ハリー・ポッターと継ぎ接ぎの子 (けっぺん)
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賢者の石【無垢なる切れ端】
継ぎ接ぎの子


 ――畏れよ、眠れ、捧げよ。

 

 磔を以て服従に抗せよ。

 死を以て磔に抗せよ。

 服従を以て死に抗せよ。

 

 我らはそこに辿り着いた。禁断を制する業を見出した。

 この秘奥を、三本の杖を持たせる器は、完全でなければならない。

 見た目などどうでもいい。その性質がどうなろうと関係ない。

 我らの究極の魔法を従えるに相応しき、強大な器があれば、それでいい。

 そして、完成した。この子こそは、必ずやかの邪悪を、闇の帝王を打倒するであろう珠玉の魔女となろう。

 些かばかり我らの――人の姿とは離れたし、この形になるまで幾らか壊れたところもある。

 恐らくまともな倫理観など持たないモノになろうが、文字通り些事だ。

 この子は人知れず育ち、あらゆる敵意、殺意を喰らい、強くなる。

 やがてこの世で最も強い殺意を嗅ぎ付け闇の帝王まで行き着いたこの子は、闇の魔法などものともせずヤツを打ち負かす。

 それは必然としてやってくる運命だ。我らがこの子を完成させた瞬間から決まった、世界の行く末。

 人知れず闇に抗ってきた正義の家系である我らの最高傑作が、この暗黒時代に終止符を打てぬ訳がない。

 

 

 闇の帝王を打倒する。そんないずれ訪れる栄光は――それからたった一年で水泡に帰した。

 

 

 『闇の帝王滅ぶ』――

 我らが仕留めんとしていた稀代の邪悪は、我らが何を成す前に消え去ったのだ。

 何処の馬の骨とも知れん輩が、余計なことを――そんな悪態すら、我らの口から出ることはなかった。

 全てが無意味となったのだ。

 この先新たな邪悪が生まれる可能性? 無いとは言い切れない。だが、それは我らが首級を渇望していた闇の帝王ではない。

 たとえ我らがそれを狙うことを決めたとて、少なくとも、この“ガラクタ”は無意味となった。

 求める首のなくなった怪物など、我らの恥にしかならない。

 喪失感を超えるこの怪物に対する苛立ちを、我らはすぐにでも忘れたかった。

 ゆえに、捨てた。

 何処とも知れぬ森の中へ。所詮まだ、独りで生きる術もない獣に過ぎない。

 我らは怪物の存在を記録から抹消した。もう二度と、思い出すことはない。

 地面に転がした怪物に見向きもせず、我らはその森を去る。

 ――遠くないところから狼の遠吠えが聞こえる、満月の夜のことだった。

 

 

 +

 

 

 悪夢のクライマックスから覚めるように、その男が意識を取り戻したのは唐突だった。

 疲労感に倦怠感。いつも感じるそれらとは異なるものが、その日にはあった。

 あまりにも大きな喪失感。それはいつもの“これ”の影響で生まれたものではなく、“これ”の前から数日間引きずっていたこと。

 その満月の夜、「しまった」という後悔をふと抱いた直後、男はほんの少しだけ期待していた。

 次に我を取り戻したとき、全てが元通りになっていれば、と。

 当たり前に近付いてくる満月の夜を憂鬱に感じていたことから、少し悪い夢でも見ていたのだと。

 だが、意識と同時に取り戻した、あまりに鮮明な喪失感は、これが現実だと如実に語ってくれる。

 親友たちが闇の帝王に殺された。それは、どこまでも現実だった。

 

 ジェームズが、リリーが。大事な親友が二人も、一夜のうちに殺害されたという事実を、男は受け止め切れていなかった。

 残されたのは、彼らの息子だけだと聞く。幸か不幸か一家の全滅には繋がらず、そして闇の帝王は彼らの家への襲撃を最後に滅んだ。

 闇に与していないにも関わらず、闇の帝王の最期という魔法史に残るだろう明るいニュースを、男は一切喜ぶことが出来なかった。

 それよりも大きな悲劇が、彼をそうさせなかった。

 あの一家の在り処は秘密の守人であり親友の一人でもあるシリウスが断固として守っていた筈だ。

 だというのに、何故――まさか――。

 そんな考えたくない推測を、まさか本人に聞いて確認する訳にもいかず、男はずっと考えていた。

 そうしているうちにシリウスは、残った親友であるピーターをも殺し、遂にはアズカバンに投獄された。

 度重なる衝撃で結果己がしなければならない日課も忘れ、満月の夜を迎えてしまったのだ。

 月が見える前ギリギリでその事実を思い出し、どうにか近くの森の出来る限り奥深くに転がり込んだ。

 我を失う直前の判断が幸いし、どうやらこの日、己は誰を手に掛けることもなかったようだ。

 周囲を見渡し、死骸の一つもないことを確認し――男は崩れ落ちる。

 我を取り戻したところで、そこにあるのは絶望のみ。

 であれば、自棄のままに暴れまわる、忌み嫌う夜の姿の方がマシというものだ。

 もしも――もしも自分が、秘密の守人になっていれば。

 決して闇に落ちることはないし、真実薬にだって抗ってみせる。磔にも服従にも屈するつもりはない。それこそ、死ぬまで彼らの秘密を守り続けていただろう。

 もし、たら、れば――今思っても、ただ後悔が増すばかり。

 男のすすり泣く声を聞くものは、辺りにはいない。

 人気のない森のど真ん中。こんなところに足を踏み入れるのは世捨て人くらいのものだ。

 ゆえに、男は後悔に涙を流す。

 顔を伏せ、誰も見ている訳がないのに、隠すように。

 そうして、数分が経っただろうか。

 男の泣き声が止まった。体に走った、ほんの小さな違和感によって。

 針が何本か刺さった、いや、軽く肌に当てられた程度の、軽い感触。

 

「……ん?」

 

 普段であれば、冷静に、素早く対処していたことだろう。

 だが、その日の男の判断は遅れていた。

 ゆっくりと、足元に目を向けて――その瞬間、男は自身を満たしていた絶望を忘れた。

 

「……なっ……」

 

 赤子、だった。まだ一歳やそこらだろう子供が、男の足に噛みついていた。

 歯も噛む力も発達していないゆえ、どちらかというと痛いよりむず痒い。

 追い払おうとして、流石に違和感を覚える。

 何故こんなところにこんな子供が……思わず男は抱きかかえる。

 それは、人の子に見えた。

 だが、人としては見慣れないものがある。

 

「人……じゃないのか?」

 

 その子供は本来あるべき側頭部に、耳が無かった。

 代わりに、少し上――白銀の髪の中に、ピクピクと動く()のような耳があった。

 そして、手の指先。

 人はここまで爪が鋭くない。力の関係で、男はそれを突き立てられていても何ともないが、うまく使えば柔らかい皮膚なら引き裂いて余りある。

 そして、髪と同じ白銀の尻尾。

 黄金色の瞳の真ん中にある黒い瞳孔は、鋭く、力強く、爛々と輝いている。

 それはまるで、人と狼が半端に混ざったような、奇妙な姿だった。

 申し訳程度の衣服代わりなのか、黒い襤褸切れを纏った、人のような何か。

 辺りをもう一度見渡してみても、周囲に親らしき人影は見当たらない。

 この不思議な子供がこんな森の中にいることに、男は幾つか推測を立てた。

 何らかの突然変異によって生まれた奇形。もしくは、発見例のない新種の亜人。

 後者であれば、この森に棲息している種だとすれば筋は通る。だが、この大きさで取り残されているのは不自然だ。

 前者であれば――親は現れないだろう。そちらが正しいとすれば、ほぼ間違いなくこの子は忌み嫌われ捨てられた、ということだ。

 たとえ、そうだとして。

 男に出来ることなどなかった。

 人かどうかもわからない。人だとしても、体質ゆえ就職難である男にこの子を食べさせていくことなど出来ない。

 

「……だけど」

 

 男は善人だった。

 この子を育てるなんてことは出来ない。

 だが、この子に希望を与えてやることならば――出来ないでもなかった。

 

「……騎士団も暫くは慌ただしいだろうが……ダンブルドアなら何か知恵をくれるだろう」

 

 彼には、信頼に足る賢者がいた。

 闇の帝王すら恐れた、今世紀最高の魔法使いが。

 彼のもとへ連れて行き、生の可能性を与える。それくらいは、してもいいだろう。

 たとえこの子が闇の帝王が作り出した怪物であったとしても、害のないらしい今であれば対処も効く。

 これも縁だと、男は子供を抱え、森を出る。

 なおも肩に噛みつく子供に、先日の事件以降初めての苦笑を漏らす。

 その頃、男は――リーマス・ルーピンは知らなかった。

 この子の運命を。そして、この子によって変わる自分の運命を。

 そして、この子と――ジェームズとリリーの忘れ形見によって変わる、魔法界全体の運命を。

 

 

 

 それから、当たり前のように十年が経った。

 始まりの日と同じように森を歩くリーマスの手には、一枚の手紙と衣服が一揃えある。

 服はリーマスが着ているみすぼらしいものとは違い、幾らか良い質のものだ。

 暫く森の奥に向かえば、森の中で目立つ()()はすぐに見つかった。

 

「アルテ」

 

 名前を呼ばれた少女がリーマスに顔を向ける。

 一糸纏わぬ肌にこびりついた血。それは少女のものではなく、何のものかは簡単に想像がついた。

 その手にぶら下がっている、腹から引き裂かれたウサギのものだろう。

 

「――リーマス」

 

 口元の血を拭って、少女――アルテはリーマスの名を呼ぶ。

 初めて会った時から、少女は随分と成長した。

 とは思いつつも、毎日見ている以上リーマスは見違えたという感想は抱けないが。

 白銀の髪は背中まで伸び、尖った耳はピンと立っている。

 鋭い切れ長の目に、警戒心はない。

 尻尾は垂れ下がっているが、アルテの感情を表すようにリーマスを見たと同時に若干揺れ動いた。

 白銀を一層際立たせる浅黒い肌。指先の爪は、()()人のものとなっている。

 

「アルテ。いつも言っているだろう。肉を生で食べるんじゃない。あと、服を着なさい」

「服は動きづらい。着たくない」

 

 文句を言いつつも、リーマスにされるがままに服を着るアルテ。

 その最中にリーマスが杖を振れば、アルテにこびりついた血は最初から無かったように消え去った。

 

「それは?」

 

 服を着ている最中、リーマスが火を通してやっていたウサギの肉を齧りながら、アルテは彼が持っていた手紙を指差す。

 聞いてはみたものの、アルテはその正体を薄々分かっていた。

 

「何だと思う?」

「ホグワーツ」

「正解だよ」

 

 アルテはリーマスから聞かされていた。そろそろ自分宛てに、ホグワーツから手紙が来ると。

 曰く、十一歳になったら手紙が来て、ホグワーツなる学校に行かなければならない。

 それがずっと昔から――本人の与り知らないところで――決まっていたらしい。

 

 

『ホグワーツ魔法魔術学校

 校長 アルバス・ダンブルドア

 マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員

 

 親愛なるアルテ・ルーピン殿

 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。

 教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。

 新学期は九月一日に始まります。

 七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。 敬具

 

 副校長ミネルバ・マクゴナガル』

 

 

 途中の何とか勲章やら何とか会員やらは理解できなかったが、それが入学案内であることはわかった。

 毎年この時期になれば、その素質がある子供たちに入学の許可証という形で手紙がやってくる。

 しかしながら――この年は、形としては許可証ながら既に入学の決まっている子供が『二人』いた。

 そのうち一人が彼女であった。

 

 ――アルテ・ルーピン。

 あの日出会った子供は闇の帝王対策組織――不死鳥の騎士団に連れていかれ、やはりというべきか、闇の帝王の手先と疑われた。

 しかし、その疑いの幾分かは早々に晴れることになる。

 騎士団の本部にあった帝王ゆかりの品を見たこの子は、それをいとも簡単に破壊してしまった。不用意に触れれば死に至るような呪いをものともせずに。

 アルバス・ダンブルドアはその様子を見て、闇の帝王を倒すために何者かに作られた一種のホムンクルスと仮定した。

 数日様子を見て、少なくとも自分たちに危険はないと判断し、当面を騎士団援助のもとリーマスが育てることになったのである。

 子育ての経験などないリーマスだったが、想像よりも苦労はなかった。

 というのも、この子供の生命力の高さだ。

 援助があったとはいえ余裕のなかった経済面から、食事を取れない日も多かったが、この子は生き延びた。

 立って、走れるようになった頃には勝手に近くの森やら草原やらに出て獣を獲り食べることも始めた。

 喋るようになってから分かったのは、強力な生への執着心。

 決して死なない。腹が減れば野の獣を食らって生き延びるし、食糧がなくとも執念で生き延びる。

 そうして、己の生を第一とする少女はルーピンのもとである程度の倫理観を教え込まれながら育ってきた。

 少なくとも、自身が危害を加えられることなく、飢えることもなければ危険性は少ないと判断され、その本性を確かめる意味合いも込めてホグワーツへの入学は決定したのだ。

 

「前から言っていたように、アルテは絶対ホグワーツに行かないとならない。そこで魔法の使い方と、他人との接し方について学ぶんだ」

「わかってる。力を得て、将来ヴォルデモートを倒すために」

 

 ――衣服が嫌い。それでも、着てくれない訳ではない。

 ――生肉をも食べようとする。それでも、焼いてやればそちらを大人しく食べる。

 人を襲うようなことはないし、少し不愛想だが会話が出来ないこともない。

 そういう風に、リーマスなりに徹底的に倫理観を教え込んだのだが、この一点だけは、ずっと変わることはなかった。

 

「……その名は呼ぶな。闇の帝王は滅んだ。アルテの前に現れることはない」

 

 その考えは過ちだと、咎めるリーマス。だがアルテは納得せず、疑問の表情を浮かべる。

 

「それはおかしい。ヴォルデモートが死んだなら、何故わたしが生きている? わたしはヴォルデモートを倒すために生まれた。ヴォルデモートが死んだなら、わたしが生きている理由がない」

「あの人が死んだとて、アルテが生きていちゃいけないなんてことはない。いいかい? たとえアルテが生まれた理由がそうだとしてもだ」

 

 納得できていない様子のアルテの頭を撫でる。

 それが、彼女を大人しくさせる方法であると知っているからだ。

 

「……」

「さあ、忙しくなるぞ。明日は買い物に行こう。アルテの門出だ。このためにお金も貯めていたからね」

 

 たった一つ、変えることが出来なかったもの。

 それは生と相反するような、ともすれば自殺願望ともとれる彼女の異常なまでの使命感。

 闇の帝王――ヴォルデモートをその手で仕留めんとする意思。

 願わくば、ホグワーツでの生活で、彼女が他の生き方を見つけ出してほしい。

 リーマスは偉大なるダンブルドアや、教師の面々。そしてきっと出来るだろう友人たちに希望を託すのだった。




※人狼時も多分どうにかなってる。
※資金面は騎士団の援助でギリギリどうにかなってる。
※好きなものは肉。嫌いなものは服。
※闇の帝王絶対殺す精神は本能的なもの。
※冒頭のは別にまだ気にしなくても大丈夫。

初めましての方は初めまして、そうでない方はお世話になっております、けっぺんです。
相も変わらず趣味の限りを尽くし過ぎた話です。よろしくお願いします。


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ダイアゴン横丁

 

 

 ホグワーツの学用品を揃えるならダイアゴン横丁が最適だ。

 かの魔法学校で必要なものであれば、ここで全て買うことができる。

 あまりの人の多さにアルテは暫し固まっていたが、そういう場所なのだと判断する。

 初めて見るものは、“そういうものなのだ”と無理やりにでも理解を示すことで、アルテは自分の中で納得することが出来ていた。

 これだけ人がいながら、アルテに注目する者はいない。

 というのも、外出用のローブと帽子で特徴となっている耳や尻尾を隠しているからだ。

 アルテが物心ついた頃には、鋭い爪を引っ込めて人と遜色ないものに変えることが出来ていた。

 しかしながら、耳と尻尾はそうはいかない。

 アルテが同じように引っ込めようとしてみても、結局消えることがなかったのだ。

 アルテ自身はどうでもいいのだが、他者から見ればこの耳やらは随分異質なものに映るらしい。

 リーマスがその辺りをどうにかする言い訳は考えたのだが、それでも必要以上に見せることは避けたかった。

 そのため、リーマス以外の人と会うような場合は、アルテはいつもこの格好だった。

 側頭部までを覆うロシア帽はこの耳を自然に隠すに都合がいい。

 どちらかと言えば、リーマスの方が目に付くだろう。

 病的にやつれた白い顔に、継ぎ接ぎだらけのローブは人を不安にさせる要素しかない。

 十年彼を見て育ったアルテは何とも思わないが、逆に周囲の人々はやけに「小綺麗で変わった姿」をしているなと思った。

 特に不審な目を向けられることもなく、ルーピンとアルテはフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で教科書を買った。

 大量の本に一切興味のなかったアルテはただでさえ狭い店内に溢れかえるほどの人と本に僅か気分を悪くしていたが、外に出て新鮮な空気を吸えばそれも収まった。

 次に訪れたのはオリバンダー杖店だった。

 多くの魔法使いが、「杖はここに限る」と太鼓判を押す高級杖メーカー。

 薄暗い店内には先程の本屋のように杖が天井まで積み重ねられていた。

 埃っぽい店内はやはりアルテの好む環境ではなく、出来るだけ早く出たいという気持ちに陥る。

 眉を寄せつつ店内を見渡していると、店の奥から老人がやってきた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 柔らかな声で、老人――オリバンダーはリーマスとアルテを歓迎した。

 

「おや、リーマス! リーマス・ルーピンじゃないか。二十六センチ、イトスギにユニコーンの鬣……いやあ、懐かしい」

「杖には世話になっています。今日はこの子に杖を見繕ってやってほしいのです」

 

 どうやら、リーマスも己の杖をこの店で買ったらしい。

 アルテは目の前の老人に胡散臭さを感じていたが、僅かに評価を改めた。

 

「娘さんかね?」

「養子です。今年からホグワーツに入学するんですよ」

「それはそれは。それじゃあお嬢さん、杖腕を出してください。どちらですかな?」

 

 娘、養子。そんな言葉に、帽子の下で耳をピクリと動かしつつも、アルテは黙って右腕を差し出す。

 オリバンダーの巻き尺が、アルテの体の寸法を測っていく。

 肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周り……どうも杖とは関係ない部分まで測られているようで不快だったが、そういうものなのだろうと片づける。

 

「オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持った物を芯に使っております。ユニコーンの鬣、不死鳥の尾羽根、ドラゴンの心臓の琴線……一つとして同じものはありません。勿論、他の魔法使いの杖を使っても決して自分の杖ほどの力は出せない訳です」

 

 うんちくを垂れ流しながら、オリバンダーは杖の積まれた棚を漁る。

 ひとりでに動いた巻き尺がアルテの鼻の穴まで測ろうとしてきた。目の前で動く巻き尺を鬱陶しく思い噛みついてやろうとしたが、その前にリーマスが杖で叩き落した。

 

「さて。一目見た時からこれはどうかと思ったが……どうですかな。イトスギに不死鳥の尾羽根、十七センチ、ひたすらに自己中心的」

 

 差し出された杖は、リーマスのものより随分と短かった。

 アルテが握ってみると、何やら、自分の肌をなぞっていくような感覚が走った。

 それがむず痒く感じ、何の気なしに杖を持った腕を軽く振るう。

 瞬間、店内が鋭い光に満たされる。

 銀色の火花が辺りに飛び散り、跳ね回る。

 ルーピンがアルテの肩に手を置き、笑った。

 

「お見事! いや、素晴らしい。リーマス、お前さんと同じ木だ。いやしかし、ここまで短い杖は珍しい。お嬢さん、いいですかな? ゆめ、己を曲げてはいかん。はっきりとした自分の考えを持ち、迷わないこと。そうすれば、この杖も応えてくれる」

 

 自分の考えを持つ――それは当たり前のことではないかと、アルテは思った。

 或いはもっと、難しいことを言っているのかもしれない。他の真意があったとして、アルテには読み取ることが出来なかった。

 ともかく、自分の杖は決まったらしい。手元にある短い杖からは、未だに此方を品定めするようにもぞもぞと何かが漂ってくる感覚がある。

 鬱陶しく思い握る手を強めると、それは収まった。

 そうしているうちにリーマスが代金の七ガリオンを払っていた。ここでの用は済んだと、二人は店を出る。

 

「さて、次だ。アルテ、私は鍋屋で鍋を買ってくる。アルテはマダム・マルキンの店――あそこだ。あの店で制服を買ってきなさい。お金と……この紙に買うものを書いてある。これを渡せば店の人が良しなにやってくれるだろう」

「……服を買うなら、これがバレない?」

「その言い訳も書いてある。こういうことを考えるのは昔から得意でね」

 

 紙を見てみれば、『仕込まれた悪戯道具店の道具の影響がまだ出ている。気にしないでほしい』といったことが書いてある。

 アルテが、ホグワーツに行くにおいて教えられた言い訳とは違うものだが、買い物であれば此方の方が都合がいいらしい。

 

「じゃあ、買ってくる」

「ああ。買ったら、店を出て待っていてくれ。私が先に終わっていたら店の前にいる。声をかけてくれればいい」

「分かった」

 

 必要なものをリーマスから受け取ったアルテはさっさと洋装店に歩いていく。

 出会った時から変わらない不愛想さに苦笑して、リーマスも鍋屋に向かった。

 

 

 

 やたらに大きな、毛むくじゃらな男の横を通り抜けて店に入り、アルテは店員を探す。

 キョロキョロと頭を動かしていると、ずんぐりとした魔女が駆けてきた。

 

「お嬢ちゃん、ホグワーツ? 服なら全部ここで揃いますよ」

 

 どうやら彼女が店員――マダム・マルキンであるらしかった。

 藤色ずくめの服を着た、愛想の良い魔女に、アルテはぶっきらぼうに紙を渡す。

 

「はい? ……はいはい、貴女も大変ね。大丈夫、尻尾くらいなら問題ないわ」

 

 心配させまいとする笑みを浮かべ、マルキンはアルテを店の奥に誘う。

 そこに置かれた踏み台の上で採寸をするらしい。

 既に二つの踏み台に、先客がいた。

 片や、プラチナブロンドの髪に青白い顔。尖った顎の少年。

 片や、くしゃくしゃな黒髪で丸眼鏡をかけた少年。

 どちらも同じくらいの年齢のようだが、アルテの関心はそこにはなかった。

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

「そう」

 

 青白い少年の問いに短く答える。

 しかし、視線は一切彼には向かない。アルテの目は、もう一人の少年を捉えている。

 見た目に、アルテのように人としておかしな部分がある訳ではない。

 リーマスのような特異な体質を持っている訳でもなさそうだ。

 だというのに――アルテは明らかに、その他の人間とは違うものを感じていた。

 

「君の両親も僕らと同族かい?」

 

 そんな、アルテの様子を気にもせず、青白い少年は重ねて問う。

 得意げに、そして期待を込めて問うてくる少年に、やはり目を向けずに聞き返す。

 

「同族?」

「両親とも魔法族かって話さ。まさか穢れた血って訳じゃないんだろう?」

 

 軽く鼻をひくつかせてみるも、眼鏡の少年から変わった匂いは伝わってこない。

 正体の分からない違和感に妙な気持ち悪さを感じたが、このまま見ていても答えは見つかるまいと、ようやくアルテは眼鏡の少年から視線を外す。

 そして、問いを投げてきた青白い少年をようやく見た。此方は特に感じることもなかった。

 

「知らない。わたしは親の顔も名前も知らないし、興味もない。わたしを育ててくれたリーマスなら、魔法を使える」

 

 アルテにとって、親はリーマスだった。

 本当の親のことなど、まともに考えたことすらない。

 分かったところでどうでもいい。アルテにとって、見たこともない両親は赤の他人と同じようなものであり、問いかけてきた青白い少年の方が、目の前にいる分まだ関心があった。

 

「おや、そうなのかい。そっちの君もそうだし、また珍しい二人と知り合ったものだ。しかしまあ、僕は魔法族でない連中は入学させるべきでないと思うんだ。ホグワーツの名を、手紙を見るまで知らないような連中だ。入学は魔法使いの名門家族に限るべきだと思うんだよ」

「そうか」

 

 そして、長ったらしく語られた少年の思想は両親と同じくらいどうでもよかった。

 他人の考えなど、大抵の場合自分の答えを出す邪魔にしかならない。

 そうでないのはリーマスの言葉くらいのものだ。

 そんなことよりこの退屈な時間が早く終わらないものか、と考えていると、マダム・マルキンが青白い少年に言った。

 

「さあ、坊ちゃん。いいですよ」

「そうかい。じゃあ、二人とも。ホグワーツでまた会おう。多分、ね」

 

 制服を受け取って、青白い少年はそんな言葉を残して店を出ていった。

 眼鏡の少年がやっといなくなったと言わんばかりにため息をついた。

 アルテは他に見るものもなくなり、再び眼鏡の少年に目を向ける。

 やはり、他の人間とは何か、違うものを感じる。

 

「……えっと、何?」

 

 視線と沈黙に耐えかねた少年が、身じろぎしながらアルテに聞く。

 それに対する答えは、はっきりと述べることが出来ず――アルテは曖昧に返した。

 

「別に」

「そ、そう……」

 

 また、少年にとっては重苦しい沈黙。

 アルテも少年も、別の意味で早く終わってほしいという時間だった。

 それから数分。少年の採寸も終わり、店を出ていく。

 アルテが制服を買って店を出たのは、それから約五分後の話だった。

 

 アルテは知らない。この、妙な違和感を覚えていた眼鏡の少年こそ、魔法界を揺るがす壮絶な運命を己と共に戦う存在であることを。

 眼鏡の少年は知らない。この、不愛想な少女こそ、自分と共通の敵を打倒すべく、助け合う存在になることを。

 

 

 

 ダイアゴン横丁で買い物をしてから一ヶ月。

 特に変わることなくアルテは日々を過ごし、あっという間に入学の日がやってきた。

 ロンドンはキングズ・クロス駅の、九と四分の三番線。

 紅色の蒸気機関車が、ホグワーツへ向かう生徒たちが乗り込むのを待っていた。

 

「……ここも、人が多い」

「駅とはそういうものだ。大丈夫、ホグワーツに行けば広いし、あまり人の多さは感じない」

 

 アルテはあの日の買い物で、自分は人混みが苦手なことを知った。

 門出の日にも関わらず不機嫌を隠さないアルテに苦笑しつつ、リーマスはロシア帽の上から頭を撫でる。

 帽子に新品のローブで、耳と尻尾は隠れている。

 傍目から見れば、そこにいるのは季節外れな印象を抱かせる少女であった。

 

「さて、アルテ。ホグワーツではアルテの知らないことばかりだろう。きっと、気に入らないこともたくさんある。そんな時も、決して爪を使ったりしてはいけない。いいね?」

「うん。あくまで、わたしは人になり切る」

「……アルテ。君は人間だ。間違っても、自分は人じゃないなんて思うな」

 

 他者との違いを明確に理解しているアルテは、どうも己を人間とは思わない節がある。

 だが、リーマスは知っていた。この十年で、はっきりした。

 アルテは人間だ。耳や尻尾、爪の違いなんて、大した問題ではない。

 少なくとも、自分よりはよほど人間だと、リーマスは確信していた。

 

「だから、周りの生徒たちと君は同じだ。皆と触れ合って、友達になって、楽しく学校生活を過ごすといい」

「……」

 

 まだ完全には納得しきっていないようだが、アルテは頷いた。

 

「よし。先生たちには話をしてある。困ったことがあれば、先生たちを頼るんだ。いいね?」

「……わかった」

 

 校長のダンブルドアや副校長のマクゴナガルは気心の知れた教授だ。

 アルテを育てるにおいて、助力を受けた回数も多い。

 アルテとの面識はないものの、きっと親身にしてくれることだろう。

 時計を見れば、もう出発の五分前だった。

 ――リーマスには、妙な寂寥感があった。

 実の、ではないとはいえアルテは娘のようなものだ。

 子を送り出すとはこういうことなのか、とリーマスは周りの親たちや、己の両親の気持ちを理解した。

 まさか、こんな自分がこういう気持ちを抱くことになろうとは。

 

「――さあ、出発の時間だ。行きなさい」

「行ってくる」

 

 しかし、アルテはそんな人の気持ちも知らず、素っ気なく汽車へと向かう。

 森の奥に潜って、何日も戻ってこないこともあった。

 そんなことから、特にリーマスから離れることに抵抗は持っていないらしい。

 アルテの様子に肩を竦め、リーマスは出発するまで汽車を眺め続ける。

 自分が初めて乗ったのは、二十年も前だ。

 もう乗ることはないだろう汽車に想いを馳せながら、己の娘を見送る。

 

 彼女と共にこれに乗り込むことになるのは、二年後のことである。




※埃っぽい室内も嫌い。
※人混みも嫌い。
※使いづらそうな短い杖。ハリポタ二次はそれなりに読んでますが杖が一発で決まる作品って少ないイメージ。
※ハリーとフォイとのファーストコンタクト。なおあまり興味はない模様。
※アルテにはハリーの知識はなし。ただし何か感じるものはあるとかないとか。


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ホグワーツ特急

 

 

 どうやら別れを惜しんでいる生徒たちが多いらしく、まだ空いているコンパートメントがいくつかあった。

 その中の適当なものを選び、窓際に座る。

 ほんの一、二分で軽い眠気に襲われ、汽車が出発する前から目を瞑る。

 すると、三十秒もしないうちにコンパートメントの戸が開いた。

 

「やあ。入っていいかな? 父さんと話し込んでいる間に席が結構埋まっちゃって」

 

 灰色の瞳をした、背の高い男子生徒だった。

 制服姿は様になっており、アルテから見ても一年生ではないとわかった。

 別に席が空いている以上、許可は必要ないと思うのだが、聞かれたならば仕方ないと、アルテは頷く。

 男子は「ありがとう」と短く返し、アルテとは反対の席に座った。

 ほどなくして、汽車が動き出す。

 窓の外のリーマスと目が合った。小さく手を振ってきたリーマスに対し、アルテは視線で返す。

 それからすぐ、眠気に身を任せて寝息を立て始める。

 目覚めたのは、一時間半ほど経った頃だった。

 ひときわ強く汽車が揺れ、鬱陶しそうにアルテが目を覚ます。

 目の前の男子は外を眺めていたが、身じろぎしたアルテに気付くと、視線を動かす。

 

「おはよう」

「……」

 

 男子生徒の挨拶に、アルテはあくびをしながら頷く。

 

「君、新入生だよね。名前はなんて言うんだ?」

「……アルテ……アルテ・ルーピン」

「アルテか。僕はセドリック・ディゴリー。ハッフルパフ寮の三年生だ」

 

 セドリックと名乗った男子生徒の言った名詞には、聞きなれないものがあった。

 

「……ハッフルパフ?」

「ああ。ホグワーツの寮だけど、知らないかい?」

 

 頷くと、セドリックは寮について、アルテに簡単に説明した。

 ホグワーツはそれぞれの性格、性質によって四つの寮のいずれかに所属し、その寮生として過ごすことになる。

 グリフィンドール・レイブンクロー・ハッフルパフ・スリザリン。

 とはいえ、知らなくても入学式の際に知ることになるようだ。

 

「僕としてはハッフルパフに入ってほしいけど、どうなるかな」

 

 そんな時だった。コンパートメントの戸が開き、えくぼのおばさんが笑いながら顔を覗かせる。

 

「車内販売よ。何かいりませんか?」

「っと。もうそんな時間か」

 

 セドリックが懐から銀貨や銅貨を取り出し、おばさんの押すカートに近づく。

 それを遠巻きに眺めるアルテ。

 食べ物の匂いに一瞬、強く反応したが、カートに積まれたものを見ているだけでアルテはげんなりした。

 強烈なかぼちゃの匂い。そうでないものも、どれもこれも甘い匂いばかり。

 甘いものが苦手な訳ではないが、特に好きでもない匂いがこうも強烈に漂ってきては、眉を顰めたくなるというもの。

 好きな肉の類がないとみると、小さくため息をついた。

 腹は減っているが、食欲が刺激されるようなものではなかった。

 セドリックがお菓子や飲み物を買って戻ってくる。

 

「ほら。まだ時間はあるし、少しは食べておいた方がいい」

 

 そのうちの幾つかをアルテの前に置いた。

 一年生とたまたま席を同じくしたからか、それとも性格なのか、初対面のアルテに対し、随分と親切だ。

 ……まあ、くれたのならば仕方ないと、アルテは大人しく受け取った。

 最初に目についた、掌大で五角形の包みを取る。

 蛙チョコレートと書いてある。嫌な予感を感じながらも開けてみると、アマガエルほどの大きさの蛙の形をしたチョコレートが入っていた。

 アルテは蛙が嫌いだ。食べれば味は悪くないが、如何せん見た目が良くない。

 幸い触れた感触は蛙と同じではなく、チョコレートのものだった。

 出来るだけ形を見ないように噛み砕けば、味に蛙を思わせるようなものは一切ない。苦味を感じさせない、甘たるいミルクチョコレートだった。

 普通のチョコレートで良いものを、何故わざわざ蛙の形にしようと思うのか。

 魔法族の常識も非魔法族(マグル)の常識もさほど知らないアルテではあるが、どちらの常識で考えても流石におかしいのではと感じた。

 チョコを食べ終わってから気付く。箱の中にチョコ以外に一枚のカードが入っている。

 コーネリアス・アグリッパと書かれていた。

 カードに興味は持たず、甘い味を洗い流そうと、ジュースのビンを取り、蓋を開けて口をつける。

 

「…………甘」

 

 色で多少は予想していたが、かぼちゃジュースだった。

 チョコレートほどではないが、主張の強い甘みが決して口内をすっきりさせない。

 よほどの顔だったのか、それとも思わず零れた呟きがツボに入ったのか、様子を見ていたセドリックが吹き出した。

 

「…………次はジャーキーとミネラルウォーターを持ってくる」

「そうするといい。車内販売は肉も水も売ってないからね」

 

 

 

 それから暫くして、ようやく到着するらしい。

 車内にアナウンスが流れ、またも眠っていたアルテは目を覚ます。

 汽車が停止すると、生徒たちは押し合いながら降りていく。

 

「さあ、着いた。一年生は僕らとは別々だ。ハッフルパフに入れたら、また後で」

 

 そう残してコンパートメントを出たセドリック。

 荷物はそのままだ。アナウンス曰く、学校に届けられるため置いていっていいらしい。

 アルテも続く。外に出て独りでに進んでいく二年生以降の面々と違い、一年生は一つに固まっていた。

 

「イッチ年生! イッチ年生はこっち!」

 

 暫く待っていると、巨大な影がランプをぶら下げながらやってきた。

 アルテには見覚えがあった。ダイアゴン横丁で制服を買った時、店の前に立っていた毛むくじゃらだ。

 どうやらホグワーツの関係者だったようだ。

 毛むくじゃらの案内に従って、一年生たちは歩いていく。

 やがて岸部に辿り着き、毛むくじゃらは繋がれた小舟の群れを指して四人ずつ乗るように言う。

 アルテは三人の女子生徒と一緒だった。

 挨拶を交し合う前に、アルテは目を閉じた。

 どうせまた長い退屈が続くと思ったのだ。

 

「頭、下げぇー!」

 

 ――遠くで、毛むくじゃらが何かを言っている。

 多分、到着ではないはずだ。

 気にしなくてもいいことだろうと意に介さずいると――

 

「ちょ、ちょっと貴女――」

「――ぶぁっ」

 

 何かがアルテの顔を思いきりくすぐった。

 突然のむず痒さに一瞬で眠気が飛び、何かを振り払う。

 蔦だった。何故か進路を覆っていた蔦のカーテンは、頭を下げないとぶつかるくらいの長さであった。

 

「あんた……ドジというか何というか……」

「よくこんな時に寝てられるわね……」

「えっと……大丈夫?」

「……ん」

 

 同乗していた少女たちの反応は、呆れが二つに心配が一つ。

 ホグワーツに入学する新入生は今、殆ど全員が大なり小なりの緊張を持っていることだろう。

 だというのに、アルテからはそんな緊張感が一切感じられなかった。

 

「っていうか、あんた何で帽子被ってるの?」

「そうね。寒くもないし、もう日も落ちてるのに」

 

 最初の二人が、怪訝な表情で聞いてくる。

 アルテは、早速かと思った。言い訳はリーマスと考えているが、こうも早く使うことになるなんて。

 

「七変化」

「は?」

「七変化体質の異常。戻らない」

 

 魔法族に稀に発生する体質、七変化。

 体の形状や肌色などを自在に変化させられるものだが、これはアルテの耳や尻尾を誤魔化すのにうってつけであった。

 ダンブルドアをはじめとした先生たちにも既にそう、話を通してある。

 

「ドジで落ちこぼれ七変化……? あんた、大丈夫なの?」

「何が?」

「いや……ううん、いいわ」

 

 何となく、呆れていた側の女子二人は思った。

 ――この子は絶対にハッフルパフだ、と。

 

 

 やがて船が止まり、新入生たちはようやくホグワーツに辿り着く。

 先頭を歩いていた毛むくじゃらが扉を開けると、学校の中エメラルド色のローブを着た魔女が現れた。

 厳格な顔つきで、一年生たちを見渡している。

 

「マクゴナガル教授、イッチ年生の皆さんです」

「ご苦労様ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」

 

 マクゴナガル、と呼ばれた魔女は扉をいっぱいまで開いた。

 毛むくじゃら――ハグリッドに代わり、ここからは彼女についていくらしい。

 広すぎる石畳のホールを横切る。

 それはアルテが見たどんな建物よりも広かった。

 入口の右手の方からは、何百人といるだろうざわめきが聞こえてくる。

 マクゴナガルはホールの脇にある小部屋に新入生を集めた。

 

「ホグワーツ入学、おめでとう。歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。組分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が皆さんの家族のようなものなのですから」

 

 窮屈さを感じながらも、組分けに儀式があることに目を細めた。

 空腹は限界といってもよかった。

 まさかホグワーツでの食事まで甘味で埋め尽くされているなんてことはあるまい。

 いや、この際それでもいいから、とにかく何かを胃に詰め込みたかった。

 

「よい行いは、自分の属する寮の得点になり、規則に違反した時は減点になります。学年末には最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りとなるよう望みます」

 

 そんなことを長々と語ってから、マクゴナガルは準備を整えに、部屋を出ていく。

 待っている間、一年生たちは己の身なりを整えながら、組分けの方法について意見を語り合っていた。

 非常に難しい試験があるとか、トロールと戦わされるとか、これからやるには不自然なものが大半であったが、そんな可能性を考えさせるほどに生徒たちは緊張しているのだろう。

 ――少なくとも、帽子を脱ぐことも跳ねた髪を直すことも、捲った制服の袖を直すこともせず、歓迎会とやらの食事にしか意識を向けていないのは、アルテだけだった。

 途中、ゴーストたちが入ってくるという出来事があったが、腹の足しにもならないからか、アルテは露骨に嘆息し、その後は無視を決め込んだ。

 

「さあ、行きますよ。組分け儀式が間もなく始まります。さあ、一列になってついてきてください」

 

 再び現れたマクゴナガルが、一年生たちを部屋の外へと促す。

 ついに一年生たちは、大広間に入り込んだ。

 何千という蝋燭が空中に浮かび、四つの長テーブルを照らしていた。

 上級生たちは既に着席しており、入ってきた新入生たちを期待の目で眺めている。

 上座の五つ目の長テーブルは先生たちの席らしい。

 マクゴナガルはその前まで一年生を引率した。

 先生たちのテーブルとの間には、椅子が一つ。

 椅子の上にはボロボロで汚らしいとんがり帽子が置かれていた。

 一瞬、広間が静寂に包まれる。それを合図としたように、帽子がピクリと動いた。破れ目が口のように開き、歌い出す。

 

 

 私はきれいじゃないけれど

 人は見かけによらぬもの

 私をしのぐ賢い帽子

 あるなら私は身を引こう

 

 山高帽子は真っ黒だ

 シルクハットはすらりと高い

 私はホグワーツ組分け帽子

 私は彼らの上をいく

 君の頭に隠れたものを

 組分け帽子はお見通し

 かぶれば君に教えよう

 君が行くべき寮の名を

 

 グリフィンドールに行くならば

 勇気ある者が住う寮

 勇猛果敢な騎士道で

 他とは違うグリフィンドール

 

 ハッフルパフに行くならば

 君は正しく忠実で

 忍耐強く真実で

 苦労を苦労と思わない

 

 古き賢きレイブンクロー

 君に意欲があるならば

 機知と学びの友人を

 ここで必ず得るだろう

 

 スリザリンではもしかして

 君はまことの友を得る

 どんな手段を使っても

 目的遂げる狡猾さ

 

 かぶってごらん! 恐れずに!

 興奮せずに、お任せを!

 君を私の手にゆだね(私は手なんかないけれど)

 だって私は考える帽子!

 

 

 広場が拍手喝采に包まれる。

 新入生たちはなるほど、と理解した。

 あの帽子こそ、組分けを左右するものなのだ。

 他の生徒、先生たちの前で帽子をかぶり、そして帽子が入るべき寮を告げる。

 ほぼ全ての一年生が、今の歌を頼りに己の寮が何処になるか、予想を立てていた。

 ――ちなみに、アルテは「私をしのぐ――」の辺りから聞いていない。

 そんな新入生たちの様子を一瞥し、マクゴナガルは彼らの名前がずらりと書かれた羊皮紙を手にし、前に進み出た。




※急ぎまくってたので近場の空いてる席を選んだセドリック。多分どこかで友人たちが席空けてる。
※甘いものはそんなに好きではない。
※車内販売甘いもの多すぎでは。
※暇なら寝る。
※リーマス直伝の言い訳。将来出会うことになる本物の七変化の存在など知る由もなし。
※熱いハッフルパフ推し。ぶっちゃけますとハッフルパフには入りません。
※歌に興味はない。


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組分けの儀式

※オリキャラ一名追加。


 

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子をかぶって椅子に座り、組分けを受けてください――アボット・ハンナ!」

 

 マクゴナガルが最初の名を呼ぶ。

 ピンクの頬をしたおさげの少女が慌てた様子で前に出た。

 最初を飾る組分けだ。否が応でも、皆の注目を浴びる。

 椅子に腰かけ、一瞬の沈黙――

 

「ハッフルパフ!」

 

 右側のテーブルから、歓声と拍手が上がった。

 ハンナと呼ばれた少女は、照れた様子でそのテーブルに向かって駆けていく。

 これが、組分けの一連の流れ。

 以降の生徒たちはそれを覚え、より一層緊張しながら自分の番を待つ。

 

「アーキメイラ・エリス!」

 

 しかし、そんな思考を早くも中断させることとなった。

 名を呼ばれ、悠々と歩いていく背の高い少女が持つ独特の気配に、一瞬にして呑まれたのである。

 魔法界において、誰しも神秘的であるのは当たり前だが、それでもその少女を形容するには「神秘的」という言葉がぴったりだった。

 輝いているようにも見える黒髪が靡く。

 誰しもを無意識のうちに魅了せんとする立ち居振る舞い。

 一年生から七年生まで、そして先生たちの誰もが、その少女の雰囲気に目を見張った。

 少女は静かに帽子をかぶり、椅子に座った。

 

「……むぅ」

 

 組分け帽子が唸った。

 すぐに決まって、その理由が厄介であったのか、それとも組分けが難しい生徒なのか。

 暫くの間、「むむ」とか「うーん」といった唸り声しか聞こえない時間が続く。

 そして、一、二分経っただろうか。

 息が詰まりそうな時間だった。アルテの近くにいたおどおどした男子生徒は青白いを通り越して顔を青くし、上級生も一部はテーブルに突っ伏している。

 そんな辺りの様子に、ようやくアルテが気付き、首を傾げた時。

 意を決したように、帽子が叫んだ。

 

「――いや、これで良いのだろう。スリザリン!」

 

 先程のように喝采が上がるようなことはなかった。

 静寂のまま、エリスはスリザリンのテーブルに歩いていく。

 彼女が座ると、マクゴナガルが一つ咳払いをして、読み上げを続けた。

 ようやく、空気が元に戻っていく。

 そこからは、暫くの間、組分けは順調に進んだ。

 

「ボーンズ・スーザン!」

「ハッフルパフ!」

「ブート・テリー!」

「レイブンクロー!」

「ブロックルハースト・マンディ!」

「レイブンクロー!」

「ブラウン・ラベンダー!」

「グリフィンドール!」

 

 初めてのグリフィンドール生に、グリフィンドールのテーブルにいた双子の兄弟が口笛を吹いた。

 これで、一通りの寮に新入生が入ったことになる。

 完全にあの歌の通りに寮が決まるのであれば、年によってはひどく偏りが出る時もあるのだが、二年生以上の生徒はそれなりにバランスが取れている。

 或いは帽子が適度にバランスを取っているのだろう。

 その後も順調に、組分けは続いた。

 

「ブルストロード・ミリセント!」

 

 初めて、アルテと交流のある生徒が出てきた。

 先程、小舟のうえでアルテを呆れを示していた女子の一人だ。

 

「スリザリン!」

 

 当然とばかりに、ミリセントはスリザリンのテーブルへと向かう。どうやら己の寮を最初から確信していたらしい。

 小舟の上で、唯一アルテを心配していたダフネ・グリーングラスもスリザリンになった。

 そして、更に組分けは続いていき――

 

「ルーピン・アルテ!」

 

 ようやくか、とアルテは椅子に向かって歩いていく。

 生徒たちは帽子をかぶっていることに疑問を持った以外はそれまでの一年生たちと変わらない目を向けていた。

 しかし、先生たちは違う。

 真実であれ、偽りであれ、事情を知っている先生たちは全員が注目した。

 特にダンブルドアは目を細め、椅子に向かうアルテを見る。

 生徒たちも、ロシア帽の上に更に組分け帽子をかぶったことに違和感を覚えた。

 尤も、大抵の生徒は「変わり者か」といった感想しか抱いていなかったのだが。

 

「む……? これは……」

 

 帽子は、アルテの寮について、迷うことはなかった。

 それでも言葉を詰まらせたのは、見出したアルテの才覚や性質が、あまりにも一つのことに特化していたためだ。

 人の才は、それによって幾つもの分岐した道を選択できるようになっている。

 だというのに、この少女にはそんな、枝分かれした道がない。

 “生きるため”にあらゆるものを恐れず、傷病をものともしない勇敢さ。

 “生きるため”に泥を啜り、正体も知れぬ野草を貪ってでも凌ぎきる忍耐。

 “生きるため”に必要ならばあらゆる知恵を納めるべく最適化された頭脳。

 “生きるため”に善悪や人の生死を考えることなく、あらゆる手段を実行する狡猾さ。

 “生きるため”、“生きるため”、“生きるため”、“生きるため”――

 あまりにも強烈な生への執着。だというのに、その終着はあまりにも矛盾に満ちている。

 己が肯定する一本道。その果ては、栄光ではなく無。そこから先に残るものなど考えてすらいない。

 そのたった一つの生存理由のために永遠だろうと生き続け、それさえ果たせば完全な無となる。

 規定の流れが完全に定まった、それこそ魔法でもなければあり得ないような存在意義。

 組分け帽子はそれを年端もいかぬ一介の少女が持っているという事実に、大きな危険性と違和感、そして一抹の悲しさを覚えた。

 ――だが、それでも己がやるべきことは変わらない。

 己のために、他の全てを顧みない傲慢。だが願わくば、こんな少女を肯定し、支えとなる真の友が出来んことを。

 

「――――スリザリン!」

 

 何の感慨も持たず、アルテはその決定を受けて帽子を椅子に放り、スリザリン生からと、ごく一部の他寮の生徒たちからの拍手を受けながらテーブルへと歩いていく。

 帽子の決定より、自身に集まっていた何百もの視線の鬱陶しさの方が、アルテの意識の多分を占めていたのだ。

 それからようやく解放され、小さく息をつく。

 軽くリラックスをして、気付いた。背後――先生たちのテーブルからの視線のうち一つから感じる、警戒と困惑以外の色を。

 一瞬立ち止まったが、どうでもいいと歩みを再開する。アルテはミリセント・ブルストロードの向かい、ダフネ・グリーングラスの隣に座った。

 

「ハッフルパフじゃなかったわね」

「なんで?」

「いや、あんたトロそうだったし、ハッフルパフなんじゃないかって予想してたのよ」

 

 実際のところ、ミリセントたちは何故、帽子がアルテをスリザリンに所属させたのかは分からない。

 だがこうなったということは、ハッフルパフ以上にスリザリンに適性があり、自分たちとも何かしら通ずるところがあったのだろうと判断した。

 

「ま、さっきの船で一緒になったのも縁ってことかな。よろしく、アルテ」

「……ん」

 

 ミリセントやダフネの話に適当に受け答えしながらもアルテはテーブルを見渡し、首を傾げ、そして肩を落とした。

 金の食器が所狭しと並べられていながら、そのいずれにも、一つも料理が置かれていない。

 詐欺だ。空の食器を見て食べ終えた気になれとでもいうのか。

 

「……アルテ。あんた、お腹空いてる?」

「…………ん」

 

 腹の虫がぶつくさと文句を垂れている状況にアルテは素直に頷き、ミリセントとダフネが吹き出す。

 そんなやり取りをしているうちに、また一人スリザリン所属が決定したらしい。

 多少は気の紛らしになるかと、儀式の方を見やる。

 制服を買った時に見た、青白い顔の少年だった。

 

「やあ、服屋で会ったね。君もスリザリンだったなんて」

 

 得意げにアルテに話しかけてきた少年は、手を差し出しながら言う。

 

「ドラコ・マルフォイだ。よろしく、ルーピン」

「……アルテでいい」

 

 いつ名を知ったのだろうかと、先程の儀式で名を呼ばれていたことすら忘れているアルテは疑問に思いながらも、手を握り返す。

 対するドラコは気を良くしていた。

 両親を知らないと言っていたが、スリザリンに入ったということは一定の血筋は保証されているも同然だ。

 このやけに目つきの鋭い少女は、ある程度信頼の置ける同胞であると。

 

「で、なんで室内で帽子をかぶってるんだい?」

 

 アルテはげんなりした。もしかして、誰かと知り合うたびに同じことを言わなければならないのか、と。

 昼間の電車内で聞いてこなかったセドリックは聖人だったのかもしれないと思いながら、理由(いいわけ)を説明する。

 ドラコは多少怪訝な表情だったがひとまず納得し、その頃には小舟に同乗した最後の一人、パンジー・パーキンソンがスリザリンに選ばれていた。

 結局、あの船にいた四人は全員スリザリンとなったようだ。

 

「ポッター・ハリー!」

 

 また、広場が静まり返った。

 目に見えた緊張を抱えて前に出ていくのは、ドラコと同じくアルテが洋装店で出会った少年だ。

 何か、他者とは違う何かを感じ取った、丸眼鏡の少年。

 その結果を、誰しもが黙って注目している。

 中には身を乗り出して、息を呑んでいる者までいる始末。何が起きているのか、アルテにはさっぱりだった。

 ドラコをはじめとした、スリザリンの面々は大体が鼻を鳴らし、敵意のようなものを向けている。

 どの寮がどんな感情を持っているかに興味はなかったが、何となく、アルテも彼の行き先には意識を向けていた。

 この正体不明の引っかかる感覚の正体を掴むのであれば、同じくスリザリンに来てくれるのが手っ取り早いのだが――

 

「ならば……グリフィンドール!」

 

 何やら本人と意見をぶつけ合っていた帽子は、スリザリンとは真逆の寮の名を高らかに告げた。

 これまでで最高の喝采が広場を支配する。お祭り騒ぎなグリフィンドールに対し、スリザリンは物静かだった。

 しかしそれでも喧しいほどの大音量。アルテは黙って耳を畳んだ。

 人より優れた聴覚ではあるが、喧噪の場ではまったく迷惑だった。

 その後は、特に組分けに時間のかかる生徒もおらずスムーズに進行し、やがて最後の生徒がレイブンクローに決まると椅子の前には人がいなくなり、上座のテーブルの中央に座っていた白い髭を蓄えた校長ダンブルドアが立ち上がる。

 

「おめでとう! ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ――そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

 拍手を送られるダンブルドアは優しい笑顔を浮かべて座りなおした。

 空腹に耐えかねていたアルテはなんだか馬鹿にされているような気分を覚えたが――そんな苛立ちは一瞬にして吹き飛んだ。

 いつの間にか、テーブルを埋め尽くす金の食器に並べられた、色とりどりの料理の数々。

 訳の分からない二言、三言とやらはこのための合図か何かだったのだろう。

 いや、そんな考察などどうでも良かった。アルテはフォークを持ち、この形式の宴に慣れた上級生たちに並ぶ速さで料理に手を伸ばした。

 突然現れた料理に戸惑っていたダフネの「速っ!?」という反応を気にも留めず、とりあえず目の前にあったローストビーフにフォークを突き立て、皿を介すことなく口に放り込む。

 

「――――ッ」

 

 アルテが目を見開いた。

 ダフネやミリセント、パンジーにドラコ。辺りのスリザリン新入生は、思わずアルテに視線を向けていた。

 正体の知れぬ料理に抵抗が無くもなかったこともあり、アルテの口から出るだろう感想には注目せずにはいられない。

 期待と不安――その両方を向けられたアルテはゆっくりとローストビーフを咀嚼し、呑み込む。

 そして――一言も発さず、二口目に移った。

 注目していた面々は嘆息する。求めていたものではなかったものの、とりあえずこの反応で不味いということはないだろう。

 妙な出だしから始まったスリザリン新入生たちの宴ではあるが、その後は各々が自分なりに楽しんでいた。

 己の家系についてや、楽しみにしている授業、或いは単純に目の前の料理の感想といった話に花を咲かせながら食事を楽しみ、皿はどんどん空になっていく。

 デザートにはあまりアルテは手を付けていなかったが、代わりに他の女子たちが中心となって平らげた。

 アルテたちの前の皿で唯一、ほぼ手付かずで残っているのは、彼女が一粒食べて数十秒ほど停止し、ダフネが数分、復活に尽力する羽目になるほどテンションが急落したハッカ入りのキャンディくらいであった。

 やがて皆が満腹となった頃合いを見計らい、ダンブルドアが再び立ち上がる。

 

「オホン――全員、よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に注意しておくが、校内にある森に入ってはいけません。これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておきます」

 

 ダンブルドアはグリフィンドール側のテーブルを見ながら言った。

 恐らく、かの寮の誰かしらに、この件に関する要注意人物がいるのだろう。

 

「管理人のフィルチさんから、授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意がありました。今学期は二週目にクィディッチの予選があります。寮のチームに参加したい人はマダム・フーチに連絡してください。最後ですが、とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右の廊下に入ってはいけません」

 

 アルテはそんな話を聞き流しながらあくびをした。

 食べれば眠くなる。生命持つ者である以上背負わなければならない大原則である。

 その後、校歌の斉唱から解散に至るまでの半分以上、アルテは意識を手放していた。

 歌詞さえ通していればリズムはどうでもいい歌としての体を成していないような校歌ゆえ、やたらにゆっくりと歌っていたグリフィンドール生二人のおかげで若干、仮眠時間は伸びたのだった。

 

 

 ダンブルドアが解散を告げた後、新入生たちは監督生に連れられ、それぞれの寮へと向かった。

 スリザリン寮は、ホグワーツの地下にある。

 地下の石壁に合言葉を述べ、開いた壁を進んでいくと、大理石で覆われた豪奢な談話室が広がっていた。

 血統が重んじられる寮であることからか、高貴なイメージが窺える。

 スリザリンはここ七年の間、連続で寮杯を獲得しているエリートの中のエリートだ。

 自分たちを選ばれし者だと自負している傲慢さが、部屋の内装に如実に表れていた。

 二手に分かれた階段を上り、数人で一部屋といった区切りで分けられた部屋が割り当てられる。

 アルテとダフネに与えられた部屋には、既に荷物が運ばれていた。

 

「あんたたちも同じ部屋だったのね」

 

 アルテが自分の荷物に目をやっていると、ミリセントとパンジーが部屋に入ってきた。

 部屋のベッドは四つある。つまりは、この四人で一部屋ということらしい。

 

「ようやくゆっくり出来るわね。うん、荷物ももうあるわ」

 

 パンジーが己の荷物を引っ張りながら、ベッドの一つに腰掛ける。

 ずっと拘束されていた新入生たちの、ようやくの自由時間であった。

 とはいってももう夜だ。出来ることといえば、明日の授業に向けてさっさと寝るか、ここで他愛のない話をするくらいだろうが。

 

「で、アルテ。ちょっと頼みがあるんだけど」

 

 早速とばかりに、ミリセントが切り出す。

 気になって仕方がないとばかりに目を輝かせるミリセントに、アルテは首を傾げた。

 

「何?」

「帽子、取って見せてくれない?」

 

 その要望に、荷物を整理していたパンジーも期待の表情をアルテに向けた。

 気にはなるが、口にはすまいとしていたらしいダフネすら、申し訳なさそうに眉根を下げながらも、その目の期待の色は隠せていなかった。

 自分たちしか人目のないこの場ならば、構わないと思っているのだろう。

 遠慮の欠片もないミリセントたちに対し、アルテは躊躇もせず、応じた。

 そもそも今から寝るのだ、帽子などかぶっていられない。

 暑苦しいロシア帽を外す。ピンと立った耳が空気に晒され、ピクリと動いた。

 

「……」

「……」

「……」

「……何」

 

 その、今までとは何かが違う視線に、思わずアルテは後ずさる。

 

「あ、いや……」

「……ええ、なんでもないわ」

「うん、ちょっと珍しくて……そう、それだけ。それだけよ」

 

 明らかに様子がおかしかったが、正直なところ、それを気にしている暇があれば、さっさと眠りたかった。

 ――ここで追及し、そういう目で見るなと強く言っていれば、恐らく今後のアルテの扱いは大いに変わっていただろう。

 興味のないことはあまり追及しない性格であったことと、睡魔が勝ったこと。それから、彼女の倫理観が、命運を決定づけた。

 

「……なら、寝る」

「ちょっ――」

 

 ローブを、そして制服を乱雑に床に放り投げていく。

 突然の奇行に絶句する三人を気にも留めず、下着も脱ぎ捨て産まれたままの姿となったアルテは、そのままベッドに倒れ込む。

 浅黒い地肌と、それまで見えていなかった髪と同じ色の尻尾。

 布団もろくに羽織ることなくベッドに突っ伏したアルテは、その肌を晒したままに寝息を立て始めた。

 口をパクパクさせながらその一連の行動を茫然と見ていた三人は、やがて我に返ると無言のままにアルテにしっかりと布団をかぶせる。

 そして脱ぎ捨てられた衣服を折りたたみ、丁寧に並べ、最後に顔を見合わせ、頷きあう。

 そこまで誰も、一言も喋ることなく、しかし本能的な何かに突き動かされた三人の心は一致していた。

 

 ――ホグワーツの新学期初日。この日、リーマスに代わるアルテの保護者が三人誕生した。




※オリキャラ、エリス。謎の多いヒロイン枠。
※生存特化系スリザリン主人公アルテ。
※料理に疑いは持たない。
※食ったら寝る。自明の理である。
※その感情の名を萌え、その本能の名を母性という。
※寝る時は脱ぐタイプ。


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アルテの時間

 

 

 ホグワーツでの生活が始まり、数日が経った。

 スリザリンの一年生たちは授業や学校の仕掛けに四苦八苦しながらも、疲れを吹き飛ばすような出来事に癒しを得ていた。

 まず一つ。これは例外的にスリザリン一年生のみならず他寮の生徒たち、更には上級生たちまでもが浮かれる出来事であった。

 授業に向かう生徒たちに悪戯をして、特に一年生にとっては遅刻の非常に大きな理由となるポルターガイスト、ピーブズ。

 彼は授業初日にスリザリンの一年生の、それもアルテに目を付け、杖の山を彼女に落とした結果、授業にして一時限の間彼女に追い回されることになった。

 ゴーストである以上、アルテはピーブズに触れることが出来ない。

 そのためピーブズも逃げる必要はなかったのだが――彼は後に語る。

 “あの目は捕食者の目だった。捕まっていたら喰われていた”、と。

 授業など知ったことかと自身に危害を加えたピーブズを追跡するアルテを、ピーブズに困らされていた生徒たちは止めることなく煽る始末。

 最終的にマクゴナガルが出動し、ピーブズとアルテを叱責し、スリザリンを一点減点して終幕となった。この減点こそ、この出来事がスリザリン以外でも盛り上がった最大の理由だったりする。

 

 さて、授業においては、二名が注目を浴び、それぞれ別の理由で驚愕の的となった。

 一人はエリス・アーキメイラ。

 組分けの際、異質な空気を放っていたことから、早々に一目置かれていた彼女であったが、授業では見事期待に応えてみせた。

 一年生にしては突出した知識で先生たちの称賛を浴び、早くもスリザリンの注目株となっているのだ。

 妖精の魔法の授業では浮遊魔法を、担当のフリットウィック先生がコツを教える前から一発で成功させ、点数を与えられた。

 エリスがこの数日で稼いだ点数は、早くも三十点に上っていた。

 

 もう一人、よく話題に上がったのがアルテである。

 彼女はエリスのように、全ての授業で称賛を受けるような優等生ではなかった。

 寧ろ、総合的な評価が最もし辛い生徒だ。

 というのも、良い評価を受けた科目と悪い評価を受けた科目が真っ二つに分かれているからである。

 一時限目を無許可で欠席したことを始め、天文学や魔法史では開始五分と経たないうちに眠り、天文学のシニストラ教授に減点を受けた。

 授業に向かう途中でピーブズを見つければ思いっきり威嚇して彼を怯えさせ、スリザリン生の用心棒的な立ち位置に自然と収まってはいるが、それの度が過ぎて本人はしょっちゅう遅刻している。

 かと思えば、「ホグワーツで学ぶ魔法の中で最も危険」と最初に忠告し、態度の悪い生徒は出て行ってもらうと厳格に告げたマクゴナガルの変身術の授業では、マクゴナガルの警戒が滑稽に思えるほど――なんとエリスを超える速度で課題を成功させて見せた。

 マッチ棒を針に変身させる練習で、変身術としては基礎の基礎だ。

 とはいえ、理論が複雑であることから殆ど全ての生徒は結局授業の終わりまで成功させることが出来なかったにも関わらず、だ。

 後塵を拝したエリスは、課題通りの、簡素であったアルテの針に対し豪奢な飾りの付いた針に変えることで面目を保った。

 早速素行不良が目立っていたアルテが意外な結果を成したことに驚いたが、二人の結果を正しく評価し、五点ずつ与えた。

 減点も多いが加点もそれなりにあるアルテは、合計で十二点の加点となっていた。

 

 安定感のある優等生たるエリス。何をやらかすか予想の出来ないアルテ。

 二人は早くもスリザリン一年生の代表的な存在となり、今後どんな授業でアルテがエリスに勝るかで賭け事などをしている者までいる始末。

 そしてその賭けの胴元がグリフィンドールの上級生二人だというのだから、学校全体の話題であることは否定のしようがなかった。

 そんな辺りの注目を気にもしないアルテは、それまで通りマイペースに、金曜日の最初の授業を終えていた――

 

 

「…………」

「だ、大丈夫? アルテ……」

 

 朝から顔を青くしたアルテは、ダフネに肩を借りて次の授業に向かっていた。

 それは寝不足や空腹のためではなく、まして仮病でもなく、本当に体調を崩している。

 原因は一時限目にあった、闇の魔術に対する防衛術の授業だ。

 授業はクィレル先生が終始どもりながら話していたせいで何を言っているのかほぼ理解できなかった。

 しかし、たとえまともな授業であってもアルテは集中など出来なかっただろう。

 クィレルはルーマニアで出会った吸血鬼を寄せ付けないためとかで、教室中を強烈なにんにくの匂いで満たしていたのだ。

 恐らく悪意のないその所業はアルテの優れた嗅覚にも冷酷に突き刺さり、アルテは席に座って早々にノックアウトされた。

 

「まったく、何考えてるのよ。授業にもなってないし、ただ臭かっただけじゃないの」

「嫌がらせ枠ね。結構期待してた授業だったのに……」

 

 授業の文句を垂れ流すミリセントとパンジー。

 彼女たちの不満は普段聞き流しているアルテだったが、今回ばかりは同意した。

 

「次は魔法薬学だっけ。どうする、アルテ。無理そうならマダム・ポンフリーのところに連れていくけど……」

「……いい」

 

 教室の外に出て空気を思いっきり吸うことで、ほんの少しだが楽になっていた。

 心なしかげっそりとしているアルテだったが、あの教室にいるよりマシだと歩みを進める。

 次の授業は、スリザリン寮監のセブルス・スネイプ教授による魔法薬学である。

 ホグワーツでの授業は、基本的に各寮別々で受けることになるが、魔法薬学のように複数の寮が共同で受ける授業も存在する。

 しかし、そうとはいえこの授業の寮の割り当てには、多くが疑問を持っていた。

 グリフィンドールとスリザリン――犬猿の仲であり、互いに蛇蝎の如く嫌い合っている二つの寮の合同授業であった。

 

 

 魔法薬学の授業は薄暗い地下牢で行われる。

 そこかしこに並べられたガラス瓶の中では、奇妙な植物や動物がアルコールに漬けられていた。

 ――あれは食べられなさそうだ、と調子の戻ってきたアルテは退屈そうに頬杖を突きながら眺めている。

 アルテ自身はダフネに支えられて席に着いたが、辺りを見てみれば全員スリザリン生であり、グリフィンドールは反対側の席に纏まっている。

 たった数日で、本当にここまで仲が悪くなったのか。それとも寮内で対する寮の評判を聞いた上でこうなったのか。

 或いは、もっと本能的な何かなのかもしれない。

 ある者は寮生と談笑し、ある者は相手の寮と罵り合い、ある者は退屈にあくびをして、スネイプが来るのを待つ。

 すると突然、誰しもの虚を突くように扉が開かれ、黒いマントを翻してスネイプがやってきた。

 何を言うこともなく生徒たちの前まで大股で歩いていくと、出席を取り始める。

 淡々と続く出席だが、ある名前の順番で、ピタリと止まった。

 

「――アルテ・ルーピン」

「……」

 

 アルテはいつも通り、黙ったままに小さく挙手をする。

 黒い瞳と目が合った。視線を交わし、納得する。組分けでスリザリンに決まり、テーブルに歩いていく最中に先生側のテーブルから感じた敵意のような視線は、彼のものだと。

 

「……ふん。話は聞いている。帽子は取らんでよろしい。我輩が知る中で最も悪辣な秘密を持っていた者に比べれば些細なことだ」

 

 意外にも、七変化の異常という建前の理由さえ、知っている生徒は少なかった。

 こうして事情を知っている先生たちが、具体的な理由を言わないためだ。

 アルテが話した生徒もまださほど多くなく、彼ら、彼女らが口外していないことから広まってはいない。

 彼女が色んな意味で校内の注目を集めていることもあって、その帽子の中身はホグワーツの千を超える秘密の一つとなっていた。

 ――なお彼女の帽子の中身に関する噂には「頭に呪いが掛けられている」「帽子の中に校則で定められていない生物を飼っている」「人には言えない非常食が入っている」「帽子が本体」などがある。

 帽子は取らなくてもいい、という旨の言葉は授業ごとに受けているが、スネイプのそれは皮肉まで付いてきていた。

 しかしそれの意味するところを理解しない――というか、考えてすらいないアルテにスネイプは鼻を鳴らし、出席を続行する。

 その途中、

 

「ああ、左様。ハリー・ポッター。我らが新しいスターだね」

 

 アルテの時とはまた違う、弄ぶような声色でハリーの名を呼ぶ。

 スネイプが出席で特殊な反応を示したのは、二人だけだった。

 出席を取り終えたスネイプは、教室を見渡しながら講義を始める。

 

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学、厳密な芸術を学ぶ。杖を振り回すような馬鹿げたことはやらん。これでも魔法かと思う諸君も多いかもしれん。沸々と沸く大釜、ゆらゆらと立ち上る湯気、人の血管の中を這い巡る液体の繊細な力、心を惑わせ感覚を狂わせる魔力――諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん」

 

 アルテはその小難しい話を適度に聞き流しながら、教科書を眺めていた。

 退屈そうに頬杖をつくその態度は、これまで結構な人数の先生が多少なり気分を損ねてきている。

 

「我輩が教えるのは、名声を瓶詰にし、栄光を醸造し――死にすら蓋をする方法である」

 

 ピクリと、帽子の中の耳が動いた。

 それは調合によって生まれる芸術の比喩なのかもしれないが、アルテがスネイプに視線を向けるほどの魔力があったのは事実であった。

 

「ただし、我輩がこれまで教えてきたウスノロたちより、諸君がまだマシであればの話だが……ポッター!」

 

 突然、スネイプの鋭い声が教室中に響き渡った。

 名前を呼ばれたハリーが身をビクリと震わせる。

 

「アスフォデルの球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

 何故かハリーではないグリフィンドールの少女――ハーマイオニー・グレンジャーが手を挙げた。

 しかしスネイプは見向きもせず、ハリーをじっと睨んでいる。

 アルテは捲っていた教科書の序盤を思い返すが、そんな材料を使った薬の記述はなかった。

 随分と露骨な悪意だと考えながらも、先の話は終わったのだろうとアルテは教科書に視線を戻す。

 少しの間沈黙が続き、ハリーが答えられないと分かったのかスネイプがまた口を開く。

 

「ではもう一問。ベゾアール石を見つけてこいと言われたらどこを探すかね?」

「……わかりません。ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう」

 

 どこかに空腹感を抑えるような薬でも書いていないかとアルテは教科書の文字に目を走らせる。

 もしくはにんにくの匂いを感じなくなる薬でもいい。それくらいなければあの授業をまともに受けられない。

 

「――ミス・ルーピン。代わりに答えてみたまえ。ベゾアール石の在り処は?」

「ヤギの胃の中」

 

 ハリーと同時に、他人事だと話すら聞いていない様子だったアルテに目を付けたスネイプだったが、視線すら動かさず端的に述べられた答えに、僅かに目を見開いた。

 始まった、とスリザリン生が感嘆の声を漏らし、期待に満ちた目をアルテに向け始めた。

 誰しもの予想できないことを、不愛想なままにやってのける。スリザリン一年生の間で『アルテの時間』と早くも通称で呼ばれている、彼らの娯楽であった。

 ちなみに、アルテがそれを知ったきっかけは、他人に飼育されていたヤギをあろうことか捕食していた時に見つけ、後日リーマスに教えられたという一件である。

 

「では、モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」

「呼び方の違いだけ。同じもの」

 

 眉を顰めたスネイプは、アルテにもう一問出題した。

 その即答に、スリザリン生からの歓声が沸き上がる――密かに楽しみにしていたグリフィンドール生の数名も笑みを浮かべていた。

 ――言うまでもなく、根っこに毒のあるその植物を食べようとしてリーマスに止められた時、ついでに教えられただけの知識である。

 

「……ふん。父親に最低限の知識は叩きこまれたらしい。良かろう、態度の悪さでの減点も含め、スリザリンに三点を与える」

 

 スネイプは気にいらない様子だったが、スリザリン贔屓でもあったからか、結果として点数を与えた。

 減点も含めての、控えめな点数だ。とはいえ、その減点というのも、口実だったかもしれないが。

 

「そしてポッター。君の無礼な態度も改めることだ。グリフィンドール、一点減点」

 

 少なくとも、スネイプの宣告でグリフィンドール生たちはそう思った。

 先程まで『アルテの時間』を笑って楽しんでいた生徒たちも一気に不機嫌な表情となる。

 集まる敵意に心配した様子でアルテを見たダフネだが、当のアルテはどこ吹く風――というより気付いてすらいなかった。

 ひたすらにマイペースなアルテに、もう苦笑しか浮かばない。

 スリザリンとグリフィンドールとの諍いなど、自分の傍を飛ぶ羽虫ほどの興味もないのだろう。

 

「ちなみに最初のポッターが答えられなかった問題だが、生ける屍の水薬という強力な眠り薬となる。覚えておきたまえ。――それで諸君、何故今のをノートに書き取らんのだ?」

 

 その言葉を最後に、地下牢はカリカリとペンを走らせる音が響くだけの静かな空間へ戻っていった。

 

 

 その後、生徒たちは二人一組となり、おできを治す簡単な薬の調合に入った。

 教科書を見て、それに正確に従いさえすれば、それなりのものが作れる入門に最適な薬である。

 ダフネと組み、材料を刻んでいたアルテ。

 その手つきに淀みは無く、失敗の可能性を思わせない。

 ダフネがここ数日アルテを付きっ切りで見ていて分かったことだが、アルテはこうした、工程や理論のはっきりと定められた分野に滅法強いらしい。

 魔法薬学はほんの僅かな計量のズレが失敗を招くゆえ、作業内容や注意点が多く記されている。

 それによってややこしくなり苦手意識を持つ者を増やしているのだが、アルテのようなタイプの者ほど強くなる。

 

「スムーズじゃないか。魔法薬学も得意みたいだね」

 

 隣で作業をしていたドラコが話しかけてくる。

 手は一切止めないアルテだが、仕方なく耳だけは、そちらに傾けた。

 

「他の、まだ受けてない科目はどうなんだい? たとえばほら、飛行訓練とか」

「飛んだことはない。……けど」

「けど?」

「……多分、嫌い。地に足が付いてない感覚がわからない」

「あー、うん。アルテらしい理由だ……」

 

 空を飛んだことがない者からすればなるほど、地面から足を離すというのは想像もつかないことだろう。

 ドラコも今でこそ箒での飛行は何より得意分野ではあるが、最初は訳が分からなかった。

 

「グリーングラス、君はどうだい?」

「私? まあ、苦手じゃないかな。クィディッチの選手になろうとまでは思わないくらい」

「おや、そうなのかい。僕は来年には絶対スリザリンチームのシーカーになるね。まったく一年が選手になれないなんておかしいよ」

 

 やたらに饒舌なドラコの話を適当に聞きつつ、アルテとダフネは作業を進める。

 ペラペラと喋りながらもそれなりの速度でドラコも進めており、魔法薬学も得意であることが窺えた。

 最初に薬を完成させたのは、やはりというべきか、エリス・アーキメイラがいるペアであった。

 その完璧な調合にさしものスネイプも一目置き、スリザリン生であったこともあり五点を与えた。

 アルテたちやドラコの薬も、いよいよ終盤に差し掛かった頃。

 ――毛の逆立つような、嫌な予感をアルテは背後から感じ取った。

 

「っ――」

「ひゃあ!?」

「ぐえっ!?」

 

 隣にいたダフネを抱きかかえ、人数オーバーゆえ仕方ないとドラコを蹴り飛ばし、アルテは横に飛ぶ。

 

「何するんだアル――」

 

 怒鳴りかけたドラコだったが、何かの割れるような音に遮られる。

 そして次の瞬間妙な色の液体が飛び散り、それまでアルテたちが立っていた場所に決して少なくない量が降り掛かったのだ。

 

「馬鹿者!」

 

 駆けつけてきたスネイプが一喝し、杖を一振りすると零れた薬が跡形もなく消えていく。

 どうやら、ちょうどアルテたちの背後で調合をしていたグリフィンドールの生徒が失敗したらしい。

 丸顔の男子生徒は前進に全身に真っ赤なおできを噴き出し、めそめそと泣いている。

 

「おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに山嵐の針を入れたんだな?」

 

 呆れ混じりに説教をするスネイプ。

 その手順は、教科書でも太字で書かれた重要な部分であった筈だ。

 だというのにその手順を失敗したということは、それだけでなく別の部分でも何か仕出かしていた可能性が高い。

 場合によっては、もっと大参事になっていたかもしれないのだ。

 

「この馬鹿者を医務室に連れていけ」

 

 おできだらけの男子生徒は、ペアになっていたらしい生徒に連れられて教室を出ていく。

 悪態を付きまくっていたスネイプは舌の根も乾かぬうちにハリーを睨む。

 

「ポッター、針を入れてはいけないと何故言わなかった? 彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドールは一点減点」

 

 顔を青くして反抗しようとするハリーだが、何を言う前にスネイプはドラコに視線を移した。

 

「怪我はないな、ミスター・マルフォイ。ご苦労、ミス・ルーピン。まるで獣のような、見事な反応だった。スリザリンに五点やろう」

 

 しっかりと皮肉を混ぜつつ、アルテを称賛するスネイプ。

 自分のみならず他者をも助けたことによる加点に、グリフィンドールとスリザリンのテンションはまったく対照的になった。

 グリフィンドールが二点減点されたというのに、スリザリンが十三点も加点されればこうもなるだろう。

 

「あ、あの……アルテ?」

「何?」

「えっと、助けてくれたのは嬉しいんだけど、そろそろ下ろしてくれる?」

 

 顔を真っ赤にしたダフネが、絞り出すように言った。

 確かに、もう危険はないだろうとアルテはダフネをその場に下ろし、何事もなかったかのように鍋の前に戻っていく。

 何やらダフネが名残惜しそうにしているのには、気付かなかった。




※初授業をサボってピーブズと鬼ごっこ。
※優等生VS不良の構図。
アルテの時間(スーパーアルテタイム)
※にんにくは嫌い。余談だが犬ににんにくを食べさせると下痢や中毒症状を引き起こす可能性があるので注意。
※生ける屍の水薬は知らない。偶然わかる質問だけを聞かれるアルテ。
※一言悪態を加えずにはいられないスネイプ。
※ドラコを蹴ったのは多分ダフネの方が軽かったから。
※フラグは建った。


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飛行訓練

 

 ――張り詰めるような空気が、一帯を支配していた。

 一瞬たりとも意識を逸らさず、鋭い目で一点を凝視するアルテ。

 その視線に先には、温度を感じない筈なのに冷や汗を流しながら、同様に油断なくアルテと対峙するピーブズ。

 距離、およそ三メートル。数歩で詰められる間合いで、二人が睨みあって三十分が経った。

 他の生徒たちは授業に出ている時間だ。誰も邪魔する者はいない。

 管理人として校内を見回っているフィルチも、このだだっ広い校内で動き回るでもなくずっと立ち止まっている生徒を見つけるのは難題なのだろう。やってくる気配すらない。

 こうなったのは、授業に行く途中、偶然にも壁から出てきたピーブズと鉢合ったためである。

 ダフネたちを授業に向かわせ、己一人でピーブズと対峙しているアルテ。

 ほんの僅かでもどちらかが気を抜けば、この膠着は終わるだろう。

 その発端がピーブズだとして、結局アルテは彼に触れられないのだが、初日の一件からピーブズはとにかくアルテのことが苦手であった。

 あれからは出会うたびに狩人の目を向けてくるし、おちおちスリザリンの一年生にいたずらも出来やしない。

 というか発見されれば、いたずら相手が上級生だろうがグリフィンドール生だろうが追いかけ回してくるのだからこの数日でピーブズの警戒心は急激に上昇していた。

 だというのに、少し油断して校内をぶらついていたらこれである。

 ――というか授業行けよ! どうしてポルターガイスト如きにこんなに執着するのさ!

 ピーブズはもう、そう言いたくてたまらなかった。

 しかしそんなことを言おうと口を僅かにでも動かそうとすれば、その瞬間アルテは飛びかかってくるだろう。

 もう誰でもいいからこの場にやってきて、この生暖かい地獄のような時間を終わらせてほしいとピーブズが願った、その時だった。

 

「ははっ、なんだありゃ」

「すげえ、ピーブズと期待の姐さんのにらめっこだ」

 

 そんなよく似た二つの声が聞こえてきたのは。

 アルテは一瞬そちらに意識を向けたことが仇となった。

 脱兎の如く逃げ出したピーブズは、飛び込むように壁の中に消える。

 滅多にないだろう好機――なんの好機なのかは本人すらわかっていない――を逃し、小さく肩を落としたアルテは、その声のする方を向いた。

 鏡写しのようにそっくりな、のっぽな赤毛の二人組がいた。

 

「よう姐さん。邪魔して悪かったな」

「授業サボってピーブズとデートだったのにな」

「邪魔したくてした訳じゃないぜ? これでも親切だ」

「フィルチが来てる。さあ逃げろ」

 

 混乱しそうだった。

 片方が喋ればいいのに同じ顔の二人が交互に同じような声で言葉を繋げていく。

 喚き散らすだけのフィルチに見つかった方が遥かにマシだと確信できる相手にアルテは苛立ちを隠さないが、そんなことお構いなしと二人はアルテの腕を掴んで持ち上げ歩き出す。

 そしてすぐ傍の壁に掛けてあった二つの写真の間の壁をすり抜け、その先の狭い通路でアルテを下ろした。

 

「ここなら問題ない」

「外には声も聞こえない」

「フィルチも知らない隠し通路だ」

「右にまっすぐ行けばスリザリン寮の近くに繋がってる」

「反対側からは通れないからご注意を」

「姐さんへのお近付きの印ってやつさ」

 

 フィルチすら知らない通路を使い慣れたように通った二人は得意げに笑う。

 だが、アルテの関心、というより引っかかったところは、それとは別にあった。

 

「姐さんって何?」

「初授業に顔すら出さずピーブズを追っかけ回したすげー新入り」

「俺たちだって初日からあんなこと出来やしなかった」

「俺たちだけじゃない、かなり大勢、あんたが何やらかすか楽しみにしてる」

「知らないだろうが今はあんたに関しての賭けが熱い」

「おかげで胴元の俺たちは大儲け」

「だから姐さん。オーケー?」

 

 生まれて初めて、アルテは「呆れて物が言えない」という状況を体感した。

 自分がどう思われていようと気にならないアルテではあるが、盛大に度を過ぎていた。

 悪態の一つも飛ばしたくなったが――その前にやることがある。

 二人に向かって手を差し出す。『何?』と二人の声が重なった。

 

「賭けの使用料」

「この通路が代金ってのは?」

「クヌート銅貨一枚にもならない」

「なんてこった。上手いだけの話ってのは無いもんだな」

 

 同時に肩を竦める二人は、ポケットから金貨を何枚か取り出し、アルテの手に乗せる。

 アルテは余計呆れた。これだけポンと出せる辺り、ちょっとした小金稼ぎの域では収まっていなさそうだ。

 

「儲けの四割だ」

「俺が三割」

「俺も三割」

「……今後は一言言ってからにして」

『毎度あり!』

 

 まあ、知ったところで自分が何を変える訳でもない。

 これまで通り、自分の思うことを思うようにやるだけである。

 とはいえ、本人が知った以上遠慮した方が良いのでは、という意図を込めなくもなかったのだが、本人の了解が得られたと捉えられ、今後賭けは一層盛り上がりを見せることになる。

 こう見えて律儀な二人によって儲けの四割はアルテに回ってきて、想定外の収入源となるのはまだ少し先の話だ。

 

「俺はフレッド・ウィーズリー」

「ジョージ・ウィーズリーだ。面白いことするなら一枚噛ませてもらえれば損はさせないぜ」

「特にする予定はない」

 

 そこが、この現在のホグワーツ随一の問題児とされているウィーズリーの双子との相違点である。

 彼らが周囲を楽しませる目的で数多の悪戯をしているのに対し、アルテは彼女の行いで勝手に周囲が盛り上がっているだけ。

 よってアルテとしてはこの二人に声をかけるような用などないと思っていた。

 ――少なくとも、今の時点では。

 

 

 

 その日の午後には、飛行訓練があった。

 グリフィンドールとの合同で、校庭に集まった二つの寮はやはりというべきか睨み合っている。

 一触即発の空気の中に、マダム・フーチが堂々と入り込んでくる。

 

「なにをボヤボヤしてるんですか。みんな箒の傍に立って。さあ早く!」

 

 生徒たちは急かされつつも、それぞれ適当な箒の横に立つ。

 アルテはチラリと、己の箒を見る。

 芯が曲がっていて、本当にこれで飛べるのかと不安になるような出来のものだった。

 

「何これ。安物どころか不良品もいいところじゃない。仮にも命を預けるんだからちゃんとしたものを揃えてほしいわ」

 

 ミリセントも、箒の質には不安を隠さずにはいられないらしい。

 彼女のものは小枝が何本か飛び出しており、芯に罅すら入っていた。

 己の箒を安全だと思っている生徒は一人もいない。

 スリザリンもグリフィンドールも、珍しく共通の見解だった。

 しかしマダム・フーチはそんな生徒たちの不安を吹き飛ばすようなハキハキとした声で、授業を続行する。

 

「右手を箒の上に突き出して、『上がれ』と言う!」

 

 生徒たちの声が同時に張り上がる。

 飛び上がった箒はほんの数本だった。

 大半の予想通りのエリス。そして得意だと豪語していたドラコ。

 更に意外なところではハリー。

 ほかにもダフネ、ミリセント、パンジーと、アルテの保護者たちは一通り成功した。

 

「上がれ。――上がれっ」

 

 しかし、当のアルテは苦労している様子だった。

 何度繰り返しても、箒は僅かに揺れるくらい。

 より力を込めて言ってみれば、箒はアルテを揶揄うようにピョンピョンと左右に跳ねる。

 額に青筋を立てたアルテが無表情のままに箒を蹴り上げる。大人しくなった箒は静かにアルテの手に収まった……と思いきや今度は乗ってもいないのに勝手に飛び出そうとブンブン動いている。

 柄を地面に叩き付けると、ようやく動きを止めた。

 

「……アルテ。そういう授業じゃないから」

「ちゃんと上がった。これでいい」

 

 ――その後、箒への跨り方を教え、生徒たちの列の間を回り、それぞれの箒の握り方を直していく。

 ドラコが間違った握り方をしていたことに、ハリーや彼の友人であるロンをはじめとしたグリフィンドール生は大喜びしていた。

 

「さあ私が笛を吹いたら、地面を強く蹴ってください。二メートルくらい浮上して、それから少し前かがみになって降りてくる。笛を吹いたらですよ。一、二の――」

 

 その時、ハプニングは起こった。

 魔法薬学で盛大に失敗したネビル・ロングボトムが、緊張からか先を急いでしまい、物凄い勢いで吹っ飛んだのだ。

 静止を掛ける先生の大声をよそに、ネビルは十メートル以上も飛び上がり、箒から投げ出された。

 そのまま落ちれば、無事では済むまい。

 三秒とない地上に激突するまでの時間。

 誰しもが思い描いてしまう、最悪の結末。

 敵対している筈のスリザリン生さえもが言葉を失って見ていることしか出来ないネビルの自由落下。

 どうにかしようと反射的に動いた者は数人いれど――直感的に、どうにかできる選択肢を取れたのは一人だけだった。

 

「ッ」

 

 飛びたいのならさっさと飛べと、アルテは箒をぶん投げていた。

 ネビル激突まであと二メートルといったところで、その真下に箒が差し掛かった。

 箒に掛けられた緩衝の魔法が、瞬間的に落下の衝撃を押し殺す。

 代わりに箒に跳ね飛ばされるように方向を変えたネビルは、校舎の方に向かって回転しながら地面に落ちた。

 ネビルは呻きながら屈み込んでいるが――最悪の展開だけは免れたらしい。

 

「なんと危険な! いえ、ですがお手柄ですミス・ルーピン! スリザリンに十点! 私はあの子を医務室に連れていきます! その間、誰も箒を飛ばさないように! でないとクィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいます!」

 

 顔を蒼白にしたマダム・フーチは殆ど一息でここまで言い切って、ネビルに向かい走っていった。

 校舎内に連れていかれるネビルを見届けた後、暫く呆然とアルテを見ていた面々だったが、ハッと我に返った一人がマダム・フーチとは対照的に顔を真っ赤にしながらアルテに詰め寄った。

 

「な、なんてことするんだ! あんな危険なこと! 下手したらネビルに刺さってたぞ!」

「下手しなかった。“たら”も“れば”も関係ない。それに、ああしなきゃ死んでたかもしれない」

 

 アルテはあっけらかんと答えた。

 確かに、ほんのコンマ五秒でもタイミングが遅ければ、箒はネビルに突き刺さりそのまま落下するより惨事になっていただろう。

 しかし、何もしなくても下手すれば死んでいた。それは誰が見ても明らかだ。

 まるで応えた様子のないアルテに、詰め寄った男子――ロン・ウィーズリーは更に顔を赤くする。

 正論ではある。結果的に助かったのだから、最悪の可能性を話していても仕方ない。

 それは、ロンも分からないでもない……が、平然と今の行為を実行したことに納得できるかと言われれば話は別だった。

 

「なんかあったろ! もっと安全な……上手い事助ける魔法とか!」

「無理ですね。冷静に考えなさいウィーズリー。大半の生徒は杖腕に箒を持っていました。そんな状態から、ロングボトムが落ちるまでに箒を手放し、杖を取って、呪文を唱えるなんて出来ません」

 

 突っかかってくるロンを鬱陶しく思っていたアルテだが、助け船は意外なところからやってきた。

 エリス・アーキメイラ。

 未だアルテが一度も話したことのなかった、人によっては勝手にアルテの好敵手と定めている優等生だ。

 血筋や技量を鼻にかけることなく素行は真面目。何故スリザリンにいるのか分からないほど、まともな生徒。

 どこか超常的な雰囲気を持った彼女には欠点らしい欠点が今のところなく、無条件でスリザリンが気に入らないグリフィンドール生にとって何より性質の悪い存在だった。

 

「――気にしなくていいよ、アルテ、アーキメイラ。そいつは手柄と点数を取られたのが鼻持ちならないだけなんだ。もっと上手い方法なんざ自分で思いつけもしないくせに、威張り散らすのは一丁前だなウィーズリー」

 

 エリスの参戦に怖気づいたように黙り込んでいたロン。

 穏便に、とはいかないが強制的に終わることが出来そうな流れであったのを台無しにしたのは、ドラコであった。

 

「ほら見ろよ、ロングボトムの婆さんが送ってきたバカ玉だ!」

 

 場の主導権を握ったと活き活きしているドラコが、校庭に落ちていたガラス玉を拾い上げる。

 それは、今朝ネビルが祖母からの郵便で受け取った思い出し玉であった。

 忘れたものがあれば赤くなる。ただし、色が変わったからと言って忘れているもの自体は分からないという、存在意義に疑問を持たざるを得ない道具だ。

 

「それを渡せ、マルフォイ」

 

 間抜けな道具を弄って笑うドラコににじり寄りながら声を上げたのは、ロンではなくハリーだった。

 ドラコは一層馬鹿にした表情で箒に跨り、ふわりと浮き上がる。

 

「嫌だね。ロングボトム自身に見つけさせる」

 

 箒を三メートルほどの高さで停止させたドラコは、ガラス玉を見せびらかすように掲げた。

 片手で、特に不安もなく箒を安定させている辺り、飛行が得意であるという自負は事実であったらしい。

 太陽の光が反射し、アルテは思わず目を細める。

 

「取りに来いよ、ポッター!」

 

 ドラコの挑発に乗ったハリーが、応じるように箒に跨る。

 

「ダメよ! 先生が言ってたでしょ! 動いちゃいけないわ、私たちみんなが迷惑するのよ!」

 

 ハーマイオニーの制止を無視し、ハリーは地面を強く蹴った。

 一瞬ふらついて、すぐに安定させるとドラコと同じ高さまで飛び上がる。

 負けじとドラコが再上昇し、先のネビルと同じ十メートル辺りで止まれば、すぐハリーが追いつく。

 初めての飛行にしてはその制御に不安は見られない。

 思った以上の技術であったのか、ドラコは僅かに歯噛みする。

 

「返さないと箒から叩き落とすぞ!」

「取れるものなら、取ってみろよ!」

 

 ハリーの、このままでは実行するだろう警告に、ドラコはハリーの背後に向かって思い出し玉を投げることで応じた。

 その場で旋回、急加速をし、玉を追いかけるハリー。

 飛行に迷いはない。ぐんぐんと高度を落とす玉に、一直線にハリーは向かっていく。

 そんなことをしている間にドラコは地上に降り、何事も無かったように箒をその場に置いてその様を見物する。

 若干の強がりも見られる、少し硬い笑みを浮かべていたドラコであったが――玉が地面に落ちる前に空中で掴み取ったハリーを見てその表情は驚愕に染まった。

 地面に激突することもなく、危なげなく着地したハリーは、グリフィンドール生たちの歓声で迎えられる。

 

「大した才ですね。初の飛行であんな飛び方が出来る者などそうそういないでしょうに」

「ふ、ふん! 所詮玉一つ取っただけじゃないか。それにあんな校舎に近付いて、目敏い誰かがすぐに飛んでくるぞ」

 

 状況が状況だけに負け惜しみにしか聞こえないものの、ドラコの言う通り、すぐに校舎からやってくる者がいた。

 

「ハリー・ポッターッ!」

 

 よりにもよって、規律にひどく厳しいマクゴナガルだ。

 スリザリンを贔屓する傾向にあるスネイプに対し、規律を破れば己の寮だろうと容赦なく減点する、ホグワーツにおける法の門番。

 そんな教師の登場に、浮かれていた生徒たちは完全に凍り付く。

 

「こんなこと、今まで一度も……! ポッター、私についてきなさい!」

 

 ロンやハーマイオニーをはじめとするグリフィンドール生の抗議に耳も貸さず、マクゴナガルはハリーを引きずるように校舎へと戻っていく。

 やがてハリーが見えなくなった頃、堪え切れなくなったとばかりにドラコは腹を抱えて笑い出した。

 

「ははは! やった! これでポッターの奴は退学だ!」

 

 取り巻きのクラッブ、ゴイルらと共に大笑いするドラコ。

 しかし、ダフネは何となく、マクゴナガルがハリーを咎める表情をしているようには見られなかった。

 

「ねえ、アーキメイラさん、どう思う?」

「さて。いいんじゃないですか? かのハリー・ポッターの才を見出し、武器を与えることが出来たなら。スリザリンのためになるかは、また別ですけど」

 

 エリスは彼の処遇について、あらかた予想がついているようだった。

 初の箒でここまで出来る。であれば、磨けばそんじょそこらの宝石より輝くのは想像に難くない。

 なるほど――ドラコは数日経って気付くだろう。自分の行いは、グリフィンドールに対する、そしてハリー・ポッターに対する大きな手助けに過ぎなかったのだと。

 ――ハリー・ポッターがグリフィンドールのクィディッチチームにおける花形、シーカーに抜擢されたという噂が立つのは、それからすぐのことだ。

 

「……だけど、アルテも災難だよね。助けてあげたのにウィーズリーに絡まれて――アルテ?」

 

 傍にいた筈のアルテがいない。

 何処にいったのかと辺りを見渡してみれば、残った生徒たちが一つの方向をじっと凝視していることに気付く。

 

「……何してんのあれ」

「すげえ、あんなの初めて見たぞ」

「飛行訓練でアーキメイラに勝つ側に賭けた奴は大損だな」

 

 ――飛ぶことを恐れている者が、先程箒を浮き上がらせようとして苦戦していたように、箒には乗り手の気持ちがわかるのかもしれない。

 その仮説が正しい場合、当然ながら乗り手を嫌う、という事象もあり得なくはないのだろう。

 乗り手が甘ければ箒は舐めてかかるし、乗り手が何となく気に入らなければ、言う事を聞こうとしない。

 ――アルテが投げた箒はいつの間にか彼女のもとに戻り、むやみやたらに回転しながらアルテを追いかけ回していた。

 その後マダム・フーチが戻ってきて、どうにか箒を止めてもらった後、再開された訓練でもアルテは散々だった。

 数分おきに突然狂ったように暴れまわり、箒を代えてもそれは続き、跨って飛ぼうとしても、アルテは十センチすら浮くことが出来なかった。

 この日を境に、アルテは飛ぶことをひどく嫌うようになった。




※胴元との出会い。
※姐さん。
※お墨付きを得た双子。
※今度は一言言ってからにして。
 (要約「面倒くさいから何も言わないけどもっと面倒くさいことになりそうだからもうやめてほしい」)
※箒すら上げられない系主人公。
※箒に煽られる系主人公。
※箒をぶん投げる系主人公。
※箒に追いかけ回される系主人公。
※地形適応 空:- 陸:S 海:? 宇:?


