物が跳躍した。

 

「っ!?」

「受けるな! 避けろ!」

 

 振り下ろされる大鉈を【仕掛け大剣】で受け止めようとしたルドウイークは冒険者の声を聞き即座に後方へと跳躍。その眼前に叩きつけられた大鉈が地面に突き立ち、轟音と共に周囲の地面に亀裂を走らせる。

 

「何と言う……!」

 

 怪物の見せた破壊力に、ルドウイークは思わず(うめ)いた。これは、ミノタウロスどころではない。今倒しておかなければ、今後レベル1の冒険者は上層に潜る事さえも不自由する事になるだろう。だが、ルドウイークの目的はあくまでミノタウロスである。ここで足止めを食っている訳にも行かない。彼は一旦怪物と距離を取った後、緊張感を持って剣を構える仮面の冒険者に視線を向ける事無く声をかけた。

 

「貴公、レベルは!?」

「2だ! そちらは!?」

「……私もだ」

 

 冒険者の返答にルドウイークは思わず歯噛みした。眼前の怪物は、明らかにレベル2でどうにかなる相手ではない。しかし、ルドウイーク()()()()()()どうにかなるであろう範疇(はんちゅう)だ。

 

 だが、彼にはその実力を無暗に晒すなと言う主神からの縛りがある故に、他の冒険者が共に居る場で本気を出すのは難しい。ならば連携でどうにかしようかとも考えるも、既にそれなり以上の時間をこの怪物と渡り合ってきたのであろう彼女は消耗激しく、戦う構えを見せるのにも気を張らなければならぬ有り様のようだった。

 

「貴公、こいつは私が引き受ける。君は一旦下がれ!」

「ッ…………だが、レベル2一人でどうにかなる奴では無い! 私が囮になるから、貴公がとどめを刺してくれ!!」

 

 貴公にも死なれたくないのだよ! その本音を噛み殺しながら、ルドウイークは今行うべき最善を思案する。

 

 彼女にこの場から離れて貰えば後はどうにでもなるのだが、自身がレベル2と説明してしまったせいで今までの交戦状況に基づき一人でこの怪物を相手にするのは無理だと彼女は判断してしまった。

 ならばいっそ彼女に手の内を明かすか? しかしそれはエリス神に与えられた縛りを破る事となる。最終手段だ。だったら、どうする。

 

 思索を巡らせても光明の見出せぬルドウイークの事など知らぬとばかりに怪物が跳ぶ。状況を(かんが)みれば考えている時間は無い。彼は諦めて振り下ろされた大鉈を飛び退いて(かわ)し、そして背に大剣を戻し使うつもりの無かった<月光>に手をかける。

 

 偶然を装って、仕留める他ない。

 

 そう結論付けたルドウイークは、怪物から距離を取るため冒険者が飛び退いたのを見て素早く前に飛び込んだ。怪物もそれに反応し、大鉈を無理矢理に地面から引き抜いて右手のそれを思いっきり振りかぶる。

 早くも訪れた好機。これを躱して懐に潜り込み、逆袈裟で斬殺する。ルドウイークはそう判断して前進しながら身を屈めた。

 

 導きが、彼の背を引いた。

 

「っ!?」

 

 次瞬、ルドウイークが飛び退()いた場所を火を宿した斬撃が薙ぎ払う。

 

 導きに従う判断を即座に下していたルドウイークは無事であったが、彼が居た場所は炎を漏らす大鉈に焼き払われて焦げ付いた匂いを感じ取らせている。もし、あのまま飛び込んでいれば即死と言わずとも顔を焼かれていただろう。

 

「何だ、それは……!!」

 

 後ろで体勢を立て直していた冒険者が仮面の裏からくぐもった呻き声を漏らす。今や怪物はその全身に炎の(たぎ)りを宿し、火にくべられた炭の如くに赤熱して周囲の空気を揺らがせていた。ルドウイークはその危険度を更に上げてきた怪物を前に凄まじく焦燥を覚える。

 

 ……(まず)い。これでは密着距離からの『偶然』は狙えない。身に纏う熱が、どうしても技の出掛かりを(さまた)げる。紙一重の機会を狙わざるを得ない彼にとって、それに必要な読み合いと好機を潰してくるあの熱は厄介だ。

 

 しかし、真に問題なのはこの怪物を突破するのに時間をかければ、今も上層をうろつくミノタウロスが更なる犠牲者を出す可能性…………今朝見送った、白い髪の友人を死なせてしまう可能性。ルドウイークは、この地点で自身の実力を隠し通す事を半ば諦め……赤熱を纏う怪物を、冷たい狩人の瞳で見澄ました。

 

 

 

 ――――ルドウイークは、一体の獣を知っている。

 

 煌々(こうこう)と燃える溶けた瞳。照り返しを受け輝く角。火の粉を巻き散らす熱に揺れる毛皮。炎を集め、爆裂を引き起こす剛腕。

 

 あれは、彼の知る獣の中で、最強の獣であった。

 あれは、上位者の一体である<大いなる上位者の獣>をさえ、暴力と言う一点では上回っていた。

 あれは、自身とマリアを退け、老ゲールマンにその首を落とされるまで、燃え尽きる事の無い化物であった。

 

 ……彼は、<聖剣の狩人>にとって大恩(だいおん)の有る先達の一人であった。

 

 

 

 ルドウイークは、全てを煮え滾らせる、炎の獣を知っていた。故に、この程度の熱になど。

 

 

 

 咆哮と共に襲い来た怪物の赤く(たぎ)る大鉈を、ルドウイークは再び屈んで切り抜ける。滲んだ火が彼の頭を飲み込み冒険者が息を飲むが、彼はその身に纏った外套――――幾度となく<獣>の炎や雷、毒、<上位者>の人知を越えた<神秘>を(しの)ぎ、ルドウイークの命を救ってきたそれ――――を使って熱を(さえぎ)って防いでおり、対した負傷にはなっていない。

 

「ハァッ!」

 

 そして怪物を突破したルドウイークは歩法を駆使し、すれ違いざま、前を向いたままに斜め後方への斬撃を繰り出した。獣と化してなお振るう事の出来た得手であるその技は、人の身ともなれば(あやま)つ事など無い。彼の斬撃は振り返ろうと足を止めた怪物の火の宿る、しかし青白い背中に斜めの赤い線を刻んだ。

 

『ガアッ!?』

 

 撒き散らされた血が飛び散り、焼けるような音を立てて蒸発する。ルドウイークはそれを周到に外套で振るい払っていた。かつて相手にした<かの獣>の灼血(しゃくけつ)であればこの外套にすら穴が空き、あるいは焼け、燃え始めていたかも知れぬ。だが、この怪物の血はそれほどの域に無く、精々が表面を焦がす程度だ。

 

 それに、今の彼には成さねばならぬ事がある。ならば。

 

「おおおおおおッ!!!」

 

 聖剣のルドウイークは、折れる事は無い。

 

 振り向き、迫り、大上段から振り下ろした光纏わぬ月光は、しかし三日月の如き鈍色(にびいろ)の曲線を描いて防御に使われた大鉈の一つを粉砕した。怪物は驚愕か、あるいは憤怒か、更に全身の火を強くして皮膚から舐めるような炎を揺らがせる。

 

 その背に――――ルドウイークが先程浴びせた斜め傷に、仮面の女冒険者が渾身の一撃を重ね斬った。

 

『ガアアッ!!』

「くっ……!」

 

 傷を受け、咆哮する怪物。女冒険者はその傷から吹き出した血の飛沫を僅かに浴びながらも、仮面を身に着けていたが故に対した被害を追う事も無く圏外へと飛び離れた。怪物は痛みを堪えながらに、それを追わんと一歩踏み出す。

 

 だがその時、ルドウイークは既に怪物の後ろに陣取っており、弓矢を放つかのように引き絞った光纏わぬ月光の切先を、自身の怪力を以って怪物の背に向けて叩き込んだ。

 

 衝撃。ヤーナムの狩人らの中でも屈指の膂力(りょりょく)によって放たれた刺突は、刃物による物とは思えない程の衝撃を怪物に与え、背の肉を酷く抉りその体を吹き飛ばし壁に激突させた。

 

「凄まじいな……!」

 

 彼の放った刺突の威力に、女冒険者が感嘆を以って思わず口にした。実際、その刺突はゴブリン程度であれば血煙と化し、強力な怪物の皮膚であろうと十二分に貫通する事の出来る威力を備えている。例え相対していた怪物がミノタウロスを大きく上回る力を持っていたとして、タダで済む事があろう筈も無い。

 

 だが、ルドウイークは油断なく、<月光>を構えたままだ。

 本来であれば背後からの為を伴う強力な一撃によって体勢を崩し、そこから狩人の業たる『致命』へと繋げるのが彼の狙いだった。だが、あの瞬間。怪物は小さな跳躍の動きを見せ、それによって吹き飛ばされたことで攻撃の威力を大きく減じていたのだ。

 

 それが偶然か、あるいは意図していたものだったかはルドウイークには分からない。女冒険者に向け跳びかかろうとした動作が偶然噛み合った可能性もある。

 だが、『まだ殺し切れていない』と剣から伝わった感触と己自身の経験からルドウイークは油断なく導きだしており、実際に背を斬られ刺突を受け壁に叩きつけられながらも立ち上がり、地面から新たな【天然武器(ネイチャーウェポン)】の大鉈を引きずり出した怪物に対して驚愕する事も無かった。

 

「まだ倒れんか……!」

 

 その姿を見て再び剣を構えた女冒険者が忌々し気に吐き捨てる。彼女ほど動揺はしていなかったものの、ルドウイークの心中もそれと同様の想いであった。

 

 このような相手に時間をかけてはいられないというルドウイークの考えは変わっていない。故に、自身の実力を晒すのも覚悟で彼は怪物に対して猛攻を仕掛けていた。

 だが、手負いの女冒険者に多少なりとも気を取られた故か、あるいは奇妙な偶然の生み出した不運か、戦況自体は間違いなく彼らの優勢に傾いていたものの未だに怪物を倒し切れてはいない。

 

 ルドウイークは覚悟した。もはやこれ以上時間をかける事は出来ぬ。自らの全力を以ってこの怪物を狩る他無い。彼は月光を真正面に構え、強くその柄を握りしめる。

 

 

 

 …………その時だ。具足を鳴らす足音を伴って、怪物と二人の冒険者が睨みあう部屋(ルーム)に新たなる闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れたのは。

 

「どうなってやがる……!? 随分な事になってるじゃあねえか……!」

「貴方は……!?」

 

 驚愕しながらも、無遠慮に部屋へと踏み込んだ男。真鍮色の重装鎧で全身を覆い、大柄に過ぎる槍、あるいは薙刀めいた得物と、これまた凄まじい大きさの鈍色の盾を携えている。その身から滲む威圧感は眼前の怪物など比では無く、ルドウイークの知る者の中ではロキ・ファミリアの【フィン】や【リヴェリア】、特に【ガレス】と似通ったものを感じ取れた。

 

「なぜこんな所に……レベル6、【不屈(アンブレイカブル)】の【ラップ】!!」

 

 苛立たし気に得物を構える真鍮鎧の男を見て、思わず女冒険者は口走っていた。

 

 【不屈(アンブレイカブル)】のラップ。このオラリオにおける最高の重装前衛の一人としてガレスや【タルカス】、【ハベル】らと肩を並べる実力者。『固定』の【パーティ】を組む事無く普段は単独での行動を(むね)としているが、場合によっては他者に雇われ、深層への挑戦(アタック)に手を貸している事もあると言う。

 

 その様な彼の経歴をルドウイークは知らなかったが、その強さだけは一目見て分かる。そして、彼が何故この場に現れたのか。ルドウイークは自身と女冒険者が課せられている任務の事に思い至って、らしく無く捲し立てるように叫んだ。

 

「ラップ殿! 我々はギルドから【ロキ・ファミリア】への伝令を任された者だ! だがこの未確認の怪物(アンノウン)によって足止めを受けている! どうか、協力を――――」

『ガアッ!!!』

 

 彼が言い切るのを待つわけも無く、怪物はラップに向けて飛びかかった。空中でその姿が赤熱し、全身と両の大鉈に強力な熱を纏う。ルドウイークがまず回避を選択した、恐るべき威力の兜割り。

 

 ――――それをラップは、片手に身に付けた大盾を(かざ)して一歩も引く事無く受け止めて見せた。

 

「なっ……!」

 

 凄まじい破壊力を受け足元の地面に亀裂を走らせながらも、彼自身は揺らぐことも無く健在、何たる防御力と怪力。盾の質については扱った事も無いルドウイークには判断が付かなかったものの、今の一撃を真っ向から受け止めるラップ自身の実力にこそ彼は舌を巻く。

 それを他所にラップは力づくで無理矢理に盾を振り抜き、そのままお返しとばかりに怪物に飛びかかった。

 

「大体話は読めた! こいつは俺が引き受ける! あんたらは自分の仕事をしろ!!」

 

 ラップは叫び返すと大得物を振り回し、或いは盾で攻撃を弾きながら怪物を一気に追いつめて行く。その姿にルドウイークと女冒険者は視線を交わすと、ラップに一度頭を小さく下げた後8階層に繋がる通路に向けて走り出し、部屋(ルーム)()く離脱した。

 

 

 

 

 大得物を頭上で風車のように振り回して怪物の大鉈を弾き退()けたラップは、二人の冒険者がその場を去ったのを確認すると、首を傾けゴキゴキと音を鳴らした。

 

「さぁて、と…………」

 

 先程までの快活な声色とは別人のように不遜な声を上げてラップは怪物を睨みつける。そこに在るのはただただ不快感ばかり。

 彼にとって今こんな所で足止めを食うのは本意では無く、薙刀じみた大得物である【半葉の太刀】と【黒い鳥】らの主神たる老神が幾つもの魔法文字(ルーン)を刻んだ鈍色の大盾、【抗呪の大盾】を構え、挑発するように眼前の怪物に対峙し――――

 

「【迷宮外縁(アウトサイド)】に帰りな、【ゴートヘッド(山羊頭)】」

 

 ――――蔑むように口にすると、大鉈を振りかざす怪物に向け臆することなく突撃した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ダンジョン【上層】第9階層。今や混乱の渦中となったその場所で、剣戟の音が鳴り響いていた。

 

 必死の形相で剣を振るい、道をこじ開けようとするのは【ロキ・ファミリア】のレベル6、【剣姫】の名を戴く第一級冒険者【アイズ・ヴァレンシュタイン】。

 

 彼女が踏み込み、剣を振るう。音を置き去りにして、空気が断ち切られる。単純なその動作さえ、下手をすれば第一級の冒険者でさえ受けきれぬ速度に達している。そこに辿り着くのに、どれほどの鍛錬があったか。それ程の力を得るためにどれほどの苦難と相対し、どれほどの偉業を成し遂げたのか。

 

「――――良い技だ、腕を上げたか」

 

 しかしそれを相手は――――大剣を手にした軽装の猪人(ボアズ)は、彼女の剣技を讃えながらも片手で大剣を振り抜き、事もなげに弾いて見せた。

 

「ッ……!!」

 

 その衝撃に【剣姫】は一歩後退、だがそれを利用して体を屈めて、全力の回転切りを放ちながらに再び踏み込む。

 

 再び、防がれる。

 

「あああああああッッ!!!」

 

 叫び、更なる連撃に繋げる【剣姫】。しかし猪人(ボアズ)の男は大剣を片手で巧みに操り、全てを真っ向から撃墜する。

 

「その動き……そうか。更なる高みに至ったな、アイズ・ヴァレンシュタイン」

 

 斬撃の嵐に立ち塞がりながら、彼にとっては浅い階層とは言え半月近くダンジョンに潜り続け、彼女の昇格(ランクアップ)の報を知る機会の無かった男は感慨深げに目を細めた。

 

 まさに別格。比類なき才を持ち、【深層】の【階層主】さえ単独で撃破した都市(オラリオ)屈指の実力を持つ少女(アイズ)

 

 それでもこの男――――正真正銘の『都市最強』、君臨せし『頂天』、【フレイヤ・ファミリア】団長、都市唯一のレベル7――――【猛者(おうじゃ)】たる【オッタル】と言う男にはまだ届かない。

 

 【剣姫】の絶え間ない連撃を前に(そび)え立つ(いわお)の如く一歩も引かず、途方もない技量による防御は一分の隙も見せる事も無く。ほんの僅かな剣戟の間隙(かんげき)に挿し込まれた薙ぎ払いが、恐るべき衝撃を以って彼女を10M(メドル)近く吹き飛ばした。

 

「ッッ……!!」

 

 ザリザリと靴底で地面を削りながらどうにか制動をかけ、踏み止まるアイズ。その背後には横たえられたサポーターの少女。傷つきながらも自身のパーティである少年を助けてくれと懇願したその少女の声に突き動かされた彼女は、他の幹部陣を置き去りにするようにしてひた走り、そして立ち塞がった【猛者】によって足止めを食らっている。

 

 早く。邪魔だ。どうして。

 

 アイズの胸中をそんな焦りと憤りが満たす。この階層までなぜか上がってきたと言うミノタウロス、それに偶然遭遇し、恐らくは少女の為に絶望的な戦いに臨んでいるベル、そして救援に向かおうとしたアイズの前に現れ、何故か戦いを挑んできたオッタル。

 

 どうしようもなく理不尽で、どうしようもなく不可解だった。その思考よりも早く、オッタルに向け再び前に出るアイズ。しかし、まるで時間稼ぎでもするかのように待ちの姿勢を見せていたオッタルは彼女の牽制と立ち回りを駆使した横殴りの雨のような斬撃を(ことごと)く防いで見せる。

 

 完全防御。そう呼ばれる彼の戦闘スタイル。あらゆる攻撃をその胆力と技量と身体能力(ステイタス)で受け止める、【猛者】と呼ばれる愚直なる武人が辿りついた武の道。

 

 それをアイズは突破できない。剣技はほぼ互角……いや、僅かにあちらが上。身体能力は間違いなくあちらが上。経験など、遥かに向こうが上――――!!!

 

 それでも、アイズは食い下がる。この数日に渡って触れあってきた少年が、これどころでは無い死地に臨んでいるから。

 

 早く、早く、速く!!

 

 彼女の剣技が、さらに加速した。精神的にも肉体的にも間違いなく焦りの中にありながら、その技が()せる事は無い。【猛者】には劣ったとしても、【剣姫】とて途方もない鍛錬の中に身を置き、自らの体に技を刻みつけてきたのだから。

 

 だが、足りぬ。剣技だけで突破できる程、眼前の男は容易い相手ではない。故に彼女は切り札を切る。対人では封印していた魔法。それを自らの背を押す、風とするために。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】ォッ!!!」

 

 まだ、音が聞こえる。猛牛の咆哮と、少年の必死の抵抗。それが途切れぬうちに、早く!!

 

 風を纏った斬撃がオッタルに殺到する。彼は見極めるように目を細め、その手が余りの速度にぶれる。

 

 初撃、気流を伴う斬撃を大剣が横から弾く。二撃、素早く切り返した振り下ろしを大剣の刃がそっと受け流す。三撃、足元の砂を巻き上げた眼潰しを兼ねる斬り上げを、目を閉じて風の音のみを頼りに防ぎきる。

 

 数秒間の交錯で、アイズは衝撃に打ち震え目を見開いた。風を纏い、加速した彼女の攻撃にオッタルは当然と言わんばかりに追随してくる。風の剣の威力は確かに届いている。先程までと違い彼女の一撃一撃を防ぐたびにオッタルの全身には衝撃が走り、数C(セルチ)程度はその体躯を後退させる事が出来ている。

 

 だがそれだけだ。想像もつかぬ戦闘経験と果ての無い鍛錬、強さへの執念。何よりも、自らの奉ずる女神への想いに基づく、強靭過ぎる意志。それが彼を絶対的な強者としてアイズの前に立ち塞がらせる。

 

 それは、先日37階層で手合わせを行った【黒い鳥】とは別種の強さだった。

 

 【黒い鳥】がどれほど打ち込もうと手応えの無い、『空』を斬る様な相手だとすれば、オッタルはどれほど打ち込んでも揺るがず、打ち破る事の出来ない『壁』の如き戦士だった。

 

 アイズは思わず、オッタルの曇りの無い瞳に【黒い鳥】の底なしの眼を想起して、戦慄した。あの時はまだレベル5だったとは言え、ただ、ただ楽し気に、アイズの剣閃をいなし続けた本物の怪物。

 

 瞬間、思考の逸れたアイズの隙にオッタルの眼がぎらりと光り、大剣を持った片手が攻めに転じる。

 

 剛剣一閃。アイズの斬撃がそよ風のように思える一撃は、風の鎧と細剣(デスペレート)に防がれながらも彼女の矮小(わいしょう)な体躯を問答無用で壁まで吹き飛ばした。

 

 宙を舞いながら、アイズは気づく。耳に届くのは、自らの纏う風の音のみ。少年の叫びと、猛牛の怒号と、剣戟の音が、途絶えていた。

 

 アイズは最悪の状況をイメージして歯を食いしばった。そして、それに抗う様に吹き飛ばされながら地面を殴りつけて体勢を立て直しダンジョンの壁に着地。そして衝撃を足に蓄積し風の流れで自身を壁に押さえつけ――――次の瞬間、溜め込んだ反動を一気に解き放ち、風を反転させて、飛ぶ。

 

 その速度に、今まで目を細めるばかりだったオッタルが思わず目を見開いた。アイズは泣きそうになりながら愛剣を握った右手を矢でも引くように引き絞り、そして、僅かな躊躇を心の中に感じながら――――本当の切り札を切った。

 

「――――『リル・ラファーガ』ッッ!!!」

 

 放たれるは風の大槍。閃光の如き魔力を宿す嵐が、指向性を持ってオッタルに迫る。これは、本来であれば超大型のモンスターか階層主クラスの強敵にのみ放つべき技であり、絶対に人を相手に使うべき力では無い。

 

 だがそれは、アイズにとってオッタルがそれに値するほどの強敵であるという事であり。

 

「オオオオオオオオオオオッッッ!!!!」

 

 オッタルが、それを使っても勝ちの目が拾えるかどうか怪しいほどの実力の持ち主であるという事を示していた。

 

 迫る風を、両手持ちに切り替えた大剣でオッタルは迎撃した。即座に大上段に剣を構えて裂帛(れっぱく)の気合と共に振り下ろす。怪物のそれすら凌駕する咆哮と共に振り下ろされた銀の大剣には間違いなく彼の全力が込められており、それはアイズの風と激突すると―凄まじい衝撃を生み、アイズとオッタルの両者を弾かれるかのように吹き飛ばした。

 

 攻撃の相殺。全く同等の攻撃力を持つ力がぶつかった時にのみ起こるそれによって部屋の中心に転がったアイズは尻餅をついたまましばし呆然としていた。

 

 確かに躊躇(ちゅうちょ)はしたし最大威力では無かった。殺してしまわぬようにと言う、加減があった。だが、それでも。剣技と、身体能力と、魔法。彼女の全てを掛け合わせた一撃を剣のみによって打ち破った【猛者】の『強さ』に彼女は衝撃を受け、打ちひしがれていた。

 

「ぐ……」

 

 だが、オッタルも完全に無傷では無かった。得物である大剣は酷く損傷し使い物にならぬ。身に着けていた防具も殆ど弾け飛び、僅かに襤褸切れ一歩手前となった戦闘衣(バトル・クロス)が残されるのみ。しかし、全身に細かい裂傷を負った彼は僅かな苦悶だけを見せて立ち上がり、自らが持ち込んでいた別の得物、次の大剣を装備する。

 

 アイズも我を取り戻して、愛剣(デスペレート)を握りしめた。そして再び【猛者(おうじゃ)】に挑むべく一歩前に踏み出す。

 

 

 

 その左右を、アマゾネスの双子が駆け抜けた。

 

 

「!」

 

 僅かに驚愕を見せるオッタルに、跳び上がったティオナが自らの代名詞たる大双刃(ウルガ)を真上から振り下ろし、それに呼応したティオネが低い姿勢から蛇行するような動きを見せて両手に握った湾短刀(ククリナイフ)を縦横に振るう。その全てをオッタルは大剣一つで凌いだ。片手に持ち替えた大剣のリーチを用いて振り切られる前の大双刃の切っ先を弾き、返す刀でティオネを吹き飛ばす。

 

 だが、更に飛来した狼人(ウェアウルフ)銀靴(フロスヴィルト)を、オッタルは空いた片手で受け止める事でしか防げなかった。衝撃に耐える事で、オッタルの足が止まる。彼の塞いでいた道が、僅かに開く。アイズはその隙を見逃さず、全速でオッタルの横をすり抜けていた。

 

「チッ……!!」

 

 脇を抜けたアイズを捉えようと振り向こうとするオッタル。だそれを、掴まれた足を支点にして更なる蹴りを繰り出すベートが許さない。

 

「余所見してんじゃあねえよ!!!」

 

 側頭部を狙った蹴りが到達する前に彼を放り投げる事でオッタルは攻撃を中断させる。しかし次の瞬間には復帰したヒリュテ姉妹の連携攻撃が彼に襲い掛かった。

 

「どうなってんのよこれぇっ!」

「わかんない!! でもやるしかないじゃん!!」

 

 困惑しながらも、アイズの意思を汲んで二人はオッタルに挑む。絶え間ない双湾刀による連続攻撃と、そこに混ぜ込まれる無視できる筈も無い大双刃の破壊力。苛立たし気に眉間に皺を寄せたオッタルが一瞬視線を後方に向けた時、既にアイズの後姿は遠く離れ、オッタルは彼女を止めるのが不可能になったのだと悟った。

 

「だから余所見してんじゃあねえってんだよ!!!」

 

 慌てて飛び退いたアマゾネスらの後方から弾丸のように襲い掛かる【ベート・ローガ】の体術をオッタルは丁寧に、しかし苛立ちながら防いでゆく。そこに、新たなる人影が現れた。小柄な、金髪の少年――――一見そう見える小人族(パルゥム)。【フィン・ディムナ】。

 

「随分と慌ててアイズが居なくなったと思ったら……これはまた随分な事になっているね」

 

 ベートを横一閃で吹き飛ばしたオッタルはその声を聞いて剣を下ろし、声の主へと顔を向けた。

 

「フィンか」

「やぁ、オッタル。随分と……元気そうだね」

 

 笑顔で、しかし油断の無い眼で自身を見る小人族の青年。自身を取り囲み臨戦態勢を取る若き第一級冒険者たち。そして、その後ろに続いて現れた緑髪のハイエルフ――――【リヴェリア・リヨス・アールヴ】の姿に、オッタルは観念したかのように構えを解いた。

 

「一体、何が起こっているのかと思えば……!」

 

 頭痛でも堪えるように額を抑えるリヴェリアに、何かに気づいたような顔をしたティオナが慌てて声をかける。

 

「リヴェリア! それよりあの子! あのサポーターちゃん治療してあげて!!」

「何……?」

「事情は後! 死んじゃうよ!」

「くっ、すぐに見る!」

 

 急ぎ、リヴェリアがリリの治療に当たる中でそれを見届けたティオナとベートが素早く部屋を飛び出していった。

 

「ベートこっち! 早く追いつかないと! 良く分かんないけど、マズい気がする!!」

「うるせえ! 何が何だかこっちだってわからねえんだよ!!!」

 

 部屋を飛び出し、ティオナとベートはアイズの後を追いかけて行く。オッタルは二人を追いはしなかった。部屋に残ったティオネ、少女の治療を【魔法】を用いて行うリヴェリア、敵対する様子は見せずとも(やり)を持つ手に力を込めているフィン、そして今し方部屋に現れ、驚いたように目を見張る【ガレス・ランドロック】。さしもの彼も、第一級冒険者に数えられる彼らを同時に相手にしようと言うつもりは流石に無かった。

 

「僕もまだ状況を把握してはいないんだが……なぜ僕達に戦闘を挑んだのかな、オッタル。理由を聞いても? 『遠征』に挑む【ファミリア】に対して攻撃を仕掛けるというのは、ギルドの業務を妨害する事に等しい……【ロキ・ファミリア(僕ら)】と【ギルド】を相手に、全面戦争をするのが【フレイヤ・ファミリア】の総意――――いや、【フレイヤ】様の神意と受け取ってもいいのかな?」

「俺の独断だ。敵を討つ事に、時も場合も関係ない」

 

 追いつめる様に自身等の優位を提示するフィンに、オッタルは事もなげに言い切った。それを聞いたフィンは、納得するようなふりをして小さく頷く。

 

「ふむ、ごもっともな意見だ。だが今、君は戦闘の構えを解いている。それは、もう交戦の意思が無いと判断してもいいのかい?」

「ああ。流石にお前達全員を同時に相手すれば、俺に勝ち目は無い。この件については後日――――」

「何やってんだお前ら」

 

 その声に、今後についての言葉を途切れさせてオッタルが振り返る。曲がり角から歩み出て目を丸くしているのは、黒い髪に黒い瞳の印象の薄い顔をして、大剣を二本、長剣一本、手斧を一振り、短剣一つ、盾一枚と言う常識外の過剰装備をした、一人の男。

 

 全てを焼き尽くし、死を告げるもの。オッタル(都市最強)と唯一肩を並べる都市最悪の冒険者、【黒い鳥】。そいつが偶然、そこに居た。

 

「…………別の勝ち目が出て来たな」

 

 眼を見開く【ロキ・ファミリア】幹部陣を他所に、オッタルは自身の口座に溜め込まれたヴァリスの総額を素早く計算し、どう言った報酬内容で彼にアイズらを追わせるか考えながら小さく呟いた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ハァッ、ハァッ……!」

 

 息を切らす女冒険者の声を背に、ルドウイークはダンジョン9階層を突き進む。その視界には、光の糸。<導き>に引かれ、彼は一心にその導く先を目指していた。

 

「……貴公。あの怪物との戦いで、消耗している筈だ。無理はするなよ」

 

 先行するルドウイークは彼女を気遣って背中越しに声をかける。自身が到着するまでも明らかに格上の怪物と長らく戦っていたようであり、既に限界近いように彼には見受けられた。

 

「ハァッ、大丈夫だ……私も、レベル2だしな……!」

「…………無理はせんでくれよ」

 

 だが、女冒険者は意地を張る様にルドウイークに空元気を返した。彼は彼女に自らを(おもんばか)るようにだけ言うと、視線を彼女に向けるのを止めて再び前を向いた。

 

 ……正直に言えば、今の状況において彼女は(かせ)でしかない。彼女がいる限りルドウイークはみだりに全力を振るう事は出来ず、常に彼女に気を配っているために、多少なりとも余裕は削られている。

 だが、ルドウイークに彼女を置いていくという選択肢は存在しなかった。レベル2とは言え、消耗もある今の状況でこの階層から単独で戻れと言うのは、少々危険がある。本来であれば7階層の地点で、怪物との戦闘が終わり次第戻ってほしかったのだが……状況の流れがそれを許さなかった。

 

 致し方なし。ルドウイークにとって万全ではないが、このような状況は初めてでもない。ヤーナムの<夜>に手負いの後進を庇いながら獣を葬送した事など数え切れぬほどある。

 

 そのまま、彼らは行く手に立ち塞がるモンスターを捌きながら先を目指す。ふと、女冒険者が不思議そうな声色で以ってルドウイークに尋ねた。

 

「ッ、しかし、貴公……こちらで合っているのか……? 目撃報告は、10階層と聞いていたが……!」

「………………ああ、大丈夫だ。任せてくれ」

 

 彼女の質問に、ルドウイークは正しく答える術を持たなかった。自身にのみ見える<導き>など根拠として挙げる訳にも行かぬ。だからこそ彼は先行し、彼女を無理にでも引っ張ってゆく必要があった。

 

 だが幾つかの部屋(ルーム)を素通りし、幾つかの角を曲がった所で、その音は彼らの耳にも届いてきた。

 

 猛牛の怒りに満ちた咆哮と、少年の腹の底から絞り出すような雄叫び、剣戟音。ルドウイークは無言で更に速度を速め、そして、ついに辿り着いた。

 

 

 

 ………………世界には、常識と言うものが存在する。

 

 物は上から下に落ちるとか、日が沈めば夜になるとか、神々は下界の子供たちの嘘を見抜く事が出来るとか。他には――――――――駆け出しの新米(ルーキー)雄牛の怪物(ミノタウロス)に勝つことなど、不可能であるとかだ。

 

「ああああああああああっ!!!」

『ヴモオオオオオオオオオッ!!!』

 

 【ロキ・ファミリア】の面々が見守る前で、その不可能に、ベル・クラネルは挑んでいた。本来であれば9階層で自身の力が通じるかどうかだけを確認し、すぐに戻る予定だった冒険の最中に遭遇した、片角のミノタウロス。

 

 手に掛けた冒険者から奪い取ったのであろう、まるでその巨体に(あつら)えたかのようなサイズの大剣を手に襲い来る雄牛を前に、彼は一歩も引かず、『冒険』を繰り広げていた。

 

「…………どういう事だ?」

 

 その光景に、ルドウイークは【ロキ】の面々の様に圧倒されるでもなく、僅かな苛立ちを以って口にした。本来ミノタウロスは、あの少年の位階(レベル)において挑むべき相手ではない。レベルが上である相手に挑んだとして、勝ち目はまず無いというのがこのオラリオにおける『常識』だったはずだ。

 

 ならばここに居る彼らは、何故助けない? 何故、傍観者のように死地に立つ少年の背を眺めている?

 

 ルドウイークは冒険者では無く、狩人であった。ひたすらに(よすが)も無い者達を守るために、剣を振るい続けた愚者であった。故に、命を賭けて挑む者を見守る彼らの考え方を、飲み込み切れていなかった。

 

 だからこそ、一歩足を踏み出す。戦いの渦中に、身を投じようとする。その前に立ち塞がる少女。アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「ルドウイークさん、待ってください」

「……何故だ?」

 

 ルドウイークはその意図をこそ尋ねた。何故だと。何故助けないのかと。強者が窮地にある弱者に手を貸さぬのは、()()のではないかと。だが彼の射抜くような瞳にもアイズは気圧される事無く、毅然(きぜん)とした目でルドウイークを見上げて言った。

 

「邪魔しちゃ、ダメなんです……お願いします」

「…………」

 

 ルドウイークは彼女の言葉に眉を(ひそ)め、そしてベルとミノタウロスの戦いに視線を戻す。ミノタウルスの横殴りの暴風の如き剣閃を、ベルは眼を見開き掻い潜りその振り抜かれた腕をナイフで削ぐ。良く見ている。アイズとの訓練でその剣を受け続けた経験が間違いなく生きている。

 続く裏拳を、狩人のそれに似た跳躍で身を翻し回避する。いつだか私が触りだけ教えた事から良く学んでいる。冒険者となって短い期間でありながら真摯(しんし)に、ひたすらに努力を重ねたのが良く分かる。

 

 だからこそ。

 

「……分からん」

 

 ルドウイークは歯噛みする。

 

「確かに、大切な戦いなのかもしれん。だが……だが、命を賭ける理由になるか? 死の淵に立つ理由になるのか?」

「彼が、望んだ戦いなんです」

 

 絞り出すようなアイズの一言にルドウイークは口を(つぐ)んだ。命を尊ぶ一方で、自らの意思で選んだ道に立ち塞がる事を、彼は止しとしなかった。かつて、ゲールマンに次ぐ戦力であった<(からす)>の帰還を結局見送ったように。<処刑隊>の要請に応え、どれほどの危険が待つかも知れぬ<カインハースト>遠征に発つ<加速>を止めなかったように。

 

 ――――悪夢の時計塔で立ち塞がったマリアの慟哭(どうこく)に対して、全力を振るえなかったように。

 

 人知れず拳を握りしめるルドウイーク。彼を前に、アイズも先ほどのベルとのやり取りを思い出していた。子供が意地を張る様に、少年が一歩踏み出すように、声を震わせ、ミノタウロスに挑んだ彼。いつか見た、父の背に似た彼の覚悟に水を差される事だけは、彼女はさせる訳には行かなかった。

 

 そんな彼らの葛藤を他所に、ベルとミノタウロスは互いの全てを絞り出し、激闘を繰り広げる。

 

 大剣が振るわれる度に周囲に破壊が広がり、ベルの装備が弾け、晒された肌に血が滲む。ベルがナイフを振るう度にミノタウロスの肌は傷つき、赤い血が流れる。一進一退。実力伯仲。満身創痍。既に互いに、大小問わず数多の傷を負っている。既に戦いが長期間に及んでいる証左だ。しかし今、どちらが不利かと言えばベルだろう。一撃でもまともに喰らえば、彼は死ぬ。

 

 だが、そうはならなかった。彼はそのナイフ――――【ミスリル】に主神たるヘスティアの血を宿し、鍛冶神たるヘファイストスの手によって生み出された神の武具を以って、大剣の側面を打ち払い、受け流し、僅かに生まれた隙に反撃を重ねて行く。

 

 その戦いを睨みつけていたルドウイークは、彼の戦い方に、ふと二人の狩人の影を見る。嘗ての友であった<(からす)>の面影を見る。どれほど強大な相手であろうと、臆せず、怯まず、ただ死ぬまで殺し続けた、比類なき狩人にして<狩人狩り>の祖。

 

 ――――そして、自らが正真正銘最後に相対した、名も知れぬ狩人の影を見る。<烏>同様、絶望的な相手に怯む事も無く、臆する事も無く、自らの出来る最高最善を只管に成し続け、共に在った官憲の狩人の手を借り獣となった自身を打ち破り、そして葬送を成し遂げた<最後の狩人>。

 

 彼ら同様に、ベルは絶望を打ち破る事が出来るのか? ルドウイークはいつの間にか、ある意味ではこの場にいる誰よりも手に汗握ってこの戦いを見つめていた。

 

 ベルが再び、ミノタウロスの懐に飛び込まんとし、駆ける。その速度は実際、レベル1の範疇をとうに越えて十分にミノタウロスにも通じている。だがそのミノタウロスには、ただのミノタウロスには無い、気迫と知性があった。

 

『ッ……ヴモオッ!!!』

 

 咆哮と共に、ミノタウロスは()()()()()()大剣を振るい、そして砕かれた地面をベルに向け、散弾の様にぶちまける。今まで通じなかった線の攻撃では無く、広範囲を打ち据える面の攻撃。

 

 以前の模擬戦の際、ルドウイークに対してティオナが放ったのと同じ類の攻撃だ。あの時はルドウイークはその後に待っていた攻撃に対する手段があったために防御を選んだが、ベルはそうは行かぬ。

 迫る(つぶて)に打ち据えられれば足を止められ、続く大剣の斬撃による死が待っている。防いでも同じだ。かといって無理に突破したとして、礫によるダメージは耐久に優れぬベルにとっては十分に戦況を決するに余りあるものだ。

 

 詰み。尋常の手段では、ベルに打つ手など無い。しかし、ベルにもただの駆け出し(ルーキー)には無い、気迫と力があった。

 

「【ファイアボルト】ォッ!!」

 

 眼を見開いた彼が叫ぶと同時に、突き出した左手から赤い炎雷が迸る。それは迫りくる礫の壁を吹き飛ばした――――だけではなく、そのまま彼我(ひが)の距離を裂いて、ベルの対応を見極めるべく集中していたミノタウロスの顔面に痛烈に突き刺さった。

 

『ヴモオオオオオッッ!!!』

 

 衝撃にミノタウロスが叫び、焼かれた顔を片手で抑えて天を仰ぐ。もう片方の手で握りしめた大剣を我武者羅(がむしゃら)に振り回し、ベルの攻撃を凌ごうと足掻(あが)く。

 

 だが既に、戦いの趨勢(すうせい)は決していて。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

 大剣による狂乱と死の嵐に突っ込み、小刻みな跳躍(ステップ)でそれを突破したベルのナイフが、晒されたミノタウロスの、筋肉の薄い下顎に突き立ち――――

 

「【ファイアボルト】オオオオオオオッッッッ!!!!」

 

 魔力を良く伝導するミスリルの刃を通して頭蓋の中に叩き込まれた赤雷によって、ミノタウロスの、ベルに比して圧倒的に強靭だった肉体がゆっくりと崩れ落ちた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 その後の事は、ルドウイークには与り知れぬ事だった。信じられぬ光景に、今まで【ロキ・ファミリア】の面々に圧倒され声を出す事も出来ずにいた女冒険者が驚愕の声を漏らし、ベートが呆然と伏したベルの晒された背を見つめ、すぐに何かに思い至ったかのように、怒りに歯をむき出して拳を握る。

 

 倒れ伏したベルはどうやら【精神力(マインド)】と呼ばれる魔法を使うためのリソースを限界まで消費しきった事による失神――――【精神枯渇(マインドゼロ)】と呼ばれる症状を起こしたためだったようで、ベートの求めに応じ、彼の状態を確認したリヴェリアに曰く命に別状はないとの事だった。

 

 そして今、意識の無いベルはルドウイークに抱えられ、女冒険者と彼女が抱えるリリと共に帰路を歩んでいる。

 

「………………」

「………………」

 

 彼らの間に言葉はない。ベルの勝利を見届けたリリは緊張の糸が切れたかのように気を失い、女冒険者はレベル1が単独でミノタウロスを討伐したという明確な偉業に圧倒されていたからだ。

 

「…………なぁ、貴公」

 

 その沈黙の中で、ルドウイークは口を開いた。どうしても、この世界の住人に聞いておきたい事があったからだ。女冒険者は気を失ったリリに向けていた視線をルドウイークに向け直し、彼の二の句を待つ。

 

「『冒険者は、冒険してはならない』と言う。だが、彼は命を賭けていた。それほどまでに、『冒険』は大事な物なのか? 必要のない危険に挑んでまで、成し遂げるべき事なのか?」

「………………そう考える者は、少なくないな」

 

 女冒険者は、言いづらそうに答えた。

 

「昨今では、【ギルド】は命を大事に(いのちだいじに)する様に冒険者達にはサポートを行い、モンスターの情報公開や装備の提供と言った手段で無暗に我々が死ぬことを減らしてはいる。だが本来、冒険者とは神知(じんち)さえも及ばぬダンジョンに挑んでいく者達の事だ。むしろ、そうして命がけで冒険に挑む彼らの方が、本当は正しいと言えるのかも知れんな…………」

「……そうか」

 

 ルドウイークは憮然とした、しかしどこか悲しげな表情で答える。多くの命が危ぶまれる事の無いようにと願いあの<夜>を戦い続けたルドウイークにとって、あえて危険に飛び込んでゆくなど真逆の考え方だ。

 しかし、外から見れば彼ら狩人も途方もない危険に身を投じ続ける狂人であり、故に狩人はヤーナムの人々の信頼を失い、蔑まれ、心折れて夜の闇に消えて行ったのだ。

 

 ……戦う理由は違う。いや、理由しか違わぬのか。我ら狩人と彼ら冒険者にそう違いはない。否。血に穢れた我ら狩人より、栄光に殉ずる彼らの何と清々(せいせい)しい事か。彼らはこのオラリオに受け入れられている。嘗ての狩人がそうであったように。

 

 だが。

 

「本来、一度でも死ねば人は終わりだ…………やはり、私にはよく分からんよ」

 

 気を失ったベルの重さを――――彼にとっては軽々と持ち上げられる、だが途方も無く重い命を確かに感じながら、ルドウイークは誰にともなく呟いた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークがベルとリリをロキ・ファミリアから預かり帰路についたのと、ほぼ同時刻。同じく9階層の一角で、オッタルと【黒い鳥】は不本意ながらに並んで座り込み、壁を睨んで時間を無駄にしていた。

 

「なぁ、オッタル」

「…………なんだ」

「今のアンタ、滅茶苦茶情けない顔してるぜ」

「言うな」

 

 複雑そうな面持ちで尋ねる【黒い鳥】の言葉を聞いて、オッタルは歯噛みしながらに自らの失態を戒めて呟く。

 

「……この不覚、一生の傷だ。呪うぞ【剣姫】。そして……」

 

 ちらと、オッタルは横に目をやった。そこに座る【黒い鳥】は【引き合う石の剣】を分解し、その刃の一つ一つを丁寧に磨いている。改めてその様を確認したオッタルは、呆れたように彼に話しかけた。

 

「……何故依頼に応じてくれなかった、【黒い鳥】」

 

 ()ねるようなオッタルの言葉に【黒い鳥】は心底から嫌そうな顔をして、分かれた刀身を繋げて鞘に戻すとそのままにごろりと横に倒れて寝っ転がった。

 

 ――――顛末はこうだ。フィン達ロキ・ファミリアの幹部陣と相対して戦う構えを解いたオッタルはしかし、偶然現れた【黒い鳥】に『依頼がある』と持ち掛けたのだ。

 当然フィン達はその言葉に身構えた。確かにオッタル自身はもう戦闘の意思がないと示してはいたが、【黒い鳥】への依頼と言う形で状況をひっくり返そうとするのは流石のフィン達にとっても寝耳に水であったからだ。

 

 しかし、全くもって状況を理解していなかった【黒い鳥】は、狼狽しながらも依頼の受託を拒否。

 

 今まで自身の頼みであれば大抵の事には首を縦に振って来た【黒い鳥】が依頼を拒否した事で、オッタルは思わず目を丸くした。そこでフィンが咄嗟に『僕らがここを離れてからしばらく、(オッタル)を見張っていてくれないか?』と頼むと、【黒い鳥】は少し悩んでから、今度は何故か首を縦に振ったのだ。

 

 その為、オッタルは現在【黒い鳥】の監視下にある。特段、見張る以外に何も指示されなかったために【彼】は武器の整備をしたり寝転んだりと自由にやってはいるが、オッタルも事ここに至っては【黒い鳥】を出し抜いてまでロキ・ファミリアの面々を追う事は無い。

 

 それに、今の彼にとっては自らが手を加えてやったあのミノタウロスや、それに遭遇したはずの【ベル・クラネル】がどうなったかも気になる所であったが、【黒い鳥】が何故自身の頼みを聞かなかったかも気にはなっていた。

 

「…………【黒い鳥】。私の依頼では不足だったか? 報酬ならば、それなりに出すつもりだったんだが」

「……いやさ、金の問題じゃあなくてさぁ。俺にだって考えとか都合はあるんだよオッタル。いつでも、どんな依頼でも請けてやれるわけじゃないの。それくらい分かれよな」

 

 【黒い鳥】は口を尖らせて面倒そうに答えた。

 

 今回、ロキ・ファミリアの遠征を利用して深層未踏査階層への偵察を行おうとしている【彼】にとっては、フィン達の妨害となりそうな行動を取る事は論外だ。故に、例え状況を理解していても首を横に振っただろう。

 

 そんな事情など、オッタルは知らぬ。だが、【黒い鳥】と付き合いの長い彼は、自身の依頼を請ける事によって【黒い鳥】が何らかの不利益を被る事になったのであろう事を理解しており、故に、彼が何かを企んでいることにも気付いていた。

 

「何が狙いだ、【黒い鳥】。かの神の眷属であるお前が【ロキ】の遠征と同時にダンジョンに潜っているなど…………何らかの意図を感じずには居られん」

「さぁ、何の事やらな。俺はただ、気まぐれにそこらをほっつき歩いてただけだぜ」

「私の頼みより大事な事なのだな? お前の今回の冒険は」

「だから、何でもねえんだよ。何でもない。今回俺は、何をするつもりもない」

「そうか」

 

 何も無い、との一点張りを繰り返す【黒い鳥】。対するオッタルは、仏頂面のまま視線を向けずに呟いた。

 

「友人とは、そう言う物を越えて協力してくれるものだと思っていたが」

「……………………それでもダメな時はダメなんだよ。アンタだって、俺とフレイヤならフレイヤを優先するだろうが」

「様だ」

「は?」

「『様』を付けろと言っている」

「…………今だけは嫌だね」

 

 苛立ちを隠さずそっぽを向く【黒い鳥】を見てオッタルはいつかの様に口うるさく説教をするべきかとも思ったが、それよりも、あのミノタウロスと少年の戦いがどうなったかに思いを馳せ、燐光を放つ迷宮の天井を見上げる。

 

 既に戦いの音が途切れてからしばらく経った。少年は勝利したのか、それとも敗北したのか……フレイヤ様の寵愛を受けるに相応しい姿を見せられただろうか。満足いく結果が出ただろうか。

 

 期待はあった。あのお方に見初められた以上、あの少年にはそれに応える義務があるし、オッタル自身、この試練を彼が乗り越えれば、よりあのお方に相応しい物になると考えていた。だがもし、【剣姫】が乱入したなどしてそれが叶っていなかった場合…………それを考えるとオッタルは自らの無力がどうしようも無く憎たらしくなって、今まで上に向けていた顔を無意識に俯かせた。

 

「あの方が、落胆するような事になっていなければいいが……」

「アンタ、そればっかだよな。俺を巻き込んだ事については何とも思ってねえのかよ」

「今更何が起こったとて、心配が必要か? お前に?」

「まぁ、要らんよな。アンタに心配されるなんて思うと、心底怖気がする」

「私も、お前の心配などしようとしたら、間違いなく気分が悪くなってしまいそうだよ」

「珍しく意見が合ったな」

「全くだな」

 

 ははは、と。【迷宮】の通路に座り込んで憮然とした表情を浮かべる都市最強と都市最悪は、それぞれどうしようも無く感傷的になって空虚に笑うと、それから揃って大きく溜息を吐いた。

 

 

 





ルド対山羊頭、アイズ対オッタル、ベル対ミノタウロスでお送りしました。

前話投稿地点で10000字くらい書いてたんですけど、そっから友人にゲーム誘われたり身内であーだーこーだしたりいろいろあって全然進んでんかったのでこの三連休で10000字以上書きました。なので誤字とか多そう。何度か見なおしてはいるんですけど毎回ガッツリ出るので心配です。毎回誤字報告を入れてくださる方々には頭が上がりません。

偉業と言う壁、人種の壁、レベル差の壁……ダンまちの世界にもいろいろな壁がありますが、ルドウイークと彼ら彼女らの間にもまた、大きな価値観の壁がありますね。
次はエリスへの帰還報告と神会かな。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っておりましたが、前話のあとがきに記した通り今話の投稿を持って一旦打ち切り……とするつもりだったんですけど、明日までにキャラ募集のコメント返信をするので、それを以って〆切とさせていただきます。
代わりと言っては何ですがゲストモンスターの募集をしてますので、注意事項をお読みの上ご協力していただければありがたいです。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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28:【神会】

神会、25000字くらい。ルドの出番は少なめでフロム要素も少ないです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告いつもありがとうございます。
お陰様で40万UA、4000お気に入り到達しました。
本当にあり難いです。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 ――――ある朝、女神エリスが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのよこの小棚の上で自分の姿が一匹の、30C(セルチ)はあろうかというとてつもなく大きなナメクジに変わってしまっているのに気が付いた。

 

(………………何で!?)

 

 慌てて頭を持ち上げ自身を見やると、広げられた足でべたりと棚の上に湿っぽく張り付く、青白い、何処か(おぼろ)にさえ見える体色をした己の体が目に入った。本来の自分同様に惰眠(だみん)(むさぼ)っていたらしきナメクジ――――ルドウイークが<精霊>と呼ぶ、<ヤーナム>から持ち込まれた謎の生物――――になった事を受け入れがたくも理解した私は、隣に置かれたままの大事な眼鏡を一度横目に見て、その大きさに驚きながらも必死に首を巡らせ、部屋の中を見渡す。

 

 ルドウイークが来る以前よりは多少清潔になった、私の部屋。

 

 十年近く交換されていなかったカーテンは彼の稼ぎを元手に安いが新しいものと交換されている。以前、エリクサーを用意するのにお金を節約していたために少し傾いた椅子や傷の付いた床はまだそのままだが、ルドウイークの稼ぎがあればその内新しいものと交換できるだろう。

 

(……って、いやいやそんなこと考えてる場合じゃないでしょ!!!)

 

 ナメクジ故に、声を上げられぬまま私は叫んだ。それよりも今は、何故私はナメクジになっているのか、何が私の身に起こっているのか、一体どうやったら元に戻れるのか。その事の方が大切だ。私は半ばパニックに陥ったまま体をうねらせ、棚の際に這って行って、何か手掛かりはないかと自身が本来眠っているべき場所を目にしようとする。

 

 

 

 そこには、自分の良く知る私自身が、穏やかに寝息を立てていた。

 

 

 

(……………………は!?)

 

 私は驚きに目を――――今は触覚だけど――――丸くして、眠る自分をまじまじと見つめた。

 

 流れる金色の長髪。朝日を受け白く輝く肌。女神特有の(きず)の無い美貌。これで髪を結び眼鏡をかければ、いつも通りの私になる。

 

 それは、あってはならない事だ。

 

 私が、エリスだ。じゃあ今目の前で寝ているのは誰だ、と言う話になる。考えられる可能性としては――――

 

(もしかして……入れ替わってるとか!?)

 

 私は考えうる限りの最悪の想像をして、一人恐怖に打ち震えた。私がナメクジになっているのだ。ナメクジが私になっていても、意味は分からな過ぎるが不思議ではない。

 

 だが、それはあってはならない事だ。

 

 もし、このまま目の前の私が目を覚まして、そのままずるずると床を這いずりだしたりしたら。そんな明らかに様子のおかしい私を、ルドウイークに見られでもしたら…………。

 

(私の威厳が消し飛んでしまう!!!!)

 

 そうなれば、ルドウイークは驚愕し、動転し、失望するかもしれない。<ヤーナム>に戻る方法が見つかった時、あっさりと私の元を去ってしまうかもしれない。それは嫌だ。彼には、まだ私の元に居てほしい。手放したくない。ルドウイークと言う男を。今の、お金やら仕事やらに追われながらも、どこか穏やかな生活を。

 

 それに、やりたい事もある。成したい事もある。【エリス・ファミリア】の再興。そして、私の大事な家族を奪ったあいつらへの、仕返し(ふくしゅう)

 

 ファミリアの再興は、ルドウイークの協力があればいずれはきっと成せるだろう。彼には、それだけの力がある。

 その力を私が上手い事使ってエリス・ファミリアの名声を伸ばし、新入団員を受け入れ、最終的には嘗ての時代の様にぐーたらで左団扇(ひだりうちわ)な悠々自適生活を送ってみせる。でも【止り木】での仕事も何だかんだ気に入っているし、今ほどの出勤頻度を保つつもりはないが、去るつもりもない。今と昔のいいとこどりをするのが、現在の私の第一目標だ。

 

 その為にも、ルドウイークをどうにか引き留める方法を考えないと。

 

 <ヤーナム>への帰還という命題を彼が掲げる以上、放っておけば彼は私の元から去ってしまうだろう。それは嫌だ。いろいろ嫌だ。私の描く未来の青写真に、彼は居なければならない存在なのだ。だから、私は彼の弱みを握ろうだとか、彼が好みそうな物を見せてあげたりだとか、いろいろ試してみてはいる…………今の所、どれも手応えはないけれど。

 

 そして、第二目標である仕返しの方なのだが…………正直、こっちはお先真っ暗だ。私が仕返ししたい相手は、いずれも消息を絶っている。

 

 まず十五年前。【黒竜】に挑むために私の子供たちを借りておいて、自分の眷属もろともに全滅させやがった【ゼウス】はもうこのオラリオには居ない。同時期にオラリオを去った【ヘラ】共々【天界(うえ)】に戻っているかもしれないが、今はファミリアの再興を目指している以上追いかけて行くわけにもいかない。正直気が済むまで土下座させてやりたい所だけど、情報も無く彼についてはもう半ば諦めている。

 

 次に十年前。私達の【本拠(ホーム)】を戦闘に巻き込んで半壊させて、この家に移る決定打(きっかけ)をくれやがった【古き王】。あいつも行方は(よう)として知れないが、あれ程の悪名をオラリオ内外に轟かせた男だ。同じように争いを幾度か巻き起こした経験のある不和の女神としての勘が、奴はまだこの街のどこかにいると告げている。絶対に見つけ出して、本気で後悔させてやるつもりだ。

 

 そして五年前。私が一番可愛がった眷族を騒動に巻き込んで死なせたあのエルフも、やはり消息不明。一時は他の冒険者達にも追われていたが、今や懸賞金も取り下げられ、死亡説すら出ている状態だ。あまりにもやりすぎた【古き王】と違って、オラリオに貢献してきた実績を持つファミリアに在籍していた彼女の名が【要注意人物一覧(ブラックリスト)】から消えるのは正直時間の問題だろう。

 

 まぁ、他の奴らと違って彼女についてはいろいろと思う所があるのだが。

 

(………………でもなんか、ムカムカしてきましたね)

 

 嫌な事を思い出したら、どうにも腹の底から熱いものがふつふつと沸き上がるような心持になった。私はぶるぶると顔を振って――――余波で全身もぶるぶると震わせて――――改めてこの状況を打開する策を考えようとする。

 

 だが、天界でも屈指の知性を持つと自認している明晰(めいせき)な私の頭脳が答えを弾き出すよりも大分早く、目の前で眠っていた【エリス】が、眠たげに(まぶた)を開いた。

 

(あっ!?)

