壊尽のプリンシパル ─落第騎士の英雄譚─ (嵐牛)
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プロローグ
ある少女の追想


 人間が嫌いだった。

 

 楽しかった事も嬉しかった事もあるけれど、自分が幼い頃の自分の記憶を追想するとき、真っ先に思い浮かぶ感情はその一言に尽きる。

 

 ──何をやっても許されてきた。

 

 他の子供を殴りつけても、おもちゃを奪っても、奪ったそれを壊しても、ごめんなさいと頭を垂れるのはいつも向こうの方だった。

 それは何故か? 決まっている。

 自分がその当時から伐刀者(ブレイザー)という才覚を示していたからで………そしてそれは、自分の『家』における絶対的な権限そのものだったからだ。

 

 自分がいじめた親戚の子供が、その親に(はた)かれて頭を下げる。

 (はた)かれた子供が、悔しさに震える声で謝罪する。

 どいつもこいつもくだらなかった。

 力の前に正しさを曲げる子供も、力の前に間違いを許す大人も。

 強い者に頭を垂れ、心にもない謝意や誠意を舌で弄する人間という生き物が自分は心底から嫌いで、しかし自分もまたそれと同じ人間であるという事実は抑え難く不愉快なもので。

 その苛立ちを自分より弱い者にぶつけ泣かせた。

 大嫌いな生き物を傷付けその心を踏みにじり、少しばかりの溜飲を下す。

 それが自分のささやかな気晴らしであり、自分を囲む『大嫌い』に対する反抗だった。

 

 自分も同じように反抗されるかも、とは考えていなかった辺り、幼かったとはいえ愚かだったと思う。

 

 あれは何の集会だっただろうか。

 自分の家………『本家』の屋敷に、いつものように血縁の者が集まった時の事だ。

 いい加減に自分に近寄ろうとする子供がいなくなってきたような頃、その少年は自分に話しかけてきた。

 初めて見る子供だった。

 何かを自分に話しかけてきたが、どんな内容だったかは流石に今は覚えていない。

 ただ、後はいつもの流れだった。

 いつものようにおもちゃを奪い、殴りつけ、壊す。

 するとその子供が怒り声を荒げ、それを聞いた子供の親が血相を変えて駆けつけて、早く謝れと我が子を(はた)く。

 そして理不尽に震える生き物の泣き声なり謝罪なりを聞いて、少しだけ気を晴らしておしまい。

 

 そのはずだった。

 

 その少年は頑として頭を下げようとしなかった。

 急かす声に怒りが滲み、叩く力に大人の本気が混ざり始めても、歯を食いしばって怒りに満ちた瞳で強く自分を睨みつけていた。

 

 自分はそんな人を、この少年みたいな人を探していたはずだ。

 間違いに対して間違いだと言えるような、間違いを前に自分を曲げないような、そんな当たり前の人を……人間として尊敬できる人を求めていたはずだった。

 しかしその時の自分は、その目がどうしても気に食わなかった。

 今まで怒られた経験も叩かれた経験もない自分は初めて経験する剥き出しの敵意に怯み、そして自分より弱いはずのくだらない生き物にそんな思いをさせられた事を腹立たしく感じてしまったのだ。

 

 『おまえがあやまれ!!』

 

 そう叫ぶ少年に歩み寄り、自分は考えた。

殴るのでは足りない。

 こいつにはそれ以上の屈辱を与えたい。

 いよいよ窮したらしい親に髪を掴まれ無理矢理頭を下げさせられようとしている少年の顔を正面から見据えて。

 自分は、その顔に唾を吐いた。

 

 

 人は本気で怒った時は顔から表情が消えるらしいことを、自分はこの時はじめて知った。

 

 

 吹っ飛んだ────ように思う。

 一瞬何が起きたかわからなくて、正気に戻った時には顔も頭も背中も全部が痛かった。

直後に自分にのしかかってきた重圧と、頭に降り注ぐ硬いものの雨霰。

 後から聞いた話によると、自分は少年に顔を殴り飛ばされた後、馬乗りになって何度も頭を殴られていたらしい───必死に腕で顔と頭を庇い、やめて、やめて、ごめんなさい、と泣きながら何度も何度も謝った。

 それは今まで自分が相手に言わせていた台詞だという事に、その時はまだ気付けなかった。

 

 この時の少年の両親はさぞや顔を青くしていただろうが、しかしこの大喧嘩を止めたのは大人ではない。

 自分の兄だ。

 騒ぎを聞いて駆けつけてきたらしい兄が、自分に馬乗りになっている少年を思い切り突き飛ばしたのだ。

 自分の上から少年が転がり落ち、解放された自分は思わず兄の背中に取り縋っていた。

 その後はずっと兄の背中で泣き喚いていたので、この騒ぎがどのように鎮圧されたかは見ていない。

 ただ大人たちの怒鳴り声や、必死で謝る男と女の声、そして少年の叫びと暴れる音だけがずっと続いていたのは耳が覚えている。

 

 汚い人間いわく、自分は悪くないらしい。

 冷静な思考能力を取り戻し、兄に事情を聞かれた。罪を告白する恐怖を知ったのもこの時だったはずだ。そして兄からも厳しい叱責を受け、()()()自分を叱った兄もまた、周囲の大人に一際辛い迫害を受けた。

 怪我をさせられた恐怖。悪に対する報い。

 叱られる罪悪感。正しい事をした者が貶められる汚さ。

 色んな初めての感情に翻弄され、その日は疲れ果てて眠った。

 

 

 

 その日から、その少年の姿を見る事はなかった。

 何とか謝りたくて親戚の集まりがある度にあちこちを歩いて探しても、彼はどこにもいなかった。

 周りの大人は答えてくれず、ようやく家に姿を見せた彼の両親も口を閉ざしていたが、皮肉にも自分の「強さ」は有効だった。

 だが、教えてくれてよかったとは思えない。

 何度も頼み込んでようやく返してくれた『()()()もういません』という感情のない声は、つまる所───彼は既に死と同然の扱いを受けている証左だったのだから。

 

 

 人間は今も嫌いだ。

 だけど、それ以上に自分が嫌いだ。

 くだらないと睥睨していた人間たちと同じことをして一人の人生を狂わせた自分を。兄からの愛情を貪るだけ貪り、兄の背負っている苛烈な環境と孤独の冷たさに気付かないふりをしていた自分を、呪いすら込めて罵倒する。

 そんな過去が夢に出たのは、始業式という節目と言うべきイベントのせいだったのかもしれない。

 

 成長ホルモンがいつからかボイコットしたんじゃないかと思わなくもない矮躯を新たな制服で包む。髪型を整える際に、前髪を大きく掻き上げて『それ』を見つめる。

 生え際の近くに刻まれている『それ』は、幼い頃に少年に刻まれた古傷だ。

 普段は髪に隠れている、消えない自分の愚かさの証。

 

 新たな場所で、新たな生活が始まる。

 敬愛する兄が進学して家からいなくなった後も、自分は己を鍛え続け、《伐刀者(ブレイザー)》ランクBという高評価を得られるまでに力を得た。

 正直それでもまだ足りないと思っているが、どうあれここがようやくのスタート地点だ。

 

 誰からも愛されなかった兄に、その分の全ての愛を与えるために。

 

 もう兄を独りにしないよう、隣に並び立ち支え合うために。

 

 

 

 詫びることも償うことも出来なくなった過去に対して、せめて自分は変わったのだと言えるようになるために。

 

 



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出会いと始まり
2話


 いくら暦の上では春とはいえ、3月下旬の早朝はまだまだ肌寒い。

 春休みがもう幾日で終わろうという今。一部の殊勝な者を除き、一般的な生徒はもう数回で終わりを告げる心地好い微睡みとの逢瀬を惜しみながらも堪能している頃だろう。新生活が幕を開ける直前の人々から発せられるどこか浮わついたような空気も、この時ばかりはまだ静寂に包まれていた。

 どこかで小鳥がチチチと歌い、空は段々と太陽が存在感を強めていく。眠っていた人や営みが緩やかに目覚め始めるこの時刻に、明らかに熱気と運動量が違う者が2人いた。

 

 アスファルトで舗装された道の上を2人の青年が疾駆している。

 姿勢は低く、静止した空気を引き裂き、全身を全力で駆動させるその全力疾走は、一流のアスリートも目を剥く速度を叩き出していた。しかも登り坂も一切ペースを落とさず、曲がり角でも重心移動の妙で最高速度を保ち続けている。

 一体何が彼らをここまで駆り立てているのかと疑問に思うだろうが、2人の形相を見れば2人が互いに走力を競い合っているのだと察しがつくだろう。

 やがて2匹の駿馬は最後の直線に突入、ゴールに設定した彼らの住まう学生寮の入り口を遠方に目視した。

 

 「─────────!!!」

 

 「─────────!!!」

 

 途端、さらに速度を増す2人。

 重心を前方、身体の外に放り出し、倒れるように地を駆ける。

 つむじ風を巻き上げ、されど静かに。足音を立てるような無駄なエネルギーは全て前方への推力に注ぎ込まれ、2人の身体を疾風の域に押し上げていく。

 公式なルールに照らし合わせれば世界記録を軽々と塗り替える速度を両者ともに記録しているが───しかしこれは競走。

 勝者と敗者が明確に決定するものであり、そしてそれは既に明らかになりつつある。

 

 最後の直線に入ってから、片方がぐんぐんともう片方を置き去っていくのだ。

 その片方も負けじと速度を上げるが、しかし相手の方が速い。着実にその差はひっくり返しようのないほど開いていき、しかし2人は欠片も速度を緩めることはなく、そして──────

 

 「ッッッッア゛ーーーーーーーぃ!!!」

 

 勝敗は決した。

 直線で突き放した方が設定したゴールラインを跨ぎ勢いのままたっぷり20メートルはオーバーランしつつ、ヒトの言語として成立しているか甚だ疑問な勝利の咆哮を上げた。

 そしてもう片方も1秒ほど遅れてゴール。天を仰いで荒い息を吐きつつ、先にゴールした方に並んだ。

 

 「また、ここで、負けか……! やっぱり、ゼェ、歩幅の差は、ゲホッ、覆すのが、辛い……!」

 

 「ハッ、ハァ、細い道、は、お前のが有利、だろ……! 最後で取り返せなきゃっ、俺にゃ、どうにもならん……おぇっ」

 

 息も絶え絶えな喘鳴交じりの会話。

 体内で生産された熱がひんやりとした空気にあてられ、2人の全身からは沸騰したような湯気が立ち上っていた。もはや脳内まで茹だりそうな体内熱だ。スポーツドリンクとは別に用意していた冷水を頭から被ったり、運動着の上を脱いだりとオーバーヒート寸前の肉体の温度を応急的に冷ましていく。

 毎朝の日課である()()()()()()()()()()()()

 聞くだけで心臓が破れそうな拷問だが、2人にとってはただの()()()()()()()だというのだから常軌を逸している。

 だが、苦ではない。彼らが己の本懐を、己の目的を遂げるには、最低限このくらいはやらなければならないのだ。

 朝の冷たい空気に対する感謝と共に、呼吸を整えつつクールダウンのストレッチを行う。

 

 「そういやニュースでやってたよな。ヴァーミリオン皇国から皇女様がウチに入学してくるって。もう日本には来てんだよな? 多分」

 

 「そうだね。歴代最高成績で首席入学の伐刀者ランクA(Aランク)だって。入学前にも色々と手続きとかが必要だろうから、もしかしたらもう学園にも顔を出してるかもしれない」

 

 「はー、そりゃこのクソみてえな学園もさぞかし安泰だろうよ。頭も素質も腕っぷしもトップクラスなんて逸材を手に入れたんなら」

 

 「いや、()()()()()()()()()()()()。それ」

 

 俺はそんなんじゃねーよ、と苦笑混じりの指摘にぞんざいに返答する男。

 ストレッチを終えて程よい疲労と熱を残した身体の調子を確かめつつ、彼は遠くを眺めながらぽつりと呟く。

 

 「………また春、だな」

 

 「……うん。そうだね」

 

 そのやり取りに込められた感情はただの感慨ではない。これから始まる生活は、彼らが希望を以て臨み、そしてそれを悉く否定された去年のやり直しなのだ。

 片や社会ぐるみの理不尽で、片やそれに抗ったが故に。

 無為にした、させられた無念と屈辱は新生活を前にした一般的な学生としては似つかわしくないものかもしれないが、耳障りの良さに何の意味があろう。

 新たな始まりは誰にも等しく門戸を開く。

 重要なのは、そこから前に踏み込む力だ。

 

 「ようやくまともにスタートが切れるのかね、お前は」

 

 「ああ。理事長が変わって体制と制度も一新された。ランクだけじゃなく実力を見てくれるなら、僕にもチャンスは平等にある」

 

 「……お前の言う平等は重いな」

 

 静かに拳を握り締める“持たざる側“の言葉の重量に、その背景をよく知っている“持って生まれた側“はそれ以上の言及をやめた。

 《伐刀者(ブレイザー)》としてのランクが何より重視されているこの社会でこの男が「平等」と口に出来るようになるまで、どれ程の責め苦と孤独があったことか。「平等」と口にできるまで己を叩き上げるのにどれ程の苦痛を伴ったことか。

 そこまでの代償を支払ってようやっと手に掴めたのは、《七星剣武祭》───『選りすぐりの《学生騎士》が一堂に会し覇を競う祭典で優勝すれば学園を卒業できる』という、余りにも細い蜘蛛の糸。

 

 だからこそ彼は腐らず、臆さずここまで耐えた。

 糸を手繰るため鍛えてきた。

 全てが敵に回った1年間、ずっと己の側に立ち続けてくれた友の────そして遠くない内に敵となる男の遥か高い位置にある目を見据え、“持たざる側“は握っていた拳をそのまま前に突き出す。

 

 「やろう、()()()。僕にとっても君にとっても、ここからが本当のスタート地点だ。いつか(しか)るべき舞台で戦う時が来たら───その時は、全霊で」

 

 「……おう。その時には全力でブッ倒す。その結果お前の未来がどうなるとしても、それすら覚悟の上なんだろ? ───()()()

 

 想い続けてきた夢を躊躇わず潰すと言われてなお、もちろん、と口元に笑みすら浮かべて淀みなく言い切った彼の拳に、『カズマ』と呼ばれた男もまた、こつんと拳をぶつけた。

 

 

 

 

 

 これから始まる新たな1年の幕開けに、そんな若者らしい会話と決意表明をしたのが数分前のこと。

 学生寮に帰宅し自室に入ろうと玄関に手をかけた瞬間、耳を劈いた絹を割くような少女の悲鳴。しかもそれが聞こえたのは、まだ男1人しかいないはずのイッキの部屋。

 ────明らかな異常事態。

 カズマを反射的に行動させたのは、胸糞の悪い1年間の経験だった。

 

 「オイ何があった!?!?」

 

 慌てて彼の部屋の前に駆けつけ、施錠してあったドアを蹴破って室内に乗り込んだカズマが見たものは──────

 

 

 

 

 

 

─────半裸の美少女の眼前で鍛え抜いた己の半裸を負けじとばかりにさらけ出す、誠実で実直であるはずの親しい朋友、黒鉄(くろがね)一輝(いっき)の姿であった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 《伐刀者(ブレイザー)》。

 己の魂を武装───《固有霊装(デバイス)》として顕現させ、魔力を用いて異能の力を操る1,000人に1人の特異存在。

 古い時代には『魔法使い』や『魔女』とも呼ばれてきた彼らは、科学では測れない力を持っており、最高クラスならば時間の流れを意のままに操り、最低クラスでも身体能力を超人の域に底上げすることができた。

 武道や兵器などでは太刀打ちすることすら叶わない、人の身を超えた超常の力。

 今や警察も軍隊も、戦争すら伐刀者(彼ら)なくては成り立たないが、大きな力には相応の責任が伴う。

 

 その1つが《魔導騎士制度》だ。

 

 国際機関の認可を受けた伐刀者(ブレイザー)の専門学校を卒業した者にのみ『免許』と『魔導騎士』という社会的立場を与え、能力の使用を認めるというものだ。

 そしてここ、日本の東京都に東京ドーム10個分という広大な敷地を持つ『()(ぐん)学園』もその免許を取得するための、日本に7校ある『騎士学校』の1つである。

 

 若い伐刀者(ブレイザー)たちが『学生騎士』として日々切磋琢磨する学舎。

 その破軍学園の理事長室に、同じように悲鳴を聞きつけた寮の警備員に痴漢として現行犯逮捕された2人は連れてこられていた。

 皮のソファに座る煙草をくわえたスーツ姿の麗人、破軍学園理事長・新宮寺黒乃は、一連の騒ぎの経緯を一輝から聞き終えると───呆れた表情で言い放つ。

 

 「……なるほど。下着姿を見てしまった事故を、自分も脱ぐことで相殺しようとしたと。アホだろお前」

 

 「その時は紳士的なアイデアだと思ったんですけどね……。冷静になった今考えてみたらすんごい危ない人でした……」

 

 「そもそもテンパったところで脱ぐかと言いたいが、ともあれ脱いだものはもうしょうがない。とりあえずお前の事情は理解したとして……」

 

 黒乃は座った姿勢のまま首をぐっと反らし、一輝の隣にいる、一輝より遥かに高い位置にある男の顔を見上げる。

 

 「で? その現場にドアを破壊してまで乱入したお前の言い分は何だ。(たか)(みね)(かず)()

 

 「俺まで痴漢扱いは無いんじゃないですかね」

 

 床に立ったこの場にある何よりも高い所から、ドアを破壊した下手人である彼────(たか)(みね)(かず)()は、憮然とした表情でクレームを入れた。

 齢16、日本人であるはずのその身長はおよそ()()()()()()()。野性的な鋭さを宿した顔立ちは、身体のサイズと相まって凄まじい圧力を誇っていた。

 

 「確かにドアをぶち壊しましたよ。しかも……あー、その、ちっと見ちまいましたよ。そこは言い訳しませんし、暴走しちまったのも認めます。謝るのは当然のことでしょう。

 ただ、ただですよ? 勘違いだったとはいえ、俺は非常事態を収めるために行動を起こした訳でして。どこぞの誰ぞみたいにロクな考えもなく脱いだ奴と同列で怒られるのは違うんじゃねえかと思うんです」

 

 「ちょっっっっとカズマ??? ここに来て自分1人が逃げるの??? 見損なったよ、今朝に感じた心の交流を返してくれないかな」

 

 「ほざきやがれチビ助。俺は抗うぞ。俺はもう謂れのない罪なんぞに2度と負けはしねえ」

 

 「おい。その気概は結構な事だが、お前はそもそも被害者が誰かを忘れてないか?」

 

 あっという間に亀裂が生じた2人の内ゲバを遮り、黒乃はトントンと指でテーブルを叩く。

 

 「考えてもみろ。突然見ず知らずの男が部屋に侵入してきて、あられもない姿の自分の目の前で衣服をキャストオフ。そこにお前みたいな強面のデカブツが玄関を蹴破って乱入ときた。

……さて、どこに『()()()()()罪』とやらがある? 事情がどうあれ、女性にとってこれはどれだけの恐怖だろうなあ」

 

 「……………はい。返す言葉も無いです」

 

 ぐうの音も出ない。聞くだけで戦慄ものだ。

 返す刀で深々と抉られ縮こまる一真だが、一輝も一輝で己のやらかしたコトの重さを改めて自覚し肩を落としている。

 

 「ステラさんには留学初日に申し訳ないことをしてしまったなぁ……。このことで日本を嫌いにならないでくれればいいんだけど」

 

 「は? ステラ、って言やあ………あぁっっ!?

そういやあの顔、新聞で……!!」

 

 「なんだ、2人とも知っているのか。まぁどこの新聞や局でも一面を飾っていたからな。

なら話は早い。誠心誠意謝ることだ。2人とも悪意はなかったとはいえ、下手をすれば国際問題になりかねん。理不尽に感じるだろうが、男の度量を見せろ」

 

 「「………はい」」

 

 男とはどうしてこう都合のいい時だけ利用されるのだろうか───

 思わずそんなことを考えてしまいながら漏れそうになる溜め息を押し止めていた、その時だ。

 

 「……………失礼します」

 

 理事長室のドアが開き、彼女は現れた。

 ウェーブのかかった紅蓮の髪に、制服をこれでもかと押し上げる女性としての身体のライン。

 世界の誰を引っ張り出しても見劣りするだろう美しく整った顔の造形は、何の根拠もなく彼女が高みに位置する者だと理解させるには充分だった。

 ヨーロッパの小国、ヴァーミリオン皇国の第2皇女────ステラ・ヴァーミリオン。

 恐らくは泣いていたのだろう、目元を赤く腫らした真紅(ルビー)の瞳が、恨みがましそうにこちらを睨む。



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3話

 「ごめん」

 

 「……悪かった」

 

 胸の内でああだこうだ言っても、そんな姿を実際に目の当たりにすると自然と謝罪が口をついて出た。たとえ自分に非がなくとも、男は女の子を泣かせるものじゃない───男に生まれたなら必ず教わるその矜持が、少女の涙に頭を下げさせた。

 

 「あれは不幸な事故で、僕らも別にステラさんの着替えを覗こうとしたわけじゃない。ただ、見てしまったことに変わりはない。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」

 

 「……俺も思い返せば馬鹿な突っ走り方をした。悪意はなかったとはいえ、恐ろしい思いをさせた分は男としてケジメを付ける」

 

 「……そう、潔いのね。サムライの心意気って奴かしら。」

 

 一輝と一真のつむじを見ながら、ステラは目元を腫らした顔で小さく微笑む。

 

 「まずそこの大きい人は……いや本当に大きいわね……、いいわ。許します。アンタはアタシの悲鳴を聞いて非常事態に対応しようとしただけ。悪意が無かったのはわかってるわ。ただ今後似たようなことがあったら、その時はもう少し冷静でいるべきだと思うわ」

 

 「……本当に悪かった」

 

 聞き心地のよい澄んだ声に、一真はもう1度深く頭を下げた。あるいはその姿勢が彼女にも伝わってくれたのだろうか、ステラは強張っていた表情を幾分か和らげてくれたようだ。

 部屋に入ってきた時の敵意が薄れていくのを見て、一真は認識を改めた。皇女というから偉ぶった高飛車が来るのかと思っていたが、きちんとこちらに理解を示してくれる人だ………

 

 「隣のアンタは、────ハラキリで許してあげる」

 

 ………矛先が片方に集中していただけだった。

 ギョッとした顔で顔を上げた一輝を横目に、一真は噴き出しそうになるのを全力で堪える。

 

 「いや、ちょっと待って。そりゃ流れで許してもらえるなんて思ってはいなかったけど! 恐らくは譲歩してくれた上で命を差し出せと!?」

 

 「正直なところね、もう来日していきなり痴漢に遭うなんて心底この国を嫌いになりかけたし、国際問題にしてやろうかとも思ってたわ。そこを煮るなり焼くなりって心意気に免じて命1つで済ませてあげようっていうのよ?

 本来なら市中引き回しの末に国民全員で石打ちにするところだけど、それに比べたらずっと尊厳の残る逝き様だと思うわ」

 

 「ふむ、こうなっては最早仕方無いな。黒鉄、日本とヴァーミリオン皇国の恒久的な平和のために散れ」

 

 「教職者と伐刀者(ブレイザー)の義務をいっぺんに投げ捨てないでください!!」

 

 ニタニタと笑う黒乃の顔からそれが冗談であることはわかっているが、それでも一輝からすればたまったものではない。しかもいつの間にかそっと後ろに退ざり完全に見物を決め込むつもりのポジションに移行していた一真を見たときの衝撃たるや。

 その目から『介錯は任せろ』という無言のメッセージを受け取った一輝の目はもはや人間を見るそれではない。もしかしたら彼は今、世界で1番ひとりぼっちかもしれなかった。

 

 「と、ともかく! たかが下着姿を見ただけで命まで支払えないよ!!」

 

 「たっ、たかが!? 嫁入り前の姫の肌を汚しておいて何よその言い方は!! アタシの裸を、い、いいいいいいやらしい目で、じーっと見てたくせに!!」

 

 「いや、違わないけど……そ、それは違くて! スケベ心じゃなくて、()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 「ふぇ………っっ!?」

 

 (何の話してんだこいつら……)

 

 みるみるうちに気勢を落としていくステラ。

 なぜか犬も食わない様相を呈し始めたやり取りを白い目で眺めていた一真だが、安全圏に入り冷静になった彼の頭は、1つの重大な問題点を発見した。

 

 「なァ、そもそもよ。何でイッキの部屋に皇女様がいたんだよ?

 イッキが施錠でもし忘れてたってのか? そうでもなきゃ入れねえと思うんだが……」

 

 「はぁ!? アタシはちゃんと理事長先生から貰った鍵であの部屋に───」

 

 

 「ああ。それなんだが、どちらが間違えたという話ではない。簡単な話、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 「「「 …………っ!?!? 」」」

 

 流石に全員が絶句した。

 確かにこの学園の学生寮は2人1部屋だが、そもそも男女が1部屋に入るなど聞いた事がない。恐らくは当人しか面白くないであろうネタでくつくつと笑いながら、黒乃は実に面白そうに2人に告げる。

 

 「いや、改革の一環として、競争を生じさせて切磋琢磨を促すために()()()()()()()()を相部屋にするようにしたんだがな。

 ヴァーミリオンほど優れた者も黒鉄ほど劣った者もいなかったもので、必然的に余り者同士でペアにさせるしかなかったという訳だ。

 ……最も、実力的にも妥当とは考えてもいるがな」

 

 「……クロガネ、ってこいつですよね? ……劣った者?」

 

 「ああそうだ。伐刀者(ブレイザー)ランクF、能力値が低すぎて進級できず。10に1度の《落第騎士》が、ヴァーミリオン。君のルームメイトだ」

 

 それを聞いて、ステラはぽかんと口を開けた。

 しばし呆然とその前後の言葉の意味を脳内で反芻し、そして理解が追い付いたようだ。

 部屋の温度がみるみる上昇し、彼女の身体が燐光を纏う。

 ───溢れ出る激情に、彼女の能力が漏れ出していた。

 

 「どっ……どういう事ですか!! Fランクと私が実力の近い者同士!?

 そうでなくとも年頃の男女がお、同じ部屋なんて……何か間違いがあったらどうするんですかっっ!! 断固として納得できるわけないでしょう!!」

 

 「やれやれ、これは茶化せる空気でもないな。

 君たち以外にも男女になってもらう者はいるし、その全員に便宜を図っては本末転倒だ。一切の特別待遇はない。嫌なら退学してくれても構わんぞ?」

 

 「………!!」

 

 日本に来た目的はわからないが、流石にそれは不本意なのか押し黙るステラ。とにかくそこは受け入れるしかないと腹を括ったようだが、今度はその勢いのまま一輝に同室になるにあたっての3つの条件を提示し始めた。曰く“話しかけず“ “目を開けず“ “息をしない“、というかぐや姫もドン引く無理難題を吹っ掛けている。

 流石に承服しかねる内容に反対した一輝にさらに火を噴く勢い(物理)で畳み掛けるステラを横目に、一真は暑そうに顔をぱたぱたと手で扇いでいる黒乃にぼそりと話しかける。

 

 「(お姫様ってのは淑やかなもんじゃないんですか?)」

 

 「魔力とは魂のエネルギーだ。ほら、軽く漏れ出るだけでもう砂漠にいる気分だぞ。これだけの『炎』の持ち主、活力の塊に決まっているだろう」

 

 「それだと鶏が先か卵が先かの話になりそうですが、まァ道理だ。……でもまァ、何だ。随分と好戦的な性格をしていなさる」

 

 「理事長に就任するにあたって過去のあれこれは一通り頭に入れたが、お前にだけは言われたくないだろうな」

 

 「別にケンカが好きって訳じゃねえんですがねぇ……」

 

 不本意とばかりにぼやく一真だが、しかしその眉間には段々と皺が刻まれつつあった。

 不機嫌そうにやる視線の前には、髪の色に負けないくらい顔を赤くして口角泡を飛ばすステラがいる。

 そして彼が見物席を離れ、逃れたはずの糾弾の場に戻ったのは、言い合いの末にステラの口から飛び出したこの言葉がきっかけだった。

 

 

 「いやなら退学しなさいよ! そうすればアタシは1人部屋になれるわ!」

 

 

 「……その辺にしとけよ」

 

 静かに、しかし強い声色で一真は争いを遮った。

 高木(こうぼく)のような身体を割り込ませるように長い脚を2人の間に置く。

 

 「何のつもり?」

 

 「今朝の事故もルームメイトの事も、何1つこっちの悪意は混ざっちゃいねえ。さっきから変態変態と貶め続けてんのは流石におかしいんじゃねえか?」

 

 「なによそれ、ここにきて自分たちは悪くないとでも言う気!?」

 

 「そうじゃねえよ。加害者がこっち側なのは承知だし、憤懣やるかた無えのもわかる。ただそろそろ落とし所を見付けてやっちゃあくれねえかって話だ。仰天しちまってんのはこっちも同じなんだよ」

 

 一輝に向けていた舌鋒の勢いそのままに一真に食らいつくステラ。恐らくは熱しやすいタイプなのだろう。最初こそ諭すような論調だった一真の言葉も、それにあてられるように徐々に鋭さを増していく。

 そろそろまずいか、と黒乃は判断した。

 一輝も慌てた様子で一真を制そうとしているようだが、しかし一真が退く様子は一切ない。こうなってくると話が終わることはないだろうし、そろそろ一国の姫を相手に越えてはならないラインが見えてきそうだった。

 

 「やれやれ、ならこうしろ。これからヴァーミリオンと黒鉄で模擬戦を────」

 

 「んぅもぉぉおぉ~~~~! アッタマに来た~~~ッッ! ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()痴漢を働いておいて、しかも居直り始めるなんて! こんな………こんな屈辱初めてだわッッ!

 なんて最低の国なのかしらここはッッ!!」

 

 もはや殺気さえ宿した灼眼を見て、まずい、と一輝は背筋を凍らせる。

 しかしその危機感の発信先はステラではない。

 その物言いとその態度は、()()()()()()()()()()()()()────!!

 

 

 

 

 

 「皇女だってんなら、その口から出てくる言葉の重みにも気を遣えよ。

 

─────()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 空気が、凍った。

 皮肉にしても狙いどころが悪辣すぎるその一言に一輝は顔を引き攣らせ、さしもの黒乃の目を剥いた。

 ぴたりと口を閉じたステラだが、それは一真の一言で我が言動を省みたわけではない。

 沸点を振り切れて逆に冷静になっただけだ。

 

 「その言葉、どういう意味を持ってるかわかってるのかしら?」

 

 「わかってるつもりなんですけどねえ。俺は皇族みたいな教育は受けてないんで、もしかしたら解釈違いがあるかもしれませんねえ。

 念のためその口からご教授いただいてよろしいですか?」

 

 およそここまで喧嘩腰の丁寧語もないだろう。

 謝罪でも弁護でもなく完全に戦闘態勢に入った一真は、60cmを越える身長差の高みからステラを睥睨する。

 突沸しかかっているステラの心は、あと少し触れてしまえば憤怒という形で爆裂してしまうだろう。バックドラフト寸前の彼女は、感情のない平坦な声で黒乃に問うた。

 

 「理事長先生。今さっき、模擬戦と言ってましたよね。これはどちらの意見を通すかを戦って決めろ、ということでいいんですか?」

 

 「………ああ。それで正しい。使うなら第3訓練場を使え」

 

 「わかりました。じゃあ、アタシはその案に賛成します。アンタは?」

 

 「来るなら受けよう。俺が勝ったら──」

 

 「ああ、いい。別にいいわ。アンタのそれは言うだけ無駄よ」

 

 一真の口にしようとした要求を、ステラはかぶりを振って遮った。

 それが意味するところとは、つまり勝利宣言。

 そして彼女がこの決闘で要求するものは、汚された祖国の名誉そのものだった。

 

 

 「アタシが勝ったら、アンタ腹を切りなさい。

負けたその場で、アタシが見てる目の前で」

 

 

 一輝がなんとか仲裁しようとするも時既に遅し。ステラは静かな足取りで理事長から出ていった。

 逆鱗に触れたとは思えない静かな挙措だが、しかし彼女の怒りは刻まれている。カーペットや床が、彼女の靴跡の形に焦げ、溶解していた。

 青褪める一輝と頭を抱える黒乃に、一真は何1つ悪びれることなくのたまった。

 

 「悪い。やらかした」

 

 「……本当にな。これで本当に国際問題に発展したら、この学園の処遇はまず地の底に落ちるぞ」

 

 「大丈夫でしょう。俺が腹ァ切んのが条件ってことは、逆に俺1人で事が収まるってことだ。最低な国とか平民どもとか言ってたが範囲はきっちり1人に絞ってた辺り、あれでちゃんと物を考えてたのかも知れませんね」

 

 「カズマ。僕を庇ってくれたことには礼を言うけど、いくら何でも今のはマズすぎる。模擬戦の結果がどうなっても、改めて謝るべきだ」

 

 「いや、庇うとかそんなんじゃねえよ。……意見ってのは強い奴のものほど通りやすいもんだ。俺にも曲げたくねえモノを貫くだけの力はあるさ」

 

 じゃあ行ってくる、とひらひら手を振りながら一真も部屋を出ていった。

 この場における最高責任者である黒乃は重苦しい沈黙にのし掛かられながら深い溜め息を吐く。

 

 「……理事長を就任するにあたって過去の情報には目を通してはいたが、あの男、まさかここまでやらかすとはな」

 

 「雑に言ってしまうと、凄く身内贔屓なんですよね。仲間や友達と認めた人には情に厚いけど、()()に対しては恐ろしく攻撃的ですから」

 

 「ヤンキーの気質だな。噛みつく相手や噛みつき方は考えてもらわねば本気でまずいことになるぞ」

 

 「そうですね。やり過ぎるきらいは大いにあるし、間違いなく改めなければならない部分は確かにあります。だけど、僕は彼の人となりが好きだし、全面的に肯定していますよ。

 ………去年の僕は、確かに彼の暴力に救われていましたから」

 

 ……知っている。

 自分から情報を集めた黒乃でなくても、今年から新しく入学してくる1年生以外は全員がその大事件を知っている。

 学園内での固有霊装(デバイス)を用いた、喧嘩とも呼べぬ私刑の蹂躙。

 この学園の一部を除いた全ての人間を、()()()()()()()()()()

 

 (聞こえは正しい主義主張があるとはいえ、その力の振るい方を間違えれば、待っているのは破滅だぞ。……王峰一真)



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4話

思えばステラのまともな戦闘シーン書くの初めてです。


 幼い頃のステラは、まともな騎士になることすら不可能と言われていた。

 強すぎる彼女の能力は、あろうことか彼女自身の身体すらその灼熱の炎で焼いたのだ。

 父も母も、周りの誰もがステラは騎士にはなれないと思っていた。

 だが───それでも、ステラは諦めなかった。

 自分の身すら焼くこの力は、優れた魔導騎士としての才であることを理解していたからだ。

 ヴァーミリオン皇国のような小国にとって、強い伐刀者(ブレイザー)の存在はとても大切なものだ。

 かつてのWW2(第2次世界大戦)で、極東の小国だった日本を戦勝国に導いた大英雄『サムライ・リョーマ』のように、小さな国は強力な魔導騎士の存在によって、初めて大国と対等に渡り合えるのだから。

 

 だからステラは諦めずに、周りからどれだけ反対されても修行を続けた。

 少しでも操作を誤ればたちまち暴走するフォーミュラカーのような力の制御に習熟し、伐刀絶技(ノウブルアーツ)妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》をものにするまでに3年もの月日を費やした。

 何度も大火傷を負った。

 何度も挫けそうになった。

 ───それでも努力を重ねて、ここまで来た。

 全ては愛する祖国を守るため。大好きな皆が安心して笑える今と未来を作るため。

 

 そんな何よりも大切な自分の宝物を。

 この男は。

 この男は。

 

 「…………消し炭にしてやる」

 

 低く呟き、ステラは戦闘フィールドに足をかけた。

 定められた開始位置まで歩みを進めるその先には、彼女にこれまでの人生の中で最大級の怒りと殺意を抱かせた大男がいた。

 

 

     ◆

 

 

 魔導騎士が国家の戦力としての側面を持つ以上、当然戦闘技能が求められる。国家間の戦争はもちろん、伐刀者(ブレイザー)としての力を悪用する《解放軍(リベリオン)》を始めとする犯罪組織などに対抗するためにこれらは必須だ。

 故に破軍学園の敷地にはいくつものドーム型闘技場が点在しており、その内の1つである第3訓練場の中心に王峰一真とステラ・ヴァーミリオンの姿があった。

 レフェリー(黒乃)を挟んで20mほどの間を開けて対峙する両者を、いくつもの視線が見つめている。

 春休み中に突然決まった模擬戦にしては数が多い。

 鳴り物入りで入学した超新星(スーパールーキー)ステラと、()()王峰一真が戦うという知らせは、生徒たちの興味を強烈に惹き付けたのだ。

 

 『あの子がヴァーミリオンの《紅蓮の皇女》かー。すっげえ美人じゃん』

 

 『綺麗な髪……。まるで燃えているみたい……』

 

 『……てか、あれ?なんか皇女様怒ってねえか?王峰の奴、()()何かやったのか……?』

 

 『おいバカっ、聞こえるだろ!』

 

 ものの見事に真っ二つの評価だった。

 あちこちから漏れ聞こえてくる一真の評判に、ステラは呆れたように息を吐く。

 

 「アンタ、随分とやらかしてるみたいね。力の振るい方とか責任とか学ばなかったわけ?」

 

 「学んだよ。学んだ上で、自分の信条に基づいて、やらかした。恥じる事なぞ何もない」

 

 「あっ、そ。ああまで啖呵切っておいてその良識なら、生まれも育ちもお察しかしら」

 

 「生まれの方は否定しねえよ。育ちの方は好きだけどな」

 

 あからさまに悪意を吹っ掛ける物言いに、一真は軽い調子で答えていく。さっきまでの完全な喧嘩腰から一転した涼しげな対応に、あしらわれているような感覚を覚えたステラはさらに眉間の皺を深くした。

 彼の変化の理由はわからないし、わかる必要もない。

 目の前の男を焼き尽くす燃料が追加された。

 それだけだ。

 

 「それではこれより模擬戦を始める。双方、固有霊装(デバイス)を《幻想形態》で展開しろ」

 

 黒乃が号令を出した直後、フィールドの片方を熱を帯びた極光が照らし、もう片方を鮮やかな紫が覆う。

 それは、伐刀者(ブレイザー)の魂を具現化させた固有霊装(デバイス)

 様々な形態をとって伝説や伝承で語られる『魔法の杖』。

 その名前を呼ぶのを合図に、2人の元に魂の武具が顕現された。

 

 

 「(かしづ)きなさい。《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》!!」

 

 「()(なら)せ。《プリンケプス》」

 

 

 幻想形態───人間に対してのみ、物理的ダメージではなく体力を直接削り取る形態。

 だが、そこに込められた熱量は本物だ。

 誇りを汚した愚者に報いを。

 己の発言を泣いて悔いるように、伏して詫びるまでに圧倒的な蹂躙を。

 

 「よし。………では、試合開始(LET's GO AHEAD)!」

 

 こうして、天才騎士と問題児の戦いは始まった。

 試合開始の合図と同時、炎を纏う大剣を構え───まずは、ステラが突っ掛けた。

 

 

     ◆

 

 

 開幕と同時にステラは一真に走り寄り、裂帛の気合いと共に炎を纏う一刀を振り下ろす。

 大振りな一撃だ。だが恐ろしく鋭い。

 それを見た一真はこれを最初から受け止めようとはせず、バックステップで余裕をもって回避する。

 瞬間、空振ったステラの大剣が床に叩き付けられ、ずおんっ!!と───訓練場そのものが激震した。

 

 (っ……馬鹿げてやがんな。伐刀絶技(ノウブルアーツ)じゃねえ、純粋なパワーでこれかよ)

 

 背筋に寒気を伝わせる一真。

 ステラは空振った大剣を構え直し、距離をおいた一真に対してさらに追撃をかける。

 

 「変わった形の霊装(デバイス)ね。甲冑型にしては中途半端だけど」

 

 「中途半端だからもう(ブーツ)で通してるよ。能力的にもその呼び方のが合ってるしな」

 

 暴風のように振るわれる大剣から滑るように逃れていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 両脚を爪先から腿の半ばまで覆う細身なデザイン。

 彼の『靴』という表現に合わせるならば、鋭角な装甲を重ねて作られたサイハイブーツとでも言えばいいだろうか。

 形状から予測される攻撃手段は、『蹴り』。

 

 (あまり間合いの有利は当てにしないほうが良さそうね)

 

 何せあの身長だ、脚も長い。

 大剣の方がリーチは長いが、少し踏み込まれれば蹴りの射程圏内に収まってしまう。何より彼については何の情報も持っていないのだ、普通ならまだお互いに探り合う段階だろう。

 ───だが問題ない。どうすれば相手を完膚なきまでに叩き潰せるか、彼女の才能は知っている。

 

 (最大出力の《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》で圧殺してやる………ッ!!)

 

 危険を感じて一真が遠ざかった瞬間、ゴオッッッ!!!と、彼女を中心に炎の海が広がった。

 燃え盛る火炎をドレスのように纏い、放たれる熱は10メートル以上離れているはずの一真の()の中を焼く。

 その光景を見て一真は、ニュースで聞いた彼女の二つ名を、ある種の感動すら覚えながら思い出していた。

 

 

 「………《紅蓮の皇女》、だったか」

 

 

 まさに天才。もはや天災。

 刃と共に襲い来る火炎の嵐に、一真は今度は退かなかった。

 己の勝利は、あの炎獄の中にある。

 眩いほどの熱光に、彼の姿が呑まれて消えた。

 

 『うおおっ、王峰が呑まれたぞ!?』

 

 『終わったか!? そうじゃなくても無事じゃねーだろこれ!!』

 

 感情としては目の前で人が火口に落っこちたのを目撃したのと同じだろう。

 悲鳴のような歓声を掻き消すように、火の海は妃竜の罪剣(レーヴァテイン)を中心にうねり荒れ狂う。

 だが、その発生源であるステラは強く歯噛みしていた。

 

 (こいつっ、私の炎をただの魔力防御で……っ!!)

 

 《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》の温度は摂氏3000度。爪を防がれても、妃竜はその威光だけで敵を焼き払う。

 ───なのに、目の前の男はびくともしない。

 一真の全身は紫の魔力に包まれていた。魔力を放出し単純な障壁として用いる、技とも呼べない単純な技術だ。だが、ただそれだけで《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》を防ぐなど!

 つまりこの男は自分と同等。しかし己の誇りを汚した男に己の鍛えた技が通じないという事実は、ステラのプライドを大きく沸騰させた。

 炎の渦に身を任せ舞うように剣撃を躱し続ける一真に、ステラは一際大きな炎を纏わせた一撃を振るう。

 この上さらに火力が上昇したことに驚愕しつつ、一真はしかし落ち着いてそれを回避する。

 

 その直後に、ステラの姿は消えていた。

 

 「!?」

 

 炎に紛れたか、と素早く周囲に目を走らせるも、彼女の姿はどこにもない。ならば上か?いや、地面に影は落ちていない。

 となると、────後ろ!

 この刹那に背後に回り込むとは、埒外の魔力量による補強は流石に並ではない。速やかに迎撃するべく、一真は素早く後ろを向く。

 

 そして、確かに彼女は一真の背後にいた。

 ゆらりと空間を揺らめかせ、後ろにいるはずの相手に対処しようと身体を翻した一真のその後ろに、透明化を解除したステラが現れる。

 

 《陽炎の暗幕(フレイムベール)》。

 熱で光を屈折させ、己の姿を見えなくさせる技。

 彼女はその場から1歩も動いていない。ただ炎に紛れて透明になり、自分が高速移動したかのように見せかけていただけだ。

 一真が己が謀られた事を理解すると同時、ステラは持てる全力の全てを爆発させる。

 空振った一撃で地を揺るがすほどの力が、人間1人の脳天を目掛けて振り下ろされた。

 

 「ハァァアアアアアアァアアアッッ!!」

 

 轟音。

 1回で耳をオシャカにしそうな音の爆発がリングの中央で発生した。

 広がった衝撃は周囲の炎を自ら消し飛ばし、何とか防御を間に合わせた一真も大きく弾き飛ばされ、十数メートルも靴底で床を削りようやく停止する。

 

 圧倒的な膂力。これが《紅蓮の皇女》。

 あの王峰一真でも抑えることは不可能。

 もはや言葉を失った観衆の共通した感情はそんなところだが、しかしステラは耐え難い違和感に襲われていた。

 

 (……アイツ、アタシの剣を防御した?)

 

 ステラの一刀に対して、一真は上半身を前に倒しつつ脚を後ろに跳ね上げ、妃竜の罪剣(レーヴァテイン)の刃を下から蹴り飛ばし防御。返ってきた衝撃を下半身の関節全てで柔らかく殺した。それでも殺し切れなかった力には逆らわず、わざと飛ばされることで距離を取りつつ安全に受け止めたのだ。

 言葉にすれば理論が通るが、しかし前提が違う。

 ステラの扱う剣技───《皇室剣技(インペリアルアーツ)》による一撃は、問答無用で相手を叩き潰す剣。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「危ねえな……そんな真似も出来んのかよ。魔力の量といいチカラの応用の幅といい、マジで()()()()()()()な」

 

 イッキと()った経験が無きゃ食らってたかもな、と。

 圧倒的な技巧で剛力を封殺してみせた一真は受け止めた脚をぷらぷらと振りつつ、目を見開いているステラを見遣る。

 

 

 「でも、まァ、問題ねえ。リズムは掴んだ。

 ─────ぼちぼち、俺も踊ろうか」

 

 

 「言うじゃないの。叩き潰してやるわ!」

 

 第六感の鳴らす警鐘を振り払うように叫び、ステラは再び豪火を纏う。

 迫り来る炎の奔流を前に、一真はここで初めて構えを取った。

 背筋は芯を通したように直立。両脚を外旋させ、それぞれの爪先は完全に左右の外側を向く。

 右足の土踏まずに左足の踵がぴたりとくっつき、肘を曲げた両腕は腹に物を抱えるようにゆるくカーブを描く。

 武術としては奇怪で、窮屈そうな構えだ。

 しかしその構えは、その直後に大きく羽ばたくためのものである事をステラは知っている。

 それは本で、テレビで、誰もがどこかで見覚えがある形。

 この構えは────

 

 (バレエ──────?)

 

 そして、一真の攻撃が始まる。

 

 

 「(アン)

 

 

 右脚による回し蹴り。

 妃竜の罪剣(レーヴァテイン)の横腹を蹴り飛ばし、斬撃の軌道を大きく逸らしてステラに隙を生み出させる。

 

 「(ドゥ)

 

 その勢いのまま身体を回転、今度は左脚による後ろ回し蹴り。

 それは顔や胴体を狙ったものではなく、ステラの顎の先端を掠めるように鋭く捕らえた。その衝撃でボクサーのように脳を揺さぶられたステラの意識が瞬間的に落とされ、その身体がガクンと沈む。

 

 そして。

 

 

 「─────(トロワ)

 

 

 ゴヂャッッッッッ!!!と。

 先の攻撃による身体の回転を増幅して脚に乗せた破城槌のような前蹴りが、ステラの顔面ど真ん中を撃ち抜いた。

 

 「ブッッ───────がぁあっっ!?!?」

 

 吹き飛ぶのではない。倒れた。

 顔面に壊滅的な破壊力を受けたステラの身体が棒のように、恐ろしい勢いで後ろにブッ倒れ、後頭部からリングの床に叩き付けられる。

 ───何!? 何が!? 攻撃された!?

 外傷の心配がない《幻想形態》といえど痛覚はそのまま。強制的に意識を取り戻したステラが見たものは、倒れた自分に向けて振り下ろされる、魔力を纏った一真の踵だった。

 

 咄嗟に横に転がった直後、落ちてきた一真の足がステラの腹があった場所を踏み抜く。

 それはまるで先の意趣返し。

 一真の蹴りと能力をまともに食らった第3訓練場が、大きく縦に揺れた。



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5話

 「………っ!!」

 

 痛みで意識が覚醒していなかったら躱せなかった。今の一撃、もし受けていたらそこで終わっていたかもしれない。慌てて立ち上がると同時、ステラは大きく距離を取る。

 止めの1発を直前のクリティカルヒットから間髪入れずに回避され、一真も驚いたようだ。

 

 「……トバすつもりで蹴り抜いたんだけどなァ。流石に無意識の魔力障壁もとんでもねえな」

 

 余裕とも取れるその調子に瞳に屈辱の炎を滾らせるステラ。それを見た一真は、彼女に対する評価をもう1つ上げた。

 顔面の痛打は頭部に対するダメージもさることながら、最も効果的に相手の気勢を挫く。まして意識を失った瞬間の不意打ちとも言える1発を食らったのだ。そこで意識が戻っても普通は怯んで動けない。

 しかしステラはそれを受けてなお即座に次の行動に移った。

 心が強い。そして、強い痛みに慣れている。

 

 「よぉし───じゃあ行こうかァ!」

 

 吼えると同時、一真はステラに向けて全力で踏み込んだ。床が爆ぜる音すら置き去るような速度で一瞬にして開いた距離を潰し、その速度をそのまま脚に乗せて激烈な蹴りを繰り出した。

 対するステラはその蹴りを剣で受けた。剛力無双の彼女の身体に、久しく味わったことのない己と比する膂力が襲いかかる。

 重撃に抵抗し踏ん張らせることでステラをその場に縫い止めた直後、一真のラッシュが始まった。

 

 その動きはまるで舞踊、まるで舞踏。

 長く丈高い体躯と両脚が、縦横無尽にダンスを踊る。

 

 

 『『うおおおおおおおおおっっっ!???』』

 

 両脚を唸らせる一真と受け止めるステラ。

 ギ────────ッッッ!!!という金属音の連続は、速度が速すぎて最早一繋がりになって聞こえた。

 一見すれば拮抗して見える状況だが、余裕がないのはステラの方だ。

 

 (まるで激流の中……蹴りなのに攻撃の回転数がボクシング並みに(はや)い!! どういう鍛え方してんのよコイツ!?)

 

 蹴り足が視認すら危ういのもそうだが、何よりも()()()()()。蹴って戻してまた蹴るという、動作の大きいプロセスのどこにもタイムロスが存在しないのだ。

 完全に繋ぎ目がない(シームレス)

 一撃一撃が鉄柱の鞭とでもいうべき破壊力を持つ蹴りが全方向から反撃を差し込む間もない頻度で襲いかかってくるのだ、やられる側はひとたまりもない。

 

 「ぐっ、うゥッ!!」

 

 破裂するような音を立てて、ステラの頬と脇腹に2発の蹴りが炸裂した。

 

 (反撃しようとした瞬間を潰される! リズムを掴んだ、って、まさかコイツ───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、そして更にこれだ。

 一真がいま連発している蹴りは体重を乗せて蹴り抜く『仕留める蹴り』ではなく、脚を引き戻す速度を重視して相手の身体を弾くように当てる『ダメージを与えて削る蹴り』だ。

 故にステラが本気で魔力強化を施したパワーとスピードをもってカウンターをかければ、彼を押し返すには充分。 

 

 だが、実行しようとする度にこうして出鼻を潰される。

 舞い踊るような見慣れないモーションが戸惑いと僅かな反応の遅れを生み、そこから切り崩されていく。

 

 「シィィィィイイイイイイッッッ!!!」

 

 鋭い呼気と共に、一真はさらに蹴りを撃ち続ける。

 反撃の隙は与えない。ヒットの回数は段々と増えてきている。一真の有利はもう観衆でもそうと見て取れるほどに決定しつつあった。

 こうなれば後は時間の問題。

 ここぞという瞬間に全力の一撃で終わらせれば───

 

 

 「……ま、終わんねぇよな。そりゃァ」

 

 

 明らかに手応えの変わった蹴り心地を受けて、一真は少し嬉しそうに笑う。

 直後襲い来る無双の一太刀が、一真がいた場所を叩き潰した。

 莫大な圧力すら放つ剣圧。危なげ無く回避したはずの一真は2度目の冷や汗を流す。1回でも掠れば終わりが見えるその威力は何度見ても慣れることは無さそうだ。

 切れた口に溜まった血をステラは台詞と共に吐き出す。

 

 「───好き勝手やってくれたじゃないの。次はアタシの番よ」

 

 轟音と爆炎の軌跡を残し、ロケットのような勢いでステラが一真に猛攻をかける。

 炎に焼かれないよう魔力を纏い一真はそれを迎撃。初めの太刀を掻い潜りながらその腹に爪先をめり込ませる。

 が、無効。ついさっき顔面に受けたのと同じ痛恨の一撃を柔らかな部位に食らっても、ステラは小揺るぎもしなかった。

 それどころか。

 

 「熱っつ!?」

 

 さっきまで魔力で防げていたはずの熱波がモロに一真を襲った。たまらず退いて逃れた彼を、ステラはさらに追い打つ。

 元より格下とばかり戦わざるを得なかった彼女は追い打つ戦いに長けている、こうなればもう戦いの主導権は彼女にあった。

 

 ステラの全身は今、紅蓮の球体の中にある。

 

 平均の30倍もの魔力量を誇るステラの、最大出力の魔力障壁。

 圧倒的な膂力を生み出す無尽蔵のエネルギーは、防御に回れば途端に鉄壁の要塞へと姿を変える。まして彼女の能力は『炎』。こうなった彼女に攻撃することは太陽に触れようとすることと同じ。攻撃など通るはずも無いし、そもそも近付いた時点で焼き尽くされる。

 一太刀。一真が逃げる。距離を詰められる。

 もう一太刀。一真が退く。また詰められる。

 触れられもしない防御力を恃み、持てる全てを攻撃に費やしたステラ全力の攻勢は、瞬く間に獲物を追い詰めていく。

 シンプルだ、と一真は思う。

 そしてそれで正しい。

 圧倒的な力を持っているなら、シンプルに圧殺するのが1番強い。彼女はそれを、本能で理解している。

 

 だが、忘れてはならない。

 彼もまた単純な圧殺を最も得意とする、高き所に住まう怪物である事を。

 

 

 「────じゃァ、俺も、本気(マジ)だ」

 

 

 ズオッッッ!!!と一真の身体から紫色の魔力が吹き荒れた。

 受動的な防御ではない。相手を食い破らんとする暴力的な放出はまずは己を蝕み続ける超高温の熱波を捩じ伏せ、一真はステラへと大きく踏み込んだ。

 しかしステラは動じない。

 真正面からの削り合いなら上等。力の総量なら絶対に負けない。

 

 持っている才全てで潰す。 

 そう考えているのは一真も同じ。

 伐刀絶技(ノウブルアーツ)を発動した彼の脚は、一撃必沈の鉄槌と化す。

 

 

 「《制覇の馬蹄(クアドリガ)》」

 

 

 策も何もない。

 相手めがけて、ただ全力で蹴る。

 (ひづめ)の役割そのままに、ステラが纏っていた魔力障壁が、()()()()()()()()()()()

 

 「な」

 

 障壁を潰した一真の蹴りはそのままステラの腹部に直進。突き刺さった靴底から激甚な衝撃が突き抜け、重心ごと吹き飛ばされたステラの身体が軽々と宙を舞う。

 ごっそりと体力を奪われた彼女だが、しかしまだ終わってはいない。障壁に阻まれ蹴りの速度が僅かに鈍った隙に、間に左腕を挟んで致命傷を防いだのだ。

 しかしもうこの戦いで左腕は使い物にならないだろう。片腕と引き換えに戦闘を続行する事を選んだステラに、再び一真が突撃する。

 

 「しゃあァっ!!」

 

 ステラが地面に着地するよりも早く落下地点に回り込み、まだ空中にいるステラをボレーシュートのように蹴り飛ばした。

 なんとか剣で防いだステラだが空中で踏ん張りが利くはずもない。その勢いのまま地面に叩き付けられ、リングの上をバウンドした。

 攻撃がとんでもなく重い。──否、()()()()

 魔力による身体強化だけでは説明の付かない感触。それに自分の全力の魔力障壁をああもあっさりぶち抜いた事から考えても単純な破壊力では説明がつかない。

 

 ───ともあれ、もはや認めるしかない。

 近接戦闘では分が悪い。

 さらに追撃をかけようと迫る一真にステラは《妃竜の息吹(ドラゴンブレス)》に更に魔力を込め、更なる炎を刀身に纏わせ、そしてそれを撃ち放った。

 

 「喰らい尽くせ! 《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》!!」

 

 振るわれた切っ先から迸る炎は瞬く間にある生物の形を成す。

 それは────竜。

 触れるだけで万物を融解させる炎竜が蛇のように長い身体をのたくらせ、乱杭歯の並ぶ巨大な顎門にて一呑みにせんと一真に迫る。 

 

 だが、その牙が彼を捕らえることはない。

 激突の寸前、一真は跳躍して《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》の鼻先に()()。そのまま炎竜の身体の上を、()()()()()()()()()()()()()()

 

 さしものステラも絶句した。

 今まで打ち破った者はもちろん受け止めた者も存在しなかった、現状の自分が持つ遠距離攻撃の中で最大威力の伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 それがあろうことか足場扱いにされたのだ、彼女の衝撃は推して知るべしだろう。

 

 「アンタ───一体なんなのよその力は!?」

 

 「『(とう)()』だよ」

 

 そしてその動揺は、とうとう彼女に動揺の証となる疑問を叫ばせるに至った。

 一真はそれに短く答えつつ、炎竜の胴体を蹴って空中から直接ステラに接敵する。

 

 「言ってみりゃあらゆる障害を『踏み越え』、『踏み破る』チカラだ。つっても概念干渉系だし、言葉や字面じゃ分かりにくいわな……、っ?」

 

 一真の言葉が一瞬詰まった。

 空中から落下速度もプラスして放った蹴りを、ステラは大剣ではなく、使い物にならなくなった左腕で受けたのだ。

 腕を突き抜けた破壊力がまたもステラを襲うが、彼女はその場で踏ん張って気力とタフネスで耐え抜く。そして自由なままの右腕で一真の蹴り脚を挟み、腋に抱えるようにがっちりとホールド。

 ───ここに来て、ステラは一真を捕まえた。

 

 「もう逃がさないわ……喰らいなさい……!!」

 

 臓腑が潰れる脂汗を滲ませステラは笑う。

 一真の背後から、膨大な熱量を放ちつつ火炎の竜が迫ってきていた。

 《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》はただ竜を模した炎の砲撃ではない。敵を喰い千切るまでどこまでもどこまでも追い縋るよう命令された怪物だ。

 そしてこれこそがステラの策略。

 技が当たればそれでよし。当たらなければ次の攻撃を死ぬ気で耐えて相手を捕まえ、背後から竜が灼熱の牙で喰らう。

 ボロボロになってもいい。当たれば勝てる。

 

 ……そう。当たれば。

 

 一真はステラに捕まっ(支えられ)ている脚を土台に身体を反転、捕まっていない逆の脚を振り上げる。

 眼前には竜の顎。

 振り上げた脚には紫に燃える『踏破』の力。

 主の怒りを顕すように猛る顎門の鼻面を一真は、全力で、踏んだ。

 

 「伏せてろ。トカゲ」

 

 一言。

 振り下ろされた杭のような一撃が《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》の頭を床に縫い付け、そのまま轟音と共にリングごと砕き潰した。

 逆転を賭けた技と策を正面から叩き潰され、ステラの思考に一瞬の空白が生まれた。

 そこを見逃さず一真は動く。着地と同時にステラのホールドを振りほどき、()()()()()()()()()()。超変則的な軌道でステラの背後に回り込む。

 慌てて対応しようとした時にはもう遅い。

 

 「────《屈従の刻印(セルウス・シニュム)》」

 

 ガゴンッッッッッ!!!!!と。

 規格外の長身から落ちてくる踵落としが、紫の尾を引いてステラの脳天を直撃した。

 それで、終わり。

 頭部への痛打をまともに受けたステラが、呻く声も無く潰れるように崩れ落ちる。

 

 『うわ痛ったぁ……! お姫様大丈夫なのかこれ……』

 

 『ヴァーミリオンさんも凄かったけど、やっぱり王峰くんが強すぎたね……』

 

 『もう終わったろ、立てねえってアレ。ヤバい倒れ方したぞ』

 

 静寂の後にざわめき始める観衆の声の中、一真はステラに背を向けて目線を切る。

 勝利の喜びは無い。

 彼女には口に見合う以上の実力があり、自分は通したい意地を通した。それでいいし、それが全てだ。

 

 「強かったぜ。皇女様」

 

 称賛の言葉を1つだけ残し、一真は出口に向けて歩き出す。そういえば自分が勝ったときの要求を言えてないままだな、と思ったとき、ふと違和感に気付いた。

 なぜ、理事長(審判)は自分の勝利を宣言しない?

 

 『……お、おい、あれ……』

 

 全てを理解して勢いよく後ろを向いた瞬間、熱風が一真の顔を叩いた。

 消えた炎が再び灯る。

 ふらふらと頼りなく揺れる身体に鞭打って、ステラ・ヴァーミリオンはもう1度立ち上がっていた。

 

 (いや立てるのかよ………!?)

 

 本気で終わらせるつもりの一撃を耐えられ、想定以上に想定外のタフネスに一真も言葉を失う。

 満身創痍でなお彼女の目は死んでいない。

 緋色の瞳でしかと一真を見据え、ステラは初めて目の前の相手を無礼な敵から越えるべき壁であると認めた。

 

 「………名乗りなさい。今更だけど」

 

 「王峰一真。Aランク」

 

 「そう。強いわけだわ。……でも、関係無い」

 

 ぎし、と《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を握る手に力が籠る。

 

 「カズマ、アンタだけは絶対に倒す。アタシの国を軽んじたことを、這いつくばって謝らせてやる。アタシの誇りを汚した罪ごと、───アタシの炎で焼き尽くしてやる!!」

 

 己の叫びに鼓舞されるように、ふらついていたステラの身体が再び芯を取り戻す。

 それは彼女にとって本当に譲れないものなのだろう。汚された誇りに怒り吼える彼女を見て、一真は不満そうにぼやいた。

 

 「……その理由で怒れるのなら、俺が苛ついた理由もわかってくれるだろうによ」

 

 呟く言葉は届かない。

 そしてステラはまだ動く腕で大剣を天に高々と掲げた。

 その瞬間。

 

 「────蒼天を穿て、煉獄の炎」

 

 剣に宿る炎がその光度と温度を一層猛らせ───もはやその在り方を炎ではなく光の柱に変え、ドームの天井を貫いた。

 100メートルを優に超える光の刃。

 太陽の光そのものとすら言える滅死の極光。

 戦域全てを焼き払う《紅蓮の皇女》が誇る最強の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を前に、一真は微塵も揺らがなかった。

 

 「……十万億土を踏み荒らせ」

 

 ───そして、一真の《プリンケプス》も爆発的な光を放つ。

 鮮やかに白んだ紫が両脚から翼のように吹き荒れ、込められた魔力量に固有霊装(デバイス)そのものが熱された鉄のような光を持つ。

 両脚から地面に入り続けている蜘蛛の巣のような割れ目は能力の影響だろう。彼の魔力は今、ただ在るだけで影響を及ぼす程に密度を高めていた。

 

 『な、何だこれぇぇええ!?』

 

 『滅茶苦茶すぎる……、これで2人とも同じ人間だってのかよ……!』

 

 『やれやれ。どうあってもこの訓練場を壊したいようだな』

 

 観客の学生たちは悲鳴を上げて逃げ出し、黒乃は崩れゆく訓練場を見て苦い顔をする。

 激突とその決着は直後に訪れた。

 一真は地面を蹴り砕きながら天高く跳び上がり、ステラは訓練場を縦に焼き切りながら光の刃を振り下ろした。

 全力で空を蹴り、揃えた両脚を前に紫の尾を引き真っ直ぐステラへと落ちていく一真の姿は、まるで流れる星のようで。

 

 

 込められた力の全ては誇りのために。

 振り下ろされる極光と天より(きた)る彗星が、全霊をもって衝突した。

 

 「《天壌焼き焦がす竜王の焰(カルサリティオ・サラマンドラ)》───!!!」

 

 「《万象捩じ伏す暴王の鉄槌(フリーギドゥム・メテオリシス)》ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 勝敗は決した。

 爆轟を伴う数秒の拮抗の後、とうとう極光の刃を踏み潰した()(はく)の彗星が、その勢いのままにステラへと着弾。

 これが《幻想形態》の試合でなければどれほどの惨状が産み出されただろうか。恐ろしい衝撃と激震を撒き散らし、破壊の蹂躙を受けたステラの意識が今度こそ闇の中へと沈んだ。

 声を上げる者のいない暴力的な静寂の中、彼の勝利を告げる黒乃の審判が空しく響く。

 

 歓声は上がらない。声を出すこともできない。

 完全に粉砕された訓練場。石のリングに深々とめり込んだステラに背を向け退場していく大男の背中を、いくつもの畏怖の眼差しが追いかけていく。

 

 王峰一真。

 彼が《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》の二つ名を戴く理由を、彼らは骨の髄まで理解させられていた。




文章量を削りたい……


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6話

     ◆

 

 「んっ……」

 

 浮上した意識を照らすように、じんわりと視界に滲んだ白い光がステラの覚醒を促した。

 目を開けると、映るのはずいぶんと低い天井と───

 

 「目が覚めたか。ヴァーミリオン」

 

 ステラが横たわるベッドの側に座り、煙草をふかしているスーツ姿の黒乃だ。学生寮は禁煙じゃなかったかと起きぬけでぼやける意識のどこかが冷静なツッコミを入れるが、それを注意する気は今は起きなかった。

 

 「ここは……」

 

 「君の部屋だ。倒れた原因はあくまでも《幻想形態》のダメージによる極度の疲労で、外傷がある訳ではないからな。医者やIPS再生槽(カプセル)を使うような事態ではないから、自室で休ませていたんだよ」

 

 紅をさした唇から、紫煙と共に受け入れ難い事実が吐き出される。

 ……という事は、あれは現実にあった事なのだ。

 夢だと思いたかったが、そう都合よくはいかないらしい。

 才能で負け、策も潰され、切り札はまるで切れやしなかった。

 そう───自分は、敗北を喫したのだ。

 よりによって己の誇りを汚した男に、言い訳もできない完膚無きまでの惨敗を─────

 

 「…………………ッッッ!!!」

 

 「落ち着け」

 

 シーツをきつく握り締め、歯を食い縛り震えながら燐光を漏らし始めたステラを黒乃が宥める。

 流石に感情の二次災害で部屋を燃やす訳にはいかない。過熱した心を冷ますように大きく息を吸って吐き、何とか自分を落ち着かせる。

 

 「……はぁ。久しく忘れていたわ……負けるって、こういう気分だったわね」

 

 「君が戦ったのはこの学園の校内序列1位の男でな。君の器量も大概だが、あれも負けず劣らずの傑物だ。経緯はどうあれ負けを恥じる事はない」

 

 「それでも、素直に『そうですね』とは言えません。アタシの大切なものを馬鹿にした奴に、あそこまでボコボコにやられるなんて……っ」

 

 「……大切なもの、か。では教師らしく、中立の立場から物を言ってみようかな」

 

 決闘に負けたせいでぶり返しているのだろう、未だに屈辱が収まらない様子のステラを見て、やれやれと黒乃は首を振る。

 

 「王峰の隣にいた男、黒鉄一輝という名前なんだがな。『黒鉄』という名字に覚えはあるか?」

 

 「? あんな庶民の事、アタシが知るはず……」

 

 唐突に何の話だろうか。

 ない、と否定しかけて、しかし1人だけその名字に心当たりがあった。

 武を志す者でなくとも、授業で教科書を開けば必ずその名前と功績が記されている男───

 

 「まさか……『サムライ・リョーマ』ですか!?」

 

 「そう。第二次世界大戦で日本を戦勝国へと導いた《大英雄》黒鉄龍馬……黒鉄の曾祖父にあたる人物だ。つまり黒鉄一輝も名家の出なんだよ。

 そしてその黒鉄の家の分家に『王峰』という家があってな、王峰一真はそこの()息子だ。

 幼い頃からの仲らしい。奴にはお前の言い様が、友達を侮辱したように聞こえたんだろうさ」

 

 「……でしょうね。冷静になって思い返せば、アタシも随分と言い散らかしてましたから」

 

 そう考えて改めてこれまでの経緯を思い返してみれば、全面的に自分が被害者とは言えなくなっていることに気付く。

 覗きの件は完全な事故で、2人は最初からこちらに非があったと頭を下げていた。そこに自分は感情の昂るまま言い募り、行き着いてしまった先がこの決闘。まして黒乃の話を聞いた後だと尚更にお互い様、誰の悪意も無かったはずなのだ。

 つまり………

 

 「全面的に理事長先生のせいじゃないの!!」

 

 「聞こえんなあ」

 

 教師らしく、と言った舌の根も乾かぬうちに大人の汚さを炸裂させる黒乃。

 うー、と全身から納得できませんオーラを放つステラの矛先を逸らすように、彼女は話題を強引に変えた。

 

 「そうだ、その王峰だがな。予定してた訓練が潰れて動き足りないとか言って、黒鉄を模擬戦に誘っていたぞ。黒鉄もそれを承諾して、ついさっき始めたようだ」

 

 「え?」

 

 ステラの思考が一瞬止まる。

 模擬戦に誘った?

 序列1位のAランクが、留年生のFランクを?

 そして……それを、受けた?

 

 「見に行くか? そうするならすぐにさっきと同じ訓練場に行くといい。()()()()()()()()()、すぐに終わってしまうぞ」

 

 

     ◆

 

 

 どちらが勝つにせよという、まるでFランクがAランクに対して勝つ目があるような言い回し。

 普段なら冗談として一笑に付すような文言だが、しかしあの男は言っていた───『黒鉄と()った経験が無かったら』、と。

 つまり黒鉄一輝は、自分より遥か格上なはずの相手にそう言わしめる程の経験を与える『何か』を持っていることになる。

 黒乃の言葉にただならぬ何かを感じたステラは全力で走った。

 途中自分の存在に気付いて写真を撮ったり声をかけようとしてくる者には目もくれず、暴風のような勢いで一直線に第3訓練場を目指す。

 

 そうして彼女は辿り着いた。

 入り口を駆け抜け階段を駆け上り、円形のリングを見下ろす観客席の手すりにぶつかるように停止したステラが見たものは────

 

 

 ───今の自分では着いていけない、遥か上の次元の戦いだった。

 

 

 『うおおおおおっ、凄ぇぇえええ!!』

 

 『おい、あいつFランクの留年生じゃなかったのかよ!? 王峰と互角じゃねえか!!』

 

 『嘘でしょ……あんなに強い人がいたの……!?』

 

 自分の時は全力ではなかったのだろう。魔力の軌跡を残しながらリングで舞い踊る王峰の動きは、さっきよりもずっと(はや)い。 脚を振るう度に能力の余波を受けた大気が鳴動し、地面を擦るだけで周囲が抉れる。瞬く間に無惨な変化をする地形の中で、尚も彼は淀みなく踊っていた。

 そしてその周囲を蒼い稲妻が駆け回っている。

 あの光の正体は魔力の光で、つまりあの稲妻の正体は黒鉄一輝なのだろう。

 なのだろう、とステラが微妙に確信できていない理由は単純。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 「《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》」

 

 いつの間にか隣に立っていた黒乃がそんな事を言った。

 

 「黒鉄の伐刀絶技(ノウブルアーツ)だよ。自分の脳にある生存本能のリミッターを破壊して、1分間だけ自身の全てを数十倍にまで高める技だ。言葉にする度に正気を疑うな」

 

 「脳のリミッターを、破壊……!?」

 

 「曰く『100メートルを本当の全力で走るとしたら、走り終わった後に意識を保っているのはおかしい』、だそうだ。

 奴はとことんまで才能に恵まれなかった。努力だけでは才ある者にはいつまでたっても追い付けない。……だから、あいつは修羅になったのさ」

 

 天才だって努力している。

 だから才能のない身で努力しようが、差は広がることはあっても縮まりはしない。

 その事実から決して目を逸らさないまま、そうして彼は行き着いた。

 狂気と呼ばれる修練の果て、非才が天才と渡り合う、60秒間のシンデレラ。

 武を修める身として、ステラはそれに戦慄を覚える。己の本能すら屈服させるなんて、同じことができる人間がこの世に何人いる? いや、いない方が自然なのだ。

 では、何があの男をそうまでさせる──?

 

 「はぁぁあああああああああっっ!!」

 

 「シイィィィイイイイイイッッッ!!」

 

 スピードは一輝の方がやや勝っていたが、武器によるリーチの有利は皆無。1つ間違えば即敗北に至る蹴りの暴風を、一輝はこれ以上ないというタイミングで防いでいく。

 意地でも見逃すまいと目を皿のようにするステラはそこで気付いた。

 あの一真の蹴りは自分も喰らった『弾く蹴り』だが、その両脚は《踏破》の魔力を纏っていた。そうなるとその蹴りは防げない。防御しても()()()()()()()のだ。恐らくは『仕留める蹴り』よりも貫通力は弱いだろうが、それでも強大な衝撃を身に受けるはず。なのになぜあの男は防御を成功させている!?

 

 (そうか……ただ受けてるんじゃない。同じように脚の側面を弾いて逸らすように受けて、衝撃の方向を狂わせてるんだわ!!)

 

 脚を当てて引き戻す瞬間に自分も同系統の技をぶつけ、攻撃の矛先そのものを狂わせる攻撃的な防御。しかし一真としても、その防ぎ方は嫌と言うほど身に受けてきた。

 だから紛れ込ませる。

 『弾く蹴り』と全く同じモーションで、防御不能の本気の蹴りを叩き込んだ。

 

 「ッッッ!!」

 

 それを、一輝は刀で受けた。

 蹴りと能力の二重の衝撃(インパクト)を、一輝は力に逆らわず、全身を脱力させて丸ごと後ろに受け流す。それでも大きく後ろに吹き飛ばされた一輝を追いかけ、一真は更に追い討ちの蹴りを放つ。

 それと同時に、一輝は逆に前に出た。

 刀は刃の根元と柄の尻を掴み、抱えるように固定する。身体全体でぶつかるように突き刺す構えだ。急接近することで蹴りがジャストミートする間合いを外し、さらに身体の横に添えた刀で蹴りが変化しても防御が可能。

 

 完全に行動の虚を突いた完璧なカウンター。

 それを一真は、放った蹴りを易々と引き戻し、くるりと回転して流すように躱した。

 爪先を軸にした回転運動……そう、バレリーナの動きだ。

 

 2人の位置関係が逆転する。

 突進をいなされた一輝は一真に対して背中を晒し、そして一真は既に攻撃準備を終えている。

 回転運動から脚を高々と掲げ、そして一輝の脳天に振り下ろされたのは、1度ステラを沈めたあの踵落としだった。

 

 (決まっ───────)

 

 決まって───いない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一輝は一真の《屈従の刻印(セルウス・シニュム)》を、最小限の動きで回避した。

 轟音を上げてリングが砕かれるのと同時、一輝は一真の腰を斬りつけた。

 最も回避がしづらい場所への攻撃を一真は跳びすさって躱すが、その動きがガクンと止まる。まだ地面から離れる前の一真の足を、一輝が踏みつけて地面に縫い止めていたのだ。

 

 ────最後の激突が始まる。

 

 バランスを崩した一真に、最後の好機と一輝が猛然と斬りかかる。

 しかし一真は自由な脚で空を踏みその推進力で足の拘束から脱出、一輝の頭上に踊り上がりあらぬ角度と方向から一輝の頭を砕こうとする。

 死角からのその攻撃を、またも一輝は読んでいた。

 僅かに後ろにステップして頭を狙った蹴りを躱し、そして彼も跳ぶ。脚が伸びきる刹那を突いて、一真の胴を断つべくその太刀を鯉が滝を登るが如く振り上げて─────

 

 

 

 決着はついた。

 やむなく両腕で受け止めたのだろう。一真の両腕には、一輝の刀が前腕を通過して上腕まで斬り落とすように深々と食い込んでおり………そして一輝の後頭部には、一真の踵が突き刺さっていた。

 

 一真は障壁を張った両腕を盾にして一輝の剣の速度を鈍らせ、刹那の時間を稼いだ。その間に蹴り終わって伸びた脚を折り畳み、一輝を膝の裏で挟むようなその動きで踵を彼の後頭部にぶつけたのだ。

 一輝も蹴って伸びた脚の側から至近距離まで接近し、蹴られないポジションに入り込んで斬るという周到さを見せたが……一真は規格外の長身だ。脚もそれに見合う位には長い。

 サイズが大きいということは、それだけ大量の筋肉を搭載できるということだ。それにAランクの魔力強化と《踏破》の力を合わせてそれなりの強さで、しかも後頭部という急所に当てさえすれば、大抵の伐刀者(ブレイザー)はそれで沈む。

 馬鹿正直に蹴らなくてもいい。体格と能力、恵まれた2つの天稟を掛け合わせた不意打ちであった。

 警戒の外から喰らった頭部への一撃は、一輝を沈めるには充分。

 受け身も取れず地面に落下した一輝は、心から悔しそうな笑みを浮かべて声を絞り出した。

 

 「………届かなかった、か………っ!!」

 

 「……おう。……今日は、俺の勝ちだ」

 

 そして響く審判の声。

 今日2回目の己の勝利を告げる声を聞き、一真は大きくガッツポーズをした。

 しかし、またも歓声は上がらない。

 ランクだけで考えれば順当な結果。しかし《幻想形態》でなければ両腕が落ちているほどの深手を学園の絶対王者に負わせ、勝利を喜ばせるほどに追い詰めた彼を思った通りの結末だと笑える者は誰1人としていなかった。

 

 「王峰の方は身をもって実感しただろうが、黒鉄も黒鉄でハンデ戦とはいえこの私に勝っている男だ。見ての通り、2人とも現時点で()()が勝てる相手ではないよ」

 

 「……はい、よくわかりました。……だけど解せません。アタシは皇族ですから、国家にとって強い魔導騎士の存在がどれだけ大切なものかよく知ってます。そしてそれは国家に魔導騎士の育成を任されている学園にしても同じでしょう。

 あれだけ戦える人間を、どうして留年させたんですか?」

 

 「ふふ、やれやれ。なかなか痛いところを突いてくる」

 

 ステラの指摘に、黒乃が苦笑いを浮かべた。

 

 「やっぱり、何か理由があるんですね」

 

 「まあな。………下らない、学園の建前だよ」

 

 

 そうして黒乃は全てを語った。

 名家に落ちこぼれとして生まれた一輝がどんな扱いを受けているか、その圧力で学園が彼をどう扱ったか……聞くだけで人間の善性を疑うような、黒鉄一輝のこれまでを。

 それを聞いた瞬間、ステラは自分の胸の中に焼けるような憤りを覚えた。

 

 「家名を守るために学園の規定すら曲げさせて、卒業すらさせないように……ッ? それが親の、教師のすることなの!?!?」

 

 「残念ながらそういう人間はいるんだよ。私が着任した際に、その手のクズは徹底的に排除したが……それであいつの1年が帰ってくる訳じゃない」

 

 しかし、と。

 

 「それでもあの男は腐らなかった。無力と謗られ、理不尽に潰され、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……そうして辿り着いたのが、あの光景だ」

 

 差し伸べられた一真の手を意地を張るように叩いて拒否し、一輝はふらつきながらも自分の足で立ち上がる。

 すると、今度は一輝の方から手を差し出した。

 その手の形が求めているものは、握手。

 どこか嬉しそうに苦笑した一真がそれに応じた時、思い出したように上がる歓声と拍手に包まれた彼らは、紛れもなく『対等』だった。



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7話

 「…………、」

 

 「上を目指したくてここに来たのなら、まずは黒鉄の背中を全力で追いかけてみろ。きっとお前の人生において無駄にはならないはずだ」

 

 「アイツじゃなくて、ですか?」

 

 「王峰はいつか乗り越えるべき壁、といったところかな。苦い敗北や屈辱を知らなかっただろうお前に初めてそれを与えた男だ。今よりももっと強くなってから、熨斗でもつけて返してやれ」

 

 黒乃の促すような言い回しに明確な答えを返せないステラだが、その理由を理解できている黒乃はそれ以上何かを言うことはしない。

 彼女の道だ。彼女が決めるべき事だ。

 

 「……とはいえ、お前はまだ黒鉄を知らない。せっかく同じ部屋なんだ、自分で確かめてみるといい。……その後でそれでも相部屋が嫌だというなら私に言え。VIP待遇で特別に1人部屋を用意してやる」

 

 そう告げると、黒乃はその場から去った。

 戦っていた2人も既に退場しており、観客たちは今の試合の感想を話しつつ三々五々に散っていく。

 ……まずは話そう。そして、黒鉄一輝という男を知ろう。

 かくして少女は、己の望み通りに世界の広さを知る。誰もいなくなったリングを見つめるステラの心は、確かに高鳴っていた。

 

 

     ◆

 

 

 (……アタシは、決して弱くない)

 

 寮への帰路を歩きつつステラは考える。

 流石に世界で1番強いなどと自惚れてはいないが、並みの強者程度に圧倒されるほど弱いとも思っていない。

 つまりはそれだけ王峰一真が圧倒的で……そして、黒鉄一輝も同じくらいに強い。

 理事長先生が黒鉄を追いかけてみろと言った理由がわかった気がした。

 言ってみれば王峰一真の強さは才能と努力……つまりは自分と同じ方向性の強さだ。

 しかし、黒鉄一輝のそれは違う。

 才能はない。そしてあれは努力なんてものじゃない。地獄の鬼が泣いて逃げるような狂気の責め苦であったはずだ。

 だからこそ、気になる。

 あらゆる理不尽に屈さず、自分を信じ続けられる強さの根源が知りたい。

 

 「……クロガネ、イッキ」

 

 そんな事を考えている内に、ステラは先に一輝が帰っているはずの自室の入口に辿り着く。

 何故かこみ上げてくる緊張を振り払い、ステラは黒乃の能力によって壊れる前まで()()()()ドアの鍵を開こうとして……

 

 (あれ、ドアが開きっぱなし)

 

 ドアが完全に閉まりきっていないことに気付いた。

 やはり先に帰ってきているようだが流石に心身ともに疲弊しきっているのだろう、どうやらドアを閉めきれなかったことに気付いていないようだ。

 これは話を聞くのは明日にした方が良いだろうかと思案しながらステラはドアを開き部屋に上がる。ワンルームに繋がる廊下の先にあるドアはきちんと閉じられており、

 

 その先では、黒鉄一輝が着替えていた。

 

 「~~~~~~っっっ!?」

 

 思わず叫びそうになった口を慌てて閉じる。

 ワンルームに繋がるドアには縦に細長い窓が嵌め込まれているデザインで、その窓から一輝の様子が見えるのだ。それを通して彼女が目撃したのは、一輝がこちらに背を向けて部屋着に着替えようとしている瞬間だった。

 

 (えっ、これ、ど、どうすれば……)

 

 どうするもこうするも着替え終わるまで待っていればいいのだが、悲しいかな初めて家族以外の異性の半裸を目撃しテンパった彼女にそれを思いつくキャパシティは存在しない。

 目を逸らすこともできずあわあわしている内に、ステラが見ている中で一輝は制服の上を脱ぎ捨てた。

 そこから露になるのは、鍛え抜かれた男の肉体だ。

 

 「ぁっ……」

 

 か細い声がステラの喉から漏れる。

 筋骨隆々とは言えない線の細さから溢れる鋼のような力強さが、ガラスを挟んだ遠くからでも理解できた。

 でも、ここからではよく見えない───半ば無意識のままステラは足音を殺してドアのガラスへと近付いていた。

 

 (えっ、あ、アタシ何を……!?)

 

 一瞬冷静になりかけたが、直後に一輝が下着のシャツを脱ぎ捨てたことでそれもどこかに吹き飛んだ。

 筋肉が作り出す陰影が、女性である自分とはまるで別物。騎士として鍛えているからわかる、あの肉体を造り上げ維持するのは並大抵の困難ではないはずだ。こうして改めて見てみると、本当に鍛え抜かれた肉体で……

 

 ……いや待て。

 これ、言い訳できないレベルで覗きじゃないか?

 

 (お、おあいこよ、おあいこ……! こいつだって、アタシの下着姿を許可なく見たんだから……!)

 

 まさかの覗き続行である。

 そして最後まで冷静な意見を投げつけてくれたなけなしの自制心も今、一輝が制服の下を脱いだことで吹き消されてしまった。

 奇しくも今朝とは立場が逆転している今、もしかしたら彼もこんな気持ちだったのだろうかとステラは思う。

 心臓の音がうるさい。身体が熱い。下腹に感じたことのない疼きを感じる。

 知りたい。触りたい。

 彼の志が結晶化したような、あの肉体に触れてみたい。

 

 (ハァ、ァ……アタシ、どうしちゃったんだろ……)

 

 背中や腿の裏だけでなく、いっそこちらを向いて腹や胸板も見せてはくれまいか。

 茹だる脳味噌は意味ある思考を成してくれない。

 手を伸ばせば届くんじゃないか、とステラはそっとドアのガラスに指先で触れ────

 

 きぃ、と後ろから小さく軋む音が鳴った。

 一応は疚しいことをしている自覚があったステラはそれに敏感に反応、戦闘中と同レベルの反射で背後を振り向いた。

 

 

 王峰一真が、そこにいた。

 

 

 ドアのガラスに張り付いているステラを目撃して、規格外の長身を屈めて入口を潜ろうとしている姿勢で動きが止まっている。手に持っているビニール袋の中身はなんだろうか? もしかしたら一輝に差し入れでもしに来たのかもしれない。

 そして彼の身長ならば見えているはずだ。

 ドアに嵌め込まれた細長い窓の向こう、ステラの身体に遮られていない上部分のガラス越しに、一輝が着替えている姿が。

 そして察したはずだ。彼女がそこに張り付いて、何を見ていたのかも────

 

 「「……………、……」」

 

 時間が、止まった。

 ステラを見つめる一真の顔は、完全な『無』。

 呆れるでも糾弾するでも理由を問うでもない、ただ見る側が己の心情を投影して相手が抱いている感情を勝手に判断するような、鏡のような『無の表情』だった。

 熱に浮かされた心身に氷水をぶっかけられたステラの顔がみるみる青ざめていく。

 一真は最後まで何も言わなかった。

 ただ彼は無の表情を浮かべたまま、持ってきたビニール袋をそっとその場に置いて─────

 ───ぱたん、と静かに玄関のドアを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 「か、カズくん!? 今さっき何か絹を裂くような悲鳴が聞こえたけど何があったの!?」

 

 「知らん。もう知らん」

 

 自室に戻って早々に厄介事の心配をしてきた()()()()()()に投げ遣りな返事をしつつ、一真はどかりとベッドに腰を下ろす。しかし相手はそれで引き下がるような性格ではない。ひどくうんざりしたような彼の顔を覗き込み、尚も彼女は詰め寄った。

 

 「ほら、やっぱり何かあったんだね? 正直に話してみて。私は怒らないから」

 

 「………皇女様の弱味を握った」

 

 「(なん)ばしよっとね!?!?!?」

 

 「怒らないっつったじゃん!!!」

 

 子供の親が頻繁に用いるトラップに綺麗に引っ掛かる一真。

 昔から母親気質だったが、やらかしが多い自分に対してはさらに心配性なのだ……言い訳なぞ出来るはずもない身の上なれど、事あるごとにこの調子なのはそろそろやめて頂きたい。

 それに皇女様の名誉のために詳しい説明を省いたという良心的な配慮も考慮してほしいところだ。

 

 (……にしてもなァ)

 

 ステラとの模擬戦の後で明らかになったことだ。

 “実力の近い者同士で男女関係なく相部屋にする“という黒乃の取り決めは、当然ながら一真にも当てはまる。

 ランクだけで考えるならステラと同室になるのが自然なのだが、彼女は黒乃の考えで一輝とペアになっている。

 となると校内序列1位である彼とペアになるのは必然的に彼らを除いた実力者、つまり『2番手』である訳で………

 

 「……まさかここに来てお前と同室になろうとは……」

 

 「ふふ、私もびっくりしちゃった。何だか昔を思い出すね」

 

 校内序列2位、《雷切》東堂(とうどう)(とう)()はくすりと笑う。

 学園の3年生、一真の1つ上。一真が腕っぷしではなく、なんか根本的な所で敵わないと幼い頃から常々思わされている人物だった。

 

 「ステラさんとの模擬戦見てたよ。また強くなってたね」

 

 「良くも悪くも1年間鍛練漬けだったからなァ。訓練相手にも恵まれてたし、あの位の成果は出さなきゃ嘘ってもんだ」

 

 「わかってた事だけど、後悔は無さそうだね」

 

 「そりゃな。自分で選んだ道だ」

 

 知ってるよ、と刀華は微笑む。

 やってきた事は笑い事ではないし、それについてはもう散々怒ってきたが、しかしそれでも彼が彼のままブレないことが嬉しいのだ。

 同じ場所で育ち、同じ師に習い、そしていつの間にか自分がその背中を乗り越えたいと願うようになった彼が変わらず強いままなのが、とても嬉しい。

 

 「……カズくんから見て、ステラさんってどうだった?」

 

 「ん? あァ、環境が悪かったなと思う」

 

 ステラとの戦いを思い返しつつ、一真は己の見解を述べる。

 

 「今まですげえ努力してきてんのはすぐわかったけど、やっぱ同等かそれ以上に強い奴が近くにいなきゃどうやっても伸びには限界があんだろ。もちろんナメてる訳じゃァねえけど、今のままなら……まァ何回()っても全部勝てるかな」

 

 「そっか。強かったけどカズくん的にはまだまだ、って感じなんだね」

 

 

 「………いや。正直、怖くもあった」

 

 

 低く、静かに彼は言う。

 

 「魔力のコントロールも剣術の冴えも並みじゃねえし、引っ掛からなかったとはいえ攻め方の発想もかなり良かった。加えて正面からじゃ受けれもしねえ馬鹿みてえなパワーを持っていやがる。ありゃ実力不足とはちょっと違うな、ただポテンシャルが空回ってるだけだ。

 もしここで鎬を削れる相手と学び続けて、経験値と素質がガッチリ噛み合ったとしたら………そうなりゃもう、勝てるかはわかんねえ」

 

 それを聞いて刀華は僅かに目を見開いた。

 彼にはその率直な物言いを見込んで戦った相手の批評を聞いてみることがある。彼自身が相当な強者なため内容は悪い点と良い点が大体8対2くらいなので、ここまで相手を褒めるのは珍しかったのもあるが、違う。

 初めてだったからだ。

 彼が能力や技術ではなく、相手そのものに『怖い』という表現を用いたのが。

 

 「………うん。この1年間、楽しくなりそう」

 

 そう呟き穏和な笑みを浮かべた彼女の瞳の奥に刃物のようにギラつく野蛮な光を見て、一真の背筋に戦慄が走る。

 黒鉄一輝やステラと同じ。己の強さに絶対の自信を持ち、その上でさらに上を目指す、自信と野心に溢れた光で。

 それは恐らく、自分が宿すことは無いだろう光だ。

 

 「という訳で、カズくん。改めて1年間よろしくね。今はちょっと水を開けられてるけど、私はこの最後の年でカズくんを追い抜く気でいるから覚悟しておいてほしいな」

 

 そう差し伸べられた手を握り返そうとして、ふと躊躇った。

 時折考えるのだ。

 自分は才能に恵まれたと思うし、誇ってもいいくらいには強くなったとも思う。

 だけど自分は、彼女とは違う。

 “親なしの自分たちでもすごい人間になれるんだ“と身をもって示し続けている彼女の手を……自分が育てられた場所で暮らしている子供達に笑顔と勇気を与えるために強さを志す彼女の手を、どこまでも自分1人のために強さを求めてきた自分が握り返す資格はあるのだろうか、と。

 少しの躊躇いを挟んで、一真は刀華の手をとった。

 彼女とは違い、自分の原動力は決して高潔ではない。だけど少なくとも強ささえあれば、彼女の決意に応えることはできるはずだと信じて───

 

 

 「……じゃあ1年間よろしくするためにも、とりあえず下着一丁で昼寝とかはやめてくれ。何度か見ちまった事あるけど、あれマジで目に毒なんだよ」

 

 「こっ、こん流れでなしてそげん(こつ)言えると!?」

 

 僅かに生じた胸の曇りを、最後にちょっと茶化して誤魔化した。

 

 

 かくして波乱に満ちた1日は幕を降ろし。

 始業式まで、あと3日。




生徒会長、敬語じゃないと違和感ありますねぇ


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《七星剣武祭》予選編
8話


 まだ時刻は早朝、校舎の裏手にある森の広場。

 2人分の集中力に張り詰めた空間の中に、ぜえぜえと荒っぽい喘鳴が入ってきた。

 

 「はぁー! はぁー! ゴール………ッ」

 

 「あ、おつかれさま─────うわっと!」

 

 20キロメートルのランニングを終えたステラに労いの言葉をかけた瞬間、一輝はバランスを悪くして逆立ちしていた場所から落っこちた。紙一重で釣り合っていた重心がぶれ、一輝を支えていた『足場』も同様に崩れ落ちる。

 

 「……まだまだ集中が足りないな。他所に意識をやっただけで崩れてちゃ駄目だ……ステラ、大丈夫?」

 

 「おお……。3日目にしてもう着いてくるとは」

 

 「と、当然、でしょ……っ」

 

 汗を拭く余裕もないほど疲弊しきっているくせに、彼女も見上げた根性だ。

 一輝に手渡されたスポーツドリンクのコップに何やら戸惑いつつも顔を赤くして口をつけているが、彼女が今まで己に課してきた鍛練は本物だったのだと一真は改めて理解する。

 

 ステラと一真の決闘の翌日から、ステラも2人の朝の鍛練に参加するようになっていた。

 

 彼女にとっては激動の連続であった事だろう。

 鍛練初日、一輝と一真のランニングのペースに着いてこれず、ステラは途中で倒れた。

 そしてその日の昼、彼女は改めて一輝に模擬戦を申し込み、一輝はそれを快諾。初っぱなから惜しみ無く魔法を使い全力で挑むも、一輝の()()()()()()()洞察力と剣術、そして《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》を前に敢えなく斬り伏せられる運びとなった。

 それでさらに負けん気に火が着いたか、2日目のランニングではオーバーペースでステラは吐いた。

 ………しかし、今日。

 大きく、大きく遅れてではあるが、ヘトヘトになりながらも見事ステラは走りきってみせたのだ。

 

 「ぜぇ、はぁ……けどアンタたち、本当に普段からあんなバカみたいなペースで走ってるの? これランニングなんでしょ?」

 

 「いや、最初は普通にランニングしてたんだぜ? けどある時、イッキがペースを上げて俺を追い抜いてきたのが始まりでな。何となくムッときて抜き返したらまた追い抜いてきやがったから、そっからヒートアップしてもうコレよ」

 

 「常時全力疾走って訳じゃないけど、いつの間にか競走になっちゃったんだよね。ペース配分とかコース取りとか、そういう駆け引きも生まれてきちゃってさ……」

 

 「負けず嫌いって素敵よね……。ところで、それはどういう鍛練なのかしら? アタシが来るまでイッキもやってたみたいだけど」

 

 そう言って、ステラは興味深げに一真を見る。

 説明がなければサーカスの練習か何かだと思うだろう。そのくらい奇妙な光景だった。

 1つ1つと積み上げられた、形も大きさもバラバラな石。微風が吹かなくても倒れそうな粗雑な石の塔の上に、一真は立っていた。

 片足の爪先立ちでぐらつく事もなくぴたりと姿勢を保つ、奇跡的なバランスで成り立つ曲芸だ。びっしりと浮かんだ汗を見れば、それを為すのにどれだけの体力と集中力を費やしているのかは容易に見て取れる。

 

 「魔力と身体の制御を鍛える訓練だよ。カズマが自分の戦い方(スタイル)を磨いているうちに思いついたらしい」

 

 「魔力と身体の制御を?」

 

 「そう。ああやって形や大きさがバラバラなものを積み上げて塔を作り、その上に乗るんだ。乗っている所に触れられるだけの魔力を放出しながらね。

 僅かにバランスを崩しても落っこちるし、魔力を放出する量や向きが狂っても塔が崩れて落っこちるから難易度が凄くてね。1つの欠点を除けば理想的な訓練だって彼の師匠からもお墨付きを貰っていたよ」

 

 「1つの欠点って?」

 

 「まずああして石を積めるようになるための訓練が必要なこと」

 

 「ああ……」

 

 「最初のコツは手に持った時の形と重さの感覚だな。パッと見で重心のある位置を見極める目を養えば大して難しくねえよ」

 

 僕は3ヶ月くらいかかったけどね、と苦笑いを浮かべる一輝の前で難しさの権化みたいなことを言いながら一真は石の塔から降りる。

 しかし彼が乗っていた石の塔は依然としてバランスを保ったまま。つまり彼は今の動作においても全く無駄な力を入れてはいなかったのだ。彼の巨躯では一輝よりもバランスを取るのに要する技術がずっと大きく求められるはずだ。

 発案した側と後から教わった者の差か、魔力と身体の制御に限れば一真に一日の長があるようだった。

 

 (アタシもこれをやれるようになれば……)

 

 「そう、それとな、皇女様。短いけど、ちょっとあんたに言わなきゃならん事がある」

 

 「アタシに? 何よ」

 

 「理事長室での事だ」

 

 ぴくり、とステラの眉が動く。

 空気が俄に剣呑さを帯びるが、またいつかのように戦いの火蓋が落とされるようなことはない。

 あるいは戦いの前に友に受けた忠告の通り───遅れながらも一真は、ステラに頭を下げた。

 

 「言うタイミングを逃してたんだが……悪かったな。あん時、あんたの故郷を馬鹿にするような事を言って」

 

 「……お互い様よ。水に流しましょ」

 

 そのやり取りを見た一輝は心から安堵した。

 自分にとってはどちらも大切な友人だから2人にも仲良くあってほしいというのも勿論だが、実力と鍛練が物を言う生活がこれから始まるのだ……彼ら程の実力者がどこかで反目し合ったままなんて、()()()()

 

 「さて、もうそろそろ準備した方がいいか。流石に汗まみれのまま始業式に出るのはな」

 

 「そうだね。……始業式、か」

 

 一輝はその言葉を心の中で噛み締める。

 1年目は何のチャンスも与えられないまま、全てが過ぎ去っていった。

 だが今年は違う。新理事長である黒乃のもと、全ての生徒にチャンスが与えられる。堪え忍び待ち続けようやく到来した好機なのだ、一輝にとっては感慨深いものがあるだろう。

 ───ただし。

 新たな始まりに到来したものが、皆等しく希望であるとは限らない。

 

 

 「そういや前にチラッと聞いたけど、お前の妹も入学してくるんだったよな」

 

 

 こちらに背を向けたままの何の事はない一真の言葉に、高揚しつつあった彼の心は一気に硬直した。

 

 「連絡取ったりとかはしてねえのか? お前の話を聞くかぎり、アイツはお前の唯一の家族だろ」

 

 「……いや、実家を飛び出したきりご無沙汰だよ。まして去年は色々とあり過ぎたから心配させるのも悪いと思ってね……勘のいい子だから、もう色々と察しはついてるだろうけど」

 

 「まァそうでなくとも先に入学したはずの兄貴が自分と同学年だったらおかしいと思うわなァ。じゃあ今年は何の心配もないってとこ見せてやんねえと」

 

 「カズマ。あの」

 

 「心配すんなって。あん時はともかく、今はもう()()()()()なんて気はねえよ……時間ってのは偉大なもんだ」

 

 何かを言おうとした一輝を遮り、先に戻ってるとだけ言い残して一真は学生寮へと戻っていった。特に説明することもなく去った一真とどこか緊迫した様子の一輝を交互に見て、ステラは何となく声のボリュームを落として一輝に訊ねる。

 

 「そういえば妹がいるって言ってたわね。アイツと知り合いなの? 随分と穏やかじゃない間柄みたいだけど……」

 

 「うん。まだ小さかった頃にカズマとひどい喧嘩をしてね。兄としてはできる限り庇ってあげたかったけど、それすら出来ないような結末になってしまった。

 それから今まで顔を合わせる事もなかったから、2人は話も出来ず終いなんだ」

 

 「それは(こじ)れてそうね……。でもアイツはもう終わった事と割り切ってるみたいだったわよ? 事情はよく分からないけど、かなり昔の話なんでしょ?そこまで気にする必要はないんじゃないかしら」

 

 「どうだろうね。確かに彼がこの事について声を荒げたのはその喧嘩の時と、それについて僕が謝った時だけだから。……だけど、折り合いを付けることと怒りを消すことは、全くの別物だ」

 

 あの事件について一輝に直接的な関わりはない。

 だが無関係だと割り切るなど出来るはずもない。あの事件は彼らの家に根を張ったある種の呪いと、()()()()()()()()()()()()により引き起こされたものなのだ。

 そんな彼の境遇にどこか共感している部分もあるのだろうか。

 彼の歩き去った方向を、一輝は哀しそうに見つめていた。

 

 「“終わった事“なんかじゃないんだよ。……カズマはそれで、その後の人生そのものを歪められてしまったんだから」

 

 

     ◆

 

 

 「じゃあみんな、これから1年、全力全開でがんばろーーーーっ! はーいみんなで一緒にえいえい・おブファ─────ッッ!!

 

 「「「 ゆ、ユリちゃぁぁあん!?!? 」」」

 

 (あーやりやがった)

 

 もはや見えていたオチに一真は片手で顔を覆う。

 《七星剣武祭》予選の説明を終え、新入生を祝うためにテンションが独走状態になっていた担任・折木(おれき)有理(ゆうり)のポンプが如き吐血で初日のホームルームはお開きとなった。

 幼い頃から吐血は1日1リットル、3度の飯より薬を喰らい、日本一の医者である薬師キリコも黙って首を横に振ったとか振らないとか……そんな人生終末期医療(ターミナルケア)でなお強者たるまで己を鍛え教壇に立つその根性には畏敬の念を禁じ得ない。

 逆風吹き荒んだ去年、教師としては唯一こちら側に経ってくれた人でもあるため、彼にとっては数少ない尊敬できる大人なのだ。

 

 「……『命に別状はない』っていう本人談は信じていいものかな?」

 

 「そこを疑いだしたらもう棺桶に叩き込むしか選択肢が無くなるぞあの人は……」

 

 生けるゾンビを保健室へと担ぎ込んだ一輝と一真はひどく微妙な顔で、また血を吐く音が聞こえた気がしなくもない保健室に後ろ髪を引かれながら教室へと戻っていく。

 

 「いよいよ始まるなァ、《七星剣武祭》予選。試合のスパンに少なくとも1日の猶予があんのはお前にゃ幸運だったな」

 

 「本当にね。《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》は1日1回限定だからね。カズマやステラと戦う時に使えませんなんて事になったら、もう勝負にすらならない」

 

 「……つーかよ。もう帰っていいらしいって伝えたらさっさと教室出ねえ? 視線がすっげえ刺さるんだよ」

 

 「そうだね。僕らが留年生ってことももう知れ渡ってるみたいだし、どう接していいかわからないんだろうね……君の場合は間違いなく顔と身長のせいだと思うけども」

 

 そんな他愛のない会話をしながら教室に戻った時だった。

 

 「せーんぱっぎゃふん!?」

 

 「おっ?」

 

 誰かが突然進行方向に飛び出てきたが、高身長ゆえ前にいるその誰かが見えておらず、足を止めることが出来なかった一真が思い切り誰かにぶつかった。

 彼にとってはままある事。注意が足りなかったなと反省しつつ、尻餅をついて腰をさすっている女子生徒を助け起こす。

 

 「いやすまん、気付かなかった」

 

 「いえいえ、こちらこそいきなりごめんなさい……それよりもっ!」

 

 がばっ! と一真よりもかなり低い位置でその女子生徒が顔を上げる。

 日下部(くさかべ)加々美(かがみ)と名乗り、先輩がたのファンであると公言したその女子生徒に見せられたものは、一真や一輝たちの決闘の映像だった。

 これがどうやらまとめサイトにアップされお祭りになっているらしく、そしてとりわけ話題になっているのが一輝であるらしかった。

 

 「私、実は新聞部を作ろうと思ってるんですけど! 《紅蓮の皇女》を読んで字の如く一蹴した《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》、それと互角に渡り合った《落第騎士(Fランク)》! って感じの記事で記念すべき壁新聞の第1号を飾りたいんですよ!」

 

 「ふぅ~ん、よかったじゃない。()()()()で。取材受けてあげたら? ()()

 

 「い、いや、モテているわけでは……」

 

 「ふふ、でも先輩ってマジで今すんごい注目されてるんですよー? 特に女子に!」

 

 「ええっ、な、なんで?」

 

 「だって先輩ってすごく強いじゃないですか────」

 

 変に固くなる必要がないとわかったからか、いきなり他の女子にも絡まれ始めた一輝から一真はそっと距離を取る。女慣れしていないせいでタジタジになっているようだが()()のダシにされた一真が仲裁を入れようはずもない。同じように引き立て役にされたステラと共に事のなりゆきを白い目で見守ることにした、その時だった。

 

 「おう先輩。ちょっと俺らともお話しましょうや」

 

 不機嫌そうな男子生徒が数名ズカズカと前に出てきた。どうやら一輝が女子の注目を浴び続けているのが気に入らないらしい。彼らが大声で主張するには、一輝がステラや一真と戦ったあの映像はインチキであるそうだ。

 傍観するつもりでいたものの、そこまで言われては流石に黙ってはいられない。

 

 「オイ、そりゃお前が判断する事じゃねえだろうが。俺も皇女様も全力でカチ合ったんだ。その戦いの結末に泥を塗るんじゃねえよ」

 

 「あー先輩、いいんすよ? こんなFランクなんかに気ぃ遣ってやらなくても! 俺らは普通Aランクの人があんな事にはならねえってわかってますから!」

 

 ………ああ、こういう人種か。

 やたらと馴れ馴れしく媚びるような態度で接してくる男子生徒たちに対して、一真の心に青筋が浮かぶ。

 こいつらを黙らせ、自分が留年した理由を教えてやるのは容易い。

 だが、それでは意味がない。

 ここで自分がしゃしゃり出てしまっては、黒鉄一輝の不名誉は(すす)がれない。

 

 (……ここは我慢だ)

 

 そう思い衝動に蓋をしたのは正しかった。

 その後の何気ない一輝の一言が癇に障った彼らが霊装(デバイス)を抜いて襲いかかり、そして一輝はそれを霊装(デバイス)なしで手玉に取ったのだ。

 

 「仲良くしようよ。これから同じクラスで、一緒に勉強していくんだからさ」

 

 「………っっ!」

 

 もしかしたら一輝だと適当に自分が引き下がって終わるんじゃないかと思っていたのだが、カクカクと頷く男子生徒を見て、一真は自分の判断が正しかったことに安堵した。

 多分去年の自分なら当てはしなくとも足が出ていたと思うし、そう考えられるようになったのも進歩ではないか?

 

 (俺、成長してんなァ……)

 

 うんうん、と1人感慨深げに頷く一真。

 これならば今後も冷静に対応できるだろう。

 始業式前にもうやらかしている気がしなくもないが、多分もう大丈夫だ。

 そう、誰が相手でも─────

 

 

 ぱち、ぱち、ぱち、と拍手の音。

 誰もがその方向を振り向く中で、一真1人だけがそちらを見なかった。

 だから姿は見ていない。だけど理解できる。

 あれは、間違いなく“あの女“であると。

 

 「雑魚を寄せ付けない圧倒的な強さ。流石ですわ────お兄様」

 

 声には確かに昔の面影があった。

 思えば声はまともに聞いていない。だけど忘れられない、忘れられるはずもない。

 少女の典雅な声色は今、憎しみで刻み込まれた記憶のレコードに追想の針を落とした。



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9話

     ◆

 

 「ブファ─────ッッ!!」

 

 「「「 ゆ、ユリちゃぁぁあん!?!? 」」」

 

 始業式で顔を見せた担任がいきなり吐血するというビッグイベントに、さしもの黒鉄珠雫も口元を引き攣らせた。

 さてこれは自分の能力の出番だろうかとも考えたが、どうやらあれで日常茶飯事らしい……それでなお心臓が動いているというのだから、人間の身に起こる奇跡は伐刀者(ブレイザー)だけではないようだ。

 そんな非常事態(エマージェンシー)に対して真っ先に動いたのは、まるで天上の蜜のように甘いマスクの男子生徒───最愛の兄、黒鉄一輝であった。

 さすが私の兄、他者の危機に動く速さと優しさが有象無象どもとは格が違う。

 と思っていたのだが、兄と同時に動き、共に保健室へと先生を連れていった者がいた。

 恐ろしく背の高い男子生徒である。

 なるほど()()()()()()()()()()()()()()……それは良いとして今、自分には問題がある。

 

 祝すべき兄との再会をいかに印象づけるかだ。

 

 言葉では足りない。足りなすぎる。

 最低限でもキスは不可欠だろうが、この空白の4年間を(いと)おしさで埋めるのだ。もはやセックスですら挨拶の範疇と言える。

 そう、まずは2人きりになるところから───

 そんな事を考えている内に兄ともう1人の男子生徒が帰って来た。

 新聞部を作ろうとしているらしい胸に駄肉をつけたタイプの雌に兄が絡まれているのを見て殺意が沸くが、不退の勇猛を眉目秀麗の容姿に内包する兄のことだ。虫がつくのは最早しょうがない。

 すると今度はどこからか沸いてきた小物どもが兄に絡みだした。

 兄と共に先生を連れていった生徒を見てみるも、どうやら兄を助ける気はないらしい。

 まぁ結果として助けは必要なかったが、あそこで動かないなら所詮はくだらない人間の1人。

 やはり兄の味方は私だけなのだ。

 小物どもを歯牙にもかけずあしらい更に気高さを増した兄に、称賛の拍手を贈りながら近寄る。

 少し予想外のコンタクトになったが、第一印象としては上出来だろう。

 

 「雑魚を寄せ付けない圧倒的な強さ。流石ですわ────お兄様」

 

 

 

 困ったことになった。

 溢れる想いをマウストゥマウスで口移しできたのは良い。

 だというのに、テレビで見たことのある駄肉満載の雌豚が屁理屈を捏ねて兄との逢瀬を邪魔してくるのだ。

 こちらは()()()()()説明してやっているのにあちらに理解する気がないのだからどうしようもない。しかも『俺と同じ場所で寝ろ』と命令されたとか───

 深刻だ。

 やはり4年間の空白は痛すぎた。

 最愛の兄はこの毒婦に騙されてしまったのだ。

 

 「なんでそんな嘘をつくんですかお兄様。お兄様がそんなことをするなんてあり得ません。だってお兄様は珠雫を悲しませるようなことしないものお兄様は珠雫を傷つけるようなこと言わないものそんなのお兄様じゃないもの」

 

 「あの、珠雫、さん?」

 

 「わかりましたその女に弱味を握られて無理矢理付き合わされているんですねええそうに決まっています私に心配させないためにその事実を伏せているんですよね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「いやそれはちょっと話を」

 

 「そうですお兄様は悪くないんですこの頭の弱そうな淫乱が悪いんですどうしてもこういう輩が寄って来てしまうから私がお兄様を自由にして差し上げるんです悪いのは全部この女悪いのは全部この女悪いのは全部この女飛沫(しぶ)け《(よい)時雨(しぐれ)》」

 

 『おい抜いたぞあの子!? 止めろよ誰か!』

 

 『ランクBの《深海の魔女(ローレライ)》だぞ!? 誰が止めれるってんだよ!』

 

 『てかすっげえ顔。朝の番組で見たわ。ノ◯イちゃんみたくなってる』

 

 『はーいみんな廊下に出てー。ここにいたらたぶん死ぬよー』

 

 他愛ない口喧嘩は終わりだ。

 女子生徒の案内で迅速に避難が進む教室で、燃えるような炎髪の豚も霊装(デバイス)を抜いた。

 なるほど持ち主に似合いの品のない大剣だ。

 ランクは向こうが上だが相手の能力は『炎』、こちらの能力は炎の天敵である『水』。

 問題ない。

 ()れる。

 

 「「殺すッッ!!!!」」

 

 

 

 炎纏う剛力と水流の牙が正面から激突する。

 次の一瞬にはこの1年1組の教室は木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。

 しかし、幸いにしてそこまでの惨劇には至らなかった。

 止めること叶わぬと全員が尻尾を巻いて逃げたこの激突を流石に見過ごせぬと行動に移った男がいて、そして彼にはそれに横槍を入れ抑え込むだけの力があったからだ。

 

 「《プリンケプス》ッッ!!!」

 

 霊装(デバイス)の名と共に2人の間に割り込むように振り下ろされた脚。

 漆黒の鎧を纏ったそれは最も危険な破壊力を有するステラの《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を床に縫い止めると同時、拡がるはずだった爆炎と水流、撒き散らされるはずだった衝撃を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「……なんだ。イッキ絡みの女はハナシ聞かねえのがデフォなのか?」

 

 「「…………ッッ!?」」

 

 うんざり顔で息を吐く一真にステラと珠雫は絶句した。

 自分達の、AランクとBランクの殺意の乗った攻撃を一撃で鎮圧されたのだ。ステラはもう身に染みて思い知っているだろうが、珠雫にしてみても仰天どころではないだろう。兄を助けようとしなかった男がここまでの力を持っていたとは……突然割って入ってきた高木のような彼の身体が、珠雫には巨大な壁のようにも見えていた。

 

 「……何のつもりよ」

 

 「こっちのセリフなんだよなァ。授業始まる前から教室吹っ飛ばされてたまるかよ。何で痴話喧嘩の割りを俺たちが食わなきゃならねえんだ」

 

 「そこの女に同意する訳ではありませんが、引っ込んでいてください。これは私たちの問題です」

 

 ───正しさや間違いでは止まらない。これは私の絶対に曲げられないものを貫くための行動なのだ。

 私の言葉を聞いた大男はしかしピクリとも動かず、顔もこちらに向けないままぽつりと呟いた。

 

 「……何ともエキセントリックになってんなァ」

 

 その言葉に兄を誑かしたヴァーミリオン皇国の皇女はハッと何かに気付いたような顔をして私と大男の顔を交互に見る。

 一体何に思い当たったというのか? 少なくとも自分はこの大男と過去に関わった(ためし)がない。

 

 「あー、積もる話はあるだろうし、まして誰を好いてるかなんてとやかく言う気はねえけどよ。もうちょい分別は付けろよ。少なくとも教室は得物を抜く場所じゃねえ」

 

 「……、」

 

 「つーかよぉ」

 

 頭を掻きながらやはりこちらに顔を向けないまま放たれたぞんざいな口調。返答する間もなくそのまま言葉を続けてきたあたり、大男は対話を求めているのではなく、ただ一方的に苛立ちをぶつけたいだけのように思えた。

 

 「公衆の面前であんな真似しでかして、その後に他ならねえ兄貴が周りからどんな目で見られるかとか考えねえか? お前、自分の兄貴がこの学園にどんな目に遭わされたか知らねえ訳じゃねえだろ。唯一の身内がこれ以上肩身を狭くしてやるんじゃねえよ」

 

 「ッ」

 

 ───兄の事情を知っているのか?

 そんな疑問も浮かんだが、ともあれ私は正論を前に言葉に詰まってしまった。

 私とてそこまで頭のネジが緩いわけではない。

 だが緩めてでも踏み込まねばならないのだ。

 兄にとっての私のポジションを妹から女にするには、再会したばかりで距離感がぼやけている今しかないのだ。

 それに、それでなくとも私にだって確固たる意思がある。

 

 「……問題ありません。誰にも理解されず、生まれ育った家を捨てるしかなかったお兄様を理解してあげられるのは、どのみち私だけですので。貴方(あなた)のいう周りなんて、どうせ自分のことしか考えていないに決まっていますから」

 

 「…………、」

 

 だけど自分だけは裏切らない。

 兄を想う気持ちは永遠だと今ここで誓える。

 だからこそ強く苛立った。

 ここまでの力を持ちながら所詮兄を助けようとしなかった人間のくせに、知ったような口をきくこの大男に。

 

 「なので貴方にどうこう言われる筋合いなどありません。孤独の痛みと苦しみを知りもしないくせに口を挟まないでください。

 ………()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 何かが軋む音が聞こえた気がした。

 大男が纏っていた苛立ちと何か形容しがたい感情に揺れる空気が一気に凪いでいくのを感じる。

 幼いころからの家庭環境のお陰で、私は人の悪意には敏感な方だ。

 だから理解(わか)る。

 自分は今、特級の地雷を踏み抜いたのだと。

 

 

 「……どこの誰ですか、ね」

 

 

 低く、平坦な、冷たい声。

 極低温のフラットが私の脳をノックする。

 

 「他者を顧みることもなく、世界にあるのは自分だけ。唯一大切に想う人間に対しても独善的、踏みにじった人間に至っちゃ覚えてすらいねえとは。わかっちゃいたが良い御身分だ」

 

 「なにを、いって───」

 

 「知ったこっちゃねえってか? わかんねえなら結構だが、聞かれた事には答えとこう。思えばあん時も自己紹介なんざしてなかったし、この際だから名乗ろうか」

 

 大男はここで初めて私の顔を見た。

 憤怒か憎悪か、敵意か殺意か。様々な感情が噴き出した加法混色のような無表情は、私の記憶に過酷な答え合わせを強要する。

 ───ああ、そうだ。人は本気で怒った時、こんな顔をするのではなかったか。

 四肢の感覚が震えと共に失われていく中、私はふとそんな事を思い出していた。

 

 

 「()()()()()()()()()()何時(いつ)ぞやはお世話になりました。自分は王峰家の()長男、王峰一真です。……以後、お見知りおきを」

 

 

 足元が崩れていくようだった。

 それだけ言って王峰は立ち去り、自分の様子を心配した皇女と兄が声をかけてきたが、多分まともに返事は出来ていなかっただろう。

 その後、自分がどこでどうしていたのかの記憶は定かではない。

 気が付いたら自分は兄の手で自室まで送り届けられ、ベッドに座り込んで俯いた背中をルームメイトに擦られていた。

 ほとんど見ず知らずの人間に触れられているが、それを振り払う気力などない。事情は聞かないまま労るような優しい手つきを背に受けながら、私はただ自分の膝小僧に目を落としている。

 

 『過』ぎ『去』るとは名ばかりの罪の楔。

 言葉も行動も、清算するにはあまりにも遅すぎる時の流れの果てに。

 『過去』は、私の未来に先回ってきた。

 

 

     ◆

 

 

 灯りに照らされた夜の闇に男は踊っていた。

 観客はいない。端末から大音量で流れる曲に合わせ、彼はただ1人で音に乗る。

 だが曲目はバレエのそれではなく、ダンスの型もバレエと呼ぶには破天荒。好きな曲に合わせて自身のインスピレーションを自由に盛り込んだ即興の舞は、既存のどれにも当てはまらない彼だけの舞踏だ。

 そんな1人きりのダンスホールにローファーの靴音が近付いてくる。

 やがてリズムを吐き出す端末の側で立ち止まった彼女は停止ボタンを押し、何の躊躇いもなく曲を中断してしまった。

 いきなり空間が無音になり、男の動きも止まる。

 

 「カズくん。何してるの」

 

 「……刀華か。……別に、いつもの日課だよ。動作のメンテナンスだ」

 

 「いつものメンテナンスって、カズくんそれ、基準を作った方がわかりやすいからっていつも決まった曲でやってるよね。今みたいに好きな曲で即興で踊るのは嫌なことや忘れたいことがある時だよ」

 

 「………、」

 

 「()()()()()から聞いたよ。今朝のこと」

 

 もう見透かす以前の話だ。全て理解した上で、彼女は自分を心配してここまで探しに来た。

 嘘や誤魔化しなんて通じない。

 じっと自分の姿を写す栗色の瞳に、一真は全てを吐き出すしか(すべ)がないことを理解する。

 

 「……大丈夫だと、思ってたんだ」

 

 そうして、彼は沈んだ声でそう語りだした。

 

 「そりゃしんどい事も多かったし、許せねえとも思ってた。けどお前や皆との暮らしはそれでも楽しくて大切な時間だったし、イッキの奴も……いざ話したら、すげえ良い奴だったからさ。

 そんな奴らと逢えたから、俺の人生はこれで良かったんだって……アイツが来るって知った時も別に問題はないって、本気でそう思ったんだ」

 

 「───、……」

 

 「でも、蓋を開けたらこれだ。冷静でいられると本気で確信してこのザマだ。過ぎた事だと割り切れもしねえで、俺はこれから、どんな顔でイッキに向き合えばいい」

 

 それが彼の心に残った楔。

 1度口にすればもう止まらなかった。

 溜まった血を吐き出すように、一真は悔しさを眼前の彼女にぶつけていた。

 

 

 「なァ、刀華。俺は結局───あの日に囚われたままなのか?」

 

 

 「……そんなに自分ばかり責めちゃ駄目だよ」

 

 自分の器量は自分で思っていたよりもずっと小さくて。

 友に義理を通すことも出来ず。

 行動に移してしまった衝動で『これでいい』と肯定したはずのこれまですらも否定してしまったと思い込む彼を、刀華は同じくらい辛そうに見ていた。

 今にも泣き出しそうに顔を歪める大男が刀華には随分と小さな男の子に見えて、刀華は一真の大きな掌を自分の両手で包み込む。

 

 「カズくんは何も間違ってない。両親からも家からも引き剥がされて、そんな仕打ちを忘れられる訳ないよ。君の傷の深さは君だけのものなんだから。それを無理に割り切れって言う方が残酷だと私は思う」

 

 「……けど、これからはアイツも同じ学年で、しかも同じクラスなんだ。せめて普通に接するようにならねえと、イッキだけじゃなくて他の奴にもずっと迷惑をかけちまう」

 

 「そんなのゆっくりでいいんだよ。辛かったらいつでも吐き出してくれていいから。……それにきっともうすぐ、気持ちに区切りを付けるチャンスが来るから」

 

 「チャンス?」

 

 「《七星剣武祭》だよ」

 

 あ、と刀華の言いたいことを理解した一真が頓狂な声を挙げる。

 

 「妹さんもきっと予選にエントリーする。カズくんも出場すれば、予選でも本選でも、きっとどこかで当たると思うから」

 

 「……そこでブッ倒しちまえって?」

 

 うん、と真剣な顔で頷いた刀華に、一真は思わず笑みがこぼれた。

 彼女もやはり戦いに生きる人種。その母性には昔から世話と苦労をかけてきたが、やはり浮かんでくる解決策が腕っぷしなのだ。

 だけどそう言われてみれば、確かにこれでいい。友好なんて欠片もない歪んだ間柄だ。

 ここから重ねるにしても、マイナスから始めるより、1度叩き壊して更地(ノーサイド)にした方が簡単に決まっている。

 

 どんなに長く続いたケンカも、殴り合えば決着が付いてお終いだ。

 

 「くくッ、ははははは!……いいな、名案だ。乗ったぜ、それ」

 

 「うん、そうこなくっちゃ。だけど本選までいけるかはわからないよ? 私だってカズくんと本気で戦いたいんだから」

 

 「そりゃマジで油断できねえな。俺も追い込み掛けなきゃ駄目そうだ」

 

 「当然だよ。──さ、帰ろう。明日も早いよ」

 

 そう言って刀華は踵を返す。

 嘘のように重圧がとれた両肩を回しながら、一真は刀華の背中を見た。

 また助けられてしまった。

 小さい頃から今に至るまで、彼女の優しさ無くして今の自分は存在しなかっただろう。

 彼女と戦いたい。今なら心から強く思える。

 強ささえあれば、ではない。彼女が超えたいと願う自分であることを示し、彼女の優しさに全力で応えたいから。

 

 ──────ありがとな。

 

 呟いた感謝が彼女に届いたかはわからない。

 自分の前を歩いている刀華が、少しだけスキップをしたような気がした。




 いつの間にかしおり100突破してました。
 ありがとうございます。


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10話

 

 

 「シズク。落ち着いたかい」

 

 「はい。今は、なんとか」

 

 日が沈み、珠雫の心はともかく頭だけは冷静に返った頃。教室で霊装(デバイス)を抜いて戦闘を行った(かど)で1週間の謹慎、つまるところ停学処分を受けた彼女の寮室に一輝は出向いていた。

 深刻な空気を察した彼女のルームメイトは席を外してくれている。珠雫があれほど願って止まなかった2人きりのシチュエーションだが、まずそんな雰囲気になることは有り得ないだろう。

 

 「……彼は、この学園に在籍していたんですね」

 

 「……ごめん。珠雫がここに来るって聞いたときに伝えるべきか迷ってたけど、最後まで言い出せなかった」

 

 「お兄様が謝る事ではありません。全て私が蒔いた種ですので」

 

 一輝の謝罪に珠雫は静かに首を振る。

 そもそも、聞いていなくても考えてみればわかることだったのだ。

 まだ未発達とはいえ伐刀者(ブレイザー)として高い資質を持っていた自分に、幼い拳だけで今でも跡に残るような傷を負わせたことを鑑みれば、彼もまた相当な資質を持った伐刀者(ブレイザー)の卵であったことは想像に難くない。それに兄と同じように実家に頼れないならば、全寮制であるこの学園に入学するだろうこともだ。

 つくづく自分の浅慮が嫌になる。

 兄との再会に浮かれていた、なんて言い訳にもならない───自分は出会い頭に殺される位の覚悟でこの学園に来るべきだったのに。

 

 「ここでまた(まみ)えたのは必然だったのでしょう。情けない話、私は彼が私と同い年であることすら知りませんでしたが」

 

 「いいや、彼が入学したのは僕と同時期だ。彼が僕の事情を知っているのはそれが理由だよ。……彼も僕と同じ、留年生なんだ」

 

 「え?」

 

 つかの間、珠雫の心の重圧が疑問に変わった。

 兄が留年させられたのは落ちこぼれを排出しないための実家からの圧力だったはず。今はともかく、能力絶対主義だった去年の学園ならば彼を留年させるなどまず有り得ない措置であるはずだ。

 兄と同じように実家から圧力をかけられているのかとも思ったがそれは無いだろう。

 聞くところによれば王峰一真はAランク。圧力をかける口実が無いし、記憶によれば『王峰』の家は黒鉄の血縁の中でも末席に近い。たとえ口実があったとしても、学園を従わせるような力はないはずだ。

 となれば────

 

 「彼は……一体、何を仕出かしたんですか?」

 

 最悪の予想が頭を支配して、珠雫は思わず一輝の手に己の手を重ねた。

 だってそうだろう。黒鉄一輝は自分の人生を取り返しのつかないレベルで歪めた人間の兄だ、大きな悪感情を抱いても当然というもの。本家と分家の規模まで広がったそのいざこざを学園側が本家とのやり取りで知っていてもおかしくない。

 兄を締め出そうとしていた去年の学園ならば、それを利用して彼を兄にけしかけたのではという悪意的な想像も充分に現実味を帯びてしまう。

 そう、対外的なポーズとして留年という措置を取らなければならない位になってしまう位に王峰がやり過ぎてしまったのだとしたら───

 私のせいで、兄は───

 

 「シズク。何に思い至ったのか大体想像がつくから言うけれど、それは違うよ。直接的にも間接的にも、珠雫のせいで被ったものなんて何一つ無い」

 

 「本当、ですか……?」

 

 「嘘なんてつかないよ。それにカズマについてもそうだ」

 

 珠雫の想像を否定する声は優しい。

 しかしそこに含まれた強い厳しさもまた知っている。あの時と同じ、自分の間違いを諫める声だ。

 

 「確かに僕は去年、学園からは散々な目に合わされた。だけどカズマは……彼とその友達だけは、変わらず僕の味方であり続けてくれたんだ。

 ……ただ、そう。僕よりも先に、彼の方が()()()()()()()だけで」

 

 口ごもり言葉を濁したそれこそが彼が留年した理由なのだろう。

 しかしそこは問題ではない。

 

 「そう、だったんですか……」

 

 ───兄には何より心強い味方がいた。

 何よりも喜ぶべきその事実に、しかし珠雫は喜ぶことが出来なかった。

 

 「シズク」

 

 俯くように丸まった珠雫の背中に一輝は手を置いた。

 

 「たとえ許されなかったとしても、目を背ける訳にはいかない。だから、これから一緒に向き合っていこう。……彼に何回詫びても足りないのは、僕も同じだから」

 

 一輝の言葉に珠雫は「はい」と小さく頷いた。だがその声色には芯が無く、まるで怯える子供のように弱々しい。

 かつて自分は傍若無人に『力』を振り回し他人を傷付け続けた。そんな自分に人生を引っ掻き回された彼は、同じ『力』で怨敵であるはずの自分の兄を守っていた。

 そして今、自分はそんな彼に対してあらぬ疑いをかけてしまって───。

 無力感と劣等感。罪悪感の上から更に重なった、今まで感じた事も無かったそれらが彼女から力を奪っていく。 

 向き合わねばならないのはわかっている。だけどこんな自分の行動に、どれだけの誠意が篭るだろう。

 これから先の学園での生活を。

 どの面を下げて。

 自分は。

 

 

     ◆

 

 

 初日こそ考えうる限り最悪に近い滑り出しではあったが、一真の学園生活は比較的スムーズに進行していた。

 1つはよく気心の知れた一輝が同じクラスであった事と、もう1つは回りが全員新入生であるため、彼が去年起こした大事件を知らない事。

 規格外の体格に気圧され遠巻きになっていたクラスメートと一真との間を完成された社交性で繋げてくれた有栖院(ありすいん)(なぎ)という(一真には遠く及ばないにせよ)長身の優男の存在も大きい。唯一オネエっぽいのだけが気にかかるが……まぁ些細な事だろう、多分。

 

 とはいえ。

 1番の理由は、黒鉄珠雫(とステラ)が1週間の停学処分を受けて教室にいなかったからだろうが。

 

 (……2人とも今日で謹慎が終わるんだったか)

 

 今日、一輝は妹とお互いのルームメイト合わせて4人で遊びに行っているらしい。どうやら沈みっぱなしの珠雫を見かねたルームメイトの提案だと一輝から聞いた。

 良いことだと思うし、それで持ち直せばいいとも思う。気遣っている訳ではない。向こうがどんな心境でいるのかは知らないが、同じ教室内で延々とビクビクされている方が苛立つに違いないからだ。

 

 『カズくーん、どう? 入りそう?』

 

 「いやァ、駄目だ。丈が短けえ」

 

 布1枚を隔てた向こう側から問いかけてくる刀華の声に一真は窮屈極まりない試着室のカーテンを開きながら答える。その手に持っているのは残念ながらハンガーに戻さざるを得ないことが判明した服一式。

 

 「残念だね。せっかく似合いそうだったのに」

 

 「お力になれず申し訳ありません、1番大きなサイズだったのですが……」

 

 「あァ、気にせんで下さい。あなたが悪い訳じゃないし、最早いつものことなんで」

 

 頭を下げる店員に笑いかける一真に他の店員や客が一様に注目している。人目を引くのにも慣れている彼は別段それに不快感を覚えたりはしないが、それ故にその視線の()()については鈍感だ。

 その事に思い至ったのは刀華の方らしい。仄かに頬を染めながら目線を背け、故郷の言葉でややぶっきらぼうに一真に指摘した。

 

 「……(はよ)う、服着てほしか」

 

 

 服を増やそうか、とぼやいたのは一真。

 じゃあ買いに行こう、と連れ出したのは刀華。

 同じような服ばかりが並ぶクローゼットを見た彼女の形容しがたい顔に一真が珍しく購買意欲を見せたのが、2人がいま学園の近くにある大型のショッピングモールにいる理由だった。

 

 「真面目に探しても無いもんだな……」

 

 「そうだね……探せばあるだろうって思ってた私の見立てが甘かったかもしれない……」

 

 何件目かの撃沈を果たし、肩を落としながら2人は歩く。

 わかる人にしかわからない悩みではあるが、身体が大きいと服を選ぶのに苦労する。身体に合うサイズがないのだ。まして一真の体躯だともはや日本国内のブランドでは着れる服がない。

 ロングスカートにカーディガン、淡い色合いで大人びた落ち着きを感じさせる服装の刀華に対して一真はシャツにジーンズというラフな……言ってしまえばお洒落も何もない格好だ。

 正直並んで歩くには見劣りしている感じが拭えないため、一真としても早いところこれぞという服を見つけたいのだ。さっきから自分に注がれている通行人たちの視線はあくまでも身長のせいなのだと信じたい。

 

 「そういえばカズくんの服、外国ブランドばっかりだったよね。普段は通販で買ってたりするの?」

 

 「まァな。俺の身長で着れる服だとどうしてもそうなるんだよ。服なんてその国の人間のサイズに合わせて作るもんだからな……」

 

 「確かに……、ああ、なんか今更ながら繋がってきちゃったな。店に買いに行くのを見たことがなかったのはそういう事で、同じような服が並んでたのは届いた現物の実際の着心地やデザインで失敗したくなかったからで……」

 

 言いながらどんどんしょぼくれていく刀華。

 どうせ余計な事をしてしまったとでも考えているんだろう。彼女ほど鋭いわけではないが、付き合いが長いからこの位わかる。

 ───これでお開きにでもなったら、()()に何て言われるかわかんねえな。

 いらない心配ばかりしている幼馴染を横目で見つつ、やれやれと一真は首を振った。

 例え不漁続きでも、彼女と共に過ごすこの時間を手間だとか面倒だなんて、自分は発想すらしていなかったというのに。

 

 「……それと、どんな服が似合うかわかんなかったから、だ。誰かと一緒に買いに行って見てもらえるならそれが1番いい」

 

 刀華がパッと顔を上げる。

 やや遠回しな言い方だがそれでも伝わってくれたようだ。

 我ながら似合わないことを言おうとしている自覚はある。こっ恥ずかしさが先回りしてくる前に、一真は勢いに乗せてその先を続けた。

 

 「飯食って映画でも見よう。せっかくの休みにここまで来てんだ、服だけ選んで終わりなんて勿体ねえだろ?」

 

 少しだけ時間が止まった。

 予想もしていなかった一真の誘いに、うん、と花が綻ぶように刀華は笑う。

 じゃあどこに行こうか、と目的地を探す振りをして一真は彼女から目線を逸らす。

 赤くなった顔を見られないのはいいことだ、と彼は久方振りに己の身長に感謝した。

 

 

 

 適当な店で早めの食事を済ませ、2人はいくつかある映画館の内の1つに足を運んだ。

 とはいえ規模の小さな映画館だ、上映されている作品の数もそう多くない。なのにラインナップがどれもこれも癖が強すぎたのだ。

 

 『「僕は妹に恋をした」「男たちの失楽園」……なんで5つしかない枠の中に2つもRー15指定が入ってんだよ……』

 

 『「砂漠の王女カルナ」は普通そうだね。「ガンジー 怒りの解脱」は……気にはなるけど……』

 

 Rー15指定とB級(地雷)を除いた2作の内、結局タイトルに惹かれてしまった方を見ることにした。

 異性と2人で見る作品を消去法で選ぶという哀しすぎる過程を経てはいるが、結果としてそれは大成功だった。

 一真と刀華は今ポップコーンを食べる事も忘れ、スクリーンの前で必死に嗚咽を堪えている。

 

 『4月は君の膵臓が叫びたがってるんだ』。

 

 各方面から殺されそうなタイトルとは裏腹に、その内容はどこまでも胸に訴えかけてくるものだった。

 臓器の問題で幼い頃から糖尿病を患っている男の子が主役の物語。

 劣悪な家庭環境で治療を受けることが出来ず、視力を失くして足を切断しなければならない程に病が進行し、それでも自分を助けてくれた人たちに支えられながら学校の入学式を迎えるために闘病する───

 ふざけたタイトルは客の興味を惹くための戦略だったのだろうか?

 ここが公共の場でなければ声を上げて号泣していたに違いない。両親を病気で亡くした刀華と親に捨てられ孤児院の皆に救われた一真には、このストーリーはいっそ致命的なまでに突き刺さった。

 

 (もういい、もう休んでもいいんだよ……! だからもう、そんな顔で笑わないで……!!)

 

 (ふざけんなよ、なんでコイツがこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ……! 全部周りのせいじゃねえか、コイツに何の落ち度があるってんだよ畜生ぉっ……!!)

 

 物語の終盤、何年分とも知れない量の涙を流す2人は果たしてまともにスクリーンを見れていたのだろうか。

 やがて啜り泣きに満ちた暗闇の中エンドロールが終わり、館内に明かりが灯る。

 口々に涙声の感想が飛び交う中、一真と刀華はお互いに無言のまま、泣き腫らし真っ赤になった目で映画館を後にした。

 

 




 色々考えましたが、主人公の名前の漢字は「一真」のまま変更無しでいこうと思います。


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11話

 さて、ここは小さな喫茶店である。

 一先ず休憩しようと立ち並ぶ店の中から適当に入店した一真と刀華は、これまた小さなテーブルを挟んで座っていた。

 語っている内容こそ映画の感想であるが、内容が内容なのでテンションが高まっている訳ではない。むしろ悲壮な空気に包まれている。

 

 「……今まで辛い思いをし続けて、助かってからも楽になれなくて、最後の願いは………、……あの子は、幸せだったのかな……」

 

 「……最期の笑顔を信じるしかねえよ。楽じゃなくても、向かう先も、支えてくれる奴らもあったんだ。あいつは、間違いなく幸せだったよ」

 

 感情移入の果てだろうか。彼らはあの映画をフィクションの作品としてではなく、実際に存在した1人の人生を追ったものであるかのように語っていた。

 作者冥利に尽きる話ではあるかもしれないが、そのせいで他の会話が聞こえるほど小さな店内の空気がどんどん冷え込み始めていることに彼らは気付いていない。泣き腫らした目で向かい合う男女に出歯亀根性で聞き耳を立てていた客の1人が今、気まずそうな顔で席を立った。

 

 「ところでこれからどうする? ご飯食べた後のこと、そういえば何も決めてないなって」

 

 「そういやそうだったな。カラオケ……は2人しかいねえし……あ、逆にお前の服でも買いに行こうか」

 

 「ふふ、カズくんが選んでくれるの?」

 

 「あー……その手のセンスは自信ねえからなァ……」

 

 映画の感想を切り上げ、この後の予定について他愛のない会話を始めた2人。

 その姿は共に(片方の身長以外は)年相応に若者らしく明るい雰囲気で、己の才覚を血と熱で鍛え抜いた名だたる戦士にはそう言われても見えないだろう。

 だが、ここに来て2人はその側面を覗かせる事になる。

 

 彼らの前をガラス張りの壁越しに、リュックサックを背負った2人組の男が通り過ぎた。

 

 「「……………、」」

 

 一真と刀華は示し合わせるでもなく席を立ち、代金を払って店を出る。そしてリュックサックの男たちと距離を開け、気配を消しながらその後ろを尾行した。

 やがて男たちがトイレに入っていったのを見て、一真と刀華は役割を分担する。

 刀華は入り口に立ちトイレに人が入ってくるのを防ぐ見張りを受け持ち、一真は男たちを追ってトイレの中に入った。

 幸い、他に人はいない。

 男子トイレの内部、並んだ個室のドアの前で、一真は内心で気怠げに舌打ちをした。

 

 用を足しに来た訳ではない。

 男たちがそれぞれ入った個室のドア越しに、ガチャガチャと金属が擦れる音が聞こえてくる。

 

 

 パッと見で違和感があった。

 外見的にはただの旅行者にも見えるその男たちだったが、彼らが見咎めたのは『歩き方』だ。

 上半身や腰の傾き、膝の曲がり方、筋肉の緊張……リュックサックのサイズと旅行者が携帯するだろう荷物的に、予想される身体への荷重の掛かり方が明らかに大きすぎる。

 布では、あるいは布だけではない。間違いなく何かずっと重い物が収納されている。

 ある程度コンパクトなサイズでも大きな重量を持つものといえば、真っ先に金属が挙げられる。

 そうだとすればただの金属ではあるまい。

 そして銃火器というものは、種類によっては分解してコンパクトに持ち運べるものだってある。

 そこに予備の弾倉や充分な弾薬が加われば相当な重さになるはずだ。

 あのサイズの荷物であれだけの負荷をかけられる位には───。

 ……無論、ただの憶測。一真と刀華は、万が一のために予防線を張ったに過ぎない。

 ただ、残念ながらそれが真実だったようで。

 

 『終わったぞ。そっちは準備できたか?』

 

 『ああ。へへ、ワクワクしてくるな。早くこいつをブッ放してえよ』

 

 『おい、勝手な事するなよ。客は人質にするって言われてんだろ』

 

 『ヒヒヒ、わかってるっての。ただよぉ、抵抗されたらこっちもそれなりの手段を取らなきゃなあ?』

 

 下卑た欲望を孕んだ言葉を交えつつ、戦闘用の装備を纏った男たちは組み上げた銃火器を手に外に出た。

 しかし少なくとも、彼らの手によって被害を被る民間人はいない。

 ドアを開けて個室の外に出た、その時点で彼らの運命は決まっている。

 

 バギャッッッ!!!と、一真の《プリンケプス》が2人の顔面をほぼ同時に蹴り抜いた。

 

 悲鳴は上がらない。その場で半回転するように地面に叩き付けられた男2人はその場で意識を失った。その音で全てを理解した刀華が、その手に日本刀型の霊装(デバイス)───《鳴神(なるかみ)》を手に駆け込んできた。

 普段つけている眼鏡は外している。

 

 「《幻想形態(刃引き)》は?」

 

 「した。……《解放軍(リベリオン)》の《信奉者》ってとこかな。一般人に紛れて潜入してこうやって内側から暴れるつもりだったらしいが、少なくともこいつらだけって事は無えはずだ」

 

 「何であれどこかに伐刀者(ブレイザー)がいるだろうね。私はお客さん達の避難誘導をするよ。まずは安全を確保しなきゃ」

 

 「よし、じゃあコイツ持ってけ。説得力は増すはずだ。俺はもう片方に色々と聞いてみる。抜かるなよ」

 

 「当然。そっちもしっかりね」

 

 軽く拳をぶつけ合った後、刀華は意識を失った男の襟首をひっ掴んで外に出た。

 困惑の声と悲鳴、刀華が張り上げる声。混乱はあるだろうが、彼女ならしっかりと人々を統率して出口まで導くはずだ。

 ───自分は自分で、やるべき事をやる。

 一真は床で倒れている男の腹を()()蹴飛ばした。

 

 「起きろ」

 

 「げぶっっ!?」

 

 途端、大量の粘っこい唾液を吐き出しながら苦悶する男。

 普通ならこれで目覚めるはずもないが、《幻想形態》によるダメージは脳に対する強力な暗示によるものだ。脳がシャットダウンすれば、まさしく幻想のようにダメージは消える。

 だから本当に寝ている所を叩き起こしただけだ。

 しばし呻いていた男だが、一真の姿を見た瞬間に慌てて取り落とした銃に手を伸ばす。

 そしてその前に一真が銃を踏み潰した。

 精練された鋼鉄の凶器が、彼の足の下で紙のように薄っぺらな屑鉄に変わる。

 

 「ひっ……」

 

 「答えろ。色々と聞くべき事がある」

 

 「……へ、へっ。誰が教えるって」

 

 「1回」

 

 一言と同時に、硬いものがいくつも砕ける音。

 躊躇なく力を加えた一真の足が男の手を踏み砕いたのだ。

 

 「ぎゃあああぁぁぁあああぁぁあああああぁぁああっっっ!!!!」

 

 「いま決めた。俺に反抗的な態度を取る度に、お前の身体を一ヶ所ずつ磨り潰してくから。よろしくな」

 

 「て、テメェふざけんじゃ」

 

 「2回目な」

 

 ベギッ、と耳を覆いたくなる音。

 今度は脛だ。

 別に()()()なんてせずともよいのだが、外傷は付かないという特性は尋問に便利だ。それにこいつらはしかるべき機関に連行されねばならない。その前に病院に入れるなど医療費の無駄だ。

 

 「~~~~~~~~~~ッッッ!?!?」

 

 「3回目からはそうだな、もうちょっとじっくりいってみよう。骨と肉が潰れてく音、俺は立場柄よく聴くんだがよ。きっとお前なら好きになると思うぜ」

 

 「……なにを、喋れ、ってんだ……っ!?」

 

 「組織の名前、目的、計画、人員の数と内容あと装備。要するに全部だとっとと吐け。時間押してんだよ」

 

 「っっ……俺たちは、《解放軍(リベリオン)》だ……。目的は、金品と身代金で……」

 

 (……ま、そんなとこだよな)

 

 返ってきた答えは概ね予想通りのものだった。

 となると気になるのが人員の方だ。それによってどう動くべきかが決まってくる。

 幸い刀華とはお互い《特例召集》で場馴れしているし、気心知れた仲なので連携は楽だ。この利点を初動でどう生かすかは人命に直接関わってくる。

 男の話を聞きながら脳内で思考を巡らせる一真の耳に、この状況からは思いも寄らない笑い声が聞こえてきた。

 

 「ヒヒ、こんな事しても、無駄だぜ。無駄」

 

 「あん?」

 

 「ここには、ビショウさんだけじゃねえ。あの人も来てんだ。あの人に敵う奴なんている訳がねえ」

 

 「あの人ってのは?」

 

 「これからブッ殺される奴に教えて何になるんだよバァーカ!!」

 

 痛みが高じて(かえ)ってハイにでもなっているのだろうか。顔面に脂汗を滲ませながら、男はバカみたいな大声で叫ぶように一真を脅す。

 

 「あの人はな、Aランク伐刀者(ブレイザー)なんだよ! そんで俺はあの人の部下だ! その俺にこんなマネしやがったって知れてみろ!! ヒヒヒッ、お前、穴ぁ開けられるだけじゃ済まねえかもなあ!?

 わかったならとっとと俺を解放しやがれ! そしたら半殺し程度で済ませて貰えるように頼んでやっからよ! ……あの人がそれを聞いてくれたらなギャハハハハハハ!!!」

 

 

 ───《解放軍(リベリオン)》。

 伐刀者(ブレイザー)を《使徒》と呼んで『選ばれた人類』と位置付け、選ばれなかった『下等人類』を支配せんとする選民思想の犯罪組織だ。

 そしてその思想に賛同して《使徒》の手足となって動くこの男のような普通の人間が《信奉者》と呼ばれている。

 同じ組織の一員だろうが、しかし根幹にあるのは上記の思想だ。組織内での立場は知れているし、ここで上の人間の強さを脅しの材料に使った辺り伐刀者(ブレイザー)の恐ろしさはよく身に染みているのだろう。

 持って生まれた力で人々を虐げ、その力を背景に下の人間が己の幅を利かせようとする。

 そういう組織だ。

 その手の組織なのだ。

 

 つまり、何が言いたいのかというと。

 

 力を振り回して身勝手に人々を傷付ける《解放軍(リベリオン)》は勿論のこと。

 ましてその金魚の糞になって強者の側に立った気になっている《信奉者》など─────

 

 

 ─────王峰一真にとっては、ゴキブリ程の価値もない人間であるという事だ。

 

 

 「うるっせえなァ」

 

 

 グヂャ、とか、ボギュ、とか。およそ人体が発してはならない類いの音がした。

 その音源は、一真の足の下。男の胸板。

 一真がその足で、男の胸郭の中に収まった内臓をその胸郭ごと踏み潰したのだ。

 

 「グチャグチャ言ってねえで聞かれた事だけ答えてりゃいいんだよ。こっちはこれからの予定を蹴ってクソの始末しなきゃなんねえってのに、何でこの上テメェみてえなゴミクズに煩わされなきゃなんねえんだ? あ?

