ガーリー・エアフォース 影の航跡 (青ねぎ)
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プロローグ
20XX年


はじめまして
いろいろ触発されてガーリー・エアフォース二次創作始めました
いろいろ荒が目立つと思いますが、生暖かい目で見守ってやってください


静かな住宅地を一人の老人が歩いている

 

 

 

 

 

 

 

体力には自信があったが、最近は足取りが重いときも多い

 

 

 

 

 

 

 

鍛えた肉体の面影は、同年代よりいくらか体格がしっかりしている程度にしか残っていない

 

 

 

 

 

 

 

昔から比べればここもいくらか拓けてきているがまだまだ県の中心部とは隔たりがある

 

 

 

 

 

 

 

すぐ脇を車が通り過ぎていく

 

 

 

 

 

 

 

耳が遠くなってきたせいか、近づくまで気づかないなんてことも増えた

 

 

 

 

 

 

 

はっとする場面も経験した

 

 

 

 

 

 

 

つくづく年は取りたくないものだと思った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの戦争から数十年が過ぎた

 

 

 

 

 

 

 

町の様子もだいぶ変わった

 

 

 

 

 

 

 

消息の判らない人物も増えた

 

 

 

 

 

 

 

すっかり色の変わった髪を揺らし、時々こうして国道を歩いて県営の航空機展示施設へ散歩をする

 

 

 

 

 

 

 

度の入った色眼鏡が快晴の眩しさを少しだけ和らげた

 

 

 

 

 

 

 

アスファルトの照り返しと肺が焼かれるような夏の熱い風が少し苦しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は世間的には夏休みの時期だからか駐車場が埋まっている

 

 

 

 

 

 

 

他県ナンバーも多い

 

 

 

 

 

 

 

国道を挟んだ空港からも客足がある

 

 

 

 

 

 

 

敷地に立ち入るといつもの光景が広がる

 

 

 

 

 

 

 

奥の芝生にモニュメント代わりの戦闘機が鎮座している

 

 

 

 

 

 

 

大きなクリップドデルタの主翼とまっすぐ伸びる垂直尾翼、双発のノズル

 

 

 

 

 

 

 

みんなが立ち止まり写真に収めている

 

 

 

 

 

 

 

あの戦争で撃墜され回収されたもの

 

 

 

 

 

 

 

修理復元され、今はここで当時のことを伝える任務を全うしている

 

 

 

 

 

 

 

かつて航空自衛隊の主力を担った機体

 

 

 

 

 

 

 

かつて小松を、日本を守るために自身も駆っていた機体

 

 

 

 

 

 

 

今では全てが懐かしい

 

 

 

 

 

 

 

ベンチに腰掛けその戦闘機を見つめる

 

 

 

 

 

 

 

物忘れも増えたが、あの時のことは今でも忘れない

 

 

 

 

 

 

 

公式記録に残っていない、あの時を過ごした者の記憶にだけ残っているあの方のことは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼんやり昔を懐かしんでいると建物の中から高校生くらいの男の子と女の子が一緒に出てきた

 

 

 

 

 

 

 

男の子が機体を指差し興味津々に見回している

 

 

 

 

 

 

 

女の子も一緒になって見ている

 

 

 

 

 

 

 

仲睦まじい光景

 

 

 

 

 

 

 

どこにでもある他愛も無い光景

 

 

 

 

 

 

 

あの戦争を守り抜いた結果がここにある

 

 

 

 

 

 

 

端末を見ながら男の子が振り向き基地の方を指差した

 

 

 

 

 

 

 

眼を見開いた

 

 

 

 

 

 

 

我が目を疑った

 

 

 

 

 

 

 

息を呑んだ

 

 

 

 

 

 

 

あの方と瓜二つの男の子

 

 

 

 

 

 

 

背丈も、顔も、真面目そうな雰囲気も、なにもかもがあの方だと思った

 

 

 

 

 

 

 

たまらず足が動いていた

 

 

 

 

 

 

 

老いてあちこち痛みが出る身体を忘れるかのように

 

 

 

 

 

 

 

気づいたときには声を掛けていた

 

 

 

 

 

 

 

その男の子の身内に航空自衛隊のパイロットがいた

 

 

 

 

 

 

 

そのパイロットはあの戦争で亡くなっていた

 

 

 

 

 

 

 

全てが記憶の中の人物と結びついた

 

 

 

 

 

 

 

そして男の子の苗字は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一尉…あなたのお孫さんが見えましたよ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一尉…見えますか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本編は後日投稿します


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ZONE1
1-1


               2016年2月23日  0825

 

 

 

 

 上海沖、東シナ海の上空に金属の荒鷲が飛んでいた。40000フィートを超えた世界に雲はない。

 那覇基地から飛んできたF-15DJには主翼下に増槽を2本、胴体下に技本があちこちいじったものだという偵察ポッドを吊り下げていた。武装は機銃だけ。国籍記号は削り取られていた。

 国境を跨いでの任務、まして正体不明の勢力の偵察など映画くらいのものだと、今日を迎えるまでは疑わなかった。米軍に紛れての任務とはいえ完全に領空侵犯だ。今ここで飛んでいる自分たちは誰か別の人物なんじゃないかと思った。

「技本の連中、なに考えてやがるんだろうな、ナベ」

 後席で機体に吊るされた偵察ポッドと計器を確認する男が言う。ホットマイク式のインカムはその声を正確に伝える。

「わからない。しかし自分たちが実戦に出るなんて、本当は有り得ない。ザイが本当に脅威度を増しているんだろうな。キリンは、ザイが日本に攻めてきたらどうする?」

 前席で操縦桿を握るTACネーム、ナベと呼ばれた男は宮鍋久司(みやなべひさし)、新田原基地教導群所属の一等空尉。32歳。整った顔立ちは人気芸能人に似ていると言われる。

 後席のキリンは東 昌明(あずま まさあき)、岐阜基地の飛行開発実験団所属の一等空尉。31歳。細眼で二重瞼、面長の顔がキリンに見えるということで上司から付けられた。

「連中が見逃してくれるなら逃げたいところだがねぇ、そうも言ってられなくなるんだろうな。ナベは?」

 と、東。

「戦わなければそれに越したことはないが、そうなった時は、戦うと思う」

「そうか」

「妻と娘がいるんだ。娘がこの前2歳になったばかりなんだ」

「へぇ、家庭持ちか」

「家族の無事が一番気になるんだ。《守りたい人がいる》、広報ポスターどおりの展開になったよ」

「違いないな」

 くっくっく、と後席から笑いが漏れた。東は独身だった。

「それじゃあ、こんな任務とっとと終わらせて帰らないとな。特別休暇くらい貰いたいもんだ」

 

 

 

 

 

               東シナ海上空  0835

 

 

 

 

 

『イエロー1、WP(ウェイポイント)3通過、ランデブー。時間どおりだな。現代のニンジャ空から参上ってとこかい?』

 上海を通り過ぎた頃、英語で無線が入ってくる。宮鍋たちの乗るF-15DJから20マイルほど先、空母ロナルド・レーガンから発艦していたF/A-18Eが編隊を組んでいる。

 4機、間隔はやや広い。今回の偵察で少しの間行動を共にする。

『ずいぶん大胆だな、真珠湾はこっちじゃないぜ』

 事前に周波数をあわせたチャンネルに合わせたスロットル側の無線スイッチを押し返答する。

「こちら《ZEKE(ジーク)》、イエロー1、同行させてもらって感謝する。松明がまぶしくて進行方向を間違えてしまったようだ。代わりに最強の味方と組めたようだけどね」

 と宮鍋が返した。F-15DJのコールサイン、ジーク、かつて連合国軍が恐れた零戦につけたコードネーム。

『HAHAHA、P-51(マスタング)と一緒の方がよかったか。そこからだとB-29か。まあ特等席で優雅なひと時をお楽しみあれ』

 無線のスイッチを2回鳴らす。ジッパーコマンド、パイロットが了解したという合図。正式なものではないが、挨拶みたいなものでパイロット同士では通じる。

「俺は女と一緒のほうがいいなぁ」

 偵察ポッドの画像を覗き込みながら後席の東がこぼす。

「帰ったらどこか飲みにでも行けばいいさ。気の合う娘が見つかるかもしれない」

 AN/APG-63(V)1 のレーダーON、VCTRモードに、最大レンジで走査させながら宮鍋が言う。

「妻子持ちは余裕だな。見つかりゃ愚痴も出ないっての」

 自傷気味な東。

 いくらか中国大陸の大地を過ぎたところだった。後方―といっても目視はできないが―には空母から発艦した新たなF/A-18Eの編隊が控えていた。スズメバチも鷲も、目を凝らして目標を探している。謎の飛行体は、しかし唐突にやってきた。

『アンノウンマージ。1時方向、中高度。2機だ』

 先を飛ぶイエロー1(スズメバチ)が警告を発した。データベースのどこにもない信号。中国軍の未知の航空機とは考えづらかった。ザイと見て間違いないだろう。二人に緊張が走った。

「キリン、こちらも感有り。始まったな」

「穴が開くほど見とけよ、ナベ、またとない機会だ。現代の空自が戦闘に巻き込まれるんだから、素晴らしい小説ができそうだ」

「出来上がったら見せて欲しいな。だけど、現実は甘くなさそうだ」

 先行するスズメバチが距離を縮めた。目標はまだ見えない。口を覆う酸素マスクが息苦しく感じた。こちらも少しずつ距離が縮まっていく。

『間もなく目視可能な――なんだ? レーダーがおか…』

 耳障りなノイズとともに火花と黒煙があがった。先頭のスズメバチが、なんの前触れもなく撃墜された。すぐさま残りの3機は身を翻していた。

「問答無用か…。キリン、少し近づく。レーダーにノイズ有り。…うまく捕捉出来ない。RWS、TWS、STTもだめだ。ジャミングにしても何かがおかしい」

「電子戦機も確認できない。気をつけろ、また1機落とされたみたいだ、洒落になってない」

 東の声が強張る。戦闘機特有の遊びがほとんど無い操縦桿をわずかに左に倒す。機体がバンクし進路が左に流れる。レーダー走査範囲を右にずらしながら宮鍋の表情はもの悲しそうなものになる。見ることに集中しているのだ。

 深呼吸をする。バイザー越しに視力の限界まで使い右下方向を睨みつけた。晴れた日なら25マイル先の目標を見ることが出来た。もう見えてもおかしくはなかった。

「キリン、ちゃんとリンク16経由でホームにも流れてるよな? ノイズが激しい」

「ポジティブ。これで機材が壊れてたなんて抜かしたら呪ってやるさ」

 その姿を捕らえてやる、と東は偵察ポッドを操作していた。ふと何かが光ったようだった。陽光を反射させながら、それは進路をこちらに向けてきた。その後ろでまた一つ火の玉があがった。

 気付かれた、しかし宮鍋はぎりぎりまで肉眼で捉えようとした。どんなやつなのだろうか――。

 それは透明なガラス質といえばいいのか、おおよそ現代の航空機では見られない材質のようだ。デルタ翼機ともいえない三角のシルエット。

 なにかが吐かれた。宮鍋はそれがミサイルだと瞬時に判断した。撃たれた。戦後のこの時代に、まして謎の飛行体に。アラートが鳴り響く。

「逃げろナベ!」

 言うが早いか宮鍋は増槽を投棄。痕跡は残したくなかったが仕方ない。スロットルを最奥へ押し込んだ。アフターバーナー、最大出力まで一気にもっていく。身体がシートに押し付けられる。ミサイルの進路と互い違いになるよう修正しチャフ、フレアを撒く。下方からミサイルがせり上がってくる。右に30度バンクし操縦桿を引く。さらに上昇、同時に一瞬スロットルを戻し熱を拡散させミサイルをフレアに欺く。ミサイルは一瞬迷った末、フレアの方に吸い込まれていった。再び最大出力へ。飛翔体の上空を交差し、そのまま振り切る算段でいた。しかしその飛翔体は食いついてきていた。身体ごとひねって見回していた東が叫んだ。

「ナベ、まずい、後ろに着かれた!」

「馬鹿な!? 今、交差(パス)したはずだ! どうなってる!?」

「あの状況からすると、その場で反転でもしなきゃこうはならない。イカレてやがる」

 頭にチリチリとしたものを感じつつ、宮鍋は元来た方位へ旋回しながら補足を逃れるように機体を振った。コックピットのなかは緊張と焦燥で満たされていた。そしてまたもミサイルが放たれた。

「ブレイク! ミサイルだ!」

 右へ、左へ、上へ下へ、高速ジンキング。再びチャフ、フレアを展開。切り返すたびにハーネスで固定されている身体があちこちに叩きつけられる。痣、打撲はそこかしこにできているだろうが気にしていられなかった。とにかくミサイルの運動エネルギーを消費させる。空気密度の濃淡をくぐらせるように大きなバレルロールを2週ほどしたところでザイのミサイルは失速し着いてこられなくなった。

 しかし戦闘機動(A C M)の代償でザイは真後ろに張り付く。後ろに向けた視線に飛び込んできた砲塔は、すでに宮鍋たちに狙いを定めていた。

 殺られる。身の毛がよだつ。めまいにも似た感覚を覚え、ザイの姿がぼやけた気がした。

 ここで俺は死ぬのだろうか。最愛を誓った茉莉と、娘の清美を残して? 必ず帰ってくると約束した二人を残して?

 宮鍋はそれを否定する。生きて帰る。家族と歩む未来を望む。強く、強く。

 操縦桿を一瞬思い切り前へ倒す。同時にウエポンセレクターをGUNへ、マニュアルモード。スロットルを絞りエアブレーキ展開、強制フラップダウン。マイナスGによるエンジンの潤滑不良の恐れや機体の傷みを気にしている余裕は無かった。急激なブレーキがかかり、ガラス細工のような翼はキャノピーの直上を舐めていくようにオーバーシュート。宮鍋にはそれが永遠にも引き伸ばされるように感じた。そして歯を食いしばり、渾身の力で人差し指のトリガーを潰さんばかりに握りながら操縦桿を引き上げる。内蔵された機関砲は毎秒100発の間隔で20mm砲弾を吐き出し、ガラス細工の翼を粉砕した。

 爆発が生じ、舞い散る破片の全てを避けることはできなかった。上昇に転じていたため腹側で受けるようになった。嫌な音が機体から響く。いくらかは外装を貫通したが破滅的な損傷はなかった。荒ぶる鷲は水平を取り戻す。エアブレーキを閉じフラップも元に戻す。エンジンに吸い込まなかったのが奇跡的だった。

 撃たれた、撃った、そして撃墜。全身から噴き出す汗と震え、広いとはいえコックピット中に身体を打ちつけられた痛みが生の実感を取り戻した。酸素が足りない、と身体が訴え心臓が激しい鼓動を打っている。後席の東は呻いていた。

「やったのか…?」

「あぁ、撃墜、した。1機、そうだもう1機は? チェックシックス」

 東はハーネスを外し、身を乗り出さんと後ろを見やった。

 先の戦闘で大分高度が下がっていた。燃料もかなり使ってしまった。日本へ帰れるか怪しい。

 宮鍋は進路を東へとりつつ、往路の途中に浦東国際空港があるのを思い出し、緊急着陸するべきかと迷ったが、任務の性質上それもかなわないだろうと思った。

「ナベ、最悪だ追ってきてるぞ。――前方に感。F/A-18Eの編隊有り。方位197からレーダー波、中国軍か」

「コピー。もう彼らに任す他ないな」

 撃墜した手前、見逃してはくれないだろうと思っているとコックピットにまたも警報が鳴り響く。ミサイルアラート。再び加速するも今度は先ほどよりも近くで放たれている。迫り来るミサイルをぎりぎりまで引き付け最後のチャフとフレアを放出。運よくフレアに吸い込まれるも、回避手段が無くなった。ついに年貢の納め時か、新たなミサイルが放たれた。

 宮鍋は操縦桿を引き、少しでも高度を稼ぎながら機体を振った。直撃と思われた瞬間、操縦桿を左前へ倒し込み、左のラダーペダルを蹴飛ばした。ミサイルが通り過ぎるのを願った。

 コックピットの横腹を掠めたそれは無慈悲にも役目を果たした。少ない燃料に引火し黒煙が上がり、破片は外装とキャノピーを食い破り二人を襲った。右主翼損傷、エアインテークがひしゃげ、右エンジンが悲鳴を上げ、片肺になる。計器パネルはほとんど死んだ。

 宮鍋の痛覚が右のわき腹と大腿の傷を知らせる。激痛に顔をしかめると脂汗が頬を伝った。油圧が低下しバランスの崩れた機体と自らの身体に鞭を入れ東を目指す。消化剤が延焼を食い止めるが、しかしザイは変わらず狙いを定めている。万事休す、だが宮鍋の頭の中には死の恐怖よりも妻と娘の姿がよぎる。

 まだ死ねない、死にたくない、彼女たちのもとへ帰りたいと願う。

 刹那、なにかが直近を抜けていった。幾筋かのそれは増援としてやってきたスズメバチのものだった。後方のザイに向かっていくミサイル。しかし迷走し虚空へと消えていくが少しばかりの回避機動を取らせた。またすぐに何本ものミサイルが続く。ザイはたまらずブレイク。間もなく、スズメバチの群れと交差した。

『ヘイ、ZEKE(ジーク)、あとは任せろ』

 ノイズ交じりの無線から心強い声が聞こえた。

「ありがとう、グッドラック」

 痛みに耐えながら返す。短く簡潔に、感謝の念を込めて。

 ふと後ろの東が先ほどから一言も喋らないのが気になった。わき腹が裂けているため振り返るのが辛い。

「キリン、大丈夫か!? おい!」

 声を上げるも返事が無い。もう一度呼びつけるもやはり返ってこない。嫌な予感がした。宮鍋はぐいと首を後ろに向けた。そこには力なく項垂れ、全身をを真っ赤に染めた東がいた。息を呑みかぶりを振った。おそらくもう生きてはいないだろう。命の灯火が消えたのを間近に感じ取った。

 

 

 

 傾く機体をなだめながら大陸の東端を少しばかり過ぎたころ、ついに燃料計が0を指し終焉がやってきた。

 エンジンが止まる。あとは少しずつ稼いだ高度を切り崩し、滑空の後に機体を東シナ海へと沈めるだけだった。速度、高度ともに徐々に下がっていく。自衛隊員として最後まで悪あがきを試みる。高度が下がり速度が上がってきたところで操縦桿を引き、緩く上昇、再び緩降下。ほんの少しの延命だったが、他にやることが思いつかなかった。無線傍受防止のため救助要請を送ることが出来ない。

 いよいよ海面が近くなったところでフラップダウン、減速。ベイルアウトを宣言し股の間にあるレバーを引いた。キャノピーが破砕され、後席からロケットモーター点火、ほんの少し遅れて前席。瞬間的に15Gを超える射出は、宮鍋の身体をさらに痛めつけた。加速度の終わりが浮揚感に変わるあたりでパラシュートが開かれた。気絶しかけた眼下に今乗っていたF-15DJが流れ、激しい水飛沫をあげて海中に突っ込んでいった。水泡と轟音が断末魔の声のようだった。

 シートが切り離され小型救命ボートが自動で展開した。はっと我に返るや否や急いでヘルメットと酸素マスクを捨て着水の寸前にパラシュートを切り離し巻き込まれるのを防いだ。海水が傷口にしみる。水温も低い。海面に顔を出し空気を思い切り吸った。

 自動で展開した小型救命ボートにすら宮鍋は思うように上がれなかった。右わき腹と大腿の裂傷に加え射出の衝撃で左足首を骨折していた。ひたすらに辛い。持てる力全てを使ってボートへよじ登り滑り込んだ。今度は乗ることが出来た。失敗していれば次は無かっただろう。

 仰向けになった宮鍋は周りに視線を巡らし、自分のほかにもう一つパラシュートがあるのを確認した。東はあの下でライフジャケットの浮力で浮いているはずだ。

 海原で漂う。力が入らなくなってきた。今更ながら意識が遠のいてきた。

 ザイ、あれは人類の脅威だ。今のままでは奴らを止めきれない、圧倒される、そして日本も遠からず戦場になるだろうと予想した。そして妻と娘は生き残ることが出来るだろうか。守ってやらねばならないのに何も出来ないのだろうかと悔やんだ。

 薄れ行く意識に何かが飛んでいるのが見えたが、もう判らなくなった。ザイでありませんようにと心の中で手を合わせた。

 

 

 

 やがて意識は暗転した。

 

 

 

 



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1-2

思っていた以上に添削が難しい…


               2016年 2月26日 1901 

 

 

 

 

 霞と泥が混ざったような感覚から引き戻される。

 虚ろげに瞼を開くと白い空間が広がった。朦朧とした意識がやがてつながっていき、どこかの部屋だと脳が識別した。あまり広くないが個室のようだ。ベッドに寝かしつけられている。

 身体を起こそうとして激痛が駆け巡る。低い呻き声が自然と出ていた。胴体の圧迫感はコルセットで固定されているのか、思うように動かない。足も力が入らなかった。よく見ると服装は対Gスーツではなく前開きの病衣、鼻に酸素供給チューブが差し込まれ、左腕には2種類の点滴の管が通され手首にはなにかのコードが伸びていた。電子音が規則的に聞こえるのは心電図だろうか。病院?

 やがて一人の看護師が扉を開けて入室してくる。

「起きられましたか、宮鍋一等空尉」

 ネームプレートに木島(きじま)と書かれた女性から日本語で呼びかけられる。ここは日本で間違いはないと思った。

「――頭が重い。そのくせあちこちが痛む。ここは…?」

「那覇自衛隊病院です」

「那覇?」

 ありきたりに言えば奇跡的に一命を取り留めて帰ってきたことになる。ザイの偵察、交戦、1機撃墜したが自らも撃墜され、機体は海の藻屑と消えた。そして(あずま)は、あの状態では。

「もう一人運び込まれていないだろうか?」

「ええ、相方様も運ばれてます。しかし残念ながら…」

「…」

 やはりあの時、すでに(あずま)は事切れていた。目を瞑り、彼に哀悼の意を表す。

「目を醒ましたら堀内様に連絡を入れるよう承っています。それと、『お疲れ様でした、改めて伺います』と」

 ブリーフィングの時にいたあの技本の奴か、と宮鍋は思った。白衣を着た肥満漢、八代通(やしろどおり)と一緒にいた堀内冶郎(ほりうちじろう)といったか、小柄でなかなか陰気くさかった奴だ。研究に没頭する皆が皆そうではないだろうと思いたかったが、ザ・研究員といった趣だった。

「そうですか。ところで、今の日時は?」

「2月26日、19時をまわったところです」

 偵察に向かったのが23日。3日も意識がなかったことになる。

「もうそんなに経っていたのか…」

「随分うなされていました。あんな怪我と低体温症で生きてるほうが不思議ですよ」

「…」

「まだ胃が動かないでしょうから食事はもう少し先になります。自衛隊の方なら回復は早そうですけどね」

「あなたは医官ではないんですか?」

「私は他の病院から出向しています」

 万年人手不足の自衛隊病院にとっては有難いことだった。

「それでは失礼します」

 といって部屋を出て行った。再び静けさが戻り宮鍋は一息つく。

 あの中国での偵察任務は失敗だったのだろうかと思う。F-15の損失、東の死、そして自分はパイロットとして復帰は絶望的な状況ではないだろうか。

 俺は技本にはめられたのではないかと憤りを感じる。全ては奴らに問い質してみるしかないだろう。

 心なしか鈍痛が増した気がした。

 

 

 

 

 

             2月27日 0537 那覇自衛隊病院 病室

 

 

 

 

 翌日、自衛官の癖か午前5時台には目が覚める。勝手に起床ラッパが再生されてしまうのは今でも変わらない。入院生活の起床にはいささか早すぎる時間帯である。まだ外は太陽が昇らない。点滴のパックは片方の中身がほとんど残っておらず、片方は4分の1残っているかどうか。本格的に病院が動き出すまで暇を持て余す。

 基地ではそろそろ皆が起きだす頃だろう。入院の経験が無い分こんな時にどうしたら良いものか判らなかった。あまり長居したくはない。

 虚空を見つめ、あの戦闘を思い出すと無意識に左手はスロットルレバーを、右手は操縦桿を握ってしまっていた。

 2種類の点滴は補水液と栄養剤であった。7時過ぎに交換にやってきた看護師に中身を尋ねたが、栄養剤は強力なタイプが処方されているという。鼻の酸素吸入チューブは外してもらった。

 午前9時をまわった所で病室の扉が開けられ、二人の男が面会にやってきた。

 堀内治郎、この任務に宮鍋と東を選抜した技本の人間である。

 もう一人は本田英一(ほんだえいいち)空将補、任務の提起と関係各所に手を回した人物であった。50歳を越えたが、身体は引き締まっていた。

 リモコンでベッドを起こし、宮鍋は寝ながらも敬礼をする。

「このような形で失礼いたします、本田空将補」

「構わん、無理をさせたのはこちら側だからな、楽にしてくれ」

 本田は答礼する。

「任務ご苦労だった。君達の働きはこの上ないものだった」

「しかしF-15DJは東シナ海に没し、(あずま)は亡くなりました。貴重なものを失っております」

「それについては我々も残念に思っている。特に人的損失は他に変えられないものだ」

「なぜ我々を向かわせたのですか」

「彼から話してもらおう」

 本田は堀内に視線を向ける。宮鍋の表情は少し硬くなった。

「3つほど。まず1つ目に、ザイについてもう少しデータが欲しかったのですよ。それも実際に戦闘が行われているという状況で」

 嘘だろうな、と宮鍋は思う。各国の交戦記録は増えつつある。そちらの方がよほど生々しい戦績だったろうに。

「ところで宮鍋一尉、あなたはザイに対してどのような感想をもちましたか?」

「…少なくとも人間が乗っているとは到底思えなかった。見たことも無い機影、ガラスのような輝きだった。警告も無しにいきなり米軍機が落とされた。それにあの機動性は通常ではあり得ない。物理法則さえ無視しているかのようだった」