 

 驚きに、()()()()は身を震わせた。そして、柔らかな身を硬直させて()()()の出方を目を皿にして伺う。その視線の先でエリスは身を起こして欠伸をすると、ベッドからのそりと降りてナメクジの横にあった眼鏡を無造作に手に取って、クローゼットから普段のケープと服を取り出して椅子の背にかけ、そして寝間着を脱ぎ出した。

 

 それは普段のエリスと何ら変わらぬ動きだった。雑に脱いだ寝間着をベッドに放り捨て、肌着を着て、スカートを履き、上着を着て、ケープを纏い、髪を結んで、眼鏡をかける。

 

 いつも通りの姿になったエリスはふと、視線を壁にかけられた日付表に向けた。今日の日付には、良く目立つ赤いインクで(しるし)が付けられている。彼女の視線を追ったナメクジは、ふと今日が何の日かに思い至って青白い体を青褪めさせた。

 

 反射的に視線を向けた机の上には、封筒に入った二枚の紙きれ。それは今日使うためのもので。

 

(いや待て、待って、ちょっと、やめてよ……お願いだから)

「失礼する」

 

 部屋のドアがノックも無く開けられ、ナメクジは反射的にそちらへと振り向いた。ルドウイーク。ナメクジは、この後彼が取る行動を想像して絶望的な気持ちになった。ルドウイークは優しげな笑顔をエリスに向ける。

 

「寝ているのかと思ったよ、エリス。準備が出来ているなら、もう出よう」

「……そうですね」

 

 どこかぼうっとした目で答えたエリスが、片手をルドウイークに差し出した。彼はそれを取って、彼女を引いて歩き出す。部屋から出て行く。ナメクジは置いて行かれる。彼女はそれを許せなくて、我慢も出来なかった。

 

(待って。そこにいるべきは違う。私。ルドウイーク、どうして。待ってってば…………)

 

 

 

「――――待ってくださいよぉ!!!!!」

 

 

 

 叫んだエリスはベッドから身を起こして、荒い息を吐きながら自分の手を見つめた。

 

「う゛っ……」

 

 彼女は寝起きの自身を苛む頭痛に顔を(しか)めて片手で額を抑え、ぴちゃぴちゃと脳裏に響く水の音を振り払う様にぎこちなく笑った。

 

「夢、夢……ははっ、ははは………………」

 

 乾いた笑いを(こぼ)し、エリスは安堵と共に『よかった』と溜息を吐く。

 

 酷い夢だった。日付表に視線をやれば、徴がついている日は【神会(デナトゥス)】の後、まだ数日先だ。彼に手を引かれるべきは、自分なのだ。

 

 人知れず、頭痛を(こら)えながら口元を歪めたエリス。しかし、その耳に勢い良く階段を駆け上がってくる音が聞こえてくると、彼女は一呼吸して表情を普段通りのものに戻した。間髪入れず、足音の主が彼女の部屋のドアを突き破らん勢いで押し開き、焦りに満ちた顔で叫ぶ。

 

「どうしたエリス神!? 何があった!?」

 

 部屋のドアを開け放ったまま肩で息をしてこちらを見つめてくるルドウイーク。外套も、装備も身に着けていない最近ようやく見慣れて来た日常の姿。それを見てどうにも安堵したエリスは、頭痛に(さいな)まれている事など微塵(みじん)も感じさせないような素振りで何でもないかのように笑った。

 

「あ、いえ、あはは……寝言です、寝言。たまにあるんですよねぇ、ビックリする夢見たりとか……」

「…………勘弁してくれ。心臓に悪い」

「はは……すいません」

 

 呆れたように安堵して溜息を吐くルドウイークに苦笑いを返して、エリスはまたベッドに背を預ける。それを見た彼は少し疲れたように眉間を揉み(ほぐ)し、それから一つ思い出したように口を開いた。

 

「まったく…………ああそうだ、これから私は【ギルド】に用事があるから、少し外に出るよ」

「えっ? また何かあったんですか?」

「あったと言うか、終わって無かったというべきだな。ミノタウロスの分布再調査が昨日まであったろう? その結果の事情聴取だ」

 

 頭痛に苛まれているかのように、自身の側頭部を抑えながらルドウイークは言った。実際、彼は三日前のミノタウロス騒動からベルとリリを連れて帰還して以来、余り休息を取れてはいない。

 

 あの日、ダンジョンから帰還したルドウイークはまずベルとリリを摩天楼(バベル)に常駐している【治療師(ヒーラー)】達に任せ、すぐにギルドへと向かいミノタウルスの撃破、そして7階層に出現した未知の怪物についての情報を報告した。

 するとギルドは彼によってもたらされた情報に再び修羅場と化し、ルドウイークもまた当事者の一人として夜遅くまで拘束され、あの仮面の女冒険者の名前を聞く余裕も無く這う這うの体で本拠(ホーム)へと戻る事になったのだ。

 

 次の日には、ギルドの主導でミノタウロスの分布再調査が行われた。一月前の騒動はロキ・ファミリアの期間中に起きた事故と言う扱いであり、経緯もはっきりしていたためにほぼ沈静化していたが、またしても上層にミノタウロスが現れた上理由も定かではないとなってはかの雄牛に太刀打ちできぬレベル1の冒険者達にとっては一笑に付すなど到底出来ない事態であり、彼らからの猛抗議がある事を見越したギルドは早目に先手を打ったのだ。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の人員を借り受けて行われた調査であったため、ルドウイークは【月光】について知ると思われる【バンホルト】と対面出来はしないかとの期待もあって初日の調査に同行したが、彼は別件の対処の為に調査隊には組み込まれてはおらず、ルドウイークも割り切って調査の方に集中した。

 

 結果として、ミノタウロスの痕跡は見つからなかった。だが、ギルドは念のためしばらくの間レベル2以上の上級冒険者を含まないパーティの9層以下への立ち入りを制限する発表を行い、定期的に上級冒険者に巡回の【冒険者依頼(クエスト)】を提示する事としている。

 

 そのまた次の日は、ルドウイークらが遭遇した未確認のモンスターについての聴取が主となった。実際、証言から判明した事は外見とその戦闘能力位であったものの、朝から夕方まで聴取に当たったニールセンはひとまずそれで良しとし、今後はギルドからまた新たに注意情報が冒険者達へと開示される運びになるとの事だった。

 

「…………大変ですねぇ」

 

 ルドウイークの説明に、ベッドから身を起こして話を聞いていたエリスは他人事のように言う。実際、神である彼女としては『ギルドは頑張ってるなぁ』くらいの気持ちであるのだが、ルドウイークは彼女の言葉を好意的に受け止めて同意するように肩を(すく)めた。

 

「全くだよ。私はともかく、ニールセンも日に日に顔色が悪くなっていてな……少々心配だよ」

「えっ、あの仕事が恋人のニールセンがですか?」

「ああ。この所は随分と立て込んでいるようだからな…………それで今日は、何か差し入れでも持っていこうと考えてはいる」

 

 彼の言葉に、エリスはしばらく考え込む仕草を見せる。彼女の頭の中で、今までニールセンに手痛い扱いを受けた記憶が凄まじい速度で想起された。

 昔雑な申請をした事で説教された事、【鴉の止り木】にやってきた彼女に嫌がらせかのように注文を繰り返された事、ルドウイークを初めてギルドに連れて行った時、嫌な形で恩を売られた事…………。

 

 彼女はその記憶によって極めて神らしいひねくれた根性を発揮し弱ったニールセンを一目見ておきたいと考えると、自身の返答を待っていたルドウイークに向けて出来るだけ自然に見えるような建前を素早く思案して、提案した。

 

「それじゃあ、私もギルドについていきます! ニールセンにはいつもお世話になってますし!!」

「そうかね? 私は構わないが……」

「差し入れにも心当たりあります! いいお店知ってるんですよ!」

「成程。確かに、それについては付き合いの長い貴女に頼んだ方が良さそうだ」

「ですよね! じゃあ、着替えるんで下で待っててください! すぐ行きますので!」

「了解。では、私も下で準備しているよ」

 

 まるで気遣うようなフリをしたエリスの迫真の演技に、そういう素質の無いルドウイークはあっさり騙されて部屋を後にした。ちょろいな、とエリスはあくどい笑みを浮かべると、部屋の壁にかかっている日程表に目をやった。

 

 記されたメモが示すのは、今日は【神会(デナトゥス)】の当日と言う事実。この(もよお)しによって、ルドウイークの【二つ名】がついに決定される。随分と長かったな、などと彼女は思うが、同時にある程度の安心感があった。

 

 今日の神会ではあるが、司会進行を担当するのは【ロキ】だ。彼女とはもう打ち合わせを済ませており、如何なる名前となるかはいくつかの候補が彼女から挙げられ、そこから一つを選択済みだ。既に、『ルドウイークに地味で無難な二つ名を与える』エリスの作戦は、ほぼ成功していると言っていいだろう。

 

 その開催自体は昼から。遅刻が許されない訳では無いが、遅れればまず間違いなく笑われる。本当に神々は性格が悪いだなどと、エリスは自分を棚に上げて忌々しく思った。

 

 しかし、今からギルドに行けば弱ったニールセンを堪能(たんのう)してからでもギリギリ間に合う。故に、エリスはにたりと口元を歪めてこの後の展開に期待を込めて笑うと、気持ちを切り替えて、早々に準備を終えるべくまずは普段からかけている度の入っていない眼鏡を取ろうとした。

 

 ぐじゅり。

 

 その手は眼鏡の蔓の硬い感触ではなく、ぬるりとした、冷え冷えとした柔らかい感触を感じ取った。

 

「え?」

 

 エリスは反射的にそちらへと目をやり、そして硬直する。

 

 そこにいたのは、ナメクジだった。眼鏡の隣で丸まって眠っていた<精霊(ナメクジ)>の脇腹に眼鏡を摘み取ろうとした自身の指が突き刺さっている。ナメクジはうっとおしそうに頭を持ち上げて、エリスを睨みつけた。

 

 エリスは、しばらくショックで硬直していた。脳内では先ほどの嫌な音と指から伝わる感触を只管に反復している。そして彼女は、硬直したまま指を戻して己の掌をまじまじと見つめた。広げられた指の間に糸を引く、ナメクジの粘液。それを認識した瞬間、彼女の表情は目まぐるしく変化して――――

 

「いゃああああああああ――――っ!!!!!」

 

 ――――エリスは盛大に情けない悲鳴を上げ、そのせいでルドウイークは階段を降りきった所でとんぼ返りする羽目になるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「うげーっ……なんか、なんか指先がまだべとつくんですけど……」

「それはあるまい。何せ、私をあれだけ井戸まで走らせたのだからな」

「いやだって! 落ちないあのベトベトが悪いんですよ!! あーまだヌルヌルするし……ニールセンの顔拝みに行く時間もないし……最悪だ…………」

「彼女への土産を買ったら、すぐにでも摩天楼(バベル)に向かうべきだ。それでも間に合うかは怪しいが」

「分かってますよ……」

 

 沈んだ表情でぶつぶつと呟くエリスと共に、ルドウイークは一路ギルドへの道を歩んでいた。かのミノタウロス騒動から三日が経過しているが、街の様子は妙に行き交う馬車を除いて特に変わったようには見えない。

 

 それも当然だ。オラリオには数多の冒険者が住んではいるが、それ以外の俗に市民と一括りにされる非戦闘員たちも居住している。このオラリオの名産品である魔石製品を加工する職人達や、冒険者達を相手にする商いを行う者達。当然、その他の職についている者達や【ダイダロス通り】のような貧民街に住む者たちも居る。

 

 ダンジョンに潜る事の無い彼らにとっては、当事者である冒険者らほど深刻に考える事では無いのだろう。むしろ、この騒動で最も浮足立っているのはやはりレベル1の下級冒険者達だ。

 

 ルドウイークはヤーナムで生きている間、自立した以降金に困窮(こんきゅう)する事は無かったが、このオラリオに来て金と言う物の重みをそれなりに味わった自覚がある。だが、彼自身に十分過ぎるほどの力があったから良かったものの、もしも無力な冒険者であればどうなっていたか。

 

 それこそ、身を()()()ていたに違いない。

 

 嘗て、市井に紛れ<獣の病>の兆候を探った友の姿を思い出しながら、ルドウイークは少し悲しげに笑みを浮かべた。必要に迫られて得た狩人としての力、あの頃から培ってきた物で、今こうして何とか身を繋いでいる。

 

 巡り合わせとは分からぬものだと、彼は何となしに空を見上げた。今日も雲が早い。こうしている間にも、世界は回っているのだろう。ルドウイークはこの平穏が崩れ去る事が無いように小さく願い、隣を歩く恩神に一度目をやって、未だに自身の指先を気にする彼女の姿に小さく笑いを零した後、すぐに別の思案に戻っていく。

 

 彼が今気になっている事は、いくつかあった、特に案じているのは、先日ミノタウロスと戦い満身創痍となりながらもそれを打ち破って見せたベル・クラネル。何故彼はレベル1でありながらミノタウロスを打ち破れたのか。ルドウイークは少し思案した。

 

 ……クラネル少年の努力が、ミノタウロスを上回ったのだろうな。

 

 それがどれだけの偉業かも知らず、オラリオにおけるレベル差によって生まれる絶対的な差にも疎いルドウイークはすぐに結論付けて思考を打ち切った。彼にとって、それよりもずっと気になる事が脳裏に浮かんだからである。ルドウイークは隣を歩くエリスの顔色をちらと伺うと、今なら問題ないと判断して一つの質問を投げた。

 

「そう言えば、エリス神」

「何ですか?」

「今日は……まぁ、向こうも分かっているだろうが、ちゃんと【止り木】には連絡を入れてあるのかね?」

 

 ルドウイークはそう、訝し気な表情を浮かべながらに尋ねた。以前も別の用事(ロキとの対談)にかまけて連絡を(おこた)り、結果として(【黒い鳥】がサボったせいではあるが)自身まで働かされる事になった経験が彼を危惧させたのだ。しかし、エリスはそれをルドウイークに侮られたのだと解釈し、少々苛立ちながら腕を組んで彼の前に立ち塞がった。

 

「何ですかその私がそう言う事忘れるうっかりさんみたいな言い方は……昨日貴方が家に居ない時にマギーが来て、その時にちゃんと話してありますよっ!!」

「……ならいいんだが」

「全く不敬な……あ、そうだ。あの店なんですけど、一ついいですか?」

「何かね?」

「実はですね、あの店またしばらく休業するらしいんですよ」

「……またか? 大丈夫なのかね?」

 

 ルドウイークは本気で心配そうな表情を浮かべ、エリスの眼をじっと見つめる。前回の休業の際にはルドウイーク自身の18層への挑戦、そしてリヴィラで起きた一連の騒動が絡んだとはいえ、彼女は収入を失った事により目も当てられない精神状態に陥った過去がある以上、その心配は(もっと)もな物だ。

 

 しかし、心配無用とエリスは胸を張って笑う。その胸は標準的であった。

 

「今回はだいじょぶです。補填のお金もちゃんと貰いましたし」

「問題が無いなら良いのだが。休業の間どうするかは決めてあるのかね?」

「やっぱここは一つ、ぐうたらします! いやだって、仕事忙しかったですし? 疲れてますしぃ? お金貰えて休みなら、する事は他にありませんもんねえ!」

「……………………」

「何ですかその目は」

 

 ぽかんとした、呆れ果てた顔で自身を見るルドウイークにエリスが眉間に皺を寄せて睨みを利かせると、彼はごまかすように視線を逸らしてそのまま彼女の脇を通り過ぎた。エリスは慌てて、その後を追う。

 

「ちょっと! 何とか言ったらどうですか!?」

「いや。無駄遣いだけは気を付けてくれよ。それ程の金銭的余裕は我々には無い」

「言われなくても解って……あっ、馬車来ますよルドウイーク! どきましょう!」

「ああ」

 

 道を行く人々に混じってエリスとルドウイークも脇に退いてからすぐ、ドワーフの御者が駆る四頭立ての、大層豪華な馬車が通りを厳かに通過して行った。その後姿を見送った人々が再び歩き出す中で、ルドウイークは馬車の向かった方向――――オラリオの中央に聳えたつ摩天楼(バベル)の威容を眺めながらに不思議そうに呟いた。

 

「今日は随分と馬車が多いな。普段運航しているものとも、また違うようだが」

「そりゃ、今日は神会(デナトゥス)ですからね」

 

 エリスはどこか得意そうに、疑問を呈したルドウイークに笑いかける。そして、聞かれても居ないのに自慢げな顔で先ほどの馬車についての説明を始めた。

 

「アレはまぁ、オラリオのどこかに本拠(ホーム)を構える神の自家用でしょうね。フツーの神様ってそんな歩きたがるのっていませんし、いちいち歩いて神会に向かうのはよほど摩天楼(バベル)の傍に住んでる神か……」

「我々の様に金銭的余裕の無いファミリアの主神ぐらいと言う事か」

「…………まあそうなんですけど、言葉にされるとグサッと! こうグサッと来ますね」

「すまん」

 

 自身の無遠慮な返答がエリスの精神にダメージを与えたと彼女の言葉から理解して、ルドウイークは大真面目に頭を下げる。それを見て、エリスは自身の嗜虐心(しぎゃくしん)が満たされ背筋にぞくりとしたものが走るのを感じたが、そんな事などおくびにも出さず、苦笑いしながら彼を励まそうとした。

 

「そうお気になさらず! ルドウイークは実際良くやってくれてますよ。これから節約したり仕事したり頑張って……あっ! ちょっとおはぎ買ってきます!」

 

 しかし、彼女は最初ルドウイークの事を励まそうとはしたものの、路地から出て来た『おはぎ』『おいしい』と共用語(コイネー)で書かれた旗を背負った男と(かご)を背負った少年を見つけるとそちらに向け身を(ひるがえ)し走りだそうとした。一方、ルドウイークは先ほどの節約発言の舌の根も乾かぬうちに真逆の行動を取ろうとした彼女に驚き、引き留めようと声を上げる。

 

「いやいや待てエリス神、今言った事とやっている事が違うぞ!?」

「違いませんって! これはニールセンへのお土産ですよ、そういう話だったじゃないですか! まったく、ルドウイークもうっかりさんですねぇ」

「………………なら、いいのだが」

「あっそうだ、良ければルドウイークも食べます? 多く買うとその分お得ですし」

「折角だが遠慮しよう」

「えーっ、おいしいのに……まぁ行ってきますから、そこで待っててくださいね!」

 

 そう言い残し、彼女は軽い足取りでおはぎ売りの元へと駆けて行ってしまった。ルドウイークは溜息を吐き、道の脇に寄りながら談笑するエリスとおはぎ売りの姿を眺めている。

 楽しげに笑い、かと思えばおはぎの値段と自身の財布の中身を天秤(てんびん)にかけて神妙な顔で唸りを上げるエリス。対して表情を変えぬ、若さと老いが同居したような左義手の男と、まるで神めいて(しつら)えられたかような、一見少女とも見まごうような美しさを持つ小柄な少年の二人組。

 

 彼らにも、ここに来た経緯やら、目的やらがあるのだろうな。

 

 どこか、今まで切り抜けてきた困難の重みを感じさせる二人組に何か得も言われぬものを感じてルドウイークは目を細めていた。そうしている内にエリスは買い物を終えた様で、小さい物と大きい物、二つの袋を持ってルドウイークの元へと戻ってくる。そして大きい袋を彼に手渡し、自分は小さい袋の中に手を突っ込んで、そこから一つの包みを取り出してルドウイークに差し出した。

 

「はいルドウイーク! これ、貴方の分です。どうぞ!」

「……遠慮したはずだが?」

「一度食べてみればわかりますって! では私はこのまま摩天楼(バベル)に行きますのでニールセンによろしく言っといてください! それじゃ!」

「……ああ。二つ名とやらの件、よろしく頼む」

「お任せあれ! ではでは!」

 

 エリスはルドウイークがおはぎを受け取ったのを確認すると、そのまま中央広場(セントラルパーク)方面、摩天楼(バベル)に向けて駆け出し、一度そこで足を止めて彼に手を振ると、再び駆け出してすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。

 

 残されたルドウイークは手にしたおはぎを困り顔で見つめると、まだその場を離れていないおはぎ屋の二人に視線を戻した。彼らは既に別の客――――髪の長い少女と画材道具を背負った赤装束の老人に対応しているようだった。

 少年と少女が楽しげに、しかしどこか照れくさそうに言葉を交わし、和やかな雰囲気を滲ませているのに対して、左義手の男と赤装束の老人は何か互いに思う所があったのか、厳めしい顔で視線をぶつけ合っている。

 

 それを見てルドウイークはなんとなく微笑ましいような気持ちになった後、エリスから渡された包みを開き中のおはぎに(かじ)りつき、複雑な表情を浮かべて飲み込んでから、手に持ったそれに目をやった。

 

「…………やはり、良く分からんな」

 

 小さく、誰にともなく呟いておはぎを平らげたルドウイークは、包み紙を外套の雑嚢の一つに突っ込むと、ギルドを目指し人混みの間をすり抜けて歩き始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【摩天楼(バベル)】、地上三十階。壁を取り払われ、一部屋一フロアとされたこの階層。ガラス張りになった壁から差し込む陽光に照らされる室内には、今三十を超す数の神々が集い、三月(みつき)に一度の【神会(デナトゥス)】が始まるまでの時間を自由に過ごしていた。

 

 初めは、安定した生活を手に入れ暇を持て余した神々の寄り合い所帯、同郷の者の集まりであったこの催しは、時代を経るにつれて神々が一所(ひとところ)に集まると言う性質から情報の共有や幾つかの取引、今となってはギルドと連携した冒険者の『二つ名』の決定などを行うようになり、下界(した)(まつりごと)を子供たちに丸投げしている神々には珍しく実際にオラリオの都市運営に対して一定の発言力を持つ場となったのだ。

 

 この場にいるのは、いずれもオラリオにおいて有力な神々――――【神の恩恵(ファルナ)】を受けた中でも、偉業を成して自らの器を昇華させ、【ランクアップ】するに至った実力者を要するファミリアの主神である。だがその中でも、それぞれの神々の立ち振る舞いには差異がある。有力な冒険者を多く抱える大ファミリアの主神などは我が家にでも居るかのようにリラックスしているが、この会への参加経験が少ない、あるいは初めての神などは他の神に侮られぬように必死であり、既に席について肩肘を張り、緊張の色を隠せぬ者もいる。

 

 それも仕方のない事だ。まだ確固たる勢力を持たぬ神々にとっては、この場は既に大きな力を振るうに足る先達の神達との邂逅(かいこう)の場でもあり、下手をすれば大ファミリアを率いる実力者に睨まれ、勝ち目のないファミリア間抗争――――【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】を仕掛けられる事にもなりかねない。

 

 実際にそれ程の事態に至った事は滅多に無い。だが、無かった訳では無い。故に、緊張する者が居るのも当然の事なのだ。

 

 

 

 …………しかし、まだ開会の時間には至っていない今は、一部の緊張した神を除き、嘗て神会(デナトゥス)が始まった頃の様にそれぞれの神が近しい者同士で寄り集まり、奔放に雑談を行うばかりであった。

 

「今回は去年のどの神会(デナトゥス)よりも【ランクアップ】した子が多いんだって?」

「豊作じゃん。なんかあったか?」

「うるせ~、しらね~。でも最近ロクな事ねえからな。ミノタウロス騒動とか」

「マジでなー、俺んとこもレベル1の眷族(子供)たちがビビっちゃってまいったぜ。でも【ギルド】が七転八倒してんのは超ウケるけど! ザマを見ろって感じ!」

「完全に同意。あそこはいつもあーだこーだうっせんだよ」

「なー」

 

「……そういえば【ガネーシャ】、あの【ローディー】が復帰したって本当なの? 団長を【シャクティ】に引き継いでから割と経ってたでしょ」

「初耳っすなあ。ガネーシャ、マジなん?」

「俺がガネーシャだが、事実だ! 今後は相談役としてウチの運営に関わってもらうつもりだが、本人は現場復帰を希望している! 俺もその意志を汲みたいと思っている所だ!」

「また凄いのが戻ってきたわね。ウチの幹部連中にも気合入れ直すよう言っとかなきゃ!」

「程々にしとけな、【アテナ】よぉ」

 

「【フレイヤ】、自分今回はランクアップした子おらんかったやろ。なんで来とるん?」

「それを言ったら、【ヘファイストス】なんかもそうでしょ【ロキ】。まぁ、半分は暇つぶしね。あんまり自室にこもっていても健康にも美容にも悪いから」

「ふーん。ま、別に構へんけど……何やおかしな事考えてへんやろな?」

「おかしな事? そうねえ………………レベルを上げた中に、可愛い子でも居ればいいのだけれど」

「自分、そういうんはホンマに程々にしとき。ギルドにも随分睨まれてるやろ」

「あらロキ、心配してくれてるの?」

「そう言うんやないんやけどな……」

 

「…………で。【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】が前【箱舟】で密会してたってマジなの?」

「見ちゃったのです。こそこそ店に入って、しばらくしてウキウキ気分で店から出て来る【黒い鳥】と時間を置いて店から出る【猛者(おうじゃ)】を目撃したのです。めちゃ怪しいのです」

「あー、つまり、こう言う事かな。【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】がデキてるって?」

「いや【黒い鳥】の本命はどう考えても【青木蓮(ブルー・マグノリア)】だろ。何で【猛者(おうじゃ)】とそうなるんだよ」

「いーじゃん別に。それよりさ、【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】、どっちが右でどっちが左?」

「前後の左右の話は抗争になるからやめようよ」

「でも気になるですね」

「いやいや、ウチの情報によれば【黒い鳥】は【ゴブニュ】に所属してる【エド】って奴のとこに通い詰めてるらしいよ」

「じゃあ何? 恋の三角関係? やば、やば、わかんないね……」

「いやだから【黒い鳥】の本命は――――」

 

 

 それぞれのファミリアの近況やらゴシップやらで各々好き勝手に盛り上がる神々達。そこにまた一柱、新たなる神が入場して来た。幾柱かの神はちらとそちらを確認したが、すぐに興味を失ったように話へと戻ってゆく。しかし神会に参加して長い幾つかの神は、久方ぶりにこの場に現れたその女神に驚いたような視線を向け、そんな彼女に視線を向けていた神の内、一柱の男神が悠々と彼女に近づいて挨拶をした。

 

「やあ、エリス。久しいな。君が【神会】に顔を出すのはいつぶりだ? 同郷の神として、元気そうで安心したよ」

 

 若々しい美貌を(たた)え、世の女性たちが放っておかないであろう爽やかな笑みを浮かべたその男神は、友人に対するようにどこか不機嫌そうな女神に話を振る。対して、それを目を細めて聞いていたエリスは、しばらく何と答えるべきかを思案し……その内、まるで喜ばしいかのようなフリをして彼の言葉に応じる事にした。

 

「おっと、これはこれは懐かしい顔! どーも、お久しぶりですねえ【バッカス】! 元気してましたか【バッカス】!? 最近どうですか【バッカス】!!!」

「ああ、最近はファミリア内の空気があまり良くなくて……じゃない! 俺は【ディオニュソス】だ!! ワザとやってるだろうエリス!?」

 

 満面の笑みで他神(たにん)の名を連呼するエリスに対して、男神――――【ディオニュソス】は、一瞬素直に答えながらもすぐにエリスの失礼に憤慨(ふんがい)したように声を荒げた。しかし、対するエリスは笑顔の仮面を放り捨て、彼以上に苛立ちを露わにして詰め寄り、下から見上げて睨みつける。

 

「はぁ~? 知りませんし?? ロキといい、天界(うえ)で私なんか目じゃない問題神物(じんぶつ)だったのが下界に降りてきて性格変わって真っ当に善神(ぜんにん)やってると思うとなんか納得いかないだけですしぃ???」

「そういう君は相変わらず性格が悪いな! そんなんだから5年近く団員ゼロなんじゃ……」

「それ以上言ったらマジで怒りますよ」

 

 自身の逆鱗に触れる言葉に、エリスは射殺さんばかりの視線で以ってディオニュソスを睨みつけた。それは本当に彼女にとって触れられたくない事だったからだ。かつて団員を失った後、必死に勧誘を行うも全く手応えが無く、孤独に過ごし続けた日々。そんな日々の鬱屈を上乗せしたかのような殺気にディオニュソスは気圧されるように一歩退いて、しどろもどろになりながらも話題を変えようと、努めて明るく笑って見せた。

 

「いや、ハハハ……ああそうだ! 君がここに居るという事は、誰か有望な新入団員が入ったのか? そうでなきゃわざわざ来ないだろ?」

「ん…………ええまぁ、凄い子がファミリアに入ってくれましたので。直ぐ貴方のファミリアなんか追い抜いちゃいますよ」

「そうは言っても、15年前までは君の方が大きいファミリアを率いていたけどな」

「うっさいですね……すぐにまた貴方の所より大きなファミリアに戻しますから!」

「ああ、応援してるよ」

「貴方にだけはされたくないですね! 失礼します!」

 

 理不尽に機嫌を悪くして、エリスは苦笑いを浮かべるディオニュソスを押しのけてフロアの中心に置かれた円卓へと向かう。

 

 が、すぐにエリスは立ち止まった。またしても彼女の前に一柱の神が立ち塞がったからだ。

 

 先程のディオニュソスと違うのは、今度彼女と相対したのは女神であり、大層苛立ちに満ちていて、エリスは完全にその威圧感に委縮していることだろう。その女神は切れ足鋭い隻眼でエリスの顔を凝視すると、熱を持った感情を包み隠す事も無く口を開いた。

 

「久しぶり。よくもまぁのうのうと顔を出せたわね、エリス」

「へ、ヘ、【ヘファイストス】……!!」

 

 燃える炉の如き赤い髪と、右目を覆う眼帯、そして麗神(れいじん)と呼ぶに相応しい、薄手のシャツとスラックスを身に付けた男装の美貌。オラリオ最大の鍛冶ファミリア【ヘファイストス・ファミリア】の主神において、かつてエリスが騒動を起こすのに使った【黄金の果実】の制作者にして代金未払いの相手でもある【ヘファイストス】が、絶対に逃がさぬと言わんばかりの眼光で以って彼女を睨みつけていた。

 

 対するエリスは完全に気圧され、心当たりのありすぎる怒りに満ちた視線を向けてきたヘファイストスに、マギーの怒りを買った時同様思いっきり下手に出て頭を下げた。

 

「あ、えと、あの、おっ、お久しぶりです! ご機嫌いかがですか!?」

「最悪。仕事の代金踏み倒した奴が、こうしてひょっこり顔出してるんだから」

「ひぃっ!?」

 

 しかし彼女の姑息な努力も虚しく、ヘファイストスからの敵意ある視線が途絶える事は無い。エリスも聡明な頭脳で以ってその理由をはっきりと理解している。本神(ほんにん)が口にするとおり、数百万ヴァリスは下らない工芸品、黄金の果実の代金の未払い…………だけでは無い。

 

 エリスは彼女のファミリアの金銭面が数百万ヴァリスの金など程度大したものではないと言えるほどに潤沢である事を知っていたが、彼女は意外と金銭にこだわるタイプの神だ。職人の神として、制作物に対する正当なる対価には非常に重きを置くというのも知っていた。

 

 だがそれと同じくらい、彼女は神と神の間で交わした約束が破られ、それについて今まで一つの謝罪も無かったことにこそ怒っているのだ。確かにエリスは十年以上苦難の道を歩んできたが、彼女に頭を下げに行く時間が無かったかと問われれば答えは否であり、故に臆病なるエリスは彼女を避けて来た。

 

 しかし、事ここに至っては逃げも隠れも出来ぬ。追いつめられたエリスは、マギーを相手にそうなった時同様に一つの強硬策に打って出た。

 

「え、えっと……すみませんでした!!!!」

 

 平謝りである。それを見てヘファイストスはその端正な顔を歪めて訝しむ。その胸は豊満であったが、エリスは彼女の様子を確認する余裕も無く、ただただ弁明と謝罪を繰り返した。

 

「本当にごめんなさい! 当時は、ホントに突然お金が無くなって、ホントにどうしようもなかったんです!!! でもですね、今ようやく生活も安定し始めて、少しずつだけど余裕ができ始めてるんです! こうして神会(デナトゥス)に顔出したのだって、ヘファイストスにようやく顔見せられるくらいには戻ったかなと思ったからなんですよ!!!」

「本当なの、それ?」

「本当です!!!」

 

 嘘である。今回エリスがこの場に現れたのは、あくまでルドウイークの二つ名に対する干渉が目的だ。しかし、彼女は十年ほどの苦難の日々を経て、他人の機嫌を伺う洞察力やそれっぽく聞こえる言葉のチョイス、何よりも効果的な謝り方と言った処世術を身に付けて来た。

 

 神は人の嘘を見抜けても、神の嘘は見抜けない。実際に必死なのは間違いなく、謝罪自体には演技も無いと言うのが、オラリオ最高峰の鍛冶ファミリアを率い数多の交渉を経験してきたヘファイストスの眼を誤魔化そうとする。それに、エリスには知る由も無いことであったが、先日彼女の神友(しんゆう)とも言える竈の女神(ヘスティア)が、自身の眷属の為に彼女に頭を下げ続けた姿と良く似ていたのも功を奏した。

 

 しばらくエリスが捲し立てていれば、ヘファイストスは呆れ果てたように溜息を吐き、しかし今までエリスに向けていた剣呑な視線を引っ込めて頭を下げたままの彼女の肩を叩いた。

 

「……もういいわ。大体わかったから。あんたの苦労が他神(ひと)の要請に応じて戦力を貸し出した所から始まってるって知ってるし、それで問い詰めるほど私も趣味悪くないわ」

「えっ……そ、それじゃあ!」

「でも代金は払ってもらうし、今まで謝罪を先延ばしにしてきた事への誠意。それは見せてもらうから」

「えっ」

 

 諦めたようなヘファイストスの言葉に一瞬希望を見出しかけたエリスであったが、後に続いた彼女の決断的判断にサッと顔を青褪めさせる。ヘファイストスはそれをあえて無視して、端的に自身の要求を口にした。

 

「じゃあそうね…………あんたも働いてもらいましょうか、ウチで」

「え。働くって……貴女の所で?」

「そうよ。同郷のよしみもあるし、ちゃんと目の届く所に置いてあげるべきかと思って」

「いや、私他にも仕事があって、そっちでめちゃ忙しいんですけど…………」

「【ゴブニュ】から聞いたわよ。あのお店(【鴉の止り木】)、しばらく休みで再開する日も決まって無いそうじゃない」

「ぐはぁっ!?」

 

 【止り木】が休業中の間、悠々自適な時間を過ごそうと目論むエリスにとってヘファイストスの提案の皮を被った宣告は受け入れがたい物だったが、腕を組み、苛立ちを抑え込むかのように言うその言葉には彼女の反論を許す事の無い『圧』があった。

 

「丁度いいでしょ? 貴方は暇な時間で借金の返済が出来るし、私も誠意を見る機会が出来るし」

「あっはい、丁度いいです」

 

 ヘファイストスに言われるままの言葉を繰り返して、エリスは首を縦に振った。

 

 元々、彼女に選択権など無い。万が一ここでヘファイストスの機嫌を損ねでもすれば今後のファミリアの発展に関わる。彼女の眷族(子供)たちが生み出す強力な武器、堅牢なる防具。これからファミリアを発展させて行くにあたって、それらから得られるものは余りにも魅力的なのだ。

 

「決まりね。じゃ、そろそろ始まるから細かい話はまた今度しましょ。家行くから」

「あっはい」

 

 呆然とした顔で頷くばかりのエリスを放り置いてヘファイストスは円卓へと向かい、優雅な所作で席に付いた。エリスは魂を抜かれたような顔のまま、フラフラと歩いて空いている席に向かい、崩れ落ちるように席に付いた。その姿は幾人かの神の失笑を買ったが、それに噛み付くような余裕はエリスには無く、開会時間ギリギリになって会場へと滑り込んできたヘスティアの存在にも気付く事は無かった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 今回の神会(デナトゥス)は、司会進行役を務めたロキの手腕もあって、いつもと変わりなく順調に進行した。

 

 まず始まった恒例の情報(ネタの)交換では、酒神【ソーマ】が全霊をかけて製作している【神酒(ソーマ)】の作成にギルドからストップがかけられた件や、【アレス】が主神を務める【アレス・ファミリア】――――【ラキア王国】の不穏な兆候等が話題に挙げられた。

 それを神々は笑いながら、あるいは神妙な顔で無秩序に処理してゆく。まさに数多の神々が集う渾沌(カオス)の具現であるオラリオの中でも力を持つ神々の姿に相応しい物だっただろう。

 

 そして、それが終われば神々のお楽しみの時間――――【ランクアップ】した冒険者たちに『二つ名』を付ける、あるいは付け直す【命名式】の時間である。

 

 神会(デナトゥス)の常連である力ある神々が楽し気ににたりと笑い、緊張していた力なき神々がたらりと冷や汗を流す。この【命名式】は偉業を成した子供たちに相応しい異名を神が授けるという名目であるのだが、そこには問題点が存在する。

 

 超越存在(デウスデア)たる神達の感覚(センス)は子供たちのそれと同じではない。故に神々にとっては思わず笑ってしまうような酷い名前でも、子供たちにとっては誉れ高い物に感じる場合が多々存在するのだ。そして、意地の悪い神らしい神達は、自分たちによって付けられた『笑える二つ名』を自慢げに名乗る子供たちを見て、大笑いする。

 

 そしてその『名付け』は多くの場合、神会(デナトゥス)に参加して長い力ある神から、まだ経歴の浅い力なき神に対して行われる。言うなれば、新神(しんじん)虐めである。

 

 やめてくれと懇願する相手に対して、手酷い名前を以って返答とし、悶絶し崩れ落ちる姿を見て大笑いする力ある神達。一応、その(むご)さに目を背ける良識的な神達も存在するが、それで止まるような節度ある神など、このオラリオにおいては常に少数派(マイノリティ)だ。

 

 正にこの地上で現在進行形で形作られる、一つの【神話(笑えない話)】の形であった。エリスが今回ロキと交渉してまで手を回したのも、この様な神会(デナトゥス)の実情を知っての事である。最も、エリス本神(ほんにん)は開会の時から背もたれに寄り掛かり呆然自失としていたのだが。

 

「……んじゃ、後三人やな」

 

 ロキがそう呟く頃には、既に殆どの爆笑と喝采と悶絶と苦悶の嵐は過ぎ去り、笑いすぎて喉を枯らした神や、逆に机に突っ伏し動かなくなった神も存在している。しかし、後三人。最後の最後にウケを狙うためのとっておきの酷い名をつけてやろうと画策する神は毎回居る。

 

 しかし、ロキが残り三名分の冒険者に着いて記された羊皮紙の一枚をめくり、そして笑顔で口にしたその名は彼らの思惑を最初から頓挫(とんざ)させるビッグネームであった。

 

「おっと、大トリかと思ったんやけどなー。ほれほれよーく聞いたってや! 今度の冒険者は何を隠そう大本命、うちのアイズたんや!」

 

 【アイズ・ヴァレンシュタイン】。オラリオにその名を知らぬ神の居ない名が告げられると、神々の間からどよめきと、感嘆の声が漏れた。

 

「うお、【剣姫】……マジかよ……!」

「ロキの眷属が美しすぎる件について」

「せやろ!? わかるわ~!」

「おい、ってことは、アイズちゃんもうレベル6か!? まだ二十歳にもなってねえだろ!?」

「当然レベル6の最年少到達記録やな! ホンマにかわいいなウチのアイズたんは……」

「つっても5から6の間で言えば最速じゃあねえだろ?」

「流石の剣姫でも1年近くだっけか?」

「まぁ【黒い鳥】のは永久記録(エターナルレコード)っしょ」

「アイツ絶対頭おかしいよな」

「そこうっさい! ……とりあえず、うちとしては現状維持でええと思うんやけど……なんか意見ある奴おる?」

「ってもなぁ…………」

 

 今まで爆笑しながら二つ名を与えていた側の神々が、ロキの催促に押し黙った。今までのような新参の神々に対するのと同じ態度で現在のオラリオで最強の一角を占めるロキの溺愛する眷族に()()()二つ名を出せばどうなるか、分からぬ彼らでは無い。故に彼らは茶を濁すように、無難な現状維持か賛美するような名前を思案して口にする。

 

「ロキの言う通り、現状維持で良くね?」

「いやそれじゃ面白くねえし……【剣聖】なんてどうよ」

「流石にそれは【烏殺し(レイヴンキラー)】と白黒つけるまでは早くねえか?」

「確かにどっちが剣士として上かってのは興味あるな」

「それは追々として……彼女はやっぱ【神々(俺達)の嫁】だと思うんですけど」

「いっぺん死んどけや自分」

「ゆるして」

 

 その中のどさくさに紛れて不埒な名を付けようとした神は、ロキの殺意に晒されて一瞬で手のひらを返した。それを見たロキは苛立たし気にその神を睨むと、呆れたように溜息を吐きながら残り二枚となった羊皮紙に手を伸ばした。

 

「ったく、相手は見て喧嘩売れっちゅーに。んじゃ次やなっと……ん、懐かしいとこやん。エリスんとこの……【ルドウイーク】」

 

 その名を聞いた古参の神々は、久々に神会(デナトゥス)に顔を出した争いと不和の女神の席に目を向けた。しかし、そこにいるのは肩書きとは裏腹に威厳も何も無い、呆然とした顔の女神。幾つかの席から隠し切れぬ笑い声がこぼれるが、それを遮るように、苛立たし気にロキが声を荒げた。

 

「おい、エリス! 自分の番やで! 寝とんのか!? 起きぃや!」

「えっ!? あっ!? はい!!」

 

 ロキに怒鳴られ跳ね起きて、エリスはようやくルドウイークの名付けの番が来たことに気づいた。そして、今自分がするべき事も。

 

「ど、どーも、お久しぶりで……お手柔らかにお願いします……アハハ……」

 

 彼女は苦笑いしながら、周囲の神々に視線を巡らせ、次いで手元の羊皮紙に対して目をやる。参加者全員に配られていた、命名対象の冒険者に関する情報の記された物だ。そこにルドウイークの情報はギルドの画家による似顔絵と、断片的な事しか記されていない。

 

 身長、装備、服装。この辺りは大丈夫。だったら、目を付けられそうなのはこの【ラキア】出身ってとこですかね……。

 

 エリスが羊皮紙に視線を走らせながらにそう思案していると、一人の神が何かを思いついたように素早く手を挙げた。

 

「ほいそこ! 何や!?」

「デカい剣背負ってるし、【超絶聖剣士(ウルトラホーリーブレードナイト)】ってのはどう?」

「は???」

 

 反射的に顔を上げたエリスは激怒した。必ず、邪知暴虐たるこの名を付けようとした神に()()()()()やらねばならぬと決意した。しかしその殺気を察してか、十五年前以前のエリスの経歴を知っていたその神は意見を素早く撤回し、他の神に意見を求めた。

 

「あ、やっぱ俺はいいや。なんか他にある?」

「じゃあさ! 【†聖剣王†(ホーリーブレードマスター)】なんてどう?」

「はいはいです。剣二本背負ってますし、【双聖剣士(ツインホーリーブレーダー)】なんてぴったりだと思うのです」

「あの、何で『聖剣』って皆付けたがるんですか?」

「いや何となく……」

「そんな感じがするのです」

「えぇ……?」

 

 次々挙げられた名前に何故か『聖剣』というフレーズが共通している事に驚きを隠せずエリスは問うが、帰ってきたのは要領の得ない曖昧な答えばかりだった。

 エリスは一瞬、これもあの得体の知れぬ<月光の聖剣>の影響なのかと訝しんだが……一先(ひとま)ずこの場を切り抜ける事を優先して、ちらとロキに視線で合図を送る。ロキはそれに素早く応じて、かねてより予定していた『無難な二つ名』を自然な流れで口にした。

 

「あー、そろそろ時間も押しとるし、うちか付けたってええか? 【白装束(ホワイトコート)】でええやろ。なんか白い服着とるし。どや?」

「んー……まぁ……」

「アンタ程の神がそう言うのなら……」

 

 普段の神会(デナトゥス)よりも命名を受けるべき人数が多かったことが今回時間のかかっている理由なのだが、先ほどの【剣姫】の時同様に、ロキの意見を覆そうとする神は一柱として出てくる事は無かった。それを確認し、エリスにちらと視線を向けて彼女が頷くのを目にして、ロキは我が意を得たりと笑顔で皆に宣言した。

 

「そんじゃ決まりやな! 今日からこいつは【白装束(ホワイトコート)】のルドウイークや!」

 

 おー、とか残念、とか、折角の()()を逃してしまった神々から小さな怨嗟(えんさ)の声が上がった。エリスもかつてはそれなり以上の勢力を率いていたとはいえ、十年以上もの間表舞台から退いていたことで彼女を恐れる神はほとんどいなくなっていたのだ。

 

 本来の彼女であればそれに目くじらを立てる所だが、今は、無事に真っ当な名前を勝ち取った事への安心感の方が強く、エリスは肩の力を抜いて溜息を吐く。そうしていると、ロキが手元に残った最後の羊皮紙をめくって、目を丸くした。

 

「最後の一人はだーれや、っと……んん?」

 

 彼女は一度、見間違いを疑うかのように眼をこすり、覗き込むようにして羊皮紙を自分の顔に近づけてまじまじと見つめた。周囲の神々の内の幾柱かも同様である。何度かそうして、見間違いが無いことを確認してしまったロキは、信じられぬと言った顔で、羊皮紙に記された名前を口にした。

 

「【ヘスティア・ファミリア】の……【ベル・クラネル】」

「えっ!?」

 

 エリスはその名を聞いて、机に両手を突き思わず立ち上がってロキの顔を見て、そして、驚いたようにこちらを見るヘスティアの存在に今更になって気づき…………そして、驚愕に満ちた声を上げた。

 

「えええええええええ――――――ッ!?!?」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 今回の神会(デナトゥス)は、ベル・クラネルの巻き起こした熱狂と混乱の中で幕を閉じ、それによってルドウイークの事など多くの神々の頭蓋の中からはじき出され、結果としてエリスにとっては大きな収穫を得る事となった。

 しかし、彼女は納得が行かぬ。真実では無いとは言え眷族のレベルで差をつけ、ファミリアとしての格も上回ってやったと思っていたヘスティアが、エリス自身が入団を拒否した子供を一月でレベル2にして追いついてきたのだ。

 

 一体如何なる『チート』を使ったのか。それは、あの場に居た神々――――ロキさえも含め――――の疑念であったが、エリスやヘファイストスと言った昔からの知己である神々は最初からその可能性を排除している。

 

 あのヘスティアが、そんなあからさまなルール違反をするはずがない。うっかりからのやらかしならともかく。

 

 ならば。ルドウイークが言っていた、ミノタウロスの単独撃破。これが鍵になったのは間違いないだろう。本来であればレベル1の冒険者に達成出来る事では無い。だが、だからこそ『偉業』なのだ。そして、それに足るだけの力をベルが身に付けた大きな要因はアイズとルドウイークの修行による事は明白であり、それをルドウイークに許したのは…………。

 

「私ですよね…………」

 

 他ならぬ自分である。エリスは酷く大きな溜息を吐いて、既に殆どの神々が退出した摩天楼(バベル)の三十階を後にしようとした。その肩を、誰かが叩いて引き留めた。

 

「何ですか……むぅっ」

 

 首を巡らせて振り返ろうとしたエリスの頬に白魚のように美しい指が突き刺さって、柔らかい彼女の頬をぷにぷにと押し返す。そこにいたのは、光輝く銀色の長髪を持ち、絶妙な露出度のドレスを着た余りにも美しい女神。エリスはその絶対的な美貌と、彼女の持つオラリオでの勢力の二つに気圧されて、思わず後ずさりながらその名を口にした。

 

「な、フ、【フレイヤ】……!」

「久しぶり、エリス。元気だった?」

「い、一体何の用ですか!?」

「久々に会った友神(ゆうじん)に挨拶しようと思っただけだけど。良くなかったかしら?」

「いや、うーん、別に悪くは、ないですけど……」

「良かった」

 

 安堵したようにフレイヤは胸を撫で降ろす。その胸は豊満であり、同じ女神であるエリスさえも見とれてしまいそうな黄金比の曲線を描いていた。

 

「ふふ、何処見てるの?」

「見てませんよ!! 興味全然ありませんし!!!」

 

 その視線を指摘されて喚き散らすエリス。それを、まるで子供の癇癪に付き合う大人のような包容力のある笑みで受け止めたフレイヤ。彼女はしばし、エリスが落ち付くのを待ってから本題を切り出そうと、彼女の様子を見定める為に目を細めた。

 

「ったく……で、オラリオ最強の一角たる美の女神フレイヤ様が、私みたいな日陰者に何の用ですか?」

「そう卑下(ひげ)するものじゃあないわ。貴女も十分に綺麗だもの……それで今日はちょっと、聞きたい事があるのだけれど」

「なんですか?」

「彼――――ルドウイークとは、どこまで行ったの?」

「…………は? 今なんと?」

 

 脈絡(みゃくらく)に欠けたフレイヤの質問にエリスは一瞬唖然として、混乱して、思わずフレイヤの言葉を聞き返した。フレイヤはそれに、何を言っているんだと言わんばかりの堂々とした口調で再び問いをかける。

 

「とぼけないでよ。女神が子供(おとこ)と一つ屋根の下に居るなんて……何も起きないはず無いじゃない? どうなの?」

「何言ってんだこの色ボケ女神……」

「あら。口調がおかしいわよエリス。大丈夫?」

 

 自身の胸中を思わず吐露した事をフレイヤに指摘されると、エリスは一度彼女に背を向け思いっきり信じ呼吸して心を落ち着けた。

 

 自分とルドウイークが……。幾ら女神が噂好きとは言え、流石に邪推しすぎだ。あくまで、あくまで自身とルドウイークは主神と眷族であり、やましい物は何も無い。そう自身に強く言い聞かせながら、エリスはフレイヤの質問に答えるべく彼女の方へと振り向いた。

 

「…………本当に何もありませんよ!! 彼は私にとってファミリアを再興するための駒でしかありません。そんな男と女の関係になんか…………んんッ! ……なる訳無いじゃないですか」

「そう言っておきながら結局ズブズブ肩入れしちゃうのよね、貴女は。ホントそう言う所直した方がいいわよ?」

「うっさい! もう私帰りますよ!?」

「実はもうズブズブになってたりして」

「さよなら!!」

「あ、ちょっと待って。もう一つ聞きたいのだけど、貴女とベルってどう言う関係――――」

「失礼します!!!」

 

 フレイヤの言葉によってついに堪忍袋が爆発し、エリスは呼び留める彼女の声も聞かずに大股で会場を後にしてしまった。フレイヤはそれを見送って、困ったかのように詩人の頬に手を添えて聞き訳の無い子供に困る母親のような顔で小さく笑う。

 

「ちょっと……揶揄(からか)いすぎたわね」

 

 そう独りごちると、フレイヤは自身も上着を着てフードを目深に被り、普段あまり訪れぬ本拠(ホーム)、【戦いの野(フォールクヴァング)】にたまには顔を出そうと思い立って摩天楼(バベル)の出口に向け歩き始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 怒り心頭で摩天楼(バベル)を出たエリスは、そのまま【ダイダロス通り】にある本拠(ホーム)に向け足早に帰路を進んでいた。

 

 今日やるべき事はすべてやった。一度は、ルドウイークの居るであろうギルドに向かうべきかとも考えたが、フレイヤにあのような事を言われた直後では、どうにも意識してしまいそうで顔を出す気分にはなれない。

 

 全く、あのフレイヤは何を考えているのか。あんな頭が切れるくせして何考えてんだかわからない女神がああも勢力を伸ばせたのか。やはり、それもこれも【黒竜】の討伐に失敗しやがった【ゼウス】のせいである。

 

 そんな八つ当たりじみた事を考えながらずんずんと歩いていたエリスであったが、途中でふと懐から一つの封筒を取り出して、中に入った二枚の紙きれをのぞかせてそれを見る。

 

 思い出されるのは昨日、家にやってきたマギーとの会話だ。彼女は【止り木】の休業とそれに関する保証の話を終えると、切り出しづらそうにしながらも持ってきたバッグからこの封筒を取り出したのだ。

 

 

 

『何です、これ?』

 

 尋ねながらエリスがそれを受け取り中身を確認すると、中に収められていたのは二枚の紙きれ。そこには一週間ほど先の日付と、オラリオにある中でも屈指の巨大建造物である闘技場(コロッセオ)、そこに在る席の一つの番号が記されていた。

 

『これ……来週の闘技場の?』

 

 エリスは記された文言(もんごん)を一つ一つ確かめながらに尋ねた。対して、マギーは隠し立てする事も無く、素直に首を縦に振る。

 

『そ、イベントのペアチケット。要らないからあげるわ』

『えっ。マギーこういうの好きそうじゃないですか、どうして?』

『んー、まぁ、前も突然仕事なくなっちゃったしね。個人的な詫びよ。一緒に見に行く相手も居ないし』

『【黒い鳥】とか誘ってみればいいんじゃないですか?』

 

 そうエリスが尋ねると、マギーは一瞬ムッとしたような顔になり、それからくたびれたように溜息を吐いた。

 

『アイツはしばらく不在なのよ…………私が使って一人分の枠無駄にするより、どうせならあなたがルドウイークの(ねぎら)いにでも使ってあげて。その方がよっぽど建設的じゃない?』

 

 それを聞いて、最初は何とも思っていなかったようなエリスであったが、その内突然顔を赤くして立ち上がり、マギーに詰め寄るように身を乗り出して叫んだ。

 

『そ、それってまるで、デッ、デデデ、デートみたいじゃあないですかぁっ!?』

『……あなた達、そう言う関係だったの?』

『いえ全く!!! 違うんです!!! 物の例えなのでして!!!』

『あ、ええ、そう……でも、うん、まぁ、貢献してくれる眷族に何らかの褒美を出すのは、主神としてやるべき事じゃないの? ウチのジジイもやってるし、エリスも昔はそれなりのファミリア持ってたんだから…………そう言う話にも心当たりあるんじゃない?』

『んー、そうですね、えーっと…………』

 

 エリスはそう問われて、思い出すように腕を組んで思案した。かつて自分の元に居た、優秀な眷族達。十五年前に居た優秀な眷族たちにはよく飲み切れない酒なんかをくれてやっていたし、五年前まで居た最後の眷属には、少ないながらも手作りの料理やアクセサリをあげていた。確かに、自分はそう言う事を昔はしていたなと、エリスは懐かしさに目を細めて頷く。

 

『確かに、そんな事してた気がする…………』

『でしょ? ほんと頑張んなさいよ…………あなたのファミリア復興、私応援してるんだから。じゃあね』

『はい…………えっ!?』

 

 どこか気恥ずかしそうに言ったマギーの言葉を一呼吸遅れて飲み込んだエリスは、嬉しさと驚愕のないまぜになったような混乱と共に家を出て行く彼女の背を追いかける。

 

『えっちょっとマギー!? 応援してくれてるんですか!? ちょっと待って!? ここ最近で一番嬉しいんですけど!? 待って! 待ってーっ!!』

 

 

 

 ――――その時に手に入れた、このチケット。ルドウイークにはまだ話を切り出す事も出来ていない。

 

 昨日帰って来た彼が早々に寝室に引っ込んでしまったのもある。だが、あんなろくでもない夢を見てしまったのもあって、エリスは彼が帰ってきたら早々に話を通しておこうと決意した。

 

 彼も暇ではない。むしろ、ファミリアの為と何か【冒険者依頼(クエスト)】を取ってきたりして時間が無くなる可能性もある。早目にしなければ、マギーに顔向けできなくなるだろう。

 エリスは自身の頭脳を駆使して、あらゆる局面と状況、ルドウイークの反応と対応をシミュレーションしながら家に向かって行く。その顔は普段のいざという時に尻込みする臆病者の顔では無く、戦場を前にした戦士のような覚悟に満ちた顔つきである。

 

 そして、数多の思案の末に、彼女は緊張を戦意で抑えつけ、戻ってきたルドウイークにこのチケットを突きつけようと画策するのだった。

 

 

 

 ――――しかし、本人を前に緊張と気恥ずかしさに押しつぶされたエリスがチケットの事をルドウイークに切り出せたのは次の日の朝。リビングでチケットを前に唸っている所を当のルドウイークに見咎められてからであった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

【名前:ルドウイーク】

【Lv:2】

【二つ名:白装束(ホワイトコート)

【所属:エリス・ファミリア】

【種族:人間】

【職業:冒険者】

【到達階層:18階層】

 

【装備】

・大剣

・【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)

・短刀

 

・【ギルド】担当職員より

 

 今年の初めに冒険者として登録された人間(ヒューマン)の剣士だ。オラリオに来る前にはラキアで十年近く兵役に就いていたらしく、それもあってかオラリオに来て早々にレベル2への【ランクアップ】を成し遂げた。一見凄まじい偉業に見えるが、経歴から考えればむしろ遅咲きのスタートと言えるだろう。

 装備は大剣。前衛の近接担当としては珍しく防御では無く回避に偏った戦闘スタイルを取るが、経験の長さからか上層で大きな傷を負う事は無かった。素質もあるようだし、今後有望な冒険者の一人と言える。(ラナ・ニールセン)

 

 

 




全編エリス重点でお送りしました。フロム要素少ないの許して……。
エリスが勝手に動くので難産でした。他の神々との関係とかで割と雁字搦めになる……。

原作にはギリシャの神々が結構いらっしゃるので、その辺で話を広げられると美味しそうですね。

ゲストモンスターの募集はまだやっております。良ければご意見いただければ幸いです。
次はまた幕間かな……。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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28.5:ロキと老神(ろうじん)


幕間、22000字くらいです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。



 

 

 【神会(デナトゥス)】を終えた後、【ロキ】は早々に馬車に乗り込んで自らの本拠(ホーム)、【黄昏の館】がある北大通り(メインストリート)へと向かっていた。

 今回の神会(デナトゥス)で進行役を務めた彼女は此度(こたび)の会を(とどこお)りなく進行させ、情報交換からエリスとの約定の履行(りこう)まで幾つもの議題を処理して見せた。しかし、全てが上手く行ったのが嘘の様にロキは馬車に揺られながら(うつむ)き、様々な思案を並行して重ねている。

 

 今現在、ダンジョン【深層】、59層へと向かっている眷族(子供)達の事。自身の眷属である【アイズ・ヴァレンシュタイン】に対して59層へと向かうよう告げた、謎の【怪人(クリーチャー)】の事。明らかに異常な速度で【ランクアップ】した、【ヘスティア・ファミリア】の【ベル・クラネル】の事。彼の名付けの際助け舟を出した【フレイヤ】の思惑の事などだ。

 

 …………ったくあんのドチビ(ヘスティア)、こんのクソ忙しい時に余計な懸念(けねん)持たせよって……!

