不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる (ジョニー一等陸佐)
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第1話 魔術師、還らず そして・・・

誰も書かないなら自分で書けばいいじゃない。


 流れ出す真っ赤な血があっという間に大きな血だまりを作る。出血と共に自らの意識と命も流れ出していくのが分かる。

 一つの星が銀河の中で瞬き消えようとしていた。一つの時代が終わろうとしていた。

 

 

 宇宙歴800年6月1日、巡航艦「レダⅡ」艦内。

 (やれやれ・・・ミラクルヤン(奇跡のヤン)血まみれヤン(ブラッディヤン)になってしまった)

 ヤン・ウェンリーは艦内廊下に力なく座り込んでいた。その左足は全体が真っ赤な血で染まり周囲に巨大な血だまりを形成している。無様な格好にヤンは思わず苦笑してしまっていた。

 ヤン・ウェンリーはかつて自由惑星同盟という銀河を二分する勢力の一つの国家に属する軍人だった。非凡な才能を持つ軍人だった。ある時はエル・ファシルで絶体絶命の状況下の中300万人の市民を無傷で脱出させた。ある時はアスターテで壊滅寸前の艦隊を立て直して敵に一矢報いた。ある時は難攻不落の要塞と言われたイゼルローン要塞を一滴の流血無しに占領した。アムリッツァ星域でもバーミリオン星域でも・・・圧倒的な敵を前に決して敗れる事は無かった。戦いにおいて全く敗北することのなかった彼を人々は奇跡だ、魔術師だと称賛した。ヤン・ウェンリーは不敗の魔術師であると――

 その不敗の魔術師の祖国であった自由惑星同盟はもう一つの勢力である銀河帝国との戦いに敗れ消滅した。

 紆余曲折の末、彼は今、イゼルローン要塞の革命軍の総司令官として銀河帝国との戦いに身を投じていた。

 これに先立つ4月から5月にかけて行われた「回廊の戦い」で自軍の幾数倍の戦力の帝国軍と激闘を繰り広げ、双方共に多大な損害を被るも、帝国軍の名将ファーレンハイトやシュタインメッツを戦死させる等ヤンは着実に戦果を挙げ帝国軍を率いる皇帝ラインハルトから会見のための一時講和を引き出すことに成功した。

 ラインハルトとの会見に応じるためヤンは側近達と共に巡航艦「レダⅡ」に乗艦し、ラインハルトのもとに向かった彼であったが――事件はそこで起きた。

 道中、かつての自由惑星同盟軍の軍人アンドリュー・フォークがヤンの暗殺を謀ろうとしているとの情報が入った。フォークが乗っ取った武装商船がヤンを暗殺すべくレダⅡに向かい、それを帝国軍の駆逐艦が破壊。帝国軍側から挨拶のためレダⅡに移乗したいとの要請をヤン一行は受諾。彼らを移乗させたのだが――それは罠だった。移乗してきた帝国兵達こそがヤンを暗殺するべく送り込まれた真打だったのだ。

 移乗してきた帝国兵達は実際には地球教という宗教組織あるいはテロリスト集団が変装した姿だった。銀河の裏からの支配をもくろむ地球教がヤンを暗殺すべく信者を帝国兵に変装させ暗殺者として送り込んだのだ。

 事態の急変に気付いた側近達はヤンを逃がす一方で応戦するも、暗殺者達は革命政府の代表ロムスキーやヤンの側近のパトリチェフらを次々と殺害。一行を血祭りにあげる一方で本命のヤンを血眼になって探した。

 ヤンの暗殺の情報を掴んだイゼルローンからも戦艦ユリシーズが急行、ユリアンやシェーンコップが率いるローゼンリッターの隊員達がレダⅡに乗艦しヤンを保護すべく地球教徒達と戦闘を繰り広げていたが――何もかも、遅かった。

 パトリチェフの時間稼ぎによって一旦は難を逃れたヤンはどこが安全かと艦内を歩き回っていた。

 参ったな、どこに隠れれば安全だろう、あまり死にたくはないな、ユリアンを同行させなくて正解だった・・・

 そんなことを考えながら艦内の廊下を歩いているところに、彼はばったりと人に出会った。出会ってしまった。見つかってしまった。帝国兵に変装した暗殺者に。

 ヤンが相手が何者か認識する前に暗殺者のブラスターから熱戦が放たれ――ヤンの左脚の動脈を撃ち抜いた。

 動脈を撃ち抜かれたことで大量に流れ出る血の量は彼の生命を奪うのに十分だった。

 ヤンは改めて自分の置かれた状況を見た。

 暗殺者は既に何処かに行ってしまったがだからと言って状況が好転したわけではない。

 艦内廊下の壁際に座り込んでいる今も左脚から大量出血している。周囲に巨大な血だまりを作っており、彼の生命が失われるのも時間の問題だろう。

 それにしても随分とひどい出血だ、こんなにも血が流れるものなのか。まぁ、自分が指揮官として今まで流させてきた血の量に比べれば些細なものだが・・・

 意識が朦朧とする。

 周囲がはっきりと認識できない。まるで眠る直前のような感覚、覚醒と眠りの間のまどろみの感覚が襲ってきている。これが死ぬということなのか。

 もはや左脚の痛覚だけが彼の僅かに残された意識をつなぎとめていた。

 「・・・このまま・・・死ぬのか」

 ぽつりとヤンは呟いた。

 戦闘で死ぬのでもなく、普通に老いて死ぬのでもなく、誰にも看取られることもなく、こうして一人で静かに死ぬことになるとは・・・いや、今まで数百万の血を流させたある意味では虐殺者である自分にはこれでもまだ温情のある死に方であり、それに感謝すべきなのかもしれない。自分に一番ふさわしい死に方なのかもしれない。

 不意に、脳裏に見知っている顔が浮かんだ。

 自分の妻であり副官でもあるフレデリカ。それから、自分の養子であり愛弟子でもあったユリアン。シェーンコップをはじめとする側近達・・・

 「・・・ごめん・・・」

 朦朧とする意識の中、遺してゆく愛する者達のことを思い浮かべ呟いた。そう言わずにはいられなかった。婚約したばかりだというのに幸せにできないまま遺してゆく妻・・・自らの思いに反して軍人の道を進み、こんな自分を信じ慕いながら己の道を進もうとしていた息子に、側近達・・・大切な仲間達に何もしてやれないまま自分は逝こうとしている。果たして自分は彼らに何を残せただろうか。何かを成せたのだろうか。

 「ごめん、フレデリカ・・・ごめん、ユリアン・・・ごめん、みんな・・・」

 謝罪の言葉を口にしながら彼は目を閉じた。もはや痛みさえ感じない。もう意識を保つ力は、無い。

 彼の意識はそのまま消えていき、やがて完全に途絶えた。

 

 

 ・・・宇宙暦800年6月1日2時55分。ヤン・ウェンリーの時は、33歳で停止した・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体が何かの上を漂い、揺れる感覚がする。潮の匂いが鼻腔を突く。頭上から人工のものではない、強い太陽の自然光が差し込んでくる。

 強い太陽光をはじめとする、強烈な五感の感覚にヤンの意識は不完全ながらも再び覚醒した。

 ・・・ここは、一体どこだろう。

 僅かに眼球を動かし周囲を見渡す。一面に広がる青い海。その真っただ中にヤンは浮かんでいた。頭上には海よりもさらに済んだ青い空が広がり、鳥らしきものが空を駆けている。

 (・・・あの世、かな?)

 完全に覚醒していない意識を頭を働かせながら、ヤンはここが一体どこなのか思考しようとした。

 自分はさっき死んだばかりのはずだ。見覚えの全くないこの場所は一体どこなのか。先ほどまで巡航艦にいた自分はなぜこのような、見知らぬ海の上を浮かんでいるのか。もしかしていわゆるあの世という奴なのだろうか。宗教というものをヤンは信じていないが、しかしこの状況を説明できるとしたらそれが一番妥当な気がする。あの世だとするとここは天国だろうか地獄だろうか。多分地獄だろう。しかし地獄にしてはいささか変わった場所に見えるが・・・

 不意に、何かがヤンの視界に写る。

 視線を動かした先には――巨大な黒い城が海の上を浮かんでいた。

 「・・・あれは」

 巨大な黒い城の正体は、巨大な艦船だった。200メートルを優に超え、250メートル、いやそれ以上はありそうな巨大な黒い鋼の塊が、海上に悠然と佇んでいる。全長1キロ近くある旗艦クラスの宇宙戦艦や全長600メートル近くある標準型戦艦に比べれば、その艦は比べ物にならぬほど小さいが、それでも海上を進む艦船としては規格外の大きさであり、至近距離から見る者を圧倒させるには十分な迫力を持っていた。

 重厚な黒い鋼の装甲、見る者を圧倒する巨大さと威厳を持つその艦にヤンは見覚えがあった。確か、旧世紀の戦史の資料で記述されていた。

 旧世紀、宇宙歴以前の西暦が使われていた時代、かつて人類がまだ地球という小さな惑星にしがみついていたころ。その小さな惑星の、極東にあるさらに小さな島国が世界を巻き込んだ大戦争に勝利するために建造した世界一巨大な戦艦。

 その名前を確か――

 だが思い出す前にまた再び意識が沈殿し始めていく。

 体を動かそうにも手足は鉛のように重く、海水をかぶった顔は焼けるように熱く、海水が口や鼻から入り込み呼吸を邪魔する。意識の沈殿と共に体も海中に沈もうとする。

 (このまま沈むのか)

 その時だった。誰かに、腕を強く掴まれたのは。

 沈みかけていた体が急速に引き上げられる。激しい水音が耳朶を打つ。

 唇に柔らかいものが押し当てられ、新鮮な空気が送り込まれる。

 「大丈夫!助けるよ!」

 どこからか少女の声がして、それはどこか人を安心させる響きがあって。

 ヤンの意識は再び闇の中に沈んだ――

 

 

 

 「ヤ・・・提・・・督!・・・アンです!」

 暗闇の中どこからか誰かが自分を呼ぶ声がする。

 「・・・提督!どこですか!いたら返事を!」

 確かに知っている声なのに一体誰なのか思い出せない。自分にとってかけがえのない存在であることは確かだが・・・思うように記憶の棚を引き出せない。

 いったい誰が自分を呼び、探しているのだろう。そもそも自分はいったい誰なのだ?

 「提督!提督!どこにいらっしゃいますか!?」

 「――提督!ユ・・・ア・・です!!どこにいらっしゃいますか!?」

 自らを呼ぶ声がさらに大きくなりこだまする。そして――

 「――ヤン提督!!」

 「!!」

 ひときわ大きい声が脳内にこだましヤン・ウェンリーは目が覚めた。

 それと同時に蛍光灯の人工光が目に入り込み一瞬顔をしかめる。

 ・・・ここはいったい?医務室のような部屋だが。まさか自分は救出されて、あの出血を生き延びたのだろうか?

 周囲を見渡す。まずは状況確認だ。

 ヤンはベッドのようなものの上に寝かされていた。左腕にチクリと痛みがするので見てみると点滴針で刺された傷跡がいくつか残っていた。ベッドの隣には台の上に置かれたいくつかの点滴針やチューブ、吊るされている使用済みの輸血パックらしきもの・・・さっきまで自分は輸血を受けていたのだろうか。そういえば自分はブラスターで左足の動脈を撃ち抜かれ大量出血していたのだ。

 左脚を見てみる。自由惑星同盟軍の制服の一つであるスカーフを止血帯代わりに巻いてあったはずだが、今見ると血に濡れたスラックスの代わりに、真新しいアイボリーのスラックスを履いていた。傷口のあたりを触ってみると包帯がしっかりとかなりきつく巻かれているのが分かる。多分、縫合もしているはずだ。

 それにしてもここはどこだろう。雰囲気からして艦内だと思われる。が、室内の設備や調度品等は自由惑星同盟軍のものではない。ましてや銀河帝国軍のものでもない。まったく見覚えのない部屋だった。しかも、水上艦なのか時折揺れも感じる。少なくともレダⅡ出ないことは確かだ。

 「・・・やれやれ、参ったな。ここが一体どこなのか見当もつかない」

 思わずそう呟いた。一応命が助かったようではあるが・・・治療行為をされたということは少なくとも敵ではないのだろう。あるいは自分を何かに利用するつもりか。

 いずれにせよ今やるべきは置かれた状況の確認だ。ユリアンやシェーンコップ達にも会い、無事を伝えねばならない。

 (・・・思い切って動いてみるか)

 部屋の探索をしようとベッドが起き上がり、床に足をつける。不意に、左足に痛みが走った。ヤンは顔をしかめた。やはり完全に治ったわけではないようだ。あまり自由に動き回ることはできないだろう。が、まったく自力で動けないというわけではなさそうだ。兎に角ゆっくり歩くのがいいだろう。

 「さて・・・ここは一体、どこなのかな。一応、艦の中みたいだが・・・」

 ふらつく体を支え、自らの置かれた状況を理解すべく、そして自分の仲間を探すべくヤンはドアに手をかけ部屋の外へ出た。



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第2話 目覚め

 高校生、源葉洋平は蛍光灯の明かりで目をを覚ました。

 目覚めたばかりでぐらぐらする頭を振り、状況を確認しようとあたりを見渡す。

 ここは何処だろうか?自分が横たわっている白いベッド、棚に並ぶ医薬品の瓶の数々・・・どうやら医務室のようだが。波の音と揺れも感じる。もしかして、船の上だろうか。

 ふらふらと立ちながら洋平は自分がなぜこんなところにいるのか、ここはいったい何処なのか記憶の糸を手繰り寄せた。

 そうだ、自分は広島に修学旅行に来ていたのだ。今日は自由行動の日、他らのクラスの連中が宮島でせんべい片手に鹿と戯れている中、海戦ゲーム『提督たちの決断』をこよなく愛する海軍オタクである洋平は一人呉に繰り出し大和ミュージアムに滞在していた。そこで十分の一サイズの戦艦大和の模型に感動して、それから・・・それから・・・気づけば自分は海の上を漂流していた。そのまま溺れそうになって誰かに助けられて・・・

 記憶を掘り起こそうとして洋平は突然鋭い頭痛に襲われた。

 ・・・駄目だ、やっぱり今に至るまでの記憶が思い出せない。大和ミュージアムにいたはずが何故いつの間にか海面を彷徨う羽目になっていたのか、いったいここは何処なのか。

 壁に手を突きながらふらふらと部屋から出て廊下に出る。

 一体ここは何処なのだろうか・・・

 「あの・・・そこの君、ちょっと、いいかな」

 不意に誰かに後ろから声をかけられた。

 少しぎょっとして後ろを振り向くと一人の男が立っていた。

 黒いジャンパーに黒いブーツ。スラックスは白いアイボリーで、首にも同色のスカーフを巻いている。姿は中肉中背。背は洋平よりも少し上ぐらい。おさまりの悪い黒髪に黒いベレー帽を被っている。年齢は二十代ぐらいだろうか。顔は、見る人が見ればイケメン・・・といったところだが、それよりも売れない学者かうだつの上がらない大学生という表現が合っている、といった感じだ。

 男の黒い瞳が洋平をとらえる。人を安心させるような、優しい瞳だった。

 おさまりの悪い黒髪をかきながら、男が口を開いた。物柔らかな声だった。

 「ええと・・・ここが何処なのか分かるかい?見たところ艦内みたいだが」

 洋平と同じ疑問を口する男。どうやら彼も洋平と同じように迷っているらしい。

 洋平は首を横に振った。

 「さぁ・・・すみません、実は僕も気づいたらここにいて。どこなのか分からないんです。・・・ところで、あなたは?」

 「ああ、自己紹介するのを忘れていたね。私はヤン。ヤン・ウェンリーという。・・・君の名前は?」

 「・・・源葉。源葉洋平です」

 ヤン・ウェンリーと名乗った男は顎に手を当て洋平の名前を繰り返した。ヤン、ということはこの人は中国人なのだろうか?顔だちもアジア系だがよく観察すると洋平と同じ日本人のそれとは微妙に違いどちらかといえば中国などの大陸系のそれだ。それにしても日本語が通じる人で良かった。

 「・・・ゲンバ、ヨウヘイね・・・顔立ちからして名前の表記はE式(東洋式)かな?源葉が名字で洋平が名前かい?」

 「ええ、はい」

 ヤンは微笑んだ。

 「そうか、いい名前だね。とりあえずよろしく」

 「あ、こちらこそ・・・ところで、ヤンさんはどうしてこんなところに?」

 「ああ、うん、それはね・・・」

 ヤンは困ったような表情で答えた。

 「・・・実をいうとよく覚えていないんだ。大怪我をして意識を失って・・・気付いたら医務室?のベッドに・・・」

 「医務室?もしかしてあの部屋ですか?」

 洋平は向こうの、先ほど出た医務室らしき部屋の扉を出た。

 ヤンは頷いた。

 「ああ、気付いたらあの部屋にいたんだ。それでここはどこなのかと部屋を出てしばらくあたりを歩いていたんだけどね・・・そしたらさっきの扉の近くに君がいたから何か知っているかもと思って声をかけたんだ。君も気づいたらあの部屋にいたのかい?」

 「ええ、大和ミュージアムに行って、それから海で溺れて・・・気付いたらあの部屋のベッドに」

 「そうか、どうやら私が部屋を出る時、他にお客さんがいたのか。気付かなかったよ・・・」

 ふむ・・・といった様子で考え込むヤン。

 「それじゃあ、君も何処なのか分からないのかい?」

 「ええ・・・一応、船の中みたいですけど」

 「そうか・・・とりあえず、ここが何処なのか一緒に調べないかい?人手は多いほうがいい。ついてきてくれるとありがたいんだが・・・」

 洋平はヤンの申し出を承諾した。

 ここが何処なのかも分からない以上、洋平は少し心細く一緒にいてくれる人がいるということは多少なりともありがたかった。

 見知らぬ人ではあるが、優しそうな人で怪しい感じはあまりしなかったので洋平はヤンに対し不信感というものはそれほど抱かなかった。

 初対面の二人はすぐにタッグを組み共に行動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 廊下を歩きながらヤンは洋平を見た。

 見たところ彼はアジア人、それもどちらかといえば島国・・・日本人の雰囲気の顔だちだ。名前の表示方式もヤンと同じE式(東洋式。姓が前に来て名が後ろに来る。W式、西洋式はその逆)。名前の感触からしても、彼の側近の一人であるムライ中将と同じ日系の人物だろう。となると彼はどこの出身だろうか。まさか旧同盟領、かつての首都星であるハイネセンの出身ではあるまい。エル・ファシルか、それともイゼルローン要塞に居を構える一般人か、それとも難破した宇宙船から救助でもされたのか・・・

 「ところで君は何処の出身なんだい?」

 さりげなく聞いてみるヤン。

 「東京ですけど・・・」

 「・・・トーキョーね・・・」

 出てきた答えは全く聞いたことのない名前だった。トーキョー、という名前の惑星や星系は聞いたことがない。惑星や星系の名前に限れば。それら以外の名前ならば、かすかに、ヤンの記憶の糸に引っかかるものがある。旧世紀、人類がまだ地球という惑星のみを安住の地としていたころ・・・ニューヨークや上海、ロンドンといった数多くの繁栄した地球の都市のひとつ。そして二十一世紀前半に起きた全面核戦争によって荒廃した都市のひとつに東京という名の都市があった。確か、極東の島国の首都だったはずだ。彼はその出身だという。これは妙に思われた。地球は度重なる戦乱により今では赤茶け無残に荒廃した惑星で、わずか数千万の地球教徒が細々と暮らすだけ。しかし目の前の少年は地球教徒には見えないし、荒廃した地球出身とは思えない、ちゃんとした身なりをしている。第一、地球は銀河帝国の領内に存在する惑星だ。イゼルローンから帝国に向かう道中に何故、地球の、帝国領内出身の人物に会うことになるのか、第一銀河帝国の人種構成はそのほとんどが白人で東洋系はまずいないはずだったが・・・

 「ヤンさんは何処の出身なんですか?中国?」

 今度は洋平がヤンに質問してきた。出身地として指摘されたのは惑星の名前ではなく、これまた古代地球に存在した国家・地域の名だった。

 「いや、私は惑星ハイネセンの出身だ。かつての自由惑星同盟の首都星で・・・」

 「・・・え?」

 洋平の顔はきょとんとしている。何を言っているのかよく分からないといった風だった。

 ヤンは奇妙に思った。己の出身を問われればかつての地球の一都市の名を挙げ、他人の出身を聞くときには惑星や星系の名前ではなく、これまた地球の一地域一国家の名を挙げる。今人類は地球ではなく宇宙に浮かぶ数多の惑星を住処としている時代なのに。まるで目の前の少年は地球以外の場所を知らないような様子だ。

 会話が微妙にかみ合っていない。

 そう思ったヤンは思い切って質問をぶつけてみた。我ながら少し馬鹿げていると思ったが・・・

 「ちょっと聞くけど、洋平君、自由惑星同盟とか、銀河帝国とかフェザーンとか・・・どれか一つでも聞いたことは?」

 「・・・ないです。ていうか、ここ地球ですけど・・・多分」

 洋平が若干戸惑いながら答えた。

 地球!地球だって!よりによっても地球か。ヤンは因縁を感じたがすぐに抑えてさらに踏み込んで質問する。

 「今、何年だい?」

 若干曖昧な質問に洋平は過不足なく答えた。それはあくまで今現在、現時点での事実ではなく洋平個人の認識だったが。

 「・・・西暦20XX年です」

 ヤンは頭を抱えるのも忘れた。

 今は宇宙歴、あるいは帝国歴の時代だというのに彼は旧世紀の西暦で答えた。それもかなり――一千年以上も前の時代を。

 目の前の少年が嘘を言っているようには見えない。嘘だとしてもその目的が分からない。

 西暦という単語を聞いて彼には大方の予測がついた。もっとも、信じられるかどうかは別問題だったが・・・目の前の少年の言っていることが事実だとすれば。ヤンは思い浮かんだ考えを急速に言語化した。

 自分は今、自由惑星同盟や銀河帝国の建国どころか、銀河連邦成立以前、独裁者ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムも気の遠くなるような過去の世界にいる可能性がある。

 「・・・なんてこった。こいつはだいぶまいったな・・・」

 灰の中の空気をすべて吐き出し、頭をがりがりかく。

 絞り出すような声はヤンの窮状を的確に表していた。だが、ここでくよくよしているわけにもいくまい。

 「・・・どうもお互いの認識や常識にズレがあるみたいだね。どうだろう、ここらでお互いの認識や常識を確認しないかい?」

 ヤンの提案を洋平はすぐに承諾した。

 

 

 洋平が地球という惑星、日本という島国の東京出身の高校生であること。広島に修学旅行に行き、自由行動で博物館に行き艦船の模型の前にいたが、気付いたら何故か海で溺れており、意識を失い、気付いたらさっきの医務室のベッドの上に横たわっていたこと。

 逆にヤンは洋平のいた時代よりも遥か未来――人類が進出し広大な宇宙を住処とする時代の人間であること。そして銀河を二分する大規模で長い長い戦争が勃発していること。ヤンはその片方の陣営、自由惑星同盟の軍人として勤務していたこと。・・・ある時左足をブラスターで撃ち抜かれ大量出血し死を覚悟しながら意識を失い、気付いたらベッドに横たわっており怪我の処置を何者かにされていたこと。

 かいつまんだ説明だったがとにかく互いの認識を確認することが出来た。

 だが、ヤンはともかくとして洋平は半信半疑の様子だった。それはそうだろう、目の前にいる普通の人間が実は一千年も未来の人間で軍人として宇宙で戦争をやっていたなんて言うのだから、信じろというほうに無理があるだろう。ヤンは苦笑しながら言った。

 「別に無理信じなくてもいいさ。私だって正直信じられないんだからね。知ることと信じることは別さ。とにかく、私の境遇について知ってもらえればそれでいい」

 互いの認識を披露しあった後、再び歩を進める二人。ヤンはやれやれといった様子で頭をかいた。やれやれ、皇帝ラインハルトのもとに向かっていたはずが地球、それも西暦の時代にいるかもしれないんなんて・・・どうしたものかね。

 だが、ヤンも洋平もまだこの時点では知らなかった。過去は過去、地球は地球でも、ここは二人の知る地球や過去の世界とは異なる世界であるということを・・・

 

 

 長い通路の先に水密扉があった。今は開けられており光が強く差し込んでいる。

 外に出た二人の視界に移る光景が瞬く間に変わる。リノリウム張りの床が木張りの甲板に代わり、目の前には漆黒の宇宙空間ではなくどこまでも続く大海原と水平線だった。

 間違いなくここは宇宙ではなく、地上だ。おそらく地球だろう。それも海上、大海原の真っただ中だ。

 漂う潮の匂い、響く波の音と海鳥の鳴き声。

 それらに加わって突如として爆音が響き何かがヤン達の頭上を擦過した。

 ずんぐりとした全金属製の機体、楕円形の主翼と固定脚、プロペラエンジン――ヤンにとっては旧世紀の遺物である、プロペラ式の飛行機が何機も、編隊を組んで上空を舞っている。今時あるいはヤンのいた宇宙歴の時代なら空を飛んでいるのは大気圏内用のジェット戦闘機であり、こんな旧世紀、地球時代の遺物といえるレシプロ戦闘機ではない。

 「九六式艦戦だ・・・」

 洋平が呟いた。

 「知っているのかい?」

 「あ、はい。旧日本海軍が配備していた艦上戦闘機で・・・」

 彼によれば旧世紀・・・20世紀中、第二次世界大戦より少し前に配備されていた戦闘機だという。また、彼の知る限り飛行可能な実機やレプリカは現存しないという。ヤンは宇宙歴の、洋平は二十一世紀の出身だが何故ここに二人にとっては過去の存在である物体が存在しているのか・・・

 やはり、ここはヤンのいた時代より遥かに過去の世界のようだ。だとすれば此処はいったい何処なのか。どうやら自分たちは今船の上にいるようだが・・・

 刹那、けたたましいブザーが鳴り響いた。

 「こ、今度は何?」

 〈総員配置!対空戦闘用意!〉

 号令と共に、重たい鉄の擦れ合う音が響く。

 背後を振り仰ぐ。そこにそびえ立っていたのは十階建てのビルに匹敵する、三十メートルはあろうかという高さの、重厚な黒い鋼鉄の艦橋だ。上層に昼戦用の第一艦橋、中層に夜戦用の第二艦橋、その下に司令塔がせり出している。ねずみ色の艦橋の周囲を対空砲や対空機銃が取り囲んでいる。それらが一斉に旋回し鎌首をもたげる。

 〈撃ち方始め!〉

 次の瞬間、すさまじい連続音が耳をつんざいた。遅れて立ち込める火薬の匂い。明らかに砲声だ。

 咳き込みながら二人は後退る。空に向かって立ち続けて打ち上げられる光の矢に目が眩む。上空を飛ぶ戦闘機はよく見ると尾翼から吹き流しを曳航し、対空砲火はそれを狙っているようだ。

 海上を見れば戦艦らしき艦影が六隻浮かんでいる。それらも対空砲火をこれでもかと撃ち上げている。

 おそらくこれは艦隊の演習か実戦だ。

 「あれは長門型じゃないか・・・二隻もいる・・・あれは扶桑・・・?」

 洋平が何か呟いている。浮かんでいる艦船の艦名だろう。

 そのとき後ろで何者かの声がした。

 「そこにいるのは誰!」

 立ち込める硝煙の向こうから甲高い声がした。

 はかったように、潮風が吹き散らした。

 十人くらいの少女がそこにいた。高校生の洋平よりだいぶ下に見えるが、何故か全員同じ規格品の制服を着ている。そう、まるで軍服のような・・・

 二人が何か言うより速く、彼女達は目を剝いて叫んだ。

 「男ですっ!最上甲板に男が侵入!」

 「・・・え?ちょ、ちょっと待って、僕は怪しいものじゃ」

 「どうして男が!」「二人とも捕まえろ!」「抵抗するなら殺せ!」

 「うわああ、殺さないで!」

 少女から発生られたとは思えない物騒な怒号。

 前方にもやはり少女の群れが現れ、甲板に逃げ場を失う。

 まさかここで殺されるわけにもいかない。

 ヤンと洋平は開いた水密扉から艦内に駆け戻った。

 何処に行けばいいかも分からず、とりあえずラッタルを駆け上る二人。

 ラッタルを駆け上る二人だったが、途中でヤンはがくりと膝を落とした。

 「ヤンさん!」 

 「・・・脚が。無理をするもんじゃないな・・・」

 よく見るとヤンのスラックスの左足に僅かに血がにじんでいる。ヤンは先ほどまで左足の動脈を撃ち抜かれる重傷を負い、処置を施されたばかりなのだ。急な激しい運動に耐えられるはずがない。洋平も息切れが激しく、ラッタルを上るうちにかなり体力を消耗したようだ。

 あたりを見渡す。「作戦室」と銘打たれた扉が見えた。半開きになっていて、人の話し声が漏れている。

 二人は這うように近づき中の様子をうかがった。

 

 

 

 「観測器からの報告だ。撃墜判定は扶桑、山城、陸奥がゼロ。伊勢が一、日向二、長門三、大和が四。今回の防空射撃演習も、優勝はこの大和だな」

 文化部の部室のような部屋。長方形の机とそれを囲む椅子。机の端には使い古した将棋盤。そしてここにも、少女が四人。四人とも純白の制服に身を包み、肩には黒と金の階級章のようなものが付いている。まるで軍服、軍人だ。

 ヤンと洋平に背を向ける格好で、長身のポニーテールの少女が何やら得意げに喋っている。あれは演習だったようだ。

 「おお~これで九連覇ですねえ。あ、宇垣参謀長お茶にミルク入れますかあ?」

 ふわふわした声でそう答えたのは、湯沸かし器から磁器のポットに紅茶を注いでいる最中の少女だ。栗色を帯びたセミロングに黄色いカチューシャが可愛らしい。紅茶の芳醇な香りがヤンの鼻腔をくすぐり、それが心地良かった。

 「ちっ、んだよ渡辺、また紅茶かよ。しかしあれだな、連合艦隊旗艦になって二ヵ月、ようやく浮沈艦と呼ぶに相応しい練度になってきたじゃねえか。なあ?」

 荒い喋り方をするポニーテールがどっかりと椅子に腰を下ろした。

 三人目、それまで机に突っ伏していた小柄な少女が顔を上げた。寝癖をそのままにしたようなあちこちがはねたショートヘア。

 「・・・可哀想」

 死んだ魚のような目で、ぼそりと呟いた。

 「んだとお?どういう意味だ黒島ぁ!」

 ポニーテールが机をたたいてティーセットを置こうとしたカチューシャの少女がびくりと跳ねた。危ないですよお、と抗議する。寝癖の少女がぼそぼそと続けた。

 「・・・不沈艦なんて無い。大量の航空機に波状攻撃を受ければどんな艦も必ず沈む。こんな接待みたいな訓練、実戦の役に立たない。無意味。可哀想」

 「昼夜逆転してるやつに海軍乙女の伝統を四の五言われたくねえな!物量を押し返すのは訓練あるのみだ!たゆまぬ訓練こそが・・・」

 「あっはっは。束ちゃんも亀ちゃんも、元気があっていいなあ」

 最後に四人目の女子の明るい声がして、全員が黙る。

 ・・・いや、女子?足を高く万歳させた上下逆さまの人間が部屋の隅でゆらゆら揺れ動いている。すぐに逆立ちしているのだと気づいた。と、いうことはさっきからちらちらと見えている白いものは・・・あまり見ないほうがいいだろう。

 「そう言えば、ヤスちゃん、この間助けた人のことだけど・・・容体は?」

 逆立ち少女が続ける。彼女の問いにカチューシャの少女が答えた。

 「溺れていた男性二人のことですかあ?もう一人は外傷もなく大丈夫そうでしたけど、もう一人は左足の貫通銃創の出血が激しくて・・・なんとか山は越えるしたけど要安静、といったところですかねえ・・・二人とも、まだ意識が戻っていません」

 「・・・そっか」

 しばらく押し黙っていた逆立ち少女だったが、すぐに気を取り直す。

 「そうだ、いい事思いついた。みんなも逆立ちしながら話してみない?それで誰が一番長く続けられるか賭けよう!」

 「やるわけねえだろ!長官もよくそんな恰好ができるな、パンツ丸出しで恥ずかしい!」

 「気にしない気にしない、女の子しかいないんだし。それに逆立ちをするとね、世界が逆さになってね、違った何かが見えてくることが・・・あれ?」

 くるりと、体操選手のように姿勢を戻し逆立ち人間改め少女が首を傾げた。赤いリボンの髪飾りが揺れ、少女の視線がドアの隙間に向かった。

 その吸い込まれそうな大きな瞳が、中をのぞいていたヤンと洋平をまっすぐに捉えて。

 「君は・・・」

 

 

 

 

 



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第3話 出会い

ヤンの第二次世界大戦に関する知識はオタクほどではないにせよ、かなり豊富という設定です。まぁ、ヤン自身が歴史家志望だったので、少なくとも一般人に比べれば地球の戦史に関して詳しいと思います。これくらいの独自設定はどうかお許しください。
感想お待ちしています。


 「だめえええっ、殿方は見ちゃいけませんっ」

 「いや、僕は見てない、何も見てないって・・・うわ柔らかい、ほ、本当に女の子?」

 「いてて・・・抵抗しないって言ってるのにこんなに乱暴にすることはないんじゃないかなあ」

 「うるせえ黙れ!」

 駆け寄ってきた少女たちに、洋平は体を取り押さえられていた。ヤン・ウェンリーもポニーテールの少女にしっかりと組み伏せられている。大の大人が少女に取り押さえられ身動き取れずにいるという何とも情けない風体だが、そもそもヤン自身が、「首から下はいらない人間」と評されるほど肉体的にはひ弱な人間であり、こうなるのも当然の結果と言えた。

 「侵入者を司令部まで上げるとは何たるザマだ!」

 ヤンの背中を踏みつけながら、長身ポニーテールが怒鳴る。眉間にしわが刻まれた険しい目つき。への字口に竹串を加え、まるで不良だ。

 「・・・そんなことより参謀長、彼らが海を泳いできたことのほうが重要。ヒト男性が海に入ればラ・メール症状を起こし、五分以内に意識を失い、溺死するはず」

 ヤンと洋平をジトッとした目で見ながら文章をぶつ切りにしたようにしゃべるのは寝癖だらけのショートヘアの少女だ。小柄で本人より大きなぬいぐるみを抱えている。・・・それにしても、男が海に入ると死ぬとはどういうことだろうか?

 ポニーテールは舌打ちした。

 「ちっ、それもそうか。おい渡辺参謀、こいつが本当に男か確かめろ」

 彼女が不本意そうに顎をしゃくったその先、先ほど紅茶を淹れていたカチューシャの少女が首を横にぶんぶんと振った。二人のズボンの一点を凝視しながら、

 「い、嫌ですよお、乙女になんてことさせる気ですかあ!私見たことないし知りませんから!殿方の何がどこについてるかなんて!」

 この様子だと、絶対知っているだろう。

 彼女達三人は皆お揃いの制服を着ている。白い学ランのような詰襟に五つボタンの上着を身に着け、肩から胸にかけては参謀飾緒のような金モールをぶら下げている。方には桜のマークと金の線があしらわれた階級章のようなもの。見た目こそ年端もいかぬ少女だが、まるで軍人のようだった。そしてヤンは彼女達の着る制服に見覚えがあった。確か、大昔の戦史の資料で見たことがある。西暦が使われていたころ、二十世紀の地球上の国家のひとつ大日本帝国の海軍の制服と彼女たちの着ている制服はほとんどそっくりだった。違うのはせいぜい、スカートを身に着けている、ということぐらいだ。

 そうしている間にも三人の少女が言い争いを続けている。

 「宇垣参謀長がやればいいじゃないですかあ!」

 「はあ?ふざけんな!あ、あたしだって乙女だ!」

 「しゅぴー・・・陽動・・・飛行場の攻略と、敵空母誘出・・・しゅぴー・・・」

 「黒島は寝ながら作戦練ってんじゃねえ!」

 すったもんだが続くその様子に居た堪れなり、ヤンは自らの喉を指さした。

 「あー・・・私は男だよ・・・ほら、喉ぼとけがあるだろう?」

 親切に教えるヤンだったが、ポニーテールはそれを仇で返そうとした。

 どう見ても火薬式のライフルにしか見えない物体を取り出し、弾を装填する。

 「よし、銃殺だ。こいつら男だし、勝手に大和に乗って軍機に触れたし・・・後、男だし。殺してもいいよな!」

 なんという女だ。初対面の人間をいきなり殺害しようとするとは。助かったと思った矢先、なんでこんなことに・・・

 「駄目だよ、束ちゃん!相手は怪我人だよ!」

 白革の手袋をはめた手が慌てて銃口をおろさせた。四人目の赤いリボンの髪飾りをした少女だ。

 「山本長官だってパンツ見られたじゃねえか!」

 「あはは・・・大丈夫!減るものじゃないし」

 ヤンは申し訳ない気分になった。不可抗力とはいえ、少女のパンツを見てしまったこと知ったらフレデリカやユリアンはどんな顔をするだろう。

 ポニーテールの少女が舌打ちして後ろに下がり、代わりにリボンの少女がヤンに手を差し出した。

 「おめでとう。二人はこの大和に乗艦した、初めての男の人だよ」

 大和。ヤンが今乗っているこの船の名だろうか。ヤンの知る限り、「大和」の名がつく艦は一つだけ、旧世紀の地球、とある極東の島国で建造された世界最大の水上戦艦。その名が「大和」だった。

 「あなたの名前、聞いてもいいかな?」

 「・・・ヤン。ヤン・ウェンリー」

 すんなり答えてしまう。間近で見ると彼女はまた違った印象があった。リボンの髪飾りに逆立ち、茶目っ気のある喋り方から子供っぽく見えるが、人懐っこい笑みを絶やさない顔には落ち着きがあり、豊かな光彩を宿す大きな瞳は澄んでおり、捉えどころがなく、しかしどこか人を安心させるものがあった。

 「ヤンが名字でウェンリーが名前?大陸系の人かな?」

 「ええ、まあ・・・そういうことになるかな」

 「君の名前は?」

 リボンの少女は洋平のほうを向いた。

 「・・・洋平。源葉洋平」 

 洋平もすんなりと自分の名を答えた。

 「ようへいって、もしかして大平洋の洋に平?」

 「・・・うん、合ってる」

 「洋平君、か。なるほど、君は海に愛されているんだね」

 洋平の手を引いてリボンの少女は彼を立たせると、彼女は再びヤンのほうに向き直った。

 彼女は他の三人と同じ白い詰襟姿だ。肩の肩章についている桜の数は三つ、少女たちの中でも一番多く、階級章だとすれば彼女が一番立場が上であると考えられる。

 ヤンに向き直りしゃがみ込んでいた彼女は、血がにじみ、わずかに赤くなっているスラックスを見て心配そうにヤンの足に優しく触れた。

 「あっ、また血が出てる・・・大丈夫?ヤンさんは大怪我していたんだから、安静にしてなきゃだめだよ。見つけた時には本当に死にそうだったんだから」

 ヤンは、おぼろげな記憶の中に、海を漂い沈みかけていたところを誰かに助けられるシーンがあったことを思い出した。と、いうことは彼女達が自分を助け、撃ち抜かれた左脚の治療をしヤンの命を救ったということだろうか。

 「じゃあ、もしかして君達が私を助けてくれたのかい?私は足を撃たれて死んだはずなんだが・・・」

 リボンの少女は頷いた。

 「うん、そこの洋平君と一緒に海で溺れかけていてね。洋平君は無傷だったけど、ヤンさんは足の傷がひどくて、本当に死にそうだったんだよ。今生きているのが本当に奇跡みたい」

 ヤンは頭をかいた。

 洋平や彼女達の今までの話をまとめると・・・自分はレダⅡ艦内で地球教徒に左脚を撃たれそのまま大量出血で死んだ・・・はずが、気付いたらなぜか海で溺れていた。しかもそこは自分のいた時代よりはるか昔、西暦時代の地球の世界(らしい)。21世紀の地球から来たという洋平も一緒に迷い込み、彼女達に助けられ、今こうして拘束されている、というわけだが・・・ならば、ここはいったい何処なのだろう。ヤンのいた宇宙歴の時代でないことは明らかだし、かといって洋平の21世紀の地球の世界かといえばもう少し時代が古い気もする。そもそも彼女達はいったい何者なのか。

 「えっと、ごめん。まずは助けてくれたことに感謝するよ。ありがとう。それで、ちょっといくつか質問したいんだけど、いいかな」

 おさまりの悪い黒髪を書きながらヤンはリボンの少女に聞いた。

 「ここがどこで、今が西暦何年か聞かせてもらえないかな。実を言うと記憶がはっきりしていなくてね。君たちの自己紹介も聞けたらいいんだが」

 ヤンの質問に答えたのは、黄色カチューシャの少女だ。首を傾げ栗色の髪を可愛らしく揺らしながら

 「西暦?ああ、伴天連歴のことでしたら、1942年ですよお。1942年の4月9日」

 「・・・」

 ヤンは考え込んだ。

 カチューシャの少女は今は西暦1942年、20世紀であると言った。ヤンは脳をフル回転し、士官学校戦士研究科や同盟軍の資料室、趣味などで今まで積み重ねてきた膨大な歴史の記憶を引き出した。

 ここがヤンのいた宇宙歴の時代ではないことは明らかだ。洋平のいたと主張する21世紀の世界でもない。ここはヤンから見ても洋平から見ても遥か過去の時代だ。そして、西暦1942年といえば、地球の全土で第二次世界大戦が勃発していた時期。時代錯誤のレシプロ戦闘機や重厚な水上戦艦、目の前の旧大日本帝国海軍の制服、そして溺れる最中見た、巨大な戦艦、「大和」という艦名・・・もしやここは。ヤンは複数のピースを次々とつなぎ合わせていく。もしやここは・・・20世紀の地球、大日本帝国海軍の連合艦隊、自分は今そこにいるのではないか?自分たちが迷い込んだ世界はそこではないか?そう考えればある程度の辻褄は合う。いやしかし。

 異なる点が一つある。ならば目の前の少女達は何だというのだ?ヤンの知る限りこの時代の海軍組織は男だけの組織だ。決して、女性の、まして年端もいかない少女たちの入り込む余地はない。・・・が、実際にはうら若き少女達が帝国海軍の軍服を着てそこにいる。彼女達は軍人だとでもいうのだろうか?

 ヤンは思い切って聞くことにした。

 「もしかして、君達は海軍軍人で、ここは・・・連合艦隊なのかい?」

 ヤンの問いにリボンの少女はニコリとほほ笑んだ。ヤンの予想は的中した。

 「そうだよ。私達は海軍乙女。そしてここは、戦艦「大和」、連合艦隊司令部。私たちはそのメンバー」

 胸に手を置きながら答えるリボンの少女。

 「そうだ、私たち司令部メンバーの紹介がまだだったね。向こうで紅茶を淹れてくれてるのが戦務参謀の渡辺康子中佐、ヤスちゃん」

 「・・・お茶、もう二杯ぐらい用意したほうがいいですかねえ?」

 黄色カチューシャの少女はヤンと洋平を見ながら小首をかしげた。改めてみると明るく目がくりくりとした、可愛らしい愛嬌のある少女だ。

 「眠っちゃったのが、先任参謀の黒島亀子大佐、亀ちゃん。えへへ、寝顔可愛い」

 しゅぴー、と寝癖ショートの少女が独特のいびきを立てる。感情の起伏が読めないがこうしてみるといかにも子供らしい。

 「・・・笑い事じゃねえよ。黒島の生活態度は目に余る。長官から一度厳しく言ったほうがいいぜ、こいつは山本長官の言うことしか聞きゃしねえんだから」

 ポニーテールの少女が眉を吊り上げた。

 「まあまあ、亀ちゃんはそのくらい全身全霊で作戦に打ち込んでくれてるんだよ」

 「たく・・・甘過ぎなんだよ」

 「こちらが連合艦隊参謀長の宇垣束少将、軍令部から来たベテランの参謀さんだよ」

 紹介されたポニーテールは、舌打ちしてそっぽを向いた。

 言葉遣いは乱暴で、目つきも悪いが顔だちそのものは決して悪くない。顔のパーツがあるべき場所にしっかりと存在している。後、胸部に大変立派なものをお持ちである。

 ヤンは頭の中を整理する。1942年の地球、世界大戦、戦艦「大和」、連合艦隊司令部とそのメンバーの少女達・・・今見ている光景がすべて確かな現実のものだとすれば・・・いや、これは確かに現実だ。自分は今、1600年も過去の、第二次世界大戦が繰り広げられているはずの西暦の地球の世界にいて、目の前には連合艦隊が広がり、ここはあの戦艦「大和」で、目の前の少女は大日本帝国海軍の制服を着ており、ここは連合艦隊の司令部で彼女たちはそのメンバーで。それら全てが現実なのだ。そしてリボンの少女は束と名乗る少女に山本長官と呼ばれていた。連合艦隊司令部の長官。となればヤンの知る歴史の知識と照らし合わせれば、目の前に佇むリボンの少女の本来のポジション、姿は・・・

 「それでね、わたしが・・・」

 「・・・山本、五十六?」

 リボンの少女が名乗る前にヤンは、ヤンのいた時代では遥か過去の、古代地球の名将の一人の名を口にしていた。本来なら目の前にいるであろう人物の名を。

 少女は一瞬きょとんとしてから首を横に振った。

 「惜しい、ちょっと違うかな。私は五十子。――山本五十子だよ。連合艦隊の司令長官」

 それから少し恥ずかしそうにして

 「私、父親が五十歳の時に生まれたからね、それで五十子って名前なんだ・・・えへへ、自分でもちょっと変な名前かなって」

 そう言って笑う目の前の少女は身に着けた軍装を除けばどこにでもいそうな少女だった。

 「山本、五十子・・・」

 子供らしいリボンに逆立ちをする無邪気な少女。そんな彼女が連合艦隊司令長官。それだけでなくここにいる少女全員が大日本帝国海軍の制服に身を包み大日本帝国海軍の艦船に乗艦し、連合艦隊司令部のメンバーを名乗っている。遥か過去の世界が目の前に広がっており、そしてそれは確かな現実で確かにここに存在し、確かにヤンはそこにいる。

 「それでは改めましてヤン・ウェンリーさん、源葉洋平くん、連合艦隊司令部へ――『大和』へようこそ」

 山本五十六、もとい山本五十子と名乗った少女はそう言って微笑んだ。

 これが、宇宙歴の時代、銀河の英雄である不敗の魔術師ヤン・ウェンリーと、もう一つの世界、遥か過去の時代の地球の連合艦隊司令長官山本五十子の出会いだった。

 「――」

 そして、ヤンが再び口を拓こうとしたその時だった。

 ラッタルを大急ぎで駆け上る音と共に、再び一人の少女が司令部内に入り込んで叫んだ。

 「報告します!セイロン沖の第一航空艦隊・赤城より、作戦特別緊急電です!」

 入り込んできた少女の報告にヤンはピクリとなった。

 セイロン沖?赤城?もしや――

 ヤンと、この世界の歴史が再び繋がろうとしていた。

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

遥か過去の20世紀の地球世界に迷い込んだヤンと洋平。第二次大戦時に酷似した、しかし明らかに違う世界に困惑しながらも、二人は連合艦隊司令部メンバーに自分が未来から来た人間であることを主張する。その時、司令部にセイロン沖海戦の緊急電が入る。撤退を求める通信内容に対し二人がとった行動は――
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第4話「二人の未来人」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第4話 二人の未来人

 「報告します!セイロン沖の第一航空艦隊・赤城より、作戦特別緊急電です!・・・って、お、お、おっ、男の人っ!?」

 同じく旧日本海軍の士官服を身につけた少女が革製の筒を手に入室してきた。前髪を真っ直ぐに切り揃えた真面目そうな、例えるならクラスの委員長のような少女はヤンと洋平を視認するなり驚いて声を裏返らせた。

 「あっ、軍楽長、この人は別に怪しくないですよお。ちょっと特務で、そう、特務で男装しているだけですから!」

 黄色カチューシャもとい渡辺寿子がとっさに明らかな嘘をついてフォローしようとする。リボンの少女、山本五十子は苦笑いしながら二人に少女の紹介をした。

 「ヤンさん、洋平君、この子は軍楽長の岩田雫ちゃんだよ。大和の軍楽長は、演奏以外は暗号電報の取次役をして貰っているの」

 「どうでもいい、岩田、早く読め!」

 ポニーテール、もとい宇垣束の叱咤に軍楽長は慌てて筒から電報用紙を取り出し広げた。

 「『発:第一航空艦隊、宛:GF司令長官。我、セイロン島を拠点とする敵東洋艦隊の強襲に成功。コロンボ・トリンコマリ両港湾施設及び飛行場を完全に無力化せしめたり。撃沈せしは軽空母一、重巡二、軽巡一、駆逐艦二、哨戒艇一、武装商船二十八。地上及び空中にて破壊せしめた敵航空機百二十機以上』」

 大戦果を伝える電報に、寿子はティーポットを揺らしながら喜んだ。

 「良かったですねえ!今日は作戦は上手くいきますようにって願掛けでセイロンティーを淹れたんですよお」

 「ねえヤスちゃん、これ、お砂糖入れてもいい?」

 喜ぶ寿子から紅茶を受け取った五十子は次の瞬間、大量の角砂糖を琥珀色の水面に投下していった。その量と勢いはまるで駆逐艦の爆雷投下のようだ。角砂糖が十を超えたあたりで洋平は数えるのをやめることにし、ヤンは大量の砂糖を投入するその様子に思わず顔をしかめた。これでは、せっかくの紅茶の香りが、味が、台無しではないか・・・無類の紅茶党であるヤンに耐えられる光景であるはずがない。もっとも、「紅茶入りのブランデー」といわれるほどブランデーを投入するヤンも人のことを言える立場にないような気もするのだが・・・・

 紅茶風味のする唯の砂糖の飽和水溶液を旨そうに飲み干して五十子はぷはぁ、と息をついた。

 「うーん、甘いっ!ヤスちゃんの淹れる紅茶はいつも美味しいね!」

 ・・・もはやそれは紅茶ではないと思うのだが。

 内心突っ込みを入れる一方でヤンの脳は第一航空艦隊、セイロン島、赤城、コロンボ・トマンコマリといった単語に反応していた。それらのキーワードをもとに、ヤンが今まで蓄積してきた膨大な歴史の知識の棚から情報が引き出されていく。

 寿子という少女は今が1942年の4月9日であるといった。仮にここが第二次世界大戦が勃発している西暦の1942年の4月9日の日本、連合艦隊だとすれば今発生しているであろう戦闘は・・・

 ヤンは脳内で1942年4月、セイロン沖、第一航空艦隊、敵東洋艦隊といった情報と戦史の知識を組み合わせ推測を組み立てていく。

 ヤンは洋平に小声で話しかけた。

 「洋平君、ちょっと聞きたいんだが・・・君は第二次世界大戦、特に太平洋戦争についての知識には自信がある方かい?」

 「え?あ、はい・・・僕は太平洋戦争の戦略ゲームをやっていたから、人よりは詳しい方だと思います。もっとも、特に詳しいのは海戦で、それ以外はそこまで詳しいわけじゃないですけど」

 「なるほど」

 ヤンの質問にとりあえずの肯定をする洋平。

 知識に偏りがあるようだが、確認をする分にはヤンにとっては十分だろう。

 「仮にここが第二次世界大戦時の西暦1942年だとして・・・今起きている戦闘はセイロン沖海戦じゃないか?」

 「・・・ええ、多分。1942年の4月の海戦といえばセイロン沖海戦しかありません・・・ヤンさんもそう思うんですか?」

 ヤンの推測を肯定する洋平。

 セイロン沖海戦。1942年4月5日から9日にかけてインド洋セイロン沖で大日本帝国海軍とイギリス海軍との間で発生した海戦。少女たちの会話の中の年代や地名、部隊名といった情報から今はそのセイロン沖海戦の真っ最中ではないかとヤンは推測したのだ。洋平もまた、海戦ゲーム『提督たちの決断』で培った戦史の知識を引っ張り出し、セイロン沖、敵東洋艦隊といった情報からヤンと同様の結論に至った。そして二人の推測はどうやら正しいようだ。

 セイロン沖海戦の発生とその経過は以下のとおりである。

 当時陸軍が進めていた全ビルマ制圧のためには海上路による補給が必要不可欠だったがその海上輸送をイギリス海軍が阻止する危険があった。そのため当時の日本軍は海上交通保護のためにセイロン島の敵拠点及びイギリス海軍の東洋艦隊に打撃を与える必要に駆られた。

 そして1942年4月、南雲忠一中将率いる第一航空艦隊を中心とした帝国海軍とJ・サマヴィル中将率いる英海軍東洋艦隊はセイロン沖で衝突。作戦そのものは拠点の爆撃に成功し、日本軍の損害が航空機十数機だったのに対し、東洋艦隊は空母ハーミーズをはじめとし、重巡2、駆逐艦2、輸送艦を多数撃沈といった損害を負い日本軍の勝利に終わった。だが・・・

 「・・・軽空母に重巡二隻?雑魚ばっかりじゃねえか」

 束が苦々しそうに言った。

 「旗艦のウォースパイトやリヴェンジ級戦艦はどうした?まさか取り逃がしたのか?」

 「それは・・・」

 そう。束の言うとおり、南雲機動部隊は戦艦からなる東洋艦隊主力を発見、壊滅させることは出来なかった。

 作戦目的を完全に達成することは出来なかったのである。

 怒る彼女を見かねたのであろう、五十子はリボンを揺らしながら束の紅茶に大量の角砂糖をぶち込んだ。その光景にヤンは再び顔をしかめる。せっかくの美味そうな紅茶になんてとんでもないことを・・・

 束も、ヤンとは違う理由でだが顔をしかめる。

 「束ちゃん、お砂糖足りていないんだね?直ちに糖分補給の要ありと認む、だよ」

 「そこは普通カルシウムだろうが!頭どうかしてんじゃねえのか!」

 「なんでそんなこと言うかな~、お砂糖は命の源だよ?洋平君も、ヤンさんも、そう思うよね?」

 「いや、どうかしてると思う・・・」

 「私だったら、砂糖なんかよりブランデーを入れてほしいんだがなぁ・・・」

 五十子の主張をヤンと洋平は即座に否定した。

 戦闘中にも拘らず連合艦隊司令部は、いつもこのような調子なのか・・・ある意味、ヤン艦隊の司令部メンバーに似ているのかもしれない。

 いずれにせよ、ヤンと洋平は今起きている戦闘はセイロン沖海戦であると判断していた。

 ふと後ろでガサゴソと音がするので、振り返ってみると寿子がヤンと洋平の持ち物を物色していた。先ほど取り押さえられたときに押収されたものだ。未来人の持ち物に興味があるのであろう。

 洋平の生徒手帳を手に取る寿子に、思わず声をかける洋平。

 「あ、それ返して・・・」

 「生徒手帳って・・・学生さんですかあ?カラーで写真が撮ってある・・・わっ、文字が横書きで印刷してあります、読みづらいですねえ!生年月日・・・平成?平成って元号でしょうかあ・・・?」

 洋平の持ち物をいろいろ物色し、ヤンの持ち物にも手を出す寿子。

 「こっちの殿方は軍人みたいですねえ・・・服に階級章みたいなのがありますし・・・でも顔はあんまり軍人には見えないかも・・・わっ、この人拳銃持ってますよお!やっぱり軍人さんなんですねえ、でもどこの国の軍人さんなんでしょう・・・」

 寿子が手にしたのは拳銃だった。ただしただの拳銃ではない。光線銃、ブラスターである。自由惑星同盟軍で正式採用されている、士官用のこのブラスターは、ヤンからすれば何の変哲もない普通の武器だが、20世紀の人間からすれば未知のテクノロジーの結晶と言っても過言ではない。

 まじまじと見慣れぬブラスターを見つめる寿子。

 「それにしても見たことない拳銃ですねぇ・・・なんだか妙に軽いし・・・金属じゃなさそうです・・・あっなんか彫ってありますねえ・・・なになに・・・Free Planets(自由惑星同盟)・・・フリープラネッツ?国の名前でしょうか・・・」

 ヤンも軽く疑問を抱いていた。この士官用のブラスターであるが、そもそも、ヤンは司令官という地位にありながら、非常にものぐさな人間で、自衛用の拳銃すら携行しない。司令官がわざわざ武器を持って戦わねばならない状況になった時点でその軍の敗北は決定しているとヤンは考えているし、そもそもヤン自身、射撃の腕前が下の下で、撃っても当たらないので携行していても意味がないのである。なぜ、ブラスターなど所持していたのだろう?自分のではないとしたらいったい誰のものなのだろうか?襲撃時、護衛役のパトリチェフがヤンを逃がす際に自分のを渡したのだろうか。だが、襲撃時、ヤンは睡眠導入剤を服用していたためその時の記憶がはっきりしていない。まぁ、あれこれ考えても仕方ないか・・・

 それよりもペタペタとブラスターを触る寿子にヤンは若干危なっかしさを感じた。護身用の非力なものとはいえ、人を殺傷する分には十二分な威力を有しているのだ。それを十代の幼い少女がペタペタもてあそんでいる――実に危なっかしい。

 「あー、君、それ危ないものだから私に返してほしいんだが・・・」

 「はい?・・・あいた」

 ブラスターに手を伸ばそうとしたヤンに、寿子が体を向けた。その時、腰がテーブルに当たり僅かに顔をしかめ痛みを訴える。そして、その体をひねり、テーブルに当たった弾みで、彼女は思わず手の指を動かしていた。――ブラスターの引き金にかけられていた指を。

 瞬間、甲高い金属音のような轟音とともに一条の光線がブラスターから放たれた。

 一瞬の間放たれた光の矢はテーブルを難なく貫通、穴を穿ちそのまま金属製の床に達した。

 光が消え、後に残ったのは穴を穿たれたテーブル、貫通こそしなかったものの高温によりわずかに溶融し赤くなった金属製の床、沈黙に包まれるヤンと洋平、少女達。テーブルに穿たれた穴からはシュウウ・・・と煙が昇っている。寿子がガチャリ、とブラスターをテーブルに落とした。

 「・・・えっと」

 「ちょ、長官!い、今の見ましたかあ!?びーって光線が!光線銃ですよ、光線銃だなんて、SFですよお!間違いありませんこの殿方は未来人です!!」

 「何言ってんだ渡辺、未来人なんているわけねえだろ!光線銃何て代物持ってるのはあれしかいないだろ、こいつは宇宙人だ!侵略のためにこの大和にスパイとして送り込まれた宇宙人に違いねぇ!おい、てめぇなんてもの大和に持ち込んだんだ!」

 たちまち喧騒に包まれる司令部。

 光線銃なんてヤンや同時代の人間からすれば何の変哲もない武器だが、20世紀の人間からすればとんでもない代物に見えるだろう。彼女達が騒ぐのもある意味当然かもしれない。

 その喧騒を鎮めたのは、五十子だった。彼女も最初は驚いた様子であったがすぐさま気を取り直し、何事もなかった様子であった。そこに先ほどまで他人の紅茶に大量の角砂糖をぶちまけた時のようなふざけた様子はない。

 「・・・それで味方の損害は?どれくらい出たの?」

 静かな、ある種の威厳を含んだ声色で五十子は軍楽長の少女に尋ねた。それは司令部に再び静けさや緊張を取り戻させるものであった。

 「はっ『我が方の損害は未帰還二十機なり』と」

 「未帰還機の搭乗員の人数や名前は書いてある?」

 「いいえ、機数しか書かれていません」

 「・・・そっか」

 それだけ呟いて五十子は紅茶をあおった。

 そんな様子を見て寿子がため息をつく。

 「・・・真珠湾では、二十九機五十五名が帰ってきませんでした。戦術的勝利を重ねるたびに、優秀な搭乗員の子たちが確実に減っていきます。・・・やり切れないですねえ」

 寿子の嘆きに束は鼻をふんと鳴らす。

 「戦いで死人が出るのは当たり前だ。問題なのは無能な指揮官のせいでその死が無駄になってねえかってことだ」

 「まあまあ。瀬戸内にいたんじゃ分からないこともあるよ、束ちゃん」

 気を取り直した五十子がとりなすように束に言った。

 どこか余裕にあるいは暢気そうに見える五十子に束が眉をひそめた。

 「長官は甘いんだよ!一航艦が総出でセイロンまで遠征してんだぞ、一体どんだけ油食わせたと思ってんだ!」

 やはり今起きているのはセイロン沖海戦だ。ヤンと洋平は確信した。

 「あの・・・東洋艦隊の主力は、セイロン島にはいませんよ」

 そして洋平が口を開いた。少女たちの注意が洋平に向けられる。

 「僕は未来から来たから分かるんです。セイロンの南西、モルディブのアッドゥ環礁。東洋艦隊はそこに秘密の基地を作って退避しています。戦わずに艦を温存させるのが敵の方針ですから・・・」