「フムン」

「逃げているときも、なんだか感覚がおかしくなった気がした。対象がぼやけるというか、霞むというか。1機目をオーバーシュートさせた時が一番ひどかったかもしれない」

「それで撃墜したのは大したものです」

「無我夢中だった。ああしなければもっと早く撃墜されていた。俺も死んでいたかもしれない」

「おおむね他国の報告と一致しています、空将補」

 ちらりと本田を見、本田が頷いた。堀内は続ける。

「2つ目。この任務で二人が生き残った場合、これを糧として今後のザイとの戦闘にむけて戦技研究をし、教導群の、ひいては空自の錬度向上とすることです。あなた達は空自初の対ザイ戦を行いました。先鞭を切りその経験を活かして欲しい」

 これも何だか疑わしい。現にF-15ですら手玉に取られたのだ。

「死んでいた場合まで想定されているのか?」

 宮鍋は怪訝な顔をする。

「当然です。あらゆる可能性を想定しておかなければこれからの我々の計画に支障が出る恐れがありますからね。そして3つ目、これが本命ですが――本田空将補」

 堀内は本田を見やる。本田は宮鍋を見ながら言った。

「宮鍋一等空尉、君は守りたい者のために自らを断つつもりはあるか?」

「申し訳ありませんが、意図が判りかねます」

「君は任務中とはいえF-15を墜落させた。しかも他国で。パイロット資格の剥奪と教導群除名は免れん」

 やはりはめられていたのだと宮鍋は思った。理不尽が過ぎる。

「どうにかして君を失わずに済む方法は無いものかと我々も策を練った。もちろんこの作戦を立てた段階でな。結論から言えば、新型機のパイロットとして日本の防空にあたるならば、それが可能だ。3つ目は、対ザイ戦へむけての新型機のパイロットとして君を迎えるためだ」

「新型機があるというのですか!? しかし、何故自分が?」

 通常は岐阜の飛行開発実験団行きの案件で、まして戦闘機を墜落させたパイロットに回ってくる話ではない。

 (あずま)がまさしくそういう立場(テストパイロット)になるはずだったろうに。

「ある理由でな…。新型機は正確には開発中だ。この件は堀内技官が開発担当をしている」

 宮鍋は堀内を見る。そんな話は聞いたことが無かった。

「君が体感したとおり、従来機をいくら作っても大して有効ではないと我々は思っている。他の幕僚連中はそう思っておらんようだがな。その新型機を造るにあたって常識外の手法を用いることとした。成功すれば戦闘機の、パイロットの在り方が変わるかもしれん。だがそれには果てしなく大きな代償が生じる。鬼だ悪魔だと罵られても我々も仕方ないと思っている。従来の操縦系統が根本的に見直され、全ての制御ロジックが変わる。そしてザイの高機動に対抗するため、機体にも人体にも双方に対策を施す」

「え…?」

 宮鍋は思わず気の抜けた声を上げる。

「この人体への対策が鬼門なのだ。骨格、内臓、心肺の強化に加えて血管や筋肉の収縮、拡張補助、そして機体と一体化を図るために、脳に信号を送受信するレシーバーを埋め込む。改造されるんだよ、身体を」

「冗談、ですよね…」

 インプラントなんて生易しいものではなさそうだ。

 改造される? 何を言ってるんだ、この人たちは。

「いいえ、冗談ではありません」

 堀内が代わる。

「本田空将補の仰るとおり、従来の機体では対抗できないと踏んでいます。新型機であれど機体をいくら高性能にしたところで有人ではブラックアウト、レッドアウトの壁がありますからね。経験おありでしょう。こうすることでおおよそですが、+14~15G、-5~6Gほどまで持続旋回を行えると試算されています。機体の反応もよりリニアになるでしょう」

「…」

「肝心の制御コンピューターの一部にはザイのコアを用い、機体の構成部材の大半、及び身体強化素材にはザイの部品を使います」

「!!」

 一気に宮鍋の顔がこわばる。堀内は表情も変えずに淡々と話していた。

「ザイを人類側に作り直すようなものです。撃墜し鹵獲したコアの研究は各国、日本も行っています。これでも日本はこの分野で先進国なんですよ」

 展開に頭が着いていけなくなりそうだった。研究の先進国だって?

「ただし、そのまま積んでもまともに使えません。コアは技本で基礎教育を施し、人類に敵対しないようプログラムします。人間はこういうものだと教え込む必要がありますからね。セーフガードも組み込まれますが性能低下を防ぐため多くはかけません。最後の教育はパイロットである宮鍋一尉が行うんです。有り得ないものを有り得るようにしようとしているだけです。ですが、ザイに対抗できる手段は多いほうが良い」

「それ、頭の中どころか全てを覗かれるというのか? ザイを作り直すだって? 人を何だと思って――」

「ではこのままザイに飲み込まれますか? ザイには兵士だろうが非戦闘員だろうが関係ない。あるのは破壊だけです。実際に中国の半分はもうザイの勢力下にあります。人間が残っているかも怪しい。あとどのくらい中国軍が持ちこたえるかはわかりません。台湾軍なり韓国軍なりがまともに戦えるとは思っていません。そして東シナ海を抜けてくれば、次は日本です。その時に抵抗できず終わるのは避けたい」

「一つ聞きたいんだが、俺がその改造を断る、もしくは死亡していた場合は?」

「もう一つの対抗手段に一本化されるだけです」

「もう一つ?」

 宮鍋が疑問に思うが、本田が割って入る。

「現段階では機密事項だ。順次開示されるだろうが、今の状況に限ってはこの件の承諾と引き換えになる」

「仮に承諾した場合はどうなるんですか、本田空将補」

「君には先に開示することを約束しよう。そして、君は新型機のパイロットとなり死亡したことになる」

「それは一体!?」

「この世ならざる敵性技術を導入するにあたっての措置なのだよ。生ある人間に対して公にそれを行えば世の反発は必死。開発は凍結、我々の計画自体破棄されるだろう。だが、存在しないものにそれは意味を成さない。だから君の死亡が前提なのだ。公式に記録も残せなくなるのと、君自身の行動を大きく制限してしまうのが申し訳ないところだ」

「具体的にはどのような?」

「基地外への移動の禁止、外部との連絡や接触はご法度といったところだ。死亡したはずの人間ができるはずがないからな。家族の方にも死亡通知が届く手配になる。自らを断つ、とはそういう意味だ」

「無人機にするなり、他に適任者はいなかったのですか!?」

 自然と語気が荒くなる。何故俺なんだ、と憤る暇なく堀内が割って入る。

「無人機では意味がありませんし、他に最適な者もいません。情報保全隊の資料を漁りましたが最適であるのはあなただけです。我々が卑怯だというのは認めます。ですが、あなたが生還したからこそ実行に移せる計画なんです。教導群でトップレベルの腕前であり錬度は申し分ない、ましてあの任務を経験し生還を果たした者であるなんて貴重以外の何者でもない。それに、今この計画を逃せば防衛力拡充の一手を潰すことにもなります。現代の世論に流されるままでは次の機会は日本が陥落してから、という事態もあり得るわけです」

「文字通り君の人生を左右する重大な選択だが、こちらの調整の問題で明日の1030を返答期限とする。このタイミングでなければならんのだ。それまでに答えを用意しておいて欲しい。それでは失礼するよ」

 本田が敬礼をし、堀内は頭を下げる。宮鍋は呆然としていた。二人が退室すると深呼吸をした。全身から力が抜ける。しばらく視線が天井から動かなかった。このままザイに上陸を許す事態になったとして、自分はどうしているだろうか。

 選ばなければならない。このまま後方に下げられるのか、それとももう一度パイロットとして日本の空を守るのか、そうしたら愛する妻と子供には二度と触れられなくなる、しかしザイは彼女らを見逃してくれるだろうか? いっそ自衛隊を辞め家族揃ってどこか安全なところへと避難するか。しかし安全なところとはそのときあるのだろうか? 何も出来ずただただ狩りつくされるだけではないのだろうか? では――。

 思考が堂々巡りする。気づけば窓の外は暗くなっていた。二人は午前中に来ていたはずだが、いつの間にこんなに経っていたのだろう。時間の感覚がおかしくなっていた。

 今自分にできることはなんなのだろうか。日付が変わってからも眠ることは出来なかった。

 

 

 

 

 

             2月28日 1030 那覇自衛隊病院 病室

 

 

 

 

 約束の時間ぴったりに再び訪れた本田と堀内が一人用の病室へと入る。宮鍋がベッドを起こし敬礼、答礼のやりとりが交わされる。堀内はブリーフケースを手から下げていた。

「約束の時間だ。一晩という短い時間ではあるが、答えを聞こう」

 重い空気が流れる。今後の一生が決まってしまう選択肢に最後まで悩んでいるのは明白だった

「…」

 目を伏せ深呼吸を2、3回し、意を決する。

「自分は、この時までずっと、大切な仲間や上官、愛する者たちのことを考えていました。考えれば考えるほど結論が出せなくなりました」

 本田と堀内はその告白を固唾を呑んで聞いていた。

「しかし自分は実際にザイを見、そして戦闘を行いました。中国を手中に収めつつあるザイの脅威がどのようなものであるか身をもって知りました。その脅威が目前に迫りつつあるこの時に、自ら戦う手段があるというのなら…」

 強く拳を握っていた。胸が張り裂け自分自身がぐちゃぐちゃになりそうだった。

「自分は…それを受け入れます」

 断腸の思いで決意を吐き出す。

 しばし沈黙が続いた。諸手を挙げて祝福すると言った雰囲気は無かった。本田が口を開く。

「…引き返せなくなるぞ。それでもいいのかね?」

 本田の重苦しい口調は、しかし事の重大さを表している。

「この瞬間なら拒否することも出来る。そしてそれを咎めることは我々にはできない。本当に良いかね?」

 宮鍋が息を呑むが、答えは変わらなかった。

「自分は、受け入れます。これが自分が出した答えです」

 本田も一度深呼吸をした。

「わかった。では堀内技官、現時刻を持って宮鍋一等空尉は死亡した。進行の手配を任せたぞ」

「はい。本田空将補、計画を始動いたします。宮鍋一等空尉、改めまして堀内治郎は機体開発とともにあなたのサポートに徹します。技本のスタッフも数名が担当します」

 この堀内も淡々とした口調だが軽い雰囲気はなかった。逆にそういう感情を持ち合わせているのか疑わしいくらいだった。

「さっそく質問だ。昨日言っていた、もう一つの対抗手段とは?」

「ザイに対抗するために既存機を改修しHiMAT化、対EPCM性能の付与、新型の自動操縦機構であるアニマを搭載し専用にチューニング、ザイを殲滅する。これがそのもう一つの対抗手段というわけです。既存機のドーター化、戦闘機が自律して動き敵を落とす。良い時代になったものです。すでにロシアが成功を収め、日本も間もなく配備されます」

 なにやら聞き慣れない単語が出てきた。

 HiMATとは高機動航空技術の略称、EPCMは電子・感覚対抗手段のことを言う。任務中、ザイと交戦したときに感じた現象の正体はこれだった。電子機器はあてにならない、ミサイルも当たらず、ガンの射程内まで近づいても感覚を狂わされてしまう。これでは撃墜も覚束ないのも頷けた。

「実のところ我々の計画の方が『裏』にあたり後発なのです。我々はこの自動操縦機構の部分を有人で行うわけですよ」

 堀内の計画はあらかじめHiMATを前提とした新型機にザイのコアをAI型サポートコンピューター組み込んで超高機動化と対EPCMを施し、人体改造を行い肉体の対G性能を引き上げる。機体制御や火気管制、身体管理はコンピューターが受け持ち、人間が判断を下し最終決定を行うというものだった。

 堀内は人間が必要だと考えていた。

「虎の子のドーターですが量産に難があります。対してこちらは一度手法を確立してしまえば量産も夢ではないです。行く行くは特戦群のような立ち位置になるかと」

「特戦群。夢にも思わなかったな」

 よくもまあここまで持って行ったな、と思う宮鍋であった。

「ちなみにそれまで宮鍋一尉は防衛省の装備品という扱いになります。開発試験終了後はどこかの基地に配備になるでしょう」

「装備品、か。死人に口無しにならないことを願う」

「今までの立場を考えるに、あまりぞんざいな扱いにはならないと思いますが。他にご質問は?」

「仮に俺と東が無傷で生還していた時は?」

「展開に変わりはありません。宮鍋一尉に打診し、承諾されれば良し、されなければ次点の東一尉が候補でした」

「やはりな…」

 もし違う結果になっていれば、東がこの計画に関わることになっていた、というわけだ。

 しかしこの狂気じみた計画に巻き込まれる方はろくでもない結末になるかもしれないと思った。できれば犠牲は自分だけに留まってくれればそれで良い。

「他にご質問が無ければ、これから改造手術にあたって中央(自衛隊病院)へと移動になります。那覇基地と新田原基地に私物はありますか?」

「新田原の自室に写真立てがある。それと携帯だけだ」

 巡回教導が多いためあまり私物は持っていなかった。しかし写真は妻と娘と自分をつなぐ唯一のものになる。これは何があっても譲れない。

「写真は問題ありませんが、携帯電話は処分対象です。外部連絡用以外のデータは複製可能ですが、どうしますか?」

「ああ、複製をして欲しい」

「わかりました。それでは手配しますのでお先に失礼します」

 堀内が出て行き本田と二人になる。堀内の後ろ姿を見送り二人の間に静寂が流れる。

「また空に戻ることを決めた、か。君は生粋の戦闘機乗りだな」

 沈黙を破ったのは本田だった。

「正直、この選択が正しいのか自分でもわかりかねます。しかし、ザイの脅威に対することができるならば、隊の仲間と共に戦えるなら、それが最終的に妻と娘を守れるとしたら、自分はその力を使います。妻に見送られる時に必ず帰ると約束しました。例え死んででも、帰るつもりです」

 澄んだ良い眼をしている、本田はそう思った。パイロット、とりわけ戦闘機乗りはみな瞳がきれいだった。そして本田も元戦闘機パイロットだった。

「君を帰すにはまずザイを退けなければ話にならない。それは肝に銘じておいてくれ」

「はい、承知しております」

 本田は窓辺へ移り、外を見ながら言う。

「私は新型機の開発推進派でな。F-1以来の完全国産の戦闘機が自由に飛ぶところを見たかったのだ。だが平時という状況と政治的な問題で、いつもあと一歩というところで実現されなかった。それがザイが現れたことによって国産の戦闘機(対抗策)が生まれようとしている。皮肉なものだ。しかしパイロットまで改造されなければならないと判った時に心苦しさを感じたのは事実だ。だから私はせめて、立場が許す限りの最大限の責任は全うしようと考えている。君は地上のことは気にせず思い切り飛びたまえ」

 首が飛ぼうが腹を切ろうが安いものだ、と宮鍋に向き直る。眦が緩み口元も少し上がっていた。

 本田も自らの業を背負い込む覚悟でいた。

 全てが動き出した。自らが選び紡いで行く未来への歯車はもう止められない。

「全力を尽くします」

 敬礼。

 宮鍋の瞳は本田をまっすぐ見据えていた。

 

 

 

 



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ZONE2
2-1


「だが、『ガーリー」とはなんだ?」

いろいろ足し引きして更新が遅くなるジレンマ。



 

 

 

 戦闘機を造りたかった。日本の空を守る翼を。半分諦めていた所に人類に災厄が降りかかった。

 ザイの出現。

 不謹慎を承知でチャンスでしかないと思った。

 そして本田空将補をはじめとする推進派の存在。内にも外にもそれを望む者がいた。

 研究中のドーターも十分な数を用意できるかどうかわからない。ドーターが量産できるならばそれはそれで良いが、『人間』も手をこまねいているわけにもいかないだろう。

 それでもなお世間には公開すべきではないとする見方もある。ここにきてもまだ人間同士の体裁や面子を気にしなければならないとは、まったくもって滑稽だ。今の装備だけでは遠からず人類は敗北する。

 もちろんこれだけでどうにかなるとは思っていない。ただの時間稼ぎにしかならなくてもいい。しかし考える時間が延びるならば、その間にできることは増えるだろう。

 設計図は暖めていたものを使おう。考えついたものは試しに載せてみる。試算は目の前のPCがやってくれる。機体は撃墜したザイを再構成して、パイロットの保護はパイロット自身に仕込んでしまえばいい。材質が相似であればコアが制御しやすいだろう。

 敵として飛ぶそれらを作り直し、今度は人類の役に立ってもうことにする。

 名前は…。奇跡を祈り先人達にあやかってN-0(ゼロ)にしよう。New-0。次世代(NEXT)を表すN。そして、こんな馬鹿馬鹿しいものは存在しない、Nullという意味も込めて。

 

 

                             (D:\日記)  堀内 治郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めてコアと宮鍋が同調したのは手術の前だった。

 特殊なヘッドセットを付け脳波をインプットし、拒絶反応が出ないかのテスト。初期学習済みの、機体に搭載予定のAIに組み込まれたコアは暴走することなく、無事にテストを完了した。この時点でコアは機体の一部であるということを認識した。

 両脚、両腕、骨格、内臓、血管、と下半身から順に部品が組み込まれていくごとに同調テストは繰り返された。少しでも問題が起これば宮鍋を失うことになる。

 各作業は、都度スペシャリストを招集することになった。初期学習で人体を教え込まれたコアは人間の元の機能を殺すことなく順応することに成功した。

 最後に小型の機体同調用レシーバーを脳に埋め込み、コアとコンタクト。問題なく同調ができると、さすがに堀内はほっとした。

 ここまであの日から半年が経過した。宮鍋の体力は落ちに落ちた。そこからもう半年、地獄のような再鍛錬を続け、ようやく元に戻すことが出来た。

 全身の縫合跡を除けば宮鍋は以前と変わったところはないが、現代の整形術をもってしても顔以外はそれを隠し切ることは出来なかった。

 一方コアはいったん機体の完成を待つことになった。

 それまでは他のアニマ同様さまざまなシミュレーションや教育が施された。ただし、あくまでパイロットを主とすることに対して従であることが前提となっている。

 最後のマッチングを行い、完成を迎えるまで堀内は堀内でひっきりなしに動いていた。ときに八代通のノウハウを取り入れながら、機体制御に関わるAIも洗練していく。

 コードを見直し最適化を施していくが、既存の処理では演算が間に合わないと判断したため、もう一度最初から作り直し、パイロットが直感的に操作が出来るよう仕掛けを施していった。

 試みは予想を上回る効果を見せ、従来型よりもむしろ動作が軽くなった分ほかのタスクにリソースをまわすことも出来た。

 あとは厳重にシールドしてパイロットの精神面共々保護する。宮鍋と共に在り、何物にも侵されてはならない領域を確保した。

 満足のいくものに仕上がったのは5月の中ごろだっただろうか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         2017年 5月27日 小松基地 0807

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡る空にまばらに雲が散らばる。自然が生み出す芸術はどれもが同じ形はなく、それぞれがありのままを映している。時折隠れる日差しの下、新しく生み出された戦鳥は格納庫に身を置き、自身を操る(あるじ)を待っていた。

 小松基地第五格納庫、メーカーから輸送された部品が組みあがりようやく完成した新しい翼。

 下反角が付けられた前進翼に、コクピットの真横に設置されているカナードが異形なシルエットを作る。通常の水平尾翼は持たず、その機能は三次元推力偏向ノズルとパンケーキ部に可動板を付け同様の機能としている。

 機首表面には急激な機動での気流の剥離対策で上下両面にVFC(渦流制御器)まで設けられている。

 正面から見ると機首はやや扁平に見えるが、空力が追求され複雑な断面を形成する。内部容積を稼ぎ空気の流れを調整しやすいと判断され採用された。そして側線が胴体に滑らかに合わさっていき、主翼の根本からエンジンブロックまでなだらかにまとめられている。

 背中の途中から盛り上がりを見せる二つのエンジンにはサブインテークが存在しより多くの空気と燃料を混ぜることができる。それをやや外側に寝かされた1対の垂直尾翼が挟む。

 翼の付け方を間違えたような機影には、しかし通常のアクリルポリカーボネートのキャノピーが付いていなかった。

 代わりに装備されているのは人類が生み出したドーターと同じパイロットを強固に守る装甲キャノピー。

 有視界戦闘を捨てることになるが、しかしそれは装甲キャノピーだけで4箇所に埋め込まれたカメラが補って余りある映像を映すことが出来、万が一キャノピーを破棄しても帰ってこれるよう風防が装備されている。

 中枢の制御コンピューターはAI型としザイのコアが組み込まれていた。メインコア1つ、サブコア2つ。

 対ザイ戦用のため現代機に求められるパッシブステルス機能は無いが、限られた予算をやりくりし整備間隔の短縮を狙うために切り落とした部分でもある。

 開発は六菱重工が担当した。

 中央自衛隊病院に移って図面を見せた宮鍋からついに可変戦闘機を造ったのかとこぼされたが、変型もしなければ燃料も通常の航空燃料仕様なので無限には飛べませんし、もちろん宇宙になんて出られませんのであしからずと堀内は返しておいた。

 よしんば出られたとしても帰り道で蒸発する。ついでに主翼も固定式。本当は燃料タンクや整備性を考慮しないのであれば可変翼を採用したかったという。

 ちょっとがっかりした宮鍋だが、できようものならば最初から設計に取り入れているだろう。

 程なくして整備員や開発スタッフが最終チェックへとやってくる。あちこちを入念に確認し、飛行試験に備える。

好村(よしむら)さん、ついに完成ですね」

「仕様変更が手間取っちまったからな。こないだのあれは見たくねぇ。盛脇(もりわき)、整備員の意地で完璧にしておくぞ。手ぇ抜いたら承知しねぇからな」

「えぇ、えぇ、わかってますって。今度こそは上手くいきますって」

「あたりまえだ。これが飛ばねぇわけが無ぇ。国産戦闘機、俺らの夢でもあんだぞ」

 好村と呼ばれた熟練の整備員と、もう少しだけ若い森脇。師匠と弟子のような二人が目立つ。

 好村(よしむら) 秀成(ひでなり)盛脇(もりわき) 正樹(まさき)

 二人とも六菱重工から自衛隊に専属整備士として召集されていた。好村は嘱託も終わろうかという年齢に達していた。

 傷ひとつない全てがまっさらの機体は静かに、大空を翔け上がるその時を待ち続ける。

 

 

 

 

 

 格納庫前を歩いていく人間が二人。身長差で凸凹という単語が似合う。

「着任早々の今回のテストですが、あまり無茶をしないでほしいものですよ、一尉」

 小柄な、丸型の縁無し眼鏡をかけた白衣の男が言う。短髪であまり目つきは良くない。口角は下がり気味でいつも不機嫌そうに見えるが、本人は特に機嫌が悪いわけではない。

 堀内治郎(ほりうちじろう)、技本所属、八代通の息がかかっている人物。N-0の開発主任。

「無茶って、何を期待してるんだ?」

 対して堀内より頭一つ分背が高い、自衛隊員らしくさっぱりとした髪型、丸刈りに近い。鋭くもとても澄んだ眼をしている。N-0用に新造された耐Gスーツに身を包んだパイロット。手には同じくN-0用のヘルメットを持っている。

 もっとも、それらの主たる役割は生体反応取得と、機体とパイロットをつなぐためのデバイスという意味合いが強かった。小松基地には前日夜に着いたばかりだった。

 宮鍋久司(みやなべひさし)、階級は暫定的に一尉とされている。

 防衛省技術研究本部による極秘ザイ偵察任務に携わり生還を果たしたが、非公式に開発がなされたN-0のパイロットを引き受けた際に死亡扱いにされ、表舞台にに記録を残せなくなっていた。

 宮鍋自身は(せい)ある身であり、今後の運用を続けるにあたって自衛隊内での階級は二階級特進とせず以前のままとした。

 敵性技術を機体に多量に使用し、宮鍋自身もザイ由来の素材でできた部品で身体強化を図っており、骨、内臓、筋肉、血管いたるところにまで手が入っている。対G機能を内側に組み込み、人間の限界を大幅に引き上げるという試み。その制御はザイのコアが組み込まれたN-0のAIが行う、というあまりにも前衛的な開発計画だったので、防衛省が取った苦肉の策だった。

「いきなりの全力運用は控えて下さい。酔っぱらいよろしくコントロール不能になったらさっさと自動(オート)にして操縦を預けてしまって結構です。βの二の舞はごめんですからね」

 N-0と名付けられた機体の3号機。1号機から順にα、βと割り当てられ、3号機にあたるγが当機である。日本では採用されない命名則を用いる。

 メーカーから仕様違いのN-0が4機納入され、通常型のβにもパイロットをあてがわれ同時開発をしていた。技術実証と各種考察用のα、通常機仕様であり実動試験のためのβ。次世代形態を模索するγ。Δは予備機とされている。

「実機でそれは危険だと思ってるよ。堀内の危惧は岐阜の事故の件だろう?」

 今から3ヶ月前に岐阜基地で起きたβの事故。宮鍋用のγよりも先に完成となった従来どおりの操縦桿式でパイロットとコアの同調をさせず、あくまで制御コンピューターの一部として使用するタイプ。

 どの速度域でも機体の反応が速すぎて、機体を立て直す前に制御不能になってあっという間に墜落したという。

 山間部に墜落したため民間人に死傷者は出なかったが、マスコミへの情報統制が行われ、訓練中のF-15が落ちたことになっていた。

 防衛省から岐阜でのN-0の飛行禁止が言い渡され、小松でようやく再開されたという経緯がある。その時の宮鍋も六菱重工で長期にわたった調整を終え試験飛行を待つばかりだった。

 機体の損失は開発の中断と欠員を招き大きな痛手となった。

「その時のテストパイロットは田中三佐といったな。三佐もシミュレーターは徹底的にやりこんだはずだ。なんらかのミスか不良が露見して墜落に至ったのか? そしてその対策はされているのか?」