 

 彼女が苛立ち混じりに犬猿の仲である(かまど)の女神の姿を想起して歯ぎしりしていると馬車がゆっくりと速度を落として止まり、御者(ぎょしゃ)が箱馬車の扉をノックしてロキに声をかける。

 

「ロキ様、到着しました」

「ん、ご苦労さん」

 

 彼女は御者を労うと【黄昏の館】へと降り立った。遠征中で主力のメンバーが居ない今は人も少なく、普段のにぎやかさが嘘のように閑散(かんさん)としている。それに一抹(いちまつ)の寂しさを感じながらに、彼女は自室へと向かう。

 

 今、ダンジョンの中で大切な眷族達が何をしているのか、彼女に知る手段はない。心配であった。だが、ロキはそんな感情をおくびにも出さず、残った団員たちとすれ違う度に明るく声をかけ、女性団員にセクハラしようとしてひっぱたかれ、笑いながら赤く腫れた頬をさする。それはどこか寂しさを紛らわせようとしているかのようであり、天界(うえ)での彼女を知っている者であれば目を疑う様な姿であった。

 

 そのまましばらく通りすがる者達と言葉を交わしながら歩き続けたロキは、周囲に人の気配が無くなると閉じられているように細められていた目を薄く開き、再び思考の海へと漕ぎ出して行く。

 

 超越存在(デウスデア)の中でも屈指の頭脳を持ち、数多の謀略で以って猛威を振るったトリックスター。それが、天界(うえ)に居た頃の彼女の評価だ。そして、それは良く的を得ている。幾度となく周囲の対立を煽り、戦争一歩手前までもつれ込ませた事もあった。

 下界(した)に降りて長い時を過ごした今では当時のような過激さこそ無くなったものの、高い知性はそのままだ。そして今、その知性を以って思索を重ねるのは現在進行形で迷宮(ダンジョン)深層、59層を目指す団員達の事。

 

 かつて千年間もの間オラリオにおける最強の座に君臨した【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】。その内【ゼウス】らによって残された資料などによって待ち受ける困難の内の幾つかを知る事が出来てはいた。しかし、それまでの道程も決して平坦ではない。

 

 25層から27層に連なる大瀑布(だいばくふ)、【巨蒼の滝(グレートフォール)】。冒険者の如く『技』に秀でたモンスターが多数出現し多層構造を内包する37層、【白宮殿(ホワイトパレス)】。以前の遠征で新種のモンスターと遭遇し、撤退を余儀なくされた50、51階層。そして、竜種のモンスターが(ひし)めき、階層を(また)いだ攻撃を行う【ヴァルガング・ドラゴン】が出現する【竜の壺】と渾名された52から58階層。

 

 どれも、精鋭ぞろいのロキ・ファミリアの面々でも油断は絶対に出来ない場所だ。途方も無く困難な旅路となるのは明白である。

 

 だが、運に恵まれた部分もある。

 

 17層の【ゴライアス】、27層の【アンフィス・バエナ】、37層の【ウダイオス】……大部隊を潜らせるにあたって最大の障害となりうる特別強力なモンスター、【迷宮の孤王(モンスターレックス)】。彼らが揃ってごく最近に討伐され、丁度再出現までのタイムリミットまで余裕のあるタイミングで通過できる見込みだと言う事だ。

 

 撃破されてから再出現するまで【ゴライアス】は約二週間の時間が必要になるが、更に下層の【アンフィス・バエナ】は約二か月、深層に居る【ウダイオス】に至っては三か月近い。この次産時期に至るまでであれば彼らとの戦闘について考える必要も無く、力の温存に繋がる。【アイズ・ヴァレンシュタイン】と遭遇した【レヴィス】なる女の言を基に、深層59層と言う事実上の未踏査領域への冒険に挑む皆を心配するロキにとっては、実際喜ばしい話。だが、それでも安心できるものではない。ロキは現在の立場に至るまでの幾度もの苦難を想起して、より一層顔を強張らせる。

 

 顔を俯かせて溜息を吐き、ロキは辿りついた自室のドアを開いた。今、自分に出来る事は何も無い。せめて、彼らが帰還した時の催しを開催する酒場をどこにするか考えるくらいだ。幸いにも自身の眷属が死んだことを伝える感覚は現在一人として無い。フィン達はうまくやっているのだろう。そう自身に言い聞かせて、彼女は顔を上げた。そして、目を見開いて驚愕した。

 

「よう、久しぶりじゃねえか。元気してたかよ、ロキ」

 

 客人用の椅子に座り笑うのは、誰よりもロキが知る、老いたる隻眼の神。持ち込んだ酒を部屋にあったグラスに注ぎそれを口にし、僅かに酒臭さを漂わせている姿はまるで場末の酒場で(たむろ)する労働者の様であったが、彼の素性を知るロキは全身に緊張を走らせた。対して、老神(ろうじん)はそこが自身の家か何かの様にリラックスし、自身のグラスとは別のもう一つのグラスに彼女を歓迎するためにか酒を(そそ)ぐ。その腹は少々だらしなく、豊満であった。

 

「な、なんでこんなトコ居んねや自分……! どっから入った!?」

「オイオイ、久しぶりに会うってのに随分な言い草するじゃねえか……ああ、これ土産な」

 

 彼の姿に驚愕し(いぶか)しむロキに対し、老神は足元に置いていた未開封の透明な瓶を彼女に見せつける。ロキは一瞬、その中で揺れる琥珀色の液体に目を奪われたが、すぐに気を取り直して老神の向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「……いつ戻ってきてたんや、自分。せめて一言くらい話通せや」

「そう目くじら立てるなよ……ほれ、とりあえず駆け付け一杯」

 

 老神が差し出したグラスを眉間に皺を寄せながら受け取り、口をつけるロキ。そして流し込まれた琥珀色の液体が舌に触れた瞬間、彼女は突き抜けるような衝撃を受け、手にしたグラスの中で揺れる液体を目線の高さまで持っていって眼を見開いた。

 

「こん蜂蜜酒(ミード)……【神酒(ソーマ)】か!? 何処で手に入れたん!?」

「作った」

「作ったァ!?」

「最近、酒造りに(ハマ)ってンだよ。まぁ、流石に本家本元(ソーマ神)程の味は出せやしねえが」

 

 言って、老神は自身のグラスに何杯目かも分からぬ琥珀色の神酒(ソーマ)を注ぎ、満足そうな顔で一息に飲み干す。それを訝しげな顔で見届けたロキは、小さく溜息を吐くと自身も残りの神酒(ソーマ)(あお)って、グラスを机に叩きつけた。

 

「……で、何しに来たんや。世間話しに来たんとちゃうやろ?」

「おう。今日の【神会(デナトゥス)】、何か変わった話は無かったかと思ってな」

「何や? 自分で顔出さんかった癖して、よりにもよってうちに内容聞こうっちゅー魂胆(こんたん)なんか? 笑えへんで」

「いいじゃねえか、俺とお前の仲だろ」

「よくもまぁ抜け抜けと………………」

 

 老神の言葉に苛立ちを露わに吐き捨てるロキ。だが、目の前の神がこちらの都合で手を引いてくれるような相手でない事を彼女は良く知っていた。それだけでは無い。彼女としても聞きたい事があった。故に、椅子の背もたれに深く(もた)れ、何処か投げやりな調子で神会(デナトゥス)での出来事について語り始める。

 

「まぁ、変な事は…………あったわ。レベル2への最短到達記録(レコード)が更新されたんや……あー! 思い出したらムカっ腹立ってきてもうたわ! あんのドチビィ……」

「マジか!? 今までの記録はお前んとこの【剣姫】のだったろう? どんくらい更新されたんだ? 10か月? 8か月? まさか半年かよ?」

「…………1か月や」

「ロキ。お前ついに酒の飲みすぎで幻覚が…………」

「ちゃうわ!!!! そん気持ちはよー分かるけど!!!!」

 

 驚愕してロキの顔をまじまじと見つめながらに呟いた老神に、彼女は両手を机に叩きつけながら叫び返す。それを、(たしな)めるように両掌を前に向けた老神は自身のグラスを一度傾けて喉を潤すと、彼女の言う記録を大幅に更新した冒険者について楽し気に尋ねた。

 

「で。何処のどいつだ、そんなバカげた記録打ち立てやがったのは?」

「【ヘスティア・ファミリア】の【ベル・クラネル】や」

「…………知らねえなぁ。二つ名は?」

「【未完の少年(リトル・ルーキー)】。大層な名前やと思わへん?」

「まるで将来『完成』するみてえな名前だな……。ちと調べてみるかねえ」

 

 うっすらと無精髭(ぶしょうひげ)の生えた顎を撫ぜながら老神は笑った。嫌味の無いそれに、むしろロキは昔を思い出して苛立ちを覚える。しかし目の前の相手はその感情も温和な表情の中でぎらぎらと光る隻眼(せきがん)で以って見抜いている(はず)であるのに、まるで気付いていないようなふりをして彼女にまた(たず)ねた。

 

「なぁ、それだけか? 他に、何か面白い話は無かったのか?」

「……せなやぁ、あとは【酒神(ソーマ)】の奴が酒造り禁止されたんと、【ラキア】が怪しい動きしとるなーくらいか」

「成程、成程…………ウラノスの奴は、握り潰しやがったって事か」

「あぁ?」

 

 老神の呟きに、ロキは眉をひそめて声を上げた。その顔には、老神への疑念がありありと渦巻いている。

 

「何や自分、不穏な事言いおってからに……何知っとるんや?」

「【黒竜】の現在位置が掴めたらしいぜ」

「なっ……!?」

 

 だがその疑念も、老神の口にした情報によって驚愕と共に吹き飛ばされた。

 

「それ、マジのマジなんか!?」

「ああ。大陸の東海岸にある港町……【オリヴァー】から更に東に行った所にある【メラナット】っつー島に居着いてるらしいぜ。海流の関係で、どうにも辿り着くのも一苦労の島なんだってよ。島の実情は掴めてねえようだが、まだ大した被害は無いみたいだな」

「うせやろ、それ、一体誰が……」

「【ジョシュア・オブライエン】。ギルドの【特別重要任務(エクストラ・ミッション)】を受けてオラリオから出てたのは知ってんだろ?」

「あんのイケオヤジ……! マジのマジで探し当てよったんか……!!」

 

 ロキは約10年前のオラリオで『最速』の名を(ほしいまま)にした壮年の男冒険者の姿を思い出し、非常に複雑な思いを抱いた。

 

 【ゼウス】と【ヘラ】が去って約五年。【古き王】と名乗る危険人物の手によってオラリオ全域に緊張が走った、後々の【闇派閥(イヴィルス)】による暗黒期の先触れとなった時代。【ギルド】と【神会(デナトゥス)】によって、世界における最大の脅威である【黒竜】の現在地を調査する事が決められたのは、当時の【ガネーシャ】団長であった【ローディー】や既に引退した【ウィン・D】を初めとした数名の第一級冒険者によって【古き王】が()退()され、一時の平穏を取り戻した直後の事だ。

 

 その際に選定された冒険者達は特に速度と生存能力に優れた者が選ばれ、結果として当時オラリオでも大きく数を減らしたレベル6の中でも最速とされた【ジョシュア】に依頼を出す事が決まり彼はオラリオ外へと旅立った。その成果が今になって出たという事か。

 

「まぁ、行方を知れたからなんだって話ではあるけどな。あのゼウスやヘラの連合を退(しりぞ)けた奴に、今のオラリオが対抗出来る訳も無え」

 

 老神はロキの思考を読んだかのように首を横に振った。実際、それは事実である。当時【黒竜】に挑んだ【ゼウス】・【ヘラ】連合の最高レベルは9。現在のオラリオ最強である【オッタル】よりも更に二つ位階の高い冒険者を初めとした実力者たちをして全滅という最悪の結果を残す事になったのだ。老神の言う通り、今のオラリオに【黒竜】が飛来すれば、それは文字通りの破滅を意味する。

 

 そして、その情報が事実だとすれば、その情報を隠蔽(いんぺい)したと言う【ウラノス】の意図は一体何か? やはり、今現在ある程度の安定を見せているこのオラリオに余計な混乱をもたらさないため、と言うのが一番しっくりくるが……。そこでロキははっとなって顔を上げ、目の前で楽しげにグラスを傾ける老神を睨みつけた。

 

「…………自分、何企んどるんや。ウチの前でそないな事言うて、まんまと乗せられてウラノスに突っかかるとでも思ってんか?」

「んん、むしろ突っかかってくれると助かる……なんつってな」

 

 グラスの中身を飲み干して机に置き、老神はロキに笑いかける。彼女はそれを見ると、天界(うえ)でこの老神を初めとした神々との()()()()を思い出してどうしようもなく苛立たしくなり、同時にそれと同じくらい懐かしい感情が沸き上がるのを感じた。

 

「まぁ、俺からお前にああしろこうしろっていう事は無いさ。好きに生きて、好きなように死ぬ。誰のためでも無く…………お前は、眷族どもにそうさせてやりたいんだろ? だったらそうすればいいさ」

「……うちかて、最初(ハナ)ッからそうさせてもらうつもりや」

「…………良き。お主がそうであるのなら、(わし)も安心できる」

 

 目の前の老神は、これまでの気安さとはまた違う、穏やかな目でロキを見つめながらに昔は長く伸ばされていた髭を懐かしむように顎を撫ぜると、しかしすぐに先程までのどこにでも居るような親父めいた気安さを取り戻して少し寂しげに笑った。

 

「ただ、時代がそれを許さねえかもしれねえがな」

「あン?」

 

 (いぶか)し気に眉を(ひそ)めるロキに、老神は再び自らのグラスへと神酒を注ぎながらに答えた。

 

「ゼウスもヘラも居ねえ上、フレイヤの奴はそう言う事考える頭してねえし、下界(した)には『脳筋』も『ラッパ吹き』も居ないんだぜ? 何かあったら、俺達がどうにかせにゃならん。未来が俺みたいなデブのジジイとお前みたいなちんちくりんの肩にかかってちゃあ、世界様も浮かばれねえだろうからな」

「誰がちんちくりんや!!!!」

 

 机を両手で叩いて身を乗り出したロキには目もくれず、美味しそうに自身のグラスを傾ける。それを見て苛立ちを増したロキは、その細腕で老神の胸倉を掴んで怒りに声を荒げた。

 

「つーかなんやねん、言うとったやん! 自分、好き勝手やるんとちゃうん!? それが何を急に世界がどうだの…………一貫性があらへんわ!!」

「いや? だって世界が滅ぶと、俺が困るからなぁ。やりたい事まだゴマンとあるしよ」

「っ……ああ、そうかい! うちの知ったこっちゃあらへんわ」

 

 ロキは突き飛ばすように老神を開放すると、そのまま力を抜いてソファへと座り込み苛立たし気に頭をガシガシと引っ掻いた。対して突き飛ばされた老人は、零れて中身が空になってしまったグラスを残念そうに見やると、それを机に置いて立ち上がる。

 

「そうかぁ、悪かったな。お前の言う通りだ。互いにうまくやって行こうや」

「ハン、勝手にしぃ。うちかて好きにやらせてもらうで」

「ほいほい。じゃあ、俺は帰るぜ。何かあったら声をかけてくれ」

 

 あばよ、と手をひらひらと振りながら老神は部屋を後にした。それを無言で見送ったロキは、彼の気配が無くなると同時に残された飲みかけの瓶を手に取ってそれから直接神酒(ソーマ)を口にし、あっという間に飲み干してしまう。そして、先程机を叩いた時よりも強く、瓶を机に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 (そび)え立つ【黄昏の館】。現在のオラリオにおける、『最強』の片割れであるロキ・ファミリアに相応しい巨大なる建造物。そこから誰にも気に留められる事も無く外へと歩み出た老神は、その威容を振り返りながら何処か寂しげに見上げていた。

 

「ああ、我が義妹(いもうと)。あるいは我が義娘(むすめ)よ。お前にも見えてねえのか」

 

 未だに館の中で自らの眷属達の無事を願っているであろうロキに向けて呟いた後、老神は空を見上げ、眩しそうに眼を細めた。その眼にあったのは憂い。まるで未来が見えているかのように、老神は青々とした澄んだ空に向けて忌々しげに口元を歪めて呟いた。

 

「…………空が、こんなにも燃えてるってのに」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ダンジョン深層、59層。途方もない鳴動と共に、風が吹き灰が舞う。もはや、氷河の領域であった面影も残さない部屋(ルーム)一面に咲き誇る極彩色(ごくさいしき)の花々が激しく揺れる中で、【ロキ・ファミリア】の面々は剣を掲げて勝鬨(かちどき)の咆哮を上げた。

 

 この階層に辿り着いた彼らを待っていたのは、本来の情報とは異なる温暖な気候と緑色の密林。ルームの四方である壁面を覆う、アイズやレフィーヤが24層の食糧庫(パントリー)で目にした異形の肉壁。そして、怪物を異形の女体型と化す【宝玉】に寄生されたと思しき死体の王花、仲間のモンスターさえ捕食する【タイタン・アルム】の女体型と、それに捧げるように自らの魔石を差し出すリヴィラ動乱でも暴れ回った【人食い花】の群れであった。

 

 タイタン・アルムの女体型に魔石を明け渡した人食い花達の亡骸(なきがら)たる灰を踏みしめた彼らは、その一部始終を緊張に身を強張らせながら観察していた。すると、数多の魔石を捕食したタイタン・アルムはその形態を変化させ――――今までの異形であったそれとは異なる、天女の如き美しい女性の上半身を生やし――――神の降臨以前の地上にて、神々の意を汲み英雄たちと共に戦った【精霊】の力を以って、ロキ・ヘファイストス連合へと襲い掛かったのだ。

 

 そこからは、正に地獄の如き激闘であった。

 

 精霊の絶大なる魔法と怪物の圧倒的な膂力(りょりょく)、体躯を高い知性を以って駆使する【穢れた精霊(デミ・スピリット)】に、彼らは凄まじい苦戦を強いられた。その魔法の威力はオラリオ最高の魔導士たるリヴェリアを遥かに上回るものであり、更には極彩色の魔石を持つ他のモンスターを従える力や皆の攻撃を受けても身じろぎ一つしない耐久力は、皆を絶望の淵へと叩き込んだ。

 

 だが、しかし。決して諦めぬ皆の力が突破口を開いた。

 

 リヴェリアとレフィーヤの魔法が精霊による超弩級(ちょうどきゅう)の魔法を凌ぎきり、ラウルらサポーターの面々や同行していた椿が用意された数多の魔剣や武具を用いて怪物の群れを薙ぎ倒し、フィンの指揮を投げ捨てた一撃が隙を生み、ガレス、ティオネ、ティオナ、ベートが木の根による防御を打ち破った。そして、風を振るったアイズと彼女を後押ししたレフィーヤの力によって、絶対的にすら思えた穢れた精霊は灰へと帰したのだ。

 

 

 

 崩れ落ちるように膝を着いたアイズの元へと、これまた歩くのもやっとと言った様子のレフィーヤが辿り着き、涙を流しながらその体をかき抱いた。

 

 周囲の他の面々も、最早満身創痍(まんしんそうい)と言うにも程遠い凄惨(せいさん)なる有り様だ。だが、死人は居ない。ここに居る全員が負った傷は、誰一人の隔てなく全力を振り絞り戦った、その証のような物であった。

 

「……終わった、ようじゃのう」

 

 息も絶え絶えと言った様子でガレスが呟いた。この階層の戦い、更にはそれ以前の58層での戦いでも危機にその身を晒した彼は全身を血に濡らし、何故意識があるのか不思議なほどの有り様であった。それでもまだ口を開く事の出来るのは種族故の耐久性……否。ガレス・ランドロックと言う男が今まで(つちか)って来たタフネスの賜物(たまもの)であった。それを誰よりも理解するリヴェリアが、呆れたように口を開く。

 

「ッ……ハァッ……全く……よくもまぁ、そこまで……平然としていられる……!」

 

 ハイエルフの王女とは思えぬ疲弊しきった姿で灰に覆われた地面に腰を下ろし、リヴェリアは息も絶え絶えに天を見上げた。それの横で(やり)を杖代わりにしながら、俯いたフィンが未だに緊張を切らさずに呟く。

 

「早急に、撤退する必要がありそうだね……! あの【精霊】によって駆逐(くちく)されていた通常のモンスターが戻ってくる前に……!!」

 

 そうフィンは言って、すぐさま皆に指示を飛ばし始めた。傷の少ない者に周囲の応急処置を行わせると、自身も駆け寄って来たティオネに支えられながら隊列を素早く組み直さんと声を上げ、一刻も早く50層へと残してきた部隊と合流する事を決定した。

 

 本来安全階層(セーフポイント)であった50層を抜けた51層で武器破壊能力を持つ新種のモンスター達に襲われてからこの59層に至るまで、彼らは半ば強引な形で突き進んできた。未だに彼らが打ち倒してきたモンスターはまだ再出現を完了してはいないであろうが、ダンジョンの壁面から再び生み出されるのは時間の問題であり、出来るだけそれが少ないであろう今の内に撤退する必要があると判断したのだ。

 

 フィンは鑓を背に負うと、ティオネから手渡された【万能薬(エリクサー)】の封を解いて一気に口にした。以前、エリスがロキと同盟を組む際に提供した一本である。それによって、全快とは言えぬがある程度調子を取り戻した彼は、パーティの先頭に立つべく一歩踏み出す。

 

 

 ――――次の瞬間、霞んで見えるほどの高さを持つ部屋(ルーム)の天井が、轟音を立てて崩壊した。

 

 

「なっ!?」

「皆下がれ! 巻き込まれるぞ!!!」

 

 フィンの号令を受けた面々が退避する中、天井から瓦礫(がれき)と共に異形の影が落下してくる。

 

 腐り果て、朽ち果てかけた皮膚。竜のそれに似た二対の翼と、皮を剥がれた猿の様な貧相な体格。そして頭から生やした小さな角。一つ上の階層である58層には存在しないはずのモンスターが力なく重力に引かれていき――――その背後から追いかけるようにして、五人の人影が飛び降りてきているのが見えた。その内の一人、真っ先に落ちて来る幾つもの武器を身に付けた男が後続のローブの男に向けて叫ぶ。

 

「フレェェ――――キ!!! どうにかしろォオ――――ッ!!!」

「『ヴィンハイムの業、影なる技! 我らを一時解放せよ』! 【フォール・コントロール(落下制御)】!!」

 

 ローブの男が魔法を発動すると、落下して居た者達が青い光に包まれて速度が目に見えて緩やかになり、それぞれ体勢を立て直す。

 

「ナァイスフレーキ!! これで…………ん?」

 

 先頭を落ちゆく男はローブの男による的確な魔法選択に快哉(かいさい)の声を上げたが、すぐに気づいた。自身と後続の四人の間の距離が見る見るうちに開いて行く。まるで時間が引き伸ばされたかのような感覚に陥った男は彼らが突然上昇したのかと一瞬思ったが、後ろの四人は【フォール・コントロール】の効果対象である事を示すように体が青い光に包まれているのに自身はそうでは無い事に気づき、現実を受け入れられないような顔をして絶望的な顔をローブの男に向けると、ローブの男は心底申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「すまん【フギン】。この魔法、対象は四人までなんだ」

「この野郎ふざ」

 

 フギンと呼ばれた男――――【黒い鳥】の恨み言が言い切られる事は無く、彼は灰に満ちた地面に墜落した。

 

 【穢れた精霊(デミ・スピリット)】の(にえ)となった怪物たちの灰が派手に舞い上がる中、先に墜落した【黒い鳥】を除く四名がふわりと緩慢な勢いで着陸する。彼らは全員、オラリオの冒険者達の間に名を轟かす実力者ばかりであり、満身創痍のロキ・ヘスファイトス連合の面々は緊張に身を強張らせた。

 

「……ここで鉢合わせるとはな。フギンめ、また余計な事をしてくれる」

 

 目深に被ったフードの奥で苛立たしげに呟くのは、【九魔姫(ナイン・ヘル)】たるリヴェリアに次ぐ魔導士、【啓くもの】フレーキ。身に宿したスキルにより数多の魔法を習得し、それを十全に操る技はリヴェリアに匹敵すると言われ、実際に幾度となく煮え湯を飲ませ合った間柄だ。

 

「そう言うなって。ここで遭遇しちまうなら、結局、いずれはそうなってたって事じゃあねえかな」

 

 どこか楽観的に呟く真鍮色の全身鎧は【不屈(アンブレイカブル)】のラップ。ガレスと肩を並べるオラリオ屈指の重装前衛であり、あらゆる強敵との戦いでその身を盾とし仲間を守り抜いてきた二つ名通りの実力者。手にした大盾は魔法以上に【呪詛(カース)】への強い耐性を持ち、故に彼は【呪詛師(ヘクサー)】に対しては絶対的な優位を持つと言う。

 

「笑えませんね。まぁでも、随分と手負いの様ですし、全滅させるのはそう難しくないでしょう」

 

 物騒な発言と共に黒い長髪を揺らしながら降り立ったエルフは【戦乙女(ヴァルキュリア)】のロスヴァイセ。現在のかの【ファミリア】における最古参の眷属であり、遠近を問わぬ戦術と機動力、かつて【黒い鳥】さえも殺害しかけた戦績と容赦の無い戦いぶりからオラリオ最強の弓使いの一人としても知られている。

 

「フン。殺すかどうかなんざ、好きにすりゃあいい…………それよりも相棒、まだ生きてるか?」

「ハ、ハ、ハ。死んでる、俺死んじゃッたよ」

「生きてるよ」

 

 そして、最後に降り立った正体不明のサポーターに灰の内から引きずり出されたのはオラリオにおける現在の二番手であり、【猛者(おうじゃ)】たるオッタルと唯一単独で渡り合う事が出来るとされる冒険者、【黒い鳥】。【九頭竜(ナインヘッド)】討伐を初めとした数多の逸脱した偉業を成し遂げ、その身に数多の武具を身に付ける男。

 

 今も彼はその評判に(たが)わず、二本の大剣を背負い、腰には左右に二本の長剣と後ろに小振りな手斧、右の腿にはナイフの鞘が備えられており、体には軽装の防具を身に着けて、右手の肩から肘にかけては精緻(せいち)な装飾のなされた帯が巻き付けられている。

 

 彼の実力は誰もが知る所であるが、実際にその全力を目にした事のある者はロキ・ヘファイストス連合の者達には居ない。だが、一見軽薄な仕草の内から覗く眼光の鋭さが、彼がその評判に違わぬ怪物であると言う事を明確に知らしめていた。

 

「…………で。どうすんだ? 鉢合わせちまったが」

「殺してしまえばよいのでは? そうすれば無かった事に出来ますが」

「それでいいか」

 

 問う【黒い鳥】にロスヴァイセが殺意に満ち溢れた言葉を返すと、彼はあっさりとそれに乗った。弓を取り、あるいは剣に手をかける二人。対するフィン達に戦慄が走る。【穢れた精霊(デミ・スピリット)】との戦いで皆、全ての力を絞り尽くす勢いで戦った。そうしなければ勝利は得られなかった。しかし、あれ程の化物を相手にした直後に更にこれほどの相手と相対する事になる事を想定していた者はいないだろう。だが、予想外の事象は冒険者として迷宮に潜るのであればどれ程傷ついていたとしても逃れ得ぬ事象だ。それを良く知る彼らは、満身創痍の体に鞭打ち武器を取る。

 

「【トゥランキル・ピースウォーカー(穏やかなる平和の歩み)】!!」

 

 その時。突如として狼人(ウェアウルフ)の老魔導士が叫ぶと、彼の足元から自分達五名のみを範囲内に収めた魔法円(マジックサークル)が出現した。その効力によってか、駆け出そうとしたロスヴァイセと【黒い鳥】がつんのめるように体勢を崩し、動きを止める。ロキの面々はそこから通常の魔法と異なる感覚を感じ取り、彼らの中でも特別術師として優れた実力を持つリヴェリアが眼前の老魔導士の見せたそれの性質を唯一看破して驚愕を口にした。

 

「味方への……【呪詛(カース)】だと……?」

 

 その呟きを他所に、フレーキは足を止めた二人に向け、咎めるように声をかける。彼の顔はうんざりとしたような、呆れの滲む表情だった。

 

「何をしている、二人とも。例え遭遇してしまっても、【ロキ】達との交戦は可能な限り避けると決めてただろう」

「これほどの好機は今後無いでしょう。ここで殺しておくのが最善です」

「…………いや待てロスヴァイセ。ついうっかりやっちまいそうになったがボロッボロじゃねえかアイツら。勿体ねえし、今はやめとこうぜ」

「ッ……フギン。貴方は少し考えて行動してください。あなたも彼らを殺そうとしましたよね? あなたには一貫性と言う物が……」

「やっぱやめようぜ、な! せめて万全の時にやりたい」

「ロスヴァイセ。フギンもこう言っている。それに、我らが神は今回私に指揮権をお与えになった。従ってくれ」

「………………失礼しました」

 

 フレーキに咎められた二人は対照的な反応を返した。反発し自身の最善を通そうとするロスヴァイセと、あっさりと手の平を返した【黒い鳥】。ロスヴァイセは先刻までの【黒い鳥】の同調を根拠に食い下がろうとしたが、フレーキの言葉にはあっさりと弓を持つ手を下ろした。それを見てフレーキは溜息を吐くと視線をロキの面々へと戻した。

 

「驚かせてしまってすまない。我々も、君達との遭遇は想定外だ。交戦の意思も無い。まずは、話をさせてくれ」

 

 フレーキは呪詛(カース)を発動させたまま、申し訳なさそうに頭を下げる。そして彼が頭を上げるよりも早くフィンが前に出た。二人の間には緊張感こそあったものの、どちらも武器を下ろし殺気を感じさせぬ佇まいであり、この場での争いを避けようとしているのは明白。後は、どのような落としどころが示されるかである。

 

「……久しいね、フレーキ。まさか君がこんな所に顔を出すとは。何をしに来たんだい?」

()()()()だよ。少なくとも、君たちの遠征の邪魔をするつもりは無い。驚かせてしまってすまなかった。今後ろの二人が剣を向けようとした件についても、後日謝罪に赴かせてもらおう」

「…………それは分かったけど、君達はどうやってここまで来た? まさか僕らの後をついてきたと言うんじゃないよね? 【ギルド】の主導で行われる『遠征』の成果を横取りしようとするのはご法度だって言うのは知ってるだろう? ……やっぱり、目的を示してもらいたいな」

「…………言えん。こちらも訳アリだ」

「……………………」

 

 『落とし所』の食い違いによって、彼らの間に走る緊張が圧を増した。自身やリヴェリアと言ったベテラン勢はともかく、後方で今にも飛び出しそうな血走った眼を見せるベートや突然の乱入に眉間に皺を寄せるティオネらを納得させるためにも譲歩できないフィン。今回の行動を立案して責任を負い、故においそれと己らの実情を明かせぬフレーキ。彼らは自身の経験を総動員して、自らの要求を如何に通すかを模索してゆく。

 一方で、その二人の緊張をまるで素知らぬかのように、【黒い鳥】は歩み出て【剣姫】に向けて声をかけた。

 

「よぉ【剣姫】。また会ったな…………どうだ、友達は出来たかよ?」

「…………うん」

「そうか! そりゃよかった。あんた、その、なんて言うかな……どっか地面に足ついて無い感じがするからさ。強くなるってなら、せめて交友の一つや二つ…………」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ん?」

 

 まるで心配するかのようにアイズに声をかける【黒い鳥】の言葉を少女の声が遮った。杖を握りながらアイズを庇う様にレフィーヤがその前に立つ。そして僅かに体を震わせながらも、苛立ちと怒りを炸裂させるかのようにして眼前の男に人差し指を突きつけた。

 

「あっ、貴方がアイズさんを(たぶら)かしたんですね!? どういう了見(りょうけん)ですか!? 正直、アイズさんがあんな事するなんて信じられませんでしたけど、貴方が余計な事言ったから、そういう事だったんですね!?」

「レフィーヤ……!」

 

 アイズとの『ベルとの訓練について口を(つぐ)む』と言う約束も半ば忘れてヒートアップし問い質すレフィーヤ。それをアイズは周囲を伺いながらに心配そうに止めようとする。一方で、【黒い鳥】はむしろ面食らったようにまじまじとレフィーヤの顔を見た。

 

「いや、何の話だよ……つか誰だお前…………」

「なっ……!」

 

 仮にも【ロキ・ファミリア】の幹部候補であり、【九魔姫】と称されるリヴェリアの後釜としてそれなりに名を知られている筈の自分に心当たりがないと首を傾げる【黒い鳥】に言葉を失い、レフィーヤは更なる怒りに身を震わせる。一方【黒い鳥】は彼女を見ている内に何か思い出したようで、得心が行ったように上に向けた左掌を右拳で打った。

 

「あ、いやすまん、思い出した。確か、二つ名は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】で…………そうそう! 多分名前はあれだろ? 【レフィーナ・フィルヴィス】!」

「【レフィーヤ・ウィリディス】です!!!」

「あぁ? 違ったか。エルフといい、アマゾネスといい、似てる名前多くて覚え辛いんだよ……」

 

 【黒い鳥】は腕を組み、全く後ろめたさを感じさせない声色で唸る。エルフやアマゾネスに名前の響きが似た者が多いのは種族的な慣例から見ても事実ではある。しかし、その態度こそレフィーヤのプライドに火を付けるには十分だった。

 

「言い訳しないで下さい!! そもっそもとして、最初っから覚える気が無いんじゃあないですか!?」

「図星じゃねえか相棒。笑える」

「おいそこ余計な事言うな! …………いや俺、名前覚えてる女エルフってあんまり居ないんだよ。ロスヴァイセだろ、【九魔姫(ナイン・ヘル)】だろ、【白巫女(マイナデス)】だろ……? 三人!? いや絶対誰か忘れてんな…………」

 

 レフィーヤの言葉を肯定して肩を揺らして笑うサポーターの男に噛み付きながらも、実際に他人の名前を殆ど覚えていないか忘れている事を零す【黒い鳥】。それは歳若いレフィーヤの怒りに油を注ぎ込むには十分過ぎるものであったが、ふと彼女は今【黒い鳥】が零した名前の一つに対して、怪訝そうな顔になって声を漏らした。

 

「ちょっと待ってください。貴方、さっきの間違いといい、【フィルヴィス】さんの事は覚えてるってどう言う…………」

「フギン! 来てくれ!」

「おう! 行くから『平和』解除しろよ! 走れなくて死ぬ!」

「もうしてある!」

 

 彼女の疑問は、横合いから発せられたフレーキの声とそれに応じた【黒い鳥】が身を翻した事で打ち切られた。【黒い鳥】はレフィーヤに一瞥をくれる事も無く向かい合うフレーキとフィンの元に向かい、二人の前で足を止めてフィンに向けて挨拶した。

 

「どーも【勇者(ブレイバー)】殿。【黒い鳥】だ」

「やぁ、【黒い鳥】。話で聞くより随分礼儀正しいね」

「挨拶は大事だろ。昔、なんかの本で読んだんだ」

「それよりも本題に入るぞ。我々は彼らの帰還を援護しつつ、ここで退き返す。そういう話になった」

「あぁ? どういうこっちゃい! 説明くれ」

 

 話の流れを理解できず聞き返す【黒い鳥】。それに対して、諭すようにフレーキが首を横に振った。

 

「我々の目的は深層の調査だったろう? この状況を見ろ。本来氷河の領域であるこの階層で、気温がこれほどまでに上昇し豊富な植物が繁栄しているというのは、既にありうべからざる異常事態だ。異常が起きている事がはっきりと分かる。初期の調査としては十分過ぎる成果だ」

「でも何でこいつら守って帰らなきゃいけないんだ? 依頼なら、まぁそうするけどさ」

「いや、交換条件だ。向こうはここに来た理由を、我々はここで何があったかをそれぞれ聞かない…………互いに来た目的は果たしているようだからな。それが、最も波風が立たんと判断した」

「……………………まぁ、そもそもとして今回の作戦判断はフレーキ次第だ。俺は、従うよ」

 

 何処か納得できぬようにしながらも【黒い鳥】は肩を竦め、フレーキにつまらなそうに口を尖らせる。しかしフレーキはそれに目もくれずに、懐から三本の薬瓶を取り出しフィンに手渡した。

 

「【万能薬(エリクサー)】だ。今の君達には、間違いなく必要だろう」

「助かるよ。でも、早急にここを発ちたい。上で倒したモンスターの次産時期が、もうじき来てしまうからね」

「了解した。皆に伝えて来る」

「ああ」

 

 二人は話を終わらせるとそれぞれ分かれ、フィンはガレス、リヴェリア……そしてアイズらLv.6の面々に万能薬(エリクサー)を手渡し、皆を回復させた。

 

 その一方。万能薬(エリクサー)の行き渡らなかった面々はそれぞれが応急処置を済ませ、すぐにでも出発できるよう準備を整えている。その中で、苛立たしげに自身の体の状態を確認しているベート・ローガの後ろに、いつの間にか楽しそうな顔の【黒い鳥】が立っていた。

 

「ようベート! 随分ボロボロじゃあねえか! 大丈夫かよ?」

「………………」

「無視すんなよ」

「………………」

「なぁ」

「………………」

「おーい」

「………………」

「……なんか大規模な戦闘あったみてえだけど、納得行く戦い出来なかった感じだな」

「うるせえッ!!」

「おっと……うわ、キレてる割にキレ無さすぎ。やっぱ戦わなくてよかった」

「黙ってろ……!」

 

 吐き捨てながら振るわれたベートの裏拳を、【黒い鳥】は楽しげな顔のまま身を引いて回避する。その際に彼が安堵したような言葉を放つと、普段の様に罵るでもなくベートは歯を噛みしめる。それを見た【黒い鳥】は、しかし特段気を悪くした様子も無く首を傾げた。

 

「おいおい、前の【ウダイオス】の時みたいにまぁた【剣姫】に手柄取られたのか……ってあの時はお前居なかったか。次は頑張れよ!」

「黙ってろっつってんだろうが!! 殺すぞ!!!」

「おお、いつも通りいつも通り」

 

 自身の罵倒を受けてなお楽し気に笑う【黒い鳥】に、ベートはもはや関わるつもりもないとそっぽを向いて集まるロキの面々の元へと歩き出した。しかし、【黒い鳥】は彼の拒絶も気にした風も無く、まるで腰巾着(こしぎんちゃく)めいて彼の後ろに付いて未だに声をかけ続けた。

 

「まぁそう怖い顔すんなって! 元気出せよ! あ、そうだ。最近まぁたアマゾネスに付きまとわれててさぁ。上手いこと諦めさせる方法知らねえか?」

「知るかよ。手前でどうにかしやがれ」

「つれねえなぁ。お前も気を付けろよ? 下手にアマゾネスぶっ飛ばすと俺みたいにストーキングされちまうからな!」

「一緒にするなクソが。ザマを見ろ」

「ひっでぇ…………」

 

 その二人――――否。ベートに対して絡みに行く【黒い鳥】の背を、サポーターの男は感情の読み取れぬ目で見つめている。すると、その背後からラップが機嫌良さげな足取りで近づき、横に並び立って声をかけた。

 

「どうした? 『相棒』が構ってくれなくて拗ねてるのか?」

「…………どういう意味だ?」

「いやぁ別に……ウヒャヒャヒャヒャッ! あんた、どんだけあの馬鹿に賭けてるんだ? アイツは暗いぞぉ、真っ黒だ。肩入れしすぎると、あっけなく死んじまうぜぇ?」

「………………お前がそれを言うか? 少なくとも、俺に対して言うべきじゃあねえな」

「まぁ、同族嫌悪って奴かな。ウフフフ……っと? なんか、暑くねえか?」

「あン…………?」

 

 全身鎧故にか、あるいは元々の気温故にか、暑苦しそうに身じろぎしたラップの様子をサポーターの男は怪訝(けげん)そうに見つめる。だがしかし、すぐに自身も蒸し暑さを感じてふと振り返ると、墜落し死に絶えたと思しきモンスターの骸が赤熱し、周囲の灰に僅かに炎が滲んでいる事に気づいて大声を上げた。

 

「おい……フギン……! じゃれ合ってる場合じゃあねえぞ!!」

 

 彼の怒号にも似た叫びに、周囲の者達が一斉に振り返った。その視線の先で全身から凄まじい熱を放ち始めた怪物は身をもたげ、そして咆哮と共に翼を広げて火の粉を撒き散らす。余波によって周囲に広がった熱波によって生い茂っていた森林は見る見るうちに燃え始め、今度こそ本当に、灰に包まれた不毛の大地へと変貌しようとしていた。

 

「フレーキッ! 【デモンズ・プライド(デーモンの誇り)】です! 戦闘態勢を!!」

「馬鹿な!? あれで殺し切れてなかったのか!?」

「復活か、そりゃあ驚き!」

「あんたが言っても皮肉にしか聞こえんが」

「言ってないで前に出なさいパッ、ラップ!!」

「了解。ま、仕事分は働くさ!」

 

 ロスヴァイセの叱咤に応え、飛びかかったラップが咆哮を続ける怪物の頭蓋を大盾で以って殴り抜いた。レベル6の重量級冒険者による頭部への一撃は、怪物の細身の肉体も相まってその体を大きく揺るがさせる。その隙を付いてフィンとフレーキは顔を見合わせ鋭く声を交わした。

 

「フレーキ! どうする!? 皆で迎え撃つかい!?」

「いや、こいつを相手に大人数ではむしろ不利になる!! フギン! 足止めしろ! ロスヴァイセ! 君はフィン達を護衛して共に地上へ!」

「は!? 私がですか!?」

「了解! 『天に満ち、(そら)を閉じよ』――――【スターダスト(Stardust)】!!」

 

 【黒い鳥】が詠唱を終え名を叫ぶと、空に巨大な魔法円(マジックサークル)が現れ、そこから指先程の小さな光弾が雨霰(あめあられ)と降り注いだ。それは格闘を続けるモンスターとラップを激しく打ち据え、その小さな威力に反比例するような大きな衝撃で動きを妨害する。しかし、全身を強靭な鎧に包まれた上、盾を傘のように使って光弾の雨を防ぎつつ攻めを続けるラップにモンスターは防戦を強いられた。その様子を目にしながら、【黒い鳥】はフレーキに向けて大声で叫ぶ。

 

「よしフレーキ、ロキの奴らと分断してくれ! ()()を使っても構わねえから!!」

「断る……!!」

「じゃあどうすんだよ!?」

「分断自体はやるが、アレはリスクが大きすぎる! 別のを使うから少し時間をくれ!!」

「分かったから早くしろ!!」

「ああ――――『火よ、来たれ』」

 

 その詠唱を耳にしたロキ・ヘファイストス連合の全員が耳を疑った。それは正しく、先の戦いにおいて【精霊】が見せた【超長文詠唱】による超弩級魔法と全く同じであったからだ。しかし、その先にフレーキが口にした詠唱はそれと酷似していながら、精霊程の高速では無く、また全く別の文脈を持つ物であった。

 

「『唸れ唸れ炎の渦よ、劫火(ごうか)の海よ、混沌の種火よ。愛娘(むすめ)らの力借り世界を(ひら)け。空を焼け星を焼け雲を焼け闇を焼け。全ての暗黒を(はら)(てらし)て見せよ』」

 

 【スターダスト】が打ち止めとなると同時に、跳び下がるラップと交代するかのように【黒い鳥】が怪物へと襲い掛かった。懐から取り出した幾つもの壺を彼がこれでもかと投げつけると、着弾し割れた壺の内から青白い魔力の(ほとばし)りが炸裂しその眼を眩ませる。そうしている間にも、狼人(ウェアウルフ)の老魔導士は一語一句(たが)える事無く超長文の詠唱を進めて行った。

 

「『開闢(かいびゃく)の灼熱にて火の時代を、王の(ソウル)の輝きを、代言者の名の元に(こいねが)う。刻まれしその名は混沌の魔女(イザリス)。炎術の祖、混沌の母、廃都(はいと)女王(おう)』!!」

 

 精霊の見せたそれには及ばぬが、リヴェリアの攻撃魔法に匹敵する魔力を渦巻かせてフレーキは足元に深紅の魔法円(マジックサークル)を輝かせる。そして、詠唱を終える最後のその瞬間――――フレーキは腰を落とし、そして狼人(ウェアウルフ)としての脚力を以って勢い良く跳び出した。

 

「【ファイアーストーム(炎の嵐)】!!!」

 

 フレーキがレベル6に相応しい敏捷で怪物とロキ・ヘファイストス連合の間に線を引くように駆け抜けながら詠唱を終えると、彼の後を追う様に無数の火柱が吹き上がって怪物と皆の間を分断した。そして煌々(こうこう)と揺れる炎に巻かれながら、フレーキはフィンに向け口を開く。

 

「予定変更だ【ロキ・ファミリア】。この階層から早急に撤退しろ」

「一体何なんだいあのモンスターは……!? 未発見種か?」

「あれは【デーモン・プリンス(デーモンの王子)】。君たちの知らぬ領域に生きる怪物であり……まぁ、こちら側で言う所の【迷宮の孤王(モンスターレックス)】に類する一体だ。君達を守りながらでは、我々でも難儀する」

 

 フィンの問いに丁寧に答えると、フレーキは炎の向こう側へと残ったフィン達とロスヴァイセに向け、少し申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「万全の状態ならばこうは言わんが、今の君達は傷つき、疲弊している。万能薬(エリクサー)も体力まで回復出来る訳では無いからな…………ロスヴァイセ、そちらは任せた」

「まぁ、私はアレと相性が悪いですし。精々こちらで頑張らせていただきますよ」

「ああ。頼んだ」

 

 フレーキの言葉が終わると、二人は互いに目を合わせる事も無く背を向けて、それぞれ炎の向こう側で【黒い鳥】らが戦いを繰り広げる中へ、そしてロキ・ヘファイストス連合が固唾を飲んで見守る中へと足を進めて行った。

 

「君と協働するのは初めてだな、ロスヴァイセ。頼むぞ」

 

 フレーキと別れ、その足で大規模パーティである連合の先頭に向けて歩みを進めるロスヴァイセに、同じエルフであるリヴェリアが声をかける。しかし激励とも取れるそれを耳にした彼女は、苛立ちを露わにしてリヴェリアを睨みつけた。

 

「話しかけないでもらえますか? 腹立たしい。やるべき事はしますので、放っておいてください」

「ちょっ……ちょっと!? リヴェリア様に対してどういう物言いしてるんですか!? 良くないですよ!!」

 

 その暴言を聞いて周囲のエルフたちが眉を顰め、その中でも一際リヴェリアに近い存在であるレフィーヤが慌てて跳び出し、怒りと気遣いがないまぜになったような狼狽した口調でロスヴァイセに苦言を呈した。しかしロスヴァイセはそれをこそ軽蔑するように睨みつけて、まるで吐き捨てるかのような残酷な声色で口を開いた。

 

「『様』、ですか……所詮エルフはエルフでしょう? 私、エルフのそういう階級分けと言う奴が…………いえ、違いますね。私は傲慢(ごうまん)ちきで恥知らずで腹黒いエルフと言う種族がそもそもとして大っ嫌いなんです。話しかけないでください」

 

 呆気にとられるレフィーヤを背にして、ロスヴァイセは足早に歩き出した。長い黒髪を揺らすその後姿を見ていたレフィーヤは周囲の制止を振り切り、傷ついた体に鞭打ち彼女に食って掛かろうとしたが、黒髪から覗いたエルフ特有の尖った耳の先端が乱雑に切り落とされている事に気づいて足を止め、俯き口を(つぐ)む。

 

 彼女はしばらくそうして拳を握っていたが、その背をリヴェリアが優しく叩くと複雑そうな表情で顔を上げ、彼女と共に58層を目指す隊列へと加わって行った。

 

 

 

 

 

「さぁてと」

 

 全身から炎を噴き出しながら【王子】が咆哮する。対する【黒い鳥】は強敵の出現に心から喜びながら、右手で以って背にしている大剣の内厳重に封じられてはいない大剣に手をかけた。

 

「まずは小手調べだ……任せてもらっていいな!?」

「ああ」

「ハハッ、言質取ったァ!」

 

 フレーキの短い返答に楽し気に叫び、【黒い鳥】は剣を抜いた。【バスタードソード】。元は市販品でありながら、【アンドレイ】の手によって幾度となく鍛え直され、特別な力は持たずとも圧倒的なまでの強靭さと攻撃能力を備えた一振り。【黒い鳥】と共に、数多の戦場を駆け抜けた名剣。

 

 【黒い鳥】はバスタードソードを構えて、咆哮する【王子】に相対した。愉悦と緊張に細められた目は鋭く、口は裂けそうなほどに醜く歪められている。その彼に向け、巨大な火球が飛来する。全てを焼き尽くすような熱と輝きを放つ、灼熱の一撃。しかし【黒い鳥】は臆する事も無く踏み出して、火球とのすれ違いざまに剣を振るった。

 

 炸裂。【黒い鳥】の背後で轟音と共に灼熱をぶちまける大火球。しかし、その余波を利用して加速、飛翔した彼は即座に【王子】へと肉薄しその首筋を狙って左手の大剣を横に薙ぎ払う。

 

「ッ!? 硬ってぇ! ハハッ!」

 

 だが、彼の致命的な一閃はその細い首筋の表皮によって硬質な音を立てて弾かれた。しかし黒い鳥はそれに動揺するでも驚愕するでもなく、ただ歓喜する。自らの手にするべき首級を前にした戦士の様に。あるいは、おもちゃを与えられた子供の様に。

 

 しかし、【王子】は自らの熱によって焼けた皮膚が凝固した溶岩の如き強度を手に入れた事を理解し、防御や回避を一旦度外視して即座に【黒い鳥】への攻撃行動へと移った。

 

『ガアアアッ!!』

 

 叫びと共に【王子】が腕を打ち振るえば、そこから炎を纏った岩塊が生まれ【黒い鳥】に向け放たれる。しかしそれは間に割り込んだラップの構えた【抗呪の大盾】によって防がれたが、着弾の瞬間激しく炸裂した岩塊の威力によってラップは吹き飛ばされる。【黒い鳥】はそれに一瞥もくれず、サポーターの男へと向け叫んだ。

 

「【ミルド・ハンマー】!!」

 

 叫びを受けたサポーターの男が背の背嚢から取り出したのは、明らかに背嚢に入り切らぬ長大な長柄戦鎚。神々が降り立つ前の嘗ての神職たちの間で『最初の神殿』の名を冠するとされたこの武器は、その形状と遠心力によって強力な打撃を放つ事の出来る武具だ。【黒い鳥】は最初の斬撃が通じなかった事を鑑みて、素早く別の攻撃属性を備えた武具を要求したのだ。サポーターの男は【黒い鳥】に向け無遠慮にミルド・ハンマーを放り投げ、それを【王子】に向け再び挑みながら無造作に手にした【黒い鳥】はそれを最適距離で振るい、今度は【王子】の冷え固まった溶岩めいた強固な表皮に大きな亀裂を生じさせた。

 

「まるで瘡蓋(かさぶた)みたいだな……」

 

 【黒い鳥】が呟く。対して傷つけられた【王子】は痛みと怒りに打ち震え咆哮する。それに呼応し、周囲に燃え広がった炎が更に火力を増し、ルームの気温が徐々にヒトの耐えられぬ温度へと迫っていく。だが、そこでフレーキが動き、状況を改善すべく魔法を詠唱した。

 

「『凍てつけ』! 【スナップ・フリーズ(瞬間凍結)】!!」

 

 フレーキが腰から抜いた刃の無い小剣を【王子】に向けて詠唱を終えた瞬間冷気が迸り、地面を舐めるように燃えていた炎を鎮火しながら【王子】に迫り、その表皮さえも一瞬で凍り付かせた。先程まで赤々と煮え滾る様に脈動していた王子の皮膚が、冷え固められた溶岩の如く熱を失い動きを鈍らせる。そこにミルド・ハンマーによる連撃を加えて表皮を砕き剥がした【黒い鳥】はサポーターの男に向け再び叫んだ。

 

「【黄金の残光】!!」

 

 彼の声に応えて男が放り投げたのは抜き身の曲剣。その刃は黄金に輝き残像を残して宙を舞う。【黒い鳥】は誤れば自身を切り刻んだやも知れぬそれに一切臆する事も無く手を伸ばして掴み取ると、砕かれ露出した【王子】の皮膚に向けて輝く軌跡を残しながら飛び掛かって曲剣を振るい皮膚に深々とした裂傷を残した。

 

「どうだぁ!!」

 

 快哉の叫びを上げる【黒い鳥】。しかし、【王子】の傷口から溢れ出した赤く燃える血液は体外に出るとすぐさま冷え固まり、傷を塞ぐだけで無くその表皮さえも復元してしまう。

 

「マジかよ!? 悪辣(あくらぁつ)!!」

 

 叫ぶ【黒い鳥】に向けて【王子】が口から吐き出した炎から火球を即座に精製、恐るべき勢いで彼に向けて撃ち放つ。【黒い鳥】は即座に状況判断し回避を諦め、手にしたミルド・ハンマーを火球に向けて投げつけた。

 

 火球に長柄戦鎚が命中した瞬間、大爆発がルーム全域を襲った。

 

 燃え盛っていた木々や草花が衝撃で破壊され、【黒い鳥】も吹き飛ばされるがサポーターの男がそれを受け止めて灰の大地に滑りながら着地する。その周囲にラップ、フレーキが駆け寄って、咆哮して空に向けて炎を吐き、今までのそれとさえ比べ物にならない程に巨大な太陽じみた大火球を生み出し始めた【王子】に相対した。

 

「どうするフレーキ。生半可な武器じゃあ通じねえし、【残光】じゃあ塞がっちまって致命にならん…………使わせてくれねえかなあ」

 

 【黒い鳥】はちらと、口元を歪めながら自身の背――――未だに抜かれぬ、厳重に封じられた黒い大剣に目を向けた。

 

「…………致し方ないか」

 

 フレーキの短い返答に楽し気に笑い、【黒い鳥】は右腕に巻かれた帯を引き絞った。帯に込められた【神威(しんい)】によって彼の右腕に途方もない力が漲り、そしてそのまま、右手で黒い大剣を抜き放つ。

 

 それは、黒水晶の如き透き通る刀身を持つ細身の大剣。抜かれた瞬間、放つ圧によって周囲の灰を舞わせ、炎を撥ね退ける。さるドラゴンが僅かに残した稀少な素材の一つから、鍛冶師【エド】が偶然作り出してしまった一振り。

 

 ――――【黒竜】の大剣。銘を【闇屠り(ダークスレイヤー)】。【黒い鳥】が最も信を置く、迷宮都市で最も強大なる神域に至った武具。

 

「相棒、こっちも使え」

 

 サポーターの男が言って、背の背嚢から一振りの大剣を抜いて彼へと放り投げた。

 

 それもまた、黒い大剣。まるで何かから分かたれたかのごとき歪な形状を持ち、一種の魔力が充溢(じゅういつ)するその刀身は光を飲み込むかのように艶無く照らされている。【黒い鳥】がその持ち手を手にすると、剣はまるで彼自身に反応するかのように、満ち満ちた魔力を更に増して見せた。

 

「大盤振る舞いだな」

 

【黒い鳥】は二つの大剣を構えて、咆哮する【王子】に相対した。仲間達と共に、強大なる怪物に挑む。それは一見英雄譚の一節の如き光景であった。だが、その実、これから行われるのがただの蹂躙である事を知るのは、【黒い鳥】と共に在る仲間達だけであった。

 

 

 

 

 

 その頃。ルームに残された極彩色の魔石のモンスターの灰によって構成された小高いと形容できるほどに積み重なった灰の山の一つが、人知れず燃え始めた。そこから発せられる焔は周囲のそれ同様の紅蓮では無い。漆黒。物理的な重みを持つ黒い炎が轟々と燃え盛り、そして特に強く炎が生まれ出でた山の頂上で燃え盛る黒炎の中から、まるで引きずり出されるかのように人影が現れた。

 

 襤褸(ぼろ)の様なみすぼらしいローブを身に着けフードを目深に被ったその姿は、一見頼りなき影のよう。僅かに除く口元は老いさらばえた老人か、あるいは遥かな時間を経た大樹の肌の様にしわがれている。しかし、その周囲には黒い炎がまるで従者の如く渦巻き、異常としか言いようの無いほどの破格の魔力を覆い隠している。

 

 追随するように黒炎の内より現れた木の根にゆっくりと腰掛け、影は【黒い鳥】らと【王子】による眼下の激闘を見据える。そのフードの奥に隠された瞳は、身に宿す絶大な力や妄執を暗に示すかのように、赤く赤く輝いていた。

 

 

 

 





前話分で不足したフロム性の補填回です。
多分今後も幕間はフロムマシマシになりそう。

いろいろと物騒な現在ですが、家で大人しくエルデンリングの新情報とアーマードコアの情報が来ることを常に願っております。

次回からは地上でのルドたちの動向がしばらく続くかと思います。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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29:【冒険者依頼】


分割前半、25000字くらいです。

総合評価が8000行ってました。これ程評価していただけるとは、文を書き始めた時は思っておりませんでした。
全ては素晴らしい原作とリスペクトする先達、感想評価お気に入り誤字報告等してくれる読者の皆様方のお陰であります。

これからも細々とやっていけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 

 【ギルド】支部、エントランス。

 

 先日のミノタウルス騒動の騒ぎも表面上は収まり、普段と変わらぬ冒険者達の行き交う場所へと姿を戻しているそこだが、昼時ともなれば冒険者らもギルド職員も食事に向かい、人も(まば)らとなる物だ。

 

 その中で私は、自身のファミリアを担当する【ラナ・ニールセン】を向かい側にして椅子に腰掛け、【止り木】が休みの間エリス神がどう過ごすつもりなのかという質問に、昨日の会話を想起しつつ答えていた。

 

「…………つまりエリスの奴、【止り木】が休みになったから別の仕事を見つけてきたと? 本当なのか?」

「ああ。【止り木】が休みの間、摩天楼(バベル)にあるヘファイストス・ファミリアの店で働くそうだ…………正直、驚いたよ」

 

 茶を(すす)りながらに目を細めるニールセンに、私は愛想笑いと、乾いた笑い声を返した。

 

 【神会(デナトゥス)】の翌日となる今日(こんにち)。エリス神に半ば追い出されるような形で本拠(ホーム)を後にした私は特にやる事も無く、気まぐれに【冒険者依頼(クエスト)】でも請けてみるかと思い立ってギルドを訪れていた。太陽は昇っているものの夜の冷気が未だに残り、肌寒さを感じさせる時間帯にだ。

 

 本来であれば、掲示板に依頼が張り出される事の多い丁度今頃を見計らって訪れたかったのだが…………エリス神に追い出されたタイミングの早さがそれを許さず、ギルドを訪れて以降も、ギルドを行き交う人々を眺めたり、あるいはこうしてニールセンと言葉を交わすなどして時間を潰す事になっている。

 

 これと言うのも今日は家に【ヘファイストス】神が訪れるらしく、万が一にも<月光>を目に止められるのは拙い、と言うエリス神の考えに従った結果であった。その考えの正しさは疑う余地も無い。彼女が<月光>の危険性をそれなりに理解している事に感謝の念を抱きつつ私はそれに強く同意して、共に鍛冶の神の目を引きかねない品――――持ち切れぬ<血晶石>やら狩り道具やらを自室に押し込んだ。

 

 エリス神にはヘファイストス神が間違いなく帰っているであろう夕方まで家に戻らぬようきつく言い含められている。その為にこうして休憩中のニールセンと会話を交わしつつ依頼が張り出されるまでの時間を過ごす事になったのだ。だが先日までミノタウロス騒動に伴う聴取やらで多忙だった私にとって、それはむしろ、久方ぶりに穏やかな時間を過ごす口実になっている節もあった。

 

 …………そう言えば、家を後にしようとした時の事だ。一週間ほど後に都市の闘技場(コロッセオ)で行われると言う催しのチケットを前に唸っている彼女に声を掛けたのだが、何やらよくわからない逆鱗(げきりん)に触れてしまったらしく、随分(ずいぶん)と強引に付き合うように迫られ結局その剣幕に圧されてつい首を縦に振ってしまった。

 

 困る事では無いのだが、そこにはどうにも違和感がある。そもそもとしてどうやってあのチケットを手に入れたか分からない。それなりに値段は張る物ではないのか? 「眷族へのご褒美みたいなもの」と言う彼女の動機そのものはあり難いものだが……何も企んでいない事を祈る他あるまい。

 

「…………しかし、奴が働きたがるなど(にわ)かには信じ(がた)いな。気質からすればだらだらと過ごしたがりそうだが」

 

 思索に沈む私を他所に、まるで心底意外だとでも言いたげにニールセンが口を開いた。それを聞いて、私は彼女のエリス神に対する評価を否定しきれない事に少々可笑しさを感じながらも、エリス神が如何にして仕事を手に入れてきたかを想起し、彼女の名誉の為にもニールセンに説明する。

 

「最初は本人もそうするつもりだったようだが…………家計簿でも眺めて心を入れ替えてくれたのかもしれないな。まさか、エリス神自らヘファイストス神に直談判(じかだんぱん)して仕事を貰ってくるなどとは夢にも思わなかったがね」

 

 笑いながらに肩を竦めて、薄っすらと湯気を揺らめかせる茶を少し(すす)る。少しざらざらとした舌触り。珍しい物だなと感じて、私はグラスに注がれた渋い緑色の液面を見た。

 聞けば、東方の島国で好まれていると言う品らしい。いつだか、まだ狩人としての道をゲールマン(おう)の元で歩み始めたばかりの頃、<(からす)>が東国より来たった行商から調達して来た物の中に似たような物があった覚えがある。

 

 あの時は確か口にした者は皆あまりいい顔をせず、結局はマリアの提案で紅茶を煎れ直した。<烏>の奴はそれを大層恨めしげに眺め、結局は機嫌を損ねて工房を出てねぐらに戻っていったのだったと思う。あれ以降、彼は手に入れた嗜好品(しこうひん)を自分だけで楽しむようになったのだったか。

 

 懐かしい日々だ。…………まぁ、今となってはその味も思い出せないが。

 

 そんな感傷に浸りながら味の分からぬそれを啜って喉を潤していると、ニールセンは(いぶか)()な顔で何やら思案するように腕を組んで、それから私にエリス神の行動について尋ねて来た。

 

「………………ふうむ。ルドウイーク、エリスの奴から詳しい話は聞いてあるのか? その、仕事とやらについて」

「いや、今日ヘファイストス神を家に招いて、細かい部分の調整をするらしい。それで邪魔だと追い出されてしまって、今ここに居る訳だが」

「ふむ……?」

 

 疑念に満ちた顔でニールセンは口をきつく結び、目を閉じて何やら思索を巡らせ始めた。

 

 確かに、エリス神が自ら仕事を取ってくるなど、以前までなら考えにくい事ではあったが…………流石に失礼と言う奴ではなかろうか。彼女は実際に仕事を取ってきて、ヘファイストス神も動いている。エリス・ファミリアの復興を目指す彼女の熱意に疑う余地はあるまい。だがニールセンはそうは思っていなかったようで、私に怪訝そうな視線を向けながらに口を開いた。

 

「ルドウイーク、お前まさか、エリスの奴の言う事を信じているのではあるまいな」

「信じる? 騙す理由がないだろう」

「それはそうだが…………家でずっと寝ているよりはマシか。給料の入り方にだけは目を通しておけよ」

「言われんでも」

 

 正直なところあまり心配はしていないが、私は彼女の言葉に同調するかのように首を縦に振る。流石にエリス神が面子を気にして見栄を張りたがる神格(じんかく)の持ち主とは言え、そこまであからさまではないだろう……。

 

「……さて、休憩も終わりだ。私は戻るぞ」

「そうか。すまないな、暇つぶしに付き合ってもらって」

「構わん。担当冒険者とのコミュニケーションも仕事の内だ。ではな」

 

 彼女は私が飲み干したグラスと自身のグラスを手に取ると、早々に立ち上がり仕事に戻って行った。その背を見送ったのち、私はちらと依頼の張り出される掲示板へと目を向けたが、まだ依頼書の張り出し作業は行われていないようだ。私はソファに深く(もた)れ掛かり、白磁の神殿じみたギルドの天井に目を向ける。

 

「あ! ルドウイークさーん!」

 

 その時、自身の名を呼ぶ声を耳にして私は上を見上げていた視線を戻した。視線の先には、小柄な人間(ヒューマン)の少年。それなりに見知ったその姿を目にした私は、気負う事も無く穏やかに笑って彼の呼ぶ声に返事を返した。

 

「やあ、ベル。今日はどうした?」

「えっと、レベル2になったので、これからの事でエイナさんに相談しに来たんです」

「その件か。エリス神もとても驚いていたよ……私からも祝わせてくれ」

「ありがとうございます! それで今日は、ちょっとお話がありまして……」

「ふむ。それもいいが……その前に、そちらの彼は?」

 

 言って、私はクラネル少年と共に現れた人間(ヒューマン)の青年に視線を向けた。

 

 まず目を引いたのは血……いや、いつか<火薬庫>の工房で見た燃え盛る炎を思い出させる赤い髪。その長さは全体的に短いが整然とはしておらず、ただ邪魔だから短くしたという動機が透けて見える。体格は隣に立つクラネル少年に比べれば恵まれているようで頭一つほど高い。歳の頃もクラネル少年に比べて多少上だろう。

 

 私は立ち上がって、視線を下げて彼らの事を見下ろす。すると赤髪の青年は自身の利き腕と思しき右手をこちらに差し出して、男らしい低い声で自らの名を名乗った。

 

「【ヴェルフ】だ。二つ名はねえ。ちと事情があって、ベルとパーティを組んでもらおうと思ってるモンだ。よろしく、ええと……」

「<ルドウイーク>だ。二つ名は……【白装束(ホワイトコート)】、だったか。『二つ名』と言う奴にはまだ慣れなくてね」

 

 彼の差し出した手を私は握り返す。その手の平は硬く、何かを常に握りしめている者特有のそれだ。その点でも、私は嘗ての工房の職人たちを思い出す。彼らの多くはヤーナムを守らんとする狩人達を支える正に柱の如き存在であった。すると、彼も同調するように口元を緩めて小さく笑う。

 

「この街には長くねえって聞いたぜ。そんなもんさ。ところで、ええと……ルドさんでいいか? いきなりで悪ぃんだけど、ちと頼みがあるんだが……」

 

 握手した手を離した彼は少々ばつが悪そうに後頭部に手をやって歯切れ悪く言葉を紡いだ。それに対して、私は穏健に応対するべく微笑んで返答を行う。

 

「好きなように呼んでもらって構わない。それで、何かね?」

「背中の剣、見せて貰えねえかな」

 

 その言葉に一転して、私は思わず表情をこわばらせた。背中の剣――――<月光>を見たいと彼は言ったのか? 何故? 少し驚いたように目を見開く眼前の青年に遠慮する余裕も無く、私は彼の姿に再び視線を走らせる。その身に付けた黒い衣装はあまり見る機会の無い様式の物だ。(かつ)てヤーナムに居た極東出身の狩人が身に着けていたものに似てはいる。

 

 …………だがそれよりも重要なのは腰に下げられた鍛冶道具と思しき幾つかの工具と、露出の少ない服装から僅かに除く肌が鍛冶師(スミス)に特有の火に焼けたものである事。私は自分の不用心さにめまいを起こしそうになった。鍛冶師達も常に自身のファミリアに籠っている訳では無い。こうしてギルドに赴いたりする事はままあるだろう。

 

 そんな当たり前の事を勘定に入れぬなど何たる失態だ! 私は激怒して地団駄(じだんだ)を踏むエリス神の姿を幻視して内心頭を抱えた。もしこのような事で月光の存在が明るみに出たとなれば間抜けにも程がある。エリス神も『あれだけ隠したいっていうから協力したのに自分の不注意でばれるとか何やってんですか!?』などと言うに違いない。しかし、こうして明るみに出てしまった以上対処しなければなるまい。一体どう誤魔化すか……。

 

 そこまで考えた私は、唐突に一つの気づきを得た。そして、その気付きが正しいかを確かめるべく眼前の青年に向けて声をかける。

 

「……………君が見たいというのは、もしやこの、袋に隠れている方の剣かね?」

「ん? ……あ、ああ、スマン! 俺が見たいのはそっち、その【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】の方だ。ウチの団長がそれについてなんだかぶつぶつ言ってんのを聞いてさ……もしダメってなら、全然構わねえんだけど」

「…………いや、構わんよ。好きにするといい」

 

 背の仕掛け大剣を彼に手渡した私は、彼らの見ている前だと言うにがっくりと肩を落として、大きく溜息を吐いた。

 

 ……まったく、我ながら何を早とちりしているのやら。そもそもとして、<月光>は人目に付かぬよう布で覆い隠しているではないか。一目でこの布の下にある物を見抜いたという可能性も無い訳では無いが……以前コルブランド殿と出会った際にそれが無かった以上、それよりも衆目に晒される形で背負っている仕掛け大剣に目が向く方がずっと自然だろう。更に言えば、仕掛け大剣は【ゴブニュ・ファミリア】の新製品として流通し始めてまだ一月も経っていない。普通に考えれば、まだまだ珍しい品のはずだ。

 

 鍛冶師と言うものに対して、(いささ)か警戒を向けすぎているな。過剰な警戒はむしろ怪しまれかねんし、丁度いい塩梅(あんばい)を見つけなければいけないか……。

 

 そう自身を戒めると、私は再びヴェルフへと目を向けた。彼は私の心中など気にも止めていなかったように、相当な熱意を持って仕掛け大剣を隅々まで精査している。そんな眼は以前にもどこかで見た覚えがあるな、などと私は想起して彼の発言を思い返し、自身の推理を確固たるものとするために一つの疑問を彼へと投げかけた。

 

「…………そう言えば鍛冶師と言っていたが、ヴェルフ君は何処の神の所属かね?」

「ク……じゃなくて、ヴェルフさんは【ヘファイストス】様の所の所属ですよ」

「なるほど、以前【コルブランド】殿も仕掛け大剣を見てヴェルフ君のように熱心に調べていたよ」

「団長を知ってるのかい」

「ああ。以前、仕掛け大剣を引き取る際に少しね」

 

 言いながら、以前(まみ)えた【椿・コルブランド】殿の姿を思い出す。鍛冶師としての熱意とその観察眼。かつて我々が狩り道具を任せた工房の職人らと比べても遜色なかろう。苦言を呈すのであれば、年頃の淑女にしては装いが少々開放的すぎる()()()があるとは思っているが…………まぁ、こちらの世界の常識を押しつけるのも野暮と言うものだ。私はそんな事を考えながら、ぎらぎらと目を輝かせるヴェルフに笑いかけた。

 

「今の君の眼と彼女のそれは良く似ているよ。彼女同様、君も高名な鍛冶師なのかね?」

「…………いや。まだ【鍛冶】のアビリティも持ってねえ半端モンさ。ま、すぐに『上』に上がって見せるぜ」

「そうか」

 

 私の言葉にしばし苦々しい表情を見せたが、ヴェルフはすぐに真剣な顔に戻って仕掛け大剣を観察し始めた。彼にも鍛冶師として、異界の武器たる仕掛け大剣に学びと気づきを見出しているのか。或いは、コルブランド殿同様、エドと言う男の技に思う所があるのか。あのエドの事だ。他の同業に嫌われていることは容易に想像できる。しかしその技術には、学ぶべき所があるのだろう。