 おい何とか言えよ。何か言うことあんだろ、なァ? 悪い事したらゴメンナサイだろ。ゴミクズが粋がってゴメンナサイだろ? 言えよおいコラ」

 

 その罵倒が男に聞こえているかは怪しい。ぐりぐりと足を動かされ、砕けた肋骨や胸骨が肺や血管を貫き引き裂く感覚に絶叫しているからだ。

 やがて暴れる動きが徐々に小さくなり、失禁して、ビクビクと痙攣しながら男の意識が闇に沈む。

 男がまた気を失ったことに気付いた一真は、また男の腹を蹴った。

 

 「げぼぁっっ!!」

 

 内臓まで届く力に、また男の意識が強引に覚醒させられる。

 《幻想形態》のダメージは脳への暗示。意識を失えば仮想のダメージも消え失せる。

 つまりまた元通り。

 どの部位もまた、同じように破壊できる。

 

 「あひ、あっ、あ、ひぃぃいイイイッッ!!」

 

 流石にもう虚勢を張る事もできないらしい。一真の姿を見た途端、掠れた悲鳴を上げながら、男はなんとかして逃げようと身体を暴れさせる。

 だが逃げられるはずがない。一真が男を踏んで押さえ込んでいる足に少し力を入れると、男は大きく震えて動きを止めた。

 

 「………あの人はAランク、だっけ?」

 

 氷雨に打たれる子犬のようになった男の目の前にしゃがみこむ。ガチガチと恐怖に歯を鳴らす男に、一真は生徒手帳を取り出して突き付ける。

 それが何を意味するのかはわからなかったが、とにかく男はそこに記されてある内容を読んで───そして、目を見開いた。

 

 「俺もそうなんだよ。………ところで、()()()()()()()?」

 

 

     ◆

 

 

 「《使徒》は2人。《信奉者》全体の規模は20人近いらしい。ビショウって奴が率いてるんだと。装備は全員画一化されてる、つまりあいつらと同じ格好だな。たぶん支給品だ」

 

 「確実に少なくない数の人質が取られてるはずだよね。集合場所とかは聞けた?」

 

 「一階の吹き抜け部分。それなりの人数を抱えるには、まァあそこが妥当だわな」

 

 理事長への戦闘許可は避難誘導のついでに刀華が取っておいてくれたらしい。今のところ死者はゼロ、逃げる際に転んだ軽傷者が数名。

 怪我人の数は必ずやここで打ち止めにする。

 人気(ひとけ)の無くなったショッピングモールを歩きながら、一真は戻ってきた刀華と情報を共有していた。

 

 「《使徒》2人の内、1人はそのビショウって人なんだね。どんな能力かは聞けた?」

 

 「ビショウについてはな。ランクまではわからねえみたいだったが、要は『左手で受けた力をそのまま魔力に変えて右手で撃ち返す』能力らしい。もう1人は……」

 

 言いにくそうに口ごもる一真だが、言わねばならない。苦々しい顔で彼は白状した。

 

 「……Aランクだそうだ。不甲斐ない話だが、それ以外はわからねえ。()()()()()()()()()()()()(つい)ぞ『あの人』としか言わなかった。」

 

 その内容に刀華の表情が強張る。

 Aランクという最悪の事実に対する緊張と、それだけしか吐かなかった男に対してもだ。

 尋問の腕こそ本職には遠く及ばないだろうが、それでも彼の容赦の無さを彼女は知っている。

 つまり『あの人』は、男に今まさに己を尋問しているAランクよりも遥かに恐れられているという事になるのだから。

 

 (……それ程の影響力。こんな騎士学校に近い場所でテロなんてと思ってたけど、その強さを(たの)んでの襲撃だったんだ)








 原作読み返してみたら、このショッピングモール本当に破軍学園に近い所にあったみたいでビックリしました。下手すればKOK元3位が出てくるんですが、ビショウさん自分ならどうにかできるって思ってたんですかね。


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12話

 状況は思った以上に悪い。

 だが最悪という訳ではない。

 一真の元に戻る途中、刀華は願ってもない幸運に出会っていた。

 

 「けど、こっちもいいニュースがあるよ。()()()()()たちもここにいる。避難誘導してる時にバッタリ会ったんだ。みんなここに遊びに来てたみたい」

 

 「へぇっ!?」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 確かに近場で遊びに行くとなればここはまず候補に挙がる場所だろうが、よもや被っていたとは……出会したかったわけではないが、大型のショッピングモールとはいえ逆によく今まで出会さなかったものだ。

 しかし願ってもない幸運である事に違いはない。こちら側の伐刀者(ブレイザー)の総数は6人、そして少なくとも一輝とステラは大きな戦力だ。

 

 (ここまで数が揃ってりゃ分散して別行動もいけるか?)

 

 この面子なら滅多な事は起きないだろうがやはり『あの人』が気がかりだ。

 《使徒》の居場所も不明な今、情報の共有は不可欠。もしあちらが潜伏していたらその邪魔をしてしまう事になりかねないし、そもそも応じられる状況かどうかもわからないが、連絡は取り合いたいところだ。

 一真はポケットの中のスマホに手を伸ばしながら刀華に聞く。

 

 「刀華。あいつらはいま連絡を取れそ─────」

 

 

 気配があった。

 

 一真はスマホに伸ばす手を引っ込め、刀華はそれを感じた方向を睨む。

 感じた時間と大きさは耳元で鳴る蚊の羽音程度。しかしその『羽音』は羽虫のそれではなく、鎖鋸(チェーンソー)の唸りのような莫大な危機感を孕んでいた。

 《鳴神》と《プリンケプス》を構え無言で臨戦態勢に入った2人の前にそれは現れた。

 金髪に碧眼の美男子。

 高い身長に端整な顔立ち、すらりとしたシルエットの体格。どこぞの舞台にでも立っていればいいものを、彼の才能はその恵まれた容姿を戦場へと向かわせたらしい。

 それも世間から見れば悪の側という、最悪な立場で。

 

 「……チッ。ビショウの野郎、面倒な奴らを見逃しやがって。こいつらこそ人質で縛っとけってんだよ」

 

 まあいいか、功績功績、と面倒臭そうな舌打ちから気分転換したらしい男はスッと目を細めた。

 隠していた気配が解き放たれる。飛来する刃のような圧力が、まだ離れた場所にいる2人を細切れにする勢いで突き刺さる。

 

 「……どのみち合流は無理そうだね」

 

 「ああ。あの野郎は俺らで倒すしかない」

 

 こんなものを間違っても一般人のいるところに行かせてはならない。流れそうになる嫌な汗を気力で抑え込んでじりじりと間合いを測り、刀華は動きを阻害するロングスカートを引き裂いて大きなスリットを作った。

 相手の能力は未知数。数と連携の利があるとはいえ、1番の鬼門である戦闘の序盤を乗り切れるか……いや、乗り切らねばならない。

 

 例えそれが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「お前がAランクの『あの人』でいいのか?」

 

 「あ? 別に名乗る必要もねーんだけど、そうだな。教えとくか……名前が広まった方がもっと箔も付くだろうし」

 

 

 金髪の男は足を前後に開いて両腕を胸の前に構える。オーソドックスなファイティングポーズだが、直後に飛び出してくる技や能力は間違いなく規格外のそれだろう。

 深緑の魔力が()()()()揺らめき、炎のように全身を覆う。

 腰を落として身を沈め、上体を前傾させた姿は、その名の通りに『獅子』のようだった。

 

 

「レオ・ベルモンド。生きて帰れたら広めとけ」

 

 

 それを合図に戦いの火蓋は切られた。

 恐るべき速度で突っ込んできたベルモンドだが、相手の姿勢から次の行動を読んでいた一真の方が一瞬早かった。

 中空を蹴り払い、《踏破》の魔力を空を薙ぐように放出する。

 

 「《覇者の威風(ラービナ・ニウィス)》ッッッ!!」

 

 逃げ場はない。建物の被害を考える余裕のある相手でもない。

 通路どころか両脇に並ぶ店まで全てを呑み込む紫白の津波が、進む先にある全てを喰い潰しつつベルモンドに迫る。

 直後に切り込んだのは刀華だ。

 一真が生み出した破壊の波を盾に、逃げ場のない範囲攻撃に対処した瞬間の隙を突くべく全速力で前へと切り込んでいく。

 対するベルモンドはそのまま足を前に蹴り込んだ。それをいち早く察知した刀華が進行方向を曲げると同時に、深緑の魔力を宿した靴は突き刺すような軌道で《覇者の威風(ラービナ・ニウィス)》と激突した。

 轟音。爆発。

 《踏破》の津波の一点に大きな風穴をブチ開けた猛烈な余波がショッピングモールを吹き荒れるが、その2つの力がぶつかり生まれた暴風の僅かな空白地帯に刀華は潜り込んでいた。まだ蹴り足を戻せていない刹那の隙に刃を入れんと《鳴神》を振るう。

 

 それを冷ややかに見据える碧眼。

 まだ伸びたままのベルモンドの蹴り足が、そのまま刀華に襲いかかった。

 蹴り終わったはずの足を速度を落とさずそのまま変化させるという銃弾を曲げるが如き芸当、それも刀華が《鳴神》を振り抜くよりも(はや)くだ。

 

 「まず1人な」

 

 淡々とした一言と同時、ベルモンドの爪先が刀華の顔面を抉り飛ばす。そう思われた。

 ひょい、と刀華が頭の位置を下げた。

 ベルモンドの蹴りに反応して躱そうとしたのではなく、予めそう動くと決めていたような動きだ。

 その意味は直後に明らかになる。

 後ろから追い付いてきた一真が一瞬前まで刀華の頭があった場所……彼女が下げた頭の上を、規格外の長身で(また)ぐようにベルモンドに蹴りを入れた。

 

 「!」

 

 足と脚が激突し互いに弾かれた隙に《鳴神》の刀身が迫る。

 金髪の男はこれを魔力を纏わせた拳で打ち払いながら逆の拳で前衛にいる刀華を狙うが、刀華の後ろに控えた一真がそれを許さない。邪魔にならぬよう姿勢を低くする刀華の上を、艦砲射撃じみた蹴撃の群れが圧倒的リーチを以てベルモンドの拳を迎え撃つ。

 いくら魔力を纏わせても流石にこれは霊装(デバイス)のない拳で防ぐのは危険だ。舌打ちしつつベルモンドは大きく後ろに退がり、2人を己の伐刀絶技(ノウブルアーツ)の有効範囲内に納めようとする。

 それを追い討つのはまたしても一真だ。

 空を踏んでの空中機動、だけではない。

 足場にして踏み切った空気を意図的に踏み破り、足の下で大気を爆発させる。

 

 「《駿馬の歩(インキタトゥス)》」

 

 強力な追い風と化した爆風をさらに踏み、一真はベルモンドの想定を越える軌道と超加速で正面から側面に……否、一気に背後まで回り込もうとする。しかしそれを許す程度の相手ではない。ベルモンドはやや驚きながらも、高速移動する一真を正確に捕らえる槍のような蹴りを放つ。

 奇襲に対するカウンターとしてはこれ以上ないタイミングだったが、2人を同時に相手取っているとなればその限りではない。

 一真が思わぬ機動で相手の目を惹くと同時に刀華が大きく前に踏み込んだ。一真が蹴るスペースを空けるために低くしていた姿勢をそのまま利用し、空にいる一真を蹴り上げるベルモンドの軸足を横薙ぎに斬りつけた。

 ここでベルモンドは初めて大きな回避を見せる。

 軸足の力を魔力で強化し、蹴り上げる力もプラスして跳んだ。直後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と一真の蹴りを器用に両足の靴底で受け止め、

 

 「《徹鋼の槍(ランチャフェッロ)》!!」

 

 伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 ベルモンドの足から噴き出した深緑の槍を刀華は射線から飛び退き、一真は逆の脚で砲身である足を蹴り方向を狂わせることで防ぐ。誰にも的中(あた)らなかった《突破の槍(ランチャフェッロ)》は床と天井に激突し、フロアを何階層もブチ抜く大穴をそれぞれに開けた。

 だが、それは悪手。空を駆ける者を相手に跳ぶなど、どうぞ好きにせよと言っているようなものだ。

 無防備な空中で襲い来る一真の蹴り。

 しかしベルモンドはまたも攻撃を以て防御する。攻撃がぶつかる衝撃を利用し、ベルモンドは再び距離を取ろうとする。

 その方向には既に刀華が回り込んでいたが、彼はそれを特に脅威とはしなかった。

 待ち伏せならそれも結構。カウンターなどしてくる前に潰す。

 空中で身を翻し姿勢を制御。相手よりも早く、速く───刀華をその攻撃ごと消し飛ばす一撃を放つべくベルモンドは足に魔力を込める。

 

 この状況で彼に誤算があったとするならば、東堂刀華は、今この場にいる()()()()(はや)い攻撃手段を有していた事だろう。

 自らの能力と武術を掛け合わせた彼女の切り札は、その名前がそのまま彼女の通り名になる程に畏れられてきた。

 

 

 「《雷切(らいきり)》」

 

 

 伐刀者(ブレイザー)ランクB。

 操る能力は『電気』

 鞘をレールにして刀身を撃ち出す()()()()()()()が、大気を爆散させながらベルモンドを迎え撃つ。

 

 直前に彼女の脅威を察知し、回避を間に合わせたベルモンドは流石だっただろう。

 魔力を無色のエネルギーとして一方向に向けて放出、強引に自分の進行方向を変えて刃を躱す。衝撃波はもう防御しなかった。追撃を掛けに来た一真に《徹鋼の槍(ランチャフェッロ)》。牽制と《雷切》による衝撃波の突破を同時に行い、その余波で刀華の身体が後ろに浮かんだ。

 

 「おっと!」

 

 すかさず一真がその先に回り込み飛ばされた刀華を受け止め、直後に刀華に向けて飛んできた深緑の槍を蹴りで相殺する。

 迎撃に次ぐ迎撃で不安定な姿勢となったベルモンドもそれ以上の追撃を止め、距離を取って相手を今一度分析し直す。

 ───個々の実力なら自分が1番上のはずだ。

 だが今の交錯、自分は攻撃の全てを完封されてしまった。

 ただ2人同時にかかってくるのとは訳が違う。

 お互いが出来ることを完璧に把握し、相手がどう動きたがっているかを完全に理解した、非の打ち所のない連携だ。

 

 「霊装(デバイス)は革靴みたいだね。断定はできないけど、見た感じ能力は《貫通》ってところかな。ゼロ距離であの威力は凄まじく厄介だね」

 

 「あの突きと蹴り、キックボクシングじゃねえな。サバットだ。俺とは違うから蹴りだけに気ぃ取られんなよ? インファイトになるとゴリゴリ殴ってくんぞ」

 

 「ボックス・フランセーズ? 確か投げや関節技も含まれてるんだっけ」

 

 「そりゃ違う流派(リュット・パリジェンヌ)だな。危険過ぎて競技化されてねえから教わんのは難しいと思うけど、警戒に越したこたァ無え」

 

 ……知識も分析力もある。

 想定以上の面倒臭さに、ベルモンドはまた舌を鳴らした。

 実力なら自分が1番上のはずだ。

 だがそれは相手が弱いこととイコールではないし、そしてあの2人は多少の実力差なら連携プレーで埋めてくる。

 

 (ここまで呼吸を合わせてくる奴等は正直見た事ねーな)

 

 日常的に深く関わっていないとああはならない。ベルモンドは思わずそう感心してしまった。

 が、それだけだ。

 どれだけ完成度が高かろうが、集団の弱点は変わらない。多対一などというありふれた状況など、今まで嫌という程に潰してきた。

 

 「……2人がかりなら勝てると思ってんのか?」

 

 そう吐き捨てて、ベルモンドは再び2人に襲いかかる。

 否、2人に、ではない。

 この時ベルモンドは、目に映る敵に明確な優先順位を付けていた。

 

 

 

 ────強い。厄介。

 2人の感想はまさにそれだった。

 初手の連携はほとんど奇襲のようなものだ。相手の得意を封じ、予想外を畳み掛け、本調子を出される前に終わらせる。

 流石にそう都合よくはいかないと知ってはいたが、せめて警戒させて相手に二の足を踏ませる程度の脅威は与えたかったのが本音だ。

 連携はうまくいった。

 こちらを警戒させることも出来た。

 

 だが攻撃を躊躇ってはくれなかった。

 この動きは、対処法を理解している者の動きだ。

 

 「ッッッ!!」

 

 突撃をかけてきたベルモンドは完全に刀華だけに狙いを定めていた。

 これを見た刀華は即座に刃から三日月型の雷撃を飛ばす魔法斬撃《雷鷗(らいおう)》を2撃、3撃と撃ち放つ。威力と範囲こそ一真の《覇者の威風(ラービナ・ニウィス)》がずっと上だが、攻撃が到達する速度はそれを遥かに上回るのだ。一真を起点とした連携からパターンを変え、相手の混乱を狙う。

 遠距離での制圧は()()の基本だ。これの回避に足を使わせながら、空を変則的な軌道で駆け抜けた一真が襲う。

 

 その途端、ベルモンドの姿が消えた。

 

 驚愕が喉から声になろうとするが、一真はそれを抑え込む。驚愕で止まりそうになる脳を強引に回す。

 ベルモンドが一瞬前までいた床には、穴が開いていた。

 

 「避けろ刀華ァァァぁああっっ!!」

 

 

 ゴンッッッッ!!!!と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 



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13話

 その奇襲を刀華が回避できたのは幼い頃から互いに、あるいは共に戦う内に自然に合うようになった呼吸と、積み上げてきた信頼の賜物だろう。

 全てを聞かずともこちらを見る表情と声音だけでその脅威度を推定。

 生み出した電熱による爆風と身体強化の伐刀絶技(ノウブルアーツ)疾風迅雷(しっぷうじんらい)》、全てを利用した全速力で()()()()()()()()

 飛び退く程度では喰らっていただろう。

 《雷鷗(らいおう)》の陰に隠れて床をブチ抜き下の階に移動したベルモンドの()()()()()伐刀絶技(ノウブルアーツ)が靴の踵を僅かに削った。

 

 「あーもう、大人しく死ねっての」

 

 開けた穴から飛び出してきたベルモンドが一直線に刀華に向かう。

 多対一の戦いは如何に効率よく相手の数を減らせるかが肝───ベルモンドはまず、この中で最も実力的に劣る刀華から仕留める事に決めたのだ。

 向こうがそう考えているのも刀華とて承知の上だし、自分が1番弱い(強いのだが)も否定しない。しかし逃げては勝てない、それもまた論じるまでもない話。

 刀華は身体を反転させ、真正面から迫るベルモンドに向き直る。

 直後全身に走る寒気。

 己の命脈を貫き(たお)さんとする絶死の深緑。

 だが抗う術なら知っている。後はそれを死ぬ気で実践するだけだ。

 

 「はぁぁあああっ!!」

 

 叫び、寸分の狂いもなく刃を振るう。

 頭、胸、胴、その他数ヵ所に大穴を開けんとする掠るだけでも致命的な悪魔の足が、一瞬の内に幾度も閃き───

 

 ────刀華は、その全てを受け切った。

 

 

 「っ?」

 

 ベルモンドの顔に僅かな当惑が浮かぶ。

 フェイントや変化の全てを織り交ぜた本気のラッシュ。それを足と腕、男と女、魔力の差、全ての要素で力負けしている刀華に一発もヒットしなかったからだ。

 地面に跪いて蹴りに対する面積を減らして攻撃の軌道を限定、さらに相手の生体電流を読み取り行動を先読みする伐刀絶技(ノウブルアーツ)閃理眼(リバースサイト)》。加えて反撃を考えず全ての意識を防御に割いたことで刀華は護身を完遂させたのだ。

 ならばと更に畳み掛けようとするがそこで時間切れ。ベルモンドの背後から、両脚に紫白を宿した一真が襲いかかる。

 

 「《制覇の馬蹄(クアドリガ)》ッッッ!!」

 

 ベルモンドが身を翻した瞬間、その場所を大気を突き破る一撃が通り抜けた。

 続く二撃目が放たれる前にベルモンドは一真に複数の蹴りを一気に叩き込む。

 膝関節を唸らせほとんど同時に猛スピードで襲い来る革靴の群れを一真は地面に倒れるように回避するが、そこで完全に姿勢が死んだ。反撃どころか次の行動にも移れなくなった一真にターゲットを変え、ベルモンドはまず片方を終わらせるべく(とど)めの一撃を振り上げる。

 ──が、違う。崩れた姿勢は完全なフェイク。

 バレエで鍛え上げた一真の体幹は、()()()()()()()()()()()()()

 

 (かかった! 喰らえ!!)

 

 完全に決める気のベルモンドを心の内で笑いつつ、一真は腰の入った本気の回し蹴りを繰り出した。

 倒れかけの姿勢からは考えられない動きと威力。幾人もの強敵を屠ってきたこれは、初見殺しの常套手段として一真は大きな信頼を寄せており───

 

 ───それがあっさりと防がれた。

 まるでそう来ると知っていたかのように振り下ろした足で膝関節を正面から踏むように蹴られ、蹴り脚を強引にストップさせられる。

 

 「似たことをしてくる奴がいてな」

 

 奇襲とはそれが防がれた場合、往々にして仕掛けた側が窮地に陥るものだ。例に漏れず悪い姿勢で固められ凍りついた一真に、《貫通》の砲台と化した拳が照準を合わせた。

 

 「カズくん!!」

 

 一真が貫かれる寸前、飛び込んできた刀華が刃でベルモンドの腕を打ち据えんとする。

 これにもベルモンドは反応、手の甲で《鳴神》をパリング。刀華といえど伐刀絶技(ノウブルアーツ)を纏ったその腕を切り落とすことは叶わず逆に弾き飛ばされるが、その間に一真は危機的状況から脱した。

 ───この女、さっきより速くなってねえか?

 ベルモンドの脳裏に過る違和感。一真は立ち上がる間も惜しんで刀華のカバーに入り、追い打ちに入ろうとした敵を牽制する。

 

 「無事だったか!?」

 

 「お互い様! もう1回いこう!」

 

 失敗を振り切り一真はそのまま攻勢に転じる。

 互いの武器を荒れ狂う蛇のように絡ませ、目で追うことすら不可能な速度で削り合う2人。

 武の錬度で言えばベルモンドがまだ上回っているが、今戦況は拮抗していた。

 

 「チッ……!」

 

 理由は幾つかある。まずベルモンドが扱う武術。

 サバットとは外出時の護身術を基盤として発展した武術だ。

 その特性上、爪先の硬い靴を履いている、あるいは靴底にナイフを仕込んでいることを前提として技術が組み立てられているため、現在の競技化されたサバットでは『爪先をヒットさせたらポイント』『防御に脛を用いない』などの特徴があり、『蹴った足を戻さず膝から先のみを使ってもう1度蹴る』という独自の技術も見られる。

 ここで重要なのが相手との間合いなのだが、ベルモンドはリーチにおいて一真に遠く及ばない。

 次に武器の差。

 ベルモンドの霊装(デバイス)は革靴。能力共にサバットを活かすに理想的な武器だが、一真の霊装(デバイス)は腿まで覆う脚鎧(ブーツ)だ。

 サイズが小さく防御に向かない故に攻めて攻めて攻めきるのがベルモンド流だが、大きくリーチを離されていてはそれもなかなか通らない。蹴ってきた脚を狙って蹴り返そうにも、そこは鎧に覆われた箇所なのだ。

 駆け引きや技術の錬度、スピードなど根本的な実力では勝っている。ただ相性が悪い。

 ならばここから詰める手段は懐に潜り込んで手技によるインファイトになるのだが、それをカバーしているのが刀華だ。

 

 「ふ─────っ!!」

 

 潜り込もうとしたベルモンドに絶妙なタイミングで横槍を入れる。電流で磁界を作り太刀筋を自在に変化させる《稲妻(いなずま)》を前にさしもの彼も戸惑いを見せたが、まだ自分の方が速い。一歩後ろに下がりながら即座に撃ち貫こうと構え、

 

 待て。あのデカブツはどこだ。

 

 「《懲罰の振り子(ペンドゥリポエナ)》」

 

 身体を独楽のように回転させて極限まで遠心力を溜め込んだ回し蹴り。

 ほとんど落ちるような角度で飛んできた鉄槌が、空振りの余波だけで床に大きな亀裂を入れる。

 ……どこに消えていた?

 一真の蹴りを寸前で回避したベルモンドは分析する。

 見逃したのとは違う。2人がかりとはいえ双方に注意は切らしていなかったはず。そんな事を考えている時、()()()()()()()()

 

 「《雷切(らいきり)》!!!」

 

 背後。鞘鳴り。再び牙を剥いた超音速の抜刀は前に跳んで回避し、爆散する大気は背面に魔力障壁を展開し防御。風に乗るようにそのまま大きく退がり、不可解な現状の脱出を試みる。

 また男が消えた。後頭部を狙う爪先を頭を下げて躱す。女が消えた。雷を纏った刃が空間を広く焼き斬る。

 現れては消える2人の攻撃が、互い違いにベルモンドを攻め立てていた。

 

 

 ────《抜き足》と呼ばれる技術がある。

 脳が視覚情報を処理する際、脳のオーバーヒートを防ぐため勝手に『不要』と判断して見ていながらにして認識を放棄する情報領域。そこに己の存在を紛れ込ませることで相手の視覚的な認識から自分自身を消し去る、《()(けつ)》と呼ばれる男が作り上げた古流武術の歩法だ。

 また、その男に師事する2人もその歩法の使い手である。

 舞踏に精通した結果、他者の呼吸と行動のリズムから意識の隙間まで把握する一真。

 生体電気を読み取る《閃理眼(リバースサイト)》で神経の活動すら把握し、相手の行動を先読みしてしまう刀華。

 これらの要因で《無缺》の弟子の中でも特に《抜き足》に秀で、さらに幼い頃から毎日のように競い合っていた2人だからこそ可能な連携技がこれだった。

 片方が強力な攻撃で敵の気を引き、もう片方が《抜き足》で潜り込んで攻撃。その攻撃でまた僅かにでも気が逸れれば、そこに潜り込んでまた攻撃。そんな極シンプルな戦法を、()()()()()()()()()()()()()

 

 その名を《(らい)()》。

 ひとたび嵌まれば脱出は至難、実戦で多くの格上を打ち倒してきた強撃の波状攻撃だ。

 

 雷と刃と鉄槌の乱舞に空気が爆ぜ、破れ、吹き荒れる。まるで積乱雲の中に突っ込んだかのような猛攻に、ベルモンドは荒々しく舌を鳴らした。

 ───完成されている。互いの技術の相乗効果で、()()()()()()()()()()()()

 互いの手札、実力、性格に至るまで全てを把握し落とし込まなければこの連携は生まれない。こいつらは常に肩を並べ、あるいは競い合ってきたのだろう。

 

 侮りがあった。認めるしかない。

 所詮平和ボケした島国、強さなどたかが知れている。実戦で役に立つような人間は少ないだろうと、タカを括ってここに来た。

 

 「刀華。()()()()()()

 

 一真の問いに返答はない。

 ただ応じるように、鮮烈な電光が瞬く。

 ()()()。待ちに待った期の到来に、一真はさらに意識を攻めに傾注させる。

 気が逸っている訳ではない。ここで終わらせなければならないのだ。

 相手が自分達の連携に戸惑っている内に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 突然に戦闘力のギアが上がった刀華に合わせてさらに勢いを上げた一真、電光のように現れては消える2人の計算され尽くした嵐が如き乱撃の最中、ベルモンドは大きく後ろに下がった。

 それぞれの方法で次の行動を読んでいた2人は間髪入れずに追撃、後退を劣勢の表れとみてさらに攻撃の手に拍車を掛けようとする。

 ───だが、それは大きな間違いであったと彼らは直後に思い知る。

 その後退は退避ではなく、言うなれば拳銃の撃鉄を起こすのと同じ行為であると。

 今の今まで存在していた『縛り』が、ここに来て完全に捨て去られてしまったのだと。

 

 革靴の霊装(デバイス)《カヴァレッタ》。

 ベルモンドの魂に宿る力が、全開の殺意を解き放つ。

 

 

 「──────《欺神の杖(ラ・カン)》」

 

 

 

 全てが消し飛んだ。

 少なくとも一真は、そう感じた。

 

 

 

     ◆

 

 

 「た、たすけてえええええ!」

 

 赤いTシャツを着た若い男が、中年女性のこめかみに拳銃を突きつけている。

 

 「ガキども動くんじゃねえ! 動くとこのババァの頭を吹っ飛ばす!」

 

 一階の吹き抜けに集められた人質を救出するべく動いていた彼らだが、残念ながらスムーズに事は進まなかった。

 1番に矢面に立ったステラがビショウの能力を相手に不覚を取ってしまい、人質の安全と引き換えに下された()()()()()()を呑まざるを得なくなってしまったのだ。

 その後人質に紛れていた珠雫(しずく)の支援を皮切りに人質を巻き込む乱戦を避けるために動けなかった一輝が即座に参戦。()()()使()()()()()()()この場の首魁たるビショウの両腕を躊躇いなく斬り落とし、ステラの手により他のテロリスト達も制圧されて事件は終結───とはならなかった。

 

 「カッカカカ……人質の中に紛れてたのはテメェらの仲間だけじゃなかったってことだよ間抜けがぁあ!」

 

 「ビショウ………っ」

 

 人質に紛れた部下が確保した人質を盾に、落とされた両肩から血を噴き出しながらビショウは高笑いを上げる。

 何かをやらかす前に斬り捨てるというのも出来るが、ああも銃口に密着していては暴発が怖い。

 珠雫をゴスロリのチビと呼ばわったビショウが、回復魔術が使える彼女に両腕を治癒しろと喚いている。

 ここは従うしかなかった。

 

 「お兄様……」

 

 「……仕方ない。ここは言う通りに────」

 

 

 何かが起きた。

 

 ゴッッッッ!!!!と、直上を飛行機が通過したような轟音が通過。

 何事だと全員が弾かれるように上を見上げれば、そこにあるのは『破壊』の2文字だった。

 巨大な何かが貫通したかのような大穴を開けられた上の階層。残像のように残った深緑の色。

 そしてそこから風に煽られるように落下してきたのは。

 

 「刀華さん!? ……カズマ!?!?」

 

 「~~~ッッッ今すぐ人質を逃がせぇえっ!!」

 

 一輝たちの姿を認めた一真が必死の形相で叫ぶと同時に、別の男が大穴から飛び出してきた。

 金髪碧眼。整った容姿。

 産まれた国の若い男性としては理想に近いその姿を見て、しかし胸中を満たしたのは憧れではない。

 (おぞ)()。戦慄。

 今まで味わってきたどれより強い、背を向け逃げ出してしかるべき類いの感情。

 嫌でもわかる。わからせられる。

 

 (あの男────強すぎる!!!)

 

 「《罪業の雨(ランポ・ドローレ)》」

 

 一言。

 まるで彼の蹴りが指揮棒であるかのように。

 1つ1つが大地を貫く絶死の槍が、地上にある全てを消し飛ばさんと雨となって降り注いだ。



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第14話

 それを見た一真は身を翻して空中に着地。

 降り注ぐ《貫通》の群れに対して、抗うように漆黒の脚を蹴り上げる。

 

 「《不抜の城壁(ニゲル・カステルム)》ッッ!!!」

 

 そこから展開されたのは巨大な壁。

 雨天に傘を開くような紫白の天蓋が《罪業の雨(ランポ・ドローレ)》と衝突。その全てを受け止め、下にいる一輝や人質たちを守り抜いた。

 

 しかし───これは本当にまずい。一輝やステラ達は即座に状況を理解する。

 話には出てきていたあの男は、間違いなく人質の存在、つまり目的の達成を度外視して戦っている。

 一真と刀華をそれ程の強敵と認めたのだろうが、こちらはそうはいかない。今、人質が足枷となっているのはこちらだけだ!!

 

 「ステラと珠雫! 人質を外へ逃がして!! あの流れ弾や戦闘の余波から大人数を守れる能力を持ってるのは君達だけだ!!」

 

 「イッキはどうするの!?」

 

 「僕は─────」

 

 「カァッッッッ!!!」

 

 女声とは思えない叩き付けるような咆哮。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()東堂刀華が空中で身を翻して着地し、鬼の形相で再び空に躍り上がった。

 能力の応用で磁力を操って建物内部の鉄骨と引き合い猛スピードで魚のように宙を駆ける。槍の雨が止んだ一瞬を突っ切り猛烈な一閃を叩き付けた。

 ベルモンドがそれを受け止めると同時に一真も空を蹴り上昇。空中で移動する手段がない敵をそのまま空中で仕留めるために一気に距離を詰める。

 しかし相手はそれを許すほど甘くなかった。放たれた一真の蹴り脚をベルモンドは靴底で踏み、そして()()

 一真の蹴りを逆に踏み台にしたベルモンドが一気に地面へと落下する。

 ミサイルのような勢いで着地した彼と、背中にステラや人質たちを庇う一輝の目が合った。

 判断する。強者であると。

 行動する。排除すべしと。

 

 「イッキ、加われ!! そいつは《貫通》使いだ!!」

 

 「僕たちは─────ここで彼を倒す!!」

 

 《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》。

 体内で荒れ狂う全開の魔力が、黒鉄一輝を魔の住まう域へと押し上げる。

 直後、畳み掛けるように襲ってきた絡み合う鋼の爆音に今まで極限状態にあった人質たちがとうとうパニックを起こしかけるが、ステラの『威厳(カリスマ)』は健在。戦闘音すら押し潰す大きな一声で強引に人々を纏め上げ、珠雫を先頭、自分を殿(しんがり)に置いて爆心地から迅速に撤退を開始した。

 

 横殴りの雨のような蹴りの束を前に、抜かせてなるかと踏み止まる。

 一発一発の完成度の高さにさしもの一輝も圧倒されるが、彼には1年間、毎日のように蹴り技の専門家と戦ってきた経験がある。

 関節を狙う蹴りを躱し、突き込まれた爪先を柄尻で逸らし、フェイントを見抜いて防御。強さを得るため独り磨いてきた観察眼がその存在理由を遺憾無く発揮し、格上を相手にギリギリの綱渡りを成立させる。

 と、そこに空気が爆ぜる音が乱入。

 さっきのベルモンドとやった事は同じ。脚に刀華を乗せた一真が、そのまま脚を振り抜いて彼女をベルモンドへと射出したのだ。

 それを察知したベルモンドは即座にカウンター。空中から一直線に吶喊してくる刀華に対して突き刺すようなハイキックを繰り出して頭部の破壊を目論んだ。

 

 それを刀華は寸前で躱した。

 磁力によって微妙に軌道を変え、掠る寸前の極限の間を通り抜けて《鳴神》の刃がベルモンドに迫る。

 

 この戦いの中で1番の驚愕。喉元に迫る刃を回避してベルモンドは目を剥いた。

 ここまでの動きから考えて、相手の突進と自分の蹴りの速度を合算した今のカウンターを回避できるスペックはこの(刀華)にはないはずだ。さっきも思った事だがこの女、反応速度に魔力の出力や制御───その他あらゆる能力が爆発的に強化されている。

 そう、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()───

 

 「っ!?」

 

 回避した先にまるで予期していたかのように回り込んでいた一輝の一太刀を靴で弾く。

 ───この男も読みが尋常ではない。前後を挟まれる布陣から脱するべく、ベルモンドは攻勢を以て打開を図る。

 一点の突破力においてベルモンドの右に出る者はいない。

 足に魔力を込め伐刀絶技(ノウブルアーツ)を装填。

 目の前の(一輝)に撃ち放とうとした、その瞬間。

 

 「しゃアッッ!!」

 

 乱れ飛ぶ刀の間を縫うように一真の蹴り。

 柔軟な股関節をフル回転させたトリッキーな軌道で、(まわ)るようにベルモンドの後頭部を狙う。

 到底無視できない一撃。ベルモンドは伐刀絶技(ノウブルアーツ)を諦め、そちらに対処せざるを得なくなった。

 そこに再び《鳴神》と《陰鉄》が襲いかかる。

 人数の有利。手数の有利。得物や体格によるリーチの有利。

 三方向から包囲する陣形で、一真たちは徹底的にベルモンドの全てを封殺にかかった。

 

 「─────────ッッ!!!」

 

 舌打ちをする余裕もない。

 《陰鉄》を躱し、《鳴神》を弾き、軸足で地面を蹴り《プリンケプス》から逃げる。

 それでも3人がかりで一撃のヒットも許さないベルモンドの技量に、互いの邪魔にならない間合いは維持しつつ動き回る相手に包囲を崩さない一真たちの冴え。双方共に凄まじいが、こうなると戦いは一気に消耗戦に突入する。

 集中力を切らした方が負け。

 ベルモンドとて余裕はないが、隔絶した実力差を人数で補っている一真たちも厳しい。誰かが綻べばそこからあっという間に突破されるだろう。

 

 技に狂いや淀みはなく、しかし心には焦燥が貯まる。

 何故なら、どう有利に進めてもこの包囲はあと一分もせず崩れるから。

 ここまで全力で攻め立てて(なお)、ベルモンドの顔には────汗は浮かんでいても、焦燥など浮かんではいなかったから。

 

 

 白兵戦の戦場は雨の日の湖面のようなものだ。

 指揮官の命令が兵隊を動かし、その動きが全体に広がることで『動』の波紋が生まれる。

 そこを逆算して兵隊の動きから敵の指揮官を探るのは彼の常だった。

 この状況は『戦闘』ではなく『戦争』であると認識を置き換えたベルモンドは、無意識下の思考の末、とうとう解答を導き出した。

 

 呼吸すら許されぬ乱戦の中、ベルモンドは唐突に全身の力を抜いた。

 回避や防御すら放棄した無防備な姿に、一斉に霊装(デバイス)が襲い掛かる。刃が肉に食い込み血が漏れ、漆黒の脚鎧(ブーツ)が眼前に迫る。

 ───これは対価。

 状況の打開に対して支払う当然のリスク。

 瞬間的な脱力(リラックス)により生み出されるのは、直後の行動の瞬発力だ。

 

 

 「テメェが元凶か」

 

 

 傷が深手まで進行する一瞬前。

 全身に深緑の《貫通》を纏ったベルモンドのタックルが、一真を遥か向こうへと連れ去った。

 

 競艇のボートにフルスロットルで突っ込まれたら多分こんな感覚なのだろう。ギリギリで脚を間に挟んだにも関わらず、一真は胴体が分断されたような感覚を覚えた。

 一真の巨体を抱え込んだままいくつか壁をブチ抜き、手近な柱に全速力で叩き付けてようやく停止。魔力防御は間に合わせたが、連携は完全に分断された。

 だが、まだ終わりではない。

 タックル直後の密着した姿勢は、完全にベルモンドの間合いだ。

 

 「《殺人蜂(イーラ・トルトゥーラ)》───!!」

 

 両の拳に深緑を纏い、機銃のようなラッシュが一真の胴体を滅多撃ちにする。

 一撃一撃が装甲車を竹輪にする乱打を喰らった一真が苦悶に叫び口から鮮血を散らした。

 だが、その目はまだ死んでいない。

 食い縛った歯の隙間から赤色を漏らしながら、獣の眼光で敵を睨んでいる。

 

 「……妙な性質(タチ)の魔力しやがって」

 

 ベルモンドが忌々しげにぼやくと同時。

 

 「《天衝角(イグニフェル)》ッッッ!!」

 

 咆哮を上げ、《踏破》の魔力を一点に集中させた膝蹴りがラッシュの中に叩き込まれた。

 触れなくても吹き飛ばされる膨大な圧力。《殺人蜂(イーラ・トルトゥーラ)》では相殺は不可能、当たれば只では済まないだろう。

 ベルモンドはラッシュを中断して軽くジャンプ。迫り来る一真の膝を踏むようにドロップキックを放ち、そして激突。

 防御には成功。だが、衝撃と反発力でベルモンドの身体が吹き抜けの上空に高々と吹き飛ばされた。

 そう、身動きが取れず狙い打ちの的と化す空中へと!!

 

 (~~~~~~ここを逃すと後がねえっっ!!)

 

 崩れそうになる身体を奮い立たせ、一真は地面を蹴る。

 空に投げ出されたベルモンドを追って床を踏み砕き、弾丸のような勢いで空に躍り出た一真を見て、慌てて援護に入ろうとしていた一輝と刀華もその意図を理解。

 刀華は磁力で宙を舞い、一輝は卓越した身体操作能力と超ブーストしたフィジカルに物を言わせ、時折《陰鉄》をスパイクにしながら()()()()()()()()()

 ───ここで終わらせる。

 そして一真は空中で両脚に魔力を充填。

 熱された鉄のような光を放つ《プリンケプス》から、紫白の魔力が翼のように吹き荒れた。

 だが、この展開こそベルモンドの思惑通り。

 こうして空中に出れば一真たちは好機と見て一斉に襲いかかってくる。

 上にいる自分を狙って、全員が下から迫ってくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ───後はそこを一網打尽にしてしまえばよい。自分にはそれが出来る力がある。

 両脚と両拳。ベルモンドの四肢に大量の魔力が流し込まれていく。

 

 ここで決着を付ける。

 お互いに思惑を察知しても、しかしやるべき事は変わらない。

 

 「振り下ろせ………ッッ!!」

 

 「撃ち貫け────」

 

 

 最初の接触は一真とベルモンド。

 相手が不安定な場所にいる内に、または距離が離れている内に相手より先んじて相手を潰すべく2人が選択したのは、持てる攻撃の中で最も威力と手数に優れた遠距離攻撃だった。

 

 「《天譴の弔砲(セパラトゥス・エールプティオ)》ォ!!!」

 

 「《尖鋼の交響曲(オーロ・ディ・カヴァリエーレ)》!!」

 

 2人の蹴りから放たれたそれぞれの能力が巨大な光線となって激突、紫白と深緑が混ざり合った大爆発を起こして2人の視界を遮る。

 嵐のような爆風に煽られるベルモンドに対して刀華は《雷鷗》を連射しつつ空中から吶喊。一輝は垂直方向の疾走から雷の弾幕に隠れる位置で急停止し、特攻も厭わず壁を蹴り空を突撃せんと構える。

 木の葉のように回るベルモンドは、それでも2人を正確に捉えた。

 両拳に宿した《尖鋼の交響曲(オーロ・ディ・カヴァリエーレ)》で迎撃。

 《雷鷗》を糸屑のように千切りながら迫る2つの巨槍を、2人は全力で飛(跳)び退いて躱す。

 決死の攻撃は退けられた。

 だが、これでいい。

 2人の目的はベルモンドの注意を引き、四肢に装填された伐刀絶技(ノウブルアーツ)を全て撃ち切らせること。

 そうすれば、彼がその隙を突いてくれる。

 

 魔力の爆風を突き破り、空を駆けた一真がベルモンドに肉薄した。

 

 伐刀絶技(ノウブルアーツ)が衝突し爆発が発生した瞬間、彼は刀華と一輝がベルモンドに攻撃していると信じて突撃を仕掛けたのだ。

 爆発そのものを目眩ましにして爆風も爆発も()()()()()進み、2人が作り出したはずの隙を突くという、全てが信頼で成り立った奇襲は今、こうして実を結んだ。

 不安定な姿勢。身動きの取れない空中。そして偶然にも背後を取れたという幸運。

 全てを満たした一真の渾身の蹴りが今、ベルモンドに放たれ───

 

 そしてベルモンドは、一真の脚も届かない至近距離に潜り込んでいた。

 

 「な…………ッッ!?」

 

 一真の背筋が凍る。

 空中では動けないはずのベルモンドが今、不自然な挙動で自分の蹴りを躱しながら自分の懐に侵入してきたからだ。

 ───これは能力ではない。ベルモンド自身の技術だ。

 常に爆風と爆音が飛び交い視覚も聴覚もまともに利かなくなる戦場で、僅かな空気の流れの変化で敵の位置や動きを把握する技能。

 高空から落下する際、身体の動きで空気抵抗をコントロールし姿勢と軌道を変化させる技能。

 あらゆる作戦に従事した経歴が作り上げたのは、あらゆる状況に即応する桁外れの柔軟性だった。

 拳に宿る深緑はここに飛ばされる直前に見たものと同じ。

 つまり彼は《尖鋼の交響曲(オーロ・ディ・カヴァリエーレ)》を撃った瞬間から、あるいは撃つ前から並列して溜めていた事になる。

 読まれていたのだ。

 心臓を握り潰されそうになりながらも魔力防御を固めるが、さっきの激突でもうわかっている。この程度で()()は防げない。

 刀華と一輝が表情を凍らせているのが見える。

 援護に入ろうとしているようだが、この距離だとどうやっても一真が殺される方が早い。

 

 死を前にして、一真は吼えた。

 断頭台にかけられて尚、首に食い込む刃を押し退けんとばかりに。

 殺人と簒奪を功績と言い表す輩が強者としてのさばる不条理に、最期まで負けぬと抗うように。

 だが、奇跡は起こらない。

 思考で、行動で、偶然という要素を全て排しているのなら、全ては必然の元に帰結する。

 これが結末。

 深緑の死神が、死の宣告を突き付ける。

 

 「《欺神の(ラ・)─────」

 

 

 奇跡は起こらない。

 全ては必然の元に帰結する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『やっと狙えるよ』

 

 鮮血。

 レオ・ベルモンドの脇腹に、透明な何かが突き刺さった。



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15話

 「がっ………!?」

 

 この戦闘で初めてベルモンドが傷を負う。

 驚愕と激痛に硬直した隙に一真は脱出、ベルモンドは透明な何かが飛んできた方向に向けて《欺神の杖(ラ・カン)》を放つが、脳内に直接響くような男の声は消えなかった。

 

 『ちょっと、そんな危ないもの撃たないでくれよ。死んじゃうだろ』

 

 立て続けに放たれた不可視の矢。肩を射抜かれ身体を削られ、ベルモンドは慌てて全身に魔力による防殻を纏う。

 刺さった『何か』は、形状の感触から考えると恐らくは矢だ。しかし見えない、聞こえない、感じない───飛んで来る矢も、下手人の姿も!!

 

 「!!」

 

 頭上に差した影。

 追い討つ一真の蹴りをベルモンドは咄嗟に飛び退いて回避。身体へのヒットは逃れたが蹴りは展開した防殻に衝突し、蹴りが当たった部分の防殻がごっそりと削られた。

 

 (やべえぞ、こいつは)

 

 ベルモンドの背筋に冷たい汗が流れる。

 あちこちから飛来する音も気配もない不可視の矢を防ぐには、本気の魔力防御を全面に展開するしかない。

 ───だが、いま判明した『一真(デカブツ)の蹴りは魔力防御を容易く破る』という事実。

 魔力防御に全力を注いでいる間は伐刀絶技(ノウブルアーツ)が使えず、しかもその防御は一真に通用しない。

 かといって魔力防御を解いて戦えば延々と幻影の射手に苛まれる。

 

 「っっっっらぁ!!!」

 

 形振(なりふ)り構わない瞬間で出せるだけの最大出力で魔力を爆発させ、迫ってきた刀華も振り切ってベルモンドは矢の射線を絞れる位置まで一気に飛び上がる。

 自分が最大の集中と洞察を発揮しても毛ほどの存在も感じ取れない敵がいるという事実はベルモンドを確実に動揺させ、警戒を最大レベルまで引き上げていた。

 ───まだチャンスはある!!

 思わぬ形で再び訪れた好機に一真たちは闘争心を奮い立たせ、さらに攻勢に出ようとした瞬間。

 

 

 『て言うかさぁ。お前が誰だか知らないけど、もう退いてくれない?』

 

 

 脳内に響く聞き覚えのある声による思わぬ提案に、一真たちの動きが止まる。

 そう───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 声の主が誘導せんとしている『結末』が現状況での最善であることを理解したのだ。

 

 「……あぁ?」

 

 『退いてくれって言ったんだよ。そっちの目的が金ならこれ以上続けるメリットないだろ。

 それにお前バケモノみたいに強いし、こっちもこれ以上やりたくないんだよね、マジで。

 まぁ退いた方がいいんじゃない? 流石にヤバそうだったからこっちも応援呼んだからさ。ここを襲ったなら近くに騎士学校がある事くらい調べてるだろ?』

 

 言葉はテーブルに並んだカードを捲るように、弁舌は手札の役を揃えるが如く。

 交渉という名の戦闘で、男の声は切り札の刃をベルモンドの喉元に添える。

 

 

 『破軍学園理事長、《世界時計(ワールドクロック)》新宮寺黒乃。

 ……KOK元3位の名前だ。知らないとは言わせないぞ』

 

 

 しばしベルモンドは黙考した。

 高所から見下ろして声の主を探しつつ、目視は可能な一真たちの様子を見る。

 攻撃してくる気配はない。声の主の提案に自分が()るか反るかを待っているのだろう。

 肩と脇腹の傷は………浅くはない。

 

 「…………、………」

 

 結論など最初から決まっているようなものだった。

 功績を積みに来たはずがまさかこんな目に遭おうとは、どうにも(まま)ならないものだ。

 やれやれ、とベルモンドは仕方なさげに溜め息を吐き、

 

 

 眼下の一真たちに向けて、極大の一撃を放った。

 

 

 「「「 っっっっ!?!?!? 」」」

 

 仰天した一真たちは慌てて退避する。

 極限まで《貫通》の純度を高めたそれは空気を揺らさず余計な破壊を生み出すこともせず、ただ地面を円筒に深く、大きく抉った。

 まさかの交渉決裂に歯噛みしながら一真は再び吹き抜けの空へと飛び出す。

 

 ベルモンドはどこにもいなかった。

 そこにあるのはただ天井に開けられた、直前までは無かった穴から覗く青空のみ。

 警戒すること数分。

 金髪碧眼が再び襲ってくることはなく、静寂は音無くして戦いの終結を語る。

 

 ─────終わったのだ。

 目的の達成を祝う声も上がらず、快哉を叫ぶ者もいない。

 ただ心から安堵し脱力する彼らの姿は、まさしく過ぎ去った災厄の大きさを表していた。

 

 

     ◆

 

 

 大きな被害を被ったショッピングモール、それを囲んで騒然とする人々。

 有栖院凪(アリス)が能力で自らの影に収容していたビショウと手下1人を警察に引き渡し、事情聴取を終えた一真たちは近くにあったベンチにぐったりと融けていた。

 

 「……死んでたな。俺は」

 

 ぽつりと漏らした一真の言葉を否定する者はいない。それほどまでに、あの男は強敵だった。

 

 「ベルモンド、って言ったっけ。……あの人は、刀華さんといる時に()(くわ)したの?」

 

 「ああ。最初の方はまァまァ上手いこと勝負を運んでたんだが、途中から向こうがスイッチ入ったみたいでな。一撃で全部引っくり返された。

 見えてたか? 俺の《プリンケプス》、アレで(ひび)入れられたんだぞ。咄嗟とはいえ防御したってのに」

 

 「!? 霊装(デバイス)にヒビって、どれだけふざけた攻撃力なのよ……。それで、トーカ先輩? は、その……大丈夫なの? それ」

 

 ステラが恐る恐る尋ねる視線の先には、同じようにベンチに腰掛けた刀華がいる。

 ただし、疲労の度合いはこの中でも段違いで高い。

 隣の一真に(もた)れかかって寝息も立てない位に深く、死んだように眠っている。

 睡眠というよりは昏倒に近い。

 人は何をすればこうなるのか、一輝はよく知っている。

 まだ《一刀修羅(いっとうしゅら)》が未熟だった去年の頃、自分は本気で戦う度にこうなった。

 

 「……やっぱり。カズマ、()()()()()()()()()()()()()()んだね」

 

 その言葉に一真が頷く。

 

 《戦踊(せんよう)(かみ)()ろし》。

 舞踏(ダンス)のノウハウを深いレベルで武術に落とし込み生まれたその技術は、彼の師と姉弟子にそう名付けられた。

 味方の『呼吸』を感じ・読み取り、味方が最も優れたパフォーマンスを発揮できるように立ち回る。すると味方は徐々に調子を上げていき、一真もそれに合わせてさらに動きやすいように動く。

 それを繰り返し己の絶好調を更新し続けるその果てで、味方はとうとうトランス状態───脳のリミッター解除にまで至る。

 ………わかりやすく言うのなら。

 一真は舞踏(ダンス)由来の息の合わせ方で、共に戦う仲間をトップギアの遥か向こう側へとエスコート出来るのだ。

 

 「もう短期決戦しかなかったからな。その上でこのザマだ。お前らと合流できなきゃ俺らも人質も全員お陀仏だったろうよ……胸を張れる程度にゃ鍛えてきたつもりだったが……まだまだ(よえ)えなァ、俺も」

 

 「……みんな同じ気持ちだよ。あと弱いと言えばカズマ、殴られた場所は無事なの? 平気そうにはしてるみたいだけど」

 

 「ん? あァ、ま、大丈夫っケプ」

 

 そう答えた瞬間、詰まったように咳き込んだ喉から昇ってきた血が一真の口の端からどろりと溢れた。

 仰天したのは一真ではなく周りの人間だ。当然である、明らかに早急な治療が必要な人間が今の今までポーカーフェイスを貫いていたのだから。

 

 「ちょっ、大丈夫じゃないじゃない!? 何で今まで黙ってたのよ!!」

 

 「……いやだって刀華がほら……」

 

 「流石に自分を優先しようよ!? 内臓の怪我は完全に赤信号だって!」

 

 「確かに、ちょっと洒落にならないわね。でも心配ないわよ、シズクがいるんだから」

 

 何かしらの好機と見たか、アリスが彼女へと目線を遣る。

 少し離れた所にいた珠雫が気軽な調子で回されたお鉢にピクリと震えた。

 

 「……は? なんで?」

 

 「自分の能力の応用で回復魔術が使えるのよ。効果は折り紙付きよ、魔力制御の能力ならシズクは学園でぶっちぎりのナンバーワンなんだから」

 

 「! そ、そうなんだよ。今回人質を無事に逃がせたのも珠雫のおかげなんだ。僕らが敵を倒している間、人質をみんな守っていたからね」

 

 「………、」

 

 兄としてもチャンスだと思ったのだろう、(詳しい事情までは知らないだろうが)アリスの意図を察した一輝もすかさず乗っかった。

 気を遣われる居心地の悪さに身動(みじろ)ぎする珠雫。

 ───人質を守った。回復魔術。

 アリスと一輝の顔を交互に見た一真は口の中でその2つを呟き、そして尋ねる。

 

 

 「そいつ、人の為に何かする奴じゃないだろ」

 

 

 「……っ!!」

 

 「あら……」

 

 「なっ……」

 

 あまりにも素で放たれた疑問だった。

 全身を強張らせた珠雫と少し困惑したアリス、そして反論こそ出来ないものの一輝も顔を引き攣らせた。

 流石に失言だと自覚したのだろう、滑り出た言葉を慌てて拾うように一真は口を動かそうとした。

 

 「あ、いや、悪かった。その………」

 

 「やれやれ、相変わらず烙印みたいなセリフを言うよねえ。謝るくらいなら言うなっていうんだ」

 

 背後からの足音に振り向く。

 そこにいたのはあの戦いの場に突然現れた、見えざるもう1人の姿だった。

 

 「よおMVP。遅い登場じゃねえか」

 

 「一緒に来てた子の無事を確認しててね。()()()()()()()()()()()()()()()()、僕は」

 

 「運動してねえってだけだろ? MVPは間違っちゃいねえよ。あの戦いにケリを付けたのは間違いなくお前なんだから」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()───Cランク伐刀者(ブレイザー)桐原(きりはら)静矢(しずや)に一真は惜しみ無い称賛を贈る。

 そして一真の言葉は決して誇張ではない。

 桐原がいなければ戦いはあのまま続き、取り返しの付かない結末を招いただろう。

 

 「実戦じゃああいうテクニックも必要になってくるんだな、勉強になったぜ。……マジで理事長呼んだのか?」

 

 「ハッタリだよ。あの男を見つけたのは君たちが戦ってるのを見つけた時だからね。呼び出してる暇なんてなかったさ」

 

 「だよなァ。お前だって人知れず死んでても不思議はなかったし」

 

 「まったくだ。あの攻撃ちょっと掠ったんだぞ? 全力で走ったっていうのにさ」

 

 はははと軽く笑い合う2人だが、笑っているのは一真だけだ。桐原の笑顔は今にも崩れそうなくらいに引き攣っている。

 当たり前だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「……つーかよ。お前、まだ学校いたんだな」

 

 

 明確な敵意に空気が凍る。

 桐原の顔からは虚勢が消え、一真は眼を細く研ぐ。

 笑みにも似た形に歪む口角に浮かぶのは、数秒前の友好的な態度からは想像など出来ないような強い嘲りだった。

 

 「いや、心配してたんだぜ? 去年あんだけボコったから、もうこの先見ることもねえんだろうなァってさ」

 

 「……カズマ」

 

 「まさかここに(ツラ)見せにくるとは驚きだよなァ、あいつ良い仕事したなで終わらせられたのに。度胸あんぜ実際。てか何しに来た? 誉めて欲しかったのか」

 

 震える身体。滝のように流れ出す汗。

 石のように強張る身体の感覚が薄れていく。

 警笛のように早鐘を鳴らす桐原の心臓に、一真は何の躊躇いもなく恐怖の根元を言葉で叩き込んだ。

 

 

 「それか──()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 「カズマ!!」

 

 これ以上は駄目だ。一輝は強く声を上げ、一真の肩を掴んで制止する。

 ()()()本人に止められては一真も黙る他無い。桐原は壊れかけの精神力を振り絞って深呼吸、凍りついた肺を無理矢理拡げて身体に酸素を巡らせ、心身を僅かばかり落ち着かせた。

 ……ここまで来て逃げる訳にはいかない。

 未だに震える声が問いかける先は、一真ではなく一輝だった。

 

 「……黒鉄。君は僕をどう思ってるんだ?」

 

 「え? ど、どうって……」

 

 「さぞかし哀れで、滑稽だっただろ? 実力も後ろ楯も自分より遥かに劣る負け犬が調子にのって鳴いてる様はさ。

 そうだよねえ。Aランクを倒せるバケモノが、いつでも捻り潰せる僕なんかに手を煩わせたくはないよねえ!!」

 

 絞り出すような言葉は、後半は叫びとなっていた。

 しかし何について言いたいのかはわかるが、何故言いに来たのかがわからない。

 大声を出して少しは奮い立ったのだろうか。必死な自分とは対照的に困惑している一輝に、桐原は少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 

 「………わざわざここに来た理由ならあるさ。この騒動だ、どうせ君、学園からのメールなんて見れてないだろ」

 

 言われて一輝はポケットから生徒手帳を取り出す。

 確かに少し前にメールが届いていた。

 それを開封し内容に目を通した一輝は、思わず目を見開いた。

 送り主は選抜戦実行委員会。

 そこに記されていたものは─────

 

 

 『黒鉄一輝様の選抜戦第1試合の相手は、2年3組・桐原静矢様に決定しました』

 

 

 「…………!」

 

 「そういう事だよ。宣戦布告と受け取ってもらって構わない。言っておくが、僕は手は抜かない。全力でいくからな」

 

 そう告げて桐原は一輝たちに背を向ける。

 紺色の服に包まれた身体は未だ恐怖の震えていたが、続く言葉には確かに芯が宿っていたように聞こえた。

 

 

 「もう君を雑魚だとは思わない。君というバケモノを倒して───僕は、僕の尊厳(プライド)を取り戻す」

 

 

 それが最後の精一杯だったのだろう、どこかふらつくような足取りで桐原は歩き去っていく。そこから見守っていたのだろうか、物陰から出てきた少女が気遣うように彼に寄り添った。

 2人分の影が遠ざかっていくのと入れ替わりに数人の刑事が事件の調書をとるために話を聞きに現れ、そして一真と刀華は重傷のため学園へと送り届けられる。

 浅からぬ何かを抱えた者らは、各々の理由で説明もなくこの場から姿を消した。

 

 「………、……」

 

 そして今、1つの因縁が収束した。

 己の運命を拓くために勝たねばならない相手が去っていった方向を見つめ、少年は静かに拳を握り締める。

 一真と一輝、そして桐原───当人以外の面々に後味の悪い緊迫を残し、まさしく激動の休日は終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────何も出来なかった。

 頭の中でその言葉がぐるぐると回っている。

 強者たちが団結してあの敵に立ち向かっている間、自分はその場にはいなかった。

 一輝の采配が間違っていたとは思わない。

 流れ弾から人質を守らなければならないのも、あの場でそれが可能だったのも自分だけだった。一輝の判断も自分の行動も全て正しい判断だ。

 だが、そうではない。

 人質を救うべく動いた結果、間抜けにも返り討ちに遭い、あんな屈辱的な命令を聞くしかなくなった。

 それにあの時。

 一真が落下してきた時、彼は真っ先に一輝に、一輝のみに参戦を要求した。その近くに自分もいたのに、だ。

 

 つまり自分はあの男に、あの場に見合う戦力として数えられていなかったのだ。

 

 

 ぐらり、と。

 ステラ・ヴァーミリオンの奥底で、巨大な何かが怒りに蠢くような感覚がした。



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16話

     ◆

 

 

 

 『黒鉄一輝を学園から追い出せ』。

 始まりは教師たちからのそんな頼み事で、自分はそれを快く引き受けた。

 どんな事情があるのかまでは知らされていない。

 ただ『出来損ないはこの学園に必要ない』という誘い文句は大いに嗜虐心をそそられたし、抵抗できないとわかっている相手を(なぶ)るのはいつも通りにぞくりとくる愉悦だった。

 Aランクのあいつと親しい仲だなんて話も聞いていたけれど、ただの噂話だと思っていた。 

 才能のあるヤツが落ちこぼれと馴れ合うなんて何のメリットもないだろうと、鼻で笑っていた。だって、才能のある自分ならそうするから。

 

 出来損ないのFランクと本当に友達だなんて。

 ましてここまで本気の(あだ)()ちに来るなんて、夢にも思っていなかった。

 

 『ぎぃっっっ!?』

 

 普段の彼の態度からは想像すらつかない苦悶の悲鳴。

 王峰一真の脚鎧(ブーツ)に太腿の肉ごと骨を潰されようとしているのだ。

 自分に完全なステルスをかける能力なんて何の役にも立たなかった。だって、逃げようとして透明になった瞬間、一帯をまとめて吹き飛ばされてしまったから。

 

 『下らねえ奴とは思ってたけどよお。まっさかここまで救いようの無えカスだとは思ってなかったわ』

 

 ごり、と骨の擦れる音がする。

 

 『がっっ……な、なんで、君が……っ!? あんな出来損ないを甚振(いたぶ)っただけで、なんでお前みたいなバケモノが………っ!!!』

 

 『誰を何つったコラ』

 

 一真が脚に力を入れた。

 桐原静矢の太腿に、関節が1つ増えた。

 

 『ぎゃあぁぁあああぁぁああああっっ!!?』

 

 絶叫。激痛。

 ただ折ったのではなく、周囲の肉ごと文字通りに潰したのだ。

 桐原のズボンの股間部分を急速に濡らしていく血でも汗でもない温かな液体に、一真は鼻を摘まんで露骨に顔を(しか)める。

 

 『うわ汚え。漏らしたのかよ、大丈夫か?』

 

 『~~~~っ!!! ~~~~~!!!!』

 

 ───どの口で!!

 そう言いたいが、勢いのまま喋ったらそのまま舌を噛み切りそうだ。

 とにかく逃げなければならない。

 助けはどの位で来る?

 もう口だけでいい、謝るなり何なりして時間を稼ぐしかない。

 ごめんなさい。もうしません。命令されたから仕方無かったんです。

 ここまでやったのだからひとまず気は落ち着いているだろう。今のうちに思い付く限り頭を下げれば何とか……!

 

 『いや、本当に大丈夫か? この程度で漏らしてたら、()()()()()()()()()()()

 

 え? と一瞬、感覚ごと思考が止まった。

 

 

 『え じゃねえよ。テメェがイッキに開けた穴と同じ数お前を潰して、そっからが始まりに決まってんだろ。嘗めてんの?』

 

 

 言い終わると同時、間断も躊躇いもなく一真は桐原を踏み潰していく。

 足、腿、肩、脇腹。黒鉄一輝が桐原に射抜かれた場所を潰していく度、桐原は喉から血を噴き出しながら断末魔とすら言える耐え難い悲鳴を巻き散らかした。

 そうしてスタートラインに立った桐原の姿は無残なものだった。

 壊れた操り人形のような無様さで、血だるまになって地面に転がる。生命の本能がこれ以上の痛みは危険と判断して痛覚を遮断するという瀕死の(てい)だった。

 

 『お、お願い……! お願いだからもう、もうやめてぇ………っ!!』

 

 後ろから聞こえた声に一真が振り返ってみれば、そこにいたのは1人の地味な少女だった。

 桐原のガールフレンド(取り巻き)はとっくに逃げたと思っていたが、1人残っていたらしい。

 ガタガタと震えながら必死に訴えたその少女に、一真は平坦な声で問いかけた。

 

 『……あ? 何。お前こいつの肩持つの?』

 

 それだけで反抗の意思は潰えた。

 少女が腰を抜かしてへたり込むのを見た一真は、ややばつの悪そうな顔をする。

 流石に無関係な奴をどうこうしたりはしねえよと宥めているが、正直説得力はない。

 

 『しっかしお前みてえな蛆虫にもこう言ってくれる奴がいるんだなァ。うん、感動したぜ。気分がいい』

 

 『………う、あ……』

 

 『で、だ。あの()はああ言ってくれてっけど、お前はどう? もう止めてほしい?』

 

 さっきまでの激情とはうってかわって落ち着いた声だった。涙や鼻水や涎や血で顔がグズグズになった桐原が、さらに顔をグズグズにして絞り出す。

 

 『やべで………、やべでぐだざい゛……。なんでも、なんでも言うごど聞ぎますがらぁ……っ。

 痛い゛、も゛う痛い゛のは嫌だぁあ……っ』

 

 『そうかいそうかい。じゃあ1つ言うことを聞いたら赦してやんよ。なんせ気分がいいからなァ。あのへたり込んでる()に感謝しろよ?』

 

 鷹揚に頷きつつ一真は笑う。

 桐原から足を下ろし、血と体液にまみれた爪先を桐原の顔面の真ん前に差し出した。

 

 『()()()

 

 屈辱だなどと思う余裕などない。

 それだけでこの地獄から解放されるなら安いものだ。

 動かない身体を必死に蠢かせ、差し出された一真の脚鎧(ブーツ)の爪先に舌を這わせ───

 

 

 『汚えな殺すぞ』

 

 

 バギャッッッ!!!と、その爪先が直接、桐原の口内に蹴り込まれた。

 全ての歯をへし折り、歯茎と顎を割り、喉を強かに突いて漆黒の鎧は口から引き抜かれる。

 

 『お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っっ!!?』

 

 『あー五月蝿(うるせ)えなァもう……。まァこれで赦すっつったし、もうこの位で充分かな』

 

 一応自分で言った事は守るのか、一真は今度こそ桐原に背を向ける。

 恐怖で同じように失禁している少女の横を通り抜け、次なる目標のある方向に目線を向けた。

 

 『さて、と。仕上げは教師共か……まともなのはユリちゃん先生と……後は……』

 

 『カズくんっっっっ!!!』

 

 桐原には見ている余裕など無かったが、生徒会はその時に駆けつけた。

 彼女らがどんな顔をしていたのかはわからない。ただ、一真をカズくんと呼んだ声の主は、その叫びと同じように悲痛な顔をしていたのではないだろうか。

 一斉に向けられる霊装(デバイス)を前に、彼は何も抵抗しなかった。

 ホールドアップの姿勢で生徒会の面々を見遣り、一真は苦笑いを(こぼ)す。

 

 『……そんな顔すんなよ。正しいのはお前らだ』

 

 

 桐原静矢の悪夢は、そこで終わった。

 

 

 

 「うわぁぁあああぁあああっっ!!!」

 

 決闘当日の早朝、桐原は汗だくで起床した。

 少しだけ久し振りに見た夢だ。このところは落ち着いていたが、今日が決闘の日だという事実が少なからず影響しているらしい。

 夢と(うつつ)の境界にぼやける脳がだんだんと覚醒して、ようやく心拍が落ち着きを取り戻す。

 

 「……クソッ!」

 

 冷や汗でずぶ濡れの服を叩き捨てるように脱ぎ、悪態をつく。

 脳内に過るのは、頭にこびりついて離れなくなった試合の映像だ。

 過去の試合と最近の試合。

 王峰一真とステラ・ヴァーミリオン───Fランクと嘲っていた相手が、霞む程に遠いAランクを倒すという、この世の摂理を引っくり返す冗談のような光景。

 今になっても信じ難いし、受け入れたくない。

 そんなバケモノと自分が今日、戦わねばならない事が。

 

 (………逃げてしまおうか)

 

 そんな考えが頭を過るし、事実勝てない相手にはそうしてきた。

 だが、今回ばかりはそれでは駄目だ。

 こんな惨めさの中で生きるのはもう嫌なのだ。

 ああ、でも。だけど。

 恐い。怖い。

 恐い怖い恐い怖い!!

 

 「……大丈夫だ。いける。僕の《狩人の森(エリア・インビジブル)》は通じる。アイツは剣技しか使えないんだから。勝てる。勝てる……っ!!」

 

 形無い恐怖を正しい理屈で追い払うように桐原は自分に言い聞かせる。

 自分を蹂躙する王峰一真の姿がそのまま黒鉄一輝に変わるようなイメージに、それでも苛まれながら。

 

 

     ◆

 

 

 視界が揺れる。色彩が滲んだ絵の具のようにぼやける。水分を失った喉が砂漠のようだ。

 いよいよ始まった《七星剣武祭》予選。

 控え室の中で始まりの時を待っていた黒鉄一輝は、極限状態に陥っていた。

 

 (落ち着け、落ち着け……)

 

 心臓の上を押さえ一輝は自分に言い聞かせる。

 出来る対策は全て整えてきた。

 ───ここで負ければ全てが終わる。

 後は最善を尽くすだけだ。

 ───勝たなきゃ全部が無駄になる。

 

 (…………───────)

 

 足元がふらつき、思わず机に手をついた。

 身体の感覚すらおかしくなってきた事実に、いよいよ自分に異常事態が起きていると認めるしか無くなった。

 ショッピングモールでアリスに言われた……『貴方は痛みに慣れすぎている』と。

 

 (これが、その『痛み』なのか────?)

 

 「何つー顔してんだお前」

 

 「っっっ!?!?」

 

 心臓の鼓動に合わせて絡まる思考に横槍を入れる声。慌ててそちらを向くと、そこには王峰一真が立っていた。

 

 「えっ、ちょ……いつの間に、何でここに?」

 

 「ドアの音にも気付かなかったのかよ。大丈夫かなって勝手に入ってきたけど……重症だな、こりゃ。………怖いか?」

 

 答える事が出来なかった。

 遥か頭上にある一真の顔を、一輝は見上げることも出来ずに俯く。

 そんな一輝の両肩を掴み、一真は諭すように優しく励ます。

 

 「安心しろ。お前は皇女様に勝った。俺にも勝った事がある。そんで俺らはアイツより遥かに強ええんだぞ?

 リラックスしろ。お前が負ける道理はねえ」

 

 下手な励ましだった。

 正直心は休まらないままだ。だけど、わざわざ自分を心配してここまで来てくれたという事実は有り難かった。

 ───大丈夫。心配いらないよ。

 多少無理でもきちんと感謝と共に応じようと一輝は顔を上げて一真の顔を見上げる。

 

 一真は渾身の変顔をしていた。

 

 「…………、カズマ? 励ましてくれてありがとうと言おうとしていた僕の心は、その顔を見てどんな感想を抱けばいいのかな」

 

 「冗談だから真顔やめろや。……ほら、これ見てみろ」

 

 一真から投げ渡されたのは彼の携帯電話。

 見てみろ、とは? 誰からの何だ?

 困惑しながら見た画面に映っていたものは一真の渾身の変顔の写真であった。さっきと同じ表情である。

 

 「───────」

 

 「おい待てやめろ握り潰そうとすんな! 変えたばっかだって知ってんだろお前!!」

 

 「知ってんだろじゃないよ本っ当に何しに来たんだ君は。まさかとは思うけどこんな小ボケをかますためにここまで来たとか言わないよね?」

 

 「いやァ……」

 

 「いやァじゃないよ! 見てたならわかるだろ()()()()()()()()()()()!色々と付き合ってる余裕は無いんだって!! 君は()()()()()だから気楽かもしれないけどね、僕はここで負けたら全部を無くすんだよ!! これ以上茶化すつもりなら出て行ってくれ!!!」

 

 「あァ、ようやく吐き出したな」

 

 苛つかせた甲斐がある、と。

 やれやれとばかりの一言に、一輝は衝撃を受けた。

 ──今叫んだのは、自分か?

 一真の胸ぐらを掴むこの手は、自分のものか?

 自分は今、何を口走った?

 

 「お前とことん愚痴らねえからなァ。外面は笑ってても、俺には空気入れすぎた風船に見えてたよ。戦ってる最中に破裂されてもつまらねえし、ここで割れてよかった」

 

 「あ……ご、ごめん……」

 

 「謝るな。言わせたのは俺だし、むしろもっと言った方が健全ってもんだ。……そりゃお前の苦悩は俺にゃわからないものが多すぎるけどよ、話してもくれねえって苦悩もこっちにはあるんだぜ」

 

 するり、と一輝の手が一真の胸ぐらから離れ、一真は乱れた服を直す。

 

 「力は抜けたか?」

 

 「……………………」

 

 「確かにお前にゃ全てがかかった戦いだし、しかもそれがこれっきりじゃなく長いこと続くときた。そりゃァ怖えだろうし、不安にはなるだろうけどさ」

 

 あるいは、それは。

 幼い頃から試練の中を生きてきた黒鉄一輝という少年が、ずっとずっと誰かに言って貰いたかった言葉なのかもしれなかった。

 

 

 

 「そう悲観するんじゃねえよ。たとえ負けても、()()()()()()()()()()()

 

 

 『1年・黒鉄一輝君。2年・桐原静矢君。試合の時間になりましたので入場してください』

 

 アナウンスが響き、一輝はリングへと続く扉を見た。

 地獄に繋がっているのかというような威圧を感じていたその扉が、今はただのドアでしかない。

 いよいよ始まるのだ。

 やる事はやったと控え室から出ようとしていた一真の背中に、一輝の声がかかる。

 

 「カズマ。最後に1つ頼んでいいかな」

 

 「何だ?」

 

 

 「………背中を、押してほしい」

 

 

 目が丸くした一真の顔が、段々と嬉しそうな笑顔に変わる。

 少し弾んだ足取りで出入り口に背を向け、一真は一輝の後ろまで歩く。

 そして一真は、自分より随分と小さな背丈の少年の背中を、

 

 「~~~~~~~行ってこい!!!!」

 

 ドッバァァァアアアアアン!!!!と。

 全力で。

 ブッ叩いた。

 

 「────~~~っっああ! 行ってくる!」

 

 肺から酸素が全部吐き出されるような力。

 押すというよりかは発射するような勢いに突き出され、一輝はその勢いのまま扉を開けた。

 

 アリスに言われた。

 貴方が貴方の心の悲鳴を、貴方の代わりに聞いてくれる人の存在に気付きますように、と。

 あの時は困惑するばかりだったが、今ならその意味がわかる。

 もう否定はしない。

 恐いし、怖い。不安でしょうがない。

 だけどそれでも、もう大丈夫だ。

 

 背中に張り付いたこの痛みが、自分は1人じゃないと教えてくれるから。

  




 この話でバトルに入れるって思ったんですけどね。そしてやっと最新刊が届きました。


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17話

 『さあ! 《七星剣武祭》予選の第四戦目、いよいよ注目のカードがやって参りました!

 実況は私放送部の(つく)()()、解説は西京(さいきょう)寧音(ねね)先生が担当します!』

 

 『おいっすー』

 

 『それでは注目の選手の紹介です! 勝てる相手に確実に勝つ「無傷」のパーフェクトゲームを貫く様から付いた2つ名は《狩人》!二年・桐原────』

 

 (()()()()が仕事してる……)

 

 「どこにもいないと思ってたら、アンタ何でそんなとこにいるのよ。席は空いてるわよ?」

 

 何に対しても奔放で自由極まりない姉弟子が収まるべき席に収まっているのを見て謎の感動が込み上げてくる。

 すり鉢状の観客席の最上部、円形のリングを見下ろす通路の手摺に寄りかかる一真の元にステラが歩いてきた。

 

 「よぉ、皇女様。ちょいと野暮用でな。……俺が席に座ったら周りが大迷惑なんだよ。横幅もそうだが、後ろに座ってる奴が何も見えなくなっちまう」

 

 「もうそんな堅苦しい呼び方しなくてもいいわよ。……言われてみればそうよね。戦う分にはよくても、色々と苦労してそうな体格だわ」

 

 「俺にとってこの世界は小さすぎるんだ」

 

 物理的にな、と付け足し笑う2m30数cm。

 

 「しかしどうしたよ。随分と不安げな顔してっけど、何かあったのか」

 

 「………カズマ。イッキは大丈夫かしら」

 

 「と言うと?」

 

 「控え室に行く前にシズクやアリスと応援しに行ったんだけど、その時にイッキが言ったのよ。『必ず勝つ』って」

 

 「へえ。……良いことなんじゃねえの?」

 

 「カズマ、あんたならわかるでしょ? イッキは勝負事の危うさを知ってるわ。『必ず』なんて強い言葉を使ったりはしない。それにここで負けならこれまでの全てが水の泡になるんでしょう?

 ただでさえ相手は相性最悪だっていうのに、緊張しない方が嘘よ。

 あの時ちゃんと話をしてればよかったわ……!」

 

 側にいたのになぜ今になってそこに気付いたんだ、と悔恨に握られたステラの拳が音を立てる。だが、それを見る一真はそれとは対照的にどこか嬉しそうだった。

 ───何だ、ちゃんと()()じゃねえか。

 不安そうに選手が入場を終えたリングを見つめるステラを一真は気楽な調子で励ました。

 

 「それ、後からでも本人に言ってやったら喜ぶと思うぜ。

 ………心配ねえよ、あいつはもう大丈夫だ。まだ緊張はしてるかもしれねえけど、そう不安に思う事はねえよ」

 

 「……本当に?」

 

 「本当本当。それにさ、あいつは俺達に勝ってんだぜ? ()()()()()()負ける道理なんざ万に一つもありゃしねえさ」

 

 

 

 「……来たな」

 

 「ああ。やっとここまで来れた」

 

 「勝つのはボクだ」

 

 「僕も全力を尽くすよ」

 

 とうとう向かい合ったリングの上。

 強い言葉を使ってみても足の震えは止まらない。冷静を装う体面の内で、桐原静矢は大きく舌打ちをした。

 ───ああ、自分はここに立つのにも相当な勇気が要ったのに。

 今もこうして痛みの記憶に耐えているのに。

 

 なのにお前は──そんな晴れ晴れとした顔をしやがって。

 

 『時間になりました!双方、霊装を展開してください!』

 

 「来てくれ。《陰鉄(いんてつ)》」

 

 「……狩りの時間だ。《朧月(おぼろづき)》」

 

 片や黒刀、片や翠の弓。

 号令に合わせて顕現した魂の具現が、我が意思と目的を徹さんと煌めく。

 

 

 『それでは本日の第四試合、開始です!!』

 

 

 試合の火蓋が切られた。

 それと同時に、桐原の姿がリングから完全に消え去る一瞬前。

 黒鉄一輝は、全力で地面を蹴った。

 

 「《一刀(いっとう)────」

 

 

     ◆

 

 

 「─────っっ!!」

 

 姿を消して動かれる前に、初手から全力で終わらせる。それが一輝が考えた《狩人の森(エリア・インビジブル)》最善の攻略法。

 だが彼は、その攻略法に基づき己の全てを解き放とうとして───発動ギリギリのタイミングで、それをやめた。

 

 「? ……何で止めた?」

 

 一真も一輝の攻略法が最善と思っていた。彼が戦いにおいて無駄なことはしないのはわかっているが、それでも理由がわからず眉を顰める。

 何かに気付いたのだろうが、一体────

 

 「……引っ掛かれよな」

 

 「そうはいかないさ」

 

 頭に直接響くような声に、一輝は自分の読みが正しかったことを知る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()

 姿を消すのではなく、姿を誤認させる伐刀絶技(ノウブルアーツ)をこの1年で開発したのだろう。

 『身を隠す』という能力の特性からして、力が及ぶ範囲に『視覚的な誤認』が含まれているのは自然な事だ。

 

 ……無論、試合開始前からの能力行使は反則。一輝がそれを申し立てれば、戦うまでもなく桐原の失格だ。

 だが、桐原の能力は『隠匿』。姿も、音も、臭いも気配も、魔力すら誰にも悟らせない。

 つまりこの反則に気付いたとしても、()()()()()()()()()()()()()()。抗議しても審判の心証を悪くするのが関の山かもしれない。

 あのテロで桐原が自分が放つ矢すら透明に出来るようになっている事が判明してから、一輝が桐原の能力の成長幅まで思考を掘り下げていたからこそ、この反則に対応することができたのだ。

 もしあのまま能力を行使していたら───虚像を相手に思い切り空振っていた。そのまま能力の持続時間が切れるまで桐原はリングの外あたりで安全に見物して、そして疲弊した一輝をそのまま針ネズミにしていただろう。

 

 (危ないところだったけど、さて困ったな)

 

 憤ったところでどうにもならない。

 思考を前に進める一輝は、かなり厳しい状況に陥っていた。

 桐原が能力を使う前に終わらせるという彼の攻略法は、能力を使われたら一気に不利になるというリスクを排除するためのものだった。

 であれば、それが不発した今どうなるか。

 才能と相性の有利が順当に表に出てくるだけだ。

 

 「ぐううっ!!」

 

 バシュッ!!と一輝の二の腕から血飛沫が上がる。認識できない透明な矢に切り裂かれたのだ。

 それを皮切りに脚、頬、脇腹と、桐原の放つ《朧月》の矢が次々と一輝の身体に傷を入れていく。

 

 「倒れろ、倒れろ!! 早く膝をつけ化物が!!」

 

 『ああっと! 黒鉄選手、絶体絶命か!? 桐原選手の放った矢に次々と身体を削られていきます!!』

 

 『まぁ順当に行きゃこーなるさね。桐やんの能力はハッキリ言って対人戦最強さ。広範囲を一気に薙ぎ払える技を持ってなかったら対応はメチャクチャ厳しい』

 

 余裕のない叫びと共に次々に矢を放つ桐原だが、それとは裏腹に一輝は確実に無視できないダメージを重ねられていた。

 見えない聞こえない感じない、体技しか使えない者にとっては天敵中の天敵を相手に、今の彼は逃げの一手しか択がない。

 その様子を見ていた桐原の心には、段々と以前のようなゆとりが戻りつつあった。

 

 (ハハッ………何だ、通じる。ちゃんと通じるじゃないか! そうだ、やっぱりボクの《狩人の森(エリア・インビジブル)》は最強だった! あのFランクはやっぱりボクの敵じゃないんだ!!)

 

 「ほらほらどうした! 逃げてばかりじゃないか!? 全力を尽くすっていうのは『逃げることに』って意味だったのかなぁ!?」

 

 沸き上がる高揚に身を任せ、桐原はさらに矢を射かけていく。

 久し振りに笑えた気がする。

 そうだ、やっぱりこれこそがあるべき姿なのだ。

 自分は強い。あいつは雑魚。

 その証拠にほら! 自分は無傷で、あいつは傷だらけ───

 

 

 (あれ?)

 

 

 気付いた。違和感。

 自分の姿は見えていない。攻撃も見えていない。それは確かにそのはずで、現に一輝は血塗れで逃げ惑うばかりだ。

 ───何故、逃げ回れる?

 何故、見えない聴こえないはずの自分の矢は、掠るばかりで命中していない?

 何故───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ぱしん、と軽い音。

 桐原が違和感に気付くのと、一輝が見えざる矢を()()()()()()のは同時だった。

 血塗れの彼の眼差しは、弓矢も竦むほどに真っ直ぐ桐原静矢を見つめていた。

 

 「やっとか……」

 

 「何よ。今いったい、イッキは何をしたの?」

 

 「()()()()()()

 

 「読んだ?」

 

 内心ハラハラし始めていた一真の安堵したようなぼやきに反応したステラ。それに対して彼は一言、そう答えた。

 

 「皇女様………いやステラさん。イッキさ、今日まであいつの全部の試合映像チェックしてたろ?」

 

 「……ええ、穴が開くんじゃないかって位ずっと。……まさかそれだけで見えない相手の動きを見切ったとでもいうの!?」

 

 「それだけってのも違うけどな。あいつの洞察眼を『優秀』程度の枠に収めちゃいけねえ。……あんたも知ってるだろ? あいつは見ただけで相手の剣術を盗むどころか、その場で上位互換すら作り上げるような男だぞ」

 

 『黒坊は留年してた去年の間、みんな良く知ってる大男とバチバチ()り合いまくっててねえ。当然連戦連敗だったんだけど、それで思い至ったんだとよ。

 ───まともにやって無理なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってね』

 

 『先回る、ですか………!?』

 

 『そ。思考や感情の全てを掌握しちまうんだよ。動きだけじゃねえ、絶対価値観(アイデンティティ)っつー人間性の根本から。そうなりゃもう、()()()()()()()()()()()

 

 「……ただ君が勝負への姿勢を変えてきたせいか、事前のシミュレーションとどうにも噛み合わなくてね。結構やられてしまったけれど、今ズレの修正は終わったよ」

 

 剣を盗むも人を盗むも同じ。

 行動や趣向、言動の端々から辿り、理解し、根幹の『理』を暴く。『理』を暴けば、相手が何に対してどう動くかが手に取るようにわかる。

 怯えて3歩後ろに下がった桐原との距離をきっちり3歩ぶん詰めて、一輝は言い放った。

 

 「君の器は見切った。この勝負、僕の勝ちだ!!」

 

 蒼光を纏い、爆ぜるような速度で駆け出す。

 逃げ場を失った狩人に、牙を突き立てるために!!

 

 「く、来るなぁぁああああああっっ!!!」

 

 叫び、桐原は《朧月》を連射する。

 知覚できないはずの矢は、どこを狙っても的確に刀で弾かれた。

 喉が引き攣るが、それでも桐原には策があった。

 思考を読んでくるのなら、思考が関係ない攻撃をすればいい。

 そのはずだ。

 

 「《驟雨烈光閃(ミリオンレイン)》!!」

 

 桐原は《朧月》の矢を上空に向けて撃ち放つ。放たれた不可視の矢は空中で無数に分裂し、地上へと矛先を向けた。一発一発がリングを砕く威力の不可視の矢が、豪雨となって降り注ぐ。

 ()()()()()()()()()()()()

 無数の矢に込められた敵意や殺意を読み取り、自分を害するものだけを的確に斬り払ってなおも進む。

 ───それを見た瞬間、桐原は折れた。

 

 (イカサマだ……)

 

 こっちは見えないのに、聴こえないのに、感じないのに、『人間性を盗んだ』? なんだそれは?

 もう駄目だ、どんなに抵抗してもほら、こうやって全部潰されるじゃないか。

 やり返される。

 仕返しをされる。

 あいつがやったみたいに、自分がやったように、少しずつ甚振ってくるに違いない。自分ならそうする。

 

 (もう、逃げよう)

 

 もうあんな目には遭いたくない。

 今までそうしてきたじゃないか。

 見下してた相手に白旗を振るほうがマシだろう? プライドよりも身の安全だろう?

 そう、自分は《狩人》。リスクは犯さない。

 だから問題ない。影響はないはずだ。

 足先から這い上がってくる惨めさなんて─────

 

 「降さ────」

 

 

 

 「頑張れぇ─────!!!桐原く─────ん!!!」

 

 

 

 無数の観客の声の中から確かに聞こえたその叫び。

 ふとそちらを見てみれば、そこにいたのは必死に声を張り上げる1人の少女だった。

 ああ、と桐原の口から呟きが漏れる。

 彼女はテロのあった日、桐原と一緒にショッピングモールに遊びに来ていた生徒で。

 

 そして桐原が一真に蹂躙されていた時も逃げず、そしてそれからの1年間、ずっと桐原を支え続けていた人物でもあった。

 

 

 『あの日』からIPS再生槽(カプセル)での治療が終わって以降、桐原は部屋に引き籠っていた。

 毎夜(うな)される悪夢、現れるフラッシュバック。一真と偶然出会すかもしれない恐怖に外に出ることも出来ず、一時彼は荒れ果てていた。

 絶対の自信を持っていた能力も潰され、優越感の源だった薄っぺらな女性人気も失墜し、もはや全てを失ったと自棄になっていたこの期間。

 それでも足しげく桐原の中の元に通っていたのが、取り巻きの中でも容姿が地味で、自己主張に乏しく桐原自身ろくに顔も覚えていなかった彼女だった。

 

 「……全く、諦めようと思ってたのにさ」

 

 ぐっ、と《朧月》を握る手に力が籠る。

 勝てる相手に勝つ。駄目そうなら逃げる。

 それが間違っているなんて思わない。

 でも、どうしても逃げられないのなら。逃げたくないと思ってしまったのなら、自分はどう在ればいいのだろう。

 

 真っ向勝負なんてしてやらない。

 使うのは潜伏と罠、それと武器だ。

 自分よりずっと強い敵を、静かに、冷徹に、欺き、狩る。

 

 そんな狩人に、───ボクは、なってみたい。

 

 

 

 

 爆発が起きた。

 縦に揺れるリングと、それを突き破り地面から伸びてきた何かが戦場を覆っていく。

 完全に想定外の事態に仰天した一輝は慌てて足を止め、周囲に発生した現象の把握に努めた。

 地面の質が変わった。これは土だ。

 地面からいくつも伸びてきたのは樹木だ。

 人口物の中に突如現れ、そして自分を飲み込んだこれらを見回して、一輝は呆然と呟いた。

 

 

 「─────これは………()……?」

 

 

 「……何だよこれ。何が起きたんだ? まさかボクの力だっていうのか、これが?」

 

 「…………っ!!」

 

 脳内に直接響くような出所のわからない声は我が事ながら困惑しているようだった。

 一輝の全身に戦慄が走る。

 ここまで組み上げた勝利への道筋がどこまで通用するのか、もうわからない。

 いや、下手をすればまた1からやり直しだろう。

 自分はおろか本人すら未知の現象の中、既に1枚きりの切り札を切ってしまった状況で。

 だが、思考の停止ももう終わる。

 何故ならもう、彼はこの現象をどう扱うかを決めているからだ。

 

 「まあいい、使えるなら使うさ。これがボクの力だっていうのなら、ボクのやりたい事をきちんとやってくれるだろう」

 

 その声に高揚や愉悦はない。

 ただ己がこう在りたいと思ったままに、彼は一輝に向けて宣告する。

 『カッコ悪いところは見せたくない』。

 自信も尊厳も踏み潰され、再起の意気込みすら捨てそうになり、真実全てを失いかけた桐原静矢がそれでも拳の中に握り込んだものは───小さな小さな、そんな意地だった。

 

 

 「さあ────狩りの時間だ、《朧月》」



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18話

 ころん、と。

 視界の隅で落っこちた果実が、一輝の側まで転がってきた。

 

 「っっっ!!!」

 

 一輝がその場から全力で飛び退いた瞬間、その果実が爆発。

 それを合図にするかのように次々と周囲の樹木から木の実が落下、連鎖的に爆発を起こして地面を絨毯爆撃した。

 ───攻撃手段が弓矢じゃない!

 咄嗟に手近な木の枝に飛び乗った一輝は眼下の光景を見下ろして息を呑む。

 だが安心している暇などない。果実すら武器になったということは、この森すべてが桐原静矢の縄張り(テリトリー)であるということ。

 弾かれるように振り向いた一輝が見たのは、ちょうどこちらに銃口を向けるように木の(うろ)が開くところだった。

 思考の暇などない。飛び降りる。

 木の虚から噴き出た無数の魔力の矢が、一輝の服の裾と頭髪をいくらか削り取った。

 

 『こ、これは……!? 突如として出現した森が黒鉄選手に攻撃を加えている!! 桐原選手、ここに来て予想もつかない切り札を繰り出してきたぁ!!』

 

 『いや違うね、こいつは温めてた訳じゃねえ。強すぎるせいで掘り下げられもせず、逃げてきたお蔭で淘汰圧を受けずに上っ面だけ使われてた能力が! たった今! 目覚めたんさ!

 うははははっ、こりゃスゲえマジかよ桐やん!

 随分と()()()()()じゃねーか!!』

 

 足をバタつかせながら楽しげに笑う寧音だが、当の一輝は笑っていられない。

 行動の完全な先読み───《完全掌握(パーフェクトビジョン)》が崩れた。

 掌握したはずの桐原静矢の絶対価値観(アイデンティティ)が丸ごとひっくり返ってしまったからだ。

 タイムリミットは1分を切り、相手の能力は未知数。

 絶望的という言葉に当てはまるのはそんな状況のことか、それとも────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「くっ……!」

 

 全方位を覆い尽くす自分一点集中の弾幕の中、一輝は前に突っ込んだ。側面から迫る矢はそれで回避し、前方と後方から迫る矢は斬り払う。

 針ネズミにはならずに済んだが、それでも肩と脚に数本の矢が刺さっていた。

 『視認できる矢』と『不可視の矢』がミックスされていたのだ。視認できる矢に注意が集中してしまった隙に不可視の矢が一輝に突き刺さる。

 苦悶している場合ではない。

 目は閉じない。思考は途切れさせない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それぞれが別々の木や枝の上から《朧月》をこちらに構えている。

 どれか2体がフェイク。

 土壇場の三択クイズに対して一輝が出した結論は、全員ニセモノという飛躍っぷりだった。

 パニックになっているのではない。ここまで張り巡らせてくる相手なのだ、その位はやってくる。

 一輝はそれらに背を向け、自分にまっすぐ射線が通る木の枝に向けて全力で跳躍───何もない空間を斬る。

 手応えはあった。

 人体の感触とは程遠い、硬い感触が。

 

 (やられた………!!)

 

 透明化された特大の『木の実』が、断ち斬られた断面から光を溢れさせた。

 三度、爆発。

 元々の能力とは関係ないからか爆炎こそないが、その衝撃は空中の一輝を軽々と吹き飛ばす。まとめて飛びかけた意識を全力で繋ぎ止めて何とか着地した先にあったのは、木の根で編まれた仕掛け罠(トラバサミ)だった。

 足を罠に咬まれて機動力を封じられた隙に襲い来るのは無数の矢だ。───ただし、今度は全てがステルスされているが。

 

 「おおおおおおおおおっっ!!!」

 

 一輝が吼え、迫ってきているだろう矢を迎撃する。

 殺意を頼りに見えざる矢を受け、弾き、斬る。

 それでも全身を矢が貫いた。

 桐原が生み出した土と木に、赤の色彩が撒き散らされる。

 

 「………………!!!」

 

 これはもう戦いではなく狩猟だ。

 それも遊びや余裕など存在しない冷徹な所業。

 予想外と表現するにはあまりにも突き抜けた目の前の現象に、一真は握り締めた手摺を軋ませ絶句していた。

 その顔を桐原が見ていれば、あるいは少しくらいは溜飲を下せたかもしれない。

 桐原は今、単純に倒れ込む寸前だった。

 

 (さっさと、終われよ、化物め………!!)

 

 自分の根元たるエネルギーが抜けていく感覚。

 体力が、いや、魔力が枯渇寸前なのだ。

 新たに目覚めた()の能力、覚えたてだからかそれともこういうものなのか────維持と操作で湯水のように魔力を消費する。

 それに彼自身の魔力量はD評価。少なくはないが多くはない平均レベルだ。

 このペースだとガス欠まで数十秒もないだろう。

 だが手を緩めるようなことはしない。

 桐原がこれを解除するときは、黒鉄一輝が完全に沈黙したときだ。

 だから沈め。早く沈め。

 自分はもうヘトヘトなんだから────

 

 「………おかしいだろ」

 

 笑うしかないとはこのことだろう。

 身体のあちこちから矢を生やして、足元に大きな血溜まりを作って、素人が見ても死んでるような状態で。

 にも関わらず、黒鉄一輝は桐原を睨む。

 自身も透明化して息を潜めて様子を窺っていた、何本も木を越えた先にいる彼を。

 

 「見     つ  け た ぁ ぁ  あ   あ     あ      あ  あ あ ! ! !」

 

 本能そのものの叫び。

 持てる力全てで地面を蹴り、爆風も罠も矢でさえも置き去る速度で、魔力の蒼と血の赤の尾を引きながら一輝は一直線に駆け抜ける。

 鬼気迫るその(かお)に桐原の喉が引き攣る。

 怖じ気づいて一歩後ろに退がろうとした足を、しかし桐原は強く押し止めた。

 残った魔力を総動員。

 地面から伸びてきた木の根が《朧月》に絡み付き、その姿をより強靭に強化する。

 (つた)の絡まる弦に(つが)えるのは樹木がうねり形作られた、剣のように大きな鏃を持った、槍のように長大な矢。

 姿は消す。音も消す。何一つ知らせない。

 手負いの獣を、ここで狩る。

 

 (絶対に勝つ。勝ってみせる)

 

 勝って自信を取り戻し、そうしたら彼女に礼を言おう。

 黄色い声援を数多く浴びてきた自分が、初めて奮い立った声だったから。

 

 絶望から2回も立ち上がる力をくれた彼女に、自分のプライドになってくれてありがとう、と。

 

 「《樹影穿空衝(ヴォーパルハイド)》ッッッ!!!」

 

 叫び、射つ。

 放たれた戦意の一矢は音も姿も無く空を駆け、真正面から不意打たんと一輝に迫る。

 存在そのものを隠匿されたその一撃は、突進してくる一輝に狙い過たず命中した。

 

 命中したはずだった。

 まるで散々惑わされた意趣返しのように、《樹影穿空衝(ヴォーパルハイド)》に貫かれた一輝の姿が霞のように消え失せる。

 

 それがどういう原理で行われたのかまでは桐原にはわからない。

 ただ身体を通過する鋼の感触と、背後から聞こえた声が自分が何をされたのかを物語る。

 走馬灯のように緩慢になった時間の中で、黒鉄一輝は自身が編み出した7つの技、その内の1つを口にした。

 足捌きによって残像を発生させ、相手に自分の位置と間合いを錯覚させる技。

 

 

 「第四秘剣────《蜃気狼(しんきろう)》」

 

 

 力が入らない。

 斬られた傷口は血と一緒に体力を一欠片も残さず吐き出してしまった。

 消え失せた森の中で観衆が目にしたものは斬られた桐原が地面に膝をつく瞬間だった。

 《狩人》、敗北。

 されどその目は死んでいない。

 背中越しに執念を吐く様はまさに取り戻そうとしていた己の尊厳そのものであったことを、その時の彼は気付いていただろうか。

 

 「────……次は勝つぞ、黒鉄」

 

 「次も勝つよ。桐原くん」

 

 どさり、と桐原が地面に倒れる。

 刀を手にした血みどろの勝者は、敬意ある敵を打ち倒した誇りを己と他者に刻み込むかのように静かに握り拳を天に掲げ─────

 

 『桐原静矢、戦闘不能! 勝者、黒鉄一輝!!』

 

 レフェリーにより、一輝の初戦勝利が宣告された。

 

 

     ◆

 

 

 激動の初戦が明けた翌日の早朝、校庭には全力疾走するいつもの2人の姿が見える。

 徒競走で20kmという地獄のような道程を走破して先にゴールラインを通り抜けたのは、体格で大きく劣る黒鉄一輝の方だった。

 

 「~~~~~~っはァーっ! ハァ、あーくっそ、負けたか……! お前、ゲホッ、病み上がりなのに、ゼェ、動け過ぎじゃね……!?」

 

 「ゲホッ、どうしてだか、調子が、良くてね……っ。身体が、ハァ、軽いん、だ……っ」

 

 一輝がiPS再生槽(カプセル)の治療による眠りから覚めたのはその日の夜の話だ。

 相変わらず息も絶え絶えだが、昨日のいつぞやの様子を思うと一輝の表情は比べ物にならないくらい明るい。

 さぞかし解放感に満ちているのだろう、昨日までずっと心にのし掛かっていた重圧が一気に軽くなったのだから。

 

 「調子が良い、ねぇ……。お前、もしかして昨日ステラさんと何かあった? お前が目を覚ますまで夜通し側にいたみたいだけど」

 

 「えっ、いや、……まあ色々話したけど……ちょっと何さその目。本当に何もなかったからね? 」

 

 「へえ。ひとまずはそういう事にしとこうか」

 

 「何もないったら!」

 

 後で聞いてやろ、とずっと後ろの方から必死に走って追いかけてきているステラが姿を見せるはずの方向を見ながらニヤニヤする一真。

 

 「ま、何はともあれだ。……初戦突破おめでとう」

 

 「ありがとう。……あの時君が来てくれなかったら、正直駄目だったかもしれない」

 

 「いやいや、その辺の礼は姉ちゃ……いや、西京先生に頼むぜ」

 

 首を傾げる一輝だが、ある意味それは間違いではない。一真が選手しか入れない控え室に入れたのは、青春の匂いを感じ取った寧音が受付に話をつけ(駄々をこね)てくれたお蔭なのだから。

 無論、不正行為が行われていないことは確認済みである。

 

 「しかし随分と予想外の試合になったよなァ。まさかアイツがあんな真似をするとは」

 

 「いま思い返しても死にそうになるよ。あと少し読み直すのが遅れてたら終わっていた……僕もまだまだ修行が足りないな」

 

 「あれで結果出せたなら上々じゃねえか? 確かにヒヤヒヤさせられたが……まァ過程はともあれ、順当な結果ってヤツだろ」

 

 「どうして?」

 

 「どうしてもこうしても。今まで(ぬる)くやってきた奴が後がない状況でようやく気張ったとこで、今まで血を吐いて鍛えてきた奴に勝てるワケ無えじゃん」

 

 ハハハ、と冗談を聞いた時の調子で一真が笑う。

 

 「お前もちったあスッキリしたんじゃね? あん時は俺がやっちまったけど、今度はお前の手でやれたもんな。

 声は聞こえなかったけどどうせアイツ調子づいてたろ? どうよ、勘違いしたバカに分からせてやるってのは───」

 

 

 「それ以上はやめてくれ」

 

 

 ぴしゃり、と閉ざすような強さ。

 吐き出され続ける一真の毒に、一輝は鋭く待ったをかける。

 

 「僕はあの時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼は余裕も油断もなく、本気で勝ちに来ていたよ。君が僕のために苛立ってくれているのは理解しているけれど、本気で戦った相手を馬鹿にされるのは流石に気分が悪い」

 

 「…………、」

 

 僅かに怒りすら滲んだ友の様子に一真が鼻白む。

 優しい一輝のことだから首を縦に振るとは思っていなかったが、あんな目に遭わされたのにここまでハッキリと庇うとは思っていなかったのだ。

 

 「カズマ。君にとって、人の性格や本性というのは変化しないものなのかもしれない。

 だけど、きっかけがあれば人は変わる。変われるんだよ。才能のない自分に腐っていた僕が、『諦めなくていい』と言ってもらえたからここまで来れたように」

 

 だが、その言葉の根元は怒りではない。

 いつも自分の側に立ってくれた友に一輝が求めたものは、他者のための懇願だった。

 

 「だから───だからどうか見放さず、目を向けてあげてくれないか。

 過去に見たその人の姿じゃなくて、その人が努力してきた『今』の姿に」

 

 

 沈黙が流れた。

 緊張した面持ちの一輝と、彼の懇願の意味に気付いた一真。向かい合う2人の間を早朝の風が通り抜ける。

 お互いに探り合うような静寂の中、まず一真が何かを言おうとしたその時だった。

 

 「─────」

 

 「ご、ゴーーーーールッッッ………」

 

 ステラが2人に遅れてやっとゴールした。

 息も絶え絶えではあるが、しかし確実にタイムを縮めている。それは喜ぶべきことだが、いきなり空気を元に戻された振れ幅で2人の心が若干振り回されていた。

 

 「あ、お、お疲れステラ。最初よりもずっと速くなってるね」

 

 「ど、どんなもんよ………っ」

 

 「……これなら並べる日も近えな。競走が楽しくなりそうだ」

 

 「近い内に追い付いてやるわ……!」

 

 あのペースはまだ無理、とは意地でも言わない。

 今度はちゃんと自分で用意したスポーツドリンクをぐいぐいと補給するステラに、一真は何の気も無い風に聞いてみた。

 

 「よおステラさん。昨日の夜イッキと何があったんだ?」

 

 「ゴギュッ!?」

 

 ステラの喉から変な音が鳴った。

 液体が入っちゃいけないところに入ったらしく激しく咳き込む彼女の背中を慌てて一輝が叩いてやる。

 

 「ななっ、ななななななな何もないわよっっ!! ただちょっと、そう、どっちがイッキの側についてるかでシズクと本気で戦ったくらいよ! それだけ、それだけなんだからね!?」

 

 「待ってそれ僕が初耳なんだけどそんな事してたの!? ってああちょっと落ち着いて、息も上がっちゃってるんだから!」

 

 呼吸の間もなく咳き込んで叫んだせいで割りと窒息しかかっているステラを慌てて介抱する一輝。

 ようやくステラが落ち着いてきた時、そういえばやけに静かにしているなと一真が立っている場所を見た。

 一真はもうそこにはいなかった。

 ステラが自爆をかましている隙に帰ってしまったらしい。

 

 (………何て言おうとしてたんだろう)

 

 聞きそびれた返答を彼がもう一度教えてくれることは多分ないだろう。

 傍らにいたステラは、いつもと違う様子の一輝を不思議に思うばかりだ。

 

 

 ───どうか目を向けてあげてくれないか。

 

 ───過去に見たその人の姿じゃなくて、その人が努力してきた『今』の姿に。

 

 

 「……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 騒ぐステラに紛れて姿を消した後。

 自室に戻ってシャワーを浴びながら、一真はそう呟いていた。










 いつの間にかお気に入りが900、しおりが200を突破していました。
 いつも応援と感想をありがとうございます。
 これからも頑張っていきます。


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19話

 「きゃあああっ!?!?」

 

 目を覚ますいつもの時間にはまだ少し早い時間。

 唇の辺りに温かな空気を感じて一真が目を開けた瞬間、顔の真ん前、文字通り目と鼻の先で悲鳴が炸裂した。

 仰天して慌てて身体を起こし何が起きたのか見回してみると、自分が寝ていた布団のすぐ側──自分の顔があった位置に近い──で後ろ向きにひっくり返った東堂刀華がいた。

 一真より早く目を覚ましていたのだろう。この時間からもう制服に着替えているのは立派だが、そのせいで捲れ上がったスカートから尻が剥き出しになっていた。

 

 「………えぇ……?」

 

 ひどい寝起きドッキリを喰らった一真が呆然と声を漏らす。

 床で思い切り後頭部を打ったらしく声もなく悶絶していた刀華だが、涙目で頭を擦りながら起き上がり起床した一真の姿を認めると、少し気まずそうな笑みを浮かべた。

 

 「あ、あはは………おはよう、カズくん」

 

 「おはよう。………何してんの?」

 

 「いや何もしてないよ、少し転んじゃって」

 

 「いや、なんかすっげぇ目の前からキャーって聞こえたんだけど」

 

 「なっ、何もしとらんばい! 気にせんでよか!」

 

 何か必死で誤魔化そうとしているようなので一真はそれ以上の追及をやめた。

 それでもわたわたしていた刀華だが、ふと一真が自分のどこか一点を見つめているのに気付いてその視線を追う。

 

 「~~~~~~~~~っっ!!!」

 

 一真が視線を逸らすのと、刀華が赤らんでいた顔を更に赤くしてスカートを押さえ脚を閉じるのは同時だった。

 

 「………………、見てた?」

 

 「いや見えてねえ。ギリギリ見えてねえ」

 

 「本当に……? 白いの見えてなかった……?」

 

 「え、ピンクの紐だろ? あっ」

 

 「カ~~~~ズ~~~~く~~~~ん……?」

 

 俺なにも悪くねえじゃん!! という弁明は聞き入れて貰えなかった。

 この口論で刀華にはそっぽを向かれるし、デリカシー云々のお説教で朝の訓練には遅刻。理由をありのまま説明するのは何だか憚られるので「寝坊した」とでっち上げたら「気が抜けてるんじゃないの?」とステラからは呆れられる始末。

 ───厄日だ。

 朝っぱらからごっそりテンションを持っていかれた男の、心からの嘆きである。

 

 一真の『その日』は、そんな滑り出しから始まった。

 

 

     ◆

 

 

 生徒会書記にして伐刀者(ブレイザー)ランクC、砕城(さいじょう)(いかづち)

 その能力は『斬撃重量の累積加算』。

 斬馬刀の固有霊装(デバイス)を振り回すほど破壊力を増し、10トンを超える重量で放たれる一撃《クレッシェンドアックス》は人に彼を《城砕き(デストロイヤー)》と呼ばしめている。

 名実ともに破軍学園トップクラスのその男は、今まさに黒鉄一輝に斬り伏せられた。

 

 「がっ…………!」

 

 呻き、倒れる。

 刀を振り回す暇もなく、開始の合図からあっという間に接近されて一閃。《一刀修羅(いっとうしゅら)》を使うまでもなく勝敗は決した。

 

 「ありがとうございました!」

 

 律儀にも礼を言う一輝だが、沈みゆく意識ではそれに応じることは出来ない。いや、出来たとしても友好的な態度を取れたかどうかは怪しいだろう。

 

 (よもや峰打ちで済まされるとは……!!)

 

 それを選べるだけの余裕が一輝にはあった。

 侮りを捨て、全力で臨んでこの体たらく。己の不甲斐なさに砕城は拳を握り締める。

 彼の敗因は数あれど、敢えて述べるとするのなら───実力差、の一言に尽きるだろう。

 

 

 

 生徒会会計、貴徳原(とうとくばら)カナタ。

 レイピアの固有霊装(デバイス)《フランチェスカ》は、その刀身を数億もの欠片に分解させ刃の霧を生み出す《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》を得意とする。

 分解した刃を敵の体内に侵入させ内側から斬り刻む凄惨な戦法から、付いた異名は《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》。

 幾度も《特例召集》に赴いて実戦経験を豊富に積み、伐刀者(ブレイザー)ランクは驚異のB。

 頂の端に手をかける才能に努力を重ねた彼女は今、試合開始から一歩も動かないまま敗北を喫していた。

 

 (戦いにすらなりませんでしたね……)

 

 前にいるのは、同じく開始線から動いていない王峰一真。全方位からけしかけられた《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どんなに魔力を込めても、数億の刃は地面に押さえ込まれたまま微動だにしてくれない。

 象の足の下で蟻がもがくような、そんな徒労感。

 才能を持ち、血の煙る経験を積んで尚、(いただき)には程遠かった。

 

 「降参するか?」

 

 「……………参りましたわ。流石です」

 

 状況的には四肢を()がれたも同然。

 にぃ、と笑う一真にカナタは苦笑で応じる。

 大きな盛り上がりが予想されたAランクとBランクの戦いは、文字通り何の動きもなく決着した。

 

 

 

 「いけー! 桃谷ぃー!!」

 

 「近距離戦でお前に勝てる奴なんていねぇ! いつもみたいに吹っ飛ばしてくれっ!!」

 

 「そいつはFランクにも負けてるんだ! オマエなら余裕だぜ!!」

 

 囃し立てる声を背にするのは桃谷武士(たけし)

 希少な甲冑型固有霊装(デバイス)《ゴリアテ》で身を包んだ、身長190cmはあろうかという(いわお)のような巨漢だ。

 対するステラ・ヴァーミリオンはその代名詞にもなった紅蓮の炎を纏っていない。ただ《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を手にしたままそこに立っている。

 ───勝てるのか?

 疑問と共に甲冑の中を汗が伝う。

 だが彼にもここまで戦ってきた最上級生としてのプライドがあった。

 

 「うぉぉぉおおおおおおおっっ!!!」

 

 叫び、友人やクラスメート達の歓声に押されるように彼は走り出す。姿勢を低くして肩から激突する、得意技のへヴィーチャージだ。

 数多の騎士を場外まで吹っ飛ばしてきた装甲の塊の突進が最短距離でステラに迫る。

 

 彼については不幸という他ない。

 まずステラが炎という分かりやすい実力差の指標を出していなかったせいで、降参という選択肢が浮かばなかったこと。

 そして『Fランクにも負けている』という謗りが、あのテロの中で苦汁を飲んだ今のステラには覿面(てきめん)()()()()()()()ことだ。

 

 ぐらり、とステラの奥底で巨大な何かが蠢く。

 

 

 フルスイング。

 まさに全力で振り抜かれた《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》が、桃谷武士を場外まで大ホームランした。

 

 

 耳元で金属が爆発したような轟音がしたと思ったら、甲冑が観客席の階段に突き刺さっている。

 上半身が瓦礫の中に埋まり下半身がぐったりと投げ出されている様は、素人が見ても中身の人間が意識不明であると分からせるものだった。

 

 「……フン」

 

 下らなそうに鼻息を鳴らすステラは自分を謗る声が聞こえた方向を睨む。何人かが気圧されたように仰け反るが、誰が言ったのかはわからない。

 なので、とりあえずその方向に向けて言い放った。

 

 「次はアンタよ。教えてあげるわ、(わきま)えるって言葉の意味を」

 

 

 この後、1人の生徒が選抜戦を棄権したという。

 

 

 この日に行われた代表的な試合は以上の通り。

 三者三様それぞれの実力を発揮し、一真たちは《七星剣武祭》予選を順調に勝ち上がっていた。

 

 

     ◆

 

 

 「あっという間だったわね。調子が良さそうで安心したわ」

 

 「ステラこそ随分飛ばしてたじゃないか。映像を見たけど、相変わらずとんでもないパワーだよね」

 

 「ふふ、2人とも順調そうでよかったです」

 

 一輝とステラ、刀華の3人が紙の束を抱えて学校の廊下を歩いている。

 刀華が生徒会の仕事の資料を横着して1度に運ぼうとしてスッ転んでいるところに出会した2人が運ぶのを手伝っているのだ。

 そして3人とも《七星剣武祭》出場を目指して選抜戦を争っており、結果は今のところ全勝だ。生徒会室へ向かう道中もそういう話に花が咲く。

 

 「去年は回数はともかくカズマとしか戦っていなかったから1回1回が凄く勉強になるよ。やっぱり映像だけじゃ限界があるからね」

 

 「その辺アタシは全然ね。勉強にならないとは流石に言わないけど、正直な話、最初にイッキやカズマと戦った時以上のモノは得られてないわ。

 ……トーカ先輩も凄く強いわよね」

 

 「ありがとうございます。けど、これでも必死なんですよ。この最後の機会に、どうしても超えたい相手がいるので。

 ()()()()も私と同じくらい必死になってくれると嬉しいんですけど……」

 

 やっぱりこういう公の場だと渾名(あだな)呼びはしないんだな、と一輝は何となく思う。

 越えたい相手が誰なのか暗にバラしてしまっているようなものだが、一輝としてはずっと前から知っていることなので特に意外なことはない。

 だが一真と刀華の仲を知らないステラは興味を惹かれたようで、少し身を寄せながら刀華に聞いた。

 

 「それってやっぱりカズマの事よね? アイツそんな余裕そうにしてるの?」

 

 「余裕というか、熱くならないって意味です。

 名誉や称賛に頓着がない上に、強い人と戦うことに楽しさや愉悦を抱かないタイプなんですよ。戦いそのものではなく、それで自分の主義主張を(とお)したという結果に価値を置いているんです。

 もちろん積んできた鍛練は紛れもなく本物ですし心から尊敬していますけど、私としては少し寂しい気もしますね」

 

 「ああ、それわかります。目の色を変えるの()がいる時だけなんですよね。それ以外だと真剣だけど執念はないというか、野心が無いというか……戦いにコミュニケーションツール以上の意味を持たせてなさそうで」

 

 「……気に食わないわ。じゃあアタシ達は敵じゃないってわけ? 上等じゃない。イッキにも勝たなきゃならないけど、アイツはもう予選で倒してやるわ!! 勝つ執念のない奴に負けやしないんだから!!」

 

 彼女の思う敵と一真の思う()は少々意味合いが異なるぞと思った一輝と刀華だが、手に持った資料をぶち撒ける勢いで吐かれる気炎に水を差すこともあるまいと黙っていることにした。

 リベンジの炎が改めて燃え上がったステラは、この手伝いが終わったら早速鍛練に入ろうと意気込み────

 

 (あれ?)

 

 ふと思った。

 2人から聞いた一真の思想と、彼の実際の行動が何かズレている気がする。

 彼にとって己の力の目的が強さの証明や栄誉などではなく、ただ己の意思を(とお)すための手段なのだとしたら、………彼はなぜ《七星剣武祭》出場のために戦っているのだろうか?

 あれこそ主義主張も何も無く、純粋に野心と栄誉を争う場だと思うのだが……?

 

 そんな事を考えていた時、ステラ達はやっと生徒会室の前に辿り着いた。

 

 「あ、着きましたね。お疲れ様でした」

 

 「お二人ともありがとうございます。ぜひ中でお茶でも飲んでいってください。ちょうど昨日、貴徳原さんがとっても美味しい茶葉を差し入れてくれたんです」

 

 「じゃあお言葉に甘えて。ステラは?」

 

 「それならいただくわ。喉カラカラだもん」

 

 「よかった。ではどうぞ中へ」

 

 そう言って生徒会室の扉を開き、刀華が2人を先導しながら室内に足を踏み入れる。

 続いて部屋に入った2人が見たものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 顔を映すほどに磨かれた床とアンティーク調の品の良い調度品が、その空間をまるで西洋の城の一室のようにも思わせる。

 テーブルでは砕城雷が実に達筆な文字で議事録をまとめ直しており、そんな彼に貴徳原カナタがお茶をついでいる。

 その向かい側では生徒会庶務・兎丸(とまる)恋々(れんれん)と副会長・御祓(みそぎ)泡沫(うたかた)が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてその後ろ、恋々と泡沫の後ろに男が立っていた。

 並々ならぬ身長で2人を鋭く見下ろし、竹尺を持った手で腕組みをした悪魔の石像が如き威圧感を放っているそれは、紛れもなく王峰一真だった。

 

 「おう、お帰り刀華。イッキとステラさんも一緒なのか?」

 

 「資料を運ぶのを手伝ってくれてたんです。量が多かったので助かりました」

 

 「相変わらずこういう場じゃ敬語を崩してくれねえのな……。2人ともありがとな。どうせいっぺんに運ぼうとしてスッ転んでたんだろ?」

 

 (完全に読んでるわね……)

 

 カズくん! と見透かされた恥ずかしさに刀華が抗議の声を上げる。

 とその時、ペンを動かしていた恋々がヨロヨロと手を上げた。

 その目からは光が失われており、彼女が危険なレベルまで消耗していることがわかる。

 普段の快活な様子からは程遠い、弱りきった声で恋々は一真に懇願した。

 

 「願います……! 兎丸恋々、2時間の休憩を願います……っ!」

 

 「僕も、僕からも願います……っ! る◯剣とドラゴン◯ールとスラ◯ダンク……そしてスーファミ成分の摂取を願います……!!」

 

 「甘ったれんじゃねえ! 俺が来るまで散々遊んでたのはどこの馬鹿だ!? テメェの権利を主張する前に義務を果たせこの惰弱者共がァ!!」

 

 「「 あぐぅぅうううっっ!! 」」

 

 バシーン!! と竹尺で二の腕を叩かれ悲鳴を上げる恋々と泡沫。

 要求の図々しさと怒声の正当性を除けば映画に出てくる劣悪な刑務所みたいなシーンを目撃したステラが引き気味に刀華に訊ねた。

 

 「……あの、トーカ先輩。なにあれ?」

 

 「ああ、仕事が忙しい時にはこうして王峰くんに()()()()()()()()()んですよ。彼がいるとみんな真剣に仕事をしてくれるからとても助かります」

 

 「ひ、ひどいよかいちょー……! アタシたち仲間じゃなかったの……!?」

 

 「刀華ぁ……、帰ってきてよお……。優しかった頃の刀華に戻ってよぉ………!!」

 

 「テメェらがサボり倒して刀華をブチ切れさせた結果が今なんだろうが!! わかったらとっととペンを動かせ仕事が終わるまで俺はここに居続けるぞ!?」

 

 「「 ひいいいいーーーーっ!! 」」

 

 バシーン!と竹尺で机を叩く音に怯え、必死にペンを動かす2人。砕城は我関せずとばかりに仕事を続けているのを見るに、たぶん刀華の言う『みんな』はあの2人限定なんだろうなとステラは思う。

 しかし気になるのは、この光景を一輝が慣れたもののように微笑ましく見ていることだ。

 

 「イッキはあれに驚かないの?」

 

 「むしろ少し懐かしさすら感じるよ。カズマが生徒会長だった去年からああだったからね」

 

 「……え!? 生徒会長!? カズマが!? あ、いや、でもそうよね……」

 

 一真はAランク伐刀者(ブレイザー)だ。ランク至上主義の根深い魔導騎士の社会からすれば、学園でも最も優れた才能を持つ彼が学園の長になるのは自然な事。何も驚くような事はない。

 が、ふと気付く。

 

 「あれ。じゃあ何で今は生徒会じゃないの? 学内の選挙に負けでもしたかしら?」

 

 「……罷免されてる。去年の()()()()(かど)で」

 

 「…………………」



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20話

 一真が予想以上の事件(コト)をやらかしているらしい事実に呆れると同時に、また歯切れが悪くなったなとステラは感じた。

 一輝の口から去年の学園からどんな仕打ちを受けていたかは聞いていたが、それが一真に関するものに触れると大抵一輝は口ごもるのだ。

 彼の名誉を守ろうとしているのか、それとも……口にするのも憚られるようなことを彼はしたのだろうか。

 

 「黒鉄よ。此度の戦い、見事であった。さすが元会長と互角に戦り合うだけはある……己の未熟さに恥じ入るばかりよ」

 

 「いえ、僕にも余裕があった訳ではありませんよ。砕城さんに時間を与えたら、それこそ触れることも出来なくなってしまいますから……あ、ありがとうございます」

 

 「いえいえ、ゆっくり味わって下さいませ」

 

 砕城からの賛辞を謙遜で返した一輝に貴徳原が茶を渡す。一輝としては本心からの言葉だったのだろうが、しかし事実として能力すら使われずのされた砕城の苦い顔には気付いているのだろうか?

 日本のケンソン(謙遜)って言うほど相手を立てられる訳じゃないのかしら、と同じく貴徳原から貰った茶を啜りつつステラは思う。

 

 「黒鉄さんと ステラさん、それに一真さんもここまで全勝ですか。生徒会としては少々不甲斐なくもありますが、この学園にここまでの強者が揃ったことは誇らしいですね」

 

 「ありがとうございます。とはいえ予選はまだまだこれからですからね、まだどうなるかはわかりませんよ」

 

 「もちろんこのまま負け無しで行くわよ。イッキもこんな時くらい『絶対勝ち残る』って言いなさいよね」

 

 と、そこでステラは思い出した。

 連勝を続ける実力者の中に、もう1人良く知った顔がいる。

 

 「そうよ、シズクもここまで全勝よね。映像で見たけど、今日もトマル先輩に勝ってたし」

 

 黒鉄珠雫と兎丸恋々と戦いは実にあっさりとしたものだった。

 《速度の累積加算》、それが恋々の能力。

 動けば動くほど速度が上昇し、最高速度は驚異のマッハ2。音を遥か後ろに置き去るスピードで相手に激突する伐刀絶技(ノウブルアーツ)《ブラックバード》が彼女の切り札だ。

 だが、その運動エネルギーが珠雫の矮躯に叩き込まれることはなかった。

 《水使い》である珠雫は恋々がトップスピードに乗ったと見るや能力でリング上を薄く平らな氷で覆い、さらにそれを水の膜でコーティングしたのだ。

 そうなれば後は簡単。

 アイススケートの原理で摩擦を失った地面で恋々は派手にスッ転び、マッハ2の速度で観客席の壁に激突。

 バードストライクもかくやな状態で10カウントまでに場内に復帰できるはずもなく、珠雫もまたその場から1歩も動くことなく勝利を収めたという訳だ。

 ……普通、氷は内側に空気やその他諸々の不純物を含み、光を反射して白く濁る。

 恋々が気付けなかったという事は珠雫が張った氷には空気その他が含まれていない、つまり完全に透明な氷だったということになる。

 水から氷に状態を変化させる上で不純物を徹底的に取り除き、なおかつそれを一気にリング上に展開する……シンプルな絵面に隠された魔力制御の技量には感嘆すら覚えてしまったものだ。

 

 「そうだね、誰も彼も想像以上だよ。シズクも本当に強くなった……」

 

 幼い頃を思い出してしみじみと呟く一輝に、シスコン、とステラは心の中で嫉妬を込めた悪態を吐く。

 妹を大切に思うのは兄として当たり前なのだが、その妹が明らかに兄妹愛以上の感情を向けていることに早く気付いてほしいのだが……

 

 (……ん?)

 

 そして、また少し違和感を覚える。

 珠雫の話になった時、刀華の表情が少しだけ固くなった気がしたのだ。

 と、その時。

 

 「う、うがーっ! もうやってられるかーっ!!」

 

 ガターン!!と椅子を倒しながら立ち上がったのは恋々だ。

 

 「アタシたちは奴隷じゃないんだ! 遊ぶ権利と自由があるんだ! アタシたちが生徒会室にいるのは断じて仕事をするためじゃなーい!!」

 

 「何を言っとーと?」

 

 「そ、そうだそうだ! こんなの横暴だ! いくらトーカに頼まれたからって、今はもう()()に圧政を敷かれる時代じゃないぞ!!」

 

 まさかの主張に刀華が呆然とこぼした。

 しかしその魂の演説に同調した者が1人いた。

 言うまでもなく御祓泡沫である。

 

 「仕事は砕城や刀華がやってくれる、その代わりにボクらは砕城のぶんまで遊ぶ! お互いをカバーし合うシステムはもう完成してるってのに、どうしてそれが理解できないんだ!!」

 

 「いいや、もう言葉を交わす段階は終わりだよ! アタシたちは今こそ前時代の影を振り払うんだ!」

 

 「……ほぉ。つまり俺と()ろうってんだな?」

 

 何やら熱くなっている2人に低い声で返す一真。

 この光景を見るだけで頭痛を堪えるように額に手を当てている刀華の日頃の苦労が窺い知れる───なお、この状況を目前にしても砕城は眉1つ動かさずに自分の仕事を終わらせていた。メンタルが強い。

 

 「いくよ副かいちょー! アタシらはアタシらの権限を取り戻す!!」

 

 「もちろんさ! この横暴に終止符を打つためにも、ここで退く訳にはいかないね!!」

 

 果たして本当に実力行使が始まってしまうのだろうか。

 始まったとしても今の直後にはカノッサの屈辱を迎えるだろう2人の反逆者は、目に見えた敗北を前にまるで最期の輝きを放つが如く飛びかからんとして───

 

 

 「………そうか。残念だなァ」

 

 

 一真はしょんぼりと肩を落とす。

 予想外の反応に恋々と泡沫の動きが止まった。

 

 「これでも元生徒会長としてわかってるつもりだったぜ? お前らの忙しさも、こういう遊びも必要だって事もさ」

 

 「……あ、あれー?」

 

 「か、カズ? どうしたのさ急に……」

 

 「予選中はお前らも仕事が激増するし、その上自分の戦いがある奴もいるしで大変だろうから、息抜きになればと思って持ってきたんだが……」

 

 そう言って一真は自分の後ろに置いてあった大小2つの箱を机の上に置き、それを包んでいた包装紙を破いていく。

 何が出てくるんだとじっとそれを見つめていた恋々と泡沫の目はそれが何かを理解した瞬間驚愕に染まり、そしてそれは徐々に歓喜へと変化して───

 

 「ニンテ○ドースイ○チ─────!!??」

 

 「リ○グフィ○トアドベンチャー!!??」

 

 姿を現したのは最新のゲーム機と、フラフープ状のコントローラーが付属した話題沸騰中(らしい)のゲームだった。

 

 「これ、これっ! 思いっきりエクササイズで身体を動かせるゲームって面白そうって!! やりたいなって思ってたやつ!!」

 

 「両方どこの通販サイトでも売り切れで結局買えなかったやつだ!! うわ嘘だろマジで!? くれるのコレ!?」

 

 「ああ。日頃頑張ってるお前らに贈り物をと思って、今日の仕事が終わったらサプライズで渡そうと……

 

 ()()()()()()()()()()……」

 

 雲行きが怪しい。

 跳び跳ねながら互いに互いの身体をベシベシ叩き合っていた恋々と泡沫のテンションが一気に不安に置き換わる。

 

 「ここまで嫌われてたんなら、喜ぶも何もねえよなァ……。そうだな、部外者にせっつかれたら嫌だよな。俺、空回りしてたんだなァ……」

 

 「えっ、あ、その………」

 

 「こうなっちまったのは残念だけどしょうがねえ。返品すんのも虚しいし、こいつは誰か別の奴にでも……」

 

 「「うわーーーーーーーっっ!!!」」

 

 箱を取り上げようとした一真の脚に2人が必死の形相ですがりついた。

 

 「待って! 待って!! 嫌じゃない、嫌じゃないから!! お願いだから持っていかないで!!」

 

 「ごめんボクが悪かった! 流石にふざけすぎた! だからどうか考え直してくれ頼むから!!」

 

 「兎丸。ウタ。そうじゃねえんだ。俺が気付いてほしいのはな、そんな事じゃねえんだよ」

 

 一真は箱を床に起き、脚に絡み付く2人の腕を優しく外す。

 しゃがんで2人に目線を合わせ、幼い子どもに諭すような穏やかさで1つずつ確認するように質問していった。

 

 「兎丸。コレは何の為に用意された物だ?」

 

 「頑張ってるアタシ達へのサプライズ!!」

 

 「ウタ。俺はさっきまで何で怒ってた?」

 

 「ボクらが仕事せずに遊んでたから!!」

 

 「よし。じゃあ何をすればいいかわかるな?」

 

 一真はにっこりと笑って机の書類を指差した。

 

 「(ただ)ちに取りかかれ」

 

 「「はーーーーーーーーい!!!!」」

 

 音の速さで2人は自主的に仕事を始めた。

 竹尺で鞭打たれていた時とは比べ物にならない速度と熱意でペンを動かす恋々と泡沫の後ろで、一真はしてやったりと舌を出す。

 さっきまでの鞭打ちから一転、あっという間に飴で懐柔してしまった手際にステラは思わず感心してしまった。

 

 「なんか凄いわね。完全にコントロールしてるというか、心得てるというか………物で釣ったといえばそれまでだけれど」

 

 「本当に仲間を想っているからこそですわ」

 

 茶の入ったカップから口を離し、貴徳原が慈しむように答える。

 

 「一真さんは小さい頃から身体が大きかったから、みんながお兄ちゃん、お兄ちゃんって懐いていたんです。そうしたらいつしか一真さん自身も『俺が皆の兄ちゃんだ』って頑張り始めて。喧嘩を仲裁したり引っ込み思案な子と遊んだり、よく会長……、刀華ちゃんと一緒に皆を纏めていましたから」

 

 「誰が何を好きなのか、何をすれば喜んでくれるかは王峰くんが一番理解してましたからね。難しい子も多かったから本当に頼もしかったです。

 味方になってもらえたらここまで心強い人はそういないでしょう……()()()()()()()()()()()()()……」

 

 「褒めるなら最後まで褒めてくれよ」

 

 昔からの付き合いでもやはり思うところはあるのだろう。若干遠い目をしながら付け加えられた最後の一言に、一真はやや憮然としながらクレームを入れる。

 否定できない自覚は流石にあるようだが。

 

 「でもカズくん、またこんなに甘やかして……。これでまたうたくん達が仕事よりゲームを優先するようになったらどうするの? ゲームは1日1時間って言ってるのに……」

 

 「そうなったらまた呼べよ、また思い切りケツ叩いてやっから」

 

 「確かにそれを頼んでるのは私だけど、そうならないのが理想だからね? これだとカズくんが来た時だけ頑張るようになっちゃうかも」

 

 「大丈夫だって、こいつらも本気で怠けて困らせたい訳じゃねえんだからさ。ちゃんと仕事を終わらせてからって言い含めりゃいい。楽しくやんのが1番だ」

 

 そう大らかに笑う彼の背中を大きく感じたのは彼自身の身長のせいだろうか。楽観的な一真と困ったような呆れたような顔をしている刀華の2人を、貴徳原が眩しそうに見つめていた。

 そんな一真と刀華を見ていたステラが思わずこう言ってしまったのは無理なからぬ事だったのかもしれない。

 

 

 「なんか子供の教育方針が微妙に食い違ってる父親と母親みたいね」

 

 

 ブッッッ!! と聞いていた全員が噴き出した。

 

 「くくっ……ステラ、それ僕も思った……」

 

 「ま、まあ確かに(それがし)も薄々……」

 

 「けど、改めて言葉にされてしまうと、ふふふっ……」

 

 「おい、おいおいおい待てコラ。さっきまで俺は頼もしいんだって話してたのに何でいきなりそうなるんだよ」

 

 「え、でもそう思うわよ。今のやり取りだと」

 

 「あ、あー! そうそう思い出しました! ここまで来て頂いたついでに黒鉄くんとステラさんにお願いがあるんですよ! 理事長から頼まれたことについて!!」

 

 パンパンパン!と手を鳴らして強引に路線の変更を目論む刀華。

 しかし導入がドリフトのように横滑りしているとはいえ理事長の名前が出てくる用件だ。名前を挙げられた一輝とステラが少し姿勢を正す。

 

 「理事長からの頼み事、ですか」

 

 「ええ。それについてはわたくしから説明させていただきますわ」

 

 飲み終えたカップを片付けながら貴徳原が説明を始めた。

 

 「元々は先日、理事長から生徒会に頼まれた仕事でしたの。《七星剣武祭》の前にはいつも代表選手の強化合宿を行っている合宿施設が奥多摩にあるのですけど、少し前から改装工事が始まったため、今年は別の施設を使うことになっておりまして」

 

 「なるほど。どこの施設を使うんですか?」

 

 「由比ヶ浜ですわ」

 

 「………は? ゆ、由比ヶ浜?」

 

 どうやら一真も初耳だったらしい。予想だにしていなかった地名が出てきたことに頓狂な声を上げている。

 

 「そこ、観光地っつーか、確か海水浴場あるとこだろ……てか県外じゃねえか。確かに距離的には日帰りで行ける程度だけど、何でそんな所に決まったんだ」

 

 「場所の変更にあたって近場から合宿に使える施設を探して、その中から更にピックアップした結果ここが最適だとわたくしが判断しました。

 近くに海水浴場があるのは……ふふ、ただの偶然ですわ」

 

 ………本当だろうか?

 刀華が若干じとっとした目を貴徳原に向ける。

 白いドレスに身を包んだ優美な姿なれど、彼女は幼い頃から今に至っても結構な悪戯っ子なのだ。

 仕事は真面目にするけれど、もしかしたら彼女も遊んでみたいだけでは?

 疑念を孕んだ視線を涼やかに受け流しながら貴徳原は続ける。

 

 「ただ、問題がありますの。その施設で問題ないかの確認に赴くことが決まった辺りからでしょうか、そこの海水浴場で不穏な噂が立ち始めたのです」

 

 「噂?」

 

 「はい」

 

 一輝の疑問に貴徳原は一拍おいて、

 

 

 「巨大海棲生物───と(おぼ)しきモノの影が、急激に目撃されるようになったのです」

 

 

 そう、告げた。




 更新遅くなりました。
 明けましておめでとうございます。
 このページも書きたかった所まで辿り着けませんでした。

 貴徳原の口調を確認したくて原作を読み返してるのですが、胸糞悪過ぎて16巻が読み返せません。
 挿し絵の刀華の縞パンが辛うじて癒しです。


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21話

 バン!!とペンを机に叩きつけるように置いて恋々と泡沫が叫ぶ。

 

 「おわったーーー!! 仕事おわったよーーー!!」

 

 「いいよね? もうコレ始めてもいいよね!?」

 

 「ん、ああ。好きなだけ遊ぶがいい」

 

 「「やったーーーー!!!」」

 

 ウキウキで箱を開け、爆速でゲーム機の初期設定を終わらせていく2人。

 完全に遊ぶ態勢に入っているが、一応今も仕事の話をしていることを知っての事だろうか? クリスマスプレゼントの包み紙を破る子供のような表情に微笑んだ後、貴徳原は折られた話の腰を戻す。

 

 「しかし場所が海なだけに捜査の範囲は広大ですし、その難易度も高い。それにもし何らかの大騒動に発展してしまったら、近隣の人々にも被害が出るかもしれません……そういった事を考慮すると、生徒会だけではとても人数が足りないのです。先生方は選抜戦の運営で大忙しですから」

 

 「確かに。相手が海棲生物である以上、砂浜だけを調べるという訳にはいきませんからね」

 

 そう。本当に調べなければならないのは砂浜ではなく海の中なのだ。

 それにその巨大海棲生物とやらが出没したらしい場所は多くの人で賑わう有名なスポットだし、周辺の人口も多い。もしも戦闘が発生した場合、一般人の避難と保護はかなり神経を使うだろう。

 なるほど確かに能力のバリエーションも、何より人数も生徒会だけではまるで足りない。

 

 「しかし、巨大海棲生物ですか……随分と古めかしい噂ですね」

 

 「ですね。だけど、噂にしては目撃情報が多すぎるんです。SNSにもかなりの数の動画が投稿されているので、放置はしていられません」

 

 「ねえねえイッキ! トーカさんも困ってるみたいだし、アタシ達も協力しましょうよ! アタシ、ネッシーに会いたい!」

 

 「す、ステラはこういうの好きなの?」

 

 「川◯浩探検隊のDVDで日本語を覚えたくらい大好きよ!」

 

 (ものすごいところから日本に入ってきてるよこの皇女様……!)

 

 ステラが目をキラキラさせながらやや戦慄している一輝の肩を揺する。

 一輝としてはその手のUMA(ユーマ)に興味は無いが、彼は生徒会が忙しい原因である選抜戦制度で恩恵を受けた身。協力などむしろ進んでさせて貰いたい気分だ。

 故に2つ返事で了承する。

 

 「そういう事でしたら、一生徒として喜んで協力させていただきます。合宿所も生徒のための施設ですし、僕たちでよければ」

 

 「本当ですか!? 申し分ないです、助かります! 本当にありがとうございます!」

 

 実はかなりシリアスな問題だったのだろう。ぱあ、と刀華の顔に笑顔の花が咲く。弾む声で感謝しつつその気持ちを握手で伝えようとしたが、一輝に伸ばされたその手はステラにインターセプトされた。

 真意がよくわからない行動に頭に小さな疑問符を浮かべる刀華。

 そこで彼女はふと思い出したように一真を振り返って言った。

 

 「そうだ、王峰くんもちゃんと準備しておいてくださいね。場所が海なだけに色々と物要りになるかもしれませんし」

 

 やはり一真にも頼んでいたらしい。

 確かに縁もあるし強さも充分、彼も断ることはないだろうし、頼まない選択肢はないだろう。

 そう思った時、フラフープ状のコントローラーを雄叫びを上げながら激しく変形させる恋々を笑いながら見ていた泡沫が、若干呆れ顔で指摘する。

 

 「……いや刀華。カズにはまだ頼んでなくない?」

 

 少しの沈黙。

 

 「……あ、ああああそうでした! ごめんなさいてっきりもう頼んでOK貰ったような気になってて……!!」

 

 「あァ、いいっていいって。どっちにしろ手伝うって言うつもりだったからよ」

 

 一輝やステラのようにお願いするのではなく、最初から彼は来てくれるという確信を刀華は持っていたのだろう。

 背中越しに手をひらひらさせて快諾する彼の顔は見えないが、多分ニヤけてるんだろうなと一輝は思う。

 

 「アハハ☆ そりゃカズが断るわけないよね。だって刀華の水着が見れるチャンスだもん!」

 

 「よおウタ、俺にもリ◯グフィットやらせてくれよ。コントローラーお前な」

 

 「死ぬぅ!!!」

 

 

     ◆

 

 

 こうして一輝とステラは再来週末に由比ヶ浜へと行くことになった。

 

 「そう、水着。水着よ。海に行くなら水着を用意しなくちゃ。あとボールなんかも」

 

 「あの、ステラ? 遊びに行くんじゃなくて一応仕事の手伝いだからね?」

 

 「海の中まで調べるのに服を着たままっていうのも非合理でしょ。それにずっと働きっぱなしって訳にもいかないだろうし、息抜きは必要になるわよきっと」

 

 今からルンルン気分になっているステラにこれ以上言うのも野暮だろうと一輝はこれ以上のツッコミをやめた。

 まあそれに自分も男だ……一真ではないが、水着云々に期待していないと言えば嘘になる。

 目の前の可憐な彼女がその肢体を露にしたら、それはどれだけ美しく艶かしい光景だろうか、と。

 

 (ああ駄目だ駄目だ、これ以上はマズい)

 

 何だかステラの顔が見れなくなってきそうなのでそれ以上の思考を打ち切る。脳内に過る肌色を振り払おうと一輝は話題を変えようとした。

 

 「それより僕は目下の予選が問題だよ。今のところは勝ててるけど、そろそろ強さの次元が違う人たちと当たってもおかしくない。

 それこそステラや刀華さんに……カズマみたいな」

 

 「クジ運を怖がってもしょうがないわよ。どのみち勝つしかないなら気にするだけ無駄じゃない」

 

 「勿論誰と当たっても全力で勝ちに行くさ。ただどうしても不安はついて来ちゃってね、生徒手帳が震える度に恐々としてるよ」

 

 やや自虐的な苦笑いを浮かべているが、いつかのように心の負担を覆い隠すような危うさはない。

 桐原との戦い以来、一輝は随分と自分を明け透けにするようになったとステラは思う。

 あの勝利は一真のお陰だと聞いた……そういう意味ではステラは一真がうらやましい。

 

 「後はそうだ……綾辻(あやつじ)さんも怖いな」

 

 「アタシはセンパイの強さをよく知らないけど、去年からイッキが修行に付き合ってたんでしょ? 手の内は分かってるんじゃない?」

 

 「僕が教えた事なんてほんの一部だよ。それにあの人は実家で《最後の侍(ラストサムライ)》からみっちり教鞭を受けてるし、しかもあの道場には()()()()()()()()()()()()()()()()からね。切磋琢磨するには最高な環境を2つ持ってるんだ、どんな隠し玉を持ってるかわかったものじゃない」

 

 (隠し玉……か。そういう意味じゃ、放課後の鍛練には参加してないカズマも不気味よね……)

 

 自分たちが放課後、森の広場で毎日行っている鍛練。一輝やステラ、珠雫に有栖院(アリス)と1年生ばかりが集う中で唯一の3年生である綾辻(あやつじ)絢瀬(あやせ)の顔を思い浮かべる。

 彼女から聞くところ、何でも()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 ……全ての授業から締め出されて他の生徒から存在すら認知されていなかった一輝が剣の達人であるとどうやって突き止めたのだろう?

 戦闘行為の1つも起こせば即退学の口実にされるらしい環境で、どうやって絢瀬を鍛えて……もっと言えば、どうやって一真と1年間戦い続けてきたのだろう?

