鍛冶屋の息子に生まれた。
といっても名のある訳でもなく、かといって無名という訳でもなく、町からは外れた小さな村にある、普通の刀鍛冶の店だった。
毎日困ること無く生活できる程度には繁盛していて、俺はそこの長男、つまり跡取り息子だった。
物心ついたころから、鉄を打っていた。
来る日も来る日も鉄を打ち、研磨し、何百度にも熱された火の中に鉄を入れた。
一本一本に己の全てを込めるつもりで打ち、全霊を懸けて磨き、細心の慎重さをもって焼入れ、作り上げた。
けれども出来たのはどれも鈍らだった。
すぐに刃毀れし、あまりにも容易く折れた。
刀匠であった父はそんな俺に根気強く教えてくれたが、しかし俺は何時まで経っても鈍らしか作り上げることは出来なかった。
一年、二年、三年と、時を経るごとに父が俺を見る目には失望が織り交ぜられるようになり、代わりに弟に期待を向けるようになった。
そして二つ下の弟は見事にその期待に応えてみせた。
嫉妬する気も起きないくらい、弟は完成度の高い刀を作り上げた。
それ以降、父は俺を見ることすら無くなって、俺は刀を打つことをやめた。
弟や母はそんな俺を引き止めはしたが、しかし強く引き止めもしなかった。
否、弟だけはしぶとく引き下がった、けれどもその時の俺にはそれがただただ不愉快だった。
弟は俺と肩を並べたかったのだと、叫ぶように言ったが、それは質の悪い冗談にしか聞こえなかった。
弟に悪気はなかったのだと思う、性根が酷く優しい子で、良く喧嘩に巻き込まれて泣かされていて、けれども次の日には喧嘩した子と仲良く遊べるような子だった。
純粋に、尊敬されていたのだろうと思う。
兄というフィルターがかかり、無能の俺がやけに立派に見えていたのだろう。
俺はそのことを瞬時に理解はしたが、しかしその理解から溢れた感情は怒り以外のなにものでも無かった。
言いたいことが湯水の如く溢れ出て、却って一つたりとも上手く言語化出来なかった俺は、ただ一言巫山戯るなよ、と言い捨て父にもらった槌を投げ捨てた。
以来、弟と言葉を交わすことは無くなった。
俺は槌を握らなったが、しかし何もしない人間を置いておくほどの余裕はなく、俺も何もせずただ居候するのは遠慮があり、所謂営業の方の仕事に就いた。
こちらは、思いの外上手く順応できたと思う。
少なくとも、刀鍛冶よりはずっと向いていた。
生まれつき体力や筋力が他より多くあった俺は人との交流が人並み以上には出来る人間だったらしく、遠方にまで赴き、結果的に多くの客を連れてくることに成功した。
町に出れば、多くの人に名前を覚えられて帰ってきたし、何人かには妙に気に入られたりもした。
依然として父は俺を見ることも無かったが、しかし俺にはそんなことはもうどうでも良かった。
それなりに仕事ができて、毎日の飯代が稼げ、多少の遊びができればそれだけで満足だった。
そうこうしている内に、弟はその名を馳せるようになった。
俺の思っていた以上に弟は才能があったらしい、その上で毎日研鑽を積んでいたのだから、それは当然のことだったとも言えるが。
それでもたかだか二年程度の年月でここまでとは、と母が零していたのを思い出す。
ある時弟は有名なお侍様に刀を頼まれた。
俺や他の人が連れてきた客ではなくて、弟の名声が呼んだ人だった。
既に父の実力を超えていたのだろうと思う、そうでなければ名指しにはされない。
そうして弟はその依頼を見事こなしてみせた、お侍様が思わず感嘆の息を吐くほどで、多くの謝礼を貰っていた。
この時俺は偶然その場にいて、頭を下げていた弟は何故だか俺をチラリと横目で見た。
その瞳にどんな感情が込められていたのか俺には分からない、蔑みだったのか、自慢だったのか、はたまたもっと別のものだったのか。
ただ少なくとも悪意のようなものは無かった、父と同じように弟とも俺は一切話すことはなかったが、それでも俺はそう感じた。
お侍様の一件から、弟は酷く有名になった。
呼び込みの必要がないくらい刀を打って欲しい、という依頼は増えたから、俺は営業の他に会計にも携わるようになった。
金勘定は不慣れだったが数日もすれば慣れた、ここにも俺は適性があったらしい。
鍛冶屋に生まれておいて鍛冶の才は無く、それを支えるための才はあっただなんて、笑えるな、と誰かが言った。
そのことに対して、母は恐ろしいほどに激怒したが、俺が怒ることは無かった、ただ、浅く笑った。
以前の俺であれば、もしかしたら激怒していたかもしれないが、生憎と今の俺にはそこまで怒れるほどの熱意がもう無かった。
ただ、悠々自適に、そこそこのことをしてそこそこに生きていた。
一本通すような芯は無く、目的もなく、何も考えずに生きていた。
だからだろうか、俺は何時からか弟を直視できなくなっていた。
あらゆる人間に持て囃され、それに応え、素晴らしいものを作り上げる弟。
彼の抱えた魂が、通されている燃えるような芯が見えるような気がして、真っ当に見てしまえば目が焼かれると錯覚した。
だから俺は逃げた、無様に逃げた、焼かれぬように、己が燃やされぬように。
嫉妬だった、何時になく抱いた嫉妬だった。
お侍様から謝礼を貰ったときの弟の目がありありと思い出される。
今なら分かる。
あの時、弟が浮かべていた感情は"罪悪感"だった。
褒められているのが、まるで本当は兄である俺のものだったのだと言わんばかりの申し訳無さを込めた瞳だった。
嫉妬と悔しさと情けなさがかき混ぜられて吐き気がする。
ごちゃ混ぜになった感情のままに、俺は遠方の町まで走り出していた。
営業という肩書を持って、俺は必死こいて走り続けた。
疲れるということをあまり経験したことは無かったが、それでもずっとこうしていれば、この気持も発露されるだろうと思った結果だった。
目論見はそれなりに上手くいった、体力が消耗されれば思考は酷く鈍くなった。
考えたくなくても考えてしまうことに霞が掛かるのを感じながら、俺はその町で、妙に気に入ってくれている女将さんのいる宿に泊まった。
女将さん曰く、その時の俺はひどい顔をしていたらしい。
俺は大丈夫だと言ったが、傍目から見ても大丈夫ではなかったのだろう。
何かあったのかとしつこく問い詰められて、俺はつい言葉を溢してしまった。
言葉は一度吐き出し始めると止まることはなかった、止めようと思うことすら出来なかった。
何故俺には才能が無かったのか、違う、俺は何故努力を続けられなかったのか、何故父の期待に俺は応えられなかったのか、どうして弟と話そうとすると身体が強張ってしまうのか、それなのに何故か俺と話したそうにする父を避けてしまうのはどうしてなんだ、何で何もしてないのに、研鑽を続ける人を相手にこんなに汚い嫉妬をしてしまうのか、分からない、分からない分からない解らない、理解らない、わかりたく、ない。
何もかんも分からなくって、けれども己が醜い感情を抱いていることだけは分かってそれがたまらなく嫌で仕方ない。
俺の中には何にも無くて空っぽなんだ、けれども弟はそんな俺を今でもキラキラした眼で見るんだ、それが嬉しくて、でもそれよりずっとずっと大きな淀みのような感情が心を埋め尽くすんだ。
もう燃やすような熱意は何処にもないのに、何で無いんだって時折思って吐き気がするんだ、槌を握ろうとしても、もう握る資格は無いんだって思うんだ、誰にも認められていないっていう現実を直視するのが怖いんだ、誰も俺を見てなんかいないんだって、認識するのが嫌なんだ、気づきたく、無いんだ。
気付けば俺の眼からは涙が溢れていた、ぐちゃぐちゃに泣きながら、俺は女将さんに感情を無理やり言語化した支離滅裂な言葉を垂れ流していた。
女将さんはそんな俺の醜い感情に汚れた言葉を黙って聞いてくれて、その上でゆっくりと俺の頭を撫でてくれた。
女将さんは酷く優しい声音で、音を紡いだ。
その感情は誰もが持つもので、決して醜くなんて無いのだと。
貴方を見ている人は絶対にいると、貴方はとうの昔に多くの人に認められていると、そう言ってくれた。
確かに一度は折れたのかもしれない、周りも失望したかもしれない。
だけど、折れたのならもう一度立ち直りなさい、けれども己に向いていないと、本気でそう思ったのであれば他にも目を向けてみなさい。
無理やり適合出来ない世界に留まって、その内にいる人間の熱意に焼かれるような真似は止しなさい。
世界は広くて、多くのことがあちこちに転がっている。
貴方が思う、一番燃やすことの出来る熱意を真ん中に据えられるようなものは、必ずどこかにあるのだから、狭い世界にばかり視界を広げるのはやめなさい、それは決して、逃げではないのだから、と女将さんはそっと俺を抱きしめてくれた。
その言葉にまた、涙が零れて落ちた。
その後の記憶はない、目が覚めたら朝だった。
どうやらあの後寝てしまったらしい、すっかり陽は中天にあって、昼であることを告げていた。
何だかすっきりした気持ちになっていた俺は一言女将に礼を言ってから宿を出た。
申し訳程度の仕事をし、俺はそのまま真っ直ぐ村へと帰ることにした。
一晩で駆けてきたとは思えないくらい長い距離をゆっくりと歩いて帰ることにして、のほほんと随分と楽になった精神を保ちながら歩を進めた。
何だか心に余裕が出来ていて、少しの勇気は必要だが取り敢えず弟と話してみようと思った。
その次に父と話して、それから俺は、この仕事をやめようと、そう思った。
もう何年も前から思ってはいたことだった、けれどもそれに従うことがで全然出来なかったことだった。
けれども今ならばこの止まってしまった足を動かせる、そんな気がしていた。
そうして俺は一日と半日少しかけて、村まで辿り着いた。
太陽はすっかり落ちて、明かりと言えば月の光だけの、静かな夜だった。
ゆっくり歩いていたのもあったが、行ったときは良く一晩でたどり着けたものだな、と己に感心しながら見えてきた村へと足を早めて、ふと違和感に気付いた。
声も音も、聞こえてこない。
俺の住む村は確かに酷く小さな村ではあったが、それ故に鍛冶師が鉄を打つ音は良く響いたし、少なくも元気な子どもたちの声が良く通る。
何かがいつもと違う、そう思って足を早めれば、半壊した村が、そこにあった。
近づく度に、濃い血の匂いが漂ってくる。
怖気が背筋を素早く駆け抜けて、嫌な予感が頭をガンガンと殴りつけた。
歩いていた足は、自然と早足になっていて、気付けば俺は走り出していた。
一体何が、どうなっている、そう思って村へと入れば視界の隅に小さな人影を見た。
子供だった、村でよく見た、小さな子供が、腹から血を垂れ流して、死んでいた。
悲鳴すら出てこない、小さく息を呑み込んで、次の瞬間俺は全力で駆け出した。
あちこちに死体が転がっていた、どれもこれも五体満足じゃなくて、どこかしら欠損していた。
鍛冶場に、つまり己の家に近づくほど、死体は人の形を保っていなかった。
家の扉は大胆に、派手にぶち壊されていた。
心臓がやけに激しく鳴っている、恐る恐る中を覗いて、吐き気を催した。
室内は赤々と染まっていた、おぞましい人の血で、染め上げられていた。
その中で唯一、赤以外の色で出来ている何かが、ポツリと真ん中に落ちていた。
思わずそれを見て、一瞬思考が止まる。
それは手だった、人間の、左手。
男性よりも女性のものに見えるそれに近づいて、そしてそれは、母のものであるのだと、ようやく気付いた。
血に染め上げられてはいたが、その周りには母の着ていた着物の破片が落ちていたからだった。
そっとそれを握れば、まだ温かい、明らかに人の温もりを残していた。
それはつまり、母がこうなってからまだそう時間は経っていないということに他ならない。
ぞっとする、父と弟は今どうなっている、と素早く頭を上げた。
血の泥濘に足を取られながらも走り出す、仕事場はここからもう少し奥だ。
そっと慎重に、ふすまを開ければより強い血の匂いが鼻をついた。
鳥肌が立つ、吐き気が胃袋で暴れまわる。
それを無理矢理抑え込んで、片足を踏み出した。
何だか悪寒が走り、杜撰に落ちている刀を拾い上げ、強く握る。
身体は震えていた、けれども足を止めるわけにはいかなかった、家族の安否だけが気にかかっていた。
奥へと進む、ゆっくりと、慎重に。
そうして俺は見た、壁に背を預けた、父の姿を。
頭部だけを失った、父であったものの、姿を。
嗚咽がゆっくりと喉を通って吐き出される、ゆっくりと近づいて、父の遺体を見た。
父の片手には刀が握られていた、抵抗はしたのか、その刃は血に濡れていた。
着物の間から、何かの柄が顔を覗かせている。
なんだろうと思って手にとって見れば、それは何時か俺が父よりもらい、そして投げ捨てた槌だった。
もう随分と経つというのに、それは新品同然のように輝いていた。
そう、まるで、毎日磨き上げられていたかのように。
涙が頬を伝う、ごめんなさい、ともう聞くことも出来ない相手にそう呟いた。
それより先は、言葉が出なかった、喉を通るのは吐き気ばかりで、何も言えない。
誰がこんなことを───いや、こんなことができるのは、鬼くらいだ。
そうだ、弟は、弟はどこだ。
槌をポケットに入れてから、何度も辺りを見回すが、しかし弟の姿が見つからない。
焦りに急かされて、幾度も注意深く見ていけば、裏口の方に点々と血が続いていた。
考えることもなく、走り出す。
それが弟のものなのか、そうでないのかは全く分からなかったが、それでももしかしたら生きているかもしれない、という希望的観測からは逃れられなかった。
どうにか生きていてくれと心中叫びながら血の跡を追う。
血の跡は、林まで続いていて、そこから先は酷く傷つけられた木が散見されるようになった。
不自然に、拳大のサイズで抉られている。
それを目印にして、走る、走る、走る。
そうして見つけた、見つけて、しまった。
酷く小さな人影が、木に寄りかかっている。
歩み寄る、葉に遮られている月明かりを頼りにその人を見れば、それは弟だった。
下半身を失って、今にも死にそうな呼吸をする、弟がそこにいた。
そっと、頬に触れる、弟はまだ確りと意識を残していた。
弟が、にいちゃん? と掠れて小さくなった声でそう呟いた。
にいちゃん、ごめん、ごめん、なさい。僕は、僕はただ、にいちゃんと一緒に、仕事をしたかっただけなんだ、それだけ、だったんだ。
血の混じった涙を流して、弟はそう言った。