 と宮鍋。不安をあおってくれるなよと思いつつ。

「ミスも不良もありませんよ。機体は問題なく100%の性能を発揮しました。コアだって最後までパイロット(田中三佐)に従いました。人間が追いつかなかったんですよ。機体が人間を置いていってしまった。対策としては、まさに今、あなたのように機体と人間が一体になって直接制御することでしょうね」

「とは言うが、前例が無いからな。どうなるか判らない。俺も手探りだ。シミュレーターでは同調こそしていたが通常の操縦桿だった」

「飛行に関しては意識しなくていいでしょう。FBW(フライバイワイヤ)機同様コンピューターが、N-0に関して言えばAI制御ですが、まっすぐ飛ばしてくれます。動翼一つ一つマニュアルで制御することもできますが、あまりすすめられませんね。飛ばすも墜ちるも一尉次第ですよ」

 堀内が区切ると宮鍋は肩をすくめる。しかし尻込んでばかりもいられない。N-0γに関する全てを背負い込んで飛ばなければならないのだ。後には引けなかった。

 エプロンに引き出された機体と対峙する。周りは機体の最終チェックとモニター用機材の設置の喧騒に包まれていた。F-15Jより一回り、いや二回り近く大きな機体は塗装が施されていないかのような鈍色。垂直尾翼に近づいてかろうじてわかるかどうかの日の丸。本気で非公式を貫くつもりなのだ。

 習慣どおり時計回りに目視点検。

 整備員がタラップをかけ、物々しい装甲キャノピーを開放する。前部上に持ち上げられた第1装甲と後ろ開きの第2装甲が羽を広げるように展開された。

 宮鍋はヘルメットを被り、スタッフと入れ替わり未知のコクピットへと身体を収めた。血流の変動を抑えるためかなり深めに寝るような格好になる。

 正面は時流にのった3分割のMFD。HUDはキャノピー投影式を採用したため省かれている。

 緊急用の操縦桿はサイドスティックとされていた。圧力感知型。スロットルレバーはF-15Jからの流用だろうか。

 コクピット内側は外の景色を映していない。が、ひとたび電源を入れシステムを呼び起こせば機体各所に配置されたカメラ/センサー統合ユニットの映像を全天周に映し出し、文字通り空に投げ出されるような感覚で外の様子が映し出されるようになっている。

 もっとも開発コードγの当機はそれをパイロットと直結するため、視覚に頼る必要もなかった。それどころか機体のありとあらゆる情報はパイロット、宮鍋が機体と共に行動している時は把握できるようになっていた。

 酸素マスクとハーネスを繋げていく。そして主電源を入れると即座に自己診断が始まった。チェック項目が走り合否を返している。数秒で収まり完了を告げた。オールグリーン。

 そして宮鍋は機体と同調を始めた。MFD下のLNKと示されているボタンをSET位置まで合わせると、世界が一変した。周囲すべての映像、機体姿勢、速度、高度、気圧、方位、ここまではいいのだが、搭載兵装、各電子機器の電圧、各動翼を動かす油圧、タービン吸気温度、霧化器の噴霧状態、酸素発生器の濃度調整や、はては燃料タンクの与圧減圧状態、無線周波数、ブレーキのABSチェックバルブ開閉まで、ありとあらゆる電子の言葉に圧倒された。普段拾うことのない情報まで入り込んでくる。それも隅々まで余すことなく。

「堀内!」

 たまらず叫びに似た声をあげてしまう。堀内はタラップを上がり、息を荒げ目を見開いている宮鍋に語りかける。

「落ち着いてください。少し情報量を絞ったほうがいいでしょう、F-15Jでいつも目にしていた光景を思い浮かべるだけで自然と調整されるはずです」

 慣れ親しんだF-15Jのコクピットを思い浮かべる。機体前方とHUD、主要な計器類だけを意識すると、それだけに抑えられた。だいぶ楽になり呼吸も落ち着いた。

「あんなに一気に入ってくるとは思わなかった。たまげたよ。シミュレーターは散々経験したが、再現しきれてなかったな。これは手ごわい」

「全てを引き受ける必要はありませんよ、収拾つかなくなりますからね。それと、直接操作する都合上目を閉じてみては? 少しは負荷が軽くなるでしょう」

「そうするよ。エンジンかけてないのにこれではたまらないな。βの方がマシだったかもしれないぞ」

「それは後で決めることです。無事に戻してくださいよ。それと、あなたのコールサインはSHADOW01とします」

「影。言い得て妙だな」

「『日陰者』ってことですよ。グッドラック」

 堀内がタラップを降りると、自衛隊の整備員によって外された。機体から安全な距離まで遠ざかる。

 キャノピークローズ、ロック。包み込まれた空間は真っ暗になるが即座にカメラが捉えた周囲の映像を映し出す。試しに瞼を開けたり閉めたりを交互で比べてみるが、どちらも宮鍋の感覚に入ってくるものには変わらなかった。

 全天周モニターを切り、再び暗闇に戻しても自身に投影される映像は変わらない。緊急時に備えてそのままモニターを付け直し目を瞑る。

 機体には幾何学的な紋様が浮かんでいた。

 各動翼チェック。推力偏向ノズル、上下左右の後時計回り、反時計回り、チェック。

 APU始動。ボタンを押し込めば通常通りに始動されるが、宮鍋は訓練も兼ねてAIに指令を送る。まず右側から。タービンとコンプレッサーの回転数が上がりインテークが周囲の空気を吸い始める。20%を超えたところで点火、APUカット。回転数が上昇していく。合わせて吸気音も徐々に甲高くなっていく。燃焼異常は見受けられない。一瞬80%まで引き上げアイドル値まで戻す。左側も同様。

 全ての航法装置を目覚めさせリセット、IFF応答、無線感度、明度良好。周波数を規定値へ。

 両翼端灯を発光させ3回点灯、消灯を繰り返す。装甲キャノピーで宮鍋が見えないのでこれが整備員へ準備完了の合図となる。輪止めが外される。

「Komatsu Tower,SHADOW01,at Apron,Request Taxi」

『SHADOW01,Komatu Tower,Taxi Clearance,to runway06』

 ヘルメットのスピーカーから聞こえる。パーキングブレーキを解除しタキシング。

 身に染みたF-15Jの操縦桿とスロットルレバーをイメージし、頭の中で操作していた。しかし現実の両腕は空を切る。今やそれは非常用のものと割り切られているのだ。

 短く息を吐き太ももに腕を預け拳を握った。転回にも両足のラダーは使わない。ブレーキも頭の中だ。

 滑走路後端。離陸前の最終確認地点。全ての準備を終え、深呼吸を1回。

「Komatsu Tower,SHADOW01,at Runway06,Ready for Departure」

『SHADOW01,Komatsu Tower,Runway06 Cleared for Takeoff』

「Roger,SHADOW01 takeoff」

 リヒートを使用しない最大推力を発揮させる。インテーク自動調整、排気ノズルが絞られる。シートに身体が押し付けられ、速度が二次曲線的に跳ね上がる。フラップ展開。非武装時のローテーションは110ノット、しかしあっという間に超えてしまう。

 カナードとエルロンが少し動いただけであっけなく両方のタイヤは地面から離れた。さらに速度が上がる。即座にギアアップ、そのまま10度の迎え角で上昇。さっさとランディングギアをしまわなければ対気速度での破損につながる。

 推力を調整し400ノットで一旦巡航、高度を稼ぐ。

 空は宮鍋を受け入れた。

 

 

 

 N-0γの通った空を見上げる好村と盛脇の表情は硬い。だんだんと小さくなる機体を最後まで見送り、やがて見えなくなると好村はつぶやく。

 帰って来いよ、と。

 

 



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2-2

命名は趣味全開です。


 隣の棟に設置されたモニタールームの画面にN-0と宮鍋の状況が映し出されている。パイロットのバイタルチェックの項目が追加されているため情報量が通常よりも多い。

 今のところ目立った変化は認められない。飛行姿勢も安定している。

 不機嫌そうな堀内も内心はほっとしている。だからこそ人間の制御が追いつかず墜落したβが頭から離れなかった。ましてγは未知の操縦系統なのだ。異常が検出されればオートパイロットにしてでも帰還させるつもりだ。

 宮鍋に託したN-0に期待を持ちつつ、自らの欲望を実現しようと彼の自由と未来を奪った良心の呵責が鬩ぎあう。それを押し殺してでも今は前に進むしかなかった。

 恐らく地獄に案内されるのは間違いないな、と自嘲する。地獄がザイに焼く尽くされていなければ――。

 

 

 

 

『ホテルよりSHADOW01、まずはおめでとうございますといったところですか。調子はいかがです?』

 モニタールームからの無線。

「堀内か。最高だと言いたいが、慣れてない分正直怖いさ。もう少し高度を稼ぐまで現状維持したほうが良さそうだ」

『慎重で結構です』

メーカー(六菱)のシミュレーターと大分違うな。データが合ってたのか疑わしいくらいだ。乖離といった方が近いんじゃないか? 離陸だけでもあんな加速したかわからないぞ。F-15Jよりも短距離で浮いた」

『シミュレーターはあくまで仮想ですしデータベースがF-15Jですからね。現実世界ではエンジン出力が想定を上回ったんでしょう。開発時よりも高出力であるのはうれしい誤算です』

「開発者が誤算といってほしくないな、減棒ものだ。高度12000フィート到達」

『SHADOW01、そのまま出力を上げ27000フィートまで上がってください』

「了解」

 宮鍋は再びドライ最大推力を発揮させる。途端に速度が跳ね上がり、機体がわずかの振動を発し安定する。音の壁を越えるのはいくらもかからなかった。ドーター化技術が使われているせいか通常機よりも反応が鋭い。

 サブインテーク閉鎖。擬似ターボジェットを再現。排気速度が上昇しリヒート無しで超音速巡航(スーパークルーズ)。どんどん海面は遠ざかっていき、ついには雲間の上に躍り出る。

 明暗違う青の境界が見える。いつかそこにたどり着き、そして超えていく日が来るのだろうか。

 直線飛行に移るため水平へ戻そうとするが、狙った位置よりもずれてしまう。微修正を繰り返す。思っていた以上に反応が過敏だと思った。

『方位290へ進路を変えてください、ゆっくり』

 ゆっくり。

 これが意味することを宮鍋はすぐに味わうことになる。

 少しバンクしピッチ修正しようとしたが、横転するかのように1回転近く回ってしまいあさっての方を向いた。

 ひゅっ、っと息を呑む。

 なまじ速度が出ているぶん一つ一つの動作ミスが致命的になりかねない。

 同時に、田中三佐が墜落した原因を理解した。

 修正が修正ではなくなってしまったのだ。挙動に一切の遊びが無いどころか、わずかな入力でも大きな動作になった。増幅する動作に全てが破綻をきたし脱出も手遅れになった、そんな状況が容易に想像できた。

 スロットルを戻すイメージ。燃料投入量減、サブインテーク開放。バイパス路を通る空気が排気流を遅くし速度が緩まる。亜音速域へと移行。

 なだめるよう丁寧に、と心がける。

 なんとか予定のコースへ乗せる。冷や汗がどっと滲んで全身にまとわり付いた。

「堀内、とんでもないものを造ってくれたな。今コントロール不能になるところだった。これは人の手に余るぞ」

『僕はこれからのザイとの戦闘には必要だと思っていますよ。ドーターと対等たる戦力のためにも。それでは機動試験に入ってください』

「骨の折れる話だな…」

 試験開始。微細な入力を心がけるもロール半回転のつもりが二回転になり、切り返すも今度は反対へ一回転半。ピッチ操作はすぐさまクルビットへ移行―前転もした―、ヨーに至っては慣性で真横にスピンしかけた。もしかしたらしていたのかもしれない。

 それらを複合したときには空間識失調を起こし自分がどこを向いているかすら判らなくなった。生きた心地がしなかった。

 流れ込む情報を整理しようやく水平に戻せたときには荒い息遣いがこだましていた。

 どこをどう通ったかあやふやだが、南西を向いている。ダイビングの許可は下りなかったらしい。

 ふと今の内容を振り返っていると違和感を感じた。激しい機動につきもののグレーアウト、ブラックアウトも、マイナスGをかけた時のレッドアウトすらも記憶から抜けたかのようだ。肺が押し潰され横隔膜が動かなくなる感覚も無い。

 正確には少しあった。僅かに、しかし今まで経験した中で最も少ないと感じる。あの半年にも及んだ入院生活と全身の縫合痕は無駄にはならなかったようだ。

 そしてパイロット保護という観点では、コア本体は良く教育されていると感じた。

 

 

 

『SHADOW01、大事をとって本日の試験は終了しましょう。帰投してください』

「了解した。状況終了、RTB」

 宮鍋の挙動を察した堀内が大事を取り試験終了を宣言する。

 進路を帰投コースに乗せる。修正を繰り返しながら。暴れ馬な性格がやっかいである。

 水平飛行をする限りN-0は先ほどの試験からすると驚くほど穏やかな表情を見せる。

 不安定な重心を安定させる制御そのものはおそらく問題ない。何がこんなにも過敏な反応にしているのだろうと宮鍋は思う。

 カナードと前を向いた主翼、コンピューター補助無しでは一秒たりとてまっすぐ飛ばない静的不安定性さ、3次元推力偏向ノズル、VFC、HiMAT化、どれも当てはまるのだろうが根本的なところが違うように思えた。

 何かがひっかかっている。

 小松基地へ戻る間に自問自答するが、ついに結論は出なかった。残り10マイルの時点でタワーへ交信する。

「Komatsu Tower,SHADOW01, 10miles north at 3000 feet. Request Landing」

『SHADOW01,Komatsu Tower,make straight-in Runway 06. SQUAWK XXXX』

「Roger,SHADOW01,straight-in 06.XXXX」

 微妙な入力を繰り返す宮鍋の強い緊張は続いていた。

 あれだけの機動力を見せつけられ、着陸にまで神経質にならざるを得なかった。操作が少しでも狂えばひっくり返るのではないかと戦前恐々である。

 緩やかに速度と高度を落としていく。残り2マイルでギアダウン、フラップ展開、アプローチに入る。

 方位292から3ノットの風。左前方からの向かい風の分を考慮してほんの少し左よりの進入になる。

 5度の迎角でさらに減速、130ノットで進入し適正な降下率を維持。タッチダウン。主脚接地時に少しタイヤを押し付けブレーキ作動。スロットルをアイドリングまで落としエアブレーキ作動。コクピット後側の二畳ほどの鋼板がせり上がり、半遊動式のラダーを左右とも外側に向ける。機首上げ姿勢のまま減速し前脚が接地したらカナードを前に倒す。さらに強くブレーキがかかり、やがて停止する。

 滑走路後端から半分に届かないくらい。

 そのままタキシングして格納庫前まで戻ってくる。エンジン停止、甲高い音が静かになっていく。

 輪止めがされ、全てが沈黙したところでキャノピーロック解除、装甲キャノピーが持ち上がり新鮮な外気と内気が混ざり合う。

 タラップが掛けられ、帰ってきた宮鍋に祝福を掲げんとするスタッフや整備士たちは一向に降りてこない宮鍋に様子が変だとざわめき立つ。

 専属整備士の好村がタラップを上がり中の様子を見ると、コックピットに身体を預ける宮鍋は目を閉じたままである。

 大丈夫か、と肩を揺らすとはっとした様子で目が開く。

 同調用スイッチを切り宮鍋が再び人間の感覚を取り戻したところで強烈なめまいが襲った。胃からこみ上げるものと格闘し、酸素マスクを外す。渋面を浮かべると胸のポケットを探りエチケット袋を取り出し、口元に当てると、そのまま吐いた。

 

 

 

 

 

              技本棟 検査室

 

 

 

 

 

「身体に異常はありませんね。脳も問題なし」

 検査結果のコピーを手に取り読み上げる堀内。なんの面白みも無い、といった顔でベッドに寝る宮鍋を見下ろしている。

 担ぎ込まれるように運び込まれた宮鍋は、この1年少々で見慣れた光景に辟易しながら天井を見上げている。

 身体改造を施しても結局は負担が減るわけでもなく、G限界まで無茶した分はきちんと返ってくるのだ。さらに機体と同調した分、脳の負担は確実に増える。

「βと違ってずいぶん安定してるように見えましたよ」

「そうか? 実物を動かすとなると感覚が違うな。自分で言うのもなんだが、先行き不安だ」

 声の調子は重く、体調の嘘はつけない。

「どこか不具合でも?」

「いや、なにかしっくりこないんだ。慣れとかの問題かもしれないが、なんだろうな…」

 額に手を当て考え込む。常識を打ち破ったにしては『らしくない』のだ。操縦桿を使わないとはいえ違和感が残るものなのだろうか。

「処女飛行ですからね。これから磨いていくのが良いかと」

「ザイが目前まで迫っているのにあまり悠長なことは言っていられないだろう」

「いざ実戦の前に潰れてしまう方がよっぽど迷惑です。これでも調達に苦労したんですからね。パイロット共々再調達は難しいんですよ。βを失っている以上、頼みの綱は一尉だけです」

 堀内が嘆息しながら椅子に腰掛けた。

「とにかく一歩一歩確実に仕上げないと、量産化なんて夢のまた夢です」

「…」

 宮鍋の胸中は複雑であった。

 対ザイ戦において有用となればなるほど、長期戦に陥れば陥るほど自分のような境遇のパイロットが増えることになる。

 今の技術では元の身体に戻ることは出来ない。銃後の生活を送るのは諦めることになる。共に身体を張って戦おうとはとても言い難いものだった。

 ザイを退けるまでに技術革新でも起これば良いのだが。

「実際に飛ばしてみたが、N-0は刃物で空気を裂いていくような特性だな。風の切り方がF-15のように穏やかじゃない。剃刀みたいだ」

 宮鍋が話題を変えた。

「設計の段階で意識はしましたが、風を感じるんですか」

「パイロットはみんなそうさ。だが、機体と同調した分もっと近くに感じたよ」

「N-0γ KAMISORI。変な感じがしますね」

「あくまで例えだ」

「冗談です。終始剃刀じゃなかったはずですよ。ギアダウン時はあえて高機動にならないようにプログラミングしてあります。日本刀、KATANAでいいんじゃないですか?」

「N-0γ KATANA…か、悪くないな」

 そんなやり取りをしていると白衣を着た眼鏡の巨体がのそっと入ってくる。

「初飛行でパイロットが殺されかけたと聞いたが、ここにいるところを見ると意外に平気そうだな」

「あれだけのことをやった甲斐がありますよ、室長」

 椅子から立ち上がる堀内。対ザイ戦特別研究室長の八代通だ。昨年の偵察任務に宮鍋と東の派遣にも関わっている。選抜したのは堀内の方だったが、それを宮鍋が知ったのは大分後になってからだった。

 宮鍋と八代通の目と目が合う。

「あの時のデータは役に立っているかい? 八代通技官」

「ああ、十分すぎるほどの収穫だったさ。おかげで戦略の方針転換が容易になった。さっさとドーターの開発予算をよこせとせびれる。それとアニマ達の教育に役立っている」

 アニマ。既存の機体をザイのコアと適合させHiMAT化、EPCM耐性を持たせドーター化、そのコアを培養することによって生み出された自動操縦装置。人間の、それも女性を模しているという。

「無駄にならなくてなにより。3体配備されたのは堀内から聞いたことがあるが、防衛に足りるのか?」

 先ほどまでよりだいぶ楽になってきた宮鍋が身体を起こす。八代通がふん、と鼻を鳴らす。

「絶対数は足りないさ。だから堀内があんたみたいなのを増やしたがっているんだけどな。それともう4体目がいる。ここ、小松にな」

「なんだって?」

 復帰訓練とメーカーでシミュレーターに明け暮れていたおかげで知らなかった。RF-4EJ、F-15J、F-2A、そこまでは知っている。

 他に自衛隊にあった戦闘機はF-104とF-1だったはずだが、すでに退役している。

「何を適合させたんだ? AH-1Sなわけないよな?」

「JAS39D グリペン」

「グリペン」

 スウェーデン製のマルチロール機だ。一時期自衛隊にメーカーから打診があったのは知っているが結局性能未達で不採用になった。なにかの因果だろうか。

「南米の輸出型を買い取ったのさ。新たなコアの適合機を探していた時にちょうど出回っていてな。買い付けて試してみたら上手くいったんだ。俺のセンスの良さが光るだろう」

 自分で言うのか、と呆れていると八代通は煙草を取り出し火をつける。

「せめて誰もいない時に吸ったほうが良いんじゃないか? 『室長』」

 宮鍋が指摘する。実際ここは禁煙である。

「明日のことが判らんご時勢に細かいことは気にしないほうが良い。後悔先に立たずってな」

 八代通が紫煙を吐きながら答える。携帯灰皿は持ち歩いているようだ。

「さて、あんたの無事も確認できたし、俺はぼちぼち退散するとしよう」

「グリペンの調整ですか?」

 堀内が聞く。八代通は頷く。

「あのポンコツの覚醒がいまだに不安定なんでな」

「いまだに、ですか」

「覚醒時間が他のアニマと違って極端に短い。最長5時間、最短で2時間ってところか。あとは眠りについてしまう。あいつだけやけに動作が不安定なんだ。何度検査しても異常はない。この俺ですらさっぱりわからん。これでは戦力として数えられん。初飛行もまだだ」

 短くなった煙草を携帯灰皿に押し付ける。

「しばらくは原因究明だな。だが上からの圧力もある、金もかかる、ザイはすぐそこ、ずっとこのままというわけにはいかない。しばらくして駄目だと判断されたら――」

 あまりその先は聞きたくはない。

 せっかく適合したアニマをみすみす潰してほしくない。しかし時計の針は止まってくれない。

「八代通技官」

 宮鍋が制すように言う。

「なにかの足しになるかもしれない。ここにいるというのなら、そのアニマに会うことはできるか? 聞きたいこともある」

 

 

 

 

 

 

 

            2017年5月28日 0950 技本棟 検査室

 

 

 

 

 

 翌日、宮鍋は朝の検査が終わるとそのまま待たされる。昨日の眩暈はもう無い。一晩ですっかり回復した。

 いったいどんなのがやってくるのだろう。

「おう、待たせたな」

 白衣の巨体が入ってくる。八代通だ。続いてもう一人入室してくる――少女?

「こいつが対ザイ戦の切り札だ」

 白のポンチョブラウスとショートパンツという出で立ち、灰色の瞳、白絹のような肌、飴細工めいた唇、桃色の髪。小柄な少女は一目見てまるで人形のようだと思った。

「はじめまして、私はJAS39D-ANM グリペン」

 一礼するグリペン。まず困惑が浮かんだ。こんな少女が制御ユニット? 髪の色以外は人間と変わらないじゃないか。少し呆けていると堀内が肩を小突いてくる。

「――ああ、すまない。宮鍋久司一等空尉だ」

 思わず立ち上がってしまう。

「一尉が私に用があるって、ハルカから聞いている」

 無表情で見返してくる。ハルカ、八代通か。咳払いして宮鍋が返す。

「君がアニマであるのは間違いないんだな」

「肯定。JAS39D-ANM グリペン、ただの兵器」

「俺には女の子と話してるとしか思えないんだが…。ただの兵器、ねぇ。狐につままれた気分だ」

「あなたもあなたで大概だと思いますよ、一尉」

 堀内が割って入る。グリペンが小首を傾げた。

「それはお前さんたちのせいでもあるんだがな。これだけ改造しておいてよく言えたものだ」

 ため息混じりの宮鍋。

「改造?」

「彼にザイ由来の部品を使って身体強化を図ったんだ」

 堀内の言葉にグリペンが「えっ?」という顔をする。表情が無いわけではないようだ。

「身体の至るところに部品が入り強化されている。細い血管まではできなかったけれど。操縦方法も変えて、アニマのダイレクトリンクよろしく機体と同調するんだ。半年以上の期間を費やして――」

 そこまで言ったところでグリペンが必死な表情で訴えかける。

「一尉、いけない、そんなことをしたら戻れなくなる! 今すぐ修復すべき!」

 突然のことに堀内も宮鍋も固まってしまった。しかしすぐに穏やかな声で宮鍋が答える。

「気を遣わせてしまったか。すまないな、もう戻れないんだ。現段階では元に戻す術が無い。それを見つけるのも開発計画のうちに入っているんだ」

「そんな――」

「医療がさらに発展すれば、人工器官になるだろうが、戻せる可能性も出てくる。今はザイをどうにかしないと、な。それに、後任ができた時はもっと良い方法が見つかっているかもしれない」

 もしその時が訪れたら改良されているだろう、と思いたい。

「八代通技官、本当に不調なのか?」

「今はまだいい。機体の方にも目立った異常は無くてな。そこが悩みどころなんだ。まぁ続けてくれ」

 今までの会話からはとても不調とは思えなかった。

「では――君に起こっていることを教えてくれないか?」

「自己診断でも検査でも異常なし。私にもよくわからない。でも、何かが欠けている気がする」

「何か?」

「パズルのピースが足りないような感じ。ダイレクトリンクもうまくいかない」

「うぅむ…」

 正直その何かというのが思い浮かんでこない。人間と戦闘機の関係なら一つずつたどっていけるのだが。

「私は飛べない。けれど私は戦いたい。人類のために最後の最後まで戦いたい」

 なんだ、一つしっかりした芯を持ってるじゃないか、と思った。まっすぐ向いた視線は、宮鍋に本物だと伝えている。

「欠けているものか。それは人間でも難しい問題だ。たぶん多くの人たちが、同じものではないが抱えていることでもある。時間が解決してくれることもある。いつの間にか埋まっていたりな。地道に探すことができれば良かったんだが、すまない、正直それはどんなものか思いつかない。あまり力になれそうにないな」

「ううん、構わない。私自身でも判っていないから。でも教えて欲しい。一尉はなんで飛べるの?」

「なんで…ってもな。設計が飛べるようになっているとしか」

 機体に関してはそういう他なかった。しかし別の重要な部分はとてもシンプルだ。

「後は『気持ち』じゃないかな」

「気持ち?」

「そう、『飛びたい』って気持ち。子供の頃にすごいな、気持ちよさそうだな、って思っていた。最初に飛行機に興味を持ったのはそんなだったな。で、将来パイロットになって自由に飛びたいって決めてたら自衛隊に入隊していた。飛びたい、今でもその部分は変わってないよ。そしてザイからみんなを守りたい。単純だけどこれが一番大きいな」

 宮鍋の本心だった。グリペンはというと、うんと意気込んでいるように見えた。

「ハルカ、いつでも飛べる。準備万端」

「こんな状態でどうやって飛ぶって言うんだ、このポンコツ娘」

 と八代通。これでこの娘が飛べるようになれば宮鍋としては言うことなしなのだが、と宮鍋は思う。

「少しは足しになってくれればそれで良いんだ。俺も一つ聞きたい」

 ん? とグリペン。

「アニマってどうやって機体を操縦するんだ?」

 自動操縦機構であろうとなにかしらの操作を行っているはずである。操縦そのものに関しては知識が無かった。自身の違和感を払底する近道になるのではないだろうか。

「NFI(神経融合インターフェース)でドーターの制御系と自分の感覚器を繋げている。人間が自分の腕や足を動かすのと同じ」

 宮鍋がはっとする。感覚を繋げる?