 

 (思えばアタシ、本当にイッキのこれまでを知らないのね)

 

 まだ長いとは到底言えない付き合いだから当然だ。

 だけど、一輝が他の誰かと自分の知らない時代の話をするのに言いようのない寂しさを感じてしまう。

 過去を共有した絆。

 まだ自分には持ち得ないそれを持っている者の中でも、より危機感を持つべきライバルと言えるのが───

 

 

 「あっ、お兄様」

 

 

 ────黒鉄珠雫だった。

 曲がり角からひょこりと姿を表した銀髪が、予期せぬ偶然に嬉しそうに揺れる。

 

 「お兄様、今回の勝利もお見事でした。対戦相手に何もさせない危なげ無い試合運び、流石の一言です」

 

 「ちょっとシズク、何してんのよ」

 

 「ああ、いたんですかステラさん。ただお兄様を称賛しているだけですが何か?」

 

 「その距離のことを言ってんのよっ!!」

 

 全身を一輝に密着させるようにしなだれかかる珠雫をステラが引っ剥がしにかかる。

 

 「本当にわからない人ですね。ただの兄妹間のスキンシップでしょう、なぜ貴女が邪魔に入るんですか」

 

 「別に止めやしないわよ()()()()()()()()()()()()!! ファーストコンタクトで躊躇いもなくマウストゥマウスする女がどの口で血縁の免罪符を掲げるのよ!?」

 

 「()()()()()()()()()貴女に何の関係があるんですか? そもそも私たちの関係を貴女にどうこう言われる筋合いはありません。まして恋人という訳でもないのに」

 

 「…………っっっ!!!」

 

 髪に負けないくらい顔を真っ赤にしたステラがぷるぷると震える。心では嫌なのに言うことがいちいち正しいせいで言い返せないのだ。

 そんな様子を半目で見ながら珠雫は少しだけ落胆する。

 

 (……意気地無し)

 

 と、その時だった。

 ふと何かに思い至ったらしいステラが、急に余裕の笑みを浮かべて胸を反らす。急激に感情がスイッチバックする様を見た珠雫が怪訝な顔をした。

 

 「ほほほ、そうねぇ~。兄妹の仲だもの、この位で熱くなる事も無かったわねぇ~」

 

 「……どうしました突然。脳にまで脂肪が回りましたか」

 

 「はっ倒すわよアンタ!!! ……いや、何てことは無いわよ? アタシたちね、再来週末に海に行く約束をしたってだけ!」

 

 「いやだから仕事だからね?」

 

 再度のツッコミも聞こえていない。

 顔面から表情の失せた珠雫が、油の切れたロボットのような動きで一輝を見る。怖い。

 

 「お兄様? 私そのような事は初耳なのですが?」

 

 「ついさっき決まった事だから……あと何度も言うけど仕事だよ?」

 

 「あっそうだ、向こうで着る水着はイッキに選んでもらうわ。困っちゃうわね、アタシどんなものを着させられるのかしら?」

 

 「いや仕事……、」

 

 「いけませんお兄様っ! こんな理性をローションに溶かした淫獣と海に行くなんて認められません!! この女の駄肉はお兄様の目を腐らせます!! どこに、再来週末のどこに行くんですか? 私も行きます、私がお兄様をお守りします!!」

 

 「あんですってこの絶壁!!!」

 

 「黙りなさい色情魔っっ!!」

 

 せっかく手に入れた余裕を一瞬で剥がされたステラと鬼気迫る珠雫がまたケンカを始めた。

 普段のようにジャブで様子を見るのではなくストレートを叩き込むような本気具合だ。両方にとって無視できないイベントな上、意地でも退けないタチなのだから始末が悪い。

 すわ始業式の再演かと思われたヒートアップを止めたのは────

 

 「……シズク。その、カズマも一緒だからさ」

 

 ぴたり、と珠雫の気炎が止まった。

 

 「………そう、なんですか?」

 

 「うん。何度も言ったけど、海に行くといっても生徒会の仕事の手伝いなんだ。だから生徒会に縁の深いカズマもいる。別に2人でという訳じゃないんだよ」

 

 「……なんだ。遊びに行くような口振りだった癖に、見栄を張っただけじゃないですか」

 

 「ま、間違った事は言ってないわよ!」

 

 慌てて取り繕うステラだが、正直珠雫に対して違和感を感じてもいた。

 いま珠雫は遊びに行く訳ではないと知ったからではなく、一真の名前に萎縮したように思えたからだ。

 2人の間に相当な確執がある事は知っているが、一輝の言葉や始業式の日、それにテロ直後のあの時を思い返してみると、力関係が随分と一方的なような……

 

 (人生を、歪めた………)

 

 「かなり話が横道に逸れたけど、ありがとう。シズクの試合は僕も見たよ。物理的に受け止めるのが難しい相手を前に冷静に思考する胆力は並大抵じゃ身に付かない。厳しい鍛練を積んできたんだね」

 

 「当然です」

 

 ──珠雫は兄の強さを誰よりも信じている。

 腐らず折れず、逆境の中で己を鍛え続けてきた兄と並び立つ為にここまで努力を重ねてきた。

 兄は必ず全国に駒を進めるだろう。校内の選考で躓くとは考えられない。そしてそれは勿論、目の前の彼女……ステラ・ヴァーミリオンもだ。

 ならば。

 ならば────こんな所で自分も負けていられない。

 

 「私も、必ず勝ち進みます。お兄様と………皆と一緒に、《七星剣武祭》へ───」

 

 

 瞬間。

 珠雫の生徒手帳がメールの着信音を鳴らした。

 この時期に届くメッセージなんて分かりきっている。少しだけ速まった鼓動を抑え、珠雫は手帳を開いてメールの文面に目を通し───

 

 

 

     ◆

 

 

 新しい娯楽に賑わう学内の一室。

 天を突くような長身の大男が、静かに己の心を尖らせた。

 

 

     ◆

 

 2人と別れた珠雫は女子トイレの一室に座り込んでいた。

 用を足したかったのではなく、落ち着いて力を抜ける空間が欲しかったのだ。

 だけど落ち着こうという意思に反して、強張った身体は勝手に震えてしまう。

 震える理由は何なのか、自分を分析しようとしてもうまく答えは出てこない。

 緊張だろうか。

 恐怖だろうか。

 少なくとも、武者震いでは断じて無いだろう。

 来るかもしれないとは思っていた。

 来て欲しくないと心のどこかで思っていた。

 膝を抱えるように俯く珠雫の手の中で、生徒手帳はその画面に無機質な光と文面を映し出している。

 

 

 

 

 

 『黒鉄珠雫様の選抜戦第11試合の相手は、1年1組・王峰一真様に決定しました』。

 



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22話

 「………ねえイッキ。シズク、一体どうしちゃったの?」

 

 珠雫に送られてきたメールの要件なら見当はつく。

 だが彼女はその文面を見て明らかに動揺していた。

 短い付き合いだがステラは知っている。人形のような見た目でもやはり一輝の兄妹なのか、彼女は血の気が多い気質だ。格下を相手に手加減しつつ勝ち星を重ねる作業に内心フラストレーションを感じているのは察していた。

 例え対戦相手が格上だとしても、ようやく全力で戦える、とむしろ彼女は喜んだだろう。

 そんな彼女がああまで心の均衡を崩される相手なんて、考えられるのは1人しか───

 

 「………………」

 

 一輝は何も答えない。

 彼は迷うような眼差しで、珠雫の背中が消えた方向をただ見つめることしかできなかった。

 

 

 有栖院凪(アリス)は黒鉄珠雫にとって姉のような存在だ。

 言いたいことを言わせてくれて、聞いてほしいことを聞いてくれて、嬉しかったことを一緒に喜んでくれる。しかし踏み込んでほしくない所には絶対に立ち入らない。

 人見知りを人間嫌いに悪化させた珠雫が兄に恋心を抱いているという極めてプライベートな事まで打ち明けてしまっているのだから、どれだけアリスが人との付き合い方を熟知しているかが窺い知れる。

 だが一輝の惚気やステラの愚痴、珠雫の様々な話や表情を見てきたアリスでも、こんな彼女を見るのは始業式以来だっただろう。

 ここまで思い詰め、追い詰められた彼女は。

 

 「どうしたの、シズク……?」

 

 自室のドアを開けた珠雫を迎えたのは同居人の困惑の問い掛けだった。

 彼(彼女?)は踏み込んでほしくない所には踏み込まない。だからアリスは、自分と()の因縁を知らない。

 説明も無しにこんなことを言われてもきっと困るだけだろう。

 だけど吐き出したかった。聞いてほしかった。

 何の形にもなってくれない、何でこうなってるのか自分にもわからない位ぐちゃぐちゃになってしまった心の叫びを。

 

 「アリス────────」

 

 

 

 

 「………そう。何かがあるとはわかっていたけれど、そんな事があったのね」

 

 ベッドに並んで腰掛けたアリスが静かに珠雫の頭を撫でる。

 結局、珠雫は自分と一真の過去を打ち明けた。

 1度口を開いてしまうともう止まらなかった。頭で整理せず溢れるままに吐き出した言葉はきっと支離滅裂なものばかりだっただろうが、それでもアリスは黙って聞いていた。

 誰にも言えず溜まったものを全て出し切って落ち着いたのか、珠雫は何も言わずに小さく頷く。

 

 「それなら……テロの後、カズマがあんな事を言ったのも納得できてしまうわね。シズクが想像してるよりも、彼はずっと辛い思いをしてきたんでしょう」

 

 「……アリス。私は、償えると思う? 私は……赦されると思う……?」

 

 「赦されるかどうかはわからないわ。けど、償えるかどうかはシズクが1番わかってるはずよ」

 

 今まで珠雫が甘えてきたアリスの言葉は変わらず優しいトーンで、しかししっかりと厳しい。

 

 「シズクが直接陥れた状況ではないにせよ、彼の環境はもう取り返しがつかないところまで歪められてしまった。

 彼が生きるはずだった10数年はどうやっても修正なんてできないわ。

 そうでなくても赦しというのは、償えばいつか得られるものじゃなくて───被害者から『私の気は収まりました』と言ってもらって、初めて得られるものだから」

 

 ……そうだ。我ながら馬鹿な事を聞いた。

 珠雫はスカートの裾をぎゅっと握り締める。

 償うことなど出来ないなど最初からわかっていた筈だ。

 まさか期待していたとでも言うのか?

 卑怯にも自分が陥れた彼からではなく、信頼している人からの優しい言葉を───

 

 「だけどシズク。今あなたをそんなに追い詰めているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「え……」

 

 「思えばシズクは、教室でもずっと彼に近付こうとはしなかったわよね。それはどうして?」

 

 「……それは……彼とどう向き合っていいのか、わからないからで……」

 

 「それよ」

 

 珠雫はハッと目を見開いた。

 アリスは珠雫自身に自覚させるように彼女の心の底、目を逸らしていた核心を抉り出したのだ。

 

 「彼はきっと容赦なくシズクを倒しに来る。だけどシズクには彼の前に立つ覚悟がない。だから怖いのよ。正直、それで彼と戦うなんて無理な話だと思うわ」

 

 「っ、だって……そんなの……!」

 

 

 「じゃあ、シズク。あなたはこの戦いに負けてもいいって思ってるのかしら?」

 

 

 息が、詰まった。

 

 「イッキもステラちゃんも、本気でこの戦いを勝ち抜けようとしてる。そんな2人と、そんなお兄さんと同じステージに立ちたくてここまで努力してきたんでしょう。ここでまた彼を避けるようなら、きっとあなたはここで脱落してしまうわ。それでいいの?」

 

 「いい訳ないじゃない!!」

 

 「そうよね。……なら、覚悟を決めるしかないわ」

 

 カッとなって叫んだ珠雫の目をアリスは正面から見据える。

 

 「シズクの目標に辿り着くには倒すしかない、向き合うしかない。

 いつまでも避けてばかりじゃいられない───ここで彼がまたシズクの前に現れたのも、そういう巡り合わせなんじゃないかと、あたしは思うの」

 

 逃げては駄目だと訴えかける眼差しの暖かさは、きっと珠雫にしかわかるまい。

 掴んだ肩から、見据える目から、アリスは精一杯のエールを送る。

 

 

 「怖くても大丈夫。勇気が出ないなら言えばいい。あたしだけは、絶対にシズクを応援するから」

 

 

 誰にも話せなかった。誰に甘える訳にもいかなかった。償えもしない、1人で抱えるしかなかった過去の過ち。

 それを知って、それでも自分の側に立ってくれる人がいる事が、彼女にとってどれだけ救いになることか。

 僅かに瞳を震わせた珠雫は少しだけ目を伏せ、ベッドから立ち上がる。

 向かう先は部屋のドアだ。

 扉を開けて外へと出ていく寸前、珠雫はアリスを振り替える。

 目元を拭う珠雫の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

 

 「ありがと、アリス。……勇気、出た」

 

 ───いってらっしゃい。

 友達の見送りの言葉を背に、ぱたんと部屋のドアが閉じる。

 気配と音が1人分失われた部屋の中で、アリスはぽつりと呟いた。

 珠雫に向けたメッセージではなく、まるで自分に向けて言うかのような静かさで。

 

 「そう、向き合わなきゃいけないのよ。……それがどんなに残酷で、取り返しのつかないものだったとしても」

 

 

 

 

 もう外も暗くなり始めている。

 話をさせてほしいという嘆願を受け、許可を取って特別に開けてもらっている生徒会室に東堂刀華と御祓泡沫の2人はいた。

 日頃仲のいい彼女らだが、嘆願してきた人物を待っている今に限っては会話はない。

 それだけ真剣で繊細な話なのだ。

 それから間もなく入口のドアがノックされ、その人物は姿を現す。

 

 「急なお願いを聞いていただきありがとうございます。副会長もご一緒なのですね」

 

 「私からお願いして来てもらいました。貴女のお願いに応えるのであれば、彼もまた深い関わりを持っているので」

 

 さて、と刀華は挨拶を切り上げる。

 

 「では、改めて聞かせてください。私たちに聞きたい事というのは何ですか?」

 

 少し前までなら敵意すら感じただろう真っ直ぐな眼差しに、しかし()()はもう怯まない。

 心に決めた覚悟を胸に、黒鉄珠雫は、深々と頭を下げた。

 

 

 「どうか教えてくださいませんか。私が王峰さんを陥れたあの日から……彼が今まで、どんな風に生きてきたのかを」

 

 

 

     ◆

 

 

 「まあ先に言わせてもらうならさ。そもそも何で本人から聞こうとしないのって話だよね」

 

 まず応えたのは泡沫だった。

 

 「逃げたの? ボクが言ってもしょうがないけど、その態度10年近く遅くない? だいいち兄のイッキ君はとっくの昔に詫びを入れに来たってのに───当の本人が今さら何? って感じなんだよね。こっちとしてはさ」

 

 「………っ!!」

 

 うたくん、と窘める声。

 唇を噛み締めた珠雫に、刀華は静かに語りかけた。

 

 「顔を上げてください。私たちに聞こうとしたのは正しかったと思います。彼に直接聞いたところでどうせ、『お前にゃ関わりの無え事だ』と門前払いされるのが落ちですから」

 

 「………、…………はい」

 

 「私たちが彼の痛みを代弁しようなんて気はありませんし、彼に無断で私たちが話していいのかという葛藤もあります。……ですが、それでも向き合おうとするのなら、私はそれを支持します。

 わかりました、教えましょう。彼のこれまでを」

 

 「……!!」

 

 

 「心して聞いてくださいね。貴女が彼を落っことした道は、生半なものではないですから」

 

 

 そして。

 10数年分の空白が、紐解かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 親を亡くしたか、捨てられたか。

 彼らがいた『若葉の家』でなくとも孤児院とはそんな真っ当とは言い難い事情を抱えた子供が集まる場であり、気丈に振る舞う子もいれば心が罅割れ歪んだ子もいる。当然ながら王峰一真は荒くれ者の部類に入った。

 全てが気に喰わないとばかりに暴れ、自棄になったように暴言を吐き、かと思えば院の入口で朝から晩までずっと座り込んでいる彼は相当気難しい性格だった。

 特に当時()()()筆頭だった御祓泡沫とは鏡のようにお互いを傷付けあっており、東堂刀華ですら収められる事は少なかったという。

 しかし数ヶ月が経った頃、()()()()()()()()()()()

 精神の燃料を使い果たしたのか、あるいは大きな何かを諦めたか。食事すらもまともに摂ろうとしない無気力さは、見ていると本当に彼の死を意識するような有り様だった。

 

 そんな脱け殻のような彼が、再び動き出す出来事があった。

 まだ幼かった黒鉄一輝が、1人で『若葉の家』を訪ねてきたのだ。

 

 「……お、お兄様、が?」

 

 「王峰くんが孤児院に入れられたという話を漏れ聞いて、家を抜け出して手当たり次第に孤児院を回っていたらしいです。

 本当に誰の力も借りれなかったし、借りなかったんでしょう。服も身体も、驚くほどボロボロでしたよ」

 

 当然ながら、一真は暴れた。

 まともに食事もせず痩せ衰えた身体でよくもというような暴れ方だった。

 暴力にだけは訴えないよう全員から必死で抑え込まれ、それでも一真は一輝に罵声を浴びせた。

 しかし。

 ────ごめんなさい。……ごめんなさい……。

 立つ力すら使い果たした一輝が掠れた声で謝り続けているのを聞いて、一真は思わず、叫ぶのを止めた。

 

 ボロボロだった身体に食事と寝床が提供され何とか息を吹き替えした一輝は、ぽつぽつと一真に語り始めた。

 自分の家の体質のこと。

 一真がこんな目に遭った理由。

 自分も同じような目に遭っていること。

 そうしてその話は謝罪で結ばれるのだ。

 ───ぼくの家のせいで、ごめんなさい、と。

 

 一真は怒った。

 恐らく彼が己の魂の形を強く自覚したのはこの時だったのだろう。

 だけど。

 怒りの矛先はもう、一輝には向いていなかった。

 

 

 『おまえは、あやまるな!!!』

 

 

 「カズが固有霊装(デバイス)に目覚めたのはこの時だよ。アイツは伐刀者(ブレイザー)として高い素質を持ってたけど、それが目覚めるのが遅かったんだ。

 そうでなかったらもしかすると、アイツはちゃんと親元で暮らせてたかもしんないね」

 

 「そしてその日を境に王峰くんが変わりました。他の子と関わり、話して、理解しようとするように。

 境遇の似た黒鉄くんの真っ直ぐさが響いたんでしょう。そうしていく内に、いつしか皆から頼られるようになっていましたよ。

 ……ついでに言えば、彼と私が南郷先生の目に留まり、能力と武術の鍛練を始めたのはこの頃からです。

 程無くして修行の旅に出た黒鉄くんも、その縁で時折一緒に鍛練をしたりしていました」

 

 刀華は皆の希望となるために。

 一真は屈しない力を付けるために。

 戦いが手段でしかない一真は公式戦に興味を示さず無名のままでこそあったが、2人は成長して力を付け、そして一真は刀華に1年遅れて、一輝と共に『破軍学園』に入学した。

 

 「王峰くんはAランクを買われて生徒会長に就任して、私は当時副会長でした。そうして編成された当時の生徒会が、まず解決しようとした問題は何だと思いますか?」

 

 「……お兄様への迫害、でしょうか」

 

 「正解です。授業からの締め出しは先生にも何度となく本気で直談判したし、直接的な嫌がらせに対しては生徒会室に匿うか()()()()()止めさせたりと、王峰くんは本気で黒鉄くんを守ろうとしていました。……この時はまだ、穏当な手段で」

 

 「……何があったんですか?」

 

 「我々生徒会が《七星剣武祭》合宿地の下見に行っていた隙に、黒鉄家から命令された学園がある生徒にイッキくんを襲撃させたんです。イッキくんを退学させるため、不当な戦闘行為を行ったという口実を作るために」

 

 下見から帰って来た生徒会は全てを察し、そして激怒した。

 肉親にこんな仕打ちを命じる家に対しても、それを実行した学園に対しても、そして……少なからず、襲撃した犯人に対しても。

 怒っていたのは全員同じだった。

 ただし。

 最も激情に駆られたのは王峰一真で、そして最も直情的な手段に出たのもまた───王峰一真だった。

 

 「私たちが穏便に彼を拘束した後、王峰くんは先生たちを脅しました。『次また俺達に関わってみろ、お前らを全員踏み殺す』と。

 ……校内トップの実力で実例を示されては向こうはもう何も言えなかったようです。

 ただそれでも黒鉄くんの留年は回避できませんでしたし、王峰くんも生徒会から除名され留年しました。

 とはいえ震え上がって何も出来なくなった先生たちを尻目に2人で延々と鍛練に明け暮れていたので、それはそれで充実した時間だったようですが……」

 

 刀華は一拍間を開けて、珠雫に問う。

 

 「気に入らない者を脅して、意のままにする。やった事は自分と同じだと、そう思いますか?」

 

 ……思わない。思う資格もない。

 もし自分がそこにいて、それが出来る力を持っていたのなら、自分も間違いなく同じことをするだろうから。

 

 「誰かがそれを家に密告したらヤバかっただろうけど、アイツ現実に人ひとりグチャグチャにした上に教師を脅す時も結局職員室を全壊させたからね。そりゃチクる勇気なんて出ないよね。学園もこの醜聞を隠すことに必死だったっぽいし。

 思えばアイツの異名が決まったのもその時期だったかな……」

 

 「それからは特に大きな出来事はありません。やることが無くなった王峰くんと()()()()()()()()黒鉄くんは開き直って全ての時間を鍛練に費やし……そうして、今に至ります」

 

 言葉など出ようはずもなかった。

 自分が歪めて陥れた彼の生き様と味わってきた艱難辛苦はこの場で咀嚼するには余りにも大きい。

 ただ押し黙り受け止める珠雫に、刀華は挑むように突き付ける。

 

 「私たちから話せることは以上です。貴女が何を感じ、何を思ったかは聞きません。その代わり、明日の戦いでその答えを示してください。

 もしも貴女が生半可な気持ちで彼の前に立とうものなら────

 

 ────私がこの手で、斬って捨てますから」

 

 

 

 

 兄は孤独なんかじゃなかった。

 陥れてしまった彼は苦難を舐め、怒りを呑み込み、それでも強く生きていた。

 だけど、自分は足を止めていた。

 自分の愚かさが招いた結末と自覚しながら周囲の人間を愚物と切り捨て、自分は変わったのだと内心で嘯き───自分だけがそのままだった。

 笑いすら起きない。

 だけど。

 それでも、今からでも歩きだそうと思うのならば。

 それでも譲れないものがあるならば、自分はどうするべきなのだろうか。

 

 答えは決まっている。

 泥濘の中で足踏みをしていた少女は今、ようやくその一歩を踏み出した。

 

 

     ◆

 

 

 そして翌朝。

 試合を控えた一真と一輝は疲れを残さないよう朝の鍛練は軽めに切り上げた。

 部屋のある階が違う一輝とは階段の途中で別れ、そして今日の対戦相手について少し思いを巡らせる。

 刀華の言う通りに、その時は来た。

 だが心のどこかに(もや)がある気がして、どうにも意欲が上がりにくい。

 一体何故だと考え込むように目線を下げてみると。

 

 すぐ目の前に、黒鉄珠雫がいた。

 

 「……ぶつかられるかと思いました」

 

 「……見えませんでしたねえ。小さ過ぎて」

 

 何やら琴線に触れたらしく、ぴくりと小さな身体が震える。お前が大きすぎるんだとでも言いたいのかもしれないが、言わないのであればそれよりも重要な用事があるのだろう。

 

 「で、()()()が何の用ですかね。こんな朝っぱらから」

 

 「はい。遅くなりましたが、3つ程要件があります」

 

 そう言って珠雫は、また深々と頭を下げる。

 

 「ありがとうございました。あなたがお兄様を守ってくれていなければ、お兄様はずっと孤独の中でした。あなたがお兄様の友となってくれた事、感謝してもし切れません」

 

 「……それで?」

 

 「あの時は、本当に申し訳ありませんでした」

 

 一真の顳顬(こめかみ)が僅かに動いた。

 

 「身勝手な横暴と癇癪であなたの人生を捩じ曲げた事とその重さ、忘れた時はありません。謝罪で済む話でも償う手段などない事も承知しています。ただ、こうして頭を下げさせて頂く事だけは、どうかお許し下さい」

 

 少しの沈黙が流れ。そして。

 

 「……それで? それだけ言って、自分の気は済みましたとでも?」

 

 ゆらり、と一真の身体から重圧が滲む。

 赦しが本人の気持ちが鎮まることで得られるものならば、彼女の行為は火に油を注ぐようなものだった。

 返答を誤れば脚が飛ぶかもしれない。

 だが、ここで珠雫は頭を上げた。

 

 

 「いいえ。3つ目は、私からの宣戦布告です」

 

 

 芯の通った声。

 足から這い昇るような殺意を受けてなお、彼女は己を見下ろす一真の顔を真っ向から見上げた。

 

 「私は、お兄様と同じ場所に並び立つためにここに来ました。どれだけ私に負い目があろうと、これだけは絶対に譲れません。

 あなたへの謝意も懺悔も、今日ばかりは全てを二の次にさせていただきます。有り得ない事ではあるでしょうが、手心を期待しているのなら即刻諦めて下さい」

 

 そこにはもう、小さくなって震えていた彼女はいない。

 全てを無視して己を第一とする傲慢さ。

 あの日一真に唾を吐きかけた少女が、少なくとも今、再び一真の前に現れた。

 

 

 「全力で、あなたを倒します。───なので、どうかあなたも、全力で倒しに来て下さい」

 

 

 心の靄の正体がわかった。

 黒鉄珠雫が自分に対してどんなスタンスでいるのかわからない、それが引っ掛かっていたのだ。

 敵の姿がわからないから敵を実感できない。

 だから、気持ちが上がらない。

 

 「………腹は括ってきたみてえだな」

 

 だけどもう問題ない。

 無理矢理鎮めて呑み込んだあの時の怒りは、今も変わらずに燃え上がってくれた。

 心の靄が晴れ、澄み渡った一真の顔に浮かんだものは───

 

 

 「───もう泣いて縋り付ける背中は無えぞ、クソアマ」

 

 

 ───あの時と同じ、激情の相だった。 



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23話

     ◆

 

 「ぐうぅぅう……っっ!!?」

 

 通り抜けざまに《陰鉄》で腹を捌かれた女子生徒が苦悶の声を上げて崩れ落ちる。

 日本刀の霊装(デバイス)を取り落とし立ち上がる気配のない彼女を戦闘不能と見なした審判が、この戦いの勝者に軍配を上げた。

 

 『綾辻絢瀬、戦闘不能! 勝者、黒鉄一輝!!』

 

 「……負けちゃったな。今の本当に奥の手だったんだけど。峰打ちなんて許さない位に追い込んでやるつもりだったのに、黒鉄くんは本当に凄いや」

 

 「いや、本当に危なかったよ。隠し玉の存在は確信していたけど……まさか蔵人(くらうど)の《八岐大蛇(やまたのおろち)》を再現してくるなんて、夢にも思っていなかった」

 

 「あはは、そう言ってくれると嬉しいよ。名付けて………《虎落笛(もがりぶえ)》ってところかな」

 

 蹲った絢瀬に手を差し伸べ、一輝は本心からの感嘆と称賛を贈った。

 ()()()()()()()()()()()()という、人体の限界を超えた稀有な体質無くして習得不可能な剣技《八岐大蛇》。

 それを彼女は、自身が持つ『傷口を拡げる』能力を駆使して再現してのけたのだ。

 自らの刀《緋爪(ひづめ)》で空気を斬って空間に傷を付け、その傷口を能力で再び拡げる事で鎌鼬(かまいたち)を発生させる伐刀絶技(ノウブルアーツ)《風の爪痕》。それを自分自身の攻撃に合わせて複数同時に発動する───種を明かせばこういう手法だ。

 体質の有無と性差ゆえ威力と剣速こそ元の使い手に劣るものの、鎌鼬(かまいたち)は空気の現象なので視認は不可能であり、さらに固体としての質量が無いため武器で防御することもできない。

 しかも風の刃に怯んでほんの小さな刀傷でも付けられようものなら、その傷は彼女の能力によって致命傷に至るまで拡げられるのだ。

 一輝は僅かに空気が流れる気配を察知し脚に魔力を込め、速度を以て強引に前方への強行突破とカウンターを行うことで辛うじて対処したが……こういった点だけを考えれば、むしろオリジナルに勝るとすら言えるかもしれない。

 ただし───

 

 (刀で戦っていれば空間は勝手に傷付けられるから問題ない。だけど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 尋常でない空間把握と思考力。そしてそれを一輝にすら気取らせない冷静さ。

 去年とは比較にならない強さを彼女は獲得していた。

 ───一輝は去年のことを思い出す。

 どこからか『Aランクと互角に戦う剣士がいる』という噂を聞きつけ、一真に何度となく力で追い払われようと執念深く学園に乗り込んできた『貪狼学園』の倉敷(くらしき)蔵人(くらうど)

 終いに根負けした一真の立ち会いの元、一輝は彼と決闘を行い、そして勝利した。

 その敗北を受けて今の己では届かぬと蔵人は綾辻海斗(ラストサムライ)が教える《綾辻一刀流》の道場の扉を叩き、そして彼からその話を聞いた道場の一番弟子である絢瀬もまた、負けじと一輝に教えを乞うた。

 

 全て繋がっているのだ。

 強くなりたいという志が出会い、ぶつかり、そして互いを高め合う。

 ───胸が高鳴る。

 ───これだから剣の道はやめられない。

 

 「……でも、流石に《天衣無縫》を使われるとは思ってなかったな……。鍛練からボクの剣は盗まれてるとは思ってたけど、まさかそこから逆算して突き止めたの?」

 

 「ああ。綾辻さんが海斗さんの剣を寸分違わず覚えていたからこそ辿り着けたんだ。本当にありがとう」

 

 「お礼を言われてもなあ。ていうかそれ一応、後継者のボクが死ぬ気になって習得した奥義なんだけど。……あーあ、出てみたかったなあ。七星剣武祭」

 

 ───本戦への出場枠は恐らく、20戦無敗を戦績に残した5人が埋める事になる。

 残念だと言う彼女の口振りは、しかし晴れやかなものだった。悔いが残らないほど全力を出し切った、その証だ。

 ()()の全力を受け止めることができた感慨と誇りを胸に、歓声を浴びながら一輝は出口へと踵を返す。

 

 「? 黒鉄くん、もしかして急いでる?」

 

 「うん、少しね」

 

 そう短く答えた彼の声は固い。

 試合が終わったのに張り詰めた様子の一輝に、絢瀬は首を傾げた。

 

 「………どうしても、この目で見届けたい試合があるんだ」

 

 

     ◆

 

 『さあいよいよ始まります本日3試合目! 今回もまた見逃せない組み合わせとなりました!! 両者共に未だ本気を出す事なく勝ち上がってきた者同士の戦い、今日こそ彼らの全力を見ることができるのでしょうか!?』

 

 「イッキ。間に合ったのね」

 

 「何とかね。危なかったよ、早く終わらせようなんて到底思っていい相手じゃなかったから」

 

 実況が盛り上げる口上で試合の進行を始めようとしていた時。試合開始ギリギリのところで一輝は何とかステラが確保しておいてくれた席に座ることが出来た。

 

 ……全力。

 期待にざわめく観衆の中、ステラは自分と一真が初めて戦った時の事を思い出した。

 あの時は彼の戦い方にただただ驚いていたが、そういえばあの戦い方の由来は今もわからないままだ。

 これから始まる戦いを前に、ステラは隣の一輝に聞いてみることにした。

 

 「ねえイッキ。カズマの戦い方って、土台はダンスというか、バレエよね? 負けた私が言うのもおかしいかもしれないけど、正直戦法としては色物だと思うのに。どうしてアイツはあんなに強いのかしら」

 

 「気持ちはわかるよ。確かにバレエが由来というのは変わっているように見える。だけどカズマの強さの理由は決して色物じゃないんだ。むしろ王道とすら言っていい」

 

 「どういう事?」

   

 「『バレリーナとは戦うな』。……格闘技の世界には、昔からそんな格言めいた教訓がある」

 

 一輝は静かに、1年分の実感の籠った重たい声で話し始めた。

 

 「彼らは恵まれた体格を持ち、最高峰の難易度のダンスを完璧に踊るために幼い頃から全身の筋肉の強さと柔軟性、決して崩れない体幹に強靭なバネ、そして正しい姿勢と理想的な身体の運用方法を徹底的に鍛え上げられるんだ。

 さらにダンスの中でリズム感覚と瞬間的な判断力も強く養われている……ほら、どこを取り上げても武術の根幹と深く共通しているんだよ。

 もちろん彼はダンスだけでなく色んな武術の『蹴り技』も学んでいるけれど……そういう舞踏を極めた彼は、まさに非の打ち所のない戦士だ」

 

 「その上さらに破壊力抜群の能力を、Aランクの才能で備えてる、と……なるほど。重たかった訳だわ、アイツの蹴り。まさに武闘(舞踏)家って訳ね」

 

 得物を用いない戦い方でパンチ無し、投げ無し、組技・()め技無し───使うのはただ蹴り技のみ。そんな非合理極まる大艦巨砲主義を、それでも突き崩させぬ鍛練とは。

 きっと信じ難く苛烈で、濃密な時間だっただろう。

 そしてそれは、そんな彼と戦う彼女もきっと。

 

 「じゃあイッキ。そんなアイツと1年間戦い続けたアンタに聞くわ」

 

 「?」

 

 

 「………シズクとアイツ、どっちが勝つと思う?」

 

 

 その質問に、一輝は黙った。

 ───いい加減に他人事として見れなくなってきたステラは昨日、少し強引に一輝から一真と珠雫の過去を聞き出した。

 珠雫に無断で聞いたのも一輝の躊躇を押し切ったのも悪かったと思う。だけど同じ男を想う者として、ああまで悄然とした彼女を放っておく事など出来るはずもない。

 

 結論としてステラは、自分にはどうする事も出来ないと悟った。

 だから聞いてみたかったのだ。

 長く2人の確執を見てきた彼は、どんな結末を望んでいるのだろう、と。

 

 「……僕に出来るのはただ、戦いの行方を見届ける事だけだよ」

 

 優柔不断と思うかも知れない。

 だが兄として妹を応援したい気持ちと、友として抱く消えない後ろめたさ。その2つの板挟みが無くなろうはずもない。

 だからただ見届ける。それしかないのだ。

 初めてあの2人が正面から向き合う、この時を。

 

 「でも、勝負は何が起こるかわからない。だから……悔いなく全力を出すことが出来れば、きっとそれが全てだ」

 

 ……わかっている。綺麗事だ。

 譲れないものを懸けて戦い、そして敗けた側にとって、そんな言葉は反吐の出る偽善でしかないのだから。

 敗北を受け入れ、それでも相手を褒め称えた絢瀬が浮かべた晴れやかな表情に、それでも彼は縋る他なかった。

 

 

 『それでは選手の紹介です! 青ゲートから姿を見せたのは、今我が校で知らないものはいない注目の騎士・黒鉄一輝選手の妹にして、《紅蓮の皇女》に次ぐ今年度次席入学生!

 ここまで戦績は15戦15勝、属性不利も何のその! 抜群の魔力制御力は今日も相手を深海に引きずり込んでしまうのか!?

 1年生、《深海の魔女(ローレライ)》黒鉄珠雫選手です!!』

 

 「……………、………」

 

 「ふぅーーー…………」

 

 その一方で一輝たちとは離れた観客席には、今から固唾を飲んでいる東堂刀華と、緊張の息苦しさを吐き出そうとしている御祓泡沫がいた。

 彼女らはいつものように生徒会室のモニターではなく、この戦いだけは観客席からそのままの光景を見届けようとしていた。

 言ってみればこれは自分たちの友が再び現れた過去に向き合い、そして引き摺ってきた因縁に始末を付ける戦いなのだ。

 勝って欲しいし、勝つと信じている。

 だが、どうしても万が一を考えてしまうのだ。

 相手もまた才能に努力を重ねた強者。ともすればその手は友の襟首を掴んで地面に引き倒してしまうのではないか、と。

 あるいは当人より心臓が早鐘を打っているかもしれない2人の隣で、しかし鍔の広い帽子と白いドレスのような服を纏う貴徳原カナタはいつもと同じ優雅さで、微笑みすら浮かべていた。

 

 「ふふ。2人とも一真さん以上に緊張していますわね。今からそうなっていては、始まってからもっと大変ですよ?」

 

 「……()()の大一番だもん、そりゃ緊張するって。ていうか、そういうカナタは随分と平常心だね。イッキくんの妹だって、校内じゃ上から数えた方が圧倒的に早い位の実力なんだぜ?」

 

 「あら?」

 

 きょとん、とカナタは虚を突かれたような顔をした。

 

 

 「2人とも、一真さんが負けるかもしれないと本気で考えているのですか?」

 

 

 『赤ゲートから姿を見せたのは、やって来ましたこの男!

 黒鉄珠雫選手と同じくここまで戦績は15戦15勝、全ての戦いで格の違いを分からせるかのような圧勝を納めています!

 紫に燃える《踏破》の力は、またも対戦相手をその足で踏み破ってしまうのか!!

 身体も力も規格外の1年生、異名は《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》───王峰一真選手!!』

 

 注目度の高いこの試合。一際大きい観客の歓声に叩かれながら、丈高き男がゆらりと歩く。

 

 「刀華ちゃんも泡沫くんも、色々と考えすぎなのです。真実は至極簡単な事ですわ。

 足首に噛み付く子犬程度に───(すく)む程に(きよ)く、平伏す程に強大なあの人が、揺らぐ道理などありまして?

 私達は彼への労いの言葉を考えながら、ただ目の前の活劇を楽しんでいれば良いのです」

 

 彼女は穏やかに、しかし無責任な傲慢を悪びれもせずにそう告げる。

 言葉が纏う信仰とすら言える信頼に、刀華と泡沫は何を思ったのだろう。

 確信を持って言い切ったカナタは僅かに顔を上げ、遠くを見るように碧眼を細めていた。

 

 

 「()い演目を期待していますよ。………何よりも(たけ)き、我らが王」

 

 

 彼の戦いを記録した映像は全て目を通した。

 これと見込んだ戦略も立ててきた。

 しかしこうして向かい合ってみると、手に握った武器が全て頼りない大きさに縮んでしまったような思いに囚われてしまいそうになる。

 

 (実際に目前に立つと、凄まじい圧ね)

 

 空気が痛い。見下ろされる身体が鉛のようだ。

 開始線の手前、リング中央を挟んで相対する2人。一真から放たれるプレッシャーに物理的な感触すら錯覚して、珠雫は静かに唾を飲み込む。

 視線は知らず知らずの内に彼の顔を越えて、さらにその上を見上げていた。

 そう。まるでただでさえ大きな彼の背後に、巨大な怪物がいるような気がして───

 

 (───呑まれるな!)

 

 ギッ、と痛い位に拳を握り締める。

 強すぎると分かっているから何だ。その上で今自分はここに立っているのだ。

 絶対に譲れないものを、貫き通すために。

 

 『時間になりました! 双方、霊装(デバイス)を展開してください!』

 

 「飛沫け。《宵時雨(よいしぐれ)》」

 

 「踏み均せ。《プリンケプス》」

 

 短刀と脚鎧。魔力の輝きと共に2人の魂が具現化する。

 互いに打ち倒すべき敵として。互いに背を向け続けようやく向かい合った彼らの構図は、奇しくも10年前と同じ。

 ただ違う所を挙げるとするならば、誰の邪魔も助けも無く、望む未来を切り拓くのはただ己の力のみということだ。

 

 かくして眼光はぶつかり合い。

 2人の因縁は、収束を開始した。

 

 『それでは本日の第3試合─────

 

 ────試合開始(LET's GO AHEAD)!!!』

 

 

     ◆

 

 

 相性が悪い。

 黒鉄珠雫が彼との試合運びを入念にシミュレートした末に、出した結論がそれだ。

 桁外れの攻撃力に機動力と武術の合わせ技。自分の『水』の能力は防御ごと潰すような高火力の連発には向いておらず、あれに接近されたらまず勝ち目がない。その上相手は防御力まで要塞並みときている。

 この相性の優劣は彼もわかっているはず、だから間違いなく初手から速攻を仕掛けてくる。

 そう考え即座に行動しようとした珠雫含めて、それを目撃した者全員が困惑に思考を詰まらせることになった。

 

 王峰一真は、ただ歩いてきた。

 速攻を仕掛けるでも様子を窺うでもない。ポケットに手を突っ込んだまま、散歩のような気軽さで珠雫との距離を徒歩で縮めてくる。

 

 『おぉっと……!? これは予想だにしなかった立ち上がりです! 何かを警戒している様子も無さそうですが、これは一体何を意図しているのでしょうか!?』

 

 「カズマ……一体何を考えて……!?」

 

 外から冷静に見ている一輝にすらわからないのだ、珠雫にそれがわかる筈もない。

 舐めているのか、それとも油断させて何かを誘っているのか。

 いや、どちらでもいい。そう来てくれるのであれば、その間にこっちはやりたい事をやれる!

 

 「《凍土平原(とうどへいげん)》───!!」

 

 叫びと同時に2人が立つリングが丸ごと凍り、石の舞台を銀盤へと変え、それと同時に珠雫の足が凄まじいスピードで氷の上を滑る。兎丸恋々にやった事と同じアイススケートの原理を、能力を使って操ったのだ。

 一真から大きく距離を取りつつ珠雫は《水牢弾(すいろうだん)》を数発発射。当たれば最後、敵の頭部に窒息するまで張り付く悪辣な水の塊はしかし一真が展開した魔力障壁にぶち当たり全て弾けた。

 そこで珠雫は、弾けた《水牢弾》達を一気に凍結させた。

 砕け水滴となる直前に強引に凍らされ1つの氷塊と化した《水牢弾》が、そのまま物理的な障害物となって一真の視界を遮る。

 

 直後、一真の背後から硬質な破砕音。

 氷漬けのリングから彼の背中を狙って伸びてきた氷の杭が、やはり魔力障壁を破れず力負けして砕け散ったのだ。

 しかし思わぬ奇襲に一真の意識が僅かに後ろに逸れた、その瞬間。

 

 「《血風惨雨(けっぷうざんう)》」

 

 空気を細かく引き裂きながら、秒間何万発もの水の針が一真を呑み込んだ。1発1発の威力は彼の防壁を破るほどでは無いが、流石に数が多すぎる。彼は強烈な向かい風に押されるようにその歩みを止めた。

 

 そして。

 横殴りの瀑布に包まれていては、さぞかし分かりにくかっただろう。いつの間にか自分の頭上から、円形の影が差しているなど。

 直感の警鐘に上を見上げた時にはもう、落下してきた()()が鼻先に触れる距離だった。

 

 ゴンッッッッッ!!!!と。

 空中に生み出された巨大な氷の円柱が、一真を地面ごと叩き割った。

 初手から奇襲や搦め手で火力不足を補っているように見せてからの、観客席にまで亀裂が及ぶような激甚な破壊力。

 打ち立てられた氷の墓標に、息を忘れるほどの緊張から解かれた実況と観客達が一斉に沸き上がった。

 

 『な、………なぁああんという事だぁあ!!! 何という緻密な攻撃だったのでしょうか! わたくし実況を仰せつかっておきながら、何一つ言葉を発することが出来ませんでした!!』

 

 『ウッソだろ、こんなにヤバかったのかよ《深海の魔女(ローレライ)》って!』

 

 『完全に化物だ、単にBランクだからってだけじゃ説明が付かないぞ今の!!』

 

 『まだ試合始まって30秒も経ってないぞ!? その間に布石、妨害、奇襲、切り札、どれだけ手数を重ねたよ!!』

 

 『……あぁ、凄えよ。あの1年は本当に凄え。だけどよ……』

 

 興奮する歓声の中で、しかし全員が徐々に気付き始めた。

 視線は黒鉄珠雫を離れ、盛り上がっていた興奮がそのまま畏怖に置き換わる。

 自分たちでは到底届かない領域。その苛烈さを一身に受けてもなお動じない者がいる事を、その目で認めてしまったから。

 

 

 『その重ねられた手数全てを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()………!?!?』

 

 

 ぎごごごご、と。

 軋み擦れる音を上げ、縦に割れた円柱の氷塊がゆっくりと左右に別れ始める。

 荒々しい断面を晒す氷塊のその中心に、王峰一真は立っていた。

 蹴り砕いた様子もない。ただ本当に()()()()()のだろう。氷塊の中から現れた彼の姿勢は、試合開始直後のそれと全く変化していない。

 

 (まさか本当に脚すら使わないとは)

 

 顔に出さないまま苦虫を噛み潰す。

 自分が発揮できる最大級の破壊力が不発に終わったのは業腹だが、所詮は戦略の1つが不発に終わっただけ。

 他にやれる事など、ごまんとある。

 静かに闘志を研ぎ澄ましつつ、珠雫は宵時雨(よいしぐれ)を構え直した。

 

 「まあいいでしょう。一芸しか用意していなかった訳ではありません……この位なら、想定の範囲内です」



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24話

 その時。

 一真の脚鎧(ブーツ)から生み出された紫白の魔力が、足先に蹴鞠くらいのサイズの球体となって現れた。

 

 「《撃水(うちみず)》!!」

 

 ダンッ!! と重く弾く音を上げて、極限まで圧縮して放たれた水の銃弾が圧倒的な速度で一真に襲いかかるが、しかしそれはまたも一真が展開した魔力障壁に阻まれた。

 ───速度はあっても威力が足りないか。

 冷静に分析をする珠雫の攻撃を弾きながら、一真は生み出した魔力の球をサッカーのパスのように軽い動きで上に蹴り上げた。

 

 (爆撃?)

 

 自分に向けて高い放物線を描く紫白の球体を見て、珠雫はその攻撃方法を予測し、珠雫は己の頭上に《障波水蓮(しょうはすいれん)》───魔力を込めた水の防壁を展開しつつ一真に攻撃を仕掛けようとする。

 が。

 

 (違う─────ッッ!!)

 

 珠雫が全力でその場から飛び退くのと、放物線を描いていた紫白の球体が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは同時だった。

 

 轟音。

 着弾した紫白の球体がリングを粉砕し、観客席まで(ひび)を入れるような大破壊を(もたら)した。

 

 『おっ、お返しとばかりに凄まじいものが放たれました! 軽い動作に反して何という破壊力、これがAランクの力なのでしょうか!!』

 

 「うわ、《迫害の礫(エキスプルシオ)》だ。久し振りに見たけどやっぱすげー威力。こりゃ妹ちゃんも迂闊に攻めれないな」

 

 「自然干渉系の炎や雷みたいに具体的な形が無い能力なのに、ああして能力をハッキリとした形状に加工して出力・操作できるのは流石の魔力制御だね。……技の意図は牽制なんかじゃないだろうけど」

 

 「同感ですわ。あれは牽制などではなく、もっと傲慢なものです」

 

 畏怖からの破壊を突き付けられ観衆が悲鳴を上げる中、一部の強者たちは冷静に状況を分析しており、そして一真と同じように高い攻撃力の能力を持つステラも思わず唸っていた。

 

 「……地味に有効な手口ね」

 

 ああいう質量弾を単発で放つのなら、山なりに放るより直線距離を最速で撃つのが普通で効果的だ。そこを敢えて外すことで、彼は珠雫に山なりの軌道が最も活きる攻撃手段───範囲攻撃という誤った判断を誘発させ、至極単純な攻撃を命中寸前まで通したのだ。

 爆撃だと思い防御すればあの破壊力はそれを貫くし、避けたとしても必要以上に大きく回避してしまう……どちらにしても、相手を揺さぶる効果は大きい。

 

 「大きな力を小さな策にキレイに纏めてるわ。魔術を使った遠距離戦というシズクの土俵で、あわや決着の攻撃をあそこまで通したんだもの。牽制としては充分すぎる結果ね」

 

 「……違うよ、ステラ。理屈は合ってるけれど、カズマの意図は牽制なんかじゃない」

 

 しかし硬い声で一輝がそれを否定する。

 刀華たちにやや遅れて、彼がこの戦いにおける一真のスタンスを理解した瞬間でもあった。

 

 

 「カズマはシズクに見せつけたんだ。……『お前がやれる程度の事は、俺はもっと簡単に出来るぞ』、って」

 

 

 (舐めた真似を……!)

 

 その意図を同じ様に正確に読み取っていた珠雫もまた歯軋りをしていた。

 こうして揺さぶられた今、攻撃を仕掛けてくるには良いタイミングだったはずなのに、一真はやはり何もしてこない。ただ値踏みするような視線で、ポケットに手を入れてまた歩を進めてくる。

 完全に下に見られていた。

 ───そっちがそう来るならもうそれでいい。その態度のまま後悔の内に逝けばいい。

 冷たい怒りを胸に燃やし、珠雫はまじないの言葉を唱える。

 

 「《白夜結界(びゃくやけっかい)》!!」

 

 瞬間、リング全体を1メートル先も見えない濃霧が覆い尽くした。

 この魔法の霧は珠雫の身体の一部も同じ。どこに何があり、誰がいるのかを正確に感じ取れる。そしてその感覚は、歩みを止めて辺りを見回す一真を正確に捕捉していた。

 珠雫はリングを滑って音もなく一真の背中側に回りながら魔術を発動。

 視覚のほとんどを無効化された彼に向けて、前後左右加えて上下、あらゆる角度から氷の杭や水の弾が襲いかかる。

 

 『こ、これは実況泣かせの展開となってまいりました! 何が起きているのか全くわかりません、ただ鳴り響く水音と破砕音が黒鉄選手の攻撃の激しさを物語っています!!』

 

 (……これも、駄目)

 

 珠雫から思わず愚痴が出る。

 床の氷や霧を魔力の経路とした包囲攻撃に対して、あの大男は不動のままだったからだ。

 

 ───一真の魔力障壁の堅牢さについて、彼女はいくつか仮説を立てていた。

 1つ目、攻撃に合わせて魔力を集中させる技術に抜きん出ている。

 2つ目、全ての攻撃に全開の出力で障壁を貼っている。

 そして3つ目───そういう伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使用している。この3つだ。

 

 魔力障壁は出力を上げるか、あるいは一点に集中させることで防御力を上げる。

 最初の氷柱を防いだのは『1つ目』で合っているだろう。だがこうして視覚に最大限の妨害を入れて四方八方から攻撃しても目線すら動かさず防いでいるとなると、『1つ目』の仮説は間違っているだろう。

 そして『2つ目』の仮説。これも考えにくい。

 全開の出力ならば魔力はもっと色濃く表出しているし、何よりも非効率極まりない。いくらAランクといえど、そんな事をしていてはそう遠くない内に魔力は枯渇するだろう。あの舐めた態度を考慮に入れればもしかしてと思わなくもないが、彼とて負けたくはないはず、そこに甘えるのは危険だ。

 ならば3つ目。

 そういう防御型の伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

 これなら魔力の効率も良く、効果も高い。ある程度なら無駄打ちも許容範囲に収まるだろう。

 1番有力な……というか当たり前の説だが、可能性を潰す作業は無駄ではないし、その過程で様々な検証も出来る。

 攻撃に失敗したのならなぜ失敗したのかを条件化して、そこから活路を切り開けばいい。

 

 そして今。

 勝利への道筋に当て嵌めるデータは、揃った。

 

 「ありがとうございました」

 

 すぅ、と霧が晴れる。

 急に解除された《白夜結界》に一真は僅かに顔を上げ、背後から聞こえた声に振り向く。

 

 ───本来ならもっと長時間の苦戦を強いられるはずだった。

 嵐のような攻撃を回避し、針穴のような隙を突いて情報を集め、馬鹿げた破壊力を前に必死で場を整え……この切り札は、それでようやく発動が許されるかどうかという綱渡りのはずだった。

 だけど、全部杞憂だった。

 彼があまりにも無抵抗だったから。

 彼が、あまりにも自分を下に見ていたから。

 

 

 

 何の前触れも無く全てが凍った。

 巨大な氷山がリング中央に突如として出現、そこに立っていた一真をその中心に呑み込む。

 観衆が唖然とする間もありはしない。

 珠雫は静かに、舞台の幕を切って落とすかのように宵時雨(よいしぐれ)を横に振る。

 

 いつの時代も、王は傲慢という毒に殺される。

 その時の珠雫の声と表情は、氷よりもなお冷たかった。

 

 

 

 「─────《氷棺地縛葬(ひょうかんちばくそう)》」 

 

 

 

 ズズンッッッッ!!!! と。

 珠雫の言葉を号令に、轟音を上げて氷山の体積が2分の1以下にまで圧し潰された。

 

 一気に密度を収縮させた大質量の中心に呑み込まれている人間がどうなっているのか、想像することさえ躊躇うような光景に。

 それを見ていた観衆たちが、ようやく思考を追い付かせた。

 

 『────ッッとんっでもない光景だぁぁああ!!! いきなり現れた氷山に封じ込まれた王峰選手がそのまま圧し潰されてしまいましたぁっ!! 黒鉄選手、校内序列1位に対してよもやの下剋上かぁあっ!?』

 

 『うおぉおおおっ、マジかぁぁあああ!?』

 

 『嘘だろ、王峰が負けるのか!?』

 

 『本当に凄えよ、アイツがあんな風になるなんて想像すら出来なかった……!!』

 

 「……ずっと下準備を続けてたんだわ。《凍土平原》と《白夜結界》は攻撃の手段を増やすだけでなく、空間を自分の魔力で満たして大規模な魔術を即発動するための布石でもあったのね」

 

 それだけではない。《白夜結界》も解いた訳ではなく、ただ密度を下げて晴れたように見せかけだけ。視界を確保した相手が警戒と防御のレベルを下げた所に、回避不能の全体攻撃を仕掛けた。

 身体を覆う堅牢な魔力防御も、肌に張り付くゼロ距離から攻撃されてはその強度は脆い。

 よしんば氷との間に隙間を作れていてもいきなり全身が氷に呑まれたら人は間違いなく混乱するし、そこから事態の把握と対応にかかるタイムラグから考えても、何かアクションを起こすより氷山が圧殺する方が間違いなく早い!

 

 「たとえ無事でも、あそこまで密度を高めた氷を動けない状態で壊すのはカズマでも相当骨なはず。あんな舐めた戦い方するからこうなるのよ……! この勝負、シズクの勝ちだわ!!!」

 

 複雑な事情はあれど、同じ想いを持つ者が勝利したという喜ばしさはあったのかも知れない。それ見たことかとステラは拳を握る。

 情報を集め、分析し、事前情報や仮説と擦り合わせ、これなら通ると確信した技だ。

 一真の無抵抗さのお陰で、理想的な状態で発動できた切り札だ。

 これで勝てなければ絶望的だと言える程に会心の一撃だったと、珠雫は疑い無くそう思っている。

 

 「…………っ」

 

 なのに、何故だろう。

 勝利の証であり敵の墓標であるあの氷の山から、尚も莫大なプレッシャーを感じるのは。

 

 

 何故だろう。

 

 中身ごと徹底的に圧し潰したはずの氷山の中心から、紫白の輝きが溢れ出しているのは。

 

 

 

 最初は微かな音だった。

 聞き逃してしまいそうだった音は段々と大きくなり、それが氷山が軋んでいる音だと周囲が気付いたその直後、全員が思い知らされる事になる。

 

 力も異能も才能も、全てを真正面から捩じ伏せるからこそ彼はAランクなのだと。

 

 策や技術を使わずとも、ただ在るがままに強く、不条理だからこそ、彼は王峰一真なのだと───

 

 

 

 

 ばきばき、がらがらと、極地の大自然でしか聴かないような音が訓練場に轟く。

 罅割れ、砕け、崩落していく氷山の中から姿を現した彼は、さっきまでとまるで変わらない。

 1つの傷も痛痒もなく一真は珠雫を睥睨し、悠々と足元の氷を踏み砕いて歩き出す。

 ただ1つ違いがあるとするならば、ここまで魔力の放出すらまともに行わなかった彼が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この時、一輝と刀華は、同時に全く同じ言葉を漏らしていた。

 ただし、込められた意味はまるで逆。

 片や安堵で、片や沈痛。

 胸を撫で下ろす刀華と静かに目を伏せる一輝は、ただ一言でこの戦いを自分の中で締め括る。

 

 

 

 「「 ─────終わった 」」

 

 

 

     ◆

 

 

 「……何よ、イッキ。『終わった』ってどういう事?」

 

 まさか一輝が言うとは思っていなかったその一言に、ステラは耳を疑った。

 

 「そのままの意味だよ。多分もう、ここから先はカズマの独壇場になる」

 

 「どうして? 確かにとんでもない魔力防御だけど、まだやりようはあるじゃない! ほら、シズクだってまだ次の手を用意してるわ!!」

 

 勝負というものの不確定さを知る彼の断定に近い物言いに、ステラは思わず反発した。

 そしてステラの言うとおり、確かに珠雫はいま、機能しなかった切り札を利用して即座に次の手札を生み出していた。

 

 「くっ………!!」

 

 まだだ、まだ終わっていない。

 珠雫は砕かれた氷山に魔力を通し、再び霧へと姿を変えさせる。そしてその霧を一真の元へと結集させ、またも姿を変えながら彼を呑み込んだ。

 ただし今度は氷ではなく、同質量の水で。

 ───あの氷山は、硬い物質だから直接的な力で砕かれたのだ。

 水ならば砕かれる事はない。どれだけ強い力を加えられようと、壊れる事無くただ流動するだけ。

 珠雫の命令に従い、一真を呑み込んだ巨大な水の塊が恐るべき水圧を以て一真を圧し潰そうとして────

 

 

 「……それでも、駄目なんだよ。カズマの魔力は、特殊なんだ」

 

 

 どぱんっっっ!!! と。

 一真を包んでいた大量の水が、()()()()()()()()()()()

 

 

 「え──────」

 

 「……カズマの能力は《踏破》の概念を操るものだっていうのはステラも知ってるよね。単純に破壊力に長けた能力だと思いそうになるけれど、これがかなり曲者なんだ」

 

 表情を凍りつかせた珠雫。

 それを見て珠雫が今度こそ本当に窮地に立たされているのだと理解し、そして目の前で起きた現象に絶句するステラに、一輝は重く、静かに終わりの根拠を述べる。

 

 「カズマの《踏破》は踏み越え・踏み破る力だ。これはつまり、『相手との力関係を強引に決定付ける力』だと言い換えてもいい。

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがカズマの能力の本質なんだよ……それも、Aランクという最上級の魔力量を使ってね。

 ステラの全力の魔力防御すら踏み潰してしまったことを考えれば、それがどれだけ不条理な現象かはよくわかるはずだよ。

 その性質のせいで、単純な魔力防御ですらそこいらの伐刀絶技(ノウブルアーツ)を凌駕する……僕は彼の『あれ』を一か八かで破るために、()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あれこそが一真が持つ伐刀絶技(ノウブルアーツ)の中でも、最も凶悪な性能を持つ技の1つ。

 《踏破》の性質を全面に押し出した魔力を全力で放出して身に纏う絶対防御であり、触れたものなら魔力ですらも等しく潰す暴虐の城塞。

 あれを破りたいのなら、弱体化されてもなお彼の魔力を貫けるだけの力で攻撃するしかない。

 

 そう。

 彼以上の才能を叩きつけるしか。

 

 

 

 「 神話再演(ミュートロギア)不沈の英雄(アイアース)》。……もう、シズクの攻撃は通らない」



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25話

 一歩一歩。

 一真が地面を踏み締める度にリングそのものが軋みを上げて鳴動し、表面に張っていた氷が彼の魔力に触れたそばから消滅していく。

 潰しているのだ。彼が身に纏った城塞が、己に触れた全てのものを。

 

 そしていつかは、黒鉄珠雫を。

 

 「────────ッッッ!!!」

 

 『おっと黒鉄選手再び《白夜結界》を発動! フィールドが濃霧に包まれました!! どうやら徹底的に王峰選手を近付けさせない戦法に出るようです!!』

 

 (………シズク……)

 

 一見すれば諦めず戦闘を続行しようという強い心の表れに見えるだろう。

 だがリングが白いカーテンに覆い尽くされる直前、水の牢獄を消し飛ばされた珠雫の顔を見た一輝やステラにはもう察しが付いてしまっていた。

 彼女はもう、本当に万策尽きてしまったのだと。

 

 いや、正確には、彼女にはまだ有効と思える手札があった。

 霧に乗じて一真の死角に潜り込み、宵時雨(よいしぐれ)に水の刃を纏わせる。

 技の名は《緋水刃(ひすいじん)》───超高圧で循環する水により対象を斬り裂く、いわばウォーターカッターを作り出す伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

 氷や水による圧殺は通じない。ならば一点に威力を集中させた方が、あのバリアを破るには適しているはずだと考えたのだ。

 方法としてはそれで正しい。正しいのだ。

 力不足であるという点を除けば。

 

 ばしゃっ、と突き立てた水の刃が吹っ飛んだ。

 珠雫が本当に万策尽きたのはこの瞬間。

 遥か高みに光る一真の双眸が、呆然とする自分をきろりと見下ろした時だった。

 

 そして一真が動いた。

 右脚を内側から外側へ、空間を掻き回すのように無造作に振るう。

 ────暴風が吹き荒れた。

 轟と吠える空気の激流は一真を中心に渦を巻いて拡がり、リングを覆っていた《白夜結界》を吹き飛ばす。

 晴れ渡った景色に首を回して周囲を見るも、しかし珠雫の姿はどこにもなかった。

 これも珠雫の伐刀絶技(ノウブルアーツ)、《青色幻夢(あおいろげんむ)》だ。

 大気中の水分を操って光を屈折させ、自分の姿を見えなくする技。珠雫の高い応用力を表すような技だが、こうなってしまってはただの延命措置でしかなかった。

 

 (落ち着け、落ち着け! とにかく正面に入ったら駄目。とにかく姿を眩まして、後ろに回って距離を取って………ッッ!?)

 

 竦み上がる心を叱咤して必死に動く珠雫。

 三度姿を消した彼女に対して、一真の行動はやはりシンプルだった。

 脚を上げる。そして振り下ろす。

 絶対の防御を生み出す魔力とその全力の放出は、ただそれだけの動作を強大な矛にも転じさせてしまう。

 

 ゴッッッッッ!!!!と。

 激震と共に衝撃波じみた爆風が撒き散らされ、訓練場そのものが縦に揺れた。

 

 「うぐ………っっ!?」

 

 地面から浮く勢いで転ばされた珠雫は戦慄した。

 ただの無造作なワンアクションでこの余波。

 もののついでとばかりに撒き散らされた魔力の欠片が珠雫の《青色幻夢》を引き剥がし、身体にも鈍いダメージを与える。

 そして再び一真は珠雫の姿を捕捉した。

 射竦めるような眼光に貫かれ、珠雫は追い立てられるように立ち上がる。

 とにかく危険だ、ここは危険。

 近付かれないように、決定的な間合いから遠ざかるように珠雫は後ろへと滑り───

 がくっ、といきなり身体が沈んだ。

 段差で足を踏み外したのと同じ感覚だ。

 いきなり地面の感覚を失った足を、珠雫はいったい何事だと確認する。

 

 確認して、凍りついた。

 

 「あ──────」

 

 珠雫の片足は舞台の外側にはみ出していた。

 逃げようと動き続ける内に知らず知らず陥ってしまった、リングの端というどん詰まり。

 退路の淵、彼の方を向こうとして回した首がぎしりと軋む。

 彼は何も変わっていない。

 なのにその姿が膨れ上がったように見せたのは、他ならぬ彼女自身の恐怖心。

 

 その一歩は今までの何よりも重く、大きく。

 黒鉄珠雫の中で王峰一真は、恐るべき難敵から対処不能の怪物へと、今、変貌を遂げた。

 

 「う、ああぁぁぁああぁあああっっ!!!」

 

 『あぁっと、追い詰められた黒鉄選手決死の反撃に出ました!! 恐るべき水と氷の雨霰、しかし王峰選手一切の反応を見せません!

 食らえば最後肉という肉を削ぎ落とされるような嵐の中を無人の野を行くが如く! 地を鳴らして闊歩しています!!』

 

 『いやいや反撃じゃねえよ……もう捨て鉢じゃねえか、あんなの』

 

 『さっきまではもしかしてって思ったんだけどなぁ。誰が破れるんだよ、あんな理不尽』 

 

 『これ、降参した方が……』

 

 『なんだ、帰るのか?』

 

 『いやもう終わっただろ、どうやっても勝てねえってアレ。見てるこっちが辛えよ』

 

 もはや会場にさっきまでの熱狂などどこにもない。

 彼の獰悪な力量を知った者、あるいは思い出した者たちが、的外れな興奮を得ていたのだと白け始めていた。

 歓声も消え、盛り上げようとする実況だけが空々しく響き、実の兄である一輝ですら沈痛に押し黙る。

 

 だけどそんな中、彼女らだけが諦めていなかった。

 誰もが結末を確信したあの戦場で必死に抵抗する彼女が、どんな思いでこの戦いに臨んでいるかを知っているから。

 捨て鉢とまで評されたあの攻撃に、どれだけ強い思いが秘められているかを知っているから。

 ───彼女の事情を知る者はほとんどいない。

 知っていればなおさら応援なんて出来ないかもしれない。

 それでも。

 彼の苦しみを知らないから言えるのだと謗られたとしても、それでも彼女にだって背中を押してくれる声があってもいいはずだ。

 向き合うと決めた決意を、勝ちたいという意地を支える人がいてもいいはずだ。

 

 だから。

 

 

 「「 シズクーーーーーーー! がんばってーーーーーーーッッ!!!」」

 

 

 ステラとアリスは、同時に叫んでいた。

 

 

 

 熱を失った会場に響いた、本気で自分の勝利を願う声。

 友達と、そして予想だにしていなかった恋敵から贈られた精一杯のエールは、何よりも背中を支えてくれるようだった。恐怖に固まっていた心に込み上げてきた嬉しさとムズ痒さに、だけど今は蓋をする。

 

 (……お礼は、考えておいてあげましょう)

 

 ───いい加減理解した。

 あの防壁を破って彼を倒すには、あの防壁よりずっと強い力をぶつけるしかない。あの魔力を相手に出力で上回るそれが唯一の道だ。

 そして魔力量で劣る自分にはそもそもそんな芸当は不可能だ。

 でも、()()

 方法なんて直感で捻り出せばいい。

 とにかく全てを絞り出さねば、まず土俵にすら上がれない。

 

 「ふぅぅううううっっっ………ッッ!!」

 

 残った魔力を出し切る勢いで放出。

 まだ床に残っている《凍土平原》も全て魔力に還元して一点に集中、珠雫の傍らに大きく濃密な翠色の珠が完成した。

 何か考えついたであろう事は明らかだったが、それでも一真は傲然と肩で風を切る。

 そして翠色の魔力球は珠雫の意思の元に形態を変え、限界まで込めた圧力によって速度と破壊力を得た巨大な水の柱として一真に襲いかかる。

 轟音。爆散。

 流石のサイズと魔力量ゆえに消滅とまではいかなかったが、放たれたそれは《不沈の英雄(アイアース)》の前に砕け散った。

 が、そこで終わりではない。

 珠雫は砕けた水を再結集、魔力も補填してまたも『砲台』を形成。再び巨大な水のレーザーを一真に向けて撃ち放った。

 そして爆散。再結集、発射。

 爆散。再結集、発射。

 規模こそ大きいものの、もはや徒労としか思えない攻撃を何度も何度も繰り返していく。

 

 『黒鉄選手、未だ諦めておりません! 全てを出し尽くすような猛攻撃!! しかし王峰選手、これでもなお揺らぎません……! 黒鉄選手、やはり万事休すか……!?』

 

 『いやいや、もう諦めろって……』

 

 やはり空気に盛り上がりはない。

 最早観客たちは勝負ではなく、いっそ建物の耐震強度を自慢する企業のPR動画でも見ているような気分になっていたからだ。

 しかし、珠雫が仕掛けているそれは段々と目に見える形で現れていく。

 

 (………?)

 

 1番最初に気付いたのは一真本人だ。

 そしてそこから一輝やステラ、刀華など目の良い者から順にそれに気付いていく。

 そうして、誰かが口に出した。

 

 

 『何か……王峰くんの魔力防壁、削れてない?』

 

 

 その瞬間。

 放たれた水のレーザーが波が砕け散る音と共に、明確に《不沈の英雄(アイアース)》の一部を欠けさせた。

 

 

 『け、削れている!? 絶対防御かと思われた王峰選手の防壁の一部が、今ハッキリと食い破られました!! 黒鉄選手、まだこれだけの力を隠していたとでも言うのかぁっ!?』

 

 「え、えぇ!? 嘘だろ、発動しちゃえば《雷切》だって通さない絶対防御だぞ!? 現にあの攻撃には傷1つ付けられてないのに、何でいきなり破られたのさ!?」

 

 「……! うたくん、よく見て! ほら!!」

 

 刀華が叫んで指し示すのは、何度目ともわからない再結集した水の塊。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ────一真の築いた防壁がいかに強力とて、直接的な破壊には不向きであっても珠雫の……Bランク相当の全力を正面から受け止めれば、僅かにではあるが流石に削られる。

 とはいえ威力に負けて飛び散る城壁の欠片はほんの一欠片、小粒の小石程度のもの。

 

 それを珠雫は、水流に巻き込んでかき集めた。

 

 巻き込んだ魔力は他者のもの。本来なら珠雫の攻撃に掻き消され、消滅するのが関の山。

 しかし一真の能力は《踏破》。

 それを孕んで防壁として展開された魔力は、飲み込まれても相手の魔力に抗って残る。残ってしまう。

 まさしく激流に砕かれ巻き込まれた大岩のように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 衝突して極僅かに飛び散った一真の魔力を水流に飲み込み、包み、次の攻撃に巻き込む。

 そうすると衝突の際、飲み込んだ魔力によって一真の魔力がほんの僅かに飛び散る量が増え、それも飲み込んでまた攻撃───

 

 ───それを繰り返し繰り返して、ついに破城の槌は成る。

 何度目とも知れない攻撃の末。とうとう珠雫の(はな)った激流のレーザーが、《不沈の英雄(アイアース)》を大きく削り獲った。

 

 「…………………!!」

 

 砕かれた城壁の中、ついに一真が目を見開く。

 次の一撃は間違いなく残った防御を貫通するだろう。

 限界まで魔力を絞り出した身体は今にも崩れ落ちそうだ。

 巻き込んだ一真の魔力を保護するための即興の、難解極まる式の展開は尋常じゃない程に脳を焼く。

 ふらつく身体に霞む視界、元栓が壊れたかのように流れ落ちる鼻血。それら全てを気力で堪え、珠雫は最後の言霊を唱える。

 それはこの技を伐刀絶技(わざ)たらしめる証。

 この一撃で必ず倒すという決意。

 土壇場まで追い込まれた彼女の意地と死力に、彼女の才能と積み重ねてきた努力が全力で応える。

 

 紫白を孕んだ激流の柱。

 血に濡れ鬼気迫る貌で己の全てを爆発させ、珠雫は全てを賭してその名を叫んだ。

 

 

 「《蒼色蛟竜(あおいろみずち)》──────ッッッ!!!」

 

 

 

 

 絶対防御、破れる。

 己の力すら巻き込んで迫る水の龍を眼前に、一真は右脚を上に高々と掲げた。

 垂直に振り上げられた足に莫大な魔力が集約されていき、目を覆うような極光となる。

 込められた力の量は、少なく見ても《不沈の英雄(アイアース)》と同等だ。

 ────これから起こる現象に、複雑なことは何もない。

 踏み越え、そして踏み破る。

 彼が敵に対して行う行動は、いつだって変わらない。

 己の魂の形そのままに、彼はただ、力を込めた脚を振り下ろす。

 

 

 

 「神話再演(ミュートロギア)───《轟く雷霆(ケラウノス)》」

 

 

 

 瞬間。

 全てが塗り潰された。

 

 

 

 音が飛んだ。光が飛んだ。

 知覚にタイムラグが生じる程の音と光が罅割れた会場を軋ませて揺るがす。

 何が起きたのかわからない。爆音と閃光に貫かれた観衆たちの鼓膜と網膜は主である身体に何一つ教えてはくれなかった。

 やがて(ろう)された耳と眩まされた目が、ようやく己の役割を思い出したかのように目の前の現象を知覚し始める。

 

 凄惨の一言だった。

 リングは赤く融解し、焼かれてオゾンと化した空気の刺激臭が鼻を突く。

 彼を中心に何事かが起きた。

 だが、それを分析できる者がほぼいない。

 結果として黒鉄珠雫は相当激しく吹き飛ばされたようで、叩き付けられた壁の下に意識も無くぐったりと斃れている。

 そんな塵すら焼け落ちた焦土。

 ただ1人真っ直ぐに君臨する彼は、最早結果を確認するまでもないと彼女に背を向けていた。

 

 勝敗は決した。

 その他大勢の例に漏れず呆然としていたレフェリーが、思い出したかのように頭上で腕を交差する。

 

 『─────ッッしっ……試合終了っ!!

 最早正体すらわからない極大の一撃が全てを消し飛ばしてしまいました!!

 黒鉄選手、あわやどんでん返しかという猛撃を見せましたがやはり校内序列1位の壁は分厚かった!!

 力と技巧の腕比べを制したのは1年生・王峰一真選手です!! ……しかし………!!』

 

 ごくり、と唾を飲む音がマイク越しにも聞こえてきた。

 

 『終わってしまえば余りにも一方的な試合内容です!

 校内でも屈指の実力者である黒鉄選手を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()………!!

 全ての策と攻撃を受け止め、それら全てを鎧袖一触に踏み潰すその姿はもはや怪獣!

 

 まさに暴王………!

 

 これが───《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》…………ッッ!!』

 

 

 あるいは彼は、己への称賛すらも踏み潰してしまったのだろうか。

 歓声と引き換えの畏怖を背中に、一真は出口へと歩き出す。

 背後から誰かの指示や担架を要請する声が聞こえてきても、そちらにはもう一瞥もくれない。

 

 ───片は付けた。それで終わり。

 そこにカタルシスがあったのかどうかはわからない。

 過去を背中に置き去って、そして王峰一真は会場から姿を消した。






 遅くなりましたがお気に入り数が1000、しおり数が300を突破しました。
 いつも高評価と感想を下さりありがとうございます。これからも頑張っていきます。

 数日前に一時ユニークアクセス数がとんでもない増え方をしたのですが、一体何があったのでしょうか。


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26話

 「……ねえ、一輝」

 

 「わかってるよ。ちゃんと見てたから」

 

 有栖院の声にそう返し、一輝はリング場の一点を見つめる。

 彼が見つめる先にあるのは、倒れ伏した珠雫の右手。

 意識を失い宵時雨(よいしぐれ)が消えたその手は、未だ力強く握り締められていた。

 確かに完敗だっただろう。

 誰より絶望したのも彼女だっただろう。

 それでも彼女は、最後まで抗い続けたのだ。

 

 「立派だった。……強くなったね、シズク」

 

 目覚めた彼女はきっとこの本心を受け取ってはくれないだろう。

 だから、今だけは万感を込めて賛辞を贈る。

 いつも自分の後ろをとことこと着いてきた小さな女の子は、こんなにも気高く開花したのだと。

 

 

 

 

 「────────っっっ!!」

 

 立たなければ。

 意識の回復を自覚した珠雫が即座に身体を起こしたのは、途切れる最後まで戦意を燃やし続けた証左だろう。

 しかし目を覚ました彼女の目に映ったものは彼の姿ではなく、清潔なベッドと自分を囲んで見守っている兄達の姿だった。

 

 「ここは……」

 

 「医務室だよ。あの後すぐに運び込まれたんだ」

 

 言われて見てみれば自分は薄緑色の病院着を着ており、鈍い痛みを感じる場所には包帯が巻かれている。

 そして、脳裏に過る最後の記憶────全てが光に飲み込まれたあの光景。

 状況と記憶を何度か反芻し、ようやく胸の内からじわりと実感が沸いてくる。

 

 「……負けたんですね。私は」

 

 ぽつり、と。

 噛み締めるような一言に、誰もかける言葉を見つける事が出来なかった。

 

 「お兄様。彼の最後のあの技は何だったんですか?」

 

 「……いや、あれは僕にもわからない。多分最近になって新しく生み出したんだと思う。ただ、間違いなく全霊の一撃だったはずだ」

 

 「はい。私も、あの攻撃は彼の全力だったと思います」

 

 あるいは一輝のその言葉は一真に全力で来いと挑んだ珠雫に対する、ある意味においては励ましのようなものだったのかもしれない。

 しかし珠雫はもう、あの戦いにおける一真の真意を読み取ってしまっていた。

 

 「────だけど、本気ではなかった」

 

 「…………、………」

 

 そう。珠雫でなくとも、全員が察している。

 あの試合内容から考えて一真が本当の本気で戦っていたらそれこそ珠雫は1分も経たない内に負けていただろう。

 無論それはただの推察でしかないが、そう確信に近く思わせる程に隔絶した差が2人にはあった。───そうでなくとも最後のあの攻撃は、彼が直前で《幻想形態》に切り替えていなければ珠雫の身体を易々と蒸発させただろうから。

 ならば。

 彼がわざわざ大技を連発して、ゆっくりと思い知らせるような戦い方をした理由とは。

 

 「シズク、あのっ、あのねっ」

 

 「ごめんなさい」

 

 痛いくらいの沈黙の中で何かを言いかけたステラの言葉を珠雫は寸断する。

 

 「少しだけ、独りにしてもらえませんか? ……今日は、疲れてしまったので」

 

 珠雫は顔を伏せて皆に頼む。

 ───彼女らが身を置くこの勝負の世界で、勝者と敗者の間に横たわる断絶はこれ程までに深く、暗い。それをわかっているから、一輝たちは何も言わずに医務室を去った。

 ただ1人、有栖院凪を除いて。

 

 「……独りにしてって言ったはずよ」

 

 「うん。聞いたわ」

 

 「だったら─────!」

 

 暴力的な言葉をぶつけようとした瞬間、珠雫は有栖院に抱き締められた。

 

 「……あなたのお兄さん、最後まであなたの事を見てたわよ。立派だった。強くなった、って」

 

 「あり、す───」

 

 「あたしは珠雫が守りたい人でも、負けたくない人でもない。……だから、もう、強がらなくていいのよ」

 

 

 それが限界だった。

 優しい言葉と包容に、喉元までせり上がっていた嗚咽が溢れ出る。

 悔しかった。ただひたすらに悔しかった。

 堰を切って流れ出た感情は、全ての意地を押し流していく。

 譲れなかった願い。叶えたかった夢。

 大切なものたちが手をすり抜けた感覚と、思い知らされた己の非力さが珠雫を苛む。

 ────彼女は聡い。

 だから彼女は、一真の真意を理解していた。

 彼は最初に駆け引きの巧みさを見せつけて以降、特別な技術を必要とする技を一度も使っていない。

 ただ出力を全開にして振り回す、火の着いた松明を振り回すだけのような原始的な暴力で自分を圧倒した。

 

 自分の努力や抵抗を、生まれ持った力だけで踏み倒したのだ。

 そう。かつて自分が、彼にやったように。

 

 言葉に出来ない程の悔しさを悲鳴として吐き出しながら、珠雫は有栖院の胸にしがみつく。服が軋んで爪が食い込むような力だったが、有栖院は抱擁を緩めなかった。

 この誇り高い少女が悔しさを吐き出せる相手が、自分だけだと知っているから。

 

 2人以外は誰もいない、夕暮れの明かりが差し込む医務室の中。

 夢破れた少女の慟哭が、いつまでも響き続けていた。

 

 

 

 「………強かったわね、カズマ。直前に聞いてたバレエと武術についての解説は何だったんだって思わなくもないけれど」

 

 「まあ確かに……。けど、改めて思い知らされた気がするよ。ステラや刀華さんか……僕に当たらないと、カズマに負けの目を作れる可能性はまずないんじゃないかな」

 

 廊下を歩きながら一輝とステラは静かに語る。

 本戦への出場枠は恐らくは無敗の5人が埋めることになる。

 つまり実質、珠雫の夢は絶たれたに等しい。

 どれだけ残酷でも現実は冷然だ。

 どちらかがどちらかより強かった。

 それが全てだ。

 

 「何か言いたい事はないの?」

 

 「僕がかけられる言葉なんて無いさ。シズクの悔しさはアリスが受け止めてくれる。シズクの奮起を信じるだけだよ」

 

 「そうじゃないわ。カズマによ」

 

 ぴたり、と一輝の歩みが止まる。

 

 「カズマとシズク、どっちも大切だからアンタはどっちを応援する事も出来なかった。だけど、だからこそ言いたい事だってあるはずよ。

 アタシだってシズクが……その、た、大切だって思ったから、あの時背中を押したくて叫んだんだから」

 

 言ってステラは少しだけ顔を赤らめるが、すぐに顔色を元に戻した。

 彼女の言葉は、本当に一輝の心を理解していたのだろう。俯く彼の背中に、ステラは労るように手のひらを置いた。

 

 「運良くここには誰もいないし、アタシもカズマやシズクに伝えたりしない。だから───今だけは、お兄ちゃんになってもいいのよ」

 

 少しの沈黙が流れた。

 

 「………カズマが苦しんでたのは知ってる。仕返しをされるのも仕方ない。この戦いだってカズマの方がずっと強かったし、どう勝つかを選ぶのもカズマの自由だ。……だけど………」

 

 彼の正当性を何度も裏付けるのは物の道理と、一輝自身の優しさだろう。

 優しいからこそ、彼は縛られていて。

 そして妹と同じように誰かの優しさで、彼もまた、ようやく吐き出す事ができた。

 

 

 「………それでも、シズクの覚悟には、真摯に向き合って欲しかった」

 

 

 震える握り拳をステラの両手が包む。

 妹の決意が演出めいた形で破られたのが悔しくて、だけどそれは身勝手な感情でしかなくて。

 そんな誰に吐き出す訳にもいかない思いを、今だけは2人で分かち合う。

 

 次に彼の顔を見た時に、友として心から拍手を贈れるようになるために。

 

 

 

 日が傾き始めた空を茫洋とした眼差しが泳ぐ。

 試合を終え会場を後にした一真は観客席に上がることも自室に戻ることもなく、中庭のベンチに腰掛けてぼんやりと空を眺めていた。

 燃え尽きたようにも不完全燃焼にも見えるその姿は、長きに渡る因縁に区切りを付けた後にしては感情が宙ぶらりんになっているようだった。

 そんな彼に近付いてくる足音が3つ。

 そちらに目を向けた彼の目に映ったのは、よく馴染みのある姿だった。

 

 「ウタ。カナタ。………刀華」

 

 「ここにいたの。上がってもこないし部屋にもいないし、もううたくんに頼んで見付けてもらっちゃったよ」

 

 「そんで見付けてみたらベンチで黄昏てんだもんな。アハハ、似合わねー」

 

 「……もしかして、お疲れでしたか?」

 

 「実はちょっとな。雑に戦い過ぎた」

 

 カナタの心配に一真は苦笑いをして首肯する。

 

 「カズ。最後のアレ何だったの? 室内なのにマジでカミナリ落っこちたのかと思ったんだけど」

 

 「あァ、アレな。刀華はたぶん察してるとは思うが……」

 

 「……落雷、だよね? 名前の通りに」

 

 「あー、当たらずとも遠からずだな。要するにプラズマってヤツだよ」

 

 ────空気というものは、圧縮されていくにつれ高温になっていく性質を持つ。

 空気中には原子や分子がバラバラになって好き勝手に空中を飛び回っているが、空気を圧縮して温度を上げて行くと、電子の運動エネルギーが原子との結合力を振り切ってしまうという現象が起こる。

 こうして陽イオンと自由電子に分かれてしまった気体をプラズマと言い、それを能力を使って引き起こすのが一真の《轟く雷霆(ケラウノス)》だ。

 フルスロットルで出力した《踏破》の力で、力の及ぶ周囲一帯の空気や()()()()()を踏み潰し、限界まで圧縮、圧縮、圧縮して、そして爆熱の光は作られる。

 黒雲から放たれる稲妻を凌ぐ厄災を、彼はその足で顕現してのけたのだ。

 

 (流石に考え無し過ぎたか……?)

 

 それら『神話再演(ミュートロギア)』シリーズは一真の伐刀絶技(ノウブルアーツ)の中でも抜きん出て凶悪な性能を誇るが、その分Aランク基準でも莫大な魔力を消費する。

 故に軽々(けいけい)には切れない手札であり、魔力の回復速度やその他の戦闘行為を考えれば、使って1日に1回がコストパフォーマンスの限界なのだ。

 それを、立て続けに2回。

 疲労するに決まっていた。

 

 「……ま、とりあえずさ。積年の恨みは晴らした事になったと思うけど、少しはスカッとした?」

 

 「…………、分かんねえや」

 

 積年の、恨み。

 それは今の感情には到底当てはまらない言葉の響きで、泡沫の問いかけに一真はすぐに答えることが出来なかった。

 

 「何て言えばいいのか……『こんなモンか』っつーか、思ってた程のものでもなかったっつーか。

 確かにやられた時の怒りは甦ってきたし、やられた事はキッチリやり返してみたけど……終わってみると、正直そこまで待ち望むようなモンでもなかったなって気がしてきてな……」

 

 期待外れのような拍子抜けのような、どう言い表せばわからない胸の内。

 応援してくれていただけにこんな状態になっているのが後ろめたいのだろう。ばつの悪そうな顔で、一真はやりきれなさそうに頭を掻く。

 

 「何つーか……パーッと雲が消えて、晴れ間が見えるような感覚を期待してたんだけどなァ……」

 

 

 「うん。正直ボクらも、主義じゃない事してんなーって思ってたしね」

 

 

 あっさりと。

 自分がもて余していた心の靄の形をいとも容易く断定してしまった泡沫に、一真が僅かに目を見開いた。

 

 「カズって基本的に歯には歯で返すけどさ、こういう何かを懸けて本気で戦ってくる奴相手に魅せプする性格じゃないし。後味がスッキリしないならそれじゃない?」

 

 「そうですね。私もてっきり本気の舞を見れるものと思っていましたので、少しだけ驚きました。私としてはそれも一興かと思いましたが、自分を曲げてまでするものではなかったという事だったのでしょう」

 

 自分でも整理できていなかった自分を次々に分析されて少しだけ圧倒されつつあった一真だが、続く刀華の言葉には凄まじい衝撃を受けた。

 何ら特別な意味を持たないような普通の調子で、事も無げに刀華は言ってのけた。

 

「もしもカズくんが黒鉄さんを恨んでたのなら、あれでスッキリできたのかもしれないね」

 

 自分の中の前提条件を覆すような言葉だ。

 今まで自分を鍛えてきた原初の理由を否定され、流石に一真も反論した。

 

 「……いや。俺はアイツを恨んでたはずだ。言ったろ、久々の対面が最悪だったって。今朝だって大分キレたんだぞ」

 

 「うん、凄く怒ってたのは知ってる。でも、試合中の顔を見ればわかったよ。ひどい目に遭わされた怒りは残ってても、もう黒鉄さんへの恨みそのものは残ってないんだって」

 

 孤児院に入ってから色んな不条理や理不尽を見てきたし、奮起してからも色んな恨みや辛みを肌で感じてきた。

 人間の暗くて汚いところは、同年代の大体の者たちよりかは多く体験してきたと思う。

 だけど。

 どうしても辛くなった時に、それでもまた暗い淵へと落っこちずに済んだのは、すぐ側にいてくれた彼女が人間の美しさを思い出させてくれたからだ。

 

 日の傾いた空を背に微笑む刀華に、一真は雲の晴れ間を見た。

 

 

 「私たちに逢えたから自分の人生はこれでよかったんだ、って。カズくんが言ったんだよ?」

 

 

 復讐を遂げて溜飲が下がるのはその相手に今も苛まれているからだ、と。

 ははは、と思わず笑みが溢れた。

 主義じゃない。恨みじゃない。不透明だった感情も、気付いてしまえば簡単な話。

 10年越しの怨恨を晴らしたつもりでいた彼は今、ようやく根本の答えに行き着いた。

 

 

 「そうだよ。俺、とっくに幸せなんだった」

 

 

 とん、と泡沫が刀華の背中を押す。

 前によろめいて振り返ってみれば、彼はイタズラっぽく頬を曲げて笑っていた。

 それで刀華は意図を察した。

 顔を赤らめて抗議の目線を送り、顔を前に向けて見る。彼女が何か大切なことを言うのだと察したのだろう、ベンチから立ち上がった一真がすぐ目の前にいた。

 

 近付いても抱き締めるのは恥ずかしくて、刀華は彼の服を掴んで額を当てる。

 一真は少し驚いたように身体を震わせたが、やがて彼も彼女の肩に抱き締めるように手をかけた。

 

 抱擁と労い。

 大きなものを終わらせた家族を迎える温もりにおいて、これに勝るものはきっとない。

 かつて失われ、そしていつの間にか取り戻していたものは、確かにここにあった。

 

 

 

 「お疲れ、カズくん。お帰りなさい」

 

 「ああ。ただいま、刀華。みんな」



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27話

 

 

 

 

 

     ◆

 

 

 「行くぞウタぁぁぁぁああああああ!!!」

 

 「よっしゃ来ぉぉおーーーーーーい!!!」

 

 雲1つない快晴の空の下。一真の気合いに、彼の腕の中でボールのように身体を丸めた御祓泡沫が応える。

 それを合図に一真は回り始めた。

 丸まった泡沫を抱え、およそ砂浜の上とは信じられないような速度でぐるぐると遠心力を蓄えながらじりじりと前進していく様はちょっとしたトルネードのようだ。

 やがて爪先が海水に触れ膝上まで浸かり、いよいよ水の抵抗が回転に支障をきたすという瞬間、一真は泡沫をリリースした。

 丸まった背中を片手で支え、斜め下から斜め上へと押し上げるように、溜めに溜めた力を全て開放してぶん投げる。

 

 「っっっらぁぁぁぁああああああい!!!」

 

 解き放つ咆哮。

 まるで砲丸投げのような───否、あれは砲丸投げだ。

 人よりも桁外れて高く強い男が全力でボールをブン投げる様は、ボールが男の友人である事を除けばまさに砲丸投げそのものだ。

 大人と子供どころか幼子レベルの体格差で空に射出された泡沫(ボール)が高く、遠く、軽々と宙を舞う。

 そして無回転のまま山なりの軌道を描いた彼は海面に着弾し、大きな水柱を上げた。

 ぶくぶくと泡立つ海面から顔を出し、泡沫は大笑いしながらアンコールを送る。

 

 「あははははははははははは!! もう1回! カズ、今のもう一回!!」

 

 「オーケー次はどこまで飛びたい!? ネッシーがいる所までブン投げてやろうか!!」

 

 「あっそれ調査も一緒に出来るじゃん! ちょっと待ってボク能力使うわ投げられるついでに見付けてくる!」

 

 「!? お前……天才か……!?」

 

 これが海と太陽の力なのだろうか、2人のボルテージが凄まじい勢いで上昇していく。

 楽しさを追い求めるこの熱量には海すら沸騰するかも知れない。でも何故彼らはここまで熱くなるのか? 何が彼らをそうさせるのか?

 ────『夏だから』。

 そう、その一言が免罪符。全てはそれで説明が付き、どれだけ羽目を外しても、じゃあしょうがないなと片付けてもらえる魔法の言葉。

 青い春を謳歌する年頃の彼らがアクセル全開になるのもまた当然の理。水着が彼らの正装だ。ブレーキ? 知らない。そんなものは外してきた。

 滾る感情を衝動に込めて、いざ再び射出態勢に入ろうとする彼ら2人の躍動を────

 

 

 「………ねえ。仕事なんじゃなくて?」

 

 

 同じく水着の黒鉄一輝が、白い目で見ていた。

 

 

 

 土曜日。

 先生から頼まれていた謎の海棲生物の調査のため、生徒会一行とその手伝いをする事にした彼らは砕城の運転するバンに乗って由比ヶ浜へとやってきた。

 しかし問題の場所が海水浴場だけあって人も多く、しかも真に調べなければならないのは陸ではなく海の中。それをたった()()で捜索するのはいかに伐刀者(ブレイザー)といえど至難の技だろう。

 時間を無駄にはしていられない。

 だというのに泡沫と、よりによって一真が初っぱなから遊んでいた。

 

 「何だよー、ノリ悪いよイッキ君。日射しと海ってのは弾けるためにあるんだぜ?」

 

 「そうだぞ、交ざりたいなら言やあいいんだ。お前の体格でもジャイアントスイング方式でやれば俺は同じくらいブン投げれるぞ? ちょっと意識が混濁するけど」

 

 「するけどじゃないんだよ。何で実質部外者の僕が一番真面目なんだ」

 

 キッチリ2投目を終えてから来やがった。

 ぶーたれる大男と小男の親子みたいな体格差のコンビに、いい加減見ていられなくなった一輝が割とガチトーンの説教を入れる。

 

 「泡沫さん、あなたはまだ刀華さんにお尻を叩かれてた頃のままなんですか? カズマもいつもの看守的な役回りはどうしたの。遊ぶ前に働けって締め上げるのが君の仕事だろ」

 

 「頑張ってる奴は報われるべきだと思わねえか」

 

 「それ刀華さんの前でも胸張って言える?」

 

 「何なら今も叩かれてっけど?」

 

 「ドヤ顔の使い所おかしいでしょう」

 

 「とは言えなァ」

 

 気楽な調子で一真は言う。

 

 「海の中を調べられる能力の奴は限られてるし、聞き込みするにしても限界があるしな。そうなると結果によっちゃあどっかで捜査は切り上げなきゃなんねえから、そしたら後は自由だ。

 なあに、やるべき事は真面目にやるさ。流石にそこは信用してくれるだろ?」

 

 「してるけど、でも今は……」

 

 「でも最初に全員集まって話さなきゃならないし、それまでは好きにしてていーじゃん? ほら、女子たちはまだ来てないぜ?」

 

 ……確かに間違ったことは言っていない。

 イエーイ勝ったー、とばかりに2人がハイタッチしているのは若干イラッとしなくもないが、改めて見てみれば一真もかなり浮かれているように見えた。

 普段の態度からすれば随分と緩んでいるようだが、考えてみれば無理なからぬ事なのかもしれない。

 去年はまず遊んでいられるような状況では無かったし、それ以前まで遡っても彼にこんなイベントがあったかどうかは怪しい。

 彼は強くなるという目的意識が強く暇が無くとも訓練を怠らないタイプなので、中等部の頃だってまともに友達が出来ていたのかも疑問だ。

 それに身内贔屓な彼の事だ。誰かと遊びに行くよりも、孤児院で下の子たちの面倒を見ていた可能性も高いだろう。

 まあ同時期に道場破りに明け暮れていた自分も同じようなものなのだが、形はどうあれ『仲のいいメンバーと海に行く』なんてイベントは実は初めてに近いのではないか?

 

 (……やるべき事はちゃんとやる人だしね)

 

 ならば自分が言うべき事は何もないだろう。

 願わくばこの海棲生物の騒動がデマの類いであり、彼が純粋にこの時間を遊べるように────

 

 「え」

 

 ガシッ、と後ろからホールドされた。

 そこから空高く持ち上げられ、呆気に取られている内に身体から重力が消える。

 そしてそのまま受け身も取れない海の中へと思い切りダンクシュートされた。

 誰あろう一真の仕業である。

 鼻の穴から侵入してきた海水をぼたぼたと垂らしつつ、海中の砂を踏み締め一輝はゆっくりと海から上がる。

 

 「はっはっはどうだイッキ、これが『夏』ってやつだよ多分。お前もちったあ固さを捨てて………」

 

 「──────………」

 

 「あっやべえ半ギレしてる。助けろウタ」

 

 「アハハ☆ 無理」

 

 

 

 

 「まずはご飯にするのね?」

 

 「そうですね。いま砕城さんとカナちゃんが管理者の方にお話を聞いてくれているので、戻ってくるまでに準備を済ませちゃいましょう」

 

 大きな消耗が予想される未確認生物の大捜索が始まるのだ、まず腹を満たして力と英気を養わねばならない。バーベキュー用の道具と食材はもう男性陣が準備してくれている手筈だ。

 しかし女の子として水着に着替え終わって準備完了という訳にもいかない。帽子を被る。日焼け止めのクリームを塗る。さらに日射しを防ぐ上着を羽織る。海パン一丁でヤッホーと繰り出せばいい男共とは違うのである。

 そんな影の努力を重ねる()()の背後に迫るのはそういう努力に興味ナシな日焼け上等のスポーツ系、兎丸恋々。

 指をわきわきと動かす彼女が肉食じみた目付きで狙いを定めたのは────

 

 「どーーーーーーーん!!!」

 

 「うわひゃぁああっっ!?!?」

 

 ステラ・ヴァーミリオンだった。

 背後から飛びかかって羽交い締めにし、彼女のたわわに実った2つの果実に両手の指をむにゅりと沈み込ませる。

 

 「ひゃー、前々から思ってたけどやっぱスタイル凄いね! 女の敵めー、なに食べたらこんなになるの?」

 

 「ち、ちょっとトマルさん!? 何してるのよやめ、ひゃあんっ!?」

 

 「腰もこんなに細いのになー、どこからあんなパワーが出るんだろ。肌もスベスベだし、ちょっとうらやましくなってきちゃうや」

 

 「あ、ありがと、ありがとね? んっ、だからそろそろ、ふあっ!? たっ助けてトーカ先輩!」

 

 「あ、あはは……私は先に行ってますねー……」

 

 「ちょっとーーーーーー!?!?」

 

 「むっ、このお尻の張りは……!?」

 

 「どっどこ触ってんのよ! ああもうこうなったらアンタ助けなさ、遠巻きにしてるんじゃないわよ!! ちょっそれ以上は、んぅっ!?」

 

 なんだかセンシティブな様相を呈し始めた更衣室からさっさと退散する刀華。

 兎丸と同じく、ステラの事は女性の理想を具現化したようなスタイルだとは思っていた。嫉妬とまではいかないが、女性として思うところはある。まして水着という身体のラインをさらけ出す格好だと、正直あまり隣に並びたくはなかった。

 産まれた国の違いなのだろうか?

 並んだらサイズ的にも見劣りする、と思ってしまう。

 

 (カズくんも並外れてサイズの大きい人だし………、…………………………)

 

 夏の日射しの下でちょっとだけ原因不明の鬱に襲われて刀華は肩を落とすが、そんなことをしている場合ではないと頭を振って思考を追い出す。

 早いところ合流しなくては……準備をして待ってくれているだろう男性陣を長い間待たせる訳にはいかない。

 少しだけ小走りになって合流地点に向かうが、そこで何か妙な人だかりを見た。

 一体なんだろう? そして回りを見回しても遠目からでも髪の色や体格で目立つ一真と泡沫が見当たらない。

 少し予感がして人だかりに潜り、その最前列に抜けて見る。

 

 人だかりの中心で、一真と一輝がレスリングじみた取っ組み合いをしていた。

 

 「カズ、勝って! 頼むから勝って! カズが負けたらイッキ君が次ボクに来る!!」

 

 「 「 ………………ッッ!! 」 」

 

 2人とも青筋を浮かべた笑顔だ。互いに互いの頭と腕を押さえ合い、前傾姿勢で組み合っている。

 だが体格差と筋力差は歴然で、瞬く間に一輝は地面へと押し込まれて行く。

 しかしその時、一輝は唐突に力を抜いた。支えを失った一真の身体がガクンとつんのめるように流れる。

 それと同時に一輝は潜り込むように低く、大きく懐に踏み込んだ。

 一真の重心の下に入ってその両足を抱え、膝を手前に引っこ抜いて身体ごと前に巻き込むように投げる。

 

 体格で大きく劣る者が、巨人を相手にテイクダウンした瞬間だった。

 

 「おおおおおおっ投げたぁぁああ!!!」

 

 「すっげ、このサイズ差で決めるのかよ!?」

 

 体格も筋力も何一つ敵わない。だからあらゆる技術の複合で挑む。

 砂浜の上に仰向けに転ばされた一真の脚に、抱えた所から流れるように絡み付いてヒールホールド。一真の膝関節を極める。

 しかし長身故の脚の長さで形が不完全だ。そこで一真は一輝の足を掴んで力でロックを外し、脚を逆に押し込んで極められた関節の位置をズラす。そこから一気に身体を起こし、今度は一真がマウントを取ろうとした。

 ───それこそ、一輝の策の内。

 一真が身体を起こしたことで自分に急接近した腕を間髪入れずにキャッチ、足で首と腕を捕らえ三角絞めに移行。

 頸動脈の血流を止められる前に一真は体格にモノを言わせて強引に立ち上がり、身体ごと大きく振り回して砂浜へ腕ごと振り下ろした。

 だが地面に叩き付けられる前に一輝は技を解除し、受け身を取って安全に着地。即座に立ち上がり反撃へと備える。

 戦局は睨み合いへと変わった。

 ───一真も卓越した格闘家(?)だが、一輝ほど武芸百般ではない。体格と才能に恵まれ、他の要素で補う必要が無かったからだ。

 加えて能力の行使は当然ナシ、暗黙の内に決まった『打撃なし』というルール。

 得意分野を封じられ、門外漢の組技という土俵で、それでも一輝が押し切れない。

 それほどの体格(サイズ)

 それだけの膂力(パワー)

 加えて師にこれでもかと叩き込まれた経験とそれによる直感が、最適解の脱出策を最短で弾き出す。

 これはそういう戦いだ。

 人間は技術の全てを以てすれば知を持つ怪獣を倒せるのか、それが明らかになる戦いなのだ。

 それを理解して知らず知らず拳を握っていた刀華は、ふと人の輪の外に()()を見付けた。

 そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場に居合わせた大学生・平坂(ひらさか)翔太(しょうた)の証言。

 

 

 「あー、アレな。見てた見てた。凄かったよマジで」

 

 「ありえねー位デッケエ奴とフツーの奴が取っ組み合ってんの。フツーならデッケエ方が圧勝すると思うじゃん?」

 

 「でもさ、(ちげ)えんだよ。フツーな方が何かスゲーこう、プロっつーか達人みてーな動きしててさ。デッケエ方圧倒されっぱなしなんだよな」

 

 「でもデッケエ方もヤバかったよな。明らかに決まったろって場面でムリヤリ技? 外してた? んだよ。そいつの動きもヤバかったし、2人とも何かしら有名な格闘家なんじゃね?」

 

 

 「………え? どんな決着だったか?」

 

 

 「…………」

 

 「……や、よくわかんねえんだよそれが」

 

 「お互いしばらく睨み合ってて、お互いが同時に動いたんだよ。2人ともあそこで決着付けようとしてたんじゃね?」

 

 「来るか!? って思ったんだよ。決着が。でもさ、そこで割り込んで来た奴がいてさ。女の子。めっちゃ可愛かったな………」

 

 「んで、その女の子にド肝抜かれたのよ」

 

 「何でって、そりゃあビビるよアレ」

 

 

 ────()()()()()()()()

 

 デッケエ方の腕を横から掴んで、ポーンって。

 

 一本背負い………ッての………?

 

 ケンカってデカさじゃあねえんだなぁ……。

 

 

 「……で、デッケエ方がその()に投げられて、フツーな方もそれ見て大人しくなって、そのケンカ? はお終いってワケよ」

 

 「デッケエ方が何か言われてたっぽいけど、多分怒られたんじゃね?」

 

 「理由もわからないまま色々とスゲーのを一遍に見ちまったけど………」

 

 「思った事は、そうだな………」

 

 「………………」

 

 

 「『女は強い』………だよな、やっぱ……」

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な横槍だった。

 一真は予想だにしない方向からの襲撃に為す術無く投げ倒されて目を白黒させ、泡沫と一輝も驚いてフリーズする。

 突如野次馬の輪から飛び出してきた刀華が、何の躊躇いもなく一真を地面から引っこ抜いたのだ。

 やり過ぎたか? 騒ぎ過ぎたか?

 倒れた一真の腕をしっかりと抑え、東堂刀華は謝罪や言い訳を頭の中に巡らせている男共に向けて静かに問い掛けた。

 

 

 「ご飯の準備は?」

 

 「 「 「 あっ…………… 」 」 」

 

 

 思わぬ展開に驚愕し固まる野次馬の輪の少し外。

 何の準備もされず手付かずのままの食材とバーベキューセットが、所在無さげに佇んでいた。



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28話

 「……はい。こちらに準備整いましてございます」

 

 「ありがとうございます。助かりました」

 

 ぴしっ、と。

 赤く燃える炭に網を乗せたバーベキューセットを、一真が直立で御辞儀をしつつ手のひらで示す。

 普段の彼女なら「何してるんですか!」で済ませそうな所だがよもやの一本背負い。

 何というか、その人について悩んでいた直後にその人にやらかされたかのような衝動を感じた。もう怒ってはいなさそうだが普段と変わらないありがとうございますが逆に怖い。

 一輝や泡沫が完全に縮こまっている大男を笑いたくとも、自分達も同罪なので笑えないのが辛いところだった。

 

 「その、すいませんでした……。ちょっとその、僕も遊んでしまって」

 

 「いえいえ、先に仕掛けたのは王峰くんなので」

 

 「そ、そうそう。それに2人がああなったらボクもちょっと止められないし、ボクも無罪放免って事で」

 

 「うたくーん。あなただけ今回お肉禁止にしますねー」

 

 「何で!?!?!?」

 

 バーベキューにおける死刑宣告を喰らった泡沫が断末魔を上げる。

 すると砂浜の向こうからバタバタと走ってくる人物がいた。タンキニ姿の兎丸恋々だ。彼女は走る勢いのまま刀華にぶつかるように抱き着いた。なぜかちょっぴり涙目である。

 

 「うわーん、助けてかいちょー!! ステラちゃんにぶたれたー!!」

 

 「ぶたれるまで止めなかったんですか!? それならもう自業自得ですよ!!」

 

 ステラにぶたれたというワードに若干反応した一真だが、事情を知っているらしい刀華が自業自得とまで言っているのでそのままにしておく。

 というか向こうも向こうでケンカになっていたらしい。今のところ結束の「け」の字にも掠らない有り様だが、こんなのでこれからの調査は大丈夫なのかとやや不安にならないでもない。

 慰めの期待を裏切られ刀華に寄りかかったままぶーたれる兎丸だが、そこでふと何かに気付いたようだ。

 

 「あれ、会長まだ見せてないの?」

 

 ぴた、と刀華の動きが止まった。

 

 「な、何をですか?」

 

 「水着だよ水着。新しいの買ったの知ってるぞー。お店で1人悩んでたの見てたぞー」

 

 「ちょっ、いたなら声をかけて下さいよ!」

 

 「王峰くーんこっち向いてー、そりゃっ!!」

 

 問答無用とばかりに兎丸が刀華のラッシュガードのチャックに手をかけ、思い切り服ごとずり下ろした。

 そして今まで覆い隠されていた刀華の身体が白日の下に晒された。

 

 冒険してみたのかもしれない。

 刀華の水着は、花柄を描かれた桃色のビキニだった。

 同じ種類のそれと比べると布面積が少なく、同年代の中でも恵まれたサイズの柔らかそうな胸がより強調されている。

 目映い肌色の腰回りもそれに匹敵する程に目を惹く。日本人は下半身太りだと言われるものだが、彼女のそれはそんな悪評を魅力として昇華しているようだ。

 ふっくらと丸くしっとりしていて、しかし贅肉の気配はまるで感じられない。そこから伸びる美しい脚線もまた然り。

 下世話な擬音を敢えて使うなら「むっちり」とでも表現すべき、仄かな官能を匂わせる美しさ。

 さらに。さらに、だ。

 揺れたのである。

 急に脱がされて驚き硬直した勢いで、そのふくよかな果実が、ぽよよんと縦に。

 

 心臓が一瞬、握り潰されたように激しく拍動した。力及ばずを悟った賛美の言葉が、怖じ気づいたように喉に詰まる。

 見蕩(みと)れるどころか脳と網膜に直接焼き付けられるような衝撃に、一真は生唾を呑み込んだ。

 

 「あ……そ、その……ど、どう、でしょう、か……」

 

 「えっ、あ、あー……その……凄え可愛いと………キレイだと、思う。うん、マジで」

 

 一瞬エロいと思った事は伏せただけ一真は判断能力を残していた方だろう。

 赤らめた顔を伏せる刀華と見続けていいのか葛藤する一真。一輝と泡沫は直感の配慮として顔を逸らして存在感を消しており、夏のビーチはまるでそこだけが切り取られたようで────

 

 「全く、全くもうっ! 悪ふざけにしても限度があるってのよ! 髪がくしゃくしゃになっちゃったわ!」

 

 ───その後ろから上位互換が現れた。

 

 刀華のそれよりも更に面積が少ない紐ビキニ。歩く度にたゆんたゆんと揺れる白桃のような胸は今にも零れ落ちそうだ。

 ほっそりとした腰にツンと跳ね上がったヒップと、そこから伸びる脚線美。これを抱き締める事が出来たらそれはどんな悦びだろう、柔らかく甘いボディラインは本能の全てを惹き付けてやまない。

 彼女が歩くと、周りが一瞬静寂に包まれる。

 あらゆる視線を釘付けに、ステラ・ヴァーミリオンが砂浜の舞台に上がった。

 

 「おぉ………、」

 

 更衣室で目が慣れていた女性陣はともかく、男共が無反応でいられるはずがない。一輝や泡沫も周囲の例に漏れず、一真ですらも息を呑んで絶句した。

 感嘆の溜め息すら吐いてしまう、1つの芸術品がそこにあった。

 ───すぅ、と気配も音も無く、刀華が一真の横をすれ違う。

 女に見蕩れた男の意識の隙を突くなど呼吸をするよりも容易い。

 認識の資格に潜り込まれたことにすら気付かない一真の尻の肉を、掴むような強さで指に挟む。

 かつて泡沫や貴徳原を苦しめたお尻ペンペン(おしおき)

 その破壊力の源である手首のスナップ(泡沫談)を存分に活かし、摘まんだ肉を水着の上から引き千切るように(つね)り上げた。

 

 「ア゛ーーーーーーーッッッ!?!?!?」

 

 「王峰くんはご飯と後片付けが終わり次第調査に移って下さい。私は先に聞き込みに行ってきますので」

 

 「い゛、痛っつぅ……!? って、へ? じゃあお前はメシどうすんの?」

 

 「適当に何か買って食べますのでお構い無く」

 

 「……怒ってる? 怒ってんな?」

 

 「怒ってません」

 

 「ちょっ、怒ってねえなら止まれ! まず話を聞いてくれ! 違うから!!」

 

 「来ないで下さい」

 

 ラッシュガードを着直して大股の早足で去っていく刀華とそれを追う一真。一輝たちはその様子を呆然とながめており、遠因ではあるステラは「え、私何かした?」とおろおろしている。

 引率2人が、極めて私的な理由で消えた。

 

 「……ご飯、先にしちゃおっか」

 

 「ですね。……力持ちですよね、女の子って」

 

 「ホントだよ。あの大男を思い切り振り回しちゃうんだからさ」

 

 

 

 「信っじらんねえ……《抜き足》まで使うか普通……!?」

 

 追跡も空しく丁寧に撒かれた一真はあちこちを見回して刀華を探していた。

 いや、確かに怒るのはわかる。褒めた側から別の女に目を奪われた自分に非があるのはわかる。だがもう少しこちらの話を聞いてくれてもいいのではないか? こうまでつっけんどんにされては謝る隙もありはしない。

 好奇の視線やいつもなら《抜き足》で逃げるカメラのレンズも今は放置した。

 この海岸にいる誰よりも頭が高いところにある視点から一真は俯瞰するように注意を走らせ、そして少し遠い所にようやく彼女の姿を見付けた。

 

 「──────………」

 

 おおよそ察した。

 双眸を研ぐように細め、一真は大股で彼女の元へと歩いていく。

 

 

 

 「ねーねー、どしたのそんなコワイ顔して」

 

 不機嫌な刀華を呼び止めたのはそんな声だった。

 日焼けした肌に髪を染めた2人組の男。軽薄そうな声色と言葉遣いの、俗に言うナンパだ。ひと夏の思い出でも作りに来たのだろう、声をかける取っ掛かりのある彼女に狙いを着けたらしい。

 

 「いえ、一緒に来ている人たちがいるので……」

 

 「えっ、そんな顔させる奴らよりオレらと遊んだ方がぜってー楽しいってマジで」

 

 「……それに用事もあるんです。ごめんなさい」

 

 「どんなのどんなの? 教えてよ手伝うからさ」

 

 こんな風に刀華もさっきから断っているのだが、いかんせんしつこい。

 よほど刀華を上玉と見たのか、逃がすまいと口を回し続けている。

 少し必死さが透けているあたり玄人でもないようだ。遊びを覚えたてで粋がっている時期なのかもしれない。

 ───やっぱり、()()()()()()

 頭に浮かんだ幼馴染の顔を意識から押しやり、刀華は男たちに踵を返す。

 

 「では、失礼しますね」

 

 「ちょ、待ってって」

 

 何がどうでも靡かない刀華に苛立ったのか、少し強めに腕を掴まれた。

 ようやく落ち着いてきた不機嫌が少し甦ってくるのを感じた。

 もういいや、《抜き足》でも何でも使って逃げよう。

 少し投げやりにそう決めて掴まれた腕を振り払おうとした時────

 

 「よう兄弟」

 

 どかっ、と。

 その声の主は身体を男たちの間に入り込ませ、叩くような勢いで2人の肩に手を置いた。

 

 「お盛んじゃねえか。ナンパってやつか? いやァやるじゃねえか。ここにいる中でも1番イイ女に目ぇ着けたんだもんなァ。見る目あるぜ本当」

 

 肩を掴む手が大きすぎる。

 声が聞こえてくる位置が高すぎる。

 全身を硬直させた2人が恐々と振り向いて上を見上げた。

 ───巨大な男だった。

 自分の身長に50センチ足してもまだ目線が合わない。

 

 「え、あ、その……」

 

 「でもなァ、残念だったな。その子な、もう先約いるんだよ。そんでお前らに順番が回ってくるなんて有り得ねえんだわ。その先約がずーっと先まで買い占めてっから。

 ………まァあれだ。何が言いてえかっつーと」

 

 危機感が警鐘を鳴らす。

 太陽の逆行で影になった顔で、獣のような目が怒りを宿して光っている。

 2人の肩に男の五指が獣の顎のような力で食い込むと同時、唸るような命令が男の歯の隙間から漏れ出した。

 

 

 「今すぐ失せろ。俺の連れだ」

 

 

 

 

 2人は逃げた。

 下手くそな敬語で謝りつつ小走りで去っていく背中から目線を切り、一真は刀華に向き直る。

 

 「大丈夫か? 何かされてねえ?」

 

 「うん。大丈夫だよ、ありがとう。何かされそうになっても自力でどうにかできたとは思うけど」

 

 「そういう問題じゃねえだろ。それこそああいう手合いに絡まれる前に本気で逃げろってんだ、俺からは《抜き足》使ってでも逃げた癖に───」

 

 お説教が始まった。

 何だか怒られる側が逆転してしまっているが、彼女はもうそんな事はどうでもよくなってきていた。

 少し俯き被っていた帽子のつばで目を隠し、遮るように刀華は聞く。

 

 「……それよりカズくん。さっき自分が何言うたか分かっとー?」

 

 ? と一真は首を傾げる。

 さっきの自分が言った事。あの2人の男に言った事。ほとんど感情に任せて言い放った言葉たちを思い出し、反芻して、その意味を理解して───

 

 「………っあー、いや、そうじゃなくてな!? その、アレだ、ついその場の勢いっつーか、いや腹が立ってたのもあるけど決して本気じゃ、いや全部出任せって訳じゃねえけど……!」

 

 一真は面白いくらい狼狽え始めた。

 情報を整理できないままわたわたしている大男の図が面白くて、刀華はくすりと笑みを浮かべた。

 

 「あーあとそうだ、最初の! 確かに一瞬目移りしちまったけどな、俺は嘘は言ってねえし、お前が1番───」

 

 「いいよ。もう本当に怒ってないから」

 

 「……本当にか?」

 

 「本当だよ。……お腹空いちゃった。ご飯食べよう」

 

 そうして一真と刀華は並んで歩き出す。

 目立つ巨体を遠くから見付けたらしい。火に焼かれいい塩梅に煙を上げている食材を囲んでいた泡沫たちがこちらに向けて手を振ってきた。

 それに応えて手を振り返す一真の顔を、刀華は横からちらりと見上げる。

 

 ───1番イイ女に目ぇ着けたんだもんなァ。

 ───お前らに順番が回ってくるなんて有り得ねえんだわ。その先約がずーっと先まで買い占めてるから。

 ───俺は嘘は言ってねえし、お前が1番………

 

 「………ばか」

 

 ぽつりと呟いて帽子を深く被り直す。

 自分の中でこれがいつまで反響し続けるのか分かったものじゃない。

 だけどこれらの言葉は多分もう、彼の中では有耶無耶なまま終わったことになっているのだろう。

 彼は全て解決したと思っていて、自分だけがこんな思いをしているのが妙に悔しくて。

 

 「ア゛ーーーーーーーッッッ!?!?!?」

 

 刀華はもう1度、一真の尻を抓った。

 

 

     ◆

 

 

 「ほら焼けたぞー。どんどん食え」

 

 「あ、カズくんごめんなさい。うたくんは今日お肉禁止なんですよ」

 

 「トーカ!? あれ冗談じゃなかったの!?」

 

 「もちろん。だけどちゃんと理由はあるんですよ。なんでこんな事になったのか、しっかり考えて下さいね」

 

 「うわーん、そんなのないよ! トーカの鬼! 悪魔!! カズ!!」

 

 「オイ何で俺をそこに並べた」

 

 

 「……という訳でして」

 

 「はっはっは、我々がいない間にそのような事があったのか」

 

 「仲直り出来て良かったですわ。喧嘩するほど仲が良いとは言いますが、あの2人が喧嘩している所はあまり見たくはありませんもの」

 

 一真たち孤児院出身組がじゃれ合っている横で、一輝は管理者への聞き取りから戻ってきた砕城とカナタにここまでの出来事を報告していた。

 終わったから微笑ましいで済んでいるものの、あの時残された者たちの「これどうすんの」感といったらなかった。

 何とか調査前にグループのコンディションを立て直せてよかったと心から思う。

 

 (調査といえば………)

 

 一輝はぐるりと海岸全体を見回す。

 砂浜に突き刺さるいくつものパラソルや、大勢連れ立って楽しそうに遊ぶ人々。

 それにサーフボードや浮き輪で海と戯れる一般人らを見て、一輝は難しい声で呟いた。

 

 「……多いですね。人が」

 

 「これが『鮫が現れた』なら海岸の封鎖もしやすいし事実そうした実例もあるのですが、『ネッシーがいるかも』という荒唐無稽な理由で人払いをする訳にもいきませんからね。

 それに話題性という意味では充分ですし、むしろ人を呼び込んでしまっているようです」



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29話

 言われてみれば普通の海水浴客の他にも、携帯電話のカメラを海に向けている者も多い。

 散見される本格的な撮影用機材を抱えている人はテレビ局の人間か、もしかすると動画投稿者の類いだろうか?

 調査については海中が主なのでそう影響は無いかもしれないが、何か不測の事態に陥った時に彼らの存在がどう影響してくるかを考えると肩にかかる重圧が変わってくる。

 

 「とはいえ、聞き込みで集まる情報が増えるかもしれないと考えればそう悪い事ではありません。大抵は似たり寄ったりな話でしょうが、もしかすると有益なものも交ざっているかもしれませんわ」

 

 「母数が増えればその確率も上がるというものか。某は海中の調査では役に立てんが、ふむ、どうやら怠けてはいられんようだな」

 

 「当然だ、全員キリキリ働かなきゃ終わんねーぞ。おら食え、力つけろ」

 

 横からぬっと出てきた一真が、大きくカットされ香ばしく焼けた肉や野菜が刺さった金串をいくつも手渡してきた。

 ここにいるメンバーの中で1番の大食いといえば燃費の悪いステラなのだが、桁外れの体躯を持つ一真も大概だ。一輝たちの食欲も完全に自分基準で考えているようで、渡されたものをやっと食べ終わった直後にまた5本も手渡されたカナタが苦笑いを浮かべていた。

 

 「(……食べ切れぬなら某に渡すとよい)」

 

 「(ありがとうございます……)」

 

 「カズマ、今あるのが焼き上がったら焼く係交代するわよ。さっきからアンタ焼いてばっかでしょ」

 

 「お、サンキュー」

 

 そしてステラは向こうで片手に5本ずつ、10本の串を頬張っていた。用意の段階で半数以上から過剰ではないかと思われていた量の食材だったが、このペースなら全て捌けてしまうかもしれない。早く食べなければ胃袋が満たされない可能性すらある。

 ───だから、食べねばならないのだ。()()()()があっても、これからの為に。

 少し離れた所で所在無さげに佇んでいる彼女に、一輝は手を差し伸べるように呼び掛けた。

 

 

 「ほら、おいで。シズクも食べよう」

 

 「…………、」

 

 

 『黒鉄にも手伝いを頼もうか』────

 一真は一輝を下の名前で呼ぶため、こうして黒鉄と名字で呼んだ場合は必然的に彼女の事を指し示している。

 試合終了後しばらくして彼の口から出てきたその提案は、泡沫たちを大層驚かせたようだ。

 ……確かに適任なのだ。

 海中の調査で、扱う能力は『水』。さらにステラをも上回る魔力制御により、応用できる幅も広い。彼女にしてみれば海の中など地上よりも自由に、それこそ自分の庭のように見聞きして動くことが出来るだろう。

 本来なら一真を差し置いてでもスカウトせねばならない人物だ。

 彼らがそうしなかったのはより仲の深い一真への気遣いだったのだが、しかし彼自身がそう言ったのならば反対する理由はどこにもない。

 そして刀華は珠雫に声をかけ、珠雫は想定外の誘いに戸惑いつつも了承した。

 珠雫も別に疎外されている訳ではない。

 一輝とステラもいるし、向こうは頼んだ側だ。そして一真があの一件を水に流した以上、刀華や泡沫も何を言うこともない。

 

 だが、消えない。

 この気まずさと、敗北の悔しさだけは。

 

 「ホラ」

 

 「………」

 

 ずい、と一真の手から差し出された金串。

 食の細さも体躯通りの珠雫が、やはりまとめて差し出された香ばしい香りを纏う肉と野菜の束をおずおずと受け取ろうとして、しかしその直前でその手を止めた。

 

 「なんだ。いらねえのか」

 

 「……1つだけ、聞きたいことがあります」

 

 「うん?」

 

 「どうして、私を誘ったんですか?」

 

 「嫌だったのか」

 

 「いえ、そういう訳ではないんです」

 

 一真と目を合わせられないまま珠雫はかぶりを振る。

 

 「私の能力が最も適性があるからというのはわかっていますし、それにお兄様が七星剣武祭へ行く前の最終調整となる場の調査です。嫌であるはずも、協力を渋るはずもありません。

 ……ただ、その……」

 

 ───私がいて、貴方はよかったのか、と。

 濁した言葉の先がそんな問いかけに続いていることを一真は察した。

 そう思うのは確かに当たり前の事だろう。

 無論そんな思いのみならず、その裏にも様々な心情がくっついているだろう事も理解した上で。

 

 「思い上がってんじゃねえよ。俺がお前なんぞにまだ気を揉んでるとでも思ってんのか」

 

 彼は、ばっさりと言い放った。

 

 「人に恵まれた。努力と才能は実を結んだ。そして俺はここまで来た。

 一丁前に(かたき)役のつもりか? 大昔に蹴躓(けつまず)いた小石なんざもうどうでもいいんだよ」

 

 「……………」

 

 「……それに、お前についてはイッキに頼まれたしな」

 

 え、と珠雫は声を漏らす。

 一輝と一真、2人は親しい友なれどその間にはぼんやりと自分の影が漂っていただろう事を珠雫は理解している。

 しかし彼女は一真の憤激は身に受けていても、兄が自分について彼にどう言及していたのかを知らないのだ。

 目を丸くしている珠雫に、一真はやれやれと息を吐く。

 

 「『その人が努力してきた今を見てあげてくれ』、だとよ。あんな顔されちゃ流石に聞くしかねえわな。俺としても今後3年間(しこり)抱えたままなのもダルいし、それに……」

 

 とんとん、と一真は自分の額の生え際付近を指で叩く。

 

 「ここに残してるの見ちまったしな。消したいならいつでもキレイに消せただろ、それ」

 

 珠雫は思わず自分の額、一真が示した箇所と同じ所を指先で触れる。

 肉体の治癒も可能な能力に、iPS再生槽(カプセル)という再生医療の極致を生み出すまでに発展した医療技術。

 跡形もなく治せると言われたし、目立たない所とはいえ女の顔の傷。使用人だけでなく父親からも治すように何度も言われたが、戒めとしてそれでも残していたもの。

 戦いの最中に髪が捲れでもしたのだろうか。

 今となっては時の流れに形骸化していたのではないかと自分で疑っていたこれを見られた後ろめたさに、珠雫は目線を伏せた。

 

 「考えてみりゃアイツも辛い立場だったよな。いらねえ恩義に挟まれながら、何とかお前の肩も持とうとしてた。……もうお互い、アイツを安心させてやってもいい頃だろ」

 

 そして。

 

 

 「俺は変わったぞ。ならお前も変わったんだろ? アイツにああまで言わせたんだ。そうでなけりゃどうしようもねえぞ、お前」

 

 

  ───その言葉は終止符と同義。

 胸ぐらを掴んで引き寄せるような声の力に、珠雫は吊り上げられるように顔を上げた。

 気遣わしげな表情から一転、一真は珠雫に、挑むように突き付ける。

 しばしの沈黙。

 一真は黙りこんだ彼女に、肩を竦めて背中を向ける。

 

 「ま、それはそれとして食わねえなら別の奴に渡すぞ。体力付けなきゃなんねえ奴は他にも───」

 

 ぱしっ、と一真の手に軽い衝撃が走り、握っていた重さが消える。

 珠雫が遠ざかっていく金串たちを一真の手からまとめて引ったくったのだ。

 僅かに驚いた一真の目の前で、珠雫は奪い取った串焼きに思い切り食らい付く。

 肉を、野菜を歯で千切る。千切って飲み込む。噛む間も惜しいとばかりに小さな口に目一杯詰め込んでいく。

 まるで小さく非力な自分に、強くなれ、大きくなれと願いを込めるかのように。

 

 

 

 「……カズマ、ごめん。シズクを少し休ませてあげてもいいかな? 食べ過ぎて気持ち悪くなったみたいで……」

 

 「………あァ、うん……」

 

 

     ◆

 

 

 もはや光もまともに届かない。

 一寸先もよく見えない程に暗く、海中を反響する音のみが耳朶(じだ)に響く無に等しい世界の中で、一真はライトを片手に海底に立っていた。

 出力の高い大型の照明から放たれる光の道が、海中を斬るように動き回る。

 桁外れに大きい身体で激しい戦闘を行う為に鍛え抜いた心肺を活かし、一真は素潜りで海中を捜索していた。

 魔力の放出で水を押し退け、能力で()()()()()()()陸地と同じように動き回っている。

 お目当ての目標は巨大海棲生物、あるいはそれが棲息しているだろうと判断できる痕跡。

 しかしどうやらこの地点にそれらは見受けられないようだ。

 展開した《プリンケプス》の靴底をかちゃかちゃと鳴らしながら、一真は海底を蹴って水中を跳ぶように移動する。

 

 (……!)

 

 そこで貴徳原カナタとすれ違った。

 数億もの欠片に分解した《フランチェスカ》で形作った箱の中に入り、その箱を操作することで海中を自在に動き回っている。

 楽しそうな事してんな、と若干羨ましくなった一真に小さく手を振り、カナタはさらに向こうへと進んでいく。

 あれなら酸欠になる心配もないし、捜索の効率も一真よりずっと上だろう。

 少し考えて、一真は海底を爪先で叩いた。

 

 ────《天網恢恢(ナートゥラ・アエル)》。

 

 コーン、と澄んだ音が海中を反響する。爪先で叩いた場所を起点として、微弱な《踏破》の魔力が周囲一帯を舐めるように広がっていく。

 応用の利かない自らの能力に可能な限りの幅を持たせる為に魔力制御能力を鍛えてきた成果とも言える探索用の伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

 己の意を通した微弱な《踏破》の魔力を周囲に広げ、地形や障害物、あるいは生物など、広がる過程でその魔力が()()()()()を一真自身にフィードバックさせるという、やや反響定位(エコーロケーション)にも似た技。

 岩、岩、魚、岩、魚魚魚、今しがたすれ違ったカナタ、そして魔力────様々な情報が一真に流れ込んでくるが、お目当ての情報はどこにもなかった。

 ここいらはハズレらしい。

 場所を変えようとした一真の耳に、急に少女の声が届いた。

 

 『あの、可能ならば今の技はやめてもらえませんか。私が知覚するための魔力まで掻き消されてしまうので』

 

 (あー……すまん。そうする)

 

 軽く手を上げ頭を下げて了承する。自分は声を伝える手段がないので会話は一方通行だが、動きは伝わっているだろう。

 今の声は黒鉄珠雫だ。

 どうやら一真と同じように魔力を広げて捜索を進めているらしい。しかし一真の側が魔力の性質ゆえに彼女の捜索を邪魔してしまったようだ。

 一真の《天網恢恢(ナートゥラ・アエル)》も広範囲の索敵が可能だが、しかし彼女は一真を捕捉していたのに対して、一真は珠雫を捕捉できていなかった。つまり珠雫の方が圧倒的に広範囲を知覚しているのだ。

 しかも海水を繊細に操り、水の中を伝わる自分の言葉を正確に一真の元に届けるという芸当すら可能らしい。

 こうなると一真が下手に何かをするより、魔力による索敵ではわからない正確な視覚的情報を集めた方がずっと効率がいいだろう。

 海中の捜索が可能な一真とカナタ、2人が協力して集める情報量を、珠雫1人で超えている。

 

 (これマジで声かけて正解だったな………。過去は乗り越えとくもんだ)

 

 しみじみと実感する一真だがそろそろ酸素の限界が近い。鍛練の結果10分越えという超人的な無呼吸の記録を持つ彼だが、身体を動かしていれば限界は早まる。

 海底を蹴って一気に上昇し海面から顔を出す。

 

 「ぶはっ………!」

 

 光。色。風、喧騒。

 急激に生気を取り戻した世界で、一真は肺を酸素で満たす。

 荒くなった呼吸を落ち着かせつつ、さてこれからどうするかと思案する。

 SNSなどで撮影された映像から割り出した範囲はあらかた調べたし、多分珠雫はもうそれ以上の範囲を捜査している。

 そして、釣果はボウズ。

 そろそろ聞き込みに当たっているメンバーと合流して結果を報告し合ってもいい頃だが、正直向こうも成果については望み薄な気もする。

 

 (まだ調査を進めるとしたらもっとずっと外洋の方になりそうだな……。ここまで来るとカナタはともかく俺が役立たずになるし、そうなると黒鉄の負担がなァ……。ボートとかも借りなきゃだろうし……)

 

 うーん、と思案する一真だがその時、ずっと向こうに何やら慌てている救命胴衣の男がいた。

 どこかと通信機で連絡を取り合っているようで、何があったのかと一真はしばらくその様子を眺めていた。

 すると同じ格好の人間が数人集まり、救命ボートに乗り込んで(こちら)へと漕ぎ出してきた。その手にはメガホンが握られている。

 

 『大丈夫です、今から向かいます! 暴れずにそのまま、落ち着いて浮かんでいて下さい!!』

 

 そこで一真はようやく理解した。

 彼らの目的は自分だ。

 流されて溺れていると勘違いされている!!

 

 「あーーーすいませーーーん!! 溺れてないです大丈夫でーーーーーす!!!」

 

 『!?』

 

 慌てて《プリンケプス》で足元の水を蹴って走る。頭だけ海上に出して高速でこちらへ向かってくる男の姿に、救命隊員一同が仰天していた。

 

 

     ◆

 

 

 「そうか。やっぱまともな情報は無し、か」

 

 「ごめんねー。あっちこっち聞いて回ったんだけど」

 「や、しょうがねえよ。スカだったのはこっちも同じだ」

 

 やはり成果は(かんば)しくなかったらしい。合流しての情報交換はお互いに似たり寄ったりの内容で、にじり寄ってくる徒労感に全員が嘆息していた。

 

 「やっぱり話題になってるから見に来た人たちばっかりね。テレビ局らしい団体にも思い切って声をかけてみたけど、逆にカメラ向けられたから逃げちゃったわ。そうでなくても仕事中なんだから、答えてはくれなかっただろうけど」

 

 「皇女様の肩書きで有名なステラちゃんはともかく、トーカは話しかけたそこからちょいちょいナンパされてたよね……あーカズ、顔怖い顔怖い。お前トーカの何なのさ」

 

 「ふむ。そういえば黒鉄の妹殿は何処に?」

 

 「もう少し調べてから来るとよ。俺らは先に報告しに来たんだが、多分異常ナシって返ってくるんじゃねえかな」

 

 珠雫はさらに遠くまで移動しているようだ。

 しかし調査としては手詰まりの段階。

 一真は腕組みをして、難しい顔で空を仰ぐ。

 

 「こうなるとやっぱイタズラの類いだと思うんだけどなァ。考えてみりゃあ、広い海にしては似たような場所で見つかりすぎな気もするし」

 

 「例え本物だとしても、シズクが未だに見つけられない時点でもうここにはいないようなものだからね……」

 

 「う~~~……ネッシー……」

 

 ステラはひどく残念そうにしているが、本来なら『異常ナシ』として喜ぶべき状況だ。

 しかし異常が無いなら異常が無いで『異常ナシ』という数々の映像に対する根拠を求められそうなのが難しいところだが、学園で随一の水使いがそう言えば相応の信頼に足るだろう。

 

 「んじゃ、クロガネ君の妹ちゃんからの報告待ちかな? それで問題ないならもう遊んでいいよね? ね、いいよね会長!」

 

 「問題ないなら、ですよ? まだ決まった訳じゃありませんからね」

 

 「わかってるって!」

 

 と言いながら既に期待に目を輝かせている兎丸。そんな彼女の思いに応えたのだろうか、一輝の携帯電話に珠雫からの着信が入ったのはその直後だった。

 

 「シズク。どうだった───」

 

 

 『全員、今すぐ戦闘準備をして下さい!!』

 

 

 スピーカーから聞こえてきたのは、黒鉄珠雫の焦燥の叫びだった。

 

 『海中に突然大小無数の反応が現れました!! 明らかに何らかの意思を持っています、その全てが一斉に浜辺を目指しているんです!! 急いで市民の避難と戦闘の用意を!!』

 

 「シズク、どういう事!? 本当にネッシーがいたのかい!?」

 

 『こいつらは生物なんかじゃありません!! ()()()()()()()()()()()()()()()!! 道理で探しても見つからず感じ取れもしない訳です、これの正体は──────!!!』

 

 

 大量の水が砕ける音がその後の声を掻き消した。

 弾かれるように海を見ると、そこには無数の何かが海面を割って出現していた。

 海面から覗いているだけで3メートル、4メートル、中には10メートルもありそうなものまで存在している。

 ───蛇だろうか。

 一輝たちの第一印象はそれだったが、詳しい者がその群れを見たらこう叫んだかもしれない。

 

 ───首長竜(きょうりゅう)だ、と。

 

 水を掻き分け、それらは泳ぐ。

 目標は陸地。目的は不明。

 唖然とする人々に向けて、古代の支配者が進軍を始めた。



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30話

 「「「 きゃあああぁぁああ!!?? 」」」

 

 「「「 うわぁぁぁあああっっ!!?? 」」」

 

 一瞬にしてビーチが狂乱と悲鳴に包まれる。

 群れを成して迫り来る巨影に恐慌状態に陥った海水浴客たちが海に背を向け、秩序も何も無く一斉に逃げ出した。

 我先にと人々は内陸へと殺到し、女や体格の小さな者が人や砂に足を取られて転ぶ。

 状況は理解できないが、最早猶予はなかった。

 

 「やっべえ、アイツら陸に上げんな!!」

 

 「水上で戦えない人は逃げ遅れた人の手助けをお願いします!」

 

 「「「 了解!! 」」」

 

 刀華が素早く指示を飛ばし、一真は真っ先に走り出した。《プリンケプス》を呼び出して砂浜を蹴り、砂塵を爆発させ空を跳んで一気に首長竜(くびながりゅう)へと飛びかかる。

 世界的発見とか学術的価値とかそんな言葉が脳裏を掠めたが人命には代えられない、手近な1体の長い首を蹴り砕く───その直前で気が付いた。

 

 『こいつらは生物なんかじゃありません!! 海底から持ち上がってきたんです!!』

 

 (こいつ───()()()()()()()()()()()()()

 

 驚愕すれど行動に迷いはない。空中を蹴ってさらに加速、軌道上にいた首長竜をまとめて貫くように粉砕し、水飛沫を上げて海面に()()。ある予感と共に成果の確認のため振り返ると、そこには予想通りの光景があった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 海中から崩れ落ちたはずの岩が浮き上がり、磁力のように引き合って再び恐竜の形を取り戻す。

 そして一真は感じ取った。

 重なりあった岩石から漏れ出す、()()()()()()()()()()()()()

 

 「『鋼線使い』だ! 操ってる本体が別にいる! デク人形倒してもキリねえぞこれ!!」

 

 「どうやら、そのようですっっ!!」

 

 一真の伝達に海辺にいる刀華が鋭く息を吐きながら応える。

 言葉と共に釣瓶打(つるべう)ちに放たれた《雷鷗》が岩の竜たちに命中。その駆体を破壊するが、やはり砕かれた身体は糸に繋ぎ合わされて復活していく。

 物理的な破壊はほぼ不可能と思われたその時、強い気迫を孕んだ声が海上に張り上げられた。

 

 「《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》────!!!」

 

 「《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》!!」

 

 ゴオッッッ!!! と熱風が海面を舐め上げる。

 煌めく光の群れが殺到する。

 岩石で出来た竜どもをステラの《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》から放たれた荒れ狂う炎の竜が紛い物と断ずるかのように食い荒らして蒸発させ、そして数億もの欠片に分解されたカナタの《フランチェスカ》が砂粒になるまで切り刻んだ。

 そうか、と一真は彼女らの意図を知る。

 どんなに再生可能であっても破片そのものが消えてしまえば修復は不可能。確実に相手の手駒を消すことが出来る!

 

 「こうすれば問題ありませんわね」

 

 「よしっ! まだまだ行くわよ────!!」

 

 己の能力が極めて有効と判明し、意気込んだステラとカナタは海上へと進撃を始めた。

 炎の熱で海面と足の裏の間に小規模な水蒸気爆発を連続して発生させ、その上に乗ることで海面を走る。カナタは剣の欠片で足場を作りそれに乗って空を移動。

 己の有効射程圏内に岩の首長竜を一気に収め、それらを猛烈な勢いで消し飛ばしていった。

 

 (凄えな。あの勢いなら本体まで炙り出せるかもしれねえ)

 

 敵の目的は不明だが、あのペースで手駒を消されたら多少なり焦りが生まれるはずだ。それにここは浜辺、遮蔽物が少なく潜伏できる範囲は限られる。ここまで任せられるのであれば術者の捜索まで視野に入ってくる。

 やや過剰に魔力を込めた一撃で魔力の糸そのものを潰す試みを実行していた一真のそんな希望的観測は、残念ながら甘かったと言わざるを得なかった。

 陸地の方から新たな悲鳴が上がり、弾かれるようにそちらを振り向く。

 ───岩で出来た大きなワニが、ぞろぞろと浜辺から上陸していた。

 

 

 「第一秘剣────《犀撃(さいげき)》!!」

 

 「《クレッシェンドアックス》ッッ!!」

 

 剣先に全ての力を集約して放つ突進からの突き技がワニの身体を穿って分断し、重量を累積加算された重撃が別の個体を粉々に砕く。

 適当に振るって当てさえすれば壊せる砕城はまだしも、パワーで劣る故に『溜め』を要する技を使わねばならない一輝の効率は(すこぶ)る悪い。そもそも破壊しても再生される以上、この状況に対して2人は絶望的に相性が悪かった。

 

 (まずいな、こういう状況だと僕は本当に役に立てない)

 

 《一刀修羅》を使えば別だが余りにもピーキー過ぎる。突破口が見えるまで(いたち)ごっこの局面で切るにしては、1分という制限時間は余りにも短すぎた。

 しかしこの海岸線を埋めるように押し寄せる大顎の大群にどう対処すればいいのか……焦燥に炙られる一輝と砕城の横を、超音速が駆け抜けた。

 

 「《ブラックバード》─────!!!」

 

 その速度、実にマッハ2超。ものの数秒で砂浜を端から端までぶった切った兎丸恋々がワニ達を両腕の《マッハグリード》で破壊し、衝撃波で吹き飛ばす。海岸線を瞬く間に掃除してしまった彼女に、彼らは思わず場違いな爽快感を感じてしまった。

 

 「……そうだ、こちらには兎丸がいるのであったな」

 

 「元々強力な能力ですが、状況に嵌まると凄まじい破壊力ですね……」

 

 「よーっし、チャージターイム!」

 

 由比ヶ浜を横断した兎丸が再び速度の累積にかかる。敵にぶつかり続けた上に進路を反転させればそれ相応にスピードは落ちる。減衰した速度を再び超音速に持っていく為に、兎丸はその場でぐるぐると走り回る。

 ───そのすぐ側の海辺から、冗談みたいなサイズの大顎を持った古代魚がダイブしてきた。

 直撃は避けた。しかし衝撃で転ばされ、のたくるように襲いかかる大顎を前に兎丸の表情が凍りつく。

 地に足が付いていなければ彼女の力は無力。このまま噛み砕かれるのを待つ他ない。

 

 それを止めたのは空を裂く稲妻と紫白の流星だった。

 刀華の《雷鷗》と一真の蹴りが同時に突き刺さり大顎は爆散、一真は兎丸を腕に抱えて降り注ぐ残骸を弾き飛ばす。

 

 「危ねえ被った! 無事か!?」

 

 「う、うんありがと! びっくりした……!」

 

 よかった、と安堵を漏らして海を睨む。

 ───ステラとカナタの足元を抜けてきた。

 彼女らの攻撃は確かに有効だが、海上に身体を出さず潜水されては気付いたとしても手の出しようがない。

 相手は間違いなくどこかから自分達を捕捉している。明らかに攻め方を対応させてきた。

 となると────

 

 舌打ちをして一真は海中に突っ込んだ。

 魔力で水を押し退け海底を踏み、そこに見えたのは案の定の光景。

 ────無数の巨影が、海中を進軍していた。

 思考する猶予はなかった。

 練り上げた魔力を《プリンケプス》に注ぎ、荒れ狂う力に周囲の水が鳴動する。

 彼が取った行動は、全力の突進と突破だった。

 

 「《侵略の軍靴(ミレス・バルバリア)》!!!」

 

 海が爆発した。

 砕かれた岩の混じった巨大な水柱が立て続けにと海面から突き上がっていく。

 巻き上げられた水が壁のように立ち上り、その中から紫白の影が飛び出した。

 並み居る海中の軍勢を、海中から力で強引に蹴散らした一真だった。

 

 「カズくん、やっぱり海中にもいた!?」

 

 「ああいたよウンザリする位にな! あいつらは俺が相手するしかなさそうだ!!」

 

 見てみればステラとカナタも対処せねばならない敵が減っている様子がない。

 海底の岩を材料に新たな敵が生み出され続けているのだ。

 少なくないバリエーションの兵隊をこのハイペースで量産し続ける使い手……脳内で思い描いていた敵の影がみるみる内に大きくなっていく。

 ───実はもう、対処法そのものはわかっているのだ。

 『鋼線使い』が同時に複数の人形を操る場合、他の人形を操るための中継地点(ハブ)となる人形を設け、それを介して操るのが鉄則(セオリー)

 索敵を避けるためには、自分に繋がる糸は限りなく少ない方が良いからだ。

 つまりそれさえ壊してしまえば、『鋼線使い』はもう人形を操れなくなる。

 

 だが、そのハブが一向に見付からない。

 

 (《天網恢恢(ナートゥラ・アエル)》にも引っ掛かんねえぞ! クソが、どんだけ遠くに隠してやがる────!!)

 

 恐らく海中のどこかに配置されているのだろう。

 当てもなく探すには範囲が広すぎるし、そもそも探しに行く暇がない。今ですら大群の処理で手一杯なのに、ここで1人でも抜けてしまえば遠からず突破されるだろう。

 ────八方手詰まり。

 そんな言葉が脳裏を掠めたその時、彼女の声は唐突に響いた。

 

 

 「《凍土平原》───!!!」

 

 

 一瞬で。

 見渡す限りの岩の竜が、海原ごと凍結した。

 海面から首を出していた敵は身動き1つ取れず氷の彫像と化しており、海中にいたものは言わずもがな分厚い氷の棺桶の中だ。

 瞬きの間に静止した世界。呆気に取られた全員の注意を、続く珠雫の叫びが引き戻した。

 

 「敵の無力化は完了です! 申し訳ありません、ここまで凍らせる下準備に手間取りました……!」

 

 「ッ黒鉄さん! 海のどこかに兵隊ではない、別の役割を持った傀儡(かいらい)がいるはずです! それを探す事は可能ですか!?」

 

 「数キロ先の沖合に一回りサイズの大きい反応が1つあります! 凍らせた範囲には入っていませんが、今は動きを止めているようです!」

 

 「当たりだ、自分と繋がってる人形どもを凍り漬けにされて身動き取れなくなってやがる!!────行くぞ!!」

 

 声を掛け合うまでもなく一真と刀華は動き出した。

 海面に目印を付けておきます!という珠雫の声を背後に聞きながら2人は氷原を疾駆する。そして氷の大地が途切れた時、水上を移動する手段を持たない刀華は一真の背中に乗った。

 刀華を背中に乗せたまま海面を踏み飛ぶような速度で数キロという距離を一息に駆けた一真は、視線の先に珠雫の『目印』を見た。

 白い泡を渦巻かせる、サイズの小さい不自然な渦潮だ。

 

 「()()()()()。その後は頼んだ」

 

 「うん。任せて」

 

 言うが早いか刀華は一真の背を思い切り蹴って高く飛び上がり、逆に一真は海中に潜った。

 海中を垂直に走り急速潜航する彼の目に、そしてそれは写り込んだ。

 巨大な蟹だった。

 やはり自分と直接繋がっている傀儡を固められて動けなくなっているらしい、岩石で造られた身体が窮屈そうにもがいている。

 一真はその大きく平たい身体の下に潜り込み、脚に魔力を充填する。

 狙いは岩の蟹ではない。

 ()()()()()()()()()()()

 標的を確実に刀華の元に届けるために、一真は《踏破》を込めた蹴り足を振り上げた。

 

 「───────ッ!!!」

 

 ドッッボンッッッ!!!と、機雷がまとめて爆発したような轟音が海上に轟く。

 真下の水を蹴りによる莫大なエネルギーで爆発させられた岩蟹が、巨大な水柱と共に海上へと打ち上げられた。

 そしてその上には刀華がいる。

 打ち上げられる岩蟹へと落下していく彼女は、納刀した《鳴神》の鯉口を切った。

 そして放たれるは伝家の宝刀。

 陽の光に照らされた刃が刹那煌めき───電光と共に、全ては決した。

 

 

 「──────《雷切》!!!」

 

 

 両断、では終わらない。

 閃光の速度で放たれたプラズマの刃が大気を爆砕し、既に叩き斬られた岩蟹をさらに粉砕。入道雲まで吹き飛ばすかという爆風は打ち上がった水柱すら砕いて海面を大きく波立たせる。

 そのまま自由落下する刀華は海から飛び出した一真が受け止めた。

 再び岩の恐竜が作られる気配はない。

 姿見えぬ敵は、ハブを破壊されたことで手を引いたようだ。

 

 「……終わった、か………」

 

 「戻ろう。皆に伝えないとね」

 

 砕けて舞い上がった海水の雨を浴びる2人。

 一気に脱力しそうになる心を立て直し、刀華を抱えたまま一真は海上を跳ぶように移動する。

 

 「()()()()()()()?」

 

 「それなりに手傷は負わせたと思う。でも捕まえに行くには遠すぎるかな。少なく見積もっても、ここから術者まで100キロは離れてた」

 

 「マジかよ………」

 

 もはや県内にいるかも疑わしい数字に呻く一真。以前の特例召集の際に刀華がチームを組んだらしいBランクの『鋼線使い』でも、人形を自在に操れる距離は500メートルかそこらだと聞いた。

 だというのに、この襲撃の規模だ。

 嫌な予感はしていたが、やはり自分たちに絡んできた何者かは普通とは言い難い存在らしい。

 

 「……直接対決にならずに救われたのは、俺らの方かもしれねえな」

 

 「そうだね……私達で深追いはしない方が賢明かもしれない」

 

 それが1番の判断だとは分かっている。しかし一真の腹の底には沸々とマグマが煮えていた。

 不条理な加害。理不尽な襲撃。この手の輩を打ち倒すために自分は強さを求めてきた。

 しかし結果はこの体たらく……ベルモンドの件といい、自分の非力さにつくづく腹が立つ。

 そんな激情が刀華を抱える手に現れてしまったのだろう。軋む力で肩を握られた彼女は、しかし冷静に一真を嗜める。

 

 「何でも自分1人が強ければいいって話じゃないよ。力を合わせて敵を退け、一般人を守り抜いた。それで私達の勝ち。……倒す事に拘り過ぎるのは、カズくんの悪い癖だと思う」

 

 「………、そうだな。悪かった」

 

 刀華に叱られ、一真はようやく力みが解けた。

 

 「理事長に報告して、後の判断は任せよう。必要なら何か手を打ってくれるはずだから」

 

 「ああ。……けどその前に、解決すべき問題があるみてえだ」

 

 「?」

 

 最後に大きく海面を跳んで、一真は珠雫が生み出した氷原に着地する。

 抱えられる必要の無くなった刀華が一真の腕の中から降りようとした時、彼女は一真が言わんとしていた事に気付く。

 

 「ここまで意識してなかった俺も悪いが……、この視線にどう言い訳するかだ」

 

 ばつの悪そうな一真の腕の中で刀華の耳が赤く染まる。

 敵を退けた安堵や後処理の話をしていて、今の自分達の状態を全く考えていなかったのだ。

 帰還した2人に駆け寄ってきたステラ達。

 俗に言うお姫様抱っこをされている刀華を、全員があらあらまあと眺めていた。



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31話

 Q,いくら何でも話が進まなすぎでは?