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ハロウィーン

 

 ホグワーツでの授業が始まってから、おおよそ二か月が経過した。

 これだけ経てば一年生たちもここでの生活に慣れ、各授業へのイメージも変化が出てくる。

 アルテは闇の魔術に対する防衛術と飛行訓練以外では、多少なり教師の評価を改めることが出来ていた。

 魔法薬学と変身術でのアルテの活躍は目覚ましい。

 まあ、結局天文学やら魔法史やらではその八割がた眠っているのだが。

 さて、ここ数日、スリザリン一年生とグリフィンドール一年生の間ではそこそこの衝突はあれど、それなりの平和が続いていた。

 アルテの周りで変わったことといえば、彼女に対する目新しさがなくなったことで、他寮の彼女を見る目が他のスリザリン生と同じ、敵対的なものになってきたことか。

 それも気にするのはアルテの保護者三人くらいで、アルテ本人はマイペースに過ごしているが、その様子が一層彼らを不機嫌にさせている。

 それでもアルテに実害が及んでいないのは、「手を出せば何をされるか分からない」という恐怖心からである。

 ピーブズを怯えさせ、彼女の半径十メートル内では絶対に彼のいたずらを受けないという話は有名だ。

 さらにはアルテは、あろうことかウィーズリーの双子を味方に引き入れた。

 ……というには語弊があるが、少なくともあの双子は(今のところ)彼女を悪ふざけの対象にする気はないらしい――彼らがアルテに対し定期的に金を渡しているとか、金ではない何かを渡しているとかいう根も葉もない噂さえ存在する。

 結局は、最初の飛行訓練の際に箒を投げることでネビルを助けたのも、彼をより大怪我させる目的で、偶然助ける形になってしまったという説が有力だ。

 誰しもが彼女を少なからず警戒し、距離を置いている。そんな状況は先生たちも知っており、息の詰まるような空気に気付いていないのはアルテ本人だけだった。

 そんな、彼女への恐怖、警戒が或いは大いに増加し、ある者は警戒を少なからず解くことになる事件が、この日起きる。

 十月三十一日、ハロウィーンである。

 

 

 

「あれ? アルテは?」

 

 パンプキンケーキを頬張りながら、パンジーがふと疑問に思った。

 アルテが何より重視する食事の時間でありながら、大広間にはアルテの姿がない。

 正しくは、いつの間にか消えていた。いつも通りアルテ、ダフネ、ミリセント、パンジーの四人で大広間に入ってきたのは確かだった。

 

「少しだけ食べてさっさと出てったわよ。まあ気持ちはわかるけど。ハロウィーンだからってかぼちゃ推し過ぎなのよ」

 

 テーブルの上の料理は、どれもこれもがいつもよりひと手間加えられた逸品となっている。

 ホグワーツのハロウィーンではこれが定番だ。かぼちゃを使った多くの料理が食事の席を賑わせるのである。

 そんな評価の高いハロウィーン料理ではあるが、やや甘味に寄り過ぎたところがある。

 勿論デザートのみという訳でもないものの、こうもかぼちゃの風味が強くてはいくら美味しくても飽きるというものだ。

 アルテはそれらをほんの少しずつ摘まんだ後、「先に帰る」とだけ告げてさっさと大広間を出ていってしまった。

 

「大丈夫かな。いつもに比べて全然食べてなかったけど」

「お腹空いたら学校抜け出して森でウサギでも獲るんじゃない?」

「まさかそんな……本当にやりそうね」

 

 何となく的外れな心配をしつつも、ダフネら三人はデザートの誘惑に抗えていなかった。

 奇想天外なアルテの話題は、彼女らの良い話のタネであった。

 ――そんな穏やかな時間は、唐突に終わりを告げる。

 

「――トロールがっ! 地下にトロールが!」

 

 大広間の扉が思い切り開かれ、クィレルが駆け込んできたのだ。

 彼とは思えない大声で喚き散らしながら上座の、ダンブルドアの席までふらふらと駆け寄り、

 

「……お知らせしなくてはと思って……」

 

 精神の限界を迎えたのか、倒れてしまった。

 無責任にもトラブルの発生を伝えるだけ伝えて気絶したクィレル。当然、大広間の生徒たちは瞬く間にパニックに陥る。

 泣き叫ぶ生徒もいれば、椅子ごとクィレルのように引っ繰り返る生徒までいる。

 監督生をはじめとした上級生の少数は周囲の生徒を落ち着かせんとしているが、状況が状況ゆえなんの効果も果たしていない。

 トロールといえば、四メートルにも及ぶ巨体を持つ生物で、腕の一振りで大の大人十人を軽く吹っ飛ばせるような怪力の持ち主だ。

 それが学校に入り込んだという大事件に、生徒のみならず先生たちまで何人か言葉を失っていた。

 そんな、絶叫と悲鳴が爆発する混沌とした広間に――

 

「――静まれぇ!」

 

 誰よりも信頼できる者の声が、誰よりも大きな声量で響いた。

 生徒たちは恐怖に引き攣った顔のまま、しかし声を出すのを止めて、広間の上座に目を向ける。

 

「監督生、皆を連れて寮に戻りなさい。スリザリン生だけは、ここに残るように。先生がた、校内の見回りをお願い出来ますかな?」

 

 冷静に、ダンブルドア校長は生徒と先生に指示を投げた。

 その、一片の迷いもない落ち着いた瞳と声に、誰しもが否を唱えることなく動き出す。

 スリザリン生が動かないのは、彼らの寮が地下にあるためだ。

 万が一にも鉢合ってしまっても、上級生たちが束になればどうにかなるかもしれない。

 だが下級生たちを守って、しかもトロールを相手取るには広いとは言えない通路での戦いとなると話は別だ。

 そういう意図を理解したスリザリン生は、大人しくその場に座りなおす。

 ダフネたちも同じようにしようとして――

 

「……ちょっと待って。アルテは?」

「…………だ、大丈夫よね? もう結構時間も経ったし、寮に着いてるわよ」

「そうよ、寮にさえ着いてしまえば、いくらトロールったって……」

 

 一人で寮に戻っていったアルテの最悪の姿を、嫌でも想像してしまう。

 ピーブズを恐れさせる。だからどうした。

 変身術で卓越した技術を持つ。教えられたことは未だ基礎に過ぎない。

 魔法薬学の才能。そんなもの、トロールと出会った時になんの役に立つのか。

 

『――ッ!』

 

 ダフネ、ミリセント、パンジーは同時に立ち上がり、大広間を出ていった。

 

「なっ!? 待てお前たち!」

 

 監督生の制止も聞かず、止めようとした先生たちを突き飛ばし、外へ出た三人は地下へと向かう。

 その後を追う先生たち。残されたスリザリン生は呆然と、開け放された広場の扉を見つめていた。

 ただ一人、この場でもしもがあった時のために事態を眺めていたダンブルドアは、飛び出した三人の生徒に呆れともつかない溜息を吐いた。

 チラリとスリザリンのテーブルの一角を見る。こんな状況でありながらエリス・アーキメイラは、落ち着いた表情でパンプキンプディングを味わっていた。

 

 

 

 そんな大騒ぎが幕開ける少し前、アルテは一人寮に向かうために廊下を歩いていた。

 大して夕食を食べておらず、空腹だった。

 幸い寮に戻れば、ウィーズリーの双子に依頼して買ってきてもらったジャーキーやらベーコンやらがある。

 購買などのないこの学校で、何処からそんなものを仕入れてきているのか。もしかすると人知れず近場の村に出るための秘密のルートか何かあるのかもしれない。

 お得意様へのサービスだと一緒に渡された木箱は簡単な防腐の魔法が掛かっているらしく、ここに保存食を入れておけばいつでも腹を満たせるという塩梅だ。

 あれを思えば、自然と寮に向かう足も速くなる。

 そんな彼女が地下のトイレ前に差し掛かった時、あまりこんなところでは見ない人物がそこから出てきた。

 

「あ……」

「……」

 

 縮れたボサボサの、然るべき手入れをしていないことが一目で分かる茶髪の少女。

 エリス・アーキメイラに次ぎ、何事もそつなくこなす優等生、グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーである。

 

「る、ルーピンさん……」

「アルテでいい」

「え? あ……アルテ、さん?」

「アルテでいい」

「ぅ……うん、えっと……あ、アルテ、どうしたの? こんなところで……まだパーティの途中でしょ?」

 

 取り繕ったということがアルテにもわかる笑みを浮かべて、ハーマイオニーは聞いてきた。

 

「抜けてきた」

「なんで? ハロウィーンのパーティはとても美味しい料理が出るって聞いたわよ?」

「好みじゃなかった」

「そ、そう……」

 

 ハーマイオニーの問いに短く答える。

 あまりにもあっさりとした回答にすぐに会話が止まった。

 ハーマイオニーが本調子であれば、何かしらの話題があったことだろう。

 だが、今の彼女の様子はいつもと違う。

 

「…………ねえ、アルテっ」

 

 話は終わったと寮に向かおうとしたアルテを引き留めようと、ハーマイオニーは呼び止める。

 僅かに、鬱陶しそうに眉を顰めたアルテだが、それ以上足を進めることはなく、ハーマイオニーの言葉を待っている。

 ――何も考えてはいなかった。でも、打ち明ける相手が欲しかった。

 グリフィンドールとスリザリンの確執に興味のなく、基本的に自分から口を開こうとしない彼女ならば、誰に暴露することもなく話を聞いてくれる。そう思った。

 

「……アルテは、勉強って好き?」

「好きじゃない」

「……私は好き。勉強して、自分に色んな知識がついていくのが好き。でも他の人はそうじゃないの? 皆が皆、あなたみたく、勉強が嫌いなの?」

「知らない」

 

 ハーマイオニーは午前中にあった妖精の魔法の授業で、浮遊呪文を成功させた。

 その際、ロン・ウィーズリーの詠唱の仕方を指摘し、機嫌を損ねてしまったのだ。

 ――誰だってあいつには我慢できないっていうんだ。まったく悪夢みたいなヤツさ。

 ロンの忌々し気な陰口を、一言一句思い出せる。

 魔法界のことなんて知らなかった頃から、そんな風に妬みや僻みを受けるのは慣れている筈なのに、久しぶりに聞いてみれば堪えるものがあった。

 そして、そんな心の傷を話せる友人が、ハーマイオニーにはいなかった。

 

「私は呪文の発音を指摘しただけなの。でもそれが迷惑だってこと? それで魔法が上手になるなら、良いことじゃないの?」

「……」

「皆一緒に魔法が上手になる。それってとても素敵だと思うの。先生は点数をくれたわ。なのに――」

「うるさい」

「――え?」

 

 一度話し出せば堰を切ったように出てくる心の丈。

 再び込み上げてきた涙。感情の全部を吐き出さんとしていた時、それをピシャリとアルテは止めた。

 突然のことに困惑するハーマイオニー。

 アルテは彼女から視線を外し、鼻をひくつかせていた。

 ――何かが、近づいてきている。

 クィレルのにんにく臭が可愛く思えるほどの、汚れた靴下と掃除をしていない公衆トイレが混ざったような悪臭。

 耳をすませば、豚を十倍不快にしたような唸り声、麻袋を引きずるような音が近付いてきているのがわかる。

 

「ちょっ、何――」

「うるさい」

 

 ハーマイオニーの腕を引っ張り、トイレに走り込む。

 個室の一つに入り、扉を閉め、鍵をかける。

 流石に何か変だと、ハーマイオニーもそこからは何も言わなかった。

 あまりに真剣な、より鋭くなったアルテの目つきは、異常事態が起きていると決して喜ばしくない確信を抱かせる。

 息を殺す。正体不明に対する恐怖で呼吸に甲高い声の混じるハーマイオニーとは異なり、アルテのそれには糸が擦れるほどの音すら付いてこない。

 

「――」

「……っ」

 

 ズルズルという音が、トイレにまで入ってきた。

 それが人ではないだろうことは、ハーマイオニーにもわかった。

 ブァー、ブァー、という荒い鼻息が個室のすぐ外から聞こえてくる。

 ハーマイオニーには、ただ祈るしか出来なかった。

 何がいるのかは知らないが、どうか、自分たちに気付かずトイレから出ていくように、と。

 ――バタンと、扉が閉じる音がした。

 続いて鍵の掛けられる音がする。それが、このトイレそのものの扉だとわかった時、ハーマイオニーの顔から血の気がスッと引いていった。

 唸り声と共に、床を引っ掻くような音。

 何かが、アルテたちの個室のドアに思いきりぶつかった。

 

「きゃあ!?」

「ッ」

 

 恐怖の限界を迎えていたハーマイオニーは、そこで遂に声を上げてしまった。

 気付かれた――そう判断したアルテの行動に、迷いはなかった。

 ハーマイオニーを個室の奥に押し込み、扉を開け放って外に出る。

 アルテを縦に三人重ねたような巨体――トロールがそこにいた。

 ずんぐりした体のてっぺんにある、ココナッツのような小さな顔がアルテを捉える。

 間抜けな目は大したことを考えてはいなさそうだが、目の前にいる小さな生物を、少なくとも敵か餌かと判断したらしい。

 アルテの胴回りより太い腕が振り上げられる。

 そのゆっくりとした動きを黙って見ているほどアルテは能天気ではない。

 

「――っ」

「ヴ……? ……!」

 

 爪を鋭く伸ばすと、隙だらけの首筋によじ登って突き立てる。

 しかし、分厚い皮に阻まれ、ほんの些細な傷しかつかない。

 その刺激にワンテンポ遅れて気付いたらしいトロールは、ようやく気付くと暴れ始めた。

 力任せに振るわれた棍棒で、ハーマイオニーが隠れていた個室の壁が一気に吹き飛ばされた。

 甲高い悲鳴をトロールは耳にする。何やら自分にちょっかいを出しているすばしっこいものより、捕まえやすいだろう生き物を。

 アルテは舌打ちする暇すらなかった。

 余計なことを、と思う余裕があればこそ、トロールの目に力の限り爪を刺した。

 ハーマイオニーとは全く逆の、地の底から響くような低い悲鳴が上がる。

 手がベッタリとした粘液に浸されるが、気にしてもいられない。

 

「ハーマイオニーッ!」

 

 その時、意味の無くなった個室の中で怯えるハーマイオニーを呼ぶ声と共にトイレの入り口が開かれ、ハリーとロンが駆け込んできた。

 アルテを無理やり引き剥がしたトロールは彼女を洗面台に向かって投げ捨てた後、潰れた目を抑えながらもう片目で新たな獲物を見た。

 

「な、なんでコイツがいるんだよ!?」

 

 あちこちを強く打ったらしい。

 唇を噛んで体中の痛みを堪え、邪魔なローブを脱ぎ捨てると、闖入者に迫りながら棍棒を振り上げるトロールに飛び掛かる。

 腹の出たトロールの体はよじ登ることは簡単だ。

 鼻っ面に噛みつきながらもう片方の手に目を突き刺そうとするが、アルテの足を掴み、引き離す。

 鼻の肉が千切れたが、宙吊りになったアルテをトロールは離そうとしない。

 

「お、おい、あれ流石にヤバいぞ!」

「とにかくこっちに引き付けろ!」

 

 幾ら嫌っているスリザリン生とはいえ、このままでは酷いことになりかねない。

 ハリーは無我夢中で、アルテが先程洗面台に叩き付けられた時に吹き飛んだ蛇口を手に取り、トロールの頭に向かって投げつけた。

 

「こっちだウスノロ!」

 

 激昂したように吠えながら、トロールが棍棒を振り回す。

 アルテを離すことはせず、彼女を引き摺りながら、ハリーたちに向かって突っ込んでいく。

 しかしハリーたちに届く前に、叫びながら跳び上がり、膝から崩れ落ちるように転んだ。

 アルテがトロールの足首を力の限り引き裂いたのだ。

 思わず手を離したトロール。解放されたアルテは足を引き摺りながら傍に転がっていた、折れた鉄パイプを二本掴み、ハリーとロンに投げる。

 何をしろ、という指示はしなかった。

 だが、二人は反射的に掴み取り、トロールの頭を滅多打ちにする。

 振り下ろされる鉄パイプのすぐ傍にアルテは飛び込んだ。

 首筋に噛みつき、爪を立て、掻き毟るように分厚い皮を千切っていく。

 

「ォ、オォオ、ッ……!」

 

 痛みを堪えながら立ち上がったトロール。

 片手で首にしがみ付き、背中にぶら下がるアルテを振り解こうとしながらも、目の前にいたハリーたちにもう一度棍棒を振り上げた。

 後頭部をグチャグチャにしながらもトロールは倒れない。

 対して、鉄パイプで殴りまくっていたハリーたちはヘトヘトだった。

 ブチブチと首の肉を裂き、飛び散る血を浴びながらも、中の極太い血管に手を伸ばすアルテ。

 僅かに間に合わない――ハリーたちの絶体絶命の危機を救ったのは、トロールがすっかり忘れていた獲物であった。

 

「ウィンガーディアム レビオーサ!」

 

 声を震わせながらも、流れるような綺麗な詠唱が響く。

 ハーマイオニーの魔法はトロールが今こそ振り下ろさんとしていた棍棒を捉え、ふわりと浮き上がらせた。

 何が起きたか分からないトロール。間抜け面を更に歪めた瞬間、アルテが首の中まで毟り終える。

 小さな目がゆっくりと上に昇っていく。やがて全部が白に覆われ、今度こそ完全に力尽きた。

 勢いよく倒れ込むトロール。手を離したアルテはトロールが倒れた勢いのままに、ハリーたちの足元に転がっていく。

 壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 力任せに掴まれていた片足は変な方向に曲がり、体中が粘っこい血で真っ赤になっていた。

 その殆どが、トロールの首筋に開いた大穴から噴き出したものだ。

 引き摺られていた時に引っ掛けたのか、制服はあちこちが破れボロボロで、服としての役割はあまり果たしているとはいえない。

 ハーマイオニーは声にならない叫びを上げ、ロンは気を失う寸前で意識を保った。

 そして、緊張感が解けたからか、三人同時に気付く。引き摺られている最中に脱げた帽子の中にあったものと、両足の間に垂れ下がる、髪と同じ色のそれに。

 

「そ、その耳……」

「尻尾まで生えてる……っ!」

「あ、アルテ、それ、一体……!?」

 

 尻尾はローブで、耳は室内であろうとかぶっていた帽子で、常に隠していた。

 ローブはともかく帽子に関してはハリーたちにとっても常々疑問であったのだが、ここに至り理由を理解する。

 アルテは答えない。まだドラコやダフネたち、他数人にしか教えていないが、早くも説明が億劫になっていた。

 答える代わりに、ハーマイオニーに目を向ける。口元をベッタリと覆う血を唇の上だけ舐め取って、問い掛けた。

 

「……無事?」

「へ!? ぇ、あ、ええ。私は傷一つないわ」

「そっちは?」

 

 今度はハリーとロンに目を向ける。

 未だに鉄パイプを持っており、トロールから飛んだ血は彼らの服にもこびりついていた。

 

「い、いや、僕らも特に……」

「うん、き、キミよりは……」

「……ん」

 

 自分の心配をするべき姿で聞かれ、思わずスリザリンへの嫌悪感やらを忘れながら答えた。

 とりあえず『この場の怪我人はいない』と判断したアルテは、伏したトロールを一瞥してから、ふらふらとトイレの入り口に歩いていく。

 

「ちょ、ちょっとアルテ、どこ行くの!?」

「寮。もともと帰る途中だった」

「駄目よ! そんな怪我で帰れる訳ないでしょ!? すぐ医務室に行かないと!」

 

 ハーマイオニーを無視して寮に戻ろうとするアルテ。

 しかし、その時ドタドタと駆け込んできた面々を見て、その足が止まる。

 

「み、ミス・ルーピンッ!? 一体何が、トロールは……!?」

 

 杖を片手にやってきたマクゴナガルも流石に動揺を隠せない。

 アルテがいることは、予想せざるを得なかった。

 指示を無視して広間から出てきたダフネら三人曰くパーティの途中で早々に寮に戻ったらしいことから、場合によってはトロールに遭遇し――考えたくないが、或いは、と思っていた。

 だがここまでの光景など、想像できる筈がない。

 血みどろ男爵もかくやと言わんばかりに真っ赤に染まったアルテに、何故かここにいるハリーたち、そして首筋を裂かれて倒れているトロール。

 ここは度を過ぎた決闘場でもなければ、闇の魔法使いの犯行現場でもない。

 少なくとも、学校の女子トイレに広がっていていい光景ではなかった。

 あまりの惨状に、マクゴナガルの後ろにいたダフネたち三人は絶句している。

 それはなんの覚悟も持たない一年生が見るには衝撃が強すぎたのだ。

 

「わ、私のせいなんです!」

 

 混乱している様子のマクゴナガルに、ハーマイオニーが申告した。

 もし自分があのタイミングでトイレから出てくることがなければ、アルテはトロールに見つかることなく寮まで戻れたかもしれない。

 その代わり自分の生存は絶望的だっただろうが――ともかく、命の恩人にあらぬ疑いが掛かることだけは避けたかった。

 

「トロールを探しに来たんです。本で読んで、一人で倒せると思って。でもダメでした。ちょうど通りかかったアルテが助けてくれなければ……ハリーとロンが私を探して駆けつけてくれなければ、私は死んでました」

 

 そういえばここはスリザリン寮の近くだ。

 ハーマイオニーのみならずハリーやらロンやらがこの場に来た理由を、ようやくアルテは理解する。

 

「……ミス・グレンジャー。なんと愚かな真似を……貴女には失望しました。グリフィンドールは五点減点です。己の浅はかさと、ミス・ルーピンの怪我を重く受け止めなさい」

 

 心底から呆れたような、気の抜けた表情で、マクゴナガルはハーマイオニーに言い渡した。

 アルテのそれが、彼女の目から見ても、治せるものであったからだ。被害の程によっては減点どころか退学さえ言い渡していただろう。

 

「貴方たちもです。一年生が野生のトロールと対決しようだなんて、運が良かったことに感謝なさい。その幸運に対して、ですが……ポッター、ウィーズリー、ルーピン。三人に、五点ずつ与えましょう」

 

 そしてあろうことかトロールに立ち向かった三人もまた、評価をしない訳にはいかなかった。

 予想外の得点に驚くハリーとロン、そして大して関心もないように無表情で受け入れるアルテに対し、マクゴナガルは杖を振るう。

 服や肌に張り付いた、べたついたトロールの血が流れるように杖に吸い取られた。

 襤褸切れのようになったアルテの服はそのままで、肌も服も区別なく染めていた赤が消えたことで浅黒い肌が露わになり、ハリーとロンは咄嗟に視線を逸らす。

 

「さて。ミス・グリーングラス、ミス・ブルストロード、ミス・パーキンソン。待機の指示を無視した貴女たちは、友人を想っての行動として今回は不問としましょう。ミス・ルーピンを医務室に連れていきなさい。広間に残った生徒たちの待機も解きますから、その後は速やかに寮に戻ることです。パーティの続きをやると良いでしょう」

「は、はい!」

 

 マクゴナガルの指示で飛び上がって我に返った三人。

 ボロボロになったアルテをミリセントとパンジーが二人がかりで担ぎ、ダフネがローブと帽子を拾ってその後ろに続く。

 あちこちに擦り傷はあるし、片足は確実に折れている。

 何故大したこともないような様子でいられたのか分からないほどの重傷患者を、医務室に向けて引っ張っていく。

 しかし、その途中でアルテは残る片足に力を入れた。立ち止まり、ゆっくりとハーマイオニーに視線を向ける。

 

「……周りの人とか、関係ない」

「え……?」

「自分のやりたいようにやればいい。誰がなんと思おうと、自分のためになるなら」

「アルテ! あんたを危険に晒したのよ! グレンジャーなんかと話さなくていいの!」

 

 それで終わりだったのか、まだ言いたいことがあったのか。

 ミリセントが強制的に終わらせたそれは、さっき中断されたハーマイオニーの心情への、アルテなりの答え――そう思ったハーマイオニーはトイレを出ていくアルテの背中に言葉を返す。

 

「ありがとう、アルテ!」

 

 外に出て、アルテたちが見えなくなる。

 まだ話したいことはたくさんあったが、とりあえず礼を言えたハーマイオニーは納得した。

 

「……ポッター、ウィーズリー、ミス・グレンジャー。ミス・ルーピンの耳と尾について、彼女から何も言われていないなら口外しないように。あれはまだ、本人にもどうにもできないものなのです」

 

 最後にマクゴナガルは、残ったグリフィンドールの三人に、そう告げた。

 どうやらアルテは積極的に辺りに言い触らしてはいないらしい。あまり話が広がることを好ましく思っていないのだろう。

 ハーマイオニーは当然のこととして。ハリーとロンも、何か言いたげではあったが、多少なりとも助けられたことの礼として頷いた。

 その日を境に、ハリーとロンは、ハーマイオニーと友人になる。

 スリザリンであり、相変わらずよくわからないアルテとの距離は縮まることはなかったが――この事件をきっかけに三人が足を踏み込むことになる戦いでもう一度力を借りることになるのは、半年以上先の話だ。

 

 

「……寮」

「駄目! 治るまで医務室からは出られないようマダム・ポンフリーに言うからね!」

「……ベーコン」

「駄目よ。まずは怪我を治すことを第一に考えなさい」

「……さっきの料理でもいいから」

「駄目。もう今頃先生が片付けちゃってるわよ。明日になったら何か持ってってあげるから」

 

 そんなことは露知らず、今の状態で三人に抗うことも出来ないアルテは医務室に運ばれていく。

 怪我より空腹の方がつらいのだと鳴った腹の虫は、無情にもスルーされた。




※ピーブズ避け。
※この状況でスリザリン生を寮に帰すのは流石に危ないと思う。
※双子に非常食を買ってきてもらうアルテ。
※双子に非常食の保存箱までもらうアルテ。
※口外はしないだろうけど明らかに話す相手を間違ってるハー子。
おい、魔法使えよ。
※武器は爪と歯。杖など知らぬ。
※一緒になってトロールをタコ殴りにするハリーとロン。
※台詞ありの本作初魔法はハー子。
※耳バレ。
※血みどろアルテ。もうちょっとヒロインらしくしろ。
※頑張ったのに食いはぐれるアルテ。


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存在理由

 

 

 トロール騒動のあった日の夜中、医務室のベッドにアルテは寝かされていた。

 運び込まれてからアルテは既に三度眠りにつき、三度目を覚ましている。

 いつもは一度意識を手放せば朝までぐっすりだというのに、暇で仕方のない今日に限って寝付けない。

 枕の横に置かれていた、起きるたびに大して針の動かない怠けた時計は、先程起きた時にとうとう苛立ちのあまり放り投げてしまった。

 腹は減っているし、飲まされた薬の影響か体の中をかき回されるような痛みが定期的に襲ってくる。

 そして何より腹立たしいのが、前回起きた時から隣のベッドにいる謎の鳥である。

 真っ赤な羽に覆われた、アルテが見たこともない美しい鳥だ。

 長い尾羽は黄金に輝いており、尾から頭までの配色は燃え盛る炎を思わせる。

 鳥はじっとアルテを見つめ、時折首を傾げたりしているが何処かに飛んでいくことはない。

 何を考えているかわからないが、自由に空を飛べるというのにこの場で動かないというのが、どうも自分を煽っているようにアルテは思えたのだ。

 いっそ無理にでも飛びかかってやろうかとも考えたが、飄々と躱されるのは目に見えている。

 舌打ちして、もう一度目を閉じる。また眠るのには時間が掛かりそうだと、溜息をついた時だった。

 

「夜分にすまんのう、アルテ。ほんの少しだけ、良いかの?」

 

 ベッドのすぐ傍から、穏やかな声が聞こえてきた。

 その声の主はとても無視できるような相手ではないのだが、アルテはうんともすんとも言わない。

 今は真夜中で、眠っていて当然の時間である。眠っている以上返事など出来よう筈もない。

 

「差し入れに焼いたベーコンを持ってきたのじゃが」

「ッ」

 

 その言葉が紡ぎ終わるのと証拠の香ばしい匂いが鼻に届くのは同時だった。

 先程お預けをくらった、念願の食べ物に思わず飛び起きる。

 キラキラとした目を細めた白鬚の老人、ダンブルドア校長が、そこに立っていた。

 

「ほっほ。よほどお腹が空いたようじゃの。他の先生たちには内緒じゃよ」

 

 風格不相応な茶目っ気を含んだ微笑みでそんなことを言いながら、ダンブルドアはアルテに金の皿を差し出す。

 その上にはフォークと、脂の滴る分厚いベーコンが置かれていた。

 目を輝かせ、アルテは皿を奪い取る。

 一口、控えめに齧り付き、本物だと確信した後は一心不乱に食べ始めた。

 味付けは軽く塩を振ってある程度で、なんらソースなどが掛かっている訳ではない。

 だが、悲しい程に空腹だったアルテにとっては、それは至上のご馳走だった。

 食べている間、アルテは苛立ちや体の痛みも忘れていた。

 ベーコンがなくなるまで、五分と経たず、満腹とまではいかないが飢えから逃れたアルテは至福の息をつく。

 それを見たダンブルドアが腕を動かすと、何処からか飛んできたナプキンがアルテの口元を拭った。

 

「美味しかったかの?」

 

 ダンブルドアの問いに、満足気にアルテは頷く。

 いつしか隣のベッドにいた鳥はダンブルドアの肩に乗り、先程より高いところからアルテを見下ろしていた。

 

「フォークスを探していたのじゃよ。ここにいるとは分かったが、今夜はキミがいると聞いておってな。せっかくじゃから差し入れをと思ったのじゃ」

 

 その鳥はフォークスという名らしい。

 数分前まで苛立ちの対象であったあの鳥が結果としてベーコンを運んできた事実を複雑に思いながらも、アルテはダンブルドアと視線を交わす。

 ――あまり、見ていて好ましい瞳ではなかった。

 体の中、心より外、奥底への入り口の扉を掠めるような、奇妙な感覚に襲われる。

 ダンブルドアの目が僅かに広がった。それも数秒、すぐに元の細さに戻ると、妙な感覚も消えていく。

 

「……トロールを倒したようじゃの。マクゴナガル先生から聞いたよ。友を助けるために勇敢に戦ったと」

「友達じゃない」

 

 校長が相手と言えども一切変わりなく、アルテは即座に答えた。

 あの時初めて話した――ロンとは二回目だが――相手を、友達とは言わないだろう。

 

「友ではない、か。では何故、彼らを守ったのかね?」

「ああしなきゃ死んでた。それに、わたしが一番頑丈だった」

「……ああ、アルテ。ではキミは、体が丈夫だからと一歩間違えば死ぬかもしれぬ相手と戦ったと?」

「死んでない」

 

 あまりにも破綻していた。

 究極的に、アルテは“現在”を生きている。

 ダンブルドアはアルテに謝意を覚えつつも、獣のようだと感じた。

 直情――その場で最も強い感情で、アルテは動いたのだ。

 自分が戦わなければハーマイオニーたちが死ぬ。そしてハーマイオニーに比べ自分の方が頑丈だから、危険を被ることも厭わず突っ込んだ。

 その結果どうなる可能性があるかなどまるで考えない。事が終われば、迎えることなく過ぎ去った可能性などそれこそ無意味だ。

 危険だ、と思った。トロールのような単細胞な相手であるならば、場合によってはどうにかなるだろう。

 だが、もしも大局を推し測ることのできるような闇の魔法使いであったならば――

 

「……そうじゃな。最悪の“もしも”を追求することもなかろう」

 

 その価値観。その思考。その危険性を、今の己では変えられないとダンブルドアは悟った。

 しかし、希望はある。

 幸いにして彼女には三人の、大抵の時間を共にいる友人が出来ていた。

 ダフネ・グリーングラス、ミリセント・ブルストロード、パンジー・パーキンソン。

 全員が――ダフネは控えめではあるものの――スリザリン生らしい、ほんの少しだけ手の掛かる生徒ではあるものの、アルテに対する態度はまったく普通だ。

 もしかすると、彼女たちが、アルテの価値観を変えてくれるかもしれない。

 同時にどうしても考えてしまうのが、彼女たちがアルテにとって、大きすぎる存在になってしまうこと。

 価値観の変動、アルテが人間らしく変わっていくのは、喜ばしくはある。だが、それによって三人が“守らなければならないもの”へと変わり、己をただ“動く盾”でしかないと定義してしまう可能性――

 何を馬鹿な、と笑い飛ばすのは簡単だ。だが、どうにもそれを否定しきれないほどに、目の前の少女は不安定だったのだ。

 

「すまんの、アルテ。もう一つだけ、聞いてもよいかの?」

 

 己が今、打てる手は少ない。

 であれば今後少しでも手札を増やすべく、聞けることは聞いておかなければ。

 そう――先の疑問が生まれるよりも前から持っていた、彼女への最大の疑問を。

 

「キミはなんのために、このホグワーツで勉強をする?」

 

 ――良き魔法使いになるため。そんな普遍的な言葉が出てくるとは思っていない。

 ――ただ、日々に授業があるから。大方の生徒の本心であろう言葉も、アルテからは出なかった。

 ――強き闇の魔法を求めて。決して好ましくはないが、最悪それでも良いと思っていた言葉さえ、出てこなかった。

 己の最も破綻した部分を、誇ることも恥じることもせず、一切の疑問も挟まずに、ただ当然のことのように、アルテは即答した。

 

「――ヴォルデモートを倒すため」

「――――」

 

 その心を覗くまでもない、純真な目だった。

 そして、今この学校で起きようとしていることを考えると、この上なく危険な目的。

 隠そうともしない己の存在意義をかねてより彼女の養父より聞かされていたダンブルドアは、それが冗談でも何でもなかったことに、大きな衝撃を覚えた。

 ヴォルデモートは既に滅んだ。そう、ダンブルドアが言ったところで決して納得はしないだろう。

 寧ろ、「ならば復活させてまた殺す」と言い出しかねない。

 闇を滅ぼすために闇に与する。そうした歪んだ正義というものは、魔法界にも得てして存在する。

 そうした者に彼女が成り果ててしまわないよう、せめてこの場では教師らしく、道を指し示す。

 

「……闇を憎み、闇を滅ぼそうという気概は立派じゃ。大変に誇れることじゃ。その心持を失わず勉強すれば、必ずや如何なる闇をも打ち払える魔女になることじゃろう。魔法省には、闇払いという局がある。闇の魔法使いを倒すことを役目とする強者たちじゃ。キミならばきっと――」

「どうでもいい」

「む……?」

 

 そして――教師として触れ合ったことで、ダンブルドアは彼女を理解し――彼女の危険性を大いに高く改めることになる。

 

「わたしが倒したいのは、ヴォルデモートだけ。他にどれだけ――たとえヴォルデモートより強大な魔法使いがいても、興味は無い」

 

 アルテのヴォルデモートへの執着は、彼女が知る限り最大の闇であるからではないかと考えていた。

 その他の闇が世の裏に蔓延っていることさえ示唆すれば、執着を消し去り、正しき方向へ成長してくれるものだと。

 しかし、それを教えた結果は、決意でも動揺でも恐怖でもなく、完全な無関心だった。

 ヴォルデモート以外の闇など、彼女にとっては路傍の石よりも気にならないものなのだ。

 それを愚かなことだと――無意味なことだと断じることは、ダンブルドアには出来なかった。

 彼は教師であった。アルテの命そのものでもある最終目標を否定することは――それが、ヴォルデモートのような大悪でない以上、出来なかったのだ。

 その壊れた生存理由に対し、適した言葉を、ダンブルドアは終ぞ見つけられなかった。

 ゆえに、残す言葉は最低限の、彼女が道を踏み外すことのないための警告だけ。

 

「……生き急いではならんぞ、アルテよ。友を信じ、大人を頼り、協力する。それで良いのじゃ」

 

 ダンブルドアは空になった皿とフォークを手に、のそのそと医務室を出る。

 もしかすると、何一つ変えることは出来なかったかもしれない。

 だが、これは足がかりだ。未来に向けての第一歩。これから少しずつ、その堅牢な氷壁の如き歪さを、溶かしていけばいい。

 もしも、何かヴォルデモートとは別の執着心を僅かでも持っていたなら、もう一つだけ、ダンブルドアは試してみたいことがあった。

 それが実行されることはなかった。ヴォルデモートという敵しか映らない世界を秘めた彼女にそれを実行すれば、どんな結果が巻き起こってしまうか予想すら出来なかったからだ。

 ――その瞬間は、一年と経たずにやってくることを、アルテも、ダンブルドアも知らなかった。

 

 

 結局、薬のせいと思われるアルテの不調はハロウィーンの翌日まで続き、復帰したのは二日後のことだった。

 マダム・ポンフリー曰く「そこまでの副作用はない筈」とのことで、奇妙なまでの具合の悪さに首を傾げていた。

 本人の意向で面会謝絶となり、彼女によって許可された大量の料理やら、代えの制服を持ってきたダフネら三人以外の生徒は医務室のベッドに寝転がるアルテの姿すら見ることがなかった。

 さて、復帰した時、アルテの評価は大いに変わりまくっていた。

 当然ながらその理由は、ハロウィーンの夜のトロール事件にある。

 事件の詳細を知っているのはアルテを含む七人の生徒と、一人の先生だけ。

 その誰もが口外していないにも関わらず、アルテが一日医務室に放り込まれ、面会も許可されなかったという状況は彼女の関与を公言しているようなものだった。

 はじめは「トロールは退治された」という噂から始まり、瞬く間に誇張されながら広がった噂は、トロール事件から二日明けた時にはこうなっていた。

 スリザリン一年生のアルテ・ルーピンは、力だけは人間がどれだけ鍛えても及ばないトロールに無謀にも近接戦闘を挑み、最終的には首を裂いて打ち負かしてしまった。

 その時の血に染まった姿は血みどろ男爵すら真っ青になるほどであり、千切れたトロールの肉片が体中にベッタリとこびり付いていた――

 事件を目にしたグリフィンドール生――ハリーとロン、ハーマイオニーは当然それが事実かどうかを聞かれたが、口外しないという義理以上に、正直そんなに間違っていない噂話に口を閉ざし、信憑性をかえって増してしまった。

 こうして『ピーブズ避けのアルテ』と陰で囁かれていた通称は『トロール殺しのアルテ』『血みどろアルテ』などに発展し、それから少し日にちが経った頃には興が乗ったウィーズリーの双子によって、「ありとあらゆる魔法生物を狩り尽くす『怪物殺しのアルテ』」というオールラウンダーにまで昇華されかかっていた。

 

 流石に荒唐無稽すぎると『怪物殺しのアルテ』については大して浸透することもなく忘れ去られていったが、結果としてあの事件はアルテの周囲を少なからず変化させた。

 何を仕出かすか分からないという期待は相変わらずながら、そんな彼女を見る目には一定の恐怖が見られるようになった。

 不愛想なこともあり、やる時は魔法の如く無慈悲に殺戮を繰り広げるのではないか、と。

 

 そんな中、一時期妙なことを頼まれることもあった。

 「教室まで付いてきてほしい」と言われ、暇だったのでそれに従うと到着してから銅貨や銀貨を渡される。

 「決闘をするから介添え人として付いてきてほしい」と言われ、暇だったのでそれに従うと相手が勝手に逃げて、それからやはり銀貨を渡される。

 『一定の金額を渡すことで、ピーブズ避けやその他の護衛に“あの”アルテが付いてくる!』――そんな張り紙をアルテ自身が見つけたのは一週間ほど経ってからの話である。誰が発案者なのか、火を見るより明らかだった。

 結局匿名の双子はすぐに特定され、マクゴナガルとスネイプ両名からの減点と罰則を受けたという。アルテにはまったくどうでもいい話だった。

 そんな風に、辺りで誰が何を言っていようと興味のないアルテの学校生活はそこからは平穏に続いた。

 アルテが医務室から出た日の、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチ戦。

 ハリーのデビュー戦だろうと、そこでハリーの箒が変な挙動で飛行しようと、その原因をハーマイオニーが追ったところ、スネイプが呪いを掛けていたのが原因だろうと関心がなく、そもそもアルテは見物にすら行かなかった。

 自分が減点されようと加点されようと気にせず、日々同じように授業を受け、相変わらず魔法薬学や変身術をはじめとした幾つかの授業では妙な才能を見せる。

 クリスマス休暇ではアルテはホグワーツに残り、満足に眠り満足に食べを毎日続けるという至福の時間を過ごした。

 そこから二学期が始まって一か月以上経つまでハリーら三人が図書室に入り浸っていたなど、そもそも知らなかった。

 ハグリッドが学校に秘密でドラゴンを飼っていたり、ハリー、ハーマイオニー、ネビルが夜中に出歩いていて百五十点も減点されたという噂は流石に耳にした。

 彼らと、あと何故かドラコが行った罰則で何を発見し、何を知ろうとも、アルテにはなんの関係もない。

 

 トロール事件以降は特に何も起きることなく、アルテの一学年目は終わる。

 そう、思っていた。

 

 

 ホグワーツの学年末試験は、五日間を掛けて行われる。

 初めてとはいえ、一年生のそれにも容赦はない。

 一年間で学んだことの集大成として、全体的な知識、技術を求められるのだ。

 全ての授業の筆記試験と、幾つかの授業には実技試験がある。

 試験を翌週に控え、対策に追われる生徒たち。

 そんな中で――やはりアルテはいつも通りだった。

 

「……相変わらずよね、アルテ。本当に、勉強せずに期末試験に挑む気?」

「勉強はしてる」

「授業で、でしょ? 苦手科目はどうするの? 魔法史とか天文学とか。闇の魔術に対する防衛術は……まあ、にんにく臭が苦手なだけで授業自体は分かってるっぽいけど」

 

 アルテはいつものようにダフネら三人と集まり、食事をとっていた。

 授業以外で教科書を開くことも、杖を振るうこともない。

 魔法史については三人も人の事が言えない。というかあの授業は生徒の大半が寝てしまっており、試験における大きな難関となるのだ。

 

「教科書は読んだ」

「いつ……!?」

 

 ――授業で寝る前、である。

 どうせ寝てしまう、と本人も分かっているからか、授業開始前に適当にページを捲っていたのだ。

 相変わらず先生が話し始めると五分と経たない間に眠ってしまうが、勉強は出来ている、と少なくともアルテ本人は思っている。

 

「むぅ……やっぱりダフネ、貴女が教えてよ。魔法史とかについて、先生とか教科書よりわかりやすく」

「えぇ!? い、いや、私も魔法史はちょっと……」

 

 この四人組の中で、最も器用なのがダフネだ。

 飛び抜けた才こそないが、何をやらせても及第点より上は行く。

 加えて日頃の努力もあって、エリスやハーマイオニーに続くのではないか、と先生たちからは期待を受けているのだ。

 

「まあ、最低限落第さえなければいいんだけどね……」

「そういう面だと一番読めないのがやっぱりアルテよ。試験でやらかすならプラス方面にしてよね」

「知らない」

 

 加点になるような予想外や、減点になるような予想外、アルテを巡っては多々あった。

 そのうち後者、それこそ致命的なものが、試験の最中にないことを、三人は切に願った。

 そんな時だった。スリザリンのテーブルに、いてはいけない者がやってきたのは。

 

「アルテ! ちょっと来てくれる!?」

 

 息を切らしてやってきたのはハーマイオニーだ。

 彼女の後ろにはやや釈然としなさそうながらハリーとロンもいる。

 周囲の目が一気に鋭いものになる。憎きグリフィンドール生が、スリザリンのテーブルに何の用なのかと。

 

「ちょっとグレンジャー。アルテに何の用よ」

「そ、それは言えないわ。けど、重要なことなの! アルテ――」

「やだ」

「え……?」

 

 重要なこと、と銘打ったにも関わらず即答の拒否。

 辺りから笑いが巻き起こる。あのアルテがグリフィンドール生に対し一泡吹かせるという最高に愉快な展開を期待し、身を乗り出す者までいる始末だ。

 

「で、でも――!」

 

 尚も食い下がろうとするハーマイオニーに対する回答は、言葉ではなかった。

 皿に盛ったウィンナーにフォークを突き立て、齧る。

 マイペースに咀嚼し、一本食べきってから、ようやく出てきたのは、たった一言。

 

「食事中」

 

 アルテにとっては十分過ぎる理由であった。

 にべもなく断られたハーマイオニーに、ドラコなんかは手を叩いて笑っている。

 辺りの様子に不快感を覚えながらも、ならば、とハーマイオニーは続ける。

 

「じゃあ、食べ終わったら! それでいい?」

「ん」

 

 滑稽なハーマイオニーを更に笑ってやろうとしていたスリザリンの面々は、やはり即答の許可にその表情のまま固まった。

 

「アルテ! グリフィンドールの頼みなんか聞かなくていいのよ!」

「そうそう、なんで応じるのよ!」

 

 ミリセントとパンジーはテーブルを叩きながらアルテに詰め寄る。

 視線も動かさず食事を続けるアルテは、噛んでいた肉を呑み込んで、言った。

 

「この後は暇。断る理由がない」

 

 言っても聞かないだろう、身も蓋もない理由にミリセントたちは呆れかえる。

 ダフネは何となく、そんな答えを理解していただけに苦笑で済んだものの、辺りの目は厳しかった。

 これがきっかけでスリザリン生の度を過ぎた反感を買い、アルテが危険な目に遭わないか、それが心配だった。

 

 ――結果として、スリザリン生の間で厄介ごとが起きることはなかった。

 

 その代わり、トロール事件が何でもないほど危険な大事件に巻き込まれるなど、この場で予想していた者はいなかった。




※フォークス「ねえどんな気持ち?」
※校長面談。
※ベーコンの魔力に屈するアルテ。
※対ヴォルデモート専用物理魔女。
※『ピーブズ避けのアルテ』『トロール殺しのアルテ』『血みどろアルテ』『怪物殺しのアルテ』
※半年以上飛ぶ時間。無関心ゆえ特にピックアップされるイベントがない不具合。
※食事は邪魔されたくない。


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石を守る者

 

 料理をたらふく食べた後、ようやくアルテは腰を上げた。

 付いてこようとしたダフネたちを、ハーマイオニーはアルテに説得させることで振り切り、今はハリーら三人組にアルテが追加されるという四人で、廊下を歩いている。

 話すのであれば、どこか人に聞かれない空き教室でなければならない。

 ハーマイオニーは教室を片っ端から覗きこみ、あまり向いてないと判断すると素早く次に行くという傍目から見て明らかに不審な動きで先頭を歩く。

 そのすぐ後ろに続くハリーとロンは焦っていた。

 今自分たちが手を出している出来事は、一刻も早い対処が必要なことだ。

 元々アルテに声を掛けるつもりなどなかった。

 だが、ホグワーツに伸ばされようとしている魔の手を打ち砕くのに必要な戦力として、一番に思い浮かんだのが彼女だったのだ。

 しかしそんな、学校の危機など知らないで、最後尾を歩くアルテは呑気に欠伸をしている。

 あの時は脅威が目の前にあって、かつ自分も巻き込まれていたからこそ、即席ながら共闘が成立した。

 今回は違う。彼女に言って聞かせたところで、「どうでもいい」と切って捨てられるとしか思えない。

 自分のことさえ、直接影響がなければ無関心なアルテのことだ。ハリーらは話をしようとは決めつつも、期待などしていなかったし数の勘定にも加えていなかった。

 

「ここなら……よさそうね。皆、入って」

 

 廊下の突き当たりにあった教室に三人を押し込め、ハーマイオニーは扉を閉める。

 既に飽きている様子のアルテだが、出ていこうとはしていない。

 ただ、その顔には三人の誰でもいいから早く用件を言えという感情がありありと浮かんでいた。

 

「えっとね、アルテ。なんの説明もせず連れてきてごめん。実は、貴女に頼みがあるの」

「何?」

「とても危険なことなの。命に関わるほど。だけど私たちだけじゃどうにも――」

「……何?」

 

 その「何?」は一回目よりはっきりと、ゆっくりと紡がれた。

 理屈っぽいハーマイオニーとは反対にアルテは、少なくとも性格の上ではまどろっこしい事は苦手だった。

 危険性がどうのと説明するのは後でいい。だから先に本題を言え、と。

 言葉を止められ、困惑した様子のハーマイオニー。アルテの思っていることを、考えの近さから理解したロンが代わりに本題を切り出す。

 

「賢者の石っていうお宝がホグワーツから盗まれようとしてるんだ。だからそれを止めるのを手伝ってって話だよ」

 

 スリザリン生に頼むなんて癪だ。これがドラコ・マルフォイであれば死んでも頼まない。

 だが、成り行きではあるものの共にトロールをボコボコにした仲だ。ハーマイオニーを守ったのは事実であるようだし、事が終わったあと、言葉だけかもしれないが自分たちに怪我がないか聞いてくれていた。

 もし怪我をしていたとして、アルテが何か出来る訳でもないのだろうが、それでも多少なり、「スリザリンの中ではマシな奴なのかもしれない」と思ってはいる。

 なんというか、ロンが嫌う他のスリザリン生が当たり前のように持っている嫌味な感じを、一切持っていないのだ。

 ……会話が碌に続かないほどに不愛想なのは、また違う意味で嫌味ではあるのだが。

 

「賢者の石?」

「え、ええ。飲むと不老不死になれる、命の水を生み出す石よ。今、この学校で守られているんだけど、狙っている奴がいて……お願い、石を守るのに手を貸して!」

 

 ――そう、賢者の石。

 宝の名に至るまで、三人は数か月を要していた。

 卑金属を金属へと昇華させる錬金術の究極。かのニコラス・フラメルが作り出した稀代の秘宝。

 ありとあらゆる金属を黄金へと変え、生み出される命の水は枯れた生命さえ潤し、不老不死と言っても過言ではない寿命と肉体を齎す。

 相応しくない者の手に渡れば悪の不滅を約束するほどのものであり、何としてでも守らなければならなかった。

 アルテは無表情だった。頼みについて考えてくれているのか考えてすらいないのか、それさえ分からない。

 

「……奪われれば、そいつを倒すことも、まして取り返すことさえ難しくなるの。これが悪人の手に渡れば……わかるでしょ?」

「――誰?」

「え?」

「その石を盗もうとしているの、誰?」

 

 ――手応えは、あった。

 聞くだけ聞いて帰ることはなく、アルテは事件について、深く聞いてきた。

 少なくとも無関心ではない。限りなくそれに近くとも、まだ取り付く島はある、ということだ。

 

「……スネイプだ。先生として石に近付いて、盗もうとしている」

「わかった」

 

 しかし、首謀者の名を聞くと、アルテはすぐに外に出ていこうとする。

 ハーマイオニーが慌ててその腕を掴んで止める。アルテが怪訝な顔で振り向いた。

 

「何?」

「いや、何処に行くの!?」

「犯人が分かってるならやることは一つ」

 

 気付けば、アルテの爪は人のものから鋭い、獣のものへと変わっていた。

 トロールとの戦いの後、三人は不自然に思っていた。

 人の爪であのトロールの肉を引き裂けるのはおかしい。

 ゆえに、あの耳や尻尾と併せて考え、あの爪にも秘密がある、と思っていたのだが、この日初めて三人はそれを見た。

 いや、それより一体アルテは何をしようとしているのか。やることは一つとは――

 

「待って! きっと、スネイプが動くのは期末試験のどこかよ。先生たちが試験の準備とか採点に追われて、警備が疎かになる――スネイプはそこを狙ってくるわ。捕まえるのは、決定的な証拠があるそこよ」

 

 悠長ではあるが、それが一番確実なのだ。

 相手は大人だ。知識や口の上手さでは及びようもない。

 ゆえに捕まえるには、証拠を掴んだ決定的な瞬間でなければならない。

 教師だからとスネイプを信用しているハグリッドや他の先生たちも、そうでなければ信じないだろう。

 まどろっこしい策に眉を顰めていたアルテだが、渋々と爪を引っ込め、扉を開けた。

 

「あ、アルテ?」

「帰る。動くなら、言えば付いていく」

 

 早々に用は済んだと、アルテは教室を出ていった。

 学校の危機を知ってもあまりに興味薄げな、あっさりとしたアルテを唖然と見送る。

 協力は取り付けた。言えば彼女は手を貸してくれるだろう。

 だが、本気で――どころか少しも学校のことを心配していなさそうなアルテに、不安を覚えた。

 

 

 

 期末試験は予定通り行われた。

 ダフネらの望んだ通り、アルテは良い方向に皆の予想以上の事をやってのけた。

 曖昧で長い話を聞き続けなければならない授業と試験は違う。

 試験で求められるのは教科書通りの知識だ。授業そのものを無視していたとはいえ、教科書は一通り読んでいたアルテに筆記試験は向いていた。

 唯一、闇の魔術の防衛術では試験官としても当然やってきたクィレルによりにんにく臭というテロ行為を実行され碌に集中できなかったのだが。

 そして実技試験。

 妖精の魔法のフリットウィック先生は、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせる試験だ。

 ――まずタップダンスが分からなかったが、仕方なくフリットウィックが例を示した後は、まったくその通りにやってみせた。

 スネイプの魔法薬学では忘れ薬の調合を行った。

 実技試験では材料が配られるだけで、調合の流れは一切説明されない。

 上手く作れるのはただでさえ授業でしっかりと調合できていた者ばかりだというのに、その上スネイプが後ろに回って監視してくるせいで最善を尽くせない者が殆どだった。

 ――なおアルテはまるで眼中にないとばかりに無視し、大方の予想通り問題なく調合し、スネイプに忌々し気に睨まれていた。

 スリザリン贔屓であるスネイプが何故アルテを、少なくとも態度の面で嫌っているのか、生徒たちは一年経っても分からなかった。

 変身術の試験の際、アルテはマクゴナガルに試験の採点について教えられた。

 筆記試験はともかく、実技試験においては試験官の採点基準を上回っていれば、百点を超える点数を獲得しうると。

 試験内容はネズミを嗅ぎタバコ入れに変えることだった

 その例にと見せられたのは、その前に試験を受けていたエリスやハーマイオニーの美しい箱だ。

 それはアルテならばこれに匹敵するものを成せるというマクゴナガルの期待であり、その意図を取り違えたアルテは一匹のネズミをエリスとハーマイオニーのそれを単純に重ねたような、二層の嗅ぎタバコ入れを作ってみせた。

 独創性はなかったものの、それは高い評価対象であり、マクゴナガルは微笑んだ。

 

 

 試験から解放されると同時に教室が沸き上がる。

 さしものアルテも無意識に緊張感を持っていたのか大きく伸びをする。

 

「いやー、終わった! どうだった? アルテ」

「知らない」

「試験終わりでも相変わらずね、あんた……」

 

 終わったことだ。今から試験の出来を省みても何一つ変わりはしない。

 それで良い結果であればよし。何か問題があっても――まあ、どうにかなる。

 

「私たちは寮に戻るけど、アルテはどうする?」

「少し外に出る」

「……森に行くとか無しよ?」

 

 ――気にはなるが、アルテは未だ森に足を踏み入れたことはない。

 特に入る明確な理由もなく、更に入れば罰則があるというのだから、アルテの中で「多少の興味」以上のものにはならなかったのだ。

 アルテは校庭に出た。室内も嫌いではないが、やはりアルテは外の方が好みだった。

 人目も憚らず、校庭の真ん中に寝転ぶ。

 集まる視線を気にせず目を閉じる。

 快晴だった。暖かい日差しを浴びていれば、すぐに眠気がやってくる。

 夜のように鬱陶しい衣服を脱ぐこともなく、その眠気に従って意識を手放す。

 ――何分経っただろうか。

 意識を手放して暫くしたころ、何かが顔に落ちてきた。

 

「……?」

 

 ――手紙だ。

 鬱陶しげに空を見やると、一羽のシロフクロウがアルテの上を飛んでいる。

 何処の誰のフクロウかなど関心はないが、この手紙はアレが運んできたものだろう。

 目を擦りながら、もう片手で手紙の封を切る。

 封は非常に簡素なもので、軽く爪を引っ掻ければ解けるようなものだった。

 

『今夜、寮の生徒が寝静まったら四階廊下に来てほしい。

 今日はダンブルドアがいないから、スネイプが動くのは今夜の可能性が高い。

 くれぐれも誰かに見つからないように。 ハリー』

 

 ――それが何を意図したものなのか、思い出すのに少し掛かった。

 賢者の石だ。一週間以上前にハリーらに教えられたことが、今日実行されるらしい。

 特に否やはなかった。理由があるならば、夜出歩くことに躊躇はない。

 そうと決まれば話は早いと、アルテは手紙をローブに押し込み、再び目を閉じる。

 今夜の睡眠時間は短くなる。であれば、昼間のうちに寝ておこう、と。

 最悪の場合魔法界を危機に晒す大事件を前に、アルテはどこまでも呑気であった。

 それが、アルテがこれまで通りのアルテでいられる時間の、最後の睡眠であることも知らずに。

 

 

 

 そして、夜。

 スリザリン寮の面々が談話室を出て、ベッドに向かうのは早かった。

 学年末試験が終わったことによる解放感からか、上級生たちも今日くらいはと眠りにつく。

 アルテはいつも通り早めにベッドに寝転がっていたが、彼女の思った以上に、眠気はなかった。

 ――何となく、嫌な予感がする。

 根拠はなかった。強いていうならば、直感のようなもの。

 同じ部屋のダフネたちが眠ると、早々にアルテは起き上がり、服を着る。

 ローブも帽子も被らなかった。

 この後何かあるのであれば、邪魔になると考えたのだ。

 部屋の外に誰もいないことを確認し、談話室に下りていく。

 階段を下る最中、談話室に人気があることに気付く。

 ――もう部屋に戻るのは面倒だった。アルテは耳と尻尾を隠すこともなく、談話室に顔を見せる。

 

「……おや。誰かと思えば」

 

 ソファに腰掛け、杖を弄っているのはエリス・アーキメイラであった。

 

「どうしました? こんな時間に。いつも貴女は早くに寝ていたと思いますが」

「関係ない」

「夜に出歩くのは規則違反ですよ?」

「どうでもいい」

 

 あまり、話していたくなかった。

 事情を分かっていて聞いているような様子であり、その特有の雰囲気も相まって、アルテを苛立たせる。

 

「――まあ、手間が省けますか」

「……?」

「いえ。行くなら止めはしないというだけです――ジェミニオ、そっくり」

 

 超然とした微笑みを浮かべたまま、エリスはその杖をエリスに向け、アルテが避ける前に呪文が放たれた。

 双子呪文。アルテの鏡写しのように、ダミーが隣に現れる。

 

「これを朝までベッドに置いておきます。誤魔化しにはなるでしょう」

「……そう」

 

 よくわからないが、彼女なりの手助け、ということらしい。

 一体何を考えているかも不明だ。だが、これ以上時間は掛けたくなかった。

 現れた自分の偽物を不気味に思いながらも、寮を出ようとして、ふと疑問に思った。

 

「……寝ないの?」

「そろそろ寝ますよ。偶然、起きていただけです」

 

 ――それが嘘だということは、分かった。

 指摘することはなかったが、その違和感は確かに、アルテの判断力を鈍らせていた。

 そうでなければ、気付いていたかもしれない。

 今のアルテに対し、あまりにもエリスが“普段通り”であることに。

 ダフネでもミリセントでもパンジーでも、ハリーでもロンでもハーマイオニーでもない。

 まだ、ただの一度も彼女の前で帽子を取っていたことなどないというのに、今のアルテを見てエリスは眉一つ動かしていない。

 逃げるように寮を出ていくアルテは、それを変だと思うこともなかった。

 ――その理由を、数多の命の危険の果てに知ることになるのは、ずっと先の事だ。




※パーティの物理攻撃担当。
※ロン「石を狙っているのはスネイプだ」アルテ「任務了解。お前(スネイプ)を殺す」
※原作とは違い、アルテを組み込むために突発的ではなく少し計画的になっているハリーたち。
※アルテ「タップダンスって何?」フリットウィック先生「えっ」
※アルテ「嗅ぎタバコ入れって何?」マクゴナガル先生「えっ」
※スネイプ「調子良さそうだから背後でプレッシャー掛けとこう」アルテ「……」(ガン無視)
※森が気になるお年頃のアルテ。
※ヘドウィグ初登場。
※エリスとの初対話。アルテの耳を気にしない系少女。
※次回は触手プレイ回(語弊)


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仕掛けられた罠

※アシュヴァッターマンのカルナさんへのボイスを延々と再生している。


 

 

 真夜中の学校は灯も消え、真っ暗だ。

 灯りの魔法を習得していないアルテではあったが、その歩みはいつもと変わりない。

 辺りの絵画がなにかと忠告してくるが、理由があるのだから仕方ない。

 確かに、夜中の出歩きは非常にリスクがある。

 先生やフィルチに見つかれば減点や罰則は免れないし、昼間とはまた違う階段の構造などが更に迷わせる。

 そして先生たちに見つからずとも、この校舎には面白いものさえ見つければすぐに喚き散らすような厄介者が徘徊している。

 

「んん? そこにいるのは誰――――ヒィ!?」

 

 そう、よりによってこの捕食者(アルテ)を絶対の天敵とするピーブズである。

 夜中はアルテの襲撃がない時間であった。

 ゆえにまったく警戒もせずいつも通りに暮らしていたのだが、それが仇となり、不用意に自分から近付いてしまった。

 

「……」

「……」

 

 手を伸ばせば触れることの出来る距離。

 ――そんな心配はないというのに、ピーブズは死を覚悟していた。

 瞬間的な反射神経で、ピーブズはアルテに劣る。

 この距離で動けば、間違いなくやられる――

 

「――ねえ」

「ひゃ、ひゃい!?」

「内緒にしといて」

 

 ――内緒にしなければ腹を裂いて中から喰らう。

 だらだらと冷や汗を流し怯えるピーブズには、アルテの頼みはそんな脅迫に聞こえた。

 先生やフィルチだけではない。たとえネズミにすら告げ口したら命はない――

 

「お、仰せのままに!」

 

 その答えを聞いて、ピーブズを素通りするアルテ。

 へたり込んだピーブズは、あまりの心労にその日の活動を終わらせた。

 

 

 

 四階廊下に辿り着くと、既にハリーたちがいた。

 既にその先の扉が少し開きかかっている。

 

「よし、行こう」

「この先?」

「ええ。この先にはフラッフィーっていう、頭が三つある犬がいて、先への仕掛け扉を守ってるわ」

 

 少しだけ開いた扉からは、荒い鼻息が聞こえてくる。

 賢者の石が宝というからには、守るための仕掛けなり何なりがあるのだろう。

 世にも珍しい三頭犬も、その一つであるらしい。

 

「倒せばいいの?」

「ストップ! フラッフィーに関してはハグリッドに聞いたの。音楽を聞かせている間は、フラッフィーは眠ってしまうわ。その間に、あの仕掛け扉を降りましょう」

 

 トロールをも超える巨体の三頭犬に何の策もなく、爪を伸ばして先行しようとするアルテをハーマイオニーが止める。

 今すぐ突っ込まんとしているアルテを見てハリーは慌てて用意してきた笛を取り出す。

 紡がれる音色は歌とも言えないものではあったが、最初の音を聞いた瞬間から犬は目を細め始めた。

 犬の唸り声が消えると、そっと扉を開き、仕掛け扉の方に歩いていく。

 ロンが扉を引っ張って開き、そこを覗き込んでみるも、中はあまりに真っ暗で、アルテにも先が見えない。

 しかも降りていくための階段はなく、飛び降りるしか手はなかった。

 

「ハーマイオニー、先に行くかい?」

「いやよ!」

 

 先に何が待っているかもわからない。

 下手すればすぐにスネイプに追いつくかもしれない以上、先行は躊躇われた。

 ならば、とハリーが先に行こうと手を挙げようとしたと同時、やはりというべきか誰に相談することもなく、アルテは飛び降りた。

 

「ちょ!?」

「正気かい!? ……おぅい、大丈夫!?」

 

 ハリーも思わず笛を口から離しかけた。

 ハーマイオニーはあまりに唐突な行動に言葉を失い、ロンが暫く経ってから穴に向かって叫ぶ。

 ――ごく小さく、問題ないと聞こえた。

 それから、下の詳細らしい情報が聞こえてくることない。

 意を決してハーマイオニーが飛び込む。遅れてロンと、最後にハリーが飛び降りた。

 奇妙な鈍い音を立てて、三人は柔らかいものの上に着地した。

 

「これ、何……?」

「植、物」

 

 アルテが苦し気な声で短く答える。ハリーたちは彼女を見て、悲鳴を上げかけた。

 蛇のような植物のツルがアルテに絡みつき、首や四肢を抑え込んでいる。

 抵抗すればするほどに、ますますツルは固く締め付けていく。

 それに目を見開いている間にハリーとロンもツルに捕らえられた。

 

「動かないで! これは『悪魔の罠』よ!」

 

 ツルが巻き付く前だったハーマイオニーはどうにか振り解き、引き攣った顔で叫んだ。

 本で読んだことがある。この植物は暗闇と湿気を好み、獲物が暴れれば暴れるほどに強く締まる。

 そして、苦手なものは――

 

「植物なら火を点けてよ!」

「そう、それよ! けど薪がないわ!」

 

 ハーマイオニーが天然のボケをかましている間に、更に強く締まったツルはアルテの呼吸を不可能なまでにしていた。

 自分も予断を許さない状況になっているロンが叫ぶ。

 

「気が変になったのか! 君はそれでも魔女か!」

「あっ、そうだった!」

 

 慌てて杖を取り出すハーマイオニー。

 何事か呟き杖を振るうと、リンドウ色の炎が植物めがけて噴射された。

 草が光と温もりで竦み上がる。三人を締め付けていたツルが、見る見るうちに解けていった。

 へなへなと力を失うツルを、ハリーとロンは力づくで振り払う。

 一歩遅れてアルテが辺りのツルを引き裂き、咳き込んでから深く深呼吸をした。

 

「アルテ、大丈夫!?」

「っ……大丈夫」

「ハーマイオニーが薬草学をちゃんと勉強してくれていてよかったよ……」

 

 解けてみれば、あまり痛みはない。

 先に進むことは十分に可能だ。

 罠を脱した四人は、奥へと続く石の一本道を進んでいく。

 そう歩かないうちに、アルテが立ち止まった。

 

「アルテ? どうしたの?」

「……羽と、何か、金属の音」

 

 耳をピクピクと動かしながら、アルテは言う。

 その耳を物欲しげに眺めているハーマイオニーを幸運にも気付かず、ロンはアルテの冗談とも言える言葉に笑った。

 

「羽の生えた鍵でもあるってのかい?」

 

 笑い飛ばしていたロンも、歩いていくにつれ聞こえてきた羽音に笑みを消す。

 通路の出口に出れば、目の前にはまばゆく輝く部屋が広がっていた。

 アーチ状の天井を仰いでみれば、そこに何百羽も鳥がいた。

 部屋の向こうには大きな木の扉があるが、当然のように鍵が掛かっている。

 ハーマイオニーが開錠の呪文を掛けてみるも、扉はビクともしない。

 

「……どうする?」

「あの鳥に秘密がある筈よ」

「……」

 

 低いところに飛んでいた鳥をじっと見ていたアルテは、突如素早く動きそれを叩き落とした。

 目を丸くする三人をよそに、それを手に取る。

 

「当たり」

 

 それは鍵だった。羽の生えた鍵だ。

 アルテが取ったものを鍵穴にさしてみるも、大きさが合わず回すことが出来ない。

 ――誰もが理解した。

 壁に箒が掛けてある。これに乗り、この何百羽の中から当たりの鍵を見つけ出すことこそ、この部屋の仕掛けであるのだと。

 アルテが肩を竦め、扉の隣の壁に背中を預ける。

 

「任せた」

「あぁ……そういえば、まだ君、殆ど乗れてなかったっけ」

 

 飛行訓練はアルテがひどく苦手意識を持っている科目であった。

 正確に言えば、飛ばすことは出来るようになった。

 だが相変わらず箒は碌にアルテの言うことを聞かず、持ち上げようとすれば手をすり抜けて頭をぶっ叩き、軽く進ませようとすれば箒の限界を超えんとするスピードですっ飛んでいく。

 執念で試験は切り抜けたが、恐らくは落第ギリギリといったところだろう。

 合同授業であったことからその様を知っている三人は、サボりとも思わずに彼女を残し、箒に乗る。

 それぞれ本物の鍵を探すが、やはりこの大量の中から一本を探すというのは難題だ。

 

「本物は!?」

「多分取っ手と同じ銀製よ、大きくて古い……!」

「――いた! そこだ、明るいブルーの! 羽が片方ひん曲がってる!」

 

 しかし、それを見つけるのが、今世紀最年少シーカーも名高いハリーだ。

 デビュー戦で見事に勝利(スニッチ)を掴み取った彼には、他の人には見えないものを見つけ出す能力がある。

 ハリーはハーマイオニーとロンに指示を出す。

 三人で追い込み、一本の鍵を群れから引き離す。

 鍵が群れに戻ろうと方向を変えた瞬間を、ハリーが石壁に押さえつけた。

 

「取った!」

 

 三人が着地し、ハリーが両手で抑え込んだ大きな鍵を鍵穴に突っ込む。

 回してみれば、ガチャリと音が鳴る。その瞬間鍵は暴れてハリーの手を逃れ、また飛び去った。

 扉を開き、次の部屋に一歩進む。真っ暗だった部屋に突然明かりがついた。

 

「……チェス盤?」

 

 そこに広がっていたのは、駒の一つ一つが大人の伸長を超えるほどに大きなチェス盤だった。

 四人は黒い駒の側に立っている。白い駒の側――相手側の向こうには扉が見える。

 

「……どうすれば?」

「見ればわかるだろ? 向こうに行くにはチェスをしなきゃ」

 

 ロンが黒のナイトに近付く。

 馬に触れると、馬は蹄で地面を掻く。兜をかぶったナイトが、ロンを見下ろした。

 

「……あの。向こうに行くにはチェスに参加しなくちゃいけませんか?」

 

 ナイトが頷いた。

 三頭犬、悪魔の罠、鍵の鳥に続く四つ目の仕掛けこそ、このチェスだ。

 踏み入れた者が一つずつ駒の役目を担当し、白のキングを落とせば先へと進むことができる。

 ロンは考えた。ハリーとハーマイオニーとはチェスをしたことがあるが、あまり上手ではない。アルテは……分からないが、高確率で論外だろう。

 であれば――やるしかない。ロンは自分の頬を叩き、気を入れた。

 

「ハリー、君はビショップと代わって。ハーマイオニー、アルテ、君たちはルークだ」

「ロンは?」

「僕はナイトになるよ。これで、キングを取る」

 

 チェスの駒たちは、ロンの言葉を聞いていたらしい。

 黒のナイトが一つ、ビショップが一つ、そして二つのルークが白に背を向け、チェス盤を降りる。

 ロンを信じるしかなかった。ハリーとハーマイオニーは、ロンの実力を知っている。

 彼ならば、必ず自分たちを残したうえで、勝利できるだろう、と。

 アルテも黙って、指示された通りに盤の角に立つ。

 四人が然るべき場所に立つと、先手の白のポーンが前に進んだ。

 対して、ロンが黒駒に指示を出す。

 黙々と駒は進む。指示された黒駒が止まると、また白が進んだ。

 

「ハリー、斜め右に四つ進んで」

 

 ハリーはただ、ロンに従った。

 次の番、ロンと対になっているナイトが取られた。

 白のクイーンがナイトを床に叩きつけ、チェス盤の外に引きずり出したのだ。

 それが、取られた駒の末路――ハリーが息を呑み、ハーマイオニーが竦み上がる。

 

「……君があのビショップを取るために道を空けなきゃならなかったんだ。ハーマイオニー、進んで」

 

 怯えていたハーマイオニーだが、ロンの指示通りにまっすぐ進む。

 白のビショップの前に立ち、軽く触れると、首を倒して盤の外へと出ていく。

 

「次だ、アルテ。今度は君が進んで。きっと次でナイトが取れる」

 

 アルテも指示に従いながら、何となくルールを把握していく。

 ポーンは前に一歩――二歩進んでいるものもあるが。斜め前にある駒を取れる。

 ナイトは……よくわからないが、ビショップは斜め、ルークは前と横にまっすぐ進める。

 クイーンはビショップとルークを混ぜたような強い駒で、キングは周りのマスに進めて、取られると負け。

 これが正しいとして、今のロンの指示通りに進めていくとすると……。

 黒駒が取られる。返しの番で、白駒を取る。

 白のクイーンがロンを睨みつけた。

 

「……次」

「……うん。わかるかい、アルテ。これしか手はない。僕が取られるしか……」

「だめ!」

 

 次の番でロン――ナイトがクイーンに取られるように動けば、ハリーがキングを取れる。

 だが、その許容できない手に、ハリーとハーマイオニーが同時に叫んだ。

 

「これがチェスなんだ! 犠牲を払わなくちゃ! 僕が進めば、クイーンが僕を取る。それからハリー、君がチェックメイトをかけるんだ!」

「でも……」

「スネイプを止めたいんだろう、違うかい? 急がないとスネイプがもう石を手に入れてしまったかもしれない!」

 

 ロンの意思は固かった。

 ハリーとハーマイオニーを黙らせると、前に出る。

 アルテは何も言わなかった。これはルールの中で行われるゲーム。彼女がルールを破って飛び出すことは出来ない。

 ロンがクイーンの前で止まる。すかさず、クイーンがロンの頭を石の腕で殴りつけた。

 

「ロン!」

「ハーマイオニー、動いちゃ駄目だ!」

 

 クイーンが気絶したロンを引き摺って、盤の外に出す。

 容体を確かめることは出来なかった。ハリーが三つ進み、キングの前でチェックメイトを言い渡す。

 白のキングは王冠を脱ぎ、ハリーの足元に投げ出した。

 ハリーたちの勝利が確定し、駒が左右に分かれて道を作り、お辞儀をする。

 

「……行こう」

 

 ロンを一度振り返り、扉に向かって走っていく。

 まだ戻る訳にはいかない。

 次の扉を開け放つと、むかつくような臭いが鼻に突き刺さる。

 ふらりと倒れかけるアルテだが、先にあったものを見て踏ん張った。

 トロールだ。前に見たものよりも二回りは大きい。

 しかし、倒れていた。頭のこぶは血だらけで、動く気配すらない。

 

「……」

 

 思わず足を止めるハリーとハーマイオニーに先行して、アルテがトロールに近付いていく。

 鼻が曲がりそうだったが、もしも起き上がってくるようであればあの時のように目でも潰しておかなければならない。

 暫くトロールの様子を近くで見て、ハリーたちに振り返る。

 

「……気絶している。今のうち」

 

 これ幸いにと部屋の奥へと走っていく。

 あまりに巨大なトロールだった。戦うことになっていれば、アルテがここで脱落していたかもしれない。

 それどころか皆殺しも十分にあり得たため、気絶していたことを不思議に思うよりも前に三人は次の部屋へと進んだ。

 

「……スネイプの仕掛けだ」

 

 次の部屋には、恐ろしいものはなかった。

 ただ、一つのテーブルと、形の違う七つの瓶が一列に並んでいるだけだ。

 扉の敷居をまたぐと、今通ってきたばかりの道がたちまち紫の炎に包まれる。

 そして前方の扉には黒い炎。それの消化は叶わなさそうだった。

 

「……論理パズルよ! 大魔法使いと呼ばれる人って、論理の欠片もない人がたくさんなの。そういう人はここで永久に行き止まりだわ」

「僕らもそれの仲間入りってこと?」

 

 瓶の傍にあった巻物に書かれた字を見て、ハーマイオニーは何が嬉しいやら、微笑んで声を上げた。

 そこには必要なヒントが全て書かれている。

 論理的に考えることが出来れば、たった一つの正解を当てられるように。

 

「……七つの瓶があって、三つは毒薬、二つはお酒、一つは私たちを安全に黒い炎の中を通してくれて、一つは戻れるようにしてくれる……」

 

 ハーマイオニーは何度も紙を読み返す。

 独り言を呟きながら瓶と紙とを交互に見て、パチンと手を叩く。

 

「一番小さな瓶が黒い炎よ! そして紫がこの丸い瓶ね!」

 

 素早くパズルを解いたハーマイオニー。

 ハリーは小さな瓶を覗き込む。とてもではないが、三人が飲めるほどの量は入っていない。

 そして丸い瓶に入っている薬は、それこそ一人分だった。

 

「……ギリギリ、こっちは二人飲めるかな。ハーマイオニー、君がその丸い瓶の中身を飲んで、戻ってロンと合流してくれ」

「ハリー……!」

「鍵の鳥の部屋の箒に乗れば、仕掛け扉もフラッフィーも飛び越えられる、ふくろう小屋に行ってヘドウィグをダンブルドアに送ってくれ。その間、僕とアルテでスネイプを食い止める」

 

 それが、ハリーの選択だった。

 ハリー一人では、とてもではないがスネイプには敵わないだろう。

 だが、あのトロールさえ引き裂いたアルテがいれば、もしかするかもしれない。

 

「……アルテ」

「何?」

「ハリーをお願い。でも、貴女も無理しちゃ駄目よ!」

 

 唇を震わせながら、ハーマイオニーは丸い瓶の中身を飲み干した。

 そして、ハリーに一度抱き着いてから、紫の炎へと走っていく。

 呆けているハリーを一瞥した後、アルテは小さな瓶の中身を半分だけ飲んだ。

 氷のような冷たさが体中に広がっていく。この一瞬で風邪でも引いたのでは、という錯覚に陥る。

 ハリーに残った瓶を押し付けると、アルテは黒い炎へと歩いて行った。

 

「……うん。行こう」

 

 残りを飲んで、ハリーも続く。

 炎は二人に対して何事も起こさなかった。

 炎の向こう側、扉の先には、最後の部屋が広がっていた。

 ――そこにいるのはスネイプでも、ましてヴォルデモートでもなかった。




捕食者(アルテ)
※アルテ「三頭犬? ボッコボコにしてやんよ」ハー子「音楽で眠らせられるわ!」アルテ「えっ」
※アルテちゃん触手プレイ。とりあえず反射的に暴れるアルテの天敵。
※アルテちゃん放置プレイ。相変わらずの空適性:-。
※チェスの駒になっているうちにルールを理解し始めるアルテ。
※アルテ「トロール? ボッコボコにしてやんよ」トロール「マジ無理」アルテ「えっ」
※ハリーとハー子がイチャついている間に薬を飲むアルテ。
※次回、出会う。


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存在証明

 

 

 部屋の奥にいたターバンの男を見て、ハリーは目を見開き、アルテは怪訝そうに首を傾げた。

 聞いていた者ではない。

 クィレルは笑いを浮かべた。いつもと違い、痙攣も、どもってもいなかった。

 

「……貴方が!」

「私だ。君にここで会えるかもしれないと思っていた、ポッター。一人余計者もいるがね」

 

 スネイプではなかった。だが、こんな場所にいる以上犯人であることは明らかだ。

 会話など不要だ。

 今この場で取り押さえれば、それで終わりだと、アルテは駆け出す。

 

「だ、駄目だアルテ!」

「やはり獣だな、ルーピン。この距離でその行動はあまりに愚かだぞ」

 

 ハリーの静止も聞かず走っていくアルテ。

 だが、あまりに距離が開いている。

 クィレルは優々と喋りながらも杖を取り出す。

 それから呪文を唱えるまで、十分に余裕があった。

 

「これがその代償だ。クルーシオ!」

 

 杖から無慈悲に放たれた閃光がアルテに突き刺さる。

 瞬間――

 

「が、ァ、あぁぁああああァァァ――――――――ッ!」

 

 いつも不愛想で静かなアルテが、ハリーの聞いたことのないような叫びを上げた。

 杖を介してアルテに飛び込んできたのは、ありとあらゆる苦しみだった。

 肌の表面から内部まで、満遍なく削り取られるような痛み。

 体の末端を針で刺し貫かれ、炎で焼かれ、切り刻まれていく。

 その体で感じ取ることのできる全ての痛みを同時に味わわされるような責め苦に、アルテは喉を枯らすほどに叫び身を捩らせる。

 

「あ、アルテ……!」

「っ……っ……」

 

 ようやく痛みから逃れたのか、痙攣しながらその場に伏すアルテ。

 クィレルはその様を鼻で笑うと、ハリーに再び目を向けた。

 

「アルテ……! な、何故貴方が! 僕はてっきりスネイプとばかり……」

「セブルスか。確かに、彼はまさしくそんなタイプだ。彼の傍にいれば誰だって、か、かわいそうな、ク、クィレル先生を疑いやしないだろう?」

 

 クィレルは普段の様子とは正反対の邪悪な笑みを浮かべる。

 ハリーは未だ信じられていない。こんな筈はないと、自身が陥った危機を思い出す。

 

「クィディッチの時、スネイプは僕を殺そうとした!」

「いやいや。殺そうとしたのは私だ。あのクィディッチの試合でミス・グレンジャーがぶつかった拍子に君から目を離してしまった。もう少しで箒から落としてやれたのに! スネイプが私のかけた呪文を解く反対呪文を唱えてさえいなければ、もっと早く落としてやれた!」

 

 クィディッチのデビュー戦。箒の不調は、スネイプが箒に呪いを掛けていたからだと思っていた。

 だが、それは真逆であった。

 落とそうとしていたのはクィレルだ。反対呪文でスネイプはハリーを守っていたのだ。

 

「もしかして、トロールも……」

「そうだ。私はトロールに特別な才能がある。あの時皆がトロールを探して走り回っていたのに、私を疑っていたスネイプだけがまっすぐ四階に来て私の前に立ちはだかった。結果トロールは君らとそこの獣に殺され、三頭犬はスネイプの足を噛み切り損ねた。散々だったよ――クルーシオ!」

「ッ、づ――ァア、ッ――!」

 

 腹いせのように、クィレルはもう一度杖を振るう。

 再び悲鳴を上げて地面を転がるアルテを、ハリーは見ていることしか出来ない。

 息が細くなっていくアルテを見下ろし冷たい笑みを浮かべたクィレルは、ハリーに背中を見せた。

 

「そこで待っていろポッター。私はこの中々面白い鏡を調べなくてはならない」

 

 その時、ハリーは気付いた。

 クィレルのすぐ奥にあるのは、「みぞの鏡」だ。

 己の最も深いところにある欲望を映し出す鏡。

 ハリーはこの鏡を見つけ、両親が映っていたことを見て、入り浸るようになった。

 それから暫く経ってダンブルドアに見つかり、隠されていたのだが、こんなところにあったのだ。

 クィレルは鏡の裏を調べ、そしてまた前に回る。

 目を見開き、食い入るように鏡に見入った。

 

「『石』が見える……! ご主人様にそれを差し出しているのが見える! でも一体石は何処だ!」

 

 興奮し、鏡を揺らすクィレル。

 ハリーはその背中に再び叫ぶ。彼の疑問はまだ尽きていない。

 

「でもスネイプは、僕のことをずっと憎んでいた!」

「その通りだ。お前の父親と彼はホグワーツの同窓だった。ああ、ついでにこの獣の父親――ルーピンもそうだ。知らなかったのか? ポッターとルーピンは仲間で、スネイプとは互いに毛嫌いしていた。だがお前を殺そうなんて思わないさ」

 

 初めて知った。

 ハリーとアルテの父が友人であったこと。

 そして、彼らがスネイプと犬猿の仲であったこと。

 そんなことはどうでもいいとばかりに、クィレルは鏡を叩いた。

 

「チッ……この鏡はどういう仕組みなんだ! どういう使い方をするんだ!」

 

 その時だった。

 クィレル自身から、別の声が聞こえてきたのは。

 

「――その子を使うんだ……その子を使え……」

 

 地の底から響くような、低い、低い声だった。

 全身に寒気が走る。ハリーにとってその声は、特別なまでに恐ろしいものだった。

 

「わかりました……ポッター、ここへ来い。ここへ来るんだ! お前も使うか。数は多い方が良いだろう」

 

 震えながら、ハリーはのろのろと鏡の前に歩いていく。

 そうしている間にクィレルはアルテの腕を引っ張り、鏡の前まで引き摺ってきた。

 

「鏡を見て、何が見えるかを言え」

 

 ハリーはそれを、ハッキリと見た。

 鏡の中のハリーが笑いかけた。ポケットに手を突っ込み、血のように赤い石を取り出す。

 そしてウインクをするとまた、その手をポケットに戻す。

 その瞬間、ハリー自身のポケットがずっしりと重くなった。

 ――賢者の石だ。

 驚きを隠せないハリーに、クィレルが待ちきれず聞いた。

 

「どうだ? 何が見える!」

「ぼ、僕がダンブルドアと握手しているのが見える、グリフィンドールが寮杯を獲得したんだ!」

「嘘をついている……!」

 

 再び聞こえた低い声が、ハリーの咄嗟の嘘を看破した。

 

「本当のことを言え、ポッター!」

「わしが話す……直に話す……」

「……ご、ご主人様。しかしあなた様は十分に力がついていません!」

「このためなら、使う力がある……」

 

 低い声に従うように、クィレルがターバンを解いた。

 ふらりと、アルテが頭を起こし、鏡を見る。そしてピタリと止まり、動かなくなった。

 そうしている間にクィレルのターバンが落ちる。

 ハリーは悲鳴を上げかけるも、声が出なかった。

 クィレルの後頭部には、もう一つの顔があった。

 蝋のように白い顔、ギラギラと血走った目、鼻孔は蛇のような裂け目となっている。

 

「――ハリー・ポッター……」

 

 声が囁いた。ハリーは動けず、何も言えない。

 

「このありさまを見ろ。ただの影と霞に過ぎない。誰かの体を借りて初めて形になれる。だが、命の水さえあれば、わしは自身の体を創造することが出来る。さあ、ポケットの中にある石を寄越せ」

 

 ハリーは無理やり体を動かそうとする。

 よろめきながら後ずさるも、顔が低く唸った。

 

「命を粗末にするな。わしの側につけ……お前もだ、獣のような娘よ。良いか? その鏡に映っているのはお前の望むものだ。お前がわしに従うならば、如何なるものも授けよう……」

 

 ハリーを更に絶望させるためか、顔はアルテに声を投げた。

 アルテは、呆然と鏡を見ていた。

 その顔はハリーが見たことのないもので――ある意味ではクィレルたち以上に、不安を駆られるものだった。

 

「……わたしの、望み」

「そうだ。お前は心を閉ざしているな……? 心は見えんが、どうせ下らん望みだろう。さあ、言ってみろ。わしがお前の望みを叶えてやろう」

 

 ようやく体から痛みが抜け始めたらしい。

 ふらふらと立ち上がるアルテは、体を震わせながら、もう一度鏡を見る。

 

「…………望み。わたしが、叶えたい、望み」

「っ……アルテ、駄目だ! コイツは嘘をついてるんだ!」

「クク……本当だとも。何を望む? 金か、名誉か。それとも……さあ、言ってみろ!」

 

 ――ハリーが何を言っているのか。顔が何を言っているのか。

 アルテにはもう、聞こえていなかった。

 その目に映る光景は――そう、確かにアルテの望みであった。

 

 アルテにのみ見える、黒い靄のような影。

 曖昧な、輪郭すらわからない靄の正体は分からない。だが、アルテには確信があった。

 その靄はゆっくりと、クィレルの後頭部に向かい、消えていく。

 曖昧であるのに、それが意味することは、アルテにははっきりとわかった。

 

「………………見つけた」

「え……?」

 

 ぼそりと呟かれた言葉には、アルテから出たとは思えないほどの、“喜色”に満ちていた。

 

「やっぱり、いた。わたしが生きているのは、間違いじゃなかった。わたしが生きている理由は、あった。生まれた理由は、まだ残ってた。見つけた。見つけられた……っ」

 

 ――その表情を、ハリーは生涯忘れることはないだろう。

 あまりにも浮かべ慣れていない、下手くそな笑み。機械のように引き攣っていて、目を見開いて鏡に見入っている。

 歯を見せて笑うその様は、まるで人ではないようで――途轍もなく、不気味だった。

 

「どうした! 望みはなんだ! それともわしに歯向かい、死ぬか!」

 

 顔が叫ぶ。ゆっくりと、アルテはそちらに向かって振り向きながら、言った。

 

「――わたしの、望みは…………お前だ」

「何……?」

 

 思わず、聞き返した。

 何を言っているのか、ハリーにもクィレルにもわからなかった。

 ゆえに、もう一度、ハッキリと、アルテは口にする。

 

 

「――――ヴォルデモート、お前が欲しい。わたしは――お前を殺したい!」

 

 

 瞬間的に降り抜かれた腕。鋭い爪が咄嗟に下がったクィレルのローブを切り裂いた。

 そうだ。見つけた。否、最初から分かって然るべきだったのだ。

 自身が生存しているのであれば、かの者が滅んでいない筈がない。

 不死を齎す秘宝を求める者など――彼以外あり得ない。

 あの顔こそが、アルテの望み。クィレルの後頭部に張り付いたヴォルデモート卿を殺すことこそが、アルテの悲願にして存在意義。

 ようやく見つけた。そして、間違ってなどいなかった。

 目を見開き、口の端を吊り上げた作り物のような笑顔のままに、もう一歩を踏み出し、追撃する。

 

「ッ、殺せ!」

「アバ――ひぃ!?」

「ぬぅ……っ!?」

 

 自身の名を臆面もなく、どころか不気味な笑いを浮かべながら呼ぶ小娘。

 自身の存在を知りながら、何の恐れもなくただ明確な殺意のみをぶつけてくる小娘。

 許されない。霞の如く零落しているとはいえ、闇の帝王にここまで不遜な態度を向けるなど。

 ヴォルデモートはクィレルに一言、命じた。

 クィレルは杖を振りかざし、その命に従うべく恐ろしき呪文を唱えようとして――アルテの目を見て、止まった。

 ヴォルデモートも、クィレルを通して感じ取る。感じ取ってしまう。

 その眼力。殺意。アルテから向けられる牙のような鋭い感情は、体という壁を貫いて、直接精神に突き刺さった。

 ほんの一瞬、ただそれだけ。ごく僅かな動揺。些事でしかない。

 だというのに、クィレルは杖を止めた。ヴォルデモートは己の動揺を自覚してしまい、屈辱に歯を食い縛り激昂する。

 

 ――畏れた。この帝王が、恐怖した!

 

 悟った。これは魔法だ。

 呪文を相殺するものではない。相手を攻撃するものでもない。

 杖を使わず行使された、ただ相手を恐れさせるだけの魔法。

 そんな魔法は、ヴォルデモートでさえも知らない。その、答えに行き着いたことによる正体不明さすら恐怖へと変わり、より大きな怒りへと転じていく。

 

「す、ステューピファイ! 麻痺せよ!」

「ッ」

 

 ここまで明確な恐怖など抱いたことのなかったヴォルデモートより早く復帰したクィレルの失神呪文がアルテに直撃した。

 崩れ落ちるアルテを一瞥することすらなく、ハリーに向き直ったクィレルは吠える。

 

「今すぐ石を寄越せ、ポッターッ!」

 

 このような気味の悪い小娘に構っている暇など無い。

 ヴォルデモートに残された時間は少ないのだ。こうしている間にも、賢者の石を奪い然るべき儀式を行わなければならない。

 だが、クィレルはハリーを侮っていた。

 確かにヴォルデモートは恐ろしい。だが、そんな帝王に恐怖することなく立ち向かった少女が、目の前にいた。

 ここまで付いてきてもらって、自分がそれ以下のことしか――黙って震えていることしか出来ないなど、自分の誇りが許さない。

 勇気ある者が集う寮――グリフィンドール生が、勇気でスリザリン生に負ける訳がない――!

 

「――やる、ものか!」

「――――殺せ! 殺せッ!」

 

 額の傷がズキズキと痛む。試験期間中の痛みが可愛く思えるほどの激痛だった。

 そんなもの、関係ない。

 にじり寄ってくるクィレルに対峙する。首を絞めようとハリーに手を伸ばしてきた。

 ハリーは咄嗟に、抵抗しようとクィレルの顔を掴む。

 

「――ぁ? ぁ、ああああ!?」

 

 クィレルの悲痛な叫びが響く。首を絞めようと伸ばされていた手は、ハリーを突き飛ばすのに使われた。

 ハリーが触れていた顔は無残に焼けただれている。

 なんら魔法を使っていた訳ではない。だが、勝機を感じた。

 クィレルに近付こうとしたハリーに、咄嗟にクィレルは杖を向けた。

 しかし、呪文が放たれることはなかった。

 

「――ッ――!」

「ギィ……ぁああ!?」

 

 失神呪文の直撃から想定される覚醒の時間などずっと先。

 まだ三十秒と経っていないというのに、アルテは起き上がりクィレルに爪を振るった。

 手首の動脈を切り裂き、痛みに思わず杖を落とす。

 何を置いても、この時クィレルは落とした杖を取りに走るべきだった。

 しかし次のクィレルの行動は、逃亡だった。

 目の前の“死”から逃げようとし、背を向ける。ゆえに、その敵の前にヴォルデモートを晒した。

 作られた笑みを刻んだアルテの眼差しが、その顔を捉える。

 飛びかかったアルテの爪は、ヴォルデモートの目を突き刺した。

 

「――――――――ッ!」

 

 声にならない叫びを上げるヴォルデモート。

 更にアルテはその顔を引っ掻き、鼻っ面に斜めに走る傷を刻んだ。

 そうしてから、その鼻を蹴飛ばしてハリーの元に跳び、ついでに拾い上げた杖をへし折る。

 跳んだ勢いを殺し切れず、転がるように倒れるアルテと入れ替わるように、ハリーは走った。

 起き上がろうとするクィレルの後頭部を――傷の刻まれたヴォルデモートの顔を抑えつける。

 額の傷の激痛がますます強くなる。クィレルの叫びが、ヴォルデモートの叫びが、近くから、遠くから聞こえる。

 ハリーの視界から色が消え、黒く染まっていく。

 か細くなっていくクィレルとヴォルデモートの悲鳴。確かに掴んでいた筈の顔の感触が無くなり、それと同時にハリーの意識も沈んでいった。

 

 

 

 消えていくその気配を、薄れゆく意識の中、アルテは感じ取っていた。

 遠ざかる。己が何より優先すべき、存在意義が遠くなっていく。

 

「……」

 

 理解する。それは、今手を伸ばしても届かないものなのだと。

 だが、その残滓に爪を立てることが出来た。

 その靄は消えたようだが――アルテには分かる。

 まだヴォルデモートは滅んでいない。何かしらの要因により、この世界に残っている。

 どんな外道な魔法を使っているのか。そんなもの、アルテには関係なかった。

 殺すべき存在が生きている。つまり――己はまだどうあっても、生きていなければならない。

 ヴォルデモートの全てを殺し尽くす。まだ霞でも残っているならば、それさえ一片残らず殺し切る。

 目の前に彼がいなくなったからか――アルテの表情はいつも通りの不愛想なものに戻っていた。

 

「……、……」

 

 変わっていない。己が成すべきことは、何一つ変わっていない。

 これは、最初の一歩に過ぎない。あの切れ端のような状態のヴォルデモートに爪が触れたならば、もう一歩踏み込めば更に深く手が沈む。

 また一歩踏み込めば、もっとハッキリとしたヴォルデモートにさえ、傷をつけられるかもしれない。

 不可能ではない。勝率がゼロでないと分かったならば、死ななければいつか勝てる。

 その確信に、大好物のステーキにありついた時とはまた異なる高揚感を覚えながら――アルテは意識を手放した。




※一年次に磔の呪文二回と失神呪文を立て続けに受ける系ヒロイン。
※アルテの初感嘆符。
オリジナル笑顔。
※帝王絶対殺す系ヒロイン一世一代の告白。
おい、魔法使えよ。
※ディフィンド(物理)
※エクスペリアームス(物理)
※オブスキューロ(物理)
※特性:いかく(相手の攻撃力を一段階下げる)
※ついに目的を見つけたアルテ。やったね。
※次回賢者の石編完結です。


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得られたもの

 

 

 目覚めはひどい眠気と気怠さが残った、憂鬱なものだった。

 アルテは目を擦りつつ体を起こす。

 特に痛みなどはなかったが、とにかく怠い。

 どうやら暫く寝たきりだったらしい。体を伸ばしながら辺りを見渡すと、そこは医務室だった。

 隣のベッドとは仕切りで区切られ、まるで自身が重篤患者のようだ。

 アルテはさっさとベッドを出ようとして、ようやく、傍に立っていた老人に気付く。

 

「目が覚めたようじゃの。調子はどうかね、アルテ」

「……別に。いつも通り」

 

 穏やかな微笑みを浮かべたダンブルドアに対し、アルテはどこまでも不愛想に答える。

 ふと、いつかの出来事を思い出し、無意識に鼻をひくつかせたが、今日は何も持ってきていないようだった。

 

「……キミらが石を守ったことは、秘密になっておる。……学校の皆が知っている秘密じゃ」

「そう」

 

 アルテにとっては、最早あの石がどうなっていようとも興味がなかった。

 それよりも、大きなものを見つけたからだ。

 石をヴォルデモートから守れたのであれば、後は残滓を殺すだけ。

 もしも守れず、石を盗まれていたならば――不死が尽きるまで殺すだけだ。

 破綻どころではない、意味不明な思考に一切疑問を持たず、アルテは決意を新たにした。

 この心持を得ることが出来た。それだけで、アルテにとっては十分な成果だったのだ。

 

「話は聞いておるよ。ヴォルデモートに立ち向かい、ハリーと賢者の石を守った、と」

「守ってない。わたしは、ヴォルデモートを殺したかっただけ。誰を守るとか、何を守るとか、考えてなかった」

 

 それは本心だった。アルテは確かにあの時、ハリーも賢者の石も眼中になかった。

 ヴォルデモートを見つけた。今までの生は、持っていた存在意義は、無駄ではなかった。

 そんな、体をいっぱいに満たすほどの歓喜のままに戦っただけだ。

 ――謙遜などではない本心を聞かされたダンブルドアは、僅かに目を見開いた。

 目の前の少女がまた一歩、“壊れた”道へと進んでしまったことに対する驚愕と悲しみのためだ。

 ハロウィーンの夜、アルテから聞いた彼女の存在理由を覚えている。

 ――ヴォルデモートを倒すため。

 その、曖昧で、それゆえに希望のあった目的は、より鋭いものへと変じていた。

 “倒す”から“殺す”。言葉の違いだけで、彼女の行動自体は変わらないのかもしれない。

 だが、変わった言葉に込められた決意、殺意は、それ以前よりも遥かに強固だった。

 まるで、本物のヴォルデモートと出会ったことでスイッチが入ったようだ。

 そして何より悲しかったことは――ヴォルデモートを語る時のアルテの目は、まるで“初めての玩具を与えられた子供”のように活気に満ちていたこと。

 本当に、それしか存在理由を知らないような純粋すぎる瞳は、この年齢の子供が持っていて良いものではない。

 しかし“楽しみ”など微塵も抱いていない表情。目だけが爛々と輝くさまは、狂気そのものだった。

 

「……あ奴を倒し、目的は果たしたかの?」

「まだ死んでない。ヴォルデモートは生きている」

 

 確かに、賢者の石さえあれば復活できるような靄が、未だ存在していた。

 とはいえそれが滅び、その他にまだ彼が生きていると、アルテは確信している。

 ダンブルドアも、彼が滅んだとは思っていない。彼の部下である死喰い人はまだ大勢いる。その中の誰かが、彼の復活について何かしらの秘策を持っている可能性は決してゼロではない。

 だがダンブルドアの中でさえ、最悪の可能性の一つでしかないものを、アルテは疑いなく信じていた。

 根拠はないのかもしれない。自分の中の、それこそ直感に等しいものかもしれない。

 少なくとも、アルテの目的は彼女の中で未だ果たされていないことは、明白だった。

 これは、危険だ。これ以上彼女の、この関心を突くようなことはしてはならない。

 ダンブルドアは苦々しく思いながらも、ふと思い出した話題に切り替えた。

 

「――そうじゃ。キミのお父さん、リーマスはハリーのお父さんであるジェームズとは友人の間柄での」

「知ってる」

 

 図らずもクィレルに聞いた。

 ハリーとスネイプの確執に対する解答は、アルテにも少なからず関わってくることだったのだ。

 ダンブルドアはアルテの答えを聞き、嬉しそうに目を細める。

 

「そうか、そうか。彼は大変に誠実で利口な生徒であった。グリフィンドールでの。同じく優秀じゃが少々規律を破るきらいのあるジェームズや他の友人の良きストッパーじゃった」

 

 そう。彼がいなければ、ジェームズ・ポッターや彼の相棒とも言え()シリウス・ブラックは退学を何度繰り返していたか分からない。

 いたずら仕掛け人と己たちを称し、現在でいうウィーズリーの双子をより悪化させたような悪さを日ごとに行っていたような彼らではあるが、その中にいてリーマス・ルーピンは良心とも言える存在だ。

 そのいたずらが最悪の結末になる予感がすれば、良いように動いてそれを回避する要領と引き際の良さを併せ持つ生徒だった。

 

「五年生の時には監督生にも選ばれての。今でも思い出せる。彼はあの年の誇りのような生徒じゃったよ」

「…………」

 

 良くも悪くも――悪い面の方がやや多すぎる気もするが――彼ら四人、いたずら仕掛け人は忘れられない生徒だ。

 ダンブルドアにとってだけではない。あの年からホグワーツで教鞭を執っている全ての先生が、そう思っているだろう。

 ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックが歯を見せた笑いで先頭を駆け、その後ろを呆れた様子で、しかし楽しそうにリーマス・ルーピンが付いていき、最後尾をいつもおどおどして、しかし彼らから離れないピーター・ペティグリューが追いかける。

 そんな光景は今も思い出せる。

 リーマスは、アルテに話したことがないだろう。今や彼にとって、彼らとの思い出は回想するに辛いだけでしかなくなってしまった。

 シリウスの裏切りによりジェームズとピーターは死に、シリウス自身はアズカバンに投獄された。

 今や彼は一人きりだ。そしてそんな彼にとって、唯一の拠り所となり得るのが目の前の少女だ。

 痛ましい運命にだけ愛されたような彼の希望は今、アルテしかいない。

 それもまた、ダンブルドアが彼女に壊れたままでいてほしくない理由でもあった。

 

「キミは、お父さんのようになれると思っておる。優秀な生徒じゃ。特にマクゴナガル先生はキミを大きく評価しておった。キミ曰く結果的ではあっても、賢者の石や、大勢の生徒、そして魔法界をも守った。お父さんの誇りになれる、素晴らしい生徒じゃよ」

「…………」

 

 アルテは何も言わなかった。何かを考えるように、俯くだけだった。

 だが、小さくない何かを思わせることは、出来ただろう。

 ダンブルドアはそれで良いと思った。人を一日で大きく変えることは出来ない。だが、少しずつ変えていくことは出来る。

 ハロウィーンの出来事はその一因にはならなかった。だが、今回の出来事こそは違うだろう、と。

 

「さあ、今夜は学年末パーティじゃ。キミのお友達が来ているようじゃから、邪魔者じゃろうわしは戻るとするよ」

 

 ゆっくりと立ち去っていくダンブルドア。

 彼の姿が見えなくなって一分ほど経ったあと、慌てた足取りの足音が近付いてきた。

 

「アルテ! そろそろ起きないと――起きてる!?」

「嘘!? っていうか今ダンブルドアが出てこなかった!?」

「アルテっ……アルテ、泣いてる? ダンブルドアに何かされた!?」

 

 目から一筋流れたものに関心はなかったけれど、今考えていたことは――いつも自分の周りで起こるものよりは、少しだけ温かく感じた。

 

 

 

 学年末パーティの会場となる大広間は、大いに盛り上がっていた。

 中でもスリザリンのテーブルの騒ぎっぷりは、ホグワーツのここ数年の宴の中でも随一だろう。

 ――学年末試験の最終日、学校に隠された秘宝である賢者の石が狙われた。

 その魔の手は見事払われ、石は守られた。

 石を守った者こそ、一年間で数多の珍伝説を打ち立てたアルテ・ルーピンだ。

 共闘した者にグリフィンドールの、あのハリー・ポッターらがいたらしい。それだけが気に入らない点ではあったが、アルテが一年の最後に起こしたとびっきりの『アルテの時間』の前ではまったく些事だった。

 卒業する七年生にとって、この一年、いつ起きるかもわからないサプライズは、まさに一年を通して行われた盛大な送別会だった。

 一年を通してしょっちゅう聞こえてきた、迷惑なピーブズを追い回した逸話。箒に年がら年中揶揄われ、ある意味で一風異なる姿を見られることから妙な固定ファンも存在する飛行訓練の逸話。気に入らない後輩であるウィーズリーの双子を配下に加え、あれこれと命令していたという気持ちのいい逸話。あのグリフィンドール生を守ってやり、大いに恩を売ってやったトロール殺しの逸話。ダンブルドアに貢ぎ物をさせたという、出所は不明だが何かとにかく物凄い逸話。逸話。逸話。逸話……。

 無論いくつか偽りはあるだろう。だが、今回のものはほぼ確かであり、ゆえにこそ盛り上がっていた。

 スリザリン七年生は入れ替わり立ち代わりアルテに一言二言声を掛け、肩を叩いたり頭を(無論帽子越しで)撫でたり、終いには妙にテンションの上がった何人かに胴上げされかけ、ダフネたちが必死になって止めるという事態にまで発展した。

 それだけではない。彼らの気持ちを有頂天にまで引き上げているのは、パーティの装飾だ。

 緑が基調の蛇のエンブレムは、スリザリンのもの。それがそこかしこに装飾されており、このパーティの主役こそスリザリンであると証明している。

 最早完全なまでに今年の勝利者となったスリザリンを阻むことは誰も出来ず、ひどく迷惑そうなアルテを中心に大盛り上がりする彼らを、他寮の面々は鬱陶しそうに睨みつけるばかりであった。

 

「――また一年が過ぎた」

 

 その喧噪を落ち着かせんと、ダンブルドアが声を上げる。

 いつものことだ。盛り上がっていたスリザリン生たちもひとまず席に着き、然るべき発表の瞬間を心待ちにすることにした。

 

「一同、ご馳走にかぶり付く前に老いぼれの戯言をお聞き願おう! 一年が過ぎ、君達の頭も以前に比べて何かが詰まっていればと思うが……新学年を迎える前に君達の頭が綺麗さっぱり空っぽになる夏休みがやってくる。その前に、ここで寮対抗の表彰を行うとしよう」

 

 もう誰が語るまでもなく勝者は分かったようなものだが、それでも決まったやり方は存在する。

 ならば、と校長による正式な発表を待つ。

 その後ならば、もう誰が止めようと止まるまい。喉が枯れるまで騒ぎ、大いに食べ大いに飲んでこの学校を去るのだ。

 

「点数は次の通りじゃ。四位、グリフィンドール、得点を312点。三位、ハッフルパフ、352点。二位、レイブンクロー、426点。――そして一位、スリザリン、482点」

 

 発表と共に、スリザリン生たちは声の限り、歓喜を叫んだ。

 嵐のような歓声と床を踏み鳴らす音が大広間全体に響き渡る。

 ただ一人、既にうんざりしているアルテだけが、耳を劈くほどの騒音に、思わず耳を隠す帽子を深く被った。

 

「よし、よし、スリザリン、よくやった。――しかし、最近の出来事も勘定に入れなければなるまいて。いくつか、駆け込みで点数を与えよう」

 

 そんな喧噪の中でも不思議とよく通る声に、一瞬にして大広間は静まり返った。

 一体何を言っているのか、ダンブルドアは。もう勝者など、決まっているというのに――

 

「えぇと、そうそう。まずはロナルド・ウィーズリー君。この何年か、ホグワーツで見ることの出来なかったような最高のチェス・ゲームを見せてくれたことを称え、グリフィンドールに六十点を与える」

 

 顔が赤かぶのように赤くなったロンに与えられた点数に、グリフィンドールのテーブルが沸き上がった。

 天井を吹き飛ばしかねないほどの歓声に、スリザリン生たちが嫌な予感を覚える。

 

「次に……ハーマイオニー・グレンジャー嬢。火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに六十点を与える」

 

 ハーマイオニーは腕に顔を埋めた。肩を震わせている辺り、嬉し泣きをしているらしい。

 にわかにスリザリンのテーブルがざわつきだす。

 この時点でグリフィンドールは二位にまで躍り出た。

 いや――まだだ。この得点は噂が正しければ、賢者の石の一件で関係した面々だ。

 秘宝を救った四人の生徒。それらが全てグリフィンドールという訳ではない。

 

「三人目……アルテ・ルーピン嬢。その、如何なる悪をも恐れぬ勇猛さを大いに評価したい。よってスリザリンには百点を与える」

 

 そう、これだ。再びスリザリンはグリフィンドールを引き離した。

 しんと静まり返ったグリフィンドールや、便乗していたレイブンクロー、ハッフルパフのテーブルと反対に、スリザリンのテーブルが爆発するほどに沸き上がった。

 ダフネたちの防衛など意味を成さないほどの勢いでもみくちゃにされているアルテは、とりあえず帽子を必死で抑えていた。

 ――そんな中でも一部の物好き、主にグリフィンドールの当事者三人や、いたずら好きの双子は手を叩いていたが。

 

「四人目はハリー・ポッター。その完璧な精神力と並外れた勇気を称え、グリフィンドールに百点を与える」

 

 四つのテーブルの歓声は、この時一つとなった。

 スリザリンは、これで事件に関わった四人が終わり、グリフィンドールの逆転の目がなくなったと確信したから。

 そして他の三寮は、最後の一押しを期待して。

 

「――勇気にも色々ある」

 

 ダンブルドアが手を上げながら言った。

 静かになっていく広間を見渡し、微笑みながら続ける。

 

「敵に立ち向かっていくのにも勇気がいる。しかし味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ。そこで、わしは五十点を与えたい。他ならぬ――ネビル・ロングボトム君に!」

 

 大広間が喝采で満たされた。

 最後の得点を与えられたネビルは呆然と固まり、やがて皆に抱き着かれて人に埋もれ、見えなくなった。

 合計点はグリフィンドールとスリザリン、同点だった。

 喜んでいるのは四寮全て。片や――スリザリンの単独勝利を遂に阻むことができた。片や――複雑でこそあれ、どのみち勝利という結果は変わらない。

 ――まさか、とスリザリンは思っていた。

 あと一点でも追加されていればこの結果はなかった。強いて言えばアルテがあと一点稼いでくれれば良かったのだが、これでも勝利は変わらない。

 

「やったよアルテ! ……アルテ? アルテどこ!?」

「ちょ、あそこ! 先輩たちに連れ去られてる!」

「ヤバいって尻尾見えるから!」

 

 見ればいつの間にかアルテは自分の椅子から数メートル離れた場所で足をばたつかせながら飛んでは落ちを繰り返していた。

 胴上げの要領で浮遊魔法を掛けているらしい。殆ど虐めの領域だった。

 器用にもローブに包まることで尻尾は隠しているようだが、あのままでは耳とか尻尾がどうのという以前に女子として色々危ない。

 慌てて上級生たちの群れに駆け込んでいく保護者三人。

 別々の理由で狂乱する生徒たちの騒ぎは、最早先生たちにも止められなかった。

 

 

 

 アルテの成績は、予想通り得意と苦手で大いに分かれることとなった。

 スレスレの飛行訓練と対照的に、変身術においてはエリスをも超え、学年一位を見事獲得した。

 最後の得点もあったことで寮への貢献点は百五十六点と二位のエリスを大幅に上回っていた。

 とはいえ、貢献点と変身術以外においては殆どエリスの独壇場だった。

 二位のハーマイオニーに大差を付け、総合得点で一位となったエリスは済ました顔でパーティの料理を楽しみ、他の生徒たちの大騒ぎにはまるで関与していない。

 パーティの後、試験結果の発表という生徒たちの最後の試練を終えると、ホグワーツは夏休みに入る。

 乗ってきたものと同じ汽車でキングズ・クロス駅に戻るのだ。

 

「じゃあ、アルテ、また新学期にね」

「ん……」

「休み中は手紙出すわ。……返してくれるわよね?」

「気が向いたら」

「……休み中に野生児に戻ってたりしないでよ?」

「知らない」

 

 駅に着いたアルテは、そんな話をしながらリーマスを探す。

 途中、ミリセントと別れ、パンジーと別れ、ダフネと別れ――

 

「アルテ!」

 

 相変わらずのボロなローブを纏ったリーマスが、手を上げた。

 そこに駆けていくと、リーマスは微笑みながらアルテの頭に手を置いた。

 帽子の上からだろうと良くわかる、少し荒い撫で方。

 しかしながら、アルテが最も落ち着くものであった。

 

「さあ、帰ろう。道すがら学校のことを教えてくれ」

「ん……体調は?」

「頗る良いよ。満月も遠いからね」

 

 そんな話をしながら、アルテとリーマスは隣り合って歩く。

 ――気のせいだろうか。リーマスのローブの継ぎ接ぎが幾つか増えている気がした。

 

「そうだ。さっきの三人は友人かい?」

 

 リーマスは、我慢ならないとばかりにアルテに聞いた。

 ダフネら三人といるところを傍から見ていたのだが、随分と仲が良さそうに見えた。

 アルテはその問いにほんの少し、時間をかけて、

 

「…………そう、かもしれない。よくわからない」

 

 そう答えた。

 リーマスはそれを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。

 まだそれをはっきりとは分かっていない。だが、もしかすると、と思えるほどに、成長していた。

 リーマスにとってそれはアルテがホグワーツの一年目で得た、如何なる魔法よりも、そして話に聞いている偉業よりも、尊いものに思えた。




※お辞儀を得たアルテ(意味:wktk)
※涙の意味は分かってない。
※出所不明のダンブルドアに貢物をさせた逸話。
 ???「あれ? こんな時間に校長出歩いてるぞ」
 ???「姐さんのとこだな。俺たちみたいに貢物してたりして」
※送別会のレク扱いのアルテ。
※スリザリンにも入る得点。よってグリフィンドール贔屓がより露骨に。
※同時優勝だけど止まらないスリザリン。
※上級生に虐められるアルテ。
※変身術では学年一位。
※気が向いたら手紙出す。
※まだ友達かどうかは分からないアルテ。

※賢者の石編完結。次回からは秘密の部屋編となります。
 一言で表せば『ロックハート無双』。アルテが胃痛でヤバい。


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秘密の部屋【襤褸けた切れ端】
新任教師


※秘密の部屋編。章分けを行いました。


 

 

「教師?」

「そう。ホグワーツで『闇の魔術に対する防衛術』の教鞭を頼まれたんだ」

 

 夏休みが半分ほど過ぎた頃、夕食の席でリーマスは、大好物のステーキを頬張るアルテに切り出した。

 前年度、防衛術の教師を担当していたクィレルはハリーやアルテによってその悪事を暴かれ、退治された。

 それにより防衛術の教師に空きができ、事件が学年末であったことから後任を探すことが急がれている。

 その中で候補として、リーマスが選ばれたのだ。

 

「どうしたの?」

「……いや、断った。念願の定職だったんだがね」

 

 口の中で噛み切っていた肉を飲み込み、アルテは首を傾げる。

 

「リーマスは教えるの、上手だと思う」

 

 リーマスの教えの上手さを最も知っているのはアルテだった。

 彼によって言葉も、文字も、文化も教わった。

 最初から備わっていたもの以外の全てを教えられたと言っても過言ではない。

 それゆえに、彼が教師となることには何の不安も感じていなかったのだが、リーマス自身はそうではないらしい。

 

「わかるだろう? 体質だ。私では、碌に教師も出来ない。一ヶ月に一度定期的に休むような者がなれる職ではないんだ」

「……」

 

 体質を理由に挙げると、アルテは一気に不機嫌になった。

 リーマスがアルテと出会うより前――幼い頃から苦しめられてきた、どうしようもない特異な体質。

 それは定期的に日常生活が不可能になるほどのものであり、現在進行形でリーマスに定職がない最大の理由でもあった。

 その体質だけでリーマスが世間から迫害されているという事実を、アルテはひどく嫌っていた。

 薬を飲まなければ理性を失ってしまう期間を、アルテは例外的に共に在ることが出来る。

 だが、だからと言ってリーマスの世間からの風評を払うことは出来なかった。

 

「……学校では」

「ん?」

「生徒だった時はどうだったの?」

 

 ダンブルドアに聞いていた。リーマスは学生時代、監督生にも選ばれるほどであったと。

 つまり、学校生活を十分にこなせる理由があった筈だ。

 

「……ダンブルドアが入学を許可してくれてね。満月の日は……基本的に、ホグワーツの外にいた。何人かにはバレたけど、どうにか卒業まで切り抜けたんだ」

 

 己の体質を知ってなお、親友として在ってくれる者たちがいた。

 彼らのおかげでリーマスは一人の人間として、ホグワーツを卒業することが出来た。

 だが、教師という立場ではそうはいかないのだ。

 

「……そんな顔をするんじゃない。次の教師こそはまともである筈だ。アルテにとって、私より良い教師になるさ」

「…………そうなるとは思えない」

「へえ。どうしてだい?」

「……何となく」

 

 露骨に不機嫌さを醸すアルテを、苦笑しながらリーマスは撫でる。

 彼女の直感は良く当たる。そんなアルテが、そう言い切ってくれたことは嬉しく思うも、やはり自分には務まらないと思った。

 ――とはいえ、リーマスは後に思う。この年に、この話を受けておけば良かったと。

 それ程までに、今年の防衛術担当教師は――なんというか、()()であった。

 しかし、後に幾ら悔いても、この一年をやり直すことは出来ない。

 この一年、たった一人の教師によって齎されるアルテの数多の災厄を――覆すことなど出来ない。

 