「アニマとドーターは不可分。人間が自分の脳と身体を区別しないのと同じ。右旋回したければラダーが動作するし減速したければエンジン出力が下がる」

 区別しない。つまり自分自身ということだ。アニマ=ドーター、目の前にいる少女は機体と同等、そういうことか。口元に手を当て考え込む。

「一尉?」

「…度々すまない。俺も実のところN-0に関しては不安だらけなんだ。だが、大きなヒントをもらったと思う。力になるつもりが逆に助けられてしまったな」

 ううん、とかぶりを振るグリペン。

「私はそれが本望。人類の力になれるなら構わない」

「俺も君が上手く飛べることを願う」

「ありが――」

 そこまで言いかけて突然グリペンが気を失い床に倒れる。まるで前兆がなかった。

「お、おい!? 大丈夫か!?」

 あわてて駆け寄る宮鍋。堀内も近寄り腰を落とす。

「一尉、グリペンを検査ベッドまでいいですか?」

「持ち上げるぞ」

 復帰に向けて身体を鍛えていた宮鍋だったが、あまりにもあっけなく持ち上がってしまい余計に動揺してしまう。軽いな、と思った。ベッドに寝かせると八代通が口を開いた。

「2時間半、少し短めか。日によってこうぷっつり途切れることもあれば徐々に眠りに入ることもある。厄介なものだろう。技術屋としてはこの状態を打破したいところだ。あんたと接触させてみれば解決の糸口になるかと思ったんだがな」

 堀内はすぐにグリペンの検査にとりかかる。

「俺はどうやらこの娘の足りない部分ではないようだ。役に立ったかどうかも怪しい」

「ほんの少しだが前進した、俺にはそう見えたがな。今までグリペンがああも必死な形相を見せたことは無かった。なんらかの刺激にはなっただろうよ」

 そう言うと八代通は煙草を取り出し火をつけた。

 宮鍋はそれをどこか歯がゆい気持ちで見ていた。

 

 

 

 

 



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2-3

気が付いたら年が明ました・・・。
皆様のご健勝を祈ります。


 堀内はグリペンの検査のため八代通と一緒に残った。

 試験飛行前にもう一度機体の点検をしておこうと宮鍋は技本棟を出た。

「宮鍋」

 技本棟から格納庫へ向かう途中呼び止められる。

 小松基地の306飛行隊所属、串谷 信也(くしたに しんや)二等空佐だった。宮鍋が教導群へ引き抜かれる前の直属の上官。TACネームはタイガー。彼もまた教導群に―当時は教導隊だったが―在籍していた過去がある。ちょうど串谷が小松に配転してきた折に宮鍋の上官になった。

 敬礼する宮鍋。

「お前あのアニマと接触したな。初顔合わせか?」

「はい、初めてです」

「N-0開発ですでに会ってるのかと思っていたが、そうでもないんだな。率直に聞く。お前、あのアニマをどう思う」

「人型と聞いていましたが、あのような外見とは思いも―」

「そうじゃない、お前はあれがザイのコアを培養した人形だってことに抵抗はないのか?」

「自分自身はあまり抵抗を感じません。ザイに対抗できる戦力として見ております」

「…お前自身にもザイの部品が入ってるからか? 基地の奴は薄気味悪がって近づきもせん。俺も配備に反対の立場だ。正直お前らN-0開発陣にも良い感情は持っていない」

 串谷の表情は硬い。

 未知の、まして敵の部品を使い戦おうなんてどうかしているという雰囲気だ。いつ味方を裏切り牙を剥くか判らぬ存在など置いておきたくもない。

 しかし普通の神経ならば至極当然であった。宮鍋もN-0と堀内のおかげで感覚がズレているのかもしれないと思った。

「心中お察しいたします。ですが、接触した身としては彼女に反抗の意思は無いと思われます」

「ほう?」

「彼女は人類の役に立ちたいと申していました。敵であるならばこのようなことは有り得ないと思う次第です」

「嘘をついているという可能性もある。それにまだ飛行試験すらまともにできん。あんなので役に立つとは思えんよ」

「いえ、彼女は必ず対ザイ戦の中核を担います」

「その自信はどこからくるんだかな。元教導群のお前も眼鏡が曇っちまったんじゃないのか? 隊のみんなの信用問題にもなるぞ。俺からの警告だ、あまりあいつの肩を持たないことだ」

 そう言い残し串谷は去っていった。宮鍋も彼らの気持ちはよくわかっていた。異質なものに自分達の誇りを荒らされたくないのだ。通り過ぎる他の隊員たちが奇異の目を浮かべているのが大半だった。

 こうなることはある程度予想していた。最初の選択の時の自分も同じだった。みんな同じなのだ。戦うべき未知の敵、ザイ。それを利用しているアニマや自分。いつ何が起こってもおかしくない。

「どうしました、一尉?」

 堀内だった。グリペンの検査を別のスタッフと交代し、堀内もまた点検のためにN-0が鎮座する格納庫へ向かう途中に宮鍋を見つけたのだ。

 あいかわらず状態は変わらないという。

「堀内か。お前も点検か?」

「ええ。念入りにしておこうかと」

「ひとつ聞きたいんだが、お前はザイのコアに恐怖心とかは無いのか?」

「ありませんね。銃口を突きつけられれば別ですが。この上ない研究対象になにを怯える必要があるんですか」

 きっぱり言い放つ。眉一つ動かない。どうやら真実のようだ。聞いたのが馬鹿馬鹿しくなる。

「お前パイロット向きかもしれないな」

「僕は造る方専門です。適材適所という言葉があるでしょう」

 つい大きなため息が出てしまう。他のスタッフがこういうのばかりじゃないことを願った。

「ところで一尉、僕達の配置先が決定しましたよ」

 え? と宮鍋。

 飛行停止からメーカーに出向し戻ってきて初飛行が昨日、試験が始まったばかりでまだ特性も完全に把握しているわけではない。

 再配置にしては異様に早い。

「午後の試験を除いて残りの試験は配転後ということになりました。僕らは百里に配属されます」

「ずいぶん急じゃないか。昨日1回飛んだだけだぞ? まだまともに運用できる体制じゃないだろうに」

「ザイの襲来に備えて各飛行隊で戦力を整えたいのだと思いますよ。三沢にファントム、小松にグリペン、那覇にイーグルとバイパーゼロ。N-0も三沢と小松の中間点に置きたいんでしょう。首都圏ですし、最後の壁、という見方もできます。飛行試験自体は向こうでもできますから問題ありません」

 堀内が眼鏡を指で上げながら言う。

 しかし百里は太平洋側、前線からは遠いのではないか。本田空将補がそう配備しようとするかは疑問だった。

 おそらくは空将補より上の決定なのだろうと思った。

「もしくは、彼女らが食い止めている間に完成させろ、という意味もあるかと」

「あまりいい気はしないが、戦略上それは正しいだろう。だがグリペンのことも考えると、どうもな・・・。設備はどうするんだ?」

「先に運べる分は空輸で済ませますが、大型の専用の機材は後から陸送ですね。これからその段取りもありますし、向こうの受け入れ態勢も調整しなければなりません。試験と平行してやることは山ほどありますよ」

 専属のスタッフも全て百里に移る。岐阜から小松の時とは違い今回は時間の余裕が無い。

「こっちの都合はお構いなしか。組織事の常だな」

「仕方ありませんよ。幸い向こうにも生産拠点はありますし、部品調達が滞ることはないでしょう」

 やれやれ、といった表情を浮かべる宮鍋といつもと変わらない堀内は五格へと歩いていった。

 

 

 

          同日 1347  能登半島沖  訓練用G空域

 

 

 

 午後の試験が始まる。地表を離れたN-0はほぼ垂直に、まるでロケットのように加速していた。リヒートを使用し一気に高空へと躍り出る。随伴していたF-15Jはとうに引き離された。重力と加速度で本来はものすごく息苦しいはずだが、特異なこの身体になってからはあまり感じなかった。

 レベルオフ、背面からプラスGをかけながら戻す。高度43000フィート。やはり過敏な側面が災いして一度では合わない。

『M2.5、まだ加速してます。2.7…2.8…。M2,85、加速限界のようです』

 スタッフの一人がそう告げた。モニター越しにN-0は観察されている。

 もう少しで音速の壁の3つ目を破れそうだが、しかし堀内の設計はこれを限度にしていた。断熱圧縮の影響でこれ以上は費用対効果が悪くなるとしてあえて持たせなかった。

 最高速度試験は堀内の設計目標速度までの到達を確認し終了。

 次は徐々に上昇。高度64000フィート到達。空気密度が劇的に低下している中での高高度評価試験。リヒートカット、減速。紫外線が非常に強く、装甲キャノピーでなければ宇宙服のような装備が必要だろう。

 被弾時の破裂を防ぐため与圧を低くせざるを得ない戦闘機だが、N-0の飛行服は通常のものより高高度対応型となっているため息苦しさを感じることはない。酸素発生装置も強化され、加えてN-0が身体の内側を最適に保ってくれているおかげもある。

 空気密度は極端に低く、酸素はほとんど無い高高度はエンジンストールとの戦いになりそうなほど燃焼が厳しい。インテークが最大に開き、薄い大気を貪欲に取り込んでいく。N-0がドライ推力で上ることができる限界だが、F-15Jは同条件だとそもそもズーム上昇でしか上ってくることが出来ない。

 ここまで高度を上げると動翼による旋回は困難になってくる。しかしN-0は3次元推力偏向ノズルを有し、なおかつVFCをスラスター制御とすることで低空と変わらない旋回率を維持できるとしていた。

 午前中のグリペンとのやりとりで得たヒントを試そうと思った。高空であればリカバリーの時間も稼げる。

 まずスロットルレバーと操縦桿のイメージを頭の中から消した。次いでラダーペダル、そしてついには座席に座っているということも。自分の身体の感覚をN-0へと落とし込み、N-0のより深いところ全てに融合するような感覚を抱いた。

 宮鍋はその身一つで空に浮かんでいた。揚力を生む翼も、衝撃波をいなす外装も、周囲を見渡す電子機器も全て繋がり、結合され一つになる。新しい身体が生まれる瞬間。これが本来のN-0との付き合い方だというのか、堀内や本田空将補が目指していたものなのだろう、と理解する。もしかしたらアニマ達も同じなのかもしれない。

「高高度機動実験を開始」

 SHADOW01、宮鍋が言う。

 上下ピッチ、右へ、左へロール、ヨー。低レートから最大レートまで無段階に。昨日の暴れ馬の如き挙動が嘘のように狙った位置でぴたりと止まる。とても良い感触だ。

 リヒートがまともに作動する高度まで少し降下する。ふと戦闘機動じみたことをする。

 右ロールからバレルロール。急激にジグザグに、そして直角に近い左旋回からまた反対に切り返し、おおよそ人の反応を超えた操作速度でN-0は大気の合間を縫っていく。境界層が剥がれた表面をVFCの気流が再び流れを作り直し剥離を遅らせる。大型機の範疇でありながらかつてない旋回半径の小ささを見せる。同時に、身体に襲い掛かる大Gに抗う宮鍋。

 他人からはただの機動試験に思わせるそれらは、昨年ザイと初めて遭遇した時の記憶を呼び起こし、その状況を再現し、今ならどう動けるかをシミュレートしていた。

 奴らの後ろを取ることができるだろうか。

 慢心はいけないと宮鍋は気持ちを切り替えるために別のことをする。

 90度の左バンクからピッチアップ。重力に引かれ減った揚力によりわずかに機体が落ちる分を修正してきれいな定常円を描く。180度反転し同様に動かす。2週したところで急激に機首上げし、出力を絞りわざと完全失速状態を作った。

 ストール警告が発せられる。動翼も修正をさせず、静安定性が負の特性を持つN-0は簡単にスピン状態に突入する。この操作においても吸気に問題がなくフレームアウトを起こさないことを確認した宮鍋はエンジン停止、ストール試験も行う。

『ああ! まずい!!』

 随伴のF-15Jから無線越しに狼狽した声が上がった。航空機としては致命的となる挙動。機首があちこちでたらめに振られる。アンコントロール、錐もみしながら落下していく。ぐるぐると回る世界で、しかし宮鍋の胸中は穏やかで、焦りによる心拍の乱れは皆無だった。すでに意のままに操る信頼をN-0に見出していた。

 地表に向かって加速していくN-0。ある程度速度が乗ったところで各動翼をミリ単位で、1枚ずつ独立して調整し、最適な空気の流れを作っていく。錐もみを止め、90度横転した状態にした。

 そこから機首を真下に向ける。対気流によりタービンが回転しエンジン再始動、圧縮は正常に行われ混合気に点火成功。出力を上げ、状態の回復を試みる。

 カナードは主翼の乱流を受けることなく真っ先に気流を受け止め進行方向を決定し、主翼のエルロン、フラップ作動、推力偏向ノズルを用いて機体後部を積極的に動かしそこから徐々にピッチアップ、同時にVFCから背面側を流れる圧縮空気が機体の表面をなぞり圧力差を造る。再び揚力が戻る手応えを感じながらN-0はまるでサーフィンでもするかのようにその身を大気に滑らせた。何事も無いかのように水平飛行に戻った。地球の丸みに沿っている。

 地表にはまだ大分余裕があった。

 

 

「これは…」

 堀内をはじめスタッフ全員があっけにとられる。

 βの時と同じように明らかに墜落まっしぐらだったN-0が、何事も無かったかのように平静に飛んでいた。モニター越しに宮鍋の状態が表示されているが、ほぼ全ての信号は乱れることなく更新されていく。心拍の乱れなら堀内の方が大きいくらい。

「み…SHADOW01、無事ですか?」

『ポジティブ』

「その様子ですと、なにか掴んだようですね」

『ああ。どうやら俺はN-0の操縦の解釈が悪かったらしい。正しく理解できていなかったようだ。確かにN-0は普通じゃない。しかし普通のやり方ではかえって駄目だったんだ』

 どうも堀内の理解を超えたところに宮鍋はいるということだった。

 今までとは違う言葉の端々に浮かぶ、悟りのような口調。

『ちょっと別メニューになってもいいか?』

「? 構いませんが…」

『Roger』

 その交信の直後、N-0はアイドリングまで推力を絞りエアブレーキを効かせる。みるみる速度が低下していき、またもストール警告が発せられる。なおも宮鍋は減速。揚力が無くなっていく機体は小刻みに揺れだした。ついには限界に達し自由落下を始める寸前で機首上げ。同時に空気と燃料の混合を最適化、ノズルの絞りも微調整。エンジン出力を調整し加速も減速もしない、重力と釣り合った状態に持ち込む。間もなくN-0は完全に静止した。風に煽られる度にノズルが動く。

 推力重量比がドライ推力においても1を超えている機体の特権。通常時のミサイル搭載量でも1を切らず、非武装状態ならウェット最大推力で2を超えるまでエンジン出力が高められていた。

 宮鍋自身はコクピットで逆立ちしたような体勢だったが、頭に血が上ったために起こるむくみや紅潮は起こらなかった。N-0に積まれたコアが血流を完璧にコントロールしていた。

 この状態で宮鍋はのべ2分間完全静止した。

 ノズルが絞られ燃料流入量が増える。その場から加速しまた上空に舞い戻るN-0。今度はわざと飛行機雲を曳いて鋭角的に曲がっていったり、はたまた緩い曲線を描いたり。急減速、リヒートを使用し急加速。意のままに追従するN-0。急激に機首上げし180度回転、高度をほとんど変えることなく進行方向とは正反対を向き、後ろから前に流れる世界を垣間見る。失速し揚力が消失するまでその姿勢を保ち、降下と同時に3次元推力変更ノズルが上を向く。同時にVFCの噴射孔から勢いよくガスを放出した反力でぐるりと270度向きを変え、地表から垂直に達したところで再び上昇していく。

 

 

 

 

「宮鍋さん、楽しそうですね」

 モニターを見ていた盛脇が言った。

「意外とお茶目なところがあるようです。ところで好村さんは?」

 堀内はいつの間にか好村の姿が消えていたことに気づかなかった。

「あのお方は格納庫に行きました。異動の準備してくると」

「仕事熱心な方ですね。いつの間に?」

「ストールを立て直したあたりで。たぶん、あれを見て安心したんだと思います。あの男は必ず帰ってくる、もう墜ちねぇよと言ってましたから」

 宮鍋は未だかつてない奇妙な高揚感を覚えていた。恐るべきポテンシャルを秘めた凶鳥と向き合い、手を取り合い、ザイへの対抗策となるなら、ああ、むしろこれが必然なのかと納得した。生半可なものはいらない、思い切り突き抜ける翼が必要なのだと悟った。

 妖刀となるか、名刀となるか、それは宮鍋に委ねられることになった。

 エンジン停止。キャノピーが開放される。リンクを切り、酸素マスクを外しヘルメットを取ると心地よい風が抜けた。些か身体にだるさを覚えるが昨日のような猛烈な吐き気は無い。固定具を全て外しタラップが掛けられ、整備員にヘルメットを渡すと自力で降りることができた。

「SHADOW01、ただ今帰還しました」

 皆の方を向き敬礼。その瞬間を待ち望んだかのようにスタッフと整備員の歓声があがる。今度こそ祝福を受け取った宮鍋。

 先に機体を見ていた好村がずいっと近づく。宮鍋と正対する。

「名前を付けたんだってな」

「N-0γ KATANA、そう呼ぶことにしました」

「こいつと上手くやれそうか?」

 宮鍋は自信を持って答えた。

「はい」

「俺の目が黒いうちはいくらでも直してやる。負けんな」

 肩をぽんと叩き好村は工具を取りに行った。

「あのお方も喜んでるんですよ、宮鍋さん」

 傍らにいた盛脇はそう言った。師匠の態度は長年連れ添っていたためによく分かっていた。すぐさま早よ点検せんか、と盛脇が呼ばれる。会釈をし、盛脇は駆けていった。

 たった1機の試験機のためにこれだけ多くの人員が付いてくれるのに宮鍋は頭が上がらないなと思った。

 五格の入り口からそれに聞き耳をたてていた人影も内心はほっとしていた。

「串谷二佐も気になりますか」

 なまず顔の整備員が小声で話しかけた。ネームプレートには舟戸と書かれていた。

「…まあ基地の周りで墜ちられたらたまったもんじゃあないからな。フナはあの機体どう思う?」

「素直にすごいと思いますよ。組み上げの時に立ち会って、こいつは一味違うなって。岐阜の件でどうなることやらと思ってましたが、あっちは軌道に乗ったんでしょうな。うちの眠り姫に爪の垢でも飲ませて欲しいくらいですよ」

「明日には配転でいなくなっちまう。上はいつも余計なことをする。飛行機なら大した距離じゃないが、大きな隔たりになってしまった」

 これで2度目だ、と口から出そうになる串谷。

「できるものなら置いといて欲しいものでしたね。大体の技術は同じ、単純に防衛力の強化になるってのに」

眠り姫(アニマ)の分も俺らが働くさ。もちろん奴が抜けた分もな」

 串谷は腕を組み空を向いたまま答えた。

 未完成の状態のまま出てくるな、そんな思いやりを隠しながら。

 

 

 

 

 

        2017年5月28日 1013 茨城県上空

 

 

 

 

 晴天の空を東へ進む。

 他の人員よりも一足先に飛び立った宮鍋は輸送機が飛び立つのを見届け、先導するように輸送機の前方を飛ぶ。フェリー航行のため武装は積んでいない。おそらくはこれが最後の非武装状態での移動になるだろうな、と感じていた。

 結局グリペンが覚醒しているときに挨拶も出来ないままの配転となってしまった。

 百里に着いたら試験飛行と調整の毎日だろう。迫り来るザイに備えて、できる限りの準備をしなければならない。N-0を少しでも理解しなければ。

 太陽光降り注ぐ中約30マイル先、宮鍋が調子の良い時に裸眼で見えるギリギリの空間にカメラが飛行する物体を捉える。望遠モードでは造作も無い、という感じだ。同時にそれらが放つ赤外線の波長も受け取る。

 2機、それも編隊を組んでいる。逆Y字の尾翼に双発の上反角を持つ、ややずんぐりした機体。半世紀を経てなお現役で日本の空を守っている老兵。

『IFF確認、SHADOW01、フライトプラン通りで結構。後ろの輸送機ごとエスコートする』

「了解」

 F-4EJ改、百里基地の所属機である。時間的におそらくは訓練飛行だったのではないだろうか。そのままこちらに出向いたようだ。

 いったん交差した後、緩く旋回して追いついてくる。

「エスコートに感謝する。先に輸送機を降ろして欲しい」

『了解。――本当に前進翼だ。カナードも付いてるけど水平尾翼が無い。思い切った設計だなぁ』

『私語は慎め。下でいくらでもインタビューしたら良い』

 近くまで寄ってきたF-4EJ改の狭いコクピットから興味津々に見るパイロット。ジェスチャーで挨拶でもしたかったが、しかし装甲キャノピーが宮鍋を映すことはない。このあたりはちょっと不便だな、と思う宮鍋であった。

 

 

 

 

 



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2-4

 宮鍋とN-0は連日の試験飛行を順調にこなしていった。

 訓練では同調を切り緊急時用の操縦桿での操作も行ったが、先にN-0を自分の体とした操縦を身につけた宮鍋にとっては思うように操ることが出来なかった。

 外部の目から見ている分には問題など無くむしろとんでもない技術で操っているようにしか見えないが、静的不安定さをより積極的に機動に活かそうとしてもAIが自動で補正してしまい、齟齬が生まれる。少しのすれ違いが有機的な操舵を無機質にする。文字通り動翼1枚を独立して動かそうとしたり、激しい空戦機動時に片側のノズルだけを姿勢の微調整として使おうと思ってもそれが出来ないということが引っかかるようになっていた。感圧式の操縦桿とスロットルレバーを動かすにしても、脳の思考から命令を腕に伝達し動かすわずかな間がもどかしい。

 そして最大の欠点は『人間の視界』に制限されること。意識を向けるだけで見えていた死角が、首と眼球を動かさないと見えない。F-15のときはそれが自然だった。しかしN-0はそれをも変えてしまった。

 自由が利かない、そうしたズレを感じるようになってしまった。

 慣れとは恐ろしいものだ、と宮鍋は思う。

 反対に宮鍋の操縦を学習するAIは、パイロットが何を考え、何をしたいのかを読み取り、限界域での微妙な加減のノウハウを蓄積させていく――。

 

 

 

 

 

 

             2017年6月21日 1305 百里基地

 

 

 

 

 

「好村さん、右エンジンの回転上昇がわずかに鈍いのです。インテークの作動差異が疑わしい。それと左後方カメラユニット(9番)の電子回路に一部導通抵抗が大きくなっている部分が有ります」

 普通の人間であればおよそ感知できないレベルの不具合が宮鍋には伝わる。

「おぅ、わかった。しかしお前さんそこまでわかるもんなのか」

「機体の隅々まで神経が届いてるのと一緒で、悪いところはN-0が教えてくれます。もしかしたら自分の身体よりも把握できるかもしれませんね」

「大したもんだ。気合い入れて直さなきゃ沽券に関わるな」

「よろしくお願いします」

 空対空ミサイル実弾発射試験をもって試験終了とされ、空対空初期作戦能力が付与されたN-0は正式に百里に配備となった。宮鍋もまた基地に馴染みつつあるときだった。

「皆さん、ちょっと集まってください」

 格納庫でN-0との調整を行っていた宮鍋とスタッフ、整備員や立ち合っていた他のパイロットにも構わずに堀内が声を上げる。珍しく駆け足で、いつものむすっとした表情に焦りをはらんでいた。宮鍋も調整を中断し堀内の元へ。