 A,赦せ。



 「フフフ。ちょっと新しいハブの試運転をかねてちょっかいをかけるだけのつもりだったのですが、とんでもないしっぺ返しを喰らってしまいましたよ。流石は音に聞こえた《雷切》ですねぇ、木偶では話にもなりませんか」

 

 日本の某所。

 まだ昼だというのに闇が吹き溜まったように暗い室内で、左腕を焼き焦がされた長身の男が歌うように刀華を賞賛する。

 

 「《前夜祭》前にいらん事をするからだ、愚か者が」

 

 「返す言葉も無いですねぇ、フフフ………あぁ、そういえば。現場には君がご執心な《紅蓮の皇女》もいましたが、何やらもう1人、それと同等かそれ以上の人物がいたようですねぇ」

 

 「………、ほう」

 

 焼け落ちた左腕を己の糸で切り落とす長身の男の声色に苦鳴は無く、むしろ喜びすら感じさせる。その背後に立つ影は軽薄にお道化(どけ)る彼を蔑むような眼差しで見下ろしていたが、その報告には明確な興味を示したようだ。

 

 「おや。君は彼女に会うために()()に来たと聞いていますが、目移りでもしましたか? いけませんね浮気性は。人を振り向かせるにはまず誠実でないと」

 

 「戯れ言をほざくな」

 

 「《道化師(ピエロ)》ですから」

 

 相性の悪さを感じたか、闇によく通る声で吐き捨てて影の男はその場を去る。しかし長身の男も感じるものは同じだったようで、そのからかいがいの無さに溜め息を漏らし、言った。

 

 「ほんと可愛くないですねぇ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

     ◆

 

 

 正体不明の伐刀者(ブレイザー)の襲撃により、安全確認のため海水浴場は一旦閉鎖。楽しかるべき浜辺は一時騒然となった。

 襲撃の規模からすれば怪我人がいないのは奇跡に近い。事件解決の大きな鍵はステラやカナタ、一真など広範囲を殲滅できるメンバーと、何より珠雫の驚異的な探索範囲だろう。

 問題となったのは敵が再び襲ってくるか否かだったが、遠く離れた『鋼線使い』に糸伝いに電撃を叩き込んだ刀華は「それなりの手傷は与えたはずなのでここにはもう近付かないでしょう」と推測しており、事実この時間に至っても敵の再来はない。

 とはいえ油断はしていられない。

 安全が確認されたとして海水浴場は閉鎖を解いた。生徒会プラスその他の一行は新宮寺黒乃より、一応現地で一泊して警戒に当たれと指示を受けた。

 しかし仮に敵が再度の襲撃を画策していたとしても、刀華から受けたダメージの治癒にはiPS再生槽(カプセル)を使っても最低1日を要する。

 

 つまり黒乃の言葉は実質、『帰る前に遊んでいいよ』のお達しに近い。

 故に夜の浜辺では、いつの間にか集まっていた大量のギャラリーに囲まれてビーチバレーの勝負が開かれていた。

 

 「うりゃあっっっ!!!」

 

 一輝からのトスを受け、ステラの剛力無双のスパイクが相手コートに襲いかかる。

 《閃理眼(リバースサイト)》で動きを読んでいた刀華がレシーブに入るが、持てる技術の全てを以てしても力を殺しきる事は出来なかった。何とかボールは上に上げたが、放物線を描いたボールはそのまま相手コートに返ってしまう。

 

 「ステラ、もう1回いこう!」

 

 「任せなさいっ!」

 

 一輝の呼び掛けに答え、ステラは帰って来たボールをネット際の空中に上げる。

 それを一輝が繋いで、再びステラの大砲に繋ぐ流れだろう。あの破壊力に対抗・殺しきるべく刀華と一真は集中を高め、全身を臨戦態勢に持っていく。

 そしてネット際に落下してきたボールに向けて一輝が跳び、助走をつけて跳び上がったステラへとトスを運ぶ───

 

 ───運ぶフリしてそのまま、チョン、と触るようにボールを相手コートに押し込む。

 散々ステラを警戒させておいての、この上ない奇襲(ツーアタック)だった。

 

 「っこのヤロ……!!」

 

 強打を警戒し自然とコートの後ろに寄っていた所に前側へと落とされたボール。決まるかと思われたがしかし、一真が身体の長さを活かして強引に拾った。

 再び高度を得たボールの下に、素早く刀華が回り込む。

 

 「カズくん、お願い!」

 

 そしてトスは上げられた。

 与えられた攻撃の権利を、迎えに行くように一真は全力で跳ぶ。

 ────身長およそ2メートル30センチ強。

 ブロックという概念を鼻で笑うような、超高々度から放たれる隕石のようなスパイクが一輝たちのコートに狙いを定めた。

 

 (ここ─────)

 

 だが、その目標地点には既に一輝が先回っていた。

 《完全掌握(パーフェクトビジョン)》。1年間延々と一真と戦い続けていた一輝にとって、一真の狙いを先読みするなど朝飯前だ。

 それに彼の卓越した技量なら、ステラに劣らず強烈なエネルギーも余さず殺して柔らかなレシーブを実現してみせるだろう。

 ───しかし、何事にも計算外の要素はある。

 一真は身体が桁外れに大きい。

 手も大きければ指も長い。

 指が長いという事は、より長くボールに触っていられるという事。

 一輝に狙いを読まれたのを知った一真は、ボールが手から離れる寸前───指を、僅かに曲げた。

 

 着弾。

 指を引っ掛けられ寸前で軌道を変えたボールが、一輝とステラの注意の隙を縫ってコート内の砂浜へと突き刺さった。

 

 「っしゃァァあああ!!!」

 

 「やられた………っ!」

 

 ガッツポーズで吼える一真と、してやられてなお笑う一輝。刀華とステラもお互いに眼光の火花を散らしていた。ギャラリーの熱気も最高潮、勝負はいよいよクライマックスへと向かおうとしている────

 

 

 「……普通さ。友達とやるビーチバレーってもっとこう、ぽーんぽーん、って感じの和やかなやつじゃない? 何であいつら夜の浜辺でハ◯キューやってんの」

 

 「勝負事で手を抜ける人たちではありませんから」

 

 「そうだけども」

 

 得点を管理している泡沫の呆れたようなぼやきにカナタがくすりと笑う。

 

 「ほらー、案の定カメラ向けられてんじゃん。カズも目立ってっけどステラちゃん有名人だし、よくわかんないけど皇女様の水着姿一般人に激写されるのってあんま良くないんじゃない?」

 

 「まあそれでマイナスなイメージは付かないでしょう。むしろ現地の友人と日本を楽しんでいると思ってもらえると思いますわ」

 

 「それならいいけど………、あ」

 

 「だーーー!! 負けたァァああああ!!!」

 

 歓声と共に一真の咆哮が上がる。

 決着の一撃はやはり一輝とステラの連携だった。

 一輝がスパイクによるツーアタックを狙っているのを受けてブロックに入った刀華だが、一輝は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。コートの後ろにいたステラが大きくジャンプし、そのボールを全力でスパイクしたのだ。

 一輝のフェイントからのステラのバックアタックはタイミングをずらされた刀華のブロックをすり抜け、レシーブに入った一真に激突。圧倒的なパワーで『壁』にぶつかったボールは遥か彼方へと弾かれ、コート外に落下。

 そしてそれがマッチポイントの先取となり、勝利は一輝とステラのチームに(もたら)されたのだった。

 

 「ふう……負けちゃいましたね。いい勝負でした、楽しかったです」

 

 「こっちこそ燃えたわ! またやりましょう、本当に楽しかった!!」

 

 「あーーーマジで悔しい。相方との連携じゃ負けたくなかったなァーーー!!」

 

 「はは、本気で熱くなっちゃったな。例えゲームでも君に勝つのは嬉しいものだね」

 

 互いに握手を交わす一真たちを止まない歓声が取り囲む。自分も身体が強ければ、あるいはあのゲームに参加出来たのだろうか───ふと浮かんだそんな思いを他所に捨て、泡沫はにやりと笑って彼らの輪へと歩みを進める。

 

 「おいカズ、約束覚えてるよね!? お前負けたんだからあの店の高そうなドリンクとフード奢ってよね!!」

 

 「うるせえ覚えてるわ! テメェ何の躊躇いもなく俺の負けに賭けやがってよくそんな笑顔でいられるなアァン!?」

 

 「あ、王峰くんそれアタシも食べたーい」

 

 「ふむ。(それがし)も王峰殿の敗北に賭けていたような気がするな」

 

 「…………っっっ!?!?」

 

 よもや砕城まで乗ってくるとは思っていなかったらしい。

 予想外のユーモアを発揮した生徒会書記に絶句する一真に、カナタやステラまでそれなら自分もと砂糖を見つけた蟻のように一真に(たか)り始める。

 約1名ピンチに陥ってはいるが海辺の時間は賑やかに、かつ平和に流れていく。

 結論から先に言ってしまうがこの夜、やはり敵の再来は無かった。

 

 

 

 「ふう……」

 

 少しだけクールダウンしたくなった。

 やはり周囲から本格的に注視され始めたステラは人混みを抜け、一真に奢ってもらったドリンクを飲みながら砂浜の夜風の中を歩いていた。

 すると、少し向こうにくすんだ銀色の癖毛の、ともすれば幼稚園児にすら見える知り合いの姿を見付けた。

 同じく一真に奢らせた品を頬張っている、御祓泡沫だった。

 

 「お、ステラちゃん。どしたの、休憩?」

 

 「ええ。アンタも?」

 

 「まあね。昼も昼でメチャクチャ動いたし。ボクの《絶対的不確定(ブラックボックス)》もそんな便利な代物じゃないからさ。一般人の避難は何とか出来たけど、ボクみたいなか弱くて可愛らしい男の子はもうヘトヘト」

 

 泡沫の能力は、簡単に言えば『己の力による可能性が及ぶ範囲なら1%の確率を100%まで引き上げる』というもの。

 混乱に呑まれ無秩序に逃げ惑っていた群衆が怪我1つ無く無事に逃げおおせたのは、彼があちこちを奔走していたお蔭だ。

 だが、元より虚弱な彼の身体にはそれがどれだけ困難なものだったことか。そろそろ身体がガス欠しそうなのかもしれない。

 改めて見ると本当に小さいな、と横目で泡沫を見るステラだが、その視界の端に妙な影を見た。

 夜の闇に紛れ、2人分の人影が至近距離で向き合っていた。

 するとその影はさらにお互いの距離を縮め、そして重なり合い────

 

 「きゃっ………」

 

 「あーあー、熱い熱い☆」

 

 知らずに紛れ込んでしまったが、どうも明かりの無さにつられてカップルたちがあちこちでイチャついているようだ。思わず頬を覆うステラの隣で泡沫がその光景を茶化している。

 ここはまずい。

 こんな所に他の男といるのをもし一輝に見られでもしたら非常にまずい。

 足早にその場を去ろうとしたステラを、しかし泡沫が止めた。

 

 「あ、ホラ見て見て。あそこに知った顔がいるぜ」

 

 そう言われてそちらを見てみれば、なるほど凄まじく背の高い人間がいる。王峰一真だ。

 あの後全員に奢る流れになってしまった彼は、驚異的なダイエットに成功した自分の財布の中身を見て肩を揺らして笑っていた。

 するとそんな彼の背後から刀華が現れた。その手には先程一真が奢って回ったものと同じ品が握られている。

 彼女の存在に気付いた一真は後ろを振り返り、刀華は彼に手に持っていたドリンク類を渡す。

 一瞬きょとんとした一真はそれを受け取って笑い、刀華もそんな彼を見て笑っていて────

 

 はっ、とステラは我に帰った。

 意識と目を奪われていたのだ。

 見つめる先にあった光景の、穏やかな美しさに。

 

 「お似合いだろ」

 

 もぐもぐといい値段のするフードを頬張りながら泡沫は言う。

 

 「ステラちゃんはさ。ボクらが同郷だっていうのは知ってたっけ?」

 

 「……ええ。同じ孤児院の出身だって聞いたわ」

 

 「なら話は早いか。……まぁ孤児院ってのは身寄りのない子供たちが暮らす場所なんだけど、身寄りの無くし方にも色々あってさ。

 親に捨てられた奴、親を病気で亡くした子、それに実の親に殺されかけた奴……いろんな奴がいたんだよ。

 中でも親に捨てられた奴と親に殺されかけた奴は一等荒れてて、しょっちゅう洒落にならない喧嘩してたんだよ。それをいつも止めようとしてくれてたのが母さん……院長先生と、ボクらと歳の変わらない刀華だったんだ」

 

 普段の軽い調子ではない静かな声に、ステラは思わず聞き入った。

 いま彼が語っているものはいかなる心境か、彼の奥底にあるものに他ならなかったから。

 

 「昔から世話焼きな(たち)でさ。自分も同じ境遇なのに皆を笑顔にしようとしてて、小さい子に本を読んであげたり、料理を作ってあげたり……。

 捨てられた奴と殺されかけた奴も本当にどうしようもない位に()()()()、何度も刀華を傷付けたけど、刀華は最後までそいつらを見捨てなかった。

 『とても短い間だったけど、私は両親にたくさんの笑顔と愛をもらった。私は今もそれに支えられている。だから自分も両親がしてくれたように皆を笑顔にして、支えになるような思い出を作ってあげたい』ってね。

 だからその2人は今でも刀華に感謝してて、そしてずっと刀華が大好きなんだよ。

 ……片方だけ、どんどん強くなっちゃったけどさ」

 

 最後の一言でその2人が誰を指しているのかを理解したステラは思わず息が詰まった。

 ならば自分が美しいと感じたあの光景を、泡沫はどんな思いで見ているのだろうか。

 

 「身体もやたらデカくなって、兄ちゃん兄ちゃんって皆に頼られ始めて。

 それで尊敬してんのが刀華なもんだから、メチャクチャ面倒見よくなってくだろ。

 イッキくんの件も……そりゃ褒められたことじゃなかったけど、正直、カッコいいって思っちゃったからね。

 ずるいんだよなあ。あんな良い奴、嫌いになるなんて無理じゃん」

 

 泡沫とステラは別に親しい仲でもないが、つまり繊細な話をしても差し障りの出来る程の関係はない。

 どこかで吐き出したかったのだろうと察したステラは黙って聞いている。『王様の耳はロバの耳』ではないが、少なくともステラの口は(あし)よりも遥かに固い。

 しかし、続く言葉には無反応とはいかなかった。

 

 「七星剣武祭。決勝で戦うのはあの2人だよ」

 

 ぽつり、と泡沫が静かに、しかし確信を持った強さでこぼす。

 

 「ステラちゃんもイッキくんも本当に強い。ボクはおろか兎丸や砕城じゃきっと相手にもならないし、カナタでもかなり危うい。

 でも、あの2人は別格だ。刀華は皆の希望を背負って、カズは苦難に負けない背中を示し続けてここにいる。

 自分の敗北が自分1人に収まらない。自分の後ろに悲しむ人がいる、だから折れない。

 奥底にある原動力の重さが違うんだよ」

 

 

 「────関係無いわ」

 

 

 ぐしゃ、とステラは飲み干したカップを握り潰す。

 

 「負けられないのはアタシも同じよ。アタシの国は小さいから、伐刀者(ブレイザー)の強さがそのまま国力になるの。

 ここまで折れずに来たし、これからも折れない。負けっぱなしなんてもっての他だし、本戦の時には今よりもっと強くなってみせる。

 もちろん個人的な目標はあるけど、背負うもの大きさを言うのなら……アタシは、国そのものを背負ってるんだから」

 

 「……うん。確かにその通りだ」

 

 それだけ言ってステラはその場を去る。

 背中から聞こえてきたごめんね、ありがとうという言葉は、聞こえなかったことにした。





 ビーチバレーのルール的にはおかしな所があったりしますが、あの場にいる全員詳しいルールなんて知らないのでOKです。

 遅くなりましたがお気に入り数が1500、しおり数が400に到達しました。
 いつも応援と感想をありがとうございます。
 これからも頑張っていきます。


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32話

 「えー、そんな事があったんだー」

 

 「え、ええ、まぁ……」

 

 猫のようにフンフンと顔を寄せてくる兎丸から刀華が若干のけ反るように距離を取ろうとする。

 刀華は今、昼間に一真と喧嘩してから仲直りに至るまでの過程を根掘り葉掘り聞かれていた。周囲には当然のように他の生徒会メンバーもいる。

 元より気心が知れた彼らだ、こういう話の食い付きは驚きの結束を誇る。それに加えて流石にあの場に留まる気はせず戻ってきたステラもその輪の中にいた。

 

 「想像したらスッゴい情けない絵面ねー。カズマが来なくてもトーカ先輩が伐刀者(ブレイザー)って知ったら泡吹いたんじゃない?」

 

 「いやーしょうがないって。コワいって王峰くんのあれは」

 

 「しかしその男たちも不運であるな。王峰殿にそこまでの憤怒の形相を向けられるとは、正直生きた心地はしなかったであろう」

 

 「だからこそ穏便に去ってもらえたのでしょう。フフ、見た目は威圧的でもガードマンとしては完璧ですわね」

 

 「……私としては、カズくんをあまり外見で判断してほしくはないんですが……」

 

 ぼそり、と。

 漏らされた刀華の呟きは、実に不満そうだった。

 

 「確かに身体も大きいですし、顔も少し恐いのは否定できないのかもしれませんけど。いくら近付き難そうだからって、そこだけ見て関わったらまずいって考えるのは違うと思います」

 

 半目で唇を尖らせ、彼女は珍しく愚痴るかのような調子だった。今回はプラスに働いたようだが、あの体躯と眼光で彼が人から避けられているのを少なからず見ているのかも知れない。

 

 「じゃあ、トーカ先輩はカズマはどんな人だって思ってるの?」

 

 「……台風みたいな人だな、とはよく思いますね」

 

 手に持ったドリンクの氷がカランと音を立てる。

 

 「あの通り見た目の圧力は人よりありますし、相手によっては本当に攻撃的ですし。それに身内贔屓なので他の人が彼の優しさに気付くような場面も正直に言ってしまうと少なかったりするんですが………それでもみんな怖がらずに、懐に飛び込んでみてほしいんです」

 

 そう語る彼女の中にはどんな姿の彼が浮かんでいたのだろうか。

 容姿と力を恐れられる彼を台風と表現した刀華は、穏やかに笑っていた。

 

 

 「台風はどんなに雨風が強くても、その真ん中には綺麗な青空が広がってますから」

 

 

 ………圧倒された。

 全員が言葉を失った静寂に、刀華も己が何を言ったのかを自覚したのだろう。穏やかな笑みを浮かべていた口はもにょもにょと悶えるように歪み、耳まで真っ赤に染めて身体ごと縮こまるように俯いた。

 

 「………あの、すいません………。今のはその、聞かなかったことにして貰えると………」

 

 「~~~~~っっっも~~~、会長~~~~。かいちょ~~~~~!!」

 

 「これは……相当な破壊力であるな……」

 

 「こっちまでドキってしたわ……」

 

 「ああ……なぜこの場に彼がいないのでしょう……」

 

 可愛いやらときめくやら。全員の心臓に甘い針が突き刺され、兎丸に至っては語彙を失って刀華に抱き着いている。

 非常にまずいことになってきた流れを何とか断ち切ろうと、刀華は慌てて声を上げた。

 

 「もうっ、ちょっとやめて、忘れてくださいっ! さっきから私何だか少しおかしいんです! 浮かれてるんです!」

 

 「あ、それそのドリンクのせいじゃない? 匂いはあまりしないけど、多分お酒使われてるみたいだし」

 

 「そ、そうですそうです。ぜーんぶお酒のせいで────

 

 ──────お酒っっっ!?!?」

 

 突如として刀華が叫び、それを聞いて同じようにカナタが目を見開く。

 

 「カナちゃん、もしかして飲ませてしまったんですか!?」

 

 「う、うん……いやまだ間に合うかも! 皆さんすいません! カズくん探すの手伝って貰えませんか、いや手伝ってください!!」

 

 「え、ど どうしたの? 警戒の名目でここに残ってる以上さすがにお酒はマズいって話?」

 

 「それもですがそうじゃなくて! カズくんにお酒は───」

 

 わあっ、と向こうの砂浜で歓声が上がる。

 そちらを見てみれば遠くから聞こえる音楽に合わせて、観衆に囲まれた異様に大きな人影がライトに照らされて跳び跳ねていた。

 刀華とカナタは慌ててそちらへと走り出し、他のメンバーもそれに追従する。

 

 赤ら顔の王峰一真が、喝采の中で踊っていた。

 御祓泡沫が勝手に操作している誰の物とも知れない大きなコンポから溢れ出す陽気な音楽に合わせ、跳ね、刻み、廻り、足を取られやすい砂の上とは信じられない滑らかさで巨体を舞わせている。

 演目はやはりバレエのようだが、かなりアレンジが強い。それでもその分野についての見識が無くともそれが一流と理解させるような舞踏を前に、しかし刀華は手で顔を覆った。

 

 「ああぁぁぁあああ………やっちゃった……」

 

 「ど、どうしたの? あれが何かまずいの?」

 

 「……一真さん、酔ってます。完全に」

 

 カナタもこめかみを指で押さえている。

 聞くところによると刀華は、彼に奢ってもらったものと同じ酒入りのドリンクを一真に飲ませてしまったという事らしい。しかしアルコールを感じてもまず酔うような強さではなかったはずだとステラは思ったのだが……

 

 「カズくん、本当にアルコールが駄目な体質で……。ウィスキーボンボンで酔っ払うレベルなんです。だから本人も気を付けてたのに、それを私が……」

     

 「え、じゃー副会長も酔ってるの?」

 

 「いえ、あれは多分面白いから乗っかっているだけかと」

 

 「あァー!? 何じゃァお前らそこおったんか! おら、そんな外おらんとこっち来いやこっち!!」

 

 それが一真が言った言葉だと理解するのに少しかかった。喋り方がどこかの方言になっているが、それよりももう声色で酔っ払い具合がわかる。

 ざくざくと大股で砂を踏み、面倒臭さの権化が刀華らに接近してきた。

 

 「え、えーとカズくん? その、そろそろホテルに戻って休んだ方がいいんじゃないかな? 」

 

 「何言っとんな、こっからが楽しいとこじゃろ! 頑張った(もん)はその分遊ばんとなァ───おらっっ!!」

 

 「「きゃああああっ!?」」

 

 刀華とカナタの身体が急に持ち上がる。

 手近な所にいた彼女らを、一真がまとめて抱え上げたのだ。

 

 「かっ、一真さん!? あの、下ろして……」

 

 「おーいお前ら感謝せえ! こいつらァ昼間の怪物どもを蹴散らしたヒーローよ!! 俺含めてのォ!!」

 

 「ちょっとカズくん!?!?」

 

 (め、めんどくさ………っっ!!!)

 

 巻き込まれないようにそっと遠ざかりつつ、胸焼けするような絡み酒に渋面するステラ。いや今回の場合気付かず飲ませた刀華が悪いのかもしれないが、それでもアレのお守りをする気には到底なれない。流石にこんな一面は始めて見るのだろうか、なんなら砕城は昼間の岩の恐竜を見た時よりUMAを見る目をしている。

 ステラがそっとその場を後にしようとしていたその時、彼女はちょっと見逃せないものを見た。

 ────一輝と、珠雫だ。

 遠くから踊る一真の影を見付けて見物に来たのかもしれない。

 何しれっと2人きりになってるんだと一瞬思考が飛びかけるがそれどころではない。

 今、一真がハッキリと2人を目視した!!

 

 「……あの、ステラ? カズマ今どうなってるの?」

 

 「ちょっとアンタたち、早く逃げ───」

 

 「おら捕まえたぁぁぁあああ!!」

 

 叫ぶが早いか、2人を下ろした一真が珠雫の両脇に手を差し込んでその矮躯を高々と持ち上げた。

 

 「ちょっ、何ですか!? 何をするんですか下ろして下さい!!」

 

 「いやァ昼間はやってくれたわお前ホンマに! こんなちっこい身体でよおあァな(良くあんな)でっかい事しよるわ! 流石イッキの妹じゃのお!!」

 

 「えっ ねえ何これ。これ本当にカズマ? ちょっとシズクをどこに連れて、ねえちょっと!?」

 

 「っしゃあ盛り上がってきたァ! おいウタぁ、 アレ流せアレぇ! アレ踊るわ!!」

 

 「よし来たオッケー!!」

 

 手を掴んで観衆たちの真ん中、一真が踊っていたスペースへと連行された珠雫。

 状況がわからないなりに抜け出そうとしているが、しかし一真の握力に歯が立たない。

 そして何故かアレで通じたらしい泡沫が携帯電話を操作し、ワイヤレスで繋がっているコンポから音楽が流れ出した。

 ───まさか、踊らされるのか?

 顔を引き攣らせる人間嫌い・珠雫の耳に、小さく一真の声が届いた。

 

 

 「────チカラ抜け。俺に任せぇ」

 

 

 フェードインしてくるエレクトロ・スウィング。

 管楽器が奏でるジャジーなメロディに合わせて、一真が楽しむように身体を揺らしている。

 そして前奏が終わりいよいよダンスが始まる。

 

 「えっ……え、えっ!?」

 

 未知の現象が発生した。

 握られた手から力が伝わり、意思に反して身体が動く。否、動かそうとしても身体が勝手に動きを誘導される。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 

 

 「えっ……、シズクあんなに踊れたの!? カズマと遜色無いじゃない!!」

 

 「……いや、あれは踊ってるんじゃない。()()()()()()んだ」

 

 事態の流れにまだ困惑しているがどこか嬉しそうに目の前の光景を眺めている一輝が、珠雫に起きている現象を興味深そうに分析する。

 

 「重心の移動や足の動かし方、全部の動きを繋いだ手から誘導してる。それも無理に違う動きをしようとすれば、絶妙に関節が(きま)る角度でね。

 凄いな、あれはもう大人しくリードされるしか(すべ)がない」

 

 「自分の動きと呼吸を相手にまで波及させる、『舞い』の骨頂とも言えますね。

 あれは私も体験した事がありますが、もし何かしらのダンスを習得したければ……プロのレッスンを1年受けるより、1週間彼と一緒に踊った方が早いと思います」

 

 「なるほど、バレエを基礎として舞踊全般を極めてるって訳ね。けどどこまで相手を掌握できるのよ、情報源なんて掌から伝わる感覚だけなのに……。……けど、トーカ先輩」

 

 「何でしょうか?」

 

 「そんな面白くなさそうな顔するのもどうかと思うわよ」

 

 「そんな顔はしていませんよ」

 

 優雅に華やかな音楽に合わせ、2人は脚を挟むように交差させ、歩くようにステップを踏む。

 終いに一真は手を離したが、()()()()()()()()()()()珠雫の動きは鈍る気配がない。

 2人の動きは完全に独立した。

 一真は大きな体躯を活かしダイナミックに、もう場の流れで踊るしかなくなった珠雫は爪先を軸に両脚の内旋と外旋を細かく入れ替えて刻むようにステップし、観衆から一際大きな驚きが上がる。

 

 やがて曲は終わる。

 音楽が止まる直前に一真は再び珠雫の手を取り、締めに合わせて動きを誘導。

 最後に2人で決めのポーズを決めて情熱的な一時は終わり────そして、砂浜は喝采に包まれた。

 

 「最高だーーー!! カッケェぞーーー!!」

 

 「すっげぇ、2人ともプロだろこれ!! え、ちょっと誰!? なんて名前………って、あ!?」

 

 ふらり、と一真の身体が揺れたと思えば、そのままどさりと砂浜に倒れた。

 全員が緊急事態を想像したが、しかし直後に聞こえてきたのは(いびき)の音だった。

 アルコールが回って酔い潰れたのだ。意識を手放した2メートル超過の大男という、迷惑極まる大荷物の完成である。

 

 「……あ、それじゃあ私はカズくんを運ぶので先に戻りますね………」

 

 「む、会長1人では難儀するだろう。某も手伝おう」

 

 「それなら私も……」

 

 一真を抱え上げる刀華と砕城にくっつく形でいらぬ注目を浴びたカナタもその場を去り、泡沫もイタズラを成功させた笑みを浮かべてそれに追従した。

 生徒会のメンバーが全員消え、舞台には珠雫のみが残る。

 何がなんだか分からないまま引き摺り出され、衆目の中で踊らされた事。

 自分の肉体で出来る以上のパフォーマンスを発揮させられた疲労。

 周囲から向けられる好奇の視線と声、時折混ざるシャッター音。

 状況に置いてけぼりを喰らいまくり、その上それをぶつけるべき相手まで退場してしまい、完全にやり場の無くなった感情が発露する先は────

 

 「────何なんですかこれはッッッ!!!」

 

 いま己を取り巻いている全てである。

 黒鉄珠雫16歳、魂の叫びであった。




 ようつべで「lost in the rhythm」で検索してみて下さい。2人が踊ってる曲とダンスはそれです。
 仕事が忙しく更新が滞りがちですが、次の更新でやっと話が動きます。頑張ります。


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33話

 

 

 少し歩かない? とステラに誘われた。

 生徒会の面々が一真と共に撤退し、一真に踊らされた自分のスペック以上の動きが祟り疲労がピークに達した珠雫もフラフラとホテルに戻って今、一輝とステラだけが浜辺に残った。

 遊んでいた海水浴客も徐々に散り始め、人影の少なくなった夜の砂浜を2人は今歩いている。

 

 「昼間は蒸し暑かったけど、夜風はまだ気持ちいいわね」

 

 「う、うん、そうだね……」

 

 ステラへの返事がつっかえる。

 年相応の欲とは程遠い年月を送ってきた一輝は、取り繕えないくらいの緊張に見舞われていた。

 ────彼女が自分をどう思っているのかは、いつからか一輝の心にずっと纏わりついていた懊悩だった。

 珠雫と談笑していると必ず割って入ってきたり、放課後の鍛練で綾辻絢瀬へレクチャーしているとすぐ近くで全力で剣を振り回すなど遠回しに自己主張をしてきたりと、自分が他の女の子と交流していると機嫌が斜めに傾いているような気がするのだ。

 それだけなら勘違いで片付けられるのだが………

 

 (際どい水着で僕の身体を洗ってきたりもしたし………)

 

 自分の下僕でもあるまいし、()()でもなければただのルームメイトにそこまでする理由が浮かばない。

 ただの自意識過剰だと丸く収めたいのに、どうしても『もしかしたら』が引き剥がせない。

 ……そもそも普通に考えれば自意識過剰でも何でもないのだが、ここまで色恋に目をくれもしなかった剣の鬼は、自身の魅力については何の自信も持てていなかった。

 

 「今日は本当に楽しかったわ。昼間はとんでもない事になっちゃったけど、皆と遊んで……皆と話して。皆の事を知れた、本当にいい1日だった」

 

 「僕もそうだよ。ずっと不安に思ってたことが今日で無くなった。……本当はまだまだこれからなんだろうけど、少し安心できた気がするんだ」

 

 「そうね。トーカ先輩、案外ファインプレーだったりしたのかも」

 

 「あはは、確かにそうかもしれない。……カズマ、酔ったらああなるんだね。知らなかったよ」

 

 砂を踏む音に他愛のない話が合わさる。

 一輝もステラも今日、誰かの別の側面を知った。

 だけど一輝がいま1番知りたいのは、自分の隣を歩く彼女のことだった。

 戦って、ルームメイトになって、鍛練で、気付けば随分と距離が近付いてきたと思う。

 だけど自分は。

 桐原静矢との戦いの後病室で昏倒していた自分の側にずっと寄り添い、真に自分を思い遣る言葉をかけてくれた彼女のことを、まだ何も知らない。

 

 「見て。星がすごくキレイ」

 

 「そうだね。……本当に、綺麗だ」

 

 そう言いながら一輝は空を見上げてはいない。

 鮮やかな炎髪を幽かな光に輝かせ大きな瞳に星空を写す彼女は、息を飲むほど美しかった。

 こんなにも輝いて近くに感じるのに、手を伸ばしても届きそうにはない。

 まるで彼女の名前そのままな光景に、一輝の胸が苦しくなる。

 

 「トーカ先輩が言ってたわ。カズマは見た目は荒っぽいけど真ん中は綺麗な、台風みたいな人だって」

 

 「………、そうなんだ」

 

 「それでね、アタシ思ったの。……じゃあイッキの真ん中には、どんな景色が広がってるんだろう、って」

 

 「え?」

 

 「あの時のトーカ先輩、本当に可愛かった。誰かへの想いを告白する人ってあんなに愛しく見えるのね。……じゃあ今のアタシは、きっと何よりも美しいはずよ」

 

 

 距離が近付く。

 今の今まで見蕩れていた顔が、肌が触れる距離にある。

 ────こんなにも近く感じるのに、伸ばす手はきっと届かない。

 そう焦がれていた一輝にとって、それは想像すら及ばなかった事だろう。

 

 遠い夜空に輝く星が、自分の手の中に流れ落ちてくるなんて。

 

 

 

 「────好きよ、イッキ。アタシは、あなたの全部を知りたいわ」

 

 

 

 重ねられた唇の感触を、彼は生涯忘れる事はない。

 情報量にパンクした一輝の思考が、己の指を柔らかさと温もりの残る自分の唇にのろのろと触れさせる。

 直後、2人は崩れ落ちた。

 心臓が跳ね回る。自分の血の音がうるさい。

 驚愕だったり恥ずかしさだったりそれ以上の愛しさ恋しさであったり、止めどなく沸き上がる感情に収まりがつかず、身体に回すぶんの意識が残っていない。

 

 「………僕以外にはしないで………」

 

 「あっ、当たり前でしょ………!? そ、それよりっ、アンタ、返事がまだじゃないの………!!」

 

 「そ、その………ぼ、僕も、好き、です……」

 

 「んぅっっ~~~~~っっ………」

 

 頬や耳を光るんじゃないかという位に赤く染め、(うずくま)ったまま抱き締めあいながら不格好に愛を交わす。

 名家の落ちこぼれと才色兼備の皇女様。心で結ばれた2人の歩みは、なんだか色々と締まらない感じで始まった。

 

 

     ◆

 

 

 「あ゛ー……頭痛ぇ………」

 

 「きっちり二日酔いにもなるんですよね……」

 

 そして翌日。

 荷物を纏めホテルから出た一行は、帰路へ着くべくバンへと向かう。

 仕事も遊びもやりきって各々満足そうな面々の中で、しかし一真だけが気怠げに頭を押さえてフラフラしていた。

 

 「王峰くん、すごい喋り方してたよね。あれどこの方言?」

 

 「広島弁だね。この見た目であの口調だと周りが恐がるから直してんの。トーカと違ってポロッと出たりもしないからもう聞くことはないと思ってたけど、ああなったら出てくるっぽい」

 

 「本当にごめんなさい、先に飲んでたのに私気付かなくて……」

 

 「あーいいっていいって、買う時によく見てなかった俺もバカだ……。けどアレ飲んだ後の記憶がサッパリ無えんだよなァ………。俺なんかやらかした?」

 

 「アハハ☆ 拍手喝采だったよね」

 

 「迷惑行為も……していないと言えばしていない……と言えなくはない……かと……」

 

 「待って俺マジで何やったんだよ………」

 

 正確に教えてもらえないのが辛いのだろう。何かをやらかしたのは違いないのに欠片も覚えのない罪状に一真は顔を覆う。

 起きた瞬間に全身を最大級の筋肉痛に襲われ悲鳴を上げた珠雫はその被害を黙秘していた。今は自分で自分を治癒して元通りになっている。

 気を遣っているというよりは、あまり詳しく思い出したくないのかもしれない。

 

 「王峰殿。それならこれを飲むといい」

 

 「こいつは……?」

 

 「生薬の煎じ薬だ、二日酔いによく効く」

 

 「サンキュ……」

 

 そう言って砕城が取り出した小瓶を受け取り、一真はその中身を一気に飲み干す。予想を裏切らない強烈な苦味に、一真は思い切り顔をしかめた。

 

 「本来ならば副会長あたりが羽目を外すかと思い持って来たのだが、まさか王峰殿に渡すことになろうとは思ってもみなかったな」

 

 「うるせぇ俺だって予想外だわ……。……あと、薬はもっと飲みやすく作れってお前の実家に言っといてくれよ」

 

 「それは聞けぬ相談だな。良薬口に苦しと言うだろう。その苦みをまた味わいたくないと思うからこそ日々の健康に気を使うというものよ」

 

 「気なら使ってんだよ……」

 

 「ははは。現実も薬も甘くはないという事か」

 

 べえ、と苦味を逃がすように舌を出す一真から空になった小瓶を受け取りつつ砕城は笑う。

 そのやり取りを後ろから見ていた泡沫は、ふむ、と顎に手を当てて思案し、そして言った。

 

 「ホモでは……?」

 

 「なんだァ? てめェ……」

 

 「なななにをお馬鹿なことを言ってるんですか! あれは友情ですよ! たぶん、きっと!」

 

 体調不良で余裕が無いのか、割とドスの利いた声で一真が突っ込んだ。そして慌てて否定する刀華も何故か後半で不安そうになっている。

 そしてあらぬ疑いをかけられてなお砕城は大らかに笑っていた。メンタルが強い。

 砕城がアタシがパンツ一丁でも襲ってこなかったのは伏線だったのかー!などと喚いていた兎丸が、そこでふと気付いた。

 

 「ねー、クロガネ君とステラちゃん、さっきから何で黙ってるの?」

 

 ギクゥッッ!!! と全身を硬直させる2人。

 

 「え、いや、そのー、な 何でもないのよ! 別に何もないの! ね、イッキ!?」

 

 「うん、そ、そうそう! 特に何がどうという訳では、はい!」

 

 「………、お兄様? 何があったんですか? きのう、あれからなにがあったんですか? おにいさま?」

 

 狼狽える2人に決定的な何かを嗅ぎ取った珠雫が、よろよろと縋るように一輝の服をつまむ。

 そういえば一輝とステラが戻ってきたのは1番最後だったような………その事実と目の前の光景から解答を弾き出し、大きな火種が生まれようとしていた瞬間、ふと一真が全員に問いかけた。

 

 「………つーかよ。カナタどこいんの?」

 

 「ああ、カナタならお客さんが来たとかで応対してるとこだよ。何でもイッキ君に用事があるとか」

 

 「僕に?」

 

 「ああ、学校に聞いたらこちらにいると聞いてここまで来たらしい。名前は、確か─────

 

 

 

 ─────『赤座』、と言っていたな」

 

 

 

 

 告げられた名に、一輝と一真の顔が強張る。

 『黒鉄』の家に由来する2人が知っていて、そしてお世辞にも歓待とは言えない反応をしたということは、つまりそういうことだった。

 そしてそれと同時に、ねっとりとした男の声が一輝にかかる。

 視線を向けるとそこには応対をしていた貴徳原カナタに連れられて、赤いスーツを纏った肥満体型の中年が、恵比寿に似た顔に笑みを張り付けていた。

 

 「ご無沙汰してますねぇ~。一輝クン。んっふっふ」

 

 

 

 肥満の中年は騎士連盟日本支部の倫理委員長、赤座(あかざ)(まもる)と名乗った。

 挨拶もそこそこに赤座が一輝に手渡したのは複数の新聞記事。一体何がどう自分と関係があるのか、胸騒ぎを覚えながら一輝がその内を開く。

 

 そこには、夜の海を背景に口づけを交わす一輝とステラの写真が一面に掲載されていた。

 すっぱ抜かれたのだ。あの場にいたらしい何者かに。

 

 『姫の純潔を奪った男』『ヴァーミリオン国王激怒』『国際問題に発展か!?』など、事態の重大さを殊更煽り立てるような言葉が踊る紙面。

 そこには『黒鉄』の家から追放されたという『黒鉄一輝』の人物評も掲載されていた。

 昔から素行不良の問題児で女癖が悪いという、彼を知る者からすれば失笑ものの嘘八百がさも真実であるかのように書き連ねられている。

 全員が確信した。

 ───これは黒鉄家からの、悪意を孕んだ明確な一輝への攻撃であると。

 

 「これは一輝クンの騎士としての資質を総合的に判断するための、『倫理委員会』の正式な召集ですぅ。

 もしそこで不適格だと判断されるか、あるいは召集に応じないと一輝クンはたいへん悪い立場に……『除名』となってしまう可能性が、んっふっふ、とても高いですねぇ。

 ………もちろん、来て頂けますよねぇ?」

 

 「……わかりました」

 

 しばしの沈黙の後、決心するように一輝はそう答えた。細められた瞼の奥に光るどす黒い光に、挑むような覚悟の瞳を向ける。

 そして一輝は生徒会のバンではなく、赤座の車に乗り込むこととなった。行き先は言うまでもなく『国際魔導騎士連盟・日本支部』の、倫理委員会が管轄する区画。

 ようやく始まった2人の関係に迫る、余りにも巨大な悪意と試練。

 そしてステラからすれば、一輝をそこに叩き落としたのは他ならぬ自分だ。

 景色の向こうへと消えていく黒塗りの車を彼女は絶望の顔で見つめ、その隣で珠雫は憎悪の眼差しを送る。

 しかし、生徒会の面々は誰も一言も発していなかった。

 度を越えた悪意に絶句していたのももちろんあるが、それ以上に全力で抑えなければならないものがあったからだ。

 

 「………いつまで押さえてんだ」

 

 低く、黒く。()にしか向けないはずの声。

 生徒会のメンバーは周囲にいらぬ混乱を招かないようひっそりと、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 兎丸と砕城、泡沫は3人で両腕を掴んで足を踏み、カナタと刀華に至っては霊装(デバイス)を展開している。分解した《フランチェスカ》は一真を覆い、《鳴神》は周囲から見えないように一真の背中に押し当てられていた。

 彼らの顔は、今まさに自分が死地にいるかのような形相だった。

 

 「とっとと離せ。あのブタ殺せば解決だろうが」

 「そげん(こつ)しても何も解決せん」

 

 「するから離せ」

 

 「そいはカズくんがそげんしたかだけばい。倒すことに拘るんはあんたん悪か癖言うたんば忘れたと?」

 

 きろり、と一真が刀華たちを見下ろす。

 明らかに自分達をはね除けて車を追うかを思案している目だ。

 だが、その一線は絶対に越えさせない。

 緊張の汗を滴らせながらも刀華は臆さず、強く一真を諫める。

 

 「───たとえそれで解決したっちゃ、自分が原因でカズくんが人ば殺すんは、一輝くんは望んどらん」

 

 ピクリ、と一真が反応した。

 刀華の言葉がその通りであると気付いたのだ。

 だが感情が正しい理屈に折れるかはまた別の話。胸の内で理性と感情を鍔迫り合わせる彼を前に、刀華たちは固唾を飲んでいた。

 

 そして……─────

 

 

 

 「…………、」

 

 エンジン音も僅かな高級車の車内で、一輝は緊迫の面持ちで背後を見ていた。

 何かを予感しているような何かを恐れているような、そんな表情。

 しばらく車の後ろを窓越しに見据えていた彼はやがて、ふう、と息を吐いて座席に身体を沈めた。

 

 「おやおや、どうしましたぁ? 強い彼らと引き離されるのが不安ですかぁ? んっふっふ」

 

 「いいえ」

 

 隠そうともしない赤座の嘲弄を一輝は冷静に否定する。助手席からミラーで彼の表情を見た赤座は、腑に落ちない顔で首を傾げる。

 今まさに悪意の虎口へと連行されているはずの一輝の口元に、安堵の笑みが浮かんでいたからだ。

 

 「我慢してくれたんだ、って。それだけです」



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34話

 「おい聞いたかよ、黒鉄の話」

 

 「知ってるよ。皇女様を誑かしたって奴だろ」

 

 黒鉄一輝の不祥事。

 翌日の破軍学園はそのニュースの話で持ちきりのようで、ここでも男子生徒2人が教室でその事について話している。

 

 「やっぱりなあ。どっかでボロが出ると思ってたんだよ。あのFランクがここまで来れたのがまずおかしいんだって」

 

 「……いや、それとこれとは関係無くないか?」

 

 「それで騙して八百長したんだろ? そうでなきゃありえねえから、マジで」

 

 気分良さげに語る側とそれに疑いの眼差しを向ける側、両者の反応は対称的。

 一輝のここまでの下剋上の結果を受け止めたか否かの差だろう。

 彼の事をほぼ知らないとはいえ懐疑的な目を向ける者もいるが、自分より下だと内心で見下していた存在に軽々と上を行かれ、それを僻む者もまだそれなりにいる。そんな者の中には、彼のように今回のニュースを朗報と感じる者もいるようだ。

 

 「まあ同情はするぜ? 名家なのにFランの落ちこぼれならそりゃそういうのに逃げたくはなるだろ。ただそれでここまで通用する訳なかったんだよなあ」

 

 「いやお前その辺にしとけよ、流石に言い過ぎだって」

 

 「お前こそ何イイ子ぶってんだよ。こんなの誰でも思ってる事だろ? アイツはメッキが剥がれた落ちこぼれだって────」

 

 

 バギャッッッ!!!と、2人のすぐ前で木が引き裂かれる音が爆発した。

 仰天した彼らが慌ててそちらを見ると、自分たちが使っている机が完全に砕き潰されていた。机を貫き床にまで到達した着弾地点には1本の黒い柱……否、制服に包まれた脚がある。

 それが誰のものなのか、彼らは見上げるまでもなく知っていた。

 

 「誰が何だって?」

 

 「あ……いや、その……」

 

 「誰が何だって?」

 

 この場の何よりも高い位置から、好き放題言っていた方へと平坦な詰問が降ってくる。

 今の話を聞かれたのだ。今この場で、最も聞かれてはならない者に。

 詰問されている方が血の気が引いた顔で俯いているが、冷静だった方も他人事ではない。あの矛先は今にも自分の方を向くかも知れないのだ。

 

 「何の話してた」

 

 「……く、黒鉄の、話を………?」

 

 平らな声と目線を送られた冷静だった方が白状した。よくも売ってくれたなと詰問されている方が睨むが、白状しようがしまいが関係の無い事だと彼ら自身わかっているだろう。

 言葉より先に破壊が飛び出した時点で、彼は自分たちが何を話していたかを知っている。

 冷静な方への『警告』を済ませ、彼はもう1度俯いている方を見た。

 ───上へ昇ろうという気概も無く、自分より上の者を僻む。そればかりか本人のいない所で調子のいい悪罵を並べ立て、自分より強い者が現れればこうして口を閉ざす。

 

 そんな()()()()()()()()に、何故謂れ無き罪に苦しむ大切な友を馬鹿にされねばならないのか。

 

 バスケットボールを軽々と掴める大きさの手が思い切り男子生徒の髪の毛を掴み、そしてそのまま片腕でクレーンのように持ち上げる。

 強制的に立たされ頭皮の鋭い痛みに濁った悲鳴を上げそうになるが、その悲鳴は顔の下半分を鷲掴みにされ押し潰された。

 ひゅう、と掠れた息が口の隙間から漏れる。

 目の前には髪と顔を今すぐにでも引き剥がし握り潰さんという力で握り締める、巨大な鬼がいた。

 

 

 「答えろよ。テメェ誰を何つった」

 

 

 

 「……嫌な空気だね。ステラさん、大丈夫かな」

 

 「大丈夫じゃないだろうね。けど、質問攻めとかには遭ってないと思う」

 

 少しだけ話し合わねばならない事があるため、刀華と泡沫は生徒会室で昼食を取っていた。

 小さな口でサンドイッチにかぶり付き、もぐもぐと咀嚼しながら泡沫は話す。

 

 「校舎の外でステラちゃんを見かけたけど、不機嫌そうな顔でずっと火の粉散らしてたからね。どんだけ気になっても、そりゃ話を聞こうなんて思えないって。誰も近付こうとしてなかったし。

 

 ……ていうか、イッキくんやステラちゃんも本当に気の毒だけどさ。ボクらが今なんとかしなきゃなんないのはやっぱカズだよね」

 

 はあ、と泡沫は容姿に似合わない重い息を吐く。

 

 「あの時は刀華に言われて矛を収めたけど、周りの人間がもうこの話ばっかしてるからね。状況的には不発弾つつきまくってるようなモンでしょ。……今朝の話、知ってる?」

 

 「うん。器物破損と暴力沙汰で、カズくんが理事長先生に呼び出された事だよね」

 

 「暴力の方はまだ未遂扱いになったけど相当際どかったらしいぜ。アイツの導火線、昨日の時点でほとんど燃え尽きてるっぽくない?」

 

 沈黙の帳が降りた。

 音の消えた空間で2人の脳裏に過るのは、自分たちが思い描く『最悪の光景』。あるいは去年の今頃に()が手を下した惨劇の一幕。

 2度と引き起こしてはならないあの日と、こうまで状況が被るものか。

 

 「見張っとかなきゃなんないんじゃないかな。正直もうアイツ、いつカチ込みに行ってもおかしくない気がする」

 

 「かもしれないね。ちょっと探して話してくる。私が言った事には納得してくれてるはずだけど……カズくん、こうなったら何か行動しなきゃ気が済まない人だから」

 

 急ぎ昼食を掻き込んで刀華と泡沫は席を立つ。

 彼女らは誰より知っている。

 王峰一真という男の強さと優しさを────そして暖かなそれらに影のように寄り添っている、残忍さと凶暴さを。

 去年は間に合わなかった。

 今回はもう遅れる訳にはいかない。

 あの時振るわれた暴力は1人の青年を救いはしたものの、それ以外の全てに深々と傷痕を刻んでいるのだから。

 

 

 

 用いる手段がもっぱら暴力とはいえ、王峰一真とて頭が冷えれば冷静に物を考える。

 刀華に言われた事は至極正しく、殺しという一線は衝動で越えていいものではない。心は未だにドス黒く炙られているが、あのとき刀華や泡沫たちがどんな思いで自分を止めたのかを思えば『やっぱ我慢できないから殺そう』などという帰結に至る気にはなれなかった。

 

 「………話とは何ですか?」

 

 アタシが、イッキに好きだって言わなければよかったのかな───

 そう弱気になっていたステラの尻をブッ叩いての昼食を終え、黒鉄珠雫は校舎の裏庭に呼び出されていた。

 見たところ冷静だ。頭に上っていた血はもう下りているらしい。

 

 「頼みてえ事があってな。大事なことだ」

 

 「頼みたい事」

 

 「ああ。お前さ、自分の家にどのくらい情がある?」

 

 「……どういう事ですか?」

 

 要領を得ない質問に珠雫が訝る。

 ここで呼び出されたということは兄に関することで間違いないだろう。しかし自分の身内への情などを聞こうというのか。

 点と線が繋がらず意味を問いただす事しか出来なかった彼女は、続く彼の一言に、数秒ほど息を詰まらせた。

 

 

 

 「いや。やっぱあの赤座(ブタ)殺そうと思って」

 

 

 

     ◆

 

 

 

 「………どういう事ですか」

 

 「ああ、言い方が悪かったな。息の根を止めるって意味じゃねえんだ。

 確かにボロ雑巾にする予定ではあるがよ………殺すってのはアレだ。()()()()()

 

 1つだけ訂正を入れて、一真は目的の詳細を滔々と語り始めた。

 

 「そう難しい内容の話じゃねえ。この騒動の真実に加えて黒鉄の家がイッキにやった事とか、そういうの全部吐かせて記録して公にバラす。

 骨の5本でもブチ折れば吐くだろ。吐かなきゃそれ以上をやるまでだし」

 

 「……公にすると言っても、マスコミはとうに向こうの手の内ですが」

 

 「動画サイトでもSNSでも何でもいい。向こうが手を回して削除させても、この手の話題なら()()()()()()は間違いなくいる。

 完全に広まるまで何度でも公開する。きっちり根拠を揃えてりゃ、最悪でもアイツを貶める流れは消えるだろ。

 ………計画としちゃこんなもんだ。お前にゃ誰を搾るのが効果的か、みたいな細部を詰めてほしい。ひとまずあのブタは確定で()()が、アイツだけで事足りるとは流石に思えねえからな」

 

 『殴り方を変える』。

 一輝や刀華らの思いを考慮し、その上で己を貫くための結論がそれ。

 頼み事と銘打って突き付けられた要求は、もはや命令とも呼ぶべき語気だった。

 

 「今度はこっちからカチ込めばいい。黙って見てるなんざ有り得ねえだろ。俺も、()()()

 

 当然乗るだろう、と。

 それは友好も付き合いも無くとも一輝への、兄への想いの強さだけは知っているという、一真の珠雫に対するある種の信頼なのかもしれない。

 

 

 「お断りします」

 

 

 だが。

 珠雫は、首を横に振った。

 

 「………あ?」

 

 「断る、と言ったんです。その計画はまず間違いなく成功しないと断言できるので」

 

 「どういう事だ」

 

 「その手の世論操作で()()()に勝ち目はありません。

 確かに貴方は欲しいものを好きなだけ吐かせることが出来るでしょう。貴方は暴力による解決を躊躇わず、それに耐えうるほど芯のある人間もあちらに多い訳ではありませんから。

 ……しかし貴方に出来るのは、その脚で潰せる範囲にあるものを潰す事だけです」

 

 静かに、厳しく。

 お前の言うことは都合のいい空想に過ぎないと、小さな少女は巨大な男へと真っ直ぐに突き付ける。

 

 「貴方がそれを実行すれば、向こうは貴方の経歴を残さず調べ上げるでしょう。

 『()()()()()()()()()()()()()()()』。

 『()()()()()()()()()()()』。

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』────

 ───不自然な所は捏造され、おおよそこんなレッテルを『証拠』と共に公開します。

 そうなればもうこちらが手に入れた記録など、恫喝して強引に言わせた虚偽の情報としか認識されません。

 それに対して反抗しても、悪事を暴かれた側の悪足掻きとしか捉えられないでしょう。

 何を潰せば解決するという話ではない。

 貴方が喧嘩を売ろうとしているのは個人ではなく、大きな社会に組み込まれたシステムなんです」

 

 「………どの口で俺に言ってんだ?」

 

 「説得力はあるでしょう」

 

 一真の威圧にも珠雫は揺らがない。

 きっともう彼女は()()でも首を縦に振ることはないのだろう。

 それを悟った一真はしばし押し黙り、そして低く声を漏らした。

 

 「……どうせ行われるのは査問なんて名ばかりの異端審問だ」

 

 「でしょうね。間違いなく」

 

 「結果ありきの茶番にアイツが黙って着いていったのは、ステラさんとの関係を穢されたのが本当に許せなかったからだろう。

 んな(こた)ァわかってる。わかってんだよ。

 けど許せねえのはこっちだって同じだ、お前もそのはずだろ。アイツを理解できるのは自分だけって言ってたろ。なのに……何でお前はそうまで冷静なんだよ────」

 

 

 「私がどんな思いで貴方の誘いを蹴ったと思ってるんですか?」

 

 

 バシッ、と宙を舞う木の葉が凍って爆ぜた。

 珠雫の足元を中心に薄氷が白く広がっていく。

 魔力が抑えきれず漏出している。一真が己の失言を理解するには充分な光景だった。

 これで話は終わりだと珠雫は一真に踵を返してその場を去る。

 胸中を満たすのは大きな怒りと、後悔が少し。

 そして───

 

 (負けないでくださいね、お兄様。……貴方には貴方のために、ここまで怒ってくれる人がいるんですから)

 

 それなりに大きな、心強さだった。

 

 

 

 抗う声は潰されると知って、抗うために鍛えた力すら物の役に立たなくなって。

 それでも、友のために何が出来るだろう。

 

 

 「あ! いた!!」

 

 「カズくん! 見つけた……、ステラさん?」

 

 一真を探して校内を駆け回っていた刀華と泡沫は、並んで歩いている彼とステラを見付けた。

 

 「……何で探されてたか大体察しが付くわね」

 

 「うるせえよ。……あァ、ちょいと理事長に相談してえ事を2人で話しててな。そんで今からそれを話しに行くとこだ」

 

 「相談? 新宮寺先生に?」

 

 ああ、うん、と2人が頷く。

 続いて一真が口にした頼み事に、刀華と泡沫は揃って首を傾げた。

 

 「生徒会室に砕城が使ってる墨あんだろ。アレ使わせてくれ」

 

 

     ◆

 

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()

 エレベーター1本で来れる所にいる息子の顔を気紛れに見に来たという一輝の父・黒鉄(くろがね)(いつき)との会話。

 『父親との絆が欲しい』という自覚の遅れた一輝の願いは、その一言で完全に打ち砕かれた。

 

 (ああ。流石にしんどいな、これは)

 

 涙で詰まる鼻を啜り、一輝は疲れたように笑う。

 心の中でなにか大切なものが音を立てて傾ぐのを感じた。

 独房のような部屋の中で食事も水分補給もままならず、恐らくは何らかの薬物によるものだろう病に冒されたような体調不良。

 内外から狂わされようとしている黒鉄一輝の、ぱきりと今にも折れてしまいそうな枯れ枝のような心を今、たった1つの(よすが)が支えていた。

 粗末なベッドの下から一輝は一通の封筒を取り出す。

 

 これの中身に励まされるのはもう何度目だろうか。

 赤く燃える炎髪の房。

 半紙に墨で押された大きな手形。

 傾けた封筒から出てきたのは、その2つだった。

 

 理事長から一輝への通達というやや強引な名目で送られてきたらしい封筒。中身を改められても問題のないよう文字は使わずに、精一杯の激励を込めた2人からの贈り物。

 手形については、いっそ靴跡でも送ってくれたら痛快だったけど、と一輝は内心で茶化していた。

 だけど、意図はわかっている。

 一輝の苦境を知っているから、彼は彼の怒りの象徴である靴よりも、あのとき一輝の背中を叩いた掌を選んだのだ。

 

 (大丈夫だよ、ステラ。君が伝えてくれた想いを、僕は絶対に否定なんかしないから)

 

 軋む心を自覚して、それでも大丈夫だと己を奮い立たせる。

 大好きな人に胸を張りたいから。

 自分はまだ何も失っていないから。

 たとえ失ったとしても────それでも自分は孤独じゃないと、教えてもらったから。

 

 (見てろ、カズマ。どんなに敵に囲まれたって、僕はこんな所で折れてなんかやらないぞ)

 

 持ち主が居なくとも残る温もりが、確かに一輝を支えている。

 愛しい人の髪を握り締め、手形の前に誓いを立てる彼の姿は、まるで祈っているようにも見えた。



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35話

 

 「ヴァーミリオン皇国に話は通して頂けましたかぁ?」

 

 「はい、滞りなく。その程度の試練も乗り越えられない男に娘はやれん、との事です」

 

 「んっふっふ、それは実に結構ですぅ」

 

 部下からの報告を受け、己の計画通りに事が進んでいる楽しさで赤座は笑う。

 赤座たちもただの精神的リンチで一輝が折れるなどとは思っていない。こうして徹底的に弱らせたところで確実に手折(たお)るための仕上げを、今まさに仕込んでいる最中だった。

 

 「あのコンディションでそれでも勝ち星を上げ続けていますからねぇ。実績としても実力としても、やはり《雷切》が確実───」

 

 「あのAランクは使われないので?」

 

 言われるまで忘れていたらしい。

 赤座はしばしきょとんとした後、ああ、と頷いて顎を撫でる。

 

 「……そういえばいましたねぇ。入学した去年から()()()()()()()()()()のですっかり忘れていました。《七星剣武祭》でも名前を見ることがありませんでしたし、出場する意思もなかったか、あるいは出場する事も叶わなかったのでしょう? ならば使う意味は無いでしょうねぇ」

 

 「しかし今年は選抜戦に出場しているようで、その全てで圧倒的な勝利を収めています。

 Bランクの《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》を一歩も動かずに下し、珠雫さんも完敗を喫しました。実力は折り紙つきかと」

 

 「ふぅむ、それほどの実力者の話がなぜ今まで耳に届かなかったんでしょうねぇ……。……その生徒について調べて、時間もないので明日イチバンで報告をお願いしますぅ。ざっくりとで構いませんのでねぇ」

 

 短時間ながら部下の仕事は正確だった。

 要所要所を的確に押さえて纏められたプロファイルに目を通した赤座は口の端を粘っこく曲げた。

 

 「ああ、あの時にいた彼でしたか。……んっふっふ、そういえば耳に覚えのある名字だとは思っていましたがぁ。なるほどぉ、そういう来歴を持っていたんですねぇ」

 

 「新宮寺黒乃に排除(リストラ)された協力者にも話を聞きましたが自分はよく知らないと全員が首を横に振っており、それが気にはかかりますが……」

 

 「結構。丸1年情報に空白があろうと、これだけわかれば充分ですぅ」

 

 ───この1件を(いつき)の望む形に納めれば、赤座は『倫理委員長』から『広報部長』へそのポストを移すことを確約されている。

 秘密警察なんて批判される暗部から、もっと表の明るい世界へ。

 こんな汚れ役からおさらばする為にもより確実な手を打たねばならない。

 そしておさらばした後に自分が保有する()についても、考えることはごまんとある。

 

 「これなら焚き付ける材料としては充分ですが……これを期に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 己の行く末に打つ布石は多いほど良い。

 樽のような身体をくつくつと揺らし、赤座は携帯電話に指をかけた。

 

 

     ◆

 

 

 「喉を潤したいのであれば、そこの冷蔵庫にドリンクが各種揃えてあります」

 

 「いらねえ」

 

 「簡単な軽食などもご用意できますが……」

 

 「黙ってろ」

 

 エンジン音もなく走る巨大なリムジンの中は、車というよりホテルの一室のように豪華な内装をしている。

 (しつら)えられた質感に違わず高級なシートに身を沈める一真は、苛立ちも露に運転手を黙らせた。

 彼の巨体から放たれる静かだが刺々しい重圧に運転手は冷や汗を流しているが、一真だって不機嫌にもなるだろう。

 なにせこのリムジンの行き先は『国際魔導騎士連盟・日本支部』なのだ。

 『倫理委員会』から学園を通して一真に事情聴取の為の出頭命令が下され、そしてご丁寧な迎えの車を寄越されて今に至る。

 運転手に罪はないのは承知だが、忌々しいあの男の遣いというだけで刺が出る位には彼の腹は煮えている。

 

 ───我慢できるだろうか。

 

 それが彼の懸念だった。

 質問に答えるだけならいいが、しかしこれがただの質疑応答であるはずがない。

 向こうは言葉尻を捉え誘導尋問を繰り返し、自分の証言を一輝に不利な情報に置き換えようとするだろう。

 

 (そんな奴らを前にして………()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……長く。

 長く、長く、一真は息を吐いた。

 わかっている。今回ばかりは暴力で解決しようとしてはならない。

 大切な友を助ける為には、相手の土俵で戦わねばならないのだ。

 

 「……よしっ!」

 

 パンッ!と乾いた音が鳴る。

 自らの両頬を両手で叩き、鋭い痛みで一真は己の迷いを断ち切った。

 自分がやるべき事は変わらない。むしろこれは黒鉄一輝の潔白を主張できる、後方支援の最大のチャンスとすら言えるじゃないか。

 そう思い直し、冷蔵庫から水を取り出して一気に飲み干す。

 自分の気遣いが受け入れられてホッとしている運転手を横目に、一真は窓の外を睨む。

 その先には、自分を待ち受けている()()が高々と(そび)え立っていた。

 

 

 

 一真が通されたのは『倫理委員会』の区画にある応接室。事情聴取をするのは、よりによって赤座守だった。

 内容はおおかた一真が予想していた通り、誘導尋問と揚げ足取りの見本市だった。

 一真は隙を見せないよう発言を「はい」と「いいえ」、そして事実の端的な列挙に(とど)めたが、想定以上に(はらわた)が煮える。

 自らに危険な兆候を感じ始め、彼は元栓を僅かに弛めた。

 

 「……いい加減にしろよ。イッキは真面目で誠実な奴だ。お前らが騒いでるようなクズじゃねえ。お前らがどれだけ()ねくり回そうが、俺の主張はどこまでいってもそれだけだ」

 

 「んっふっふ、心中はお察しします。こんな場所にいたら、嫌な思い出も蘇るというものですよねぇ」

 

 「………は?」

 

 「もうあなたが、()()()()()()()()()()()()んですよぉ」

 

 その言葉に一真の思考が停止する。

 赤座の恵比寿顔は、気遣わしげな形で一真を見つめていた。

 

 

 「あなたのお話は知っていますぅ。本家のご令嬢に不条理な扱いを受け、そして家から勘当された『王峰』の家の長男……それがあなたですよねぇ」

 

 

 優しく作られた声色で赤座は一真に顔を寄せる。

 

 「怖がらなくてもいいんですよぉ。過程はどうあれあなたはもう『黒鉄』とは無関係、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そもそも一輝クンは本家の筋とはいえ、才能のない出来損ない。たとえあなたが勘当されていなくとも、最高峰の才能を持つあなたを排斥などしませんからねぇ」

 

 そこで赤座はおもむろに立ち上がった。

 こつこつと靴を鳴らして室内を歩き、一真の座るソファの横で止まる。

 ここから先はオフレコで、と前置いて、赤座は腹の中で練った計画を始める。

 

 「───復讐を、したくはないですかぁ?」

 

 ぬるり、と滑り込むような声。

 

 「私も分家の日陰者。あなたの鬱屈はよぉく理解できます。

 試合の映像は見させていただきましたぁ。……あなたを陥れた引き金である彼女に対するあの戦い方が、あなたの憎悪そのものでしょう?

 

 ………私どもは一輝クンを確実に潰すために、彼の選抜戦の最後の相手を、こちらで指名させていただく手筈になっています」

 

 もちろん各所に話は通してありますよぉ、とおどけたように笑う恵比寿顔。

 

 「一輝クンと彼の適性に疑問を持つ者たちの(いさか)いを、近く行われる選抜戦の最終戦の勝敗に委ねる。そういう筋書きです。

 『倫理委員会』の中では七星剣武祭ベスト4という実績を持つ《雷切》がよいという空気がありますが───、私は、ぜひあなたに戦っていただきたい」

 

 「………、」

 

 「これは完全に私の個人的な希望です。しかしどうか頷いていただきたい。《七星剣武祭》出場という優秀さの看板を、黒鉄本家から引き剥がすんです。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうすれば……その様子を見ることが出来れば………私も、長年の溜飲が少しは下るかもしれない……」

 

 「見返りは」

 

 赤座の語りを遮って一真が問う。

 

 「お前みたいな人間が、自分への見返りもなく自分の意思で組織の意向を曲げさせようなんて気にはなんねえだろう。俺は復讐の機会を得て、お前は俺に何を求める?」

 

 「求めるなんて滅相もありませんよぉ。ただあなたと似た境遇のよしみで、今後とも良好な関係を………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それだけですぅ」

 

 ふはっ、と一真は笑う。

 間違っても仲良しこよしなんて意味ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()、つまりビジネスパートナーとして自分を求めているのだ。

 しばらく肩を揺らしていた一真は目尻の涙を拭い、軽く笑いながら赤座に手を差し出した。

 

 「いいぜ、乗ってやる。……じゃ、そういう事だと挨拶はしとかなきゃな。1番上の奴はここにいんのか?」

 

 「んふふっ、ありがとうございますぅ……! しかしそういう連絡でしたら私の方で済ませておきますよぉ?」

 

 「いや、こういう筋は通してえんだ。……大丈夫、余計な(こた)ぁ言わねえよ。お前の言った通りオフレコだ」

 

 「なるほど、了解しましたぁ。信頼関係の第一歩という事ですねぇ」

 

 赤座は差し出された手を握り返し、2人は密約の握手を結んだ。

 万事が思うままに推移して見るからに浮き足だっている赤座と並んで一真は廊下を歩く。

 

 「(いつき)支部長はビルの最上階におられますぅ。あなたが協力することになったと聞いたら、さぞかし驚かれるでしょうねぇ」

 

 「違いねえ。ところでイッキは今も査問されてんのか?」

 

 「ですぅ。全く強情で困りますねぇ」

 

 「支部長ってイッキの親父だよな。確か」

 

 「その通り、そしてあなたの苦しみの大本でもありますぅ。親によって子供だったあなたが陥れられたのなら、その報いはきっちりその子供に返してあげませんとねぇ」

 

 「言えてるな。……そうだ。お前が俺に言った事で、1つ訂正してえ事があるんだよ」

 

 「訂正、ですかぁ?」

 

 「ああ。『俺を10年間苦しめた全てを潰せる』ってとこだ。『全て』ってのは確かに間違っちゃいねえんだが、もう少し範囲は狭い」

 

 「?」

 

 「ゴミしかいねえと思ってた所にも、笑えるくらい真っ直ぐな奴がいた。

 歪んで壊れた奴ばっかだと思ってた所にも、呆れるくらい優しい奴がいた。

 最初は敵だと、他人だと思ってたそいつらに助けられたから、俺もそいつらの助けになりたいと心から思ってる。

 

 

 だから、俺()()を今まで苦しめてきたのは────

 

 

 

 

 

 

──────テメェみたいな糞野郎だよ」

 

 

 

 

 

 

 赤座の横腹に何かがぶつかった。

 恵比寿に似た顔が戸惑いを浮かべる。この場には自分と一真しかおらず、ぶつかってくるような物も何もないからだ。

 腹から伝わった衝撃でたたらを踏んだ赤座は、ぶつかられた所の状態を確認するために自分の腹を見た。

 

 

 

 そこにあるはずの、腹が、無かった。

 

 

 

 「え?」

 

 剥き出しになった骨盤が見える。

 千切られ残った僅かな腸がそこから垂れ下がっている。

 樽のような己の腹部が吹っ飛んでいた。

 呆然として首を回すと、近くにある壁が一面鉄臭い赤に染まっているのが見えた。その中心には皮膚だったり脂肪だったり腸だったり胃袋だったり、自分の胴体だったはずのあらゆる器官や構成物質の塊がまとめて潰れるようにへばりついている。

 人間の脂肪の色が黄色いことを、赤座はこの時初めて知った。

 

 「え?」

 

 反対側を見ると、そこには両脚に漆黒の鎧を纏った王峰一真がいた。

 彼の右脚は赤黒く濡れており、足先には黄色やピンクの欠片が付着している。

 体積を大きく抉り取られた赤座を、彼は身長差の高みから平坦な眼差しで見下ろしていた。

 果たして彼にそれらの情報を結びつける事は出来たのだろうか。

 

 

 「え?」

 

 

 それが赤座(あかざ)(まもる)の最期の言葉だった。

 胸から上と下半身が剥き出しになった脊柱のみで繋がった奇怪なオブジェのような中年の死体が、ぱたりと膝から崩れ落ちる。

 その亡骸は最期まで己の身に起きた事を理解できていない呆然とした表情で固まっていた。

 武器を出す。

 蹴る。

 殺す。

 (くら)く燃え上がる一真の脳は、その一連の流れを奇妙なまでに冷静に認識していた。

 

 

 ────自分が原因でカズくんが人ば殺すんは、一輝くんは望んどらん────

 

 

 

 頭の片隅でよく知る声が聞こえる。

 一輝だけじゃない、自分を思う声だ。

 全てを捨て置いて突っ走ろうとする自分を、それでも最後の一線を越えさせまいと引き止めてくれた彼女の声だ。

 

 そんな彼女の優しさを鉄臭く塗り潰したのは、他ならぬ、自分だ。

 

 

 「────────…………」

 

 短い瞑目。

 (とむら)うかのような瞼を開き、一真は何かを吹っ切るように歩き出す。

 遠ざかっていく彼の硬質な靴音が、血塗られた足跡を刻み込むように後ろへと残していた。



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36話

 「貴様ァ! 何を勝手に座っとるか! 根性が足りんわ根性が!」

 

 「ぐっ……!」

 

 質問に対する一輝の答えも聞かずにただ印象が悪いだの反抗的だだのと述べたてる査問員たち。

 それでも反論しようとした彼は心身の磨耗から咳き込みながらその場に崩れ落ちてしまい、そこを丸眼鏡の査問員に後頭部を思い切り踏みつけられた。

 いつもの彼なら体調が悪くともここまで崩れたりはしないが、やはり父との決定的な断絶を理解したのが決定打となった。愛しい人と親しい友の激励に奮起して、それでも心身が坂を転がるように崩れていく。

 ────惨めだな。

 鼻腔に鉄臭い臭いが満ちるのを感じながら、自分の今の有り様に一輝は苦笑するしかなかった───……

 

 (………?)

 

 そこで奇妙なものを感じた。

 床に押し付けられた顔面に低い振動を感じるのだ。

 地震にしては断続的で不規則な揺れ。震源はまだ遠いがしかし徐々に近付いてくる。

 そしてその振動に音が加わり、さらにそれらが破壊と複数の怒号の混ぜ物とわかる程に大きくなった。

 そしてそれは一輝だけでなく、査問員たちがいる部屋にまでハッキリと聞こえるまでに強く大きくなり───

 

 「……何だ? 何が起きている?」

 

 

 直後。

 轟音と共に壁が消し飛んだ。

 空間を部屋として隔てるものが瓦礫すら残さず粉砕され、その代わりとばかりに数人の人間がボロ切れのように転がってきた。

 それがここ日本支部の警護を任されていた伐刀者(ブレイザー)であることを一輝は知らない。

 頭を踏まれたままの地べたの視界に映るのは、崩壊した背景にがちゃりと踏み込んでくる血肉に濡れた漆黒の脚鎧(ブーツ)だった。

 

 「なっ、何だ貴様!! 何のつもりゲオぇッッ!!?」

 

 「委員長! 赤座委員長はどこっぼッッ!!」

 

 「あギャッ」

 

 「ひっ!? やっ、やめろ来るな! 来るんじゃない!! 警備、警備はどうしたぁっ!?

 はやくこいつを何とかしギィッッ!!

 やめ、やめろ、やめてっ!! 死ぬ、しぬ、潰れる潰れる潰れるツブれるっ!!!

 いやだ、違う、違う違う違うそうじゃないそうじゃないっ! 違、いぎっ、ギャアっ、ぃ゛あ゛あぁぁ゛ぁあア゛ア゛ァァ゛ア゛ア゛っっっ!!!!!」

 

 ぶちぶちぶちゴリごりごりゴリゴリ!!! と湿っぽいものが弾ける音がいくつか聞こえた後に一輝の頭から靴の重圧が消え、一際大きな粘質な破壊音と断末魔が直上から耳を(つんざ)いた。

 地面に伏した一輝の目の前に()人間がぶちまけられ、赤く染まった丸眼鏡がカランと転がる。

 ───悪しきを誅して正しきを救う。

 それを徹底して(まっと)うする者を英雄と呼ぶのかもしれない。

 しかし行いはそうであっても、こうも酸鼻極まる光景を躊躇いなく生み出すような人間にその称号は贈られないだろう。

 悪と断じたものを彼が排したそこに残ったのは、あまりにも暴力的な静寂だった。

 

 「……カズマ………どうして…………?」

 

 込められた思いは呆然か哀しみか。

 一輝の精神を磨耗させる為に白い室内に過剰に強く焚かれたライトの逆光は、掠れる声で見上げた彼がどんな顔をしているのかを全く教えてくれない。

 虚脱したように這いつくばる一輝に手を差し伸べる巨大な影は、()せ返るような血の臭いを浴びているとは思えない程に優しく問いかけてきた。

 

 「帰るぞ。立てるか」

 

 その手を取ろうとしたのかしなかったのか、一輝の選択は分からずじまいに終わった。

 バクン!!と口を開くように床に開いた穴に、一輝だけがピンポイントで落っこちた。彼の姿が下の階に消えた直後、また口を閉じるように穴が塞がる。

 不自然な現象。何らかの伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 一真がゆっくりと振り返ったそこにいたのは、『国際魔導騎士連盟・日本支部』支部長、黒鉄(いつき)だった。

 

 「随分とやってくれたな」

 

 さっきまでは存在しなかった、不自然に宙に浮かぶ階段をこつこつと下りながら重々しい声で言う。

 

 「王峰一真だな。この様子を見るに、赤座はどうやらいらぬ欲をかいたらしい」

 

 「へえ、覚えてんのか。で、()()()()はどこへやった?」

 

 「安全な場所まで運ばせてもらった。これ以上家の者を好きにさせる訳にはいかん」

 

 「ハッ、その家の者を排斥しといてどの口で言ってんだ。……で。俺の事を覚えてるってこたァ、俺がこうしてる理由も分かってんだろうな?」

 

 ぎぃ、と一真の口角が狂暴に吊り上がる。

 

 「()()()()。俺を追い出しやがった黒鉄の家もそいつが積み上げてきた物も、今日で俺が徹底的にブッ壊す。

 ここに来るまでに他の奴らにも語ってやった通りだ。()()()()()()()()()()()()()()! それが終わればその他の全てだ!!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 それはまさしく万願成就の顔だ。

 怨敵を潰す喜悦に歪む醜い笑顔に他ならない。

 その表情と言葉を疑える者などいなかっただろう。彼にとって『黒鉄』本家が敵である事は真実なのだから。

 

 しかし。

 表情と言葉の裏で彼が描いていた地図を、黒鉄(いつき)は全て見抜いた。

 

 

 

 「そうか。………良い友を持ったな。一輝」

 

 

 

 皮肉でも何でもない、純粋な感慨。

 面食らった一真の表情が一瞬だけ抜け落ち、そして今度はギリギリと歪む。

 胸にせり上がる溶岩に作っていた(かお)が焼き落とされ、その下から全てを砕くような烈火の怒りが噴き上がった。

 

 「……そこまで! 人が隠してた意図にそこまで気付けるのなら!! 他人の想いに感慨深さを覚えるような感性があるのなら!!

 何でその感情を一欠片でもッ!!!

 一輝に向けてやらなかったッッッッ!!!!」

 

 「それが私の責務だ」

 

 昂る感情に引きずり出され荒れ狂う紫白の魔力にも動じず、(いつき)は淡々と答える。

 

 「護国の意思を『黒鉄』の名と共に受け継いできた。だからこそ私は大多数にとっての最良を徹底する。

 (おの)が領分をはみ出さない分相応な生き方、それが幸福な生き方だ。無駄な希望や貰い物の自信など、本人にも組織にも損失しか生み出さない。

 だからどんな手を使ってでも排除する。

 たとえ自分の息子であっても────」

 

 ─────全ては、鉄の秩序のために。

 

 冷たい心と相貌を崩さないまま、(いつき)の周囲を無機物が踊る。

 無機物に『血』を通わせて操る能力。

 代々優れた伐刀者(ブレイザー)を輩出してきた家の主が例外であるはずもない。

 まして『あらゆる敵』を相手取らねばならない組織の長。ここの警護にあたっていた伐刀者(ブレイザー)よりも(いつき)は腕が立つのかもしれない。

 

 ならば勝算があって臨戦態勢に入ったのか?

 違う。

 そうするしか道がないだけだ。

 ()()から逃げ切るのは不可能だと、感じる全てが叫んでいるのだから。

 

 「……じゃあ、お前が受け継いだものとやらをここで終わらせようか」

 

 そう吐き捨て、す、と一真は静かに脚を引く。

 収束していく魔力に焼かれ、《プリンケプス》を染め上げていた血肉が一瞬で蒸発した。

 迫り来る無機物の濁流に対して、ただ一撃。そこに詰められた思いが全て。

 声に表情に蹴り脚に、ありったけの憎悪を込めて───

 

 

 「子を蔑ろにする親なんざ死ねばいいんだ」

 

 

 

 彼は、前方にある全てを蹴り抜いた。

 

 

 

 

 

 

 分かっている。

 これが正義なんてものじゃなく(ただ)の憎悪である事も、この行いが自分を信じてくれている者たちに対する酷い裏切りである事も。

 どれだけ頭を下げて謝罪の言葉を並べて、いつかの条件みたいに己の腹を切ったとしても、きっと償いきれるものじゃない。

 だけど。

 それでも、許せなかった。

 眩しいほどに真っ直ぐな人間が、反吐の出る思惑に凌辱され続けている現実が。

 自分の仲間がこれから先も、そんな脳にヘドロが詰まったような連中に(さいな)まれ続ける未来が。

 

 (……ここまでの事をやるのなら、もう皆とはお別れか)

 

 そう考えると、心の芯が静かに抜けていくように思えて。

 冷えていく胸の内が温もりに縋り付こうとするかのように、一真の脳裏に暖かい記憶が流れ出す。

 

 『今はちょっと水を開けられてるけど、私はこの最後の年でカズくんを追い抜く気でいるから覚悟しておいてほしいな』

 

 ────そう彼女は宣誓してくれた。

 

 『いつか()かるべき舞台で戦う時が来たら……その時は、全霊で』

 

 ────そう言って彼は挑んでくれた。

 

 『その才能は、大切な人を守るために使うんだよ。優しいお前ならそうすればきっと、どこまでも強く逞しくなれるから』

 

 『立派な人になりなさい。他の誰かにあなたと友達であることを、誇りに思ってもらえるような人に』

 

 ────ずっと昔に、そう教えられた。

 みんなみんな今の自分を形作って支えてくれた、大切な約束だったのに。

 

 

 「………結局、誰との約束も守れなかったな」

 

 

 目頭と鼻にせり上がる感情を、ギュッと顔をしかめて押し殺す。

 突き刺すような心の波を鎮めて目を開き、少しだけ彼は微笑んだ。

 これは善でも正義でもない、怒りを振り回すだけの只の愚行。

 ────だが、悔いはない。

 全ては自分の心が道を示すまま。

 自分は最後まで、己の意志で己で在った。

 

 そして。

 最後に残った優しい何かを振りほどくように、一真は高く、高く跳んだ。 

 

 ………午後(p.m.)18:46。

 日本を揺るがしたその大事件が発生する直前、数名の目撃者が全く同じ証言をしている。

 国際魔導騎士連盟・日本支部。

 高く聳えるビルのさらに上空で、白と紫に光る彗星を見たと。

 

 

 

 

 

 「《万象捩じ伏す暴王の鉄槌(フリーギドゥム・メテオリシス)》ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 持てる魔力の全てを注ぎ込み、彼は日本支部へのビルへと落ちる。

 砕かない。壊さない。ただ、()()

 遠くから見ればその光景は柔らかな物質に釘を打ち込んだかのように見えただろう。

 瓦礫や鉄骨が砕けて吹き飛ぶことすら許されず、《踏破》の魔力に圧し潰されて垂直に沈んだ。

 生きている全員が逃げ出して無人となった灰色のビルが、世界が壊れるような音を轟かせながら真っ直ぐに崩れ落ちていく。

 その様が現実のものであると受け入れるまでにどの位の時を要しただろう。何千人が呆然と見守る中、とうとう護国の城は消滅した。

 思い出したように地上に撒き散らされた砂塵と爆風に悲鳴と絶叫が溢れ返る。

 

 それで、終わり。何もかも。

 圧潰(あっかい)した地平にただ1人、漆黒の脚鎧(ブーツ)を纏った巨躯の青年が孤独に佇んでいた。

 

 

 

 

 その数分後、警視庁の元に1人の伐刀者(ブレイザー)が出頭する。

 連盟の日本支部が壊滅したというニュース速報が全国に流れ出すのはもう間もなくの事。 

 潰して均した荒涼たる地平線に、道義の柱を1つだけ残して─────

 

 

 ─────この日を境に王峰一真は、破軍学園から姿を消した。

 

 

 

 

     ◆

 

 平穏な道端に突如として放り出された黒鉄一輝は通行人が呼んだ救急車によって即座に搬送された。

 栄養と水分の不足、加えて肺炎に至るまで悪化した薬物による病。

 点滴による栄養補給などの緊急処置により体調は査問中よりもずっと改善されたが、圧倒的に休息が足りない。しかし《七星剣武祭》選抜戦のスケジュールの変更は不可能。

 およそ最悪に近い形で破軍学園へと帰還した彼を待ち受けていたのは、選抜戦の20戦目。

 

 つまり絶望的なコンディションでもここまで無敗を貫いた一輝が、七星剣武祭への出場が叶うかが決まる戦いだ。

 

 対戦相手は、Eランクの3年生。

 ランクこそ底辺の1つ上程度だが、それでもここまで無敗を貫いてきた猛者だ。

 それでも普段の一輝なら問題なく勝利できる相手だろう。………普段の、一輝なら。

 

 「………イッキ」

 

 満員の観客で賑わう第1訓練場。

 開始線に立ち静かに始まりを待つ己の恋人を、ステラ・ヴァーミリオンは悲痛な顔で見つめていた。

 

 ────私は、七星剣武祭代表生になったわ!

 精一杯の処置を行ってなお満身創痍、それでも戦いに赴こうとする一輝に対して、ステラは学園の代表生である証のメダルを突きつけてそう言った。

 だから貴方も、私と一緒に()きましょう──そんな彼女の全力のエールに対する一輝の返答は、

 

 

 『ああ。うん』

 

 

 それだけ。

 ただ、それだけだった。

 何か大切なものが欠落したような、最早それが興味の対象から失せたかのような、少し前の彼には有り得なかった冷たさに、ステラは心が凍りついた。

 ………連盟の日本支部、その壊滅。

 事情聴取の為そこに呼び出された()と、いま日本を駆け巡っているそのニュース。この2つを結び付けるのは容易い。

 しかしステラや刀華がどれだけ真相を聞こうとしても、一輝は何も話さなかった。

 どうして何も教えてくれないのか。

 どうしてそんなに冷たい顔をしているのか。

 彼は一体───()()()()()()()()()

 

 何もわからないままその時は来た。

 スピーカーから鳴り響く試合開始の合図。

 油断なく武器(デバイス)を構える3年生と、ただ《陰鉄(いんてつ)》を握り立つ一輝。

 

 2人の未来が、もうすぐ、決まる。

 

 

 『それでは皆さんご唱和ください────

 

 ──────試合開始(LET's GO AHEAD)!!!!』

 

 

 「おおおおおおおっ!!」

 

 開始と同時に突っ掛けたのは3年生の方だった。

 彼も一輝ほどではないにせよ才能には乏しく、それを補う為に武術を修めた者。

 故に彼は一輝のスキャンダルも信じてなどおらず、心から敬意を払っていた。

 そんな彼にとって七星剣武祭代表の切符を勝ち取る最後の戦いの相手が黒鉄一輝であったことは、何よりも重要な意味を持っていたことだろう。

 

 しかし。

 今の一輝の目に自分の姿など欠片も映っていなかったという残酷な事実に気付くのは、その刹那の後だった。

 

 

 

 

 

 なぜ彼はこんな暴挙に及んだのか。

 力による解決はしないと決めていたらしい彼がどうして心変わりに至ったのか。

 どれだけ聞かれても真相など自分だってわからない。どうしてと聞いた直後に、自分は父の能力でどこか外に放り出されてしまったのだから。

 しかし事の結果を飲み込んで沸き上がってきた想いは、どこまで煮詰めても1つだけだった。

 

 憎い。

 ただ、ただ、憎い。

 

 犯してもいない悪行で、自分の全てを汚した奴らが。

 自分の背中を押すだけ押して、結局は己のエゴで自分の未来を勝手に踏み固めてしまった彼が。

 

 いいや。

 そんなものより、何よりも。

 

 

 まともに抗うことさえ出来ず、あげく彼をそんな凶行に走らせた、己の弱さと非才さが。

 

 

 ここでようやく一輝が構えた。

 今の体力では剣を振れるのはせいぜい1回。

 故に彼は1分に全てを出し切る《一刀修羅(いっとうしゅら)》ではなく、一瞬に全てを注ぎ込み数百倍の力で一太刀を放つ《一刀羅刹(いっとうらせつ)》を使う気でいた。

 しかし、ここで彼の気が変わる。

 一輝は構えを変更した。

 《陰鉄》を腰だめに構えて片手で刃の根元を掴む、居合い斬りの形だ。

 ───数百倍程度で止まってはならない。

 その先へと進まなければ自分に未来はない。

 それで手足が()げようとどうだっていい。

 才能も強さもない自分には、己を削る以外の道など残されていないのだから。

 

 ただひたすらに研ぎ澄ます。

 刃が(こぼ)れようと折れようと、ただ、己を縛るものを断ち切るためだけに。

 怒りに熱され、憎悪に叩かれ、失望の汚水に冷やされて、───そして(くろがね)は、刀と成った。

 

 

 バキリ、と。

 一輝の中で、何かの鎖が砕ける音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 それで終わりだった。

 瞬きの間もなく対戦相手の3年生が真っ二つに斬り落とされ、泣き別れになった上半身と下半身がくるくる回ってリングに落ちる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()により埒外に凶化された斬撃は、伐刀者(ブレイザー)が余裕を持って戦える広さのリングを完全に分断する地割れのような斬撃の痕を残していた。

 ただし、その代償は大きい。

 己のスペックを超える結果を強引に叩き出したことで一輝の全身は裂けて血を噴き出しており、《陰鉄》を振るった腕に至っては肩から()げて飛んでいき、刀ごと観客席に突き刺さっている。

 

 痛みによる叫びは無かった。

 たったいま斬り捨てた相手など見てもいない。一輝は今の一撃による破壊の痕と己の身体の惨状を見比べ、忌々しそうな舌打ちと共に吐き捨てた。

 

 

 「………。この程度か」

 

 

 

 

 そして1週間後、学園の体育館で選抜戦を勝ち抜いた6名の代表の正式な任命式が行われた。

 1年Aランク、ステラ・ヴァーミリオン。

 3年Dランク、葉暮(はぐれ)牡丹(ぼたん)

 3年Bランク、東堂刀華。

 3年Cランク、葉暮(はぐれ)桔梗(ききょう)

 所用により欠席した1年Dランク、有栖院凪。

 

 そして、1年Fランク───黒鉄一輝。

 

 代表選手団の団長に選ばれ新宮寺黒乃から校旗を預託された一輝は、全生徒の応援と祝福のエール、叱咤の激励を万雷の拍手と共にぶつけられた。

 喝采を叫ぶ生徒たちの中に一輝は思わず見知った顔を探して、そして改めて思い知る。

 

 何事も無かったとしたら間違いなく6人の内の誰かを押し退けて名前を呼ばれていたであろう『彼』は、やはりどこにもいないのだと。

 

 声援に応えるように旗を掲げ、一輝は自分の列に戻る。

 しかし想いを託された旗の重さは、自分の力を認めてもらえた喜びは、こんなにも欠けたように感じるものだったのだろうか。

 空虚を(たた)えた一輝の横顔を、ステラは遣り切れない苛立ちを込めて見つめていた。

 

 

 時は満ち、心は欠けたか。

 戦いの試練に選ばれた戦士たちが望んでやまなかった舞台へと足を踏み込む。

 その中の数人の想いに大きなわだかまりを残したまま、彼らは激動を迎えようとしていた。



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《前夜祭》編
37話


 

 

 

 一輝のスキャンダルは収束した。

 この選抜戦において一輝を取り巻いていたものの顛末を聞いたヴァーミリオン国王、つまりステラの父親が『倫理委員会』とその手先となった報道に強い不快感を明言したからだ。

 その国の武力を取り締まる者と権力を監視すべき存在に対する不信、つまり日本という国とヴァーミリオン皇国との間に不和を生み出しかねない事案。

 しかし『倫理委員会』含む連盟の日本支部がそのトップごと()()()()()()()()()()()壊滅させられている以上、責任を負うべきものがマスコミしか残っていない。

 

 そんな彼らにとって、ビルから生きて脱出した者の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という証言はまさに渡りに船だった。

 

 我先にと保身に走った報道は『不遇の剣士』『前時代の悪習の被害者』『表に現れた黒鉄家の闇』などと手のひらを返した見出しをメディアに踊らせ、世論の矛先を『黒鉄家』そのものに向けようとした。

 そんな蝙蝠(こうもり)っぷりを黒鉄の家が許そうはずもなかったが、指揮を執るべきトップの座が空席になっているのだ。

 ただでさえ方々からバッシングを受けている中でその矢面に立たねばならない立場に収まろうという者は誰もいない。

 結局残った本家と分家が身内の争いで宙ぶらりんになっている間に世論は黒鉄家の批判、一輝を同情・英雄視する方向に流れ、国王の『七星剣武祭が終わったらヴァーミリオンへ挨拶に来い。判断はそれまで保留にする』という一連のスキャンダルに対する判断の公言により、一輝の騎士としての倫理を追及する者は誰1人としていなくなった。

 

 

     ◆

 

 

 7月下旬。

 選抜戦で駆け抜けるように過ぎていった1学期が終わり破軍学園も夏休みに入っているが校内や寮の人気(ひとけ)はまばらで、黒鉄一輝ら代表生や生徒会の姿も見えない。

 なぜなら彼らは8月の半ばから開催される七星剣武祭に向けて行われている強化合宿に代表選手、あるいは手伝いとして参加しているからだ。

 ───しかし、場所は由比ヶ浜ではない。

 例の『海竜騒動』が結局未解決のまま迷宮入りし、充分な安全性が確保されているとは言えないためだ。

 そこで新宮寺(しんぐうじ)理事長が『巨門学園』に頼み込み、山形にある合宿場で向こうの代表選手との合同合宿をする運びとなった。

 

 「………ッッッ!!」

 

 鍔迫り合う白刃と黒刃の間に火花が弾け、霊装(デバイス)を通じて雷撃が一輝の総身を駆け巡った。

 筋肉が強制的に痙攣して一輝の腕が跳ね上がった隙を突いて、刀華は心臓へ向け最短距離を駆ける刺突を放つ。

 しかし一輝は筋肉がどう痙攣するかを瞬時に把握、僅かな重心移動で痙攣による全身の筋収縮を後ろへ跳ぶ動きへと変換。緊急回避を成功させ状況をリカバリーする。

 それを逃がすまいと刀華は追い縋り、まだ体勢が整っていない一瞬を狙い素早く《鳴神》を大上段に掲げて唐竹割りを繰り出した。

 

 続けて回避するか、あるいは防御するか。

 一輝が選んだのはカウンターだった。

 地面に降ろした後ろの足をそのまま滑らせ、流れるように地面に這いつくばる。

 

 「!?」

 

 上から下へ振り下ろす攻撃を、下に(かが)んで(かわ)すという奇手。

 横に避けたのなら刃を切り返して追撃もできるが、振り下ろした刃をさらに振り下ろすなど不可能。致命の刃の風圧を背中に触れさせつつ、一輝は《陰鉄》を横薙ぎに振るう。

 追撃の唐竹割りを繰り出すために踏み込んだ刀華の前の足が地面に着く、完璧な場所とタイミングで。

 このままだと足を斬り落とされ戦闘の続行は難しくなる。しかし無理やり足を置く位置を変えても無理な体勢となり、次の動作に支障を(きた)すだろう。

 

 とはいえそれは通常の剣士に限った話、優れた能力を持つ伐刀者(ブレイザー)には当てはまらない。

 刀華は動きを中断せず、爆ぜる音と共に一輝へと放電した。

 

 刀華のような自然干渉系『雷』の能力の最たる特徴は『速度』と言っても過言ではない。炎や水とは比較にもならない、放たれた瞬間に敵を貫く稲光のスピードは、一瞬の隙もない土壇場でも反撃や防御を成立させてしまう。

 それが彼女の近距離(クロスレンジ)が結界と評される所以(ゆえん)の1つ。魔力量の少なさ故に防壁を張れない一輝からすればかなり最悪に近い相性だ。

 ───しかし、電光が穿った空間にはもう一輝の姿はない。

 刀華が魔力を雷に変換する寸前に、這いつくばった姿勢のまま飛び退いていたのだ。

 

 (私が放電で防御すると見切っていましたか。しかし今の動き、まるで猫………いや、蜘蛛のようですね)

 

 実際に彼と刃を交えるのはこれが初めてだが、戦いにおける彼の引き出しの多さは既に実感している。

 しかし試合の映像を見る限りでは、ここまで剣士として外連味のある動きを多様するタイプでは無かったはずだ。

 まるで最適解を選ぶのではなく、今の自分に出来る動きの幅の最大限を意図的に選択しているかのような───

 

 「ふッ─────」

 

 鋭く息を吐き、一輝は地面を蹴る。

 全力のダッシュで再び距離を詰めようとする一輝に対して、刀華は一輝が駆け出す瞬間を狙い《雷鷗(らいおう)》を放った。

 走るために体重を前に預け身体を起こすタイミングで差し込まれた1発だ、一輝からすれば相当に(いや)らしい攻撃だっただろう。

 

 しかし一輝はそのまま駆け出した。

 前へ進む力は緩めないまま1度起こした身体をまた沈め、《雷鷗(らいおう)》の下を潜り抜ける。

 

 全速力で走りながら重心を上下に激しく揺さぶってなお微動だにしない体幹。

 そこから垣間見える積み上げられた基礎の重厚さに驚愕しつつも、一息に間合いまで踏み込んで斬り込んできた《陰鉄》を捌こうと刀を振るう。

 振るった刀は、何にもぶつからず空振った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「なっ!?」

 

 ───刀を振る直前に、刀から手を離したのだ。

 徒手となった右腕によるフェイントのスイングで相手に迎撃を空振らせ、浮いた刀を左手で掴み直し時間差で斬りかかる。

 一輝ほど練達していなければ成立しない難易度のフェイントだった。

 しかし迎撃を流されても刀華にとってそれは隙とはなり得ない。なぜなら彼女には肉体の限界を超えた速度で太刀筋を返す伐刀絶技(ノウブルアーツ)が───

 

 「………っっ!」

 

 ───発動されることはなかった。

 伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使うという最適解を採ろうとする戦士としての直感を強引に思考で捩じ伏せ、刀華はバックステップで一輝の太刀を回避する。

 この時、追撃に入ろうとしている彼に対して刀華はいくつかのパターンを想定していた。

 電気を流される鍔迫り合いを嫌ってまた低空から足を狙いに来るか、それとも一息に踏み込んでの刺突で最短の距離と時間で開いた間合いを潰しに来るか。あるいは………?

 次の手と返す手を無意識下で巡らせる刀華だが、彼女に向けて放たれたのは、あらゆる手の中でも最も愚かしいとすら言える手だった。

 

 刀華の脇腹に迫る黒刃。

 しかし一輝はその場から動いていない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (虚を突くにしても浅はかでしょう!)

 

 僅かな憤りすら感じつつ刀華は身体を半身にして飛来する《陰鉄》を回避し、同時に自分から大きく踏み込んだ。

 ───そこは彼女の必殺の領域。

 その名前がそのまま彼女の2つ名となるまでに恐れられた《雷切》の間合い!

 

 「《雷き─────、!!??」

 

 ()()()()()()()()()

 刃の発射台となる鞘に納めようとした刀身が何かに絡められ、鞘に入ろうとしていた《鳴神》は見当違いの方向にズラされた。

 納刀の失敗。すなわち、《雷切》の不発。

 ───いったい何が!?

 混乱する刀華はその時、一輝の手元から伸びている小さな光の反射を見た。

 同時に背後から聴こえてくる、重たいものが風を切る鋭い音。そして《鳴神》の刀身から腕に伝わってくる重さ。

 これらから導き出される答えとは。

 

 (解いた柄紐(つかひも)で刀を操って……!!)

 

 一輝は《陰鉄》を投擲する直前、刀の柄紐を解いてその端を手の内に握り込んでいた。

 易い選択と見せかけ刀華を釣り出して《雷切》を誘発し、柄紐を通じて刀華の横を通り過ぎた《陰鉄》を操作。柄紐で繋がった刀を分銅鎖のように扱って《鳴神》の納刀を刀の重さが乗った柄紐で妨害したのだ。

 ────決着は直後だった。

 刀華の身体を支点として柄紐で繋がった《陰鉄》が弧を描いて一輝の元へと帰ってくる。

 刀華を折り返し地点として絡み付く柄紐はそのまま彼女を拘束する鎖と化したが、しかし霊装(デバイス)の強度とはいえ紐1本の粗雑極まりない拘束。抜け出す手段はいくつもある。

 しかしその拘束と想定の下から斜め上へと跳ね上がった展開への動揺が生み出した行動のラグは、一輝の攻撃を許すには充分すぎる時間で───

 

 「かはっ………!!」

 

 戻ってきた陰鉄をキャッチした一輝がそのまま刀華の喉笛を《幻想形態》の刃で掻っ捌く。

 大会に向けての調整と追い込みを目的としたスパーリングは、黒鉄一輝に軍配が上がった。

 

 

 

 「ありがとうございます。勉強させていただきました」

 

 「いえ。こちらこそ」

 

 ぺこりと頭を下げる刀華に一輝は短く返す。

 社交辞令レベルの感謝の言葉もそこそこに一輝は普段通りの声色で、しかし尻を蹴飛ばすように問いかけた。

 

 「それで刀華さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 「………、……」

 

 「ありがとうございました」

 

 沈黙を肯定と受け取り、一輝はさっさとその場を立ち去る。

 小さくなっていくその背中を眺めて息を吐く刀華の二の腕に、ひやりとした感覚が押し当てられた。

 

 「刀華。はいこれ」

 

 「……ありがとう、うたくん」

 

 生徒会として選手をサポートするため合宿に参加している1人、御祓泡沫が持っているスポーツドリンクのペットボトルだった。

 受け取った刀華がそれを口に含み、一息ついたところで泡沫はやれやれと息を吐く。

 

 「荒れてんね、イッキくん。あんな戦い方して大丈夫なの?」

 

 「うん。心配だけど、『問題はないです』って取り付く島もなくて……」

 

 2人の懸念は今回の合宿の形態に起因する。

 巨門学園との合同合宿である以上、情報の流出というリスクは常について回る。

 まして今回は話題沸騰の超新星であるステラがいる上に、一輝もFランクながら並み居る猛者を倒して本戦出場を決めたダークホース、注目度も高い。

 今のスパーリングも回りにいた選手だけでなく、ついてきた新聞部の生徒たちまで食い入るように見つめていたのだ。

 

 「想像以上にとんでもないな……」

 

 「これはいい記事が書けそう!」

 

 「凄い。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ………刀華が伐刀絶技(ノウブルアーツ)の使用を躊躇ったのは、つまりこういう事だ。

 本戦前の大切な訓練とはいえ、近く戦うかもしれない相手の前で軽々(けいけい)と手の内は晒せない。

 そんな中で一輝のあの戦い方だ。

 試合の要所で繰り出して決まれば一気に流れを持っていけるだろう奇手の数々を見本市のように並べてしまっては、初見という大きなアドバンテージを失うだけでなく己に対する警戒心まで引き上げてしまう。

 スパーリングで《雷切》に勝ったという大して意味のない結果は得られたかもしれないが、その他の駆け引きで言えば愚策も愚策なのだ。

 

 「考え無しって訳じゃないとは思うの。けど、あれは怒ってるというより………自棄(やけ)を起こしてるように見えるから」

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。1人じゃ抜け出せないのに、そのくせ他人を遠ざけるんだから厄介だ。……けど刀華。刀華だってイッキくんのこと言えないぜ」

 

 「え?」

 

 「………動きがガタガタだ。絶不調どころじゃないだろ、今」

 

 泡沫は武術についてはからっきしの素人だが、鍛え続ける刀華をずっと近くで見てきた。詳しい術理はわからずとも、動きの良し悪し位なら見ただけでわかる。

 彼の指摘にしばし黙り込んだ刀華は、俯いて軽く首を振った。

 

 「そうだね。……ごめん、ちょっと落ち着いてくる」

 「ん。ペットボトル捨てとくよ」

 

 「ありがとう」

 

 空になったボトルを受け取りゴミ袋の中に入れると袋が満杯になったので、口を縛って集積所へと運ぶ。

 重量はなくとも体躯が矮小な彼にはそれなりの労働だ。両手に抱えてえっちらおっちらと運んでいる時、頭上でがさりと音がした。

 

 「……!」

 

 思わず頭上を仰ぎ見る。

 ただ鳥が木から飛び立っただけだ。

 誰よりも高い所から見下ろしてきていた見知った顔は、そこにはない。

 

 「…………」

 

 視線を戻して泡沫はまた歩き出す。

 荒れているのは一輝に限った話ではない。

 刀華は絶不調に陥り、根がお茶目なはずのカナタは何も喋らなくなった。生徒会の他の面々も胸の淀みから目を逸らそうとするように仕事をしている。 

 ───破軍が優勝を逃したらお前のせいだぜ?

 ハハ、と冗談めかして独りごち、泡沫は目の前のゴミ集積所に向けて─────

 

 

 「くそッッッ!!!」

 

 

 思い切りゴミ袋を叩き付けた。

 溜まった鬱憤を叩き付けられ、中に目一杯つめられた空のペットボトルがガランガランと大きな音を立てる。

 気は晴れない。むしろ心に沈んでいた怒りが鎌首をもたげただけだ。

 

 ───ニュースを見た瞬間、泣くように崩れ落ちた彼女の気持ちがお前にわかるか。

 

 ───院の子供たちに『お兄ちゃん負けちゃったの?』と聞かれた時、自分たちがどんな気持ちで当たり障りのない嘘を吐いたと思う。

 

 「………答えろよ。カズ」

 

 言いたい事ならごまんとある。

 叩き付けたい言葉はいくらでもある。

 腹が立ってしょうがない。

 今そこに彼の顔面があったなら、両手が砕けてもまだ殴り足りなかったと思う。

 

 だけど。

 それ以上に悲しくて、悔しかった。

 

 尊敬する仲間だと思っていたのに。

 大切な家族だと思っていたのに。

 

 

 「ボクらは、お前を思い止まらせる未練にすらなれてなかったってのかよ」

 

 

 答える者はどこにもいない。

 真っ赤になるまで握り締められた小さな握り拳が、振り下ろす先もないまま静かに震えていた。



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38話

 「これで治療は終わりです」

 

 「ありがとう。助かったよ」

 

 治癒の魔術を使える貴重な人員として合宿のサポートに参加している黒鉄珠雫の治癒を受けた巨門学園の生徒が、力無く笑って立ち上がる。

 ……これで彼女は情報の流出を嫌い挑戦を断った《氷の冷笑》鶴谷(つるや)美琴(みこと)などを除く、巨門学園の代表選手の(ほとん)()治療したことになる。

 全員が一輝に挑まれ、そして破れ去ったのだ。

 全力ではなかったとはいえ他校の代表選手1人に自分の陣営がボロボロにされた精神的ダメージは大きいだろうが、彼は同じ破軍の生徒も平等に斬り伏せているのだ。

 葉暮桔梗や葉暮牡丹、生徒会の面々に………ステラ・ヴァーミリオンすらも。

 全てに襲いかかり学べるものが無くなった(?)と感じるや即座に去る、まさに嵐のような荒れようだった。

 

 「お疲れ。シズク」

 

 「アリス。貴方もお兄様に?」

 

 「申し訳なかったけど遠慮させてもらったわ。あっさり退いてくれたけれど。断ったのはあたしだけれど、求められないのも寂しいものね」

 

 「………そう。治す必要は無さそうで良かった」

 

 いつもの女らしいアリス節に珠雫は若干呆れているようだったが、どこかホッとしたような様子も見える。

 誰も彼もが沈んでいる中で、親しい人が間違いなくいつも通りでいてくれているのは有り難い事なのだろう。

 もっとも、沈んでいるのは彼女も同じなのだが。

 

 「……ねえ、アリス」

 

 「なあに?」

 

 「私ね。彼が連盟の日本支部に呼び出される前に、彼から提案されてたの。『あいつらを社会的にぶちのめすから手伝え』って」

 

 その告白にアリスは目を丸くした。

 彼が暴力に依らない解決方法を採ろうとしていた事と、因縁は一応の決着を見ていたとはいえ、彼が珠雫に協力を持ちかけていた事に。

 えっ、と思わず驚愕を口に出したアリスに、珠雫は訥々と乱れた心を吐露していく。

 

 「私は断ったわ。彼の作戦が成功する見込みは高いとは思えなかったし、失敗したらお兄様の立場も、彼の立場も悪化してしまうと思ったから。

 ……だけどあの時の彼は、理性的に戦おうとしていた」

 

 「………」

 

 「起こってしまった事は変わらない。だけど、どうしても考えてしまうの。

 あのとき彼の提案に頷いていれば、こんな事にはなってなかったんじゃないかって。

 

 

 ────彼がやった事は、本当なら私がやるべき事だったんじゃないか、って」

 

 

 「………シズク」

 

 「ごめんなさい、急にこんな事を吐き出されても困るわよね。……でも、黙って聞いてくれてありがとう。……少し、楽になった」

 

 そう礼を言って珠雫は今度は生徒会を手伝いに行った。

 動いて気を紛らわせたいのだろう。自分が彼の暴挙の原因の一端を担ったのかもしれないと考えている分、彼女の精神的な負荷は重いはずだ。その重荷が少しでも軽くなるならアリスはいくらでも話を聞く気でいるが、珠雫はきっとそこまで甘えてはくれないだろう。

 

 (ひどい有り様ね。想像以上に)

 

 選手側もサポート側もボロボロな自分の学園を1歩引いた位置から眺めていた有栖院凪は思わず額に手を当てそうになった。

 珠雫の話と今までの()()から一輝と一真の間に強い友情があった事はわかっている。あの事件の経緯と一輝の性格を照らし合わせれば一輝が酷く傷付くのは想像に難くない事だ。

 しかし───蓋を開ければそれ以上。

 彼と関わりのあった者全員が、未だ深いショックの只中(ただなか)にある。

 やりかねない、と全員から思われてはいた。

 だけどそれでも皆が信じていたのだ。

 仲間を傷付けるような事を、彼は絶対にしないはずだと。

 

 (1つの『悪』を潰して、その代償に信じてくれた人をみんな深く傷付けて。

 ……これが貴方のやりたかった事なのかしら。………カズマ)

 

 

 「どこへ行くのよ」

 

 纏めた荷物を肩にかけている一輝の背中に、ステラの硬い声がかかる。

 

 「もしかして帰るつもりなの? 合宿はまだ終わってないわよ」

 

 「刀華さんや他の強い人は手の内を隠すために本気で戦ってはくれないし、戦ってくれた人からはもう学び尽くしてしまったからね。

 南郷先生やそれと並ぶ人がずっと居てくれるなら話は別だけど流石にそういう訳にはいかないし、時間を無駄には出来ないから」

 

 ステラの胸が引き攣った。

 誰かと戦う事を『時間の無駄』だと呼ばわる、彼がおよそするはずのない行為。

 思わず掴みかかろうとした腕を必死に抑え、精一杯冷静に言葉を返す。

 

 「……じゃあどうするってのよ。ここにはプロの魔導騎士の人も多くコーチに来てくれてる。ここ以上に学べる環境なんてそうないわよ」

 

 「いつかみたいに道場破りでもしていこうと思う。綾辻さんの所にでも行ってみようかな。あそこはそういう非公式の試合はお断りだけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()。ここに来てない蔵人(くらうど)もいるだろうし」

 

 ───ここはもう踏み台にもならない。

 失意の果てに見限ったのは周囲か、己か。

 ステラの方を見もせずに、突き放すような冷たさで一輝は言い放った。

 

 「ここにいても僕は強くなれない。ただでさえ僕はどうしようもなく弱いのに、事情がどうあれそんな僕に負けるような人たちの集まりになんているだけ無駄だ」

 

 

 「………何て言ったのかしら?」

 

 

 ヂリッ、と一輝の背中が炙られる。

 離れていても火傷するようなエネルギーに、彼女はもう止まる気が無いことを理解した。

 荷物を放り捨て《陰鉄》を握る。

 振り向いたその先にいたのは黄金の剣を天に掲げた、炎と赫怒の化身だった。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()。───その捩じくれた鼻っ柱、今度こそアタシがへし折ってやるわ!!!」

 

 空気を吸い込んで爆炎がさらに噴き上がる。

 瞬く間に熱量を上げていき光の柱と化しつつある炎、その中心に呑み込まれていくような風を受け、一輝も静かに刀を構えた。

 

 「……うん、そうだね。莫大な力と魔力量への対処法はもっと詰めておくべきだ」

 

 呟く言葉は全て己の為。

 ステラの怒りは、まだ届かない。

 

 

     ◆

 

 極光が振り下ろされる。

 怒号の代わりとばかりに初手から放たれた《天壌焼き焦がす竜王の焰(カルサリティオ・サラマンドラ)》を、一輝は斜め前に駆け出して回避と同時に接近。

 《幻想形態》の熱波も厭わずに最小限の距離だけを離して強引に距離を詰め、その勢いをそのまま叩き付けるような刺突を放つ。

 流石にステラの魔力防御を破ることは叶わなかったが、研ぎ抜かれた体捌きによる重擊はステラの頭部に衝撃と痛みを与えた。

 

 「くっ!!」

 

 声も漏らしつつも振り下ろした《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を逆袈裟に斬り上げるが、そこに一輝は既にいない。彼はステラにぶつかった衝撃が自分に返ってくる寸前で力の進行方向を僅かに横にずらし、ステラの横を通り抜けるように背後に回り込んでいた。

 攻撃の気配を察知したステラは即座に《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》を発動。一輝も摂氏3000度の鎧に切り込むような真似はせず、足を使って死角に入り込みステラの攪乱を試みる。

 しかし地の速度で言えば身体能力を膨大な魔力で好きなだけ強化できるステラの方がずっと上だ。底上げした機動力に物を言わせて一輝を強引に捕捉し退くことを許さないスピードで接近、炎纏う一閃を叩き付ける。

 一輝はそれを横に躱しつつ立て続けに突きを放った。

 細剣(レイピア)の技術だ。

 炎に巻かれない距離を保ちつつ攻撃を加えるために、一輝は刺突に特化した剣技を用いることにしたらしい。

 しかしその程度でステラは揺らがない。元よりFランクの彼ではAランクの中でも格別の魔力量を持つステラに傷を付けることは出来ないのだ。

 蜂の群れのような突きの嵐を身体で押し込みながら、ステラは矮小な攻撃すべてを薙ぎ払うように《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を振り回す。

 

 局地的な火炎の旋風が巻き起こった。

 

 一輝は非常に間合いの狭い騎士だ。

 これをやられると一輝は逃げるしか(すべ)がない。

 剣技では敵わないが、距離が離れれば強力な魔法を連発できるステラの独壇場となる。

 一輝をクロスレンジの間合いから弾き出したと確信したステラは炎の《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》を解除。確実に標的を捉えて魔法の狙いを定めようとする。

 

 《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》は空間制圧力に優れる代わりに、燃え盛る炎で術者の視界が極端に悪くなる。

 その弱点を一輝が見抜いていないはずもない。

 クリアになったステラの視界に、彼はどこにもいなかった。

 

 「………っっ!?!?」

 

 ゴッッッ!!!と鈍い音がした。

 ステラの真横にしゃがみこんで視界から外れていた一輝が、全身で振り絞った横薙ぎでステラの膝関節を後ろからブッ叩いたのだ。

 

 傷は入らない。しかし全力を出せば衝撃は何とか通せるのは確認した。

 刀を振り抜いた姿勢をそのまま『溜め』の形に転用。

 達磨落としのように体勢を崩されたステラの脇腹に渾身の刺突が突き刺さった。

 濁った声を酸素と共に肺から吐き出しながらステラの両足が地面から浮く。

 そこを見逃さず一輝はさらに苛烈に攻め立てた。

 頭。胸。喉元。急所を狙った斬擊がほぼ時間差もなく綺麗に命中する。

 彼の才能ではどれも痛打とはなり得ない。

 ───しかし、彼女のプライドはそうはいかない。

 

 「くっ……あああ!!!」

 

 己の技が攻略され、近接戦でもされるがまま。

 屈辱と苛立ちは無理な攻撃を生む。

 思考が一瞬状況の逆転のみに囚われ、ステラは剣筋が悪くなるのも構わず力任せに《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を振るった。

 ………確かに一輝の攻撃がそもそもまともに通らない上に地力で大きく勝っている以上、雑な力任せでも間違いではない。

 しかしその剣筋の乱れた全力こそ一輝が待ち望んでいたものだったのだ。

 まともに受け止めては圧殺は免れないその一撃を彼は《陰鉄》で受け止める。

 そこから伝わってくる埒外の衝撃を円を描くように身体を回して循環させ、自分の打ち込みに乗せた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それが黒鉄一輝の7つの秘剣が1つ────

 

 

 「第三秘剣────《(まどか)》」

 

 

 それで、決着。

 己の迂闊を悟ったステラの咄嗟のガードをすり抜け、刃を散々阻んできた魔力防御を彼女自身の力で突き破り、(あやま)たず彼女の胴体を《陰鉄》が通り抜ける。

 

 「あ゛………がぁ……っ」

 

 《幻想形態》でなければ背骨まで達する深さだ。

 呻きながら崩れ落ちるステラに対して、一輝は刀を振り抜いた姿勢のまま動きを止めていた。

 身体の中を流し切れなかった力が暴れているのだ。

 身体がビキビキと音を立てて罅割れていくような激痛の波が引き、一輝は脂汗と疲労の息を漏らした。

 

 「……やっぱり《(まどか)》は難易度が高いな。このレベルの力を逃がすにはまだ体捌きの精度が足りないか。とはいえ………剣筋を乱させておいてこの(ざま)か……」

 

 一輝の表情が暗く歪む。

 腹立たしげな歯軋りを舌打ちで打ち切り、荒々しく放り捨てた荷物を拾い上げる。

 

 「駄目だな。基礎が全然できていない。実戦的な勘を積むよりも、まずは技術の土台をどうにかする方が先決か」

 

 となるとあちこちを渡り歩くよりも衣食住の環境が整えられているここに留まった方が良い。そう判断した一輝は合宿所へと戻るべく倒れたステラの横を通り抜けた。

 ───どうすればいい。どうすれば自分は弱者から脱却できる。

 どろどろと腹の底にへばりつくコールタールのような思考に侵されていき───

 

 「……?」

 

 チリッ、と首筋に何かを感じた。

 気のせいではない。第六感の域にまで至った彼の戦闘勘がそう告げている。

 それは怒りだ。焼き尽くすような殺意だ。

 一体誰の? 問わなくてもわかっている。

 刻一刻と膨れ上がっていくそれを受け止めるように瞑目し、一輝は後ろに向き直り────

 

 

 

 その瞬間、光熱の嵐が全てを塗り潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 いつも自分の未熟さを思い知らされてきた。

 この学園に来て、まず王峰一真に完敗した。

 その翌日に黒鉄一輝に破れた。

 その後のショッピングモールでのテロでも不覚を取り、これ以上ないような屈辱を味わわされた。

 思い返す度に腸が煮えるが、それらは全て自分の実力不足が招いたものだ。その悔しさは自分の糧にした。

 

 ───だがあの深緑の魔力の男を前に、自分が戦力として数えられなかったあの時。

 あれだけは違う。

 あれを思い出す度に怒りや悔しさとは違う、別の種類の黒い感情が腹の奥で燃えるのだ。

 

 良くないものだと思った。

 故に自制した。

 あの場は一輝が指示した通り、自分は人質たちを守るのが最善だったのだと、正論で見て見ぬふりをした。

 

 (ああ。そっか)

 

 しかし、彼女は悟った。悟ってしまった。

 その黒い感情の正体を。

 たった今、一輝が自分に目もくれずに横を通り過ぎたその瞬間に。

 

 (アタシ、()()()()()()()

 

 強敵と戦う内に、いつしか忘れていた。

 鍛える度に強くなる自分の力と才能に酔いしれていた頃の気持ちを。

 誰よりも強く産まれたという自信を。

 ───魔力はその人物が担う宿命の大きさに比例する。

 つまり世界最大の魔力量を持つ自分は、それだけ大きく強い宿命を背負っているのだ。

 

 そんな自分を前にその態度は何だ?

 

 自分が私よりも優れているつもりか?

 

 1度勝ったからと調子づいて。

 

 

 自分が吹けば消えてしまうような─────弱者に産まれた分際で!!!

 

 

 

 

 「ウァあア゛アあ゛ぁ、ァァあああ゛ああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛─────────ッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 光が爆発した。

 四方八方に吹き荒れた灼熱の鎌鼬が触れたもの全てを灰にして消し飛ばす。

 その嵐に呑み込まれる寸前に一輝は全力で距離を取り、ギリギリで回避に成功していた。

 《一刀修羅(いっとうしゅら)》。

 半歩遅れていれば巻き込まれていただろう位置まで広がっている地面の焼け跡を、一輝は全身に蒼光を纏いながら見下ろしていた。

 

 「………ずっと思っていたんだ。ステラはもっと、傲慢でいいって」

 

 優れた才を持ちながらも努力を怠らず、魔力に劣っていても優れた技を持つ騎士には敬意を払いリスペクトする。

 それは確かに美徳だろう───だが、それは彼女に当てはめるべきものではない。

 自分が1番優れているのだから他人を見習う必要などない。

 どこの世界に兎を羨む獅子がいようか。

 もっと不遜であれ。傲慢であれ。強欲であれ。

 そうすれば彼女の才能は、どこまでも彼女に応えてくれるに違いないのだから。

 

 「けど、それを言ったらステラはもっと自分に厳しくしてしまうだろうから言わずにおいたんだけれど、どうやら()()()()みたいだね。

 ………凄いよ、ステラ。本当に凄まじい才能(ちから)だ」

 

 その時の一輝の表情をもしも少し前の彼自身が見たならば、さぞかし驚いた事だろう。

 ───自分はこんなにも歪んだ顔ができるのか、と。

 

 「『それと同じだけの』なんて大それた事は言わない。

 『その半分程度』なんて贅沢も言わない……。

 その燃え上がる炎の一部分、一欠片………、その散って消える火の粉程度の才能が、僕にもあれば…………っっ!!!」

 

 睨み付ける先でステラが剣を握り締める。

 突き付ける切っ先は眼光と同じ方向を向き、遠く離れた一輝を殺気で貫いた。

 

 「……そんなに自分が弱いと言うのなら」

 

 纏う光が周囲を燃やし、炎に巻かれて空気が唸る。 

 研がれた双眸に犬歯を剥き出し、灼熱の海の中に傲然と立つその姿はまるで───

 

 ─────怒れる竜のようだった。

 

 

 

 「お望みどおり、焼き付くまで教えてあげるわよ。………アンタがずっと憎んでやまない、アンタ自身の弱さってやつを!!!」



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39話

 ロケットを真横に向けて発射したようだった。

 色が白く飛ぶまでに温度を上げた炎を纏い、ステラが一直線に一輝へと突撃する。

 《(まどか)》が不完全な以上あんなものを直接受け止めるなど自殺行為だ。

 数十倍にも及ぶ身体強化でも力では張り合えず、速度のアドバンテージもほぼ潰された。

 一輝に残された選択肢は、ただ退がる事だけだった。

 

 「逃がす、訳っ、ないでしょうがッッ!!」

 

 足の裏で爆発を発生させさらに加速、一気に距離を詰めて剣の間合いに収め炎纏う一閃を繰り出す。

 炎に巻かれないよう一輝はそれを遠い位置で《陰鉄》をぶつけ防御、そこから伝わる衝撃に逆らわぬよう自分から大きく吹き飛んだ。

 だというのに大型トレーラーに轢かれたような、外した肩がそのまま千切れ飛んでいきそうな衝撃に歯を食い縛る。

 

 (肩関節まで外して力を流したのにこの威力………ッ!?)

 

 頭上から射した光に空を見上げる。

 息が詰まる。

 太陽が分裂したかのような幾つもの光源は全てステラが射出準備を終えた火炎の球だったのだ。

 彼女にとっては数ある手札の中の1つ。

 しかし非才の彼にとっては口を開けて迫る地獄だ。

 そして───降り注ぐ。

 堕落した都市を火と硫黄が焼き尽くすような、そんな光景だった。

 

 「うわぁぁああああっっっ!?!?」

 

 「いっ、いきなり何だ!? 何が起きてんだ!!」

 

 「あの炎、まさかステラさん……!?」

 

 もはや2人の戦いで収まらない。

 破壊の規模が空爆に等しい爆撃の僅かな隙間と時間差の中を一輝は必死で走り潜り抜けていた。

 そして、自らが起こした爆轟を突き破ってステラが一輝の前に躍り出る。

 荒れ狂う爆撃に囲まれて避ける場所などない。

 受け止めようにも自分の《(まどか)》では受け止めきれない。流しきれなかった力に削られたその隙に一発もらって終わりだ。

 ───これだけの攻撃が。

 自分が一生を費やしても出来ないような御技が、彼女にとってはただの布石で目眩まし。

 心を軋ませる一輝はそれでも抗おうとした。

 受け止められないなら剣を振られる前にこっちから攻撃するしかない。

 

 ………ならば奇手だ。予想だにされない奇手でなくては。

 繰り出すのは深く踏み込みながらの、喉元へと一直線に最短距離を走る刺突───から変化する斬り下ろし。

 刺突を弾くか躱そうとした瞬間に身体全体を沈めるように軌道を下方向に変え、刃を回避しつつ鳩尾から股下までを切り裂く─────

 

 

 「─────太刀筋が寝ぼけてんのよ!!!」

 

 

 変化するその前に弾かれた。

 萎縮した心での踏み込みに攻撃。そんな奇を(てら)っただけの腑抜けた技などそもそも通じるはずがないのだ。

 才能に蹂躙され、重ねてきた努力も通じない。

 かつて幾度も味わったはずのその感覚は、今までの何よりも彼の心を抉る。

 大きく刀を弾かれた一輝に容赦なく迫る『詰み』の剣。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故にそれは詰め将棋の最後のように、一輝にとって抗いようのない最後で─────

 

 

 弾かれた刀を引き戻し、《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を受け止める。

 やはり到底受け止められない埒外の力に彼が行ったのは、さっき通用しないと判断したはずの第三秘剣《(まどか)》だった。

 円の動きで相手に力を返す。

 それをステラ相手に成立させるには自分の体捌きのどこに問題があるか。

 それを教える教科書は、知らず知らずの内に彼の身体に刻み込まれていた。

 

 

 「がふっ………!!!」

 

 ステラの腹がまたも深々と切り裂かれる。

 しかし一輝の身体には何の変調もない。

 たたらを踏むステラを前に、一輝は呆然と己の身に起きたことを振り返る。

 ────人から見て盗む。

 身体が勝手にその習慣を繰り返した。

 心が折れかけていた彼のその行動については、それ以外に分析のしようがない。

 彼が体捌きのお手本として要素を盗んだのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 しかしステラの腹に『血光』はもうない。

 間違いなく勝負を決するような深手が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 才能。

 またも、才能。

 自分の出した結果を易々と塗り潰すそれを前に、一輝は、慟哭のように吠えた。

 

 「これもっ………、これでも通じないのかああぁぁぁあああっっ!!!」

 

 第一秘剣《犀擊(さいげき)》。

 彼の持つ剣技の中でもっとも突破力に優れるそれをステラは力で弾き、一輝はそれをまた《円》で返す。

 また防がれる。また返す。防がれる。返す。

 ここに来て、一輝はステラに拮抗していた。

 

 「……何の文句があるのよ」

 

 口の端から炎が漏れる。

 まさに自分と対等に斬り結んでいるどこまでも真っ直ぐだったはずの小さな巨人に、ステラは忸怩たる思いをぶちまけた。

 

 「どんな目に遭っても、イッキは自分を諦めなかった! ランクなんて関係ない、才能に恵まれなくても努力で対等になれるって事をアタシに見せてくれたじゃない!!

 自分よりずっと恵まれた人たちの中を勝ち抜いて、こうしてアタシとまともに打ち合って!!

 それがなんでそんな風になっちゃってるのよ!!」

 

 「()()()、だって……!?」

 

 ぎし、と握り締めた《陰鉄》の柄が軋んだ。

 

 

 「自分を信じて、諦めず努力して────それで結局────この(ざま)じゃないか!!」

 

 

 ステラの剣に一輝の刀が叩き付けられた途端、ステラの体内に破壊的な衝撃が炸裂した。

 衝突の瞬間、一輝は体幹で生み出した力を刀を通じて体内に叩き込む浸透勁───第六秘剣《毒蛾(どくが)太刀(たち)》を上乗せしたのだ。

 思わず後ろに下がったステラに、一輝はさらに深く踏み込んでいく。

 

 「僕が弱かったから、信じるにはあまりにも弱すぎたからカズマはあんな事をした!

  僕に少しでも才能があればこんな事にはならなかったんだ!!

 それさえ……それさえあったら………!!」

 

 「知っっっったこっちゃないのよアンタの無い物ねだりなんて!!!!」

 

 ブッ飛ばされた。

 浸透勁による体内へのダメージを即座に再生してステラは剣を振るう。

 想定していた隙を潰す攻撃に対応が遅れ、力は逃がしたものの一輝はまた大きく距離を離される事となった。

 

 「他人に何を言われても自分を諦めないって言ってたじゃない!! そんなイッキだからアタシは貴方の全てを知りたいって、一緒に高みを目指そうって思えたのよ!!

 大切な友達が誇りを守る為に戦ってるのに、それを先走って台無しにした馬鹿のためにそんな諦めたような顔するんじゃないわよッ!!」

 

 《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》から炎の竜が迸る。

 1匹、2匹、3匹。有り余る魔力に物を言わせ複数体生み出された《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》が一斉に一輝へと襲いかかった。

 しかし何よりも信じていた友人を曲がりなりにも貶められた一輝もやられっぱなしではない。

 意思をもって迫る炎竜の牙をすり抜け、軌道を誘導し、3匹全てをぶつけて同士討ちさせた。

 瞳に怒りを宿し、飛び散る炎の中をステラに向けて一直線に駆け抜ける。

 そして、斬った。

 ────()()()()()()()

 

 ステラは防御するでも迎え撃つのでもなく、剣も構えずに、ただ迎えたのだ。

 刃を身体に通され、それでも表情に苦悶はない。

 殺意を手放し、涙を(たた)えた目差しで一輝を見つめるその姿は、まるで泣きじゃくる幼子を胸に抱くように優しかった。

 

 「………アタシが好きになったのは、いつだって上を向いて自分自身を誇り続ける、黒鉄一輝という騎士なのよ」

 

 「──────」

 

 「辛いのはわかる。苦しいのもわかる。腹に据えかねるものがあるなら、好き勝手に吐き散らかしてもいい。

 だから………───」

 

 そっと伸ばされた手のひらが一輝の胸ぐらを掴み、そのまま思い切り手繰り寄せる。

 たぶん一輝は、《幻想形態》を解除しなかった彼女の理性に感謝するべきだ。

 目を剥いた彼が最後に見たものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 「アタシの前では、ずっと格好いいアンタのままでいなさいよこのバカァァアアア─────ッッッ!!!」

 

 

 

 頬を打たれた音が、もはや爆音。 

 恐らくは人類史上最強の威力だろうビンタが一輝の顔面に叩き込まれた。

 真横に吹っ飛んだ一輝がそのまま建物の壁に突き刺さり身体全体で大穴を開けた。それらのダメージは《一刀修羅(いっとうしゅら)》の魔力放出が防いでくれたが、気絶して《一刀修羅》が解除されるよりも早く建物に激突できたあたり彼も悪運が強いのかもしれない。

 

 他の生徒達が集まってくる。

 コーチとして呼ばれたプロの魔導騎士たちも駆けつけてきた。

 事情を聞かれたステラの「ケンカしてました」の一言に彼らがどんな表情をしたか、残念ながら一輝は見ることが出来ていない。

 

 優しい青年の初めての大喧嘩は、1人の少女の目覚めを成果に幕を下ろした。

 

 

 

     ◆

 

 目を開ける。

 消毒されたシーツの匂いに、部屋に射し込む月の光。

 目線を動かせば、そこには炎髪の彼女がいる。

 桐原静矢と戦った後も、そういえばこういう景色を見たと思う。

 

 「おはよ。身体はどう?」

 

 「ステラ。……うん、大丈夫。痛みもない」

 

 とはいえ何となく起き上がる気にはなれない。

 ここに至る経緯を思い返すと、全身を鉛のような重さにのし掛かられているような感覚を覚える。

 首を回して月明かりの射す窓から外を見てみれば、来た時となんら変わらない風景が広がっている。

 

 「……建物とかグラウンドとか、結構ひどいことになってた気がするんだけど」

 

 「駆けつけた理事長先生が()()()()()()わ。原因を聞かれたから、『ぜんぶイッキが悪いです』って答えちゃったけど。

 ………嘘よ、嘘。素直に自首したわ。

 伐刀者(ブレイザー)が訓練に使ってるんだからこういうこともあるって、お咎めはなかったけれど」

 

 「そっか。……けど、嘘でもないよ。自棄の勢いで色々と火種を撒いたのは僕だしね」

 

 少しの沈黙。

 それを破ったのは、ぽつりと呟くような一輝の謝罪だった。

 

 「………ごめん。色々とみっともない所を見せたね」

 

 「そうね。2度としないで欲しい………って言いたい所だけど、今回はしょうがないと思うわ。皆つらそうだったけど……1番打ちのめされたのは、間違いなくイッキだから」

 

 「ねえ。ステラ」

 

 「なに?」

 

 「その『しょうがない』に、少しだけ甘えさせてもらってもいいかな」

 

 「……ええ。勿論」

 

 ありがとう、と。

 溜めるような沈黙の後、一輝は滔々と胸の奥の(おり)を吐き出し始めた。

 

 「正直、彼はいつかやるんじゃないかと覚悟はしていたんだ。あの事件から去年の事もあって、カズマにとって黒鉄の本家は変わらず(ただ)すべき対象だったから。皆と関わって落ち着いてたのに今回の件で沸点を超えたって事なんだろうけど」

 

 ぎり、と握り締めた拳が軋む。

 

 「けどさ、おかしいじゃないか。そりゃ僕は前にカズマの暴力に助けられたさ。でも今回のは蹴って潰して解決って問題じゃなかっただろう、それが何でこんな国家レベルの大事になってるんだ。

 1度は我慢できたならその先も考えてくれ。導火線が短いにも程がある」

 

 「そうね」

 

 「だいたいあんな事をしたら自分がどうなるかすら考えないのが有り得ないだろ。少しでも思い止まる未練は無かったのか。刀華さんや泡沫さんがどれだけ苦しんでると思ってるんだ。

 自分の行動で傷付く人がいる事を想像すら出来なかったのならもう見下げ果てたよ」

 

 「そうね」

 

 「……桐原くんと戦う前、緊張してる僕にカズマは言ったんだ。『たとえ負けても最低限俺は残る』って。

 なのにこれだよ。自分は孤独じゃないって、査問中もずっとそれを支えにしてたのに。

 信用させておいて全部壊してパッといなくなって、こんなの裏切りじゃないか」

 

 「………そうね」

 

 「………ステラ。僕の強さはカズマにとって、信じるに足りない程度のものでしかなかったのかな」

 

 彼女は答えなかった。

 そうではない、と否定したかった。しかしそれは何の根拠もない慰めどころか、彼の傷に塩を塗る行為でしかないとわかっているから。

 本当に吐き出させる事しか出来ないのね、とステラは不甲斐ない自分に歯噛みする。

 他者の気遣いでは役に立たない。

 自分で原因と直接向き合わなければ、彼の痛みは、癒せない。

 

 「憎いよ、ステラ。信じてくれなかったカズマも、信じてもらえなかった自分も、………無くなってしまったけれど、僕らをこんな風にした査問委員会も………」

 

 声が震える。

 瞼を押さえる指の隙間からそれでも(こぼ)れた透明な雫が、月の光を受けて僅かに光る。

 剥がれた瘡蓋(かさぶた)から溢れる血は、何よりも悲痛な色をしていた。

 

 「最悪の気分だ………。僕はもう色んなものが、憎くて憎くてたまらない……………ッッッ!!!」

 

 そして、とうとう嗚咽が溢れ出した。

 今の今まで泣き方を忘れていた想い人の不器用な呻きに、ステラはそっと彼の手に己の手を重ねた。

 彼はどこまでも真っ直ぐだった。

 他者に向けるべき憎しみという感情を、自分に向けることしか出来ない程に。

 一輝の中では、ステラと衝突したこともただの八つ当たりだと自己嫌悪の1つになっているのだろう。

 それでもこれを期に、彼が誰かに寄りかかることを覚えてくれればいいな、とステラは思っていた。

 

 

 

 そして翌日、一輝は刀華や泡沫に頭を下げていた。

 ご迷惑をおかけしましたという謝罪の言葉に、頭を上げて欲しい、と2人は言う。

 

 「迷惑だなんて思っていません。むしろ、これで一輝くんが持ち直せたのなら喜ばしいことだと思っています。………力不足を悔やむ気持ちは、痛いほどわかりますから」

 

 「……みんな大切な時期なんだから、ボクらもそろそろしっかりしなきゃね。あそこまで暴れてくれたら、逆に冷静になっちゃったよ」

 

 「ありがとうございます。……だけど僕は、貴方たちに、(あらかじ)めもう1つ謝らなければならない」

 

 予め謝っておく事?

 頭に疑問符を浮かべた刀華と泡沫を、頭を上げた一輝は真っ直ぐに見つめる。

 その瞳には昨日までの危うい自棄ではなく、明確な目的意識を固めた強い光が宿っていた。

 

 

 「昨日の夜に決めました。もしこの先、彼に会う事があったなら、たとえ貴方たちが本気で止めようとしても────僕は2人の幼馴染を、本気でぶん殴らせてもらいます」

 

 

 「………それでしたら、なおのこと謝る必要なんてありませんよ」

 

 一輝の暴力的な宣言を受けても、刀華たちは少しの動揺も浮かべない。

 それどころか刀華に至っては微笑みすら浮かべている。

 しかしその笑みに一切の優しさはない。

 見かけだけは柔らかな表情を浮かべている刀華の背後に、一輝は憤怒の鬼を見た。

 

 

 「彼を本気で殴ろうと決めているのは、何も貴方だけではありませんから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして巨門学園との合同合宿は終わった。

 しかし自らの懊悩にそれぞれの答えを見付けた彼らを待ち受けていたものは、何よりも信じがたい光景だった。 

 日本総理大臣、月影(つきかげ)獏牙(ばくが)

 『国際魔導騎士連盟』脱退を掲げる彼が自身を理事長とし、新たに《(あかつき)学園》という騎士学校を創設したと宣言した。

 

 その目的は《七星剣武祭》の崩壊。

 全ての騎士学校への、宣戦布告。

 

 ずらりと横に並んだ暁学園の『生徒』たち。

 一目で只者(ただもの)ではないと思い知らせてくる佇まいの彼ら。しかしそんな強者たちに欠片の意識も向かない程に、刀華はその中の1人に目を奪われていた。

 

 「なんで………」

 

 彼女だけではない。全員が我が目を疑った。

 だって、おかしいから。

 有り得ないから。

 そこにいるなんて有り得ないはずだから。

 

 「何で………っっ!」

 

 感じた事もないような怒りが噴き上がる。

 荒れ狂う感情で身体が発火しそうだ。

 きっとこれから先、これ程の激情を人に向ける事なんてないだろう。

 今にも斬りかかろうとする衝動をそのまま怒声に変えて、東堂刀華は吠えるように叫んだ。

 

 

 「何で貴方がそこにいるんですか──────

 

 

 

 ────王峰一真ぁぁあああッッッ!!!!」



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40話

 「……もう1度聞こう。お前はなぜ連盟の支部を襲撃した?」

 

 「同じように答えましょうか。子供の頃に俺は本家に楯突いた(かど)で家から追放され、天涯孤独になりました。俺は10年の月日を苦しみの中で生きてきた。その復讐です」

 

 「どうして今になってそれを?」

 

 「それが出来るだけの力を身につけたからです」

 

 「本家への復讐が理由なら、なぜ関係のない倫理委員会の査問員たちを殺した?」

 

 「本家でなくともその手足だ、どうせロクな事はしちゃいない。当主1人で晴らせなかった恨みはそいつらに解決してもらうべきでしょう」

 

 強い怨恨。

 身につけた力。

 連盟支部へのテロ。

 頭の中で結び付けたそれらから単純な復讐よりもさらに切り込んだ答えを出せたのは悪と向き合い続けた刑事としての勘だろう。

 ただし。

 それが目の前の怒らせてはならない大男の怒りの琴線である事までは知る由も無かったようだが。

 

 

 「お前の言う力とは─────《解放軍(リベリオン)》という後ろ楯か?」

 

 「違う」

 

 

 太く巨大な剣を突き立てられたようだった。

 たった3文字の発音に圧縮して込められた低く重い怒りの響きに、海千山千であるはずの強面の刑事が潰されたように言葉に詰まる。

 沈黙が流れた。

 聞かれて答える一方通行が途切れた今が発言の機会だと思ったか、大男は逆に刑事へと質問をした。

 

 「………黒鉄に関係のない一般人は何人死にました?」

 

 「………。これで今日の取り調べは終わりだ」

 

 答えは得られなかった。

 まだ正確な数を把握できていないのか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、深追いはしない。

 硬い声で告げられた知らせに、お疲れ様です、と大男が素直に頭を下げる。

 力で答えを迫られる展開を覚悟していたのだろう。ずっと緊張の嫌な汗を流していた刑事が、何事もなく終わったのだとようやく安堵を見せる。

 国際魔導騎士連盟の日本支部が壊滅させられた前代未聞のテロを受けて、警視庁はかつてない緊迫に包まれていた。

 大勢の人間が駆け足で行き交う音に、硬い声で話し合う声。扉や壁の向こうから決して小さくない大きさで聞こえてくる。取り調べを終えて部屋から出ていった刑事もまたその中の1つとなって混ざった。

 事態の究明と収束に奔走する人々。

 惨劇の裏側の、ほんの上澄み。

 その中心であるはずの自分を置いて状況が駆け回っているのを聞いていると、それがどこか別世界の出来事のような奇妙な感覚を感じてしまいそうになる。

 

 「……思ってた扱いと(ちげ)ぇなァ」

 

 上質な調度品で整えられた部屋に浮かぶ静かな困惑。柔らかな上質のソファに身体を沈め、王峰一真はそうぼやいた。

 

 

     ◆

 

 

 国際魔導騎士連盟の壊滅から数分後に一真が警視庁に自首してから1日が経過した。

 初日は警察も事態の把握に追い立てられ取り調べもままならなかったが、今日はまともな聴取を行うことが出来た。

 しかし、だ。

 犯人の本来ならまず留置場に勾留されてしかるべきなのだが、一真の身柄は客人を応接するための部屋に留められていた。

 寝室として与えられたのは職員の仮眠用のベッド。テレビも見れるしそれなりの食事や飲み物も出る罪人にあるまじき厚待遇に戸惑うが、しかし同時に彼はその理由を理解できてもいた。

 

 自分を安全に閉じ込められる場所がないのだ。

 

 Aランクの伐刀者(ブレイザー)

 高層ビル1棟を縦に圧し潰す力。

 留置場も拘置所も刑務所も、そんな力の持ち主を放り込んだ所で紙細工のように叩き壊されるのがオチだ。

 一真としてはそんな真似をする気なぞさらさら無いが、こんな歴史に残るようなテロリストの道徳など人が信じられるはずもない。

 閉じ込める意味が無いのなら、不満の無い環境を作ってそこにいてもらう方がよっぽど安全という考えなのだろう。

 化物と呼ばれる事も怯えられる事も1年の内で慣れたつもりだったし、こういう認識をされる事も承知の上だが………社会そのものから腫れ物扱いされるのは、やはり想像以上に心にくる。

 

 (……まァ、気にする資格も無ぇけども)

 

 リモコンを手に取り、テレビをつける。

 何回かチャンネルを回してみたが、やはりどこも連盟支部の崩壊という一大ニュースで持ちきりだった。

 ついでに怪我人や死亡者など被害者数の情報が出ていないか一通り見てみたが、まだ調べを進めている段階らしい。

 ………潰すべき者とそうでない者の区別は付けていた。

 事態がすぐに広まるよう、わざと目立つように叫んで壊した。

 黒鉄(いつき)に始末をつけた後も、一般職員が全員逃げ出せるだけの時間は作った……つもりだ。

 この上なく身勝手だが、後は職員たちの統率と冷静さ、そして当主の避難指示の的確さに依存する他ない。

 偽善とはこうまで醜いものか、と自嘲の笑みを漏らして液晶画面を眺める一真だが、そこである事に気がついた。

 

 「………………?」

 

 妙だ、と一真は眉根を寄せる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あれだけ大規模に魔力を放出して、なのに一般人で誰も目撃した者がいないのか?

 あれだけ何度も何度も『これは復讐だ』と喧伝しながら破壊を繰り返していたのに、誰もそれを証言していないのか?

 そもそも自分はこうして自首しているのだ。

 市民らの混乱を防ぐためにも、容疑者を確保している事は真っ先に周知せねばならないはず。

 なのにこれは一体………?

 

 (……伐刀者(ブレイザー)そのものの評価が落ちかねないからか? いや、そもそも《解放軍(リベリオン)》って組織がある時点で『そういう奴もいる』って認識はあるはずなんだが……)

 

 何らかの意図で情報が統制されている。

 しかし誰の? 何の意思で?

 得られるメリットが何も見えない。

 まだ何者かが犯人(じぶん)を隠そうとしているのだと決まった訳ではないが、強いてまだ有り得そうな目的を予想するのなら────

 

 (俺に恩を売ろうとしてる、とか───)

 

 がちゃり、と扉が開く。

 振り返ったそこにいたのは、やはり硬い面持ちをした職員。現時点の一真の見張りを担当している伐刀者(ブレイザー)だ。

 取り調べは終わったはずだ。ならば何の用だ?

 いよいよ拘置所に移されるのだろうかと考えていた一真だが、しかし職員の口から出てきたのは予想外の言葉だった。

 

 「面会だ。出ろ」

 

 

 

 まだ拘置所に移されていない段階でも面会は出来るのか。このレベルの罪人が何の拘束もなく面会など許されるのか。

 そもそも面会が許されるにしても、警視庁の外で顔を合わせる事になるのは流石におかしいんじゃないか?