 

 

「そう、とどのつまり、ロックハート様っていうのは英雄なのよ! あれだけの偉業を成し遂げるなんて、人間業じゃないわ!」

「あー……落ち着いてミリセント。ロックハートが凄いのはよく知ってるから」

 

 新学期までもう数えるほどとなった頃、アルテはダフネらに誘われ、ダイアゴン横丁に買い物に来ていた。

 二年生用の教科書やら、授業に必要な道具など、入学時ほどではないがそれなりに量にある買い物となる。

 二年生からは自分の箒の持ち込みが許可されており、この機会に買い替える者もいることから、ある意味一年生より忙しい者もいるだろう。

 そんな中、スリザリンの女子四人組であるアルテたちは、教科書を揃えにフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へと向かっていた。

 その道中に、ミリセントがロックハートなる人物の偉業を熱弁しているのには理由があった。

 今年『闇の魔術に対する防衛術』に使われる教科書だ。

 

 泣き妖怪バンシーとのナウな休日 ギルデロイ・ロックハート著

 グールお化けとのクールな散策  ギルデロイ・ロックハート著

 鬼婆とオツな休暇        ギルデロイ・ロックハート著

 トロールとのとろい旅      ギルデロイ・ロックハート著

 バンパイアとバッチリ船旅    ギルデロイ・ロックハート著

 狼男との大いなる山歩き     ギルデロイ・ロックハート著

 雪男とゆっくり一年       ギルデロイ・ロックハート著

 

 これだけの本が一年間の教科書として選定され、清々しいまでにロックハート色に染まっているのだ。

 そんなロックハートのファンであるらしいミリセントを、ダフネは若干引きながら抑えている。

 

「……誰?」

「ロックハートのこと? ……まあ、大層な武勇伝を持つ魔法使い、ってところね。で、手柄を本にしてベストセラー。有名人な筈だけど、知らない?」

「知らない」

 

 教科書のリストを眺めながら呟いたアルテに、パンジーが呆れ顔で答える。

 彼女もロックハートのファンでこそあるらしいが、ミリセントほどではないようだ。

 アルテから見てもミリセントの瞳は輝いていて、相当熱が入っているように見受けられた。

 その熱狂ぶりはよくわからないアルテではあるが、そんな彼女の興味を少なからず惹く様なタイトルも一つあった。

 自主的に本を読む気はないが、それくらいならば――そんな風に、この時点のアルテは思っていた。

 

 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店は去年の比ではないくらいに混みあっていた。

 人が溢れるほどの混雑ぶりに、元々人混みが嫌いな上に前年度の学年末パーティの一件から更に苦手意識を増していたアルテは思わず踵を返そうとしたが、ダフネたちの説得で人を掻き分けながら中に入る。

 どうやら、今日に限ってこの書店では何やらイベントが行われているらしい。

 そのイベントというのも――

 

「ロックハート様! ロックハート様がいるって! サインが貰えるわ!」

「ミリセント! お願いだから落ち着いて!」

 

 そう、件のギルデロイ・ロックハートのサイン会である。

 主に魔女から絶大な人気を誇る彼がサイン会を開くともなれば、この書店のような小さな店舗では小さすぎる。

 ファンはキャーキャーと黄色い声を上げながら、そしてそうではないらしい客は非常に迷惑そうに、眉間に皺を寄せながら買い物をしていた。

 教科書の棚にようやく辿り着いたアルテたちは、もう一度人混みに飛び込んで会計へ向かう。

 その時、人混みの向こうから一際大きな歓声と拍手が聞こえてきた。

 

「――皆さん、ここに大いなる喜びと誇りをもって発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました!」

 

 その、ロックハートのものと思しき大声に反応したのは、彼のファンだけではなかった。

 そうでない、教科書を買いにきただけの生徒たちも、驚愕や嫌悪、様々な表情で声のした方に目を向ける。

 

「……本当に? ロックハートが教師って」

「まあ、相応しいんじゃない? クィレルもいなくなって、あの武勇伝を基に授業やってくれるんなら大歓迎よ」

「……」

 

 ダフネにも、ロックハートという伝説的な人物への憧れは多少なり持っていた。

 故にこそ信じがたい。そんな彼が、ホグワーツに教師としてやってくるなど。

 いつの間にかサインを求める人垣の中で声が枯れんばかりに叫んでいるミリセントを呆れながらも、パンジーはようやくまともな授業を受けられると期待していた。

 そしてアルテは――目を細め、ほんの小さな敵意をロックハートに向けていた。

 彼女はロックハートに対し、強く「リーマスの代わり」という印象を持っている。

 だというのにリーマスは、彼を、己より良い教師になると言い切っていた。

 リーマスが言うならば間違いない。だが、アルテ自身が嫌な予感を持っているのも事実。

 ジレンマのような感覚が気持ち悪くなり、アルテは顔を横に大きく振って思考を切り替える。

 ――ふと、知っている顔があった。

 

「いい気分だったろうね、ポッター。有名人のハリー・ポッター。ちょっと書店に行くのでさえ一面大見出し記事かい?」

 

 ロックハートに捕まり、彼の高説に上手く使われていたハリーを揶揄う声。

 ドラコだ。ちょうど同じ時間に本を買いに来たらしい彼は、愉快そうにハリーを笑っていた。

 

「ほっといてよ。ハリーが望んだことじゃないわ」

「おや、ガールフレンドが出来たじゃないか、ポッター!」

 

 ハリーを庇ったのは、赤毛の特徴的な少女だった。

 アルテは彼女を見たことがない。恐らくは新入生だろう。

 彼女も揶揄いの材料にしてドラコが一層付け上がった時、人混みを掻き分けて本を一山抱えたロンとハーマイオニーが出てきた。

 

「ウィーズリーじゃないか。そんなに買って大丈夫かい? 君の両親はこれから一か月は飲まず食わずだろうね」

 

 ドラコが発端となり、当然のように口喧嘩が始まる。

 すっかり興味を無くし、アルテは手早く会計を済ませた。

 ダフネ達と一緒に書店の入り口まで来ると、未だにドラコやハリーたちはそこにいた。

 ――いや、それどころではない。

 喧嘩、否、罵り合いは彼らの父親を巻き込んだものとなっていた。

 

「なんと……満足に給料も支払われないのでは、わざわざ魔法使いの面汚しになった意味がないですな?」

「魔法使いの面汚しがどういう意味かについて、私たちは意見が違うようだが」

「然様ですな。……こんな連中と付き合っているようでは。もう落ちるところまで落ちたと思っていたんですがね」

 

 今にも相手に飛び掛からんとする、ドラコとロンの父親。

 入り口付近で繰り広げられる口論に、思わず立ち止まったダフネたち。

 そして――アルテは空気を一切読まず、その真ん中を歩いていった。

 

「アルテ!」

 

 ハリーに呼び止められ、振り向く。

 傲慢な魔法使いでさえ通らないだろう二人の間を躊躇なく抜けていったことで、辺りの視線を一点に受けていた。

 

「久しぶりね、アルテ! 夏休みはどうだった?」

「普通」

 

 剣呑とした雰囲気が霧散し、ホッと息をついたハーマイオニーが駆け寄ってくる。

 ロン達の母、モリー・ウィーズリーはフレッドとジョージに聞く。

 

「誰なの?」

「アルテ。スリザリンの、今年二年生」

「去年ロンたちと学校守ったすげー姐さん」

「あの子が? スリザリンだったの?」

 

 ロン達の父――アーサー・ウィーズリーとドラコの父――ルシウス・マルフォイは呆気に取られ、そして複雑そうに顔を歪めた。

 アーサーは、ロンや双子によく名前を聞いていた少女が、スリザリン生であったこと。

 ルシウスは、ドラコに聞かされていた寮優勝の功労者が、魔法族の面汚しや、あろうことか『穢れた血』と仲が良いらしいこと。

 二人の間で話を始めるアルテたちを眺めていたが、やがてルシウスがハーマイオニーたちに割って入るように、アルテの前に立った。

 

「息子が世話になっているようだね、アルテ嬢」

「世話してない」

「言葉の綾、挨拶というものだよ。当然の礼儀は覚えておきたまえ――ルシウス・マルフォイだ。以後、お見知りおきを」

「……アルテ・ルーピン」

 

 その、己をじっとりと観察するような視線に例えようのない不快感を覚えつつも、アルテは名乗り返す。

 言葉を向けられ、意識を向けてみて、何となく感じるものがある。

 本人でないことが明白である以上、飛び掛かるようなことはないものの――肌を刺すような、ヴォルデモートの気配。

 

「ミス・ルーピン……話はよく聞いているよ。満足に箒一つ乗りこなせないが、魔法薬をはじめ幅広く活躍しているらしい。……七変化の成り損ないのようだね?」

「……だったら何?」

「いや、いや。欠陥持ちの七変化というのは聞かないからね。ともすれば、亜人と同じような扱いを受けかねんが……精々、人前でその帽子を外さないことだ。将来を不利にしたくないのなら」

 

 嫌味なのか助言なのかわからない言葉を受け、一層アルテの苛立ちは増す。

 自分の耳や尾が良いように言われることに気分を害したりはしないが――それでも相性というものがある。

 少なくとも、アルテは目の前のルシウスという男が、気に入らなかった。

 

「お、お久しぶりですルシウスさん!」

「おや……君はミス・グリーングラスだね。そちらはミス・ブルストロードとミス・パーキンソンか。ご両親は――」

 

 傍から、一目で不機嫌になっていると分かるアルテを庇うように、ダフネがルシウスに声を掛けた。

 ダフネら三人の家も、マルフォイ家も、名高い純血の家系だ。

 当然面識はあるらしく、アルテに対しどこか棘のある言葉で接していたルシウスも、最低限の敬意を含んだ態度に変化する。

 ダフネたちがルシウスの気を引いている間に、アルテは逃げるように書店を出た。

 ハリーたちはまだ、話をしたいと思っていたが、一刻も早く立ち去りたかったアルテは彼らを一瞥すらすることはなかった。

 

「……」

 

 外に出て、書店の壁に背中を預けたアルテは一息つく。

 たかが本を買うだけで、無駄に疲れたし、無駄に苛々した。

 しかし熱も冷めやらぬうちに、またも声が掛けられる。

 

「人気者だね」

「知らない」

 

 追って出てきたらしい、濁ったブロンドの髪を伸ばした、色白の少女は何故かアルテの隣に背中を預けた。

 

「あんた知ってるよ。アルテ・ルーピン。これまで話をした上級生、皆あんたの事を話してた」

「そう」

 

 どうでも良かった。

 学年末パーティのように自分自身に実害が出るようであればともかく、辺りで名前も知らない生徒たちが際限なく騒いでいるだけならば関係ない。

 

「あたしはルーナ・ラブグッド。今年からホグワーツに入るの」

「そう」

「寮はどうなるんだろう。アルテはスリザリンって聞いたけど。あたしはスリザリンに入る予感はしないな。レイブンクローとか?」

「知らない」

「不愛想だね、アルテって」

「そう」

「『そう』と『知らない』しか話せなかったりする?」

「別に」

 

 ――とんでもない程の粘り強さだった。

 少女――ルーナが言うように、アルテは不愛想である。

 その上基本聞き手(聞いているかも不明な時が多いが)で、長々と話しても大抵一言しか返さないことから、手応えを感じずにすぐ話を切り上げる生徒も多い。

 平時、他愛もない話をそれなりに続けられるのは、ホグワーツでは一年経ってもダフネら三人くらいであった。

 だというのに、ルーナは屈しない。どころか嫌な顔一つせず、アルテに話しかけ続ける。

 

「賢者の石を守ったって本当?」

「守ってない」

「ハリー・ポッターってどんな感じ?」

「知らない」

「スリザリン寮の優勝に貢献したって聞いたよ」

「知らない」

「ダンブルドアから貢物を貰ったって噂は本当?」

「知らない」

「次にあんたは『知らない』って言う」

「知らない」

 

 二人とも本気でやっているのかふざけているのか分からない会話だった。

 傍目から見れば、『そもそもこの二人が何故会話……らしきことをしているのか』すらはっきりしないだろう。

 何が面白いのか、ルーナはクスクスと笑い出す。そして鞄を漁り、ランチボックスからサンドイッチを一切れ取り出した。

 

「あげる。また学校でね、アルテ」

 

 ルーナはアルテにサンドイッチを押し付けると、よたよたと駆けていった。

 結局何をしに来たのか、アルテにはさっぱり理解できなかった。

 首を傾げていると、ようやくダフネたちが書店から出てくる。

 

「はぁ……ルシウスさんってば話長いのよね。何かと偉そうだし」

「……って、アルテ。どしたのそのサンドイッチ。誰から貰ったの?」

「知らない」

「何で知らない人から食べ物貰ってるのよ! って食べちゃ駄目だってば!」

 

 貰ってしまったものは仕方ないと、アルテはパンジーが止めるのも構わずにサンドイッチを齧る。

 そしてたっぷりとマスタードが塗られたハムサンドに悶絶したアルテは、辛いものも嫌いになった。




※教職を断るリーマス。ある意味戦犯。
※直感で何かを察するアルテ。
※ロックハート厨ミリセント。
※一冊に興味を示すアルテ。
※いわれのない理由で既に印象の悪いロックハート。
※何となくルシウスがムカつくアルテ。
※期待の新入生ルーナ・ラブグッド。
※会話のドッヂボール。
※嫌がらせなのか素なのか分からない置き土産。


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見えざるもの

 

 三度目のホグワーツ特急。

 そのコンパートメントの一室で、アルテは大いに機嫌を損ねていた。

 今回ドラコたちの所へ行っていたパンジーとミリセントは幸運だろう。

 ダフネが必死で宥めているが、アルテは持っているそれを引き千切らんばかりであった。

 

「あ、アルテ? そろそろ機嫌直しなよ。その本が気に入らないのは良く分かったから。ほ、ほら……一年生も一緒にいるんだし」

 

 そう――本。アルテが持っているのは、『狼男との大いなる山歩き』。

 ギルデロイ・ロックハートが著した、今年の教科書の一冊だった。

 娯楽、英雄譚としてはともかく、教科書として選ばれる本としては疑問を感じざるを得ないロックハート著作群の中で、アルテが唯一興味を示したのがコレである。

 主人公であるロックハートが難攻不落の山々で凶暴無比な狼男を打倒する冒険譚。

 アルテはこの本を夏休み中に半分ほど読み進め、そして残りをこのコンパートメントで読み切った。

 その結果が、これである。

 彼女なりに楽しみに思いながら読み始めたのだが、その実、この本はロックハートを大いに活躍させるため、狼男を徹底的にこき下ろしたものだったのだ。

 狼男が主として活躍する場面などほんの一瞬たりともない。

 最初から最後までロックハートの引き立て役にしか使われていない狼男の描写はアルテを全力で憤慨させていた。

 少しでも内容を思い返そうとすれば、その苛立ちは爆発し、行動に表れようとする。

 

「ちょ、本噛んじゃダメだってば! ほら、アルテが持ってきたジャーキーのが美味しいから、ね!?」

 

 無駄に分厚い()()の背表紙に歯を立てたアルテをダフネはどうにか引き剥がし、その口にアルテ自身が持ってきたビーフジャーキーを突っ込む。

 不機嫌な顔のままジャーキーを噛み始めたアルテ。その隙にダフネはアルテから本を引ったくり、彼女のカバンに突っ込んだ。

 

(はぁ……何が逆鱗に触れたのか。よくわかんないけど、ロックハートの授業は気を付けた方がいいかも)

 

 本の内容の何に対し、アルテが機嫌を損ねたのか、ダフネは理解していない。

 もしかすると耳や尻尾で、狼男にシンパシーを感じたのかも……なんて憶測は、アルテの身体的特徴を揶揄うことはしないダフネにとっては笑えない冗談だった。

 友人として、保護者として、彼女がどうあってもロックハートに手など出さないようしなければならない。

 先生であるという以前に、ロックハートをぶん殴ったりすれば、いくらアルテと言えども学校中のロックハートファンに袋叩きにされかねない。

 そう、彼女の立場だからこその決意をしたとき、アルテたちの向かいの席から笑い声が零れた。

 同じコンパートメントでホグワーツへの旅を共にしていた一年生。

 

「お肉、好きなんだ」

 

 黒いローブで良く際立つ色白の少女、ルーナ・ラブグッドである。

 空いている席を探しており、ミリセントやパンジーが別のコンパートメントに行ったことから快く同席を許可した彼女は、ずっと何かの雑誌を読んでいたように見えたが、いつの間にかアルテとダフネのやり取りに目を向けていたらしい。

 

「なら、サンドイッチいる? またハムサンド持ってきたんだけど」

「いらない」

 

 ジャーキーを呑み込むと同時の即答だった。食べ物に関わることではダフネが知る限り初めての、即答の拒否だった。

 そういえばと思い出す。ダイアゴン横丁に学用品を買いに行った日、誰かから貰ったハムサンドに塗られた大量のマスタードにアルテが悶絶していたことを。

 その犯人をこんなところで知ったダフネは、その時の経験から露骨に警戒するアルテに、子の成長を見る親のような妙な感慨深さを抱いていた。

 

「今回はマスタード、塗ってないよ」

「貰う」

 

 訂正。そんなに成長していなかった。

 正直というか、疑うことを知らないというか。

 今度こそ何も無かったようで、顔色を変えることなく貰ったハムサンドを齧るアルテに溜息をつく。

 

「あたしはルーナ・ラブグッド。あんたはアルテのお友達?」

「ん? うん。ダフネ・グリーングラスだよ。アルテと同じスリザリン」

 

 どうやら既に自己紹介も終えていたらしい。

 サンドイッチを貰う前に一体どんな会話が繰り広げられていたのか。どうせ一言二言しか続かなかったのだろうが――そんなことを考えながら、ダフネも名乗り返す。

 

「同じ寮なんだ。なら、ダフネは見たことあるの?」

「何を?」

「アルテの帽子の中の耳」

 

 心臓が止まるかと思ったし、今飲み物を飲んでいれば間違いなく吹き出して醜態を晒していたことだろう。

 口元に運びかけていたかぼちゃジュースの瓶を冷静に置き、アルテに詰め寄る。

 

「アルテ、貴女見せたの!?」

「見せてない」

「教えたの!?」

「教えてない」

「じゃあ何で彼女が知ってるの!?」

「知らない」

 

 一年経っても、アルテの体のことを知る生徒は少ない。

 ダフネたち三人は当然、ハリーたちも口外する気はないらしく、そして律儀にもドラコも広めてはいないようだ。

 絶対に隠したい、と思っている訳でもないが、広まれば鬱陶しいことになる、というのはアルテの確信だった。

 さて、そんな状況で何故ルーナが耳のことを知っているのかは疑問だが、自分のことながらその情報源自体に関心はなかった。

 

「見たことあるんだ」

「まあ……寮でも同室だし」

「あたしにも見せて」

「なっ……いや、それは私が決めることじゃ――だから何で脱いでんのアルテ!?」

 

 アルテの直感だった。

 このまま帽子を被り続けていた場合確実に、ホグワーツに着くまでねだり続ける。

 別に人と少しばかり違うだけのコレを、何故ここまで見たいと思うのか――アルテにはまるで理解出来なかった。

 乱雑に帽子を脱いだアルテ。帽子で変なクセが付き、跳ね放題になった白銀の髪の中に立つ、尖った耳。

 普段は夜しか見られない……な姿にダフネは息を呑み、ルーナはテーブルに身を乗り出して、目を輝かせながらアルテににじり寄った。

 

「本物!」

「……何?」

「触っていい?」

「何のため……っ」

 

 流石に意味不明だと、アルテは拒否しようとしたものの、その時のルーナに手の動きはアルテの反応速度を超えていた。

 あまりに度の過ぎた――アルテとはまた違う方向性でマイペースなルーナは、いとも容易くアルテの虚を突いたのである。

 その唐突な暴挙、一年間一緒にいた自分でさえ触れたことのない耳に触れて感触を確かめるルーナを、流石にダフネは止めようとして――

 

「――っ、……」

「は?」

 

 アルテから出たとは思えない、熱を帯びた吐息に、動きを停止した。

 ダフネの様子などお構いなしに、ルーナは耳を伝うように指を這わせ、動くたびにピクピクと体を震わせるアルテを面白そうに観察する。

 目が細められ、何かに耐えるように唇を噛んでいるアルテ。

 ルーナは遠慮なくその耳の内側にまで指を伸ばし――瞬間、

 

「っあ――」

 

 思わず声を漏らすほどの、感じたことのない総毛立つような感覚に襲われた。

 これ以上は、何かが不味いと確信し、アルテはルーナの手を振り払うとダフネを引っ張り、盾にするように自分の前に立たせた。

 

「きゃあ!? あ、アルテ!?」

「……っ」

 

 自分の背中に隠れるように身を屈めるアルテ。つい先ほどまで固まっていたダフネはアルテに振り向き――ルーナを鋭く睨みつけながら目を潤ませるアルテを見た。

 圧倒的な威力の呪文に胸を貫かれるような衝撃。

 呆然と、数秒それを見ていたダフネは、何かを悟ったようにゆっくりとアルテを腕の中に寄せ、ルーナに向き直る。

 

「――今後は禁止。それと、他言無用よ」

「分かった。あたしたちだけの秘密ね」

 

 まるで罪悪感を覚えていないルーナと、アルテを抱くダフネは、何らかで通じ合ったように頷いた。

 その日からアルテが帽子をこれまでより深く被るようになったのは言うまでもない。

 

 

 

 汽車を下り、駅からホグワーツまでは、一年生以外は馬車を利用する。

 一年生の終わりに学校から駅まで行くのにも使われたこの馬車を、アルテは嫌っていた。

 ダフネが首を傾げる隣で、アルテは乗っている馬車の前方を眉間に皺を寄せながら見つめている。

 馬車に乗るにおいてルーナと別れ、ミリセントやパンジーと合流し、人数の関係でドラコやエリスと同乗する――クラッブとゴイルは馬車に乗り切らず、次を待つ羽目になってしまった。

 

「ねえ、アルテ。何見てんの?」

「それ」

 

 アルテは馬車の前を指さす。ただ薄暗い道が続くばかりで、一つ前の馬車も見えない。

 ダフネだけではない。ミリセント、パンジー、ドラコにも、アルテの言う“それ”は見えていなかった。

 

「なんだ、アルテ。夏休み中に耄碌でもしたのかい?」

 

 ドラコの軽口に反応すらせず、アルテは一点を見続ける。

 すると、暫くロックハートの著書に目を向けていたエリスが顔を上げた。

 アルテの視線の先を見つめ、ふう、と一つ息を零す。

 

「セストラル、ですよ。基本的に、十二歳の子供に見えていい生き物じゃありません」

 

 馬車を引く、骨ばった有翼馬の姿が見える者は、この場に二人しかいなかった。

 その黒い死神のような外見は、見ていて決して気持ちの良いものではない。

 視認を拒む特異性から、名前だけはそこそこ有名であるのだが、知っている者はいないようだった。

 

「セストラル?」

「この馬車を引いている生き物の名です。見えるのは、私と彼女だけですね?」

「へえ。どうせホグワーツの馬車だし、勝手に動いてるものだと思ってた。どうすれば、見えるようになるんだ?」

 

 興味深げにドラコが馬車の前に手を伸ばそうとする。

 何処か無邪気な姿だ。このセストラルという生物が人を害していないにも関わらず吸魂鬼に次いで人から忌まれている事実、そしてその理由を、本当に知らないらしい。

 

「死に立ち会うこと。人の死を見て、その死を受け入れることで、セストラルを見ることが出来るようになります」

 

 伸ばしかけた手が引っ込む。

 それは確かに、到底十二歳の子供が見られて良いものではない。

 年端もいかぬ、と言っていい年齢の子供が立ち会うには、死という現象はあまりに重いものだ。

 

「アルテ、あんた誰を……ああ、クィレルか」

「……」

 

 アルテは一年の最後、ヴォルデモートを寄生させたクィレルと戦った。

 引導を渡したのはハリーだが、死に立ち会った、といえばまあその通りになるのだろう。

 だが、何となくアルテは釈然としなかった。

 思い返せば、クィレルが死んだことなど知らなかった。というより、どうでも良かった。

 あの時はヴォルデモートにこの手が届いたという歓喜で満たされていたし、そもそも彼が死ぬまで意識を保っていたかどうかもはっきりとしない。

 少し考えて、やはりどうでもいいと切り捨てた。あれがきっかけであるというなら、そうなのだろう。

 

「アーキメイラは? 周りで誰か? というか私、アーキメイラの家について何も知らないわね。どんな家なの?」

 

 遠慮せずずけずけとエリスに聞くパンジー。

 エリスは少しだけ責めるような視線を向け、自分で蒔いた種か、と息を吐いた。

 

「……歴史も功績もないですが、アーキメイラは定義の上では純血の家系です。あまり外と交流を持つこともなかったので、知らないのも当然でしょう。学校に通うのだって、私が初めてですから」

 

 さらりと、どうでもいいことのようにエリスは言った。

 そして誰が止める前に、言葉を続ける。

 

「で、誰が死んだか、でしたっけ。アンタレスという、私の兄です。……偶然ですね、セストラルに随分と縁のある人でした。守護霊もセストラル、杖はトネリコにセストラルの尾毛、生まれつきセストラルを見ることが出来る人だったようです。ただ、少し体が弱くて、私の目の前で死んでしまいました」

 

 そんな、セストラルに縁のあるらしい兄の事を思い出すように言うエリスは、やはり興味薄げだった。

 まるで赤の他人の死が書かれた新聞記事を読み上げているように他人事。

 如何に想像の埒外に情があるのだとしても、それは到底兄弟に向けるものではない。

 ドラコは話を聞いて、声を震わせながらも強気に返した。

 

「……とりあえず、変な家ってのは分かったよ」

 

 苦笑いしながらのドラコの言葉に、ダフネら三人が同意だとばかりに頷いた。

 エリスは話は終いともう一度本に視線を落とし、アルテは相変わらずセストラルを睨み続ける。

 

「話は変わるけどさ、今年の新任教師――」

「ロックハート様!」

 

 露骨に話を切り替えたドラコだが、食い気味に反応してきたミリセントに一瞬で馬車の角に追いやられる。

 

「ああ、本当に夢のよう! ロックハート様が防衛術を教えてくれるなんて!」

「お、おいブルストロード」

「本当、皆もっと彼の本を読むべきよ! 伝説的な人だわ! 生ける伝説よ! 来年には私たち全員、彼のように美しく魔法が使えるようになっているに違いないわ!」

「パーキンソン! ブルストロードを止めてくれ!」

「ご、ごめんドラコ。無理」

 

 ギルデロイ・ロックハートの熱狂的なファンは、彼女のようにスリザリンにも一定数存在する。

 正直なところ、ドラコは彼の伝説が過剰なことから疑念を抱いていた。

 そのことを話し、笑ってやることで盛り上がろうとしたのだが、彼の失態は、ここにそんなファンがいることなど考えもしなかったことだ。

 

「ねえマルフォイ、貴方は彼の伝説では何が一番素敵だと思う!?」

「いや、ブルストロード、僕は」

「いい! 言わなくても分かるわ! アレよね! 異論なんて認めないわ! アレ以外を挙げるなんて彼のファン(ロックハーティアン)を語れないわ!」

「グリーングラス! 教えてくれ! アレって何だ! ロックハーティアンって何だよ!」

「知らないよ! ミリセント、その話なら後で私とアルテが聞くから」

「興味ない」

「話聞いてたのアルテ!?」

 

 盛大に地雷を踏んでしまったドラコは自分の行いをひどく後悔し、そして誓う。

 ミリセント・ブルストロードの前でロックハートの話をするのは禁忌だ。

 この後、馬車がホグワーツに着くまで彼女の熱弁は続き、あろうことかパーティにまで話題を持ち込もうとしたが、それはダフネの懸命な説得によって防ぐことが出来た。

 我関せずと片やセストラルを睨み、片や読書に勤しんでいた二人以外を大いに疲労させたミリセントはパーティの最中も、教師のテーブルで大袈裟な身振り手振りと共に辺りの先生に自分の授業への意気込みについて語るロックハートを心酔した表情で眺めていた。

 そんな中行われた組分けの儀で、ルーナ・ラブグッドはレイブンクローに配属された。

 ――あの時の予想通りだ、とアルテはふと考えるも、スリザリンでないならちょっかいを出されることもそうはないだろうと安心する。

 寮が違うながらも、一年間を通して随分と関わった双子がいる事実など、アルテはすっかり忘れていた。




※高まるロックハートへの敵意。
※成長も学習もしないアルテ。
※お約束。
※取り交わされるルーナとダフネ間の秘密。
※ハーレムフォイ。
※セストラルの見えるアルテとエリス。
※セストラルに縁があるとかいう不吉にも程がある兄貴。
※ロックハーティアン。
※基本苦労人のダフネ。


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獣の女王

 

 

 新学期一日目、朝食におけるスリザリンのテーブルは、一つの話題で持ち切りだった。

 前年度末の事件を阻止し、学校の英雄となった四人のうち二人、グリフィンドールのハリーとロンが昨晩仕出かしたことについてだ。

 彼らはあろうことかホグワーツ特急に乗り遅れ、ロンの父の空飛ぶ車を強奪して二人で学校にやってくるという大暴挙をやってのけたのだ。

 その際少なくない数のマグルに飛行を見られ、魔法界の大手新聞である日刊預言者新聞にも大見出しで取り上げられる始末。

 挙句の果てに学校の敷地内に植えられている暴れ柳に突っ込み損傷させるという、それ単独で罰則になるようなおまけも披露した。

 マグルの記憶忘却のため、魔法省は忘却術師を出動させ、魔法省大臣からホグワーツの教師まで、広く胃を痛めさせた彼らの退学は免れない、というのが大半の生徒たちの予想だったのだが、その日の朝食にも当たり前のように二人は出てきた。

 当然無罪放免という訳にもいかず、罰則は与えられたようだが、それでも退学だけは許されたようだ。

 

「しっかし本当に馬鹿だなウィーズリーもポッターも! 乗り遅れたなら学校に手紙を出すなりすれば罰則も軽くなったかもしれないのに! ああそうか、フクロウ便を出す金もないのかもな!」

 

 スリザリンの盛り上がりの中心となっているのは、やはりというべきかドラコであった。

 何かとハリーとロン、それからハーマイオニーを目の仇にしている彼は、こうした彼らに責がある状況において一層元気になる。

 それが原因で前年度スリザリンが減点されたこともあるのだが、まったく懲りていない様子だった。

 

「でもまあ、あれが本当に学校を守ったってのも正直信じられないわよね」

「本当。アルテ、実はあんたが全部やったんじゃないの?」

ひゃっへはい(やってない)

 

 薄いベーコンを三枚重ねにして格闘しているアルテはその状態のまま答える。

 アルテ自身はあの石を守るにおいて、仕掛けられた罠の突破に何ら関与はしていない。

 そもそも石を守ったのだって結果論だ。例えばヴォルデモートとクィレルが別の勢力で、クィレルが石を持って逃げようとしていたとしてもアルテはヴォルデモートに向かっていただろう。

 まあ、アルテは石を巡る事件で誰が活躍したとかはどうでもいい。ハリーとロンのアクロバティックな来校手段も、同じくらいどうでもいい。

 今を生きるアルテに重要なのはこのベーコンの溢れる脂と濃厚な味だけである。

 この時間は、世間話こそすれ、露骨な妨害などしてはならない。やれば最悪噛まれる。

 それはダフネたちも、ドラコも、他のスリザリン面々も、そして他寮の生徒たちすら知っていることだ。

 故にこそ――こんな状況でアルテの食事を大いに妨害する者は、ある意味偉大な勇者であるということだろう。

 

「車を盗み出すなんて、退校処分になっても当たり前です! 車が無くなっているのを見て私とお父様がどんな思いだったかお前はちょっとでも考えたんですか!」

 

 部屋を震わせ、ガラスを軋ませるほどの大音量が、大広間に響き渡る。

 

「昨夜ダンブルドアから手紙が来てお父様は恥ずかしさのあまり死んでしまうのではと心配しました! お前もハリーもまかり間違えば死ぬ所だったのですよ!」

 

 その“手紙”が送られてきたのを知っていた近くの生徒たちは、あらかじめ耳を塞いでいたことで対策が出来た。

 しかし、それが出来なかった、反対側の席のスリザリン生は、暫く何が起きたか分からなかった。

 大音量に吹き飛ばされるように引っ繰り返る生徒、驚愕に思わず立ち上がり、その拍子に近くの食器を引っ繰り返してしまう生徒。

 そして、帽子で塞いでなおも常人を超える聴覚を持つ一人の生徒は飛び上がり、フォークに刺さったベーコンやらカップに注いだミルクやらを落としていた。

 

「全く愛想が尽きました! お父様は役所で尋問を受けたのですよ! 今度ちょっとでも規則を破ってご覧なさい! 私たちがお前をすぐ家に引っ張って帰りますからね! ――それとジニー。グリフィンドール入寮おめでとう。ママもパパも鼻が高いわ」

 

 吠えメール、という込められた声量を数十倍、数百倍に増幅させる手紙だ。

 開けなければ爆発し、開ければ辺りの迷惑も顧みず一方的に騒ぎ立てるという迷惑千万な道具である。

 どうやらそんな手紙をロンが受け取ったらしく、手紙の読み上げが終わった後もロンは肩を震わせていた。

 

「……ビックリした。こんな大勢いる場で吠えメールなんて普通開ける?」

「常識がなってないわよね。せっかくの朝食が台無しじゃない……ん?」

「え?」

 

 生徒たちの混乱で台無しになった朝食のテーブル。

 それを見て、まずダフネたちが、そしてその事実を理解したスリザリン生たちが徐々に蒼白になっていく。

 向けられた濃密な殺気のようなものと、残っていた恐怖でロンがテーブルに突っ伏す。

 しかしそれでは飽き足らないと、死神が立ち上がった。

 

「ストップ! アルテ、ストップ! 一旦落ち着こう!」

「誰か! レイブンクローでもいいから! ベーコン! ベーコン持ってきて!」

「私たちで止められてる今が最後のチャンスよ! じゃないと死人出るわよ!」

 

 伸ばされた爪を隠しつつ、ダフネたちが必死でアルテを抑え込む。

 そうでもしなければテーブルを蹴散らしてロンの首筋を引き裂きに行きそうなアルテに、大広間はたちまちパニックになった。

 ――この場で、歯を剥き出しにしたアルテの口にベーコンを突っ込むもう一人の勇者がいなければ、先生たちも総出となっていたことだろう。

 

「はい、ベーコン」

「んぐ――」

 

 いつの間にかスリザリンのテーブルにやってきていた、ルーナであった。

 キラキラと縁の輝く眼鏡をかけた奇妙な恰好ではあるが、確かにアルテとダフネがコンパートメントで一緒にいた、レイブンクローの一年生である。

 突っ込まれたそれをアルテが咀嚼するたびに、殺気が少しずつ消えていく。

 未だ不機嫌であることには変わりないようだが、とりあえず爪は引っ込んだ。

 

「な、ナイス、一年生! さあアルテ、そろそろ授業が始まるわ! 行きましょう!」

 

 大人しくなったアルテを三人が引っ張っていく。

 それを手を振って見送ったルーナは、何事も無かったかのように自分の席に戻っていく。

 ――この日から、アルテを飼い慣らした猛者としてルーナが、主にスリザリン生からちょっとした尊敬の目で見られることになった。

 一方で不機嫌になったアルテを引っ張って教室に向かうダフネは、

 

「最初の授業って何だっけ?」

「闇の魔術に対する防衛術よ」

「ロックハート様! 遂にロックハート様の授業が受けられるのね!」

「……」

 

 ――神様の当てつけのような時間割に、胃の痛みを覚えた。

 

 

 

 アルテが教室に到着し、ようやく落ち着いた頃には、他のスリザリン二年生たちも集まってきていた。

 ミリセントをはじめとして、主に女性陣の中で期待の声は大きい。

 かのロックハートの初授業だ。生ける伝説の教えを直に受けられるとあらば、期待するのも仕方なしだろう。

 授業開始時刻になると、後ろのドアが勢いよく開かれた。

 自己顕示欲を外見からして全開にしたロックハート教授は、最前列の生徒の本を取り上げると、それを掲げて一言。

 

「私だ」

 

 同時に本の表紙の彼自身の写真と、ロックハート自身が同時にウインクした。

 一部の女子生徒から黄色い声が上がる。無論、ミリセントもその一人であった。

 

「ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、そして『週刊魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞。もっとも、私はそんな自慢をするつもりではありませんよ。バントンの泣き妖怪バンシーをスマイルだけで追い払った訳じゃありませんからね!」

 

 彼なりのジョークに、数人が曖昧に笑う。

 ただでさえ最初から胡散臭さを感じていた男子生徒らはより白い目を向け、アルテは小さく舌打ちした。

 彼女が読んだ本の内容、そしてリーマスが受ける筈()()()防衛術教師の代わり、という二点から、既にアルテのロックハートに対する嫌悪感は小さくなかった。

 横でハラハラしながらダフネが顔色を窺っているが、それすら気付かず鋭い視線を壇上に向けている。

 

「全員、私の本は勿論揃えているね? そして当然一、二冊くらいは読み終えている事とは思う。そこでまず簡単なミニテストを実施します。心配無用! 君達が私の本をどれくらい読んでいるかをチェックするだけ。満点を取れて当たり前のテストです」

 

 ファンの数人すら、何を言っているのだろうと疑問に思った。

 ロックハートの中では、生徒たち全員、あの分厚い本を全て読破している認識であるらしい。

 そして早速テストというのも冗談でも何でもないらしく、ロックハートは生徒たちにテスト用紙を配っていく。

 

「さて、制限時間は三十分、始め!」

 

 1.ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?

 2.ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何?

 3.現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、アナタは何が一番偉大だと思うか?

 ……。

 54.ギルデロイ・ロックハートの誕生日はいつで、理想的な贈り物は?

 

「……」

 

 ――スリザリン二学年が誇る優等生、エリス・アーキメイラでさえ自身の目の異常を疑い、眉間に指で抑えるほどのものだったと言えば、このテストの馬鹿らしさが分かるだろう。

 カリカリと羽ペンを走らせる音は、学年末の筆記試験より少なかった。

 少なくともそれは闇の魔術に対する防衛術のテストではない。

 というか最早、懸賞付きのクイズの域だった。

 それが本の概要さえ知っていれば解けるほどのものであればまだ救いもあったが、どれもこれもしっかり読み込まないと分からないような問題ばかり。

 これから本を通して学んでいくものだと思っていたダフネは、当然さっぱりだった。

 よりわかりやすくなったアルテの怒りで集中できない事もあり、結局幾つかの問題をそれっぽい解答で埋めただけで終わってしまった。

 三十分後、ロックハートはテスト用紙を回収し、それをペラペラと捲りながら大袈裟に首を振る。

 

「ちっちっち。皆さん、あまり勉強をしておられないようですね! 私の好きな色はライラック色ということを殆どの人が書けていません。『雪男とゆっくり一年』に書いてありますよ。こうして見ると誰が何の本を読んだか丸わかりですね。例えば、そうだな……ミス・ルーピン! ミス・ルーピンはどこですか?」

 

 心底嫌そうな顔でアルテは顔を背ける。

 そんな仕草と、生徒たちが一斉に彼女の方を向いたので、ロックハートはすぐに分かったようだった。

 

「貴女ですね、ミス・ルーピン! 例えば彼女は『狼男との大いなる山歩き』を大変好んで読んでくれたらしく、本書からの問題は全て正解しています! いや、確かにアレは私の中でも思い出深い一冊でね! それを心から気に入ってくれたのなら嬉しい限り。おや、そんなに恥ずかしがらなくて良いのですよ? 私の前では帽子を外して構いません。その顔をもっと良く――」

「せ、先生! 点数の良かった人はいるんですか!?」

 

 胃に穴が開きそうだったダフネは、果てしなく興味がなかったがわざわざ挙手して聞いた。

 テーブルに爪を立て、軋ませているアルテにこれ以上話しかければ、ロックハートがどうなるか分からない。

 汽車の中で見た限り、アルテは『狼男との大いなる山歩き』に対し凄まじい憤りを覚えている。

 読んだものに関した問題であったゆえ、仕方なく解答したのだろうが、見事彼の関心を引いてしまったらしい。

 

「おっと、良い質問ですミス・グリーングラス! 素晴らしいのはミス・ブルストロード! なんと満点です! パーフェクト! スリザリンに十点あげましょう!」

 

 ミリセントは感涙している。喜んで生贄になってくれた友人に感謝しつつ、ダフネはもう一度アルテを見る。

 テーブルに爪が刺さっていた。

 彼女をどうにか落ち着かせている間に、ロックハートは答案を見終えたらしい。

 本題に入るようで、机の上に布をかぶせた大きな籠を置く。

 中身は何らかの生物で間違いない。ガタガタと揺れ動き、今にも飛び出さんとしている。

 

「さあ、気を付けて! 魔法界で最も穢れた生き物と戦う術を授けるのが私の役目です! これから君達が遭遇するのは、見たこともないような恐ろしいモノでしょう。ただし私がここにいる限り、君達は安全です! くれぐれも取り乱したりしないように!」

 

 癖なのだろう、大袈裟な身振り手振りでロックハートは生徒たちの恐怖と緊張感を煽る。

 伝説的な彼のいう、恐ろしいモノ。それは、二年生という子供たちには想像もつかない。

 まさかドラゴンの幼体でも出てくるのだろうか、と息を呑む生徒たちの視線の先で、ロックハートはその布を取っ払った。

 

「さあ、捕えたばかりの、コーンウォール地方のピクシー小妖精です!」

 

 籠の中にいたのは、二十センチほどの小さな生き物の群れだった。

 群青色の尖った顔つきの妖精だ。可愛いとは言い難いが、しかし恐ろしいとも思えなかった。

 ピクシーといえば数ある魔法生物の中でも危険性の低いものである。

 確かに群れで襲い掛かってくれば危険ではある。だがある程度実力のある魔法使いならば障害にもならない。

 先程の演説は冗談だったのかと、そこかしこで失笑が漏れた。

 

「侮っていますね? それは結構! では君達がこいつらをどう扱うか――お手並み拝見!」

 

 そんな笑い声を受けてロックハートは、籠の扉を開け放った。

 堰を切ったように溢れ出てくるピクシー妖精。

 教室中の失笑が一瞬にして悲鳴に変わった。

 笑い飛ばしていたものの、いざ対面するとどうして良いのか分からないのか、殆どの生徒は机の下に避難する。

 豪胆なのか呑気なのか、エリスは自分の周りに防御魔法による膜を張り、収束を待っていた。

 

「ちょ、ちょっと、髪引っ張らないで……! 助けてアル……テ……」

 

 咄嗟の事でダフネも対応しきれず、アルテに助けを求めようとして――止まった。

 偶然、一瞬不思議なほどに静かになったタイミングで、パキリと乾いた音がした。

 生徒たちもピクシー妖精も、そちらを見る。

 

 両手に一匹ずつ鷲掴みにし、そして一匹を咥えているアルテの姿がそこにあった。

 

 アルテが顎に力を込めるとピクシー妖精は甲高い悲鳴を上げ、もう一度パキリと音が鳴ると、ぐったりとして動かなくなる。

 そうしている間に手で掴んだ二匹に爪を立て、素早く仕留めると、もう用事はないと投げ捨てる。

 ――ピクシー妖精への悲鳴の半分はアルテへの悲鳴に変わり、半分は歓声になった。

 悲鳴にはピクシー妖精のものも混じる。

 口の一匹を咀嚼しながら無謀にも特攻してきた一匹を見事な反射神経で掴み、潰す。

 ゆっくりと一歩進むと同時、ピクシー妖精たちはアルテから全力で逃亡した。

 

「あっちだルーピン! あの棚の上に一匹いるぞ!」

「こっちに二匹、捕まえとくわ!」

「ルーピン! 後ろ後ろ!」

「さあ賭けた賭けた! ルーピンが何分で片付けると思う!?」

 

 ――今年度最初の『アルテの時間』が幕開けた。

 悲鳴を上げている面々は、仕方なくエリスが広げた防御膜の中に逃げ込む。

 そして沸き上がる面々はアルテを応援し、ピクシーの逃げた場所を教え、更には賭けを行う者まで出てくる。

 近くを飛ぶ一匹を捕え、仕留める度に歓声が上がる。

 高いところにいるピクシーを指させば誰かが撃ち落とし、哀れにも餌食になる。

 悪乗りした生徒たちも交えた狩りで、見る見るうちにピクシーの屍の山が積みあがっていく。

 

「…………」

 

 ――事実は()()よりも奇なり、とロックハートは教壇の後ろに隠れながら、不覚にも思ってしまった。

 アルテがゆらりゆらりと歩みを進め、腕を振るう度にピクシーが細切れになっていく。

 人の指先でそんなことは不可能だ。考えられる可能性はただ一つ。

 無言詠唱、かつ杖無しで行使されている切断魔法――!

 叩けばピクシーは壁まで吹っ飛び、勢いでぺしゃんこになる。

 目に入らなければとあえて走って逃げるピクシーを蹴散らし、離れた連中は他の生徒たちが獲物を差し出すようにアルテに近付ける。

 それは一つの絵として、あまりに完成されていた。

 連中から飛び散る僅かな血飛沫すら、アルテという生粋の“野生”を装飾する化粧に過ぎない。

 積み上げられる死に慈悲はない。ただ障害であるならば叩きのめし、命を賭して立ち向かってくるなら応じる、というだけ。

 無秩序の上に立ち、血と屍を食んで生きる。静謐にして獰猛なる(やせい)の女王。

 高貴さで以て、秩序の上に立つロックハートには決して至ることの出来ない美しさが、そこにあった。

 五分余り。数十匹のピクシーは全てその動きを止めていた。

 歓声にはロックハートも混じっていた。拍手をして、自分が隠れていたことなど思わせない堂々とした佇まいでアルテを称える。

 

「ブラボー! ピクシーたちをその四肢で以て打ち倒してしまうとは! 見事です、ミス・ルーピン! スリザリンにもう十点あげましょう!」

 

 杖を使わず対処したことを責めるのではと思う生徒たちもいたが、それは杞憂であった。

 アルテの、お世辞にも正しい対処法とは言えないただの狩りを、しかしロックハートは高く評価しているらしい。

 

「なるほど! 去年学校を守ったというのは嘘ではなかったようです! 良いでしょう、貴女のような素晴らしい生徒をもっと強く、美しくするのも私の役目です! 大丈夫! 私が教えれば、貴女はもっともっと優秀になれる!」

 

 ロックハートが何やら喚いているが、アルテは出来る限り彼の声は聞きたくなかった。

 

「さあ、最初の授業はここまでです! 宿題ではないですが、私の本をちゃんと読んでくださいね! ではまた次回、楽しみです!」

 

 何だかワクワクしながら教室を出ていくロックハート。

 彼が出ていくまで、全力で彼を意識の外に出していたアルテは、気を張っていたのか肩の力を抜く。

 そんなアルテに、心配そうな表情を浮かべたダフネが駆けてきた。

 

「アルテ、大丈夫だった!?」

 

 少なからず真っ赤になったアルテには、怪我は見られない。

 だが見えない何かがあるのでは、と思ってのことだったのだが、アルテはまったくいつも通りだった。

 まだ口に残っていたらしい“何か”を噛み、ゆっくりと呑み込んで一言。

 

「――悪くない」

「何が!?」

 

 ――筋張って骨が目立ち、肉が少なかったが、それなりにお気に召したようだった。




※賢者の石<お辞儀。
※吠えメールにビビッてベーコンを落とすアルテ。
※マジギレアルテを止めるべく協力する面々。
(アルテ)奏者(かいぬし)ルーナ。
※私だ。
※一点特化型だったため目を付けられるアルテ。
※地雷原でタップダンスを踊るロックハート。
※アルテちゃんのたのしいピクシー狩り。
※色々勘違いしまくった挙句変な方向に暴走しだすロックハート。
※ピクシーの肉をお気に召すアルテ。


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開かれた部屋

 

 

 二年目のハロウィーン。

 パーティでは相変わらず甘みの強いかぼちゃ料理が、テーブルに所狭しと並べられている。

 そんな中で、今年は多少の変化があった。

 少なからず皿に盛られた肉料理。

 どうやら元々生徒の要望が少なからずあったらしく、そしてアルテが前年度のハロウィーンでの料理が気に入らなかったためにトロールの襲撃に巻き込まれたこともあったからか、今年になって追加されたようだ。

 特別なかぼちゃ料理には殆ど手を付けず、肉を楽しむつもりだったアルテ。

 今年は去年とは違いまともに腹を満たすことが出来る。

 そう思っていた、のだが。

 その期待とは裏腹に、一切楽しめていない、どころか満たそうとしていた腹が煮えくり返りそうであった。

 

「そこで私はその狼男に言ってやったのですよ、お前は満月の夜にしか負け犬の遠吠えすら出来ないのか、とね!」

 

 アルテの隣で得意げに喚き散らすロックハート。

 彼は教師のテーブルではなく、何故かスリザリンのテーブルの、それもアルテの隣の席で、あろうことか『狼男との大いなる山歩き』の裏話を朗々と話しているのである。

 どうやらロックハートはアルテがあの本を大いに気に入ったと思い込んでしまっているらしく、こうして暇があれば彼女にその武勇伝について語って聞かせていた。

 新学期が始まって二か月もすれば、ミリセントやパンジーは勿論、大方のスリザリン生はあの本がアルテの何らかの地雷であることは察しており、最近やたらとあの本を取り上げるようになったロックハートの授業は全員胃の痛みを覚えるようになっていた。

 そして最悪なことにロックハート自身はそんなアルテの様子にまるで気付いていない。

 アルテを一人のファンとして、いや、それより過剰に接し、熱心なファンサービスを行っている。

 勿論彼の本当のファンは彼の周りで目を輝かせて話を聞いているが、アルテはその一切を出来る限り無視しようと努めていた。

 

「まあ満月の夜だろうと狼男なんて私の杖で一振りですがね。ご安心ください、アルテ、そして皆さん! 私が傍にいる限りあらゆる狼男を近付けさせはしませんよ!」

 

 料理の味などしなかった。

 その癪に障る熱弁が聞こえないよう料理に集中しているというのに、この時間はただ腹を満たすだけの作業にしかなっていない。

 

「そうだアルテ! 今度狼男について個別に講習を行ってあげましょう! 私の知っている狼男の全てを――」

 

 ――これ以上、この場にはいられなかった。

 料理の味はしないし隣から聞こえる声はひどく不愉快だった。

 乱暴に席を立ち上がる。椅子が倒れたが、気にしない。

 

「あ、アルテ!」

「寮に戻る」

「おやアルテ、もう戻るのですか? ではまた授業で会いましょう! 次も『狼男との大いなる山歩き』をピックアップする予定ですからお楽しみに!」

 

 ハラハラとその様を見ていたダフネの心配に短く返し、聞きたくなかった予告を背中に受けつつ大広間を出る。

 

「――ッ」

 

 廊下に出てから、感情任せに拳を壁に叩き付ける。

 己にとって一番大切な人を侮辱するような言葉を延々と熱弁されることは我慢ならないことだった。

 ロックハート自身に手を出さないのは、彼女なりの精一杯の理性であった。

 叩きつけた拳に付いた砂埃を落とし、息をつく。

 一度落ち着いてみれば、まだ満腹とは言えないことに気付く。

 

「……」

 

 大広間に戻るか、寮で相変わらずウィーズリーの双子から仕入れているジャーキーを齧るか、と考え、すぐに後者と決める。

 その時だった。

 人気のない廊下のど真ん中で、冷たい声を聞いたのは。

 

 

『……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……』

 

 

「……?」

 

 辺りを見渡す。しかし、人の姿は見られない。

 だというのに声はすぐ傍から聞こえる。何かが這いずるような音も――

 

『……腹が減ったぞ……こんなに長い間……』

 

 声が遠くなっていく。

 それを追うように、アルテは階段を上っていく。

 自分以外に向けられる言葉など、どうでもいいアルテだが――声に込められた圧倒的な殺気は、アルテに向けられているようにも、別の誰かに向けられているようにも思えた。

 

『……殺してやる……殺す時が来た……』

 

 声は遠くなったり、近くなったりしている。

 少なくともそれはアルテと同じように廊下を移動している訳ではないらしい。

 無視するには、その殺気は鋭すぎる。

 流石に学校でそれを感じるのは異常といえた。

 

「……」

 

 殺気が自分に対してであるのならば、抗う以外の道はない。

 その正体を確かめるべく、とにかく足を急がせる。

 階段を三階にまで上り、ようやく反対側から別の足音が聞こえた。

 三つ、急ぐような駆け足の音が、アルテに向かって近づいてきている。

 それが犯人だろうと断定し、爪を伸ばす。

 そして角を曲がった時、廊下の向こう側に三人の生徒が見えた。

 

「あ、アルテ……!?」

「何でこんなところに……!」

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニー。

 三人は息せき切ってここまでやってきたようだった。

 額の汗を拭いながら、ハリーがアルテに詰め寄ってくる。

 

「今の声……まさかと思うけど、キミじゃないよね?」

「違う」

「アルテにも聞こえたの? 私とロンには全然聞こえないわ」

 

 どうやら三人も――聞こえたのはハリーだけのようだが――先の声を聞いてここまで来たらしい。

 いつの間にか、這うような音も、冷たい声も聞こえなくなっていた。

 

「……三人とも、これ――」

 

 ロンが壁を指差して、震えた声で言う。

 暗がりの中で――窓と窓の間の壁に、真っ赤な文字が見えた。

 床は水溜まりで満ち、文字は松明に照らされ、鈍い光を放っている。

 文字は荒々しく、文章を作っていた。

 

 

 秘密の部屋は開かれたり

 継承者の敵よ、気をつけよ

 

 

 その文字の意味を考えるより前に、四人の視線は別のものに自然と集まった。

 ――管理人フィルチの飼い猫、ミセス・ノリスだ。

 ピクリとも動かず、その体は松明の腕木に尻尾を絡ませる形でぶら下がっている。

 目はカッと見開き毛の一本すら微動だにせず、板のように硬直していた。

 

「……ここを離れよう。ここにいるところを見られない方が良い」

 

 ロンの提案は、一歩遅かった。

 声の捜索に随分と時間を掛けていたらしい。既に時間はパーティが終わる頃合いで、何百という足音が階段を上ってきていた。

 誰一人、逃げることもままならず、その場で動かないままに満腹の生徒たちを迎え入れる。

 先頭の生徒がぶら下がった猫を見つけた瞬間、ピタリと会話や喧騒が静まった。

 そして我先にと前に出てきて、あっという間に四人は取り囲まれる。

 

「あ、アルテ……まさか貴女……違うよね?」

「……何が」

 

 ふらふらと前に出てきたダフネが、泣きそうな表情で聞いてきた。

 意図の掴めない問いに首を傾げていると、文字を見たドラコがニヤリと笑いながらハリーたちに――特にハーマイオニーに向けて叫ぶ。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前たちの番だぞ、『穢れた血』め!」

 

 何が面白いやら、いつもの青白い頬に赤みがさすほどに興奮しているドラコ。

 その大声に引き寄せられたのだろう。フィルチがドタドタと足音を鳴らしながらやってきた。

 ハリーたち三人がビクリと肩を震わせる。

 生徒たちに囲まれ逃げることも出来ない。そうしている間にフィルチが肩で人混みを押し分けて、輪の中に入ってくる。

 

「ポッター、お前また何か……」

 

 疑いの視線を一瞬ハリーに向けたフィルチだが、ミセス・ノリスを一目見た瞬間、恐怖で真っ青になり、手で顔を覆い後退りした。

 

「私の猫だ! 私の猫だ! ミセス・ノリスに何が起こったんだ!」

 

 金切声でフィルチが叫ぶ。

 飛び出した目が絶望から怒りに、みるみるうちに変わっていく。

 その怒りの矛先は、何かしらで不審を買っていたらしいハリーだった。

 

「お前だな! お前が私の猫を殺したんだ! お前が! 私がお前を殺してやる!」

「ぼ、僕じゃない! 本当です!」

「なら誰だ! お前か! それともお前か!」

 

 フィルチは叫びながら、ロンを、ハーマイオニーを指差す。

 彼らが首を横に振るたびに獣のような目で次に目を向け――最後に、アルテを見た。

 

「……そうか。お前か、スリザリンの……お前だったのか! 私は恐れんぞ! お前のような小娘!」

「アーガス!」

 

 今にもアルテの首を絞めんと飛び掛かろうとしていたフィルチを止める声。

 他の数人の先生を連れ従えたダンブルドアだった。

 アルテの、ハリーの、ロンの、ハーマイオニーの脇を通り抜け、ダンブルドアはミセス・ノリスを松明の腕木から外す。

 ――訳が分からないが、ダンブルドアが来たならば後は勝手に解決するだろう。

 そう思い、アルテは寮に戻ろうとする。

 集まった生徒たちに振り返ると、その方向の生徒たちが逃げるように道を開けた。

 首を傾げながらも、人混みを通る手間が省けたとその道を通ろうとするアルテを、ダンブルドアが制す。

 

「アーガス、一緒に来なさい。ポッター君、ウィーズリー君、グレンジャーさん。それからルーピンさん。君たちもおいで」

 

 それしかないと黙って従うハリーたち三人。

 しかし、アルテはダンブルドアの決定に疑問で返す。

 

「何で?」

「なに、少々話を聞きたいだけじゃよ。見たところ、第一発見者は君たちみたいじゃからの」

「知ってることなんてない」

「ミス・ルーピン!」

 

 マクゴナガルが顔を真っ赤にして怒鳴りつける。

 あまりに空気を読むということを知らないアルテは、この明らかに異常が起きた場において一切の協調性を見せようとしていない。

 寧ろ、状況的にはハリーたち三人より遥かに怪しい立場でありながら。

 

「――ルーピン。これは命令だ、来い。大人しく付いてくれば、次の授業の宿題を免除する」

 

 埒が明かないと思ったのか、静かに、僅かに敵意を込めて、スネイプがアルテに命じる。

 従う謂れもないが――宿題の免除という交渉材料はアルテの関心を引いた。

 十秒ほど、睨み合っていた両者。やがてアルテが渋々頷くと、何処か得意げにロックハートがダンブルドアに切り出す。

 

「校長先生、私の部屋が一番近いです。すぐ上です、どうぞご自由に」

「ありがとう、ギルデロイ」

 

 無言のまま、人垣が更に大きく左右に割れる。

 その間を黙って通り抜ける一行。

 疑念、敵意、恐怖――そんな感情をアルテは一身に受けていることを感じる。

 幾らか慣れたものではあるが、いつもの数倍はあるな――と、どうでもいいことのように思った。

 

 

 

 ロックハートの部屋は、また随分と自己主張の激しい場所だった。

 壁一面に張られた彼自身の写真が突然の来客、しかも校長の登場に慌てふためいている。

 そちらの方に一切目を向けていないアルテ。それは、幸運だったかもしれない。

 少しでも陰鬱な気分を紛らわせようと部屋を見渡していたハリーたちは、棚の上に幾つかロックハートではない写真を見つけた。

 些か悪趣味な写真立てに入った写真の少女は、写真という自覚がないようにそっぽを向いている。

 本人がいる場でそれを指摘すべきか迷っているうちに、視線に気付いたロックハートが何食わぬ顔で写真に布をかぶせてしまった。

 ダンブルドアはミセス・ノリスを机の上に置く。杖を取り出し、トントンと猫を叩く横で、ロックハートが相変わらず大袈裟な身振りで話し始めた。

 

「猫を殺したのは呪いに違いありません! 恐らくは『異形変身拷問』の呪いでしょう!」

 

 この場の誰も――ダンブルドアさえも聞いたことが無い呪いだった。

 ダンブルドアがなんの反応も示していない時点で、大法螺も当然なのだろう。

 マクゴナガルもスネイプも、一切興味を示していなかった。

 

「私がその場にいなくて残念です! 反対呪文を知っている私なら、猫を救ってやれたのに!」

 

 ロックハートが喚く中、アルテは小さく欠伸をした。

 満腹ではないものの、不満があるほどではない。こんなどうでもいいことで拘束されているより、アルテは寝たかった。

 

「――アーガス、猫は死んではおらんよ」

 

 やがて調査を終えたのか、ダンブルドアが優しい声でフィルチに声を掛けた。

 顔に手を当ててすすり泣いていたフィルチは、さっと顔を上げる。

 

「……死んでない? では、何が!」

「石になっておる。何者かが、どんな手法を使ったのかは現時点では分からんが」

 

 石化――それは一般的な魔法では不可能な現象だった。

 それほど難易度の高くない魔法に石化魔法というものもあるが、それはあくまで相手を硬直させるだけ。

 魔法の効果を終了させる『フィニート』の魔法で簡単に解くことが出来る。

 これは、それとは話が違う。魔法での解除が不可能な、完全な石化だった。

 

「そいつがやったんだ! そいつが私の猫を石にして喰おうとしたんだ!」

 

 真っ赤になった目でフィルチはアルテを睨み叫んだ。

 アルテはそれに対し、心底からの疑問の表情を浮かべる。

 

「――食べるなら石にする理由がない」

「ッ――!」

 

 出来ないでも、やってないでも、食べる気はないでもなく、理由がない。

 本当にアルテはそんな魔法を知らないし犯人でもないし、まして猫を獲物にする気もなかったのだが、手っ取り早く結論のみを口にする。

 結果的にその言い回しは、『自分には手段がある』とも取れるものになってしまっていた。

 目を見開き、パクパクと口を動かすフィルチ。

 今にも手が出かねない様子を見て助け船を出したのは、意外にもスネイプだった。

 

「ミス・ルーピン、そしてポッターとその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせたのではありませんかな。ミス・ルーピンに関しては去年の一件もそうでしょう。多少は一人で出歩く癖を直してほしいものですがな」

 

 ハリーら三人は目を丸くする。

 アルテのおまけかもしれないが、彼が自分たちを庇うような発言をするなど。

 

「ふむ。今宵の料理は口に合わん者も少なくなかろうと思い、幾らかいつもの料理も置くよう頼んだのじゃが」

「私のせいでしょう」

 

 途中で抜け出す生徒が少なくなるよう計らったダンブルドアだったが、今回もアルテが抜け出していることは予想外だった。

 その理由として一つ思い浮かんだロックハートが挙手する。

 スネイプよりも意外なことに、彼も彼なりに責任を感じているらしい。

 

「彼女が気に入った私の著作である『狼男との大いなる山歩き』について話して聞かせていたのですよ。しかしどうやら退屈だったようで。もっと興味の持てる話で引き止めてあげるべきでした! そうすればミス・ルーピンが疑いを受けることもなかったでしょうに!」

 

 マクゴナガルが大きく咳き込み、スネイプも流石に溜息をついた。

 ダンブルドアすら柔和な表情を一瞬固め、アルテに目を向ける。

 元気づけようとしているのだろう、肩に手を置くロックハートに、全力で苛立ちの視線を向けるアルテ。

 あろうことかまったく気付いていないロックハート。その胆力こそ、彼を有名にしたものであり、彼が何より周囲を傍迷惑に巻き込んでいる要因だろう。

 ――アルテに対し、狼男の話題は禁忌である。それは“その時代”から教鞭を執っていたダンブルドアやマクゴナガル、そして“その時代”に生徒としてホグワーツにいたスネイプが暗黙の了解として分かり切っていることであった。

 そして、盲点だった。教科書として選ばれた彼の著作に、その地雷に堂々と踏み込むような作品があったことなど。

 アルテに対し良い印象を持っていないスネイプすらここまで露骨な嫌がらせは敢行しない。

 何も知らない――信頼感の無さゆえ知らされていないロックハートだからこそ出来る、スタイリッシュに無自覚かつ陰湿な嫌がらせであった。

 ――ともあれ、態度はともかくアルテが実行犯であるという証拠はない。あくまでも、第一発見者かつ“スリザリンであるから”こその疑惑だ。

 

「……まあ、ポッター達が非常に疑わしい状況であるとは思いますがな。 何故、パーティに参加せずあのような場所にいたのか、それはお聞きしたいですな?」

「ぼ、僕たち、絶命日パーティに参加してました。ゴーストたちが証明してくれる筈です」

「ではその後大広間に来なかった理由は?」

「それは……僕たち疲れていて、すぐにでもベッドに行きたかったんです。お腹も空いてなかったし」

 

 そのタイミングでロンのお腹が鳴った。部屋に微妙な空気が流れる。

 ――しかし、ハリーの言葉も正しい。彼らはホグワーツに住むゴーストである『ほとんど首なしニック』の絶命日パーティに参加していたのである。料理は腐っていて食べられるものでもなく、それはもう酷いものであったが。

 

「……校長。疑いが晴れるまで、四人の行動には何かしら制限を掛けるべきだと進言しますが。例えばルーピン、君には寮外における一人での行動禁止を。ポッターには、そうですな……疑いが晴れるまではクィディッチチームから外すというのは如何でしょう」

 

 程度が違う。というか疑いがどうのとか関係ない私怨であった。

 ハリーがグリフィンドールのシーカーになったことで去年スリザリンは辛酸を舐めさせられた。

 逆に言えば彼さえいなければグリフィンドールは相手にならない。スリザリンの一人勝ちだと思ったのだろう。

 顔を真っ青にして反論しようとするハリーとマクゴナガル。それをダンブルドアが手で制し、穏やかな顔でスネイプに言う。

 

「疑わしきは罰せず、じゃよセブルス」

「罰せず!? 私の猫が石にされたんだ! 刑罰を与えなきゃ収まらん!」

 

 ダンブルドアの決定にフィルチがキーキーと怒鳴りつける。

 彼の中で容疑者として濃厚になっているハリーとアルテ。その両者にフィルチは殺意さえ向けていた。

 

「アーガス、君の猫は治せるよ。今、温室でマンドレイクを育てておってのう。それなら石化を治す薬を作ることができる」

 

 マンドレイク――石になった生物を元に戻すことが出来る、数少ない手段だ。

 ハリーたちはスプラウト教授の授業で植え替えをやったことから、よく覚えていた。

 なお、スリザリン生も行ったその体験をアルテは休まされた。

 それもその筈、マンドレイクの悲鳴は幼体でも人を気絶させるほどであり、世話には耳当てが必須なのだ。

 治す方法がある。それを聞いて安心したのか、フィルチはその場にへたり込む。

 

「四人とも、もう戻ってよい。じゃが、確かに出来る限り廊下では二人以上であった方が良い。そうするように努めてほしい。セブルス、ルーピンさんを寮まで送ってくれるかの」

 

 フィルチに一つ頷いた後、ダンブルドアは解散を言い渡した。

 スネイプに連れられ、アルテは部屋を出る。

 寮へと向かうため廊下を無言で歩く。その最中、スネイプが一言問いを投げた。

 

「――やっていないのだな?」

「やってない」

 

 会話はそれだけ。寮に着くまで、その後はどちらも声を上げることはなかった。




※しれっと隣の席に座るロックハート。
※パーティでも地雷原をスキップで駆けるロックハート。
※お前は満月の夜にしか負け犬の遠吠えすら出来ないのか。
※「狼男」という単語をアルテが特に気に入っているようなので連呼するロックハート。
※その場でぶん殴ることだけは耐えたアルテ。
※なんか声が聞こえるアルテ。
※宿題免除を餌にすればついていく。
※マクゴナガルがむせるレベル。
※スネイプが嫌味でも何でもなく本心から呆れるレベル。
※ダンブルドアが真顔になるレベル。
※マンドレイクの世話はさせてもらえないアルテ。


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襲撃

 

 

 ホグワーツ魔法魔術学校は、偉大なる四人の魔法使いによって創設された。

 後に誕生することになる寮の名は、彼らのセカンドネームに因んでいた。

 ――ゴドリック・グリフィンドール。

 ――ヘルガ・ハッフルパフ。

 ――ロウェナ・レイブンクロー

 ――サラザール・スリザリン。

 四人とも当然、主義主張は異なっていたが、取り分け“学校にどのような人材を生徒として迎え入れるか”についてはサラザールとそれ以外の三人でキッパリと意見が分かれていた。

 サラザールは純血主義のため、半純血、まして『穢れた血』の入学など許さないと断言したことで、三人と対立する。

 最終的にサラザールは学校を去ることになるのだが、その際ホグワーツの何処かに己の真の継承者しか開くことのできない『秘密の部屋』を作ったという。

 その中に在る者は、恐怖。

 いずれ真の継承者が現れた時、その者は秘密の部屋から恐怖を解き放ち、サラザールが相応しくないと考えた生徒を追放するという。

 知る人ぞ知る昔話だ。ホグワーツに入学する前の子供でも、知っている者は少なくない。

 ミセス・ノリスが襲われて数日も経った頃には、この昔話も含めて事件のことはすっかりと学校中の噂になっていた。

 現れたスリザリンの継承者。先の事件は警告に過ぎない。

 これから、マグル生まれの生徒たちは無差別に襲われるのではないかと、生徒たちの不安は高まっていた。

 生徒たちの間で、事件は知れ渡った直後から継承者の候補と考えられていたのは四人の生徒。

 ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてアルテである。

 そのうち、ロンとハーマイオニーは早々に外された。

 ロンは純血の家系ではあるが、純血主義ではない。寧ろ純血主義の代表格とも言えるマルフォイ家と真っ向から対立している。

 ハーマイオニーはそもそもマグル生まれである。継承者というよりも、寧ろ継承者に襲われる危険性の高い人物だった。

 よって、候補となるのは二人だが、今は満場一致でアルテだとされている。

 元から注目を浴びやすかったが、その視線はどちらかというと面白い見世物を見る、という感覚が強かった。

 その視線はたった数日で一気に切り替わり、スリザリンへの敵意全てをアルテが集めていると言っても良い状態になっている。

 

「……ねえ、本当に大丈夫? アルテ」

「何が?」

「いや、何がって……貴女、学校で一番疑われてるのよ? 継承者だって」

「どうでもいい」

 

 そんな状況ですら、アルテはいつも通りだった。

 ダフネら三人以外のスリザリン生も、間違っても標的にされたくないのか露骨に距離を取っている。

 継承者が襲うのは『穢れた血』。しかし、見せしめに石にされたフィルチの猫のように、彼女が気に入らなければ純血の名高い家系だろうとその毒牙に襲われかねない。

 どうやら現状、ほんの少しでもアルテが『継承者ではない』と考えているのは、ダフネ、ミリセント、パンジーの三人だけのようだった。

 その理由は単純明快。いつも一緒にいることからの信頼感である。

 猫が襲われた事件こそ、彼女は一人で行動していた。

 だが彼女がフィルチに言った通り、食べようとするのであれば石にするなんてまどろっこしい方法をアルテは取らない。

 『穢れた血』狩りなどもっとあり得ない。そんな今のホグワーツで行うにはきりがないような面倒ごとをアルテが行う筈がない。

 確かに『穢れた血』は気に入らないし、継承者がそれを掃除してくれるなら反対はしない。

 継承者を否定はしていないが、それ以上にアルテが継承者扱いされている状況の方が、ダフネたちにとって悩みであった。

 

「まったく……ポッターたちも薄情よね。賢者の石の事件でアルテの世話になったってのに、庇いもしないんだから」

「世話してない」

 

 彼女たちがもう一つ気に入らないことこそ、それであった。

 ハリーという、アルテよりよほど発言力がある、継承者候補の一人。

 彼も事件翌日などは多少疑いの目を向けられていたが、それもほんの一日のことだった。

 当然だ。グリフィンドールのハリーとスリザリンのアルテ。どちらがスリザリンの継承者であるかと聞かれれば、そんなこと考えるまでもないだろう。

 ダフネたちが、何もハリーを疑っているという訳ではない。

 もしもハリーが継承者であるならば、『穢れた血』であるハーマイオニーを傍に置いておくとは考えにくい。

 だとしても――いや、そうであるからこそ、ハリーはアルテを庇うべきだと、ダフネたちは考えていた。

 アルテは断固として世話してないと言っているが、彼女がいなければ駄目だったと考えているのは他ならぬハリーである。

 彼がダンブルドアに進言すれば、それこそ一発だろう。

 だというのに、状況はいつまで経っても好転しない。

 アルテが気にしない性格でなければ、とっくに倒れていてもおかしくない。現に本人ではないダフネたち三人の気が滅入りそうだった。

 

 

 

 しかしながら、彼女たちにも幾分か癒しとなる時間が存在した。

 クィディッチの、グリフィンドール対スリザリンの試合である。

 前年度はグリフィンドールに敗れたスリザリンチームではあるが、それゆえに今年度の闘志は例年以上であった。

 彼らが勝ちを確信する理由の最たるものは、箒である。

 チーム全員が、最新式のニンバス2001を手にし、チームの力はこれまでないほどに高まっている。

 彼らに箒を与えたのは、今年からシーカーとしてチームに入団したドラコである。

 シーカーとしての実力より箒を買い与えたことによりチーム入りを許されたようなものではあるのだが、ドラコも飛行を得意と豪語するだけの実力はある。

 ハリーの箒は彼らに一世代劣るニンバス2000である。シーカーが同時にスニッチを見つけた時、物を言うのは箒の差だ。

 そんなことからスリザリン寮は試合が始まる前から盛り上がり、当日は朝から会場に殆ど全員が駆けつけていた。

 ダフネたち三人も例外ではない。このクィディッチの時間だけは、あの腹立たしい事件のことを忘れられるのだ。

 

 ――その頃アルテは、自室で眠りについていた。

 いつもの事だ。クィディッチにまるで興味を示さないアルテは、授業が休みであるのを良いことに昼過ぎまで眠っている。

 無論、寝ているアルテの色々と不味い姿をダフネたちがそう簡単に放ったままにする筈がない。

 アルテが着替えるまで決して外に出さず、そして自分たち以外の何者も中に入れず、更には中を見ることすら出来ない。

 グリーングラス、ブルストロード、パーキンソン。三つの純血の家系が、それぞれ娘の要望で用意した魔法道具の力である。

 正直プライバシーの保護の観点からすると行き過ぎた代物であり、夜の闇横丁にて非合法の品を扱うボージン・アンド・バークス店に置かれていても不思議のない道具だ。

 これが平然と学校で使用されているのはアルテの秘密を守るため、という名目からであり、そうであるならば教師側も首を縦に振らざるを得ない。

 そんなことから、この道具によってアルテは休日、快適な睡眠を手に入れていた。

 未だにクィディッチのルールすら理解していないアルテにとっては、この日はいつもよりよく眠れる休日に過ぎない。

 グリフィンドールが勝とうとスリザリンが勝とうと、まったくもってどうでも良かった。

 そんな彼女の快眠は、この部屋にはいない何かの声によってぶち壊されることになる。

 

 

『…………す……殺し……や……』

 

 

 その声がどれだけ遠かろうとも、ここまでの殺気を向けられれば目を覚まさざるを得ない。

 一気に覚醒したアルテは布団を放り投げ、跳ぶように立ち上がって辺りを見渡す。

 

『……引き裂……つ裂きに……』

「……」

 

 誰もいない。地下牢にあることから昼間も薄暗いスリザリン寮の一室だ。

 他の三つのベッドは空であり、壁に掛けられた時計を見ればまだクィディッチの試合が始まったばかり。

 スリザリンチームの試合というのだから、寮生の大半は競技場に集まっている。

 その声は、少し前――ハロウィーンの夜に聞こえてきたものと同じだ。

 殺気は、無差別に向けられているのかもしれない。

 一つ間違いがないのは、自分も例外なくその対象であるということ。

 行動に迷いはなかった。危険だという意識は毛頭なく、相手が此方に来るというのなら立ち向かうまで。

 怯えるという選択肢はない。向けられる殺意に対する返答は、同等の殺意のみ。

 素早く服を着込む。ローブは邪魔ではあるが、仕方ない。帽子をルーナの一件の癖から深く被り、部屋を出る。

 外は静かだ。いつもなら騒がしい談話室も、声一つしない。

 だが、誰もいないという訳でもないらしい。

 

「……」

 

 談話室のソファに腰かけ本に視線を落としているエリス・アーキメイラ。

 彼女もクィディッチにはさほど興味を持っていないらしい。

 訝し気な視線を向けたアルテだが、それも一瞬。彼女が何処にいようとどうでもいいと、横を通り抜けようとした時、エリスが口を開いた。

 

『何処に行くんです?』

「関係ない」

 

 いつものように、短く返す。

 相変わらずのアルテに肩を竦めたエリスは、本を閉じてアルテに目を向けた。

 

「継承者であると疑われている状況で一人出歩いては、余計に疑われますよ?」

「どうでもいい」

「大人しくしているのが良いでしょう。何処かへ用事があるなら、グリーングラスたちが戻ってきてからで良いのでは?」

 

 エリスなりの心配であるらしいのだが、アルテにとってそれでは遅すぎる。

 忠告を無視して部屋を出ていくアルテ。

 彼女が扉を閉めた後、残されたエリスはその扉を暫く見つめ、やがて首を横に振った。

 

 

 

 声は前回より早く、聞こえなくなった。

 同じように三階の廊下を歩くアルテは、声は聞こえなくなったものの殺気だけは感じている。

 這うような音は聞こえない。

 ミセス・ノリスが石になっていた場所に行ってみるも、何もなかった。

 文字も既に先生たちによって消され、いつもの廊下と変わりない。

 ここに来れば何かがある、と思っていたのだが、当てが外れたようだった。

 

「……」

 

 件の廊下を通り過ぎ、窓際の廊下を歩く。

 快晴だ。クィディッチは屋外で行う競技、まさに絶好の天気と言えよう。

 やはり生徒は殆どが見物に行っているらしい。

 休日だというのに外を見ても、誰も校庭を歩いていない。

 ――気付けば、向けられている殺気も消えていた。

 徒労だった、と嘆息する。

 仕方ない、戻って寝直そうと踵を返そうとした瞬間だった。

 

 

「――オブスキューロ、目隠し」

 

 

「ッ――」

 

 聞き覚えのない女子の声が聞こえ、アルテの視界が真っ黒に染まる。

 視界を奪う呪文――直感で判断したアルテは、己の記憶を頼りにその場を離れようと走る。

 しかし、何者かの詠唱は早かった。

 

「ペトリフィカス・トタルス、石になれ」

 

 突如として体が動かなくなり、アルテはその場に崩れ落ちた。

 耳は聞こえるが、鼻は動かせない。言葉を発することも出来ず、体がそれこそ石になったようだった。

 抗おうと力を込めながら、アルテは察する。

 ミセス・ノリスを石にした魔法は、これなのではないか、と。

 これは金縛り呪文であり、猫を石にしたのはこの魔法によるものではない。

 だが、状況――何事にも抵抗できないということは変わらない。

 

「……いや、まったく。困るんだよ。君じゃないんだ」

 

 腹に蹴りが叩き込まれる。

 口からその分空気が零れるだけで、咳き込むことも、痛みに歯を食い縛ることも出来ない。

 

「ディフィンド、裂けよ」

 

 同じ呪文が立て続けに唱えられた。

 腕に、足に、脇腹に鋭い痛みが走っていく。

 切り傷の痛みによく似ていた。痛みの範囲が広い。なのに、止血に手を回すことも出来ない。

 

「ただ、いい機会だからね。アレをけしかけるのだけは勘弁してあげるよ。その代わり、別の見せしめになってもらうけどね。君みたいなのが増えたら一層面倒になる」

 

 ディフィンド、と再び唱えられる。

 視界の奪われた目に、耐え難い激痛が走る。

 クィレルに二度掛けられた魔法とはまた違う、たった一つだからこそ鮮烈な痛み。

 痛みに次ぐ痛み。しかし、声一つ上げることが出来ない状態。

 それでも気を失わないアルテは、その状況に、感じたことのないものを感じていた。

 

「さて。見つけてもらえないのもかわいそうだ。今は皆外にいるんだね。なら――レダクト、粉々」

 

 果てしない闇。目を失うという、“無”しか見えなくなる状態。

 こうして視界がなくなることで、アルテは初めて“無”というものを理解していた。

 いずれ、己が至るべき場所。

 ヴォルデモートという敵を殺した後、存在意義の無くなった自分が辿り着く場所。

 自分の到達点としてある、当たり前のものである筈なのに。

 ――それを酷く、恐ろしく感じていた。

 壁が崩れる音など、聞こえなかった。

 それよりも。当然のものを何故か、恐ろしく感じてしまうことが理解できなくて、アルテは痛みすら忘れてパニックになっていた。

 自分はそこまでが役割である筈なのだ。それを恐ろしく感じる理由など存在しない。

 ではこの恐怖は一体何なのか。それではまるで自分という存在を、否定して――

 

「二度と余計なことに足を踏み入れるな、と忠告するよ。ステューピファイ、麻痺せよ」

 

 解答が出せないままに、アルテの意識は沈んでいった。

 失神呪文の衝撃で吹っ飛び、アルテは校庭に投げ出される。

 襲撃犯の正体を知ることも、謎の声の正体を知ることもないまま、アルテは校庭に落ちた。

 金縛りの術が解けて、芝が赤く染まりだす。

 クィディッチの競技場からは、歓声が聞こえていた。

 

 

 

 試合終了後、ダフネたちは少し気を落とした状態で校舎へと戻っていた。

 試合は惜しくもグリフィンドールの勝利。

 ハリーは自分をしつこく追跡するブラッジャーに腕を一本折られつつも、執念でスニッチを掴み取ったのだ。

 

「うぅん、今回のはマルフォイがチキンだったよねぇ。もうちょっと粘っていれば先を越せたのに」

「ドラコは悪くないわ! スニッチの場所が悪かったのよ!」

「ポッターがおかしいのよ。腕を犠牲に勝ちに行くなんて正気じゃないわ」

 

 口々に感想を述べながら帰途につくダフネたち。

 今頃競技場ではハリーの応急処置が行われていることだろう。

 敗北したスリザリン生たちは早々に帰り、もう寮に戻っている者もいる筈だ。

 

「アルテ、まだ寝てるかな?」

「流石に起きてるでしょ……あら、何あの人だかり」

「ちょっと……悲鳴上がってるけど……また継承者が何かやらかしたんじゃ」

 

 早くアルテのもとに戻りたかったダフネたちだが、校舎の前に人だかりが出来ているのを目にする。

 何やら悲鳴も上がっており、その光景には好ましくない思い出があった。

 あんな感じの輪の中で、アルテが後継者だと疑われる現場が作られていた。

 何があったのかは知らないが、継承者が犠牲者を出したのでは、という悪い憶測が生まれる。

 示し合わせるでもなく、ダフネたちはその人だかりに向かっていった。

 彼女たちに最初に気付いたのは、スリザリン二年生のセオドール・ノットだった。

 ダフネたちを見るとノットは目を丸くして、走り寄ってくる。

 

「お、お前ら……」

「ノット、何があったの? 継承者の犠牲が出た?」

「あ……いや……あぁ、そうなんだろうけど……おい、落ち着けよ、取り乱すな、こっち来い」

 

 ダフネたちは首を傾げる。

 切れ者で知られるノットがここまで取り乱すような事態は珍しい。

 余程珍しい光景でも広がっているのかと――彼女たちは呑気に考えていた。

 

「――ぇ?」

 

 そして、輪の中にいた者を目にする。

 誰かのものではなく、己の血でローブを赤く染めるアルテの姿を。

 体中につけられた切り傷。最たるものは、両目を横薙ぎに切り裂いていた。

 この場にいた生徒たちの誰かが、止血の魔法だけは使ったのだろう。血はそれ以上流れることはないが、一目で重体だとわかった。

 しかし、息はか細かった。流れたものが多すぎたのか、痛みでそれほど憔悴しているのか。

 誰もそれ以上近付こうとしない。継承者の最有力候補がこんな状態になっている。

 もしかすると、彼女の罠なのではないか、と疑っているのだろう。

 現に――傍の芝には、血で記された文字が書かれている。

 それはアルテを容疑者から外さんとするような文章だった。

 

 

 これは警告である。何者も、継承者を騙るべからず。

 以後に現れし不届き者の末路は、この者より悲惨になることだろう。




※気にしないアルテ。
※ポッターにどうにかしてほしい保護者三人。
※保護者がクィディッチ見物に行っている間自室で寝ている全裸のアルテ。
※純血の三家によるセキュリティ。
※全裸でも警戒は怠らないアルテ。
※あれだけ言われたのに一人で出歩いて襲撃されるアルテ。
※目隠し→動きを封じる→蹴り→体を裂いていく→ついでに目も潰す→三階から落とす。
※初めての感覚にパニクるアルテ。
※多分正視に耐えない状態で発見されるアルテ。
※Q.ロックハートがハロウィーンでアルテに迫るとどうなる?
 A.継承者として疑われ、なりすまし行為で垢BANされてこうなる。


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無の一夜

 

 

 真夜中に目を覚ましたハリーは、痛みに小さく悲鳴を上げた。

 腕は大きな棘がギュウギュウ詰めになっているようで、何処が一番痛いのかすら分からない。

 それは、一割ほど自分のせい、残りの九割はあのロックハートのせいだった。

 昨日にあったクィディッチの試合。スリザリンとの戦いで、ハリーを執拗に狙うブラッジャーがあった。

 結局、腕一本を犠牲にしてスニッチを掴み取り勝利したのだが、ハリーにとって最大の災難はその後に待っていた。

 重い怪我だとは言っても、骨折だ。マダム・ポンフリーに頼めばそう難しくはない怪我といえた。

 しかしそれを治して見せようと現れたロックハートが杖を振るうと、折れた骨は綺麗さっぱり無くなったのである。

 骨折は大したことが無くても、骨を生やすとなると荒療治が必要になる。

 結果、一晩医務室に入院することになったのだ。

 骨を生やす薬は現在進行形で効果を働かせているようで、断続的な痛みは睡眠も満足に出来ないほどだった。

 

「……」

 

 薄暗い医務室には、ハリーの他には一人しかいない。

 その一人は、ハリーの隣のベッドに横たわっていた。

 搬送されてから一度も意識を取り戻していない少女。

 アルテは、ハリーが医務室に運ばれる少し前からここにいた。

 ハリーはその場にいなかったが、クィディッチの試合が終わり生徒たちが校舎に戻ったところ、校舎の外に傷だらけで倒れているのを発見されたらしい。

 傷は目にも及んでいたらしく、目まで包帯でグルグル巻きにされていた。

 マダム・ポンフリー曰く、治療の難度で言えばハリーの骨の再生の方が上らしいが、アルテのそれは早く対処しなければ命の危険があったとのことだ。

 今は一命をとりとめ、落ち着いているが、その息は依然として細いままだった。

 ――アルテが倒れていた現場には、継承者を騙る者に報いを与える旨の文章が書かれていた。

 アルテが継承者を名乗っていたことは一度もない。だが生徒たちの中では、彼女でほぼ確定だと囁かれていた。

 本音を言えばハリーは、アルテだけが疑われていた状況を、少なからずありがたく思っていた。

 アルテが継承者であるとは思っていない。ミセス・ノリスが疑われた現場にやってきたタイミングは同じだ。

 それでも彼女が疑われていれば、少なくとも自分に向く疑いの目は少なくなる――そう思ってしまったのだ。

 その結果がこれである。

 彼女が継承者だという疑いが深まり、彼女に恐れが集まるのを――本物の継承者は気に入らなかったのだろう。

 誰が本物の継承者か。ハリーたち三人はドラコを本命と見ている。

 アルテが襲われたのはクィディッチの最中だ。スリザリンのシーカーとして参加していたドラコにはアリバイがある。

 しかし、秘密の部屋の怪物を独自に動かし、アルテを襲撃したという可能性は十分に考えられた。

 同じ寮だろうと関係ない。マグル産まれも継承者を騙る不届き者も、彼にとっては同じものなのだ。

 ドラコから話を聞き出す算段は付いている。

 ゆえに、早くこの怪我を――骨を治さなければ。

 痛みを我慢して再び眠りに就こうとしたハリーは、その時ベッドの傍に立っている者に気付いた。

 ボロボロの枕カバーを身に纏った屋敷しもべ妖精――

 

「――ドビー!」

「ハリー・ポッター……貴方は学校に戻ってきてしまった」

 

 テニスボールのような目玉を濡らし、一筋の涙を流すドビーは、打ちひしがれたように呟いた。

 

「ドビーめが何べんも警告したのに。あぁ、何故貴方様はドビーの申し上げたことをお聞き入れにならなかったのですか? 汽車に乗り遅れた時、何故お戻りにならなかったのですか?」

 

 それを聞いたハリーは、訝しげに眉を顰めた。

 確かに、夏休みの最中、ドビーはハリーが住んでいるダーズリー家にまでやってきて、ホグワーツに戻ってきてはならないことを警告した。

 だがハリーにとってホグワーツは家も同然だ。戻らないという選択肢はなかった。

 そして――ハリーが汽車に乗れなかったことを、何故ドビーは知っているのか。

 

「……君だったのか! 僕たちがあの柵を通れないようにしたのは君だったんだ!」

「その通りでございます」

 

 ドビーが激しく頷いた。

 彼はハリーの夏休みを散々にしただけでは飽き足らず、危うく退学の瀬戸際まで追いやったのだ。

 

「それでもハリー・ポッターがホグワーツに戻ったと聞いた時、あんまり驚いたのでご主人様の夕食を焦がしてしまったのです。あんなにひどく鞭打たれたのは、初めてでございました……!」

「……ドビー、僕の骨が生えてこないうちにとっとと出ていった方がいい。じゃないと君を絞め殺しちゃうかもしれない」

「ドビーめは、殺すという脅しには慣れっこでございます。お屋敷では一日五回も脅されます」

 

 ホグワーツに入ってから、ここまで誰かに激情を抱いたのは、初めてかもしれなかった。

 今すぐ骨が治れば本気にしていたかもしれないというのに、ドビーは応えていないように弱々しく微笑んだ。

 それから、自分が着ている汚らしい枕カバーの端で鼻をかんだ。

 そのあまりに哀れな様子に、僅かばかりハリーの怒りが収まった。

 

「ドビー、どうしてそんな物を着ているの?」

「これは、屋敷しもべ妖精が奴隷だということを示しているのでございます。ドビーめはご主人様が衣服をくださったとき、初めて自由の身になるのでございます。ソックスの片方さえ渡してしまえば屋敷を去るからと、家族全員が気を付けているのでございます」

 

 屋敷しもべ妖精の制約であった。

 衣服を渡すということは、解雇の証だ。

 それが屋敷しもべ妖精にとって幸であれ不幸であれ、それは主との関係の終わりを意味する。

 ――ドビーが、それを望んでいることは明らかだった。

 

「ハリー・ポッターはどうしても家に帰らなければならない。ドビーめは考えました。ドビーのブラッジャーでそうさせることが出来ると!」

「君のブラッジャー!? 君がブラッジャーで僕を殺そうとしたの!?」

 

 再び込み上げてきた怒りに、ドビーは驚愕した。

 首をブンブンと横に振って否定し、甲高い声で叫ぶ。

 

「滅相もない! ドビーめは、ハリー・ポッターの命をお助けしたいのです! ここに留まるより大怪我をして家に送り返される方が良いのでございます!」

「その程度の怪我だって? 僕がバラバラになって送り返されるようにしたかったのは何故なの?」

「嗚呼、ハリー・ポッターがお分かりくださればよいのに!」

 

 ドビーはまたも、大粒の涙を零し始める。

 ハリーには、どうしてドビーがここまで自分を過剰なまでに家に帰そうとしているか、まるで理解できなかった。

 他の家に仕えているのであれば、ハリーのことは二の次である筈なのに。

 

「『名前を呼んではいけないあの人』が権力の頂点にあった頃、屋敷しもべ妖精の私どもは、害虫のように扱われておりました。でも貴方様が『名前を呼んではいけないあの人』に打ち勝ってからというもの、私どもの生活は全体に良くなったのでございます。ハリー・ポッターは、私どもにとって希望の道しるべなのです!」

 

 『名前を呼んではいけないあの人』――ヴォルデモートの治世において、屋敷しもべ妖精の立場は今より遥かに悪かった。

 それを打倒した。ドビーたちにとって、ハリーはまさに英雄なのだ。

 

「それなのに、ホグワーツで恐ろしいことが起きようと……いや、もう起きているのかもしれません。歴史が繰り返されようとしているのですから。またしても、『秘密の部屋』が開かれたのですから……ッ」

 

 恐怖でガクガクと震え、ドビーはベッドの脇机にあった水差しを掴み、自分の頭にぶつける。

 引っ繰り返ってハリーからは見えなくなった。

 やがて、目をクラクラとさせながら、ドビーはベッドの上に這い戻ってくる。

 

「それじゃ、秘密の部屋は本当にあるんだね。以前にも開かれたって言ったね? 教えてよ、ドビー!」

「どうぞ聞かないでくださいまし! 哀れなドビーめにもうお尋ねにならないで!」

「ドビー、以前に開いたのは、誰だったの!」

「ドビーには言えません! ドビーは言ってはいけないのです!」

 

 断固として、ハリーに話そうとはしないドビー。

 彼らは既にここが、別の者がいる医務室だということを忘れていた。

 

「…………うるさい」

 

 隣のベッドから零れてきた、か細い声。

 ドビーがビクリと飛び上がり、引っ繰り返る。

 目を覚ましたらしい。包帯だらけのアルテがもそもそと動いている。

 

「アルテ、気付いたの!?」

「……? ……ここ、何処」

 

 寮の自室だと思ったのだろう。ハリーの声に僅かに顔を上げ、目元の包帯に手を伸ばす。

 

「医務室だ。包帯は取っちゃ駄目だよ。アルテは目に怪我をしてるんだ。朝までは安静にしていないとってマダム・ポンフリーが言ってた」

「……」

 

 目に怪我――それを聞いて、アルテは意識を失う前のことを思い出す。

 あの時のような恐怖は、もうなかった。

 既に目に走った傷は消えているのだろう。包帯に覆われて未だ視界は真っ暗だが、痛みはなく薄目を開けてみれば僅かに色が変わる。

 

「……此方のお方は? ひどい怪我だったみたいですが。それに、その耳は……もしや七変化でございますか? いや……もしかしてあの一族の……」

「……誰?」

「はっ!? も、申し遅れました、屋敷しもべ妖精のドビーでございます」

 

 名乗ったドビーの言葉を、早々にアルテは聞き流していた。

 それよりも遠くから――部屋の外から聞こえてくる、足音がある。

 アルテに続いて、ドビーも気付いた。コウモリのような耳がピクピクと動く。

 アルテとドビーに一歩遅れて、ハリーにも聞こえる。誰か、複数の足音が近付いてきている。

 

「ど、ドビーは行かなければ!」

 

 次の瞬間、パチンという音が部屋に響き、ドビーの姿が消えた。

 姿くらましと呼ばれる、離れた所へ瞬時に移動できる魔法だ。

 ホグワーツ内では基本的にこの魔法は使用できないようになっているのだが、屋敷しもべ妖精が使用するものは例外と言えた。

 魔法の冴えに関しては並の人を凌駕し、杖無しでの魔法を容易く行う種族ゆえの特性である。

 ドビーが姿を消した理由を悟り、ハリーも再びベッドに潜り込み、医務室の入り口の方へ目を向ける。

 後ろ向きに入ってきたのは、ダンブルドアだった。長いウールのガウンを着て、ナイトキャップを被っている。

 何か石像のようなものの片端を持っていた。反対側をマクゴナガルが持っており、それをドサリとベッドに置いた。

 

「マダム・ポンフリーを……」

 

 ダンブルドアが囁き、マクゴナガルが慌ただしく駆けていく。

 すぐに彼女に呼ばれたマダム・ポンフリーがやってきた。

 

「何があったのですか?」

「また襲われたのじゃ。ミネルバがこの子を階段のところで見つけてのう」

「この子の傍に葡萄が一房落ちていました。多分、こっそりポッターのお見舞いに来ようとしたのでしょう」

 

 マクゴナガルの言葉にハリーは思わず目を開いて、そのベッドを見た。

 一条の月明かりが、目を見開いた石像の顔を照らし出していた。

 コリン・クリービー。ハリーを過剰なほどに慕っていた、グリフィンドールの一年生である。

 手を前に突き出して、お気に入りらしいカメラを持っている。

 

「……石になったのですか?」

「そうです。アルバスがココアを飲みたくなって階段を下りていらっしゃらなかったら、一体どうなっていたかと思うと……」

 

 ミセス・ノリスのように、石化の被害者が出てしまったのだ。

 ダンブルドアがコリンの指からカメラを外す。

 襲った者を写真に撮っているのでは、と判断したのだろう。

 カメラの裏蓋を開くと、白い蒸気が吹き出した。

 焼けたプラスチックの臭いが、ハリーのもとまで漂ってくる。アルテが掠れた咳を零し、マクゴナガルがチラと振り向いた。

 

「溶けている……アルバス、これは」

「……『秘密の部屋』が再び開かれたということじゃ。一日にして二人も襲われた」

「……アルテ・ルーピンも継承者の仕業、と?」

「そう思うほかなかろう。それが、疑いから逃れるためにしろ、本物の継承者に疎まれたにしろ、のう」

 

 ――ダンブルドアの言は、アルテが継承者であるという可能性を捨てきれていないものだった。

 何故ならば、まだアルテの出自について、殆ど何も判明していない。

 ヴォルデモートを殺すための存在。では、誰がその存在意義を彼女に与えたのか。そもそも、彼女は何者なのか。

 養父であるリーマス・ルーピンもそこは分かっていない――もう、彼自身にそれを考える意思はない。

 ゆえに、彼女が継承者の系譜であるという可能性も十分に考えられた。

 無論彼女だけを疑うというのも愚かではあるのだが。

 どうやって、という手段をアルテは知らないと言っていた。彼女が嘘をつけないというのは、一年でダンブルドアもマクゴナガルも知っていた。

 だがそれでも――という疑いだけは、晴れることはなかった。

 

「……」

 

 コリンを医務室に預け、去っていくダンブルドアとマクゴナガル。

 マダム・ポンフリーも今の時点で出来ることはないと、カーテンで仕切り出ていった。

 

「……ねえ、アルテ」

「何」

 

 今のやり取りを聞いたアルテがどう思っているのかは、聞きたくなかった。

 しかし、先生たちもアルテを疑っている。それがハリーには、自分のせいのように思えた。

 ハリーもアルテもあの場に偶然居合わせたに過ぎない。だが、自分たちが殆ど疑われずにアルテだけが強く疑われている現状。

 その中で、彼女が継承者ではないという確信だけは、自分も抱いておきたかった。

 

「……アルテは、継承者じゃないんだよね?」

「知らない。でも、何もしてない」

 

 アルテは継承者という存在そのものに関心がない以上、己がそれであるか否かもどうでもよかった。

 だが、壁に文字を書いたのも、猫やコリンを襲ったのも、まして自身を傷つけたのが己ではないこともわかり切っている。

 

「……事件を起こしている、本当の継承者がいる。僕たち、それを探そうと思うんだ」

「そう」

「だから……アルテが良ければ、なんだけど。手伝ってくれないか?」

「興味ない」

 

 駄目元だったが、やはりアルテは無関心だった。

 自身を襲ったというのに、その犯人に対し何も思っていないというのは不自然だった。

 だが、それがアルテなのだろう。彼女にとっては、既に過ぎたことなのだ。

 

「……じゃあ、やられっぱなしでいいの?」

「もう一回目の前に出てきたら、戦う。それでいい」

 

 自分から探す、というつもりはないらしい。

 暖簾に腕押し。これ以上誘っても良い返事は返ってこない、と思ったハリーは、話をそれで切り上げ、目を瞑った。

 気付けば腕の痛みは随分と治まっていた。

 数分後、二人が意識を手放したのは殆ど同時だった。




※グルグルアルテ。
※原作よりよっぽど怪しくないけど特に理由なく疑われるフォイ。
※秘密の部屋編で一番原作沿いの回。主にアルテが大人しいため。
※ドビー初登場。
※出ていなかったからといって逃れられなかったコリン。
※疑いが晴れないアルテ。
※継承者はどうでもいいけどまた目の前に出てきたらボコる。


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明かされた秘密

 

 

 襲撃の翌日から、アルテが一人で廊下を出歩くことはなくなった。

 というのも、ダフネたちが断固としてそれを許さなくなったからである。

 どんなに小さなことでも三人のうち誰かが同行する。そもそも継承者が出現した状況で、そうでなかったのがおかしかったのである。

 この日なら大丈夫だろうと彼女を一人にしたクィディッチの日に襲われたことで、誰かの同行は徹底して行われるようになった。

スリザリン寮の近くで行われる、魔法薬学の授業に行くためであっても、だ。

 アルテやコリン・クリービーが襲撃されてから、一ヶ月あまり。

 ――アルテへの疑いの目が減ることはなかった。

 コリンの襲撃がアルテの直後であったため、アルテを疑う者たちからすれば露骨に過ぎたのだ。

 アルテは相変わらず関心がないようだったが、ダフネたちは共謀者という目が自分たちにも向けられているので非常に居心地が悪かった。

 それでもアルテから離れようとしない。向けられる視線などどうでもいい。次にアルテが襲撃されるような可能性を、少しでも減らすため。

 功を奏しているのか否か、その後襲撃があることはなく、十二月の第二週にまでなった。

 生徒から犠牲者が出たからか、学校の雰囲気は良くない。

 何処か陰鬱とした空気の中、その日の魔法薬学の授業は始まった。

 スネイプの授業はいつもと変わりない。彼の近寄りがたい雰囲気の前では、誰もかれもがアルテを疑っている暇がなかった。

 だからと言って、四人組の中でこの授業が得意といえるのはアルテくらいであり、何事も平均以上にやってのけるダフネもあまり気を抜いていられない授業であるのだが。

 

「相変わらずだね、アルテ。どうして魔法薬が得意なんだい? なんというか……どうにも君がこの授業が得意な理由を、未だに分からないんだけど」

 

 授業は『ふくれ薬』を作る授業だった。

 さほど難しいものでもない。スネイプのお気に入りであるドラコは余裕があるようで、ハリーとロンにふぐの目玉を投げつけながらアルテに話しかけてくる。

 ハリーたちから仕返しが返ってくることはない。そんなことをすればスリザリン贔屓のスネイプがどうするかなど目に見えているからだ。

 問われたアルテは、鍋に目を向け薬の変化を見ながら素っ気なく答える。

 

「やることが決まってるなら間違いようがない」

「それが苦手な人が多い要因なんだけどね……」

 

 アルテとペアになっているダフネの成績は、アルテによって引き上げられている面があった。

 理論がはっきりしている科目ほど、アルテは滅法強い。

 ドラコが比較的得意であるのは父親仕込みなのだが、アルテのそれは天然だった。

 

「苦手な連中はとことん苦手なんだろうさ。……アイツらとかな」

 

 ドラコは呆れた様子で近くの大鍋を見た。

 ゴイルの大鍋は明らかに失敗な、どす黒い色の染まっている。

 最初の段階で煮込みすぎだ。そして、ゴイルは失敗に気付いているかすら分からない顔だった。

 あの分では、塗ってしまえばその部位が倍には膨れ上がってしまうだろう。

 

「……ねえ、マルフォイ」

「ん? なんだよグリーングラス」

「ゴイルってさ、そもそも字読めてる?」

「君、時々言うよな……」

 

 ダフネから飛び出した辛辣な言葉に、ドラコは苦笑いしながらも否定しきれなかった。

 何をやっても碌な成果になった試しのない彼や、もう一人の取り巻きであるクラッブ。

 正直ドラコは彼らが何故進級できたのか、不思議でならなかった。

 ゴイルの大鍋から視線を戻す。

 アレを気にしていて自分が失敗したら、それこそばかばかしい。

 

「こっちに迷惑が掛からなければいいよ。例えばあの鍋が爆発とかしなけれ――」

「ッ」

「きゃっ!?」

「ごふっ!?」

 

 仕上げに掛かろうとしたドラコは、突然アルテに腹を蹴り飛ばされた。

 更にアルテはダフネを抱え上げ、アルテは跳んだ。

 ドラコは壁まで吹っ飛ばされアルテもそこまで駆けていく。

 

「何するんだアル――」

 

 ドラコが怒鳴りかけた瞬間、ゴイルの大鍋が派手に弾けた。

 教室中に雨のように飛び散った薬が降り注ぐ。

 飛沫が掛かった部位がみるみるうちに膨れ始めた。顔に浴びたゴイルは腫れ上がり、大皿のようになった目を両手で覆って右往左往している。

 あちこちから悲鳴が上がる。事前に離れたアルテたちはどうにか逃れたが、あの場にいたままであればゴイルと大差ない量を浴びていただろう。

 

「静まれ! 静まらんか!」

 

 スネイプが怒鳴っても、被害を受けた生徒たちは収まらない。

 

「薬を浴びた者は『ぺしゃんこ薬』をやるからここへ来い」

 

 教室の半分ほどの生徒たちが一斉に進み出る。

 薬を貰っている生徒たちを見ながら、ドラコは起き上がる。

 

「……あのさ、アルテ。あの場から離してくれたのはありがたいけど、蹴飛ばすのはやめてくれないか」

「手は四つもない」

 

 にべもなくアルテは返した。

 両手はダフネを抱えるのに使っている。

 いつかのような人数オーバーだった。

 薬を配り終えたスネイプが、爆発したゴイルの大鍋の底をさらう。黒焦げの縮れた花火の燃え滓が現れた。

 

「これを投げ入れた者が誰か分かった暁には我輩が間違いなくそやつを退学にさせてやる」

 

 スネイプはハリーを見据えながら、低い声で言った。

 彼がやったという確証はない。いつも通りの私怨による疑いだろう。

 

「あ、アルテ、ありがとう。でも、も、もう下ろしてくれて大丈夫だから」

「――ん」

「役得じゃないの、ダフネ。授業終わったらそのまま寮に連れてってもらったら?」

「そうそう。お願いしていい? アルテ」

「別に構わない」

「ちょっと、ミリセント! パンジー!」

 

 煽る二人に声を張るダフネ。

 言い合ってる意味の分からないアルテは、首を傾げた。

 その後も囃し立てた二人によってそのまま寮に戻るという罰ゲームは実行され、顔を真っ赤にしながら、ゴイルのように顔を覆うダフネとそれを無表情のまま抱きかかえて寮に運ぶアルテの姿は教室中の生徒の目に晒されることになった。

 

 

 

 その一週間後、玄関ホールを歩いていたアルテたちは掲示板に張られた羊皮紙を目にとめた。

 『決闘クラブ』開催の報せだ。

 継承者とスリザリンの怪物の恐怖に怯えていた生徒たちにとっては嬉しい報せだった。

 生徒たちを襲う継承者が決闘に応じるとは思えないが、魔法使いと戦うすべを学べるとあって乗り気な生徒は多かった。

 ダフネたちも参加した。アルテも「行かないともっと疑われる」と歯に衣着せないパンジーに言われ、引きずられるように大広間にやってくる。

 大広間の長いテーブルは全て取り払われ、金色の舞台が出現していた。

 集まった生徒は殆ど学校中の生徒といっても良いかもしれない。

 ざわざわと食事の時間以上の盛り上がりを見せる大広間。しかし肝心の先生がまだやってきていなかった。

 