すっかり軽くなってしまった弟の身体を抱きしめる。
違う、俺だ、俺が悪かったんだ、勝手に目を背けて中途半端に逃げ出した俺が、悪かったんだ。
すまない、すまない、すまない。
そう言えば、弟はお互い様だね、とそう言い薄く笑った、笑ってから、逃げてと、そう言った。
鬼だ、鬼が来たんだ、村人達は皆殺された、父さん達は抵抗しようとしたけど、呆気なく首をとばされた。
僕は父さんたちに逃されて、ここまで走ったけれども追いつかれて、足をもがれた。
痛かったけど、もう、痛いって感覚もないんだ、きっと、もう助からない。
だから、僕のことは置いて、にいちゃんだけでも逃げて、頼むよ。
あいつはまだ近くにいる、だから、早く、音を立てないように、逃げて。
あいつは首を斬っても元に戻るんだ、どこを斬っても元通りで、殺せないんだよ。
だから、逃げて、逃げて、逃げて───にいちゃんだけでも、生きて。
そう言い遺してすぐ、弟の身体からは力が抜けた。
だらりと腕が垂れ下がって、瞳からは光が転がり落ちた。
何度呼びかけても反応はなくて、そうしてやっと弟は今、たった今、ここで死んだのだと理解した。
理解した途端、俺の身体からも力が抜けていくような感覚に陥った。
どうして、村が、母が、父が、弟が、こんな目に合わなければならないのか。
フラつく足取りで立ち上がる、片手には刀を握ったままで、ポケットには己の槌を入れたまま。
フラフラと、確かではない足取りで林を抜けようとする、早くしなければと思うが、しかし足はあまり早く動きはしなかった。
何だか自分の中からごっそりと、大きなものが抜け落ちたような感覚だった。
一歩一歩があまりに重い、どれだけ力を込めようとしても込められなくて、それでも逃げなければと思えば思うほど、涙が目から零れて落ちた。
止まらない、止まらない、止まらない。
絶え間なく涙は流れ続けて、視界はずっと歪んでいた。
何故こんなことになったのか、それだけが頭の中でグルグルグルグルと回り続ける。
いや違う、もう理由はわかりきっている。
鬼だ、鬼だ、鬼が全て悪い、鬼さえいなければ、こんなことにはならなかった。
巡り続ける思考をそのままに、少しづつ進んでいた俺は一つの人影を、月明かりに照らされた誰かを見た。
額の端から禍々しく捻れた一本角が伸びていて、その拳と口元が、凄惨な赤に塗れている。
呆然として、思わず立ち止まってしまった、同時にそいつは俺を見て、そして笑った。
「何だ、まだいたのか」
そいつの手元から何かが落ちる。
血にまみれた何か───人肉が、ボトリと野に落ちた。
あぁ、そうか、お前か。
お前が、やったのか。
静かに問いかけた、酷く冷静に、努めて平坦に、そう聞いた。
そいつは何のことかと少し頭を傾けたが、やがて、あぁ、さっきの村のことか、と言って笑った。
そりゃ勿論俺だ、と。
鍛冶場にいた男は思いの外抵抗してきてうざかったが、その家に居た女は美味かった、逃げ出したガキは少々手間取ったから腹いせに半殺しで放っておいた、と。
勝手に語りだして、このことがどうかしたか? とにやけ面のままそう言った。
腹に熱の籠められた何かが走り抜けるのを感じた、背中を酷く冷たい何かが駆け抜けるのを感じた。
感情のまま、言葉が溢れて零れていく。
あぁ、良い、もう、良い、喋るな。
「ぶっ殺す」
いつの間にか、駆け出していた。
先程まで力の入らなかった身体は嘘みたいに軽くなっていて、感情のまま刀を振り抜いた。
切っ先が、浅く肌を傷つけて血を飛ばす。
鬼が何かを言っているが、耳は貸さない、聞く価値は無い。
空けられた間合いを力任せに食い破る。
勢いよく近づいてもう一度刀を振るう、盾にするように両腕が前に出されていたが関係なかった。
昔から、力と体力だけは人一倍あったんだ。
腕力だけで、ぶった斬る。
ザンッ! と派手な音と共に腕をぶった斬る、悲鳴のような叫び声に煩わしさを感じてそのまま刀を開けられた口にぶち込んだ。
骨すら貫き刀は木へと突き立った、瞬間強烈な一撃が腹へと走り身体が吹き飛んだ。
そうか、そうだったな。
鬼は再生するんだった、あの程度じゃ、死なないよな。
刀を杖のようにして、立ち上がってみれば両腕は既に再生していた。
だが、関係ない、生えたならまたぶった斬る、それだけだ。
再度、走り出す。
叫びながら右の拳を振りかぶったそいつの手前で踏み込んだ左足を捻り、拳を紙一重で躱しながら回転、ちょうど半分まで回った所で右足に全ての回転力を乗せて、回り斬る。
首元と右腕に刃が走る。
首を半分、腕を完璧に断つ、同時に拳が俺の頬を抉るように殴りぬいた。
視界が明滅する、グッと捻られた身体を勢いよく戻しながら刀を振り抜く。
頭部を切り裂き、同時に蹴りが横腹を叩き折って吹き飛ばす、野に全身を擦りながら転がり、それでもすぐに立ち上がった。
頭にあるのは殺意だけだった。
殺意に染まった頭は嫌になるくらい鮮明で、痛みはあまり感じてなくて、鬼の動きが良く見えた。
死なないなら、死ぬまで殺そう。
殺して殺して殺して、殺し尽くせば、いつか死ぬだろ。
そう思って我武者羅に走る、今己に出せる全速力で刀を振るった。
流石にもう警戒されているのか当たりはしなかったが、ようやく俺は刀を振るという感覚に慣れてきた頃だった。
次はもっと上手く振れる、次は斬れる。
トン、と地を蹴って加速する。
それよりもっと早く鬼は動いたが、何とか眼で追えた。
振り抜かれた拳は避けられなかった、だから、受け止める。
左手で受け止めて、潰れていく音を聞きながら刀を撃ち放った。
刀身が、首を貫き血飛沫があがる。
奇妙な声を出したそいつを見ながらそのまま横に刀をスライドさせた。
皮一枚で繋がる首を返す刀で切り返して吹き飛ばす。
けれども頭を失った身体はそのまま襲いかかってきて、それを蹴り飛ばす。
鉄を蹴ったかのような鈍重感が伝わるが、お構いなしに全力で足を振り抜く。
派手に吹き飛び木にあたって止まった体にある、その首の断面へと、勢いよく刀を刺し込んだ。
肉も骨も、全て切り裂き身体を物理的に地に縫い止める。
それでも動く手足を、蹴りだけであらぬ方向へと折り曲げた。
が、それでも死なない。
バキバキと音を鳴らして骨折を直し、ピクピクと身体は動き、未だ生きていると自己主張をしていた。
おぞましいものだな、と思った直後、肩へと鋭い痛みが走った。
何だ、と思えばそこには切り落した筈の頭が、短い手足を生やして、俺の肩へと噛み付いてた。
鋭く尖った歯が、肉を裂く。
反射的に、その頭を掴んだ。
未だ無事な右手で、肩が裂けることも気にせずもぎ取り、小さな手足が俺の腕を叩くことも気にせず、木へと叩きつけた。
何度も、何度も、何度も何度も何度でも。
鬼は何かを叫んでいた、だけどそれは音だけで、声にはなっていなかった。
何度潰しても再生するから、何度も叩きつける必要があった。
既に頭部を失った身体はぐったりとしていた、握った頭部は再生し続けていたが、それも遅々としたものになっている。
それでも死なない、まだ、殺せない。
なぁ、どうやったら死ぬんだよ、と聞いてもそいつは許してくれ、とうわ言のように呟くだけだった。
いや、許すわけが無いだろう。
ハッと笑って叩きつける。
何度骨を折り、何度斬り、何度潰してもそいつは時間をかければ再生した。
これは手詰まりだな、と思った時、朝日が差し込んできた。
もう、随分と時間が経っていたらしい。
これ、どうすれば良いのだろうか、そう思って陽を浴びた瞬間、一際大きな悲鳴が響き渡った。
手元にいる、鬼の頭から発せられたものだった。
光を浴びたところから、たちどころに焼け、蒸発していっている。
身体も同様に、煙を上げていた。
あぁ、そうか、お前、陽の光が駄目なのか。
そう察して俺は一番陽の当たるところへ、ポイと頭を投げた。
頭は、地に着く前に蒸発しきり、身体も後を追うように消え去った。
───終わった、勝った、殺した、仇はうった。
そう思うと同時に気が抜けたのか、今まで感じていなかった痛みが全身へと駆け巡った。
あまりの痛みに、ガクリとその場に崩れ落ちて浅く短く息を吐く。
あぁ、俺はここで死ぬのだと、そう思った。
まぁ仇はとれたし、あの世にいったら、父と母に謝ろう、弟とももう一度話して、それからゆっくりと、また皆で話そう。
そう思いながら目を閉じた。
意識が落ちる瞬間、誰かの足音を、聞いた気がした。
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第二話
なんか生きてる。
目が覚めてから最初に思ったのがそれだった。
確実に死一直線だったはずだが、案外人間って頑丈なんだなという感想を抱き、遅れていや、そうではないな、と思った。
視線を下げれば、視界に入ってくる俺の身体は包帯でグルグル巻きにされていたからだ。
特に原型を失くしたはずの左腕はそれっぽい形に戻った上で包帯が巻かれている。
これから推察するに、どうやら俺は誰かに助けられたらしい。
そういえば確かに、意識が落ちる瞬間足音のような音を聞いた気がしないでもない。
通りすがりの人でもいて、拾ってくれたのだろう。
取り敢えずはそう思うことにして、一見広くは見えない部屋の中、ただじっと家の主が戻るのを待った。
というよりは、それしか出来なかったというのが適切だろうか。
なぜかって言えばそりゃ全身──特に横っ腹が死ぬほど痛いし左腕は微塵も動かなかったからだ。
ただじっと、努めて何も考えないように天井を眺める、これからどうなるのだろうか、という不安はあまり抱かなかった。
目が覚めてから、どこか現実味が湧かないのだ、どこか夢を見ているような感覚がして、意識がふわついている。
ずっと頭の中では昨夜───もしかしたらもっと時間が経っているかもしれないが───の出来事が繰り返されていた。
何度も親と弟の姿を見て、幾度も鬼を殺す己を見る。
もっと早く着いていれば、走って帰っていれば、そう後悔するがその後悔に意味は無いのだと、そうとも思う。
やり直しはきかない、繰り返すことは出来ない、それが現実で、たった一つの答え。
こみ上げてくる吐き気を呑み込んでいれば、不意に扉がガラリと音を立てて開いた。
首を傾ける、外の風と共に入ってきたのは、顔も知らない老人だった。
長く伸ばした白髪を後ろで一纏めにしているおっさんで、こちらと目が合うなりニヤリと笑って言った。
やっと起きたか、おせぇぞ、なんて、まるで知り合いかなにかのように気安く。
条件反射のようにおはようございます、と返せばおっさんは突然こう言った。
これからお前を鬼を狩る剣士へと育てる、と。
いや意味不明が過ぎる。
何言ってんだこいつ? という目で見れば男は軽く笑ってから口を開いた。
曰く、その人並み外れた体力は素晴らしい、剣士に向いている。
曰く、その異質なまでの筋力は素晴らしい、剣士に向いている。
曰く、その強靭な精神は羨ましいくらいだ、剣士に向いている。
曰く、激怒しながらも冷静な判断が下せる、剣士に向いている。
曰く、戦いの才能がある、剣士に向いている。
曰く、曰く、曰く、曰く……。
といった感じで懇々と言葉を重ね、最後に咳払いを一つしてから彼はこう言った。
そもそも、お前さん、この世を未だ堂々と、多くの鬼が闊歩しているのを、赦せるのか?
「赦せる訳、ねぇだろ」
俺は反射的にそう答えていて、男は決定だな、と言って笑った。
それから三ヶ月、怪我を治した俺は家の前でおっさんと向かい合うように立っていた。
所謂修行というやつだ。
おっさんは俺に今度から師匠と呼ぶように、と最初に良い、それから修行というやつは始まった。
師匠は取り敢えず走れ、と俺に言った。
走って走って走りまくって、体力を取り戻せ、と。
それから俺の一日の大半は、師匠に指定された道を走るだけで埋め尽くされるようになった。
流石に三ヶ月も寝込んでいれば相当鈍っていはいたし、そもそもそんなに長いこと走るというのは単純にしんどい。
ただでさえ師匠の家がある場所は山の中腹で、酸素が薄いし、道はちゃんとしたものが無くてガタガタ、獣が出てきたら全力で逃げなければならないのだ。
適当な所で休むことすら出来ず、疲れと恐怖に支配される毎日だったが、二週間もすればそれも慣れた。
元より体力はある方だった、それに加えて成長期なのか、走れば走るほど体力は目に見えて増えたからだった。
後は獣の生息範囲を把握、足音等の聞き取りさえ出来れば難しいことではなかった。
そんな感じで大分余裕になってきた、と言えば師匠は軽く目を見開いて、それからじゃあ次のステップだ、と刀を投げ渡してきた。
慌てて受け取ればずしりとした感触が手にかかる、ちょっと不用意すぎない?
しかし師匠は俺の言葉に耳を貸すことはなく、今度はそれを持った上でここから先を走れ、と今まで走っていた道とは逆の方向を指さした。
逆の方向──つまり方角で言えば北側。
つまり今まで走っていたのは南側だったという訳だ。
北の山は、南に比べれば別世界だった。
一歩踏み込んだ瞬間先の尖った丸太が迫ってくるとかそんなことある?
取り敢えず全治三日だった。
罠の気配を悟れ、師匠はそう言った。
出来るわけねーだろ阿呆か、そう思ったものの一ヶ月経過した辺りでようやく意味が分かった。
罠のありそうな場所、怪しい場所、もし己ならどこにどういった罠を仕掛けるか、そういったことを丁寧に探り、素早く思考しろということだったのだ。
いや言語化するのがが下手くそ過ぎない? とは思ったがまあそれはそれ。
無傷で生還することが多くなってきた頃、師匠はやっと次だな、と立ち上がった。
今度は何をするのだろうか、と思えば師匠は"呼吸"を覚えてもらう、と言った。
呼吸……? いやしてるけど……
そう言えば師匠はしたり顔で違う違う、と首を振り、正確には"全集中の呼吸"だ、と言う。
全身の血流と、鼓動を爆発的に上げる方法らしい。
これを使えるようになればそれこそ"鬼のように"強くなれるのだとか。
師匠は教えるのは"炎の呼吸"だと言った、口振り的に他にも種類があるのだろう、数を聞いたがそれこそ山程だ、と返された。
炎の呼吸というのは九つの型がある、その全てを師匠は見せてくれて、そして俺はその全てに炎を幻視した。
いや、実際に炎を纏っているのか?