 その辺りの知識がない一真にはこの展開が法的に適切なものなのかは分かりかねたが、少なくともこの場においては何の問題も起こり得ないと警察側が確信したからなのは察しが付いた。

 喉が干上がる。

 心臓が締め上げられる。

 外にいるのに四方から押し潰されるようだ。

 (きた)る結末を受け入れた死刑囚のようだ、と───彼の顔を刑務官が見ればそう感じたに違いない。

 

 呼び出されたのは駐車場。

 彼を待ち受けていたのは2人の女性。

 一真を送り届けた見張りの職員が速やかに離れていく。

 味方であるはずもない靴音が遠ざかっていくのに頼りなさを感じてしまう位には、今の彼には恐怖が満ちている。

 

 

 「…………」

 

 「よっす」

 

 

 西京寧音。

 そして新宮寺黒乃。

 

 彼女らの姿を正面から見るだけで、一真は一生分の勇気を使ったような気がした。

 

 

     ◆

 

 

 「いやー。やっちまったねぇ、カズ坊」

 

 「…………、……」

 

 「まま、そんなビビらずに力抜きなよぉ。何も取って食おうってんじゃねーんだからさ」

 

 険しい顔と強張った顔が揃って無言を貫く中で、寧音だけがからからと笑う。

 豪奢な着物を蝶のようにはためかせて一本下駄を軽快に鳴らし、彼女は一息に一真の懐に飛び込んだ。

 自分の倍はありそうな大男の顔を、寧音は懐かしむように見上げている。

 

 「最近面と向かってまともに話してなかったからかねぇ。ずっと昔の鼻っ垂れが随分でっかくなったと思ってたけど、思ってたよりもずっとでっかく感じるよぉ」

 

 「……姉ちゃん。俺は……」

 

 「昔っからそうだった。院の子供が苛められたって聞いたらその学校にまで乗り込んで、成長してからも職員室と人間1人をブッ壊して。……とにかく敵と見たら潰さなきゃ気の済まないタチだったねぇ」

 

 だが、懐かしむのはそこまでだった。

 普段通りの快活さが消え、声の温度とトーンが氷のように一気に下がる。

 

 「けどお(めー)も見てたろ? 自分を育ててくれた先生が、その学校の先生に頭下げてるトコ。

 何かの拍子でレールを踏み外しかねないお前を周りの人間がどれだけ気にかけてたと思う? わかってねー訳はないよねぇ。そこは自分自身よーく自覚してるトコだろーよ」

 

 それを合図にしたかのように黒乃の靴音が近付いてくる。

 2人は何をするか予め決めていたに違いない。

 この直後に何が起こるかを想像できないほど、一真は察しの悪い方ではなかった。

 

 「こっから先の処遇は法律が決める。けどこの先、黒坊や刀華ともいつか顔を合わせる日が来る。だからこいつは、その日の予行演習とでも思っとけばいいさね。

 まーつまり何が言いたいか、ってーとねぇ」

 

 そして────

 

 

 

 「─────歯ぁ食い縛れ、馬鹿餓鬼(ガキ)

 

 

 

 寧音の握り拳と黒乃の平手打ちが、ほとんど同時に一真の顔面に炸裂した。

 

 

 

 まずは寧音だ。

 少女のそれと変わらないサイズに巨岩の重量を内包した握り拳が頬に炸裂し、一真の身体は錐揉み回転しながら吹っ飛ぼうとした。

 そこで多分、時間が一瞬だけ止められた。

 飛ばされかけた一真の頬に何の脈絡もなく叩き付けられたワイヤーで打たれたような衝撃が、彼の身体を真下に叩き落とす。

 頭が割られたスイカのようにならなかったのは流石の耐久力だろうが、たった2撃でもう指の先まで動かせない。

 コンクリートに巨大な罅が入る程の力で地面に頭からキスをした一真は、苦悶の絶叫すら上げられない有り様だった。

 

 「がっ………か………っ!!!」

 

 「王峰。前にお前は言っていたな。『曲げたくないものを貫くだけの力は持っている』、と」

 

 潰れた虫のようにじめんにへばりつく一真を見下ろしてそう語りかけたのは黒乃だった。

 フィルターに届くまで短くなった煙草の脇から紫煙を吐きながら、彼女は重苦しそうに言葉を紡ぐ。

 

 「確かにお前には力があった。だがお前の思想は私が思うより、余りにも目的以外が見えていなかったという事なんだろう。

 ………残念でならん。お前程の力の持ち主がその振るい方を誤ったのも、自分の生徒が破滅の道を進んだのも」

 

 「……………ッッッ!!」

 

 言葉が出ない。

 衝撃で狂った臓腑が機能を忘れている。

 それでも───それでも言わねばならない。

 主張せねばならない。

 悪である事は承知の上だったと。

 それでも自分は、自分の選択に─────

 

 

 「────『後悔はしちゃいねえ』、だろ?」

 

 見透かすように。

 まるで一真が思考を口に出していたかのような一言一句違わぬ正確さで、寧音が思考の続きを引き継いだ。

 

 「知ってんよ。刀華からも、くーちゃんからも聞いた。カズ坊、本当は矛を収めようとしてたんだろ? 煮えた(はらわた)で、それでも黒坊の為の最善を考えてたんだろ?

 それでも何か、どうしても許せねー事があそこであったんだねぇ。

 ………疑いやしねえさ。それで自分が損をする事になったとしても、カズ坊の怒りは昔からいつも正しかった」

 

 「──────」

 

 「先生としての説教はさっきので終わり。だからこいつは、うちからの個人的な気持ちさね」

 

 寧音はまだ動けない一真を抱き寄せ、そっと自分の胸に抱擁した。

 小さな手のひらが彼の頭を優しく撫でた。自分の倍はありそうな大男を、まるで小さな子供をあやすように。

 

 それは友人に背を向け罪を犯した一真に、ようやく与えられた温もりだった。

 

 

 

 「────よくやったよ。お前、友達の鑑だ」

 

 

 

 「……ぅ………っっ!!」

 

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、一真の目頭が決壊しかけた。

 だけどその感情に、彼は全力で蓋をする。

 ───自分の行動に後悔はない。

 この優しさに涙を流すことは、自分で掲げたその旗を捨てる事に他ならないのだから。

 

 「……寧音。甘やかすな」

 

 「何だよー、くーちゃんだって延々頭抱えて灰皿を煙草の剣山にしてた癖にさぁ。

 『私がちゃんとしていればこんな事にはならなかった』、『生徒を導けもしないで何が教師だ』ーって」

 

 「寧音!!」

 

 いささか手遅れなタイミングで全力で遮ってきた黒乃を楽しそうに笑う寧音。

 いつの間にか緊迫した空気は消えかけていた。

 こほん、と誤魔化すような咳払いを挟み、黒乃は厳しい瞳で寧音に抱かれたままの一真に向き直る。

 

 「……ともかく、王峰。解決する方法を1つしか知らないのなら、関わった問題全てを自分が動いて解決しようなどと考えるべきではない。

 どう力を振るうかではなく、()()()()()()()()()()()()───今回お前は、それをもっとよく考えるべきだった」

 

 「そーそー。そもそもうちもくーちゃんも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だってのに、いつどうやって空の果てまでブッ飛ばしてやろうか考えてる内に───どっかの(おとうと)弟子が先走りやがってねぇ。

 大人が背負うべきモンを子供がしゃしゃって持って行っちまった、こいつはそのお仕置きさね」

 

 

 



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41話

 「だから寧音、私達は諫める側なんだ。そういう遠回しにでも肯定するような事を言うんじゃない」

 

 「いーじゃんよ。どうせこっから先イヤって程糾弾されんだ、少しくれー親身になってやれる奴がいたっていいっしょ」

 

 「………、」

 

 黒乃はそれを否定しなかった。

 やれやれと首を振った後、ぱん、と乾いた銃声が1つ鳴る。

 黒乃が二丁拳銃の霊装(デバイス)の片方を一真に向けて引き金を引いたのだ。

 そして発動した《時間》を操る能力。

 一真が2人から受けた痛みや負傷、駐車場の損壊。刻まれた全てのダメージが食らう前の状態まで巻き戻った。

 

 「さて、私達はそろそろ帰ろうか。処理せねばならないものも大量にあるし、これ以上警察に無理を通してもらう訳にもいかん。

 ……王峰。裁きを受け、しっかりと向き合う事だ。自分の行動の結末とな」

 

 「しっかり務めなよぉ、うち以外もちょいちょい面会には来るだろうからさ。ま、当分の間はブチギレてるツレに平謝りするだけになりそーだけどねぇ」

 

 「………ありがとう。本当に」

 

 もう彼女らの語気に冷たさや刺はないが、これで許された訳でも、まして許される訳でもない。

 しかしこうして気にかけてくれる存在がいるという事が、今の一真にとっては何よりの救いだった。

 話が終わったのを見計らった職員が一真の元に戻り、彼らの別れの会話は終わる。

 2人は自分の生きる世界へ。

 1人は自分が収まるべき所へ。

 互いに手を振り合えど、同じ世界で(まみ)える日はきっと遠い未来の話だろうが……それでも、袂はまだ分かたれていない。

 確かに在ると感じた繋がりを抱いて、互いに背を向けそれぞれの場所へと歩き出し────

 

 

 「ふむ。どうやらタイミングが悪かったようだ」

 

 

 そこにいた人物に驚愕した。

 そこにいたのは暗い色調の赤いスーツに、色の入った眼鏡をかけたロマンスグレー。その顔もその声も、この国で覚えのない人間などまずいまい。

 

 「月影先生………!!」

 

 「おお。久し振りだねぇ、滝沢君……いや、今は新宮寺君か」

 

 狙い澄ましたかのようなタイミングで現れた恩師の姿に、短くなった煙草が黒乃の口の端からぽろりと落ちた。

 日本の現総理大臣─────月影獏牙。

 まるで散歩のついでに知り合いに出会ったような気軽さで、彼はかつての教え子に喜ばしそうに声をかけた。

 

 

     ◆

 

 

 「……俺に、何か用ですか」

 

 何の前触れもなく現れた国家の重鎮。

 ふらりと現れるには余りにも大きすぎる人物を前に絶句する3人だが、一番最初に会話の口火を切ったのは一真だった。

 考えうる限りこの国で最大の権力を持つ人間が、何の脈絡もなくここに来るなど有り得ない。

 何か理由があるのなら、この場でそれになりうる事情を持っているのは自分だけだろう。

 そんな一真の予想は、どうやら正解だったらしい。

 

 「ああ。君に1つ相談というか頼み事があって、少々強引に来させてもらったのだよ。2人だけで話したいから可能な限り迅速に動いたつもりだったのだが、かち合ってしまうとは……滝沢君、君たちには席を外してもらう事はできるかね?」

 

 「……内容によりますが。私の生徒ですので」

 

 キナ臭いものを感じてか黒乃は退かない。

 新宮寺君や西京さんに話すには早いのだが、と月影は顎に手を当てて思案する。

 その頭の中でどんな思考を巡らせているのかはわからないが、テロリストである自分以外に聞かれたくないのなら少なくとも良い知らせという訳ではないだろう。

 しばし黙考していた月影はやがて決断したように頷いた。

 

 「こうなっては仕方ないか。場所を変えよう」

 

 

 

 重犯罪者に対する異例の厚待遇。

 庁舎の外での面会という法規の無視。

 さらに第三者による部屋の貸切と職員の締め出し。

 今日ほど警察の権威が侵害された日も無いだろう。赤ら顔で青筋を浮かべる長官の顔にひどい申し訳無さを感じつつ、一真は月影に連れられて駐車場から庁舎内の一室へと移動した。

 傍らには警戒心を露にしている黒乃と寧音もいる。

 

 「……それで、話ってのは?」

 

 「ああ。警察の方々にも申し訳無いから単刀直入に言おう。……王峰一真君。君に私の計画を成し遂げる為の協力者となってほしい」

 

 「計画? どんな」

 

 

 「日本の《国際騎士連盟》からの脱退。及び《同盟》への鞍替え」

 

 

 余りにも。

 余りにも規模の大きな話に、一真は絶句する他なかった。そして黒乃はあるいは一真に向けたものよりも厳しい顔で月影に問い質す。

 

 「なぜそのような事を?」

 

 「この国を守る為だよ」

 

 こつこつと靴音を鳴らして月影は部屋の中央へと移動する。

 

 「日本も所属する《国際騎士連盟》。アメリカや中国などの大国が結んだ《大国同盟(ユニオン)》。そして超巨大犯罪結社《解放軍(リベリオン)》。

 今この世界は3つの勢力が拮抗し、三竦みの形を作って大きな衝突を避けることで仮初めの平和を保っている。

 ……そして、その拮抗はもう長くは続かない」

 

 「……寿命。ですか」

 

 あの《解放軍(リベリオン)》が皮肉にも平和の維持に欠かせない柱であった事に衝撃を受けていた一真だが、伐刀者(ブレイザー)として教わった知識が黒乃の言う『寿命』の意味を弾き出す。

 《解放軍(リベリオン)》盟主────通称《暴君》。

 第2次世界大戦(WW2)以前から史実に名を連ねているならず者の王だ、考えてみれば現在かなりの高齢であるはず。

 それが天寿を迎えてしまえば───三竦みの一角が崩れる事になる。

 

 「そう。そしてその事態を見越した国々が、もう既に《解放軍(リベリオン)》の囲い込みに動いている」

 

 「な……っ!?」

 

 「その点において《解放軍(リベリオン)》に対して明確な敵対姿勢を取っている《連盟》は大きく不利だ。《暴君》が死ねば大多数の戦力は《同盟》に流れるだろう。そうした囲い込み競争の後に必然的に生じるのが、………第3次世界大戦(WW3)だ」

 

 この世界を大国による分割管理下に置くことを目的とする《同盟》と、小国同士が協力して今の世界を守ろうとする《連盟》は決して共存できない。

 三竦みの一角が落ちれば必ず大戦は起きる、と月影は言う。

 

 「つまり先生はその戦争で勝ち目の薄い《連盟》から抜け出して、多少不利な条件を呑んでも《同盟》に加わる事がこの国を救う方法だとお考えなのですね」

 

 「ちょっといいかい」

 

 ひょい、と寧音が挙手をした。

 

 「確かにその話にゃ納得した。戦争が起こるってのも無え話じゃねえんだろうさ。

 ……けどよ。《連盟》と《同盟》が争うとしても、流石に組織の人間ぜんぶがドンパチやりたがってる訳じゃないっしょ。

 うちも世界情勢だの組織の繋がりだのに詳しい訳じゃねーし、あんたの考えは正しいとも思うけども………、そういう奴らと結託して戦争って事態を回避しようって方向に持っていく方が正道ってモンじゃねえのかい?」

 

 「そうだな。それを遂げる難易度はさておいても、確かにそれは理想的な指針ではある。しかし駄目だ。世界大戦は必ず起こってしまう」

 

 「……根拠はありそうだねぇ」

 

 「無論だとも。これからそれを見せよう」

 

 言葉と共に月影は両腕を前に突き出した。

 月の輝きのような淡い光と共に、広げた両手の前に金色の装飾が施された水晶球が現れる。

 それは、他ならない月影獏牙の霊装(デバイス)だった。

 そして─────

 

 「万象を照らせ。────《月天宝珠(げってんほうじゅ)》」

 

 

 

 炎があった。

 死があった。

 地獄があった。

 瓦礫に下半身を潰され、零れた臓物を引き摺って這い逃げる少年が一真のすぐ隣で炎に巻かれた。

 一真たちが()()()()()()は街と文明が炎に包まれ、逃げ惑う人々が生きながら焼かれる、血と苦鳴と炎の光景。

 炎の熱も、耳をつんざく絶叫も、肉の焦げる臭いも、その全てが()()()()()()()

 胃袋からせり上がってくるものを強引に飲み下して耐えた一真は、そこで信じがたいものを見た。

 それは、斜めに(かし)いだ東京のシンボル───

 

 (スカイツリー……!? これ、が、東京の光景だ、ってのか……!?)

 

 「先生……! これは一体……!?」

 

 「私の《月天宝珠(げってんほうじゅ)》は一定範囲内の人や場所の『過去』を覗き、今現在の因果線上に存在する『未来』を予知夢という形で私に見せる。

 これはそんな力が私に見せた、今のままではいずれ(きた)る東京の姿だ。

 それを私という人間の過去から再生している」

 

 この月影の言葉に、一同は揃って目を剥いた。

 月影がパチンと指を鳴らすと部屋に映し出されていた()()が閉じ、《月天宝珠(げってんほうじゅ)》を消した。

 

 「私はこの光景が、《連盟》と《同盟》による世界大戦によるものだと考えている」

 

 「……せめてその戦禍から日本を守るための鞍替え計画に、協力してくれって事ですか。具体的にはどういう内容なんです」

 

 「《七星剣武祭》を利用する」

 

 惨憺たる体験に一気に精神を消耗した一真はふらつきそうになる身体に力を込めて答えを求めたが、返ってきたその答えには疲弊した肝を抜かれた思いがした。

 

 「………は……!?」

 

 「私が手ずから集めたメンバーで『連盟よりも我々の養育体制の方が優れている』と主張し、《七星剣武祭》に()()()()()()()()()()()()()()。そこで優勝を勝ち取り、日本の主権を取り戻すという名目で『連盟』からの脱退を果たす。

 君にはそのメンバーの1人となってもらいたい」

 

 「待ちなよ。そこまで上手く事が運ぶ訳がない。出場停止になるだけだろーよ」

 

 「運ぶとも。丁度()()()()()()()()『連盟』の実力に対する不信感を感じている者は多い。この信頼を取り戻す為にも、彼らは我々の挑戦を受け───そして打ち破ることで、自分たちの体制の方が優れていると証明するしかないのだよ。

 半世紀以上の時をかけて構築した、『日本の伐刀者(ブレイザー)教育の全てを独占する』という権益を守る為にもね」

 

 ───連盟に交渉の場すら用意させない気か、と黒乃は顔をしかめる。

 譲歩されて『教育権限の奪還』という建前の目的が果たされてしまっては、日本が連盟に残り続けるという道が残ってしまう。

 そう。

 月影は、連盟と日本の仲を修復不可能なまでに引き裂くつもりでいるのだ。

 

 「とはいえ言葉で主張するだけでなく、武力そのものを認めさせる場は作らなければならないだろうが、そこは私が見込んだ者達なら問題はないだろう。………どうだね、王峰君。

 《七星剣武祭》出場と優勝。やるべき事と君の目標はこの上なく一致している。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この国を救う為に─────どうか私に、協力してはくれまいか」

 

 両腕を広げ、月影は一真に決断を求める。

 黒乃と寧音は考え込むように俯く一真をじっと見つめていた。

 乗るか蹴るか、どちらを選ぶか見守っているというよりは、ただ返答の語気で決断の固さを見ようとしている。つまり彼女らは、一真がどちらを選ぶかをほとんど確信していると言えた。

 しかし───

 

 

 「………すいませんが、その話には乗れません」

 

 

 その答えは、その場にいる全員の予想を裏切るものだった。

 

 「俺は人を何人も殺した。色んな人の期待や約束を裏切ってここに来た。

 たとえ俺の罪状があんたの力で誤魔化せているとしても、それじゃ俺が潰してきたものに対して筋が通らない。

 裁きすら受けてないこんな身の上で《七星剣武祭》に………あいつらが全霊で挑もうとしてるあの舞台に、のうのうと上がる資格は無いんです」

 

 ああ、と黒乃と寧音は彼の否定が腑に落ちた。

 自分の価値観がどうあれ、行ったことは罪。

 それが免罪に繋がるかもしれない道であっても、彼はそこを歩む事をよしとしないのだ。

 それが悪と罪に対する彼の流儀。

 思い当たってみれば、彼の返事は否定以外には考えられなかった。

 

 「あんたのやり方には全面的に同意する。俺に出来る事なら協力は惜しまない。牢屋の中で出来る事なんざ無いに等しいでしょうが………いよいよヤバくなったら、脱獄してでも戦力になります。

 ………だけどその計画にだけは、俺は乗る訳にはいきません」

 

 「……成る程、強い意思を感じるよ。それが君の矜持という訳か」

 

 ───これは梃子(てこ)でも動かない。

 王峰一真を王峰一真たらしめるその自我(エゴ)の強さに、月影は心の中で白旗を挙げた。

 

 このやり方では駄目らしい。

 ならば攻め方を帰る。

 眼鏡の奥に光るロマンスグレーの眼光が、一気に冷え込んだ。

 

 「では、言い方を変えようか。

 

 

 君は自らが起こしたこの事件に────何の始末も着けずに退場しようというのかね?」

 

 

 「………え?」

 

 「連盟の日本支部の壊滅。君からすれば仁義に(もと)る者を潰した程度の認識なのだろうが、そもそも彼らが何を担っていたかわかっているのか?

 ()()()()。優れた伐刀者(ブレイザー)を産み出して国力を固めて他国からの様々な干渉を突っぱねるだけでなく、その活動は多岐に渡っていた。

 それを君は潰したのだ。それが先程見せた光景をさらに悪化させることに繋がるかもしれない事くらいは想像がつくだろう」

 

 「っっ!!」

 

 「そしてさっきも言ったはずだ。三竦みの一角が崩れる日は近いと。

 あの光景は遠からず訪れる未来なのだよ。

 その計画には乗れない? ()()()()()()()()()()()()()

 いよいよヤバくなったら? ()()()()()()()

 公に裁かれなければならない?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君の行動とその結末は、檻の中で人生を空回りさせる程度で賄えるような代物じゃないんだ。

 この過渡期に君レベルの戦力を閉じ込めておく選択肢など無いんだよ。

 罪の意識があるのなら行動で埋め合わせてみせろ。自分の尻を自分で拭くのは力を持つ者として当然の事だろう」

 

 叩き付ける。叩き付ける。

 反論の余地すらない道義の嵐に、一真はもう口を開く事すら出来なくなっていた。

 盤面の白が一気に黒へと裏返っていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 白と黒がない交ぜになって蠢き続ける(まつりごと)の世界でトップに立った弁舌の辣腕に───たかだか20年も生きていない子供が敵う道理などあるはずがない。

 

 

 「………どうかね。協力して()()()()?」

 

 「…………はい。全力を尽くします」

 

 

 シンクロした動きでこめかみを押さえる黒乃と寧音。

 穏やかな笑みを浮かべた月影の前に、罪の重さと責任を客観的に自覚させられた一真はとうとう膝を屈した。

 

 「なに、私が求めるのは出場というスタートラインと優勝という結果のみだ。どんな思いでそれらに臨むかは君の自由だ、私が口出ししていい範疇ではないからね。

 ……それでは、私は失礼するよ。王峰君には追って連絡を入れよう」

 

 そう言って月影は踵を返す。

 しかしドアを開けて部屋を出る直前、彼はふと足を止めた。

 頭を抱える一真やそれを形容しがたい表情で見ている寧音と黒乃を見ないまま、月影は一真に向けて口を開く。

 

 「ああそうだ。王峰くん。君は一般の方の被害状況を気にしているらしいね。

 まだ報道されてはいないが、私の所には報告が来ているよ」

 

 「…………!」

 

 椅子を倒すような勢いで一真が立ち上がった。

 喉が一気に干上がる。心臓が嫌な拍動をする。

 黒鉄とは無関係の人間の死。黒鉄のみを粛清の対象にしていた彼にとって、それだけはあってはならないものなのだ。

 月影が続きを口にするまでの数秒が、一真には永遠にも等しく感じられた。

 

 

 「逃走の際の事故で軽傷者5人。重傷者および死者は────

 

 

 ────ゼロだ。おめでとう、君の『偽善』は実を結んだよ」

 

 

 

 ガタン、と派手に椅子が揺れる音がした。

 どうやら安堵でへたり込むように座ったらしい。それを聞き届けて、今度こそ月影は部屋を出た。

 反感の視線を背中に受けながら警視庁を出て、待機していた車に乗り込む。

 

 そこでようやく、月影も安堵の息を吐いた。

 

 「………何とか、首輪は着けたか……」

 

 懸案事項の1つに解決の目処が立ち、月影はやっと人心地ついた。

 連盟支部に対するテロが学生騎士だと判明した直後に詳しく来歴を調べたが、昔からここまで()()人間だと判明した時には肝を冷やした。

 ルールよりも己の感情や思想を最優先にする。

 この手の人間のコントロールは至難だ。

 道義で説き伏せるという選択が採れたので、主義・思想的に倫理観そのものはまとも(?)なのは幸いだったが、しかしまだ油断は出来ない。

 こうして引き入れたはいいが、その中に不義を感じれば彼は間違いなくそれを()()()()するだろう。

 自身の持つ、圧倒的な力をもって。

 何かを成さんとする組織に入れるには、彼は劇薬のようなものだった。

 

 (……破軍学園を襲撃してそれを挑戦状とする計画は中止だな。筋の通る別の武力誇示を考えねば……)

 

 刻限が差し迫ってもやるべき事は尽きない。

 一国の苦悩と憂いを乗せて、月影を乗せた車は夜の街を駆けていった。



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42話

 人のいない合宿所の裏手、その外れにある木の陰。日差しを遮る暗がりに溶け込むように有栖院凪はいた。

 日頃の柔和な表情はそこにはない。

 硝子造りの(いばら)のように透き通った鋭さの面持ちで、彼は耳に当てた携帯電話の向こうの声の主と相対している。

 

 『潜入の調子はどうだ』

 

 「順調よ。あたしは既に破軍の主立った生徒から高い信頼を得ているわ。()()()()()()()()()()()()()。後は決行の時を待つだけ」

 

 『そうか……。そう断言できる程の仕事をした所で伝えるのも何だが、1つ伝達する事がある』

 

 「伝達する事?」

 

 

 『作戦が変更された。破軍学園の襲撃は中止。スポンサー直々の判断だ』

 

 

 有栖院の表情に大きな変化はない。

 しかし心を殺すことを生業の1つとする彼が僅かに見開いた瞼が、彼が味わった驚愕の大きさを如実に表している。

 

 「……この土壇場で、ですか」

 

 『ああ。新たにメンバーを加入させたが、その影響で強硬策の実行が困難になったらしい。事の詳細は関知する所ではないが、とはいえやるべき事はそう変わらないそうだ』

 

 「であれば、あたしの潜入は徒労になってしまったようですね」

 

 『安心しろ。上乗せ分としてもそう悪くない額が提示されているし、お前の報酬も問題なく支払われる。お前はそのまま潜入を続けろ。ここで消えても不自然だからな』

 

 「了解」

 

 そして通話は切れた。

 いよいよ作戦の決行まで秒読みという段階になって180度方針が変わるという想定外に、指示された事をやればよい立場の有栖院も流石に裏の事情を勘繰った。

 ────加入させると強硬策が不可能になるメンバーとは? 加入するメンバーの考えがスポンサーの方針と異なっているのか、だとすればそれを『通す』だけの力を、発言力を持っているのか。

 逆に言えば、作戦を変更する事になってでもスカウトするべき、せねばならなかった人物とは────……

 

 (……まさか、ね)

 

 襲撃が無くなったならそれでいい。

 いつも通りを続ければいい。

 今という時間は、まだ壊れない。

 

 「アリス。ここにいたの」

 

 不意にかけられた言葉に振り向くと、そこには彼を探していたらしい黒鉄珠雫がいた。

 

 「あらシズク。どうしたの?」

 

 「どうしたのじゃないわよ、昼食よ。時間になっても戻らないから探しに来たの」

 

 「いけない、もうそんな時間だったかしら。少し休憩のつもりが長引いちゃったわ」

 

 兄らを待たせてはならないと急ぐ珠雫の背中を小走りで追う。

 ───『今』という時間は、まだ壊れない。

 《解放軍(リベリオン)》の暗殺者、《黒の凶手》有栖院凪の表情には、明確な安堵が滲んでいた。

 

 

     ◆

 

 

 月影からの連絡はすぐに来た。

 一真を加えてメンバーを揃えた月影が、近く報道を集めて己の声明を発表するらしい。

 なので今日は他のメンバーとの顔合わせをさせるとの事だ。

 そして一真はいま月影からの指示により警視庁を出て、他のメンバー達が滞在しているホテルを訪れていた。

 フロントに名前を告げ、案内されたフロアへと上がる。秘密裏に準備を進められてきた計画の役者たちが多く拠点としているのだ……どうやら階層ごと貸し切っているらしいのは擬似的な人払いなのだろう。

 しかし………

 

 (明らかにまともな奴がいなさそうなんだよなァ……)

 

 何せ国の在り方を引っくり返す企てに加担させるのだ。新たな学園をでっち上げるにしても、《七星剣武祭》に出場できる年齢という条件下で考えればまずまともな経歴の学生騎士を集めるのは難しいだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()を集めた方がずっと早くて確実だ。

 そう。

 それこそ、自分のような。

 

 『王峰。事情はどうあれ、これでお前は全ての学園の敵になった。舞台に上がるのなら迷いは断て。たとえ日本の危機だとしても、私はあいつらの純粋な闘志に水を差す気はないからな』

 

 『子供の遊び場を守るんは大人の役割さ。だからカズ坊もこの国を守るため、なんてお題目は忘れて好きに戦いなよぉ。あそこに持ってくのは、自分のエゴ以外にゃ何もいらねえんだからさ』

 

 あの後、2人にはそう言われた。

 自分への気遣いではなく、それは純粋な本心だったのだろう。

 しかし一真はその言葉を素直に受け止められないでいた。

 確かにどの道やるべき事はやらねばならないのだ、その結果一輝や刀華との約束を果たすチャンスが巡ってくるならこれは僥倖と言える。

 ───しかし、それでいいのか?

 皆の信頼を踏みにじってまでエゴを通して大悪党に成り下がった自分が、こんな裏道めいた方法で舞台に上がって「約束は守った」なんて───それで彼らに胸を張れるのか?

 

 結局のところ一真は、自分は舞台に上がる資格はないという思いから抜け出せないでいた。

 

 「来たようだね」

 

 「ええ。警察職員の視線が痛かったですが」

 

 「こっちだ。既に皆揃っているよ」

 

 月影の背中についていくと、その先には大きな扉があった。どうやらパーティーホールのようだ、そこに月影が手ずから集めた者たちが待っているらしい。

 ───いよいよ対面だ。

 仲良くなれるかな? なんて馬鹿みたいな心配はしていないが、少なくともコミュニケーション位は取れるような人間がいてほしい。

 これから共闘せねばならないのだから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 月影が装飾の施された両開きの扉を開ける。

 その途端、いくつもの目線が一真へと一斉に突き刺さった。

 注意。警戒。あるいは好奇。

 ある種の圧力すら伴って自分に向けられたそれらの主たちを、一真はゆっくりと見回した。

 

 夏だというのにモコモコと防寒具を着込んだ、凶暴な目元と口元を張り付けた少女。

 

 トップレスにそのまま絵の具まみれのエプロンを着けた、ステラを上回りそうなプロポーションを持つ女。

 

 和服の下からでも尋常でないとわかる身体の、黒髪を伸ばした目付きの鋭い偉丈夫。

 

 黒いゴシックロリータのドレスに身を包む、メイドを横に従えた眼帯の少女。

 

 長い睫毛の下で蒼い瞳を揺らす、少女のような顔立ちの少年。

 

 興味深げな仕草でじろじろと見回してくる、仮面を着けた道化師の衣装を着た男。

 

 総勢6人。

 純粋な圧力、突き刺すような鋭さ、得体の知れない不気味さ……纏う空気に個々のバラつきはあるものの、その全員が曲者だろう事は用意に想像がつく。

 特に和服の男は他のメンバーと比べても頭数個ほど飛び抜けている。この男1人だけで恐らくは代表選手の8割9割は薙ぎ払えるだろう。

 国のトップが己の人脈を駆使して集めた強者たち、その謳い文句に偽りは無さそうだ。

 

 ただ……

 どいつもこいつも………

 何というか……

 こう…………

 

 口元に薄く笑みを浮かべながら、月影は背後で立ち尽くしている一真に問う。

 

 「1人は別件でここにはいないが、君の目から見てどうかね。他の代表選手と比べても決して劣らぬと思うが」

 

 「………個性の多重事故って感じですかね……」

 

 ……これコミュニケーション無理そうかな………?

 世界に1つだけあれば充分な花がわんさか生えている様を前に、身長2メートル30センチ強のテロリストは軽く諦めの境地を垣間見ていた。

 

 

     ◆

 

 

 「あー……王峰一真だ。1つよろしく」

 

 月影に促され、一真は雑に自己紹介をした。

 しかし向こうからの反応はなく、値踏みするような目線が続く。もう少し何か喋るべきだったかと言葉を続けようとした時、2人の少女が近付いてきた。

 ゴスロリ衣装の少女と、その側に控えているメイドだ。

 

 「ほう。貴様が新たな同盟者か」

 

 にぃ、と芝居がかった仕草で笑い、彼女は瀟洒(しょうしゃ)な長手袋に包まれた手を差し出してきた。

 

 「我は爪牙を統べし(けだもの)の王、《魔獣使い(ビーストテイマー)》───仮初めの名を風祭(かざまつり)凛奈(りんな)。隣に在るは我が忠実なる従者シャルロット・コルデー。歓迎しようぞ《巨神の鉄槌(タイタンズハンマー)》………我と(くつわ)を並べるその栄誉、とくと噛み締めるが良い!」

 

 「お嬢様は『私風祭凛奈って言うんだ!こっちは私のメイドのシャルロット!よろしくね!』と申し上げております」

 

 「……おう。よろしく」

 

 1番世界観がわからない奴が1番友好的だった。

 差し出された握り潰してしまいそうなサイズ差の手のひらを取り握手を結ぶ。その際にメイドの視線に混ざった殺意と急に付けられた2つ名はもう気にしない事にした。

 《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》よりかは穏当だが今後ずっとそれで呼ばれ続けるのだろうか?

 シャルロットの妬ましげな顔から顔を背けた先で、じっとこちらを見つめてくる裸エプロンと目が合った。

 

 「……サラ・ブラッドリリー。よろしく」

 

 「フフフっ、平賀(ひらが)冷泉(れいせん)と申します。王峰一真────《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》さん、()()()()()()()

 

 頭の先から爪先まで検分するようなサラの視線を受けて一真は思わず身を(よじ)った。

 何と言うのだろう、視線の内に興味というか、ある種の(へき)が含まれているように感じたのだ。

 発音の1つ1つに全てを嘲笑するような響きを持つ、大仰な仕草で一礼するピエロは無視した。コイツは根本が合わないと直感が言っている。

 そしてその横にいた少女のような顔立ちの少年を見下ろして───思わず、身体の動きを止めた。

 

 「お前は………」

 

 「でっかいなぁ……。あ、僕()()(みや)天音(あまね)っていうんだ。よろしく。……どうしたの?」

 

 「……いや、別に。よろしくな」

 

 顔に何か付いてた? と自分の顔をペタペタ触る天音だが、一真は明確な答えを返さなかった。

 言葉を濁されたせいで不安になったのだろう、ねえちょっと何!? と腕を引っ張ってくる天音の手を優しく外し、一真はさっきから刺々しい視線を向けてきている防寒具の女を見る。

 お前は誰だと無言で促され、ケッ、と口を鳴らして彼女はようやく自分の名前を名乗った。

 

 「多々良(たたら)幽衣(ゆい)。……とでも呼んどけ」

 

 「……『仮初めの名云々(うんぬん)』って奴か?」

 

 「一緒にすんなド阿呆! ホイホイ本名晒す殺し屋がどこにいんだよ!」

 

 それもそうかと納得してしまうと同時に、やはり裏稼業の集まりなのかと一真は肩を落とした。

 なお多々良の態度が刺々しいのは一真の加入により破軍学園への襲撃が流れて暴れる機会が遠退いたからなのだが、それを一真が知る由もない。

 改めて落ちる所まで落ちたのだなと我が身を嗤う彼の背中を────

 

 直後に戦慄が走り抜けた。

 

 「……破軍の制服。《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》」

 

 低い呟きが後ろから聞こえた。

 そこにいるのは黒髪を伸ばした和服姿の男。

 背中を撫でるような圧力に、一真は眼光を研いで振り返る。

 そうだ───経験した事がある。 

 嵐の直前には、()()()()()()()()()()

 

 「───平賀。貴様の言っていた《紅蓮の皇女》に並ぶ人間とはこの男か」

 

 気付けばその手には野太刀が握られていた。

 男を中心に漏れ出す()に煽られて天井の照明が揺れ、テーブルクロスがはためく。

 一触即発の気配にそれぞれが『最悪』に備える中、月影は厳しい表情で彼らを止めようとする。

 

 「()()()。この場所で危険な行動は謹んで───」

 

 「ええ、ええ、その通りです。ですがしかし困りましたねぇ、物騒な事になってしまいました。本気の貴方方(あなたがた)を止められる人間などこの場にはいないというのに……!」

 

 がしかし、面白そうに身体を揺する道化師がそれを遮るように状況を煽った。

 その言葉を侮りと感じて口を歪め犬歯を見せる者もいたが、一真は冷静に平賀へ言葉を向ける。

 

 「由比ヶ浜じゃ世話になったな。平賀とやら」

 

 「おや、バレていましたか? いやはや、あの時の姿には御見逸れしました。全てを破壊するあの力、まさに体制の転換には相応しく───」

 

 

 「────()()()()()()()

 

 

 おや、と語るに落ちたのを悟った平賀が仮面越しに口に手を当てる。

 一真としても大した根拠があったのではない。

 自分の素性や実力を知っている事を匂わせるかのような持って回った物言いに、今のように場を引っ掻き回して面白がるような性質。

 加えて堅気(かたぎ)の人間ではなく情報を他者に共有している、つまりこの集団の一員である可能性があるのではないか?

 ………という理由からカマをかけてみたら、見事に当たったという訳だ。

 これは釈明できないと察した道化師が、芝居がかった仕草で自白した。

 

 「フフフっ、これはこれはしてやられてしまいました。いやその通り。新たな人形が完成したタイミングで実力者たちが集まっていると聞き、いてもたってもいられずについ………。

 その節は多大なるご迷惑をお掛けして誠に申し訳」

 

 

 

 消し飛んだ。

 《プリンケプス》に正面から鳩尾(みぞおち)を蹴り抜かれた平賀の身体が、四肢と頭部をその場に残して消滅する。

 平賀の残ったパーツが地面に落ちるよりも、蹴り終わった彼が元の構えに戻る方が圧倒的に早い。

 踏み込んで蹴る、洗練された動作と圧倒的な魔力による強化はその単純な動作を不可視の領域にまで押し上げていた。

 だが。

 

 「………あん?」

 

 『身体が消し飛んだ』という現象に一真は怪訝な声を出した。

 いま彼は《幻想形態》を用いて平賀を蹴った。ならば平賀に傷が付くというのは有り得ない。この形態で破壊できるものは非生物のみなのだから。

 となると、つまり────

 

 

 「……フ、フフ、これは参りました」

 

 

 こういう事だ。

 破断した面から金属の骨組みと樹脂を晒す平賀の首が声を発した。

 平賀冷泉という男など存在しない。『平賀冷泉』という名の人形を、どこかの誰かが操っていただけだ。

 

 「情け無用の躊躇いのなさ、防御すら許さぬ横暴な力……感服致しました………このゲーム、貴方の勝」

 

 ダラダラ喋っていた頭を踏み潰した。最後まで聞いてやる道理がない。

 煙草の火を消すように何度か(にじ)った後、一真はちらりと横を見る。

 

 多々良幽衣が霊装(デバイス)のチェーンソーを一真の首に突き立てていた。

 が、一真に負傷の類いはない。

 破れていないのだ。

 一真が無意識で展開している魔力障壁を。

 

 「仇討ちか?」

 

 「な訳ねェだろ。こんなモン殺られた方が間抜けだ。……だがなァ、舐められっぱなしじゃアタイらの稼業は成り立たねェんだよ……!!」

 

 「……まァ、いいか。作戦に支障が出るような真似をした事に変わりはねえし」

 

 一真は指を3本立てて多々良に見せる。

 

 

 「3発。無抵抗で受けてやる」

 

 

 ───明確に下に見られている。

 多々良幽衣。自らの頭の血管が切れる音を、彼女は久方ぶりに聞いた。

 

 「食い散らかせェっ、《地摺(じず)蜈蚣(むかで)》ェェェええっ!!!」

 

 刃引き無し。

 唸り声を上げるチェーンソーが3回、フルスイングで一真に激突した。

 腹、首、胸、狂いなく急所を断ち切るはずだった刃の鎖はしかし魔力障壁に阻まれ、どれも一真の服を傷付ける事すら出来なかった。

 そして4発目。

 提示された無抵抗の回数を越えてなお振るわれた《地摺(じず)蜈蚣(むかで)》に、一真はとうとう反撃した。

 超高空から飛来する踵落とし。

 平賀に放たれたものと同じように、視認すら危ういその蹴りを────

 

 (馬鹿が、くたばれ!!!)

 

 ─────彼女は、完全に見切っていた。

 

 

 

 

 多々良幽衣。

 伐刀者(ブレイザー)ランクはB、能力は《反射》。

 受け止めた物理的な攻撃を全て相手に跳ね返す障壁、《完全反射(トータルリフレクト)》を得意とする。

 裏稼業として気持ちが熱くなる程に頭を冷たくする術を持つ彼女は、怒ってがむしゃらに攻撃するように見せかけて一真の攻撃を誘っていた。

 自分の力で傷が付けられないのなら、()()()()()()()()()()()()()

 あれ程の力、返されればただでは済まない。

 そうなれば後はどうとでも料理できる。

 

 冷静・冷徹な思考力。

 敵の攻撃を全て跳ね返す力。

 能力を十全に活かすために鍛え抜いた、降り注ぐ雨粒すら全て見切る動体視力。

 

 

 それらを兼ね備えた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()───紛う事なき強者である。

 

 

 「────《屈従の刻印(セルウス・シニュム)》」

 

 踏み越え、踏み破る《踏破》の力。

 その力の持つ『優劣の劣を押し付ける』という因果干渉は、『踏む』という攻撃においては更に強化される。

 《完全反射(トータルリフレクト)》すら踏み破って多々良を沈めた一真は《プリンケプス》を消し、脚に絡んだ紫白の魔力の残り火を振り払う。

 全員が押し黙った。……いや、絶句したと言った方が適切かもしれない。

 新たなメンバーを加えて自己紹介したのも束の間、数分もしない内に1人が退場、1人が返り討ち。

 闘気を発していた黒鉄と呼ばれた和服の男も流石に閉口していた。

 頭頂部に大きな《血光》を散らし倒れ伏す多々良を爪先でつついて意識を失っていることを確認する。

 

 「……考えてみりゃこのメンバーで七星剣武祭に出るんなら、俺が加わったらどうしたって人数がオーバーするんだよな」

 

 ふと思い当たった自らの呟きに、そうだ、と一真は顔を上げた。

 言葉を失った月影に、彼は何一つ悪びれる事なく向き直る。

 早速己の何たるかを遺憾なく発揮した組織の劇薬は、それがさも名案であるように言い放った。

 

 「丁度いいや。この木偶人形の枠に俺が入ればピッタリでしょう」

 

 

 月影獏牙は1つ思い違いをしていた。

 一般的な常識と倫理を持っていようがそこを突いて納得の上で首輪を付けようが、彼が大人しくなるなど有り得ない。

 どこの誰と相対しようが、彼は王峰一真であるが故に王峰一真なのだから。



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43話

 挨拶と顔合わせはそうして終わった。

 平賀を蹴り飛ばした件については理由を説明したところ、『そういう訳ならまぁ……』と多々良を返り討ちにした件も合わせてメンバー間には因果応報で収まった。

 横の繋がりが薄いのだろう、義憤に駆られる者がいなかったのは幸運(?)だった。

 そして今日から本戦まではここに滞在するよう月影に指示を受け、一真にもホテルの一室が与えられた。

 それを受けた一真は出所(と言っていいのだろうか)の挨拶の為に1度警視庁に戻って挨拶を済ませた後にホテルへと帰宅。『傍若無人なのか義理堅いのかわからない』という反応に困る評価を付けられたが、一真としては当然の筋を通しただけだ。

 目には目。歯には歯。罪には報いを。

 誠実である事。それが道理だ。

 

 「……何の用だ」

 

 「言いたい事っつーか、聞きたい事っつーか……。ちょっと話があってな」

 

 滞在している部屋のドアをノックされた和服の男は、ドアの枠から肩から上が丸ごと見切れている長身の来客を見上げる。

 壁に阻まれて顔が見えない事を理解した一真は、身体を屈めて和服の男に目線を合わせた。

 

 「まず名前を教えてくれ。ゴタゴタして聞き損ねてたんだが……お前、総理から黒鉄って呼ばれてたよな?」

 

 「ゴタゴタさせたの間違いだろう。……話があるなら聞いてやるから入れ。屈んだまま話されるのも腹立たしい」

 

 招き入れられた部屋で一真はふと違和感に気付いた。

 椅子やベッドのシーツに1つの乱れもない。ベッドメイキングされてそのまま手も触れていないような整い方だ。

 この和服の男、もしやこの洋室を和室のように使っているのだろうか。

 

 「何か飲むか」

 

 「いや、いい。それで」

 

 「名前か。───黒鉄(くろがね)王馬(おうま)。お前の想像する通り、黒鉄本家の筋だ」

 

 ───黒鉄。一真の心臓が縮む。

 家の因習によって家族から追われ無二の友人を甚振られた一真にとっては忌むべき敵だったとしても、他の者から見てもそうとは限らない。

 ましてここで声がかかる程の才能の持ち主で、恐らくは家からも大切に扱われていただろう者にとっては特に……

 

 「あー、その、話にゃ聞いてるだろうけどよ……。俺はお前の父親を……」

 

 「聞いている。連盟の支部ごと潰したという話だろう。よもや貴様、その事を謝りに来たとでも言うんじゃないだろうな」

 

 「──────」

 

 「図星か、下らん。憎しみも何も感じてなどいない。家族などとうの昔に捨ててきた」

 

 フン、と心底興味無さそうに鼻を鳴らす王馬に流石の一真も面食らった。

 ()()()()()()()()()()()()あそこは恵まれた環境だという認識は一真にもある。それを情ごと捨ててきたと言われるのは予想外だったのだ。

 

 「お前も家の因習に嫌気が差した口か?」

 

 「それこそどうでもいい事だ。強くなる為には足枷でしかなかった、それだけだ。

 ……何だ。オレが怒りに駆られて襲いかかるのを期待していたのか?

 怒りと言うのなら、貴様がそうして軽々しく頭を下げようとしているのが余程気に食わん」

 

 「どういう事だ」

 

 「己の持つ力を蔑ろにするな」

 

 質問に対する答えとしてズレているような気がする。一真の困惑している様子を見て、王馬は歯痒そうに舌打ちをした。

 価値観の違い。

 自分の絶対的価値観(アイデンティティ)に照らし合わせれば、王馬にとっては一真の行動こそズレているようだった。

 

 「『騎士の力』とは他者の『運命』を退け、自らの『運命』を押し通す力。『この世に自らの意思を反映する力』のことだ。

 総魔力量(オーラ)の量が生涯に渡り変化しないのは、その者が世界に刻む歴史の大きさが産まれ落ちた瞬間に決まっているからに他ならない。

 そして貴様は、それを以て自らの意思を押し通した。

 (いつき)は身の程を弁えず、間抜けにも踏んではならない虎の尾を踏んだ。それだけだ。

 ────ならば恥じるな。(おもね)るな。

 貴様は筋を通しているつもりかもしれんが、それは己の力に対する侮辱に他ならん」

 

 ここまで王馬が鍛え抜いた密度に裏打ちされた主張の強さと重さに、さしもの一真も僅かに仰け反った。

 力と才能の原理主義。

 それは努力の果てに強者となった反例を1人知っている一真としては、首を縦に振りたくはない思想。

 だけど。

 だけれど………────。

 

 「………なるほどな。忠告痛み入るよ。そう言えば『謝るくらいなら言うな』って前にも言われたっけか」

 

 「分かったなら帰れ。《紅蓮の皇女》と並ぶ男と知って一時滾りはしたが、その気も失せた。自らの力に背を向ける者など戦うだけ無駄だ」

 

 「分かったよ、邪魔したな。……あと、最後に1つ誤解を解いておこうか」

 

 「?」

 

 「洒落にならない事をしたって自覚はある。だが俺は謝りに来たのを当てられたから黙ったんじゃねえ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここへはただ自首しに来ただけだよ、と背中越しに一真は的外れな推測を嗤う。

 

 「反省はしよう。だが誰が謝ってなんざやるものかよ。俺は連盟の支部を、あの男を潰した事を後悔なんてしちゃいねえ。

 例え世間に後ろ指差されようが刀華やイッキに責められようが、結果としてこんな所に行き着こうが────

 

 ───俺は、俺に恥じる事なんざ何一つとして無いんだから」

  

 

 そう言い放って一真は王馬の部屋を出る。

 ドアを潜り自分の部屋に向かって廊下を少し歩いた所で、王馬の部屋から一瞬、暴風のように気配が膨れ上がったのを感じた。

 どうもまた火が点いたらしい。後ろから斬りかかられたりしないだろうな、と一真は闘気にピリつく肌を擦る。

 ───家族は足枷でしかない、か。

 王馬の予想は完全に的外れだった訳でもない。一真は確かに王馬が怒りで斬りかかってくるものとばかり思っていた。

 しかし、返ってきた答えはその一言。

 胸を(よぎ)る一抹の虚しさに一真は目を細めた。

 捨てられたり殺されかけたり、迫害されたり見限ったり。

 まともに扱われているかと思えば今度は邪魔だと言って自分から切り捨てていたり。

 かと思えば、血の繋がりも縁もゆかりも無い者たちとそれと同じくらい強く繋がったり………、

 

 「………難しいなァ。家族ってのは」

 

 ……というかもしかして俺の回りには自分含めまともな家庭環境の奴が殆どいないのでは? とあまり気付きたくなかった哀しい事実に行き当たりそうになり思わず首を横に振る。

 無条件で信用できるべき人を失い、裏切られ、捨てようとも、それぞれが信じるに足る人や道を見付けている。それでいいじゃないか。

 とにかくこれでこの集まりにおける全ての因縁は消化したはずだ。

 後はせいぜい大人しくしていよう。

 これ以上問題を起こすのも月影に悪いし、それに付き合いを深める理由も無い─────

 

 「あ。いた」

 

 そうして自室へと歩いていたその時。

 自分の部屋のドア、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこから現れたのはトップレスの裸エプロン、サラ・ブラッドリリー。

 一真の部屋に妙な出入り口を作った事や一真の部屋から出てきた事に対する弁明は一切無し。

 彼女は硬直する一真につかつかと歩み寄り、服の前に両手をかけつつ言い放った。

 

 

 「身体を見たい。服を脱いで」

 

 

 そのままボタンを引き千切ろうとしてくるサラの両肩を掴んでポイと横に放り投げ、パタンと自室のドアを閉じて即座に鍵をかける。

 ベッドに身体を放った一真は、今日は色々あった日だったなと1日を総括した。

 自分に脱げと言いながら服を脱がせようとしてくる女はいなかった。誰が何と言おうとそんな女はいなかったのだ。

 だというのにまた壁にドアが増えた。

 何らかの能力を使って壁をドアに変えているらしいサラがお手製の入口を開いて侵入しようとしてくるのを、飛び起きた一真は内側から()()を押さえてブロックする。

 

 「あのな? 今日はもう腹一杯なんだわ。もうこれ以上のイベントの消化はやりたくねえんだわ。俺の言いたい事わかるよな?」

 

 『……? 私はただあなたの裸を見て触ってみたいだけ……』

 

 「嘘だろ分かんねえの……? じゃあもう直接言うわ。よく聞いてくれな? 改めて断るからせめて明日にしてくれや」

 

 『わかった。裸を見せて』

 

 「耳に(うじ)沸いてんのかテメェ」

 

 ”わかった”の意味すらわかっていない可能性が出てきた。

 彼女の力では微動だにしない位の力で押さえているのにサラが退く気配が一切なかった。

 1枚の(ドア)を鍔迫り合わせながら、2人は言葉による解決方法を模索する。

 

 『言葉から考えるに明日頼めば断られる。なら今頼めば見せてくれるはず』

 

 「ポジティブの災害か? 問題を起こす気も付き合いを深める理由も無いって決めたばっかなんだよ俺はよ。その直後に問題2つセットで押し掛けてんじゃねえ。

 嫌だ。わかるか? い・や・だ・つってんの」

 

 『しかし………あるいは?』

 

 「無敵かコイツ!?」

 

 思わず腹から声が出た。

 こっちの都合を完全に無視した自分の目的しか見えていないこの姿勢、いつぞやの《剣士殺し(ソードイーター)》に近しいものを感じる。

 そして平行線を辿る議論の末に痺れを切らしたのはまさかのサラだった。

 

 『……埒があかない。もう強行突破するしかない』

 

 言うが早いか、一真が押さえている(ドア)にまた一回り小さいドアが開いた。

 不意を突いて一真のブロックをすり抜けてきたサラがそのまま突撃、彼の胴体に組み付いてきた。

 ここまでやられると一真としてもスルーの範囲外だ。伐刀者(ブレイザー)なら死にはしないだろうしもう窓からブン投げてやろうとサラの胴体を掴み───そして目を剥いた。

 

 (いや────コイツ虚弱過ぎんだろ!?)

 

 筋肉を通り越して骨に触れる、細い木の枝を掴んだ感覚がした。

 ダメだ、窓から投げたら死ぬ。どころか力を入れ過ぎただけで骨が折れそうだ。

 無理に引き剥がしたら腕が()げそうで実力行使も出来ない。結果扱い方がわからずへっぴり腰で抵抗するしか手が無くなってしまった。

 

 「あー、その、な? 落ち着け。怪我するから。このまま俺が抵抗したら洒落にならない怪我しそうだから……」

 

 「離さない……! 貴方は、もしかしたら……私の絵のモデルになり得るかもしれないから……!」

 

 

 

 「………、…………」

 

 声をかけるのも躊躇う程に集中した眼差しで、サラは捲られた袖から覗く一真の腕を指先でなぞる。

 どうも思っていた事情と違うらしいし、これ以上騒ぎになっても面倒なので、一真は結局サラを部屋に入れた。

 速攻で服を剥ぎ取りにきた彼女をベッドに放り投げてから話を聞くに、サラ・ブラッドリリーは画家であるらしい。

 彼女は亡き父が最期まで描ききる事が叶わなかった絵画の空白────そこにあるべきメシアの姿を描くためのモデルを探しており、その候補として自分に目を付けたとの事だ。

 突っぱねにくい事情を持ち出されて終いに折れてしまった結果が今だ。

 勝ち負けを論ずるならばこの勝負、一真の拒否を押し切ったサラの勝ちだろう。

 

 (倉敷の時もそうだったが、俺はもしかして押しに弱ぇのか……?)

 

 こういう純粋な熱意には大体負けている気がする。

 服の上から腹筋や胸板を触られる感触をやり過ごすべく一真は心を無にしていた。

 なぜか笑顔で青筋を浮かべる刀華が脳内に浮かび、これは(よこしま)なものでは無いからと脳内で必死に言い訳を重ねていると、またもサラの手がシャツのボタンに伸びてきた。

 即止めた。

 

 「………なぜ」

 

 「何故じゃねえ。ヌードはやらねえっつったろ」

 

 「からの……?」

 

 「何も起きねえよ!!」

 

 脳内の刀華が《鳴神》を抜き始めた。

 さすがにこれ以上抵抗されると不都合と感じてかサラは不承不承服の上からの観察に留めた。

 そうして肉体を検分されること数分。

 納得いくまで情報を集め終わったサラは少しだけ眉を八の字にした。

 

 「芯の強そうな顔立ち。筋の通った綺麗な姿勢、無駄なく鍛え抜かれた筋肉。肉体の方は文句の付けようもなく完璧。

 ………だけど、残念。私が想定するモチーフとは、内面が少しだけズレている」

 

 「そうかい。……お前の言うモチーフってのはどういうのが理想なんだ?」

 

 ……何かフラれたような気分がするが、一真はここに来てサラへと歩み寄りにいった。

 敵意や害意を感じなかったのもそうだが、何より彼女がここまで盲目になって追い求める『モチーフ』がどんなものなのか興味が湧いたのだ。

 ある意味どっちつかずな立場とも思える質問に、サラは淀みなく答えた。

 

 「強さの中に、優しさと弱さがある。そういう矛盾を体現した人。そういった意味で貴方はとても惜しい。言葉にしたら同じでも、私のイメージとはニュアンスが異なるから」

 

 「ニュアンス?」

 

 「貴方は、『王様』」

 

 首を傾げる一真を真っ直ぐに見つめ、サラは一真の目線を集めるように人差し指で彼の眉間を指差した。

 

 「並み居る敵を、道無き道を踏み均して進む。そうして出来た道を誰かが着いてくる。与えられた肩書きじゃなく、正義でもなく、ただ貴方に惚れた人たちに担がれる王様。貴方から感じるのは、そんな『強さ』」 

 

 だけど、と。

 まるで一真という石塊(いしくれ)に、鎚と(たがね)で形を与えるかのように。

 そこにある本質を指し示すかのように、サラは一真の胸の中央に指先を当てた。

 

 

 「だけど、そんな強さの鎧の中に─────ふて腐れてる子供が見える」

 

 

 押し黙った一真を横目に彼女はテーブルに備えてあったメモ紙を千切り、サラサラと何かを書き記す。

 それを彼女は一真の胸ポケットに差し込んだ。まるでサービスの礼にチップを渡すような所作だ。

 

 「とはいえ、貴方はとても興味深い………そう見る事はないモチーフ。気が向いたら連絡してほしい。貴方の事も、描いてみたいから」

 

 そう言って彼女は今度はちゃんとしたドアから出ていった。いきなり押し掛け自分の用事をゴリ押して、それが済んだらさっさと帰る。ある意味芸術家らしい自分勝手さだった。

 ───ふて腐れてる子供が見える。

 一真はサラの言葉を反芻し、

 

 「アホ臭え。俺のやってる事がただの八つ当たりとでも言いてえのか」

 

 そう吐き捨てた。

 これは自分の道、自分の道義。他者から見てどうかは知らないが、己の心に掲げた御旗そのものだ。

 芸術家の感性など当てになるものでは……、と考えようとして、ふと止めた。

 自分というモチーフを見通さんとするあの目と手つきには、到底蔑ろにしていいものでは無いような熱量があったからだ。

 一真は胸ポケットのメモ紙を取り出して眺める。流麗な字で記された名前は、どうやら彼女の()()らしい。

 名前と番号が書かれた紙を適当にテーブルに放り、彼は口の端を曲げて独りごちた。

 

 

 「……ま、気が向いたらな。“マリオ=ロッソ“さんよ」

 

 

 その少し後、試しに『マリオ=ロッソ』で検索してみた一真が出てきた結果に鼻水を噴き出すのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 そんな『顔合わせ』の日を回想していた一真は、ふとその事について考えていた。

 自分が幼い頃、両親に捨てられた事から始まった事をサラ・ブラッドリリーは知らないはず。

 だが、彼女は確かに自分の真ん中を『ふて腐れた()()』だと言った。

 あの短時間のゴタゴタの中から暴力性だけでなく、周囲の人間にまで踏み込んだ彼女の観察眼。

 もしそれを信用するとしたら。

 幼い頃のままで時間が止まっている自分の真ん中とは。

 

 (……いま考えてもしょうがねえか)

 

 「抜刀者(ブレイザー)は国防の要。その育成の大部分の権限を他国の機関に委ねている。まして免許に至っては発行はおろか失効すら自由にできない。

 こんな状態が健全な国家と言えるだろうか?」

 

 壇上で己の主張をかざす月影の背後、6人の()()が並んでいる。

 ただし決まった制服を纏っている者はいない。

 ドレス、和服、防寒着など思い思いの服を好き勝手に来ているその様をある者は協調性の無さと、ある者は自我(エゴ)の表れだと捉えた。

 

 「日本は『国際騎士連盟』などという、他国の不始末を処理させられるだけの国益に繋がらぬ寄り合いに所属し続けるべきではない。

 この国は独力で主権を維持し続ける力を有している。………それを示すのが、後ろの彼らだ」

 

 月影が腕の動きで彼らを示すと同時、彼らを無数のフラッシュが叩く。

 網膜を刺すその鋭さが、いま自分が立っている場所を無遠慮なまでに教えてくる。

 ───朝に行われているこの会見がニュースとなって流れるのはどのくらい後の事なのだろうか。

 それはわからないが、少なくとももう昼には国民の周知の事実になっているだろう。

 

 「彼らは連盟に依らない()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私は彼らを代表選手として《七星剣武祭》に出場させ、そして優勝を勝ち取ることで私の主張の正統性を裏付けるものとしよう。

 我々はこれ以上他国に(おもね)るべきではない!

 この国は今こそ主権を取り戻す!

 力を持たぬ屏風の虎に見切りを付け、日本は自らの力で世界に立ち、1つの大国として呱々(ここ)の声を上げるのだ!!」

 

 言葉が力と熱を帯びていく。

 彼の言葉に頷く者は目の前の記者たちの中にも多いだろう。

 そんな彼らは、いやそうでない彼らも、世論を月影の望む方向に誘導するような報道をしてくれるはずだ。

 ここにいるカメラを手にしている者全ては、この国のトップの手足なのだから。

 この国に生きる同じ思想の者たちに向けて、我が声よ届けと言わんばかりに────月影は、叫びと拳を天に突き上げた。

 

 

 

 「私はここに────国立《暁学園(あかつきがくえん)》の設立を宣言する!!!」

 

 

 

 暁学園。

 自分たちという集団に、名前が付けられたその時。

 東堂刀華の怒りの叫びが、どこかから聞こえたような気がした。



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44話

 「……あーあ。折角面白そうな事に入り込めたと思ったのに」

 

 東南アジアの一角、地元の住民にも存在を忘れられた熱帯雨林に埋もれるクメール建築の遺跡。

 朽ちゆくままの廃墟の一室に(うずたかく)く積み上げられたブラウン管モニターを、小柄な影がつまらなそうに蹴飛ばした。

 世界中で同時に演じていたから絡繰人形が1つ『平賀冷泉』が破壊され、()()()()()()()()()()。壊されたところでどうという事はない役回りだったが、楽しそうなイベントに加われなくなった失望はそれなりにある。

 愉快に生きることを生の本懐とする彼にとっては特に。

 同時に、少しだけ興味が湧いた。

 少なくとも人間と認識しているものを蹴り潰す時のあの顔に、敵意や害意など欠片も存在していない。腕に止まった蚊を潰すような、殺意未満の日常行動(ルーティーン)

 己の感情で虫のように他者を踏み潰す………報復という正当性はあれど、その在り(よう)にはある種の親近感を感じるのだ。

 

 「うん。イベントから弾かれた分のちょっかいは出してみようかな?」

 

 思い立ったように言いながら、小柄な影はひょいと人差し指を踊らせる。

 そこから伸びるのは細長い悪意。

 子供が蝶の羽を毟るような無邪気な残虐が、糸となって遥か遠い東の果てへと飛んでいった。

 

 

     ◆

 

 

 月影獏牙を理事長として発足した国立・暁学園が《連盟》に叩き付けた挑戦状は大々的に報道された。

 やり方が横暴すぎるという声も上がったが元より拠点の1つを()()()()()にいいようにされた連盟の実力を疑問視する声は多く、マスコミの働きもあって世論は脱連盟派へと大きく舵を切り始めた。

 もちろん連盟が良い顔をするはずもなかったが、そこへ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()決定打となる。

 看板を汚されたところにここまで挑発(お膳立て)されては、連盟としても騎士の不文律で日本の挑戦状を迎え撃つしかない。

 

 全ては月影の思い描くがまま。

 日本を(ながら)えさせる為の力任せの計略は、スタートラインに立つための最後の正念場を迎えていた。

 

 「ふぅ──────………」

 

 長く息を吐きながら一真は高々と脚を掲げる。

 真横に開いた股関節の角度が90度を超えて180度へ。脚が身体の側面にペタリと着くまでに持ち上げた脚を腕で抱え、蹴りの肝となる部位の筋肉を丹念に(ほぐ)していく。

 身体から昇る熱気は彼の肉体が充分なウォーミングアップを経てトップギアに入っている事を示していた。

 完全に臨戦態勢になっている彼に、通りがかった黒鉄王馬が若干呆れたような眼差しを送る。

 

 「準備が要るような相手でもないだろう」

 

 「任された事はしっかりやんなきゃな。その為に準備を整えるのは当然だろ? ()()()()お前は大丈夫かも知れねえけど、逆に他の奴らは身体温めなくていいのかよ」

 

 「知らん。……しかしまた妙なのに懐かれたな、貴様は」

 

 「いや、懐かれてるっつーか……」

 

 王馬の指摘に一真はストレッチしている周りをぐるぐる歩きながら手元のスケッチブックにデッサンしているサラを意識から外すように言葉を濁す。

 メシアを描くための習作をしているらしい。

 一真としても集中したいためどこかに行ってほしいのだが、明確に邪魔な訳でもない上に彼女の熱量を自分で認めてしまった以上、おいそれと邪険に出来ないのだ。

 

 「ほう。《風の剣帝》に《血濡れのダ・ヴィンチ》、そして《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》が揃い踏みか。

 ククク、我を差し置いての密談とは良い心掛けではないか………どれ、我も加わってやろう。

 何を企てるにせよ、1人は導く者がおらねば話にならんだろうよ」

 

 「お嬢様は『皆だけで仲良くしてずるい!私も交ぜて!』とおっしゃっております」

 

 「もう時間だっつってんだろバカ!!」

 

 うっかりしていた。もう開会の時間らしい。

 凛奈をどやしつけた多々良に促され3人は会場へと向かう。

 こいつがまとめ役やってんのも不思議だよなァ、と多々良を見たら数秒後に殺してきそうな目で睨まれたが特に仲良くする気も無いのでスルー。

 やられる側が悪いのだ。そもそも3発までなら受けるという言葉を無視したのは向こうなのだし。

 廊下の先のゲートから漏れてくる会場の光とどよめきが彼らに届き始めた時、一真は自分の腹のあたりの高さで揺れている天音のつむじを見下ろして言った。

 

 「大丈夫か? 緊張してねえ?」

 

 「え? 大丈夫だけど……。前から思ってたんだけどさ、カズマ君なんか僕には妙に親切じゃない?」

 

 「………そうか? 別にそうでもねえけど」

 

 天音の疑問を否定する一真だが、何となく答えの歯切れが悪い。

 沈黙は明確な答えが存在する証拠───そう考えた凛奈は、ふむ、と顎に手を当てる。

 

 「史実によれば()()()()()倒錯的な性癖を持っていたと言うが……」

 

 「試合前から退場させてやろうか?」

 

 シャルロットの通訳を待たずしてドスの利いた声で遮ると同時に一真達はゲートを潜り、月影の立つリングへと上がる。

 ───ここは闘技場。

 国内(ナショナル)リーグにも使用される場所。

 いつものように戦いの前に熾火のような熱に包まれた観衆たちはそこにはいない。

 これは頂点を決める意思の激突ではなく、国の在り方という大きな議題に投じられた一石だからだ。

 観客席に座る無数の目が、これから体制に牙を剥く戦士たちを緊迫の面持ちで見つめている。

 

 

 暁学園の生徒1人に対して各騎士学校の生徒をそれぞれ1人ずつ選出させて戦う、1対7という人数差の変則ルールの団体戦。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それが暁学園が《七星剣武祭》に出場する為の月影が自ら提示した条件だった。

 

 

 

 

 「それではこれより始めよう────国立《暁学園》の力、そして私の正しさの証明を!!」

 

 月影の渾身の叫びによって開会の言葉は締め括られ、いよいよ第一回戦が始まろうとしていた。

 きちんと用意されている実況の前口上と紹介された解説役の挨拶が大きな塊となった観衆のざわめきに被さる。

 そして緊張や好奇の眼差しを送る彼らの中に数名、射殺すような眼光でリングを睨んでいる者がいる。

 その中の2人が、黒鉄一輝と東堂刀華だ。

 

 「やはり他の学園は代表選手は温存する方向で選出しているんでしょうか」 

 

 「ええ、本戦に進む生徒はほぼ間違いなく出てこないでしょうね。とはいえ連盟(うえ)の面子もある以上、相応の実力者は選出されるはずですが」

 

 そもそもにおいて彼らは国そのものが白を黒だと言い張っているだけで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかしどんな手段と目的で戦場に割り込もうが、元より戦いに道理や道義など求める方が愚かというもの。彼ら騎士はただ相対する敵を倒すのみ。

 故に7つの騎士学校は《暁学園》の乱入を本気で拒んでなどおらず、むしろ本戦に向けて彼らの情報をさらに引き出すチャンスだと考えていた。

 ………《連盟》の意向に従うのなら、学園はそれぞれの代表選手をぶつけるべきだろう。

 しかしそれで暁学園の参戦を阻止できたとしても、その後の《七星剣武祭》で戦う自校の生徒がこんな所で傷物になったり手の内を晒す事になってはたまらない。

 

 つまり各校が選出するのは手の内を晒さず《連盟》の意向にもある程度は背かない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのが彼らの推測だった。

 

 「ねえイッキ。確かあの和服の男が………、オウマがイッキのお兄さんなのよね?」

 

 「ああ。何年も前に海外に武者修行に行ったきりだったけど、まさかここで姿を見る事になるとは思わなかったよ。………カズマ共々ね」

 

 あの事件を期に一輝に芽生えた黒い感情は未だ冷めやらない。

 今にも胸を喰い破って走り出そうとする激情を、刀華も同じように拳を握り締めて自分の内に押し止めている。

 これから戦う生徒たちよりも険しいその形相に、ステラは恐る恐る声をかけた。

 

 「……ねえ。2人共、もういっそカズマに会いに行けばいいんじゃない?」 

 

 「いえ、それはできません。話を聞いて()()()のは、まず私たちと同じ舞台に上がってからですので」

 

 刀華の答えに一輝は小さく頷いて同意を示す。

 あくまでも申し開きをするのは向こう。話をするのは一真の側から。冷えて固まった感情のマグマはそれだけ大きな重量で腹の底に沈んでいる。

 しかしそれでもただ1つだけ、変わらない想いが胸の内にある。

 

 「だから全員只者ではないのはわかりますし、一輝くんのお兄さんは大丈夫とは思いますが………他の人には頑張って貰わないと困りますね」

 

 ───王峰一真は必ず勝つ。

 悲しみを味わい裏切りと感じて憤っても、その信頼だけは揺らがないままだった。

 

 『さぁ、まずは赤ゲートから暁学園の登場です!力と意思の等価交換、爪牙を従える獣の女王!《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凛奈選手!!』

 

 実況の口上に応えるように、ゲートの中の暗がりから更に黒い影が姿を現す。

 ずしん、と。

 軽トラック程もある巨大な体躯の黒いライオンが、その背中に眼帯の少女を乗せてリングへと踏み込んできた。

 

 

 「フゥーハハハハハ!我が僕、魔獣《スフィンクス》は我が血脈の力、邪神呪縛法により魂と血に邪悪なる聖痕を刻み込まれておる!

 暗黒の力を極限まで引き出した魔獣の力、もはや人の身で抗いうる存在ではないわ!!」

 

 

 「絶好調かよ。何て言ってんだアレ」

 

 「お嬢様は『私の《隷属の首輪》は、装着した生物を自分の固有霊装(デバイス)に出来るの。元々人間なんかよりライオンの方がずっと身体は強いから、魔力も使えるようになったらもう滅茶苦茶強いんだよ!』とおっしゃっております」

 

 試合開始から十数秒、黒いライオン(スフィンクス)が禄存学園の生徒を前足の一振りで地面に叩き潰し、続く二振り目で場外へ高々とブッ飛ばす様を一真は呑気そうに眺めていた。

 勝利の雄叫びを上げるライオンの震える(たてがみ)を見て、彼はシャルロットに暁学園に加入してから数回目の頼み事をする。

 

 「……なァ。俺やっぱあの(ライオン)モフりてえんだけど、お前の方から頼んでくれねえ?」

 

 「お嬢様が拒絶する限りは私の方からもお断りさせていただきます。それを決定するのは私ではなくお嬢様ですので」

 

 「いや、確かに『怖がってるからやめて』って言われたんだけどさ? 別に暴力振るう気なんて毛頭ねえんだよ当たり前だけど」

 

 「そもそも最初に威嚇してきたスフィンクスを力で組み敷いて睨み倒した貴方が何を言っているんですか」

 

 「……だって上下関係を分からせるのが大事ってム◯ゴロウさんも言ってたし………」

 

 

 「遅い、弱いっ!!クククッ、この程度の実力ならば我が『フェンリ……』じゃなかった、『スフィンクス』の眠れる暗黒の力はおろか、爪牙すら用いるまでもないわ!!」

 

 

 今度は力任せのタックルだ。

 廉貞学園の生徒が防御も敵わず薙ぎ倒されて意識を失ったが、一真はそのタックルの速度に目を見張った。

 あれはまともに防御してはならない威力。

 人より遥かに強いライオンが魔力を得ればまさに鬼に金棒───字面よりも実際に目の当たりにすると、その強さには驚愕を禁じ得ない。

 

 「しかしなぜそこまでスフィンクスを愛でようと?」

 

 「動物は好きな方なんだけどな、目と体格で怖がって逃げられるんだよ犬とか猫だと。だからあんだけデカいライオンなら大丈夫かなって。

 あとサイズの差がありすぎてそもそも生き物だって思われなかった時もあるし……」

 

 「と言いますと」

 

 そんな話をしている間に戦いは次々と決着していく。

 撃ち出される炎の間をジグザグに駆け抜け、放たれた電光を肉体と魔力の強度で消し飛ばし、何かの概念による拘束すらも身体能力の強化で強引に突破。

 恐らくは用意していたであろう戦術、先の戦いを見て立てていたであろう対策を単純な肉体のスペックで圧していくその様は、まさに百獣の王という肩書きに相応しい勇姿と言えるだろう。

 ついでに王たる度量の広さでその身体をモフモフさせていただきたい。

 

 「犬いるだろ、イヌ。あいつら電柱とかに小便(マーキング)するじゃん? それで道を歩いてた時に散歩中の飼い犬がいてな。

 可愛いなーって思って立ち止まって見てたら、そいつがこっちに寄ってくるのよ。

 おマジか、撫でてもいいのかなって思ってたら………

 ………そいつ、俺の足元に後ろ足を持ち上げやがってな……」

 

 「………、ふふ」

 

 「流石に焦ってな、止めろコラ!って叫んだら俺より犬の方がビックリしてやがったんだよ。

 なんつーかなァ………。『えっ!? これ柱じゃなくて人間だったの!?』みてえな顔しててな……。

 ……俺が猫派に寄ってんのはそのせいだ」

 

 くすくすとシャルロットが笑う中で凛奈は順調に勝ち続け、とうとう相手は最後の1人となっていた。

 しかしここまでの相手とは違い、すぐには倒されない。今までの戦いから攻撃方法や傾向を調査していたのだろう、唸りを上げる速度の豪腕や牙を辛くも回避し続け、少しずつでも攻撃を加えていた。

 重ねた敗北の情報が最後の1人に結実している。

 

 「……ほう。少しはやるではないか」

 

 口元で笑う凛奈とは対照的に苛立ったように唸るライオン。

 しかしそんな従僕の機微を察せないほど風祭凛奈は蒙昧な主ではない。

 破壊という原始的な獣の衝動に鞭を入れるかのように、凛奈は高らかに命令(オーダー)を下した。

 

 「これまでの末路を見ても尚衰えぬ闘志、応じてやらねば無粋というものよ────スフィンクス、《獣王の行進(キングスチャージ)》!!」

 

 「グルォォオオッ!!」

 

 ごしゃっっっ!!!と肉の潰れる音がした。

 反応すら出来なかった巨門の生徒が水切り石のようにリングを何度もバウンドし、壁に激突して地面に崩れ落ちる。

 意識を刈り取られたその姿に継戦能力はない。すなわち決着。

 しかしこちらの陣営の勝利による安堵ではなく、まず一真が感じたのは凛奈の能力に対する驚きだった。

 なぜなら今ライオンが放った、魔力による推進力を得たあの突進────

 

 (あの首輪、魔力を与えるだけじゃねえ。伐刀絶技(ノウブルアーツ)まで使えるようにするのか)

 

 加えてあのライオンの戦闘力。あのタックルの速度は兎丸恋々のトップスピードに比肩する。

 全力は出さずに終わってしまったようなので確かな事は言えないが最低でもCランク、元々の身体能力も加味すれば恐らくはBランクにも届きうるだろう。

 個体差はあるのだろうが、ああいう手駒を自在に用意できる能力………それならばあるいは、あのライオンも()()()ではないのかもしれない。

 一真は何となく、勝利を収めた主に拍手と熱っぽいどろりとした視線を送っているシャルロットを見た。

 

 『決着ぅぅうううう!!勝者・《暁学園》風祭選出!!「暁学園の全勝」という条件の達成、まずは風祭選手が先陣を切りました!!!』

 

 「ゴォァアアアアァァアアアッッッ!!!」

 

 決着のコールに、黒いライオンは勝ち誇るように天へと吼える。

 落っこちないように(たてがみ)にしがみつく凛奈はシャルロットに向けて笑顔のピースサインを向けた。

 ────全員の全勝と聞いてやや不安ではあったが、この分ならもう少し安心してもいいのかもしれない。

 興奮のあまり鼻血を流し始めたシャルロットからそっと距離を取りつつ一真は考える。

 

 恐らくは観衆の中にいるのだろう。

 一輝も、刀華も、生徒会の彼らも。

 考えても栓無いことだが、それでもまだ考えてしまう。

 彼らのいる中で自分は今日、どうやって戦えばいいのだろうかと。

 胸に沈んだ気まずさに、一真の折り合いはまだついていない。

 

 そして関係者席から戦いを見下ろしていた月影獏牙は、その快勝にそれでいいとばかりに微笑んだ。

 彼が組織した暁学園の生徒は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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45話

 続いてリングに上がったのは多々良だった。

 主の殺意に呼応してチェーンソーの心臓が重低音の鼓動を響かせる。

 回り鳴り叫ぶ鎖の音は、早く喰わせろとがなる悪魔の腹の音。

 事実として彼女には目の前の相手が敵ではなく、潰して遊べる手頃な玩具としか映っていなかった。

 

 『試合開始(LET's GO AHEAD)!』

 

 試合開始の合図と同時、多々良は一直線に相手へと吶喊する。

 対戦相手である『貪狼学園』の生徒は血の臭いを嗅ぎ付けたサメの如き彼女の形相に一瞬動揺を見せたが彼もまた学園では一端(いっぱし)の強者だ。

 即座に立ち直り動きを分析、直線的な動きに迎撃は容易とみて、魔力を込めて強化した斧による横薙ぎを見舞う。

 多々良はそれを避けなかった。

 避ける必要がないからだ。

 ───彼女に付けられた異名は『不転』。

 あらゆる障害を跳ね返し、前へ前へと敵を喰い破り続ける様から付けられた呼び名だ。

 

 「────《完全反射(トータルリフレクト)》」

 

 能力の壁に阻まれた斧が大きく弾き飛ばされた。

 手応えと呼ぶには余りにも硬質な感覚。

 ガギンッッッ!!と耳に聞こえた音は結界に阻まれた斧の金属音か、あるいは手首の骨がダメージを負ったのか。

 己の力をそのまま『反射』されて仰け反った貪狼の生徒。

 そのがら空きの胴体を前に────多々良は、べろりと舌舐めずりをした。

 

 「ギャギャギャ─────────!!!」

 

 惨殺だった。

 立て続けに振るわれ肉を刻む音を掻き消さんばかりの、金属が擦れるような不快感を伴う叫ぶような笑い声とチェーンソーの爆音。

 眼前の獲物を執拗なまでに切り刻んだ鎖鋸の駆動が止まった時、試合終了の合図は下された。

 

 『っそこまで!勝者・《暁学園》多々良幽衣選手!』

 

 まさしく秒殺と言うべき結果に、多々良は物足りないとばかりに次の相手を睨む。

 その眼光が孕んだ凶兆に、睨まれた生徒はびくりと(ひる)んだ。

 (まなじり)で誇示するような害意と悪意。意地と野心を争う場においては明らかに異質なもの。

 決定的な異物の存在を目の当たりにして観衆が唾を飲む中、斧が弾かれる様を見ていた一真は得心がいったように頷いた。

 

 「はーん、なるほどなァ。アイツ『反射使い(リフレクター)』だったのか。珍しい」

 

 「……曲がりなりにも1度戦っているだろうが。何故わからんのだ」

 

 「いや、普通に突き破っちまったから分かんなかったんだよな。抵抗は感じたから、てっきり障壁を張る能力なんだとばかり……」

 

 裏稼業ゆえの注意力だろうか、その会話を耳聡く聞いていた多々良がまた一真を睨んだ。

 何もかも振り払って斬りかかってきそうなオーラを出しているが王峰一真、当然のようにこれをスルー。破られる方が悪いとでも言うような空とぼけた顔は彼女の神経を大いに逆撫でした。

 ………一真からすれば噛み付いてきた犬を適当に流した程度の感覚だったのだろうが、しかし黒鉄王馬は一真の言葉から滲む傲慢の片鱗に思わず震えていた。

 強さ故の無知、敗者など知らぬという傲慢。

 それは王馬が敵に求めてやまないもの。分の悪い勝負なんて温いものではない、絶対的な蹂躙を己に与えるであろう者の孤高の一片。

 ついている、と王馬は思う。

 ()()()()()()()()()()、この手の震えを止める好機が、目の前に2つも用意されているのだから。

 

 「……お前、何を震えてる?」

 

 「…………黙っていろ」

 

 彼の異変を目敏く察知して訝しむ一真を突っぱねる王馬。

 ほぼ間違いなく自分の試練となる男に弱味など見せる訳にはいかない。

 臆すな。己のプライドを奮い起たせろ。

 それが挑戦者としての矜持と最低条件だ。

 全身から炎のように闘気を揺らめかせる彼を見て、一真は王馬の異変の何たるかを理解したようだった。

 

 「なんだ武者震いかよ? おいおい、準備は要らないとか言っといてやる気満々じゃねえか」

 

 「……………」

 

 半分ほど的外れだが、何かもう訂正する気も起きなかった。

 リングの上では多々良が一真への苛立ちをぶつけるように相手を切り刻み続けており、その様子に一真はおー強い強い、と微妙に上から目線な称賛を送っている。

 健気な子供を見守るようなその態度を見て、王馬は薄らと察しがついた。

 さてはこの男、才能と体格のせいで周囲の兄のような役回りをやっていたな、と。

 

 『試合終了ぉぉおっ!! 多々良選手も風祭選手に続いてストレート勝ちを収めました!!』

 

 そして月影の課題通りに、多々良もまた7人を打ち破った。

 あらゆる攻撃を跳ね返し敵を喰い破り続ける姿は、観衆に暁学園の力を大いに示していた。

 己に与えられた役割を充分にやり遂げた彼女の顔は、しかし非常に苛立ちに満ち溢れたものであったという。

 

 続いて戦うのはサラ・ブラッドリリー。

 絵筆とパレットの霊装(デバイス)《デミウルゴスの筆》から放たれる伐刀絶技(ノウブルアーツ)色彩魔術(カラー・オブ・マジック)》の汎用性は凄まじいもので見る者を驚かせた。

 緋色の絵の具が踊ればマグマのような炎が。

 青色の絵の具が舞えば石の床に深い水源が。

 黄色の絵の具が跳ねれば目も眩む閃光が。

 サラの絵筆が閃く度に、それを指揮棒としてあらゆる現象が現実に顕現するのだ。

 元居た禄存学園では《万華鏡(カレイドスコープ)》と呼ばれた多芸さは対戦相手を悉く初見殺しに追い込んだが、しかし最後の1人はその手札の多さを前にして中々の立ち回りを見せていた。

 

 1人を相手に7人が順番に出るという戦いの形式上、暁学園の本戦出場を阻止できるかどうかは最後の1人にかかっていると言っていい。

 前の6人の戦いを見れるため、対策のために得られる情報が最も多いからだ。

 加えて単純な数の差で暁学園側の生徒は疲労が蓄積していく。

 最初の駒で削って最後に止めを刺す、数の有利があるからこその戦略だ。

 つまりこの生徒は、サラのどの攻撃にどう対処すればいいのかを熟考した上でリングに上がっている。

 

 「はぁっ!!」

 

 「………っ」

 

 剣と盾の一対の霊装(デバイス)を持った彼は、振りかかるサラの緋色の絵の具を盾で払いつつ剣を彼女の腹に突き立てる。

 大きく後ろに転がるサラだが、刺された場所に出血はない。

 『鋼のガンメタル』。己の腹を()で鋼鉄に変えて刃を阻んだのだ。

 

 「ほう、彼奴(あやつ)なかなかやりおるな。《血塗れのダ・ヴィンチ》の魔術を防いでおるわ」

 

 「盾を持ってるのがデケェな。炎も閃光もとりあえず影に隠れちまえば食らわねぇし、サラも多芸じゃあるけど『攻撃』を表現できる色にも限りがありそう………、ん?」

 

 一真が目を細めると同時、ふと何か思いついたらしいサラが空中に何かを描いた。

 細長い線、その先端に四角。

 子供の落書きのようなそれが突如として立体感を持ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (……スレッジハンマー!?)

 

 「うんっ、しょ……」

 

 彼女の筋力では持ち上げて保持することが出来ないらしい。

 頭上に現れたハンマーの柄を掴み、振るうというよりはバランスを崩して落っことすような拙いスイングでサラは相手の頭を狙う。

 絵に描いたものが現実に出てくるという絵本のような技には驚いたが、そんな攻撃とも呼べない攻撃など食らうはずがない。

 勝利を目前に感じたその生徒は左腕の盾を掲げてハンマーを防ぎ、右手の剣でサラを斬り伏せようとする。

 

 その瞬間、サラの絵筆が踊った。

 ()()()()()()()()

 空中に叩き付けられた色彩はそのままハンマーに纏わり付き、そのまま相手が防御に回した盾へと────

 

 

 「《色彩魔術(カラー・オブ・マジック)》────強権のロイヤルパープル」

 

 

 決着。

 振るわれた紫白を纏う鉄槌が相手生徒が盾ごとリングに叩き潰され、轟音を響かせリングにめり込んだ。

 彼を中心に広がる亀裂から考えられる破壊力は、明らかにサラの虚弱な腕で出せるものではない。

 ハンマーが纏っていた色の何たるかを知っている者が絶句している中、サラは空に筆先を弄びながら不満足げにぼやいていた。

 

 「………。観察不足」

 

 

 ここから先は少し早足で語ろう。

 サラの次に戦うのは天音だったのだが、これについて語ることは殆どない。

 

 『えー、続いてリングに上がるのは紫乃宮天音選手ですが………対戦相手の7校の生徒すべてが棄権したため、暁学園・紫乃宮選手、不戦勝となります!』

 

 「………お前、何やった?」

 

 「いいや? 何もしてないよ。僕()ね」

 

 人々が困惑にざわめく中、振りかかった疑いに天音はあっけらかんと答える。

 そんな彼の少女のような顔立ち、()()()()()()()宿()()()()()()()()()()()───やはり王峰一真は、かつて見慣れたものだと確信してしまうのだった。

 

 

 凛奈、多々良、サラ、天音。

 ここまで全員が全勝を果たし、そして黒鉄王馬の番だ。

 国内に5人もいないAランクの1人として小学生(リトル)リーグの頃から有名な彼だ。観衆はその戦いぶりに大いに期待したものだが、実際の試合内容はその思いとは裏腹にしょっぱいものだった。

 王馬の力を恐れておっかなびっくり小細工を弄する相手に敢えて致命傷を避けて攻撃して心を折っていく流れ作業、それが7回。

 元々のビッグネームが災いしてか、積極的に前に出る者がほとんどいなかったのだ。

 

 「……()()()()()()()()()()、見れっかなとも思ったんだがなァ」

 

 「ほう、見ただけで気付いていたか。あの程度の有象無象相手に()()()()が測れるはずがないだろう」

 

 無駄な時間を過ごしたと背中で語るように王馬はさっさとリングを降りる。

 これで役割を果たすべきなのはあと1人、一真のみだ。

 まあこのレベルの相手が来るなら自分も問題は無さそうだが………

 

 (イッキとか刀華とか出てくんのかなァ……)

 

 そうなると正直わからなくなる。

 ここまでの傾向からすると代表生徒が出てくる事はないだろうと思っていたのだが、王馬との戦いに出ていたメンバーの1人を見てそうとも言い切れなくなってしまった。

 王馬と最後に戦った、破軍学園の生徒。

 あいつは、そう。

 確か─────…………

 

 

     ◆

 

 

 『運に恵まれた』。

 葉暮桔梗と葉暮牡丹、裏で囁かれている彼女らの評価がそれだった。

 黒鉄一輝やステラ・ヴァーミリオンなどの別格の強者たちが他の上位陣に軒並み土を着け、代表候補筆頭であった王峰一真が途中退場。

 加えて選抜戦において彼女2人は校内の頂点で鎬を削り合う彼らとぶつかる事がなく、それ故の陰口が「運の良さ」という訳だ。

 

 ……無論、『じゃあ彼女らは弱いのか』と問われると答えは否だ。

 彼女らは2人とも格上の校内序列一桁の騎士を下し、20戦無敗を守り抜いた猛者なのだ。

 もちろん一輝らと比べれば幾分か格は落ちてしまうが、その実力は本物と言える。

 

 だからこそ許せなかった。

 自分たちが運だけで選ばれたというその物言いが。

 

 葉暮姉妹が出場しても得の無い『暁学園』との戦いのメンバーに名乗りを上げたのはその為だ。

 自分たちは運だけで残ったのではない。

 確固たる実力に裏打ちされて命を懸けた戦いの舞台に上がる資格を得たのだと知らしめたかったからだ。

 ───『その選択に後悔は無いか?』

 今の彼女らにそう聞いたのなら、もしかしなら首を縦には振れなかったかもしれない。

 

 

 何も出来なかった。

 どれだけ力を尽くしても、どれだけ手段を講じても、彼らのいる領域に指先ひとつかからない。

 ただ前に出てくる。

 それを止められず、やられる。

 回避も、抵抗も、逃げる権利すら、彼らの圧倒的な力によって没収されてしまった。

 自分たちにとってはプライドを懸けた戦い。

 だけど彼らにとっては、道路の側溝を跨ぐ程度のものでしかなかったのだろう。

 

 無造作に振るわれたその野太刀は。

 振り下ろされたその脚鎧(ブーツ)は─────

 

 

 (無  理     こんな  の 敵  う  はず  無   ─────)

 

 陰口よりも何よりも無慈悲に、彼女らの心をへし折った。

 

 

     ◆

 

 

 『試合終了ぉぉおっ!!王峰選手、全勝達成!

 最初の開始の合図から最後の決着まで、攻撃した回数は全部で7回!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、格の違いをわからせるかのような試合ぶりでした!!』

 

 『文字通りに圧勝という言葉が相応しい光景でしたが、しかし最後の、葉暮選手との戦いでは明確に真剣さに違いがありました。彼女の実力を確かに評価していたものと思われます』

 

 『なるほど、あれほどの実力を持ちながら一切の油断は無かったと!これは暁学園の質の高さを示す形にもなっているかも────』

 

 「うわー、容赦ないなあ」

 

 「クククッ、流石ではないか鉄槌の王。力を持ち、人格を持てども慈悲が無いわ……!」

 

 「もう少し動いてほしかった……」

 

 人々がそれぞれの感想を言い合う中、一真はリングに倒れ伏した槍使いを見下ろす。

 意識を失った彼女に対して一真の口をついて出てきたのは、純粋な感謝の言葉だった。

 

 「ありがとよ。葉暮さん」

 

 どういう背景があったのかは知らない。

 だけど、彼女は本気で勝ちに来た。

 怒りでもなく責任でもない、ただ何らかの強い意思を宿して、自分自身の為に戦っていた。

 

 彼女が出たところで何の得もないこの舞台に、己の意思のみを引っ提げて。

 その姿が未だ心構えが定まらずフラフラしていた自分に、どれだけ鮮烈に突き刺さったか。

 

 

 「アンタのお陰で────喝が入った」

 

 

 ───自分の為に戦おう。

 自分に挑んでくれた友人たちに、約束は守ったと烏滸(おこ)がましくも言い張ろう。

 いつの間にか見失っていたらしい。

 何を躊躇うことがある?

 罪は罪で受け止めて、その上で自分を押し通す───()()()()()()()()()()()

 

 

 『これで暁学園全員の全勝が達成されました!月影総理が自ら提示した条件を見事クリアしてみせたのです!

 そう!つまり今この瞬間─────

 

────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っっ!!!』

 

 

 担架で運ばれていく葉暮桔梗から目線を切り、実況の叫びを背に受けながら一真はリングから降りる。

 次に上がるのは約束した舞台だ。

 顔を合わせるのはその時でいい。

 そしてその時は存分に語り合おう。

 自分に挑むために鍛えた力と、それに挑まれた自分の力で。

 

 迷いと葛藤を踏み越えて。

 かつて居た星に背を向けた青年が、瞬きを塗り潰す暁へと帰っていった。

 



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46話

 「これで暁学園の出場は決定ってわけね」

 

 「やはりというか曲者揃いですね。特にサラ・ブラッドリリーさんはまだまだ能力の幅を見せてはいないようです。紫乃宮さんはかなり不気味ですが……」

 

 「けどやっぱりカズマとオウマが頭抜けてるわ。他の生徒は能力込みの実力がある程度見れたけど、この2人は使うまでもないって感じだったし……ハグレさん達、大丈夫かしら」

 

 「予想は出来てたけどまるで本気を出さないままだったからね。けど兄さんの身体、何か違和感が………」

 

 ざわめきの収まらない観客席、戦いを目にした者たちが銘々に感想を漏らしている。

 『圧倒的』の一言に尽きるような結果を叩き出した暁学園は他校の代表生徒たちに少なくない影響を与えていた。

 強敵の出現に奮い起つ者や戦い方をシミュレートする者、あるいは厄介な敵が増えたと嘆く者。

 では一輝たちがその中のどれに属しているかは、まぁ考えるまでもないだろう。

 そして───これで王峰一真も七星剣武祭に出場する事になった。

 

 (約束は守った。そういう事だね、カズくん)

 

 リングを去る彼の迷いのない背中に刀華はそんなメッセージを受け取った。

 (きた)るその時を確信し、組んだ手の指がミシリと軋む。

 いつか思い描いた舞台とは随分と違うシチュエーションになってしまったがこれでいい。

 自分の願いも彼への詰問も、まず彼が同じところに立たないと始まらないのだから……────

 

 「……っ?」

 

 不意に一輝が顔を上げて空を見上げる。

 それにつられてステラや刀華も空を見るが、見上げる先には雲が浮かんでいるばかり。

 不審な物も見えず不審な音も聞こえない。

 それは弱者として生を受け、不条理な悪意に浸され続けて生きてきた彼だからこそそれを察知できたのかもしれない。

 

 「イッキ、どうしたの────」

 

 「避けろぉぉおおっ!!」

 

 一輝が叫び、そしてステラや刀華が異常事態の発生を理解。迫り来る何かに対応するべく警戒のレベルを跳ね上げて立ち上がる。

 直後に降り注いだ。

 子供が虫の羽を毟るような。

 糸の形をした。

 無邪気な悪意が。

 

 

 

 リングを取り囲む観客席の渾然一体となったざわめきが、電源が落ちたように一斉に止んだ。

 不自然な静寂、何らかの統一された意思による沈黙に不穏な気配を感じて一真は静かに臨戦態勢へギアを入れる。裏稼業としての敏感さなのか多々良などは既に《地摺(じず)蜈蚣(むかで)》を構えていた。

 ───それは唐突だった。

 口を閉ざした観客席の人々が生徒から教師まで余すところなく立ち上がり、その手に己の霊装(デバイス)を握る。

 意思の光を宿さない人形のような無数の視線が一斉に一真を射抜いた。

 

 まるで操られているような挙動。

 少し前の諍い。

 樹脂の塊でしかなかった男。

 この状況の回答を導き出すのは余りにも容易だった。

 

 「ゴミクズが」

 

 それはまるで由比ヶ浜のデジャヴ。

 違う点を挙げるとすれば相手は岩ではなく人間で、海は海でも人の海だという事か。

 かつて『平賀冷泉』を操っていた者の人形と化した七校の生徒たちが、一斉に暁学園の元へと殺到した。

 

 

     ◆

 

 

 『《幻想形態》で制圧してくれ!絶対に彼らに傷を付けるな!!』

 

 屋内で糸の支配は免れたらしい。月影はリングを見下ろす特別席の椅子を蹴り倒して立ち上がり、暁学園の生徒手帳から緊急連絡のスピーカーモードで命令を下す。

 王馬も一真と同じ推測に行き当たったようだが、彼からすれば操られる方が惰弱なのだ。

 そんな奴らの片付けをやらねばならないという状況に、彼は心底下らなさそうに鼻で息を吐く。

 

 「無駄な時間だ。さっさと寝ていろ」

 

 野太刀の霊装(デバイス)龍爪(りゅうづめ)》を一閃。

 莫大な剣圧と放たれた暴風が迫る人の波と激突し、そして容易く押し勝った。

 防御も反撃も許さない純粋な力が生徒たちをボウリングのように豪快に吹き飛ばして意識を奪う。

 それを先駆けに他のメンバーも一斉に突撃。王馬が蹴散らした部分から集団に侵入し、そのまま一気に食い破るべく己の霊装(デバイス)を振り回した。

 

 「チッ。殺し屋に対するオーダーじゃねェだろうが!」

 

 「わーっ、ちょっとちょっと危ない!」

 

 四方から襲いかかる攻撃を跳ね返しつつ多々良は一方的に周囲を切り刻んでいるが、天音はどういう力が働いているのか敵からの攻撃が全て空振り続けていた。十字架のような形の剣を両手に握り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「有象無象の木偶人形など物の数ではないわ!スフィンクス、《獣王の威圧(キングスプレッシャー)》!!」

 

 黒いライオンが咆哮を轟かせるとそれを浴びた周囲の生徒が一瞬石のように硬直し、そこを突いてサラが緋色の絵の具を撒き散らして火を放つ。

 向こうは操り人形らしく無計画な密度で周囲を囲んでいるだけ。複数の生徒がいっぺんに炎上し、さらにそこから別の誰かに飛び火していった。

 やはり統率も何も取れていない、ただ自分たちを襲わせているだけだ。範囲攻撃持ちも複数いるし制圧はそう難しくはない。

 一真は少しだけ安堵しつつ《覇者の威風(ラービナ・ニウィス)》を放ち、まだ意識のある操り人形たちをごっそりと刈り取る。

 自分を伐刀絶技(ノウブルアーツ)で攻撃しようとしている生徒がいるようだが、あの程度なら魔力防御で問題は────

 

 「………っ!!!」

 

 一真は大慌てで突進、その生徒を蹴り飛ばす。一連の動作の力の余波で周囲の生徒がまとめて吹き飛んだが、

 攻撃の矛先を自分に向けるのは問題ない。

 だがあの生徒は今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「おいヤベえぞ、こいつら周りを巻き込もうがお構い無しにブッ放してきやがる!どうせ《実像形態》だ、1人でも見逃したらヘタすりゃ死人が出るぞ!!」

 

 「テメェに言われなくてもわかってんだよボケ!!」

 

 苛立ちも露に怒鳴った多々良が一直線に走り伐刀絶技(ノウブルアーツ)を発動しようとしていた生徒を斬り伏せる。

 彼女としてもまずい状況だろう、裏稼業として依頼人の意向は遵守せねばならないのだから。

 この何百人といる生徒たちの同士討ちを防ぐには全員を一気にまとめて片付けなければならない。

 しかし一真も攻撃の余波だけでまとめて薙ぎ倒せるとはいえそもそもが局地的な破壊に特化した力、あまり広範囲を捉えられるものではない。この会場を丸ごと制圧できる範囲を持つ技など────

 

 「悪い。各自で防いでくれ」

 

 ────無くは、ない。

 一真は静かに息を吸い込み魔力を練り上げ、《プリンケプス》が紫の火花を散らす。両足から空震のように広がっていく魔力に、正気を保っていた全員が直後の脅威を察知した。

 味方も無差別に巻き込むが迷っている暇はない。この程度なら怪我する事もないだろう。

 思う所あってあまり好きな技ではないのだが。

 

 

 「─────《謁見の玉座(エクセドラ)》」

 

 

 ぐしゃッッッ!!!と全てが平伏した。

 会場全体を覆った『踏破』の力が範囲内にいるもの全てを踏みつけ地面に縫い止める。

 操られている生徒が誰も立ち上がれない重圧は凄まじく、最も力の作用が強い一真周辺の床には亀裂すら入っていくほどだった。

 ひとまず全員の制圧を確認した一真は、よし、と頷いて暁学園のメンバーを見回す。

 

 「押さえた。全員気絶させてく……、しっかりしろよお前」

 

 「近いうちに殺すからなテメェ……!!」

 

 何食わぬ顔で要求してきた一真に潰れないよう全力で抗っている多々良がガチめの殺意を向ける。

 弱体化されるとはいえ《完全反射(トータルリフレクト)》があるからこの程度は大丈夫だろうと考えていたが、考えてみれば『反射』とはインパクトの瞬間を返してこそだ。こういう延々と加圧される力には弱いのかもしれない。

 見てみれば凛奈とライオンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、近くにいたらしい天音も()()()そのシールドのお世話になっていた。

 サラは………たぶん自身の能力で生み出したらしいあのシェルターの中だ。

 

 「うん、ここまでの広範囲でやるのは初めてだったがやれるもんだな。とはいえ味方がいると使いにくいのはもうしょうがねえか……」

 

 「これが『踏破』の概念を操る力か。想像よりも(ぬる)いが、よもやこれが本気とは言うまいな」

 

 「そう言ってくれるな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。捕縛用に広げて薄めたらこんなモンだ。

 ほら、俺これ維持してっからさっさと全員気絶させてくれや。これなら『中継地点(ハブ)』も全員巻き込めてんだろ」

 

 「チッ」

 

 多々良は勿論、シャルロットやサラも防御で手一杯な中で唯一平然と立っている王馬が舌打ちしつつ操られた生徒たちの『掃除』を始めた。

 人形の主が自分のデータを持っていなかった事が幸いした。こういう範囲制圧ができると知られていたらもっと厄介な方法で攻めてきただろう。

 ともあれこれで一件落着。

 そうなってくれれば、どれだけよかったか。

 

 ぎぎぎ、と生徒の1人が起き上がってきた。

 

 それに続いて他の生徒たちも続々と起き上がってくる。

 再び人形と化した彼らの何人かの目元からは血の筋が流れ、制服から覗く筋肉は異様に緊張している。《謁見の玉座(エクセドラ)》に抗えるだけの力を強引に引き出されているのだ。

 制圧した人間が再び傀儡にされた。

 つまりハブが無力化されていないという事だが、ただし人数は最初の半分程度に留まっている。

 つまり。

 

 (ハブを複数忍ばせていやがったのか。どっかに制圧を免れた奴が隠れてんな)

 

 となると拘束し続けても無駄だ。ハブとなっている人間を全員特定し、それを潰さねば意味がない。

 一真は生徒たちを味方ごと制圧していた伐刀絶技(ノウブルアーツ)を解除し、爪先で地面を軽く叩く。

 《天網恢恢(ナートゥラ・アエル)》。

 己の感覚を通した『踏破』の魔力が一真を中心に広がり、踏んだものの情報を彼にフィードバックさせる。

 そして見つけた。

 魔力の糸のハブとなっている人間は3人。

 内2人はさっき纏めて制圧していた生徒だ。これは問題ない。

 問題はその残り1人だった。

 一真はとびきり嫌そうな溜め息を渋面から吐き出しつつその方向を仰ぎ見る。

 

 「……未来が見れるってんならさァ」

 

 最初以外に何の反応もないと思った。

 何のアクションも起こさないと思った。

 可能性としては考えうる限り最悪に近い。関わること関わること全てが恙無(つつがな)く終わってくれない憤りをぶつけるように、一真は全力で声を張り上げた。

 

 

 「自分の身に降りかかる災難くらい予知しといてくれや────月影さんよぉ!!」

 

 

 次の瞬間、拘束から解き放たれた生徒たちがまた一斉に襲いかかってきた。

 まったく事態は好転しないがとにかくやる事は変わらない。ハブを全て潰すのだ。一真は自分が得た情報を味方全員に共有する。

 

 「人形使いの中継地点(ハブ)を見つけた!『巨門』のハンマー使いの────」

 

 実際の所は叫ぶまでもなかった。

 動いたのは王馬とサラ。意思なき殺意に支配された人の海に迷い無く飛び込んだ王馬がハブとなっていた生徒を(あやま)たず斬り倒し、サラは描き出した湖に潜って地中を移動。王馬が倒した生徒の元へ浮上し、中空に描いた鎖で拘束した。

 ハブの動きが制限され身体を動かせなくなった生徒たちがバタバタとその場に倒れていく。

 

 「嘗めるな。貴様の手など借りずともこの程度見抜けない訳がなかろう」

 

 そう言って王馬もまた一真が見上げた方向と同じ方向を睨む。

 そして跳んだ。目指すは月影のいる特別席。

 他の操り人形たちが一斉に妨害にかかるがそれを許す一真たちではない。『反射』が、『障壁』が、筆から生まれた現象や紫白の波があらゆる攻撃を完全にシャットアウトする。

 しかしそんな中、操り人形の一体が空中にいる王馬の前に躍り出た。

 明らかに他の人形とスペックが違う。しかし王馬は木偶人形など躓く小石にもならぬとばかりに委細構わず斬り捨てようと《龍爪(りゅうづめ)》を振るう。

 

 ただし。

 斬り捨てようとした相手は、人形ではあっても木偶ではなかった。

 手に持つ霊装(デバイス)は刀に脇差、一対の二刀。

 その生徒は、『禄存学園』の制服を着ていた。

 

 ズゴンッッッ!!!と重い轟音が鳴り響く。

 脅威を感じ取った王馬に弾かれた二刀の斬撃が、離れた観客席の一部を()()()()()()音だった。

 

 「マジか……っ!?」

 

 それを目の当たりにした一真が思わず呻いた。

 禄存の代表生徒にあんな顔はいなかったはずだが、破壊力の規模が明らかに他の生徒と格が違う。

 何かの理由で出場が叶わなかったのだろうか?

 いやそんな事はどうでもいい。

 問題はあの黒鉄王馬を正面から止める力を持つ相手からの妨害をくぐり抜け───なおかつ無傷で制圧せねばならない事だ!




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47話

 王馬は空中で激突した二刀使いに立て続けに《龍爪(りゅうづめ)》を振るう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 防御など許されないはずのその剣戟を、しかし二刀使いは木の葉のように翻りながら空中で受け流していた。

 ガキンガキンガキン!!と戟音を奏でながら二刀使いの身体が宙を舞う。

 腕のみのスイングでも(あやま)たず相手を両断できる力と刃筋だが、二刀使いは防御の角度と力の方向を絶妙に変えて王馬から受けた破壊力を余所に逃がし、その余波を身体を翻していなす事で吹き飛ばされないまま防御を完遂させていた。

 しかしここは空中。『風』を操る王馬のフィールド。

 宙に留まる術を持たない二刀使いを地面に落とし排除するべく王馬は上空から地面へと叩き付ける暴風を発生させた。

 が、不発。

 直上から落ちてきた暴風が、二刀使いの振るった脇差によって()()()()()()()()()()()。 

 しかし防御に一手使わせた隙に王馬は攻撃を差し込んだ。風を操り大気の抵抗を消したその剣撃は空気を掻き分けて進む敵の攻撃よりも当然速い。たとえ相手が二刀だろうと彼の攻撃の方が先に届く。

 ただ前提条件を1つ付け加えると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 《龍爪(りゅうづめ)》が二刀使いの首に(はし)る瞬間、二刀使いは刀の切っ先を王馬に向ける。

 

 ギュガッッッ!!!と。

 二刀使いの刀から吹き荒れた破壊的な何かの奔流が、黒鉄王馬を観客席まで吹き飛ばした。

 

 あれを放置はできない。

 その光景を見て即座に空中に出ようとした一真だがその寸前に背筋に悪寒が走った。

 ───何かが来る!

 二刀使いの両腕が閃くのと、本能の警鐘に動かされた一真が頭上に防壁を張るのは同時だった。

 

 「《不抜の城塞(ニゲル・カステルム)》!!」

 

 直後、衝突。

 砂鉄が擦れるような耳障りな音を撒き散らして、一真が張った防壁に鋭利な何かが無数に食い込んだ。

 そう、食い込んだのだ。

 優劣の劣を強制的に押し付ける一真の魔力に対して。

 

 「(さては能力の系統が似てやがるな……!?)」

 

 対象を踏み越える一真の『踏破』のように、何かしらの結果を出力する概念干渉系の能力を持っているのかもしれない。

 そして上空からの牽制によって一真を地面に縛って空中戦を避けた二刀使いはその隙に地面に降り立とうとする。

 着地のため爪先を地面に着けた時、彼の目の前にあったのは一真の足刀だった。

 

 地面。大気。操られた生徒たち。

 一息に飛び込んだ一真の跳び蹴りが、前方にあるもの総てを余波のみで吹き飛ばした。

 

 (畳み掛けろ!何もさせるな!!)

 

 着地した爪先を軸に身体を一気に回転して回し蹴り一閃。吹き荒れた紫白の嵐が、衝撃を利用して跳んで回避していた二刀使いのいる場所をその周囲一帯ごと抉る。

 ワンアクションで地形ごと壊す。

 触れるどころか向き合うことすら許さない、この近・中距離での圧倒的な制圧力こそが一真の暴力の真髄だ。

 離れられた分だけ距離を詰めて蹴る。その単純極まりない行動だけでいかに相手が詰まされるかはいつかの《七星剣武祭》選抜戦が示す通りだろう。

 ここで二刀使いが後退をやめた。

 地を蹴り砕いて迫る一真を前に欠片の物怖じも見せないのは操られているが故か、それとも生来の剛胆さか。

 僅かに驚きを見せた一真は二刀使いの刀の間合いに入るより早く、しかし目瞬きの後には接触するような近距離で脚を中段に蹴り払う。発生した破壊の波が回避不能な距離で二刀使いに襲いかかった。

 

 ───そして斬られた。

 魔力を宿した二刀使いの刀が、一真の放った衝撃波を鋏を入れるかのように容易く切断する。

 正面から斬り開かれた突破口。

 圧で屈折した大気が分かたれクリアになった視界の先にあったのは、まさに己の顔面に撃ち込まれんとする脚鎧(ブーツ)の槍だった。

 

 二刀使いの攻撃力の高さはさっき見たばかり。

 ただの衝撃波など時間稼ぎにもならないだろう事は容易に察しがつく。

 故に衝撃波はただの目眩まし。本命はそれを突破した先に間髪入れずに待ち構える、最速の前蹴りだ。

 魔力強度を高め堅さと力を純粋に底上げされたその蹴りの強化倍率は、過去にステラの顔面に叩き込まれたそれを上回る。それはそのまま一真の二刀使いに対する警戒心の現れだろう。

 しかしそれを前にして二刀使いは退かない。対して、さらに身体を前に傾けた。

 カウンターの算段があるのだろうか、しかし一真はその判断を『愚か』と断じる。

 どんな行動を起こそうが関係ない。単純な魔力量による強化も加味すれば自分の蹴りが届く方が早い。

 噴き上がってくる殺気を迎え撃つように、一真はその鋼の爪先を二刀使いの頭の後ろの空間まで貫く速度と鋭さで蹴り込んで────

 

 唐突に消えた。

 パンッ、という空気を叩くような音と同時に斜め前に踏み込んできた二刀使いが、一真の横を通り抜けざまその勢いのままに刃を振るう。 

 

 「な」

 

 埒外のバネだった。

 身体強化を行う猶予時間、その体格と筋肉のサイズからはどう考えてもありえない瞬発力。

 完全に虚を疲れた一真だが、それでも反射で魔力障壁を張ったのは流石の戦闘勘といえる。

 しかしこれは賭けだ。

 Aランクの魔力強度と強引に相手の上をいく能力とはいえ、攻撃的な概念を操るらしい相手の剣を咄嗟の防御で止める事ができるか。

 勝負が続くか負けるのか、この事件の流れそのものが決まる土壇場の攻防は。

 

 「《龍焔(りゅうえん)》!!!」

 

 ゴォッッッ!!と大気を轟かせ駆け抜けた風の横槍を受けた。

 大気中の塵から破壊した瓦礫に至るまであらゆるものを渦の中に巻き込み続け、前へ進む限り威力を増し続ける暴風の塊。

 地面を抉り飛ばしながら突き進んだ颶風を避けるために一真と二刀使いは後ろに跳び退いて状況はリセットされた。

 間合いの開いた2人の間に割って入り二刀使いに向き合ったのは、黒髪を靡かせる和服の偉丈夫。

 

 「王馬ッ!?」

 

 「邪魔をするな……っ!!」

 

 ついさっきの衝突の結果がプライドに障ったらしい。猛然と襲いかかる王馬と迎え撃つ二刀使いが複雑に絡み合いながら嵐のように駆け巡る。

 その余波に巻き込まれ人形たちが景気良く吹っ飛んでいくが、ともかくあの厄介な駒を王馬が抑えてくれるのであればいい。その間に最後のハブである月影を押さえてこの迷惑な人形劇を終わらせる事ができる。

 が、その直後に猛然と襲い来る二刀の影があった。

 まさかさっきの奴が王馬を倒して戻ってきたのかと思ったが、違う。

 霊装(デバイス)の形状が記憶と違うが、胸の髑髏の刺青は誰とも見紛うはずもない。

 

 「倉敷ッ、…………!?」

 

 歯噛みしつつ()()()()()()()()()()()()を魔力で受け止める一真だが、その後ろから飛び出してきた複数の生徒を見て言葉を失った。

 生徒会書記・砕城(さいじょう)(いかづち)

 斬馬刀を振り回す友人にしてかつての仲間が、周囲の大気を丸ごと撹拌する程に破壊力を増した一撃をそのまま一真の頭蓋へと振り下ろしてきた。

 ────回避。

 冷静にそう判断した一真だが、しかしその動きはギリギリで実行されなかった。

 生徒会副会長・御祓(みそぎ)泡沫(うたかた)が背後に立っていたからだ。

 一真が回避すればモロに斬馬刀を食らう位置に、これ以上ない絶妙なタイミングで。

 

 轟音。

 超重量の唐竹割りを脚で受け止めた一真だが、軸足が大きくリングにめり込んだ。

 一真をして全力の防御を余儀無くされる凄まじい一振りだったが、しかし同時に砕城の腕と肩から血が噴き出して制服を赤く染める。

 砕城が《クレッシェンドアックス》を制御できる限界重量は10t程度。明らかにその限界を優に超過している破壊力を、砕城は肉体の許容量を無視して強引に制御させられていた。

 つまり、このままにしておけば砕城の身体はすぐにでも─────

 

 「うぐっ!?」

 

 力でその場に縫い止められた所に真横からの衝撃。

 累積した速度に乗せた身体の質量を拳に乗せて叩き込む、生徒会庶務・兎丸(とまる)恋々(れんれん)の《ブラックバード》だ。脇腹にマッハ2の砲弾を受けて呻いた一真の身体がぐらりと傾く。

 そしてその直上。日の光を受けて煌めく霧が、錐のように細く渦を巻く。

 ドズッ!!と、生徒会会計・貴徳原(とうとくばら)カナタの操る数億の刃が一真に叩き込まれた。

 一真の胸に一点集中で激突した刃の霧はそのまま姿を変えて一真を包み込み、握り潰すようにその中身を切り刻む。

 そして。

 

 「オラッ!大人しくしとけ!」

 

 特別席にいた月影を押さえたのは多々良だ。

 撤退知らずの《不転》の2つ名は伊達ではない。彼女は全方位からの攻撃や妨害を悉く跳ね返し、標的となった月影へと最短距離で辿り着いたのだ。

 彼女は月影を地面に組み伏せて素早くネクタイを解き、それを使って迅速に捕縛した。

 迷惑な事件だった、と舌打ちする多々良。

 しかしこれで終わりだ。最後のハブである月影は拘束成功、外で暴れていた残りの生徒たちも機能停止するはず。

 割に合わねェな、ととんだサービスに嘆息する多々良だが、そこで気付いた。

 ()()()()()()()()()()

 ハブは全て押さえたはずだ。

 見逃した?いや考えにくい。

 最初に2人制圧した時に無力化された生徒の数から考えても、月影を潰せばそれで終わりのはずだ。

 となると、まさか!

 

 

 「()()()()()()()()()()()()………っ!!」

 

 

 「ふんッッ!!」

 

 一真がその場で脚を踏み鳴らし、斬撃の霧がばしゃんと弾け飛ぶ。

 脇腹から染みるダメージに軽く咳き込みつつ周囲を見回すと、倒れていたはずの生徒がまた起き上がって暴れている。それを確認して一真も多々良と同じ結論に至った。

 腹の底に憤怒が根を張っていくのが分かる。

 人形たちに『幻想形態』による攻撃は通じない。いくら痛みだけ与えようと人に操られている以上、動きが止まる事はないからだ。

 動きを止めたければ、実際に壊すしかない。

 ───その上で、わざわざ親しい者に襲わせる性格の悪さ。

 さらにここまで砕城たちが使()()()()()のは全て相手を本気で殺すための技とコンビネーションだ。それだけの殺意で来られては、受ける側も相応の害意を持たねば対抗できない。

 親しい人を殺してしまうか、あるいは親しい人に殺されてしまうか。

 もし操られている彼らに意識があったとするなら、今彼らはどんな思いを味わわされているのだろう。

 

 再び兎丸の《ブラックバード》。一真は突き込まれた腕の手首を左手で掴む。右手は兎丸の背中に回して腰に添え、そのまま脚をクロスしてターン。ダンスのエスコートの動きで突撃のベクトルを曲げられた兎丸が、背中から地面に投げ転がされた。

 間髪入れずに振るわれた斬馬刀の横薙ぎは上から刀身を踏みつけ地面に縫い止めて対処。斬撃重量の累積をリセットしつつ顎を掠めるように爪先で一撃、脳を揺らして意識を落とす。

 続くカナタと泡沫も同じように気絶させた。

 しかし見えない糸に操られ、気を失いながらも4人は立ち上がってくる。

 だがこれでいい。

 本人の意識が無ければ辛い思いだけはせずに済むかもしれないのだから。

 

 相手が身体を破壊してでも立ち上がってくる以上《謁見の玉座(エクセドラ)》は使えない。

 ハブを切り替えられる以上《天網恢々(ナートゥラ・アエル)》による特定と制圧も無意味だ。

 つまり誰とも知れぬ首謀者はこう言っているのだ。

 

 ────終わらせたければその手で壊せ、と。

 

 「やってやろうじゃねえか」

 

 試運転のように脚を回し、獣のような双眸に覚悟の光が宿る。彼の腹に煮える意思の固さは迷いのない一歩で示された。

 ただし。

 それは相手を破壊する非情の決断ではない。

 己の信条を遂行せんとする、最善へと向けた不退転の決意だ。

 

 「()()()()()()()()()。カスの思惑に誰が乗るかよ───歯軋りしやがれ、クソ野郎」

 

 一斉に雪崩れてくる人の海。操られた殺意を握らされ襲い来る人形の群れに、不条理を踏み均す蹄鉄が飛び込んでいった。

 

 ………砕城たちが襲ってきた時、もちろん彼は()()()の身を案じていた。

 しかし目立つ彼女らがここに来ても姿を見せないことに、彼は安堵と共に『操られていないならここにはいない』と結論付けた。

 

 そう思い込んでいた彼は気付かなかった。

 同時刻この人形劇の舞台の片隅で行われていた、小さく静かで、一方的な戦いに。

 

 

     ◆

 

 

 身体から血が止めどなく流れていた。

 爪が食い込んだ手の平から、歯を食い縛った口から、充血が極まった眦から。

 軋む身体は今にも引き裂かれそうで、不快極まる魔力の舌先は精神を執拗に舐め回す。

 東堂刀華と黒鉄一輝、そしてステラ・ヴァーミリオン。

 3人は天より飛来した悪意の糸に、全霊を以て抗い続けていた。



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48話

 他の生徒と違って彼らが備える事ができたのは一輝の第六感と警告のお陰だ。

 糸に絡め取られる直前で一輝は乏しい魔力を《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》でブースト、刀華とステラ同様に最大出力の魔力防御と精神力で糸による支配を拒絶。

 更にステラと刀華に至っては魔力防御の他に自らの能力で己の筋肉を焼き付かせ、身体の動きそのものを強引に止めていた。

 

 「ぎいいィィ……っ」

 

 「あ゛っ……ぐ、ぅぅう゛……っっ!!!」

 

 皮膚が破れ筋肉が裂ける。

 抗い続ける度に精神と身体に耐え難い苦痛が泥のように絡み付く。

 汚物を塗りたくられた刃に刻まれているような感覚。

 脳内を無数の線虫が這いずり回るような、頭蓋の中を刃で掻き毟りたくなる嫌悪感。

 糸を通じて流れ込んでくるそんな悪意に恐怖に近い戦慄が走る。これだけの悪意を撒き散らせる者に操られてしまっては、自分はこの手でどれだけの惨劇を生んでしまう事になるのか!

 

 (どうする……!?)

 

 焦燥を圧し殺して一輝は必死で思考を回す。

 魔力のブーストによる防御が通用するのは《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》が持続する限り、つまり1分が限界……いや、それよりも短いかもしれない。

 まるで魂そのものを削られているようだ。

 自我そのものをズルズルした何かで塗り潰されていく時間はきっと自分が自分のもので無くなるまでのカウントダウンに違いない。

 だが、かといって何ができる?倒すべき敵はここにはいない。

 その先に待っているものが奈落の底だったとしてもただ耐えるしか道がないのだ。

 

 (僕らだけじゃどうしようもない。誰かが助けに来るのを待つしかない)

 

 もはや暁学園のメンバーだけで解決できる問題ではない。

 あるいは異変を察知してもう誰かが動いているかもしれないが、だとしても来るのか?首謀者を倒さなければ終わらないこの人形劇を解決できる人間が都合よくこの場に。

 まして決定的な惨劇の幕が上がるまでもう幾ばくの時間もないというのに─────

 

 「驚きました。耐えている者もいたんですね」

 

 ふわり、と唐突に現れた気配があった。

 ギリギリの精神状態で目線だけを動かしそこに立っていた純白の装束を纏った女性を見た時、3人は一瞬、己の身を苛む悪意と苦痛を忘れた。

 ───暁学園、と仮にも学園を名乗るのだから『教師役』が居るとは思っていた。

 あのレベルの生徒を揃えているのだからAランクはほぼ間違いないだろうとも。

 しかし────しかし、しかし。

 

 「まさか……貴女が、来る、とは……っ!」

 

 「ええ。様子がおかしいので来てみたのですが、流石に見過ごせない事態になっていますので」

 

 未だ現実と受け止めきれない視線がその女性に注がれる。そして満身創痍の3人の中、彼女は一輝に目をやった。

 するとこの狂乱の中にあっても湖のような静けさを(たた)えた彼女の空気に、明確な水紋が表れる。

 

 (これは……。彼は既に……)

 

 否。それはまた今度だ。

 この事態の収集をつけるべく、彼女はまず最も重傷を負っている箇所にメスを入れんとする。

 

 「抵抗を止めてください。それ以上抗い続ければ、貴方たちは精神に取り返しのつかない傷を負うでしょう。後の事は私が請け負います」

 

 「!?どう、やって……」

 

 「私が全員の『糸』を斬ります。ただし申し訳ありませんが……」

 

 そう前置きして、彼女は僅かに言葉を切る。そしてこれから自らが彼らに強いる事を静かに諭すように、しかし有無を言わせぬ強さで言い切った。

 

 「貴方たちに限っては()()()()他ありません。この悪意の主に抗い続けたせいでしょう、『糸』が心身のより深いところまで侵入しています。可能な限り痛みと傷は小さくなるよう努力しますが、覚悟は決めてください」

 

 「だけど、抵抗を止めたら……貴女が……!」

 

 「ご安心を」

 

 操られた時の矛先は間違いなく最も手近にいる女性に向かうだろう。そんなステラの気遣いは、実の所このシチュエーションに限っては無礼もいいところだ。

 しかし純白の女性は柔らかく微笑む。

 奈落の崖際にいながら他者を案じたステラの優しさに答えるように。不安に震える重傷の患者を、自信を表して安心させるように。

 

 

 「この程度で傷を付けられる程、私は弱くありませんので」

 

 

 「ステラさん……。この方なら、大丈夫です。ここは素直に、っ甘えさせていただきましょう……」

 

 目の端から血を流して刀華はステラを促す。

 

 「例え、操られた状態でっ、なくとも……彼女が私たち3人がかり程度で、傷付けられる、とは、到底思えませんから……っ」

 

 刀華の言葉に一輝も黙って頷いたのを見てステラは黙り、それを了承と受け取った純白の女性は二振りの剣を両の手に顕現する。

 彼女の装いと色彩を同じくする純白の剣。

 敵意も害意もないただそれだけで周囲の空気が冷たく凍ったのを感じて、ステラもようやく己の発言がいかに愚かだったのかを自覚した。

 ………敵わない。どう足掻いても絶対的に。

 同時に安堵した。

 そんな相手が、この場を任されてくれるのだと。

 

 「……最後に1つ、いいですか」

 

 「何でしょう?」

 

 「伝えて下さい。……王峰一真に、『覚悟しておけ』と」

 

 伝えましょう、と。

 彼女が頷いたのを見て、一輝は小さく笑った。

 

 「ではどうぞ」

 

 そして3人は抵抗を止めた。

 その途端に彼らの意識は完全に乗っ取られ、主の意のままに他者を害する人形と化す。

 《陰鉄(いんてつ)》を、《鳴神(なるかみ)》を、《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を握り締めて彼らは一斉に持ちうる破壊の全てを解き放った。

 比類なき鋭さの斬撃。全てを焼いて溶かす炎。爆ぜて閃く雷光。学園の並み居る猛者たちを薙ぎ払い続けた圧倒的な力を前に─────

 ────彼女は、大きく一歩を踏み込んだ。

 

 

 

 「ちぇ。つまんない終わり方だよね」

 

 

 

 遠く遠く離れた地で、誰かが唇を尖らせた。

 人形を支配し操っていた糸すべてが瞬きの内に断ち切られ、暴走していた生徒たちが一斉にその場に崩れ落ちる。

 全員を無傷で制圧するべく人の海に飛び込んだばかりだった一真が凍りついたのはその現象に対してではない。

 これを行ったであろう者から発せられた、もはや質量すら伴うかという切り裂くような剣気だ。

 

 (……誰、だよ。このバケモノは……)

 

 久しく味わう感情。

 己が圧倒的弱者であると嫌でも理解させられる、見ずとも分かる力の差。

 ───無傷での制圧。

 呆気なく訪れた理想的な結末の喜びは、それを遠く上回る脅威の出現の前にはあまりにも弱々しい。爪先から心臓へと這い上がってくる震えは緊張かそれとも恐怖なのか、すぐには判別がつかなかった。

 一瞬の内に静寂に支配されたコロシアム。

 心と人をただただ弄んだ人形劇は、巨大な怪物に消し飛ばされてその幕を下ろしたのだった。

 

 

     ◆

 

 

 「王馬。無事だったか」

 

 ぶつりと切り落とされるように事件は終幕を迎えた。操られていなかった者たちが立場無さげに佇んでいた時、和服を切り刻まれボロボロにされた王馬が憮然とした顔で戻ってきた。

 

 「糸が切られて助かったな。俺も少しぶつかったが、アレは下手打てば殺られてたろ」

 

 「違う、戦い以前の問題だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ふん、と王馬は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

 「操っていた人間は明らかに戦いの素人だ。技の使い方も武術的な駆け引きも稚拙、そもそも()()()()を把握していないなど問題外。

 どれだけ優れた手札を持っていようが、『経験則』を丸ごと奪われた剣士に遅れをとる訳がなかろう」

 

 そう言う王馬だが切られた和服の何ヵ所かは赤く染まり、隙間から覗く肌には新鮮な赤色の滲む線が引かれていた。

 明確に刀傷だ。傷口は気圧のギプスで圧着しているらしい。

 王馬の言う事は間違っていない。

 例えば黒鉄一輝………彼の真の恐ろしさは膨大な実戦経験と観察の累積による引き出しの多さだ。どれだけ技や体捌きが冴え渡っていようが、もしそれを失ったとあれば、彼の脅威は地に落ちるレベルで失墜するだろう。

 つまりあの二刀使いは、手札だけで王馬に傷を付けるスペックを誇っていたのだ。

 自分とてあの時王馬の横槍が無ければどうなっていたか………あのまま続ければ少なくとも無傷とはいかなかっただろう。

 

 (この七星剣武祭、ダークホースは禄存なのかもしれねえな……。あそこまでの野郎が出場できねえって何が起きてんだよ)

 

 「災難でしたね。私がもう少し早く来れていればよかったのですが」

 

 「……やっぱ糸を切ってくれたのはアンタなんだな。ありがとう、本当に助かった」

 

 「出来る事をしたまでです。しかしここまで彼らの負傷を抑えたのは、紛れもなく貴方がたの尽力のおかげでしょう」

 

 ふわり、と歌うように典雅な声。

 それがこちらを労る言葉であるにも関わらず、一真の背筋が氷のように硬直した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 内心の祈りはもう懇願のレベルに近い。

 

 「貴方とは初めて会いますね。私は───」

 

 「知ってる。っつーか、察したよ」

 

 ───『剣の道を志す者ならば、彼女を知らない者はいない』───お伽噺のようなその話を、一輝から何度か聞いた事がある。

 目の前にいる女性はまさに聞いた通りの姿をしていた。

 神聖さすら感じさせる純白の装いに一対の剣。

 強すぎるあまり『捕らえる』ことを放棄された『世界最悪の犯罪者』にして、全ての剣の道の果てに立つ『世界最強の剣士』────

 

 

 「────《比翼(ひよく)》のエーデルワイス。この目で拝めるとは驚きだ」

 

 「いえ。違いますが」

 

 

 …………………、…………。

 

 「ふふ、冗談です。その通り、私が《比翼》ですよ」

 

 「やめてくれスゲェ変な汗かいたわ!!!」

 

 思わず腹から声が出た。

 あれだけの剣気を放てる女性が楽しそうにクスクス笑っているが、そのギャップに萌えている余裕は一真にはない。

 何せ遥か上の実力を持ち最大限に警戒している相手からの予期せぬイジりである。全身を熱した虫が這い回るようなこの沈黙は当分トラウマになりそうだ。

 

 「それで……そんなビッグネームがどうしてこんな所に?」

 

 「暁学園の教師、という役回りですね。今回の作戦に携わっている訳ではありませんが、一宿一飯の恩には報いねばなりませんので」

 

 「なるほどなァ、それでか……。月影さんの人脈どうなってんだ……」

 

 納得したように頷いてみせる一真だが、ハッキリ言って上の空。彼は今、ただただエーデルワイスの完成された自然体に息を呑んでいた。

 すらりと伸びた四肢は僅かな強張りもなくどこまでも自然体で、あらゆる角度と瞬間からの有事に対応できるよう備えられている。

 何よりその佇まいから重心の位置を一切読み取れないのだ。

 ユーモアを交えられてもただ立っているだけの彼女の完全無欠さが緊張の弛緩を許さない。

 ここまで美しい立ち姿を見たのは、師や姉弟子を含めても初めてだった。

 

 「ところで。月影先生から話は聞いていますが、タカミネカズマとは貴方の事ですよね? 伝言を預かっているのですが」

 

 「あァそういや名乗ってなかったか。確かに俺が王峰一真だけど、伝言?誰から」

 

 「………名前を聞き損ねてしまいました……」

 

 何となくイメージが崩れてきたな……、と姿を見せ始めた人間味と慣れで若干ほぐれてきた。

 とりあえず知り合いには違い無さそうなのでどんな奴からか聞こうとした一真だが、問いかける前にエーデルワイスの口からその伝言が届けられた。

 

 「ただ一言だけ、『覚悟しておけ』、と」

 

 「!?」

 

 それだけで全てを察した。

 その伝言が誰から頼まれたものなのか、そしてそいつがどこにいたのか。そしてそいつが、間違いなくこの事件の被害を被っている事も。

 

 「やっぱアイツら来てたのかよ!?どこにも見かけなかったからいねえんだとばかり………、そいつどこにいる!?」

 

 「あそこです。目立つのですぐわかるかと」

 

 エーデルワイスが指差す方向に一気に飛び出す一真。そして彼女の言うとおり、確かに彼らはよく目立つ風体をしていた。

 全身ズタズタの血塗れ。

 ステラと刀華の皮膚は恐らく自身の能力によるものか酷く焼け爛れており、火傷は深く筋肉にまで至っていることが分かる。

 3人が糸による支配に抗い続けた結果なのだろう。ここまではいい。

 

 問題はこれだ。

 一輝と刀華にステラ、3人に刻み込まれた鋭利極まる刀傷。

 刃を武器とする者の中で、傷口からしてチェーンソーの多々良は除外。あの二刀使いと戦っていた王馬も除外。

 つまり、これを生み出せる人間はこの場には1人しかいない。

 

 何百人という操られた人間の、恐らくはAランクは固いだろう敵の操る糸だけを切るという並外れた技と力を持つ人間が。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「悪い。誰かカプセルまで運んでやってくれねえか」

 

 その頼みに答えたのは凛奈だった。

 凶悪なプレッシャーにビビり倒している黒いライオンを宥めすかし、巨大な背中に意識のない刀華たちを乗せて一目散に医療室へと疾駆していった。

 

 そして背後に気配がする。

 ついさっきまでなら敵意なくとも震えていた相手だが今は違う。……否、同じだ。今だって本能が背中を晒すなとけ消魂(けたたま)しく叫んでいるのだ。

 しかし、それでも。

 畏怖より、萎縮より、恐怖よりも優先すべき感情(もの)がある。

 間違いなく己を容易く斬り伏せる者に対して、一真は低く、重く問いかけた。

 

 「納得のいく説明をしてもらおうか────

 ……………()()()()()()()

 

 

 ……彼の愚行を止めるのは簡単だ。

 真実をありのまま話せばいい。

 糸が心身の奥深くまで侵入していた為に身体ごと直接斬る他なかったのだと説明すれば彼は冷静に返る。

 そして疑いをかけた事を彼女に謝罪し、己の短慮に恥じ入っただろう。

 エーデルワイスが()()()()()()()のはひとえに強者の余裕と、形だけとはいえ『教師』の役割を担っていたからだ。

 月影から彼の話は聞いていた。

 だから試す事にした。

 王峰一真という人間の、内なる自我(エゴ)と危うさを。

 

 「私がそうしようと思ったからです。それが何か?」

 

 長く。

 長く長く、一真は息を吐いた。

 腹を押し下げて丹田に力を込める。呼吸で己の精神に鎮静を強要し、怯えと恐怖に蓋をした。

 止めろ。

 頼むから止めろ。 

 いい加減に学習してくれ。

 

 じゃないと

 

 ここで

 

 こんどこそ  シヌぞ  ─────。

 

 

 弱音の一切が封じ込められるその瞬間、自分の理性がそんな金切り声の断末魔を上げるのを聞いた。

 

 

 

 ドッッッ!!!と衝撃が爆ぜた。

 その刺激で目を覚ました月影が見たものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一真の放った蹴りと衝撃を片手の一太刀で易々と弾き飛ばし、純白の彼女は平時と変わらぬ声色で一真に告げる。

 

 「足を滑らせたと。今ならそれで納得しますが」

 

 「気遣いありがとう。完全にわざとだ」

 

 「そうですか。ならばこちらも降りかかる火の粉は払いましょう」

 

 彼女から与えられた引き返すチャンスを、一真は理解していながら足蹴にした。

 本気の蹴り込みがまるで埃を払うような軽い動作で吹っ飛ばされた。刃を受けた脚は電気を受けたように痺れ、この脚鎧(ブーツ)は本当に役割を果たしているのかすら疑わしくなってくる。

 ───お前のやっている事は自殺でしかない。

 頭で理解しているそれを身体にもわからせるような、地の底と太陽ほども離れた次元の違い。

 

 「我、遥かなる頂にして終焉。一対の剣にて天地を分かつ者。

 我が名は《比翼》のエーデルワイス。

 大きく幼い少年よ。己の弱さを知りなさい」

 

 死神が両の翼を広げ、その鎌は1人の青年を直後の必然へと追い立てる。

 それでも尚、一真は叫んだ。

 こうあるべしと己に掲げた信念を、血と熱で刻んだ魂の名前を。

 

 「踏み均せ!!《プリンケプス》ッッ!!!」



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49話

     ◆

 

 

 突如勃発した王峰一真とエーデルワイスの戦い。一真はまず全身に魔力を漲らせた。

 最大倍率の身体能力の強化。破軍で友人と戦っていた頃、全てを100倍近くまでブーストされた友人の剣技と競り合うために必須の準備でもあった。

 最強の剣士エーデルワイス。最低でも《一刀修羅(いっとうしゅら)》を使用した彼以下というのはありえない。

 その判断が最低限正しい事を確信したのは、その刹那の後。

 振るわれた両の剣が己の眼から消え失せた途端、一真の鼻先を不可視の何かが閃いた。

 

 「──────ッ ッ ! ? 」

 

 あと半歩前に出ていれば首が飛んだだろう。

 寸前で察知して仰け反った一真の鼻先が焦げ臭い煙を上げる。掠っただけで皮膚が焼けた。

 ()()()()()()()。埒外の剣速だ。

 肉眼で辛うじて認識できるのは刀身と擦過して白熱した大気の輝きのみ。

 間隔も無しに続けて襲いかかってきたエーデルワイスの二の太刀を一真は慌てて回避する。

 

 (速いとかいう次元じゃねえ!!何の変哲もねえ片手の一振りがもう刀華の《雷切(らいきり)》レベルだ!!!)

 

 住んでいる速度域が違う。ハッキリ言って迎撃できるキャパシティを超えていた。

 そして────重い。尋常でなく。体格も体重も自分を大きく下回る細腕による一撃が鎧の上からでも腰まで響く痺れを押し付けてきた。

 それは何故か?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 音とは則ち空気の振動。

 極端な言い方をすれば身体の動きで音が発生する、つまり空気が振動するという事は、それだけ力の分散(ロス)が発生していることになる。

 つまりこのバケモノは自らの行動で生じるエネルギーを完全に制御し、一切の無駄なく行動のみに消費しているのだ。

 結果として、無音。

 力も速度も100%のポテンシャルを発揮している。

 太刀筋ひとつ踏み込みひとつ、どれを取っても規格外。

 

 (クソが……っ!!)

 

 ────一呼吸の間に都合10連。錯綜する鋼から飛び散る火花が星空のように宙を舞う。

 一真は見て捉える事を諦めて足の位置や動作の流れから攻撃を予測、時に躱して時に刃を打ち返し強引に隙間を生み出して、必殺技としか思えないエーデルワイスの()()()()()を辛くも凌ぎ切った。

 だが当然そこで終わるはずがない。測るような初手を経て彼女はそこに戦略を織り混ぜてきた。

 二振りの剣が左右から挟むように、しかし絶妙な時間差で斬りかかってくる。

 一真のスピードだと初撃を弾くか回避するかしてももう片方の剣に間違いなく斬られる、実力差を浮き彫りにする無慈悲な一手。

 神速で迫る死を前に一真の脳が狂ったようにインパルスを飛ばす。

 思考は無い。

 蓄積した知識と経験が、反射で回答を叩き出す。

 

 「がァっっ!!」

 

 吼えると同時、一真の全身から『概念』が撒き散らされた。

 少し後にブラッシュアップされ《暴圧(ウィレス)》と名付けられる伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

 物理的な干渉を伴う魔力そのものではなく、自身が操る概念そのものを力任せに放出。『優劣の劣を押し付ける』能力の本質が文字通りに相手の心身を威圧するのだ。

 それは炎が熱を発するが如し。

 物質に対する破壊力は全くないが、原理の単純さ故に発動が凄まじく早い。行動と合わせればエーデルワイスの剣にもギリギリで間に合う。

 今のままでは間に合わないのであれば強引に相手を引き摺り下ろす外ない。

 彼の能力はあまり地力の底上げに寄与するものではないが、相手を圧倒する事には何よりも長けている。

 

 「!」

 

 力関係を押し付けられたエーデルワイスの動きが鈍る。

 大抵の伐刀者(ブレイザー)がその場でへたり込むか石像になってしまうような力だったのだが、そもそも次元の違う相手だ。一真の威圧は彼女の剣速を僅かに遅らせる程度に留まった。

 しかし練達した者にはその“僅か”があれば充分。

 先に到達した右の剣を躱しつつ左の剣を蹴飛ばして詰めの一手を回避する。

 紙一重で戦いが成立している────ように見えてその実、一真はただ奈落の淵へと歩いているだけだった。

 

 (これじゃ死ぬのを先延ばしにしてるだけだ)

 

 備えれば防げる程度の影響しか与えられていない。この手は2度も通じないだろう。

 自分自身の動きを改良する他ない。今やらねば未来がない。この剣技を相手取るには、今の自分の『蹴り』は動きが大きすぎる!

 少しでもいい、思考の猶予が欲しい。一真は大きく後ろに跳んだ。エーデルワイスは間髪入れずに剣を身体の前で十字に構えて追い縋る。

 そこで彼女は見た。

 一真の目には強い光が宿っている。つまりこれは劣勢による退避ではなく、攻勢に回らんとする助走なのだと。

 

 (見せてもらいましょうか。死に物狂いの結論を)

 

 クロスした剣で身体を堅守し、さらに十の字に斬りつける攻撃に繋がる攻防一体の構え。

 隙のない追い打ちを前に今度は退かなかった。

 一真は剣がクロスしている所を下から蹴り上げ、両の剣を跳ね上げて構えを崩す。そして振り上げた脚はそのまま踵落としへと繋がってエーデルワイスの頭を狙う。

 しかしその途端、一真の腹に鋭利で硬質な予感が2つ滑り込んできた。

 

 「ぐ…………っ!?」

 

 咄嗟に腹を魔力で覆った途端、覆った箇所に過たず突き込まれた純白の鋼。紫白の鎧を突き破らんばかりに食い込んでくる勢いに抗わず、一真はわざと後ろに飛ばされて距離を空けた。

 ───そうしなければ臓物を裂かれて終わっていただろう。

 どろり、と腹から血が流れる。

 魔力で防いだはずの彼女の剣は、一真の腹筋に確かに突き刺さっていたのだ。

 

 (まだ遅いか)

 

 一真の踵が彼女の頭を撃ち抜くよりも、弾いた剣が一真へと切り返してくる方が速い。

 攻と守を切り替える時間の短縮。方向としては正しそうだが、やはり速度がボトルネックとなっているせいで打ち合いが成立しない。

 また後退させられた一真へとさらに前進してきたエーデルワイスが振るう左の剣。この神速の一閃を前に、彼は活路を見出だした。

 

 (ここだ────!!)

 

 エーデルワイスの左の攻撃に合わせ、一真は上体を思い切り倒しながら右の脚を振るった。

 蹴りの軌道は振るわれた剣の下側を擦りつつ鋭い弧を描く。鎧に覆われた爪先がエーデルワイスのこめかみに迫るにつれ、剣と腕の下側を擦り上げられた彼女の太刀筋が一真の脚に押されるように狙いから逸れて流れていく。

 ───一真のアドバンテージは、正面からの激突でものをいう『体格と体重の差』だ。

 実際のところは彼女との技術の差で消えてしまっている有利だが、こうして横合いからぶつければその有利はきちんと働いてくれる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな状況で叩き出したこの回答は、後になって考えても間違いなく最適解だったと思う。

 

 押し返されたのは一真の脚だった。

 頭を撃ち抜くはずだった蹴り足はまっすぐ首筋へと迫るエーデルワイスの太刀筋に擦り阻まれ、押さえ込まれて逸れて流れる。

 

 攻撃を以て敵の攻撃を逸らし、そのまま己の攻撃を叩き込む。

 つまりエーデルワイスは一真が自分にやった事を全く同じ事で返したのだ。

 軌道をズラされてからの後出しでも返しが成立してしまう程の───桁違いの刀線(とうせん)()(すじ)と鋭さで。

 

 「な」

 

 首を真っ直ぐに横断する戦慄に、一真は遮二無二背筋を反らす。

 回避は辛うじて成功。しかし一瞬遅かった。大気を焼きながら通過した彼女の剣先が斬り裂いたのは────、一真の額。

 さらにそこから噴き出した血が一真の両目に入り、その視界を完全に奪ってしまった。

 

 (や、ば、)

 

 もちろんそんな隙を見逃してもらえるはずもない。繰り出すは初手に繰り出した、1の刹那の間に10回斬り刻む剣戟の重爆。

 (とど)めの太刀は()く速く、世界最高峰の剣がいま最短距離で一真の命へと────

 

 「シャァッッッ!!」

 

 「っ……!?」

 

 ()()()()()()()

 大量の鮮血が宙を舞い、咆哮と共に空を貫いた一真の脚鎧(ブーツ)が硬質な戟音を奏でる。

 10連撃の出始めに強引に割り込んできた一真の後ろ蹴りを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ────一真の先読みは誰ぞの《完全掌握(パーフェクトビジョン)》ほど高精度ではない。行動の予測という点において読めるのは相手が行動するタイミング、後は動きの流れから次にどう動くか。視界が利かない状態でエーデルワイスの連撃を受けきるような洞察力など持ち合わせていない。

 だから彼は、胴体を一番最初に通り抜けた殺気のみに備えた。

 刃が身体に触れると同時、一真は爪先を軸に全身を駆動。

 斬撃が身体を通り抜ける方向に全力で廻転(まわ)り、剣を生身で受け流しつつ回転の勢いを乗せた後ろ蹴り(カウンター)をネジ込んだのだ。

 

 しかしこれは普通なら速度で完敗している時点で成立するはずのない反撃。

 だから、足りない要素は血肉で支払った。

 不足したスピードで攻撃を間に合わせるための最低限の動き。最低限の回転。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、辛うじて戦闘続行が可能な深さに抑えられたダメージを対価に一真は攻撃の権利を手に入れたのだ。

 

 「大したものです」

 

 遠く及ばない相手に逆転を狙うには、慮外の方向から慮外の一撃を叩き込む他ない。そのために飛び越えなければならないリスクは、彼我(ひが)の実力差が開いているほどに大きく深くなっていく。

 針穴より小さい突破口を掴めるか否かという分の悪すぎる決断、それを前にして対価の支払いを欠片も躊躇わない剛胆さに、さしものエーデルワイスも驚嘆を見せた。

 されど攻撃の手は緩めない。

 防御の間に振りかぶられた、たった今受け流された方の剣が再び一真を襲う。

 二刀の絶対的優位である手数は初手を潰された程度で揺らがない。ましてエーデルワイスであれば尚更だ。この程度のロス、単純に攻め立て続けるだけで一瞬で無いも同然だ。

 加えて一真は重傷。もうさっきのような捨て身の逆転は狙えないばかりか、戦闘能力も大きく削がれている。

 このカウンターが失敗した時点で王峰一真は詰んでいる。

 そう。

 このカウンターが失敗した時点で、だ。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 完全に詰ませたと相手に思わせてただ攻め立てればいいだけの状況を作る、これこそが彼の狙いだった。

 

 

 都合10連撃。

 エーデルワイスの剣が全て弾かれる。

 今まで受ける事すら至難の技だった彼女の剣戟を全て受け止めながら、一真は目を見開いたエーデルワイスに全力の蹴りを放った。

 単純な攻撃なら受け止められるという前提があるのなら、攻撃に全力を注ぐ事ができる。

 自分を押し切るのに強力な技は不要。そう思わせる為に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最後の好機を掴み取ったその大男は、紫白の極光を纏っている。

 

 神話再演(ミュートロギア)不沈の英雄(アイアース)》。

 最強の鎧に武装された無双の鉄槌が、世界最強の剣士の喉笛にその爪先を突き付けた。

 

 

 

 

 ゴギンッッッッ!!!と凄まじい音がした。

 その音の発生源を()()()()()のは黒鉄王馬。

 あらゆる攻撃を涼しい顔であしらい追い詰めるエーデルワイスと、才能と技術全てを用いて食い下がらんとする一真の戦い。

 己が乗り越えるべき絶対的な才を持つ者がさらに遠く及ばない頂点を相手に勝利を諦めない姿は、彼の目にどう映ったのだろう。

 そして突如として一真から噴き上がった凄まじい力に瞠目した直後、『それ』はくるくる回転しながら勢いよく王馬めがけて飛んできた。

 

 「っ?」

 

 思わず反射でキャッチした。

 これは何だ?