 洋平の口から、未来人だからこそ言える歴史的事実が述べられる。そしてその知識はヤンの知るものと同じものであった。戦略ゲームをやりこんできただけあって、やはり彼もヤン同様、この時代の戦争についての歴史はそれなりに豊富なものらしい。

 だが、洋平は最後までその事実を述べることは出来なかった。次の瞬間、束が洋平の喉元にライフル銃を突き付けていた。

 「てめえ、さては敵のスパイだな!偽情報であたし達を嵌める気か!やっぱり殺す!」

 「ひゃあ!」

 束が銃の引き金に指をかける。

 「いやいや、いきなりスパイと疑って殺そうとするなんて穏やかじゃないね。古代の捕虜にだって多少の弁解や助命嘆願の機会や権利があったろうに。まして今は近代だ。気持ちは分からなくないけど、一応、人の話を聞くぐらいのことはしてもらえないかな」

 この状況に全く不釣り合いな、落ち着いた声色でヤンが束に言った。おさまりの悪い黒髪をかきながら、

 「一応、彼の言っていることは事実だよ。東洋艦隊司令のサマヴィル中将がセイロン島のトリンコマリーの安全は十分に確保されていないと判断してモルディブのアッドゥ環礁に退避するよう命じたんだ。そして、東洋艦隊の大部分はアッドゥ環礁かケニヤのモンバサにあるキリンディニ港に退避することとなった。トリンコマリーが爆撃されたと知って、今頃、サマヴィル提督は自分の判断が正しかったと安堵してるんじゃないかな。一応、証拠までにさっきの沈んだ艦の名前も言っておくと軽空母はハーミーズ、巡洋艦がコーンウォールとドーセットシャー、だったかな」

 淡々と、落ち着いた口調で歴史的事実を述べるヤンに司令部の少女たちの注目が集まった。

 「信じられないだろうけど、さっき彼の言った通り彼は、そして私も未来人なんだ。彼は21世紀から、私は約1600年後の未来から、ね。さっきのブラスターが証拠の一つだ。それに私はこう見えて軍人だから、それなりに戦史には詳しい方なんだ。少なくとも、この場にいる人間よりは詳しいつもりさ」

 束はヤンを睨みなおすと、そのまま小銃をヤンに向けた。

 「やっぱりてめえもスパイか。確かにあんな光線銃普通にあるわけないよな。あんな代物持ち込んでるからには、さてはやっぱり宇宙人か。地球侵略しに来た宇宙人のスパイか?ああ?」 

 「ううん、やっぱり簡単には信じてもらえないよなあ。いやでもあれだけも十分だと思うんだがなあ。それにしても未来人じゃなくて宇宙人か・・・まあ、あながち間違ってはいないが・・・」

 引き金に指をかける束。ポリポリと頬をかくヤン。

 「・・・待って。殺すのはダメ」

 この状況をどう打開しようか思案していたヤンを救ったのは、寝癖ショート・・・もとい、黒島亀子とかいう少女だった。先ほどまでぐぅぐぅと寝息を立てていたが、突如としてむくりと起き上がった。涎が染み込んだウミガメのぬいぐるみを抱えながら、

 「・・・海に入ってラ・メール症状を発症しない男性は貴重。拳銃サイズの光線銃を作り出す高度な技術もある。おそらく人類の変異種、海底人。尋問してその高度な知識を入手して、さらに解剖してラ・メール症状を発症しない体質を一般男性にも応用できれば海軍の兵力は倍増、戦局は一変する。山本長官も喜ぶ」

 救世主ではなかった。解剖という単語を使うあたり、どうやら彼女もヤンと洋平を殺すつもりらしい。

 束と亀子の口論が始まった。

 「今のは問題発言だぞ、黒島!男が海にはいれるようになったって海軍は男子禁制だ!あたしたち海軍乙女の伝統が・・・」

 二人が揉めている合間に軍楽長が再び入ってきた。

 「セイロン沖の赤城より続報です!『撃沈せし敵艦の詳細判明。軽空母ハーミーズ、重巡ドーセットシャー、コーンウォール』!」 

 束が口をぽかんと開け、軍楽長を次いでヤンと洋平の顔を凝視し固まる。

 全員の視線が二人に集まる。

 「なん、だと・・・?」

 「やっぱりそうですよお!この人は本当に未来人さんです!」

 寿子が五十子へと駆け寄った。

 持っているのはヤンと洋平の持ち物。ヤンのブラスターや、洋平の生徒手帳、財布、スマートフォンも。

 同時に軍楽長とは別の兵が電報用紙を持ってきて叫んだ。

 「赤城からです!『我、初期の戦果は達成しものと認め、本作戦を終了とし、これより帰投す』!」

 今度は全員の視線が五十子に移る。まるで決断を求めるように。

 五十子はティーカップをそっと置き、ヤンと洋平の持ち物を手に取った。

 大きな瞳でスマホを見つめ、充電器から乾電池を除き、生徒手帳を一枚一枚めくってじっくりと読む。ブラスターを手に取り、撫でまわし、Free Planets(自由惑星同盟)と刻印された部分をじっと見つめる。

 最後にヤンと洋平を見て彼女はポツリと呟いた。ヤンと洋平にしか聞こえないほどあまりにも小さく、そして二人に向けるように。

 「・・・ごめんね」

 なぜかヤンと洋平に謝って。その後彼女が発した声は別人のように厳かで、軍司令官としての威厳を兼ね備えたものであった。

 「作戦は続行。モルディブ・アッドゥ環礁に索敵機を飛ばすよう、赤城に返電」

 束が驚愕に染まった顔で五十子に詰め寄った。

 「山本長官?どういうつもりだ!?モルディブに敵の基地があるなんて情報はない!まさかそいつらの戯言を・・・」

 「これは命令だよ」

 少女が冷厳に言い放った。静かだが一切の反論を許さぬ強い意志と雰囲気がそこにあった。

 一顧だにしない五十子。軍楽長はしばらく躊躇するように一同を見渡していたが、五十子の眼光に気圧されて敬礼しそのまま退室していった。

 束は苦虫を噛み潰した表情で

 「あたしは信じねえぞ。艦の名前が当たったぐらいで。主力の場所と内訳だって出鱈目に違いねえ。本当に未来人ならあたしたちより進歩した証拠を見せろよ。ま、この場で弾道計算ぐらいやらなきゃ信じないけどな!」

 束はライフルを置くと、代わりにペンを手に取り紙に何やら数字を書き込んだ。

 敵艦と自艦の針路、速力、距離、風速風向き、自艦の傾斜角度、気温と湿度・・・

 紙を二人に突き出す束。

 「ここから敵艦の未来位置諸元、それに発砲諸元を出してみろ。まあ無理だろうがな。射撃盤が無いとできねえよ」

 ヤンと洋平を嘲笑うように片頬を吊り上げる。

 弾道計算か・・・

 まいったな、とヤンは思った。

 高級軍人であるヤンは当然のことながら士官学校の出身であるが、その成績は決して良い物とは言えなかった。

 士官学校時代の成績が「戦史」98点、「戦略論概説」94点、「戦術分析演習」92点に対し、「戦闘艇操縦実技」と「機関工学演習」が59点、「射撃実技」は58点と偏りの激しいもので(そもそも興味のあるもの得意なものだけ努力し、興味のない分野では手を抜いていた)、一科目でも赤点(55点以下)をとれば退学である士官学校では、一時は卒業が危ぶまれたこともあった。

 そんなヤンがコンピューターも使わずに、第二次大戦時の艦砲の弾道計算をしろと言われてできるはずもなかった。

 どうしたものか・・・思っていると洋平が口を開いた。

 「スマホ・・・その黒い板を返してもらえるかな」

 寿子が首を傾げながらその黒い板――スマホを洋平に渡す。

 もしや・・・

 ヤンは洋平がそのスマホを使ってこれから行うであろうことを予測していた。

 

 

 

 

 

 

 いきなり弾道計算をしろと言われて洋平は参っていた。未来人ならできるだろうといわれたがそれ以前に文系の自分にできるわけがない。宇宙時代の軍人のヤンも困っているようだった。どうすれば・・・待てよ。

 洋平は寿子に言った。

 「スマホ・・・その黒い板を返してもらえるかな」

 寿子が首をかしげながら返した、物言わぬ板。一応防水加工を施したスマホではあるが、海の中でお亡くなりになっていないといいのだが。意を決して電源ボタンを押す。

 「・・・!」

 洋平がスマホを手に取ってしばらくすると、スマホに光が灯った。

 画面に光が宿り、待ち受け画面が表示される。

 見たこともない道具、現象に司令部メンバーがわずかに驚く表情をした。ヤンと五十子はそれほど驚かなかった。まるでそういう機械であることを知っているかのようであった。

 電波に関して言えば圏外になっているがそれ以外は正常のようだ。それだけで十分。

 画面をなでるように操作する洋平に束が訝しげな顔をする。

 「?てめえ、一体何を・・・」

 待ち受け画面に進み、あるアイコンをタッチ、そこに表示された画面に束の書き連ねた数字を入力。そして――

 「はいどうぞ。目標の未来位置と主砲の取るべき仰角と旋回角です」

 洋平がスマホの画面を束に見せる。

 そこには全くミスのない、完全に正確な数値があった。

 嚙り付くように画面を覗き込み、束が驚愕する。

 「合ってるだと・・・!てめえ、一体どうやって!」

 こんなこともあろうかと・・・いやたまたまだが、最近『提督たちの決断』より人気の海戦ゲーム『ワールド・オブ・バトルシップ』用の弾道計算アプリを使ったのだ。インストロールしておいてよかったと思う。

 驚く束を見て、この際もっと驚かせてやろうと思ったが、電池が減っているのを見て慌てて電源を切った。

 その時、再び軍楽長が司令部に駆け込んできた。

 息を切らしながら報告する。

 「索敵機からの甲種電波を直了しました!アッドゥ環礁内に敵基地施設!敵戦艦五隻を見ゆ!」

 それはヤンと洋平の情報が全く正しいものであることを証明するものだった。

 「わあ!ドンピシャじゃないですかあ凄いです!やっぱり二人は未来人だったんですねえ!」

 寿子がはしゃぐように歓声を上げる。

 「そっか・・・君達は本当に未来からやってきたんだね・・・」

 五十子がじっとヤンと洋平を見つめた。

 「未来・・・あり得るのか、そんなことが・・・」

 「・・・これは、使えるかも・・・」

 束が頬をひくつかせ、亀子が眠そうな表情で呟く。

 洋平はと言えば、興奮が醒め、後から違和感に苛まれていた。

 洋上に浮かぶ多くの戦艦、そして今自分がいる『大和』。司令部には大日本帝国海軍の第二種軍装に身を包んだ少女達、連合艦隊司令長官を名乗る山本五十子という少女。さらには1600年後の未来からやってきた宇宙の軍人であると主張するヤン・ウェンリーという男。熱戦を放ったブラスター。

 今目の前で繰り広げられている光景が信じられない。

 が、夢にしてはリアルすぎる。自分がいるこの世界は何なのだ?

 けれど連合艦隊も戦艦大和もここには確かに存在して、ここはその司令部で。

 「・・・やっぱり、夢・・・?」

 思わず周りの者に手を伸ばす。ムニュッというしっかりとした感触。この弾力、柔らかさ、夢にしてはリアルすぎる・・・ん?ムニュッ?

 「ひゃあ!」

 五十子が半眼でこちらを見ていた。ヤンもあっ・・・と口を開けてこちらを見ている。

 その横に立ってわなわなと震える束の巨大な胸にまっすぐ伸びた洋平の手を。

 「・・・てーめーえー・・・!!」

 直後、鉄拳が飛んできた。

 これこそ現実だ――鉄拳をまともに食らい洋平はそう悟りながら昏倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

未来人として、連合艦隊への客人として遇されることになったヤンと洋平。戦艦『大和』の案内を通じて二人はこの世界の現状を知るようになる。第二次世界大戦に酷似したこの世界に、そしてあどけない少女達が身を賭して戦争を戦うこの世界にヤンは果たして何を思うのか。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第5話「もう一つの世界」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第5話 もう一つの世界

ほかの作品も早く更新しなければ・・・


 0600時、総員起こしのラッパとともに戦艦大和の一日は始まる。

 海面を覆う朝靄がオレンジ色の日の出の光と混ざり合い、海面と空に独特のグラデーションを生み、幻想的な光景が生まれる。

 その中をセーラー服の少女達がデッキブラシ片手に檜の甲板を駆けてゆく。

 セーラー服とは言っても、学生が着るようなものではなく語源通りの水兵のセーラー服だ。

 「まわれえー!」

 少女たちに交じって艦の端まで来ていた洋平は、甲板士官の掛け声に合わせて体の向きを変えたところで見知った顔に出くわした。

 「もう未来人さん、またこんなところにいたんですかあ?」

 戦務参謀の渡辺寿子中佐だ。連合艦隊司令部の参謀の中では最年少であり、明るい黄色のカチューシャがトレードマークのふわふわした声を持つ可愛らしい少女だ。

 「今日は司令部のみなさんで未来人さんを大和に案内するから、お部屋にいてくださいって言ったじゃないですかあ」

 「ご、ごめん。泊めてもらってるのに何もしないのは、なんだか悪いなと思って・・・」

 頬を膨らませる寿子に洋平が弁解していると、水兵達が作業の手を止め洋平のもとに駆け寄ってきた。

 「聞いてください、渡辺中佐!この人のブラシ捌き、すっごく上手で。磨いたところ、私達よりピカピカなんですよ!」「陸にいる普通の男みたいに、『掃除は女の仕事だ』なんて威張らないし、優しいし!」「殿方が自ら進んで掃除を手伝ってくださるなんて感激です!」

 そう口々に褒める彼女たちは、ついこの前までは「捕まえろ!」とか「抵抗するなら殺せ!」とか言って洋平とヤンを追いかけまわしていた。それが、見事に180度態度が変わっている。

 「いや、そんな、全然大したことじゃ・・・」

 洋平が掃除に慣れているのは学校でクラスの女子にいつも掃除当番を押し付けられているからで別に特段掃除が好きというわけでもない。それで褒められたことも当然ない。世界が変わるとこうも違うらしい。真面目にやってよかったとしみじみ思う洋平であった。

 寿子がニコニコしながら洋平を見る。

 「兵達の心をがっちり掴んだみたいじゃないですかあ。未来人さんも隅に置けませんねえ。ところで未来人さん、ヤンさんは今どうしているかご存知ですかあ?」

 そう、今大和に乗っている未来人は洋平だけではない。もう一人、ヤン・ウェンリーもこの艦に客人として泊められている。

 だが、彼の姿はここにはいない。

 「そうだな・・・多分、自分の部屋だと思うよ。僕が起きた時、ヤンさんはまだ部屋で寝ていたから。まだ、ベッドの中にいるんじゃないかな」

 「そうですねえ、じゃあ一緒に起こしに行きましょう」

 洋平と寿子はヤンのいるであろう部屋に向かうことにした。

 

 

 

 

 二人が向かった先、ヤンの寝泊まりする部屋は惨状が広がっていた。

 一言でいえば汚い。

 ヤンの要求で用意された大量の新聞紙や書物が至る所に散乱し、無造作に置かれている。机の上には新聞の切り抜きや、疑問符を殴り書きしたノート、紙片が散らかり、丸められた紙などのゴミが所狭しと散乱している。運ばれた食事も、食器や皿がそのまま放置され積み重ねられ、魚の骨やらがそのままにしてある。人間がまともに歩けそうなスペースは少なく、人間ではなくゴミとホコリがこの部屋の主人のようであった。つい二、三日前にはきれいに整頓されていたはずの部屋がこうも簡単に汚くなるものなのだろうか。

 そしてこの部屋の主であるヤン・ウェンリーは布団にくるまって、しっかりと熟睡していた。部屋の惨状などお構いなし、よくこんな汚部屋で熟睡できるものである。

 「ちょっとヤンさん!起きてくださいよお!こんなにお部屋を汚しちゃってえ!いくら何でも汚すぎますよお!」

 「起きてくださいヤンさん、今日は皆で『大和』の案内をする日ですよ!」

 洋平と寿子がヤンの体を揺らすも、彼は抵抗を試みる。

 「・・・うーん、ユリアン。あと5分、いや4分30秒、4分15秒でいいから・・・」

 知らない人名が出てきて誰ですかそれはと内心突っ込みたくなったが、とにかくやたらに具体的な寝言からして当人はしっかり起きているようだ。とりあえず、肩をつかみ、強く揺さぶり、ヤンの名前を繰り返す。

 そのうち、ヤンは布団から抜け出しそのパジャマ姿をあらわにした。

 「ううん、分かった、分かったよ・・・今起きるから・・・まったく、非常時でもないから、もう少しゆっくり眠らせてくれてもいいだろうに・・・」

 ヤンがぶつくさ文句を言いながら黒のジャンパーに黒のベレー帽の自由惑星同盟軍の制服に着替える一方で洋平と寿子は出来る範囲で簡単にこの汚部屋を片付けようとする。

 「当直の兵士から、部屋が汚いとの苦情は聞いていましたがここまでとは・・・掃除する立場にもなってみてくださいよお」

 「うん、いくら何でも生活力無さすぎだと思うよ・・・」

 紙くずや、食器を片付けながらため息をつく寿子に洋平は同意した。

 ヤンから自分は軍人だと聞かされていた洋平だったが、2、3日で部屋をあっという間に人が歩く隙間もない汚部屋に変え、しかもその中で平気で暮らし熟睡できる、このだらしない人間が軍人だとは信じられなかった。

 「ところでさっき寝言で呟いていましたけどユリアンって誰ですか?」

 片づけをしながら質問する洋平に、ヤンはおさまりの悪い黒髪をかきながら答える。

 「ユリアン?ああ、私には被保護者・・・息子がいてね。といっても血のつながった実の息子というわけじゃなくて養子、里子でね。私には勿体ないぐらいよくできた子でね。身の回りの世話から紅茶淹れに至るまで何から何までしてもらっていたのさ。特に紅茶を淹れることにかけては名人だったよ」

 「・・・なるほど、確かによくできていると思いますよ」

 こんなだらしない大人をきっちり世話をし、紅茶まで淹れてあげるなんてそのユリアンという養子は多分、きっと、偉大な人物に違いない。ごみを片付けながら洋平は本気でそう思った。

 

 

 

 

 ヤンの居室の片づけを済ませた後、三人は戦艦大和第一艦橋のエレベーター内にいた。

 「自分のお部屋ぐらいちゃんと管理してくださいよお。兵達からも『だらしない』とか『部屋が汚い』って苦情が出てたみたいですしい」

 唇を尖らせながらふわふわした声でヤンに囁く寿子。声以上にふわふわしたバストが腕に当たり、ヤンは思わずぎくりとした。慌てて身を離そうとして壁に頭をぶつける。

 エレベーター内部は大和の巨大なその艦体からは信じられないほど狭く、三人乗った時点でかなりぎゅうぎゅうだった。まして全長900メートル近くある宇宙戦艦ヒューベリオンや1キロ越えしている宇宙戦艦パトロクロスなど大和よりはるかに巨大な艦艇に乗りなれているヤンからすれば、巡航艦や駆逐艦ほどの全長の大和はさらに狭く感じた。勿論、大和がこの当時においては世界最大の戦艦であり、一人の人間からすれば途方もないほど巨大であるということに変わりはなかった。

 やがてエレベーターが停止し、目的の第一艦橋に到着する。狭いエレベーター内部から解放されるように三人は一気に艦橋内に飛び出した。

 「艦は女の子で、私たち海軍乙女の仲間なんです。だからみんなで毎朝綺麗にしてあげてるし、未来人さんが手伝って大和もきっと喜んでくれていると思いますよお」

 寿子の言葉通り、大和の艦内はどこを見ても塵一つなく、靴で歩くのが躊躇われるほど磨き上げられていた。計器類の真鍮は顔が映るほど磨き上げられ、兵士の艦に対する愛情と士気練度の高さが伺えた。

 「私のいた世界でも艦は女性扱いだったね。艦を呼ぶときShe(彼女)という代名詞を使っていたしね」

 ヤンはそう言って合わせてみたものの、彼のいた世界とこの世界では大きく異なる点がある。

 ラ・メール症状。

 この世界では、男性が海に入ると船酔いや宇宙酔いをひどくしたような症状を発症し、意識を失い最悪死に至る。女性でも大人になると気分が悪くなり、結局海入っても大丈夫なのはうら若い少女のみである。それ故、瞬時の判断と行動が生死を、ひいては戦争の勝敗を決める海軍軍人は十代の女子に限られている。それが彼女達、海軍乙女である。

 (海軍乙女、ねぇ)

 この世界に来て、海軍乙女というものの存在を知り、ヤンは若干憂鬱になっていた。

 海軍乙女とは、要するに少女が、子供が軍人となって戦い殺しあう存在になるということなのだ。海に入っても大丈夫なのが少女だけだからその少女しか海軍軍人にできない、というのは一見理屈が通っているように見えるが、それでも年端もいかぬ少女が軍人として殺しあう、という事実に変わりはなくヤンとしては何ともやり切れない、なんと世知辛いことなのだと思わずにいられなかった。ヤンの元居た世界、自由惑星同盟軍や銀河帝国軍にも少年兵というべきものはいるにはいるが、それはあくまで士官学校の生徒だったり、軍属だったり、入隊したての新兵だったりで全体から見ればごくわずかな割合の存在であり、違う次元での話だった。この世界では海軍が皆少女で――子供で構成されているのだ。海に入れる人間がごく限られているから海軍の存在がなかったり、規模が小さかったり・・・というのではなくその限られた人間である少女を、子供をかき集めてまで軍人にし、殺し合いをさせるとは・・・そこまでするほど人間は戦争を好むのだろおうか。人類の歴史はすなわち戦争の歴史であり、中には人は本質的に争いを好むものだと主張する人間がいるがそれは世界が違えど変わらぬということか。

 (・・・こんな年端もいかない少女をかき集めてまで海軍を作って殺し合わせる・・・なんて世知辛い話なんだ。やれやれ、私はもしかすると、とんでもない世界にやってきたかもしれないな)

 黒髪をかきながらヤンはため息をついた。

 「すごい・・・!全部本物だ・・・!」

 ヤンがため息をついている一方で、洋平は大和の第一艦橋とそこから見える光景に興奮していた。当然のことであろう。海戦ゲーム『提督たちの決断』をこよなく愛する海軍オタクである洋平にとって、大和や連合艦隊は憧れの存在。それがゲームでも映画でもなく、現実に存在する本物の光景として確かに眼前に広がっているのだ。

 艦の頭脳である第一艦橋には景勝地にあるコイン式のような巨大な双眼望遠鏡、ラッパのような伝声管、航海用の羅針盤が無数に並ぶ。

 窓からは瀬戸内海を一望できる。

 「呉軍港を要する広島湾は大小無数の島々に守られた天然の要害なんです。ここはその外縁にあって、北の柱島はじめ十以上の島に囲まれています。柱島泊地って呼んでいるんですよお」

 窓の向こうには桜と新緑の混じった島々が浮かんでいる。一見のどかだが目を凝らせば対空砲等が見え、要塞化されているのが分かるであろう。

 そしてなによりも・・・

 「ここが柱島泊地かあ、ゲームで聞いたことがあるな・・・あっ!長門と陸奥!」

 思わず子供のように窓に顔を押し当てる洋平。

 彼らの眼下には本物の連合艦隊の誇る戦艦群が錨を下し厳かに佇んでいた。

 東隣のブイには連合艦隊司令長官直率の第一戦隊を構成する戦艦長門と陸奥が。

 その向こうに目をやれば第一艦隊の伊勢、日向、扶桑、山城の艦橋が連なっている。

 全て、本物として眼前に存在している。

 自分の知る連合艦隊が、日本海軍が、確かに、厳然と存在している。

 映画でもゲームでもない本物の光景に見惚れる洋平。ヤンも、資料映像でしか見たことのない光景が現実として広がっているのに若干感銘を覚えた。

 「・・・まさか、古代地球の大日本帝国海軍を生で見ることになるとは、ねぇ」

 「ああ・・・本当に、この時代の日本に来られて良かった」

 「にっぽん?」

 寿子がきょとんと首を傾げた。

 草加と洋平は目を合わせた。もしや・・・

 「渡辺中佐、世界地図を見せてもらえないかな」

 寿子でいいですよお、とふんわりと笑いながら寿子は二人を壁際の机に手招きした。

 三角定規やコンパスが置かれた机に地図を広げる。

 そこに描かれていたのは、一見すると日本列島を中心としたごく普通の世界地図(宇宙歴の人間であるヤンからすれば歴史資料で見たことのある古代地球の地図)だ。日本列島をはじめとした島々や大陸、海の配置に違和感はない。洋平がいつも見ている世界地図や、ヤンが歴史資料で見る古代地球の世界地図と何ら変わらない。ある一つの点を除いては。名前である。

 日本列島の上に『帝政葦原中津国』という文字が印刷されている。

 太平洋を隔てた巨大な大陸、ヤンや洋平の世界ではアメリカ大陸と呼ばれていた所には『ヴィンランド合衆国』。欧州大陸に目を転じれば中央の、本来ドイツと記されているべきところには『トメニア第三帝国』と記されている。その国からは四方八方に黒い矢印が伸び東の『ルーシ連邦』を本来の国境を越えて浸蝕。フランスと思しき地域もトメニアの支配下に置かれている。その下、地中海に突き出た長靴のような半島国家は『ナパロニ』。ドーバー海峡を越えた先の島国には『ブリトン連合王国』と記されている。

 「なるほど・・・やはりそうか」

 「OK、大体把握した」

 「未来人さんの知っている名前とは違うんですかあ?」

 寿子が首を傾げる。洋平は頷いた。

 「ああ、うん。例えば僕のいた世界では、このブリトンのことをイギリス、トメニアのことをドイツと呼んだんだよ。そうですよね、ヤンさん」

 「ああ。そしてヴィンランドはアメリカ、ルーシはソヴィエト連邦と呼称していた。新聞や書物を探っていたが、やはりこの世界の歴史や世界観は名前が違うだけで私たちのそれを全く変わらないらしい。例えば、今このドイツもといトメニアという国はソ連もといルーシを侵攻しているけど、それが始まったのは去年の1942年6月22日のことじゃないかな」

 ヤンの指摘に寿子は頷いた。

 「ええ、その通りです、よくご存じですねえ」

 史実では――ヤンと洋平の世界ではヒトラー率いるナチス・ドイツは1941年6月22日対ソ侵攻作戦『バルバロッサ』を発動、突如としてソ連邦への侵攻を開始し独ソ戦が勃発した。どうやらこの世界でも同じらしい。

 「そしてこのトメニアを率いているのはアドルフ・ヒトラーだろう?」

 「ええ、そうです。トメニアを率いる独裁者です。そもそも今起きている欧州大戦もトメニアがお隣のポルスカに侵攻を始めたのがきかっけで・・・あとこの葦原の同盟国でもありますねえ。ナパロニも含めた三国同盟を結んでいるんですが・・・もしかして未来人さんの世界でも同じですかあ?」

 「ああ・・・」 

 「寿子さん、ちなみにブリトンはどんな国なの?」 

 洋平も質問に加わる。ブリトンといえば、先日のセイロン沖海戦で戦った相手である。

 「ブリトンは今こうして敵味方に分かれて戦っていますけど、私たち葦原海軍にとっては先生みたいな国ですねえ。昔は艦もブリトンから買っていました、金剛なんかがまだ現役です。それにティータイムを発明した紅茶の美味しい、偉大な国でもあります。・・・ただ、料理のほうは正直ちょっと微妙かも・・・」

 「・・・どうやら違うのは国名だけのようだね」

 ヤンと洋平は地図を離れ、改めて艦橋の窓の向こうに広がる海と居並ぶ艦艇の光景を眺めた。

 この世界では海を男性が泳げず、代わりに海軍乙女が存在する。国名や地名もヤンと洋平の世界のそれと違う。だが違うのはそれだけである。この世界の世界観や歴史の流れ、文化に至るまで全てヤンと洋平の世界と同じ。山本五十子をはじめとする海軍乙女も、ヤンの知る日本海軍の軍人達を置き換えたような存在だ。

 ふと、ヤンは背中に悪寒を感じ身震いした。ある考えが頭に思い浮かんだのだ。

 この世界の歴史がこの先も、自分達の世界と同じ歴史をたどり進むとしたら?

 この先の歴史をよく知るヤンにとっては、あるいは同じく先の歴史を知る者にとってはそれを思考し想像することは容易で、恐ろしいことであった。

 多くの海戦での無残な敗北とあまりにも多大な犠牲、玉砕に次ぐ玉砕、神風特攻隊、本土への無差別空襲、原爆投下、そして無条件降伏――今乗っている大和、海軍乙女である少女達の運命は過酷で悲惨なものにしかならない。いや、それどころかこの日本いや、葦原を待つ歴史も残酷で惨憺たるものでしかない。

 「どうしました、未来人さん?お二人とも顔色が悪いですよお?」

 見ると洋平も青ざめた表情をしている。ヤンと同じことを考えていたようだ。

 寿子が心配そうにヤンの顔を覗き込む。

 「足の傷がまだ癒えていないんじゃないんですかあ?」

 「いや、足の傷なら大丈夫さ。少し痛むこともあるけど、問題ない」

 ヤンは笑ってごまかした。

 洋平も笑ってごまかす。

 「・・・大丈夫。夕べ興奮してよく眠れなかっただけだよ」

 これは嘘ではない。何しろ、本物の戦艦大和に泊まったのだ。しかし寿子は何故か顔を赤らめて、数歩後退った。

 「や・・・やっぱり未来人さんも殿方なんですね。乙女だけの艦に乗ると、あんなことやこんなことを考えてしまって、それで眠れなかったと・・・」

 「ちっ違うよ!興奮ってそっちじゃないから!僕が興奮する対象は艦艇とかで」

 誤解を招いていると気付いた時には、もう後の祭りである。

 「擬人化ですか! 確かに艦も女の子だって言いましたけど、まさかそんな目で艦を見て、こ、興奮するだなんて! 喫水線下が赤いスカートに見えちゃったりするんですか? 未来人さんの考えることは未来過ぎてついていけないです!」

 「僕は、寿子さんについていけないよ・・・」

 なんだか漫才の様相を見せてきた洋平と寿子の様子にポリポリと頭をかきながらヤンが苦笑する。

 「・・・私も話の内容がよく分からなくてついていけないんだが」

 「あ、すみません・・・それで、未来人さんはこれからの戦いについてどうお考えなんですかあ?」

 こちらが少し緊張を緩めたところですかさず寿子が本題に戻す。

 ふわふわしたしゃべり方に惑わされるが、戦務参謀だけあってしっかりしている。あるいは抜け目がない。参謀三人組の中で唯一ヤンと洋平を未来人と主張したのも彼女だ。

 「確かに、私は軍人だけども、部外者が口出ししていいのかい?」

 「僕もただの海戦ゲーム好きで、ヤンさんみたいな専門家じゃないし・・・」

 構いませんよお、と促されヤンはベレー帽を指でくるくる回したり、手でもてあそびながら口を開いた。

 「・・・そうだね、正直、この時期にセイロンまで行ったのは手を広げすぎたと思う。イギリス、もといブリトンは本国がトメニアに脅かされてアジアで攻勢に出られないからね。堂々と戦い惨敗したマレー沖海戦で懲りているし、これから攻勢に出る様子も今のところ見受けられない。ただ逃げ回っているだけだ。だからブリトンとの闘いは本当は後回してよかった。そもそも全体的に手を広げすぎている。確かに今のところは日本もとい葦原が電撃的に勝利をおさめ、オーストラリアまであと少しというところまでその勢力圏を広げているけど、それを維持できるかとなるとまた別問題だ。伸びきった補給線や占領地や勢力圏を維持するのに必要な兵力や国力があるかとなると正直非常に怪しい。いや、無いだろう。敵のヴィンランドの国力は此方の何十倍、何百倍もあるんだろう?今は勝っていてもその内、息切れを起こし、攻勢終末点、戦力転換点を迎え、逆転されるだろう。そして後に来るのは圧倒的な国力を背景にした大規模な物量作戦、高速機動戦術による逆襲・・・全く、ゾッとするね。でも打てる手がないわけじゃない」

 もてあそんでいたベレー帽を被りなおしながらヤンは地図上のヴィンランドを指さす

 「もし私が指揮官なら、ブリトンを後回しにできる以上、私達は対ヴィンランド戦に集中することにする。さて、ここで洋平君に二つ問題だ。葦原軍は真珠湾を奇襲したけれどそれによってられたものは何だろう。そして、首都ワシントンDC以外にヴィンランドにとって攻撃されたり占領されたりしたら困る重要地点はどこだろう?」

 「ええ?」

 突然ヤンに問題を出され、洋平は少し動揺する。ヤンの穏やかな笑みから見るに意地悪からそうしているのではなく、自分と同じ考えを持っていると期待されているからヤンは洋平に問題を出したのだろう。

 「・・・時間だと思う」

 戸惑いながらも洋平は問題に答える。

 「真珠湾奇襲で得られたのは時間だ。ヴィンランドに致命傷を負わせたわけじゃなくて、何ターンか動けなくなる状態異常をかけただけなんだから、畳み掛けてとどめを刺さないと。それを放置して、虎の子の機動部隊を反対方向の遠いインド洋まで出張させる意味がよくわからない。貴重な資源の無駄遣いだし、ヴィンランドに回復の時間を与えてしまう。それよりもヴィンランドに対する攻撃やとどめをどうするかを考えないといけない。それで、二つ目の質問の答えになるけど、ヴィンランドにとって攻撃されたり取られたら困るのはやっぱりハワイだと思う。大規模な艦隊が駐留する基地があって、太平洋方面を統括する提督や参謀達が多数存在する、いわば心臓や頭脳のようなところだ。その攻撃と占領に集中すべきだと思う・・・」

 慣れ親しんだゲーム『提督たちの決断』の攻略セオリーを語りながらヤンを見る洋平。ヤンは笑いながら頷く。

 「その通り。二つとも正解だ。国力が劣っている以上、私たちが取るべき戦法は速戦即決、そし敵の頭脳部の攻撃と占領、無力化だ。そしてまさにハワイはヴィンランドにとって太平洋方面の作戦を取り仕切る心臓部、頭脳ともいうべき場所だ。そこを取られれば太平洋方面での作戦行動は困難になるだろう。とにかくこちらにとってある程度有利な展開を得られる可能性がある。そうなれば後はこの国の外交手腕次第だが、講和やでなくとも休戦に持ち込んで平和を獲得できるだろう・・・とまぁ、それが私達の考えだが、ちょっと言い過ぎたかな」

 率直に考えを述べたヤンと洋平に対ししかし、自軍の作戦を批判されたというのに、寿子は嬉しそうだった。

 「ふふっ・・・未来人さんの言ってること、長官や黒島先任参謀とそっくり同じです」

 「え、同じなの? それならどうして・・・?」

 どうしてそうしないんだ、と言いかける洋平に寿子は笑いかけた。

 「そこが海軍という組織の難しいところなんですよお。さあ未来人さん、艦橋はこの辺にしておいて、次は主砲を見に行きましょう!。」

 (組織の難しいところ、か。彼女達も私と同じ苦労をしているのかもしれないな)

 ヤンと洋平の腕を取りエレーベーターへ連れていく寿子を見ながらヤンは一人そう思った。

 

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

大和の主砲で落ち合った連合艦隊司令長官山本五十子と共に大和の日常を見て回るヤンと洋平。戦時下とは思えない平和な日常を見る一方で、ヤンと洋平は五十子の二人に対する思いを知る。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第6話「大和の日常、五十子の思い」。銀河の歴史がまた1ページ・・・ 


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第6話 大和の日常、五十子の思い

そろそろ感想が欲しい・・・感想は作者が作品を書くためのガソリンの一つです。どうか気が向いたら感想よろしくお願いします。


 ヤンと洋平に大和の案内をして、司令部メンバーとの親睦を深めよう、との提案を山本五十子が出したのだが、黒島亀子は昼夜逆転の生活を送っているため無理、宇垣束は非協力的、五十子自身も司令長官としての業務のため途中からの参加ということで、今案内役をしているのは寿子一人である。

 それでも艦首側から見る一番・二番主砲塔の威容は二人の心を揺さぶるに十分なものだった。

 「凄い・・・本物の46センチ砲だ!」

 46センチ三連装砲塔二基六門、二番砲塔は装甲部が高くなって背負い式に配置されている。

 「ふうむ、なかなかの迫力だね。さすが当時世界最大だっただけのことはある」

 その迫力にヤンも唸る。一億年前の生きた恐竜を見るよりも遥かにこちらのほうが迫力がある。ヤンの時代の宇宙戦艦は全長が標準型だと約600メートル、旗艦級にもなれば1キロ近くはあり、それらから見れば全長263メートルの大和など駆逐艦レベルの大きさである。が、それでもこの当時世界最大の戦艦であったという事実に変わりはなく、間近で見れば、やはりその威容には圧倒させられざるを得なかった。

 「・・・46センチ、ですかあ?この主砲の内径って確か40センチなんじゃあ」

 寿子が首を傾げた。洋平は驚いた。参謀なのに、そんなことも知らないのか。

 「46センチだよ!もし40センチなら長門方やノースカロライナ級を下回るから、こんな大きな戦艦を造った意味が・・・」

 不意に、どこからか大きな声が響いてきた。

 「わー!わー!そう、そいつの言うとおり、40センチ、大和の主砲は九四式40センチ砲だぞお!」

 凄まじい勢いの足音と共に、ポニーテールを揺らして長身の海軍乙女が駆けてきた。口に咥えた竹串、ぶるぶる揺れる豊かな胸、宇垣束だ。

 参謀長は三人の間に素早く割り込むなり、ヤンと洋平の襟首を掴みそのまま強引に物陰まで引っ張っていった。少女とは思えぬ怪力である。軍人故、一般人とは鍛え方が違うのだろうか。

 「うわ、ちょっと何を」

 「てめえ、変態スパイ野郎に宇宙人。余計なことしゃべるんじゃねえ、マジで殺すぞ」

 荒い息をしながら、上擦った声で恫喝をしてくる。

 「いや、変態でもスパイでもないんですが・・・」

 「宇宙人ってのは、まぁ、あながち間違いでもないけどね」

 「てっめえ!人の胸揉んだ挙句、光線銃まで持ち出してしらばっくれる気か!」

 束の指摘に洋平は初めて彼女と会った時、誤って彼女の胸部に触れてしまった事実を思い出した。

 「ごっ、ごめんなさい!」

 平謝りする洋平に、走ったせいか顔を赤らめそっぽを向く束。

 ヤンは頭を掻きながら言う。

 「まあ、要するに、この艦は機密の塊だからおいそれと言いふらしたり、変なことをするなと、そう言いたいんだろう?私の知る限り、大和はこの時代じゃあ最新鋭の軍艦だったって聞いたからね」

 「・・・そういうことだ。分かりゃいいんだ、分かりゃ。主砲の実際の内径は山本長官でさえ知らねえ。知る必要がねえからだ。黙っとけ」

 ヤンと束のやり取りに洋平も大和の情報この当時いかに最重要機密であったかを思い出した。海軍は大和の機密保持に極度なまでに神経質であったが、主砲の内径が46センチであるという当たり前に知っている知識さえもこの時代では重要な機密なのだ。

 「あれえ、いきなり二人でひそひそ話ですかあ?私ちょっと傷ついちゃうかも」

 いつの間にか寿子が至近距離まで近づきひょっこり、顔をのぞかせている。

 束は慌てて二人を放り出した。

 「か、勘違いすんじゃねえ、渡辺参謀!あたしはこいつらがスパイ活動してないか監視や尋問をしてるだけだ!」

 「物陰で男女がこそこそするのが尋問なんですかあ?」

 「こっ、こそこそなんてしてねえよ!ほら、スパイするものなんて何もねえだろ、今日も柱島は平和だな~って・・・なあ?」

 「え?ああ、確かに平和だね」

 束に合わせたつもりのヤンだったが、甲板を見渡してみるとなるほど、確かに目の前に広がる光景は平和そのもだった。少女達が海面に釣竿を垂らして談笑したり、一方ではご丁寧にキャンバスを敷いて昼寝や読書をする者、ハーモニカなど楽器を演奏したり、何やら絵を描いている海軍乙女の少女もいる。遠くからはブラスバンドの音まで響いてきた。前線から遥か遠く離れた後方地帯故に繰り広げられる牧歌的な光景だが、同時にそれは今が本当に戦時中なのかと疑いたくなるものでもあった。

 「心配すんな」

 ヤンの表情の変化をどう解釈したのか、束は瀬戸内海をバックに両手を広げた。

 「真珠湾でヴィンランドの戦艦が簡単に沈められたのは湾内の水深が浅いから魚雷攻撃を受けないだろうと防雷網を用意しとかなかったからだ。この柱島泊地には艦の外周に大量の防雷網を張り巡らしてある。」

 それに、と自信ありげに束は続けた。

 「たとえ沈められてもそこで終わりとは限らないしな」

 「沈められても?」

 ヤンの記憶ではこの時代は大艦巨砲主義から航空主兵論への転換期、対立の時代であったはずだ。先日の会話からして彼女は大艦巨砲主義者のようであり、性格からして「戦艦は決して沈まない」とでも言いそうであったが、そこまでというわけでもなさそうだ。あるいは沈められてもそこで終わりではない、ということは・・・

 「それは場合によっては引き揚げたり修復して戦線に復帰させられるってことかい?」

 ヤンの指摘に束は我が意を得たり、とでもいうようにニヤリと笑った。

 「ああ、そうさ。何だ、分かってるじゃねえか。航空主兵論者が画期的だとか騒いだブリトン軍のタラント空襲だってな、大破着底したナパロニ戦艦3隻のうち2隻はわずか半年で修理完了、戦線復帰。残る1隻も浮揚に成功して修理に入ってる。タラント空襲の真の教訓は、本拠地に停泊中の戦艦を沈めても浮揚修理されるから短期間しか効果が無いってことだよ。真珠湾でうちらが沈めたと思ってる戦艦も、今頃は大半が戦線復帰してるんじゃねえかな。」

 力強い力説。彼女はなかなかの大艦巨砲主義者のようだ。しかも、敵の戦艦の話をしている時でさえ目を輝かせ嬉しそうにしているあたり、相当な戦艦好きのようだ。

 「でも宇垣参謀長、マレー沖海戦では作戦行動中のプリンセス・オブ・ウェールズとレパルスを陸攻で沈めましたよお?」

 寿子の指摘に束は八重歯を覗かせて不敵に笑った。

 「あれは、護衛の戦闘機を一機もつけずに戦艦を突出させたからだ。おかげでこっちの陸攻は雷撃に専念できた。鴨ネギってやつだ。九六式陸攻も一式陸攻も、航続距離を重視して防備が薄い。もし敵さんに戦闘機がほんの数機でもいたら、ああはならなかったぞ。にしてもよくあたしの言いてえことが分かったな」

 少し嬉しそうにしている束の言葉にヤンはおさまりの悪い黒髪をかきながら

 「いや、私のいた世界じゃあ何しろ戦場が宇宙空間だったからね。宇宙戦艦や巡航艦は意外と脆いし、使う兵装も強力だから被弾すればかなりの被害が出るし、当たり所によっては即、木端微塵に爆発してしまう。曳航したり引き揚げ・修復からの戦線復帰といった器用なことは難しいのさ。でも、水上艦艇なら沈没しても水深がごく浅かったりすれば引き揚げが可能だし、いろいろと融通が利くからね。沈んでもそこでおしまいじゃないっていうのはそういう意味じゃないかなと思っただけさ」

 「宇宙戦艦?ああ、そういやお前宇宙人だったな。乗ったことあるのか?宇宙人の使う戦艦ってどんなのなんだ?」

 束は戦艦好きゆえか、ヤンの口にした単語に興味ありげのようだった。ヤンに質問する。

 束の質問にヤンはぼさぼさ頭を傾けた。

 「そんなに大したもんじゃないさ。大きさから言えば標準型戦艦で全長600メートルぐらいはあるね」

 「・・・は?」

 「・・・え?」

 「・・・はい?」

 ヤンの回答に束、洋平、寿子の三人は一瞬耳を疑った。

 ヤンの独白は続く。

 「わかりやすく言えば、この艦は全長263メートルだけど、私の時代の駆逐艦ぐらいの大きさだったな。標準型戦艦はその2、3倍ぐらいの大きさといったところだね。ちなみに旗艦級にもなれば1キロ近くの大きさ、私の艦も900メートルぐらいはあった。それで主武装は中性子ビーム砲、近距離ならレール・キャノンにレーザー水爆ミサイルに――」

 「いやちょっと待てちょっと待って!」

 束が頬を引きつらせながらヤンの言葉に割り込んだ。

 「・・・戦艦の全長が600メートル?旗艦で1キロ?この大和と同じデカさで駆逐艦扱いだ?・・・冗談だろ?い、いくら宇宙人だからってホラ吹くのもいい加減に・・・」

 「まぁ、信じられないのも無理はないかなぁ」

 束の反応にヤンは苦笑した。

 「まぁ、無理に信じてもらおうとは思わないさ。なんかこんなことを言っていた、という程度で覚えてもらえれば十分さ。ちなみに規模でいえば一個艦隊で大体1万隻以上、兵員は150万人ぐらいで・・・」

 「い、1万隻・・・」

 「未来人さんの言うことはとても未来過ぎてついていけませんよぉ・・・」

 淡々と、当たり前のようにヤンが述べる遥か未来の宇宙艦隊の様相に三人は呆れ返るしかなかった。信じようにも自分達の常識からはかけ離れている、かといって嘘だというには余りにも大ぼら過ぎて完全にも嘘ともいえそうにない。司令部で暴発したブラスターの件もある。とにかく三人はヤンのいた未来の、宇宙歴の時代が自分達の世界とはまた隔絶したものであるという認識を持つに至った。

 一方でヤンは少し意外に思ってもいた。ヤンのいた未来の世界では、この時代において大艦巨砲主義は時代錯誤の思想であり航空主兵論は開明的なものであった、という見方が主流であったが、いざ当の大艦巨砲主義者の論を聞いてみれば決して筋違いなものではなく、戦艦の能力を妄信しているのではなくあくまで実際の戦史、実例を評価し考察したうえで辿り着いた結論、思考である。決して根拠もなく大艦巨砲主義を唱えていたわけでもないのだ。歴史家志望であった彼にとって、このような体験は新鮮なものであった。

 ほぼ同時に、司令部付従兵の少女が甲板に駆けつけ敬礼する。

 「参謀長、戦務参謀! 山本長官が、上甲板中央でお待ちです」

 「・・・さて、邪魔者はこの辺で消えるとするか。じゃあな宇宙人、変態スパイ。間の若い連中に手ぇ出すんじゃねえぞ」

 ヤンと洋平の背中を乱暴にたたきそのまま去っていく束。

 その背中を見送っていると、今度は艦橋から別の海軍乙女が走ってくる。

 「戦務参謀、軍令部から電話です! 今朝届くはずだったジャワ南方の戦闘詳報まだですかって!」

 「あっ、いけない・・・私ってば、中央に出さないといけない書類があるのすっかり忘れてましたあ。でもでもっ、今は書類仕事なんてしてる場合じゃ・・・」

 五十子が言っていた通り、戦務参謀の仕事は多忙のようだ。

 「悪いから、寿子さんはもういいよ。五十子さんのところへは、そこにいる従兵の子に案内してもらえばいいんだよね?」

 「いえ、そういう問題じゃなくて、私も長官にお話したいことがあってですねえ・・・」

 「戦務参謀、急いで下さい! 呉鎮守府からも電話がきてるんです、入渠の申請書に不備があるから再提出して下さいって!」

 「ええっ、またですかあ?・・・って、ちょっと嫌ですよお、放して下さい! 未来人さーん!」

 寿子は部下に両腕を掴まれ、ずるずると引きずられて艦橋に消えていった。

 

 

 

 

 束と寿子が職務上の事情のため立ち去ると、ヤンと洋平は従兵に連れられて連合艦隊司令長官である五十子のところまで案内された。

 三人で並びながら、大和の館内を練り歩いていく。

 「みんなでヤンさんと洋平君を案内しようって言ったのになあ」

 「山本長官、寿子さん、じゃない渡辺中佐はさっきまで案内してくれてたんですけど急に仕事が入っちゃったみたいで。宇垣少将もどこかへ行っちゃって・・・」

 この間までため口で読んでいた洋平だったが、司令長官であると知った以上、洋平はきちんとした役職名、階級で五十子を呼ぶ。しかし、五十子は二人の唇に人差し指を押し当てた。

 「二人とも、遠慮しないで普通に喋って。私のことは五十子でいいよ」

 「え、でも・・・」

 「じゃないと、紛らわしいんじゃないのかな?二人の知ってる別の世界の『山本長官』と」

 間を置かずに告げられた五十子の二の句に洋平は一瞬言葉を失った。

 「そっかー。ヤスちゃんは仕事かぁ・・・ヤスちゃんには事務や連絡の仕事をお願いしちゃってるからね。海軍ってこう見えてお役所でね。書類の決裁やよそとの協議みたいな仕事がすっごく多いんだ。私を含めてそういうのみんな苦手だから、ヤスちゃんがいないと連合艦隊は回らないよ」

 「そうなんだ・・・」

 「亀ちゃんも誘ったんだけどね。昨晩も徹夜で作戦練ってたみたいで、これからお風呂に入って寝るって言っていた」

 ヤンと洋平はすぐに一人の少女を思い浮かべた。

 黒島亀子、あの昼夜逆転している寝癖頭にウミガメのぬいぐるみが特徴の少女か。

 「亀ちゃんが立ててくれる作戦は、精妙にして巧緻、大胆にして細心。よく思いつくなあって、いつも感心してるんだ。まさに連合艦隊の頭脳だよ!」

 亀子のことを褒める五十子。

 寝ぼけ昼夜逆転しているところしか見ていないので、凄さはよく分からない。が、司令長官たる彼女がそのように発言するあたり、実力はあるのだろう。

 それにしても。部下を褒める五十子の顔は本当に我が事のように嬉しそうで、誇りにしているようで。その嬉しそうな表情をじっと見つめるヤンと洋平に気付いた五十子は一瞬顔を曇らせた。

 「でも、ごめんね二人とも。私と一緒とか、嫌だよね?」

 「え?い、嫌だなんて、そんなことない!むしろ、光栄というか!」

 「・・・」

 謙遜するように手を振る洋平。連合艦隊司令長官にここまで気を使わせて身に余る、と感じたのだろう。

 対するヤンは無言で彼女の様子を見ていた。

 彼女は始終自分たちを気遣う言動を見せているがその一方で、自分達とはどこか一線を引いたうえで関係を築こうとしているようにも見えた。少女とはいえ軍人たる彼女達の領域には出来る限り立ち入らせないように、あるいは立ち入ることがないように。

 洋平の言葉に五十子は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに微笑んだ。

 「えへへ・・・ありがと。それじゃ、案内するね。この通路は『大和銀座』って呼ばれていて・・・」

 磨き上げられたリノリウムの通路は幅が約2メートルあり、当時の軍艦としては十分なスペースが確保され、ゆったりとしている。左右には士官用のラウンジや売店、美容室等、兵員の日常生活に必要な設備が並び、充実したものとなっていた。当時の軍艦としては中々、快適で充実したものである。ヤンはこの戦艦大和が生活のための設備の充実ぶりからホテル、とあだ名されていた事を思い出し、あらためて実感していた。

 『ラムネ』の表札がかかった部屋の前で五十子はおもむろに立ち止まって、こほんと咳払いする。

 「内村三等水兵、おはよう」

 乗組員達が飲むためのラムネの製造装置が備え付けてあるのも、洋平の知っている大和と同じだ。その当番兵に五十子は声をかけた。

 「長官、おはようございます!」

 「あのね、お砂糖を増やしてもっと甘いラムネをつくって欲しいなって」

 「・・・え、もっと甘くでありますか?」

 「もっと甘くだよ!」

 「はっ!」

 慌てて敬礼をする水兵。

 ひどいパワハラを見てしまった気がするが、通路を歩いてすれ違う海軍乙女の少女は先ほどの水兵を含め、皆五十子に敬意と好感を持っているように見えた。

 敬礼されるたびに丁寧に笑顔で答礼し、親しげに声をかける。相手が士官だろうと下士官、水兵だろうと、分け隔てなく丁寧に接する。

 よくよく観察してみると、彼女は相手を呼ぶときに必ず階級や役職だけでなく苗字もつけて呼んでいる。

 そのことに気づいた洋平は五十子に尋ねた。

 「五十子さん、ひょっとして部下全員の名前を暗記しているの?」

 部下の名前をすべて覚えている指揮官はフィクションによくいる存在だ。名前で呼んであげることも陳腐だが古来より効果的な人心掌握術の一つである。有効なればこそ普遍化し陳腐化するのだ。彼女は承知の上でそうしているのだろか。

 五十子は苦笑し首を横に振った。

 「ううん、私はそんな頭良くないよ。ほら、これ」

 五十子は上着のポケットから黒革の手帳を見せた。

 「皆、一緒に頑張る仲間だからね。本当は全員覚えたいけど、私には無理だから。せめて一度でもお話したことのある子の名前は、この手帳に書いて覚えるようにしているんだ」

 「いや、それだけでも十分凄いと思うけど・・・」

 五十子は恥ずかしいのか手帳をすぐにポケットの中にしまった。

 特に狙いがあるわけでもなく、純粋な気持ちからそうしているようだ。ヤンは少なからずこの自分より遥かに若い司令長官に少なからず好感を覚えていると、五十子が先ほどの手帳の代わりにラムネの瓶二本をヤンと洋平に渡してきた。

 受け取り中の液体を喉に流し込む。喉を焼く炭酸の爽快感と懐かしい甘さが心地よく口に広がる。

 一息ついてヤンは五十子の分がないことに気付き、五十子のほうを見ると彼女は自然な動作で当然のようにヤンが口をつけた瓶を取り戻し、半分残ったラムネをことごとく飲み干した。

 「え、五十子・・・それ間接」

 「ん?どうしたの?」

 ヤンはわずかに戸惑った。まだ年端もいかぬ少女が、知り合ったばかりの男性にここまでのスキンシップを見せるとは。どこぞの不良中年が見れば「おや、戦場では無敵の閣下が少女一人にさらりと奇襲攻撃を受けるとはらしくないですな」などとからかうかもしれない。

 対して五十子はさして気にする様子もなく案内を続ける。

 「さて、次はいよいよ購買部だよ!」

 購買部、すなわち酒保あるいはPXのことであると気付く。時代や世界は違えど、やはりこのような設備は必要不可欠のものであるようだ。

 「ここではね~、飴とか羊羹とか、色んなおやつを売ってるんだ。購買部は海軍乙女にとって艦の生活で一番の楽しみといっても過言ではないよ。丸山主計長おはよう!」

 「長官おいでやす!あっ兄ちゃんたちやないか。なんや、三人でデートかいな?」

 「え?い、いや、そんなんじゃ!」

 売店から身を乗り出してきた主計長はヤンと洋平の顔見知りだった。確か、この間艦内の廊下で・・・

 「兄ちゃん、こないだは重い荷物運ぶの手伝うてくれておおきにな。おかげではかどったわ、やっぱり男は力があるねえ」

 「と、とんでもないです」

 「手伝った、というよりは手伝わされって感じなんだけどねぇ」

 「へえ、偉いね二人とも!」

 五十子に褒められ洋平は少し嬉しそうだった。

 「長官、例のブツ届いとりますで。ほらこれ」

 「どれどれ・・・ひゃあ、これはたまりませんなあ!」

 主計長の取り出した木箱を覗き込み五十子は声を裏返らせた。

 「そうでっしゃろ!この白さといい香りといい、戦時下でこれだけの上物はよう手に入りませんで。後で長官のお部屋に届けさせますさかい」

 「ありがとう!購買の皆にもお裾分けするね!」

 怪しげな会話をしているが、横から除けば何のことはない、木箱にぎっしりと白い饅頭が詰められているだけだった。

 ぽかんとした洋平に五十子が僅かに頬を膨らませた。

 「ちょっと洋平君、何そのがっかり~って顔は」

 「・・・いや、甘いものが好きなんだね」

 「ちっちっ、ただの甘いものじゃないんだなこれが。私の故郷、越後名産の酒饅頭!私が子供のころ、年に一度お金持ちの親せきが家に来る時だけ食べさせてもらえた激レアなお菓子なんだよ~。第一艦隊に勤務している同郷の後輩たちをお昼に招待してるから、その時に出して驚かせるんだ。ほかの皆にはまだ内緒だからね!分かった?」

 「わ、分かった」

 洋平と五十子が会話をする一方でヤンは購買部の様子をじっと見つめていた。

 売店の品ぞろえは非常に豊富だ。饅頭や羊羹、チョコなどのおやつ類といった様々な嗜好品が置かれている。嬉しいことにことに紅茶まである。酒がないのは僅かに残念であるが、少女しかいない軍艦なのでそもそも需要がないのだろう。歯ブラシや石鹸といった日用品の他にも、文房具のような日用品、はては香水や口紅といったものまで置いてある。改めてこの世界の海軍があどけない少女達で構成され、そんな彼女達が戦争を・・・殺し合いをしていることに思い至り、ヤンは再び憂鬱な気分になった。ヤンは自分の息子が軍人になることに、軍人であることに良い感情を持っていなかったが、軍人になること自体はその息子自身が望んだことであった。だがこの世界の場合、自ら望んであるいは積極的に海軍乙女になったわけではない少女のほうが多数であろう。しかもこのまま歴史が進んでいけば五十子達同様彼女達にも過酷な運命が、歴史が待ち受けているのだ。ささやかな平和を望み、息子の世代が殺しあうのを見たくない一心で戦ってきた自分がそんな悲惨な光景を見せられるかもしれないとは、いったいどういう因果、あるいは皮肉なのか・・・

 気付けば草加の表情は先ほどとは打って変わって少し険しくなっていた。洋平も難しい顔をしている。

 「ヤンさん?洋平君?」

 気が付けば五十子にまじまじと顔を覗き込まれていた。

 「ごっ、ごめん!」

 「難しい顔をしているね、拓海さん。洋平君も・・・もしかして、戦争のことを考えていた?」

 鋭い少女だ。肯定の仕草をするヤンに五十子は淡く微笑み首を振った。

 「気にしなくて良いんだよ、二人とも。洋平君は未来の人だし、ヤンさんは軍人だから気になるんだろうけど・・・これは私たちの戦争なんだから。この前は洋平君とヤンさんの知識を借りちゃったけど、それだってあくまで私の責任。二人は関係ないお客さんで良いんだよ」

 そういえば、あの後五十子は戦局に関する話を何も聞いてこなかった。夕食が終わり、それまで笑って世間話に興じていた五十子が一転して真剣な表情になったので身構えたが、始まったのは怪しい賭け将棋だった。ヤンと洋平の持つ知識が有益なものであることはセイロン沖海戦ではっきりしているはず。二人の持つ未来の知識、歴史という情報はこれからの戦局を一変させうる、軍人にとっては垂涎のものであるはず。何が何でも手に入れようとするはずだ。それなのにい五十子は一切何も聞いてくることなく二人を客人として丁重にもてなしている。

 そんな五十子に口を開いたのは洋平だった。

 「お客さんって・・・五十子さん達は戦争をしているんだよね?こうして世話になってるのは本当に感謝しているよ。だからこそ、もし僕なんかで役に立てることがあれば」

 「洋平君が私たちを助けたいって、そう思ってくれるのはとても嬉しいよ」

 にっこりと微笑む五十子は「だけどね」と続けた。

 「やっぱり、洋平君とヤンさんはこの世界の人じゃないんだよ。特に洋平君とヤンさんの持ち物を見せてもらった時にはね、洋平君のいる未来の葦原やヤンさんの世界は、きっと今よりもずっと豊かで、科学や人の考え方なんかも進歩していて、世界も平和でみんな幸せに暮らしているんだろうなって思ったんだ。さっきのお饅頭なんかも、お金持ちの家の子じゃなくても望めば毎日食べられて、遊ぶゲームもきっと将棋やトランプよりもっと面白いのがいっぱいあるんだろうなって・・私の勝手想像でごめんね。気を悪くしたら許してね」