 

 狩人としての規範、ヒトの様式美を逸脱していた<烏>の業を、結局は受け継いで行こうとする者が現れた様に。

 

「じゃああの、ルドウイークさん……」

 

 嘗ての同輩達を想起し思索に沈みかける私の意識を、申し訳なさそうなクラネル少年の声が引き戻した。私は一瞬はっとしてからすぐに表情を取り繕い、クラネル少年へと平坦な笑顔を向ける。

 

「ああ、すまないベル。話があるのだったね」

「いえ! すぐ済みますし大丈夫です! あっでもヴェルフさんは……」

 

 私の笑顔に対して心からのにこやかな笑みを浮かべて返すと、彼は首を巡らせてヴェルフを気遣うように問いかける。しかし当のヴェルフは眼前の仕掛け大剣に夢中で、傍から見ればぶっきらぼうとしか言えないような気の入って無い声でクラネル少年へと返事を返した。

 

「気にすんな。俺は隅でこの武器眺めてっから、終わったら声かけてくれ」

「わかりました! じゃあえっと…………」

「立ち話もなんだ、座って話をしよう。向こうのテーブルでいいか?」

「大丈夫です!」

 

 

 

 

 

「すみません、お待たせしました」

「いや。こちらこそすまないね」

「いえいえ! これくらい平気ですよ!」

 

 言って、クラネル少年は私の前に水の入ったグラスを置き、自身もソファに座って自らの手にしたままのグラスに口を付け、一度傾けた。

 

 ギルドのエントランスには、雑談やらに利用する者達の為に給水機が用意してある。当然タダではないが、それ程の値段がする訳でもない。恒常的にある水などお世辞には綺麗とは言えず、そのまま飲むなどヤーナムでは考えられない話だ。

 他の都市部では上水道の水が飲める様な技術の整備が始まっていたような話を聞いた事があったが……ヤーナムは辺鄙(へんぴ)な地方都市であり、水の入手は井戸に頼っている者が殆どだった。長引いた<夜>に水を求めて家を出て獣に襲われる……そんな死もありふれていた。

 

 だが、この様な技術があればそのような理由で命を落とす者は大きく数を減らしていただろう。口惜しいが、これもオラリオの魔石技術のなせる業だろうか。

 

 良く冷えた水によって温度が下がり、少しずつ水滴の浮き始めたグラス。未だに拭い去れぬ未練や感傷に苛まれながらそれを惜しむように置いた私は顔を上げて、クラネル少年へと問いかけた。

 

「で。一体相談とは何だね? 聞かせてくれ」

「はい」

 

 私の質問に、クラネル少年は珍しく迷いのある重苦しい声音(こわね)で応じ、言葉を探すように視線を一度私から逸らす。それに私が目を細めると、彼は諦めたように、あるいは意を決したように体を強張らせながらに口を開いた。

 

「実は……僕個人として、そろそろ『中層』への進出を考えてまして」

「ふむ」

「でも流石に、僕とリリだけじゃ怖いかなって思ったんです」

「成程」

 

 確かに、彼の懸念は正しい物だ。彼らが今まで冒険してきた『上層』に比べ、『中層』たる13層以降は出現する怪物たちの強さも、ダンジョン自体の環境が持つ危険度も比にならぬほどに跳ね上がる。そのあたりを、チュール嬢はクラネル少年に耳が痛くなる程に教え込んでいるのだろう。

 

 そこで私に対してこの話題を持ち出すというのなら……啓蒙のもたらす高次元思索が無くとも解る。まず間違いなく、彼の用事と言うのは一つだ。そして、私の予想を裏付けるようにクラネル少年は拳を強く握って、絞り出すように口にした。

 

「それで、ヴェルフさんを加えて三人パーティになるんで、それならなんとか行けると思うんですが……良ければ、ルドウイークさんにもそこに加わってもらえないかな、って」

「……ふむ」

「中層の……最初の13層とか14層なんか『最初の死線(ファースト・ライン)』なんて言われるくらいですから。出来れば、経験者の人に付き合ってもらいたいなと思ったんです。どう……ですかね……?」

 

 私はクラネル少年の言葉に彼らの実力と中層の危険性、そして自身を取り巻く状況を視野に入れた上でどう返答すべきか思案する。

 

 彼らを助けるという観点からすれば、まず同行するべきだ。先も想起したように、13層以降の危険性はそれ以前の階層とは比べ物にならない。例えレベル1時代に中層でも特に危険なモンスターの一体とされるミノタウロスを撃破しレベル2に至ったクラネル少年とは言え、そのミノタウロスは中層においてあくまで数居るモンスターの一体に過ぎないのだ。

 

 それに、そもそもとして彼に【ヘスティア・ファミリア】への道を示した責任もある。

 

 ――――だが。

 

「それは、少し難しいな」

 

 私の下した判断に、クラネル少年は口を真一文字に結んで視線を落とした。その小動物めいた雰囲気に申し訳無さがこみ上げるが、判断を曲げる訳には行かない。今の私は【エリス・ファミリア】の構成員。エリス神の意思の元で動くと自身に決めている。

 それに、【ロキ】神との同盟の件もある。現状ロキ・ファミリアの主戦力の殆どが遠征へと向かってしまっている以上、万一の時その穴を埋めるために私が動く事になるかもしれない。

 

 ――――大丈夫だ。彼らは私のように18層までの強行軍を行おうという訳では無い。クラネル少年を加えた三人ならば、問題なく13層を冒険する事は出来るはずだ。

 

 言い訳めいてそのような事を自身に言い聞かせると、私は無力感に顔を歪ませながらクラネル少年へと視線を向けた。

 

「……正直な所を言えば手を貸してあげたいのだが……エリス神の考えとの兼ね合いや個人的な事情もあってね。今はフリーでなければいけない時期なんだ。本格的なパーティとして君達の探索に付き合うのは、厳しい」

「そうですか……」

「すまない。このような返事になってしまって」

 

 私はクラネル少年へと頭を下げた。すると彼は慌てた様子でソファから身を乗り出してその私の謝罪を窘めた。

 

「いえいえ! 無茶言ったのはこっちですから! そ、そうだ! ルドウイークさんは、もう中層に行ってるんですよね? どんな感じでした?」

「一度だけだが……酷い目にあった。モンスターも手ごわく、環境も悪い。君も中層に挑むなら、徹底的に準備をしていくべきだ」

「そ、そうなんですか……わかりました」

 

 私の言葉に自身の中の中層に対する警戒をより強いものにしたのか、クラネル少年は難しい顔で眉間に皺を寄せてうんうんと唸り始める。冒険も狩り同様、警戒するに越した事は無い。それでも、予想外の出来事と言うのは往々にして起きるものだが……死ぬ可能性を減らす事は出来るだろう。

 

 そんな事を考えながら、それでも払拭しきれぬ不安に私まで顔を歪めていると我々の居る席に一人のギルド職員が急ぎ足で近づいてきた。そちらに視線を向ければクラネル少年の担当であるチュール嬢が幾つかの書類を抱えており、少々焦った様子でベルの元へと駆け寄ってくるところであった。

 

「お待たせ! ごめんねベル君、待たせちゃって!」

「あっいえ! 急に押し掛けたのは僕の方ですから!」

「ふふ、ありがと。じゃあ相談室の2番が空いてるから、そこで話そっか。いいかな?」

「はい! あ、ちょっとやる事があるので先に行っててもらっていいですか? すぐ行きますので!」

「わかった。じゃあ先行ってるね」

「はい!」

 

 恐らく、中層に挑む際の下準備の相談や注意点のおさらいと言った所か。嘗て市井の狩人達が教会の名の元で徒党を組んでいた時代には同様の光景が良く見られた。頭の悪い私に代わって<加速>や<マリア>やらが良く指揮を取っていたが……。

 

 またしても過去の想起に意識を傾け始めた私はそこで一度溜息を吐いた。これほど長くヤーナムから離れているのは初めてだからか、何かにつけて懐かしい景色をすぐに想起したがる。ホームシックか? 笑えんな。

 

 自分の情けなさに小さく笑いを零していると、それに気付く事の無かったベルが荷を背負って立ち上がり、溌剌(はつらつ)とした声で礼を述べて来る。

 

「じゃあルドウイークさん。僕はこれで!」

「ああ。余りヘスティア神に心配を掛けないようにな」

「あはは……前、こっぴどく叱られたばっかで……」

「だろうな。中層に行く時にも気を付けたまえよ」

「ありがとうございます! では!」

 

 気持ちの良い挨拶を残して2番の応接室へと向かうクラネル少年の背中を見送った後、私も席から立ち上がって冒険者依頼(クエスト)の掲示板へと目を向けた。そこには先程までは無かったいくつかの新しい書類が張りつけられている。私は一度、掲示板へと向かおうとそちらへと足を向け……ふと立ち止まって、仕掛け大剣(ルドウイークの聖剣)を観察し続けるヴェルフ君の元へと歩み寄って行った。 

 

「ヴェルフ君。お楽しみの所悪いが……そろそろ、構わないかね?」

「ん、もうそんな経っちまったのか…………ありがとよ、ルドさん。勉強になった」

「礼には及ばんさ。作ったのは私では無いしね」

 

 名残惜しそうに仕掛け大剣を差し出すヴェルフ少年から剣を受け取り、背負い直す。そして、改めて掲示板の方へと向かうべく彼に別れを告げようとするが…………その前に、鍛冶師である彼の眼がこの剣から何を読み取ったのか気になって、私は彼に訪ねてみる事にした。

 

「……一ついいかね? ヴェルフ君はこの剣、どう見る」

「そうだなぁ…………所見だけどよ、これを作った奴は相当だぜ。各部位の作りが一見大雑把に見えるけど、細かい所は本当に繊細に作ってある。でなきゃ幾つもの素材をこうも上手く組み合わせられるはずもねえ…………ええと、作者は【ねじくれ】エドだっけか」

「ああ。腕前に比して、大いに性格上の問題がある男だよ」

「ふうん、一度話が聞きてえな」

「やめておいた方がいい。本当に性格が悪いぞ、奴は」

「………………団長も、似たような事言ってたな。やめといたほうがいいのか……」

「その方がいい」

 

 どうやら、コルブランド殿からもエドの悪評は彼に伝わっていた様だ。エドのあの態度を考えればそれも仕方のない事だろう。……そこでふと、疑問に思う。あの二人の間には、何か因縁めいた物があるのだろうか。片やオラリオ最高の鍛冶師、片や腕は確かながらロクに仕事もしない難物。以前の取っ組み合いなどを見るに、同業の嫉妬と言う訳でも無さそうだが…………。

 

 そんな事を考えながら、私は悩むように腕を組むヴェルフ君のつぶやきに肯定の意を返し、今度こそ掲示板に向かうべくヴェルフ少年へと別れを告げた。

 

「では、そろそろ失礼するよ。クラネル少年をよろしく頼む」

「あいよ。その剣、次会った時はまたじっくり見せてくれ。そんじゃな」

 

 狩人の礼を向けた私はヴェルフ少年の元から離れ、足早に掲示板へと向かった。依頼の張り出されたばかりのそこには、既に幾人かの冒険者が集まり始め、張り出された冒険者依頼のどれを請け負うべきか吟味(ぎんみ)している。

 

 基本的にこう言った依頼の受託は早い者勝ちだ。張り出された依頼書の内容を確認し、依頼者の元に向かって改めて詳しい話を聞く。だが、その間には一度ギルドの受付に受託の確認を行う必要がある。数多ある依頼の中から如何にして()()依頼を見つけ出すかは冒険者それぞれの眼力に委ねられているが、実行不可能な依頼を受託させないためにギルドから一定のレベルに到達しているなどを初めとした条件が指定されている依頼もあるからだ。

 

 分不相応な依頼を請けた冒険者が案の定失敗すれば、依頼者からの信頼低下に繋がるのは自明の理。依頼の報酬からいくらかの手数料を回収しているギルドにとってはそれはあまりよろしい事では無い。そのあたりの判断はかなりシビアにさせて貰っているとニールセンも話していた。場合によっては、依頼を失敗した冒険者に対するペナルティが課される事もあるという。

 

 故に、依頼は良く吟味せねばならない。期日、依頼者、依頼内容、報酬の内訳、情報の信頼性など……場合によっては、今回依頼を請ける事を諦める事も視野に入れていかねばならないだろう。

 

 ひとまず、私はまず自身のレベルで請け負う事の出来る依頼を探した。普段はある程度探すのに苦労するのだが、今回は先日のミノタウロス騒動を受けてだろう、レベル2以上の冒険者を要する依頼はそれなりにあり数に困る事は無かった。となると次は報酬だ。

 

 基本的に、報酬の高さと難度の高さは比例する。難しい依頼に安い報酬を提示した所で誰も請けてくれはしない。当然、依頼者との交渉で報酬額を上げてもらう事もあるというが、そう言った技能の無い私は額面通りの報酬をしっかりと受け取る事を考えていた。

 

 幸い戦闘能力に関しては同格の冒険者達よりも高いという事は分かっている。ならばエリス神の為にも多少報酬の多い依頼を請けるのが私の役目だ。レベル1時代のダンジョンでの一日の稼ぎが10000ヴァリスとちょっとであったならば……内容にもよるが、25000ヴァリスも稼げれば十分、30000に届けば御の字だろう。基準を定めた私は掲示板を睨みつけるようにして、依頼書の報酬金額に目を通していった。

 

 9800ヴァリス、14000ヴァリス、22000ヴァリス、38000ヴァリス、26500ヴァリス、20000ヴァリス、140000ヴァリス、30500ヴァリス、23000ヴァリス………………。

 

「…………14万?」

 

 私は一度目を逸らした一枚の依頼書に再び目を向けた。数字の見間違いかと思ったが、そこには1と4、そのあとに4つの0が並んでいる。どう言う事だ? 明らかにその報酬額は逸脱していると言っていい。他の冒険者の何人かも口々に驚きの声を上げ、慌てて依頼の詳細を問い質さんと次々に窓口へと向かってゆく。私も身を乗り出し、依頼の内容に目を凝らす。そこには達筆な公用語(コイネー)でこう記されていた。

 

 

 

 

【捕獲依頼:クリスタル・リザード(結晶トカゲ)の捕獲】

【依頼者:クローム商会オラリオ支社】

【報酬:140000ヴァリス】

 

 先日上層、12階層で目撃証言のあった希少種(レアモンスター)、【クリスタル・リザード】の捕獲を依頼したい。

 

 対象はダンジョン全域に姿を現す特殊なモンスターであるが、一週間前、我が社と契約している冒険者が十数匹の群れを上層12層で目撃した。

 奴らの背負う魔石や表皮は様々な面で高い商品価値があり、その稀少さも含めて各商会が(こぞ)って手に入れようとしているものだ。我々もその例外ではない。

 

 今回この情報を手に入れ依頼を先んじて出す事に成功したのは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがないだろう。ムラクモやバージュの連中が動き出すにはまだ時間があるはずだ。このチャンスを逃す訳には行かん。

 

 そこでだ。今回の依頼、成功報酬ではなく、1匹捕獲するごとに提示された報酬を払おう。ケチケチした事は言わん。我々は成果には正しい対価を以って応える。

 

 この際誰でも構わん。オラリオでの我々の地位を盤石のものとするいい機会だ。朗報を待っている。

 

 ※先日のミノタウルス騒動を受け、この依頼の受託はレベル2以上の冒険者、或いはそれを含むパーティ限定とさせて頂きます。依頼の受託はギルド第三窓口、アディ・ネイサンまで。

 

 

 

 

 

 どうやら、この世界で争っているのはファミリアばかりではないらしい。今更になってそんな当たり前の事を考えながら、私は依頼内容を反芻(はんすう)した。

 

 捕獲任務。モンスターの捕獲などと言う発想は今までの私には微塵も無かった。だが、先日の【怪物祭(モンスターフィリア)】で調教(テイミング)されたモンスターが(もよお)しに使われる筈だったことを考えてみれば、そう言った仕事が存在しているのは想像に(かた)くなかっただろう。私の視野が狭いと言うしかない。

 

 しかし初めてダンジョンに潜ったその日、手加減したにもかかわらずゴブリンを殺戮して回った事を想起して私はどんよりとした心持ちとなった。この依頼、受けたとして本当に成功できるのか? 一匹捕獲ごとに報酬を出すとは書いてあるが、それはつまり捕獲できなければ報酬は出ないという事でもある。だが140000……その数字は余りにも魅力的だ。

 

 添付の資料を手に取って確認してみても、【クリスタル・リザード】……結晶トカゲと呼ばれるモンスターは強力とは言い難いモンスターらしい。危険性も低いようだ。ならば、その稀少さまたは捕獲難度の高さ。あるいはその両方がこの依頼の報酬をこれほどまでに高めていると見て間違いない。

 

 生活の為に禽獣(きんじゅう)を狩る真っ当な狩人と違い、我らは<獣狩りの夜>に狩りを行う異端の狩人。死体を調達した事は有れど、生け捕りをした経験は殆ど無い。私個人に至ってはゼロだ。だが、今置かれているファミリアの状況、そしてこの報酬額を(かんが)みれば――――

 

 

 

 ――――やるだけやってみるとしよう。失敗したとして、すぐにエリス神が破産するわけでもない。

 

 

 

 確かに困窮(こんきゅう)はしているものの、最近は最低限の生活を送れていると私は自負している。何せ、出会った頃のエリス神など日々疲れが抜け切れず死んでいたように眠っていたが、今はそのような事も無く、酒が関わらなければ健全な生活を送っているのだ。

 

 実際の所は、ヘファイストス神への借金も含めエリス・ファミリアの金銭事情が慢性的に窮地に瀕しているという事に他ならぬのだが…………慌てた所で、エリス神が長い時間をかけて積み上げたものをすぐにどうにか出来る訳でもない。狩りと同じく、やれるものを一つずつだ。私は依頼書の写しを一枚手に取り、受付に向かおうとする。その時だった。

 

「おっ、ルドウイーク。奇遇やん」

 

 かけられた、特徴的な(なま)りを持つ声。振り向いた私の前に居たのは小柄な赤髪の女神、ロキ。

 

 私はひと時、どのようにロキに対応するべきか悩んだ。【ロキ・ファミリア】との関係を知られる可能性が脳裏に過ぎったからだ。だが、周囲を見渡せば人の影も(まば)らで、それぞれが高額報酬の依頼に気を取られているのかこちらに意識を割いても居ない。それ以前に向こうから自然体で声をかけてきたのだ。むしろ、直ぐに応じない方が不自然であろう。私はそう結論付けて、眼前のロキ神に向けて深々と頭を下げた。

 

「これはロキ神、どうも」

「うん、どーもどーもや。儲かっとるか?」

「いえ。何とか生活できていると言った所です」

 

 神は嘘を見抜く。それを既に学んだ私は正直にエリス・ファミリアの台所事情を口にした。だがその無難な返答にロキ神は何故か憮然とした表情になって、腕を組みんで呆れたように溜息を吐いた。

 

「あんなぁ。そーゆー時はんな真面目腐っとる返答やのうて、とりま『ぼちぼちでんな』って返しときゃええんや」

「……神には嘘は通じないのでは?」

「だーっ、嘘と冗談は(ちゃ)うねん! 自分ホンマ真面目やな! 嫌いやないけど!!」

「ははは……申し訳ない」

 

 納得行かぬ様に喚くロキ神に外見相応の子供っぽさを見出すと同時に、嘗ての同輩達からの評価を思い出し私は苦笑した。<加速>に何度『お前は冗談が通じない』と愚痴られたことか。それをしばし懐かしんで一抹の寂しさを感じ、だが私はそれを表に出さぬよう、今現在多くの眷属達を遠征に送りだしている筈のロキ神が何故この場に現れたかという疑問を彼女にぶつけた。

 

「……しかしロキ神、貴女は何故ここに? 私に用があったようには見受けられませんが」

「ん、ああ。ちーっとばかし気になる事があってなあ。【ジャック】の奴を探しとったんやけど…………ルドウイークでも構へん。ちゅーわけで、質問ええか?」

「ふむ? 構いませんが……私に答えられる質問なのですか?」

「問題あらへんて。エリスにも関係しとる事や」

 

 エリス神()()? その物言いに私が更なる疑問を覚え、思わず身構えた。彼女が言っていたジャックと言うのは、恐らく【ジャック・O】と言うギルド職員の事だろう。彼はエリス神も認めるほどの厄介者だと聞いてはいるが、そのような相手に対する用事とエリス神がどのように関係があると言うのか…………私が足りぬ頭で必死にその意味を思案していれば、ロキ神はそれを気にする素振(そぶ)りも無く、率直に問いを投げかけて来た。

 

「…………聞きたいことっちゅーんはなぁ…………【止り木】、また休みんなったんってマジなん? いつ頃からなん?」

「あ、ええ。事実です。時期は…………確か、【神会(デナトゥス)】の頃には既に門を閉めていたかと」

「何で休みんなったかとか聞いとる?」

「……いえ、それは聞いてませんね。エリス神は保証のお金を貰えると言っていたので、彼女に責任がある事では無さそうですが」

「じゃあ、従業員らが何してるかってのも知らんか」

「申し訳ないですが、エリス神以外については、何も」

「ふーん……」

 

 こちらの返答に、ロキ神は思う所があったのか腕を組んで眉間に皺をよせ、への字に口を歪めてギルドの床に視線を向けた。話を聞くに、【止り木】の従業員たちの動向が気になっているようだが……それが彼女と、何の関係があるのだろう? オラリオの勢力闘争に関わる事であれば、私に分かるべくもないが……。

 

 彼女に合わせるように私は腕を組み首を傾げた。<マリア>や<加速>であれば多少はそう言った事情も見通せるのであろうが。そんな事を考えている内に、気付けば、ロキ神は何事かをぶつぶつと呟いている。

 

「……あんのジジイ、突然ウチに来よったと思ったらまさか…………いや、もうちっと情報を集めんと…………」

「……ロキ神? どうかされましたか?」

「ん、ああスマンスマン。十分助かったわルドウイーク! っと、なんか急に急用思い出したんで失礼するで! ほなまた!!」

 

 気遣う様子を私が見せると、彼女は取り繕うように笑顔を見せ、そのまま礼と別れの言葉を畳みかけて走り去ってしまった。

 

 ……どう言う事だ? 一体、どのような思索を以って彼女が礼を言う結論に達したのか。何故(きびす)を返して立ち去ったのか。私の知識と思考では及びもつかぬ。しばらくの間、私は無為に思索を重ねたが――――結局諦めて、依頼書の写しを手にギルドの受付で同じ依頼を目当てとする冒険者を捌き続けるギルド職員の元へと向かう。

 

 分からぬ事に悩んでも仕方ない。エリス・ファミリア復興の為にも、目の前の仕事をこなして金を稼ぐことに集中しよう。血ばかりがやり取りされ、金自体の価値が忘れられ始めたあのヤーナムに住んでいた私が言うのも何だが、金の力は強大だ。己が主神にその力が大いに欠けている以上、今後の為にも奮起せねばなるまい。

 

 私は改めて気合を入れると、レベルが足りずこの依頼に参加できない事を嘆く冒険者達をかき分け、ギルドの担当職員へと依頼書の写しを提出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 私が迷宮(ダンジョン)の入口に辿り着いた時、人が数人は入れそうな檻を背にして椅子に座った現地の担当職員の元に、既に何組かの冒険者達が集合していた。眠たげに目を閉じていた担当に問うたところ、今回の【クリスタル・リザード捕獲依頼】は依頼者の意向もあり、複数の冒険者の合同作戦となるらしい。

 

 ……それで歩合制(ぶあいせい)の高額報酬と言う、随分な大盤振る舞いに思える条件だった訳か。

 

 依頼者の意図を汲み取った私は心中で溜息を吐いた。合同任務と言えば聞こえはいいが、実際には商売敵(しょうばいがたき)と言った方が正しい。依頼者は歩合制とする事で多くの人員を動員しながら、最小限の出費に抑える。賢いやり方だが、不満が出そうなものだ。そう考えた所で私は気づく。そう言った文句を受け付けないための、高額報酬でもある訳か。

 

 つまりそれは、数多の獲物を捕まえる事が出来れば驚くべき程の儲けを得る事が出来る可能性を意味しているが…………同時に報酬ゼロでこの仕事を終える可能性どころか、最悪の場合は獲物の奪い合いが起きるかもしれない事も意味している。

 

 正直、困った。私は頭を抱えたい気持ちに襲われる。生涯でも初の捕獲と言う仕事だ。慎重に、様々な状況を加味して動きたかった所だが、他の冒険者達と競争ともなればそうのんびりとはして居られない。ここまでの道中、持ち帰った高額報酬によってひっくり返るエリス神を想像して楽しんでいたが、タダ働きの報酬ゼロによってひっくり返らせる可能性すら出て来た。

 

 どうしたものか…………。私は助けを求めるように周囲に目をやる。しかし周囲の冒険者達は如何にこの仕事を成功させるかを思案しているようであり、私の視線に気づくものなどいない。当然だろう。我々は商売敵。敵に手を差し伸べる者はいるかもしれないが、それは勝者の行いだ。戦う前からそのような行動に出る者などいない。

 

 ならば、どうする? 悩んでみたはいいが、全くいい案が浮かばない。私は危機に陥った時の刹那的な状況判断はともかく、こう言った大局を見据えた判断が出来る人間ではない。かねてよりそれを重々承知していたが故に、狩人としては皆の先頭に立つ象徴としての姿勢に徹してきたのだ。

 

 だが嘗ての頼れる友人、同胞達も今は居ない。月光の導きも多くの場合窮地にしか訪れない以上――――正直に言えば、私にとってはこの状況も窮地と言うに十分過ぎる物なのだが――――自分の頭でどうにか解決策を考える必要がある。だが、いきなり無い頭を絞った所でそんなうまく行く筈も無く。しばし腕を組んで唸っていれば、私の耳に、後方から土とも石ともつかぬダンジョンの地面を踏みしめる足音が迫ってくるのが聞こえた。

 

 また、競争相手が増えるのか。若干憂鬱となりながら私はどのような風体(ふうてい)の冒険者が参じたのかと後ろを振り返った。

 

「ん、ルドウ()ーク。貴公も来ていたのか」

 

 私と目が合い、驚いた様な言葉を発したのは、他の冒険者とは一線を画した異装の剣士。大剣を背負い、翁の仮面で素顔を隠した彼女は、以前のミノタウロスでしばし道行きを共にした相手だ。名前は、確か――――

 

「――――【ルカティエル】殿…………でしたか?」

「ああ、間違っていない。私の名はルカティエルだ。…………そちらこそ、ルドウ()ークで間違ってはいないか?」

「……いえ、<ルドウ()ーク>です」

「すまない、それは失礼した」

 

 名を違えた事を知るとルカティエルは躊躇なく頭を下げた。それを見て、私は気まずくなって頭を上げるよう彼女に懇願する。

 

「おやめくださいルカティエル殿。そう気にする事はありません。名を間違われるのは、慣れていますので」

「そうか、すまない。そうだ。お互いレベル2なんだ。あまり、気遣う口調でなくて構わないよ」

「…………では、お言葉に甘えて」

 

 彼女の言葉に、私は肩の力を抜きその姿を改めて見据えた。装い自体は以前と変わりない。いや、よく見れば彼女は木製のバックパック――――或いは、簡易な柵のような物を背負っている。成程。確かに捕獲ともなればその為の装備が必要になる。捕獲対象のサイズにもよるが、まだ生きたモンスターを抱えたままで探索を行う訳にもいかんからな…………。

 

 私はそれを理解して、自身の準備不足に思い至る。最低限ニールセンにでも捕獲任務のセオリーを問うてから来るべきだったか。しかしその考えも今となっては意味がない。私は、改めて重苦しい気分に押しつぶされそうになりながらも、とりあえず会話で場を繋ぐべく眼前の彼女に尋ねた。

 

「……ここに来たという事は、ルカティエル殿も捕獲任務に?」

「ああ。あれ程の高額依頼は滅多に無いからな。上手く行かなければタダ働きだが……それでも並の依頼を五度こなすよりも儲けが大きいんだ。来ない理由はない」

「考える事は皆同じ、と言う訳か」

「それにしては、意外と人の集まりが悪いように思えるがな」

 

 周囲を見渡す彼女に(なら)って、私も周りの冒険者達に目をやった。周囲には、自身と彼女を含めて五つほどのグループがあり、それぞれがパーティを組んでいるか、あるいは単独(ソロ)の冒険者のようだ。仲良さげに談笑をする者、装備の確認をする者、或いは、これから行われる任務に人生でもかかっているのかと思えるほどの深刻な顔をした者と、数は少ないながらもそれぞれが全く異なる表情を浮かべている。

 

 彼らにも、やはり事情がある訳か。そんな当たり前の事を私がしみじみと考えていると、ルカティエルは彼らの顔をまじまじと確認して、どこか興味深そうに頷いた。

 

「しかし、今回は随分と個性的な面々が集っているな。依頼内容からしても、むしろ自然なのかもしれないが」

「そうなのかね? ……私は、他の上級冒険者に詳しくない。良ければ、教授してもらいたいんだが」

「ふむ? 貴公、随分と手練れに見えたが…………まぁ、私もここに居る全員を知っている訳では無いがそれでもいいか?」

「頼む」

「分かった。まずはそうだな…………」

 

 私の願いを快く聞き入れ視線を巡らせるルカティエル。彼女はしばらく品定めでもするように冒険者らを眺めていたが、その内の一人、空色のウェーブの掛かった長髪の何処か生気の無い顔で溜息を吐く女エルフに目を止めると、単独(ソロ)と思しき彼女の事を顎で示して、その素性について語り始めた。

 

「あそこで暗い顔をしているエルフ、彼女は【エイ・プール】と言う。レベル3の射手(アーチャー)で二つ名は…………むう、何だったかな、忘れてしまった。それはまあいいとして、とにかく支出の多い冒険者と評判でな、収入の割に大分ひもじい思いをしているらしい。にしても、任務の開始前からあんな顔をしているのはどうかと思うが」

「レベル3ともなれば引く手は数多だろうに。どういう事だ?」

「ああ。何でも、自動で相手を追尾する矢を作ったのはいいが、その(やじり)に宝石――――魔導士が杖の先に付けているような奴を使うらしくてな。制作にかかる金が凄まじい事になっているらしい」

「ならば、それを使うのを止めればいいんじゃないか?」

「同意見だが、何か事情があるのかも知れん。詳しくは流石に知らんよ」

 

 私の疑問にルカティエルは肩を竦め、そこで説明を打ち切った。なんという事だろう。事情があるのだとは思っていたが、まさか自身の使う武具によって困窮しているなどとは夢にも思わなかった。きっと、相当苦労しているに違いない。私は思わず彼女を励ますべきか悩んでしまったが、同様に困窮した状況にある自身が手を差し出そうなどと、正に傲慢極まりないと言えよう。そう考えた私は、胸中の何とも言えぬわだかまりを無視して、次に尋ねるべき冒険者らに視線を向けた。

 

「そうか…………では、あそこの三人は?」

「あれは……また、珍しいな」

 

 私が示した男三人組のパーティを見て、ルカティエルは驚いたように呟いた。犬人(シアンスロープ)人間(ヒューマン)、そして小人(パルゥム)。種族も装備も統一性の無い一見即興のパーティとも思える彼らは、しかし気さくに長年の付き合いがあるかのように言葉を交わしている。その中で、最も若々しく勝気な表情を浮かべる犬人(シアンスロープ)の青年の事をルカティエルはつらつらと語り出した。

 

「あの犬人(シアンスロープ)の男は【猛獣(サベージビースト)】の【カニス】。レベル2だ。大口を叩く自信過剰で知られた男だが…………まぁ、実力が無いと言う訳では無い。(ちまた)では、それなりに有望だとはされていると聞いた事がある」

 

 大口を開けて笑う青年は彼女の示す通り、この依頼の報酬を如何にして使い切るか、そんな話を仲間達に対して語っていた。どうやら失敗する可能性など無いと断じているらしい。同じくらいの背の人間(ヒューマン)の肩を叩き、自信満々の言葉を口にしている。その、肩を叩かれ少し困り気味に苦笑いを浮かべている青年に目を向けて、ルカティエルは口を開いた。

 

「あちらは…………【ダン・モロ】、だったか? レベルは1だが……今回はカニスのサポーターか何かとしての参加か」

 

 青年は背に大きな麻袋を背負い、そして随分な軽装。一見サポーターかとも思ったが、通常のサポーターと違いダンジョンで使うべき道具類(アイテム)を殆ど携帯せず、武器の長剣一つを除けば麻袋以外には何の装備も無い。あれは、捕獲任務を想定した装いなのか? 疑問に思った私は一先ずルカティエルにその事を尋ねるべく声をかける。

 

「カニスを中心としたパーティと言う訳か。しかしあの軽装…………捕獲任務と言うのは、何か役割分担があるのか?」

「そうだな。捕獲とは言え、多くの場合戦闘があるものだが……捕らえたモンスターを放置しておく訳にも行かん。多くの場合は戦闘要員と通常のサポーター、そしてモンスターの運搬担当の三つの役割に分かれて行うのがベターだ。少なくとも、この類の任務の最大手である【ガネーシャ・ファミリア】ではそうした手法を取っていたはず。最低でも、戦闘要員とサポーターで二人は欲しいな」

「なるほど。ではあのパーティはカニスが戦闘要員、ダンが運搬要員、そして……」

 

 私は三人のうち最後に残ったカニスの言に辟易したような顔を見せる、これまでの冒険で幾度か邂逅した事のある小人(パルゥム)の男性に目を向けた。

 

「あの小人(パルゥム)、【RD(アールディ)】が通常のサポーターと言う訳か……」

「何だ、奴は知っているのか」

「ああ。元から有名人だし…………前に少し、話した事がある」

「そうか」

 

 ルカティエルの返答を聞きつつ、私は以前の彼との邂逅(かいこう)を思い出していた。最初のミノタウロス騒ぎの時もリヴィラでの騒動の時も随分と怖がられた物だ。嘗てのヤーナムで民草に向けられた悪意とも違う、及び腰のそれは私を複雑な気分にさせた。恐れられるのはどうにも悲しく、辛いと言う悲嘆と、己の()()を考えればその対応は間違っていないのだろうと言う諦観。

 

 私はいつの間にか足元に目を向け、小さく口元を歪めた。自嘲の笑み。だが、すぐに口元を結んでその思いを脳裏から追い出した。そう、今気にするべきはそれではないのだ。眼前の依頼を完遂し、エリス・ファミリアの復興に一役買わねばならない。この世界に残していく憂いを断ち、後腐れ無く故郷へと戻る。そうして、我が故郷に降りた<夜>の帳を払うのだ。

 

 …………だがそれも、不確かな事である。あの狩人が、私を狩り果たした<最後の狩人>が、既にヤーナムの呪いを打ち払い、あの街に夜明けをもたらしているかも知れぬ。むしろ、この世界に来て数か月が経っている今、あの狩人程の者であれば、そうなっていると信じた方が間違いないとさえ思えてしまう。

 

 もう悪夢を見る必要はないと、悪夢にて私を断じたあの狩人の言葉。あの言葉は、今でも先刻の事のように思い出せる。そうすると、ふと思ってしまうのだ。私は狩人の言う通り、悪夢と(よすが)の無いこの世界で、細々と生きて行くべきでは無いのかと。むしろ、狩人の言葉に従うのであれば、自らまたかの悪夢の地に踏み込もうなど恩を(あだ)で返すのと同義のはずだ。

 

 だが……私には狩人達の時代を築き、ヤーナムの多くの市民たちを狩りに巻き込んだ責任がある。例えあの街の夜が既に明けていたとしても、それを、この目で確かめなければなるまい。

 

 ――――その為にも、今は眼前の依頼に集中しなければな。

 

 そう、自身に言い聞かせて顔を上げると、いつの間にかRDは驚いたようにこちらに視線を向けていた。その内、彼は意を決したような顔でこちらに歩み寄ってきて、そして小さく頭を下げた。

 

「ども。お久しぶりっス。以前は助けてもらってあざっした……あの時は悪い事言っちまってすんません。姐さんにもさんざ怒られちゃいまして」

 

 RDは苦笑いしながら後頭部に手をやって、こちらを伺うかのように上目遣いで視線を向けて来る。私としてはそのように頭を下げてくれるのはとてもあり難かったのだが、身長差もあって、表情からこちらの意図はうまく伝わらなかったようだ。彼は少し怯えたように顔を歪ませ、しかしすぐに表情を引き締めて改めて私に頭を下げた。

 

「いや、自分でも悪いとは分かってんスけど…………どうにもビビっちまって。とにかく、ホント悪かったっス」

「…………気にする事じゃあない。むしろ、君のそれは才能と言い換えてもいいだろう。私の事は気にせず、これからも彼女の助けになってあげてくれ」

 

 彼の改めての謝罪に、私はそれを(たしな)めて、慰めるかのように彼の才能に言及した。

 

 実際、彼の才能――――恐怖を察知する才能、とでも言えばいいのだろうか。それには目を見張るものがある。彼の様な才の持ち主がヤーナムにもいれば、一体どれほどの人々が獣の爪牙から逃れる事が出来たか…………いかんな。何事もあの街に結びつけて考えてしまうのは私の悪い癖だ。ここはオラリオ。ヤーナムでは無い。少なくとも、こちらに居る間はこちら側の流儀に従うべきだろう。

 

 そんな事を考えている内に、私の言葉に安心したのかRDは何処となく照れくさそうに視線を明後日の方向に向けて、少々にやつきながらに答えを返した。

 

「そうっスか? へへ……じゃあすんません、失礼するっス。もしサポーターが要り様だったら声かけてくださいっス。自分ら仕事はいつでも大歓迎なんで! じゃ!」

 

 そう、自身達を売り込む言葉を残すと、彼は自身のパーティと思われるカニスとダンの元へと駆けて戻って行く。その背中を見送って微笑む私に、ルカティエルは肩を竦めた。

 

「さて。正直、今居る面々で私が説明できるのはこの程度だ。無学ですまないな」

「いやいや、十分勉強になった。では、私達もこのあたりで――――」

 

 それぞれ準備をしよう、と言おうとした私は、こちらに向かって来る大勢の足音を耳にして、思わずそちらを振り向いた。

 

 姿を現したのは。統一された装備の強靭な男たち。望遠鏡に近しい物と思われるレンズの付いた兜と鈍色の鎧をそれぞれが身に着け、そして大型のクロスボウを背負ったその姿は冒険者と言うよりも軍隊と形容した方が正しいだろう。

 

 そしてその先頭に立ち、彼らをまるで臣下のように従える少女。プラチナブロンドの長髪と百合の髪飾り、蒼い瞳に白磁の如き肌。純白の、しかし確かに戦闘用の改良が成された戦闘衣(バトルクロス)を纏うその姿は、オラリオ中の神々の注目を集めると言う【剣姫】と並べても遜色のないであろう美貌の持ち主だ。

 

 そして何より――――この場に集った冒険者達の中で、最も強い。そう自身の直感に警戒の音を鳴らさせる彼女へと目を向けると、ルカティエルも驚いたように小さく声を上げた。

 

「まさか、あれは…………随分な大物が出て来たな」

「大物…………一瞬良家の令嬢かと思ったが、どうやらそうでは無いらしいな」

「当たらずとも遠からずだ。彼女はウォルコット…………【リリウム・ウォルコット】。【剣姫】に並ぶという才の持ち主で、10歳から冒険者になって僅か4年で既にレベルは4。ランクアップも目前とされ、すぐにでも【剣姫】に並ぶとすら言われた天才だ。まぁしかし、【剣姫】の方がレベル6になってしまったので、彼女を超えるというのは当分先になるだろうが…………相変わらず、風格があるな。【次代の女王】などと噂されるだけはある」

 

 確か、クラネル少年もそのくらいの年頃だったか。それでレベル4とは……才能もそうだが、本人も相当努力を重ねているのだろう。露出の少ない白の戦闘衣(バトルクロス)の袖から僅かに覗いた肌に幾つかの生傷を垣間見た私は神妙な顔でウォルコット嬢を見据え、その後先程のルカティエルの言葉の中に一つの疑問点を見出して問い質した。

 

「先ほど当たらずとも遠からず、と言っていたが……どういう事だ?」

「ああ。ウォルコット家はオラリオでも長い歴史を持つ冒険者の一族だ。その長い血筋の中でも、彼女は最高傑作だと持て(はや)されている……実際はどうか知らないが、恐らく真実だろうな。今回は是非、お手並み拝見と行きたい所だ」

 

 その様な会話を交わす我々の事など視界に無いかのように一団は待機場所とされているギルド職員の周囲に辿り着いて、装備の確認等をし始めた。先頭に立っていたあの少女、ウォルコット嬢も背負っていた背嚢を下ろすと、中から幾つかの骨組みを取り出して、慣れぬ手付きでそれを組み立て始める。

 

「ふむ……あれも、運搬用の(かご)か?」

「だろうが……あれを彼女自身が持つつもりか? 手の空いている者は他にも大勢いるというのに」

 

 私の質問に答えながら首を傾げるルカティエル。確かに、彼女は付き従う者達より明らかに格上の存在であり、籠の運搬など彼らに任せ、戦闘要員として矢面に立つべきに思える。だが、籠を組み立て終えた彼女はそれを他の者達に渡す事も無く一度は下ろした背嚢と共に無理矢理に背負って、そして他の冒険者達と同様に依頼の開始時間をその場で待ち始めた。

 

 その姿は先程私が学んだ捕獲任務のセオリーからは明らかに外れた姿だ。だが、思索を巡らせたところで結局彼女の姿からその意図を見出す事が出来る訳でも無く。揃って首を捻っていた私は考えるのを諦めて、隣で同様に彼女の意図をお見出そうとしていたルカティエルに声をかけた。

 

「……分からない事をあまり悩んでいても仕方ない。そろそろ、お互い準備を始めよう。今回は、本当に世話になった」

「ん、いや、礼には及ばんさ…………ところで、貴公に一つ提案があるんだが」

「む、何だね?」

「今回の任務、私と合同で挑まないか?」

 

 隣に立つルカティエルの突然の提案に、私は正直困惑した。そして思わず疑問の言葉が口を()く。

 

「それは……何故?」

「まぁ、理由は二つある。まずは貴公の実力だな。私一人となると……また未確認モンスター(アンノウン)が出た時、万一と言う事がある。だが、貴公も居れば何とかなるかもしれない、と思ってね」

 

 確かに、彼女の言い分には一理ある。先日のミノタウロス騒動の際我々が遭遇した未確認のモンスター。あれが万一また出現すれば、レベル2の冒険者だけでは手に負えないだろう。その点、私の力ならあの怪物をどうにかする事は可能だ。

 

 ――――だがそれも、他の冒険者に戦闘する姿を見られなければの話だ。あの怪物を倒そうとすれば間違いなくレベル2の偽装を続けるのは不可能。故に、その点を考えるのならば私は単独で行動したいのだが…………ひとまず、残りの理由も聞いてから判断しても遅くはあるまい。私は視線で次の理由についての話を促すと、ルカティエルはその意志を正確にくみ取って頷いた。

 

「次はそうだな……私は先程、捕獲任務は役割分担をするべきだと言っただろう?」

「ああ」

「だが、ここに私は単独で現れた……少し、不自然ではないか?」

「…………言われてみれば、そうだ」

 

 顎に手をやって、私は彼女の問いに首を縦に振る事で答える。成程確かにおかしい。本来であれば、捕獲任務に挑むのであれば最低でも二人は欲しいと彼女は口にしていた。ならば彼女ももう一人を伴って現れるのが筋の筈。だが実際には単独……何かあったのか?

 

 そのような考えを視線に込めて私が彼女の翁の面を見据えると、彼女は視線を逸らし、そしてどこか恥ずかしそうな雰囲気を漂わせながら語り出した。

 

「実はな……本当ならば、兄が戦闘要員を、私がサポーター役をする予定だったんだ。だがここに来る途中兄が急に体調を崩してしまってな。端的に言えば、パーティに欠員が出ている」

「成程、私はその穴埋めと言う訳か……」

「ああ。だからどうか、今回の任務に協力してはくれないか? 貴公は腕も立つし、何より誠実だ。報酬についてはそちらが六割で構わない。頼む」

 

 言い終えると、ルカティエルは姿勢を正し、そして真摯に頭を下げた。その姿を見ながら私は思索を巡らせる。彼女の申し出は、むしろ願っても無い話だ。私には捕獲任務への慣れなど皆無で、獲物を捕らえておくための檻や籠と言ったものも用意していない。そもそもとして獲物の姿も憶測無いのだ。だが、ここでオラリオの冒険者たる彼女に同行してもらえれば、その問題が一挙に解決する。

 

 断る理由は、見当たらなかった。

 

「…………報酬だが、五分五分で良い。むしろそちらが六でも構わない。実はな、私も捕獲任務は初めてで、正直右も左も分からないんだ。むしろ、こちらから同行をお願いしたい所だった」

「ありがとう。よろしく頼む。……報酬の件だが、こちらから言い出した事だ。そちらが六、こちらが四。それで構わないか?」

「それはそうだが……本当にいいのか?」

「ああ」

「……何から何まで、本当にかたじけない」

 

 真実を口にした事が功を奏したのか、彼女は予想だにしないほど素直に取り分について譲歩してくれた。それを受けた私は、先程の彼女と入れ替わったのように深々と頭を下げる。それがルカティエルの琴線に触れたのか、彼女はどこか楽しそうに肩を震わせて、小さく笑った。

 

「何。私も昔、見ず知らずの戦士に随分と世話になった事がある。巡り合わせと言う奴か? こう言うのは、また別の誰かの助けになる物だ」

 

 言って、彼女はまた肩を震わせた。……表情こそ見えないが、楽しそうに笑っているのだろう。私もつられて笑みを浮かべ、肩を竦める。その時だった。

 

「おう、それじゃあそろそろ時間だ。事前説明始めるぜ。【クリスタル・リザード捕獲任務】の参加者はもうちょいこっち寄ってくれよな」

 

 椅子に座り半ば眠っているかのように動かなかったギルド職員――――精悍(せいかん)な顔つきの、むしろどこか冒険者めいた雰囲気を漂わせる人間(ヒューマン)の男が立ち上がり、周囲の冒険者達を一瞥(いちべつ)してから呼び集める。そして、冒険者達が集まったのを確認すると(ふところ)からメモと思しき書類を取り出して、そこに視線を走らせながら依頼の詳細を説明し始めた。

 

「依頼主はいつもの……って程依頼回してこねえけど、クローム商会。そんで捕獲任務だ。内容はもう分かってるよな? 手短に行くが、とりあえずクリスタル・リザード…………結晶トカゲを捕獲したら連れ帰って俺の後ろの檻にぶち込んでくれ。その数をこっちで記録して証書を出すから、それをギルドで換金してもらうぜ。ちと手間かもしれんが、報酬額から考えりゃ軽い労働だろ。作戦時間は開始から4時間。先方は出来るだけ捕まえてほしいみてえだから多少は待つが、出来るだけそれまでには戻って来いよ。なんか質問は? ねえな。じゃあ――――」

「お待ちください!」

 

 素早く(まく)し立てて質問を応答を流そうとするギルド職員に、少女の声が待ったをかける。皆が声のした方に振り向けば、今回の参加者達の中で最後に現れたリリウム・ウォルコット嬢が控えめに、しかし礼儀正しく片手を上げていた。

 

「リリウムは質問があります。よろしいですか、【オニール】様」

「…………手短に頼むぜ」

「ありがとうございます」

 

 とこか気だるそうに答えたギルド職員。しかし、その気持ちも分からないでもない。しかし、そんな彼の様子も何のその。許可を得て一歩前に歩み出たウォルコット嬢は、透き通るような綺麗な声でギルド職員へと質問を投げかけた。

 

「リリウムは今回、罠を仕掛けて結晶トカゲ様を捕まえようかと思っているのですが、そもそも、罠をダンジョンに仕掛けるというのはギルドとして何か不都合があったりはしないのでしょうか。もし問題があれば、教えて頂きたいです」

「んん? 人海戦術じゃあねえのか、その頭数で?」

「ええと、【サイレント・アバランチ】の皆様はリリウムの護衛として参加してくださっているだけで、依頼とは関係ありません。『大人(ターレン)』には一人でも大丈夫だと申し上げたのですが……」

「んまぁ、お宅らの身内事情はどうでも……いやなんでもない」

 

 ウォルコット嬢の言葉に興味無さげな態度を一瞬見せた職員はしかし、【サイレント・アバランチ】なる冒険者らの面々から飛ばされた鋭い殺気を察知して素早く言葉を撤回した。そして、ゴホンと咳払いを一つしてから、改めて彼女の質問に答え始める。

 

「とりあえず罠の件だが、撤退する時しっかり片付ける様にしてくれりゃあ問題ないぜ。つか、あれだ。どう言う罠かは知らねえが、もし別の冒険者が引っかかってトラブったりしたところで、ギルド(こっち)はダンジョン内でのいざこざにまでは関知しない。そっちはそっちでうまい事やってくれれば俺らの事は気にしないで構わないぜ」

「わかりました。お答えしていただいて、リリウムは安心しました」

「そりゃどうも。で、他になんかある奴はいるか? …………いねえな」

 

 質問に答え終えたギルド職員は、先ほどの説明の時よりも少し間を取って、今度こそ質問を締め切った。そして手にしていたメモを懐に仕舞い、代わりにどこか武骨さを感じさせる懐中時計を手に取って、しばしタイミングを計った後、冒険者たちの顔を改めて一瞥して、合図を送る様に片手を上げた。

 

「そんじゃあまあ、時間だ…………4時間後、この檻がいっぱいになるのを期待してるぜ。じゃ、始めてくれ」

 

 彼の号令と共に、冒険者達の多くが全力で飛び出し、それぞれダンジョンの入り口へと飛び込んでゆく。その様には鬼気迫る物さえある。彼らの勢いに唖然として思わず私は立ち尽くしてしまったが、規律正しく整列してダンジョンに消えてゆくリリウム・ウォルコット一行を見送ったルカティエルに怪訝な視線を向けられている事に気づいて、慌てて共にダンジョンへと足を踏み入れるのだった。

 

 

 





後編、【クリスタル・リザード(結晶トカゲ)捕獲依頼】に続く。



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30:【クリスタル・リザード捕獲依頼】

遅くなりましたが分割後半、34500字くらいです。

そう言えば前回の投稿の時には投稿開始から1年が経過しておりました。これも読者の皆様の応援と偉大なる原作のお陰です。

これからも感想評価お気に入り誤字報告等を通じてお付き合いしていただければありがたいです。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


 一斉にダンジョンへと足を踏み入れた者達に一歩遅れて、ルドウイークとルカティエルは目的の階層、ダンジョン12階層へと到着した。昇降路の周辺には他の冒険者の姿も無く、競争相手達の姿も無い。既に皆方々(ほうぼう)に散らばり、それぞれ獲物の姿を追っているようだ。

 

「さて、どちらから攻めようか」

 

 ルドウイークは共に歩くルカティエルに向け、首を巡らせて意見を求めた。二人は道中、既に役割分担を終えており、経験の浅い――――オラリオの冒険者としては、であるが――――ルドウイークが前線に立ち、経験者であるルカティエルが指示を出すと取り決めていた。

 

「ふむ…………」

 

 ルドウイークの問いを受けて、ルカティエルは腕を組みしばし思案を始める。12階層の構造は既にほぼ調べ尽くされている。先行した冒険者達もその情報を基に捜索を行っている筈だ。だが、依頼主からの情報は12階層という以外特にない。恐らく、あえて情報を絞る事で冒険者達に階層全域を捜索させ、更なる成果を狙っているのだろうが……。そう言った推察と経験を総合して、ルカティエルは判断を下した。

 

「そうだな、一先ず13層への昇降路周辺へ向かおう」

「ふむ、理由を尋ねても?」

「先に降りた冒険者達は、降りてすぐ、11階層への昇降路付近から捜索を始めたはずだ。つまり、この周辺の捜索は既に終わっている事になる」

「……まだ彼らの手が及んでいない、或いは後回しになっているであろう範囲から捜索を始めようという訳か?」

「理解が早くて助かる……行こう」

 

 ルドウイークは首肯を返して、ルカティエルに先行してダンジョンを進み始めた。急ぎながらも、慎重に。

 

 道中、幾度かモンスターの襲撃を受ける事はあった。だが、先陣を切るルドウイークも、後ろに付いたルカティエルも、この階層のモンスターなど相手にしない実力者。それが二人いるのだから、苦戦する事などありえない。突如生まれ出でたモンスター、立ち塞がったモンスター、二人に気づかなかったモンスター。その全てを例外無く撃破して、二人は13層へと向かう昇降路方面へと進んでいく。

 

 彼らの足取りは何一つ支障なく、十分ほどで昇降口に辿りつくのではないかと言うほどに順調であった。だが途中、幾つかの部屋(ルーム)に繋がる大きな十字路の手前に差し掛かった時だ。その手前、20M(メドル)程の距離でルドウイークが立ち止まり、片手を上げてルカティエルを制した。

 

「どうした?」

 

 その動きを訝しみ、彼の背に問いかけるルカティエル。ルドウイークは後方から受けた彼女の声に、前方を指差す事で答えた。

 

「あれを」

 

 彼の示す先。十字路の中心には罠があった。逆さにされた大きな編み籠。斜めにされたそれを支える、細い糸の結ばれた枝。籠の下に来た獲物を閉じ込め、確保するための単純に過ぎる罠。

 

 それは、如何なる偶然か、異世界の住人であるルドウイークでさえも良く見知っているような罠であった。しかしそれは、有用性や技術的な高度さがあったからでは無い。その稚拙さや、あからさまさを笑う寓話においてまず示されるような罠そっくりであったからだ。

 

 よく見れば、籠の下、影となっている部分には光を反射し煌めく小さな粒がばら撒かれている。餌であろうか? しかし、まさか、この世界においてはあれが有用な罠だとでも言うのか? 冗談だろう?