 そう思い手に掴んだやたら大きなそれが何なのかを確認した瞬間、脊椎に液体窒素を流し込んだような寒気が王馬の背筋を駆け上がる。

 

 それは鎧だった。

 中身をその内に収めたままの脚鎧(ブーツ)だった。

 紫白の極光は潰え、蹴ったはずの脚はそこにはない。己の体積を大きく減少させた一真が、ぐらりとバランスを崩す。

 

 

 たった今まで《不沈の英雄(アイアース)》を纏っていた一真の脚が、膝の上から《プリンケプス》ごと斬り飛ばされていた。

 

 

 「な………ぁ……」

 

 動揺と困惑に呻く片脚のカカシ。

 腿の切断面から間欠泉のように血が溢れ出し、一真の身体から力が抜けていく。 

 過去に破られた事がない訳ではない。

 だが純粋な力の出力でこうもあっさり、こうもリスクや対価を支払わずにあっさりと破られた事など1度もなかった。

 

 ────今のは、《一刀(いっとう)羅刹(らせつ)》と同じものだ。

 

 過去の経験から近しい現象を見つけ、辛うじて一真は今の現象に理屈を付ける。

 そしてその推測は正しい。

 エーデルワイスは剣を振るう一瞬に魔力を爆発させ、ブーストされた力の全てをその一振りのみに集中する事で《不沈の英雄(アイアース)》を正面から打ち破ったのだ。

 そう、やっている事は彼の友人と同じ。

 ただやはり桁外れなのだ。

 剣技だけでなく魔力のコントロールですらも圧倒的に。

 故にその強化倍率も友人のそれを優に上回り、また使い果たして脱け殻になる事もない。全てを使い切る必要がないからだ。

 最大限に戦略を巡らせ、リスクを支払い、全てをぶつけても足元にすら届かない。

 そもそも自分の尺度で測ってはならない相手に喧嘩を吹っ掛けるべきではなかったと言ってしまえばそれまでだが………一真の全力など、彼女からすれば後出しでどうとでも対処出来てしまうものでしかなかったのだ。

 

 額と腹からの出血。

 胴体に重篤な斬創。

 片脚の欠損。

 加えて、魂の結晶である霊装(デバイス)の破損。

 エーデルワイスはもはや追い打ちを加えない。

 その必要がないことをわかっているからだ。

 彼女はもはや戦いは終わったと意識と身体が崩れ落ちていく一真から視線を切り─────

 

 「あああァァァぁああぁあああッッ!!!」

 

 「ッ!?」

 

 その、刹那。

 あろうことか一真はあらん限りの力を絞り出してその敗北を拒絶。

 その脚で崩れ落ちていく心身を強引に支え、そればかりか、()()()。───()()()()()

 その攻撃は純白の刃に軽々と防がれたものの、エーデルワイスの心には僅かな揺らぎが生まれていた。

 ───片脚でどうやって蹴ったのか?

 彼女が一真の脚に目をやった時、その疑問は簡単に解消された。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 地面を『踏む』という一真の意思の元、魔力は喪われた脚の断面に集中。

 そのまま欠損した部位の形を取り、形状と役割を強引に整復してみせたのだ。

 恐らくこうしようと具体的に考えた上での出力ではあるまい。戦闘を続行するために必要なものと行動を、能力を使って本能的に実行しているのだ。

 

 「……まだ続けるのですか?」

 

 息も絶え絶えの有り様で、それでも自らの前に立つ戦士に向けてエーデルワイスは問いかけた。



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50話

 「力の差は歴然。魂の結晶も武器である脚も切り落とされ、義足を作ってももはや戦える身体ではありません。

 そもそも私にはこれ以上人を斬るつもりはないし、私が斬った彼らは今頃カプセルの中。その命に別状はないでしょう。

 なのに何故私を討とうと立ち上がるのですか?

 友を傷つけられ憤るのは当然だとしても、はっきり言ってこの状況は激情で命を捨てるには余りにも釣り合わない。

 そんな事、貴方も分かっているのではないですか?」

 

 「……わかって、ねえのは……お前の方だ」

 

 「と言うと?」

 

 「理屈の話なんざしちゃいねえんだよ」

 

 どろり、と血のように溢れた言葉が彼女の疑問を切り捨てた。

 

 「不条理や理不尽ってのはな、猟犬と同じだ。

 飼い主の命令で退いた分だけ詰めてくる。逃げた分だけ追いかけて、弱らせてから飼い主に差し出すのが仕事だからな。

 ……けど、その犬を殺しても何も変わらねえ。

 理不尽(イヌ)のリードを握ってる飼い主は、また別の不条理(イヌ)をけしかけて他人を食い散らかすだろう。

 ───じゃあ、その飼い主を潰すしかねえだろうが」

 

  エーデルワイスの問いかけに一真は赤い飛沫の混じった喘鳴を吐きながら低く唸る。彼女を睨むその目は大量の血を失ってなお血走り、赫怒の執念に燃えていた。

 

 「テメェらみたいなのがのさばってるから耐えなくていい痛みに耐えなきゃならない奴がいるんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 ガキの頃から今に至るまで!そういう輩と戦う為に!俺は鍛え続けてきた!!」

 

 「それが私に立ち向かう理由、ですか」

 

 その答えに、エーデルワイスはその端正な顔をしかめる。

 

 「貴方がどれ程の執念で己を錬磨してきたかは剣を通して理解しました。その信念に口を挟むつもりも、その執念にもはや合理を問うつもりもありません。

 しかし結果として貴方はここに……、傷付けられてここまで激昂する程に親しい友を裏切ったに等しい場所に流れ着いた。

 敵だけでなく大切な人も、そして貴方自身も………貴方の行動は余りにも多くを傷付けすぎた。友の為に怒れるのであれば、それこそ貴方の望む事ではないでしょう。

 まして友と向かい合う志半ばのここで果てるなど───」

 

 「んな(こた)ァわかってんだよ」

 

 はっ、と嘲るように一笑に付した。

 それはこの期に及んでも理屈を問うのかとエーデルワイスを嗤ったのか、それとも矛盾とわかってもなお止まれない自分か。

 上昇を続ける魔力の密度に焼かれて蒸発する血液。命の流れが失われていく中で、それでも一真は歯を剥き出す。

 

 「望んだ結果だけ手に入った事なんてほとんど無え。悲しむべきじゃねえ誰かの顔が曇る事もざらにあった。

 けどなァ。平気な面して人を傷付け陥れてる奴を見ると、(はらわた)が煮えてしょうがねえ。

 鍋底みてえに焦げ付いて堪らねえんだ。

 こんな焼け死ぬような熱に突き動かされてんのに、それを抱えたまんま膝を抱えて縮こまるのは─────

 

 

 ─────死んでる事と、どう違う」

 

 

 そう言い放ち、一真は地を鳴らして一歩踏み出した。

 ゴォッ、と魔力が噴き上がる。

 敗北と死の淵で燃え盛る命は業火のように紫白を躍り狂わせ、己が生に掲げた御旗を傲然と振りかざす。

 命ある限り前へ、前へ。

 魂である脚を落とされてなお悪鬼の如き形相で奈落へと踏み込んでくる様。その瞳に宿す光を通して一真の炎がエーデルワイスにも伝わってくる。

 

 (……何という執念。元服して大した間もない少年が、こうまで危うい光を眼に宿すのですか)

 

 彼女は息を呑む。

 これ程の力、これ程の原動力。

 何を壊しても自分自身が傷付いても、壁に激突するしか選べない戦車のような魂。

 

 (久し振りですね。この意味での『危険』さを、ここまで感じさせてくる者に出会ったのは)

 

 そして彼女は、真っ直ぐに一真を見据えた。

 

 「王峰一真。それが貴方の名前でしたね」

 

 確認して、エーデルワイスは軽やかに後ろへ跳躍。一真との間合いを大きく開き─────

 

 

 「認めましょう。私の前に立ちはだからんとする貴方の力は蟷螂の斧などではなかった。

 人生を徹して貫いてきたその想いは、命に届かない加減した剣では断ち切れない。

 だから、………この世界最強の剣で、全力を以て貴方を討ち果たしましょう」

 

 

 今日初めて、『世界最強』が()()になった。

 その瞬間、これまでとは比較にならない程の『剣気』が彼女の身体から迸る。

 さながらそれは光の暴風。

 戦塵を巻き上げ、コロシアムが軋み、樹脂製の観客席が派手に割れていく。

 およそ人間とは考えられないような巨大な存在感を撒き散らし、エーデルワイスは二つ名の通りに左右の剣を翼のように広げ────

 

 

 「覚悟を」

 

 

 翔けた。

 少年が必死になって凌いでいたさっきまでが遊びだったかのような、太刀筋どころかその姿そのものが閃光と化す前進速度。

 死神の足音すら置き去る冴え冴えとした刃の気配が己の未来を閉ざそうとしているのを、その瞬間に確かに感じた。

 防がねば死ぬ。恐らくは、防いでも死ぬ。

 いや、そもそもの話。

 鍛練と執念の結実たる脚まで片方奪われて、今の自分に何ができる?

 

 (はは)

 

 恐らくは走馬灯の類いか。飴のように引き伸ばされた時間の中、一真は小さな笑いを溢した。

 

 (決まってるよなァ、そんなもん)

 

 考えるまでもない。

 この十数年で身に付けたものなど、つまる所はそれしかないのだ。

 より強く、鋭く、敵を蹴る。

 喜びも怒りも全てが混ざり合ってきた、人生そのものとすら言えるその積み重ねに一真は身を委ねた。

 そして─────

 

 交錯は音もなく、刹那の内に過ぎ去った。

 一瞬遅れて、青空に散る赤色の血霞。

 声を発する間もなく、一真の巨体がぐらりと地面へと崩れ落ちた。

 

 

     ◆

 

 

 「……、……………」

 

 王峰一真を一刀のもとに下したエーデルワイスは二刀を払って血を振るい落とす。

 その装束にはそもそも返り血すら浴びていない。命を賭した相手を前にしても己の純白を汚さなかった彼女に、目は覚ましたものの戦いが終わりようやく近付けるようになった月影獏牙がフラフラと近付いていく。

 

 「ああ、エ、エーデ。彼は………」

 

 「友を私に斬られ怒っていたので、少々試させてもらいました。心身の奥深くまで食い込んだ糸を切る為にやむを得なかった、と後で誤解を解いてもらえると助かるのですが………

 ………安心してください、彼はまだ生きています。時間は少ないですが、すぐにカプセルに入れれば問題は無いでしょう」

 

 「そうか……、良かった……」

 

 「生かすつもりも無かったのですけどね」

 

 そう言って少し苦笑を浮かべるエーデルワイス。まるで彼女が手加減したのではなく敵を仕損じたような言い方に疑問を抱いた月影だったが、その直後に目を見開いた。

 彼女の力を知る者からすればまず信じられないようなものを見たからだ。

 しかし愕然とする彼の動揺には目もくれず、エーデルワイスは静かに、しかし有無を言わさない強さで月影に訓告する。

 

 「彼を計画に巻き込まざるを得なかったのは理解できました。しかし月影先生、くれぐれも彼から目を離さぬよう。

 彼は組織の劇薬です。周囲の環境如何によっては、恐らく計画の達成すらも度外視して動きかねないでしょう」

 

 「……ああ。心得ているとも」

 

 「これは失礼。既に実感していましたか」

 

 今度は月影が苦笑する番だった。

 エーデルワイスは改めて自分と対峙した戦士を見る。

 そしてこれからの人生、彼が直面するだろう数多くの試練を思った。

 敵を潰せばさらに多くの敵が現れる。それを潰せばさらにそれ以上の敵が現れるだろう。

 繰り返し繰り返した果てで、いつしか彼の周りには敵しかいなくなる。 

 己が巻き込み作り上げた暴力の雪だるまに、自分自身が潰される未来もそう遠くないのかもしれない。

 

 「では、私はこれで帰ります。彼が目を覚ましたら伝えておいてください」

 

 そう言って彼女は踵を返す。

 だけど彼には、友がいる。彼が孤独になる事を良しとしない誰かがいる。

 彼の原動力が憤怒の記憶なら、それは誰かの優しさで癒える事もあるのかもしれない。

 そう思ったからこそ彼女は、《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》と呼ばれた少年に言葉を遺した。

 

 「『貴方の歩む(みち)に、いつか赦しが見つかりますように』───、と」 

 

 

 そう言って彼女は音もなく姿を消した。

 

 「……確かに伝えるよ」

 

 エーデルワイスが去った空にそう返し、月影は倒れた一真に駆け寄る。確かにまだ息がある事を確認して指示を飛ばし、多々良が悪態を吐きながら己を優に超える巨体を担ぎ上げて治療室へと駆けていく。

 そしてその場にいた王馬はそれに手を貸す事もなく、ただ目の前に落ちているそれに目を奪われていた。

 あの最後の交錯で、エーデルワイスが一真を殺し損ねた理由。

 無言で歩み寄り、血をぶち撒けられたリングの中に落ちていたそれを手のひらに拾い上げる。

 ───それは日の光を反射して白く輝く白銀の欠片。

 

 「(たぎ)らせてくれる………ッッ!」

 

 拾ったそれを思わず握り締めた王馬は、一真が消えていったリングの出口を睨む。

 額に緊張の汗を滲ませつつも、その口には柄にもなく獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 (やれやれ。まさか傷を入れられるとは思いませんでした)

 

 音も気配もなく帰路を翔けるエーデルワイスは、頭に乗せた額当てに指先を這わせる。

 思い返すは決着の一瞬。光の煌めきのような錯綜の中で起こった、信じられない出来事。

 あの一瞬の中で世界最強の剣を前にした王峰一真は………あろう事か自分から攻めてきた。

 確実に一真の命を断つために()()()()()()()()()故に生じた針穴ほどの隙を突いて自分の頭蓋めがけ真っ直ぐに(はし)ってきたそれは、エーデルワイスの想定すら遥かに超える力と───そして圧。

 それは彼女を以てしても一瞬、完全な守勢に回らざるを得ない程のものであり───結果、彼女の太刀は鈍った。

 故に、彼女は殺しきれなかった。

 王峰一真の魂を。

 

 (あれ程の出血量、脳が充分に思考するための酸素は供給できていなかったはず。つまりあれは純粋なタイミングも選択も、すべて反射と本能による一撃)

 

 あのレベルの一撃を自らの意思で放てるようになる。彼には最低限そのレベルの伸び代があるという事。

 己の怒りによってか、あるいは他者を守る為か。その伸び代が何をきっかけに開花するのかは、これから続いていく彼の生に大きな影響を与えるだろう。

 あの怒りが、衝動が、明るい何かを築き上げる未来は残念ながら見えづらいのだが。

 

 ───再び彼と相見(あいまみえ)える事があるならば。

 願わくばそれは闇の中ではなく、好敵手としてであらん事を。

 

 自らの余剰魔力で編んだ、霊装(デバイス)と同等の硬度を誇る鎧。

 若き戦士に砕かれた頭のそれをもう1度撫でながら、《比翼》はやはり音もなく姿を消した。

 

 

     ◆

 

 

 瞼の向こうに光を感じる。

 それが光だと判断する思考能力が戻ってきていることを理解する。

 そして王峰一真は目を開いた。

 コロシアムの医務室ではない、どこかの医療機関らしい。

 鉛のように重い身体を起こした一真は、靄のかかった頭でここに至った経緯を思い起こす。

 ……そして、全てが鮮明に弾けた。

 刃に倒れた友人たちの姿に、その犯人に戦いを挑んだ事。その女との隔絶した実力差に己の意識を切り落とした刃の感触───

 

 敗北した。

 何も出来ずに。

 負けてはならぬと鍛えてきた不倶戴天の敵。理不尽を撒き散らす人間に、一矢報いる事すらも叶わないまま。

 

 「──────…………、」

 

 剥き出した歯の隙間から息が漏れる。

 握り締めた拳が軋み、額に血管が浮かぶ。

 今の直後にはベッドを踏み壊しそうな怒りと苛立ちは、その全てが不甲斐ない自分自身に向けられる事で見かけ上の平穏を保っていた。

 そこに部屋の外から靴音が近付いてくる。定刻に様子を見に来た看護士だ。

 部屋を覗き込んだ彼女はカプセルの麻酔で眠っていた患者が目を覚ましているのを見て顔を綻ばせ………

 

 「あっ、王峰さん目を覚ましヒィッッ!?」

 

 その形相に腰を抜かした。

 

 その後、簡単な問診と検診を経て一真は退院。知らせを聞いて迎えに来た月影の車に乗り、暁学園が拠点としているホテルへの帰路につく。

 運転手が運転する高級車の車内。その巨体で後部座席を圧迫する一真に窮屈そうな顔をすることもなく、月影は腕組みをして俯く一真に声をかける。

 

 「身体の方は大丈夫かね?」

 

 「………。ああ」

 

 「操られていた生徒たちは全員無事だったよ。君たちの尽力のお陰で目立った怪我人はほとんどいなかった。もちろん君の友人……黒鉄くん達もカプセルから出て、今は退院している」

 

 「月影さん」

 

 朗報であるはずの月影の言葉を一真は遮った。

 

 「話にゃ聞きましたよ。エーデルワイスは……《比翼》は、暁学園の教師役なんですね」

 

 「……名前を借りているだけだよ。今回は騒動の収拾を請け負ってくれたが、計画に直接関わっている訳ではない」

 

 「それは聞いてるんです。それで事態を解決してくれたそのセンセイ様が、まさにその俺の連れを大した理由もなく斬ってくれたって話なんですが」

 

 一真は月影の方を向かない。

 これだけ言えばわかるだろうと言わんばかりにただ1つだけ質問をした。

 低く、静かに。内の激情を抑えるように。

 

 「月影さん。()()()()()()()()()()()?」

 

 ぞわり、と。

 月影は隣に座る少年の正気を明確に疑った。

 彼はエーデルワイスと繋がっている自分を粛清しようとしているのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あれだけ圧倒的な実力差を見せつけられて、尚も揺らがぬ敵意と殺意。どうあっても敵わぬ者が近い所にいれば少しは大人しくなるかとも思ったが、実際のところはまるで逆。

 ────全く、伝えるだけでも一苦労だ。

 

 「それよりも先に、君に伝える事がある」

 

 「……伝える事?」

 

 「彼女から君へ。事の真実と伝言だ」

 

 

 日本国首相説明中。

 

 

 「………………………」

 

 無言があった。

 月影から事のあらましを聞かされた一真は組んでいた腕で頭を抱えている。

 どうやら全て納得してくれたらしい。正直「斬った事には変わりねえだろ」と押し通してくる可能性を否定できなかった月影はホッと胸を撫で下ろした。

 

 「ちょ エーデルワイスさんどこですか。教えて下さいよマジで頭下げに行くんで」

 

 「これについては謝るような事でもないのではないかな。試そうとしたとはいえ、君を怒らせるために彼女自身が誘導した事なんだから」

 

 「いやまァそう、えっいやでもコレ、そりゃ俺も悪いけどさァ!試すにしたっていくらなんでも人が悪すぎねえか!?ちゃんとその場で説明してくれよ本当!!そうしてくれれば信じたよ実際にあの苦境から助けてくれてんだからさァ!!」



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51話

 しばらくやり場のない思いを叫んでいた一真だが、やがて悶えていてもしょうがないと悟ったのだろう。思考を切り替えるように首を振り、それよりも聞かなければならない事があると月影に向き直る。

 

 「……エーデルワイスさんについてはそれでいいとしてだ。月影さん。全生徒をマリオネットにしやがったクソ野郎について心当たりは?」

 

 「………恐らくは《傀儡王》オル=ゴール。私が知る中では最高の、最悪の『鋼線使い』だ。所在についてはわからない。平賀冷泉を操ってたのも恐らくは彼だろうな」

 

 「て事ァやっぱ俺が撒いた種だと。ったく、やらかしが重なるなァ……いつか潰して尻拭かねえと……」

 

 潰しに行く気マンマンらしい。トイレットペーパーを買い忘れたような一真の口調に、月影は重要な(たが)が外れかかっているような感覚がした。

 あるいは初めて自らの手で人を殺めたあのテロ以降、『殺す』という行動が選択肢に挙がるようになってしまったのか。

 

 「それと、もう1つ君に伝える事がある」

 

 「?」

 

 「彼女からの伝言の方だ」

 

 ここに来て月影はエーデルワイスが彼に伝えるよう頼んだ言葉の意味を理解した。

 彼女は気付いていたのだ。彼を動かす衝動の源泉に。

 生殺の規模で自分を試した相手からの言葉、一体何だと真剣な眼差しになった一真に向けて、月影は己の祈りも込めたメッセージを伝えた。

 

 「『貴方の歩む(みち)に────」

 

 

     ◆

 

 

 「──いつか赦しが見つかりますように』、ね」

 

 建物に四角く切り抜かれた青空を見て1人ごちる。ホテルの中庭にある小さなベンチを自らの体躯で占拠しつつ一真は物思いに耽っていた。

 この所よく自分の内面を他人に指摘されるような気がする。

 サラからは不貞腐れている子供が見えると言われ、エーデルワイスには赦しの道を願われた。

 すべて連盟の日本支部を潰し、世間に罪状を隠された上で月影に引き込まれてからの事だ。

 やった事実こそ消えないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 無論、ただの偶然。

 運命だ因果だといった大仰な認識をするつもりなどないが、しかし流石に少し考える。

 あるいはここが自分の最後のターニングポイント、いや………

 

 「分水嶺、って奴なのかねぇ………」

 

 「考え事かの?」

 

 何の気配もなくすぐ隣から声がした。

 キュウリを見た猫みたいなリアクションで飛び上がった一真が空中で回転しながら鮮やかに着地する。

 ビックリし過ぎて心臓をバクバクさせている彼を見て、唐突に一真の横に現れたその老人は面白そうに手を叩いた。

 

 「ひょひょひょ、見事な猫っ跳びじゃのぉ。最後にワシが見た時よりも格段に体が利くようになっとるわ」

 

 「せっ、せせせ師匠(せんせい)!? なん、どっ、ビビらせんなよマジでいつどっから入ってきた!!」

 

 「慌てるでないわ、既に話は聞いておる。それに事情はどうあれ既に寧音と黒乃君に食らわされた愛弟子をまだ引っ叩こうなどとは思わんわい」

 

 ひらひらと手を振る老人に正直ホッとしてしまったのは否めない。

 自分を殴る理由を持っている人間の多さは自覚するところだが、寧音や黒乃レベルの強者にそれをやられるのはシンプルにキツい。

 殴られてもしょうがないとは思っているし殴られても文句は言わないが、だとしても殴られたい訳ではないのだ。

 というかかの第2次世界大戦の前線を無傷で戦い抜いた敬愛すべき我が師───《闘神》南郷(なんごう)寅次郎(とらじろう)に殴られてもいいという人間がいるのなら逆に連れてきていただきたい。

 こつり、と杖の先で地面を鳴らして南郷は一真に告げた。

 

 「率直に言えばのう、ワシがここに来たのは一真、ヌシを鍛える為じゃ」

 

 「えっ?」

 

 「刀華はヌシに勝つために今までの全てを結実させようとしとるし、ステラ嬢は真の才能に目覚めておる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。全てヌシに対する怒りが発破をかけたものじゃ」

 

 ある意味においてはヌシの撒いた種とも言えるかの、と。

 

 「ヌシが()べた火は生半(なまなか)な熱量ではないぞ。戦いに向けた迷いを振り切った程度の覚悟なぞ比べ物にならん。

 無論ヌシの実力は相当なものじゃ。学生騎士の領域は優に逸脱しとるが………その火で鍛えられた(みな)の前で『約束は守った』と言うには、今のままではちと足りんぞい」

 

 「………ッッ!」

 

 ゾワッ、と想像するだけで全身が総毛立つ。

 王峰一真にとって『戦闘』とは己の信条を徹すための手段でしかなく、それ以外にはスポーツやゲームのようなコミュニケーションの一環以上の意義を見出だしていない。

 そんな彼にとって刀華や一輝が瞳に覗かせる野心や悦びの“ギラつき”は尊敬すべきものだったが、それ以上に………自分の理解や価値観の及ばない畏怖の対象でもあった。

 ただでさえ特筆すべき実力の彼女らがそれ以上の“ギラつき”で鍛えたものを一斉に自分に突き付けるのだ。震えるに決まっている。

 そう思えばこのタイミングで師匠から鍛え直してもらえるのはまさに渡りに舟なのだが。

 

 「それは凄え嬉しい話なんだけどよ……、その、いいのか? あんな事しでかした俺に協力なんて……」

 

 「気に病むでない。合宿の臨時コーチに呼ばれはしたが破軍の教師という訳でもなし、肩入れしたい者に肩入れしても咎める者なぞおらんわい。それにのう」

 

 ───不相応なまでの幸運だ。

 叱ってくれる人も親身になってくれる人も、背中を押してくれる人まで彼にはいる。

 大罪を犯した一真に対して、それでも南郷の剽軽な笑い声は幼い頃から聞き慣れた響きのままで。 

 厚ぼったく垂れた目蓋の尻を曲げ、南郷は柔和に笑った。

 

 

 「小さい頃からよく知っとる愛弟子の晴れ舞台じゃ。若者の青春を近くで眺めるんは枯れたジジイの潤いじゃて」

 

 

 「……お願いします、師匠(せんせい)!!」

 

 万感の思いで一真は深々と頭を下げた。

 いま自分がどれだけ恵まれた環境にいるか、噛み締めるにも大きすぎる幸せを彼は全霊を以て受け止める。

 そんな彼のつむじを見ながら微笑む南郷の口元が(けだもの)のように歪んでいくが、一真はそれを知らないままだった。

 

 

     ◆

 

 

 自分は絶対的な強者である。

 ステラ・ヴァーミリオンはそう自覚していた。

 今まで自分が振るっていた力は、いわば蛇口から漏れ出た程度のものでしかない。

 しかし合宿での恋人との喧嘩を経て自分は自分の本当の能力を知り、そして力の蛇口を全開にする術を得た。

 かつての自分とは比較にもならない。自身の可能性という山を一気に駆け登ったと確信している。

 ───だが、足りない。

 正体不明の怪物からの支配に対して自分は抵抗ですらない先延ばししか出来ず、さらに《比翼》という絶対的な壁を知ってしまった。

 それに黒鉄一輝も東堂刀華もあの男を倒すためにさらに己に磨きをかけているし───自分だって是が非でもあの日の雪辱を果たしたいのだ。

 まして恋人と交わした『決勝で戦う』という約束を守れずに終わるなど問題外。

 目覚めたてのよちよち歩きな現状で満足などできる筈もなかった。

 

 (相手が要る。七星剣武祭までの1週間で、私を鍛え上げられるだけの()()が)

 

 脳内にいくつか候補を思い浮かべ、そしてこれと見込んだ者を待ち伏せに向かった。

 目的地は都内に存在するKOKリーグ選手専用のジム。その人物がそこをよく利用している事を彼女は知っている。

 自分が見る限り、この破軍学園で1番強い伐刀者(ブレイザー)

 断られるかもしれないが関係ない。

 誰だって降りかかる火の粉は払わずにはいられないのだから。

 

 

     ◆

 

 

 身体が動かない。

 鍛練の最中、黒鉄一輝を襲った正体不明の異変がそれだった。

 慣らし程度や普通に刀を振るぶんには問題ない。

 だが、いざ本気で刀を振ろうとすると───リアルに敵を想定し、それを倒すために集中を高めると、()()()()()()()()()()()

 あの騒動の何かが切欠でパンチアイ(PTSD)に陥ったのか?

 思い悩む彼に状況を打開するアドバイスを与えたのは、予想だにしていなかった人物だった。

 ────やりたいと思っている動きに身体が置き去りにされている。

 何度か『症状』を見せた後に下された結論は、平たく言えばそういうものだった。

 そしてその一言で充分。具体的な問題点は、()()の特性から容易に逆算ができる。

 

 (本当にありがたい助言だったけど、意図が見えないな。知った仲とはいえ塩を送るような事をする理由はないはずだけど)

 

 小休止がてら思考を巡らすが、考えていてもしょうがないかと一輝はまた《陰鉄》の柄を握り直す。

 ───思い浮かべるは操られながらも目に焼き付いた《比翼》の剣。自分がやりたいのは正にそれだ。

 思い浮かべ、集中し、剣を振るい……動きが止まる。これで数百回目の試行だ。手応えはあるが突破するにはもう一押しがいる。

 掴もうとしてもすり抜ける動作の肝、それを掴めるだけの集中力が。

 

 僕は今、何の為に強くなろうとしている?

 

 己の根源を己に問う、さらなる集中力を得るための何度目とも知れない自問自答。

 『恋人と共に騎士の高みへ征くために』。

 『自分の可能性を信じられず膝を屈した誰かに勇気を与えられる人間になるために』。

 そんな未来を目指して自分は剣を握っているのだ。

 

 では、考え方を『未来』ではなく『今』に変えてみよう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 瞬間。

 黒鉄一輝は黒い閃光と化した。

 羽根のように軽くなった身体は()()()()()()()()()()()。踵を上げた瞬間から最高出力を叩き出した彼の身体は、全てを置き去る速度で空を切り裂いた。

 

 

 一輝はしばし動きを止め、感覚を反芻。

 はらはらと風に乗って目の前に落ちてきた木の葉を試すように切りつける。

 その一太刀からも加速が消えていた。

 刃が通過した木の葉がそのまま軌道を変えずに地面に舞い落ちる。そして地面に落ちたとき、ようやく切られた事を思い出したかのように木の葉は2つに分かたれた。

 

 「────────」

 

 ()()()

 確信に震える一輝は、強く強く《陰鉄》を握り締める。

 『世界最強』の剣技。

 黒鉄一輝はこの日、《比翼》の領域にその指先を届かせた。

 

 

     ◆

 

 

 『何をやるつもりなのかちょっち見せとくれよ』───

 姉弟子の西京寧音のおねだりに答え、東堂刀華は己の能力を行使。

 ズザザザ、と擦れるような音と共に彼女の足元から黒い何かが立ち上ってくる。

 その『黒い何か』は刀華の意思に合わせて彼女の周囲を泳ぎ、自由自在に姿を変えた。

 黒い何かの正体、それは───、()()

 いつか来るだろう彼との戦いに向けてかねてより刀華は能力の幅を広げようと研鑽を重ねており、そこで行き着いたのが電気に連なるこの『磁力』だ。

 刀華の周囲を泳いでいた砂鉄は彼女の意思により姿を変え、幾つもの鞭の形をとった。

 それらが校舎裏の広場にある周囲の木々へと一斉に襲いかかり打ち据える。砂鉄の鞭を受けたそれらは易々と切り倒された。

 そしてそれで終わりではない。

 砂鉄の群れが刀華の《鳴神》に結集、白銀の刀身に纏わりつき、さらにその刀身を長く長く拡張していく。

 完成したのは刃渡り5メートルを優に超える漆黒の大太刀。

 それを刀華は構え、鋭く息を吐き、振るった。

 

 「ふ─────ッッッ!!」

 

 ズバンッッッ!!!と、大地が何の抵抗もなく深々と切り裂かれた。

 さっきの鞭もそう、砂鉄の1粒1粒が超高速で微振動しているのだ、と寧音はただの刃では到底ありえない破壊力のタネを看破する。

 いつかのように鉄骨と引き合って空を飛ぶみたいな大雑把な使い方ならともかく、並大抵の魔力コントロールではここまで微細な制御は不可能だろう。

 まして大元は同じとはいえ電気の能力で性質の異なる『磁力』を操っているのだ、それこそ縦に重ねた小石の上に立ち続けるような技術力が必要なはず。

 ───彼女は本気で鍛え続けてきたのだ。

 ───憧れ続けてきた背中を越えるために。

 確かに結実した努力の成果をしかと目の当たりにした寧音は、少しの間空を仰いで、そしてこう告げた。 

 

 

 「刀華。それ対策の『た』の字にもなってねーわ」

 

 

     ◆

 

 

 「そうだな。確かに今、この学園の代表生徒の枠には空きが出来てしまっている」

 

 破軍学園理事長、新宮寺黒乃は煙草の火を消しつつ目の前の生徒の質問に答える。

 そう。

 葉暮桔梗と葉暮牡丹、《暁学園》との戦いで心を折られてしまったこの両名が《七星剣武祭》出場を辞退してしまったのだ。

 ここ数年《七星剣王》の輩出から遠のいている破軍学園としては由々しき事態。それを少しでも解決できるとするのなら、黒乃はその生徒の提案を受け入れるだろう。

 

 「────その枠の中に自分を入れろ、と。そう言うんだな?」

 

 だが当然、実力を満たさない者を出す訳にはいかない。これからこの生徒には、その口に見合う実力があるのかどうかをテストされる。

 その試練を告げた黒乃に対して、その生徒は何ら迷うことなく首を縦に振った。

 《七星剣武祭》選抜戦、誰も予想していなかった1人だけの敗者復活戦。

 諦めを捨てたその泥臭さの持ち主が誰なのか、この時はまだ、誰も知らない。

 

 

     ◆

 

 

 『さて。鍛えるとは言ったがの、余程目に余る所でもない限りワシは何も言わん』

 

 『へ?』

 

 『ヌシは生粋の天才肌じゃ。基礎が出来上がっておる今、ワシが口出ししても異物にしかならん。自分で考案したあの鍛練方法しかり、ヌシは自分で気付いて学びを得るタイプじゃろう』

 

 『じゃあ鍛えるっていうのは……』

 

 『()()()()()()()()()()()()()()。あの《比翼》とやり合ったんじゃ、何かしらの感覚を掴みかけとるじゃろう?それを形にしてみよ。鉄は熱い内になんとやらじゃ───』

 

 

 何度目かの地形の爆散の後、一際大きな嫌な音がドームの中に大きく木霊する。

 南郷の霊装(デバイス)である仕込み刀を脳天に受けた一真が崩れ落ちた。

 ここはステラがある人物を待ち伏せるために訪れたKOKリーグ選手専用のジム。プロの魔導騎士が本気の戦えるよう設えられたリングは1日目で既に地獄の様相を呈している。

 あちこちが罅割れ砕け散り、開けられたいくつものクレーター。

 強引に相手を上から潰す一真の力はただの余波ですら爆撃並の破壊力なのだ、全開で振るわれると大抵こんな風に周囲が更地になる。

 そんな暴力のハリケーンを潜り抜け沈めた老人には、その異名の通りに傷ひとつ付いていなかった。

 

 「ひょっひょっ、今日はこんな所かのう?明日に備えてしっかり休むんじゃぞー」

 

 「……あざっした……」

 

 休むもクソも指一本動かせない。

 徹頭徹尾好き放題やられたムカつきの篭った雑な謝辞を背中に受けながら、《()(けつ)》南郷はジムのリングを後にする。

 ───やれやれ、本当に成長したのう。

 久し振りに疲労を覚えた自らの身体に彼は弟子の成長を実感していた。

 力も技の鋭さも以前とは別物。正しい鍛練を高い密度で行ってきたのだろう。月影の思惑は別として、《七星剣王》の座は十二分に狙えると言い切ってもいい。

 

 (とはいえ、実戦の駆け引きは黒鉄の小僧とばかり戦っておった弊害はかなり出とるようじゃの。まあ今日1日で気付いたじゃろうが……)

 

 さてどの位で是正してみせるかの、と思いを巡らせていた南郷はふと足を止めた。

 魔力コントロールの巧さや『やれる事』の多寡でランクの認定が上がる事はあれど、伐刀者(ブレイザー)が発揮できる力の総量は変化しない。

 そして最後に一真の全力を受け止めた数年前はまだ高層ビルを縦に圧潰させるような力はなかったはずだ。

 つまり、彼はまだ才能の伸び代を残している。

 もしそれをこの短期間で突き詰める事ができれば、彼は更なる破壊力を手に入れるだろう。

 そう。

 彼が己の意思を徹す最大の手段として磨き上げてきた、絶対的な暴力を。

 

 (此度の不祥事。師として叱るべきではあるんじゃろうが)

 

 にたぁ、と南郷の口元が歪む。

 それはホテルの中庭、頭を下げる一真に向けてこっそりと浮かべた獣の表情に他ならなかった。

 

 「我ながら業深い(さが)な事よ。若者の暴走を諫めるのではなく、突き抜け続けたその果てが見たいと思ってしまうんじゃからなぁ」

 

 くつくつと肩を揺らし、大戦を戦い抜いた古強者は楽しそうに夜の闇へと溶けていく。

 そのずっと後ろ、照明も落ちたリングの中で、大の字に転がった大男が力への渇望を滾らせていた。

 爛々と、爛々と────格上に対する不退転という、己の絶対的価値観(アイデンティティ)を燃やして。

 

 

     ◆

 

 

 

 

 こうして参加者たちはそれぞれがそれぞれの方法で最後の1週間を過ごす。

 表も裏も、大人も子供も、全ての願いや野望が回り集って相克する《七星剣武祭》という坩堝に向けて。

 信念は炎。焼き付くすは眼前の敵。

 握り締めるものは1つでいい。

 

 そして祭典は始まった。

 

 集え。戦え。命を燃やせ。

 

 望んだ景色は、まだ遠い。








ここまで来るのに1年半かかりました(半ギレ)。


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《七星剣武祭》編
52話


 大阪の中心部から離れた湾岸の埋立地に存在する無数のビル群。

 都市開発の失策の名残りで打ち棄てられたゴーストタウンは、2日後に『湾岸ドーム』で行われる七星剣武祭を見にやってきた人々の異様な熱気に包まれていた。特に今年は日本支部襲撃のテロに端を発した国立・暁学園が絡んでいる。国内外の様々な人々が我先にと駆けつけ、七星剣武祭に出場する選手たちの多くもまた開会式より早く現地入りして提供された選手宿舎で羽根を休めている。

 そして今日は代表生徒たちを招待した運営主催の立食パーティが行われる日で、王峰一真もそれに参加するために現地入りしていた。

 本当は南郷との立ち合いを続けていてもよかったのだが、挨拶ついでに現地の空気を知ってこいと南郷から直接言われては仕方ない。

 それに自分の場合ここで出席しなければ『後ろめたい事がありますよ』と自ら言ってしまうようなもの。恥じる事などないのなら堂々と出席するべきだ。

 

 「つまりその荷物はスーツという訳か。貴様の体躯でよくサイズを見つけたな」

 

 「パーティ用の礼服なんざ持ってねえっつったら月影さんがわざわざ特注で(しつらえ)てくれてな。いくらすると思う? 持ち運ぶのすら怖ええぞコレ」

 

 はははと乾いた笑いで中身含め総額数十万は下らない鞄を揺らす一真。注目を浴びないよう溢れる人の波間を意識の隙間を縫って進むのに辟易し繁華街から離れた公園に避難した時、和服の同輩に遭遇したのは全くの偶然だった。

 

 「にしても王馬、お前パーティに出る気あったんだな。流石に現地で出会すとは思ってなかったわ」

 

 「目障りな羽虫を払いに来ただけだ。馴れ合いの場に出る気などない。貴様こそ目立つ場所にはそうそう現れないと思っていたが」

 

 「何で?」

 

 「日本にいる間に貴様の名前を聞いたことがない。Aランクともなれば1度公式戦に出るだけでもそれなりに世に知られるだろうが、オレは由比ヶ浜の一件があるまで王峰一真という名を知らなかった」

 

 「あー、正直興味が湧かなくてなァ。刀華が出てるから何度か見たけど、正直勉強になる奴も大していなかったし師匠(せんせい)とかと戦ってた方がずっと身になるしで、出場する意味も感じなくて・・・・・・」

 

 「成程。理解できる話ではある」

 

 王馬の場合は身になる経験を得るために日本すら飛び出したのだが、自分が出るだけの価値を見出せなかったという点においては一真の語る理由には共感するものがあったらしい。

 

 「それでもここまで強くなれたから俺は本当に周りの人に恵まれたと思うよ。お前の弟にも・・・・・・、一輝にも本当に世話になった。1年間アイツと戦いまくったけど、学ぶ事はメチャクチャ多かった」

 

 ぴくり、と王馬の眉が動く。

 

 「初見じゃマジで度肝抜かれたわ。鍛えた技ってのは才能に届くんだよ。強くなりたいからあの執念は見習うべき────」

 

 

 「─────貴様もか」

 

 

 心底から。

 心の底から忌々しそうな声色で王馬は吐き捨てた。

 一体何が怒りの琴線に触れたのかさっぱりわからず戸惑う一真を他所に、王馬は舌打ち混じりに低く唸り続ける。

 

 「あの虫螻(むしけら)め、《紅蓮の皇女》だけでなくこの男の時間まで1年間も無駄に空転させたか・・・・・・。ちんけなペテンで自分だけを誤魔化していればいいものを・・・・・・・・・」

 

 「ちょっと待て何の話してんだ? ムシケラ? 誰が」

 

 「貴様の言うオレの愚弟に決まっている。身内と呼ぶにも忌々しい」

 

 苛立ちを煮詰めた塊に蛇蝎を埋め込んだような、不快極まった王馬の顔。脳内に思い浮かべた『彼』を睨むその目は、道の真ん中にぶちまけられた吐瀉物を見るのと同じ種類のそれだった。

 

 「相手の虚を突く技。戦略。その全て────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『強さ』とはそんなところにはない。

 そんな男の背を追いかけ、見習ったところでどうして強くなれる?地を這う虫が空駆ける鷹に及ぶものなど何一つ無いというのに」

 

 「・・・・・・・・・、つまりお前が言いてえのは俺の目が節穴だ、って事でいいのか?」

 

 「それもある。がそれ以上に腹立たしい。強者のフリをするペテン師が、上を征くべき者の足を引っ張っている。そうでなければ《紅蓮の皇女》も貴様も今頃さらに遥か高みにいる事だろう。

 『強さ』を争う舞台に紛れ込む愚物。オレにはそれが我慢ならん」

 

 彼の手に身の丈程もある野太刀が顕現する。

 その名は《龍爪(りゅうづめ)》。

 切り裂くような気迫と共に、黒鉄王馬は戦意の眼光で一真を射抜く。

 

 「オレと戦え。掛けられたペテンはそれで醒める」

 

 

 対する一真はひどく困っていた。

 腕組みをして空を仰ぎ、難しい渋面でうーんと唸る。やがて名案が浮かばなかったのか諦めたように俯いて大きな溜め息を吐き出した。

 ───彼は何を思案していたのだろう。

 自分と価値観が違いすぎるから?

 まだ大会が始まってもいないのに身内同士の盤外勝負などやっていいものか迷っているから?

 どれも違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼の目の前で彼の友を侮蔑することは、煮え滾る火口に身を投げるのに等しい。

 抜刀した王馬に対して瞳に何の感情も宿さないまま、スーツの入った鞄を投げ捨てて彼は薄く歯を剥いた。

 

 

 「死ぬか伏せるか選ぼうか」

 

 

 ズン、とその場の空気が一気に重量を増す。

 気付けば彼の両脚にも漆黒の脚鎧(ブーツ)が顕現していた。戦意と殺意、膨れ上がっていく2人の魔力はそれぞれの激情を孕んで遊具や手摺を軋ませ、けたたましい鳴き声を上げて周囲の鳥が一斉に逃げ出した。

 激突は直後に訪れようとしている。

 王馬は姿勢を低く《龍爪(りゅうづめ)》を身体の後ろに引く攻撃の構え。一真は両脚を揃えて直立。最も基本的な舞踏(バレエ)の型をとる体内では、既に次の蹴りを最大・最速で撃ち放つ動きが完成されていた。

 互いに様子を見る気は一切ない。

 ただ倒す。ただ潰す。それ以外を省みる選択肢が最初から除外されていた。

 そして張り詰めた空気がいよいよ臨界に達しようとしていた───

 

 ────その時だった。

 

 「ここにいたんだね」

 

 ざり、と砂を踏む音が割り込んだ。

 

 「もう現地入りしてるって聞いたのに姿を見せないから探しに来たんだけど、分かりやすくて助かったよ。ここまで物騒な圧を撒き散らされたらすぐに辿り着ける」

 

 ああ、と得心がいったように一真は頷く。

 現地入りを聞いた、という所で察しがついた。南郷の言う挨拶とはこれの事だった訳だ。

 余計な感情は持ち込まないよう先に精算しておけ、とか(おおよ)そそんな所だろう。

 しかしだからといって自分は何も変わらない。

 学園での日々そのままに、一真は親しみを込めて黒刀を携えた彼の名を読んだ。

 

 「よお、イッキ」

 

 「久し振りだね。カズマ」

 

 

     ◆

 

 

 「失せろ」

 

 見知った闖入者(ちんにゅうしゃ)の方を見もせずに、王馬は冷たい声で一輝の存在を拒絶した。

 

 「貴様の出る幕などありはしない。場違いな戦場に下らない誤魔化しを持ち込むばかりか今この場にすら茶々を入れるのなら、まずその首から()ね飛ばすぞ」

 

 羽虫を払いに来たという言葉通りに(うで)()くで一輝を排除しに来た彼だ。やる事は変わらないと言えど、虫螻とまで呼ばわる相手に今まさに始まろうとしていた灼熱の時間に水を差された彼の苛立ちは凄まじい。

 関心を払う事すら煩わしそうなその態度に、しかし一輝は表情筋1つ動かさない。

 それはこちらも同じだと言わんばかりにただ一言、一輝は突き刺すように言い放つ。

 

 

 「兄さん。──────邪魔

 

 

 何が弾力のあるものが王馬の頭蓋の中で弾けた。

 血管が浮かび上がり瞳孔が開く。

 唾棄すべきペテン師から吐きつけられた格下を扱うが如きその一言は彼のプライドを一気に沸騰させた。

 

 「分際を弁えろッ、この、落ちこぼれがッ!」

 

 鬼の形相で一輝に向き直って《龍爪(りゅうづめ)》を引き絞り、渾身の力で踏み込んだ。それだけで地面を砕く程の膂力を発揮する全身を連動させて放つ大上段からの唐竹割は、まともな防御などそれ丸ごと容易く両断してのけるだろう。

 取るに足らないと断じる者を全力で排除する。この時だけ一輝は王馬の中での存在を羽虫から害虫くらいにはランクアップさせたのかもしれない。

 ただし、この時。

 彼がここに存在する事の重さもまた、別の1人の中では同じ様に羽虫のレベルに落ちていたらしかった。

 

 ゴギャッッッッ!!!と激甚な金属音が鳴り響いた。

 真横から飛来したそれを咄嗟に刀で受け止めた王馬の身体が思い切り横に吹き飛んだ。

 王馬はすぐさま踏み(とど)まらんと爪先に力を加えるも止まらない。公園の地面を削りながら横滑りし、《龍爪(りゅうづめ)》の刃を地面に突き立ててなお勢いは収まらず───

 

 「ふんッッッ!!」

 

 全身を魔力で強化。

 力を加えていた爪先が地面を踏み砕き、身体を吹き飛ばすエネルギーを強引に殺す。公園の塀を砕こうかという寸前の距離で、ようやく王馬は停止した。

 殺意に目が眩んで自ら挑んだ勝負から目を逸らすという無礼を働いてしまったのは自分。だが今の一撃はそれを咎めるものではなく、ただ邪魔なものを払い除けただけというニュアンスを孕んでいたのを彼は感じた。

 激突の残響がか細く後を引く中、一真は立ちこめる土煙を脚で吹き散らしながらやれやれと顔を歪ませる。

 

 「困るんだよなァ、そういう横槍入れられると。俺ほとんどこれの為に来てるようなもんなんだから」

 

 一輝に向かっていった王馬の背後から内から外へ、足の裏で横に押し退けるように蹴ったのだ。

 慮外者こそが主賓であり、あまつさえ先に喧嘩を売った自分を横槍と呼ばわる。戦いに生きる者としてこれ以上の屈辱はあるまい。

 一真はもう王馬の方を見る事もしなかった。しっしっと追い払うぞんざいなジェスチャーを交えて、彼は投げ遣りに()()()を突っぱねる。

 

 「失せな()()()。こうなった以上、テメェの出る幕はここにゃァ無えよ」

 

 

 「────────」

 

 視界が真っ赤に染まる。

 当て馬と言われた彼の嚇怒に呼応するように王馬の身体から暴風が噴き上がった。

 ここまで虚仮にされて引き下がるなど言語道断、黒鉄一輝も王峰一真もこの場で斬り伏せんと殺意を滾らせるのが戦う者としてのプライドなら、暴れ出そうとするこの衝動をギリギリのところで押し留めているのもまた、戦う者としてのプライドだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ここで暴れて己を主張しようが、それはただの子供じみた駄々にしかならない。それは強さを追い求める黒鉄王馬にとって、考え得る限り最も惨めな己の姿だ。

 歯を砕かんばかりに食い縛る。

 《龍爪(りゅうづめ)》を握る手がミキミキと軋む。

 ────飲み込め。今は。この怒りを。

 次で狩り獲る力に変えろ。

 こいつらを斬る場は、2日後に用意されるのだ。

 

 王馬は衝動を叩きつけるように握り締めた野太刀を横に振り下ろす。

 長大な刀身は一切の揺れを起こさず、激突した地面をバターのように斬り裂いた。

 真に力の集約された斬撃。果たしてそこに込められた質量は何百キロか何千キロか、少なくともまともに受けることすら叶わない超重量の一太刀だろう。

 熱された息を薄く吐き、牙剥く獣の形相で王馬は唸るように吐き出した。

 

 「次は斬る」

 

 端的にそう言い残して踵を返し、王馬は夕闇の中に消えた。

 腹が立ったついでに煽ってしまったが退いてくれてよかった。そうでなければここに来た目的はおろか、月影の手札(エースカード)まで破壊するところだっただろう。

 それにしても虫螻、ペテン師、愚物、落ちこぼれ・・・・・・人道を違えたでもない肉親を、よくもまああんな卑罵語のフルコースで表現できたものだ。

 兄貴としちゃ屑だな、と侮蔑を込めて呟き、もはや呆れすら混ざった顔で一真は一輝に同情した。

 

 「お前もよくよく家族に恵まれねえな。前世で何人殺したんだ?・・・・・・ともあれ、元気そうでよかった」

 

 「そっちも変わってなさそうで良かったよ。もしここに来て罪悪感を感じてたらどうしようかと思ってた」

 

 「悪い事はしたと思ってるさ。一切後悔してねえってだけでな」

 

 「その『悪い事』っていうのは何に対して?」

 

 「そりゃ倫理とか法律とかに対してだよ。・・・・・・まァ()()()()()()()()()()()()()、だ」

 

 にぃ、と一真の口角が楽しげに持ち上がる。

 

 「いつか(しか)るべき舞台で戦う時が来たら、その時は全霊で。いつかお前は俺にそう言ったな。

 そして俺はこう答えたはずだ。────その時には全力でブッ倒す、と」

 

 そして一真は、誇るように胸を反らした。

 待ちに待った瞬間を向かえるように一真は両腕を大きく広げる。

 真っ直ぐに一輝を見据えているその笑顔は、自信と期待に満ち満ちていた。

 

 「俺は約束を守ったぞ。持ってる全部をぶち撒けよう。夢見た舞台はもう目の前だ。

 明後日か明明後日(しあさって)かそれ以降か、いつになるかは知らねえが────思い切り遊ぼうじゃねえか。黒鉄一輝」

 

 

 ・・・・・・・・・本当に変わらないなあ。

 その直前に、そう言って一輝は小さく笑った。

 

 

 2度目の戟音。

 全身に蒼光を纏った《陰鉄(いんてつ)》による一撃を、《プリンケプス》が受け止める。

 一真は思わず目を見開いた。

 スピードも鋭さも動きのキレも、自分が彼と最後に戦った記憶・・・・・・始業式の2日前のあの日とはまるで比較にならなかったからだ。

 

 「僕も少しは冷静になったからさ。まずは話をしようと思ってたんだ。君が何を思って何をしようとしていたのか、それを聞いてから僕も全部を決めようってさ」

 

 「イッキ」

 

 「でも()めだ。会話なんてしていられない。やってられるか。()()()()()()()()()()

 

 この短期間でどうやってここまで成長したのか、そしてどこまでの成長を遂げているのか。

 その答えはきっと、今の直後に彼が直々に(つまび)らかにしてくれるだろう。

 怒りと憎しみ。

 何者かを害するにはこの上なく優れた、黒々と燃える炎によって。

 

 

 「斬らせてもらうよ好きなだけ。僕の腹が収まるまでは」



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53話

 自分の行いを後悔などしていないし、誰であろうと目標に至る半ばで果ててやる気も更々ない。

 しかし自分は受け止めなければならない。

 己が犯した罪の報いと、撒き散らした暴力の精算。

 そして、友から向けられる憎悪の刃を。

 

     ◆

 

 《一刀修羅(いっとうしゅら)》による急襲。最初の激突は一真にガードさせる形となった。

 蹴りを突き詰めた一真のスタイルはリーチと破壊力に優れるが、より広範囲の小回りを要求される防戦は不得手。加えて速度の面でアドバンテージを持つ一輝は初手から一気にラッシュを畳みかけるが、力と重量のアドバンテージは圧倒的に一真が上。

 膝、脛、足裏。一真は放たれた剣戟の釣瓶(つるべ)打ちを各部位で蹴り返す。素の速度で負けているのを補うためにモーションは極限まで小さく、それでもなお力で押し勝っていた。

 《陰鉄(いんてつ)》は徐々に大きく弾かれるようになり、やがて切り返しが間に合う閾値を超えた。

 そこに一真は蹴りを刺す。刀を弾いた脚で膝のスナップを利かせ、蹴り脚を引き戻さないまま足刀を叩き込んだ。

 しかし一輝とてそうなる事は織り込み済み。

 身体を一歩横にズラして躱しながら鋭く踏み込んで狙うは軸足、(もも)の内側。魔力防御を貫くために刀身半ばの峰に手を添え、より強く刃先で脚の動脈を断ち切りにかかる。

 

 「!」

 

 だがそれこそ一真の撒き餌。

 一輝の踏み込みと同時に蹴り足を折り畳み、軌道を直進から横薙ぎに変化。すぐ横にある一輝の頭に膝蹴りを見舞おうとする。

 普通ならそもそも攻撃として成立させる事すら不可能な動き。だが大樹の如く練り上げられた体幹と腰背部はその無茶を可能にしてしまう。

 それを受けた一輝はあえてもう半歩踏み込み、一真の膝蹴りを鋭角なパーツの付いた膝当て(ポレイン)部分ではなく(もも)終端の平坦な部分を受けた。

 そして接触と同時にインパクトの方向に首を身体ごと回転、独楽(こま)のように回りその勢いのまま《陰鉄(いんてつ)》を叩きつける。

 

 (《(まどか)》か!生身に受けた攻撃すら撃ち返せるようになってやがる!!)

 

 驚愕しつつも動きに淀みはない。

 上半身を前に倒しつつ身体を半回転しながら、蹴り足を下ろして軸足を踏み替える。先の膝蹴りで生じた運動エネルギーを乗せて逆の脚を後ろへと跳ね上げ、自分の力を返しに来た《陰鉄(いんてつ)》を下から弾き飛ばす。

 ───刹那、交錯する視線。

 磨いてきた互いの力と携える意思を束の間に確かめ合い、そして再び脚と刃が爆ぜる。

 

 (うん、いいな。視界が広い)

 

 激烈な攻防をせめぎ合わせながら一真はこの短期間の修行がきちんと身に付いている事を実感する。

 思考がクリアだ。

 1年間に渡る同じ相手との連戦によって知らず知らず染み付いてしまっていた行動選択の偏りが是正されている。

 それによってより幅払い応手が可能となり、最良の選択肢が自然と浮かぶ。一輝から見て学び飛躍的に向上したが活かしきれていなかった駆け引きや体技の技術は、この悪癖の解消によってようやく本来の力を発揮していた。

 しかし────、やりにくい。

 突発的に始まった盤外勝負、そして舞台はただの公園。周囲の被害を考えると、Aランクの能力と魔力量という自分の最大の手札は間違っても使えないのだ。もともと武術的な技量では一輝が上なだけに魔力強度だけで渡り合うのは少々厳しいが、しかしこちらとしても負けてやる気は更々ない。

 ならどうする。それを少し考え、そして閃いた。

 考えてみれば今まで彼と戦ってきて、こんな戦法を取ったことなど無かった。

 

 「あー、イッキ。場所変えよう」

 

 言って一真はローを中心に蹴りをばら撒き、一輝のフットワークを制限してから蹴りを打ち込む。一輝は真正面から迫る迫撃砲を受け止め、《(まどか)》で打ち返そうとした。

 が、一輝が刀から伝わってきた力を体内で循環させると同時に一真の脚が紫白を纏ってその威力と重量を激増。肉体による一撃を受け止めたところに魔力の性質で加撃する、擬似的な2連撃を行った。

 初撃の力を受けきったタイミングを狙われた。このままでは技を崩され致命的な隙を晒す。

 後ろに跳べば回避は容易いが、機動力のある相手にここで下がったら追撃の的になるだけ。

 一輝はやむを得ず《(まどか)》を中断、絶妙な重心移動と全身運動で食らった衝撃の全てを両足から地面に逃がしてのけた。

 

 同時に、自分が術中に嵌った事を理解した一輝に戦慄が走る。

 防御させて相手の機動力を奪い、その場に縫い止める。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それに気付いた時にはもう、彼は既に逆の脚を大きく後ろに振りかぶっていた。

 

 

 轟音。

 一真の渾身のサマーソルトキックが、辛うじて《陰鉄(いんてつ)》でガードした一輝を天高く上空へと蹴り飛ばした。

 身体が重力を振り切る。間近にあった景色がひどく遠い。

 高高度から見下ろすビルや露店の明かりが地上の星のように瞬いていた。

 そして自分よりさらに上空から、空中にいる自分がそれだけで墜落させられるんじゃないかというプレッシャーが叩きつけられる。

 何とか姿勢を制御して上を見れば、果たしてそこに彼はいた。

 猛烈な勢いで打ち上げられた自分よりも早く、煌々と輝く月を背景に紫白の影が宙に舞う。

 陸・海・空。

 およそ地球にあるもので、彼が踊れない場所はない。

 

 「ここでやろうや。こっちのが広い」

 

 吹っ飛んだ。

 空を蹴りミサイルのような勢いで突っ込んできた一真が、空中の一輝を稲妻のように蹴り落とす。

 それと同時に自分もさらに下へと駆けた。上昇から反転、地上に向けて叩き落とされる一輝の下に回り込み、またも上へと蹴り上げる。

 自分の落下速度も加算された蹴りの破壊力は筆舌に尽くしがたい。

 そしてまた上へと回り込んで今度は横へ。飛んでいく先に回り込んでまた蹴り飛ばし、その先へとまた回り込んで蹴る。

 彼の『踏破』の能力は何もない空中すらも足場にして、あらゆる場所と姿勢から100パーセントの蹴りを撃てる。

 空中戦の手段など持ち得ない一輝が大阪の夜空をピンボールのように打ちのめされていた。

 余りにも冗談じみた光景のワンサイドゲーム。

 だが、一真の表情は晴れない。

 

 (全部ガードされてんな・・・・・・。空中に引き摺りこんだのは間違いなく正解なんだが)

 

 《陰鉄(いんてつ)》で防御すると同時に肩の関節を外し、衝撃を(すだれ)のように受け流しているのだ。

 視界がハンマーのように振り回される中でこの正確さはもはや呆れすら感じてしまう。

 さらに吹き飛ばされている最中の彼の体が、力の加え方から考えると明らかに過剰に乱回転していた。

 恐らくは《(まどか)》の応用だ。流しきれなかった力を体内で循環、回転運動に変換して発散させている。

 足場のない状況も逆手に取られた。

 吹き飛びさえすれば過剰な力はそれで殺してしまえるのだ。

 このまま同じ事を続けても効果は望めないだろう。

 

 ─────となれば、こうだ。

 

 吹き飛ぶ先に先回りした一真はまた蹴りを放つ。

 それを防ぐべく一輝は乱回転しながらも正確に《陰鉄(いんてつ)》を構えた。

 しかし一真は、受け止められる直前で蹴りを中断。

 砲弾のように迫り来る一輝が《陰鉄(いんてつ)》を握っている側の手首をキャッチした。

 

 「捕まえた」

 

 にぃ、と一真が笑う。

 こうして捕まえてしまえば吹き飛んだり回転したりで衝撃を流されることもなく、さらに《陰鉄(いんてつ)》を持つ側の手を掴んでいるため防御も不可能。

 一輝は全ての力をその身で受ける事になる。

 ましてここは空中。

 跳ぶ程度が精々の者が、空を步く者に抗う術などない。

 詰みだ─────

 そう確信した一真が決着の一撃を放とうとしたその時。

 

 

 「そう来ると思ったよ」

 

 

 どこまでも怜悧な表情。

 《無冠の剣王(アナザーワン)》と呼ばれる彼の引き出しの数を、一真は未だに見誤っていた。

 

 ()()()()()()

 一輝は《陰鉄(いんてつ)》を手放し、握られた手首と親指の付け根の関節を外して一真の手から逃れようとする。

 握っていた手首の感触が消えた一真は慌てて手を握り直して抜けようとしていた一輝の手をキャッチ。危ういところで拘束を持続させた。

 その瞬間、握られていた一輝の手が軟体動物のように蠢いた。

 一真の手の中で一輝の手や指がぬるりと移動し、瞬きの間に一真の手を握り返す。

 ただ握られていた形から、手を合わせて指を組み合うお互いにお互いの手を握り合う形になった。

 

 そして、激痛。

 そのまま一真の指を絡め取った一輝が、一真の手首と指関節を思い切り捻り上げた。

 

 「(い゛)ッッッ!?!?」

 

 想定外の痛みに思わず怯む。

 その隙に一輝は両脚で一真の胴体に組みついた。

 そして彼の手には・・・・・・再び《陰鉄(いんてつ)》が握られている。

 彼はただ《陰鉄(いんてつ)》を手放したのではない。

 柄紐を解いてその端を(つま)み、いつでも手元に引き戻せるようにした上で手放したのだ。

 怯んだ時間は一瞬。

 しかし一輝ほどの剣客はその一瞬で決着を着ける。

 胴体に組みつき丸見えになった喉笛に、一輝は躊躇なく黒刀の(きっさき)を突き立て─────

 

 爆発。着弾。

 魔力を放出して強引に一輝を引き剥がした一真が、そのまま彼を元いた公園へと全力で蹴り落とした。

 着弾地点にもうもうと立ち込める土埃の中心に狙いを定めて一真は大きく脚を引き絞る。その眼前には、紫白の槍が空でバチバチと空気を爆ぜさせていた。

 魔力を極度に圧縮して生み出した槍を相手にぶつける《伐刀絶技(ノウブルアーツ)》。

 攻撃範囲は極小。

 ただしこの技は衝撃波や轟音などの余計な破壊を生まず、当たったものをこの上なく深く鋭く破壊する。

 

 「《乱逆の軍刀(プラエトリアニ)》!!!」

 

 一輝の落下地点へと蹴り飛ばされた紫白の槍が、キュン、とレーザーのような軽い音と共に土埃を揺らす事もなく突き刺さる。

 地表には直径こそ数センチだが深さ10数メートル近い穴が開けられているだろう。

 ─────どこかに身を潜めた様子も無えな。

 しばし土煙の中を俯瞰で注視していた一真だが、そこから飛び出す影がない。つまり一輝はあの土煙の中だ。

 蹴りそのものは防御はされたとはいえこの高度から、それも転がって力を逃せない垂直に凄まじい速度で蹴り落とされたのだ。その直後のこれは躱せない────

 

 (───とはならねぇよなァ!!?)

 

 魔力を迸らせ、一真は一気に公園へと落ちていく。

 ズドンッッッ!!!と、土煙に覆われた範囲全てが圧し潰された。

 土煙の中に潜んでいるだろう一輝は間違いなく効果範囲に収まっている。彼の脚と魔力に踏まれた地面が10センチは沈下した。

 一輝は《乱逆の軍刀(プラエトリアニ)》を躱している。一真はそう確信していた。

 しかし高高度から猛スピードの垂直落下、《一刀修羅(いっとうしゅら)》発動中といえど地面に叩き付けられるダメージは大きい。咄嗟に動くにしても転がる程度がせいぜいのはず。

 その直後のこの踏みつけ(スタンプ)は回避できまい。できていたとしても身体には相当な負担を強いねばならず、そこで致命的な隙を晒す。

 後はそこから詰めていけばいい─────

 

 

 「番外秘剣(ばんがいひけん)────《累襲(かさねがさね)》」

 

 

 死がすぐそこを通り抜けた。

 本能の警鐘に全力で身を屈めた直後、莫大な破壊力を内包した黒刃が微塵も空気を揺らさずに一真の直上の空間を切り裂く。

 ぞぐっ、と、脊髄に液体窒素を流し込まれたような寒気が一真の背中を駆け抜けた。

 攻撃を受けた直後に反撃。

 落下ダメージはないのか? 一輝の能力でどう耐えた? 今のは《(まどか)》ではない。では明らかに彼のスペックを超過したこの一太刀はなんだ?

 走馬灯のように脳内を駆け巡る疑問。

 その問答は力を交えて行う他ないし、また今ここですべきものでもない。

 しかしこれはもう、ではないとかするべきとかそういう領域の話では無いのだ。

 恨む側と居直る側。

 言葉を交わす段階など、とうに放棄されているのだから。

 

 「「おおおおおおおおおっっっ!!!」」

 

 公園の中央、一輝と一真は咆哮を上げて再び脚と刀を交わす。

 一真の魔力の性質のせいでかつての一輝は《一刀修羅(いっとうしゅら)》の状態でも彼相手の真っ向勝負が難しかったが、今の一輝はやや押され気味ながらも正面から彼と斬り結んでいた。

 魔力コントロールと体捌きの爆発的な向上。

 最後の記憶からは比較にならない程向上したそれらを、しかし一真は正面から力で打ち破る!

 

 「しゃァッッ!!」

 

 色濃い『踏破』を纏う脚が横殴りの雨のように弾幕を張る。

 元々力負けしているだけに全て防ぐには手に余ると確信した一輝は素直に回避することを選んだ。

 大きく後ろに飛んだ一輝を追い打つべく一真はそのまま軸足で大きく前に飛ぶ。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 加速という過程をすっ飛ばして最高速で舞い戻ってきた《陰鉄(いんてつ)》が、そのまま一真の喉元を狙う。

 

 「うおあっっ───!?!?」

 

 全力で身体を捻って刃を躱す。そのまま身体の捻りを回転に変えてローリングソバットに連携、一輝を刀の間合いから大きく弾き飛ばした。

 何度目とも知れぬ驚愕。身をもって体験していなければ反撃どころか躱すことすら危うかっただろう。

 嫌というほど見覚えがある。

 今の剣技はまさしく《比翼》のそれだ!!

 

 (流石にこれは試合まで見せるもんじゃないと思うんだがなァ)

 

 そんな虎の子をこんな喧嘩で使ってきた。

 場所など知らぬ、斃さずにはおかぬという澄み切った殺意。

 しかるべき場所で全霊で────その約束を自ら放棄する程の憎悪。

 裏切りの代価は、自分が叶えたいものよりもずっと高くついたらしい。

 

 「俺が憎いか。イッキ」

 

 「ああ憎いさ。殺したいほど」

 

 短い問いかけ。短い返答。

 一際強く、刀と脚鎧(ブーツ)が激突した。



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54話

 「だろうなァ。だが俺が頭を下げると思うなよ? 例えそいつが権力者だろうが連れの親だろうが、ここまで来た時点で察してんだろ────」

 

 打ち合った脚をさらに押し込んで《陰鉄(いんてつ)》を弾く。

 そして大気が唸りを上げる。空を突き破る紫白の鉄槌が、必倒の意思を以て四方八方から敵に襲いかかった。

 

 「こっちはなァ────縁切り覚悟で手前(テメェ)の信条徹してんだよ!!」

 

 「何時(いつ)!誰が!! 謝れなんて頼んだッッ!!!」

 

 全ての蹴りを一輝が刀で受け止めた直後、ゴッッッ!!!とジェット噴射と紛うようなエネルギーが一瞬前まで一真の首があった場所を通過。

 正体は一輝の反撃、番外秘剣《累襲(かさねがさね)》だ。やはり先程と同じように己のスペックを遥かに上回っている、《(まどか)》とも《一刀羅刹(いっとうらせつ)》とも違う不可解な技。

 

 (そうか、この技の絡繰(からくり)は───!!)

 

 辛うじて仰け反って回避した一真は、しかしその技の何たるかを2度目で看破した。

 そうだ、不可解なものでは断じて無い。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 「・・・・・・君は自分が不義と断じたものを絶対に見逃さない。家の息がかかった学園そのものを躊躇いもなく力で脅した時点で、いつかはこうなるものと覚悟はしていたさ」

 

 過熱した戦いの中、ぽつり、と一輝が小さく零す。

 

 「僕が査問委員会に連れて行かれた時も君は脚を抑えた。僕が聴取されてる時もステラと一緒に手紙をくれた。ああ嬉しかった、嬉しかったんだよ。1年前は君に守られてばかりだった僕が、お前なら大丈夫だって言ってもらえたみたいで」

 

 ぎしり、と《陰鉄(いんてつ)》の柄が軋む。

 抑え込んできた怒り。

 腹に落ち着かせたはずの憎しみ。

 一真の言葉で一気に噴出したそれは黒刀の一閃と共に、叫びとなって放たれた。

 

 「───なのに結局! 君は全部壊したッッ!!」

 

 鼓膜を割るような戟音。

 全身を連動させた渾身の重撃が一真を防御ごと打ち飛ばす。

 蹴りを主軸とする故に攻めるも守るも片足立ちを余儀無くされる一真はこういう大きな1発を『受ける』ような立ち回りはそうそうしない。つまりこれは一輝の振るう破壊力が完全に一真の想定を上回った格好だ。

 直後、追撃。

 一輝の叫びに呼応して、黒い閃きが無数に襲う。

 密度と勢いを増していくそれは彼の心が流した血と涙の量に等しい。

 血と膿を吐き出すような彼の叫びは、言葉よりもむしろ悲鳴や絶叫に近い悲痛さだった。

 

 「皆の気持ちも僕の決意も! 最後の最後で裏切って!! どれだけの人が自分の無力を呪ったと思ってるんだ!!

 しかも言うに事欠いて "分かりきった事" だって!? 全部受け止めたような顔して何も分かってない、見下げ果てた自己満足だ!!」

 

 「っんだとテメェ─────」

 

 「君が君の道を貫くのはいい! だけど今まで紡いできた絆や縁をどうして勝手に切ろうとした!?

 大切な仲間からいきなり取り返しのつかない事をしたから消えますなんて言われて、それで()()()()()()()()と皆が頷くとでも思ってるのか!!!」

 

 「ッッ!!」

 

 動揺。刹那、一真の動きが止まる。

 それで全てが決まった。

 第一秘剣《犀撃(さいげき)》。全ての力を刃先の一点に乗せた刺突が辛うじて防御した一真の脚に激突し、その巨体を吹き飛ばす。

 一輝は宙に浮いた彼の身体を地面に叩きつけ、その上に(またが)った。

 胸ぐらを掴んで引き寄せる。

 逆手に握って振り上げた《陰鉄(いんてつ)》は過たず胸の中央を狙おうとしていた。

 

 「僕は折れないとステラは信じてくれた。そして皆も君を信じてた! 例えそれが暴力だろうと、()()()()()()()()()()()()君の脚は軽くないって!!」

 

 「─────、」

 

 「僕も・・・・・・僕だって、君が僕を信じてくれていると・・・・・・そう信じていた・・・・・・ッッ」

 

 ──────なのに。それなのに。

 振り上げた刀が力無く下がる。

 胸ぐらを掴む握り拳に、熱い雫がぼたぼたと降り注いだ。

 『お前はとことん外面に出さない』。かつて彼にそう言いながらその内面を正しく見抜いていた一真は何も言えない。

 息を吸って声を出すには、胸にのしかかる1グラムにも満たない塩水がどうしようもなく重たかったのだ。

 

 

 「どうして・・・・・・、どうして君は僕を信じてくれなかったんだ・・・・・・・・・ッッッ!!!」

 

 

 信じてもらえなかった事がどうしようもなく悔しくて、どうしようもなく悲しくて。

 怒りと憎しみを燃やし尽くして残った灰が、大粒の涙となって組み敷いた相手に降り注ぐ。

 ────ごめんな。

 求めていないと言われた謝罪の言葉は、自然に胸の内からこぼれてきた。

 行動に対する後悔ではなく、裏切った立場でばかり物を考えていた己の独りよがりを、ただ詫びる。

 久しく泣かなかった少年の嗚咽が、静寂を取り戻した公園に小さく響いていた。

 

 

     ◆

 

 

 少なからず公園が損壊した。

 どうしようと考えあぐねた結果、結局は月影に相談。苦笑いした彼が特別に黒乃に連絡を入れ、そして応じてくれた彼女が全ての損壊を()()()()()。事情を汲んで大目に見てくれた黒乃だが、ああまでじとっとした視線はそうそう浴びる事はないだろう。

 争う前に時間がリセットされた公園のベンチで、一輝と一真は疲れたように腰かけている。

 話していたのは事の顛末。

 一輝が連れ去られてからの学園の事と、一真が学園から消えてからの事だ。

 

 「──────・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」

 

 額を抑えた一輝が低く長く息を吐く。

 強い苛立ちを全面に押し出したその見慣れない表情に少なからず戸惑う一真だが、それを口に出さなかったのは正解だ。そうでないと「お陰さまで」と皮肉を食らって更にこじれる可能性がある。

 彼が負の感情をよく表に出すようになったのは、良くも悪くも王峰一真のお陰なのだ。

 

 「・・・・・・なるほど納得したよ。うん、それは()()()()。僕の事をどうこう以前に、そもそも向こうがカズマの地雷を踏み抜いた訳だ」

 

 「ああ。ただの言い訳になっちまうが、お前を信じてなかったのとは違う。ただ俺がムカついたから潰したんだ。・・・・・・けどよ、イッキ」

 

 「?」

 

 「縁や絆の話をするのなら、お前はこうして俺と話してて平気なのか? 理由はどうあれ、俺はお前の親父を・・・・・・」

 

 「そりゃあ思う所はあるさ。父親としては分からないけれど、いつか自分を認めてほしいって思ってた人だから」

 

 だけど、と。

 

 「父さんとカズマは、自分が絶対に譲れないものの為に激突した。・・・・・・2つの騎士道が命懸けでぶつかって、どちらかが勝ってどちらかが負けた。その結末に文句はつけないさ」

 

 無関係の人まで手にかけてたら首を刎ねたけどね、と一輝は軽く笑う。

 確かに一般職員の被害はゼロではあったが、あわや大勢巻き込む所だった一真はだらだらと冷や汗を流す。月影から被害状況を聞かされる直前のあの緊張と恐怖は未だ思い返す度に胸の動悸が蘇る。

 今後は場所だけは絶対に選ぼう・・・・・・改めて胸に誓う一真は、そこでふと思い出したように一輝に問う。

 

 「・・・・・・あ。そういや、この流れで聞くのも変かもしれねえけどさ」

 

 「何だい?」

 

 

 「お前、実際ステラさんとはいつから?」

 

 「いや本当にこの流れで聞くのそれ」

 

 「や、本当ずっと心の隅で気になってたんだよ。ステラさんは分かりやすかったけどお前に踏み込んでいくような前兆が無かったから。ホラ、何か大きめのきっかけがないとお前ずっと二の足踏んでそうだし・・・・・・」

 

 なんか腹の立つ言われようだった。

 平時であれば花の咲いた話題なのかもしれないが、この大喧嘩の直後だと話題の温度差で風邪を引きそうに感じてしまう。

 しかしこの好奇心を大事な試合中まで引き摺られたくないので、仕方無しに一輝は答えることにした。

 

 「・・・・・・由比ヶ浜だよ。夜にカズマが酔い潰れた後」

 

 「どこで?どっちから」

 

 「・・・・・・・・・浜辺で・・・・・・ステラから・・・・・・」

 

 「へぇー・・・・・・向こうから。ふーん。・・・・・・つーか、じゃあその直後にあのブタ来やがったのかよ。輪をかけて最悪じゃねえか・・・・・・」

 

 忌々しさが蘇ったのか一真は顔を顰めて舌打ちをする。

 

 「しっかしマジかー、そうかァ・・・・・・。・・・・・・何だろうなこの敗北感。なんかスッゲェ先に行かれた気がする。やっぱなー、押してかなきゃ駄目なのかこういうのって」

 

 「僕としてはむしろ君が出遅れてるのが不思議な位だよ。いつまで押すかどうか迷ってるんだ。いい加減覚悟を決めたらどうだい、去年の時点で生徒会の皆が刀華さんとの話を手ぐすね引いて待ってたのに」

 

 「うるっせえな放っとけよ。分からねえか居心地のいい今のままでいいかと甘えそうになる気持ちがよお。てかそもそもテメェだって別に押した訳じゃねえじゃねえかナニ成し遂げたみてえな事言ってんだ」

 

 「僕に当たるなよ間違った事は言ってないだろ。そもそも好きになった子から好きだって言ってもらえた時点で僕は成し遂げたよ。その手前でずっと足踏みしてる君には言われたくないね。その脚と能力は飾りかい?」

 

 「あ? 言ったな? 表出ろや。38度線踏んだぞテメェ」

 

 「さっきの続き? 上等じゃないか。というかここが表だよ大馬鹿野郎」

 

 ゴリゴリと額と額を擦り付けて威嚇し合う2人。

 激情家の一真も素で苛立っているが、一輝も一輝で1番見られたくないライバルに泣き顔を見られてつっけんどんになっているため両者とも一向に引く気配がない。

 しばし超至近距離でガンを飛ばしていた2人だがやがて酷く不毛な諍いをしている事に気が付いたようだ。アホらしい、そうだね、と首を振り、改めて喧嘩の空気を打ち切った。

 

 「・・・・・・とにかく。経緯はどうあれ、確かに君はここに来た。なら僕はもう何も文句はない。これまでの全てを出し尽くすだけさ」

 

 「おいおい、大丈夫か? さっきは随分と大盤振る舞いだったみてえだけど」

 

 「コンディション調整の必要経費だよ。大会が始まれば君にはどの道タネは割れるし────君の思考パターンも、さっきので更新したところだからね」

 

 「性悪」

 

 「()()()()()

 

 にぃ、と2人は歯を見せて笑った。

 ぶつかり、這いつくばり、そして乗り越え、ようやく同じ表情で笑い合う。

 春に交わした彼らの誓いは曲がり道の末に交わった。

 新たな始まりを告げる桜の舞う景色を瞳に思い起こし、2人は握り拳を相手の胸へと突き出した。

 

 

 「俺とやるまで負けんなよ?」

 

 「そっちこそ」

 

 

 こつん、と拳と拳がぶつかる。

 そしてそれだけで充分だと言わんばかりに、一輝は(おもむ)ろにベンチから立ち上がった。

 

 「さて、じゃあ僕は先に会場に行くよ。そろそろパーティも始まる時間だし、僕1人が延々と時間を使う訳にはいかないしね」

 

 「うん? そりゃどういう─────」

 

 

 「カズマ。君を殴ろうと思っているのが僕だけだと本気で思ってるのかい?」

 

 

 バチッ、と背後から電気が弾ける音がした。

 

 それに合わせて人の気配が5人分。

 まだそちらを振り向いてはいない。しかし後ろにいるであろう面子に心当たりがありすぎた。

 あるいは一輝より苛烈に殴りかかってくるだろう隠そうともしないその怒気に、一真の喉がきゅうと鳴る。

 じゃあ頑張って、とだけ言い残し、邪魔者は退散しますとばかりにそそくさと一輝はその場を去った。

 さっきみたいに『約束は守った』と言えるような空気ではない。あの叱責を受けた後でそれは流石に無しだ。

 しかし謝る気は更々ない。

 では何と言おう─────

 しばし黙考した後、後ろを振り返った一真はぎごちなく手を振った。

 

 「・・・・・・えーと、・・・・・・久し振り」

 

 

 

 (カズマの力はあんなものじゃない)

 

 一輝はそう確信している。

 そもそも伐刀者(ブレイザー)の戦闘など考慮されているはずもない公共の場所、彼は可能な限り力の出力を抑えて戦っていた。

 技そのものは通用するらしい。

 だが彼が本当の本気で全開になる本番で、さっきのように押し込めるかどうかはまるでわからない。

 さっき自分が戦ったのは、街を壊さないよう必死に爪先立ちする怪獣なのだから。

 では本番、彼はどんな風に戦うのだろう?

 自分は本気の彼を相手に、どんな風に戦えるのだろう?

 

 「・・・・・・ははっ」

 

 知らず知らず一輝は笑った。

 それはクリスマスを前にした幼子と表現するには、余りにも野蛮で獰猛な表情で─────

 

 

 バッッッチィィィイイイイン!!!と、猛烈な炸裂音が夜空を引き裂く。着弾箇所が破れたんじゃないかというようなその音量に、公園を背に歩いていた一輝がビクリと肩を竦めた。

 その音が平手打ちの音なのかそれとも電気のスパーク音なのか、その激しさは彼にもついぞ判断がつかない程だったという。

 ぶつかり、ぶつけて、また元通り。

 王峰一真の "仲直り" は、まだ始まったばかりだった。

 

 

     ◆

 

 

 ─────『()して(うち)らに何も相談してくれんかったと!?』

 

 砕城(さいじょう)(いかづち)には若干重量を累積した拳を貰った。

 兎丸(とまる)恋々(れんれん)には若干速度を累積した拳を貰った。

 尊徳原(とうとうばら)カナタにはビンタというか鞭と呼ぶべき鋭さの1発を貰った。

 御祓(みそぎ)泡沫(うたかた)には1番ダメージが蓄積した1番嫌な所を殴られた。

 

 そして東堂(とうどう)刀華(とうか)には渾身の平手打ちの後、涙を溢しながらそう叫ばれた。

 

 なぜ私達の事を思い出してくれなかったのか。

 なぜ躊躇いもなく私達を置き去りにしたのか。

 彼女らもまた一輝の言う通り、その怒りの裏で自分の無力を呪っていた。

 だから事の顛末を話し、誠心誠意頭を下げた。

 裏切る覚悟だけ勝手に決めて、裏切られた側の気持ちを全く考えていなかった事。

 去年と同じ思いをさせてしまった事。

 そして、その上で一真は言い切った。

 ────自分は自分の行動に対して、一切恥ずべき所はないという事を。

 

 それを受けて刀華は静かに聞いた。

 

 『カズくんは一輝くんを助けるためにこんな事をしたの?』

 

 先刻と同じように彼は言い切った。

 

 『違う。俺が我慢できなかったから殺した』

 

 芯の通った声。

 人を殺めた事は詫びず、ただ仲間を蔑ろにした事だけに謝罪した彼に、刀華はしばし瞑目して押し黙る。

 数分とも思える10数秒の後、刀華は小さく微笑んだ。

 彼女は彼女たちの総意として、抱え込んできた重荷を下ろす事を一真に告げた。

 

 

 『わかりました、許します。良くはないけど・・・・・・それなら、いい』

 

 

 

 

 「『次は無か』、とも言われたけどな・・・・・・」

 

 「さぞや怖い顔をしていたんでしょうねぇ・・・・・・」

 

 パーティ会場の入口前。

 特注にして最高品質という金持ちの品格を布で表現したような礼服を着崩した一真と、長身痩躯の麗人が雑談をしていた。

 殴られた箇所をさする大男に対して、その麗人はやれやれといった風情だ。

 

 「皆の反応はさもありなんという感じね。貴方が学園から消えた後の合同合宿、みんな大荒れだったのよ? イッキとステラちゃんなんかそれで大喧嘩してたしね」

 

 「え、マジで・・・・・・? なんでその2人が喧嘩してんだ・・・・・・?」

 

 「そればかりは自分で聞きなさいな」

 

 うわ聞き辛え、と顔を覆う一真は、それにしてもと隣にいる麗人を見下ろす。

 彼もまた《七星剣武祭》に出場する代表生徒だ。

 ここで顔を合わせる事になるのは当たり前の事だが、しかしこういうシチュエーションで顔を合わせるとは思ってもみなかった。

 それはかつてのクラスメート。

 学園で異物感の強かった自分が、クラスに馴染む一助となってくれた男だ。

 

 「暁学園の最後の1人、気になっちゃいたが・・・・・・よもやお前とはなァ。有栖院」

 

 「アリスでいいわ。あたしもまさか本当に貴方が加入してるとは思ってなかったわよ。平賀冷泉を脱落させたのも予想外だったけれど」



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55話

 「俺としてはお前が勝ち抜いてたのが1番意外だったよ。そういう裏がある事含めて()()()()()カケラも感じなかったぞ」

 

 「そう? 褒めても何も出ないわよ。そもそもあたしはどこかで適当に負けるように言われてるしね」

 

 「けどお前、何のために潜入してたんだ? 暁学園を有利にするために何かしらの情報を流したり何かの工作したりはやってたんだろうけど、今んとこ何かしらの効果を発揮してるような様子がねえんだが・・・・・・」

 

 「・・・・・・ま、色々とね。乙女の秘密よ。安心なさいな、他の代表選手の妨害をしろなんて命令もあたしは受けていないわ」

 

 澄ました顔で受け流すアリス。

 貴方がやらかしてくれたお陰で全てが水泡に帰しただけだ、とは流石に言わない。破軍学園襲撃という急遽撤回された作戦の存在を明かしても悪い方向にしか動かないし、それに自分は曲がりなりにも彼の行動に助けられたのだ。

 

 「それでよ。その、少し聞きづらいんだが」

 

 そこでアリスは、今まで聞いた事のないような彼の声を聞いた。

 積み上げた努力と絶対的な才能に裏打ちされた強さからくる自負。それが自信となって表に滲み出たような強者の声が、どことなく暗い。そして揺れている。

 続く彼の口から出てきた言葉を聞いたアリスは、少しだけ息を止めた。

 

 「お前は黒鉄を応援してたってのも聞いたし、それでイッキもお前にすげえ感謝してた。俺も学園じゃお前が間に立ってくれたからクラスに馴染めたようなもんだから有難かったんだけどよ。・・・・・・そういうあれこれも演技だったりしたのか?」

 

 仮にアリスがそれを肯定していたとしても、一真は何も言わない。

 アリスはそのために学園にいて、そのために周りと接していた。最初から味方ではなかったのだから、それを裏切りと呼ぶのは筋違いもいいところ。

 そもそも友への背信という話をするのなら、自分の方がよっぽどの重罪人なのだ。

 ただ、残念なだけ。

 彼の周囲の人間が彼に抱いていた信頼が彼には響いていなかったとするのなら、それがただただ残念なだけだ。

 

 「そろそろ会場に入りなさいな。貴方は積もる話もあるでしょうし」

 

 「お前は出ないのか」

 

 「一応潜入の任務は続いてるのよ。ボロが出るかもしれないリスクは避けるに限るわ」

 

 それだけ言って廊下を去っていくアリスの背中を見て、嘘が上手いな、と一真は思う。

 これだけ裏舞台に迫った話をしていても、アリスの調子は学園にいた時と一切変わっていなかった。潜入者という身分で本来の陣営もいる場に出たとしても、彼は一切を他者に気取らせないだろう。

 アリスはただ面倒な追求を躱しただけだ。

 本心はまだわからないという切ない希望を残させたままで。

 刀華や一輝が感じた悲しみも、あるいはこれと似たようなものだったのかもしれない・・・・・・

 

 「・・・・・・ふんっ!」

 

 パァン!と己の両頬を両手で叩く。

 親しい友らに怒られ通しでセンチメンタルになっているようだ。これから名の通った強者たちの中に飛び込むのにこのコンディションはよくない。ヒリついた痛みでやや強引にメンタルを切り替え、一真は改めてパーティ会場の扉に向かい合った。

 ────思えば昨年は代表生徒に選ばれはしたが、結局来ることのなかった場所だ。

 黒鉄一輝を陥れようとした者たちを制裁して手に入れた1年間の不可侵と引き換えに、自分は代表選手の権利と生徒会長の地位、そして進級を手放した。

 それ自体には一切の未練も後悔もないが、自分と戦うのを楽しみにしてくれていた刀華の物言いたげな割り切れない顔を今も時々思い出す。

 今ならわかる。

 自分の気性を昔から理解しているから口に出さなかっただけで、あの時も彼女は怒っていたのだ────自分との戦いよりも、敵の制裁なんかを優先した自分に対して。

 その時は実現する事はなかった彼女の願い。

 だが、それはもう目の前だ。

 

 「随分と待たせちまったなァ───」

 

 不思議と胸が高揚してくる。

 ここで逢おうと約束した友らがすぐ向こうにいる。

 まず真っ当な道のりではなかったが、彼女が望んだ、そして皆から望まれた舞台に、こうして自分は立っている。

 頬を期待に緩ませながら、一真は楽しげなざわめきが漏れ聞こえてくる扉を押し開き──────

 

 全てのざわめきが停止した。

 幾重にも重なった視線の束が、衝撃すら伴うような圧力で一真の身体を射抜く。

 

 「っ・・・・・・、」

 

 もっとも、その注目と静寂は束の間のこと。

 停止した時間は再び流れ始め、ざわめきはすぐに戻ってきた。

 だが、その内容はさっきまでの他愛無い会話とはまるで違う。

 

 『デカいな。あれが破軍の・・・・・いや、暁の

蹄鉄の暴王(カリギュラ)》か』

 

 『流石に目の前にすると違うな。まるで怪獣の前に立ってるみたいだ。少しでも気を抜いたら後ろに下がりそうになる』

 

 『間違いなく全国でも指折りね。あんな(ひと)が今まで目立たないままだったなんて、悪い冗談としか思えないわ』

 

 『暁への移籍は学園を去年で見限ったからって所だろう。《落第騎士(ワーストワン)》の事といい、破軍の前理事長はつくづく頭がどうかしてたとしか思えねえな』

 

 ざわめきから漏れ聞こえてくる会話は、今しがた一真を貫いた視線が決して偶然などではない事を物語っていた。

 そこでふと違和感を覚える。

 こうして自分が群衆の中に入り込んだ時のいつもの状況と、ここは何かが違うのだ。

 

 (そうだ。全員俺にビビってねえ)

 

 破軍にいた頃、一真が歩けば全員が道を開けた。

 去年の事件を知る者などは怯えや恐怖をはっきりと顔に出す時もあった。

 並外れた体格か若いながらの強面かその実力か、あるいはそれら全てのせいか。流石に露骨なものは少なくとも、一部の親しい友を除いて皆がどこか自分を遠巻きにする。

 悲しくはない。昔から今まで同じようなものだった。

 だが自分から歩み寄る事もそう無くなってきた。

 だからなのだろうか、全員初対面な奴らがこうして真っ向から自分に目線を合わせてくるというこの状況は─────

 

 「悪くないでしょう?」

 

 視界の外からの声。

 隣を見下ろした一真の視線の先で刀華が微笑む。

 貸し出されていたものだろうか飾り気の少ない黒のドレス。付けているアクセサリもシンプルなイヤリングとネックレス程度のものだが、むしろ彼女はこれがいいと一真は思う。彼女を美しさを際立たせるのなら華美なあれこれは寧ろ邪魔になるだけだ。

 思えば初めて見る彼女の盛装に見惚れた。刀華がこちらを見上げたので慌てて視線を逸らす。

 

 「しがらみも何もない。ただぶつかればそれでいい。ここ以上にカズくんに合う場所はそうそう無いと私は思うな」

 

 「・・・・・・そうだなァ。これならもうちょっと早く来てても良かったかもしれねえ」

 

 「本当、遅すぎだよ。1年目から期待してて、2年目にがっかりして・・・・・・出れるだけの力は間違いなくあるのに、最後の年にようやくだもん。それもこんな滅茶苦茶な経緯で」

 

 う、と一真は軽く呻いた。

 がっかりさせた自覚は芽生えていたらしい。怒られた反省は出来ているようだ。

 ならいい。刀華の内なる蛮性が表出する。

 眼鏡の向こうから貫いてくる凶暴な光に、今度は一真は怯まない。牙剥くような彼女の口元に似るように浮かべた笑顔で彼は己の意思を返す。

 今までは共感の外だったその感情を、今なら少しは理解できた。

 

 「待たされたぶんはキッチリ取り立てるからね?」

 

 「上等」

 

 一真の目に闘志が宿っている。自分の願いが確実に果たされる事を確信し、刀華はさらに笑みを深めた。

 ここまで自分を求めてくる者がいる。その事実に感慨深さを感じた一真は改め周囲の面々を見回してみた。多々良はいないようだが『暁学園』の面々もおり、各々楽しんでいるようだ。

 と、そこで恐ろしく目立つ人間を見つけた。

 あれは禄存学園の、たしか・・・・・・

鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)加我(かが)恋司(れんじ)だ。

 大きい。───というか自分と身長が同じ。髭を蓄えた顔と相まってまず学生とは思えない。

 たぶん向こうも自分と似たような事を考えていたのだろう、同じように自分を見ていた(ひぐま)のような巨漢と目が合い、朗らかな顔で手を振られた。

 そしてあれは貪狼学園の倉敷蔵人(くらしきくらうど)。去年は奴に随分と手を焼かされたものだ。

 懐かしみを込めて眺めていると殺してきそうな目で睨まれた。

 ・・・・・・自分の周りにはなぜこうも視線に殺意を込めてくる奴が多いのか?

 ひどく不本意な現状に首を傾げていたとき、自分の探している顔がどこを見ても見当たらない事に気が付いた。

 

 「あれ、葉暮(はぐれ)さん来てねえのか? 少し用があったんだが」

 

 「・・・・・・葉暮さんたちは棄権しちゃったんだ。一輝くんのお兄さんや・・・・・・、カズくんにやられて心が折れちゃったみたい」

 

 「・・・・・・そっか。礼を言いたかったんだけどなァ」

 

 「来たわね」

 

 トーンの低い声に振り向く。こちらも久し振りに見る顔だ。

 《紅蓮の皇女》とはよく言ったものだ、鮮やかな紅いドレスに炎髪を映えさせるステラ・ヴァーミリオンがそこにいる。

 首元の薔薇を(かたど)った白い装飾が目に眩しい。並の人間では前に立つどころか隣に立つ事も躊躇うだろう、彼女の隠す気もない熱情がその美貌に乗って迸っていた。

 ・・・・・・ついでに横にいる刀華から刺々しいオーラが自分に向けて放たれた。

 確かにあれは酷く彼女の機嫌を損ねさせた自覚はあるのだが、そろそろあの時の事は許して頂きたい。

 

 「話はイッキから聞いたわ。呆れはしたけど、私からは何を言う事もない。だけど随分と品のない連中の集まりにいるみたいね? 結構シャレにならなかったわよ、アンタの仲間」

 

 「あん? 何かあったのか?」

 

 「少し諍いがあってね。被害は出ずに終わったけど、その、()()()()()()()()()()()()

 

 「うわァお前スーツ似合わねえな」

 

 「話の流れ切ってまで言うことかなそれ!?」

 

 多々良だろうなァ、とその血の気が多い1人だろう顔を思い浮かべる。何をやったのかは知らないがこっちまでマイナス評価を引き摺られるのは酷く不愉快な話である。

 後で何やったか問い詰めようと決めた時、ちょいちょいと服の裾を引っ張られた。

 絵の具で汚れたエプロンだけで乳房を隠したトップレスの女、サラ・ブラッドリリーである。

 

 「待っていた。協力してほしい」

 

 「協力ぅ?」

 

 「ん」

 

 サラは腕を伸ばして何かを指さした。

 その人差し指の先にあるのは表情を固まらせた黒鉄一輝。

 そこで一真は全てを察した。

 思い出すのは暁のメンバーに顔見せをした日、押しかけてきたサラと交わした会話。そうだ、彼女はメシアを描くためのモデルを探していたはずで────

 

 「見る目は確かじゃねえか。アイツが理想のモデルって訳だな?」

 

 「そう。美しさと優しさを感じさせる一方で確かな芯の強さを思わせる顔立ちに、真っ直ぐ伸びた綺麗な姿勢。それに何より、合理的に鍛えられた逞しい筋肉の形。

 まさに私が探していた理想のモデル・・・・・・。だけど・・・・・・」

 

 ズン、と一輝とサラの間に立ち塞がるステラ。

 全身から燐光が漏れ、赤い瞳は恋人を指さす女をギロリと睨む。射竦められたサラが「きゅう」と悲鳴を漏らして一真の陰に隠れた。

 ・・・・・・どうやら既にアプローチを拒まれた後らしい。

 彼女のブルドーザーみたいな押しっぷりを思い返せば当たり前の話ではあるが、彼女の熱量と動機の重さを知っている者としては力になりたい気持ちもある。

 

 「おーいステラさん。偉大な芸術家の悲願と世界の文化的水準を先に進めるためだ。観念して恋人の裸を捧げてくれや」

 

 「ほら、友達の彼もこう言ってる。それに彼の心は貴女のものでいい。私は身体目的なのだから」

 

 「ふざっけんじゃないわよアンタそこまでそっち側!? というか身体もアタシのものよっ!」

 

 「え?」

 

 「ほら、そろそろ離れてくださいサラ・ブラッドリリーさん。みんなに迷惑でしょう」

 

 一真にくっついて全力で虎の威を借りているサラを刀華が引き剥がす。

 やや声に険が含まれていたのは気のせいだろうか。迷惑をかけているのはサラなのだが、ジトッと睨まれたのは何故か一真だった。

 

 「仲が良いんですね。相性の合わない団体にはとことん馴染めない貴方が暁学園で浮いていないか少しだけ、すこーしだけ心配していましたが、楽しくやれているようで安心しました」

 

 「ぜんぜん安心してる口調じゃねえんだけどぉ」

 

 「・・・・・・皆と仲良く出来ているのかはよくわからない。だけどカズマにはお世話になった」

 

 ちくちくしている刀華の言葉に答えるようにサラが言う。

 世話になった。彼女のその言葉は、一真がそこであるがままに過ごしている何よりの証拠だった。

 やはり不和は生じているようだが、しかし彼女は、線引きの苛烈な彼が尊重しようと思える何かを持っているのだろう。

 少しも寂しくないと言えば嘘になるけれど、と刀華は思う。

 別の場所でも彼の暖かさに気付いている人がいるのなら、それはきっと喜ぶべき事で─────

 

 

 「カズマの身体も、文句の付けようのない完成度だった」

 

 

 ぴたり、と空気が止まった。

 ぽっと頬を染めるサラ。いきなり吹き始めた不穏な風に一真の背筋が凍る。

 さっきまで考えていたどこか切ない思いが全部吹っ飛んだ刀華が、青褪めた顔で愛想笑いを浮かべた。

 

 「お、おほほほほ。そっそれは勿論モデルとしての話で・・・・・・」

 

 「大きな手のひらだった。私の身体を簡単に押さえ込む力強さと同時に、壊さないように気遣う優しさを感じた」

 

 「おい今すぐその口を塞げテメェこの野郎」

 

 「『男性』というシンボルとしてあそこまでの説得力はないと思う。カズマは私のお願いに耳を貸さず、容易くベッドに放り投げた」

 

 「な? 頼むよ。物事を正しく説明するそれだけでいいんだ。わかるよな? これからいくつもの感動を生み出すだろうその腕を俺にへし折らせねえでくれ」

 

 「カズマの肉体はまるで私という人間をレコードにしたようで、私の指先はそれを再生する針のようだった。彼の身体を指先でなぞる度に自分の事を語ってしまう私を、彼はベッドの上でただ受け入れて─────」

 

 「大の男が必死に(すが)りついてんだからやめろやァァァあああああ!!!!」

 

 

 パシッ、と皮膚が焦げた。

 じりじりと感覚神経を炙る電磁波が背後から一真を蝕んでいく。

 テスラコイルみたいになっている刀華の姿が容易に想像できた。いま彼女がどんな顔をしているか、後ろを振り返って確認する勇気はない。

 月影から貰った礼服を滝のような冷や汗で濡らしながら、一真は精一杯言葉による説得を試みる。

 

 「刀華。これは違う」

 

 「ふふふ、そうですか」

 

 「全くの誤解だ」

 

 「そうですか」

 

 「話せばわかる」

 

 「カズくん」

 

 微笑むような声色。しかしその唇から紡がれる言葉に救いはない。

 いつもの親しげな呼び名に続いて突きつけたのは、端的な処分内容だった。

 

 

 「それ言うた人がどげん末路ば辿ったか、授業で習わんかったと?」

 

 

 「・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」

 

 最後の慈悲は与えられなかった。

 一真は一縷の望みをかけて、縋るような目で一輝とステラを見る。

 しかし一切の弁護は入らない。

 生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている友を見る一輝とステラは、ぶん殴りたくなるくらい爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

 「────────・・・・・・・・・・・・、」

 

 長い長い溜め息。

 無関係の人々がいる場にも関わらずバチバチと空気を爆ぜさせる電気は、そのまま刀華の激怒を表していると言っていい。

 こうなった彼女は肉体的なお仕置きを躊躇わない。幼少から彼女と生活を共にしていた一真はその事をよくわかっている。

 あのトップレス画家は絶対にシバく──────

 それだけを強く胸に誓って、一真はパーティ会場の出入り口へと全速力で走り出した。



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56話

 シンボリルドルフが! 欲しい!!!(気さくな挨拶)


 「・・・・・・もちろん、絵のモデルの話」

 

 おまけのように付け足されたサラの一言に、刀華が大慌てで走り出す。猛烈な勢いで遠ざかっていく一真を追いかける刀華の背中に向けて彼女は小さく舌を出した。このしばらく後に一真から全力のアイアンクローを食らわされ、側頭骨陥没でiP S再生槽(カプセル)のお世話になる彼女の最後のお茶目である。

 そして改めて一輝に詰め寄ろうとしたサラだが、それよりも先にまたしてもステラが立ちはだかった。

 緋色に見開かれた眼光にたじろぎながらも負けじと交渉せんとするサラだが、口を開こうとした途端に大きく一歩踏み込まれて思わず後ろに下がる。

 一歩詰められる。一歩下がる。

 また一歩詰められる。また一歩下がる。

 口を開く間もなく威圧(プレッシャー)だけでどんどん後ろに追い詰めていくステラは終いにサラをパーティ会場の出入り口から弾き出し、勢いよく扉を閉めた。

 いつぞやのように強行突破してくる様子はない。これ以上は流石に悪手と判断したか一時撤退したようだ。

 一連の流れを見ていた周囲の生徒たちから生温かい笑いが漏れる中、それを遠目に見ていた身の丈180センチを超える肉厚の偉丈夫はカラカラと笑う。

 

 「なんやオモロいやっちゃな。少し話してみたかったんやけど、その分ええもん見せてもろたわ」

 

 「(ゆう)、油断は禁物ですよ。確かにややイメージとは異なるシーンでしたが、彼の実力は紛れもなく本物ですから」

 

 「わかっとる。実際に見たらえらいタマやで。棄権しとらんかったら去年の《七星剣王》はアイツやった、って言われとるんもまあ分かる話や」

 

 まあ去年おってもワイが勝っとったけどな!!と、武曲学園の制服を襟元までしっかりと正した眼鏡の男、城ヶ崎(じょうがさき)白夜(びゃくや)(ゆう)と呼ばれた彼はそう豪快に言い切った。

 黒鉄王馬のいない場で手に入れた頂点など何の価値もない、そう言って憚らない()()()()()。その実力に裏打ちされた至極真っ当な自信と断言である。

 口元に豪放磊落な笑いを残したまま、不意にその目が細く尖った。

 自信満々に言い切った彼をやれやれと笑っていた白夜に見解のお鉢を回す。

 

 「シロ。お前の事やから当然アイツの事も丸裸にしとるんやろ? お前から見てアイツはどんなもんや」

 

 「無論です。その上で彼に対する私の勝算を考えると───」

 

 《天眼(てんがん)》城ヶ崎白夜。

 彼の特性は戦闘だけではなく、日々の些細な仕草や癖からも相手の理を根底から暴き出す物の怪じみた洞察力。

 試合開始の瞬間から試合を支配する、黒鉄一輝をして『性能としては自分の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》より圧倒的に上』とまで評させる化生(けしょう)の眼の持ち主は彼の問いかけに対して、

 

 「ほぼ打つ手がない。はっきり言えばそうなります」

 

 そう苦い顔で答えた。

 

 「分かっている事でしょうが私が《七星剣武祭》で勝つ上で、私の能力の関係上、相手を斬りつけるというプロセスは絶対に外せません。

 ところが───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『踏み破る』という彼の能力の特性は無意識の内に体外に展開している魔力障壁にも及んでいる。Aランクという魔力量も加味すると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 まして戦闘になれば間違いなく強度を上げてくる。直接的な大火力を持たない私にとって、相性は極めて悪いですね」

 

 「かーっ、よぉ言いよるわ。どうせひっくり返す算段も整えとるクセして何やねんその(にっが)いツラ」

 

 「野蛮な殴り合いは流儀じゃないんですよ。というか私よりも自分の心配をしてはどうですか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「よーし戻って来ないわね。トーカ先輩も大概とばっちりだったけどあの女もどうせカズマに仕返しされるだろうし、これでトラブルの元はいなくなったでしょ」

 

 「僕としてはあまり内ゲバして欲しくないんだけどね・・・・・・。せっかく普通なら戦う事はないだろう世界の人と戦えるんだから、どうせなら万全でいてほしいし」

 

 やりきった顔で埃を払うように手を叩くステラの後ろで苦笑いする一輝。東堂刀華も色々と積もる話があったと思うのだが、随分と引っ掻き回されてしまった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()自分を執事として雇おうとしてきた風祭凛奈、そしていま会場から弾き出されたサラ・ブラッドリリー・・・・・・あるいはここまで灰汁の強い面々だからこそ一真もそこに馴染めているのかもしれないが、やはりその環境は平穏からは遠いところに位置しているようだ。

 

 (そういえばカズマ、サラさんには結構丸かったな)

 

 何か彼女を認めるようなイベントがあったのかもしれない。というかモデルがどうのと言っていたが、もしかして脱いだのだろうか・・・・・・?

 そんなことをとりとめもなく考えていた時、ぱたぱたと小さな足音がこちらに近づいて来るのを聞いた。

 誰かと思えば、彼もまた暁学園の生徒の1人。

 

 「ねえねえねえねえ、いま大丈夫かな!? ちょっと忙しそうだったから話しかけられなかったんだけど、ちょっといい!?」

 

 長い睫毛(まつげ)の下に揺れる蒼い瞳。

 少女のような顔立ちに零れんばかりの親愛の情を込めて、その好意の理由がわからず戸惑う一輝に興奮気味に問いかけた。

 

 「黒鉄一輝くんって君だよね!? 僕、君の大ファンなんだ!!」

 

 

     ◆

 

 

 その翌日、つまり七星剣武祭前日。

 会場の最寄駅から電車で10分強の場所にあるアーケードを潜った商店街に、赤い暖簾を掛けた木造二階建ての古民家がある。

 ただ古いと表現できない威厳を湛えた黒ずんだ木の壁面。そここそが大正時代から歴史を連ねるお好み焼き屋『一番星』だ。

 店内に漂う香ばしいソースの香りは外で嗅ぐよりも何倍も濃く、いやが上にも食欲を刺激する。夕食には早い時間だというのにほぼ全てのテーブル席が埋まり、あちこちから注文を取る声が上がっていた。

 ここが自らの実家でもある男の『日本一のお好み焼き屋』という謳い文句は決して手前味噌ではないらしい。

 つまりその彼、『現』七星剣王諸星(もろぼし)雄大(ゆうだい)の悲鳴は、この店の出す味が確かなものであるという何よりの証明なのである。

 

 「何だよ、お前が奢るって言ったんじゃねえか」

 

 「そうよ。アンタが奢るっていったんじゃない」

 

 「言うたけどもな! 言うたけどもなぁ!!」

 

 多々良が起こした毒殺未遂騒ぎで接点を持った一輝を諸星がこの店に招き、その一輝が折角(せっかく)だからとステラと一真に声をかけたのが運の尽き。

 店の混み具合を見て手伝いに回った諸星が、冗談みたいに積み上げられた空ボウルに死にかけの語彙で叫ぶ。

 大喰らい2人が食欲全開、一切の容赦無し。

 焼き上がってヘラで切り分けられたお好み焼きが排水溝の水みたいな勢いで消えていく。

 

 「もうちょっと手心とかあるやろ!? なぁ!! ワイはお情けも無しにキッチリ取り立てられるんやぞ!!」

 

 「だってマジで美味いんだよ。これ持ち帰れたりしねえの? 刀華達にも食わせてえなァ・・・・・・あ、豚玉もう5つ追加」

 

 「チーズが隠し味になってるわよね? キャベツの甘みや出汁の旨味が全部噛み合ってて、東京で食べたのと全然違うわ。あ、同じのをもう10枚ちょうだい」

 

 「よっしゃ豚玉15追加やぁぁあああ!!!」

 

 ヤケクソが入り始めた諸星の叫びに、『ええぞーやったれー!』『スカンピンにしてまえスカンピンに!!』と調子のいい野次が湧き上がる。

 人と人の距離がとても近い、と一真は思った。

 まるで家族のような距離感と騒がしさにふと『若葉の家』を思い出す。やや郷愁を刺激された彼は、食事の手は止めないままでややしんみりとぼやいた。

 

 「いい空気だ。刀華も来りゃよかったのになァ、勿体ねえ」

 

 「普通ならコンセントレーションを高めるために使う日だからね。多分僕らがズレてるだけだよ・・・・・・まして刀華さんは今年で最後な訳だから」

 

 「イッキこそ大概図太いわよ。七星剣王と食卓を囲んだ方が面白そうなんて理由で来ちゃったんだから」

 

 「だよなァ。けどそれにしちゃァさっきからずっと奥歯に物が挟まったみてえな顔してんだよ。何かあったのか?」

 

 「・・・・・・いや、別に大したことはないんだけど」

 

 「暁学園(アンタのとこ)のアマネって奴に懐かれたのよ。イッキの大ファンなんだって! カズマあいつ何なのよあの目はファンの域超えてたわよ!?ゲイならもう間に合ってるんですけど!!」

 

 「知らねえよ俺を暁のお客様相談窓口にすんの止めろ!・・・・・・でも、それ嬉しい事なんじゃねえの?」

 

 「うん、そうだね。そのはずなんだよ。だから大丈夫・・・・・・きっと気のせいだから」

 

 何だそれ・・・・・・、と言いかけた時、ふと一真の脳裏に少し前の記憶が蘇った。

 何度か覗いた紫乃宮天音の目。

 海のように蒼い瞳の向こうに横たわる光も届かない海底のような暗澹たる闇を、一真は何度か感じ取っている。

 一輝もそれを感じたのではないか。

 あるいは自分への好意すら素直に受け止められなくなるような何かを、闇の向こうに一真が覗いた以上のものを見てしまったのではないか。

 もう少し話を聞こうとした時、ズドン!とテーブルの上に注文の品々が君臨した。恐らくはそう経たない内に胃袋に消えるだろうそれの向こうで、諸星がフンと鼻を鳴らす。

 

 「やめえやめえそんなシケたツラ。何の為にワイがマグロ漁船乗る勢いでお前らに奢っとる思ってんねん。ただのおもてなしな訳あらへんやろ」

 

 「と言いますと?」

 

 「ワイの為に決まっとるやろ」

 

 諸星は切り分けられていたお好み焼きを1つつまみ上げ、噛み砕くように咀嚼する。

 口角を吊り上げたその口元は、笑顔とは獣の威嚇に由来する表情であるという知識を彷彿とさせた。瞳の奥に殺気にすら等しい闘気を滾らせ、諸星は傲然と言い放つ。

 

 「美味いモンたくさん食ったらやる気出るやろ。だから今日はたっぷり英気を養って、これ以上ない絶好調になっとってくれや。────そういう相手をはり倒してこそ、自分の強さの証明にもなるからな」

 

 一輝の産毛が総毛立つ。

 今日ここに来てよかった、彼はつくづくそう思った。

 強敵に強敵と求められる事、武人にとってこれ以上の誉れはない。

 ならばこの()()、断る理由などどこにもない!!

 

 「そういうことでしたら、喜んでごちそうになります。・・・・・・この恩は、ありったけの仇で返させてもらいますよ」

 

 「望むところや」

 

 その光景を「燃えてんなァ」と呑気に眺めていた一真だが、続く諸星の一言にぴくりと反応した。

 諸星はぽりぽりと頭を掻きながら、やや残念そうにぼやく。

 

 「さっき王峰も言いよったが、そういう意味で東堂にも来て欲しかったんやがなあ」

 

 「・・・・・・あァ、そうか。刀華は去年お前に負けたんだったな」

 

 「せや。けどあの女が去年のままでおる訳あらへん。間違いなくワイを攻略する為の策と必殺技を編み出してきとる。いや、実力そのものも間違いなく去年の比じゃないやろ。

 まったく楽しみで敵わんわ。アイツの技をこの身で浴びるのも、ほいでその技をこの手で打ち破るんもな・・・・・・!!」

 

 目に見えてウズウズしている諸星に対して、一真は薄く目を細めた。

 確かにその通りだ。その時の試合の映像は自分も見ていたが、彼女の《稲妻(いなずま)》は明確に諸星の()を攻略するための技だろう。負けた相手へリベンジする意識も、明確に彼女を強くしたに違いはあるまい。

 

 ただし。ただし、だ。

 まるで彼女の研鑽が自分を倒すためのものだという()()()()()だけは、見逃すことなど出来はしない。

 

 「楽しみにしてんのは分かったけどさ」

 

 カァン!!とお好み焼きを断ち切ったヘラが皿にぶつかり甲高い音を立てる。

 怒りや恨みは介在しない。ただ奪い合う対象。諸星雄大は、王峰一真にとって初めての純粋な『敵』になった。

 

 「まァ気を落とすなよ。()()()()()()()()()()

 

 一瞬だけ虚を突かれた諸星だがすぐに思い当たった。

 トーナメント表では東堂刀華は少し離れた所におり、そして自分と彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その事を考えれば、一真の言わんとする事など容易に理解できる。

 思わぬ収穫に凶暴な笑みを浮かべる諸星に、ただただ冷徹な眼差しを向ける一真。

 一瞬にして張り詰めた空気の中、運ばれてきた豚玉を焼きながらステラは隣のイッキにこっそり耳打ちした。

 

 「・・・・・・どうする? 今からでもトーカ先輩呼んであげた方がいいかしら?」

 

 「・・・・・・後で教えてあげよう」

 

 

 

 

 そして翌日、七星剣武祭が開幕。

 第1試合目からの出場となった一真は大歓声に包まれたリングの上、対戦相手を目の前にして、背中まで丸めて大きな大きな溜息を吐いた。

 まるで己の晴れ舞台に泥がかけられたとまで言わんばかりの苛立ちを、そのまま語気に乗せて言い募る。

 

 「あんまり有り得なかったからよお。パーティで見かけちまった時はもう絶対に見間違いだって思おうとしてたんだが、こうなっちゃァもう現実なんだよなァ。

 空いた枠に滑り込んだって話は聞いたんだけど、それでも敢えて聞こうかな」

 

 頭痛を堪えるように額に当てていた手を下ろし、眼前に立つ()()を目線だけで見下ろす。

 ありったけの嫌悪と侮蔑。彼の目が纏う空気は往来のど真ん中に撒き散らされた吐瀉物を見るそれと相違ない。

 余程の覚悟を持っていないと前に立つ気力すらへし折られるような害意を剥き出し、一真は心臓に杭を打ち込むように言葉を突き刺した。

 

 「何でテメェが出てんだ───()()()()()()

 

 

 

 

     ◆

 

 

 『闘争は悪しきことだと人は言う。それは憎しみを芽生えさせるから。平和は素晴らしきことだと人は言う。それは優しさを育むから。

 暴力は罪だと人は言う。それは他人を傷付けるから。協調は善だと人は言う。それは他人を慈しむから。

 良識ある人間ならば、そう考えるのが当然のこと。

 

 しかし、しかしそれでも人は、───()()()()()()

 

 誰よりも強く! 誰よりも雄々しく!

 何人(なんぴと)も寄せ付けない圧倒的な力!

 自分の自己(エゴ)を思うままに突き通す、絶対的な力!

 憧れなかったと誰が言えよう!

 望まなかったとどの口で言えよう!

 この世に生まれ落ち、1度は誰もが思い描く夢───

 いずれはその途方もなさに、誰もが諦める夢───

 

 その夢に、命を懸け挑む若者たちが今年もこの祭典に集った!!!!

 

 北海道『禄存(ろくぞん)学園』

 東北地方『巨門(きょもん)学園』

 北関東『貪狼(どんろう)学園』

 南関東『破軍学園』

 近畿中部地方『武曲学園』

 中国四国地方『廉貞学園』

 九州沖縄地方『文曲(ぶんきょく)学園』

 そして───新生『日本国立暁学園』

 

 日本全国計8校から選び抜かれた精鋭32名!

 いずれも劣らぬ素晴らしき騎士ばかり!

 されど、日本一の学生騎士《七星剣王》になれるのはただ1人!

 ならば───その剣をもって雌雄を決するのが騎士の習わし!

 

 32名の若き高潔なる騎士たちよ。

 時は満ちた! この一時(ひととき)のみは、誰も君たちを咎めはしない!

 思うまま、望むまま、持てる全ての力を尽くして競い合ってくれ!

 

 ではこれより、第62回七星剣武祭を開催します──────ッッッ!!!!』



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57話

     ◆

 

 「初戦から面白い組み合わせじゃない」

 

 前試合の熱覚めやらぬ喧騒の中、ステラが興味深そうに身を乗り出した。

 

 「確かアイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? リベンジを狙ってるならまたとない巡り合わせだわ」

 

 「能力というか手札の相性がかなり悪いから、桐原くんにとってはかなり厳しい戦いになるね。相性差と実力差をどうやって埋めるにしても相当なリスクを背負わなきゃならない。精神論になっちゃうけど彼に最も問われるのは技術や才能じゃなくて、リスクを越える『覚悟』だと思う」

 

 一真と桐原の過去の仔細を詳しくは聞かされていないステラは、壮絶なトラウマを乗り越えてここに来たらしい桐原の姿勢を素直に評価した。加えて桐原の変化を直に思い知っている一輝の注目度も高い。かつて己を嬲りものにした男を、彼はもう敬意ある1人の戦士として認識していた。

 そしてもうじき力を交える2人が現れる石のリングを、刀華は観客席から静かに見下ろしている。

 

 (いきなり因縁のある相手が来たね)

 

 因縁、とはいっても一真からすればそんな大袈裟な認識はあるまい。踏み潰した虫の死骸がまだ靴の裏にくっついていた程度の嫌悪感が精々といったところだろう。

 だが、桐原にとってそうではない。

 しかしその事を口で説明されても一真はきっと理解を示さないだろう。彼にとって桐原静矢は、唾棄すべき愚物の代表格として未だ偶像に近いレベルの地位にある。

 事情を知っている刀華にしても、桐原はまず好意に値する人物とは言い難い。しかし彼が黒鉄一輝との戦いで明確な変化を見せたことだけは認めている。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()。そこに気付かないと、これから先誰かと分かり合うのは厳しいよ。カズくん」

 

 

 ───『えー、先程のBブロック1回戦第4組の試合では、城ヶ崎白夜選手がその実力を見せつけ、見事相手を場外10カウントKOに追い込み勝利しました。流石は去年の準優勝者でしたね。牟呂渡(むろと)プロ』

 

 『ええ。ですがやはり魔導騎士の身としては場外カウントアウトはどうにも収まりが悪いですね。選手たちの安全を守るためのルールとは理解していますが、やはり決着はリングの上でつけて欲しいと思ってしまいますよ。はは』

 

 『なるほど。同じように思っている観客は多いかもしれませんね。その決着は次の試合に期待しましょう!

 さあ皆様、お待たせしました。これよりCブロック第1回戦第1組の選手に入場してもらいましょう!!』───

 

 実況の飯田(いいだ)アナウンサーの声と共に、入場ゲートの柵が引き上げられる。

 そして、そこからCブロック第1組の選手が入場してきた。

 

 『まず赤ゲートから姿を見せたのは、前大会から続けて代表生徒の座を勝ち取りました! 破軍学園2年、桐原静矢選手だァ!

 相手に一切気取らせない脅威の隠密(ステルス)能力

狩人の森(エリア・インビジブル)》で昨年の優勝候補の1人をワンサイドゲームで打ち破った冷徹な狩人、しかしここに至るまでの道のりは()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その精神的外傷により一時期は生活すらままならなくなった時期もあると言います。

 だが────彼は再び立ち上がった! 挫折を乗り越え、新たな力を手にもう1度この舞台に挑んだ!!

 《深森の狩人(ロビンフッド)》桐原静矢、いまリングに上がりましたァっ!!』

 

 前に見た時と変わらないはずのリング。かつて己のフィールドとすら言えた100メートル四方のこの空間は、今は随分と狭く感じる。

 去年なら存分に悦に入っていた歓声が湧き上がる中、桐原はただ静かに対面のゲートを睨んでいた。

 

 『おっと!? 桐原選手、この歓声の中でも一切表情を崩しません! 自信の笑みを浮かべていた去年とは明確な変化が見られます!! これも乗り越えた挫折がもたらしたものなのか!?』

 

 『それも大きいでしょうが、1番の理由は対戦相手でしょうね』

 

 『と、言いますと!?』

 

 『飯田さんの言う凄惨な敗北。それを与えたのが他ならない、桐原選手の対戦相手なんですよ。つまりこの一戦は桐原選手にとって、あるいは七星剣王に至る第一歩以上の意味を持っているのではないでしょうか。

 しかし己を完膚なきまでに打ちのめした相手に対するこの姿勢は、今までの「勝てる相手から無理せず勝つ」という彼のスタンスとは明確に異なります。

 学内で行われた選抜戦で新たな力に目覚めた事といい、桐原選手の中で何か大きな転換があったと考えられるでしょう』

 

 『なるほど。これは桐原選手の戦いぶりに大きな期待がかかります!

 そして、───そんな彼の初戦の相手が、今入場してきました!』

 

 実況の言葉に、大観衆の視線が青ゲートに集まる。

 その注目の中を悠然と彼は歩いてきた。

 天を摩するような体躯で、まるでリングが縮んだかのような存在感と共に。

 

 『その(おお)きさ! その強さ! 1度でも見れば忘れない!! 全騎士学園を相手取ったあの大会、全ての敵を最初の一撃で葬ったあの戦いぶりは記憶に新しいでしょう!

 攻めれば爆撃、守れば要塞! 無慈悲なまでの《踏破》の力は彼を《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》と呼ばしめた!!

 並み居る強敵何するものぞ、王の御前だ頭が高い!!

 暁学園1年・王峰一真選手!! 堂々のリングインだァァっ!!!』

 

 どおっ!!と観客のボルテージが跳ね上がる。

 突如として表舞台に浮上してきた無名の強者がどれだけこの大会で暴れてくれるのか全員が期待しているのだ。

 一真はそんな熱狂などどこ吹く風で、実況の言った言葉に舌打ちをしていた。

 

 「決闘ねえ。随分といいように改編されてんなァ。前時代のクソ共の涙ぐましい努力の賜物ってか?」

 

 彼の目には闘志も何もない。

 完全に萎えきっている。皆が血と肉を沸き立たせている中でどうして自分だけゴミ掃除をせねばならないのかと、一真は対象に何の価値も認めていない失意すら滲む眼差しで桐原を見下ろしていた。

 

 「───葉暮さんが気の毒でならねえよ。自分から辞退しちまったとはいえ、その枠に収まったのがテメェみてえなカスなんてよぉ」

 

 『では! これより七星剣武祭、Cブロック第1組! 桐原静矢選手 対 王峰一真選手の試合を開始いたしますッ!試合開始(LET's GO AHEAD)─────!!!!』

 

 

 

 物理的な破壊はない。ただ『相手に劣を押し付け強引に相手の上をいく』という能力の本質のみが一真を中心に爆発する。

 《暴圧(ウィレス)》。

 お前とは戦う気すら無いという断崖絶壁のような拒絶が、暴風のように吹き荒んだ。

 

 周囲に控えていた幾人もの伐刀者(ブレイザー)が咄嗟に何重もの防御網を貼る。破壊力は無いにせよ踏み破る性質は健在、一真の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は防壁を形作る魔力を軋ませた。

 並の伐刀者(ブレイザー)なら心折られて崩れ落ちるか恐怖に呑まれ石像になるかの2択。

 果たして桐原の末路はどちらか。

 結論としては、どちらでもなかった。

 

 一真はその場から微動だにしていない。

 しかし桐原は明確に行動を起こしていた。

 放たれた矢は傷一つ付けられずに終わった。しかし確かに頬に感じる衝撃の名残に、一真がやや驚いたように目を少しだけ見開いた。

 

 「・・・・・・諦めた奴と、並べて語るなよ」

 

 心が竦む。膝が笑う。

 叩き付けられた圧力に開かれた心の傷が、その時の恐怖と絶望を血液のように吐き出していく。

 折れそうな膝で必死に支える身体は脂汗に(まみ)れていた。

 涼しい顔して宣戦布告なんてスマートな願望などとうに捨てている。

 情けなくとも泥臭くとも、ただ一歩でも前へ、前へ。

 己の誇りはその先にしかない事を、彼は理解しているから。

 

 「ボクはここで、────お前を乗り越えるためにここに来たんだ!!!」

 

 叫び、もう1度《朧月(おぼろづき)》に矢を(つが)えた。

 引き絞られた魂の鏃は、確かに越えるべき壁に鋒を向ける。

 かつて彼が持っていたもの全てを粉々に踏み砕いた男は、ただ面倒臭そうに目を細めた。

 

 

     ◆

 

 

 ゴッッッ!!!と前方が爆砕した。

 その正体はローキック。振るわれた脚が目の前の空間を破壊し、撒き散らされた衝撃波がリングを削る。余波で発生した爆風はリングを中央から端まで舐め上げ、爪先の延長線上の地面はスプーンで抉られたような三日月型に深々と捲り上げられていた。

 探り合いなどの積み重ね全てをすっ飛ばして叩きつけられた凄まじい破壊力に、実況も思わず目を向いた。

 

 『か、開幕から強烈なインパクト! 初手で終わらせようという意思がこれでもかと伝わってきます! 桐原選手は大丈夫なのか!?』

 

 『この問答無用の制圧力こそ彼の強みですね。生半可な力量ではそもそも前に立つ事すら許されない、牽制も含む全ての攻撃が必殺となり得ます。そして初手からの範囲攻撃は桐原選手にとってほぼ対処のしようがない鬼札なのですが、─────上を見てください。

 どうやら今年はその限りではないようです』

 

 解説に促され上を見上げて、観客があっと声を上げる。

 ()()()()()()()()()()()

 ダメージを負う危険な範囲から全力で跳び逃げると同時に、発生した爆風に乗って浮かび上がったのだろう。大きなタンポポの種に捕まった彼はふわふわと空中を漂っている。

 直後、ボッッ!!!と空にいる桐原が消し飛んだ。

 無言のままに放たれた《乱逆の軍刀(プラエトリアニ)》に貫かれたのだが、当然のようにそれは幻。桐原の幻影が血の一滴も溢れず霧のように消えると同時、大地が揺れる。

 一真の周囲からうねるように樹木が飛び出し、石のリングを土が覆う。

 

 『出たぁぁああっ!! 存在を秘匿する能力の予想外の開花!その場一帯を自分の支配する領域(フィールド)に変化させる大技!! 桐原選手、王峰選手を森の中に呑み込んだぁ!』

 

 『相性の悪いAランク騎士を相手にする以上、まず最低限達成しなければならない段階かと。これを維持できてやっと状況は不利程度、後は桐原選手自身の引き出しにかかっているでしょう』

 

 プロの視点からの解説は厳しい。

 しかし能力の相性さえ良ければ充分にジャイアントキリングを実現してみせるのが彼だ。

 対人戦において最強───《夜叉姫》西京寧音にすらそう断言せしめるその能力の、さらに次の段階。

 森の中に呑まれた一真の耳に、能力の効果で聞こえてくる距離も方向もぐちゃぐちゃになった桐原の声が届く。

 その森は戦うための舞台ではない。狩人が獲物を一方的に屠るだけの狩場。

 新たに手中に収めた刃の名前を、桐原は突きつけるように口にした。

 

 

 「《屠殺の庭園(スローターズ・ガーデン)》」

 

 

 ズダダダダダダ!!!!と猛烈な勢いで地面が穿たれる。

 幾人にも分身した桐原やあちこちに開いた木の(うろ)、四方八方から魔力の矢がガトリングのような密度と連射速度で一真に殺到した。鏃の弾幕に蹴立てられた土埃が獲物の惨状を覆い隠すように着弾地点に立ち込めていく。

 本体はどこにいるのかは誰にもわからない。分身の中に紛れているのか透明になって攻撃しているのか、あるいは自分は攻撃せずどこかに身を潜めているのか。

 何も分からず予測を絞ることも出来ず、少しでも思考を挟めばその隙に蜂の巣にされる。見えざる敵を捕らえる方法を考える時間を貰えないという問題を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「どうせあの辺だろ面倒臭え」

 

 砲撃のような爆音と共に、鬱蒼とした枝葉の天蓋に巨大な風穴が空いた。

 一真が天を蹴ったのだ。

 火山のように打ち上がった破壊力が大気を鳴動させ、範囲内にいた樹木や桐原たちを消し飛ばす。当然のように全て偽物だった。枝葉が伸び空いた風穴は即座に塞がれ、矢の豪雨は絶えず降り注ぐ。

 それに構わずもう1発、もう2発、3発。

 その度に桐原の森は大きな破壊と再生を繰り返す。

 ごろごろっ、とバレーボールサイズの木の実が5・6個ほど一真の足元に転がってきた。そして爆発。派手な炸裂音を上げて木の実の数ぶんの衝撃が彼を呑み込んだ。

 

 『桐原選手の攻撃が止まない! 掠るだけでも致命的と理解させられる衝撃波の活火山の只中にあって、(なお)も《屠殺の庭園(スローターズ・ガーデン)》は消えません!!

 この猛攻を掻い潜る隠密性能、まさに

深森の狩人(ロビンフッド)》の本領発揮といったところか!?』

 

 『とはいえあの規模の攻撃を連発されるとただ隠れているのは不可能です。居場所を特定されないのは大きいとはいえ、回避にはかなり神経を削られているでしょう。

 そして何より────王峰選手を見てみて下さい』

 

 『? こっ、これは・・・・・・・・・!!』

 

 一方的に攻撃を受け続けていた一真を見た観客たちが息を呑む。

 夥しい数の矢と爆弾を一身に受けて、()()()()()()()()()()()()()()()。桐原の全力だろう猛攻を微風(そよかぜ)のように受け止めながら、顔の所にまで昇ってきた土煙を煙たそうに吹き飛ばしている。

 

 『さっき飯田さんが言った攻めれば爆撃、守れば要塞という表現。1つ付け加えるならば王峰選手は、()()()()()()()()()()()()()

 守りに気を割かず好き放題に攻めっ気を出せるし、ただ立っているだけでも相手が勝手に消耗する。そして一度(ひとたび)防御を意識すれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 偏った物言いになってしまいますが、・・・・・・桐原選手の勝利への道は、恐ろしく険しいかと』

 

 

 (当たんねえな)

 

 遠くの方にあった1番背の高い樹を破壊しつつ一真は思案する。

 完璧に姿を隠す能力があるとはいえあの怯え様なら離れた所に陣取っていると思っていたが、どうやら自分は見当違いをしているようだ。

 それにさっきから森を破壊しまくっているのだが、破壊した樹木は4割ほどが幻影。

 しかし攻撃の密度は一輝と戦った時に見せたそれ以上。自分の手足であり砲台でもあるそれを生み出す魔力を削減し、その分を攻撃に厚く用いているようだ。

 桐原自身がどこに潜んでいるかは知らないが、勢い任せの捨て鉢ではない。彼の一連の行動には、明確な意図がある。

 ─────戦う気だってのはマジらしい。

 それだけは察した一真は、薄く目を研いだ。

 

 「潰してやんよ。何時(いつ)ぞやみてえに」

 

 それは明確な殺意のトリガー。

 《プリンケプス》が、紫白の炎を噴き上げた。

 

 

 

 



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58話

 一真が思い切り足を振るい、破壊が解き放たれる。

 《覇者の威風(ラービナ・ニウィス)》。

 扇状に前方を舐め上げる紫白の津波が、桐原が生み出した森の4分の1を一息に消し飛ばした。

 しかしそれで終わりではない。

 立て続けにもう1発、2発、3発。横殴りの瀑布が四方八方に撒き散らされ、とうとう目に映る『立っているもの』全てが平らに均される。砕かれた樹木の破片が雨の様に降り注いだ。

 

 『あぁっと!? リング全てを覆うような大技の連発、桐原選手の「森」が完全に丸裸にされてしまいました! これは桐原選手も万事休すか!?』

 

 『いや、新たに木々が生成されていくのを見るに桐原選手には命中していなかったようです。しかしあのレベルの範囲攻撃を連発されては回避で手一杯でしょうし、《屠殺の庭園(スローターズ・ガーデン)》の維持による魔力消費はかなり大きい。まして王峰選手はノーダメージ、絶望的な戦況はまだ終わりそうにはありませんよ』

 

 矢の束が降り注いだ。

 ひょろりと高く伸びたいくつかの蔦の先端にくっついた果実が爆裂し、中に詰まっていた大量の矢が一気に叩き付けられたのだ。

 蜂の巣どころか挽肉になるような密度だが相変わらず一真は無傷。上を見上げれば木の根と蔓で強化された弓に巨大な矢を番える桐原がいた。

 あの技、確か《樹影穿空衝(ヴォーパルハイド)》と言ったか。流石にあれは『素』で受けるのは厳しい。一真は魔力防御の強度を上げようとして、

 

 「・・・・・・《迫害の礫(エキスプルシオ)》」

 

 少し考えて、防御ではなく攻撃で押し返す事を選んだ。

 ドゴン!!と砲撃のように上空に蹴り上げられた高密度の魔力の珠は、放たれた矢とその向こうにいる桐原を()()()と貫通した。

 

 (やっぱ幻か)

 

 桐原の策が見えてきた。

 ここまでの桐原の行動の目的は、自分の魔力を浪費させる事にあるのだ。

 森を形作る樹木のおよそ半数を虚像で誤魔化しているのは魔力の節約のため。節約した魔力を回した高密度の攻撃や虚像による攻撃のフェイクはその対応に魔力を使わせるため。

 無意識に展開される魔力障壁さえ鉄壁なら、ガス欠に持ち込んで貫いてやろうという魂胆だろう。

 そもそも桐原の姿が見えたとてそこに本当に彼がいるという事はありえないのだが、その心理を突いた奇襲も考え得る。

 確かによく頭を使った作戦だ。

 そこいらの格上程度なら容易に型に嵌める事も出来たに違いない。

 そう───相手が王峰一真(Aランク)でさえなければ。

 

 「随分と浅く見積もったなァ」

 

 局地的な嵐が発生した。

 奇襲のみならずもはや幻と分かりきっている攻撃にも、一真は律儀に攻撃を以って迎撃する。

 それは相手の策に自ら乗った上で相手を叩き潰す、自分の方が圧倒的に上である事を知らしめるための横綱相撲に他ならない。炎でも水でも技術でもない、彼が猛らせるそれは形容するならばただ『破壊』。幻影も実像も知らぬと荒れ狂う現象の顎は、一真を中心に全てを巻き込んだ。

 これは潜伏していた桐原静矢も────

 

 (巻き込まれてりゃそれで終いだが、もし生き延びてるとしたら)

 

 徹底的に破壊され音を立てる間もなく消えていく桐原の領域を眺めながら一真は考える。

 

 (あの時の戦いからして、この森はそう長い間持続させられるもんじゃねえ。ましてここまでぶっ壊して修繕させ続けたんだ、魔力が枯れるタイムリミットは当然前倒しになる)

 

 そうなれば桐原に勝ちの目はゼロだ。魔力が尽きる前に決着を付けなければならない。

 陽動に次ぐ陽動に追われ障壁を維持できないほど魔力を消費した自分に渾身の一撃を叩き込む。それが桐原が取り得る唯一の戦略にして、唯一の勝ち筋である。

 一真の魔力が底を突いていれば、の話だが。

 

 (俺の魔力がまだ有り余ってるのは見りゃわかるだろう。けど勝負に出るしかねえよなァ。出来る事がそれしかねえんだから)

 

 ゆるりと後ろを振り向く。

 そこにやはり桐原はいた。必死の表情で弓に矢を番えている。

 今ある全ての魔力を総動員しているのだろう、生み出された矢の大きさと密度はなるほど最後の一撃に相応しい。

 あるいはこれも幻で、本体はどこかに潜伏して別方向から狙っている可能性も高いだろうが・・・・・・しかし関係のない話だ。

 日頃無意識に纏っている魔力障壁に、さらに魔力を注ぎ込む。

 それだけで終わる。

 攻撃は届かず、後にはガス欠の桐原だけが残る。

 それで終わり。

 ()()()()()も、これでようやく片付く。

 

 「無駄な時間使っちまったなァ───」

 

 一真が無感動にそうぼやいた。

 

 その直後。

 ───激甚な衝撃が、彼の延髄を撃ち抜いた。

 

 

 

 魔力による障壁は全てを阻んでいる訳ではない。

 本当に全てを弾くのなら、まず無意識に展開している障壁のせいでまともに物も持てないし、呼吸すら(まま)ならなくなってしまう。戦闘時やそうでない時でも、伐刀者(ブレイザー)は魔力防御によって弾くものを無意識下で取捨選択を行っている。

 桐原が魔力の防壁を張られているにも関わらず背後から一真の首に鏃を触れさせる事が出来たのはそういう理由だ。己に対する認識の全てを隠匿した彼を、一真の無意識は拒むべき脅威と認識できなかったのだ。

 いや。だとしても、そもそも一真の範囲攻撃の嵐を桐原はどうやって回避していたのかという疑問は残るだろう。

 

 簡単だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 100メートル四方のリングを蹂躙する一真の範囲攻撃も、その砲台は彼の脚。限りなく接近してしまえば攻撃範囲は普通の蹴りと変わらない。

 まして彼の体躯だと脚を振るったその足元には、人間ひとりが楽に潜り込むだけの空白が生じてしまうのだ。

 桁外れの長身故に生じた死角。

 そこに地べたに伏せて潜り込み、桐原は虎視眈々と狙っていた。

 

 ───全方位を一辺に爆破するという『最適解』は取らない。それを考えつく位にも奴は頭を回さない。

 ここまで下に見ている相手に、奴が真面目に戦う事などない。

 それでも楽に勝てる位の実力があるから。

 それでも自分の策を見破ってくるだけの地頭があるから。

 ─────だけど、お前には予想もつくまい。

 痛いのは嫌だと懇願した自分が、痛みに1番近い場所に息を潜めているなんて。

 

 陽動に陽動を重ねての本命の一撃。

 一真は確かに桐原の策を見破っていた。

 

 だけどこの瞬間だけは、一真の思考や行動まで読み切った桐原が上回った。

 

 触れてしまえば魔力の障壁なんてほぼ関係ない。

 射程なんていらない。ただ5センチ程度撃ち抜ければそれでいい。

 ただ一ヶ所、敵の急所を全力で破壊する。

 

 「相手を読むなんて黒鉄の真似みたいな事、したくはなかったんだけどね───!!」

 

 《楔火鉄砕弾(バーストピアス)》。

 全てを一点の破壊に特化した一撃が、一真の延髄にゼロ距離で爆裂した。

 後頭部にバットを振り抜かれたようにつんのめる一真。その首の後ろからは桐原が撃発した矢が確かに突き刺さっている。

 ここまで無傷を貫いてきた彼の何一つ前兆の読めない致命的な被弾に、実況も一瞬言葉を失った。

 全員が目を奪われていた。

 圧倒的強者に対して彼が決めてのけた奇襲の、あまりの鮮やかさに。

 撃発の後に消え失せた音。傾く巨体。

 無駄を削ぎ落とした狩人の仕事に、観衆の全てが大物喰らい(ジャイアントキリング)の大歓声を上げようとした。

 

 その、瞬間。

 

 ズンッッッ!!!と、沸騰しかけた昂揚が、物理的な圧力によって踏み潰された。

 一真が地面を踏みつけて倒れる事を拒絶したのだ。

 首には未だ桐原の矢が突き刺さっている。でも倒れない。

 ───首をやられたら死ねよ。

 桐原の顔が引き攣る。

 まず生命としての規範を逸脱している目の前の光景は、彼にとっては悪夢と見紛うような現実だった。

 

 「あー。うん。ちょっと舐め切ってたわ」

 

 そうぼやきながら一真は彼は諦めたような息を吐いた。

 その声色には致命的な急所を貫かれた痛みはおろか、動揺の欠片も含まれていない。たださっきまでやる気も無く脱力しきっていたはずの言葉には、明確な芯が通っている。

 

 「分かった、もういい。認めるよ。いつぞや俺が潰した虫は、とっくの前に死んでたらしい」

 

 だがな、それでも言うぞ、と。

 ゆらりと身体を起こした一真が、首に刺さった矢を握り、引き抜く。魔力を込めた手で引き抜いた矢をそのまま握り砕きながら、彼は首を回し目線だけで桐原を射抜く。

 全てが始まったあの日から1年と少し。

 王峰一真は、初めて桐原を向き合うべき相手としてその眼中に収めた。

 

 

 「今まで(ぬる)くやってきた奴が、多少頭を回したところで────俺に勝てると思ったか?」

 

 

 一真の全身から紫白の魔力が噴き上がると同時、桐原が戦慄と共に姿を消す。

 敵が完全に戦闘態勢に入った。もはや今までの足元に潜み続ける手は通じないだろう。それでもまだ諦める訳にはいかない。少しでも可能性を見出すために、桐原は完全に逃げに徹する。

 だが、またも理解できない事が起きた。

 一真が爪先で床を叩いた直後、どこにいるかわからないはずの自分に向けて真っ直ぐに走ってきたのだ。

 予想外の展開に泡を食ってジグザグに飛んだり方向転換を繰り返して追跡を撒こうとする桐原だが、どうしてだか一真は離れない。音も姿もないはずの桐原の動きを、彼は完全に捕捉していた。

 何故もどうしても考えられない。

 ただ1つ明らかなのはもう自分は逃げられず、ただやられるのを待つのみだと言うこと───

 

 ・・・・・・逃げられない? やられる?

 心を侵食してくる怖気に、ギリ、と桐原は歯軋りをした。

 空いた席に滑り込んでまで自分がここに来たのは、怯えて逃げる為じゃない。やられるために来たんじゃない。

 離れない過去の傷跡を、───乗り越える為にここに来た!!