 「いや・・・」

 正確には葦原ではなく日本なのだが。確かに、彼女の言う通り戦後の日本、未来の日本は大きく発展した。高度経済成長を達成し、世界でも指折りの大国となり、物質的に豊かな国になった。ヤンのいた宇宙歴の世界でも人類の生活系は銀河系にまで拡大し、科学技術力は途方もないほどに発展した。一見すると、未来の世界はこの時代の世界よりはるかに大きく発展し前進したように見えるだろう。

 だが、その一方で歴史に目を向けてみれば21位世紀の初頭には核戦争によって自らその世界を荒廃させ、宇宙に進出して人類が銀河に居を構えるまでに幾度となく戦乱や愚行を繰り返し数千億リットル、あるいはそれ以上の流血を発生させることとなった。ヤンの元居た時代についても言えば、二つの勢力に分かれた人類が150年もの長きにわたって戦争を続けてきた。発展し前進するどころか今なお争いを、愚行を続ける人類の未来の歴史を、ヤンの世界のことを知ったら彼女は何を思うのだろうか。

 何かを言おうとしたヤンに五十子は、静かにはっきりと言った。

 「・・・私はね、二人をもとの世界に戻してあげたい。それが無理でも、せめて安全な場所にいてほしい。この戦争が終わるまで、なるべく巻き込まれずに」

 そう言って再び歩き出した五十子に二人は何といえばよいかとっさには分からなかった。

 仮にも戦争中の一軍事組織の指導者が戦局を左右するかもしれないヤンと洋平の知識知略をあえて求めず、ただ匿ってくれるというのか。そのようなことをして彼女に何の益があるのだろう。普通なら五十子という人物の器の大きさ、懐の大きさに敬服すべきなのやもしれない。

 それなのに、何故彼女は自ら、自分と二人の間に一線を引こうとするのか。

 ヤンは五十子を見た。相手が誰であろうと階級や役職等にかかわりなく分け隔てなく接し、常に心遣いを絶やさず、誰にでも優しく、誰からも好かれる。一見すると器の大きい、可憐な少女。その一方でヤンは彼女が何か悲しみを、そして孤独を抱えているように思えた。決しても誰にも明かさず、明かせないものを抱え、理解させることも理解されることもなく抱え込み、一人孤独であり続けている。連合艦隊司令長官という地位にありながらしかしこの柱島泊地で窮屈そうに、孤独に佇んで見える。

 もしや、とヤンは思った。彼女は自分と同じなのではないだろうか。

 仲間や部下を大事に思う一方で、軍人である彼女はその仲間を死地に送り時に多くを戦死させる。それと同時に多くの敵兵を殺戮する。彼女はその罪に悩み、関わらせまいとしているのではないか。奇しくもそれはヤンが抱えていた悩みと同じだった。戦場で数百万もの敵兵を殺戮し、それと同等あるいはそれ以上の仲間の命を宇宙に散らせた彼は、幾度となく悩んだものだった。これでは自分は大量虐殺者だ、何故こんなことをしなくてはならないのか、自分は果たして流した血に見合うだけの何かをやれるのか、大量虐殺者である自分がなぜこうして生きながらえているのか――

 規模こそ違えど、本質は一緒。もし彼女が自分と同じことで悩んでいるのだとすれば・・・そんなことに加担させまいとしているのだとすれば。

 もし彼女がヤンもまた軍人として敵味方を数百万も殺戮したある意味での、英雄という名の大量虐殺者ということを知ったら彼女はどう反応するのだろうか。共感するのだろうか、それとも軽蔑するのだろうか――

 かけるべき言葉を探し考えるヤンと洋平の耳に通路から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。

 「おや?あっちは士官用浴場があるんだけど・・・まさか」

 思い当たる節があるようで五十子が駆け足になった。二人も後を追う。

 「先任参謀!先任参謀!通路で寝ないでください!」

 通路の先に人影が見えた。五十子の従兵の小堀の声がした。

 「しゅぴー・・・しゅぴー・・・」

 通路の隅で一糸纏わぬ姿の黒島亀子が特有の寝息を立てて横たわっていた。思わずヤンと洋平は目をそらした。

 「先任参謀!黒島大佐!」

 従兵の呼びかけに五十子が加わる。

 「亀ちゃん、私だよ!ここは亀ちゃんのお部屋じゃないよ!起きよう!」

 「むにゃ・・・潜水艦搭載機でパナマ運河をたたく・・・しゅぴー・・・」

 「うん、その寝言すっごく気になるけど今は目を覚まそう!あ、亀ちゃん体拭いていないじゃない、これじゃ風邪ひいちゃうよ!」

 どうやら風呂の中で眠ってしまい、そのまま夢遊病状態でここまで来て倒れてしまったらしい。

 「仕方ない、小堀一等水兵。二人で黒島大佐を部屋まで運ぼう。洋平君とヤンさんは、浴場に行って亀ちゃんの服とタオルをとってきてくれるかな!」

 「分かりました!」

 「よし、行こう!」

 言われて即座に駆け出すヤンと洋平。

 濡れた足跡をたどりすぐに「士官用浴場」とプレートの置かれた部屋に駆け込む。

 ここまで二人は緊急事態ということもあり自分の頭で考えずに五十子の指示に従って浴場に入った。

 だから、ここが女風呂でありしかも使用中ということは考えていなかった。

 「ふ~さっぱりした。広かったね~大和のお風呂!駆逐艦のお風呂は小さな鉄の桶だから~手足が伸ばせないんだよ~」

 「使える真水の量が多いのも嬉しいわね。扶桑は真水のストックが少ないから。海水風呂ばかりだと、体がべたつちゃうわ」

 「やっぱり同じ戦艦でも大和は格別だよなっ!大和ホテルって言いうだけあって・・・ん?」

 そんな会話をする全裸の海軍乙女の少女が三人、目の前にいた。目が合う。

 「・・・あ!」

 「ごっ、ごめん!」

 反射的にそむけた眼前で今度は浴室の戸ががらりと開いた。

 「いやあ、書類仕事を片付けた後はお風呂に限りますねえ。あれ宇垣参謀長、また少し胸大きくなったんじゃないですかあ?」

 「渡辺てめえなにチラチラ見てんだ!あの変態じゃあるまいし」

 湯けむりとともに現れたのは宇垣束と渡辺寿子の裸体だった。

 男の本能が働き二人とも思わず釘付けになってしまう。

 まずは束の首にかけたタオル一枚だけのしなやかな長身、プルンとした胸の谷間。張りがあり大きい。彼女も見た感じ巨乳だったが、あれでも着やせしていたらしい。

 続いて寿子。

 こちらは束に比べれば、発育途中だが柔らかそうでウエストも締まっていて、肌もつるつるプルンとしていて・・・

 我に返ったときはすべてが手遅れだった。

 「ひゃあ!噂をすれば未来人さん達ですよお!」

 「・・・てめえ、また・・・この変態野郎があ!今度は二人一緒にかあ!」

 「ひいっ違うんです、これは・・・」

 「ご、誤解だ、これには深いわけが」

 遅れて絶句していた後ろの少女たちも騒ぎ出した。

 「た、大変!男の人だよ~!」「さては陸軍ね!」「撃ちぃかた始め!初弾夾叉!次弾テッ!」

 退避しかけた二人の後頭部に拘束に次々と飛んできた石鹸が命中し、転倒。そのままタイル張りの床に頭を直撃させ、ヤンと洋平の意識はそろって途絶することになった。




次回予告(CV:屋良有作)

浴場でのひと悶着の後、昼食会に参加することとなったヤンと洋平。穏やかなひと時を過ごす一方で、二人はこの時代の世界の現実の一端を知ることとなる。そしてヤンは元居た世界とこの時代の世界について思いを馳せ、この世界に来た意味を考えるのだった。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第7話「昼食会」。銀河の歴史がまた1ページ・・・ 


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第7話 昼食会

できれば感想、よろしくお願いします。感想は作者にとっての作品執筆のためのガソリンの一種です。
アンケートの結果ですがやはりというべきかシェーンコップがダントツ一位でした。みんなあの不良中年のことが好きなんですね~。それにしてもトリューニヒトに入れるやつがいるとは・・・扇動政治家恐るべし。アンケートのご協力ありがとうございました。執筆の際の参考にさせていただきます。
ヤン以外の銀英伝キャラも早急に登場させられるよう努力していきますのでもう少しお待ちください。


 1200時。中央寄り上甲板右舷、司令長官公室。

 「もう言い逃れはできねえな、変態スパイ野郎に変態宇宙人」

 まだ濡れている黒髪のポニーテルを揺らしながら束がヤンと洋平をじろりと睨みつけてきた。

 「認めろよ。てめえらはああいう破廉恥な目的で大和にやってきたんだよな。地球に来た時、葦原に来る前にロサンゼルスを襲ったのもハリウッドの金髪美女を襲うのが目的だったんだろ、ええ、変態宇宙人?」

 「違うんだ、あれは不可抗力で・・・」

 「うう・・・違います、僕だって束さんと同じくらい戦艦が好きなんです・・・」

 額に張った絆創膏をさすりながら必死に弁明するヤンと洋平。

 「そうですよお参謀長、さっき艦内を案内した時、未来人さんすっごく感動してましたし」

 自身も被害者である寿子がフォローしてくれる。束はフン、と鼻を鳴らすとそっぽを向いた。

 「私たちこそ申し訳ありません」「長官の~大事なお客様だったなんて~」「おっ、男の人だからてっきり陸軍の連中かとっ」

 同じく恐縮しているのは、揃ってこの柱島泊地の第一艦隊に勤務している三人の海軍乙女達である。聞くところによれば彼女達は五十子に今日の昼食会に招かれ、せっかくだからということで早めに乗艦し入浴していたとのことだ。

 宇宙人に未来人、スパイ、変態・・・そしてその次は陸軍。不審者の称号としては一番まともな部類に属するだろう。もっとも、それで立場や気分が良くなるわけでもないが・・・

 「ごめんね、わたしが洋平君にお使いを頼んだの。洋平君が男の子だってこと、うっかり忘れてたよ。てへっ」

 五十子が自分の頭をこつんと叩いていると、従兵達が恭しく前菜のスープを運んできた。花瓶に美しく花が活けられ、白いテーブルクロスのかかった食卓には磁器製の飾り皿、銀製のナイフ、フォークとスプーンがおのおのの席にきちんと並べられている。自室で眠っている亀子の席は空席になっておりそれが目立っていた。だが、皆がそれを気にする様子はない。五十子に聞けばいつものことなのだという。

 「わ~凄い! 本当に洋食が出てくるんだ~ハイカラ~」

 「長官室専属のコックさんは、帝都ホテルや郵船の豪華客船で修行したことのあるベテランだって聞いたわ」

 「ちょ、長官、あたし達がこんなご馳走食べさせてもらってよろしいんですかっ?」

 三人が料理に目を輝かせている。ヤンと洋平も密かに感心・感動していた。洋平は連合艦隊司令部の食卓に以前から憧れを持っていたのだ。ヤンも歴史家志望だった者としてこのような貴重な体験が出来ることは喜ばしいことだった。そしてその食事の内容や室内の装飾の豪華さに僅かに感動すると同時に少し驚いてもいた。かつて同盟軍に所属していた時はヤンやその幕僚達は士官として一般兵に比して上級の食事をとっていたしあてがわれていた艦内の私室も一般兵のそれと比して充実した設備を誇っていた。だが、この大和の長官公室はヒューベリオンやその他の自由惑星同盟軍の艦艇に比べてその豪華さにおいて遥かに優っていた。クラシックで精巧な家具や装飾が施され、食事の内容も専用の烹炊所でプロのシェフが作る一級品。朝夕は漆塗りの御膳で和食。そして何といっても華やかなのがランチで、前菜からデザートまである洋食のフルコースだ。時と状況によっては軍楽隊による演奏付きで食事をすることもある。同盟軍はさにあらず、貴族趣味溢れる帝国軍にも負けない豪華さかもしれない。

 もちろん、これは贅沢をするのが目的ではない。司令部要員だからというのもあるが軍人、特に海軍士官は時に外交官としての役割も担う。海外の寄港先で相応の席に出ても恥をかくことがないように日頃から西洋式のテーブルマナーを嗜むのが海軍の伝統だった。

 「ふふっ、紹介するね。第一水雷戦隊第二七駆逐隊・駆逐艦時雨の艦長を務める木村少佐、第二戦隊・戦艦扶桑通信長の刈羽少佐、同じく第二戦隊・戦艦山城砲術長の新発田少佐。3人ともわたしと同じ越後の出身なんだ」

 「「「よろしくお願いします!」」」

 のんびりした子が木村、すました感じの子が刈羽、石鹸を投げつけてきたのが新発田、とヤンと洋平は記憶した。

 「この中で、入隊してから『越後屋、お主も悪よのう』でからかわれたことのある人~」

 「「「「はーい」」」」

 「えへへ、みんな一緒だね!」

 五十子を中心に同郷者ネタで盛り上がっている。現代日本の人間である洋平はそのネタがすぐに理解できたが、ヤンは宇宙歴の人間、よく理解できなかった。

 「さあ、食べよっか」

 五十子がスプーンをとるとほぼ同時に、スピーカーから音楽が流れ始める。洋平の世界でもお馴染みの軍艦マーチだ。

 「これは、ラジオ?」

 「ううん、違うよ。昼食の時間になると、艦内放送で軍楽兵の子達が演奏をしてくれるの。大和にはブラスバンド編成の軍楽隊が乗っててね、とっても上手い演奏だから毎日お昼が楽しみなんだ」

 五十子が教えてくれた。こうして、優雅に演奏を聴きながらの昼食会が始まったのだが・・・。

 「今日のメインはビーフシチューかあ。あれえ、これって先週のカレーの残りなんじゃあ?」

 「贅沢言うな渡辺参謀! コックが知恵をしぼって限られた食材の中で毎日変化をつけてくれているんだ。大体だな、戦時下で国民が窮している時にこうして毎日飯が食えるだけでも……」

 「あー、はいはい。ところで知ってますか未来人さん? ビーフシチューは、私達の大先輩の東郷おばあさまがブリトンから持ち帰ったものなんですよお」

 「渡辺てめえ無礼にもほどがあるぞ! 東郷元帥は永遠の12歳だからな! つうか先輩方の年齢を連想させる話題はタブーだ、やめろ!」

 「えー、今の参謀長の発言の方が無礼じゃあ」

 目の前で束と寿子が繰り広げるどうでもいい口論のせいで、いまいち優雅さを噛み締められない。それにしてもこの世界では東郷元帥は存命中なのだろうか。洋平はもちろん、ヤンも古代地球の名将のひとりである東郷平八郎元帥のことは知っていたが、この世界においてもし存命中なら少し会ってみたいな、とも思った。それにしても、高級士官、司令部要員である彼女達は非常に楽し気にワイワイと食事をこの進めており、厳かな部屋の雰囲気に全く似合っていない。軍人とはいえ、やはり年相応の少女なのだ。ヤンとしてはむしろ、変に堅苦しい緊張した雰囲気で食事を勧めるよりこの和気あいあいとした賑やかな雰囲気で食事をするほうが楽しいし、自分に合っていたのでありがたかった。だが、彼女達の会話の中に気になる単語が出てきたヤンは一瞬引っかかった。

 「そういえばあ、陸では今シチューは敵性語で不適切だから、牛煮込み汁って呼ぶことになったらしいですねえ。カレーは辛味入り汁かけ飯で、サイダーは噴出水とか。噴はや出水・・・ぶはっ」

 シチューをつつきながら話していた寿子が自らの発言に思わず吹き出した。

 「うわっ、きたねえ! てめえが噴いてどうすんだよ渡辺!」

 「・・・敵性語?何だいそれは?」

 ナプキンを寿子に差し出しながらヤンは彼女の発言中に出てきた聞きなれない単語に首を傾げた。

 「鰤語や外来語をはじめとする、敵国の言語を排斥しようとする運動ですよ~」

 ヤンの疑問に答えたのは駆逐艦艦長の木村少佐だった。ため息をつきながら答える彼女の顔はどこか浮かないものになっている。いや、表情を曇らせているのは他の少佐達も同様だった。

 「ここでは分からないかもしれませんが、内地ではヴィンランドやブリトンといった敵国の言語である鰤語は軽佻浮薄なもの、『敵性』にあたると言って、敵国の言語を使うのはけしからん、排斥せよという動きがあって・・・あたし達はブリトン式の教育を受けて、装備や指示の用語に数多くの言葉を使ってきました。戦闘の際には、言葉は一瞬で正確に伝わらないと生死に、ひいては戦闘の勝敗に関わります。今、民間で強まっている敵性語排斥運動が、海軍にまで広がらないか心配です。兵達に余計な負担をかけたくありません」

 山城砲術長の新発田少佐が切実にそう訴えた。扶桑通信長の刈羽少佐も眉根を寄せる。

 「戦闘だけじゃないわ。敵は鰤語で交信しているのに、私達がもし鰤語を勉強してなかったら、せっかく敵信を傍受できても解読できなくなるのよ。敵を知り己を知れば百戦殆うからず。なのに、海軍兵学校にも鰤語教育を止めるよう政治家や市民団体から圧力をかけられてるらしくて・・・陸の人達は感情論ばかりで、現場のことを何もわかってない」

 鰤語と聞いてヤンと洋平は一瞬、魚の鰤が頭をパクパクさせながら喋るなんともシュールな光景を思い浮かべた。勿論魚の言語ではなく、ブリトン語の略のこと、自分たちの世界における英語や同盟語にあたるものだろう。

 それにしても敵国の言語を排斥しようとする運動があるとは・・・ヤンのもといた世界、自由惑星同盟においては敵性語を徹底的に排除しようという動きはなかったと思う。無論、敵対していた銀河帝国の言語である帝国語――この世界でのトメニア語、洋平の世界でのドイツ語にあたる――を敵国の言葉、専制主義を象徴する言語として忌避する空気や動きは存在していた。が、軍内部や教育現場等、様々な場面から徹底的に排除しようという動きまでは無かった。敵を知ることは重要だし、民主主義や自由の原則にも反する。将来、帝国を妥当し圧政下に置かれていた民衆を解放するときにも帝国語を使用できることは重要なはずだった。結局は逆に帝国が同盟に侵攻しこれを滅ぼしてしまったが。いずれにせよ、敵を知る上にも、自由や民主主義の原則から言っても重要関わらず敵国の言語を排斥しようとするというのは何とも呆れたことだった。

 「その敵性語というのは、政府の命令や法律で決まったことなのかい?」

 ヤンの質問に扶桑通信長の刈羽少佐が首を振った。

 「いいえ。いわゆる敵性語の排斥は、民間の人達が始めた自主規制なの。敵対している国の言葉を使うのは不適切だとか、不謹慎だとか。法的な根拠なんて全くないのよ。それなのに周囲の人間が何も考えずに同調して・・・」

 意外な答えであった。が、言われてみればヤンや洋平のいた世界でも、何か事件や事故が起きると類似した出来事が登場するアニメや番組の放送が中止や延期になったりしていた。その規制は国や自治体で定められたものではなく自主規制であり、基準も曖昧で「視聴者から抗議があったので」「現在放送するには相応しくないと判断し」とか、そんな感じだ。要するに市民のほうが勝手に煽り立て世論を醸成し、政府や軍の側が逆にその世論に流されようとしている、ということか。

 ヤンは思わず往時の自由惑星同盟を思い出した。トリューニヒトをはじめとする戦意や帝国への敵愾心を扇動する利己的な政治家達にマスコミ。約150年にもわたる戦争に倦むどころか更なる戦火を、戦果を求める市民達。民主主義国家であるはずの同盟で戦争の終結や和平を訴えられるような雰囲気は何処にも無く。ヤンがかつてイゼルローン要塞を無血占領した時、それは長期の戦争状態の終息、あるいは小康状態に向かうどころか、同盟市民あるいは世論は更なる戦果や勝利を求め政府もそれを安易に決定した。勝利はかくも容易なものでかくも甘美なものなのだと。そしてその後に続くのは帝国領侵攻作戦における大惨敗、その後に続くクーデターに敗北に次ぐ敗北、そして同盟そのもの崩壊・滅亡――衆愚政治と化した民主主義国家が辿った末路であった。

 もし、同盟の市民が理性的に物事考える力がわずかでもあったなら。あるいはもし政府や軍の側に冷静に判断する能力がわずかでもあったなら。その運命は僅かでも違ったものになったのだろうか。様々な要因はあろうが、相互に、安易に世論を醸成し扇動する市民や政府、衆愚政治と化した政治がもたらした結果でもあった。

 それと似たようなことがこの世界でも存在している、起きようとしていると、敵性語の話を聞いて考えるのは果たして安易なことだろうか。もしそうなのだとしたら世界は違っても結局人間は変わらないということなのだろうか。

 考え込むヤンを見て、寿子もため息をつく。

 「海軍に鰤語使わない縛りとか、息するなって言ってるに等しいですよねえ。お嫁に行くこと『マリる』とか普通に言っちゃってますし。まあ、私はそもそも海軍乙女が殿方と結婚するとかあり得ないと思ってますけどお」

 「渡辺の戯言はさておき、ああいう感情論ってのは理屈じゃねえからな」

 黙ってビーフシチューを口に運んでいた束が、ぽつりと呟いた。

 「最近は同盟国のはずのトメニア語やナパロニ語まで、鰤語だと勘違いされて不適切だって叩かれるらしい。そのうち、カタカナを全部禁止にしろって言い出すんじゃねえか」

 「あーあ・・・まあそういう世の中の流れなら、不便ですけど海軍も合わせないといけなくなるのかもしれませんねえ」

 最初は軽い口調で始めた寿子も肩を落として、場の空気が重くなりかけた時。

 「えいっ」

 密かに身を乗り出していた五十子が、卓上の粉砂糖を寿子のビーフシチューにふりかけていた。鮮やかな奇襲攻撃だった。なかなかの俊敏な動き。シェーンコップも思わず感心するかもしれない。

 「ちょ、ちょっと、何してるんですかあ長官! 今しがたテーブルマナーがどうとか言ってませんでしたっけえ!」

 慌てる寿子に五十子は首を傾げた。それからにこりと無邪気にほほ笑む。

 「ヤスちゃんがさっき話してたビーフシチューの伝来だけど、あれには余録があってね。ブリトン留学から帰ってきた東郷元帥が向こうで食べたビーフシチューを料理人に再現させようとしたんだけど、元帥の話を聞くだけじゃシチューがどんなものかよくわからなかったからとりあえずお砂糖とかお醤油とかでそれっぽく作ってみたら出来上がったのが肉じゃがなんだって。これ豆知識だよ」

 「いや、だからってこの場でシチューを肉じゃがに作り変えようとしないで下さいよお!」

 あっけにとられている同郷の3人に、五十子はいたずらっぽく笑ってみせる。

 「大丈夫! わたしが連合艦隊司令長官でいる限り、海軍で鰤語を使うのを禁止するなんてことはさせないよ」

 「良かった~」「さすがっ、あたし達の長官です!」「長官のご理解があれば心強いです」

 「さあ、温かいうちにシチュー食べちゃお! あ、洋平君もシチューにお砂糖かける? 本当に肉じゃがみたいな味になるよ?」

 「・・・い、いや、僕は遠慮しておくよ」

 「・・・入れるならできればブランデーにしてほしいんだけどなあ」

 「「・・・え?」」

 「いや、何でもない」

 よくよく考えれば何故かコース料理とは関係のない粉砂糖が卓上に置かれており、それを不審に思うべきだった。そして、どうせいれるなら砂糖ではなくブランデーを入れてほしいとどこかずれたことを考えてしまったヤンであった。

 その後、デザートの時間になり運ばれてきた五十子と同郷の少佐達の故郷の饅頭に、突然五十子が大量の氷水と粉砂糖を投入して謎の激甘スイーツを製造してふるまったり(当然ながらヤンや寿子らは拒否したが)、故郷の歌を皆で歌ったりと終始和やかな和気あいあいとした雰囲気で昼食会は進行し、そして終了した。

 昼食後もしばらく五十子達と歓談し、太陽が西の浮島・頭島に近付いた頃、内火艇で帰っていった。

 別れ際にタラップで目を潤ませながら何度もお礼を言う三人に、五十子は土産に饅頭を包んで持たせてやった。

 「ふう、楽しかった。なんだか昔の私たちを見てるみたいだったな。若いっていいね」

 内火艇が見えなくなるまで見送った五十子が、しみじみとそんなことを言う。

 ヤンと洋平は砂糖を取りすぎたせいか、さっきから頭が熱い。二人とも、五十子によって昼食に砂糖を混入させられたり、デザートに大量の粉砂糖をまぶした(というより包んだ)饅頭を食べさせられたからだ。グルメ漫画か何かでプロのバイオリニストは本番前に掌いっぱいの砂糖を飲み込むという話を読んだことがあるが、あの水饅頭で摂取した砂糖の量ならば、徹夜で絶叫系ライブだってできそうだ。

 「ちょっと長官、まだ未成年なのにそういうおばさん臭い発言はやめて下さいよお。・・・あれ、未来人さん、顔が赤くなってますけど大丈夫ですかあ?」

 寿子の心配する声が、気のせいかゆっくり聞こえる。糖分で思考が加速しているのか。

 束がふん、と鼻を鳴らした。

 「ふん、こいつらはどうせ、少佐クラスの幼女どもの裸を見られて興奮してるだけだろ。なんたって覗き魔変態スパイ野郎に覗き魔変態宇宙人だからな」

 なんとも不幸なことにヤンと洋平の称号がさらに不名誉なものになっていた。穀つぶし、とか給料泥棒、とかなら言われ慣れているのだが・・・

 砂糖の大量摂取で熱い頭をさまそうと思い、ヤンと洋平は少し風にあたってくると言ってその場を離れ左舷側の副砲のそばまで行った。

 「うわぁ・・・綺麗ですね」

 「・・・ああ。大昔の地球はこんなに美しい惑星だったんだねぇ」

 太陽が瀬戸内海の水平線と接触し、海面にその姿を映し出し、海面と空の両方にオレンジ色の光彩が絶妙で美しいグラデーションを生み出している。ありきたりだが、しかし幻想的な光景だった。そして人生の多くを宇宙で過ごし、惑星にあっても陸で過ごすことのほうが圧倒的に多かったヤンにとっては、こういった光景を生で目にする機会は非常に少なく、新鮮だった。見ていると気分が落ち着いてくる。宵の明星が輝き、島々や停泊している艦艇が陰影を描き、海鳥が穏やかに空を飛んでゆく。ヤンのいた宇宙歴の時代では地球は荒廃した忘れ去られた惑星であったが、往時は確かにこんなにも豊かな惑星だったのだ。歴史家志望であったヤンにとってこれほど大昔の時代にやってきてその光景を生で見ることが出来るということは幾ばくか心躍ることであった。一方でこの世界で世界を巻き込む大戦が勃発しており、しかも少女たちまでもが殺し合いをしているという事実に辟易し虚しさを感じる自分もいる。

 「・・・私は何故こんなところにいるんだろうな」

 思わずそんなんことを口にした。

 「え?」

 「いや、何でもないよ。ただ、余りにも大昔の時代に来てしまったことに実感が湧かなくてね」

 沈みゆく夕日を眺めながらヤンが呟く。

 「これが現実だということは頭では理解しているつもりだけど、あまりにも突然のことで普通じゃあり得ないことだから、じゃあなんでこんなところに来たんだろう、何をしにここへ来たのだろう、とふと考えてしまうのさ」

 かつて軍人として同盟軍最高の名将として大軍を率いて戦い、敵味方双方に数百万ものおびただしい流血を強いた英雄という名の虐殺者。大軍を率いて敵を撃破し、英雄だと歓呼の声で迎えられる度に彼は己の所業に辟易し、人殺しの立場から逃れたいと思っていた。果たしてこんなことをして何になるのか、何かを自分は成すことが出来るのだろうか、と。そうしているうちに自分に元に暗殺者が現れ自分は死んだ・・・と思ったら今度は大昔の異世界の地球に飛ばされていた。何の因果か、その世界でも大戦争が勃発しており、場合によっては自分も巻き込まれるかもしれないのだ。もし実際に神とか運命とかいうものが存在し、この世界がそれらの意思によって動いているとすれば、今度は世界は何をしようとしているのだろう。ヤンに何をさせようとしているのだろうか。この世界でもヤンは戦乱に巻き込まれざるを得ないのだろうか。ヤンはなぜここに来たのか、何をするべきなのか。

 「・・・」

 同様の思いを洋平も抱いていた。最初に打ちこそは本物の連合艦隊を目にし、体験することができ洋平の心は踊り、最高の気分だった。だが改めて落ち着いて考えればここは過去の世界、しかも異世界だ。本来なら二人とも存在するはずのない人間。ヤンと洋平をもとの世界に返したい、戦争に巻き込みたくないと五十子は言っていた。確かに、本来存在しない人間である洋平やヤンは部外者であり、この世界で国のために戦う義務はない。が、それでもこの時洋平は自問せざるを得なかった。自分は果たしてこれでいいのか。毎日を平穏に暮らし、そうやっていつか元の世界に戻れる方法が見つかるのを待つだけでいいのだろうか。

 ヤンは薄暗い空に浮かんできた星々を見つめた。

 ――大切なのは自分で決めること、誰かと空を見つめていても同じ星を見つめる必要はない。自らの星を、自分だけの星を見つけて、自分の道を進むべきなのだ――

 かつてヤンは息子のユリアンにそう教えたことがある。

 ならば、この世界でヤンが、そして洋平が見つけるべき自分の星とは何だろう。自分は何をしたいのだろう。何をすべきで、どういう道を進むべきなのだろう。

 星々はおぼろげに輝き、虚空に浮かぶだけで何も答えない。その星々の中には遠い将来ハイネセンや、オーディン、アスターテなどと名付けられる星も存在するのかもしれなかった。

 (やれやれ、我ながららしくもないことを考えるな)

 ヤンはおさまりの悪い黒髪をかきながら苦笑する。

 「・・・そろそろ戻ろうか」

 「・・・そうですね」

 太陽も完全に沈みあとは暗くなるだけの空を後にしてヤンと洋平は艦内に戻っていった。

 ちらりと夜空の星々をもう一度見る。彼らは何も答えずただ静かに輝くだけだ。

 進むべき星、見つけるべき星を二人はまだ持たず見つけていない。だがいずれは自分だけの星を見つけねばならないのかもしれない。たとえそれが凶星であったとしても・・・




次回予告(CV:屋良有作)

大和での夕食時、五十子に頼まれ作戦参謀黒島亀子のもとへ向かうヤンと洋平。亀子との対話で二人は彼女が画策する、あの運命の作戦の内容を知ることとなる。一方で寿子はヤンと洋平の今後の待遇について五十子と議論するのだった。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第8話「ミッドウェー作戦計画書」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第8話 ミッドウェー作戦計画書

 再び長官公室。

 夕食のためにヤンや洋平をはじめとする一同が再び集まっていた。

 食卓には昼食会に劣らぬ豪華な料理が並んでいた。昼とは打って変わって旅館のような和食が並んでいる。瀬戸内海らしく刺身に天ぷら、焼き魚など旨そうな海の幸が並んでいる。戦艦大和の食事は本当に豪華だ。何も知らずに乗り込めば、今日は何かの記念日なのかと勘違いするだろう。

 「黒島は今日も一日食事に出てこねえつもりか」

 束ねが不機嫌そうに指で食卓を叩いた。見れば本来黒島亀子がいるべき席が空席のままだ。昼前に夢遊病状態で自室に運ばれた亀子は夕食の時間になっても姿を見せようとしなかった。

 「ちなみに私達士官の食事代は、お給料から差し引かれてます。未来人さんの分は長官のおごりですから、長官に感謝して下さいね?」

 「ちょっとヤスちゃん! 困った時はお互い様だよ。気にしないで沢山食べてね、ヤンさん、洋平君」

 「ありがとう、恩に着るよ」

 お言葉に甘え、早速手に箸を持つヤンと洋平。

 早速ヤンは鯛の刺身に手をつけた。箸の使い方に苦労しつつも切り身に醤油とわさびをつけ口に運ぶ。鯛の旨味と醤油とわさびの独特の味わい、刺激が口内に広がる。ヤンにとって初めて味わう和食だったが高級士官の食事だけあって非常に美味なものだった。

 洋平もアジのたたきに箸をつけている。これをご飯に乗せ醤油をぶっかけて書き込むのが洋平の好みだったりする。醤油を探すと、卓上には相変わらず粉砂糖が置いてあった。普通に食事するなら明らかに不要なはずの調味料だ。洋平は恐怖の砂糖フラグを回避するため、醤油をとる際にさりげなく砂糖の容器を動かして、五十子の手の届かない場所に遠ざけることに成功した。

 「変態覗き魔宇宙人と覗き魔変態スパイ野郎のことはどうでもいいんだよ。みんな、黒島をちょっと甘やかし過ぎじゃねえのか」

 寿子が話題を変えても、束は怒りっぱなしだった。

 「僕の不名誉な称号が長くなってる気がするんですけど、それは・・・」

 洋平の抗議も耳に入っていない。

 「昼間はずっと眠ってる、飯の時間は守らねえ、脱ぎっぱなし散らかしっぱなし、挙句の果てには裸で艦内を徘徊。模範たるべき士官が規律乱してどうすんだ、下士官や兵に示しがつかねえんだよ」

 言っていることが参謀長というより口うるさい母親のようである。規律の順守について口をうるさくする様子にヤンは一瞬ムライ中将の姿を思い出した。性格はまるきり違うが調度どちらも参謀長という同じ役職だし、規律や秩序については口うるさいほうだった。案外気が合うかもしれない。

 それにしても今の束の言を聞いた限りでは、黒島は中々の生活無能力者のようだ。しかし作戦参謀という重要な役職に任じられているからにはそれなりに能力はあるのだろう。ヤンも人のことを言える立場ではないだろうが・・・

 「うーん・・・あ、わかった」

 ぷりっと肉厚な焼き牡蠣を前にきょろきょろと何かを探していた五十子が、急に頷く。一体何がわかったんだろうか。

 「束ちゃんが機嫌悪い理由。糖分足りてないんだね? 直ちに糖分補給の要ありと認む、だよ」

 その手にはいつの間にか、洋平が遠ざけておいたはずの砂糖の容器がしっかりと握られていた。いったいいつの間に手にしたのだろう?まるで見えなかったが・・・

 「あ、あたしは規律の話をだな・・・」

 さすがの束の怯んだ様子だった。寿子が無言で自分の御膳を安全圏に退避させている。ヤンと洋平もゆっくりと自分の御膳を移動させた。

 「そっかあ」

 五十子はシュガラーの布教をとりあえず諦めてくれたようだった。代わりに、自分の焼き牡蠣に砂糖をかけ始める。とんでもない組み合わせだ。漁師やシェフが見れば激怒することは間違いないだろう。片手にはラムネの瓶。食事開始と同時に「ぷっはー! やっぱり人生この時のために生きてるよねー!」とか言いながら1本飲み干していたので、今は恐らく2本目だ。こんなに大量の糖分を摂取していては、その内若いうちに糖尿病にかかってしまうのではないだろうか。

 「もぐもぐ、ごっくん・・・ねえ、束ちゃん。規律って、そんなに大事かな?」

 砂糖味の焼き牡蠣を満足そうに飲み込んでから、五十子はそんな軍人らしからぬことを言った。

 「確かに亀ちゃんは、他の子にできてることができてないのかもしれないけど。その代わり、亀ちゃんは誰も思い付かないようなユニークな作戦を考えてくれる。だから亀ちゃんは今のままで良いんじゃないかな」

 「いや良いわけねえだろ、海軍乙女としての規律以前に、常識的に考えて・・・」

 「束ちゃん、美鰤と葦原の間には圧倒的な国力差があるんだよ。常識的に考えたら絶対に勝てるわけない。それと戦おうっていうんだから、常識的じゃない子も組織に必要だってわたしは思うんだ。それに亀ちゃんは、たとえ中央が決めたことでも、間違っていることにはちゃんと反対してくれる子だよ。そういう子はとても大事だよ」

 「・・・そうかよ」

 束は口をへの字に曲げてそのまま黙り込んだ。やり取りを見守っていた寿子がヤンと洋平を見て肩をすくめた。彼女は前に「長官はああ見えて頑固なところがある」と伝えていた。なるほど、確かに五十子の表情は穏やかで束に対する口調も終始穏やかなものだった。しかし亀子への評価は決して曲げようとしなかった。

 そこへふっと寿子が思い出したように言った。

 「作戦といえば、そういえばこの間のセイロン沖海戦の戦闘では、未来人さんたちの知識のおかげでより大きな戦果を挙げることができました。確か、リヴェンジ級戦艦4隻を撃沈でしたね。長官、例の件考えていただけますよね?」

 寿子の顔には謎めいた笑みが浮かんでいる。

 一体何を考えているのだろう?

 ヤンと洋平は瞬間、部屋の空気が張り詰めるのを感じた。あるいは二人のほうが緊張したのかもしれない。

 五十子は寿子の問いかけには答えず、先ほどまでと変わらない様子で手を叩いた。

 「あっそうだ・・・ヤンさん、洋平君。悪いんだけど一つお願いがあるんだ」

 「えっと・・・何?」

 身構える洋平に五十子が頼んだのは拍子抜けする内容だった。

 「亀ちゃんのお部屋に夕食を届けてあげてほしいの。亀ちゃん、今日一日何も食べてないから夜中になってお腹が空いちゃうと思うんだ。そろそろ目を覚ましてると思うから」

 五十子はそう言って、手つかずのままの亀子の御膳を指さした。

 「長官!そんなのは従兵にやらせれば・・・」

 「そうですよお、何も未来人さんたちにやらせる必要は・・・」

 束と寿子が驚きと不満を露わにしたが、五十子の意向は変わらなかった。

 「今日、亀ちゃんだけがヤンさんと洋平君とお話しできてないでしょう。親睦を深めてほしいなって」

 寿子は納得いかない顔だったが、五十子の性格を心得ているからかそれ以上何も言わない。それに五十子の言うことも一理ある。亀子とは初めて出会って以来一度も言葉を交わしていない。司令部メンバーと関わりを持った以上、彼女とも話をしておいたほうがいいだろう。亀子の部屋の場所なら午前中の一件で大体分かる。

 「分かった、そうしよう」

 「うん、行ってくるよ」

 「ごめんね、洋平君」

 五十子の声と寿子の未練がましい視線を背に、ヤンと洋平は亀子の分の御膳を手に長官公室を出た。

 五十子が自分達を部屋から追い出して会話に参加させまいとした理由はなんとなく分かっている。

 ヤンと洋平を元の世界に返したい、戦争に巻き込みたくないと、五十子はそう言っていた。

 ヤンや洋平のような存在が戦時下の軍隊に見つかったら、普通ならこんな待遇はあり得ないだろう。自由を奪われ厳しい尋問を受けるか、亀子が最初に言っていたように変異種として解剖されるか。そうならなかったのは、ひとえに山本五十子のおかげだ。今の待遇に感謝こそすれ、不満を覚えるのはお門違いもいいところだ。

 洋平はこの世界の人間ではない。ヤンに至ってはこの惑星の人間ですらない。異世界の、旧世紀の地球の帝政葦原中津国である。当然ながら、この国の戸籍に源葉洋平、ヤン・ウェンリーという人間は載っていない。二人は完全なる部外者であり、この国のために戦う義務など無い。単なる歴史の傍観者で居続けても非難する者はいないのだ。

 それでも、洋平は自問せずにいられなかった。

 自分はこれでいいのだろうか。このまま客人として「大和ホテル」に泊まって、毎日食べて寝て、そうやっていつか元の世界に戻れる方法が見つかるのを待つだけで。

 部屋の外に立っていた従兵の少女が、はっとした顔で敬礼してくる。午前中に色々世話になった小堀一等水兵だ。残念ながら洋平は両手が塞がっているので敬礼できない。代わりにヤンが敬礼を返した。あまり様にはなっていなかったが。洋平も会釈をし、そのまま通り過ぎようとすると、まだ顔に幼さの残る少女は洋平に怯えつつも意を決したように話しかけてきた。

 「あのっ!・・・先任参謀のお食事でしたら、私が」

 「ありがとう。でも、これは僕が運ばないといけないんだ。山本長官に頼まれたからね」

 「しっ、失礼しました!」

 怖がらせてしまっただろうか。なるべく穏やかに話したつもりだったのだが。頭を掻きながらヤンが壁を見ると、ふと従兵の後ろの掲示板に貼られたポスターのようなものに気付く。艦内の注意書きか何かかと思って覗くと・・・。

 「『来たれ華道部、部員募集中!』『軍楽隊、体験入隊希望は岩田まで』『茶道は乙女のたしなみ、お茶会への参加いつでも歓迎します! 茶道部』?・・・これって」

 可愛らしいイラストがついた手書きのポスターの数々をよく読むと、どうやら葦原海軍には「別科」といって午後に一種の部活動が許されているらしい。艦の最下甲板には部室まであるようだ。その内容はいかにも女の子らしいものである。それにしても厳格な軍内部においてこのような活動が許されるとは、史実の連合艦隊とは違いなかなかの自由度の高さである。ヤン艦隊及び司令部メンバーのそれに勝るとも劣らないかもしれない。

 「あのっ、何か・・・」

 小堀一等水兵が困惑している。自分が凝視されていると思ったのか。

 「君は、どこか部活には入ってるのかい?」

 に質問されて、初めて背中のポスターのことだと気付いたらしい。顔を少し赤らめながら、

 「私は・・・華道部に」

 「へえ。ひょっとして食卓に活けてある花は、小堀さんが?」

 「・・・はい」

 小堀一等水兵は余計顔を赤くして、完全に俯いてしまう。

 「それにしても、軍艦の中に部活か。まるで学校だな」

 そう独りごちると、意外なことに反応があった。

 「以前は、柔道部と剣道部しかなかったそうです。・・・山本長官が着任されて、文化系の部の設立を認めて下さったんです」

 ずっとおどおどしていた小堀一等水兵は五十子のことを口にするときだけはどこか誇らしげだった。

 小堀一等水兵と別れてヤンと洋平は艦内廊下を進む。

 部員勧誘ポスター、昼下がりのブラスバンド、購買部に並ぶお菓子や化粧品、甲板で釣りや日向ぼっこをしてくつろぐ水兵達。今日経験した大和での日常がヤンと洋平の脳裏に浮かんでは消える。

 戦線から遠く離れた柱島泊地の穏やかな海と、少女達の学園のような緩い日常。

 史実の海軍はこれほど穏やかな組織ではなかったことをヤンと洋平は知っている。

 ひどいシゴキや体罰、陰惨ないじめが横行していたとも聞いている。しかしこの艦においてはとくにそういった負の空気は感じられない。乗組員の性別がみんな女だから? それだけでは足りない。他に考えられる原因は、ひとつしかない。山本五十子だ。

 時に頑固なまでの五十子の優しさと明るさが、この艦に限らず艦隊全てを包み込み、洋平の知る海軍とは異なるものに変えていた。五十子は階級に関係なく、大勢の海軍乙女ひとりひとりのことをちゃんと覚えて、気にかけていた。

 そして、五十子はヤンと洋平のことも気にかけてくれている。海上で救出された時から司令部で彼女に差し伸べられたその手を握った瞬間から。そしてこれからも彼女は二人を戦争から遠ざけようと身を挺して守ろうとするのだろう。彼女がこれまで、彼女の艦隊の日常を守ってきたように。

 しかし、本当に自分たちはこのままでいいのだろうか。

 この日常が、本来このようにあるべきこの日常があと少しすれば続かないことを、その先にあるのは慟哭の運命であることをヤンと洋平は知っているのに。知っているのに、このままじっとしているだけでいいのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 「さてと。ヤスちゃん、一局どうかな」

 源葉洋平とヤン・ウェンリーがいなくなった長官公室。私室から将棋盤を持って戻ってきた五十子に、戦務参謀の渡辺寿子は口を尖らせた。

 「長官、どうして人払いのようなことを? 未来人さんを、あくまで蚊帳の外に置くつもりですか」

 五十子は何も答えずに自分の陣地に駒を並べる。寿子はため息をつくと五十子と一緒に自分の陣に駒を並べ始めた。

 「・・・で、何の話だ?」

 束が苛立ちを含んだ声で寿子を促した。

 五十子の視線は盤上から動かぬままだ。

 「東洋艦隊の主力を補足できたのは未来人さんの予言を長官が採用されたが故です。今後も彼らの協力を仰いでその知見を作戦に活かすべきです」

 進言する寿子に束が割り込んだ。

 「待てよ、渡辺参謀。あいつの言葉にみんなの命を預けろっていうのか?結論の出すのが早すぎるぞ。それに協力を仰ぐってどういう意味だ?尋問するだけじゃねえのか?」

 「彼らに参謀として、連合艦隊司令部の一員になってもらいたいという意味ですよ」

 束は目を眇める。五十子はといえば、先手の寿子の飛車が五十子の歩を取っていくのを眺めているだけだ。

 「未来人さんたちがすごいのは、東洋艦隊の主力がどこへ逃げたのかをあてたことだけじゃないんです。二人に聞いてみたんですよ、今後の戦争はどうあるべきかと。そしたら二人ともブリトンと相手をするべきではない、今はヴィンランドを攻めるべきだと。そういう戦略的なことまで話してくださったんです。参謀長が内緒にしている子の大和の詳しい性能も未来人さんはご存じのようですしねえ」

 束が苦い顔をした。寿子は笑いながら続ける。

 「要するに私たちが欲しいのは、欲すべきなのはこの戦争が終わった後の、何十年何百年も経た世界で生まれ育ったという彼らの大局的な視点から戦争を俯瞰できる見識なんです。確かに彼らの持つ未来の知識も貴重なものですが、それ以上に彼らの未来人としての見識にこそ価値があるんです。それにヤンさんに至っては軍人だったというじゃないですか。間違いなく私たちにとって大きな戦力になりますよ」

 束がふんと鼻を鳴らした。

 「あの宇宙人が軍人?おいおい、あいつはどう見たって売れない学者か良くて下っ端の三等水兵にしか見えねえよ」

 多くの初対面の人間がヤンに抱く第一印象と同じ感想を述べる。

 「まあまあ。いずれにせよ、幸い未来人さん達は私達に対して好意的なようですし、洋平さんについていえば積極的に協力したいという意思も見受けられます。彼らの尊厳を奪うような尋問ののようなやり方ではなく、仲間として迎え入れ作戦に協力してもらうほうが得られるものは遥かに大木かと思います」

 「・・・驚いたな。お前がそこまで熱くなるとは」

 「この戦争を一日でも早く終わらせるためなら、私なんだってしちゃいますよ」

 「ん?・・・なら賭けようか、ヤスちゃん」

 相変わらず将棋盤を見たまま、五十子がうっすらと微笑む。

 「この対局でヤスちゃんが勝ったら、ヤスちゃんの言う通りにするよ。でも、もしわたしが勝ったらヤンさんと洋平君のことは・・・」

 寿子もまた微笑んで、五十子の誘いを断った。

 「えー、それは嫌ですよお。将棋で長官に勝てるはずないじゃないですかあ」

 「ふふっ、そうだね。・・・ヤスちゃん、王手」

 

 

 

 

 

 

 黒島亀子の部屋は、思いのほかあっさり見つかった。

 その個室の前だけ、お香のようなにおいが漂っていたのだ。

 気になって立ち止まった洋平は、ノブに「瞑想中! 亀子」と書かれたプレートがかかっているのに気付いた。

 「瞑想中・・・?」

 何度かノックをしてみるが反応はない。恐らくこのプレートはDon't disturbという意味なのだろう。

 扉の前に御膳を置いて引き返すことも考えたが、それだと恐らく、五十子の思いに反する。しばらく逡巡して二人はドアを開けた。

 扉を開けた瞬間、二人の嗅覚は部屋に充満する強烈なアロマテラピーのにおいで麻痺しそうになった。

 電気が消されて舷窓も閉められ、明かりといえるのは一本の蝋燭の炎だけ。それでも次第に目が慣れてくると、足の踏み場がほとんどない室内の惨状が見えてきた。いたるところに食べかけのお菓子や脱ぎかけの軍服、衣類が散乱している。一緒に書類や海図が床一面に散らばっている。ぶつからないよう注意しながら乱雑に積み上げられた書類に目を落とすと、「軍機」の朱印が押してあった。これでは束が起こるのも無理はない。ヤンの部屋に負けず劣らずの惨状だ。相当な生活無能力ぶりである。キャゼルヌやシェーンコップあたりが見れば「ヤン以上の生活無能力者がいるとはな。世界は広いものだ」とか「やれやれ、こいつがヤンの家族の一員でなくてよかった、でなきゃユリアンが過労死してしまう」などと言いそうだった。

 部屋の主は、五十子の見立て通り起きていた。幸いもう全裸ではなく、パジャマ姿だ。多分、五十子と小堀一等水兵が着せてあげたのだろう。

 「勝手に入ってごめん。五十子さんに言われて食事を運んできたんだ」

 洋平が声をかけても、亀子は反応しない。お香がもうもうと焚かれ機密書類が散乱する部屋の真ん中で、ちゃぶ台に向かって一心不乱に筆を動かしている。

 邪魔にならないようちゃぶ台の端に御膳を置きながら、洋平は念のためもう一度声をかけた。

 「長官公室で皆夕食をとっているけど・・・君は行かなくていいのかい?」

 数秒の後、今度は応えがあった。

 「・・・雑音を聞きたくない」

 一瞬、二人は自分のことを言われているのかと思った。だが違ったようだ。

 「将棋は一手でも無駄に指した方が負ける。敵の王将そっちのけで他の駒を取って喜ぶのは、幼い子どもの指す将棋。・・・山本長官から、そう教わった」

 亀子の告げた二の句に、洋平は動きを止めた。何故今、将棋の話を?

 「王将は、ハワイのヴィンランド太平洋艦隊。軍令部の人達は優先順位が理解できない。頭が幼児レベル、可哀想。そんな軍令部の立てた目標をやらされる、山本長官が一番可哀想」

 相変わらずの聞き取りにくいぶつ切りの口調だったが、戦争に対する彼女なりの感想を述べいるのだとすぐに分かった。

 親睦を深められたか否かに関してはおいて置くとして作戦参謀の部屋に食事を届け会話をせよという五十子のミッションは達成できたわけだ。問題はこれからどうするか。少女の部屋のため長居するわけには行かないが今すぐ長官公室に戻るというわけにもいくまい。女しかいない艦内で男が二人だけでうろうろしていれば不審者扱いされ面倒なことになる。もうしばらく彼女に付き合うことにしようか。二人はそう決めた。

 「・・・そこに立ってられると、危ないから」

 筆を持つ手が止まっている。今度こそ邪魔だから出て行けと言われているのだろうか?

 「だから書類を動かさなければ、座っても良い。動かされると、何がどこにあるかわからなくなる」

 振り返ると、亀子は毛先を硯の墨汁で濡らし、再び筆を動かしていた。さっきのは、ただ筆が乾いただけだったらしい。亀子の左手が、下の座布団をつつく。大きな座布団はよく見るとウミガメをかたどったクッションで、小柄な亀子のお尻をのせてもなお左側が半分以上余っていた。

 「そのぬいぐるみに座れってことかい?」

 「誕生日に、山本長官がくれた。ふかふか。座ると作戦が捗る」

 「いやはや、そいつは恐れ多いね」

 ものぐさなヤンとはいえ、他人の大切な物の上に躊躇なく座れるほど無頓着ではなかった。

 二人は適当に機密書類の山に気をつけながら、座れそうな隙間を見つけ腰を下ろした。ヤンは胡坐をかいて、洋平は体育座りで、である。

 亀子が意外そうに洋平を見た。

 「・・・胡座」

 「えっ何?」 

 「胡座、かかないの」

 「ああ、胡坐。かかないんじゃなくて、かけないんだよ。僕の家は床が全部フローリングでさ、畳の部屋が無かったから胡座かく機会が無くて。あれって小さい頃にやっとかないと関節が硬くなって無理なんだって。現代人には珍しくないよ、最近はお座敷の店も掘り炬燵が無いと若者が入らないっていうし・・・あ、ごめん、未来の話で」

 「海を泳げるのに、ヒトより退化した部分もある・・・意外。そっちの宇宙人とは大違い」 

 「ヒトより、って、僕をまだ海底人だとか思ってないよね」

 「帰りたくないの? 長い深海の生活で身体が退化して、胡坐のかけなくなった種族の棲む国へ」

 「どうしてそこだけ退化するんだよ! あのさあ、胡坐がかけないのは別に退化とかじゃなく生活様式が西洋風になったからで、僕と同年代でもまだ胡坐かける人はいるよ! 帰りたくないかって、そりゃ勿論、帰りたいに決まって・・・」

 帰りたいに決まっている、と最後まで言おうとして洋平は途中で口を閉ざしてしまった。首をかしげ内心戸惑っているように見える洋平を見てヤンはその内心を察した。

 帰りたい、か。確かにその思いは二人とも同じだ。洋平は洋平で地球の日本という国に家族や友人を残しているだろうし、ヤンもできることなら早く帰還方法を見つけユリアンやフレデリカ、シェーンコップ達に無事を伝えたい。だがその一方で、この世界で目覚めてから、あり得ない超常現象にパニックになることも、元の世界に帰れないかもしれない恐怖で泣き喚くこともなかった。そんなことよりも、知的好奇心を満たすことにずっと夢中だった自分も確かに存在したのだ。生の連合艦隊を、古代地球の世界をこの目で直接見ることができ、海軍マニアの洋平と歴史家志望であったヤンにとっては夢のような時間でもあったのだ。

 洋平が口を開いた。

 「・・・タイムスリップ物でさ、たまに元の世界に帰りたがる描写が一切無い登場人物がいるよね。最近読んだ小説で、主人公は目が覚めたら昔の戦場にタイムスリップしてるんだけど、難しいことは一切考えずにすっごく軽いノリで戦いに参加してて。そういうの読むたびに、不自然だろって突っ込んでたんだよ。元の世界に家族や友人だっているはずだし、ちょっとくらい悩むのが自然なんじゃないのって。でもこうして実際に同じ目に遭うと、意外とそうはならないもんだね」

 亀子は無言で筆を走らせている。ヤンも微かに笑いながら口を開いた。

 「私も似たようなことを考えていたよ。実というと私は昔歴史家志望でね。でもお金がなくて仕方なく軍人になったんだけど、正直言って今でもその夢を捨て切れていないんだ。この場所にいれば、何百年、何千年も昔の歴史を直接この目で見ることができる。正直とても新鮮で面白い。もしかすると、今はまだここにいたいのかもしれない。まだ帰りたくないのかもしれない」

 「・・・小説といえば。私はジュリー・ヴェルヌの『海底二万里』が好き。知ってる?」

 唐突に亀子がそう訊ねてきた。ヤンと洋平の話を一応聞いていてくれたようだ。

 「知ってるよ、子どもの頃にあれの映画版を観させられてさ、ノーチラス号が巨大なタコに襲われるシーンが怖くて泣いたなあ」

 「旧世紀の地球の小説のことかい?私も子供のころに映画をソリビジョンで見た記憶があるよ。もちろん小説も見た。往時の地球の歴史を知ることもできるSF小説だね」

 「・・・映画版?」

 「あ、ごめん今はまだ無いのか。原作もちゃんと読んだよ」

 「読んだことがあるなら、話が早い。ノーチラス号に乗艦してからの、主人公の感情の移り変わりを思い出して」

 亀子の謎の要求に、洋平は首をひねりながらも回想を試みる。読んだといっても小学校の課題図書なのでうろ覚えだが。

 確か、主人公達は国籍不明の潜水艦ノーチラス号の捕虜になって、ネモ船長から死ぬまで外界には戻れないと言われたが、主人公は序盤からストックホルム症候群全開でネモ船長と仲良くなり、職業が海洋生物学者ということもあってノーチラス号の海底旅行を素直に楽しんでいた。しかし、時が経つにつれて艦を降りたいと思うようになり・・・ああ、そうか。

 「わかった。僕も『海底二万里』の主人公と同じで、今は目先の興味で頭がいっぱいだけど、時間が経つとホームシックになるって言いたいの?」

 だが妙だ。ホームシックを説明したいなら、わざわざSF小説を持ち出さずとも直接そういえばいいだろうに。

 「ホームシックだけじゃない。『海底二万里』の主人公はネモ船長のしていることに耐えられなくなって、艦を降りたくなった。ネモ船長がノーチラス号を使ってやっていたのは、列強の艦船に対する無制限潜水艦作戦。まだ潜水艦の無い時代に、無抵抗の艦船を一方的に沈める大量殺戮行為」

 そういえば確かにそういう設定もあったような気がする。見方を変えればそういう見方をすることもできるだろう。だがそのことと今の状況にどのような関係があるのだろうか。大量殺戮行為、戦争、海軍乙女・・・様々なキーワードを思い浮かべ考えるうちにヤンははっとしたもしや・・・

 「・・・彼女が、五十子がネモ船長のように私たちに嫌われると考えているのかい?」

 亀子は頷いた。

 「そう。山本長官は、自分がネモ船長のようにあなたから嫌われると思っている様子だった」

 亀子はそれまでと全く変わらぬ様子で淡々と語り続ける。

 「無論この比較は不適切。山本長官に私達、交戦する美鰤の海軍乙女達も皆、国の命令に従い、国を守るため戦う正規の軍人。一方のネモ船長は、己の意思以外の何物にも束縛されないいわばテロリスト。戦いの質が異なる。それでも山本長官は、『ヤンさんと洋平君は、わたしのことを許さないと思う』と」

 その言葉を聞き、洋平が思わず立ち上がった。ちゃぶ台の周りの書類が少し崩れる。

 「そんな・・・僕は、それにヤンさんだって五十子さんを嫌いになったりしないよ!」

 ヤンは思わずベレー帽を手に取り握りしめた。

 ヤンを、洋平を戦争に巻き込みたくない、元の世界に返してあげたい。五十子はそう言ってくれた。

 しかし彼女はこうも言っていた。「私と一緒とか、嫌だよね?」と。

 何も知らない人が聞けば、この人は謙虚なのだ、ぐらいにしか受け取らないであろう。だがあの言葉の裏には重く、辛い理由があったのだ。その思いを想像するだけで、辛い、悲しすぎる。

 彼女は己と同様自分を虐殺者としてみているのだ。戦争という名のもと敵も味方も無数の命を死に追いやる重罪人として。それ故にそんな悲壮な思いを胸に二人に接し、部下達にも明るく振舞っている。当然ながらヤンは五十子のことを嫌ってなどいないし軽蔑などしていない。彼女はあくまで一軍人として、国家公務員の一員として、その職務を全うしているだけだ。それどころか、ヤンは世知辛さや憤りを感じていた。これほど聡明で、懸命に生きる彼女が、少女達がなぜ海軍乙女として殺し合いをしなければならないのかと。自分だけの道を見つけ、未来へ進む権利を持つはずの彼女達がなぜ、海に入れるからという理由だけで戦争を、殺し合いをしなければならないのか?そして、戦争をさせる政府や大人ではなく、何故一人の少女がそんな悲しい思いを抱かねばならないのか?いくらなんでも理不尽すぎる。・・・本来、虐殺者と、犯罪者と罵られるべきはヤン・ウェンリー自身であるはずなのに。・・・自分はこのままで良いのだろうか?