「一体誰が教えるんだろうね」

「ダンブルドア……な訳ないか。フリットウィックとかは? 若い頃、決闘チャンピオンだったって話よ?」

「まあ、先生なら誰でもそれなりには教えられるんじゃない? アイツじゃなければ」

「……」

 

 パンジーはあえて誰かとは言わなかったが、他の三人が思い浮かべた人物は同じだった。

 もしそうならば人選ミスも甚だしい。アルテはその顔を思い出しただけで不機嫌そうに眉を顰めた。

 数分後、堂々とした姿で現れたのは、深紫色のローブを着こなしたギルデロイ・ロックハートだった。

 黄色い声が響く。一方で落胆や呻き声も大きい。

 大ファンである筈のミリセントは喜びこそあったが、それ以上に嫌な予感がしていた。

 新学期が始まってこれほど経てば、流石に何かしらの違和感を抱き始めるロックハートファンも少なからずいた。

 授業は殆ど本に書かれた己の武勇伝を自慢げに語るだけ。

 しかもスリザリン二年生のそれは、授業の九割が『狼男との大いなる山歩き』についてだった。

 防衛術らしい授業とは言えないそれに、生まれている不信感は決して少なくない。

 ロックハートが観衆に手を振っている間に、アルテは踵を返した。

 

「帰る」

「ちょ、ちょっとだけ待とうアルテ! ほら、なんかスネイプも出てきたから!」

 

 ダフネにしがみ付かれ、渋々その場に残るアルテ。

 ロックハートの後ろにつくように現れたスネイプに場は少し静まり返っている。

 

「皆さん、さあ集まって! 集まって! 私がよく見えますか? 私の声が聞こえますか? 結構結構!」

 

 アルテは大あくびをした。既に興味がなさそうだった。

 

「校長先生から、私がこの小さな決闘クラブを始めるお許しをいただきました。私自身が、数え切れないほど経験してきたように、自らを護る必要が生じた場合に備え、皆さんをしっかり鍛え上げるためです! 詳しくは私の著書を! 『狼男との大いなる山歩き』がおすすめですよ!」

 

 高らかに演説しながら、ロックハートはアルテにウィンクする。

 アルテは見てすらいない。

 ロックハートはそれに気付いていないようで、満足そうに頷いてからスネイプを見た。

 

「助手のスネイプ先生を紹介しましょう。先生が仰るには決闘についてごくわずかにご存知らしい。訓練を始めたり短い模範演技をするのに、勇敢にも手伝ってくださるとのことです。ご心配なく、私と彼とが手合わせした後でも、魔法薬の先生はちゃんと存在します!」

 

 よくもまあ、ここまでスネイプ相手に煽れるものだとダフネは感心していた。

 スネイプの上唇がめくれ上がっている。それにすら気付かないロックハートの胆力はある意味恐ろしい。

 ロックハートとスネイプは杖を持って、向き合い一礼する。

 ロックハートはくねくねと腕を振り回しながら大袈裟に、スネイプは不機嫌そうに小さく。

 それから、杖を剣のように突き出して構える。

 

「御覧のように、私たちは作法に従って杖を構えています。三つ数えて最初の術を掛けます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」

 

 少なくともスネイプはそうには見えなかった。

 歯をむき出しにしたスネイプは、三つ数える前に致命的な呪いでも叩き込みそうな勢いだ。

 

「一――二――三――!」

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 短く、無駄のない動作でスネイプの杖が振られ、赤い閃光が走った。

 直撃したロックハートは舞台から吹っ飛び、壁に激突して滑り落ちた。

 ドラコや数人のスリザリン生から歓声が上がる。

 フラフラとロックハートは立ち上がり、よろめきながら壇上に戻る。そして何事もなかったかのように手を大きく振る。特徴的なカールの髪が逆立っていた。

 

「さあ、皆わかったでしょうね! 今のが武装解除の術です。御覧の通り、私は杖を失いました。ああ、ミス・ブラウン、ありがとう」

 

 一人のグリフィンドール生がロックハートに落ちた杖を差し出す。

 ロックハートが笑いかけると、その生徒は感激したように目を潤ませた。

 

「スネイプ先生、生徒たちにあの術を見せたのは素晴らしいお考えです。ですが、遠慮なく一言申し上げればあまりにも見え透いていました。止めようと思えば、いとも簡単だったでしょう。生徒に見せた方が教育に良いと――」

 

 最後まで言い訳が続くことはなかった。

 殺気だったスネイプに、流石に言葉を止め再び生徒たちを見渡した。

 

「模範演技はこれで十分! これから皆さんのところへ下りていって二人ずつ組にします! スネイプ先生、お手伝い願えますか?」

 

 二人は生徒たちの群れに入り、組を作っていく。

 スネイプは最初、ハリーとロンの所へやってきた。

 

「名コンビもお別れの時が来たようだ。ウィーズリー、フィネガンと組みたまえ。ポッターはマルフォイ、君だ。かの有名なポッターを君がどう捌くのか拝見しよう」

 

 スネイプは薄ら笑いを浮かべながら、ハリーとロンを引き離した。

 同じようなニヤニヤとした笑いで、ドラコが歩いてくる。

 その後スネイプはハーマイオニーに目を向ける。

 二年生の中では優秀な成績を収めている生徒だ。同級生の中で、彼女に確実に勝てるだろう生徒は一人だった。

 スネイプは広間を見渡し――その生徒がいないことに気付く。

 よりによってクラブに参加していないらしい。顔を歪めたスネイプは、仕方なくもう一人、可能性のありそうな生徒を見定める。

 その生徒が勝つのもどうにも癪ではあるが――背に腹は代えられない。

 

「ミス・グレンジャーはミス・ルーピンと組みたまえ」

 

 彼女こそ、何を起こすか分からないジョーカーだ。

 ハーマイオニーは意を決したように息を呑んだ。

 アルテは表情を変えることなく、ハーマイオニーと向き合う。

 

「よろしくね、アルテ」

「ん」

 

 ミリセントやパンジーはハーマイオニーを睨んでいたが、そちらを彼女自身は一瞥もしない。

 やがて全員を組み終えると、ロックハートは大袈裟に腕を振りながらアルテに近付いていく。

 

「さあ、まずは互いに一礼――ですがその前に!」

 

 ロックハートはアルテの頭に手を置いた。

 ――アルテは、彼を全力で無視していた。

 ダフネやミリセント、パンジーは近くにおらず、何もできなかった。

 次の瞬間の暴挙を誰も予想出来ず、誰も止めることも出来ず。

 ただ己の気の向くままに、ロックハートはこれまで誰もやらなかったことを実行した。

 

 

「決闘時の脱帽はマナーですからね! 大丈夫! 貴女の力強い美しさは誰に見せても恥ずかしくはありません!」

 

 

 

 ほぼ全員の生徒が注目する中で、アルテの帽子を剥ぎ取ったのである。

 

 

 

 しんと、大広間が静まり返った。

 知らない殆どの者は口をあんぐりと開き、知っている者も突然の出来事に絶句している。

 ロックハートが高らかに掲げた手には、アルテのロシア帽が握りしめられている。

 そして、露わになったアルテの帽子の中身。跳ね放題になった白銀の髪と、その中にあってピンと立つ尖った耳。

 アルテが一年以上も隠し続けた、人ならぬ部分。

 スネイプも流石に口をパクパクさせ、アルテ以上に何を仕出かすか分からないロックハートの唐突な暴挙に言葉を失っていた。

 当のロックハートは暫し目をパチクリさせ、

 

「……ドラマティック」

 

 意味不明な呟きを零した。

 ようやく気付いたアルテが、一つ舌打ちをしてロックハートから帽子を奪い返す。

 集まる視線を一切無視し、再び帽子を深く被る。

 

「……相手と向き合え! 一礼だ!」

 

 その変えようがないと思われた空気を破ったのはスネイプだった。

 杖から爆竹のような火の玉を出し、生徒たちを喝を入れたのだ。

 生徒たちが飛び上がるように相手と向き合う。

 動揺していたハーマイオニーも頬を両手で叩き、集中しなおす。

 当の本人であるアルテはやや不機嫌そうな表情で、ハーマイオニーに目を向ける。

 そして同時に、小さく頭を下げた。

 ハーマイオニーが杖を構える。きっちりと伸ばされた腕は、ぎこちないながらもアルテを真っ直ぐ見据えている。

 対して、アルテは右手に短い杖こそ持っているが殆ど自然体だった。

 僅かに背を向け、前に屈んでいるが、よく見なければ分からないほど。

 侮っている、という訳ではない。真剣そのものだ。アルテと対面し、視線を交わしているハーマイオニーが、それを一番知っている。

 辺りの生徒たちは、相手と向き合っているようでアルテたちの対面を見ていた。

 先程明らかになった衝撃の事実に対する疑念、どんな戦いが繰り広げられるかという興味、ハーマイオニーへの心配。

 様々な思惑の中心で睨み合う両者。その片やをボーっと見つめるロックハートに呆れ果て、スネイプが号令を掛ける。

 

「我輩が三つ数える。それを合図に相手の杖を取り上げろ、いいな? 一、二、三……!」

 

 ハーマイオニーが杖を振る。

 動作には無駄がない。先のスネイプ顔負けの素早さだ。

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 紅の閃光はアルテを吹き飛ばすことなく、最低限の威力で右手から杖を弾き飛ばした。

 浮き上がるアルテの杖。自分に向かって飛んでくるそれを受け止めようとハーマイオニーは視線を動かし――

 

「ッ」

「え?」

 

 ほんの少しの余所見の間に懐まで走り寄ってきていたアルテに瞠目した。

 

「きゃあ!?」

 

 振り上げられた足が、ハーマイオニーの指先から杖だけをさらっていく。

 大きく仰け反ったハーマイオニーはそのまま尻餅をつき、指先から弾いたハーマイオニーの杖と飛んできた己の杖、二つをアルテは掴み取った。

 

「取り上げた」

「あ、アルテ! ずるいわ! ちゃんと魔法を使いなさいよ!」

「魔法で取り上げろなんて言われてない」

 

 詭弁もいいところだった。

 魔法使い同士の戦いでは、杖を奪えば大半が決着する。

 だが、それも状況次第ということだ。奪った側が油断していれば取り返すことは出来るし、その隙に更に攻撃することさえも可能となる。

 決闘というルールの定められた戦いにおいても同じ。制限された手札で何を武器にし、どのように勝つかは己次第なのだ。

 釈然としない様子で立ち上がるハーマイオニーに杖を返す。

 周囲を見渡せば、大広間は混沌に包まれていた。

 スネイプが意図的にグリフィンドールとスリザリンを組ませたからだろう。まともな決闘の形で終わったのは数組で、残る殆どは杖の奪取と関係ない呪文の掛け合いやひどいものは杖も何もない殴り合いにまで発展している。

 ハリーとドラコは互いをくすぐり回す呪文で相手に徹底的に嫌がらせをし、流石にスネイプの目に留まった。

 

「やめんか馬鹿者!」

 

 二人を叱責する声で、ようやく辺りが少しずつ静まっていく。

 呆れ果てたスネイプは壇上に上がって言った。

 

「……術も知らぬ状態で決闘も何もない。まずは非友好的な術の防ぎ方について教えよう。マルフォイ、ポッター、壇上に上がれ。君達に手本となってもらう」

 

 慌てて上がっていくハリーとドラコ。

 二人が壇上で向き合うと、スネイプがドラコに近付いていく。

 そして何か、一言二言呟くと、ドラコの数歩後ろに下がった。

 再び決闘の様式で二人が杖を構え――ハリーが手札を考えているうちにドラコが動いた。

 

「サーペンソーティア、蛇出でよ!」

 

 杖先から飛び出したのは閃光ではなく、一匹の蛇だった。

 一メートル程度の蛇は壇上に落ちると、何故この場所に突然現れたのかと困惑し周囲を見渡す。

 それは傍から見れば噛みつくべき獲物を探しているようにも見え、近くにいた生徒たちは慌てて離れていく。

 魔法を使われたハリーにもどうしたらいいか分からないようでたじろいでいる。

 その様を何処か楽しそうに見ていたスネイプは、やがて満足したのかドラコの前に出てきた。

 

「やはりポッター如きでは対処できんか。どれ、我輩が追い払ってやろう」

 

 それでスネイプが蛇を消し去り、ハリーに恩を売って屈辱を味わわせることでこの茶番は終了。

 何となく、この場の面々はそんな展開だろうと考えていた。

 しかし、ここでも予想外が発生する。

 ここに来て、ボケっとアルテを見ていたロックハートが復活したのだ。

 

「いいえスネイプ先生! 私が対処しましょう!」

 

 いつの間にかスネイプの独擅場になっていると思ったのか、両手を広げながら壇上に上がってくるロックハート。

 スネイプもドラコもハリーも目を見張り、突然の出来事に対処が遅れた。

 そうしているうちに、ロックハートは杖を大きく、ぐにゃぐにゃと振り、思い切り蛇に向かって振り下ろした。

 蛇は数メートル跳ね上がり、すっかり激昂して落ちてくる。

 当然だ。訳も分からないまま呼び出され、困惑している間に思いっきり吹き飛ばされたのだ。人だろうと蛇だろうと怒るだろう。

 そして――ロックハートの何らかの強烈な感情に突き動かされたのか、蛇は一人の少女に向かって落ちてきた。

 

「アルテッ!」

 

 辛うじて叫ぶことが出来たダフネ。

 しかし、アルテは避けることが出来ない。

 咄嗟に出来たのは、手でその胴体を掴み取るという、あまりにも危険過ぎる行動。

 一歩間違えばアルテに魔法が直撃する可能性も高く、下手に杖を振るう訳にもいかない。

 数秒後には、その細い手に絡みつかれ、その牙を突き立てられる。

 誰しもが想像できた末路を――アルテは己自身で跳ね除けた。

 

 

 

『――落ち着いて、ください。害する、つもりは、ありません』

 

 

 

 ――()()()()()、アルテから出たとは思えないたどたどしい敬語に聞こえた。

 ――その他、この場の全ての人間には、口を動かして発されたとは思えないシューシューと吐息を零すような音に聞こえた。

 アルテに掴まれた蛇は敵意がなくなったようにぶら下がり、床に放られても再度高揚する気配を見せず、じっとアルテを見ていた。

 そうしている間に、スネイプが杖を振るった。蛇が黒い煙を上げて消えていく。

 静まり返っていた。誰もかれもがアルテから離れていく。

 それは、先程まで近くにいたハーマイオニーも同じだった。彼女は無意識なのかもしれないが、その表情には怯えがあった。

 向けられる敵意が、恐怖が、増したのを感じた。

 疑心が確信に変わる。スネイプは今までアルテに向けたことがないような、鋭く探るような目つきで睨み据えている。

 訳も分からず、アルテは首を傾げた。

 ダフネが、パンジーが、ミリセントが走り寄ってくる。

 そしてアルテの腕を引っ張って、大広間の外へと連れ出した。

 ミリセントはその手を震わせていた。外へ出るや否や、アルテを己に向きなおらせる。

 

「あんた、疑われてる自覚あるの!? 今の状況でパーセルタングを話すなんて、正気!?」

 

 ミリセントの激情の理由を測れないアルテ。

 ダフネもパンジーも、絶望的な表情で彼女を見ている。

 アルテは継承者ではない。だが、先の咄嗟の行動は、彼女を継承者だと確信させるものだった。

 

「……パーセルタング?」

「蛇語よ! サラザール・スリザリンの継承者だっていう何よりの証拠になるの! あんたがそうじゃないってのは知ってる! けどこれであんた疑ってる連中には間違いないって思われたのよ!」

 

 今までにないミリセントの剣幕に、僅かにアルテは目を見開いていた。

 スリザリンのシンボルが蛇であることの理由は、サラザール・スリザリンが蛇語使い――パーセルマウスだったからに他ならない。

 パーセルマウスは彼の継承者として疑われるに足る最大の能力だ。

 ただでさえ継承者として一番疑われていたアルテは、自分から更に疑いを深める要因を曝け出してしまったのだ。

 

「……どうすんのよ。どうにかして、あんたの疑いを晴らさないと。じゃないと、ほんとに危ないじゃない……!」

 

 しかし、これだけ深まった疑念を晴らす方法など、そう簡単に見つかる筈もない。

 それどころか、状況は更に悪化する。

 アルテの二つの大きな秘密が学校中に露見した翌日。

 

 ――ハッフルパフのジャスティン・フィンチ-フレッチリーとグリフィンドール憑きのゴースト、『ほとんど首無しニック』が石になって発見された。

 

 それを最初に発見したハリーなど、最早疑いの目に掛かっていないも同然だった。

 決闘クラブでの出来事の腹いせだろうと判断され、アルテ・ルーピンはごく一部を除いたほぼ全ての生徒の敵になったのである。




※しれっと毒吐くダフネ。
※天丼キック。
※アルテの運送サービス。
※ロックハートが出てきたので帰ろうとするアルテ。
※ダイナミック脱帽。耳バレ。
ドラマティック。
おい、魔法使えよ。
※エクスペリアームス(物理)。
※へびの とびはねる! 蛇語バレ。
※貴重なアルテの敬語(蛇語)。
※一夜でアルテの特大の秘密を二つバラす天災天才、ロックハート。
※ハリー「何か知らないけど助かった気がする」


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蛇語使いの宴

 

 

 

 継承者に先を越された。

 最早アルテやダフネたちが気を張らずにいられるのは、己の部屋だけになっていた。

 寮の中だろうと、アルテを見る目は大いに変わっている。

 スリザリン生から集まるものに、怒りの感情はない。

 その代わりが憧憬や崇拝。自分たちの始祖とも言っていい存在の継承者ともなれば、畏敬の念を抱かれるのは当然だった。

 自分は純血の家系だ、と間違っても犠牲者にならないようしつこいほどにすり寄ってくる者も多い。

 クリスマス休暇に入り今年も学校に残っていたアルテだが、彼女を一人にすれば、身勝手で先走った正義感に駆られたグリフィンドール生辺りに襲われかねないと判断したダフネたちも急遽残ることを決定し、四人は殆どの自室で過ごしていた。

 しかし、そうであっても平穏とは言い切れなかった。

 食事は相変わらず大広間で取らなければならない。

 そのたびに他寮からは今にも呪いを掛けられそうなほどに殺気立った目を向けられ、繕った笑みを浮かべて近付いてくるスリザリン生たちが彼女たちに自由を与えない。

 辺りの目は気にならないアルテ。ゆえに、他寮のそれらはどうでもよかった。

 性質が悪いのが、同じスリザリン生たちだ。

 まともに食事すらとれないほどに干渉してくる彼らこそ、アルテにとっては負担になっていた。

 ほんの数日でストレスが溜まり、アルテが疲労していくのが、ダフネたちにはよくわかった。

 

「アルテ……大丈夫? そろそろパーティの時間だけど」

「…………行かない」

 

 クリスマス当日になり、残っている生徒たちが盛大に楽しむパーティさえ、参加する気を見せなかった。

 休暇に入ってから満腹感を覚えたためしのないアルテ。

 であれば、邪魔されない分こちらの方がマシだと、ベッドの脇に置かれた木箱を開け、中から取り出したジャーキーを齧る。

 アルテがここまで外に出ることを拒否し、憔悴するなど考えられなかった。

 しかし、もうどうにもならないほどにアルテは継承者扱いされており、アルテにとって本当に味方といえる味方は、ダフネら三人だけと言っても良かった。

 本当ならばこの休暇、アルテは逃げるように家に戻りたかった。

 だがそれは出来ない。この時期――普通の人々が長い休暇を取る数週間こそ、体質から差別を受けているリーマスの“稼ぎ時”なのである。

 戻れば彼を邪魔することになる。それに、心配させる訳にもいかないとアルテは手紙の一つも送っていなかった。

 何らかの理由で家に帰っていないアルテを、ダフネたちがいずれかの家で休暇中預かるという考えもあった。

 しかし、三家の全て、代々スリザリン寮に選ばれてきた生粋の純血家系である。

 ふとした拍子に彼女が継承者の候補であると知れば、或いはこの学校に残っているより面倒ごとになりかねない。

 

「……なら、私たちも」

「行って。付き合う理由がない」

 

 冷たく突き放したような言い回しだが、アルテなりの気遣いだった。

 別にダフネたちが継承者だと疑われている訳ではない。

 少なくとも、アルテが一緒にいなければ彼女たちはただのスリザリン生に過ぎないのである。

 しかしながら――三人も、アルテのみをこの場に置いてまともに楽しめるとは思っていなかった。

 

「……そうだ。私たち、料理持ってくるよ! 今の時間なら皆大広間行ってるし、談話室も使えるでしょ?」

「そうね。食べること好きなあんたが楽しめないってのは流石におかしいわ。行くわよ、ダフネ、パンジー」

「ええ! ちょっと待ってなさいアルテ。たんまり持ってきたげるから!」

「……」

 

 目をパチクリさせたアルテが何を言う前に、三人は部屋を出ていってしまった。

 どうやら自分も料理を楽しめるらしい――と理解すると、僅かに尻尾が揺れる。

 久しぶりに満足できるかも、という期待が、不愛想ながらアルテの瞳に色を灯す。

 ローブを羽織り、帽子を深く被る。

 談話室にそっと下りてみると、確かにそこにはいつもの騒がしさがなかった。

 いるのは退屈そうに新聞の切り抜きを眺めるドラコくらいだ。

 彼はアルテに気付くと、一瞬目を丸くして、すぐにいつもの自信に満ちた笑みを浮かべる。

 

「やあアルテ。出てきたの久しぶりじゃないか」

 

 ――ドラコは、アルテが蛇語を話せると知った後でも関わり方を変えていない数少ない人物だった。

 疑いを持っているか否かと考えれば、どちらとも付かない。

 もしかすると、己は襲われる筈がないという絶対的な自信からなのかもしれないが――。

 

「……パーティは?」

「行ったよ。行ったけど――わかるだろ? 目の前でクラッブとゴイルの食いっぷりを見せられれば誰だって食欲を無くす。君の食べ方も上品かと言えばまあ、アレだけど、見ていて不快さがないだけ万倍マシさ」

「……」

 

 アルテは即座に納得した。ドラコの取り巻き――クラッブとゴイルはとにかく食い意地が張っている。

 アルテも人の事は言えないが、彼らは最早人の域ではない。

 そもそも満腹感というものを知っているのかどうか。底無しの胃袋でも持っているのかもしれない。

 

「で、そういう君はどうなんだい? アイツらの意地汚さはともかく、料理自体はそれなりだった。さっきグリーングラスたちが出ていったけど、一緒じゃないのか?」

「持ってきてくれるって」

「ふぅん。……ああ、そういうことか。気の毒というか不幸というか。まあ、気を落とすなよ。継承者の気が済むまでやらせてやったらいい」

 

 ドラコはつまらなさそうに言った。

 その理由に、アルテは興味はなかった。

 だが、他の連中が部屋にいるより気分は悪くない。ダフネたちが来るまで、アルテもここで待とうとドラコの反対のソファに座った。

 

「……何それ」

「これか? お笑い種だよ。馬鹿ウィーズリーの罰金刑だ」

 

 ドラコは今日一番のネタだと笑い飛ばした切り抜きをアルテに渡してきた。

 ウィーズリー家の父親、アーサー・ウィーズリーがマグルの自動車に魔法を掛けた問題で、罰金刑を課せられたらしい。

 その責任を追及したルシウス・マルフォイによって辞任を要求されており、この一件は随分と彼の影響が強いことが窺える。

 

「あれだけマグル贔屓なんだ。アーサー・ウィーズリーは杖を真っ二つにして連中の仲間になればいいんだよ」

 

 犬猿の仲である以上、ドラコは大人であるアーサーに対しても一切の敬意が感じられない。

 寧ろ心底から気に入らないようで、不愉快そうに鼻を鳴らした。

 そして――ふと思い出したかのようにアルテに聞く。

 

「……そうだ、アルテ。君はどうなんだい? マグル生まれに対する考え方。連中は魔法教育を受ける価値なんかないって思うかい?」

「知らない。血で差別する理由が、そもそも分からない」

 

 興味がないだけなのだが、つくづくスリザリンらしからぬ価値観だった。

 ダイアゴン横丁で初めて出会った時と同じ。そこから理解を深めていない以上、考えが変わる筈もない。

 

「――だからかもな。スリザリンにいるけど、純血主義を掲げないから君は襲われたのかもしれない」

 

 スリザリンの純血主義は根深い。

 今更変えようと思っても変えられない価値観だし、そういう高貴な血統に固執するからこそのスリザリンだ。

 そういう枠組みにとらわれない生徒もいるにはいる。だが、血統に何の興味も持っていない者は希少というほかない。

 継承者がマグル生まれを許容しないほどに純血思想の強い者であるならば、アルテを敵視するのも考えられる。

 

「それに、わたし自身が純血かどうかも知らない」

「ああ……そういえばそうだったね」

 

 アルテの家の事情をドラコは知らない。

 しかし、彼女の口から度々語られる“リーマス”なる人物が、彼女の親のような存在であることは明らかだった。

 本来の親も分からないアルテが、己の血について知る筈もない。

 ドラコが気まずそうに押し黙った時だった。

 寮の扉が開かれ、ダフネたちと――意外な三人が入ってきた。

 

「……? クラッブ、ゴイル、お前らもう戻ってきたのか」

「あ、ああ」

「ちょ、ちょっと、食べ過ぎて」

「……で、荷物持ちか」

 

 何故か引き攣った笑いを浮かべたクラッブとゴイルは、両手に料理がたっぷり乗った大皿を持っていた。

 

「大広間に行く途中見かけたのよ。寮に戻るところって聞いたから、ついでにね」

 

 ミリセントが悪びれもせず言う。

 何一つ持っていないダフネたち。クラッブとゴイルはうまいこと扱われたらしい。

 一応、彼らは頭はトロールよりとろいが力だけはある。

 荷物持ちというなら適役だろう二人が付いてきたのはわかる。

 だが、もう一人は同行する理由がわからなかった。

 

「アーキメイラ、君は?」

「デザートは堪能したので、後は此方でゆっくりしようかと。せっかく此方で小さな宴があるようですし」

 

 ――ようはエリスは面白そうだから付いてきたということらしい。

 クラッブたちがテーブルに置いた大皿には、アルテが好きな肉料理が主に盛られていた。

 少し躊躇いながらも、アルテはそれに手を伸ばす。

 一口齧って、少しだけ顔色を良くすると、ダフネたちは安堵しながら自分たちも食べ始める。

 そんな様を眺めながらも、ドラコは先程の新聞の切り抜きをクラッブたちに見せていた。

 

「どうだ? おかしいだろ」

「ハッ、ハッ」

 

 ゴイルが沈んだ声で笑う。

 本当に調子が悪いのか、いつものドラコに便乗してウィーズリー家を蔑む様子が見られない。

 

「それにしても、『日刊預言者新聞』がこれまでの事件をまだ報道してないのには驚くよ。多分ダンブルドアが口止めしてるんだな。まともな校長じゃない、父上はいつも言ってるよ」

 

 クラッブがいきなり立ち上がった。

 ゴイルに裾を掴まれ座りなおすが、ドラコは不思議そうに首を傾げる。

 

「……まったく。一体誰が継承者なのか僕が知っていれば手伝ってやれるのに。まずはあの身の程知らずのグレンジャーからだ」

「――誰が陰で糸を引いているか、君に考えがあるんだろう?」

「何度も同じことを言わせるなよ、ゴイル。僕は知らない。それに、父上は前回、部屋が開かれたときのこともまったく話してくださらない。ただまあ、一つ知ってるのは前回の時は『穢れた血』が一人死んだ。それだけだ。今回もそうなるだろうね、あいつらのうち誰かが殺される。グレンジャーだといいのに」

 

 ドラコはゴイルの問いに、小気味良さそうに言った。

 得意げなドラコは気付いていないが、クラッブがその言葉を聞いて、大きな握り拳を作っている。

 それを人知れずゴイルが止め、落ち着かせた。

 

「やめてよマルフォイ。少なくとも食事の最中にする話じゃない」

「ん? あぁ、悪い。だけどまあ、気になるところだね、継承者が誰なのか。アルテが疑われ続けてるってのも、中々にいい気分じゃない」

 

 アルテが継承者でないことは明らかだ。

 誰が継承者であるのか気になるところだし、犯人ではないアルテのみが疑われている状況はドラコにとってあまり好ましくはなかった。

 

「――蛇語使いだと全生徒の前で明かされたらしいですね」

「そういえばアーキメイラ、あの時大広間にいなかったわね」

 

 決闘クラブに参加していなかったエリスにも、噂は届いていたらしい。

 呆れたような表情でアルテを見ている彼女は、堪能したと言いながら皿に少し盛られたデザートに手を伸ばす。

 

「まあ、時間の問題ではありましたか。貴女、隠し事出来なさそうでしたものね」

 

 ――そして、さも知っていたかのように、呟いた。

 その発言に目を丸くする一同。チキンを齧るアルテ以外の視線が、エリスに集まる。

 

「……知っていたのか? アーキメイラ」

「ええ。ちなみにグリフィンドールのポッターも蛇語使いです。彼は上手く隠し通せているみたいですけどね」

 

 談話室は更なる驚愕に包まれた。

 ゴイルは大きく咳き込み、クラッブはあんぐりと口を開けている。

 ミリセントは思わず身を乗り出してエリスに詰め寄った。

 

「ちょ、ちょっとアーキメイラ! それ本当なの!? ってか何でそんなこと知ってんの!?」

「本当ですよ。まあ、証拠は彼に喋らせるほかないんですけど。生まれつき、蛇語使いが分かるんですよ。独特の気配を肌で感じられる、というか」

 

 さらりと、エリスは爆弾発言をした。

 蛇語使い――パーセルマウスというのは魔法使いの中でも極稀にしか持ち得ない天賦の才だろう。

 しかし、それの体得者を感じ取ることが出来る体質などこの場も誰も聞いたことがなかった。

 

「……そんな体質知らないぞ。なら、アーキメイラも話せるのか? 蛇語」

「勿論――『スリザリンの怪物は私たちにしか聞こえぬ声の持ち主。正体を掴むにはこれで十分でしょう』――とまあ、こんな具合に。いつ自覚したにせよ天性の蛇語使いにとっては普段発する言葉と変わりません」

 

 その場の大半にとってシューシューとしか聞こえない声。

 ゴイルは天井に頭を激突させかねない勢いで立ち上がった。

 クラッブはそれを見てから動いたように一歩遅く、引っ繰り返りそうなほどに驚愕した。

 

「……お前ら、今日はやけにオーバーリアクションだな」

「は、腹が痛いせいだ」

 

 怪訝そうに指摘したドラコにそう返し、座りなおすゴイル。

 

「で、今なんて言ったんだ?」

「なに、他愛のないことです。それこそ、皆様には縁のないような」

「――案外貴女が継承者なんじゃないの?」

「まさか。継承者の成すことに興味はありません。一つばかり気に入らないことはありますが……まあ、こればかりはどうにもならないこと。目を瞑るとしましょう」

 

 その、エリスが知っている何らかの“核心”について、彼女は話すつもりはないらしい。

 しかし継承者の行いに興味を持っていないのは事実だった。アルテ同様、生徒が石にされていることに恐怖も歓喜も覚えていないのだ。

 超然とした雰囲気を不気味に思う面々。

 やはりそれを気にしていないアルテは、久々の満足感と共に立ち上がった。

 

「あ……アルテ、もういいの?」

「ん」

 

 疲れ切った様子はもうなかった。

 足早に部屋への階段に向かうアルテは、途中で立ち止まる。

 ソファに掛ける面々に向き直り、相変わらず不愛想ながら――

 

「……ありがと」

 

 短く、小さく、礼を言った。

 固まるダフネたちを気にすることなく、最後にクラッブとゴイルを一瞥し、

 

『……自分の、寮に、戻った方が、良いですよ』

 

 覚えたてのようなたどたどしい蛇語で忠告した。

 クラッブは何を言っているのか分からず首を傾げ、ゴイルは目を見開く。

 そしてゴイルは、クラッブの髪の色が赤くなり始めているのを見た。

 ひょこひょこと階段を上っていくアルテ。彼女から出たとは思えない言葉が脳内をグルグル回っている面々は、「胃薬が必要だ」などとぼやきながら寮を出ていくクラッブとゴイルの存在など意識の外だった。

 

「……下手ですね」

 

 ただ一人、どちらの言葉に対しても動揺の色を見せないエリスはそう呟き、料理に満足したのかロックハートの本を広げ、そちらに意識を向けた。

 

 

 

 ホグワーツ三階の女子トイレ。

 普段はとある理由により誰も寄り付かない場所に、ハーマイオニーはいた。

 本来であれば今頃、ハリーやロンと一緒にスリザリンの寮にいるはずだった。

 継承者が誰なのか確かめるべく実行した作戦。

 それが、ポリジュース薬を使うことによるスリザリン寮への潜入だ。

 対象の体の一部を材料にすることで、その対象に一時間の間変身することが出来る魔法薬。

 これであればスリザリン寮の面々――特に怪しんでいたドラコもグリフィンドール生だとは思わず、秘密をペラペラと話すだろう。

 ハリーとロンはクラッブとゴイルに眠り薬入りの菓子を食べさせることで見事髪の毛を手に入れた。

 ハーマイオニーは、それすら必要なかった。

 休暇に入る前の決闘クラブで、彼女に接近したアルテ。

 その際、ハーマイオニーのローブに髪の毛が一本、くっついていたのだ。

 疑われてこそいるが、アルテが継承者であるという可能性はどうにも考えられなかった。

 ゆえに彼女の体を使い、契約者を探そうと目論んだのだが――

 

「何よ……これ、どういうことなの!?」

 

 ――アルテに変わることは、出来なかった。

 ハーマイオニーは作成前から、ポリジュース薬の注意点をよく読んでいた。

 “人間以外への変身には、決して使ってはならない”――。

 アルテのそれを、ハーマイオニーは魔法族が稀に持つ七変化だと考えていた。

 姿かたちはどうあれ――彼女は人間であると。

 それがリスキーな手だと理解していながら、彼女の髪の毛を材料としたポリジュース薬を飲んだ。

 その結果が、これだ。

 

「キャハハハハ――! 傑作! あの二人が帰ってきたらなんて言うかしら!」

 

 このトイレに人が寄り付かない理由――ここに住み着くゴーストである『嘆きのマートル』が腹を抱えてけたけたと笑う。

 それが、自分自身、仕方ないと思えるほどに、酷い有様だった。

 

「失敗するなら、耳とか尻尾だと思ってた……だけど……これって!」

 

 黒く細ばった指の先、好き放題に伸びる爪。

 巨大な鱗に、先の尖った紺色の毛、硬い羽毛。

 それらが生えてきては消えを繰り返し、一瞬たりとも同じ姿が続くことはない。

 ぐちゃぐちゃと体が絶えず変化し、どうしようもない不快感だけが体中に満ちている。

 

「……アルテ、貴女、何者なの……?」

 

 マートルの笑い声が響く。

 ハーマイオニーの疑問はそれにかき消され、誰に届くこともなかった。




※傷心アルテ。
※地味なところで活躍する双子印の木箱。
※アルテの貴重な気遣い。
※見た目だけはホームパーティーの図。
※皆の意識がアルテとエリスに向いているので疑われない偽クラッブと偽ゴイル。
※蛇語使い集結。
※デレアルテ(SSR)。
※猫娘にはならなかったけどもっとグロいことになっているハー子。


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女神に誓う

 

 

 ジャスティンと『ほとんど首無しニック』が襲われてから、襲撃はぱったりと無くなった。

 寒さが少しずつ和らいでいく、二月の中旬。

 ホグワーツ城の中には、僅かに明るいムードが漂い始めていた。

 クリスマス休暇中、ハーマイオニー・グレンジャーが原因不明の病で医務室に運ばれ、一週間あまり出てこられないということがあったが、今は復調ししっかり授業にも出ている。

 誰も襲われていない。それに、マンドレイクも随分と育った。

 間もなくにきびが綺麗になくなる。

 そうすれば、二度目の植え替えの時期だ。

 その後は刈り取り、とろ火で煮込めば石化を解く魔法薬の材料となる。

 マダム・ポンフリーがそれを広めたことで、継承者への恐怖も薄らいだようだ。

 生徒たちの見解は、『これだけ皆が神経を尖らせ警戒している中で、アルテ・ルーピンは部屋を開けることが危険になったのだろう』といったところだ。

 結局怪物の正体は知れなかったが、再び眠りについたのだろう。

 ピーブズはその明るくなった雰囲気を盛大に盛り立てた。

 ――『諸悪の根源、アルテ・ルーピンは尻尾を巻いて諦めたー』だの何だの、愉快な振り付けと共に高らかに歌った結果、土曜日に丸一日、アルテに追いかけ回されたのだが。

 そんな空気になったことで、アルテに向けられる目は恐怖や怒りから侮蔑や優越感に、畏敬から失望や落胆に変わっていった。

 

「見ろよ、チキン継承者と腰巾着だ!」

「あまりアイツの前で言うなよ。周りの目も気にせず襲ってくるかもだぞ」

 

 そんな陰口を聞こえよがしに叩く生徒が増えたが、それでもアルテに杖を向けたりする者はいなかった。

 継承者という根本的な恐怖は未だ残っているのだ。

 それに、アルテ――正確にはアルテたち四人を気まぐれで護衛する二人の存在も大きい。

 

「やあやあ、道をば開け! 継承者たる我らが姐さんとそのご学友のお通りである!」

「これから姐さんたちは、『秘密の部屋』で牙をむき出しにした召使とお茶をお飲みになるのである!」

「さあさあ! 道を譲らないとすぐさま石にしてやると、姐さんはお怒りだ!」

「まっこと邪悪な継承者様ぞ! 彼女こそスリザリンの継承者! 遠からん者は――」

 

 フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーは面白半分にアルテたちを囃し立てる。

 スリザリンに下ったグリフィンドール生だと、双子の評判はますます下がったが、そんなことを二人は気にしない。

 今面白いことが一番だと、アルテを継承者だと信じていないながらも大いに騒いだ。

 二人の道化ぶりは、アルテはともかくダフネたちにとっては非常にありがたかった。

 少なからずグリフィンドールの見方を変えかけたほどだ。――他の面々の視線ですぐに撤回したのだが。

 ルーナも相変わらず、食事の際レイブンクロー生だということを思わせないマイペースさで時折スリザリンのテーブルまでやってきて、アルテに餌付け――もとい、料理を運んでいる。

 数少ない、疑いが掛かる以前と同じ接し方をする他寮の三人がいなければ新学期早々に参っていただろう。

 そんな中、ロックハートは自分が襲撃事件をやめさせたと考えているらしかった。

 どういう理由かアルテを継承者だとは思っていないようで、彼女への接し方を変えることなく、しかし自分の手柄を打ち明けていた。

 

「ミネルバ、もう厄介なことはありません。今度こそ部屋は永久に閉ざされました。犯人は私に捕まるのは時間の問題だと観念したのでしょう!」

「はあ。それはそれは」

「そんな今学校に必要なのは気分を盛り上げることですよ! 先学期の嫌な思い出を一掃しましょう! まさにこれだ、という考えがあるのです!」

「なんと。それはそれは」

 

 マクゴナガルに得意げに語るロックハート。

 まともに聞いているとは思えない雑な相槌を打つマクゴナガルだが、ロックハートは気にした様子もない。

 彼の言う『まさにこれだ、という考え』は何なのか。

 どうせ碌なものではない、というのが大方の見解だった。

 その正体は果たして、二月十四日の朝に明かされることになる。

 

 

 

「……ここ何処?」

「……多分、大広間、かしら」

「……悪趣味なパーティ会場じゃなくて?」

「…………」

 

 朝食を食べに大広間にやってきたアルテたちは、その変わり果てた内装に思わず足を止めた。

 壁という壁がけばけばしいピンクの花で覆われ、おまけに淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っている。

 見つめていれば目がおかしくなりそうな光景を出来るだけ視界に入れないように下を向きながら席に着く。

 皿に乗ったベーコンは紙吹雪まみれになっていた。

 拳を震わせるアルテを見て、颯爽と現れたルーナが紙吹雪の山を払う。

 

「ラブグッド、これ何事?」

 

 呆れ顔のパンジーがルーナに聞く。

 明らかに普段の朝食の場とは違う混迷の大広間に、一体何が起きているのか。

 

「アレ」

 

 ルーナが片手で持ったフォークで先生たちのテーブルを指す。

 ダフネはそれを見て、目が不具合を起こしたような感覚に襲われた。

 部屋の飾りにマッチした、けばけばしいピンクのローブを着たロックハートがいたのだ。

 周りの先生は無表情だった。離れたところにいるマクゴナガルは頬を痙攣させており、スネイプは骨生え薬をたらふく飲んで間もないような表情をしていた。

 

「――バレンタインおめでとう!」

 

 ロックハートが立ち上がり、両腕を広げて叫ぶ。

 未だ懲りない生徒たちの黄色い声に手を振って応え、爽やかに微笑んだ。

 

「今までのところ、四十六人の皆さんが私にカードをくださいました、ありがとう! 皆さんをちょっと驚かせようと、私がこのようにさせていただきました。しかも、これが全てではありません!」

 

 ロックハートが手を叩くと、ドアから小人が十二人、ぞろぞろと入ってきた。

 金色の翼をつけ、ハープを持っている。

 

「私の愛すべき、配達キューピットです! 今日は学校を巡回して皆さんのバレンタイン・カードを配達します!」

 

 有難迷惑、という言葉をロックハートは知らないようだった。

 仏頂面の小人にそんなものの配達を任せる物好きがいるのだろうか。

 

「そして先生方もこのお祝いムードにはまりたいと思っていることでしょう! さあ、スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を教えてもらっては? フリットウィック先生は私が知るどんな魔法使いより『魅惑の呪文』についてご存知です! 素知らぬ顔して憎いですね!」

 

 そして先生たちまで巻き込んだ。

 フリットウィックはあまりの事態に両手で顔を覆った。

 スネイプなど、「『愛の妙薬』を貰いに来た最初のヤツには毒薬を無理やり飲ませてやる」とばかりの顔をしている。

 

「……ミリセント。貴女まさか四十六人に入ってないよね?」

「さて、今日の最初の授業は何だったかしら」

 

 ダフネのまさか、という問いに、ミリセントは答えなかった。

 非常に微妙な空気で、バレンタインに浮かれている生徒は少ない。

 ロックハートの空回りで、生徒たちは一周して冷静になっているのだろう。

 楽しんでいるのは、ごく一部の未だに大ファンだという面々くらいであった。

 

「そして!」

 

 ロックハートは生徒たちのテーブルの方まで歩いてきた。

 どうやらこの食欲の湧かない茶番はまだ続くらしい。

 

「本日を私の人生の大きな一ページとなる祝いの日としたいのです! どうか静粛に! そして見事めでたい結果となれば、盛大な拍手をいただきたい!」

 

 もう、まともにロックハートの話を聞いている生徒など殆どいなかった。

 大して美味と感じない朝食を無理やり胃に詰め込み、早くこの部屋を出ていきたいのだ。

 先生たちは非常に面倒臭そうに、何をしでかすのかという警戒の色を見せている。

 生徒たちの冷たい態度、先生たちの冷たい視線をものともせず、ロックハートは優々と――スリザリンのテーブルに歩いていく。

 そして、アルテの傍で立ち止まった。

 

「ミス・ルーピン!」

 

 気配に気付きつつも、朝食に集中していた。

 そのアルテの数少ない楽しみを木っ端微塵に粉砕したロックハートは何故、ここまで彼女の不機嫌を悟れないのだろうか。

 名前を呼ばれ、仕方なく――本当に仕方なく彼に視線を向けるアルテ。

 ロックハートは、それだけが取り柄とも言える端麗な顔で笑顔を作ってみせた。

 

「どうぞ! 愛らしい貴女に、花束と贈り物を」

「いらない」

 

 アルテはそんな笑顔と共に差し出されたプレゼントに目も向けず一蹴した。

 しかしめげない。ロックハートは表情一つ変えず、アルテの片手を取り、彼女を立たせると膝をついた。

 その行動に、大広間がざわつく。今からロックハートが何か、倫理的に非常に不味いことを始めようとしているようで――

 

「素っ気ない態度、凛々しい瞳、未熟な肉体! 芸術のような貴女は幾度も私の胸を打ちました! 継承者などともう名乗られるな! 貴女は貴女、一人の女性であって良いのです!」

 

 ――この時、アルテ・ルーピンを継承者だとほんの少しでも疑う全ての人間は、「ああ、ロックハート(コイツ)死んだな」と思った。

 ――この時、アルテ・ルーピンを継承者だとほんの少しも思っていない人間は、「ロックハート(コイツ)死んでくれないかな」と思った。

 彼に視線を向けた時から変わらないアルテの不愉快げな表情は一切変わっていない。

 大広間の時が止まっていた。

 生徒も、先生も等しくその光景を絶句して見届けていた。

 

「ご安心を、すぐにとは言いません! 法律など愛の前では些細なものですが、貴女が望むならば卒業まで待ちましょう!」

 

 ――何を言っているのかは分からないが、何となく己が全く望んでいないことだというのは分かった。

 そう考えてみれば、理性で抑えていた拳に力が入っていく。

 おおよそ半年間、堪えに堪えていたものは、何故か手を取ってきたことですぐ目の前にいる獲物に、今こそ爆発しようとしている。

 

待て(stay)……待てー(stay)……」

 

 いつの間にかアルテの席に座っていたルーナが足を揺らしながら、何処か楽しそうに言う。

 人に掛けるような語調ではないが、この場で突っ込めるような猛者などいない。

 ルーナは止める素振りはなかった。

 ゆえにこそ、蛮行は続けられる。

 ロックハートは了承以外の答えなど考えもせずに、考案していた取って置きの殺し文句(プロポーズ)を口にする。

 

「率直に言いましょう、ミス・ルーピン――いえ、アルテ! 貴女を妻に迎え入れたい! 受け入れてくださった暁には、貴女が忌み嫌う狼男の一切をこの世から根絶すると、愛の女神に誓いましょう!」

 

 その言葉を言い終えると共に、ロックハートはアルテの手に口付けを落とした。

 例えるならばそれは、断頭台に喜び勇んで飛び乗るようだった、と誰かは言う。

 例えるならばそれは、咀嚼したドラゴンのタルタルをスネイプのローブに吹き出すかのようだった、と誰かは言う。

 例えるならばそれは、杖を構えた闇の帝王の真正面に裸で現れて踊り出すようだった、と誰かは言う。

 人によって例えこそ数あれど、それが総じて命を捨てに行く行為だ、とは感じていた。

 それまでずっと、核心的なことを言っていなかったことが幸いして、アルテが彼に手を出すことは一度もなかった。

 だが、今この瞬間ロックハートが口にした言葉は――アルテにとって最も許しがたい言葉だった。

 

「――――よし(Go)

「っ」

「ゴフッ!?」

 

 ルーナのゴーサインを聞くが早いか、アルテは右膝でロックハートの顎を蹴り上げた。

 そして都合の良い高さまで上がってきた彼の頬を――力の限り殴りつける。

 今までの想いの限りを叩き込んだつもりだったが、いざ殴ってみるとこれっぽっちも足りなかった。

 よく意味の分からない己への執着などどうでもいい。

 だが、これまで数えきれないほどに口にしていた、リーマスへの侮辱に他ならない発言に対する怒りはこの程度ではなかった。

 吹っ飛んで床に転がり、意識を失っているロックハートに迫る。

 何度拳を叩き込み、爪を突き立てれば気が済むかは分からない。

 しかし例え爪が割れ腕が折れようともやめるつもりはない。それ程の大罪を、この男は犯したのだ。

 

「あ、アルテ! そこまで! 止まって!」

「ッ――――」

 

 ダフネの制止を一切聞き入れず、ロックハートに馬乗りになったアルテ。

 その体を吹き飛ばしたのは、スネイプの杖から放たれた閃光だった。

 

「教師への暴行。事情が事情ゆえ減点にはせんが、これ以上続けるなら話は別だ。ここは獣ではなく人の世界だ。何であれ許されんことがある」

「っ、許されなくていい。わたしは“ソレ”を許せないっ」

「まったく、君の父親は最低限の己の律し方も教えていないのかね。反面教師にもならんとは、やれやれ」

 

 止めようとしているのか、より煽ろうとしているのか、侮蔑の微笑みを浮かべながらスネイプはアルテを見下ろす。

 

「後始末はやっておく。授業に向かえ」

 

 スネイプさえ噛み殺さんばかりに、怒りで震えていたアルテだが、暫く彼を睨んだ後、背を向けて荒々しい足取りで大広間を出ていく。

 それをダフネたちが慌てて追い、ようやく誰かがほっと息をついたことで、剣呑な空気は霧散していった。

 しかし、殆どの生徒の目には恐怖の色がある。

 石にはならなかったとはいえ、初めて継承者の襲撃を目にしてしまったのだ。

 

「せ、先生!」

 

 床で伸びているロックハートに、女子生徒たちが走り寄る。

 心配と悲鳴の声が少しずつ大きくなり、まだ終わらないらしい混乱にスネイプが溜息をついた。




※年明けまで集中治療が行われていたハー子。
※懲りないピーブズ。
※ハリーが疑われていないのでアルテにくっつく双子。
※餌付け。
※一同の面々で盛大にやらかすロックハート。
※しれっと継承者扱い。
※何を言っているのか、何をされているのか分からないアルテ。
※スネイプ「君の父親は娘にこの程度のことを教える甲斐性も無いのかね?」
 リーマス「その通りではあるけど君に甲斐性無しとだけは言われたくない」
※地雷プロポーズ(相手は十二歳)。
※とりあえず嫌味は忘れないスネイプ。


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怪物の正体

※オリジナル魔法初登場回。


 

 

 季節は流れ、未だ継承者は捕まらないまま、五月の末日になった。

 この頃にもなれば、生徒たちも継承者――アルテのことなど気にしていられない。

 バレンタインの事件からさらに二人の被害者が出た後でも、期末試験は実施すると発表があったのだ。

 どうせまともに勉強しても結果が変わらないだろう『闇の魔術に対する防衛術』はともかくとして、やはり難題となるのは変身術や普段誰も先生の話を聞いていない魔法史だろう。

 期末試験が発表されてからは誰一人被害者も出ていない。

 生徒たちは当然のように、アルテも期末試験の対策に掛かり切りだと思っていたが、まったくもって彼女はいつも通りだった。

 そしていつも通りであるのはロックハートも同様だった。

 あれだけのことがありながら未だに諦めていないらしく、執拗にアタックし続けるのはアルテのストレスの主因となっていた。

 どうにもアルテが碌に気を休められない日々は続いた。

 そうして、試験の二日前となった時。

 アルテとエリスは医務室に呼び出された。

 殆どなかった組み合わせを不審に思ったダフネたちは付いてこようとしたが、それをアルテは制し、二人で医務室を訪れる。

 

「ポッター、ウィーズリー……貴方たちですか」

 

 ベッドの一つの傍にいたのは、ハリーとロンだった。

 グリフィンドール生の二人がスリザリン生を呼び出す。

 あまり良い呼び出しとは思えないエリスは僅かに眉を顰める。

 ――そのベッドに横たわっているのは、グリフィンドール生の中でもエリスがそれなりに親しくしていた者であったからだ。

 

「……グレンジャーの事は聞き及んでいます。何故、こんなところに呼び出したのですか」

 

 そこにいたのは、石になったハーマイオニーだった。

 物言わぬ石像となった彼女は、継承者を追う側から襲われる側になったのだ。

 

「ごめん……だけど、君たちに見せたかった。あの時、スリザリンの談話室で助けてくれたから」

「助けてない」

「あら、いつの事やら。我々の寮に貴方たちが来たことがありましたっけ」

 

 エリスはとぼけているが、気付いていない訳ではない。

 クリスマスの夜、ポリジュース薬でクラッブとゴイルに変身し、継承者についての情報を探りにスリザリンの寮へと侵入したハリーとロンを、二人は蛇語で助けていた。

 それは意図してやったことだとハリーも分かっているのか、それに何も言わず、二人に見せるように皺くちゃの紙を広げた。

 古い本の一ページだ。

 図書館にあった何らかの本を千切ったのだろう。

 

「……」

「ぼ、僕らじゃない! やったのはハーマイオニーだ!」

 

 咎めるようなエリスの視線に弁解するロン。

 曰く、石になったハーマイオニーの手に握られていたらしい。

 

「これを見て」

 

『我らが世界を徘徊する多くの怪獣、怪物の中でも、最も珍しく、最も破壊的であるという点で、バジリスクの右に出るものはない。『毒蛇の王』とも呼ばれる。この蛇は巨大に成長することがあり、何百年も生き長らえることがある。鶏の卵から生まれ、ヒキガエルの腹の下で孵化される。殺しの方法は非常に珍しく、毒牙による殺傷とは別に、バジリスクの一にらみは致命的である。その眼からの光線に捕われた者は即死する。直接視認せずとも、石化は免れまい。蜘蛛が逃げ出すのはバジリスクが来る前触れである。なぜならバジリスクは蜘蛛の宿命の天敵だからである。バジリスクにとって致命的なのは雄鶏が時をつくる声で、唯一それからは逃げ出す。』

 

 そのページには、魔法界でも屈指の怪物が記されていた。

 そして端にはハーマイオニーの筆跡で一言『パイプ』とだけ書いてある。

 

「君が教えてくれた情報から、ハーマイオニーが見つけてくれたんだ。僕たちにしか聞こえない声の怪物――『秘密の部屋』の怪物はバジリスクだ!」

 

 ハリーやアルテ、そしてそれを探しには行かなかったものの、エリスもまた、その声は聞こえていた。

 それ以外の者には聞こえなかった蛇語での呪詛。

 そして石にされていく生徒たち。

 二つの特徴を併せ持つ怪物となれば、魔法界全てを見渡しても蛇王バジリスク以外には存在しない。

 エリスは紙切れから視線を外し、ベッドに並ぶ他の生徒に目を向ける。

 

「……石化した生徒たちは、全て死んではいない。例えばそこの、クリービーは――」

「カメラ越しで見たんだ。中のフィルムは焼き切れたけど、結果的にコリンを助けた」

「フレッチリーは?」

「『ほとんど首無しニック』を通したに違いない。ニックはまともに光線を浴びたけど、二回は死ねないだろう?」

「……では。グレンジャーと、そちらのクリアウォーターは」

 

 ハーマイオニーと共に石化したレイブンクローの監督生、ペネロピー・クリアウォーター。

 彼女たちもまた死んではいない。

 

「傍に鏡が落ちていた。多分ハーマイオニーが彼女に忠告して、ちょうどその時に……」

 

 襲われた生徒たちは全員、偶然にも直視することはなかった。

 幸運にも、即死という最悪な状況だけは逃れていたのだ。

 

「フィルチの猫も襲われていました。ゴーストも傍におらず、鏡もカメラも持てない猫はどう逃れたと?」

「あの日、『嘆きのマートル』のトイレから水が溢れていた。ミセス・ノリスは水に映ったバジリスクを見たんだ」

 

 全ての被害者の答え合わせが成された。

 そしてハリーは紙切れに書かれた一文を指差す。

 

「致命的なのは、雄鶏が時をつくる声。ハグリッドの雄鶏が殺されたんだ。蜘蛛が逃げ出すのは前触れ――アラゴグも……森に住んでいるハグリッドの蜘蛛も、自分たちが恐れる怪物って言っていた! 何もかもがぴったりだ!」

「貴方たち、何してるんですか……」

 

 暗に入ってはいけない森に侵入したと口を滑らせるハリー。

 魔法生物の巣窟である森には、ハグリッドが学生時代に飼育していたアクロマンチュラという蜘蛛も棲息していた。

 ハリーは“とある理由”からそのアクロマンチュラ――アラゴグこそが怪物だと判断し、ハグリッドを以前の継承者だと疑った時期があった。

 しかし、森でアラゴグと対話し、そうでないことが分かった。彼らが最も恐れ、忌み嫌う生物――それがバジリスクなのだ。

 

「バジリスクはパイプを通って城を移動していた。蛇語を話せるのは僕たちだけじゃないんだ。まだ誰かが蛇語を使えて、バジリスクを操っていたんだ」

「なるほど……私が知る限り、この学校には私たち三人以外にパーセルマウスはいませんが」

「それは……分からない。けど、パイプを通っているなら、バジリスクが住む『秘密の部屋』の入り口はトイレの中だ。『嘆きのマートル』のトイレなんだ!」

 

 遂に掴めた怪物の正体。そして、『秘密の部屋』の場所。

 興奮した様子のハリーの、次の言葉を待たずにアルテは背を向けた。

 

「あ、アルテ……?」

「……何処に行くんです?」

「『秘密の部屋』」

 

 短く言って、足早にアルテは出ていく。

 唖然とするハリーたち。呆れた様子でエリスはそれに続こうとして、一度立ち止まる。

 

「……彼女を止めるよう努力しますが。貴方たちは間違っても突っ込もうとしないことです。蛇王は貴方たちがどうにか出来る存在ではありません」

 

 そう言い残してエリスはハリーたちを置いて、医務室を出る。

 駆け足でアルテに追いつき、隣を歩きながらその不機嫌そうな表情に問いかける。

 

「……珍しいですね。貴女が自分から動くなんて」

「いい加減鬱陶しい。倒せば終わるなら、手っ取り早い」

 

 ずっと継承者だと疑われ、特にスリザリン生からの媚びるような態度による心労は小さくない。

 この煩わしさは怪物を倒し、継承者を捕えることが出来れば終わる。

 本来ならば自分から動こうとはしない。

 だが今回は、それ以上に今の環境に対する苛立ちが強かった。

 

「……蛇王を殺すと?」

「それで収まるなら」

 

 先の話を聞いていなかった、ということはないだろう。

 直視すれば死ぬという瞳だけではなく、その毒牙も到底人が耐えられるものではない。

 血まで毒が流れる大蛇は、例え瞳がなくとも驚異的だ。

 歴戦の闇祓いが十人集まって、若い個体がようやくどうにかなるか、といったところだろう。

 そんな怪物に挑むなど、自殺願望があろうともしない。 

 だが、アルテはそれをしようとしている。それを倒せば今の環境が良くなるならと、それだけの理由で。

 先生たちに頼るでもなく、己の手で仕留めようとするアルテに、エリスは呆れしかない。

 だが――彼女が望むならと、あまり伝えたくはなかったことを告げる。

 

「……ならば、耳を澄ませなさい。来ています」

 

 

『――引き裂く……八つ裂きに……』

 

 

 その声に、エリスとアルテは耳を傾けた。

 まだ近くはない。だが、近付いてきている蛇の声。

 辺りには人気がない。標的は明らかだった。

 

「……私は逃げますよ。万が一にも、目を合わせたくはありませんから」

「好きにして」

 

 爪を伸ばすアルテ。

 忠告はした。エリスは元より、怪物退治を手伝うつもりなど毛頭ない。

 今の自分では千度戦ったところで勝てないことなど分かり切っている。

 逃げる素振りも見せないアルテに、僅か不愉快げな表情を向け――その場を離れようとした時だった。

 

「ステューピファイ、麻痺せよ」

「ッ、プロテゴ、護れ!」

 

 飛んできた赤い閃光を、咄嗟に盾の魔法で防御する。

 そしてそちらに杖を向け――エリスは困惑した。

 

「……貴女が?」

 

 そこにいた人物は、蛇語使いなどではなかった。

 そう多く顔を合わせたことがある訳ではない。話したことなど一度もない。

 だが、少なくとも失神呪文など使えるとは思えない。

 

「君は巻き込むことになるけど、そこの獣がまだ懲りずに首を突っ込むようだからね。不幸だと思ってほしい」

「……貴女が継承者だった、と?」

「まあ、そういうことだ。恨むなら、その獣を恨むんだね」

 

 その、継承者と名乗った少女の杖が振るわれる。

 無言呪文による攻撃を、エリスもまた無言による盾で防ぐ。

 こんなことをしている場合ではない。

 継承者が誰であろうと関係ない。蛇の声が近付いてくるが分かる。

 手遅れになる前に逃げなければという焦燥があった。

 

「ッ」

「なっ……」

 

 それが、倒すべき敵であると判断したのだろう。

 少女に向かって駆けだすアルテに迷いはなく、エリスは止めることが出来なかった。

 

「インペディメンタ、妨害せよ」

 

 杖を向けた相手に突っ込むという無謀にも程がある行為を、少女は片手間に処理する。

 その場に繋がれたように動けなくなったアルテを蔑むように笑った後、再びエリスに杖を向ける。

 炎を水で防ぎ、現れた蛇を消し去り、武装解除を相殺する。

 楽しむように攻撃魔法を仕掛けていた少女だが――ふと、不思議に思った。

 

「君は二年生の中でも優秀だと聞いていたけどね。防いでばかりで、わざと作ってあげている隙に全然攻められていないじゃないか。しかも防御も幾分遅い。スリザリンの優等生が一切戦いを知らないとは、嘆かわしいな」

「っ……、ウェ、ウェニラース、毒よ!」

 

 少女の嘲笑を、エリスは魔法で以て返答した。

 薄い緑色の靄のような閃光は、しかし少女に届くことはない。

 

「スコージファイ、清めよ。なるほど、その魔法を使うか。しかも攻撃に使えるほどに洗練された、大した練度だ。だが駄目だな。相手を侵そうという強い意志が感じられない」

「――この……エクスペリ――」

「遅い」

 

 容易く一蹴され、エリスは吹き飛ばされた。

 

「話にならないな。これだけの冴えがありながらまるで戦いを分かっていない」

「っ」

 

 ――その姿に、他の生徒たちが不気味に思う超然とした雰囲気など何処にもない。

 いとも簡単に蹴散らされ、杖を向けられるエリスは、震えていた。

 恐怖に染まった表情は、それまで誰もが知っていたエリス・アーキメイラではない。

 年相応の、死という恐怖を前にした幼子のものだった。

 

「まだやるのも良いけど、こっちの方が優先だ。君はあちらに任せよう」

「ぁ……アバ――」

 

 エリスから視線を外す少女。

 その、無防備に見える佇まいにエリスは、決して人に行使してはならない魔法を使おうとして――気付いた。

 自身の、すぐ真後ろにまで迫っていた声に。

 今から逃げることは不可能だと悟った。ゆえにこそ、やるべきことは一つだった。

 全身全霊で集中する。その恐怖を押し込め、震える右手を左手で押さえつけ、思考を一つに纏め上げる。

 そしてすぐ真後ろに迫った、それ自体には恐怖を感じない気配に振り向くと同時、震えた声で呪文を唱えた。

 

「――エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」

 

 銀白の靄が形を形成する。

 それは本来、この怪物と相対するにおいて有効となる魔法ではない。

 だが唯一、その怪物と出会い『死なないためだけ』ならば効果を発揮する。

 怪物よりやや小さな、しかし同じ形を作った『守護霊』の魔法。

 半透明な長身のその向こうの瞳と、エリスの視線が交わされる。

 そして――それまでの犠牲者の誰よりも恐怖を浮かべた石像が完成した。

 

「……」

「さて。邪魔者は消えた。君は間違っても石化などさせないよ。これだけ計画を妨げた罰だ。もっとずっと苦しんで、楽しませてくれないと、ね」

 

 エリスを一瞥もせず、少女はアルテに不敵な笑みを浮かべてその顎に手を置く。

 噛みつこうとしても、体が動くことはない。

 無論、全力で抵抗してはいるが――それを超えるほどに、少女が使った妨害呪文は強力だったのだ。

 昨年のクィレルなど比較にならない呪文の冴え。

 その縛めを力の限り振り解こうとするアルテの腹に、少女の杖が押し当てられた。

 

「ステューピファイ!」

「――っ」

 

 一瞬にしてアルテの意識は刈り取られる。

 倒れ込んだアルテを少女は蔑むように見下ろして、そっとその体に手を伸ばした。

 

 

 その日――『秘密の部屋』を巡る事件が終幕を迎える日。

 最後の戦いの始まりは、一人の生徒が石になり、二人の生徒が失踪することから始まった。




※答え合わせ。
※ハー子と仲がそこそこ良かったエリス。
※ハリー「秘密の部屋の場所はマートルのトイレだ!」
 アルテ「任務了解。お前(バジリスク)を殺す」
※自分が行くつもりはないエリス。
※初っ端から動きを封じられるアルテ。
※しれっと無言魔法を扱うエリス。
※毒魔法ウェニラース。相手に毒を与える。毒の内容によって派生あり。反対呪文は「スコージファイ」。
※初戦闘でボロ負け。
※守護霊で即死は回避。
※攫われアルテ。


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継承者を騙る者

 

 

「生徒は全員、それぞれの寮にすぐに戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集りください」

 

 バジリスクと『秘密の部屋』について、せめて先生に報告しようと誰もいない職員室にやってきていたハリーとロンは、拡声魔法を使用したマクゴナガルの大きな声を聞いた。

 もしかして、また誰か襲われたのか――そんな嫌な予感が脳裏をよぎる。

 だが、ハリーたちはこのまま寮に戻るつもりはなかった。

 自分たちが知っていることを話さなければならない。それに、何が起きているのかも気になった。

 職員室の端にある洋服掛けに二人で隠れると、すぐに先生たちが走り込んできた。

 それぞれ、顔には当惑や恐怖、疑心が映し出されている。

 粗方の先生が揃うと、少し遅れてやってきたマクゴナガルが、震えた声で話し出した。

 

「……とうとう起こりました。一時に生徒が三人も。一人は石にされ、そして二人……怪物により、『秘密の部屋』に連れ去られました」

 

 フリットウィックが悲鳴を上げ、スプラウトが口元を手で覆った。

 スネイプは椅子の背を握り締め、いつもより僅か低い声でマクゴナガルに問う。

 

「……何故そんなにはっきりと断言できるのかな?」

「継承者が、また伝言を書き残しました。石になった生徒のすぐ傍です。『二つの白骨は永遠に『秘密の部屋』に横たわるであろう。一つは此度の贄として、そして、一つは警告を受け尚も継承者を騙る愚者として』と」

 

 マダム・フーチが、腰が抜けたように椅子にへたり込む。

 連れ去られた二人の生徒。伝言が正しいとすれば、その一人には見当がついた。

 猫が襲われた時から疑われ続けた、蛇語を操る未だ謎多き生徒。

 

「……襲われた生徒、そして、攫われた二人というのは」

「…………石にされたのは、エリス・アーキメイラ。そして――攫われたのは、ジニー・ウィーズリーと、アルテ・ルーピンです」

 

 ハリーの隣で、ロンが崩れ落ちた。

 ロンの妹であり、今年ホグワーツに入学したジニー。

 そして、ついさっきまで一緒に話していたアルテとエリス。

 三人は決して、自分たちにとって無関係な、遠い生徒ではなかった。

 

「……全校生徒を明日帰宅させなければ。ホグワーツはこれで終わりです。ダンブルドアはいつも仰っていた……」

 

 苦々しく、マクゴナガルは呟いた。

 その時だった。空気を読まない大きな音で扉が開かれたのは。

 一瞬ハリーはダンブルドアかと期待したが、そこにいたのは全くもって信頼の出来ない人物だった。

 

「大変失礼しました。ついうとうとと……で、何か聞き逃してしまいましたか?」

 

 ロックハート。

 既にこの学校で多くのファンを失い、三か月前のバレンタインデーではあまりにも度し難い行為によってあわや停職の瀬戸際まで追い詰められたロックハートだ。

 それを一切悪いことだと思っておらず、どうにか逃れた彼は以前と特に変わらない授業を続けている。

 要するに、今この学校でアルテより空気を読めていない男である。

 爽やかな笑みで聞いてくるロックハートに、マクゴナガルはほとほと呆れたように目を細め、スネイプを見た。

 スネイプもまた、いつになく協調した様子で頷く。マクゴナガルが何を求めているか、一瞬にして理解した。

 

「――なんと、適任者が」

「……適任者?」

「まさに適任。ロックハート、女子学生が二人、怪物に拉致された。『秘密の部屋』にな。いよいよ、ついに、貴方の出番が来ましたぞ」

 

 ロックハートがビシリと固まった。

 顔からは血の気が引いていき、みるみるうちに真っ青になっていく。

 スプラウトが揚々と、スネイプに続く。

 

「その通りだわ、ギルデロイ。昨夜でしたね、『秘密の部屋』への入り口がどこにあるかとっくに知っていると仰っていたのは」

「私は……その、私は――」

「そうですとも。部屋の中に何がいるか知っていると、自信たっぷりにわたしに話しませんでしたか?」

「い、言いましたか? 覚えていませんが……」

「我輩は確かに覚えておりますぞ。ハグリッドが捕まる前に、自分が怪物と戦うチャンスがなかったのは残念だったと仰いましたなぁ」

「何も、そんな、貴方の誤解では……」

 

 おろおろとロックハートは辺りを見渡す。

 非情なことに、彼の味方はもうここに一人もいなかった。

 そんなロックハートに、無慈悲にマクゴナガルがとどめを刺す。

 

「それではギルデロイ、貴方にお任せしましょう。伝説的な貴方の力に。誰も貴方の邪魔をさせはしません。お一人で怪物と取り組むことが出来ますよ」

「え……ぁ……」

「今夜こそ絶好のチャンスです。攫われた一人はミス・ルーピンです。見事助けてあげてください」

 

 最早ロックハートは何も聞こえていないようだった。

 いつもの取り得であったハンサム顔は、面影すらない。

 唇は震え、歯を見せた笑顔が消えた顔は、うらなり瓢箪のようだった。

 

「よ、よろしい……へ、部屋に戻って、し――支度します」

 

 逃げるようにロックハートは部屋を出ていく。

 

「さて。これで厄介払いが出来ました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒に何が起こったかを知らせてください。明日一番のホグワーツ特急で生徒を帰宅させると伝えてください。ほかの先生方は、生徒が一人たりとも寮の外に残っていないように見回ってください」

 

 素早く指示を出したマクゴナガル。

 先生たちが一人、また一人と部屋を出ていった。

 残されたハリーとロンは、起こってしまった最悪の事態に俯いていた。

 

「じ、ジニー……」

「……ロン、ロックハートの所へ行こう。まだ間に合うかもしれない。ロックハートは何とかして『秘密の部屋』に入ろうとしているんだ。僕たちの知っていることを教えよう」

 

 だが、ハリーはまだ諦めていない。

 最悪は最悪だ。だが、本当に最悪なことが起きてしまっているとは限らない。

 つまるところ――ジニーもアルテもまだ生きている可能性がある。

 ほかに良い考えも思いつかなかった。ロンは震えながら頷き、二人は透明マントを取りに寮へと向かった。

 

 

 

 ロックハートの部屋に近づくうちに、辺りは暗くなり始めていた。

 彼の部屋は取り込み中なようで、慌ただしい足音と荒い物音が聞こえてくる。

 ハリーがドアをノックすると、中が急に静かになった。

 それからドアがほんの少しだけ開き、ロックハートが顔を覗かせる。

 

「あ、あぁ……ポッター君、ウィーズリー君……それに、ミス・グリーングラスか……」

「え?」

 

 ハリーとロンが振り向いた。

 見間違えではない。そこには確かに、スリザリンのダフネ・グリーングラスがいた。

 

「……君、何でここに」

「――ミリセントとパンジーがスネイプの気を引いてくれたの。大人しくしていられる訳ないでしょ」

 

 ダフネがハリーたちに並ぶ。

 ロックハートは三人に怯んだようにドアを若干閉めた。

 

「え、えっとだね。私は今、少々取り込み中で……」

「あ――先生のお役に立つと思うんです!」

「いや、今は都合が……ええ、ああ、はい。いいでしょう」

 

 非情に迷惑そうに、ロックハートは三人を部屋に招き入れた。

 ハリーたちが訪れた時とは見違えるような光景だった。

 そこにあった趣味の悪いインテリアは影も形もない。

 全て箱やトランクに押し込まれ、そこはまるで引っ越す前の部屋を思わせた。

 

「……どこかへいらっしゃるのですか?」

「うー、あー、そう。緊急に呼び出されて、仕方なく。私は行かなければと……」

「ぼ、僕の妹はどうなるんですか?」

 

 ロンが愕然として言った。

 ロックハートは彼らを見ず、引き出しの中身をひっくり返してバッグに入れながら他人事のように呟く。

 

「そう、まったく気の毒なことだ……誰よりも私が一番残念に思っている……」

 

 荷造りを続けるロックハートの腕をダフネが掴んで止めさせた。

 悔しそうに唇を噛み、目に涙を浮かべた少女に、ロックハートは鬱陶しそうに視線を向けた。

 

「――アルテはどうなるの!? あんだけ迫っといて、こんな状況で何もせずに逃げる気!?」

「死んだら何もかもお終いでしょうが!」

 

 ダフネを引き剥がし、ロックハートは叫んだ。

 英雄的な彼から出るとは思えない、卑屈な言葉だった。

 仮面が剥がれたロックハートは、大いに取り乱しながら続ける。

 

「職務内容にこんなことの対処は書かれてなかった! それに死んだ者を尚も愛するなんて無理に決まってるでしょう! ええ、冥福は祈っておきますとも!」

 

 ダフネは言葉を失った。

 その様子に、思わずハリーが声を上げる。

 そうしなければ――この少女が何をするか、分からなかったから。

 

「逃げ出すんですか? 本に書いてあるように色々なことをなさった先生が?」

「本は誤解を招く!」

「ご自分が書かれたのに!」

「ちょっと考えれば分かることだ! 私の本があんなに売れるのは、中に書かれていることを全部私がやったと思うからでね! もし狼男の話が、アルメニアの醜い魔法戦士のものだったら本は半分も売れなかった筈です! そんなもんなんですよ!」

 

 追い詰められたからか、ロックハートはそれまで誰の前であろうと口を滑らせなかった秘密を暴露した。

 狼男やバンパイアを彼が対峙するなど、出来ようはずもない。

 本が売れたのは、『それを全てロックハートが行ったと読者が思っているから』だと。

 

「仕事はしましたよ。しましたとも。そういう人たちを探し出し、どうやってやり遂げたのかを聞き出す。それから『忘却術』を掛ける。するとその人たちは自分のやった偉業を忘れる。これで大変な仕事なんですよ」

 

 そんなことを言いながら、ロックハートはトランクに鍵を掛ける。

 そして、懐から杖を取り出した。

 

「さて……この学校での最後の仕事です。私の秘密をペラペラそこらじゅうで喋ったりされたら商売あがったりですから――」

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 ロックハートが呪文を口にする前に、ハリーの閃光がロックハートに突き刺さった。

 後ろに吹っ飛んでトランクに足をすくわれ、その上に倒れ込む。

 衝撃で机の上の箱が床に落ち、中のものが飛び散った。

 ロックハートの手から離れた杖は高々と空中に弧を描き、ロンがそれをキャッチすると、窓から外に放り投げた。

 

「スネイプ先生にこの術を教えさせたのが間違いでしたね」

 

 ハリーはロックハートのトランクを脇の方に蹴飛ばして言った。

 トランクの傍に落ちた一つの写真立てを、ふとダフネは目にした。

 趣味の悪い額縁の中にいる、素っ気なく向こうを見る帽子を被った少女。

 それはまさしく――

 

「……これ、アルテだよね。もしかして盗撮じゃ……」

「そんなの、もうどうでもいいでしょう! 私に何をしろというのだね! 『秘密の部屋』がどこにあるかもしらない。私には何もできない!」

「運のいい人だ。僕たちはその在り処を知っていると思う。中に何がいるかも。さあ、行こう」

 

 写真を拾い上げるダフネ。

 ハリーはロックハートに杖を突き立て、無理やり立たせる。

 そのまま、ロックハートを追い立てるようにして部屋を出て、『嘆きのマートル』のトイレに向かう。

 ダフネは、間違ってもロックハートなどに持って帰らせるかと写真立てから写真を取り出し、懐に仕舞い込んだ。

 

「……ポッター、本当なの? 部屋の場所が分かるって」

「うん……あくまで、推測だけど。グリーングラス、君は――」

「行くよ。ううん、止めるっていうなら、二人を倒して私だけでも行く。アルテを助けたいの」

 

 ダフネは本気だった。

 ハリーたちが止めるというのなら、自分の知るどんな呪文を使ってでも二人を突破する。

 まだアルテは生きている。その一縷の希望だけを信じ、『秘密の部屋』に行く。

 ミリセントとパンジーは己を信じたのだ。こんなところで立ち往生している訳にもいかない。

 

「……行こう。ジニーもアルテも、まだきっと間に合う」

 

 階段を下りていく。

 そして、四人は部屋への入り口があるだろう、トイレに辿り着いた。

 

 

 

 薄明りの部屋の中で、掠れた悲鳴が響き渡った。

 二十秒余り、途切れ途切れに零れた叫びは、部屋の外の誰にも届くことはない。

 声の主――アルテは己に掛けられた魔法の効果が切れる前に、意識を失った。

 

「やれやれ、またか。これで二度目だ。エネルベート、活きよ」

 

 気を失った者を蘇生させる魔法が唱えらえれる。

 碌に精神が回復していないままに意識を取り戻したアルテは咳き込み、痛みの走る喉を押さえて悶えた。

 

「まだたったの十五回じゃないか。まさかこれだけで気絶して許してもらおうなんて思っていないだろう?」

「っ……こほっ……」

「十六回目だ。いや、厄介な話だよ。いつまで経っても君は僕を満足させてくれない――クルーシオ!」

「かっ……ぁ……っ!」

 

 最早、悲鳴と言える悲鳴を上げられなかった。

 小さく掠れた声を零しながら転げまわるアルテを、輪郭のはっきりとしない少年が不気味な笑みを浮かべながら見下ろしている。

 アルテの体には至る所に切り傷や打撲痕、それに火傷痕が刻まれている。

 少年の気晴らしと暇潰しを兼ねて行われている拷問。

 その初期に放たれた発火魔法により、纏っていた制服やローブの粗方は燃え尽きてしまった。

 既にアルテが纏っているのは申し訳程度の切れ端くらいであり、体のどこかに引っかかっているだけと言っても過言ではなかった。

 帽子は雑に放り捨てられ、露わになった耳にさえ切り傷が走っている。

 三十秒ほど呪いを掛け続け、ようやく術を解くと弱々しく痙攣するアルテに、微笑んだまま問い掛ける。

 

「さて。君は自殺願望でもあるのかな? 警告したのに、何故継承者を騙り続けたんだい?」

「……」

 

 小さく息を零すだけで、答えることはないアルテ。

 それに少年は鼻を鳴らし、黙ってその腹に蹴りを入れた。

 

「っ、ぅ……」

「エレクト、立て」

 

 アルテを無理やり立たせる。

 膝に力など一切入らないが、体にまっすぐ芯を刺されたように倒れることが出来ない。

 

「答えろ。君は何故僕の邪魔をした」

「…………邪魔、して、いる……つもりは、ない」

「……そうか。もっと性質が悪いな。君は無自覚のままに、僕の邪魔をしていたのか」

 

 その胸に閃光を叩きつけ、吹き飛ばす。

 危なかった、と少年は自分の行いを反省した。

 怒りに任せ、死の呪いを放つところだった。

 まだほんの少しも満たされていない。コレを殺すのは、その後だ。

 

「人を苦しめれば多少は気が晴れるんだがな……ああ、君は(けだもの)だったか。まあそれでも、数をこなせばいつかは、かな。あまり手を煩わせないでくれ――クルーシオ!」

「ぎ――ぅ――!」

 

 全身に走るあらゆる苦痛は、何度受けても慣れることはなかった。

 そのたびに上書きされるような鮮烈な痛みに、思考全てが支配されていく。

 少年の暇潰しも兼ねたアルテへの罰は続く。

 彼の待ち人は、すぐそこまで来ていた。




※それにしてもこのスネイプ、ノリノリである。
※マクゴナガルとスネイプ一世一代の協力攻撃。
※ダフネがパーティに参加しました。
※自己陶酔が過ぎるけどこういうところは現実主義なロックハート。
※ロックハート「死んだ者を尚も愛するなんて無理に決まってるでしょう!」
 スネイプ「……」
※盗撮バレ。
※ちょっと怪しいフラグの立ってるっぽいダフネ。
※監禁と拷問を二年目で受ける主人公。
※磔呪文被害最多記録を目指している節があるアルテ。
※寝る時でなくても気付いたら脱いでる。
※別に私にリョナ趣味はないです。


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真の継承者

 

 

 『嘆きのマートル』のトイレの手洗い台。

 その前で蛇語を話すことこそ、『秘密の部屋』を開く鍵だった。

 ハリーがシューシューという音を口から零すと、蛇口が眩い光を放ち、床に沈み込むと、太いパイプがむき出しになった。

 大人一人が滑り込めるほどの幅だった。

 ハリーに迷いはない。ダフネもまた、やることは決まっていた。

 ロンも決心の表情で、続く意思を示す。

 

「……さて、私は殆ど必要ないようですね、では私はこれで――」

「先に降りるんだ」

「それがなんの役に立つと言うんだね? いや本当に、なんの役にも――」

 

 言い訳して逃げ出そうとするロックハート。

 ロンがその背中を押し、パイプに突き落とした。

 反響する悲鳴がだんだん遠くなっていく。

 その後にハリーが、ロンが、ダフネが続いて降りていった。

 曲がりくねりながら下に向かって急勾配で続くパイプは、学校の地下牢よりも深く続いているようだった。

 やがてパイプが平らになる。

 辿り着いた出口から放り出され、四人はじめじめとしたくらい石のトンネルの床に落ちた。

 

「学校の何キロも、ずーっと下の方に違いない」

「湖の下だよ、多分……」

「こんなところが……ルーモス、光よ」

 

 ダフネが杖の先から光を放つ。

 それでも見える範囲にめぼしいものはなかった。

 床には小さな動物の骨が無数に転がっている。

 砕けたネズミの頭蓋骨は、どうにも、連れ去られた二人の最悪の末路を思わせてしまい、ハリーたちは下だけは見ないようにした。

 

「みんな、いいかい? 何かが動く気配を感じたら、すぐ目を瞑るんだ」

 

 結局、目を瞑ってもその牙にやられれば死は免れないが、それでも即死よりは可能性がある。

 動く気配を探しながら進むと――何かを見つけた。

 トンネルの行く手を塞ぐように、何か大きくて曲線を描いたものがあった。

 ダフネが杖の灯りを強くすると、その形が明白になる。

 杖灯りが照らし出したのは、巨大な蛇の抜け殻だった。

 毒々しい鮮やかな緑色の皮が、トンネルの床にとぐろを巻いて横たわっている。

 その大きさは六メートルを超えており、その皮を脱いだ本体がどれほどの巨体を持っているかを想像させる。

 

「……なんてこった」

 

 ロンが力なく呟いた。

 それとほぼ同時に、ロックハートが腰を抜かして崩れ落ちる。

 仕方なく、ロンが立たせようと近付くと、ロックハートはすぐに発ちあがり、ロンに跳びかかって殴り倒した。

 ロンの杖を奪い、ハリーに向けるロックハート。

 ダフネが光の魔法を解けば、辺りは真っ暗になる。ゆえに魔法を軽率に解くことはできないと判断し、最初の獲物を選んだ。

 

「坊やたち、お嬢さん! 遊びはこれで終わりだ! 私はこの皮を少し持って帰り、女の子たちを救うには遅すぎたと皆に言おう! 君らはズタズタになった無残な死骸を見て哀れにも気が狂ったと言おう!」

「少しでも負い目とかないの!? アルテが継承者に間違われたのは殆ど貴方のせいなのに!」

「私が何をしたというのです! そうだとして、既に手遅れな彼女のことを悔いても何も始まらないでしょう! 忘れられるものなら忘れたいものですよ!」

 

 まるで堪えた様子のないロックハートは、スペロテープでグルグル巻きになったロンの杖を頭上に振りかざす。

 ここまでか、とハリーは目を閉じた。

 次の瞬間には、自分の記憶は失われてしまうのだろうか――

 

「さあ、ハリー! 記憶に別れを告げるがいい! オブリビエイト、忘れよ!」

 

 その瞬間、杖は小型爆弾のように爆発した。

 衝撃でハリーとダフネの体が軽く浮く。

 そしてトンネルの天井が崩れ落ち、二人とロン、ロックハートを隔てるように道を塞いだ。

 

「ろ、ロン!」

「僕は大丈夫だ! でもこっちの馬鹿は駄目だ……杖で吹っ飛ばされた」

 

 ロンの声は、崩れた岩石の影から小さく聞こえた。

 これを壊すのは今の三人では無理だった。

 粉々呪文すらまともに習得していない彼らでは何年たつかも分からない。

 これだけ巨大なものを壊そうとした経験などない。

 初めてでこんなものに挑戦し、もし失敗などすれば――

 

「……ロン、そこで待ってて。僕たちが先に進む。一時間経って戻らなかったら――」

「……」

 

 勿論、分断されていたからといってハリーとダフネが止まる理由などなかった。

 これで助けを待っていてジニーたちが手遅れになったら、それこそ納得できない。

 

「――僕は少しでもここの岩石を取り崩してみるよ。そうすれば、君たちが帰りにここを通れるだろ?」

 

 ロンが賢明に、落ち着いた声を取り繕おうとしているのは明白だった。

 その震える声に、自信を叩き込むように、ハリーは告げる。

 

「それじゃあ、また後で」

 

 ダフネがトンネルの向こうを灯りで照らす。

 蛇の皮の横を抜けて先に進む。くねくねと、何度も曲がり、先へと進む。

 どちらも、何も言うことはなかった。

 元より、殆ど会話なんてすることがなかったグリフィンドール生とスリザリン生だ。

 本能的に相容れないのだろう。余計な話をすることなく、やがて行き止まりの壁に辿り着く。

 二匹の蛇が絡み合った彫刻が施してあり、蛇の目には輝くエメラルドがはめ込んである。

 何をすべきかはわかった。

 ダフネが黙って一歩下がり、ハリーがその壁に向かって一言、蛇語を話した。

 

『――開け』

 

 この通路への入り口を開くための言葉と同じだった。

 相変わらずダフネにはシューシューとしか聞こえないが、それでも何となく、意味合いは理解できた。

 蛇語に反応して、壁が二つに裂ける。

 これが、最後の扉なのだろう。

 二人はやはり何も言わず、無言のままに顔を見合わせて――意を決したように、中へと入っていった。

 

 

 

 そこは細長く奥へと延びる、薄明りの部屋だった。

 彫刻を施した石柱が上へ上へを聳え、見えないほど高い天井を支えている。

 バジリスクの気配はなかった。どこかに潜んでいるのだろうか。

 ハリーとダフネは左右一対になった、蛇の柱の間を前進する。

 蛇の眼窩は二人の姿を追っているような気がした。

 最後の一柱のところまで来ると、部屋の天井に届くほどの席上が壁を背に立っているのが見えた。

 年老いた猿のような顔に、細長い顎鬚。

 灰色の巨大な足の間に、二人の少女がうつぶせに横たわっていた。

 

「ジニー!」

「アルテッ!」

 

 思わず杖を投げ捨て、燃えるような赤毛のローブ姿の少女にハリーが駆け寄る。

 見たところ傷はない。

 だが、一方のアルテは凄惨な状態だった。

 息は病人よりも細くなっており、体中にありとあらゆる傷が残されている。

 周囲は幸い、もう灯りを必要とするほどではない。

 杖先からの灯りを消し、ダフネはアルテに杖を向ける。

 

「エピスキー、癒えよ!」

「ッ、ぁ……っ」

「痛むかもだけど、我慢してアルテ! このままだと、貴女死んじゃう!」

 

 ダフネが掛けた治療呪文により、アルテの傷は少しずつ癒えていく。

 しかし、この呪文の欠点として、治す傷によっては痛みが伴う。

 一体、どれだけの魔法を掛けられたのか。

 僅かに体に引っかかった布切れの端は焦げている。

 体中の火傷と共に考えれば、炎上呪文を掛けられたことも予想できた。

 とりあえず応急処置を施し、ダフネは自分のローブをアルテに掛ける。

 アルテには弱々しいながらも意識がある。だが、それに対してジニーは意識がなく、その顔は大理石のように冷たかった。

 

「ジニー、お願いだ。目を覚まして……!」

「その子は目を覚ましはしない」

 

 物静かな声がした。ハリーとダフネは膝をついたまま振り返る。

 背の高い、黒髪の少年だ。

 すぐ傍の柱にもたれていた。まるで曇りガラスの向こうにいるかもように、輪郭が奇妙にぼやけている。

 ダフネは見覚えがなかった。だが、ハリーは確かに知っている。

 

「……トム? ――トム・リドル?」

 

 少年――リドルは頷いた。

 ダフネはふと思い出す。確か学校に表彰された生徒に、そんな名前の人がいた筈だ。

 だが、それはもう五十年も前の話。

 そんな時代の人間がこんな場所に、こんなに若い姿でいるなどありえない。

 

「目を覚まさないってどういうこと? まさか――」

「その子はまだ生きている。しかし、辛うじて、だ」

 

 聞きながらも、その若い姿にハリーも疑問を持ったのだろう。

 訳が分からなくなり、問いかける。

 

「……君はゴースト?」

「記憶だよ。日記の中に、五十年残されている記憶だ」

 

 見れば、リドルの傍には日記帳が転がっている。

 それは何の変哲もない、ともなればマグル製品の日記帳に見えた。

 

「……トム、助けてくれないか。ジニーたちを運び出さないと。バジリスクがいるんだ。どこにいるか分からないけど……今にも出てくるかもしれない。お願い、手伝って」

 

 リドルは動かない。

 ハリーは一切疑っていないようだが――ダフネはどうにも嫌な予感を感じていた。

 こんな場所に、こんな状況の中で、平然としているその男を、どうにも信頼できなかった。

 ハリーの杖を拾い上げるリドルに、ダフネは問い掛ける。

 

「……アルテに何があったの? ――何をしたの?」

「少し罰を与えただけだよ。なに、愚鈍が取り得な獣風情ならその程度じゃ死なないだろう?」

「っ、フリペンド! 撃て!」

「おっと」

 

 聞くが早いか、放たれたダフネの魔法をリドルはハリーの杖で防ぐ。

 ハリーは瞠目した。いきなりダフネが魔法を撃ったことに。

 

「グリーングラス、何を――」

「分かんないの? アルテを攫って、ここまで傷つけたのも、そっちのウィーズリーを攫ったのもこの男ってこと」

「一つは語弊があるな。ジニー・ウィーズリーがこんな風になった原因は、目に見えない人物に心を開き、自分の秘密を洗いざらい打ち明けたことだ」

 

 リドルはダフネに一瞬さえ目を向けなかった。

 その瞳はまっすぐ、ハリーに向けられている。

 ハリーの杖を弄びながら、リドルは薄ら寒い笑みを浮かべた。

 

「あの日記は、僕の日記だ。ジニーのおチビさんは何ヶ月もその日記に馬鹿馬鹿しい心配事や悩みを書き続けた。兄さんが揶揄う、お下がりの本やローブで学校に行かなきゃならない、それに、有名な、素敵な、偉大なハリー・ポッターが自分のことを好いてくれることは絶対にない……なんてね」

 

 リドルは肩を竦める。ひどく面倒そうな仕草だが、やはりその目はハリーから離れない。

 

「十一歳の小娘の悩みを聞いてあげるのはまったくうんざりだったよ。でも僕は辛抱強く返事を書いた。同情してあげたし親切にもしてあげた。そして、ジニーは僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んでくれた。ジニーの深層の恐れ、暗い秘密を餌食に、僕はだんだん強くなった。十分になった時、僕は逆にこのおチビに僕の秘密を少しだけ与え、魂を注ぎ込み始めた――」

 

 それは、ハリーにとって聞きたくない事実だった。

 ダフネの言ったこと、そしてリドルの言ったことが正しいならば、つまり――

 

「そうだ。ジニー・ウィーズリーが『秘密の部屋』を開けた。学校の雄鶏を絞め殺し、壁に脅迫の文字を書きなぐった。バジリスクを四人の『穢れた血』や一人の不幸者、スクイブの猫にけしかけた。それにそこに転がっている犬を二度襲い、ここに連れて来たのも、全てジニー・ウィーズリーだ。ただし、始めは気付いてはいなかったがね。暫くして彼女が日記に書いたこと――君にも見せてあげたいよ。ああ――親愛なるトム――」

 

 顔を真っ青にしたハリーに笑みを深め、リドルは日記を思い出すように諳んじ始めた。

 

 ――あたし、記憶喪失になったみたい。ローブが鶏の羽だらけなのに、どうしてそうなったか分からないの。ねえ、トム、ハロウィーンの夜、自分が何をしたか覚えてないの。でも、猫が襲われて、アタシのローブの前のペンキがべっとりついてたの。ねえ、トム、パーシーがあたしの顔色が良くないって、なんだか様子がおかしいって、しょっちゅうそう言うの。きっとあたしを疑ってるんだわ……。今日もまた一人襲われたのに、あたし、自分がどこにいるか覚えてないの。トム、どうしたらいいの? あたし、気が狂ったんじゃないかしら。トム、きっと皆を襲ってるのは、あたしなんだわ!」

 

「やがて馬鹿なジニーのチビは日記を信用しなくなった。とうとう変だと疑い始め、捨てようとした。そこへハリー、君が登場した。君が日記を見つけたんだ。僕は最高に嬉しかった、君が拾ってくれたんだ。僕が会いたいと思っていた君が」

「……どうして僕に会いたかったの?」

 

 拳が震えているのが分かった。

 怒りが体中を駆け巡り、声を落ち着かせることさえ難しかった。

 ダフネは訳が分からないが、それでも、今聞かされている話が胸糞悪いことだというのはわかる。

 

「ジニーが君のことを色々教えてくれたからね。君の素晴らしい経歴をだ。君と会って、話さなければならない。だから君を信用させるため、あのウドの大木のハグリッドを捕まえた有名な場面を見せてやろうと決めた」

「ハグリッドは僕の友達だ。それなのに、君はハグリッドを嵌めたんだ! 僕は君が勘違いしただけだと思っていたのに!」

 

 震え出したハリーの声。

 その怒りに対してリドルは甲高い笑い声をあげた。

 

「片や貧しいが優秀。孤児だが勇敢そのものの監督生で模範生。もう一人は図体ばかりデカくて、一週間おきに問題を起こすドジなハグリッド。ディペット校長爺さんがどう取ったかなんて明らかだろう。あんまり計画通りの事が進んだことで、僕も驚いたよ。たった一人……ダンブルドア先生だけが、ハグリッドを無実だと思っていたらしいが」

「きっとダンブルドアは、君のことをとっくにお見通しだったんだ」

「そうだな。ハグリッドが退学になってからダンブルドアは僕をしつこく監視するようになった。僕の在学中に部屋を再び開けるのは危険だと僕にはわかっていた。しかし長い年月を無駄にはしない。日記を残して、十六歳の自分をその中に保存した。いつか時が巡ってくれば、誰かに僕の足跡を追わせて、サラザール・スリザリンの崇高な仕事を成し遂げることが出来るだろうと!」

 

 ――真の継承者。

 最早アルテを疑う余地はなかった。

 五十年前に一度開かれたという『秘密の部屋』。

 その時に事を起こしたのも、今回元凶となったのも、全てこの男――トム・リドルだったのだ。

 全てを話したリドルに、ハリーは勝ち誇ったように言う。

 

「成し遂げていないじゃないか。今度は誰も死んじゃいない。あと数時間もすればマンドレイク薬が出来上がって、石にされた人は皆、元に戻るんだ」

「……まだ言っていなかったかな? 『穢れた血』の連中を殺すことなど、もう僕にとってどうでもいいことだって。この数ヶ月間、僕の新しい目的は、君だった」

 

 リドルは静かに告げた。

 

「ジニーに自分の遺書を書かせ、ここに下りて待つように仕向けた。そこの犬を捕えたのはそのついでだ。君が現れるのは分かっていた。ハリー・ポッター、僕は君に色々聞きたかったんだ」

「……何を?」

 

 ハリーは拳を固く握ったまま、吐き捨てるように言った。

 愛想よく微笑するリドルの声は、静かなままだった。

 

「これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、不世出の偉大な魔法使いをどう破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君の方はたった一つの傷跡で、何故逃れた?」

「僕が何故逃れたのか、どうして君が気にするんだ? ヴォルデモート卿は君より後に出て来た人だろう?」

 

 その、聞き捨てならない名前に、アルテが僅かに頭を起こした。

 ダフネが心配そうにその頭を抱くが、アルテの顔はリドルに向けられている。

 

「ヴォルデモートは、僕の過去であり、現在であり――未来なのだ」

 

 リドルはハリーの杖で、空中に文字を書き始めた。

 三つの言葉が、揺らめきながら淡く光った。

 

 

 TOM MARVOLO RIDDLE(トム・マールヴォロ・リドル)

 

 

 リドルがもう一度杖を一振りする。

 名前の文字が一つ一つ動き、並びを変えた。

 

 

 I AM LORD VOLDEMORT(わたしはヴォルデモート卿だ)

 

 

 ハリーが、ダフネが、アルテが、誰しもが目を見開いてその文字を凝視した。

 それまでハリーはリドルという人物を信頼に足る者だと思っていた。

 まるで悪い冗談にも思えるアナグラムを、しかしリドルは誇らしげに作り上げる。

 

「――わかったね? この名前はホグワーツ在学中に既に使っていた。勿論、親しい友人にしか明かしていないが。汚らわしいマグルの父親の姓を僕がいつまでも使うと思うかい? 母方にスリザリンの血が流れるこの僕が? 僕は自分の名前を自分でつけた。ある日必ずや魔法界の全てが口にすることを恐れる名前を! 確信していた、僕が世界一偉大な魔法使いになるその日を!」

「ッ――」

「あ、アルテ、動いちゃ駄目!」

 

 無理やり動こうとして、アルテはダフネの腕から転げ落ちる。

 なおもしがみ付くダフネは止めることに必死で、見ていなかった。

 リドルを――ヴォルデモートを見るアルテの顔を。

 アルテに到底似合わない、張り付いたような笑み。

 それを見る者はただの一人もいない。リドルは相変わらず、ハリーのみを不敵に見下ろしていた。

 

「世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ」

「ダンブルドアは僕の記憶に過ぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」

「ダンブルドアは君の思っているほど、遠くへは行っていない!」

 

 今この城にはいないダンブルドアは、リドルにとって油断ならない敵だということは分かっていた。

 だから五十年前にリドルは部屋を開かなかった。

 今もそうであることは、彼の名を聞いて顔を初めて醜悪に歪めたことからも明らかだ。

 リドルは反論しようと口を開きかけて――その顔が凍り付いた。

 どこからともなく、美しい音楽が聞こえて来たのだ。

 音楽はだんだんと近く、大きくなってくる。

 その、この世の者とは思えない旋律は、この場のある者には恐怖を与え、ある者には勇気を与え奮い立たせた。

 やがて旋律が高まり、深紅の鳥がドーム型の天井に姿を現した。

 鳥はハリーの方にまっすぐ飛んできて、運んできたボロボロのものをハリーの足元に落とす。

 それからアルテの目の前に降り立ち、張り付いた笑みを消失させた。

 

「フォークス!」

 

 ハリーが叫んだ。その鳥はアルテも見覚えがあった。

 ダンブルドアが飼っている鳥だ。

 ハリーは知っている。それはただの鳥ではない。世にも珍しい、不死鳥だ。

 そしてハリーの足元に落とされた古くほつれた薄汚い帽子。

 入学の時に被った組分け帽子。リドルは我慢ならないとばかりに高笑いした。

 

「ダンブルドアが味方に送ってきたのはそんなものか! 歌い鳥に古帽子じゃないか! さぞかし心強いだろう、もう安心だなハリー・ポッター!」

 

 しかし、ハリーにはもう不安はなかった。

 ダンブルドアがそれを送ってきたのならば、必ず意味がある。

 それに今は、かつてないほどに勇気が溢れている。恐れは綺麗さっぱり、消え去っていた。

 

「……本題に入ろうか。ハリー、二回、僕たちは出会った。そして二回とも君を殺し損ねた。君はどうやって生き残った? 全て聞かせてもらおうか。長く話せば、君はそれだけ長く生きていられることになる」

「僕自身にも分からない。でも、何故君が僕を殺せなかったか、僕にはわかる。母が、僕をかばって死んだからだ。母は普通の、マグル生まれの母だ」

 

 毅然とした態度で、ハリーはリドルに向き合った。

 

「君が僕を殺すのを母が食い止めたんだ。僕は本当の君を見たぞ。去年のことだ、落ちぶれた残骸だった。辛うじて生きている、君の力の成れの果てだ。君は逃げ隠れしている! 醜い! 汚らわしい!」

「……そうか。母親が君を救うために死んだ。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。わかったぞ――結局君自身には特別なものは何もない訳だ。僕の手から君が逃れたのは、幸運だったからに過ぎないのか。それだけ分かれば十分だよ」

 

 ――アルテは、その時ようやくまともにハリー・ポッターに関心を持ち、理解した。

 どうして最初に会った時から、他者とは違うものを彼に感じていたのか。

 それは他でもない。彼は自分の終着点を先立って成し遂げたものであったからだ。

 ハリー・ポッターはヴォルデモートを打倒した。

 ゆえにこそ、去年から妙なほどに運命が重なり、二年続けて同じ敵と相対していたのだ。

 

「アルテ!」

「……大丈夫」

 

 ハリー・ポッターのことはわかった。

 ならば、それでもいい。それが、かの者と戦う運命を定められているのであれば、邪魔をするつもりはない。

 自分のやるべきことは――ただ一つ。

 立ち上がる。不思議なほどに痛みはなかった。

 脳内を何か冷たいものが駆け巡る。苦痛、疲労、そんなものは必要ないと脳が捨て去ったように感じた。

 

「さて、ハリー。少し揉んでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、かの有名なハリー・ポッターとダンブルドアがくださった精一杯の武器とを、お手合わせ願おうか。ああ、構わないよ、そっちの犬と小娘が手伝っても。歌い鳥ほどの役に立つかも知らんがね」

 

 リドルはその場を離れ、上半分が暗闇に覆われているスリザリンの像を見上げた。

 横に大きく口を開くと、シューシューという音が漏れた。

 ダフネには、何を言っているか分からなかった。意味をはっきりと理解できたのは、ハリーとアルテだけだ。

 

『スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。われに話したまえ』

 

 スリザリンの巨大な石の顔が、継承者の言葉に応じて動き出した。

 口がだんだんと広がっていき、ついに大きな黒い穴になった。

 何かが、奥の方からずるりと這い出してくる。

 

「わぷっ!?」

 

 アルテは咄嗟にダフネのローブを脱ぎ、ダフネに頭から被せた。

 そして己は目を瞑る。ハリーに見せられた本の切れ端の情報が正しいならば、これで即死は免れる。

 ハリーもまた同様に目を閉じた。

 フォークスが飛び立つ。何か巨大なものが部屋の石の床に落ち、振動が伝わってきた。

 アレを打ち倒さなければ、ヴォルデモートには届かない。

 前方にいるとわかる蛇に相対する。耳と鼻、そして全身に伝わる悍ましい殺気を頼りに、アルテは前傾姿勢を取る。

 

『あいつを殺せ』

 

 リドルの指示ゆえだろう。その殺気は、意識は、ハリーを強く見据えていた。

 ずるずると近付いてくるが、蛇はあくまでハリーしか見ていない。

 バジリスクを支配するリドルにとって、最優先はハリーだったからだ。

 破裂するような、シャーシャ―という音がすぐ近くに聞こえた。

 あと二メートル。それでハリーに牙が刺さる。

 その直前――翼の音が聞こえた。

 研ぎ澄まされたアルテの感覚は掴み取った。その羽音の意図。あれなる蛇の王に勝つための、大前提となる一歩を。

 蛇に急接近する羽音の位置を悟る。そしてその正反対の場所にある“死”に向かい、足に力を込めて跳びかかった。




※忘れられるなら忘れたいロックハート。
※望み通り暴発してあげた忘却呪文。
※多分アルテの残りHP2%くらい。
※でもヴォルデモートって単語には反応する。
※オリジナル笑顔再び。
※ハリーのことをようやく知るアルテ。
※最早犬扱い。
※パーティ:ハリー(魔法剣士)、アルテ(バーサーカー)、ダフネ(魔法使い)、フォークス(ペット)
※とりあえずローブが邪魔なのでまた脱ぐ。
※心眼(聴覚)。


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バジリスク

 

 狂ったように上がる悲鳴と、のたうち回り柱に激突する音。

 我慢ならなくなったハリーは何が起こっているのか見ようとして、目を開いた。

 ダフネもローブを顔から引き剥がし、起きていることを確かめる。

 

「アルテ!?」

 

 巨大な蛇だった。テラテラと毒々しい、鮮緑色の大蛇は太い胴体を高々と宙にくねらせている。

 その頭に、アルテはしがみ付いていた。

 フォークスの嘴とアルテの爪が、それぞれ恐ろしい瞳を突き刺している。

 痛みに悶えて暴れるその尾に打たれないよう、ハリーとダフネは後ずさる。

 どす黒い血が飛び散り、二人に降り注ぐ。

 振り回される鎌首の動きに耐え切れず、アルテは離れ、床に落ちた。

 のたうち回る蛇の両目は潰れていた。

 瞳の脅威はもうない。如何に即死の瞳だとしても、潰れてしまえば効果を発揮しない。

 

『違う! 鳥や犬に構うな! 小僧は後ろだ! 殺せ!』

 

 バジリスクが痛みに悶えている間に、フォークスはハリーの足元の帽子を持ち上げ、ハリーの頭に乗せた。

 一年以上ぶりの重みに、ほんの僅か頭が下がる。

 その瞬間、それまで頭があった場所を、尻尾が薙いでいった。

 ようやく落ち着き始め、荒い息を零しながらバジリスクは再びハリーを捉える。

 眼は潰れたものの、蛇の感覚はそれで終わりではない。

 臭いでもわかるし、蛇に備わったピット器官は人から発される赤外線を確かに感じ取っている。

 一方で吹っ飛ばされたアルテはダフネのもとまで転がってきていた。

 

「アルテ、無茶だよ! そんなボロボロで戦える訳ないでしょ!?」

「……爪」

「え?」

「爪が通らない。鱗、柔らかくできる?」

 

 自分がもう戦えないなどと、まるで考えていない。

 しかし、目を穿った時についでに鱗にも爪を立て、それを貫くことが出来ないのは理解できた。

 ならば考えられるのは、その鱗の強度を落とすこと。

 今のアルテには杖がない。服が燃えた折に、リドルに奪われている。

 ダフネが頼りだった。短く問いかけてきたアルテには、逃亡などという選択肢はなかった。

 ――ダフネは、怖かった。

 ヴォルデモート卿と出会うことになるなんて思わなかったし、怪物との直接対決なんて考えていなかった。

 アルテを助けたらすぐに逃げるつもりだった。だというのに、今のアルテにはバジリスクを打ち倒すことしか頭にない。

 ならば、自分のすべきことは何か。答えはすぐに出た。

 文句は死ぬほどあるけれど、それが彼女の求めであり、ここから生きて脱出する、たった一つの手段であるならば。

 

「……馬鹿アルテ。ちゃんと出来るか分かんないからね。私は貴女やアーキメイラさんみたいに、優秀じゃないし」

「信じてる」

「――――、馬鹿アルテっ!」

 

 二度、叩き付けるように言って、ダフネは杖を構えた。

 それを確認して、アルテは駆けていく。

 リドルは分かっていながら、対処をしない。

 犬と小娘如きに何が出来るのか。あんなもの、気にしなくともハリーを殺すのには何の問題にもならない。

 バジリスクは自身に近付いてくるものに気付いていた。

 気付いていながら、何もしない。今、受けている指示こそが絶対であるから。

 スリザリンの継承者に掛けられた服従という名の鎖に抗って行動することなど、許されないのだ。

 バジリスクの腹にアルテは近付いていく。狙う部位を悟ったダフネは、杖を振り上げた。

 

「スポンジファイ、衰えよ!」

 

 物の強度を衰えさせ、柔らかくする魔法。

 その効果は大きいものではない。今のダフネの魔法の冴えでは、バジリスクの全身に効果を発揮させることなど出来ない。

 だが、ほんの僅かな時間、ごく一部の強度を下げることは叶った。

 魔法が当たった腹の真ん中に、アルテが爪を立てる。

 刺さった――そして、力の限り引き裂く。

 

「やった!」

 

 バジリスクの動きが止まった。

 確かに外側は固く、アルテの爪どころか生半可な武器では通らないだろう。

 だが、内側は別だ。一度外側を裂いて中にまで手を届かせてしまえば、問題ではなくなる。

 命令を破ってでもアルテを引き剥がそうと、縛めに抗うバジリスク。

 それによって動きが鈍っている隙を決してアルテは逃さない。

 裂いた中の肉を更に引き裂き、噛み千切り、傷を広げていく。

 

『チッ……いいだろう、その犬も殺してしまえ! 暴れ狂え、バジリスク!』

 

 流石に見逃していられなかったのか、リドルはついに命じた。

 裂かれた腹で押し潰そうとするバジリスクから咄嗟に離れるアルテ。

 返り血でべっとりと濡れた肌を拭うこともなく、噛み殺そうとしてくる蛇の牙を躱していく。

 自身にその殺意が向けられている訳ではない。だが、ダフネはその牙が振るわれるたびに心臓が止まりそうなほどに恐怖していた。

 一歩間違えば、アルテはその牙の餌食になる。

 だからといって、自分には何も出来なかった。

 あの牙を柔らかくする――あんなにも高速で動く蛇の牙を狙って魔法を使うなど不可能だ。

 何か出来ることはないか、アルテを助けられないかと辺りを見渡して――ハリーが組分け帽子から何かを取り出しているのを見た。

 

「ぽ、ポッター、それは?」

「分からない……帽子から急に出て来たんだ!」

 

 ハリーが持っていたのは、眩い光を放つ銀の剣だった。

 柄に嵌め込まれたルビーが爛々と、赤く輝いている。

 

「……行ける、のか?」

「お願いポッター、アルテを助けて。あのままじゃアルテが!」

「ッ――」

 

 爪で必死に抗っているアルテは、あのままでは長くは持たない。

 ハリーは意を決した。この剣もダンブルドアが想定して持ってきたものであれば、この状況を打開するに足るものである筈だ。

 ずっしりと重い剣を両手で持ち、駆けていく。

 その勇敢な姿を見て、リドルは笑みを深めた。

 ああ、確かに彼はグリフィンドール生だろう。だが、それは勇気以上に蛮行だ。

 ――あの犬ほどに知能で劣っている訳でもないというのに、蛇の王相手に接近戦を挑むとは。

 

「やあああぁぁぁ――!」

 

 バジリスクに接近し、思いきり剣を振りぬく。

 剣は不思議なほどに鱗を通っていき、中の肉まで切り裂いた。

 アルテは瞠目した。そして、すぐにその目を狩人のものへと変える。

 それは確かに――勝ちの目だった。

 近付いてきた本来の獲物に、バジリスクが大口を開く。

 剣ほどに長い牙が、ぬめぬめと毒々しく光って、ずらりと並んでいる。

 ハリーにはそれが隊列を組んだ死神に見えた。あの中のどれに刺さっても、命はない。

 無我夢中にハリーは剣を振るう。それが牽制になっているのか、バジリスクも攻めあぐねていた。

 しかしそれも短時間。振るわれた尾で跳ね飛ばされたハリーをバジリスクが追う。

 アルテも走るが、バジリスクに追いつけない。

 アルテの意図を、ダフネは察する。それが無謀だと分かっていながら、ダフネはアルテのために杖を構えた。

 

「インペディメンタ、妨害せよ!」

 

 ダフネの魔法は、やはり効果が薄かった。

 それでもバジリスクの動きを鈍らせ、アルテはバジリスクを追い抜いた。

 ハリーに向かうバジリスクは牙を剥き出しにしており、このまま怯んでいるハリーに辿り着けばどうなるかは明らかだった。

 ゆえに、ハリーの寸前でアルテはその牙を受け止めた。

 力で負け、押し潰されそうになりながらも、決して剣を持ったハリーには届かせない。

 

「あ、アルテ!」

「――の、ど――」

「え……?」

「喉、刺して!」

 

 掠れた声で叫ぶ。

 ハリーは慌てて、飛ぶように動いた。

 万力の如く閉じようとしているバジリスクの喉に向かって、剣を突き刺す。

 瞬間、ハリーの腕に小さな痛みが走った。

 その痛みに思わず手を放して――しまったと思った時には手遅れだった。

 剣はバジリスクの喉に刺さったままだ。

 

「ッ――、ァ……!」

 

 しかし、無駄にはならなかった。

 アルテが代わりに剣を掴み――――口の中に顔を突っ込む程に深く、その刃を突き入れた。

 噴水の如く血が噴き出す。アルテの小さな体は、あっという間に見えなくなった。

 

「アルテ――!」

 

 ダフネの叫びに応じたというより、血の洪水に押し流されたように、アルテは口から放り出された。

 血濡れの剣も一緒に飛び出し、床に転がる。

 最早赤くない場所などない程に一色になった、壮絶な姿でアルテは降り立ち、リドルの日記の傍に崩れ落ちた。

 ダフネは走り寄ろうとして、出来なかった。

 あまりの光景に対する恐怖で、足が動かなかったのだ。

 うつ伏せに倒れたアルテは、無事なのかどうかすら分からない。

 いや――無事ではなかった。その体のあちこちには、牙で裂かれたのだろう新しい傷が走っていた。

 甲高い悲鳴を上げて、バジリスクは倒れ伏す。

 『秘密の部屋』の怪物の、最期だった。

 

「……意外だな。ここまでやるとは。だが、君らも無事とはいかないらしい」

 

 リドルはハリーに歩きながら、呟いた。

 ハリーの傷は浅い。だが、不思議なほどに痛かった。

 目は霞み、視界が暗色の渦の中に消えつつある。

 ほんの小さな傷であれ、バジリスクの牙が刺さったのだ。その毒はあっという間に、ハリーの体に広がっていった。

 フォークスがハリーの傍らに降りる。

 牙が刺さった腕の傷に、フォークスがその美しい頭を預けるのをハリーは感じた。

 

「君は死んだ、ハリー・ポッター。ダンブルドアの鳥にさえそれが分かるらしい。見たまえ、鳥が泣いているよ」

 

 フォークスの目から、真珠のような涙がぽろぽろと、つややかな羽毛を伝って滴り落ちている。

 リドルはその表情を見て歪んだ笑顔を浮かべ、ダフネにちらと目を向けた。

 

「ハリー・ポッターの臨終を見させてもらおう。ゆっくりやってくれ、急ぎはしない。小娘、一緒に見届けようじゃないか、英雄と、無謀にも人に逆らった犬の末路を」

 

 ハリーは眠かった。

 周りのものが全て、くるくると回っているようだった。

 ダフネはガタガタと震えながら、その様を見ていることしか出来なかった。

 

「これで有名なハリーもお終いだ。愚かにも闇の帝王に挑戦し、敗北して。もうすぐ『穢れた血』の恋しい母親の元に戻れるよ、ハリー」

 

 ハリーはそこまで悪い気分ではなかった。

 これが死ぬということならば、そこまで悪いことではない。

 やがて、痛みさえ薄らいできた。真っ暗闇になるどころか、視界が急にはっきりとした。

 それに気付かないリドルは、嘲るようにアルテに視線を動かす。

 

「所詮は犬、あの程度だな。なんだい、あのザマは。牙が刺さっただけじゃない。血さえ毒に染まった蛇だぞ? 一体血をどれだけ飲み込んだ。アレはもう生きてはいないだろうよ」

 

 残酷に、無情に吐き捨てたリドルに、ダフネはとうとう泣き出した。

 彼女にもわかる。あんな風になった人間は、最早生きていたらおかしい。

 既に彼女が死んでいると、確信してしまったからだ。

 あれはもう見るまでもないとハリーに目を戻す。傷が――消えているように見えた。

 

「――不死鳥! どけ!」

 

 フォークスが何をしているか、分かってしまった。

 ハリーの杖で閃光を放ち、フォークスが飛び立つ。

 もう痛みも、毒もない。不死鳥の癒しの涙により、ハリーに流れていた毒は綺麗さっぱりなくなったのだ。

 怒りに身を震わせながらも、リドルは冷静さを保つ。

 これは好都合だ。元より怪物になど、任せてはおけなかった。

 

「しかし、結果は同じだ。むしろこの方がいい。ハリー・ポッター、一対一の勝負だ」

 

 ハリーの杖をハリーに向け、リドルは不敵に笑う。

 ハリーには杖がない。剣ならあるが、二人の距離の開きでまともに扱うことなど出来ない。

 絶体絶命だった。

 それはリドルにも分かっているようで、勝ち誇ったように微笑んでいる。

 リドルが杖を振り上げた時――ピシャリと、水溜まりに何かが落ちる音がした。

 

「……驚いたな。まだ生きていたのか」

 

 這いずるように、アルテが腕を動かしていた。

 バジリスクから零れる血溜まりの中でもがいている。

 そしてその手が――何かを捉えた。

 

「……ん?」

 

 そこら中がどす黒い赤に染まっていて、保護色のようになっていた。

 だが、目を凝らせば見える。

 アルテの手が置かれた――黒い日記帳が。

 

「……何をする」

 

 初めて見た時から気付いていた。

 そこに見えている、輪郭がだんだんとはっきりしてきた少年は本体ではない。

 アルテが望んでいるものは、アルテが焦がれているものは、それではない。

 この日記帳だ。アルテが求めた命は――ここにある。

 日記のページを開く。本来ならば、何ページを傷つけようとも些事であったことだろう。

 だが、そんなことはアルテには関係なかった。

 赤黒く染まったアルテの悍ましい笑顔に、リドルはぞわりと背筋が寒くなった。

 

「ッ――――」

「――やめろ、よせ!」

 

 爪がページに突き刺さる。耳をつんざくような、リドルの絶叫が響き渡った。

 空いた孔からインクが激流の如く流れ出る。

 引き千切り、ページを毟り取っていく。

 紙片が舞い散り、際限なく吹き出すインクがアルテを更に黒く染めていく。

 ダフネはガチガチと歯を鳴らしながら震えていた。

 アルテが浮かべているとは思えない狂笑が。その赤と黒に染まっていく顔が。そして、バラバラと崩れていくリドルが。全てが自身の許容を超えていた。

 最後の一ページにまで爪を立て、毟った。

 中身に何もなくなった日記の表紙を最後に引き千切り、真っ二つにする。

 日記の魔力が霧散するように広がり、その衝撃でアルテは紙のように飛んで、仰向けに倒れる。

 縦に裂けたリドルは断末魔を残して、消滅した。

 

「――……」

 

 笑みがスッと引いていく。

 天井を眺める虚ろな瞳は、今にも閉じようとしていた。

 何もかもが遠くなっていくようで、気付けば指先一つ動かせなくなっている。

 音も聞こえない。何となく、何も分からなくなるのは近い、と感じていた。

 視界の端に、翼のようなものが見えた。その正体を確かめる前に、目は閉じられる。

 

「……フォークス」

 

 体から毒が消え去ったハリーは、ふらふらと立ち上がりその様を見ていた。

 アルテの体の、牙で傷がついた箇所に、フォークスは涙を落としていく。

 もう息をしているのかすら怪しかった。

 しかし、フォークスはその動きを止めることはない。

 全ての傷を塞ぎ終えると、最後にその口元に頬を寄せた。

 ――ハリーはリドルの言葉を思い出す。

 毒に染まったバジリスクの血を、アルテは接近戦により大量に浴び、飲んでいた。

 それを知っているのだ。フォークスはそれを中和すべく、己の涙をアルテに飲ませているのだ。

 多分、一筋縄ではいかないのだろう。フォークスがアルテの傍にいる時間は、ハリーの傷に涙を落としていた時間の三倍経ってもまだ終わらなかった。

 呼吸音以外何も聞こえない、静かな空間。

 そんな中で、ダフネの震えた声が、ハリーに投げられた。

 

「……ポ、ポッター。なん、だったの、今の、アルテの、顔……」

 

 自分より冷静だったからだろう。ダフネは縋るように、ハリーに聞いていた。

 出会ってもうすぐ二年。これまで、アルテの笑った顔など見たことなかった。

 初めて目にした彼女の笑顔が、この世の者が浮かべているとは思えない張り付いた笑みという事実が、ダフネをひどく混乱させていた。

 

「……わからない。でも、一年前の賢者の石を守った時も……あんな笑顔になっていた。きっとアルテは、ヴォルデモートが関わると、ああなるんだ」

 

 それはハリーの憶測だった。

 去年の事件で、『みぞの鏡』を見て、ヴォルデモートからその望みを叶えると告げられた時も、あの笑みを浮かべていた。

 あの時のアルテの言葉を、アルテの願望を、ハリーは覚えている。

 だが、それをダフネには決して教えてはいけなかった。

 “――――ヴォルデモート、お前が欲しい。わたしは――お前を殺したい!”