 

 「おおおおおおおおっっっ!!!」

 

 叫び、再び矢を番える。

 作戦の不発で逆に魔力が尽きかけた彼が撃てる最後の1発は、伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですらないただの矢だ。

 そこに乗せた想いと覚悟はきっと、これから桐原を打ちのめす一撃に込められたそれよりももっとずっと重たかっただろう。

 しかしそれは背中を押してくれるとしても、逆転の切り札になってはくれない。

 隔絶した力の差を前に、現実は淡々と非情だった。

 

 「・・・・・・強いなあ、畜生」

 

 

 一撃。

 放たれた矢を叩き壊した脚鎧(ブーツ)の靴底が、そのまま桐原の胸の中央に叩き込まれた。

 胸骨と肋骨が完全に粉砕し、胸郭が足の形に大きく窪む。

 大量の血を間欠泉のように吐き出しながら、桐原は観客席の壁に叩き付けられた。

 力無く地面に崩れ落ち、ごぼごぼと血を垂れ流す彼がテンカウント以内に起き上がる可能性など誰が見ても明らか。

 一刻も早くiP S再生槽(カプセル)に運ばねば生存が危うい。そう即断した審判が頭上で大きなバツを作る。

 

 『試合終了ォォォッ!! 勝者・王峰一真選手ですっ! 桐原選手の奇襲を受け、首を撃たれてもなお余裕の勝利! この頑強さ、よもや不死身だとでも言うのでしょうか!?』

 

 『あの奇襲は見事でしたが、王峰選手の危機察知能力が凄まじかったですね。桐原選手の狙いを知るや、王峰選手は狙われた場所に一気に魔力を集中させたんです。

 それによって桐原選手の矢は延髄を破壊するには至らず、筋肉の層に食い込んだ所で止められた。

 とはいえあの威力の攻撃をゼロ距離で食らってなお皮しか貫かせないのは、流石の能力と魔力量と言う他ありません』

 

 『なるほど、王峰選手の戦士の勘が相手の策を上回る格好になったと! 姿が見えないはずの桐原選手を的確に追い詰めたのも王峰選手の洞察力によるものでしょうか!?』

 

 『いえ、《狩人の森(エリア・インビジブル)》は普通、洞察力でどうこうできるものではありません。恐らく王峰選手は探知系の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を持っていたのでしょう。

 そうなると何故最初から使わなかったのか疑問が残りますが・・・・・・あるいは、彼は測っていたのかもしれませんね。自分にリベンジを挑む相手が、それに足る力を着けているのかどうかを』

 

 『惜しくも下剋上は成りませんでしたが、最後まで意地を見せてくれました! 全力で挑んだ桐原選手に見事迎え撃った王峰選手、両者共に己の在り方をまざまざと(あらわ)す素晴らしい戦いぶりと言えるでしょう!!』

 

 賞賛の歓声に包まれる湾岸ドーム。

 担架で運ばれていく瀕死の桐原に彼らの声は聞こえていない。

 皆が口々に叫び、讃えていた。

 自分のトラウマにまでなった相手に本気で勝とうとした桐原と、それを正面から堂々と受け止めてみせた一真を。

 一真は首の後ろに手をやり、矢に穿たれた傷に触れる。

 ぬるりと生暖かい血液がべっとりと手のひらに纏わりついた。その確かに与えられた傷の証をしばし眺め、桐原が運ばれていったゲートを見遣る。

 自分が(かす)と嘲った相手は、確かに己の意思と主張を自分に刻み込んできた。

 傷と痛みという、説得力としてこの上ない形で

 

 「・・・・・・ダッセえ・・・・・・・・・」

 

 顔を覆い、呻く。

 観客の賞賛に包まれながら、王峰一真はただただ己に対する後悔と羞恥に震えていた。



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59話

 【ここまでの粗筋】

 彼を知る者曰く『身内贔屓』。
 己が不義と断じた者には力による排除すら辞さないAランク伐刀者(ブレイザー)・王峰一真は、友人である黒鉄一輝や東堂刀華と学生騎士の頂点を決める《七星剣武祭》で戦う約束を交わし、代表選手の選抜戦に望んでいた。

 しかし家を出奔した落ちこぼれである一輝の進む道を断とうとする彼の出身である名家『黒鉄』の家により、彼は卑劣な工作を受け囚われの身となった。
 彼の意思と周囲への影響を考え1度は我慢する姿勢を見せた一真だが、自分まで加担させようとした家に我慢の限界を超えた彼は黒鉄の家を当主ごと粛清。
 その後、国を乱した責任を取るという名目で月影獏牙総理の計画に参加し、日本の《連盟》脱退を叶えるべく破軍学園を抜け『国立・暁学園』に移籍した。

 そして始まった《七星剣武祭》本戦、一真の初戦の相手はかつて制裁を加えた破軍学園2年・桐原静矢。
 あからさまにモチベーションを下げる彼に一矢報いてみせるも桐原はあえなく敗北、無事に1回戦を突破した一真だが・・・・・・




 ウマ娘の方を楽しさに任せて書き続けてたらめっちゃ放置してました。
 こっちの話を覚えてくれてる人いるのかな。
 とはいえウマ娘の方もあまり設定を知らないって人も読めるようになってると思うし、かなり自信作なのでぜひ読んでみて下さい。


 目を覚ます。

 ぼやける意識が徐々に浮上していき、ここが病室のベッドである事に気付いた。

 置いてある時計が指し示す日時は・・・・・・最後の記憶から1日ほど進んでいた。

 iP S再生槽(カプセル)の全身麻酔による影響だろう。薬が完全には抜けきっていないのか、まだ少し頭に霞がかかっているように感じる。

 ベッドから身体を起こして記憶の糸を手繰る。思い起こすのは最後の時、己の意地が潰えた瞬間。

 胸の中央に指先で触れる。完璧に治癒を終えたそこには傷口の跡も残っていない。その奥にある内臓でさえも元通りになっているのだろう。

 しかしそこには、確かに忘れ難く残っている。

 胸にめり込む、あの鉄靴の感触が─────

 

 「あっ・・・・・・お、起きましたか・・・・・・?」

 

 ベッドの横から声が聞こえた。

 そちらを見ればベッドの横にはおさげに編んだ黒髪が唯一の洒落っ気というような、地味な見た目の眼鏡の少女が傍らの椅子に腰掛けていた。

 いつからそこに座っていたのかは分からない。だが自分がここに寝かされたからずっとそこにいたんだろうな、と思う。

 荒れに荒れていた去年から、自分がどれだけ突っぱねても去っていこうとはしなかった彼女なら。

 

 「まだ身体は痛みますか? あ、そ、そうだ、看護師さんを呼んで・・・・・・あっ!?」

 

 彼女の言葉を待たずして、桐原静矢は姿を消した。

 存在を隠す能力を使ったのだと理解しても見つけられようはずもない。ベッドから降りてわたわたと周囲を見回す彼女の横を通り過ぎ、そのまま病室の外へと出て行く。

 今だけは、彼女の顔を見れなかった。

 

 

     ◆

 

 

 どこかへ行こうと思っていた訳ではない。

 あてどなく彷徨い歩いた果てで辿り着いたのがここだった。

 周囲に人の気配のないバス停のベンチに座り項垂れる桐原を、夜に灯る街灯がスポットライトのように照らしている。

 日本最大の祭典に眠ることを知らない人々の喧騒が遠くから聞こえてくる。賑やかな活気に満ちた街中とメインストリートから外れたこのバス停は、まるで世界が切り離されたようだった。

 何も考えられずにどうやってここに行き着いたかは覚えていないが、よりにもよってバス停に腰を下ろした自分に皮肉めいた思いが浮かぶ。

 ────ここから逃げようとしてるのか、ボクは。

 思わず乾いた笑いが漏れる。

 策も力も、死力でさえも、自分の全てを叩きつけても届かなかった。逆に全力で挑む事で明らかになってしまった、隔絶した彼我の実力差。

 ・・・・・・・・・無駄なんじゃないか。

 自分の心がそう囁いてくる。

 どれだけ頑張っても届く訳がない。だったらこんな思いをするだけ無駄だったんじゃないか。

 だったらもう、立ち上がろうとする意味なんて・・・・・・─────

 

 「ここに・・・・・・、いたん、ですね」

 

 そんな声が聞こえた。

 顔を上げると、そこには桐原の目覚めをベッドの側で待っていた少女がいた。

 上下する肩に荒い息遣い、汗で肌に張り付いた髪。

 ずっと桐原を探していたのだ。桐原が病室から消えてから今まで、何時間も歩き回って。

 (くずお)れた自分とは真逆の余りにも真っ直ぐなその姿に、桐原は彼女からまた目を逸らした。

 

 「・・・・・・何でこんな所にいるんだ。汗まみれで」

 

 「桐原くんが辛そうな顔をしてました」

 

 「それで今までずっと探し回ってたのか」

 

 「はい。あのままだとどこかに行っちゃいそうだったので」

 

 ボクを幼児か何かかと思ってるのか。そんな言葉を喉元で止めた。

 よっぽど言い返してやろうかと思ったが、実際にこうしてバス停にいるのだから情けない話である。

 こうして見つかるかどうか分からない自分を汚れに汚れて探し続けていた彼女に比べて、そうして見つけられた今の自分の何と不甲斐ないことか。

 ・・・・・・全てを話そう。

 桐原はそう決めた。

 例え情けない告白だったとしても、彼女を前にこれ以上の惨めを晒したくはなかった。

 

 「・・・・・・勝ちたかった」

 

 ぽつり、と。

 日の光に苦しむ亡者のような面持ちで、桐原は重々しく口を開く。

 

 「今度こそ勝って、あのとき踏み潰された自分の尊厳を取り戻したかった。自分の誇りを取り戻したかったんだ。みっともなくても、齧り付いてでもアイツを倒して─────」

 

 ─────君がくれた声に応えたかった。

 そう結ぼうとした口は動いてくれなかった。

 ああまで一方的な負け方をしておいて、そんな格好つけたようなセリフはどうしても言えなかったのだ。

 まだ見栄を張るのか。これ以上の無様はないのに。負のループに陥りさらに桐原が頭を垂れた時。

 

 「みっともなくなんか、なかったです」

 

 思わず頭を上げた。

 力を孕んだその語気が彼女のものであると一瞬分からなかったからだ。

 きっと声を張り上げる事に慣れていないのだろう、まして人を怒鳴るなんて初めてなのだろう。

 座り込む自分を見下ろす彼女の瞳は、塩水を湛えて震えていた。

 

 「桐原くんは立ち向かった!! 怖くて怖くて仕方なかった人に、一歩も退かずに戦った! 最後まで諦めてなかった!! あの戦いを見て桐原くんをみっともないと思った人なんて誰もいない!!」

 

 今まで彼女からは聞いたこともないような大声が、静まり返ったバス停に響く。

 桐原はそれを呆気に取られて聞いてきた。

 いつも気弱そうにしている彼女がここまで感情を爆発させる様を想像すら出来ていなかったのだ。

 

 「だからそんな顔をしないで、前を向いてください。私が桐原くんを好きになったのは、優雅に格好良く勝つからじゃありません。

 周りに何を言われても確実な勝利を求めようとする、その泥臭さが好きになったんです!!!」

 

 だから─────、と。

 閉ざした扉を力で蹴り破られて無防備になった桐原の心に、彼女の叫びが直接突き刺さる。

 かつての自分の姿に囚われ自ら「みっともない」と言い表した己の様を、彼女は真正面から肯定した。

 

 

 「私が好きになった人の事を! 他でもないあなたがみっともないと貶すのはやめてください!!」

 

 

 「・・・・・・ああ、分かったよ」

 

 そう言って桐原はベンチから立ち上がり、そして目の前に立つ彼女を強く強く抱き締める。

 目を白黒させる彼女が苦しそうな声を上げても関係ない。腹の底から湧き出る熱を今吐き出すにはこれしかない。

 火を点けた責任は取れと言わんばかりに腕に力を込め、手負いの獣は咆哮を上げた。

 

 「またあそこまで堕ちてたまるか。今になって諦めてたまるか! いつかアイツに勝つまで、そしてアイツに勝っても!! ボクは格好良いボクであり続けてやる!!!」

 

 熱気から離れた片隅で、奮起の敗者が気炎を揚げる。

 夜空に響いたその宣誓を遠くに聞いた通行人や近隣の住人は首を傾げるだけで、深い意味を考えることはないだろう。しかしそれはある意味において、隠れ抜いて戦ってきた彼らしいとも言えるかもしれない。

 静かな夜に杖を握り締め、満身創痍の狩人は三度立ち上がった。

 

 

     ◆

 

 

 「呆れたわね」

 

 今までで1番他人を馬鹿だと思った瞬間は?

 そう問われたとしたらステラ・ヴァーミリオンは間違いなくさっき見た光景を挙げる。

 己がリベンジすると誓った者の醜態に、ステラは心からの悪態と辛辣な批評を吐き出した。

 

 「終わってみれば最初から本気でやればすぐに終わる戦いだったじゃない。相手の覚悟を読み間違っただけならまだしも、リベンジに来た相手を侮って手傷を負うなんて間抜け過ぎるわ」

 

 「間抜けとまでは言わないけど、正直それには同意かな。心技体とはよく言うけれど、心が綻ぶとああなるいい例だと思う。

 ・・・・・・とはいえ普通の伐刀者(ブレイザー)ならあれで圧殺できるんだよね。自分の能力に対する理解とカズマの()()()()()まで読み切った桐原くんが上手(うわて)だったのは間違いないよ」

 

 ステラの言う事も(もっと)もだが、とはいえ一輝の言う通り一真の油断が全てを占めている訳ではない。

 相手の油断を突くといっても、相手は要塞の防御の王峰一真。その手法含めてあれは桐原でなければ不可能な作戦だったのだ。

 ・・・・・・だが実力差や相性を鑑みれば失態は失態。

 しかしそれは彼自身が1番身に染みているだろう。

 だから自分は何も言わない。彼の自省に任せる。

 苦い顔のまま彼が退場したゲートを見ながら、東堂刀華は溜め息と共に独りごちた。

 

 「反省しなさい。って感じかな」

 

 『それでは続いてCブロック第2組の選手の入場です! 赤ゲートから現れたのはこの男! 前年の《七星剣武祭》覇者、諸星雄大選手──────!!!』

 

 

     ◆

 

 

 『試合終了──────っ!! やはり《七星剣王》は強かった! まったく危なげない勝利!! 浪速の星が対戦相手を見事食らい尽くしました!!!』

 

 諸星が出た第2組の試合は圧巻の一言だった。

 魔力を消滅させ無効化する諸星の伐刀絶技(ノウブルアーツ)暴喰(タイガーバイト)》が相手の魔術を悉く食い尽くし、武術でも敵わず万策尽きた相手を一突き。

 敵の反抗を許さない猛攻。狩猟と称される桐原のスタイルとはまた別種の、まるで牙持つ獣の狩りだった。

 しかしそんな王者の称号に相応しい横綱相撲を前にして、王峰一真はまだ頭を掻き毟っていた。

 

 「っっっはーーーーー・・・・・・・・・・・・」

 

 「溜め息が多い」

 

 何度目とも知らない吐息にとうとうサラ・ブラッドリリーが苦言を呈した。

 ただでさえ桁違いに図体が大きく存在感が強い男が横でグダグダやっているのだ、周囲に与える鬱陶しさも一入(ひとしお)だろう。

 

 「傷は治してもらってたはず。まだ痛むならまた診てもらえばいい。それ以上うじうじするなら私が灰色に塗って目立たなくする」

 

 「あー、悪かったよ・・・・・・。ちょっと事情があってなァ」

 

 実害が出始めてしまったので流石に黙る一真。

 iP S再生槽(カプセル)に始まる最新の医療設備を備えているし、回復魔術を使える職員も控えているので、筋肉の層で止まっている程度の傷を治すのは容易い。

 なので言うまでもなく一真が呻いていたのは、傷を付けられたという事実に対してだ。

 傷を負ったということは、相手に意思を(とお)されたということ。

 これが(かす)と見下げた人間に貰ったものである事を思えば、この痛みは尚のこと重かった。

 

 (認めるにしても無傷で済ませなきゃならねぇ相手だった。これ呆れられたよなァ・・・・・・。うわーイッキ達と会いたくねえ・・・・・・)

 

 挽回できっかなァ、と尚も悩む彼だが、続くサラの言葉で彼は完全に思考を切り替えた。

 

 「ところで。次はあの子が戦う番だけど」

 

 すぅ、と一真の空気が鎮まった。

 リングが先の戦いで損壊していない分、次の試合が始まるのは早いだろう。

 表情から苦々しい歪みは消え、静かな瞳でまだ誰もいないリングを見る。その盤上で自分が知り得る情報から構築した2つの虚像を踊らせて思考をいくつも枝分かれさせるようにあらゆる展開を想像、これからの戦いで起こる可能性の全てを脳内に構築していった。

 

 「一真から見て凛奈とあの子、どっちが勝つと思う?」

 

 「んー。風祭の能力って首輪の霊装(デバイス)による使役だろ? あのライオンとどっちが強いかって話になるなら風祭に勝ちの目は無えだろうな。

 見たところアイツ自身に戦闘能力は皆無だし・・・・・・確かにあのライオンのスペックは並じゃねえけど、速くて強い程度ならどうとでもするぞ」

 

 即言だった。

 所属する陣営云々より、自分と親交のある者が負けると断言されたのだ。少しくらい反論しようかとも思ったがどちらの戦闘力も、加えて相手側の強さを正確に把握している彼の言葉だ。黙らざるを得ない根拠としてはそれで充分だろう。

 ただし戦いに絶対はない事は王峰一真も知っている。

 彼が思い描く机上の盤面で幼馴染と向き合うのは風祭凛奈の使役するライオンではなく、いつも風祭の傍らに侍っている『彼女』だった。

 

 

 「だからそうだなァ、それを覆す要素があるとすれば・・・・・・、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『注目のカードが続きます、続いて登場する選手は昨年度《七星剣武祭》ベスト4!!

 間合いに入らば斬り捨て御免、必殺と畏れられた彼女の奥義はそのまま彼女の異名となった!!

 空を閃き地を駆ける、閃光の剣客が振るう刀は今年こそ頂きの座に届くのか!!

 赤ゲートから破軍学園3年・《雷切》東堂刀華選手がリングインだぁぁああっ!!』



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60話

 ゲートから出てきた刀華が歓声に出迎えられる。

 全身に緊張を行き渡らせながらも適度に力の抜けた立ち姿はこれから戦いに臨む者として理想的なコンディションだ。初っ端からやる気のなかったどこかのデカブツとはえらい違いである。

 そして対面のゲートから現れたのは巨大なシルエット。

 背に主人を乗せた黒色の獅子が、遠雷のような唸り声を鳴らす。

 

 『青ゲートからは暁学園1年・《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凛奈選手! その能力は隷属と使役、彼女の首輪は凡夫すらも一流の戦士に変えてしまう!!

 虎に翼ならぬ獅子に剣! 女王の号令はこの戦場でも一騎当千を生み出してしまうのかぁあ!?』

 

 スフィンクスの背で自信満々の笑みを浮かべる彼女と《鳴神》の柄に手をかける刀華の視線が交錯する。

 強烈な獣の匂いがした。

 今にも飛びかからんと漆黒の巨躯を低く丸めるライオンからだけではない。集中力を刀の静かに静かに研ぎ澄まし、野蛮な闘気を揺らめかせる刀華からも。

 いま向き合っているのは正真の獣とその内に獣の本能を宿す者、闘争を至上とする非合理の生物である。

 

 『では! 七星剣武祭1回戦、第3組の試合を開始いたします!

 ──────試合開始(LET's GO AHEAD)!!!』

 

 「ガアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 合図と共にライオンが吼えた。

 軽トラック程もある身体のバネが一気に解き放たれ、脆弱な人間の身体など10回殺して余りある爪と牙が最短距離で刀華に襲いかかる。

 地面を蹴ってから接触まで、時間にして1秒もない。

 一本一本が片手剣のようなサイズのスフィンクスの爪牙は、しかし何に触れる事もなかった。

 ガヂィィン!!!とエナメル質同士が激しく衝突する音。渾身の噛みつきが獲物がいたはずの空間で盛大に空振った。

 躱されたのだ。

 獣の嗅覚と聴覚が刀華の場所を特定、即座に自分の右側に剛腕を振るうが、その攻撃も派手な風切り音を上げるだけに終わる。

 苛立たしげな咆哮と共に前脚を振り回すも、爪の先を服に引っ掛けることすら出来ない。ひらりひらりと刀華はスフィンクスの攻撃を避け続けていく。

 

 『当たらない当たらない当たらない! 東堂選手、一撃喰らえば致命打必至のラッシュを軽々と回避している! その様子に一切の危なげはありません、まるで風に舞う花弁のような軽やかさです!』

 

 『後ろに退かない立ち回りも正解ですね。しかしあの身体能力を前に淡々とそれを実行できるのは流石の実力と言えるでしょう』

 

 「そりゃそうだろなァ。当たり前だが振りがデカすぎる。獣が武術をやる訳もなし、いくら速くてもあの(リバースサイト)の前じゃテレフォンパンチもいいとこだ」

 

 「退かないのが正解っていうのは?」

 

 「《獣王の行進(キングスチャージ)》だよ。パワーにスピード、サイズの圧にビビって逃げれば音速超えの追撃を喰らう。

 ゴリ押しもこのレベルになると厄介だ、機動力は張り付いて封じるに限る」

 

 ちょろちょろと逃げ回る獲物に焦れたが、スフィンクスがさらに踏み込んだ手段に打って出た。

 左右から挟み込むような爪撃で横方向への回避を封じつつ噛みつき(バイティング)。人の上半身を易々と消失させるサイズの顎門が刀華に迫る。

 だが。

 

 「まず口の中だろ?」

 

 バヂィイン!!!と空気が爆ぜる猛烈な音。

 一真の言葉と示し合わせたように刀華の《鳴神》から電気が迸り、開かれたスフィンクスの口内を直撃した。

 濁った悲鳴と共にスフィンクスは攻撃を中断。口を押さえるように身体を丸めてしまい、その隙に刀華は再び雷撃を放つ。

 狙いは勿論、背中に跨っている風祭凛奈だ。

 

 「っ! 退くのだスフィンクス!!」

 

 しかし主人の指示にライオンは迅速に反応、四肢に力を込めて地面を蹴る。獣の瞬発力で爆発的な勢いで後ろに退いた直後、空を裂く稲妻がスフィンクスの眼前を掠めた。

 凛奈の命令は的確だった。

 後ろに下がり攻撃を躱すと共に距離を確保、張り付かれ封じられていた機動力を取り戻す。

 それ即ち、獣の身体能力が十全に発揮される環境が整ったということ。

 

 「走り回れ! 奴を掻き乱─────」

 

 「まァ雷の方が速いわな。で、()()()()

 

 スフィンクスが駆け出そうとした瞬間に飛来する扇状の電撃。刀華の《雷鷗》だ。

 しかしその狙いはライオンの巨体ではなく、その上にいる凛奈。

 標的が主人であることを瞬時に察せたのは獣の本能だろうか。スフィンクスは後脚で立ち上がって背中を隠し、我が身を盾に凛奈を守る。

 直撃。

 感電した獣の動きが呻き声を上げて一瞬硬直した。

 

 「後は剥き出しになった弱点を・・・・・・」

 

 ─────その懐に刀華はいた。

 スフィンクスが退がると同時に前に駆け出していたのだ。

 予備動作の隠せない獣の行動など彼女の《閃理眼(リバースサイト)》の前では筒抜けなのだから。

 刀華は両腕を伸ばしてスフィンクスの胸に抱き付く。

 しかし彼女が真に腕に抱えているのはライオンの胴体ではない。その更に内側、皮と骨を超えて肉の中にあるものだ。

 両手の平に魔力が集まり、まるでそこに一本の道があるかのように電撃が彼女の両手を一直線に結んだ。

 

 「《衝閃掌(しょうせんしょう)》」

 

 ドンッッッ!!!と重低音。

 がくんと大きく痙攣したスフィンクスが硬直。

 しばし立ったまま固まった後、泡を吹いて倒れ伏した。

 

 「で、終わり」

 

 『仕留めたぁぁあああっ!! 先の暁学園のエントリーを賭けた戦いで猛威を振るった巨獣を呆気なく倒してしまいました!!』

 

 『心臓を狙いましたね。あのサイズに加えて分厚い毛皮、素直に電気が通るかは怪しい。だから内面を狙った訳です。直接触れれば魔力防御も意味を為さなくなりますからね』

 

 「彼女がどう動くか分かってたの?」

 

 「分かってたっつーか、刀華の視点で大凡(おおよそ)の最適解がこれだろうって予想しただけだよ。最小限で最速を考えればああなる」

 

 やや驚いたらしいサラの問いに彼は何でもない風に答えた。

 しかしあの技、どうも試作品の匂いがするなと一真は思う。

 「大きな相手に潜り込んで」「防御が意味を為さない距離で」「一撃で仕留める」というあの技のコンセプトを並べてみると、何か非常に心当たりがあるというか・・・・・・。

 流石に自意識過剰かもしれないが、得物の刀を手放さねばならない点で剣客の技としては不完全だ。

 相手のサイズと力量的に使えそうだから使ったのかなと考えている内に、もう決着が着こうとしていた。

 スフィンクスの背中から落ちて尻餅をついた凛奈へと、白銀に輝く刀身が真っ向から振り下ろされ──────

 

 甲高い音を立てて弾かれた。

 

 「・・・・・・夢にも思わなんだぞ、雷光の戦姫よ。よもや初戦から我が漆黒の右腕(マイフェイバリットアーム)、暗黒の力、邪王呪縛法の恩恵を一身に受け、罪の色にその身を染める暗き刻印の騎士の力を見せる事になるとはな!」

 

 「お嬢様は『たすかったよ! ありがとうシャルロット!』とおっしゃってきます。

 いえいえなんのこれしき。わたくしはお嬢様の専属メイドにして、《剣》であり《盾》なのですから」

 

 「・・・・・・やはり、いましたね。()()()()

 

 キリキリと刃が軋る音。

 凛奈と刀華、2人の間に割り込んだエプロンドレスの少女シャルロット・コルデーが刀華の《鳴神》を受け止めていた。

 しかし刃を阻む彼女の左手には何も握られていない。

 人差し指1本。

 研ぎ澄まされた技と鋼を受けるには脆弱過ぎる部位で、しかしシャルロットの顔に苦悶はない。

 生身ではない。何かがある。そう判断した刀華は後ろに跳び下がりながら《雷鷗》を連発、最大限の密度の弾幕でシャルロットの防御のタネを暴きにいった。

 ─────そしてその狙いは、無事に果たされる事になる。

 

 「咲きなさい。《一輪楯花(いちりんじゅんか)》」

 

 シャルロットが唱えると同時、稲妻の斬撃が爆散した。

 攻撃で相殺されたのではない。シャルロットは一歩も動かないまま、ただ透明な何かに阻まれたのだ・・・・・・少なくとも《雷鷗》では微動だにしない強度の何かで。

 破裂した電光が浮かび上がらせるシルエットがその答えを明らかにした。

 

 「成程。バリアを張る能力・・・・・・それが貴女の、いや、貴女が与えられた力という訳ですか」

 

 「ご明察。わたくし先程も申し上げました通りお嬢様の専属メイド、シャルロット・コルデーと申します。以後、お見知り置きを」

 

 自分の能力とそれが与えられたものであることを言い当てた刀華に、シャルロットは素直に賛辞を送る。

 誇示するように反らされた首には、黒く輝く革が巻き付いている。

 それはまさしくスフィンクスの首に付いていたものと同じ、凛奈の《隷属の首輪》であった。

 

 

 『彼女もまた《魔獣使い(ビーストテイマー)》という他者を操る伐刀者(ブレイザー)霊装(デバイス)という扱いになります。故に反則にはなりませんね』

 

 「《神々の戦場(ヴァルハラ)》の命を受けし法術師たちよ、速やかにスフィンクスを蘇らせるのだ!! 我と闇の絆で結ばれし忠臣が一柱、喪うことなどあってはならん!!」

 

 この横入りは反則ではないかという実況の叫びと観客のブーイングが解説により嗜められる。

 そしてシャルロットの通訳曰く助けて! スフィンクスが死んじゃう!といった内容を叫んだ凛奈だが、待機していた救護班の面々は二の足を踏んだ。

 外傷ならiP S再生槽(カプセル)なり治癒魔術なりでどうにでも出来るが、感電による心室細動は魔術では対応できない。

 もちろん救護班の中には蘇生技術に精通した者もいるしAEDもあるのだが、このサイズのライオン相手に施術することを想定している訳がない。

 最初に動いたのは結果として狼狽えるばかりの彼らではなく、観客席から飛び降りた王峰一真だった。

 

 「き、君! 何を」

 

 「回収に来ただけだ。乱入はしねえよ」

 

 制止の言葉を聞き流してリングに上がる一真は、泡を吹いてうつ伏せで痙攣しているスフィンクスの背中に乗る。

 そして先程の刀華の攻撃から心臓のおおよその位置を割り出し、その直上に位置する場所に足を置いた。

 そして、

 

 「ふんっっ!!」

 

 「ッッッ!? ゴッ、ガファッ!!!」

 

 ()()()

 背中で発生し腰で捻りを加えられた勁力が、脚で爆発的に増幅されて背中から心臓へと捩じ込まれる。

 恐ろしく強引な心臓マッサージを受けたスフィンクスが叩き起こされたような勢いで息を吹き返した。

 意識が現実世界に帰還したスフィンクスは現状を把握、即座に起き上がって戦闘に復帰しようとした。

 が、そこで気付く。

 主人の前にエプロンドレスの少女が、既に敵の前に立ちはだかっている事に。

 動きを止めたスフィンクスの肩を、丈高き少年がポンポンと優しく叩いた。

 

 「よく守った。後は『先輩』に任せときな」

 

 「うむ。スフィンクスよ。大義であった」

 

 敗北を悟ったスフィンクスは静かに彼女らに背を向ける。

 ヘコむなよ、と頭を撫でる一真に小さく応えるように鳴き、獅子は項垂れるようにリングを去った。

 カズくん今サラッと凄い事したなぁ、と眼前の敵への集中の裏でそんな事を思う刀華の前で、シャルロットは優雅に両手を広げてみせる。

 同時に彼女の前の空間が桃色の輝きを放ち始めた。

 それは花の形をした盾だった。

 

 「流石の苛烈さですね《雷切》。試すのではなく攻め気によってわたくしの能力を探りにくるとは。───ですが、貴女は1つ思い違いをしている」

 

 「思い違い?」

 

 「わたくしはお嬢様の盾にして剣。《一輪楯花》は防御のみに特化した能力ではないという事です」

 

 瞬間、シャルロットの両手が細長い光を纏った。

 その正体は能力で生み出したバリアだ。

 ただしその形状は防ぐ円ではなく、剣の形をしている。

 刀華がそれを理解すると同時、シャルロットは猟犬のように駆け出した。

 

 「《花剣・竜舌蘭(りゅうぜつらん)》」

 

 「っ!」

 

 振り抜かれた刃を《鳴神》で防ぐ。

 剣士の動きではない。しかし無駄を削ぎ落とし洗練された体捌き。

 受け止めた刃から伝わる恐ろしく硬質な手応えに柄を握る腕に痺れすら走った。

 そこから立て続けに襲いかかってくる桃色の刃を弾き返すが、一刀に対して相手は謂わば二刀流。反撃に転じるには手数が足りない。

 だがその程度でジリ貧になってしまうほど刀華は可愛げのある女ではなかった。

 シャルロットは手段を誤った。

 刀華を相手に結界とまで称される彼女の間合いで打ち合うのは明らかな愚策だ。

 相手の動きを先取りする《閃理眼(リバースサイト)》に斬撃の軌道を自在に曲げる《稲妻》、そして何よりも一刀必殺の《雷切》。

 さらに彼女の電気は()()()()()()()()()()()()

 前年の七星剣王・諸星雄大でさえ彼女の間合いに入らない事を徹底していたのだ、刀の間合いにおける彼女の絶対性は恐るべき水準にある。

 だが。

 

 (効いてない・・・・・・!?)

 

 シャルロットはそれには当てはまらなかった。

 接触のたび幾度も弾ける電光に晒されながらも、彼女は僅かほども表情を崩さない。

 そう─────彼女のバリアが防ぐのは衝撃だけではない。熱や電撃に対しても強い抵抗を持っている。

 そのバリアを全身に纏うことで、シャルロットは刀華の電撃をシャットアウトしているのだ。

 己の能力が完全に防御されている事に緊迫が走ったその時、シャルロットが大きく退いた。

 不利な状況ではなかったはず。

 むしろ敵の焦りにつけ込んで攻め気を出してもいい局面だ。

 思わぬ行動で刀華に刹那の『虚』が生まれたその時、シャルロットの手に複数の桃色の光が発生した。

 

 「加えて、《銃》としても。素敵でしょう?」

 

 刀華の『虚』を突くように、扇状に構えたその光を投擲。

 その正体は限りなく薄く伸ばした《一輪楯花》だ。

 数十枚一気に飛んできた刃の礫を刀華は慌てて横に走って回避、避けきれなかった分は刀で打ち飛ばす。

 そこに斬りかかってきたシャルロットと再び打ち合いになり、立て続けに衝突し合う鋼と盾が鳴き叫ぶ。

 それを見ていた一真の元に、打ち飛ばされた花弁の一枚がくるくると回りながら飛んできた。

 それを指で挟んでキャッチした一真は、試しに魔力を込めた指先で花弁の破壊を試みる。

 

 この薄さなのにビクともしなかった。

 

 「・・・・・・・・・、」

 

 ややムキになって身体強化のみで壊そうとしても罅1つ入らず、終いには《踏破》の魔力を込めて握り潰した。

 恐るべき強度だった。

 力に対する剛性は一級品な上、電気に対する耐性も強い。

 加えて全身に纏える能力の柔軟性。

 光の粒になって消えゆく花弁を放りつつ激烈な火花が撒き散らされるリングを見て、一真は幼馴染に語りかけるように呟いた。

 

 「・・・・・・どうする? 天敵みてえだぞ」



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61話

 刀華の不利はいくつかある。

 まず1つは火力の不足。

 刀による攻撃は勿論、能力による攻撃もシャルロットのバリアを貫くことは叶わず、またそのバリアを纏われているせいで突くべき隙が存在しない。

 そして第2に、手数の不足。

 刀華の《鳴神》が刀と鞘で一対の霊装(デバイス)。切り札である居合抜き《雷切》を使うために片手が鞘で塞がるため刀を片腕で振るわなければならず、両手で振るうのと比べると速度も力も劣ってしまう。

 無論彼女の技術はそれを前提に組み立てられているため明確な弱点となっている訳ではないのだが、両手に『刃』を持ち襲ってくるシャルロット相手にはいささか分が悪いのだ。

 

 故に刀華は、まず切り札を(わき)に置いた。

 右手に刀、左手に鞘。

 変則的な二刀流に戦法を変化させた刀華が、廻るような動きでシャルロットの双刃と剣戟を交わらせる。

 

 「《電電太鼓(でんでんだいこ)》」

 

 ガガガギギギギッッッ!!!!と線香花火のように撒き散らされる鋼の火花。

 敵の命に照準を合わせた刃の歯車が、数瞬の内に10を超える数もお互いを喰らい合っていた。

 

 『おおっと!? 東堂選手ここでまさかの戦法に打って出た!! 一刀の使い手のはずの彼女が予想外の二刀流! シャルロット選手の手数に全く引けを取りません!!』

 

 『能力で磁界を操作して刀と鞘の動きをアシストしていますね。速度や軌道はもちろん、利き腕とそうでない方の精度の差も完璧にカバーされています。二刀流は元より防御に秀でたスタイルです、これを崩すのは容易ではありませんよ』

 

 (()()()()()()()()()。即席の思い付きじゃねえな。相当な期間を費やさなきゃあの完成度は有り得ねえ)

 

 刀華の動きに一真は感嘆を禁じ得ない。

 ガードの反動に逆らわず腕を下げ、その力を振り子のように連動させ逆の腕を前に出すあの『型』。

 一振り一振りにしっかりと重さが乗っており、いつでも反撃に転じられる態勢を維持している。

 さらにあの片足を軸に回転するような体捌きには覚えがある─────、彼女は重量級の両脚を振り回す自分の動きから着想を得て自身の二刀流を完成させたのだ。

 何となく面映(おもはゆ)い心持ちになった一真だが、しかしその顔は険しいままだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (あのバリアを貫いて攻撃を通すならもう《雷切》しか可能性がねえ。けど鞘まで競り合いに使ってちゃあ居合抜きは無理だろ。

 まず相手を一手遅らせねえ事には・・・・・・・・・)

 

 あるいは付き合いが長いと思考のタイミングも似てくるのだろうか、刀華が行動を起こしたのは一真のシミュレーションと同時だった。

 シャルロットの左の斬撃を左手の鞘で弾き、続く右の斬撃は──────()()()()()()

 

 「うん!?」

 

 その予想外に思わず声が出る。

 シャルロットの右の刃が振るわれると同時に刀華はジャンプ、シャルロットの右腕を蹴り飛ばし、その反動でさらに高度を上げる。

 すかさずシャルロットは左の《竜舌蘭》を解除、《一輪楯花》の手裏剣を上空の刀華に向けて放った。

 

 その時にはもう、刀華の《鳴神》は鞘に収められていた。

 通常の居合抜きの型とは違う。

 順手で縦に握った鞘に、縦に納刀された刀身。横に振り抜かれるのではなく、空中から縦に振り下ろされる一閃。

 刃の礫を衝撃波で吹き飛ばしながら、超音速の斬撃がシャルロットの頭上から垂直に落っこちる。

 

 「《雷切・直雷(すぐつち)》!!」

 

 ガゴォォォオオン!!!と、まさしく雷鳴のような激突音。

 爆散した大気がリングを舐め上げ、ドーム状に拡がる衝撃波が鼓膜を揺らす。

 居合抜きという定まった型の先入観を利用した見事な奇襲と言えるだろう。

 しかし─────しかし。

 激突音がしたという事はつまり、そういう事だ。

 

 「音に聞こえた《雷切》、なるほど大した破壊力です。試しに十輪ほど重ねて防いでみましたが─────」

 

 砕け落ちるバリアの立てる甲高い音に紛れるように、静かに滑らかに紡がれる少女の声。

 重なる桃色の壁に守られた、戦塵の中から無傷のシャルロット・コルデーが現れる。

 

 「これなら、()()()()()()()()()()()()()()()」 

 

 「・・・・・・・・・ッッッ!!」

 

 慌てて後ろに退がる刀華。

 しかしその動きは戦略的なものではない、明らかな逃げの動き。それを見逃すほど女王の猟犬は甘くはなかった。

 逃げる獲物を追い詰めるべく、シャルロットも全力で地面を蹴った。

 

 『つっ、通じない!! 前年の七星剣王にすら()()()()()立ち回りを強制させた伝家の宝刀が傷一つ付けられない!!』

 

 悲鳴のように叫ぶ実況。

 最大火力の《雷切》まで防ぎ切られたとあれば、もうこの場にいる誰にも彼女の勝利を信じられはしないだろう。

 後退したことにより得た肉薄してくる猟犬に対する瞬きの間の猶予に、刀華はもう一度《鳴神》を納刀した。

 愚かな、とシャルロットは失笑する。

 万策尽きて最早それに縋るしかないのだろう。とうに通じないと証明されたはずの切り札だったものに。

 そして、抜刀。

 鞘から放たれたものは、しかし超音速の抜刀術ではなかった。

 

 「《飛蝗雷荒(ひこうらいこう)》─────!!」

 

 抜刀と同時に鞘口から放たれたのは、四方八方に飛び散る細かい電撃。

 それがどうした、とシャルロットは思う。

 その直後には戦慄した。

 最初の《雷鷗(らいおう)》すら防ぎ切った彼女からすれば、この程度の攻撃など無に等しい威力だろう。

 そう、()()()()()()()

 

 「きゃぁあああっ!?」

 

 悲鳴が上がる。

 刀華のものでもシャルロットのものでもない。

 すぐ目の前でいくつもの雷が()ぜた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 恐るべき反応速度と言う他ない。

 刀華の狙いを知るやシャルロットは身体を反転、目一杯巨大に生み出したバリアを凛奈の手前の地面に向けて全力で投擲。

 電撃と凛奈の間に割り込んだバリアが、間一髪のところで主人を守り抜いたのだ。

 

 ぱたたっ、と鮮血がリングに落ちる。

 主人を守るために自分の守りが疎かになり、燕返しのように切り返された刀華の《鳴神》に斬られたシャルロットの背中だ。

 ─────確かに刀華の作戦は見事だった。

 《雷切・直雷(すぐつち)》を防がせて納刀という予備動作に対する油断を誘い、磁界で誘導した伐刀絶技(ノウブルアーツ)で猟犬の主人を叩く。

 成功すれば鮮やかな作戦勝ちだったろう。

 あくまでも選手として出場しているのは風祭凛奈であり、シャルロットと戦う理由など欠片もないのだから。

 

 だが失敗したらどうなる?

 簡単だ、怒り狂った猟犬が全力で殺しに来る。

 

 お嬢様。お嬢様。

 犬猫と変わらない卑しい出の自分を重用してくださる、優しい優しいお嬢様。

 この責は命と尊厳を以て償います故。

 今はただこの吐瀉の如き下女を誅させて頂きたい。

 

 「楽に死ねると思わぬよう」

 

 鉄壁の守護者シャルロット・コルデー。

 彼女の真の恐ろしさは、守るための能力を敵を殺す為だけに使う時にある。

 ガラスのように色を失った瞳、桃色の輝きと共に全身に刃を纏ったシャルロットに──────鞘に刀を()()した刀華が、一気に突っ込んでいった。

 

 

 シャルロットの本質は『戦車』だ。

 防御を纏ったバリアに任せ、その他全てのリソースを攻撃に回した超攻撃型こそ彼女の本領。

 故に彼女は、刀華に何の脅威も感じなかった。

 傷を付けられた? 防御が緩んだ結果だ。

 そもそも刀華の攻撃は、シャルロットのバリアをここまで突破できていないのだから。

 最大火力の《雷切》の威力は割れている。

 ならば防御はそれを防ぎ切れる分だけでいい。

 後の全ては・・・・・・・・・目の前の売女(ばいた)を確実にズタズタにするために。背中の痛みすら忘れる程の怒りがシャルロットを衝き動かしている。

 敵を殺せ。敵を殺せ。

 愛しい()()()(かたき)を殺せ。

 

 シャルロットが覚えている最後の記憶は、真っ赤に染まった視界と、静かな刀華の声だった。

 

 

 

 

 

 

 「《雷切(らいきり)・───────抜塞(ばっさい)》」

 

 

 

 

 

 

 先の一撃と比べれば、随分と小さな音。

 鞘から撃ち放たれた白銀の刃がシャルロットの胸骨を貫き、その刀身を赤黒く染めて彼女の背中から飛び出した。

 え、と(ほう)けたように漏れた声。

 容易く貫通された《雷切》を防ぎ切るはずの桃色の鎧が、まさしく花弁のように砕けて散った。

 胸に開くは巨大な風穴。

 何が起こったのか理解すら出来ないまま、シャルロットは呆然とした表情のままリングに倒れ伏した。

 胸の穴から溢れ出る血の池が刀華の靴を濡らす。

 

 『しっ、試合終了ォォオオ!! 圧倒的な相性不利を覆し、勝者・東堂刀華選手──────ッッッ!!!』

 

 風祭凛奈、棄権。

 その宣言を受けた審判の判定を、実況が大声で謳い上げた。

 

 

     ◆

 

 

 『見事な試合でしたね。しかし牟呂渡(むろと)プロ、なぜ完全に防がれていたはずの東堂選手の《雷切》は彼女のバリアを貫くことが出来たのでしょう?』

 

 『貫いた、それが答えです。勝負を決めたあの一撃・・・・・・《雷切(らいきり)抜塞(ばっさい)》は、()()()()()()()()なんですよ』

 

 『突き、ですか?』

 

 『ええ。通常の《雷切》は刀を横に振り抜くのですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 刀を横に振るということは、そのぶん空気の抵抗を受ける面積が広くなる。それはつまり、その分だけ刀の推進力が殺されているという言葉です。

 そこを東堂選手は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 突き破る空気に対しての面積を最小限にする事により削減される空気の抵抗は甚だ大きい。

 技の性質からして不可避のロスを最大まで減らした一撃は、従来のものを防ぎ切れる程度のガードでは到底足りなかったということです。

 相手から冷静さを奪って防御の意識を下げさせたことも含めて見事と言う他ありません』

 

 『なるほど・・・・・・。ただでさえ強力な技が、さらに欠点を克服して強化されてしまったと』

 

 『そもそもそれを欠点として挙げる必要がない程に強力な技なのですが、超音速の軌道を刺突に変化させねばならないぶんコントロールの難易度は跳ね上がります。

 恐らくは破壊力と引き換えに、身体に相応の負荷を背負っているものかと』

 

 「変則型に変形型かァ。鞘から抜いて斬るシンプルな技によくここまでバリエーションを持たせるなァ」

 

 はー、と感心した様子の一真だが、刀華が彼に勝利する事を強く想っていることを知る者の表情は険しかった。

 シャルロット・コルデーは間違いなく刀華の天敵であり、それを正面から打ち破ってみせたことは文句の付けようもなく見事である。

 ─────しかし、それでは足りない。

 王峰一真に勝とうというのなら、シャルロット程度は歯牙にも掛けず圧勝せねばならなかった。

 何故なら。

 こちらの攻撃が全く通らない程に堅く、かつこちらを一撃で倒しうる相手・・・・・・・・・。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 新技の代償に手首を痛めた様子の刀華が歓声を受けつつゲートへと去っていくその背中を、友人たちは歯噛みするような顔で見詰めていた。



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62話

 そして試合は滞りなく進んだ。

 黒鉄王馬が一蹴し、サラも順当に勝ち進む。流石に実力者揃いなだけあって、一真のいる《暁学園》勢力は順調にコマを進めていた。

 そしていよいよ、ともすれば王峰一真やステラ・ヴァーミリオンよりも注目を集めていたかもしれない男がとうとうリングに上がる。

 彼が姿を現した途端、会場は一際大きな歓声に包まれた。

 

 『さあ次のカードも目が離せません! 向かい合うは破軍学園1年・《無冠の剣王(アナザーワン)》黒鉄一輝選手と暁学園1年・《不転》多々良幽衣選手!!

 圧倒的な引き出しを誇る剣技と全てを反射する最強の盾、果たして勝利はどちらの手に渡るのでしょうか!?』

 

 「・・・・・・ここで俺たち《暁》は2枚落ちかァ。まあ流石に当たった相手が悪かったな」

 

 「ほう。あの《不転凶手》が敗れると?」

 

 「そりゃそうだろ。相手がイッキだ」

 

 さも当然のように(のたま)う一真。

 もちろん黒鉄一輝が只者ではない事は全員知っているが、しかし一真のように彼が勝つという確信に足る根拠は持っていない。むしろ裏稼業として多々良の実力をよく知っているだけに一真の言葉には懐疑的だ。

 訝しげな顔をした風祭凛奈は、至極もっともな推測で一真に反論した。

 

 「《無冠の剣王(アナザーワン)》が強い事は分かっておるが、あの《不転》に対してはかなり相性が悪いであろう。

 如何に剣技に優れようと《完全反射(トータルリフレクト)》の前では何の意味もない。いかに身体能力に凄まじいブーストを掛けようと、()()()()()()()()()()()()()()()の前には無駄な事。

 物理的な攻撃手段しかなく動きまで見切られるとなれば、相手が悪いのは向こう側だと思うが?」

 

 「カタログスペックだけならな。アイツの強さは箇条書きにゃ出来ねえ。『剣技』の項目から無限に枝葉を伸ばす樹形図だ」

 

 向き合う2人がそれぞれの霊装(デバイス)を構えた。

 ギャリギャリと叫ぶ《地摺り蜈蚣》に怜悧に輝く《陰鉄(いんてつ)》。己の心を鏡のように映す魂の結晶を握り締め、一輝と多々良は直後に来る刻をただ待ち続ける。

 張り詰めていく空気の中で背もたれに身体を預け、樹脂のベンチを軋ませながら一真はのんびりと歌うように凛奈に言った。

 

 「・・・・・・ま、見てな。枝葉の先端くらいは解説できるからよ」

 

 『それではいよいよ試合開始です!!

 試合開始(LET's なGO AHEAD)──────!!!』

 

 「ギャハァァアアアーーーーーーッッ!!」

 

 開始と同時、多々良は猛烈な勢いで突っ込んだ。

 血と肉の味を求める舌をべろりと出して、防御を考慮せずただ全力で斬りかかる。

 それを受けた一輝は細く息を吐き、そして()()()()()()()()()()。斜め右と斜め左、挟むように迫る2人の一輝の間を多々良の眼球がギョロリと往復した。

 

 そして迷う事なく右に斬りかかる。

 空気を引き千切り襲い来るチェーンソーを、一輝がステップで回避した。

 

 「ギギギッ、見えてんだよぉぉおお!!」

 

 「っ、」

 

 歯を剥いて笑いながら多々良はさらにチェーンソーを振るう。

 それに対して一輝はガードをしなかった。

 屈み、反らし、小さく跳んで唸る刃を回避していく。斬り結ぶべき刀は身体の横に構えられたまま振るう事も出来ていなかった。

 一太刀また一太刀、駆動する殺意が掠めるたびに髪や服の端が少しずつ削られていく。

 

 『おおっと、最初からかなり一方的な展開だ!? 黒鉄選手、反撃に転じる事ができません! 多々良選手の猛攻を辛くも凌ぎ続けています!!』

 

 『迎え撃とうにも《完全反射(トータルリフレクト)》が余りにも厄介ですね。あの動体視力と合わせて防御やカウンターに行こうとする動きを悉く潰される。接近戦のみの黒鉄選手からすれば相性は最悪と言っていいかと』

 

 「ほら見ろ。解説もああ言っているではないか」

 

 「うん? 劣勢に見えるか」

 

 防御も反撃もする気配もなくただ回避に専念する様は確かに不利なように思えるだろう。

 否、その逆だ。

 一輝の方こそ多々良の動きが見えている。

 それどころか彼女の動体視力に捕まらないよう髪や服に掠めるほどに寸前で回避するという余裕すらあるのだ。

 

 (とはいえ予想以上だな。予備動作無しでの《蜃気狼》も驚かされたが、多々良の奴、純粋に『視えて』いやがった)

 

 「ふッ!!」

 

 その時、鋭い呼気と共に一輝の方が斬りかかった。

 だが当然多々良の攻撃は緩まない。

 それどころかその反撃を《完全反射(トータルリフレクト)》で跳ね返し、逆に一輝に隙を作って自分の好機に変えてしまう。

 それは先のシャルロットと同じ。

 防御を動体視力と能力に任せ全ての力を攻撃に回す、決して後退せず敵を圧殺するその様を人は《不転》と呼んだのだ。

 ─────だが、一輝はそこで終わらない。

 反射された力を円運動に変えて多々良の攻撃を躱しつつ、その力を乗せた一撃を彼女へと見舞う。

 

 「あン?」

 

 が、やはり通るはずもない。

 反撃としては見事だろうが、彼女の目には見えている。

 多々良は返しの一撃を反射しながらチェーンソーを振るい、一輝はそれを躱しつつまた反射された力を増幅して多々良に返す。

 その繰り返しだった。

 

 「無駄だっつってんだろォお!!」

 

 多々良の攻撃がさらに苛烈さを増す。

 縦横無尽に空間を引き裂くチェーンソーを紙一重で回避し続ける一輝は尚も反撃を繰り返していた。

 その動きはだんだんと剣術からは離れていく。

 反射された力を体内で循環させ多々良に返しつつチェーンソーを回避する円の動きは、ある種のダイナミックな舞踊にも見えた。

 

 『当たらない当たらない! 両者の攻撃が悉く当たらない! 多々良選手の猛攻に黒鉄選手の反撃、どちらも退く気配がありません!!』

 

 『1度でも弾き損ねるか躱し損ねるかすれば痛烈な一撃を貰うでしょう。これはどちらの集中力が先に切れるかの勝負ですね』

 

 (チッ、うざってェな)

 

 率直に多々良は舌打ちをした。

 確かにこれだけの芸当をやってのける技量があればこういう戦略も可能だろう。

 ここで問われるのは集中力だけではない─────得物を振り回し続ける身体的な持久力。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 攻撃の反射という真っ向勝負を完全否定する能力を相手に『持続力』という別の土俵に持ち込み、真っ向勝負で勝とうとする矛盾。

 そしてそこに持ち込んだということは、この土俵なら勝てる自信があるということだ。

 付き合う道理はない。

 そう考えた多々良は1度押し返して距離を取ろうと自分の前面に障壁を──────

 

 張れなかった。

 想定外の速度で飛んできた《陰鉄(いんてつ)》を、多々良は咄嗟に跳ね返す。

 

 思わぬ反撃に押し返すタイミングを逸した彼女に更なる反撃が襲い掛かる。

 それを反射して再び押し返そうとするも、それを阻むように更に速い攻撃が飛んでくる。それを反射して反射して反射して、とうとう反撃の速度と密度は多々良が防御に専念せねばならない程の域にまで至った。

 ───ヤバい。

 全身を総毛立たせた多々良が『反射』を諦め、全力で後ろに跳んだと同時に─────()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヒュォ、という耳を澄まさなければ聴こえないくらいに小さな風切り音。

 誰の目にも映らなかった喧騒すら断つようなその一閃に、全員の息が止まる。

 《不転》が退いた。

 その首に横一文字の赤い線が入り、そこからたらりと血が垂れる。

 冷や汗は一瞬遅れて噴き出した。

 あと少し遅ければ動脈か喉笛を切り裂かれていた。

 

 「テメェ・・・・・・()()()()()()()()・・・・・・!!」

 

 「ご名答」

 

 『競り勝ったぁぁぁああ! 黒鉄選手の反撃の前に《不転》が退いた! 圧倒的な相性不利を前にして《無冠の剣王(アナザーワン)》一歩も退きません!!』

 

 「な、何が起きたのだ!? あの男の攻撃、我が《開界眼(ワールドスコープ)》を以てしても見えなんだぞ!!」

 

 「いやお前の目は常人のそれだろうよ・・・・・・()()()()()()()()()()()()()()()()。アイツにはそういう技がある」

 

 一真が言うのは第三秘剣《(まどか)》。受けた力を相手にそのまま打ち返すカウンター技だ。

 一輝は反射された力に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 それによって反射される度に少しずつ力と速度が累積されていき────最終的に多々良の動体視力を置き去りにした。

 精神と身体の持続力の勝負と思わせておいての、突然の一閃。

 回避されてしまったとはいえ、戦いの最中の心の虚を突く見事な戦略だった。

 

 (とはいえ《円》はただ相手の力を返すだけの技だったはずなんだがなァ・・・・・・。自分の力もプラスするってお前、ちょっと前までそんな事出来なかったじゃねえか・・・・・・)

 

 ライバルの成長が想像以上に早い。

 ───さて、多々良はここからどうする?

 多々良の能力は、強力無比だが『芸がない』タイプだ。攻略法を持つ相手に状況をひっくり返すのはかなり難しいだろう。

 彼女の強みといえば乱撃戦だが、さっきのように打ち合ってはそれこそ今のようなカウンターに怯え続けることになる。

 まして相手が自分の攻撃を掠めるような精度で回避し続けるような使い手だ。

 何かしら別の戦法を取らないと、それこそジリ貧なのは多々良の方になってしまうが・・・・・・

 

 「ギギ。ちったぁやるみてェじゃねえか。・・・・・・なら、もうちょいギア上げていかねェとな」

 

 戦慄はもう止まっている。

 口元を凶悪に歪め、多々良は前傾姿勢を取った。

 加えて身体を捻りチェーンソーを背中側まで引き絞る完全な突撃体勢だ。

 恐らくは、来る。

 ギアを上げるという言葉に違わぬ何かが。

 一輝はこれに対し油断なく構え、その姿勢から繰り出されるだろうあらゆる攻撃を想定。その全てに対する応手を脳内で確定させた。

 そして、来た。

 想定通りの踏み込み、想定通りのモーション、想定通りの一撃が──────

 

 

 ─────想定を超過するスピードで。

 

 

 

 「うわッッッ!?」

 

 咄嗟に仰け反る。喉仏の皮膚が削られた。

 まるで先程の意趣返しのような一振りを見舞った多々良は既に一輝の横を抜けてその背後に回り込んでいた。

 直後、殺気。

 一輝が横に跳ぶと同時、彼の右脚があった場所をチェーンソーが通過。瞬きの間に方向転換した彼女が、今度は横から斬りかかってくる。

 その時、彼女の姿を一瞬だけ視認した一輝は確かに見た。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 『こっ、これはどういう事だあっ!? 多々良選手が恐ろしい速度で突撃した直後、ピンボールのように空中を飛び回っています!! 黒鉄選手、完全に囚われてしまった!!』

 

 『・・・・・・《完全反射(トータルリフレクト)》の障壁を足場にしていますね。壁を蹴る力を「反射」して生じる反力を倍に、つまり2倍の力で踏み込んだんです。

 そして別方向に生み出した障壁に着地してその衝撃を反射、ノータイムで跳ね返ることで飛び回っている。

 もし着地ではなく障壁を蹴れば生まれる力は直前の2倍、指数関数的に速度が伸びていく。

 そうして爆発的に増幅したエネルギーによる一撃は、僅かでも対処を誤ればそれだけで勝負を決するものになるでしょう。

 多々良選手の尋常ならざる動体視力があって初めて成立する、恐ろしい力技です』

 

 もうフットワークという隙の大きい動きは出来ない。

 攻撃を受け止めた次の瞬間には全く逆の方向から凄まじい重さの()()が飛んでくる。

 よろめくだけで命取り。

 受け止め損ねればもう終わり。

 破壊力を増していく必殺の一撃が、間断なく一輝に襲いかかる。

 

 「《空間反射(エリアルリフレクト)》」

 

 もはや残像すら捉えられない。

 口に出された技の名前すら掻き消す速度で、多々良は鳴き叫ぶ刃を握り締めてリングの上を飛び回った。



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63話

 ギャギャギャギャギャ────!!!と。

 間断なく打ち鳴らされ一続きになった戟音は、奇しくも多々良の哄笑と似ていた。

 対する一輝はフットワークで回避するのではなく、受けた力を流す形で四方八方からの斬撃をガードする。

 チェーンソーを《陰鉄(いんてつ)》で受け、エネルギーを横に逸らしつつその力を利用し足を滑らせるようにして身体を半回転。常に多々良を自分の正面に収め続けているのだ。

 僅かでも対応を謝れば死角から引き裂かれる刃の乱舞を正確に受け止めるその技量は流石の《無冠の剣王(アナザーワン)》だが、ジリ貧な状況には変わりない。

 叩き付けられるチェーンソーと刃の回転、ベクトルの違う二つのエネルギーは確実に一輝の手首と握力に負担をかける。

 武器を扱う者の要を削られていく以上、彼に求められているのは早期決着だ。

 横薙ぎに首を刈る軌道で振るわれたチェーンソーを切り上げて弾き、そして力を斜め後ろに流した瞬間。

 

 「らァっ!!」

 

 ()()()()()

 すれ違いざまに飛んできた爪先を咄嗟に首を振って回避、靴に掠めた皮膚が削れる。

 次の瞬間には彼女はもう背後から迫っている。再び彼女に正面から向き直って次の攻撃を流そうとして─────多々良の身体が、左右にブレた。

 

 「っ!?」

 

 ギリギリのところで防いだが、一輝の背筋に冷たいものが走る。

 多々良は接触の瞬間、新しく出した《完全反射(トータルリフレクト)》の障壁を踏んで小刻みに軌道を曲げたのだ。

 通常ならどれだけ身体を鍛えようが制御を失うような無茶な挙動。しかし彼女の動体視力はその動きを完璧に把握する。

 突進一辺倒ではない、この殺しの技術の複合体こそがこの《空間反射(エリアルリフレクト)》なのだ。

 

 「オラオラどうしたァ!! 引き篭もってんじゃねえぞ亀がよォ!!」

 

 「あれは厄介ね・・・・・・。今のところの速度はトマル先輩の方が上だけど、助走が必要ない上に小回りが効きすぎる。能力無しで相手するのは厳しいわよ」

 

 「しかし攻撃そのものは一度も受けていません。後はお兄様がいつ彼女を読み切るかという問題ですが、いずれにせよあの障壁をクリアしなければならない。お兄様が負けるとも思いませんが、相性はやはり最悪の部類ですね」

 

 黒鉄一輝が《完全反射(トータルリフレクト)》を突破するにはどの方法が最良か。

 ────先程やったように力を累積した《(まどか)》で多々良の目を振り切ればいいと思うだろうが、それは難しい。

 一度見せた手である以上、向こうはそれを警戒しているだろう。

 それに力を累積するには相手の攻撃のリズムが重要なため、今のように蹴りや軌道の変化を繰り返されると力を循環させるリズムが狂ってどこかで破綻しかねない。

 では、やはり《一刀修羅(いっとうしゅら)》で畳み掛けるか?

 いいや、それも否だ。

 それこそ悪手・・・・・・という程でもないが、かなり博打な成分を含む。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 対空技を持たない一輝はこれをやられると為す術がない。

 説明するまでもないがピーキーな技だ、最初の頃みたいに使用後にぶっ倒れるなんて事にはもうならないが、使用後に残るのは全てを出し尽くした抜け殻。

 とても多々良と戦える状態ではない。

 そして彼女は《一刀修羅(いっとうしゅら)》の発動を見てから空に逃げ、のんびりと1分間待ってからゆっくり仕留めればいいのだ。

 発動直後に逃さず捕まえるにしても《完全反射(トータルリフレクト)》が邪魔すぎる。

 つまるところ黒鉄一輝は、ジャンケンのグーでパーに勝たねばならない訳だが─────

 決着は直後に訪れたのである。

 

 多々良が背後から飛んできてチェーンソーを振り下ろそうとした瞬間、身体を反転させた一輝の目が真っ直ぐに多々良を貫く。

 既に攻撃準備を終えた体勢だ。相手の思考を読み切ってしまえば迎撃の準備は容易いという事だ。

 ─────だからどうした。

 多々良の動きに一切の躊躇いはない。

 向こうの攻撃が通じないのは分かりきっているのだから当然だろう。フェイントも何も仕掛ける様子もなく、ただ真っ直ぐに《陰鉄(いんてつ)》を突き出してくる一輝に多々良は哄笑を上げながら吶喊して。

 

 多々良は一輝の剣を見失った。

 しかし彼女が思考できたのはそこまで。

 なぜ自分の目が彼の剣を見失ったのか、そしてなぜ自分の思考がそこで途切れてしまったのかを、多々良が理解する事は出来なかった。

 

 「・・・・・・は?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 獲物を狩る笑みを浮かべたままの多々良が、口の中から首の後ろまでを貫かれたまま疑問符らしき一音を発する。

 そのまま一輝は手首を返し、多々良の延髄を貫通している《陰鉄(いんてつ)》の刃を横に寝かせて、そしてそこから振り抜く。

 首を半分切断された多々良の身体が、鮮血を派手に撒き散らしながらリングに落っこちた。

 束の間の沈黙。

 一輝が《陰鉄(いんてつ)》を振って血を払い残心の構えを取った瞬間、審判が思い出したように慌ててジャッジを下した。

 

 『試合終了ォォォオオッッ!! 勝者・黒鉄一輝選手──────!!! 一体何が起こったんだ!?

 全ての攻撃を跳ね返すはずの多々良選手の障壁が貫かれてしまった─────!!』

 

 『・・・・・・恐ろしい選手ですね。ハッキリ言って予想外の反撃でした。()()()()()()()()()()()()()、初戦ながらに我々は黒鉄選手を甘く見積もっていたようです』

 

 『牟呂渡プロ、それはつまり!?』

 

 

 「・・・・・・あー、はいはい。そういう事か・・・・・・」

 

 能力的に何の搦め手も持たない彼が《完全反射(トータルリフレクト)》を正面突破。

 その光景にしばし呆気に取られていた一真の思考が、何かに思い当たったように再起動した。

 

 「《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》よ。お主は理解できたというのか? 今の雨が大地から空に降るが如き矛盾が」

 

 「ああ、今理解(わか)った。ありゃ矛盾でもねえ。一輝はあの障壁を、破るべくして破ったんだ」

 

 ちっと複雑な話になるぞ、と一真は前置きした。

 

 「《完全反射(トータルリフレクト)》ってのは受けた攻撃をそのまんま反射する伐刀絶技(ノウブルアーツ)だろ?

 つまり障壁の攻撃力や強度は、接触した攻撃の強さに依存する。ここまではいいか?」

 

 「うむ」

 

 「イッキはそれを逆手に取った。自分が放った刺突が《完全反射(トータルリフレクト)》に接触したと同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 障壁を模した右手の平に、刀を模した左の人差し指で触れる。簡単なジェスチャーを交えて説明は続く。

 

 「そうすると《完全反射(トータルリフレクト)》に接触する力はごく僅かになる・・・・・・つまりその瞬間だけ、必然《完全反射(トータルリフレクト)》の攻撃力と強度はそれを反映した貧弱さになるだろ?」

 

 「あ、そうか! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 「その通り。言葉にすれば簡単かもしれねえが、この緩急に許された時間なんて蚕の糸ほどの余裕もねえ。・・・・・・この場の誰より剣技を極めた、まさにアイツならではの攻略法って訳だ」

 

 「ククク、成程。《一刀修羅(いっとうしゅら)》を使うまでも無いと。人間の技で超常を沈めるか・・・・・・そうか、今代の《神殺し》を背負う者は・・・・・・・・・」

 

 一真の説明に昂り思春期(じぶん)(せかい)に入り始める風祭だが、徐々にその表情に怪訝なものが混ざる。

 そして芝居のように眼帯を覆っていた手を顎に当て、こてんと首を傾げて彼女は問うた。

 

 「・・・・・・・・・もっと簡単な方法は無かったのか?」

 

 「()()。お前が言った通りに《一刀修羅(いっとうしゅら)》を使えば、たとえ多々良が空中に逃げようとしても速度に任せて押し切れただろうな。アイツの動体視力だって無敵じゃねえ、手数で処理能力をオーバーフローさせる事も出来たと思う。

 ()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()。アイツの《完全反射(トータルリフレクト)》、性質からして継続的な加圧には弱いだろ。

 飛び込んできた所を捕まえて寝技(グラウンド)に持ち込んじまえば後はもう締め落として終わりなんだから」

 

 「《無冠の剣王(アナザーワン)》がそこに思い至っていなかったという事か?」

 

 「いやァそれは無えだろ。そういう武術的なアドバンテージに、俺が気付けてアイツが気付かないなんて事はまず有り得ねえ。

 アイツはそういう選択肢を全て頭に入れていた上でわざわざあの方法を採ったんだ」

 

 「・・・・・・・・・・・・何故?」

 

 「それは流石に分かんねえなァ・・・・・・」

 

 2人揃って首を傾げる。

 不必要に高難易度な技を使った事に合理的な理由も無かったとするのなら、考えられる目的は己の力の誇示。あるいは周囲への挑発。

 だとしてもおかしい。

 戦いにおいて黒鉄一輝は合理的な男だ。()()()()()のこの大会で、わざわざ自分に対する警戒を高める真似をする道理がない。

 つまりは何らかの心境の変化があったのだろう。

 あの凪いだ泉のように穏やかな男がああも好戦的、いやさ粗暴な真似をしてしまうきっかけとは・・・・・・?

 

 「・・・・・・・・・・・・俺か?」

 

 いやいやまさか、と。

 流石にそれはないだろうと首を横に振ろうとした瞬間、強烈な寒気。

 静かな殺気を孕んだ一輝の去り際の流し目が、確実に一真を貫いていた。

 煽られたらしい。この程度は容易いぞ、自分はお前に届くだけの牙を持っているぞと。

 ─────ああ、なるほど。

 ─────怒りを腹に収めて流したんじゃなくて、逆に燃やして原動力にしてたのか。

 ホテルの中庭で聞かされた南郷の言葉を思い出しながら、一真は静かに空を仰ぐ。

 ここまで燃え広がった炎に対して、それを放った自分はそれに相応しいくらい強くなれているのだろうか。

 月影総理の思惑といい自分を取り巻く包囲網といい、ただ殴り合って優劣を決めるシンプルな催しによくもここまで因縁が絡むものだ、と彼は難しい顔をして考えていた。

 

 

 ステラについては最早語るまでもあるまい。

 己の視線の焦点とその周囲を一瞬で絶対零度の棺桶に叩き込む鶴屋美琴(つるやみこと)の《死神の魔眼(サーティン・アイズ)》をものともしなかったのだ。

 温度は下限がマイナス273度前後と決まっているのに対して、上限については天井がない。

 ()()()()()とばかりに放たれた『大爆発』によって鶴屋は降参を宣言する間もなく叩き潰され、戦いとすら呼べなかった何かは文字通りステラの圧勝で幕を閉じた。

 

 そして《七星剣武祭》1日目も終わりが近付く。

 若き英傑たちが鎬を削る大会は、順調にスケジュールを消化されていくかに思われた。

 《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音が引き金となった事件が、彼らの心に大きな(しこり)を残すまでは。

 

 

     ◆

 

 

 Dブロック1回戦。

 紫乃宮天音と薬師キリコ。結果は天音の()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という異常事態により彼女が棄権して病院へと蜻蛉返りしたからである。

 そこで明らかになった天音の能力の詳細。

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》───自分が望んだ未来を『色々と都合のいい事が起きて』叶えるという、超常を振るう者達をして滅茶苦茶と言わしめた。

 その場に居合わせて戦慄していた一輝や一真の前で、紫乃宮天音はこう言った。

 ─────僕は思い出したんだ。イッキ君がこの大会で優勝しなければ卒業させてもらえないって事を!

 ひどいよね、信じられない、と耳障りのいい同情の言葉を並べ立てる彼。

 いいからもう黙れと一真が制止しようとした時、とうとう天音は口にした。

 黒鉄一輝が最も大切にしているものを奪うという宣言を。

 優しさで出来ている男をして怒りと憎しみを瞳に宿させる程の、怖気の震う冒涜を。

 

 『だからね。僕はイッキ君にプレゼントしたいんだ。この七星剣武祭の優勝を!!!』

 

 

 

 

 「意外だったわね。正直あなたはあの場で彼を蹴り倒すんじゃないかと思ったわ」

 

 「正直それは考えた」

 

 夜。選手が宿泊する大浴場で話しかけてきた有栖院に、湯に浸かる一真が物憂げな顔でそう答えた。

 

 「けど、そうした所で意味が無え。身体を潰すのは簡単だが、あのドロドロの根っこを潰さなきゃまたアイツは同じ事を繰り返す。そうする為には・・・・・・俺はアイツを知らなさすぎる」

 

 「ああ、その辺りは成長してるんだね。僕もあの時君が場外乱闘で失格になる覚悟を決めてたよ」

 

 「なァお前ちょっと俺への当たり強くねえ?」

 

 同じように口元まで浸かって物思いにふけっていた一輝にサクリと刺される一真。

 確かに不甲斐ない戦いを見せた後なのだが、昨日から軟化の兆しも見えない態度に少しばかり泣き言が出てしまった。



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64話

 「まあ確かに不気味な男ではあるけれど、あまり意識しない方がいいわよ。何を考えてるか分からない奴の事なんて考えてると頭が変になっちゃうわ。それともぉ、あたしが何も考えられなくしてあげましょうか?」

 

 「え、遠慮しておきます」

 

 「冗談よぉ」

 

 妖しい視線を股間に向けてくる有栖院に青ざめながら首を振る一輝。風呂に浸かっているのに肝まで冷えた。

 ステラちゃんや珠雫に殺されたくないものと笑う有栖院の向こうから、形は違えど一真も彼に同意するように頷いた。

 

 「今はアイツよりも次の相手について考えるべきじゃねえか。トーナメントの進行上、お前とアイツの試合は両方勝ち進んで第4試合の準決勝だろ? ご丁寧に能力の説明まで垂れてくれたんだし、腰を据えて考える時はまだあるさ」

 

 「それもそうだね・・・・・・。けどカズマの立場的には、僕よりも彼が勝つことを望むべきなんじゃ?」

 

 「俺が勝ち進めば問題ない話だろ。どうせ優勝するのは1人だけなんだ。それに正直、もうアイツにゃ大会にいて欲しくは無えからなァ・・・・・・」

 

 友人や他の出場者たちの様子や戦いを見ていれば、全員がこの七星剣武祭にどれだけの想いを胸に出場しているのかはよく理解できる。

 それに一真だって表向きこそ体制転換のための尖兵としてこの大会に出場しているが、彼の本義は刀華や一輝との約束を果たす事にあるのだ。

 そんな決意や熱をもってこの戦いの祭典に身を投じている者として、天音のような悪意で掻き回そうとする異分子はとても歓迎できるものではなかった。

 

 とはいえ、()()()()()()()()()

 今も一真はそう考えている。

 見たことのあるあの瞳を、かつて感じたあの真っ黒を、その根源を理解できれば、あるいは自分がしてもらったように・・・・・・

 

 「何や、もう勝ち進んだ後の話か?」

 

 聞き覚えのある声がした。

 声の方を見ると、大浴場の入り口に肉厚な身体の偉丈夫が立っていた。

 

 「諸星さん!」

 

 「おう黒鉄。ウチで食わして以来やな」

 

 その男の顔を3人は知っている。

 武曲学園3年・諸星雄大。

 昨年度七星剣武祭の優勝者、つまるところ現《七星剣王》である。

 

 「一回戦見とったで。イカつい事しよんなホンマ、なんであんな真似が出来んねん。()()()()()()()()()()()()

 

 「そうでもありませんよ。あの時はあのやり方を通せましたが、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 諸星の婉曲な牽制に、同じように迂遠な言い回しで応じる一輝。パーティや『一番星』で話した時の印象とはかなり違う対応だったからか、諸星は面白そうに眉を上げた。

 一真の記憶では一輝はこういう腹芸じみた真似は不得手な男だったのだが、随分と肝が太くなった・・・・・・いや、性格が悪くなったと言うべきか。

 これは俺のせいなのかなァ、と何となく悪い気がしてきた一真だが、とりあえず一輝に乗っかってちょっかいを出す事にした。

 あまり積極的には人と関わらない一真だが、『一番星』でのやり取りを経て彼の中で諸星という男の存在はそれだけ大きくなっていたのである。

 

 「よう、あの時はご馳走さん。蟹工船の乗り心地はどうだった?」

 

 「いや発想が反社やないか。そん位の懐ならあるわい。・・・・・・王峰、お前にもエラいもん見してもろたわ。何でアレで死なへんねん。生き物の自覚持たんかい」

 

 「こっちだって鍛えてんだよ、あの程度で死んでたまるか。俺を貫きたきゃ戦艦の主砲でも引っ張ってこい」

 

 「そら大した自信やな。まあ安心しいや。戦艦の主砲はちょい荷が重いけども、貫く程度なら明日ワイが叶えたるさかい」

 

 「お?」

 

 空気に静電気が走った。

 大浴場の湯気に緩んだ空気が俄に張り詰め、諸星と一真の目の色が変わる。

 巨体を持ち上げるように浴槽から出た一真が諸星の至近距離まで接近。不敵な表情で見下ろしてくる諸星を、ほぼ真上から見下ろすように睨め付けた。

 

 「吹くじゃねえかクソチビ。たかだか2メートル程度の間合いで俺をつつけるか? 何ならこっちから近付いてやろうか」

 

 「デカくてええ的やで。まして敵を侮って手傷を負う輩、どこを刺したろか迷ってまうなあ」

 

 「よーし表出ろ。『殺して下さい』の言質取ったぞ。その棒っきれごとへし折ってやる」

 

 「そうサカんなや余裕が知れるで。じっくり相手したるから明日まで待たんかい」

 

 どんどん良くない方向に傾き始めた。

 なんならこの大浴場で事が始まってしまいそうな緊迫感に、一輝はじわりと汗をかき始めた。

 吹っ掛けたのは諸星からとはいえ、ああも交戦的に突っかかっていく一真を見るのは初めて・・・・・・いや、そうでもない。

 七星剣武祭が開催される前夜、東堂刀華に対していつまでも煮え切らない事を指摘した際にああなった。

 

 (結局のところ、一真がムキになるのって刀華さんに関わる事なんだよね)

 

 諸星雄大と王峰一真が激突する明日の2回戦。東堂刀華も勝ち抜けば、勝った方が明後日の3回戦で彼女と戦う事になる。

 己にリベンジする為に力を付けた彼女と戦いたがっている諸星と、彼女との約束を果たすためここにいる一真。

 一番星でご馳走になった時もそうだったけど刀華さんとことん肝心な場面に居合わせないな、と考えていた一輝だが、そろそろ現場の空気が不味い。

 付き合いの長さで凡そ察するが、一真が霊装(デバイス)顕現まで秒読み状態だ。

 諸星も流石に意地の他に慕情までプラスされている事は計算外だったのだろう。対戦相手の手前平然と振る舞っているが、明らかに『アカン煽り過ぎた』と目が泳いでいる。

 少しばかり仲裁が必要なようだ。

 自分としても、自分と戦うまで負けるなと約束した相手が試合外の私闘で失格という憂き目に遭うのは本意ではない。

 

 「カズマ」

 

 そう呼びかけた。

 名前を呼ばれて振り向いた一真に、一輝は人差し指で自分の隣をちょんちょんと指差してみせる。

 そこにいるのは有栖院凪である。

 嘘が真か心は女と公言する有栖院凪である。

 タオルを頭に乗せたまま湯から出た一真の下半身にネットリとした視線を注いでいる有栖院凪である。

 

 一真の動きが止まる。

 有栖院の視線の先にあるものを理解した彼はそっと頭に置きっぱなしだったタオルを腰に巻き、静かな動きで大浴場から出ていった。

 そして有栖院の視線はすぐ側にいた諸星にシフト。

 鍛え上げられた肉体を上から下まで目で舐め回された諸星も盛大に狼狽えた後、まだ入浴前にも関わらず一真の後を追うように大浴場から逃走。

 これで一件落着と一仕事終えた気分でいた一輝は、そこで薄ら寒い注目を注がれている気配を感じた。

 恐る恐る隣を見れば、有栖院の視線が今度は自分にロックオンされている。

 背筋を走るストレートな寒気。

 曖昧な笑みを浮かべつつ先に逃げた2人に続くように湯船から上がろうとした一輝の腕を─────、有栖院はがっしりと捕まえた。

 

 何なら一回戦の時より必死だったかもしれない。

 後に黒鉄一輝は、辛くも逃げ延びたその窮地をそう語っている。

 

 

     ◆

 

 

 七星剣武祭の会場になっている湾岸ドームには、赤と青の2つの入場ゲートが向かい合うように存在する。

 大会に参加している選手たちはその2つのゲートに半々で分けられ、その奥にある控え室で待機して入場のアナウンスを待つのだ。

 そして自分がどちら側のゲートに割り当てられるかは当日の早朝に委員会からメールで通知される。

 選手側としては毎回待機場所が変わるのは少々不便だが、試合形式がトーナメントである以上、毎回部屋が変わったり、一緒に待機する人間が変わったりするのは仕方のない事だ。

 

 何で急にこんな話をするかと言うと、その控え室に一真が一向に姿を現さないからである。

 

 同じ部屋で待機する事になっていた選手がいつまでも控え室に来ないことを不審に思い、お節介で係員に報告したのが始まり。

 最初こそ係員が注意に留めておく程度のものだったのが、いよいよ試合が始まるという時になっても彼が見つからない。

 職員があちこちを探し回り呼び出しのアナウンスまでかかり、そしてとうとう選手入場の時間。

 そして彼はどこで何をやってるんだと職員たちが頭を抱えた時、ようやく彼は姿を現した。

 控え室へは入らない。

 時間ピッタリになって戻ってきた一真は、そのまま入場ゲートへと進んでいく。

 

 『続いて! 青ゲートから入場してきたのは暁学園1年・王峰一真選手!!

 先の戦いで桐原選手の策略を堂々たる横綱相撲で(くだ)した圧倒的な破壊力、棄権しなければ昨年の七星剣王は彼だったという声は今も根強く残っています!

 奇しくもその解を求める対決となりましたCブロック第2回戦!

 どちらが真の(いただき)たるかを決める戦いが今始まろうとしています!!』

 

 大歓声が上がった。

 前年度王者と優勝候補筆頭の戦い、トーナメントの性質とはいえ2回戦とは思えないような好カードに全員のボルテージが上がる。

 ホームであるお陰か諸星を応援する割合が大きい叫び声の集合体を全身に浴びながら、一真は呆れたように息を吐く。

 

 「ズレた煽り方するなァ。そんなもんこの大会で優勝した奴に決まってるだろうよ」

 

 「せやな。それ即ちワイや」

 

 「おっ? 脳ミソ通天閣か?」

 

 「多分お前が世界で初めて言うたでそのフレーズ」

 

 何も意味が汲み取れへん、と諸星。

 

 「そもそも黒鉄王馬もおらん、化け物と噂されとったお前もおらんような大会で手に入れた頂点の称号なんぞ何の価値も無いわい。

 全部そろったこの舞台が初めての本チャンや。

 まずは1人目──────食い破ったろかい」

 

 低く放たれた言葉と共に、諸星雄大から静かなプレッシャーが放たれる。

 《八方睨み》と呼ばれる、威圧や重圧とは質の違う感覚。

 まるで密林の木陰のどこかに隠れた強大な肉食獣の視界に収められているような、どこへ進んでも爪牙の餌食にされてしまうという静かな危機感。

 これに対してただ踏み込めと言われれば、用意できる回答は『無茶を言うな』の1つきりだ。

 どこからどう仕掛けても確実に迎撃される、その未来がハッキリと手に取るように分かるのだから。

 

 しかし目の前に立つのは怪物。

 踏み込む死角が存在しない程度では、王峰一真は止まらない。

 

 「やってみろ。顎カチ割って(しま)いだよ」

 

 威圧。重圧。そのままだった。

 鋭さも弁えもなく、ただただ巨大。

 天を摩する怪獣の前に棒切れだけ持って立たされるようなどうしようもなさを、彼はどれだけの対戦相手に感じさせてきたのだろう。

 踏み込む隙や死角の話ではなく、そもそも踏み込む選択肢さえ浮かばないような絶対感だった。

 

 だが無論、諸星も怯まない。

 目の前に何が立っていようが、相手を前にして進まない者はこの祭典には1人もいない。

 

 「行くで。《虎王(とらおう)》」

 

 「踏み均せ。《プリンケプス》」

 

 『では! これより七星剣武祭2回戦、Cブロック!

 諸星雄大選手 対 王峰一真選手の試合を開始いたしますッ! 試合開始(LET's GO AHEAD)──────!!』

 

 

 

 消し飛んだ。

 始まりの合図と同時に上がりかけた歓声が、それ以上の轟音によって潰される。

 何が起きたのかよく分からない。

 ただ雪崩のような紫白が諸星を襲ったと思ったら、次の瞬間にはその紫白が食い破られた。

 食らったのは諸星が前に突き出した槍。

 色づく残滓を残して消えた自分の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を見て、一真は手品を見たような調子で感嘆する。

 

 「おお凄え。俺の魔力でも消えるのか」

 

 「当たり前やろ。強引に相手の上をいく能力だろうが関係あらへん」

 

 《暴喰(タイガーバイト)》。魔力を破壊する伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 その力に確立される対伐刀者(ブレイザー)における絶対性は、たとえ一真であっても関係ない。

 諸星は虎の模様を模した房飾りを着けた黄槍を前傾に構え、そして吶喊。

 攻撃も防御も食い破れるからこそのストレートな突撃だった。

 迎え撃つにも防ぐにも魔力には頼れない。魔力で対応しようとすればそれは決定的な隙になり得る。

 つまるところ、一真に残された選択肢は魔力に依らない対抗策である訳だが。

 

 「っとぉ!?」

 

 諸星が慌てて進路を変え強引に横っ飛び。

 直後、すぐ横を無数の質量が突き抜けていった。

 正体は瓦礫だ。より正確には砕かれたリング。

 大小様々な石の礫が、大砲サイズのショットガンになって諸星を襲ったのだ。

 

 『砕いたぁあ! 王峰選手、なんと足元のリングを破壊して諸星選手にぶつけようとしています!! 堅固な足場をまるで砂を蹴るように吹き飛ばしていく!!』

 

 『《暴喰(タイガーバイト)》対策としてはポピュラーな手段ですね。しかし高ランクの伐刀者(ブレイザー)の戦いにも耐えられるよう作られたリングを容易く抉る力で飛んでくる礫、あれを食らえば只では済みませんよ』

 

 己の能力を全力で振るって倒す。

 伐刀者(ブレイザー)にとって当たり前の考えにして陥り易い戦略の沼。

 武術を使うよりも能力を使った方が強い、武術を身に付けるより能力を磨いた方が強い。例え高ランクだろうと、そういった考えの伐刀者(ブレイザー)は大体諸星雄大の()()になる。

 

 だが真の強者は自分自身の地力の強さ、そして大規模で高度な戦いにおける小技の重要性を理解しているものだ。

 ましてこの王峰一真という男。

 考え方や小技の重要性を、友人との戦いを通して1年間みっちりと学習しているのだから。

 

 「うん。まずはこいつで様子見かな」

 

 油断はない。これで戦えるとは思わない。

 智を持つ怪物は戦った事のないタイプの敵を前にしてまずは情報を集める事にした。

 続けざまに2回、3回。

 砕き蹴り出された大小無数の瓦礫たちが、弾幕となって諸星に襲いかかる。



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65話

 それに対する諸星は限界まで身体を低くし、槍は大上段に構える。頭部を守りつつ瓦礫に対する面積を減らして彼は一気に攻め込んだ。

 確かに彼の能力は魔術ではないものには無力だが、『こういう対策』をしてくる相手と戦うのも慣れたものなのだろう。

 飛んでくる瓦礫を頭上にやり過ごし、激突する軌道のものは角度をつけた槍で最低限の力で弾く。

 そして諸星は次弾を放つため脚を後ろに振りかぶり片脚立ちになった一真を貫くべく、斜め下から鳩尾を目掛けて槍を突き上げた。

 ただの刺突ではない、1回打つ間に同時に3連。

 《三連星》と呼ばれる豪速の連撃が一真の脚の間合いの外から襲いかかる。

 

 「おっと!」

 

 外から見れば単発にしか見えない速度の三段突きを、一真は脚を後ろに振った反動も利用して後方に跳ぶことで回避した。

 蹴りを武器とする者の両足が地面から離れる、それ即ち好機。諸星は追撃を加えるべく即座に前へと大きく踏み込んだ。

 ─────直後、諸星は大きく身体を翻す。

 《駿馬の歩(インキタトゥス)》。

 後ろに跳びながら背後の空気を()()()逆に前方へと吹っ飛んだ一真が、地面と並行に跳ぶ猛烈な飛び蹴りを放ったのだ。

 間一髪で回避したはずの諸星の身体を蹴りで突き破られた空気が叩く。

 そして飛び蹴りが回避された瞬間、一真の蹴り足が紫白の光を放つ。

 またも()()()

 能力を使って空を踏み飛び蹴りから()()()()()()()()()()()彼は、さながら縮んだバネが跳ね上がるように全身を伸び上がらせ、全体重を乗せて諸星へと蹴り込んだ。

 三度襲い来る靴底。《虎王(とらおう)》の柄で防御した諸星だが、大型車両が衝突してきたような衝撃に重心ごと大きく後方に弾き飛ばされた。

 それを追いかけて一真は飛んだ。

 能力と魔力の強度にものを言わせて空を蹴った一真は一気に諸星の背後へと回り込み、飛んできた諸星の背中をバッティングセンターよろしく蹴り抜かんと空間を吹き飛ばすような中段回し蹴りを放つ。

 

 その瞬間、諸星雄大の姿が消えた。

 

 後方に吹き飛ばされる諸星は自分を追い抜かしていった一真を見て彼の次の行動を看破。

 槍の石突を背後の地面に突っ張るように突き立てて制動をかけつつ両足を地面に下ろし、そのまましゃがみ込んで一真の回し蹴りの下を潜り抜けたのだ。

 吹き飛ばされる勢いを利用して蹴りの下を抜けつつ逆に一真の背後をとった諸星は下半身の力を総動員。

 後ろに流れる身体を足腰の構えで停止させ、それはそのまま槍を突く構えになる。回し蹴りを外されて生まれた刹那の隙に捩じ込むように諸星は裂帛の気合いと共に銀色の穂先を撃ち込んだ。

 

 「しゃあッッッ!!!」

 

 捻りを加えて殺傷力を上げた一撃。

 しかしその(きっさき)が捕らえたのは服の切れ端のみ。

 脚一本で軽々と宙に飛び上がった一真が諸星の突きをバク転のような挙動で上に回避し、その勢いのまま諸星の脳天に流れるようにオーバーヘッドキック。

 まともに防御しては危険だ。

 先の一撃からそう判断した諸星は横に回避し、しかし一真はまたも空を踏んでそれに追従。そこから先は嵐に等しかった。

 天も無く地も無く。

 足の届く場所全てを足場にして、暴風雨のような蹴りの束が諸星に叩き付けられた。

 

 『凄まじい攻勢ぃぃいいっ!! 様子見も束の間、序盤からいきなり大きく動きました王峰選手!! 物理法則を無視した縦横無尽の蹴りが諸星選手に襲いかかる─────!!』

 

 『これは諸星選手には苦しい状況ですね。槍という間合いの広い武器は遠い敵には極めて有効ですが、穂先の内側に潜り込まれると対応が難しくなります。

 加えて王峰選手の体躯と脚の長さなら、ほんの少し穂先の内側に入るだけで諸星選手を有効射程範囲内に収める事が出来る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。能力による機動力も加味すれば、彼の攻勢を覆すにはかなり厳しい勝負を強いられるかと』

 

 『いやいや何やあの動き、もう格闘技じゃないやろ!?』

 

 『星いぃぃっ、逃げてくれええええ!!』

 

 四方八方から飛んでくる漆黒の脚鎧(ブーツ)を躱していなして何とか凌いでいく諸星。

 開幕から凄まじい攻勢を受けている彼に客席から悲鳴が上がり、一部は冷静に戦局を見定める。空を泳ぐように脚を振り回す一真に、思わずステラは呟いた。

 

 「あの動きのキレ、カズマのやつ直前までウォーミングアップしてたわね。道理で時間ギリギリまで戻って来なかった訳だわ。それにしても本当にメチャクチャな動きをするわね」

 

 「どこでも足場にできるという事はどこからでも攻撃を繰り出せるし、どこへでも逃げられるという事だからね。それだけでも脅威だけど、そこに彼のパワーが加わると本当に厄介極まるよ」

 

 蹴り終わって伸びた足で靴底に触れている空気を踏み、そこを足場に全身を移動させてその勢いでまた身体全体で蹴る。

 1回1回が渾身の一撃なのだ。

 いくら空中を歩きながらとはいえ普通ならこんな隙だらけの戦法など成立しないし、事実として諸星の目にも突くべき隙はいくらでも見えている。

 しかし。

 

 (反撃に移れん・・・・・・!! 掠るだけでも重心ごと吹っ飛ばされる!!)

 

 一撃一撃が尋常でなく重い。

 まともに受けては防御すら成立しないのだ。故に諸星は蹴りに対して槍に角度をつけて受けることで力を流れを逸らして防いでいるのだが、それでもなお身体が宙に浮く。地に足が着いていない状態で無理に反撃したとしても致命的な隙を晒すだけだ。

 加えてガードする度に槍を握る腕に蓄積していく鈍いダメージ、そう長い間受けに回ってはいられない。

 

 ならば─────受けずに躱す。

 このゴリ押しから抜け出すにはそれしかない。

 

 捌いたそばから飛んできた渾身の蹴りを、諸星は再び槍で受けた。

 それはただ力を他所に流したのではない。《虎王(とらおう)》で受ける角度を調整し、力を流す方向を意図的に操作したのだ。

 槍で受けた力の流れを下方向に逸らし、それを利用して浮き上がる身体をリングに押さえつける。

 地に足を着けた諸星は続く一真の渾身の、それ故に隙の大きい蹴りを余裕を持って回避した。

 そして、突く。

 回り込んだ側面から脇腹と首と心臓、一呼吸の間に3回同時。銀色に瞬いた《三連星》が、晒された隙を食い尽くさんと一真に牙を剥いた。

 

 が、しかし。

 大太鼓を叩く様な音を響かせて一真が消えた。

 貫くべき目標が消えた《虎王(とらおう)》が虚しく空を突く。

 

 「なっ!?」

 

 驚愕する諸星。

 あれだけの質量を持つ相手が視界から消えた。

 前後左右に気配は無いが、諸星は次に取るべき行動を既に弾き出していた。目の前の地面に落ちる影、それを見ずとも相手の居場所は既に特定できている。

 咄嗟に跳んでその場から離れた瞬間に、諸星の鼻先を巨重が掠めた。

 

 どがんっっっ!!!!と落雷のような音。

 貫かれるより早く高空へと跳び上がった一真が、そのまま諸星に向けて()()()()()

 《プリンケプス》の両脚に踏み砕かれたリングに巨大な亀裂が走る。

 

 『強〜〜〜〜〜烈な一撃ィィイ!! 諸星選手の反撃を強引に踏み潰してしまいました!! 伐刀絶技(ノウブルアーツ)を封じられて尚この破壊力、これが《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》の本領かああ!?』

 

 《暴喰(タイガーバイト)》。恐るべき伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

 魔力量や魔術の強さや巧みさを重んじる者が大多数の伐刀者(ブレイザー)達にとって、それを完全に無力化されるのは手足を捥がれるのと同義だろう。

 そこに加えて槍という射程距離に優れた得物と彼自身の卓越した槍術。同じ伐刀者(ブレイザー)に対する絶対的な優位は、生半な体術家では到底埋められないだろう。

 だがしかし、《暴喰(タイガーバイト)》には抜け道が存在する。

 

 1つ目は『伐刀絶技(ノウブルアーツ)以外には無力である事』。

 2つ目は『体外に放出されていない・触れていない魔力には干渉できない事』。

 一真はこの2つを徹底して立ち回っていた。

 

 魔力の通わない石礫で攻撃し、魔力の運用は身体強化や『踏む』能力の発動など体外に放出されず無力化しようのないものだけ。

 そうすればものを言うのは体術と純粋な魔力量だ。

 

 (別に複雑な対策って訳でも無え。同じ事を考えた奴も、同じような戦い方で挑んだ奴も今までごまんといただろうさ)

 

 砕けたリングの破片が宙を舞う刹那の時間、一真は辛うじて降ってきた鉄槌から逃れた諸星を睨む。

 その目に浮かぶのは明確な脅威。

 自分が倒してきた相手が浮かべるいつもの表情。

 それ即ち、─────自分の勝利。

 

 「俺をその中の1つだと思ったのが敗因じゃあねえのかァ!?!?」

 

 爆発。

 リングを踏み砕いた姿勢から、一真は全力で地面を蹴って諸星に向けて突っ込んだ。

 揃えた両脚の靴底は正面、ミサイルのようなドロップキック。受け流す事など不可能なエネルギーだ。食らえば終わり、防御したところで観客席の壁に防御ごと挟み潰されて終わるだろう。

 ならば回避するしかない。

 凄まじい速度だが単純な直線運動だ、躱すのは容易い。諸星は即座に横へ跳ぼうと地面を蹴って、

 

 「なっ、」

 

 足を滑らせた。

 原因は足の下にあったいくつかの小さな石礫。

 一真によって散々破壊されたリングの破片が、ここに来て最悪の形で諸星に牙を剥いたのだ。

 転倒は免れた。しかしもう回避は免れない。

 彼に残された手段は2つ。

 無駄と分かっていても防御を固めるか、一か八かカウンターを狙うかのどちらかだ。

 そして勝負を諦めないのであれば選択肢は1つきりで、足を滑らせた出遅れでそれすらももう怪しい。

 

 「終いだ」

 

 「クソッタレがぁぁああ!!!」

 

 思わぬ所で入った天の助けに獰猛に笑う一真。

 対する諸星は捨て鉢で《虎王(とらおう)》を突き出してくるが、それは《プリンケプス》に阻まれて何の意味も為さない事はもう分かりきっていた。

 諸星雄大、確かに比類無き強者だった。

 去年に東堂刀華が敗れ去ったのも頷ける。

 しかし─────自分の勝ちだ。

 こいつがiP S再生槽(カプセル)から出てきたら、昨晩のお返しで散々煽り倒してやるのもいいかもしれない。

 そして自分はようやく彼女との約束を──────

 

 

 いや、待て。

 何かがおかしい。

 

 脳裏に過ぎった影に一真の思考が急加速する。

 

 語るまでもなく諸星雄大という男は強い。

 そんな事は去年から分かりきっていた事。

 伐刀者(ブレイザー)に対する絶対的な能力だけでなく、一目で一級品と断言できる程に練り上げられた類稀な槍術。黒鉄王馬も王峰一真もいない試合で獲った頂点に価値などないと言い切っていたが、自分と同じ師の元で競い合ってきた刀華を破った時点で、諸星雄大の実力と眼力は学生騎士の中でもトップクラスだろう。

 

 そんな男が─────自分の足元の状況を見落とすなどという凡ミスを犯すだろうか?

 

 既視感を覚えた。

 これと同じものを見たような覚えがある。

 いや、間違いなく『ある』。

 戦いの駆け引きの中で相手が何かミスをして、それで自分の勝利を確信する場面。

 考えてみれば()()()()()()()()()()()()と分かるのに、そこに至るまでの流れが自然すぎて気付かず流されてしまう場面。

 

 

 ああ、そうだ。

 こいつ、黒鉄一輝と似てるんだ。

 

 

 (イヤだったらコレ不味いだろ───!!?)

 

 

 

 甲高い音がした。

 分厚い金属が砕け散る、壊滅的な破壊音。

 諸星の槍と接触したと思った瞬間、不自然に挙動を変えた一真が空中でくるりと回転しながらボロボロのリングに着地した。

 ───一体何があったんだ?

 あのまま突っ込んでいれば、足元を悪くした諸星はなす術なく潰されていたのに。

 そう思っていた観客たちは、その光景の異様さに気付いた者から順に絶句していった。

 

 《プリンケプス》が崩れていた。

 一真の纏う漆黒の脚鎧(ブーツ)、その右脚部分が四分の一ほど消滅している。

 霊装(デバイス)伐刀者(ブレイザー)の魂そのもの、それが破壊されてしまえばそれは痛烈な精神ダメージとなって伐刀者(ブレイザー)の意識を容易く断ち切る。

 もし寸前でその可能性に思い至っていなければ、あるいはもう少しでも遅れていれば彼は敗北していただろう。

 霊装(デバイス)からフィードバックされてくる精神的負荷を受けて全身に脂汗を浮かべた一真が、青筋を浮かべ笑いつつ諸星を睨む。

 

 『こ、これは、いつの間にか《七星剣王》が《暴喰(タイガーバイト)》を発動させている! しかし王峰選手は伐刀絶技(ノウブルアーツ)を何も使っていなかったはず・・・・・・、! まさか!!』

 

 『気が付いたようですね。伐刀絶技(ノウブルアーツ)を消滅させるという事は、そこに存在する魔力を消滅させているという事。そして伐刀者(ブレイザー)の武装、霊装(デバイス)を構成しているものもまた魔力!

 どうやら諸星選手はこの1年で恐ろしい力を身に付けたようです・・・・・・、今の彼の《暴喰(タイガーバイト)》は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!』

 

 「トーカ・・・・・・これヤバくない?」

 

 「やばい、どころじゃないよ・・・・・・」

 

 聞いていた全員が息を詰まらせた。

 つまり諸星雄大を相手に打ち合うという事は、どうぞ殺して下さいと自分の心臓を差し出すのと同じ。

 今回は完全な破壊だけは免れたが2度目はないだろう。

 伐刀絶技(ノウブルアーツ)は最初から通じず、諸星の《虎王(とらおう)》を《プリンケプス》で受けることも出来なくなった。

 即ち、丸腰だ。

 学生騎士の頂点を相手に、一真は裸一貫で戦わなければならなくなった。

 

 「やってくれたなァ・・・・・・」

 

 「惜しいな。もう少しでその脚を田楽刺しにしてやれたんやが」

 

 さっきまでの追い詰められた表情はどこへやら、諸星は不敵な笑みを浮かべて悠然と一真を見据えている。ここまでの流れが全て演技、あの虎口へと続く舗装された道だったのだ。

 ここに来て一真は理解する。

 見かけや口調などの雰囲気による豪傑のような印象とは裏腹に─────考え方が恐ろしく(したた)かだ。

 強力な能力を持ちながらも、その本質は黒鉄一輝と同種のもの。

 

 《暴喰(タイガーバイト)》は伐刀者(ブレイザー)にとっては恐るべき脅威だがそれ自体に殺傷能力がある訳ではないため、相手にそれを当てる為の体術や戦略こそが肝要となるのだろう。

 故にこそ磨かれた駆け引きの広さと深さ。

 自分のそれは黒鉄一輝の住まう域には至っていない。今から頭をこねくり回して何かしらの策を弄したところで、この男には絡め取られて終わりだろう。

 ではどうする。

 深謀遠慮(あたまのよさ)で敵わない相手に戦うには───

 

 「───こっちが、馬鹿になるしかねえわな」

 

 

 諸星が眉を顰める。

 見ている者全てが言葉を忘れる。

 武装も能力も通じないこの状況は、確かに丸腰と変わらないだろう。

 しかし本当に丸腰になるなんて、誰も予想だにしていなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 破壊された霊装(デバイス)は一度引っ込めれば直るというものではない。俄には信じ難い行動を前に、真意を理解した諸星が呆れと感嘆が混ざったような息を吐く。

 

 「・・・・・・成る程なぁ、そういう事かい。理屈は分かるけど馬鹿やろ、自分」

 

 「師匠(せんせい)曰く俺ァ天才肌ってヤツでなァ。考えるより直感で動いた方が正解なんだよ。思ったように戦えば大体イイ方向に転ぶんだ」

 

 『こっ、これはどういう事だあっ!? 王峰選手、霊装(デバイス)を解除してしまった!! まさか万策尽きての試合放棄なのか!?!?』

 

 『それは違います。王峰選手の戦意は消えていません。確かに白旗を上げたように見えますが、あれは立派な作戦ですよ』

 

 『作戦、ですか? 武器を放棄するという選択が?』

 

 『ええ。確かに霊装(デバイス)とは魔法の杖、これの顕現無くして伐刀絶技(ノウブルアーツ)は発動できません。しかし諸星選手が相手では伐刀絶技(ノウブルアーツ)は意味を為さないし、頼みの霊装(デバイス)は剥き出しの弱点に成り下がる。

 ─────()()()()()()()()()()()()()()

 諸星選手に殺傷能力のある伐刀絶技(ノウブルアーツ)が無い事も利用して、王峰選手は戦いの形式を純粋な体術の(くら)べ合いに変えてしまったんです』

 

 黒鉄一輝は思わず身を乗り出した。

 大小様々な異能を携えた者たちが集う祭典で始まったまさかの純粋な格闘戦、それに驚いたのもある。

 しかし何より、これから見れるだろう物に対する衝動のせいだ。

 恋人のスイッチが突然切り替わって驚いているステラに、一輝は抑えきれない期待感を声に馴染ませる。

 

 「ステラ。どうやら僕達は初めてカズマの本気が見れるみたいだ」

 

 「ほ、本気? アイツ今まで本気で戦った事がなかったっていうの!?」

 

 「ああいや、そうじゃなくてさ。よっぽど特殊な条件でもない限り、伐刀者(ブレイザー)伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使わずに戦うなんて事はないよね?

 だから彼の『伐刀者(ブレイザー)としての強さ』は知っていても、体術の技量は僕もよく分からないままなんだよ」

 

 「・・・・・・成る程、そういう事ね。アタシと同レベルのランクと火力特化の能力ともなれば、()()()()()()()()()()()。駆け引きの巧さなんて測りようがない」

 

 「そう。間違いなく強い事は知っているけれど、実際に目にするのとでは雲泥の差があるからね。それを戦う前に知れるのは大きい」

 

 一輝の目の色が変化する。

 明らかになっていなかった好敵手の引き出しを労せずして知れるという僥倖。

 自分の中の知識を使って今まで見てきた彼の動きを分析し、技術体系を予測する楽しみ。

 そして、その自分の予測を間違いなく超えてくるだろう彼に対する期待。

 隣にいるステラ・ヴァーミリオンが面白くなさそうな表情をするくらいには、今の彼はラッピングされたプレゼントを前にしたかのように胸を躍らせていた。

 

 

 「『格闘家としての王峰一真』。今の僕にとってこれほど興味を惹かれる文言はそうそう無いよ」



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66話

 様々な異能が乱れ飛ぶ七星剣武祭で始まった純粋な体術勝負に湾岸ドームがどよめいた。

 しかし諸星に一切の動揺はない。悠々とした動作で《虎王(とらおう)》の矛先を寝かせて身体を斜に構える。

 その瞬間、ドームにいた全ての人間が戦慄した。

 試合が始まる直前にも観衆全てを呑み込んだ踏み込む隙を与えない威圧感は、武器を失い弱体化した一真に対しても平等に襲いかかっているはずだった。

 

 『いいハートを持っていますね。霊装(デバイス)を失った状態で《七星剣王》の威圧に動じないのは能力にかまけず鍛えてきた証拠でしょう』

 

 内心で苦い顔をする諸星。

 向けられた鋒を前に一真は静かに構えていた。

 背筋は芯を通したように直立。

 両脚を外旋させ、それぞれの爪先は完全に左右の外側を向く。

 右足の土踏まずに左足の踵がぴたりとくっつき、肘を曲げた両腕は腹に物を抱えるようにゆるくカーブを描いていた。

 武術にしては奇怪で窮屈な構え。

 しかしそれが彼の臨戦体勢である事は理解できる。

 なぜなら彼がその構えを取った瞬間、霊装(デバイス)を展開していた時と何ら変わりないプレッシャーを彼から感じたからだ。

 

 (・・・・・・(よわ)なった気ぃせえへんぞコイツ)

 

 「純粋な技だけで戦うなんざ何時(いつ)ぶりかなァ」

 

 眉に険を寄せる諸星に薄く笑う一真。

 死合いの最中だというのにまるで懐かしい玩具を見つけたような、いっそ楽しそうですらある顔だった。

 つまりそれは自信の現れ。

 これを以てすれば眼前の敵を屠り得るという確信。

 霊装(デバイス)無くとも己の肉体こそが武器であると、王峰一真は知っている。

 

 「じゃあ改めて────試合開始(LET's GO AHEAD)、ってな」

 

 その一言が終わるよりも早く諸星が仕掛けた。

 そして始まった武器と無手の腕比べ。

 開いたドームの屋根の上に座っていた西京(さいきょう)寧音(ねね)が、実に面白そうな顔をしてその様子を見下ろしていた。

 

 

     ◆

 

 

 巨漢を斃す基本は末端、つまり四肢を狙う事だ。

 故にまず諸星が狙ったのは一真の脚。

 一呼吸に三発同時に撃ち抜く《三連星》、しかも狙う場所は両脚のそれぞれ違う箇所。

 蹴りを主軸に戦う一真は移動や回避行動を取ればそれだけ攻撃やカウンターの機会を手放す事になるはず、加えて槍によるリーチの有利を考えれば速攻を仕掛けるのは最適解と言えるだろう。

 それを一真は後ろに跳んで回避した。

 体軸は真っ直ぐなまま、爪先が地面に付く程に低空な跳躍。ともすれば地面を滑ったのかと錯覚するほどに滑らかな後退に対して、諸星はもう一度大きく踏み込んで《三連星》を放つ。

 一真はそれをまたバックステップで回避した。

 追い討つ諸星、退く一真。

 目にも映らぬ疾さで襲い来る刺突の(つる)べ打ちに退がり続ける姿は、いかにも一方的な展開に見えた。

 

 「ええぞー星ぃー!!」

 

 「舐められとるぞ! 串刺しや串刺し!!」

 

 『霊装(デバイス)を失ったのはやはり厳しいか王峰選手! 諸星選手の猛烈なラッシュに為す術なく後退を続けています! このままだとリングの端が近いぞ!?』

 

 「いや、違うな。あれは逃げてる訳じゃない」

 

 一真の動きを注視しつつ一輝はそう判断した。

 

 「どんどん回避の動きが小さくなっている。()()()()()()()()()()()()()。七星剣王の槍を真正面に置き続けるのは並大抵の胆力じゃない」

 

 「というかアイツほとんど脚を動かさずに跳んでるわよ。普通に跳んでもその場に残った脚を貫かれるからそれが正しいのは分かるけど一体どうやって・・・・・・・・・・・・、()()()()()()()?」

 

 「そうだね。スタイルの源流がバレエである事を考えればそれが正解だ」

 

 膝を曲げて脚で跳ぶのではなく、爪先で地面を捉えて股関節を捻ることで最小限の距離を跳ぶ。

 全身の隅々まで柔軟さと瞬発力を突き詰めたバレエダンサーだからこその特異な体捌きだった。

 一真の意図を理解した諸星が《三連星》の狙いを変更、顔面を突きにいって脅しを掛けたのだが。

 

 (目瞬(まばた)き位せえや)

 

 鼻先を掠める刃先に一真は一切動じなかった。

 この距離なら当たらないという最低ラインを早々に見切っている─────これも舞台で踊る為に鍛えられた空間把握能力だった。

 だが、()()

 ギリギリで回避してくれるならこちらのものだ。

 まず1発目、最初の作戦通りに脚を狙う。例の如く後ろに跳んで躱された。

 2発目、今度は狙いを変えて胴体。より大きく踏み込んだその一撃はバックステップでは逃れられないが、一真は軽く身を捻って回避。

 そして3発目。

 諸星は《虎王(とらおう)》を引き戻す動きに隠して槍を少しだけ長く持ち直して顔面を突いた。

 踏み込む幅は変えずに手元でリーチを伸ばすフェイント。持ち変えた分だけ間合いを延長された刃が一真を突き刺しに行くが、一真はまたそれを頭を傾けるだけで避ける。

 

 その瞬間に軌道が変わった。

 ()()()()と曲がった諸星の槍が、すぐ横にあった一真の首を殺意を以て追いかける。

 

 「うぉあッッッ!?!?」

 

 目を剥いた一真が大きく跳んだ。

 追いかけて来た穂先に切り裂かれた首筋からしたたかに赤色が飛び散った。

 動脈にこそ届いていないが与えたショックは確かに命に肉薄しただろう。

 『何が起きたか分からない』。

 両眉を互い違いに歪ませる彼の顔にはハッキリとそう書いてあった。

 

 『当たったぁぁああ! ここまで順調に回避していた王峰選手ついに被弾! 傷は浅いが初めてのダメージ、オープニングヒットは七星剣王だああああっ!!』

 

 (あァ、成る程なァ・・・・・・。タネはまだ分からねえが、去年の刀華はコレにやられた訳か・・・・・・)

 

 「やっぱり使ってきたわね。去年の私は避け損なって脇腹を持っていかれたけれど」

 

 「あの、会長。今の突きに何か秘密があるのですか? 私にはただ一真さんが《三連星》の締めを避け損なったようにしか見えなかったのですが」

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()。諸星くんの槍術は『刺突』という点の攻撃だけで構成されてるから避けやすいという弱点があるんだけど、そこに付け入ろうとするとあれにやられる」

 

 「曲がって追いかける・・・・・・? 槍が曲がるという事ですか? しかし彼の能力は魔力を消す能力のはず、そこに全く系統の違う伐刀絶技(ノウブルアーツ)を持っているとは考えにくいのですが」

 

 「うん、そうだね。あの突きは伐刀絶技(ノウブルアーツ)じゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 オープニングヒットを取った以上、この流れに乗って諸星くんは主導権を取りに来るはず。・・・・・・カズくんにとっては正念場ね」

 

 そして刀華の言う通り試合は動いた。

 一気に攻め込んできた諸星が《三連星》を無数に繰り返して生み出される刺突の驟雨を一真に見舞う。

 だが────その速度と密度が、さっきまでの比ではない。

 何故ならさっきまでの《三連星》は《暴喰(タイガーバイト)》の撒き餌にするために最高速を加減していたからだ。

 しかし一真が霊装(デバイス)を消した今、速度に制限をかける必要はない。

 膨大な練習量の果てに骨と血肉に刻み込んだ、思考すら介さずに敵を追い殺す魔法に等しい体技の極致が機関銃に等しい弾幕となって一真に殺到した。

 

 「オラオラどうした王峰ぇ!! 逃げてばっかじゃ勝てへんぞ!!」

 

 『血飛沫が舞う血飛沫が舞う! ()()()()()()()()回避し続ける王峰選手の身体に次々と切創が刻まれていきます! クリーンヒットも時間の問題か!?』

 

 『霊装(デバイス)が使えないという制限上、防御が出来ないというのが痛いですね。近代兵器の破壊力にすら耐える硬度の武器を前に生身はあまりにも脆い。あの速度で迫る槍を弾くどころか、柄で蹴りを防御されただけでも最悪骨折に至ります。

 確かに戦闘を続行する上で霊装(デバイス)の解除は正しい選択でしたが、依然として追い込まれている事には変わりないかと』

 

 突き出す瞬間に手首と肘の角度を変えて刺突の軌道を曲げる。

 それが諸星の《ほうき星》。

 槍が曲がったとすら錯覚する鋭さで変化する刺突が上下左右、手元で間合いを変えながら縦横無尽に曲がって一真を襲う。

 身体を捻って辛くも回避し続ける一真だが回避した瞬間を追尾されては完璧な回避など不可能に近い。クリーンヒットこそ貰っていないが、掠めた《虎王(とらおう)》の穂先に浅い傷を刻まれていっている。

 

 「カズくん・・・・・・」

 

 ギュッと拳を握る刀華。

 かつて《ほうき星》の前に敗れ去ったあの技の厄介さを、あの状況に立たされた彼の窮地が如何なるものかを彼女は身を以て知っている。

 選抜戦の時もそれ以前も彼の勝利を疑ってなどいなかった彼女が彼の敗北を覚悟したのは実は初めてに近い事かもしれない。

 しかしこの時、勝利は目前に思える諸星も不安定な状況に立っていた。

 ─────どういう事や?

 諸星の表情は固い。

 《ほうき星》の強みは回避直後の無防備な状態の相手を攻撃できる点にある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこで気付いた。

 自分の槍から退がって逃げていた彼が、いつからかその場から動かずに回避するようになっている事に。

 腕を振り回して必死に避けていると思っていた彼の動きが、なにか一定のリズムを保っている事に。

 少しずつ全身に赤色が増えていく彼の目に、一切の動揺や危機感が存在していない事に。

 

 そして次の刹那、王峰一真は諸星雄大の懐に這入(はい)り込んでいた。

 確かに(とお)()にいたはずの巨体が、気配の察知も許さずに槍が使えない生身の領域へと。

 

 「は!?」

 

 

 ごぎんっっっ!!!と凄まじい音がした。

 膝蹴りだった。

 斜め下から腹へと突き進んだ一真の膝は諸星の頭の位置よりも高く突き上げられ、ギリギリ《虎王(とらおう)》の柄でガードした諸星の身体が軽々と宙を舞う。

 そこからさらに追撃、地面に対して垂直に美しい円を描いた一真の脚が空中で目を白黒させる諸星を地面に叩き落とした。

 生身の脚が槍の柄と激突したとは思えない戟音。

 辛うじて受け身は取ったがそれでも石の地面から伝わる衝撃は諸星の体内を駆け回った。

 肺から空気が絞り出される。

 衝撃に耐えようと全身の筋肉が硬直しそうになるが、そんな致命的な隙を晒している余裕などない。

 見えたからだ。

 地面に倒れた自分の頭に向けて思い切り脚を振りかぶられた一真の脚が。

 

 下から上、上から下、そして締めの一撃。奇しくも《三連星》と同じ3発の構成。

 初手の2発で相手の重心を揺さぶって姿勢を崩してから最も手薄になった所に本命の一撃を叩き込む、埒外の巨軀ゆえに成立する攻撃の『型』─────

 

 「《八咫烏(やたがらす)》ッッッ!!!」

 

 振り抜かれた。

 死に物狂いで地面を転がって回避した諸星を逆巻く風が叩く。

 呼吸も後回しにして立ち上がり大きく距離を取った諸星の背筋からドッと冷や汗が流れ出した。

 《虎王(とらおう)》を握る腕に残る衝撃の痺れ。

 今のどれかを一撃でも食らっていたら──────

 諸星はダメージで乱れた呼吸を整え、一拍遅れて実況が叫んだ。

 

 『こ、こっ、ここで逆襲ぅぅう!! 防戦一方だった王峰選手が突如として牙を剥きました!!

 変幻自在の雨霰を吹き飛ばす暴風のような蹴り! 劣勢をたった3発で押し返してしまったああ!!』

 

 『おいおいおいスゲー音したぞ! 足と霊装(デバイス)がぶつかったんだよな!?』

 

 『骨が折れたりとかしてないのか!?』

 

 「・・・・・・お前、()()()()()()()

 

 「お、気付くか。流石に見破るのが早えな。まあいいさ、俺もあの突きのカラクリは見抜いたし」

 

 口元に静かな笑みを滲ませながら一真は手のひらを差し出すように諸星に向ける。

 直立した構えとその優雅な所作は一瞬、ここが戦いを繰り広げるリングの上ではなく舞踏会の会場に変化したかのような錯覚すら覚えた。

 超硬度の結晶を蹴った痛みも武器の有無による変わらない不利も本当にあるのか疑わしくなるような涼やかさで、彼は逆襲の牙を剥き出した。

 

 「じゃあ踊ろうぜ。七星剣王」

 

 一言と共に一真は駆け出した。

 脚はあまり曲げず、大股で弾むように前へ。

 無駄の削ぎ落とされた、しかし見慣れない異質な動きを諸星は正面から迎え撃った。

 まずは牽制。先に槍の間合いに入ろうとする一真の突進を止めるための1発が命中する数ミリ先で一真は停止した。

 途中で歩幅を狭めたのだ。

 しかし減速でタイミングをズラされ命中こそしなかったが、前進を止めるという目的は果たした。間合いの内側への侵入を阻んだ諸星は即座に2発目を打ちにかかる。

 その寸前で一真は身体を捻りながら跳んだ。

 

 「《鳶打(とびうち)》」

 

 突き出された槍を横から蹴り飛ばして弾きつつ回転、その勢いを乗せた逆の足による後ろ蹴りで諸星の頭を狙う。

 回るような動きで相手の攻撃を弾いて空中から奇襲をかけるという2段蹴りの応用だ。

 咄嗟に首を傾けた諸星の頬に焦げるような擦過傷がついた。

 

 (やり辛いわ。完全に初見なスタイルな上に、なまじ最初に攻め続けたせいで対処法を見つけられとる)

 

 完璧に反撃を合わされた彼は再び距離を取って《虎王(とらおう)》を構え直す。

 相手に自分の情報を握られた上で自分は情報の収集から入らねばならない難しさを、諸星はひしひしと感じていた。



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67話

 『舞い』とはリズム。リズムとは呼吸。

 極めた舞踏を武術に昇華させた彼は、相手の呼吸(リズム)を時計のように正確に理解する。

 どのタイミングで動くのか。

 どの姿勢からどう仕掛けてくるのか。

 押してくるのか、引いてくるのか。

 絶対的価値観(アイデンティティ)を暴くなどという人外の所業とは違うが、相手の行動の方向性とタイミングを感覚で予知できる─────()()()()()()()ことがどれだけのアドバンテージかは語るべくもない。

 

 「おらぁぁぁああああっっ!!」

 

 猛然と打ちかかる諸星。

 機関銃の弾幕と大差ない密度で殺到する《虎王(とらおう)》の穂先を、もう一真は左右に躱すことはしなかった。

 ただ最小限後ろに下がる。

 鼻先に太刀風を感じるほどの髪の毛のような限界の間合いで槍を回避しても流石に迂闊に踏み込む事は出来ないのか、一真はじっと間合いの外に引き続けていく。

 

 そして軽く踏み込んだ。

 

 「どぁあっっ!?」

 

 またも戟音。

 脛の骨と槍の柄が激突する音を奏でて諸星が吹っ飛んだ。

 人間は何も無しに激しい運動が出来る生き物ではない。効果の薄そうな無酸素運動の連撃を他の行動に切り替えるために息を入れる刹那の一区切りを狙われたのだ。

 両足が宙に浮いた諸星を追うようにさらに大きく踏み込んだ一真が追撃の中段回し蹴り。脇腹を潰しにきた鉄柱を槍で防いだ諸星はわざと大きく吹き飛ばされることで距離を稼ぎ体勢を立て直す。

 さっきから気に食わない事がある。

 油断なく《虎王(とらおう)》を構え直した諸星は、忌々しそうな顔で心中で吐き捨てた。

 

 (さっきから弁慶の泣き所を槍で受けとんのやぞ? 少しは痛がれや。どんな骨してんねん)

 

 「縛り有りの体術で戦うのなら部位鍛錬は基本のキさね。あたしとジジイが昔っからぶっ壊しまくってんだ、カズ坊の脚の骨はもう現生人類のそれじゃねーよ」

 

 どことなくしてやった笑みを浮かべる西京寧音。

 開いたドームの縁に腰掛ける彼女の眼下で2人はさらに激しく激突していく。

 脚を中心に突きをばら撒いて機動力を縛り付けようとする諸星に呼吸の間隙を突いて反撃する一真。そこにもはや素手と武器のハンデはなく、真に武器と武器の戦いの様相を呈していた。

 そしてジリジリと後退しているのは諸星の方。

 

 「体重(ウエイト)の差があり過ぎるわ。防御しても重心ごと吹き飛ばされて反撃の機会を失ってる。それにしても七星剣王は少し攻撃を焦っているような気がするわね」

 

 「体格による錯覚だね。カズマは並外れて身体が大きいから、相手は彼が実際の距離よりも近いところにいるように感じてしまう。

 有体に言えば()()()()んだ。リーチの長さもそれに拍車を掛けているから、外から見るだけでは計り知れないプレッシャーを諸星さんは感じているはずだよ」

 

 リーチによる制圧力という槍の強み。

 それが奇しくも同じ強みを持つ一真の脚によって相殺されている。

 一真がほんの少し踏み込めば諸星は脚の射程範囲に収まるのだ。加えて一真は諸星の呼吸を暴き、前へ出るタイミングを理解している。

 とはいえそもそものリーチは諸星に利がある上に魔力による防御は無意味なので一真が有利という話でもない。

 一撃。当てた方が流れを持っていく。

 

 「しぃっ!」

 

 《虎王(とらおう)》が引き戻されるのに合わせて前に出た一真が爪先で諸星の脛を狙う。

 命中すれば片足の破壊は免れない一撃を諸星は足を下げて回避、その動きで構えの左右を切り替え(スイッチし)た彼は蹴り脚を下ろす前の片足立ちの状態になっている一真に刺突の束を見舞う。

 それを一真は回転しつつ大きく身体を傾けて回避。

 軸足ごと回転軸を傾けた一真の後ろ回し蹴りが異次元の距離と角度から飛来する。

 

 (どんっ・・・・・・な体幹してんねん!?)

 

 のけぞって踵を頬に掠らせつつ目を剥く諸星。

 無理な姿勢での大振りの蹴りを回避されたはずの一真は、しかし次の瞬間には元の姿勢に戻っている。

 一真の蹴りを回避しにくい理由がこれだ。

 上・中・下段、そして正面。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。蹴りの始めと終わりから次の動きを推測することができないのだ。

 激しく動く並外れた長身を転ばさず安定させる埒外の体幹が可能とする彼の蹴りは、相手と呼吸を合わせる事でさらに対応が困難なものとなる。

 それこそ、槍のリーチがあってようやく五分(ごぶ)と呼べる位には。

 

 「っ!?」

 

 とその時、想定外の動きが起きる。

 《ほうき星》を警戒して常に後ろに回避していた一真が、《虎王(とらおう)》を()()()()()()のだ。

 当然一真を追いかけていく刃の穂先。

 しかし彼は《虎王(とらおう)》の柄に横から右手を添えて左回転、諸星の《ほうき星》の軌道を逸らして回避した。

 右手で槍を逸らした一真はそのまま回転しながら左腕を伸ばす。

 身長相応の長い腕が諸星の後頭部を手のひらで掴み、勢いに乗せて顔面から地面に投げ倒した。

 咄嗟に受け身を取って石のリングにキスする事だけは拒絶した諸星はその刹那、自分の上から莫大な殺気を感じた。

 何かが来る。

 自分を一撃で屠り去るナニかが。

 金切り声で泣き叫ぶ第六感が命じるままに、うつ伏せに倒れた諸星は無我夢中で横に転がった。

 

 

 「《獄落鳥(ごくらくちょう)》ッッッ!!!」

 

 

 ゴドンッッッ!!!!と。

 例えるならボーリングの球を思い切りレーンに投げ落としたような、そんな音。

 最大まで振り上げて渾身の勁力を込めた踏みつけ(スタンプ)が、一瞬前まで諸星がいた地面を踏み砕いた。

 蜘蛛の巣のように広がるリングのヒビ。

 ギリギリで回避したその一撃の破壊力を前に、冷や汗は一瞬遅れて噴き出した。

 

 (何や、今のは───、()()()()()()()()()??)

 

 夢中で立ち上がり、後ろに引いて構え直す。

 分かってはいた。しかし改めて理解する。

 奴の攻撃は食らってはならない。

 一発でも貰えばそこで終わる!!

 

 『危機一髪ぅぅぅううう!!! あわや決着!! 恐るべき破壊力です、石のリングを踏み砕いてしまいました!!』

 

 『蹴り一本と思われた王峰選手のスタイルですが、ここに来て複合的な技術を見せてきましたね。これは諸星選手にとって辛い展開になりそうです』

 

 そもそものスタイルがバレエをベースとする故に忘れられがちだが、舞踏とは1人で行うもののみにあらず。相手の手を取り呼吸を合わせるのがダンスであれば、そこから相手を制する事も彼の領分だ。

 搦め手まで選択肢にある事を知り警戒を高める諸星に、流れをものにせんと一真は一気に前に出る。

 

 『さあ躱す躱す躱す、ついさっきまで身体を掠めていたはずの槍に最早引かない王峰選手!! くるくると踊るように回りながら《虎王(とらおう)》をいなしていきます!!』

 

 「何であんなデケェ奴に当たらねえんだ!? あの突きを素手で捌いてるのかよ!?」

 

 「まるで台風の目だ、あいつの周りだけ槍の雨が寄り付かねえ!!」

 

 「『(はま)った』・・・・・・!」

 

 刀華が思わず拳を握る。

 呼吸を合わせた彼の厄介さは身に染みていた。

 腕で肘で手のひらで、回転する動きに合わせて《虎王(とらおう)》の柄を押し退けて一真は進む。

 こうなると諸星は後ろに退がる他無い。

 槍の間合いは遠いが近い敵には無力、体格で勝てない相手に入り込まれたら押し返すのは至難だからだ。

 そして一真の回転する舞踏(バレエ)の動きは回避だけに止まらない。

 彼の回避や防御は回転運動を軸に組み立てられており、また『蹴る』という動きは回転運動と密接な関わりがある。

 つまり彼のスタイルは、相手の攻撃に対するカウンターに恐ろしく長けている事になる。

 

 「つぅっ・・・・・・!!」

 

 《虎王(とらおう)》を押し退けられつつ放たれたハイキックをしゃがんで頭上に回避する諸星。

 一真の脚の長さ故にギリギリの回避が出来ないため、どうしても大きな動きを要求されるのだ。すると必然的に攻撃の姿勢に戻るのが遅れ、段々と一真の攻勢が長引くようになる。

 その負のループに歯噛みする諸星だが、そこでふと気が付いた。

 

 (待てよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 《ほうき星》は回避する相手を追いかけて貫く技。

 確かに今のように弾くなり押し退けられたりなどして避けられなければ『ただの突き』だが、鍛え抜かれた彼の槍術には『戻り』の隙など無いに等しい。

 本気のラッシュの前にはよほど強く大きく弾かねば踏み込む隙など存在し得ないのだ。

 なのに遅れている。

 一真の行動に対して出遅れが生じ始めている。

 となれば考えられるのは自分自身のエラー。

 しかしそれを引き起こしているのは─────

 

 「おどれの仕業かぁッッッ!!!」

 

 裂帛。一閃。

 地を鳴らす踏み込みと共に撃ち込まれた《虎王(とらおう)》を、一真は()()()退()()()()()()()()

 戦局の流れを断ち切る一発だった。

 それはつまり、諸星が一真が仕掛けていた『何か』を見破ったという事。

 ひゅう、と口笛を鳴らす一真に、諸星は突き付けるように言い放つ。

 

 「ようやっと分かったわ。─────()()()

 

 「御明察。楽しくノれたろ?」

 

 『諸星選手ようやく王峰選手を引き剥がした! どうやら王峰選手が仕掛けていた何かを見破った様子ですが牟呂渡(むろと)プロ、これは何が起きたのでしょうか!?』

 

 『成る程。王峰選手の攻防一体の攻めは、アグレッシブな動きの裏に隠された非常に高度な技術が隠されていたようです。

 王峰選手の格闘技術の基礎は「ダンス」。彼は攻めと守りに隠した動きで、諸星選手の動きを誘導していたんです』

 

 ダンスにおいて体幹がバランス、脚が全体の動きを作るものであるとするなら、『腕』の役割は何か。

 ───そう、『演出』だ。

 全体の動きから手首の捻り・五指の向きに至るまで、舞の華やかさとはあらゆる意図を細部にまで行き渡らせた両手が決める。

 一真がやっていたのはさらにその先。

 腕や指の動きで諸星の無意識下の注意を惹きつけて、まるでパートナーをリードするように視線や動きを誘導。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ここから諸星の攻め方が変わる。

 手数重視のヒット狙いから狙い澄まして撃ち抜く必殺狙いへ。

 それによって一真の側に引き寄せられていた流れが再び中立に戻った─────だけではない。

 

 「どや。自分コレやられたら嫌やろ」

 

 「・・・・・・っ、」

 

 攻め続けてリズムを作るからカウンターに乗せられる。

 ならば自分も受け身(カウンター)に回るのだ。

 余計な動きはせずに《虎王(とらおう)》を悠然と構えて距離を保ち、一真が攻撃の起点を作ろうと蹴ってきたら直ちにその脚を狙う。

 得物を持たぬ一真にとって、攻撃に用いる脚は太い血管の通った生身の急所だ。

 リーチが長いのは言うまでもなく諸星。

 戦術によって失われていたその有利は、戦術によって取り戻された。

 

 「どうだ。ここは男らしくチマチマやらずに殴り合わねえか」

 

 「アホ抜かせ!!」

 

 一真は繰り返される攻撃から諸星への対処法を確立させたが、当然諸星もまた同じ事をしている。挑発するような刺突から逃れつつのたまった一真に諸星は怒鳴り返した。

 武器を持つ者と持たない者の埋めがたい差。

 しかし時間が経てば一真はさらに別の戦略を立てて自分を切り崩しにくるだろう。

 だから諸星は挑発する事にした。

 今の相手が言われたら、もっとも怒るであろう言葉で。

 

 「さっきまでの威勢はどうしたんや王峰ぇ!! その様子やと東堂刀華と()るんはワイになりそうやなぁ!!!」

 

 

 「────────」

 

 一真の瞳孔が開いた。

 澄み切った殺意が炎のように噴き上がる。

 これでいい。脅威の段階がハネ上がった一真を前に諸星は頷くように笑った。

 間違いなく今までで1番苛烈な攻撃が来るだろうが、それはカウンターという最適解が適用できるパターンだ。冷静に別の策を講じられるよりずっといい。

 さあ何が来る?

 槍を蹴飛ばされないよう引き絞って待ち構える諸星がいくつものパターンを頭に描き出す。

 上か下から左右か。

 フェイントを掛けてくるにせよ、槍の射線に重なる正面なら来るのは有り得まい─────

 

 

 (突っ込んでくるやと・・・・・・!?)

 

 ()()()()()()()

 身体を思い切り前に倒し、リングを踏み砕く勢いで、イノシシのように愚直に前へ。

 彼の顔面の直線上には、《虎王(とらおう)》の刃先が真正面に陣取っていた。

 

 『真っ直ぐに行ったぁ!? 構えられた《虎王(とらおう)》も委細構わず、王峰選手一気に仕掛けました!!』

 

 諸星の胸中に湧いたのは困惑を通り越した不満。

 確かに彼はここまで自分の槍を捌いてきた。

 だがここまで舐め切った戦術未満が通用すると考えられている事にただ憤る。

 当然、彼はこれを迎撃する。

 

 「ツマランもん見せよって。タダじゃ済まさんぞ王峰ェッッ!!」

 

 最短最速。

 相手の突撃の速度すら加算された、最早人間の反射神経では追いつかない本気の一撃だった。

 回避も防御も不可能、そう謳っても偽りはない。

 撃ち出された《虎王(とらおう)》の穂先が、その通り確かに一真の顔面を脊柱を通して田楽のように貫いて。

 

 そして────────

 

 

 

 

 

 「つまらねえか? 爆笑モンだと思うがなァ」

 

 恐るべき反撃だった。

 笑いながら舌を出す一真。

 言葉も出さず倒れる諸星。

 会場にいる全員が言葉を失い、『それ』を知っている者は何度も我が目を疑った。

 

 避けられないはずの刺突を回避した王峰一真が見せたその技は、黒鉄一輝の《蜃気狼(しんきろう)》に他ならなかったからだ。



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68話

 「やられた・・・・・・っ!」

 

 思わず手で口を覆い呻く一輝。

 《蜃気狼》とは緩急あるステップで残像を発生させて相手を欺く技。そう、()()()。考えてみればダンス由来の蹴りやステップなど足技に特化した彼との相性は抜群。

 相手の攻撃を全て受け切って捻じ伏せる印象が強すぎるため頭から抜けていたが、こんなうってつけの技を彼と戦い続けた1年間で盗まれていないはずがなかった。

 

 (あ、かん、やられた。モロに喰ってもうた)

 

 『こっこれはどういう事だぁああっ!? 確かに諸星選手の槍に貫かれたかに見えた王峰選手まったくの無傷! リングに倒れたのは諸星選手です!』

 

 『今のは黒鉄選手の《蜃気狼》・・・・・・! どうやら王峰選手は破軍にいた時に技を盗んでいたようです。挑発に乗ったと見せてのフェイント、隠し球を出すタイミングとしてはこの上ない物であったかと』

 

 しかし諸星の獣の如き戦闘本能は凄まじかった。

 貫いたはずの槍に手応えがないと見るや彼は全身に魔力防御を展開、どこからか飛んでくるかもしれないカウンターに全力で備えており、そして機能したその備えは確かに一真の蹴りを受け止めた。

 では何故それをモロに喰ったと表現したのか?

 単純な話。

 同じように魔力で強化された一真の蹴りを、彼の防御は到底防ぎきれなかったからだ。

 

 「ぐううう・・・・・・っ!!」

 

 倒れているという無防備な体勢から起き上がろうとするのは武人の本能だ。どれだけダメージを受けていようとその行動だけは身体が反射的に行う。臓腑を杵で餅がわりに突き回されたような苦痛を押して立ち上がろうとした瞬間、諸星の上空には既に一真の脚が張り上げられていた。

 

 『再び強烈な踏み付けぇええっ! 諸星選手ギリギリ転がって躱す! しかし王峰選手止まらない! 立ち上がろうとする諸星選手にローキックの雨霰!!

 低く屈んで槍でガードするもまったく勢いが止まりません、彼の脚は何で出来ているんだぁっ!?』

 

 立ち上がれない。

 ガードの上から叩き潰されるような、いや、このままだと確実に叩き潰される重さの蹴りの雨。

 ただでさえ腹にキツいのを貰ってゴッソリ削られた体力が根刮ぎ持っていかれようとしている。

 槍と激突した蹴り足が引き戻されると同時、諸星は盾にしていた槍の石突きで下から振り上げるように一真の股間を狙う。

 だが窮屈な姿勢から出される攻撃は手段も狙いも限られる。

 一真は引き戻そうとした足で股間を打とうとしてきた槍を踏んで地面に縫い付け、踏んだ槍を足場に逆の足で諸星の顔面を撃ち抜こうとした。

 踏まれた《虎王(とらおう)》は防御に使えない。砲弾のように迫る一真の爪先を、諸星はしゃがんだまま遮二無二仰け反って回避した。掠った鼻先から皮膚が焦げる匂い。

 だがそこで一真の攻撃は終わらない。極限まで戻りの隙を削ぎ落とした一真の蹴りは諸星が回避を成功させた時には既に逆の足の発射態勢を整えている。

 そして叩き込んだ。

 まるで腕の神経が槍と繋がったように感じるような衝撃。

 槍が解放され辛うじて防御が間に合った諸星が、凄まじい勢いで後方に吹っ飛んだ。

 ─────いや、吹っ飛び過ぎていた。

 

 『王峰選手の蹴りを諸星選手ギリギリでガード! とんでもない威力です、身長180を超える鍛え抜かれた偉丈夫がボールのように宙を舞う!!』

 

 『いえ。あれは確かに恐るべき蹴りですが、あそこまで吹っ飛んだのは彼自身の意思によるものかと』

 

 「なるほどね。()()()()

 

 「ええ。本当に追い詰められてる証拠だけど、冷静さは無くしてないわ」

 

 一輝やステラたちは理解していた。

 諸星雄大は一真の蹴りの力も利用して自分から大きく後ろに跳んだのだ。

 狙いは場外への落下。

 リングの外に出た選手は10カウントまでに戻らないと敗北の判定を下されてしまうが、リングアウトしたその選手に対する追撃も許されていない。

 この10秒は即ち不可侵。それを利用して諸星はリングの外でゆっくりと息を整える算段なのだ。

 それだけの時間があれば仕切り直しには充分。

 ひとまずは芯に喰ったダメージを抜かねばならないと宙を舞いつつ10秒間の使い方を考えていた諸星だが、結論から言えばその考えは彼の前では甘すぎた。

 まさに場外に落下しようとしていた瞬間に、ガクン、と諸星の身体が引っ張られる。

 吹き飛ぶ力と引かれる力が拮抗し一瞬空中に静止した彼は恐ろしいものを目の当たりにしていた。

 自分がわざと大きく吹っ飛んだと見るや、王峰一真は低く身を屈めて地面に両手をついて回転しつつ前進。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「《躰道(たいどう)》!!」

 

 刀華が叫んだ。

 師匠の南郷寅次郎と姉弟子の西京寧音、古武術を主体とする者たちに共に鍛えられているからこその理解だった。

 しかし厳密には違う。確かにこの体捌きは躰道(たいどう)────体軸の回転やフットワークに大きな特徴が見られる古武術の動きだが、躰道に相手の足首を掴む技はない。

 これは()()()()()()

 バレエを基礎に置く蹴り技偏重のスタイルの弱点を補うために、共通点が多く相性の良い躰道の技術を師と姉弟子に叩き込まれた結果。

 諸星がその身に受けたのはその一端なのだ。

 

 前に身を大きく乗り出すように諸星の足首を掴んだ一真は、そのまま重心の操作と筋力で身体を起こし強引に諸星を空中から引っこ抜いた。

 そのまま大きく一回転。ハンマーのように振り回された諸星を強烈な遠心力が襲う。

 そして横の回転は勢いそのまま縦の回転に変わる。

 回転により増幅した破壊力を諸星に乗せてリングに叩き付ける瞬間、一真は自らのしかかるように跳び上がり自分自身の重量すらプラスした。

 普通の人間には不可能な動き。

 それは並外れた体格とそれに由来する筋力、そして『回る技術』を突き詰めた彼にのみ実現可能な『投げ技』。

 

 「《迫投鷲(はくとうわし)》──────ッッ!!!」

 

 鉄にスライムをぶつけたような音。

 筋力プラス遠心力、加えて巨漢の質量というおよそ人の身で出し得る最悪の破壊力で諸星は石のリングに叩き付けられた。

 臓腑どころか筋肉まで潰れた。

 肋骨が圧壊する音が体内から聞こえてくる。

 食い縛った歯の隙間から血を噴きながら、しかしそれでも諸星は耐えていた。

 

 (受け身、が、機能、せん・・・・・・・・・・!!!)

 

 『無慈悲! 無慈悲な打擲ッッ!! リングアウトすら許しません!! 場外に出ようとしていた諸星選手を恐るべき剛力で釣り上げてしまいました!!』

 

 『うわ大丈夫か!? 凄い嫌な音したぞ!!』

 

 『骨イッとんちゃうんかアレ・・・・・・!?』

 

 「投げ技。驚いたけどそうね、ダンスが由来なら()()()()()()()()()()()()は持っていて当然だわ。・・・・・・というかあの動き、あの距離とスピードに追いつくのね」

 

 「最小限の動作で最長距離を移動するために用立てられた動きというのもあるけど、同じ動きでもカズマの手脚の長さだと一歩一歩が馬鹿みたいに大きいんだ。実際に相手にすると、退くにも来るにも本当に瞬間移動されてるように感じるよ」

 

 呼吸すら儘ならない。

 ()()()()()()()()()

 とにかく地面を転がり、振り下ろされた脚を皮膚に掠らせながら気力だけで起き上がる。しかし出来たのはそれだけだった。

 これ以上被弾すると本当に終わるが、今の投げを喰らったのが本当に痛い。身体が呼吸機能を取り戻すまでの時間を稼がなければどうにもならない。

 そこで諸星が取った決断は──────

 

 「うおおおおおおおおっっ!!!」

 

 槍を盾のように前に構えて腰を落とす。

 次いで全ての魔力を放出する事で、身体を包む鎧を作る事だった。

 

 『な、何という事でしょう! あの《七星剣王》が! 日本で1番強く誇り高い騎士が! 意地も見栄も捨てての完全防御態勢だァァァッッ!!!』

 

 腹に喰った一撃と投げによる骨折含めた全身のダメージ。ゴッソリと体力を抉られた今の状態では、防御は当然として足を使っての回避すら困難だ。だから致命的なダメージが落ち着くまではこうやって凌ぎ切るしかない。

 諸星とて一真の破壊力は骨身に沁みている。

 かつて事故で失った両脚の再生手術から復帰する為の主治医の方がやめてくれと懇願するような地獄のリハビリを弱音ひとつ無くやり遂げた彼が腹に括った『受け切る』覚悟は、まず間違いなくどんな痛みにも折れはしないだろう。

 ただし相手は王峰一真。

 潰して折るのは彼の十八番(おはこ)

 諸星の意図を理解した一真は、完全に己の勝利を確信した顔をしていた。

 

 「せいぜい耐えろよ─────《轢威鳥(ひくいどり)》」

 

 まずは一撃。

 敵の反撃を考慮しない渾身の前蹴りが、盾にされた槍ごと諸星の砕けた肋骨にトドメを刺しにいった。

 

 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!?!?」

 

 まともに防御していたら槍の上から胸を潰されただろう。

 食らった力に逆らわず両足をリングに滑らせて衝撃を逃すことで辛うじて諸星は防御したが、それでもなお全身に駆け巡る交通事故じみた衝撃。

 残っていたダメージが共振して増幅されるような激痛に、諸星は全力で絶叫を飲み下す。

 当然それで終わるはずもない。

 今までの相手の動きと呼吸に合わせた攻撃ではなく、ただ物量で押し潰すための純度100の攻勢。

 夥しい量の瓦礫を呑み込んだ津波の如き蹴撃の群れが、暴風雨となって亀になった諸星を呑み込んだ。

 

 「あの投げが決まったのが決め手かな。カズくん相手に受けに回ったらこうなる。彼が能力で戦う事に拘ればまた違う決着もあったかもしれないけれど、─────こうなったらもう、終わりが近い」

 

 『蹴る! 蹴る!! 蹴る!!! 滅多打ちです、王峰選手の猛攻にまるで途切れる気配がない!!

 反撃できず戦意喪失か《七星剣王》、攻撃の密度に吹き飛ぶことすら出来ません!! 』

 

 『戦意喪失ではありません! 動ける範囲を超えたダメージを受けた《七星剣王》に出来るのは、防御に徹して息を整える事のみ。彼は尚も勝利に向けて死力を尽くしています!

 ・・・・・・しかしそれでもこの試合はもう止めるべきだ! 能力を縛った後の地力の差が大きすぎる!! それこそ勝負にならない程に!!』

 

 『何言ってんのよクソ実況!!』

 

 『星ィィ! 諦めたらあかん〜〜〜〜〜ッッ!』

 

 地元のファンによる応援団の悲痛な悲鳴。

 しかし状況が好転する気配は欠片もない。必死の思いで張り続けている障壁は凄まじい勢いで削られていく。

 これで終わるのか。

 去年の大会を制した《七星剣王》が、前人未到の2連覇まで期待された《浪速の星》が、何もできないまま終わってしまうのか。

 

 「どうする? 今ならまだ自分の足で退場できるぞ」

 

 「舐めとんのかボケェッッッ!!!」

 

 「いいじゃねえか」

 

 魔力防御と槍で防いでも削り殺してくる鑿岩機のような蹴りの雨、その中の1発の出が少しだけ遅れた。

 見れば初動の振り幅が他より大きい。諸星の消えない闘志に応えたか、大振りで威力偏重の『決める為の』1発だ。

 そんな針穴のような隙を諸星は見逃さない。

 刹那の間隙を縫って構えを防御から攻撃にシフト、そのまま一真の胸にカウンターの一撃を叩き込む。

 そうなるはずだった。

 その瞬間一真は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 高空から大きな弧を描いて飛来するハイキックではなく、低空からほぼ直線の最短距離を突き進むミサイルようなローキックへと。

 

 湿った枝を折るような音がした。

 踏み込んでいた諸星の脚が膝関節からへし曲がる。

 一真の蹴りが、七星剣王の片脚を完全に破壊した。

 

 一瞬、会場から音が消えた。

 露出した関節の破断面。傾き倒れゆく七星剣王。

 駆け引きの裏の裏を綺麗に合わせた一真が、もはや直立すら出来なくなった七星剣王に今度こそ止めの一撃を振りかぶる。

 

 終わりだ。そう思った。

 彼を応援していた全てが黙り込む。

 否。それでもただ1人、彼を諦めていない者がいた。

 小さな声援だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、掠れに掠れた錆びた声。

 しかし。

 無音の中ですら聞こえるかどうか分からないその声援を、彼は何年も待ち続けていた。

 

 「がんばっでぇぇぇええ! おにぃいぢゃぁぁあああぁああん──────っっっ!!!!」

 

 「任せとけぇぇえええええええええ!!!」

 

 瞬間、会場中に轟く声で吠えた諸星が、その場にいる全員の度肝を抜く信じられない事をやってみせた。

 片脚を破壊され立つことすら儘ならない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 気力や根性では説明のつかない明らかに様々な法則に反した動き。一真は突然懐に入ってきた諸星に対して迎撃のアクションを取る事が出来なかった。

 不可解な起き上がり方をした諸星。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 《暴喰(タイガーバイト)》を纏い魔力防御を無効化した《虎王(とらおう)》は、目を剥いた一真の腹から反対側までを薄紙のように貫いた。

 

 「ぶち抜けぇぇぇええ!!! 《虎王(とらおう)》ォォォォォオオオオ!!!!」

 

 深々と。深々と貫通した。

 腹から侵入して斜め上、腹に収まった内臓の全てを引き裂く一撃。

 捻りを加えて手首まで腹筋に埋まるまで捻り込まれた《虎王(とらおう)》は、ここまで諸星が受けた痛みを優に上回る致命傷を一真に与えた。

 もうこの時点で勝負あり。

 何ならここからもう一捻りでも加えるだけで粒子程度の可能性すら潰せるだろう。

 

 それが事実の筈だった。

 

 「・・・・・・(すげ)えわ。お前」

 

 巨大な手のひらが諸星の肩を掴んだ。

 鉄臭い赤色が滝のように落ちて石造りのリングを汚す。

 一真が栓の壊れた蛇口のように腹から噴き出している大量の血溜まりを見下ろす諸星は全てを理解して瞳を震わせた。

 逃げられない?慌てて止めを刺そうとした槍は、肩を掴む手と締め上げられた腹筋によって手首ごと固められている。

 

 (この感触、コイツ───────!!!)