 「どこへ行く気? 長官室から人払いされて、ここへ来たのに」

 衝動的に扉に向かおうとする洋平の背中に、亀子の冷ややかな声が突き刺さった。どうして彼女は、洋平が話していないことまでわかるのか。

 「・・・できた。これで完成」

 振り返ると亀子は、筆を置いたところだった。洋平が崩した書類の山をもそもそと直し、ゆらりと立ち上がる。

 襟がはだけて、全く日焼けしていない白い肌がのぞく。

 彼女がパジャマの下に何も着ていないことに、今更ながら気付いた。

 「源葉洋平。あなたは今すぐ元の世界に戻りたいとは思っていない。理由はこの世界が面白いから、だけじゃない。あなたは、山本長官の力になりたいと思っている。山本長官があなたを戦争から遠ざけていることも、不満に思っている。それはヤン・ウェンリー、あなたも同じ。あなたもこのままでいいのか迷っている。このまま傍観しているだけでいいのか、介入すべきではないかとどこかで考えている」

 「・・・」

 自分の中でもやもやしていた感情を他人に言い当てられるのは、不思議な気分だった。

 「私に協力して。そうすれば、あなたの望みもかなう。いや、協力すべき。あなたたちは山本長官に恩がある。特にヤン・ウェンリー、あなたには。返しても返しきれない恩がある」

 「?どういうことだい」

 「山本長官はあなたにとって命の恩人だから」

 亀子は表情一つ変えることなく、ただ淡々と事実を述べる。

 「・・・あなたたちが海上を漂流しているところを発見されたとき、源葉洋平はともかく、あなたはとても危険な状態だった。左大腿部の銃創からの大量出血ですぐにショック死してもおかしくない状況だった。すぐに応急処置が必要だった。そんな状態のあなたを山本長官が海から引き揚げて人工呼吸をして止血帯を巻いて応急処置をした」

 執筆が終わった原稿をめくりながら亀子は淡々と続ける。ヤンも洋平も彼女の口から延べられる新たな事実に耳を傾けていた。

 「すぐに手術と輸血が必要な状況だった。この大和は最新鋭の戦艦、医療設備も充実している。治療自体は簡単だった。でも問題が一つだけあった。それは血の量。あなたは大量出血で輸血が必要だった。それも大量の輸血が。でもストックが足りなかった。あなたにできる輸血のための血液のストックが。それがなければ応急処置ができない。手術をしても無駄になる。あなたの銃創からの出血があまりにもひどくて、このままでは輸血をしても不十分になり、結局治療が無駄になって死に至ると思われた。助かるにはせめてあともう一人血液の提供者が必要だった。そんな時、山本長官があなたに手を差し伸べた。丁度あなたと血液型が同じだった。周囲の反対を押し切って、山本長官は一切躊躇することなくあなたに輸血のための血液を提供することを申し出た。大量の献血をして、山本長官はしばらく数日間の間体調を崩して寝込んだ。・・・そしてあなたは何とか一命をとりとめた。もしあの時誰も献血を申し出なければあなたは今頃、墓石の下か水葬にされていた。今あなたが生きているのは山本長官のおかげ。あなたの体には山本長官の血が流れている」

 「・・・衣食住を無償で提供してくれただけでなく命まで提供してくれたというわけか。なるほど、確かにこいつは返しても返しきれない恩だね」

 ヤンはかつて暗殺者にブラスターで打ち抜かれた自分の左足をさすった。無頓着でものぐさな性格のヤンではあったが、命を救ってくれたことへの恩を忘れるほど、そしてそれに報いることを忘れるような性格ではなかった。

 五十子は見ず知らずの自分の命を躊躇することなく助けてくれた。そして衣食住を無償で提供し、一切の見返りを求めずにいる。それどころか、自分達を戦争から遠ざけようと、元の世界へ返したいとも思っている。それなのに彼女は裏で悲壮な思いを持って自分に接している。己を虐殺者ととらえ関わらせまいとしている。なんて悲しいことなのだろう。なんと辛いことなのだろう。

 暗い室内で、蝋燭の炎を反射して亀子の目が妖しく光る。

 ヤンと洋平はその目に、ぞくりとする何かを感じた。

 「・・・それで、私に何をしろというんだい?言っておくけど解剖ならお断りだよ」

 そこには、さっきまで亀子が熱心に執筆していた原稿が紐で綴じられ、一冊のファイルにまとめられていた。赤い表紙はめくってあり、1ページ目が読めるようになっている。ヤンと洋平はそこに目を凝らす。

「・・・ミッドウェー作戦ニ於ケル各部隊ノ行動要領。海軍航空部隊ハ上陸数日前ヨリ、ミッドウェー諸島ヲ攻撃制圧ス。海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援援護スルト共ニ、反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス。兵力配備ハ別紙一ノ通リ・・・これって、まさか!」

 表紙を手にとって、表に戻してみる。

 

 『ミッドウェー作戦計画書 連合艦隊司令部』。

 

 血で染めたように赤い表紙に、亀子の筆ではっきりとそう記されていた。

 セイロン沖海戦が史実通りに起こった時点で、当然に予測できていたことだ。

 ヤンと洋平は目を見合わせた。

 なんということだ。こんなにも早く、もうここまで、ここまで来てしまうのか。

 もし運命や宿命とやらが存在するとすれば、その横顔は間違いなく醜悪な魔女のそれであるはずだ。

 「これが私の考えた、第二段作戦」

 「第二段作戦・・・?」

 「そう。第一段作戦の目標だった南方資源地帯の確保は概ね完了した。開戦前に陸海軍で打ち合わせて決められたのはここまで。ここから先は白紙だから」

 亀子は、洋平の背後の壁に貼られた世界地図を指差した。

「軍令部は、今後ヴィンランドが豪州を拠点に島伝いで北上、葦原に攻め上ってくると思い込んでいる。それを前提に戦力を南方に集中させ、ヴィンランドと豪州の海上交通を遮断、併せて南方資源地帯の支配を盤石にして、長期不敗体制を確立したいと言っている。『自分達が南方に注力したいから、敵も南方から攻めてきて欲しい。きっと攻めてきてくれるはず』軍令部はそういう自己本位な人達の集まり。可哀想。ヴィンランドは、そんな迂遠なことはしない。遠い南方に私達が主力を送っている間に、遮るものが無い中部太平洋を真っ直ぐ西進して、手薄の本土を直接攻撃してくる」

 亀子は太平洋のハワイに置いた人差し指をぐいっと左の葦原に動かした。洋平は小さく息を呑む。

 「そもそも、ヴィンランドの国力は葦原の十倍。戦いが長期化するほど、資源や工業生産力の差が出る。それを相手に『長期不敗体制』とか言って持久戦を考えている軍令部は、本当に頭が可哀想」

 亀子は、人差し指を再びハワイに突き立てる。

 「短期決戦、早期講和。それが山本長官の願い。これをかなえるには、ハワイ攻略しかない。ハワイはヴィンランド海軍の本拠地。ヴィンランド中から海軍乙女の適性のある少女が集められている。ここを陥落させて彼女達を捕虜にすれば、ヴィンランドは海上における継戦能力を失って講和に応じるしかなくなる。この戦争を、終わりにできる」

 それはヤンと洋平が寿子に語った独自の戦略構想とほぼ一緒だった。

 かつて帝国と同盟が際限のない争いを繰り広げていたころ、彼らにとっての最重要の戦略要素は帝国と同盟を結ぶ狭い回廊に位置する帝国軍が誇る無敵の要塞イゼルローンであった。その要塞を同盟が攻略し回廊を確保できればそれは同盟にとって大いに有利にし、そして帝国にとって大いに不利なことになるはずだった。なにしろ同盟は帝国への侵入経路を手に入れ帝国に対し圧力をかけ、逆に帝国は同盟を押さえつける蓋を失うことになるのだから。うまくいけば和平に、そうはならなくても戦勝は小康状態を迎えるだろう。上層部とヤンはそのように考えイゼルローン要塞攻略に向かったのだ。結局作戦は成功したが、戦争の終結には至らなかったが。

 そして亀子達はハワイをイゼルローン要塞のような最重要の戦略要素と見ている。一度でも攻略すれば戦争の趨勢をひっくり返すことが可能な切り札として。そのための第一歩としての作戦が、このミッドウェー作戦。ハワイを攻略することで彼女達は戦争をできる限り早期に終わらせることを目標にしている。

 「ハワイ攻略の妨げになるのが、真珠湾攻撃で討ち漏らした空母。そこで、まず空母をおびき出して撃滅する。そのために罠を仕掛ける。・・・ここ、ミッドウェーに」

 ハワイ・オアフ島の北西約1000浬に位置する、ゴマ粒のような島。

 地図上でそこだけ、鉛筆で矢印や数字が何度も書き込まれた跡があった。

 彼女にしては珍しく長く話して疲れたのか、そこまで言って亀子は黙る。

 ヤンと洋平は作戦計画書と地図を見つめて硬直していた。この艦で幾度となく感じた悪寒の正体がようやく分かった。史実を知っているが故の悪寒だった。

 亀子の情勢認識は正しい。戦略も決して間違っておらず理にかなっていると考えることもできる。確かに彼女は五十子が一目置くだけの頭脳の持ち主であった。

 だが二人は知っているのだ。この戦いが歴史のターニングポイントになることを。この戦いが惨敗で終わることを。そしてその先に待ち受ける悲惨で過酷で残酷な運命を。

 「・・・それで、協力って僕達は一体何をすればいいの」

 「私と三人で、帝都に行く。そこで、あなたたちが未来から来た人間であることを海軍中央に喧伝する」

 そんなことをして何の意味があるのか。その疑問に答えるように、亀子は言葉を継いだ。

 「私の作戦は完璧。絶対に成功させる自信がある。けれど、作戦の決定権は軍令部にあって、私達の意見具申は却下されてばかり。この計画を持っていってもどうせ、『連合艦隊司令部は実戦指揮だけしていればいい。軍令部の専権事項に口を出すな』と言われるのが目に見えている。このままでは軍令部の立てた目標に従わされ、やる意味の無い美豪分断作戦をやらされる」

 ヤンと洋平は亀子が自分に何をさせよつ押しているのか見えてきた。

 「ミッドウェー作戦を軍令部に認めさせるために、あなたたちの存在を利用させてもらう。未来から来たあなたたちが、必ず成功すると保証してくれれば、軍令部もこれまでのようには却下できない」

 ヤンはため息をついた。失敗するとわかっている作戦にお墨付きを与えよというのだ。皮肉というべきか、喜劇というべきか。

 ヤンは黒髪をかきながら口を開いた。

 「うーん、私達が未来から来たことを宣伝するのはいいが、はたして軍令部の人達は信じるかな?多分素直に信じてはくれないと思うけどなあ」

 「光線銃がある。それを彼女達の目の前で発射すればいい。彼女達は間違いなく驚く。それにいくつか予言をすればいい。短期間で証明出来て、なおかつ未来人でなければ知りえないことを。予言をあてて、さらに実物を見せれば嫌でも彼女達はあなたたちが未来人だと信じる」

 「いや、無理だよ! 僕は海戦にちょっと詳しいだけで、歴史博士じゃないんだから。4月のセイロン沖海戦はもう終わっちゃったから、5月の珊瑚海海戦までの間は知ってることは特に何も・・・ていうかこの話、五十子さんは了承してくれるの?」

 「山本長官には内緒で、あなたを大和から降ろす。長官の筆跡を真似た命令書も用意してある。それで飛行艇を用意して、密かに横浜航空隊まで飛んで、帝都に入る」

 「・・・それはまずいんじゃないかい?命令の偽造なんて明らかに法律違反だし五十子を裏切ることには・・・」

 ヤンの言葉を遮るように、子供っぽいパジャマ姿の亀子が二人の前に一歩踏み出す。彼女の体と密着する。なんだか頭がくらくらして体が熱く感じるのは、昼間に砂糖を取りすぎたからなのだろうか、それとも室内に充満したお香のせいなのだろうか。できればそうだと信じたいが・・・

 「問題ない。大丈夫。作戦計画が無事に通りさえすれば、長官は喜んでくれるはず。それがあなたたちの望みでもあり私の望みでもある」

 亀子に押され、二人は思わず倒れそうになる。

 「・・・ちなみにもし断ったら?」

 「・・・海底人、および宇宙人として解剖する」

 まだ海底人扱い、宇宙人扱いをしていた。解剖もあきらめていなかった。なんという恐ろしい少女だ。

 シュルシュル、プチプチ、という音がするので見てみるとなんと亀子がヤンのスカーフをほどいたり洋平のシャツのボタンをはずしたりして二人の胸元を開こうとしていた。

 「!?何をしているんだい!?」

 「・・・おかしい。鱗がない」

 「あるわけないじゃないか!」

 「・・・ぺろ。しょっぱい。海水の味」

 「それは汗だから!汗はだれでもしょっぱいから!そもそも人の汗を平気でなめるなんてどういう性癖の・・・」

 「だったら確かめてみる?」

 「え?」

 「比較実験。私のもなめてみるといい」

 そう言って亀子は自らのシャツのボタンをはずしにかかった。

 「うわあ、待って!止めるんだ!止めなさい!ユリアンやフレデリカが見たらなんと言うか・・・」

 たじろぐヤンだったが、亀子は指を動かすのをやめない。やがて胸がはだけ未成熟な、しかし見る人が見れば興奮を覚える未成熟な膨らみが露に・・・

 「そこまでですよお、黒島参謀!」

 ばあんと扉が開け放たれ、床の書類が舞い上がった。流れ込んできた外気がお香を薄めてくれる。

 「話はばっちり聞かせてもらいましたよお。未来人さんの帰りが遅いと思ったら・・・抜け駆けは許しません!」

 明るい黄色のカチューシャが特徴的なふわふわした声の少女。寿子だった。

 その後ろでは、竹串を咥えた束が腕組みをしてこちらを睨みつけている。その後ろには五十子の姿も。俯いていて、表情は見えない。

 「長官・・・! その、今のは、その」

 亀子は動揺していた。普段の態度からは考えられないことだ。五十子達に聞かれたことがよほどショックだったのだろう。

 「危ないところでしたねえ、未来人さん。知っていますかあ?竜宮城のおとぎ話の教訓は、漁師は怪しいカメさんについて行くべきではなかったということなんですよお」

 「いや、そんな人さらい注意みたいな解釈じゃないと思うけど」

 「大和の艦内を歩かせるのでさえ危なっかしい黒島参謀と三人で帝都に行ったりしたら、途中で黒島参謀は寝落ちして未来人さんは迷子、挙げ句の果てに怖~い憲兵隊や特高警察に捕まって拷問されていたかもしれないってことですよ! 陸にはそういうリスクがあるんです。ですから私は、この大和で未来人さんを参謀にして作戦を手伝ってもらおうって言ってるんですよ」

 寿子の発言に亀子は表情を険しくした。

 「渡辺参謀、私の作戦立案に不足があるとでも? 黒島亀子の作戦は、いつだって完璧。未来の情報は必要無い。欲しいのは、未来人という存在がもたらす政治的な効果!」 

 「そうやって外からの情報を受け付けずに引きこもって一人で作戦を立ててると、いつか足元をすくわれますよお」

 二人の間に、割って入ったのは束だった。

 「ややこしい話はさておきだな。黒島、てめえ命令書を偽造するとか言ってたよな。海軍刑法第32条違反だぞ。大体、書類の片付け一つ満足にできねえ分際で書類を偽造するなんざ、とんだお笑いなんだよ。なんだこの汚部屋は! 掃除しろ掃除!」

 「参謀長、怒るポイントずれてますよお」

 それまでずっと黙っていた五十子が咳払いをした。

 「・・・ねえ、みんな。ちょっとヤンさんと洋平君と三人だけにしてくれないかな」

 寿子がまた何か言いたそうな顔になったが、束がそれを手で制し、頷いた。

 「ありがとう束ちゃん。・・・行こう、二人とも」

 五十子に連れられヤンと洋平は部屋を出た。亀子は今にも泣きだしそうな目でこちらを見て立ち尽くしているが、ヤンと洋平には彼女にかけるべき言葉や行動が見つからなかった。亀子に会釈だけして二人は部屋を出ようとした。

 「長官」

 そのまま通路を歩きだそうとした三人を、束が呼び止めた。

 「そいつらをどうするか、早く決めてくれ。こいつら馬鹿どもが何でこんなに思い詰めているか、長官だって分かってるだろ?」

 「・・・うん」

 五十子は振り返り、束を、寿子を、亀子を、そしてヤンと洋平を見た。

 「ごめんね、みんな。ヤンさんと洋平君の気持ちを確かめたいの。後少しだけ、時間をちょうだい」

 最後に亀子に向けて微笑んだ。いつも通りの暖かい笑顔だ。亀子が膝をついて震える両手で顔を覆った。

 汚部屋の整理整頓を始めた束達を後にして、三人は最上甲板へと向かっていった。

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

亀子とのひと悶着の後、星空の下で五十子はヤンと洋平に自らの思いを明かす。軍人としての葛藤や苦しみ、二人を巻き込みたくないという五十子の思いに、ヤンは、洋平はどう応えるのか。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第9話「星空の下、それぞれの未来」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第9話 星空の下、それぞれの未来

 三人でラッタルを上り最上甲板に出る。

 真っ黒い、夜の海が打ち寄せる波の音があたりに響いている。

 夜空には星々が輝いている。

 周囲の島々には人家もあるはずだが、戦時中の灯火管制のためか明かりは全く見えない。

 

 「見て、二人とも」

 

 暗い中、ヤンと洋平の前に立つ五十子が夜空を指さした。

 見上げた夜空には、無数の星々が散りばめられている。東には月が出ている。左半分だけ明るい下弦の月だ。下界の灯火管制と半分だけの月によって、夜空には満天の星空が広がり絶景を生み出していた。かつてヤンは、この星々の大海の中を征き、多くの戦火を交えてきたのだ。

 洋平が夜空を指差しながらつぶやく。

 

 「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」

 「えっ、洋平君すごい!どれが?」

 「・・・いや、知らない。ちょっと言ってみたかっただけ」

 

 星空に見惚れる二人に、五十子は近づいて頭を下げた。

 

 「今日はごめんね、ヤンさん、洋平君。私がしっかりしてないせいで。・・・亀ちゃんも、ヤスちゃんも、とても純粋で良い子だよ。勿論、束ちゃんも」

 「出会ってからの二日間で彼女は何度二人に謝ったことか。なぜ、それほどまでに謝罪を口にするのか。

 「・・・五十子、さっきの話のこと、詳しく聞かせてもらえないかな。寿子が言っていた、私達を参謀にして作戦を手伝わせるっていう・・・」

 

 あの時、寿子は確かに言っていた。自分達を参謀にして作戦を手伝わせると。やはり、彼女たちも軍人である以上未来人である自分達の知識や見識は垂涎の的なのだ。それは五十子にとっても同じことのはずだ。そして、その気になれば彼女達には、五十子にはその権限がある。だが五十子は二人を戦争にかかわらせまいとした。できることなら元の世界に返したいと。

 

 「確かに魅力的だよ、二人の情報と見識は。私達、軍人にとってはね」

 「・・・」

 「けどね、よく考えて。もし、私達に協力したら君達は未来からのお客さんじゃいられなくなる。この戦争に、私達と一緒に責任を負うことになるんだよ?」

 

 そこまで言って、五十子は少しの間沈黙し首を横に振った。

 

 「・・・ううん、『私達』じゃない。この戦争を始めたのは、この私なの。先輩や友達と戦争を防ぐって約束したのに、それを裏切って私が始めたんだ」

 目が次第に暗闇になれ視界が開けてくる。

 

 浮かび上がってきた五十子の表情は笑顔だったが、普段部下たちに見せる生気溌剌としたとしたものではなく、どこかやつれた、悲しそうなものだった。輝いていた瞳は、いまは星明り一つさえ映していない。

 

 「・・・大勢の命を奪った。敵も味方も、数えきれないくらい・・・みんな全部、私のせい。・・・ヤンさんや洋平君のいた未来の世界の『山本五十六』はどんな風に言われてきた?きっと、みんなから恨まれていたんじゃないかな」

 

 洋平はぎりっと歯を軋ませた。五十子なら、そういう風に考えてもおかしくはない。洋平の僅かな持ち物から、洋平の世界についてあれだけの洞察をしてみせた五十子なら、想像することは容易かっただろう。国のために戦った行為が、過ちとして子孫に糾弾される未来を。

 ヤンは理解した。彼女は自分と同じだ。数多の戦場で敵味方問わず無数の命を奪った、英雄という名の虐殺者。彼女が己の指揮によって戦果を挙げ英雄としての名声を上げるその度、裏では多くの命がこの海に散っている。彼女はその業に、罪に苦しみ、耐えようとしている。そしてそれを一人で背負おうとしている。誰にも咎は背負ませまいとして。

 それはヤンにとって憤るべきことであった。何故、このか弱い少女一人が全ての責任を背負わねばならないのか。彼女にそう思わせたのは一体何なのか、誰なのか。本来、未来と運命と機会とに恵まれているはずの少女達が殺し合いをし、一人の少女が己の罪を一人で背負おうとして苦しんでいる。この世界はヤンのいた世界よりはるかに残酷だ。

 

 「ごめん、今のなし。良くないね、こういう質問。ヤンさんや洋平君が別の世界の未来から来たって言うから、覚悟はしていたつもりだったのにね。わたし、ダメな子だ」

 「・・・僕は、山本五十六を尊敬しているよ」

 

 彼女の言葉は、口を挟むにはひどく重かったけれど、洋平は言わずにはいられなかった。

 

 「山本五十六は、誰よりも開戦に反対だった。最後まで必死で抵抗して、けれど国が決めたことは、一軍人に過ぎない彼にはどうしようもなくて。個人の意見とは正反対のことを、自らの手で始めるよう強いられた。それでも早期講和に一縷の望みを託して、あの真珠湾奇襲をやったんだ」

 

 五十子だって、同じだったはずだ。今までの彼女を見ていれば、疑いの余地は無い。

 

 「真珠湾は失敗だったかもしれない。空母はいなかった。宣戦布告が間に合わずに、奇襲は敵のプロパガンダに利用された。でもそんなのは全部、結果論に過ぎない。大切なのはどうすべきだったかじゃなくて。五十六が、いや五十子さんがどうしたかったか。そして今、どうしたいかなんだよ?」

 「わたしが、どうしたいか・・・」

 

 呟いたきり、五十子は黙ってしまう。

 

 「・・・ちょっといいだろうか」

 

 ヤンが五十子をじっと見つめながら口を開いた。

 

 「ちょっと話がそれるかもしれないけど、私自身の話をさせてほしい。五十子は前に、私達の、未来の世界がきっと平和で豊かな時代に違いないと言ったね。確かに洋平君のいた21世紀の地球、日本という国に限ればそうだった。でも、私のいた世界は違うんだ。平和で豊かどころか戦争の真っ最中だったんだ」

 

 ヤンはゆっくりとベレー帽を手に取り握る。その表情はどこか物憂げそうだった。

 

 「・・・前にも話したけど、私は軍人だった。まったく向いてない職業のはずなのにどういうわけか軍人をやっていた。もともと私は歴史家志望だったんだけど、父親が死んで、学費に困って、仕方ないからタダで歴史を学べる士官学校に入ったはいいけど、気付いたらそのまま軍人になってしまっていた。そして、私は戦争に参加し戦うことになった。隣国と150年も続く戦争に。当然、誰も平和なんて知らなかった。長期間の平和を知る人間はいなかった」

 「ひゃく、ごじゅうねん・・・!?」

 

 洋平と五十子は絶句した。戦争が150年も続く世界を彼らには想像しえなかった。戦争が長引くことは往々にしてあるが、150年も戦争が続き誰も平和を知らないとは、ヤンのいた世界はどのような修羅の世界だったのだろうか。

 

 「本当なら途中でうまいこと退役して、年金で静かに暮らすつもりだった。ところがどこで何を間違えたのか、戦果を次々と上げてしまって、気づいたらやめようにもやめられなくなってしまった。戦争を指揮する立場にまで上り詰めてしまったんだ」

 

 ヤンは夜空を見上げる。輝く星々の中にはきっと、ヤンの故郷の星もあるのだろう。もしこの世界の時がはるか未来まで進めば、ヤンのいた世界と同じ戦争の光景がこの美しい星々の中で繰り広げられるのだろうか。

 

 「・・・多くの兵士が、市民が、敵や味方が死んだ。私も指揮官としてずいぶん人を殺してきた。もう数えきれないぐらい・・・敵味方問わず、数十万、数百万もの命が私の命令と指揮によって死んでいった。もう、何度輪廻転生を繰り返したとしても必ず地獄の特等席が用意されているぐらいには私は罪深い人間だろうね。・・・それでも私は戦い続けた。やめるにやめられなくなったからというのもあったけど、私の所属する国家、というより思想や信条のために戦ってきた」

 「それって・・・?」

 

 五十子の問いにヤンは答えた。

 

 「自由と、民主共和制、そして・・・平和」

 

 ヤンはベレー帽を手の中でもてあそびながら続ける。

 

 「自由と民主、その思想を守り次の世代に残すために、そして平和を実現するために私は戦ってきた。私の部下達も同じ思いの下で、いや、もしかすると彼らには別の思いが、守りたいものがあったのかもしれないけれど、私と共に戦ってくれた。帝国、貴族、専制政治等から自由を守る戦いを。未来に、次の世代に、可能性の芽を残すための戦いを、次の世代のために平和を実現するための戦いを。・・・私には息子が一人いてね。養子だが、それでも大切な家族であることに変わりはない。私はその子に軍人になってほしくなかったんだ。結局自分自身の意思でその子は軍人になってしまったが・・・いずれにせよ、私は戦ってきたんだ。息子が、息子達の世代が戦争をする様を見ないために、ちょうど五十子や洋平のような世代が、彼らが自分の中の可能性を活かせる未来を、残すために。そしてそのために、自由と民主の思想を守るために戦った。結局、その戦いの最中で祖国は敗北して滅び、私も死んだはずなのに、気付いたらこの世界にやってきたんだけどね」

 

 しばらくもてあそんでいたベレー帽を被り直し、ヤンは再び五十子を向いた。

 

 「いいかい、五十子。人には自由に生きる権利が、自分の意志のもとに行動し生きる権利がある。そしてこれは誰にも否定されてはいけないものだ。特に君達には私達よりはるかに大きな未来と可能性を持っている。確かに君は一人の軍人として多くの命を奪ってきたかもしれない。けどそれは君の望んでいることじゃないはずだ。君はそれを止めたいはずだ。君には進むことのできる未来がある。未来に何をすべきなのか、何をしたいのかを考え行動する権利が君には立派にあるんだ。洋平君も言ったように大切なのは君自身が決めることなんだ。君が見てきたこと、聞いたこと、それをまとめて、考えて、時には相談して。それから決めたことなら、私は君を応援したいし協力したいと思う。たとえ、私と同じ空を見上げていても、君が同じ星を見る必要はないんだよ。自分だけの星を見つけることが大切なんだ」

 「自分だけの、星・・・」

 

 五十子は自らの手を胸に当てて、しばらく考え込んでいた。が、やがて顔を上げて二人に問うた。

 

 「・・・どういうヤンさんと洋平君はどんな星を見つけたの?二人はこの世界がどうしたいか、私に聞かせて」

 

 そんな五十子の真剣なまなざしにまず応えたのは洋平だった。ここで改めて、今度こそはっきりと自分の気持ちを声に出した。

 

 「僕は、連合艦隊の艦が好きだ。提督達が好きだ。だから、好きな艦にもう沈んで欲しくないし、五十子さん達にも死んで欲しくない。そのために、この世界で僕にできることをさせて欲しい」

 「・・・まるで、わたしたちが負けて死ぬような言い方をするんだね」

 「五十子さんは、勝てると思っていない。違う?」

 「あはは・・・未来から来た人には、敵わないな」

 

 五十子はくしゃくしゃっと頭をかく。リボンの髪飾りが揺れるのを、洋平は黙って見守った。

 そんな洋平にヤンが声をかける。

 

 「洋平は、それでいいのかい?この戦争に関わることは五十子も言ったようにこの戦争に責任を持つことだ。一度、その手を血で汚したら、大海の水を以ってしても雪ぐことはできないんだよ。もしかするととんでもなく後悔することになるかもしれない。それでもやるのかい?」

 「はい。これが僕の、僕がこの世界で見つけた『星』ですから。そういうヤンさんはどうしたいんですか?」

 

 逆に洋平に問われたヤンは苦笑し、おさまりの悪い黒髪をかいた

 

 「私はどうしたいか、かい?実を言うと私も君と同じさ。もしできるのなら五十子達に協力したい」

 

 ヤンは五十子を見た。

 

 「前にも言ったとおり、私には君達と同じくらいの息子がいた。自分の息子や同じ世代の人々が戦うのを見たくないから戦ってきたわけだ。けどこの世界じゃ、未来と可能性に満ち溢れた少女達が殺し合いをやっている。見たくない光景がここでは繰り広げられている。それを見たくないがために、嫌々ながら戦ってきたわけなのにね。なんだって彼女達が、子供が殺し合いをしなければならないんだい?こうなったのには政治家や陸でふんぞり返る大人達の責任でもある。第一、戦争は大人がやるものだ。だから、正直私としては見過ごすわけにはいかないんだ。・・・それに、君に返さないといけない恩もあるしね」

 「・・・?」

 「亀子から聞いたよ。私が救出されたとき、大量出血がひどくて、輸血用の血液のストックが足りなくなって、そんな時君が私に自分の血を分け与えてくれたってね。もしそれがなければ私が死んでいたかもしれないということも。見ず知らずの人間を破格の待遇でもてなし、生の歴史的な光景を見せてくれただけじゃなく、命まで救ってくれた。つまり、私としては君に何かしら恩返しをしなくちゃいけないわけだ。私は命の恩人の恩を忘れるほど恩知らずじゃないよ」

 

 ものぐさなヤンではあったが、人からの恩を、しかも命を救ってもらったという大きな恩を忘れるほどヤンは恩知らずの人間ではなかった。少女達が殺し合いをしているという現実に対する憤りと、五十子への恩返しの念、それがこの世界でどうしたいのか、ヤンの精神に徐々に決心を与えていったのだ。

 ヤンの言葉に五十子は顔を赤らめた。

 

 「カメちゃんから聞いたんだ・・・えへへ・・・恥ずかしいな。別にそんな、大したことじゃないよただ・・・助けられるなら命なら助けたいっていうのは当たり前のことなんだ。それに私にとっては皆大切な仲間、大切な人だから。私には見捨てるなんてできないよ」

 「いいんだよ。そういう心こそが大切なんだ」

 

 ヤンは五十子に向かって微笑んだ。

 

 

 

 「ありがとう、五十子。そして、改めてよろしく」

 

 

 

 ヤンが差し伸べた手を五十子は握り返した。いつの間にか五十子の眼には輝きが取り戻され、いつも通りの生気の宿った笑顔が戻っていた。

 

 「・・・うん、こちらこそ。よろしくね、ヤンさん、洋平君」

 

 ヤンも洋平も、この時抱いた感情や思いは一緒だった。この笑顔を、彼女達とその未来を守りたい、と。彼女達に待ち受けているであろう避けようのない残酷で過酷な運命を自分達だけが知っているという事実、未来と可能性に満ち溢れ自らの人生を生きる権利があるはずの少女達が戦争をし、その中で多くの命を散らしているという事実、彼女達が本来背負うべきでない罪を自ら背負い苦しんでいるという事実、数多くの要素が彼ら二人に「何とかしたい」「協力したい」という思いを抱かせたのだ。ヤンと洋平はそれぞれ自分だけの星を探し、そして二人とも同じ星を見つけたのだ。そしてその星は、もしかすると五十子達も見つめているかもしれない星なのだった。

 三人は再び星空を見上げた。

 

 「・・・70年後かあ。わたしは90歳近いおばあちゃんだね。見られるかなあ」

 

 その未来は、ヤンや洋平の知っている世界とは当然違うし、その言葉は、ヤンと洋平を安心させるための嘘かもしれなかったけど。

 それでも、長いあいだ罪の意識を背負い恐らくは死を覚悟してきた彼女が口にしてくれた、希望の言葉が嬉しくて。

 

 「食べ物に砂糖かけるのをほどほどにすれば、普通に見られるんじゃないかな?」

 

 湿っぽくなった空気を払う、洋平なりの冗談のつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 長官公室の食卓では、給仕の従兵達を驚かせる二つの珍事が起きた。

 一つは、昼夜逆転しているはずの先任参謀、黒島亀子が朝食の席についていたこと。

 

 「しゅぴー・・・しゅぴー・・・」

 

 といっても、突っ伏してテーブルクロスによだれの染みを広げていたが。

 

 「寝るな黒島、営巣入りにすっぞ!」

 

 束が耳元で怒鳴ると、一応は目蓋を開ける。

 

 「むにゃ・・・艦隊を10に分ける・・・」

 

 白目のまま寝言を呟く亀子。やはりいつも通りの彼女であった。

 「驚きましたねえ。明日あたり、ルーシ連邦が中立を破って攻めてくるんじゃないですかあ?」

 寿子がそう言ってからかう。恐らく「明日は雪が降る」的なニュアンスだと思われるが、史実を知っているとあまり笑えない。

 

 「ふん。未遂とはいえ、海軍刑法違反の現場を押さえたからな。しばらくはこれをネタに脅して、こいつの生活態度を根本から修正してやる」

 

 勝ち誇る束。

 

 「あはは・・・でも、みんな揃ってご飯食べるの久しぶりだね」

 

 五十子が三人の参謀を見て微笑んでいる。彼女にとってはいつも通りの光景なのだろう。

 従兵たちが運んできた朝食はいたってシンプルな和食の献立だった。ご飯、味噌汁、漬物、海苔、目玉焼き。それに調味料。ご飯、味噌汁、漬物、海苔、目玉焼き。それに調味料。なお、ヤンには彼自身の希望で寿子が淹れてくれた紅茶が添えられている。以前、寿子がヤンにセイロンティーを淹れて、ヤンがユリアンに負けない腕だとほめたことはまた別の話である。小堀一等水兵はごく自然な所作で、連合艦隊司令長官の前に砂糖の壺を置いた。もはや習慣と化していたのだろう。二つ目の珍事はこの後起きた。

 

 「さあ、食べよっか。頂きます!」

 「あ、あれ・・・ちょ、長官、目玉焼きに砂糖かけないんですかあ?」

 

 勢いよく何もかけていないプレーンの目玉焼きにかぶりついた五十子を見て、寿子が震え声で訊ねた。

 背後の従兵達も驚いた様子であった。

 

 「もぐもぐ・・・え、目玉焼きにお砂糖? 何それ怖い」

 

 いよいよもって幕僚や従兵達に動揺と驚きが広がった。

 

 「いや・・・あの、長官、もしかして昨日、私と参謀長が水饅頭を嫌がったの気にしてます? 悪かったですから、そんな無理なさらないで下さいよお・・・目玉焼きに砂糖をかけて食べるのは、普通の人でもやることですし・・・」

 

 寿子が軽く錯乱状態に陥り彼女を普通の人間ではないと評している。目玉焼きには醤油派の洋平は、なんだか罪悪感を覚えて、プレーンのままいただくことにした。

 

 「みんな、そのまま聞いて」

 

 周囲の反応を気にすることなく目玉焼きを平らげた五十子がポンと手をたたき周囲を見渡した。周囲の幕僚と従兵達も彼女に注目している。そしてこの時彼女が出した宣言は間違いなく帝政葦原海軍史上類を見ないことであった。

 

 「本日付で、ヤン・ウェンリー、及び源葉洋平君を海軍中佐相当、連合艦隊司令部特務参謀扱いにしたいと思います。ヤンさん、洋平君、みんなに挨拶っ!」

 「よ、よろしくお願いします!って、中佐?特務参謀?・・・僕が?」

 「うぐっ」

 

 洋平は勢いで起立・敬礼してしまったが、自分の身に何が起きたのか理解が追いつかなかった。ヤンは紅茶を飲んでいる途中で突然の宣言とその内容にむせかけた。

 代わりに寿子が飛び上がって歓声を上げる。

 

 「やったあ! 良かったですねえ未来人さん、私とお揃いの階級ですよお、『少佐のらしろ』もびっくりの特進ですよお!」

 

 固まったままの洋平の手をとって、ぶんぶん上下に振り回す。

 

 「・・・あれ、でもこれって、制度的にOKなんでしょうか? ・・・そもそも人事って、山本長官の権限で決められるんでしたっけ・・・」

 

 レシプロエンジンのピストンみたいだった手の振りが、次第に速度を落としていく。連合艦隊司令部の参謀なんだから、司令長官の一存で決められそうなものだが。

 

 「・・・自分で提案しといて、ノープランだったんだねヤスちゃん」

 

 五十子はじとっとした目で寿子を見てから、ヤンと洋平に説明してくれた。

 

 「前にも言った通り、葦原海軍はお役所なの。だから今は中佐相当で、参謀扱い。士官の人事管理は海軍省人事局の管轄なので、これは正式な任官までの暫定措置とします。ヤスちゃん、人事局との折衝は任せたからね」

 「うう、任されました。これってある意味、犬を将校にするより手続き大変なんじゃ・・・とほほ」

 

 青菜に塩の状態の寿子を傍目で見ながら、ヤンはティーカップ片手に肩をすくめた。昨夜、五十子に出来ることなら協力したいとは言ったが、いきなり参謀、将校に任命されるとは・・・やれやれ、覚悟はしていたつもりだったが、この世界でもゆっくりすることは出来なさそうだ。しかし、参謀将校に任命されたからには気になることがヤンにはあった。

 

 「いきなり中佐に任命とはね・・・しかし、この場合給料や年金は出るのかなあ」

 

 黒髪をかきながら呟くヤン。なんということを言うんだ、と思われるかもしれないが、適当に退役して年金をもらってぶらぶら暮らすことが望みであった彼にとっては重要な問題だった。民主共和制のために戦った彼であったが、いっぽうで給料や年金のため、という俗物的な理由もあったことも事実である。

 五十子が彼の疑問に答えた。

 

 「大丈夫だよ、私が任命した以上は二人とも立派な葦原海軍の一員だから。給料とかそういうところもちゃんとしているよ」

 「そりゃ良かった。それなら、給料分は働く努力するよ」

 

 笑顔を浮かべ紅茶をすするヤンに束が呆れたように首を振った。

 

 「給料って「お前な・・・本当に軍人だったのか?どうでもいいけど。しかし良かったな渡辺。司令部には上官しかいねえし、かといって部下がくると肩肘張って疲れるから、気安く喋れる同階級の奴が欲しいってこぼしてただろ」

 「そ、そうでしたあ! 長官ありがとうございます!」

 

 既に十分気安く喋っていると思うのだが。

 

 「束ちゃんはどう思う?」

 

 五十子に訊ねられ、束はふうっと息を吐いて目を閉じる。

 

 「ま、未来がどうとかいう与太話を信じたわけじゃねえが、長官が決めたことなら文句は言えねえな。よろしくな。変態覗き魔ジゴロ宇宙人に覗き魔変態スパイ野郎改め、ヤン参謀、源葉参謀」

 

 洋平としては、参謀にしてもらえて本当に良かったと思える瞬間であった。

 五十子は最後に、さっきからずっと黙っている亀子に目を向けた。

 亀子はまだよだれをたらし寝息を立てていた。テーブルクロスによだれのシミが広がっている。

 

 「亀ちゃんの書いたミッドウェー作戦計画書、読ませてもらったよ。凄く良くできてるね」

 「しゅぴっ!」

 

 亀子が即座にはね起きた。何か五十子の言葉に反応するセンサーでもあるのだろうか。目を覚ました亀子に、五十子は微笑みかける。再び口を開いた時、その声は司令長官に相応しい凛としたものだった。

 

 「亀ちゃんの計画、みんなにも後で読んでもらうけど、この作戦は残存する美太平洋艦隊、特に真珠湾攻撃で沈めることのできなかった空母群を一挙に撃滅し、美海軍本拠地ハワイ攻略への障害を取り除くことを目的とした、わたし達が過去経験したことのない大きな規模の作戦だよ」

 

 食卓の空気が引き締まる。

 察した従兵達が自発的に部屋を去り、幕僚達が背筋を伸ばす。

 ヤンも洋平も自然と背筋を伸ばした。皆、五十子の次の言葉を待っている。

 昨夜、二人は己の気持ちを明らかにし、五十子はそれに確かに応えた。

 だが、五十子自身も気持ちはまだ聞いていない。

 五十子自身はどうしたいのか。どのような星を見つけたのか。

 今度は彼女が答える番だった。

 

 「正直、今の中央を説得するのはかなり難しいと思う。それでも、わたしは何としてもこの作戦を実現させたい。美鰤と講和するために」

 

 五十子は、ヤンと洋平の視線を受け止めて、頷いてみせる。

 

 「早期講和。これは真珠湾攻撃の前から変わらない、わたしの信念だよ。今は講和なんて、世の中のほとんどの人は想像もできないかもしれない。だけど、例えそれがどんなに小さな可能性でも・・・わたしはやっぱり諦めたくない。頑張れば、本物の希望に変えられるって信じたいんだ」

 

 ヤンと洋平は頷き返した。彼女の答えは確かに受け取った。

 彼女の心は明らかとなった。五十子が何をしたいのかが。

 五十子もまた自分の星を見つけた。そしてそれは恐らくヤンも洋平も、この場にいる全員が同じく目指しているものだ。

 

 「束ちゃん、亀ちゃん、ヤスちゃん、それにヤンさん、洋平君。みんなの力を貸して欲しいの」

 

 五十子は、一人一人の顔を真剣な眼差しで見回した。

 

 「この作戦を実現させて、今度こそ戦争を終わらせよう」

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

連合艦隊特務参謀に任じられたヤンと洋平。しかしすべての人間がそれを歓迎するわけではない。乙女だけの組織である海軍に二人のイレギュラーが参加することに海軍乙女達が反対の声を挙げる。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第10話「男子禁制」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第10話 男子禁制

今回は短めです。


 女子、女子、女子。

 甲板を二千人以上の女子の群れが埋め尽くしていた。

 無数に並ぶ白い制服と黒髪が鮮烈なコントラストを描いている。

 この日、大和の全甲板には当直を除く戦艦大和のほぼ総員が集まっていた。

 「――というわけでえ、既にご存知の方もいると思いますけど、新しく皆さんの仲間になった未来・・・じゃない、ヤン・ウェンリーさんに源葉洋平さんです!分からない事が色々あると思いますから、優しく教えてあげてくださいねえ」

 ヤンと洋平を隣に立たせた朝礼台。いつも通りの緊張感の無い呑気そうな様子で締めくくった渡辺寿子。対して洋平は緊張でこわばった様子で、寿子のスピーチの内容も右の耳から左の耳へと流れほとんど頭に入らず、ヤンもまいったな、といった様子でおさまりの悪い黒髪をかいていた。

 二人がそのような様子になるのも無理はない。

 何しろ目の前には無数のうら若い少女達が並んでいる。数千もの女性の視線がヤンと洋平に一点になって集中している。視線というものは言いようのない力を持っているものだが、ここまでくると何かしらの物理的圧力が発生しているのではと錯覚しそうだ。視線が痛い、という表現は決して比喩ではないようだ。その上、浴びせられる視線に友好的なものがほとんど含まれていないのでなおさら圧力を感じる。

 「当たり前だけど・・・この場で性別男なの僕とヤンさんだけだよね・・・なんか、女子高に無断侵入して捕まった不審者みたいな肩身の狭さだよ・・・」

 「我慢ですよお、未来人さん!これは未来人さんが海軍乙女の一員として受け入れられるための第一歩なんですから!」

 「いやいや、乙女として受け入れられることはないだろう」

 ヤンは頭をかきながらやれやれと嘆息した。

 一応、この世界で葦原海軍軍人として生きることを決めたヤンだったが、いきなりこうも大勢の女子の面前に引き出されるとは。一応人前に出るのはそれなりに慣れているつもりだが・・・まぁ、幸い五十子が給料は出るといっていた。これも給料の内と考えることにしよう。

 「どういうことですか、渡辺中佐っ!」

 ふいに、寿子の名を呼ぶ聞き覚えのある声が響いた。

 最前列を押しのけて現れたのは、岩田雫軍楽長であった。前髪を一直線に切りそろえたまじめな委員長といった印象の軍楽長は部下の軍楽隊全員を引き連れている。朝礼前から練習していたのか全員フル装備、前衛にクラリネットをはじめとする木管部隊、後衛にトランペットをはじめとする金管楽器部隊が並び、みな等しくヤンと洋平を睨み付けている。

 「やっぱり男だったんじゃないですか! 特務で男装というのは嘘だったんですね!」

 初対面の時、彼女は寿子に、ヤンと洋平が男装であると騙されていたのだ。

 う、嘘じゃないですよお。『特務で男装』じゃなくて、『特務参謀』です。男装は参謀と発音が似てますし、多分聞き間違えじゃあないですかあ?」

 寿子の苦しい言い訳は、岩田をはじめとする軍楽隊員の不信不満に引火、誘爆させるのに十分であった。

 「納得できません! 男子禁制の伝統はどうなるんですか!」

 「そうよ、男は陸軍でしょ? 私達海軍の敵じゃん!」

 「それにヤン・ウェンリーなんて、明らかに葦原人じゃないですよね?なんで見ず知らずの外国人を海軍軍人にするんですか!?」

 「渡辺中佐、見損ないました! 中佐はこっちサイドだって信じてたのに、まさか裏切る気ですか! 男を艦に乗せるだなんて破廉恥です!」

 最後の発言は岩田自身のものである。こっちサイドという言葉にヤンと洋平は首を傾げた。

 「・・・軍楽長、私を疑う今の発言は聞き捨てならないですねえ。防空指揮所へ行きましょう」

 いったいどういうわけか怒りの感情を露わにした寿子が何かしらの棒を取り出した。その物騒な雰囲気に洋平は見覚えがあったらしい。彼の顔が引きつる。あれはもしや旧海軍の黒歴史である・・・

 「精神注入棒じゃないか! せっかくこの世界の海軍は体罰が無くていいなって感心してたのに!」

 ヤンも体罰という言葉と雰囲気で察し、寿子を止めようとする。

 「寿子、寿子いけないよそれは。体罰で部下を統制しようだなんて。そんなことが必要なことだ美徳であるだなんていうなら、軍隊とはまさに人類社会の恥部であって・・・」

 寿子が不思議そうに首を傾げた。

 「ちょっと未来人さん、やめて下さい女の子が大勢いる前で注入棒だなんて。殿方のとは違うんですから何も注入できませんよお。それにこれは体罰じゃありません、れっきとした教育です」

 「えっ、なんで僕がおかしなこと言ったみたいな流れになってるの? ていうかその棒何に使うつもりなの?」

 「さあ覚悟はいいですか軍楽長! 乙女と乙女の愛の理想郷、乙女共栄圏の建設こそが私の不動の信念であるということを、その身体にじっくり実技で」

 

 「渡辺の戯言はさておきだな」

 

 危ないスイッチが入っていた寿子を、束が黙らせた。

 好き勝手に野次を飛ばす少女の群れを睨みながら、

 「これもう、規律が乱れてるってレベルじゃねえぞ。仮にも連合艦隊旗艦なんだ。引き締めないか、艦長」

 朝礼台の隅でおとなしそうに立っている、猫背に牛乳瓶のような分厚いメガネを掛けた自信なさげな少女がびくりと震えて首を横に降った。

 「そんな、無理です参謀長。私、動機のなかで砲術の成績が一番だったからと言う理由だけで大和の艦長にさせられたんです。大勢の前でしゃべるのは・・・その、ちょっと苦手で・・・」

 「情けねえな、それでも鉄砲屋か!」

 ちなみにヤンはともかく人前におけるメンタルでは、洋平も高柳艦長をとやかく言えるレベルではない。

 「反対です! 男子ダメ絶対!」

 「ケダモノー! 乙女の神聖なくろがねの城から出て行けー!」

 「どうしても乗艦したいなら、モロッコへ行って武装解除してきなさいよ!」

 「おっとりしたお兄さんに、可愛いショタ・・・次の同人誌の題材が決まったわ、グフフ・・・」

 もう無茶苦茶だ。何やら不穏なことを口にするものまで現れている。

 どうやって収集すればいいのだろうか・・・

 ヤンはベレー帽を手でもてあそびながら考え込んだ。

 要するに彼女達は、うら若い少女しかいない実質的に男子禁制であるこの海軍に男性であるヤンと洋平が加わるのが気に入らないのだ。その上、彼女達からしてみれば洋平はともかくヤンはその名前からして明らかに外国人である。

 その点をどうやって彼女達に納得させるべきか。

 男性でも十分海軍軍人としての任務を務め得ること、外国人でも十分信用できること・・・要するに彼女達に信用を勝ち取ることだ。ではどうすれば彼女達からの信頼を勝ち取れるようになるのだろうか。

 ヤンは周囲を見渡した。

 束や寿子をはじめとする居並ぶ幕僚達、整列する軍楽隊に水兵、その一方で甲板の向こうでは自分達には無関係、興味無いとでもいうようにのんびりしている水兵もいる。読書をする者に日向ぼっこをする者、そして釣りをする者・・・釣りか。

 「釣りをしようか」

 ヤンはベレー帽を被り直しそう口を開いた。

 「・・・え?」

 唐突に出た言葉に周囲の人間が首をかしげる。

 ヤンは再度、全く変わらぬ口調で言った。

 「釣りで決めようか。私たちの処遇を釣りで決めよう」

 「いや、ヤンさんいきなり何を言い出して・・・」

 「いいね!皆、釣りだよ、釣りをしよう!」

 府とヤンの突然の提案に賛同する元気のよい声が響き渡った。声のしたほうを見れば、そこには釣り道具一式にバケツを携えた五十子が立っていた。

 「あの、長官実は・・・」

 寿子が歩いてきて五十子に状況を説明した。

 「分かった!大丈夫、ヤンさんの言う通り釣りで決めよう」

 何が大丈夫なのだろうか。洋平も周囲の海軍乙女たちもヤンと五十子の意図が読み取れず困惑している。

 「いや、何でいきなり釣りなんだよ」

 束が割って入った。

 「あたしたちは軍人だ。戦時下で遊ぶのはいけないだろ。少数の兵が釣りをするのは大目に見てもいいが、トップが率先してやるのは」

 「いや、私が言っているのは釣りで遊ぼうということじゃなく、次いで私たちの処遇を決めようということさ。どうだろう、五十子」

 五十子は頷いた。ヤンの意図を察したようである。

 「うん、そうしよう。それに束ちゃん、そもそも釣りははただの遊びじゃないよ。釣りは命を懸けた戦いです。いわば、軍事演習。魚を敵艦隊を見れば、釣りとはすなわち敵艦隊をいかに索敵迎撃するかの軍事演習!立派な演習だよ!」

 何やら話がどんどん進んでしまっているが、束は軍事演習といわれ何も言えなかった。

 五十子はヤンと洋平に反発する軍楽隊に向き直る。

 「二チームに分かれて釣果を競うの。ヤンさんと洋平君のいるチームが青、いないチームが赤。賭けるのは~もし青チームが勝ったら二人を仲間として認めること。でももし負けたら・・・」

 その代わり、といたずらっぽそうな顔で五十子がほほ笑んだ。

 「その時は、二人を大和から降ろそう!」

 少女達が呆気にとられた。「そんな、男に釣りなんてできるはずが」とどこかで聞いたようなフレーズが飛び交う。

 洋平は慌ててヤンと五十子に言った。

 「ちょっと待ってよ!五十子さん!参謀にしてくれるっていう話は!ヤンさんもそれでいいの?」

 「大丈夫さ」

 「大丈夫じゃないよ!僕全然釣りなんてできないよ!」

 「私もできないよ」

 「え」

 唖然とする洋平にヤンは微笑んだ。だがその笑顔の裏には何かあるように見えた。

 「大丈夫。ただの釣り勝負をするわけじゃないよ。そもそも、最初から負けるつもりで戦争をする人はないさ」

 その様子だと何か考えがあるようである。

 ヤンは五十子と軍楽隊に向き直った。

 「みんなも考えているように私達は釣りの初心者だ。このまま釣れた魚の数を競って勝負を行っては明らかにこちらが負けることは目に見えている。正直、このまま勝負するのは不公平だ。それは君たちとしてもあまり気持ちの良いものではないと思う」

 ヤンの言葉に軍学長は頷いた。

 「・・・確かに、本来勝負や賭けというものは公平な状況の下で行われるべきです。戦争ならともかく、普通の勝負で一方的に弱い相手を叩くのは・・・」

 「だから、勝負のルールを少し変えてもらいたいんだ。こちらにも勝ち目が十分あるようにするためにね。どうだろう五十子、雫」

 「確かにヤンさんの言うとおりだね。そうしよう」

 「分かりました長官もそういうのであれば・・・それでどういう風に?」

 「うん、それはね・・・」

 ヤンは口を開くとその提案を示した・・・

 




次回予告(CV:屋良有作)

ある変わったルールのもと行われることとなった釣り勝負。ヤンと洋平の出処進退を賭けた戦いに臨む二人は勝負の最中、黒島の過去や、岩田や宇垣の海軍にかける思いを知る。果たしてそれは二人にどのような思いを抱かせるのか、そして勝負の行方は・・・次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第11話「釣り勝負」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第11話 釣り勝負

 青空から降り注ぐ日光が地上を丁度よい具合に温める昼下がり。

 連合艦隊旗艦大和の甲板には無数の海軍乙女が並んでいた。居並ぶ海軍乙女たちは皆釣り竿を垂らし、釣り糸がカーテンのように並んでいる。

 ヤンと洋平の出処進退を賭けて唐突に始まった釣り勝負、軍楽長の岩田雫を始めとする赤チームが軍楽隊だけでなくその他の水兵達も含め数百人にも上るのに対し、当の賭け対象であるヤンと洋平を含む青チームは彼ら以外に司令部メンバーの山本五十子、宇垣束、渡辺寿子、黒島亀子の四人、合わせて六人だけの戦力である。ちなみに黒島亀子に関して言えば、もともと彼女は乗り気ではなかったが五十子が少しでも有力な戦力を、海のことをよく知っているから、ということでほぼ無理やり連れてきた。五十子直々のお願いということもあって亀子も渋々と受け入れたのである。

 制限時間は二時間に定められた。

 また、釣った魚を限定したほうがおもしろいという五十子の提案により、対象の魚はアジに限定された。

 「山本長官と渡辺参謀はこの場所で待機を。宇垣参謀長と源葉参謀は、私についてきて」

 驚いたことに、司令部チームを仕切るのは亀子であった。。面倒臭がる束を引っ張り、五十子達を残してヤンと洋平、束と亀子の四人は後部三番主砲塔を通り過ぎた辺りの、木甲板ではなくセメント・コーティング張りの水上機発艦用のカタパルトがある航空甲板に陣を構え、釣りを始めた。

 対する軍楽隊は、兵力を分散させず一箇所に集中させる戦術の定石でいくようだ。

 「主計科の子の情報では、以前この場所でアジがよく釣れたそうよ。全員がここで釣っていれば、無駄に移動するより効率よく釣れるはずよ」

 「軍楽長さっすがー!」「参謀の素質ありますよ!」「そういえば、この勝負って何のためだっけ?」 「みんな、いつもみたく円陣組もう!」「軍楽隊ファイトーッ、オーッ!」

 軍楽隊の威勢の良い掛け声が響いてくる。士気はあちらが上のようだ。

 「・・・素人の集まり。可哀想」

 亀子がポツリと毒を吐いた。

 「亀子さん、二手に分かれたのは何か策があるの?」

 「安心して。私は海洋生物の生態のスペシャリスト。絶対に負けない」

 「そ、そうだんだ。で・・・どうしてここにしたの?釣り場所なら、残飯を捨てるスカッパーの近くが良いんじゃ」

 「アジは潮の流れに乗って回遊する。今の大和周囲の潮流なら、一番の釣り場はここ」

 そう言いながら、亀子自身は釣りを始める様子を見せない。というか釣り竿を持っていない。

 「私はあなた達の頭脳。私の言う通りに手を動かせば必ず釣れる」

 「マジかよ・・・」

 束が嫌そうな顔をしつつも釣り竿を構えるのは、ヤンと洋平がいなくなると嫌だと一応は思ってくれているのだろうか。

 「それにしてもヤン、てめえも考えたな。釣った量じゃなくて平均で勝負するなんてな」

 釣り竿の様子を見ながら束がヤンに言う。

 束の言うとおり、この釣り勝負のルールは少し変わっている。

 本来、こういう勝負はそれぞれのチームが釣った魚の数で勝敗を決める。しかしながら、この方法では魚釣りの経験があり尚且つ人数も数百人と多い雫率いる赤チームに比べ、釣り未経験者が大半を占め、人数も六人しかいないヤンと洋平の青チームが著しく不利であることは明らかである。

 そこでヤンは考えた。こちらにも十分勝ち目があるようにルールを変えられないか。例えば釣った数で勝負するのではなく別の方法で勝敗を決めるとか・・・

 そうして思いついたのが釣った数ではなく、それぞれのチームで一人当たりが釣り上げた「平均」の数で勝負する、という方法だった。

 例えばAチームが百人、Bチームを五人として釣り勝負をするとする。Aが三百匹釣り上げ、Bが三十匹釣り上げたとする。釣った数で勝負すれば明らかにAの勝利であるが、一人当たりが釣り上げた「平均」でいえばAが三匹に対し、Bが六匹であり、Bの勝利である。一人当たりの釣った数の平均で勝負するというルールであれば、例えチーム当たりの釣った数が少なくとも、また、チームの構成員や技量が少なく相手に対し不利でも十分に勝ち目がある。

 また、両チームはほぼ同じ条件の同じ海域で釣りをするわけである。それぞれの担当する海域に生息する魚の量が同じだったとすれば、構成員の多いチームが一人当たりが釣れる量は少なくなり、逆に構成員が少ないチームの一人当たりが釣る量は多くなる。

 もちろん、これはあくまでも理論上の話。相手は数が多いだけでなく技量も高いし、こちらの技量は非常に低い。釣り、というより海に詳しい亀子もあくまで指揮官役で自らは腕を振るわない。だが、このまま釣った「数」で勝負するよりもはるかに勝ち目があることは確かである。

 ヤンはおさまりの悪い黒髪をかきながら苦笑した。

 「まぁ、あのまま勝負すれば私たちが明らかに不利だったからね。となると、戦場の条件状況を変えて、少しでもこちらに優位、あるいは勝ち目があるようにするしかない。で、これなら私たちにも勝ち目があると考えたのさ」

 「軍人やってたっていうが、本当だったみたいだな。正直あたしには信じられなかったけどな」

 束の言にヤンはますます苦笑した。束の言うことはもっともである。長めのおさまりの悪い黒髪、冴えない風貌、少し猫背気味で歩く中肉中背の姿、初対面の人間がヤンを見れば、彼が軍人であるということが信じられないだろう。

 「まぁ、私の仕事は戦うことではなく作戦を考えて指揮をすることだったからね。そもそも、軍人自体、なりたくてなったわけじゃないんだ」

 「なんだ、参謀だったのか?見かけによらず大した奴だったんだな」

 束が感心したように頷いた。洋平も内心、ヤンに少なからず感心していた。最初彼が釣りで決める、勝負をするといった時には不安になったが、決して全く考えもなしにそのようなことを言ったわけではなかったのだ。彼なりに勝ち目や作戦を考えてのことだったのだ。

 「確かに、平均で勝負すれば僕たちにも勝ち目がありそうですね」

 「そうだね。もちろん、これでも相手のほうが有利ともいえるし、確実に勝てるわけじゃない。でもこのまま戦うよりは遥かに勝算がある。釣った魚の量が少なくても勝てる可能性がある、そこに私達の勝機がある。まぁ、最初から負けようと思って勝負をする人間はまずいないからね。勝ち目がないか、なければどうやって作るか、それを追求することだ」

 「勝ち目を追求、ですか」

 「それにこの勝負には私達の今後の処遇がかかっているからね。私の給料や君の待遇がかかっている以上、負けるわけにはいかないよ。まぁ、五十子のことだからそう簡単に大和から追い出すようなことはしないだろうけど・・・」

 ヤンの言葉に洋平は改めて気を引き締めた。そうだ、この勝負には自分たちの今度の出処進退がかかっているのだ。負ければこの大和を追い出されるかもしれない。この頼るべき人や所のない世界に、立った二人で放り出されるかもしれないのだ。せっかく見付けた場所を、追い出されるわけにはいかない。

 「まぁ、私達にできるのはここまでだ。ここから先はプロに任せてもらおう」

 「・・・無駄な会話。時間の浪費に繋がる。口ではなく手を動かして」

 亀子が静かに、しかしぴしゃりと言った。

 亀子は甲板に腰を下ろすと、二人に矢継ぎ早に指示を出す。

 「アジは深度4・5メートルの変温層の下にいる、深度5メートルを狙って釣針を投下」

 「へいへい」

 「かかった時の注意事項。引っ張る時は魚との位置関係が真っ直ぐ上下になるように。左右に引くと隣の仕掛けに絡まる」

 「へいへい」

 束はやる気の無い生返事だ。なんだかゲーセンのUFOキャッチャー前でよく見かける、自分はやらずに後ろで評論してる人とレバーを動かしながらだんだん不機嫌になっていく人のコンビを彷彿とさせるその様子に洋平は収まりかけていた不安が再び大きくなった。

 「びくっ、は軽くつついただけ。びくびくっ、で食いついた。びくびくびくんっ、は餌を食べ尽くされてる。びくびくっ、で合わせて。・・・聞いてるの参謀長?」

 「いや、わけわかんねえし。合わせるって何をだよ」

 「針を魚に食い込ますこと。参謀長は瀬戸内出身なのに、こんなことも知らないなんて可哀想」

 「うるせえ。あたしは家が厳しくて、釣りなんてやらせてもらえなかったんだよ!」

 思わず言ってしまった、というような様子で束は舌打ちをしてそのまま黙り込んでしまった。家が厳しいと言っていたが、彼女はもしかして良いところのお嬢様、だったのだろうか。その姿からは信じられないが・・・