良く分からなかったが少なくとも俺の目の前には確かに炎がそこにあった。
俺にも出来るものなのか? と不安げに尋ねれば勿論だ、と師匠は言った。
とにかく肺をでかくして空気を取り込め、魂に炎を宿せ、師匠はそう言った。
後はもう全部感覚だ、少なくともお前にはその方が合っている、そう付け加えて師匠は言葉を少なく、直接身体に触れて教えてくれた。
触れる、というよりは叩いたり無理矢理動きを矯正したり、という方が正しいが。
何はともあれ師匠は熱心に教えてくれて、お陰で型を一通り覚えるのに時間はかからなかった。
魂に炎を宿す、全身の血を高速で張り巡らせる、鼓動を死ぬ寸前まで早くする。
正しく言われたとおりのことをすれば、確かに俺の身体能力は比べるのが馬鹿らしいほど向上して、そして俺は炎を纏った。
師匠に拾われて、一年経った頃のことだった。
師匠はここに来て突然鬼を狩る剣士───通称:鬼殺隊とやらの隊員になるには最終選別とかいうやつを乗り越えることが必要だと語った。
そしてそれに、まだ俺を行かせる訳にはいかないとも。
何をしたら行かせてくれるのか、と問えば師匠はこう言った。
俺に一太刀でも浴びせられたら許可する、と。
師匠との交戦は一日に一度きりだった。
雨が降ろうが雪が積もろうが必ず昼を少し過ぎてからの一度のみ。
そして半年経った今、俺は一度も、掠らせることすら出来ずにいた。
あの人単純に強すぎるし、早すぎる。
俺との練度に差がありすぎるのだ。
我武者羅に刃を振っていては何時まで経っても当たらない。
もっと型を極めなければ、もっと力を、速さを、技術を研ぎ澄まさなければならない。
刀を振るう、何千何万と振り続ける。
架空の敵を視ながら振るう、踏み込む、地を蹴りとばす。
常に思考を張り巡らせる、自ら北側の山へと入り、全ての罠を躱し獣を斬る。
己の感覚を鋭敏にしろ、限界まで尖らせ全てを見てきたかのように察知しろ。
そう自分に言い聞かせながら日々を過ごし、半年が経過した。
いつものように、師匠と対峙する。
全身から無駄な力を抜き落とし、最低限の力で刀を握る。
勝負は一瞬だ、長々と戦えば戦うほど経験の差で潰される。
だから、初手で決める。
最速最高最大の一撃を、刀に籠めて打ち込む。
躊躇はしない、遠慮はしない。
師匠が合図の石を空に放り投げて、ゆらりと刀を構えた。
石が落ちる、静かに息を吸う。
石が落ちた、瞬間、炎を吹き出した。
全集中・炎の呼吸───壱ノ型:不知火
その日初めて、俺の刀は師匠の身体を斬った。
切っ先がほんの少し、身体に触れただけだったが、確かに肉を裂き、血を跳ねる。
師匠はニヤリと笑い、合格だと、そう言った。
最終選別というのは年中藤の花が咲き誇る藤襲山という場所で行われるらしい。
そこには複数の鬼がいて、その中で七日七晩生き残れたら合格だとか何とか。
といってもそう難しくは無いそうだ。
何故かと言えばそこにいる鬼は大したことが無いから。
師匠曰く、鬼の強さとは人を喰った数に比例するらしい。
そしてそこにいる鬼たちはどれも一人二人しか喰っていないのだとか。
まぁそれでも油断だけはするな、絶対に生き残れ。
師匠はそう言って俺に刀を渡した、この刀であれば、鬼の頸を斬れば殺せるらしい。
有難う御座います、とそう頭を下げてから、俺は藤襲山へと歩を向けた。
藤襲山の所謂待機場には既に複数の人間がいた。
見たところどいつもこいつも俺と同じ鬼殺隊志願者のようだ。
皆一様に刀を腰に差しているから、一目で分かる。
こういう職は男ばかりかと思っていたが、思いの外女性も多い。
特にあの、狐の面を付けた少女、あの子は強いな、と直感的にそう思った。
まあ他にもヤバそうなのはいるけどあの子は多分飛び抜けている、そんなことを考えていたら不意に、二つの人影が姿を現した。
少女だった、少なくとも俺の目には、髪と目の色くらいしか違いのない、あり得ないほど瓜二つの少女が映っていた。
少女は交互に喋り出したが、内容は概ね師匠から聞いた話と同一のものだった。
2人の少女は最後に、言葉を重ねてでは行ってらっしゃいませ、と試験のスタートを合図した。
山へと踏み込む、藤の花が見当たらなくなって、途端に雰囲気がガラリと変化、もしくは変質した。
修行で散々走った山の北側に近い雰囲気、だけれどもこっちのはもっと悪質だ。
薄く風に乗る血の匂い、漂う邪気。
あぁ、鬼がいるな、そう察して怯む己ごと柄を握り込む。
今の俺ならあの日より上手く殺せる、震えるな、怯えるな、己の魂に、炎を宿せ。
状況の変化に昂ぶる身体を、精神を沈ませる、ゆっくりと目を閉じ、落ち着かせて静かに神経を張り巡らせた。
悲鳴が聞こえる、肉が斬られる音がする、刀が落ちる音がする、そして、足音が、嫌な気配が近づいてくる───!
ゆるりと肺に空気を溜め込んだ、瞬間、抜刀。
全集中・炎の呼吸────弐ノ型:昇り炎天
刀が纏う白炎が、高速の斬撃によって軌跡を残し、迫ってきていた身体を左右に別つ。
股から真っ二つになったそれの頸を、叩き斬る。
ゴトリと頭が落ちた音がして、再生する間もなく消えた。
殺せるってそういうことか、と特に感慨深くもなくそう思い、同時に思いの外戦えるものだな、とも思った。
どうやら師匠はそれくらい、ガチガチに鍛えてくれていたようだ。
感謝の念を今更ながら捧げていれば、次の瞬間膨大な殺気が肌を焼き尽くした。
つい先程まで得ていた余裕を塗りつぶすほどの殺気、怖気、悪寒。
進めていた足を思わず止める、軽い吐き気がしてそっと木の陰に隠れた。
何となくわかる、この先にいるやつは相当
今の俺で勝てるのか、そう己に問えば返事は返って来ない。
逃げるが吉だな、一目だけ確認して、それからさっさと逃げよう。
そう思ってそろりと見れば、そこらの鬼とは比べ物にならないほど巨大で、異質な鬼がそこにいた。
そしてそいつは、
うわマジ? あんなのと戦うとか正気の沙汰じゃないでしょ……ていうか戦いになっているとか強すぎる、誰だ?
もう少しだけ頭を出して、場を覗く。
目に入ってきたのは、狐の面を付けた少女だった。
彼の少女の戦いは見事だった、今の俺にとって最早理想的とも言える体捌きに相手の動きの予測。
全てを躱し、幾度となく刀を振るう姿はいっそ美しい──が、足りていない。
純粋に力が足りていない、それはつまり、呼吸が足りていないということだ。
鬼を翻弄していながらも刃は通っていない、首を裂くことが出来ていない。
あれじゃ千日手だ、決着がつかない……いや、鬼が勝つ。
体力の差で、間違いなくあの少女は死ぬだろう。
それを俺は、見て見ぬ振りをするべきか? 分かっていながら、見殺すべきか?
自分に問いかける、本能は退くべきだと言っていて、素直に従おうと足を下げた、その瞬間だった。
地をこじ開けて、巨大な腕が幾本と姿を現し少女の身体をその手で握り込んだ────刹那、母を幻視した、父を幻視した、弟を、幻視した。
命を空にされた人達の姿が、脳裏によぎって、同時に師匠に言った言葉が甦る。
赦せる訳、ねぇだろ。
俺の家族を殺した鬼という存在が、未だこの世に存在していることを。
その鬼が、俺の家族のように幾人もの人を殺していることを。
俺は、鬼を滅ぼす。
そう決めた、そう誓った、ならば!
これを、その一歩目にしろ──!
全集中・炎の呼吸───壱の型:不知火
宵闇を、炎が斬り裂いた。
残り火があちらこちらに舞って、異常なまでに発達した腕を切り落とす。
呆けたように口を開いた少女の着物の裾を握り、そっと投げ飛ばした。
あいつ、上手く避けたな、いや、俺が殺気を出しすぎたか。
もっと冷静になるべきだったな、と反省しながら振り向けば、青筋を立てた異形の鬼がこちらを睨めつけていた。
怒ってんの? はは、奇遇だな、俺もだ。
お前個人に恨みは無いけど、俺はもう鬼ってだけで心底嫌いなんだよ。
だから、早く死ね。
鬼が叫んだ邪魔をするなという声を聞き流し、勢い良く炎を散らした。
斬る、斬る、斬る、斬る、斬り続ける。
無限とも思えるほど湧き出てくる異形の腕を幾度も細切れにし続けて、徐々に、確実に歩を進める。
動きを眼で追えないことはなかった、刀を振り遅れることは無かった。
ただし今は、という注釈が付くが。
体力が万全の状態でこれだ、疲れてくれば当然、追えなくなってくる。
早く決めなければ、思えば思うほど焦りが募り、嫌な汗が頬を伝っていく。
そんな俺を鬼が嘲笑い何かを叫ぶ。
が、聞かない、聞こえない、聞く気がない。
ただぶった斬る、ぶっ殺す。
それだけで良い、それ以外はいらない。
そうやって無駄な思考を排除しようとして、それでも苛立ちと焦りが積み重なっていく。
斬り損ねた腕が俺の肩を、腕を、身体を抉る。
肉が落ちて血が溢れるが、まだだ。
まだ、斬れる。
俺はまだ、生きている。
何度も何度も斬り裂いて、そして、やがて斬りきれなかった腕が俺に迫り──そしてその全てが一刀のもとに斬り落とされた。
狐の少女──真菰と名乗った少女は頸を狙って、私が他を斬る、とそう言い前に躍り出た。
何度でも言うようだが、真菰の体捌きや刀の扱いは理想的なものだった。
相手を翻弄し、腕を裂き、足を止める。
二人で行っていたそれをほんの少しずつ真菰への負担を大きくしながら位置を変えていく。
やるなら一撃、それだけで総てを決める。
全集中・炎の呼吸────
集中を高める、構えることも、型を決めることもなくただ呼吸だけを身体に慣らして己の鼓動を早めていく。
地中から飛び出てきた腕をバックステップで躱し肩に刀を担いだ。
真菰が振るう刀に流水を見た、それが、俺に迫る全ての腕を斬り流す。
──ここだ、決めるなら、今しかない。
獄炎が、闇夜をぶち抜いて、異形の身体が斜めに斬り崩れて落ちた。
───まだだ、まだ、頸が落ちていない。
全集中・炎の呼吸───伍ノ型:炎虎
別れて落ちていく全身を全て呑み込むように、噛み砕くように、斬り砕く。
頸を固めるように巻き付いている腕を切り砕き、裸に晒す。
瞬間、水流が頸を断ち切った。
鬼の頸が地に落ちて、やがてその姿がボロボロと少しずつ宙に消えていく。
その頭を見届けながら、気が抜けたようにその場に座り込んだ。
全身が死ぬほど痛い、出ていたアドレナリンとでも言うものが消え失せて全身の神経が正常な働きをしはじめていた。
抉れた箇所が焼けるような痛みを発し、血液が流れ続けている。
そんな俺の隣に、真菰もまた腰を落とした。
彼女はただ一言、有難うと言葉を漏らし、静かに泣き出した。
………!? 何で泣き出した……!?
どうしたら良いのか分からず俺はただ傍に居た、彼女の流す涙が止まるまで、俺はそっと近くにいた。
数分もすれば、真菰は泣き止んだ。
ただ俺に礼を言って、それから折角だし協力でもしようと言い出した。
それ有りなの…? と思ったがそう言えば駄目とも言われていない。
生存率が上がるのは良いことだ、ただ鬼と出会ったら必ず殺す、それが条件だ、大丈夫か?
そう問えば彼女は快く了承した。
そんなこんなで俺たちは七日七晩、二人でこの選別を生き残ったのであった。
朝が来て、待機場に戻った時、十数名いたはずの受験者達はその数を大幅に減らし、俺たちを含めてたったの三人しかいなかった。
生存率が低すぎると、素直にそう思う。
俺と真菰が殺ったやつ以外は大したのはいなかったはずだが……まぁ仕方のないことか。
もしかしたら更にヤバイのがいたのかもしれない、出会わなかったのは幸運だったのかもだな、そう思いながら双子の話を聞いていれば、鎹鴉とかいうやつを貰った。
仕事の指令は全てこいつから貰うのだとか。
便利なもんだな、と思って撫でようとしたら啄かれた、解せぬ。
そんなこんなで鴉と戯れていたら、鋼を選んでください、と多種多様な鋼の入った箱を押し付けられた。
この先使う刀の鋼は自ら選ぶのが決まりらしい。
取り敢えず直感で選べばこれでよろしいですか? と聞かれたので黙って頷く。
そうして全員が選び終わった後は、そのまますんなりと解散となった。
育手の元に帰り、刀と隊服が来るのを待てとのことである。
じゃあさくっと帰るか、なんて思えば裾を引かれた。
何だ、と思って振り返ればそこにいたのは真菰だった。
ひび割れた狐の面を頭の横に付けながら、また会えたら良いね、なんて言う彼女にその時はよろしくな、とそう返してやっと俺は帰路へと着いた。
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第三話
最終選別から二週間と少しが経った。
その間、師匠の元に戻っていた俺に、特筆するようなことは特には無かったといえるだろう。
精々師匠にボロカスになるまでイジメられる日々が続いていたくらいである。
お陰で身体は痛いわゆっくり休めないわで寝不足気味だったがそんな日々もようやく終わりを告げた。
刀が届いたのである。
そう、刀。
俺が鬼を殺すために必要な、唯一の武器。
そんな大切なものを持ってきたのはひょっとこのような仮面を付けた男の人だった。
いや、正確には男女どちらかは仮面のせいで判別はつかなかったが、声音や声の低さといった要素でそう判断した。
男は己を鉄斎と名乗った。
俺の刀を打った鍛冶師らしい。
鍛冶師、という言葉に心のどこかが震えたがそれをおくびにも出さずに内側で捻り潰す。
もう、関係のないことだ、今の俺は、一人の剣士なのだから。
そう思いながら師匠の立ち会いのもと、俺は刀を貰い受けた。
真っ黒な鞘に入ったその刀は、正式名称を"日輪刀"というらしい。
この刀の特徴は二つ。
壱、頸を斬ることで鬼を殺すことが出来る。
弐、持ち主によって刀身の色を変える。
まあ二つ目に関しては深い意味は無いそうだ、ただ黒だと出世はしないと言われているらしい。
何色になるんだろうな、なんて話し合いながら俺に注目する二人に見向きをもせずに刀を抜き放つ。
抜いている最中だった時、銀色に輝いていた刀身は、抜いた瞬間手元から真黒に染まり上がった。
いや、正確にはそれは黒ではなかった、黒でありながら、黒とは言えない。
何というか、とても気味の悪い──言うなれば、色々な絵の具を混ぜ合わせて作ったような、そういう淀みきった黒。
えぇ……汚い……思わずそう呟いた瞬間鉄斎さんに殴られた。
刀には人一倍こだわりがあるらしい、滅茶苦茶キレられて大変だった──いやいい加減殴るのをやめろ! ごめんて!
まあそんなこんなで鉄斎さんを落ち着かせてホッと一息漏らしながらもう一度刀を見つめる。
濁りきった刀身は俺そのものを映し出しているようで、何となくおあつらえ向きだな、と思った。
俺のこの感情は、どう見ても綺麗なものではない、それこそ、この刀の色のように澱みきっている。
鉄斎さんに向かい、有難う御座います、と深く頭を下げれば鉄斎さんは満足したように鼻息をふかした。
同時、帰ってきてから今の今まで一言も発さずただ行儀よく過ごしていた鴉が突然奇声じみた声で人の言葉を発した。
西の町へ向かえ、西の町では夜な夜な多くの人の頭が消えて見つかっている、とそう叫び始めたのだ。
控えめに言ってもうるさすぎる。
うるせぇなと嘴を掴んで強制的に黙らせたら頗る悲しそうな眼をされてしまった。
えぇ……何かごめんな……という気持ちになったがそれはそれ。
何か仕事っぽいんで行ってきます、と鬼殺隊の制服に着替え鴉の案内の元、西の町へと歩を向けた。
未だ陽が上っている内に辿り着いた、鴉の言う西の町は酷く見覚えのある町だった。
いや、控えめな発言は止そう、西の町は俺の良く知った町だった。
もっと分かりやすく言うのであれば、あの時の女将さんがいる町。
あの日からもう数年の年月が流れているが、町自体は大きく変わることなく、そこそこに栄えていた。
だが、町を行き交う人達の顔で、明るいものは少ない。
見知った顔のところに話を聞きに行けば、鴉の言ったとおり、ここ数週間連続で頭のない死体が見つかっているらしい。
被害者は少ないときで二人、多いときは五人以上にも及んでいるそうだ。
しかも老若男女は関係なく、誰も下手人を見てすらいないらしい。
間違いなく鬼の仕業──だが、犯行の糸口が掴めない、どういった基準で狙っているのかすら分からない。
参ったな、完全にお手上げだ、俺は探偵の真似事なんか出来ないぞ。
取り敢えず情報集めついでに女将さんに挨拶でも行くか、と宿に顔を出せば女将さんは居なかった。
すっかり顔馴染みになっていた従業員との再会の挨拶もそこそこに、女将さんは? と尋ねれば彼女はここにはいない、とそう言った。
書き置きを一つだけ残して、一年以上も前に姿を晦ましたらしい。
お陰で当時はてんてんこまいで、最近やっと落ち着いたのだとか。
マジか、そう思うと同時に嫌な予感が背中を這いずり回る。
もしかしたら鬼に喰われてしまったのではないかと、悪寒が心をそっと撫で上げる。
不安を顕にすれば、彼女はそれを晴らすように、噂では駆け落ちしたって話ですよ、とニヤけながらそういった。
噂ではそういう仲の人がいたらしい、何だか拍子抜けやら残念やら、取り敢えずそういうことなら安心っちゃ安心だな、そう笑って俺は一晩この宿で明かした。
そして翌朝、従業員のお嬢さんの、頭のない死体が見つかった。
見つかった死体は計四つ、どれも頭が欠けていて、他に傷という傷は見当たらなかった。
昨日の今日でこれか、町まで来ておいて気付くことすら出来なかった……いや、警戒心が足りていなかった。
寝るべきではなかった、五感を研ぎ澄ませて、見つけるまで一瞬たりとも意識を落とすべきではなかった。
油断していた──いや、俺の考えが甘かった、判断が甘かった、全てにおいて、甘すぎた。
今日の四人の死の責任は、俺にある。
罪悪感を感じながら、処理されていく死体に近づき断面に眼を走らせて、あぁ、そりゃ目撃者がいない訳だ、と納得する。
頸の断面は、あまりにも滑らかだった、腕の良い剣士が、上質な剣で斬りとばしたかのような、断面。
一撃で殺られたであろうことは想像に難くなくて、その事実に身体が震えた。
力任せにできる芸当ではない、明らかに相当な場数を踏んできている、あるいは斬ることに特化している。
厄介だな、そう思うと同時に必ず殺す、とそう思う。
この先死ぬのは鬼だけで良い、俺が必ず、頸をとる。
そう、四つの死体に誓った。
その日の夜は雲ひとつ無くて、まん丸の月が顔を見せていた。
何時もの夜より町は明るく照らし出されていて、裏道や細道でない限りはよく見える。
今夜は誰も殺させない、傷一つ、つけさせやしない。
町の高台、その天辺に座り、静かに目を閉じる。
視覚を意図的に封じることで、他の四つを鋭敏に研ぎ澄まさせた。
微かな吐息、物音、声、殺気、そして、鬼特有の邪気、それら全てを余すところ無く拾い集める。
異常なし、異常なし、異常なし、異常なし───物音。
只人とは思えないほど熟練された、地を踏む音を限界まで殺した足音───!