「ザイが能登半島沖に現れました」

 どよめく格納庫。宮鍋の表情も険しくなる。

「本当か!? 堀内」

 宮鍋は詰め寄りそうになる。

「はい。小松のグリペンの評価試験飛行を行っていた際に飛来したそうです」

「グリペンの。飛べたのか。で、無事なのか!?」

「結論から言えば無事です。ですが…」

「ですが?」

「グリペンは試験中昏睡し、オートパイロットで帰還。ザイは那覇基地から召集中だったイーグルが撃墜しました」

 F-15Jのアニマ。宮鍋はまだ会ったことはなかった。

大事(おおごと)じゃないか。ん? 召集? 2機体制になるのか?」

「そうだとどれだけ良かったことか…。以前からグリペンの評価は良くなく、戦力強化のため上層部がイーグルの配転を決定したようです。今回の件でグリペンがどうなるか…」

 宮鍋だけでなく、小松から移ってきたスタッフと整備員の表情が曇る。内情を知っているだけになおさら居た堪れない。

「それって、結構まずいってことじゃないんですか…?」

 宮鍋と堀内に質問が投げられる。

 第7航空団F-4EJ改パイロット、弐国堂 剛志(にこくどう たけし)二等空尉。TACネーム、ブル。

 宮鍋が百里に来てから最初の試験飛行の時に随伴機役として一緒に飛んだ。それからも度々試験飛行に立会い、行動を共にした時間は結局一番多い。

 後席は有栖川 太一(ありすかわ たいち)一等空尉が務めていた。TACネームはゴリラ。二人共体格が良かったが、有栖川はさらに大きい。空自パイロットの規定ギリギリなおかげで、弐国堂と有栖川の二人が乗るとコクピットの隙間がほとんど埋まってしまうという事態になる。

 弐国堂と有栖川は以前宮鍋に教導を受けたことがあり面識があった。

「あぁ。上層部が見ている前だとすると、なおさら」

「そして問題なのは日本の領空を侵されたことです。ということはすでに中国は…」

 堀内の言葉の前に皆固まってしまった。中国が陥落し韓国、台湾をザイが抜けてきたということは、すなわち日本は最前線という立場になった。

「間もなくザイがやってくる…」

「なら」

 弐国堂二尉が打開するかのように口を開いた。

「いつもどおりやるしかないですよ。俺達あれだけ訓練してるじゃないですか。今あるもので最善を尽くす、自衛隊の教えでしょう」

 ああ、そのとおりだ、やるしかないと次々沸き立つ。宮鍋も少し肩の力が抜けた気がした。弐国堂の肩を叩く。

「ありがとうな、二尉」

「湿っぽいのは苦手です。ところで一尉はアニマとどういった関係なんです?」

 少し冗談めかして弐国堂が言う。N-0を見ながら宮鍋が言った。

「N-0を操縦するためのヒントをくれた、俺の恩人だ」

 

 

 

 

 

 

          2017年6月24日 1048 百里基地

 

 

 

 

 

「この等圧線の間隔と気温、風向きだとこの辺りに大きな積乱雲が発生し、この航路だと雲を迂回しなければならない。その際の燃料消費もより多くなるため――」

 宮鍋は飛行隊作戦室にいた。弐国堂、有栖川の他数名の隊員たちと飛行計画を練っている。元教導群ということもあり教えることは多岐に渡る。

 百里に来て3週間、試験飛行とトレーニング、検査の毎日で早いものだと感じた。N-0は優先的に飛行プログラムが組まれ、都度百里のF-4EJ改と共に飛んでいた。そして好村や盛脇を始めとするスタッフも精力的に整備を受け持った。つい昨日交換すべき部品を全て交換、整備後の初飛行を目前にしていた。

 電話が鳴った。何事かと近くにいた有栖川が電話を取る。

 宮鍋を手招きした。

『宮鍋一尉ですね、緊急事態です。小松にザイが攻め込んできています』

 声の主は堀内だった。

「なんだって!?」

『数は20以上。重爆型も確認されました』

「小松のSC(スクランブル)は!?」

『F-15Jとドーターが上がってます。そして一尉にも命令が下ってます』

「ちょっと待て、俺は今、百里だぞ? 小松に? 何故だ?」

『本田空将補です。早く上がって落としてこいと。八代通さんが空将補に根回ししたそうです』

 越権行為甚だしいと思いながら、最後の仕上げの時がやってきた。

 実戦。いつか来るザイとの戦闘、N-0と宮鍋の存在する理由。

「すぐ上がる! 手配頼む!」

 電話を置くと宮鍋は出撃命令を受けたと他の隊員にこの事を告げ大急ぎで出て行った。ここからは時間との勝負になる。堀内は整備補給群の隊員にSC扱いで出撃する旨を伝え、武装と燃料の搭載を告げる。

 N-0で初めての実戦。いつもどおり。宮鍋に弐国堂の言葉が心強かった。

 着替えを終えヘルメットを装着しながらエプロンへ、息告ぐ間もなく目視プリフライトチェック。ミサイルは前後室を設けるウエポンベイ(兵装庫)を左右エンジン間に持つ。

 後側にAAM-4Bを4発、前側にAAM-5Bを6発が内包される。安全ピンが抜かれいつでも発射が可能になる。タラップを駆け上がり着座、自己診断開始。その間に酸素マスク装着、整備隊員がハーネスで身体を固定していく。通常機よりも激しい機動を行うのでより強固に、装着箇所も増えている。

 全てを装着し終わると、「ご無事で」と告げられる。宮鍋はこくりと頷いた。そして必ず帰ってくる、と伝えた。

 タラップは外され、エンジン始動可となる。キャノピークローズ、同調スイッチをLNK位置へ。JFSで右エンジンを始動、回転数20%で点火、JFS解除。掛かったらAPUで左エンジンを同様に始動。SC(スクランブル)時は両エンジンとも掛かった瞬間にミリタリーパワーまで回転を上げアイドリング領域まで戻す。異常なし。

 タワーにSC(スクランブル)であることを告げる。周囲に民間機は無し。いつでも離陸できる。

 滑走路の途中から進入しそのまま離陸するのでこの段階で動翼とノズルチェック。異常なし。翼端灯を3回明滅。輪止めが外され、誘導される。

 ランウェイ03側へタキシング。滑走路へ躍り出たN-0はそのまま速度を上げ、ギアアップしながら急な角度で上昇していった。ハイレートクライム。周辺の民家に配慮しながら、ある程度高度を稼ぐとリヒート使用。音速の壁を易々と破っていく。

 宮鍋の後を追って出てきた弐国堂は地上から見上げていた。あっという間に見えなくなったN-0に対して「速え~な~」と漏らしていた。

 

 

 

 高度40000フィートでレベルオフ、対気速度計がM2.3を越しなおも加速する。民間機の航路とは重ならない。帰りの分は小松基地で補給すれば良い。

 レーダーとマスターアームオン、全ての武装が使用可能になる。レーダー素子に膨大な電力が流れ扇状に広がる範囲を走査していく。N-0に積まれた最新のAESAレーダーは最大探知距離が180マイルを超え、EPCM下で少々短くなっていたとしても従来型と比較して遠く、広範囲を索敵していた。

 ほどなくしてザイと、小松から発進していたF-15Jを捉え始めた。海上には海自の護衛隊群。EPCMの影響か放たれる対空ミサイルは虚空に消えるばかりだった。

 カメラから流れる外の景色に電子の目が捕らえた反射波を受信、合成しリアルタイムで更新していく。首振り式とは異なり走査範囲内であれば瞬時に複数の目標を定められる。EPCM補正。乱戦となっていた空域でも宮鍋は的確に敵と味方を識別していった。チェックマーカーにFRD(友軍)ENM(敵機)が振られていく。

 味方の数が少ない。レーダーで捕らえたものの手持ちのミサイルの射程はそこまで長くはない。ミサイルのMAXレンジを瞬時に計算したN-0は宮鍋に知らせる。まだ少し遠い。味方の中で明らかに違う機動をしているのはおそらくF-15Jのドーターだろうと宮鍋は思った。実際に通常のF-15Jとは感覚的に異なってレーダーに視えていた。そしてザイも。N-0を通して対峙するのは初めてだった。

 ロックオンしている敵機のマーカーがボックスに変わる。ミサイルのMAXレンジを割り込み、十分な命中が見込める距離まで近づいたという証拠だ。

「SHADOW01.ENGAGE.FOX1」

 後室の扉が開きAAM-4Bを4発すべて発射。

 機体から落下と同時にロケットモーターに点火。燃焼剤の尾を引いて加速していくそれらは、一定距離を進むと前方で跳ね上り高度と速度を乗せる。やがてモーターの燃焼が終わると滑空していく。

 本来はアクティブ誘導だが対ザイ戦中射程以遠においてはEPCM対策でセミアクティブ誘導として運用する。遠距離ではN-0のコアによる自律誘導にも限界があるからだ。しかしこうしたことでAAM-4Bの本来の射程が活かされた。

 リヒートカット、中間誘導のため減速。レーダー照射を継続しほぼリアルタイムで4目標の位置情報を更新し続ける。そして終末誘導に移る。

 

 

 

 くそっこいつらめ!!

 F-15Jを駆っていた串谷はザイの予想以上の機動性とEPCMに翻弄されていた。隊列を組んでいた味方機も落とされていき、残りもそう多くない。

 ミサイルは撃ち尽くし機関砲だけで戦う。時折F-15Jのドーターがザイを落としていくが多勢に無勢、圧倒的に不利な状況は変わらない。

 また1機味方が墜ちたのを見た。しかしそれを気にしている余裕も無いほど追い立てられる。高Gを掛け最大限の旋回率を維持してもザイの後ろを捕らえられない。逃げるので精一杯だった。その横を紅い鏃のような機体が抜けていく。

 あれは…あいつか?

 しかし今までまともに飛べなかったのが嘘のように鋭い。1機、また1機とザイを落としていく姿を回避機動の中で見た。そして重爆型のいる方へ向かっていった。

 奴め、1機で向かうのは自殺行為だろ、やめろ。

 そう思っていた矢先に通信が入る。

『SHADOW01.ENGAGE.FOX1』

 なんだと? SHADOW01? 宮鍋のコールサインじゃないか。なぜ戦域に居る? どこだ?

 頭を振り回し周りを確認すると後方にザイが貼り着いていた。振り切れない、しまった、やられる。

 串谷の思考とは裏腹にザイは串谷を追うことを突然止めて回避行動に移った。左右にジグザグに―とても常識的なものではなかったが―動いたが次の瞬間爆発とともに砕け散る。残存する味方機の後ろに着き狙いを定めていたザイも撃ち落とされていった。

 ザイに混乱が走る。

 助かったのか…? だが、あの紅いドーター(グリペン)だけで重爆型とやりあうのは無理だ。   

 SHADOW01、宮鍋はどこにいる!?

 

 

 

 ミサイルは4発全て命中し、敵性マーカーが4つ消滅した。JADGEとのデータリンクでも確認。その最中に真紅の機体が駆け抜けていくのをN-0に搭載されているカメラは望遠モードで捉えていた。それは宮鍋の頭の中にしっかり映し出されていた。

 あれはグリペンだ。飛べなかった? それを全く感じさせることなくザイを落としている。

 リヒート点火、N-0は再び速度を上げる。相対距離が瞬く間に縮まっていき戦線へ到達する。AAM-5Bを選択。シーカー作動、制御部にあらゆる情報を叩き込み、味方機に追いすがるザイめがけて放つ。

「FOX2」

 前室から4発。まちまちな方角と高度にもかかわらずザイの排気炎を捉え、上から、横から、後ろから、狙いを定めた目標に誘導を切らすことなく最短距離でザイに当てていくN-0。残り2発。ミサイルアラート。2発来る。チャフ、フレアを散布と同時に吹き飛ぶようにバレルロール。ザイのミサイルを欺瞞、誘爆させる。自機の真横、3時方向からからF-15Jを狙っていたザイが転進し機関砲を撃ち込まんと突っ込んでくる。

 それすらもN-0の全周囲を見渡さんと配置されたカメラは捉え、宮鍋は見逃さなかった。

 カナードが上を向きノズルが下を向く。同時に背面のVFCから高圧の空気を噴き出すと、姿勢はそのままに負圧となった空間に瞬間的に飛び上がる。慣性そのままに即座にノズルとラダーを右に向け右エンジンの推力を減らす。さらに機関砲の弾道をザイの予測進路に向けありとあらゆる制御部位を微調整。左から右、真横に発生する水蒸気。既存機では到底実現し得ない領域の操作をする。

「FOX3!」

 ザイの放った機関砲弾は一瞬前の位置を通過し、弓なりの軌跡を残しながらヘッドオン状態となったN-0はその機動と同時に放った20mm航空機関砲弾はザイの胴体を食い破り残骸へと変えた。超音速から亜音速への極一瞬の出来事を処理したN-0は元の進行方向に機体を1回転させ何事も無かったかのように体勢を整え、再びザイを追わんとする。

 マッハコーンが即座に発生するほどの加速は暴力的と言えた。遷音速域において吸気はバイパスを通さず、全てコンプレッサーから燃焼室に導かれる。恐ろしくエンジンのレスポンスが良い。

 宮鍋の9時方向で一際大きな爆発。途端ザイが翼を翻し空域を離脱していった。

 重爆型をやったのか?

 宮鍋は燃料供給を制限しバイパス経路へ空気を流していく。エンジンブロックの冷却と燃焼効率の良い巡航状態に戻した。

 撤退した敵を深追いせず、周辺を索敵する。空域クリア。

 重爆型がいた方角には真紅の鏃が飛んでいた。JAS39D-ANM、グリペン。

 グリペンと合流し平行に飛び機体を左右に揺らす。

「久しぶりだな、こちらSHADOW01、小松では世話になった。何と呼べば良い?」

『私はBARBIE01。向こうの子がBARBIE02』

「Roger。飛べたな、BARBIE01。欠けていた物は見つかったか?」

『うん、見つけた。とても大切なもの』

「そうか、おめでとう」

 そんなことをやりとりしていると山吹色に輝くF-15が近づいてくる。装甲キャノピーが装着されていることからドーターであることは明白だった。

『えーなにこれ!? 主翼が前向いてる!? 変なの。こんな子いたっけ?』

 グリペンと違って実にあっけらかんとした声が返ってきた。F-15のアニマは明るい性格なのだろう。

「初めましてだ、こちらSHADOW01、百里基地所属機だ」

『BARBIE02、イーグルだよ。ん?? ドーターだけどドーターじゃない???』

 幾何学的な模様が浮かぶが、ドーターのように発光しないN-0を見たイーグルが不思議そうに言った。

「申し訳ないがここで詳しいことは話せないんだ」

『ふーん。ま、いっか』

 ある意味助かる反応だと宮鍋は思う。

『タイガーよりSHADOW01、応答しろ』

 通常のF-15Jが1機寄ってくる。空自の使用する周波数帯のチャンネルから聞き覚えのある声が流れてくる。

 コクピットから手を振る人物は串谷だった。

 公式には死亡している現在の宮鍋にTACネームは無い。コールサインがそのまま宮鍋のことを示す。

『よう、見えているか? 百里からわざわざご苦労だったな。ボスの命令か?』

「ポジティブ。まさか小松に派遣されるとは思いもしませんでした」

『こっちも寝耳に水だ。だが助かった、飛行隊を代表して礼を言う。今頃上層部は混乱しているだろうが、まあ後処理はどうするか見ものだな』

「穏便に済ましてほしいものですね。それでは戻ります。RTB」

 機体を左右に揺らす。帰投を宣言し離脱。緩上昇から旋回し小松を離れていく。

 武装を格納式としたことでミサイル満載だったにもかかわらず抵抗は増えない。宮鍋が思った以上に燃料はまだ余裕があった。

 N-0の初陣はこの上ない戦果だった。

 あの時の任務からはとても想像できない、怖いくらいに。

 しかし同時に、もし小松にいたらもう少し被撃墜機は少なく出来たのではないかとも思う宮鍋であった。

 

 

 

 

 

 百里の格納庫に戻ってくると開発スタッフに整備員、そして航空団の半数はいるんじゃないかというほどの出迎えがあった。宮鍋は驚いてしまう。

 宮鍋は高G機動と実戦の緊張から開放される。同調を切った途端、かつて味わったことのないGが掛かった身体があちこち痛み出した。夢の世界から現実に引き戻されるような感じがした。

 質問攻めに遭い、やっかみをかけられながら今夜は飲み明かそうという者まで出る始末だった。

 筋肉は痛めつけられ臓物が重い。関節も悲鳴を上げていたが、お手柔らかに、と返すのが精一杯だった。

 航空自衛隊、宮鍋久司一等空尉とN-0は生還を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

「先日の交戦記録は以上です、本田空将補」

 堀内は受話器を左手に持ちながらも右手はキーボードとマウスを往復する。

『うむ。一時期は計画の破棄すら危ぶまれたが、宮鍋一等空尉は覆した。各方面に作った借りも無駄にならずに済みそうだ。今日まで頑張ってくれている君にも、支え続けてきた全ての者に感謝してるよ』

「光栄です。しかしザイが攻め込んできたというのは実に特効薬たりえます。八代通室長もさぞ次の手、さらにその先を張り巡らせているのではないかと」

 パソコンの画面を見つつ手を止めることはない。

『刺激的な特効薬だ。副作用が大きすぎるがな。現在の宮鍋一等空尉はアニマとの接触に問題が出そうかね?』

「いいえ、問題ありません。他の者と比較して友好的であります。あの時から継続して観察していますが、一尉が持っている生来の性格であると考えられます」

『ならば問題ない。八代通技官がアニマの集中運用部隊を設置した。独立混成飛行実験隊という。アニマとドーターで構成された対ザイ戦特別部隊だ。今回の件でN-0の戦闘が有効であるとして防衛省の決定により君達もこれに合流してもらう』

「後方で腐らすよりも前線で存分に力を発揮してもらう方がより今後のためになる。ようやく上は理解しましたか」

『腰が重いのは昔からの悪い癖だよ。事が起こってからようやく動き出す』

 電話の向こうで自嘲気味のため息が聞こえる。

『どのみち前線が突破されればザイがなだれ込むのを止められまい。大臣は水際で食い止めるよう防衛線を厚くする方針を水面下で出した。戦力補充として君達にはまた小松へ異動してもらうことになる。正式な書類は後ほど送る』

「了解しました。我々の存在意義を、引いては日本を守る駒としての役割を果たすこととしましょう」

 エンターキーを押した手が止まる。

 僅かに口角が上がるのを、誰も知ることはなかった。

 

 

 

 

 




原作1巻分終了。
アニメ放映から1年経ちましたね。
それまでガーリー・エアフォースの存在を知らなくて、知ったときには11巻発売前だったという・・・。
なんにせよ、この作品に出会えてよかったと思っています。


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ZONE3
3-1


 この間の小松防衛戦で一尉とN-0は確かにザイと戦闘に入りました。交戦記録とレコーダーを解析してみても、通常機では有り得ない恐ろしい機動をしたのは確かです。よく空中分解しなかったものだとしか言えないのですが、奇妙なことに、整備と検査においても許容範囲内の歪みしか確認されていないんです。いえ、自己修復の類ではなく…。HiMAT前提の機体強度で設計したとはいえ、どうにも腑に落ちません。今頃工場送りになっていてもおかしくないのですが…。鳴谷君とグリペンの件といい敵性技術というのは探求心を擽り実に興味深い結果を残すものですね。室長、僕はこの状況を最大限活用する一存です――。

 

 

 

 

 

 

 

          2017年7月17日 百里基地 

 

 

 

 

 

「うぇ、そんな…」

 回覧を受け取りN-0の整備をしていた盛脇が愚痴る。

「好村さん、僕達また小松へ異動ですって」

「ぁあ? 馬鹿言え、もう繋げちまったんだぞ、コレ」

 基地のシミュレーターにN-0を使えるようにするサーバーと変電設備、接続ケーブルやら整備用の足場、果ては機体予備パーツラックに脱着式ミサイル懸架装置の保管機材など。製造元の六菱重工から送られてきたものが格納庫の一角に配置されている。

 それだけではなく建物内の宮鍋用の検査機器も撤去しなくてはならない。つい一月前に配転してきて機材を完成させて間もない。今更動かすとなってはやりきれないものだ。

「いつだ?」

「1週間後です」

 じっとコピーを見る好村。その間N-0が飛行訓練を取りやめるわけも無く整備だって有る。

「大工事だな…」

「ええ…」

 渋面を浮かべる好村と盛脇。頭の中はすでに作業日程を構築していた。

 

 

 

 

 

「まーた上の無茶振りが始まった」

 昼時の仕官食堂。宮鍋の向かいに座っている弐国堂が豚の生姜焼きを頬張りながら眉をハの字にしている。階級は二尉。F-4EJ改のパイロット。

「弐国堂、不敬罪」

 弐国堂の隣、茶碗に主菜である生姜焼きの一切れ載せた後のタレが染みた白米を食べていた有栖川がぼそり。宮鍋と同じ一尉であり、弐国堂の先輩である。同じF-4EJ改のパイロットであり、主に後席を任される。

「そりゃこうもなりますよ、宮鍋一尉この間来たばっかりですよ? それがもう配転なんて。アホなんですかね」

「小松の襲撃で、上が慌てて集中配備しようとしてるらしい。それに、その時結構な損害も出た。仕方ないさ」

 宮鍋は小鉢のすみつかれを食べていた。

「俺や堀内はまだいいさ。大変なのは好村さんや盛脇さんはじめ整備員の人たちだろうな。それに施設隊か。機材ごと全部撤去して輸送する。シフトは調整するようだが、全く飛ばないわけにはいかないから、その合間に整備も。たぶん休み返上になると思う」

「うわぁ…」

 気の毒に、と弐国堂。

「彼らも出向とはいえ技官だからな。上からの命令には従うしかない。俺達と同じだ」

 きれいに平らげた有栖川がお茶を啜りながら言った。

「小松、か…」

 宮鍋も食べ終わった小鉢と箸を置き、手に取ったコップの水を見ながら言った。

 串谷二佐や飛行隊の皆、そしてグリペンとイーグルはどうしているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

           2017年7月24日 百里基地滑走路

 

 

 

 

 

 

 ランウェイ21手前のホールドライン上で停止。N-0のカメラには格納庫脇から手を振る見送りの隊員たちが見えていた。有栖川や弐国堂をはじめ基地の皆と過ごせた時間はかけがえの無いものとなった。

 最前線の小松へ配転となればもう百里に戻ってくることはないだろう。いつかまたどこかで会えることを願った宮鍋。

 先に出て行った技官たちはもうすぐ小松に着くころだろうか。次は自分のフライトなのだが、一向に許可が下りない。先ほど着陸した小型の民間機が動かない。なにかしら機体にトラブルが発生した様子だ。

 滑走路上に停止している機体があるときは滑走路に進入してはならない。世界中の空港の共通ルールだ。

SC時ではなかったのは不幸中の幸いか。

 なんだか見送りの隊員たちに申し訳ない気持ちが湧いてくる。ようやく動いたと思ったら今度は旅客機が進入するという。宮鍋は待つしかなかった。

 結局40分ほど待たされてようやく離陸となった。

 

 

 

 

 

            同日 小松基地

 

 

 

 

「三格が賑やかじゃないか」

 小松に到着したN-0と宮鍋。エプロンまで誘導を受けながらタキシングし、機体停止措置を施し酸素マスク、各ハーネス類を解除、キャノピーを開け待機していた堀内にそう言う宮鍋。

 タラップが掛けられると宮鍋は降りる段階でヘルメットを取り座席に置いた。

 小松防衛戦の爪跡はすっかり無くなっていた。アプローチ体勢から見えていたエプロンに3機のカラフルな機体が見えていた。迷彩塗装が施される軍用機において、そこだけ花が咲いたようだった。

「アニマが3体になったのはいいんですが、順風満帆とはいかないようです」

 地上に降り立つ宮鍋に対し、堀内が三格を見ながら言う。

「ん? それは一体?」

「よう、今頃到着か、どこで油売ってたんだ? 遅いじゃねぇか」

 そこに串谷が現れた。二佐、宮鍋のかつての直属の上官。

「申し訳ありません。宮鍋久司一等空尉、ただ今着任しました。―どうされましたか? 串谷二佐」

 敬礼。串谷に若干疲れが見えているように思えた。

「ちょっと心労がな…。まあ、そのうち分かるさ」

 そう言い残し去っていった。どういうことだろう、と思う宮鍋。

「慧、この人」

 聞き覚えのある声。そっちを見やると薄桃色髪のアニマ、グリペン、とその横に高校生くらいの男の子がいた。

「こんにちは」

「こんにちは。――堀内、今日は基地解放日だったか?」

 ぼそぼそと耳打ちをする。こんなところに一般人がいるのはいささかおかしい。見たところ航空学生でもなさそうだ。しかし耐Gスーツ着てるのは何故だ? 催しか何かで着させているのだろうか。

「彼はグリペンのパートナーですよ」

「え?」

 予想だにしていなかった堀内の言葉がうまく入っていかなかった宮鍋。

「ですから、グリペン覚醒のキーマンということです。詳細は後で話しますが、グリペンに乗っています」

「鳴谷 慧って言います。訳あってグリペンと一緒に飛んでいます」

 驚愕を露に目を丸くする宮鍋。一般人がグリペンに乗ってるだって?