 あまりの勢いに、あの時は勇気付けられた。今回だって、あまりに自分を省みないその恐れ知らずな様に助けられた。

 だが、そうだ。冷静になって考えてみれば恐ろしかった。あんな笑顔、一体どんな感情を持てば浮かべられるのだろう。

 

「……――――」

 

 フォークスが一歩下がると、アルテの息が少しだけはっきりとした。

 代わりに体中の痛みがはっきりとしたように眉を顰め、ダフネが慌てて走り寄った。

 

「アルテ! アルテ! 私のこと分かる!?」

「…………っ」

 

 ほんの僅か、頷いたように見えた。

 首を動かすのさえ辛いようだった。

 慌ててダフネは治癒魔法を使用する。気休めにもならないかもしれないが、今アルテが瀕している死から少しでも遠ざけたかった。

 

「スコージファイ! 清めよ!」

 

 体中にこびり付いた血を洗い流していく。

 素肌の本来の色が見えていき、殆ど全裸と変わらないことを思い出したハリーは慌てて目を逸らした。

 やがてバジリスクの血が体から離れ、色の変わっていた髪が元の白銀を取り戻すと、ダフネは再び自分のローブを纏わせる。

 その頃にはアルテは意識を失ったようで、落ち着いた表情で眠っていた。

 

「……」

 

 ――死ななかった。

 ダフネは心からの安堵で、再び堤防が崩壊したように涙を流し出す。

 今は、彼女の表情なんて関係ない。

 無茶をし過ぎていたことに文句は山ほどあるけれど、とにかくアルテが生き延びたことこそが、嬉しくて仕方がなかった。

 

「……馬鹿、アルテ……馬鹿アルテ……っ!」

 

 穏やかな息を零すアルテを抱きしめる。

 秘密の部屋の事件は終わりを告げた。

 アルテが疑われ続けた一年は、アルテ自身が怪物と継承者を殺したことで、終幕した。




※やっぱり犬扱い。
※爪が通らない→なら防御力を下げればいい。
※馬鹿アルテ。
※しれっと牙を受け止めるアルテ。
おい、魔法使えよ。
※グリフィンドールの剣でバジリスクにトドメをさすスリザリン生。
※血みどろどころか最早血の海に沈んでるアルテ。
※血まみれ(+インクまみれ)笑顔で日記帳を引き千切る系少女。お前のような主人公がいるか。
※スプラッターが過ぎる光景を間近で見せられるダフネ。
※フォークス「もうちょっと労われ」
※あまりに当然のように裸だったけど戦闘後まで気にしている暇なかったハリー。


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一年の褒美

 

 

 

 日記がバラバラになり、リドルが消滅して暫く。

 だんだんと熱を取り戻していったジニーが、ようやく目を覚ました。

 傍にいたハリーを見て目を見開いたジニーは、途端に怯え始める。

 

「は、ハリー……! あたし、朝食の時に貴方に打ち明けようとしたの。でもパーシーの前じゃ言えなかった……あたしが全部やったの! ハリー、どうやってあんな怪物を倒したの? それに、リドルは? リドルが出てきてから、何も覚えてないの!」

 

 頭を抱え、堰を切ったように泣き出すジニーに、ハリーは集めた日記の切れ端を見せる。

 アルテによって見るも無残に引き千切られたそれは最早一つの本であったとも思えないほどだった。

 中のページまでインクやバジリスクの血で真っ黒になり、それに込められた魔力はもう感じられない。

 バジリスクは目と喉から血を垂れ流しながら横たわっている。

 その死骸にさえ蛇王としての威厳が残っているのだから恐ろしい。

 恐ろしい死にざまをジニーに示すことはなく、ハリーは日記だったもののみを証拠にすることとした。

 

「リドルも、バジリスクももうおしまいだ。アルテが両方とも倒した」

 

 アルテ、という名を聞いて、ジニーは顔を青くした。

 自身の記憶に残っている、己と共にこの事件の犠牲者となるだろう人物。

 彼女をこの部屋に連れてきたのは紛れもない自分であり、何故かは知らないがリドルはひどく彼女を嫌っていた。

 ロンから話は聞いていた。ハリーほどではないが、夏休み中一日一度は名前を聞いていた気がするし、フレッドやジョージなんかは『姐さん』なんて呼んで、事件で暗くなっていた学校で彼女を盛り立てていたほどだった。

 そんな彼女を、己は知らない間に連れ去り、怪物の餌にしようとしていたのだ。

 怪物がいる以上、もう生きてはいないと思っていた。自分が、殺してしまったのだと思っていた少女の名前が出てきたことでジニーの思考は真っ白になり――

 

「あ、アルテ、大丈夫? 顔が青いというか、青紫だけど……」

「……気持ち、悪い……」

 

 スリザリンのダフネ・グリーングラスに体を預ける、ひどく気分が悪そうなアルテを見て、まるでゾンビでも見たように悲鳴を上げて仰け反った。

 大量に呑み込んだ毒の脅威が消え去ったことで眠ってしまったアルテだが、どうやら不死鳥の涙は思いのほか強力であったらしい。

 それからジニーが目覚めるよりも早く意識を取り戻し、こうして体の不調を訴えていた。

 耳はぐったりと倒れ、ダフネのローブで見えないものの尻尾も垂れ下がり、ほんの少しも上げられない。

 体中に不定期に痺れが現れ、痛いような熱いような微妙な感覚が駆け巡っている。

 まるでバジリスクの毒が不死鳥の涙に対し、最後の抵抗をしているようだった。

 

「……ウィーズリー、それは流石に失礼じゃない?」

「ご、ごめんなさい! でも、良かった、無事で……!」

 

 元はと言えばジニー・ウィーズリーのせいなのだ。

 その元凶である彼女がアルテに対してここまで恐怖を示すことはダフネにとって心外だった。

 スリザリンにしては他寮への当たりの弱い性質である彼女も、親友を連れ去って拷問し、挙句瀕死にまで追いやったジニーに対し心中穏やかという訳にはいかない。

 ジニーの謝罪と安堵は心からのものだった。

 ダフネはあまりに無謀なアルテへのやり場のない怒りも含めて、この事件についての全部をジニーにぶつけてやろうとも思っていたが、その態度を見て胸に仕舞い込んだ。

 

「ああ、きっとあたし退学になるわ! ビルがホグワーツに入ってからずっと、此処に入るのを楽しみにしていたのに!」

 

 自責に駆られ泣きわめくジニーを、ハリーがぎこちなく支え、立ち上がらせる。

 その片手には、未だに血のべっとりと付いた剣を引きずらせていた。

 頭には組分け帽子を被り、その姿は実に奇妙だった。

 ハリーもそれは自覚しているが、ダンブルドアが持ってきてくれたものなのだ。持ち帰らない訳にはいかない。

 ――ちなみにアルテの帽子はダフネがしっかりと持っている。

 拷問に激闘、血だのインクだのを浴び、アルテの髪はもはや最低限髪型としての体裁すら保てていないほどにぐしゃぐしゃだった。

 さめざめと泣くジニーを慰めるハリーの後ろを、ダフネとアルテは続く。

 アルテを支えた状態で『ルーモス』を使うことも出来ず、来た時より暗くなった道を戻っていく。

 その途中、アルテが引き摺るように進めていた足が重くなった。

 

「アルテ……? もしかして歩くのもつらいんじゃ……」

「……ん」

 

 体の痺れや痛みは足の方にまで回ってきていた。

 余力のあるダフネだが、流石にアルテを抱えて戻れるほどの力はなく、どうしようかと考え込んだ時、目の前にフォークスが立ちはだかるように降り立った。

 

「フォークス? アルテを乗せてくれるの?」

 

 フォークスは頷いた。

 白鳥ほどもある大きさのフォークスならば、アルテが乗って掴まることも出来る。

 不死鳥には如何に重い荷であろうとも運んで飛べるという特性もあった。

 ダフネはアルテをフォークスに預ける。

 しな垂れかかるように体を預けたアルテを乗せ、フォークスは羽ばたいた。

 ――何も言わないアルテだったが、フォークスが飛び始めてすぐに思い出す。

 自分が、飛ぶことがひどく苦手であったことに。

 誰に知られることもなく、より気分を悪くするアルテ。

 やがてその耳が岩がずれ動く音を捉えた。

 ハリーの耳にも届いたのか、足を速めながら叫ぶ。

 

「ロン! ジニーは無事だ! ここにいるよ!」

 

 ジニーの無事を伝えると、ロンが胸の詰まったような歓声を上げるのが聞こえた。

 次の角を曲がれば、崩れ落ちた岩の間にロンが作った隙間が見えた。

 その向こうでロンが顔を覗かせ、目を輝かせながら手を振っている。

 

「ジニー! 生きてたのか! 夢じゃないだろうな!」

 

 ロンが隙間から腕を突き出し、ジニーを引っ張る。

 涙を流してジニーをロンが抱きしめている間に、ハリーが、ダフネが、アルテを乗せたフォークスがその隙間を通り抜けた。

 

「アルテ、その鳥はどこから来たんだい?」

「……」

「あー、ダンブルドアの鳥だよ」

 

 ()()()より具合を悪そうにし、今にも吐きそうな様子のアルテの代わりにハリーが答える。

 ハリーが持っている剣についても聞かれたが、なんとなしに誤魔化した。

 

「ところで、ロックハートは?」

「…………」

「あっちの方だ。調子が悪くてね、来て見てごらん」

 

 入ってきたときに同行していた人物の姿が見えないことにハリーが疑問を持つ。

 その名前が挙がった瞬間、アルテが吐き気を抑えるように舌を出した。

 ここから出る前にまた死ぬのではないかと思うほどに気分が悪くなっていたアルテだが、だからといってロックハートを置いていく訳にもいかない。

 パイプの出口の近くに、ロックハートはいた。

 一人で大人しく、鼻歌を歌いながら座っている。

 

「記憶をなくしてるんだ。『忘却術』が逆噴射して、何もかもが分からなくなってる」

 

 ロンの説明に気付いたようにロックハートが一同を見た。

 得意げにウインクするロックハートを、アルテはフォークスの背に顔を埋めて全力で視界に入れないようにしていた。

 

「やあ。なんだか変わったことろだね。ここに住んでるの?」

「いや……」

 

 ロックハートの場違いに爽やかな問いに曖昧に返しながらも、ハリーは考える。

 ここまで一キロメートル以上も落ちてきた気がする。

 降りてくるならまだしも、あのパイプの道をどう上がっていくか。

 箒があれば大した話ではないが、人の足ではどうやっても上ることなど不可能だ。

 そんな悩みを理解したように、フォークスが面々の前に出た。

 そして、両足をハリーたちに向ける。

 まさにうってつけだった。一人ひとりその足に掴まっていき、最後に何も理解していない様子のロックハートが掴まった。

 次の瞬間、風を切ってアルテを背負い、五人を持ち上げたフォークスはパイプを上に向かって飛び始めた。

 

「すごい! まるで魔法のようだ!」

 

 どうやら魔法の存在さえ忘れてしまったらしい。

 感激するロックハートの声が反響するパイプをぐんぐんと昇っていく。

 やがてひんやりとした空気がハリーたちの髪を打つ。

 誰が落ちることもなく、六人は『嘆きのマートル』のトイレに辿り着いた。

 誰一人死んでいないことに驚き、ガッカリしているマートルを通り抜け、廊下に出る。

 

「さあ、どこへ行く?」

「まあ……何はともあれ、報告じゃない?」

 

 フォークスが先導するように、金色の光を放ちながら飛ぶ。

 急ぎ足で五人はそれに従い、マクゴナガルの部屋の前に出た。

 フォークスの背に乗るアルテには選択肢も拒否権もなかった。

 

 

 

 全員が泥だらけだった。

 そのうえハリーは血まみれで、アルテは血こそ付いていないがくしゃくしゃになった髪と青白くなった顔から満身創痍であることが窺えた。

 彼らを見て部屋の中にいた面々は一瞬沈黙し――そして叫び声が上がった。

 

「ジニー!」

 

 泣きはらした様子のウィーズリー夫人が飛び上がって、ジニーに抱き着いた。

 アーサー・ウィーズリーもすぐさまそれに続く。

 喜びに咽び泣いている二人とは反対に、マクゴナガルは驚きに目を丸くしている。

 その隣に立つダンブルドアは微笑みながらも、何処か含みを持った視線をアルテに向けていた。

 フォークスがアルテをそっと降ろし、ダフネに預ける。

 それからダンブルドアの肩に止まった。

 

「貴方たちがあの子を助けてくれた! あの子の命を! どうやって!?」

「ええ。私たち、全員がそれを知りたいと思っています」

 

 興奮するウィーズリー夫人にマクゴナガルが続く。

 

「……ポッター、任せていい? 貴方が話した方が皆信じると思うし」

 

 正直ダフネはへとへとだった。

 無事学校に戻ってこれたことの安心感からか疲れがどっと押し寄せてきたのだ。

 もう魔法の一つも唱えられる気がしないし、こうしてアルテを支えているだけで精一杯だった。

 ハリーは頷き、マクゴナガルのデスクに組分け帽子と剣、そして散り散りになって半分も回収できなかった日記帳の残骸を置く。

 そして、一部始終を話し始めた。

 自分やアルテが聞いた声。

 エリスが蛇語使いであったことは伏せて――彼女の助言とハーマイオニーの努力から怪物はバジリスクだと辿り着いたこと。

 ロンと二人で森に入ったこと。そこでアクロマンチュラ――アラゴグに話を聞いたこと。

 『嘆きのマートル』が以前の事件の犠牲者で、ゆえにトイレのどこかに『秘密の部屋』への入り口があると考えたこと――

 そこまで話すと、マクゴナガルが己を落ち着けるように息を吐いてから言った。

 

「……そうでしたか。それで入り口を見つけた訳ですね。その間いったい幾つの校則を粉々に破ったか……ですがポッター、どうやって、全員生きて部屋を出られたというのですか?」

 

 ハリーはフォークスと帽子、剣のことについて話し――そこで困って、ダンブルドアを見た。

 ジニーがリドルに操られ、実行犯になっていたことを話すべきか、迷ったのだ。

 それを見透かしたように、ダンブルドアは微笑んだ。

 

「わしが一番興味があるのは、ヴォルデモート卿がどうやってジニーに魔法を掛けたか、じゃな」

 

 その名にアルテがピクリと反応する。

 ダフネはかの帝王に対したアルテの顔を思い出し、顔を強張らせた。

 

「な、なんですって? 『例のあの人』が、ジニーに、魔法を掛けた? でも、ジニーはそんな……」

「この日記が原因だったんです。リドルは十六歳の時に、これを書きました。最後はアルテがこうして破って、これに掛かった魔法を壊したんです」

 

 今やただの紙屑の群れになった日記を指して、ハリーは答えた。

 ダンブルドアはそれを少しだけ、つまみ上げる。

 最早少しの魔力もなくなったそれを眺め、静かに言った。

 

「見事じゃ。確かに彼はホグワーツ始まって以来、最高の秀才じゃったと言えるじゃろう。ヴォルデモート卿がかつてトム・リドルと呼ばれていたことを知るものは殆どいない。かつてここで首席だった子を、ヴォルデモート卿と結び付けて考える者など……」

「でも、ジニーが、その、その人と、なんの関係が?」

「――その人の、に、日記なの!」

 

 ジニーが意を決してように打ち明けた。

 その日記に書けば、返事をくれたこと。それにどっぷりと浸かっていったこと――

 ウィーズリー氏は仰天し、ジニーに詰め寄った。

 

「パパはお前に、なんにも教えてなかったというのかい!? パパがいつも言っていただろう、脳みそがどこにあるか見えないのに一人で勝手に考えることが出来るものは信用しちゃいけないって!」

「あ、あたし、知らなかったの。ママが準備してくれた本の中にそれがあって、誰かがそこに置いて行ってすっかり忘れてしまったんだろうって、そう思って……」

 

 言葉を出すこと自体が怖いように震えながら言うジニーを、ダンブルドアが遮る。

 

「ミス・ウィーズリーはすぐに医務室に行きなさい。過酷な試練じゃったろう。処罰はなし。安静にして、熱いココアを飲むがよい。わしはいつもそれで元気が出る。マダム・ポンフリーはまだ起きておる。ちょうどマンドレイク薬を皆に飲ませたところでな」

 

 それはハリーたちにとっても朗報だった。

 マンドレイクの薬が完成したのだ。つまり――

 

「じゃあ、ハーマイオニーは!」

「うむ。回復不能の傷害は何もなかった」

 

 アルテはふと、エリスのことを思い浮かべた。

 考えてみれば、彼女が犠牲になったのは己のせいだった。そのことにどうにも分からない気持ち悪さを覚える。

 そうしている間に、ジニーを連れてウィーズリー氏と夫人が部屋を出ていった。

 

「さて、ミネルバ。これはひとつ、盛大に祝宴を催す価値があると思うんじゃが。キッチンにそのことを知らせに行ってはくれまいか」

「わかりました」

 

 ダンブルドアの提案にマクゴナガルはきびきびと答え、ドアの方へと向かっていく。

 

「さて、ポッターくん、ウィーズリーくん。わしの記憶では、君たちがこれ以上校則を破ったら、二人を退校処分にせざるを得ないと言いましたな」

「っ……」

 

 ハリーとロンは真っ青になった。

 マクゴナガルが言った通り、事件の解決に至るまで破った校則は数知れない。

 小さなものから重大なものまで全て合わせれば百を優に超えるだろう。

 どう釈明しても、退学は免れないものだった。だが、ダンブルドアは優しく笑った。

 

「どうやら誰にでも過ちはあるものじゃな。わしも、前言撤回じゃ。ポッターくん、ウィーズリーくん、ルーピンさん、グリーングラスさん――君たち四人には『ホグワーツ特別功労賞』が授与される。それに、そうじゃな……一人につき二百点ずつ、グリフィンドールとスリザリンに与えよう」

 

 感激したハリーとロンに対し、ダフネはそれどころではない様子だった。

 賞や得点よりも、アルテが心配だったのだ。

 

「ところで、ギルデロイ、どうしたのじゃ。君にしては随分と控えめじゃな」

 

 ふと、ダンブルドアはこのような場で誰より饒舌になりそうな男が沈黙を貫いていることに疑問を持った。

 ハリーたちは思い出したかのように振り返る。

 ロックハートはまだ曖昧な微笑みを浮かべていた。

 

「……あー。ダンブルドア先生、『秘密の部屋』で事故があって、ロックハート先生は……」

「私が先生? おやまあ、私は役立たずの駄目先生だったでしょうね?」

 

 とぼけたように、申し訳なさそうな笑みに変わったロックハートに、アルテだけが確かに頷いた。

 

「ロックハート先生が『忘却術』を掛けようとしたら、杖が逆噴射したんです」

「なんと。自らの剣に貫かれたか、ギルデロイ……!」

「剣? 私は剣なんか持っていません。でもその子が持っています。その子が剣を貸してくれますよ」

 

 冗談なのかどうなのか分からなかった。

 ダンブルドアは彼に頷くと、困ったように言う。

 

「しかし、これではのう。また『防衛術』の先生を見繕わなければならん」

「っ……」

 

 アルテが顔を上げた。

 ダンブルドアと目が合い、その微笑みの意図を不思議なまでに理解する。

 それはここまで、一年間あらゆることに耐え凌いできたアルテへの、唯一にして最大の報酬だった。

 

「グリーングラスさん、ルーピンさんを寮まで連れて行ってあげてくれんかね。フォークス、また手を貸してあげなさい。シャワーを浴びて、ひと眠りして、それから祝宴に来ると良い」

「あ、はい!」

 

 ダフネは急かされたように返事をした。

 いつも通り、不愛想ながら――どこか、嬉しそうなアルテを支えながら、ダフネは部屋を出る。

 これで万事解決。しかし一つ不審なことがあった。

 

「……アルテの家族、来てないの?」

「リーマスは、忙しい」

 

 満月が近かった。この時期はリーマスは気軽に外に出ることが出来ない。

 それをダンブルドアは知っている。ゆえに、伝えることは避けたのだろう。

 誤魔化したアルテだが、ダフネは内心憤っていた。

 この重大な場に顔も出していないこと。そしてそれをきっかけに、どんどん“リーマス”なる人物への不満が湧き出てくる。

 アルテの無防備さ。やたら脱ぐ癖。というか裸に関して羞恥心を欠片も持っていないこと。まったくお洒落に無関心なこと。その振る舞いがあまりに女子として良くないこと。エトセトラエトセトラ……。

 いつか会うことが出来たら、それらを時間の限りぶちまけてやろうと決心する。

 その機会は――割と近いうちに訪れるとは、まだ知る由もない。




※目覚めが早い代わりにまた不調のアルテ。
※ジニー「本音を言えばゾンビのがまだマシ」
※髪型崩壊系主人公。
※割と世話焼きなフォークス。
※まだ飛行には慣れていないアルテ。
※飛行+ロックハートで死に上がりのアルテに厳しい帰り道。
※アルテへのご褒美。
※リーマスに不満だらけのダフネ。
※リーマス「なんか嫌な予感がする」


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厄年の終わり

※秘密の部屋編完結話です。


 

 

 アルテが目を覚ましたのは、日が変わり夜中の一時過ぎだった。

 シャワーでせっかく整えた髪はまたぼさぼさになっていたが、それを気にする者はこの場にはいない。

 四人部屋である筈だが、アルテ以外誰一人ベッドにはいなかった。

 今の時間と照らし合わせ、疑問に思って――畳まれた予備の制服とローブの上に置かれた手紙に気付く。

 

『パーティをやっているから、起きたら大広間に来て ダフネ』

 

 短い文面だったが、確かにダンブルドアがそんなことを言っていた。

 そそくさと服を着る。ぼさぼさの髪を隠すように帽子を深く被り、部屋を出る。

 談話室には誰もいなかった。廊下に出ても、人の気配はない。

 パーティ――主にハロウィーン――に一人で廊下を出歩くというのは、アルテにとってひどく縁起の悪いことだった。

 しかし今宵こそは何もない。

 夜中に廊下を出歩いたとて騒ぐ先生もいない。

 どうやら夜通しで催されるらしい今回のパーティは、それこそ特別なもののようだ。

 月明りに照らされ、青白い廊下を歩いていると、曲がり角から何かが出てくる。

 

「……」

「……」

 

 ピーブズだった。

 夜中まで盛大に行われているパーティに出席していて決して出会うことはないと思っていた天敵と奇跡的に遭遇した彼は、顔を真っ白にして脱兎の如く逃げ出した。

 

「ぎゃ、ぎゃあああぁぁあぁあああ!? 怪物殺し! 怪物殺しだああああ!」

 

 アルテはいつもよりも恐れられているような気がした。

 とはいえ、追う気もなかった。寝起きだし、そもそもそこまでの気力を取り戻している訳でもないのだ。

 体中の妙な感覚はまだ残っている。

 立って歩けないほどではないが、それはまだ暫く続きそうだった。

 まだ眠かったが、それ以上に空腹だった。

 パーティというからにはいつも以上に豪華な料理が並べられている事だろう。

 ――今年一年、パーティの度に碌な目には合っていなかったが、そんなことは目先の料理で忘れていた。

 大広間の扉を開くと、中の喧噪がしんと静まり返る。

 集まった視線は、その一年間向けられていたような剣呑としたものではなかった。

 いや、正確にはそんなものも含まれているが、それとは違う申し訳なさや哀れみ、認めるものかという強情なものもあり実にバリエーション豊かだった。

 そんな視線を特に気にせず、自分の席へと歩いていく。

 しかし、それは途中で止めざるを得なくなった。

 慌てた様子で駆けてきたダフネやミリセント、パンジーに抱き締められ、思いっきりよろけたからだ。

 

「アルテ、目が覚めたのね! まったく、心配かけて!」

「そうよ! ダフネから聞いたわ! バジリスクに喧嘩売るとかあんた馬鹿!? 馬鹿だったわね!」

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて! ああもうアルテ、また髪がくしゃくしゃじゃない!」

 

 集まる視線など気にせず、ダフネが先導する形で四人は席へと向かう。

 と、その途中アルテが立ち止まり、三人から離れて一つの席へと歩いていった。

 目に見えて隣の生徒と距離を開けられている少女は、そんなことは気にせずデザートに舌鼓を打っていた。

 エリス・アーキメイラ。純血を尊ぶスリザリンにおいて、此度唯一、『穢れた血』を襲う怪物の犠牲者になった少女。

 純血だと自称していたにも関わらず、彼女は襲われた。

 そのことは生徒たちが、エリスに少なからず疑いを持つには十分な要因であった。

 スネイプが現場の状況をスリザリン生に話していたため、アルテが攫われた際不幸にも巻き込まれた、ということは知っていた。

 それでも、事件その日に生まれた「エリスは『穢れた血』なのではないか」という疑惑がパーティまでに消えるということはなかった。

 

「……あら。無事だったのですね」

 

 今気づいたように、エリスはスプーンを置いてアルテに視線を向けた。

 その姿を見て目を細め――すぐにまた開いて、相変わらずの超然とした雰囲気で微笑む。

 そんなエリスと数秒視線を交わしていたアルテは――やがて深く、頭を下げた。

 近くで見ていたある生徒がかぼちゃジュースを吹き出し、またある生徒は持っていた皿ごと引っ繰り返る。

 謝罪という、生徒たちの間では笑顔、感謝、そしてあと一つと並んでアルテが一切しないだろうこと、と有名な行動を取ったことに、大広間はざわついた。

 

「巻き込んで、ごめん」

「謝罪なんて求めていません。居心地が悪くなるので、頭を上げてください」

 

 エリスは眉根を寄せていた。

 同じスリザリン生たちに敬遠されていることよりも、アルテに謝罪されることの方が嫌だというように。

 

「……貴女。私が石にされる前、使った魔法を見ましたか?」

「見てない。顔を動かせなかった」

 

 顔を上げたアルテに、エリスは表情を変えないまま聞いた。

 あの時アルテは行動を封じられ、リドルに操られたジニーとエリスの戦闘を碌に見ることが出来なかった。

 唱えた魔法こそ覚えているものの、それがどんな魔法なのかは分からないし、エリスが何らかの形で敗北したことは知っていれど石にされたことは知らなかった。

 それを聞いて――エリスは小さく安堵の息を吐いた。

 

「……なら、いいです。私から言うことは何もありません。自分の席に行ってください」

 

 何の意図があっての質問だったのかを、アルテは考えなかった。

 向こうが納得したなら構わないと、さっさとダフネたちのところへ戻る。

 そして、見てはならないものを見たような、ポカンとした顔をしている三人――実際は三人どころかこの場の大勢の生徒なのだが――に怪訝そうに首を傾げた。

 

「……何かあった?」

「こっちの台詞なんだけど!」

「アルテ! あんた一日に何度私たちの心臓に負担掛ければ気が済むわけ!?」

「彼に掛けられた変な魔法が残ってるの!? そうに違いないよね!?」

 

 思いっきり体を揺さぶられ、先程の吐き気のようなものが戻ってきた気がした。

 なるほど、リドルに掛けられた魔法が残っている可能性、それもあるかもしれない。

 自分の中で不調の原因を納得しつつも、三人を引き摺るように自分の席に行く。

 夜中だというのに、料理は大量にあった。

 もう空腹は限界だ。早速手を伸ばそうとして、ふと、横から差し出されたベーコンに気付いた。

 

「……」

「食べないの?」

 

 ルーナだった。

 最早彼女がスリザリンの席にいることに、誰も疑問を持っていない。

 或いはダフネたちよりも、アルテを操ることが出来るのではないかと言われている彼女は、一年生だというのにスリザリン生に一目置かれる存在である。

 ある意味常人と逸脱した思考回路を持っていることから、関わろうとする生徒は皆無だが。

 何故ここにいるのか、という疑問はあったものの、それよりも空腹は勝っていた。

 ルーナのフォークに刺さったベーコンを噛み千切る。

 そして残っていたベーコンをルーナが口に放り込むと、それを見ていた生徒たちがまたもざわつく。

 何人かの男子生徒は二人の様子を見て、何か至上の芸術でも見たように頷いていた。

 注目され続けていることはただ賑やかであるより鬱陶しかった。

 アルテの隣に座ったダフネが自分を落ち着かせるようにかぼちゃジュースを口に含む。

 ――ちょうど、その時だった。

 塩気の強い一口のベーコンをゆっくり咀嚼し、呑み込んだアルテは、ふと思い出した。

 不満を感じつつも、恐怖を感じつつも、あの戦いに手を貸してくれたことに対して、まだ何も言っていなかった、と。

 自分が注目されていることも気にせず、そして今の彼女の状況も考えず、アルテはとにかくそれを最優先とするように、口を開いた。

 

「手伝ってくれて、助かった。ありがとう、グリーングラス」

 

 ダフネもかぼちゃジュースを吹き出した。

 声にならない悲鳴を上げる者やらこの世のものではないものを見るような顔をする者、隣り合った男子と微笑んで頷きあう者など、最早大広間はパニックであった。

 感謝と、そして『リーマス』なる人物以外の名を呼ぶこと――アルテが一切しないだろうことの二つが同時に飛び出し、ある意味、場は『秘密の部屋』が開かれた時より混乱していた。

 

「けほっ、けほっ……! っ、あ、アルテ、今……!」

 

 咳き込みながらも、ダフネはアルテに詰め寄る。

 アルテにとってはその反応はひたすら不可解で意味不明だった。

 

「……何?」

「い、今、私のこと、呼んでくれたよね!? 初めてだよね!?」

「……そうなの?」

「そうなの! ねえ、もう一回、もう一回呼んで!」

 

 何やらダフネは必死だった。

 アルテ自身、それが初めてなのかどうなのかなど知らないし、一切意識をしていない。

 ダフネも気になっていなかったが、初めて呼ばれるに至り、それに気付いた。

 

「…………グリーングラス」

「で、出来ればファーストネームで!」

「………………ダフネ」

「――! ありがとうアルテ!」

 

 自分が感謝したのに、何故か感謝し返され、アルテは今の状況にまったく付いていけていなかった。

 左手をぶんぶんと振られながらも、右手のフォークでウィンナーに手を伸ばすアルテは、向かいの席の二人の視線に気が付いた。

 

「…………何」

「私たちも、名前で呼んでくれていいんじゃない?」

「そうそう。アルテ、あんた友達にもうちょっと歩み寄るべきよ。ね? ね?」

 

 何か物欲しそうな、というか露骨に要求してきているパンジーとミリセント。

 そこまで騒ぐようなことだろうかとも思いつつ、この二人は呼ばない限りずっと要求し続けると、二年間一緒にいて分かっていた。

 

「……パンジー、ミリセント」

「よしっ……二年でようやくね」

「うんうん、まったく、世話が焼けるわ」

 

 にっこりと笑う二人。

 いつも一緒のダフネたち三人にとっては、アルテにファーストネームで呼ばれることは些細なことではなかった。

 そんな四人の様子――主に人が変わったようなアルテは、辺りの生徒たちのキャパシティを軽く超えていた。

 一部の男子生徒がお互いの友情を確かめ合うように握手し合っている中、そのざわめきを止めるようにダンブルドアが立ち上がった。

 

「さて、よろしいかな? めでたい席じゃ。この場でグリフィンドールに優勝杯を渡しておこう」

 

 グリフィンドールのテーブルから盛大な歓声が上がった。

 『秘密の部屋』の事件を解決したことで、ハリー、ロン、アルテ、ダフネの四人には二百点という圧倒的な点数が与えられた。

 それにより、今年もまた二寮の一騎打ちとなったのだが、結果は僅差でグリフィンドールが勝利を収めたのだ。

 点取り屋であったアルテの得点が主に決闘クラブ以降振るわなかったのが敗因ではないか、とも言われているが、もしそうであるならばより根本の原因は別の一人に特定できた。

 どうやらその人物はパーティに参加していないらしい。教師のテーブルの、その席には誰も座っていなかった。

 グリフィンドールの首席生徒がダンブルドアから優勝杯を受け取る。

 それをスリザリン生以外が拍手で称えた後、ダンブルドアは一部の生徒にとっては悲劇を告げる。

 

「それから、ロックハート先生じゃが、残念ながら来学期に学校に戻ることはできません。学校を去り、記憶を取り戻さなければならないからじゃ」

 

 しかし、その発表には歓声の方が遥かに多かった。

 アルテにとっても朗報だった。来学期のことも考えればそれは今年一番嬉しいことといっても良かった。

 喜んでいる生徒の中には、ミリセントもいる。

 

「ミリセント、もう熱は冷めたの?」

「何のことかしら。私には憧れていた防衛術の先生なんていないわ。本も近いうちに手を滑らせて焼いてしまう予定よ」

 

 どうやら忘れたい過去らしかった。

 ミリセントのように、この一年で彼に愛想を尽かせた生徒は多い。

 ロックハートの真実を知っている生徒こそはハリーたち四人しかいないものの――人の口に戸は立てられないという。

 そのうち四人のうち誰かがうっかり話してしまうかもしれない。

 

「そして最後に、マクゴナガル先生から発表があります」

 

 ダンブルドアが座り、引き継いだマクゴナガルが立ち上がった。

 厳格な表情を少しだけ崩し、皆を安心させるように、明るい声で告げる。

 

「此度の事件の解決は大変にめでたいことです。学校からのお祝いとして――期末試験は取りやめとします」

 

 今夜一番の喝采が上がる。

 物好きなハーマイオニーだけは「えぇっ、そんな!」と叫んでいたが、すぐに歓声に呑み込まれた。

 騒ぎに乗っていないのは、そんな暇があれば少しでも食べたいアルテと、静かにトライフルを味わっているエリスくらいだった。

 今年度に残った最後の悩みの種がなくなった生徒たちは思う存分叫び、楽しんだ。

 明け方には『秘密の部屋』事件の関係で暫くの間学校を去っていたハグリッドも戻ってきて、ハリーたちの浮かれ具合は留まるところを知らなかった。

 祝宴は明るくなるまで続き、その翌日から学校は普通の生活へと戻っていった。

 闇の魔術に対する防衛術だけは全ての授業がキャンセルとなり、他の授業も試験がなくなったことから生徒たちは残る期間を気楽に過ごす。

 アルテにとってあまりに激動の一年間の最後は、ひどく穏やかだった。

 波が引いていくように、ようやくアルテの日常は戻ってきた。

 しかしながら、残る期間のアルテは随分とそわそわしていて、ダフネたちは不思議に思っていた。

 ――その理由を知るのは、新学期に入ってからとなる。




※怪物殺しのアルテ(ガチ)。
※若干距離を置かれるエリス。
※アルテの謝罪(SSR)。
※リドル「流石に僕のせいにし過ぎじゃないか」
※安定のルーナ。
※ルーナとの絡みに何かしらの感情を抱く野郎共。
※アルテの感謝(SSR)。
※アルテの呼名(SSR)。
※四人組の絡みに何かしらの感情を共有する野郎共。
※しれっと掠め取られる優勝杯。多分ロックハートのせい。
※ロックハーティアン卒業。
※次話からアズカバンの囚人編です。


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アズカバンの囚人【濡れた切れ端】
幕間:手紙


※少し短め。


 +

 

 その手紙を読み始めて三分も経った頃には、頭が冷たくなって茹るように熱くなってを五回は繰り返していた。

 満月が過ぎ去って数日。ようやく体調が元に戻ってきたというのに、まるで満月の当日に返ってきたかのようだった。

 手紙は、アルテが夏休みを迎えて帰ってきてから数日経って送られてきた。

 送り主はダンブルドアだ。去年も同じような時期に手紙を貰っていたが、それとは分厚さが違っていた。

 そこに書かれていたことは、一つ二つで私を寝込ませるようなことの山だった。

 

 頭痛の種その一、アルテの素行について。

 これに関しては、一学年の年度末にも報告を受けていた。

 学生時代の『私たち』のような、そこに楽しみがあれば進んで飛び込むような不良ではない。

 だが、彼女はとにかく自由だった。いつ、何を仕出かすかまったく分からないのだ。

 あの悪戯好きのピーブズを恐れさせ、授業時間だろうと見つければ追いかけ回し、暇な時間は他の生徒の用心棒のようなことまでやっているとのこと。

 しかも、代金まで取って、だ。ここに来て私は、時々アルテが送ってくる幾らかの金貨の出所を理解した。

 そんなこんなで合計の減点数は全校生徒の中でも上位にあるらしいが、かといって加点が無いかと言えばそうでもないらしいし、授業の成績も悪くない。

 特に魔法薬学と変身術は、目を見張るものがある。

 変身術はマクゴナガル先生が個人で、私に彼女を評価する内容の手紙を送ってくるほどだったし、魔法薬学においてはあのスネイプが、決して良い印象を持っている訳ではないものの高く評価せざるを得ないことを成績表に嫌味たっぷりで書き記しているくらいだった。

 そんな感じで――アルテは先生たちにとって特に性質の悪い生徒となっているらしい。

 交友関係においては、スリザリンの三人の女子生徒と特に親しくしているようだ。

 一年次の時も、そして今年帰ってきた時もホグワーツ特急から一緒に出てきた三人がそうだろう。

 ――そのうち一人から妙に敵意の籠った目で見られた。何かしただろうか。

 自寮以外にも友人がいるらしく、レイブンクローの下級生や、グリフィンドールの上級生と話しているのをよく見かけるらしい。

 グリフィンドールの上級生というのは、学校でも屈指の問題児である双子であるという点が気になったが。

 そのほか、去年の学年末に起きた事件を共に解決した、()()ハリーも含む三人とも悪い仲ではないと書かれていた。

 ハリーと険悪になっていない。それを知ることが出来ただけでも、この件に関しては悪いことばかりでもないだろう。

 

 頭痛の種その二、この一年間の『闇の魔術に対する防衛術』について。

 此方については、アルテに申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

 私は去年、この年の防衛術の教師にならないかとダンブルドアに誘いを受けていた。

 それを断ったのは、私の体質ゆえだ。

 慈悲深いダンブルドアはホグワーツの生徒として在ることや、アルテの親として在り続けることを許可してくれた過去がある。

 しかしながら、教鞭を執ってほしいという頼みに頷くことは出来なかった。

 他の生徒や先生たちに危険が及ぶ可能性がある仕事だ。万が一にもアルテを傷つけてしまうことを考えれば、私には断るほかの選択肢はなかった。

 結局この年、防衛術の先生には別の人物――あのギルデロイ・ロックハートが選ばれた……のだが。

 これはもう、最悪だったらしい。

 ロックハートに気に入られたことで一年間しつこく付きまとわれ、事あるごとに自分の著作に登場する『狼男』についての長話をされていたと書かれており、私はかの英雄的な人物に強い憤りを感じざるを得なかった。

 アルテは私の体質を認めてくれている。そんな彼女への、要するに執拗な嫌がらせが一年間も続いたのだ。

 加えて私が人前では可能な限り脱がないよう言い聞かせ、一年間は守り通した帽子をロックハートは呆気なく生徒たちの面前で剥ぎ取ってしまったらしい。

 限界を迎えたアルテは、一度ではあるが彼に暴力を振るってしまったようだ。

 ――本当に最悪だった。ロックハートという先生により、アルテの我慢はかなりの数、水泡に帰してしまったのだ。

 

 そして、頭痛の種、その三。正直、これを読み進めている間、何度倒れそうになったか分からない。

 今年起きた事件。『秘密の部屋』が開かれ、生徒たちが襲われた件。

 これを私は、手紙で初めて知った。アルテは時々私に仕送りをしてくれるくらいで、手紙を渡してくれることは皆無だった。

 ゆえにかの部屋を開いたスリザリンの継承者として自分がずっと疑われていたことも、一切打ち明けていなかったのだ。

 『秘密の部屋』については私も知っている。学生時代、私たち四人で『アレ』を作るついでに五十回は探し回ったが、見つかることのなかった部屋だ。

 『アレ』の制作により、私はホグワーツの構造についてはダンブルドアより知っているという自負がある。

 しかし、卒業までそれらしき部屋は見つかることはなかった。必要の部屋のように何らかの条件が必要なのではないか、と結論付けたが、その条件が何なのかまでは掴めなかった。

 そんな部屋が、まさかアルテの在学中に継承者によって開かれるなんて。

 アルテが、ただ何の意味もなく疑われていた訳ではない。

 ちら、と部屋の角を見る。

 壁に背を預け、床に座り込んでいるアルテは、いつの間にか家に連れ込んでいた蛇に向かいシューシューと息の零れるような音で『話して』いる。

 それが真似事であればまだいい。だが言葉を受けている蛇はアルテに対し、時折頷いたり首を横に動かしたりしている。

 アルテは蛇語使い(パーセルマウス)――これまで十二年間彼女を育ててきて、初めて知ったことだった。

 蛇語使いといえば、サラザール・スリザリンの特性である。

 ゆえにその特性を持っていることが露見し、アルテは継承者として疑われ、畏怖の対象とされたのだ。

 挙句の果てに、本物の継承者には、アルテが継承者を騙っているように思えたのだろう。

 彼女を『秘密の部屋』に攫い、怪物の餌食にしようとしたという。

 それだけでも心臓が止まりそうな報告だったのに、あろうことかアルテはハリーらと協力してその怪物を継承者諸共退治してしまったそうだ。

 

 この一年、アルテは疑われ、好ましくない者に付きまとわれ、ひたすらに我慢してきた。

 疑念の目を向けられるくらいならばさして気にしない子だが、自由でいられる筈の時間を制限されることを彼女はひどく嫌う。

 もしかするとこの一年、アルテに自由な時間など殆どなかったのかもしれない。

 夏休みを迎え、家に戻ってきてからはよく近くの森に出ているし、去年の夏休みより家の中にいる時間が減った気がする。

 アルテなりのストレス発散なのだろう。

 今はこうして家の中にいるものの、蛇と話すなんていうそれこそ自由で突拍子もないことをしている。

 

「……? 何?」

 

 私の視線に気付いたアルテが、シューシューと漏らす声を止め、人の言葉で問い掛けてきた。

 一瞬、蛇の言葉で話しかけられたらどうしようかとも思ったが、杞憂だったようだ。

 

「いや、パーセルタングなんて初めて聞くからね。何を話していたんだい?」

「言葉を習ってた」

 

 ――どうやら、蛇語のレッスンの真っ最中だったらしい。

 パーセルマウスとはいえ、熟練度で差が出るものなのだろうか――その手の研究者ではないが、気になった。

 

「まだ下手糞だって」

「それは……その蛇が言ったのかい?」

「ん。丁寧過ぎだし、詰まっているし、文法もめちゃくちゃって言われた」

 

 また随分と辛辣な評価だった。

 そもそも蛇語に文法があるかというのがまず疑問だ。

 言葉自体は私にはシューシューと聞こえるだけで特段詰まっているようには聞こえない。

 それに――丁寧過ぎるとは。

 一瞬、丁寧な敬語を話すアルテを想像し、絶対にありえないと首を振った。

 アルテは誰であろうと歯に衣を着せない。多分、先生たちに対してもそれは変わらないだろう。

 そんな彼女がどんな風に喋っているのか気になりはしたが、それは私には分からない。

 どうやら今日のレッスンは終わりらしい。最後にまた蛇語で何か喋った後、アルテは窓から蛇を放した。

 

「その手紙は?」

「ん? ああ、ダンブルドアからだ」

 

 内容は伏せて、差出人だけ告げる。

 するとアルテの目が、少しだけ大きく開いた。

 そして何やら、期待するような視線を向けてくる。

 

「先生、やるの?」

「あ、あぁ……うん、そうだな……」

 

 そう――それが、最後の頭痛の種だった。

 ロックハートは退職し、またもや防衛術の席は空いてしまったらしい。

 ゆえに、ダンブルドアはもう一度私に声をかけてくださった。

 最初は断るつもりだった。

 何度依頼されようとも、私の体質は変わる訳じゃない。

 定期的に授業が不可能になる教師など、教師としてやっていけない。

 だが……。

 

「……」

 

 ――娘に、こんな期待の目を向けられて、果たして断ることが出来ようか。

 それに、もう一つ、気掛かりがあった。

 アルテが今朝拾ってきた、普段は取っていない『日刊予言者新聞』の大見出しを見る。

 新聞は何か憎いものでも載っていたようにクシャクシャだった。

 それもその筈、今日の見出しは、悪夢のような記事だったのだから。

 ――『シリウス・ブラック脱獄』。

 大勢のマグルを巻き込み、ピーターを殺し、そして闇の帝王のジェームズとリリーの居場所を教えた、かつての親友。

 彼の目的は分かっている。

 ハリーだ。かつて闇の帝王が取り逃したハリーを己の手で殺すべく、あの監獄を脱したのだ。

 脱獄した以上、彼は必ずホグワーツを襲撃する。

 その時、ダンブルドアよりも近い場所で、彼を護れる者が必要だ。

 

 アルテに危険が及ばないように。

 一年間我慢し続けたアルテが、次の一年を少しでも楽しめるように。

 そしてハリーが――ジェームズとリリーの子がシリウスの手によって殺されるなんて悪夢を絶対に迎えさせないために。

 私の選ぶべき道は一つだった。

 黙っている私に向けられるアルテの瞳には、少し不安が乗り始めた。

 今年も断ったら――そんなことを考えているのだろう。

 ああ、去年のことは間違いだった。そのアルテの不満を少しでも拭うためにも、アルテの頭を撫でながら己の決意を告げる。

 

「心配ない。今年は受けるつもりだよ。ダンブルドアへの返事を考えていただけさ」

「本当?」

「ああ、本当だとも。なんなら一緒にホグワーツ特急に乗ろう」

 

 アルテの表情はいつも通り乏しかった。

 だが、何より彼女の感情を表している尻尾は揺れている。

 確かに、アルテたちを守るためという理由だが、それと同時に楽しみでもあった。

 生徒と教師という立場だが、アルテと共に一年間を過ごすことが出来ることが。

 さて、それでは、彼らに何を教えようか。

 『闇の魔術に対する防衛術』と一口には言うものの、この科目で扱うことは非常に広範囲にわたる。

 私も学生時代、七年間毎年違うことを習っていた。

 ……よし、決めた。『秘密の部屋』の怪物が倒されたことは皆の記憶にも新しいだろう。

 であれば、恐ろしい怪物や妖怪への対処に興味もある筈だ。

 それを元に、どう面白い授業を行うか。私は今から考えるのだった。

 

 ――この決定は、正しかった。

 結果として私は就任の初日から、生徒たちの危機に立ち会うことが出来たのだから。

 そして、その日から私は、向き合うことになる。

 自分の娘――アルテの“存在”というものについて。




※アルテの仕送りの収入源。
※女子生徒約一名から覚えのない敵意を向けられるリーマス。
※告げ口されるロックハート。
※近所の蛇さんの蛇語講座。
※蛇に下手糞って言われるアルテ。
※早々に立つ変なフラグ。


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吸魂鬼

 

 

 キングズ・クロス駅は当たり前のように人でごった返していた。

 家族と一年間の別れの言葉を交わす必要がなかったアルテとリーマスは、すぐに汽車に乗って、最後尾の大きなコンパートメントに入った。

 

「さて……アルテ。それじゃあ私は……」

「ん」

 

 席に座ると、リーマスはローブに包まって目を閉じた。

 防衛術の担当と決まってからリーマスは授業の内容について毎日夜遅くまで考えていた。

 この前日もそうだ。

 ようやく一年間の大まかな予定が決まったようで、後はホグワーツに着く前に寝ておきたい、とのことだった。

 アルテは特に反対しなかった。リーマスが眠いというならば、眠らせてあげたい。

 ものの数分でリーマスは寝息を立て始めた。

 それから出発の時間が迫ると、コンパートメントに二人入り込んでくる。

 

「あ、アルテ! 久しぶり! ここ良い?」

「構わない」

 

 ダフネと、彼女に良く似た幼い少女。

 どちらかというとローブに着られているようで、まだ着慣れていないことが明らかだった。

 

「誰?」

「アステリア、私の妹。今年入学したの」

 

 緊張しているようで、カチコチと固い動きをしている少女――ダフネの妹だというアステリア・グリーングラスは、しかし何やら目を輝かせながらアルテを見ている。

 

「それで、そっちの人は? ――R・J・ルーピン教授って……まさか」

「わたしを育ててくれた人」

 

 ダフネは荷物棚の鞄に書かれた名前を見て目を見開いた。

 アルテの表情には、分かりにくいながらも喜びの色があった。

 そして、ダフネは理解する。

 昨年度末、妙にアルテがそわそわしていた理由は、これだったのだ。

 ダフネ自身であればぞっとするが、彼女にとっては嬉しいことなのだろう――義父が授業を担当するというのは。

 そんな感情が伝わってきて、ダフネも顔を綻ばせる。

 程なくして汽車が走り出す。するともう一度コンパートメントの扉が開いた。

 

「あ……アルテ、グリーングラス、入っていいかな?」

 

 どうやら、もうこの個室以外空いているところがなかったらしい。

 ハリーとロン、そしてハーマイオニーだった。

 幸いこの個室は他より大きい。七人くらいであれば十分入ることが出来た。

 犬猿の仲であるグリフィンドールとスリザリンではあるが、ダフネにはそういった差別意識はあまりなかった。

 

「構わないけど。ね、アルテ」

「ん」

 

 別にこのくらいであれば、窮屈に感じることもない。

 それぞれ席に座る三人を特に気にせず、アルテは軽食として用意してきたジャーキーを取り出し、齧り始める。

 

「君は、グリーングラスの妹?」

「は、はい。あ、アステリア・グリーングラスですっ」

 

 まだ寮が決まっていないからか、それともダフネの考え方に影響されているのか、アステリアはハリーらに対して嫌悪感はないようだった。

 その垢抜けていない、微笑ましい姿を見てハリーたちも明るい気分になる。

 スリザリン生の妹というフィルターすら掛けさせないほどに、まだ純粋な少女だ。

 スリザリンに対し特に敵対意識を持っているロンですら、何も思わせないほどに。

 

「そっちの人は……誰だと思う?」

 

 引き戸を閉め、ロンが今気づいたようにリーマスを指して聞いた。

 それに答えたのはハーマイオニーだ。

 

「ルーピン先生。って……ルーピン?」

「うん。アルテのお義父さんだって」

 

 ダフネに教えられたハリーたちだが、正直胡散臭さを感じざるを得なかった。

 というのも、リーマスの容姿にある。

 疲れ果ててやつれた顔つきに、白髪混じりの鳶色の髪。

 そしてみすぼらしい継ぎ接ぎだらけのローブ――ちなみにアルテが二年目を終えて戻ってきた時、継ぎ接ぎは更に増えていた。

 そんな姿はまるで浮浪者のようで、とてもではないが先生のようには見えなかった。

 ダフネもそう感じていたが、誰もそれを口には出さない。そんなことをすればアルテに何をされるか分からないからだ。

 

「何を教えるんだ? その……君のお義父さんは」

「決まってるじゃない、空いているのは『闇の魔術に対する防衛術』よ」

 

 ロックハートによって散々だった去年の授業。

 この場の面々――アステリアと寝ているリーマスを除いてだが――は、ロックハートが何故退職したかを知っている。

 その他の生徒たちは自分の大法螺がバレたからと思っているだろう。実際はそれよりも大惨事になっていたのだが。

 

「まあ……この人がロックハートよりちゃんと教えられたらいいけど。強力な呪いを掛けられたら一発で参っちゃいそうな――」

 

 ――それ以上はリーマスの容姿に口を出すより危険なことだと、流石にロンも分かった。

 若干手遅れで、アルテから強く睨まれている。

 ロンに手を出すことはなさそうだが、彼が抱えているネズミはアルテに視線を向けられると引っ繰り返ってしまった。

 あと少しでも続けていれば、ロンではなくこのネズミが狩られていた。皆、そう確信していた。

 

 

 

 それから他愛のない話をし、時間を潰した。

 シリウス・ブラックのこと。

 彼を探すため、魔法省はマグルの警察まで総動員しているとのことだ。

 アズカバンにおける初の脱獄者。それも、最も厳しい監視を受けていたシリウスが抜け出したという事実はマグル界にも大きな影響を与えうると判断したのだろう。

 マグルの新聞やニュースにおいてもシリウス・ブラックの名は取り上げられ、指名手配されている。

 魔法界とマグルが手を取り合ってでも対処しなければならない事態ということだ。

 そんな暗いニュースはほどほどに、話題は明るい方向へと転換した。

 ホグズミードのこと。

 三年生以降は、一年間のうち何日かの休日に、ホグワーツ近くにあるイギリス唯一の魔法使いだけの村、ホグズミードに行くことが許可される。

 ハニーデュークスの菓子屋をはじめとして、魔法界でも有名な店が立ち並ぶ村で、これを楽しみに日々を過ごす上級生も多い。

 ホグズミード行きには保護者からのサインを貰った許可証が必要で、アルテもリーマスからサインを貰っていたが、正直なところあまり興味はなかった。

 それよりもリーマスといた方が楽しい、と思っているためだ。尤も、昨年度に聞いた話ではウィーズリーの双子から仕入れているベーコンやジャーキーはホグズミードから買ってきたものだという話なので、それ自体は気になったのだが。

 しかし、このホグズミード行きの許可証だが、ハリーは貰えなかったらしい。

 ダーズリー氏も、この夏休み中ハリーが世話になったファッジ大臣もサインをくれなかったとのことだ。

 それで気まずくなり、その話題が止まったころ、車内販売のカートがやってきた。

 

「その人を起こすべきかな?」

「構わない」

 

 何か食べた方が良いと思う程にやせこけたリーマスだが、アルテが断った。

 身じろぎしないリーマスはよほど深く眠っているのだろう。

 魔女が大鍋ケーキをハリーに渡しながら微笑む。

 

「大丈夫よ。目を覚ました時にお腹が空いているようなら、私は一番前の運転手のところにいますからね」

 

 魔女が引き戸を閉め、去っていく。

 外は雲が厚く立ち込め、丘陵風景が霞むほどの雨が降り始めた。

 汽車に乗って数時間。アルテにも眠気が襲い始め、いつからともなく、リーマスに寄り掛かって寝息を立て始めた。

 その最中、そわそわとしたアステリアがゆっくりとアルテの帽子に手を伸ばしたがダフネに引っ叩かれるなどのことがありつつも汽車は進んでいく。

 アルテが寝て暫く経つと、足音が近付いてきてドアが開かれた。

 

「へえ、誰かと思えば、ポッティーのいかれポンチとウィーゼルのコソコソ君じゃないか。っと、やあグリーングラス、そういえば今年から妹が来るって言っていたね」

 

 ドラコに彼の腰巾着、クラッブとゴイルだった。

 気取った口調で開口一番ハリーとロンを揶揄い、そしてダフネたちに目を向ける。

 どうやら初対面ではないらしい。アステリアは頬を赤く染めながらも、ドラコに頭を下げた。

 

「ウィーズリー、君の父親がこの夏やっと小金を手にしたって聞いたよ。母親がショックで死ななかったかい?」

 

 ウィーズリー氏が夏休み中にガリオンくじグランプリに当選したことを言っているのだろう。

 小馬鹿にした笑みを浮かべるドラコにクラッブとゴイルがトロールのようなアホ笑いで続く。

 神経を逆撫でする発言にロンが立ちあがり、その表示にハーマイオニーが飼い始めた猫――クルックシャンクスの籠が落ちる。

 アルテが身じろぎし、リーマスがいびきをかいた。

 

「ん? アルテは寝てるのか。そいつは誰だ? ボロクズのようなローブを着て貧乏くさい。なんでそんな奴がコレに乗ってるんだよ」

「新しい先生だ」

「あと、アルテのお義父さんよ」

 

 ドラコの笑みが凍り付いた。

 クラッブとゴイルはドラコを置いて逃げ出す。

 怒り心頭だったロンも冷静になって、顔を青くしながら座りなおした。

 ――幸いアルテは起きていない。起きていれば――ドラコは前年度のバレンタインでのロックハートを思い出した。あんなことになっていたかもしれないし、もしかすると『秘密の部屋』の怪物のようにバラバラに食い散らされていた――そんな風に生徒たちには噂されている――かもしれない。

 先生の鼻先で喧嘩を吹っ掛けることは避けたい。

 そそくさと去っていくドラコ。それが実に滑稽で、ハリーとロンは一頻り笑った。

 それから更に汽車は北へと向かい、外が真っ暗になった頃、汽車が速度を落とし始めた。

 

「まだ着かない筈よ?」

 

 ハーマイオニーが時計を見ながら首を傾げる。

 ピストンの音が弱くなり、窓を打つ雨の音が一層激しく聞こえてくる。

 汽車がガクンと揺れて止まった。

 鬱陶しそうにアルテが身を起こす。

 ズレた帽子を被りなおし、辺りを見渡す。なんの前触れもなく明りが一斉に消え、汽車の中は真っ暗になった。

 

「一体何が起こったんだ?」

「イタッ! ロン、今の私の足よ!」

「故障しちゃったのかな?」

 

 ロンが窓ガラスの曇りを丸く拭き、外を覗く。

 

「……何だかあっちで動いてる。誰か乗り込んでくるみたいだ」

 

 コンパートメントのドアが急に開き、ネビルが倒れ込んできた。

 

「ご、ごめんね! 何がどうなったか分かる!?」

「やあネビル、とりあえず座って――」

「ハリー?」

「ジニーもいるの?」

 

 一緒にやってきたらしいネビルとジニーをコンパートメントに招く。

 どうやら二人とも、後方の広い部屋に避難しにきたらしい。

 アルテの警戒の対象は彼らではなかった。

 座ったネビルとジニー、入れ替わるようにアルテは立ち上がり、リーマスを揺する。

 

「リーマス」

「……あぁ。起きているとも」

 

 目を開けたリーマスがしわがれた声で言った。

 ゆっくりと立ち上がり、手の平に明りを灯し皆を見渡す。

 

「皆、動かないで」

 

 ドアの前まで歩いていく。

 しかし、リーマスが辿り着くより前に、ドアがゆらりと開かれた。

 リーマスの明りに照らされ、その姿が明らかになる。

 

「――――」

 

 誰かが、息を呑んだ。

 それは天井まで背が届かんほどの、巨大な黒い影だった。

 マントと頭巾で体中がすっぽりと覆われている。

 唯一突き出されている手は灰白色に冷たく光り、水中で腐敗した死骸のように穢らわしかった。

 人でないことは明らかだ。

 頭巾に覆われた得体の知れない何者かは、ガラガラと音を立てながらゆっくり、長く、息を吸い込む。

 瞬間、全身を刺すような冷気が面々を襲った。

 心臓を氷の手で鷲掴みにされたようだった。

 ハリーが目玉を引っ繰り返して倒れる。凍り付いたような寒気で体を震わせながらも、ダフネはアステリアを守るように抱え込む。

 そんなダフネたちの視界を、アルテがローブを広げて覆った。

 爪を伸ばし、いつ近付いてきても対処できるよう油断なく構える。

 

「シリウス・ブラックをマントの下に匿っている者はいない。去れ」

 

 リーマスが鋭い声で、黒い影に告げる。

 対して、影は何も言わない。もう一度息を吸い、辺りを冷たくしていく。

 

「言っても聞かないか――エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」

 

 早々に話し合いなど通用しないと踏んだリーマスは、杖を向けて呪文を唱えた。

 銀色の靄のようなものが、杖から飛び出す。

 辺りを青白く照らすその魔法は黒い影にぶつかり、外へと追いやるように吹き飛ばした。

 危機が去り、ロンたちがハリーに駆け寄る。

 アルテは震えているダフネたちに振り向いた。

 

「……怪我はない?」

「う、うん。でも、す、凄く冷たかった。変な気分……」

 

 ロンに揺さぶられたハリーが目を覚ます。

 車内が明るくなり、汽車が再び動き出した。

 

「大丈夫かい?」

「あ、あぁ……何が起こったの? あいつはどこに行ったんだ? 誰が叫んだの?」

「誰も叫んじゃいないよ」

 

 皆、顔が蒼白だった。

 ただ一人――アルテだけが、平然とした顔で窓の外を睨みつけている。

 リーマスはそれを不審に思いながらも、鞄から巨大な板チョコを取り出し、割って欠片にしながら部屋にいた者たちに配り始めた。

 

「食べるといい。気分が良くなるから」

 

 特別大きな欠片をハリーに手渡した後、アルテにも配る。

 あまり好きではない、甘みの強いミルクチョコレートだったが、仕方なく受け取った。

 

「あれは何だったんですか?」

「ディメンター――吸魂鬼だ。アズカバンの看守だよ」

 

 空になったチョコレートの包み紙を丸めてポケットに仕舞いながら、リーマスは答える。

 リーマスは生徒たちを見渡し、手遅れになった者がいないことを確かめる。

 顔色は悪いもののこれは吸魂鬼に出会ってしまえば決して逃れられないことだ。

 しかしながら――何の影響もないようなアルテの様子が、リーマスを安心させなかった。

 

「……アルテ、何ともないのか?」

「ん。大丈夫」

 

 アルテは、リーマスを安心させようとしたのだろう。

 声色からしても、アルテに特に異常がないことは分かる。

 だがリーマスはその答えに驚いたように、目を見開いた。

 まるで、あってはならないことを目の前にしたように。

 ――そんな筈はないと首を振り、笑みを繕った。

 

「食べなさい、毒なんか入っていない。私は運転手と話してこなければ。失礼」

 

 ハリーの脇をゆらりと通り過ぎ、リーマスは通路へと出ていく。

 そんなリーマスがひどく動揺しているとわかったのはアルテだけだったが、その理由までは掴めなかった。

 

「ハリー、本当に大丈夫?」

「僕、君が引き付けでも起こしたのかと思った」

 

 心配ないと返して、ハリーはチョコを恐る恐る一口齧った。

 瞬間、たちまち手足の先まで暖かさが広がっていく。

 アルテもチョコに齧りつきながら、通路の方を心配そうに見る。

 それから汽車が停まるまで、リーマスが戻ってくることはなかった。




※徹夜で授業内容を考える教師。
※未来の嫁フォイ初登場。
※とりあえず言いたい文句は押し込めるダフネ。
※地雷をつま先くらい踏んだロン。
※地雷をぶち抜いたけど不発弾で助かったフォイ。
※最優先保護対象ダフネ。
※吸魂鬼にスルーされるアルテ。
※初日から頭が痛いルーピン先生。


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確執

 

 

 汽車に吸魂鬼が入り込んでくるというハプニングこそあったものの、その後は特に何事もなくホグワーツに辿り着いた。

 汽車を降りてからアルテとリーマスは合流し共に歩いた。リーマスは二十年近くも前に通っていたホグワーツの変わらない風景を懐かしそうに見渡していた。

 そうして、大広間まで辿り着くと、中に入る前にリーマスに声が掛かった。

 

「――おや、誰かと思えばルーピンではないか」

 

 普段からの陰湿さがあるものより更に低い、スネイプの声。

 それには、例えばハリーに向けるもののような、憎しみが籠っていた。

 

「やあ、久しぶりだねセブルス。相変わらず元気なようで何よりだ」

 

 それに対し、リーマスもどこか普段とは違う声色で返す。

 

「相変わらずなのはそちらも変わらんようだ。顔色が悪いが、厄介な病でも患っているのかね?」

「記憶が正しければ君は知っていた筈だがね? そうでなければ流石に私も不安なのだが」

「これは失礼。それでどうしたのかね? こんなところに子連れで来るなど。ここは娯楽施設ではないのだが」

「知っているとも。私も仕事で来たのさ」

 

 大広間の前で繰り広げられる、どこか棘のある言葉のぶつけ合い。

 後からやってきた生徒たちは、その横を怯えながら抜けていく。

 

「なんと。就職難と聞いていましたがね。庭師ですかな?」

「残念、教師さ。席が空いてしまったとのことでね」

「それはそれは。定期的な癇癪を抑える方法を教えるのであれば、しかと教えてやっていただきたい生徒は山ほどいますぞ」

 

 せめて三メートルずれてやってほしいと、通り抜ける生徒たちは思わずにはいられなかった。

 大抵の生徒は、元より威圧的で敬遠されやすいスネイプが新任の教師をいびっている図に見えている。

 しかしながら新任の方も負けていない。寧ろ、スネイプに真っ向から張り合っている。

 

「残念ながらそういう授業をするつもりはないな。そういう君は魔法薬学と聞いたよ。うちの娘が大変優秀だと書いてくれていたね?」

「そうとも。厄介な病持ちの父親を“どうにか”する薬も、この分ならば作れるようになるでしょうな?」

「それは助かる。この子の手を煩わせるのも気が引けるが、出来るようになったならば是非ともお願いしたいところだよ。どうかそこまでこの子を育ててほしいものだ、スネイプ教授」

「流石にこの場で首を縦には触れませんな。君にとっては当たり前すぎて何のありがたみもない薬やもしれんが、あれには大変なセンスが要る。果たしてそれほどにセンスのある生徒かどうか……」

「おやおや、まさかセブルス・スネイプともあろう者が二年も経って生徒の才能を見定められないこともないだろう?」

 

 そして、大広間に入るに入れない生徒たちが増え始める。

 ようやくそれに気付いたのか、スネイプは憎らしげな目をリーマスと、それからアルテに向けた後、鼻を鳴らして大広間へと入っていった。

 そこで初めて扉が開いたように、溜まっていた生徒たちが入り込んでいく。

 

「……アルテの前で言い合うことでもなかったか。悪かったね、アルテ」

「何が?」

「いや、気にしていないならいい。さあ、席に着きなさい。私は向こうのテーブルだ」

 

 リーマスも、継ぎ接ぎのローブをはためかせて上座のテーブルへと向かっていく。

 アルテも足早にスリザリンのテーブルに向かう。既にダフネやミリセント、パンジーは座っており、アルテの席を取っていた。

 

「アルテ、大丈夫だった? なんかスネイプ先生とルーピン先生、言い合ってたけど」

「大丈夫」

「ん? ルーピン先生?」

「もしかして、アルテのお義父さん?」

 

 アルテの代わりにダフネが頷いて、汽車で一緒だったことを説明する。

 リーマスは、上座のテーブルで両隣の先生たちと話している。

 それを離れたところから、スネイプが睨んでいる。

 土気色の顔を歪めている今のスネイプの表情は、誰もが恐怖を抱くようなものだった。

 

「……ビックリするほどスネイプに睨まれてるけど」

「なんかあったの? アルテ」

「仲悪かったって」

 

 一年目の終わり、アルテはクィレルから聞いていた。

 ちら、ともう一度リーマスの方を見る。

 自分に向けられるスネイプの視線はどうでも良かったが、リーマスに敵意が向くのは好ましくなかった。

 ダフネたちは気が気ではなかった。

 あの二人の過去に何があったかは知らないが、アルテにとって義父が大きい存在であるということは分かる。

 どちらに非があるにせよ、下手したらスネイプがアルテの晩御飯になりかねない。

 

「あ、組分け始まるみたいね。今年はダフネの妹がいるんだっけ」

「うん。まああまり不安はないけど」

 

 ダフネもアステリアも、純血を尊ぶグリーングラス家としては異常なまでにはみ出し者だ。

 彼女たちの両親は不安で仕方がないらしいが、ダフネは少なくとも、自分がスリザリンに入れたのだからアステリアも大丈夫だろう、と思ったのだ。

 今年はマクゴナガルではなくフリットウィックが縦に長い羊皮紙の名前を読み上げ始める。

 最初の生徒がグリフィンドールに選ばれ、彼らのテーブルからの喝采で迎えられる。

 スリザリンも順調に新入生を獲得していき、やがてその名が読み上げられた。

 

「グリーングラス・アステリア!」

 

 名前を呼ばれ、アステリアが駆け足で椅子まで向かう。

 そして、緊張した面持ちで帽子を被る。

 不安はない――と言っていたダフネだが、身を乗り出して息を呑んでいる。

 

「――スリザリン!」

 

 そして希望通りの寮に選ばれると、立ち上がって拍手した。

 花のような笑顔でダフネに駆けてくるアステリア。

 ダフネの隣の席に座ると、周りの上級生たちに挨拶をし始める。

 そんな純真さをミリセントたちは微笑ましく思う。

 アルテも空腹感を覚えながらも、その様子を見ていた。

 

 

 

 最後の生徒の組分けが終わると、椅子がフリットウィックによって片付けられ、ダンブルドアが立ち上がる。

 その少し前に、マクゴナガルがハリーとハーマイオニーを連れてひっそりと大広間にやってきていた。

 ダンブルドアは生徒たちを見渡し、にっこりと笑う。

 

「おめでとう! 新学期おめでとう! 皆に幾つかお知らせがある。一つはとても深刻な問題じゃから、皆がご馳走でボーッとなる前に片付けてしまう方がよかろうの」

 

 咳払いをして皆の注目を集め、続ける。

 

「ホグワーツ特急での捜査があったから皆も知っての通り、我が校はただいまアズカバンの吸魂鬼、つまりディメンターたちを受け入れておる。魔法省の御用でここに来ておるのじゃ」

 

 ダフネは汽車での出来事を思い出し、身を震わせた。

 吸魂鬼を見た者は彼女たちだけではないらしい。少なくない人数が、あの黒い影と相対した時の感覚を思い出し、顔を青ざめさせている。

 

「吸魂鬼たちは学校への入口という入口を固めておる。あの者たちがいる限り、誰も許可なしで学校を離れてはならんぞ。悪戯や変装に引っかかる代物ではない――『透明マント』さえ無駄じゃ」

 

 その付け加えた言葉が誰に向けられているかは明らかだった。

 ハリーとロンはチラリと目を見交わす。

 

「言い訳やお願いを聞いてもらうのも出来ぬ相談じゃ。あの者たちが皆に危害を加えるような口実を与えるでないぞ」

 

 ダンブルドアの顔つきは深刻だった。

 それほどまでに、彼が真剣であると誰しもが理解する。

 吸魂鬼に学校を守らせるほどの事態――その理由は一つくらいしか見つからない。

 十中八九、シリウス・ブラックなのだろう。

 

「楽しい話に移ろうかの」

 

 そして、そんな重苦しい空気を振り払うように、もう一度ダンブルドアは微笑んだ。

 

「今学期から、嬉しいことに新任の先生を二人お迎えすることになった。まずルーピン先生。ありがたいことに、空席になっている『闇の魔術に対する防衛術』の担当をお引き受けくださった」

 

 まず九割方の二年生以上の生徒には動揺が走った。

 色々な意味で大問題児である“彼女”の関係者だと、すぐに分かった。

 何故ならば彼になんの疑いも持たず惜しみない拍手を送っている数人の生徒――一緒のコンパートメントにいた者たちだ――に、しっかりとアルテが含まれていたからである。

 それだけで周りの生徒たちがざわつくほどの事態だった。アルテが手を叩いているところ自体、初めての光景だったからである。

 次第にパラパラと、気がそこに無いような拍手が起こる。

 一張羅を着込んだ先生たちの間で、リーマスは一層みすぼらしく見えた。

 そんな、明らかに周りの先生たちから浮いた新任教師を見て、生徒たちは思う。

 ――今年の防衛術も碌なことにならない、と。

 せめて、昨年の毒にも薬にもならなかった無駄な時間よりはマシになってほしいと願うばかりだった。

 

「そして、ケトルバーン先生は『魔法生物飼育学』の先生じゃったが、残念ながら前年度末をもって退職なさることになった。手足が一本でも残っているうちに余生を楽しまれたいとのことじゃ」

 

 ケトルバーンは現在のホグワーツ教職員の中でも古株だった。

 向こう見ずな性格から一方の手と足を失っており、着任中に六十二回も謹慎を受けている。

 性格を除けば、教え方はまともな教師であり、慕う生徒も結構いたために、惜しむ声は多かった。

 魔法生物飼育学は三年からの選択科目だ。

 ゆえに、今年の三年生にとって新任の教師は非常に重要だ。

 

「後任としては、嬉しいことに他ならぬルビウス・ハグリッドが現職の森番役に加えて教鞭を執ってくださることになった」

 

 グリフィンドールからの拍手は割れんばかりだった。

 一方でスリザリン席からの拍手は殆どない。

 夕日のように真っ赤になった毛むくじゃらのハグリッドは、嬉しそうに顔を綻ばせている。

 

「……ホグワーツの人材不足も深刻ね」

 

 ミリセントの呟きに、パンジーも頷く。

 それはひっそりと防衛術の新任教師にも向けられた言葉だった。

 アルテは友人でこそあるが、変り者であるという評価は健在だ。

 そんな彼女の義父というだけで、まともな人物ではないことは疑いようがない。

 どういう経緯でリーマス・ルーピンという男が選ばれたのかは不明だが、もしかするとアルテの目付け役というだけでは――とは思わずにはいられない。

 

「さて、これで大切な話は皆終わった――さあ、宴じゃ!」

 

 ダンブルドアの宣言で、テーブルに並べられた空っぽの皿の上に山ほど料理が現れた。

 それに驚く新入生たち。スリザリンの席に座る者たちもそれは同様だった。

 そして、料理が現れたのを認識するかしないかという速度で、アルテが手を伸ばす。

 スリザリン生の間では見慣れた光景だった。

 

「相変わらず早いな、アルテ……」

「まあ、これを見ないとパーティも始まった気しないよね」

 

 近くに座っていたドラコが呆れた様子でそれを見ていた。

 スリザリン席のパーティはこれで幕開ける。

 ご満悦のアルテに、いつの間にか現れて世話を焼くルーナ。

 彼女が当たり前のようにスリザリン席にいるのを、最早二年生以上は誰も疑問に思わない。

 そのためか、アルテの隣の席は必ず片方空いているし、何ならスリザリンとレイブンクローの“一部男子”の間では決してこれを邪魔するべからずという了解まで成り立っている。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

「ん? どしたの、アステリア」

「あのルーナって人、二年生だよね? あとレイブンクローだよね?」

「うん。いつもの事だし、気にしないでいいよ」

 

 アルテの親友であるダフネ公認。

 それは、ルーナがこのポジションに収まるにおいて大きなバックアップだった。

 ――どうにもルーナの様子は保護者というより飼い主にしか見えないのだが、現状誰も声に出して突っ込むことはない。

 そんな中で辺りの生徒たちはチラチラと先生たちのテーブルを見る。

 リーマスが気付いていないようで、安心した。あまり本当の保護者に見られるべき光景ではない、と判断したのだ。

 相変わらずの空気で三年目の学生生活は始まった。

 その一年は二年次と比べ、アルテにとっては別物のように素晴らしいもので――

 

 ――そして、彼女の人生の中でも大きな重要性を占めるほどの年となる。




※スネイプVSルーピン。
※スネイプ「校長は我輩に何か恨みでもあるのか」
※嫁フォイの組分け。
※惜しみない拍手を送るアルテ(SSR)。
※突然のルーナ(いつもの光景)。
※一部の野郎共の間で取り交わされた(アルテとルーナへの)不可侵協定。


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明かされる恐怖

※この授業、下手すると死体とか出てくるヤバい授業だと思うんです。


 

 

 翌日の朝食の席の頃には、吸魂鬼の影響でハリーが気絶したという噂が広まっていた。

 ――というのも、自分たちのコンパートメントに入ってきて、リーマスが追い払った一連の話をダフネが話題として提供したのが原因である。

 ドラコが大袈裟な仕草で気絶する真似をして、スリザリンのテーブルを沸かせる。

 ドラコに気のあるパンジーもそれに取って付けた笑顔で便乗し、吸魂鬼の真似をしてハリーを揶揄う。

 相変わらずスタンダードなスリザリン生であるドラコとパンジーの様子に、流石にダフネはハリーに申し訳なさを覚えた。

 そんなことを一切気にしていないのは、やはりアルテとエリスの二人だ。

 新年度になればエリスに向けられていた疑念の視線も随分と和らいだ。

 エリスは澄ました顔でデザートに舌鼓を打っているし、アルテはベーコンエッグに齧り付いてご満悦だ。

 そうしている間に、上級生から時間割が配られる。

 ダフネはそれを見て、思わずアルテに教えた。

 

「アルテ! 最初の授業、防衛術だって!」

「っ」

 

 その年のスリザリン三年生の最初の授業は、狙ったように『闇の魔術に対する防衛術』だった。

 それを聞いたアルテは今の一口を呑み込んで、立ち上がる。

 

「ちょ、ストップストップ、口拭いて!」

 

 すぐにでも飛び出そうとするアルテを引き留めたダフネはナプキンでその口元を拭う。

 それを終えるとアルテは全力で駆けだした。

 唖然とする面々に見向きもせず、大広間を出ていくアルテ。

 

「……本気(マジ)だったね」

「どんだけ楽しみにしてたんだか……」

「大失敗しないことを祈ろうか……アルテをがっかりさせたくないし」

 

 まだ一度も授業を受けたことがないために、ダフネたちはリーマスに対しとてもではないがあまり良い印象を持てていなかった。

 頼りにならなさそうな容姿に加え、今のアルテを形成した男だ。

 一体どんな育て方をすればああなるのか――ホグワーツにおける保護者三人は疑問を持たずにはいられなかった。

 

「ところで、アルテもしかしてもう教室行ったの?」

「……あと三十分以上あるわよ?」

 

 普段は教室に辿り着くまでの最低限の時間を残し、食事を楽しんでいるアルテだ。

 それがこんな時間に切り上げ授業に向かうなど、天地が引っ繰り返ってもあり得ないと思われていた。

 そしてその、今日一番だと思われた驚愕は――皆が教室に向かった時、既に教科書を広げて予習していたアルテに早くも塗り替えられることとなる。

 

 

 

 スリザリン生が揃った時には、教室にリーマスはまだ来ていなかった。

 彼が来るまで、生徒たちは雑談をしながら過ごしていた。

 これから始まる授業に期待している者はアルテくらいであり、後の者は大半が今年の授業を最早諦めていた。

 授業開始時間を一分ほど過ぎた頃、息せき切ってリーマスが入ってくる。

 くたびれた古い鞄を先生用の机に置き、曖昧に笑う。

 

「やあ、皆。教科書は鞄に戻して大丈夫だ。今日は実地練習だからね、杖だけあればいいよ」

 

 殆ど全員が、怪訝そうに首を傾げた。

 これまで防衛術の授業で実地訓練などしたことがなかった。

 強いて言うならば、去年の初授業でロックハートがピクシーを放ったことだが、あれは実地訓練というより彼が血迷っただけだ。

 二十分前から教科書を広げていたアルテだが、特に気にしていないようでそそくさとそれを鞄にしまうと、立ち上がる。

 

「よし、それじゃあ、私についておいで」

 

 しかしながら、早々に実地訓練というのは、少なからず生徒たちの興味を惹いた。

 生徒たちはリーマスに続いて、教室を出ていく。

 もう授業が始まっているため誰もいない廊下を通り、角を曲がる。

 途端に目に入ったのはピーブズだった。

 空中でさかさまになり、手近の鍵穴にチューイングガムを詰め込んでいる。

 リーマスが五、六十センチくらいに近付いた時、ピーブズは初めて目を上げた。

 ピーブズはいつでも無礼なポルターガイストだが、先生たちには大抵一目置いているが、新任のリーマスはまだそうでもないらしい。

 彼を見るや否や、軽快に歌い出した。

 

「ルーニ、ルーピ、ルーピン。バーカ、マヌケ、ルーピン。ルーニ、ルーピ、ルーピン――」

 

 ――その日が、ピーブズの最期になると、誰しもが思った。

 あろうことかその名を己の天敵と結び付けることが出来なかったピーブズの落ち度であり、しかしながらその蛮勇は後世に語り継いでいこうと、誰しもが思った。

 

「ピーブズ、私なら鍵穴からガムを剥がしておくけどね。フィルチさんが箒を取りに入れなくなるじゃないか」

 

 まだ、それに気付いていないリーマスが朗らかに言う。

 まだ、それに気付いていないピーブズが馬鹿にするように舌を突き出した。

 紐無しバンジージャンプよりも明白な自殺行為を楽しんでいるピーブズを哀れに思う面々は、これまで彼に向けられたどんな殺気よりも濃密で鋭いものが爆発するのを、止めることが出来なかった。

 突然浴びせられたピーブズは「ピィッ!?」と甲高い悲鳴を上げ、ようやく死神がそこにいたことに気付く。

 ただ殺気だけで、その哀れなポルターガイストは消し飛んでしまいかねなかった。

 そっと前に歩み始めるアルテ。

 それをリーマスは静かに手で制した。

 

「この簡単な呪文は役に立つ。皆、覚えておきなさい」

 

 杖を取り出し、肩越しに振り返ってリーマスは微笑む。

 

「ワディワジ、逆詰め!」

 

 リーマスが杖を振ると、チューイングガムの塊が弾丸のように勢いよく鍵穴から飛び出し、ピーブズの左の鼻の穴に命中した。

 ピーブズはもんどり打って反転し、すっ転がりながら壁の向こうに消えていった。

 消滅は免れたものの、以降ピーブズがリーマスに逆らうことは未来永劫ないだろう。

 

「さあ、行こうか」

 

 アルテを落ち着かせるように肩に手を置き、何事も無かったかのようにリーマスは歩き出した。

 そのスムーズなピーブズ退治に、生徒たちは評価を多少改める。

 舌打ちしたアルテは殺気をしまい込み、不機嫌なままそれに続く。

 以降ピーブズはアルテの前に姿を見せられまい、と皆は思った。

 恐らく今後は彼が何をしていたにせよ威嚇では済まない。問答無用で狩りに行くだろう。

 やがて一つの空き教室に入る。

 乱雑に机や椅子が置かれていて、普段使われている様子もない。

 中に目立った物といえば、ガタガタと動くロッカーが一つあるくらいだ。

 そのロッカーは何らかの魔法道具というわけではない。明らかに何かが中に入っていた。

 

「心配しなくていい。中にボガートが入ってるんだ」

 

 心配すべきことだった。

 校内に侵入した妖怪を前に、リーマスは平然としている。

 

「ボガートは暗くて狭いところを好む。洋箪笥、ベッドの下の隙間、流しの下の食器棚――ここにいるのはちょうど今朝方見つけたヤツでね。きっとこの広い校舎ならどこかにいるだろうと探してたんだ。さて、それでは最初の問題。ボガートとは何でしょう?」

形態模写妖怪(シェイプシフター)。相手の一番怖いものに姿を変える」

 

 アルテが手を挙げて即答する。

 過去見たことがない、アルテの自発的な発言。

 あまりの普段からの変わりように、ダフネでさえ「誰この子」と思った。

 

「正解だよアルテ。だから中の暗がりにいるボガートはまだ何の姿にもなっていない。外にいる誰かが何を怖がるのかまだ知らないからね。外に出してやると、たちまち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿を変える筈だ」

 

 しかし、普段の学校での態度など知らないリーマスは、それに満足そうに頷いて話を続ける。

 

「つまりこの場では初めから私たちの方が有利な立場にある。ブレーズ、何故か分かるかい?」

 

 名指しで問われた高慢な風貌の黒人、ブレーズ・ザビニは憮然と答える。

 

「人数が多ければ、誰の恐怖に化ければいいか分からないから」

「その通り。ボガート退治をするには誰かと一緒にいるのが一番だ。向こうが混乱するからね。首のない死体になるべきか、人喰いナメクジになるべきか? 一度に複数人を脅そうとしたボガートは悲惨だ。とてもじゃないが恐ろしくない、馬鹿げた変身をしてしまう」

 

 今の例をもとにすれば、人の頭が生えたナメクジになってしまうということだ。

 それはそれで恐ろしいだろうが滑稽さが先に来る。

 ボガートは過ちを犯すと、ボガート自身が恐れるものを呼んでしまうのだ。

 

「ボガートを退散させる呪文は簡単だ。しかし精神力が要る。こいつをやっつけるのは笑いなんだ。ボガートに君たちが滑稽だと思える姿を取らせる必要がある。練習しよう。初めは杖無しで、私に続いて――リディクラス! 馬鹿馬鹿しい!」

 

 生徒たちがリーマスに続いて復唱する。

 ドラコとその取り巻きだけが「馬鹿げた授業だ」と笑っていたが、アルテが一睨みするとすごすごと他の生徒の陰に引っ込んだ。

 

「とても上手だ。でもここまでは簡単だけど、呪文だけじゃあ不十分だ。そうだな、パンジー、前に出て」

 

 パンジーは突然呼ばれ、緊張した面持ちで前に出る。

 人が近付いたからか、ボガートがガタガタと強く揺れた。

 

「よし、パンジー。一つずつ聞こうか。君が一番怖いものは何だい?」

「え? えっと……マクゴナガルとか?」

 

 幾つかの疎らな笑い声と、共感の声が漏れた。

 スリザリン生のみならず、グリフィンドール生にさえマクゴナガルを苦手な生徒は多い。

 ホグワーツの全ての先生の中で最も厳格で、自寮の生徒だろうと規律を破れば贔屓なく罰則を与える。

 生徒たちの努力を誰よりも正確に評価しているのも彼女なのだが、それは苦手意識や恐怖心を和らげる理由にはならない、ということだ。

 

「マクゴナガル先生か……ふむ、まあ授業だからね。先生も許してくれるだろう。パンジー、マクゴナガル先生の、出来るだけおかしな姿を想像できるかい?」

 

 もしも彼女がこの場にいればどうなるか分からない。

 そんなことを考え、顔を青くしたが、とにかくパンジーはイメージした。

 

「そしてその姿をはっきりと思い浮かべる。私がロッカーを開けるとマクゴナガル先生に変身したボガートが現れるだろう。君は杖を上げてこう言うんだ。『リディクラス、馬鹿馬鹿しい』! 思い浮かべた姿に精神を集中させれば、現れたマクゴナガル先生はその姿に変わってしまうだろう」

 

 何をイメージしているのか、パンジーだけが吹き出した。

 

「さあ、パンジーが首尾よくやっつければ、ボガートは次々に君たちに向かってくるだろう。皆、ちょっと考えてくれるかい。何が一番怖いか。そして、その姿をどうやったらおかしな姿に変えられるか、想像してみて……」

 

 部屋が静かになる。

 皆、己の恐怖について考えていた。

 ドラコは青白い顔を更に白くし、ミリセントは苦笑いし、ダフネはふと浮かんだものをこれは違うと首を横に振った。

 

「皆、良いかい? 次の生徒は私が前に出るよう声を掛けるから、下がってくれ。行くよ、パンジー――一、二の……三!」

 

 リーマスが杖を振り、ロッカーを勢いよく開けた。

 別物が変身したとは思えない威厳を持ったマクゴナガルが、ロッカーからゆっくりと現れる。

 パンジーの恐怖は震えるほどのものではない。

 歩み寄ってくるマクゴナガルに、パンジーは冷静に杖を構える。

 

「リディクラス!」

 

 瞬間、マクゴナガルのローブがふわふわとした純白のドレスに変化した。

 まるで結婚式の花嫁であり、普段のマクゴナガルとは全く違う雰囲気によるギャップは教室中の笑いを呼んだ。

 途方に暮れたようにマクゴナガルになったボガートは立ち止まる。

 

「セオドール、前へ!」

 

 ボガートを更に弱らせるべく呼ばれたのは、背の高いスリザリン生、セオドール・ノットだった。

 するとマクゴナガルがセオドールに向き合い、パチンと音がすると巨大な蛇へと姿を変える。

 エリスが僅かに、目を細めた。

 バジリスクだ。『秘密の部屋』の怪物であったということは、既に全校生徒に広まっていた。

 それゆえ、恐怖の対象としている者も多いのだろう。

 ボガートが変身したバジリスクに目の脅威はない。ゆえにその目を真っ直ぐ見据え、セオドールが呪文を唱えると、バジリスクは瞬く間にミミズになって床に転がった。

 

「次だ! ドラコ!」

 

 面倒そうにドラコが前に出てきた。

 付き合っていられないとばかりの表情だったが、ミミズがローブを纏った顔の見えない人物に変わるとその顔が歪んだ。

 フードの中から覗く口元はてらてらと銀色に光っている。

 その姿に見覚えのある生徒はいなかった。アルテだけは何か既視感があるように思ったが、すぐに気のせいだと断じた。

 

「り、り、リディクラス!」

 

 声を震わせながらもドラコは杖を振った。

 銀色の液体を口から勢いよく吐き出し、仰け反って何者かは倒れる。

 

「よし、エリス!」

 

 名を呼ばれたエリスは、躊躇いながらも前に出てくる。

 その表情は至極複雑そうで、右の手首を恐れを抑えるように左手で掴んでいた。

 昨年、スリザリン生で唯一バジリスクに襲われた彼女だ。

 変わるのであればバジリスクか、それか継承者そのものだろうと皆は思った。

 ぐにゃりと、ローブの何者かの姿が歪む。そしてリーマスの背丈を超え、四つ足の巨体を形作っていく。

 

「……忌々しい」

 

 ぼそりとそう呟き、その形が完成する前に呪文を唱えた。

 巨体は縮んでいきラブラドール・レトリーバーの子供に変わった。

 完成こそしていなかったが、その片鱗を見たエリスは不愉快そうに戻っていく。

 微妙になった空気を吹き飛ばすように、子犬が駆けていく。

 その方向にはアルテがいた。

 

「ッ……」

 

 全員がエリスからアルテに視線を移す。

 子犬がまた、ぐにゃぐにゃと変化していく。

 リーマスは自分が盾になろうとして、それが間に合わないことを悟る。

 アルテが恐怖するもの――それはリーマス自身も知らなかった。

 生徒たちの注目を集めていることから、興味の対象であることは明らかだ。

 たった一つの懸念、闇の帝王に変化することだけは避けてほしいと思いながら、変化を見届け――

 

「……なっ……?」

 

 その場に何もなくなり、間の抜けた声を出した。

 ボガート退治が成し遂げられた訳ではない。

 だが、ボガートは影も形もなくなった。

 生徒たちが辺りを見渡す。アルテも周囲に少しの間目を向け――再び前を向く。

 そしてその場に何かがあると確信して、杖を振った。

 

「――リディクラス」

 

 何もなかった空間にパチンと音が鳴り、パーティ時を思わせる大広間の長テーブルの一部が現れた。

 並べられた料理に、しかし本物ではないと分かっているアルテは見向きもせず、リーマスを一瞥した。

 我に返ったリーマスは、ひとまず疑問を仕舞い込み次の生徒を呼ぶ。

 

「――混乱してきたぞ! さあ、ダフネ!」

 

 ダフネはビクリと身を震わせた。

 彼女らしくもなく、他の生徒たちの陰に隠れていたダフネは、名前を呼ばれても足を進められなかった。

 

「ダフネ、呼ばれてるわよ?」

 

 目まぐるしく変わるボガートの様子が楽しいのか、ミリセントが彼女の背中を軽く押す。

 怯えを残しながらも、もう一度首を横に振って、今にも死にそうな表情でダフネが前に出た。

 その様子はこれまで誰も見たことが無く、アルテも首を傾げる。

 不安げな表情を変えないまま、アルテの隣にまで歩み寄る。

 混乱したボガートは、獲物を見つけると時間を掛けて姿を変える。

 こうして変身に時間を掛けるのは、ボガートをもう少しで退治できる合図だ。

 特に問題もなく、退治は成される。そう思ったリーマスは微笑んで――

 

 

 

 

「――――ッ」

 

 

 

 

 ――――全身を赤黒く染めたもう一人のアルテを見て、その笑みを凍らせた。

 

 

 

 誰もが言葉を失った。

 ダフネは目を見開いて、口元を抑えて膝から崩れ落ちる。

 血と、それから真っ黒い何かの液体を全身に浴びたそのアルテはボロボロで、殆ど衣服らしい衣服を纏っていない。

 爪を伸ばし、そしてその顔には彼女が浮かべるとは思えない、狂気を型にしたような笑顔が張り付いている。

 見る見るうちに目を潤ませていくダフネ。最早、彼女にボガート退治など出来たものではなかった。

 ダフネの視界が、真っ黒になる。

 アルテがローブを脱ぎ、ダフネの顔に被せたのだ。

 一歩前に出たアルテに反応し、ボガートが再び姿を消す。

 杖を振って呪文を唱えると、何もないところから分厚いステーキが出現した。

 

「――リーマス、次」

「あ……あぁ! 随分弱った、やっつけろ、パンジー!」

 

 アルテの催促に、リーマスは衝撃を押し込める。

 動揺を隠せないパンジーだが、慌てて前に出る。

 とにかく今の空気を払拭したいと考えたのだろう。

 ゆっくり時間を掛けてボガートはマクゴナガルに変わった。

 

「リディクラス!」

 

 ボガートはパンジーの呪文で、妙にデフォルメされたマクゴナガルのぬいぐるみに姿を変える。

 何人かが微妙に笑うと、ボガートは煙になって消滅した。

 