全集中・炎の呼吸───
高台をぶち抜くほどの勢いで、弾けるように跳び出した。
瓦の屋根を全力で踏み切って、細い裏路地へと躍り出る。
澱んだ黒の刀が歪に月光を反射して、直後宙を焼き払った。
───壱ノ型:不知火
瞬間、金属音が響き渡った。
激しい衝撃と重みが刀に伸し掛かり、それを力尽くで薙ぎ払う。
女物の着物を纏い、笠を深く被った人──いや、鬼が素早く後ろに下がり、俺の後ろで妙齢の女性がヘナヘナと座り込んだ。
女性の泣きそうな顔を見て一瞬言葉に詰まり、絞り出すようにもう大丈夫です、とだけ伝えて早く家に帰るように言う。
というかさっさとここから離れてくれ、衝撃で痺れた手を見ながらそう思う。
守っている余裕はない、殺すことに全てを懸けなければ、俺が狩られる。
直感的にそう思い、急かすように女性を逃がす。
ゆっくりと走り去っていく女性に気を使いながらも、鬼への警戒を緩めない。
近寄らせない、動かせない、それ以上、一歩でも近寄ったら斬り飛ばす。
分厚い刃そのものと化した腕を見ながら、その思いを殺意に乗せる、プレッシャーをぶつけあわせて拮抗を図る。
全集中・炎の呼吸───
意識を研ぎ澄ます、鬼だけに総てを向けて、それ以外の全てを感覚から排斥していく。
下手には打ち合わない、最小限の動きと、最短の行動だけで頸を飛ばす。
心臓を直接鼓膜に当てているのかと錯覚するくらい己の鼓動が頭に響く、血流が今までにないくらいの速さになっているのが解る。
ジリ、と鬼の歩が数尺進んだ音がした、刹那、鬼が消えた。
否、空をぶち抜くほどの速さで眼前に現れた。
早すぎる──だが間に合う、間に合わせる!
───弐ノ型:昇り炎天
焔を纏った刃を振り上げて、既のところで甲高い音が響いて鳴った。
巻き起こった衝撃で笠が吹き飛んでそいつの顔が露見────は?
「女将、さん?」
ぽろりと俺が零した言葉に、女将さんはふふ、と笑ってからえぇ、そうよ、久し振りね、とそう言った。
ゆるりと刃を人の腕へと戻して、何も無かったかのように。
笠の落ちたその額からは、あの日見た鬼のような角は無い。
見た目だけであれば、普通の人とは変わらなかった。
が、先程まで彼女の腕は刃そのものだった、そんなことが出来るのは、鬼くらいなものだ。
つまり、女将さんは、鬼。
認めたくない事実が眼前に突きつけられて、しかしそれを無理矢理呑み込んで、女将さんを見る。
何時からだ、何時から彼女は鬼に───そう思った所で昨日の会話を思い出す。
一年前、駆け落ちして消えたって噂……あれは、つまり間違いで、正確には一年前鬼になって、出ていかざるを得なかった……?
震える声でそう聞けば彼女は正解、と肯定した後に成り行きみたいなものだったと、自嘲するように笑った。
駆け落ちってのもそう大きな間違いじゃない、私に想い人は確かにいて、その人とこの町を出ていく気すらあった。
けれども、その人は鬼だった、言い逃れようもないほどの鬼で、そのことに気付いた時に、襲われた。
襲われて意識を失い、気付けば自分が鬼になっていた。
ただ、それだけのこと。
日の下に出ることができなくなって、夜闇を好むようになり、そして、そしてそしてそして──人が、餌に見え始めた。
心の奥底で、人を食べたいと、そう思うようになった。
そうして何時だったか、衝動には抗いきれず人を喰ってしまい、怖くなって町を出て、けれども何故だかまた戻ってきてしまった。
一人でいることに耐えきれず、知人に会いたかった、話したかった。
ただ、それだけだったのに、ふとしたことから、この町の人間はあまりにも喰いやすいことに気付いてしまった。
己の姿を見れば警戒心など持つことすら無かったから、襲うことがあまりにも容易くて、つい居座ってしまった。
あれだけこの町の人を襲うのが怖かったのに、今ではそんな感情が霞も湧いて出ない。
悪いことだとは分かっている、間違っていることは理解っている、私が、生きているべきではないということくらい、わかりきっている。
でも、死ぬような勇気はでなかった、衝動に抗えるような胆力は持ち得なかった。
私は弱い、弱すぎるくらいに弱い、だから、今夜も人を喰う、喰わねば私は、もう生きていけないの。
ごめんなさい、と彼女はそう言った、そう言ってから、泣きそうな顔で笑った。
──決意が揺らぐ音がした。
彼女の存在や、彼女がくれた言葉は間違いなく今の俺を形成している大きく重い、大切なパーツで、それがそのまま憎むべき悪鬼と成り果てたことを認めたがらない己がいることに葛藤した。
鬼は一匹残らず殺すと、そう己に誓い、また此度の鬼も必ず頸をとると彼らに誓ったというのに、彼女を前にしてそれらは大きく揺らいでいた。
見なかったことにしてしまいたい、知らなかったことにしてしまいたい、けれども、それは出来ない。
刀を握りしめた手が震える、呼吸は大きく乱れ、動悸が激しい。
彼女は既に多くの人間を手にかけている、数多の人を喰らっている、濃く広がる血の匂いがそれを物語っていた。
赦しては、いけない。
赦すべきでは、ない。
だというのに、心は定まらない。
ごめん、ごめんね、ごめんなさいと謝りながらも肉厚な刃へと腕を変貌させる彼女を見て、あれは鬼、憎むべき悪鬼なのだと何度も思い込む。
振りかぶられた刃に、大幅に遅れて刀を差し込み重い衝撃が身体を伝い、弾け飛ぶ。
あまりに重い、あまりに早い、あまりに鋭い。
集中を乱していては勝てないことは解っている、だけど、集中しきれない。
くそ、くそ、くそ!
何で、何で貴方が鬼なんだ、畜生、なんでなんだよ。
振り抜かれた刃と刀をぶつけ合わせ、流れるように威力を逃がす、幾度も幾度も受け止めて、女将さんの眼を見た。
純黒の、美しかった眼は血走り、血のように赤黒く染まっている。
そしてその眦からは、ポロポロと涙が、絶え間なくこぼれ落ちていた。
鍔迫り合ったまま、彼女が口を開く。
どうか、わがままを言わせて、と震える声で彼女は言って、俺は纏まりきらない思考をそのままに無言で頷いた。
貴方がどうしてここにいるのかは分からない、どうして貴方が剣士になっているのかは分からない、だけど、今はそんなことはどうでもいい。
お願い、私を止めて、私はもう、自分では止まれない、止められない。
今だって貴方を傷つけたくはないのに、貴方を殺せという声が心の奥底から響き渡るの、私の本能は、魂は、もうずっと人の血に、肉に飢えて仕方がない!
こうしている間も刻一刻と、私の私と言える部分がすり減って、無くなっていく。
だから、止めて。
私が弱いが為に起こってしまっていることを、他人に止めてほしいだなんて、酷い言い分だとは解っている、だからこれは、我儘。
聞いてくれる?
か細く彼女はそう言った、血のような涙を流し、酷く苦しそうに言ったのだ。
それを聞いた瞬間、ぞわりと全身を何かが駆け巡る。
怯んでいた魂の種火が強烈に燃え上がり、刀を握る力が増した。
酷く雑になっていた呼吸がすっと落ち着いて、意識が洗練されていく。
同時に、あぁ、これが鬼狩りになるということか、と思う。
こうして突然人から鬼に堕とされた人がいる、したくない悪事に、手を染めてしまった人がいる。
そういう鬼も、俺は殺さなくてはならないんだ、その鬼の性根が本当はどれだけ清くても、それを喰い潰すくらい鬼の衝動は激しいもので、それに従わざるを得なかった鬼に殺された人も多くいる。
分かった、あぁ、理解ったよ。
貴方の頸を斬ろう、俺が、この手で貴方を殺そう。
覚悟は決まった、もうこの芯は、揺れることはないだろう。
グッと刀を握り直し、彼女の眼を強く見据えて笑った。
「あぁ、勿論だ。俺に任せろ」
ぽろりと、眼の端から涙が伝った。
すっと息を吸い込み肺を膨らませる、未だに力強く軋み合う刀を力づくで押し込んだ。
擦れた金属音が響き渡って、反動で後退しながらも直ぐ様鋭く地を蹴りつけて迫る彼女を前に、更に深く意識を落としこむ。
全集中・炎の呼吸───参ノ型:陽炎の渦
頭を下げて、そっと一歩踏み込んで、絶え間なく彼女の周りを駆ける。
時に早く激しく、時には緩慢に、己の姿を、宙に残すように。
そして振り下ろされる刃は、俺に当たることが無くなった。
幾度も高速で振られるそれは、しかし掠ることすらせずに、紙一重で通り過ぎていく。
当たらない、当たらない、当たらない当たらない当たらない当たらない!
地を踏みしめながら、構えをとる。
一撃で決める、痛みは与えず、ただ死を贈る。
全集中・炎の呼吸───
瞬間、風が吹いた。
そよ風とか、そういったような自然発生した風ではない。
叩きつけるような、殴りつけるような、そういった意図的な暴力性を含んだ風が、全身を貫いた。
身体が宙に浮く、まともに受けた衝撃が身体をぶち抜いて勢いよく吹っ飛んだ。
なん、だ、あれ。
ゴボリと血を吐き出しながら彼女をにらめば、彼女の周りは暴風が吹き荒れていた。
師匠に、聞いたことがある。
鬼というのは人を喰えば喰うほど強くなり、そうして遂には血鬼術という異能を扱うようになるらしい。
あれが、正しくそうなのだろう。
初めてみた、けれども怯まない、竦まない。
これ以上、彼女に人は傷つけさせない。
走り出す、刹那、彼女は虚空で腕を振り上げて、直後に吹き荒れていた暴風が指向性を持った。
巻き上がった砂が、風の刃を映し出す、が、問題ない。
全集中・炎の呼吸───肆ノ型:盛炎のうねり
螺旋状に刀を振るう、追ってくるように軌跡に炎が残り、迫ってきた幾筋もの風の刃を全て打ち消した。
歩を止めることはない、勢いは殺さず、地を蹴った。
風の槍が脇腹を抉りとばして血を撒き散らす、だが、止まりはしない。
全集中・炎の呼吸───
ただひたすらに、己の意識を深く深く落とし込み、全身の機能を、全ての感覚を限界まで研ぎ澄ます。
彼女が叫びを上げた、それは人のもののようでありながら、やはり鬼だった。
それを見て、魂が大きく燃え広がる。
赦さない、あぁ、赦さない。
彼女をこうした鬼を、俺は絶対に赦さない。
怒りを全身へと張り巡らせる、溢れ出る感情を、洗練させて、力に変えて、刃に乗せる。
奥義──玖の型:煉獄
浄化の炎が全てを焼き尽くし、彼女の頸へと刀を差し込んだ。
血飛沫を浴びながら、そっと、しかし疾く斬り払う。
月光の下に、頭がとんだ。
ごとり、と女将さんの頭は地に落ちた。
既に体の方はボロボロと崩れ始めていて、直に頭も消えるだろう。
刀を仕舞い、頭を持ち上げる。
抑え込んでいた涙がボロボロと溢れ始めて、上手く喋れない。
それでも無理矢理口を開いて、言葉を紡ぐ。
「我儘は、ちゃんと聞いたぞ」
情けない声でそう言った俺を見て、女将さんは薄く口を開いた。
掠れていて、酷く儚げな声だったが、確りとした口調で彼女はただ一言
「ありがとう、ごめんね」
と言って、ゆっくりと、満足げに目を閉じた。
両手にあった重みは、後を追うようにすぐに消え、髪に差していた簪だけが、ころりと手の平に転がった。
酷く叫びたい衝動に駆られ、それをグッと抑え込む。
落ちた着物と、簪を抱え、流れ続ける涙をそのままに、「さようなら」とそう呟いた。
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第四話
負傷を抱えたままフラフラと歩いていたら、藤の花紋を背負った人達に救われた。
お人好しの集団か? と思ったがなんか違うらしい。
彼らは鬼殺隊──つまり俺と同じ鬼狩りに救われた人達なんだとか。
その礼として鬼狩りであれば無償で尽くしてくれるらしい。
いや、受けた恩と返す礼が釣り合ってなくない……?