 「そう言えば、さっき軍人になりたくてなったわけじゃないって言ったけど、じゃあどうしてヤンさんは軍人になったの?」

 洋平の何気ない問いにヤンは頭を掻きながら答える。

 「うん、前にも言ったと思うけど、もともと私は歴史家を志望していたんだ。でも十五の時に父が事故死してしまってね。大学に行きたくてもお金がないから、タダで歴史が学べるところはないかと探したんだ。で、タダで歴史が学べる士官学校の戦史研究科に入学したんだが、なんとも運のないことにその戦史研究科が廃止されてしまってね。辞めようにも、辞めたら辞めたらで今までの学費を払わないといけないから泣く泣く在籍し続けて、気づいたら軍人になってしまっていたというわけさ。そのあとも何とかタイミングを見つけて辞めようとしたんだけどねえ。ところがどうも功績を挙げすぎたみたいで、階級も上がって、部下も増えて気づいたら辞めようにも辞められなくなっていたのさ」

 「な、なるほど・・・」

 「なりたくもないのに軍人になったのか。道理で軍人らしく見えないわけだ」

 歴史をタダで学びたいから士官学校に入学して、気づいたら軍人になって辞められなくなった。

 食い扶持がないから軍人になった、という人間は多いがこれはこれで少し変わった理由である。本人はなりたくなかったのに、気づいたら軍人になってそれなりに地位も得ていたらしい。人生とはなかなかにいたずら好きなようだ。

 「そう言えば、亀子さんはどのあたりの出身なの?」

 少し話題を変えて、洋平は亀子に聞いた。

 「生まれは呉」

 「やっぱり。道理で詳しいと思った。海に詳しいけど、小さい頃、親御さんに海釣りを教わったとか?」

 「両親は顔も覚えていない。父親は私が生まれてすぐ死んで、母は私を捨てた。私を育ててくれたのは、呉鎮守府が運営する身寄りのない子どものための施設」

 「え? ごっ、ごめん!」

 つまり彼女はほとんど孤児も当然だったというわけだ。いきなりデリケートな話題に触れてしまった。隣の束は黙ったまま。知っていたのであれば止めてくれればよかったのだが。

 「構わない。嫌な思い出ばかりじゃない」

 亀子はゆっくり目を閉じ回想する。

 「あれは4歳の時。江田島から兵学校の生徒達が施設に慰問に来た。私は皆の輪から離れて、部屋の隅にいた。壁と床の間から、アリが侵入していた。私はアリを一匹ずつ指で潰していた」

 「へえ、それは良い話・・・じゃねえよ! 何さらっと虫殺してんだ! てめえは幼児の頃から既に歪んでたのか!」

 これは初めて聞く話らしく、束が振り返って叫んでいる。亀子は無視して続けた。

 「兵学校生徒の中で一人だけ、私に近付いてきた人がいた。頭に赤いリボンをつけて、大きな目をきらきらさせた人。傍にしゃがんで、その人は言った。『どうしてアリを殺すの?』と。他の人と違って、私のことを気味悪がらなかった。理由を訊いてくれた」

 赤いリボンを付けた少女。それはもしや・・・ヤンと洋平は顔を見合わせた。

 「私は答えた。このアリ達は斥候。見逃せば建物の中に食料を見つけ、巣に帰って報告する。そうすれば何百匹もの本隊がやってきて、施設の大人達に見つかる。本隊も、外にあるアリの巣も駆除されてしまう。でも、私がここで斥候を殺せば、それだけの犠牲で済むかもしれない。そうしたら、その人はこう言った。『君ユニークだね、気に入ったよ。先でわたしが司令官になったら、君を参謀にしてあげる。待ってるからね』」

 気づけば強引に良い話にされていた。黒島亀子(幼女)にプチプチ潰されたアリたちも草葉の陰で感動していればいいのだが。「リボン頭の誰かさんは、昔から他人に甘かったんだな」と、束が呟き、「まぁ、いかに味方や敵を効率よく殺すかが用兵の本文だからねえ」と、ヤンが頭をかいた。

 「7年後、連合艦隊司令長官になったその人は、私を先任参謀にするよう人事局に頼んでくれた。あの時の約束を、忘れていなかった。軍令部に勤務経験のない者を先任参謀にするのは前例がなかったから、通すのは大変だったはず。・・・山本長官に、恩を返したい」

 亀子が目を開ける。

 同時に、束の釣り竿が大きくしなった。少し遅れて、ヤンと洋平の釣り竿も。

 「やべえ、来た、なんか来た、びくびくいってるぞ! どうすりゃいい黒島!」

 「一気に引き上げて! 源葉参謀もはやくっ!」

 「ぐうっ!」

 竿を握る手に力を籠め、前のめりになる体をまっすぐにし、釣り糸を水面から引っこ抜こうとする。

 次の瞬間、体が軽く感じ、同時に銀色に光る三つのものがごく短時間空中を飛行し、甲板上に叩き付けられた。

 背中に黄色味を帯びたアジが三匹、ビチビチと甲板の上で踊っている。

 亀子はそれを普段の姿からは考えられないほどの素早さで掴みバケツに放り込んだ。

 「はあ・・・はあ・・・凄い、アジだ、本当に釣れた・・・海釣りも初めてだけど、こうやって自分でちゃんと魚を釣れたのも初めてだよ」

 「源葉もか! あたしもこれが人生初釣りだ」

 お互い感無量で戦利品を一目見ようと近付いたヤンと洋平と束を、亀子は手で制した。

 「浸ってないで、釣針に次の餌を装着。さっきと同じ水深に下ろして」

 「ああ? 3匹も釣れたんだし少しくらい休ませろよ」

 「駄目。アジの群れは短時間で移動する。釣れる時は釣れる、釣れない時は全く釣れなくなるのがアジ。今を逃さないで」

 亀子の厳しい口調にヤンは肩をすくめた。

 「専門家がそう言うのなら、仕方ない。君の言うとおりにしよう」

 渋々戻った彼らだったが、やがて亀子の言葉の正しさを知ることになった。最初の釣果の後も順調にかかっていたアジが、ある時を境にぴたりと釣れなくなったのだ。

 「やべえな、このままだとヤン参謀と源葉参謀のクビも現実味を帯びてくるぜ。長官は賭け事で取り決めたことは、相手がどんだけ下っ端だろうときっちり守るからな」

 「・・・ど、どうしよう・・・ここを追い出されたら行くとこなんてないよ・・・」

 「ううむ、そいつは困ったな。一応こいつには私の給料もかかっているんだが・・・」

 こればかりは流石のヤンとてどうしようもない。悪化した状況に現実味を帯びてくる大和からの追い出しに洋平は不安になる。本当にここを追い出されたら、この世界で洋平に行くところなんてない。どんよりと暗くなる洋平を見て、ヤンは頭をかきながら言った。

 「まぁ、たとえ負けてもやりようが無いわけではないからね。彼女はあくまで負けたら『大和から降ろす』といっただけでそれ以外は何も言ってない」

 「ヤン参謀の言う通りだ。長官はいざとなったら連合艦隊の旗艦を長門辺りに移して、司令部ごと大和を降りるっていう算段だと思うぜ。引越すのは面倒臭えけど、長門だって良い艦だしな」

 「その発想は無かった! いや、五十子さんに限ってそんな卑怯なことしないと思うけど」

 そう言いつつも戦艦長門も悪くないかもしれない、と考える洋平だった。

 亀子はアジで重くなったバケツを持っておもむろに立ち上がった。

 「その必要はない。アジの群れが乗った潮流の先は、山本長官と渡辺参謀が待機する本陣。軍楽隊も隣にいるけど、先に沢山釣れたこちらの釣果を足せば私達の勝利。アジの群れが本陣に向かわなかった場合は、軍楽隊も釣れないので私達の勝利。全て私の計画通り」

 「「それを先に言えよ!」」

 しかし本陣に戻る途中、洋平達は釣り具を担いでうろつく寿子に出くわすことになる。 

 「渡辺参謀、あなたには本陣で待機を命じたはず!」

 「え~、でもあそこ全然釣れないですしい、場所を変えて釣った方がいいんじゃないかと思ったんですよお。あ、皆さんの貴重品とかは長官に預けてありますから安心して・・・」

 「今すぐ持ち場に戻って!」

 珍しく亀子が声を荒げている。しかし、何で怒られているかわからない寿子はきょとんとするばかりだ。無理もない。残してくる時、亀子は寿子達に何の説明もしなかった。

 「え? どうしたんです黒島参謀、あそこで待つ理由って何かあったんですかあ?」

 「寿子さん、実は・・・」

 洋平が亀子の作戦について話そうとした時、二番副砲の方から歓声が聞こえた。軍楽隊のものだ。

 「大漁じゃん大漁!」「初めちっとも釣れなかったのが嘘みたい! この場所で粘ってた甲斐があったね!」 「うわあ、こんなアジばっか食べられないよ!」

 最初に釣りをしていた場所に来るとそこにあったのは整然と三列横隊を組む軍楽隊の姿だった。

 緩い仕事は裏腹にその動きは統制が取れており、呼吸の合った動きで代わる代わる海に釣針を投下していく。その姿は中世の戦列歩兵や統制のとれた宇宙艦隊の動きを彷彿とさせた。

 「やれやれ、軍楽隊の動きと統制と腕前がここまでとはね」

 軍楽長の雫は列の後ろで指揮棒を振るっている。

 「釣れても失敗しても速やかに後ろに下がって、餌を再装着した兵と交代! 初心者なんだから上手に釣ろうと思わないで、とにかく絶え間なく餌を垂らし続けるの! そこ、もうすぐ餌のストックが無くなるわよ、烹炊所に行ってもらってきて!」

 雫の足元に置かれたバケツには、洋平達が後甲板で獲ってきたのを上回る量の戦利品がびちびち跳ねている。亀子の読み通り、アジの群れがこっちへ移動してきたのだ。

 一方で司令部チームはといえばヤンと洋平達のバケツにはそれなりにアジが入っていたが、留守番し一人釣り糸を垂らしている五十子のバケツは全くの空だった。

 「あっ、お帰りみんな~。わたしやっぱり全然ダメだよ、何度か引きがあったんだけど、餌食べられて逃げられちゃった」

 「うん、まぁ、初心者なら仕方ない」

 屈託なく笑う五十子の隣にヤンと洋平は静かに座った。

 一緒に釣り糸を垂らす。

 「でもまぁ、別にまだ負けと決まったわけじゃない。たとえ負けかけていても、要は最後の瞬間に勝っていればいいんだからね。それにさっき寿子から聞いたよ。釣った数は相手さんのチームのほうが多いけど、平均のほうはまだ互角らしいね。まだ、巻き返すチャンスはあるさ」

 慣れない手つきで竿を握りながら話すヤン。

 制限時間が迫る中、釣った数だけで言えば軍楽隊チームのほうが司令部チームを大きく上回っていたが、平均では互角であり、一進一退の攻防が続いている状態だ。

 束と寿子が舷側に並んで、亀子の指揮で次々と釣り上げ始める。

 束と寿子も隣に座り釣り糸を垂らす。

 寿子は中級者クラスの腕前らしいし、束も精鋭ではないにせよコツを掴むのが早い。猛烈な追い上げで、みるみる軍楽隊のリードを縮めていく。甲板の後ろには勝負の話を聞きつけて、見物の人垣ができていた。

 「ご自分の進退がかかった勝負の最中にお喋りだなんて随分と余裕ですね、源葉洋平さん、ヤン・ウェンリーさん」

 いつの間にか、右隣に雫が立っていた。餌を取りに行かせた部下の帰りが遅いので、自らローテーションに入ったようだ。

 「さっき君のチームの様子を見させてもらったけど、すごいチームワークだね。良く統制が取れていた。日ごろの訓練の賜物かい?」

 ヤンは素直にそう評した。

 ヤンの評価が皮肉の混じっていない素直なものであることを感じたのか雫は不快な表情や様子は見せなかった。が、生真面目な様子で答える。

 「お二人に恨みはありませんが、受けた以上は勝たせて頂きます」

 「・・・やっぱり、男の人は嫌い?」

 そう訊ねたのは五十子だ。また食い逃げされたらしく、革手袋をはめたままの手で器用に餌を釣針に刺していた。

 「はい。男は私達から大切なものを奪ってしまいますから」

 「大切なもの?」

 「団結です。源葉さんが先ほど軍楽隊の団結力を褒めて下さいましたが、団結できるのは女だけの組織だからです。もし男が混じったら、嫉妬とか三角関係とかそういう破廉恥なしがらみに囚われる兵が出るに決まってます。きっと今のままではいられません」

 「軍楽長はまだまだ浅いですねえ! 同性同士だって嫉妬も三角関係もあるんですよお!」

 後ろで寿子が何やら喚いているが、雫の言うことにも一理あると洋平は思った。

 元の世界の学校でリア充とそれを中心に輪形陣を組んだキョロ充共が男女関係を巡って繰り広げる醜い人間模様は、見聞きさせられるたび生理的嫌悪感を催したものだ。男女共学を導入した人間たちはいったい何を意図していたのだろうか。まさか、男女間の、人間関係を醜くさせるために悪意を持って導入したのであろうか。せめて学校が共学でさえなければ・・・

 「まあ、男を嫌いになるのも分からなくねえな」

 ふと、ヤンの隣に座っていた束が呟いた。

 「あたしたち海軍乙女はな。自分は海に入って戦うことができないくせに、陸の上で何も知らない苦労していない大人や男どもが威勢よく声張り上げて、威張って、あたしたちに義務と責任を押し付けるいるその尻拭いをさせられてきたんだ。海軍乙女達自身の血を流してな。・・・なんだってあたしらが」

 束が吐き捨てるように言う様子を見て、ヤンはこの世界も自分のいた世界と同じなのだと感じた。外に向かっては威勢の良い愛国的な言動をしながら、内では己の利権と保身のみを考える腐敗した政治家。戦争に対し何ら疑問を持たず、さらなる戦果を求める民衆。衆愚政治と化した民主共和制。それらのツケを前線の将兵たちがその血で払ってきたのだ。それは他ならぬヤン自身も経験したことだった。しかもこの世界ではそのツケをただの兵士ではなく、本来その権利と未来と才能とを保護されるべきうら若き少女が、子供たちが払わされているのだ。しかも誰もそれを異常なことと感じていない。いや、あくまでそれはヤン自身の常識や観点から見ればの話であって、この世界ではそれが常識なのかもしれないが・・・

 「・・・私のいた世界も同じさ」

 ヤンは言った。

 「自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場に駆り立てて後方で安楽な生活を送るような輩によってどれだけ流血が起きたことか。私の嫌いな人種さ。少なくとも、私はそういう人間に何度も苦労させられた」

 「・・・あんたは違うって言いたいのか?そんなこと言うのなら確かにそうかもしれないな。あたしもそう思いたいよ。けどな、皆が皆、長官みたいに寛容なわけじゃないし、海軍乙女にとっちゃ、陸の男や人間は皆、あんたの言うような人種なのさ」

 もしかすると、男子禁制の背景にはそのような感情もあるのかもしれなかった。

 「私達が私達でいられる場所は、海軍しかないんです。だから」

 雫がそう言いかけたその時であった。

 雫の言葉が途中で途切れた。彼女の釣り竿が激しくしなる。ほとんど同タイミングで、洋平の握る竿にもびくっと感触があった。

 「おっ、軍楽長もしかして初釣果?」「軍楽長がんばって!」「男に負けるな!」

 観衆から声援が送られる。雫の顔が紅潮していく。見ると、釣り竿の握り方が少しおかしい。ヤンと洋平は今更ながら、彼女もまた釣り初心者だったのを思い出した。

 「きゃっ・・・」

 バランスを崩し、雫の身体が斜めになった。彼女の釣り糸は魚に引かれるまま、左に流される。

 「危ないっ!」

 五十子が叫ぶ。洋平が自分の釣り竿を引き上げるより早く、雫の肩がどん! とぶつかってきた。

 「つつ・・・大丈夫?」

 「ごめんなさい・・・ああっ!」

 小さく悲鳴を上げた雫の視線を目で追う。

 洋平と彼女の釣り糸が絡まってしまっている。釣り用語で「おまつり」という状態である。

 二人の釣り糸はそれぞれまだピンと張っているが、このままではすぐに食い逃げされるだろう。

 どうにかしなければ。

 次の瞬間、洋平は後ろに向かって叫んでいた。

 「誰か、何か切るものを! 軍刀でもなんでもいいから!」

 「おい、源葉てめえまさか・・・」

 「ソーイングセットならあるよ!」

 五十子が裁縫鋏を差し出す。洋平は掴み取ると、躊躇なく自分の釣り糸を切断した。

 「軍楽長さん、引いて! 急いで!」

 反射的に、雫が彼女の釣り竿を引き上げた。これまで見てきたより一回り大きいアジが甲板に落着し、ギャラリーが沸く。同時に、制限時間終了。

 両チームの戦果、一人当たりの平均は偶然あるいは皮肉にもその一匹によって、僅かに軍楽隊チームが上回り、勝負は軍楽隊チームの勝利となった。

 「訓練とはいえ、利敵行為だ。てめえは軍人失格だ」

 束が怒っている。

 「とにかく、山本長官が約束したんだから仕方ねえよな。こいつらを(足に重りを付けて)大和から(海に)降ろすってことで全員異存はねえな?」

 「参謀長、それもうただの処刑になっちゃってますよお」

 「待って。彼を大和から降ろす(とみせかけて解剖)なら私に任せて欲しい」

 「黒島参謀は少し黙ってて下さいよお!」

 「・・・やれやれ」

 参謀達が言い争っているのを眺めながらヤンは頭をかいていた。

 「・・・その、ヤンさん、ごめん。とっさに体が動いちゃって」

 「・・・どうして、彼女に勝ちを譲るような行動をしたんだい?」

 謝る洋平にヤンは至って平静であり起こっている様子はなかった。むしろ興味深そうな様子でもあった。

 「・・・別に勝ちを譲ろうというわけじゃなくて。ただ・・・」

 「ただ?」

 「ただ、なんと言うか。軍楽長も釣りが初めてなんだなって。僕も初めて釣れた時うれしかったし、皆もきっとそうだったから。だから・・・」

 「彼女にも、達成感を味わってほしかった?」

 ヤンの言葉に洋平は頷いた。

 ヤンは微笑み、小さく拍手した。

 「うん、そいつは、その心がけは素晴らしいことだと思うよ。少なくとも人間としてはそれで正解だ。それに人間、勝ち負けにばかり拘っていると醜くなるからね・・・でもまあ、これからどうしたものか・・・」

 ヤンがそう言って頭をかいているとしずくがこちらに歩み寄ってきた。

 「・・・お待ち下さい。最後に釣れた一匹は、源葉中佐との協同釣果です。ですので、当方の勝利という判定には納得できません」

 軍楽隊はじめ甲板上の少女達がざわざわする。驚いたのは洋平とて同じだ。

 「軍楽長さん、どうして・・・」

 「逆にお訊ねします。どうして私に勝ちを譲るようなことを?」

 遅れて気付いた。雫の声が微かに震えている。怒っているのだ、それも束の比ではなく。

 「美鰤人が言うレディーファーストとやらですか? ああして情けをかけてやれば、女なんてちょろいと? 酷い侮辱だわ。そんな勝利は、こちらから願い下げです!」

 ヤンと洋平は理解した。

 この勝負は雫にとって魚釣りではなく、彼女にとって大切な「男子禁制の海軍」を守るための戦争だったのだ。

 「・・・僕は、そういうつもりじゃなかった」

 「じゃあ、どういうつもりで!」

 「その・・・軍楽長さんも、魚釣るの初めてなんだなって思って。僕もさっき初めて釣りに成功して、楽しかったし嬉しかったんだ。だから、同じ楽しさや達成感を軍楽長さんにも味わって欲しかった。ただそれだけだよ。軍楽長さんを馬鹿にしたと言われれば、返す言葉もない。すまなかった」

 ヤンに話こととと同じ内容を、正直に話しただけのつもりだった。雫は怒りの表情のまま、数秒間固まってしまった。

 「えっ・・・あ、貴方、一体何を・・・え?」

 混乱する雫の肩にヤンが静かに手を置いた。

 「うん、まあ・・・つまりそういうことなんだ。彼は君にただ楽しんでほしかっただけで・・・別に下心があったわけじゃない。十分信頼に足ることだと思う。・・・別に勝敗で決めても良かったんだが・・・私としては勝負に負けて無理やり納得するよりも信頼してもらうほうが遥かにいいと思うんだ。私を信頼しろとまではいわないけど、彼のことを信頼してもらえないだろうか。一人の仲間として」

 「・・・信頼・・・仲間・・・」

 更に、後ろから静かに寿子が忍び寄り雫に抱き着く。

 「ひゃあっ! わ、渡辺中佐? 渡辺中佐は、海軍に男がいても構わないんですか? 乙女共栄圏の理想は・・・」

 「いいですかあ軍楽長、未来人さんは海軍の運命、この戦争の趨勢を左右する特別な人なんです。それに未来人さんは、私達海軍乙女に死んで欲しくない、自分の身はどうなっても構わないから海軍のために尽くしたい、そう山本長官に願い出たんですよお。ね、長官?」

 いやそこまで言ってない、盛り過ぎだろと思ったが、五十子はにっこり頷いてしまった。軍楽隊はじめその場の少女達にまじまじと見つめられ、二人は訂正するタイミングを逃す。

 「そんな・・・私達のためにそこまで」「もういいんじゃないですか軍楽長。良い人ぽいですよ」「男は男でも陸軍みたいに偉そうじゃないし」「海を泳げるって意味では男より女に近いし」

 今度は雫に視線が集まる。口をぱくぱくさせていた雫は、どうにか凛々しさを取り戻して寿子を引き剥がすと、こほんと咳払いした。

 「し・・・仕方ないわね。皆がそこまで言うのなら。か、勘違いしないで下さいお二人とも、貴方がたを認めたわけじゃありませんから。渡辺中佐の持ってる本に出てくるような、は、破廉恥な行為を誰かにしたら、私、絶対に許さないですから! わかりましたか!」

 「ああ、うん。寿子さんの業がいかに深いかよくわかったよ・・・」

 「ところで、賭けの決着はどうしよう?」

 五十子が「うーん」と悩むポーズをとった。束が大きく息を吐き出す。

 「・・・面倒臭えから引き分けで終わり、でいいんじゃねえか。そもそも言っちゃあなんだが、仲間として認めるかどうかなんてのは個人の気持ちの問題だ。賭ける対象じゃねえ」

 「うん、言われてみれば。束ちゃんの言う通りだね!」

 自分の誤りを指摘されたのにと五十子は満足げだった。

 後で聞いた話によれば、大和一の男嫌いで知られる軍楽長が折れたことで連合艦隊の中で洋平がいることに公然と異を唱える者はいなくなったという。

 こうして、釣り勝負が行われた西暦1942年4月13日はあるい意味では葦原海軍および連合艦隊の歴史のターニングポイントとして記録されることになる。




次回予告(CV:屋良有作)

晴れて仲間として認められ連合艦隊特務参謀となったヤンと洋平。司令部メンバーと共にミッドウェー作戦と今後の戦争指揮について協議する中、軍令部から五十子達のもとに帝都への一時帰還を要請する連絡が届く。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第12話「帝都へ」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第12話 帝都へ 

 艦橋、作戦室。釣り勝負を終えたヤンと洋平、五十子たちが集まっている。

 「わたしが今日の勝負を通して一番伝えたかったのはね、簡単に釣れそうなアジでもいざ釣ってみると色々奥が深いってことなんだよ。航空機だってこの戦争が始まるまでは軽視されてたよね、何事も先入観を持たないのが大事なんだよ!」

 「教訓が回りくどすぎて多分誰にも伝わってないよ、それ」

 賭けの意義をドヤ顔で語る五十子に、洋平は懐疑の眼差しを向ける。

 「大丈夫! わたしはみんなを信じてるから!」

 「あのさあ・・・。じゃあ、賭けに負けた時は僕をどうするつもりだったの?」

 「え、やだな洋平君。わたしが岩田軍楽長に出した条件覚えてる? 洋平君を大和から降ろすとしか言ってないんだから、連合艦隊司令部ごと他の艦に移っちゃえば・・・」

 「えっ、五十子さんその屁理屈で通すつもりだったの?なんかイメージが崩れるなあ」

 五十子は胸を張り

 「ちょっと、誰に向かって言ってるのかな洋平君?私は海外でカジノを出禁になったり、開戦劈頭に真珠湾を奇襲したりしちゃう女だよ? 気付くのが遅いよ!」

 威張るべきことではないが、こういうところが彼女が彼女たる所以であり魅力なのだろう。ヤンは洋平に苦笑しながら肩をすくめて見せた。そこへ寿子がティーセットを持ってやってきた。

 「どうぞお、今日はアールグレイティーを淹れてきましたよお」

 ティーカップに琥珀色の液体が注がれると同時に柑橘系の香りが漂う。

 ヤンは待ってましたとばかりにカップに手を伸ばし、一通り香りを楽しむと、一口飲み満足気な表情を見せた。

 「うん、おいしい。君もなかなか上手だね。ユリアンといい勝負だ」

 「ユリアン?」

 髪を揺らしながら寿子が首を傾げた。

 「ああ、前にも言ったと思うけど私には被保護者が、つまり養子がいてね。ユリアンというのだけれど、私にはもったいないぐらいよくできた子でね。文武両道、家事も得意、紅茶を淹れる腕前は本当に上手だった・・・今頃どうしてるかなあ」

 ふとヤンは元の世界に残してきた人々のことを思い出した。自分にはもったいないほどの自慢の息子ユリアン、誰よりも愛しいそして良き妻であるフレデリカ、シェーンコップにオリビエ・ポプラン・・・皆かけがえのない大切な仲間だ。彼らは今頃自分がいなくなってどうしているのだろうか。自分が死んだものと思い悲しんでいるのか、提督が消えてしまったと右往左往しているのだろうか。早く無事を伝えたいのに伝えることができないもどかしさが募る。故郷と懐かしい人々への郷愁の念が現れる。この世界に来てから何度も思うことであった。この状況を受け入れているつもりではあったが、結局人は自分の故郷を忘れることはできないのだ。

 「・・・お茶を飲んで一息ついたら、ミッドウェー作戦の研究会、始めようか。ちょうど皆も揃っているし・・・」

 ヤンの感情を察したのか五十子が言った。

 寿子が壁に掛けられた時計を見る。

 「そうですねえ、時間は限られていますし、まずは黒島参謀の作戦計画の見直しをしましょう」

 「・・・私の計画書は完璧。検討は不要」

 「あ、亀子さん起きたんだ。おはよう」

 机に突っ伏していた黒島亀子がゆっくりと顔を上げた。束は嫌そうな顔をしてそっぽを向き、寿子は苦笑いしながら資料を配っていく。

 「じゃあ、おさらいしますよお。黒島参謀の案では、艦隊を主力の正規空母からなる本隊と小型空母からなる別動隊とに分けて、まず別動隊が北のアリューシャンを攻略。続いて本隊がハワイ西のミッドウェーを攻略した後、ハワイから迎撃のため出てくる美艦隊を捕捉・撃滅する、と」

 もともとミッドウェー作戦に関する研究は五十子の指揮指令の元行われていたが、現在のその議論はほとんど進展していない。その原因は黒島亀子にあった。

 「あのお、艦隊を分散させる理由は何ですか? 兵力集中が戦術の基本だと思うんですけどお」

 「計画書に書いてあることが全て。理解できないなら話しても時間の無駄」

 「そんなあ! 私が作戦の内容をちゃんと理解してないと、軍令部の人達に上手く説明できないじゃないですかあ。それとも軍令部との折衝、私じゃなくて黒島参謀がやってくれるんですかあ?」

 「しゅぴー・・・」

 「って、寝ないで下さいよお! はあ・・・毎度のことですけど、今回は特にひどいですねえ」

 「やめとけ渡辺参謀、こいつにまともなコミュニケーションを求める方が間違ってる」

 これが原因である。

 亀子は自分の練った作戦計画に誰かが口出しするのを嫌っており、更には己の頭脳と自らの計画した作戦に絶対の自信を持っており、修正や議論は不要とばかりに頑なに議論を拒むのである。その態度は同僚であり上官である寿子や束に対しても同様であった。そもそも、配られた資料も寿子が、亀子の資料だけでは分かり辛いからと制作したものである。寿子の言う通り、司令部メンバーで作戦内容について共有していなければ円滑な作戦指揮は困難であり、また上層部の許可を得ることも不可能だろう。

 「亀子さん、僕も艦隊を分散させるのは考え直した方がいいと思う」

 寿子だけに言わせておくわけにもいかない。再び突っ伏してしまった亀子の寝癖頭に向かって、洋平はやや強めの口調で切り出した。

 「ミッドウェーとアリューシャンは南北2000浬も離れている。何かあった時に連携し合える距離じゃない。正面戦力を低下させてまで、同時攻略する必要があるの? アリューシャンの島を占領するのは、正直やめた方が良いと思うし」

 北のアリューシャン諸島はその気象条件が非常に厳しい。一言でいえば攻め易く守り難い。一年のほとんどを濃い霧に覆われ、基地に航空機を配備しても索敵や迎撃のために飛ばせる時間はごく僅か。結果、敵の接近を許すことが非常に多い。実際、洋平がプレイしていたゲームでもこのアリューシャン諸島のマップにおいてはこの厳しい条件に悩まされ、敵の接近を許し気付いた時には霧の中から現れた戦艦級の艦砲射撃で基地壊滅ということが幾度もあった。

 史実でも日本がアッツ・キスカ両島に上陸した際に敵の守備隊はおらず、無血占領している。守備隊がいなかったのは、飛行場が使えない島は守れないし、そもそも守る価値が無いからに他ならない。

 黒島は突っ伏したままくぐもった声を出した。

 「アリューシャンは陽動。島の占領は目的ではないし、占領できた場合でも、ミッドウェー作戦が終わり次第撤収させる」

 アリューシャン諸島はヴィンランドの領土だ。戦略的に重要でない場所であり、本土ではないとはいえ、自国領土が占領されたとなれば黙ってはいられまい。確かにアリューシャン諸島は陽動としての価値はあるだろう。

 しかし・・・

 「少し疑問に思ったんだが、この作戦の目的は何なんだい?」

 次に口を開いたのはヤンである。

 「資料によれば、本作戦ではアリューシャンとミッドウェーを攻略したのち、誘い出したアメリカ艦隊もといヴィンランド艦隊を補足・撃滅するとある。どうも、作戦の目的が二重になっている気がするよ。島の攻略が目的なのか、敵艦隊の撃破が目的なのか、それとも両方が目的なのかい?」

 ヤンがこの作戦計画を見て真っ先に感じたことは目的が曖昧ではないか、ということだった。島の攻略が目的なのか?敵戦力の撃破が目的か?それとも両方か?そもそも軍事作戦というものは目標・目的とがはっきりと明確に一つに表されていなければならない。目的を二つ掲げて失敗した例は軍事に限らず政治やビジネスなど様々な面において多く挙げられる。もちろん、主目的が達成できない場合、従目的を定めることはある。この作戦における目的の二重性もどちらかが主目的で、どちらかが従目的という類のものかもしれない。だが、主目的を達成するという認識もなく、そもそもの目的は何かという認識が統一されていなければ、的確な指揮は不可能だ。

 「・・・もちろん、目的は、敵艦隊の撃破。それが最優先の目的。そもそもミッドウェー自体に戦略的価値はない。ミッドウェー攻略はあくまで敵戦力の撃破のための布石に過ぎない」

 「つまり、ミッドウェー攻略もあくまで敵を誘い出すための陽動だというのかい?」

 亀子が床に突っ伏したまま頷いた。

 「黒島参謀、未来人さんが相手だとちゃんと喋りますねえ。私ちょっと妬けちゃうかも」

 「どっちに妬いてるかによって、てめえとの距離のとり方が変わってくるな」

 何やら隣がうるさいが気にする必要はない。

 洋平は疑問と警告をを呈した。

 「陽動? よくわからないけど、陽動や奇襲にこだわる必要あるのかな。太平洋上の作戦行動可能な戦力は、今なら葦原の方がヴィンランドを上回っているんだよね?それに敵艦隊の撃破が最優先の目的なんだよね?だったら、奇をてらわずに、全艦隊をミッドウェーに投入した方がいい。戦力は集中すべきだよ。でないと、味方の空母を危険に晒すことになるよ」

 亀子に向けた言葉の最後に予言めいたものを感じたのか、寿子と束が洋平に注目する。

 そう、これは予言である。

 ヤンと洋平の知る歴史においてミッドウェー海戦は大東亜戦争の重要なターニングポイントの一つとして記録されている。開戦以来、日本軍の攻勢の主力を担ってきた空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍、三百機近い航空機。それらの貴重な戦力が瞬く間に壊滅させられ、海の藻屑と消えた。以降、反撃に転じた米軍に対し日本海軍が戦いの主導権を取り戻すことはなかった。

 洋平としては、本当はミッドウェー作戦そのものを中止にしてほしかった。だが、こうして作戦案が提出され山本五十子自身がこの作戦を戦争終結のための信念としている以上、止めることはできない。彼女は、一度は諦めかけていた早期講和の可能性をミッドウェーに賭け、その実現をここにいる5人に託したのだ。ならば洋平のすることはひとつしかない。自分の計画を完璧だと思っている先任参謀には申し訳ないが、洋平が持つ未来の知識でもって作戦内容を改変し、ミッドウェー作戦を勝利に導く。架空戦記の王道をやるしかない。

 だが、洋平の警告に応じたのは意外にもヤンであった。

 「洋平君、ポーカーをしたことはあるかい?」

 「ごめん、僕ポーカーはあまり詳しくないんだ。大貧民とかならやったことあるけど・・・」

 どうして突然ポーカーなんだろうと首を傾げた。

 ヤンは頭をかきながら説明する。

 「ううん、そうだなあ。例えば君が今何かカードゲームやギャンブルとか勝負をしているとする。相手が突然、最初からあまりに多いチップや金額をかけてきたら君はどうする?私なら勝負を降りることにするね。何しろ、相手が大金を賭けるほど強い手札を持っていると考えられるからね。いきなり強い相手と真正面から戦う人間はいないよ」

 「えっと・・・つまり、敵に自分の戦力を実際より小さく見せたいってことですか・・・?」

 ヤンは頷いた。

 「そういうこと。つまりこの場合、亀子は戦力を分散させることで、敢えて味方を危険に晒そうとしているんだ。敵を確実におびき寄せるためにね。逆にこちらが万全の態勢だったら敵艦隊は出てこないかもしれない。勝てない相手と真正面から戦う軍隊はまず無いからね」

 ヤンの言葉に洋平ははっとした。思い出したのは、つい数日前のセイロン沖海戦だ。

 世界最強を誇る南雲機動部隊が事前に気付かれながら堂々と強襲したが、ブリトンの東洋艦隊にはあっさり逃げられ、貴重な燃料を浪費するだけに終わった。

 ヤンの言葉に続けるように亀子がゆっくりと口を開いた。

 「・・・決戦を欲しているのは、あくまで私達。私達の都合に合わせて戦う理由は向こうには無い。圧倒的な工業生産力で戦力が逆転するまで、艦隊を温存して時間稼ぎをしようと考えているはず。こちらの動きを慎重に見極め、主力同士が正面からぶつかる戦いは巧みに避けている」

 確かに一理ある。国力10倍のヴィンランドに、危険を冒してまで勝ち急ぐ理由はない。

 「一方、確実に勝てると見込んだ戦いには躊躇なく空母を投入する傾向が見られる。2月のマーシャル・ギルバート諸島空襲、ウェーク島空襲、ニューギニア沖海戦で未遂に終わったラバウル空襲。3月の南鳥島空襲、ラエ・サラモア空襲。どれも例外なく、こちらの戦力が手薄なところを狙った少数機動部隊による一撃離脱戦法。ヴィンランドの指揮官は狡猾。その狡猾な習性を、逆手に取る」

 不意に亀子がヤンのほうを向いた。

 「・・・ヤン参謀、あなたは理解が早くて助かる。他の海軍乙女や上層部は頭が固くて、私たちの作戦に無理解。可哀想」

 「まぁ、私の仕事は椅子に座ってお茶を飲みながら作戦を考えたり指揮することだったからねえ。それで食べてきたわけだし」

 頭をかくヤンを横目に洋平は亀子の意図をまとめる。

 「それで陽動・・・アリューシャンを攻める部隊は、こちらが寡兵だと思わせヴィンランドの空母を真珠湾から誘い出すための囮ってことか」

 「それだけじゃない」

 亀子の策は、洋平の予想をさらに一つ超えていた。

 「聞いて。まずこちらは小型空母2隻程度の小規模な部隊でアリューシャンを攻める。一報を受けたヴィンランドの指揮官は思う、葦原の航空戦力を優勢に叩けるチャンスだと。ヴィンランド機動部隊はハワイを出て、アリューシャンに向けて北上を開始する。時間差でこちらの主力、南雲機動部隊が、ハワイ近くのミッドウェーを攻める。退路を断たれ真ん中で孤立した美機動部隊を、北の別動隊と南の主力、2つの機動部隊で挟撃する」

 「挟撃? 陽動するだけじゃなくて? いや、そんなことがもしできたら凄いと思うけど・・・さっきも言ったようにアリューシャンとミッドウェーはとても遠いんだよ。もはや別マップというか」

 「できる。別動隊の小型空母はアリューシャンの敵基地を空襲した後、即座に南下して距離を詰める。葦原機の航続距離と練度なら、挟撃は十分に可能。さらに、両島の上陸支援にあたる各水上打撃部隊も美機動部隊を発見し次第、上陸作戦を中止して追跡。最終的には、四方陣で敵を包囲する。1隻も、生かしてハワイには帰さない」

 亀子は静かに、だがどこかに絶対的な自信を含ませながら言い切った。洋平が反論しないとみると亀子は再び机に突っ伏して本格的に寝息を立て始めた。しばらくは何があっても起きることはあるまい。

 生活態度やコミュニケーション能力において問題のある彼女だが、いざ作戦のこととなれば妙に説得力がある。負けると分かっている作戦でもだ。少なくとも話だけを聞いてみればそれは非常に筋が通っているように思える。

 洋平は困ってしまった。ミッドウェー作戦に挟撃や包囲の狙いがあったこと自体初耳だ。そもそもあの作戦は、緒戦の連戦連勝による慢心の産物ではなかったのか。戦力を二分してミッドウェーとアリューシャンを同時攻略しようとしたのも、単に敵を侮っていたからだと思っていた。黒島亀子は敵を侮ってなどいない。むしろその逆だ。

 洋平自身はこのミッドウェー海戦における最大の敗因は戦力の分散ではないかと考えていた。これさえ事前にどうにかできれば、少なくとも史実ほどひどい敗北は防げるのではないかと考えていたのだが・・・

 「・・・でもまあ、正直私も戦力を分散するより集中すべきだと考えているんだけどね。私の軍も、戦力を分散させて大失敗をしてしまった」

 亀子の案に対してある程度の理解を示していたように見えるヤンが意外なことを口にした。

 「失敗って。どんな失敗ですかヤンさん?」

 「うん、あれは数年前、私が准将の時のことだった」

 黒いベレー帽をもてあそびながらヤンは回想した。後の銀河帝国皇帝、『常勝の天才』ラインハルト・フォン・ローエングラムと『不敗の魔術師』ヤン・ウェンリーが初めて互いに艦隊指揮官として相対した戦い――アスターテ会戦のことを。

 「ある会戦でのことだ。敵の艦隊が我が領域に侵攻し、これを迎撃しようとした。敵の戦力は一個艦隊、総勢約二万隻。対するわが軍は三個艦隊、総勢約四万隻。で、わが軍の迎撃作戦だが総数で敵軍に倍する三個艦隊をもって三方向から敵艦隊を包囲し、交戦能力を削り取ろうとした。要するに包囲殲滅しようとしたのさ。さて、この場合どちらが勝つと思う?」

 「それは・・・もちろん、迎撃しようとした側じゃないですか?」

 二倍の戦力差、完成しつつある包囲網。どう考えても迎撃側が有利だ。それが常識である。

 洋平の答えにヤンは頷いた。

 「うん、普通はそうだ。ところが、敵の司令官は非常に有能だった。三方向からそれぞれに分かれて包囲しようとしているのを逆手に取ったのさ。確かに全体の戦力で見ればこちらが上回っていたが、一つの艦隊ごとの戦力では敵艦隊のほうが上回っていたから、敵の司令官はこれを包囲殲滅される危機ではなく各個撃破の好機だとみて積極的な攻勢に出てきた。包囲されて防御戦を選択して密集するか後退するものと思い込んでいた我が軍は敵の予想外の積極的で素早い攻勢に対応する暇もなかった。右往左往している間に気付けば三個艦隊のうちに個艦隊は各個撃破されて壊滅、残った一個艦隊も壊滅寸前というところまで行くという大惨事に陥った。結局、何とか潰走は免れて敵の領内への侵攻を食い止めることには成功したが、これじゃあこれじゃあ十分敗北といって差し支えない。全く敵にしてやられたというわけさ」

 ベレー帽を握ったり回したりともてあそびながらヤンはやれやれと首を振った。

 「要するに下手に戦力を分散したら例え全体的な戦力はこちらが上でも各個撃破されてしまうということさ。もちろん分散がいけないというわけじゃない。ただ、長い戦争の歴史を見た場合、勝利のための教訓として兵站を万全にしろ、遊兵を作るな、そして戦力はなるべく集中しろ、ということが挙げられる。絶対の条件じゃないが重要な原則だ」

 ここまで来て洋平もヤンの意図が分かってきた。ヤンは陽動や分散によって敵に各個撃破されることを恐れているのだ。亀子の案は確かに理にかなっており、机上の上では完璧だ。だが、敵がこちらの意図を見抜いていれば逆に待ち伏せされ各個撃破されてしまう。現に史実のミッドウェー海戦においても米軍は日本海軍の暗号を解読し、こちらの進撃を待ち伏せして、結果日本軍の惨敗に終わったのだから。

 「・・・洋平君の言うとおり、こちらの持てる戦力を集中して敵に叩き付けるというのも十分に理にかなっているし郡司学上においては正しいんだ。敵がこちらの意図を絶対に見抜くことはないということはないだろうしね。でも、亀子の言うとおり、最初から強いカードを見せていては相手は乗ってこないから意味がないし・・・」

 ヤンはおさまりの悪い髪を書きながら独語した。

 ヤンは思った。自分はこうして、過去の戦いに実際に関わろうとしている。世界が違うので確実には言えないが、どういう経過をたどるのかも、その後の歴史も知っている。果たして自分が介入することによってこのミッドウェー作戦を成功させることはできるのだろうか?自分なら、できる、と思う。方法は様々だ。史実において敵軍がこちらの暗号を解読し待ち伏せしていたのを逆手に取る、最初から全軍を出撃させ集中して敵を叩く、アリューシャンやミッドウェーの攻略自体を直前になかったことにして作戦を変更して一気に待ち伏せしている敵艦隊に戦力を集中する・・・だが、果たして自分がやろうとしていることは正しいのだろうか?それは果たしていったどういう影響を洗えるのだろうか?本当に結果は変わるのだろうか?

 洋平もまたヤンとは違う理由で踏みとどまり、あるいは躊躇していた。

 ヤンも正しいし亀子の作戦案も十分理にかなっている。そして自分は史実を知っている。自分はどうすべきなのか、どうしたいのだろうか?

 「ああもう、じれったいですねえお二人とも」

 磁器が触れる硬い音が響く。寿子がティーカップの中身を空けて、ソーサーに置いた音だった。

 「ぼ、僕?」

 「私かい?」

 「そうです、未来人さんです。なに黒島参謀に言いくるめられちゃってるんですか。さっき、味方の空母が危険だって言ってましたよねえ。奥歯に物が挟まったような喋り方してないで、セイロン沖の時みたいに知ってることをはっきり言って下さいよお。味方の空母が沈むんですか?」

 寿子の声は相変わらずふわふわしているが、質問の中身は鋭い。

 「未来予知とやらができねえなら、てめえらは海に突き落としても死なない以外に取り柄がねえ変態覗き魔ジゴロスパイ及び宇宙人ってことになるんだからな。わかってんのか」

 束にもドスの効いた声でどやされる。呼び方を戻すのはやめてほしいと願う洋平だった。

 彼女達に、ヤンと洋平の世界で起きたミッドウェー海戦をありのまま話すのは簡単だ。だがそれは本当にこの世界において正しい情報なのだろうか?亀子が立てているミッドウェー作戦が、ヤンと洋平の世界の歴史上のそれと異なる可能性は?・・・いや、直近のセイロン沖海戦や、それ以前の戦いからして恐らくそれは無い。なら何故自分は、躊躇しているというのか。もしかすると自分は亀子の作戦にほれ込んでいるのかもしれない。ゲームのCPUよりはるかに狡猾な敵を、寡兵を装っておびき出した上での鮮やかな挟撃・包囲。中部太平洋から北太平洋までを股にかけた大掛かりな罠。それらの華麗な作戦が実行されるのをこの目で見てみたいという思いがあるのかもしれない。

 洋平を睨んでいた束が、ふん、と鼻を鳴らし、机に突っ伏して眠る亀子に視線を移した。

 「ま、いつものことだがよくできた筋書きだよな。長官が惚れ込んじまうのも、わからなくもねえ・・・しかし気の毒だがこいつは、作戦立案の作法ってやつを未だにわかってねえ。今のままの計画書じゃ、軍令部に持ってってもまず間違いなくはねられる」

 「作法? 作戦の中身以前の問題ってことですか?」

 まさか制限字数をオーバーしている、とかだろうか。そういえば、束はこの中で唯一軍令部に勤務経験があると聞く。だが、束は竹串をくわえていない片頬を、皮肉っぽく吊り上げただけだった。

 「さあな。ここじゃ作戦は黒島が作って山本長官が承認する。邪魔者の出る幕はねえよ」

 「参謀長、そんな言い方! 長官は、みんなの力を貸して欲しいって」

 寿子が怒ったように眉をつり上げた。作戦室に悪い空気が漂いそうになる。

 その時、その空気を打ち破るようにけたたましいベルの音が鳴り響いた。部屋の隅にある黒電話から発せられるものであった。

 「・・・軍令部からですね。私が出ます」

 寿子が黒電話の受話器を取り対応を取り始める。

 最初は事務的な対応が続いていたが、やがて寿子の声色からいつものふわふわとした様子が消え、張り詰めたものになっていく。

 「そこをどうか! どうかお考え直し頂けないでしょうか!」

 思わず寿子が声を張り上げた。

 「ヴィンランドは着実に戦力を回復させて、本格的な反攻の機会を窺がってるんですよ!それなのに我が軍は・・・いえ、ですからそういうことでは!・・・はい・・・はい・・・。わかりました。では、そのように山本長官に申し伝えます。・・・失礼致します」

 寿子は受話器をガチャンと置くと、少しずれた黄色いカチューシャを直しそしてため息をついた。勤子たちに向き直る。

 「ヤスちゃん・・・大丈夫?帝都から・・・軍令部からなんて言っていたの?・・・もしかして」

 五十子が心配そうに歩み寄って訊ねた。大和の繋留ブイと呉軍港との間には海底ケーブルが敷かれており、そこから帝都と直接有線で電話ができるようになっている。

 「・・・そうです、軍令部から先に示した美豪分断の方針に沿って作業するようにと釘を刺されてしまいました。黒島参謀のミッドウェー作戦計画がどこかから漏れたみたいで。軍令部の方針に沿わない作戦立案も意見具申も一切認めないと」

 「・・・認めない理由は?」

 ベルの音で起きたのだろう、亀子が苛立たし気に訊いた。

 「なんでも陸軍が、欧州戦線でのトメニアの勝利を期してルーシ連邦に侵攻する準備をしているから太平洋方面でのこれ以上の攻勢に反対だそうで。総理官邸からも、4月末に衆議院の解散総選挙があってその後も重要な地方選挙がいくつかあるから、当面は決戦を避けて現状維持に徹して欲しいという話があったとか。だから軍令部としては年内いっぱい、美豪分断による南方防御とインド洋の通商破壊以外は何もやらないつもりだそうです」

 寿子はもういとどため息をつくとそのまま、舷窓に目を逸らした。

 眼下の甲板では釣り勝負で釣り上げた魚でささやかな宴会が行われている。軍楽隊のにぎやかな演奏、少女たちの笑い声、先ほどまでヤンと洋平たちが確かにいたはずの喧騒はどこか遠いものに感じられた。少し耐え切れず、ヤンはカップに残った紅茶を飲み干した。紅茶はすでに冷めており味と香りは感じられなかった。

 「そっか。ごめんねヤスちゃん、いつも嫌な役目をさせちゃって」

 「謝るのは私です、力不足で・・・あ、もう一つあります。嶋野海軍大臣兼軍令部総長より、山本長官に帝都へお戻り頂きたいと」

 洋平の知らない名前だった。

 しかし、その名が出た瞬間、目に見えない何かがきしむ音が聞こえた気がした。

 「嶋野さん、か」

 勤子の微小に微妙な陰りが現れた気がした。

 束も顔をこわばらせ勤子とは明後日の方向を向いて沈黙してしまっている。

 「・・・嶋野さんが何だって?」

 寿子は背筋を伸ばした。

「はい。長官に勲一等加綬の旭光大綬章と、功二級金鵄勲章が授与されるとのことです。おめでとうございます」

 五十子を囲む、ヤンと洋平以外の参謀全員が姿勢を正す。二人だけついてこれない。

 「どんな勲章なんだい?どうやらかなりすごいもののようだが」

 ヤンの問いに「そんなことも知らねえのか・・・知らなくて当然か」と言いつつ束が答えた。

 「ああ、すげえよ。特に後者はな。旭光大綬章は政治家や華族にも授与されるが、金鵄勲章は戦場で抜群の武功のあった者のみに授与される。葦原軍人にとって最高の名誉だ」

 「海軍乙女で金鵄勲章を授与されたのは、私の知る限り東郷元帥と米内大将だけです。それもお二人とも成人なさってからで、未成年での受章は前例が無いと思います」

 「そんな立派な勲章を貰えるようなこと、わたしは何もしてないよ」

 寿子が補足する。

 当の受賞対象である五十子は困ったように微笑んでいた。

 「勲章をもらうとしたらそれは前線で、わたしの命令で命を懸けて戦ってくれてる子達みんなだよ。ねえヤスちゃん、受章対象をわたしじゃなくて、『連合艦隊』にしてもらうことってできないのかな」

 「それは・・・お気持ちはわかりますが、勲章は個人に対して贈られるものですので。無理ですね・・・」

 「そっか。じゃあ要らないや」

 「ですが、嶋野大臣は辞退をお許しにならないでしょう」

 「いいよ、わたしが直接電話して断るから」

 五十子はあくまで強情であった。だが寿子がやりきれなさそうに首を横に振った。

 「山本長官が授与されるのは功二級ですが、嶋野大臣には同時に功一級が授与されるそうです。金鵄勲章は名誉もさることながら、終身年金を下賜されます。嶋野大臣は、ご自分だけが受章すると妬まれるので、山本長官と一緒に受章して目立たないようにしたいとお考えのようです」

 今にも黒電話をつかもうとしていた五十子の手が止まる。束は天井を仰ぎ見た。ヤンと洋平は寿子の言ったことを理解するのにしばらくの時間を要した。あるいは理解したくなかったのかもしれない。

 「・・・俗物。可哀想」

 亀子が吐き捨てるようにつぶやいた。

 ヤンも気付けばベレー帽を握りしめ天井を仰ぎ見ていた。

 ヤンの元居た世界の末期の自由惑星同盟は民主共和制は衆愚政治へと堕し、政治家は己の利権のみを考え、政治はすっかり腐敗しきっていた。敵対する銀河帝国においてもラインハルト・フォン・ローエングラムという天才が権勢を握るまでは、門閥貴族の支配は腐敗したものとなっていた。それと同じようなことが、ここで起きている。公僕の精神を忘れ、己の利権や組織内の政治のみを考えそれに溺れる腐敗した者共が、この世界でもはびこり、幅を利かせている。

 どうやら組織というものはどうやっても、誰が構成しても、世界が違っても腐敗する運命にあるようだ。それが民主共和制の政府及び政治家であれ、銀河帝国の政府や門閥貴族であれ、そして違う世界の少女隊によって構成された軍隊であっても。ヤンが何度も悩まされ、最も嫌い軽蔑した存在がここにもいるのだ。そしてそれが今、五十子達を蝕んでいる。

 洋平もまた怒りを感じていた。五十子を何だと思っているのだ。勲章のことだけじゃない。

 選挙だの、トメニア勝利に期待だの、自国の存亡がかかった戦争をしているという危機感が欠片も感じられない。保身に汲々として、嫌な役は五十子に押し付けているだけではないか。いったいこの国の軍隊は、政治はどうなっているというのか。

 「五十子さん。その嶋野とかいう奴が、ミッドウェー作戦を妨害する海軍中央の親玉、間違えた悪玉なの?」

 思わず洋平の口から出た言葉に、美しい彫像のように静止していた五十子のリボンが微かに揺れる。

 「お、おい。軍令部総長を呼び捨てにしたり、悪玉呼ばわりする奴がいるか」

 「ついでに言うと、未来人さんの任官を決める海軍省のトップでもありますよお」

 「僕の任官はこの際置いておいて。ミッドウェー作戦は、五十子さんにとって譲れない信念だよね?」

 束と寿子の注意をよそにそういうと、リボンが縦にゆっくりと揺れた。

 「なら、行ってその悪玉と戦うべきだ。そいつがくれる勲章なんて、五十子さんにとっては名誉じゃない。はっきり言って不名誉だと思う。けど、見方を変えればこれはチャンスだよ」

 「・・・名誉は要らないけど、不名誉なら喜んで被るよ」

 「なら上等だ。それと、帝都には僕も連れて行って欲しい」

 「洋平君を?」

 「交渉のカードにすればいい。五十子さんの受章も、僕の存在も」

 前に黒島亀子は独断で帝都行きを画策していた。結局それは未遂に終わったが、帝都に行くという発想自体は洋平の脳裏に残っていた。寿子が慌てて洋平を止めようとする。

 「いけません未来人さん! 未来人さんにとって、この大和の艦内が世界で一番安全な場所なんですよ?黒島参謀、さてはまた未来人さんを誘惑したでしょう!」

 「私は、山本長官に恩返しがしたいと言っただけ」

 「あーやっぱり誘惑してる! しかも長官を理由にするなんて!」

 勘違いする寿子に洋平は苦笑いする。

 「いや、これは僕の意思だ。それにはっきりって大和だけじゃ狭い。もっとこの世界についてこの目で直接見て確かめたいんだ・・・どうだろう?」

 「そういうことなら私も連れて行ってくれないかな?私も十分交渉の材料になるはずだ」

 ベレー帽をかぶりなおしながらヤンが口を開いた。皆の視線が集まる。

 「ヤンさん・・・」

 「似たような経験を私は何度もしたからね。少しは役に立つはずさ。そもそも、こういうのは大人の仕事なんだ。こういうことに巻き込ませない、あるいは解決するのが親や大人としての責務だと私は思うんだが・・・それに、元歴史家志望者として私もこの世界をもっと直接見たいしね」

 そう言うとヤンは洋平と五十子とを交互に見てほほ笑んだ。

 「名誉はいらないけど不名誉なら喜んで被る、か。二人ともよく言ったよ。少なくとも、そういう輩と戦ったり、間違いを間違いとして指摘することは十分名誉なことさ。人間にとって大事なことでもある。五十子、私も、洋平君も覚悟はできている。帝都に、連れて行ってもらえないだろうか」

 ヤンと洋平が承認を求めて視線を向けた先、五十子はしばしの沈黙の後、ふっと微笑んだ。

 「・・・そういえば洋平君は、元の世界で修学旅行の途中だったんだっけ。二人とも、こっちの世界に来てからまだ、大和の中しか案内してあげてないね」

 「長官!」

 「大丈夫だよヤスちゃん。ヤンさんと洋平君の身の安全は、このわたしが全ての責任をもつ。一緒に帝都へ行こう。・・・帝都かあ」

 五十子の微笑は懐かしげでも寂しげでもあり、その表情と瞳には複雑な色をたたえていた。

 「赤レンガに行くのは、久しぶりだな」

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

五十子達とともに、帝都へと向かったヤンと洋平。初めて足を踏み入れた海軍省の雰囲気はまるでかつての査問会のような、不快な空気をヤンに感じさせた。そして一行は、芦原海軍のトップたる嶋野と相対する。果たしてそれはどのよう感情と考えをを二人にもたらすのか。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第13話「赤レンガの幕間狂言」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第13話 赤レンガの幕間狂言

 かつて、ヤン・ウェンリーにとって任務を終え帰還した時の風景というのは、惑星ハイネセンの高層ビル群や宇宙港、あるいはイゼルローン要塞の艦船用ドッグの光景がその多くを占めており、それが普通であった。また、源葉洋平にとっても東京の大都市や自宅が日常の風景であった。

 だが今二人の目の前に広がっているのは、燃料の重油を焚いて黒煙をたなびかせる海軍艦艇が出入りしあるいは停泊する、二十世紀前半の呉の軍港であった。

 呉の三方を取り囲む山々の勾配は海岸線まで延び、小さな家々が並んでいる。巨大な工廠を除けばどれもみな瓦葺で低層の木造家屋である。ヤンと洋平が見慣れたビルが並ぶ大都市とは大違いである。二人は改めて、自分が違う世界にやってきたことを実感した。

 もしかすると、自分が見聞きしてきた大和での日々は夢幻であり、上陸すれば現実に引き戻されて現代日本やイゼルローン要塞の光景が広がっているのでは、と頭の片隅で考えていた二人であったがやはりこれが現実なのだ。

 「どうしたんですかあ未来人さん、ほっとしたような顔して」

 「え? 僕いま、ほっとした顔してた?」

 「・・・残念だったね、洋平君。そしてヤンさん、『帝政葦原中津国』へようこそ」

 傍らに立つ寿子は不思議そうに首を傾げ、五十子は洋平の思考を読み取ったかのように言うと、複雑そうな表情で呉の軍港を見渡す。束は一人違う方角を向いたまま、そしてヤンは手持ち無沙汰にベレー帽に手を伸ばし周囲を見渡す。

 今回、上陸することになったのはヤン、洋平、五十子、寿子、束の誤認である。

 亀子は大和に残ることになった。彼女も上陸し同行することを強く望んだが、「亀ちゃんは移動中に寝て迷子になるといけないから」という身も蓋もない理由で留守番を言い渡された。しかし亀子の書いたミッドウェー作戦計画書は、五十子の鞄の中にある。この計画書こそが今回の旅の目的だ。

 上陸したヤン達が呉から広島駅に到着した時、周囲はすでにだいぶ暗くなっていた。

 「○○○二時発、特急富士の切符を手配してあります。帝都には明日一五二五時着の予定ですよお」

 駅のホームではすでに流線型のスマートな、そしてヤンと洋平からすれば非常に時代を感じさせる蒸気機関車が待っていた。鉄道マニアが見れば間違いなく歓喜の声を上げるだろうが生憎洋平はそこは守備外である。一方でヤンは歴史好き故か、「ふうむ、これが蒸気機関車か・・・」と僅かながら感慨を覚えていた。それにしても広島から帝都まで十五時間以上もかかるとは。そちらのほうが二人にはさらに以外であり、時代を感じさせた。ヤンや洋平の時代であれば数十分から数時間しかかからない。まぁ、その分旅をゆっくりと楽しめるといえるのかもしれないが。

 数分後、列車は五人を乗せ定刻通りに帝都に向け発進した。

 「ねえヤンさん、洋平君、着替えがあるんだけど、良かったら着てみない?」

 寝台車に着くなり、五十子は持っていた紙袋を開き中身を広げた。

 「じゃーん!」

 五十子の手に握られていたのは純白に光る詰襟の軍服――日本海軍もとい葦原海軍の第二種軍装であった。塵一つない純白の生地に、金ボタンの上等な仕上がり。肩には中佐の肩章が輝いている。

 「え?これを僕に?」

 「うん。本当は二人が正式に任官されてから渡そうと思ったけどいつまでも未来の恰好じゃ目立つと思うから」

 「明らかにこっちのほうが目立ちそうな気が・・・」

 「嫌?」

 「と、とんでもない!嫌じゃないよ!むしろ着たい、着てみたいです!着させてください!」

 「そっか、良かった~。あ、下は男性用の白い長ズボンだから安心してね。海軍にはスカートしかないから、似た生地のズボンを調達してきたの」

 早速二人は一張羅と化していた学生服や自由惑星同盟軍の軍服を脱ぎ、純白の軍服に着替えた。

 洋平としては自分がこの世界の海軍には女性しかいないのにこれを着てもよいのか、という疑問があったが、そのような雑念も真新しい軍装に袖を通し、鏡に映った自分の姿を見たところで吹き飛んでしまった。