 

 そう、らしく無くルドウイークが困惑によって訝しみ目を細めていると、納得行かぬ様に首を傾げたルカティエルが口を開いた。

 

「あれは……罠、なのか? 幾らなんでも、あからさま過ぎる…………」

「安心した、いや、全く同感だ。と言うか、クリスタル・リザードは捕まえられるのか? あれで」

 

 さしものルドウイークも、この世界の罠のスタンダードがあれでない事に本気で安堵する。そしてルカティエルに、その罠の有用性についてを訪ねてみた。当然、罠としては落第点だという返答が帰ってくるものと思いながら。

 しかしルカティエルは、むしろその返答を聞いてより難しい問題に直面したかのように腕を組んで悩み出し――――しばらくして、落胆したかのように肩を落とした。

 

「……いや、むう。あの結晶トカゲ……クリスタル・リザードであれば、あの罠でも十分捕獲できるかもしれん」

「……………………それは、事実か?」

「あくまで恐らく、だがな」

 

 ルカティエルは吐き捨てるかのように(こぼ)した。まるで、自らの思案によって見出したその考えを彼女自身認めがたいようでさえある。ルドウイークはそれが気にかかった。彼女は戦闘能力自体は自身よりも劣っているのは間違いないのだろうが、冒険者としては自身よりよほど格上だ。そんな彼女が自身でも納得行った風に見えぬ答えを出すのは、如何なることか。

 

 ともすればこの依頼、自身が想像している以上に面倒な仕事ではないのか? ルドウイークもまた、己が啓蒙が見出したる想定に眉間に(しわ)を寄せる。そして、すぐさま不安の元である【クリスタル・リザード】への認識を改めるべく、ルカティエルに声をかけた。

 

「すまないルカティエル。私には、クリスタル・リザードへの無知があるようだ。…………このままでは、何かよからぬ事が起きても不思議ではない。君の知っている情報だけでも、詳しく教えてくれないか?」

 

 ルドウイークはあくまで真剣な声色で以ってルカティエルへと尋ねる。元より、彼は狩人達の象徴として()った男だ。数多の狩り、探索を経て数多の(もう)(ひら)き、超思索の域に半ば踏み込みながらも自らに誇る程の知性は無いと考えた彼であったが、それ故に他者に良く意見を求めて真摯(しんし)に議論し、その結論を用いて成果を出す事で狩人達をまとめ上げた。それは全てヤーナム民の平穏の為であったが、例えその視線の先にある物が変わろうと、やり方までも変わる事は無い。

 

 ルカティエルはそのようなルドウイークの生きてきた背景など知る由も無かったが、以前の冒険における借りもあり、彼の懇願(こんがん)(こころよ)く応じた。

 

「わかった。ならば移動しながら話そう。余り、あの罠の邪魔になるのも忍びない」

「そうだな」

 

 二人はそう意見を一致させると、眼前の罠を迂回(うかい)するべく手前の交差路を目指して(きびす)を返し、早足に歩き出した。

 

 

 

 

 

 一方、その様子を物陰から心臓がはち切れそうになりながら見つめていたリリウム・ウォルコットは思わず肩の力を抜き、先程から固唾(かたず)ばかりを飲んでいた喉を潤すべく懐から水筒を取り出して口にしようとする。だが、彼女が水筒に口をつけ目を逸らしている間に小賢しい【インプ】が現れて罠を突っつきまわしてひっくり返したため、それを見た【サイレント・アバランチ】の幾人かがそのインプに自身の成した事がどれほど罪深いかを思い知らせるべく、あるいは罠の状態を立て直すべく我先にと十字路へと飛び出して行った。

 

 

 

 

 

 

「で、クリスタル・リザードについてだが……」

 

 聞きながら、ルドウイークの振るう銀剣がオークの喉を切り開いた。鮮血を(ほとばし)らせ崩れ落ちるオークに目を止めることも無く、彼はその脇をすり抜つつオークの豊満な腹を剣持たぬ左手でひっかけて踏み込み、放り投げる。彼の強大な膂力(りょりょく)によって重力の(くびき)から一時解放された巨体は背を向けていた大猿、シルバーバックに直撃。自身に比する巨躯の衝突によって姿勢を大きく崩したシルバーバックの首をルカティエルは切り裂いて、剣を振るって血を払った。

 

「ああ」

 

 剣を背負い直しながらルカティエルは首肯する。そして、周囲のモンスターが全滅した事を首を巡らせて確認すると、改めてルドウイークを見据えて彼に尋ねた。

 

「とりあえずだ、どこまで知っている? クリスタル・リザードの事を」

「……稀少(きしょう)なモンスターである事、ダンジョン全域に姿を現す事、くらいか」

 

 僅かな沈黙の間に自身の知識を反芻(はんすう)し、答えるルドウイーク。ルカティエルはそれを腕を組んで、神妙そうな仕草で聞いていたが…………ふと、こちらを見つめるルドウイークの肩の先、暗闇に覆われた通路に(うごめ)く輝きを目にして彼の横を静かに駆け抜けながらに口を開く。

 

「付いて来てくれ。静かに、静かにだ」

 

 足元の小石ひとつにも注意を払いながら、素早くルドウイークからルカティエルは離れて行く。ルドウイークは僅かに困惑しながらもその後を追った。静かに? 一体どう言う意味だ? ルドウイークは彼女の発言の意図を推理するべく思索を巡らせたが、その答えが導き出されるよりも早く彼もまた蠢く輝き――――闇夜に射す月光の導きとは異なる、瞬く星の如き(きら)めきを目にした。

 

「あれが。そうか?」

「ああ」

 

 ルカティエルを追ったルドウイークは、丁字路(ていじろ)の曲がり角で身を屈め、角の向こう側の様子を伺うルカティエルの後ろに辿り着いて自身も身を屈めた。その、曲がり角から僅かに顔を出した二人が視線を向ける先には、一匹のモンスターがうろうろしている。

 

「あれが【クリスタル・リザード】。今回の捕獲目標で、冒険者(われわれ)からは結晶トカゲやら魔石背負いやら石守(いしもり)と呼ばれているが……まぁそれはいいか」

 

 そのモンスターの大きさは体長50C(セルチ)ほど。八本の短い脚をのしのしと動かして何かを探すようにその場をぐるぐると周回しているそいつは時折ふがふがと鼻を鳴らして、つぶらな瞳を持つ頭を持ち上げ周囲を見渡し、またぐるぐるとその場を回り出す。鱗に包まれた体は光を反射してキラキラと輝いており、そして何より特徴的なのは、普通のモンスターの多くが胸元に持つ魔石を背中に背負っている事だろう。

 

 その、今まで見たどのモンスターとも違う凶暴性やら攻撃性を一切感じる事の出来ぬ風体(ふうてい)を見たルドウイークは、少々複雑そうな面持ちで以ってぼそりと疑問を口にした。

 

「随分とまぁ……なんだ。アレは本当に、怪物(モンスター)と呼べるものなのかね?」

「ダンジョンから生まれるのがモンスターだと言う観点からすればモンスターだが……危険性の面で言えば、野良犬の方がよほど危険だな」

「納得だ」

 

 答えたルカティエルの言に得心(とくしん)が行ったように首を縦に振るルドウイーク。一方で、自身が狙われている事に気づいていないであろうクリスタル・リザードは突如として何かに気づいたように顔を上げると、近くの壁に駆け寄って壁をその扁平な頭を使って掘り返し始めた。ルドウイークはそれを見て気づかれたかと一瞬飛び出しかけるが、ルカティエルがそれを片手で制止する。

 

 彼女の意を汲んで動きを止めたルドウイークがその動きをじっと眺めていると、その内クリスタル・リザードは壁から自身に匹敵する大きさの鉱石の塊を掘りだして、八本の足でそれを抱え込みがじがじと(かじ)り始めた。

 

「あれは……食事か?」

「ああ。結晶トカゲは鉱石や魔石を餌とする……私も見るのは初めてだが、なんというか、こう……」

「可愛らしい物だな」

「……私もそう思う」

 

 ルドウイークの言葉に、どこかダンジョンの中という環境には似合わぬ口調でルカティエルは答えた。そして彼女はルドウイークの先程の問い――――クリスタル・リザードと言うモンスターがどのようなモンスターなのか、それについて静かに語り出した。

 

「クリスタル・リザードはあの通り、危険性の殆ど無いモンスターとして知られている。性格ものんびりしたものだ。ああしてダンジョンを徘徊(はいかい)して、餌を探す。後は同族とじゃれ合ったり、寝るくらいか。今まで冒険者をそれなりに長くやっているが、向こうから襲われたという話も聞いた事が無い」

「…………それが全てであれば、このような捕獲依頼も出んだろう」

「その通りだ」

 

 言外にその先についての問いを投げかけられルカティエルは苦笑して頷いた。その後、僅かな思案による沈黙を挟んで彼女は淡々とクリスタル・リザードの詳細を口にする。

 

「奴らはな、臆病なんだ」

「臆病?」

「そうとも。それこそ、冒険者どころか他のモンスターが近づくだけで逃げ出してしまう位にな」

 

 それを聞いて、ルドウイークは急ぐ必要があるはずの仕事内容にも拘らず道中のモンスターを丁寧に処理していた理由に納得する。

 

「奴らは危機を感じるとすぐさま素早く逃げ出して、距離が離れた途端そのままダンジョンの壁面に飛び込んでしまうんだ。そうなればもはや手が出せん。他にも、追いつめたと思ったら急に姿を消してしまったという話も聞く」

「…………素早く接近し、一撃で仕留める必要があるという訳か?」

「だが奴らを相手にそれをやるのは中々骨が折れる。小さく攻撃が当てづらく、更にはああ見えてかなりタフ。あの背の魔石も、理屈は知らんが一般の魔石と違いやたら強固だ」

「であればレベル2の我々には分不相応な仕事ではないか? それこそ、もっとレベルの高いものにでも…………」

「いや。どうやら奴らは本能的に強者の存在を感知するようでな。強すぎる者の接近にはさらに敏感だ」

 

 それを聞いてルドウイークは思わず鼻白(はなじろ)んだ。それが真実なら実力を隠している己など、クリスタル・リザードの捕獲にそもそも向いていない人材ではないか。だがしかし真実を語る訳にも行かず、彼は沈黙を保つばかり。それを更なる説明を促していると受け取ったか、クリスタル・リザードを見据えたままルカティエルは説明の続きを続ける。

 

「先日の騒動に加え、それも考慮した上でのレベル2以上限定任務なのだろう…………我々の敏捷なら奴の逃げ足にも追いすがれるし、強さと言う面でそこまで気取られる事も無い。レベル4のリリウム・ウォルコットが罠と言う手段を選択していたのも奴の性質を良く理解した上での判断なのだろうな。まあ、気配の消し方によっては第一級冒険者に類する者達でも捕獲できると聞いているが」

「…………ではどうする? 今の、食事に夢中なうちに手を出すか?」

「いや。せめて腹いっぱいになって動きが(にぶ)ってからだ。それに、邪魔が入らなければあのまま眠り出す可能性もある。そうすれば、足の速さも何も関係ない」

「そうか…………」

 

 彼女の案を聞き、ルドウイークは思案する。

 

 やはり最大の懸念(けねん)事項は自身が感づかれる事だ。レベル4の冒険者が罠と言う手段を選択する程の警戒心を持つのならば、少なくともレベル5と渡り合えた自身はより気づかれやすいのは間違いないだろう。

 ここは彼女の言う通り、クリスタル・リザードの食事を見守るのがベストか。ここで慌てて飛び出して逃がすという事だけは避けたい。相手は希少種モンスター。最悪この遭遇が今日最後のチャンスと言う事もあり得る。他の冒険者らも12階層の捜索を着々と終え、こちらに向かってきている筈だ。時間が経てば経つほど、結晶トカゲとの遭遇率は低くなるばかりの筈。

 

 ――――このチャンスは、逃すべきではない。そうルドウイークは思案の果てに導き出して、そして彼女の言葉に同調するように提案した。

 

「君の言う通り、ここは様子を見るか。私は周囲を警戒しよう。ルカティエル殿はクリスタル……いや、結晶トカゲを。何かあったら教えてくれ」

「ああ。任された」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ハハッ! やっぱり俺らの狩り方が最高か~!!」

 

 大笑(たいしょう)する犬人(シアンスロープ)の冒険者、三人パーティのリーダーである【カニス】は足をばたつかせる結晶トカゲの両脇腹を両手で掴んで高々と掲げた。それに残りの二人、【ダン・モロ】と【RD(アールディー)】はどこか呆れたような眼差しを向けながら、捕獲に使った道具を片付け周囲の警戒を行っている。その二人の様子にどこか拍子抜けしたような顔をしてから、カニスは黙々と背嚢(バックパック)の口を開くRDに絡んでいった。

 

「んだよ。これで二匹目だぜ!? もっと喜べってお前ら! ハハハ!」

「ちょっと黙れっスよ。もし他のが近くに居たら逃げちまう」

 

 誇示するかのように結晶トカゲを抱えたままのカニスに苦言を呈したRDはそこまで喜びを示すわけでもなく、結晶トカゲを拘束するための紐を探してバックパックを漁り始めた。そのバックパックの中には様々なアイテムが詰め込まれている。色とりどりの回復薬(ポーション)や解毒薬、予備の装備に紐や布と言った雑具、食料や水などの消耗品。一見汚らしく、無理矢理に詰め込むだけ詰め込まれているように見えるそれは、その実RDと言う男にとっての最適解だ。

 

 冒険者達からすればそれは雑然として小汚い印象を与えるものの、多くのサポーターは彼の様にそれぞれの個人に合わせたアイテム収納術を身に着けて、己のバックパックをそれ専用にカスタマイズしている。それは冒険者からしてみれば『真っ当にアイテム整理も出来ない冒険者のおちこぼれ、あるいはなりそこない』などと言う印象を与え、サポーターが蔑まれる要因の内の一つとなっているのだが――――少なくともカニスとRDの二人の間柄にとって、それは関係の無い話だった。

 

「…………なぁ、一旦ここらで上に戻らないか? 結局こいつらもあの檻に入れなきゃ証書貰えないんだろ?」

「なぁーに言ってんだダン! まだ二匹じゃあねえか!! もっとかっぽり稼ぐぞ!」

「42÷3で一人丁度14万。揉めない為にもあと一匹は欲しいっスね」

 

 結晶トカゲが一匹入った籠を背負って、不安げな表情で言うダン・モロの言葉に二人が首を縦に振る事は無かった。片や調子づいて、片や姐さんと慕う冒険者に叩き込まれたシビアな金銭感覚を以って彼の言葉を否定する。一方で二人の反論を受けたダン・モロは肩を落とし、そこでふと、視線を下げた時に目に入った煌めくもの――――RDのバックパックに括りつけられた、拳大の石の破片に目を向けた。

 

「ん。RDそれ、なんだ? そのバックパックの横の光ってるやつ。前は無かったろ?」

「これっすか? 前、北通りの(のみ)(いち)*1で見っけたんスよ。いいっしょ」

「綺麗だな。これ、あれか?」

「うん、多分七色石(なないろいし)っス」

 

 紐を取り出したRDはそこで一端手を止めて、グローブの上に拾い上げた石を乗せて見せた。七色石と呼ばれるそれは、主にダンジョン18階層の大草原にある発光する結晶を細かく砕いたものの総称だ。オラリオの夜を照らす魔石灯にも応用されているそれは、未加工の状態ではこのような淡い発光を見せ、何より魔力や燃料要らずで光を確保できるため冒険者の間では暗がりの照明や痕跡作り、変わった所では安全確認などに使われている。

 

 気弱そうにそれを見つめ、ダンは僅かに口元を緩める。彼の横顔を見てRDは少し勝気な笑みを見せるが、視線を七色石へと戻すと青白く、淡い光を放つそれにどこか訝し気な視線を向け小さく首を傾げた。

 

「でも、七色石ってこういう色で光るって聞いた事無いんスよね…………。だからもしかしたら、似てるだけで七色石じゃあないかも」

「んー…………それなら昔聞いた事があるぜ。七色石には幻の八色目があるって」

「マジスか!? へー、じゃあもしかしたらこれがそうかも? 姐さんには黙っとこ」

「売られちまうかもしれねえもんな」

「ヘヘ、マジでそれっス――――」

「あいだだだだだだ!!!!!」

 

 その時、七色石談議で盛り上がり始めた二人の会話を引き刺すような声を突如としてカニスが上げた。弾かれたようにダンとRDが振り向けば、カニスに掲げられていた結晶トカゲが彼の指に首を精いっぱい伸ばして(かじ)りついている。それを見たダンとRDは、それぞれ真逆の対応をカニスに対して行った。

 

「大丈夫か!?」

「お前ら、喋って無えで早く縛り上げいだだだ!!」

「だから最初尻尾持てっつったじゃないスか」

「いいから早……(いて)ぇーっ!!!」

 

 喚いていたカニスがその内痛みに耐えかねて思いっきり手を打ち振ると、突然口を離した結晶トカゲは勢い良く彼の手を離れて空中に綺麗な放物線を描いた。そしてそのままの勢いで地面にぶつかってゴロゴロと転がると、すぐに体勢を立て直し文字通り尻尾を巻いて逃げ出して行く。

 

「何やってんだカニス! バカ! すごいバカ!!」

「うっせえ追うぞダン! マッハでボコボコにしてやらぁ!!!」

「ちょっまだアイテム整理が!」

「さっさとしろ!」

 

 声を荒げながらも急停止してカニスはRDの準備完了を待ちわびる。一方のダンは彼がバックパックに仕舞おうとするアイテムの一部を自身の背にした籠に投げ入れて急がせた。そして整理が終わったのを見計らい三人は慌てて結晶トカゲの後を追う。

 

「チッキショーあの野郎!! 人の指食いモンと勘違いしやがって!!!」

「それよりどこ行ったんだあのトカゲ!? もう壁潜っちゃったんじゃないか!?」

「言われてみりゃそうっスよ! 追う意味なくねえ!?」

「うるせえこのまま舐められてられっか、ボコボコだよあの野郎ッ!!」

 

 喚きながら全速力でダンジョンを駆け、既に姿見えぬ結晶トカゲの輝きを三人は追う。しかし、どれほど走り回っても既に姿を消した結晶トカゲを見つける事は叶わず、ある程度走り続けた所で明らかに速力を落とし始めていたダンが足を滑らせてすっ転んだ。

 

「ぐわーっ!?」

「ダン!? カニスちょっと待てっス! ダンが!!」

「ちょっまっ!? 何してんだ!」

 

 急停止し(きびす)を返したカニスが怒声を上げるが、RDはそれに取り合う事も無く彼に肩を貸して立ち上がらせる。申し訳なさそうにしていたダンはすぐにRDから体をもぎ離して、籠から転がり落ちて手足をじたばたと動かしてもがく結晶トカゲを再び籠に放り入れると、がっくりと肩を落として(うつむ)くのだった。

 

「…………はぁ、…………俺、やっぱ才能無えのかな」

「あのなぁ。才能うんぬんより怪我が無えかを気にしろよ。お前にリタイアされちゃ困るんだ」

「……すまん」

 

 沈むダンをぶっきらぼうながらカニスは確かに心配する言葉をかける。それはダンがリタイアした場合、自分が籠を背負わなければならないという利己的な判断から来たものかもしれなかったが、ダンはすまなそうにまた少し視線を下げた。

 

「……しかし、どうするか。トカゲの野郎も居なくなっちまったし」

「俺が言うのも何だけど、また探すしかないと思う。悪い」

「いつまで謝ってんだよ。でもま、それしかねえか…………」

「あれ見てっス!」

 

 これからの方針を相談するカニスとダンの会話に、RDが割り込んだ。その声に応じて彼の示す先に目を向けた彼らの眼が捕らえたのは、丁字路の手前で呑気に鉱石を抱え込んでかじかじと齧り続ける一匹の結晶トカゲ。チャンスだ。今し方一匹を取り逃がしたばかりの三人は小さくない焦りを抱きながら、全く同じタイミングで、同じようにそう思った。

 

 ――――今度は、逃がさない。

 

 だがその時、RDだけが小さな違和感を感じた。結晶トカゲの向こう側に、()()()()。彼の恐怖を感じ取る才能は、ルドウイークがヤーナムで鍛え上げた気配の隠蔽(いんぺい)能力さえも上回っていたのだ。

 

 だが、その違和感はあくまで小さかった。ルドウイークの気配の隠蔽能力は、あらゆる脅威を恐怖として感じ取る、RDの先天的な感知能でさえ捉え損ねかけていた。それが、RDの行動に迷いを与えた。その迷いによって生まれた時間のせいで、彼はカニスの行動を制止する事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうだ?」

「まだだ。無駄に大きな奴を掘り起こしたからな」

「……食事が終わったら教えてくれ」

 

 言ってルドウイークは後方を警戒したまま、腰のポーチから取り出した水筒の蓋を開け、その中身を少し口に含んだ。

 

 結晶トカゲの食事が始まってから既に二十分ほどが過ぎている。しかし結晶トカゲが掘り出した鉱石がその体を超えるほどのものだった事が災いし、食事は未だに終わりそうも無い。その間に、既に三度モンスターによる襲撃を受けている。それを受けてなお結晶トカゲが呑気に鉱石を貪っているのは、その全てがルドウイークの警戒する側からの接近であり、そしてそれに対応したルドウイークが素早く、静かにその怪物たちを始末したからだろう。

 

 とは言え、いつまでこの様な幸運が続くかはわからない。ともすれば次に来るモンスター達は結晶トカゲの側から現れるかもしれないし、最悪自身等が居るここでモンスターの出現が起きる可能性もある。

 

 早く状況が推移(すいい)しないものか。結晶トカゲをルカティエルに任せ、後方と周囲の状況に警戒を集中させているルドウイークは心中でそんな事を考えていた。しかしそれは、彼の願うそれと全く変わった形で訪れるのだった。

 

「マッハでとっ捕まえてやるぜ、行くぞォァ!!!!」

「何叫んでんスか!?」

「気づかれたぞ!」

 

 突如として結晶トカゲの居る方から聞こえた声にルドウイークは弾かれたように振り向く。すると彼同様驚いたように首を上げた結晶トカゲの向こうから、三人の冒険者が全速力で迫ってくるのが見えた。犬人(シアンスロープ)人間(ヒューマン)小人(パルゥム)。三者三様の三人は同じように必死な顔をして目の前の結晶トカゲに肉薄する。

 

 しかし、結晶トカゲの反応は迅速だ。今まで執心(しゅうしん)していた鉱物の塊を放りだすと、その八本の足を小刻みに動かしてまるで<加速>しているかのような凄まじい速度でルドウイーク達の(がわ)へと迫り来る。

 

「ルカティエル!」

「ああ!!」

 

 二人は想定外の事態に慌てて態勢を整えて、迫る結晶トカゲの進路へと飛び出そうとした。したが、間に合わなかった。

 

 カニス達の気配の消し方が、もう少し下手であったなら。もしもルドウイークが後方ではなく、前方の結晶トカゲを警戒していれば。ルドウイークの居た位置が、ルカティエルの後ろで無ければ。カニス達の疾走がもう少し遅く、結晶トカゲに与えた危機感がもう少し小さかったなら。そしてこの結晶トカゲが、他の同族に比べて窮地に瀕した時爆発的な力を発揮する根性のある個体でなければ、彼らの妨害は成功していただろう。

 

「おおっ!!」

 

 ルドウイークより一歩先に飛び出したルカティエルが両手を広げて結晶トカゲの前に立ち塞がり間髪入れずに飛びかかった。だが、結晶トカゲはその短い脚からは想像も出来ぬ程の跳躍力を見せ、前傾姿勢となった彼女の手をすり抜ける。そして彼女の身に付けた(おきな)の面に(したた)かに()()し、衝撃に()()った彼女の顔を足場代わりにしてルドウイークの頭上を軽々と超える大跳躍を決めて見せた。

 

「顔を踏み台にしたァ!?」

 

 驚愕を叫ぶダンの声を置き去りにして一気に遠ざかってゆく結晶トカゲ。ルドウイークも前へと向かっていた勢いの急制動に足を取られ、すぐさま対応する事が出来ない。もしも殺していいならどうにでもなっただろうが、今回は生け捕りが条件。そして何より、結晶トカゲの決死の一手によって突破されたルカティエルの姿が彼に即座の対応を許さなかった。

 

「ぐわーっ!?」

「ルカティエ――――ぐあっ!?」

 

 まるで足を滑らせたかのように背中から地面に叩きつけられ悲鳴を上げるルカティエル。それを受け止めようとするも届かなかったルドウイークの頭には結晶トカゲの跳躍に(ともな)って彼女の顔から外れた仮面が命中し、痛みに数歩たたらを踏む。

 

「すまねえ! あとで謝る!」

「今謝れよ!!」

「それより大丈夫っスか!?」

 

 その二人の脇を、全速力でカニスが駆け抜けて行った。一拍遅れてダンがその背に罵声を浴びせ、仰向けに倒れたルカティエルへとRDが駆け寄る。

 

「腰打ってないっスか!? ヤバけりゃ回復薬(ポーション)を――――」

「近づくな!!!」

 

 慌てて背のバックパックに手を伸ばしたRDはルカティエルの叫び声に足を止めた。仰向けになった彼女はその顔を帽子で覆って隠している。

 

「ルドウイーク! 居るか?! 仮面を、仮面をくれ!!」

「あ、ああ!!」

 

 右手で帽子を押さえ顔を隠したままがなり立てるルカティエルに少々面食らいながらも、仮面の直撃した頭を多少気にしながら足元に転がっていた仮面を拾い上げると差し出された彼女の左手に手渡した。

 

「っ…………ふうっ! ………………見たか?」

「いや」

「誓って見てないっス」

「左に同じで……」

 

 仮面を被り直し、こちらに向き直ったルカティエルのどこか人間味の無い声にいつの間にか並んだルドウイーク、RD、ダン・モロはまるで親に怒られる子供のような緊張感を感じながらに答えた。その三人の顔を一人一人睥睨(へいげい)した後、彼女は疲れ切ったように溜息を吐いて首に手をやり状態を確かめる様にそこを軽くさすった。

 

「ならばいい…………」

「あの、うちのバカがすんませんっス。アイツ、この依頼に随分気合入れちまってて」

「本当にすまない! あとでその、注意しとくから、許してくれねえかな……」

 

 静かに、しかし苛立つように腕を組んだルカティエルにRDとダンは素直に頭を下げる。その様子を見た彼女は一度ルドウイークに目を向けるが、彼が肩を(すく)めることでその視線に答えると、彼女はやり場のないものを吐き出すかのように長い長い溜息を吐く。

 

「それは、正直気にしなくていい。そういう依頼だと言うのは承知していた」

「マジっスか」

「ああ。それよりも……」

「さっきの彼、カニスだったか? 彼を追った方がいいんじゃないかね」

 

 ルカティエルの言葉を継いだルドウイークの提案にRDとダンは顔を見合わせた。そしてそのうち、ダンは肩の荷が下りたかのように力を抜くと、何処か腑抜(ふぬ)けたような顔であっけらかんと口にした。

 

「えっ、いいんですか? ……いやぁRD、話分かる人達でよかったな。ビビって損したぜ」

「ダンちと黙っててくださいっス。えーっと、それなんスけど、俺ら見ての通りの非戦闘員でして…………」

 

 普段は悲観的な癖して時折妙に楽天的になるダンに対して辛辣な言葉を突きつけつつ、RDは申し訳なさそうに自身達の装備を示して見せた。彼らが装備しているのはサポーター用のバックパック、捕獲用の籠を除けば最低限の護身用装備のみだ。

 その上、二人はレベル1。【上層】――――1階層から12階層までがレベル1に許された領域とは言え、その中で最も下にある12階層は『最もレベル2に近い領域』である。自分達二人だけで動き回るのは(いささ)か危険に過ぎるというのが、今まで数多の修羅場をその感知能と立ち回りで切り抜けて来たRDの判断であった。故に彼は思いっきり下手(したて)に出て、眼前の二人に協力を要請する。

 

「ちと、俺らだけでカニスの奴を追うのはヤバい、つかぶっちゃけ無理臭いんス。さっきの、そっちの仕事邪魔しちゃった()びも含めてこの、こっちの捕まえてるトカゲ一匹、そっちに融通するんで、カニスの奴追っかけんのにどうか手を貸してくんないすかね……」

「RD、それ勝手に決めるのはマズいんじゃ」

「カニスが俺ら置いてったんだから仕方ないじゃないスか。最悪、俺らこっから帰れなくなるっスよ?」

「嘘だろそれはヤバイって、まだ死にたくねえよ……!」

「俺だって死ぬのは死んでもゴメンっスよ!」

「そう、うん、そうだな。俺も、そう思う……」

 

 RDの説得によって自身の置かれた状況の深刻さに今更気付いたダンは顔面蒼白となって冷や汗を流した。彼は既に冒険者として四年近いキャリアがあるが、その実力は腕のいい新米(ルーキー)と大差ない。単独で10階層より下に来たことも無かったのだ。

 

 一方でそんな二人の様子と眺めていたルドウイークは、彼らの提案自体には何らおかしい所は無いと判断しつつ、任務開始前の取り決めに基づいてルカティエルへと指示を求めた。

 

「……どうする?」

「……どうするか」

 

 半ば鸚鵡(おうむ)返しのようにして腕を組んだルカティエルは首をひねった。個人的な事を言えば、怒りは間違いなくある。だが、先ほども言ったように今回の依頼は()()()()依頼だ。捕獲は早い者勝ち。である以上自身達が狙っていた獲物であったからと言って、そこに横から割って入られたことに必要以上の怒りを見せるのは彼女としては選ぶべき選択肢では無い。

 

 それよりも考えるべき事はこの依頼を上手く成功させる方策だろう。そこで、彼女は単純に損得勘定のみで判断を下す事にした。

 

 目の前の二人はレベル1、しかもサポーターだ。彼らが求めているのは、先ほどの犬人(シアンスロープ)、カニスとの合流までの護衛。これは、さほど難しい事では無い。レベル2であるルカティエルとルドウイークの二人の力を考えれば、RDとダン・モロを連れて12階層を捜索するのは十二分に可能だ。

 

 そして、その報酬。彼らは捕獲済みの結晶トカゲを此方に譲ると言っている。それは、お互いにとって非常に大きな譲歩だ。結晶トカゲは残りの作戦時間を捜索に充てて出会えるか出会えないかと言う相手。で、あればここで彼らの提案に乗る事で確実に一匹を確保するのは悪い話ではない。逆に向こうとしてはそれほどの交渉札(カード)を切らなければならぬ程の危地なのだろう。

 

 断る理由も無い。それに、流石にここで助けないのも寝覚めが悪いな。ルカティエルはそう判断し、一度ルドウイークに視線を向けて小さな首肯を受け取ると、改めてRDの眼を仮面越しに直視して頷いて見せた。

 

「私としては、あの条件であれば彼らを護衛するには十分値すると思う。ルドウイーク、君は?」

(おおむ)ね、私も同意見だ」

「じゃあ……」

「ああ。我々は、君達に協力するとも。そのカニスとやらとの、一刻の早い合流を目指そう」

「あざっス!!」

「いや助かるあり難い! 俺達だけじゃ、どうしようもないからさ…………いやホント、俺どうしようもないんだ。どうしよう。俺、やっぱ冒険者向いてないのかな…………アンタ、どう思う?」

「急に聞かれても困る」

 

 ルカティエルの出した結論を受けてRDは深々と頭を下げた。一方、ダンは喜びを隠せぬと言った具合に顔をほころばせ、しかしその後すぐにどんよりと沈んだ雰囲気を漂わせて自身の進退をルカティエルに尋ねた。それに興味が無いと言わんばかりにぶっきらぼうな答えを返す彼女の姿を見て内心で小さく笑ったルドウイークは、一旦確認するように三人の顔を見渡して、今すべきことを提案した。

 

「さて、とりあえずカニスを追うとしよう。時間が経つと、それだけ合流は難しくなる」

「そっスね。とりあえず追っかけますか」

「隊列はどうするんだ? 俺ら、戦力外だけど……」

「追跡なら任せてくれ。ルカティエル、後ろは任せられるかね?」

「構わない」

「助かる。では、行くとしよう」

 

 そう言って先頭に立ったルドウイークは、(かつ)て身に付けた技能を駆使してカニスの痕跡を追跡し始めた。

 

 

 

 

 

 

 それから数分後。カニスはルドウイークが想定したよりも遥かに容易く見つかった。

 

「だ――――っ!!! くっそ!!! あーくそっ!!! 壁に潜るの早すぎんだろ!! モグラかお前!? トカゲか! 次会ったら絶対とっ捕まえてやるかんなぁーッ!!!」

 

 通路の行き止まり、12階層の隅にある四角形の小規模な部屋(ルーム)で苛立ちを発散するべく地団駄を踏むその姿はまるで子供じみていたが、その喚きたてる声によって大した苦労も無くその姿を見出す事が出来たルドウイークは内心安堵の息を吐いていた。同様の心境にダンも至っていた様で、彼は近くで溜息を吐いていたRDにそっと耳打ちする。

 

「こんなすぐ見つかるんだったら、俺達だけで探しても良かったかもな」

「それがさっき【シルバーバック】にビビリ散らしてた人のセリフっスか。危機感ねえっスよ」

「お前だってビビってただろ!」

「だから俺はデカい口叩かないっス。ま、そもそも俺ら置いてったカニスの奴には、思う所あるっスけどね…………」

 

 呆れるように口にするRDに反論するダン。すると、二人の会話を獣人特有の鋭い聴覚で聞き取ったカニスは弾かれたように身を(ひるがえ)し、二人の姿を認めると憤慨(ふんがい)した様子で彼らを指差した。

 

「お前ら(おっせ)ぇぞ! おかげで結晶トカゲ逃げちまったじゃあねえか!! どうすんだよ!!」

「いやカニス、お前が俺達置いてったせいだろ」

「そっスよ。もうちょい周りの状況見る事をお勧めしまっス。つか見てくださいよ。お陰で、俺ら格上とトラブるとこだったんすよ」

「うっ……でもよ、お前ら何とか追っかけて来いよ。それくらい出来るだろっての」

 

 二人の鋭い指摘を受けたカニスは、まるで飼い主に叱咤(しった)された犬の様に尻尾を巻いて一歩後ずさった。一方、顔を見合わせた二人は溜息を吐いて、そして彼を許す筈も無く、再びカニスへの口撃(こうげき)を再開していった。

 

「いや俺らだけでどうすんだよ、俺達レベル1なんだぜ」

「こ、ここは【上層】だろ。レベル1でも大丈夫なんじゃあねえのか」

「いや、俺らレベル1の中でもふっつーによわよわっスからね? シルバーバック1匹で死にかねないっスよ」

「いやそのくらい何とか……」

「俺達今回サポーターだぞ!」

「そっスよ! ロクな装備も無しに同レベルの強豪モンスターどうにかできる訳ねえっス! カニスも素手でミノタウロスとやらされるとかシャレにならねぇっしょ!!」

「………………そう言われりゃ、そうだわ」

「ったく」

 

 二人の畳みかけるような攻めにカニスはあっさりと折れ視線を伏せた。それに呆れたような顔をしたダンに対し、カニスは一瞬睨みつけるような恨みがましい目を向けたが、彼ら二人の後ろに立ちルカティエルとルドウイークに気づくと、彼らとの遭遇自体すっかり忘れていたかのように一瞬訝しんで、そして驚いたような声を上げた。

 

「つか、あんたらは……あー、あー! さっき俺らと同じ結晶トカゲ狙ってた奴らか…………もしかして報復か!? クソッ、やるなら相手になるぜ!?」

「やらんよ」

 

 戦いに備えるように盾と小剣を構えたカニスの啖呵(たんか)に、ルドウイークは小さく笑いながら首を横に振った。それに不思議そうな顔をするカニスに対して、ルカティエルが一歩前に出ると事情を説明し始める。

 

「実は、彼ら……RDとダン・モロ二人からの依頼でな。お前との合流までの護衛を頼まれたんだ。結晶トカゲ一匹と引き換えに、だが」

「ふーんそうかそうか……ってぇ! じゃあ俺らの捕獲スコアマイナス1で結果ゼロじゃあねえか! どうすんだよ!!」

「どうするもこうするもねーっスわ! 自分が俺ら置いてったのが原因っしょ!!」

「まぁまぁ。また新しいの探すしか無いだろ? まだ時間はあるしさ……カニス、やっぱトカゲは逃がしちまったのか?」

「ああそうだよ。逃げられちまった」

 

 自身等の成果を失う事に気づいて憤慨(ふんがい)するカニスと、お前のせいだろと直球の反論を掲げてそれに突っかかるRD。しかし、喚き立て始めた二人の間にさっとダンが割って入り諭すように二人を(なだ)め。カニスに先程の追跡の顛末(てんまつ)を尋ねると、彼は意外にもあっさりと引き下がって悔し気に歯ぎしりをして見せ、そしてぼそりと呟いた。

 

「あーあ、クソッ。どうせなら、どっかに結晶トカゲの巣でもありゃあいいんだが」

「あ、それいいな。そういうのがあれば、結晶トカゲ捕り放題じゃん。いいなぁ。どっかにねえかなぁ」

「そんな都合良いのある訳無いっスよ」

「分かってるけど思うだけタダだろ」

「そうだぜRD。夢は見るだけタダさ」

「そっスけどね…………」

 

 カニスとダンの会話に呆れながらも応じるRDであったが、内心その存在を願っていないわけでは無かった。今回の任務、彼は『姐さん』と呼ぶ【ロザリィ】との仕事が無い空き時間を利用して、臨時収入で彼女を驚かせ、かつ自らの懐を潤わせるためにこの場にいるからだ。多くの結晶トカゲを捕獲したいという考えは本物であり、カニスの戯言とも言える発言に同じような夢想を願ってしまうのも、無理からぬことであった。

 

 一方、その姿を蚊帳の外から眺めていたルドウイークと、周囲の壁に傷をつけモンスターの出現を抑止していたルカティエルであったが、ふと彼らはRDの背嚢(バックパック)に括りつけられていた石飾り――――七色石と思しき石が、いつの間にか淡い粒子の様な青白い光を放っている事に気づいて、思わず彼に声をかける。

 

「RD。先程から君のその……石飾りか? 随分と、強い光を放っているが」

「えっ……うおっマジだ!? なんスか!? なんスかこれ!!」

「七色石ってこんな強く光るのか?」

「いや、これほど強い光を放つなど聞いた事が無い。別の鉱石なんじゃないか?」

「じゃあ八色目じゃ……あっ、消えた」

 

 降ろされた背嚢(バックパック)を皆が取り囲んで発光する石を眺めながら論議を行っていると、そのうちふっと光は弱弱しくなり力を失うかのように消えてしまう。それを見た彼らは、それぞれが首を捻って見慣れぬ現象に対して思い思いの感想を述べ始めた。

 

「何だったんだ、オイ?」

「さぁ……」

「オラリオには私の知らないものがまだまだたくさんあるな。実に興味深い」

「いや、こんなものは誰も見た事が無いと思うが……」

「なんか怖くなってきたっス……呪いのアイテムでも売りつけられちまってたりして……!」

「おいおいRDそりゃお前、いくらなんでもビビりすぎ…………」

 

 ぶるぶると震え出したRDに呆れるように笑いを浮かべたダンは、ふと首筋を過ぎった風に寒気を感じて、振り返った。そして目を見開いて、震えた指で先程ルカティエルが傷つけていた壁の方を指差す。

 

「お、おい。何時からここ、道なんかあった? 行き止まりだったよな?」

 

 その言葉を聞いて、一斉に皆がそちらに振り向いた。彼らの視線の先には、暗闇へと続く通路が口を開けている。無論、この部屋へと踏み込んだ際に使ったそれとはまた別の通路だ。

 そもそもとして、この部屋は行き止まりにあった小規模部屋(ルーム)。他の道など有りよう筈も無い。

 

「……少なくとも、今までのマッピングには示されていなかったはずだ。私も聞いた事が無い」

「それじゃあもしかして……未踏査領域!? マジか、大発見っスよ!! やべえ! 怖いけど! どうするんス!? やっぱ一旦撤退して、ギルドに報告を…………」

 

 重苦しい雰囲気で暗闇の先を睨みつけるルカティエルと、歓喜しているのか恐怖しているのかよくわからない、混乱したように騒ぎ出すRD。一方でルドウイークは嘗ての<聖杯ダンジョン>の情景を思い出さずには居られなかった。行き止まりの小部屋の壁を調べ、その先にある宝物庫を見出した幾度もの経験。ルドウイーク個人は宝物にさほど興味無かったが、光り物を好んだ<(からす)>などはその中から眼鏡に叶った品を幾つも持ち帰り、ねぐらである時計塔に溜め込んでいた。

 

 そんな事を思い出して懐かしむルドウイークの頬を道の通路より来たりた緩やかな風が撫でた。彼はそれを感じ、訝しむように眉を顰める。風が来たという事は、風の通り道がある――――あの暗闇の先は、またどこかへと繋がっているという事だ。

 

 だとすれば、それは良くない。万一更に下の階層へと繋がっていた場合、あの先はこの12階層より強大なモンスターが(たむろ)している可能性もある。それに、更にまずいのは地上へと繋がっていた場合だ。公的に、ダンジョンへの入り口はバベルの根元にある一か所しかないことになっている。それ故にギルドはダンジョンの資源を管理する元締めとしての役割を成し得ているのだ。嘗ては下層に繋がる通路が存在した湖などもあったようだが、そこは過去に塞がれたとされている。

 

 RDの言う通り、任務を放棄して報告へ向かうべきか?

 

 ルドウイークが思案の結果その結論を組み立て、ルカティエルに意見を乞おうとしたその時だ。流れてきた風にカニスが鼻を鳴らし、そしてその顔に異名に違わぬ獰猛な笑みを浮かべ、言った。

 

「いや、待てよRD、それよりもだな…………結晶トカゲの匂いがするぜ」

 

 犬歯を剥き出しにして笑う彼は言うが早いか、右拳を左掌に打ち付けて意気揚々と叫び、そして英雄的に未踏査領域への一歩目を踏み出した。

 

「つまり、金の匂いって事だァ! お前ら行くぜ!!」

「おいカニス!?」

「何言ってんスかこのバカ犬!? 少し懲りろよ!!」

「うっせえ! タダ働きで帰れるかってんだよ!! そうだろRD!!!」

「えっまぁ……そりゃ、そうっスけど……」

「ダン! お前、今月の返済ヤベーんだろ! ここで一攫千金(いっかくせんきん)でひっくり返して、俺と歓楽街回りまくろうって話だったじゃあねえか! 若いエルフのねーちゃん紹介すっぞ!!」

「えっ、そりゃ、まぁ、借金は返さなきゃだし、美人のエルフと寝たいっつーのは、あるけどさ…………」

「だったらついて来い! RDもそこまでビビってねえしな! 行くぞァ!!」

「こんのバカ少しは慎重に……ちょっ、おい! 待つっスー!!」

 

 カニスの熱意と(まく)し立てる様な弁舌(べんぜつ)に引っ張られその後に続くダンと、必死に彼らを追うRD。そのまま三人は口を開けた新たな闇の中に姿を消して行き、ルドウイークとルカティエルの二人だけがその場に残された。二人はしばらく、動きあぐねるかのように立ち尽くしていたが、そのうち当初の取り決めとは真逆となるように、ルカティエルの方からルドウイークに意見を求めた。

 

「…………どうする?」

「追うしかあるまい。嫌な予感を、ひしひしと感じるが」

 

 ルドウイークとしては、彼らの動向を放っておく訳にも行かぬ。ここで会ったも何かの縁。見殺しにするには、あまりに忍びないと彼は考える。同時に、RDがそこまで恐怖を感じていなかった点からしてそれ程の脅威は無いのかも知れないとも考えるが…………彼はその付け焼刃の知識より、今まで聖杯ダンジョンで数え切れぬ程の悪意と対峙した自身の経験則を当てにした。

 

 この様な場所は、多くの場合目に見える成果が眠っている。そして、それ以上に危険な悪意に満ち溢れている。ならば、先にこの先に踏み込んだ彼らは途方も無い危地に立たされるだろう。ならば、力ある自分が助けずしてなんとする。そう考えた彼は未知の領域に向け一歩踏み出し――――ふと思いついたかのように首を巡らせ、ルカティエルに真っ直ぐな視線を向けた。

 

「ルカティエル。本音を言えば、上に戻って報告を上げてきてほしいのだが」

 

 その彼の言葉に、ルカティエルは首を横に振って応じた。

 

「いや、私も同行する。こんな所で引き下がる訳にも行かんし……向こうにそのつもりはなかっただろうが、話がうやむやになって結晶トカゲを受け取っていないしな」

「わかった。……危険を感じたら、即座に撤退するぞ」

「ああ」

 

 二人は意見を同調させると、慎重な足取りで、未知の暗黒へと踏み出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

「これは、凄いな……!」

「まさか、こんな光景を拝めるとは……」

 

 しばらく代わり映えのしない通路を進んでいた二人だが、その先にある大きな部屋(ルーム)に到達するとどちらとも無く感嘆の声を漏らした。

 

 その部屋(ルーム)は眩しく煌めいていた。ダンジョンの灯りとなっている光る天井だけでは無い。ルドウイークが18階層の方々で目にした光輝く結晶体――――膝程の高さのものから、ルドウイークの身の丈を大きく超える巨大なものまで、数え切れぬ程のそれがそこら中に乱立し、それぞれが煌々と光を放っている。

 

「本当に、ここは結晶トカゲの巣かもしれんな……」

 

 無数の光源に照らされ、壁までもが光り輝くその光景を一望してルカティエルが思わず呟いた。それほどに、この場所は結晶と光に満ちている。ダンジョンの暗闇で煌めいて動き回る結晶トカゲを連想するのも無理からぬことだろう。それに、周囲にはモンスターも見当たらない。

 

 もしやここは、未発見の『安全階層(セーフティポイント)』か?

 

 ルドウイークは怪物の気配を感じないこの部屋(ルーム)を見渡し、訝しんだ。万一そうだとすれば、今後のダンジョン攻略の前提そのものが一変しかねない。ギルドどころか、全ての冒険者を巻き込む大発見である。

 

 だが、それはまだ確定した事では無い。ルドウイークは気を抜く事無く再び周囲を見渡して、耳を澄ませた。林立した巨大結晶に遮られた向こう側から、先程先行した三人の声が僅かに聞こえて来る。彼はルカティエルにそれを示すように視線を向けると、一度頷いた彼女の反応を見て、音を立てぬよう静かに走り出した。

 

 

 

 

 

「おいおいおいおい! 何だここマジで天国か!? 結晶トカゲだらけじゃあねえか!!!」

「より取り見取りだぜ! これで俺の借金も…………」

「マジかよ、こんな事あんのか…………やべ。姐さんにめっちゃ褒められちゃうかも…………」

 

 二人が彼らの元に辿り着くと、三人は歓喜と共に何匹もの結晶トカゲを縛り上げていた。忙しそうに背嚢(バックパック)から紐を取り出したRDが、両手に一匹ずつ結晶トカゲの尻尾を掴むカニスから結晶トカゲを受け取って縛り上げ、それをダンが受け取って背の籠に放り込んでゆく。

 

 籠を背負うダンの動きは少々ふらついていて、彼の背の籠には既に限界近い数の結晶トカゲが詰め込まれているのは明白だった。そしてさらに、彼らの周囲にはパニックを起こしたようにあちこちを走り回る結晶トカゲたちの姿が見受けられる。もし捕らえられ、更には相当数に逃げられたであろう状況を経てなおこの数となれば、最初ここにはどれほどの結晶トカゲが(つど)っていたのだろうか。

 

 歓喜に沸く三人と、混乱する結晶トカゲの群れ。ルドウイークはそれを眺めて、今度は自分からルカティエルへと声をかけた。

 

「どうする、ルカティエル」

「本当なら今すぐ報告に戻りたい所だが…………流石に、彼らだけ残して行く訳にも行かないだろう…………それに、私個人としても、一匹くらい結晶トカゲを捕らえておきたいしな」

 

 そう言ってルカティエルは背に負った籠を指で示した。確かに、このままではこの様なイレギュラーに遭遇しながら、結局はタダ働きだ。エリス神にも合わせる顔が無いとルドウイークは思案する。しかし、同時にこの階層が、何か危険を隠しているように思えて他ならない。

 

 しかし、金は生活の糧だ。それを私の独断で奪い去る訳にも行かないだろう。ルドウイークは一刻も早い撤退を叫び出したい感情に襲われながらも、ルカティエルの兄を置いて来てしまったという事情も(かんが)みて彼女が結晶トカゲを一体捕まえるまで位は待つべきかと思い、腕を組んで近くの全高5(メドル)近い巨大結晶に寄り掛かる。

 

 だが、彼の判断はダンジョンの悪辣さからしてみれば何手も遅い物だった。いつの間にか、逃げ回っていた結晶トカゲたちが揃って姿を消している。それを訝しんだ二人が、未だに喜びを分かち合っている三人のもとへと歩き出した、その直後。突然RDが弾かれたように顔を上げ、小人(パルゥム)の小さな体のどこから出ているのかと思わず疑うほどの大声量を張り上げて叫んだ。

 

撤退(てったぁぁぁぁぁぁい)!!!」

 

 瞬間、RDの叫びを受けたダンとカニスの動きは、ルドウイークさえも目を見張る程のものだった。今まで歓喜に沸いていたとは思えぬそれは一重(ひとえ)に慣れの成せる業。幾度もの危機をRDの危険察知で切り抜けてきた二人にとって彼の撤退宣言は絶対的な信頼のおけるものであり、そして、何が何でも従うべき天啓(てんけい)に等しい物でさえあった。

 

「何――――」

 

 彼らの反応に遅れて、ルカティエルは走り抜けたRD達の背に思わず視線を向けた。こちらを見て、早く逃げろと恐怖に満ち溢れた視線で合図を送っていたRD。その視線が、驚愕と共に上に逸れる。それに釣られて顔を上げるルカティエル。

 

 彼女の眼前には、灰色の体表と結晶に覆われた巨大なモンスターが迫っていた。

 

 回避。否。この姿勢から瞬発的に動けるほど、ルカティエルは敏捷に優れた冒険者では無い。ならば迎撃。しかし彼女の武器は取りまわしのいいとは言えぬ大剣。それを手にしようとする自らの動きが、もどかしすぎるほどに遅く感じる。真実、彼女の五感は明確な死を前にして極端に鋭敏となり、その視界はゆっくりと時間が流れ、自身の肌から滲み出す冷や汗の一つ、怪物の体表からこぼれた小石の一つさえも知覚出来るほどに高まっていた。

 

 もはや、怪物との接触は一瞬後。打つ手はない。だがもしここで死ねば、地上に残してきた兄はどうなる? ルカティエルの脳裏には中央広場(セントラルパーク)で別れた兄の姿がありありと思い出せた。兄を残して死ぬわけにはいかない。その決意が、彼女の剣を握りしめた手を眼前の死を打ち払うために駆動させた。

 

 激突の衝撃が部屋(ルーム)を揺らす。巨体の重量と勢いが生む途方もない圧力に、ルカティエルは一瞬で膝を着きそうになる。

 

 だが彼女はそうならなかった。全身に力を漲らせ、巨体と互角の鍔迫(つばぜ)り合いを演じる。その脳裏には兄と、もう一人の人影。十年以上前、兄を追いオラリオを目指した道中にて身の程を知らなかった自分自身の道を幾度となく助けた『獅子甲冑の戦士』。大恩人たるあの戦士の背を求める旅も、未だ手掛かり一つ無く行き詰っている。

 

 まだだ。この様な所で、死んでたまるか。死んでなどいられないのだ、私は!!

 

 その、怒りにも似た決意。それが彼女に抗う力を与えた。永遠にも等しく思える、ほんの一瞬の力の拮抗を見事に彼女は演じて見せる。だが、奇跡は永遠に続かない。身を震わせる怪物の圧力に少しずつ彼女は圧され、追いつめられ、更に怪物は激突したまま右手を掲げてギリギリの状態にある彼女にトドメの一撃を与えようとする。絶体絶命。そんな言葉が彼女の脳裏を過ぎった。

 

 しかし、彼女が死ぬ事は無かった。彼女の精神力が生み出した奇跡的な拮抗。その現実時間にして数秒にも満たない僅かな拮抗が、ルドウイークに怪物の脇腹に強烈な蹴りをぶち込んで見せるだけの時間を与えることに成功していたからだ。

 

『ガアアアッ!?』

 

 まるで破城槌(はじょうつい)でも受けたような威力によって怪物は吹き飛ばされ、その結晶に覆われた背中によって地面を抉りながら転がってゆく。それを仮面の裏から敵意を持って睨みつけたルカティエル、だがその視界を遮る様にルドウイークの背中が映る。一瞬、彼女はルドウイークの行動を訝しむが――――そこから思索へと映る時間を与える事も無く、彼は声を荒げて撤退を指示した。

 

「ルカティエル! 君は彼らと共に退()け! こいつは危険だ!!」

「な……何を言ってる! お前一人で相手をするつもりか!? 流石に無理だ! 私も――――」

「ダメだ! もし彼らが脱出する前にこいつの同族が出たらどうする! レベル2一人では、レベル1二人を守り切れん!!」

「それはっ!」

「この場のレベル2で一番強いのは私だ!! あとは何とかする!! 行けっ!!!」

「ッ……! くそっ!! 死ぬなよルドウイーク! 彼らを説得してすぐに戻るからな!!!」

 

 ルドウイークの有無を言わせぬ暴論に、しかしルカティエルは逆らう事は出来なかった。彼の言っている事は一つを除いて間違ってはいない。もしも先んじて撤退した三人が眼前の怪物と同じ存在に遭遇すれば、レベル1を二人要する彼らはこちら以上の危地に立たされるだろう。

 

 二人で下がろうにも、あの怪物は間違いなくこちらを追いかけて来る。それだけの殺意を向けてきている。そうである以上、背を見せる訳にも行かない。故に、ここで最も冒険者として強力であるルドウイークが足止めを担うのは、ルカティエルが逆の立場であれば迷いなくそうしたであろう最適解。

 

 だがそれは、守る側としての最適解だ。守られる側からすれば全く認めがたい。

 

 本音を言えば、今すぐこの場に留まって彼と共にあの結晶の怪物へと挑みかかり打ち倒してしまいたいという気持ちがある。だが、既にルカティエルは理解していた。先日のミノタウロス騒動の際の、未確認モンスターとの戦闘で見せた立ち回り。そして、今し方眼前で見せた体術の技。それはルカティエルに、この男がレベル2の範疇を越えた存在なのだと理解させるには十分過ぎる物であった。

 

 故に彼女は唇を噛みながらも踵を返してカニス達を追う。この男と、あのモンスターの戦い。その戦場に立つためには、自身の実力が不足しているという残酷な事実を呑み込んでルカティエルはこの部屋(ルーム)から去って行った。ルドウイークはそれを見届けると、体勢を立て直した怪物へと視線を戻して、そして普段はひた隠しにしている殺気を滲ませながらに怪物に向けて問うた。

 

「………………貴公は、獣か?」

 

 彼の言葉に、眼前の怪物は呻くような唸りと、その全身に殺意を漲らせる事で応じた。

 

 体高3(メドル)を超える巨躯。爬虫類のそれと類似した灰色の体表。強靭な後ろ足で体を持ち上げるその姿はまるでドラゴンめいていたが翼は持たず、鋭い爪の生えた強靭な前足と、脇腹から生えた幾本もの小さな手足が先ほどの上方から――――天井からの奇襲を成立させていたのだとルドウイークは推理する。

 

 そして、何より特筆すべき、全身から生えた鋭い結晶。ルドウイークの直観に結晶に覆われておらぬ脇腹への蹴りを選択させたそれは、まるで結晶トカゲが背負っていた魔石をより広範囲に、そして攻撃的に発展させたような――――

 

『ガアアアアアアッ!!!』

 

 思索を行うルドウイークへと怪物は躊躇する事も無く襲い掛かった。その体躯と速度が生み出す速度は、さしものルドウイークとて直撃すればただでは済まないだろう。しかし彼は余りに直線的なその動きの(すじ)を容易く見切り、すれ違いざまに背の結晶へと一撃を加えてその強度を計りながら小さく呟いた。

 

「言葉など、通じるはずもないか」

 

 ルドウイークは今の一撃の代償にビリビリとした衝撃を受け取った銀の長剣と手の感触を咀嚼しながら、姿勢を落として結晶トカゲの出方を伺う。少なくとも、軽い薙ぎ払いでどうにか出来る強度では無い。まるで全身に金属鎧を着こんでいるかのよう。ヤーナムの獣には姿の無かった手合いだ。

 

 だが、だからと言って何の違いがあろう。

 

 ルドウイークは敵の一挙手一投足を見逃さぬように緊張感を持ちながら目を細めた。そう、何の違いも無いのだ。敵と――――獣と対峙した己がやるべき事は、何も変わらない。

 

 獣の性質を暴き、理解し、狩り、殺し、そして生き残る。守り抜く。ルドウイークはそうして自分を、仲間達を守るために戦ってきた。ならば。

 

「――――ルドウイークの狩りを知るがいい」

 

 背の仕掛けと銀剣を組み合わせ大剣となった<ルドウイークの聖剣>を抜き、ルドウイークは怪物の姿を真摯に見据えた。その眼光に一瞬、怪物は怯むかのように身じろぎした。だが、すぐさま身に宿す暴力性によってその怯えを凌駕して、咆哮と共にルドウイークへと躍りかかってくる。

 

 対するルドウイークはその攻撃を機械的なまでに正確に回避する。それを成しえるのは、ひとえに戦いの中でも止まる事の無い思索と仮定、予測の連続だ。戦場で思考と戦闘を両立させるのはそう容易な事では無い。ともすれば、集中を欠いていると思われる事もあるだろう。だが常に未知の獣や神秘と相見えてきた狩人達――――特に狩人らの最前線に立ち、古い獣、あるいは真なる上位者と相対して来た者達にとって、それは必須の能力である。

 

 故に、その最先鋒であったルドウイークもまた、唸りを上げる怪物の暴威を前にして電撃的に思考を巡らせた。全ては狩りの成就のために。

 

 ルドウイークの瞳が見開かれ、怪物の全ての動きを見透して行く。振りかぶられる右腕。踏み込まれた右足。薙ぎ払い。左方へ跳躍。回避。すれ違いざま、片手で背に大剣を振り下ろす。硬い。獣の強靭な筋肉の鎧とは違う、硬質な感触。怪物が振り向きながら過剰に身を捻る。攻撃予兆。さらに体を捻って、結晶の生えた尻尾を振り回す。上方へ跳躍。回避。ヤーナムの獣には不思議と尾の無いものが多かった。興味深い。最善は切断。上側からは困難。結晶の無い体の下側への攻撃が有効と判断。再び振り向いた怪物へと跳躍。腹への刺突攻撃。

 

 光の糸。

 

 瞬間、攻撃姿勢を取っていたルドウイークは即座にそれを諦め後方へと再跳躍。それに一拍遅れて、怪物の口から白く輝く気体が放出された。それが付着した地面がガラスの如く光沢を帯び、そこから巨大な結晶体が爆発的に発生する。

 

 ルドウイークは月光の導きに従いその被害範囲から既に離脱しては居たものの、眼前で起きた現象に瞠目(どうもく)した。そして敵の脅威評価を内心で更に引き上げつつ、発生した結晶の脇を回り込んで怪物の腕を狙って大剣を薙ぎ払う。その一撃は腕の結晶を砕いたがしかし皮膚には届かず、彼は再び距離を取り反撃の振り払いを見届ける。

 

 小手調べではいかんな。ルドウイークはふぅ、と一つ息を吐くと、大剣を握る手の力を少しばかり強めた。そして、再び飛び掛かって来た怪物の顔面に向け、思いっきり横薙ぎの一撃を振り抜いた。

 

 激突による衝撃が、部屋(ルーム)に元より生えていた幾つもの結晶を振動させる。その結晶を巻き込んで破壊しながら吹き飛ばされた怪物の巨体が地面を幾度も跳ね転がり、そして壁に衝突してようやくその動きを止めた。

 

『ガアッ……ガアアッ……!』

 

 肺の中の空気を絞り出すように喉を鳴らし、四肢に力を込めて身を起こす怪物。大剣を左手で握りしめて、ルドウイークは怪物の許へ悠々と、油断なく、無感情に歩みを進める。その姿に、怪物は壁を背にして一歩後ずさりしようとし、そして威嚇するように咆哮を上げた。ルドウイークの歩みは止まらなかった。決して、部屋(ルーム)全体を震わすような大声量が聞こえていない訳では無い。単純に、客観的に、彼我の戦力差を判断した上で、彼はそれを無意味な事であると断じただけだ。

 

 ルドウイークは思考する。この怪物の正体、結晶トカゲの近縁種――――或いは、話に聞く【強化種】で間違いないだろう。戦力は、恐らくレベル3以上。強靭な筋力と結晶による防御能力、そして結晶の吐息を操るが…………以前相手にした【ティオナ・ヒリュテ】に比べれば、あらゆる意味で容易い相手だ。だがそれでも、十分に自身を殺しうる能力は備えている。ならば殺す。生きる為に。

 

 決断的に歩みを進めながら、彼はもう空いていた右手で背にしたままの月光の柄を掴み抜き放った。形成す神秘。宇宙色の大剣たる、光纏わぬ<月光の聖剣>。人によって作られたる仕掛け大剣、<ルドウイークの聖剣>。嘗て数多の大獣(おおけもの)を、神秘達を屠り、狩人達の時代を築いた<聖剣の狩人>の姿がそこには在った。

 

 怪物に、その事は理解できよう筈も無い。彼に許されたのは、眼前に迫る脅威に対して、ただ抗う事のみ。故に怪物は賭けに出た。四肢を今まで以上に強く突っ張り、全身に力を漲らせ、そして口から前回とは比較にならぬ量の気体を吐き出す。

 

 だが、それはルドウイークに届く事は無く、彼と怪物の間を遮るかのように滞留した。ルドウイークは右の月光を肩に負い左の聖剣を引き絞り、構える。

 

 次瞬、怪物は爆発的なまでの瞬発力を以って自ら滞留した気体へと突撃を敢行した。

 

 恐るべき速度で気体の壁を打ち破り、咆哮を上げる怪物。その全身に付着した気体の力によって爆発的な勢いで結晶が生み出され、只でさえ強固であった防御力を更に途方もない領域へと押し上げて行く。

 

 名を付けるのであれば、『結晶纏い』とでも呼ぶべき正しく捨て身の大技。例えこの突撃によって敵を仕留めたとて、全身を結晶に蝕まれたその体は長くは持たないはずだ。しかし、命を対価にした事実に相応の威力を怪物は手に入れていた。結晶によって増した防御能力は更に殺傷性をも高め、目くらまし代わりとなった気体と体面積の増加によって、回避する事さえも困難。しかしその速度と質量が防御を相手に許さない。実際、この技を、この状況で、初見で凌ぐ事の出来る狩人は存在しえなかっただろう。

 

 

 

 ――――ただ一人、全力のルドウイークを除いて。

 

 

 

「はぁッ!!!」

 

 ルドウイークの引き絞られた左腕、そこに握りしめられた聖剣が槍じみて突き出され、迫りくる怪物の頭部と激突した。激突、破砕音。恐るべき威力と威力の拮抗が、衝撃波さえ生み出し周囲に広がってゆく。ミシミシと、ルドウイークの左腕と聖剣が悲鳴を上げる。彼の足元に、音を立ててヒビが走る。引き伸ばされた時間感覚の中で拮抗は続いた。歯を食いしばる怪物の頭部が、聖剣の切っ先によって軋んでゆく。

 

 だがそこで、怪物は勝利を確信した。眼前の男の表情。今までの神妙な無表情が嘘のように歯を食いしばり、全身を強張らせ衝撃に耐えている。そしてその左腕。怪物の全身との均衡に晒されたその腕からは、僅かに力が失われてゆく。怪物は夢想した。このまま自身の威力が相手を押し切り、その全身を身に纏った結晶によって引き裂くのを。それが現実のものになるのだと証明するかのように、ルドウイークは左手の聖剣を手放した。

 

 

 

 次瞬、その空いた左手は一切の躊躇なくいつの間にか大上段に構えられたもう一振りの聖剣の柄を握りしめた。怪物はその事実に目を見開き脳裏に敗北を、死を予感し、それに抗わんと眼前の矮小な生物を叩き潰さんと右手を振り上げる。

 

 だが、ルドウイークの刺突によって勢いを殺されたその体が彼に辿り着くよりもずっと早く。全力で振るわれた光纏わぬ聖剣の一撃が、強固な結晶に覆われた怪物の頭蓋を理不尽なまでの威力で砕き斬った。

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

 

「あっ! 皆! 戻ってきたっスよ!!」

 

 通常のダンジョン12階層へと戻る長い通路の途中でルドウイークを出迎えたのは、臆病な小人(パルゥム)の快哉の声だった。

 

 武器を構え臨戦態勢を取っていたカニス、RD、ダンの三人が安堵したように力を抜く。それを見たルドウイークは、むしろ彼ら以上に安堵の感情をその内に沸き立たせて小さく笑顔を見せた。

 

「皆、無事だったか。安心したよ」

 

 その言葉に、カニス、RD、ダンの三人は驚いたように目を見開いた。同調して喜んでくれるだろうと思っていた彼らの姿に、ルドウイークは思わず首を傾げる。

 

「……どうした?」

「いやいや! こっちは滅茶苦茶心配したって! アンタ、アレの足止めしてくれてたんだろ!? 俺らついいつもの癖でサッと逃げちまってさ、なんて言うか、その……な?」

「『怪物進呈(パス・パレード)』なんかこの界隈ザラっスけど、流石にあの状況で一人置いてきたってのは流石にヤベーかなって」

「よく言うぜ。もっと離れなきゃやばいって揃って言ってたくせによ」

「そこ余計な事言うんじゃねぇっスよマジ! 今回の結局全部カニスのせいじゃねえっスか!」

「何だとテメェ! やるかコラ!?」

「止めろよお前ら、恩人の前で…………」

 

 仲が良いのだか悪いのかわからんな。

 

 些細な事からいがみ合うカニスとRD、それをなだめようと間に割って入るダンの姿に、ルドウイークは複雑そうに笑みを浮かべる。そして、三人から少し離れた所で壁に背を預けて腕を組むルカティエルの存在に目を向け、彼女の元へと歩みを進めて行った。

 

「ルカティエル」

「………………よく無事で戻ってきてくれた。それと……すまない。私にもう少し力があれば、共に戦う事も出来たろうに」

「謝る事では無いさ。むしろ、私が共に逃げるべきだったのかもしれん……」

 

 互いに頭を下げあった二人は、顔を上げしばらく互いを真っ直ぐに見つめ合っていたが、その内どちらとも無く、肩をすくめて溜息を吐いた。そして、揃って12階層の隅の小部屋へと戻って行った。

 

 

 

 

「しかし、本当に心配したぞ。あの怪物は、12階層のモンスターではありえない怪物だった。それを単独で足止めなど……」

「何……君も彼らを説得して私を助けに戻ろうとしていたんだろう? それに結果として、全員生きて帰れたんだ。それ以上を望む事はあるまい…………」

「そうだな……結晶トカゲは捕まえられなかったし、彼らも逃げる途中に籠を放りだしてしまって、互いに成果はゼロと言う形になるが……」

 

 そこでふと、ルカティエルはルドウイークが腰に縛りつけた武骨な塊の存在に気づく。それは腕。結晶を生やし、その強靭さを思わせるような太さとしなやかさを併せ持った、先の怪物の持つ脇腹に生えた無数の腕の一本だ。

 

 怪物を倒しはしたルドウイークだったが、その死体の全てを持ち帰る事は(はばか)られた。そうなれば、オラリオ中に自身の実力が露見する危険性が増すのは間違いない。既に怪物を倒し、ルカティエルに真の力を察されておきながらそうとは知らずそんな事を考えた彼は、しかし流石に何も得る物が無いのはマズいと思い、怪物の腕だけを切り落として回収してきたのだ。

 

 以前の山羊の頭骨を持つ謎の怪物との遭遇の後、ギルドからの尋問に等しい事情聴取で散々その実在を疑われたルドウイークは今度はそうならぬよう、怪物の一部を回収する事に決めていた。これならば未知のモンスターが出現した物的証拠として十分に通用する。ギルドにこの実績が認められれば、それを元に報奨金を得る事も不可能ではないだろう。

 

 家でヘファイストスとの困難な交渉に臨んでいるであろうエリスの目的に少しでも寄与出来るよう、そのような判断を下したルドウイーク。一方で、彼が回収した怪物の腕に気づいたカニス達が、興味深そうにルドウイークの元へとやってきてまじまじとそれを眺めた。

 

「その、なんだ。アンタが持ってるソレ……あの怪物の、何だ?」

「腕だ。どうにかこうにかこれだけは切り落とせてね。本体には逃げられてしまったのだが」

「それはアンタの手柄だ。ギルドもビックリするだろうよ」

「結晶トカゲには逃げられちまったスけど、今回はしゃーないっすね」

「はぁー。やっぱ、ガラじゃあねえ事するもんじゃあねえよなぁ。未踏査区域なんて見つけるんじゃなかったぜ……」

 

 エリスの教えに従って平然と大嘘を吐きつつ、手に入れた腕をアピールするルドウイーク。それを見たカニスが諦めた様にルドウイークの手柄を讃え、RDが諦めたように溜息を吐いた。その後ろで、ダンが今回の酷い目を見る原因となった存在しえない通路……未踏査領域への入口へと振り向き、そして目を見開いた。

 

「……あ、あれ? なぁおい。さっきの向こうへの通路、消えてるように見えるんだが…………俺の眼がおかしくなったか?」

 

 そう口にした彼の視線の先には、周囲のそれと何ら変わらぬダンジョンの壁だけがあり、通路など影も形も無い。他の四人もそれぞれそちらに視線を向けて、見慣れたダンジョンの壁を見つめている。

 

「……錯覚じゃ、ねえっスよね? マジか」

「少し調べてみた方が良さそうだな」

 

 驚き、呆然として零すRDに応じてルドウイークが答えた。壁に攻撃でも仕掛けてみるか? 聖杯ダンジョンで実践してきた事を、このダンジョンに対しても通じるかどうか試してみる価値はあるだろう。皆の中で最も壁から離れた場所に立っていた彼であったが、そう決心すると壁へと向き直り、背の仕掛け大剣に手を伸ばす。その時だ。

 

 壁にヒビが入り、モンスター出現の兆候を示した。その場にいる全員が緊張感を迸らせて臨戦態勢を取る。だが、実際に壁面から顔を出したモンスターの顔を見て、皆安堵と共に力を抜いた。

 