明らかにお返しの負担がでかすぎるだろ、とは思ったが、まぁ助けてくれるというのだし文句はない。
だが只管治療され、薬を飲み、塗られて寝る毎日というのも流石に飽きる。
話し相手でもほしいな、と思い食事を持ってきてくれた青年に話しかけてみれば、彼は少々戸惑ったものの普通に応じてくれた。
以来、彼とは良く話すようになった、食事以外の時も、暇さえあれば俺の元に来て話し相手になってくれるようになったのだ。
良い人すぎるだろ……そう思いながらも俺は彼の厚意に甘えた、彼の話す話は、どうして中々新鮮なのだ。
あまり、同じ年くらいの男とこうやって話すことが少なかったせいかもしれない、とにかく、俺は彼との話し合い……というよりかは彼の話を楽しみにしていた。
ここで言う楽しみ、とは娯楽としての楽しみ、というだけではなく興味深い、といった意味も含められている。
彼の知識量は正直かなりのものだ、いや、俺の学が無いだけなのかもしれないが。
兎にも角にも彼は多くのことを知っていた、特に、鬼に関しては、話し出せば止まらないほどだった。
鬼どもの首魁にして原初の鬼かつ全ての鬼の始祖、その名を鬼舞辻無惨だと、彼は言った。
こいつの身体に流れる血が入れられた時、人は鬼化するらしい。
というかこいつの血以外の方法で鬼になることは無いのだとか。
あっさりと言ってしまったがつまるところ全ての原因はこいつである。
父が、母が、弟が、女将さんが、同僚になるはずだった剣士達が、罪のない人々が、命を落としたことも。
無辜の人間が、鬼へと道を踏み外すことになってしまったことも。
鬼に纏わることの、その一切合切、何もかもが、こいつのせい。
あぁ、殺すべきだ。
否、殺さねば。
素直にそう思った、同時に抱いた感情はありとあらゆるものを混ぜたようでいて、しかし純粋だったのだと思う。
何故なら俺の心にそれはストンと、あまりにも自然かつ緩やかに、落ちて収まったから。
そうと決まればまずは力をつけるべきだ、あの山にいた鬼相手に死を覚悟した程度の俺が、首魁の鬼に敵うとは流石の俺も考えてはいない。
何事も反復練習、そして実戦。
そうして少しずつ、しかし確実に、前へと進む。
それしか方法はないだろう、飛躍的に力が上がる方法だなんて、ありはしないのだから。
呼吸を身に着け、俺自身の身体が常人から外れてきているのか、はたまた施された薬や処置が良かったのか。
正確な理由は定かではなかったが、しかし事実として俺は三日足らずで傷を癒した。
たかだかそれだけの日数で、あれだけ深くついた刀傷が塞がったことに驚きはしたが、むしろ都合はよかった。
人は鬼と違って傷つけば直ぐには治らない、けれども鬼には及ばずとも早く治れば治るほど、この身を鬼を狩る為だけに費やせるから。
金の入った小さな袋を置き、お世話になりましたと藤の花の家を出る。
当然(と言っていいのかどうかは定かではないが)彼らは金銭の類を受け取ろうとはしなかったが、しかしこれは気持ちの問題だ。
鬼狩りであるからという理由で助けてもらったことには感謝の念しか無いが、それはそれとして何事にも対価というやつは必要だと思うのだ。
彼らがそう思わなくとも、他の誰でもない、この俺がそう思う。
だから、どうか受け取ってくれと半ば強引に握らせる。
ついでに色々教えてくれてありがとな、と伝えてから藤の家を出た。
それから数ヶ月、俺は任務をこなし、それ以外の間は宛もなくただフラフラと旅人のように街や村を放浪していた。
というのも鬼殺隊というのは鴉を通した指令ありきで動いているからである。
それはつまり、俺たち鬼殺隊というのは常に受け身にならざるを得ない組織である、ということに他ならない。
誰かが死ぬ、または傷つく、行方不明となる。
そういった不可解な事件が起きてからやっと俺たちは動き出せるのだ。
だから、まぁ、自発的に動いていたら不意に鬼と遭遇した、なんてことは早々あることではない。
あることではない、のだが──まぁ、確率というのは案外あてにはならないものだ。
沈み込んでしまいそうな夜闇の中、くぐもった悲鳴が耳朶を打つ。
常に集中を研ぎ澄ましてなければ聞き逃していたと思えるほどにか細く、しかし恐怖に震えた声音。
誰かに助けてほしいと願い、絞り出された小さな声が、確かに俺の耳へと届いた。
届いた同時に、地を蹴った。
どこにいるのか、と思うことはなかった。
あの日──女将さんを殺した日から、一分たりとも気を抜くことはなかった。
否、抜ける訳がなかった。
あの日の昨晩、人が死んだのは言い逃れようが無いほどに、紛れもなく俺のせいだったからだ。
これを、俺は傲慢だとは思わない。
俺であれば彼女を止められたのだ。
俺が油断さえしなければ、あの日の昨晩、彼女は殺したくないと涙を流しながら誰かが殺すことはなかった。
お嬢さんたちは、恐怖を覚え、痛みを思い知らされながら喰い殺されることはなかった。
これは俺の──鬼を殺す者としての責任だ。
全力で手を伸ばせば救えたはずの命を取りこぼした、情けなくも大きな責任。
だから二度と、同じ過ちは犯さない。
油断はしない、甘く見ない、常に全てに全力を注ぎこむ。
そうしなければ俺は俺を赦せない。
トン、と軽く地を蹴りつけた。
同時に呼吸をし始める、肺を大きく膨らませ、自分の血流を加速させていく。
全ては
もう一度、今度は強く、地を蹴った。
炎の呼吸──壱ノ型:不知火
少しの抵抗を感じながら、それでも力づくで片腕を切り落とす。
いくら鬼といえども、やつらは基本的に見た目は人とそう変わらない。
どれだけ人外の力を得ようとも、片腕一本無くせば保ち続けていたバランスは容易に崩れる。
更に言えばこの一撃は完全に不意を突いた、理想的な一撃だった。
首を断てればそれに越したことはなかったが、しかしそこまでは求めすぎというものだ。
そう考えながらわずかに崩れた身体の隙を縫うように蹴り上げる。
振り上げた片足は鬼の顎を確実に捉え、その意識を一瞬揺らす。
直後に解放された青年の着物を掴んで引きずるように後ろへ飛び退いて、すぐさま抱えて逃げるように走り出した。
両腕で抱えた青年は、意識を朦朧とさせていて、ぐったりとしたまま浅い呼吸を繰り返している。
ざっと視線を走らせれば、片腕は千切れ、腹には拳大の穴が空いていた。
間違いなく致命傷だった、俺でも分かるほどに、助かりようがない。
間に合わなかったと、思わず歯噛みする。
済まない、と自然に言葉が溢れていた。
俺がもっと早ければ、助かったかもしれなかった。
全ては俺が未熟故の結果だ、恨んでくれても、構わない。
そう言えば、彼はうっすらとその重い瞼を開き、俺の眼見ながら口を開いた。
彼に俺の言葉が届いていたかどうかは分からないが、しかし彼は済まないが、一つ、頼みがある、と跡切れ跡切れに言った。
何でも言ってくれと、返せば彼は、安心したように頬を緩め、それから言った。
殺してくれ、と。
────。
一瞬、喉が詰まる。
彼はもう、自分が助からないと気づいているのだ。
かつての弟のように、既に痛みももう、遠いところにあるのだろう。
それを察して、同時にこみ上げてきた情けなさを押し込める。
迷っている暇はなかった。
鬼は着実に俺たちを追ってきているし、彼だって放っておけばこのまま苦しんだ後に、死ぬだろう。
そう思い、そっと、彼を横たわらせた。
それに気づいて、彼は有難う、とほっとしたように、そう言った。
そうして俺はこの日、初めて人を、この手で殺した。
鬼を殺し、人を生かすと誓った、自らの手で。
濃く広がる真夜中の闇の先からヒタ、ヒタと薄気味悪い足音が耳へと届く。
だがそれでも、激高したまま飛び込むような真似はしなかった。
黒く渦巻く殺意も、怒りも、憎しみも、全て腹の底に沈め、冷静に頭を回し、鬼を観察する。
随分と余裕のある鬼だ。
藤襲山に始まり今に至るまで多く戦ってきた、所謂雑魚鬼と称しても良いような鬼は基本的に知性が飛んでいる。
人を殺す、喰らう、それしか考えることのできない、程度の低い鬼。
それらのような鬼というのは人を──彼らにとっての獲物を逃した、もしくは第三者によって逃がされたとき激しく激昂し言動も粗野になるものだ。
故に余裕がない、戦い慣れているという訳でもないから相手を警戒しない。
例外はあるだろうが大体はそういうものだ。
それを知っているからこそ、緊張感が身体を駆け抜ける。
何故ならその例から漏れるということは、あの鬼がそれだけ戦い慣れているということであり、またそれだけ人を喰らっているという、ある種の証左でもあるからだ。
嫌な予感がチリチリと肌を焼いている。
それを感じながらゆっくりと、沈み込ませるように呼吸を深めていれば、そいつはゆっくりと姿を現した。
当然ながら既に再生しきっていた左手で顎をさすりながら、しかし至極愉快そうに口を開く。
鬼狩りか?──等と聞くのはいささか愚問であるな、然らばこう聞こう。
お前は──
問われたその言葉を切っ掛けに、確信に近い懸念が確信へと変わる。
この鬼は間違いなく多くの人を喰らってきてて、少なくとも一人以上の鬼殺隊と戦い、殺している。
その事実に、腸が煮えたぎるような思いすら感じたが、それでも動揺することはなかった。
世に蔓延っている鬼の、その悉くが鬼殺隊より格下なのであれば今頃とうの昔に鬼も、鬼殺隊も存在しない。
それの意味することは、即ち鬼という存在はこの世で最も優れた力を持つ生物ということに他ならない。
そっと息を吸ってから口に出す。
応える義理は無い、そも、問答する気は元より無い。
お前のしてきたことも、何故お前がそうなってしまったのかも、須らく興味がない。
お前に纏わるありとあらゆることが、心の奥底からどうでもいい。
だから、なぁ、喋るな、もう、口を開くな。
ただ、只管に──疾く、死に晒せ。
炎の呼吸──壱ノ型:不知火
炎の呼吸において壱ノ型は"最速"の型だ。
瞬き一回の内に眼前へと踏み込み、そのまま袈裟懸けに刃を振るう。
急速で後退したやつの身体を切っ先が掠めたのを感じながら滑るように回転、極低姿勢のまま勢いを保ち、跳ね上がるように振りぬけば、その一撃は確かに身体を捉えて斬り飛ばした。
人と変わらぬ色の血が夜闇に解ける、同時に響く浅い悲鳴を聞き流し、更に空こうとする距離を食いつぶす。
炎の呼吸は基本的に攻めの色が強い呼吸だ。
故に守りには入らない、多少の無理があっても強く踏み込み道理を叩き潰す。
今、この場の戦闘において主導権はまだ俺にある。
だからこそ、手の内にある間にその頸を跳ね殺す。
血鬼術など使わせる暇は与えない。
一見我武者羅に見えて、その実隙が無いように刀を振るう。
この接近した距離を維持して抵抗してきたその全てを斬り捨てながら進み続ける──が、それでも仕留めれない、仕留めきれない。
致命的な一撃だけを上手く躱す、むしろそれ以外の攻撃なぞ意味はないと言わんばかりの様子で、そいつは笑った。
笑いながら、口を開いた。
カッカッカ! 随分とまぁ、血気盛んじゃあないか!
それほどまでの殺意を育むにはそれ相応の時間と出来事があっただろう!
何、安心しろ、そこまで踏み込んで聞くような無粋なことを俺はしない!
ただ、なんだ。
そうやって
まるで貴様の方が鬼のようじゃあないか!
そう放たれた言葉を、直ぐに理解できなかった。
瞬間的に思考が止まり、噛み砕くように言葉を呑み込んで、そしてそれから──浅く、笑った。
安い挑発だ、そもそも、俺は俺が侮辱されたところで何とも思わない。
俺はただ、お前らが殺せれば、それでいいのだから。
そのためであれば、それこそお前ら鬼にとっての鬼になっても構わない。
だから、俺が今すべきことはもっと早く、もっと強く、もっと鋭く、もっと正確に刀を振るい、お前を殺すことだ。
呼吸を深く、深く深く深く、どこまでも己の身体に馴染ませていく。
それに呼応するように、宙にたなびく炎は勢いを増していく。
だが、足りない、まだ足りない。
もっとだ、もっともっともっと。
恐れを捨てて、怯みを忘れ、一歩でも多く踏み込む。
捌ききれなかった拳が肩を穿つ、それでも止まらない。
避けきれなかった蹴りが頭を揺らす、それでも止まらない。
止まらない、止まらない、止まらない。
必ずこいつの頸を撥ね殺す。
そうしてついに守りを抜けて振りぬいた刀は頸へと向かい──しかし甲高い音と衝撃と共に、弾かれた。
──!?
一瞬だけ、思考が真っ白く塗りつぶされる。
そんな俺を見て、鬼が笑った。
衝撃が胸を貫いて、視界がグンと変わった。
遅れてやってきた激痛に掌底で吹き飛ばされたと察し、空中で姿勢を立て直して何とか着地すれば、ゴボリと血が吐き溢される。
血鬼術の可能性を考える、だがそう決めつけるのは早計だとも思い直した。
血が上りきっていた頭を落ち着かせ、無駄な力を抜き落とす。
そうすれば、やはり奴はカラカラと、酷く愉快そうに笑って言った。
あぁ、良い、良いなぁ! とても見事だ!
一瞬の動揺を呑み込み慌てることなく構え直し、俺の能力を判別するために防御と回避に徹するように神経を尖らせている!
前の奴にはできなかったことだ、ただ動揺したまま死の運命を享受した!
故に、見事だ! さぁ、もっと楽しませて見せろ!
そうして鬼は地を蹴った、その速さは、さっきの比じゃない。
だが見える、どう動き、どこを狙っているのかを見過ごすことはない。
腹の底でどす黒く燃え滾る感情を、努めて抑え、振りぬかれた腕に合わせて刃を振るう。
断ち切る為ではなく、受け流すために角度を変えて、激しい火花を上げながら拳をやり過ごしながら思考を回転させた。
明らかに表皮の硬度が上がっている、鬼というのは人を喰えば喰うほど、つまり強くなれば強くなるほど身体は、頸は硬くなるというが、しかしこいつには当てはまらないだろう。
俺は先ほどまでこいつの腕をズバズバと斬り飛ばしていたのだ、となればやはり、ああなった絡繰りは間違いなく血鬼術にある。
そうなれば自然とその正体もわかるだろう、些細な違いはあれど。やつの血鬼術は純粋な身体の硬化だ。
至極単純、だがそれ故に歯噛みする。
最初の一撃から今に至るまで、俺は全力で刃を振るい、限界まで呼吸を深めていた。
だがそれでも弾かれた、即ち今の俺にやつを殺す手立ては無い、ということに他ならない。
ここで刃以外の手段、例えば爆薬や銃などがあれば話は違ったかもしれないが、生憎俺はこの刀しか持ち得ていない。
つまり、一般的に言うところの詰み。
だが、諦めるということは、あの日抱き、今も俺の内を破らんとばかりに吠える己の獣性が赦さない。
あの日、己が立てた誓いが赦さない。
どのような力でさえ、どのような絶望でさえ、諦めることは赦さない、赦されない。
斬れぬなら斬れるまで刀を打ち付けよう、その頸が落ちるまで呼吸を深め続けよう。
振るわれた拳を躱して弾き飛ばす、流れるように迫る蹴りを叩き飛ばす。
未だ鬼は何かを言っていた、だがもう、何も聞こえない、聞く気が無い。
ただ只管に集中力を上げ、静かに、しかし力強く息を吐いた。
炎はより強く、燃え上がる。
刀と拳がぶつかり合って、激しい火花と共に金属音が響き渡る。
接近されすぎず、されども離れすぎず、適度な距離を常に保ち続けながらも拳を捌く。
当然、俺の振る一撃は頸を跳ねるどころか傷一つつけることすらできずにいた。
元より余裕を持ちながら戦える敵でもない、故に長引けば長引くほどこちらが不利だったが、しかし焦燥感だけは感じなかった。
あるのはただの殺意だけ、それだけ只管研いで、磨いて、己の芯に据える。
深まる集中が、精度を上げる呼吸がそれを熱し、焼き上げる。
どこまでも強く、どこまでも熱く、己の全てを燃やし尽くすかの如く。
そうして幾度も振り続けた刀は、ついに鮮血を走らせた。
浅くではあるが、しかし確かに肌を裂き、そして鬼は目を見開いた。
直ぐに傷は塞がったが、それでもやつはそこに目を向けてから、これ以上ないほど嬉しそうに笑った。
クク、クカカ、カッカッカッカッカ! 素晴らしい! これまで五十と八の剣士を殺したが、この状態の俺に傷をつけたのはお前が初めてだ!