 慧と堀内を交互に見やる。

「本当に…?」

「は、はい」

「小松にザイが侵攻して来たときも慧が乗っていた」

 とグリペン。

「えぇ!? あの時乗ってたの!?」

 さっきから仰天しっぱなしの宮鍋。

 空戦は日ごろの訓練と体力がものを言う。目の前の学生はどう見ても自衛隊の訓練に混じって過ごしているどころか特別な体力があるようには見えなかった。さらに乗っていたのがドーターだ。全力で動き回られたらひとたまりもなかっただろうに、と思う宮鍋。

「といってもGに耐えられなくて気絶しちゃいました。帰ってからのほうが大変だったというか…」

「鳴谷君、と呼べばいいか? よく無事だったね…」

「皆さんに心配されました…」

「堀内、お前黙っていたな?」

「他基地にこの事実を広めるわけにもいきませんでしたからね。一尉経由で知れ渡る可能性もあった。噂の拡散は予想以上に早い」

 宮鍋は半眼になりながら堀内を見る。こほん、咳払いを一つ。

「ドーターに乗り込んで飛んでるというのなら、これから行動を共にすることもあるだろう。改めまして、本日付で小松基地に配属となりましたN-0γ KATANAと宮鍋久司一等空尉と言います。よろしく」

「よろしくお願いします」

 握手。まだ幼さが残り成長し切る前なのだなと、その掌から感じ取った。

「それはそうと鳴谷君、名乗っておいて何だが、基地の外ではこの機体の事と俺の名前を出さないで欲しいんだ。自衛隊の守秘義務ってやつで。脅すようで申し訳ないが、うっかり口に出してしまうと怖いお兄さんが――」

 口元に人差し指を持っていく。内緒にしておいてね、というサイン。

「大丈夫です、嫌ってほど経験しましたから…」

 慧の目が泳ぐ。この1ヶ月ほどの間に何があったのだろう、と思ったがそういえばこの上なく機密事項に関わっているな、と宮鍋もそれ以上詮索しなかった。グリペンは慧の隣で頭の上に「?」を浮かべている

 その光景を見ていた影が一つ。

 

 

 

 

 

 

 基地指令への挨拶が終わり自室へと荷物を運ぶ。これから八代通技官に挨拶しに行くとなると、昼食をとる時間は無さそうだった。百里で足止めを食らったのが痛い。着替えを適当にしまい込み、机に写真立てを立てかける。写真には妻の茉莉と娘の清美。自分と彼女達を繋げる唯一のもの。あの日俺は死んだんだ。もうこの世にいないことになっている。生身はしかしこうして彷徨い歩いて、あまつさえ未練たらたら。度し難いな、と自嘲気味になる。

 もう少しの間、俺は人間でいたい。

 八代通がいる技本棟室長室に向かうと、ちょうど堀内と出くわした。

「室長なら席を外してますよ」

「? なにかあったのか」

 この時間ならいると思ったのだが。

「イーグルを連れてどこかへ外出したそうです」

「アニマを連れて…って、機密事項を外へ持ち出して大丈夫なのか?」

 世間にバレたらどんな反応が起こるだろう。極々一部だけには理解される可能性は有るかもしれないが。

「室長の世間体がどうかは判りかねますが、大丈夫と判断したんでしょう」

「そういうものなのか…? そうそう、鳴谷君はいつごろから基地に通うようになっているんだ?」

「僕たちが百里に配転したあと、6月の半ばだと聞いています」

「入れ違いだったんだな」

「ええ。そして興味深いのが鳴谷君の脳波とグリペンのEGG、脳波みたいなものが完全に一致しているんです。時系列を考えても普通は有り得ません。まるで最初からそうなっていたかのようだと室長が言っていました。グリペンの不安定な覚醒は鳴谷君が近くにいるということで解消されることが判明しました」

 八代通が手を尽くしても解決できなかった問題があっさりと片付いてしまったが、これはこれで新たな問題が出てきそうだ、と思う宮鍋。

「だから小松防衛戦で鳴谷君が乗っていた、というわけか。彼が覚醒の鍵だったとはね。ただ、どうしてそうなっているかが見当付かないな」

「技本は解き明かそうという気まんまんですよ。僕もその関連性については研究するに値すると思っています」

「ほどほどにな…。さて、八代通技官が戻るまでは待機だな」

 いないものは仕方ない、出直そう。

「僕はまだ確認することが有りますのでまた後で」

「ああ、俺はまた格納庫へ行く」

 

 

 

 技本棟、情報管理室に着いた堀内は早速パソコンのデータ整理を始める。

 N-0に関するものは責任者である自分が行わなくてはならない。外部漏洩防止のため空自の専用回線も使わずに複写となる。暗号化を解いて手作業で入力する部分も多い。机の上には缶コーヒー(砂糖、ミルク入り)の中身を移し、ガムシロップを追加で3杯入れた猫柄のマグカップがある。昼食はこれとカバンに忍ばせてある固形の携帯食で済ませるつもりだった。

 ふと背後に気配を感じた。

「お邪魔します」

 身体をひねり視線を後ろに向ける堀内。

 お嬢様然とした佇まい、エメラルドグリーンのおかっぱ髪、ファントムだった。

「遠巻きに見ているかと思っていたけど直接来るとはね。N-0と一尉のことかい? ファントム」

「察しが良いようで。メーカー自主生産という名目のあの機体、本気で量産化、特殊部隊化する気なんですか? 堀内治郎さん」

「将来的にはそのつもりだよ。そのための宮鍋一尉とN-0だからね」

 体勢を戻し作業を進めながら言う堀内。

「アニマは機種固有のキャラクターであり複数存在できない、現状世界の研究機関が出した結論はこれだ。そしてそう易々とアニマが生み出されるわけでもない。これではどうがんばってもザイ相手には圧倒的に戦力が足りない。じり貧するのが容易に想像できる。なんとかして補うにはどうするか、ドーターとアニマと同等と言える存在、すなわち素であるザイを利用することではないか? と僕達開発陣は考え付いた。N-0もまた回答の一例でしかない」

「そのために人間そのものを生贄にした、と。あの機体のためだけに断行した。非常識極まりないとしか言えませんね。もっと別の手段があったはずでは?」

「夢さ」

「夢?」

 データを打ち込んでいた指を止めファントムへ向きなおる堀内。

「そう。製造当時、計画初期の頃か、僕達だってアニマという存在に希望を見出した。中国で突如出現したザイはやがて日本にも飛来するだろうと予測されたからね。しかしそれに頼りっぱなしというわけにもいかない。もし何らかの原因で飛行不能になったとき対抗手段を失う。バックアップは不可欠、しかし通常機ではおそらくザイに追従できない、とN-0開発陣は交戦データを見て確信していた。結果は知ってのとおりだね」

 小松防衛戦における被害は大きかった。保有するF-15Jを何機も失った。

「ザイや君達アニマが現れる前から国産戦闘機を望む声はあちこちあった。メーカー側にもね。僕達はそれを纏め上げ、長年の夢であった国産戦闘機を造った。資金調達に抜け道を使い、メーカーには無理を圧して製造してもらい、一尉にはおよそ人間の所業ではないことまでやった。その夢と犠牲の結晶がN-0と現在の宮鍋一尉、というわけだ。そして量産化するとなれば、宮鍋一尉の例を元にすればいい。その材料は敵が自ずと提供してくれる。アップデートは必要だろうけど、理想的だよ。でも、本当に必要なものはこの夢から醒めること、そしてその過程を作り上げることなんだろうね」

「それを理解しているのならまあ良いでしょう。経緯と詳細を一般公開しなかったのは賢明な判断ですね。無駄ないざこざを増やすべきではありませんし」

「人間の愚かな部分を知っているからね。仮にザイを掃討できた場合、今度はこれを巡って大義名分を掲げてまた争い始める。どうしようもない。だからザイとの戦争が終わっても詳細は公開しないことになっている。――それでも、別の道を歩む人類の可能性に賭けているのさ、『僕達』は」

 どこか遠い目をする堀内。

「私は理由はどうあれ人類を救済すべきものとして造られました。堀内さんもその対象であることはお分かりでしょう。シミュレーターを繰り返し、人類が滅亡するそのときまでどう行動すれば最適であるか、そうなるために実行すべきことは何かを突きつけられました。小を殺してでも大を存続させるために、最後まで生き残るべく私は私の思いつく限り、堀内さんの言うその可能性が繋がるよう行動を起こしますのでそのつもりで。あなた方も大局のうちの因子であることの例外ではないので悪しからず」

 少々そっけない態度のファントムを見てため息を漏らす堀内。

「やれやれ、生まれたてのときはあんなに素直そうだったのに。室長も罪な事をする」

 孤軍奮闘かな、とファントムを見て頭をかく。

「…は?」

 ファントムが予想だにしていなかった発言に目を丸くする。

「ちょっと待ってください、なんで私の出自を知っているんですか!?」

「N-0を造る際にファントムとドーターを参考にしたからね。人工子宮の培養液に浸っていたときから知っているよ」

「――見たんですか?」

「誕生の瞬間なら」

「違います、そうではなくて、見たんですか!?」

 顔を真っ赤にしたファントムが詰め寄る。

「何を? …ああ、そういうことか。全部見た、これでいいかい?」

「~~!!」

 実際当時はドーターの研究をしたこともあり、その過程でファントムを見ていた堀内。

「艦と飛行機はよく女性詞を使うせいか、人間の欲が集中したのかな、と思った」

 ファントムの『全て』を見た堀内だが、しかし研究中にそうなるのは当然のことだろう、と特に意に介さずの立場だった。

「今すぐ記憶から消して下さい! 手伝いますから!」

 堀内の襟元を掴みぐわんぐわんと揺すりながら狼狽するファントム。幸いなことにマグカップの中身を撒くことは避けられそうだった。

「別に広める気は無いから安心すると良いよ。あと、落ち着いてから外に出て行くこと。他者に悟られないことが肝心だろう?」

 ずれた眼鏡を直しながら堀内が言う。表情はいつもと同じだった。

「…忠告は受け取っておきます。ですが、記憶の消去(デリート)にはいつでも付き合いますのでお声を掛けて下さい」

 少し不機嫌な表情を残しながら、冷静さを取り戻したファントムが出て行く。

 堀内は、良かった、まだ普遍的な感情が残っていてくれていた、と安心した。

 

 

 

 

 



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3-2

手直しや表現の変更がドツボに嵌ると大変・・・


 N-0は第一格納庫、通称一格に駐機とされた。以前の開発試験段階で五格にいた頃が懐かしい。昼時で人が少なめの中、N-0の整備員―メーカーからの出向、技官として従事している―が機材の移動に追われていた。相変わらずこの方々には頭が上がらない宮鍋。

「お疲れ様です、好村さん」

「おぅ」

 皺が深くなりかけている顔を向ける好村。到着からずっと動き続けているようで、若手顔負けの体力は細身の身体のどこにあるのか皆目見当がつかない。

「基本的な整備が出来るくらいには終わったんだが、まだ届かねぇものもあってな。本格稼動はもうちょい待ってくれ」

「いえ、こちらこそ時間とらせて申し訳ありません」

「気にすんな。おっと休憩時間だな。おい、休憩」

 待ってましたといわんばかりにスタッフが休憩に入る。少し遅めの昼食となりそうだった。

「施設隊ががんばってくれてよ、これでも予定より早くあがりそうなんだ」

「あまり無茶しないで下さいね」

「まだまだ若ぇのに負けやせんよ」

 にやりと笑うと好村も格納庫を出て行った。

 宮鍋はN-0にかけてあるタラップを上り、コックピットを覗き込む。

 電源が落とされているMFDの横の狭いスペースに貼られた写真のテープを補強した。これから激しくなる戦いに備えて、剥がれてしまわないように。

 

 

 

 結局、八代通の到着が不明のため限界まで粘ったが、ついぞ昼休憩中に戻る気配は無かったために宮鍋は昼を売店のゼリータイプの栄養ドリンク3本で、ものの15秒で済ませた。

 この後の予定が進まないのでドーター3機が置かれている三格へ向かう。身体改造からの復帰と機体の開発により本物のドーターを間近で見たことがなかったので良い機会だと思った。三格の入り口から中を覗くと舟戸と目が合う。

「ああ、あんたN-0のパイロットか。どうしたね」

「宮鍋久司一等空尉です。ドーターを見せてもらえますか」

「構わんよ」

 軍用機にあるまじき色の戦闘機が並んでいる。JAS39D、F-15J、そしてRF-4EJ。3機のドーター。対ザイ戦用に特別なチューニングを施した機体たち。

「RF-4EJは昨日小松に着いたんだ。午前中室長の命令でDACTをしていたんでな。今は3機とも整備中だ」

「そうでしたか」

 所々ハッチが開けられている。このくだりはN-0もドーターも通常の戦闘機と変わらないようだ。

 タラップをあがりコックピットを覗くと操縦桿が無かった。替わりに両サイドにパネルのようなものが見える。

「あれがNFI。アニマ達が直接機体を操縦してるからくりだ。あんたの場合は人間でありながら似たようなことをやってるんだろう? そのうちぶっ壊れたりしないかね?」

「わかりません。今はまだ直接的な影響は現れていませんが、長期的に見た場合、どんな影響が出るか…。俺自身は、あまり推奨しかねますよ」

 F-15Jのドーターを降りる。続いてJAS39Dのコックピットを見た。後部座席にはNFIのパネルではなく通常の操縦桿が備えられていた。

「フナさん、これは…」

「そいつは鳴谷君専用の装備だな。防衛戦の時、あの子はグリペンの操縦を代わって空戦したそうだよ」

「鳴谷君は操縦できるんですか!?」

「まあすぐにグリペンと交代したらしいがな。シミュレーターでも筋が良かったよ。中国でセスナを親御さんと一緒に操縦してたらしい」

「へぇ…」

 普通の高校生がいきなり戦闘機の操縦なんて仮想世界のものだと思っていたが、なるほど飛行経験が有るなら考えられなくも無い。

 三つ子の魂百までというが、むしろ小さな頃から経験を積んでいた方が将来的に伸びるのではないかと宮鍋は思う。

「末恐ろしいですね」

「ごもっともだ」

 次はRF-4EJへと向かうところで人影を見つけた。

「あら、覗きのご趣味がお有りでしたか、宮鍋久司一等空尉」

 コルセットスカートとブラウスという服装。エメラルドグリーンのおかっぱ頭、和人形を思わせる容貌、白くきめ細やかな肌、一瞬で人間ではないと感じた。

「アニマ、かな?」

「ええ。RF-4EJ-ANM、ファントムⅡです。ファントムとお呼びください。三沢より昨日付で配転となりました。以後お見知りおきを」

「ところで俺はまだ名乗ってないんだが、何故俺の名前を?」

「有名ですよ、あのN-0のパイロット、初陣となる小松防衛戦で9機のザイを撃墜しているなんて、並大抵のことではありません」

 詳しすぎるな。こいつは裏になにか抱えているなと宮鍋は思った。第一その時は百里所属、小松に派遣されたという記録も消されている。そしてザイの撃墜は非公式記録として表には出されていないはずだ。

「それに人間でありながらだいぶ無茶なさって。お身体に障りませんか?」

 このアニマは知っている。情報を掌握し相手を揺さぶってくるタイプだ。機体の偵察ポッド? を見るに恐らくは電子戦型。実戦と同じく、ある意味最も警戒しなくてはいけない。

「お気遣い痛み入るよ、ファントム。まるで何でもお見通しなようだな」

「この程度であればいくらでも。なんでしたら本田空将補の裏事情でもいかがでしょう?」

 博識というレベルではないなと思う。

 現代においても情報の重要性は計り知れない。その全てを手に入れようとでもしているのだろうか。

「いや、遠慮しておこう。他愛ないものだが、八代通技官が外出からいつ帰ってくるか知らないか?」

「お父様でしたら、先ほど技本棟に戻られました。なにか御用でしたらお伝えしておきましょうか?」

「直々に出向いて欲しいと言われてるのでね。情報ありがとう。機体はまた今度見せてくれ。フナさん、すまない」

「なに、いつでも大丈夫さ」

 くるりと執務棟へと踵を返した。

「宮鍋一尉の社会的な体裁と引き換えでよろしければ」

「それは手厳しいな。――それと、ファントム」

「はい?」

 頭だけ振り返りながら宮鍋は言う。

「あまり表情を張りつけといたままにしないほうがいい。魅力が台無しになってしまうぞ?」

 さっきから一度も微笑が崩れなかった。グリペンとは別の意味で無表情なのかと思っていたが、違うな、あれは警戒してるのだと悟った。

 じゃあなとばかりに歩いていく宮鍋。

 背後でファントムは虚を突かれた表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

           執務棟

 

 

 

 

 

「ああ、ちょうど良かった、今から呼びにいこうかと思っていたところです」

 堀内と再度出くわす。

「ファントムと接触した」

「おや」

「あのアニマは、なんだ、底知れないものがあるな」

「そうでしょうね」

「? どういうことだ?」

 室長室へ歩きながら話す。

「まあそれは室長へ挨拶が終わってからでも」

「そうだな…」

 ドアの前でノック。中から入ってくれと太い声がした。

「失礼します…!?」

 一度宮鍋が開けたドアを閉め、困惑の表情でこめかみに指を当てた。

「どうしたんです?」

「いや…」

 見間違えかと思いもう一度ドアを開ける。宮鍋がドアを開けると金髪の15~6歳くらいの少女が長椅子に寝そべって足をパタパタ揺らしていた。当然足をこちら側に向けながら。

 ここ自衛隊の基地だよな? と心の中でつぶやいた。

 そしてこの娘は――。

「イーグル、ちょっと席を外してくれ」

 白衣の巨漢、八代通が言う。『禁煙』の張り紙など眼中に無い、とばかりに灰皿は吸殻で埋め尽くされていた。座っている回転椅子は悲鳴を上げそうだった。

 やっぱりアニマか。

 イーグル、F-15Jのアニマだった。

「ぶー! せっかくお父様と二人っきりだったのに! ――んん?」

 ウェービーなロングヘアにリボン、宝石を思わせる碧眼、ぷっくりした唇が印象的だった。袖なしのデニムジャケットと短いスカートを揺らし、眉間に皺を寄せながらイーグルが近づいてくる。

 宮鍋は顔を覗き込まれる。

「…な、なにかな?」

 変なものでも見えるのだろうか。

「おじさんと会うの初めてな気がしないんだけど?」

 おじさん。

 一尉が石像になったと隣で聞こえたが、宮鍋は白眼を剥いて意識が一瞬遠のいた。

 33歳、妻子持ち。

 うん、何も間違ってない、間違ってないのだが。改めて向けられるとダメージが大きい。

「どうしたのおじさん?」

「い、いや、心の準備が…」

 壁に手をつき項垂れる宮鍋。

「いつかはそんな日が来るもんだろうよ、一尉。まあ自己紹介くらいは済ませてくれ」

「み、宮鍋久司、一等空尉…本日付で配属です…」

 傷が深かったのか白眼での挨拶。いまいち締りの無い挨拶になった。

「F-15J-ANM イーグル。ザイなんて全部イーグルが落としてやるんだから」

「以前小松の空で会っていると思うよイーグル。顔合わせは初めてだけどね。あと一尉を地上で撃墜しないように」

 おい、堀内、援護射撃するな。

 刺すような視線と歪めた唇を向ける宮鍋。

「なんかよく分からないけどイーグルの勝ち~!!」

 満面の笑みで高らかにVサインしているイーグル。

「みんなに自慢してくるー!!」

 勢いよくドアを開けて出て行ってしまった。

「…嵐のようなアニマだな」

 と宮鍋。ああ、串谷二佐が言っていたことはこれか、と宮鍋は理解した。

「単純なもんさ、喜怒哀楽がはっきりしている。空戦処理能力を向上させるため余分なキャッシュは常時クリアするようにしたせいもあるのかもな。外見はあんなだが精神年齢は幼稚園児くらいか。あんたにとっては子供がもう一人増えたと思ってもらっていい」

「俺は父親ではあるが、保育士のライセンスは持ってないぞ」

「なんなら斡旋しようか? 資格を取る奴もいるしな。冗談は置いといて、本題だ」

 雰囲気が真面目なものになる。

 八代通は煙草に火をつけ、肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出しながら言う。

「あんたを百里から呼び寄せたのは他でもない独飛に編入するためだ」

「独飛?」

「独立混成飛行実験隊。略して独飛。指揮系統は防衛省のままだから安心してくれ。各飛行隊に分散しいていたアニマを集中運用し、即応体制を確立するのさ。あんたもご存知だろうが、通常機と性能差の隔たりで同時運用が難しいし、整備体制も合理化できる。こっちとしても好都合だ。そのために俺も少しばかり無茶はしたが、なんとかしてみせる」

「よく第7航空団を丸め込んだものだ」

「統合幕僚長の決定だからな。先日の小松襲撃で目が醒めたんだろう、あの後大慌てだったろうさ」

 再び八代通が煙草を咥え紫煙を吐き出す。

「で、だ。あんたの所属は独飛になるわけだが、アニマとは違う空自の極秘対ザイ戦特殊作戦機及びそれに付随する装備品という扱いでもあるから、防衛省とメーカーから独飛が貸与を受けているという体で活動してもらう。表向きはな」

「裏は?」

「現自衛隊員とアニマの橋渡し役さ。同時運用は難しいとはいったものの防衛においても小松にアニマ3体、那覇に1体だけじゃ全体としては成り立たない。各隊との連携もしなきゃならんし高性能なアニマもこればかりは容易じゃない。ファントムはともかくグリペンとイーグルには期待できんからな。現にあんたと隊員たちのパイプラインは太いから俺の負担も多少減る。加えてN-0とあんたをアニマ達の殿役としたい」

「なるほどな。そのファントムならここに来る前に三格で接触した」

「ほう」

「あのアニマは、なにか抱え込んでるんじゃないのか?」

「堀内から聞いたかもしれないが、自衛隊初のアニマがあいつでな。俺の処女作ということで過度の期待をかけすぎてしまったのかもしれん。あいつの価値観、最優先事項は『人類の救済』だ。あいつ一人で全てを背負い込もうとしたのさ」

 人類、裏を返せば日本人だけではない。人という種全体の事だ。

「無理だ、そんなの」

 宮鍋の眉間にしわが寄る。

「ああ。だが、そう思ってしまった。結果あいつが動きやすいよう環境を作ろうとする。三沢でアニマ関連のトラブルを聞いたことがなかったんだが、その答えが最近ようやくわかった。ファントムの奴、見事な情報の操作をしでかしていやがった。誰にどう伝わるか完璧に計算して無数の対立を作り上げアニマに構うどころではなくなっていたらしい」

「味方であろうと容赦なし、ということか」

「ああ。鳴谷君も憤っていたな。三沢と同じことはするなと釘を刺しておいたが、正直どうなるか判らん」

 少しくたびれた様子を見せる八代通。

 宮鍋は顎に手を当て少し考える。

「どうした?」

「いや、そう考えるとファントムなりに救おうとしてたのかもな。『そんなことをしなくても、私達に任せておけ』と。意外と不器用だな」

「本人に聞かせてやってくれ。俺も反応を見てみたい」

「一途だって言っておく。それにしても人類の救済とは壮大なテーマだ、恐れ入る。だが一つ安心したこともある」

「どういうことだ?」

「一人で突っ走って歯止めが利かなくなるようなタイプではないな。やり方はどうあれまとめ上げようとしているわけだ。参謀役として適任だ」

「突っ走っていくのはイーグルの方だ。あいつはザイ見つけた、落とすを地でいくからな。単一目標相手ならいいんだが、周りが見えなくなる。丁度いい手綱役が増えて俺も溜飲が下がるよ」

 吸殻と化した煙草を灰皿に押し付け、もう1本に火をつける。

「適当に八代通技官の名前を使えばコントロールできるか」

「あんた、ファントムと同類か?」

「そんなわけないだろう? ちなみにファントムはどこまで人の情報を掴んでいるんだ?」

「恐らく全部知っているだろうな」

「やっぱりな。あの様子ならそうじゃないかと思ったんだ。俺に関しては開けっ広げにしておいて正解だった」

「は?」

 八代通の予想の斜め上の意見だったようで、なかなか聞く機会が無いようなトーンだった。

「以前にF-15で小松に巡回教導で訪れた時、飲み会で妻と娘のことは言いふらした。隠すものも無いからな。俺の、もとい隊員の情報なんて入隊時にとっくにすっぱ抜かれているよ。情報保全隊にな。身内の素性からキャッシュカードの履歴までなにもかも把握されてる。堀内が俺と東を選抜したのだって、そういうことだろう。隊にいる限り俺たちのプライベートなんてないも同然だ」

 そうだろう? と言わんばかりに宮鍋が堀内を流し見る。堀内は眼鏡を直した。

「ファントムにネタを握られていようがなんの痛手も無いさ。むしろ電子戦型というならそのくらいやってくれた方が安心できる」

「これは傑作だ。人によって見方がこうも変わるとはな。さすがに鳴谷君(未成年)よりも人生経験豊富なだけあって懐の深さが段違いだ。少し肩の荷が下りた。堀内があんたを選抜したのだって経歴を調べ上げて各所にどう伝わりどう動くのか精査したんだったな。じゃなきゃこんな無茶苦茶な計画なぞ通らん。俺としたことがすっかり失念していた」

 心底愉快そうに笑みを浮かべる八代通。

「まあ、今更という感じがする。俺のことは配転直後の隊員でもなければみんな知ってるからな」

「そこまで割り切っているなら、あんたにはなにも心配しなくていいか。では、あいつらと鳴谷君の面倒でもみてやってくれ」

「できる限り善処する。ところで、俺のコールサインはどうするんだ?」

「あんたはそのままでいい。自衛隊員とも行動する以上あいつらと別行動になることも多いからな。影のまま動いてくれ」

「了解」

 

 

 

 

 執務棟を出ると西の空が赤く染まりかけていた。

 小松にアニマ3体が集結している。日本海側の最前線基地となったここに戦力の集中配備が行われるのは当然の采配だろう。そして自分も配備された以上はザイと戦い貫く。生き残りを賭けて。

 整列し、礼。日章旗が下ろされ自衛隊の1日が終わる。有事であるが故に各隊員に即応体制が敷かれるが、事務関係の後方支援部隊で非番のものは基地の外に―といっても遠くには出られないが―出る者もいる。

 宮鍋は外に出ることは出来ないが、特に気にした様子も無く基地で生活している。

 夕食後、自室からノートと筆記用具を持ち、格納庫へ向かう。落としても何とかなるように紐を付けた鉛筆と消しゴムである。タラップをかけコクピットに着座。そこで日記を書くようにしている。他にはN-0に感じたこと、簡素ながら戦技研究もイラスト付きで書き込むようにしていた。すでに5冊目になって久しい。

 N-0、とりわけ宮鍋駆るγ(3号機)は独特な機構のせいで基本的な操縦マニュアルがあっても半分しか、それも大体既知のものしか役に立たない。後の半分はパイロットである宮鍋が造っているようなものだった。机上の空論の正誤を埋める感じ。実証機のα(1号機)でもシミュレーション上でも現れない過敏とも取れる反応を知り、自らの支配下におくことは重要である。