「よし、よくやった! ボガートと対決したスリザリン生一人につき五点あげよう! パンジー、アルテ、二人は二回対決したから十点だ!」

 

 空元気と一目でわかる様子でリーマスが声を上げた。

 ハプニングこそあったが、ボガート退治は成し遂げられたのだ。

 それを評価しない訳にはいかないと、リーマスは一度の授業で与えるには大きい点数をスリザリンに与えた。

 

「宿題はボガートに関する章を呼んで、まとめを提出すること! 月曜までだ! 今日はこれでお終い!」

 

 微妙な空気を吹き飛ばすよう手を叩いて、リーマスは授業の終わりを宣言する。

 ようやくざわざわと声が上がり始め、生徒たちは喋りながら教室を出ていく。

 ――一人一人が、アルテと、彼女のローブを握り締めてすすり泣くダフネを一瞥しながら。

 

「ダフネ、あんた……」

「さっきのって……」

 

 教室に残ったのは、リーマスとアルテ、ダフネ、そしてミリセントとパンジーだけになった。

 それ以外の生徒が出ていったのを見届けてから、リーマスは扉を閉めてダフネの肩に手を置く。

 

「大丈夫かい? 医務室に連れていこう」

「だ、大丈、夫、です……っ」

 

 息を荒げ、ガタガタと震えながらも、ダフネは答えた。

 しかし、立ち上がれない。どうしても膝に力が入らない。

 そんなダフネを――アルテが支えて立ち上がらせた。

 

「ッ、ぁ、アルテ……わ、たし……」

「――ダフネ」

 

 “あの日”から、ほんの少しだけだが呼んでくれるようになった名前。

 ダフネの震えが和らぎ、体中に走っていた気持ちの悪い冷たさが消えていく気がした。

 

「今のわたしはこっち」

「――、ぅ、うん……そう、だね。ごめんね、アルテ……!」

「別に良い」

 

 それから数分、泣き続けていたダフネだが、ようやく落ち着くとアルテにローブを返す。

 

「……ありがと、アルテ。ミリセントもパンジーも、心配かけてごめん。先生、ご迷惑をお掛けしました」

「いや……構わないよ。私も反省しなければ。ボガートは恐怖を乗り越える怪物退治の基本だが、人によっては絶対に立ち会わせてはいけないんだ」

 

 三年生の初授業は、それぞれこのボガート退治をさせる予定だ。

 だが、リーマスは対決させる生徒を考え直すことにした。

 少なくとも、過去に深いトラウマを持つ生徒――吸魂鬼の影響を受けやすい生徒などは避けなければなるまい。

 

「アルテ、ミリセント、パンジー。三人は次の授業に行きなさい。ダフネ、君が良ければ、だけど……少し話をしないか。次の授業の先生には言っておくから」

 

 それが何を目的としたものか、ミリセントやパンジーにも分かった。

 あの、ダフネに対してボガートが変わったものは二人も絶対に聞きださなければならなかった。

 だがそれは誰より先にリーマス・ルーピンが知るべきことであり、ダフネにも気持ちの整理が必要なのだ。

 ダフネは頷いた。ミリセントとパンジーはアルテを伴い、一足先に教室を出ようとする。

 

「あ……アルテ、ローブ――」

「いい。持ってて」

 

 そう言い残して、アルテは出て行った。

 このローブがなければ、アルテは尻尾を隠せない。

 というか尻尾の動きによっては危ういことになるのだが――そんなことはアルテは一切気にしていなかった。

 

「それじゃあ、私たちも行こう。お茶くらいは出すよ」

 

 そして、リーマスとダフネも教室を出て、アルテたちとは別方向へと歩いていく。

 空き教室には無造作に開かれたロッカーが寂しげに残されていた。




※初授業にwktkのアルテ。
※予習アルテ(SSR)。
※ピーブズ、死す! デュエルスタンバイ!
※自主発言アルテ(SSR)。
※マクゴナガル・ブライド。
※本作で触れていないシーンのトラウマを掘り起こされるフォイ。
※真似られる前に仕留めるエリス。
※ボガートがバグるアルテ。
※赤アルテ(仮)登場。
スリザリン三年の面々(+義父)の前でほぼ全裸を晒されるアルテ。
※デレアルテ。
※ダフネとルーピン先生の二者面談。


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三つ星との出会い

 

 それは、ダフネにとって真実、何よりも恐ろしいものだった。

 自分の親友であるアルテが体中に血化粧を施している姿。

 それだけであれば、トラウマにこそなれど忌避する、恐怖の対象にはならなかったかもしれない。

 ボガートが化けたアルテの姿がダフネの恐怖として刻まれた最大の要因は、あの笑顔だった。

 バジリスクを打倒し、死に瀕したアルテが、既に動かない体を無理にでも動かしてトム・リドル(ヴォルデモート)の日記に手を伸ばす執念。

 そして遂にその命に触れたことによる至上の喜び。

 闇の帝王など、最早恐怖の比較にはならなかった。

 嬉々として日記を引き千切るアルテこそが、ダフネにとっては怖かった。

 それは違うと、ボガートが変わる筈がないと、自分に言い聞かせた。

 闇の帝王に変わってほしい。その方が何倍もマシだ、と。

 しかしながらボガートはその偽りを見抜いてしまった。

 自分の中に押し込めておけば良かったその姿を、生徒たちに晒してしまった。

 

「……そうか」

 

 ――リーマスに打ち明けるのは、心苦しかった。

 彼は深刻な顔でダフネの言葉を聞いていた。

 

「……継承者と『秘密の部屋』の怪物を倒したことは知っていた。その場にダフネ、君もいたんだね」

「……はい」

 

 リーマスは熱い紅茶を喉に流す。

 ダフネは、アルテと共に闇の帝王と戦った。

 であれば、話しても良いと思った。

 

「……アルテは、話すことが出来るようになった頃から、闇の帝王への執着を見せていたんだ。他の誰でもない、自分自身が倒すとね」

「な、なんで、そんな……」

「……私にも分からない。アルテとはね、一歳の時、森の中で出会ったんだ。その年齢さえ確かじゃない。腕に巻かれていた腕輪のプレートに日付が記されていたことからの仮定だ。ダンブルドア校長は、闇の帝王に抗する何らかの組織か一族かが作ったホムンクルス――つまりは人造人間だと考えている」

 

 錬金術によって人に近しいモノを作り出すという技術は、あくまで理論上可能とされているが成功例は存在しない。

 人型を鋳造することが出来ても、それに魂を作り上げ、自在な思考を与えることが出来ないのだ。

 近しい闇の魔法は存在する。幾つかの材料で新たな肉体を作り上げる、という外法だ。

 だが、それは新たな器に注ぐ魂が元よりあってこそのこと。

 魂を用意できなければ、どんな人型を作ったとしても、操り手がいなければ何も出来ない人形に過ぎない。

 だが、アルテはそんな理論の上の技術を以て作られたのではないか。

 闇の帝王を滅ぼすという統一された方向性から魂を作り上げ、ホムンクルスとして完成させたのではないか。

 ダンブルドアはそう考えた。

 可能性はごく低い。だが、理論上可能ということは不可能ではない、ということだ。

 事実、保護して間もない頃でさえ、触れれば精神を破壊されるほどの、闇の帝王が作り出した道具を単独で破壊せしめた。

 絶対的に“彼”を滅ぼすことに特化した存在。はじめから役目を与えられているそれは、現在知られている技術ではホムンクルスでなければあり得ないのだ。

 

「君が見たという笑顔は、本来の役割を前にしてのことだと思う。私は、彼女に色々なことを教えた。間違ったことは間違いだとも教えてきた。だけど……アルテが存在意義だと考えているそれだけは、変えられなかった」

「存在意義って……でも、例のあの人は……」

「そう。もう闇の帝王は滅んでいる。アルテはそれでも己の役割を疑っていない。危険なんだ、とても。私は、例え闇の帝王が滅んでいなかったとしても、アルテに危険に飛び込んでほしくはない。この二年間は、奇跡的に助かったんだ」

 

 親として、教師として、大人として、アルテが戦うことなど容認できなかった。

 少なくとも、闇の帝王に相対した時だけ笑みを浮かべるなど、到底認めたくない。

 ――その気持ちは、ダフネも同じだった。

 だけど、誰が言っても彼女は止まらない。きっと闇の帝王を前にすれば、何をしている最中だろうと全て投げ捨ててそこへ向かう。

 そうなった時の末路など、分かり切っている。

 これまでのものは単なる奇跡、偶然に過ぎなかったなど当たり前だ。

 ダフネはあのトム・リドルがアルテを嬲る目的で生かしていたことを知っている。

 拷問など掛けずとも一瞬で命を奪う恐ろしい魔法を、あの闇の帝王が知らない筈がないのだ。

 

「アルテには、その部分を変えてほしい。難しいのは分かっている。けど、不可能じゃないはずだ。君たち友人と共にあることで、アルテは変わることが出来ていると思う。自分が普通の魔女として在って良いのだと、いつかアルテに思わせることは、絶対出来る」

 

 自分の役割がそれだけだと、存在意義がそれだけだと決め付けているアルテを、すぐに変えることなど出来ない。

 だが、彼女たちという友人の中にあれば、いずれ己に別の価値を見出せると、リーマスはそう考えていた。

 一年、二年と、長い時間が掛かるだろう。

 少しずつでも変化を齎していくことは出来る。

 

「……私も、アルテには変わってほしい。ちゃんとした笑顔を浮かべてほしい。そのためなら、何だってできます」

「君が危険になったら本末転倒だよ。だから、君にはあくまで友人としてこれからもアルテと付き合ってほしい。私がわざわざ言うことでもないかもしれないけど」

「はい。そのつもりです。どんな一面があったにしても、アルテは私の親友ですから」

 

 やはりこの子に打ち明けたのは間違いではなかった、とリーマスは確信した。

 彼女が傍にいれば、アルテは絶対に変わることが出来るだろう。

 

「……うん。それが聞ければ、私からはもう何もない。授業は……まだ間に合うか。顔は出しておくといい。話は通しているけど、宿題が出ているかもだからね」

「――はい。その前に」

 

 ダフネも打ち明けたことで随分気が楽になった。

 秘密を他人と共有するということは、精神的に大きな助けとなる。

 ゆえに、思考に余裕が出来た。この打ってつけの場で言うべきことを思い出すくらいには。

 

「もう幾つか、アルテについてお話があります。ルーピン先生にではなく、アルテのお義父さんに」

「ん? なんだい?」

「アルテの倫理観についてです」

 

 リーマスが固まった。思い当たる節がある、という反応だった。

 

「女の子らしさの無さ、寝る時に脱ぐ癖、裸でいること羞恥心の無さ。まだまだあります。一つ一つについて、どういう方針で教育なさっていたかお聞きしたいんですが」

「あ、いや、それについては本当に申し訳ないというか」

「とにかくアルテは無防備過ぎるんです! 去年ロックハートに求婚されたときも何されたかすら分かってなかったんですよ! 危なっかしいってレベルじゃないんです!」

「求婚!? ま、待つんだ、それは聞いてない!」

 

 ダフネはホグワーツにおける保護者として、リーマスに溜まった不満をぶちまける。

 リーマス自体も初めて知ったロックハートの蛮行に混乱し、しかしダフネは止まらない。

 不満の吐露は二時限目が終わるまで続いた。

 

 

 

 三年次から始まる、選択科目。

 昼食の後からある『魔法生物学』はアルテも取った科目であった。

 昨日の雨は上がり、薄鼠色の空が広がっている。

 この科目は四人組が全員取った科目であり、アルテたちは揃って禁じられた森の端にあるハグリッドの小屋に向かっていた。

 スリザリンとグリフィンドールの合同授業だ。ハリーら三人は何やらぎくしゃくしつつも、バラバラになることなく集まっている。

 ミリセントとパンジーは、先のボガートが気になっていたものの、ダフネの『心の整理がつくまで聞かないでほしい』という頼みにより、疑問を押し込めた。

 またもやアルテは他のスリザリン生から距離を置かれることになってしまったが――アルテ自身はやはり気にしていないようだった。

 

「ところで、誰かこの教科書まともに開けた?」

「無理。何よこれ。馬鹿げてるにも程があるっての」

 

 今年の魔法生物学の教科書として選ばれた『怪物的な怪物の本』は、暴れ回り本同士で取っ組み合い噛みつくというとんでもない本だ。

 表紙を留めておかなければ大惨事になるため、誰もがベルトやロープで縛ったり、袋に押し込んだりしていた。

 アルテも買ってこそいたが、その本性は知らなかった。

 買ったものがちょうど疲弊したものであったらしく、その隙に店員に縛られたものだったのだ。

 ゆえに、戦々恐々としているミリセントたちをアルテは怪訝に思いながら、紐を解いていく。

 どのみちこのままでは開くこともままならない。

 

「あ、アルテ、やめといた方が――」

「……? 何で――」

 

 次の瞬間紐が解け、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように本が暴れ出した。

 

「ッ」

「アルテ!」

 

 その勢いで引っ繰り返ったアルテはすぐに状況を把握し、本と格闘を始めた。

 濡れた庭に転がり、泥だらけになることも厭わず、目の前の敵に立ち向かう。

 ――いや、そんな大それた話でもないのだが、誰しもが苦戦していた本との格闘だ。関心を集めない筈がない。

 

「な、なんだ? ルーピンがまた何かやってんのか?」

「すげぇ……あの本とやり合ってる……」

「ほら、結局ああするしかこの本はどうにも出来ないのよ。こんなのを教材にするなんてどうかしてるわ」

 

 このようにまともに戦えもしない限り、この本は扱えない。

 この光景はその証左であり、バジリスクさえ討伐した彼女でもなければ無理な話だ、とこれを見た生徒たちは思う。

 本と取っ組み合いながら坂を転がっていったアルテは、ダフネたちが慌てて走り追いついたころにはその戦闘を終えていた。

 

「アルテ、あんた……」

「……」

 

 立ち上がったアルテは、授業が始まる前から泥だらけになっていた。

 争っている間に落とした帽子を拾ってきたダフネは、呆れて物が言えなかった。

 制服は破れてこそいないが乱れているし、今朝ダフネが梳かした髪もまた寝起きのようにくしゃくしゃになっている。

 その頭のてっぺんに、帽子のように覆いかぶさっている――というか、噛みついている本。

 それをアルテが引き抜けば、本は大人しくなっていた。

 

「開けた」

「……それ出来るの、あんただけだから……」

「多分本と取っ組み合いする生徒なんて前代未聞よ、アルテ……」

「そういうところだっての、アルテ……!」

 

 ダフネは帽子を返しながら、『スコージファイ』で汚れを清めていく。

 アルテが原因でダフネはこの魔法が随分上達していた。

 汚れは取れても服や髪の乱れは直らない。

 そしてそれを気にしないアルテは帽子を被りなおし、開いた本をぶら下げて再び歩き出す。

 

「……そういえば、ルーピン先生に言ったのよね、ダフネ」

「うん……ただ……授業はともかく普段の生活の方は駄目駄目っぽい」

「やっぱり……私たちがどうにかするしかないって事よね」

 

 まあ、あのくらいなら気にするまでもないだろう、と判断する。

 幸いこれから始まるのは魔法生物学だ。

 防衛術ならともかく、ハグリッドの授業であればあの状態でも気にはされないだろう。

 

「さあ、急げ。早く来いや!」

 

 生徒たちが集まると、ハグリッドが声を上げる。

 厚手木綿のオーバーを着込み、足元にボアハウンド犬のファングを連れていた。

 

「今日は皆にいいもんがある。凄い授業だぞ! よーし、ついてこいや!」

 

 一瞬ハグリッドは森に連れていくのではないか、と生徒たちの足が止まった。

 入ってはならないと毎年ダンブルドアが言っていることだ。

 ハリーやドラコなんかは一年次、森でとびっきりの嫌な思いをしているし、ドラコはそこであった出来事がボガートになってしまう程のものだった。

 それにハリーとロンは去年、あの場所で怪物の手がかりを掴むためアクロマンチュラのアラゴグに会いに行った。それも彼らにとっては嫌な思い出だった。

 ハグリッドは森の縁に沿ってどんどん歩き、五分後に放牧場のような場所に到着した。

 

「皆、ここの柵の周りに集まれ! そーだ、ちゃんと見えるように……イッチ番最初にやるこたぁ教科書を開くこった」

「どうやって?」

 

 ドラコがハグリッドの言葉を遮った。

 

「どうやって教科書を開けっていうんです? アルテみたく本と取っ組み合えって?」

 

 ハグリッドは付いてきた生徒たちを見渡す。

 髪がくしゃくしゃになっているアルテが、己より力強い相手に従うように大人しくなっている本をぶら下げているくらいだった。

 

「る、ルーピンだけか? 他にはだーれも教科書を開けなんだのか?」

 

 ハグリッドはがっくりと肩を落とした。

 

「お前さんたち、撫ぜりゃー良かったんだ」

 

 当たり前の事なのに、と言いたげにハグリッドはハーマイオニーの教科書を取り上げた。

 本を縛り付けていたスペロテープを剥がし、暴れようとした本の背表紙を、巨大な親指で一撫でする。

 すると本はブルリと震え、開いて大人しくなった。

 

「ああ、僕たちってなんて愚かだったんだろう! 撫ぜりゃ良かったんだ! どうして思いつかなかったのかねぇ!」

「お……俺はこいつらが愉快なやつらだと思ったんだが」

 

 鼻先で笑うドラコにハグリッドは愕然と答える。

 

「ああ、恐ろしく愉快ですよ。僕たちの手を噛み切ろうとする本を持たせるなんてまったくユーモアたっぷりだ!」

「黙れ、マルフォイ」

 

 うなだれるハグリッドに攻め寄るドラコに、ハリーが静かに言った。

 ハリーとしても理解しがたい教科書ではあったものの、ハグリッドの友人として彼の初授業をどうにか成功させてやりたかった。

 

「えーっと……そんじゃあ、こんだぁ魔法生物が必要だ。そんじゃ、俺が連れてくる。待っとれよ」

 

 やることを思い出しながら、ハグリッドは大股で森へと入っていく。

 

「まったく、この学校はどうなってるんだろうねぇ。あのウドの大木が教えるなんて、父上に申し上げたら卒倒なさるんだろうなぁ」

「黙れ、マルフォイ!」

「去年も大概だったけど、今年は特に酷い。なあポッター、君ら防衛術はまだだろう? こっちの木偶の坊も酷いが向こうも中々だ。何だか年々まともじゃなくなって――」

 

 よせばいいのに、余計な方向にまで飛び火したドラコの嫌味に、取り巻きのクラッブとゴイルはトロールのような頭に似付かわしくない程素早く危険を悟り、離れていった。

 一応、ダフネたちに取り押さえられ、アルテが飛び出すことはなかった。

 仕方なくアルテが本をドラコに放る。命令を受けたように突然活き活きとしだした本がドラコに襲い掛かった。

 

「……今のはドラコの自業自得ね」

 

 悲鳴を上げるドラコを、彼に気のあるパンジーも流石に擁護出来なかった。

 ハグリッドを馬鹿にするだけであれば喜んで便乗してやれたのに、何故敵に回さなくてもいい方向に火を点けてしまうのか。

 確かにトラブルはあったし、人の恐怖を無造作に暴き立てたのは問題だろう。

 だが妖怪と戦う実践経験を積むという面では非常に有効だったし、教え方も見事だった。

 アルテの餌食になるということを抜いても、あえて嫌味を言うほどのものではなかったのだ。

 大暴れする本に襲われるドラコをグリフィンドール生は爆笑しながら見守る。

 どうにか怪我なく本を振り払ったドラコを追撃しようとする本だが、とりあえず気は晴れたのかアルテがその本に近付くと、本はそちらを向いて暴れるのを止めた。

 どうやら完全に主を認識したらしい。

 

「あ、アルテ、何するんだ!」

「手が滑った」

 

 アルテなりに二年間で覚えた冗談だった。

 その、どうでも良いような声色に今度はスリザリン生も笑う。

 そうしている間に、ハグリッドが魔法生物を連れて来た。

 誰もが見たことないような奇妙な生き物が十数頭、早足で向かってくる。

 奇妙ながら、その姿には威厳があった。

 胴体から後ろ足、尻尾は馬で、頭から前足、そして羽根は巨大な鳥の形をしていた。

 鋼色の嘴とオレンジ色の目は、鷲にそっくりだ。前足の鉤爪は十五センチ以上もあり、見るからに殺傷力があった。

 それぞれの首輪から伸びる鎖の端をハグリッドが纏めて握っている。

 

「ヒッポグリフだ! 美しかろう? もうちっとこっちこいや」

 

 半鳥半馬の生き物を、ハグリッドは嬉しそうに紹介する。

 ハグリッドの言葉に従って近づいたのは、ごく僅かな生徒だけだった。

 

「まずイッチ番先に知らなければなんねぇことは、こいつらは誇り高い。すぐ怒るぞ。絶対侮辱しちゃなんねえ。そんなことしてみろ、それがお前さんたちの最後のしわざになるかもしんねえぞ」

 

 ドラコにクラッブ、ゴイルは聞いてもいなかった。

 懲りずにどうやったら授業をぶち壊しに出来るか企んでいるのだろう。

 

「かならずヒッポグリフから動くのを待つんだ。それが礼儀ってもんだ。こいつの傍まで歩いて、そんでもってお辞儀をする。こいつがお辞儀を返したら触っても良いっちゅうことだ。もしお辞儀を返さなんだら素早く離れろ。こいつの鉤爪は痛いからな。さて、誰が一番乗りだ?」

 

 殆どの生徒が答える代わりに後退りした。

 しかし、それでは授業が進まない。ハリーが息を呑んで名乗り出た。

 

「偉いぞ、ハリー! よーし、そんじゃ、バックビークとやってみよう」

 

 ハグリッドは鎖を一本解き、灰色のヒッポグリフを群れから引き離した。

 そうしている間にハリーは放牧場の柵を乗り越え近付いていく。

 その様を他の生徒たちは息を呑んで見守る。ドラコは意地悪く目を細めていた。

 

「さあ、落ち着けハリー。目を逸らすなよ、なるべく瞬きするな。ヒッポグリフは目をしょぼしょぼさせるやつを信用せんからな……」

 

 あえて言われると、たちまち目が潤んできた。

 バックビークは巨大な、鋭い頭をハリーの方へ向け、猛々しい目の片方でハリーを睨んでいた。

 

「そーだ、ハリー。それでええ……それ、お辞儀だ……」

 

 ハリーは軽く頭を下げる。

 それを暫く見下ろしていたバックビーク。

 そして、やがて応じるように鱗に覆われた前脚を折り、ハリーと同じ位置まで頭を下ろした。

 

「やったぞハリー! よーし、触ってもええぞ、嘴を撫でてやれ、ほれ!」

 

 ハグリッドが狂喜する。

 ハリーとしては下がってもいいと言われた方がご褒美だったが、とにかくゆっくりとバックビークに近寄った。

 手を伸ばし、何度か嘴を撫でると、バックビークはそれを楽しむかのように目を閉じた。

 その成功に生徒たちは拍手する。ドラコたちはひどくがっかりしていた。

 

「そんじゃハリー、こいつはお前さんを背中に乗せてくれると思うぞ」

「え!?」

 

 ハグリッドはハリーを抱え上げ、バックビークに乗せた。

 箒ならお手の物だが、ヒッポグリフは全く違う。

 一面羽根に覆われていて、何処を掴めばいいのか分からない。

 

「羽根を引っこ抜かねえよう気を付けろ。嫌がるからな……そーれ行け!」

 

 ハグリッドはバックビークの尻を叩く。

 なんの前触れもなしに、四メートルもの翼がハリーの左右で開いた。

 かろうじてハリーが首の周りにしがみ付くと、バックビークは空高く飛翔した。

 箒と快適さは大違いだ。いつ降り落とされるか気が気でなく、飛ぶのを楽しんでいる時間はなかった。

 放牧場の上空を一周すると、バックビークは降りてくる。

 着地するとハグリッドをはじめとして、その場の面々が歓声を上げる。

 

「よーくできたハリー! よし、よーし! 他にやってみたいモンはおるか?」

 

 バックビークからハリーが下りる。

 ハリーの成功に励まされ、ほかの生徒も恐々と放牧場に入った。

 アルテは表情を変えぬまま、同じように入っていく。

 その瞳は一頭のヒッポグリフに向けられている。

 偶然、彼らがここに来た時、目が合った一頭。

 それからどちらも目を逸らさない。

 ――アルテは初めて、己の心臓の音というものを聞いた気がした。

 呆然と、まっすぐ歩み寄り、ハグリッドがその一頭を解き放つと、向こうからもゆっくりと歩んでくる。

 黒一色の荒れた毛だった。

 細い目は、しかし鋭くアルテを見据えている。

 一メートルほどの距離を開け、アルテとそのヒッポグリフは立ち止まった。

 

「アルテ、お辞儀! お辞儀!」

 

 互いの間で何が交わされているのか、誰にも分からなかった。

 冷や汗を流すダフネに耳も貸さず、アルテは黒い一頭と見つめ合っている。

 

「……」

 

 ――どちらともなく近付いて、伸ばした手と嘴が触れ合った。

 それはまるで互いが惹かれ合ったようで、頭を下げることなく、認めたのだ。

 

「不思議なこともあるもんだ。イッチ番、気難しくて人嫌いなオリオンが認めるなんて。そいつはまだ誰にも頭下げたことがねぇヤツなんだ」

 

 なら何故連れて来たのか、と辺りの生徒は思わずにはいられなかった。

 人嫌いでお辞儀したことのないヒッポグリフなど、この授業に最も向いていない個体だ。

 しかしながら今のそのヒッポグリフ――オリオンに人嫌いという印象はない。

 アルテに撫でられ大人しくしているオリオンは、それに対するように嘴をアルテの頬に寄せている。

 既に信頼感が生まれているようだった。アルテの手をオリオンは静かに受け入れ、アルテも、頬を撫でる羽毛の感触を心地よく感じていた。

 ダフネは、普段自分に向けている無防備なものとも、リーマスに向けているものとも、今のアルテが放つ雰囲気は違うと感じた。

 そんな中、バックビークに近付いたドラコは、頭を下げることなく嘴を撫でていた。

 

「簡単じゃないか。お前、全然危険なんかじゃないなぁ? そうだろう? 醜いデカブツの野獣君」

 

 ドラコが冷たく笑った瞬間、鋼色の鉤爪が光った。

 大きく仰け反って倒れたドラコのローブは見る間に血に染まり、草の上で身を丸める。

 慌ててハグリッドが駆け寄り、バックビークに首輪を付けようと格闘する。

 

「し、死んじゃう! 見てよ! あいつ、僕を殺した!」

「死にゃせん!」

 

 バックビークを抑えたハグリッドが蒼白になって言う。

 生徒たちはパニックになっていた。

 

「この子をこっから連れ出さにゃ!」

 

 ドラコの腕には深々と長い裂け目が走っていた。

 血が草地に点々と飛び散っている。

 ひんひんと泣き喚くドラコを抱え、ハグリッドは城に向かって坂を駆け上がっていった。

 生徒たちはショックを受けて、慌ててついていく。

 

「すぐにクビにするべきよ!」

「マルフォイが悪いんだ!」

 

 泣きながらパンジーはハグリッドを罵倒し、グリフィンドールのディーン・トーマスは顔を青くしながら言い返す。

 ハグリッドの初授業は、大失敗に終わった。

 

「私たちも行きましょう、マルフォイはともかくパンジーも行っちゃったし」

「そうだね。行こう、アルテ」

 

 ともかく授業はこれで中止だ。

 アルテの手を引いてオリオンから引き剥がし、城へと向かっていく。

 

「……アルテ?」

 

 放牧場を離れている最中、ずっとアルテはオリオンをぽけっと見ていた。

 オリオンも、追わないながらアルテから目を離さず、見えなくなるまで首を動かさなかった。

 妙に様子のおかしいアルテを不思議に思いつつも、今はそれどころではないとダフネたちは城へと歩く。

 その様子の理由は、ダフネにも、ミリセントにも――アルテ自身にも、わかっていなかった。

 ――その、アルテにとっても訳の分からない感情の正体を知るのは、随分と先のことになる。




※ヴォルデモート<<<<<血みどろアルテ。
※ホムンクルス疑惑。
※アルテを普通の女の子にしたい同盟。
※アルテのおかん役からの追及タイム。
※色々知ったリーマス。
※本と戦うアルテ。
※そういうところだぞアルテ。
※義父に呆れる保護者組。
※アルテ「本、かみつく」 本「ピカチュー!」
※目と目が合う瞬間云々。
※黒ヒッポグリフ、オリオンとの出会い。
※なんか様子のおかしいアルテ。
※次回は明日二十一時の予約投稿となります。


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不明な感情

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、その日の授業が終わってから、再びハグリッドの小屋へと向かった。

 授業で大失敗したハグリッドがどうにも心配だったのだ。

 失敗した、怪我をさせた先生など、ホグワーツの歴史の中には山ほどいるだろう。

 だが、初日でそれを起こしたというのは大きな問題だ。

 ドラコはマダム・ポンフリーの治療により、最早問題ないほどにまで回復しているだろう。

 それでも、一歩間違えば手遅れになってもおかしくなかった。

 ハグリッドの話を聞かず、ヒッポグリフを貶したドラコにも非はあるだろうが、だというならばそもそも危険な生物を連れてきたハグリッドの方が問題にされやすい。

 もしかすると、既に沙汰を受けているのではないか、と不安になったのだ。

 

「あら、あれ……」

 

 ハーマイオニーが何かに気付く。

 小屋の前に誰かがいた。黄昏の中ではっきりとしないがハグリッドではない、小さな人影だ。

 近付けば、その輪郭も露わになってくる。傍に何か、大きなものもいた。

 

「あれ、アルテじゃないか?」

「アルテ? なんだってこんなところに?」

 

 ようやく様子が見える場所まで辿り着くと、近くにいたものが黒いヒッポグリフだと分かる。

 先程――三人は見ていなかったが、アルテが触れ合っていたオリオンと呼ばれていた個体だ。

 普段共にいるダフネたちも引き連れず、アルテは一人でこんな場所に訪れていた。

 そのアルテを一瞬、ハリーは見違えた。

 いつも通りの面白さを感じていなさそうな不愛想でありながら――どこか、幸福そうに微笑んでいるように見えたのだ。

 しゃがみ込むオリオンのざらついた毛を撫で、背を預けているアルテは、普段とまるで別人だった。

 

「アルテ、何をしているの?」

「会いにきた」

「ハグリッドに?」

「オリオンに」

 

 特にハグリッドに用はないらしかった。

 恐らく彼に用件だけ告げ、オリオンを連れてきてもらったのだろう。

 

「中にいる」

 

 ハリーたちにそれだけ告げ、アルテはオリオンの背中に顔を埋める。

 彼女が何しているのかは知らないが、中にいることが分かったなら十分だった。

 小屋の戸をノックする。中から小さく、「入ってくれ」と声がした。

 心配そうに入っていくハリーたちに、アルテは見向きもしなかった。

 昼間オリオンと出会った時、感じたことが何なのか、未だ答えは出ていない。

 ただ、彼と目が合った際に体の中心から跳ね上がるような感覚が巻き起こったのは事実だ。

 その微妙な感覚の答えをそもそもアルテは求めなかったし、答えが出ていなくとも、もう一度オリオンに会いに来たいという望みは出てきた。

 ダフネたちは付いてこようとしたが、アルテは断って一人で来た。

 何となくだが――自分一人で会いたいと、感じたのだ。

 

『こいつぁ新記録だ。一日しかもたねぇ先生なんざこれまでいなかったろう』

『ハグリッド、まさかクビになったんじゃ……!』

『まーだだ。だけんど時間の問題だわ、な……マルフォイのことで……』

 

 聞こえてくる声など、どうでもよかった。

 ただ、出来るだけ長く話していてほしいとは思った。

 そうすれば――ハグリッドがもう終わりだと告げに来るのも長引くだろうから。

 

「……オリオン」

 

 名を呼んでみると、不思議と温かいものが広がる気がした。

 オリオンは応えるように、顔を擦り寄せてきた。

 意味が分からないけど、嬉しかった。出来るだけ、長くこうしていたいとアルテは思った。

 オリオンはやがて眠り始める。アルテもそれに釣られるように、目を閉じた。

 ハグリッドが怒鳴り、ハリーたちが慌てて小屋を出てくるまでの数分間だったが、アルテはオリオンと共に眠った。

 リーマスや、ダフネたちといるのとはまた違う、落ち着いた感覚だった。

 

 

 

 授業初日、門限ギリギリに帰ってきたアルテは木曜日になっても少し様子がおかしかった。

 とは言っても、ダフネたちが不思議に思うくらいのものだ。

 いつも何を考えているか分からないアルテが、それでも不自然にボーッとしているくらい。

 午前の授業にも特に支障はなかったのだが――昼近く、魔法薬学では違った。

 その日の授業は、『縮み薬』を作るものだった。

 半分ほど終わった頃に、地下牢の扉が開かれ右腕に包帯を巻いたドラコが踏ん反り返って入ってきた。

 まるで恐ろしい戦いに生き残った英雄気取りだった。

 

「ドラコ、どう? ひどく痛むの?」

「ああ」

 

 取って付けたようなパンジーの笑顔に、ドラコはしかめっ面で応えた。

 勇敢に耐えているように見せているのだろう。

 だが、クラッブとゴイルにウィンクしたのを、ハリーは見逃さなかった。

 

「座りたまえ、さあ」

 

 スネイプは気楽に言った。

 ハリーやロンであれば厳罰を科していただろう。

 ドラコはハリー、ロンとアルテ、ダフネの間に席を構えた。

 

「先生、僕、雛菊の根を刻むのを手伝ってもらわないと、こんな腕なので……」

 

 ドラコが肩を竦めて言うと、スネイプは見もせずに言う。

 

「ウィーズリー、マルフォイの根を切ってやりたまえ」

 

 ロンは歯を食い縛ってドラコを睨みつける。

 飄々としたドラコは顎で行動を促した。

 

「お前の腕はどこも悪くないんだ」

「ウィーズリー、スネイプ先生が仰ったことが聞こえただろう。根を刻めよ」

 

 苛立たし気にロンがナイフを掴み、マルフォイの分の根を引き寄せた。

 それを滅多切りにしている間、ドラコはアルテたちの作業を覗き込む。

 そして、怪訝そうに目を細めた。

 

「……? アルテ、君らしくないじゃないか。いつもなら仕損じなんてないだろうに」

 

 アルテの鍋の傍には、処理をし損ねた芋虫が転がっていた。

 ある程度予備は用意してあるため、そちらを使ったようだが、これまでアルテが魔法薬学において何らかのミスをするなどなかったことだ。

 それを聞いていたようにスネイプが意地の悪い笑みをアルテに向けた。

 

「言わないでやりたまえ、マルフォイ。月の満ち欠けで調子が変わる厄介な生き物がいるように、ミス・ルーピンにも調子の良し悪しがあるのだろう。いやまったく、普段優秀なだけに嘆かわしい限りだが」

 

 ここぞとばかりに、スネイプは嫌味を込める。

 気に入っていないのに優秀なアルテが不調という状況にスネイプは気付いていた。

 それでも許容範囲ではあるのだが、こうしてドラコが指摘したのならば言わずにはいられない。

 

「……」

「……あー、アルテ。本当に大丈夫? 鍋混ぜるの代わるよ?」

「大丈夫」

 

 しかし、その嫌味をアルテは一切気にしていなかった。

 いつも通り、意味が分かっていないというよりは、そもそも聞こえていないかのようだった。

 心ここに非ずといった様子だというのに、やるべきことは最低限こなしている。

 面白くなさそうにスネイプは鼻を鳴らす。

 そうしている間に、ロンが雑に切った根をドラコに渡した。

 

「せんせーい、ウィーズリーが僕の根を滅多切りにしました」

「ウィーズリー、君の根とマルフォイのとを取り替えたまえ」

「先生、そんな――!」

「今すぐだ」

 

 ロンは十五分もかけて慎重に切った自分の根を、嫌々ドラコに押しやった。

 得意げなドラコは、更に続ける。

 

「先生、それから、この萎び無花果の皮を剥いてもらわないと」

「ポッター、マルフォイの無花果を剥いてやりたまえ」

 

 いつものような、憎しみの籠った視線をハリーに投げつけ、スネイプは指示した。

 今にも舌打ちしそうな不愉快な顔のままハリーはドラコの無花果を取り上げ、急いで皮を剥いてドラコに投げ返した。

 

「君たち、ご友人のハグリッドを近頃見かけたかい? 気の毒に、先生でいられるのももう長くないだろうさ。父上は僕の怪我のことを快く思っていらっしゃらないし……」

「いい気になるなよ、マルフォイ。じゃないと本当に怪我させてやる」

 

 ドラコが悲しむふりをして言うと、ロンが殺気立って返した。

 

「僕の腕、果たして元通りになるんだろうか……」

「そうか、それで君はそんなふりをしているのか……! ハグリッドを辞めさせようとして!」

 

 ピクンと、アルテの耳が動いた。

 しかしその場では何もせず、鍋をかき混ぜる作業を続行する。

 ドラコはハリーの怒りに対し、声を落として囁いた。

 

「そうだねぇ。ポッター、それもあるけど、でも他にも色々良いことがあってね……ウィーズリー、僕の芋虫を輪切りにしろ」

 

 アルテたちの薬が完成に近づいた頃、数個先の鍋でネビルが問題を起こしていた。

 ネビルは魔法薬の授業が苦手で、いつも支離滅裂だった。

 とにもかくにもスネイプがネビルには恐ろしく、普段の十倍もミスをする。

 今回の水薬も、成功すれば明るい黄緑色になるのだが、ネビルのそれはまったく違っていた。

 

「オレンジ色か、ロングボトム」

 

 スネイプが薬を柄杓ですくい上げ、それを上から垂らして皆に見せつける。

 

「君、教えていただきたいものだが、君の分厚い頭蓋骨を突き抜けて入っていくものがあるのかね? 我輩ははっきり言った筈だ、ネズミの脾臓は一つでいいと。ヒルの汁はほんの少しでいいと明確に申し上げた筈だが? ロングボトム、一体我輩はどうすれば君に理解していただけるのかな?」

 

 ネビルは赤くなって震え、今にも泣きだしそうだった。

 見ていられなかったのか、ハーマイオニーが手を挙げて助け船を出す。

 

「先生、私に手伝わせてください。ネビルにちゃんと直させます」

「君にでしゃばるよう頼んだ覚えはないがね、ミス・グレンジャー」

 

 それを冷たく突き放すと、その冷徹な視線のままネビルを見下ろした。

 

「ロングボトム、授業の最後にこの薬を君のヒキガエルに数滴飲ませて、どうなるか見てみることにする。そうすれば、君もまともにやろうという気になるだろう」

 

 やがて各人の薬が完成に近づくと、スネイプが教室中に聞こえるように言った。

 

「材料はもう全部加えた筈だ。この薬は服用する前に煮込まねばならぬ。煮えている間後片付けをしておけ。後でロングボトムの薬を試すことにする」

 

 ネビルは必死な形相で自分の鍋を掻きまわしていた。

 それを見て、クラッブとゴイルはあけすけに笑う。

 ハーマイオニーがスネイプに気付かれないよう、唇を動かさないようにしてネビルに指示していた。

 道具を洗っている間、ダフネはアルテに問いかけた。

 

「……ねえ、アルテ。やっぱり調子悪いでしょ」

「別に」

 

 にべもなく言うアルテだったが、やはり様子は変だった。

 

「じゃあ……授業が終わった後、毎日何処に行ってるの?」

「オリオンのところ」

 

 アルテが答えると、ダフネはますます怪訝な顔をした。

 オリオン――とその名を聞いて、ダフネは記憶を探りその名の生徒を思い出そうとする。

 しかし、そんな生徒は、少なくとも現在このホグワーツにはいないはずだ。

 混乱していた。アルテから自分たちやリーマスとは違う名が出てきたこと。

 そして、それ以前にアルテが自分たちに秘密で人に会っていたこと。

 焦りが思考を支配していく。

 自分が知らない間に、大変なことになっていた――と頭を抱え、ようやく思い出す。

 

「……それって、ハグリッドのところのヒッポグリフ?」

「ん」

 

 ダフネは安心する。

 確かに、あの黒いヒッポグリフと触れ合っていた時のアルテはいつもと違っていた。

 だが、ダフネが想像した最悪の事態に比べれば遥かにマシな理由だ。何かしら、通じ合うところがあったのだろう。

 そんな風に、気楽に考えていた。

 事はある意味、その最悪の事態より厄介なことになっているとは知らずに。

 

「諸君、ここに集まりたまえ」

 

 生徒たちの片付けが終わった頃、スネイプが大鍋の傍で縮こまっているネビルに大股で近付いて全員を招集した。

 暗い目をギラギラさせるスネイプは、青い顔のネビルを嫌味な笑みで見つめている。

 

「ロングボトムのヒキガエルがどうなるかよく見たまえ。なんとか『縮み薬』が出来上がっていれば、ヒキガエルはおたまじゃくしになる。もし作り方を間違えていれば――我輩は間違いなくそちらだと思うが――ヒキガエルは毒でやられる筈だ」

 

 グリフィンドール生は戦々恐々と、一部除いたスリザリン生は嬉々として見物していた。

 スネイプがヒキガエルのトレバーを左手で摘まみ上げ、小さいスプーンをネビルの鍋に突っ込む。

 今は緑色になっている水薬を、スプーンですくい上げトレバーの喉に流し込んだ。

 一瞬、教室中が静まり返る。

 ポン、と軽い音がして、おたまじゃくしになったトレバーがスネイプの手の中でくねくねしていた。

 

「やったわ!」

「いいぞネビル!」

 

 グリフィンドールの拍手喝采を受け、ネビルは胸を撫でおろした。

 スネイプは面白くなさそうにローブのポケットから小瓶を取り出し、二、三滴トレバーに落とす。

 するとトレバーは見る見るうちに元のヒキガエルの姿に戻った。

 

「グリフィンドール、五点減点。手伝うなと言った筈だ、グレンジャー。授業終了」

 

 皆の顔から笑いが吹き飛んだ。

 理不尽な減点にグリフィンドール生たちは憤って抗議し、ドラコをはじめとしたスリザリン生は爆笑する。

 そんな中、やはり興味のなさそうなアルテは、昼食の時間だとひとまず思考を切り替えた。




※ハグリッドのところへ行くアルテ。
※ハグリッド自体に用はない。
※ひたすらオリオンと戯れるアルテ。
※なんかバグってるアルテ。
※感情の正体は分からないけど別にそれ自体は気にならない。
※アルテの仕損じ芋虫(抽選で一名様にプレゼント)。
※スネイプの嫌味を完全スルーするアルテ。
※流石にネビルへの仕打ちが酷過ぎると思うこの授業。
※知らない男の名前が出てきてパニックになるダフネ。
※全力で理不尽な減点。
※昼食はしっかり気持ちを切り替えるアルテ。


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“あの薬”

※絶賛多忙中につき、日次での感想への返信が出来ない状況です。
※申し訳ありませんが、後日纏めての返信とさせてください。
※感想、評価、UA、全て日頃の力になっています。読者の皆様にこの場で感謝申し上げます。


 

 

 リーマスの『闇の魔術に対する防衛術』の授業は、たちまち殆どの生徒の一番人気の授業になった。

 生徒たちの関心を惹くような題材と引き込み方は、不真面目なスリザリン生すら楽しんでいる。

 その結果、リーマスはあのアルテを元々もっと酷かったところから、“ここまで”まともにしたのでは、と噂されるようになり、そうした意味でも尊敬の目で見られるようになった。

 それはともかく、生徒たちの間でリーマスの評判が良くなっていき、アルテは目に見えてご機嫌だった。

 ローブの外からでも分かるほどに楽しそうに尻尾を振り、授業では相変わらず積極的に発言し、実技においても自主的に動く。

 去年までは色々と理由があり、あまり防衛術においては優秀とは言えなかったアルテだが、今学年はぶっちぎりの最優秀生徒とも言えた。

 新任教師をどうにかしてコケにしたいのか、ドラコたちはリーマスが通りかかった時に聞こえよがしにこう言う。

 

「あのローブのザマを見ろよ。僕の家の『屋敷しもべ妖精』の格好じゃないか」

 

 そういうと、リーマスは困った笑みでドラコに優しく忠告する。

 

「私は構わないんだが、アルテはその手の冗談が分からなくてね。こういう場ではともかく、私が止められない場所で言うのは勘弁してほしい」

 

 ドラコはハグリッドの初授業の時、アルテに本を嗾けられたことを思い出し、すごすごと引き下がった。

 特定の生徒を贔屓せず、義娘だろうと平等に接するリーマスだが、それに対してアルテは違った。

 防衛術とそれ以外の科目とでは意欲がまったく違う。

 毎度のことだがスリザリン生は一向に慣れず、その積極的な様子に防衛術の授業の度に「誰だこいつ」と思わざるを得なかった。

 赤帽鬼(レッドキャップ)の授業の時も、河童の授業の時も、必ずアルテは授業前に予習を行った。

 そしてボガートの授業後から、宿題への意欲もまた別格だった。

 あのハーマイオニーよりも分厚いレポートを提出する者など、恐らく今後も出てこないだろう。

 というか、寮の談話室にいて、寝る以外の大半の時間をアルテは防衛術の宿題に使っていた。

 

 

 ただ、ずっとリーマスの防衛術の授業に執心、という訳でもなかった。

 最初の大活劇の後、とてつもなくつまらないものになった『魔法生物飼育学』の授業だ。

 あれから自信をすっかり失ってしまったハグリッドは、毎回毎回、レタス喰い虫の世話を学ぶだけの授業へと転換してしまっていた。

 このレタス喰い虫は、魔法生物の中でもとりわけ面白みのない生き物である。

 それに、世話といってもこの虫はレタスでも食べさせておけば調子を悪くすることもなく、退屈過ぎてペットとして飼う物好きもそうそういない。

 しかしながら、アルテだけはこの授業を楽しみにしていた。

 その理由が――

 

「……アルテ、私、あんただけ別の授業やってるように見えるんだけど」

「許可は取った」

 

 自分のレタス喰い虫に適当に餌をやった後、ハグリッドが連れてきたオリオンと触れ合えることだった。

 呆れ気味のミリセントに言った通り、ハグリッドにはしっかりと許可を取っている。

 ハグリッドにとっても、アルテがとびっきりにその個体を気に入ったことは嬉しかったらしく、気のない笑いでいつも連れてきてくれていた。

 一応、先生の監督下にある状況だ。

 この授業の時間内であれば、誰に咎められる心配もなくアルテはオリオンと共にいることが出来た。

 アルテの表情が豊かであったなら微笑みを浮かべていただろう。

 そんな、リーマスの授業とは別の理由で楽しんでいるアルテ。

 ヒッポグリフに良い思い出のないドラコはそれを忌々しそうに見ていた。

 

「アルテ、ちょっといい?」

「何?」

 

 その様子は、普段のアルテを少しでも知っていれば変だと分かる。

 授業の時やそれから数日であれば、物珍しさから、と説明も付いただろう。

 だが、そうだとしたら一ヶ月以上も度々会いに来て、授業でもその度に会うようなことはない。

 ダフネは一向に収まらないアルテのヒッポグリフへの興味に、一抹の不安を覚えていた。

 

「アルテは、どうしてそんなにオリオンに会いたがるの?」

「…………」

 

 アルテは黙り込んだ。

 その沈黙は答えをどう言葉にするか悩んでいるようで、尚更にダフネの不安を助長させた。

 

「…………よくわからない」

「……」

 

 ――ダフネは何となく、アルテにすら答えの分かっていないオリオンへの感情を理解した。

 どうか自分の想像が、とんだ見当違いであってほしいと思いつつ、話をそっと切り上げる。

 あまりに厄介なことになっている親友に自覚はなく、ダフネはどうするべきかと頭を抱えた。

 

 

 

 ハロウィーンの日、ハリーは一人、ホグワーツの廊下を歩いていた。

 その日、ロンとハーマイオニーどころか、友人は殆ど全員学校内にいなかった。

 ホグズミード行きの日だ。

 許可証を得られた生徒たちは皆遊びに行っており、ハリーもマクゴナガルを説得したが、結局同行することは出来なかった。

 ロンとハーマイオニーはお菓子をたくさん買ってくる、とハリーを慰めてくれたが、やはりハリーの気は晴れなかった。

 そんな、やることもなく、ふくろう小屋でヘドウィグにでも会おうとぼんやり考えながら歩いていたハリーを、呼び止める声があった。

 

「ハリー。何をしているんだい?」

 

 声の主を探せば、すぐに見つかった。

 リーマスが自分の部屋のドアの向こうから覗いていた。

 

「ロンやハーマイオニーはどうしたね?」

「ホグズミードです」

 

 何気無く言ったつもりだったが、今の気持ちからかぶっきらぼうになってしまった。

 リーマスはそんなハリーをじっと観察している。

 

「ちょっと中に入らないか? ちょうど次の授業用のグリンデローが届いたところだ」

「何がですって?」

 

 リーマスの出した名詞の意味は知らなかったが、暇であったこともあり、少なからずハリーは興味を引かれた。

 言われるがままに部屋に入ると、部屋の隅に大きな水槽が置いてある。

 鋭い角を生やした緑色の生き物が、ガラスに顔を押し付けて百面相をしたり、細長い指を曲げ伸ばしたりしていた。

 そして、その水槽の傍にいたアルテは、いつもと違い帽子を外し、私服でリラックスしている。

 

「この水槽のがグリンデロー。水魔だよ。アルテ、説明は出来るかい?」

「湖に住む水魔。握力が強いけど、指は脆くて折れやすい。この指を片付ければ、簡単に退治できる」

「そう。これはそんなに難しくないよ。この間河童を習ったばかりだからね」

 

 何故彼女がここにいるのか、という疑問は馬鹿馬鹿しいか、とハリーは思った。

 大方ホグズミードにも興味がなく、義父と共に過ごすことを選んだのだろう。

 

「紅茶はどうかな? 私たちもちょうど飲もうとしていたところだったんだ」

「えっと……はい、いただきます」

 

 親子の時間を邪魔するのもどうかと思ったが、特別リーマスもアルテも気にしてはいないようだった。

 ぎこちなくハリーが答えると、リーマスが杖でヤカンを叩く。

 たちまち湯気が吹き出す。

 流れるように杖を振ると、机の上から埃っぽい紅茶の缶が飛んできた。

 

「ティーバッグしかないがね。お茶の葉はうんざりだろう?」

 

 ハリーを見透かしているように、リーマスは言った。

 ハリーは選択授業の一つ、『占い学』で散々な目に遭っていた。

 どうやら担当のトレローニー教授に目を付けられてしまったらしく、毎度毎度不吉な予言を言い渡されていたのだ。

 しかし、リーマスが知っているのは不思議だった。アルテは占い学を取っていない。告げ口することも出来ない筈だ。

 

「どうしてご存知なんです?」

「マクゴナガル先生が教えてくださった。気にしてはいないだろうね?」

「いいえ」

 

 マクゴナガルは気にしなくてもいいと断じた。

 それで少しは気が楽になっていた。

 それに――リーマスに臆病者だと思われたくなかった。

 紅茶を淹れたコップを渡される。縁が少し欠けていた。

 温かいカップの熱を感じながら――ハリーは疑問だったことを口にした。

 

「先生、ボガートと戦ったあの日のことを覚えていらっしゃいますか?」

「ああ」

「どうして僕に戦わせてくださらなかったのですか?」

 

 スリザリン生の授業の後、勿論グリフィンドール生も防衛術を受けた。

 その時もボガートを扱い、スリザリン生の時のようなトラブルもなく、見事退治に成功した。

 しかし、その時ハリーに近付いていたボガートの前に、リーマスは庇うように立ちはだかったのだ。

 リーマスはその問いに、少しだけ眉を上げる。

 

「……ハリー、言わなくとも分かることだと思っていたが……」

「どうしてですか……?」

「――そうだね。ボガートが君に立ち向かったら――」

 

 眉を顰め、アルテの方を見た。

 首を傾げるアルテは聞かれることは好ましくなかったが、言わなければハリーも納得しないだろう。

 

「……立ち向かったら、ヴォルデモート卿の姿になるだろうと思った」

「っ――」

 

 アルテの耳がピンと立った。

 反応したアルテをリーマスは手で制し、続ける。

 

「確かに私の思い違いだった。しかし、あの職員室でヴォルデモート卿の姿が現れるのは良くないと思った。皆が恐怖に駆られるだろうからね」

 

 その危険があったのは、アルテとハリーの二人だった。

 ゆえに、最初のスリザリンの授業でもアルテに相手させるのは避けようとしていたのだ。

 結果としてボガートは独りでにアルテに近付き、変身した。

 幸いヴォルデモートにはならなかったが、その結果は更に理解できないものになってしまった。

 

「……最初は確かに、ヴォルデモート卿を思い浮かべました。でも、僕……僕は吸魂鬼のことを思い出したんです」

「そうか――感心したよ。君が最も恐れているのは恐怖そのものなのか。ハリー、とても賢明なことだよ」

 

 それは、ハリーにとって最も新鮮で、鮮明な恐怖だった。

 リーマスはそのハリーの恐怖に、考え深げに微笑んだ。

 

「先生、あの、吸魂鬼のことなんですが――」

 

 少しだけ気が楽になったハリーが、それを言おうとした時、ドアをノックする音で話が中断された。

 

「どうぞ」

 

 リーマスが入室を許可すると、ドアが開く。

 スネイプだった。手にしたゴブレットから微かに煙が上がっている。

 アルテを一瞥し、そしてハリーの姿を見つけると足を止め、暗い目を細めた。

 

「ああ、セブルス。どうもありがとう。このデスクに置いていってくれないか?」

「ふん。親子の時間を邪魔したな」

 

 ハリーを無視し、机にゴブレットを置く。

 

「ルーピン、すぐに飲みたまえ」

「はいはい、そうします」

「一鍋分を煎じた。もっと必要とあらば――」

「多分、明日また少し飲まないと。セブルス、ありがとう」

「礼には及ばん」

 

 スネイプはニコリともせず、後退りして部屋を出て行った。

 ハリーは怪訝にゴブレットを見ていた。アルテは警戒するようにゴブレットに近付き、危険そうであればすぐに引っ繰り返してやろうという様子で、匂いを嗅いだ。

 

「大丈夫だよ。スネイプ先生が私のためにわざわざ調合してくださった。私はどうも昔から薬を煎じるのは苦手でね。これは特に複雑なんだ。アルテ、“あの薬”だよ、危険はない」

 

 リーマスはアルテにそう言うと、アルテはすぐに引っ込んだ。

 それは、真実リーマスにとって生命線になりうる薬だ。

 ごく最近開発された薬であり、非常に調合が難しく購入も容易ではない。

 財政難の続くルーピン家ではこの薬の購入はままならない。

 しかし、この仕事に就くにおいてこれは必須であり、ダンブルドアを通してリーマスはスネイプに調合を依頼していたのだ。

 

「あの薬って……?」

「体の調子を整える薬さ。この頃どうも悪くてね、この薬しか効かないんだ。これを調合できる魔法使いは本当に少ない。砂糖を入れると効き目がなくなるのは残念だが」

 

 ハリーに薬の説明をしてから、一口飲む。

 とても苦い薬らしい。顔を歪めて身震いするリーマスを、アルテは心配そうに見ている。

 その薬を、ハリーは叩き落としてしまいたかった。

 薬を飲むリーマスはより調子を悪くしているように見える。スネイプをまったく信用していないハリーには、余計そう見えた。

 実際は、飲まなければそれより悪くなるのだが、ハリーはそんなことを知らない。

 その薬を通じて、スネイプが悪だくみをしているようにしか思えなかった。

 

「……スネイプ先生は、闇の魔術にとても関心があるんです」

「そう?」

 

 ハリーは思わず口走る。リーマスは感心なさげだった。

 続けるのは躊躇われた。だが、高みから飛び降りるような気持ちで、思い切って言った。

 

「人によっては――スネイプ先生は『闇の魔術に対する防衛術』の座を手に入れるためなら何でもするだろうって、そういう人はいます」

 

 そこまで言っても、やはりリーマスは意に介していなかった。

 ハリーの言葉を聞きながら、ゴブレットを飲み干し、顔をしかめる。

 堪えていないリーマスの様子に、ハリーは唇を噛んだ。

 嫌味なだけのスネイプをリーマスは信頼しているようなのが、余計に癪だった。




※娘をダシに使うリーマス(本心)。
※ハー子よりガチなレポート。
※一人ヒッポグリフと戯れるアルテ。
※まだ分からないアルテ。
※何となく察するダフネ。
※ホグズミード<<<越えられない壁<<<義父。
※雑談でもお辞儀様の名前には反応するアルテ。
※ハリーガン無視のスネイプ。
※アルテは薬の正体を知ってます。


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大広間での夜

 

 

 その年のハロウィーンは、宴の最中に特に何事もなかった。

 三年生はホグズミードで買ってきたお菓子も含めて料理を楽しんだ。

 ダンブルドアの意向で去年からかぼちゃ料理だけではなく、その他のバリエーション豊かな料理も並ぶようになり、アルテも十分に楽しむことが出来た。

 リーマスも楽しそうだったのが、その一因だった。

 隣の席のフリットウィックと生き生きと話しており、料理にも不満はなさそうだったのだ。

 しかしながら、アルテは遅くまで楽しむタイプではなく、パーティが終わる時間より少しだけ早く切り上げた。

 一年目も二年目も、そのような理由で一人で歩き、厄介ごとに出会っていたため、今回は一人で出すようなことはしなかった。

 

「良かったの?」

「うん。私ももうお腹いっぱいだし」

 

 今年、アルテはダフネと共に寮へと帰っていた。

 これであれば、少なくとも一人の時に何かが起きるということもない。

 というか、三年連続で何かが起きれば流石におかしいのだが、やはり警戒せざるを得なかった。

 

「ところで、今日は何してたの?」

「リーマスのところにいた」

 

 ダフネはホグズミードに誘ったが、アルテは一日ホグワーツにいることを選んだ。

 リーマスと共に食事を楽しみ、他愛のない時間を過ごしていたのだ。

 解答が如何にも充実感を持ったもので、ダフネも微笑ましく思う。

 自分が思っていたよりもリーマスは真人間であり、授業もとても楽しいものだ。

 アルテの育て方に物申したいことは山ほどあり、初授業の後ずっとその方針について問い詰めていたが、少なくとも彼としては真っ当に育てようという気持ちはあるらしかった。

 彼女の女性らしさの無さについては、リーマスは独身らしいしまあ……仕方ない、かもしれなかった。

 

「そう。楽しかった?」

「ん」

 

 その答えだけで、ダフネは満足だった。

 今度は一緒にホグズミードに行きたいものだが、もしかするとその機会は来ないかもしれない。

 それほどまでに、アルテがリーマスと共にいる時間というのは得難いものなのだ。

 ダフネが笑みを浮かべた時――唐突に、アルテが立ち止まった。

 

「アルテ?」

「……」

 

 アルテは怪訝な表情で、鼻をひくつかせていた。

 

「どしたの?」

「変な臭いがする」

 

 ダフネは特段何も感じていない。

 しかし、アルテの鋭敏な嗅覚は何かを捉えていた。

 泥や煤や雨水、そういったものが混ざり合った、汚らしい臭いが漂ってきている。

 アルテは走り出そうとして、ダフネがその腕にしがみ付いて止めた。

 

「ちょ、ちょっと! また今一人で突っ走ろうとしたでしょ!」

「……?」

 

 またアルテが単独で事件に飛び込もうとしているのは明らかだった。

 ダフネは必死で停止させ、アルテを向きなおらせる。

 

「――一緒に行こう。一人で厄介ごとに顔突っ込むなんてさせないからね」

「……ん」

 

 アルテが何かを感じているならば、また何事か起きているのだろう。

 それに出くわしていて、見て見ぬ振りは出来ない。

 アルテとしては、どちらでも良かった。

 どちらにせよ、今の学校に何かが起きるということは、リーマスに危険が及びかねないということだ。

 自身の危険が彼に心配を掛けることなど考えない。

 行動が考えより先に出るという点で、アルテは未だ成長していなかった。

 

「どこ!?」

「こっち」

 

 その臭いを頼りに、アルテは廊下を走り、階段を上っていく。

 漂ってくるそれを嗅ぎつつ、手遅れかと、悟った。

 その臭いは新しいものではない。もしかすると、既に数時間は経っているかもしれない。

 ともかく、最も臭いの強い場所に向かう。

 

「この方向って……グリフィンドールの寮じゃない?」

 

 特定の暗号を言わなければ扉の開かない、スリザリン寮と同じ形式の扉がある筈だ。

 階段を上り、その廊下に辿り着くと、流石に違和感に気付いた。

 グリフィンドール寮への扉となる肖像画が滅多切りにされ、キャンバスの切れ端が床に散らばっている。

 

「アルテが感じた臭いのもとって……これ?」

「ん。もう時間が経ってる」

 

 この場で何かがあったのは明白だ。

 だが、その犯人はもうこの場にはいないようだった。

 その肖像画の切断面に触れてみると、荒々しく引き千切ったようであり、力尽くの行為であることが分かる。

 

「おい、スリザリン生。そこで何をしているんだ?」

 

 二人に鋭い声が掛けられる。

 大勢のグリフィンドール生を引率した、首席のパーシー・ウィーズリーだ。

 パーシーは疑いの目でアルテたちを睨み、そして肖像画の様子に気付いた。

 

「っ、これは? 太った婦人(レディ)が! 君たちがやったのか!」

「ち、違います! アルテが変な臭いを嗅ぎつけて、それを頼りにここまで来たら、こうなってたんです!」

 

 ダフネの弁解に、パーシーは更に怪訝な表情になった。

 

「臭い……?」

 

 パーシーをはじめとして、後続のグリフィンドール生も鼻をひくつかせるが、何も変なものは感じない。

 そうしている間に――いつの間にか、肖像画の傍にダンブルドアが立っていた。

 ダフネは思わず息を呑んだ。

 彼に疑いを掛けられれば、無実を証明することも難しくなる。

 ダンブルドアは無残な姿の肖像画を一目見るなり、深刻な目で振り返る。

 ちょうどマクゴナガル、リーマス、スネイプの三人が、ダンブルドアの方に駆けつけてくることろだった。

 リーマスはアルテを視界に入れると目を大きく開き、ダンブルドアに迫る。

 

「校長、アルテとダフネは先程まで大広間にいました。婦人の肖像画をこんなにするほどの時間はなかったかと!」

「ああ、分かっておる。マクゴナガル先生、すぐにフィルチさんの所に行って、城中の絵の中を探すよう言ってくださらんか」

 

 必死な形相のリーマスにダンブルドアは優しく頷いた。

 マクゴナガルが素早く動こうとしたとき、しわがれた声が聞こえた。

 

「見つかったらお慰み!」

 

 ピーブズだった。アルテが一睨みすると、ピーブズは冷や汗を流してダンブルドアの背中に隠れる。

 

「ピーブズ、どういうことかね?」

「こ、校長閣下。あの女はズタズタでしたよ。見られたくなかったのですよ。五階の風景画の中を走ってゆくのを見ました。木にぶつからないようにしながら走ってゆきました。ひどく泣き叫びながら!」

 

 嬉々として言おうとしたものの、ルーピン親子がそうさせなかった。

 どちらもピーブズの天敵であり、その場にいるのは予想外だったのだ。

 

「婦人は誰がやったか話したかね?」

「ええ、ええ、確かに。校長閣下。そいつは婦人が入れてやらないんで酷く怒っていましたね。あいつはとんでもない癇癪持ちですよ――あのシリウス・ブラックは!」

 

 

 

 グリフィンドール生だけでなく、ハッフルパフも、レイブンクローも、そしてスリザリンも全員が大広間に招集された。

 あのシリウス・ブラックが学校内に忍び込んだとあれば、警護もなしに寮に向かわせる訳にはいかない。

 

「先生たち全員でくまなく探さねばならん。ということは気の毒じゃが、皆、今夜はここに泊まることになろうの。皆の安全のためじゃ。監督生は大広間の入口の見張りに立ってもらおう。主席の二人に此処の指揮を任せようぞ。何か不審なことがあれば、ただちにわしに知らせるように」

 

 集まった生徒たちに告げ、大広間から出ていこうとしたダンブルドアだが、ふと立ち止まった。

 

「おお、そうじゃ。必要なものがあったのう」

 

 ハラリと杖を振ると、長いテーブルが全部大広間の片隅に跳んでいき、きちんと壁を背にして並んだ。

 もう一振り。何百個ものふかふかした寝袋が現れて、床いっぱいに敷き詰められた。

 

「ゆっくりお休み」

 

 ダンブルドアがいなくなると、たちまち大広間は騒がしくなった。

 

「アルテ、ダフネ……また変なことに巻き込まれたの?」

「いや、今回のは……うん。まあ」

 

 あの場で止めて寮まで連れていくべきだったとダフネは後悔した。

 流石にダンブルドアのおかげで今回は疑われることはなかったが、厄介ごとにまたしても顔を突っ込んでしまった。

 これ以上は深追いしないようにしておこう、と心に決める。

 二年連続でアルテは事件に巻き込まれたのだ。今年もそうなることは、親友として避けたかった。

 

「にしても、今日はここに泊まるのかぁ……」

「さっさと寝袋を運びましょう。隅は確保しておきたいし」

 

 寝る時は静かな方が好ましい。

 アルテが寝袋を四つ抱えたので、それをダフネたちは大広間の角までと頼む。

 素早く場所を確保した四人。ダフネたちはさっさとそれに潜り込もうとして――――当然のように服のボタンに手を掛けたアルテを全力で止めた。

 

「あんた何してんの!?」

「……? 寝る準備」

「ここ私たちの部屋じゃなくて大広間よ!?」

「だから何?」

「馬鹿アルテ! もう十三歳でしょ!? そろそろ恥じらいの一つくらい覚えてよ!」

 

 何やら必死な三人に抑え込まれたアルテには意味が分からなかった。

 これまで止められることが無かっただけに、突然こんなに必死になるのは不思議でならない。

 

「でも」

「でももだってもない! このまま入って!」

 

 思わず声を張り上げてしまったダフネは、辺りの注目を集めていることに気付き、声を抑えてアルテに言う。

 仕方なくアルテは帽子だけ外し、寝袋に入り込んだ。

 辺りの一年生は目を見張っているが、それを一切気にせず、アルテはさっさと目を閉じた。

 

「隣良い?」

 

 その声に特に反応することはなかった。

 代わりに答えたのは、ダフネだ。

 

「ああ、ルーナ。別にいいよ」

「ありがとう、ダフネ」

 

 ルーナがアルテの隣に寝袋を敷くのを、アルテは音で理解していた。

 ご機嫌で寝袋を敷いたルーナは、その中に入ると、アルテをつつく。

 

「アルテ」

「……」

「アルテー、お話ししない?」

「……」

「ベーコンあるよ」

「……」

 

 しつこく話しかけてくるルーナに、アルテは反応しない。

 もう眠気も迫っている。ルーナとの会話をするよりは、さっさと意識を手放したかった。

 アルテにしては珍しく、ベーコンにも反応しない。

 もう食事は終わっており、こんなところにベーコンなどないと理解しているのだ。

 

「……アールテー」

「……」

 

 一向に反応しないアルテ。

 それを暫く見つめていたルーナは――何食わぬ顔でアルテの耳に触れた。

 

「――えいっ」

「ひぅ――っ」

「ルーナッ!!」

 

 耳から体中に流れていく電流のような刺激に、思わず声を漏らすアルテ。

 それはダフネが禁止していたことで、ダフネら三人の間でも禁忌であった。

 その熱を帯びた声に辺りの生徒たちは思わず反応し、ダフネは殺気を込めて睨みつけることで誤魔化す。

 寝袋に包まったまま、器用にダフネの後ろに逃げて盾にするアルテを、ミリセントとパンジーは信じられないといった目で見ている。

 騒がしく三年目のハロウィーンの夜は更けていく。

 やがて、アルテたちやルーナも寝静まり、数時間。

 明け方の三時頃、聞こえてきた話し声でアルテはふと目を覚ました。

 

「校長、ヤツがどうやって入ったか、何か思い当たることがおありですか?」

「セブルス、色々とあるが、どれもこれも皆ありえないことでな」

 

 ダンブルドアとスネイプだ。

 スネイプは怒気を含んだ声で、ダンブルドアに告げる。

 

「校長、先日の会話を覚えておいででしょうな。一学期の始まった時の」

「如何にも」

「内部の者の手引きなしにはブラックが本校に入るのは、殆ど不可能だと。我輩しかとご忠告申し上げましたな。校長が任命したあの――」

「この城の内部の者がブラックの手引きをしたとは、考えておらん」

 

 何の話なのかは知らないし、それよりも眠気の方が勝った。

 再び意識を手放すアルテ。スネイプが話題に出した、シリウス・ブラックを手引きした疑いのある者というのが、己が最も尊敬する義父であるとは、思いもしなかった。




※流石に単独行動は許されなかったアルテ。
※毎年ハロウィーン何か起きすぎでは。
※パーシー初台詞。
※状況把握よりまずアルテの弁護をするリーマス。
※犯人を教えてあげようとしても睨まれるピーブズ。
※寝袋四つ運ぶアルテ。
※大広間だろうと構わず全裸テロ(未遂)(でも帽子は外す)。
※恥じらいも教えられなかったリーマス。
※アルテが相手してくれなかったので耳を攻めるルーナ。


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激情の日

 

 

 今年のクィディッチ対抗戦の開幕試合の前日は風が唸りを上げ、雨が激しく降る大荒れの天気だった。

 廊下も教室も真っ暗で、松明や蝋燭の数を増やすほどの事態であった。

 その日の『闇の魔術に対する防衛術』の授業は、グリフィンドールとの合同だった。

 今年に入ってから初めてという訳でもなく、既にグリフィンドール生も、この授業におけるアルテの態度は知っていた。

 この授業ではいつもアルテは上機嫌だった。

 あまりにアルテが自主的に発言するのでハーマイオニーはいつも張り合っていたし、それ以外の生徒たちは発言する必要もなかった。

 しかしながら――その日の授業は違っていた。

 いつもより険しい表情で教室にやってきたアルテは、一言も発さず授業開始時間を迎えた。

 リーマスが入ってくることはなかった。

 扉が乱雑に開かれ、入ってきたのはスネイプ。

 威圧的な雰囲気のままに生徒たちの間を歩いていき、教壇まで向かうと教科書を置き、出席を取り始める。

 ハリーだけがいなかった。

 出席を取り終えると暫くスネイプは何も言わず、板書を始めた。

 十分ほど過ぎ、ハリーが駆け込んでくる。ハリーもまた、スネイプを見て怪訝そうに眉を顰めた。

 

「授業は十分前に始まったぞ、ポッター。であるからグリフィンドールは五点減点とする。座れ」

「ルーピン先生は?」

 

 ハリーはスネイプを睨み返して聞く。

 スネイプは目を細め、歪んだ笑いを浮かべる。

 

「今日は気分が悪く教えられないとのことだ。座れと言ったはずだが?」

「どうなさったのですか?」

「命に別状はない」

 

 スネイプの瞳が鋭く光った。

 まるで、別状があればいいのにとでも言いたげだった。

 

「グリフィンドール、さらに五点減点。もう一度我輩に『座れ』と言わせたら、五十点減点とする」

 

 ハリーはスネイプをもう一度睨んで、のろのろと自分の席まで歩いていった。

 彼が腰を掛けると、スネイプは教室をずいと見回す。

 

「ルーピン先生はこれまでどのような内容を教えたのか、まったく記録を残していないからして――」

「ボガート、赤帽鬼(レッドキャップ)、河童、グリンデロー、次にやるのはヒンキーパンク」

 

 ハーマイオニーが挙手して答える前に、アルテが一息に言った。

 

「教えてくれと言った訳ではない、ミス・ルーピン。我輩はただ、君の父親のだらしなさを指摘しただけである」

 

 視線を鋭くしたアルテをスネイプも睨み返し、厭味ったらしく告げる。

 そこに、グリフィンドールのディーン・トーマスが加勢した。

 

「ルーピン先生はこれまでの防衛術の先生の中で一番良い先生です」

 

 ディーンの勇敢な発言を、教室中の生徒が支持した。

 少なくとも、おどおどとしてどもっており、何を言っているのかよく分からないクィレルや、そもそも教師として論外だったロックハートよりは万倍マシだ。

 それはグリフィンドールやスリザリンだけでなく、ハッフルパフやレイブンクローの生徒たちも含めた総意だった。

 ガヤガヤとしだす生徒たちに、スネイプの顔が一層威嚇的になった。

 

「点の甘いことよ。ルーピンは諸君らに対して著しく厳しさに欠ける。赤帽鬼(レッドキャップ)やグリンデローなど、一年坊主でも出来ることだろう。我々が今日学ぶのは――」

 

 スネイプは教科書の終わりの方までページを捲っている。

 その辺りならば生徒はまだ習っていないと踏んだのだろう。

 そして手を止め、未だに睨んでいるアルテに目を向け、一瞬、薄ら寒く笑った。

 

「――人狼である」

「ッ」

 

 拳をテーブルに叩きつけ、アルテが立ち上がった。

 集める全員の注目を意にも介さず、今にも飛び出さんばかりに身を乗り出すアルテを、隣に座るダフネは慌てて抑え込む。

 

「待って、アルテ! 授業中だよ!」

「座りたまえ、ミス・ルーピン」

 

 歯を食い縛り、アルテは座りなおす。

 ダフネには訳が分からないが、アルテが――或いは去年のロックハートの授業以上に苛立っていることは理解した。

 手を震わせるアルテを不安げに見ながらも、ハーマイオニーが挙手して発言する。

 

「先生、まだ狼人間までやる予定ではありません」

「ミス・グレンジャー。この授業は我輩が教えているのであり君ではない筈だが。その我輩が、諸君に三九四ページを開けと言っているのだ。全員、今すぐだ!」

 

 スネイプが怒鳴り、あちこちで苦々しげに目配せが交わされる。

 ブツブツ文句を垂らしながら、全員が教科書を捲る。

 

「さて、人狼と真の狼とをどうやって見分けるか――ミス・ルーピン、今年の君はすこぶる優秀だと聞いた。答えてみたまえ」

「……」

 

 当てつけのようにアルテを指したスネイプに対し、アルテは視線を外し、聞こえよがしな舌打ちを返答とした。

 スネイプの恐ろしさを知る生徒たちはそれだけで顔を青くする。

 居眠りなどとは違う彼女の態度の悪さは、楽しみにしていたリーマスの授業がなくなったことが原因だと生徒たちは思っていた。

 それは間違いではないものの、彼女の怒りの根本の原因がもっと別にあることを知っているのは、怒りを向けられているスネイプだけだった。

 

「嘆かわしい。ルーピンは娘の評価に贔屓をし過ぎているな。では、代わりに答えられる者はいるか?」

 

 ハーマイオニーだけが勢いよく手を挙げた。

 スネイプはそれを無視し、口元に薄ら笑いを浮かべた。

 

「誰もいないのかね? すると、何かね。ルーピン先生は諸君に、基本的な両者の区別さえまだ教えていないと――」

 

 嫌味なスネイプに、グリフィンドールのパーバティが突然口をきいた。

 

「お話しした筈です。私たち、まだ狼人間までいっていません。今はまだ――」

「黙れ」

 

 たった一言でスネイプはパーバティの反論を中断した。

 

「さて、さて。三年生にもなって、人狼に出会って見分けもつかない生徒にお目に掛かろうとは、我輩は考えてもみなかった。諸君の学習がどんなに遅れているかダンブルドアにしっかりお伝えしておこう」

「先生、狼人間はいくつか細かいところで本当の狼と違っています。狼人間の鼻面は――」

 

 未だに手を挙げていたハーマイオニーが狼人間について解説しようとする。

 しかし、スネイプは更に顔を歪め、ハーマイオニーを睨みつけた。

 

「勝手にしゃしゃり出てきたのはこれで二度目だ、ミス・グレンジャー。鼻持ちならない知ったかぶりで、グリフィンドールからさらに五点減点する」

 

 ハーマイオニーは真っ赤になって手を下ろした。

 俯くその目には涙が浮かんでいる。

 この教室の生徒の大抵が、ハーマイオニーを一度は知ったかぶりと呼んでいたが、今回においては睨まれているのはスネイプだった。

 誰もが彼に不快感を抱いたのだ。

 思わずロンは立ち上がり、大声で言った。

 

「先生が質問を出したんじゃないですか。ハーマイオニーが答えを知っていたんだ。答えてほしくないならなんで質問したんですか?」

「処罰だ、ウィーズリー」

 

 スネイプはウィーズリーににじり寄って言い放った。

 

「更に、我輩の教え方を君が批判するのが、再び我輩の耳に入った暁には、君は非常に後悔することになるだろう」

 

 それから先は、机に座って教科書から狼人間に関して写し書きをするだけの時間が続いた。

 アルテだけは、そのページすら見るものかと、過去のページを開き苛立たしげに眺めていた。

 その様子を憎らしげに見下ろしていたスネイプだが、アルテの過去のノートを見て鼻で笑った。

 

「これは間違いだな。河童は寧ろ蒙古に良く見られる。君の父親はこれで十点満点を与えたのかね? 我輩なら精々が与えられて四点と言ったところだが」

「リーマスが教えたことは間違ってないっ」

 

 ダフネが止める間もなくアルテは立ち上がり、スネイプを見上げた。

 今にも殴り掛かりそうなアルテを、スネイプは唇を捲り上げ睨み返す。

 

「妄信が過ぎるぞ、ミス・ルーピン。君は少しは父親の言うことを疑いたまえ」

「棲み処については根拠もある。別の本でも調べた。寧ろ蒙古が原住地なんてどこにも書いていなかった」

「黙らんか! 我輩は何事も疑って掛かれと言っている! 間違いへの指摘に異を唱えるなど恥を知れ!」

「――!」

「だ、ダメだってばアルテ!」

 

 激昂するアルテとスネイプの間に、ダフネは必死で割って入った。

 そうしなければ、本当に手が出ていた。

 スネイプの様子も流石に変だ。それは如何に態度が悪かろうと、一生徒に向けるものではない。

 もっと因縁のある、憎き敵へと向けるものだった。

 スネイプの理不尽な言い分には、ダフネも不満はある。

 だが、だからと言ってここまで怒っているアルテに、本能のままに手を出させる訳にはいかない。

 

「どいて」

「落ち着こう、アルテ! ルーピン先生にも迷惑が掛かるよ!」

「っ……」

 

 狂犬の如きアルテの怒りに、正面からダフネは対峙する。

 それに恐怖は感じない。ボガートが化けた、あのアルテに比べれば何でもない。

 ダフネを押しのけてスネイプに詰め寄る――アルテはそれをしなかった。

 苛立たしげにアルテは自分の教科書を手に、教室を出て行った。

 

「……まったく。父親が父親なら娘も娘か。ミス・グリーングラス、座りたまえ。授業を続ける」

 

 スネイプはそれを止めることもなく、ダフネを座らせると授業を続行する。

 ハリーだけが、気付いていた。

 スネイプがアルテに向ける目が、どうにも自身に向けるものと似ていたことに。

 そして授業終わりのベルが鳴った時、いつものように面白くはなかった授業からか足早に去ろうとした生徒たちを、スネイプは引き止めた。

 

「各自レポートを書き、我輩に提出するように。人狼の見分け方と殺し方について、羊皮紙二巻、月曜の朝までだ。このクラスはそろそろ誰かが締めて掛からねばならん。ミス・グリーングラス、ミス・ルーピンに課題のことを伝えたまえ。ウィーズリーは残るように。処罰の仕方を決めねばならん」

 

 ダフネは何も言わず、頷くだけで教室を出た。

 ピーブズを追いかけたりして、アルテが授業に出てこないことはこれまでもあった。

 だが、途中で抜け出すことなど、これまで一度もない。

 それほどの事態だったのだ。

 課題のことをアルテに言うのは躊躇われた。

 ――アルテのことを良く見ていれば、これだけ露骨に反応して、気付かない筈もない。

 まだ仮説の域を出ないものの、それで去年一年間の、アルテの不機嫌の原因だって説明がつく。

 指摘をするつもりはない。誰にも被害は出ていないし、授業も面白い。

 そして何より、言ってしまえばアルテを悲しませることになる。それだけは避けたかった。

 

「アルテ、大丈夫かしら……」

 

 ミリセントがダフネの隣に並んで、不安そうに言う。

 教室の外にいる可能性も考えたが、そんなことはなかった。

 

「ダフネ、何処にいると思う?」

「……分からない。寮か、ルーピン先生のところか……もしくは、ハグリッドの小屋とか?」

「ハグリッド? 何だってそんなところにいるのよ」

 

 ミリセントとパンジーは、まだ気付いていない。

 いや――気付いているというか、ダフネが勘違いしているだけかもしれないが。

 

「お気に入りのヒッポグリフがいたでしょ?」

「あぁ……あの黒いヤツ。でも、こんな時に?」

「流石にないでしょ……ハグリッドだって、今は先生よ? 授業中に来たら咎めるわよ――あっ」

 

 パンジーが最初に見つけた。

 前方から歩いてくるアルテの姿――。

 その表情にはもう不満はなく、だいぶ落ち着いて見えた。

 

「アルテ! どこ行ってたの?」

「オリオンのところ」

 

 ――出来れば違っていてほしかった予想が当たり、ダフネは溜息をついた。

 その名前に聞き覚えのないミリセントとパンジーは、たちまち慌てふためく。

 

「ちょ、ちょっとアルテ、オリオンって誰!?」

「まさか男じゃないわよね!?」

「ん……オスだって」

「オス!? 待ってどういう関係なのよ!?」

 

 別に間違ったことは言っていないのだが、最低限の説明しかしないアルテにより勘違いは加速していく。

 ミリセントとパンジーは、自分たちが知らない間に名も知らぬ男子生徒と特殊な関係になっていたと思い込んでいる。

 以前のダフネと同様だが――ダフネももう、説明するのは面倒だった。




※合同授業名物、アルテVSハー子。
※アルテがいるので原作の倍はwktkしてるスネイプ。
※ここぞとばかりにアルテを指名。
※舌打ちアルテ。
※授業内容すら無視。
※河童の生息地で大喧嘩する先生と生徒の図。
※ブチギレアルテVSブチギレスネイプ。
※途中退室。
※アルテにも勿論この課題を出すスネイプ。
※それでもスリザリンから減点はしない。
※オリオンに会って気が晴れるアルテ。
※加速する勘違い。馬鹿馬鹿しくなるダフネ。


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初めての衝動

 

 

 その翌日のクィディッチは大雨の中、執り行われた。

 本来、グリフィンドール対スリザリンだったのを、シーカーであるドラコの怪我を理由に試合を延期してもらい、結果グリフィンドールとハッフルパフが戦うことになった。

 リーマスの体調が心配だったアルテはいつも通り興味がない――というか入学してから一度もクィディッチ観戦などしていない――ため、見に行かなかったが、後から聞いた話によれば試合中に吸魂鬼が競技場に侵入し、ハリーがその被害に遭ったらしい。

 結果、箒から落下し、ハリーの箒は破壊されてしまった。

 

 そんな事故が起きた次の週、月曜日の『闇の魔術に対する防衛術』の授業には、リーマスは復帰していた。

 相変わらず真っ二つに分かれて教室に集まるスリザリン生とグリフィンドール生。

 リーマスはアルテに連れられて、教室にやってきた。

 ――その姿はよりやつれており、本当に病気だというのが見て取れる。

 くたびれたローブは前よりもダラリと垂れ下がり、目の下には隈が刻まれている。

 アルテは、何かの入ったガラス箱を抱えていた。

 リーマスを教壇まで送り、ガラス箱を置くと、自分の席へと向かう。

 リーマスは生徒たちを見渡し、血の気の引いた顔で微笑む。

 すると、生徒たちは一斉に、リーマスが病気の間のスネイプの態度への不満をぶちまけた。

 

「フェアじゃないよ、代理だったのにどうして宿題を出すんですか?」

「僕たち、狼人間についてなんにも知らないのに!」

「なんだって?」

 

 リーマスは目を見開いた。

 それから、さりげなくアルテに目を向ける。

 目に見えた不満が、その顔にはありありと映っていた。

 それをダフネが隣で気まずそうに見ている。

 ――随分な嫌がらせだ、とリーマスは感じた。

 

「……君たち、まだそこは習っていないって、そう言わなかったかい?」

「言いました、でもスネイプ先生は、僕たちがとっても遅れてるっておっしゃって……」

「耳を貸さないんです!」

「羊皮紙二巻なんです!」

 

 リーマスは、顔を顰めてそれを聞いていた。

 アルテは生徒たちが悪態をつくたびに、思い出したように机に爪を立てている。

 ――自身に向けられた嫌がらせだけならば、幾らでも許容できる。

 だが、スネイプのそれはアルテへの嫌がらせにも等しかった。

 

「よろしい。私からスネイプ先生にお話ししておこう。レポートは書かなくてよろしい」

 

 教室から歓声が上がった。それは、スリザリン生も同様だった。

 ハーマイオニーだけはがっかりした顔をしていた。どうやらもう書き終えていたらしい。

 

「さて。それでは予告通り、今日はこいつだ」

 

 リーマスはガラス箱の中の生物を指す。

 一本足で鬼火のように幽かな生物だ。

 

「ヒンキーパンク。これは旅人を迷わせて沼地に誘う。手にカンテラをぶら下げているのが分かるね? 目の前をピョンピョン跳ぶ。人がそれについていくと――」

 

 リーマスの授業は相変わらずだった。

 アルテも水を得たように活き活きとして、スネイプの時とは打って変わって積極的に発言した。

 やがて終業のベルが鳴ると、リーマスは授業の終わりを告げ、生徒たちは荷物を纏めて出口に向かう。

 

「リーマスの片付けを手伝う。先行ってて」

「そう? ならまた寮で。教科書は持ってっとくわよ?」

「ん」

 

 教壇に向かっていくアルテの教科書をミリセントが持ち、ダフネらは先に出ていく。

 いつもはこんなことを頼まれる前に出ていくアルテだが、この授業に限っては違う。

 

「ハリー、ちょっと残ってくれないか。話があるんだ」

 

 そうしている間に、リーマスはハリーを引き留めていた。

 ハリーが戻ると、アルテはヒンキーパンクの箱を布で覆っている。

 リーマスは机に積んだ本を鞄に詰め込みつつ、ハリーに話し始めた。

 

「試合のことを聞いたよ。箒は残念だったね。修理することは出来ないのかい?」

「いいえ。あの木が粉々にしてしまいました」

 

 リーマスは溜息をつく。

 普通は、高所から落ちたところで箒が壊れるということはない。

 致命的だったのは、箒が落ちた場所に偶々、暴れ柳があったことだ。

 乗り手のいない箒は自分で逃げることも出来ず、木の暴威に襲われてしまったのだ。

 

「あの暴れ柳は、私がホグワーツに入学した年に植えられたんだ。皆で木に近付いて、幹に触れられるかどうかゲームをしたものだよ。終いにデイビィ・ガージョンという男の子が危うく片目を失いかけたものだから、あの木に近付くことは禁止されてしまった。箒など、ひとたまりもないだろうね」

「……先生は、吸魂鬼のこともお聞きになりましたか?」

「ああ、聞いた。ダンブルドア校長があんなに怒ったのは誰も見たことないと思うね。吸魂鬼たちは、近頃日増しに落ち着かなくなっていた。校庭内に入れないことに腹を立ててね。……多分、君は連中が原因で落ちたんだろうね」

「――はい」

 

 ハリーは無意識のうちに拳を握り込んでいた。

 吸魂鬼に襲われたのはこれで二度目だ。

 その両方とも、ハリーは意識を失っていたのだ。

 

「……一体どうして? どうして僕だけあんな風に? 僕がただ――」

「弱いかどうかは関係ないよ。吸魂鬼が他の誰よりも君に影響するのは、君の過去に、誰も経験したことがない恐怖があるからだ」

 

 チラと、リーマスはアルテを見た。

 後はヒンキーパンクをリーマスの部屋に運ぶだけになっており、机に座って足をぶらつかせている。

 ――この場で言うべきか、迷った。

 未だに、リーマスは汽車でのアルテの様子の答えが出せていない。

 仮説は一つあるものの、それは彼が決して認められないものだった。

 そのこともあり、暫く口を閉ざしていたが――それではハリーの疑問も気も晴れまい。

 

「……吸魂鬼は地上を歩く生物の中でも最も忌まわしい生物の一つだ。最も暗く、最も穢れた場所に蔓延り、凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を周りの空気から吸い取ってしまう。マグルでさえ、姿は見えなくてもその存在は感じ取る。吸魂鬼に近付き過ぎると、楽しい気分も幸福な思い出も、一かけらも残さず吸い取られてしまう」

 

 もう一度アルテの様子を見て、リーマスは続ける。

 

「やろうと思えば、吸魂鬼は相手を貪り続けて終いには吸魂鬼自身と同じ状態にしてしまうことが出来る。心に最悪の経験しか残らない状態だ。そしてハリー、君の最悪の経験は酷いものだった。君のような目に遭えば、どんな人間だって箒から落ちても不思議はない――君は決して恥に思う必要はないよ」

 

 冬の陽光が教室を横切った。

 リーマスは、ハリーを元気づけるように微笑んでいる。

 

「……あいつらが傍に来ると、ヴォルデモートが僕の母さんを殺した時の声が聞こえるんです。どうして、あいつらが試合に来なければならなかったんですか?」

「飢えてきたんだ。ダンブルドアが奴らを校内に入れなかったので、餌食にする人間という獲物が枯渇してしまった。クィディッチに集まる大観衆という魅力に抗しきれなかったんだろ。あの大興奮、感情の高まり……奴らにとってはご馳走だよ」

 

 吸魂鬼とて生物だ。飢えれば気も立つし、多少強硬な手段にも訴える。

 飢えているときに彼らにとってのご馳走を見せられれば、抗うことなど出来ない。

 

「アズカバンは酷いところでしょうね」

「海の彼方の孤島に立つ要塞だ。囚人を閉じ込めておくには、周囲が海でなくとも、壁がなくてもいい。一かけらの楽しさも感じることが出来ず、皆自分の心の中に閉じ込められているのだから。数週間も入っていれば、殆ど皆、気が狂う」

「でも、シリウス・ブラックはあいつらの手から逃れました。脱獄を……」

 

 鞄が机から滑り落ちた。

 リーマスは屈んでそれを拾い上げ、身を起こしながら言う。

 

「確かに。ブラックは奴らと戦う方法を見つけたに違いない。そんなことが出来るとは思わなかった……長期間吸魂鬼と一緒にいたら、魔法使いは力を抜き取られてしまう筈だ」

 

 リーマスの表情には複雑な憎悪があった。

 それを見たアルテは――ふと思い出す。

 

「リーマス、汽車で追い払ってた」

「そうだ……先生は吸魂鬼を追い払っていましたよね」

「それは……方法がない訳ではない。しかし、汽車に乗っていた吸魂鬼は一人だった。数が多くなればなるほど、抵抗するのが難しくなる」

「どんな防衛法なんですか? 教えてくださいませんか?」

「ハリー、私は決して吸魂鬼と戦う専門家ではない。それは全く違う」

 

 リーマスとしては、その話題は極力避けたいものだった。

 どうしても、その魔法の存在を知られたくない者が、そこにいたのだ。

 

「……でも、吸魂鬼がまたクィディッチ試合に現れたら、僕は奴らと戦うことが出来ないと……」

 

 それでも――親友の忘れ形見を無下にするなど、出来ようはずもなかった。

 

「……よろしい、何とかやってみよう。ただし、来学期まで待たないといけないよ。休暇に入る前にやっておかなければならないことが山ほどあってね。まったく、私は都合の悪い時に病気になってしまったものだ」

 

 約束を取り付けたハリーの表情は幾分明るくなった。

 礼を言って教室を出ていくハリー。それを見送ったリーマスが振り返れば、複雑に歪んだ表情のアルテが、そこにいた。

 

「……アルテ? どうかしたのかい?」

「……リーマス。シリウス・ブラックと知り合い?」

 

 心臓が止まりそうになった。

 鞄を取り落とし、もう一度拾うリーマス。

 アルテの突然の問いに、汗がどっと噴き出る。

 

「……何故そう思う?」

「知らない人に向ける顔じゃない」

「ジェームズ――親友を殺されたんだ。こうもなる」

「それでも。ただ憎い相手ってだけの顔じゃない」

 

 誰よりリーマスを見ているアルテは、彼の表情の違いを分かっていた。

 ただ、友を殺された他人というだけでは、リーマスはこの表情を浮かべたりしない。

 憎悪というだけではない何かが、今の彼にはあった。

 

「…………シリウスは友人だった。ジェームズとは、共通の」

 

 アルテを誤魔化すことは出来ないと悟ったリーマスは、初めて、アルテに話すことを決めた。

 

「奴は裏切ったんだ。それがきっかけで、ジェームズと、そしてもう一人私の友人が死んだ」

「……ヴォルデモートの仲間?」

「……そうだ。奴が裏切っていたことを誰も知らなかった。知ってさえいれば……今更後悔などしても、どうにもならないが」

 

 拳を震わせるリーマスを、アルテはじっと見つめていた。

 彼の様子からは、無念が滲み出ている。

 ヴォルデモートという名前を出したにも関わらず、アルテの心はいつになく、かの帝王とは別のところにあった。

 闇の帝王に向ける、己の強烈な使命感とは全く異なる感情。

 これまでの、ロックハートやスネイプに向けたものよりも熱いものを、アルテは感じていた。

 

「――リーマス」

「ん?」

「吸魂鬼を追い払う魔法、わたしにも教えて」

 

 ――それは、アルテからだけは聞きたくない言葉だった。

 何故ならば、その魔法に必要な要素というものが、アルテの中に存在するという確信が持てなくなってしまっていたからだ。

 吸魂鬼の影響を受けないアルテ。

 その原因として考えられるものの一つだった。

 

「……アルテ、それは」

「それだけじゃない」

 

 アルテが感じているものは、炎のような感情だった。

 今のリーマスを遥かに超える、怒りと憎悪。

 リーマスの無念は、そのまま彼を尊敬するアルテのそれらの感情に繋がったのだ。

 

「わたしに戦い方を教えて。魔法を使った、ちゃんとした戦い方」

「……何のために?」

「シリウス・ブラックを殺すため」

 

 その時、アルテの中で、ヴォルデモートよりも優先するものが現れた。

 使命感から生まれた執着とは違う、純然な怒りと憎しみから生まれた、初めての敵。

 リーマスは思わず、アルテの肩を掴んで声を張り上げた。

 

「馬鹿な事を言うんじゃない! アルテ、君がシリウス・ブラックを敵にする必要なんてない、闇の魔法使いと戦うにしても、アルテには早すぎる!」

 

 今度はアルテが目を見開く番だった。

 困惑があった。リーマスに怒鳴られるというのは、初めてのことだったのだ。

 

「……何故急にシリウス・ブラックを?」

「……リーマスが、怒っていたから」

 

 その瞳には迷いはない。

 ゆえに、何故リーマスが止めようとしているかが、アルテには分からなかった。

 

「アルテ、気にしなくていい。これは私だけの後悔だ。アルテまで背負うことじゃない」

「でも……」

 

 納得する様子を見せないアルテに、リーマスは苦い顔をする。

 自身の無念の相手を、アルテは己の仇敵の如く感じてしまっている。

 

「……アルテが魔法を上達させることは喜ばしいことだ。だけど、それをまだ闇との戦いに使ってほしくはない。約束してくれ、力を得たからと言って、シリウス・ブラックやヴォルデモート――そんな連中を探して倒そうとはしないと」

「ッ……」

「『自分を守るため』……今はそれでいい。そういう理由であれば、私も喜んでアルテに魔法を教えることが出来る」

 

 その罪悪感からか――そんな妥協案を、リーマスは出した。

 しかし、それではアルテの目的には至らない。

 それでも頷いたのは――リーマスから教えを受けるということが、アルテにとって何より楽しいことであったからだ。

 

「なら、吸魂鬼への対抗手段はハリーと合同で、それ以外はまた別の日に行おう。さあ、ヒンキーパンクを部屋に戻す。手伝ってくれるかい?」

「ん」

 

 布を被せたガラス箱をアルテは持ち上げる。

 何はともあれ、リーマスに授業外でも教えを受けられるというのは、アルテにとっては収穫だった。

 その喜びに、僅かに尻尾を揺らしながら、アルテは教室を出るリーマスに続く。

 

 ――その数日後から、アルテの魔法訓練は始まった。

 授業が終わった放課後や、授業自体のない土曜日。

 決められた日にリーマスから魔法を学び、そして寮に戻る前にハグリッドのもとへ行きオリオンに会うというのが、アルテの生活の基本に加わった。

 そして――学期の終わりになる頃には、リーマスは訓練の度に、大きな喜ばしさと小さな恐ろしさを覚えるようになった。

 自分が予想していた速度を大きく上回る、アルテの成長速度。

 それはまるで、己の目指す到達地点のために必要な要素を貪欲に喰らって手にするかの如く――アルテは『戦闘』というものを学び、身につけていった。




※アルテが見に行かないので案の定スキップされるクィディッチ。
※不機嫌になると大体犠牲になるテーブル。
※テーブル「我々の業界ではご褒美です」
※守護霊魔法を教えたくないリーマス。
※シリウス「なんか嫌な予感がする」
※私情によってお辞儀<シリウスになった瞬間。
※物理攻撃一辺倒だったアルテの成長フラグ。


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継ぎ接ぎの守護霊(パトローナス)

※連日更新は今回までとなります。
 多忙につき、次回の更新はいつと断言出来ませんが、最悪土曜日になると思います。
 ご了承くださいませ。


 

 

 相変わらずリーマスの具合が悪かったクリスマス休暇を終え、新学期の始まった週の木曜日、吸魂鬼対策の特別授業は行われた。

 場所として選ばれた『魔法史』の教室でハリーが待っていると、時間を五分ほど過ぎた頃、リーマスとアルテがやってきた。

 アルテは大きな荷造り用の箱を抱えており、ビンズ教授の机に下ろした。

 

「なんですか?」

「ボガートだよ。火曜日からずっと、城をくまなく探したら、幸いフィルチさんの書類棚の中にいてね。本物の吸魂鬼に一番近いのはこれだ。君を見たら吸魂鬼に変身するだろうからね。使わないときは私の事務室にしまっておけばいい。ボガートの気に入りそうな戸棚が私の机の下にある」

 

 本物の吸魂鬼を連れてこられるより、ハリーは何倍も気が楽だった。

 ボガートの変身した吸魂鬼であれば、ハリーが上手く対処できなくともリーマスやアルテがどうとでもできる。

 アルテに対して変身したボガートの姿をハリーは知らないが――しかしスリザリンも同じくボガートの授業を行ったと聞いている。

 彼女が対処できないということはないだろう。

 

「さて……私がこれから君たちに教えようとしている呪文は、非常に高度な魔法だ。普通魔法レベル(O・W・L)資格を遥かに超える。『守護霊の呪文(パトローナス・チャーム)』と呼ばれるものだ」

 

 リーマスは杖を出して言う。

 その呪文は、ホグワーツで習うようなものではない。

 事実、卒業生の中でも使えない者が殆どだ。

 どれだけ優秀な魔法使いだろうとも、三年生で学び始めるのは尚早な魔法だが――これこそが吸魂鬼と対峙した時に最も有効な手段だ。

 

「どんな力を持ってるんですか?」

「呪文が上手くいけば、守護霊(パトローナス)が出てくる。いわば吸魂鬼を祓う者、保護者だ。これが君と吸魂鬼との間で盾になってくれる」

 

 守護霊とはプラスのエネルギーだ。

 それは吸魂鬼の餌食となるものだが、守護霊は人間ならば感じる絶望を感じることが出来ない。

 ゆえに吸魂鬼は守護霊を傷つけることが出来ず、使用者すら守ってくれる――それが守護霊だ。

 

「守護霊とは、どんな姿をしているんですか?」

「それを作り出す魔法使いによって一つ一つが違うものになる。大抵は何かしらの動物、魔法生物の形をとる」

「どうやって作り出すのですか?」

「呪文を唱えるんだ。何か一つ――一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめた時、初めてその呪文が効く」

 

 一番幸せな出来事――ハリーもアルテも、己の中のそれを考えた。

 アルテは、困ったように眉を顰める。リーマスにはその様子が、気が気でなかった。

 ハリーはダーズリー家でのことだけは思い浮かべないようにした。

 そして記憶を辿り――初めて箒に乗った瞬間を思い浮かべる。

 その体を突き抜けるような、素晴らしい飛翔感を出来るだけ忠実に思い浮かべようとする。

 

「……出来たかい?」

 

 ハリーはしっかりと、アルテは曖昧に頷いた。

 アルテの反応に一抹の不安を覚えるも――まだ実践ではないと、その不安を押し止める。

 

「では、呪文はこうだ――エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」

 

 ハリーとアルテは杖を構える。

 リーマスの言う通りに、想い出に集中し、そしてハリーが小声で呟いた。

 

「……エクスペクト・パトローナム」

「幸せな想い出に神経を集中しているかい?」

「ええ……はい」

 

 ハリーの杖は反応しない。

 それを見届けてから、アルテも何となしに、杖を振った。

 

「――エクスペクト・パトローナム」

 

 

 ――ハリーも、リーマスも、その光景を呆然と見ていた。

 杖から噴き出す、銀色の煙。

 やがて目も眩むほどの光となり、教室中を荘厳に照らす。

 ハリーとリーマスが目を見張っているうちに、光の中に何かが形作られていた。

 四足で立つ、巨大な姿。

 強靭な蹄、獅子の頭、そして鱗に覆われた尾。

 二人ともその魔法生物の姿を実際には、見たこともなかった。

 リーマスは名前だけは知っている。だが、それは幻にも等しい生物であり、守護霊として発現するとは思えない。

 その守護霊は十秒ほどアルテの前で佇み、消えていった。

 

「……キメラ」

 

 リーマスはその生物の名を、絞り出すように呟いた。

 発見例も極めて少なく、長い歴史の中でも正式に退治したとされているのは一頭しかいない、恐るべき生物。

 そんな生物――否、怪物とも言っていいそれを発現させたアルテは、杖を下ろすと、苦い顔をして近くの椅子に腰かけた。

 

「アルテ!」

 

 リーマスが駆け寄り、ぐったりとするアルテの肩を揺する。

 ゆっくり目を開けたアルテは、僅かに悪くなった顔色をリーマスに向ける。

 

「…………この魔法、嫌い」

「一体どうしたんだ……? 魔力を込め過ぎたのか、それとも……」

 

 守護霊の呪文を使ってこうなる者など見たことがない。

 吸魂鬼と対峙していたのなら分かる。幸福感を吸い取られる中、幸福で守護霊を構築するというのはこうした訓練以上に凄まじい精神力を要する。

 だが、これはそうではない。

 今のアルテの状態は、単に精神力や魔力の消費とは違っていた。

 

「何を思い浮かべたんだい?」

「……何も」

「何もって、どういうこと?」

 

 ハリーも思わず聞いていた。

 直前に使ったハリーは、自分の中を想い出でいっぱいにしたつもりだった。

 それでも杖から何かが飛び出してくるようなことはなかった。

 ゆえに、一発で成功させたアルテの答えは納得できない。

 

「……何も思い浮かばなかった。だから、とにかく唱えた」

「……そうか。とにかく休みなさい、ハリー、その間に訓練をしよう」

「は、はい……」

 

 リーマスは――その答えから逃避するように、ハリーに目を向けた。

 吸魂鬼の影響を受けない要因として、最も考えられることがそれであったからだ。

 アルテの中に、幸福な想い出というものが存在しない。

 幸せを感じることが出来ないということはない。

 では、どうして吸魂鬼を前に平然といられて、かつ守護霊を生み出すのに必要な要素を『思い出す』ことは出来ないのか。

 そして、だというのに何故守護霊を生み出すことが出来たのか。

 “人として”の矛盾で構成されているように感じてしまって、それを考えてしまうのが恐ろしかった。

 

「エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ――」

 

 ハリーが力みながらも、呪文を唱える。

 すると、杖の先から銀色の煙が急に噴き出した。

 なんの形をとることもなかったが、リーマスは嬉しそうに微笑む。

 

「な、何か出てきた!」

「最初の一歩だ。それじゃあ……吸魂鬼で練習してもいいかい?」

 

 ハリーが頷き、リーマスがボガートの用意をする。

 それを虚ろに眺めているアルテは、何故今の守護霊の魔法に、あそこまで拒絶感を覚えたのか、考えなかった。

 嫌いなものは嫌いであり、それ以上をアルテは求めていなかった。

 だが――極力使いたくないとは、思う。

 体が、その魔法を使うことこそが間違いだと言うように精神から引き剥がれようとするのを、二度と感じたくなかった。

 リーマスが箱の蓋に手を掛け、引っ張る。

 ゆらりと吸魂鬼が箱の中から立ち上がった。

 フードに覆われた顔がハリーの方を向く。

 辺りの灯りが消え、深く息を吸い込むと、身を刺すような寒気がハリーを襲った。

 

「え、エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」

 

 ハリーは必死に叫んで杖を振りかざすも、先のような銀色の煙すら出てこない。

 やがて、教室も吸魂鬼も次第にぼんやりしてきて――倒れ込んだ。

 

 

「ハリー!」

 

 ハリーが我に返ると、床に仰向けに倒れていた。

 結果など聞くまでもなかった。

 ボガートは教室の何処にもおらず、箱は閉まっている。

 既にボガートは箱に戻っているようだった。

 

「……すみません」

「大丈夫か? これを食べるといい。それからもう一度やろう。一回で出来るなんて期待していなかったよ。アルテも気分が悪くなっただろう? 一回で完璧に出来たら、びっくり仰天だ」

 

 リーマスはカエルチョコレートをハリーに寄越した。

 カエルの頭を齧りながら、ハリーは呟く。

 

「……母さんの声が、ますます強く聞こえたんです。それに、あの人、ヴォルデモート――」

 

 珍しく、アルテは反応もしなかった。

 それどころではないのか、もしくは今、闇の帝王よりも優先すべき存在がいるからか――

 アルテの様子を見ながらも、リーマスはいつもより青白い顔で、ハリーの身を案じた。

 

「ハリー、続けたくないなら、その気持ちは私にはよくわかる」

「続けます。やらなきゃならないんです。レイブンクロー戦で吸魂鬼が現れたら……また落ちる訳にはいきません。この試合に負けたらクィディッチ杯は取れないんです!」

「……分かった。別な想い出を選んだ方が良いかもしれない。つまり、気持ちを集中できるような幸福なものを。さっきのは、十分な強さではなかったようだ」

 