良いぞ善いぞ好いぞ! もっとだ、もっともっともっと! お前の力の底まで全部俺に──と、そこまで言ったやつの口へと刀を突きたてた。
ズブリと肉を裂き、そのまま斬り払う。
その醜く歪んだ口元からパックリと真横に裂き、そのまま両の目を指で貫き抉り、斜め前方へと投げ飛ばす。
刹那、鬼の拳は肥大化した。
いや、正確に言うのであればその両拳はまるで金属をがさつに集め凝縮したような、巨大な槌とでも言える形状へ変質したのだ。
それを見ながら、しかし退かない。
強く地を踏みしめ柄を握りこんだ。
全集中・炎の呼吸──弐ノ型:昇り炎天
鈍重な一撃が刀を通して全身へ、一瞬だけ駆け抜け──そして、その一撃を斬り裂いた。
炎が揺らめき散って舞う。
クカカ、と幾度目かの笑い声が耳を打つと同時、刀を振りぬいた。
全集中・炎の呼吸──捌の型:迦楼羅の炎
ゆるりと焔は燃え上がる、防御をするかの如く持ち上げられた脚ごと首を半分裂き、高速で斬り返す。
頸に刀身が張り込む瞬間、あぁ……やっとか、という安堵にも似た言葉を聞いた。
頸が跳ぶ、血飛沫と共に呆気なく。
けれどもこれまで会ってきた鬼のように、直ぐにその身を塵に還すことはなかった。
それだけ強かった、もしくは生命力が高かったということだろう。
まぁそれも関係なく、直ぐに消えるだろうが。
頸の落ちたそこへ歩み寄る。
そうすればやつはいやに安らかな表情で、こともあろうに礼を言おう、と言った。
この身が鬼へと堕ちてから今日まで三年と六か月。
俺は俺より弱いやつに負けることだけは赦せなかった、だからこそ来るものを殺して、殺して殺して、時には今宵のように喰らい、そうしてようやく
あぁ、良かった、俺は満足だ。
これで、やっと、死ねる──。
そう言ったやつの頭に刀を捻じ込んだ。
巫山戯るな。
貴様がその、くその役にも立たん下らぬ誇りの為に、何十何百の人の未来を奪ったと言うのであれば。
貴様にはもう、赦される余地はない。
地獄に堕ち、その罪を永劫を以て償え。
そう言うと同時、鬼は静かに、跡形もなく滅んでいった。
ふと、身体が落ちていたところを見れば、そこには幾つもの刀の鍔が落ちている。
やつが喰らったという、剣士たち──先輩方の物だろう。
数もピッタリ五十八だ。
それを全て袋に詰めて、悪いがよろしくなと鴉に持たせる。
遺品を見つければ、鬼殺隊の方で作られた墓所へ送るのが基本的な決まりだ。
これだけ数がある為、何回かに分けようかと思ったが、鴉が問題ないとバタバタしたので全て持たせれば鴉は直ぐに飛び立った。
その姿を眺めながら名も知らぬ先輩方を思い、どうか安らかに、とそう願った。
この主人公煽り耐性ゼロどころかマイナスに振り切ってんな……
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第五話
って思ったけど今更だな……
それからもフラフラとしていれば、鬼殺隊に入ってからあっという間に半年が経った。
最初の内は随分と色々あったような気もするが、しかしここ数ヶ月と言えば特段代わり映えしたことも無かったと言えるだろう。
来る日も来る日も鬼を殺す、ただそれだけだ。
強いて変わったことを言うのであれば、階級が上がったということくらいだろうか。
なんと一番下の癸から一気に何段も飛ばして上から四つ目の丁である。
は? いきなり上がりすぎなのでは? と思ったがまぁこんなものなのかもな、と思い直す。
鬼殺隊の頂点だという"柱"になる条件でさえ、鬼を五十匹討伐する、というものがあるのだ。
正直ちょっと緩いな、とすら思うがしかし、それは鬼殺隊の隊士の死亡率がどれだけ高いのかを物語っている。
俺でさえ半年で五十は優に殺しているのだ、となれば鬼殺隊の隊士のほとんどは半年も生き残れない、ということに他ならない。
隊士になるための試験ですら三人しか生き残らなかった(飽くまで俺の場合は、であるが)のにこの死亡率だ、鬼に対して人が、どれだけ無力なのかがよく分かる。
故に生き残れたやつはちょっと甘めでも上に上げてやろう、ということなのだろう。
誰も彼もが鬼への恨み辛みで戦える訳ではないし、そもそも殺し合いなんて下手すれば余裕でトラウマとなりかねない。
要するにモチベーションの維持というのは必須である、ということだ。
それをこの鬼殺隊の偉い人というのは良く分かっているのだろう、かく言う俺も、そのお陰で懐に困ることは無かった。
え、お前そんなに使うことある? と思うかもしれないがこれが意外と使う。
一定の場所に住んでおらず、あちこちフラフラしている為、街では基本宿屋を使うし、仕事柄頻繁に衣服を買うことになるのだ。
怪我なら直せばいいが、あんまりにも酷い破け方をした服は直すより買った方が早い、という訳である。
まぁそんなこんなで最近と言えば、鬼を相手にするときと平常時での切替も上手くできるようになったし、一般的なところの順風満帆な日々を送っていた。
いやまぁ、殺し合いを日常的にしている以上、順風満帆とか言って良いのかと言われれば返答に悩むところではあるのだが。
それでも俺は現状にそれなりに満足している、という訳だ。
そんなことを考えながらザクザクと、木漏れ日が良く落ちて来る森の中を踏みしめるように進んでいく。
何故そんなところを、と言われれば当然、次の任務地がここから更に北にある街だからである。
別にこの森を通らなくても良かったのだが、しかし今回は少し事情があってこうしていた。
というのも、いつもはどこそこの街へいけ! だったりこのような噂がある! 調べろ! と言ったような雑な指令しか出さない鴉が、珍しく通る道まで指定してきたのだ。
流石に従わない訳にもいくまい、そう思った結果がこれである。
特段不満は無いがしかし、この森一日で通り抜けられるような森じゃあない。
わざわざ近場の街で地図まで買ったが、メチャクチャ広いのだ。
ただでさえ此処までたどり着くのに半日使っているというのに、その上後数時間も歩いたら野宿の準備をしなくてはならない。
師匠の下にいた頃は山の中で一晩二晩明かすなんてことは平気でやっていたから特に問題はないが、あまり気は進まない。
普通に疲れが落ち切らないのだ。
宿屋等と違い、森は密閉されなさすぎている、故にどれだけ力を抜こうと思っても無意識的に緊張してしまう。
それは決して悪いことではないが、しかし安心できないというのは結構しんどいものだ。
……まぁ、文句を言っても仕方がないのだが。
気を抜けば軽く愚痴を零してしまいそうな口を閉じながら黙々と歩けば夜はあっという間にやってきた。
森の中、ということも相まって暗くなるのが早い。
この状況で進んでも、何かあった時の対処が遅れるな、と思い足を止め、適当に焚き火を焚いてから木に背中を預けて非常食を食む。
雑だが何だかんだこれが一番楽で良い。
なにせ後は寝るだけで良いのだ、深く休めない分長く休もうという魂胆である。
その他のことはもう、明日街に着いてからでいい。
そう思ってそっと眼を閉じれば不意に、足音が耳朶を打つ。
瞬間刀を握る、若干遠のいていた意識を引っ掴み、集中を下へ下へと落とす。
鬼であるか否かは取り敢えず置いといて、音が聞こえる前から気づけなかった、ということに冷や汗を流した。
今の今まで俺は一瞬たりとも警戒を緩めていなかった、その上で、音がしっかりと聞こえるまで存在を把握できなかったのである。
間違いなく獣ではないし、また低級の鬼でもないと察する。
というか鬼の気配は結構分かりやすいものだ、となれば、人?
まぁ何にせよ只者じゃあないな、と何時でも抜けるようにした瞬間、視界が黒に染まった。
──!?
夜の闇ではない、ほのかな暖かさを感じて、目隠しされたことに気付き汗が背中を流れていく。
嘘だろ……と内心そうつぶやく。
今、限界まで警戒していたにも関わらず背後を取られ、視界を隠されるこの瞬間まで気付けなかった。
その衝撃に身を動かせない、否、そうでなくとも動かすことは出来なかっただろう。
そこまで考えたところで、何をビビっているんだ、と思った。
同時に意識を静かに研ぎ澄まし、呼吸を整える。
深く、深く己の中に潜るように息をして、柄を握り込み──そして「だーれだっ」という女性的な声が鼓膜を揺らした。
瞬間、これまでの思考が全て無駄だったということに気付く。
次いでそのあまりにも聞き覚えのある、ちょっとだけ懐かしい声に呆れたような笑みが零れ、それを自覚しながら口を開いた。
「あんまり人を驚かせるような真似はよせ、真菰」
そう言えばせいかーい! 良くできましたっ、なんて声と同時に視界が開けていって、若干の眩しさを感じながら振り向いた。
そうすればそこにいたのは、やはりといいうかなんというか、取り敢えず予想通り、狐の面が特徴的な女の子……つまり真菰であった。
こんな悪戯をしてくるような娘だっただろうか、ふとそう思ったがいや、意外とこういうやつだったな、と思い直す。
藤襲山の時もじゃあご飯作るね、とか言って正体不明の謎の草とかを食わせてきたような奴だ(これについて彼女は食べれるって知ってるものしか渡してないよー、と最終日にバラして笑っていたが)。
むしろこの程度じゃまだ何か狙っているのでは? と思って良いまであるくらいだ。
そう思って少し警戒すれば彼女はもう何もしないよぅ、と口をすぼめる。
まぁ普通に信用ならないがこのままでは話も進まない、仕方ないな、とため息を吐いてから、何でここに? と聞けば彼女は勿論、任務だよーと言った。
目的地はここから更に北の街なんだってさ、珍しく鴉さんが道まで指定するから驚いちゃった、と。
……え?
どうやら、俺と真菰にくだされた任務は同一のものらしい。
二人で話し合った結果、その結論に辿り着いた俺達は一先ず二人で行動することとなった。
特段別行動する理由もしない理由も無かったからである。
それに二人でいる方が何かと不便が無くていい。
例えば野宿する際も警戒しながら浅い眠りにつかなくても良いということである。
そんなこんなで二人で協力しあっていれば北の街にはあっさりと着いた。
第一印象で、人が多いな、と思う。
それだけ大きな街なのだ、鬼も隠れ安くていいだろうな、と思いサクサクと人の間をすり抜けるように歩いていく。
鴉の案内は既に無くなっていたが、俺は取り敢えず宿を取りたかったのだ。
安くていい宿は直ぐに部屋が埋まるのだ……故になるべく早く取りたい……
そう思っていれば不意にクンッと軽い力で裾を引っ張られた。
何? と思えば真菰が少しだけムスッとした顔をしながら伸ばしきった手で俺のことを掴んでいた。
……何? 数秒前に思ったことを繰り返すように口に出せば彼女はその小さな口を開いて短く「歩くの、早い」と言う。
それに一瞬ポカンとして、それから済まない、と反射的に口にした。
すっかり単独行動が板についてしまっていたな、と頭をかいてから隣に並ぶ。
そうすれば彼女は満足げに「よろしい」と言ってからゆっくり歩き出す。
それに合わせるように歩幅を調節していれば、不意に肩に手を置かれて「待たれよ」と声をかけらた。
考えるより先に振り向けばそこには一人の男が立っていた。
灰色の髪に黒いまなざし、その立ち振る舞いにはまるで隙はなく、刀か何かを入れているような長い荷物を背負っている。
それを見て、ふぅ、と息を吐いてから全身の緊張感を解かした。
聞かずともわかる、彼も鬼殺隊だ。
そのことを言葉以上に、身に纏った制服が物語っていた。
故に一瞬強めた力を抜けば、彼はそなた等もこの街の鬼を狩りに来たのであろう? と口にした。
その言葉に、一度真菰と顔を見合わせて、それから肯定すれば彼は更に言葉を重ねて言った。
であれば話さなければならないことがある、こちらに着いてこい、と。
木立の中で、男は己を獅童道真と名乗り、それから自分は今より七日前にここへと辿り着いた、と言う。
七日前──随分先だな、そう思えば彼は弱弱しく笑い、自分は既に鬼とも戦った、と告げてから更に言葉を続けた。
今より五日前、自分を含め、この街に集まった三十の隊士により討伐作戦が開始された。
空には半月が薄く輝き、何故かと言われれば言葉にし難いが、それでも気味の悪い夜のことだった。
標的の鬼の情報は無かったが、それでもその鬼の配下が少なくとも二十以上の鬼はいるということだけは分かっていた。
鬼は基本的に群れないが当然例外は存在する、とはいえここまで大規模なのは聞いたことが無いと聞いたが。
故に自分たちは気を抜くことも、慢心することも無く討伐に挑み──そして、自分以外の隊士は、全滅した。
鬼の数はこちらの想定を大きく上回っていた、二十や三十なんて規模ではない、軽く百はいた。
だが、それでも自分たちは折れることは無かった。
自分たち鬼殺隊は皆基本的に単独行動だ、故に確かな連携は取れなかったがそれでも皆が一定以上の実力者だ。
退いてはならぬと誰かが叫び、皆がそれに同調して刃を強く振るった。
……今思えば、恐らくそれが良くなかったのであろう。
自分たちは熱に浮かされたように、斬って、斬って、斬って、斬って、斬り続け、徐々に、そして静かに数を減らしていった。
濁流のように溢れてくるその鬼共のほとんどを蹴散らした時にそこに立っていた隊士はたったの四人。
当然、自分含め全員が虫の息だった。
血と汗と疲労感、そして負傷によって視界は霞み、身体はあまりにも重い。
首魁に辿り着く前に、自分たちは満身創痍にまで追い込まれてしまったのだ。
一旦退却すべきだと、そう思ったがしかし、ここで仕留めなければという思いを持つ自分がいたのも確かだった。
味方の恨みを晴らすべきだと、そう強く思い、しかしそれは味方の怒声によって消し飛ばされた。
逃げろ、と先輩にあたるその人は言い、濃い闇の先から現れたそいつに向かって刀を構えた。
そいつは真っ青な長い髪を、足元まで伸ばした妙齢の女性のような鬼だった。
一瞬だけ目を奪われて、そして遅れて焦がされるような恐怖が心を縛り付けて足を止めさせる。
しかしそれを振り払うように、他の二人が自分を見てから刀をグッと握りしめて言った。
生き残り、情報を持ち帰れ、と。
その言葉にハッとして、そして自分は、無様に逃げた。
荒い呼吸をそのままに、背中越しに聞こえてくる剣戟と悲鳴、肉が裂け、潰される音を聞きながら、それでも逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げた。
そうして自分は藤の花紋の家に逃げ込み、この四日間傷を癒すことに専念した。
あの鬼を必ず、滅するために。
そしてそうするには自分だけでは足りないということは分かっていた。
流石にそこを見誤りはしない、君たちのことを待っていられたのがその証拠だ。
だから、頼む、と言った後に獅童はもう一度、大きく息を吸い込み言った。
自分に、力を貸してくれ、と
いやまぁ、俺達も任務で来ている以上断るなんて選択肢はないのだが、それでも俺は彼の言葉に勿論、と頷いた。
それに続けるように、真菰が一緒に頑張りましょうね、と言えば、彼は助かるよ、と小さく零した。
それじゃあ一先ず情報を整理しましょうか、と真菰は笑って口を開く。
それに頼む、と返せば彼女は任されました、と紙と筆──ではない、何だそれ?