 普通は順番としては反対なのだが、ザイの襲撃とまだ誰もやったことのない例がそれを狂わせてしまい実戦投入が先になってしまった。まだ見ぬ後世のために、もしこれが必要になったときに少しでも負担が軽くなるように、役に立ってくれるように祈りながら。

 描き終えた後は残っていれば自衛隊用の書類の作成、ランニングやトレーニングをこなす。従来機とは一線を画したN-0を運用するためにも基礎体力維持は欠かせない。そして他の隊員とのコミュニケーションや衣服のクリーニングなど。ここまでやるとあとは就寝時間を残すのみとなる。アラート待機が無いときはほぼこれの繰り返しである。やることが多いので他に何かやる時間が無いとも言う。

 しかし今日はそのルーチンが日記を書き終えたところで崩される。

「ここにいたか。ちょっと付き合え」

 残務を終えた串谷であった。

「少々お待ちください」

 タラップを降りる。手近な机にノートと筆記用具は置いていくことにした。

「珍しいですね」

「そんな日もある。厚生棟いくぞ」

 この展開は大体その後の流れが決まっている。厚生棟にしかないもので、隊員の数少ない娯楽の一つを提供できるもの。

 酒だな、と宮鍋は思う。だが昔から串谷が誰かを誘って飲んでいるところはあまり見たことが無い。

「積もる話もある」

「はぁ…」

 目的の場所に着くと異様な熱気と視線が宮鍋を囲った。

 垂れ幕に宮鍋一等空尉歓迎会の文字。これは長丁場コースだ、と悟る。

 宮鍋自身はあまりアルコールが強くない体質である。

「よしお前ら、歓迎してやろう、盛大にな」

 乾杯の音頭から当たり前のように酒とめくるめく質問攻め。百里でも同じような目に遭ったが、こちらもこちらで酒と肴はなんでもいいようだ。

「一尉、撃墜王連れてきました!」

 ほろ酔いの隊員が引っ張ってくる。

 ところどころはねた長い金髪に大きなリボンを結った少女がいぇ~いと、泡盛片手に出てきた。宮鍋がむせる。

「イーグル、なんでいるの!?」

「だって那覇で米軍と飲み歩いてたんだもん。こっちでもいっぱい飲むよー!」

 アニマって酒は大丈夫なのかという突っ込みが心の中で浮かんだが、この場でそれを言うのも野暮というものだろうか。八代通が大丈夫とでも言ったのだと言い聞かせる。

「で、おじさんに勝ったからイーグルの分はおじさんが奢ってくれるんだよね?」

 どっと笑い声が上がった。昼間の件は本当に広まっているらしい。

「地味にダメージ大きいんだから『おじさん』はやめろ! 笑ってる奴も俺と変わらないからな!? せめて一尉にしてくれ!」

 さらに大きな笑い声。

「というか何に勝ったのか判ってるのか!?」

「わかんない!!」

 腹を抱えたりばんばんと机を叩いてるのが数名。アホだ、というのも聞こえた。

 いつの間にかイーグルが中身を飲み干したコップがどんどん増えている。呼応するように他の隊員たちが盛り上げ、赤ら顔の宮鍋がイーグルと積まれたコップを交互に見て驚愕を露にする。

 おい、ちょっと待て、どれだけ飲むつもりだ。明細見るのが怖いんだが。

「少しは自重しろ!」

「やだ! 泡盛もういっぱーい!」

 夜は更けていった。

 

 

 

 

 




最後だけちょっとガス抜き


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3-3

 操作ミスで下書きのメモ帳全消しして復旧に追われるというポカやらかした大馬鹿野郎がいます・・・。
 ただでさえ遅延してるのにこれは痛い。


          2017年7月25日 第1格納庫

 

 

 

 

 頭の内側から這いずるものを感じる。アルコール分による血管の拡張と脱水による萎縮、脈拍の増大が脳にダメージを与えていた。

 時計の針が天辺を越えたあたりまでは記憶があるのだが、その先がいまいち思い出せない。気がついたら自室の床で大の字になって寝ていた。

 もう少し、と思いつつも起床ラッパの前に起きてしまい点呼で異常無しを申告する習慣ががこの上なく憎らしい。

 一格に置かれるN-0γ。制御コンピューターに取り付けられた電力供給用と通信用のケーブルを見ながら頭痛をこらえる宮鍋は思う。完全に二日酔いだと。

「ひどい顔ですね、一尉」

「ああ…手荒い歓迎を受けた。というかイーグルは酒飲んでいいのか…?」

 無精ひげが浮かびかすれ声の宮鍋。そして若干ながらアルコールの香りが残っている。

「問題ありませんよ。絵面は完全にアウトですが」

 外見は未成年そのもの、まずくないはずがない。

「沖縄で飲み歩いていたとか言ってたな」

「毎回誤魔化すのに大変だったらしいですよ」

「だろうな…」

「なんだ? あの金髪の嬢ちゃんは酒飲めるのか」

 機材のセッティングをしていた好村が聞き返す。

「ええ、人間ではないので問題ないです」

 と堀内。

「堂々と白状するのか…」

 宮鍋が二重の意味で頭痛を抑えながら言う。

「俺らが若いときは飲んでる奴は飲んでたぞ。見込みあるじゃねぇか」

 はっはっはと好村。

「いえ、今のご時勢それは大問題です、好村さん…」

「世知辛い世の中になったもんよ。これであがりだな。できたぞ」

 N-0駐機場所のすぐ側に置かれた装置群。基地内のシミュレーターにN-0の制御コンピューターを直結しデータのやり取りを行う。アニマ用のNFIともまた違う操縦形態なので、基地内シミュレーターの変更が最小限で済むようN-0自体を筐体として活用する。これにより普段乗り慣れた機体に居ながら仮想訓練を行うことが出来る。また、技本棟の堀内のパソコンと接続しデータのやり取りも行う。

「調整を行いますよ、一尉」

「わかった」

 タラップを上りシートに座ろうとしたところで気がついた。ノートと筆記用具をそのまま近くの机に置きっ放しにしてしまった。

「悪い、堀内、忘れ物があった」

「どうしました?」

「日記だ。昨日持ち帰り忘れてしまった。ちょっと待っててくれ」

 幸いにも誰かが保管してくれていたようだ。

 急いで自室へ置きに行く。

 

 

 

 

 

 帰り道、慧とグリペンに会った。

「おはようございます宮鍋さん。どうしたんですか?」

「おはよう。ちょっと忘れ物を置きに行ってたんだ。鳴谷君はどうしたんだい?」

「空いてる時間はシミュレーターを使わせてもらってます。これから行こうかと。――って、宮鍋さん隈ができてませんか?」

 宮鍋の目元にうっすら浮かぶそれに気付いた慧。

「大人の付き合いってものがね…。あ、ちょっとだけ時間作れるかな?」

「大丈夫だと思います」

「今一格でN-0とシミュレーターを繋いでいるんだ。良かったら覗いていかないか?」

「ご好意は嬉しいんですが、俺、そんなに裏側見てしまって大丈夫なんですか!?」

「そう言ったところで鳴谷君はもう独飛の一員なんだろう? それに最高機密(アニマ)にだって関わっているんだし問題になるとも思えないけどね。八代通技官も文句は言うまい」

「確かに…。お言葉に甘えて、ぜひ見させてください。大丈夫だよな? グリペン」

 こくりと頷くグリペン。

 一格へ戻ってくるとすでに隊員数名が珍しそうにN-0を見ていた。

 慧も挨拶する。

「待たせた堀内、ギャラリー増やした」

「構いませんよ。どうぞ」

 ヘルメットを手渡す堀内。シミュレーターモードの起動でもヘルメットだけは装備しなければならない。

 コクピットに着座しサーキットブレーカーをONにし、外部からの電力供給を有効にするために制御コンピューターのスイッチのみを入れ通電させる。自己診断が始まりチェックリストが表示される。他の箇所への電力供給が無いためチェックリストにエラーがずらりと表示されるが構わず最後まで表示を送る。その状態でMFD横の小さな開閉パネルを開けると一つだけスイッチが有る。それを回し同調スイッチをLNK位置にセット。シミュレーターモードが起動し基地内の端末とデータ送受信が開始される。シミュレーターモードではキャノピーは開いたままである。

 宮鍋に入ってくる仮想現実。小松基地第一格納庫前、見慣れた風景のデータの海。

 

 

 

「宮鍋さんてああやって飛ばしてるんですか?」

「うん、頭の中で直接。操縦桿も緊急用で残してあるけど、訓練で操縦したら細かい操作ができなくて困ったと言っていたよ」

 堀内と慧が宮鍋を見る。傍から見ると眼を瞑って寝ているように思える。しかし実際にはN-0が処理し宮鍋に翻訳した膨大な量の情報を扱っている。

「小松防衛戦でも一尉が飛んできてザイを撃墜してくれた。助かった隊員の人も多い」

 N-0を見上げるグリペン。

「あれ? あの時って宮鍋さんはどこから来たんだ? 顔を合わせたこともないし、N-0も小松基地で見かけたことがなかった気がするぞ?」

 カナード付き前進翼の無尾翼機。特徴的な構成は一度見たら目に焼きついているだろう。

「百里」

「百里って…他の基地から飛んできたってことか」

「もっと偉い人からの命令だって、ハルカが言ってた」

「鳴谷君はこれからシミュレーター動かしに行くんだろう? 動作チェックがてら宮鍋一尉と飛んでみるかい?」

 堀内が提案する。

「いいんですか!?」

「後で他の隊員やアニマ達ともやるからね。誰が最初であってもやることは変わらないというわけだ。一度やりあってみるといいよ」

「坊主、あの一尉は元教導群だったからな、たっぷり教わってきな」

 にやりとする好村。

「元?」

「そう、教導群からN-0のパイロットとして引き抜いたんだ。一尉には専用の身体改造を施して、N-0の真価を引き出してもらってる。僕が『こう出来たらもっと良くなるんじゃないか?』と思っていたことを実現してもらってるんだ」

「改造って…八代通さんはまだ要素技術の研究段階って言ってましたよ?」

「『人類側の』って意味だろうね。一尉のは『ザイ側の技術』という意味合いさ」

「それって…」

「身体ににザイの素材が入ってる。制御コンピューターにもザイのコアが入っていて、負荷がかかったときに身体を最適な状態に保ってくれるように『教育』したんだ。一尉はそのモデルの実験体ということになるね」

 あっけに取られる慧。

 自分の知らないところで思いもよらないことが起こっていた。

「慧も改造してもらえば高Gに耐えられるようになる。戦力増強、チャンス到来」

「えぇ…」

 期待をこめた真っ直ぐな瞳を向けるグリペンとあまりにも現実味を帯びない提案に困惑する慧。

「まだ確立したとは言えないからね。グリペン、空戦機動中に精密に『中身』を制御してあげないと鳴谷君が死んじゃうよ。飛行姿勢制御演算と火気管制と身体制御同時にできるかい?」

「ぅく…」

「おい自分で乗り気だったのに何で自信無さ気なんだよ!?」

 グリペンが引いている。同時に慧に悪寒が走った。

「そもそも隊員ではない一般人には施せないよ。それに改造から復帰まで一尉をもってしても一年くらい掛かってるしね。そのうち半年は病院で缶詰にされてたんだよ」

「ザイと戦うどころじゃないですね…」

「むぅ~…」

 グリペンが代案を探しているようだった。

「僕は正直一尉にしたことが正しかったかは今でも分からない。けど、正しかったかどうかは全てが終わってから歴史が証明してくれるさ。もう一尉の準備はできたよ。シミュレーター室に行ってごらん」

 はい、と返事をし慧とグリペンは歩き出した。

 見送る堀内はしかしザイとの戦争が終わった後の世代には不要になっていることを願っていた。

 こんな無茶苦茶な事例はザイが存在しなければ要らない。宮鍋に負わせた『代償』は、自分の一生を懸けても償えるものでは無かったから。

 

 

 

 

「おぅ来たか」

 シミュレーター室にて作業している舟戸。

「すみません、遅れました。フナさん、シミュレーターで宮鍋さんと飛んでみろと言われたんですが――。いいんですか? 現職の隊員さんと飛んでも」

 ここに来るまでの間に少し冷静になった慧。

「室長から許可も出てるから問題ないさ。ちなみにあの一尉も独飛の所属になってるからねぇ」

「じゃあ宮鍋さんはBARBIE05ってことになるんですか?」

「いや、ちょっと立ち位置が特殊でな。独飛所属なんだが、アニマでもなくかといって他の隊員とも立場が違う。配転してきた時から防衛省の装備品という扱いになってるんで別枠なんだとさ。で、それを独飛が借りている、と。コールサインはSHADOW01。影で支えてくれるって意味合いだな」

「またややこしいですね…。ただ、装備品って、宮鍋さんのことですよね?」

「あの一尉は死んだことになっている。そういう処置をしないと許されるものではなかったと堀内技官が言ってたよ」

「なんか…とんでもないことになってるんですね。外で話さないでくれって、そういうことだったのかと。そうまでして突き動かすものが宮鍋さんにあるんだって思うと、俺なんかまだまだだなって」

「そうでもないだろ。お前さんだってグリペンと一緒にザイと戦って中国の空を取り戻すんだろ。鳴谷君の年齢(とし)でなかなか覚悟できることじゃないさ。ま、そろそろシミュレーターに乗るといい」

 慧はいつもどおり筐体に乗り込む。

 真紅の有翼獅子が電子空間に現れる。

 

 

『SHADOW01、小松の空はいかがですか?』

 堀内の声がインカム越しに聞こえる。離陸完了、上空にて各操作の反応や計器類のすり合わせを行っていた。

「別段変わったことはないな。いつもと変わらないぞ」

『では、いつもとは変わったことをしましょう』

 そう言うと右隣にJAS39D-ANMが出現する。

『宮鍋さん、よろしくお願いします』

「その声は鳴谷君か。そうか、変わったこと、確かにな。堀内、鳴谷君はもう基礎的なことは大体できるんだろう?」

『そう聞いています。BARBIE01、試しにSHADOW01から逃げ切ってみようか』

『了解しました。行きます!』

 鳴谷慧操るJAS39D-ANMは90°右ロールから旋回に入る。小型機らしい軽快な反応を見せる。宮鍋のN-0はそれを一瞬だけ見て即座に追従体勢に入る。緩く上昇しながら右旋回。N-0が優勢位置に付けながら追う恰好になる。

 慧はなおも操縦桿を引くが、N-0はぴたりと着いてくる。大型機らしくない旋回半径と滑らかな動作に驚きながら、このままでは逃げ切れないと判断すると反対方向に進路を向けようとするがN-0がすでに行きたい方向に機首を向けているのを慧が捉えた。

 切り返す瞬間から実際には宮鍋が反応しわざと機体を滑らせまっすぐ進んでいるが、錯覚を起こさせるのには十分だった。たまらず慧は右ラダーを蹴りこみ、その隙にさらに高度を稼ごうと操縦桿を引き込もうとする。

 まっすぐ進んでいるN-0にとって射線にまんまと入ってくる獲物同然だった。模擬戦であればここで撃墜判定。

 上空に逃げようとする慧を追い越さないよう上昇しながらも周囲を巡る。エンジン排気速度を殺さず距離を保つ。その間も中心線が相手を捕らえ続け射線を外さない。機関砲弾を放つとしたらどこかしらに必ず命中する。慧の逃げ道は全て潰されている。

 今度は慧は的を絞らせないように不規則に進路を変える。ドーターらしくあらゆる反応は速い。しかしN-0も同じ技術を用いて造られているため両者に差が無い。

 慧は操縦桿を押し込みN-0の下に逃げ込もうとするが、宮鍋は速度を殺さずかつ最小限の動作で機首上げ、上昇直後にレベルオフ(水平飛行)のため一回転し高度変換を行うと慧との高度差が開く。慧にとってはますます宮鍋の優勢位置を覆すのが難しくなり、返って状況が悪化してしまう。このまま宮鍋が機首を下に向けるだけで簡単に機関砲弾が当たることになる。

 慧はしかし相手の死角を取ったような恰好と思い、機首を相手方向へ向けようとコブラ機動を開始する。

 真下が死角となる通常機であればもしかしたら状況は覆っていたかもしれない。

 N-0、宮鍋はそれすらも機体のあちこちに備えられたカメラで『視認』し、わざと揚抗比を崩し吹き飛ぶように慧の視界から消え去る。N-0が背面になったときにはすでに天を向いたグリペンの『腹下』に移動しており、機首が下がってくるや否や急上昇し反転。結果、宮鍋は先ほどの状況を保持しつつ自由な機動を開始できるエネルギーを確保しており、反対に慧はその後の機動はほとんど何も出来ないほど速度も高度も消費していた。

 

 

 

 

「改めて見るととんでもないな、あの一尉は…。姿勢制御も何もかも一尉主導でやってるわけだろ? 人間技じゃないな」

「…」

 グリペンが目を白くさせて口をあんぐりさせている。今までシミュレーターで訓練してきたどの隊員よりも明らかに別格の動きを見せつけた。

『なにやっても離れない…』

 筐体から慧が呻くように言う。

「まあ実際のザイもこんなもんだろ。それに機体も通常機じゃない。一尉は教導群出身、それもアグレッサーなんて腐るほどやってるからな、いくらなんでも経験が違いすぎる。で、SHADOW01、レクチャーしてやってくれ」

『Roger』

 両機が隣り合う。

『まず、基礎的な操縦に関しては問題無い。むしろここまでできるとは思ってなかったくらいだ。グリペンのパートナーなだけはあるな。だが、もう少しグリペンの小型・軽量な機体特性を活かせるはずだ。小回りが効いて動作そのものは通常機に比べても軽いけど、エンジンパワーがそれほど大きくないから力技でどうにか食らいつこうとせずに急な操作を控えて失速が起きないように注意するべきだ。そうすればザイとの格闘戦でも決して引けはとらないと思う。――その際の生身に関しては、まず出来る限り基礎体力をつけておく事』

 常に鍛えている隊員との比較になってしまってちょっと申し訳なさそうな宮鍋。

『それと最後のコブラだけど、あれは無闇にやっちゃだめだよ。PSM(ポストストールマニューバ)は速度が死んでしまうし、あの状況では速度を回復させるだけの高度の余裕が無い。仮に高度を速度に変換する場合でも必ず相手に後ろを見せることになる。鳴谷君も感じたかもしれないが、あの後ほとんど何もできなかったんじゃないかな。もし少数対多数の状況であれば直後にミサイルが飛んできた場合回避不能になるから、あの状況ならむしろ速度の回復を図ったほうがいい。軽量機は回復も早いという武器を活かすんだ』

『そんなところまで見てるんですか…。いい経験になります』

『練習あるのみ、生き残るには必須だよ。じゃあもう一度おさらいしよう』

 宮鍋は真紅の機体の上方に機体を動かす。両機の位置関係が再現される。

『情況開始。この場合鳴谷君はスロットルを全開にして、単調にならないように左右に動いてごらん。この時迎え角過多にならないように注意すること』

『こうですか!?』

 慧は忠実に動いた。振り切れはしないものの速度が回復し徐々にN-0との高度差が埋まっていく。そのまま真下に重なろうとしたとき、宮鍋が次の指示を出す。

『右旋回、左ラダー蹴り込み桿を引け』

 JAS39D-ANMは一瞬()()しながら一回転した。その身をきれいに翻し火線をかわしながら、旋回するN-0の7時下方につく。

『おおお…!?』

 N-0がつんのめるような恰好となり慧の画面にすっと()()()()()。エアブレーキを使うことなく減速し、かつ速度低下を最小限に抑え食らい付き相手の首元に照準を突きつける。

『うん、その速度域が一番旋回性能を引き出せるみたいだね。俺がオーバーシュートしたとき一瞬だが中心線が重なったんじゃないかい? そこでトリガーを引けばN-0に砲弾が命中して俺は撃墜される』

 2機が再び翼を並べる。

 すべてが見透かされているような感覚が慧を襲った。同時に相手の後ろにつくという感覚も。

『すごい…。宮鍋さんなんでわかるんですか!?』

『教導群は仮想敵の動きを再現するから、機体特性は大体わかるよ。F-15でできるよう俺もさんざん仕込まれた。通常機同士でならみんなできるよ、JAS39としての動きも』

 底知れぬ技量に慧は震えるが、しかしザイとの戦いにおいて心強い存在なのもまた確かだった。

『鳴谷君、一つ覚えておいてほしいのは、これはあくまでシミュレーターの一例であって実戦ではいくらでも状況は変わる。今やったことが通じないこともあるし乱用すれば見切られる。その時その時で最善な手段をとることが出来るようになってほしい。このご時勢俺も、他の人だってもしかしたら明日にはいなくなってるかもしれない。俺達がいなくなったとしても鳴谷君の大切なものを守れる力が付くことを願っている』

 宮鍋の頭には東が浮かんでいた。自らが駆るF-15DJの後席でどうすることも出来ずザイのミサイルに命を奪われた男。彼の無念と重ならないように。

 そして愛する妻と娘の元にはなんとしてでもザイを1機たりとも通してはならないのだ。

『宮鍋さん、俺は中国の空をザイから取り戻したいんです。その日が来るまで俺は戦います。グリペンと一緒に』

 

 

 

 

「お疲れさん」

 筐体から出てきた慧に舟戸が労う。

「どうだった、と聞くのもなんだかって感じだな」

「異次元の体験でした…。教導群の人って、相手のことが全て見えてるような気がしましたよ」

「かもしれんなぁ。まあ要するに先生だ。敵役として務めて、隊員たちが戦死しないように各飛行隊員みんな教導群に鍛え上げられる。癖や悪手は瞬時に見分けて矯正する部隊だからなぁ。的確だったろ」

 ええ、と慧が頷く横で宮鍋の手ほどきを見ていたグリペンが固まっていた。

「お~いグリペン…?」

 肩を揺すると正気に戻った。

「慧、これは一大事」

「どうした?」

「一尉が人間かどうか疑わしい。堀内技官にソースコード開示を要求したい」

「お前は一体何を言ってるんだ…」

 信じられないものを見たというようなグリペンに慧が半眼になっていると、白衣の巨漢がやってくる。

「あれでもまだ手の内全てを見せてないと思うぞ」

「そう思いましたよ…。ところで八代通さんはなにしてたんですか?」

「君と飛んでいたN-0の標本を採ってたんだ、といえば洒落てるか。N-0がこっちのシミュレーターで他機と一緒になった場合の挙動が安定しているか確認しときたかったんで堀内に写させたんだ。こうしておけば一尉が不在でもシミュレーターで再現できるからな。行動ロジックを詰めれば仮想敵として戦うことも出来るし、友軍機として援護してもらうことも出来る。丁度制御コンピューターと直結させてるからオリジナルがどう動くか見てみるか。グリペン、こけら落としでやってみろ」

「お安い御用。今こそ私の本当の実力を見せつけるとき」

 アニマ用のNFIが搭載されたシミュレーターに乗り込むグリペン。モニターでそれを見守る3人。

「武装は機関砲のみ。交差した後に開始だ。3,2,1、開始」

 30秒後、達観したグリペンが筐体から出てくる。

「ハルカ、まだまだデータ処理が甘い。設定が上手く反映されていない。あんなのを私の実力と思われても困る」

「なんか前にも聞いたような台詞だな…」

 あきれたように慧が言う。

 真紅の機体が圧倒された光景に外野が黙り込んでしまう。

「八代通さん、これちゃんとデータ取れてるんですよね?」

「そりゃもちろんだ。しかし取ったばっかりだからってこれはちょっとな…。SHADOW01、見ていたか? N-0のパイロットとして今の出来になにか感想は?」

『八代通技官か。ああ、接続は生きてるからな。初めてN-0対アニマ戦を見たが…シミュレート上は俺はこんな動きするのか。正直見ててえげつないなとは思った。なかなか外から見れないから俺も勉強になったよ』

 相手よりも有利な位置をいち早く押さえ、行動を封じ、逃げ道を潰す。ただそれだけのことなのにひどくザイのように見えた。

 俺がもしザイになってしまったら総力を挙げて撃墜してもらわないといけない。隊の育成は急務になるだろう。

 

 

 

 同調を切断し宮鍋が機体から降りてくる。

「お疲れ様です一尉。データは保存しましたから、今後は他の隊員やアニマ用に使用します」

「しかしあれは…俺が考えていた次の一手を忠実に再現していた。ドッペルゲンガーみたいだったな」

「僕としましてもここまで学習しているとは…」

「ん? どういうことだ?」

「基本データそのものは製造時のものを反映させています。これが開発初期段階であれば自律思考させても結果は違うものになっていたでしょう。今回の結果から推測しますと、今まで蓄積してきた経験と一尉の動かし方に基づいて最適な動きを判断していると読み取れます。ディープラーニングするような設計ではあるんですが一尉の潜在的な意識まで汲み取っているのかもしれません。できるものはできるものとして使用する、小松防衛戦で一尉がやったことまで再現するとは思いませんでした」

 ザイを相手に予測進路に偏差射撃を行い撃墜した宮鍋。同様にグリペンを相手にシザースに持ち込んだあげくすれ違いざまに未来位置に砲弾を『置いて』撃墜したN-0。その後普通なら復帰不能なほどのスピンを立て直したところまでそっくりだった。F-4でやろうものなら100%デパーチャー(操縦不能)に陥り墜落は免れない。

「じゃあ、今のって…」

「N-0が一尉に習ったことの結果ですね」

「…」

 ケーブルが接続されキャノピーが開いたままの機体を見上げる。

 互いが互いを補完する? いや、もっと違う何かがある。兵器とはいえ負荷が掛かりすぎなければ良いが――。

「あの高校生はどうでした? 宮鍋一尉」

 小松基地第306飛行隊所属の小峰 孝之(こみね たかゆき)二尉が話しかけてきた。イーグルドライバー。先の小松防衛戦でザイに囲まれながらも最後まで撃墜されずに戦い抜いた。ちょうど串谷の部下にあたる。