 

 

 「──────《百舌鳥早贄(もずのはやにえ)》」

 

 

 大きな水風船を叩き割ったような音。

 ゼロ距離で一真に張り付いていた諸星が、ゼロ距離で蹴り上げられた。

 真下から杭のように腹に叩き込まれ、真上に突き上げられる蹴り。

 脚から発生し腰によって爆発的に増幅された力を一滴も残さず伝えられた諸星は吹き飛ばされる事もなく、高々と真上に掲げられた蹴り脚の上に、技名の通り虫のように乗っかっていた。

 臓腑を磨り潰した確かな感触。

 不随意の電気信号に身体を痙攣させる諸星はしかしそれでも眼下の一真を(しか)と見据え、上ってくる血を堪えて最後の力を振り絞り言う。

 自らを倒した本物の強者に。

 どこまでも純粋な意地で自分にぶつかってきた真っ直ぐな男に、自分の楽しみを託す為の精一杯の憎まれ口を。

 

 「・・・・・・・・・しゃあない。譲ったる」

 

 「ハナから俺のだ馬鹿野郎」

 

 決壊した。

 最後の力を出し切った諸星がバケツをひっくり返したような量の血を一気に吐き出し、そのままずるりと脚から落ちてリングに転がる。

 それと大して変わらない量の血液を腹から拍動に合わせリズミカルに噴き出している一真は、それでも傲然とした仁王立ちで諸星を見下ろしていた。

 腹腔の内部を蹂躙されたとは思えないその立ち姿に、貴徳原カナタは戦慄と共に皮膚を粟立たせた。

 

 「・・・・・・元々何がどうでも膝を着かない人だと思ってはいましたが、内臓を引き裂かれても立ち続けるとは。流石に恐怖すら覚えてしまいますわ」

 

 「違うよカナちゃん。カズくんが今ああして立ってるのにはちゃんとした理由がある。見た目こそひどいけど、カズくんの内臓は大して傷付いてない」

 

 「内臓は無事、ですか? あれだけの大穴が貫通しているのに!?」

 

 「うん。カズくんは刺される直前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。諸星くんが貫いたのは中身の無いスカスカのお腹、だからカズくんは耐えられた。

 ・・・・・・とはいえ、筋肉も血管もズタズタにされたには違いない。あの量の出血でショック症状も起こさず反撃して、尚且つ立ってられるのは馬鹿げたタフさと言うしかないけれど」

 

 そして一輝とステラが見ていたのは諸星だった。

 いま目の前で起きた現象を、2人は神妙な顔で語り合う。

 

 「・・・・・・いま七星剣王、()()()()()()()()()()()()。それによって捻り出した魔力を一気に放出して推進力に変え、そのまま《暴喰(タイガーバイト)》で貫いた。よくもあの状況であんな奇襲を成功させたわ」

 

 「片脚が使い物にならない状況であの速度で接近してくるなんてまず考えないし、そうしようなんて発想も浮かばない。諸星さんは脚を砕かれた瞬間も、どうすればここから勝ちに辿り着けるかを考え続けていたんだ。『冷静』なんて言葉じゃ到底足りない、恐ろしいまでの(したた)かさだよ」

 

 一輝は知らず知らずに拳を握る。

 これから自分はこのレベルの相手と戦うという事実に、戦慄と昂揚がないまぜになった形容し難い感情が腹の内で荒れ狂っていた。

 激戦を演じた2人の戦士に、黒鉄一輝は最大級の敬意を払った。

 

 「2人とも本当に強かった。とんでもないものを見せてもらったよ。・・・・・・これが決勝戦だと言われても、何の疑問も抱かない位に」

 

 『し、試合終了ぉおぉおおおおお!!! 想定外に次ぐ想定外、大波乱の死闘を征したのは《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》王峰一真選手ッッ!!

 前年度の王者を下し、期待されていた玉座に向けて大きな1歩を踏み出しましたァァアアッ!!!』



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69話

 

 『おつかれー! ようやったよ、アンタはようやった!』

 

 『引退前からずっとお前を応援しとったけど・・・・・・、今日のお前が1番最高やったでッ!』

 

 内臓を潰され血液を搾り出し、駆けつけた医療班が自分の脚でリングを降りる事も出来ない諸星を担架に乗せて運んでいく。

 何なら腹に洞窟を作られた自分も乗せてくれないかと少しだけ思うが、自分の勝ち姿を黒鉄一輝が、師匠や姉弟子が、そして東堂刀華が見ているのだ。ならば自分が見せるのはただ傲然と立つ姿のみで良い。

 しかし最後の『任せとけ』は何に向けた言葉だ?

 そんな事を考えていると、ふと観客席に中学生くらいの和服の少女を見付けた。

 覚えがある。

 《一番星》に招かれた際に筆談で接客してくれた、口のきけない諸星の妹だ。

 それで全てを理解した一真は、優しく笑って退場していく諸星から視線を切って背中を向けた。

 

 「分かるぜ。家族に『頑張れ』って言われちゃあ死ぬ気でやるしか無えよなァ」

 

 

 『再起不能と言われた怪我から立ち直り、今日までただの一敗も無く頂点に立ち続けた不屈の男、《浪速の星》諸星雄大。敗れたとはいえ最後に見せたあの意地は、《七星剣王》の称号に何ら恥じる事のない素晴らしい姿でした!

 そして─────そして!

 前年度の王者を倒し、堂々の三回戦進出を決めた《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》がリングを後にします!

 強大な武に絶大の力、相手の土俵においても動じない強さ! 噂に違わぬ実力を遺憾無く示して第3回戦に進出!!

 この強豪ひしめく第62回七星剣武祭の優勝候補たる存在感を全ての人間に知らしめてくれました!!』

 

 『凄かったで東京の兄ちゃん!』

 

 『シビれたぞカズマーっ!!』

 

 『優勝まで突っ走っちゃってーッ!』

 

  生まれも育ちも東京じゃあないけどな、と思いつつ、降り注ぐ拍手と声援の雨に後ろ手に手を振って応えて一真は自分の脚でリングを降りる。

 『踏破』の性質で血管の破断面を潰して止血する南郷寅次郎のしごきで覚えた応急処置で出血を抑えつつゲートを潜り、血液が不足して霞みつつある意識で難しい顔で思案する。

 ───2回戦目にして厳しい勝負だった。

 負傷の具合よりも勝負の内容が問題だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 技術体系としての蹴り技の種類、投げ技の存在、呼吸を読んで動きをリードする技─────そして友から盗んだ《蜃気狼(しんきろう)》。

 それらは同門で共に鍛えてきた刀華にはともかく、自分との対戦経験の少ないステラ・ヴァーミリオンや自分の手の内を知り尽くしたと思っている黒鉄一輝に対して大きな隠し球となっただろう。

 しかし、それら全てをここで晒してしまった。

 そうしなければ、自分はあの男に勝てなかった。

 ・・・・・・厄介なの揃ってんなァ、七星剣武祭。

 ぼやきながらもその顔は気力に満ち満ちている。

 それでも自分は勝ち取った。何より欲した3回戦。

 彼女と約束した舞台に、自分はこうして先んじた。

 

 「かは、ははっ、はははははっ」

 

 思わず笑いが溢れてしまう。

 収縮する腹筋に大穴が開いた腹に激痛を訴えるが、そんな事よりこの高揚を楽しむことが先決だった。

 強引だが出血は止めている、直ちに意識を失うことはない。ならばこのまま観客席に戻って次の刀華の試合を見よう。医務室に行くのはその後でいい。

 その時の一真の顔を過去の自分が見たとしたら、これは本当に俺なのかと目を疑った事だろう。

 諸星をiP S再生槽(カプセル)に叩き込んで次の患者(無論一真の事である)を待ち構える医療班の存在を完全に無視して、一真は血塗れのままで観客席への道を行く。

 靴底にへばりついた血液が、にちゃりにちゃりと音を立てて鉄臭い轍を彼の後ろに刻み込んでいた。

 そして。

 

 『試合終了ぉぉおおおッッッ!! 凄まじい気迫でした東堂選手! 対戦相手を全く寄せ付けなかったぞ! 昨年に逃した王座に向けて怒涛の攻勢だぁぁっ!!』

 

 過激な試合だった。

 開始の合図から低く身を屈めた刀華が突っ走って抜刀、初手の《雷切》から一気にペースを奪ってそのまま押し流したのだ。

 遠距離攻撃も搦め手も全てに手が届く能力を持ちながらその目と剣技のみで瞬く間に敵を制圧するその様は、冷静沈着に勝負を進める普段の彼女を知る者にとっては異様に映った事だろう。

 泡を食った攻撃や迎撃、危険な反撃すらも《閃理眼(リバースサイト)》と戦闘勘のみを頼りに前進して潰す猪のような姿に全員が目を疑う中で一真は深い笑みを浮かべていた。

 何故ならそれは彼女もまた自分との約束を渇望していることに他ならないからだ。

 彼女の強さを讃える声をバックにリングから睨み上げてくる刀華に双眸で弧を描いている一真の隣にいた者たちは皆一様に彼から距離を取った。

 腹に穴を開けたまま観客席に座る彼に怯えたからではない。

 重傷を放置してほっつき歩いている患者に完全にブチギレている医療班の面々が、彼の背後で鬼の形相で仁王立ちしていたからだ。

 

 「・・・・・・引き摺られていったよ」

 

 「お医者様も大変ですわね・・・・・・」

 

 泡沫とカナタが一真ではなく医療班に気の毒そうな目を向ける前で、本気のトーンで怒られて小さくなった彼が医務室へと引っ立てられていく。

 そしてさっさとiP S再生槽(カプセル)に入れと道中でどやされる一真は、そういえば次は天音の試合だったなとふと考えた。

 カプセルといえば、薬師キリコは天音の能力によって一斉に危篤状態に陥った病院の患者達を救うべく今も死神と死闘を繰り広げているはずだ。

 1回戦目は対戦相手が急患に陥り不戦勝、2回戦目はどうなるか分からないが、天音にまともに戦う気がない以上何かしらの理由で相手が棄権するものと思われる。

 背景の事情を知らないとはいえ、思えば彼とはまともに話も出来ていないままだ。

 

 『・・・・・・どうしたのでしょう。両選手がなかなか入場して来ませんね』

 

 ああやっぱり。一真は嘆息した。

 何が起きたのかは分からないが、何かしらの因果が捻じ曲げられて天音の相手が試合に出られない状態に陥っているらしい。

 せめて大事(おおごと)が発生していなければいいが・・・・・・

 

 (ん。待て。・・・・・・()()()?)

 

 眉を顰める一真。

 天音もいないとはどういう事だ?

 

 『アナウンスは入っているのですよね?』

 

 『そのはずですが・・・・・・、一度控え室を移してみましょう』

 

 胸騒ぎがする。

 何かろくでもない事になっている予感が。

 言葉と共に映像が切り替わり一真は顔を上げた。

 

 

 『フフ・・・・・・アハハ・・・・・・・・・・・・』

 

 

 会場の大型液晶モニターに映し出されるのは、血に染まった控え室。

 そして鮮血を全身から滴らせて嗤う蒼い瞳の少女のような顔立ちの少年と。

 

 『アハハッハハッハハッハハッハハハ─────ッッッ!!!』

 

 

 無数の剣でさながらキリストのように壁に磔にされた、黒鉄珠雫の姿だった。

 

 

      ◆

 

 

 蝙蝠(こうもり)の寓話を知っているだろうか。

 鳥と動物の争いの中で「毛があるから自分は動物」「翼があるから自分は鳥」と両方の陣営を寝返り続け、最終的に和平した鳥と動物から「2度と姿を見せるな」と追いやられて居場所を失う話だ。

 『何度も人に背く者はやがて誰にも信用されなくなる』というのがこの話の教訓だが、翻訳によっては『状況に合わせて豹変する者は絶体絶命の危機からも逃げ(おお)せる』としていつまでも同じ所に留まる事の危険さを教訓としている場合もある。

 味方はいらない。誰にもつかない。

 それに似た立場といえば暁学園のスパイとして破軍学園に潜り込んでいる有栖院凪だが、彼女の場合は賢く立ち回る後者の方の蝙蝠であるはずだった。

 

 「・・・・・・貴女、《解放軍(リベリオン)》だったの」

 

 ()()()()()()()()()を彼に持ちかけた黒鉄珠雫はそのカミングアウトに目を丸くしていた。

 

 「自分が潜入している目的を話すのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()明らかに組織に反する事よね。そんな話を聞かせたら、貴女の目的は台無しになるんじゃないの?」

 

 「そうね。つまりあたしは台無しにしたいのよ。この目的も、組織の狙いも」

 

 それは紛れもない本心だ。

 珠雫はそう断言できる。

 彼女の至極もっともな疑問に、有栖院はある種の決意すら感じさせる迷いのない口調でそう言い切った。

 

 「上からあたしに命令が下ったわ。暁学園のメンバーが多く残るよう他の出場者を間引けって。どうして今になってそんな命令が来たのかは分からないけれど、あたしはそれを絶対にしたくない」

 

 「どうして? 貴女は組織の為にこの学園に入って私に近付いたんでしょう?」

 

 「・・・・・・そのはずだったのだけどね」

 

 なぜ裏切るのかを彼女に問われ、彼は困ったような笑みを浮かべた。

 

 「でもあたし、自分でもどうしようもないほど珠雫のことが気に入っちゃったのよ」

 

 目の前の銀髪の少女を見つめながら思う。

 歪んだ家族に切れない血縁、幾多の不条理。そんな中で痛みの全てを受け入れて、それでもなおたった1人の兄を愛し続ける女の子。

 珠雫の在り方は世の不条理に耐えきれず、愛することを投げ出した有栖院の目にはとても貴く、眩しく映った。

 だからこそ彼は強く思うようになったのだ。

 強者が全てを奪い、弱者が全てを奪われる。

 あのとき自分を買った男の言葉がこの地獄(せかい)の真実であったとしても────自分は、この気高い少女から『奪う』側に立ちたくないと。

 

 「どうしてと聞かれれば、それが理由の全てよ。あたしにはもう珠雫の願いを、珠雫の大切な人達の夢を壊せない。・・・・・・だからあたしは珠雫の決心に頷いたの。この大会を、七星剣武祭を守るために」

 

 珠雫がやろうとしている事は大きなリスクを伴う。

 他校の出場者を盤外からの闇討ちで排除するという()()()()()には重い処分が下るだろう。

 さらに天音の反則は偶然に偶然が重なった結果だと言い逃れが出来るが、珠雫にはそれが出来ない。

 上手くいっても・・・・・・最悪、『退学』。

 殆ど刺し違えに等しい決断を、それでも彼女は躊躇わなかった。

 あのドス黒い悪意から兄を守る為に。

 兄や友達が夢に見た舞台を守る為に。

 

 「所詮は薄汚れた人殺しの言葉よ、信じてもらえなくても構わないわ。この一件が終わったらあたしは棄権してこの学園からも消える。だからこのカミングアウトは、あたしを道連れにしようとしてくれた珠雫の信頼への精一杯の誠意。

 ──────やりましょう、珠雫。あたしもそろそろ、胸糞悪いあれこれの横っ面を引っ叩いてやりたかったのよ」

 

 ここで拒絶したところで、珠雫は1人でも奇襲を実行に移すだろう。その気持ちは痛いほど理解できる。

 ならば彼女を1人にはしない。

 諭すことも止めることも出来ないのなら、せめて寄り添おう。

 有栖院が珠雫を信じているように、珠雫もまた有栖院を信じた。

 

 

 そうして、2人は奇襲を実行に移した。

 時刻は2回戦第4試合開始直前。

 方法は簡単。有栖院の影の中を通る伐刀絶技(ノウブルアーツ)日陰道(シャドウウォーク)》によりあらゆる警備網を突破し、異空間から天音の居る控え室の()()へ到達。

 外へ飛び出すや否や、無数の氷の槍を射出し───、何もしなくとも自分が不戦勝すると信じ込んでいる無防備な天音を穿つだけ。

 『何もせずに勝ちたい』とだけ考えている意識の横合いから無関係の者が殴りかかるという珠雫考案の攻略法は、あっさりと、何の障害もなく、かつ完璧に遂行された。

 

 どう、という重い音と共に、無数の氷槍に貫かれた天音の身体が勢いよくコンクリート打ちっぱなしの壁に叩きつけられ、そのまま声もなく地面に崩れ落ちる。

 同時に冷たい床に広がる血溜まり。

 それらは穿たれた四肢と頭蓋から零れるものだ。

 

 「申し訳ないとは言わないわ。いたずらをする相手を間違えた自分の愚かさを恨みなさい」

 

 そう吐き捨てた。

 これで終わり。─────そのはずだった。

 最愛の人に近付こうとする災厄は、これで摘み取られたはずだった。

 

 

 「あ、ははは・・・・・・っ! そっか、()()()()()()!」

 

 

 紫乃宮天音という災厄が、星を動かすほどの《凶運(バッドラック)》を持っていなければ。



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70話

 突如、血溜まりの中から天音の身体が持ち上がる。

 四肢どころか頭蓋までも氷柱に貫通されながらも、その口元に笑みを浮かべていた。

 一輝に対して見せたものと同じ、凶笑と形容すべき歪な笑みを。

 

 「うそ、・・・・・・っ」

 

 「なんでその傷で立ち上がれるのよ・・・・・・」

 

 「さあ? そんなの僕にもわからないよ。まあ世界には頭に包丁や銃弾が刺さっても生還したなんて話が割とあったりするから、有り得ない事でもないんじゃない? ほらぁ、───()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間、有栖院が動いた。

 相手の影を縫い付けて行動を封じる伐刀絶技(ノウブルアーツ)影縫い(シャドウバインド)》を発動。天音の動きを封じ、目の前の現実に愕然とする珠雫の手を掴んで逃げを打つ。

 元暗殺者として数多の現場を潜り抜けてきた彼だからこそ先程の奇襲が完璧だった事と、それを捻じ曲げられた以上もはや何をしても徒労である事を悟ったのだ。

 暗殺者としてのこの確信は正しかった。

 だがこの時にはもう、彼らには逃げるという選択肢も許されていない。

 瞬きほどの刹那の間に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (不味いッ!)

 

 光が消え去り、影が消失する。

 《影縫い(シャドウバインド)》の効力が失われる。

 危機感を覚えた瞬間にはもう、放たれた無数の十字架のような細身の剣が、有栖院の総身を的確に穿ってきた。

 

 「ぐ、あ・・・・・・ッ!」

 

 「アリス!」

 

 「せっかく来たんだし、そう忙しなく帰る事ないじゃないか」

 

 有栖院を沈めた天音は、再び両手の指の間に無数の剣の霊装(デバイス)《アズール》を顕現させ、残った珠雫に話しかける。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()。自分から反則負けになる行動を取れば、確かに僕の《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》の力は働かない。アリス君が代表選手だからこそ使えた手段だね! 友達を失格させてまで協力させるなんてイッキ君と血の繋がった妹とは思えないよ!」

 

 「貴方が望んだこと・・・・・・!?」

 

 「別に僕はそれを責める気はないよ。それどころか感動に打ち震えているくらいさ。ここまで1人の人間を愛せるなんてシズクちゃんはすごいね。・・・・・・だから、そんなシズクちゃんに特別チャンスをあげるよ。

 これから僕は『()()()()()()()()()()事が済むまでこの騒動が誰にも悟られないことを望もう』。

 ─────わかるかい? 制限時間ナシ、僕を仕留めたら君の望みは叶うってことさ!」

 

 「いい気に、ならないで!」

 

 どの道今さら逃げるつもりはない。餌をちらつかされるまでもなく珠雫は天音に襲い掛かる。

 近接戦で、自らの手で今度こそ天音の意識を断ち切らんと霊装(デバイス)宵時雨(よいしぐれ)》に水圧の刃《緋水刃(ひすいじん)》を纏わせ、床を蹴り踵を浮かせた刹那それは起こった。

 

 「え!?」

 

 視界が傾く。原因は珠雫の足元。

 有栖院の血に足を取られて滑ったのだ。

 すぐに手を着いて転倒を回避、体勢を立て直して再度突進するも今度は足がもつれて倒れてしまう。

 

 「ふふ、あはは。こんな時に転ぶなんてツイてないね。それとも僕がツイてるのかな?」

 

 クスクス笑いながら嬲るように間合いを詰めてくる天音に対して珠雫はバックステップ。そして脳裏に浮かぶ最悪の可能性を否定すべく遠距離から《水牢弾(すいろうだん)》を見舞う。

 だが、珠雫の得意技であるそれはいずれも無防備に近付いてくる天音の脇をすり抜けて壁に衝突し砕け散った。

 

 「この距離で外すなんてシズクちゃん程の騎士が珍しいミスだね」

 

 ニタニタと昏い瞳に嘲りを浮かべる天音。

 もはや間違いない。《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は相手のミスすら誘発するのだ。

 知れば知るほどとんでもない能力。

 こうなるともうあの技は、《青色輪廻(あおいろりんね)》は使えない。『彼』に敗北してから死ぬ思いで編み出した、こういう時の為の切り札だというのに!

 

 「隙アリ!」

 

 「っ!? ぁ、ぐ・・・・・・!」

 

 珠雫が畏怖に囚われた瞬間、距離を詰めた天音が振り下ろした《アズール》に額を深く斬り裂かれた。

 視界に血のカーテンが降りる。こんな状態では追撃を満足に防げない。すぐさま距離を取ろうとするも背中に何かがぶつかった。

 コンクリートの壁に追い詰められたのだ。

 痛みと焦り、攻略の糸口の見当すらつかない絶望と無力に珠雫の心臓が早鐘を打つ。

 しかしどう戦えばいいかは分からなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ─────紫乃宮天音。

 あらゆる負の感情で濁り切った瞳を自分の最愛の人に向けているこの男を、これ以上兄に近付ける訳にはいかない。

 それに自分もこの大会に臨む兄やステラ、そして他の代表選手達の情熱に触れてきた。

 だからこそ許せない。

 公然と反則を使い対戦相手を蹴落として、この《七星剣武祭》の全てを冒涜するこの男が!!

 

 「《血風惨雨(けっぷうざんう)》ッッ!!」

 

 「残念。タイムオーバーだね」

 

 当たらないなら狙わなければいい。

 そんな狙いで迸った高水圧の銃弾による面制圧の弾幕は魔力制御のエラーによってただのスプリンクラーと化し、そして珠雫は投擲されたアズールによって肢体ごと彼女を後ろの壁に縫い付けた。

 

 (ぅ、そ・・・・・・、ここまで、何でもありだというの・・・・・・?)

 

 「なるほど、色々考えつくものだね。おかげで制服がずぶ濡れだ。でも冷たくて気持ちよかったからラッキーかな? ・・・・・・フフ、アハハ。アハハハッハハハ!」

 

 悪夢のような光景の中でケタケタ笑う天音。

 こんな力に勝てるわけがない。

 ついに絶望が珠雫の心を捕らえ呑み込んだ時に、天音が更に信じ難いことを言った。

 

 「あ、そうそう。さっき言った僕が『望んだこと』と『こちらの事情』についてなんだけどね。実を言うと君達がここで奇襲してきたのって、たぶん僕が望んだ結果なんだ」

 

 「!? 」

 

 「『念のため不穏分子を炙り出してくれ』って()()の頼みでさ、『裏切り者がいるならボロを出すように』って望んだんだ。それで釣れたのがアリス君だったってわけ。だからほら、来たよ」

 

 控え室のドアが切り刻まれた。

 有栖院にとってはよく知る壮年の顔。

 激情の皺を顔に刻んだ《解放軍(リベリオン)》幹部、《隻腕の剣聖》ヴァレンシュタインだ。

 

 「この屑がッ!!」

 

 「ぐふっ!」

 

 有栖院の鳩尾にブーツの爪先がめり込んだ。

 1発ではない。怒りに任せて何度も何度も、控え室の床に横たわる有栖院を蹴りつける。

 

 「何故、何故だ!! 何故私の期待を裏切ったッ!! お前には偽りだらけの世界の全てを教えたはずだ! 何故同じ過ちを繰り返した、真実に気付いたんじゃないのかァッ!」

 

 「ゲホ、か、はっ!」

 

 『紫乃宮選手! 珠雫選手! 一体何をやっているのですかッ!?』

 

 「ああ、大丈夫だよ! この状況で言うのも何だけど、シズクちゃんはイッキ君の為にこんな事をしたんだから!」

 

 「─────ッ!?」

 

 「イッキ君、シズクちゃんは君のことを異性として愛しているんだよ。イッキ君がステラちゃんと付き合いだしてずっと辛かったんだと思う。イッキ君に振り向いて欲しい・・・・・・気持ちが彼女を凶行に走らせたんだ」

 

 「・・・・・・やめ、て・・・・・・」

 

 「見るがいい、これが結末だ! あれがお前が情を移した末路だ! 力こそ唯一の現実だと教え強者の側に引き入れてやったというのに、つくづく救えぬ男よ!!」

 

 「ごふぅッッ!!」

 

 「確かにシズクちゃんのした事は間違った事だけど、好きな人に愛されたいと思う気持ちって当然のことだと思う! だからどうか彼女の気持ちも汲んであげて欲しいんだ!それでどうだろう、イッキ君さえよければ彼女の気持ちを受け取って、シズクちゃんを女として愛してあげたら───」

 

 「ターゲットに情を移すような暗殺者など使い物にならん。───ここで死ね!!」

 

 ああ、地獄だ。

 不条理な力を持つものに全てを弄ばれる感覚に、有栖院はどこか郷愁にも似た思いを抱いた。

 年下のストリートチルドレン達を共に養っていた友をマフィアに殺され、そのマフィアを自分が殺し、そしてヴァレンシュタインが自分達ストリートチルドレンの掃除を指示した市長を殺した、欺瞞に満ちたあの世界。

 結局ここもあそこと地続きだったのだろうか。

 自分がその橋渡しをしてしまったのだろうか。

 心が押し潰されそうになりながら、それでも有栖院は手を伸ばす。

 自分の想いを脚色され、解釈され、心と尊厳を踏み躙られて嗚咽する親友の手を握るために。

 偽りだらけと信じていた世界に灯った光を、最期の時まで守りたいが為に。

 

 強者が全てを奪い、弱者が全てを奪われる。

 それは確かにある側面における真実だ。

 しかしそれが絶対であると掲げるのなら、彼らは受け入れなければならない。

 圧倒的な力で他者から奪う彼らを圧倒的な力で粉砕する、とびっきりの正義の味方(デウス・エクス・マキナ)の存在を。

 

 控え室の壁が吹き飛んだ。

 強烈な爆発と衝撃、()()()()()()から撒き散らされた爆風に天音は悲鳴を上げて顔を守り、ヴァレンシュタインも振り下ろそうとしていた剣を構えて後ろに退いて構え直す。

 熱風と閃光、そして爆音。思わず目をつむった珠雫と有栖院は一体何事だと目を開け─────それを見た。

 壁に開いた大穴に立つ赤い髪の騎士と、見るからに重傷の丈高き騎士。

 《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンと、《蹄鉄の暴王(カリギュラ)》王峰一真の姿を。

 

 「よかった。どうやら息はあるようね、シズク」

 

 一言珠雫に声をかけてからステラはぶち抜いた穴から控え室に降り立つ。そんなステラの乱暴すぎる入室に天音は抗議した。

 

 「び、びっくりしたぁ! あ、あのねぇ、イッキ君の恋人として無視できないのはわかるけど、壁をぶっ壊して入ってくるのは流石に非常識ってものじゃ─────」

 

 「だまれ。これ以上シズクの気持ちに泥を塗ってみなさい。もう大会なんて知った事じゃない、この場でお前を消し炭にしてやる」

 

 決して拒絶を許さない声音にその言葉は阻まれる。

 天音の顔を視界に入れてしまえば食い縛っている怒りが抑えられなくなるのだろう。彼女が怯んだ彼の方を振り向かないまま珠雫を拘束から解放している間に、一真は倒れ伏す有栖院に近付いた。

 

 「そっか。やっぱお前《解放軍(リベリオン)》だったんだな」

 

 「・・・・・・ええ、そうよ・・・・・・」

 

 「けどここでこうなってるって(こた)ぁ、そこを裏切ってアイツの味方になったんだろ?」

 

 大きな手のひらが有栖院の頭に触れる。

 撫でるというよりは髪を掻き回すように雑な手付きだが、伝わる力には何より心を落ち着かせてくれた。

 彼がいればもう大丈夫。張りのある声音か落ち着いた態度か、言葉ではない何かが伝える安心感。

 

 「カズマ。()()()()()()()()()()()()()

 

 「勿論」

 

 珠雫を優しく抱えるステラの部屋の(てい)を為さなくなった控え室から出る直前の言葉に、そう答えて彼は立ち上がる。

 有栖院の身体から緊張が解ける。

 大きな背中に珠雫と有栖院を隠すように前に出た彼は、2人に向けて力強く親指を立てた。

 

 

 「2人ともよく戦った。後は俺に任せとけ」

 

 

 (ああ・・・・・・)

 

 霞む視界の中で珠雫は思う。

 天音の言ったように自分の欲望のまま愛する人を愛し、愛する人を奪った女を妬んで憎めたら。そんな自分の快不快だけで他者を蔑ろにできる人間のままであれたらどれだけ楽だっただろうかと。

 もし彼女がもう少しでも嫌な女だったなら、兄に愛してほしい感情と兄に彼女と幸せになってほしい感情の板挟みになることもなかったろうに。

 もしあの時彼と出会わなければ、何も守れなかった自分の無力をここまで呪うこともなかったろうに──────

 

 「・・・・・・あり、が、・・・・・・とう・・・・・・」

 

 意識が無明の闇に落ちる前、珠雫は最後の力を振り絞って礼を言う。

 それが2人に届いたのか、それよりもきちんと声になったのか、もう彼女にはわからない。

 ただステラの腕に抱かれて肩越しに見えた最後の景色で、確かに彼はこちらに向けて笑っていた。

 

 

     ◆

 

 

 「後は任せろか。身の程知らずの若造が」

 

 侮蔑を込めてヴァレンシュタインは吐き捨てる。

 

 「腹に穴を開けて大口を叩く度胸は大したものだ。立場が違えば勧誘も考えたかもしれんが、まあコレも巡り合わせ」

 

 彼はゆっくりと巨大な剣を肩に担ぐように構える。

 倒れた有栖院の総身に震えが走った。あれを彼は知っている。こと戦闘において攻守共に並ぶ者のない《隻腕の剣聖》の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を。

 ダメージの抜けない腹に力を込め、有栖院は一真に精一杯の声を張り上げる。

 

 「ダメよ、カズマ! 逃げて! ()()()()()()()()()()()!!」

 

 その必死の叫びを聞いていたのかいなかったのか。

 後で考えればあれは聞いていなかったのではなく、聞いた上で問題ないと判断したんだろうなと有栖院は思う。

 まさに己を殺めんとしている《解放軍(リベリオン)》幹部を指差して、一真は面白そうに有栖院に笑った。

 

 

 「なァ面白くね? 俺を殺せる気でいるぞこの片端(かたわ)のボケ老人」

 

 有栖院が心胆を凍らせ、ヴァレンシュタインの怒りが頂点に達した。

 度を超えた激情が表情を失わせ、無意識下の行動の制限が取り払われる。

 周囲の状況を度外視。建造物と観客達を巻き込むことを良しとする。まるでお前の言葉が招いた惨劇だと突きつけるように、ヴァレンシュタインは一真に向けて必殺の剣を振り下ろした。

 

 「地獄で(おご)りを悔いるがいい。──《山斬り(ベルクシュナイデン)》」

 

 

 ヴァレンシュタインの能力は《摩擦》。

 打撃、斬撃、銃撃。この世界に存在するあらゆる力の作用には摩擦が大きく関係している。

 どれほどの威力を持つ弾丸も着弾点に摩擦が一切生じなければ貫通力は働かず、対象の上を滑るのみ。そしてその力を攻撃に転ずれば、あらゆる物質の分子間を抵抗なくすり抜ける無双の剣と化す。

 攻めれば名剣。守れば神の盾。

 全ての力の基点である『摩擦』を操作する力、それこそが《隻腕の剣聖》の能力だ。

 

 ただし惜しむらくは、その能力は当然ながら魔力によって付与される恩恵であり。

 そして王峰一真の能力は、己を『優』、敵を『劣』と置いて相手を魔力ごと叩き潰す。

 

 

 天音と有栖院は唖然と見上げていた。

 控え室の天井を真っ赤に塗り潰して、ヴァレンシュタインが天井にへばりついている。

 《山斬り(ベルクシュナイデン)》を正面から受け止めた一真に股間から蹴り上げられたのだ。

 股下から頭頂部までを一気に蹴り潰されて蹄鉄のような愉快な形に変形したヴァレンシュタインが、天井にくっついたまま血と内容物を垂れ流している。

 

 「これで5人、いや6人目か・・・・・・。いや、流石に相手がクズだからではあるんだが・・・・・・」

 

 諸星から受けた全身の切創と腹部の穴。

 そしてたった今《山斬り(ベルクシュナイデン)》を受け止め肩から切断された左腕。

 天井から雨漏りのように降ってくる血の滴を浴び、自分と他人の赤色で身体を染め上げた彼は、解いた計算式を検算しているような調子で(ひと)()ちた。

 

 「うん。思いの外なにも感じねえな」

 

 

 (・・・・・・あれ)

 

 天音はふと気が付いた。

 ここまでのインパクトで頭から抜けていたが、この状況はおかしい。

 自分はこの騒動に邪魔が入らない事を望んだ。

 途中こそ嗜虐趣味でカメラに晒したものの、第三者の介入など諸々の不運で発生しないはずだった。

 だと、いうのに。

 

 

 (なんで、2人がここに来れたんだ・・・・・・?)

 



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71話

 iP S再生槽(カプセル)から出てシャワーを浴び、身体を濡らす液体を洗い流す。

 四肢の切断程度なら10分程度で再生を完了させる医療機器も引き裂かれた腹部と大小無数の血管の再生と複雑な結合にはやや手間取ったのか、時計を見ればもう日が暮れようかという時間だった。

 ─────《解放軍(リベリオン)》。

 《暁学園》のメンバーにそれが混ざっているのは仕方ない。蹴り潰すかどうかの判断は保留。有栖院のような訳有りかもしれないし、そもそもテロリストの自分だって似たようなものだ。

 ただ明らかにしなければならない問題がある。

 スマホを手に取って耳に当てる。相手はまるで予期していたかのようにワンコールで応じた。

 知らねばならない。行動する前に。

 努めて冷静に話したつもりでいたがそれでも処理できないままの怒りが声に滲んだのを一真は自覚した。

 

 「月影さん。聞きたい事がある」

 

 そしてここはホテルの側の公園、大会中の選手の自主訓練場として限定的に魔力使用が許可された場所。

 明日の三回戦で天音と戦うために《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》の因果改変に備えるべく不眠で過ごすつもりでいた一輝の元に、良く知った顔のロマンスグレーが現れた。

 1つ話したい事がある、と彼は言った。

 紫乃宮天音の力がどう作用するか分からない状況で敵方の長の誘いには乗れない、と一輝は答えた。

 それに対して月影は「その心配は不要だ」と返す。

 

 「なぜなら君が紫乃宮君と戦う事は、今のままではあり得ないからね」

 

 「それは僕が不戦敗になるということですか?」

 

 「そうじゃない。彼は()()()()()()()()()()()。君が考えている以上に彼の憎悪は深いのだから。そして私の話とは・・・・・・他でも無い、そんな紫乃宮君の事だ。どうだい、興味が湧いてきただろう?」

 

 「・・・・・・分かりました。お話を伺います」

 

 「ありがとう。では彼と一緒に聞いてもらっても構わないかな」

 

 「え?」

 

 「もう1人いるのだよ。紫乃宮君の事を知りたいという者がね」

 

 そうしてその『もう1人』が姿を現した。

 こちらもよく知った仲の丈高き男だった。

 そして2人は知る事となる。

 紫乃宮天音という少年の、憎しみと諦めの足跡を。

 

 

     ◆

 

 

 明日は三回戦。選手達の過ごし方は様々だ。

 一輝のようにギリギリまで鍛錬をする者、対戦相手に対する戦略のシミュレーションに余念がない者、平素と変わらずホテルで就寝しようとする者。

 そして寝ようと思った矢先に巨人が訪ねてきた者。

 ノックをされて誰だろうとドアを開けた天音の視界に映ったのは、肩どころか胸から上が派手に見切れている王峰一真だった。

 そこらのホラーより圧迫感を煽ってくるシチュエーションに天音が思わず硬直する。

 

 「・・・・・・・・・妖怪?」

 

 「俺だよバカ」

 

 慄いて後ずさる彼に合わせるように扉を屈んで潜り抜けた一真が室内に侵入する。

 随分と強引な訪問だった。俄に危機感を募らせる天音に、険を寄せた眉間で口を開く。

 

 「何であんな事をした?」

 

 端的に一真はそう聞いた。

 それを受けた天音ははぐらかすようにキョトンとした顔で首を傾げる。

 

 「何のこと?」

 

 「(とぼ)けてんじゃねえ黒鉄の事だ。なんであそこまでやった?」

 

 「そんなこと言われても、大会に関係ない立場で奇襲してきたのは向こうじゃないか。それに僕の能力はもう知ってるでしょ? あれは僕が具体的にああしようと思った訳じゃ」

 

 「()()()()

 

 遮るように月影から聞いた名を告げた。

 天音の顔から軽薄な作り笑いが消える。

 《解放軍(リベリオン)》に属した時にこの世から抹消されたはずの過去。あがき続けた日々の名前。

 なぜその名を知っているのか、その疑問をぶつける前に一真は何の躊躇いもなく自分と一輝に話を聞かせた男の名を出した。

 

 「月影さんから全部聞いた。しんどかったよなァ。俺なんかよりよっぽど悲惨な目に遭ってるよお前。

 けどありゃ駄目だ。誰かの足を引くのはやっちゃなんねえ。触れられたくないものを暴かれる辛さはお前だって分かるだろ」

 

 「あー。ハハハ。その事は誰に話した事もなかったけど、そっか。彼はそういう事が出来る伐刀者(ブレイザー)だったか。で?」

 

 「あの控え室の騒動、監視映像の音声データが何故か壊れてたって聞いた。お前が残らないようにしたんだろ? まだ間に合う、もうこういう事はやめろ。その一線を無くしたらいよいよ終わりだぞ」

 

 「だから?」

 

 「能力なんてしょうもないモンに負けてんじゃねえ! 俺だってそうだ、()()()()()()()()()()()()()()()! そこで折れなかったから俺は今ここに立ててる! お前だって努力してきただろ、前に進もうとした自分を手前(てめえ)で否定してどうすんだ!!」

 

 「あーそう、帰って。めんどくさい」

 

 そう吐き捨てて天音は背を向け、一真がこの場から消えることを願った。

 具体的な希望はない。ただこの不愉快な大男が今すぐこの場から消えるように。

 一真の大切な人に何かが起こるのか建物が崩れるのか。何が起きるかは分からないが、少なくとも自分がその何かしらに巻き込まれることはないだろう。

 

 「・・・・・・今回の件でお前は5人を怒らせた」

 

 だというのにその男はそこにいる。

 有り得ない。そんな事は起こり得ない。

 頭蓋骨を内側から引っ掻くような不快感を歯と共に剥き出して天音は振り向いた。

 

 「イッキとステラさんは当然だな。アリスもそうだし黒鉄だって言わずもがなだ。じゃああと1人は誰だと思う?」

 

 「うるっさいな出てけって言っただろ! 消えろよ! 僕が! そう願ってんだからさあ!!!」

 

 「俺だよ」

 

 

 ばきり、とか、ぐちゃり、とか。

 硬いものと少し弾力のあるものが潰れる音が顔面の中心から鼓膜に伝わり、浮いた両足が地面に投げ出された。

 後頭部まで貫通するような極太の激痛(いた)みの束。

 思考が飛んだ脳味噌が目の前の大男に鼻っ柱をブン殴られた事実に気付くまでに一瞬の時を要した。

 

 「ッッ、〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!?!?」

 

 「おーい起きろー。立って俺の話を聞けー。黒鉄に比べりゃその程度ケガの内にも入んねーぞー」

 

 「だっ、だんでっ、(だん)(ぼぐ)の゛能゛力゛がっ!!」

 

 「何でもクソもねえよ。お前が崇める女神様(アバズレ)より俺の方が強えってだけだ」

 

 のたうつ天音の襟の後ろを掴んで立たせようとする一真だが、立つ気力を根刮ぎ奪う激痛で足に力が入らないらしい。しょうがないので襟を掴んだまま片腕で吊り上げるように彼の身体を立たせた。

 

 「これが折れずに努力した結果。手前(てめえ)のチカラを死に物狂いで掌握した結果だ。別に俺が特別だからって訳じゃねえ、同じように努力し続けた奴には全員()()が出来る。妬み嫉みで足を引くしか出来ないお前にゃ想像も出来ねえかな?」

 

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 潰れた鼻から蛇口のように落ちる血の柱を撒き散らして叫び、天音は両手に霊装(デバイス)《アズール》を顕現。

 全てが致命傷となることを願った攻撃の群れは一真の肌に擦り傷ひとつ付けられないまま弾かれた。

 どうやっても否定できない現実に硬直する天音に、一真は普段と変わらない調子で笑いかけた。

 

 「お前は俺より遥かに不幸だ。親に虐げられた上に信じられる人にも行き合えなかった。自分が惨めだと受け入れるのは身を切られるより辛いだろう。

 ()()()()()()()()()()()。人を傷付けて喜ぶ奴に許されるのはそれだけだ」

 

 顔面を血と憎悪に染めて天音は一真を睨みつける。

 しかし一真は動じない。

 襟から手を離され床に崩れ落ちる天音から視線を切り、彼は自分の意思で彼に背を向けた。

 

 「・・・・・・ま、これ以上を俺がやんのは筋違いもいいとこだ。せいぜい再生槽(カプセル)で傷を治しな。お前がどれだけ下らねえ人間か、お前がどれだけ下らねえモンに膝を折ったかは、明日イッキが嫌ってくらいに教えてくれる」

 

 興味を無くしたように欠伸をひとつ。

 用事は済んだと屈んでドアを抜け、背中越しに彼は酷く雑な言葉を残して部屋から出ていった。

 

 「気に食わねえなら俺の失格でも祈ってみるか? 信じれば叶えてくれるんだろ、それ」

 

 足音が遠ざかり残される天音。

 鼻呼吸が出来ず荒い口呼吸を繰り返し、彼は震える腕で這いつくばった身体を起こす。

 言われるまでもなかった。

 とうに視界から消えた一真に向けて、彼は心からの呪詛を祈りに乗せて女神の意思を差し向ける。

 

 「()()! 死ねっ!! 死ね、シネ、死ね! 死ね!! 死ねぇぇぇェエエエエエッッッ!!!」

 

 

 ありったけの殺意と悪意を向けられた一真はそのまま自分の部屋に戻ってシャワーを浴び直した。

 改めて明日のスケジュールを確認してストレッチ、コンディションを整える毎日のルーティーン。

 それを終えてベッドに腰掛けた一真を襲ったのは、雪崩のような消沈だった。

 

 「・・・・・・・・・ああ、もう。ミスッた。最悪だ」

 

 頭を抱えた両手が髪を乱す。

 完全に言動を誤った。

 辛い思いをしている時に『自分は頑張れたからお前も頑張れ』なんて言われて誰が頑張れるというのか。

 昔の自分はその台詞で頑張ろうと思えたか。

 自分が前を向こうと思えたのは─────東堂刀華が身体を張って人の強さと美しさを教えてくれたからではなかったのか。

 

 救えないかと思った。

 あの時彼女にしてもらった事を他の誰かに返せないかと思った。

 あの場ですぐにとはいかずとも、そうして彼女に救われた自分なら天音が抱える大きな闇を、少しでも何とかしてやれるのではないかと思ってしまった。

 ────その結果がこれだ。

 自分はいつもそうだ。

 後で事情を知ってから仇討ち紛いに排除するだけ。大団円の真似事ばかりで根本的に救えていない。

 刀華にしてもらった事を、自分は誰にも返せない。

 

 「なァ刀華、教えてくれよ。どうすりゃ俺はお前みたいになれるんだ?」

 

 

 この後悔を彼は引き摺らない。来たるべき明日の戦いに備えて然るべき心身に調整する。

 吐き捨てた唾を嗤われない姿であるために。

 必ずそこへ行くと誓った、自分が望んでやまなかった戦いのために。

 《七星剣武祭》3日目、三回戦が始まる。

 

 

     ◆

 

 

 『今、主審がステラ選手の勝利を宣言しました! 注目の一戦、A級騎士同士の怪物対決を征したのは《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン選手です!

 やはり魔力保有量世界一の記録保持者! 次元違いの圧倒的な力の差で《風の剣帝》を捩じ伏せました─────!!』

 

 降り注ぐ拍手の中、リングを立ち去るステラ。

 それを観客席から見下ろしながら、貴徳原カナタは詰まっていた息を吐き出すような溜息をついて感嘆の言葉を漏らす。

 

 「すごい戦いでしたわね・・・・・・」

 

 「うむ。この夏合宿で凄まじい開花を果たした事は知っていたが、よもや《風の剣帝》が相手にもならぬとは」

 

 「兄さんからすれば何よりの結果でしょうね」

 

 同意した砕城雷が頷きを返し、そして一輝が横から言葉を挟む。

 

 「自分にも相手にも妥協を許さない人です。世界を巡って頂点の高さを知っていた兄さんとって圧倒的な壁の存在は最高のモチベーションでしょう。自分が最強を目指し続ける過程で、それを乗り越えることに勝る喜びはありませんから」

 

 「実に・・・・・・王馬さんらしいですね」

 

 「そうですね。まあ自分の夢のためには余りに手段を選ばないのは弟として一言二言くれてやりたいところではありますが、────あのストイックさだけは昔から尊敬していますよ」

 

 今でも目を閉じれば、講師も分家の子も引き払った夕暮れの道場で剣を振るい続ける背中を思い出せる。

 あの背中から多くのものを教わり、盗んだ。そういう意味では黒鉄一輝にとって黒鉄王馬とは師のようなものである。

 そんな王馬を、ステラは危なげも無く圧倒的な力量差で捩じ伏せた。

 しかし王馬の顔に絶望はない。

 肩から脇にかけて《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》の光熱の斬創を刻まれ意識を無くしたにも関わらず、なおも『必ず其処に行くぞ』という意志の残滓を眼光に滲ませていた。

 ・・・・・・頭の痛いライバルだ。

 共に騎士の高みへ行こうと誓った彼女は、遥か高みに座している。

 そして次の試合は少なくとも彼女と同じステージに住まう者とその人物に挑む親しい者の試合なのだが、一名ほど完全にゲンナリしている観客がいる。

 誰あろう御祓泡沫である。

 彼にとっては酷く面白くない展開が起きているのだろう、仏頂面でスマートフォンの画面をタップしている彼に一輝はそっと問いかけた。

 

 「・・・・・・泡沫さん。どうしたんですか」

 

 「ちょっと待って話しかけないで。ボク今ウ◯娘のぱかフェスピックアップガチャ回してるから。天井叩くまでに限定◯マ娘のマツカゼが引けるかどうかの瀬戸際だから」

 

 「次の試合カズマと刀華さんですよ」

 

 「そのカズが今なにやってるか知ってる?」

 

 質問が返ってきた。

 確かにいま彼が何をしているかは知らないが、あそこまで熱望していた勝負なら諸星雄大との試合の時のようにギリギリまでウォーミングアップするなどコンディションの調整に努めているのではないか?

 そんな事を考えていた一輝だが、泡沫の答えはまるで予想を裏切るものではあったが実に一真らしいものだった。

 

 「美容院に行ってるよ。ついでに試合じゃ服装も変えるらしい。パーティで来てたスーツ着るんだって」

 

 「・・・・・・どうして?」

 

 

 「『惚れた女が殺しに来るから』だって。何言ってんのかわかんねーよ」

 

 

 実況の紹介に合わせて現れた刀華は、一真の様子を見て思わず笑ってしまった。

 赤ゲートから現れた今大会の優勝候補筆頭が、凄まじくめかし込んだ格好で現れたからだ。

 髪を整えて晴れ着を纏い、まるで渾身のプランを組み立てたデートに赴くような出で立ちで王峰一真は踊っている。

 弾む心が脚に表れているかのように高らかに革靴を鳴らして弾む。

 これから命と誇りを懸けた試合が始まるとは到底思えないその様にざわつく観客席を他所に、刀華の姿を認めた一真が深い笑みを浮かべた。

 姿勢を正して胸に手を当て、もう片方の手を差し伸べる。

 とびきりの誘いに笑顔で答えた刀華の目には、彼の背景に舞踏会の会場が見えていた。

 

 「─────shall we dance(さあ。やろうか)?」

 

 「Sure(もちろん)



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72話

 『さあ続いて赤ゲートから暁学園1年・王峰一真選手が、おっと!? 気合の入った装いでの入場です!

 魔力によって暴れた一回戦とは逆に二回戦では鮮烈な技の冴えを見せつけてきました!

 果たし合いの場で臆面もなく着飾る余裕はまだまだ底知れぬ何かを我々に感じさせてくれます!

 王たる所以は力のみに非ず! ここまでで最高ランクの相手とぶつかるこの戦いすら彼は自分のステージに変えてしまうのか!?』

 

 「うわ本当だ、パーティの時よりお洒落してる。もしかしてカズマ、デートか何かと勘違いしてます?」

 

 「それボクも同じ事聞いた。『似たようなもんだろ』って言われた」

 

 「ああ・・・・・・まあ分かりますけど」

 

 「戦闘狂どもがよ」

 

 そういえば日頃常識人なだけで一輝も『向こう側』の住人だったのを思い出した泡沫が吐き捨てた。

 ステップを刻みながら開始位置まで進んでいく一真に若干会場が戸惑っている中で、実況の紹介が対面に現れる対戦相手に移る。

 

 『そして青ゲートから現れたのは破軍学園3年・東堂刀華選手!!

 ここまで全く危なげない勝利を納めております、まだ底を見せていないのは彼女だって同じ事!

 今大会屈指の優勝候補すら断ち切ってみせるか伝家の宝刀! 去年は惜しくも届かなかった七星剣王の座を目指し、まずは最初の正念場!!』

 

 『これは良いカードですね。王峰選手と東堂選手は共に《闘神》南郷寅次郎に師事している、つまり同門同士の対決になります。恐らくはこの会場にいる誰よりもお互いの手の内を知っている。ランクの高さや技術以上に面白い展開になりそうです』

 

 『成る程、そういった意味でもこの戦いはライバルとして負けたくない一戦だと! しかし王峰選手、先程から実に楽しそうに踊っていますね。何やら酷く浮かれているようですが・・・・・・』

 

 『それはまあ、察しがつくというか、詮索は野暮というものかと。ふふっ、若さとは眩しいものですね』

 

 「カズーーーー! バレてるよーーー!!」

 

 会場が死合いの直前にあるまじき微笑ましい笑みに包まれ、入場してきた刀華がむず痒そうに身体をよじる。何を見せつけられてんだと犬の交尾を目撃した気持ちになっている一部友人達をずっと下に見下ろす場所、天井が開かれた湾岸ドームの縁に2人の姉弟子である西京(さいきょう)寧音(ねね)が腰掛けていた。

 腕組みをして見届けるは勝負の行方。

 もう少し詳しく言えば、刀華の戦いの行方だ。

 

 対策の『た』の字にもなっていない─────

 

 彼女が王峰一真を倒す為に編み出した技を見た寧音はバッサリと切り捨てた。

 電気を応用した磁力によって砂鉄を操り、変幻自在の武器とする伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 他の伐刀者(ブレイザー)相手なら強力な手札となっただろうが、一真相手には通じない、と敬愛する姉弟子から下された容赦ないジャッジに、

 

 『はい。その通りです』

 

 あっけらかんと刀華は頷いた。

 

 『カズくんの防御を貫くにはまず火力が足りません。陽動や目眩しとして使えばまだ違うでしょうが、受けても問題ないと知れれば正面から突破してくるし、そもそも地面を石とコンクリートで覆われたリングではまず砂鉄の調達が不可能に近い』

 

 『・・・・・・・・・・・・』

 

 その通りである。寧音が見つけた欠点を刀華は全て把握していた。そもそも刀華が編み出した技なのだから欠点も知っていると言えばそうなのだが、使い物にならないと自分で分かっている技をそのまま出してくるとは寧音も思っていなかったのだ。

 言うべき事が無くなって沈黙した寧音に、刀華はにこりと笑って大前提を繰り返した。

 

 『ですが、それでもこれはカズくんへの対策になっているんですよ』

 

 

 (・・・・・・結局、詳しくは分からずじまいさね)

 

 通用しない技が対策。

 膨大な実践経験から答えを導こうとしても刀華の為さんとしている事が分からない。

 恐らく彼女は情報の流出を防ぐ為に全てを話していないのだ。あの時見せられた技は多分、意図的に規模を誤魔化すかいくつかの行程を省くかした上で発動されたものだ。

 ふん、と鼻を鳴らしてドームの縁に座り直した。

 小生意気にも自分を煙に巻いた妹弟子の戦いに、隠された答えを求めんと彼女は石のリングを見下ろす。

 

 (見せてもらおうじゃないか。自信満々に言ってのけたカズ坊への対策とやらを)

 

 浮かれる時間はここまで。

 開始位置についた瞬間、2人の(かお)が一気に変わる。

 吹き荒れた紫白の暴風が一真の両脚に絡んで漆黒の脚鎧(ブーツ)を形造り、大気を走った稲妻が刀華の手に収束して一本の刀を生み出す。

 霊装(デバイス)が顕現した瞬間に会場が一気に緊迫した。

 一真は口に浮かべた笑みはそのままに細く目を研いだ。刀華の目に自分だけが映っている。惚れた女の殺意(おもい)の全てを独占している。

 最高だ。しゃぶり尽くそう。遠慮なく─────

 

 「? ・・・・・・・・・・・・!♪」

 

 少しだけ首を傾げた一真は、歯を剥き出して笑みを深めた。

 開始位置についた刀華が妙な動きをして、そしてその動きの意味が分かったからだ。

 迷いのない動作で《鳴神》の柄に手を掛けて片足を引きつつ、クラウチングスタートでもするのかという程に低く深く身を沈めて重心を極端に前に置く。

 形そのものは居合いの構えだが、その姿は余りにも踏み込んで斬ることに特化していた。

 駆け引きの一切を捨て去った、吶喊の構え。

 

 『こ───、れは潔い! 隠す気配が全くありません! 最速で叩っ斬るという強烈な意思表示!!』

 

 『初手から全てを懸けるつもりのようですね。自分の持つ最大火力が通れば良し、通らなければ敗北。城塞の如き王峰選手が相手なら実に合理的かと』

 

 (おいおい何だよ、急ぐなよ)

 

 初手からの全力に喜ぶ反面、明確な短期決戦狙いに一真は唇を尖らせる。

 そうなってしまうとつまらない。

 すぐに終わってはここまで来た甲斐がない。

 しかし───そう来るならばそれでいい。

 懸命に考えてくれた自分との戦術(デートプラン)、全力で乗るのが正しい作法。

 

 (すぐに終わらそうってんなら楽しませてもらうぜ。頭の天辺から足の先まで!)

 

 『さあこれより第62回七星剣武祭3回戦、Cブロック第一試合! 王峰一真選手 対 東堂刀華選手の試合を開始します!! 試合開始(LET's GO AHEAD)─────!!!!』

 

 「《雷切(らいきり)雲耀(うんよう)》」

 

 

 

 

 

 

 

 

 束の間、時間が止まった。

 振るわれた一閃、その一瞬をどれだけ重ねれば目瞬(まばた)きの間に届くだろう。

 彼女の一太刀は誰の意識にも認識できなかった。

 目にも映らず大気も爆ぜず、微かな風の音だけを残して頸動脈に切れ目を入れる。

 一真の首が飛ばなかったのは試合開始の刹那、かつて世界最強の剣士から受けた剣気と同じものを感じた彼の無意識が咄嗟に回避行動を取ったからだ。

 その一閃の数百倍近くの間を開けて冷や汗と鮮血が噴き出し、さらに数秒開けて会場中が絶叫した。

 

 「長々と戦うつもりは無いよ」

 

 心臓を凍らせた一真に刀華が囁く。

 デート気分で舞い上がる彼を地面まで叩き落とすように戦いの幕は開いた。

 瞳孔の開いた榛色(はしばみいろ)の眼光で一真を貫き、彼女は情愛の代わりに澄み切った殺意を言葉に乗せる。

 

 「全力で征くけん。受け止めて」

 

 《雷切(らいきり)雲耀(うんよう)》。

 全てを理解した解説が悲鳴のように叫ぶ。

 今の一太刀は間違いなく黒鉄一輝がコピーした『比翼の剣』と同じもので。

 そしてその剣速は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

     ◆

 

 

 『どう受け止めればいいんだぁあっ!? 《比翼の剣》の使い手がもう1人! さらに剣速で《比翼》を超えた!? 余りにも、余りにも恐ろしい事実!下馬評では王峰選手有利とされたこの戦いはどうなってしまうのか!?!?』

 

 「《比翼の剣》を・・・・・・!? イッキがコピーできたのは知ってるけど、何でトーカ先輩まで同じ剣が使えるのよ!?」

 

 「!! あ、の、時、か・・・・・・ッッッ!!!」

 

 「イッキ、知ってるの!?」

 

 思わず顔を覆った一輝にステラが食いついた。

 特大の失策に頭を抱える彼は苦悶の表情を浮かべながらも彼女の疑問に呻くような声で答えていく。

 

 「エーデルワイスさんの剣を模倣する時、僕は壁にぶち当たったんだ。剣を振る途中で身体の動きが止まってね。ずっと分からなかったその原因を刀華さんが解決してくれた」

 

 「トーカ先輩が? どうやって?」

 

 「《閃理眼(リバースサイト)》だよ。それを使って僕を視る事で《比翼の剣》の秘密が脳が発する超高密度の伝達信号である事を見抜き、その『戦闘用の伝達信号』に自分の身体が齟齬を起こしてることを指摘してくれたんだ」

 

 「なるほど、それで伝達信号に合わせて身体の動きを最適化(アジャスト)したのね。身体に流れる伝達信号(インパルス)を読み取る伐刀絶技(ノウブルアーツ)にそんな使い方も出来るなら、トレーニングにも色んな応用が──────、あ!?!?」

 

 「そう。その通り」

 

 正解に行き着いたステラが大声を出した。

 まるで《落第騎士(ワーストワン)》のお株を奪うように技術を盗まれ続けているが、一輝の悲鳴はまるでジェットコースターに乗っているかのようなスリルと楽しさに満ちていた。

 

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 脳からの運動命令は電気信号で行われる。

 ()()()()()()()()()()

 例えそれが普通人間が持ち合わせないようなものであっても、『電気』の能力と校内序列2位に列せられる魔力制御を以てすれば。

 

 伝達信号を自ら造り《比翼》の速度を手に入れる、伐刀絶技(ノウブルアーツ)霹靂神(ハタタカミ)》。

 それによる圧倒的スピードの踏み込みと()()から放たれる、《雷切》を超えた《雷切(らいきり)雲耀(うんよう)》。

 頸動脈に半分ほど切れ目を入れるという致命のオープニングヒットを与えた刀華だが、その程度で勝てる相手ならこんな技を習得していない。

 即座に向き直った刀華の視界を覆ったのは、黒い脚鎧(ブーツ)の靴底だった。

 

 空間が丸ごと吹っ飛んだ。

 蹴り1発の威力とは信じ難い破壊圧が前方に放たれ、観客達を守る為に運営側の伐刀者(ブレイザー)達が何重にも張った防壁が嫌な音を立てて罅割れる。

 防壁は自分が張らねばならないと新宮寺黒乃は覚悟を決め、他の者は刀華の安否が分からなくなった。

 

 『うわぁぁあああっ!? 何が起こった!?』

 

 『どんな破壊力だよ! 勝負ついたぞこれは!!』

 

 『いや、見ろ! 避けてる! 終わってない!!』

 

 刀華は斜め前に侵入するように一真の蹴りを躱し、それを受けた一真は回し蹴りで追撃。扇状に破壊が撒き散らされるも刀華は蹴りと同じ方向に旋回するように爆撃範囲から逃れた。

 そして躱した先に前蹴り。

 彼の脚の長さではやや窮屈な間合いにまで侵入した彼女は、納刀したままの《鳴神》で横から身体ごとぶち当たるように蹴りの軌道を逸らした。

 ここまで刀華は無傷。

 だがこの段階で既に石造りのリングは半壊した。

 

 『やはり強ぉぉぉおおい!! 1発1発がとにかくデカいッッ!! 掠るだけでも四肢が飛ぶような大砲を東堂選手紙一重で避けていく!!』

 

 『王峰選手の蹴りの捌き方を熟知していますね。しかし王峰選手の立て直しの早さはやはり脅威です。東堂選手としては最初のヒットから流れを持っていけなかったのは痛手かと』

 

 「うわうわうわ、2人が戦ってんの久々に見たけど怖っっっわ。あんな近距離にくっついて大丈夫なの」

 

 「いや、逆にあそこまでくっついてないと危険なんです。通常の間合いで戦ったらそれこそあの広範囲の破壊圧に呑み込まれる。カズマは長身過ぎて足元のスペースが大きいから、ハイキックとミドルキックを屈んで避けれるクロスレンジに入るのは剣士としては外せない選択です」

 

 「けどそれだけで攻略は不可能よ。あの至近距離だって充分にカズマのキルゾーンなんだから。さっきの技をもう一度打てたら話は変わるけど・・・・・・どうやらカズマがそうはさせてくれなさそうだし」

 

 

 「《天衝角(イグニフェル)》」

 

 回避された膝蹴りが空を貫き、噴火のような空震が起きた。爆裂した大気に薙ぎ倒されそうになりつつも刀華は身を低くして爆風をやり過ごす。

 膝蹴りを撃った足の裏は既に刀華を狙っている。

 次の瞬間、踏み潰すような一真の足刀蹴りと刀華の一撃は同時に行われた。

 ドゴン!!!!とリングは標的をすり抜けて粉砕され、振るった太刀は止められた。

 ステップで蹴りを回避した刀華が振るおうとした《鳴神》を掴む腕、その上腕部分を一真が手で押さえて止めたのだ。

 長身故の腕の長さがあればこその芸当である。

 

 (ヒリつかせてくれるなァ・・・・・・!!)

 

 エーデルワイス相手に死にかけ南郷のしごきで殺されかけて嫌でも習得するハメになった、傷口を微弱な《踏破》で潰して圧着する応急処置が無ければ初手で終わっていた。

 そのまま腕を掴まれる前に離脱した刀華を一真は即座に追いかける。

 中距離での制圧力で優に刀華を上回る彼が離れようとする彼女を追いかける理由は無さそうに思えるが、この状況ではそうはいかない。

 何故なら彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (時間を与えたらまたあの《雷切》が飛んでくる)



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73話

 前話の刀華の伐刀絶技(ノウブルアーツ)の名前を変更しました。


 一真に対して通常の剣技はまず通らない。

 だから通常の攻撃は選択肢から除外して《雷切・雲耀》で斬り込む隙を狙い続けるという戦略は、潔いというよりは合理的だと言える。

 そして一真が中距離からの問答無用の制圧に移れない理由としては、やはり《雷切・雲耀》の踏み込みの速度にあった。

 

 「速すぎるわよ。あれじゃ伐刀絶技(ノウブルアーツ)が間に合わない。魔力防御を展開するより早く斬り捨てられる」

 

 「少しでも隙を生めば致命的だね。距離を作られればその時間であの剣が飛んでくるからカズマは近距離で戦うしかないけど・・・・・・、どうもあの技はそこまで都合のいいものではないのかもしれないよ」

 

 足を踏みにいく一真。

 足を退げて躱す刀華。

 上から振り下ろす必要はない。彼の力なら爪先で軽く押さえて押し込むだけで充分な破壊が成立する。潰す対象に逃げられた彼の爪先がリングに蜘蛛の巣のような亀裂を入れた。

 相変わらず刀華が刀を抜く気配はない。

 しかしこの辺りで一真に1つの疑問が生じる。

 

 (何で《比翼》の動きをしねえんだ?)

 

 退く、躱す、逸らす。

 どんな行動を取るにせよ《比翼》の動きが出来るならそうしない理由がない。自分の行動選択の難易度を上げてあの居合い抜きをする隙を作りやすいからだ。

 しかし、やらない。

 手札を隠すブラフにしても、強力な手札を縛った状態で自分と戦うリスクが大き過ぎる。

 この辺りで一真は刀華がコピーした《比翼の剣》の絡繰(からくり)が見えてきた。

 

 (成る程なァ、『伝達信号』か。そんでどうやら─────()()()!!)

 

 「はぁあっ!!」

 

 踏み込み無し。

 僅かな隙を見逃さず《鳴神》を構えて《雷切・雲耀》を放とうとした刀華の刀を握る上腕部を、一真は寸分狂わないタイミングで抑えた。

 そこで一真の予想は確信に変わる。

 居合い抜きを止められた彼女は即座に回り込むように離脱、直後に彼のローキックが前方十数メートルを扇状に破壊した。

 

 ─────()()()()()()()使()()()()

 刀華の《比翼の剣》の弱点を一真は看破した。

 

 彼女がエーデルワイスの剣を学んだ機会といえば一番早くても《前夜祭》の時しかない。

 如何に彼女の能力と伝達信号(インパルス)の相性が良いとはいえ、その時から今までの期間で『高密度の最適な伝達信号を戦闘中に無意識で作り続ける』ようになるのは限りなく不可能に近いだろう。

 《七星剣武祭》に間に合わせるなら用途を《雷切》に絞った信号を完成させた方がいい。

 

 (イチバン警戒しなきゃなんねえのは構えのスイッチだな。風祭との戦いで披露した《電電太鼓(でんでんだいこ)》、アレが使えるなら逆向きの構えでも打ってくるはずだ)

 

 加えてこの近距離戦も刀華には辛いだろう。

 一真はローを中心に蹴りをばら撒いて刀華のフットワークを制限する。ラッシュに重点を置けばそれだけ威力は落ちるが『削る』には充分。大規模な破壊はないものの人間程度は容易くヘシ折るローキックを、刀華は《鳴神》で受けつつ力を流して防御していく。

 ────構える時間が欲しければ距離を取るのが手っ取り早いが、そうすれば一真は遥か後方まで破壊が及ぶ蹴りを放てばいい。回避したければ横に逃げるしかなく、そこはやはり一真の射程圏内。おまけに一真を刀身の射程圏内に収めるには彼の周囲を巡るように動くしかないためにその分体力を消費する。

 では状況は一真が有利なのか?

 そんな訳がない。

 自分の癖をよく理解した凄腕の剣士が自分を一撃で斃し得る手札を持っている。

 その事実を前に楽観的でいられるのなら、彼は傲慢ではなくただの馬鹿だ。

 避けて、受ける。

 ガードした一真の蹴りのエネルギーを利用して滑るように背後に回り込んだ刀華を、その行動を読んでいた一真の後ろ蹴りが迎え入れる。

 しかし彼女もまた彼の迎撃を読んでいた。

 腰を落とし身体を半身に構え、納刀したままの《鳴神》に沿って滑らせるように後ろ蹴りを受け流す。

 

 その防御はそのまま抜刀の構えになっていた。

 

 全力で上に跳ぶ。

 胴を両断する軌道で放たれた《雷切・雲耀》は標的の移動で狙いが外れ、地面を蹴ってその場に残った軸足を薙いだ。

 刀華の一閃が刀線刃筋までエーデルワイス並みだったなら霊装(デバイス)ごと脚を持っていかれただろう。空中で《プリンケプス》に覆われた脚を恐るべき鋭さで叩かれた一真の身体が力のままに乱回転する。

 しかしバレエで鍛え抜かれた彼の空間把握能力は、シェイクされる視界でも再び刀華が《雷切》の構えに入ったのを認識していた。

 神速の刃が振るわれると同時、空を蹴った一真が間一髪で刀華の背後の空中に逃れた。

 しかし次の刹那に彼の視界を光が埋め尽くした。

 回避する事まで織り込み済みだったのだ。

 身体は止めずに抜刀した《鳴神》の破壊的な推進力を利用して回転、更に刀身から雷撃を放つ。

 技そのものは《雷鷗(らいおう)》に似るが、回転する刃に振り回された雷撃は全方位を薙ぐ渦巻きを描く。

 

 「《渦雷(うずらい)》」

 

 超高電圧の束が横殴りに叩き付けられるが一真にはほぼダメージにならない。この失策で明確に彼女の隙が生まれたと思えるが違う。

 

 (コイツはただの目眩し!!)

 

 《渦雷》に向けて蹴りを叩き込む。いや、正確には《渦雷》のすぐ向こう側にいるはずの彼女に向けて。

 視界を塞ぐ目的で放った雷撃の向こうから《雷切・雲耀》で突っ込んでくると踏んだのだ。

 雷撃ごと彼方まで吹き飛ばす蹴りの余波が空気を貫いて爆発、観客席まで届いた破壊圧が大会に携わる伐刀者(ブレイザー)の張った防壁を軋ませる。

 しかし────、いない。

 あの《雷切》は直線運動しか出来ないはずなのに、刀華の姿がどこにもない。

 具体的な思考はスキップされた。

 戦闘経験の集積で構築された架空の脳の命令で、一真はその方向を見もせずに側面に向けて蹴りを打つ。

 ぶつかった。

 側面から強襲してきた《雷切・雲耀》と一真の《プリンケプス》が真正面から交差。強撃同士の衝突で生まれた僅かな空白の間に、2人の視線が刹那交わる。

 

 『打ち合っている、打ち合っている!! 東堂選手と王峰選手が互角に激突しています!! 喰らえば最後即死に至る一撃が命を掠めて飛び交っています!!!』

 

 「今トーカ先輩、《雷切》から《渦雷》に繋いだ回転をそのまま使ったわね。軸足の回転で地面を走って弧を描くように側面から襲いかかった。・・・・・・この国の玩具にベーゴマってあったわよね。それみたい」

 

 「うん、回転運動に対する理解が凄く深い。回る動きに一日の長があるカズマには看破されたけどあの奇襲は舌を巻くしかないね。あの動きを盗めただけで刀華さんがどれだけカズマを見続けてきたかが分かる」

 

 刀華を知る者にあるのは感嘆と納得。

 湾岸ドームの吹き抜けになった天井の縁に座っているさしもの西京寧音も彼女が編み出した切り札には見事と賛美する他なかった。

 しかし疑問は解消されないままだ。

 確かにあれは圧倒的な地力の差を容易に覆せる銀の弾丸だが、彼女はまだ例の技を見せていない。

 

 (そもそも通じる通じない以前にこのレベルの戦いで砂鉄を調達する時間なんざ無さそうだけどねぇ・・・・・・)

 

 一真といえど咄嗟に出した蹴りでは《比翼》を超える剣速の居合い抜きを潰す事は出来ず相殺に留まる。

 蹴りと剣が激突して生まれた一瞬の間、ここが勝負の転換するポイントである事を2人は同時に悟った。

 弾かれた《鳴神》を納刀していてはその隙に反撃を喰らう。刀華はまず《雷切・雲耀》の踏み込みで未だ空中にいる一真の背後に回り、そこで稼いだ時間で納刀・抜刀に繋げようとした。

 だが一真にはこういう状況にぴったりの技がある。

 つい最近開発した故に情報が少なく、破壊を目的としない故に発動が恐ろしく早い伐刀絶技(ノウブルアーツ)

 ────《暴圧(ウィレス)》。

 今大会2回目のそれが刀華の心を潰しにかかる。

 

 「・・・・・・ッッ!!」

 

 動きが固まり思考が圧される。『相手を怯ませ』強制的に隙を生み出すこの技はこういう局面で凄まじい効力を発揮するのだ。

 そして隙が生まれたなら彼の舞台が始まる。

 斬り込む時間を与えない為に使用を縛っていた伐刀絶技(ノウブルアーツ)が、ここでいよいよ牙を剥いた。

 

 「ステラちゃんなら知ってると思うけど、カズには《制覇の馬蹄(クアドリガ)》っていう高密度に圧縮した『踏破』の魔力を込めた蹴り技があってね」

 

 思わず身を乗り出した一輝やステラ達の隣で、御祓泡沫が足をぷらぷらと揺らしながら頬杖をつく。

 

 「それを両脚でやるのが『あれ』。由比ヶ浜でも使ってたけど、ボクが知ってる伐刀絶技(ノウブルアーツ)の中じゃあれが1番エグい。・・・・・・何せガード不能の一撃必殺が、鍛えまくった体術で連打されるんだから」

 

 「《侵略の軍靴(ミレス・バルバリア)》!!!」

 

 彼が保有するものの中でほぼ唯一体術をベースに置いた伐刀絶技(ノウブルアーツ)。その破壊力と制圧力は見ればすぐに理解できるだろう。

 防御など何の意味もない。

 砕けるリング。消し飛ぶ空間。

 縦横無尽に爆進する紫白を宿した両脚が、その暴虐の顎の中に東堂刀華を飲み込んだ。

 

 『盤面が動いたぁぁああっ!! 僅かな隙を見逃さなかった王峰選手が一気に勝負を終わらせに来た!!これは東堂選手絶体絶命か!?』

 

 『うわあああああっ、何だアレ!? リングがブッ壊れるぞ!!』

 

 『これは終わっただろ! どうやって防ぐんだよあんなもん!!』

 

 『・・・・・・いえ、見て下さい! まだ終わっていない! 東堂選手はまだ戦っています!!』

 

 薄氷のように砕けるリング、空爆のように震える空気。その只中に刀華はいた。

 まず彼女は《暴圧(ウィレス)》の原理を理解した瞬間《霹靂神(ハタタカミ)》によって硬直した身体を強引に駆動、致命的な一撃を回避した。そして自らの筋肉に働きかける伐刀絶技(ノウブルアーツ)疾風迅雷(しっぷうじんらい)》によって身体能力を上げ《侵略の軍靴(ミレス・バルバリア)》を躱し続けているのだ。

 しかし彼女が戦い続けられているのはそういう異能の恩恵によるものだけではない。

 死を間際にした極限の集中力、加えて彼の背中を追い続ける中で理解し暴いた彼の呼吸や癖。それらが刀華の目を照魔鏡の域にまで引き上げる。

 今この瞬間、彼を相手にしたこの時のみ、彼女の洞察力は黒鉄一輝に並んでいた。

 

 「いや刀華も強いのは知ってるけど! アレ躱せるの!? 受け止められなきゃムリじゃない!?」

 

 「動きと避け方を完全に理解してます。流石に回避に専念するしかなさそうではあるけど、カズマの伐刀絶技(ノウブルアーツ)だって永遠に続けられる訳じゃない。攻撃が途切れた時がまた勝負の転換点になる」

 

 2人の手札は共に一撃必殺。

 一真は抜刀する隙を与えたくない。

 刀華は納刀する隙を生み出したい。

 2人の狙いは明確かつ正反対、故に先に意識が綻んだ方に天秤が傾く。

 つまりこれは身体よりも先に心を削る戦い!

 

 (うーん、イイな。楽しいなァ!!)

 

 拮抗した状態に高揚する一真。

 彼は命のやり取りに楽しさを見出すタイプではない。言ってみれば対戦ゲームと同じ。コミュニケーションとしての戦闘行為を、親しい者と非常に高いレベルで遊べている事に喜んでいるのだ。

 回避しにくい回し蹴りの中に織り交ぜられた最短距離を貫く軌道の蹴り。衝撃波に潰されないために後ろに退けない刀華はそれら全てをその場で回避する。

 とうに砕けボロボロになった足場で屈んで反らして回り込む。掠るだけで重傷に繋がる攻撃を捌く彼女の動きは、次第に剣術ではないものに変化していった。

 そう、それはまるで舞踊や舞踏のような。

 

 「はは・・・・・・っ!」

 

 同じ場所に立ち、共に昇る。

 それも自分の色に染めるように。

 戦いの場にそぐわないタイプの精神的快楽をトリガーにして、一真の動きも更に研ぎ澄まされていく。

 このままどこまで行けるだろう。

 どこまで昇っていけるだろう。

 《侵略の軍靴(ミレス・バルバリア)》のラッシュもそろそろ息の限界が見えてくる。だけどこの時間が終わるのが勿体無い。

 もっと、もっと続いてほしい。

 続ける方法がある。

 共に呼吸を合わせ、共に高まり、共に超えていくこの時間と感覚を──────

 

 「あっ・・・・・・」

 

 それに最初に気付いたのは黒鉄珠雫。

 思い出したのは夏の砂浜。

 酔いどれの彼に引っ張り出され、強制的に踊らされた時の記憶だった。

 

 彼がその既視感に気付いた時には遅かった。

 自分が利用された事を悟って心臓を凍らせた彼の眼前で彼女の全てが解き放たれる。

 その『全て』とは何か。文字通り全てだ。

 出力できる魔力の枷。

 身体能力を縛る枷。

 自身を抑制する本能の枷。

 長々と戦う気は無いという彼女が最初に告げた言葉、その真意と根拠は圧倒的な力によって示される。

 さっきまで浮かべていた笑みが消えた彼の前で、稲妻に消えていく刀華は凄絶に笑っていた。

 

 

 

 「──────《晴天之霹靂(せいてんのへきれき)》」

 

 

 

 光も音も吹き飛んで。

 天が落ちるような轟音を撒き散らし、ドームを飲み込む極大の雷が東堂刀華の身体から爆裂した。



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74話

 熱せられた空気が音速で膨張する音、つまり雷鳴。

 正真の天災をその身に顕現した刀華に対して反射的に《不沈の英雄(アイアース)》を発動した判断は実に正しかった。

 ただの魔力防御でこの雷撃は到底耐えられなかっただろう。今の彼女相手にはそれだけの備えが要る。

 ステラ・ヴァーミリオンに比肩する魔力量で押し付ける『劣』の相性と(たが)が外れて何十倍にも爆増したBランクの魔力、どちらが力で勝るのか。2人を知る者ほど結論を出せなくなる問題だが、それはきっと本人にもすぐには分からないだろう。

 ただ一真の背筋と首筋に伝うものは、誤魔化しようもない冷や汗だった。

 

 「どういう事? あれってイッキの《一刀修羅(いっとうしゅら)》と同じ・・・・・・!!」

 

 「・・・・・・カズマには呼吸を合わせて動くことで一緒に戦う人の『枷』を外す《神憑ろし》っていう技がある。けどこれはカズマが刀華さんに合わせたんじゃない。刀華さんがカズマに合わせたんだ」

 

 「それって一点読みなんてレベルじゃないわよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()って事よね!?」

 

 (イカレてやがるね)

 

 天井の縁に腰かける寧音が顎を撫でた。

 彼女のやった事は例えるなら、1つの答えを導くために当て嵌められる無限に等しい量の計算式全てを網羅するような所業。KOFランキング前半一桁の彼女をして気狂いと断言する狂気の産物である。

 こんな事は世界中探し回っても誰1人として、黒鉄一輝にすらも出来はしない。

 誰よりも彼の背を追い、誰よりも彼を見続け、誰よりも彼を超える事を目指し続けた東堂刀華以外には。

 

 「かァァッッ!!!」

 

 踏み込んでの唐竹割り。

 回避は間に合わないと判断した一真は今の刀華の膂力を確かめるべく正面から迎え撃つ。一真の脚が文字通り雷のような速度で飛んできた刀身と激突し、吹き飛ばされないよう彼は全力で踏み止まる。

 力で拮抗されているのだ。一踏みで広大な学園のリングを壊滅させる、《不沈の英雄(アイアース)》の副次的な強化を以てして。

 戦慄する暇もなく次の刹那には次の太刀が来る。一真はそれを弾く。撒き散らされる火花と戟音は、2人を至高の一振りを打つ刀匠のように見せていた。

 

 『こっ・・・・・・れは何が起きたんだぁ!? 東堂選手が突然の覚醒!! 王峰選手を前に踏み止まって打ち合っております!!』

 

 『脳のリミッターを解除しています。ここまでの芸当をやってのけるとは、彼女は去年とは比較にならないレベルのジャンプアップを果たしています!』

 

 (これは僕も形無しだな)

 

 思わず一輝は苦笑した。

 自分が《一刀修羅(いっとうしゅら)》を使ってもああはならない。当然だ、いま数十倍にも跳ね上がっているのはFランクなどという脆弱な力ではなく、頂点の領域に近い場所に住まう者の力なのだから。

 刀華の怒涛の攻めに対して一真は力の乗る爪先や足の甲ではなく、脚を畳んで回転速度を上げた膝で対応していた。

 攻撃を凌ぐための完全な守勢だ。消極的な戦法では彼の力は活かせないが、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 何せ速度が黒鉄一輝を超えているのだ。

 それも一輝と同じレベルの洞察力で!!

 

 (や、っべえなコレ・・・・・・!!)

 

 刀と脚の熾烈な応酬の中で歯噛みする一真。

 自分の動きを先読みされているせいで総合的な脅威度が《比翼》と変わらない。反撃に転じる隙が無い。

 しかし癖を知っているのは自分も同じだし、癖を知られているならそれに対する嵌め方がある。

 一真は蹴りのモーションを変化・中断しないまま軸足の回転運動を利用して滑るように退がった。間合いを広げた事により充分に力の乗った回し蹴りが刀華の打ち込みを大きく弾き飛ばす。

 そして崩れればこちらのものだ。

 最初の蹴りで体勢を崩した相手に、回転運動を加速させノータイムで放つ不可避の後ろ蹴り。

 ─────それも刀華は知っている。

 いくら想定外のタイミングで差し込まれようと、自分はその連携技に幾度となく沈められてきた。

 

 「《疾風迅雷(しっぷうじんらい)》」

 

 バチン、と彼女の姿が消える。

 電気の力による身体能力強化の瞬発力で強引に動いた刀華が一瞬で一真の背後を取った。

 引き絞られるは刀と鞘の二振り。一真は外れた後ろ蹴りをそのまま()()に使った前蹴りを叩き込んだ。

 そして、激突。

 

 「「はぁぁぁあああっっ!!!」」

 

 轟音。リングが縦に揺れた。

 既に砕かれたリングが浮き上がり瓦礫が宙を舞う。

 渾身の太刀と渾身の蹴り、互いの全力を叩き付けた答え合わせは──────

 

 『東堂選手競り勝ったぁぁあああ!! あの王峰選手がよもやの力負けぇぇえ!!!』

 

 一瞬遅れて撒き散らされた衝撃波と共に刀華が後ろに弾かれ、一真がそれ以上の距離を吹き飛んだ。

 圧倒的な破壊を振り撒いていた彼が膂力に劣るはずの彼女に正面から弾かれるある種の逆転劇とすら言えるその光景に観客達が沸き上がる。

 ────いや、()()()()()()()()

 一真が吹き飛んだ角度から寧音はそう見た。

 ここでは具合が悪いとみた一真が力負けに見せかけて自ら仕切り直しを図ったのだ。

 それだけでもかなり珍しい光景だが、しかしこの戦いにおいて一真から距離を空けることが何を意味するかはとうに示されている。

 遠くなっていく間合い、彼女からすれば一息で踏み込める距離を前に刀華は悠々と《鳴神》を納刀した。

 そして来る。

 限界を超えた身体と魔力による《雷切》。

 一振りだけなら《比翼》すら凌駕する、輝く雲すら届かない神域の一閃──────

 

 「《雷切──────」

 

 「───来ると思った」

 

 相手の癖を知り尽くしているのは一真も同じ。空中を蹴って後ろに一回転した彼がその勢いのまま脚を振り上げた。

 蹴り上げられたリングをちゃぶ台のように捲り上げ、無数の瓦礫が空高く舞い上がる。

 蹴りそのものは直撃していないがそれでいい。

 彼の狙いはカウンターではなく、距離を詰めてくるだろう刀華を空に打ち上げることだ。

 

 「!!」

 

 光のような疾さで肉薄しようとしていた刀華が地面ごと空中に飛ばされた。

 刀華にはここから打つ手が無い。磁力で引き合えるものが近くにない以上、空中で移動する術を持たないからだ。

 可能性があるとすればカウンターか? 彼の接近に《雷切》を合わせれば反撃の目はあるか? どれも駄目だ。そんな選択の余地など彼が許すはずがない。

 わざわざ空中に出向かずとも、既に彼の右脚には終わりの一撃が装填されている。

 《踏破》の魔力に形を与えないまま前方への指向性だけを与え、魔力量と出力に任せて思い切りブッ放す遠距離砲。

 

 「(しま)いだオラァッッ!!!」

 

 《天譴の弔砲(セパラトゥス・エールプティオ)》。

 問答無用の破壊力が極大の光線になって刀華のいる空中を一直線に呑み込んだ。突き破られた大気が観客達の悲鳴すら塗り潰して荒れ狂う。

 純粋な破壊力で言えばこの伐刀絶技(ノウブルアーツ)は彼の切り札に近い。まともに喰らえばまず()()()

 とはいえ脳のリミッターを外した状態での魔力防御ならもしかしたら(ながら)えているかもしれないが・・・・・・少なくともこれに吹き飛ばされてからリングに戻るだけの力など残ってはいるまい。

 

 なんて、それは当たっていればの話。

 切り札を放つ直前に彼は見ていた。

 砕けきった地面から噴出する大量の黒い何かを。

 

 「────《積乱雲(せきらんうん)》」

 

 刀華の声に合わせて『それ』は現れた。

 ()()()

 触手のように地面から伸びてきた砂鉄が刀華を捕まえ、命中する直前に《天譴の弔砲(セパラトゥス・エールプティオ)》の範囲外へと引っ張り出した。

 それだけではない。四方八方から現れた砂鉄の束が槍となって一真に襲いかかり、同時に膜のように広がって視界を遮ったのだ。

 

 「あっ・・・・・・!?」

 

 寧音が思わず口を手で覆った。

 あの砂鉄を操る伐刀絶技(ノウブルアーツ)の欠点として挙げた要素である『戦略的に有効な量の砂鉄の調達が不可能に近い』点が解決されていたからだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、なおかつ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これならば問題なく戦術に活かせる!

 

 とはいえこの程度では一真に傷一つ付かない。

 邪魔な目隠しを吹き飛ばした彼は更なる攻撃を加えるべく空中へと飛び上がったが、そこで想定外の攻撃に遭った。

 謎の鎧武者が斬りかかって来たのだ。

 泡を食ってその斬撃を防いだ一真は直後に戦慄した。

 その鎧武者の正体が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「《 建御名方神(タケミナカタ)》─────」

 

 砂鉄を(よろ)うその姿を彼女がそう名乗った直後、《プリンケプス》に触れた刃からリミッターの外れた電流が一真に流れ込んだ。

 感電のダメージと筋肉の硬直。弓形に固まりそうになる身体を強引に動かしてとにかく逃れようとする。

 ─────しかし刀華は追ってきた。

 身動きできない筈の空中を真っ直ぐに駆けてくる。

 どうやって!?

 その答えは自分の周りにいくらでも浮かんでいた。

 

 『これ、は、一体・・・・・・!? 宙に浮かんだいくつもの鉄球の間を東堂刀華が飛んで・・・・・・!?』

 

 『能力で空中に砂鉄の塊をいくつも浮かべて、それに磁力で引き合う事で飛んでいるようです。それにしても戦況の変化が余りにも大きすぎます。王峰選手は早急な対応が求められるかと』

 

 視界を覆ってくる砂鉄。

 それを払う時には既に別の角度から刀華が斬りかかって来ているが、対応しようとした瞬間に正体不明の電流に身体を貫かれた。

 浮かんでいた鉄球と鉄球を結ぶように迸った電気にやられたのだ。

 そこで行動が一瞬遅れ、その時には刃を受け止めざるを得ない距離にまで接近されている。

 この空中はまさに彼女の領域だった。

 

 (戦い方がまるで読めねえ)

 

 困惑と戸惑いがさらに一真の視界を狭める。

 これは自分の知る東堂刀華ではない。

 次に何をしてくるかの予想が立たない。

 リミッターの解除で純粋な魔法剣士としての力を跳ね上げて来たと思えば、同じ系統の伐刀者(ブレイザー)でもやらないような外連味の強い魔術を押し出してくる。

 思考の根幹がまるで見えてこないのだ。

 

 「何を思ってどう鍛えたらそんな突き抜け方になるんだテメェ!!!」

 

 「おかげさまで」

 

 一言だけそう返し、今度は背中に大量の砂鉄を引き連れて刀華は磁力で空を駆ける。

 そして一方、上空から弟弟子と妹弟子の対決を見守っていた西京寧音は全てを理解して大爆笑していた。

 

 「ぎゃはははははははは!!! ちょっ、おま、マジかい!? ぶふっ、そんなの普通、正気じゃっ、あーーーーっはははは!!!」

 

 腹を抱えて足を振り回し、涙すら浮かべて叫ぶように笑う。

 東堂刀華がこの《七星剣武祭》に望む姿勢が完全に常軌を逸しているからだ。

 例えば斬撃の軌道を変える《稲妻(いなずま)》に磁界を使った二刀流《電電太鼓(でんでんだいこ)》、ここいらは諸星雄大に敗れた反省として編み出した順当な対策と言えるだろう。

 しかしこの一戦で披露した伐刀絶技(ノウブルアーツ)の数々、こいつらがおかしい。

 《雷切・雲耀(うんよう)》なんかは図らずとも《比翼》と激突できた僥倖によるものだが・・・・・・

 

 一真が相手でないと発動できない《晴天之霹靂(せいてんのへきれき)》。

 

 地面を砕いて貰わねばならない上にリミッター解除前提の《積乱雲(せきらんうん)》。

 

 上の2つをクリアして使える《 建御名方神(タケミナカタ)》。

 

 こんなもの普通役に立ちはしない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 それに伐刀絶技(ノウブルアーツ)だって思い付いたらすぐ使えるようになる訳ではない。どんな式を組むか、どんな欠点があるか、どう使うべきかを考えるだけで少なくない苦労を要する。

 それを3つ用意したのだ。

 必要な強化に加えて彼以外には使えない技を、彼専用の戦略と共に。

 一体どれだけの労力が必要なのだ?

 どれだけの思考と実践が必要なのだ?

 どうやってそれだけの時間を確保する?

 それを可能にする答えは1つ─────

 

 「刀華のやつ!! 強えー奴らが集まるこの大会で!! 見るべき相手がごまんと揃う大会で!! 自分の首を狙う奴らが牙を研いで来る《七星剣武祭》で!! たった一人、たった一人に!!

 

 カズ坊ただ一人にガン対策(メタ)張りやがった!!!」

 



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75話

 謂わば特化された変幻自在。

 一真ひとりを貫く為に揃えられた刃の数々。

 だが突き立て方を間違えればその鋒は自らを裂く。

 少なくともステージを空中に移した判断は不意打ち以上の効果を生まないだろう事は全員が悟っていた。

 何故なら空中。

 そこは依然として王峰一真の舞台(ステージ)だからだ。

 

 轟音が連なる。

 紫白の軌跡を残して閃光のように空間を乱反射した一真が浮かんでいた鉄球の全てを蹴り砕き、引き合う対象が消え浮力を失った刀華が空中に放り出される。

 そこへ、落ちた。

 爆砕した砂鉄が大地に触れるより早く一真の脚鎧(ブーツ)の足裏が隕石のように地面に突き刺さりリングの跡地が縦に揺れた。しかしそこに刀華の死体はない。一真が鉄球を蹴り壊している隙に砂鉄の鎧の一部を解き、触手のように地面を掴んで着地したからだ。

 脚と刀が交錯する。

 着弾地点から巻き上げられた土煙や瓦礫を吹き飛ばしミサイルのように飛び出した一真の飛び蹴りを刀華は斜め下から斬り上げて逸らした。

 勢いのまま逆の脚ですれ違い様に撃ち込まれた膝蹴りは首を振って躱す。

 同時に刀華は後ろを向いた。

 予見通りに空を足場にノータイムで背後から蹴り込まれた脚鎧(ブーツ)を身を屈めて回避しつつ横薙ぎの一閃。

 それを皮切りに猛烈な打ち合いが始まった。

 炸裂する稲妻、爆ぜる火花、大気を震わせ唸る紫白。嵐を数十メートルの範囲に圧縮したかのような光景がそこにあった。

 

 『連打連打連打ぁぁああ!!! 衝撃波と轟音にフェンスが軋んでいます!! 実況や解説を挟む隙すらありません、この嵐のような激突に終わりはあるのか!?!?』

 

 「あ〜〜〜〜〜耳痛った・・・・・・!! カズに力で張り合うって刀華も大概おかしい事やってるよね!!」

 

 耳を塞いで頭を下げた泡沫が爆音と衝撃波に堪りかねたように呻く。

 蹴りの乱打と刃の乱舞、互いに噛み合う歯車は次の瞬間にはどちらかが爆ぜて壊れるかもしれない。瞬きの間に100を超えて積み上がっていく視認すら怪しい打ち合いを、しかし強者達は火花の1つすら見逃さず分析する。

 

 「刀華さんの鎧、目的は防御じゃないな。たぶん磁力による動きの補助だ。砂鉄を集めて固めたところでカズマ相手じゃ紙切れみたいなものだしね」

 

 「ええ。それにしては見た目が大袈裟なのが気になるけど・・・・・・どうやらカズマが立ち直ったみたいよ」

 

 爆ぜる魔力と衝撃波で第三者視点だと視認すら危うい激突を伶俐な眼差しで見据える一輝。

 確かに動揺から抜け出したのか、そこにはもう刀華の手管に惑わされている彼はいない。圧倒的な破壊力で敵を圧し潰す破壊の化身がそこにいる。

 

 「《不沈の英雄(アイアース)》の魔力を全て攻撃に回してるわ。リミッターを外した出力でもあの密度の《踏破》を受け続けるのは厳しいんじゃないかしら。防御力も凄まじいけどやっぱりカズマの力は攻めてこそね」

 

 「手札を切らせる前に押し切る気だ。元々力負けなんてほとんど起こり得ない能力だけど、上回られた時の対応に迷いが無いのは西京先生や南郷先生に鍛えられてきた賜物かな。それにほら」

 

 顔面を叩く余波の強風に目を眇めつつ一輝はリング跡地中央の爆心地を指差した。

 

 「空中に留まったまま蹴ってる。刀という武器の特性上、あれをやられると本当にキツい」

 

 刀という武器とその操法は同じ平面場の相手と戦う為のものだ。スイングで最も力の乗る部分をぶつけられないため、空にいる相手を倒すための有効な手段がない。

 加えて魔力の全てを攻撃に回す事で強化された優劣強制の因果干渉は更に反撃を困難にする。

 相手の出力が自分を超えるという彼にとっては酷く稀な状況でも判断力は迅速果断。

 手を替え品を替えてくる敵の全てを正面から迎え撃つ。刀華の殺意に応えた彼の本気の遊びが始まった。

 

 「「─────────ッッ!!!」」

 

 雄叫びすら掻き消す爆風と戟音。

 その場に縫い止めて回避も許さず圧し潰さんとする彼の背後から黒い槍が迫る。

 超高速で振動する砂鉄の槍だ。

 一真がほぼ全ての魔力を攻撃に回している今ならこの攻撃は容易く彼を貫くだろう。

 対する一真は振り向きもしなかった。

 高々と掲げた蹴り足に一際強く魔力を練り上げ、そしてそのまま振り下ろす。

 爆発した。

 荒れ狂った破壊の余波が花火のように拡がり、周囲の地形を砂鉄ごと吹き飛ばす。

 しかし刀華はそこにいない。既に被害の及ばない場所まで退避している。

 動く余裕のある圧は与えていなかったはずと内心で首を傾げた一真だが、その疑問が明確な像を結ぶ前に彼は答えを察した。

 

 (あー、磁力で動いたか)

 

 さっきも刀華は砂鉄の鎧に磁力で干渉する事で上方向への斬撃の威力減衰をカバーしていた。同じように自分を安全圏まで磁力で引っ張ったのだろう。

 だが逃げる相手を追い討つのは彼の十八番。即座に肉薄せんと低く身を沈めた一真を、地面から飛び出してきた砂鉄の槍衾がカウンターで迎え撃つ。

 普段ならどうという事もない攻撃、しかし攻撃に全てのリソースを回しているこのタイミングでは死の津波だ。

 ───だからどうした。突破は容易い。

 安い選択に口角を吊り上げて自分の身体を穴だらけにせんと迫る黒い壁に向けて大地を蹴ろうとした。

 

 その瞬間。

 無数の雷が咆哮と共に一真の身体を貫いた。

 

 種は彼の後方に気取られぬよう密かに突き出た砂鉄の柱。それと前方の槍衾の頂点を放電が結んだのだ。

 一撃でも痛打となる雷撃が、肺が潰れるような轟音を引き連れて数十発。《不沈の英雄(アイアース)》を発動していたさっきまでなら凌ぎ切れただろうが────

 獰猛な電圧に侵され硬直した一真に向けて刀華が一気に踏み込んだ。

 今の彼女の速度域にとって感電による硬直など100回斬って余りある、隙と呼ぶにも馬鹿らしい(いとま)だ。

 雷の弾幕と砂鉄の槍衾、その間隙から閃光のように刀華が駆ける。

 自身の持つ力全てを使った波状攻撃の中を疾駆する彼女は正に嵐を切り裂く稲妻だった。

 時間にすればコンマ何秒を満たすかどうか、遠間の彼に肉薄するまでの距離がおよそ半分を切った時。

 彼が予想を遥かに上回る早さで感電から復帰した。

 

 同じ手は二度も食わない。

 最初から読んでいたのだ。

 手を替え品を替えようと、自分の命に届く攻撃は結局彼女自身の剣術のみ。他の攻撃は近付いて斬る隙を生み出すための囮でしかない。

 ならば防御を解いた自分に命中すれば格好の隙を生み出せる雷撃を狙ってくるはずだ。

 ()()()()()()()()()()()()()

 目に見えて防御されたと分かる障壁ではなく、身体の内側を魔力で満たす事でダメージの侵害を防いだ。

 結果、雷撃が通ったと勘違いした刀華は真っ直ぐに突っ込んできて、そして一真は攻撃を始めている。

 それは雷の束も砂鉄の槍衾も、全てを力の圧だけで吹き飛ばす紫白の砲弾。

 

 「《迫害の礫(エキスプルシオ)》!!!」

 

 直線で迎え撃った。

 超高密度に圧縮された《踏破》の魔力で出来た珠がサッカーボールのように蹴り出され、進行方向とその周囲にあるもの全てを消し飛ばしながら刀華に迫る。

 敵の攻勢をさらに圧倒的な攻勢で突破する、それが王峰一真だ。

 しかし回避はされたらしい。雷も砂鉄の槍衾も消失して急激に開けた視界から砂鉄の甲冑が迫る。

 ────まだ来るか!!

 波状攻撃を破られて尚しつこく食い下がってくる刀華に、一真はふと昔の光景を思い出す。

 負けん気の強い子だった。

 孤児院の庭で遊んだサッカーの1on1、もう一回もう一回と何度負けても挑んできた小さな弟分。

 あの時は終いに花を持たせて終わったが、この『遊び』は折れる気はない。挑んでくるだけ跳ね除ける。

 鎧の身体で刀身を隠すように突っ込んでくる刀華に、一真は返す脚でローリングソバットを叩き込んだ─────

 

 「あ・・・・・・!!」

 

 観客席にいた一輝達だけが気付いていた。

 

 「あ?」

 

 術中に嵌った一真は気付けなかった。

 一真の攻撃に対して何の反応も示さなかった砂鉄の甲冑が容易く爆散する。

 磁力の結合を振り切りただの砂粒となって飛散した鎧の中に刀華の姿は無かった。

 彼女がいたのはその更に向こう側。

 甲冑の陰に隠れるように、東堂刀華は納刀した《鳴神》の柄に手をかけていた。

 

 雷も砂鉄も有効打にならない。

 そんな事は分かっている。

 結局彼を斃すには直接斬る他ない。

 だからこれらは全て囮。

 雷撃も、槍衾も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 《迫害の礫(エキスプルシオ)》を回避した刀華は、一真から視認できない角度で《 建御名方神(タケミナカタ)》を背中から脱皮するように脱ぎ捨てた。

 そして磁力で操られた『抜け殻』の甲冑は囮として一真にけしかけられ、彼がそれに惑わされている隙に悠々と刀華は構えを取る。

 

 「空中でうざったく絡んで地上戦に誘導して、派手な鎧姿で見た目を印象付けて、自分の狙いが接近戦だと暴かせてから抜け殻のフェイント。よく通したモンだよ、こんな綱渡り」

 

 刀華は全身に能力による磁力を帯びている。

 そして彼女は砂鉄を操って自分のいる場所から一直線に伸びるレールを地下に敷設していた。

 リミッター解除の《晴天之霹靂(せいてんのへきれき)》に初速=最高速の《霹靂神(ハタタカミ)》の合わせ技。

 そこに砂鉄のレールでより強力になった磁界による加速が加われば、彼女の一太刀は神域へと昇華する。

 

 その瞬間、刀華は世界から切り離された。

 

 音も光も静止した空間に、刃が鞘を滑る音だけが微かに転がる。

 1秒を無限に等しい数に切り刻んだ内の1つ、刹那の一欠片で彼女は踏み込みを終えていた。

 体表から溢れた放電が名残雪のように瞬く。

 血液の付着すら許さない速度で振り抜かれた《鳴神》が残心の姿勢で静止した時、─────事象はようやく彼女に追いついた。

 

 

 

 「──────《雷切真打(らいきりしんうち)十握剣(とつかのつるぎ)》」

 

 

 

 叩き切った。

 横一文字に開かれた一真の腹から夥しい量の鮮血が溢れ、その巨体がグラリと揺れる。

 刀傷というよりもはや損壊の域。胴体を半ば両断する、背骨に達していないのが不思議な程の負傷。

 決まりだった。

 余りにも鮮やかな手際に実況の喉は絶叫の準備を整え、観客達は派手な終幕に突き上げる拳を用意する。

 もう一瞬後には刀華の勝利に熱狂する大歓声が巻き起こるだろう。

 

 しかし一部の者たちと東堂刀華は知っている。

 

 

 ─────王峰一真は、致命傷(ここ)からが強い。

 

 

 「はは」

 

 痛みの閾値などとうに超えていた。

 死の危険を感じた生存本能が痛覚をカット、ただ氷を詰められたような冷たさと大きな喪失感のみが腹から伝わってくる。

 しかしそれでも笑みが溢れた。

 一流のシェフが極上の料理を味わった時、素材から調理の工程、その技法までが舌から感じられるように、開かれた腹に残る感触から伝わってくる。

 刀華が積んできた研鑽の量と質、そして自分を斃そうという執念の痕が幾重にも重なったミルフィーユが、砂糖のように自分の身体に溶けていく。

 

 「かはっ、ははは」

 

 王峰一真は戦いそのものに深い意義を見出さない。

 それそのものではなくそれによって意志を(とお)したという結果が全てであり、それ以外の戦いは言ってみればコミュニケーションツール程度の意味合いしか持ち得ないのだ。

 だから、自分もやりたくなった。

 自分への殺意(おもい)の丈をぶつけてきた女に、自分の全てを教えてやりたくなった。

 器を丸ごとひっくり返して、技も力も想いも命も、全部全部ぶちまけてやる事に決めた。

 流出した血液と同量とすら思える脳内麻薬の洪水が哄笑と共に荒れ狂う。

 爆撃と見紛う勢いで噴き上がった魔力は人々に本当の戦いの始まりを嫌でも理解させた。

 視線が交錯する。

 もはやヒトの表情ではなくなった彼を見て、刀華の顔には万感の喜びが溢れ出た。

 こうなる時をどれだけ焦がれてきただろう。

 『自分への殺意(おもい)で彼を満たす』。

 今こそが東堂刀華の満願成就の瞬間なのだから。

 

 「ぁあ────っっはははははははは!!!!」

 

 お互いにしか聞こえなかったであろう笑っているように聞こえる声が二つ、爆轟の中に溶けて消えた。

 

 

 

 

 果実は実り祝祭に踊る、

 

 踊り狂えば死者となり、死して尚も舞う霊となる。

 

 悪霊の招く手を拒む、生者の温度は此処にない。

 

 舞台は彼岸の夜の森。二人はとうに死んでいる。

 

 果てるまで踊れアルブレヒト。

 

 ジゼルは未だ満ちていない。

 



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76話

 ───あんな大怪我でも塞げるのかい。

 一真が切断された筋肉や血管を魔力で強引に圧着しているのを見て西京寧音は思う。

 単純さ故に対応できる幅が広いのか。普通なら意識さえ保てない地獄の痛みだが、脳内麻薬で溢れた脳味噌に痛覚は機能していないのだろう。

 とはいえ残された時間は少ない。

 流出した血が多過ぎるし処置が大雑把すぎる。彼の元々のタフネスを考慮に入れても一分も保つまい。

 ただし刀華の方も似たようなものだ。

 怪我こそ無いがアレは自分の全てを出し尽くす技だ。黒鉄一輝の《一刀修羅(いっとうしゅら)》を参考にするならこちらも戦えるのはあと数十秒といった所だろう。先に限界が来てしまえば後は原型も残らず潰される。

 だいたい三十秒ってところかね─────

 二人のタイムリミットにおおよその当たりを付けた寧音はドームの縁に座り直す。

 たった三十秒。何をするにも足りない時間。

 しかし、世界中のどこよりも煌めく三十秒だ。 

 

 一真が真正面から吶喊した。

 迸る魔力を撒き散らし、大気を吹き飛ばし地面を抉って突き進む傍若無人の爆進。刀華が退かずに正面から受け止めた瞬間、衝撃で爆弾のような爆風が発生した。その爆風が観客席のフェンスを軋ませるより早く力負けした刀華が水平に飛ばされて観客席の壁に着弾、間髪入れずにそこに一真の両脚が突き刺さる。

 しかし刀華は磁界を操作して寸前で自分の軌道を横へと捻じ曲げていた。そのまま円を描くように回り込んで追撃を回避された一真の背中を狙う。

 その瞬間、振り向いた一真が脚を下から上へと全力で振り上げた。

 

 大地が噴き上がった。

 序盤にも行った地面ごと相手を打ち上げる一手。読んでいた刀華も磁力で自分を地面に縫い止めようとしたが、しかし一真の出力が跳ね上がっていた。最初よりも遥かに強く深く大地を抉る力が刀華の抵抗を貫いて彼女を再び空へと吹き飛ばす。

 追撃は何で来る?また《天譴の弔砲(セパラトゥス・エールプティオ)》か?それとも自分から近付いてくる?

 予想される手に対する応手を無数に計算する刀華だが、直後に彼女を襲ったのは全てのパターンから外れた攻撃だった。

 宙に浮かんだ自分の身体に埒外の重力が落ちてきた。

 

 「《謁見の玉座(エクセドラ)》」

 

 一極集中された《踏破》の魔力が空中の刀華を撃墜する。《前夜祭》で見せた拘束用ではなく、本気で()()ための出力。しかも頭のタガが外れた一撃だ。撃発された銃弾のような勢いで落とされた刀華が凄まじい勢いで地面に叩き付けられる。

 そしてこの伐刀絶技(ノウブルアーツ)は落として終わりではない。地面に縫い止め圧し潰す技だ。菜種油を絞るように地面と魔力で擦り潰されようとしている彼女の直上に紫白の極光が炸裂する。

 溢れた魔力を翼のように従えた彼が、両脚を揃えて落ちてきた。

 

 「《万象捩じ伏す暴王の鉄槌(フリーギドゥム・メテオリシス)》!!!」

  

 一瞬、全てが消し飛んだ。

 大地が捲れて空を舞う、天地が逆転したかのような光景。観客を守る為の防壁に黒乃や寧音も参加せねばならない程の破壊力だった。リングなど跡形も残っておらず、どこからを場外と判定するかも分からない。

 間違いなく勝負を決する一撃だった。

 一真の足の下に刀華の死体はない。

 それは跡形もなく飛び散ったからではなく、シンプルに命中していなかったからだ。

 

 一真の背後の地中から《建御名方神(タケミナカタ)》を纏った刀華が飛び出してきた。

 墜落の瞬間に地面から砂鉄を引き出しクッション代わりにして、そのままドリルのように回転流動させて地面を掘り進むことで一真の蹴りを地中に回避していたのだ。

 そして背後から飛び出してドリルにしていた砂鉄をそのまま身に纏ったという訳だ。

 そして放つ技は決まっている。

 その為の準備などとうに地中で済ませてある。

 

 「《十握剣(とつかのつるぎ)》!!!」

 

 《雷切》の完成系、極みの一閃。

 しかしタガが外れて極限の集中(ゾーン)に至った彼は二度目のそれに対応してみせた。

 居合い抜かれた《鳴神》の鞘に渾身の膝蹴り《天衝角(イグニフェル)》をぶち当てる。威力を相殺されて生まれた一瞬の硬直を狙って一真は刀華の腕を掴んだ。

 そして振り回す。

 諸星雄大との戦いで見せたあの『投げ』だ。

 ただし全力の身体強化の上に、タガの外れた《踏破》の力まで乗っているため破壊力の次元が違う。

 掴まれている部分の《建御名方神(タケミナカタ)》を解除してスペースを作り彼の手から逃れようとした刀華だがそれは叶わなかった。

 摂理を疑うような力で分厚い砂鉄の鎧ごと中の腕を握り締められていたからだ。

 

 「《迫投鷲(トニトルス)》」

 

 叩き付けられた。

 瓦礫すら残っていない地面が爆裂し、人間を幾度殺しても有り余る途方もない衝撃が刀華の体内を蹂躙した。吐き出した呼気には大量の血が混じり、掴まれた腕は丸めた割り箸の包み紙のようにグシャグシャになっている。

 だが一真にそこで止める道理はない。掴んだ手はそのままに転がった身体を上下に分かたんと腹部を狙った踏み付けが刀華に振り下ろされる。

 しかし外れた。

 腕はそのままに刀華が消えた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 紙屑のように折られ使い物にならなくなった腕をトカゲの尻尾として切り捨て、隻腕になる事と引き換えに彼女は一真の腕から逃れた。

 ────元々《鳴神》が刀と鞘の一対の霊装(デバイス)故に常に片手で剣を振っていたため、剣の技量は失われていないだろう。

 しかし片腕では切り札の《雷切(らいきり)》は使えない!!

 果断ながら悪足掻きと断じた一真が舌舐めずりして離脱した刀華に突撃する。

 左腕を失った刀華はそれでも《鳴神》を後ろに引き絞り、迫り来る彼を引き付けるように待ち構えた。

 《鳴神》の刀身が彼から見えないように。

 その刀身を覆う砂鉄に気付かれないように。

 

 必要なのは鞘ではない。

 刀身を打ち出すためのレールだ。

 ()()()()()()()()()()()

 《建御名方神(タケミナカタ)》から分かれた砂鉄が刀身を覆い、電磁力による推力を与える。

 二度目は対応された《雷切真打(らいきりしんうち)十握剣(とつかのつるぎ)》は、三度目にして完全な不意打ちとして一真の虚を突いた。

 

 一真がその斬撃が抜き放たれた時、ようやく自分が不意打ちを喰らおうとしている事に気付いた。

 これを貰えばもう終わる。

 しかしこんな時にどうすればいいか彼の細胞は知っている。

 ただ一回で深々と刻まれた経験を、彼の本能は思考を介さずに出力した。

 

 まずは全身から魔力を放出、攻撃の威力を僅かに殺す。防がずともよい、その出力に達するまでに自分の首は落とされるからだ。

 次に回る。斬撃の方向に逆らわずに身体を回転させて()()のように刃を身体の表面に滑らせる。耳などの出っ張った部分が切り落とされるがそれでよい、防御を最低限にする事によって反撃の時間が確保できるからだ。

 そして、蹴る。

 攻撃が終わらない内に差し込まれる回転の威力を乗せた蹴りは痛烈なカウンターとなる。

 

 「《懲罰の振り子(ペンドゥリポエナ)》」

 

 

 蹴り潰した。

 刀華の体内の主要なモノがいくつも潰れた。

 

 

 終わった。全員がそう思った。

 刀華に一真ほどのタフネスはない。あれを喰らって立つ事など精神以前に肉体的に不可能だ。

 それは刀華自身も悟っていた。

 完全にやられた。駆け引きに敗北した。

 もう指の一本も動かせない。

 だが、動かせなくていい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刀華は飛んだ。

 ひしゃげた身体を磁力で宙に舞い上げ、その後を夥しい砂鉄が追従。木偶人形となった彼女の身体を覆っていく。

 ────いや、覆っていくだけではない。

 ()()()()()()

 《鳴神》を鋒としてより大きく、重く、そして鋭い、神の振るう槍の穂先のような形状に。

 そして残りの砂鉄はその周囲に太い柱のように屹立した。

 ここまで来れば説明は要るまい。

 これは『レール』で、彼女は『弾丸』。

 破壊力は居合い抜きとは比較するのも愚かしい。巨大なレールはより強力な電磁力を蓄え、さらに重量と重力が加算される。

 言葉にすると弱いだろうか?

 この場に居れば分かるだろう。

 そこにいるだけで髪が焦げて皮膚が捲れる程の、今際の際の電圧が。

 

 「《建御雷神(タケミカヅチ)》・・・・・・じゃねーな、最早」

 

 西京寧音が思わず震える。

 元々あの技は強力ながら不完全だったはずだ。

 恐らくは()()が完成系。

 彼への想いただ一つで比類無き矛となった。

 眼球が役割を果たせない程の電光に、それでも一真は上を見上げる。

 ────全力でいくけん。受け止めて。

 頭上で猛る雷の神がそう言って微笑むのを、彼は確かに感じていた。

 

 そして。

 

 

 「《霣弩羅(インドラ)》ァァああああッッ!!!!!」

 

 

 雷と共に(くろがね)の矛は落ちていく。

 

 真っ直ぐに真っ直ぐにただ一つの意思を込めて。

 

 さながら罪人を捌く神の怒りであるかのように。

 

 それに対して一真は笑っていた。

 どこまでも獰猛に、どこまでも喜悦に。

 自分の全てをぶち撒けてやるのに相応しい相手だと心身を満たす想いを込めて、彼は口の中で呟いた。

 

 

 「──────《神話再演(ミュートロギア)》」

 

 

 

 

 

 

 

 全てが消えた。

 鼓膜を引き裂く雷轟も網膜を焼く雷光も、それら全てが一瞬で無くなった。

 まるで世界そのものが動きを止めたような静寂に、大量の黒い雨が降る。

 砂鉄だ。

 主の統率が消え力を失った砂鉄が重力に従い雨のようにリングの跡地に降り注ぐ。

 

 その中央に二人はいた。

 一真は片脚が《プリンケプス》ごと消失し、魔力を使い切った身体は腹部からの血と臓物の漏出を止められないでいる。

 刀華はそんな彼に抱えられていた。

 身体のほぼ半分が消失し、《鳴神》もどこへ行ったか分からない。もう数秒後に絶命が決まっている彼女はそれでも嬉しそうに笑って一真を見つめていた。

 

 「イッキ。これ決勝じゃなくて三回戦よね?」

 

 「その筈だけどね。とんでもないものを見たな」

 

 自分達も約束をした。

 共に騎士の高みへ登り、七星剣武祭の頂で戦おうと誓った。

 しかしそれが叶った時、目の前の()()以上のものを見せられるかと問われれば少し自信がない。

 それ程までに脳に焼き付く戦いだった。

 何よりも鮮烈で、何よりも凄惨で、そして何よりも熱烈な。

 

 「あァ、最高だ。やっぱお前は最高だ」

 

 もう数秒で失われる命。

 その猶予を彼は想いの吐露に使う事にした。

 既に彼岸の川を渡りつつある腕の中の彼女を見つめ返し、彼の心は尚燃える。

 

 「決めた。嫌とは言わせねえ。お前は俺のものにする。────こんな女、世界の誰にも譲るかよ」

 

 そう言って口づけた。

 重なり合った唇を介して互いの血が混ざり合う。

 きっとそれは一つの完成だったのだろう。

 好きだから触れたい。

 好きだから差し出したい。

 好きだから殺し合いたい。

 愛という感情は如何なる行動とも矛盾しないということを、二人は身を以て証明したのだから。

 

 

 逢瀬にも見えた。死闘にも見えた。

 その戦いを人々はそう語った。

 

 《七星剣武祭》三回戦。勝者、王峰一真。

 愛しい女を強く腕に抱いた彼は、最後まで倒れはしなかった。



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77話

 

 

     ◆

 

 

 三回戦Cブロック第一回戦、凄絶な決着を迎えた一真と刀華の試合は大きな反響を呼んだ。

 頸と腹を斬られて尚も災害のような暴れ方をした一真に大きな畏怖が集まったが、策を巡らせ針穴のような勝ち筋を手繰り寄せた刀華を讃える声も大きい。最後まで立っていた一真に軍配が上がりはしたが、あれは両者共に勝者であると人々は口々に賞賛した。

 さてその敗者なき戦いを終えた2人だが、両者共に死亡していた。

 比喩ではなく、文字通りの絶命。

 片や頸動脈と胴体を断たれ片脚の消失、片や内臓の多数破裂に加えて半身の消失なのでまあ順当な結末なのだが、そこで力を発揮したのが破軍学園理事長・新宮寺黒乃だ。

 時間を操る彼女の能力によって二人の状態は巻き戻され、三途の川を渡ったはずの魂は此岸へと帰還を果たしたのである。

 彼女曰く人体に対する時間遡行は極めて負担が大きく数十秒が限界。しかしその数十秒で一真は頸動脈を断たれた時点、刀華に至っては無傷の状態にまで復活したという事は、彼らの戦いが短い時間でどれだけ途方もない密度で決着したかを物語っていた。

 そして現在。

 リングの修繕により延長された次戦までのインターバルで、東堂刀華は仲の良い面子から質問攻めに遭っていた。

 

 「かいちょーかいちょー、これについてコメントをどうぞ!」

 

 「いや、その、ええと・・・・・・」

 

 顔を逸らそうとする刀華に兎丸がズイッと突きつけているのは先の試合のアーカイブ、そのラストシーン。具体的に言えば臓物をエプロンのようにぶら下げた一真が体積が半分になった刀華にキスをしているシーンだ。これが会場内で、そして番組を見た者らが集うネット上で大きな話題となっているのだ。

 同門にして同郷、そこから破軍と暁で袂を分かった2人がこの大舞台で再び向かい合うという物語性に一真の行動が火を着けた形になる。

 流石に音声までは拾われていないようだったが、一真が刀華に何かを囁いたのをしっかりと見ていた親しい者らに隠し立ては出来ない。聞き出された所有物宣言を皮切りに今まで散々やきもきさせられてきた女性陣の尋問が始まった。

 

 「とうとう、とうとうね! 王峰くんからアツいメッセージとキッスがあったワケだけども! どう!? どんな味だった!? 血の味はナシね!」

 

 「しっ、知りません覚えてません! 私死んでましたから!意識とかありませんでしたから!」

 

 「本当に? あの時点ではまだ生きていたんですよね? 彼の腕の中でとても幸せそうな顔をしていたように見えましたけど?」

 

 「覚えてません!!」

 

 「まーまー、そういじめんなって。その辺はゆぅっくり聞き出せばいいさね」

 

 兎丸とカナタに追い詰められ恥じらいに染まった頬で黙秘権を主張する刀華に、同じように揶揄いに来た西京寧音が助け舟に偽った執行猶予を言い渡した。

 結局は助ける気が無さそうな事を悟った妹弟子の抗議の視線を受けながら、人の悪さを隠そうともしない姉弟子はにたりと笑って刀華に問う。

 

 「それで? どうだったよ。カズ坊との戦いは」

 

 「・・・・・・そうですね。私は全てを出し切りましたし、彼は全てを出し切ってくれました。ようやく念願が叶いました。私は今日という日を、生涯忘れる事はないでしょう」

 

 「分かるよ。ありゃあ正に満願成就だ。んで、どうするんだい? 長年患った()()は癒えたかい?」

 

 「まさか」

 

 刀華の瞳に電光が閃く。

 喜びや充実感、そして悔しさ。敗戦の想い全てを込めて、彼女の心は未だ燃えている。

 

 「さっきの戦いで『枷を外す』感覚を覚えました。後はこれからの試合で一輝くんの電気信号を見れば、恐らくは()()目処が立つ。────次は最初から全開で、首を落としてやるんです」

 

 「はっはー、その意気その意気。・・・・・・けど刀華、実際あの戦略はとんでもない綱渡りだった。綺麗にハマったからよかったものの、初手で王馬の坊やあたりと当たってたらどうする気だったんだい」

 

 「そこまで考えなしだった訳ではありませんよ。確かに想いが強すぎたかもしれないのは否定できませんが、他の有力者に対する戦術は考えていました。

 ただ《暁学園》の参戦は完全に予想外だったので、もし黒鉄王馬さんとぶつかっていたら・・・・・・」

 

 「いたら?」

 

 「・・・・・・まあそうですね・・・・・・。ステラさんとの戦いを見るに素のままでは太刀打ちできないので、どうにか《晴天之霹靂(せいてんのへきれき)》に入って・・・・・・」

 

 「つまりノープランだったんだね??」

 

 迂遠な言い回しを最短距離で正された刀華が縮こまる。ただこれを彼女の落ち度というのは酷だろう。結果として寧音が言うような事態にはならなかったが、今回の七星剣武祭はあまりにもイレギュラー過ぎた。

 しかし彼女の気持ちを寧音はよく理解できた。

 焦がれてしまえば止まらない。

 一回程度じゃ終わらない。

 次の熱闘を、次の次の熱闘を。こいつを倒せれば後の全てはどうだっていいとすら思える好敵手との戦いがどれだけ心を煮え滾らせるか、自分は誰より知っている────

 

 「・・・・・・そうだ、カズ坊とは話したのかい? 衆目の前であれだけ啖呵切ったんだ、逃げてるってなるとちいっと指導しなきゃなんないねえ」

 

 「さっき後でゆっくり聞けばいいって言ってませんでしたか!?」

 

 少しだけ表情を曇らせる寧音。その変化には気付いていないカナタは、そういえば一真がこの場にいないという事に首を傾げた。

 

 「確かに。一真くんからは何の話も無かったんですか? 首の傷は再生槽(カプセル)に入らなくてもスタッフの治癒で治る程度だったんでしょう?」

 

 「終わってすぐうたくんと砕城さんに連れて行かれたので・・・・・・。とはいえ一言も無かったですね。連れ去られる(てい)で逃げたんじゃないですか」

 

 「何ちょっとムスッとしてんの」

 

 「まあまあ、男の子同士でしか出来ない話もあるんでしょう。きっと一真くんの方から口火を切ってくれますよ。命の最後に遺す想いはきっと、どうやったって偽れないほど強いんですから」

 

 「・・・・・・だといいんですけど」

 

 やっぱ覚えてるじゃんと何やら複雑な乙女心を発揮している彼女を生暖かい視線が包む。

 なんやかんやでお互いに長年憎からず思っているのは自覚していてもやはり向こうから言ってほしいという女の子らしい願望があるのだろう、簡単にあやふやに出来そうな状況で告白されそしてあやふやにされそうな現状が気に食わないらしい。

 形はどうあれ進展があっただけにここに来ての煮え切らなさに寧音達もイラッとし始めた時、ふと刀華のスマホが着信音を鳴らした。画面を見て発信元の名前を見た刀華が一瞬小さく息を止め、そして僅かに強張る指で通話を繋げた。

 もしもし?と応じた彼女に対して向こうの要件はごく短いものだったらしい。カナタ達は10秒にも満たない通話の後の彼女が変化していく様を見た。

 

 刀華の目がまん丸に見開かれていた。

 驚愕に開いた口を手で覆った。

 何度もその短い言葉を頭の中で反芻し、そしてスマホをぎゅっと両手で握り締める。

 

 「え、え? なに? 何て言われたの!?」

 

 「誰から!? 一真さんからですか!? ちょっと、私達にも聞かせて下さい! 聞かせて!」

 

 兎丸とカナタが色めき立って刀華に群がる。

 抵抗しつつももみくちゃにされている彼女を見て、どうやら最低限の男は見せたらしいと寧音は頷いた。

 まるでその電子機器そのものではなくそこを通じて伝えられた意味を刻み込むように胸に抱く彼女は、溢れ出る感情に身を任せて小躍りしながら笑っている。

 血煙に吼える戦士ではなく、年相応の少女の顔で。

 

 

     ◆

 

 

 「あ〜〜〜〜〜〜ミスったァああ・・・・・・」

 

 「もう何回言うのそれ」

 

 所変わって黒鉄一輝の部屋、頭を抱えるデカブツといい加減に鬱陶しくなってきた部屋の主。

 生徒会の男性陣に連れ去られていたはずの王峰一真がどういう訳だか一輝の部屋にいた。

 特別広い訳でもないホテルの一室をその体積と負のオーラで圧迫しつつ彼はベッドでのたうち回る。

 

 「テンション上がっちまったァ〜〜〜。もっとちゃんとした状況でやりたかったァ〜〜〜・・・・・・。どうすんだよメチャクチャ拡散されてんじゃねえかよもぉぉおお。なあおいイッキ俺こっからどう巻き返せばいいんだよぉぉおおお」

 

 「あの、ビックリするほど邪魔だから出て行ってもらっていいかな。ていうか君、泡沫さんと砕城さんに連れて行かれてたでしょ。何でここにいるの」

 

 「もう途中で逃げてきた。アイツらマジで遠慮ってモンを知らねえ」

 

 「何で言うかカズマって身内相手だと割と躊躇無く逃げるよね」

 

 「あーもーどうとでも言ってくれていいから何かアドバイスくれよアドバイス! あんな最悪な告白から挽回できる魔法の言葉! なんかあるだろ一国の皇女を落としたお前なら!」

 

 「いや知らない知らない僕に聞かないで! 無いから! 何も無いから! 勇気出したの僕じゃなくてステラの方だから!!」

 

 「いいやお前なら何とか出来る! お前はかつて『僕の最弱(さいきょう)を以て君の暴力(さいきょう)を跳ね除ける』なんて台詞を恥ずかしげもなく叫んだじゃねえか!!!」

 

 「喧嘩を売りに来たのか君は!!!?」

 

 文章に起こせば単行本一冊分くらいにはなりそうな取っ組み合いを経て一真はようやく落ち着いた。まだ試合を控えているのに何だかとっても疲れてしまった一輝は出て行けと尻を蹴るのではなく、もう大人しく相談に乗って穏便に退室していただく方針に舵を切る事にした。

 

 「・・・・・・ええと。そもそもそのカズマの告白は刀華さんには届いてるの?」

 

 「届いてる。アイツらに連れてかれる前にちょっと話したんだけどずっと『あの』とか『ええと』とか言って俯いてた」

 

 「それが『ごめんなさい』の意味じゃないかと」

 

 「そうなんだよ流石に身体半分フッ飛ばしてから言うのは印象が悪過ぎたんじゃねえかってもう」

 

 「あのねカズマ、よく聞いて。泡沫さん達が2人にあれこれ気を揉んでるのはね、そもそも君達がお互いにお互いを良く思ってるって知ってるからであって。それはうっすら君も感じてるだろ?」

 

 「・・・・・・それは・・・・・・まァ・・・・・・・・・」

 

 「立場を逆にして考えてみて」

 

 言い淀みながらも頷く一真。

 それを受けた一輝の瞳が鋭く輝く。

 抱えていた頭を思わず上げた彼に、一輝はまさに彼を懊悩させているものの真実を暴き出した。

 

 

 

 「手足が飛んで血達磨の相討ちになるような死闘の果てに、刀華さんに『カズくんの事は誰にも渡さんけん』って言われたら・・・・・・どう?」

 

 

 

 「・・・・・・!? 最高じゃねえか!!!」

 

 「だろ? だから怖がらなくていいんだよ。分かったなら早く行って。僕今日試合残ってるから」

 

 「よ、よっしゃ。考えてみりゃどんな形でも本音は吐き出しちまってんだ、後はもう進めるだけ進むだけだよな」

 

 「そうそう。そうやって開き直ってる方が君らしいよ。だから早く行って」

 

 『カズーーー! 出てこーーい!ここに逃げ込んだのは分かってるぞーーー!!』

 

 『王峰殿、副会長もこう言っておられる! いい加減覚悟を決めてはどうか!』

 

 とうとう追っ手に嗅ぎつけられたらしい。

 けたたましくノックされるドアに諧謔的に肩を竦めつつ一真はスマホを取り出し、通話ボタンをタップして耳に当てる。

 2コールもせずに相手は応じ、少しだけ硬い応答の声がスピーカーから漏れ聞こえてきた。

 

 『もしもし?』

 

 「刀華。悪いけどもう少し待ってくれ。七星剣武祭が終わったら、また改めて告白するわ」

 

 端的に告げて通話を切り、一真はベッドから腰を上げる。待ち構えていた刑吏二人に大人しく確保された彼は最後に一輝に手を振ってからドアを閉めた。

 賑やかな声が壁越しに遠ざかっていくのを聞きながら、嵐が去ったような心持ちの一輝はやれやれと息を吐いた。

 

 「腹括った後の歩幅は凄いんだよね。相変わらず」

 

 

 

 

 そして質問攻めに遭いながら向かう観客席への道すがら、一つの人影が三人の行手を遮った。

 いや、彼からすれば用事があるのは一人だけなのだろう。警戒する泡沫と砕城を背に庇うように一真が一歩前に出る。

 少女のような顔立ちをぐしゃぐしゃに歪めて、紫乃宮天音が怨嗟を叫んだ。

 

 「よぉ、どうした? 俺の戦いに感動して言葉も出ねえか」

 

 「何で! 何で生きてんだよ!!何で勝ってんだよッッ!! 僕は願ったのに!! 初手で殺されろって、一番ダサい負け方をしろって!! 何度も何度も『死ね』って、ずっとそう願ってたのにッッ!!!」

 

 「なっ!? 紫乃宮天音、貴様─────!!」

 

 色をなして霊装(デバイス)を顕現しようとした砕城だが、その決意は中断された。明確に害されたはずの一真が腹を抱えて笑い始めたからだ。

 

 「あっははははははお前まだそんな事してたの!? 女神様大好きじゃねえか童貞でも捧げたか!?」

 

 「黙れ!! 僕の 《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は絶対だ、そうでなきゃおかしいんだ!! そうじゃないなら僕は!!!」

 

 「自分で分かってんじゃねえかお前はただの下らねえ人間だよ。()()()()()()()()()()()()、そんなミソッカスが何で俺の脚を引けると思った? 自分の力に頼れねえってのは見るたび惨めなモンだなァ」

 

 「あーそう、だったらその惨めな僕に殺される奴は一体なんなのかなあ!?例えば後ろにいるそいづぉ゛ッ!?」

 

 言い終わる前に逆鱗が爆ぜた。

 巨大な掌が天音の頭を横から掴み、親指を第一中手骨ごと口内に捩じ込む。そしてそのまま自分の頭の高さまで持ち上げた。

 頭蓋ごと握り潰すような力で喉奥を圧迫され叫ぶように嘔吐(えず)く天音の耳元で噛み千切るように唸る。

 

 「次は 殺す」

 

 そのまま投げつけた。足をバタつかせて暴れていた小さな身体が壁に叩き付けられホテルの床に倒れ伏す。

 喉の肉を千切るような咳き込み方をする天音に一瞥もくれずに一真は再び二人を連れて歩き始めた。

 

 「・・・・・・カズ。あいつ・・・・・・」

 

 「あー気にすんな気にすんな、お前らがどうこうなる事はねえよ。()()にそこまでの力は無い」

 

 そう言う一真だが、泡沫と砕城が気にしているのはそこではない。

 ああいう形の侵害を受けたら王峰一真は間違いなくその人物を永久的に排除する。勿論そうしようとしたら全力で止めるが、そうならなかったという事は、天音の間には考慮に入れるべき浅からぬ何かがあるという事だ。

 何があったか聞こうとした。

 聞こうとして、やめた。

 彼は多分、叩き直そうとしている。

 背景の全てを度外視して、甘ったれた全てをかなぐり捨てる程に憎悪を煽ることで。

 

 「ま、そういう訳だから次の試合は手前が頑張れ。女神は使い物にはなんねーぞ。あのアバズレ強い奴に()()()()言わされんの大好きだからな」

 

 背後でドス黒い気配が膨れ上がる。

 二人を庇うように前に出ていた彼は今は二人より後ろを歩いている。

 あまりにも不吉な天音の激怒を自分達と遮るように立つ彼の姿は、軽い自己嫌悪すら覚える程に頼もしかった。

 



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78話

 

 

 

 

 「そこまで!勝者、黒鉄一輝!!」

 

 これ以上の続行は有り得ない。

 リングに倒れ伏した天音の出血量を見て主審は即座に試合終了と勝者の名を告げ、観客席からは歓喜の喝采が上がる。

 違法と呼べないだけの方法で大会を勝ち上がり、尚且つ「大会を辞退してイッキくんの優勝を願う」と戦いに懸ける全ての想いを踏みにじるような真似をした彼を真っ向から下した一輝に対する快哉だった。

 

 『歓声に沸く会場! 困惑の声も見られますがそれもそうでしょう! 混迷を極めると思われた《凶運(バッドラック)》対《無冠の剣王(アナザーワン)》の戦いが蓋を開ければほぼ一方的な完全試合でした!

 限界以上に研ぎ澄まされた体技があってこそのこの勝利は彼だからこその「必然」だったのでしょう!』

 

 「すごい! すごいわ一輝! あんな滅茶苦茶な力を相手に完全試合なんて!」

 

 この結果に観客席の有栖院も手を打って喜ぶ。

 天音はそんな華々しいスポットライトから切り離された自らの血溜まりの中にいた。

 薄れゆく意識の中で遠く耳朶に響く審判の声が、この受け入れ難い現実を既に確定した過去にする。

 紫乃宮天音は、《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は今ここに敗北したのだと。

 

 (この程度のものだったのか?)

 

 意識を失おうとしている今ですら信じられない。

 叶わない願いなど無かったこの力がただ諦めの悪いだけのFランクに敗れるなんて。息も乱さず傷も負わず、切り札の《一刀修羅(いっとうしゅら)》すら使わずに。

 

 (あいつの言葉は、正しかったのか?)

 

 努力し続けた奴には全員同じ事が出来る。

 じゃあ今まで自分がしてきた事は何だったのか。

 あの時自分が諦めたものは何だったのか。

 その程度のものに自分は全てを奪われたのか?

 

 ─────幸せになろうね。シオンちゃん。

 ───だから、これからは父さんを愛してくれよ。

 

 自分の全てを壊されても、これだけ絶対的な力があっても仕方無いことだ。

 そう納得すれば少しだけ楽だったのに。

 そのどうしようもなさだけが救いだったのに。

 

 

 「──────邪魔だな。お前」

 

 天音の全身から黒い炎のような、目視できる程に濃い魔力光が噴き上がる。たちまち幾多の腕の形をとったそれは倒れ伏す天音の容態を確認しようとしていた主審の首元めがけ蛇のように伸びた。

 

 「危ないッッッ!!!」

 

 引き攣るような悲鳴を上げた彼をいち早く反応した一輝が彼を突き飛ばすように庇い迫る黒炎の腕から守る。試合終了後に審判に対しての加害という非常事態に実況は声を上げ、隣で解説をしていた西京寧音も驚愕の表情で立ち上がる。

 

 朽ちているのだ。

 黒い腕が爪を立てたリングの一部分が、風化したようにボロボロと崩れて風に散っていく。

 

 能力の使い方が変わった。

 ほとんど垂れ流しで使っていた《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》の力を目視できるまでに収束し、結果に至る過程すら必要としない程に強制力を高めている。

 そして彼がいま自らの力に込める想いは純粋な殺意、すなわち─────

 

 『う、うわあああああ!!??』

 

 『きゃああぁああああああ!!』

 

 『な、何だこれ・・・・・・!』

 

 スタッフ達の迅速な対応により黒い腕が人に当たる事は無かったが、床やフェンスに突き刺さったそれらの一部が同じような崩壊をもたらす。

 リングに刻まれた『死』は止まる事なく滲むように広まっていき、ゆらりと幽鬼の如く立ち上がった天音は呪うような声で呟いた。

 

 「どいつもこいつも踏み躙ってくれやがって・・・・・・。念入りに言い訳の余地を潰しやがって、上から目線で正論垂れやがって・・・・・・!!

 ふざけるなよ・・・・・・、()()()()()が、()()()()が知ったような事言いやがってさあ・・・・・・!!!」

 

 偽りのない憎悪の本音を受け止める。

 天音の辛さと孤独は誰より理解できる。

 自分を諦めそうになった時、自分は黒鉄龍馬と出会った。折れそうになった時にステラがいた。

 しかし天音には誰もいなかった。

 自分がどこにもない世界を幽霊のように彷徨うことがどれだけ辛いか、黒鉄一輝は知っている。

 

 「認めない・・・・・・。認めてたまるか・・・・・・! 無敵の力だから自分を諦められたのに・・・・・・!! ()()()()()()()()()()()()・・・・・・ッッッ!!!」

 

 「先生方はどうか観客席を守っていてください。彼は僕が止めますから」

 

 勝負はついた、勝利したお前がそこまでする必要はない。天音を鎮圧しようとする黒乃の言葉を制して一輝は剣を構える。

 ずっと龍馬のようになりたいと願ってきた。自分の可能性を信じられず膝を下している誰かに勇気を与えられる人間になるために己が騎士道を歩んできた。

 ならば己の為すべきことは決まっている。

 そしてそれはこの男も同じ─────

 

 「さて。他所にいく分は俺が引き受けねえとな」

 

 《プリンケプス》を鳴らして王峰一真が立ち上がり、自らの存在を誇示するように観客席の手摺りの上に飛び乗った。

 当然、天音は彼を見つける。

 憎悪がさらに噴き上がる。

 暴力の鬼に努力の鬼、対極なれど二人とも己の全てを否定する不倶戴天の敵。

 自分を良しとするために、否定せねばならない敵。

 

 「よお天音ぇ!! ついでに俺もいっとくかァ!? 好き放題当たり散らすよりかは腹立つ奴をブン殴った方がスッキリするんじゃねえかなァ!!!」

 

 「う゛あ゛ぁぁ゛ぁあ゛あ゛あ゛っ!!!!!」

 

 喉を引き千切るような咆哮と共に黒い魔力光が勢いを増した。

 地獄の炎が現世に侵略してきたかのような悪夢の光景。周囲にも無差別に襲いかかっていた黒い腕が幾重にも互いに絡んで折り重なっていき、瞬く間に二つの意味ある形を造り出す。

 輪郭線のない黒が形作る立体的な影絵のような二つのそれは、男性と女性の巨大な上半身だった。

 その二体に顔は無い。もちろん表情も無い。なのに心臓を鷲掴みにしてくるような悪意と醜さを感じる。

 理解した。

 あれが『女神』の本質。

 天音自身が思い描く、自分の人生を破壊した諦めと憎悪の具現だ。

 

 「・・・・・・ようやく、いい顔になってきたじゃないか。天音くん」

 

 『死』そのものを前にして一輝は笑う。

 あれこそ偽りだらけだった彼の本音だからだ。

 だから迎え討つ。受け止めて勝つ。

 それが示すべき自分の姿!!

 

 「僕が気に入らないんだろう。許せないんだろう。ならその憎しみの全てを込めてかかってこい!

 僕の最弱(さいきょう)を以て、君の諦めを打ち壊す!」

 

 お前の挑戦を受けてやると力強く告げるや一輝は切り札の《一刀修羅(いっとうしゅら)》を発動、蒼光を纏い天音に向かって踏み込んだ。

 引き攣った悲鳴を上げた天音に呼応するように『女』の方が動く。

 腹にあたると思われる部分が観音開きに口を開け、中からぶち撒けるような勢いで溢れ出した無数の死神の腕がヒステリックなまでの苛烈さで一輝に襲いかかる。

 その全てを斬り払い突き進む彼の後ろで王峰一真にも死が覆い被さろうとしていた。

 ナメクジのような軌跡を宙に残して宙を(ぬめ)るように踊りかかってきた『男』が、その両腕で抱き締めるように一真に襲いかかる。

 掠るだけで即死に至る抱擁を前に彼は一歩も動かない。全方位から自分を包み込む死を、彼は真っ向から受け止めた。

 

 「カズ坊!!」

 

 死の抱擁を受けた一真に寧音が叫ぶ。

 しかし彼の命脈は絶たれていない。《踏破》を纏った魔力防御が死神の指先を拒絶しているからだ。

 戦闘中に止められた心臓をマニュアルで動かした一輝とは違うが、そもそも一真も前日に天音からの「死ね」という願いを踏み越えている。そこで格付けが済んでしまった以上、強制力を高めようと彼の魔力防御を破るのは不可能なのだ。

 それを悟った『男』が蠕動するように震えてそのシルエットを一気に凝縮、巨人のようなサイズから平均的な成人男性程度の体躯まで小型化した。

 殺意に導かれたその変化の目的は、魔力強度の増加。

 

 ガリガリゴリガリ!!!と鉄を穿つような音を立てて一真の魔力障壁が削られていく。

 魔力強度が増した事で強制力が底上げされたのだ。

 ゆっくりだがしかし確実ににじり寄ってくる死神の指。天音の殺意の顕現である顔のない『男』が顔も無いのに嗤っているように見えた。

 しかし一真は動かない。

 嬉々として魔力障壁を侵していく『男』を前に、彼は片頬の肉皮を曲げるように吊り上げる。

 

 「・・・・・・クソみてえなツラしてんなァ」

 

 『男』と『女』は天音の殺意の具現、その姿の輪郭は無から生まれたものではない。

 つまり()()は天音が殺意という感情に抱いているイメージが色濃く反映された姿と言えるだろう。月影から聞いた天音の過去を思えば、男女の姿を(かたど)った()()()が何を土台にしているかは想像に難くない。

 ならばそれは唾棄すべき敵。

 己が最も嫌悪するもの。

 ゆっくりと見せつけるように持ち上げられた踵が『男』の頭頂部にあたるだろう場所に置かれる。

 『男』の首にあたるだろう部分が戸惑うように傾く。自分に歯向かってくるとはまるで考えていなかったようにも見える様子だった。

 殺意をベースとした意志があるのかそれとも土台となった天音のイメージに基づいた機械的反応なのかはわからないが、どのみち直後の運命は決まっている。

 眼前の死に負けず劣らずのドス黒い殺意を滲ませて、彼は掲げた脚に力を込める。

 

 「いい加減消えろやゴミ野郎」

 

 潰した。

 一際強く輝いた紫白が振り下ろされ、抵抗すら出来なかった『男』が観客席からその下のリング場外まで羽虫のように叩き落とされた。

 叩き潰されたそれが原型も残さず霧散したのを確認した一真がリングの方を見遣ると、丁度そちらも決着がついた所だった。

 

 

 「第二秘剣─────《裂甲(れっこう)》」

 

 自らの幸運を以て幾度となくなぞった太刀筋と体捌きをトレースした自分自身の剣術(オリジナル)。一輝も予期しなかった反撃と前進は、最後の気力と共に断ち切られた。

 同時に天音の身体から沸き上がったいた『死』の象徴たる色をした魔力で模られた『女』が霞のように消えていく。

 一輝の追撃はなく、天音も動かない。

 この落ちた膝が再び持ち上がる事はないと共に分かっていたのだ。

 

 (・・・・・・いつ以来だろう。こんなにも自分の無力を悔しいと思ったのは・・・・・・)

 

 自分を誤魔化し諦めて、終ぞ捨てられなかった渇望。自分の人生を狂わせ続けた女神でも齎せなかった勝利。

 それが手の平からすり抜けるこの感覚は、口内を満たす血の味よりも苦かった。

 

 「悔しいかい?」

 

 「・・・・・・うん、そうだね。・・・・・・くやしいよ」

 

 「その悔しさを捨てちゃ駄目だ。それは天音くんが自分を諦めていない証だから」

 

 まるで自分の葛藤を見透かすような言葉に、天音は項垂れた視線を持ち上げる。

 

 「ずっと昔、君と同じように自分を嘆いていた時に、ある人にそう言われたんだ。・・・・・・だから、今度はその言葉を僕から君に贈るよ。

 悔しいと思うなら何度だって僕に挑みかかってくればいい。君の力でも叶えられなかった僕への勝利を手にできたのなら、それは君自身の力で勝ち取った、君だけの栄光だ」

 

 「・・・・・・・・・・・・ぁ」

 

 

 「僕も必ず、君の目標に恥じない男になって─────君の挑戦を受けて立つ」

 

 

 そう言って一輝は踵を返し天音に背を向け、振り返る事なくリングから立ち去る。

 追いかけてこい、と鋼のように力強い背中で語る姿に、天音は灼けるような悔しさを胸に宿した。

 

 (・・・・・・かなわないなあ)

 

 どうしたらそこまで強くなれるのだろう。

 どうしたらそこまで優しくなれるのだろう。

 自分一人すらままならない天音には理解できなかったが、この背中を追いかける先にそんな自分がいるならば───それはきっと、生涯を懸けて目指す甲斐のある目標に違いない。

 ああ、でも。

 その背中に辿り着くことが出来れば、()()()()()()()をぶん殴れるほど強くなれているかもと考えてしまうのは、自分の心の醜さだろうか。

 

 「ねえ、イッキくん。君はどう思う?」

 

 少しだけおかしそうに笑って、天音は遠ざかる背中に伸ばした手を強く握り込む。

 今はその服の袖にすら届かない。

 ───だけど、きっと、いつかは。

 錆びた刃のような決意をもう一度握り締め、天音はその場に崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 「・・・・・・イッキの奴、危ねえな。あの手、掠りでもしてたら即死だったじゃねえか」

 

 ひやりとした感覚が胃袋を滑り、一真は思わず安堵の息を吐く。

 『死』の腕を斬り進んでいた時より咄嗟に主審を突き飛ばした時が危なかった。ともあれこれで紫乃宮天音には一つの区切りがついただろう。

 自分に対する印象は間違いなく最悪の底値だが問題ない。ドン底から立ち上がるには心を強く奮わせる必要がある。

 怒りという感情は何よりも熱い。自分に向けるそれが原動力の一つになるのなら好きなだけ憎んでくれて構わない。自分が選んだのはそういう役回りだ。

 

 (にしても、良い顔してやがったな)

 

 全ての感情を剥き出しにした天音の顔、あれはとても良いものだった。

 人が溜め込んだ腹の底をぶち撒ける姿。それを受け止めて同じだけの本気で返した一輝。自分はほぼ見ているだけだったのに何とも言えずスカッとする。

 一真にとって戦いは意思を徹す以外の戦いはコミュニケーションの一つでしかなかったが、ここで彼は一つの推測に至った。

 刀華と死闘を演じた時にも感じた事だが・・・・・・、

 

 

 (死ぬ気でやる戦いって気持ちいいのか?)

 

 

 一輝と戦い続けた一年は『楽しかった』。

 刀華と戦った三回戦も最初は『楽しかった』。

 だが、そこからが違う。

 殺意と愛の濁流に溺れた戦いの後半は、無上の悦楽とすら言えた。

 

 (んー。だとするとちょいマズいぞ)

 

 全てを懸けた先にあの気持ちよさがあるのなら。

 あれを味わえるチャンスがこの大会であと三回もあるのなら、自分はそれを楽しむ方向に行ってしまいそうだ。

 一応自分は国の体制を変えるための尖兵としてこの大会に出ているというのに─────

 

 この気持ちは切り替えねばならない。

 そう冷静になろうとする彼の目元は、それでも悦楽の予感と期待に笑っていた。

 

 

 

 天音の戦いを見届けた月影が廊下を歩いている。

 控え室とも医務室とも離れた、生徒達の試合中は関係者の気配が消える場所。そこで彼はピタリと歩みを止めた。

 気配を感じた訳ではない。ただここを通れば向こうから出てくると予め知っていただけだ。

 

 「どなたかな?」

 

 既に答えを知っている問いを投げかける。

 その声に引かれておずおずと姿を現したのは一組の男性と女性だった。

 萎縮と恐縮。薬指の銀色から夫婦と分かる二人の瞳はそんな震え方をしているが、それでもなけなしの勇気を振り絞っているのがその背筋から分かる。

 緊張で回らない口が何度か発音に失敗した後、ようやく夫の方が意味のある言葉を発した。

 上等の品だと一目でわかるスーツの懐に手を入れながら。

 

 「・・・・・・差し支えなければ、少しだけよろしいでしょうか。月影総理」








 仕事は忙しいし

 AC6のランクマは楽しいし

 ハズビンホテルめっちゃ面白いし

 もー


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