「なんだ、結晶トカゲかよ」

「おおっ。ははっ、上手く生き延びたご褒美かなんかか? ツイてんな!」

「いや待った。なんかあの、スゲェ背筋がゾワゾワするんスけど」

「おいおい、いくらなんでも勘違いだろ。相手は結晶トカゲだぜ? よっしゃ、そんじゃあ マッハでとっ捕まえて――――」

 

 笑って壁から結晶トカゲが飛び出してきたところをキャッチしようと立ち位置を調整したカニスの目の前で再び壁面からモンスターが顔を出す。結晶トカゲ。それを見て、更に獰猛な笑みを浮かべて見せた彼だったが、一瞬後その表情は凍り付く事になる。

 

 壁から次々と顔を出すモンスター。結晶トカゲ。結晶トカゲ。結晶トカゲ。結晶トカゲ。

 

 その数は見る見るうちに増えていき、そう時間の経たぬ間に壁一面に結晶トカゲが顔を覗かせて、じろりとこの場にいる冒険者達を睨みつける。

 

「や、やばくねえか……?」

「やばいっス……」

「に、逃げるか? どうする?」

「いや、そう言われても…………」

 

 カニス、RD、ダンの三人は異様としか言いようも無い事態を前にして、顔を見合わせ合ってそれぞれ口走った。だが結晶トカゲたちは、彼らの意見の一致を待ってなどくれなかった。

 

 壁の全面に現れた結晶トカゲが一斉に、破片と共に解き放たれた。それだけで無く、彼らの空けた穴から次々と結晶トカゲたちが生まれ出る。それはまるで、河川の氾濫じみた光景だった。意志を持った濁流が、自らの同胞たちを捕らえ住処を荒らした不届き者達に罰を与えんとする怒りに満ち溢れて襲い来るその様は、まごう事無き悪夢に他ならなかった。

 

「どわああああああ!?!?!?」

 

 その濁流から逃げる事など敵わず、三人の冒険者は一瞬で結晶トカゲの奔流に身を飲まれて姿を消す。そしてその激流の矛先は、近くで呆然としていたルカティエルにも向けられた。

 

「馬鹿な、き、希少種がこれほど…………おおおおっ!?!?」

 

 動揺しながらも剣を構えたルカティエルであったが、怒涛の如く迫り来る結晶トカゲの群れには太刀打ちできず、手も足も出ぬままその中へと呑み込まれてゆく。そして、結晶トカゲの群れは最後に残ったルドウイークへと標的を定めた。勢いを些かたりとも減じる事無く、彼の眼前へと迫りくる結晶トカゲの大波濤。それを前にして、ルドウイークは時間が泥の様に引き伸ばされる感覚を味わい、その中でこの状況を打開すべく思索を巡らせた。

 

 跳躍による回避。不可能。飛び退いた所を呑み込まれる。撤退。不可能。今から振り向いて走り出した所で、鈍重な自身の速度では一手遅い。剣によって薙ぎ払うか? 可能かも知れぬが、危険すぎる。万一、巻き込まれたルカティエル達を斬ってしまう可能性を考えれば、到底実行できることではない。月光の導きも無い。対処の手段が、ない。

 

「悪夢か? これは………………」

 

 完全な詰み。ヤーナムでは、これまでの狩りにおいては幾度となく切り抜けて来たそれを前にして、ルドウイークは結局呟く事しか出来なかった。そしてまた、彼も迫りくる結晶トカゲの大群の濁流の中にあっけなく呑み込まれていった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「…………それで、どうなったんです?」

「ああ。結晶トカゲの大群に襲われた我々は、全身を(かじ)りつかれながらどうにか命からがら逃げだした。酷い目にあったとしか言いようがない…………本当に、最後までうまく行かなかったよ」

「その大群の中から何匹か捕まえらんなかったんですかね」

「流石にあの状況では、な……」

「ふーん。でもまぁ、凄いじゃあないですか。新種の、しかも結晶トカゲの強化種と思しきモンスターの一部を確保するなんて!」

 

 全身に噛み痕をこさえたルドウイークの回想の荒唐無稽(こうとうむけい)さに、都合のいい部分だけを噛み砕く事に決めたエリスは彼らが手に入れたという成果だけに目を向けて喜びの声を上げた。しかし、対するルドウイークの表情は暗い。今回の元々の依頼内容である結晶トカゲの捕獲を結局完遂できなかった事が、思いの他堪えているようであった。

 

「世辞は止してくれ。本当なら、貴女の言う通りあの群れの中から何匹か捕まえられれば良かったんだが…………狩人(われわれ)は、あまりに多くを相手にするのは大変苦手でね。こちらの世界でも、そこはどうにもならんらしい」

「そうなんですか? でもまぁ、とりあえず結果オーライですよ。未確認の強化種討伐、しかも死体もお持ち帰り! 偉業って程じゃあないですけど、ギルドからの評価もうなぎ上りに違いありません!」

「しかし……今回やって見て分かったのだが、殺さず捕らえるというのは本当に難しい。どうやら私には、捕獲と言う繊細な仕事は向いていないようだ」

「………………ぷふっ! あははは! 何ですかその顔! 笑っちゃうじゃないですか!! 貴方がそんなしょんぼり顔するなんて……! ふふふふっ……!!」

「成程。これが『グサッと来る』、と言う奴か」

 

 暗く沈んだルドウイークの姿に無遠慮(ぶえんりょ)に腹を抱えて笑い転げるエリスに、彼は冷ややか極まりない視線を向けて小さく溜息を()く。それを聞いてかエリスは口元の歪みを取り繕うように手で隠しながら、此度(こたび)の冒険の成果についてを訪ねるべくルドウイークに向き直った。

 

「ふふふ……いえ、ともかく、それで今回はどれくらいの報酬を頂けたんですか? 一部とはいえ、結晶トカゲの強化種らしき未確認の新種モンスター! これは大儲けの匂いがしますよ!! では発表と行きましょう! さーて、今回の収入は!?」

「ゼロだ」

「えっ」

「うまく行かなかったと言っただろう。最悪と言うほどでは無いが……ひどく呪われた一日だった」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で言葉を選び、絞り出すように口にしたルドウイーク。彼としてはこの報告を聞いたエリスが以前18層に向かった時同様ショックで倒れてしまうのではないかと危惧した上の言葉であり、同時に余りの自身の不甲斐なさに慰めの言葉の一つでも貰いたいような心境であった。だが彼の想像以上に、思わず立ち上がって声を荒げるエリスの反応は厳しい物だった。

 

「…………いや! いやいやいや! 最悪って程じゃないって、バッチリ最悪じゃあないですか!! ゼロですよゼロ!!! それ以下ってあるんですか!?!?」

「いや、しかしだね、あの状況から無事に戻ってこれたんだ。それだけでも儲けもの……」

「儲けれてないじゃん!!!」

「すまない」

 

 余りの剣幕に思わず弁解の言葉を口にした自身への鋭い指摘を受け、ルドウイークは反射的に頭を下げた。嘗てのヤーナムでは彼に対してここまで直球の言葉を浴びせてくる相手は居なかった。ヤーナム民の多くは陰気で、婉曲(えんきょく)な、意地の悪い言い回しを好んだ。しかし今回相対している女神はヤーナム民よりずっと直情的で、ある意味ではずっと彼らより意地の悪い存在であった。

 

「っていうか、そもそも腕だけとは言え死体は手に入ったんですよね!? 何でお金貰えてないんですか!?」

「それには深い訳があってだな……」

「勿体ぶらない!!!」

「…………『大トカゲ』の一部、その腕はしっかりとギルドに送り届けたのだが、今までに前例のない、全くの新種である事が災いしたんだ。換金額の決定の為に調査を行うので、送金は後日、少なくとも一月(ひとつき)近く後になると言われたよ」

一月(ひとつき)ぃ!?」

 

 ルドウイークの説明を聞いたエリスは憤慨(ふんがい)したように目を見開き、一拍置いて、それに納得しながらも認めがたいという風に頭を抱えて喚き出した。

 

「いやまぁ確かに、新種モンスターなんかまだ利用価値も未確定でしょうから、向こうもお金は払いようが無いでしょうけど……! せめて! せめて最低限の保証として、()()()で幾らかのお金を貰ってくるべきなんですよそう言う時は!!」

「そうか、その手があったか……!」

「ああもう!!」

 

 自身の指摘に口元を抑えて驚愕するルドウイークに、エリスは呆れかえったと言うように叫んでからソファに勢いよく腰を下ろす。そして改めて見せつけるような溜息を吐いてから、睨みつけるような目でルドウイークの金銭に対する勘の悪さをなじり始めた。

 

「全く……ルドウイーク貴方、前に18層に行った時もそうでしたがお金への執着が足りなくないですか……!? もっとガツガツ行かないとダメですよ! この世の中!!」

「そうは言うが……」

「いいですね!?」

「努力する」

「はぁーっ……!」

 

 ルドウイークは返答と共にがっくりと肩を落とした。実際、今回の任務も失敗してもいいという心持ちで挑んだ結果がこれなのだ。もはや金銭の価値が斜陽を迎えていたヤーナムの感覚は一刻も早く拭い去るべきかもしれない。そう深刻な思いで思案を彼は巡らせたが、そこでふと、今日エリスが行っていたことの顛末をまだ聞いていない事を思い出して彼女へと声をかけた。

 

「……そうだ、そういえばエリス神」

「む、何ですか」

「儲けと言えばなのだが…………ヘファイストス神との打ち合わせ、アレは結局どうなったのかね?」

「うっ…………」

 

 それを聞いた瞬間、エリスは先程までの剣幕が嘘のように小さく呻き声を上げ、僅かに顔色を青褪めさせた。

 

「貴女はヘファイストス神に借りがあるのだろう? それ故、余り悪い条件を提示されていたらと思うと心配でね」

「えっ、いやあ…………そんな事ありませんよ!! 確かに返済も兼ねてますが、少しずつ、少しずつ天引きされるだけですので!」

「それは良かった。貴方はタダ働きと言う奴を好んでいないのだと幾度も口にしていたことだし」

「まぁそりゃ誰もタダ働き好む人なんかいませんって。当然私もそうなんですけど!」

 

 あからさまに取り繕う様に視線を逸らして言うエリスの不自然さに、彼女への信頼ゆえか違和感より安堵が(まさ)ったルドウイークは気づかなかった。

 実際には、給料の殆どを借金の返済及び慰謝料としてヘファイストスに納める事になってしまい、その決定を覆す事も出来ずに悶々としていたり、突然訪問した【エド】が『武器はタダで作ってやるとは言ったが、メンテナンスまでタダとは言ってねえ』などと言いがかりを付け金銭を要求したため、八つ当たりも兼ねてその顔面に一発お見舞いして追い返してやったりなど様々な事があったのだ。

 

 エリスは絶対に彼に真実を知られる訳には行かぬと策を巡らせていた。収入ゼロと彼に聞かされてひっくり返るのではなく怒りを見せて自身の精神的優位を確保したのも、その悪辣な精神性が成せる業。そのお陰か、ルドウイークは彼女の内心を悟る事も無く彼女の仕事が決まったという事実を祝福し、自身も同様により成果を上げねばならないと奮起するばかりであった。

 

「貴女が頑張っているんだ。私も頑張らねばなるまい………………例のコロッセオの観覧は一週間後だったか? それまでには、多少財布を膨らませておきたいものだ」

「そですね……」

「ああ」

 

 元気の無いエリスの返答にも気付かずに、そこでルドウイークは相槌を打ち、一旦会話を途切れさせる。そして、期せずして訪れた沈黙の中で今日に体験した様々な事を想起していった。

 

 ――――本当に、今日はいろいろな事があった。ギルドでのクラネル少年の勧誘、ヴェルフ少年との会話、ロキ神との邂逅……ダンジョンではルカティエルと再会し、多くの冒険者の姿を知り、そして………………あの不運は如何ともし難かった。今後、あのような兆候に出会った時は早急に離脱せねばならない。

 

 ルドウイークは新たな啓蒙を頭蓋の内に刻み込み、決意した。彼にはまだこの世界のルールは分からぬ。だが彼は嘗て多くの狩人を率いたものとして、危険には人一倍敏感であった。そしてその決意はともかくとして、昼に出会ったロキ神の質問の事を改めて思い出したルドウイークは質問の意味をエリスに尋ねてみる事にした。

 

「……そう言えばエリス神、質問いいかね?」

「な、何ですか?」

「【止り木】の休みの理由をロキ神に尋ねられたのだが、貴女は何か知らないか?」

「ああそっち…………いえ、知りませんよ。でもまぁ、マギーが私にお金くれて怒ってないって事は【(フギン)】がなんか企んでるんじゃないですか? またなんか変な事しなきゃいいんですが。知りませんけど」

「そうか」

 

 興味も無い、と言う風に語るエリスの口ぶりに、ルドウイークは即座にそう言うものかと諦めた。【止り木】において、彼女はただの雇われだ。営業日の決定になど関われる筈も無いし、その理由をわざわざ語る義務などマギー達にも無いだろう。そして何よりも瞼が重く、元来より鈍いと考えている頭の回転がより遅くなっているのを今更ながらに自覚した。

 

 短い間ながら、全力で戦ったが故か。

 

 そう結論付けて彼は一度小さく欠伸をすると、珍しいものを見たかのような表情をこちらに向けるエリスの視線を一度訝しんでから、疲れたような様子で立ち上がる。

 

「では、私はもう失礼するよ。今日は疲れた…………久々に、ぐっすり眠れそうだ」

「あっはい。おやすみなさいルドウイーク。良い夢を」

「良い夢……いや、ありがとう。おやすみ」

 

 言い残すと、小さく微笑んだルドウイークは部屋を出て自身の居室へと向かって行った。一方、その背を引き留める事無く見送ったエリスは腕を組み、何やら難しそうな顔で唸りだした。

 

「むむむぅ…………」

 

 彼女の頭の中ではヘファイストスとの取り決めの内容による収入の中身を如何に誤魔化すか、そのためには一体どうするべきなのか。そればかりで占められていた。家計を――――ファミリアの財政を管理しているのは自身だ。ごまかし自体は容易い。しかしルドウイークは人の顔色を見る才はないが、彼自身が思っているよりよほど聡い人間である。ひょんなことから不自然さに気づき、巡り巡ってごまかしも看破してしまいかねない。

 

 そう、なんだかんだで彼の事を評価していたエリスは、自身の演技力が意外とザルである事に自覚無く少し悩んで…………諦めたように溜息を吐いてから、誰にともなく呟いた。

 

「…………短期のバイト探そ」

 

 言ってエリスはがっくりと肩を落とし、これからの自分がしなければならない事の遠大さと困難さに僅かな頭痛を覚えると、とぼとぼとした足取りで自らも寝室へと向かって行くのだった。

 

 

 

*1
フリーマーケット




分割した分を考えると前後で60000字近くなってしまいました。
他の投稿者の方々が一話を一万字とか5000字とかで収められているのを見るとまだまだ未熟だなと思う次第です。

フロムキャラだけでなくフロムモンスターの登場機会も今後確保していきたいですね。

次回はエリスとのお出かけ回になるかな。一話に納められるよう頑張りたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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31:【闘技場(コロッセオ)

あけましておめでとうございます。41000字くらいです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 

 

 ――――【闘技場(コロッセオ)】で催しが行われる、その当日の朝。女神エリスが、と言うか私がルドウイークと楽しく宴会で美味しいものをお腹いっぱい食べる幸せな夢からふと覚めてみると、特にナメクジになっているとかそう言う事は別にありませんでした。

 

「………………」

 

 …………二度寝したら、夢の続き見れないかな。

 

 そんな強烈な誘惑に一瞬負けそうになるも、私はそれを振り払って体を起こして、眠たげな顔をネコめいてごしごしと擦ってからナメクジが居ないことを確認し、小棚の上に置かれた度の入っていない眼鏡を手に取って身に付けた。

 

 

 

 

「おはようございます、ルドウイーク」

「ああ、おはようエリス神」

 

 顔を洗い、着替えを済ませた私がリビングに足を踏み入れると、そこではいつもの場所でいつものように武具の手入れをしているルドウイークが居て、私の挨拶に顔を上げていつも通りの返答を返し武具の手入れに戻ってゆく。私はそんな彼の姿を見届けるとその向かい側のソファに腰を落ち着けて、机の上に置かれた今朝の郵便物を(あらた)め始めた。

 

「何か来ていたかね?」

「いえ、別に…………」

 

 彼の言葉に視線も向けずに答えながら眺める郵便物に、特別な物は今日も無い。そもそもとしてこの家が私、女神エリスの住まいであるという事を知っているもの自体少ない。【ギルド】と、マギー達【止り木】の人々。後は私がこの家に入るのを見る機会のある、周囲の住民位だろう。だから今この手にある郵便物は殆ど無作為に投函(とうかん)されたチラシなどだ。

 

 私はいつもどおり、それをグシャグシャに丸めて球のようにすると部屋の隅に置かれた籠目掛け放り投げた。綺麗な放物線を描いて飛ぶチラシ製の紙玉。しかし、今回それは籠の中に飛び込む事は無く、その(ふち)に当たって跳ね返ってルドウイークの足元にコロコロと転がって、そして止まった。

 

 一瞬、彼が私の方を見た。その視線に、なんだか責めるような物を感じて私は目を逸らす。それを見た彼はこれ見よがしに溜息を吐いて紙玉を拾い上げると無造作に籠目掛けて放り、見事に一発で飛び込ませて見せた。しかも、放り投げた後はその軌跡も、結果さえも見る事も無く武具の手入れを再開している。

 

 なんか、納得行かない。私が投げたのが上手く屑籠にゴールした時など、思わずガッツポーズしたりその日の幸運を確信したりするくらいなのに。私はルドウイークに恨みを込めた視線を送ったが、彼はそれに多分だけど気づいていないフリをして、武具の方にばかり視線を向けている。

 

「むぅ……」

 

 それに私は頬を膨らませる。いくら私がルドウイークに比べて身体能力とかそういうのでは劣っているとわかり切っているとはいえ、自分に出来ないことを平然とやってのけられるとこう……なんか納得行かない! 私は思わずルドウイークに向けて小言を口にしそうになったが…………ちょっと考えて、みっともないのでやめた。

 

 私は神である。神なので、細かいことにこだわらないのだ。

 

 そう威厳ある女神に相応しく寛大な心を以って気を持ち直した私は、とりあえず朝のもろもろの支度を始めようとする。すると、今まで<月光の聖剣>に目を落としていたルドウイークが思い出したかのように顔を上げて、近くに置いてあった一枚のチラシを手に取るとそれをこちらに示しながら声をかけて来た。

 

「ところでエリス神」

「……何です?」

「今日のチラシの中に、明日から西大通りの食料品店が一斉に安売りをすると言う知らせがあってね。興味あるだろうと思って、それは別に抜き出しておいたんだが」

「えっマジです!? めちゃくちゃ気になるんですけど!!!」

「……ああ。捨ててしまわなくてよかった。ここは一つ、闘技場(コロッセオ)への道すがらに下見でもして行くかね」

「いいですねえ! ルドウイークも、やっとお金の何たるかを分かって来たじゃあないですか!」

「懐の軽い我々は、こうした細かい積み重ねをして行かねばな」

「そのとおりです! さ、そうと決まればすぐ行きますよ! 善は急げって言いますからね!!」

 

 私は彼の言葉に強く頷いて、予定よりずっと早く家を出る為の準備を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 青い空。白くわだかまる雲も点々と流れる今日の空に、破裂音を響かせながら幾つかの白煙が尾を引く。【闘技場(コロッセオ)】での催し、その入場開始時刻が訪れた事を知らせる頭上のそれを聞きながら、私とエリス神は並び立つ人混みの隙間を縫って【闘技場(コロッセオ)】の一角にある神とその連れ専用の入口に辿り着いた。

 

「チケットの提示をお願いします」

「えっと、確かこの辺に…………あったあった。どうぞ!」

「ありがとうございます。はい……確かに。では、女神エリス様。南ブロック一階の中央部に区切られた場所がありますので、そちらの空いているお好きな席にどうぞ。軽食等のご購入は西ブロック二階の売店、食堂へ。こちらは一般のお客様も利用しております。お手洗いはこちらから向かう道中にありますので、何かありましたらそちらへ。もしご希望であれば係の者をお付けいたしますが」

「あ、どうも。でも大丈夫です」

「畏まりました。では、試合開始まであと半刻程となりますので、それまでご自由にお楽しみください。どうぞ」

 

 受付の係員とエリス神がやり取りするのを聞きながら私は周囲の喧騒に耳を傾け、そして目前に(そび)え立つ巨大な建造物へと目をやった。

 

 【闘技場(コロッセオ)】。オラリオ内に存在する建造物の中でも摩天楼(バベル)に次ぐ規模を持つ歴史的建造物であり、年中催しが行われるオラリオ屈指の観光史跡だ。

 

 その門は冒険者だけでなく外からの観光客や市民たちに対しても開かれており、他の街では見られぬ興業もあってかオラリオ外の者と思われる人影も多い。行われる催しには【怪物祭(モンスターフィリア)】での調教などを始めとした見世物などもいくつか含まれているが…………やはり、闘技場の名の通り戦いを娯楽とする催しの頻度は頭一つ抜けている。今日行われるのも、そんな、人同士の戦いだという。

 

 私個人としては、人同士の争いを見て楽しむのは難しい。人は危地に立たされねば団結することなどできぬのだと証明されているように思えてならぬ。あのヤーナムでも()()()()一応の結束を見せていたというのに、この街の冒険者は広い視点で見れば常に摩擦と衝突を続けている。

 

 それも、ファミリアの方向性を決定づけるそれぞれの主神たちの思惑というのであれば私が口出すするべきことではないのかもしれないが…………。そこまで考えながら、私はその思考を頭を振ることで脳裏から追い出した。

 

 ――――今回の観覧は、エリス神が私への報酬、あるいは息抜きとして用意してくれた折角の機会だ。楽しむ、とまでは行かずとも、体を休めるくらいのことはやって見せるべきだろう。

 

「ほら、突っ立ってないで行きますよルドウイーク!」

「ん、ああ、すまない」

 

 エリス神の声に我に返ると、私は前を歩く彼女の背中を追うように足を進め南側の自由席にたどり着き、そして彼女が示した席に腰かけて眼下の闘技場を見下ろした。

 

 闘技場の舞台は、私の知るヤーナムの広場よりなお広大であった。かつて見た<黒獣>と呼ばれる巨大なる獣を幾体も並べうるであろう舞台部分は平坦に整えられており、そこで行われる闘技のスケールの大きさを暗に伝えている。さらに私の目を引いたのは、東西南北に分かれて一つずつ備えられた四つの門だ。

 

 そのうち、東西の二つは馬車が並んで通れるかどうかという大きさの、まだ常識的なサイズの門だ。きっとこの場で戦いに挑む闘士たち――――ヒトが通るための門なのだろう。だが南北の二つは違う。高さだけでも20メートルほどはあろうかというその高さ。そして馬車が四台は並んで通れるであろうその横幅。何よりも、東西の門に比べて、明らかに強靭なその作り。

 

 あれは、人が通るためのものではあるまい。おそらくはモンスター……【ガネーシャ・ファミリア】等によって捕獲され、調教(テイミング)を行われる、あるいは済ませたモンスターのための通路なのだろう。私は足りぬ知識でそう推察して…………その行為にどういう意図があるのかわからず首を(かし)げた。

 

 私の世界の人間も野にあった猪や狼を家畜化し、豚や犬としてその生活に役立ててきた歴史がある。ともすれば、このオラリオの人間にも同様の意図があるのかもしれない。だが、聞く限りその試みは見世物の域を出てはいないようだ。それに、そもそもとしてこの世界においてモンスターは憎悪の象徴であり、家畜のように生活を共にするべきものとは考えられていない。

 

 怪物に対して情を見せるものが『怪物趣味(モンスターフィリア)』などと呼ばれ嫌悪されるという話もニールセンに聞いたことがある。私としては、むしろ自然に思える話だ。何せこの世界の人々は千年単位で怪物たちの暴虐にさらされ続けてきた。<獣>を愛したヤーナム市民などいないように、怪物と手を取り合うことを受け入れるオラリオ市民もいないのだろう。

 

 だが、であればわざわざ恐怖の象徴であるモンスターの調教を見世物とする意味は何だ? 以前の【怪物祭(モンスターフィリア)】での脱走事件のようなリスクを負ってまで、それを()めない理由は? 【ガネーシャ】神は何を考えて……いや、何を知っているのだろう。

 

 思考の坩堝(るつぼ)にはまり込んだ私は闘技の舞台に顔を向けて、眉間に皺を寄せるばかりだ。やはり、オラリオの風土やそれに根付いた人々の意識を理解するには、まだまだ勉強不足といえるだろう。羽を伸ばして休息するべき時にもかかわらずそんな真面目腐ったことを考えて、再び私は思考の迷路に迷い込むべく先日の【怪物祭】騒動の記憶に意識を向ける。だが、その時。荷物を椅子に置いたエリス神がその視界に映り込むように身を乗り出してきて、どこか不思議そうな顔をしながら訪ねてきた。

 

「考え中のところ邪魔しますけど、まだ開幕まで時間がありますので飲み物とか買ってきますよ。ルドウイークは何がいいですか?」

「…………飲み物か。ならば、私が買ってくるよ。主神にそのような事させられるものか」

「いーえ、今日はルドウイークへのご褒美デーなんですから! 貴方はおとなしくここで座って、飲み物の到着を待っててください!」

 

 彼女は私の前に仁王立ちすると、腰に左手を当てながら右手で私の顔に人差し指を突き付け、胸を張りながらそう宣言した。なるほど、確かに今日はそういう日だ。だが、それと主神に物を買いに行かせるのは話が違うだろう。

 

「そうは言うがね。貴女は神で、私は眷属だ。ならば、私が足を動かすのが筋というものでは?」

「それ、ほんっとうにいい心がけだと思いますが、休みの時はしっかり休まないとだめですよ。これは私の経験則です!」

「私は貴女ほど疲労困憊(ひろうこんぱい)してはいない。この一週間、朝から働きづめだったはずだろう」

「そ、それはそうなんですが…………ああ、とーにーかーく! 貴方は休んでてください!! まったくもう適当に買ってきますからね!? 行ってきます!」

「いや待ちたまえ、しかしだね…………」

 

 私の言った何かが逆鱗に触れでもしてしまったのか苛立ちも露わに叫び倒したエリス神は、そのまま制止も聞かずに肩を怒らせて闘技場の中へと続く通路へと姿を消していった。どうやら、彼女は私のことを本気で休ませるつもりのようだ。

 

 これは、余計な事をしないほうがいいのかもしれないな。

 

 嘗ての狩人時代、獣の出現を耳に挟むたびに工房を飛び出していた若い頃のことを思い出して、私は呆れたような笑みを浮かべた。いつだったか、<マリア>と<加速>に『狩人が自分以外にいないとでも思っているのか?』などと叱られた時の経験からすれば、この後また何か口を出せばさらにエリス神を怒らせてしまうことだろう。そう判断して、私は先ほど考えていた思索の続きを始めるべく席に寄りかかって無人の中央舞台へと視線を向ける。

 

 …………しかし、大人しく席についていたのも数十秒程度。私はどうにもそこでただ待つのが落ち着かなくなって、ついでに、今日の分の新聞をまだ読んでいないことを思い出し、売店に新聞が売っていることを期待しつつ、エリス神の後を追うべく彼女が忘れていった財布を手にしてその場を離れるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……まったく。ほんっとに貴方は私の言いつけを守りませんね! まぁ、おかげで、今回は、助かったんですけど……」

「私もまさか、財布を置いて買い物に行っていたとは思わなかったが」

「うるっさいですよ! いちいち言わなくていいんですよそう言う事は! 私自身が一番(いっちばん)よくわかっていますので!! 忖度(そんたく)してください!!!」

「それはすまなかった」

 

 エリス神の怒りを受けた私はその声量に少々顔をしかめつつ、自身が先ほどまで座っていた席に戻って腰を下ろした。その手にあるのは売店で購入した新聞と、瓶に入れられた葡萄(ぶどう)のジュース。その封を開いて瓶を傾け中身を口にし、かつてヤーナムでも口にした同様の飲料の味、その記憶に思いを馳せる。

 

 葡萄をよく発酵させた、血のような赤い酒。あれに血を混ぜ込んだものは、ヤーナムでも定番の酒の一つであった。私などは多忙故それほど口にする機会もなかったものだが、<加速>などは市井の狩人らと肩を組んで幾度もジョッキを空にしていたという。懐かしい、今や瞼の裏にいるだけの真の友の思い出だ。

 

 ――――私もまた、この街で嘗てのような友を見出せるのだろうか? ふと私は考えて、首を横に振った。

 

 明かす事の出来ぬ秘密を持つ私が、異世界で真の友を持つなど……そのような不誠実なことは、ありはしないだろう。

 

 一方、私と同様に葡萄(ぶどう)ジュースの瓶を手にしたエリス神は、しかし一口飲んだだけで手中の瓶を揺らしている私とは違い、瓶を大きく傾けてその中身を一息に飲み干してしまう。そのある意味豪胆なまでの飲みっぷりを見届けて、私はそれほどまでに彼女好みのものだったのだろうかと気になり、その感想をエリス神に尋ねた。

 

「……それほどに貴女の口には合うのかね、このジュースは?」

「そこそこですね。闘技場の外でなら多分きっともっと安く買えますよ」

「そうなのか?」

「【デメテル】のとこの葡萄(ぶどう)を使ってるとは言っても多分ワインに使えなかったやつでしょうしね。いい商売してますよ、ほんと」

 

 そう、どこか恨めし気な、あるいは羨まし気な視線を瓶に向けながらに言って、エリス神は一緒に買ってきたじゃが丸くんをむしゃむしゃとやり始める。まるで怒りをぶつけるかのようなその(かぶ)り付き様にしばらく目を細めた後、私は彼女から視線をそらし、そして手にしていた新聞を広げた。

 

 私はオラリオに来てからというものの、世界の中心とも呼ばれるこの街で起きる出来事が記された新聞を読むことが半ば習慣となっていた。それはこの世界の常識を知る必要に迫られたからと言う部分も間違いなくあっただろう。

 

 だが、それだけではない。ひたすらに<獣狩りの夜>とそれに備えるための昼を繰り返す張り詰めたヤーナムの陰鬱な雰囲気とは違う、活気あるこの街の、あるいはこの世界の様子を知ることは、私にとってまっこと興味深いことであった。しかし。

 

 

 ……『クローム商会、【クリスタル・リザード】製品の流通制限を発表。ムラクモ商社組合は反発』、『【ラキア王国】、【ネメシス・ファミリア】に襲撃さる』、『オラリオ料理店組合会合のお知らせ』、『【仮面巨人】、歓楽街に出没。【イシュタル・ファミリア】と小競り合いか』、『【ディアンケヒト・ファミリア】、【二属性回復薬(デュアル・ポーション)】販売開始!』

 

 

 ――――本当に、良くも悪くも活気のある世界だ。私はそんなことを考えて、小さく首を横に振った。

 

 そこには平穏な日常を感じさせるようなニュースもあったが、記事の多くは【ファミリア】を始めとする組織同士の対立だったり、何処で事件があったか、あるいは誰が事件を起こしたかといった内容が多くを占めている。それも一つの活気の形なのだろうが、私からしてみればあまり好ましいものではない。

 

 しかし、それはこの街が日常的に争っていられるほど豊かである証左だろう。『争う余裕がなけりゃそもそも誰も争わない』、とは<(からす)>の言だったか。この世界には、神々のもたらした恩恵による巨大なうねり、人々の力強い活気が大いに満ち満ちている。ヤーナムに比すれば、なんと健全な街だろうか。

 

 そう考えはする私だが、この街にも厳しい現実があることは知っていた。神の恩恵を受けた冒険者たちの増長、その中でも大成できぬ落伍者の末路、何より恩恵の有無という絶対的な差によって煽りを受ける市井の市民たち。以前、くたびれたサポーターの男と話して以来、私はこの街にもそう言った一面があることを知ったのだ。

 

 ……だが、そこにどれほどの嘆きと争いがあろうと、この街にあのような<夜>は訪れない。友だった()()に食い殺されることもない。家族だった()()臓腑(ぞうふ)(えぐ)り出すこともない。だからこそ、この街はヤーナムより余程()()()街だとヤーナム生まれの私は考え――――そして自分を戒めるように首を横に振った。

 

 真っ当な生者にとって、死は一度きりのものだ。その良し悪しを他者が自らの価値観に沿って勝手に定めるなど、なんと傲慢で冒涜的な事だろう。そこで、私は今までの考えを脳裏の暗がりに掃き捨てるように目を閉じて、瞼の裏で踊る光の小人の動きを追いながらにまた別の思索を描いた。

 

 ――――もし、もしもこの街にあの<夜>が訪れ、獣の吠え声が響いたのなら。この街は一体、どうなるのだろうか。一体、どうするのだろうか?

 

 …………獣が現れれば、まず、多くの冒険者たちが獣狩りに名乗りを上げるだろう。数多の冒険を成し、数多の怪物を屠ってきたオラリオの英雄たちが立ち上がるだろう。そして彼らの英雄的行為によって、しばらくは平和が保たれる。

 

 

 

 だが、すぐに彼らは気づくはずだ。自分たちが切り伏せ、打倒しているのが『怪物(モンスター)』ではないと。

 

 

 

 狩人たちの中にさえ、結局のところ獣も人であると論じた者たちがいたのだ。より人間的であるこの街が同じ状況に立たされれば、どのようになるかは想像に難くない。そして次には、獣が人より現れるという事に気づくに違いない。そうなればヤーナムよりも遥かに多くの人々が住まい、かつ幾つものファミリアがひしめく複雑な権力構造を持つオラリオでは収拾がつかないはずだ。

 

 人同士が疑い合い、徒党を組み、獣を――――()()()()()()()()()狩り殺す日々。<獣狩りの夜>の到来。中には人間性をそれでも保ち、手を取り合うべきだと声をあげる者もいるだろう。だが、そんな彼らの中から獣が現れれば、それで終わりだ。夜空に(またたく)く星のごとく確かな人間性を備えていた者たちもまた、血と肉と炎と怨嗟の渦の中へと消えてゆく。

 

 そのような事には、してはならない。そして、私という前例がある以上、あちらからこちらへと獣が渡ってくる可能性もゼロではない。<鐘>や<聖杯>、<生き胆>などの物品を用いて異界や悪夢へと渡る方法も知られていたのだ。私の存在そのものが確かな縁ともなりかねない。それに、故郷のことも変わらず心配だ。一刻も早くヤーナムへと帰るべきだろう。

 

 …………そこで私は、ふとその思考に疑問を抱いた。私が戻ったところで、獣がその後この街に現れない保証はないのではないか? 私が何の前触れもなくこの街にやってきたように、(しるべ)など無くとも、この地に獣の呪いが足跡を刻む可能性はあるのではないか? その時、獣への、血への恐れを知る者の無きこの街はどうなる? 今しがた自身が想像した通りの、最悪の道を歩んでしまうのではないだろうか?

 

 それはダメだ。この街を、ヤーナムのようにしてはならない。だが、どうする? この街でただ一人の狩人として、獣たちを人知れず狩り続けるか?

 

「ルドウイーク?」

 

 横からかけられた声に気づいて、仮定と想定の思考の海に溺れていた私ははっとなって顔を上げた。視線を滑らせれば、どこか不機嫌そうに口を尖らせたエリス神がこちらを睨んでいる。

 

「……まぁ、居眠りくらい許しますよ、私は。でもですね、せっかく今日ここで行われることの中身を説明してあげてるのに、ちょうどそこで居眠りかますのはどうなんですかね……?」

 

 そう、彼女は苛立ちも露わに口にした。対して『それは許していないのではないか?』と私は思わず口にしそうになったが、寸での所で口を(つぐ)む。 ではないか? かもしれない? 先ほどから、そのようなことを考えてばかりだ。それを証明できるものなど何一つない。自身の不安が形になるかどうかさえ定かではない。そのような状況で、何を悩み、どのような未来への導きを求め、見出そうと言うのか。

 

 今しがた注意されたばかりにもかかわらず、私はまたしても深刻ぶった顔で思索の海に沈んでしまう。そんな私を見たエリス神はますます眉間に皺を寄せる。そして苛立ちを露わにしたままこちらに身を寄せ、いつものように私の耳の近くで大声を上げた。

 

「ちょっと聞いてます!? そういう所ですよ! まったく、貴方という人はいっつも難しい顔をして……折角お休みあげたんだからもっと気楽にしてもいいんじゃないですか!?」

「わかった、わかったからやめてくれ耳元で叫ぶのは」

「やめてくれって何ですかやめてくれって! そういう時は素直にそうですねって言って従ってくれればいいんですよ!」

「だがね、エリス神……」

「だがとか言わない!」

「う……むう」

 

 彼女の剣幕に押され、私は思わず顔を背けながら小さなうめきを上げて口をつぐんだ。確かに、彼女が言っていることにも理がある。休息として与えた時間に苦悩されていては、与えたものとしてはあまり気分のいいものではないだろう。嘗て、休息を与えたにも拘らず気を(はや)らせて狩りに向かう狩人を見て同様の思いを抱いたことが私にもある。

 だが、内容はともかく耳元で叫ぶのはあまり好ましいものとは言えるはずも無いし…………それ以前にだ。休息の時間だというのであれば私の自由に、それこそ多少考え事をするくらいは許容範囲ではないのだろうか? エリス神の声をどうにか受け流しながらにそんな言い訳を組み立てて、私は彼女から逸らしていた視線を元に戻す。

 

 

 

 そこで私は、苛立つエリス神の向こう側から客席の間を縫ってこちらに迫ってきている見知らぬ女神に気づいて目を丸くした。

 

 

 

 肩ほどでバッサリと切りそろえられた紫色の髪を持つ、長身の女神。薄い生地の丈の長い白のドレスを纏うその姿は、市井の人々とそう変わらない服装のエリス神とは違い一目で神だと断じることができる。その(かんばせ)も当然ながら人知の及ばぬ美を(たた)えており、高潔そうな、あるいは気の強そうな凛とした(まなじり)は、私の見知る女性の中ではニールセンに近いと言えるだろう。

 

 そんな、エリス神に比べ随分と女神らしい女神。しかし私は、彼女に対してすぐに畏敬だとか感嘆だとか、そういったしかるべき感情を持つことが出来なかった。なぜか。

 

 それは彼女が、親に感づかれる事を恐れた子供の如きそろりそろりとした慎重な足取りでこちらに向かってきており、私と目が合った瞬間には人差し指をその口元に立てて見せて、小さくウインクをして見せたからだ。

 

 

 私が少なからず呆気に取られていると、女神はまたゆっくりと、足音を立てぬよう慎重にエリス神に迫り始めた。一方で当のエリス神はそれに全く気付かない。むしろ、私が自身のほうに視線を戻して説教に聞き入っているのだとでも思っているのか、どんどん饒舌(じょうぜつ)になってきている。

 

「ずっと思ってたんですが、ルドウイークって結構秘密主義ですよね。いえわかります、わかりますよ。貴方が抱えてる秘密が大事なことだってくらい。私だけは多少聞かせてもらいましたからね。でもですね、あんまりこう一人で悩まれるっていうのは心配……じゃなくて! 居心地悪いんですよ! 主神として!」

「ああ、すまない」

「私には主神として、眷属たちのケアをしてあげなきゃあいけないんです。あんまり非協力的だと困っちゃうんですよ!」

「ああ、そうだな」

「まったく…………それでなくてもあなたは特別で、トラブルにだって巻き込まれてきてるんですから……気を付けてくださいね!」

「ああ、ああ、善処するとも」

 

 近づいてくる紫髪の女神に気を取られ、私はエリス神に集中を向けることもなく適当に返答を返す。しかし彼女はそれに気づいていないようだ。一通りの鬱憤を吐き出し終えると、私の側へと寄せていた体を戻して両手でジュースの瓶を持ったまま先ほどまでの私のようにどこか深刻そうな顔でうつむき始める。

 

 どうしたというのだろう? 私は突如として調子を下げ始めたエリス神の事が心配になってきたが……そこでふと、先ほどの会話に引っかかるものを感じて、彼女に一つ確認してみることにした。

 

「…………そういえばエリス神。私の秘密について……そんな話、以前しなかったか?」

「以前……? 初めて会ったときの打ち合わせの時ですか?」

「いや。確か、<仮面巨人>と遭遇した日の夜だ。貴女にスープを温めてもらったときに……」

「え? あれ、てっきりルドウイークが温めて食べたんだと思ってたんですけど。私がやったんでしたっけ?」

 

 私の説明に、きょとんと、心当たりがないとでも言うような顔をして見せるエリス神。覚えていないのか? 私は思わず目を丸くして、それから自身が考えたことが無駄な心配だったのではないかと考えて、一度小さくため息をついた。

 

「…………大丈夫かね? あまりに酒を飲みすぎて思い出せない……と言うのはもう勘弁してほしいのだが」

「いやいや、あの日は確か別に飲みすぎってことは無かったし、別に……うーん……?」

 

 苦言を呈す私に、しかし彼女は頭ごなしに反論するでもなく顎に人差し指を添えるようにして首を(かし)げる。私もまた腕を組み先日の会話の中身を想起した。

 

 あの時は、当時【アイズ】殿と【クラネル】少年に付き添って行っていた訓練の話をしたのと、私の過去と知識について、教えてもよいと思ったら教えてくれと彼女に請われたことは覚えている。だがしかし、何分(なにぶん)しばらく前の出来事だ。その内容を事細かに思い出すのはさすがに困難であったし――――それを思い出すことが出来るほどの時間的猶予は、エリス神の後ろへと忍び寄る紫色の髪の女神が与えてくれはしなかった。

 

「だーれだ!」

「わきゃあっ!?」

 

 背後からの声と共に、女神はエリス神の両眼に両手をかぶせて覆い隠した。それを受けた彼女は驚きのあまり椅子から飛びあがりそのまま前の座席との間に向かって転げ落ちそうになり、その流れを想定していた私に受け止められる。

 

「大丈夫かね?」

「ど、どうも……ってぇ! 誰ですかいきなりこんな舐めた真似するのはぁ!?」

 

 エリス神は小さく礼を述べたかと思えばすぐさま私から身をもぎ離し、すぐさま火でも吹くが如き剣幕で叫びながら後ろに控える紫髪の女神へと振り返った。そして、その女神の顔を目にした瞬間、小さく『うげ』と声を上げて、苦虫でも噛んだかのように眉間に皺を寄せてうつむいた。

 

「久しぶり! エリス、来てるなら声くらいかけてほしかったな!」

 

 にこやかに白い歯を見せ笑いながら挨拶する紫髪の女神。それに対して、エリス神の顔はこの上なく複雑な面持ちだ。憂鬱そうな、あるいは不満に歯ぎしりするような……。

 

「……あの。なんで主催が観客席にいるんですかね? いえ五十歩、いえ百歩譲って居るのはいいんですけど、なんでよりにもよって私に話しかけてくるんですか?」

「ん、ダメだった? それよりどしたのそんな顔して? 寝不足?」

「質問に質問で……ああいや、私は健康です。で、なんでここにいるんですか?」

「確かにちょっとしたサプライズだったかな? でも、オラリオは狭いよ? こんな偶然いくらでもあるって!」

「そりゃそうなんですけど、私が聞きたいのはそこじゃなくて……」

「エリス神。そちらは?」

「………………紹介しなきゃダメ?」

 

 私の問いに、エリス神はこれ以上なく忌々しげに答えた。その様子に私はまたか、と内心で頭を抱える。

 

 ロキ神といいヘスティア神といいヘファイストス神といい、エリス神は好んでいない、あるいは苦手としている相手が多い。彼女の様子から察するに、あの女神もそういった好いていない女神の一柱なのだろう。

 

 それは私にも問題なく察することが出来た。で、どうしたものか。

 

 あからさまに『聞かないでほしい』とでも言いたげなエリス神を前に如何に返答するべきか私は悩んだ。また癇癪を起されて、耳元で叫ばれるのは本当に御免被りたい。しかし何と対応すれば彼女の機嫌を損ねずに済むのだろうか? それなりに付き合いも長くなってきたといっても、その答えはどうにも導き出せそうにはない。

 

 ――――あまり黙っていれば、それこそ声を荒げさせるのがオチか。そう、消極的な積極性に背を押されて私はエリス神に件の女神について問いかけようとする。だがそのような遅々とした行動よりもずっと早く紫髪の女神がエリス神の肩を叩いて笑いかけたことで、私と彼女の間にあった微妙な膠着状態は終わりを迎えるのだった。

 

「なぁにつれない事言ってるのよエリスってば! しっかり紹介して、って言うか、そっちの彼はもしかしてエリスの眷属?」

「…………そんなところです」

「そうなのね? ふーん…………近くで見ると、すっごいイイ肉体(からだ)してる!! どう? ここで会ったのも何かの運命かも知れないし……あたしのファミリアに来ない?」

「はぁ!? 何言ってんですかウチの団員に向かって!!」

「えーっ。だって最近、こんないいカラダしてる新人(ルーキー)なんて滅多に見ないもん。みーんな【能力値(ステイタス)】頼りでちっとも筋肉付けようともしないんだから! 嫌になっちゃうよね!!」

「知りませんよ!! 貴女の価値観を押し付けないでください!!」

 

 私を勧誘しようとし、そして自らの意見を満面の笑みでもって語る女神の言に声を荒げ、肩に置かれた女神の手をエリス神は振り払う。その姿に私は強烈な既視感を感じた。

 

 これは、あれだ。以前ヘスティア神と再会した際に彼女が抱き着かれた時と同じ対応だ。つまり、そちらの神はエリス神自身はあまり好んでいないにもかかわらず、逆に相手からは気に入られている神とでも言ったところか。

 

 オラリオに来てからエリス神が見せた他の神々への対応を想起し、それをもとに彼女と女神の間柄を私が推理していると、再び無遠慮に自身に手を触れようとする女神を猫か何かの如くに一度威嚇して、エリス神は心底から腹立たしそうな声色で口を開いた。

 

「…………ルドウイーク、こちら【アテナ】です。見ての通り相当なやべーやつですので、出来るだけ関わらないように」

「やべーやつって……ずっと家に引きこもってる間にますます陰気になってる! そうだ! 今度市民向けにエクササイズの集会とかやろうかなって考えてるんだけど、折角だしエリスも気分転換しに来ない? あんまり引きこもってるとカビが生えちゃうよ!」

「行きません!」

「つれないなー…………」

 

 もはや目も合わせたくないといった様子で肩を落とし横目ににらみを利かせるエリス神に対して、その紹介に預かった紫髪の女神――――【アテナ】神はどこ吹く風、といった様子でエリス神に声をかけた。その内容がこれまた気に入らなかった様子のエリス神が声を上げてもアテナ神はちょっと困ったように眉をひそめただけで、その口元はいまだに笑みを描いているままだ。

 

 大した胆力だな、と私は素直に感心した。普通、神たる彼女にあれだけ凄まれれば多少は委縮してしまいそうなものだが。

 

 ――――あるいは、神としての格。彼女のそれはエリス神を大きく上回っているのかもしれない。この街に来てから得た知識のいくつかを材料として静かに私が推論を組み立てていると、いつの間にか私の眼前に立っていたアテナ神が輝かしいまでの笑みを浮かべてこちらに片手を差し出してきていた。

 

「で、キミがえっと、ルドウ()ーク? アテナだよ、よろしく。ウチのファミリアに入りたくなったらいつでも言って! 基本的に大歓迎だから!!」

「ああ、どうも。【ルドウイーク】です。以後お見知りおきを、アテナ神」

 

 その女性らしい柔らかい手にこちらの手を重ねると、思っていたよりもずっと強い力で握り返される。エリス神とは真逆のずいぶん明るい女神だと思っていたが、その推論は間違っていないようだ。そんなことを私が考えていると、いつのまにか眼前のアテナ神も少し体を前のめりにして、何かを悩むような、あるいは品定めするような視線でこちらを見つめている。

 

「んー…………」

 

 先ほどまでのにこやかなそれとは違う半ば睨みつけるような目つき。その表情のまま、私のことを上から下まで鑑定でもしているのではないかとすら思える動きで見定めてくる。

 

 一体何だというのか。私がその不躾な視線に少々不愉快さを感じていると、彼女は気が済んだかのように目を閉じたまま腕を組み小さくうなづき、そして私に向かって仰々しき人差し指を向け晴れやかな表情を浮かべて声を上げた。

 

「うん、やっぱりすごくいい! あたし、キミみたいなタイプは好き!」

「はぁ!?!? 何言ってんですか貴女!?」

 

 突然の告白めいた文言に思わず私が目を丸くし、同様の驚愕を一瞬で苛立ちに変換したエリス神が彼女に食って掛かる。だが、アテナ神はそれを半ば無視するようにして下ろしかけていた私の手を両手で掴み、その美しい紫髪と同じ色の瞳を星のように輝かせて私に笑いかけた。

 

「ほんっとうにウチに欲しいな! ねえキミ、エリスの所って苦労してない? エリスってば頭は良い癖に、すーぐ目先の利益や感情に囚われてすっ転ぶんだから!」

「ダメですよルドウイーク! こいつ、子供たちが血と汗を迸らせるところが三度のご飯より好きな異常嗜好者で、めちゃキツイ訓練メニューを子供たちにやらせたりしてるんです!! そのキツさは、他のファミリアが何かやらかした団員を懲罰代わりに参加させるくらいなんですから!!!」

「人聞き悪いなぁ。あたしはキッチリと配慮してるし! 食事内容とか!!」

「肝心の訓練内容が滅茶苦茶だっつってんですよ!!」

「いいじゃない市壁の上を何周させたって減るもんじゃなし! むしろ増えるばっかりだもの!!」

「何が増えるっていうんですか!?」

「んー。あたしの満足度とか、疲労とか、筋肉とか、後ついでに【能力値(ステイタス)】とかも……」

「お話になりませんねえ!!!」

 

 私とアテナ神の間に割り込み両手をつっかえさせるようにして距離を取らせたエリス神の暴露めいた言葉にも全く動じず、何一つ自身は間違っていないとばかりににこやかな態度を崩さぬアテナ神。それに対してますます苛立ちを煽られたと見えるエリス神の声の荒げっぷりに私はいささか心配になって、荒い呼吸に肩を上下させる彼女の背をさすりつつも、今しがたのやり取りを眺めていて思いついた質問をアテナ神へと問いかけてみた。

 

「アテナ神。エリス神とはずいぶんと親密なようですが――――」

「全ッ然仲良くないですが!?」

「………………どういったご関係で?」

 

 質問を言い終える前に怒りの矛先をこちらに向けたエリス神の様子に私は頭が痛くなった。これだから察しが悪い、とか言われてしまうのだろう。私はため息一つ吐きたくなったが、エリス神はそれを許す様子でもない。どうしたものか。手だてを失い、いかにこの状況を切り抜けるかもすぐに思い浮かばぬ私は無意識にアテナ神へと目をやった。

 

 すると、彼女は任せておけとでも言わんばかりに小さくこちらにウインクを送って、そして私を睨みつけるエリス神の肩にかき抱くように腕を回して満面の笑みで答えて見せた。

 

「うん、あのね、あたしと彼女は同郷なの、同郷! 昔馴染み、って言い方のほうが合ってるのかな?」

「同郷、ですか?」

 

 アテナ神の言葉を聞きつつも、私はエリス神がその苛立った表情をアテナ神へと向けたことに安堵した。どうも、エリス神に睨まれるのは苦手だ。なんというか、勢いが強いのもあるが……あまりにもまっすぐ睨みつけてくるので実際はそうでなくとも私の方が悪いような気がしてくる。真っ向から自身の意見を押し付けてくる強引な批判というのは婉曲(えんきょく)であったヤーナムでのそれにはなかった。どうにも慣れん……。

 

 ……一方で、そのような私の心情など気にしていないという風のアテナ神は、先ほどの私の問いにやはり笑顔を浮かべたまま、昔を懐かしむようにわずかに目を細め楽しげに語りだした。

 

「うん。一概に天界(うえ)って言っても、こっちみたいにいろいろ地域があってさ。あたしとエリスはその中でも結構大きい地域で一緒だったんだ! その頃からの付き合い、かな?」

「ふむ、なるほど……先ほどの対応といい、エリス神とは長い付き合いのように見受けられますが」

「うんうん。エリスったらさ、天界じゃ友達少なくてね。あたしやヘスティア――――」

「要らん事言わないでください!!! それよりもアテナ! こんなところで何油売ってるんですか!? 貴女主催なんでしょう!?」

「えっ? まぁ主催は主催だけど、運営自体はうちの子がやってくれるし、あたしが当日やることって言ったら開会宣言と表彰くらいなの。だから実際のところ私自身は結構暇してるのよね~」

「っ……これだから大ファミリアの主神は……!!」

「それで誰か知り合い来てないかな~って思ってぶらついてたらエリスを見かけたってワケ……あ、ルドくん。さっきはエリスに教えないでくれてありがとね!」

「……ルドウイーク?」

 

 すでにアテナ神を引きはがすのはあきらめているのか、彼女にくっつかれたままのエリス神が私に恐るべき呪詛の籠った視線を真っ直ぐ送ってくる。なんという圧だ。嘗て悪夢にて相対した<ほおずき>に匹敵するほどの――――いや、きわめて不機嫌な彼女の顔を見ていると、何だか本当に呪われているような気がしてきた。

 

 あまり嫌なものを思い出させないでほしいものだ。私はその視線から逃れたくて溜息をつきながら首を横に振ると、もはや覚悟を決めて、先ほどの瞬間に抱いていた考えを正直に吐露することにした。

 

「いや、アテナ神と貴女がどういう間柄か分からなかったものでね。教えるべきか迷った……忖度しろと、貴方も」

「そういう時は普通に教えてくれればいいんですよ!!」

「すまなかった」

 

 予想通りの言葉を叫んだエリス神に向けて私は素早く頭を下げ謝意を示す。こうなれば、私にできることはこのくらいだ。そうしてしばらく、私は自身の頭に向け突き刺さるような視線が向けられるのを感じていたが、これ見よがしな溜息の声と共に肩にまで圧し掛かっていた圧力が和らぐのを感じ顔を上げた。その視界の内で、両手を腰にやったエリス神は案の定むくれた顔でそっぽを向いている。

 

 どうやらまた機嫌を損ねてしまったようだ。毎度この有様では話にならんし、そろそろ彼女への対応の仕方を誰かに相談するべきだろうか? 嘗てであれば<加速>に声をかけるのであるが……彼はいない。もっとも歳の近そうな同性であるエドは性格上完全に論外であるし、他の相手は……クラネル少年も、まぁこの手の話題は無理だろう。

 

 というか、こういった相談の出来る相手さえ居ないというのは、また難儀なものだ。全幅(ぜんぷく)の信頼を置くことは出来ずとも、多少なりとも相談できる相手くらいは欲しい。所詮私は異邦人。このオラリオの中でたった一人生きていけるほど、壮健とは言えるはずも無いのだから。

 

 …………などと私が考えている間エリス神もそっぽを向いたまま何かを口にすることはなく、その場にひと時気まずい沈黙が流れた。それに気づいた私だが、このような場の空気を払拭(ふっしょく)できる程の話術など持ち合わせてはいない。あればエリス神の逆鱗を逆撫でてなどいない。困ったものだ。

 

 すると、そんな私の様子を見かねたかのようにアテナ神が小さく苦笑いをこぼして、すぐさま満面の笑みに戻って我々を見比べるようにしながら提案してみせる。

 

「ね、二人ともちょっといい? あんまりここで話してるのも他のお客さんの邪魔だし、ここはひとつもっといい席に行かない?」

「……もっといい席、ですか?」

「うんうん。ここは神とその連れの専用スペースなのは知ってると思うけど、他に招待客用の特等席があるの! 今日は誰も呼んでないし、久々で積もる話だってあるし、折角だからご案内ってね」

「……でも、それ、何かいいことがあるんですか?」

「んー、椅子もいいし、見晴らしもいいし…………あっ! あとは飲み物飲み放題! あたし直々に注いであげる!」

「ホントですか?」

 

 アテナ神の提案に、先ほどまで乗り気でないように見えたエリス神が疑っているかのように、しかしその実興味津々で聞き返した。それに、アテナ神は満面の笑みのままにうなずいて見せる。

 

「うんうん! オレンジ、葡萄、林檎、あと何があったかな……あ、もちろんジュースだけじゃなくてお酒もあるわよ!」

「………………ハァ。仕方ありませんね。確かにここで目立つのもあれですし、場所を変えますか」

「うん、じゃあ決まりね!」

 

 アテナ神の言う事に一理あると納得したか、あるいは彼女の酒に対する執着がそうさせたのか……はたまたその両方か。ガレス殿が戻ってきたら、オラリオの酒について教授してもらうのもありかもしれん。二人の会話を眺めながらそんなことを考えていた私に、アテナ神が身を乗り出すようにして笑いかけてくる。

 

「ルドくんも構わないよね! みんなでお話ししながら観戦しましょ!」

「……ええ。異論はありません」

「じゃあそう言う話だし、すぐ行きましょ! 早くしないと始まっちゃう!」

「そうですね……あっ、ちょっと引っ張らないでくださいって力強っ!? ちょっルドたすけ……! あーっ! 荷物! ちょっと待って……! あーっ!!」

 

 アテナ神によってその細腕からは考えられぬほどの力で引きずられてゆくエリス神。随分と元気なものだ。私はその姿をまるで奔放な姉に手を焼く妹か何かのようだと微笑ましく思いながら見送ると、置き去りにされたエリス神の荷を拾い上げて彼女らの後を追うべく歩き出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

『【闘技場(コロッセオ)】へようこそ、紳士淑女神々の皆様! 本日、あなた方がこの場を訪れてくれたことに心よりの感謝を表させてほしい!!!』

 

 数多の人々が集った客席から響く大歓声。それの中にあってもよく通る声を張るのは客席の最前列にある櫓の上に立った長身の男だ。その声は手にした魔道具によって増幅され、会場の隅々まで響き渡る。

 

『この度司会進行を行うはこの私、ギルド職員【メルツェル】だ! ではこれよりお集まりいただいた諸兄、そして女神アテナの前で拳を交える栄誉を(たまわ)った二人が入場する!! 歓迎しよう、盛大にな!!!』

 

 彼が自己紹介を終え、そして叫ぶと共に東西の門が動き出す。それと共に一気に上がるボルテージの熱を浴びながら、まずは西側の門より一人の闘士が日の元へと歩み出た。

 

 頭から布を被ったその素顔は客席からは見えず、しかしその体つきからは女性だという事が見て取れる。身に着けるものも装甲の一つも持たぬ革と布の軽装のみ。防御を捨て、身軽さのみを重視したかのような服装だ。そして何よりも特徴的なのは、手にした――――正確には手に装着した、拳を守るための革と鉄鋲(リベット)によって作られた『セスタス』。それ以外の武具を一切持たぬ点だろう。

 

 その女性は身に着けた防具の頼りなさとは裏腹に、揺ぎ無い足取りで闘技場へと歩み出て行く。歓声とともに出迎えられる彼女へと向けて、司会進行を務めるメルツェルは高らかにその肩書と名を示して見せた。

 

『西より現れたるはアテナ・ファミリア新進気鋭の拳術士!!! 人間(ヒューマン)、【(スティールハート)】のエリー!!!』

 

 それを合図としたかのように、彼女へと向けられた歓声がより一層大きさを増す。そして叫ばれる彼女の名は、いつしか大きなうねりとなって会場を一つとした。

 

「……すごいですね」

 

 その光景を、闘技場最上段の特等席から見下ろしてエリスはぽつりと呟いた。彼女たちが今いるのは、闘技場の北側、その中央の会場全体を見渡すことのできる位置にある部屋だ。その観客席側は開放されており、手すり越しに興奮した観客たちの様子が見て取れる。

 一方で壁には過去に闘技場で活躍したと思しき幾人もの闘士の絵が飾られており、正にこの場所における特等席と呼ぶには相応しいと言えるだろう。アテナにこの場所へ案内されたエリスとルドウイークは最初に到着した場所よりも比べ物にならぬほど上等な椅子に腰掛けて、今まさに始まろうとする戦いを眺めていた。

 

「……あのエリーって子が今日の主役なんですか?」

「うん! でも彼女だけじゃないけどね。もう一人、彼女の相手が今から出てくるわ」

「楽しみですね……! そうだルドウイーク! 貴方、あの子のことどう見ます?」

 

 アテナの答えに期待を隠せぬ表情を見せたエリスは、ふと自身の隣にいるルドウイークに問いかける。だがしかし当のルドウイークは顔をしかめ、何かをこらえているかのように眉間に皺を寄せるばかり。その様子にエリスは首を傾げて、そして心配そうに身を乗り出して声をかけた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「…………ああ」

「そうは見えませんけど……」

「…………少し、耳がな」

 

 言ってルドウイークは自身の耳を指し示す。複雑であり広大なヤーナムの街で助けを求める小さな声を、あるいは屋内の、先見えぬ迷宮にて微かに聞こえる獣の唸りを聞き取るほどに鋭い彼の聴覚は、このような大音量には不慣れだった。

 

 嘗ての狩りの中でも耳を(つんざ)くような咆哮――――ルドウイークを相手に、それを行うほどの暇を得る事の出来る者との争いもゼロではなかった。その様な最中にあれば、彼は狩人としての矜持、そして獣の声に耳貸さぬ冷徹さによって轟音を聞き流し、今のように苦痛を覚えることもなかっただろう。

 だが、今は狩りの最中ではなくあくまで平時の延長線上。普段でさえエリスの大声がなかなかに堪えている彼にとっては、この大声量は少々来るものがあった。その様子を見て、アテナは小さく苦笑いする。

 

「だったらさ、今のうち耳を塞いどいたほうがいいよ」

「どういうことです?」

 

 少々うんざりしたかのように顔をしかめて、忠告するアテナへとルドウイークは訝し気な視線を向ける。それに、アテナは東門から歩み出る人影に目を向けながらに微笑んだ。

 

「うん。だって今日のもう一人の主役、ウチで一番ウルサイから」

『メルツェェェェェェェェェェェェエエエエエエエエエル!!!!!!!!!!!!!』

 

 アテナの言葉が終わるか終わらないかのうちに響いた咆哮は、魔道具による増幅を受けたメルツェルの声は愚か、観客の大声援をも上回るとてつもない声量だった。

 