 ちなみに昨日の飲み会でイーグルを連れてきた張本人でもある。

「正直驚いた。苦も無くグリペンを動かしていたよ。きちんと学んだらいいパイロットになると思う。うかうかしていられないぞ」

「宮鍋一尉が見込んでるってなるとそれ相応に腕の立つ奴ですね。ちょっと妬けますが、俺たちも負けてられないですからね。返り討ちにしますよ」

「良い意気込みだ。ただし張り合いすぎて本来の目的を見失うなよ? 俺たちはザイから日本を守ることが目標だからな?」

「もちろんですとも」

 胸を張る小峰二尉。

「私も手解きお願いいたします」

 門屋 由里(かどや ゆり)三尉、女性のイーグルドライバーである。負傷した隊員に換わり第306飛行隊に補充された。まだまだ経験は浅いが実力は折り紙つきだという。串谷直々に引き抜いたという。

「そのつもりだ。二人だけじゃなく、俺はみんなに生き残って欲しい。そのためにはどんな汚れ役でもするつもりだ。覚悟しておいてくれ」

 二人から敬礼を受ける。

 宮鍋は守りたいものが増えたことを実感した。同時にファントムが抱え込んでいるものも理解した。

 

 

 

 

 

 



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3-4

 本日のアラート待機は5分側に小峰と門屋、30分側に宮鍋と串谷が入っていた。小峰はテレビを見ており、門屋は雑誌を読みながら時折ちらっとテレビに視線を向けている。串谷は眼を閉じながらも寝ておらずに聞き入り、宮鍋はリラックスしながらも溜まりがちになるデスクワークを片付けている。

 独飛と飛行隊間での共有するべき情報がある場合、元々正規隊員だった宮鍋に作成作業が廻ってくるようになった。

「失礼します」

 堀内が小忙しく入ってくる。いつにない気配を察した宮鍋は手を止めた。

「全隊員に通達です。海鳥島にザイが侵入しました」

 手に持っていた書類型の端末を開き動画を起動する。各々立ち上がり画面に注目する。

「これは…」

 ガラス質の物体が徐々に面積を広げていく。まさに侵食という表現がふさわしい。

FOB(前線基地)という見方が強いです。輸送型ザイが突入しコンテナを展開、およそ基地に必要な施設を構築しています。おそらくは第一列島線を押さえる気かと思われます」

「ザイの奴ら面倒を増やしてくれるな。ここを押さえられようものなら上海方面からと海鳥島方面からの同時侵攻を相手にしなきゃならなくなる。防衛線は近く破綻し迎撃もままならなくなる。侵攻を押さえきれなくなるぞ」

 横から見ていた串谷が言う。

 ただでさえ小松と那覇が前線となっているのに、こんなところにまで戦線を拡大されたらひとたまりも無い。兵站の混乱と戦力の疲弊を招き日本は壊滅するだろう。

「そんな…。少しでも叩くべきなのでは? 早く先手を打たないと」

 と門屋。

「作戦は立てられています。残存第7艦隊と石垣島に配備されている陸自から巡航ミサイルの飽和攻撃を行い総炸薬量50トンを集中させます。今からBABIE隊が出撃、グリペンとイーグルで制空権を確保しファントムが巡航ミサイルの誘導を行います」

 アウトレンジからの狙撃、戦法としては理想的だ。迎撃を受けない、という条件付で。

「俺も出撃したほうが良いんじゃないか? 制空機が多いに越したことはないだろう」

「一尉はこのまま待機との命令です。ザイがこちらにも来ないとは限りませんし」

 しかし戦力を分散するのは得策ではないと思い苦い表情になる宮鍋であるが、指揮権は八代通にあるため従うしかない。

「この作戦にはグリペンの覚醒時間の都合上鳴谷君も参加します」

「あの坊主まで行かせるとか、正気かよ」

 そう言う小峰だが、事情が事情だけにやむを得ない。不確実だったグリペンの覚醒、それが鳴谷慧と一緒にいることで安定し大幅に延長される。何故そうなるかは未だに不明のままである。

 待機所の窓の向こう、滑走路から今まさに飛び立たんとする3機のドーターが宮鍋の眼に映った。

 いつか自分の娘を見送ることがあるならば、その時も胸がざわつき、心配になるのだろう。自分が親という立場であるが故に余計にそう思った宮鍋。

 必ず帰ってきてくれ――。宮鍋は敬礼した。

 

 

 

 

 

「あの子達は無事なんだな!?」

 アラート待機を解かれた宮鍋は技本棟室長室に出向き八代通に詰め寄る。

「那覇基地に退避している。ザイめ、新型の地対空クラスターミサイルで直掩機もろとも攻撃してきやがった。おかげで俺の娘たちが傷物にされてしまった」

 腕を組み憤慨している八代通。口元にはいつもの通り煙草が咥えられている。

「間違ってはいないが誤解を受けそうな表現だな。被害状況は?」

「グリペンとイーグルが被弾、ファントムは離れていたため無傷だ。これから修理に舟戸を向かわせる。突貫で仕上げさせて明朝に再出撃だ。今度はあんたにも出てもらうぞ」

「了解した。俺もあの子達と合流するか? それとも別作戦でも?」

「残存の第7艦隊の巡航ミサイルと陸自のロケットによるアウトレンジ攻撃を加えることに変わりない。今回は那覇基地の選抜隊と米軍に加えて台湾軍もあわせて30機あまりを作戦に参加させるよう要請したが、分隊の一部を引き付けるのが精々だろう。殲滅に関しては期待できん。あんたは第7艦隊の直掩に回ってもらう。それと、鳴谷君が面白いことをしようとしてるぞ」

「?」

 こんな時にどういうことだろうか。

「実はな、ファントムが誘導位置に付かないとかで一悶着あったみたいなんだが、白黒はっきりさせるそうだ。決闘だよ、鳴谷君から手袋を投げつけたそうだ。実機は使えないからシミュレーターでやるといってるが作戦がなかなか博打でな。ファントムのクラッキングでグリペンの操縦不能を装い油断したところを鳴谷君の操縦で撃墜するという。偽装用に遅延プログラムを仕込むという罠付きだ」

「ファントムがそう易々と油断するかは疑問だが、付け入る隙はソコだというのには同意できる。電子戦型としての戦い方を逆手に取り、自身は複座の利点を最大限に活かすというのか。考えたものだ」

「鳴谷君なりの仕返しだな。知ってるか? あんたが着任した日にあいつらでDACTをやったんだが、ファントムはアニマ用データリンクから偽装信号を流してイーグルとグリペンを撹乱して撃墜したんだ。慣れてるあんたは何とも思わないだろうが、当事者達はまだ経験が足りんから怒っていた」

「まあ、初めてやられたらたまったもんじゃないからな」

 その手の訓練は幾度と無く経験している宮鍋からするとなんら特別なものではない。もっとひどい状況も経験している。

「で、八代通室長としてはどちらの勝利がご所望だ?」

「俺としては鳴谷君だ。ファントムに合理的だとして簡単に日本(ここ)を放棄されても困るんでな。うまくいけばあのじゃじゃ馬娘を制することになる。更生できるなら多少手荒でも構わんと言っといたよ」

「一人の父親としてはこの一件は頭の片隅に入れておこう。しかし明日の作戦の成否と独飛の今後は鳴谷君にかかっているわけか」

 禁煙の文字を尻目に煙草に火をつける八代通。灰皿には吸殻が溢れている。

「まあファントムがいようといまいと作戦は決行だ。どのみち放っておいても良いことなんぞ一つも無い。もしファントムが素直に出れば本来の任務に回帰するわけだ」

「うまくやってくれると信じている。しかし鳴谷君はなかなか発想に柔軟性があるじゃないか。こういった人間はふとしたことで突破口を開いたりする。空自に置いておきたい人材だろう」

「小松防衛戦の時といいグリペンのこともあるしさっさと入ってしまえと言っているのだが、なかなか首を縦に振らん。まあ彼は彼なりに守るべき日常があるからやむなしではある」

「学校や御家族のことか?」

「ああ。特に宋 明華(ソン ミンホア)という中国から一緒に脱出してきた同い年の女の子がいる。家族とは離れ離れになってしまったから彼女は独りで鳴谷家に世話になっている。高校は一緒だしクラスも同じではあるが、今は鳴谷君だけが頼りというわけさ」

「それは俺が口を挟んでいい問題じゃないな。あまり軽率に誘うことはしないでおこう」

「万が一出くわしたら口裏を合わせてやってくれ。売店のバイトということになっている」

 随分肩の荷が重いバイトだ。特別手当が支給されてもいいくらいだ。

「さて、残りの課題を片付けねばならんからここらで切り上げさせてもらう。向こうの作戦開始は明朝0620。あんたは小松(こっち)から飛んでいってもらうから早起きしてもらうぞ。作戦完了後の帰投は戦力保持の関係で小松とする。長時間の作戦だがあんたなら不可能ではないだろう?」

「了解」

 鐙を閉め敬礼する。

 

 

 

 

「フムン…」

 今のうちに各部のチェックをしておこうと一格に向かった宮鍋。駐機されているN-0を見ていた堀内がため息をついた。

「どうした?」

「予定していた装備が間に合わなかったな、と。コストも予想を上回ってしまってしまいました。間に合っていれば今回の作戦にこそ使いたかったのにと思っていたところです」

「気が早いな。勇み足が過ぎると足元を掬われるぞ?」

「形態2型として設計の段階ですでに盛り込み済みです。3型も企画し同時進行してますがこちらはもう少し時間がかかります。国産機ですので予算と状況が許せばいつでもアップデート可能ですよ。それに現代機は単一任務だけでは済まされませんからね」

 堀内は手に持っていた書類型端末を開き画面を起動させる。

「現在製作中のものがこれです。対ザイ用ターゲティングポッド、J/AAQ-Zと仮称しましょうか。これはザイのEPCM下においてレーダー波の変位相を修正し理論上のEPCMを無効化した空間を作り出し空対空、地対空ミサイルが元通り機能するものと考えられます」

「通常機でも当てられるようになるのか」

「まだ確定はしていませんが。それとあまり効果範囲は広くないと考えられますし、N-0がザイの近距離にいる必要があります。周囲20マイルに効果が及べば御の字でしょうか」

「無いよりも俄然状況は良くなるだろうな」

「もう一つ対になるポッド、J/ALQ-ER(仮)です。こちらは機載のECMを強化しより強力な欺瞞効果を発揮させるポッドで、J/AAQ-Z作動中ザイからのミサイルを逸らすお守りとしています。記憶媒体も積んであるのでECM非作動状態でも偵察ポッドとしても機能します。これらの要素技術は一尉がかつてF-15DJで偵察任務に赴いた際に積んでいたものなんですよ」

「あの時の。だから実験団の東が選抜されていたのか。しかし結果的にF-15DJもろとも海に沈めてしまった。それで良かったのか?」

「戻ってこなかったのは残念ですが必要なデータは受け取れましたし、改良すべき点も多々見受けられました。要素技術のフィードバックは電子戦比率の高いファントムに受け継がれ、N-0には追加装備という形で繋がりました。僕達技本にとってはこれも貴重な技術の蓄積です」

 本当にこいつらはやってくれるなと思う宮鍋。ついしかめっ面になってしまう。

「合わせてこちらの追加武装ポッドも開発中です」

 先ほどのポッドが翼下に付き、それを上から挟み込むように合体する。

「ステルス性は考慮しないので単なる入れ物に過ぎませんが、かえって形状の自由とコスト低減に貢献しました。AAM-4BまたはAAM-5Bいずれかを2発ずつと余りのスペースに燃料が入ります。電子ポッドが必要なければこれを対にすることもできるようにしました」

 上下から挟み込むポッドのを見て、どんどん既存の概念から離れていくと感じる宮鍋。

 同時に既視感がやってくる。

「…これは元のデザイナーから怒られるんじゃないか?」

「僕は喜んでくれると思っていますけど?」

 誇らしげにする堀内だがいつもの表情で言われてもいまいち納得できない。

 なまじ無ければ造ってしまう技術を持っているだけに閉口してしまう宮鍋であった。そしてその開発費と組み立て工程がどこから出されているかはあえて聞かないでおく。

「次世代への投資であり実験と知見の積み重ねですので全く無駄になりません。無いものは仕方ないので主翼下ステーションにランチャーを介してNo.1と6に1発ずつ、No.2と4に2発ずつの計6発の機外搭載としておきます。3と4には増槽を。胴体内(ウェポンベイ)はどうしますか?」

「ファントムが誘導位置に付くまでの持久戦を見越してAAM-5Bを積めるだけ積む」

 平時のアラートと違い、非常時の兵装選択は作戦に応じて行う。

「わかりました。フライトプランの作成は一尉に任せますが、空中給油機の手配はこちらで行います。おおむね那覇近辺での給油になるでしょう」

「今回の作戦、台湾軍と米軍は囮のようになってしまうな…」

 台湾軍は旧式や軽戦闘機の構成のため、特に対ザイ戦に関してはそれ以上の意味にはならないと宮鍋は思った。加えてアニマ不在となると兵装の命中率にも不安がある。そうしなければならないとはいえ心苦しい。

「ここを踏ん張らなければどのみち破滅です。現時点で取れる行動ではこれより他にありません。他の選択肢が有ればもう少し内容に検討の余地ができるのですがね」

 感情にこそ出さないものの堀内とて上からの命令は遂行せねばならない苦渋の決断であるのは宮鍋も判っていた。できるものなら誰かが犠牲になる要請や作戦など享受したくないのだ。

「全力であたる。それが務めだ」

 と返す宮鍋。

 入隊した時からいざという時の覚悟はしていた。もし他国と武力衝突に発展したらこの身を挺すつもりだが、しかし結婚し子を授かり父親となった身としてはなんとしても生きて帰らなければならない。相反する信念を背負いながらもあの日を迎えた。最前線に忍び込み撃墜された、ザイの脅威を間近で感じ取った日。ザイの出現により各国の軍も自衛隊も対人類から対ザイへと目標が変わった。中国の惨状から垣間見る人類の存亡の危機。今出来ることを最大限やる。自分たちが突破されれば日本になす術は無くなるのだから。

 

 

 

 

 

 漆黒の空がわずかずつ薄明かりに変わる夜明けの頃、エンジンの唸りが辺りにに響く。いつも通りの発進手順を踏みエプロンからタキシングし、滑走路から飛び出て行くN-0。

 邀撃と違い増槽を積みミサイルを満載した状態では離陸決定速度に達するまでの距離が長くなりるが、余剰推力が大きく極端に延びなかったのは幸いだった。それでも主翼下の懸架物は少なくない抵抗を感じさせた。この状態では高空においても空気抵抗の増大でスーパークルーズは不可となる。

 ギアアップ。高度を取りやがて水平に戻すと、エンジンと風を切る音だけが宮鍋を包んだ。那覇周辺の給油ポイントまでは、作戦行動中につき各管制との無線のやりとりは最小限となっている。絶えず計器のチェックと周囲の警戒に傾注し静かな旅になった。

 給油を終え作戦空域へと近づく。レーダーは作動させず、無線周波数を同期させ受動型センサーを全て起動させておく。

 那覇から無事に3機が飛び立ったことを聞いて、ファントムとの決着は鳴谷慧に軍配が上がったのだと思うもすぐにEPCMが濃くなるのを感じる。カメラは最大望遠モードにし、交戦中と思われる友軍機とザイを水平線ギリギリに確認。時折火球が散る。4、8、16…まだいる。24。翻弄されているのか相手になっていない様子だ。空自機も苦戦している。やはり簡単には攻撃させてはくれないようだ。

 エンゲージ、増槽投棄。レーダー作動、マスターアームオン。瞬時にレーダー波の反射パターンから友軍機とザイを識別し主翼下のミサイルに目標を割り振る。

 基本に忠実に、先制の一撃を加える。FOX1、6発同時にリリース。推進剤が激しく燃焼し勢いよく飛翔していく。攻撃に気付いたザイは慌てて回避行動を取るが、すでに直近まで迫ったミサイルを避けるには至らなかった。ほぼ同時に6機が餌食になり残滓を撒きながら墜ちていく。

 こちらのミサイルは残り12発。使い切っても全滅させることはできない。残りは機関砲になるが囲まれないよう各個撃破するよう立ち回れば勝機はある。

 酸素レギュレーターからの乾燥した空気で喉が乾くのも忘れ、意を決して息を吸ったその時突如として耳に入ってくる通信があった。

『ザイ発見! どんどん落とすよ~!』

 聞き間違えの無い明るいトーンの声とカメラに捉えた山吹色に光るF-15。紛れも無くイーグルだった。

「おい、なんでこっちに来てるんだ、お前はBABIE03の直掩だろう!?」

『お父様がイーグルは一番頼れるからどんどん落としてこいって! もう最初から言ってくれればいいのに』

 嘘付け。どう思い返しても八代通は作戦を変更していない。離陸後、アニマ同士で何らかのやりとりがあったとして。グリペンは他人を騙すようなタイプじゃないから、さてはファントムが唆したか。

 宮鍋は頭を抱えた。

「…こうなってしまっては仕方が無い、手早く片付けて援護に向かうぞ」

『あ、それならたぶん大丈夫。助っ人が来てくれるから』

「助っ人?」

 まさか築城からではあるまい。おそらくは那覇基地からだ。そこからだとすればもしや――。

「…そういうことか」

 BABIE04、バイパーゼロ。そういえばイーグルが小松に移る前は一緒に配備されていたのだった。

 会ったことは当然無い。どんなアニマなのだろう。この戦争が長期に及べばいつか直接会うことはあるだろうか。

「しかしあまり時間を掛けては被害も出る。BABIE02、突っ込んでいいから思いっきり暴れろ」

『言われなくても! いっくよー!』

 山吹色のF-15Jのノズルが一気に開きアフターバーナー全開、同時にミサイルを放ち距離を縮める。

 イーグルが友軍機に割って入り爆散するザイを尻目に格闘戦に移ると今度は機関砲でなぎ倒していく。瞬く間に数が減っていくが同時に囲まれそうになる。逆に宮鍋はイーグルに狙いを移そうとするザイの目の前を通過しチャフを放出しフレアを焚いてやる。友軍機が霞むくらいわざと目立ってもう一度注意をN-0に向けさせ、イーグルが捌ききれなかったザイに胴体内のAAM-5Bを割り振る。

 遠心力に抗い鋭角に機首を回頭させシーカーアンケージ、MAX-RANGE内に収めている敵機の情報を叩き込みロックオンを確実にする。FOX2、投下された弾体から勢いよく炎が上がり追尾していく。燃焼剤が尽きるまで急旋回で追従し難なく撃墜する。直後、巴戦へと機関砲を撃ちながら踏み込んでくるザイに対してわずかに機体を滑らしながら返す刀で機関砲を撃ち込む。ザイの砲弾は虚空へと吸い込まれ、N-0の砲弾はザイの予測進路上に撒かれた。逃げ場を失い穴だらけになったザイは間もなく砕け散った。

 この間にもイーグルはどんどん切り込んでいってしまうが、宮鍋は一連の流れにおいても絶えずイーグルのカバーに入れるよう速度の損失を最小限に抑えていた。加えてタービン入口温度が上昇した新型エンジンの推力は速度回復が早く歩調を合わせるのはたやすい。データリンクと目視でイーグルがどの目標に対し照準を合わせているか素早く見極め、ロックオンの重複を避け互い違いに死角を埋めつつ撃墜していく。

『これでラスト、もらい!』

 最後の1機をイーグルのミサイルが捉え、爆ぜた。宮鍋は空域を走査(スイープ)しクリアになったことを確認、護衛は成功した。

『むふー、後でお父様にハグして貰うんだ!』

 上機嫌なのは結構だが当初の目的を忘れているのではないだろうな?

「わかったから、今度はあっちの援護に向かうぞ。――始まったか」

 残存の艦隊と石垣島から放たれた巡航ミサイルとロケット弾は、おびただしい数の噴煙を海面に敷いていく。これだけの火力が集中すれば海鳥島は地図上からは消えてしまうだろうと宮鍋は思った。

 

 

 

 

 

「BABIE01、03、状況は!?」

 イーグルと編隊を組み合流する。ザイの撤退はデータリンクで確認済み

『BABIE01からSHADOW01へ、みんな生きている。作戦成功』

『03、健在です』

『宮…じゃなかったSHADOW01、上手く表現できないですけど、俺達勝ったんですよね。まだ震えが止まらないです』

「こちらからもしっかり君達を捉えている、やったな、大金星だ」

 死地を掻い潜った反動か、慧が少し興奮気味でも仕方なしかと宮鍋は思う。年相応の反応が返ってきてむしろほっとした気分だ。

「もう1機参加したと聞いた。姿が見えないが…?」

『BABIE04ならすでに離脱しています』

 ファントムから応答。

『シースキミングからの対地爆撃支援、邪魔なクラスターミサイルを潰してくれたおかげで誘導に集中できました。見事なものでしたよ。ところで、私の直掩にあたっていたBABIE01の操縦桿は誰が握っていると思いますか?』

「それはどういう…おいおいまさか」

『そのまさか、です。この作戦において慧さんは自らの操縦で生き残りました。今後グリペンは慧さんの操縦で運用するようお父様に進言しておきます』

『実はファントムからの提案だったんです。俺が乗る限り9G制限が掛かるからいっそのこと操縦は俺、グリペンはサポートにって役割を分けたんです。そしたらこいつの索敵範囲とミサイル誘導能力が飛躍的に上がったんですよ』

 なるほど、短所を受け入れることでむしろ長所に転じたということか。

『今の私ならSHADOW01が相手でも優位に戦える』

『お前、あんまり調子に乗ってるとシミュレーターの二の舞になるぞ』

 自信満々のグリペンをたしなめる慧。

『面白そうだから後でイーグルと勝負ね!』

 横から口を挟んでくるイーグル。

 無事な姿を見、無邪気な掛け合いを聞いていると安堵が溢れてくる。しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。

「賑やかで結構じゃないか。俺はこのまま小松へ帰投するが、そっちは那覇基地に降りるんだろう? 少し羽を伸ばしていくといい。八代通技官(ボス)も文句は言うまい」

 またすぐにでもザイがやってくるかもしれない。束の間の休息を大事にして欲しいと願う宮鍋。

『え? でも俺たちも小松へ帰ったほうが…』

「どのみち燃料補給しなければ帰れないだろう? 小松は俺がいれば対応できるし、もう一度空中給油を受ければ燃料も持つ。こっちは任せておいてくれ」

 実際イーグルの乱入で思いのほか早くザイを殲滅できた。向かい風を受けながらの帰投でも燃料消費を抑えられる高高度を亜音速で巡航すれば小松上空でしばらく待機できるくらいだ。

『慧、私もだけど皆も燃料と武装の補充も必要。気持ちは受け取るべき』

『慧さん、休むのも仕事のうちですよ?』

『じゃあ…お言葉に甘えさせてもらいます』

『遊んでって良いの? おじさんありがとー!』

 これだけ元気なら心配ないだろう。

「また後でな」

 それぞれの返事を聞き終えると宮鍋は機体をバンクさせた後、緩く上昇させながら再び給油機のポイントへと進路を取った。

 

 

 

 

「お疲れ様です。宮鍋一尉、あの少年は作戦を遂行したというのは本当ですか!?」

 少し先に訓練から帰投した門屋が降機点検を終えた宮鍋に問い詰めるように聞いた。もう基地の中に噂が広まっているようだ。

「本当だ。彼はよくやったよ。俺もうかうかしていられないな」

 門屋に視線を向ける宮鍋。声が少ししゃがれている。

「もしこの機体の配備が始まって機種転換が行われれば、私達も一尉やあの少年、アニマと一緒に今回のような作戦には参加できたのでしょうね」

「…」

 しかしその表情は曇る。

「公言はしていないが、実は俺はN-0の量産には反対の立場なんだ」

「何故です!? これほどまでに有力な装備など他にありません! 私だけでなくそういう意見は多く聞きます」

「確かに有効だと言えるだろう。だがその代償が大きすぎる。もう一般社会への復帰も、家族の元へと帰ることもできない。選択が正しかったかどうか、今でも悩むことがある。出来る限りこうなって欲しくないんだ」

「ではこのまま指を咥えていろと?」

「そうじゃない。ザイだって無敵ではないしF-15でだって撃墜できる。堀内や技本も対策を練っている。今は耐えろ。それに門屋はまだF-15でやるべきことがたくさんある。N-0はまだ早い」

 門屋の気持ちも分かる。しかし元の身体に戻る術が無いのに、おいそれと自分のようになって欲しくない。

「…承知しました。しかし諦めるつもりはありません。いずれ一尉と肩を並べられるまでは」

「なら今以上にきっちり訓練をこなして己を磨け。ザイは一切容赦してくれないからな。それと、これは俺個人からの要望なんだが」

 少しだけ雰囲気が穏やかになる。

「アニマ達を怖がらないでやってくれ。空の上では比類なき戦力だが地上では人と変わらない。三者三様だが皆の役に立ちたいという気持ちに偽りは無いんだ。少しでいいから距離を縮めてみて――」

「怖がる? そんなまさか」

「…へ?」

 予想だにしていなかった返答に妙な声が出てしまう。

「一目見たときから人形みたいでかわいいなと思ってました。言うなれば芸術品。近づいてはならないかと遠慮していましたが、宮鍋一尉がそう仰るのであらば私門屋は喜んで受け入れいたします!」

 鼻息荒く敬礼する門屋。

「…ふふふふふ」

 予想の斜め上の返答に絶句し思考が止まってしまう宮鍋に対し門屋は足取り軽く歩いていってしまう。

 嬉々とする後ろ姿に天を仰ぐ。開いてはいけない扉を開けてしまった、そう思わずにいられない宮鍋だった。

 

 

 

 

 



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