思わず口に出せば彼女はあれ、見たことない? 鉛筆だよーと言ってからサラサラと紙に文字を書いていく。
えぇ……何それめちゃ便利じゃん……すげぇ……
そう思い呆けていれば彼女は田舎者だなぁ、と言って笑い、獅童に質問しながらも手早く今の話の要点だけ書きあげた。
敵情報
壱、鬼の本拠地はここから数刻で着く山(通称:薄天山)
弐、鬼は複数いたが、現在はその数を大幅に減らしている。
参、それらを纏め上げていた事から首魁の鬼は相当強力な力を持っている。
肆、首魁の鬼の能力は不明、だが恐らくは他の鬼を従えさせることのできる力がある。
味方情報
壱、戦力は私たち三人のみ。
弐、呼吸はそれぞれ炎、水、雷。
こんなところかなぁ、と彼女は言い、まぁそんなもんだろ、と返事をする。
情報の整理と言っても書き上げてしまえばこんなものだ。
ぶっちゃけ大して役には立たない。
これで仲間がもっと多ければそれも違っただろうが、生憎真菰が書いた通り俺たちは三人しかいなかった。
と言っても全員が共通の理解をできたのは大きい。
ちょっとした理解の食い違いのせいで最後の最後に台無しになる、なんてことになったら目も当てられないし、そういったことはままあることだ。
そう考えていれば、獅童が最低限の役割分担だけでもするべきだろうな、と言った。
その言葉に、そうだな、と肯定する。
特別、相手の戦い方を知らずとも呼吸さえ分かればある程度の戦闘の仕方というのは分かる。
例えば俺であれば炎の呼吸、故に攻めの色が濃く、避ける、守るより攻め続けるような戦い方をする人が多くなる。
それに比べて水の呼吸は非常に柔軟で、どのような敵、どのような状況でも上手く対応できる、言ってしまえば臨機応変な戦い方ができる人が多い。
そして雷の呼吸はその二つとも似通らない。
雷の呼吸の基本は居合にある、要するにこの呼吸の使い手は滅茶苦茶早い──という面ばかり目立ちがちだが、実のところこの呼吸の本質は速さにはない。
居合というのはそもそも如何にして近間から接近してくる短刀使いを相手に普通の刀で対抗するか、という問題に対する一つの回答だ。
であれば猶更速さなのでは、と思うかもしれないが、それは違う……というよりは少しずれている。
居合という回答の本質はその気迫──つまり間合いの近い敵の戦意を気迫だけで折る、というところにある。
だから雷の呼吸の使い手というのは、相手を怯ませた上で一撃決殺を主とした戦い方をする者が多い。
これらを基に考えれば、基本的に真菰と獅童が雑魚を相手して即全滅させる。
その間、階級が一番上の俺が親玉を相手取り、雑魚を殺した後は俺と真菰で隙を作りあげ、その瞬間獅童が討ち取る、という形で良いのではないだろうか。
相手の鬼も逃げたやつがいたということくらいは覚えているだろう。
それをアピールした上で、未だ負傷しているが無理して出てきている為、あまり役に立たない、とでも思わせておけば油断も誘いやすい。
どうだ、と聞けば獅童はそれで自分は構わないと言い、真菰は本当、鬼を前にした時以外は意外と理知的だよね、と笑った。
いや喧しいわ。
先日歩いていた森とは違い、酷く鬱蒼としていて、日の光が入らない山中を突き進む。
正直山の森ごと焼き払おうかとも考えたが、現実的ではなかった上に、森を焼き払うとか普通に一般市民の注目を集めてしまう以上、あきらめざるを得なかった。
突拍子の無いことを考えるものだな、と獅童に驚かれたのが記憶に新しい。
因みに真菰は阿呆か、と言わんばかりの顔でため息を吐いていた。
こちらは割と本気だったのだがまぁ、仕方ない。
そう割り切り、地を踏みしめ前へと進む。
森の中は鬼の放つ雰囲気……邪気とでも言うべきもので満たされていた。
と言ってもそのほとんどは既に討伐されたのだろう、故に過剰なまでの警戒はしない。
いつも通り、呼吸を身体に馴染ませ集中を奥底へと落とし込んでいく。
空気の揺れを肌で感じ取る、どれだけ小さな息遣いも聞き逃すことなく、慎重に、しかし迅速に足を運ぶ。
その状態をどれだけ継続しただろうか。
ヒリつくような邪気を肌が感じ取る、次いで鼓膜が空気の揺れを拾い上げ、瞬間踏み込んだ。
炎の呼吸──壱ノ型:不知火
姿を現したそれに向かって焔が宙へと舞い、軌跡を残す。
それに沿うように一つの頸が呆気なく跳ねて跳び、それでももう一歩踏み込もうとして──雷光が、瞬いた。
爆風で草葉が舞い上がる、それに少しだけ遅れて上から頭が三つ、落ちてきた。
──速い、な。
散々薀蓄を垂れ流しておいてアレだが、正直想像を絶する速さだ。
あれで普通の人間を名乗るとか嘘だろ……そう思っていれば真菰がまだ! と叫んだ。
一瞬緩みかけた気を入れ直す、同時、複数の鬼が影の中から飛び出してきた。
目算で九匹といったところだろうか、随分と多いな、と舌打ちしてから刀を振るう。
走る雷が取りこぼした頸を跳ね飛ばし、その俺たち二人を支えるよに水流が地を這い空を舞い──しかし、それでも鬼は次々とその姿を現した。
雑魚鬼ばかりであったがしかし、数が多すぎる。
どうなってんだ、と獅童に叫ぶが彼も困惑したように分からない、と悲鳴のような声を上げて刀を振るう。
その様子を見て、俺たちを嵌めたという訳ではなさそうだとは思うが、だとしたらこの状況は何なんだ、と奥歯を噛み締めた。
斬っても斬っても次が湧いてくる、それこそ、獅童の口から聞いた数日前の戦いのように。
鬼を増やした、ということはないだろう。
まさか鬼の親玉の場所が分かっておいて、俺たちを派遣するなんてことはありえない。
となれば──ここの首魁の、血鬼術か?
そう考えるとすれば、その効果は何だ、そう頭を回しながら目の前の鬼を斬る。
今更この程度の鬼に苦戦することはなかった、ただ作業のように斬り倒し、先へと進む。
鬼が増えてきたということは少なくとも首魁にも近づいてきているということだろう、そう願望にも近い確信を抱きながら、只管鬼を斬り続けていれば、声が、聞こえた。
戦いの最中でありながら、しかし刹那の間でも耳を奪われてしまうような美しい旋律を奏でる声。
それを自覚した瞬間舌を噛んで抜けそうになった気を入れる。
作ってしまった隙を狙って振るわれた腕を斬り飛ばしてから頸を飛ばし、それから更に地を蹴った。
炎が散る、動きを停めた獅童と真菰の前にいた鬼の腕を斬り上げれば二人がハッとしたように目を見開き、遅れながらも刀を振った。
雷光が弾け、水流がうねる。
それだけで眼前の鬼の頸は呆気なく斬り落とされたが、しかし状況に反するように酷く穏やかな笑い声と共に、そいつは姿を現した。
暗い影の中にありながら、しかし薄っすらと光を発しいているようにも見える女性の鬼が、ゆっくりと口を開く。
「あら、またお客様なのね? でもごめんなさい、この山は今出入り禁止なの……」
冷や汗が、そっと流れ落ちた。
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第六話
※もし見つけたらこっそり教えてネ!※
──だから、お眠りなさい。
下弦の弐と刻まれた、吸い込まれそうなくらい深い藍色の瞳を俺に向け、そう言った鬼は、艶やかな──酷く、恐ろしさすら覚えるような艶やかさを振りまくような鬼だった。
その口から紡がれる一音一音がこちらの心を甘く、柔らかく、そして優しく蕩かすようで、この異常な状況にありながら、気持ちがふわつくのを抑えられない。
ほんの少しでも隙を見せれば、それだけで魂を持っていかれる。
確証はなかったが、しかしそう確信できるほどの、言葉だけでは形容しがたい異様な"何か"がこの場を染め上げていた。
ジリリ、と地を擦るように少し下がると同時、直上から何か──否、鬼が現れた。
当然、眼前にいる鬼とは違う、別の鬼!
まだいたのかよ、と吐き捨てながら身を捻り、刃を振るう。
肉厚な頸に刀身が入り込み、斬り捨てると同時に地を蹴りつけた。
いつになく嫌な予感が全身を隈なく走り抜けている、身を焦がすような焦燥感が頭を埋め尽くしていて、早く仕留めなければと頻りに警鐘を鳴らしていた。
故の疾駆、故の剣閃。
だがしかし、そのどれもが届かない、そも、近寄ることすら許されない。
まるで最初からそこにいたと言わんばかりの鬼が波のように押し寄せてくる。
数というのはある意味で最も大きな力だ。
一匹一匹が貧弱でも、束になられると不利も良いところ──だが、それでも俺は止まらなかった。
焦燥感が、何もかもを焼き尽くす。
それに呼応するように炎は激しさを増し、比例するように動きは早くなっていく。
だが足りない、まだ足りていない。
もっとだ、もっともっともっともっともっと──!
いつしか、音は聞こえなくなっていた。
己の息遣いも、肉を裂く音も、直ぐ傍で戦っている筈の真菰達の戦闘音も、蒼髪の鬼の声ですら。
耳に届くことは無かった、けれども不思議とそれに違和感を覚えることは無かった。
ただ視界を埋める鬼の群れを斬って斬って斬って押し通る。
明らかに冷静さを欠いている、己の理性的な部分がそう言うが、それでも構わないと思った。
何故だか霞んでくる視界をそのままに、殺意と本能だけを剥き出しに刀を振るう。
肉を断つ、血が跳ねる。
前へ前へと地を踏みしめる、全てはあの──あの?
あの……なんだ? 俺は今、何をしようとしていたんだっけ?
回っていなかった思考が急に回りだす。
ガラン、と握っていた刀を落とし、それから更に疑問符を浮かべた。
見たことのない刀だ……どうして俺がこんなものを?
何か情報は無いかと下げていた視線を前へと戻し、キョロキョロと見回してみるが何もない。
前も後ろも右も左も、上下すらも何も無い、俺の目は、何も映さない。
そのことに気づき、村の近くにこんな場所あったっけ、とそう思ってから、いや違うだろ、と思い直した。
あるかないかの問題ではない、仮にあったとしても、どうして俺はこんなところにいる?
おかしい、何かが変だ。
何か大切なことが、あったような──。
「にいちゃん」
不意に、声が響いた。
そして同時に、思考がビタリと止む。
全身から汗がぶわりと滝の如く噴き出して、呼吸が浅くなっていく。
激しい心音が耳朶を打っていて、それがどうしてなのかも分からず振り向いた。
そうして視界に入ってきた声の主は──やはり、弟だった。
そのことを完全に認識すると同時に猛烈な吐き気が身を襲う。
チカチカと視界の端が明滅して、その場に倒れこんでしまいたかったのを無理やり抑え込んで「どうして」と呟くように言う。
そうすれば弟はどうしても何も、にいちゃんが急に出ていくから、追いかけてきたんじゃないか、と言った。
それからほら、帰るよ、と俺が落とした刀を取ってから手を差し出してくる。
言葉の意味を理解できないままその手を取って、そうしてようやく思い出す。
俺は、父と喧嘩したのだ。
その原因はもう覚えていなかったが、しかし父と言い争いをした後に衝動的に飛び出した、ということだけ思い出して、父はまだ怒っているのだろう? と聞けば弟は笑って大丈夫だよ、と言った。
それに微かな違和感と、それから大きな安堵が心に落ちる。
帰り道、分かるのか? と尋ねれば弟はそりゃわかるさ、にいちゃんが気付いてないだけで、ここはかなり近いとこだから、と弟は答えた。
それにそうだったのか、何て間抜けな言葉を返し、俺は弟の背中を追うように歩き始めた。
あまりにも暗く、先の見えない闇の中を突き進む。
ともすれば弟の背中すら見失いそうで、不安さに駆られるように早足で追いかければ、ほんの数分程で村には着いた。
見慣れた家々を見て、懐かしいな、という感想を抱き、そう感じた己に何で? と思うが、弟の「早くしてよにいちゃん」という声に振り払われた。
悪い悪い、と返しながら家へと入る。
そうすればそこには、当然と言えば当然だが、父と母がいた。
父は、少し気まずそうに俺を見ていて、母はおかえり、と笑顔で言う。
それにただいま、と何故だか絞り出すようになってしまった声で言い、それから父へと、俺が悪かった、と言う。
意図せず涙声になってしまったそれは、確かに父に届いて、父はいや、俺も悪かった、とか細く言えば、弟がいい加減ことあるごとに家の雰囲気ぶち壊すのやめてくれよな、と笑う。
それに同調するように母が本当にね、と笑ってから、ご飯にしましょうか、と言って、弟がほら、と俺に手を差し出した。
その事実に、薄っすらと涙すら流れた。
目の前に広がる光景はどこにでもあるような、酷く一般的なその光景だ。
だが、それが目を焼き尽くすくらいに美しい。
何もかもが幸せに満ちていて、光が射し込んでいるくらい暖かく、明るくて。
俺にとってこれ以上無いくらい、それこそ夢にまで見るくらい、美しい光景だった。
いつまでも見ていたくて、いつまでも浸っていたい世界だった。
だから──だから、それ故に、不快。
不快だ、あまりにも不快、これ以上無いほどに不愉快。
何故ならこれらは全て、一切合切、何もかもが、俺の手から零れ落ちていったものだから。
父はもう、母はもう、弟はもう、俺に笑いかけることも無ければ、その口を開くこともない。
その命は既に尽きていて、その身は既に朽ちた。
俺は終ぞ父にも母にも謝ることは出来ず、弟とは少しだけ言葉を交わしただけ。
それ以上も以下もない、やり直すことは出来ない、過去を変えることは出来ない。
それが現実だ。
見たくなくても、認めたくなくとも、それが本当で、本物なのだ。
故に──あぁ、それ故に。
「死ね」
刹那、拳を振るった。
差し出された片手を潰すように握り、引き寄せながら拳をめり込ませる。
骨と肉を砕き、それでも止まること無く眼前の弟──否、姿を現した醜悪な化け物を殴り飛ばす。
差し出されていた片手からガラリと鋭利な刃物が落ちるのを横目に力強く、限界まで力を込めて。
驚いたように目を見開く鬼へ、間髪入れずに足を踏み込んだ。
眼前の鬼は先程までいたはずの蒼髪の鬼ではなかった、あれと比べれば随分と弱い──言ってしまえば低級な鬼。
それが他にも後二匹、突然のことに驚き硬直しているが俺を見ている。
なるほどな、と嘆息し、一瞬だけ己の腰元を見てから迷うこと無く蹴り込んだ。
軽い衝撃と共に頸を折り、それでも止まらず蹴り飛ばす。
刀は無かったが、それでも問題はなかった。
別に自暴自棄になったわけでもない、ただ、殺せないだけで対処は楽だ、というだけである。
刀もすぐ近くにあるだろう、なにせこいつらが持っていったのだから。
そう思い、軽々と飛んでいく鬼へと背を向けながらもう一度地を蹴りつける。
とはいえ相手も素人という訳でもないのだろう、直ぐに臨戦態勢へと入っていて、しかしすり抜けるように後ろを取る。
一匹の頭を両手でつかみ、ねじ回す。
色んなものが砕け、潰れていく感触を覚えながらもすぐさまもう一匹へと投げ飛ばす。
直後、血が舞った。
もう一匹の鬼が放った貫手が頸のねじれた鬼を貫いて、その飛び出した手を握りつぶすが如く握りしめる。
そのまま刀を返せ、と言えばそいつは笑い、誰が返すものかと大げさに笑った。
それを聞き、そうか、と一言だけ返す。
瞬間、手首を叩き折った。
響いた悲鳴を聞き流し、飛び出ている肘辺りも同じように折り、そのまま骨をズルリと抜き出しこびりついている肉片を振り捨てる。
仕方がないからこれで代用してやろう。
精々、苦しんでくれ。
そう呟いた俺を見て、鬼が小さく涙を零した。
斬る、刺す、裂く、貫く。
何度も、何度も何度も何度でも。
狂ったように、同じことを繰り返す。
無限に再生し続ける眼前の、三匹の鬼を相手にただ只管に骨を振るった。
流石に何度もそうしていれば骨は砕け、短くなっていったがその度に補充する。
途中でやめる気はなかった、本気でこいつらが死ぬまで続けようと心底から思ったが──不意に、真菰を思い出す。
次いで獅童を思い出し、そこでようやくハッとなった。
この良く分からん幻覚にかかったのが俺だけとは限らない、ましてやこうして解けたのも、俺だけとは限らない。
となれば急がなければ、彼女らが──?