 「さあ、洋平君、仕上げにこれを」

 五十子に渡された軍帽を目深に被る。軍装に身を包んだ洋平の姿はばっちりと決まったものであった。

 「・・・提督になったみたいだ」

 思わず、洋平はそんな感想を漏らしていた。

 「あはは、未来人さん、参謀ならともかく中佐で提督は気が早いですよお」

 「そんなことないよヤスちゃん。戦隊司令は大佐からだけど隊司令なら中佐でもなれるよ。・・・ヤンさんも着替え終わった?」

 「ああ、うん・・・今着替え終わったよ。しかし・・・うーん、なんかなぁ」

 そこにいたのは洋平や五十子と同じく純白の軍装に身を包んだヤンの姿。同じ服装、サイズもあっているはず。しかしそこにあったのは賞賛や感動の声ではなく、本人も含め皆が首をかしげる光景であった。

 「・・・すまねえ。正直言って、なんか似合ってない気がするぞ。なんか、うだつの上がらない学者か学生が軍服を着ているのを見てる気分だ」

 真っ先に皆の感想や思いを代弁したのは束であった。

 「こうして見るとお前、さっきの軍服のほうがよほどしっくり来ているぞ。まぁ、あれはあれでちょっと似合ってなかったが・・・」

 「うーん、おかしいなぁ。サイズはあってるはずなのに」

 「同じ未来人さんのはずなのに、しかも軍人なのになんでこうもしっくり来ないんでしょう・・・」

 「うん、僕もそう思う・・・」

 皆から上がったのは「なんか似合わない」という感想で会あった。

 確かにサイズはあっているはずなのだが、どうも似合っていない。服は確かに上等なもののはずなのだが、それ以前にヤンの学者のような風格や、あるいはヤンの性格が似あっていない原因なのかもしれない。かつての部下であるシェーンコップは彼の軍服について「他の服は何を着ても似合わん」と評したものである。かくいうヤン自身もに皆と同意見であった。着慣れない生地に違和感を感じながら、

 「うん、確かに私も何となく似合わない感じがするよ・・・やはり、もともと着慣れたものが一番のようだ」と、頭をかいた。

 「すまない、五十子。苦労して調達してくれたんだろうけど、なんだかこんなことになってしまって・・・」

 「ううん、別にいいよ。ヤンさんが悪いわけじゃないから。それに私も何かさっきの服のほうがまだ似合っている気がするし・・・」 

 「やはり五十子もそう思うかい?そうだね、さっきのに着替えなおすよ。こいつは何かの役に立つかもしれないから取っておくことにしよう。気遣いありがとう、五十子」

 そう言ってヤンは葦原海軍の純白の軍装から、自由惑星同盟軍の黒い軍服に着替えなおしたのだった。

 ヤンが元の軍服に着替えなおすと、五十子が思い出したように口を開いた。

 「ねえ二人とも、展望車に行ってみようよ!きっと今の時間はすいてるよ!」

 「ちょっと長官、声が大きいですよお」

 じっとしていられないという様子で五十子は歩き出した。

 列車の最後尾に連結された展望車を見て二人は目を丸くした。

 ほかの列車が洋風だったのに対し、この展望車は和風で、しかも豪華であった。黒檀に金や漆が施され、大河ドラマに出てくる安土桃山時代の城の御殿のようであった。その華やかさ、豪華さで言えばおそらく、ゴールデンバウム王朝のそれに決して勝るとも劣らないものであろう。

 「うーむ、これはなかなか派手だね。こんなに豪華な列車は見たことがないよ。銀河帝国とはまた違う華やかさだな・・・」

 「銀河帝国っていうのが何なのかは知らないけど・・・ふふっ、この車両はね、戦争が始まる前、外国人のお客さんに人気が出るようにってつくられたんだって。・・・本当は一昨年、帝都でオリンピックがあるはずだったんだよ」

 豪華絢爛な展望車に足を運んだのは夜が明けてからのことだった。しかしその時にはすでに多くの乗客がいた。リボン頭の海軍乙女が山本五十子であると知るや否や、彼らはみな一様に握手やサインを求めてきた。乗客の数は増え続け、景色を楽しむどころではない。

 「『苦しいこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう、これらをじっとこらえてゆくのが乙女の修行である。山本五十子』っと。はい書けましたよ。次の方どうぞ」

 「すみません、この扇子に『常在戦場』って書いて下さい!」

 列車は駅に着くたびに五分ほど停止する。その度に多くの群衆が待ち構え、その僅かな時間帯の間に五十子に握手やサインを求めてくる。対する五十子はそれに真摯に答え、結果として列車の時刻表は大幅な修正を求められることになった。

 「どうして五十子さんが来るって、みんな知ってるのかな」

 「呉鎮守府の先輩方はお喋りですからねえ。大和のこと以外は、情報が外部にダダ漏れです」

 「・・・」

 小声で聞くと、寿子は苦笑いとともにそう返した。

 そして目的地である帝都、東京。その巨大なドームが特徴の東京駅にはそれまでの数十倍の老若男女の群衆が待ち構えていた。この世界の一般人。スーツ姿のサラリーマン、袴を着た老人、学生、着物姿の主婦、少年少女・・・人々の五十子を見る目は熱っぽく、眩し気で、熱狂的であった。

 「真珠湾の英雄、山本五十子閣下万歳!」「我らが軍神!」「帝国の守護者!」

 身がすくむような歓声の中を、五十子は決して怖気つくことなく進んでいく。海にいると気づかないが、彼女が確かに有名な軍人なのだ。そしてヤンにはその歓声は彼女を称える一方で、恐ろしく重圧的で彼女に何かを背負わせるような感覚も感じさせた。

 「・・・陸の連中はもう、戦争に勝った気でいやがる」

 それまで黙っていた束が片頬を吊り上げ低く呟いた。

 五十子は黙って手を振り歓声に応えながら進んでいく。

 ヤンと洋平には、その背中が彼女に声援を送る大人よりもひどく小さく見えた。

 

 

 

 

 「そういえば、海軍乙女って何歳から何歳くらいまでの子がなるものなの?」

 帝都から海軍省へ向かうタクシーの途中、洋平は何となく寿子に聞いた。何か会話の話題が欲しいと思ったのだ。束がなぜかこちらを向いて睨んできたが、寿子は素直に答えてくれた。

 「私達士官は九歳で海軍兵学校を卒業、十代前半で尉官から佐官に昇進を重ねて、兵学校卒業席次、いわゆるハンモックナンバー上位者は十五歳から将官になります。個人差はありますけど大体二十歳を超えると陸上勤務になって、そのうち予備役に編入ですね。元帥になられる方もごく稀にいらっしゃいますけど・・・その辺りの話はデリケートなのでちょっと。ま、宇垣参謀長は気にし過ぎですけどお」

 「おい渡辺!年齢の話は無しだぞ!」

 海に耐性のある女性でも二十歳を超えるとラ・メール症状が出るという。なぜ年齢差があるのか、そのメカニズムは分かっていない。子供のころは平気だったブランコが、大人になると気持ち悪く感じるのと似たようなものだろうか。

 「ちなみに私は十三歳です」

 「えっ、じゃあまだ中一なの?しっかりしてるから、もう少し上かと思ってたよ。寿子さんが中佐だから・・・もしかして、大佐の亀子さんは十四歳?」

 正解ですよお、と寿子は笑った。

 「黒島参謀はいつも寝てるので、本当は二十歳超えてて薬の副作用で眠いんじゃないかって疑惑がありますけど、あれは単に生活が夜型なだけです。」

 ヤンは思わずユリアンのことを思い出した。最後にあった時、ユリアンは弱冠十八歳であったが階級は中尉であった。さらにその軍歴を考えればユリアンはその年齢にしては高い地位と非常に豊かな才能を有しているが、ユリアンよりもうら若い少女が、単純に階級だけで言ってもさらに大きな地位そして責任を有していることになる。世界が違えばこんなにも大きく制度や社会が違ってくるのか。そしてこれは妥当なことなのか、悲しむべきことなのか。

 「あっ、私まだ未来人さんの歳を聞いてないです」

 「あれ、言ってなかったっけ?僕は十六歳だよ。八月の誕生日で十七歳」

 「ええっ! 世が世なら少将クラスじゃないですかあ、失礼しましたあっ!宇垣参謀長と同い年ですね!」

 「おい渡辺!」

 「ヤンさんはいくつ何ですか?」

 洋平の質問にヤンは答えた。

 「三十三歳。誕生日は四月だ」

 ヤンの答えに寿子はへえ、と答えを上げる。

 「もう少しお若いと思っていました。意外と『おじさん』なんですねえ」

 寿子の発した単語にヤンは目を見開き抗議の声を上げた。これが地上なら、思わずよろめいたことだろう。

 「ひどいっ。ああっ、差別だ中傷だ。私はまだまだ十分若いぞ、少なくとも三十は『お兄さん』と呼ばれることはなくても『おじさん』と呼ばれるような年齢じゃないはずだ、そうだろう」

 どうやらヤンにとっても年齢の話はデリケートな話題のようだ。

 やがて、目的地の建物が見えてきた。

 左右対称の翼を広げた重厚なネオバロック様式のレンガ造りの建物。通称・赤レンガ。海軍の行政全般を統括する海軍省と、統帥機関として作戦指揮を統括する軍令部とが入る、帝政葦原海軍の中枢だ。車が徐々にスピードを落とす。

 「・・・何度来てもこの場所は好きになれないです」

 寿子の表情がいつの間にか硬くなっていた。

 「未来人さん。私が未来人さんの上陸に反対だった理由は、危険ってこともありますけど、それより、この場所に来て欲しくなかったからなんです。予めお願いしておきます。海軍のこと嫌いになっても、私達のことはどうか嫌いにならないで下さい!」

 「いや、嫌いにならないよ。そもそも僕の意思で来たんだし・・・」

 「だいじょーぶ、痛くないよ~、すぐ終わるからね~」

 「えっ、何それ五十子さん、注射するお医者さんとか看護師さんの真似?それフラグだよね?絶対痛い奴だよね?怖がらせるのやめてくれない?」

 「・・・やれやれ、どうやら少なくともいい気分でこの建物に入ることはできなさそうだな」

 ヤンは頭をかきながらため息をついた。どうやら面倒なことになりそうだ。

 まもなく二人の態度が決して脅しではなかったことをヤンと洋平は知ることになる。

 

 

 

 

 

 

 正面前で四人を待っていた伊藤と名乗った長身痩躯の士官は「嶋野閣下がお待ちです」とだけ事務的な口調で告げると、そのまま背を向けて歩き出した。

 彼女が着ている軍装は五十子たちとは違い、深い紺色の第一種軍装である。彼女についていくように、五十子たちは赤レンガの内部へと足を踏み入れた。

 吹き抜けの玄関ホールでは伊藤と同じ紺色の第一種軍装に身を包んだ海軍乙女が数名立ち話をしていたが、五十子の姿を認めるなりそそくさと立ち去ってしまった。

 どこを歩いても、すれ違う海軍乙女たちの反応や態度はよそよそしいものであり、目的の部屋までの距離が非常に遠く感じられた。

 男子禁制の伝統を破るヤンと洋平が忌避されている、自由惑星同盟軍の軍服に身を包むヤンの姿が目立ち非常に異質なものに感じられ忌避されている、というのもあるのだろう。だが、少女達はヤンと洋平に訝し気な視線を送ることはあっても、五十子に対しては視線さえ合わせようとしない。ヤンと洋平以上に、五十子が避けられていた。信じがたい光景である。本当にここで働いているのは五十子たちと同じ海軍乙女なのだろうか、と疑問を抱かずにはいられない光景だった。

 「久しぶりだね、静ちゃん。軍令部にはもう慣れた?」

 誰もいない廊下に差し掛かった時、五十子は案内役の長身痩躯の士官にそう声を掛けた。伊藤静がフルネームらしい彼女は、恐らく五十子と何かしらの関係があったのだろう。だが彼女は何も聞こえなかったかのように五十子の問いかけを無視した。

 寿子が拳を握り締めて何か言いたそうにしていたが、五十子に止められた。

 ふと、ヤンはこの建物に漂う空気、雰囲気の正体が分かったような気がした。そして覚えもあった。これは――腐敗の匂いだ。腐敗した権力の匂い。

 同じ雰囲気、同じ空気をヤンは何度も味わった。ヤンはある時のことを思い出した。

 宇宙歴七九八年三月、ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官を務めていたころ、彼は突如として同盟政府による査問会へ召喚された。フェザーンにより「ヤン・ウェンリーに叛意あり」と吹き込まれた同盟政府首脳部が圧倒的軍事力と才能を持つ彼を恐れるあまり開いたこの査問会であるが、当然のことながらヤンに叛意ありというのは事実無根のデマであり、証拠も何もないものであった。そもそも査問会自体、憲法にも軍法にもその法的根拠のないものであり、査問会の目的はむしろ同盟政府によるヤンへの心理的リンチ、嫌がらせにあるようなものであった。

 当然ながら、それは不愉快極まりないものだった。彼の言動をいたずらにあげつらい非難するばかりの政府首脳、その醜態。あまりにも腐敗した政治家達と雰囲気。結局、敵の襲来によって中断されたがそのひどさ、腐敗ぶりはヤンに思わず辞表を叩きつけてやろうかと思わせ、実行させかけるほどであった。その以前にも以降にも、ヤンは幾度となく腐敗した政治家や衆愚政治と堕した民主共和制に悩まされることになり、民主主義に対する疑問や疑念を抱かずにはいられなかった。

 そして、同じく腐敗した権力の空気がここにも澱んでいると、ヤンは感じた。それも相当腐敗した権力が。長年腐敗した政治や政治家に悩まされた経験や勘が彼にそう感じさせたのかもしれない。そして、海軍乙女たちの五十子に対する態度の原因もそこにあるように感じた。

 ヤンは洋平のほうを見た。

 洋平が唇をじっと噛み表情をわずかにゆがませていた。目眩でもしたのか、思わず壁に手をつき掛けていた。

 ヤン同様洋平もまた、この赤レンガに漂う不快な空気を、もしかするとヤン以上に感じ取っていた。洋平はそれを臭いとして感じ取っていた。陰湿な空気、まるで建物全体から吐き気を催す匂いが漂ってくるようだ。潮通しの良い柱島泊地ではしなかった、澱み切り腐敗した海の臭いが。昨日駅で受けた市民からの熱狂的でどこか重圧的な歓迎も異常であったがそれとは別種の異常さ、不快さ。だとしても、なぜ自分がここまで過剰に反応してしまうのか洋平には分らなかった。

 そんな様子の洋平にヤンは小声で話しかけた。

 「・・・洋平、覚悟をしたほうがいい。ここから先はとんでもなく不快なものが待っている。腐敗した権力というやつさ。私には何となく分かる。私が何度も悩まされたやつだからね」

 洋平はヤンの顔を見つめた。その瞳には諦観とわずかな怒り・憤りがあるように感じられた。

 「・・・もし君がこの世界で軍人としての道を進むというのなら覚悟し、そして学んでほしい。この世で、人間として軍人として何が最も卑劣で恥知らずなのかをね」

 洋平は拳を握り締め、ただ静かに頷くだけだった。

 「・・・こちらです」

 『大臣室』と記された木札のかかった扉の前で、五十子はしばらく立ち止まっていたが、やがて中に入った。続いて入室する。

 最初に視界に入ったのは巨大な地球儀、そして壁の地図。なぜか主戦場であるはずの太平洋ではなく欧州アフリカの地図が貼られている。

 入り口に向かって縦に置かれた会議机には、片側に参謀飾緒をつけた軍令部の参謀たちが、もう片側には海軍省の高官たちがずらりと居座っている。

 そしてその奥には大きな安楽椅子に腰かけ、こちらに艶然と微笑む女がいた。

 「ごきげんよう、山本さん。最後にお会いしたのはいつだったかしら?」

 一口に笑顔といっても様々なものがある。・・・その微笑は五十子のそれとは根本的に質の異なる、何か圧力を感じるものだった。濃いルージュを引いた唇は三日月のように緩やかに弧を描いているが、目は少しも笑っていない。酷薄な視線を、五十子は何事もないかのように自然な笑顔で受け取っていた。

 「開戦の四日前にあった大本営政府連絡会議以来だよ、嶋野さん」

 嶋野。それがこの艶然と微笑む女の名前であり、そして軍令部総長と海軍大臣とを兼任する葦原海軍の最高権力者であった。

 鼻梁が高く整った顔立ち、品よくハーフアップにセットされた艶のある射干玉の髪、日を浴びていない絹のように白く滑らかな肌。それだけならば、清楚な深窓の令嬢の印象を与える美少女である。

 だが、尊大に組んだ黒タイツの脚、扇子を仰ぐ手の赤いマニキュア、そして獲物を狙うネコ科の肉食獣のような目つきが、ある種の妖艶さ、別の属性を与え彼女が決して単なる美少女、令嬢ではないということを他人に悟らせていた。

 「ということは3カ月半ぶりですわね。あら、山本さん少しお肌が荒れたような・・・私が差し上げた日焼け止め、ちゃんと毎日塗ってらっしゃる?海の紫外線は乙女の大敵ですわよ」

 「あはは、わたしうっかりさんだから塗るの忘れちゃうことが多くって。ごめんね嶋野さん、せっかく高価な物を頂いたのに」

 嶋野は扇子の先で五十子たちに席を勧めた。出入り口に一番近い末席。連合艦隊司令長官であるはずの五十子たちに対し非礼な扱いだが、このほうが距離が明けてむしろ気が楽だとも考えてしまう。

 「お気になさらないで、貰い物ですから。総理が買って下さったんですけど、ご覧の通り私はここで机仕事でしょう。山本さんみたいな日焼けの心配はありませんの。全く、私が欲しいと申し上げたのは化粧品なのに、総理ったらボケてしまったのかしら」

 「あはは・・・」

 次いで嶋野は沈黙したままの束にその視線を移す。

 「宇垣さんも、ごきげんよう。お帰りなさいというべきかしら?ここは宇垣さんの古巣ですしねえ」

 束はかつて軍令部で勤務していた。そのことを嶋野は言っているのだ。

 「ゆったりくつろいでいって下さいな」

 「・・・恐縮です、嶋野先輩」

 束が使う敬語は、まるで錆びた歯車を無理やり回しているようであった。

 対する嶋野の顔は明らかにそんな五十子たちの困る反応を楽しんている様子であったが、その顔は彼女の視線がヤンと洋平に映った瞬間がらりと変わった。

 「あら?あらあら?坊やに殿方・・・そちらのお二方は?特にそちらの殿方は見慣れない服装ですけれど?」

 食い入るように目を上下させる。横に座る海軍省の高官がすかさず嶋野に耳打ちした。

 「人事局に願いが出ていた、例の少年と男です。なんでも海を泳げる特殊体質で、東洋艦隊主力の居場所を言い当てて見せたとか・・・」

 「岡さんは黙ってくださいますこと!」

 「ひいっ!」

 扇子を一振りして部下を黙らせる。嶋野がどれだけの権力を持っているか、どのように権力をふるっているか、その一端がうかがえた。

 ヤンと洋平は用意していたセリフを口にした。

 「山本長官より中佐相当官及び連合艦隊司令部特務参謀扱いを拝命した、源葉洋平です」

 「同じく、ヤン・ウェンリーです」

 「あらまあ可愛い。山本さん、いつの間に彼氏を二人も?貴女もなかなか抜け目がないですわね。うらやま・・・ごほんごほん!いえ、うらやましくなんかありませんのよ?まあ、確かに艦の上でも慰安は必要ですわよね。ちなみに私の好みはそちらの殿方のような年上の・・・ごほん!」

 何やら妙な誤解をされている気がする。ヤンも洋平も低劣な邪推をする粘着質な声に耐えられず、洋平が再び口を開いた。用意していたセリフには続きがある。

 「・・・僕は七十年後の世界から来ました。ヤンさん、もといヤン中佐も僕と同様千六百年先の未来から来た未来人です。この戦争について皆さんが知りえないことを知っています」 

 「ちょ、ちょっと未来人さん!あ・・・」

 寿子が洋平を止めようとして、途中で自分の口を押えた。

 「未来人、ですって?」

 嶋野は洋平と寿子の発言にぽかんとしていたが、すぐに背もたれを目いっぱい倒して大笑いした。

 「おーほっほっほ!山本さん、これは一体何の余興ですの?それとも、瀬戸内の潮風に当たり過ぎて二十歳を待たずにラ・メール症状になってしまわれましたの?坊やも殿方も大変ですわね、こんなのに付き合わされて!おーほっほっほ!」

 どうやら、嶋野は五十子がヤンと洋平に命じて言わせていると思ったらしい。とはいえ、彼女の反応が多少オーバーなものであるとしても、ほかの人間でも似たような反応を示すだろう。嶋野の反応はある意味では当然ともいえた。

 「嶋野さん、信じられないかもしれないけど、洋平君が言っていることは本当なの。二人とも本当に未来人なの。現にセイロン沖のことを事前にその詳細な結果と原因を言い当てたの。単に未来から来ただけじゃなくて装備や戦術にも詳しい。二人とも、私たちにとって欠かせないな仲間だよ」

 五十子の発言に会議机に居並ぶ海軍乙女たちがざわ・・・と微かに動揺する。連合艦隊司令長官の発言・フォローである。少なくとも、ヤンと洋平のことを公然と嘘吐き・狂人であると呼ぶことはできない。

 「・・・必要な人材であるかどうかは、人事を統べるこの私が決めることですわ」

 高笑いをやめた海軍大臣兼軍令部総長の一声で、ざわついていた部下たちはぴたりと静まり返った。

 「まあいいですわ。このたびご足労願ったのは他でもありません。葦原を勝利に導いた山本さんの武功に対し、勲一等功二が授与されることになりましたの。宮中への上奏にあたっては私が骨を折りましたのよ」

 嶋野の「おめでとう」に合わせ、慇懃な拍手が起こる。

 戦争を勝利に導いた?ヤンと洋平からすれば滑稽な光景にしか見えなかった。一般市民だけでなく、本来正しい認識を持つべき軍上層部でさえ既に戦争で勝ったつもりでいる。楽観的・希望的観測で戦争に勝った国家や軍隊など歴史上存在しないということを彼女達は知らないのだろうか。

 五十子も同じことを思ったらしい。

 「嶋野さん、ごめん。わたしね、受章を断りに来たんだよ。その勲章は受け取れないよ」

 「・・・断る?受け取れない?恐れ多くも、陛下より賜る勲章ですのよ」

 すうっと嶋野の目が細める。一般人なら背筋が震えるような眼差し。しかし五十子は全く怯まない。穏やかだがはっきりとした口調で言う。

 「なおさらだよ。だって、私たちはまだ勝ってなんかいないもの」

 「謙遜を。一航艦の南雲さんと草鹿さんからは、ヴィンランド太平洋艦隊は壊滅的な打撃を受け当分は真珠湾から出てこられないだろうと聞いていますわ。太平洋の趨勢は決したも同然でしょう?」

 「いいや無傷だよ。ヴィンランドの空母は無傷で太平洋にいるよ。その脅威を放っといたまま海軍上層部の人間が勲章を貰うなんて、陛下と国民に対する裏切りだよ」

 「・・・何が言いたいんですの」

 鷹揚だった嶋野の声に苛立ちが感じられた。

 五十子は静かに、赤い表紙で装丁された書類を置いた。黒島亀子が書き上げた、ミッドウェー作戦計画書である。

 「この案を、第二段作戦として検討してほしいの」

 「何かしらこれは・・・ミッドウェー、ですって?」

 嶋野は計画書のタイトルに目じりを吊り上げると、内容に一切目を通すことなくそのまま机に放り投げた。寿子が目を見開く。

 「はあ、呆れた。こちらが頼んだ美豪分断作戦の準備もせず、こんなものに時間を費やしていただなんて。いいですこと山本さん、前にも言った通り作戦の主務機関はあくまで軍令部ですの。貴女方GF司令部は、軍令部が決定した作戦目標を達成すべく艦隊を展開させ戦術指揮を執る、そういう組織の業務分担ですのよ。例外は真珠湾の一度きりと念を押したのを覚えてないのかしら?」

 嶋野が芝居がかった仕草で指を鳴らす。伊藤が巨大な地球儀を上に回し、南太平洋を正面にした。赤道の島々、そしてオーストラリア大陸が視界に移る。

 「博打は一度で十分、ここからは堅実にやりますわよ。フィジー・サモアを攻略し、ヴィンランドと豪州の海上交通路を遮断。こうすれば豪州を反攻の拠点にしたいヴィンランドの野望を挫いて南方資源地帯は安泰、そればかりか、孤立した豪州はブリトン連邦から脱落し降伏せざるを得ませんわ。豪州の豊富な鉱物資源も全て我が国の物。豪州を守れなかったヴィンランドと、豪州の宗主国ブリトンとの同盟関係にも亀裂が入るでしょう。さらに」

 嶋野は立ち上がり、壁の地図に向かった。例の欧州アフリカの地図である。どこから情報を手に入れているのか、トメニア軍の前哨基地にピンが刺してある。もしこれがヤンや洋平の知る歴史と同じならば、この北アフリカの大地でエルヴィン・ロンメル率いるドイツアフリカ軍団が連合軍と激闘を繰り広げている頃である。

 「インド洋に進出し、トメニアの戦いを背後から支援しますの。ヴィシー政権が統治するマダガスカル島に潜水艦基地を設け、インド洋全域でブリトン船舶に対する通商破壊作戦を。植民地からの資源供給を絶たれたブリトンは、いずれトメニアに屈服するでしょう。私達は東亜に長期不敗体制を築いて、熟した柿の実が落ちるのを待つように盟邦トメニアの勝利を待てば良いのですわ」

 嶋野は大臣席に戻り、五十子に向き直る。その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。

 「山本さんは太平洋赤道以北のことしか頭に無いご様子ですけど、私はこの部屋で地球儀を回したり遠い欧州の戦況を確かめたりしながら、全地球規模で作戦を練っていますの。どうです山本さん。これが本物の戦略、というものですわ」

 なんという楽観論。ヤンはとんでもなく出来の悪い喜劇を見ている気分になった。嶋野は自分のことを天才戦略家とでも自惚れているのだろうか。「戦場から遠ざかると、楽観主義が現実にとってかわる」というフレーズをヤンと洋平は思い出した。今の話が、軍令部の構想する第二段作戦であるならば、嶋野や軍令部はまさにこの状態だ。他力本願にもほどがある。五十子の真珠湾攻撃を博打であると指摘したが、ヤンに言わせればむしろ嶋野の考えのほうが真の博打である。それも、ほとんど運や願望によって、運命を他者に委ねることで成り立っている博打だ。彼女の話はドイツもといトメニアの勝利を前提として進んでいるが、そもそもトメニアが勝利するという確証や保証はどこにあるというのか?トメニアが負けるかもしれないという視点は?いや他にも穴はある。

 嶋野たちの楽観主義は見方によってはあまりにも滑稽で、醜悪な喜劇であった。ヤンはこの光景に覚えがある。かつて、大惨敗に終わった帝国領侵攻作戦の作戦会議の時も、作戦を立案した参謀や政府は楽観論に覆われていた。「自由と正義の旗を掲げた同盟が負けるわけがない、圧政下の帝国の民衆は歓呼の声で自由の軍隊を迎え、帝国は恐れをなして逃げるだろう」「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応する」――その根拠のない楽観論、ずさんな戦略は、伸び切り疲弊した補給線・兵站と敵の巧みな戦略によってあっという間に崩され、作戦に参加した三千万の兵士のうち二千万を失う大惨敗に終わった。今目の前で起きているのも、それに酷似した状況だった。これは何かの喜劇、あるいは皮肉なのだろうか?

 「嶋野さん、戦いは将棋でいうなら囲いより詰将棋だよ。本土をがら空きにして南太平洋やインド洋で囲いを作っている間に、ハワイからくるヴィンランド艦隊に王手をかけられたらどうするの?」

 「本土の防衛は陸軍の管轄でしてよ。私達が心配することではありませんわ」

 議論がかみ合わない。当然のことだ。嶋野をはじめ、ここの連中は自国の存亡がかかった戦争をしているという危機感や意識が欠片も感じられないのだから。

 「嶋野閣下、一通り目を通しましたが」

 「この作戦計画書、基本から書き方間違ってますね」

 二人の軍令部参謀が挙手をする。嫌な予感がした。

 「あら。それ読みましたの? 偉いわねえ富岡大佐、三代中佐。感想を聞かせてあげて、忌憚なく」

 嶋野が冷笑とともに促す。そろって不健康そうな青白い肌をし、左右対称な髪形をした参謀二人が無表情のまま口だけを動かす。

 「はい。黒島さんでしたっけ? 素人が無理に奇をてらった感じですね。軍令部に籍を置いたことのある子なら、こんな作戦は絶対に立てないんですけど」

 「基礎を学んでない人に作戦立案は無理でしょ。真珠湾はたまたま上手くいっただけで、やっぱ素人が先任参謀をしているGF司令部は、現場指揮しかやらない方が良いと思いますよ」

 「・・・どういう意味ですか」

 ここに来てからずっと堪えてきた寿子が、とうとう口を開いた。仲間を公然とけなされて、黙っていられなくなったのだろう。

 参謀二名は無表情のまま、

 「敵空母を沈めるなんて、そもそも作戦の目標設定としてカテゴリーエラーなんですよ」

 「海戦での艦艇の損耗は、不確実な偶然の産物でしょ? 図上演習ならサイコロ振って決める内容ですよ。作戦目標というのは拠点攻略とか、資源や重要海域の制海権の確保とか、そういう戦略的にしっかりしたものじゃないと。作戦の体をなしてませんよ、これ」

 「軍令部の選考を受けたいなら最低限、作戦立案の作法をきちんと勉強して、目標を島の攻略に絞って書き直して下さい。まあそれでも落ちるでしょうけどね。ミッドウェーやアリューシャンに資源がありますか? 交通の要所ですか? 天然の要害ですか?」

 「ただの孤島でしょ。資源どころか飲み水も確保できるかどうか。地理的にも守り辛い。占領しても簡単に奪回されますよ。故に軍令部としては、GF司令部の提案に反対です」

 二人が交互に繰り出す無意味な批判を、洋平は虫唾が走る思いで聞いていた。島の占領・維持が困難なことも、そもそも島自体に価値がないことも百も承知。しかしそれは敵主力をおびき出す、という重要な役割のためだ。主目的はあくまで敵空母の誘い出し・撃滅にある。それが作法に反するだと?戦争に作法など存在するというのか?彼女たちは戦争を何だと思っているのか?

 ここにいる連中は軍にとって禁物な楽観主義に染まり、亀子が早期講和のため心血を注いで書き上げた作戦計画書をろくに読みもせず放り投げ、意味のない批判をした。自分たちが戦争をしているという責任も自覚も感じられない。もはや勝敗以前の問題だ。

 「おーほっほっほ! 2人とも、あまり本当のことを言うと山本さん達がお気の毒で」

 「少しお尋ねしたいのですが」

 気づけばヤンは口を開いていた。目の前で繰り広げられる往時と酷似した喜劇・皮肉に耐えられなくなったのか。それとも軍人としてのプライドがヤンにもありそれに触れたのか。ヤンは何かを言わずにはいられなかった。

 「今の閣下の戦略をお聞きしたところ、ドイツ軍・・・もとい、トメニア軍が勝利することや、敵に対し持久戦を仕掛けることを前提としているようですが、その根拠や保証はどこにあるのです?お聞きしたい」

 「・・・何ですって?」

 嶋野が目を細めた。部外者が何を言っているのか、といった様子だ。

 しかしヤンは臆することなく続ける。

 「なるほど、確かに今トメニア軍は優勢かもしれませんが、それが最後まで続くという保証はありません。敵がいずれトメニアに屈服する、トメニアの勝利を待てば良いと言いましたが、その予測の根拠は?本土をがら空きにしても、陸軍が本土を守るから大丈夫と言いますが、陸軍が本土を完全に防衛できるという根拠は?敵に対し長期不敗体制を敷き持久戦を行うといいますが、圧倒的な国力と物量を誇る敵に持久戦を仕掛けたところで、敵の物量作戦で押し潰されるのが関の山、持久戦が無意味どころか愚策であることは明白なのに何故わざわざその戦略を選択するのか?どうにも、あなた方の戦略は楽観論で染まり、穴が多すぎるような気がしますよ。他にも指摘すべき点は山ほどあります。むしろ、あなた方のほうが作戦立案の基礎や作法を理解していないように思われます」

 「・・・あなた、自分が何を言っているのかお分かりになって?」

 「ヤンさん・・・」

 嶋野の目尻が吊り上がっている。嶋野だけでなく、ここにる軍令部や海軍省の高官たちがすでに日好意的な感情をヤンに向けていたし、それはヤンも感じ取っていた。五十子が心配そうにこちらを見る。だが、もともとヤンはそういうので臆する人間ではないし、気にしない人間だ。

 「はっきり言って、今のあなた方を見ているとまるで出来の悪い喜劇でも見ているような気分です。軍人や、指導者の立場が最もやってはいけないことは何か?最悪を想定せず、それに対処する方法を考案せず、こうであってほしいと願望と楽観のみで考えること。現場や前線の意見や状況を顧みず、自分は安全な後方に居座って命令だけして、他人には義務や犠牲精神等を強制して責任を下に押し付けることです。指導者の立場にいるあなた方がまさかこんな基本的なことを知らないとは思いませんが、しかし正直言って、今のあなた方からは国民の存亡がかかった戦争をしているという危機感や責任感・自覚が感じられません」

 「・・・いい加減になさいな。黙って聞いてみれば、わたくしたちが無責任、無能とでも?何も知らない部外者にそのような無礼を言われる筋合いは――」

 「あなたは山本長官や連合艦隊司令部の主張を無意味なもの、空虚なものと笑いましたが――ではあなたは国中が焼け野原になっても、まだそんな風に笑っていられますか?」

 ヤンの言葉に嶋野は口を閉じだ。

 もっと言ってやりたい気分だった。この先に待っているであろう、悲惨な敗北の歴史を、この戦争がどんな終末を迎えたのかを。一九四五年八月一五日、その日までわずか三年でお前たちは無条件降伏するのだと、そうぶちまけたかった。そうして、見られるであろうドラマスティックな反応を見てみるのも一興かもしれない。

 だが、ヤンがそれ以上言葉を口にすることはなかった。

 五十子が口を開いたのだ。

 室内を見渡し声を張り上げる。

 「ヴィンランドの空母を沈めてハワイへの橋頭堡を確保する以外、わたしたちが負けないで戦争を終わらせる道はないよ。ミッドウェー作戦は、わたしの信念です。もしこの案が却下されるのなら、わたしは連合艦隊司令長官として、葦原の防衛に責任を持てない」

 「じ、辞職の脅しですの? 真珠湾の時も確かそう言いましたわね。同じ手が二度も通じるとでも」

 「辞めるとは言ってないよ。でも、勲章は当然受け取れないから。嶋野さんに迷惑がかからないよう、宮中にはわたしが直接お詫びに参上するよ」

 「・・・っ!」

 嶋野の美貌から一瞬、余裕の仮面が剥がれ落ちた。五十子は凛として穏やかだ。2人の視線がぶつかり合う。数秒後、大きく息を吐いたのは嶋野だった。

 「・・・却下するだなんて、私は一言もいってませんわ。富岡大佐、三代中佐。GF司令長官から頂いた提案を、持ち帰ってよく検討するように。これで満足ですこと、山本さん?」

 富岡と三代は無表情のまま首肯する。「ありがとう嶋野さん、よろしくね」と、先程までの激しいやり取りが嘘のような晴れやかな笑顔でお辞儀する五十子。嶋野の頬は引きつっていた。

 「まあ、お礼だなんて水臭いですわ。お互い立場のある身ですから意見が合わないこともたまにはありますけど、私は山本さんのことが大好きですのよ。兵学校の同期ですもの。懐かしいですわ、同期の中で私は首席卒業、山本さんの卒業席次は・・・あら、何番でしたっけ?ふふ、あんな事故さえなければ今この椅子に座っているのは私ではなく山本さんだったかもしれませんのにねえ」

 ・・・事故?五十子は微笑んだままで、寿子は何も知らないようだった。

 それよりもヤンはこの部屋から早く出たい気分だった。

 「あらいけない、忘れるところでしたわ。伊藤さん、山本さんへのお土産を――」

 「行こう、五十子、洋平」

 嶋野の声を遮ってヤンは五十子の手をそっとつかんだ。

 「目的は達したと思う。ならもうここにいる必要はないはずだ。・・・ここは、これ以上君や私達がいるべき場所じゃないと思う・・・」

 呆気にとられる五十子たち、うなずく洋平。

 そのままヤンは五十子の手を引き、洋平と共に大臣室の扉へ向かう。 

 「ちょっと、あなた――!」

 嶋野の怒気のこもった声が耳に入ったが、ヤンも洋平も顧みることなく嶋野たちを背に、五十子の手を引きながら、大臣室から出ていく。一刻も早く、こんな場所から離れたかった。

 こうして、赤レンガでの喜劇あるいは皮肉が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

赤レンガでの一件の後、ホテルに向かおうとしたヤン一行。しかしヤンがその途中はぐれてしまう。見知らぬ帝都の街並みをさまよう中、ヤンは偶然立ち寄った大学の講座である男と出会う。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第14話「帝都での出会い」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第14話 帝都での出会い

 赤レンガを出たヤン一行は近くの公園で止まった。

 「ヤンさん、いくら何でもあれは失礼だよ。会話の途中で抜け出すなんて。お土産までくれそうだったんだよ?」

 ベレー帽を被り直すヤンに五十子が口を開く。そこにはわずかに怒りや不満といった感情が明らかに込められていた。

 「いいんですよお、あれで。お土産なんかもどうせロクでもないものを嫌味と一緒に差し出したんでしょうし。あの陰険ビッチ、絶対に膜から声出てないですよ。そんなのが海軍乙女の長とかもうね!首相と不倫してるって噂も本当みたいですし!おまけに長官に断りもなく連合艦隊所属艦艇をマスコミに公開してようとしているし!」

 ヤンが答える前に寿子が口を開いた。不満げな五十子とは対照的に、寿子はよくぞやってくれたという顔をしていた。

 「寧ろ、未来人さんがあの女に一言言ってくれて少しスカッとしましたよ!私見直しました!ただのぐうたらした中年の軍人じゃなかったんですね!」

 「ぐうたらはともかく、私は中年じゃないぞ」

 一方の束はというと呆れたように首を振っていた。

 「お前なあ、いくら嶋野大臣や軍令部の連中が気に入らないからってそこまで言うか普通?相手からしたら初対面の知らない下っ端にとんでもなくいちゃもんつけられたようなもんだぞ?言うにしたっても直接言うんじゃなくてもうちょっと言い方ってやつが・・・お前確実に大臣に目ぇつけられたな、悪い意味で」

 そんな束にヤンは平然とした様子で、ベレー帽をいじりながら答える。

 「まぁ、でも実際あの大臣や参謀の連中を見ているとまるで汚れ切った下水でも見ているような気分でね。五十子や私達に終始嫌味な様子だったし、能力があるようにも感じられないし。少なくとも、私はそんな上司に気に入られようとは思わないし、気に入られたくないしね。それに上官の間違いを指摘して正すのも、給料分の仕事のうちに入るんじゃないかな」

 束はますます呆れたように首を振り頭に手を当てた。その様子はまるで、懲りない問題児に手を焼く教師のようである。

 「・・・お前、絶対前いた世界で上官に好かれなかったろ」

 「まぁ、確かに上官や政治家には悩まされたね。勿論、頼りになる人も沢山いたが」

 頭を掻きながら苦笑いするヤン。

 束の指摘は決して間違っていない。

 軍人として卓越した洞察と戦術・戦略構想を発揮したヤンであったが、一方で彼は自身の政治的な立場や対人関係に関しては鈍感あるいは無関心であった。救国軍事会議のクーデター時ではキャゼルヌに、自身が統合作戦本部長のドーソン大将に嫉妬されていることを指摘されながらも、面識もないのに嫉妬の対象にされるわけがないと言って彼を呆れさせたし、上官への意見具申も積極性に欠けついに果たせなかったり、またトリューニヒトやレベロといった政治家達に疎まれもし、最終的には同盟を追われることにもつながった。こうしてヤンの今までの経歴を見てみると、彼自身がいかに政治的立場や対人関係、それに関する保身等について無関心で、また上層部に疎まれていたかがよく分かる。要するに彼は世渡りが下手であった。

 そんなヤンに寿子や束が感心したり呆れたりする一方で、洋平はまた違った感情を抱いていた。楽観論に染まり、自分達が国家国民の存亡がかかった戦争をしているという意識も責任も緊張感もない嶋野と軍令部の参謀達。その上早期講和の願いを込めた亀子の作戦案を一蹴し無碍に扱うそんな連中に対し一言言ってのけたヤンを流石だ、立派だと思う一方で洋平はそんなヤンの姿勢に対しどこか胸が締め付けられるような思いがした。

 明らかに世渡りが下手なヤンに対する心配や不安の感情であろうか。いや、違う、と洋平は感じた。

 この胸が締め付けられるような感情はヤンに対してではなく洋平自身に対して向けられているように感じられた。まるで、おのれの非を指摘され責められているような。なぜそのような感情を抱いているのだろうか。

 

 ――だからさあ、いい加減クラスの空気読めよ――

 ――源葉は優しいから。本当は嫌なんだろう?――

 ――お前だってあいつに話しかけられうの嫌だろ?先生に頼んで席離してもらえよ――

 

 不意に、灰色の教室の光景を思い出しかけ、やめた。

 頭痛を感じ首を振る。思い出したくない記憶だ。そして、その記憶が今抱いている感情と関係があることも確かだった。

 そこでふと、洋平は疑問に思った。なぜあそこまで嶋野や軍令部の参謀達に言われても五十子は最後まで怒らなかったのだろう、と。いくら忍耐力や寛容さがある人間でも、ヤンのように一言いたくなるはずなのに。

 「五十子さん・・・どうして怒らなかったの?あそこまで言われて」

 「え、だってミッドウェー作戦は検討して貰えることになったし、洋平君やヤンさんが連合艦隊司令部にいることも駄目とは言われなかったし、お土産までくれようとしたし。怒る理由が無いもの。それにわたしは貧しい田舎者だよ」

 五十子は飄々とした様子で歩を進めていく。時折、歌を口ずさみながら。

 彼女の周囲には綿菓子のように桜が咲き誇り、時折、その花びらを散らせていた。

 今は四月の中旬、洋平の世界なら今頃は散っているはずだが、恐らく温暖化等の影響だろう。ヤンもまた、資料でしか桜の存在を知らなかったが、初めて見るその光景は十分美しいと評するに足るものだった。世の時世など気にしないように咲き誇る桜を背景に五十子はぽつりとつぶやいた。

 「私の故郷はね、敗戦国なんだ」

 そう言って五十子は悲しげに微笑んだ。

 「・・・敗戦国?」

 「私は越後の生まれなんだけどね・・・越後は、葦原平定戦争で幕府側についたんだよ」

 葦原平定戦争。ヤンも洋平も聞いたことがない単語だ。だがヤンにはある程度の予測がついた。ヤンの知る歴史では、かつてこの島国では幕末と呼ばれた頃、江戸から明治へと時代が内り替わる際、戊辰戦争と呼ばれる一国の支配の座をめぐる新勢力と旧勢力の内戦が起こった。ヤンの知る歴史とリンクしているこの世界、葦原平定戦争とやらもその戊辰戦争のような時代の過渡期における内戦だったのだろう。そして、五十子の故郷はおそらく、その内戦で敗北した旧勢力に属していたのだ。

 「ブリトン製の近代兵器で武装した新政府軍に勝てるわけないって皆分かっていたのに、幕府への古い恩義や他の藩との関係、色んなしがらみがあってね・・・長岡の城下町は、三日三晩燃えて、灰になったんだって。私はその戦争を直接経験したわけじゃないけど。戦争で負けた側の苦しさは知ってる。皆、大変な思いをしていた」

 大和での昼食会で、五十子が同郷の少佐達に水饅頭をふるまった時のことが頭をよぎった。少佐の一人が饅頭を五人姉妹で一つしか食べられなかったから水でふやかして分けて食べたといった。その裏には、敗戦故の過酷な記憶があったのだ。

 「私の村の人たちは力を合わせて何とか頑張っていたけど、ある年の冬を越せなくてね。栄養失調と流行り病。十分な食事と西洋の医薬品があれば簡単に治る病気で、大勢の人が亡くなるのを見たよ。・・・代われるなら私が代わってあげたかった」

 気付けば風が止んでいた。花びらが静かに五十子の方に落ちる。

 死について語る五十子の口調はどこまでも淡々なものであった。彼女はすでに心の整理がついているのか、それとも思い出したくないのか。代わってあげたい、という言葉は洋平の胸にずしりと重くのしかかった。

 ヤンは思わず上を見上げていた。本来、国が負けるとはこういうことなのだ。彼の祖国、自由惑星同盟が皇帝ラインハルトによって滅亡した時、彼とその旗下の提督達は敗者である同盟市民に対し寛容に、平等に接し善政を敷き、またヤンをはじめとする一部の敵の将兵や政治家・役人に対しても寛容に、そして時には敬意をもって遇した。だがそれは非常に幸運な例であり、本来、負けた側には過酷な運命が待っている。それは歴史を見れば明らかだ。彼女は国が負けるということを、敗戦とその後に待ち受ける悲惨な運命を身をもって知っているのだ。

 そしてヤンと洋平もまた、この国が敗戦の運命にあること、そして彼女たちがたどる過酷で残酷な運命を知っている。

 「勿論、今は新政府も幕府も関係ない、みんな同じ葦原人。けど、戦争で負けた側がどれだけ悲惨な目に合うか、そのことだけは忘れちゃいけない。負け戦は、絶対にやっちゃダメなんだよ」

 ヤンや洋平たちが沈黙する中、五十子は振り返り方をすくめて微笑んだ。

 「さてと。なんだか辛気臭くなっちゃったね。甘いものでも食べに行こうか。洋平君の言いつけを破ることになるけど」

 どうやら、あの時の冗談をまだ覚えていたようだ。

 

 

 

 「こっちだよ」と歩く五十子についていくと同時に周囲の景色も変わっていく。

 レンガや石造りの建物が居並ぶ官庁街を出て、噴水や池のある広い公園の光景が視界に移った。少し目を移せばすぐ近くには花屋やレストラン、喫茶店が並んでいる。

 公園では花見にでも来たのだろうか、家族らしき人々が桜を見て微笑んだり、くつろいでいる一方で街並みのほうを見れば多くの人々が店や建物を出入りしている。学生やスーツ姿のサラリーマン、着物姿の主婦、袴姿の老人・・・ハイネセンに負けず劣らずの活況。戦時下であるという雰囲気が一向に感じられない平和な光景が広がっている。たとえ社会がどんな状況であっても人々の本来の生活の営みというものは続けられるものなのだ。決して少なくない人込み、気を付けなければ土地勘のないヤンや洋平などはすぐに迷ってしまうだろう。

 五十子の後に続きながら洋平は赤レンガでのやり取りを振り返る。

 あの嶋野とかいう女と軍令部の連中の言動は気に入らないが、組織としての性質には思い当たる節があった。

 この世界に来る前、洋平が好んでプレイしていた戦略ゲーム『提督たちの決断』は作戦目標というシステムが存在した。クエストの一種であり、資源や要所の確保を挙げてくるがこれらは実際の戦況や敵艦隊の位置は考慮されておらず、司令官であるプレイヤーにとっての攻略すべき優先順位とかけ離れた目標を提示されることがしばしばであった。

 だが、クエストを無視することもできなくはないが、これを達成すればボーナスがもらえる。ゲームの序盤から金欠状態であるプレイヤーにとって、ボーナスはゲームを有利に進めるためにも喉から手が出るほど欲しい。

 さらに深刻な問題として、作戦目標を達成しなければ所属提督たちの昇進が行われない。ゲームでは少将以上が空母に、中将以上が戦艦に乗れるようになっており、逆に言えばどんなに能力のある提督でも昇進しなければ空母や戦艦に乗せられない。結果として、プレイヤーは本来の戦略や戦況に関係のない作戦目標に従わざるを得ないのだ。

 隣を歩く寿子にこのことを話すと「未来のゲームはリアルですねえ」とため息をついた。

 「私達の海軍も同じですよお。連合艦隊司令長官は、国民からは海軍で一番偉い人みたいに思われてますけど、作戦目標は軍令部が決めますし、人事考課は海軍省人事局が決めるんです。中央の命令通りに戦わないと、手当も勲章も貰えないですからね。海軍乙女は実家に仕送りしてる子が多いですから、結構切実な問題なんです」

 嶋野や軍令部に一言言ってのけたヤンも、かつて所属した軍隊でそのような経験をしたのだろうか。

 そう思い洋平は振り返り――そこにヤンの姿はいなかった。

 「あれ?ヤンさんは?」

 「・・・え?」

 「着いたよ、皆。ここが私の行きつけの甘味処で・・・え?・・・ヤンさん?どこ・・・?」

 今まで赤レンガからここまで五十子達についてきたはずのヤン。

 気付けばその姿はどこにもなく。彼は忽然と、姿を消していた。

 五十子達を取り巻く空気が凍り付いた。

 「・・・おい、これって」

 「・・・大変です長官!ヤンさんが、迷子になってしまいましたあ!!」

 「ヤンさん!?どこ行っちゃったのお!?」

 ヤン・ウェンリーはいつの間にかこの広大な見知らぬ帝都で迷子になっていた。

 

 

 

 

 

 五十子達が慌てふためく中、当のヤン・ウェンリーは特に取り乱した風もなく、帝都の街並みを静かに歩き回っていた。勿論、彼の顔にはまいったな、という当惑の感情が浮かんでいたがそれは外から見れば若干のものであり、ベレー帽をもてあそんだりおさまりの悪い黒髪を掻きながら猫背で歩を進めるその姿は、一見すればどうでもいいことで悩んでいるか、ただぶらぶらしているだけの人間に見えるだろう。

 勿論当の本人は、自身がこの見知らぬ街で五十子達とはぐれ迷子になってしまったという事実を正確に認識し、その問題に対しどう対処すべきかその脳内で取り組んでいた。

 「・・・やれやれ、見知らぬ街ではぐれて迷子になるなんて、いい大人が情けない。ユリアンやシェーンコップが見たら笑われてしまうな」

 が、特に大きく困った風でもなく、時折そんなどうでもいいことを考えながら頭を掻き、ただ歩いているだけというあたりいかにもヤンらしい。 

 さて、迷子になった場合の対処法はいくつかある。その場を動かない、あるいは事前に決められた場所に向かう等々である。

 前者はヤンがこうして帝都をうろつきまわっている以上、すでに有効な手段でないことは明らかである。となると後者であるが、五十子達一向は本来の予定であればとあるホテルに向かうことになっていた。この帝都でしばらくの間彼女たちが滞在することになるホテルだ。ヤンと洋平も勿論、そこにしばらく居座ることになっていた。ホテルの名前自体は事前に知らされ記憶している。そこに向かうか、あるいは赤レンガへ戻るというのもありだろう。おそらくそれが有効な方法であった。

 問題はホテルの場所である。名前は知っていても肝心の場所を知らない。いや、知っていたとしてもヤンがそこにたどり着ける保証はないし、恐らくたどり着けないだろう。赤レンガもこうして迷子になっている以上、元来た道をたどって戻ることはできないしヤン自身あの場所には戻りたくなかった。嶋野やその取り巻き連中も、『生意気な身の程知らずの男』の顔は見たくないだろう。赤レンガに戻るのは上策ではない。やはりホテルに向かうしかないのだが、どうやってその場所も知らないホテルに向かうかだ。名前は知っているのだが・・・

 街並みはますますヤンの知らないものばかりになっている。レンガ造りの官庁街や高級住宅街、木造建築の日本家屋・・・

 ふと立ち止まってヤンは思案した。やはり、思い切って人に聞いてみようか。あるいはその場所まで連れて行ってもらおうか。しかし、ここはヤンのいた世界とは全く違う世界。憲兵の目もあるし、怪しまれないだろうか。なるべくことを穏便に済ませるにはどうすればよいか・・・

 その時、クラクションの音が鳴り響きヤンの思考を一時中断させた。

 見ると、そこには(ヤンの目からすれば)古い型の黒い車があった。タクシーだろうか。何度もクラクションを鳴らしていたのだろう。運転手の目と表情には明らかに不満と苛立ちがあった。どうやら、立ち止まって思考していたヤンがそのタクシーらしき車の進路を塞いでいたようだ。

 ヤンよりも先に、運転手が窓を開け顔を出し抗議の声を上げる。

 「困るよ、あんた。何ボケっと突っ立ているんだ。こっちは客載せて急いでるんだよ。さっさとどいてくれ」

 「いやあ、すみません。ちょっと考え事をしていまして。というのも道に迷ってしまいましてね、どうやってその場所に行こうか考えていたもので・・・ちょっと教えてくれませんかね?」

 ベレー帽を脱いで、ヤンは頭をかきながら謝罪した。ついでにホテルへの道を聞いてみようとする。対して運転手は顔をしかめたままだ。

 「あのね、さっきも言ったけどこっちは急いでるんだ。道ぐらいそこの警官か憲兵に聞いてくれ」

 「まぁまぁ、良いじゃないか。そこまで急いでるわけじゃないんだ。そう邪険にしなくたっていいじゃないか。少しぐらいなら話を聞いてもいいだろう」

 ヤンに対し邪険に対応する運転手を遮るように、後部座席からふと声が響いた。

 後部座席には一人の男が座っていた。

 浅黒い肌をした細長い顔。年齢は四十代くらいだろうか

 高級な、仕立ての良いスーツに身を包み、こちらを見てニコニコと笑っている。笑うたびに歯が見えるが、一目で出っ歯と分かる。決して美男子とは言えないが、しかしその笑顔は他意のない明るいもので、また同時に見る人に好感と活動的な印象を与えるものであった。

 男は笑顔のままヤンのほうを向く。

 「さっきナニを、ホテルを探してるだか何とか言ってたが、どこのホテルなんだね?」

 ヤンは五十子達が滞在する予定であるホテルの名を口にした。

 「ああ、そのホテルか。僕も行ったことがある。ここからそう遠くはないが歩いていくには少し遠いだろう。君はなんだかここら辺は初めてのようだし・・・よし、なんなら僕がナニしてあげよう。一緒にナニしていかんかね」

 ナニだ、ナニするというのがこの男の口癖のようである。

 「ナニとは?」

 「一緒に乗っていかんかというんだよ。そのホテルまで連れて行ってあげよう」

 突然の男の申し出にヤンは驚いた。見ず知らずの人間を目的地まで連れて行こうというまで言うのだ。運転手も驚きと困惑の表情である。

 「はあ。よろしいんですか。私は、その、今手持ちがなくて」

 「良いんだ良いんだ。そのナニだ、人助けというやつさ。困っとる人間をそのまま放っておくわけにもいかんだろう。そこまで急いでいるわけじゃないし、ちょうど行く途中の近くにあるホテルだからね」

 男は相変わらず笑顔のままヤンに乗車を進める。

 「さあさあ、乗った乗った。同じ方向なんだし、いいじゃないか。何、料金なら僕が払うから心配しなくたっていい。君、ちょいと行き先を変更だ。そのホテルまで頼む。料金は僕が払うから」

 男の申し出に、ヤンとは対照的に運転手は素直に承諾する。

 結局男に勧められるままにヤンは後部座席に乗り込んだ。

 車がホテルに向かって進む中、男はヤンに話しかけた。

 「ところで、君、そのホテルに行ってナニをするつもりなんだね?ナニでもしてるのかね?」

 「まぁ、ちょっと人と会う約束をしていまして。そこでしばらく滞在する予定なのです」

 「待ち合わせ。誰とだい?」

 「いや、言っても信じてもらえるか・・・ちょっと、海軍軍人と会う予定で」

 「なるほど、軍機か。それじゃあ僕も詮索はやめておこう。しかし君は見ない顔だねえ。顔立ちも何だか葦原人というより、支那人みたいだし。どこの生まれだね?」

 生まれを聞かれ、ヤンはどう答えようかと頭をかいた。素直に、正直に惑星ハイネセン、宇宙歴の生まれといったところでこいつは頭がおかしいと一笑に付されるか警戒され、最悪車から降ろされ警察に突き出されるかもしれない。

 どう答えようかと悩むヤンに男は続ける。

 「何だか、ナニだな、見ていると君は何となく僕たちの住んでる世界とは違う世界に住んでいるように感じられるよ。服装も珍しいしねえ」

 「・・・本当にそうだと答えたら、どう思われますか?」

 「・・・何だって?」

 「いえ、何ほんの冗談ですよ」

 少し気まずい空気が流れ、ヤンは少し話題を変えようと思った。

 「それにしても、すみません。貴方にも用事があるのにわざわざ乗せてもらって・・・」

 「ははは、良いんだよ別に」

 「あなたも人に会う用事で?」

 男は歯を見せながら笑い、首を振った。

 「何、郷里に、山口のほうに向かうんだ。ほら、君も聞いてるだろう今度ナニがあると」

 「ナニとは?」

 「選挙だよ。今度衆議院の総選挙があって僕もそれに出馬するんだ。それで、選挙区のある地元に行かなきゃならんのだ。とはいえ本職のほうも色々忙しくてねえ。ただ、国民の信を得るためにどうしても必要なんだ」

 選挙。そういえば、大和で軍令部から呼び出しを受けた時も、近々選挙があるということを聞いた。そしてこの男も出馬するという。この男は政治家、議員なのだろうか。

 「政治家をやっているんですか?」

 「いや、選挙に出るのは今回が初めてだ。政治には以前から関わっていたがね・・・しかし君も変なこと聞くね。新聞読んでりゃ、僕が大臣やってて議員はやってないって分かると思うんだが」

 ヤンは思わず喉が詰まりそうになった。今この男は何と言った?大臣をやっていると言わなかったか?もしやこの男は政府の意思決定にかかわる重要人物なのか?その男と自分は車の席を同じにしているというのか?