 声の主は白い装甲の重装に身を包みながら、エリー同様に武器を持たず、強靭なガントレットを装備した大柄な男。甲虫をモチーフとしたと思しき形状の兜から僅かに覗く目と口元には、戦場に立つ高揚と、これからの戦いを見据えた興奮がぎらぎらと輝いている。しかし男は目前に立つ好敵手であるエリーに対しては一度視線を合わせるのみで、すぐに待ちきれぬというように櫓の上にいるメルツェルのほうへと向き直って、自身をアピールするかのように両手を振り回した。

 

『俺だぜ、メルツェェェェェェエエエエエエエエエル!!!!!!!!!!! かっこよく紹介してくれェェェェェエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

『――――単純馬鹿め、なぜ私の名前を叫ぶ………………失礼。東門から入場したのはアテナ・ファミリアの誇る重闘士、猪人(ボアズ)! 【(グレディッツィア)】のヴァオー!!』

『ヘイヘイヘイもっとこっち視線くれよメルツェェェェェェェエエエエエエエエル!!!!!!!!!!!!! 寂しいぜェェェェェェエエエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!』

 

 全身を使って主張する【ヴァオー】に、そのアピールを向けられたメルツェルは頭痛を覚えたように頭を振った。それと同時に特等席ではあまりの大声量に深刻なダメージを受けたルドウイークがうなだれ、ヴァオーが叫ぶ間耳を塞いでいたエリスが慌てて彼へと身を乗り出して、そして咎めるようにアテナに食って掛かった。

 

「大丈夫ですかルドウイーク!? いや、アテナ! ちょっとあまりにもうるさすぎるでしょう彼!!」

「うん、知ってる。最初のころは彼の声のせいで周辺住民からのクレームが凄くてさ……」

「だったら直すよう指導してくださいよ!! これでルドウイークがどうにかなったらどうすんですか!?」

「え、でも最近は朝昼夕だけ叫んでいいって指導して随分改善したんだよ? 周辺の住民も目覚ましの鶏いらずだって言ってくれてるし…………」

「それはもう諦めてるんですよ!! ってか朝昼夕って今叫んでるし!!!」

「そりゃ叫ぶよ。バトル前なんだし」

「あのですねえ……! そういう所が」

「やめてくれ、近くで叫ばんでくれ、エリス神。頭に響く……」

 

 苦しみと共に絞り出したルドウイークの声にエリスは慌てて口を噤んで、アテナをきっと睨みつけた。対してアテナは苦笑いをしつつ肩をすくめて、それから自身の椅子のひじ掛けに引っ掛けてあった鈴を手に取り、チリンチリンと鳴らす。すると後方の樫の扉が音もなく開いて、一人の女性が足を踏み入れた。

 

 色素の抜けた髪を無造作に伸ばした、ギルド職員のそれに似た露出の少ない服を着た立ち姿。その顔に浮かぶ表情は微塵の揺らぎのない無表情。空色の、星のような瞳に感情など微塵も覗かせない彼女は迷いない足取りでアテナの横まで歩くと、向き直ってその場にいる者たちに頭を下げる。その胸は平坦であった。

 

「おはよ、【アンジー】! 進行はどう?」

「問題ありません」

「あ、こっちの二人はエリスとルドウイーク! 今日のお客様!」

「はい」

「二人に飲み物を用意してあげて! エリスは葡萄の、ワインでいいよね?」

「あー…………いえ。今日はジュースで」

「あれ珍しい。ルドくんは?」

「水で」

「あら慎ましい。じゃあ私はエールで! よろしくアンジー!」

「了解しました。失礼します」

 

 必要最低限の応答を返すと、アンジーと呼ばれた彼女は(うやうや)しく、あるいは機械的に頭を下げて迷いのない歩みで退出していった。その背を見送ったエリスが、どこか不満げに笑顔のアテナを睨みつける。

 

「ねえアテナ。飲み物、貴方が注いでくれるんじゃなかったんです?」

「うーん。でももうバトル始まっちゃうし! それにぃ、主神が注ぐのも団長が注ぐのも、そんなに変わらないかなって!」

 

 手をひらひらと振りながら楽し気な笑顔を崩さぬアテナ。それに眉間の皺を深くするエリスを横に、少しばかり持ち直してきたルドウイークがアテナへと問いかけた。

 

「団長……では、彼女が?」

「うん。ウチの自慢のリーダー! その名も――――」

「【黄道十二(ゾディアック)】の【アンジェリカ】。通称アンジー。レベル2でありながら、大ファミリアの一つを率いる才女です」

「もう! エリスったら人の説明取らないでくれる!? 彼女の凄さをいーっぱい教えてあげようと思ったのに!」

「長ったらしい自慢話を聞く趣味はないので」

 

 駄々をこねるアテナをすげなくあしらうエリス。その横でルドウイークは相変わらず訝し気なままだ。それを見て、アテナは不思議そうな顔で小首を傾げた。

 

「ん、ルドくん。何か不思議そうだけど、まだ聞きたいことある?」

「はい、失礼ながらアテナ神。アテナ・ファミリアはこのオラリオでも有力なファミリアの一つ。レベル2が最強だとは考えづらいのですが……?」

「えっと…………ああ、それ? それね。確かにうちにはレベル5が二人いるよ」

「では何故?」

「ふふ、だって別に団長が最強じゃなきゃいけないなんて決まってないもの!」

 

 にこやかなままに答えるアテナに、ルドウイークは今更気づいたかのように目を丸くする。それを見てエリスが身を乗り出し、未だにオラリオに慣れきらぬルドウイークに恩を売れる事の喜びを神妙な顔で押し殺しながら、まるで後進に何かを教える先達かのような振る舞いで彼へと話しかけた。

 

「……そもそも、誰を団長にするかって言うのはファミリアの主神の一存によるものがほとんどです。実力はもちろん、ファミリアへの貢献度、周囲の神々へのアピール、メンツ、何より個人的な好き嫌い……だから多くのファミリアでは、そこで一番強い人が団長の座についてるんですね。強い子と言うのは大抵特別で、大抵贔屓(ひいき)されるもんですから」

「ウチの場合は単純にアンジーが一番団長に向いてそうだから彼女に団長任せてるの。頭いいし、何よりみんなが彼女に忠実だからね。……って言うか、一番強い眷属には最強に相応しい仕事をさせてあげるべきよ。団長なんてめんどくさい役目までさせるべきじゃあないわ」

「そういう所だけは頭回るんですよね、貴方」

「あっ誉められた! うれしい! ありがとエリス!」

「半分バカにしてるのに気づけ」

 

 皮肉に気付かずその笑みをますます深くして礼を言うアテナに、もはや呆れかえったという風にエリスは深々とソファに寄りかかった。一方で、新たな知啓を得たルドウイークは一度小さく頷く。

 

 今までもルドウイークは幾度もの死線をくぐってきた。だが、それは獣との、上位者らとの戦いにおいてだ。対人戦に限れば、彼の経験はそれほど多くはない。ヤーナムでありえた人との戦い、血に酔った狩人たちを相手にした対人戦という土俵には、<(からす)>という絶対的な捕食者が存在したが故にわざわざ彼が人を相手にする機会自体が少なかったからだ。

 それでも彼はその<烏>や彼に並ぶ強者であった<マリア>や<加速>との手合わせを経て、対人戦においても強者と呼ぶには十分すぎる実力を備えている。

 

 ――――しかし、『集団』を相手にする戦いでは話が別だ。

 

 数多の狩人を率いていたルドウイークは、団結がどれほどの力を持つかよく知っている。彼の居ない所で無名の狩人らが集団での大物狩り(ジャイアントキリング)を成功させた事は一度や二度ではない。それゆえに、ルドウイークはこの世界に来て、自身がこちらでも十分に強者と呼べる力を有していると知ってなお、【ファミリア】と言う集団を敵に回すことを何よりも警戒し、敵に回さぬように心がけ、そして万一敵に回した際の想定を(おこた)ろうとはしなかった。

 

「……なるほど。ではファミリアを見るときは団長のレベルそのものよりも、団員達全体の役割を見るべきなのですね」

「そうそう……って考え方が物騒だよ! もしかしてぇ……どっかに【戦争遊戯(ウォーゲーム)】でも仕掛けるつもりとか!? すっごいなぁ! ねぇねぇ、ルドくんってオラリオに来たのは最近だよね!? 来る前は何してたの!?」

「…………ええと、それはですね」

「あのルドウイークは元【アレス・ファミリア】の所属でしたので! 戦争気分がまだ抜けなくてすーぐ物騒な考え方になるんですよ! まったく困っちゃいますよねえ! あはははは!!!」

 

 嘗て(狩人として)の考え方が抜けないが故にアテナの興味を惹いてしまったルドウイークは一瞬何とも言えない複雑な表情を見せるが、アテナがそれを訝しむよりも早く割り込むかのように慌ててエリスがフォローに入った。その、あからさまなエリスの様子をこれと言って怪しむこともなく、アテナは天真爛漫な笑顔のままさらにルドウイークへの質問を重ねてくる。

 

「ふーん、そうなんだアレス・ファミリアかぁ! ねぇルドくん、【アレス】は元気? 最近顔見てないから気になっちゃって……」

「元気に決まってるじゃないですか! アイツはちょっと凹んでもすぐケロッとしてるような奴ですよ!?」

「それはそうね! 大昔、ウチの団長にボコられた時も…………って言うかエリス。私、ルドくんとお話してるんだけど」

「それよりほら、試合始まりますよ!! 主神なんですから声援送らないと!!!」

「あっホントだ! 二人ともーっ! がーんばれっ! がーんばれっ!!」

 

 自身の質問をルドウイークではなくエリスに答えられ、アテナは一瞬不機嫌そうに唇を尖らせた。しかし目ざとく会場の様子を察知したエリスが苦し紛れに外を指さすと、アテナは慌てて手すりから身を乗り出して声援を送る。それと同時に、主催たる女神が姿を見せた事に気づいた観客がさらに沸き立つ。そうして響きだした歓声の中で、どうにか致命的な嘘が露見することを回避したエリスとルドウイークは揃って安堵のため息を吐いた。

 

「助かった、エリス神。礼を言う」

「いえ、気を付けてくださいよ。アテナはちゃらんぽらんのバカですが、同時に知恵と戦略を司る神でもあるので……」

「ん、何か言ったー!?」

「貴方の賢さをほめてたんですよ!」

「ホント!? ありがと!」

 

 エリスのごまかしに口元を緩めて笑ったアテナは礼を言うと、すぐに闘技場のほうへと視線を戻した。それを見た一人と一柱がまた安堵していると、後ろで扉が開く音がしてトレイに三つのグラスを乗せたアンジーが入室してきた。

 

「アテナ様。エールです」

「その辺置いといて! がーんばれ! がーんばれっ!」

「エリス様。葡萄ジュースです」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ルドウイーク様。水です」

「どうも」

「失礼いたします」

 

 それぞれに頼まれた飲み物を供すると、速やかにアンジーは部屋を後にしていった。ちょうど時を同じくして、観客席の歓声が最高潮に達し、そして司会であるメルツェルの声が会場に響き渡る。

 

『では、戦いを見定める審判のふたりを紹介しよう! 此度審判を務めるのはアテナ・ファミリアの誇る【黄道十二(ゾディアック)】が一人、【レオ】! 同じく【黄道十二】、【アリエス】!!』

 

 彼の声に応じて会場に姿を現したのは金色のたてがみじみた髪を持つ精悍(せいかん)人間(ヒューマン)の男と、どこか達観したような表情のエルフの青年だ。彼らは観客席と、次いでアテナの居る特等席に向け一礼すると、それぞれ閉ざされたままの北門と南門の前へと陣取る。 

 

『これで役者はそろった! では、闘争を始めよう! 両者準備はいいか!?』

 

 彼らが位置についたのを確認すると、メルツェルが高らかに声を上げ、そして右手を高く掲げた。それを見た観客たちは唐突に口を閉ざし、会場は先ほどまでの様子からは考えられぬような静寂に包まれる。しかし観客はその口とは逆に目を大きく見開き、向かい合う二人の闘士へと意識を集中していた。

 

 その視線の先でエリーは深呼吸を一つ行うと小さく腰を落とし、右半身を引いて軽く握った両の拳を胸の高さへと掲げる。対してヴァオーは仁王立ちのまま両の拳を強く握って自身の前でぶつけ合い火花を散らし、兜の隙間から僅かに覗く表情を楽しげに歪める。その胸筋は屈強であった。

 

 闘士二人がにらみ合い、口を閉ざした観客たちの期待が一気に高まってゆく。そして、緊張の糸が張り詰め切った、その瞬間…………メルツェルが唐突に叫びながら、掲げた右手を振り下ろした。

 

『――――――始め!!!』

 

 手短で、祭りの場には相応しくないともいえるメルツェルの声を受けた瞬間堰を切ったかのように歓声が爆発した。同時に、エリーとヴァオーの両者は躊躇なく飛び出してそれぞれの右拳と左拳を激突させる。その威力は、まるで鐘楼(鐘楼)()いたかのような金属音と共に会場の隅々まで響き渡って、それを見る者の肌をビリビリと振るわせた。

 

「こっちまで衝撃が来たぁ!」

 

 全身で感じた衝撃に頬を赤く染め、アテナは歓喜の表情を浮かべて叫んだ。彼女の見下ろす先で、前進しながら凄まじい威力の拳を繰り出すヴァオーの攻撃をいなすエリーが、どうにかその背後へと回り込もうと隙を窺う。一方でアテナの背をどこか白い目で見つめていたエリスは、しかし戦いの様子には興味があるのか自身も少し身を乗り出してルドウイークに問いかけた。

 

「このバトル、ルドウイークはどっちが勝つと思います?」

「………………」

「……大丈夫ですか?」

「…………ああ……少し、慣れてきた……」

 

 響き渡る大声援にうつむいていたルドウイークは心配するような声色のエリスの問いに手を上げて応じると、一度頭を左右に振ってから闘技場で争う二人の闘士に目を向ける。

 

 二人の戦いは、ルドウイークの目には危ういものに見えた。軽装の拳闘士、エリーは素早い動きで的を絞らせず、一撃離脱を徹底して少しずつ攻撃を命中させているが、重装のヴァオーに対して効いている様子もなく、ヴァオー自身も回避しようとする様子がない。それに比べヴァオーの動き自体は遅いもののやたらと攻撃の間隔が短く、その一撃一撃が必殺に等しい威力を秘めているのは一目瞭然であり、更には自身の肉体と装備の防御力に任せて躊躇なしに前進してくる。

 

 ――――まるで、獣と狩人の戦いを見ているようだ。いや、なお(タチ)が悪い。狩人は<仕掛け武器>と言う獣を殺しうる牙を備えているが、エリーの細腕にそれほどの力があるとは思えない。

 

「…………見たままだけで言えば、ヴァオー殿が有利だろうな」

「え」

 

 神妙な顔で答えたルドウイークに、なぜかエリスは驚愕したような反応をした。それにルドウイークが訝し気な目線を向けると彼女は表情をすぐに取り繕って、先ほどアテナとの会話で話題を逸らしたときのように口早にまくしたて始めた。

 

「で、でもオラリオの冒険者なんて見た目じゃわかりませんし! もしかしたらエリーさんもすごい切り札を秘めてるかもしれませんよ! 魔法とか!」

「そうだな」

 

 ルドウイークはエリスの意見を否定することはなかった。この街の冒険者たちの強さを見た目だけで判断できるのであれば、ルドウイークはもう少し楽にこの街で過ごすことが出来ていただろう。しかし現実はそうではない。

 オラリオの冒険者達の強さは神より授けられた【恩恵(ファルナ)】によるものだ。個人個人に刻まれた経験値(エクセリア)を以ってその器を昇華せしめる神の御業。それによって得る力は種族による傾向や才覚の差こそあれど、肉体という枷に縛られることはない。滅多にあることではないが、小柄な少年じみた小人(パルゥム)が無双の剛力を得ることもあれば、身体能力の高さと獰猛さで知られる狼人(ウェアウルフ)がエルフをも上回る魔法を身に着けることもありうる。

 

 故に、見た目だけで冒険者らの強さを判断するのはナンセンスだ。しかしそれでも、外見が全く判断材料にならないというわけでもない。身に着けた装備、立ち振る舞い――――そう言ったもので相手の戦闘スタイルや傾向、そして()をある程度推察するのは、この街で生きていくのにむしろ必要不可欠な技能と言える。

 しかし、実際の【能力値(ステイタス)】や身に着けた【スキル】、何より【魔法】は一見しただけではわからない。それは先程、二人が話した通り。それを踏まえたうえで、ルドウイークは首を傾げた。

 

「しかし、だ」

「はい?」

「もしエリー殿にヴァオー殿を打ち倒せるような魔法があったとて、そもそも使ってもいいのかね? 二人は同じファミリアの所属なのだろう? 命を落としてしまっては興行になるまい」

「……はぁ」

 

 突然につぶやいたルドウイークの言葉を聞いて、エリスは思わず聞き返した。そして、呆れかえったような顔をして見せつけるように溜息を吐いた。それを見て、らしくなくきょとんとした顔で彼女を見返すルドウイーク。一方エリスは再び彼の顔を見て、再び溜息を吐き肩を落とした。

 

「ああ……そうですねルドウイーク、私が説明してあげてる時も居眠りしてるんだか考え事してるんだかでちっとも聞いてませんでしたね……」

「それは……」

「『すまなかった』、以外で頼みますよ」

「……返す言葉もない」

「………………はぁ」

 

 エリスは頭が痛いと言わんばかりに額を抑え、またしても溜息を吐く。そして肩をすくめてから、ルドウイークに向けて試合のルール説明をしようとした。

 

「いいですか、この試合にはですね……」

「ルールなんて全然ないよ! 武器も魔法もスキルも何でもあり!」

 

 しかしそれはいつの間にかこちらに向き直り、手すりに寄りかかっていたアテナの言葉に遮られた。彼女の言葉に、説明をし損ねたエリスはむくれたような顔をして食って掛かろうとしたが、それは慌てたようなルドウイークの言葉にかき消された。

 

「それは、本当なのですか?」

「うん、本当!」

「大丈夫なのですか?」

「大丈夫!」

「……いや、武器や魔法、スキルまで使用可能なのでしょう? 度を越えた戦いになるのは目に見えている」

「うん、なるよ? 互いのすべてを尽くした強者同士の全力のバトル! それがウチの売りだからね!!」

「ほら言ったじゃないですか。やべー奴なんですよこいつ」

 

 自身の眷属が全力でぶつかり合うというのにけろりとした顔で話すアテナに、驚きを隠せぬルドウイーク。その横からエリスがぼそりと囁いたが、ルドウイークはそれに反応を返さぬほどに驚愕していた。見世物はあくまで見世物。そのために同じファミリアに所属する仲間が全力で戦うなどとは、微塵も想像していなかったからだ。彼は問いただすように、真剣な顔でアテナへと問いかける。

 

「しかし……そのような戦いで興行など続けられるはずも無い。万一の事があったらどうなさるつもりか――――あるいは、それも興行の一環だと?」

「それはないよ! そのために審判がいるの! いざとなったら、彼らが止めてくれるから大丈夫!」

 

 しかし深刻なルドウイークの問いにも、アテナはにこやかに返すばかり。彼女は楽し気に小さく笑うと、歓声と戦の音が響き渡る再び闘技場へと目を向けた。その背を複雑な顔で一瞥したのち、ルドウイークは少々うつむき思索を巡らせる。

 

 ――――確かに、先日の【ロキ・ファミリア】で行われた【ティオナ・ヒリュテ】との戦いにおいても実力者である【フィン・ディムナ】が審判として参加し決定的な瞬間には戦闘への介入を行っていた。今現在闘技場で行われている戦いでも同様なのかもしれぬ。あの時用意されていたという【万能薬(エリクサー)】、あるいはそれに匹敵する道具も大ファミリアと呼ばれる【アテナ・ファミリア】であれば所有していてもおかしくないし、治癒師(ヒーラー)の準備もされているかもしれん。

 

 だが、彼はどうにも納得できなかった。人同士が争い、それを見て楽しむ。例え命の保証があるといっても、そこには傷も痛みも存在する。彼らは、どうしてそんな事をしなければいけないのだろう? 娯楽のために、何故命を賭けねばならないのだろう? 闘技を売りとするのなら、それこそモンスターを相手にすればいい。人同士が戦うことに道理など無いはずだ。<獣>と言う敵が存在していたが為とは言え、<狩人>という者たちが団結していたヤーナムでは考えられなかった光景であり、故に彼には理解しがたかった。

 それほど多くの人数が存在しなかった狩人達が全力の戦いを行うなど、道を外れし『血に酔った』狩人達に対してのみ。修練の一環として手合わせを行うことがあっても、その全てを尽くして戦うなどわずかな例外を除いて無い。彼らの対峙するべき敵は、どこまでも獣だったのだから。

 

 ……しかし。ルドウイークもまた、かつては<最後の狩人>に対してその全てを振るい、オラリオにおいても人であるティオナとの戦いを経てロキとの同盟を勝ち取ったことに変わりはない。今眼下で拳をぶつけ合う闘士たちと、何の違いもない。

 

 彼ら彼女らとて、戦わねばならぬ事情があるのやもしれぬ。だとすれば、私に何を口出しする権利があろうか。

 

 ルドウイークは膝の上に置いた拳を強く握った。響く歓声も、アテナの応援も、今や曇った窓の外の景色のように虚ろで朧気だった。

 

「……あの、ルドウイーク、大丈夫ですか……?」

 

 その時、横合いからかけられた声に彼は顔を上げて振り返った。そこには心配そうな表情を浮かべたエリスが、気遣うような視線をルドウイークへと向けている。その翡翠色の瞳の奥にルドウイークへの憂いと申し訳なさを見て取った彼は一度顔を前に向けると、一呼吸おいてエリスに小さく笑いかけた。

 

「大丈夫だ。気にしないでくれ」

「……でも」

「いいさ。今は、目の前の興行を楽しもう。折角貴女が用意してくれた機会なのだから」

「………………嘘つき」

 

 取り繕ったルドウイークの言葉を神の眼でもって看破したのだろう。エリスは不満の言葉を漏らすと、闘技場ではなく手に持ったグラスに入った葡萄ジュースの液面に目を向けて、それきり黙り込んでしまう。ルドウイークもそんな彼女の様子に申し訳なさを感じながらも、今は闘技場へと、観客たちへと、アテナ神の背へと、そしてぶつかり合う二人の闘士へと目を向けた。その導きを見出す瞳と超思索の啓蒙でもってその全てを見定め、見極めるために。

 

 

 

 

 

「ハッハ――――!!!!! まだまだいけるぜ、メルツェェェェエエエエエエエエエエエエエル!!!!!!!!」

 

 エリーとヴァオーの戦いは、ついに佳境へと差し掛かっていた。前進を続けるヴァオーの拳が、少しずつエリーの体を捉えはじめている。空を切るばかりだった拳は今や逸らされ、弾かれることで対処せねばならぬほどに彼女の体へと肉薄している。その一撃一撃の破壊力は遠目に見ているルドウイークからしても凄まじい。嘗てのヤーナム最強の拳の持ち主、<ガラシャ>のそれにも迫っているのではないかと思えるほどだ。

 

 だが、何よりも恐ろしいのはその連続攻撃の間隔の短さ。スタミナの限界など無いかのように間断なく繰り出される連撃が一種の盾となり、正面からのエリーの攻撃チャンスをことごとく奪っている。故に、エリーはヴァオーの背後へとどうにか回り込もうとしているのだが……それをヴァオーが許すことはなかった。前進を続けている彼だが、エリーの動きに合わせて速度に緩急をつけ、彼女の移動先に拳を見舞うことで左右への揺さぶりに的確に対応している。

 

 歓声。また一撃、ヴァオーの拳がエリーの肩を掠めた。時間を追うごとに彼女に肉薄していくヴァオー。特等席からそれを見下ろすルドウイークはその要因のいくつかを見出していた。

 

 まず一つは疲労。縦横無尽に動き回るエリーのスタミナ消費は前進し続けるばかりのヴァオーと比べれば重いものであるのは想像に難くない。最初の内は重装備のヴァオーの方がより消耗は激しいのでは無いかとも疑ったが、そのような様子は微塵も感じさせぬ。戦いの経過を見ても、ヴァオーのスタミナはエリーを大きく上回っているだろうというのがルドウイークの所見だ。

 

 次に彼が見抜いたのは、ヴァオーの慣れ。彼は徐々にエリーの動きに対応し、左右に回り込もうとする彼女の行動先に向けて拳を放ちその動きを封殺する場面が増えてきている。例え有効な手段であれ、幾度となく用いれば学習され対応されるのは必定。対人戦の訓練を多少なりとも積んでいるであろうオラリオの冒険者であればなおさらだろう。

 

 再び、ヴァオーの拳が放たれる。胸を打つかと思われたそれを、エリーは小跳躍しつつ両手を重ね、腹の高さで受け止めた。そしてその衝撃を利用して吹き飛び、着地。仕切り直しだ。彼女は迫るヴァオーの速度と同じ速度で後退しつつ、今の一撃で痺れたのか腕を振って感覚を取り戻さんとする。

 対するヴァオーは笑いながらも前進を止めぬ。彼自身も優位を感じ取っているのだろう、エリーが地に伏すまでこのやり取りを続けるつもりのようであった。

 

 それもまた、ルドウイークの見抜いた要因であった。微妙な違いはあれど、この戦いは一貫して迫るヴァオーと逃げるエリーという(パターン)にはまってしまっている。何度挑んでも途切れない拳撃によって阻まれ、追い返され、跳ね返されている。その中で幾度か見られる受けや弾きもヴァオーの態勢(体幹)を崩すには足りぬようだ。これでは、エリーの逆転は望めない。

 

 だが、ルドウイークは少々、そこに不自然さを感じていた。

 

 幾度となく繰り返されるエリーの突撃。それは、あくまでエリー自身の意思によって行われているものだ。勝ちの目がない勝負を続ける者はいない。実際、彼女の眼は死んでおらず、勝利への希望も途絶えていないように見える。

 

 ――――ならば、彼女にはあるのだろう。この状況を覆し、勝利を手にするための切り札が。

 

 ルドウイークは今まで以上に二人の戦いを注視した。例え人同士の戦いを好いていないと言えど、それから目を逸らす理由になるかと問われればルドウイークにとっては弱い。他者の戦いから学ぶべき部分はいくらでもある。むしろ、他者より学ばなかった狩人など早々に獣によって(たお)れていくのが常であったヤーナムにあって、強者とされた狩人たちは例外なく優秀な学び手であった。

 

 仕掛け武器の扱いを、狩人の体技を、獣の習性を、暗がりに潜む悪意を、秘匿の破り方を。<夜>を生き延び、獣を狩るために必要なものは何であれ身に着けてきた。それはルドウイークも例外ではない。<最初の狩人>から教えを授かり、そして数多の狩人らを率いるに至った狩人の英雄。それは同時に、彼が高い学習能力と意欲を持ち合わせた、狩りと言う道の学徒であることの証明であった。

 

 そしてルドウイークの直観は、このまま戦いが何も波乱なしに終わる――――その様な事は無いのだと告げている。故に彼はその瞳をより鋭くして、戦いの趨勢の変化を見逃すまいとしていた。

 

 

 

「どおしたァアアア!!!! そんなもんかよエリィィィィイイイイイ!!!!!!!!!!」

 

 その、彼の視線の先で再びエリーとヴァオーがぶつかり合う。例に漏れず回り込もうと挑んだエリーの前に放たれた拳が壁となってその前進を阻み、無慈悲にも弾き返す。もはやこの戦いの中で何度も繰り返されたその光景に、一部の観客は焦れ始め、早急の決着を望むようにより大きな歓声を上げる。

 

 彼らの声に答えるように、ヴァオーはエリーへの攻勢をさらに強めた。戦いの喜びに満面の笑みを浮かべながら踏み込み、拳を振るい、更に一歩踏み込んで、逆の拳を振るう。そして、ついに痛烈な一撃がエリーの脇腹を捉えた。

 

 次の瞬間、ルドウイークは目を見開いた。受けた一撃によって吹き飛ばされるかに見えたエリーはその場で不自然によろめいただけだ。堪えたのか。顔は苦痛に歪み、しかし目ははっきりとヴァオーへ向けられている。

 

 彼女はそのまま、引き戻される拳を追いかけるように踏み出してヴァオーの間合い、その内側へとついに入り込んだ。長らく一定の動作を続けていたヴァオーの両腕は突然の事態に対応できず、僅かにもつれエリーに隙を与えてしまう。だが、ヴァオーもそれを許す事は無い。腕がダメならば足と言わんばかりに、密着に等しい位置に踏み込んだエリーに向け膝蹴りが繰り出される。彼の選択しうる最速最善、最短の攻撃。

 

 だが、それよりもエリーの方が速かった。突き上げるような掌底――――炎を纏った右腕が、ヴァオーの下顎を突き上げる方が。

 

 炸裂。直撃したその瞬間、エリーの右掌から爆発的な炎があふれ出した。何らかの火炎系の魔法。それを掌底と共に叩き込んだのだ。ヴァオーの頭は炎に巻かれ大きくのけ反る。白く輝いた兜は焼け焦げ、目や口元の隙間から黒い煙を吐き出した。そうして生まれた隙に、エリーの連続攻撃が叩き込まれる。審判の二人は動かない。

 

 あれが切り札と言うわけか。睨みつけるような視線を二人に向けながらルドウイークは思索を巡らせた。炎による目くらまし。それはかつてのヤーナムでも良く用いられた手段だ。火は熱によって呼吸を奪い、光によって視界を奪い、さらには痛みによって判断力を奪う。当然、獣だけでなくそれは人であっても同じ事。

 

 右拳、左拳、右拳、左拳。がら空きになったヴァオーの胴体、そこを守る鎧ごと打ち砕かんばかりにエリーの連続攻撃が叩き込まれる。この戦いが始まって以降初めてヴァオーが一歩後ずさった。歓声が響き渡る。

 今までひたすら攻撃を耐えてきたエリーがようやく手にした一発逆転の大チャンス。それは観客の眼には明らかだった。今までひたすら布石を積み重ねてきたエリーがようやく手にした最初で最後のチャンス。ルドウイークの瞳にはそれが明らかだった。

 

 次瞬、視界を断たれたヴァオーの中段蹴りが間合いの中のエリーへと放たれた。顔を焼かれながらも受ける拳の感触から敵の位置を判断したのだろう。その軌跡は正確にエリーの横っ腹へと向けられている。だが彼女はそれを誘っていたのだとでもいうようにふわりと跳躍、自身の真下を通過するヴァオーの足を踏み台にしてさらに一段跳躍した。

 

 蹴りを空振ったヴァオーが致命的な隙を晒す間に空中のエリーが態勢を変化させる。体を捩じり、回転を加える。狙うはヴァオーの頭部。空中での後ろ回し蹴りをこめかみに受ければ、さしものヴァオーもひとたまりもない。だがそこでヴァオーは咄嗟に甲虫を模した兜の角めいた部分をつかみ取って空中のエリーに向けて放り投げた。

 

 全力での投擲とは言えないその攻撃は、緩い放物線を描いてエリーに向かう。しかし彼女は迫る兜をあしらうかのように腕を振るい弾き飛ばした。一瞬の時間が生まれた。

 

「オォォォラァァァァアアアアアッッ!!!!!!!!!!!」

 

 その、僅かに勝ち取った時間を使ってヴァオーは叫び態勢を立て直す。そして自身が攻撃を受けることを承知でエリーへと拳を打ち放った。

 

 直撃。エリーの踵がヴァオーのこめかみに突き刺さり、嫌な音を立てて彼の首を120度回転させた。命中。体勢を崩しながらもヴァオーの拳はエリーの脇腹へと突き刺さり、彼女を大きく吹き飛ばした。

 

 二人の審判、【レオ】と【アリエス】が動く。白目をむき、倒れこむヴァオーの巨体と地面の間にレオが滑り込み、受け止める。地面に頭から激突するかと思われたエリーの体をアリエスが受け止めて、そのまま地面を転がった。

 

『勝負あった!! 両者相打ち!!! 審判役の介入を以って、この試合は終了とする!!!!』

 

 爆発する歓声を抑え込まんかとするようにメルツェルの拡張された音声が会場を駆け巡った。しかし観客の熱狂が収まる事は無く、両闘士の名がまるで競い合うかのように叫ばれる。その歓声の中で闘士たちと審判役はすぐに東西の門へと消えていったが、彼らの健闘を称える声と勝敗の明白な決着を望む声はその後しばらくしても止む事は無かった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「いやー、いい戦い(バトル)だったね! 後でほめてあげなくちゃ!」

 

 にっこりと、会心の笑みで振り返ったアテナはそう言って、闘技場を沸かせに沸かせた二人の功労者をこの後どのように労うかを考えながらルドウイークとエリスに目を向けた。

 

 だが彼女の満足感とは裏腹に、エリスはどうしようもないと言いたげな顔で苛立ちに顔を歪ませており、アテナの視線に気づくとさりげなく視線を逸らした。一方ルドウイークは何やら難しい顔で考えを巡らせているようで、アテナの声に応える様子がない。自身の自慢の眷属の戦いを褒めたたえて貰えるとばかり考えていたアテナは二人がその様な様子になる理由がわからず少し焦った。すると、いつの間にか笑顔になったエリスがパチパチと拍手をして見せる。

 

「ホント凄かったですねアテナ! いやー素晴らしい! とにかく凄かったです!」

「だ、だよね! うん、だよね!? もう、二人とも暗い顔してるから楽しめなかったのかなって心配になっちゃった!」

「ルドウイークもそんな事は無いって言ってますよ」

「よかった~……」

 

 エリスの発言にほっと一息ついて見せるアテナ。彼女は一度心配そうにルドウイークの顔色を窺うと、そっと、不安げに彼に何か話しかけようとした。しかし。

 

「アテナ様」

「はいっ!?」

「本日の対戦は終了しました。アテナ様のお言葉を皆がお待ちです」

「あ、うん、ごめんアンジー。今行くよ」

「お急ぎを。失礼します」

 

 いつの間にか部屋に入ってきていたアンジーに声を掛けられ、驚いたアテナは彼女の知らせにうなずくと、部屋を後にするアンジーの背を小走りに追いかけて退出する。が、すぐに戻ってきて廊下から顔だけをのぞかせると、少し慌てながら二人に向け手を振って笑いかけた。

 

「あ、ごめん二人とも、あたし行かないと! また来てね! 来る前に教えてくれれば特等席開けとくから! じゃ!!」

 

 そう言い残して部屋を後にするアテナ。一方で、その姿を見送ったエリスはルドウイークを見やる。彼は未だに何かを考えているようで、エリスはその姿に、どう声をかけようか思いつかなかった。

 

 しばらくの間二人の間に会話は無く、ただ観客の歓声が、続いてメルツェルの声に続き、催しの終わりを告げるアテナの声が響き渡る。それが終わりしばらくして観客たちの叫びが帰宅の途につくざわめきへと変化したころ。未だに口を開かず沈思黙考しているばかりのルドウイークに、エリスは恐る恐る声をかけた。

 

「ル、ルドウイーク? そろそろ、私達も帰るとしましょう。催しも終わってしまいましたし……」

「………………そうだな」

 

 短く答えるとルドウイークは立ち上がって、自身の荷を手に取り外へと向け歩き出した。それを一瞬呆然と見送ってから、エリスは慌ててその後を追う。ルドウイークは未だに何かを考えているのか、何一つ言葉を口にすることもなく淡々と外へ向かう道を歩んでいく。エリスは彼が、人同士の戦いをまじまじと見せられてそれで機嫌を悪くしているのだと考えた。

 

「あの……ごめんなさい、ルドウイーク」

「……何がかね?」

「思えば、貴方は人と戦うのを嫌っていました。ロキの眷属と戦った時もそうです。なのに、あんな人同士の戦いを楽しんでもらおうだなんて…………あー、デリカシーないのは私の方じゃないですかぁ……!!」

 

 一般の来訪者たちの人込みと合流し、闘技場の外に足を踏み出したころ。エリスはルドウイークに自らの浅慮を詫びると、自己嫌悪に陥って頭を抱えた。

 

 ルドウイークが人との戦いを好まないというのは、彼女自身すでに察しがついていた。彼女のわかる限り、ティオナとの戦いでも吹っ切れるまで本気になることが出来ていなかったし、目立たぬようにしていたのもそういう思いからだろうし、自らが獣の相手に忙しかったとは言え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だったら、先にわかるべきであったとエリスは思う。人と戦うのが嫌いなものが、人同士が戦うのも嫌いなど自然な事ではないか。いくらマギーに譲ってもらえたからと言って、ルドウイークをそれに誘うなど……いや、そもそももらったもので眷属への褒美を済まそうなどと……主神として誠意にかけるのではないだろうか?

 

 エリスはそう考えると、さらなる自己嫌悪に陥りそうになった。恩を理由に自身の言葉に粛々と従う男を無理やりに休ませ、好かぬ娯楽で時間を取らせたという事実。しかしルドウイークはうつむく彼女の頭に手をやり軽くなでると、どこか諦観を含んだ笑みを浮かべて歩き出した。エリスもそのペースに合わせて、彼の後を追って歩きだす。

 

「……あの、ルドウイーク」

「エリス神。すまない」

「すまないって……私の方が……」

「そもそもとして、おかしいのは私だ。あれは、オラリオの者にとっては良き娯楽なのだろう?」

「それはそうなんですけど……」

 

 エリスが見上げても、隣を歩くルドウイークは淡々と前を見ているばかりだ。エリスに視線をやることもなく帰路を歩んでゆく。そうして少しばかり闘技場から離れたところにまで足を進めた彼は後ろを振り向いた。見上げる先には闘技場の輪郭。それを立ち止まって共に見上げるエリスに気遣うように、ルドウイークは口を開いた。

 

「私は、そもそも異邦人だ。この街の娯楽を楽しめないのは私が異常だから、それ以外の何でもない」

「ルドウイークはおかしくないですよ!!」

「だが。普通でないことを、世は異常というのだろう?」

「それは……そうですけど……」

 

 ルドウイークの言葉にエリスは思わず言葉に詰まった。ルドウイークが異常なのは事実だ。彼は異世界の人間であり、【恩恵(ファルナ)】を受けずとも凄まじい力を持つ、<狩人>なる存在。更には<月光>と言う異界の武具を携え、<狩りの業>なるこの世界にない戦闘技術の使い手でもある。

 彼が異常か否かと言われればそれは論じるまでもないだろう。だが、それだけではない。彼が自身を異常と称するのには、またもう一つの根拠があった。

 

「……私はな。ヤーナムの外に出たことがなかったんだ」

「ヤーナムの外……ですか?」

「ああ。それこそ、一度たりともな」

「でも、それが何の関係が……」

「あるとも」

 

 ルドウイークは肩をすくめた。今まで見落としていたことに、今更ながら気づいた自身を自嘲するように笑いながら。

 

「私にとってはヤーナムこそが普通だった。だがこの街と、ここで聞き及ぶ世界の話。そして、嘗ての友の一人(<烏>)がヤーナムに来てからしばらくの事を思い出して、気づいたんだ」

「それって……?」

「ヤーナムは、異常な街だった」

 

 エリスはぽかんと、口を開けてそれを聞いていた。確かに、血を医療に使うだの、人が獣と変じるだの、明けぬ夜が訪れるだの……予想外な事が日々巻き起こるこのオラリオから比べても、ヤーナムは異常と言える街だ。だがルドウイークは。その街を故郷であると常々語っていた彼には。その街へと帰るために日々を生きる彼には――――例え、戻ってほしくはないというのがエリスの本心だとしても――――主神たるエリスの事を幾度となく救ってきた自分自身の事を異常だなどと、語ってほしくはなかった。

 

「だから、ヤーナムの外の街では、あのような娯楽もあったかもしれない。だというのに、私は狭い視点ばかりで……」

「そんな事言わないで下さいよ……貴方は別におかしくとも何ともない! むしろ、私が見てきた人の中ではかなり真っ当ですよ!? 確かに常識無いし、料理は下手だし、ナメクジも放し飼いにしますが……!」

「いや、あれはナメクジではなく精霊……」

「そうやっていちいち訂正せずにいられないバカ真面目なところもどうかと思いますがね!!!」

「むう」

「……でも」

 

 エリスは一旦、そこで言葉を切った。そして普段ルドウイークがエリスに対してそうであるように、彼に対してなんと言うべきかを永延に等しい数呼吸の間に必死に考えつくして、どうにか形にした言葉をはっきりと彼に向け言い放った。

 

「貴方は私の眷属として、周りに誇れる存在です。そんなあなたが自分の事をおかしい奴だなんて、言わないでください! それは、貴方を眷属として選んだ私の沽券にもかかわりますから……いいですね!?」

 

 ルドウイークを指さし叫んだエリスは勢いのままに言い切ると、腕を組んで思いっきりそっぽを向いた。その様子を、ルドウイークは茫然としたように、目を見開いて、見つめていたが…………しばらくすると肩を揺らして、らしく無く笑いだした。

 

「…………何がおかしいんですか?」

「ヒッ、ヒハッ、ふふふ、いや、可笑しいというわけでは無い……」

 

 眼だけをルドウイークに向け、疑うような声で確認するエリス。対してルドウイークは笑いをどうにか抑えようと努力しつつも、それを成しきれずに笑顔を見せる。そんな彼に多少毒気を抜かれつつも、口調だけは苛立ったまま問いただすようにエリスはルドウイークに視線を向けた。

 

「じゃあ、バカにされてます?」

「いや、いや。していないとも。ぜひまた、休日を心優しい主神殿と共に過ごさせて戴きたいものだと思っただけさ」

「っ…………はぁ。もう、この際です。また機会があったら休みはあげますので、それまでに、休みをどこで、どんなふうに過ごしたいかよく考えといてください!」

「…………次も闘技で構わないが?」

「人同士が戦うのを見るのは好きじゃないんでしょう? だったら、別に我慢しなくていいんですよ」

「いや。貴女が私のために休息と娯楽をくれたこと自体は、とてもとても嬉しいんだよ。だから次は、()()あの闘技を正しく楽しめるよう、もう少しこの世界について学んでおくよ。人同士の戦いから得られる経験は、私としてもとても興味があるからね」

 

 そう言って、ルドウイークはどこか納得したように口元に笑みを浮かべながらで歩き出した。そうして遠ざかるルドウイークの背中。その、遠く感じる背中に届かぬように、エリスはぽつりとつぶやいた。

 

「――――()()、楽しくない。……貴方が楽しくないなら、私も楽しくありませんよ」

 

 絞り出すような言葉。うつむきながらそれを吐き出したエリスは、遠ざかってゆくルドウイークの背中、その距離に感じた寂しさを埋めるべく、彼の後を小走りに追いかけだすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうおう、ちょーっと待ちぃそこん二人!!」

 

 それぞれの内を語り終えて帰路についた一人と一柱を呼び止める、訛りの利いた言葉が街路に木霊した。揃って彼らが振り返ると、そこには息を切らせ、肌を僅かに汗ばませた赤髪の小柄な女神が一柱。彼女は――――エリスの同盟相手である【ロキ・ファミリア】主神の【ロキ】は、膝に手を置き中腰めいた態勢でしばらく息を整えると、未だに多少息を切らせながら二人の下に歩み寄った。

 

「おうおう、探したで…………まっさかウチ自身が鉢合わせるとは思いもせんかったが」

「……ロキ。何か用ですか?」

「なんやエリス、最初(ハナ)っからんな怖い顔せんといてや。チビってまう」

「私今、すっごくデリケートな気分なんです。言動には気を付けていただきたい」

「…………なんやあったみたいやな……けど、こっちもそこまで配慮してられんのや」

 

 軽薄な普段のロキの姿を知るがゆえに、これ以上なくうっとおしそうに凄んで睨みを利かせるエリス。だが、ロキはそれを意に介さず、二人の前に仁王立ちすると親指でもって人気のない裏路地へと続く道を指し示した。

 

「とりあえず、場所移そか。込み入った話あんねや」

「……ロキ。世間話とかなら今は――――」

「込み入った話言うとるやろ」

 

 あしらうように手を振ったエリスに、今度はロキが凄んで見せる。『巨人殺し』のファミリア、現オラリオの最大勢力の一つたる【ロキ・ファミリア】を率いる彼女の威圧は、エリスの感情的なそれとはまた全く異なる類のものだ。しばらくの間政治の場から離れていたがゆえにそういう圧への耐性が欠けていたエリスは思わずぎょっとして一歩後ずさったが、入れ替わるようにルドウイークが前に出た。しかし、ロキは彼のともすれば威圧的な見下ろすように視線にも一歩たりとも引くことなく自身の事情を(つまび)らかにする。

 

「ええか? 今ウチはロキ個神(こじん)やない。『【エリス・ファミリア】の同盟相手である【ロキ・ファミリア】の主神』として自分らと話がしたいんや。……マジマジのマジやで?」

 

 真剣極まりない、それでいて平坦な声色でエリスとルドウイークを射抜くように見ながら口にするロキ。対して、エリスとルドウイークは一度互いに確認するように目を合わせて、そしてロキに向けて了承の頷きを返すと彼女の後について路地裏へと足を踏み入れていった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「で。なんです話って。私たちに可能な事なんでしょうね?」

 

 細い路地の真ん中、そこで腕を組んだエリスは苛立たし気に問いかけた。対するロキは積んであった頑丈な木箱の一つに腰かけ、思案するかのようにもともと開いているのか閉じているのかわからぬ目をより細めている。ルドウイークはと言うと、路地の壁に背中を預けながら周囲を警戒しつつ、彼女たち二柱の女神の会話に耳を傾けていた。

 

「……ああ、実はな。明日明後日(あすあさって)……や、明々後日(しあさって)くらいまでか。ちょいと、ルドウイークには家で待機してほしいんよ」

「ふむ?」

「えっ?」

 

 そんな緊張感の溢れる緊急会談。そこでロキがエリス達に提示した『込み入った話』と言うのは、彼と彼女が想定したものとは多少のズレがあった。故に、すぐさまエリスが口をはさみ、その真意を問いただす。

 

「どういうことですか? オラリオ最強の一角である貴方が、自前の戦力じゃなく外様(とざま)のルドウイークに頼るなんて」

「ああ、実はウチの今回の遠征に際してキナ臭い動きをしとる(ヤツ)がおってなぁ……場合によっちゃ、近い内に戦力として動いてもらう事になるかも知れへん。今、信用できる何人かで情報をかき集めて裏を取っとるとこや」

「……【ファミリア】同士の抗争かね?」

「まだ(やっこ)さんの考えはよくわかっとらん。でも今回は、めんどっちい事になりそうな予感すんねや」

「えっと……それで、その裏が取れたらどうなるんです?」

「ルドウイークにはダンジョン潜ってもらうことになるわ。多分、18階層――――リヴィラを目指してもらうことになる」

「………………18階層ですか」

 

 エリスはその目標階層を示された瞬間、苦虫を噛んだかのように眉間に皺を寄せた。18階層と言えば先日の【動乱】の現場であり、ルドウイークと【ロキ・ファミリア】の因縁が決定的になった場所だ。【黒い鳥】への依頼の云々(うんぬん)を含めても、エリスにはいい思い出がない。

 一方で、ロキの考えにも納得のいく部分があった。今現在、ロキは戦力のほとんどを遠征につぎ込んでいる。そして遠征に行かず、地上に残った『居残り組』――――その彼らよりも、ルドウイークの方が戦闘力は間違いなく上だろう。

 

「せや。そんでまぁ、裏が取れたって時にルドウイークに別ん用事あったら困るやん? だから今日から数日、ちょっと本拠(ホーム)で待機しといてほしいんや。で、必要ってなったらダンジョン潜ってもろうて、そろそろ戻って来とるはずの遠征隊にウチからの伝令を届けてもらいたいってワケ」

「しょーじき、あんまりうれしい話じゃないですけど」

「『同盟ファミリアとして』の『お願い』や。頼むわエリス! このとーり!」

「…………ハァ」

 

 要するに、ロキはルドウイークをメッセンジャーに使うつもりなのだ。『お願い』と言いつつ『同盟ファミリア』と言う不平等な立場を掲げてまで。圧倒的にファミリアとしての地力が劣るエリスからすれば、これは命令にも等しいお願いだ。断れば同盟の不履行を理由にどのようなしっぺ返しが来るかわからない。当然ロキもそれを理解した上での『お願い』だろう。

 

 だが、エリスは嘗て幾度となく争いの火種を撒いた不和の女神としての頭脳をフル回転させてその状況から自身の利益を何とか見出した。逆に言えば、今回の出来事は後でロキに対する大きな『貸し』として機能する可能性がある。もはや抗いようのない組織としての力の差を、ひっくり返す目が僅かにでもある手札(カード)だ。当然、ロキもそれを視野に入れているであろうことは気に食わなかったが、エリスにそれを拒否する余地も理由もありはしなかった。

 

「…………わかりました。ロキ。埋め合わせはして貰いますからね」

「おおきに! いやー助かった! ウチ、今腕立つんが皆して出払っとるやん? どないしよかーって困っとったんよ! 持つべきものは、やっぱトモダチやな!」

 

 エリスの返答を聞いたロキは木箱から飛び降りて大喜びで彼女へのハグを敢行した。しかし、それはエリスが迫る彼女の顔の前へと突き出した右掌によって無残にも阻まれる。そうして半ばエリスの張り手を自分から顔面に食らう形になったロキは反動と痛みによってその場に尻もちをつき、そして涙目でエリスを睨みつけた。

 

「な、何すんねん自分! 折角ウチが友情アッピールしとこ思うたんに!」

「やったら殴りますよ」

 

 それにエリスはなるたけマギーが良くやるように拳を握って示すことで返した。ロキは一瞬怪訝な顔をしたものの、もともと冗談だったのかすぐに尻についたほこりを払いながら立ち上がる。

 

「ったく、冗談の通じんやっちゃなー……」

「冗談はいいです。それと、こちらから要求を一ついいですか?」

「……なんや?」

 

 二人の間の空気がエリスの言葉でどろりと濁った。永き年を経た神同士の取引特有の、神威(しんい)の滲んだ異様な雰囲気。半端な冒険者であれば震え上がり、下手をすれば卒倒する者もあらわれてもおかしくない。

 しかし、政治のとんと分からぬ蚊帳の外のルドウイークは、周囲を警戒しながらも彼女たちの醸し出す威圧的な雰囲気に息苦しさを覚えながら何事もなくこの会談が終わることを願うばかり。そしてそんなことなど露知らず、エリスはロキに対して自らの要求を平坦な口調で突き付けた。

 

「……いいですか、こっちの条件は一つです。ルドウイークを家に待機させてる間、そして彼がダンジョンに向かっている間……彼の代わりになる者を一名、誰か寄越してください」

 

 その要求にロキは目を丸くした。そして、それは無茶だと言わんばかりにエリスへと食って掛かる。

 

「か、代わりってルドウイークの!? そんな奴おらへんから頼んどるんやし、しかもその言い方まさか『改宗(コンバージョン)』せえっちゅうんか!?」

「そこまでじゃありませんよ! でもですね、ルドウイークにも本来予定があるんです。その埋め合わせに、彼の代わりの労働力を用意してほしいってだけですよ」

「じゃ、じゃあレベル1とかでもかまへんの?」

「……ええ。ただ、ちょっとばっかり私の手伝いをしてもらうだけですから。それに、そちらとしてもちゃんと待機しているかを確認する監視役がいたほうがいいでしょう?」

「むっ……確かにせやけど、ウチかて大勢出払っとるんや。そんな腕の立つ奴は送れんで」

「構いませんよ。ほんとに単純な荷物持ちとか手伝いですから」

「…………わーった。なら、せやな……さっさと済ました方がええか」

「こちらとしても、早々に話をはっきりさせてくれると助かります」

 

 交渉成立だ。大筋の条件を二人は合意して一度握手を交わした。そして、それぞれ細かい条件の調整を始めて行く。

 

「ならせやな。そっちへの監視……んにゃ、目付役は明日の朝に送るわ。今はみんな、情報集めに奔走しとるからな」

「わかりました。こっちの本拠(ホーム)の場所はわかりますか?」

「教えてもらってもええ?」

「はいはい……どうぞ」

「おおきに。そんでとりあえず、裏が取れたら別に伝令寄越させてもらうで。それまでルドウイーク、悪いんやけど……」

「ええ、いつでも動けるよう、準備しておきますよ」

「助かるわ。まさか、こんな形で同盟が役立つとは思っとらんかった」

「…………しかし、そのきな臭い動き、というのは何です? フレイヤですか?」

「ジジイや」

 

 『ジジイ』? ルドウイークはその、個人の名前とは思えぬ名にピクリと眉を動かした。『ジジイ』。神々の神話に疎いルドウイークには、その正体など及びもつかない。だがエリスはその呼称をロキから聞いた瞬間、あからさまに驚きに満ちた顔を周囲にさらした。

 

「ジジイ? ジジイって……えっ、あの、帰ってきてるんですか? マジですか」

「マジや。つか、なんや自分知らんかったんか?」

「知りませんよ! えーっ、うわ、なんですかそれ、だから【止り木】が休みに……?」

「その辺もはっきりしたら教えたるわ」

 

 狼狽するエリスに対しなぜか自慢げな顔で肩をすくめると、ロキは踵を返し、手をひらひらと振りながら大通りへと歩いてゆく。

 

「そんじゃ、ウチはこの辺で失礼するわ。二人とも、頼むで」

「承知しました」

「……変な子送んないでくださいよ?」

「安心せえ。うちに変な子なんておらへん」

「……だといいんですが」

「んじゃさいなら! 今度はゆっくり『茶』でも飲もうや!」

 

 そう言い残して大通りへと姿を消すロキ。その背中を見送ったルドウイークは、最後に彼女が残した言葉にどこか懐かしい記憶を想起し、そして小さく笑ってエリスへと話題を振った。

 

「…………茶か。神ともなれば、なかなか風流な趣味を持っているのだな」

「ルドウイーク。多分勘違いしてるでしょうから言っておきますが、彼女の言ってた茶ってお酒の事ですよ」

「なんと」

 

 どこか微笑ましいような顔をして、嘗て自身の師や同輩たちと共に茶を飲んだ記憶をかみしめるルドウイークだったが、それに対してぶっきらぼうに指摘したエリスの言葉を受けて、彼は予想もつかぬ驚きに目を丸くする。それを見たエリスはどうにも何かを口走ろうとしたようだったが、寸での所で口を閉じて、小さくため息をついてから彼の驚愕に対して口を開いた。

 

「という、か彼女が飲み物の話するときは大抵お酒の事ですから。覚えといて損はありませんよ」

「そうか……」

「さ、それより早く戻りますよ。どんなのが来るか知りませんけど、とりあえず一人分部屋用意しなくちゃですから…………休憩明けいきなりですけど、ちょっと掃除と行きましょう」

「そうだな…………何、一応部屋としての体裁は取り戻しているんだ。夜までにはどうとでもなるだろう」

「ええ、では急ぎましょう! 私は夕飯の支度もありますし、貴方には待機の準備もあるでしょうからね! 行きますよ!」

 

 言うと、エリスもまた路地裏を抜け、自宅へと向け大通りを歩きだした。その背を追いながらにルドウイークは思案する。ロキ神がそれほどまでに警戒する神とは、一体何者なのか。そして、自分を18階層にまで送って遠征隊へと知らせたい情報とは何なのか。

 

 ……いざとなれば、開示されるときも来るか。

 

 エリスやロキの間で行われる情報戦には、どうにも自身の居場所はない。それを改めて思い知った彼は、ならば自分の出来ることでエリスの役に立とうと、空き部屋の片付き具合を記憶の隅から引っ張り出しながら先を行くエリスを見失わぬようその後を追って帰路につくのだった。

 

 

 

 




PC破損とか全編書き直しとかでずいぶんかかりました。
お待たせして本当に申し訳ない。
全体的にアテナのキャラがぶれっぶれになったのが一番の難所でした。
随時書き直すかもしれません。

キャラ紹介の方はまた後で追加します。

次話は幕間になると思います。またお待ちいただければ幸いです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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31.5:その頃彼らは

お待たせしました、26000字です。

幕間なのでルドたちの出番はないです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


 

 

『勝負あった!! 両者相打ち!!! 審判役の介入を()って、この試合は終了とする!!!!』

 

 闘技場(コロッセオ)に【メルツェル】の声が響き渡った次の瞬間。俺の隣で手に汗握っていた【エイ=プール】が、文字通りすべてを失ったかのような残酷なうめきを上げてどさりと椅子に崩れ落ちた。

 

「……だから賭けに賭けすぎるなって言ったでしょう。ギャンブルは楽しめてるうちが華ですよ」

 

 俺は手にした蜂蜜酒の瓶に口をつけて飲み干し、ほうと酒臭い息を吐いた。まぁ確かにこの結果はがっくり来るのはわかる。なんでも彼女、先日の【クリスタル・リザード】捕獲依頼でどうにか溜まった家賃を払える程度の額を稼ぎ、その余りを元手にして今回の賭けに臨んだらしいが…………まさか相打ちになるとは。この結果を予想できた奴は少ないだろう。

 

「あの、【霧影(フォグシャドウ)】。頼みが……」

「申し訳ない、金の貸し借りはしない主義です」

 

 俺のその言葉を聞いてエイ=プールはまた崩れ落ちる。そんなに金に余裕がないなら、もっと手堅く稼げばいいだろうにと思わざるを得ない。エイ=プールの扱う特別製の矢がどれだけの出費を彼女にもたらすかは知っている。だが、そもそもとして彼女は【リヴィラ(第18階層)】への到達経験者だ。それだけの実力があるのであれば、手堅い食い扶持(ぶち)ぐらい探せばいくらでもある。

 

「俺は行きますね。【ギルド】でいい【冒険者依頼(クエスト)】でも探すのをお勧めしますよ」

「………………」

 

 ダウンしたままのエイ=プールを放って俺は席を立った。偶然闘技場で顔を合わせただけの相手に、そこまで付き合う義理もない。あんまり話したことも無いし。とりあえず、俺は彼女の飲み干したジュースの瓶を拾い上げて道すがらにゴミ箱へと片づけてやって、人の流れに乗りさっさと【闘技場(コロッセオ)】を後にする。そして、行く当てもなく無計画に歩きながら、何の依頼もない今日一日は次にどこで時間をつぶそうか少しばかり頭をひねった。

 

 ――――【止り木】でだらだらするのもいいかと思ったが、しばらくあそこは休みだ。なら【摩天楼(バベル)】にでも行って【ヘファイストス・ファミリア】の店舗でお宝探しでもするか。いや、今はちと肉が食いたい気分だ。【象牙亭】の厚切り豚にかじりつくのもいい。【夕暮れ亭】のステーキも悪くない……真昼間からステーキは流石に重いか。昼は厚切り豚にして、夜はステーキにしよう。そう決めて、東へと向かっていた俺は回れ右し、西の大通り(メインストリート)を目指して歩きはじめる。だが。

 

「探したぞ【霧影(フォグシャドウ)】。ここにいたか」

「ん?」

 

 突然声を掛けられ振り返れば、そこに居たのは見知った女。夜空みたいな黒い髪を腰まで伸ばし、刃みたいにぎらついた瞳で笑う奴。俺が良く知るのは仕事用の黒い服に刀を()き、その他最低限の装備だけを身に着けた姿ばかりであったが、今日の奴は珍しく背に大きな荷物――――随分と、衣類やら何やらを雑多に詰め込んだ大型の背嚢(バックパック)を背負っている。俺はその背嚢からはみ出た色気のない下着に一瞬視線を吸われて、すぐに奴の顔へと目を逸らして白々しく肩をすくめた。

 

「【アンジェ】か、珍しい……いや、どうした。何かあったか?」

「ああ」

 

 アンジェは力みのない、自然な様子で俺の問いに首を縦に振った。任務の協働や戦闘以外でこいつと会話するなんていつ以来だったか。今まで、目の前の強敵に殺意を漲らせているか、どうすれば剣士としての高みに登れるかばかりを考えている所しか見たことのなかった女の『普段』の姿を見て、俺はなんとなく得をした気分になっていた。奴の次の言葉を聞くまでは。

 

「頼みがある。しばらく泊めてくれ。家を失った」

「…………何だって?」

「聞こえなかったか? 家を失ったんだ、私は」

 

 ふ、と。まるで誇らしい事であるかのように口角を上げて笑えない冗談を言うアンジェの顔に、どうやら気楽にダラダラできる休みはもうどこかに行ってしまったようだと、俺は思わず頭を抱えるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

「で、何があったんだ? 説明してくれないか」

「さっきも言っただろう。家を失ったんだ」

「そうじゃなくてさ、俺はどうしてそんな事になってるかが聞きたいんだよ」

 

 真昼間からエールのジョッキを傾けているにもかかわらず、俺の機嫌は良くなかった。それも全て、テーブルの向かいに座って分厚い肉の塊を手際よく切り分ける女のせいだ。

 

 【アンジェ】。現在のオラリオにおける事実上の最強格たるレベル6の一人であり、かつて【黒い鳥】と同格だった時代にはその剣技剣速でもってあのバケモノ野郎をズタズタにして勝ちをもぎ取ったという危険な女。その興味は常に強くなることに向けられ、格上相手だろうと自身の糧となると判断すれば躊躇(ちゅうちょ)なく戦いに向かうその姿勢から一時は【仮面巨人】の中身かと疑われたこともあるネジの外れた人間(ヒューマン)だ。

 

 【黒い鳥】程ではないが、悪い冗談のような逸話もいくつか聞いたことがある。だが彼女は俺の知る限り、無為な冗談を言うタイプじゃない。それゆえに、俺はアンジェの放った家を失ったという言葉自体を疑ってかかっていた。

 

 ……俺たち冒険者と言うのは、強ければ強いほど金を稼げる職業だ。強ければ危険な場所へも踏み込める。危険な場所であればあるほど手に入る素材や魔石は希少なものである。故に、強さと危険性、稼ぎには相関関係があるというのが俺の持論だ。そして目の前のアンジェはレベル6。腰に吊るした刀だって、あれ一本で豪邸の一つ二つは手に入るほどの価値があるのは間違いない。

 

 そんな強さに裏打ちされた経済力を持つはずの女が、家を失う? 俺には意味が分からなかった。わからなかったが故にもう一度、改めてアンジェに向けて問いを投げる。

 

「なあ、アンジェ。よくわからないんだが、そもそも突然家を失うなんて事があり得るのか? お前、レベル6だろう? どんな豪邸に住んでたのかは知らないが、家の一軒維持するくらいの金は普通にあるんじゃないのか?」