 ハリーはもう一度、記憶を探る。

 最も幸福な想い出――そう考えて、去年の寮対抗杯の優勝を思い出す。

 一年目のスリザリンとの同率優勝とは違う、正真正銘、グリフィンドールが優勝したのだ。

 あの時こそ、最も幸福な想い出として相応しいと思った。

 杖を握り締め、ハリーは身構える。

 

「いいかい?」

「はい」

 

 再び箱が開かれ、吸魂鬼が現れる。

 朽ちた片手が、ハリーの方に伸びてくる――

 

「エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ! エクスペクト――」

 

 白い霧が、ハリーの感覚を朦朧とさせる。

 大きな、ぼんやりとした姿がいくつもハリーの周りを動いている――

 

「ハリー、ハリー! しっかり!」

 

 リーマスがハリーの顔を叩き、覚醒させる。

 何故埃っぽい床に倒れているのか理解するのに、今度は少しだけ時間が掛かった。

 

「……父さんの声が聞こえた。父さんの声は、初めて聞いた……母さんが逃げる時間を作るのに、一人でヴォルデモートと対決しようとしたんだ」

 

 無意識のうちに、ハリーは涙を流していた。

 

「……ジェームズの声を?」

「ええ……先生は、父さんと同窓だったんですよね?」

「ああ……ホグワーツでは友人だった。さあ、ハリー、今夜はこのくらいでやめよう。この呪文はとてつもなく高度だ……言うんじゃなかった、君にこんなことをさせるなんて……」

「違います! 僕、もう一度やってみます! 十分に幸せなことじゃなかったんだ、そうです、ちょっと待って……」

 

 ハリーは立ち上がり、必死で考えた。

 本当に、本当に幸せな想い出。しっかりとした、アルテのような強い守護霊に変えることが出来る想い出――

 今度こそ、という気持ちは強かった。

 アルテはたった一度で成功させた。具合こそ悪くなってはいるが、あの形ははっきりと獣に見えていた。

 負けてはいられないというハリーの意地が、強い想い出と結びついた。

 自分が魔法使いと知った時、ダーズリー家を離れてホグワーツに行くことが分かった時。

 あの想い出が幸せと言えないならば、何が幸せと言えようか。

 

「――いいんだね?」

 

 ハリーは頷いた。暫く休んで気が楽になった様子のアルテが、じっと見ている。

 同じ授業を、同じタイミングで受けているのだ、これ以上遅れを取ることなど許されない。

 三度、リーマスが箱を開ける。

 飛び出した吸魂鬼に対し、怖じることなくハリーは杖を向けた。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

 吸魂鬼が近付いてきても、ハリーが意識を失うことはなかった。

 吸魂鬼が立ち止まる。

 そして、大きな、銀色の影が杖の先から飛び出し、吸魂鬼とハリーの間に漂った。

 足の感覚はなかったが、ハリーはまだ立っている。

 守護霊だ、と確信した。形ははっきりしていないが、事実、吸魂鬼の接近を防いでいた。

 

「リディクラス!」

 

 リーマスが飛び出し、杖を振るって叫んだ。

 パチンと音がして吸魂鬼が消えるのと、ハリーのもやもやとした守護霊が消えるのは殆ど同時だった。

 変化したボガートを箱の中に戻したリーマスは、へたりこんだハリーのもとへ歩いていき、肩を叩く。

 

「よくやった! 立派なスタートだよ、ハリー」

「……もう一回やってもいいですか? もう、一度だけ」

「いや、今は駄目だ。一晩にしては十分過ぎるほどだ。さあ――」

 

 リーマスはハニーデュークスの大きな最高級板チョコを取り出す。

 それを一切れアルテに渡して、残る全てをハリーの手に置いた。

 

「全部食べなさい。そうしないと、私はマダム・ポンフリーにこっぴどくお仕置きされてしまう」

 

 チョコレートを齧りながら、ハリーはリーマスがランプを消すのを見ていた。

 そんな中、一つ、気になることを口にする。

 

「……ルーピン先生、僕の父をご存知なら、シリウス・ブラックのこともご存知なのでしょう?」

「…………どうしてそう思うんだね?」

 

 目の色を変えたアルテを注意深く見ながら、リーマスは問い返す。

 

「別に……ただ、僕、父とブラックがホグワーツで友達だったって知ってるだけです」

「……ああ、知っていた。知っていると思っていた、というべきか。さあ、ハリー、アルテ、もう帰った方がいい。だいぶ遅くなった」

 

 リーマスは手を叩いて解散を言い渡した。

 結局アルテは一度魔法を唱えたきりだが、疲労はかなりのものだった。

 自分には、この魔法は向いていないのか――なんてほんの僅かに考え、しかしさして関心を持てず、あくびをする。

 夜も更けていた。さっさとベッドに飛び込むべく、アルテは廊下を歩く足を速めた。




※ハリーとアルテの合同授業。
※荷物持ちとなってるアルテ。
※いい想い出を考えようとすると困るアルテ。
※多分二次界隈でも割とレアだろう守護霊魔法一発成功。
※守護霊はキメラ。
※守護霊魔法で気分を崩す体質。
※何も思い浮かばなかったアルテ。
※お辞儀様の名前に反応しないアルテ(SR)。
※向いてないのは分かったけど理由は特に興味ないアルテ。


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義父の怒り

 

 

 グリフィンドールとレイブンクローの試合は、あまりにも呆気なく終わった。

 その最大の要因は、相棒であった箒、ニンバス2000を失ったハリーが新たに持ち出した世界最高の箒――炎の雷『ファイアボルト』であった。

 金持ちの魔法使いだろうと容易く手を出せない、ニンバスシリーズの二十倍以上もの金額の箒は誰からとも分からない、差出人不明のクリスマスプレゼントとしてハリーに届いたものだった。

 幾らハリーのためとはいえ、それだけの代物をプレゼント出来るような者など浮かばなかった。

 結果浮上したのは、シリウス・ブラックがハリーを殺すために罠を仕掛けた箒を送り付けたという可能性だ。

 それから暫くの間、マダム・フーチやフリットウィックによって箒は念入りにチェックされたが、この試合を前にしてようやく何も仕掛けられていないと判断されたのだ。

 シーカーとして類稀なる才能を持つハリーと、世界最高のファイアボルトが組み合わさればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 チームに最高の箒が齎されたことで士気が大いに上がったグリフィンドールチームは点を少しも渡さないままに、大差を付けて勝利してしまった。

 そんな中、ドラコたちが吸魂鬼の真似をしてハリーをまた箒から落とそうとしたが、ハリーは守護霊の魔法によりドラコたちを撃退し、マクゴナガルの逆鱗に触れスリザリンは五十点も減点された。

 その日のグリフィンドールの盛り上がりは夜遅くまで続いたが――全てが楽しいままでは終わらなかった。

 再びシリウス・ブラックが校内に現れたのだ。

 しかも今度はネビルが書き留めた一週間分の合言葉を使い、グリフィンドールの寮の中にまで入り込んだ。

 無論校内は大騒ぎだ。教師陣が総動員で城中を捜索したが、彼は見つかることがなかった。

 アルテはリーマスとの約束を守り、シリウスを探すことこそしなかったが、ずっとそわそわとしていた。

 シリウス・ブラックを捕まえたい。リーマスを裏切ったシリウス・ブラックの喉笛を噛みつき、引き千切ってやりたい。

 そんな衝動を抑え過ごした日から、暫く日数が経過し――

 

 

 土曜日の午後、アルテはリーマスのもとで訓練を受けていた。

 自分を守るための魔法訓練という名目で数ヶ月続けられているこの課外授業。

 ここ一ヶ月ほどは、この訓練に変化が表れていた。

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

「っと……出来たじゃないパンジー!」

 

 そう、生徒の増加である。

 リーマスは現在アルテのほかに、ダフネ、ミリセント、パンジーの三人に自分なりの防衛術を教えていた。

 一週間に何度か特別な訓練を受けていると知ったダフネたちは、リーマスに頼み込んで自分たちも参加した。

 簡単な魔法から始めた訓練だが、現在三人は武装解除にまで進んでいる。

 去年決闘クラブでスネイプが見せた魔法ではあるが、本来二年生で使えるようになるのは難しい魔法だ。

 その理論の説明から始め、ようやく実践に入ったダフネたち。

 最初に、何事もそつなくこなすダフネが成功させ、そして一歩遅れてミリセント、パンジーもコツを掴んだ。

 それをリーマスは拍手で称賛する。

 他の魔法使いと対峙した場合において、武装解除というのは基本ではあるが、同時に必勝の手段でもある。

 杖を奪えば魔法は使えない。

 実戦的な防衛術であれば、まずこの魔法からという考えから、リーマスはこの魔法を教え始めた。

 

「よし、じゃあ次だ。アルテ」

「ん」

 

 そして、先に始めていたアルテは既にこの魔法は問題なく扱えるようになっている。

 今アルテは、それよりも先――より高度な技術の練習をしていた。

 ダフネたちが参加した頃から、アルテはずっとその技術を練習してきた。

 理論としては理解している。だが、それを実践するのは非常に難易度が高い。

 アルテは教えられた流れを脳内で組み立てていく。

 普通の魔法使用と異なる点はたった一つ。

 精神、思考から一つの理論を構築し、魔法を出力する杖の動きという結果に意味を持たせる最後のパーツ――呪文を、発声ではなく己の中で組み上げる。

 即ち、無言呪文。

 

「ッ」

 

 相手から武器を奪い去るという理論に、杖の動きに、同時に呪文を乗せていく。

 声という確かな形にならなくとも、完成されたその技術はより自然に発動され、声を出すよりも素早く影響を及ぼす。

 結果、何も言わず小さく息を吐いたアルテの杖の動きと同時に、前に立っていたダフネの手から杖は離れた。

 

「やった! 成功だよアルテ!」

「ん……どういう事かわかった」

 

 その一つの成功で以て、アルテはようやく今まで出来ていなかった、理論で説明できる範疇を超えた感覚を掴んだ。

 こればかりは、教える者が如何に優秀であっても本人が慣れるのを待つしかない。

 アルテは今の感覚を頼りに、頭の中で別の魔法を組み立てる。

 引き寄せ魔法で床に落ちたダフネの杖を引き寄せ、左手で掴んだ後、素早く魔法を切り替え杖先に光を灯す。

 これだと分かれば、なんら普段の魔法の行使と違いはない。

 寧ろアルテとしては、呪文を口に出すというプロセスが省略される分、使いやすく感じた。

 とはいえ、通常の魔法行使に比べ、同じ要領における威力や効果は落ちている。速度と、相手に魔法を知らせないという秘匿性の代償とアルテは考えた。

 

「よくやった。アルテ、コツは掴めたかい?」

「ん。もう大丈夫」

 

 アルテはダフネに杖を返しつつ、リーマスの問いに答える。

 訓練を始める前、リーマスが感覚を掴めなければ何年かかっても出来ない、というだけあった。

 この課外授業の外でもアルテはこの一ヶ月、ひたすらこの技術の習得に費やしてきた。

 ようやく分かったコツというのは掴めてしまえばあまり厄介なものでもない。こういうものなのか、とアルテは理解した。

 

「にしても凄いわね、無言呪文なんて……上級生でもそうそう出来ないって聞いたわよ」

「ああ。卒業までに出来るようになれば十分に自慢できるものだ。まさか一ヶ月で習得するとは思わなかった」

 

 リーマスはアルテの頭に手を置いて、誇らしげに言う。

 表情は変えないながら、どこか上機嫌そうなアルテに、ダフネたちも顔を綻ばせた。

 その時だった。

 

『ルーピン! 話しがある!』

 

 部屋の暖炉が突然燃え上がり、その向こうからスネイプの声が響いてきた。

 ダフネたちは跳び上がって驚いたが、リーマスは面倒そうに眉を顰めるだけだった。

 

「今日はここまでにしよう。寮に戻りなさい」

 

 そう言って、リーマスはその暖炉に仕方なく飛び込んだ。

 残されたアルテたち四人。しかし、数秒呆けたのち、アルテは暖炉に向かって歩き出す。

 

「アルテ!」

「先戻ってて」

 

 スネイプがなんの用事があってリーマスを呼び出したのか、アルテは気になった。

 薬を渡すだけならともかく、それを抜きにすれば彼とリーマスは仲が悪いと聞いている。

 もしも何らかの、悪意ある呼び出しであれば――と、アルテは思ったのだ。

 まだ火の点っている暖炉に飛び込めば、アルテが体を思いきり振り回される感覚に襲われる。

 そして急回転しながら、スネイプの部屋にまで一跳びした。

 その場にはスネイプとリーマスだけでなく、ハリーもいた。

 スネイプは不愉快そうにアルテを睨みつける。

 

「娘まで呼んだ覚えはないが? ルーピン」

「まあ仕方ない。ちょうどアルテたちに特別授業を行っていたところだったのでね」

 

 アルテのローブに付いた灰を落としながらリーマスが答える。

 

「それで、何の用だいセブルス」

「今しがた、ポッターにポケットの中身を出すよう言ったところ、こんなものを持っていた」

 

 ――それを見せられた時のリーマスの表情を、アルテだけが見ていた。

 驚きから懐かしさに変わっていき、そして複雑なものになった顔で、リーマスはそれを手に取る。

 襤褸のような羊皮紙だった。

 アルテが覗き込むと、そこにはアルテでない生徒であれば思わず笑ってしまうような文面が記されていた。

 

 ――私、ミスター・ムーニーからスネイプ教授にご挨拶申し上げる。他人事に対する異常なお節介はお控えくださるよう、切にお願いいたす次第。

 

 ――私、ミスター・プロングズもミスター・ムーニーに同意し、さらに、申し上げる。スネイプ教授はろくでもない、いやなやつだ。

 

 ――私、ミスター・パッドフットは、かくも愚かしき者が教授になれたことに、驚きの意を記すものである。

 

 ――私、ミスター・ワームテールがスネイプ教授にお別れを申し上げ、その薄汚いドロドロ頭を洗うようご忠告申し上げる。

 

 スネイプを徹底的に罵倒した四つのメッセージ。

 それを見たからか、ハリーは真っ青な顔で最後の審判を待っているかのようだった。

 羊皮紙の文面をじっと見つめていたリーマスに、しびれを切らしたようにスネイプは一歩詰め寄った。

 

「それで? この羊皮紙にはまさに『闇の魔術』が詰め込まれている。ルーピン、君の専門分野だと拝察するが。ポッターがどこでこんなものを手に入れたと思うかね?」

 

 リーマスがようやく顔を上げ、ハリーに視線を送った。

 まるで、黙っているようにと警告しているように。

 

「セブルス、本当にそう思うかい? 私が見るところ、無理に読もうとする者を侮辱するだけの羊皮紙に過ぎないと見えるがね。悪戯専門店で手に入れたものじゃないか?」

「そうかね? 悪戯専門店でポッターにこんなものを売ると? 寧ろ直接に製作者から入手した可能性が高いとは思わんのか?」

 

 スネイプは怒りに顔を歪めていた。

 ハリーは何を言っているのか分からなかったし、リーマスも表情一つ変えなかった。

 ただ一人スネイプの言葉を聞いていなさそうなアルテは怪訝そうな表情のまま羊皮紙を覗いていた。

 

「ミスター・ワームテールとかこの連中の誰かから、という意味かい? ハリー、この中に誰か、知っている人は?」

「い、いいえ!」

「聞いただろう? 私にはゾンコの店の商品のように見えるがね」

 

 その合図を待っていたかのように、ロンが息を切らせて部屋に駆けこんできた。

 

「それ、僕が、ハリーにあげたんですっ! ゾンコで、随分前にそれを買いました!」

「ほら。どうやらこれではっきりしたね、セブルス」

 

 リーマスは上機嫌に言った。

 一切納得していない様子のスネイプを他所に、くたびれたローブにその羊皮紙を仕舞い込む。

 

「ハリー、ロン、おいで。アルテも。今週のレポートについて話があるんだ。セブルス、失礼するよ」

 

 リーマスは三人を連れて部屋を出た。

 ハリー、ロンの気まずそうな様子を、アルテは不審に思う。

 黙々と玄関ホールまで歩いて、ようやくハリーが口を開いた。

 

「先生、僕……」

「事情を聞こうとは思わない」

 

 リーマスは立ち止まり、周囲を見渡しながら、声を潜めて言った。

 

「何年も前にフィルチさんがこれを没収したことを私は知っている。これが地図だってこともね」

 

 ハリーとロンは目を見開いて驚き、アルテは首を傾げた。

 先程の文面以外に何か書いてある様子は見られなかった。

 あれが地図だというならば、そもそも地図としての体すら成していない。

 

「これがどうやって君のものになったのか私は知りたくない。ただ、君がこれを提出しなかったことには、私は大いに驚いている。残念だけどこれは返してあげる訳にはいかないよ」

 

 ハリーは覚悟していた。

 それが先生に渡った時点で、戻ってくることなどないと思っていたのだ。

 抗議することは出来なかった。

 それよりも気になることが多すぎた。

 

「……スネイプはどうして僕がこれを製作者から手に入れたと思ったんでしょう」

「それは……」

 

 リーマスは口ごもり、暫くの後、続ける。

 

「……それは、この地図の製作者だったら君を学校の外へ誘い出したいと思ったかもしれないからだよ。連中にとって、それは最高に面白いことだろうから」

「先生は、この人たちをご存知なのですか?」

「会ったことがある――ハリー、次は庇ってあげられないよ。私が幾ら説得しても君が納得してシリウス・ブラックのことを深刻に受け止めるようにはならないだろう。しかし、吸魂鬼が近付いた時、君が聞いた声こそ、君にもっと強い影響を与えている筈だと思ったんだけどね」

 

 静かながら、強い口調だった。

 その、聞いたことのないリーマスの声色に、言葉を向けられている訳でもないのにアルテは一歩後ずさった。

 本気で怒るリーマスというのを、アルテは初めて前にしたのだ。

 

「ハリー、君のご両親は君を生かすために自らの命を捧げたんだよ。それに報いるのに、これではあまりにお粗末じゃないか――たかが魔法のおもちゃ一袋のために、ご両親の犠牲の賜物を危険に晒すなんて」

 

 必死で感情を抑えつけているようだった。

 立ち尽くすハリーとロンを置いて立ち去るリーマスを、慌ててアルテは追いかける。

 困惑していた。今にも爆発しそうなリーマスに、何を言うべきなのか分からなかった。

 

「り、リーマス」

「……」

 

 名前を呼んでも、言うべき言葉は見つからない。

 立ち止まったリーマスの背中に、とにかくアルテは一番の疑問を投げかけた。

 

「……リーマス。その紙、リーマスの匂いがした。それ……」

「……すまない、アルテ。少し落ち着く時間が欲しい。寮に戻りなさい」

 

 震えたような声で、リーマスはそれだけ言って自分の部屋へと歩いていく。

 その明確な拒絶に、アルテは呆然と立ち尽くす。

 リーマスの姿が見えなくなっても、暫くアルテは動くことが出来なかった。




※流されるファイアボルト。
※未だにシリウスに対し殺意バリバリのアルテ。
※特別授業生徒追加。
※無言呪文習得。
※アルテ「無言のが手っ取り早くて使いやすい」
※ハリーが持っている期間が一瞬たりとも描写されなかった地図。
※怒り心頭なリーマス。
※激おこリーマスに困惑するアルテ。


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幸福への前夜

 

 

 その日以来アルテとリーマスの様子がおかしくなったことは、クラッブやゴイルのような鈍さの生徒でさえ理解できた。

 アルテは防衛術の授業で、前のように積極的に発言をしなくなったし、リーマスもアルテへの態度がぎこちなくなった。

 課外授業に関しては今まで通り行われているものの、アルテもリーマスも、互いにどこか遠慮しているようだった。

 ダフネたちはアルテに聞いたが、「よくわからない」の一点張り。

 親子喧嘩だろう――とダフネたちは考えた。

 正確にはどちらも、こんなことが初めてなせいでどうしたらいいか分からないだけなのだが。

 アルテはリーマスからの拒絶を受け、では一体いつになればまた近付けるのかが分からない。

 リーマスは、一度であってもアルテを拒絶してしまったという後悔と罪悪感で改善の仕方が分からない。

 彼女たちにとってやはり心配だったのはアルテだ。

 たった一度のリーマスとのすれ違いで、アルテは去年のストレスを溜め続けた日々を彷彿とさせるほどに元気を失ってしまった。

 それを、リーマスは分かっているのだろう。

 授業でもそれ以外の場でも、彼女に話題を振ろうという素振りはある。

 だが、それを実行に移せずにいた。

 ダフネたちは当事者である二人が解決するのを待っているのだが――いい加減、じれったかった。

 アルテが一歩踏み出せないのは分かる。彼女はとんでもなく不器用だし、関心がないことにはとことん見向きもしなかった。こうしたことへの対処に慣れていないのだろう。

 だが、リーマスが何も行動出来ないことには流石に腹を立てていた。

 彼は大人であり、義理であろうとも娘のいる身である。学校で然るべき課程も修めている。

 聞いた話ではグリフィンドールで、しかも監督生にまで選ばれたというではないか。

 そんな人格者である彼が娘との衝突をどうにも出来ないという事実は、ダフネたちにはひどく情けなく見えた。

 アルテはすっかり気が滅入っていた。

 そんな彼女の唯一といってもいい拠り所が、オリオンだった。

 何があったのか意気消沈しているハグリッドだが、オリオンを家の前に繋いでくれており、シリウス・ブラックの二度目の襲撃以降生徒の出歩きに学校が厳しくなっているにも関わらず、アルテは毎日のように小屋を訪れていた。

 ダフネたちは一層心配になった。

 オリオンがハグリッドのヒッポグリフである、とミリセントとパンジーの誤解は解けたのだが、アルテのオリオンへの感情を察してしまい、より不安になった。

 しかし、きっと時間が解決するとひとまず見守って――試験の日になっても、何一つ解決しなかった。

 

 

 アルテの様子がおかしいのは当然、先生たちも気付いていた。

 ゆえに目を掛けていた変身術のマクゴナガルは、とにかく不安だった。

 一年次には学年一位の成績であったが、今回はコンディションがすこぶる悪い。

 変身術の試験課題の中で何より難しかったのは、ティーポットをリクガメにする課題だ。

 

「大丈夫ですね? ミス・ルーピン」

「……」

 

 いつも通りの表情ながら、その気分が浮いていないことは誰でも分かる。

 このコンディションで試験に臨ませたリーマスに文句の一つも言いたくなったが、ここから引き返すことは出来ない。

 アルテはティーポットをじっと見つめ、いつもより少し長い時間を掛けてから、杖を振った。

 マクゴナガルの心配は杞憂だった。

 ティーポットは完璧にリクガメに変身しており、ティーポットの飾りや模様が甲羅に残っていることもない。

 マクゴナガルは安堵の息を零し、またもエリスを超えただろうと考え――些細な褒美として、少しだけお節介をすることにした。

 

「お見事です、ミス・ルーピン。……時に、ルーピン先生と何かありましたか?」

「っ……」

 

 ビクリとアルテの体が震えた。

 怯えと不安の表情を――マクゴナガルは微笑ましく思った。

 未だ謎の多い問題児。闇の帝王の打倒に固執し、スリザリンの怪物をも討伐した少女だが――義父との距離感に悩む様は、実に人間味がある。

 

「……彼は学生の頃から公正で模範的な人間でした。ですが、己の抱えた秘密から無意識のうちに、人付き合いに遠慮が入ってしまっているのです。何があったかは知りませんが、解決をしたいなら良い方法がありますよ」

「……何?」

「話してみるのです。きっと彼も、そうしたい筈。彼も不安げでしたから、驚くほど早く仲直り出来る筈ですよ」

 

 マクゴナガルはアルテに微笑んだ。

 どうにも、どちらも不器用な親子だ。

 だが解決は難しくない。きっと、話してみるだけでどうにでもなる問題だ。

 アルテは暫く考えて――頷いた。

 

「……試験が全部終わった、次の日にする。今は満月前で、リーマスも苦しいから」

「……ええ、そうなさい。気も晴れて、素敵な学年末を過ごせるでしょう」

 

 リーマスのことを考えるならば、それが良い選択だ。

 今は彼も神経質になっている時期だ。自分のことと試験のことで精いっぱいな筈だ。

 マクゴナガルは少し気分が明るくなったアルテを見て、思う。

 今後の試験は特に問題はなさそうだ、と。

 

 

 そこからの試験は好調だった。

 魔法生物飼育学は、考えるまでもない。

 自分のレタス喰い虫が、試験終了後まで生きていれば合格というものだ。

 心ここにあらずといった様子のハグリッドには、そのくらいしか思いつかなかった。

 レタス喰い虫は放っておくだけで最高に調子がいい。クラッブとゴイルでさえ、あっさりと合格した。

 魔法薬学は混乱薬を調合する課題だった。

 不安の種が幾分消え去ったアルテは、得意科目の失敗などする筈がない。

 リーマスと言い合いでもしたのだろうと気分良く思っていたスネイプは、アルテが提出した薬を見て気分を一転させ、親の仇でも見るような表情で受け取った。

 特に不安なく、いつも通りの様子で事をこなすアルテ。

 そして、防衛術の試験になる。

 

「……やあ、アルテ。試験の内容はこれだ」

「……ん」

 

 リーマスの試験は、これまで誰も受けたことのないような独特なものだった。

 言うなれば、障害物競走だ。

 グリンデローやレッドキャップ、ヒンキーパンクにボガートを突破する――これまでの集大成のような課題だった。

 

「準備はいいね?」

「ん」

 

 やはり、何処か遠慮した様子のリーマスが合図を出すと、アルテは駆けだした。

 その疾走に迷いはない。

 あえて爪も歯も使うことなく、リーマス直伝の無言呪文をもって襲い掛かる障害を撃退していく。

 一切立ち止まることもなく、最後のボガートが入ったトランクに飛び込むと、ものの一分足らずで出てきて、リーマスのもとまで歩いていった。

 

「終わった」

「……これまでで一番の速さだよ。迷いもなく、対処に間違いもなかった。贔屓にしていると思われてもいけないし、厳しく採点しようと思ったのだがね」

 

 苦笑するリーマスは、言外に満点を言い渡していた。

 真っ青な顔で笑う様はゴーストのようだが、アルテには見慣れたものだった。

 

「……リーマス、体調は?」

「……いつも通り、かな」

 

 二人の会話は、普段通りに見えてやはりどこかぎこちない。

 話すなら今でも出来る。だが、試験中だ。

 何かうまくいかなくて、残りの試験の実施に支障があっても困る。

 アルテは軽く深呼吸をして、マクゴナガルの言う通り、一歩踏み出した。

 

「リーマス、明日のホグズミード行き、一緒に行こう」

「ん……? ……あぁ、そう、か。そうだね。わかった、一緒に行こう」

 

 リーマスも、アルテの意図を察したらしい。

 それを自ら言い出せなかったことを自嘲しながらも、その提案を呑むことにする。

 その際にアルテにも謝罪しようと考えた。元より、アルテは何も悪くない。

 今日はどうにも良くない日だから、明日を提示したのだろう。

 リーマスにとってもその方が都合が良かった。出来れば、ホグズミード行きの最中に謝り、向こうの散策を存分に楽しもうと考える。

 

「それじゃあ、また明日」

「ん」

 

 アルテは、ローブの下で尻尾を振りつつ、部屋を出た。

 次の日がとにかく楽しみだった。

 試験全てが終わったら、オリオンにこのことを報告に行こうと思った。

 試験終わりくらい、誰も咎めることもないだろう。

 

 ――その選択が正解だったのか、間違いだったのか。

 アルテは後になっても、分からないことだった。

 

 

 

 最後の科目を終え、アルテはダフネたちにリーマスと明日のホグズミードを周ることを伝えると、三人はようやくか、と呆れた様子で微笑んだ。

 アルテの初めてのホグズミード行きだ。ダフネたちは共に周りたかったのだが、そういう話であれば仕方ない。

 それよりもアルテがようやく調子を取り戻してくれる方が遥かに優先だ。

 ダフネたちと話をした後、アルテはすぐにハグリッドの小屋を訪れた。

 最早ハグリッドに声を掛けることもない。

 家の近くに繋がれたオリオンは、アルテの足音を聞くや否や首を起こし、ギラリとした瞳を向けてきた。

 アルテの足が早まる。

 結局のところ、アルテとオリオンは一度たりともお辞儀を交わしたことがない。

 オリオンの荒い黒毛に飛び込む。

 ベッドとは比べるべくもないが、不思議と落ち着く感覚。

 アルテが寝転がると、オリオンも頬を寄せてくる。

 

「……オリオン。明日、リーマスとホグズミードに行く」

 

 オリオンには、ずっと前からリーマスの話はしてきた。

 彼にはリーマスという人物もホグズミードという村の名前も、そもそもこの言葉が理解できているかも分からない。

 だが、これをオリオンに伝えることで、アルテの気分はより明るくなる。

 話していると、すぐに眠気がやってきた。

 試験が終わった無意識の解放感と、リーマスとようやく仲直りできるという楽しみ。

 それらはあっという間にアルテを眠りへと誘い、その様子を見たオリオンは喜ぶように一つ鳴いた。

 

 

 アルテが再び目を覚ました頃には、日はすっかり落ちていた。

 寝過ごしたことに気付く。もう空の暗さからして、夕食も終わっているかもしれない。

 不思議と空腹感はなかった。一つあくびをして辺りを見渡し、何やらハグリッドの小屋から声が聞こえてくるのに気付く。

 

「ハグリッド、我々はその……死刑執行の正式な通知を読み上げねばならん。短く済ますつもりだ。それから私とマクネアがサインする、それが手続きだ。マクネア、こっちに」

 

 聞き覚えのない声だった。

 マクネアという名前にも覚えがない。

 どうやら来客中であるらしい。

 

「……誰?」

 

 アルテの呟きに答えを返すものはいない。

 ただ、オリオンが不安げに鳴き声を一つ漏らした。

 

「『危険生物処理委員会』はヒッポグリフのバックビーク――以降被告と呼ぶ――が、六月六日の日没時に処刑さるべしと決定した。死刑は斬首とする。委員会の任命する執行人、ワルデン・マクネアによって執行され……」

 

 何の話かは知らないが、あまり良い話ではなさそうだった。

 バックビーク、というヒッポグリフは名前は知っている気がしたが如何せんどんな個体だったかなど覚えていない。

 というのもハリーがバックビークと触れ合っている時からアルテはずっとオリオンを見ていたからなのだが――

 

「以下を承認とす。ハグリッド、ここに署名を」

「……ハグリッド、君は中にいた方がよくないかの?」

「いんや……俺は、俺はあいつを独りぼっちにはしたくねえ。最後まで一緒にいさせてくだせえ」

 

 ハグリッドの声は、すっかり落ちきった気分を必死で堪えているようだった。

 アルテが状況を掴み切れていないうちに、中にいた面々がぞろぞろと出てくる。

 オリオンとアルテがいる方向とは逆の壁に沿って、ハグリッドを先頭にした何人かの大人たちは裏のかぼちゃ畑にまで歩いて行った。

 アルテは目を細める。彼らのうち一人はダンブルドアだ。そしてもう一人――大斧を持った男が妙に目につく。

 

「……どこじゃ?」

「いない! ここに繋がれていたんだ! 俺は見たんだ! ここだった!」

 

 その斧の男が激昂している。

 かぼちゃ畑には、ヒッポグリフの姿は見られない。

 

「良かった! 可愛いビーキー! いなくなっちまった! 自分で自由になったんだ! 賢いビーキー!」

 

 ハグリッドの吠えるように喜んだ。

 斧の男が怒り心頭な様子で、斧を柵に振り下ろす。

 

「誰かが綱を解いて逃がした! 探さなければ!」

「マクネア、バックビークが盗まれたなら盗人はバックビークを歩かせてはいまいよ」

 

 楽しそうなダンブルドアの声。

 アルテはようやく状況を理解した。

 どういう訳か、あのバックビークとかいうヒッポグリフは処刑されることになったものの、逃げだしたということらしい。

 アルテとしてはどうでも良かった。適当に城に戻ろうと考えていたが、困った様子の一人がアルテの――オリオンの方へ顔を向けた。

 

「……あー。被告はいませんが。ヒッポグリフを処刑したという事実が必要なのでは?」

「しかしですな、あの個体を処刑しても……」

「そ、そうでさあ! オリオンは何もしてねえ! 処刑されるようなヤツじゃねえです!」

「ああ、いや、しかしハグリッド。私が言えば、その個体をバックビークとして報告出来る。何より獣の一匹処刑せずに帰れば我々の面目がだね……」

 

 アルテは、剣呑とした様子で自分に向かって歩いてくる男たちを、警戒した面持ちで見つめる。

 近付いてくれば、この暗闇でもヒッポグリフの他に誰かいることくらいは彼らも分かったらしい。

 

「……おい、生徒がいるぞ!」

「あ、アルテ! お前さん今日も来とったのか!」

 

 困惑した様子の男たち。ハグリッドの前にダンブルドアが歩み出て、怪訝な表情でアルテを見下ろす。

 

「ああ、アルテ。門限はとっくに過ぎておるよ。どうしてこんなところにいるのかね?」

「オリオンと一緒に寝てた」

 

 誤魔化す理由もなく、真実を告げる。

 近付いてくる男たちの――特に斧を持った男を目にして、オリオンは低い唸り声を上げながら立ち上がった。

 アルテもその背にしがみ付くようにして立つ。

 

「……何の用?」

「あー、実は本日処刑される筈だったヒッポグリフが失踪してしまってね。その、結果が必要なのだ。被告でないにしろ、ヒッポグリフを処刑したという結果が」

 

 アルテは悟った、この、言葉を選んでいるような山高帽の男が、何をしようとしているのか。

 歯を剥き出しにして敵意を――殺気すれすれの鋭いものを放つアルテに、男は一歩後退った。

 

「オリオンには関係ない」

「それは、ああ、そうなのだがね。私も、ああ、良くも悪くも立場がある。どうにかせねばならぬし、どうにか出来るのだ。すまないが、レディ、城に戻りなさい。君に見せるようなものではない」

 

 しかし、男も逃げ出しはしない。

 決して認めまいと、アルテはオリオンに抱き着く手を強める。

 ハグリッドはアルテの怒気に、庇おうにも何も言えなくなっている。

 ダンブルドアは、どうしてアルテがこの場にいるのかという疑問にひとまず蓋をし、彼女とオリオンを守ろうとする寸前――アルテは動いた。動いてしまった。

 

「ッ」

「アルテ!」

 

 斧を肩に掛けた男が苛立った様子で前に出るや否や、アルテは杖を振りオリオンを繋ぐ鎖を断ち切った。

 ハグリッドが、そしてダンブルドアが止めるのも聞かずに、アルテはオリオンの背に乗る。

 オリオンはアルテの意を察したように、駆け出した。

 処罰は免れない、などと、考えている暇すらなかった。

 オリオンがどこに向かっているか、アルテは知らない。オリオンも、特に考えていないのだろう。

 ともかくアルテの考えとしては、あの場から離れたいだけだったのだ。

 その意思に応じて、オリオンは疾走する。

 やがて、アルテは何かを見つけた。

 

「……?」

 

 夜闇の先に、何やら見えた。

 ハリー、ロン、ハーマイオニー――それから、動物が何匹か。

 何やら揉めているようだった。

 こんな夜に何を――と、その時気付いた。

 感じ取った臭い。泥と雨に塗れたような汚らしい――ハロウィーンの夜、アルテが嗅ぎつけたのと同じものだ。

 考えるまでもなく、アルテはオリオンに見せるように彼らを指差した。

 十秒も待たずにハリーたちのもとに辿り着く。

 驚いた様子のハリーが対峙しているそれを見た。

 臭いの主は、そこにいた。

 巨大な、薄灰色の目をした、真っ黒な犬だった。




※学年末まで改善できなかった不器用親子。
※より不安になった保護者娘たち。
※マクゴナガル先生のカウンセリング。
※関係「俺……試験が終わったら改善されるんだ!」
※オリオンにも報告。
※役人「目的のヒッポグリフいないならその辺の奴処刑してでっち上げればいいんじゃね?」
※マクネアすら出てきたのに名前も出てこないファッジ。
※逃避行。
※突撃! 今宵の三人組!
※遭遇、犬VS犬(リドル談)。


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シリウス・ブラック

 

 

「アルテ! どうしてここに……!」

 

 アルテはハーマイオニーの問いには答えず、オリオンから降りた。

 ここ最近、雨など降っていない。その臭いが、巨大な犬から漂ってきているのは明らかだ。

 アルテは爪を伸ばし、杖を引き出そうとして――それよりも早く、犬は動いた。

 オリオンがアルテを庇うように前に出る。

 しかしアルテも、オリオンも一瞥すらせず、犬はロンに襲い掛かる。

 ハリーとハーマイオニーが犬をどうにかしようとするも、犬はロンを盾にするように前に突き出した。

 

「た、助け……!」

 

 犬はロンを引き摺って走っていく。

 そして太い木の根元に開いた隙間に飛び込むと、ロン共々潜っていった。

 

「あれ、暴れ柳よ!」

「ロン!」

 

 ハリーたちが犬を追うより先に、暴れ柳が太い枝を振り下ろす。

 その対象は、ハリーやハーマイオニーだけではない。

 

「離れて、待ってて」

 

 アルテはいきり立つオリオンに指示を出した。

 落ち着かせるように嘴に手を置いて――オリオンに下がらせると、アルテは駆けだした。

 

「助けを呼ばなくちゃ!」

「ダメだ、あいつはロンを食ってしまうほど大きいんだ、そんな時間はない――アルテ、危ない!」

 

 自分に枝が近付いてくるのは分かっていた。

 その方向を、アルテは見もしない。ただ無言のままに、杖を薙いだ。

 停止呪文が太い枝を捉える。

 動かなくなった枝をすり抜けるように、アルテは駆けていく。

 ハリーとハーマイオニーは、ともあれ好機だと判断した。

 犬を追って木の根元に飛び込むアルテ。それにハリーとハーマイオニーも続く。

 そこはただの穴ではない。

 長いトンネルとなっていた。

 

「このトンネル、どこに続いているのかしら?」

「わからない……この道を知っていたフレッドとジョージも通ったことはないみたいなんだ。ホグズミードみたいだけど、どの辺りに続いているかは……」

 

 アルテにはどうでも良い話だった。

 どこに繋がっていようとも関係がないし、ロンを助けるつもりもない。

 ただ、自分の考えが正しければ、あの犬は――と、アルテの頭の中はそれだけだった。

 トンネルはやがて、上り坂になった。

 アルテは爪を使って駆けあがる。

 ハリーとハーマイオニーも必死で追いかける。

 ――部屋があった。

 雑然とした埃っぽい部屋だ。壁紙は剥がれ掛け、床は染みだらけで、家具という家具は打ち壊されたように破損していた。

 そんなボロボロの部屋でありながら――アルテには、ひどく落ち着く匂いがした。

 

「……ここ、叫びの屋敷よ」

「叫びの屋敷?」

「アルテ、貴女は知らないのね。ホグズミードにある幽霊屋敷よ」

 

 ハーマイオニーの説明を聞きながらも、アルテの目は傍にあった木製の椅子に向けられていた。

 一部が大きく抉れ、足の一本が完全にもぎ取られている。

 一朝一夕でこなせるような破壊ではない――誰かが何年もかけて行ったような破壊だ。

 

「ゴーストがやったんじゃないな」

「ええ、まるで動物みたいな……ほら、噛みついたような痕まである」

 

 アルテは鼻を引くつかせながら、辺りを見渡している。

 しかし、その気になった匂いの確証を掴むより前に、二階から物音がした。

 三人は天井を見上げる。

 恐怖を堪えるようにハーマイオニーはハリーの腕を握り締めていた。

 アルテが先頭切って走り出そうとしたのを、ハリーが止める。

 

「ゆっくりだ、アルテ。気付かれないように」

 

 アルテは苛立った様子だった。

 しかし、ハリーの言葉は正しい。

 襲撃するならば気付かれていないままの方がいい。

 こっそりと二階への階段を上がっていく。

 踊り場まで上がり、開いているドアを一つだけ発見する。

 物音はその先から聞こえてきた。

 三人は誰からともなく顔を見合わせる。

 杖を先頭に立てて、再びアルテが前に出る。

 ドアを蹴り開け、部屋に転がり込む。

 部屋には四本柱の天蓋ベッドと、その上に寝そべるクルックシャンクス、そして脇の床には、妙な角度に曲がった脚を投げ出して、ロンが座っていた。

 アルテが周囲を見ている間に、ハリーとハーマイオニーがロンに駆け寄る。

 

「ロン、大丈夫!?」

「犬は何処!?」

 

 ロンが呻いた。痛みで歯を食いしばっている。

 

「犬じゃない……ハリー……罠だ。あいつが犬なんだ……『動物もどき(アニメーガス)』だ!」

 

 アルテが思いきり開け放ったドアを、誰かが閉じた。

 アルテではない。ハリーではない。ハーマイオニーでもない。ましてロンである筈がない。

 この場にいる、五人目。

 汚れ切った髪が肘まで垂れている。目のギラギラとした輝きがなければ、まるで死体が立っているようだった。

 血の気のない皮膚が顔の骨に張り付き、髑髏を思わせる。

 ニヤリと笑うと、黄色い歯がむき出しになった。

 ――紛れもなく、シリウス・ブラックだ。

 ハリーたちが杖を振るうより前に、シリウスが動く。

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

「ッ」

 

 ロンの杖を振るい、ハリーとハーマイオニーの杖を飛ばし、シリウスはそれを手に取った。

 そこから流れるようにアルテに術を放ち――アルテはリーマス直伝の盾の呪文で防ぎ切った。

 

「ほう――」

 

 シリウスが更に深く笑う。

 アルテの武装解除を相殺し、二つ、三つと呪文を放つ。

 最初の攻撃以来、アルテはすっかり攻められなくなった。

 無言呪文さえ習得したとは言え、アルテが戦うすべを身に着け始めてからまだ一年にも満たない。

 シリウスの攻撃は熟練の魔法使いのもの。

 たちまち防戦一方となり――二十秒と経たないうちに、アルテの杖は飛んだ。

 

「大したものだ。もう少し杖の振りは小さい方が良い。そうすればより素早く次の手に移れるよ」

 

 そんな助言をしながらも、シリウスはアルテの杖も受け止めた。

 爪を伸ばして跳びかかろうとするも、シリウスの杖は依然としてアルテに向けられている。

 下手に動くことも出来ない。

 

「さて……君なら助けに来ると思った。君の父親も私のためにそうしたに違いないよ。勇敢にも先生を呼ばずにここにきた――その方がずっと事が楽だ」

 

 杖をアルテに向けたままに、シリウスはハリーを見た。

 父親についての嘲るような言葉が、ハリーの耳を打つ。

 恐怖など抱く余地もなかった。ハリーにあるのは、憎しみだけだった。

 杖を取り戻したかった。身を守るためではない――攻撃のために――殺すために。

 しかし、シリウスに向かおうとする体が動かない。ロンとハーマイオニーが、必死でしがみ付いていた。

 

「ハリー、駄目!」

「ハリーを殺したいのなら、僕たちも全員殺すことになるぞ!」

 

 ロンは立ち上がろうとして、よろめいた。

 彼の怪我は浅くない。骨は折れているし、現在進行形で血が流れており、無理など出来なかった。

 

「座っていろ。脚の怪我が余計に酷くなる――それと、今夜殺すのはただ一人だ」

 

 ハリーは二人を振り解こうとしながらも、叫ぶ。

 

「何故だ! この前はそんなことしなかったんだろう! ペティグリューを殺すためにたくさんのマグルを無残に殺したんだろう! なのにどうした、骨抜きになったのか!」

「ハリー、お願い! 黙って!」

「こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!」

 

 渾身の力で、ハリーは二人の手を解いた。

 魔法など忘れていた。自分が十三歳の子供であることなど、考えもしなかった。

 アルテに杖を向けていたシリウスは反応に遅れ、ハリーの接近を許した。

 一歩遅れて杖を振ろうとして、それは出来なかった。

 ハリーはシリウスの手首を掴み、もう一方の手で拳を作り、シリウスの横顔を力の限り殴りつけた。

 壁にぶつかりながらも、シリウスはハリーを抑え込もうとして――右腕に走った痛みに顔を歪めた。

 狙いは逸れたと、アルテが跳び込んだのだ。

 伸ばした爪でシリウスの腕を引っ掻き、まずロンの杖を落とす。

 取り戻す暇もなく、もう一度シリウスは頬を殴られた。

 不思議なまでの連携で、アルテはもう片方の手に握られた三本の杖も奪い取った。

 そして己の短い杖を構え、失神呪文を叩き込もうとして――横から跳んできたクルックシャンクスに遮られた。

 

「っ、何……っ」

「こら、クルックシャンクス!」

 

 咄嗟に突き出した左手に、クルックシャンクスの爪が深々と食い込む。

 ハリーとハーマイオニーの杖が落ちた。

 ハリーが自分の杖を拾うのを、視界の端で見る。自分から離れようとしない猫に、仕方なくアルテは失神呪文を当てるか否か、迷っていた。

 そうしているうちにハリーはシリウスの心臓目掛け、杖を向けた。

 

「……私を殺すのか?」

「お前は僕の両親を殺した!」

「……否定はしない。しかし、君は全てを知ったら……」

「お前は僕の両親をヴォルデモートに売った、それだけ知れればたくさんだ!」

 

 ハリーは聞く耳も持っていない。

 シリウスは緊迫した声で、ハリーに言う。

 

「聞いてくれ、君は聞かないと後悔する。君は、分かっていないんだ……!」

「お前が知っているより僕はたくさん知っている! お前は聞いたことがないだろう、僕の母さんが、ヴォルデモートが僕を殺すのを止めようとして……! お前がやったんだ!」

 

 ようやくアルテはクルックシャンクスを放り投げ、ハリーより前に出た。

 同じくシリウスの心臓に杖を突き立て、ハリーに勝るとも劣らない殺意を向ける。

 

「お前は、わたしが殺す」

「……すまないが、君に何かをした覚えはないがね」

 

 シリウスは憮然と答える。

 苛立った様子で、ハリーはアルテの腕を掴んだ。

 

「アルテ、君にはなんの関係もないだろう!」

「お前はリーマスを裏切った! リーマスは苦しんでいた! お前さえ殺せば、リーマスはきっと喜んでくれる!」

 

 闇の帝王に対峙した時の張り付いたような笑みは、そこにはない。

 目を剥いて、本当の憎悪に満ちた表情で、アルテはシリウスを見下ろしている。

 もしも、相応な呪文さえ知っていれば、今すぐにでも唱えていただろう。

 今のアルテには、シリウスを苦しみ抜かせて殺すことしか頭にない。

 

「リーマス……!?」

 

 シリウスは驚きに目を見開く。

 しかし、問いを投げる前にアルテが吠えるように叫んだ。

 

「お前なんかがリーマスの名前を呼ぶなッ!」

「づっ……!」

 

 アルテは激情に身を任せ、シリウスに攻撃魔法を叩き込んだ。

 失神呪文ではない。簡単な射撃魔法、『フリペンド』だ。

 シリウスは傷一つつくことはなかったものの、直接体の中に打ち込まれたような痛みに襲われた。

 その痛みに耐えながらも――シリウスはようやく、まともにアルテを見る。

 

「……待つんだ。君が、彼の知り合いであるならば、君も聞く権利がある」

「話をする気はない! わたしは、お前をリーマスが今まで受けた分苦しませて! それから殺す! お前の裏切りでリーマスの友達は死んだ! ずっとリーマスは苦しんできたんだ!」

 

 喉が千切れんばかりの叫びだった。

 あまりの剣幕にロンもハーマイオニーも口を出せない。

 ハリーは止めようとして――アルテの怒りの理由に、思わず手を下ろした。

 怒りの遠因に両親の死があるならば――彼女が手を下すこともまた、正しいと思ったから。

 もう一度、アルテは杖を振るい術を撃ち込む。

 

「う、ぐっ……」

 

 その箇所を抑えようともがく手が心の底から憎らしくて――無言のままに『ディフィンド』を唱え、腕に沿うように裂傷を刻んだ。

 十分に弱ったら、爪でその皮膚を引き裂いてやろうと思った。

 そうしてしまえばもう長くは持たない。

 まだ死んでしまっては困る。まだ、シリウスはリーマスが受けた苦しみの十分の一さえ受けていない。

 死ぬ前に限界まで苦しみ抜いてもらわなければ、リーマスの無念は晴らせない。

 だから、もっと強い痛みを、もっと深い苦痛を――アルテは一切の濁りのない、鮮烈な殺意のままに、その魔法を思い出した。

 もう何度受けているか分からない。その魔法の神髄も、正直なところ分かっていない。

 だがその魔法が齎すものは知っている。それが魔法の効果として正しいものであるならば、理論を逆算することだってできる。

 あの痛みを百度も浴びせれば――この男に相応しい苦痛になろう。

 アルテの殺意の中に浮かんだ、その意思を感じ取ったのかもしれない。

 シリウスは一瞬怯えるようにもがき、審判の時を待った。

 

「ッ――――」

 

 そうだ、この呪文ならば、徹底した苦痛を与えることが出来る筈。

 その果てにシリウス・ブラックが死んだと分かれば、間違いなくリーマスは喜ぶ。

 アルテに疑いはなかった。これでリーマスの長年の悩みも消え、心の底から笑ってくれるだろう。

 明日の朝にそれを報告し、晴れやかな気持ちでホグズミードに向かおう。

 共に村を歩き、楽しむのだ――そう思えば、今から与える苦痛を待ち遠しく感じた。

 それを齎すべく、杖を振り上げる。

 次の瞬間だった。

 リーマスが部屋に駆け込んできて、素早く状況を把握すると、アルテより早く杖を振る。

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 誰よりも信頼する声がアルテの耳に届く。

 アルテと同じイトスギの杖が、主の意思に従って魔法を放つ。

 魔法は正しく、狙った通りに――――アルテの杖を奪い去った。




※早々にパーティから外れるオリオン。
※突撃となりの幽霊屋敷。
※初の魔法戦(黒星)。
※恒例になったハリーとの共闘(近接戦闘)。
※猫VS犬(リドル談)。
※アルテが猫と戯れている間に話を進めるハリーとシリウス。
※『お前』呼び二人目。
※アルテ的名前を呼んではいけないあの人(リーマス)。
※去年のリドルみたいなことしてるアルテ。
※禁じられた呪文使用回避。
※せっかくなのでアルテのメンタルを削っていくスタイル。


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過ちのヒビ

 

 

 杖が飛んだのは、アルテだけではない。

 ハリーの杖も、ハーマイオニーがいつの間にか拾い上げていた残る二本も、同時に飛んだ。

 リーマスは四本の杖を器用に捕まえ、僅か、シリウスに杖を向けた後、辺りを警戒するように見渡した。

 その目がアルテに合わせられる。

 困惑した様子のアルテを通り過ぎ――シリウスを見下ろす。

 ――アルテは突然現れたリーマスに杖を向けられたという事実に理解が追い付いていなかった。

 怪我を治してくれた時や、課外訓練の手本、そんな時とは訳が違う。

 だが――アルテは無理やり納得した。

 彼は何らかの手段でここにシリウスがいることを知ったのだ。

 それで、アルテの手ではなく、自分自身の手でシリウスを殺したいのだと。

 思考を侵食していく不安を押し込めて、アルテはそうに違いないと断定した。

 

「――シリウス、あいつはどこだ」

 

 リーマスは何かの感情を押し殺したような、震えた声で聞いた。

 シリウスは無表情のままに、リーマスを見上げる。

 数秒間、視線を交わした後、シリウスはゆっくりと手を上げ、まっすぐにロンを指した。

 ロンも当惑しているようだった。

 

「しかし、それなら……何故今まで正体を現さなかった? もしかして……」

 

 シリウスが頷く。

 ――その、言葉を超えたようなやり取りに、アルテの困惑はより強くなった。

 そんな筈はないと、己の中に生まれた疑惑を否定する。

 リーマスは今、シリウスを殺す前に情報を引き出しているのだ。たったそれだけに過ぎない。

 無意識のうちに、体が震えていた。

 これは自分が間違った疑いを立てているのだと、強く自戒する。

 荒くなっていた息を抑えるように、唇を噛む。口の中に流れてきたもので、舌に鉄の味が広がった。

 

「先生……ルーピン先生、何が……?」

「……」

 

 ハリーが、恐る恐る問い掛ける。

 リーマスは答えることなく、構えた杖を下ろした。

 そして次の瞬間、リーマスはシリウスの手を取って、助け起こした。

 ――アルテの思考が真っ白になる。

 今はそれどころではないように、リーマスはシリウスを抱きしめた。

 まるで、兄弟のように。

 

「なんてことなの!」

 

 ハーマイオニーが叫ぶ。

 リーマスはシリウスを離し、ハーマイオニーに目を向けた。

 

「……ハーマイオニー」

「せ、先生は……先生は、その人とグルなんだわ! 私、誰にも言わなかったのに!」

「ハーマイオニー、落ち着きなさい」

「先生のために、私、隠していたのに!」

 

 違う、そんなことはない。

 そんな疑いを持ってはいけないと、伸ばした右手の爪を左腕に食い込ませる。

 その痛みがあってなお――アルテの不安は消えなかった。

 

「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。説明するから――」

 

 ハリーもまた、震え出していた。

 恐怖ではなく、怒りから。

 

「僕は先生を信じてた、それなのに……! 先生はずっとブラックの友達だったんだ!」

 

 現在進行形で傷つけている腕よりも何故か痛む胸は、引き千切れそうだった。

 それに気付かなかったリーマスは、首を横に振って否定する。

 その否定が、まるで救いであるように感じた。

 アルテにとってそれは、何より否定してほしいことだったから。

 

「それは違う。この十二年間、私はシリウスの友ではなかった。しかし――今はそうだ。それを説明させてくれ」

「――――――――ッ」

 

 痛みが、全身に広がった気がした。

 喉元にまで込み上げてくるものを堪えて、余計に震えが強くなった。

 その、かつてないほどに不安定になったアルテの様子に気付いたのは――一人だけだった。

 

「ダメよ! ハリー、騙されないで! この人がブラックが城に入る手引きをしていたのよ! この人も貴方の死を願ってる! それだけじゃない! この人はアルテまで騙して、ハリーを殺そうとしたんだわ!」

「ッ」

 

 ハーマイオニーの叫びで、ようやく気付いたように、リーマスは慌ててそちらに目を向けた。

 その時、アルテの表情は、今までにないほどに歪んでいた。

 あまりに多くの、大きすぎる苦痛を限界を超えてなお耐えているようだった。

 アルテを騙した――それを聞いて、リーマスは思い出す。

 

 ――“奴は裏切ったんだ。それがきっかけで、ジェームズと、そしてもう一人私の友人が死んだ”

 ――“……ヴォルデモートの仲間?”

 ――“……そうだ。奴が裏切っていたことを誰も知らなかった。知ってさえいれば……今更後悔などしても、どうにもならないが”

 

「ッ、違う、落ち着きなさいアルテ!」

 

 駆け寄ったリーマスの手を、思わずアルテは振り払った。

 アルテからの初めての、明確な拒絶にリーマスは立ち止まる。

 アルテは壁際まで後退り、震えながらも、声を絞り出した。

 

「……り、リーマスは、友達を、殺されて……シリウス・ブラックを、許せなくて……」

「アルテ!」

「だからわたしは、リーマスに、喜んで、もらいたかった……でも、リーマスは、わたしを……わたしを、騙していたの?」

 

 アルテは膝を折って、その場に崩れた。

 その頬を流れる涙を――リーマスは、初めて見た。

 今の感情を整理する方法をアルテは知らなくて、無意識のものだった。

 アルテは何が正しいのか分からなくなって、俯きながら声を零した。

 

「――わたしは、何を信じればいいの?」

 

 

 立ち尽くすリーマス。

 ハーマイオニーはすすり泣くアルテを心配しながらも、静かに告げる。

 

「先生は……狼人間よ」

「……三つのうち一つしか正解がないよ、ハーマイオニー。私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、ハリーの死を願ってもいない。ただ……私が人狼であることは否定しない」

 

 悲痛な表情を、深呼吸して抑え込んだリーマスは、目を細めてロンに一歩近づこうとする。

 

「ぼ、僕に近寄るな、狼男め!」

「っ……」

 

 普段であれば、アルテが激怒していたことだろう。

 だが、今のアルテはそれどころではなかった。

 致命的に、順序を間違えたと――リーマスは深く後悔する。

 

「……いつ頃から気付いていたのかね?」

「ずっと前から……スネイプ先生のレポートを書いた時から」

「……彼は喜んでいるだろう。彼は私の症状が何を意味するのか、誰か気付いてほしいと思ったんだ」

 

 リーマスはアルテの肩に手を置いた。

 抵抗することはなかった。感情のままに手で髪をくしゃくしゃにして泣くアルテは、気付いていないのかもしれない。

 

「……アルテは、知っていたんですね?」

「知らない筈がないだろう。あの日はスリザリンと合同だったね? ならアルテの変化に気付かない君でもない筈だ」

 

 ハーマイオニーは、その日の授業でのアルテを思い出す。

 人狼を扱うスネイプに、噛み殺さんばかりの敵意を向けたアルテ。

 それもハーマイオニーにとっては、推理の材料だった。

 

「先生方も皆知っている。ダンブルドアは、私を信用できると何人かの先生を説得するのに随分ご苦労なさった」

「……そして、ダンブルドアは間違ってたんだ。先生はずっとこいつを!」

「ハリー、私はシリウスの手引きをしていない。わけを話させてくれれば、説明するよ」

 

 ハリーを、ハーマイオニーを、そしてロンを落ち着けるために、彼らの杖を持ち主に放り投げた。

 そしてアルテの杖を彼女の足元に置いた後、自分自身の杖をベルトに挟み込む。

 

「君たちには武器があって、私は今丸腰だ。聞いてくれるかい?」

 

 ハリーはその様子に強い疑いを持ちながらも、問いかける。

 

「ブラックの手引きをしていなかったっていうなら、こいつがここにいるってどうして分かったんだ」

「地図だよ、『忍びの地図』を見たんだ」

 

 リーマスはしゃがみ込んで、アルテの両肩を抱き寄せる。

 アルテを落ち着かせるように――そして、彼女が僅か自分に意識を向けたと分かると、話し始める。

 

「使い方は知っていた。私もこれを書いた一人だからね」

「え……?」

「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ――私はムーニーだよ。学生時代の、私の愛称だった」

 

 作成者が使い方を知らない訳がない。

 学生時代に校内を何十周と歩いて完成させた地図は、やがてフィルチに没収されたが、フレッドとジョージが盗み出したのだ。

 

「私は今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。ハリー、ロン、ハーマイオニー、君らが抜け出してヒッポグリフの処刑前にハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ。まさか、アルテまで近くにいるとは思わなかったが」

 

 彼女が何をしていたのかは知らないが、ハリーたち三人だけならともかく彼女は予想外だった。

 ハリーたちとは元々別行動だったようで、ハリーたちが動くより遅れてあり得ないほどの速度で小屋から離れ、ハリーたちと合流した。

 

「君はお父さんの透明マントを着ていたのかもしれないね、ハリー」

「……どうして透明マントのことを?」

「ジェームズが透明マントに隠れるのを何度見たことか。つまりね、透明マントを着ていても『忍びの地図』からは隠れられないということだよ。私は君たちが校庭を横切りハグリッドの小屋に入るのを見ていた。二十分後、城に戻り始めた君たちは――別に一人、誰かが一緒だった」

 

 ハリーたちには、覚えがなかった。

 彼らは近くにアルテがいたことも知らなかった。

 あの場所で誰かと合流した訳でもないし、城に戻ろうとする時も、三人だった。

 

「私は目を疑ったよ。何故、どうしてあいつが君たちと一緒なんだ?」

「戻るときも僕たちだけだった、誰も一緒じゃなかった!」

「――ロン、ネズミを見せてくれないか」

 

 リーマスは、唐突にそんなことを切り出した。

 

「なんだよ! スキャバーズになんの関係があるんだ!」

「おおありだよ。頼む、見せてくれないか」

 

 ロンは躊躇いつつも、ローブに手を突っ込んだ。

 ネズミ――スキャバーズが、必死にもがきながら現れる。

 リーマスは目を細め、スキャバーズを見つめ――やはりと、頷いた。

 

「分かったろ! スキャバーズはまったく無関係だ!」

「……いや、それは、ネズミじゃない」

 

 シリウスが、しわがれた声で告げた。

 リーマスも同じ見解のようで、アルテの体を軽く揺する。

 僅かに頭を上げたアルテに、何より諭すように、リーマスは核心を告げる。

 

「……こいつは、魔法使いだ。『動物もどき(アニメーガス)』――名前は、ピーター・ペティグリュー」

「ば、馬鹿を言うな! ピーター・ペティグリューは死んだ! こいつが、ブラックが十二年前に殺したんだ!」

「殺そうとした。だが、こざかしいピーターに出し抜かれた……今度は、そうはさせん!」

「よせ、シリウス!」

 

 ロンに跳びかかろうとしたシリウスをリーマスが一喝する。

 それでは、ここにある二つの問題のうち一つしか解決しない。

 もう一つ――事が理解できていないアルテたちに、説明しなければならない。

 

「皆には知る権利がある。そして、君はハリーに真実を話す義務がある。私だってそうだ――アルテに――私の娘に、ずっと犯していた勘違いを話す義務があるんだ」

「……娘?」

 

 シリウスは動きを止め、リーマスを、そしてアルテを見た。

 リーマスが肩を抱くその少女が、彼の言う娘であることは明らかだった。

 彼とは似ても似つかない彼女の、先程までの己への激昂を思い出す。

 リーマスは、己の話を彼女にしたのだろう、と理解した。それが原因で、彼女はあれほどの怒りを向けてきたのだ。

 

「…………いいだろう。なんとでも話してくれ。ただ、急げよリーマス、私を監獄に送り込んだ原因の殺人を、私は今すぐにでも成し遂げたいんだ」

 

 歯噛みしながら、シリウスは壁に背を預けた。

 なおも納得していないハリーは、リーマスを鋭く睨みつける。

 

「ペティグリューが死んだのを見届けた証人はたくさんいるんだ」

「見てはいない。見たと思っただけだ」

 

 答えたのはシリウスだった。

 その様子を何より知っているのは、自分自身だと言うように。

 

「シリウスがピーターを殺したと、そう思った。私自身もそう信じていた。今夜地図を見るまではね。『忍びの地図』は決して嘘はつかない。私たちの自信作だ。ピーターは生きている、ロンがあいつを握っているんだよ」

 

 ハリーはロンを目を合わせた。

 二人とも、同じことを考えていた。リーマスもシリウスも、どうかしている。

 スキャバーズがピーター・ペティグリューである筈がない。シリウスはやはり、アズカバンで狂ったのだ。

 だが――何故リーマスはシリウスと調子を合わせているのか。それが気にかかった。

 ハーマイオニーが冷静さを保とうと努力し、震えながら疑問を投げる。

 

「でも、先生……? スキャバーズがペティグリューの筈がありません、もしペティグリューが『動物もどき(アニメーガス)』なら、魔法省が記録をしている筈なんです。私、登録簿を見ました。マクゴナガル先生の話はなくても、ペティグリューの名前はリストに載っていませんでした……」

「正解だ。でも、魔法省は未登録の『動物もどき(アニメーガス)』が三匹、ホグワーツを徘徊していたことを知らなかったんだ」

「……リーマス。その話をするなら手早く済ませてくれ。私は十二年も待った。もう、そう長くは待てない」

「……分かったよシリウス。だが、君にも助けてもらわないと。私はそもそもの始まりしか知らない」

 

 リーマスは辺りを見渡した。

 ボロボロの、今にも崩れそうな屋敷――ここは、彼にとって思い出深い場所だった。

 

「……『叫びの屋敷』は、呪われた幽霊屋敷なんかじゃない。村人がかつて聞いたという叫びや吠え声は、私の出した声だ。全てはそこから始まる」

 

 リーマスは苦笑する。

 思ってもみなかったことだ。自分が原因で、ここが英国一の幽霊屋敷と呼ばれるようになるなんて。

 呼吸は荒いままながら、アルテはゆっくりとリーマスに目を向けた。

 その真っ赤な目に強い罪悪感を覚えながらも、リーマスは言葉を続けた。




※武装解除には通常メンタルを破壊する効果はありません。
※無自覚に義娘の精神をボコボコにしていくリーマス(旧友と抱擁中)。
※去年の継承者と疑われた一年間<<<越えられない壁<<<この一分間くらい。
※ロンの罵声にも無反応アルテ。
※地図を見たらハグリッドの小屋近くにアルテがいて突然超スピードで動いた。
※ところでこのタイミング、ハリーとハー子二人地図にいたりしないんですか?
※シリウス「十二年経ったら親友に全然似てない娘が出来てた。意味わからない」


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ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ

 

「私が人狼に噛まれたりしなければ、こんなことは一切起こらなかっただろう。あの頃は治療法がなかった。スネイプ先生が私に調合してくれた薬は、子供の頃にはなかったものだ。あの薬で私は無害になる。だが……学生の頃は月に一度、私は完全に成熟した怪物になり果てた。元々ホグワーツに入学するのは不可能だと思った」

 

 他の親にしてみれば、そんな危険なものの傍に子供を置いておきたくはないだろう。

 ゆえにリーマスは、最初から諦めていた。

 そんな彼に手を差し伸べたのは――やはり、ダンブルドアだった。

 

「ダンブルドアは私に同情してくださり、きちんと予防措置を取りさえすれば私が学校に来ていけない理由はないと仰った。暴れ柳は私が入学した年に植えられたと言ったね。正確には――私が入学したから植えられたんだ。この屋敷に続くトンネルも兼ねて、ね」

 

 そう、たった一人の、特異な生徒のために植えられた、他の生徒を守るための木。

 それが暴れ柳だ。リーマスにとっては、己を七年の間守ってくれたものだった。

 

「一ヶ月に一度、私はここに連れてこられた。狼人間になるのは――とても苦痛に満ちたことだ。噛むべき人間から引き離され、私は代わりに己を噛み、引っ掻いた。村人はその騒ぎを聞いて荒々しい霊だと思ったんだね」

 

 その噂を、ダンブルドアは寧ろ積極的に広めた。

 それでより、あの屋敷へは誰も近寄らなくなった。

 リーマスの被害を出さないために。

 

「まあ、変身することを除けば、学生時代はとても幸せだった。三人の素晴らしい友が出来たからね。ピーター、シリウス……そして、ジェームズ――ハリー、君のお父さんだ。私は月に一度姿を消すことに、三人が気付かない筈がない。私は言い訳を色々考えたが、結局、そう経たないうちに本当のことを悟ってしまった。けど、三人とも私を見捨てはしなかった。どころか、私のために三人は『動物もどき』になってくれたんだ」

「……僕の父さんも?」

「ああ、そうだとも。三年ほど時間を掛けて、三人はやり遂げた。それぞれが意のままに、特定の動物に変身できるようになったんだ」

「……それがどうして、先生を救うことに?」

「人間だと、私は一緒にいられない。だから動物として私に付き合ってくれたんだ。人狼は人間にとって危険なだけ。動物に変わった三人は……この屋敷に来て、一緒にいてくれた」

 

 それはあの時のリーマスにとって、救いでしかなかった。

 自分のために、自分とあの時間を過ごすために――三人は動物に変わる能力を習得したのだ。

 ピーターはネズミに。

 シリウスは犬に。

 そして、ジェームズは鹿に。

 そうすれば、リーマスは彼らを襲うことなく、その一夜を共にいることが出来たから。

 

「やがて私たちは屋敷の外に出て、ホグワーツをも歩くようになった。私を止められる者がいてくれたからね。『忍びの地図』はその過程もあって作ったものだ。それぞれのニックネームで地図にサインをした。ムーニーは私で、シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはプロングズ」

 

 当然ながら、そうした徘徊について、ダンブルドアへの罪悪感はあった。

 リーマスと、周りの者を守るために決まり事を定めたというのに、夜な夜なそれを破っていたのだから。

 

「皆で翌月の冒険を計画するたびに、私は都合よく罪の意識を忘れていたよ……この一年、私はシリウスが『動物もどき』だとダンブルドアに告げるべきか、ずっと迷っていた。だけど、結局それをしなかった。私は臆病者だったんだ」

「っ……そんな、こと」

 

 アルテが、今にも消え入りそうな声で、口を挟もうとした。

 しかしリーマスは首を振って遮り、肩を軽く叩いた。

 

「怖かったんだ。告げれば、学生時代ダンブルドアの信頼を裏切っていたと認めることになる。大人になっても、全ての社会から締め出され、正体が正体なのでまともな仕事にも就けない私に職場を与えてくださった。だからまあ……私がシリウスの侵入に関わっているというスネイプ先生の言い分は、間違ってなかったかもしれないな」

「……さっきから、スネイプ、スネイプと。アイツがなんの関係があるんだ」

 

 シリウスが苛立った様子でリーマスに問いかけた。

 

「シリウス、スネイプもここで教えてるんだ。……彼は私と同期でね。私が防衛術の教職に就くことに、彼は強く反対した。この一年間、私は信用出来ないと言い続けた。……スネイプにはスネイプなりの理由があった。何というか……シリウスが仕掛けた悪戯で彼は危うく死にかけてね。それには私も関わってたんだ」

「当然の見せしめだ。こそこそ嗅ぎまわって我々のやろうとしていることを詮索して……あいつは我々を退学にしたかったんだ」

「……セブルスは月に一度、私がどこに行くのかに興味を持った。シリウスは教えてやったんだ、暴れ柳の木の幹のコブを長い棒でつついてやれば、後を付けて穴に入ることが出来るってね。勿論スネイプは試してみた。スネイプがこの屋敷まで辿り着いていたら、変身した私と出会っていただろう。そうなっていたら、多分、スネイプ先生は今ここにはいなかっただろうね」

 

 或いは、シリウスはそれが目的だったのだろう。

 あの頃スネイプと彼ら四人は、とにかく相性が悪く、度々呪いを掛け合うような仲だった。

 互いに憎く思っていたし、その時のシリウスは不幸な事故が起こっても構わないとさえ思っていた。

 

「その悪戯を知るなり、ジェームズはスネイプを引き戻した。自分の身の危険も顧みず、ね。しかしスネイプは、トンネルの向こう端にいる私を見てしまった。ダンブルドアは口止めしたが――あの時からスネイプは私が何者なのかを知ってしまったんだ」

「……だから、スネイプは貴方が嫌いなんだ。その悪ふざけに、貴方も関わっていたと思った訳ですね」

 

 それが、全てだ。

 スネイプのリーマスに対する態度も、義娘であるアルテに対する態度も、その頃からの憎悪を引き摺ってのもの。

 

「――その通り」

 

 それを肯定する、冷たい声が聞こえた。

 ゆらりと部屋に入ってきたスネイプだ。

 杖をリーマスにまっすぐ向け、嘲るような笑みを浮かべている。

 

「君の部屋に行ったよ、ルーピン。今夜例の薬を飲むのを忘れたようだから、届けてやろうとね。そうしたら、何やら君の机に地図があった。一目見ただけで全て分かったよ。君がこの通路を走っていき、姿を消すのを見たのだ」

「セブルス――」

「校長に繰り返し進言した。君が旧友のブラックを手引きして城に入れていると。これがいい証拠だ。図々しくもこの古巣を隠れ家にするとは……夢にも思いませんでしたぞ」

 

 ようやく尻尾を掴んだと、スネイプは喜びに目を輝かせた。

 リーマスは切羽詰まったように、立ち上がって言う。

 

「……セブルス、君は誤解している。君は話を全部聞いてはいないんだ。説明させてくれ、シリウスはハリーを殺しにきたのではない」

「――今夜、また二人アズカバン行きが出る。ダンブルドアがどう思うか見物ですな……君を無害だと信じ切っていた。わかるだろうね、飼い慣らされた人狼よ」

「愚かな……学生時代の恨みで、無実の者をまたアズカバンに送り返すと――」

 

 言い終える前に、スネイプが杖を振るう。

 リーマスに向けられた閃光を、無我夢中で杖を拾い上げたアルテが防いだ。

 

「下がりたまえ、ミス・ルーピン。これは君の父親の決定的な犯罪現場だ。娘の前で捕らえるのは大変……ああ、誠に本意ではないが、背に腹は代えられん」

「…………まだ……全部、聞いてない。リーマスは、わたしに説明するって言った」

「君は父親に騙されている。言っただろう、疑って掛かれと。あの時の私の言葉は嘘だったかね? 事実、君はこの場で裏切られた。そうだろう?」

「……」

 

 否定しきることが、今度は出来なかった。

 まだその説明の全てを受けていないから、アルテの中にどこか、リーマスへの不信があった。

 それを察し、スネイプの笑みはより深くなる。その迷いの間に、スネイプは二度、杖を振った。

 蛇の如き細い紐が、リーマスに、そしてアルテに襲い掛かる。

 口、手首、足首に絡みつき、動きを封じ込めた。

 その隙にシリウスはスネイプに組み付こうとして、眉間に突き付けられた杖で立ち止まる。

 

「……きっかけさえくれれば、確実に仕留めてやるぞ?」

 

 シリウスとスネイプの目に映る憎悪は、同等のものだった。

 いつもなら激しく抵抗している筈のアルテは、その紐を解こうとする素振りすらなかった。

 

「す、スネイプ先生……あの、この人たちの言い訳を聞いてあげても、害はないのでは、ありませんか?」

 

 ハーマイオニーが、恐々と進言する。

 しかしスネイプは鼻を鳴らし、吐き出すように返す。

 

「ミス・グレンジャー、君は停学処分を口にする身ですぞ。君ら四人、許容されている境界線を越えた。しかもお尋ね者の殺人鬼や人狼と一緒とは。君も一生に一度くらい黙っていたまえ」

「でも! もし――もし、誤解で、冤罪だったら……」

「黙れ、このバカ娘! 分かりもしないのに口を出すな!」

 

 突然狂ったように、スネイプは喚きたてた。

 シリウスに突き付けたままの杖先から、火花が飛んだ。

 その剣幕に、ハーマイオニーは黙りこくる。

 

「復讐は蜜より甘い……お前を捕まえるのが我輩であったならと、どんなに願ったことか……」

「お生憎だな。しかしだ……この子がそのネズミを城まで連れていくなら、それなら私は大人しく付いていくがね」

 

 シリウスはロンを顎で指しながら言う。

 しかしスネイプは嘲笑し、首を振った。

 

「城までかね? そんなに遠くに行く必要はないだろう。木を出たらすぐに我輩が吸魂鬼を呼べば、それで済む。連中は君を見て大変喜ぶだろう。喜びのあまり、君にキスをするだろうな……」

 

 シリウスの顔に僅かに残っていた血の気が、さっと消え失せる。

 彼に浮かんだ恐怖の色を待ち望んだように、スネイプの笑みが深くなった。

 

「聞け……最後まで、私の言うことを……ネズミを見るんだ」

「来い、全員だ」

 

 スネイプが指を鳴らすと、リーマスを縛っていた縄目の端がスネイプの手元に飛んでくる。

 そしてアルテの足を縛ったそれが解け、彼女を無理やり立たせる。

 

「ポッター、ミス・ルーピンの縄を持て。もしも離し、彼女を自由にするようなことがあれば停学処分が解けた後も、一年は罰則を与えてやる。我輩はその人狼を引き摺っていこう。吸魂鬼がこいつにもキスをしてくれるかもしれん――」

 

 ハリーは従わず、ドアの前に立ちふさがった。

 

「どけ、ポッター。お前は十分規則を破っている。我輩がここに来て、お前の命を救っていなかったら――」

「先生が僕を殺す機会はこの一年に何百回もあった。もし先生がブラックの手先だったら、そういう時に僕を殺してしまわなかったのは何故なんだ?」

「人狼がどんな考え方をするか、我輩に推し量れとでも?」

 

 スネイプがハリーににじり寄り、憎悪を込めた視線を向ける。

 杖はシリウスに向けていながら、目はハリーしか映していない。

 

「どけ、ポッター」

「恥を知れ! 学生の時、揶揄われただけからというだけで話も聞かないなんて!」

「黙れ! 我輩に向かってそんな口の利き方は許さん! 我輩はお前のその首を助けてやったのだ。平伏して感謝するがいい! こいつに殺されれば、自業自得だったろうに! お前の父親と同じような死に方を――!」

「ステューピファイ!」

 

 鋭い、赤い閃光がスネイプに突き刺さった。

 ハリーではない。ロンでも、ハーマイオニーでもない。

 ただし、ハーマイオニーは杖を持っていた。その呪文を唱えた者の拘束を解いたのだ。

 アルテの失神呪文はスネイプから直ちに意識を刈り取り、吹き飛ばした。

 壁に激突し、床に滑り落ちる。頭から血を流し、その場に崩れた。

 シリウスはフラフラとリーマスに近付き、縄を解く。警戒するようにアルテは杖を向けようとして――その迷いから、手が震えた。

 苦笑して、シリウスはアルテに視線を向けた。

 

「……君は手を出すべきではなかった……と言いたいが、良いキレだ。リーマス――この子が君の娘で、間違いないな?」

「ああ……アルテだ。私の自慢の娘だよ」

「そうか……君の無念を晴らそうと、必死で私を殺そうとしていたよ。この子のためにも、真実を証明してやらなければな」

 

 まだシリウスへの敵意は小さくない。

 そして、リーマスを未だ信用し切れないという迷いもある。

 それを拭うために、シリウスはロンに手を差し出した。

 

「それでは、証拠を見せよう。君――ピーターを渡してくれ。さあ」

 

 しかしロンはスキャバーズを、ますますしっかりと抱きしめる。

 

「冗談はやめてくれ。スキャバーズなんかに手を下すためにわざわざアズカバンを脱獄したってのかい?」

「そうよ。ペティグリューがネズミに変身できたとして、ネズミなんて何百万といるわ。アズカバンに閉じ込められていたら、どのネズミが自分の探しているネズミだなんて、どうやったら分かるの?」

 

 シリウスはロンとハーマイオニーの問いに、ローブからくしゃくしゃになった紙の切れ端を取り出し見せることで解答とした。

 一年前の日刊予言者新聞だ。

 ロンと家族の、旅行の写真が載っている。

 ロンの肩にはスキャバーズがいた。

 それはリーマスも予想外だったようで、目を見開きながら問い掛ける。

 

「一体、どうしてこれを?」

「ファッジだ。魔法省大臣が去年アズカバンの視察に来た時、ヤツがくれた。私にはすぐに分かった。こいつが変身するのを何回見たと思う? それに、この子がホグワーツに戻ると書いてあった、ハリーのいるホグワーツへと……」

 

 リーマスは、この新聞を購読していない。

 偶然、アルテが拾ってきたものでシリウスの脱獄は知っていたが――この日のものは別だった。

 シリウスもまた、偶然手に入れたこの新聞で決定的なことを知ったのだ。

 ピーター・ペティグリューの存命と、ハリーの危機を。

 

「……何たることだ」

 

 リーマスは新聞の写真をじっと見て、放心したように呟いた。

 

「前足だ……指が一本無い」

「単純明快なことだ。変身する直前に、あいつは自分で切り落としたんだ。それで死んだように見せかけた。あいつは、私に追い詰められた時、道行く人全員に聞こえるよう叫んだ。私が――シリウス・ブラックがジェームズとリリーを裏切ったと。私が奴に呪いを掛けるより先に、奴は道路を吹き飛ばして辺りの人間を皆殺しにした。そして素早く、下水道に逃げ込んだんだ」

 

 腹立たしげに、壁を蹴ってシリウスは告白した。

 それこそが十二年前の事件の真相――リーマスはようやく、全てを理解した。

 

「……ロン、聞いたことはないかい? ピーターの残骸で一番大きかったのは指だったって」

「だって……スキャバーズは多分ほかのネズミと喧嘩したかなんかだよ! こいつは何年も家族だったんだ!」

「十二年だったね……どうしてそんなに長生きなのか、変だと思ったことはないかい? それに、今はあまり元気じゃないだろう? シリウスが脱獄したと知って、恐ろしかったんだ」

「こいつは、その狂った猫が怖いんだ!」

 

 ロンはベッドの上で喉を鳴らしているクルックシャンクスを顎で指した。

 ハーマイオニーが飼い始めたこの猫に、ロンはこの一年間追いかけ回されてきた。

 つい先程まで、スキャバーズはクルックシャンクスに捕まり餌食になったとさえ思われていた。

 

「その猫は狂っていない。私の出会った猫の中で、こんなに賢い猫はまたといないさ。ピーターを見るなりすぐに正体に気付いた。私に出会った時も、犬ではないと見破った。私は何度かその猫と出会い、ようやく信用を得て、狙いを伝えられた。それ以来、私を助けてくれたんだ」

 

 この一年、スキャバーズを追いかけていたのは、それが理由だった。

 ピーターが化けていると知り、彼をシリウスに突き出すために。

 

「グリフィンドール塔への合言葉を盗み出したりもしてくれた。しかし、ピーターは事の成り行きを察知して、逃げたんだ。また、死んだと見せかけてね」

「……私たちはずっと、シリウスが君のご両親を裏切ったと思っていた。ピーターがシリウスを追い詰めて、しかし力及ばず殺されたのだと。しかし、それは逆だった――ピーターが君のご両親を裏切っていたんだ。そして、シリウスがピーターを追い詰めたんだ」

 

 ハリーはまだ、殆ど信じていなかった。

 アルテも半信半疑だ。

 だが、チラチラとその目をネズミに向けている。

 

「最後の最後になって、私は君の家の『秘密の守人』をピーターにするよう勧めた。誰もかれもが、私だと思っていたから、あえてね。誰もピーターを守人にするとは思わない。最悪、私が死ぬだけで彼らを守ることが出来る。だが――二人が死んだのを知った時、全てを悟った。ピーターの隠れ家には誰もいなかった。争った跡もなく、何があったかなんて一目瞭然だった」

 

 話すうちにシリウスは涙声になっていた。

 己の過ちを悔いるように――。

 

「話はもう、十分だ。結局、話すより確実に証明する方法は一つなんだ。そのネズミを渡してくれ、頼む」

「な、何をしようって言うんだ?」

「無理にでも正体を現させる。安心してくれ、本当にネズミだったなら、これで傷つくことはない」

 

 ロンは躊躇ったが――ついにスキャバーズを差し出した。

 シリウスは受け取り、暴れるネズミを抑え込む。

 ネズミはキーキーと喚き続け、のたうち回っている。

 小さい目が飛び出しそうになっていた。

 シリウスはスネイプの杖を奪い取り、ネズミに向ける。

 リーマスも彼に並ぶように、杖を突きつけた。

 

「一緒にするか?」

「そうしよう。一――二――三――!」

 

 青白い光が、二本の杖から迸った。

 スキャバーズは宙に浮き、そこに制止した。

 黒い姿が激しく捩れ、ロンが叫び声を上げる。

 ネズミは床に落ちて、もう一度閃光が走り次の瞬間――――怯えた様子の一人の男が、現れた。




※娘がいる前で義父にアズカバン行きがどうのこうの言いまくる鬼畜スネイプ。
※娘の前で捕らえるのは不本意(笑顔)。
※今章の捕われアルテ(緊縛プレイ編)。
※恨めしいのは分かったけどネズミくらい見てあげて。
※アルテの怒りを買った結果武装解除ではなく失神呪文ぶち込まれるスネイプ。
※シリウス、クルックシャンクスと知り合って犬、猫、犬(リドル談)でネズミ捕りパーティって案もあったんですがそれだとアルテのメンタル折れないんでやめました。


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解氷の時

 

 

 小柄な男だった。

 ハリーやハーマイオニーの背丈とそう変わらない。

 まばらな色あせた髪は乱れに乱れていて、てっぺんは大きく禿げ上がっている。

 皮膚はまるでスキャバーズの体毛と同じくらい薄汚れ、その顔つきにはどこかネズミ臭さが漂っていた。

 男の目が素早くドアの方に走り、すぐに元に戻ったのをハリーは見た。

 

「やあ、ピーター。しばらくだったね」

「り、リーマス……シリウス……」

 

 その変身した様子を見慣れているような口ぶりで、リーマスは声を掛けた。

 

「友よ……懐かしの友よ……!」

「……ピーター。ジェームズとリリーが死んだ夜、何が起こったのか、今お喋りしていたんだがね、ピーター。君はあのベッドでキーキー喚いていたから、細かいところを聞き逃していたかもしれないね」

 

 世間話のような、軽い口調だった。

 ピーターの不健康そうな顔から、どっと汗が噴き出した。

 

「き、君はブラックの言うことを信じたりしないだろうね? あいつは私を殺そうとしたんだ、リーマス」

「そう聞いていた。ピーター、それに関して、二つ三つ、すっきりさせておきたいんだ。君がもし――」

「こいつはまた私を殺しにやってきた!」

 

 ピーターは突然、シリウスを指差して金切声を上げた。

 その手には人差し指がない。

 代わりに中指で指している。その目には、はっきりと怯えが浮かんでいた。

 

「こいつはジェームズとリリーを殺した。今度は私も殺そうとしているんだ。リーマス、助けておくれ……」

 

 暗い、底知れない目でピーターを見つめているシリウスの目が、一層暗く見えた。

 今まで以上に骸骨のような形相だった。

 

「少し話の整理がつくまでは、誰も君を殺しはしない」

「せ、整理……? こいつが私を追ってくると分かっていた! こいつが私を狙って戻ってくると分かっていた!」

「シリウスがアズカバンを脱獄すると分かっていたって? 未だかつて脱獄した者なんていなかったのに?」

「こいつは私たちの想像もつかないような闇の力を持っている! それがなければどうやってあそこから出られる!? 『名前を言ってはいけないあの人』がこいつに何か術を教えたんだ!」

 

 シリウスが思わずと言った様子で笑い出した。

 

「ヴォルデモートが私に術を?」

 

 その名前に、ピーターが震えあがった。

 まるで、鞭打たれたかのように、身を屈めた。

 

「どうした? 懐かしいご主人様の名を聞いて怖気づいたか? 無理もないな、ピーター。昔の仲間はお前のことをあまり快く思っていないようだ」

「な、な、何のことやら……シリウス、君が何を言っているのやら……」

「お前は十二年もの間、私から逃げていたんじゃない。ヴォルデモートの昔の仲間から逃げ隠れしていたのだ。お前が死んでいないなら、落とし前を付けさせられた筈だ。捕まっていない奴のしもべは山ほどいる。奴らが君の生存を風の便りで聞いたら……」

「なんのことやら、何を話して……リーマス、君は信じないだろう? こんなバカげた……」

 

 リーマスに近寄ろうとして、見えない手のようなものに壁際まで追いやられた。

 アルテが杖を振ったのだ。

 その目に怒りはない。ただいつも通りの感情の起伏のない表情で、じっとピーターを見ている。

 そのアルテの様子をチラリと見ながらも、リーマスはピーターに告げた。

 

「はっきり言って、ピーター。無実の者が何故十二年もネズミに身をやつして過ごしたいと思ったのか、私は理解に苦しむ」

「無実だ! でも怖かった! あの人の支持者が私を追っているなら、それは大物の一人を私がアズカバンに送ったからだ! スパイのシリウス・ブラックを!」

 

 シリウスの顔が歪む。

 突然、巨大な犬に戻ったように唸る。

 

「よくもそんなことを。私が? ヴォルデモートのスパイ? 私がいつ、あんな者にヘコヘコした? しかしだ、ピーター。お前がスパイだということを初めから見抜けなかったのは私の迂闊だった。自分の面倒を見てくれる連中に付いていなければ何も出来ないお前が」

 

 ピーターは顔を拭った。

 恐怖で最早息も絶え絶えだった。

 元々顔色の悪いリーマスよりも青白くなった顔は、ガタガタと震えている。

 

「ジェームズとリリーは私が勧めたからお前を守人にした。完璧な計画だと思った……ヴォルデモートにポッター一家を売った時は、さぞかしお前の惨めな生涯の、最高の瞬間だっただろうよ」

 

 ピーターは訳の分からないことをぶつぶつと呟いていた。

 お門違い、とか気が狂っている、とか言っていた。アルテの耳には、全てが届いていた。

 その一つ一つが、アルテを真実に近付けていった。

 ピーターの様子を見ながら、ハーマイオニーはおずおずと聞いた。

 

「ルーピン先生、あの……聞いても良いですか?」

「どうぞ」

「あの……この人、ハリーの寮で三年間同じ寝室にいたんです。『例のあの人』の手先なら、今までハリーに手を出さなかったのはどうしてですか?」

「そうだ! ありがとう、レディ! リーマス、聞いたかい? 私はハリーの髪の毛一本傷つけていない!」

 

 ピーターは甲高い声で叫んだ。

 しかしリーマスもシリウスも一切動揺していない。

 二人には彼のことが分かり切っている。

 その状況であれば、如何に主の敵であろうとも手を出さないと――二人には分かっていた。

 

「理由を教えてやろう。こいつは自分の得にならなければ、誰のためにも何もしない。ヴォルデモートは半死半生と言われている。そんな死にかけの主人のために、アルバス・ダンブルドアの鼻先で殺人などしない。それをするなら、奴が一番強いことを確かめてからだ。魔法使いの家族に飼ってもらったのも、情報が聞ける状態にしておきたかったんだろう」

 

 ――口をパクパクさせるピーターの反応は、図星であることを如実に表していた。

 

「あの……ブラックさん――シリウス?」

 

 ハーマイオニーに名を呼ばれ、シリウスは飛び上がらんばかりに驚いた。

 そんなに丁寧に話しかけられたのは、はるかに昔のことだった。

 

「お聞きしてもいいでしょうか? ど、どうやってアズカバンから脱獄したのか……もし、闇の魔術を使っていないなら……」

「ありがとう! その通り! それこそ私が言いた――」

 

 激しく頷いたピーターはハーマイオニーに近付こうとして、再びアルテに壁まで追いやられた。

 

「犬の姿で、吸魂鬼の連中が食べ物を運んできた隙にね。連中にとって獣の感情を感じるのは難しいことだ。私は犬の姿で泳ぎ、島から戻ってきた。ピーターは、味方の力に確信が持てたら途端に襲える――ハリーを差し出せば、奴がヴォルデモートを裏切ったと誰が言えようか。寧ろ奴は栄誉を以て迎え入れられる。そんなことをさせるものかという感情が、私を突き動かした」

 

 最早、ハリーにとってはシリウスを疑う要素などなかった。

 何よりピーターの反応。そして、シリウスの言葉からは自分への愛情が感じられたから。

 そしてアルテも、シリウスから移り変わるように、感情の矛先を動かしていた。

 

「信じてくれ、ハリー。私は決してジェームズやリリーを裏切ったことはない。裏切るくらいなら……私が死んだ方がマシだ」

 

 ようやく、ハリーはシリウスに頷いた。

 それが己の死刑宣告であるかのように、ピーターは膝をついた。

 祈るように手を握り合わせ、シリウスの前に這い蹲る。

 

「し、シリウス……私だ……ピーターだ……君の友達の……」

「触るな。私のローブは十分に汚れてしまった。この上お前の手で汚されたくない」

「――り、リーマス! 君は信じないだろうね? 計画を変更したら、シリウスは君に話した筈だろう?」

 

 リーマスに近寄ろうとしたピーターを、三度アルテは吹き飛ばした。

 それまでの二回より勢いよく。咳き込んだピーターは、その場に蹲った。

 アルテの肩にまた手を置いて落ち着かせると、リーマスはピーターを見下ろした。

 

「……本人以外に話す訳ないだろう? 私がスパイだって可能性もある。シリウス、多分それで、私に話してくれなかったのだろう?」

「……すまない、リーマス」

 

 リーマスは、シリウスに薄く笑いかけた。

 

「気にするな、わが友、パッドフット――その代わり、私が君をスパイだと思い違いしたことを許してくれるか?」

「勿論だとも――わが友、ムーニー」

 

 長い時を経た、和解だった。

 それに待ったを掛ける者など誰もいない。

 リーマスはアルテに目線を合わせ、微笑んだ。

 

「こういう、勘違いがあった。シリウスは、今も私の友だ。アルテ、君にまで、誤った事を伝えてしまった。許してくれ――」

「……ん。本当のことを知れたから、もう良い」

 

 安堵したように、アルテはリーマスのローブに顔を埋めた。

 ハーマイオニーも、シリウスも、その様子を見て微笑んだ。

 そうしている間に、ピーターはロンの傍に転がり込む。

 

「ロン、私はいい友達、いいペットだったろう? ロン、君は私の味方だろう?」

 

 しかし、ロンは不快そうにピーターを睨んだ。

 

「自分のベッドにお前を寝かせていたなんて!」

「優しい子だ、情け深いご主人様……私は君のペットだった……」

「人間の時よりネズミの方が様になるなんて言うのは、ピーター、あまり自慢にはならない」

 

 シリウスが吐き捨てた。

 ロンは痛みに耐えながら、折れた脚をピーターの手の届かないところへと捻じった。

 ピーターは膝を折ったまま向きを変え、ハーマイオニーの裾を掴む。

 

「優しい、賢いお嬢さん……貴女なら……」

 

 ハーマイオニーはローブを引っ張り、怯え切った顔で壁際まで下がった。

 後先がなくなったピーターはアルテに手を伸ばそうとして、それまでで一番の殺気を放ったリーマスに止められる。

 

「アルテに指一つでも触れたら、ピーター。君を知る限り一番残酷な方法で殺さないといけなくなる」

「ヒィ……! は、は、ハリー……ハリー、君はお父さんの生き写しだ、そっくりだ……」

 

 最後にハリーに向け顔を上げたピーターは、リーマスだけでなくシリウスの殺気をも浴びせられる。

 

「ハリーに話しかけるとはどういう神経だ!? ハリーに顔向けができるか! この子の前で、よくもジェームズの話が出来るな!?」

「は、ハリー! ジェームズなら、私が殺されることを望まなかっただろう、ジェームズなら分かってくれたよ……情けを掛けて……」

 

 シリウスがピーターの肩を掴み、床に叩き伏せた。

 ピーターは恐怖に痙攣しながら涙を流した。

 

「お前はジェームズとリリーをヴォルデモートに売った。否定するのか?」

「シリウス……シリウス、私に何が出来たというのだ? 私は君やリーマスやジェームズのように勇敢じゃなかった……私はやろうと思ってやったんじゃない、あの人に無理強いされて……シリウス、私が殺されかねなかったんだ!」

「それなら死ぬべきだった。友を裏切るなら死ぬべきだった! 同じ立場であったなら、我々も君のためにそうしただろう!」

 

 激昂するシリウスが、スネイプの杖を構える。

 そしてリーマスもまた、アルテを抱き締めたうえで、己の杖をピーターに突き付けた。

 

「……お前は気付くべきだったな。ヴォルデモートがお前を殺さなければ、我々が殺すと。さらばだ、ピーター」

「――やめて!」

 

 その寸前、ハリーが叫んだ。

 ピーターの前に立ち塞がり、杖に向き合う。

 リーマスとシリウスは、ショックを受けたようだった。

 

「殺しては駄目だ」

「……ハリー、こいつのせいで、君はご両親を亡くしたんだぞ。このろくでなしはあの時、君も死んでいたらそれを平然と眺めていた筈だ」

「分かってる。でも……こいつを城まで連れて行こう。僕たちの手で吸魂鬼に引き渡すんだ」

 

 ピーターが息を呑んだ。

 そして両腕でハリーの膝を抱いた。

 

「ありがとう……こんな私に……」

「離せ」

 

 ハリーは汚らわしいとばかりにピーターの手をはねつけた。

 

「お前のために止めたんじゃない。僕の父さんは、親友が――お前みたいなもののために殺人者になることを望まないと思っただけだ」

 

 リーマスとシリウスは顔を見合わせて、杖を下ろす。

 

「……ハリー、君に決める権利がある。だけど、考えてくれ。こいつのやったことは……」

「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。あそこが相応しい者がいるとしたら、こいつしかいない」

「……いいだろう、ハリー。脇に退いてくれ、そいつを縛り上げる」

 

 ハリーは躊躇しながらも、横にずれた。

 リーマスの杖の先から細い紐が出て、ピーターの全身を縛り上げる。

 さらに猿轡を噛まされ、床の上でもがいた。

 

「ピーター、しかし、もしも変身したら――やはり殺す。いいね、ハリー」

 

 ハリーは床に転がったピーターの哀れな姿を見て、頷いた。

 

「よし――ロン、私はマダム・ポンフリーほど上手く骨折を治せない。だから医務室に行くまでの応急処置をしよう。フェルーラ、巻け」

 

 リーマスはロンに向けてさっと杖を振る。

 添え木で固定したロンの足に、包帯が巻き付く。

 すかさずハリーが手を貸して、ロンを立たせた。

 

「スネイプ先生はどうします?」

「そっちは別に悪いところはない、が……アルテ、少し威力が強すぎる。まだ目覚めはしないだろうな」

「……リーマスを馬鹿にしたのが悪い」

 

 優しく咎めるリーマスに言い訳をする様は、どこか不貞腐れているようだった。

 リーマスはもう一度杖を振るい、スネイプの体を立たせた。

 手足や首に見えない糸が取り付けられているようだ。

 操り人形を思わせる動きでふらふらと歩くさまは、不気味だった。

 スネイプとピーターを連れて、一行は屋敷を後にする。

 これで、全ての誤解が解け、この年の事件は終わる。誰もがこの時、そう思っていた。




※ピーター集団リンチのターン。
※動こうとすると画面端まで強制的に追いやるアレ。
※アルテの激おこ対象がシリウスからピーターに移った瞬間。
※シリウスへのヘイト消滅。
※和解。
※リーマスの貴重な殺害予告。
※これにて一件落着。勝ったな、田んぼの様子見てプロポーズしてしまっても構わんのだろう?