 感情を表に出さないように気を使い、ヤンはベレー帽を脱ぎ、頭をかく。

 「まぁ、あまり新聞は読まないもので。特に私は政治情勢には疎いもので・・・」

 「ふうん。まぁ、商工大臣ならそういうこともあるか」

 しばしの沈黙。

 外を見れば、日が落ちかけ、空が青からオレンジへと移り変わっている。夕暮れ時だ。

 男が再び口を開く。

 「ところで、君はこの戦争をどう思うかね」

 「というと?」

 「そのままの意味だよ。今葦原とヴィンランドがやっている戦争のことさ」

 男は不意に、ヤンに対してこの戦争に対する考えを問うてきた。なぜそんなことを突然ヤンに聞いてきたのだろう。

 「はあ。私が答えることでもないと思いますが。それにどうして私にそんなことを?」

 男は相変わらず笑ったまま、ヤンの顔を見る。

 「何、別に拷問にかけようってわけじゃないんだ。僕は憲兵や特高じゃないんだしね。ただ、君の目を見ているとまるで君が何かこう達観しているかのように見えてね。こう、物事を第三者的な立場から、高いところから見下ろしているような、そんな風な気がするんだ」

 この男はもしやヤンが違う世界の人間であることを見抜いているのだろうか。

 「・・・これはあくまで私個人の考えですが」

 ベレー帽をかぶりなおしながらヤンはゆっくりと答える。

 「どうにも戦線を広げすぎたように思います。確かに今は連戦連勝ですが、相手は圧倒的な物量と国力を誇るヴィンランド合衆国。極端なたとえですが買い物で言えばこっちは財布に入っているのが千ディナ・・・千円なのに対し、相手は百万円持っており、その状況で十万円の買い物をするようなものです。今のうちに落としどころを見付けないと、そのうち相手に逆襲されるでしょう。圧倒的な国力差、物量作戦という巨大なハンマーを持ってね」

 「・・・」

 男はただ黙って、ヤンの言に耳を傾けている。

 「それに、国民や上層部も少し浮かれているように感じます。私は五十子・・・山本連合艦隊司令長官が帝都に来た時の様子を見ましたが・・・皆万歳万歳と拍手喝采を送っていました。もうすでに戦争に勝ったかのように。私にはそれが危うく見えました。国民から上層部に至るまで、すでに戦争に勝ったかのように思い、楽観論で染まっているようで。勝っていたはずの軍隊や国家がその慢心に付け込まれ逆転され、そのまま敗北・滅亡した話は歴史を見ればいくらでも出てきます。己の国力を超えて広げすぎた戦線、圧倒的な国力と物量を誇る敵、連戦連勝に酔い楽観論に染まった国民や軍や国家。確かに今は勝っています。ですが・・・このまま落としどころを見失って、逆転されればそのあとに待ち受けているのは、敗北に次ぐ敗北そして・・・敗戦。私はどうもそんな風に考えてしまうのです」

 そして実際にその歴史を辿るのだ、と付け加えるのはヤンの心の中だけにとどめた。それにしても言い過ぎたかな、と思う。それも大臣を名乗る男の前で、悲観論を述べ敗戦まで口にしたのだから。きっと目の前の男は不快な気分と顔をしているだろう。

 「思い切ったことを言うなあ。まるで実際に見てきたかのようにしゃべったね」

 一気にしゃべり一息つくヤンに対し、男の顔は不満な様子や怒りを見せるでもなくただ微笑んだままであった。それどころか時折頷いてさえいる。この男もまた、ヤンと同様の考えを抱いているのだろうか。

 「うん、本当に見てきたかのようだ。まさか、君は本当にナニだ、未来でも見たのかね?」

 「いや、それは・・・」

 「いや、冗談だよ。しかし君の言うことは一理ある」

 男は腕を組んで頷いた。

 「僕は以前、ヴィンランドに行ったことがある。フィラデルフィアで製鉄事業を視察したが、わが葦原とはとはまず比較にならん規模だ。圧倒的な国力差を痛感したよ。この国と戦うのは無謀だ、とね。もちろん、僕も大臣として勅書にサインし国策に携わる以上全力は尽くすし、この国がヴィンランドと戦っているのだって好きでそうしているんじゃなく、已むに已まれぬ事情があるからだ。しかし、長期化は避けにゃあならん。何とか落としどころを見つけないと」

 どうやらこの男は嶋野や軍令部の連中とは違う見識を持つようだ。少なくとも彼女たちよりは十分現実的な視点を持っている。軍や上層部も決して一枚岩ではないということか。

 「ん、見えてきたぞ。あのホテルだ」

 男がふと指さした先には立派な石造りの建物がそびえたっていた。一目で高級ホテルと分かる、その建物の入り口をよく目を凝らしてみれば、白い軍服に身を包んだ海軍乙女らしき少女が立っている。おそらく五十子や寿子あたりがここで待機しているのだろう。このホテルで間違いなさそうだ。

 「ありがとうございます。おかげで窮地を脱することができました」

 「ははは、いいさこれくらい。今度から気を付けたまえよ」

 車から降りると、ヤンの姿を認めたのか、海軍乙女が手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。黄色いカチューシャが特徴的な可愛らしい少女。間違いない、寿子だ。

 「ヤンさあん」

 そう大声で呼びかけながらこちらに手を振り、走って駆け寄ってくる。

 ヤンもそれに手を振って応えた。間違いなく五十子達にずいぶん心配をかけたことだろう。早く安心させなければ。

 そう思い車を離れようとするヤンを男が呼び止めた。

 「そういえば君、名前を聞いてなかったね。折角だから教えてくれないかな?」

 ヤンは一瞬考えるそぶりをしたが、男のほうに向きなおり答えた。

 「ヤン。ヤン・ウェンリーといいます」

 男は目をぱちくりとさせた。

 「ヤン。もしかして君は大陸の出身なのかい?今の時勢には珍しいが」

 「まあ、そういうことにしておいてください」

 男もしばらく考えるそぶりをしていたが、やがていつもの笑顔に戻った。

 「まあ、そういうことにしておこう」

 「ところであなたの名前をお聞きしても?」

 「おお、そうだったな僕の名前を言うのを忘れていた」

 男は目を細めで静かに己の名を口にした。

 「岸」

 ヤンの手を取り軽く握手する。

 「岸信介という。これが僕の名前だ。商工大臣をやっとる。まぁ、覚えておいてくれたら嬉しいね。それに君とはまたどこかで会いそうに気がするんだ」

 それじゃあ元気でな、と言い残して岸と名乗った商工大臣を乗せた車はどこかへと去っていった。

 この日の出会いが二人に、そしてこの世界の歴史に何をもたらすのか。それはまだだれも予測しえない。

 

 

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

無事、滞在先のホテルに戻ることができたヤン。そこで彼らは今後のミッドウェー作戦について以下に了承を得、進めていくべきか話し合う。話を進めていくヤンたちのもとに一人の海軍乙女が訪問してくる。彼女は何者か、そして目的は――
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第15話「真夜中の訪問者、そして裏切り者」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第15話 真夜中の訪問者、そして裏切り者

 親切な大臣のおかげで何とか目的のホテルにたどり着くことが出来たヤンは、当然のことながら五十子達からお叱りの言葉を受けていた。

 「もう、駄目じゃないヤンさん!見知らぬ街だからしっかりついて着てって言ったのに、はぐれて道に迷うなんて」

 「本当に心配したんですよお、未来人さん!皆で探し回ったんです!親切な人が連れてきてくれて良かったですけど、下手をしたら未来人さん不審者扱いされて怖ーい憲兵や特高に捕まって拷問されていたかもしれないんですよお」

 「いやあ、まことに面目ない。何しろ、二十世紀の街並みを生で見られるものだからついつい色んなものに目が行ってしまって・・・それに私は方向音痴で」

 頬を膨らませる五十子達に、ヤンは頭をかきながら苦笑した。

 戦場では敵将さえも感嘆する戦術を見せる一方で地上ではちょっとした距離でも迷う、なんとも名将らしくない名将、それがヤンという男である。

 「それにしても、拾った男が商工大臣とはな。世の中、奇遇なこともあるもんだな」

 束の言葉にヤンは頷いた。

 あの時男は岸信介と名乗った。その時は気付かなかったが、こうして落ち着くとヤンはすぐにあの男が後にこの国の歴史に名を残すことになる人物であることをすぐに思い出した。元々歴史家志望であり自宅には歴史関連の本が山積みなっているヤンである。知識でいえばそこらの一般人よりははるかに深い。詳しく知っているわけではないが、戦後のこの国の舵取りで大きな役割をした彼である。エリート官僚からA級戦犯への転落、そのどん底から政界への返り咲き、そして日米安保・・・彼が何をしたのか大まかなことは知っていた。

 その歴史書において大きく太字で記されるべき重要人物に偶然出会ったのだ。いや、偶然というべきなのだろうか。運命とか宿命とかいう言葉を好まないヤンだが、しかし彼と出会ったことはやはり特筆すべきことであるように感じられた。

 とはいえ、今考えるべきことは別にある。ミッドウェー作戦だ。

 一同が揃い落ち着いたところで、ヤンと五十子達は来るべきミッドウェー作戦とその認可に向けた策を練り始めた。

 「嶋野大臣は十中八九、親授式が済めばミッドウェー作戦を却下する心算です。こちらも搦め手から攻めましょう。美豪分断作戦に従うふりをして、その前段にミッドウェー作戦を組み込むんです」

 寿子はベッドに地図を広げ、計画の練り直しを始めた。

 「目的は表向き島の占領に絞ります。ミッドウェーの飛行場を確保すればハワイの美太平洋艦隊の動向を察知しやすくなり、美豪分断に有利に働くと説明するんです。『ミッドウェー攻略後、連合艦隊はそのまま太平洋を南下、トラック諸島に泊地を移し美豪分断作戦を本格化させる』これなら選考を通るかもしれません」

 「待って、寿子さん。それだとハワイ攻略ができなくなるんじゃないか?」

 「これは政治ですよお、未来人さん。嶋野大臣がご執心の美豪分断作戦を真正面から否定したら彼女の顔が立たず、逆に認可が下りません。とりあえず相手が呑める落としどころを作らないと。それに、私達が結果を出せば――ミッドウェーで敵機動部隊を壊滅させれば私たちを取り巻く空気も変わるでしょうし、命令権決定権は軍令部にあっても実際の指揮は私たちが執るんです。書類上の命令が島の占領でも出撃さえすればこっちのものです」

 「なるほど・・・凄いな、寿子さん。僕には思いつかなかったよ」

 名を捨て実を取る寿子の作に洋平は感嘆した。寿子は伊達に参謀をやっているわけではない。そもそも、中央や上層部との折衝は寿子の職務の一つであり、彼女はそうした交渉や調整能力に長けている。こうした策を思いつくのは彼女にとってはお手の物なのだろう。

 「じゃあ、上層部との調整は寿子に任せるとして、実際の作戦と指揮をどう進めていくかを考えるとしようか」

 ヤンの提案に一同が賛同した。上層部との折衝は寿子に任せておくのが一番だろう。そもそもそういったことはヤンにも洋平にも不得手である。

 それよりも彼らが考えるべきはこの先何が起こるかを知っている未来人としてのアドバンテージを活かして、どのようにミッドウェー作戦に介入、これを指揮していくかだった。もはやミッドウェー作戦が立案され、それが実行されることと二人が海軍軍人としてそれに関わることがほぼ不可避になった以上、考えるべきは如何にして史実を変えるか、どのような作戦構想に変えていくかであった。本来ならばミッドウェー作戦をやらないこと自体がベストなのだが・・・

 ヤンはティーカップを手に取り、紅茶を一口飲んだ。部屋に備え付けられていたティーセットを使って自分で淹れたものである。口に含んでヤンは僅かに顔をしかめた。飲めない代物とまではいかなくても、お世辞にも美味しいとは言えない。そもそもヤンはこういう能力には欠けているのだ。己の不器用さとユリアンの存在のありがたさと彼の入れてくれる紅茶への恋しさを痛感し、元の世界に一瞬思いを馳せるとヤンはカップを置いて口を開いた。

 「まず初めに言っておかないといけないことがある。それは、敵はこちらの手の内を知っているかもしれない、ということさ」

 「手の内を知っているって・・・こちらの意図を知っているということ?」

 首をかしげる五十子にヤンは頷いた。

 「うん。そしてもしかしたら、私たちの攻略目標がアリューシャン列島とミッドウェー島であること、こちらが繰り出す戦力も知っているかもしれない」

 「・・・おい、ちょっと待て。つまりてめえはヴィンランドがこっちの出方を全部知ったうえで出張ってくるって言いたいのか?」

 ヤンの言葉に束が思わず声を上げた。他の少女も目を見開くなど動揺している。ヤンの言葉は例えれば麻雀やポーカーなどで自らの壁が鏡張りになっておりこちらの手の内が相手にまるわかりの上で勝負をしなければならないようなものだからだ。相手は一方的に有利に勝負が、後出しじゃんけんができるというわけだ。

 そして洋平はヤンの言うところがすぐに理解できた。こちらの暗号が解読されている可能性がある、ということだ。

 「もしかして、こっちの暗号が解読されているっていうこと?」

 「その通り。洋平なら知っていると思っていたよ」

 「洋平君、何か知っているの?」

 五十子の問いに洋平は頷いた。

 「さっきも言ったとおり、こっちの暗号が解読されて手の内がばれているかもしれないということだよ。僕のいた世界の史実じゃ、暗号が解読されて海軍の動向は敵にほぼリアルタイムでまるわかりになっていた・・・寿子さん、今芦原海軍が使っている暗号の名前は?」

 「海軍暗号書Dです。真珠湾攻撃の直前に変更され手から現在に至るまで使用していますが・・・まさかそれが解読されていると・・・?」

 「・・・やっぱり」

 ヤンと洋平の知っている史実ではこの時期日本海軍は海軍暗号書Dと呼ばれる暗号を使用していた。だが、一九四二年一月に撃沈された日本海軍の潜水艦から暗号表を、米軍が回収。当然のことながら日本海軍の動向は米軍に完全に筒抜けとなり、ミッドウェー作戦の概要や参加戦力も完全に把握されてしまった。

 いや、そもそもこのミッドウェー作戦では情報戦において完全に米軍に軍配が上がっていた。情報戦がミッドウェーでの敗因の一つに挙げられるほどだ。

 米海軍は以前から戦術情報班ハイポを重用し日本軍の暗号解読と無線傍受に全力を挙げ、こちらの動向を完全に察知していた。ミッドウェー作戦の直前には偽の電文を日本海軍に発信し、日本海軍の目標がミッドウェー島であることを知り、ミッドウェーで待ち伏せし迎撃態勢を整えていた。

 かたや日本軍はそれまでの連戦連勝や珊瑚海海戦での戦果の誇張宣伝により気が緩み作戦の機密保持が杜撰になっていた。一介の水兵が上官に「次はミッドウェーですか」と尋ねたほどである。

 それに暗号が解読されている、ということは山本五十六の死因の一つでもあるからだ。洋平の世界の山本長官は一九四三年四月一八日、一式陸攻に搭乗し前線基地の将兵の慰問に向かう途中ブーゲンビル上空で米軍戦闘機群に乗機を撃墜され死亡した。米軍は暗号を解読し、山本長官がいつどのような空路で向かうか正確な場所と日時を把握し待ち伏せしていたのである。そして、もしこの世界でも史実と同じように時が進むのであれば目の前の五十子も同じように――

 洋平は頭を振って、脳裏に浮かんだ不快な、あってはならない想像を打ち消した。改めて、ヤンと洋平の知る史実ではこちらの暗号が解読されていたということ、それによりこちらの動向を敵は完全に察知しており、ミッドウェーでは敵が迎撃部隊を配備し待ち伏せをしていた、等々の事実を五十子達に述べた。

 少女達の反応は様々だ。束は半ば不審そうに、寿子は深刻そうにしている。五十子はじっと沈黙したままだ。

 「・・・本当なのか?暗号が解読されているっていうのは?軍令部の連中はともかく、ホイホイ手の内や軍機をさらすほどあたしたちの口は軽くないぞ。暗号にしたって一朝一夕で解読されるほど解読されるほど簡単なものじゃねえ」

 「ですが、まったくあり得ない事態でもありません。開戦以来撃沈もしくは消息不明になったわが軍の潜水艦や艦艇は少なくありません。もしその中に暗号書を積んだ艦がいて敵がそれを回収でもすれば・・・それに海軍の防諜にしたってそれほど熱心にできているとも思えませんし・・・」

 各々の考えを述べる彼女たちに対し、ヤンはさほど深刻そうなそぶりもせず、頭をかきながら口を開いた。

 「まぁ、あくまでこれは私たちのいた世界の史実がこうであった、という話だからんね。君たちの世界のこれからの史実がどうなるかは分からない。もしかすると束の言うとおり、暗号は解読されていないのかもしれないしそれがこの世界のたどる史実なのかもしれない。ただ、私と洋平の世界と君たちの世界がつながっていると考えれば、やはりそう考えるのが自然だろうし、寿子の言うとおり、上層部があんなようでは防諜にもさほど熱心ではないだろう。私としてはそういったリスクを十分考慮する必要があると言いたいのさ」

 「少し聞いていて思ったけど」

 そこでようやく五十子が沈黙していた口を開いた。瞳がじっとヤンの顔をとらえる。

 「暗号の解読に待ち伏せ。何だかまるで、私たちが負けるみたいに言うね」

 洋平は思わずどきりとした。その目は決して笑っていない。五十子はヤンと洋平の言動から察したのだ。この先に待ち受けるであろう海戦の運命を、そしておそらくは己の運命も。その上で彼女はヤンに問うているのだ。この先待ち受けるであろう運命を。彼女は今どんな感情を抱いているのだろうか。悲しみだろうか、怒りだろうか。それとも覚悟か諦観か――

 「うん、負けるよ」

 そんな五十子に対しヤンはあっさりとした様子で答えた。

 「空母四隻に巡洋艦一隻が撃沈。貴重な戦闘機や優秀なパイロットも多く失った。今までの連戦連勝からは考えられない大敗北。それが私の知る、私の世界での史実さ。そして恐らくこのままいけばこの世界でもその運命をたどるだろうね」

 淡々と事実述べるヤン。寿子は驚きに目を見開き、束はヤンを睨んでいる。だが、怒りや抗議の声を上げないのはヤンが決してふざけておらず、ただ己の知る史実や事実を淡々と、そして真剣に述べているからだろう。五十子はじっとヤンの言葉に耳を傾けている。

 「少なくとも私のいた世界の史実に限って言えばそうだった。そしてその先のことも当然知っている。でも、私としてはあまり話したくないし、今は話すべきではないと思う」

 黒いベレー帽をもてあそびながらヤンは静かに、淡々と続ける。己の息子や弟子教え諭すように。

 「もし私の言う未来を知ったら、寿子や束や他の人たちはどうかはわからないが・・・五十子、君はそれがどんなものであれば運命だと思って動じないかもしれないだろう。あるいは受け入れようとするかもしれない。あるいは変えようとするかもしれない。でも考えても見てほしい。確かに私や洋平の世界と五十子の世界は繋がっているかもしれない。これからも同じ歴史をたどるのかもしれない。でもこれはあくまで『かもしれない』であって必ずそうなるとは限らない。私の知っている知識は私の世界のものであって、五十子の世界とはまた違うのだから。五十子の世界が別の歴史をたどる可能性だって十分にある」

 ベレー帽を再びかぶり直し、おさまりの悪い髪をかきながらヤンは椅子に座る。

 口にはわずかに笑みが浮かんでいるが、目は真剣そのものだ。その瞳が五十子達をしっかりととらえている。

 「運命とか宿命という言葉を使って受け入れることができればどれほど楽だろうね。でも、私はそういう言葉は好きじゃない。むしろ嫌いだ。そいつは人間を二重の意味で侮辱している。思考を停止させ、人間の自由意思を価値の低いものとして扱っている。事態や状況や世界がどうであれ、それを振りかざすだけで思考を停止、他者の言葉に耳を傾けず、己を生き方を正当化し他人に押し付けることができる。状況が変えられるものであることも、それが間違っていることにも気づかずに。以前、大和の甲板で言った。ことを覚えているかい?大事なのは君がどうしたいか、自分だけの星を見つけることだと。人には自由に生きる権利があって君には未来があるということを。大事なのは将来どうなるか、ではなく将来どうしたいか、どうするのかということなんだ。望む未来のためにどう行動するかを考えること、それが今私たちのすべきことだ。だから、私は私の知る史実を教えない。君たちが運命にではなく未来に専念してほしいからね」

 気づけば洋平はヤンの言葉に頷いていた。そうだ。ヤンの言うとおりだ。自分達がやるべきこととは、この先待ち受けているであろう残酷な運命に、歴史に対し宿命だ運命だと諦観することではない。より良い未来を選択するために、新しい未来と世界を作るために何をできるか、どうすべきかを考え行動することではないか。そもそもヤンと洋平は、そして五十子達はそのために戦うと誓ったはずではないか。

 五十子はゆっくりと微笑んだ。

 「・・・そうだね。ヤンさんの言うとおりだ。私たちがどうしたいのか、どうしなきゃいけないのか・・・それを考えなくちゃ。何だかヤンさんといると優しい先生かお父さんと一緒にいる気分だよ。私もまだまだだね。えへへ」

 少し照れるように頭をかく五十子。寿子も静かに頷いている。

 「やれやれ、たまにてめえが穀潰しのポンコツなのか軍人なのか分からなくなるぜ。・・・それともどこかの誰かさんの甘さが伝染したのか」

 束も苦笑していた。だがすぐに真剣な表情に変わり、ヤンに対し問う。

 「ンで、そこまで言うからにはそういうてめえらには何か策でもあるのか」

 束の問いにヤンと洋平は互いにに目を見合い肩をすくめた。

 「策か・・・まぁ、無くはないんだけどね。寧ろ考えれば考えるほど出てくる」

 そういってヤンは手を頭に伸ばしたまま、思索に入った。

 史実では、暗号の解読等によってこちらの手の内を相手は完全に知っていた。作戦目標も知り、ミッドウェーにあらかじめ部隊を向かわせ配備、待ち伏せをしていた。自分が敵の司令官だったとしても同じようにするだろうし、ほかの人間でもそうするだろう。それが一般的な対応だ。

 だが、自分達は敵がこちらの手の内を分かっていることを知っている。これは一見不利なように見えるが、うまく活用すればこちらの勝ち目にすることもできる要素だ。相手はこちらの手の内を知っていると思い、主導権はこちらにある、勝機は十分あると思っているだろう。手に入れた情報をもとに対応すればよいと考えているだろう。そこに付け込めないだろうか。

 空母四隻を出撃させると通信をだす一方で、実際には空母六隻を出撃させ通信内容よりも大きい戦力をぶつける。史実では後方に控えていた戦艦部隊を積極的に前線に投入する。アリューシャンを攻略させると見せかけて、最初から戦力を集中させ敵に叩きつける・・・

 このように作戦はいくらでも思いつく。問題はどのように運用するか、それが実行可能かということだ。

 五十子や寿子、束は分かってくれるだろう。もちろん洋平も。だが、ほかの将兵が納得するかどうか、協力してくれるかどうか・・・何より亀子自身はどう思うだろう。亀子は自分の作戦案に絶対の自信を持っている。それはある種のプライドでもある。その作戦内容を変えることに亀子は納得するだろうか。

 ほかにも問題はある。亀子の作戦案では艦隊をアリューシャンとミッドウェーに分散、陽動でおびき寄せた敵艦隊を、分散させた戦力で挟撃することに主眼を置いている。だがアリューシャンとミッドウェーは遠く離れており、下手に分散させては合流が間に合わない恐れがある。そして何よりも恐れるべきはこちらの意図を指しているであろうてきが、戦力を分散しているこちら側を各個撃破することだ。やはり戦力を集中させるべきではないか。

 ヤンが五十子や洋平たちを尻目に思案していたその時、不意に部屋のドアが外側からノックされた。ヤンの志向が一時中断され一同がドアに注目する。

 「誰かルームサービスでも頼んだのかい、寿子?」

 「いえ、ルームサービスは頼んでないですし・・・さては山本長官のおっかけですかねえ?」

 呑気にドアに近づき魚眼レンズから外側を覗き込む寿子。その顔が急に引き攣った。

 「いっ、井上さん・・・」

 「えっ、成実ちゃんなの?」

 五十子が急に立ち上がり扉を開け放つ。ヤンと洋平もドアに向かう。

 「・・・五十子。会いたかった」

 ここに来て初めて見る、同じ白い軍装に身を包んだ海軍乙女だった。

 腰まではある長い黒髪、端正だがどこか冷徹さを含んだ顔立ち。銀フレームの眼鏡の奥のハイライトのない瞳は五十子だけを見つめている。

 「成実ちゃん!成実ちゃんも帝都に戻っていたんだね」

 五十子が声を弾ませた。

 鉱物の結晶を思わせる端正さと冷徹さ陰影をまとう少女は唐突に、五十子の腰に手をまわし、ぐっと引き寄せる。

 「わっ、成実ちゃん?」

 「リボンが曲がっているわ、五十子」

 囁きながら五十子の頭のリボンに指を絡め結び目を整える。あまりに自然な動作。その様子から二人とも決して浅くない関係の持ち主であることがうかがえた。

 ヤンが寿子を見ると、すぐに耳打ちした。

 「・・・井上成美中将。南洋方面を管轄する第四艦隊司令長官です。海軍省時代に山本長官の片腕と呼ばれた方で・・・」

 一方の五十子は成実に対し嫌がる様子もなく笑顔のままだ。

 「成実ちゃん、おさげやめちゃったの?」

 「Time is precious. 前線では編んでいる暇はないの」

 ストレートの長い黒髪を書き上げ、成実は暗い瞳を細めた。

 「ポートモレスビーの攻略の指揮を命じられたわ」

 五十子の表情が変わった。

 「南方戦線は攻勢限界点をとうに超えている。美豪分断なんて不可能よ。レキシントンとヨークタウンは賢い一撃離脱を繰り返し、私は今年に入り七隻の艦船を失った。敵は真珠湾から学んだのよ。なのに軍令部は南方でどれだけの将兵が死んでいるか知ろうともしない」

 「成実ちゃん・・・」

 「Nonetheless,だとしても。それが五十子のためになるなら、私は喜んで従うわ」

 成実はそう言ってもう一度五十子リボンに触れるとそっと見を話した。そのまま踵を返して部屋を出ようとした時、ドアの側にいた束と目が合った。

 瞬間、空気が凍り付く。

 「・・・久しぶりだな、井上大先生」

 束がどこか乾いた声でつぶやく。

 対して成実の氷結した水面のような瞳が波立つ。怒りという感情が浮かんでいるのは明白だった。それは突然の豹変であった。

 「・・・宇垣束。よく恥ずかしげもなく私の前に立てたものね」

 忌まわし気に束の名を吐き捨てた成実の眉間には深いしわが刻まれ、束を睨みつけるその目には怒りと憎悪が込められている。対する束は何も答えず黙ったままだ。

 「知っているわよ。米内先輩の内閣が倒れた後、三国同盟への参加を決めた海軍首脳会議で反対したのは五十子ただ一人だった。貴女はその場に同席していながら、嶋野派の連中と一緒に五十子の意見を無視したそうね。・・・五十子は、貴女を信じていたのに」

 

 あなたを信じていたのに。

 

 それを聞いた瞬間、洋平のこめかみに鋭利なものを突き立てられたような痛みが走った。悲鳴を上げたくても喉は動かず、それどころか呼吸さえできない。胃が激しく収縮し、視界が不明瞭になり、平衡感覚が遠ざかる。赤レンガの廊下で経験したことと同じだった。

 この痛みはなんだ?どこから来るというのだ?なぜ自分が痛みを感じている?自分に非があるはずがないのに?

 「貴女は五十子の傍にいるのにふさわしくないわ。Betrayer・・・この裏切り者!」

 裏切り者。

 成実のその糾弾の声が洋平の脳裏に響く。いや、違う。別の違う誰かの声で響いてくる。束ではなく洋平を非難する声が――

 「・・・言いたいことはそれだけか、ええ?」

 それまで黙っていた束が口を開けた。その声で洋平の頭の中の声が止む。洋平がこめかみを上げながら顔を上げると束が片頬を吊り上げ反撃しているところだった。

 「ああ、そうさ。お前の言うとおり、あたしは裏切り者だよ。で?そういうお前は三国同盟を止めるために何をしたんだ?」

 カーブする口元には明らかに嘲弄の感情が込められている。

 「お前はいつだって他人の意見を論破して話し合いをぶち壊してばかりだったよな。自分から建設的な代案を出したこと、一度だってあったかよ。結果、お前のしたことはそこらじゅうでケンカを売りまくって赤レンガを反山本で固めただけじゃねえか。『井上がむかつくから』なんて理由で三国同盟推進派に回った連中までいたんだぞ」

 拳をきつく握り震える成実に、束は嘲笑を浮かべ、指を突き付ける。

 「ええ、分かるか井上?お前は大好きな山本長官の足を引っ張ったんだ。・・・いや?お前みたいな狂犬を片腕にしちまったことも含めて、長官の甘さ故の」

 束が言えたのはそこまでだった。瞬間、成実の手が伸び胸ぐらを掴む。束は抵抗しない。そのまま床に押し倒さんばかりの勢いで、怒りと憎悪を瞳にたたえたまま足を踏み込もうとした成実と束の間に寿子が割って入った。

 「そこまでです!お二人とも、長官の大切な部下でしょう。それが本人の目の前で喧嘩とは何事ですか」 

 五十子は何も言わず、ただ目を大きく開き二人のほうを見ている。成実から怒りの炎がゆっくりと消え、束から手を離した。去り際に、元の暗い瞳がヤンと洋平をとらえた。

 「聞いたわ。貴方方、time traveler なんですって?」

 「・・・まぁ、そういうことになりますね」

 時間旅行者(タイムトラベラー)。ネイティブのような独特の口調。

 思わず身構える洋平に自然体で答えるヤン。

 そんなヤンを暗い視線を移し成実が再び口を開く。

 「・・・聞いたわ。赤レンガで嶋野とその取り巻き連中に真正面から非難したって」

 「何分、嫌いな人間に好かれようとも思わない性分だからね」

 「・・・少しは骨があるのか鈍感なのか。でも気を付けたほうがいいわ。貴方、間違いなく目をつけられたわよ。悪い意味で」

 踵を返し、二人の前を通り過ぎながら、

 「・・・それにしても不幸ね。よりにもよって、こんな時代に来るだなんて」

 それきり振り返らずに井上成美は去っていった。

 成実の言葉の意味を図りかねる二人。

 「へっ、相変わらずの狂犬ぶりだな」

 束が呟く。

 窓に水滴が当たる音がした。視線を向けると曇った空からぽつぽつと雨粒が降ってきたところだった。あっという間に雨脚が強くなっていく。

 「・・・低気圧が来てるんだって」

 五十子がようやく寂しげに呟いた。

 「散っちゃうね、桜」

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

四月十八日、犬吠埼東方沖約七〇〇浬。低気圧に覆われ荒れる東太平洋の海を波頭を切って進む艦隊がいた。ヤン一行が来るミッドウェー作戦に向けて思案する中、っ確実に迫るヴィンランドの魔の手。果たしてそれはヤンと洋平の運命をどのように変えるのか。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第16話「ドゥーリットル空襲(前)」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第16話 ドゥーリットル空襲(前)

 下総・犬吠埼東方沖約七〇〇海里。波濤を蹴立て、輪形陣で西進する一七隻の艦隊がいた。そしてそれは、葦原海軍のものではなかった。

 艦隊の中心、ヴィンランド合衆国海軍空母「ホーネット」艦内で合衆国陸軍中佐ジミー・ドゥーリットルは襲い掛かる眩暈や頭痛、吐き気と必死に戦っていた。典型的な、ラ・メール症候群だ。潮の匂いが鼻腔と頭を刺激し、さらに不快感をもたらす。男たちにとってそれはさしずめ「死の匂い」であった。

 「まったく、何だってこんなことになったんです?俺たちがここにいるのは場違いなはずなのに」

 ドゥーリットルの隣にいた部下の男が顔色を青くしたまま悪態をついた。彼は先ほどトイレで胃の内容物を「処理」してきたばかりだったが、それでも空っぽのはずの胃はまだ吐き気を感じていた。

 彼の悪態は全く事実であった。

 今この「ホーネット」艦内にはドゥーリットルをはじめ数十人もの陸軍航空軍のパイロットの男たちがラ・メール症状と戦っていた。それは本来ある得ない光景だった。そもそも、ラ・メール症状を発症する男性が海軍で活躍できるはずもなく、それ以前にまともに船に乗ったり海に出たりすることができるわけがない。だからこそ、本来少女たちのみで構成された海軍に陸軍の男たちが存在することは非常に異質なことだった。

 「まったくさ。こいつを考え付いた上層部は頭がおかしい。そいつらは海と男と、ラ・メール症状について待ったの無知・ド素人だって断言できる。どうかしてるよ。何考えてアーノルド将軍は海軍の提案に乗ったんだか」

 そう言って部下の言葉に同意したドゥーリットルはしかしすぐにやや無理をして自嘲的な笑みを浮かべた。

 「もっとも、命令に従って計画を立案した俺もどうかしてると思うがね」

 彼の目の前、空母の飛行甲板後部にはさらにあり得ない光景が広がっていた。本来に存在しているはずのないものがそこにあった。

 全長十六メートル、全幅二十メートル超の双発爆撃機。それが地上の飛行場ではなく航空母艦の甲板に並べられていた。知る人が見ればそれがB-25“ミッチェル”爆撃機であるとすぐに分かっただろう。常識的に考えれば搭載出来るサイズではない陸上爆撃機が十六機、斜交いに並んでいる。一機一機は鎖で甲板に固定されている。

 海を泳げぬ男達のいる空母、その甲板に並ぶ巨大な陸上機――なぜこのようなあり得ない光景が広がっているのだろうか?

 それは数か月前の、真珠湾攻撃直後にまで遡る。

 この戦争のきっかけになった葦原軍による真珠湾攻撃直後、ルーズベルト大統領は軍首脳部にこう求めた。葦原本土を爆撃できないか、と。

 それから数ヶ月の間、連合軍が葦原軍に敗北を繰り返すたびに合衆国軍最高司令官は何度もその点を尋ね、求めた。葦原軍に反撃する機会はないか?葦原本土を爆撃することはできないか?何としても反撃の方法を探れ、と――

 政府にとっても、軍首脳部にとってもこれは重要な問題だった。敗北を繰り返し、苦戦を強いられているヴィンランドの士気はどん底にまで落ちている。その上、敵は潜水艦を利用して通商攻撃やヴィンランド本土への攻撃を行っている。軍および国民の士気の回復は政府と軍両方にとって重要な問題だった。どうすれば連戦連敗によってどん底にまで落ちたヴィンランドの士気を高められるか?

 それには葦原の首都東京を攻撃することが必要だ――計画は直ちに立案された。 

 問題は方法だ。ワシントンから約一万キロも離れた敵の首都をどうすれば攻撃できる?

 潜水艦や艦船による砲撃――否。太平洋各地で敗退を続けるヴィンランド海軍にとって潜水艦で警戒の厳しい葦原本土を砲撃するどころか、近づくことさえ非常に大きな危険が伴う。潜水艦や艦船による砲撃は不可能と判断された。

 では、長距離爆撃機による本土空襲は?――これも、否。長距離爆撃機こそ保有しているものの、葦原本土をその行動半径内に収める基地はない。ルーシー連邦も、葦原と中立条約を締結しており爆撃のために基地を使用することはできない。

 空母艦載機による爆撃――やはり、否。空母艦載機は航続距離が短く爆撃のためには空母を葦原近海に接近させる必要があり、これは太平洋上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味する。

 軍がその方法の模索に苦慮する中、海軍作戦部作戦参謀のネイビーガール、フランチェスカ・S・ロー大佐が一つの妙案を発案した。彼女は空母ホーネットを視察した際、その飛行甲板を見て彼女は閃いた。何も、空母艦載機に頼る必要はない。強風の向かい風に向かって空母を全速力で進めば、はるかに行動範囲の広い陸上機を無理にでも発艦させることは可能なのではないか?「航続距離の長い陸軍航空軍の爆撃機を比較的安全な長距離にて空母から発艦させ、葦原本土を爆撃する」正気な人間ならまず考えないであろうそのアイデアに、軍部は飛びついた。ロー大佐はアイデアを海軍作戦部長に報告、作戦部長からさらに陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルド将軍に伝えられた。アーノルドはこの突飛な発案に喜んで賛同した。そして協力を申し出ると同時にこう要求もした。この作戦は海軍だけでなく陸軍との共同作戦にしてほしいと。

 当初、陸軍は機体を貸し出すだけで作戦そのものはあくまで海軍が行う予定であった。当然だ、そもそも海に入れぬ男で構成された陸軍が、こうした洋上での作戦に参加することは困難を極める。海軍主導で作戦が行われることになるのは常識に照らし合わせて当然のことであった。だが、それに対し陸軍が難色を示したのだ。理由は簡単で陳腐なものだった。陸軍の、海軍に対する対抗心。古今東西のあらゆる軍隊や組織に共通するセクショナリズムであった。

 太平洋で敗北を繰り返していたのは海軍だけではない。陸軍も同様であった。バターン、マニラ、コレヒドール・・・各地でヴィンランド陸軍も敗北を繰り返しフィリピンをあっという間に奪われた。陸軍の面目は丸つぶれ。士気がどん底に落ちていたのは陸軍も同様であり、軍民の士気回復、そして名誉回復は陸軍にとっても重要な問題だった。その士気回復、名誉挽回の格好の機会である葦原本土爆撃作戦。それが海軍主導で行われることは陸軍にとっては面白くないことだった。そうなれば海軍のみが称賛され、機体を貸与しただけの陸軍の面目は潰れたままだ。何としても共同作戦に持ち込みたい――

 そんな政治的な思惑のもと、陸軍は海軍に対し共同作戦とすることを強く要求。強い要求に海軍側も折れ、本土爆撃計画は陸海軍の共同作戦となった。

 アーノルドはすぐさまこの任務に最適な指揮官を探した。そうして選ばれたのが、ジミー・ドゥーリットル中佐だった。彼はヴィンランドでも指折りの有名な飛行士であり、(数ある業績の中でも)史上初めて「逆宙返り」をした曲芸飛行士でもあった。

 この独創的あるいは非常識的で、前例のない計画にドゥーリットル中佐本人は驚く一方で着々と準備を進めていった。

 政治的思惑も強く込められた作戦計画は秘密裏に勧められた。

 艦載する爆撃機の中からB-25が作戦に適していると判断、二十四機を作戦のために特別改装することを決定。航続距離を稼ぐために、燃料タンクを増設する一方で、任務の性格上必要ないと判断された装備――ノルデン照準器や機銃など――を外した。

 志願した搭乗員に対して、短距離離陸の訓練が行われた。訓練を通し、空母からの発艦は容易であることが分かった。

 かつて海軍武官として葦原で勤務した経験のあるネイビーガールからの情報や、地図やその他の情報を残らず調べ上げ、葦原の防空体制を調べ上げ、主要な陸上の目印や航路を確認した。

 飛行ルートも策定された。

 ぎりぎりまで葦原近海に接近した空母からまずドゥーリットルが一番に発進する。編隊を率いて葦原まで進み各自散開、東京、横浜、名古屋、神戸、大阪の軍事・産業施設の目標を爆撃する。その後、葦原列島と東シナ海を越え大陸沿岸の飛行場まで向かう。そこでいったん燃料を補給した後再び離陸し、さらに安全な大陸奥地まで飛ぶ。その後、B-25は蒋介石率いる国民党軍に引き渡されドゥーリットル達は別の手段でこっそりヴィンランド本国へ帰還する。

 爆撃機の用意と改修、搭乗員の訓練、任務部隊の編制、情報の秘匿――

 計画は秘密裏に、そして順調に進んでいった。

 そしてついに四月一日にはドゥーリットル率いる男性搭乗員たちと十六機のB-25を搭載したホーネットが艦隊を率いてサンフランシスコを出撃。葦原へ向け太平洋を西進し途中空母「エンタープライズ」率いる艦隊と合流。今現在に至るというわけだ。

 「・・・隊長、手が震えていますよ」

 部下の指摘に、ドゥーリットルは自分の体が小刻みに震えていることに気付いた。そしてそれが、ラ・メール症状だけによるものではないということも分かった。これは、武者震いでもあるのだ。

 空母から巨大な爆撃機を発艦させ、警戒網をかいくぐり葦原本土を爆撃、そのまま安全な大陸まで飛ぶ――

 傍から見れば前例のない、とんでもない作戦。だがもし仮にやってのければ自分たちは今大戦で、そして歴史上初めて葦原本土を爆撃した英雄として歴史書に名を残すことになる。

 あらゆる観点から非常識的なこの任務にドゥーリットルが驚く一方で着々と積極的に計画を進めていったのには、こうした軍事的ロマンチシズムに惹かれたからかもしれなかった。一飛行士、一軍人としてのプライドやあるいは海軍への対抗心、あるいはもしかすると海に入れぬ男の意地も関係したのかもしれない。

 改めて思う。我ながらどうかしている、と。こんな突飛なアイデアを考え付いたネイビーガールや実行しようとする軍上層部もどうかしているが、自分も積極的に、そして詳細な計画立案・遂行にかかわったのだから人のことは言えまい。

 「結局、まともな奴なんていないということか」

 「戦争なんてそんなもんですよ、隊長」

 居並ぶ爆撃機を前に、ドゥーリットルは、そしておそらくその他の男性搭乗員たちもラ・メール症状に苦しむ一方で確かな高揚感を覚えてもいた。

 「・・・さて、そろそろ時間だ。搭乗するぞ。早くしないと死因が爆死や墜落じゃなくて、波にさらわれたから、になっちまう。下手なジョークにもならん」

 潮の匂いをまともに吸い込まないよう袖で口を覆ったり、マスクをしながら甲板上の爆撃機に駆け足で向かう。

 「おい、チェリーボーイ!あんたは薬飲まなくていいのか!?」

 ドゥーリットルが一番機に乗り込もうとした時、つなぎ姿の金髪のネイビーガールが風にも負けぬ大声でがなった。

 「いらん!薬を飲んだら眠くなっちまう!居眠り運転は危険だからな!それに空を飛べばもう薬なんざいらなくなる!」

 「そうかい!じゃあせいぜい気張りな!酔っても、間違っても真下に飛ぶんじゃねえぞ!海に突っ込んだら、車と違って弁護士もつかないどころか、何もかもおしまいだからな!」

 そう言って彼女は親指を立てると機体のハッチを密閉した。外界の、海の空気と遮断されたことでいくらか気が楽になった。あとは空に飛びさえすれば、もうラ・メール症状に苦しむことはない。

 やがて空母は艦首を風上に向けた。

 高さ三十フィートの波が巨大な艦体を揺さぶり、四十ノットもの風が甲板上の全てを吹き飛ばそうと襲い掛かる。

 全身をずぶ濡れにしながら、整備員達が期待を甲板に拘束していた鎖を外していく。

 「薬は飲んだか?新しいゲロ袋は持ったか?よおし、気張りなチェリーボーイズ!」

 機体のハッチが次々と密閉されていく。

 「全機、発艦準備完了!」

 操縦席に座りながらドゥーリットルたちは艦のスピーカーから流れる演説に耳を傾けた。

 『第16任務部隊司令官フレンダ・ハルゼイよりドゥーリットル隊の男達へ!サンフランシスコからここまで半月の航海、よくぞラ・メール症状の恐怖に耐え抜いたわ!貴方達は既に英雄よ!』

 思えばサンフランシスコからここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

 そもそも海に入ることができない男たちにとって、この航海自体が作戦以上に危険なことだった。それは文字通り、命を危険にさらしかねないものだ。

 頭痛、眩暈、酔い、吐き気――容赦なく襲い掛かるラ・メール症状。中には呼吸困難に陥り作戦参加そのものが危ぶまれた搭乗員もいた。医学の進歩により症状を抑える薬は存在するものの、それらは皆副作用として強い眠気を伴うものばかり。ほとんど船内で寝てばかりだった。何度もラ・メール症状の、死の恐怖に襲われた。彼らの様子は、ネイビーガールからすればずいぶん無規律なものに見えたかもしれない。だが実際には彼らもまたそういった恐怖や困難と闘っていたのだ。この作戦が成功すれば自分たちは軍事史に名を残す英雄になる――その思いがわずかな支えとなった。

 そして、ついにこの時が来たのだ。

 『あの忌まわしいパールハーバーの悪夢から四か月。私たちは屈辱に耐え、苦汁を舐め続けてきた。そして今日!ようやく卑怯なサルどもに対し反撃の狼煙を上げる時が来たの。四月十八日は、ヴィンランド合衆国のみならず全人類にとって記念すべき日になるわ。ドゥーリットル隊は、栄光とともに歴史にその名を刻むのよ!』

 B-25の搭載爆弾の一つには戦前に葦原政府からヴィンランド海軍士官に贈られた紀元二六〇〇年を記念する記念勲章がつけられていた。「利息をつけてこの勲章をサルどもに返してきなさい。成功を祈るわ」直前に艦隊司令ハルゼイはドゥーリットルに沿う伝言した。

 『誇り高い自由の戦士達よ!自分達は安全だと思い込んでいる愚劣なサルどもの頭上に、今こそ正義の鉄槌を振り下ろしなさい! God bless Vinland !(ヴィンランドに神の祝福を!)』

 『God bless Vinland ! God bless Vinland !』

 勇ましい演説。それを締めくくる大合唱が響く。

 「神の祝福を、か・・・」

 大合唱を耳に、ドゥーリットルは独りごちた。

 前例のないこの作戦。はたして女神はこの作戦をどう見るか、どちらに微笑むのか。いずれにせよやれることはやった。ならばあとは――実行あるのみだ。

 「全機発艦開始!」

 操縦桿を引く。

 重い巨大な機体が四十ノット風を受けながらゆっくりと甲板を前進する。機体は徐々にその速度を上げ、艦橋のガラスをびりびりと震わせる。やがて、その重い機体はふわりと浮き上がり、甲板の直前でいったん沈んだかと思うとゆっくりと巨体を浮かせ高度を上げていった。それに続いてその他の爆撃機が次々と空母から発艦していく。

 全ての爆撃機が発艦した後、編隊はゆっくりと旋回し西へと機首を向けた。

 その先には、七百万人もの市民が暮らす東洋一の大都市が待っていた。

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

嶋野によって軍港見学会に招待された五十子達。五十子はかつての部下に出会い、思い出を語り合う。一方のヤンは何か脳裏に引っかかるものを感じていた。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第17話「ドゥーリットル空襲(後)」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第17話 ドゥーリットル空襲(中)

読者の皆様、お久しぶりです。
作者から二つ、謝りたいことがあります。
まず一つ目。リアルでの生活が忙しく、気付けば前回の投稿から半年以上もの間隔が空いてしまいました。読者の皆様、非常に長い間お待たせして大変申し訳ございませんでした。
次に二つ目。前回の話の次回予告では空襲の部分、最後のシーンまで描写する予定でしたが、都合により途中までになりました。空襲の話を描き切るのは次回になります。予告詐欺になってしまい大変申し訳ございません。
作者は最後までこの作品を描き切る所存です。
どうか最後まで温かい目で付き合っていただければ幸いです。
それでは、どうぞ。


 4月18日土曜日。横須賀は前日の雨が嘘であるかのような、雲一つない快晴だった。

 その横須賀の地にヤンと洋平、五十子たちはいた。

 洋平はいつになくテンションが高そうな様子で、目を輝かせている。対照的にヤンは時折目を細めたり瞼を振るわせたりと眠そうな様子だ。

 「・・・洋平君、果たしてこんなに早起きする必要があったのかなあ。別にわざわざ早めに来る必要はなかったと思うんだが」

 「柱島ではお目にかかれない艦艇を直接生で見れるんですよ!早起きせずにはいられません!ヤンさんだって、歴史好きならお目にかかりたいでしょう」

 「確かに私は歴史好きだがねぇ・・・第一こんな式典、出席する必要があるのかい?」

 目をこすりながらぼやくヤンに寿子が肩をすくめる。

 「仕方ありませんよお。一応正式な行事ですし、それに上からの出席の命令とあっては」

 「軍港見学会、ねぇ」

 今日、この横須賀の地において行われる横須賀軍港見学会。それがヤン一行がこの地にいる理由だった。記者クラブも招いて行われる軍港及び艦艇の見学会に、嶋野は五十子たちをはじめとする一行にも出席の招待もとい命令をしたのである。

 昨晩に突然伝わったこの招待に対する反応はそれぞれ異なっていた。何も気にしていなさそうにニコニコする五十子、連合艦隊司令長官たる五十子に断りもなく軍機も含む艦艇や軍港をマスコミも招いて公開するとは何事かと憤る寿子、雨天のまま中止になればいいのにとぼやく束。洋平は旧日本海軍の艦艇を直接生で見ることができると興奮し、ヤンは特にこれといった思いも無くあるいはめんどくさそうに頭を掻きベレー帽をもてあそんでいた。

 結局翌日になり天気は快晴になり見学会は予定通り行われることになり、一行は早起きして横須賀軍港に赴いたのだった。

 軍港のゲートをくぐると同時に海のほうからラッパが響く。

 目を向ければ構内に停泊する艦隊で軍艦旗の掲揚が始まっていた。停泊しているのは重巡洋艦の愛宕と高雄だ。響くラッパの音、捧げ銃をする儀仗兵、直立不動の水兵たち、そして日を浴びながら風に翻る軍艦旗。その姿は勇壮で、厳かであった。これぞ海軍、海の防人、世界に冠たる葦原海軍の勇姿。この朝の厳かな儀式は海軍乙女たちにとって矜持の一つである。

 五十子たちも、そして洋平やヤンも自然と背筋を伸ばし敬礼をする。ヤンだけ今一つ決まっていなかったが。それだけ厳かな光景であり儀式だった。

 「うーん、なんか身も心も引き締まるね。やっぱりこれがないと、一日が始まった気がしないや」

 五十子が大きく深呼吸する。

 「海の風、それにこの潮の香りも気持ち良いな。男の人ならマスクをしないと近づけない『死の空気』なのに。えへへ、こういう時は女の子に生まれて良かったなと思うよ」

 「・・・ここにその『死の空気』で普通に呼吸している奴がいるけどな。まずいんじゃねえのか?今日は記者がわんさか来るんだろ?ていうかなんでお前らもついてきたんだ」

 束がヤンと洋平を睨む。

 洋平は涼しい顔で、スマホを使いあたりを撮影している。

 「え、だって仕方ないじゃないですか。柱島泊地にはない高雄型が見られるって聞いちゃあ」

 充電器もバッテリーもないこの時代、スマホのバッテリーは温存しておくべきだろうが今回は特別だ。巨大な高雄型の艦橋を動画に収めながら洋平は満足げに頷きにんまりと笑う。

 「これこれ。これこれ。このイージス艦っぽい高雄型の艦橋を間近に収めるチャンスなのに僕だけ留守番とかありえないし」

 「いーじす?よく分からねえ言葉でごまかしてんじゃねえぞ。ほら、ヤン、お前もちったぁシャキッとしろ。何さっきからうじうじ考え込んでるんだ?ただでさえ軍人らしくないのにますますだらしねえぞ」

 見ればヤンは先ほどから何か考え込んでいるようでもあった。顎に手を当て、視線は少し下を向き周囲の注目や光景などどこ吹く風といった様子。時折何かを呟いたり、物憂げな様子が感じられる。束の指摘を受け、ヤンは頭を掻きながら苦笑いした。

 「あぁ、すまない。少し引っかかることがあってね・・・」

 昨晩からミッドウェー作戦について考えていたヤンは本来なら未曽有の大敗北をいかに勝利に導くかについて、またその敗因はどこにあったのかについてその史実について改めて思い返していた。が、一方で、どうにも引っかかることがあったのだ。今のところ、日本軍もとい葦原軍は連戦連勝を収めている。史実通りに。対する米軍、この世界ではヴィンランド軍はこの間ただ手をこまねいていただけだったのだろうか。もちろん史実ではこの後反攻に転じるのだが、連戦連敗の憂き目にあっているこの間にも何か手を打っていたはずなのだ。何か事を起こしているはずなのだ。今のところ連戦連敗とはいえ全ての戦いに敗北したわけではないだろうし、連敗している以上低下した士気や厭戦気分をどうにか回復させようと何かしら行動に出るはず。いや、出ていたはずだ。しかしどうにも思い出せない。ちょうど、喉に刺さったごく小さな小骨がなかなか取れないように・・・

 ヤンが思案にふけり、洋平が艦艇を撮影していると、

 「山本閣下?山本閣下ではありませんか!」

 埠頭のほうから五十子たちと同じ純白の第二種軍装に身を包んだ少女が走ってきた。

 「みーちゃん!しばらく見ないうちに大きくなったね!」

 五十子が顔を綻ばせ自らも駆け寄っていく。どうやら見知った、親しい間柄のようだ。相手の海軍乙女が途中で立ち止まり敬礼しなければそのまま抱き着いていただろう。

 相手の少女は、以前大和で食事を共にした少佐たちより年下に見えた。目は切れ長できりりとしているが、体は小さく顔立ちも幼い。軍帽からはツインテールがはみ出し、肩の真新しい階級章は彼女が大尉であることを示していた。

 「ご無沙汰しております、山本閣下。この能見美凪、祥鳳戦闘機隊の隊長を拝命しうにゃあっ!」

 堅苦しい挨拶が途中でおかしくなったのは、再開の嬉しさのあまり我慢できなかったのか五十子が能見大尉に抱き着いて、その上体のあちこちを撫でまわし始めたからである。部下とのスキンシップにしてもこれはいささか過剰である。五十子らしいとも言えるかもしれないが。

 「うにゃっ、うにゃにゃにゃああっ、か、閣下、お許しを・・・」

 「紹介するね。この子はみーちゃん!航空隊の搭乗員で、開戦前には岩国でとってもお世話になったんだ。よーしよし、背も伸びたし、出るとこも出てき・・・てはいないな。ちゃんと糖分摂ってる?」

 「は、初めまして能見大尉・・・ええと、空母祥鳳の戦闘機隊隊長なんですかあ。す、凄いですねえ」

 もみくちゃにされる能見大尉に寿子は恐る恐る声をかける。

 沖の方を見れば、艦橋のない、全通式平甲板の軽空母が停泊していた。飛行甲板は途中で断ち切られ艦橋はその下にあり、全部は低い乾舷の船体になっている。

 このタイプで有名な軽空母は龍驤だが、寿子や洋平の話によれば、開戦以来南方作戦で活躍し今はベンガル湾での通商破壊が終わったころで、内地にはまだ戻ってきていないということだ。能見大尉の話も踏まえればあれが祥鳳ということになる。

 「みーちゃん空母の飛行隊長になったの?そっかそれで横須賀にいるのか~。昇進おめでとう!」

 能見を褒め称える五十子。一部隊、一空母の航空隊の長だ。ヤンの元居た世界で例えれば、オリビエ・ポプランのような、空戦部隊の隊長のようなポジションだろう。立場としては決して低いものではないだろうし、一部隊の長としての能力を認められたともいえる。だが褒められた本人はどこか浮かない顔をしていた。

 「隊長といっても祥鳳の戦闘機隊は零戦六機のみ。あとは九六式艦戦が四機です。それに美凪たちは、一航戦や二航戦の先輩方に比べると未熟で。飛行時間が一千時間に達していない子がほとんどですし、実戦経験もなく、美凪も隊長が務まるかどうか不安で・・・「大丈夫!」うにゃっ!」

 五十子の口癖が出た。根拠があるわけではないが、しかしそれはどこか人を安心させるものであった。

 「みーちゃん、私もねおっちょこちょいだから、何をやってもダメな時期があったんだ。それでも周りの人たちと助け合いながら一つずつ一つずつ頑張ってここまでやってこられたんだよ」

 「山本閣下が、ですか・・・?」

 「うん。今でも時々もうだめだー無理だーって思う時もあるけど、そんな時は海軍乙女になりたてだったころの目標というか初心というか・・・そんなことを思い出すんだ。そうするとまだやれる、頑張らなくちゃって思えて来るんだ。みーちゃんも試してみるといいよ」

 五十子の心のこもった激励に納見は顔を赤くして笑った。

 「・・・初心、ですか。閣下に言われると恥ずかしいです」

 「みーちゃん?」

 首をかしげる五十子に納見は懐かしそうな表情を浮かべる。戦士を思わせる鋭い目にはいつのまにか懐かしさと感謝の色があった。

 「閣下。美凪の父は東北の小さな村の村長でしたが、陸軍が村の男手を根こそぎ徴兵しようとするのを止めようとして投獄されました。その後は母が女手一つで私を育てて・・・海軍兵学校受験の折には罪人の娘は入学させられないと不合格になりかけたところを、当時次官だった閣下のお耳に入り、私が入学できるように取り計らってくださったとのこと。今の美凪がいるのは閣下のおかげなんです」

 いかにも五十子らしいエピソードだ。もしかすると、五十子とかかわりのある海軍乙女一人一人にこのようなエピソードがあり、彼女たちの心や人生に大きな影響を与えているのかもしれない。

 「あれ、そんなことあったかなー?ごめん、覚えてないや」

 対する五十子はきょとんとした様子だった。本当に覚えていないのか、あるいは恥ずかしくてそうしているのか。しかし五十子はすぐに彼女の肩に手を置いた。子ども扱いのそれではなく軍人らしさのある力強いものだ。五十子は微笑んだ。

 「君がここまで来られたのは君自身の力だよ、納見美凪大尉」

 「・・・いえ。閣下のような強く美しく、笑顔を絶やさない立派な海軍乙女になりたい。それが私の、美凪の初心です。まずは祥鳳戦闘機隊を一航戦や二航戦に負けない技量の隊にして見せます。それが、長官への恩返しの、そして初心の実現のための第一歩です!」

 「・・・うん!」

 ふいに後ろから汽笛のけたたましい音と、隊長!と呼ぶ声がした。彼女の部下のものだろう。納見大尉は背嚢袋を担ぎなおした。

 「そろそろ時間です、戻らないと。私はこれで失礼します。山本閣下、どうかご武運を!」

 しっかりとした敬礼をすると、彼女はそのまま駆け出した。

 その後姿を名残惜しそうに五十子は眺め続けていた。

 あのあどけない少女もいずれは激闘に身を投じ、過酷な戦場を駆けることになるのだろう。息子のユリアンよりも幼いであろう彼女は果たしてこれからどのような運命を辿るのであろうか。戦場の姿、現実を知り経験して彼女は何を学び変わるのだろうか。ヤンはベレー帽を胸に当てながら彼女の小さな後姿を見つめていた。願わくば、彼女の前途が幸多からんことを。彼女の人生に加護があらんことを。

 納見大尉が部下の少女たちと共に内火艇に乗り込み埠頭を出る。その先には大洋に浮かぶ空母の姿が。洋平や納見の話によれば確か祥鳳という名前だったか。

 ・・・空母か。思えば軍事史を紐解けば第二次世界大戦は航空戦力や空母戦力が大きく発達、重要視されるようになった軍事史的に重要な時期だ。空母機動部隊による遠距離への機動的な火力・戦力投入が可能となり、その後地球における戦術・戦略に大きな影響や転換を与えたのだ。・・・空母?・・・空母による攻撃。

 空母の姿を見て不意に、ヤンの脳内の思考スピードにアクセルがかかった。なかなか取れないのどに刺さった魚の小骨がするりと取れる感覚がする。長時間解けなかったパズルのピースが不意に急速に組み立てられていく感覚がする。

 空母、ミッドウェー、空母機動部隊、真珠湾、空母艦載機による攻撃、アメリカ軍の反撃、軍民の士気回復のための行動・・・ミッドウェー海戦以前の作戦・・・本土攻撃。

 「あ」

 思わず声が出た。自分でも間抜けだと思うぐらい。思い出した。ミッドウェーに関連するもう一つの出来事を。海戦の前、軍民ともにどん底に落ちていた士気を回復させるためのアメリカがとった行動を。そしてこの出来事が、ヤンの知る史実では、ミッドウェー海戦の発生の原因の一つにもなり、影響を与えたことを。空母の姿を見てヤンはフローチャートのようにキーワードをつなげ、あるいは連想し一つの史実を思い出したのだった。

 どん底に落ちた士気。その回復、戦意高揚のための一手。そのためには最も効果的なもの――本土攻撃。その方法で最も現実的なのは?日本海軍は空母機動部隊で真珠湾を攻撃した。アメリカもといヴィンランドに同じようなこと、似たようなことができないはずがない。空母機動部隊による本土攻撃。ミッドウェー海戦の直前、アメリカ軍はそれをやってのけた。

 「・・・五十子。今日は何月何日の何曜日だったかな?」

 「?4月18日の土曜日だけど・・・?」

 ヤンに質問された五十子は、彼のベレー帽を握る手がわずかに震えているような気がした。

 実際、ヤンは内心思い出し、焦り、後悔していた。

 そう、今日は。

 

 「・・・ドゥーリットル空襲が起こった日じゃないか」

 

 ・・・なぜ今思い出してしまったのだ。

 運命の時は、もうすぐそこまで、ドアノブに手をかけている。そんな時に思い出すなんて。運命の女神は、あるいは時の女神は恐ろしく意地悪で凶悪らしい。




次回予告(CV:屋良有作)

ドゥーリットル空襲の史実を思い出したヤン。対策を進言するも、聞き入れられず、わずかな貴重な残り時間が空費されていく。一方、見学会に招待された記者達や嶋野の五十子に対する態度に洋平は怒りを覚える。そして遂に運命の時は訪れる――
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第18話「ドゥーリットル空襲(後)」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第18話 ドゥーリットル空襲(後)

 4月18日。

 米機動部隊から飛び立ったジミー・ドゥーリットル中佐率いる爆撃機隊が東京都一帯を空爆。アメリカ軍による初の日本本土への空爆となった。

 この出来事は指揮官の名前を執ってドゥーリットル空襲の名で歴史に刻まれることになる。

 被害そのものは小さかったものの、この当時不可侵と思われていた日本本土を空爆されたことは連戦連勝の日本に大きな衝撃を、連戦連敗のアメリカには少なくない士気向上をもたらした。

 本土を空爆された日本軍は、米機動部隊に対応・殲滅する必要がさらに高まり、のちのミッドウェー海戦へ少なからず影響を与え、海戦に至る遠因となった。

 そして、今日はまさにそれが起こった4月18日だ。

 ヤンはベレー帽をきつく握りしめ、頭を掻きむしる。このままベレー帽を叩きつけたい気分だった。

 全く、なぜ今になって思い出してしまったのだ!今思い出すぐらいなら、いっそこのまま忘れていたほうがましだった!