「むぐむぐ……この肉、うまいな」

「聞いてくれよ」

 

 問いを無視して、奢ってやった肉をいつもの鋭い表情で頬張りながらどこか感嘆したかのような声を漏らすアンジェに俺は思わず溜息を吐いた。無駄に苛立つ。店の隅で見慣れぬ灰髪の詩人が奏でる陰鬱な音色も、俺の機嫌を損ねるのに一役買っていた。

 

「……と言うかだ、お前が今持ってる武器でも売れば家の維持くらいどうにでもなるんじゃないか? そんな安っぽい武器じゃあないだろ」

「バカな。これと家を比べて何故家の方を優先する発想が出る? 理解に苦しむぞ」

「ああそうだ、お前はそういう奴だ」

 

 思わず額を抑えて、俺はアンジェに呆れつつ眉間に皺を寄せる。そうだった。こいつは本物の戦闘狂だ。剣と家で迷わず剣を取るあたり筋金入り。俺のように金を目的とした傭兵ではなく、己を鍛え上げるために戦いの道を歩む求道者の一種だ。話がかみ合うはずも無い。

 

 だが同時に、俺は何となくアンジェが家を失った理由に見当がついて、ますます陰鬱な気分になってその戦闘狂とは思えないほど整った顔を睨みつけた。

 

「なぁアンジェ、まさかとは思うが…………家、売ったりしたか?」

「売った」

「……剣のためだな?」

「そうだ」

「それで失ったなんて不幸があったような言い方をするんじゃあない。心配して損したよ」

 

 あんまりな返答に呆れ果てて、俺は目の前に置かれた皿からパンを手に取るとちぎって口の中に放り込む。ついでに、アンジェの切り分けた肉も素早く摘み取って口の中に放り込んだ。

 

「おい、私の肉だぞ」

「俺の金で頼んだ、な」

 

 彼女の不機嫌そうな視線を無視して、噛み締めた肉とパンの味に舌鼓を打つ。昼間っから美人とうまい飯を食う。これがまさか、これほどいい気分にならないことがあるなんてのは俺の生涯でも初めての経験だった。

 

「……ああ、うまい。一人で食ったなら、もっとうまかったろうに」

「なんだそれは。私が一緒だとまずいみたいな言い方はやめろ」

「半分正解だよ」

 

 先ほどより一段と不機嫌になったアンジェの視線をぞんざいに扱いながら俺はもう一枚アンジェの肉をかすめ取った。流石に俺の金で頼んだ肉だからか、アンジェも妨害してくる事は無い。まぁ、それはいいんだが……まだ気になることがある。

 

 アンジェが剣に狂っ(イカレ)ているのは周知の事実だが、今までそこまで突飛な行動に出るような事は地上では無かった。時折喧嘩騒ぎや器物損壊を起こしはするが、数多の危険人物達を()()してきた実績もあってかギルドに特別問題視されるでもない。

 その上で考えるに、彼女がやらかしそうな行為と言えば…………まさか【ロキ】の遠征の邪魔でもしたか? ……いや、それと、家を売るという行為ではあまりにも方向性が違う。何があったのだろう? そんな事をしたくなるような、何が。うまい肉で口直しをしつつ、俺は心中に沸いた本題ともいえる疑問をアンジェへとぶつけてみることにした。

 

「……話は分かった。で、お前突然どうしてそんなことした? 家を売らなくても剣の修行は出来るだろ?」

「ああ、話せば長くなるが……私は見たんだ」

「……何を?」

「うむ」

 

 アンジェは持ち前の鋭い視線をらしくなく伏せて、深刻ぶって何やら口にする。見た? 何を? 言葉の意味を理解しかねて俺は訝しんだが、アンジェはこちらの困惑など気にした様子もなく逆に俺に問いかけてきた。

 

「……その前に聞かせてくれフォグシャドウ。お前、『究極の剣技』とはどんな物だと思う?」

「究極の? 意味が解らないが」

「いいから」

「……うーん」

 

 突然突飛なことを言い出したな。反射的に俺はそう考えたが、同時にあまりに真剣な目をしたアンジェの質問を無視することは出来ず、腕を組んで頭をひねる。

 

 ————『究極の剣技』、か。それはおそらく、アンジェのような剣士が生涯をかけて追い求めるものだ。しかし、それがどんなものかというのを、考えたことは全くなかった。このオラリオにも腕のある剣士は無数に存在するし、それぞれが半端じゃない腕前の持ち主であることに疑いはない。速さで知られるこいつや【剣姫】、馬鹿げた威力を振るう【黒鉄】や【大切断】……こいつらは剣士とは言えないか? いや、純粋な剣士でなくともふざけたレベルの剣技を使う奴は【黒い鳥(フギン)】や【フリュネ】の奴、都市最強たる【オッタル】みたいにゴマンと居る。だが、その中でも究極とまで称された奴は聞いたことが無い…………嘗ての、【ゼウス】や【ヘラ】の全盛時代にまで(さかのぼ)っても。

 

 結局のところ、頭をひねった所でわからない。だから俺は、とりあえず思いついたままを口にすることにした。

 

「……『どんなものでも斬れる』とかじゃあないか?」

「それも究極の一つだな」

 

 その場しのぎの答え故にきっと馬鹿らしいと嘲笑されると思っていた俺は、神妙なアンジェの頷きにむしろ首をひねった。

 

「なんだ。違うとか言われると思ったんだが」

「違わんさ。むしろ、究極の剣技の最たるものがそれだろう」

 

 そこでアンジェは水の入ったグラスを手にとって一度口をつけると、どこか満足げに小さく息をついた。そして目を閉じ、何かを夢想しているかのように天を仰いだ後、薄く(まぶた)を開き、顔をこちらに向けて語りだす。

 

「……究極の剣。それは究極でありながら――――いや、()()()()()()、無数に存在するものだ。お前の言ったどんなものでも斬れると言うものだけではない。例えば『避ける事がかなわない』とか、『カタチの無いものを切る』とかな。そして本来、剣士という生き物は自分自身の究極を追い求める生物。究極の剣技とはつまるところ、剣士の数だけ存在すると言っていい。そして同時に、幾人もの剣士が結果的に同様の究極に至ることもあり得る…………今考えてみれば、究極と言うのは正確ではないな……形容しがたい……」

「……待ってくれ、よくわからん。剣の道ッてのは、哲学か何かなのか?」

「答えを常に問い続けるという点では、そう大した違いはない……そうだな、到達点だ。剣士の終着、その技の極限。生涯をかけて到達する者もいれば、早々に踏み越えて、次の究極に挑む者もいるかもしれん」

「よくわかんないが、じゃあ、お前もまだ考え中……究極への旅の途中か?」

「ああ、下手をすれば辿り着くどころか見出すことも出来んだろう」

 

 そう皮肉気に、あるいは自嘲するかのようにアンジェは口元を歪めた。しかしその裏には後悔は見えない。自身は最善を尽くしているのだと、問えば胸を張って断言しそうでさえある。

 

 ————ただ、それでも届くか分からぬ領域なのだろう。この剣に恋した女が夢見る、究極と言う領域は。

 

 わずかな間、俺たちの間に沈黙が流れる。アンジェは口を開くこともなく、手を伸ばすこともない皿の上の肉へと視線を落としたまま。普段のアンジェからは想像もできない姿だ。どうにもむずかゆい。良く知っているはずなのに見たことのない様子の女と詩人のかき鳴らす陰鬱な曲が妙に俺の心をざわつかせる。

 

 ……そう、ざわつくのだ。この女がそんな突拍子もない話をした理由と、家を売り払うことを決心させた理由。そこに因果関係を見出すのは、そう難しい事ではなかったから。

 

「…………話はわかった、大体。きっとだ、アンジェお前、その『究極の剣技』とやらの手がかりをつかんだんだろ? それで勇み足踏んで、手持ちの財産きれいさっぱり吹ッ飛ばしたんだな?」

「……フォグシャドウ。お前、まるで私が無駄遣いの究極に至ったような言い方はやめろ。まだ失敗したと決まったわけじゃない。失礼だぞ」

「そいつは悪いね。でもお前の事だ、訓練に必要な環境……いや剣だな、【真改】の奴か。究極を目指すにふさわしい武器を見繕うために、全財産はたいてアイツに投資した……そんなとこだろ。違うか?」

「………………フォグシャドウ、私をストーキングでもしていたのか? あまりにも推測が正確すぎるぞ」

「失礼はどっちだよ。つか、流石にそろそろお前の考え方も分かってきてるんだ。それなりに長い付き合いだからな」

 

 溜息一つつき、凝視(ぎょうし)でもって俺の問いを肯定したアンジェの不機嫌な表情に思わず額に手をやる。

 

 そう、俺もこいつとはそれなりに長い付き合いだ。駆け出しのころから別格扱いされたこいつに戦々恐々としていた時代もあったし、<闇派閥>の残党を共に討伐して回った時期もあった。時には迷宮で殺し合ったことだってあったし、揃って死にかけて、治癒師達にこっぴどく言われたことだってある。

 

 だから、わかる。何かがあったのが。故にわからない。着実に剣士としての位階を上げてきたこいつが、今になって賭けに出るほどのその理由が。

 

「…………アンジェ。お前何を見た?」

 

 究極への手がかり。アンジェはそれを見た。それは一体いかなるものなのか。俺もこの街で生きる冒険者の一人。興味がないと言えば嘘になる。だが、それ以上にあったのは危惧と恐怖。【ゼウス】と【ヘラ】が姿を消し、【古き王】が追いやられ、【闇派閥】との大抗争を経たのち【アストレア】を始めとする多くの犠牲によって<暗黒期>が過ぎ去り、【猛者(おうじゃ)】が君臨し【黒い鳥】が駆けずり回る安定と混沌を併せ持った、次代の嵐を予感させるこの<潜伏期>。一体()が現れたのか。俺はアンジェを睨みつけるように見据える。問い詰めるように。

 

 だが、当のアンジェは穏やかな顔で肉のひと切れを摘まんで口に放り、それを咀嚼して飲み込んだ後、良く冷えた水で喉を潤してようやく、何やら妙に穏やかな顔をして笑って云った。

 

「……()()()()()を知っているか?」

「……いや。誰だ、それ。俺の知ってる奴か?」

「老いと若さを同居させた、奇妙な男だった。まるで月を映す水面(みなも)の如き、透明な剣気の持ち主。私は、そいつが剣を振るうのを一度だけ見たんだ。剣の……斬ることにおける、究極の一つを」

 

 そう語るアンジェの眼は、ここではないどこかを見ているような遠いものだった。同時に、抜き身の刀のようにぎらついている。俺は心の中でそれが自分に向けられていないことに安堵した。同時に、今まさにそんな目をした女のわがままに巻き込まれそうになっていることを思い出して頭を抱えたくもなったが。

 

「あの日から、私の目的は変わった。あの剣を、あの技を身に着ける。そして、そのさらに先へ行く。そのためならば、なんだってやって見せるとな」

「究極はそれぞれにあるんじゃあないのかよ。他人のそれを追う事に意味あるのか?」

「あるさ。何せ、人類史において模倣以上の研鑽は存在しない」

「猿真似で終わるかもしれないぜ?」

「終わらせるつもりなどない。そのために私は今、ここにいる」

 

 言い切って、毅然(きぜん)とした真っ直ぐな目でこちらを見据えるアンジェ。その瞳の中には、確固たる怜悧さと、情熱と、自身の出した答えへの自信が見て取れる。それに相対する俺は漠然と、彼女の回答が剣の道に生きるものとしては満点のものなのだろうなんて他人事のように思いながら、机の上に置きっぱなしのグラスを手に取りまだ冷えた水を飲み干して、冷めた視線をアンジェの顔に向けて見せた。

 

「それが家を売った挙句全財産使い果たして、人の家に転がり込もうとしてる奴のセリフじゃなけりゃなぁ…………」

「な、なんだその言い草は……まるで私が考え無しに思い付きを実行しているような」

「『まるで』じゃあない、そう言ってるんだよ。せめて他人を巻き込むのはやめてくれ」

「他に手が思いつかなかったんだ」

「相談する相手とかいなかったのか?」

「しているだろう! 今お前に!」

「事を起こしてから頼まれても困る」

「むむ、それを言うなら私も非常に困っているぞ……!」

「だから、俺を巻き込ないでくれよ……それこそ真改にでも頼めばいいんじゃないか?」

「それは出来ない」

「どうして?」

「剣の製造の邪魔になってはいかん」

「そういう配慮、俺にはしてくれないのか?」

「お前は鍛冶師ではないだろう?」

「そーゆー問題じゃなくてさ…………」

「つまり何かね!? 君たち二人は今後同じ屋根の下に住むという事か!?!?」

 

 くすぶるかのように熱量で言葉を交わしていた俺達の会話を、突然爆発するような男の大声量が吹き飛ばした。俺と、アンジェまでもが驚いた顔でそちらを振り向けばそこに佇むのは玉葱鎧の戦士。彼はまるで祝杯でも挙げるかのように、手にしたビール入りのタンカードを高々と掲げて見せた。

 

「『太陽あれ!(Long may the sun shine!)』 ガハハハハッ! 少々驚いたが、いやはや結構結構!! では二人の新たな門出をこの【ジークバルト】に祝わせていただきたい!!! 店主殿、ありったけの酒を頼む!!!! 当然私のおごりでだ!!!!!」

「バルトさん。何か勘違いしているようですが、俺とこいつは……」

「うむ、聞いていたとも。アンジェ嬢が家を引き払って、フォグシャドウ君の家で同棲を始めるのだろう!? なんという! であれば、家具も必要になるはずだ、ぜひ私に任せてくれたまえ!! なぁに心配はいらんさ、君たちのような若い者らに世話を焼くのは私のような年寄りの仕事だからな!!!」

「話聞いてないっすよねバルトさん、つか、そこまで歳いってないでしょうに」

「何? 君ほどの子が居てもおかしくない歳だとは思うが……まあよい! 今はただ、君たちのために飲もうではないか!!!」

 

 ガハハハと人の話も聞かずに、しかし他人の事を自分の事のように喜ぶバルトさんの姿に、俺は呆れた顔をしながらもこの人のこういう所にいろいろと世話になった経験もあって誤解を解こうと言う意欲を失っていた。アンジェも同様にか、彼にどのように声をかけるか決めかねているのが明らかな顔でバルトさんを見つめている。

 

 そうこうしている間に店にはバルトさんと同様の鎧を着こんだ――――しかしあまりにも統一性のない武具で武装した一団が続々と足を踏み入れ、続々と席についていく……はずが、先頭切って入店した大剣と車輪めいた武具を背にした玉葱鎧が武器を机に引っ掛けて足を止めると、後続の玉葱鎧たちもそれにせき止められるように足を止め、そしてすぐに先頭の玉葱鎧を非難するように不満の声を上げ始めた。

 

「すいませぇ~ん! な~にンなトコで引っかかっちゃってんですかねえ~?」

「横っ腹がでけェからそうなんだよ」

「せめて車輪どうにかしたほうがよくね?」

「えっなんですかそれ僕のアイデンティティを否定するんですか」

「してないけど時と場合わきまえたら? 屋内に持ち込む必要ないでしょ」

「思いっきり否定してるじゃないですか」

「いや入口で降ろしたらどうかって話だと俺思うんですけど」

「そうそうそーだよ」

「それじゃあ僕が僕でなくなっちゃうんですけど」

「別に構わねえ」

「いやそれは流石に無慈悲すぎでしょ」

「あのすいませんすいませんあの後ろが(つか)えてるんで早くどうにかしてもらえませんか中途半端な位置で止まってつらいんですがああこれはつらいですね」

「ガハハハッ! 全く愉快な者達だ! どれ、ここはひとつ私が手を貸してやるか!!」

 

 ひとしきり玉葱鎧たちの口論を愉快そうに聞き届けると、バルトさんは俺たちのテーブルにタンカードを勢いよく置いて椅子の背もたれの間に奇麗に特大剣をひっかけた先頭の玉葱鎧に助け船を出す。しかし彼は僅かな足元の段差につま先をひっかけると派手に転倒し、眼前の武器をひっかけ身動きのとれぬ玉葱鎧へと突っ込んだ。

 

「「「「「「グワーッ!!!!」」」」」」

 

 その勢いで押し倒された先頭の玉葱は後ろにつっかえていた同胞たちにそのまま突っ込んで、まるで青果店の店先に並べられた野菜の山が崩れるかのように盛大な音と気まずさを響かせながら店の入り口周辺を倒れた机と鎧と散らばった武器と埃まみれにして見せる。最後尾にいた者に至っては衝撃で店の外にまで転がり出てしまったようで、あけ放たれた扉から吹き込んだ風が舞った埃を大いに散らし、店主も食材や用意していた酒を守るのに必死なようであった。

 

「まぁ、なんだ、フォグシャドウ」

「……なんだよ」

 

 その、入店から僅かな間に巻き起こされた騒ぎを目の当たりにして顔を引きつらせていた俺にアンジェが気を取り直したかのように声をかける。それに対して気が抜けたように俺が応じると、彼女は椅子を引いて立ち上がり、そして平時の姿からは想像できぬほどに礼儀正しく、整った作法で深々と頭を下げて見せた。

 

「よろしく頼む」

「………………クソッ」

 

 悪態一つついて俺はグラスを手に取るが、中はすでに空になっており喉を潤すことは出来ない。

 

 ――――ああ、もう。折角の暇な日だってのに、まるで呪われるみたいじゃあないか。最悪って程でないのは確かだが、十分に。

 

 俺はこのように不運に見舞われたことの自身のツキの無さを恨むと、グラスを机の上に戻して思わず盛大に溜息を吐こうとしたが、その際に漂ってきた埃を思いっきり吸い込んでアンジェの前で盛大にむせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方。玉葱鎧の男たちがフォグシャドウとアンジェを中心に騒ぎ立てる喧噪の外。いつの間にか去った詩人が座っていた席の背中合わせになる位置。

 

「ハァ……ファットマンよりうっさい…………」

 

 そこで手紙をしたためていたマギーは苛立ちを隠さぬ表情でつぶやき、そして眉間に皺を寄せたまま、カップに注がれたコーヒーに埃が浮いていないのを一瞥して口をつけた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 同時刻。ダンジョン【上層】12階層深部、13階層への昇降路付近の小規模部屋(ルーム)。幾度もの戦いを乗り越えそこまで辿り着いた三人、【ベル・クラネル】、【リリルカ・アーデ】、そして【ヴェルフ】の三人パーティは、この部屋に存在したモンスターたちを一掃すると、魔石の回収や装備の点検を終え、ついに13階層――――【中層】へと挑むための最終確認を行っていた。

 

 草の途切れ途切れに生えた地面に置かれたいくつかのアイテムと13層の地図を囲んで、顔を突き合わせる三人。部屋の壁にはベルとヴェルフによって付けられた傷が幾つも走り、その修復を迷宮が終えるまでのしばらくの間、モンスターが出現する事は無いだろう。

 

 故に、彼らは別の部屋と繋がる通路、そこからモンスターが現れるかどうかに注意を振り向けている。当然、会議に支障が出ない程度ではあるが……決してそれは緩い物ではない。このような休息中に襲われる冒険者の話など、オラリオにおいてありふれたものだ。徘徊するモンスターへの対策としてリリルカは常にクロスボウを手に取れるよう脇に置いて、ベルとヴェルフは腰を下ろすことなく、しゃがんだままの姿勢で目を光らせている。

 

「では、最後の打ち合わせを始めましょう」

 

 そんな緊張に満ちた雰囲気の中で、地面に置かれた地図(マップ)を指差してリリルカがまずヴェルフに視線を向け、すぐにベルの方へと視線をやってそのまま話し出した。

 

「中層からは、定石通り隊列を組みます。前衛はヴェルフ様、お願いします」

「ああ。でもいいのか、俺で?」

「はい。というか、その、言い方はあまりよくないのですが、他にヴェルフ様に務まる位置(ポジション)はありませんので……」

 

 ちらと申し訳なさそうにリリルカが視線を向けたヴェルフの背には片刃の大刀。鍛冶師(スミス)が本職である彼自身の手によって打ち鍛えられたそれは上層では十二分すぎるほどの品質の武具であり、その体格も相まって繰り出される斬撃の威力はレベルが一つ上であるベルのそれにも迫るものがある。

 逆に言えば、そのように明らかな体格差がありながらもベルの方が攻撃力自体は上だ。故にリリルカは自身らの中で最高の戦力であるベルを前衛に置かず、体格に秀で、防御力に重きを置いた防具を着流しの上から身に着けた彼こそ前衛――――盾役(タンク)としてふさわしいと考えた。

 

 ヴェルフに求められる役割は露払い、そして、未知のひしめく中層においてパーティ唯一のレベル2であるベルが十全に動けるよう敵を引きつけることだ。それはヴェルフ自身もベルも同様の結論に至っていたようで、特に異論なく、申し訳なさそうなままのリリルカに対して問題ないと小さくうなずく。

 

「ありがとうございます、続けます。次に中衛をベル様、よろしくお願いします。攻撃はもちろん、ヴェルフ様の支援にいざという時の位置交代(スイッチ)……負担がかかりますが……」

「うん、大丈夫。パーティで一番速いの、僕だしね」

 

 ヴェルフの時よりもさらに申し訳なさそうに肩身を狭くしたリリルカに対して、ベルは駆け出しであったころとは同一人物とは思えぬような力強さで頷くと、そっと自身の腰に身に着けた二本の短刀(ナイフ)――――紫紺(しこん)の【ヘスティア・ナイフ】とヴェルフの手による紅緋(べにひ)の【牛若丸(うしわかまる)】の鞘にそっと触れた。

 

 ベルに求められるのはその速度と高威力の武具による攻撃、更には無詠唱魔法である【ファイアボルト】を駆使する遊撃手、攻撃役(アタッカー)だ。リリルカの言う通り、この位置は最も負担が大きい。ヴェルフが引き受けた敵に対して迅速に、かつ的確に攻撃を加えるためには彼自身のレベル2としても特筆すべきほどに優れた敏捷はもちろんのこと、自身の持つナイフ、リリルカに預けた大剣、更には魔法といった攻撃手段を咄嗟に選択する為の高い判断力が必要となる。

 

 何せ、これから向かう中層は本来レベル2の領域だ。今回は半ば様子見であり、更に如何に鍛えていると言っても、盾役がレベル1のヴェルフでは()()が起こる可能性はどうしても高くなる。その様な条件下で、ベルには敵と味方の位置、敵モンスターの能力といった数多の情報を処理し、一瞬の選択を求められる場面が幾度となく訪れるだろう。

 

 だがベルはそれでも大丈夫だと首を縦に振った。それは、これ以外に選択の取り様がないという諦めにも似た判断があったが……それ以上に、アイズやルドウイークとの特訓と今までの経験の積み重ねが、彼の判断にある程度の根拠を与えていた。リリルカはそんなベルの幼げな顔に似合わぬ精悍(せいかん)な眼に一瞬視線を奪われたが、すぐに気を取り直して説明の続きに戻るべく咳払いをする。

 

「ごほん……ありがとうございます。それでリリですが……まぁ、はい。消去法で後衛です」

「ま、仕方ねえわな。サポーターを前に出すわけにはいかねえし」

 

 そう首を縦に振るヴェルフに同調するようにベルもまた小さくうなずいた。この中で、戦闘員としての能力はリリルカが一線を画して低い。元来サポーターでありそもそも戦闘員でないのだから当然であるが、怪物(モンスター)達にはそのような事情は一切関係ない。元よりベル以上に体格も小柄なうえ大きな背嚢(バックパック)を背負い鈍重なのだ、レベル2相当のモンスターに狙われればそれだけで取り返しのつかぬ負傷を負いかねない。

 

 更にはその能力の低さからくる危険性以上に、回復薬や予備の武具を(たずさ)え、加えて戦利品(ドロップアイテム)や魔石の回収――――モンスターの死体処理などの役目を負った彼女が倒れるようなことになれば、レベル2を擁するとはいえこのパーティの戦力は大幅に低下するだろう。

 

 当然彼女もそれは理解しており、援護も兼ね、遠距離からの攻撃を行うためのクロスボウを装備している。だが、それでも不安要素はあるし、それを少しでも減らすためのこの配置であることを全員が理解していた。

 

「僕もこれが最善だと思う、ヴェルフは?」

「異論ナシだ。むしろ他に選択肢がねえだろ」

「ええ、ヴェルフ様のおっしゃる通り、このパーティは非常に不安定です。飛び道具があるとはいえ、火力不足は否めませんし」

「それぞれ役割がキッチリしてる分、余裕ないしね」

「何かあったら全滅に直結しちまうって訳か。厳しいな……」

 

 顎に手をやって唸るヴェルフ。その姿を見て、リリルカが至極真面目な顔で別の選択肢を提示する。

 

「一応、尻尾を巻いて逃げ帰るという選択肢もありますよ。今なら十分に間に合いますが」

「バカ言え、()()()踏むのは鍛冶場だけで十分だ。上級鍛冶師(ハイ・スミス)が遠くなっちまう」

「【戻らぬ者に儲け無し】と言いますよ?」

「【挑まぬ者にも儲け無し】だぜ」

「…………ふふっ」

 

 そう長い付き合いではないが、それでも既に幾度となく目にした二人の言い合いを見てベルが小さく笑った。それに気づくと、ヴェルフとリリルカは揃って怪訝(けげん)そうな視線をベルへと向ける。

 

「お前、これから中層に挑むってのに何笑ってるんだ?」

「余裕があるのは良い事ですが、程々にしておいてくださいませ、ベル様」

「あ、うん、ごめんごめん」

 

 指摘を受けたベルは照れ隠しをするように目を逸らしたが、二人からの視線の圧力は弱まる事は無い。それに耐えかねてか、彼はまた恥ずかしそうに、地面に広げられた地図に目を向けて口を開く。

 

「えっとさ……その、今まで僕、こう、ちゃんとした、対等な仲間、って感じの人と組むことってなかったし……それでこうしてみんなと一緒にいると何だかわくわくするっていうか、楽しいなって…………」

 

 先ほど力強く自身の役割を引き受けていた時とはまるで別人のような表情でつぶやいたその言葉を聞いて、ヴェルフとリリルカはどこか面食らったかのように一度目を合わせた。そしてヴェルフは歯を見せてくつくつと笑い、対照的にリリはどこか困ったように、しかし穏やかに口元を歪ませる。一方、そんな二人の様子を見たベルは少し困惑したかのように二人に交互に視線をやった。

 

「な、何かおかしい事言ったかな?」

「いいやわかるぜ、こういう時、何かに挑戦するって時には、やっぱワクワクするもんだよな!!」

「緊張感が足りない、とリリは言いたいところではありますが……そのお気持ちは、ちょっとだけわかります」

 

 言ってヴェルフは豪快に笑いだし、リリは控えめに、しかし喜ばし気な笑顔を浮かべる。ベルもまた二人の笑顔を見て、心の底から楽し気に笑みを浮かべた。

 

「うん、ありがとう、二人とも」

「礼を言われるほどの事じゃねーよ」

「ですね、寧ろ冒険はここからなのですから」

「そうだね、頑張ろう!」

 

 未知なる冒険への高揚感、共に道を行く仲間たちへの信頼感を胸にして、ベルは発破をかけるように右拳を左掌に打ち合わせた。それを見てヴェルフは不敵に笑い、リリも小さくうなずく。そして、それぞれが自身の荷を片付けてその場を発とうとした。

 

 

 

 じゃり。

 

 

 

 響いた音に、それまでの雰囲気が嘘のように三人は警戒を露わにする。見据えるのは部屋に二つある通路の片方、本流となる13層への階段のある側とは逆の、行き止まりになっているはずの通路の方向だ。

 

 何かいる。意見を交わさずとも当然その判断に至った三人はすぐさまそれぞれの武器を抜き通路へと向き直って隊列を組みなおした。先の打ち合わせ通り先頭にヴェルフ、最後尾にリリルカ、そしてベルは二人の間で鋭く目を光らせる。

 

 ひゅうと吹いた風がヴェルフの着流しの(すそ)を、次いでリリルカのローブの裾を揺らした。ベルは自身の肌も撫でていったその風に違和感を覚える。この先は行き止まりだ。なのに、向こうから風が流れてくるのはおかしい。同時に、彼の背筋に嫌な寒気が走る。最初は風のせいかとも思ったが、そうではない。

 

 じゃり、じゃり。

 

 音が迫るとともに、悪寒は強くなる。何かが来る。それを理解したのは、ベルだけではなかった。ヴェルフは大刀の柄を強すぎるほどに握りしめ、リリルカはさらなる万全を期して、無意識にベルとヴェルフの影になるように立ち位置を調整した。

 

 じゃり、じゃり、じゃり。

 

 音が大きくなってゆく。もはやここに来てはその音の正体が足音であることはすでに明白であった。ベルたちがこの場所にたどり着いて以降、通過した冒険者は存在しない。その前に通った者がいるとも思えない。すでに12階層の地図は冒険者たちの間に出回っており、この先に行く理由がある者はまずいないし、ベルたちがこの部屋に来た時にはそれなりの数のモンスターが徘徊していて、誰かが通るのにモンスターを倒していった痕跡もなかったからだ。

 

 故に、ベルたちは判断する。高い確率で、迫ってくるのはモンスターだ。奥の行き止まり付近で生まれたモンスターが、獲物を求めて姿を現したのだろう。状況からして、もっともそれがあり得る可能性だ。

 

 この部屋を制圧する際の戦闘で、レベル2であるベルを要するこの三人が12階層のモンスターに対して優位に立っているという事実はすでに証明されている。聞こえる足音は一つ。単独ともなれば、常識的に考えてベルに勝てる可能性はほぼないと言っていい。実際、『上層最強』たる【インファント・ドラゴン】を彼は単独で討伐しているのだから。

 

 だがそれでも彼らの緊張感は高まるばかりであった。全身の細胞が警鐘を鳴らしている。今より(きた)る存在が危険なものであると、根拠のない感覚ばかりが(つの)ってゆく。

 

 じゃり、じゃり……じゃり。

 

 そうして、全身を戦闘態勢へと切り替えた三人の前に、暗闇を抜けてそいつは現れた。

 

 ヴェルフすら問題にならぬ長身。背にはその体躯に相応しい大きさの背嚢を背負い、顔を露出なく、布で隠したサポーターと思しき大男。そして、その肩に担がれた、外套を纏い、さらに全身くまなく血のにじんだ包帯を巻かれた一人のヒト。尾も持たず、その平均的体格からおそらくエルフか人間(ヒューマン)か。

 

 明らかに場違いともいえる重苦しい雰囲気と、真っ当な冒険者とは到底思えぬその容姿。更には両者とも、目立った武器を身に着けていない。今まで緊張に緊張を強いられていたベルたちはそれらの要素を受けて、僅かに困惑し、いかに反応すべきか決めあぐねた。それに今更気づいたように、肩に担がれた人間らしき者が首をもたげ、彼ら三人を一瞥する。

 

「あン? 珍しいな、こんなところで……」

 

 半ばミイラかと見まごうほどの包帯に包まれた存在は、男の声でどこか物珍しそうにつぶやいた。そして、ベルたちがそれに反応する間もなく周囲に目をやって、自身を担ぐ大男に声をかける。

 

「なぁ、休憩中だかなんかみたいだし、俺らもちょっと休もうぜ、疲れた」

「それがずっと担いできてやった奴に対する言葉か、相棒。せめて自分の足で歩いて言え」

「無茶言うなよ。折れてんだぜ俺の足はしかも両方。いいからここで休もうって」

「……お前の世話の方がよっぽど苦労するぜ」

 

 何やら言い合った後大男は壁際に移動すると包帯男をその粗暴な口調とは裏腹に丁寧にその場に降ろして自身もどかりと腰を下ろした。そして背の背嚢(バックパック)を下ろし、中身を何やら漁りだす。

 

「…………モンスターじゃ」

「なかったな…………」

 

 一方で、相手がモンスターではなく、さらに敵対的なそぶりを見せないことを受けてヴェルフとベルは剣を下ろした。自分たちの側からすれば、同業と思しき相手と殺し合う必要はない。むしろ、これから13層に挑もうという時に無意味に小競り合いなど起こしては消耗を招き、自分の首を絞める事態ともなりかねない。それゆえに二人は戦闘状態を解いたのだが、一人リリルカだけはクロスボウをいつでも放つことが出来るよう両手に抱えて油断ならぬ視線を現れた二人組へと向けていた。

 

 一方で、目の前の二人組に緊張感とか、危機感とか、そういったものは見られなかった。一応、大男の方は目だけでこちらの様子を(うかが)ってはいたようだが……包帯まみれのミイラ男の方は、まるでそんな思考など存在しないかのようにその場に横たわって、包帯に包まれた手をぶらぶらと揺らした。

 

「なぁ、俺腹減ったなぁ~。なんか無いか?」

「…………」

「…………ん、もしかして聞こえてない?」

「聞いてるが」

「じゃあ返事してくれよ。何かないか?」

「………………少し待ってろ」

 

 重苦しい雰囲気のまま大男は答えると、そのまま背嚢漁りを再開した。確かに、冒険者が帰り道の途中で保存期限の迫った保存食を自らの胃袋を用いて処理することはままあることだ。彼らはいかなる冒険を経てか、この階層まで戻ってきた冒険者なのかもしれない。リリルカはクロスボウを担いでいた腕の力をようやく抜いた。しかし、すぐに力を籠めなおした。

 

 おかしい、おかしいのだ。行き止まりのルートから姿を現したこと、武器も持っていないこと、そもそもとしてパーティの人数が少なすぎること、あれだけの怖気(おぞけ)を感じさせながらその正体に全く心当たりがないこと。あらゆる要素が彼らを警戒すべきだと告げていた。

 既にヴェルフとベルの精神は戦闘の緊張から離れつつある。だが、目の前の不審者たちを刺激するわけにもいかぬとベルたちに声もかけられない。

 その中で、サポーターと思しき大男の眼がリリルカを凝視した。その目からは何らかの感情を感じることが出来ない。だが、自身の行っている威嚇が敵対の意志ありと判断される可能性に思い至って、リリルカはようやく戦闘態勢を解除した。だがそれは彼らを受け入れたことを意味していない。

 

 先ほどの打ち合わせの際。更には今回迷宮へと突入してからずっと、リリルカはこのパーティの指揮役として重要な判断を下していた。戦闘の際の咄嗟(とっさ)の判断はベルも行ってきたものの、もっと大局的な判断は彼女が担っていたのである。それは基本的に冒険者よりも格下とみられがちなサポーターとしては極めて異例の事だ。だが、ベルもヴェルフも意見することこそあれ、その事実に異を唱える事は無かった。

 

 故に今回もリリルカは自身が状況を見極めねばと思考を回し、仲間たちのためにも眼前の相手の行動に警戒感をあらわにする。さらに言えばリリルカは、リリルカ・アーデという小人(パルゥム)は本質的にベルたち以外の冒険者を信頼していない。それもあっての警戒であったが――――そんなものなど関係ないとでも言わんばかりに、横たわった包帯男はベルたちに向けて腕をゆらゆらと振って気の抜けた声で話しかけてきた。

 

「ハロー・ハロー・ハロー。やあこんにちわ。いや、今地上は夜だったか? まあいいや。こんな行き止まり前で、お三方はどうなさったんで?」

「……えっと、これから中層に挑むんで、その前に打ち合わせを……」

「中層だって? …………もしかして、初挑戦か?」

「そうですけど……」

 

 男の言葉に戦闘の緊張感が抜けた、しかし胡散臭いとでも言いたげな顔でベルが返答を送った。すると、今までのけだるさが嘘のように男は目を輝かせ、上体を起こしてこちらに身を乗り出しながら笑って見せる。

 

「そっかそっかあ! そりゃめでたい! いいねぇ~、俺も初めて中層に行くときはビビり散らしてたよ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ滅茶苦茶怖かった、実際死にかけたしな。ホント、ひと階層変わるだけで難易度変わりすぎてビックリする。【ヘルハウンド】対策は出来てんのかい?」

「あ、はい。一応皆に【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】製の装備を付けてもらってます」

 

 包帯男の問いに、困惑が抜けないながらもベルが答える。【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】は火や炎と言った攻撃に対しては上級鍛冶師(ハイ・スミス)の手による防具以上の耐性を持ち、更には防寒性にも優れた代物だ。だが、包帯男はそれを聞いて一度考え込むような仕草をして、それから小さく首を横に振った。

 

「悪くねえし、よくンなもん揃えられたな、って褒めてやりたいとこだけど……まだ足りねえな」

 

 男は楽し気な声色を残しながらも深刻ぶって言って、そして自身の外套の懐を漁ると、取り出した指輪をヴェルフに向かって投げ渡した。

 

「これは……?」

「【炎方石の指輪】。付けてるだけで火属性に対する加護がある。微々たるもんだけど」

 

 指輪をキャッチしたヴェルフが首をひねると、包帯男は指輪を指さして言った。それを聞いた三人は揃ってヴェルフの手の上にある指輪へと目を向ける。少ない装飾の、シンプルな指輪であったが、そこにはめ込まれた緋色の石は僅かにその光沢を揺らめかせているようにも見える。

 

「おい相棒。何しれっとくれちまってやがる。一応貴重品だぞ」

「いいだろ別に。未来の英雄たちに対する餞別(せんべつ)だよ」

 

 背嚢から鍋と、何かの袋を取り出していた大男が苦言を呈するが、包帯男はどこ吹く風と言わんばかりに肩をすくめた。そして視線をヴェルフに戻すと彼の姿を一度まじまじと見つめて、それから満足したようにうなずいて見せる。

 

「うん。それ、(にぃ)ちゃんが身に着けるといいぜ。見たとこ、アンタが前衛だろ?」

「あ、ああ。間違っちゃ無えが」

「ヘルハウンド相手に一番危ねえのはさあ、やっぱり身を張る前衛なわけ。本当なら断熱性の高い金属製の、あるいはヘルハウンド自身の皮を張った盾とか用意するべきなんだけど、見たとこそういう用意してねえっぽいしなあ。ま、それがありゃ何とかなるでしょ。頑張ってくれよ。ところで……」

 

 手の内の指輪に目をやるヴェルフに声をかけ終えた後、男はベルに視線を向けた。包帯の間から除くその黒一色の瞳に、ベルはわずかに気圧される。しかしその姿を見てか、包帯に隠されながらも男は確かに笑顔を浮かべて、そしてまるで友人にするように親し気な口調でベルへと右手を差し出した。

 

「そこの白い髪の、もしかして噂のルーキーじゃあねえかい? 一度拝んでおきたかったんだ! 握手いいか?」

「あ、はい、どうも……」

「へへへ、ヨロシク、ヨロシク。噂はかねがね伺ってるぜ、応援してる」

 

 リリルカが緊張に体をピクリと反応させる傍らで、緊張感のない座ったままの包帯男は握手に応じたベルの腕を軽く振り回しながら楽しそうに笑った。しばらくベルはされるがままに腕を振り回されていたが……そのうち男から手を離して、下からベルを見上げながらに首を傾げた。

 

「一つ質問があるんだが、いいか?」

「えっと……なんですか?」

 

 声をかけられたベルは未だに困惑が抜けないながらも、苦笑いしながらそれに応じる。それを見た包帯男は、まるで本気で疑問に思っているかのような声色で問いかけた。

 

「下でこんなザマになってる俺だからこそ聞くが、どうして中層に行くなんて危険犯すんだ? 中層はここまで(上層)とは段違いだ。見たとこレベル2になってるみたいだし、もう、上層でのんびりモンスター狩ってるだけでも普通に食ってけるぜ?」

「それは……」

 

 彼の問いにベルはしばし言葉に詰まった。確かに彼の言う通り、そういった選択をした冒険者も少なからず存在するだろう。目に見えた危険に踏み込まず、常人では手に届かない力で安定した生涯を送ることが。それが、正しい選択なのかもしれない――――生きていく。それだけならば。

 

「…………強く、なりたいんです」

 

 だが、ベル・クラネルには理由があった。聞く人によっては幼稚だと笑うような、あるいは自身にもそんな気持ちがあったと共感するような。

 

「――憧れてる人たちみたいな、今までお世話になった人たちみたいな、すごい冒険者に……おとぎ話に出てくるような、英雄みたいになりたくて。今の僕じゃ、そんなものは夢物語みたいなもので、とても遠い目標だと思います。でもそれは、目指さない理由にはならないかな、って」

「ふーん………………」

 

 絞り出すような、あるいは自身でも再確認するような、そんな口調でつぶやくように口を開いたベル。しばらくその場に、サポーターの男が背嚢から調理用具を取り出すカチャカチャという音だけが響いていたが……その内、包帯姿の男が重々しく声を上げた。

 

「なぁ、坊主」

「はい?」

「話は変わるんだけど好きなヤツっている?」

「えっ……えっ!?」

「男でも、女でも、それ以外でもいいぞ」

 

 まるで何でもない事だと言うように肩をすくめて男は笑った。だが、ベルにとってはどうでもいい事ではない。あからさまに、顔も赤くし目に見えて動揺して男に返答ともいえぬ声を返す。

 

「な、な、な、突然何言ってるんですか!?」

「いるのかいないのか聞いてんだが」

「言えませんよ!!」

「言えねえのかよ、ハァ…………ま、その反応で居るかいないかくらいはわかるけどな」

 

 どこか呆れたように、しかし楽しげに肩を揺らして男は頷いた。そして肩で息をするベルと、自身も考えているかのように腕を組むヴェルフと、先ほどまで包帯男たちに送っていたそれ以上に鋭い視線をベルに向けるリリルカを一通り見やって、それて頷いて笑った。

 

「強くなれるぜ、愛は負けない……ガンバレよ」

 

 ひらひらと手を揺らすと、男は満足したかのように再びその場に寝っ転がった。対してベルは、その言葉になんと返答を返すべきかしばらく戸惑っていたが……先ほどの鋭い視線を潜めさせて普段通りの表情に戻ったリリルカに服の裾を引っ張られると、思い出したかのように頭を下げた。

 

「……ベル様、そろそろ」

「あ、うん、ごめん」

 

 ベルが見れば、リリルカとヴェルフは既に荷を背に負って出立の準備を済ませている。残るは自身だけ。ベルもあわてて、整理の途中だった装備を確かな位置にすぐさま身に着けると、既に部屋(ルーム)の出口に立つ二人の元へ駆け寄ろうとして――――思い出したかのように、包帯男に視線を向けた。

 

「……あ、そうだ。あの、すみません……お名前を、教えていただいても?」

「俺? なんで?」

「えっ、いや……あの、貴重そうなアイテムもいただいちゃいましたし、なんかためになった気がしますし、何か、機会があればお礼とかしたいなって……」

「いらねえよ、いらねえけど俺、俺の名前なぁ……」

 

 男はまるで、今考えているかのように腕を組みながら首を傾げる。そのまま十秒、二十秒ほど経ち、そして三十秒が過ぎたころに一度頷いて、包帯の間から覗く目を歪めて肩を揺らした。

 

「俺は…………うん、【ヒュトロダエウス】だ。【ムーンレイカー】のヒュトロダエウス」

「ヒュトロダエウスさん、ですか」

「おう、いい名前だろ」

 

 ニッと笑って自身を親指で指した包帯男。それに対して、苦笑いするでも眉を(ひそ)めるでもなく、生来の素直さで以ってベルは深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました、ヒュトロダエウスさん」

「いーってことよ、気にすんな。中層での冒険、気をつけてな」

「はい……じゃあみんな、お待たせ」

「応、気合い入れてこうぜ」

「ですね、それでは失礼いたします」

 

 ベルが声をかけるとヴェルフはそれに応じ、リリルカも背嚢を背負いあげて一礼した後、ベルたちと共に出発しその場を後にしていった。それを見送る包帯男は彼らの姿が暗がりの中に見えなくなるまで手を振っていたが……しばらくして手を下ろすと退屈そうに大きく伸びをして見せる。すると、鍋の中に水を注ぎ、発熱する魔石の破片の上で揺らしていた大男が、彼にあざ笑うかのような視線だけをやって口を開いた。

 

「…………【ムーンレイカー(バカ野郎)】の【ヒュトロダエウス(大ぼら吹き)】か、お似合いの名前だな、相棒」

「どういう意味だこら」

「そのままの意味だ」

 

 呆れかえったかのように、あるいは愚かな友を諭すかのように皮肉るサポーターめいた大男。それに対して、包帯男はじゃれ合うような怒気を一瞬見せたが、すぐに鼻を鳴らして興味を失うと両手を頭の後ろで組み、そのままその場に寝転がって笑った。

 

「ヘッ……にしてもさ。いいよなぁ~若いって! 特にあの白い坊主!」

「お前も十分若いだろ、相棒」

「そうだけどな? でも、マジできらきらしてたじゃんか。眼球とか。俺、きらきらぴかぴか好きなんだよ」

「言うほどだったか? 確かに珍しいソウルの持ち主ではあるが……」

「無色透明きらきら、ってか」

「……それでどうだったんだ、実際。お前の()にはどう映った?」

「ああ」

 

 問われるも、そのまま柔らかな光を放つ天井を眺めたまま返答する包帯男。彼はしばらくそうしていたが……突然上半身を勢いよく起こして、楽し気に、そして推理するかのようにところどころ言葉を途切らせながらベル・クラネルという少年について話し始めた。

 

正直(しょーじき)、ビックリした! 冒険者になってわずかな間でレベル2、更には希少技能(レアスキル)も複数持ってるし、魔法もいいし、あと発展アビリティが『幸運』と来てやがる。あれ持ってる奴久々に()()ぜ。【至福(マイブリス)】以来じゃないか?」

「奴の名を出すな。嫌いなんだよ」

「あ、そうだったな。悪い悪い。でもま、将来有望ってレベルじゃないだろ。その内、いい遊び相手になるかもわからんね」

「そうか」

 

 包帯男の所見を聞いて、サポーターめいた大男は短く返答すると鍋の水が煮立ち始めたのを見て、脇に置いてあった干からびた麺をへし折り鍋の中に投入した、そしてゆらゆらと鍋を揺らし、放り込んだ麺を均等になるように広げ始める。

 

「……ところで相棒」

「ん? 何? 面白い話か? それは俺大歓迎……」

「お前、奴らに何をした?」

「………………えっ何の話?」

「とぼけるなよ。あの指輪、()()()()ろう」

「…………知らねえなぁ」

「……………………」

「………………わかったわかった俺の負けだ負け」

 

 沈黙による追及に耐えきれなかったか、包帯男は諸手を上げて降参したかのように肩を揺らして笑った。しかし、その様子をサポーターの男に無感情な視線でとがめられると、そのうちまたそれに耐えきれなくなって、包帯男は言い訳でもするかのように早口にまくしたてた。

 

「……いやさぁ! あいつら準備万端って感じだっただろ? 装備から見ても、生きて帰れる可能性濃厚って感じだったし、そんだけの実力、有りそうだったしな。だからちょーっとばかし、指輪にな。あの石に、ちょっと塗りつけてやった訳よ。ヘルハウンドの血を」

「お前、いつの間に……」

「【迷宮外縁(アウトサイド)】でも通常ルートにも出てくるなんて珍しいよなぁヘルハウンド。ぴょんぴょん走り回るから嫌いなんだけど、まぁさかこんなところで役立つとは」

 

 包帯男は自身の包帯に染み込んだ、まだ乾いていない血を指先で拭って見せると、それを舐めとって、すぐにその場に吐き出してから笑って見せた。サポーターの男は火にかけた鍋の沸騰を続ける湯の中へ沈んだ麺を眺めながら、その様子に呆れたように溜息を吐く。だが、包帯男はそれに気が付かなかったようで、未だに楽し気に、自らの行った仕込みによって起こるであろう事象に心を躍らせていた。

 

「へへへ! 嗅ぎ付けてめちゃくちゃ集まるぜーヘルハウンドが。あいつら死ななきゃいいけど、どうなっかな」

「……フレイヤとの約束だったんじゃねえのか? ベル・クラネルには手を出さないというのは」

「そのつもりだったんだけど、思ったより有望そうだったからさ。これ乗り越えられるようならマジでモノになるかもしれんぜ。それに、手を出したのはあの白髪坊主じゃあなくて、あっちのガタイのいい兄ちゃん! ついでに言えば、加害者も俺じゃあなくて、ヒュトロダエウス! つまり、何の、問題も、なぁーい! ヒッヒヒ!」

「クソみたいな詭弁だな」

「メシ作りながらクソなんて言うなよ」

 

 呆れ果て、溜息を吐く大男に包帯男は機嫌を損ねたかのように目を細める。だが、大男がそれに何ら反応を示さないのを見て、包帯男は期待を外したかのように天を仰ぎ、また寝っ転がった。彼はその内、沸騰した湯の奏でる泡の音を聞きながら自身のもたらした少年たちの不幸とそれによる結果を推理し始める。

 

 彼ら三人の、万全とは言えぬまでも最善を尽くそうとする姿勢。ヘルハウンドの火力と【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】の防火性能、そこに自身の与えた炎方石の指輪が加わった場合の生存確率。そして、中層13階層という『最初の死線(ファースト・ライン)』の危険性。どれほどの苦難が彼らの身に降りかかるのか。嘗て自身が13階層へと初挑戦した時の事を昨日の事のように反芻しながら、誰にともなく包帯男は笑顔になって、そのくせ自身の行いを悔いるかのように溜息を吐いた。

 

「あーあ。やっといてアレだけど今更になって申し訳なくなってきた! 自己嫌悪に陥っちまうぜ」

「俺から言えるのは一つ。お前はそんなナイーブな人間じゃあねえ」

辛辣(しんらぁつ)!」

 

 視線を煮立った鍋に向けたまま吐き捨てたサポーターの男の言に、天を仰いだまま楽し気に指さして応じる包帯男。その様子を見て、ますます疲れたふうな雰囲気をにじませたサポーターめいた大男は面倒くさそうに、だが興味は失っていないような口調で包帯男へと声を向ける。

 

「しかしだ。あれほど沈み切ってたくせに、急に元気を取り戻したな相棒」

「そりゃ後輩たちが中層に挑むってのを前にしたらなぁ。俺も、そこまで昔じゃあねえ筈なのに懐かしくて」

「フン。【奴ら】に派手に負けた割にもう立ち直ったのか?」

「…………実際、今は勝てる相手じゃあねえし、それでクヨクヨするのも違うかなって思うぜ」

「ほれ見ろ、ナイーブさなんかとは無縁だろうが」

「まだ言うかこの――――」

「それよりもだ、麺の味付けは任せてもらっていいな? どっちにしろロクなもんはねえが」

「マジ? 何入れんの?」

「塩と香辛料と水で戻す肉」

「絶対美味い奴だ。俺も料理勉強すっかなぁ」

 

 茹で上がりも近くなった麺をサポーターめいた大男は箸で混ぜる。麺は既に先ほどの干からびた麺とは別物のようにつややかさと柔らかさを取り戻し始めていた。その、麺の数分後の姿を想像した包帯男は満足げに頷くと、腕を組み、真剣に悩むかのように唸りだす……が、ふと、何かに気づいたかのように自身らのいる部屋へと続く通路へと目を向け、今までにない少し緊張したかのような声色で声を上げた。

 

「……誰か来るな。お客さんか?」

「殺し屋かもな。お前は数え切れんほどの恨みを買ってる」

「お前ほどじゃあねえよ」

「俺が誰だかバレてれば、その通りだ」

「ファットマンのジジイに感謝しろよ」

「フン」

 

 上半身を起き上がらせて通路へと体を向ける包帯男に鼻息一つ返しながらも、今まで鍋に向けていた視線を通路の先に広がる光景へと大男もまた向けなおす。すると、すぐに土とも、あるいは石ともつかぬ迷宮(ダンジョン)の床を踏み鳴らして、両手両足の指の数を超えるほどの冒険者の一団が姿を現した。

 

 先頭に立つのは、精悍な顔つきの男性。冒険者として一般的な革製の防具を身に着け、その上にファミリアのものと思しき娼婦のエンブレムの施された外套を纏っている。そして、彼を除き、その冒険者集団は女性ばかりによって構成されていた。彼女らは、一部のサポーターと思しき人員を除き、相対する彼ら二人の肌を見せぬ服装とは全く真逆の装い。それはまるで娼婦の如き――――否。正しく娼婦()()()()彼女たちは、本来露出を好まぬエルフである者も含め、皆が皆扇情的な衣装を身にまとっていた。

 

「あのエンブレム……あ、【イシュタル】のとこのか…………何の用だろうな」

 

 しかし、その見る者によっては鼻の下を伸ばしてしまいそうな姿に興味を示すそぶりも示さず、先頭に立つ精悍な男性の外套を一瞥した包帯男は首を傾げた。

 

 ――――【イシュタル・ファミリア】。このオラリオに存在するファミリアの中でも特に高名なファミリアの一つで、所属する冒険者たちの個々の実力、迷宮探索の実績などはもちろんの事、オラリオ南東部にある歓楽街を牛耳り、それによって生まれる利益からくる資金力はオラリオでも随一。更には娼婦たちによって築かれたファミリア外の有力者、権力者たちとの繋がりから保有する戦力以上の力を保持しており、過去にあったいざこざからギルドでさえもおいそれと手が出せない文字通りの大ファミリア。そこに所属する娼婦たちの多くは冒険者としての技量にも秀でており、戦闘娼婦(バーベラ)と呼ばれ外部から畏怖されている。

 

 そんな彼女たちが、何故この場に大挙して現れたのか。包帯男は相変わらず首をひねっていたが……サポーターの大男は彼女らが鋭い視線を包帯男に向けるのを見て、相手方の要求を大体察して溜息を吐く。一方、彼ら二人の出方を伺うようにそれぞれ端正な顔をこわばらせていた彼女たちだが、その内、見かねたかのような仕草をして、先頭に立っていた男の冒険者が前に一歩踏み出した。

 

「……そこの包帯男、【黒い鳥】か?」

「そういうアンタは……悪い、分からん。イシュタルのとこの…………ああ、副団長だっけ? いや、ご足労してもらったとこ悪いが、俺は【黒い鳥】じゃなくてヒュトロ――――」

「こいつが【黒い鳥】だ、何の用だ?」

「……なんで言っちゃうかなぁ、面白くねえ」

「時間の無駄だ。で、何の用だ」

 

 男の問いに、平然とすっとぼけようとした包帯男――――【黒い鳥】は、サポーターの大男による容赦ない暴露に口をとがらせる。だが大男は喚く彼を完全に無視して問い返した。しかし、目の前のイシュタル・ファミリア副団長が困ったように眉間に皺を寄せるのを見て、不思議そうに副団長へと重ねて問う。

 

「……おい、黙りこくってどうした?」

「……いや、【黒い鳥】――――あの、数多のデタラメな逸話を持つ男が、随分と手酷い怪我をしているのが信じられなくてね」

「おいおい。人を何だと思ってやがんだ? 俺だって人間だぞ。怪我だってするし、死にもする! ……あ、包帯に染みてるこれ、全部モンスターの返り血ね。俺のケガはほれ、足が折れてるだけ。いや十分大ケガか! ほら見ろよぐえええ!」

 

 副団長の男の言に憤慨したかのようにアピールした【黒い鳥】は、自身の足を指さすと、それをさらに示すためにか小突いて痛みに悶絶して転げまわった。そのあんまりな姿に今まで緊張に身をこわばらせていたイシュタルの娼婦たちの幾人かがこらえきれずにくすくすと笑いを零す。一方で副団長の男は弛緩しかけた場の雰囲気を疎むように首を横に振ると、溜息一つ吐き自身らの目的を二人に向けて開示した。

 

「……………………【黒い鳥】。団長がお前の身柄をお望みだ。我々と来てもらおう」

「いててて……【フリュネ】の奴がねえ。ああそうだ。アイツにレベル6へのランクアップおめでとうって伝えといてくれ。俺が言うのも何だけど」

 

 先ほどの痛みも忘れ、包帯の下で笑顔でのたまう黒い鳥に副団長の男は疲れたように溜息を吐く。

 

「団長のランクアップは半年以上前の話だぞ」

「そうだっけ? あっそうだ、ストーキング止めろって言っといて欲しいんだよな。確かに【止り木】には近づくなって言ったけどさ……」

「それはお前と団長の問題だ。直接言え」

「あー…………ま、いいや。それよりも聞いていいか?」

「なんだ?」

「いやさ。よくこの無駄に広いダンジョンで俺の事見つけられたな、って思ったんだけど」

「タレコミがあった」

「あのハゲ……」

 

 自身の問いにあっさりと答えた副団長の男の言葉に、【黒い鳥】は思わず額を抑えた。間髪入れず脳裏に浮かぶのは、嫌らしい笑みを浮かべる禿頭鷲鼻の男。あの男なら、自身の利益になるのならばそうする。絶対に間違いない。そんな確信じみた結論に至った彼は今まで周囲の皆にそうさせていたように自身も溜息を吐くと天を仰いで呟いた。

 

「先に帰すんじゃあなかったかぁ……」

「お前、そろそろ奴に甘い顔をするのを止めたらどうだ? ナメられてるんだよ」

「ん、いや、もう慣れっこだからいいんだけどさ……そういう奴だし」

「そうか。だが、せめて殺しておくべきだと俺は思うぜ」

「へいへい。後で文句の一つくらい言っとくか」

 

 【黒い鳥】は、自身を相棒と呼ぶ男の諫言を話半分に受け取って肩をすくめた。そして、副団長の男に向け、小さく笑顔を見せる。

 

「とりあえずイシュタルの兄ちゃん、話は分かった。とりあえず今飯食うから少し待ってくれよ。そしたら行くからさ」

「…………何だと?」

「なんだよその顔……なんか変な事言ったか、俺」

「いや…………我々の命令にそうも素直に従うとはな。命令されるのを何より嫌うお前が」

「はははっ、俺が? 命令を? 嫌うって? 何だそりゃ……」

 

 驚きに眉を顰める副団長の男の言を、【黒い鳥】は一笑に付した。

 

 副団長の男が困惑するのも当然だ。【黒い鳥】が他者に命令されるのを嫌うというのは、オラリオの神々、更には上位の冒険者たちの間ではもはや常識とすらされている話である。

 

「別に俺、命令されるのが嫌いって訳じゃないんだよな…………大事なのは利益だよ」

 

 しかし、男の内心の困惑に無関心なように言って、【黒い鳥】は親指と人差し指を合わせて輪を作り示す。彼は次にその手を握り締めると、指を一本ずつ立て、そのたびに自身が重要視する要素を示し明かしていった。

 

「損得、合理性、気分、後はその他もろもろ…………それで問題なさそうなら、俺はどんな命令にだって従うよ」

「相棒。『気分』と『その他』の比重がデカすぎるぜ」

「黙ってろお前」

 

 自身の言葉の曖昧さを指摘された【黒い鳥】はまた発言者たる大男に向けて口を尖らせた。

 

 確かに彼に命令して、その結果として彼の逆鱗に触れた者は数多く存在する。だがそれは彼にとって納得のいかない命令だった場合の話だ。彼の言う通り、それが必要であるのなら、彼自身の利となりうるなら、最適であるのなら、十分な理由があるのなら……【黒い鳥】は意外なほどに寛容だ。それは幾度となく【黒い鳥】を使()()()きた神々でさえも見落としがちな事であった。

 

 ――――それほどまでに、彼の気を害したものへの『対応』が壮絶極まりなかった事もその要因なのだが。

 

 一方で【黒い鳥】が自身に従ったという事実に肩透かしを受けたような気分を陥りながらも、目の前の男がどのような存在であるかを思い返して副団長の男は気を引き締め、【黒い鳥】を凝視する。しかし、その視線を気にした風もなく弛み切ったようにだらけた【黒い鳥】はイシュタルの面々から目を逸らして、大男が皿に盛った麺に香辛料と油、そして煮汁で戻した干し肉の欠片を乗せるのを眺めていた。

 

「ま、ともかくちょっと待ってくれ。今から俺ご飯なわけ、飯の邪魔はしないでくれよ」

 

 言って【黒い鳥】はひらひらと手を振ると、大男から差し出された皿とフォークを手を伸ばして受け取って、迷宮の床に置いて食し始める。その様子を見守るイシュタルの面々。しかし、彼が食事に集中し始めると彼女らも気が抜けたように緊張を解き、それぞれ談笑し始めたり、触発されてか自身たちの持ち込んだ携行食を口にしたりし始める。

 

 その様子を横目に見ながら、大男は背嚢から取り出した水を器に注いで【黒い鳥】へと手渡し……そのまま彼に顔を寄せ、懸念するかのように目を細めて問いただした。

 

「…………大丈夫なのか?」

「大丈夫! 地上でたらうまいこと逃げっから」

「足はどうするつもりだ?」

「あんだけ居るし誰かにおぶってもらうさ。お前も楽でいいだろ?」

「フリュネが来たら面倒だぞ」

「フリュネか……うん、昔ならいざ知らず、今のアイツが来たら流石にマズいかも。昔と今のアイツ、ビックリするほど別人だもんなぁ」

 

 【黒い鳥】は嘗て『ガマガエル』などと揶揄され、内外問わず(うと)まれたイシュタル・ファミリア団長の現在の姿を脳裏に描く。その表情は朗らかであったが、それを見咎めた大男の方は呆れ果てたかのように眉間に皺を寄せる。

 

「奴の変わり様も、元を正せばお前が全身の骨を砕いたのが原因だろう」

「だからってカエルからゴリラになるか? ありえないでしょ」

「恋は女を変えるぜ、相棒」

「ボコられた相手に惚れるとかアマゾネスマジわかんねえし、お前も分かったみてえに言いやがって」

「年季が違うんだよ…………それより、本当に大丈夫か? いくらお前でも両足折れてるんじゃ面倒だぞ」

「大丈夫大丈夫。俺、実は戦うより逃げる方が得意だったりするんだ。多分な……ま、なんとかなるだろ」

 

 そう、大男の心配もよそに楽観的に口にすると、【黒い鳥】はこれから起こることに期待するかのような満面の笑みでフォークに巻いた麺を口にして、その味に舌鼓を打つ。対して大男は自身の言葉もどこ吹く風、といった様子の【黒い鳥】に呆れつつ、背嚢の中身を弄る――――フリをして、【迷宮外縁(アウトサイド)】から迷宮の通常階層へと戻るのに用いた淡く光る【楔石の欠片】を布に包んで背嚢の奥に押し込んだ。

 

 

 




滅茶苦茶お待たせしました。

登場人物一覧等も随時追加していきます。

次回から5巻分の話に入れればいいかなと思います。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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