気づくのと、行動に移すのはほとんど同時だった。
顎から頭へと骨を貫き通す、次いで二匹目の頸を蹴り折った後に最後の一匹の頸を潰すように握り、そのまま問いかけた。
これからお前の身体を少しずつ、再生が追いつかない程度の早さで斬り、砕く。
鬼とは言え痛覚はあるだろう、だが、刀を返せば直ぐにでも殺してやる。
どうだ? と言えばそいつは迷うように目を伏せ奥歯を噛みしめる。
それを見ながら、腹へと拳を捩じ込んだ。
ドゴン、と不快な音と衝撃が腕へと走る、同時に足元で蠢く二匹の鬼の背中を潰すように踏めばそいつは分かった、とか細く言った。
真後ろの木の根本に突き刺してある、と続け、ご苦労、と言って鬼をその場に落とす。
それから言葉に従い歩けば刀は確かにそこにあった。
いつもどおりの混濁色の刃が待っていたように俺を見る。
それをグッと引き抜き振り返れば、三匹の鬼は皆頭を垂れていた。
己の頸を差し出すように、無言でそうしていた彼らへと、刀を振るう。
焔が、そっと明るく宙へと舞った。
色濃く放たれる邪気を目指して走る、奔る、疾走る。
呼吸は乱さぬように、されども己に出せる速力を限界まで引き出して、どこまでも地を駆け抜ける。
地を蹴りつけながら──それでも思考を、鋭く早く、静かに回した。
考えるのは当然、あの蒼髪の鬼、その能力のことである。
やつの血鬼術は間違いなく幻覚系だ。
もっと正確に言うのであれば、幻覚と現実の狭間を曖昧にし、またこちらの思考力を低下させる、と言ったところだろうか。
確証は無かったがしかし、確信だけはあった。
何せ山に入ってからこれまでの行動、その全てを思い返してみればおかしなことだらけなのである。
いくら俺でもあれだけの鬼が発生すれば撤退くらいは考えるし、もっと言えば無謀にも突貫なんて真似はしなかっただろう。
俺は別に死にたがりという訳ではないのだから。
だがそれをしなかった、しようとも思わなかった。
ただ思考を停止して鬼を斬る、それだけに専念した。
否、してしまった。
違和感を感じることすら出来ずに幻へと意識を落とされた、けれども問題は
最初の襲撃からなのか、その次に出てきたやつからなのかが分からない。
もっと言えばあの時俺が見たと、そう思った蒼髪の鬼ですら本当に首魁の姿なのかすら判別がつかないのだ。
常に鬼が発する、邪気とでも言うべき特有の気配を感知しながら戦っているにも関わらず気付けなかった上に、今こうして考えてみても分からない。
けれども、遊ばれているということだけは考えずとも理解できた。
そうでなくては、今俺が生きていられるわけがない。
雑魚鬼に命を委ねられ、その鬼は確実に俺を殺せるように味方のいる巣へと導いた。
そんな無駄な過程が無ければ、今頃とうに俺は死んでいたのは間違いなかった。
そのことに気づくと同時、冷や汗が背中を伝って落ちる。
これまで──約半年程度ではあるが──思い返すのも億劫なほど殺してきたというにも関わらず、このザマだ。
それが意味するところは、つまり今まで戦ってきた鬼とは一線を画するということに他ならない。
そのことが分かっていて、それでも逃げ出すわけにはいかなかった。
鬼殺隊としての矜持が、味方──真菰と獅童──を置いて逃げるわけにはいかないと思う心が、そして何よりも鬼だけは赦してはいけないという決意が、その選択だけは赦さない。
逃げ出せ、と弱る心を食いつぶすように殺せ、と己の獣性が高らかにそう叫んでいた。
その感情にゆっくりと身を浸しながら、それでも思考は停めない。
必ず幻覚に落とすまでの何かがあった筈、否、あって然るべきだ。
思い返せ、思い出せ。
これまでの戦場とは何かが違ったはずだ、決定的に、何かが──あ。
思わず言葉を零し、それから思い至った考えに足を止め、意識をもう少しだけ深く落とした。
そうすれば引っかかるのは莫大な……それこそ、いつかの藤襲山の時に味わったような殺気、もしくは邪気──無論、比べるまでもない程の差はあったが、味わわされる感覚が近い──がジリジリと肌を焦がす。
この山に入った時、俺はこのあまりにも濃い邪気を感知することができなかった。
それを俺は、山を満たしている数多の邪気によって邪魔されていると自分を納得させたが、しかし違ったのだ。
あれほど充満していた邪気はあの鬼一人から発せられていたものだったということであり、そしてそれこそが血鬼術の絡繰りだったということだろう。
つまり俺たちはここに踏み込んだその瞬間からやつに捕捉されていて、同時に幻覚を徐々に見せられていたということだ。
恐らく即効性のあるものじゃないのだろう、だがそれ故に範囲が馬鹿げているほどに広い。
それこそ、山を覆ってしまうほどに射程範囲が広いこの、血鬼術とも言えるやつ特有の邪気に当てられたものは、少しずつ時間をかけて冷静さを失い、幻を見始める。
もしかしたら匂い等の他の要素もあったかもしれないがしかし、俺が観測できたことから導き出せるのはこれくらいだ。
そしてそれは、恐らくそう間違ってもいないだろう。
今の俺が正確にやつの邪気を捉えられているのがその確信を強く支えていて、それと同時に更に力を入れて地面を踏み込んだ。
この仮説があっているのであれば、長期戦は圧倒的に不利だ。
時間をかければかけるほど、幻を見せられる可能性が跳ね上がる。
鬼を斬ったと思ったら仲間を斬っていた、だなんて笑い話にもならない。
もしかすれば獅童達が戦った時はそうされていたのかもしれない、なんて思考が頭を過りつつも早さは緩めない。
既に邪気までは直ぐそこのところまで来ていた。
それを察しながら柄に手を添えて、呼吸をゆるりと整える。
最初に狙うのは隙を狙った一撃だ、それで済めば万々歳。
と言ってもまず上手くはいかないだろう、それを踏まえた上で次の行動を組み立てる。
冷たく、静かに、されど素早く。
足音を限界まで消して、己から溢れそうになる殺気も抑え。
邪気へと躙り寄る。
漏れ出た呼気から気炎が生まれて宙を融かし、視界にそれが映るより先にそっと刀を引き抜き──そして俺は
その光景を──今にも真菰の頸へと、鬼が喰らいつこうとするその瞬間を、目にして。
「その手を、離せ」
炎の呼吸・奥義──玖ノ型:煉獄
直後に爆炎が、殺意に押されて引き裂くように駆け抜けた。
限界まで出し切っていたはずの速力を軽々と飛び越えるように距離を食いつぶし、混濁の刃が宙を裂く。
鬼の見開く目と視線が交差して、それより速く真菰を掴む腕へと刀を振り下ろす。
刹那、鋼にでも打ち付けたような衝撃が腕を走った。
斬り、落とせない──否! 斬り落とす!
一瞬だけ過ぎった思考毎斬り払うかのように力を込める、呼吸を深くする、意識を鋭く尖らせる。
同時、刀は加速する。
途中まで食い込み止まると思われたそれは、加速度的に飛躍していく力を込められたことにより勢いを取り戻し、ついにその両の腕を断ち切った。
半端に笑みを浮かべ、しかし驚愕に染めたその顔に流れるように焔を靡かせる。
炎の呼吸・弐ノ型:昇り炎天
金属を裂くような重圧が両手に伸し掛かり、それでも力づくで斬り倒す。
一瞬だけ漏らされた声と共に放たれた蹴りを紙一重で躱して真菰を掴めば彼女は意識もないままに何かを呟いていた。
言葉になりきらずに消えるただの音、それだけで未だ幻の中にいるというのが分かり、そのまま飛び退いた。
同時に周りに視線を走らせれば、獅童はぐったりと木の根元に倒れ込んでいた。
その周りは酷く暴れまわったのか、あちらこちらに斬撃の跡が残っていて、当の本人は酷く荒い呼吸のまま、震えながら刀を掴んでいる。
真菰と同じ──長い間幻覚から醒めなければああなるのだろう、そう察して渦巻く殺意を押し込め鬼を見る。
そうすれば鬼は何が面白いのか、薄く笑って口を開いた。
ですが、貴方一人で私を倒せますでしょうか。
その、小さな荷物達も守った上で、この私を、と。
それを聞き流しながら真菰を獅童と同じように木の根元に座らせて、息を吐く、そして息を吸う。
静かに、されど荒々しく。
そうしてそれから、一言だけ返した。
試してみるか、と。
瞬間、炎は燃え広がった。
金属音にも近い、高らかな衝撃音が時折響き、焔が揺らめく。
戦闘は膠着状態──いや、見栄を張るのはよそう。
戦闘は、圧倒的に不利な状態が続いていた。
刃を彼女の身へ届かせることすら困難であるにも関わらず、当たったとしても斬り落とせない。
今の俺では渾身の一撃でないと攻撃が通らないのだ。
その上でほとんどの攻撃が紙一重のところで躱される、いや、紙一重になるように躱されている。
つまり白兵戦においても眼前の鬼は俺より上であるということで、それはイコールで遊ばれている、ということに他ならなかった。
鬼が、ほら、此方ですよ、とふわふわとした笑みを浮かべながら動きを誘う。
このまま嬲り殺しても良いだろうに、彼女はどうしても幻に俺を落としたいらしい。
それが分かるからこそ、攻めを抑える。
参ノ型で動きを掴ませないようにしながら、じっくりと機をうかがう。
冷静さをかなぐり捨てず、常に殺意に焔を灯し、静かに刃を振るう。
躱される度に相手の動きを目に焼き付け戦闘を組み立て直す。
弾かれる度に呼吸を深め、次こそはと気炎を吐き出す。
未だ、甞められきっている今だからこそ出来ることで、それこそが唯一の俺の勝ち筋だった。
相手が本気になれば直ぐにでも潰えてしまう勝利への道筋、それを自覚しながらもそれに縋る。
極度の緊張感に押し潰されそうになりながらも慎重に、一歩踏み込むことすら最大限の注意を払って接近と離脱を繰り返していた。
刺突、回避、斬り下ろし、離脱、斬り払い、弾かれる、急接近、旋回、斬り上げ。
時折放たれる鬼の短剣をすんでのところで躱しながら何度でもそうしていればふと鬼は動きを止めた。
粘りますわね。
幻覚に嵌めるのは難しそう──となれば、もう加減をするのはやめましょう。
ここらでお終いです、と。
その言葉に不味いと思い、それから数瞬後に火花が散った。
防御できたのはほとんど奇跡みたいなものだった。
反射的に刀を前に出し、そこへ強烈な刺突が打ち込まれる。
その細腕からは考えられないほどの重みが刀へとのしかかり、余りある破壊力が腕を駆け抜け、歯を食いしばる。
刹那の間、視線が絡み合う。
互いの殺意が混ざり合って弾け合い、それから息を吐き抜き素早く流した。
直後に拳を振るう。
振り払った右手の逆、左手を握り込んで勢いづいた鬼の顔面へと目掛けて振るい、しかし躱される。
するりと滑るように。
それを認識すると同時に身体は跳ね上げられた。
強い衝撃が顎を貫き全身を浮かす。
良く今ので頭が飛ばなかったものだ、そう思いながら続く第二撃、落ちてきた俺へと向かい放たれた短刀を先んじて地に突き刺した刀で受け止め、流す。
同時、ゴボリと血を吐き出した。
あの一撃だけで頭が揺れて、目端から血が流れて落ちる。
だが、それでもまだ生きている。
生きているということは、まだ戦えるということであり、それはまだ殺すことができるということだ。
乱れそうになった呼吸を整える、揺れる視界を素早く戻しながら真菰へと近づけないよう、誘導するように刀を振るい立ち回る。
明らかに体力は切れていて、負わされた傷は確実に身体を蝕んでいる。
たった一撃、拳を受けただけでこれだ。
次を喰らえば間違いなく意識を落とす。
その確信があったがしかし、焦ることはなかった。
これまでの経験が、内から溢れ返る殺意が、荒れそうになる心を鎮めて落ち着かせる。
冷静に放たれた短刀を、拳を、躱して弾き、流して避ける。
身体は疲弊し尽くしていたがしかし、反比例するように動きは洗練されていっていた。
最初は見えすらしなかった動きが今は目で追える、追いつかなかった腕が徐々に追いつくようになっていく。
余計な情報がすり抜けるように薄くなっていき、鬼の姿が、動きがより鮮明に目に映る。
少しずつ相手の動きの"先"が見えてきて、それに合わせて刀を振るう。
呼吸がどんどんと精度を増している、深みが増している。
それを自覚しながら意識を沈めるように集中力を上げていく。
しかしそれと同時に、鬼も速く、強く、恐ろしくなっていく。
その綺麗に靡く長髪は薄っすらと入り込む月光を反射してキラリと光る。
浮かべられていた妖艶な笑みは鳴りを潜め、殺意が全面に表れている。
それですら美しくあったが、しかし関係は無かった。
ただ、ひたすらに殺すのみ。
僅かずつではあるが、それでも確かに鬼の肌を裂く回数が増えていく。
舞う互いの血の量が増えていく、鬼の緊張感が、圧が強くなっていくのが手に取るように分かる。
肌を裂く、肩に痛みが走る、腕を掠める、衝撃が腹を貫く、脇を刻む、片腕から悲鳴が上がる、焔が走る、胸を短刀が掠める、頸を浅く断つ、掌底を受け流す、腕を、斬り落とす。
一際大きく血が舞った。
クルリクルリと互いの間で鬼の片腕が飛び、直後に踏み込んだ。
短刀が走る、それでも構わず焔を吹き出す、加速する。
速く、疾く、捷く。
どこまでも、何よりも疾く、何よりも強く。
炎の呼吸──壱ノ型:不知火
最速の一撃、届かぬ場所へ届かせる必死の刃。
宙を引き裂き溶かしながら踏み抜いて──しかしそれは、届かなかった。
届くより先に、痛みと衝撃が胸を撃つ。
鬼の穿ち放った極みの二撃が、胸を十字に刻み飛ばした。
────。
声が、出ない。
あまりの破壊力に空へと浮いた身体は全ての感覚を根こそぎ奪ったようで、指先一本すら動かせない。
あれほど回っていた思考は今や全く動かずただ空白が占める。
ドスン、と己の身体が地に落ちた音が耳朶を打つ。
カハ、息と共に血を吐き出して、逃げ出すこともままならないままそこへ這いつくばった。
終わり、なのだろうか。
草を踏み、寄ってくる音を聞きながらそう思う。
ここで、おしまい。
何もかも半端なまま、最後は鬼に返り討ちにあって死ぬ。
仲間も守れず、己の立てた誓いも守れず、ただ負けて死ぬ。
その事実をしかし、受け容れてしまいそうだった。
俺は頑張った、ここまで、限界まで努力してきた、鬼を、殺してきた。
そもそも鬼を根絶するなんぞ、俺一人が頑張ったところで無理な話だ。
所詮、身に余る殺意と願望だった。
だから、ここで終わりだ。
霞んでいる視界をそのままに、薄っすらと見える空を見る。
死んだら、父さん達に会えるかな。
自然とそう思い、しかし同時にそれで良いのか、とそう自分の中の誰かがそう言った。
こんなところで諦めるのか、と。
けれどもそれは余りにも小さく、弱々しい声だった。
全身を支配する虚無感の前にそれは静かに消える。
故に、消えかけた心の灯火は、もう強く燃え上がらない。
このままただ、消えゆくのみ。
足音は、もう随分と近くに来ていた。
いっそ早く殺してくれと、そう思い、鍛え上げてきた五感が、鬼の一撃を察する。
さようなら、貴方はこれまで戦ってきた人間の中でも、最も強かったですよ。
そう聞こえると同時にそれは振り下ろされた。
──否、振り下ろされたと、そう思った。
「ごめん──本当に、ごめん。そして、守ってくれて、ありがとう」
「かたじけない、後は自分たちにお任せあれ」
霞む視界の中で、雷鳴が空に轟いて、水流が美しく飛沫を上げた。
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