 だが思い出した以上は何もしないというわけにもいかなかった。

 ヤンは傍らの五十子に話しかけた。

 

 「五十子、少し聞きたいんだが、空母に航続距離の長い陸上機を載せて遠い敵を・・・例えばこの本土を攻撃することは可能だと思うかい?この際多少のリスク等を度外視すれば行けると思うが」

 

 ヤンの言葉に五十子は首を傾け考え込み、頷く。

 

 「・・・可能だと思うよ。大きな陸上機を格納・着艦させるのは無理でも甲板に括り付けて発艦させるだけならできると思う。着艦できなくても、うまくやればこの列島を飛び越えて中立国の飛行場に着陸すれば・・・もしかしヤンさん、何か思い出したの・・・?」

 

 いつもと様子がおかしいヤンの姿に五十子が何かに勘付く。

 口を開こうとした直前、近くから複数の車のエンジン音が響いてきた。

 

 「来ましたよお、パーティーゲストのお出ましです」

 

 寿子が指を刺した先には黒い車が列をなして埠頭に入ってきていた。

 社旗をなびかせた新聞社の車に、海軍の公用車。

 それらが続々と埠頭に入り駐車する。

 扉が開き最初に出てきたのは男性記者たち。今回の式典や将校たちの取材のために来たのだろう。スーツ姿の男たちは皆白いマスクをして、顔をしかめて咳き込んでいる。潮の匂いの濃いこの場所だ。ラ・メール症状故に海に入れない男性たちにとっては、ここは一歩間違えたら命を落としかねない危険な場所だ。それでもわざわざ自ら取材に乗り込んでくるとは、まったく記者魂が熱いというべきか、呆れるべきか。

 最後に開いた海軍公用車の扉から出てきた人物の姿を見て、ヤンはげっとした。海軍大臣兼軍令部総長の嶋野だ。優雅に扇子を仰ぎ、背後に従う伊藤静に日傘を指させての貴族的な登場。五十子とは違いその軍服は勲章で飾り立てられている。

 瞬く間に彼女を、記者達のカメラのフラッシュの光が包み込む。対する嶋野は気持ち良さそうに、ラ・メール症状をプロ根性で抑える記者達に愛想笑いを振りまく。

 全く、五十子とは対照的だ。第一、こういったものはヤンの忌避するものである。一体あんなに飾り立て、偉そうに振る舞い、何が嬉しいのだろう。一体何の意味があるのだろうか?あのクソッタレのトリューニヒトだって彼女に比べればメディアに出るときはもう少し品や慎ましさがあったと思う。普通に慎ましく振舞えばいいのに。あるいはそれができない性格だから、あんな厭味ったらしく、そして策を弄するのだろう。

 

 「本日は記者の皆様に日ごろの感謝を込めて、通常であれば関係者以外立ち入ることの出来ない鎮守府の奥深くまで特別にお見せいたしますわ。鄭と防衛のかなめであるこの横須賀鎮守府の鉄壁の防備と、ここを母港に開戦以来、戦果を挙げてきた武勲艦をご覧になれば、私達が敵のいかなる企ても完膚無きにまでに粉砕する実力を有し、その戦争遂行において何ら憂慮の必要のないことを、銃後の国民に正しく報道していただければ、海軍として何らこの上ない喜びです」

 

 トークショーの司会者のようによどみなくしゃべり、大仰に手を振る嶋野。全く、こういう振る舞いや虚勢を張ることだけは得意なのだ。嶋野が振り返り、ヤンと五十子達に視線を向ける。ヤンの顔を見て一瞬顔をしかめた嶋野だったが、しかしすぐに笑みを見せ五十子を指し示す。

 

 「そして、今日のためはるばる瀬戸内から駆けつけてきてくれたのがこちら、皆さんもよくご存じの連合艦隊司令長官、山本五十子大将ですわ!」

 

 「あはは・・・どうも、山本五十子です。今日はよろしくお願いします」

 

 お辞儀をする五十子に、記者達からどよめきとフラッシュ。矢継ぎ早に質問が出てくる。

 

 「山本長官は開戦以来ずっと瀬戸内か前線だったと思いますが、久しぶりの帝都はいかがですか?」

 

 「お二人は兵学校でご同期だったそうですね。その頃のお話なども今日は聞かせていただければ・・・」

 

 「ええ、そういった話はまたおいおい・・・停泊する艦艇や工廠のところへ参りましょう」

 

 次々と質問を出す記者を宥める嶋野。マスコミ慣れした様子だ。そのまま取材は嶋野の先導を受けながら進んでいく。その途中、記者達を工廠へ連れていき空母への改装工事中の潜水母艦『大鯨』を見せようなどと提案した。空母への改装という軍の機密情報を見せようとする愚行、そして連合艦隊所属の艦艇であり連合艦隊司令の領域であることを無視した、五十子に対する明らかな陰湿な嫌がらせ。対する五十子は何事もないように、男性記者達への配慮と解釈して笑顔で首肯したが。

 その後も嶋野は記者達を引き連れ大仰に解説をしていく。

 虚勢と見せかけにしか見えない演出、この場でも行われる五十子への嫌がらせ。ヤンも洋平も吐き気がするばかりだった。早く終わってくれと祈りながら、ヤンは何とか空襲のことを伝えようと機会を伺う。

 突然、一人の記者が五十子に近づいてきた。

 

 「久しぶりですね山本さん、毎朝新聞の尾崎です!」

 

 近づいてきたのは寄りにもよってヤンと洋平が一目でやばいと感じた記者だった。髪にはべったりとポマードが塗り付けられ、顔は脂ぎってマスクの下の顎がたるみ、目が異様にギラギラしている。

 

 「どうも、尾崎さん。時間だった頃は色々とご指導ありがとうございました」

 

 丁寧に挨拶をする五十子に、尾崎という記者はスリーピースのベストがはち切れそうな勢いで興奮気味にまくしたてる。

 

 「国民を代表してお礼を言わせてください!真珠湾での勝利は皆本当に胸のすくような思いがしましたよ。今、国民の声は『覇権交代』一色です。この戦争で世界が変わるって期待してるんです。それで、山本さんの今後の展望といいますか、大戦略のようなものを聞かせてほしいんですが、ハワイはすでに落としたも同然ですから、次はいよいよ美国本土攻略ですよね?」

 

 寿子がヤンと洋平に小声でそっと呟く。

 

 「毎朝新聞は三国同盟を推進し、世論を煽った新聞社です」

 

 ヤンはため息をついた。飼い主が飼い主なら、飼い慣らされるほうも同じレベルのようだ。そして、時代や世界さえも違っても、メディアの本質は変わらないらしい。

 五十子は困ったように瞬きして答えた。

 

 「誤解があるようですが、私たちはハワイを一度奇襲しただけで、島を占領したわけではありません。まして太平洋を隔てたヴィンランド本土、その広大な本土の攻略なんて、夢のまた夢です」

 

 「でも、今月末には衆議院の総選挙がありますよね?万が一にも非翼賛勢力が議席を増やせば民心に離反と敵に喧伝されかねません。政府としてもこのあたりで一つ大きな戦果を挙げたいところでは?」

 

 「選挙や政権維持のために戦争をするのは間違っています」

 

 五十子は臆することなくはっきりと告げる。嶋野が冷たい視線を向けた。

 

 「尾崎さん、展望を聞かせてほしいという質問にお答えします。わたしは、一日も早く芦原が美鰤と講和してこの戦争が終わることを望んでいます。艦隊運用の責任者として、そのための環境づくりをしてくつもりです。それが、この戦争の引き金を引いた私の責任だと思っています」

 

 「講和ぁ?」

 

 尾崎記者の声が裏返った。二人の対談に耳を傾けていた他の記者達からも、驚きの声が上がる。

 

 「何を言っているんです、それじゃ国民が求めていることと真逆ですよ!わが社が先月、全国の有権者に行った世論調査結果があります。『欧美列強の植民地をすべて開放して東亜を白人から東洋民族の手に取り戻すまで戦うべきだ』が七割、『我が国に有利な条件で講和ができるまで戦うべきだ』が二割、『直ちに講和すべき』に至っては一割未満でした。艦隊の費用は国民が苦しい中納めた血税でしょう?だったら国民の声にこたえる義務があるのでは?」

 

 「自分の国が戦いに勝てば皆嬉しいです。今の状況で質問されたら誰でもこう答えるでしょう。でも、嬉しいのは勝っている時だけです。私はこの国のため、司令長官として、一海軍乙女として与えられた使命と私の信じる道を・・・」

 

 「そこまでですわ。困りますわね。軍人の立場をわきまえず勝手なことばかり言われては」

 

 冷笑の混じった声で嶋野が横やりを入れた。口角を吊り上げ、今度こそ獲物が罠にかかったと勝ち誇る視線。彼女はずっと五十子を傷つけ侮蔑するための機会を伺っていたのだ。

 

 「皆さん、今のはあくまで山本さんの個人的な見解にすぎませんわ。海軍としては当然、美鰤が許しを請うまで撃ちてし止まむ、です。戦いは、勝って終わらなければ始めた意味がありませんもの」

 

 「『戦いは勝って終わらなければ意味がない』・・・良いですね、今の言葉!明日の朝刊の見出しに頂きです!」

 

 「それに引き換え、山本さんの発言はとても記事にできませんね。山本さんは今や軍神なんですよ、黒船来航以来苦しめられてきた芦原人の救世主なんです。滅多なことを言わないでください」

 

 嶋野は五十子を貶め、記者たちは口々に言い含め勝手に重たいものを背負わせようとする。 

 五十子は寂しげにほほ笑むばかりだ。

 いい加減にしろ、五十子は神様じゃない。なぜお前たちは無責任に背負わせようとする。そこに何の意味がある、何が楽しい。洋平はそう叫びたかった。拳をぎゅっと握る。

 

 「でも戦争に負けたら反対のことを言い出すんでしょう?」

 

 突然の、この空気に明らかにそぐわない言葉が響いた。注目が集まる。口を開いたのはヤンその人だった。洋平はその目に明らかに呆れと怒気があるのを感じた。

 かくいうヤンももう限界だった。

 明らかに五十子を貶めることと、都合のいい宣伝をするためだけにこの見学会を開いた嶋野。そのためだけに軍港や軍艦をはじめ、自分の一存で軍の機密を見せる始末。

 マスコミもマスコミだ。己が国民の代表、世論の代表と驕り高ぶり、自分こそが民衆を、社会を導くと思い込んでいる。そのくせ長い物には巻かれろ、権力には媚び諂い何かあればすぐに手の平を返す。そして世論を煽り、一個人に勝手に責任を、大きなものを背負わせようとする。そして何か失敗をすればすぐに後ろ指を指すのだ。

 どちらも戦争は勝っていると思い込み、自分の都合のいいように物事を捉えている。全くお笑い草だ。なにしろかつての自由惑星同盟と同じだったからだ。

 往時から政府首脳部もマスコミも帝国との戦争を煽り、イゼルローン要塞陥落の時には政府首脳部は支持率上昇のためだけにさらなる戦火を要求し、マスコミもそれを煽り、首脳部も皆も甘い楽観論の下に進軍し結局アムリッツァにおける大惨敗に終わった。帝国軍の大親征の時には政府の長たるトリューニヒトは逃げ出し、マスコミはヤンにすべてを任せるような報道をした。

 己の利益しか考えず短絡的な首脳部、長いものに自らまかれに行き世論を煽り、いざというときには手の平を返すマスコミ。どちらも勝手に責任を義務を押し付け、自身は甘い楽観論に浸る。全くお笑い草だ、今目の前に広がる光景とかつての自由惑星同盟、どこにどう違いがある?

 もうヤンは限界だった。これ以上五十子が蔑ろにされるのも、こんな光景を見るのも。そしてヤンはこう言った連中には遠慮をしない人間だった。いや、こんな奴らに一体何を遠慮する必要がある?

 

 「五十子の言うとおりだ、今は勝ってるからそんな質問ができる、そんな風に振舞えるが、何かあれば後ろ指を指して非難し、手のひらを返すんだ」

 

 「誰だお前は!我々は国民の世論を代表しているんだぞ!」

 

 尾崎記者がぎらぎらした目でヤンを睨み、怒鳴りつける。後ろに控える記者達もその目に友好的なものは一切ない。

 対するヤンは臆することなく口を開く。ベレー帽を握る手に知らないうちに力がかかる。

 

 「世論を代表、ねぇ・・・ええ確かにその通りですね。いざというときはその力で世論を煽って自分の考えを社会全体の考えのように歪めることができますから。第一、世論調査だって全員にやってるわけじゃないから正確とは言えない。この国の有権者は確か25歳以上の男性のはずでしたから、単純計算しても全国民の四分の一から下手をすればそれにも満たないかもしれない。第一、調査自体自社の責任でやれるからいくらでも好きなように言える。まったく、世論を代表とはよく言えたものですね」

 

 ただ一人臆することなく抗弁するヤンに五十子も、洋平もその場にいた全員が目を見開く。

 

 「はっきり言って私には今の光景、今行われていることがただの茶番、とんでもなく質の悪い舞台劇にしか見えませんよ。そこら辺の三流小説家の書いた三文小説のほうがまだ上です。そちらの嶋野長官は機密の塊である改装工事の現場や工廠、艦艇を、本来の管轄である山本長官を無視して公開しているし、あなた方新聞記者は上の調子に合わせて書きたいこと、信じたいことだけを記事にしようとしている。その上どちらも、実際の戦況を碌に見ずにもう勝利した気でいる」

 

 「そこまでです、黙りなさい。勝手に発言してもらっては困りますわ。第一あなた、どういう資格があってそのようなことを」

 

 「いえ、黙りません。どうしてあなたに私に黙るよう命令する権利があるんです?」

 

 「!」

 

 嶋野が先ほど以上の冷たい視線でヤンを睨み扇子を突きつけ黙らせようとする。だがヤンはお構いなし。

 

 「この際はっきり言わせてもらいますが、私は山本長官の意見に賛成です。言わせてもらいますが、戦争に勝ったわけではないし、決して楽な戦争ではない。ハワイの奇襲攻撃は確かに戦術的成功に終わった。南方の作戦をはじめ、今まで勝ってきた。しかしそれはこれからの連戦連勝を保証するものではない。アメリカ、もといヴィンランドはその本土は健在で、この国をはるかに上回る物量と生産力、国力を有している。全体の戦況を冷静に観察すればむしろこれからどう作戦を進めていくかは明らかなはず。それなのにあなた方は、司令部もマスコミも揃って勝った気で、これからも勝ち続けると思い込んでいらしゃる。見たいもの、信じたいものしか信じず、責任と義務は下に丸投げ、押し付けた上で、です。そんなに勝利を信じていらっしゃるなら本土に閉じこもらず、前線に言って取材をされては?なんなら、記者と司令部要員で部隊を編成して出撃なさるとよろしいでしょう。きっと、大勝利に終わると思いますから」

 

 たっぷりの、真っ向からの非難と皮肉。嶋野も、記者達も、敵意に満ち溢れた視線をヤンに向けている。だがそれだけだ。ヤンの抗弁は静かだが、勢いと迫力があり、少しでも恥じる心があるのか誰も口を開けず沈黙していた。

 

 「手負いの獣は元気なそれよりもはるかに恐ろしい。こうしてあなた方楽観論に染まっている間にも、敵は着々と牙を磨き、反撃の時を伺っているでしょう。例えばあなた方が数か月前に機動部隊で真珠湾を攻撃た時のように、今近くの洋上から敵の機動部隊から飛び立った爆撃隊がこちらに向かっているかもしれない」

 

 この際やけくそだ。ヤンは腹を決めた。空襲のことを話し、少しでも対策を取るよう進言しよう。どうせ焼け石に水だろうが何もしないよりましだ。そして言うなら嶋野よりも、五十子のほうがいいだろう。

 ヤンは五十子に向き直った。

 

 「山本長官、進言があります。今すぐにでも航空部隊を出撃させて周辺の索敵を行うことはできませんか?敵の爆撃機隊がこちらに迫っている可能性があります・・・いや、来ています」

 

 嶋野が嘲笑する。

 

 「はん、何を言い出すかと思えば。ラ・メール症状でとうとう頭がおかしくなってしまわれたのかしら。あなた達、今すぐこの御仁を・・・」

 

 「待って、嶋野さん。どういうこと?」

 

 ヤンの目は真剣だった。五十子もまた真剣な目でヤンを見る。お互いを信じているからこそだ。

 

 「時間がないので今は詳しく話せませんが、敵の爆撃隊が迫ってきています。もう手遅れかもしれませんが・・・今すぐにでも航空部隊を出撃させて索敵・迎撃させる必要があります。厚木をはじめとした航空部隊か、出なければ今ここに停泊している空母『祥鳳』の戦闘機部隊を挙げれば・・・」

 

 ヤンはドゥーリットル空襲のことを話す。史実に基づいた警告だ。見た目こそ落ち着いているもの、ヤンの目には明らかに緊迫と焦りの色が浮かんでいる。五十子が頷く。

 

 「お待ちなさい、あなたにそのような進言をする権限は」

 

 「しかし連合艦隊を動かす権限は山本長官にあります」

 

 遮ろうとする嶋野と押し問答になる。

 こうしている間にも、貴重な残り時間は無くなっている。

 

 「おい、あれは何だ?」

 

 不意に、耳朶を討つプロペラ音がヤンたちの耳に響いてきた。双発のプロペラのうなり音。音は徐々に大きくなっていく。

 上空を見れば双発の中型の航空機がこちらに近づいてきている。

 数は一基だけではない。十機以上はある。

 それらが徐々に高度を下げながら、こちらに近づく。

 呑気に遠くの海軍乙女が手を振る。味方だと思っているのか。それにしては高度を落としすぎのような気もするが・・・

 

 「おい、あれは陸軍機か?」

 

 「海軍さんの九六式陸攻じゃないか?それにしては高度が低すぎるような気もするが・・・」

 

 「・・・違う」

 

 五十子がいつになく険しい声で言った。

 

 「あれは九六式じゃない。みんな伏せてっ!」

 

 五十子が叫び、いくつかのことが起こった。

 ヤンが反射的に洋平を地面に押し倒し、自身も伏せる。五十子も伏せた。

 寿子が反射的な速度でその場にしゃがみ、耳や目を塞ぐ。

 束が素早く嶋野を地面に組み伏せる。

 

 「きゃっ!宇垣さん何を」

 

 ひゅるるる、と何かが空気を割いて落ちる音が響く。

 次の瞬間。

 空気に衝撃が走り、凄まじい爆音が響いた。

 立ったままでいた記者が地面に叩きつけられる。

 次々と爆音と衝撃が響く。

 見れば交渉や軍港のいたるところから炎と黒煙が噴き出している。

 その上空では戦果を確認するように先ほどの航空機が旋回している。

 洋平がうめくように言った。

 

 「あれは陸攻じゃない・・・アメリカ軍のB-25爆撃機だ!」

 

 「どういうことですの、陸軍は何をしていますの!そこからの攻撃ですの!?」

 

 嶋野の悲鳴が交錯する。この場にいる全員が混乱していた。ヤンだけは天を仰いでいた。

 ああ、とうとう間に合わなかった。

 ついに史実通り、爆撃が起きてしまった。こんなことなら最初から思い出さないほうがましだっただろうか?それとも・・・

 いや、結局後悔しても仕方ない。それは後でもできる。ヤンはベレー帽をかぶりなおした。あたりを見渡す。

 軍港は惨状を晒していた。

 先ほどまで無邪気に手を振っていた幼い海軍乙女が血を流して倒れている。あるものは呻きながら、あるものはピクリとも動かずにいる。

 いたるところから炎と煙が上がり、時折爆音が上がる。

 記者は我先にと車に乗り逃げ惑う。

 向こうでは嶋野と寿子が言い争っている。どうせ嶋野のことだ、対応について難癖やとんでもないことを言っているのだろう。

 現に嶋野は勝手に指図をするなと、喚いているのが聞こえる。

 

 「・・・ヤンさんの言うとおりになったね。空母に航続距離の長い陸上機を搭載して、発艦させる・・・」

 

 五十子が静かに口を開いた。

 

 「私たちが真珠湾を空襲してまだ半年なのに、ヴィンランドは航空機の力を理解して私たちが思いつかないような運用法までして見せた。せめて物量で押されるようになるまでは作戦次第でなんとかできるかもって思ってたけど・・・ヴィンランド人は柔軟だね・・・」

 

 こんな状況でも、五十子は敵への称賛をした。

 寿子が絶句する。

 

 「そんな、空母に陸軍気を載せるなんて運用法、黒島参謀でも思いつくかどうか・・・」

 

 そこまで言って寿子は口をつぐみヤンと洋平を見た。

 ヤンは天を仰ぎ、洋平は呆然としている。

 洋平はこの空襲のことは知らない。あくまで、戦争ゲームで身に着けた、偏りのある知識で彼の記憶にドゥーリットル空襲の項目はなかった。

 ヤンは知っていたが、この空襲自体が教科書にはまず乗らない比較的小さな出来事であり、目の前の大きな出来事にとらわれ思い出すのが遅かった。

 庁舎から士官が息を切らせながら駆け寄る。

 

 「ヴィンランド軍機が帝都に現れたとの報告です!市街が空襲を受けている模様!」

 

 記者達がさらに騒然となり、我先にと車へ乗り去っていく。

 報告を受けた嶋野は記者がいなくなった途端、こらえきれなくなったように扇子で口元を隠しながら哄笑した。

 

 「おーほっほっほ!やってくれましたわねヴィンランド!国際法違反の市街地爆撃、これで世論は怒りとと憎しみでさらに燃え上がりますわ。もうこの戦争はだれにも止められませんわ!」

 

 そして嶋野は愉悦に満ちた目をヤンと洋平に向ける。

 

 「お二人共。未来から来たと言っていましたが・・・今までの素振り、明らかに怪しいですわ」

 

 扇子を広げた背後には、鎮守府の兵士達。

 

 「彼らを拘束しなさい!敵国のスパイですわ!」

 

 「待って!二人はスパイなんかじゃないよ!」

 

 五十子が叫んで間に入る。

 ヤンと洋平に銃を向けていた兵士たちも五十子が相手では流石に銃を向けられない。

 兵士たちがたじろぐ中、嶋野が口角を吊り上げ、その爪先を一人に向ける。

 

 「宇垣さん、二人を拘束なさい」

 

 宇垣束。

 彼女は元軍令部所属で、しかし今は連合艦隊の参謀長で、大和で同じ時を過ごした。飯を食べ、時には話し、時には怒り、笑い――

 

 「聞こえなかったの、宇垣さん?」

 

 嶋野の督促。束の長身が軋む。

 

 「・・・はい、嶋野先輩」

 

 気づいたように束が動き出し、五十子を羽交い絞めにする。

 その隙に次々兵士がヤンと洋平に飛びつきその体を拘束する。

 

 「束ちゃん?やめて、ヤンさんが、洋平君が!」

 

 束が死人のような顔で何かを口にした気がした。洋平に唐突にあの頭痛が襲ってきた。

 

 「ヤンさんっ!洋平君っ!」

 

 五十子の悲鳴を背後にヤンと洋平は嶋野の車に押し込まれた。

 

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

嶋野により拘束されたヤンと洋平。だがそこへ、束が訪ね脱出の手引きをする。密かに帝都の街並みを行く中、一行は再び様々な人物と出会う・・・
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第19話「出会い再び」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第19話 出会い再び

 ヤンは暗い部屋にいた。

 ベットに腰掛けるヤンの耳に喧騒が響いてくる。外のデモ隊のシュプレヒコールだ。三週間前の空襲に対するデモ。

 差し入れの新聞もいまだ社説で海軍の責任を追及している。

 三週間前の本土初空襲。史実における「ドゥーリットル空襲」はやはりこの世界においても発生し、判明した司令官の名前から同じように呼称され、芦原全土に大きな波紋を与えた。

 空襲は横須賀のみならず帝都をはじめ六つの都市に及んだ。爆撃は軍事施設はおろか、住宅や病院、大学など明らかな民間施設にも及び、一部の爆撃機は中学校に対し機銃照射を浴びせ、児童が命を落とした。現在の当局の発表では死者四十五名、重傷者百五十三名、家屋全半焼が二百八十九個、全半壊が四十二戸。犠牲者の中には当然少なくない民間人が含まれている。実際の被害はさらに大きいだろう。

 芦原全土が衝撃と怒りと悲しみに包まれていた。

 

 「すっかりスケープゴートにされてしまいましたわ。本土の防空は陸軍の管轄ですのに」

 

 ヤンの目の前には海軍大臣兼軍令部総長の嶋野が椅子に腰かけマニキュアを塗っている。

 

 「ミッドウェー作戦も認めなければなりませんわね。当方に進出して太平洋上に哨戒線を敷くよう、政府・陸軍が強く言ってきていますし。あの渡辺とかいう子、中央の風向きが変わったのを利用して小賢しい」

 

 「そんなこと言って、内心嬉しいんじゃないですか?」

 

 嶋野の言葉にヤンは冷たく答える。

 外から響くデモ隊のシュプレヒコールは空襲に対する海軍の責任を追及するもの――さらに言えば連合艦隊司令長官である五十子に対するものであった。

 

 「山本出てこい!」

 

 「辞任しろ!」

 

 「腹を切って責任をとれ、山本!」

 

 外から響くデモ隊の喧騒とリズムは喧しいものだったが、繰り返される苗字は同じものだった。

 

 「あなたがそのように仕向けたのかどうかは分かりませんが、あの通り世間は五十子を責任者だと思い、非難している。おかげで海軍のトップであり責任者であるあなたは責任を押し付け、追及を逃れられるというわけです。まったく羨ましい限りだ」

 

 マニキュアを塗り終え、爪に息を吹きかける。

 

 「でも、けしかけたのは私じゃなくてよ?忌々しいですがこの国の国民は海軍のトップといえば大臣兼総長の私ではなく連合艦隊司令長官の山本五十子だと思い込んでいるんですもの、勝手にね。そうして普段は英雄だ軍神だと持ち上げておきながら、ことがあれば掌を返し袋叩きにする・・・まったく、節操がなくて馬鹿ばかりですわね」

 

 「その誤解をしている国民に説明し責任を果たすのがトップの役割であり責任でしょう。だがそのトップはこれ幸いと追及を逃れ呑気にマニキュアなんか塗っている。私はこんなトップを戴いている部下や国民に同情しますよ。もちろん、選んだ責任はあるでしょうがね。海軍大臣兼軍令部総長というのはどうやら楽そうな仕事のようです。今すぐ代わってほしいぐらいですよ」

 

 「・・・本当に口が減りませんわね、貴方は。忌々しい」

 

 ふん、と鼻を鳴らしヤンを睨む嶋野。

 

 「年上の、賢い殿方は嫌いではないけれど・・・あなたのように立場をわきまえず、口の減らないのはいただけませんわ。教育が必要ですわね」

 

 立ち上がり、怪しい視線を向ける嶋野にヤンはやれやれといったように首を振る。

 

 「そんなに気に入らないのなら私を辞めさせればいいでしょう?何なら私から辞表を出しますよ、喜んでね。こんなトップのもとで働かなきゃいけないなら辞めてやります、こんなところ」

 

 「でも、そういうわけにはいきませんわ。海軍にとってあの坊やも含め、男である貴方の存在はイレギュラー。自由に好き勝手にさせるわけにはいきませんし、組織としても、個人的にも興味があるのよ・・・少なくとも、言うことを聞くようにさせたいと思うぐらいには。・・・さっきも言ったように私は年下が好みなのだけれど、貴方のような年上の殿方も嫌いではなくってよ」

 

 嶋野はヤンの隣に座ると身を寄せてくる。吐く息が熱い。髪の毛先がヤンの顔を刺し、嶋野の白く優美な手がヤンの体に触れ、押し倒そうとする。

 

 「貴方、山本さんの愛人ですわよね」

 

 「違います」

 

 即答するヤン。と同時に左手を見せる。薬指の指輪がきらめく。

 

 「この通り、伴侶のいる身です。遠く別れ、わけのわからない過去の世界に迷い込んでしまった私だが裏切って不貞を働くわけにはいかない。私は妻を愛しているんです」

 

 「ずいぶん誠実だこと。でも私ならその奥さまや山本さんに出来ないこと、なんだって差し上げますわ。貴方がずうっとここにいたくなるように」

 

 「申し訳ないが、私はあなたが嫌いです」

 

 「・・・あの坊やといい貴方といい・・・選り好み出来る立場だと思ってますの?」

 

 嶋野を押しのけようとするヤン。

 ヤンの腕をつかむ手を強め、鋭く爪を立てる嶋野。

 ちょうどその時、ドアが強くノックされる。

 

 「閣下、MO攻略部隊より緊急の報告です!会議室にお越しください!」

 

 嶋野は舌打ちしてヤンから身を離すとそのまま部屋を出ていく。

 残されたヤンはやれやれといったように首を振り、そのままベッドに寝転がる。

 拘束されて海軍省のこの部屋に閉じ込められてから三週間たつ。

 そういえば似たような状況に陥ったことがあったな、とヤンは思い返す。

 宇宙歴799年、バーラトの和約後ヤンは軍を退役しハイネセンで平和な時を過ごしていた。だが、彼に疑念を抱く帝国とその扇動を受けた同盟政府によりヤンは一時拘禁され暗殺されそうになった。あの時は妻のフレデリカとローゼンリッター連隊によって間一髪で救出されたが、さて今回はどうだろうか。

 フレデリカも、ローゼンリッター連隊もユリアンもいない。嶋野によって拘束されている今、ヤンの生殺与奪県は彼女が握っているといっても良かった。彼女の意志や気まぐれでヤンをどうにでもできるのだ。隣の部屋で拘禁されている洋平も同様だろう。

 不意に、外から鍵を開ける音がした。嶋野が出て行ってから二分もたたずだった。

 もう戻ってきたのか?顔をしかめながらヤンがドアの方を向くと、そこにいたのは嶋野ではなかった。

 

 「何だよいきなりその顔は。・・・いや、当然か」

 

 「・・・束?・・・洋平?」

 

 濃紺の第一種軍装に身を包んだ束。その傍らには隣室に閉じ込められていたはずの洋平もいる。束と違い、洋平はあの時と変わらない白い第二種軍装に身を包んでいる。

 驚くヤンに束はしっ、と口に人差し指をあてる。

 

 「聞け。ポートモレスビーに向かっていた艦隊が敵機動部隊に発見された。こいつの予言通りだった」

 

 洋平を見れば何とも言えない表情で歯噛みしていた。史実通りに始まった珊瑚海海戦に対し、史実を知っていながら何もできなかった自分が悔しいのだろう。

 

 「てめえらに責任はないってことだ。今からお前らを助ける。嶋野先輩のゴキが悪くなる前にここからずらかるぞ」

 

 「なぜ私たちを?」

 

 ヤンの疑問に束は自嘲するように笑った。

 

 「人間、一度裏切り者になったらもう後戻りできねえのさ。以前てめえらのことスパイって呼んだが、本当のスパイはこっちさ。軍令部から送り込まれた山本長官の監視役、それがあたしだ」

 

 その顔は死人のようで声は乾ききっていた。横須賀でヤンと洋平を拘束した時のように。

 

 「なのにそんなあたしのことを、長官は仲間だっていうんだ。横須賀から帰った後も、あたしがしたことを一度も責めねえ。平気なはずねえのに。それが・・・どんな針の筵よりも辛えんだよ」

 

 そういえば束はかつて軍令部で嶋野のもとで勤務していたと聞いた。彼女もまた、組織や人間関係におけるしがらみや暗部に翻弄され、苦しめられたのだろう。

 

 「組織のなかにいる者が、自分自身の都合だけで身を処することができたらさぞいいだろうと思うよ。私だって、海軍の首脳部には、言いたいことが山ほどあるんだ。特に腹だたしいのは、勝手に彼女らが決めたことを、無理に押しつけてくることさ。本当に責められるべきは向こうさ」

 

 ヤンの言葉に束はへっと笑う。その目はわずかに光を取り戻していた。

 

 「本当に口が減らねえなお前は・・・だから目ぇつけられるんだ。お前らしいし羨ましいけどな。・・・とにかくだ、渡辺は仕事しなくなって書類が溜まってるし、黒島はもともと仕事しねえからますます書類が溜まる。おまけにお前の部屋はクッソ汚いままだ。だからな、こいつは助けるためじゃねえ」

 

 二人に背を向けると束は手招きをした。

 

 「来いよ、源葉参謀、ヤン参謀。てめえらを、柱島泊地に帰す」

 

 

 

 

 

 外への脱出は意外にも容易だった。皮肉にもデモの喧騒が脱出を手助けしたのだった。束に言わせれば皮肉はもう一つあるようだった。

 

 「車の公用車がヴィンランド製のパッカード120なのさ」

 

 裏の駐車場には黒塗りで長いボンネットの車が数台停まっていた。大恐慌後のニューモデルらしいが、ヤンと洋平には年季の入ったクラシックカーに見える。

 敵国の車に乗り込み、発進させ未だシュプレヒコールが響く赤レンガを後にする。束が運転席に座り、ヤンと洋平が後部座席に座る。エンジン音とともに赤レンガと群衆が遠ざかっていく。

 

 「・・・束さん、僕は・・・今更戻って僕に参謀の資格があるのかな」

 

 不意に洋平が呟いた。

 あの爆撃のことを引きずっているのだろう。ゲーム仕込みとはいえ、未来の知識がありながら何もできなかった。あるいは自分の未来の知識が穴があり、完ぺきではないことを思い知らされ落ち込んでいるのだろう。ヤン自身、思うところがないわけではない。知識がありながら直前に思い出すとは、忘れていたのとほぼ同義だ。だが何にせよ、起きたものは起きた。となればやるべきはそれにどう対処すべきか、次何をすべきかを考え実行することだ。時は巻き戻せないのだから。それに、未来の知識を知っているからと言って、どうして何でもできる、対処できるといえるのだろう?預言者とはむしろ常に迫害されるものなのだ。

 

 「洋平、そう落ち込むことはないと思うよ。確かに君の知識は完全ではなかったろうし、そういう意味では私も同じさ。未来を知っているからと言ってその知識が完全とは限らないし、必ずその通りに進むとは限らない。むしろ未来が分かるからと万能感を持つのは分かるがそれではいけない。万能感を持つということはつまり、自惚れ慢心するのと同じことだからね。知っているということが、すぐさまある目的や行動を容易にしたり可能にするとは限らない。第一、人間一人に出来ること自体限られているんだ。頭は一つ、手足は二本ずつ、だからね。ちゃんと反省できている分、洋平は十分参謀の資格があると思うよ」

 

 「ヤンさん・・・」

 

 「月並みな言い方になるが、起きてしまったものはしょうがないし、失敗は誰でも、何度でもするものだ。大切なのは、失敗や困難に直面した時、しょげることじゃなく、そこでどうやって対処するか、どう局面を進めていくかを考え行動することだ。あらゆる物事に限らず、とりわけ軍事や戦争というものは思い通りには事が進まず、失敗やトラブルばかりだから特に重要さ。」

 

 「ヤンの言う通りさ」

 

 束が鼻を鳴らして笑った。

 

 「あたしは未来人なんて与太話だと思ってたし、空襲の件も気にしちゃいねえ。てめえが一度の失敗でしょげてんなら、とんだお笑いだ。いいか源葉。うちら鉄砲屋は百発百中の精神なんて教わるけどな、実際には百発打って十発当たれば儲けもの、夾叉だってたいしたもんだ。てめえはその謎の特技で、この時代の人間が知りえねえことを何度も言い当てたじゃねえか。一度の失敗がなんだ」

 

 普段はぶっきらぼうな束がこんな風に励ましてくれるなんて少し前までは考えられないことだった。同時に、洋平は不意に思ったことを恐る恐る口にした。

 

 「その・・・だったら束さんも、失敗を気にすることはないんじゃ・・・」

 

 「あ?」

 

 「いやだから、自分は裏切り者だとか何とか言ってたけど、昔のことを気にしすぎじゃないかって・・・ヤンさんもさっき言ってたじゃないですか。組織の中で自由に動けたらどんなにいいかって・・・うわっ!」

 

 ふいに束が急ハンドルを切り、洋平とヤンは頭をガラスにぶつけそうになる。束はバックミラーを鋭く睨んでいた。

 背後を見ればこの車と同じ丸いヘッドライトがいくつもこちらを追ってくる。

 

 「お客さんだ。飛ばすぜ!」

 

 束がアクセルを勢い良く踏み込む。

 洋平やヤンの時代の車には及ばないがそれでも市街地で出していいスピードではない。

 

 「うひゃあ!束さん、危ないって!」

 

 「うーん、士官学校の戦闘艇の操縦訓練を思い出す・・・」

 

 大きく揺れる車内で、大きく揺れるヤンと洋平。何度も車内のあちこちにぶつかり、必死につかまる。

 束は顔色一つ変えることなく見事なハンドルさばきで狭い路地をジグザクに曲がっていく。減速すること無しにだ。タイヤの焦げる臭いが車内に入り込んでくる。

 やがて後部の追手が見えなくなる。

 

 撒いたか、と思い束が車を大きな通りに出した時だった。

 突如大きな衝撃が響いた。

 黒のパッカードが真横につけていた。思い切りぶつけられスピンを超しそうになる。アクセルを踏み相手にぶつけ返す。

 その一瞬、向こうの車の運転席に見知った顔が浮かび上がる。

 

 「伊藤静・・・!」

 

 嶋野の側近の一人だ。赤レンガであの五十子を無視した海軍乙女。

 

 「知っているんですか?伊藤、ってあの赤レンガで五十子さんを無視した・・・?」

 

  洋平の言葉にしばらくの沈黙ののち、束が苦い声で答える。

 

 「・・・伊藤さんはもともとは山本派だ。長官が次官をしていたころ、海軍省で井上に次いで長官を慕っていた。多分、今でも内心は慕っているだろう」

 

 「じゃあ・・・」

 

 「踏み絵だよ。嶋野先輩はいつもそうやってあたしたちの忠誠を試すのさ。」

 

 絶句する洋平。ヤンもため息をつく。

 陰湿だ。いじめグループのやり口と全く同じだ。まったく、トリューニヒトとどちらがましなのやら。

 再び車内が激しく揺れる。

 伊藤車が斜め後ろから衝突してきた。

 束の車が路肩に乗り上げる。正面に街灯。さらに激しい衝撃と共に、天地がひっくり返る。街灯にぶつかり車が横転したのだ。

 

 「ヤン!源葉!しっかりしろ!」

 

 もうろうとする意識が戻った時に窓をたたき割った束が洋平をつかんで車から引きずり出していた。

 

 「そこまでです」

 

 乾いた声が横合いから響く。束が小銃を構える。

 へし折れた街頭の向こうから、瘦躯の海軍乙女が姿を現す。伊藤だ。右手には拳銃が構えられている。

 束の顔を見て、伊藤の顔が暗闇の中でもわかるくらい青ざめた。

 

 「宇垣さん・・・悪く思わないでください。私はその少年を連れ戻すことで嶋野さんにもっと信用されて、中央で生き残らなければならないんです」

 

 「・・・何のために、ですか」

 

 思わず洋平が口をはさんでいた。彼の脳裏には赤レンガの廊下で彼女が五十子を無視した時のことを思い浮かんでいた。またあの痛みがやってくる。

 

 「・・・束さんから聞きました。五十子さんと仲が良かったて。今でも本当は好きなんじゃないんですか?あなたも・・・縛られているんですか?組織の中で・・・」

 

 伊藤の拳銃が震えた。これまでの無機質さが剥がれ落ちていく。

 

 「・・・私だけじゃない。みんな縛られています。嶋野派が台頭する前は、開戦反対派も力があった。嶋野大臣は、戦争の拡大・長期化を自身の権力を強化する手段にしています。部内の不満を抑えるために、総理や陸軍に近づいて・・・このままだと海軍は操り人形になる。どころか、この戦争も泥沼化する。そうなる前に、この戦争を終わらせないといけない。それが、山本さんの志だったから」

 

 「どうやって」

 

 「前総理の近衛侯爵や政友会総裁だった鳩山先生らと秘かに接触しています。陸軍の専横を快く思っていない重臣たちを動かし、陛下に三国同盟離脱と対美鰤講話を上奏する。それが私たちの終戦工作です」

 

 それまで黙っていた束が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 

 「口だけ達者な政治家ばかりよく揃えたもんだ。憲兵隊に一睨みされればしっぽ撒いて逃げ出すような奴ばかりじゃねえか」

 

 「貴方には分からない!」

 

 伊藤が目を血走らせて銃口を束に向ける。

 

 「中央で表立って嶋野に逆らった子はみんな予備役か最前線送りにされた!こんなの海軍じゃない!山本さんが次官だったころの、あの輝いていた赤レンガを返して!」

 

 「・・・銃を下ろせ」

 

 「貴方が下ろしなさい!」

 

 ヒートアップしだす二人。伊藤はもちろん、束も内心興奮しているだろう。

 まずい、このままだと発砲しかねない。

 何とかして二人をなだめねば、止めなければ、と思ったヤンと洋平だったが、二人が何かを思いつくことも、伊藤と束が引き金を引くこともなかった。

 

 「っ!?」 

 

 次の瞬間、新たな光が四人と車と、道路を照らした。

 突然差し込んできた光に思わず手をかざしたり、目を細める。

 車のヘッドライトの光だ。

 追手か、と思い光源の方を見る。確かに一台、黒い車が止まっていたものの、それは追手の車や海軍の公用車とは違っていた。運転手らしき男が驚いた表情でこちらに何かを言っている。

 突然の闖入者にヤンも洋平も、全員が反応できずにいた。誰かがアクションを起こそうとする前に、車の後部座席が誰かが降りてきた。

 

 「おいおい、こりゃどういうことだい?帰宅していたら車が横転しているし、海軍さんが銃を向け合っているし・・・ただの事故じゃないな。いったい何なんだね、何が起こっているんだい?」

 

 降りてきた男の声にヤンは覚えがあった。確か、この声は道に迷っていた時の・・・

 

 「・・・!」

 

 「・・・おいおいまじか」

 

 どうやら伊藤と束も男のことを知っているようだった。

 車や街頭の光に照らされ男の姿が明らかになる。

 そこで洋平も男の顔に見覚えがある事に気付く。確か彼は歴史の教科書に・・・

 出っ歯に、瓜のような形の顔、仕立てのいいスーツに身を包んだ、活動的な印象の男。

 男の視線がこちらを向き、ヤンと目が合う。

 

 「おや、君は・・・」

 

 「あなたは・・・あの時の」

 

 三週間前、ヤンがホテルへの道に迷っていた時偶然出会い、親切にも連れて行った男。話をし、不思議な印象を覚えた大臣を名乗った男。

 現れた男は岸信介その人であった。

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

追手から逃れるため、一旦岸の自宅に身を寄せることになったヤン一行。ヤンと洋平に興味を寄せる岸に対し、二人は何を語るのか。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第20話「未来と、現状と」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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第20話 未来と、現状と

 新宿、柏木。

 そこに時の商工大臣岸信介の私邸がある。大臣の家らしい、広く立派な造りの日本建築の家だ。欠点といえば、家についている広い庭の雑草の生命力が強く、刈っても刈ってもきりがないといったところか。

 その応接間に主人である岸と、ヤンと洋平、束が相対する様に座っていた。周囲の襖や戸はしっかりと閉じられ、外の様子は分からないし、逆に外から応接間の様子を窺うことも出来ない。

 

 「ふうむ、なるほど・・・海軍省でそんなことがあったなんてねえ」

 

 ことのいきさつを聞いた岸がゆっくりと煙草の煙を吐いた。

 カーチェイスの末、追手の車に追突され追手の伊藤静と一触即発の状態になった所に新たにやって来た一台の車。そこに乗っていたのが時の商工大臣岸信介だった。

 商工大臣といえば現代日本でいう経済産業大臣であり、商工業の奨励・統制を行う商工省の長である。当然軍需産業や軍備にも関わるから、重要な役職、大物といっていい。そんな政府機関の大物が一触即発の場面に現れたのだから逃げる側のヤン達も、追手の伊藤も当初は混乱した。その上、ヤンにとっては初めて帝都にきて道に迷った際にホテルまで案内してくれた恩と面識がある。岸の方も帰宅途中に車の事故現場で海軍軍人が銃を向けあい、その隣に以前助けた人物がいるという光景に突然出くわしたから、やはりこれは一体どういうことだと混乱していた。

 混乱と沈黙が流れる中、最初に行動したのは伊藤だった。遠くからさらに複数の車の音が響き、さらなる追手がやって来たことに気付くと、彼女は我に返ったかのようにヤンや洋平、束を乗せて一旦匿ってくれ翌日には迎えに行くから、と岸に必死で頼み込んだのだ。要するに逃げろと言ったのだ。終戦工作のための面従腹背とはいえ嶋野の指示に従おうとしていた伊藤が、それまでの態度を急に変えたためヤンも洋平も驚いたし束も何か裏があるのではないかと一瞬疑い岸も突然の申し出に困惑した。

 だが伊藤の様子は真剣そのものだった。前述したように彼女は嶋野に忠実なようで実際は面従腹背だった。彼女が嶋野に忠実なのも中央に居続けることで人脈を確保し来る終戦工作のために備えるためであり、在りし日の赤レンガ、海軍を取り戻すためだったのだ。恐らくヤンや洋平を拘束しようとしたのもあくまで嶋野の命令だからであり本心は違うものだったのだろう。突然の状況やさらなる追手をきっかけとして良心の方が上回り、それが彼女の突然の行動につながったのかもしれなかった。

 伊藤の岸に対する申し出と剣幕は強く、ヤン達も彼女に押されるがままに岸の車に乗せられそうになった。

 一方のヤンもこれはチャンスかもしれない、と思い岸にこう言った。

 

 「大臣、この戦争の顛末や未来に興味はおありですか?」と。

 

 ホテルへ向かうタクシーの中で、ヤンに対し不思議な印象を感じていたのもあったのだろう。岸のヤン達を見る目が興味深げなものになった。それが最後の一押しになったのだろうか。

 さらなる追手と、静に押し切られるのと、岸やヤン達のこのまままごついては厄介なことになると判断したことや岸のヤンへの興味から、結局流れるようにヤン達は岸の車に乗車し、大勢の乗客を乗せた車はそのまま新宿柏木の岸の私邸へと発進。そして現在に至るのだった。

 

 「一応話には聞いていたが海軍省でそんな泥沼の権力争いが繰り広げられているとはね・・・」

 

 「泥沼なんてもんじゃありませんよ。ありゃ下水のようなものです」

 

 ここに至るまでのいきさつや赤レンガの現状を聞いた岸に首を振るヤン。

 

 「そして、あのまま押し切られる形で僕もその権力争いに巻き込まれることになったわけだ」

 

 厄介ごとに巻き込まれたと言うようであったが、しかしその様子は表情をさほど変えず煙草を吸って平然としており、さほど動揺していないようにも見えた。それも当然かもしれない。

 思えば岸信介という男は単なるどこにでもいるような政治家、官僚ではなかった。彼はかつて商工省の官僚として1936年に満州国に渡満し、満州国経営に辣腕を振るった。と同時に関東軍参謀長であった東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介、椎名悦三郎などの知己を得て軍・官・産業に至るまで幅広い人脈を築き、満州国の大物「弐キ参スケ」の人地に数えられた。一方、軍や財界の要人からアヘン業者に至るまで付き合う豪胆さのあった彼はこの頃からどこからともなく少なくない政治資金を調達・運用するようになっていた。満州を去る際に彼はこう言い残している。「金は濾過機を通せ」――つまり足のつかない資金洗浄された金を使え、というわけだ。事実、彼の調達・運用した政治資金は出所が決して明瞭とは言えず、関連する疑惑が起きてもすぐに立ち消えになった。

 魑魅魍魎の満州で権勢を奮った彼は芦原に帰国してからも革新官僚として辣腕をふるい、やがて現在の東条内閣において商工大臣を務めるまでになっていた。海千山千の妖怪――それが岸信介という男だった。

 そんな男が突然のこの出来事に狼狽するかと言われても、正直想像がつかない。むしろ腹の中では計算している可能性だってある。

 

 「それで、君らは僕の家に上がり込むことになったわけだが・・・これからどうするつもりだね」

 

 岸がまじまじとヤンや洋平たちを見つめて言った。

 彼の言うとおり、いったん追ってから逃れたヤン達だったがこれからどうするかが問題だった。一旦岸の私邸でやり過ごすことにした彼らだが、最終目的地である呉の連合艦隊、五十子たちのもとまでたどり着けなければ意味がない。

 ある意味では主導権は岸が握っているともいえる。巻き込まれたとはいえ、押し切られる形でヤン達を家に上がらせただけ。目撃者も伊藤一人だし彼女は面従腹背とはいえ嶋野の部下だ。電話機ですぐに通報し、脅されてこうなった、と言い張ってこの事態から逃れることも出来る。

 だがもちろん何の策もなく脱出しようとした訳ではなかった。

 赤レンガからヤンと洋平を助け出そうとした束が、少なくとも表面上は丁寧な様子で口を開いた。

 

 「・・・岸閣下には突然このような事態に巻き込んでしまい誠に申し訳ないと思っています。しかしさらに迷惑をかける様で申し訳ありませんが今日一晩は一旦、ここで匿わせていただきたいと思います。翌朝にはここを出て館山まで向かうつもりです。そこに迎えの船が来る手はずになっています」

 

 「とりあえずあてはあるわけだ。しかしそれにしても・・・」

 

 しばらく考え込む様子を見せてから口を開いた岸。ヤンの方を見る。

 

 「また君とここで会うことになるとはねぇ。人の縁とは不思議なもんだ、不思議な奴だなとは思っていたが」

 

 「私もまさか閣下とこんな形でまたお会いすることになるとは思ってもみませんでしたよ」

 

 面識があったとはいえ、道案内をしただけの仲である。しかも相手は海千山千の大臣だ。当の本人たちはもちろん、洋平や束も驚いていた。

 歴史知識に豊富なヤンは彼が昭和日本における大物政治家であることを知っている以上、その歴史上の人物と直接対峙することに驚いている。洋平も岸のことは直接は知らなかったが現代日本のある総理の祖父であり教科書に載る存在であることはおぼろげながら知っていたし目の前にいるのが国政に携わる大臣だと知って同様に驚いていた。束もヤンがいつの間にか大臣と知り合いになっていたのかと驚いていた。

 

 「全く聞いてねえぞ、いつの間にか大臣様と知り合いになってるなんて・・・」

 

 「いや、私が帝都で道に迷ったことがあったろう?その時ホテルまで乗せてってくれた縁でね。まさか相手が大臣とは思わなかったよ・・・」

 

 「そんなことが・・・」

 

 あきれたように首を振る束に、やれやれと言ったように手を広げるヤン。洋平も驚いた様子を見せていると、岸が再び口を開いた。興味深そうに、探りを入れるような眼でヤンと洋平を見る。

 

 「そういえば君、さっき戦争の顛末や未来に興味はないかと言っていたね?まるで未来について知っているかのような口ぶりだが・・・そう言えばあの時タクシーで話し合った時も、君は見てきたかのように語っていたねえ。このままでは敗ける、と」

 

 「・・・」

 

 「君は海軍の関係者のようだが、着ている制服からしてもどうにもただの海軍軍人じゃないな。そっちには海軍にはいないはずの男が立派に海軍の制服を着ている。・・・君ら、ただの海軍軍人じゃあないな。違うかね?」

 

 目を細めながら言う岸。はたから見れば笑っているようだが、その眼はどうにも笑っているようには見えなかった。

 今までの経緯に加え、彼の、もとからあるものかあるいは経験によって身についた勘がヤンと洋平がただの人間ではないと告げていた。

 

 「海軍省のごたごたに巻き込まれたのもどうもそういうのが関係しているようだし・・・どうだろう、匿う見返りってわけじゃないが・・・君たちのことについて話してくれんかね?」

 

 じっとヤンと洋平を見つめる岸。

 沈黙がしばらく流れる。

 そしてヤンは口を開いた。

 

 「・・・閣下は先ほど私が見てきたように言ったと言いましたが・・・本当に見たのだと言ったら、どうしますか?」

 

 

 

 

 

 ヤンと洋平は岸に様々なことを話した。

 自分たちがそれぞれ時代や世界は異なるが未来からやって来た人間であること。今は二人とも連合艦隊司令部において特務参謀の地位と役職を得て働いていること。自分たちが未来人であることは五十子をはじめ司令部の一部の面々のみ知っていること、赤レンガの実態と嶋野の専横、対立やそこでの出来事。

 それから、これから来るべき未来についても話した。MO作戦における日本軍の作戦的敗北。ミッドウェーでの大敗。ガダルカナルにおける悲惨な攻防戦と大敗。以降続く、大敗に続く大敗、退却に続く退却。苦しくなる戦況と国内情勢。サイパン島の陥落と惨劇。本土空襲。原爆投下、ソ連の参戦。そして・・・敗戦。

 ヤンと洋平は知る限りの史実を、淡々と話した。この時代の人間にとっては信じたくないであろう、過酷で残酷な運命。それを、岸も束も何も言わずにただ静かに聞いていた。

 

 「・・・無条件降伏、か」

 

 ヤンと洋平から全てを聞いたのち、岸はそうつぶやきため息をついた。

 

 「・・・信じられないだろうし、信じたくないかもしれませんが・・・これが僕の知る史実であり、経験してきた歴史です」

 

 「閣下が私たちの話を信じるかどうかはご自由です。むしろ、未来から来たとかそんな素っ頓狂な話は信じないのが普通でしょうが・・・商工大臣として軍需産業や商工業に携わる以上、これからの選挙区が厳しい、決して楽なものでないことは、お分かりいただけると思います」

 

 そう静かに言う洋平に対し、岸も腕を組みじっと考える。

 彼らは自らを未来から来たタイムトラベラーだと名乗り、来るべき未来について語った。空想科学小説にしか出てこないような話であり、本来なら鼻で笑うべきなのだろう。

 だが彼らの話す内容は首尾一貫し辻褄が合い、その様子は淡々として真剣な様子だった。そして何より、岸は彼らの話に現実味を感じていた。

 ミッドウェーやガダルカナルでの大敗、広げすぎた戦線、伸び切った補給線、圧倒的な国力差、やがて迎える戦力転換点。圧倒的な物量と速度で反撃するヴィンランド軍、破綻し、あるいは潰されていく兵站。本土空襲、敗戦、占領・・・

 岸は商工大臣になる以前から、計画経済や統制経済を主張する革新官僚の一人としてこの芦原の商工業や産業、生産の発展に努めてきた。全ては国家国民の繁栄のためだ。しかし一方で、それ故に芦原と他国の国力差も痛感していた。特にヴィンランドとの格差は大きかった。物的・人的資源、各物資・製品の生産量、生産の際の効率性や質――どれをとっても芦原のそれの何倍、何十倍もある。総合的な国力でいえばヴィンランドの国力は芦原の数百倍に上るかもしれない。今はこちらが勝っているが、それはまだ相手が全力を出していないからだともいえる。相手が本気を出せばこちらをひねりつぶすなど赤子をひねるより容易なのだ。

 つい数週間前にはヴィンランド軍の爆撃機による空襲もあった。規模は小さく、損害も大きくなかったが、遠く離れているはずの敵国に本土を攻撃されたことの衝撃は大きかった。そして二、三年もすればこれと比較にならない規模の空襲が軍民問わず本土に襲い掛かるのだと彼らは言う。

 それを鑑みれば、ヤン達の語る「未来」はどうも現実味があり、岸はうすら寒いものを感じた。

 同時に岸は己の内に何かが湧き上がってくるのを感じた。

 

 ――冗談じゃあない、ふざけるなよ――

 

 怒りや責任感、焦燥・・・そういった感情が彼の内に炎の如くゆっくりと湧き上がる。

 なるほど、心の底から完全に信じることはできないが、彼らの話は十分現実味のあるもので、決してあり得ないものではない。彼らの話は、「敗戦」という未来は事実であり信用すべきなのだろう。

 だが受け入れがたい、残酷な未来だ。たとえ運命だとしてもやすやすと受け入れるわけにはいかない。いや、受け入れてたまるものか。

 何のために、自分は官僚となりそして大臣として執務に邁進してきたのか。何のために満州で辣腕を振るい、何のために人脈を築き上げ、のし上がって来たか。国家を発展させ、国民の間に繁栄と安寧を築き上げるためだ。そのために自分は文官の先頭に立ち旗を引っ張って来たのではないか。

 それに自分は開戦の決定に直接関わっていないとはいえ、開戦の勅書に大臣として署名し、聖戦の完遂のために動いている。

 その築き上げたものが、粉砕されると、崩壊すると彼らは言っている。それは決して妄言ではなく現実味のあるものだ。

 それを、その運命を受け入れるわけにはいかない。出なければ、自分が先頭に立ち、自分たちが築き上げたものが崩壊し、そして崩れ去るのだ。そして国家と国民は業火に包まれ開闢以来の最大の比較しようのない屈辱の塗炭の苦しみを味わうことになる。

 国家発展のために邁進してきた岸にとってそれは受け入れがたく、少しでも止め、変えなければならないものだった。いや、知った以上は何もしないわけにはいかない。知らないことはともかく、知ろうとしないこと、そして知ったうえで何もしないことの罪はあまりにも重い。

 もしかすると、これは運命なのかもしれなかった。自分の人生はこれを知るために、変えるためにあったのかもしれない。

 怒りや責任感、焦燥を感じる一方でもう一つ熱いものが湧き上がるのを岸は感じていた。それは一般に闘争心といわれるものだった。

 

 ――やってやろうじゃないか――

 

 そんな風に思う自分がいることと、そして自分がいつの間にか僅かに口角を上げて笑っていることに気付いて岸は思わず笑ってしまった。

 目の前にあるであろう壁はこれまでにないほど巨大で固い。その困難さを闘志ややりがい、使命感を感じているのだろうか。確かに目の前の困難の大きさは今までのそれと比類ないものだがその使命の大きさもまた大きいものだ。もしかすると自分はこれまでにない闘志や武者震いを感じているのかもしれないな――岸はそんな風に思った。

 

 「閣下?」

 

 いつの間にか口角をあげて笑っていることにヤンが不審そうにする。

 

 「いや、武者震いという奴だよ、君」

 

 手を振ってこたえる岸。

 

 「未来からのタイムトラベラー、敗戦の未来・・・正直を言うと君らの話は到底信じられるものじゃない。下手をすれば特高や憲兵に取り締まられることは確実だろうな」

 

 「・・・」

 

 沈黙するヤンや洋平。岸は新たな煙草に火をつけ、ゆっくりと吸い煙を吐く。

 

 「だが、君らの話はとても現実味があった。僕も商工省の官僚や大臣として色々やってきたわけだが・・・軍需面や産業面から見てもわが芦原とヴィンランドの間に大きな国力差があることは事実だ。確かに逆転されてもおかしくないし、相手が本気を出せばとんでもないことになるだろうな・・・」

 

 それまでの笑みを抑え、今度は真剣な表情でヤン達を見る。

 

 「数週間前にも、ヴィンランドによる空襲があった。あの時は小規模で済んだが・・・それが大規模で、この国全土を焼き尽くす未来が来てもおかしくはない。・・・僕は国政に携わる大臣だ。勅書に署名した以上、陛下や国家国民のために、この戦争の完遂に努める責任がある。何より、僕は今まで官僚として、公僕として勤めてきたんだ。知った以上、何もしないわけにはいかんよ」

 

 そして再び岸は笑みを浮かべた。

 

 「とりあえず、君たちの話をもっと聞きたい。朝になるまでここにいるつもりなんだろう?まだ時間はある。・・・これからの歴史についてもう少し、知っている限りで教えてくれないかね?」

 

 ヤンはしばらく黒髪を書き、ベレー帽をもてあそんでいた。初めて会った時も、ヤンも彼に不思議な印象を抱いていた。活動的で、人が良く、気がよく利く。政治家としてのしたたかさや泥臭さは確かにあるのだろう。一方現実や、知りたくない事実を認識し、真剣に動こうとする公僕としての真摯さもあるように感じた。

 ヤンは洋平と顔を合わせる。そして頷きあった。彼らもまた岸を信用することにした。

 

 「・・・分かりました。もう少し時間があるようですから、話せる範囲で」

 

 「うん、ありがとう・・・そうだ、折角なら少し一杯やりながら話すか・・・君は酒は飲めるほうかね?」

 

 ヤンの顔がわずかにほころんだ。

 

 「ええ、もちろん。丁度、この国のこの時代の酒にも興味があるところでして・・・」

 

 「よしそれじゃあ、家内に言って持ってこさせよう・・・」

 

 こうして、人知れず会話は続いていった。当人以外、この歴史を知る者はいないが、それがこの世界の歴史に与える影響もまた、決して小さいものではなかったはずだった・・・

 

 

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

暮れの柱島泊地へと脱出すべく、岸の私邸を後にしたヤンと洋平。ついに彼らは五十子たちと再会する。帰るべき場所、連合艦隊への帰路彼らは決意を新たにするのだった・・・
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第21話「帰還、そして決意」。銀河の歴史がまた1ページ・・・


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