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白銀は満月に舞う

 

 

 トンネルを戻る一行は、静かだった。

 途中リーマスからシリウスにバトンタッチしたスネイプの運搬は、実に雑なものだ。

 あちらこちらに体をぶつけ、土だらけになっている。

 リーマスとアルテはピーターに杖を突き付けながら歩いている。

 リーマスは、アルテの目付けも兼ねていた。

 アルテのピーターへの怒りはかなりのものだ。

 ともすれば、シリウスに向けていたものをも超えているかもしれない。

 

「……こいつを引き渡すということ、それがどういうことか、分かるかい?」

 

 トンネルの後半に差し掛かった辺りで、シリウスは出し抜けにハリーに話しかけた。

 

「――貴方が自由の身になる」

「そうだ……しかし、それだけではない。誰かに聞いたかもわからないが、私は君の名付け親でもあるんだよ」

「ええ、知ってます」

 

 ハリーが頷く。

 シリウスは緊張した面持ちで、一つ息を呑んだ。

 

「つまり……君の両親が、私を君の後見人に決めたのだ。もし、自分たちの身に何かあれば……とね」

 

 ハリーは黙って、次の言葉を待っていた。

 シリウスが何を言おうとしているのか、たった一つ、予想があった。

 その予想はハリーの希望でもあった。そうあってほしいと、ハリーは何処かで願っていた。

 

「……勿論、君がおじさんやおばさんとこのまま一緒に暮らしたいというなら、その気持ちはよくわかるつもりだ。しかしだ、考えてほしい……私の汚名が晴れたら……もしも、君が……別の家族が欲しいと思うのなら……」

「――貴方と暮らすの?」

「無論、君はそんなことは望まないと思う。思うのだが――」

 

 ハリーの中で、何かが爆発した。

 思わずハリーは頭を大きく上げて、天井にぶつけた。

 

「とんでもない! 勿論、ダーズリーのところなんか出たいです! 住む家はありますか? 僕、いつ引っ越せますか?」

「――そうしたいのかい? 本気で?」

「ええ、本気です!」

 

 痩せこけたシリウスの顔が、急に満面の笑顔になった。

 まるで、十歳も若返ったのではと思う程に、その変化は劇的だった。

 そしてその笑顔を見て気付く。ハリーが貰った、ハリーの両親の結婚式の写真で、快活に笑っていた名前も知らない男は彼だったのだと。

 シリウスは、全てが救われたような面持ちだった。

 それまでと同じ人間とは思えないほどに優しい笑顔が、ハリーには嬉しかった。

 トンネルを出ると、クルックシャンクスが真っ先に木の幹のコブを押す。

 大人しくなった枝は、誰も襲うことはなかった。

 既に外は真っ暗だった。

 灯りと言えば、遠くにうっすらと見える城の灯りだけだ。

 全員が外に出て、籠っていない息を吸う。そうしてから――アルテは、シリウスに歩み寄った。

 

「ん?」

「……」

 

 無言のままに、アルテは小さく頭を下げた。

 僅かに困惑するシリウスに、ぼそりとアルテは呟く。

 

「……勘違いしたまま、魔法、使ったから……」

「……そんなことか。気にしなくていい。君はリーマスの――お父さんのために怒ったんだろう? もう終わったことなんだ。私も、何も気にしていない」

 

 シリウスは骨ばった手を、アルテの帽子の上に置いた。

 確かに魔法は受けた。特に『ディフィンド』で受けた裂傷は、スネイプの杖を奪ったついでに軽く止血をしておかなければ、危険だったかもしれない。

 だがそれは、リーマスのための怒りあってこそ。それをシリウスは咎める気にはなれなかった。

 リーマスは驚いていた。彼女が素直に謝るなどと、考えられないことだったからだ。

 だが――それは良い成長だ。

 シリウスも特段気にしてはいない。これからは彼とも、良い関係を築けるだろうと思った。

 シリウスに導かれるようにアルテが木の被害を受けない安全圏まで行くと、低い鳴き声がアルテを迎えた。

 闇に紛れ辺りと一体化するほどの黒。

 その中に輝く爛々とした瞳――オリオンだ。

 アルテの表情が一層明るくなり、オリオンに走り寄る。

 ヒッポグリフは多くの生物の中で、取り分けプライドの高い種族だ。

 普通こんなことをすれば気分を損ね、その爪の餌食になるだろう。

 ヒッポグリフの特性を知っているリーマスとシリウスは思わず引き留めようとしたが――オリオンは何ら不満を見せることなくアルテを受け入れた。

 オリオンはアルテに全幅の信頼を寄せているようで、アルテもまた、ほんの少しの警戒もしていなかった。

 

「アルテ……そのヒッポグリフは?」

 

 恐る恐ると言った様子で、リーマスはアルテに問いかける。

 

「オリオン」

「あー……ハグリッドのヒッポグリフです。最初の授業でアルテと仲良くなったみたいで、魔法生物飼育学の授業中はずっと一緒なんです」

 

 名前だけ答えたアルテを補足するように、ハーマイオニーが説明する。

 もしかしたらアルテにとってはそれ以上の感情があるかもしれない――とハーマイオニーは薄々思っていたのだが、それは伏せておいた。

 もしも真実であれば、既に今日数年分の出来事があっただろうリーマスのキャパシティを超えかねない。

 

「そうか……ヒッポグリフと仲良くなれる者は初めて見たよ」

 

 リーマスは、アルテの意外な才能を見せられたような心持ちだった。

 シリウスは何やら、そのオリオンという名前にひどく動揺していたが、深呼吸をして己を落ち着かせる。

 妙にご機嫌になったアルテの隣を歩くオリオンを加え、一行は城へと真っ直ぐ向かった。

 そこからは皆無言だった。

 木を失ったスネイプがふらふらと浮き、ピーターが恐怖に震えているくらいで、それ以外の者たちは全員ピーターを警戒していた。

 ピーターは少しも逃げられる可能性はない。

 これだけの面々に見られていれば、たとえ図体の小さいネズミに化けようとも逃げ切ることは出来ない。

 誤解の解消と、真犯人の確保。

 全てが終わるだろうホグワーツ城の灯りがだんだんと大きくなってくる。

 誰しもに、もう少しで終わるという安堵と油断があった。

 ゆえに――全員が忘れていたし、手遅れになるまで気付きもしなかった。

 

「――――」

 

 校庭にぼんやりとした影が落ちた。

 急に辺りが明るくなったことに、皆が気付く。

 空から降り注ぐ、青白い光。

 月明かりだ――一行は特に感慨もなく空を見上げて――アルテとシリウスが大きく目を見開いた。

 

「ッ、リーマス!」

 

 アルテはリーマスに駆け寄った。

 シリウスは、ハリーたちを手で制止し、リーマスを注視する。

 硬直していた。じっと月を見るリーマスの目が震えている。

 その異様な様と、二人の反応、そして空に見える光と先程のスネイプの言葉とを重ね合わせれば、ハーマイオニーにも今の状況が理解できた。

 

「――先生は薬を今夜飲んでいない! 危険よアルテ、離れて!」

「逃げろ、四人とも、逃げなさい! 私に任せて!」

「リーマス! リーマスッ!」

 

 シリウスの怒号が飛ぶ。だが、ハリーたちは逃げられなかった。

 ロンは怪我をしており、走ることすら出来ないのだ。

 アルテはリーマスの体を揺すり、呼びかけ続けている。

 普段ならばそんなことはしない。だが、今は周りに人がいる。

 誰にも被害を出す訳にはいかないのだ。

 

「ッ、ぁ――――」

 

 低い声を零したリーマスの体が変化していく。

 頭が、体が伸び、背が盛り上がる。体中に荒々しい毛が生え、手の先に鉤爪が伸びる。

 並んだ鋭い牙を打ち鳴らす。

 衝動的にその腕が動いた。その体を抑えていたアルテが弾き飛ばされ、ハリーたちの傍に転がってくる。

 オリオンが鋭い金切声を上げた。

 爪を輝かせ、リーマスに迫ろうとするのを見て、アルテが叫ぶ。

 

「オリオン、駄目!」

 

 咄嗟に停止したオリオンの目の前を、巨大な黒犬が駆け抜けていく。

 シリウスが変身した犬だ。ハリーたちを庇うように前に出てきたシリウスは、リーマスと揉み合い、互いに噛みつき始めた。

 アルテは立ち上がり、戦う二人に歩いていく。

 一旦シリウスが離れたタイミングで、リーマスはアルテに気付き――唸り声を止めた。

 変身し、誰が誰かなんてわからなくなっている状態の筈なのに、リーマスはじっとアルテを見ている。

 

「あ、アルテ……? 危ないわ!」

「大丈夫――こうなったリーマスが自分から襲おうとするのは、人だけ」

 

 アルテは帽子を取り、耳を立たせた。

 犬の状態のシリウスが瞠目する。

 当たり前のように、自分に向けて大人しくしているリーマスに、アルテはゆっくりと歩み寄る。

 

「リーマス――リーマスは、わたしと約束した。その姿になっても、誰も襲わないって。帰ろう、リーマス」

 

 アルテはリーマスの傍まで歩いた。

 襲い掛かる気配はまるでなく、彼に意識が残っているようだった。

 落ち着かせるように、長い爪に手で触れる。

 アルテの言葉が分かるように、その獰猛だった瞳が落ち着いたものへと変わっていく。

 そして、アルテはそっとリーマスを城に導こうとして――

 

 

 

「――セクタムセンプラ! 切り裂け!」

 

 

 

 背中から首筋、腕や足――広範囲を蹂躙するような鮮烈な痛みに、崩れ落ちた。

 

「え――」

 

 飛んできた閃光が齎した結果――アルテの背に走った幾つもの切り傷に、ハリーたちは暫し呆然としていた。

 蹲ったアルテの傍に生えていた草が、あっという間に真っ赤に染まっていく。

 その魔法を放ったのが、リーマスが落とした杖に飛びついたピーターだと分かった時には、既に彼はネズミへと変わり、追うことも出来なくなっていた。

 それを気にしている暇すらなかった。アルテの背中は鋭利なナイフで滅多切りにしたようで、裂傷を刻む『ディフィンド』では難しいほどの広さ、深さだ。

 その場の二つの“獣”が吠えた。

 シリウスでさえ見たことがないほどに激昂したリーマスと、細かった目を大きく広げて掠れたような声を上げるオリオン。

 リーマスは狂ったように腕を振り回して辺りの草木を掻き毟り、オリオンもその鋭い爪でネズミが隠れていそうな草むらを踏みしめる。

 シリウスは彼らの異常な怒りに思わず後退るも、すぐに冷静になり、アルテの傍まで駆け寄ると人の姿に戻った。

 

「エピスキー、癒えよ――応急措置だ、このままでは危ない。すぐに城に連れていかないと。だが……」

 

 すぐさまアルテの傷に処置を施したシリウスは、しかし今の状況が気になって仕方ない様子だった。

 暴れ狂うリーマスや、逃げ出したピーター、どちらも放っておけば手遅れになる。

 ハリーたちにアルテを任せ、自分がこの場をどうにかしよう、そう決意した時。

 

「っ……」

「こ、こら! 重傷だぞ、大人しくしているんだ!」

「大、丈夫」

 

 アルテがふらふらと立ち上がった。

 痛みで視界が霞む。あまりの威力に意識を手放しかけていたが、今はそれをしてはいけないと思った。

 今、自分にしか出来ないことを考えれば、痛みは消えた。

 背中は妙に熱いのに、背筋から冷たくなっていくような感覚は不快だったが、それは――後でも良い。

 

「リーマスと、オリオンは、わたしが何とかする」

「キミ……」

 

 目を細めるアルテに、シリウスは確たる信念を感じた。

 まるでアズカバンを脱獄する決意をした己のような――。

 それに動かされるのは間違いだと分かっていても、シリウスは咎めることが出来なかった。

 昔ならいざ知らず、今のリーマス・ルーピンという男を誰よりも知っているのはこの少女なのだ。

 であれば、彼を止めるなら自分よりこの子の方が相応しい――そう、感じざるを得なかった。

 

「……リーマスを頼む。私はピーターを追う。だが、無理はするな。君たち、この子に何かあれば、すぐに城に連れ帰るんだ。いいね?」

 

 言うが早いか、シリウスは再び犬に変わり、走っていった。

 その気配が遠くなっていくのを感じながら、アルテは二つの獣に向かって歩んでいく。

 すぐに、離れたところから犬の悲痛な鳴き声が聞こえてきた。

 居ても立っても居られないと、ハーマイオニーが止める間もなくハリーが駆け出した。

 

「――オリオン」

 

 そんなことを、アルテは気にしない。

 暴れ狂うオリオンと目が合った。

 一瞬、戸惑った様子を見せたオリオンだが、すぐに怒りの表情のままに唸りを上げ、その翼を器用に動かし、アルテの肩に置く。

 まるで、大人しくしていろ――自分たちに任せろ――と、告げているように。

 しかし、アルテはその翼に手を置いて、じっとオリオンの目を見る。

 

「……わたしは、大丈夫。怒ったら駄目」

 

 唸り声を止め、アルテを凝視するオリオン。

 その嘴を愛おしそうに撫でると――視線を外しふらふらとリーマスに向かう。

 今度はオリオンが追従した。

 これ以上危険には晒すまいと、翼の片方を広げ、盾のようにアルテの背を守っている。

 

「――リーマスッ」

 

 獰猛に振るわれる爪に、アルテは構うことなく歩いていく。

 

「危ない!」

 

 顔を爪が掠める。

 ロンが叫ぶ。ハーマイオニーは声すら上げることすら出来なかった。

 目の前を通り抜けた腕をアルテは掴む。

 獰猛な目を真っ向から見据える。

 リーマスは、アルテに襲い掛かることはない。

 

「アルテ!」

「――この姿のリーマスとも、ずっと過ごしてきた」

 

 アルテはその腕を離し、リーマスの懐に歩いていく。

 オリオンは少し離れて立ち止まり――しかし、いつでもその爪をリーマスに突き立てられるように低く構えている。

 

「このままじゃあ、リーマスは誰かを襲ってしまうかもしれない。あんな男のために、そんなことしちゃ駄目。朝まで、一緒にいよう。その間、リーマスの手は、わたしが押さえてる」

 

 その毛に包まれた大きな体を、アルテは力を込めずに抱き締める。

 我を忘れている筈のリーマスは、アルテの小さな体をじっと見ていた。

 ロンとハーマイオニーは、いつリーマスがアルテに向かって口を開けるか気が気でなかった。

 しかし、そんな二人の心配とは裏腹に、リーマスは今一度唸りを上げることはなく、その場に立ち尽くしていた。




※シリウスとも和解。
※ヒッポグリフに駆け寄るアルテにビビるリーマスとシリウス。
※オリオンの名に反応するシリウス。別に彼との関係はないです。
※リーマスがアルテに見出す意外な才能。知らない方が幸せなこともある。
※やっぱり飲んでなかった薬。
※狼VS犬VSヒッポグリフ(未遂)。
※空気を読まないピーター渾身のパクリ呪文。
※三学年をノーダメで終われなかったアルテ。
※ピーターの意図としてはアルテを傷つけ場を混乱させて逃げ果せること。大成功。
※獣の奏者アルテ。
※大事なく収束。なおシリウスとハリー。あと放っとかれるスネイプ。


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獣たちの夜

 

 

 リーマスが大人しくなっているのが気まぐれではないと、ロンやハーマイオニーに分かったのと、辺りが不気味に冷たくなったのは、殆ど同時だった。

 ロンも、ハーマイオニーも、冷水を全身に浴びたような錯覚に陥る。

 その冷たさは、覚えがあった。

 この一年間、何度かそれを味わっている。

 今年この城の番人として招かれたアズカバンの看守――吸魂鬼だ。

 悍ましい数が集まってきているのを感じた。

 アルテたちの方ではない。そこから離れた――シリウスやハリーが走っていった方向だ。

 ハーマイオニーは先のシリウスの悲鳴の正体を知る。

 彼にとって吸魂鬼はさぞ恐怖の対象だろう。あの悍ましい生物を見て、恐慌に陥ってしまったのだ。

 だとすれば――彼だけではなくハリーも危険だ。

 駆け出そうとして、足は動かなかった。

 幸福を吸い取られ、恐怖を煽ろうとするその冷たさが、すぐ傍からも感じられる。

 

「――ひっ!?」

 

 いつの間にか、アルテたちの近くに一体の吸魂鬼がいた。

 向こうの――湖の方に集まる異常な冷気から逸れたのか、それとも此方にもっと狙いやすい獲物を見つけたのか。

 その姿を見てしまえば、脳漿も指先も冷え切ってしまう。

 ロンたち二人は、あの生物たちへの対抗手段を持っていない。

 逸れた一体だろうと、それは彼らにとって逃れ得ない絶望だった。

 

「……どいて」

 

 ――そんな二人の、冷たくなった耳に届いたのは、いつになく穏やかなアルテの声だった。

 リーマスに体を預け、彼を極力刺激しないように力を抜くアルテは、その吸魂鬼にまっすぐ杖を向けている。

 ハーマイオニーは必死でロンを引き摺り、その直線上から逃れる。

 そして、二人を追おうとしたのか彼らに次いで動く素振りを見せた吸魂鬼に対し――アルテは今宵最後の魔法を唱えた。

 

「――エクスペクト・パトローナム」

 

 結局、何を考えたわけでもない。

 最も幸福な記憶――守護霊の魔法を使うためにそれを掘り起こそうとしても、何も浮かんでこない。

 だから、いつも通りの魔法のようにそれを唱える。

 相変わらずの、不快な感覚。

 どうして、幸福がトリガーである筈の魔法がここまで不快なものなのか、アルテはここに来て初めて不思議に思った。

 だが、今は構わない。この場でこの魔法の正しい効果が出るならば、どうでも良いことだ。

 銀色の煙が杖先から噴き出て、瞬く間に巨大な獣を形作る。

 獅子の頭、山羊の胴体、竜の尾。

 透き通った銀色のキメラは吸魂鬼の前に立ちはだかり、僅か睨んだ後、跳びかかった。

 吹き飛ばされる直前、吸魂鬼は目が見えないにも関わらず、驚愕に後退ったような気がした。

 そして、まるで許しを請うようにしゃがみ込むような動きを見せていたが――それが何なのか、最後まで見る前に吸魂鬼はその場から消え去った。

 辺りにもう彼らの脅威がないことを確かめると、銀色のキメラは消えていく。

 アルテは杖を仕舞い込むと、ハーマイオニーに目を向けた。

 彼女も、ロンも吸魂鬼の気に当てられたのか、眠るように倒れていた。

 

「……オリオン。三人を見てて。誰か一人気が付いたら、またこっちに来てくれる?」

 

 もう此方は問題ないだろうが――シリウスの悲鳴が心配だった。

 湖の方向にも吸魂鬼がいるならば、ハリーの現在の守護霊では完全な対処は難しい。

 オリオンは一つ肯定の鳴き声を上げた。

 

「リーマス、行こう。向こうにまだいる筈」

 

 落ち着いたリーマスとともに、歩き出す。

 痛みはない。背筋の冷たさと熱さの混じったような感覚は、いつの間にかなくなっていた。

 湖に近付くと、不意に木の枝を踏むような音をアルテの耳が捉えた。

 

「ッ」

 

 咄嗟に杖を構え、そちらに灯りを向ける。

 アルテは、己の目を疑った。

 灯りに照らされて目に入ってきた人物にハリーがいるのは別におかしくない。

 だが、ハーマイオニーがいるのはどういうことか。

 

「あ、アルテ……! ってルーピン先生まで!」

「……なんでここに?」

 

 アルテは率直に疑問をぶつける。

 彼女に見つかったことより、リーマスの存在を気にしているようだったが、このままでは埒が明かないとハーマイオニーは語り出した。

 

「あー……そう。私たち、とある道具を使って、少し先の時間から来たの。大体日が変わるくらい先から」

「……?」

「その仕掛けについては話せないんだけど、とにかく、私たちはシリウスを助けるために来たのよ!」

 

 怪訝な表情のアルテだったが、シリウスの名を聞くと目の色を変える。

 

「……どういうこと?」

「時間はもう少し先ね……付いてきて!」

 

 ハリーとハーマイオニーは速足で湖に向かっていく。

 妙にハーマイオニーは時計を気にしていた。

 シリウスという言葉にアルテも足を急がせる。

 リーマスはそれに追従しながらも、前を歩く二人の“獲物”に対し、時折手を伸ばす素振りを見せていた。

 その度にアルテが彼と目を合わせて止め――密やかな命の危機を知らないまま、ハリーとハーマイオニーは湖のほとりに辿り着いた。

 アルテは目を細める。向こう岸を埋め尽くす、真っ黒な霧の如き人影の群れ。

 吸魂鬼だ。先程アルテが退治したような、一体だけではない。

 百は優に超えよう。この学校に送られた全ての吸魂鬼と言われても納得できるほどの数だった。

 そしてその真ん中にいる――もう一人のハリーとシリウス。

 少し先の時間から来た――その仕組みは知らないが、事実であるならばあちらのハリーが先程まで共にいたハリーなのだろう。

 間違いない、襲われている。

 アルテは杖を構えようとするが、それを止めたのはハリーだった。

 

「待って! 大丈夫、父さんがもうすぐ来てくれる。僕の父さんが、完璧な守護霊を使って退治してくれるんだ」

 

 アルテは、ハリーの正気を疑った。

 彼の両親が闇の帝王に殺されたことは、アルテも知っている。

 だというのに、ハリーは何を言っているのだろう。

 辺りを見渡してみるも、自分たちの他に吸魂鬼の襲撃を受けていない人物は見当たらない。

 ハリーも同じように探していたのか、困惑の声を漏らした。

 

「父さん、何処なの? 早く――」

 

 しかし、誰も現れることはない。

 そうしているうちに、向こう岸の二人を襲っている吸魂鬼の一人がフードを脱いだ。

 誰か、何かをしなければ、もう何分も経たないうちに手遅れになってしまう。

 いい加減やらなければ――ハリーを振り払って杖を突きだそうとしたアルテ。

 だが、それより先に、何かに気付いたように息を呑んだハリーが駆け出し、吸魂鬼の群れに杖を向けた。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

 ハリーは叫ぶ。アルテは、駄目だと思っていた。

 彼は度々リーマスから守護霊の教えを受けてきたが、完全な形を構築できたことはまだない。

 それでは、追い払えて数人が限界だ。

 しかし――アルテの焦りは無用のものだった。

 ハリーの杖の先から噴き出た銀の霞は、たちまち眩しい光を放つ獣を作り出す。

 枝分かれした二本の角が凛々しく聳えた牡鹿だ。

 完成されたハリーの守護霊は水面を走り吸魂鬼に向かっていく。

 これほど完成度の高い守護霊ならば、吸魂鬼も一溜まりもない。

 慌てて逃げ出す吸魂鬼を追うように駆け回った牡鹿は、やがて足を止めて、ハリーに向きなおる。

 その角を見てか、ハリーは呟いた。

 

「……プロングズ」

 

 呟いた途端に、守護霊はその姿を解れさせた。

 守護霊を出現させていられるのは、思い出に集中している間のみ。

 しかしながら辺りの吸魂鬼を追い払うには十分だったようで、もう黒い靄のような人影は見えなかった。

 困惑するハーマイオニーに、ハリーが振り向き、苦笑した。

 

「……僕だった。僕が、守護霊を出す僕を見たんだ。それを僕は、父さんと勘違いした。何もおかしなことは起きてなかったんだ」

「で、でも、ハリー。信じられないわ。あの吸魂鬼を全部追い払うような守護霊を貴方が作り出せるなんて。それってとても高度な魔法なのよ?」

「ずっと練習してたんだ。アルテと一緒に、ルーピン先生に習ってた。失敗するとは思わなかった。だって、さっき一度出した訳だから……何か変かな?」

「ううん――――ハリー、見て!」

 

 頭がこんがらがるような感覚に陥っていたハーマイオニーだが、突如また向こう岸を指さした。

 アルテも振り返る。倒れ込んだハリーとシリウスに向かって、またも黒いローブの人物が歩いてきていた。

 スネイプだ。ロンとハーマイオニーを担架に乗せてやってきたスネイプは、さらに二つ担架を作り出し、ハリーとブラックを乗せる。

 それを見ている間に、オリオンがアルテの傍に走ってきた。

 何故かバックビークもいることに、アルテは疑問を持ったが――ハリーたちが特段驚いていないことを見るに、先程まで彼らに同行していたのかもしれない。

 

「スネイプが行った……そろそろ時間ね。シリウスはこの後捕まって、閉じ込められる。そうしてから彼を助けないと」

「今取り返した方が手っ取り早い」

「駄目よアルテ。この後の時間では、シリウスは捕まったことになっている――その流れを変えたらどうなるか分からないわ」

 

 少し先の出来事を二人は知っている。

 少なくともその時点で同じようになっていないと、二人の思う通りの未来にはならない、ということ。

 アルテは苦々しく思いつつも、シリウスを連れていくスネイプを見ていた。

 それから、三十分ほど経っただろうか。

 その場にしゃがみ込んだリーマスとオリオンの間に座ってじっと湖の水面を見ていたアルテは、同じようにしていたハーマイオニーが立ち上がったことで視線を動かす。

 

「もう私たちが気付いて、スネイプや大臣と一緒にいる時間の筈よ。行きましょうハリー。アルテは……」

 

 ハリーは当然とばかりに、バックビークの綱を持った。

 それを首輪の反対側に結び付け手綱のようにして背中に乗れる状態を作る。

 ハリーもハーマイオニーも知っている。この夜、アルテだけが医務室に運ばれていないことを。

 では、彼女がどうしていたのか。今の二人には知らなかった。

 

「……ここにいる。リーマスの姿が戻るまで、一緒にいるって言ったから」

 

 アルテは、立ち上がることはなかった。

 今のアルテはリーマスやオリオンにとって鎖のようなもの。

 まだ近くにピーターがいるかもしれない以上、彼らを落ち着かせるのはこれしかない。

 

「……そう。ダンブルドアには理由を話しておくわね。そうすればきっと、何の罰則もない筈だから」

「ん……」

 

 アルテが小さく零れるような返事を返すと、ハリーとハーマイオニーはバックビークに乗って飛び去って行った。

 シリウスを救出に行くのだろう。それで、シリウスは再び自由になり、また何処かへ身を隠す筈だ。

 ハリーと共に住むという望みはまだ叶わないだろうが、少なくとも悪いようにはなるまい。

 それを確信し、安堵したアルテは、リーマスの手に自分の手を重ね、オリオンに背中を預けて目を閉じる。

 明け方にアルテが目を覚ました時、リーマスは既に人の姿に戻っていた。

 大きな罪悪感を隠すように微笑むリーマスを気にするなと諭すように、アルテはその手を握りこんだ。

 

 

 

 世間において、シリウス・ブラックの脱獄という一大事件は終わっていない。

 だが昨晩、ほんの数人のみにだが、冤罪を証明することが出来た。

 無論、だからといってシリウスが往来を歩くことは出来ないし、彼の無罪を知った人間が主張したところで共犯を疑われるだけだ。

 つまり、殆ど何が変わることもない。

 しかしシリウスにとっては誰より知っていてほしい者に真実を伝えることが出来たし、真実を知った者たちにとってはシリウスは闇の魔法使いではなくなった。

 彼ら数人にとっては大きく変わった夜だった。

 それが明けて、朝が来る。

 一晩帰ってこなかったアルテが何食わぬ顔で寮の自室に入ってきた時、その姿を見てダフネたちは開いた口が塞がらなかった。

 

「……」

「……」

「……」

「……何?」

 

 三人の目元には、薄く隈が刻まれていた。

 アルテが帰ってきていないことを心配し、だからといって夜に寮を抜け出すことも出来ず、殆ど夜通しで起きて待っていたのだ。

 戻ってきたら全力で怒鳴ってやろうと思っていた三人は――ただの夜遊びでこうなる筈のないアルテの姿に言葉を失った。

 

「…………アルテ、どうしたの、その恰好」

 

 ようやく言葉を絞り出したダフネ。

 あちこちに埃や土がついているだけならおかしくない。

 明らかに不自然なローブに嫌な予感を覚え、ミリセントとパンジーがアルテの背後に回り込む。

 鋭利な刃物で斬り裂いたような跡はローブや制服だけでなく、その下の肌にまで届いていた。

 既に傷口は塞がっているようだが、赤い線のような切り傷は、付いた直後どれほどの重傷だったのかを否が応にも想像させる。

 そしてもう一つ。

 アルテの浅黒い肌を際立たせる白銀の髪。

 背中まで伸びていたそれはばっさりと切られ、肩ほどまでの長さになっていた。

 あちこちを跳ねさせているアルテの髪型ゆえ不自然さはあまりないものの、整えたらバラバラになった毛先の長さは非常に不格好に見えるだろう。

 一晩で大変貌を遂げたアルテ本人は特に気にすることもなく、代えの制服を引っ張り出してからボロボロのそれを脱ぎ始める。

 

「切られた」

「誰に!?」

「………………ネズミ?」

 

 厄介な事態ゆえ、不用意に話す訳にもいかず、アルテは誤魔化した。

 その答えに、三人は間違いなく重症だと悟った。

 何があったかは分からないが、今のアルテはもしかすると錯乱の呪文を受けているのかも知れない。

 

「す、すぐ医務室に行かなきゃ! マダム・ポンフリーに――」

「駄目」

 

 手早く着替えたアルテは、ダフネの言葉を拒否する。

 治療など受けていては、何時間拘束されるか分からない。

 他の日ならいざ知らず、今日だけはそれは許容出来なかった。

 

「なんで!?」

「今日は、ホグズミードの日」

 

 浮足立ってすぐに部屋を出ていくアルテに、三人は顔を見合わせる。

 結局何があったかは曖昧にされるのだろう――そんな予感を覚えながら、三人は溜息をついてからアルテを追いかける。

 夜に何があろうとも、関係ないほどにアルテはこの日を楽しみにしていたのだ。

 リーマスと共にホグズミードを散策できる、絶好の機会を。

 寮を出て、まずは朝食を食べるために大広間に向かう四人。

 その道中、他の二人より冷静になったダフネが何となしに『スコージファイ』をアルテに向けて唱えた。

 応急手当の『エピスキー』と並び、向こう見ずなアルテのおかげで不本意ながら妙に得意になってしまった魔法である。

 アルテにくっついた泥やら埃が消え、とりあえず、髪以外はいつも通りになっただろう。

 髪については――まあ、どうにか誤魔化すしかないと、視線で三人は示し合わせる。

 これもまた、アルテの保護者として不本意ながら身についてしまった妙な特技だ。

 大広間に辿り着く。夜、部屋にいなかったことを不思議に思ったのは同室の三人くらいであり、特に視線を向けられることもない。

 髪についてもまだ気づかれていないらしい。

 三人の気の張りようを他所に、アルテは自分の席に着く。

 昨日の夜はなし崩し的にシリウスの一件に巻き込まれたため、何も食べていなかった。

 カップに注いだミルクを飲み干し、乾ききった舌を濡らしてから、目の前に並んだ料理をいつもより多めに取る。

 この後に楽しみが待っているとしても――いや、待っているからこそ、その食事の誘惑に抗うことは出来ない。

 相変わらずなアルテに、警戒を馬鹿馬鹿しく感じ、ダフネ達も席に着いた。

 そしてダフネがふと大広間の入り口に目を向けてアルテの肩を叩く。

 

「アルテ、ルーピン先生だよ」

「ッ」

 

 先程着替えるために一旦別れたリーマス。

 彼もまた汚れを落とし、服を着替えてやってきていた。

 アルテの傍まで来ると、まだ少し調子の悪そうな顔で笑みを作る。

 

「リーマス――」

「大丈夫だよ、アルテ。ホグズミードには、約束通り行ける」

 

 その答えに、アルテは新しいローブの下で尾を揺らす。

 彼の悩みの種も、もうなくなった。

 少しの失敗はあったものの、結局リーマスは誰を襲うこともなく朝を迎えた。

 ゆえに、二人はこの日を存分に楽しめる。それは確信だった。

 この後のホグズミード行きは、罪なき者を救った一夜の褒美といっても過言ではなかった。

 そんな二人の様子を見て、待ちかねたとばかりに近付いてくるスネイプの、いつもより数倍は不気味な雰囲気に、大広間中の生徒が黙り込む。

 そして、静寂に包まれた大広間の全域にまで届く様な、彼にしては異様によく通る声で――

 

 

「――やあルーピン。昨晩はあの後大事はなかったかね? 私も心配でならなかったよ。満月の夜に、誰あろう人狼である君が外を出歩いていたとは」

 

 

 ――その、二人の細やかな幸福に、早すぎる終止符を打った。




※アルテVS吸魂鬼。
※また留守番のオリオン。
※二週目のハリーとハー子に会っても普通に納得するアルテ。
※ハー子「シリウスはこの後捕まってしまうわ」
 アルテ「任務了解。お前(スネイプ)を殺す」
※リーマス&オリオンと一夜を過ごすアルテ。
※朝帰りアルテ。
※ピーターの不意打ちで血と一緒に吹っ飛んだ髪。
※治療系の魔法が上達するダフネ。
※テレパシーを習得しだす保護者娘たち。
※最悪のタイミングでトドメを刺しにいくスネイプ。


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幸福(げんじつ)終わり(はじまり)現実(こうふく)始まり(おわり)

※アズカバン編完結。


 

 

 それから夏休み前日までの一週間をどうやって過ごしたか、アルテ自身よく分かっていなかった。

 試験が全て終わった翌日、朝食の場でスネイプに秘密を暴露されたリーマスは、その日のうちに防衛術の担当を辞した。

 結局のところ、生徒たちからどれだけ信用されていようとも、人狼という存在はあまりに不安定かつ危険なのだ。

 このままでは翌日には保護者たちからの抗議の手紙が殺到するだろうと、リーマスは早々に出て行った。

 自分にとっての恩人であるダンブルドアに迷惑が掛かるというだけではない。

 このまま自分が残っていれば――よりアルテを悲しませることになる。

 アルテは勿論止めた。だが、それで残ることは、リーマス自身が許さなかった。

 スネイプは、シリウスを捕まえ、ハリーたちを危機から救ったことで勲一等のマーリン勲章を受ける寸前だった機会を、彼の逃亡によって失った。

 大広間での暴露はその腹いせも兼ねていた。

 彼の身分を貶めるとともに、来年以降も彼が教師として学校に居座り続けるという腹立たしい可能性を断ったのだ。

 結果として、この上なく良い形でスネイプの目論見は成功した。

 彼だけではない。

 己の嫌味を意にも介さず、己の寮生であるゆえに下手に減点や罰則も与えられない義娘諸共、その幸福を失墜させてやれたのだから。

 強いて不愉快だったことといえば、リーマスの辞任を残念がる声が思いのほか多かったことか。

 彼の斬新な授業は低学年から高学年、グリフィンドールからスリザリンまで、幅広くの支持を集めていたのだ。

 長いこと、一年以上同じ教師が継続したことのない防衛術の授業だが、現在の在校生の大体はリーマスが一番まともであったと思っていた。

 人狼だとは言うが、一年間自分たちへの被害はない。

 それゆえに、結構な生徒が彼を少なからず惜しんでいた。

 それだけが気に入らなかったが、その後のアルテの消沈具合を見れば幾分気も晴れた。

 ――ハリーとは違う。スネイプにとってアルテは、ただ気に入らない生徒で()()ないのだ。

 

 

 

 試験の結果が発表されると、三年生たちは大いに沸いた。

 各科目の順位は、一年の時とそう変わっていない。

 アルテは変身術と防衛術で一位を取っており、後者はリーマスの教員としての最後の贈り物であるようだった。

 大きな変化があったのは、合計点。

 百点満点を超えるような点数で競い合っていた最上位の二人の順位が、一年から入れ替わったのだ。

 

「はぁ……やられましたわ、グレンジャー。一体何をしたんです?」

「ちょっとした裏技……かしら。来年からはもう懲り懲りだけど」

 

 一位、ハーマイオニー・グレンジャー。二位、エリス・アーキメイラ。

 ハーマイオニーはこの一年間、マクゴナガルの手を借りてとある魔法道具を入手し、学業に役立てていた。

 それが『逆転時計(タイムターナー)』。

 時間の逆行を可能とするこの道具によりハーマイオニーは同じ時間に存在する選択科目を全て取っていたのだ。

 結果受ける試験も増え、それぞれで高い点数を記録したことによりエリスに下克上を果たしたのである。

 最上位の成績を競う二人は、寮は違えど友人とも言える仲にはなっていた。

 とはいっても、普段会うのは私語厳禁の図書室くらいではあるのだが。

 

「にしても、アルテの点数も相変わらずね。呪文学に至っては今年は私抜かれちゃったし」

「あぁ、無言呪文を習得したようですね」

「そうなの。ルーピン先生に教わっていたらしいわ」

「そうですか……やはり、優秀な先生だったようですね。残念なことです」

「ええ……ハリーもアルテと特別授業を受けていたのよ。あのとても高度な守護霊の呪文」

 

 アルテのこの一年間の成長に感心していたエリスは――それを聞いて目の色を変えた。

 そこにあったのは、驚愕――それも確かにある。

 だが、何より焦りが、エリスの中で芽生えていた。

 

「……どんな形か、知っていますか?」

「ハリーの? 牡鹿よ。少し前に見せてもらったの――」

「ポッターではありません。ティ――――ルーピンのことです」

 

 ハーマイオニーは急変したエリスの様子を怪訝に思いながらも、記憶を掘り起こす。

 気を失う寸前に見た、アルテの呼び出した守護霊。

 その姿は実際には見たことがないものの、本では読んだことがある。

 特徴的なあの姿は、殆ど伝説である魔法生物だ。

 

「確か……キメラだったわ。頭がライオンで、胴が山羊、尻尾がドラゴンの――」

「ッ――――」

 

 絶望の表情が、そこにはあった。

 あり得ない、信じられない、何故、アレが――エリスにはほんの少しの間、理解すら出来なかった。

 ハーマイオニーが嘘を言っているようには見られない。

 ゆえにこそ、エリスにとっては否定したい出来事だった。

 冗談であるならば構わない。そうであれば、エリスはハーマイオニーを笑って許せたことだろう。

 どうしようもないほどに事実だと理解してしまったエリスは、少し離れた場所でいつものメンバーで集まっているアルテに目を向ける。

 ダフネら三人の尽力や、ハグリッドが門限内であればオリオンにいつでも会ってよいという許可を出したこと、さらに一週間経ってリーマスから手紙を受け取ったこともあり、少し調子を取り戻したらしいアルテは試験結果を興味なさげに見ている。

 

「――――」

 

 エリスは衝動的に杖を取り出しそうになった。

 その無防備な横顔に、“何か”呪いを仕掛けたくなった。

 それを、歯を食い縛って堪える。

 ()()()()()場で事を仕掛けるのは、愚の骨頂だ。

 

「…………なるほど」

「え、エリス……? どうしたの?」

「いえ……なんでもありません。彼女に確かな才能があるようで、安心しただけです」

 

 そう、それは本心だ。

 怒りはない。悲しみもない。ただ、そこにあるのは嫉みだけ。

 それさえ、耐えられる。己が己たれと与えられた使命よりも――エリスは尊いものを知ってしまったがゆえに。

 

「驚いたわ。エリス、アルテと仲が良かったの?」

「仲が良ければ今頃彼女を元気づけているでしょう。休み明けまでに快復してもらわないと困るのですが」

「え? なんで?」

「……いえ。此方の話です。まだ内密なのですが――私の予想が正しければ……」

 

 そしてエリスは、少しの間考えて――友人である彼女にならば多少は教えても構わないと思った。

 生徒たちの間では自分一人だけ。先生たちも――まだ恐らくはダンブルドアしか知らないだろうことがある。

 その先の、“彼ら”の思惑を知っているのはそれこそエリスだけだ。

 

「……来年度は、彼女は気を休められることがないだろうな、と」

「え――――」

 

 エリスは懐から、昨日受け取った手紙を取り出す。

 ハーマイオニーはその手紙の裏側に書かれた差出人に目を向けた。

 

「A・H・アーキメイラって――」

「――ええ……私の――」

 

 “彼”だけではない。

 何よりも、“彼女”はアルテに、大いに興味を示すだろう。

 いや――そうなるようにしなければならない。

 たとえ“彼女”が、エリス・アーキメイラというモノにどういう感情を抱いていたとしても、たった一パーセントの間違いさえないように。

 

 

 

 キングズ・クロス駅に辿り着き、迎えに来たリーマスに駆け寄るアルテを横目で眺めながら、エリスはいつも決まった場所に歩いていく。

 柱の影に隠れ潜むように佇んでいた、小柄な黒ローブの傍で立ち止まる。

 フードの下でしわくちゃの口が微笑む。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま、ティレシアス」

 

 それは、エリスの家に仕える屋敷しもべ妖精だった。

 しかしその姿は屋敷しもべ妖精というには、些か華美に過ぎていた。

 ローブは新品のように埃一つ付いておらず、その下から覗く肌も薄汚れた様子はない。

 

「では、お手を」

 

 ティレシアスの手に、エリスの手が重ねられる。

 瞬間、エリスは体がゴム紐になるような感覚に襲われた。

 この感覚は好きではなかった。

 何度も経験すれば慣れるものかとも思ったが、どうにもそうではないらしい。

 しかしながら、これが優秀な魔法であることは確かだ。

 あっという間にエリスは、眩しいほどに明るいキングズ・クロス駅から一転、闇のような暗がりに立っていた。

 ティレシアスは役目が終わったとばかりに、エリスから離れ姿を消した。

 エリスは目を細めた。

 自分を連れて行ってほしかった。しかし――それをすれば、ティレシアスが罰を受ける。

 今のエリスには、まずこの場所に入ることが許されていないのだから。

 扉の前で、跪く。そして、蛇語で話し始めた。

 

『――死神の慈悲より逃れた咎人が戻りました。どうか、この門を潜る罪を重ねることをお許しください』

 

 十秒あまり。ようやく扉が開きエリスは立ち上がる。

 久方ぶりの自宅に喜びなどは一切なかった。

 扉を潜り、奥へ奥へと進む。

 青白い炎に照らされる廊下の先――居間にいたのは、たった一人の幼い少女。

 

「あ――エリス」

「久しぶりですね、ヘカテー」

 

 一切日差しの下に出たことがないような真っ白な肌。

 雪のような髪。そして、それ以外の色素が失われたような赤い瞳。

 ヘカテー・アーキメイラは帰還した“姉”を、不思議そうに見ている。

 

「何しに来たの?」

「……」

 

 屈託のない、心底からの疑問の表情だった。

 エリスは目を細める。いつものことだ。このヘカテーの言葉を聞くたびに――自分がこの家には不要だと、否が応でも理解してしまう。

 

「……お母様に呼ばれたのです」

「ふぅん――」

「お母様は何処に?」

「呼んであげるわ。ちょっと待って」

 

 ヘカテーは杖を軽く振るい、守護霊を羽ばたかせる。

 守護霊は使い方によっては遠方の相手に伝言を送ることも出来る。

 奥の廊下へと飛んでいって暫く。

 かちゃかちゃとガラスの打ち合う音とともに近付いてくる音に、エリスの顔が強張る。

 

「あは――お帰り、エリスちゃん」

 

 エリスが久しぶりに見たその女性は――一切変わらないままの美貌を保っていた。

 世界の全ての外にいるような超然とした、退廃的な表情。

 微笑むだけで全てを蕩かすような妖艶な雰囲気は、エリスには不気味にしか映らない。

 

「……ただいま帰りました、お母様」

 

 何ら、実験の最中だったのだろう。気怠そうに白衣を着崩し、わざとらしく肩を露出している。

 エリスが母と呼んだ女性は、ソファに沈み込むように腰を下ろす。白衣の下で、またガラスが打ち合った。

 果たしてこの世界を映しているのだろうか、というほどに空虚な瞳は、形ばかりはエリスを捉えている。

 彼女から何かを話し出す様子はない。エリスはその視線を向けられているという自覚から逃れるように、懐の手紙を取り出した。

 

「……この手紙に書かれていることは、本当なのですか? その……来年度の――」

「ええ、本当よ。ダンブルドアは既に許可の手紙を返してきたわ。ただでさえめでたい一年間を盛り上げるためだもの。貴賓を迎える度量くらいなくては、ね」

「では、事実なのですか? 本当に、生きているのですか?」

「それも――まあ、九割がた確かよ。アズカバンの下僕共が鳴いているって、始祖が直々に教えてくださったわ。事を起こすのは、多分一年以内」

 

 エリスは、体が震えそうになるのを必死に抑えた。

 衝動のようなものが、ひたすらに気持ち悪かった。

 

「そっちの方は、本当になってもらわないといけないの。だけど、そうなったとしても、こっちに何の手立てもなければ困るわ。その辺り、どうなの?」

「今年、無言呪文と守護霊を扱えるようになりました。守護霊は――キメラです」

「――十五点ね。性能が五点、守護霊で十点。それ以外は?」

「……三杖(トリヴィア)は、少なくとも意識的には使えないものと思います。禁じられた呪文も、同じく」

「ウソ、“磔”はともかく、“死”も?」

「はい。存在すら知らない可能性が……」

 

 暫し唖然としていた女性は、それから大きく溜息をつく。

 大きな失望と、僅かばかりの後悔。

 過去の衝動から自暴自棄にさえなっていなければ、とほんの少しの頭痛を覚えた。

 

「…………こうなるって分かっていれば、自棄も起こさなかったのに。すぐには無理でも、一年で最低限には仕上げないと」

 

 渋い顔をしていた女性は、白衣の内側から一本の試験管を取り出す。

 中に入った、薄く輝く銀色の液体。明らかに有害なそれを、女性は一息に飲み干した。

 程なくして女性を包み込むは、複雑に組み上がっているパズルが溶けていくような感覚。

 あらゆる苦悩を溶かし、不帰の眠りを齎す睡眠薬の延長。

 不満が消え去り無へと帰っていく快感に身を委ねれば、たちまち女性の目は最初のように蕩けたものへと変わった。

 

「まあ、いいわ。今、この場にいない以上、何も出来ないし……」

「……あの、お母様。その薬は多用しない方が……」

「大丈夫よ。あたし、この薬に関して失敗する機能がないもの。それに、冷やして飲むと美味しいのよこれ。行き詰まった時はこれに限るわー」

 

 俗っぽい言い回しではあるが、今彼女が飲んだ薬は到底安全なものではない。

 薬が回った時、余計な思考を抱いていればそれごと溶かしてしまう、忘却術の方が数倍安全な代物だ。

 だが、そのような危険性など関係ない。

 この女性が薬による記憶の溶解を好んでいる理由は、それで得られる快感なのだから。

 暫くその感覚に浸っていた女性は、たった今思いついたように、蕩けた目をエリスに向けた。

 

「ねえ、エリスちゃん。せっかく帰ってきたんだし、今晩どう?」

 

 エリスは表情を変えないように努めた。

 提案するような口ぶりであるものの、その実エリスに選択は求めていない。

 ホグワーツなんていう外界に出られるほどに、自分はどうでもいい存在なのだ。

 それくらいしか、女性が今のエリスに求めることなどなかった。

 

「……意のままに」

 

 思ったより、声に感情は乗らなかった。

 諦観ではないが、それしか選べる道がないともなれば、こうもなる。

 

「ヘカテーちゃんは? 一回くらいどう? 後悔させない自信はあるよ?」

「結構よ。私の全部は母さんじゃなくて、姉さまのものだもの」

 

 一方で、ヘカテーは即答で拒否し、部屋を出ていった。

 女性はただ気を落としたというよりも自然な仕草で、肩を竦める。

 会ったこともない“姉さま”にこれだけの感情を向けられるとは、とエリスは呆れた視線を送る。

 とはいえ――ヘカテーがその存在と出会うのは、そう遠い話でもない。

 追い求めた邪悪の目覚めを悟り動き出す、混沌の果てに潜む一族。

 彼らの干渉もあり、大いに白熱することになる、ホグワーツの次の一年。

 その結末に待っている、“起こり得るもの”――“起こらなければならないもの”を知っているのは、まだほんの数人であった。




※自分で書いてて何ですがなんかもう色々可哀そうなのでカット。
※リーマスの辞職が惜しまれてて腹立つスネイプ。
※ハリーみたいな事情がないのでアルテはただ天敵の娘というポジションでしかない。
※順位の入れ替わり(チート)。
※アルテの守護霊が気になるエリス。
※二年次にも増して全力でメンタル回復が行われるアルテ。
※来年度は大して気の休まるイベントは用意してないです。
※エリスの家にてオリキャラ大量追加。
三杖(トリヴィア)は本作のオリジナル設定。
※一晩。
※来年度はこの人たちが大きく関わってきます。
※次話から『炎のゴブレット』編。いよいよですね。


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炎のゴブレット【正義の切れ端】
目覚め


 

 

 ゆらりと歩いてくる獣に抱いた感情を、男は暫し理解できなかった。

 それはアルバス・ダンブルドアでもなければ、闇払いでもない。

 男に盾突く騎士団の連中ですらない。

 ただの小娘だ。外見の年齢にしては魔法が使えるというだけの小娘に過ぎない。

 ゆえにこそ、あってはならないのだ。

 己がただの一歩でも後退ってしまったなどと――!

 

「おのれ――おのれ!」

 

 杖を振るう。

 男が得意とする魔法が放たれる。

 かつて魔法界を恐怖に陥れた、彼の十八番ともいえる禁じられた魔法。

 緑の閃光は狙い違わず、まっすぐに少女に飛び込んでいく。

 そして命中する直前に――その間に割って入った火の塊が閃光を受け止めた。

 魔法は当然ながら、当たらなければその効果を発揮しない。

 続けて放ったものも、同じように受け止められた。

 少女の周囲を護るように飛び回っている炎は、まるで鎧のようだった。

 幾ら殺そうとしても、止まらない。一歩、一歩、小娘は近付いてくる。

 

「クルーシオ! 苦しめ!」

 

 まずはあの炎だけでも止めなければならない。

 地獄さえ生温い苦しみで、あの炎の動きをまず止める――止まらない。

 水、石化、麻痺、武装解除――どんな魔法を使っても、炎はその全てを受け止める。

 ただ、少女を先に進ませるために、あらゆる魔法を防ぎきる。

 

「ッ――」

 

 少女は――笑っていた。

 男の顔をじっと見て、笑っていた。

 笑うことを知らない少女が、“笑う”という表情を教えられて浮かべただけのように。

 歯を剥き出しにして、目を見開いて笑う少女に、男はまた一歩、後退った。

 そして、ようやく理解する。

 認めたくない。認めたくない、が。

 ――――恐れている。己は、この小娘を恐れているのだ。

 逃げようとして、走ることすらままならない体はゆっくりと後退することしかできない。

 それはゆっくりと歩み寄ってくる少女に比べあまりにも遅い。

 そうしている間に、狂気の笑みは目の前にあった。

 

「――捕まえた」

 

 不遜にも、それが最上位の喜びであるように、少女は呟いた。

 その手が、歩くのと同じようなゆっくりとした速度で、男の首へと伸ばされる。

 何をしようとしているのかなど、明らかだった。

 ただの人ではありえないような長さで、鋭く尖った爪は、首くらい容易く裂くことが出来よう。

 その恐怖が、終わりだという諦観に変わった瞬間、感じたことのない激痛が走り――――

 

 

 

「――ッ」

 

 一瞬の微睡から覚めた男は、たちまち不機嫌になった。

 夢とは特別意識しなければ、操作することもままならないもの。

 男が全盛の頃も、己が滅びる夢を見たことはなくもない。

 だが、今回はそれらとは何かが違う気がした。

 何より、あのような小娘に己が滅ぼされるなど、あってはならない。

 

「い、如何なさいました? ご主人様……」

 

 聞こえてくる不愉快な声に、開いた目が再び細まる。

 ああ――なんの話をしていたのだったか。

 傍で怯える小男――ワームテールの言葉を無視し、男は己が最も信頼するものに問いかける。

 ワームテールには、それはシューシューと零れる音にしか聞こえない。

 男は彼女に問いかけて、ようやく思い出した。

 そうだ。彼女が愉快な話を持ってきたばかりだった。

 あり得ない、下らぬ夢など、いちいち気にしてはいられない。

 

「ああ――ワームテール。ナギニが面白い報せを持ってきたぞ」

「さ、左様でございますか、ご主人様」

 

 例えば、今の夢が予知夢のようなものであり、あの娘が男に盾突いてくるとしても、彼には何の恐れもなかった。

 小娘にしてやられるほど男は愚かではない。

 まずその可能性を考慮してやるほどの暇もない。

 彼女が――ナギニが持ってきた報せの方がよほど興味深いし、有意義だった。

 

「ああ、そうだとも。ナギニが言うには部屋の外に老いぼれマグルが一人立っていて、我々の話を全部聞いているそうだ。中にお招きしろ、ワームテール」

 

 ワームテールが慌てて、部屋を出る。

 怯えた様子の老人は震えながら立ち竦んでいた。

 ワームテールは老人を部屋の中に引っ張り入れる。よろめいたものの、老人は転ぶことなく、部屋を見渡した。

 

「――マグルよ、全て聞いていたな?」

「……俺のことを何と呼んだ?」

 

 肘掛け椅子の背の向こうから聞こえる声に、老人は食って掛かる。

 戦場で身に付けた勇敢さではあるが、それはその男と対峙するにおいては無謀に過ぎた。

 

「マグルだ。つまりお前は、魔法使いではないということだ」

「すると何だ。お前様は魔法使いだって? あんた方の事情も身分も知りゃしないが、俺は今晩警察の気を引くのに十分のことを聞かせてもらったぞ? ――言っとくが、かみさんは俺がここに来たことを知ってるぞ。もし俺が戻らなかったら、お前さん方もただじゃ済まんぞ」

 

 男たちを挑発するように言った老人だが、男たちからの驚愕も怒りもない。

 男の声はただ、落ち着き払っていた。

 

「お前に妻はいない。お前がここにいるとは誰も知らない。ヴォルデモート卿に嘘をつくな。俺様には全てお見通しだぞ……」

「へえ? 卿、だって? はて、卿にしちゃ礼儀を弁えていなさらん。こっちを向いたらどうだ? 一人前の男らしく」

 

 男――ヴォルデモートは掠れるような笑いを零した。

 この名を知らないとは、やはりマグルは愚かしい。

 魔法使いであれば、この時点で杖を振るうか脱兎の如く逃げ出していただろう。

 そうすれば、まだ可能性はあった。今の男には、それを満足に追いかける力はない。

 ワームテールも大して役には立たないし、最悪脱走を許し此方も逃走を余儀なくされていただろう。

 だが、老人は逃げ出そうとはしなかった。それが彼の命運を決定付けた。

 

「マグルよ、俺様は人ではない。人よりずっと上の存在なのだ。……よかろう、お前と向き合おう。ワームテール、この椅子を回すのだ」

 

 恐怖の悲鳴を上げながらも、ワームテールは椅子を回す。

 その姿を見て――老人はそれよりも大きな悲鳴を上げた。

 傍に大蛇を侍らせた、確かに人とは思えないナニカ。

 それが杖を振り上げ、その瞬間何を言ったのかさえ、老人には聞こえなかった。

 緑色の閃光が爆発し、老人に突き刺さる。

 音は遅れて聞こえたようだった。床に倒れるより前に、老人は事切れていた。

 

 

 

 森から出てきたアルテは、人目に付かないうちに帽子を被りなおした。

 家の裏にある森はアルテの庭のようなものだった。

 別に立ち入り禁止という訳でもないのだが、ここに踏み入るような物好きはそうそういない。

 というのも――この森には狼男がいるという噂が絶えないからだ。

 アルテはその噂の真実は知っているし、その噂が未だ消えていないことは気に入らないが、それで森に入るような者がいなくなるのは都合が良かった。

 人の手が入らない場所であるからか、この森の自然は大したものだ。

 アルテの目的である草花もそう苦労することなく、ある程度揃えることが出来ていた。

 

『しかし、どうするのですか? そんなもの。餌にもなりませんよ?』

『リーマスの、ための、薬を作る、材料です』

 

 アルテは首に巻き付いている蛇の問いに、何処か楽しげに答えた。

 この蛇はアルテが去年から蛇語を習っている個体だった。

 その甲斐もあり、アルテの蛇語は丁寧さこそ抜けないものの、文法の間違いはなくなってきているらしい。

 

『リーマスとは君の父ですね。薬とは人が病を治すものだった筈ですが、何か患っているのですか?』

『はい。なので、わたしは、それを治したいのです』

 

 前年度末――ホグワーツの教師として一年間人狼であることを秘密にしていたリーマスは、スネイプによってそれを暴かれてしまった。

 アルテは止めたものの、彼が残っていればどれだけの苦情が来るか分からない。

 認めたくはないがそれは事実であり、アルテも認めざるを得なかった。

 しかし、ゆえにアルテは決意した。

 リーマスの人狼化を治し、彼がこれ以上あの症状に悩まなくても良くしようと。

 そうすればまた彼が教師としてやってくることに誰も否やは唱えまい。

 その他の、リーマスが望む職でも文句は言われないだろう。

 その手始めとして手を付けたのが、脱狼薬の調合である。

 トリカブトの脱狼薬は調合が非常に難しく、アルテの年齢でこなせるようなものではない。

 だが、アルテにとってその薬の調合は、前提でしかなかった。

 この薬を基に、性質を分析し、やがては人狼という症状を完全に治療する。

 もうあんな事がなってはならないと、アルテは強く思っていた。

 

『そうですか。私は人の薬については知りません。ですが、叶うと良いですね』

『はい』

 

 蛇と別れ、家の方に向かう最中、くしゃくしゃになった新聞を拾う。

 その大見出しには、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦について書かれていた。

 アルテはクィディッチに興味はない。

 そこに書かれていたのは、クィディッチの結果についてではなく、もっと重大なことであったのだが、アルテはそこまで読み進めることはしなかった。

 家に入ると、リーマスが難しい顔で一枚の紙を見ていた。

 その様子はただならないというか、己ではどうにもならない難題を前にしているようだった。

 

「リーマス?」

「あ、ああ、お帰りアルテ。その草花は?」

「魔法薬の材料」

 

 なんの薬かは言わなかった。

 リーマスも、特には気にしていない。というよりは意識が紙に向けられすぎているようだったが。

 

「何見てるの?」

「ああ――学校からの来年度のリストだよ」

「高い教科書?」

「いや、教科書については問題ない、んだけど……」

 

 リーマスは言い淀んでいる。

 余程厄介な代物が書かれているらしい。

 一年生の時以外は教科書くらいであった筈だが――とアルテは思い返す。

 

「……これは、私にはどうにもならないな」

 

 諦めたように、リーマスは溜息をついた。

 リーマスが何かを諦めるということがどうにも気に入らず、アルテは眉根を寄せる。

 一体何を用意しろというのか。少しだけ気分を悪くしたアルテはリーマスの後ろに歩いていき、紙を覗き込む。

 そこに書かれていたのはいつも通り、新しい教科書のタイトル。

 そして――

 

「……ドレスローブ?」

 

 ――今までのアルテには一切縁のなかった、正装だった。

 

「アルテ。ダフネとパンジー、ミリセントに用意を手伝ってもらうよう、手紙を出してもらえるかい? こればかりは、私には何というか、荷が重くてね」

「……? 分かった」

 

 どうして三人の助力が必要なのかは分からないが、リーマスには難しいことであれば仕方ない。

 アルテは端的な文面の手紙を手早く用意する。

 それが必要であるならば、さっさと買ってしまった方が良いだろう。

 ――翌日、ダイアゴン横丁で合流したアルテと三人。

 やけに張り切った三人にあちこち連れ回され、アルテは一日で四度逃げ出した。

 しかし三人の妙な執念はアルテの逃走を許さず、思う存分にアルテのドレス選びを楽しんだ。

 その日は間違いなく厄日だったし、脱狼薬は残る材料が揃わず――気落ちした状態で、アルテの四年目は始まった。




※物騒な夢を見るお辞儀様。
※お辞儀「夢なんて気にしてたら帝王とかやってられない」
※逃げられなかったフランク氏。
※森で蛇と戯れるアルテ。
※目指せリーマスの脱人狼。
※奇跡的にワールドカップの悲劇をスルー。
※ドレスローブは無理なリーマス。
※招集される三人娘。逃げるアルテ。
※着せ替えアルテ。


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三大魔法学校対抗試合

 

「ね、ねえアルテ。いい加減機嫌直して? ね?」

「悪かったってば……流石に学校でまでやらないわよ」

「で、でも必要だったのよ、似合うドレスじゃないと……」

「……」

 

 ホグワーツに到着しても、アルテはダフネたちから若干距離を取っていた。

 結局ドレスは決定したのだが、余程トラウマになったようで警戒を解かない。

 アルテ自身よく分からないが、二年次のホグワーツ特急でルーナに感じたのと同じような危機感を、ダフネたちに抱いたのである。

 己の体を隠すようにローブに包まるアルテは、それはそれで庇護欲を擽られたが――その警戒が自分たちに向けられていては堪らなかった。

 流石に好き勝手し過ぎたと反省しつつ、アルテを説得する。

 その四人の様子を、アステリアは不思議そうに見ていた。

 

「……って、あれ? 何あの騒ぎ」

 

 廊下の先で、何人かの生徒たちが騒いでいる。

 ハリー、ロン、ハーマイオニーら、アルテが不思議とよく関わる三人もいた。

 彼らに向かって、天井から水風船が落とされる。

 全員避けたものの、破裂した風船から水が撒き散らされ、ハリーたちの靴下を濡らした。

 

「まーたピーブズだよ……本当懲りないよね」

「……」

 

 天井にぶら下がったように浮くピーブズは大笑いしながらハリーたちに水風船を投げていた。

 大荒れな外の天気から逃げてきた彼らにとっては追い打ちもいいところだ。

 マクゴナガルがやってきて怒鳴り散らすが、ピーブズは堪えた様子もない。

 ――そして続けてやってきた生徒たち――アルテたちの顔を確認することもなく、新しい水風船を投げる。

 虫の居所が悪かったアルテは――口実を得たとばかりに杖を振った。

 

「ふべ!?」

 

 飛んできた水風船を押し返し、ピーブズの顔に直撃させる。

 結果、水は下にいたハリーたちに降りかかることになったが、アルテは気にしない。

 またも悪戯を繰り出してからアルテの存在に気付いたピーブズは、もう一度振るわれた杖が死神の鎌に見えた。

 出現した猛獣――キメラの守護霊は、全速力で壁に突っ込んで逃げるピーブズを追って壁をすり抜けた。

 ピーブズに対する攻撃力は恐らく持っていないが――暫く追い回していれば少なくとも自分に迷惑は掛かるまい。

 

「アルテ、今のが守護霊の魔法?」

「ん」

 

 何となく気が晴れたアルテは、ある程度警戒を解いたらしかった。

 ダフネたちは犠牲になったピーブズに内心感謝した。

 

 

 

 大広間に辿り着き、席に座ったアルテは、なんとなしに教師のテーブルを見た。

 前年度、当たり前のようにリーマスが掛けていた席には誰もいない。

 人狼化を治す薬を作るという目的を見出したことである程度割り切ったアルテではあるが、やはり不満なものは不満だった。

 

「アルテ、今年の授業で楽しみなものってある?」

「魔法生物飼育学」

「……オリオン目的じゃない? それ」

「……?」

 

 まるで、それ以外にあの授業の目的があるのか、とでも言わんばかりに首を傾げるアルテに、ダフネは呆れた。

 夏休みの一ヶ月間、アルテはオリオンに会っていない。

 ハグリッドが管理しているヒッポグリフの一頭であるオリオンは、当然ながら生徒の一人が連れていく訳にはいかない。

 例外だったのがバックビークだ。シリウスが逃げる時に使っていたようで、この学校にいれば処刑は免れなかったことからハグリッドも大喜びしていた。

 それを知った時、アルテはオリオンを連れていこうかとも思ったものの、ハグリッドに許可を貰えなかった。

 ゆえに授業で楽しみにしているものと言えば、アルテにはそれくらいしかなかった。

 どんな教師が来ようとも、今年の防衛術が前年度を上回ることはないのだ。

 そうこうしているうちに、マクゴナガルが新入生たちを伴ってやってくる。

 大広間は静寂に包まれ、アルテも興味はないながら、その列に目を向ける。

 幾ら空腹であっても、どうせ彼らが全員組分けを終えない限り料理は現れない。

 空腹を紛らわせる最も正しい手段であった。

 マクゴナガルが椅子の上に、古ぼけた帽子を置く。

 すると帽子のツバに沿った破れ目が開き、歌い出した。

 

 

 いまを去ること一千年、そのまた昔その昔

 私は縫われたばっかりで、糸も新し、真新し

 そのころ生きた四天王

 いまなおその名を轟かす

 

 荒野から来たグリフィンドール

 勇猛果敢なグリフィンドール

 

 谷川から来たレイブンクロー

 賢明公正レイブンクロー

 

 谷間から来たハッフルパフ

 温厚柔和なハッフルパフ

 

 湿原から来たスリザリン

 俊敏狡猾スリザリン

 

 ともに語らう夢、希望

 ともに計らう大事業

 魔法使いの卵をば、教え育てん学び舎で

 かくしてできたホグワーツ

 

 四天王のそれぞれが

 四つの寮を創立し

 各自ことなる徳目を

 各自の寮で教え込む

 

 グリフィンドールは勇気をば

 何よりもよき徳とせり

 

 レイブンクローは賢きを

 だれよりも高く評価せり

 

 ハッフルパフは勤勉を

 資格あるものとして選びとる

 

 力に飢えしスリザリン

 野望を何より好みけり

 

 四天王の生きしとき

 自ら選びし寮生を

 四天王亡きその後は

 いかに選ばんその資質

 

 グリフィンドールその人が

 素早く脱いだその帽子

 四天王たちそれぞれが

 帽子に知能を吹き込んだ

 代わりに帽子が選ぶよう!

 

 被ってごらん。すっぽりと

 私がまちがえたことはない

 私が見よう。みなの頭

 そして教えん。寮の名を!

 

 

 帽子が歌い終えると、大広間が拍手で満ちる。

 早々に聞くのをやめ、「いまなお――」の辺りから聞いていないアルテは適当に周囲を見渡していた。

 そして気付く。普段エリスが座っている席に、誰もいない。

 基本的に生徒たちはホグワーツ特急に乗ってくる。

 二年次のハリーやロンのように例外は無くもないが――エリスは優等生である。そのようなことがあるとは思えなかった。

 とはいえ、さほど気に掛けることもない。ほんの僅か引っかかっただけで、彼女と友人でもない以上それ以上の疑問にも心配にもならなかった。

 

「毎年歌が変わるなんて、凝ってるわよね」

「一年かけて考えてたりしてね。あの帽子、それくらいしかやることないんじゃない?」

「暇人」

「アルテ、割と辛辣だよね」

 

 欠伸をしつつ、アルテは帽子の頑張りを切って捨てた。

 その後マクゴナガルがいつも通り、新入生たちの名前を呼び始めた。

 最初の生徒がレイブンクローに選ばれたことで、今年の組分けが幕を開ける。

 二人目の生徒がスリザリンに選ばれた。

 スリザリンのテーブルのみから拍手が起きるのはいつものことだ。

 組分け一人ひとりに一喜一憂するほどの興味はアルテにはない。

 すぐにうとうととし始め、眠りだした。

 やがてケビン・ホイットビーという生徒がハッフルパフに選ばれると、組分けは終了する。

 その頃にはアルテは完全に意識を手放していた。

 とはいえ、誰も起こすことはしない。

 それが必要ない行為だと、誰もが分かっていたからだ。

 椅子と帽子が片付けられ、ダンブルドアが立ち上がる。

 両手を大きく広げて生徒たちを歓迎し、微笑みかけながら深い声で言った。

 

「皆に言う言葉は一つだけじゃ。思いっきり、掻っ込め!」

 

 まるでそれが呪文であるように、アルテが起き上がった。

 最早誰も驚きはしない。

 分厚いステーキに齧り付き、至福の表情を浮かべるアルテは、スリザリンの風物詩のようなものだった。

 ご満悦なアルテだが、そんな彼女に水を差すようにスリザリンのゴースト、血みどろ男爵が現れてこのご馳走の裏にあった話を出した。

 曰く、このピーブズが祝宴に参加したいと駄々をこね、厨房で暴れ回ったらしい。

 それで厨房にいる屋敷しもべが怯えてしまい、危うく料理が出ないところだったとか。

 ダフネはよりによって何故今そんな話を出したのかと男爵に文句を言いたくなった。

 一瞬、アルテの目のハイライトが消えたようだった。

 アルテは壁に向けて人知れず杖を振った。

 壁を突き抜けて何かが外へと駆けていく。恐らくは守護霊だろう。

 何事もなかったかのように、食事を続ける。

 今は此方が優先なのだろう。だが、指示を受けた守護霊はピーブズを探している筈だ。

 暫く時間が経ち、アルテも満足した頃、ダンブルドアが再び立ち上がる。

 

「さて、皆よく食べ、よく飲んだことじゃろう。いくつか知らせることがあるので、もう一度耳を傾けてもらおうかの」

 

 まずはじめに、新たな持ち込み禁止の品物を発表した。

 『叫びヨーヨー』『噛みつきフリスビー』『殴り続けのブーメラン』の三品だ。

 とはいえ、この禁止品の全てを守る生徒なんてそうそういない。

 それから、森は生徒立ち入り禁止、ホグズミードは三年生になるまでは行けないことを告げる。

 そして――

 

「そして、寮対抗クィディッチ試合は取りやめじゃ。これを知らせるのは辛い役目での」

「え!?」

 

 各テーブルから絶叫が上がる。

 意外なことに、スリザリンのシーカーであるドラコは仕方ないとばかりに肩を竦めていた。

 クィディッチの試合はこの学校の大きな行事だ。

 それが取りやめになるというのは余程の事態だろう。

 

「これは、十月に始まり今年度の終わりまで続くイベントのためじゃ。じゃがわしは皆がこの行事を大いに楽しむであろうと確信しておる。発表しよう、今年ホグワーツで――」

 

 その時、耳を劈く雷鳴が鳴り響いた。

 大広間の扉が開き、一人の男が大広間に入ってくる。

 長いステッキに体重を預け、黒い旅行マントを纏っている。

 人の顔を殆ど知らない、しかもノミの使い方に不慣れな誰かが風雨に曝された木材を削って作ったような顔の男だった。

 その皮膚は一ミリの隙間もないほどに傷に覆われている。

 鼻は削がれ、口はまるで斜めに切り裂かれた傷口のようだ。

 そして片目は丸いコインのような義眼であるという不気味な男は、その目玉をグルグル回しながらダンブルドアに近付き、手を差し出した。

 ダンブルドアはその男と何かを語り合い、それから男を空いた席に誘った。

 アルテは目を広げた。

 彼が座ったのが、防衛術の席であったからだ。

 

「『闇の魔術に対する防衛術』の新しい先生を紹介しよう。ムーディ先生じゃ」

 

 ダンブルドアとハグリッド以外は誰も拍手をしなかった。

 アルテは酷く不機嫌になった。分かっていても、リーマスの席であったそこに誰かが座るというのは気に入らなかった。

 

「先程言いかけていたのじゃが、これから数ヶ月にわたり、ホグワーツは心躍るイベントを主催するという光栄に浴する。百年以上行われていない催し――他でもない、三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)じゃ」

「ご冗談を!」

 

 フレッドが声を上げた。

 ムーディが到着してから張りつめていた緊張が急に解ける。

 笑い声が大広間に広がっていく。アルテは興味なさげにかぼちゃジュースを口に含む。この甘たるさはやはり苦手だ。

 

「ミスター・ウィーズリー、わしは決して冗談など言っておらんよ。さて、簡単に説明しよう。三大魔法学校対抗試合はおよそ七百年前、ヨーロッパの三大魔法学校の親善試合として始まったものじゃ」

 

 ホグワーツ、ボーバトン、そしてダームストラング。

 三つの学校の代表選手が一人ずつ選ばれて、三つの魔法協議を争う。

 それが若い魔法使い、魔女たちの国を超えた絆を築いていたのだが、やがて夥しい死者が出たことで競技そのものが中止になった。

 

「この度、我が国の『国際魔法協力部』と『魔法ゲーム・スポーツ部』が今こそ再会の時は熟せりと判断した。今回は、選手の一人たりとも死の危険に曝されぬようにするために我々はひと夏かけて一意専心取り込んだ」

 

 それが真実だと悟ると、大広間の空気は笑いから驚愕に変わっていった。

 

「ボーバトンとダームストラングの校長が、代表選手の最終候補生を連れて十月に来校する。更に、試練の内容については、大変な支援をしてくださったアーキメイラ家をゲストとしてお呼びすることとなった。スリザリン四年生のエリス・アーキメイラさんはそれもあって十月までは授業の免除がされておる。十月の再会が楽しみじゃの」

 

 アルテはエリスが不在な理由を納得した。

 ドラコら、魔法界の重鎮ともいえる家系の面々は首を傾げた。

 彼らはエリス以外にアーキメイラの姓を持つ者を知らない。

 そんな知名度のないような家が一大行事の支援を出来るとは思えなかったからだ。

 

「ハロウィーンの日に各校の代表選手の選考が行われる。優勝杯と栄誉、そして個人に与えられる賞金一千ガリオンを賭けて戦うのに相応しい選手を決めるのじゃ」

 

 誰もが、その賞金に目を丸くした。

 一千ガリオン――それは、少なくとも学生には途方もない金額だ。

 最高級の箒であるファイアボルトすら容易く買えるほどの金額には、ドラコも声を漏らした。

 しかし、ダンブルドアは申し訳なさそうに告げる。

 

「全ての諸君が優勝杯をホグワーツに齎そうとしていることは承知しておる。しかし、参加三校の校長、並びに魔法省としては今年の選手に年齢制限を設けることで合意した。十七歳以上の生徒だけが、代表候補として名乗りを上げることを許される」

 

 あり得ないとばかりに不満の声が上がる。

 フレッドとジョージは隠し持っていた悪戯道具を使って抗議しそうな勢いだった。

 しかし、試合の種目が難しく危険であること。

 ゆえに年少の者が課題をこなせるとは考えにくいことを説明すると、生徒たちは渋々黙り込んだ。

 

「代表団とアーキメイラの一家は到着後、一年間殆ど我が校に留まる。お客人が滞在する間、皆、礼儀と厚情を尽くすことを信ずる。ホグワーツの代表選手が選ばれし暁には、その者を心から応援するであろうと、わしは信じておるよ。さて、明日からの授業に備えて休みなさい。就寝!」

 

 ダンブルドアは話を終えると、再び腰掛けてムーディと話し始めた。

 生徒たちはそれぞれバラバラに部屋を出ていく。

 話題は対抗試合で持ち切りだった。

 

「残念ね。十七歳以上なら立候補できたのに。アルテなら優勝狙えるんじゃない?」

「興味ない」

「えー、一千ガリオンよ? これだけあれば大抵のものは買えるわよ」

「……」

 

 その賞金を考えれば、アルテも関心が惹かれないでもない。

 それだけあれば、アルテが夏休み中揃えることが出来なかった脱狼薬の材料も買い揃えられるだろう。

 しかし、参加できないものはどうしようもない。

 何より賞金はともかく対抗試合自体には興味はなかった。

 

「にしても、エリスの家って何なのよ。支援をしたっていうけど……」

「ううん……お父さんに聞いてみようかな。聞いたことあればいいんだけど」

 

 その、エリスの家もまた、自分には何の関係もないとアルテは思っていた。

 アーキメイラ一家が自分に関わるようなこともあり得ないだろうと、特に考えることもなく断じていた。

 ――その家によって齎される今年度の出来事を、アルテはまだ知らない。




※アルテからの好感度がだだ下がりする三人。
※全裸でも気にしないアルテが感じた極めて珍しい身の危険。
※相変わらず学習しないピーブズ。
※対ピーブズ用魔法になった守護霊。
※オリオン目的の魔法生物飼育学。
※まだ何もしてないのにアルテに嫌われるムーディ。
※協賛:アーキメイラ。


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禁じられた呪文

※Q.結構更新遅れたね。
 A.水着メルトのせいでそれどころじゃなかった。


 

 

 授業初日、魔法生物飼育学の時間になると、アルテはハグリッドの小屋に全速力で走っていった。

 ハグリッドも分かっていたようで、小屋の近くにオリオンが繋がれている。

 走り寄るとオリオンも気付いたようで、顔を上げた。

 相変わらず、アルテに対しお辞儀を求めていないオリオンは、近付いてきたアルテを当然のように受け入れる。

 数分遅れて、ダフネたちがやってくる。

 

「あ、アルテ、張り切りすぎ……」

 

 あまりのアルテの張り切りようのせいか、四人は一番乗りだった。

 すぐにハグリッドが小屋から出てくる。

 何やら大きな木箱を抱えていた。

 

「早いな、お前さんたち。今日の授業はこいつをやるぞ」

 

 ハグリッドは抱えていた木箱を下ろし、蓋を開ける。

 中からは妙なガラガラという音と、小さな爆発音のような音が聞こえてくる。

 オリオンに夢中のアルテ以外がそれを覗き込む。

 高揚したハグリッドの様子からもう碌でもない生き物だとは分かっていたが、それを見るなりダフネたちの表情は苦いものになった。

 遅れてやってきた他のスリザリン生や、グリフィンドール生たちもそれを覗き、同じような表情になる。

 

「……ハグリッド、これ、何?」

 

 ハリーが代表して、誰しもの疑問を口にした。

 嬉々としてハグリッドは答える。

 

「尻尾爆発スクリュート、今孵ったばっかしだ!」

 

 その姿は、殻を剥かれた奇形の伊勢エビのようだった。

 青白くぬめぬめとした胴体からは勝手気ままに脚が突き出し、頭はない。

 それが百匹ほど、箱の中で蠢いている様は生理的に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

 腐った魚のような強烈な臭いはアルテにまで届き、顔を顰めさせる。

 

「お前たちが自分で育てられるっちゅうわけだ。そいつをプロジェクトにしようと思っちょる!」

 

 生徒たちの拒絶反応を知らないようにハグリッドは嬉しそうに言った。

 

「何故我々がそんなのを育てなきゃならないんでしょうね? なんの意味があるって?」

 

 ドラコの問いに、ハグリッドは答えに窮したように黙り込んだ。

 例えば何らかの薬の材料になるだとか、これが将来的に役立つものであればまだ理由にもなるだろう。

 だが箱の中の奇怪な生物がそうした対象になるとは思えず、ハグリッドの趣味以上の理由は見当たらなかった。

 数秒間黙った後、ハグリッドはぶっきらぼうに応えた。

 

「マルフォイ、そいつは次の授業だ。今日は皆で餌をやるだけだ」

 

 流石に見ていられないと下がったダフネたちは早くも今年のこの授業が嫌になった。

 

「……来週の授業で理由持ってきていると思う?」

「スネイプがグリフィンドールに点あげるくらいあり得ないわね」

 

 この訳の分からない生物の出所は知らないが、これを育てなければならないというだけで体調を崩しかねなかった。

 アルテもようやくオリオンとの交流に一区切りがついたようで、木箱を覗き込むが、三秒と経たないうちにダフネたちの方へと歩いてきた。

 その見た目は彼女からしても気味の悪いものであったらしい。

 

「さあ、いろんな餌をやってみろよ。俺はこいつらを飼ったことがねえんで、何を食うのかよくわからん。アリの卵、カエルの肝、それと毒のねえヤマカガシをちいと用意してある。全部ちーっとずつ試してみろや」

 

 ハグリッドは更に小屋から木箱を幾つか持ってきた。

 それらにも尻尾爆発スクリュートが山ほど入っている。

 生徒たち一人ひとりがしっかりと生態を観察できるようにという配慮だろう。まったくいい迷惑だった。

 

「こいつ、襲った! 尻尾が爆発したぞ!」

「ああそうだ。こいつらが飛ぶときにそんなことが起こるな」

「ハグリッド、あの尖ったもの何!?」

「ああ。針を持った奴もいる。多分オスだな。メスは腹ンとこに吸盤のようなものがある。血を吸うためじゃねえかと思う」

 

 どちらも事前説明をしていないことだ。

 ディーンは火傷しているし、ラベンダーは指に刺さったのか小さな傷を作っていた。

 

「何故僕たちがこいつらに餌をやって、生かしておこうとしているのか僕にはよく分かったよ」

 

 木の枝でスクリュートを突きながら、ドラコは皮肉げに言った。

 

「火傷させて、刺して、噛みつく。これが一度に出来るペットだもの。誰だって欲しがるだろうさ」

「可愛くないからって役に立たないとは限らないわ。ドラゴンの血なんか素晴らしい魔力があるけど、ドラゴンをペットにしたいなんて誰も思わないでしょ?」

 

 ハーマイオニーが反撃する。

 ドラコは可愛くないとは一言も言っていない。

 かといって可愛い訳でもないのだが、それでもやはりこのスクリュートに役目を見出せるとは思わなかった。

 

「……」

「あ、アルテ! 触ったら……」

 

 脚の一本を摘まんで持ち上げたアルテは、やはり気味が悪そうにスクリュートを見ている。

 指にくっついたスクリュートは先程ハグリッドが言っていたように吸盤を持っているらしく獲物を見つけるや否や吸い付いていた。

 鬱陶しそうに指から離し、木箱に放って戻す。

 吸血のためというのも間違っていないらしい。指から血を流しているアルテに呆れかえったダフネは、止血をすべくアルテに走り寄った。

 

 

 

 そんな初日から数日後、ムーディの防衛術の授業の時間になった。

 最初からアルテはやる気がなかった。

 前年度とは打って変わったアルテの態度の理由は、ダフネたちでなくても明らかだ。

 リーマスが教師であったことは、それほど彼女にとっては大きかったのだ。

 ダフネたちが必死で説得し、ようやく引きずられるように教室にやってきたアルテは、無気力そうに席に着いた。

 早々に教科書を枕にして寝始めるアルテ。

 まあ、暫くは仕方ないかと思い、ダフネも隣に座った。

 

「まったく、あんな奴が教師だなんてダンブルドアが正気かどうか怪しいね。あれはもうイカれてるってレベルじゃないよ」

 

 ドラコがいつも通り悪態をついている。

 しかし、その罵詈雑言には実感があった。

 というのも、授業初日にあった事件のせいだろう。

 いつも通り、ハリーたちと言い合いになったドラコは、ハリーに杖を向けたが、その瞬間ムーディによって魔法を掛けられ、ケナガイタチに変身させられたのだ。

 

「いつになったらまともに防衛術の授業が出来るんだろうね。まった――」

 

 リーマスにも飛び火しようとしたドラコの悪口は、悲鳴に変わった。

 アルテがローブの下に持っていた『怪物的な怪物の本』をドラコに投げたのだ。

 

「アルテ、なんでそんなの持ってきてるの……」

 

 紐などで封じられていない本は、ドラコに飛び掛かりながらページを開く。

 前年度の授業の際、激しい戦闘によって本を支配下におさめたアルテは、すっかりこれを都合のいい手駒にしていた。

 

「アルテ! この本嗾けるのやめてくれないか!」

「手が滑った」

「キミはこの本を持っている時、何回手を滑らせるんだい!?」

 

 懲りないドラコに気に入ったらしい言い訳を告げるアルテ。

 何度も噛み付かれ、いい加減慣れ始めているドラコは本を抑えつけながら怒鳴っている。

 アルテのもとに本を投げつけると、その時教室の扉が開かれた。

 

「教科書はしまってしまえ。必要ない」

 

 入ってきたムーディに、ドラコの顔が強張る。

 威圧的な姿の彼は入るや否や、何もせずとも教室中の生徒を黙らせる。

 木製の義足をカツカツと音を立てながら教壇に上がると、出席を取り始めた。

 普通の目は名簿をじっと捉え、もう一つの魔法の目はグルグルと回り、生徒が返事をするたびにその生徒を見据えた。

 そして出席を終えると、名簿を閉じて普通の目も生徒たちに向けられる。

 

「このクラスについてはルーピン先生から手紙を貰っている。闇の怪物と対決するための基本を満遍なく学んだようだな?」

 

 ムーディがリーマスの名前を出すと、アルテが顔を上げた。

 後任である彼には特に期待感を持っていなかったアルテだが、リーマスを認めていることは嬉しく感じた。

 

「しかしだ。お前たちは非常に遅れている。呪いの扱い方についてだ。そこで、わしの役目はお前たちを最低線まで引き上げることにある」

 

 確かに、リーマスの授業は怪物との戦いに特化していた。

 アルテたちの受けていた課外授業のように、対魔法使いに有効な魔法を習っていた訳ではない。

 

「魔法省によれば、わしが教えるべきは反対呪文であり、そこまでで終わりだ。違法とされる闇の呪文がどんなものか、六年生になるまでは見せてはならんことになっている。お前たちは幼すぎ、呪文を見ることさえ堪えられぬ、とな。しかし戦うべき相手は早く知れば知るほどよい。見たこともないものからどうやって身を守るというのだ?」

 

 生徒たちがざわついた。

 この授業は今までと何かが違う、と誰もがその時理解した。

 本来与えられたカリキュラムとは外れたことを、ムーディはしようとしている。

 

「さあ……魔法法律により、最も厳しく罰せられる呪文が何か。知っている者はいるか?」

 

 手を挙げた者は多かった。

 元々家系に闇の魔法使いが輩出されることの多いスリザリンだ。

 当然、その魔法を知っている者は多いのだろう。

 挙げていない者たちも、知らないというよりも口にすることが憚られるという様子の生徒が多かった。

 

「随分得意げだな、マルフォイ。一つ答えてみろ」

「服従の呪文です、先生」

「ああ、それは知っているだろうな。お前はよぉく知っている筈だ」

 

 気に入らなさそうに鼻を鳴らし、ムーディは机の引き出しを開けた。

 そして中からガラス瓶を取り出す。

 瓶の中には黒い大蜘蛛が三匹、這い回っていた。

 ムーディは瓶の中から蜘蛛を一匹掴み出し、手の平に乗せて皆に見えるようにした。

 それから杖を蜘蛛に向け、呟く。

 

「インペリオ! 服従せよ!」

 

 ――使った、と何人かが息を呑んだ。

 蜘蛛は糸を垂らしながらムーディの手から飛び降りた。

 空中ブランコのように揺れ始め、足をピンと伸ばし、宙返りをする。

 それから二本の足で立ち上がり、タップダンスを踊り始めた。

 あまりに愉快な光景に生徒たちが笑い出す。

 

「面白いと思うのか? わしがお前たちに同じことをしたら、喜ぶか?」

 

 ムーディが低く唸ると、笑い声は一瞬にして消える。

 アルテは小さく首を傾げた。

 どうにも――その聞き覚えのない呪文を、知っているような気がした。

 

「完全な支配だ。わしはこいつを思いのままに出来る。窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも、誰かの喉に飛び込ませることもな。何年も前にもなるが――多くの魔法使いたちがこれに支配された。誰が無理に動かされているのか、誰が自らの意思で動いているのか、それを見分けるのは魔法省にとって一仕事だった」

 

 ムーディの魔法の目は、まっすぐドラコを捉えていた。

 

「他の呪文を知っている者はいるか? 何か、禁じられた呪文を?」

 

 次に当てられたセオドール・ノットは小さく答える。

 

「――磔の呪文」

「正解だ。こいつがどんなものか分かるように、少し大きくする必要がある――エンゴージオ、肥大せよ!」

 

 二匹目の蜘蛛を取り出したムーディは、その蜘蛛に杖を突き付け呪文を唱えた。

 蜘蛛が膨れ上がり、タランチュラよりも大きくなる。

 そんな、毒が無くとも牙だけで人を殺せそうな大きさになった蜘蛛に、ムーディは更に呪文を続けた。

 

「クルーシオ! 苦しめ!」

「ッ――――」

 

 その呪文が唱えられた瞬間――アルテは全身に鳥肌が立った。

 たちまち蜘蛛は引っ繰り返り、痙攣を始めた。

 もしも蜘蛛に声があれば、教室中に悲鳴を響かせていたことだろう。

 先の呪文は、聞いたことはなかった。しかしこの呪文はアルテも知っている。

 

「あ、アルテ。大丈夫だから」

 

 自分でも分からないほどに小さく震えていたアルテの手に、ダフネの手が重ねられる。

 アルテにその呪文に対する恐怖はない。それは体が拒絶しているだけだろう。

 その呪文が齎す、ナイフで刺すよりも、縄で首を絞めるよりも大きな苦痛をアルテは嫌と言う程知っていた。

 一年の時はクィレルに、そして二年の時は他でもないヴォルデモートにこの魔法を受けている。

 この年齢で二十回近くもこの魔法を受けた者など、長い魔法史を通しても存在しないだろう。

 

「……」

 

 唇を噛んで、震えを止める。

 身悶えする蜘蛛を見ているとあの時の苦痛を思い出してしまいそうで――アルテは不機嫌なままに目を逸らした。




※今年もオリオンと戯れるアルテ。
※何をどうしたらこんな形状の生物思いつくんでしょうね。
※祝・今年初の怪我。
※やっぱり回復要員のダフネ。
※防衛術へのやる気をなくしたアルテ。
※知らないところでイタチ化は免れなかったフォイ。
※手駒続投の本。
※服従の呪文をなんか知っている気がするアルテ。
※磔が(体の)トラウマになっているアルテ。


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アバダ ケダブラ

※更新、大変遅れてすみませんでした。
※拙作の更新は気分とノリが主となっております。
 よって次回の更新は明日かもしれませんし、数ヶ月後になるかもしれません。
 気長にお待ちいただければ幸いです。


 

 

 少しずつ生徒たちが目を逸らし始める。

 蜘蛛が悶える様を三十秒も見ていられるような者は殆どいない。

 暫くしてムーディが杖を下ろすと、蜘蛛はぐったりと倒れ込む。

 そして、生徒たちを見渡す。最後まで見ていられる者は、五人といなかった。

 

「――苦痛だ。磔の呪文があれば、拷問に『親指締め』もナイフも必要ない」

 

 アルテにとっては納得だった。

 蜘蛛が掛けられているのを見るだけでは実感として分からないこともある。

 その痛みを知っているアルテの反応を目敏く見たのだろう。

 ムーディはニヤリと笑い、アルテに近付いた。

 

「何度受けた?」

「……」

「この呪文は通常であれば二度三度と受けられるものではない。そうであれば拷問の役目は成すまい」

 

 闇の帝王の全盛期、或いは、残る一つよりも恐れられたかもしれない呪文。

 何故ならば、この呪文で発生するのは純然たる苦痛。

 たった一度の使用で苦痛の臨界を与え、精神を完膚なきまでに粉砕する。

 ゆえに、この呪文は禁じられた呪文として扱われる。

 言葉のない蜘蛛が受けるさまを見せつけられただけでも、その威力を生徒たちに想像させるには十分だった。

 

「レデュシオ、縮め!」

 

 生徒たちの表情にありありと恐怖の色が宿ったのを満足そうに見渡すと、ムーディは蜘蛛にもう一度呪文を掛ける。

 元の大きさに戻った蜘蛛を瓶に戻すと、ひん曲がった口で微笑みを作り、生徒たちに促した。

 

「よろしい、最後の一つの呪文を知っている者はいるか?」

 

 ――知らない者は少ない。

 禁じられた呪文の中でも最も悍ましいものであり、最も高い知名度を持つ呪文。

 闇に通ずる家系の多いスリザリンであれば、大抵が知っていよう。

 アルテは体の震えを止め、過去となった苦痛から思考を切り替える。

 唯一平常心に戻ったアルテだが、最後の呪文を知らない。

 重い空気に耐えられなくなったのだろう。誰かが口を小さく開き、か細い声で言った。

 

「……アバダ ケダブラ」

「――ああ。正解だ」

 

 ムーディは口を更に曲げ、瓶の中に手を突っ込む。

 最後の蜘蛛は、まるでこれから自分に起きることを悟っているようだった。

 しかし死神の手から逃れることなど出来ようはずもない。

 大人しく捕まった蜘蛛を机に置きつつ、魔法の目を生徒たちに向ける。

 

「最後にして最悪の呪文、『アバダ ケダブラ』――死の呪いだ」

「……?」

 

 ――パチリ、とアルテは脳の中で何かが弾けた気がした。

 まるで、知るべきことが頭に入り、無意識の中で歓喜しているように。

 その違和感に首を傾げる前に、ムーディが杖を振り上げた。

 ――その杖によって、起きることを――――期待しているような錯覚を覚えつつ、アルテは蜘蛛に下される沙汰を待った。

 

「アバダ ケダブラ!」

 

 ムーディの声が轟いた。

 教室中が緑の光で眩く照らされる。

 アルテが知る、どんな呪文よりも鋭い閃光が蜘蛛に突き刺さる。

 杖から放たれた光を、その光が齎す恐怖を、決して逃してはいけないと何かが囁く。

 光が収まった時、蜘蛛は仰向けに引っ繰り返り、動きを止めていた。

 傷はないが、死んでいると誰の目から見ても明らかだった。

 

「――気持ちのよいものではない。反対呪文は存在せず、防ぐ手段はない。これを受けて生き残っていた者はこの世にただ一人。この学校にいる」

 

 それが、『生き残った男の子』たる所以であるというのは、魔法界の常識だ。

 それを知らないこの教室唯一の存在であるアルテは、ムーディが話している間も蜘蛛の亡骸をじっと見ていた。

 既に数度共闘したハリー・ポッターの両親を殺した呪文、そんなことはどうでもいい。

 魔法史で最も人を殺してきた呪文、そんなことはどうでもいい。

 何もかもを問答無用で殺す呪文、これさえあれば、と――手段を択ばぬスリザリンでさえ使用を避ける呪文に躊躇いすら覚えていなかった。

 しかし、その暗い希望を閉ざすように、ムーディが話を続ける。

 

「この呪いには強大な魔力が要る。お前たちがこぞって杖を取り出し、わしに向けて唱えたところで、わしに鼻血すら出させることが出来まい」

 

 今のアルテでは足りないと、ムーディは現実を突きつける。

 魔法を使った戦いの技術、その初歩は学んだと言えよう。

 だが、そこまでだ。

 前年度の末、シリウス・ブラックと戦い、殆ど攻めることが出来ずに敗北したように、アルテのそれは強力な魔法使いとの実戦レベルには届いていない。

 この最恐の呪文を使うには、魔力も技術も足りていないのだ。

 

「まあ、そんなことはどうでもよい。わしはお前たちにそのやり方を教えに来ている訳ではない。反対呪文がなくとも、知っておかねばならないのだ。最悪の事態がどういうものか、味わっておかねばならん。油断大敵!」

 

 突如ムーディが声を張り上げ、皆が飛び上がる。

 それでようやく我に返ったアルテは、喧しいという気持ちを隠しもせず、帽子を深く被りなおした。

 

「さて。この三つの呪文だが、『許されざる呪文』と呼ばれる。同類であるヒトに対して行使するだけで、アズカバンで終身刑を受けるに値する。お前たちが立ち向かうのは、そういう呪文だ。それらに対しての戦い方を教えなければならん」

 

 それから先は、『許されざる呪文』について、ひたすらノートを取る時間が続いた。

 終業を告げるベルが鳴るまで、誰も、何も喋ることは無かった。

 ベルに反応したムーディが短く、「終わりだ」と告げ、教室を出て行くと、あっという間に慌ただしくなる。

 

「あれ、正気? 私たちの年齢で見せられるもんじゃないわよ?」

「イカレてるってのも納得できるわね。使っちゃ駄目なもの見せるなんて」

 

 ミリセントとパンジーがアルテたちに駆け寄り、苦言を漏らす。

 今のはスリザリン生をして、驚愕の授業であった。

 『許されざる呪文』を実際に見せるというのは、良くて高学年になってからの内容だろう。

 少なくとも、まだ四年生である自分たちに見せるのは尚早ではないかと思わざるを得なかった。

 

「うん……もう行こ、アルテ――アルテ?」

 

 席を立ったダフネは、それにアルテが続かないことを不思議に思い、振り向く。

 この授業に使われ、犠牲になり置いていかれた蜘蛛の亡骸。

 死の呪いで貫かれたそれを、アルテはじっと見下ろしていた。

 まるでそれを忘れてはならぬと、最後に目に焼き付けているようで――三人に寒気が走った。

 

「アルテッ!」

「っ……何?」

「行くよ、ほら!」

 

 亡骸を見下ろすアルテが、途轍もなく不気味で、不穏で、不吉だった。

 それを見せていてはいけないという確信があった。

 アルテの手を取り、教室を出て行く。

 ダフネは、「この三つの呪文は、アルテが知ってはいけないものではなかったのか」と思った。

 これらの呪文を躊躇なく使うのを、ダフネは想像出来てしまっていた。

 大丈夫だろう。これらが使ってはいけない呪文だというのは、アルテも聞いていた筈だ。

 それでも――出来るならば、これより先は極力『許されざる呪文』から引き離したい。

 アルテの前で使われることだけは避けなければならない。

 そんな思いを――ムーディは次の授業で引き裂くのだった。

 

 

 

 ――その次の授業で、ムーディが言い出したことはある生徒を飛び上がらせ、ある生徒に悲鳴を上げさせた。

 『服従の呪文』だ。

 先日に披露し、蜘蛛を自由自在に操ったそれを、生徒一人ひとりに対して行使すると宣ったのだ。

 校則を大いに犯した罰則だとか、魔法薬による錯覚などでは断じてない。

 授業の一環として、ムーディが生徒に向かい、服従の呪文を使うと言った。

 

「あー、先生、それは違法では? 前回の授業で他ならない先生が仰ったことでしょう?」

 

 ドラコが正気を疑うように言う。

 それは教室中の生徒の総意でもあった。

 ただ単純に気が触れたくらいでは冗談にすらしないだろう戯言に、不気味な先生を見る目が一層恐怖に変わる。

 

「もっと厳しい方法で学びたいか? なら、誰かがお前たちにこの呪文を掛けて完全に支配する。その時に学びたいならわしは構わん。授業を免除しよう。今すぐ出て行くがいい」

 

 果たして、ムーディは本気であった。

 ドラコを黙らせると、手近な一人を呼び出し、本当に呪文を掛けたのだ。

 皆が目を見張る中、その生徒はローブ姿だと思わせないような軽快なタップダンスを披露する。

 一頻り踊り終わると、ムーディが杖を下ろし、生徒は我に返ったように目を瞬かせながら首を傾げた。

 

「これが『服従の呪文』だ。今から一人ひとりにこれを掛けていく。抵抗して見せるがいい。この中で誰か一人でも、この呪文と戦うことが出来れば上出来だ」

 

 それからムーディによる、禁じられた呪文の連続行使が始まった。

 席順に生徒たちを前に立たせ、服従の呪文を掛けてはおかしな行動をさせていく。

 誰一人抵抗することが出来ずその命令に従ってしまう。

 ドラコなどは席を立たず拒否を示していたが、空しくも座ったままに呪文を掛けられ、ケナガイタチの真似事をした。

 最初の頃は笑う生徒もいたものの、数人終えた時には誰しもが真顔で呪文を受ける生徒たちを見ていた。

 そして、大抵の生徒たちの注目である生徒が呼ばれる。

 

「ルーピン、来い。次だ」

「……」

 

 特に何を言うこともなく、アルテは席を立った。

 不安げに見上げるダフネに目も合わせず、ムーディの前に立つ。

 ――もしも決闘であれば、この距離だ、ムーディが杖を振る前に引っ掻いてでもいたかもしれない。

 だがこれは、反撃は元より禁止されている、呪文を受けるだけの的に等しい。

 

「お前は去年、防衛術においては完璧だったと聞く。見事、抵抗して見せろ」

 

 アルテは答えない。

 しかしそれを肯定と見たのか、ムーディは笑みを濃くして杖を振り上げた。

 

「インペリオ! 服従せよ!」

「――――」

 

 ムーディが呪文を唱えた瞬間、アルテは己の中に何かが飛び込んでくるのを感じた。

 直前まで何を考えていたかを一瞬で忘却する。

 己を構成していたものが一度洗い流され、代わりの感覚がアルテを満たしていく。

 そして、誰かの声が頭の中に響き渡りそうになった瞬間――

 

「――――ッ、――」

 

 それを塗り潰すように体の内側で何かが爆発する。

 全身に響き渡る衝撃に、アルテは咳き込みながらその場に蹲った。

 座っていた生徒たちは何事かと身を乗り出して確かめる。

 ムーディもまた、怪訝そうに眉を顰めていた。

 『跪け』と命じた訳ではない。今この時、アルテは明確に服従の呪文の呪縛から逃れていた。

 

「――なんと! お前たち、見たか! ルーピンは勝った! 服従の呪文を打ち負かしたぞ!」

 

 杖を片手に持ったまま手を打ち、吠えるムーディ。

 

「しかし蹲ったままでは良くない! 次は抗いすぐに杖を構えて見せろ! でなければ反撃もままならん!」

 

 ムーディに続くように疎らな拍手が教室に響く中、アルテは強烈な喉の渇きを覚えていた。

 ――あの呪文は、拙い。受けてはいけないものだ。

 服従など知らない。だが――副作用らしいこの()()()だけは我慢ならない。

 磔の呪文に勝るとも劣らない感覚は、この呪文に対する拒否感を刻み込んで余りある。

 ムーディが呼んだ次の生徒と入れ替わるように、アルテはフラフラと自分の席に戻っていく。

 

「あ、アルテ、大丈夫……?」

「ん……」

 

 心配するダフネに曖昧に返し、アルテは不快感を抑え込むように机に突っ伏す。

 そうして授業が終わるまでの間、目を閉じて回復に努めることにした。




※アルテを煽るムーディ。
※死の呪いに何かを感じるアルテ。
※ダフネ「アルテに変なこと教えないでください」
※ケナガイタチを気に入るムーディ。
※ムーディ「服従せよ」
 アルテ「マジ無理」
※ビビったけどアドリブで乗り切るムーディ。


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来訪者たち

 

 

 十月三十日。

 四年目のハロウィン前夜にもなれば、ダフネ、ミリセント、パンジーの三人の警戒はかなりのものになっていた。

 というのも、アルテのハロウィンの戦績である。

 一年目は校舎内に入り込んだトロールと激戦を繰り広げた。

 二年目は不幸にもバジリスクの声を聞き、継承者と疑われるきっかけを作った。

 三年目はシリウス・ブラックの気配を嗅ぎ付け、グリフィンドール寮の入口を傷つけた犯人と疑われかけた。

 ようは、この日は毎年アルテの周りで何かが起きているのである。

 これだけ立て続けに事件に巻き込まれれば、今年も何か起きるのではと予想はする。

 少なくとも、この四人組はアルテ以外気を張っていた。

 しかし当の本人はいつも通り欠伸をしつつ授業の終わりを迎えたアルテの気の抜けように三人は苦笑する。

 

「……なんか、こっちが気を張ってるのも馬鹿馬鹿しいわね」

「うん……ここからはまあ、少なくともアルテの周りだけで何かが起きることはないだろうから、私たちもいいかな」

 

 最後の授業を終えた生徒たちは、全学年が一つに集まり城の外に出る。

 この日は普段の学校生活とは違うイベントがある。

 三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)のためにやってくる二校と一家の到着の日である。

 

「で、何で来るの?」

移動(ポート)キーが無難なところじゃないかしら。一人二人って訳じゃあるまいし」

 

 寒空の下で肯定を眺めていた生徒たちは、なんの気配もない景色を怪訝に思う。

 やがて空が薄暗くなってきた頃――

 

「ほっほー! わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近付いてくるぞ!」

 

 生徒たちの後方――教師陣の集まりから、ダンブルドアが声を上げた。

 思い思いの方向に生徒たちが目を向ける中、六年生の一人が空を指差しながら叫ぶ。

 

「あそこだ!」

 

 森の上空から、巨大なものが近付いてくる。

 飛行する物体ではあるが、箒などとはくらべものにならない。

 かといってヒッポグリフでもない。

 箒百本よりも大きな何かが城に向かって、風を切り疾走してくる。

 

「ドラゴンだ!」

「馬鹿言え、あれは空飛ぶ家だ!」

 

 グリフィンドールのデニス・クリービーが近い答えを出した。

 近付いてくるにつれ、城の窓明かりが接近してくる物体の姿を照らし出す。

 巨大なパステルブルーの馬車だ。大きな館ほどもある馬車が、十二頭の天馬に引かれて着陸する。

 地震かと思うほどの衝撃が辺りに響く。

 館だけでなく、天馬も相当の大きさだ。

 一頭一頭が象に匹敵するほどの体躯で、その蹄はディナー用の大皿ほどもある。

 水色のローブを着た少年が馬車を飛び降り、すぐさま金色の踏み台を引っ張り出す。

 その踏み台を降りてくる、大きな女性。

 ハグリッドと三センチと違わないような女性がホグワーツの地を踏みしめると、ダンブルドアが歓迎するように手を叩く。

 それにつられて生徒たちも拍手する。

 

「これはこれは、マダム・マクシーム」

「ダンブリー・ドール、おかわりーありませーんか?」

「おかげ様で、上々じゃ」

 

 ボーバトン校長、マダム・マクシームは深いアルトの声でダンブルドアに返す。

 

「わたーしの生徒です」

 

 マクシームに続き、馬車から十数人の学生が降りてくる。

 十七、八歳と思しき上級生たちだ。彼らがボーバトンの代表候補として選ばれた精鋭たちなのだろう。

 しかし、準備不足は否めなかった。

 彼らが着ているローブは薄物で、マントを着ている者は一人もいない。

 マクシームがダンブルドアに暖まりたい旨を話すと、生徒たちを連れ添って階段を上っていく。

 それから間もなく、残る一校が到着した。

 ボーバトンが空からやってきたことから誰しもが空を見ていた。

 しかし、彼らが現れたのは湖。

 湖を割るように帆柱がせり上がり、月明かりを受けて巨大な船が水面に浮上した。

 幽霊船を思わせる様相の船は岸に近付くと錨を下ろし、タラップを伸ばす。

 乗員たちが下船してくる。

 大柄な生徒たちは分厚い毛皮のマントを身に纏い、ボーバトンの生徒たちとは逆に暖かそうだ。

 先頭に立つ男は髪の色と同じ、滑らかな銀色の毛皮を着込んでやってきた。

 

「ダンブルドア! 暫くだ、元気かね?」

「元気いっぱいじゃよ、カルカロフ校長」

 

 ダームストラング校長、カルカロフの声は朗らかで耳に心地よいものだった。

 愛想のよさを前面に出した笑みを浮かべ、ダンブルドアと握手をする。

 背が高く、短い銀髪。先の縮れた山羊髭は、貧相な顎を隠しきれていない。

 城を眺め何事か呟くカルカロフの目が笑っていないことに気付けたのは一体何人いたか。

 その目の色を隠しもせず、カルカロフは生徒の一人を招き寄せる。

 

「ビクトール、こっちへ。暖かいところへ来るがいい。ダンブルドア、構わないかね? ビクトールは風邪気味でね……」

 

 その生徒の顔立ちが見える場所まで歩いてくると、ホグワーツの生徒たちがざわつき始める。

 興味なさげに欠伸をしていたアルテの隣にいたダフネたちもまた、驚きを隠せない。

 

「嘘……クラム?」

「本物? 本物よね!?」

「学生だったのね……考えてもみなかったわ」

 

 どうやら有名人であるらしい、としかアルテは思わなかった。

 その男子生徒こそ、クィディッチにおける世界最高のシーカーの一人、ビクトール・クラムであることなど、クィディッチに興味がない以上どうでも良かった。

 

 

 

 二校を招いたあと、生徒たちは大広間に集まり、それぞれのテーブルについた。

 席は幾つか増えており、それらは二校の生徒たちのものらしい。

 ボーバトンの生徒たちはレイブンクローの席を選んで座った。

 そしてクラム擁するダームストラング生たちを全ての寮が取り合うように睨み合い――結局、スリザリンの席につくことになった。

 まるでハリー・ポッターを獲得した時のグリフィンドールのような歓喜。

 ドラコをはじめとした大興奮の生徒たちを他所に、アルテは夕食を待っていた。

 

「こんばんは、紳士、淑女、そしてゴーストの皆さん。そしてまた、今夜は特に客人の皆さん」

 

 ダンブルドアが外国からの学生たちに向かい笑う。

 

「ホグワーツへのおいでを心から歓迎いたします。本校での滞在が快適で楽しいものになることをわしは希望し、また確信しております」

 

 帰ってきたのは、いくつかの嘲笑ともいえる笑い声だった。

 寒さを隠さないボーバトンの生徒数名からだった。

 

「三校対抗試合が、この歓迎の宴が終わると開始される。宴の前に、対抗試合の開催に協力いただいたゲスト一同に来ていただこう」

 

 大広間の扉が開く。

 入ってくる面々の先頭を歩く女性に、誰しもが目を奪われた。

 絶世の美女とは、そのことを言うのだろう。

 腰ほどまでに伸びる金の髪はまるで輝いているようだった。

 瞳が、唇が、その体全てが他者を魅了するためだけに存在している。

 中でカチャカチャと音がする白衣の下からでも分かるスタイルが、男子生徒たちを否応にも惹き付ける。

 そして彼女に並ぶ三人。

 一人はエリスだった。

 一人はサングラスで目元を隠した、長身の男性。

 一人は色素が失われた肌と髪を持った、まだホグワーツに入学するほどの年齢にさえ達していないだろう少女。

 エリスは途中、スリザリンの席へと歩いていき、残る三人は教員のテーブルにある、空いた席へと向かう。

 

「アーキメイラ家当主、アーテー・アーキメイラ氏。アンタレス・アーキメイラ氏。スリザリン四年生、エリス・アーキメイラさん。そしてヘカテー・アーキメイラさんじゃ」

 

 エリスは席に着くと、辺りの生徒たちと話し始める。

 アルテほか数名のスリザリン生は、ダンブルドアが紹介した名前に――ほんの僅か、引っ掛かるような違和感を覚えた。

 しかし、その違和感の正体が分からず、気のせいかと流す。

 

「ねえエリス、あのアーテーって人……」

「ええ。私の母です」

 

 エリスや他の三人が席につくと、ダンブルドアが手を広げる。

 

「さあ、それでは大いに飲み、食い、かつ寛いでくだされ!」

 

 ダンブルドアが着席すると同時、テーブルに置いてあった空の皿に料理が満たされた。

 生徒たちから感嘆の声が漏れる。その日の料理はまた一風変わっていた。

 やってきた二校を意識しているのだろう。

 普段の料理に混じり外国の料理が並んでいるのである。

 いつも通り素早く手を伸ばしたアルテはいつもの、味の分かっている料理を取り寄せる。

 どうやら未知の物に手を出さない程度の警戒はしているらしい。

 その後はダフネたちが食べて評価の高かったものはちゃっかり確保する。

 そうして腹も膨れた頃、もう一度ダンブルドアが立ち上がった。

 

「時は来た」

 

 生徒たちの目が一斉にダンブルドアを向く。

 その顔を見渡し、笑いかけながら、ダンブルドアは話し始める。

 

「三大魔法学校対抗試合はいま、始まろうとしておる。『箱』を持ってこさせる前に、二言三言説明しておこうかの」

 

 アルテは何となしに教師陣のテーブルを端から端まで見る。

 いつも通りの教師陣と、今夜招かれたアーキメイラの三人、そのほかにもう二人、見知らぬ顔がある。

 

「まずは此方のお二人を知らない者のためにご紹介しよう。国際魔法協力部部長、バーテミウス・クラウチ氏。そして、魔法ゲーム・スポーツ部部長、ルード・バグマン氏じゃ」

 

 前者には儀礼的な拍手、そして後者には感情のこもった大きな拍手が起こった。

 クラウチは紹介された時、笑みすら浮かべることがなかったのに対し、バグマンは陽気に手を振って微笑んだからか。

 それに、バグマンはかつてクィディッチにおいて有力なビーターでもあった。

 生徒たちにとって、クラウチよりも遥かに有名人なのだろう。

 

「バグマン氏とクラウチ氏は対抗試合の準備に骨身を惜しまず尽力されてきた。お二方とアーテー・アーキメイラ氏、カルカロフ校長、マダム・マクシーム、それにこのわしと共に、代表選手の健闘ぶりを評価する審査委員会に加わってくださる」

 

 代表選手、という言葉に、主に最上級生たちの耳が一層研ぎ澄まされる。

 

「それではフィルチさん、箱をここへ」

 

 大広間の隅に身を潜めていたフィルチが、宝石をちりばめた大きな木箱を持ちダンブルドアの前に進み出る。

 そしてダンブルドアの前のテーブルに置かれると、皆の視線がその木箱に集まった。

 少なくとも百年やそこらの代物ではない。

 古くから使われているらしいそれを前にしたダンブルドアは、懐から杖を取り出す。

 

「それぞれの課題に必要な手配を、ゲストのお三方にしていただいた。課題は三つあり、学年一年間に渡って、間をおいて行われ、代表選手はあらゆる角度から試される」

 

 ――魔力の卓越性。果敢な勇気。論理、推理力。

 そして、危険に対処する能力。

 優秀な魔法使いに必要とされる全てをもって、代表選手は審査される。

 生徒たちが息を呑む。彼らが用意した試練の危険性をそれぞれ想像したのだろう。

 

「さて、皆も知っての通り試合を競うのは三校の代表選手じゃ。参加三校から一人ずつ、代表選手が選ばれる――そして選ぶのは公正なる選者、『炎のゴブレット』じゃ」

 

 ここでダンブルドアは木箱を杖で叩いた。

 蓋が軋みながらゆっくりと開く。

 ダンブルドアは箱の中に手を差し入れ、中から粗削りの木のゴブレットを取り出した。

 見栄えのしないつくりの杯だが、その縁から溢れんばかりに青白い炎が踊っている。

 木箱が閉じられ、蓋の上にダンブルドアがゴブレットを置く。

 

「代表選手に名乗りを上げたいものは羊皮紙に名前と所属校名を書き、このゴブレットの中に入れねばならぬ。立候補する志のある者は二十四時間以内に、その名を提出するよう。明日――ハロウィンの夜にゴブレットは各校を代表するに最も相応しいと判断した三名の名前を返すじゃろう」

 

 ダンブルドアはこのゴブレットが玄関ホールに置かれる旨を話す。

 そして、この中に間違っても規定の年齢に届いていない者が名前を入れない対策も万全だ。

 それが年齢線。

 ダンブルドア自らが引いたその線により、十七歳に満たない者はゴブレットに近付くことすら出来ない。

 

「そして――ここからがサプライズじゃ。アーテーさん、お願いできますかな?」

「はい、ダンブルドア校長」

 

 そこまで説明して、ダンブルドアはアーテーに微笑みかけた。

 立ち上がり、ダンブルドアの隣まで歩いてくるアーテー。

 目を細め、蕩けたような表情で生徒たちを見渡し、妖艶でどこか不気味な透き通った声を大広間に響かせる。

 

「先程お話のあったように、代表選手として選ばれるのは各校一人ずつです。ですが――この度、その枠を一つ増やしていただく許しをいただきました」

 

 その言葉に、生徒たちが目を見開く。

 あまりにも狭い代表選手の門。それを広げる宣言であった。

 

「アーキメイラの推薦枠として、明日三人の代表選手が決定した後、発表させていただきます。年齢は関係ありません。三校の生徒の中から、私たちが『試合を戦い得る』と判断した一人を選びます」

 

 アーテーの発表に沸いたのは最上級生たちだけではない。

 フレッドとジョージをはじめとした十七歳に達していない、参加を希望していた生徒たちから歓声が上がる。

 選手となる権利すらなかった生徒たちに、機会が生まれたのだ。

 

「勿論、推薦枠の生徒が優勝した場合、その栄光は所属校に齎されるでしょう。私たちが誰を推薦するか、まだ決めている訳ではありません。明日の夜まで、参加を表明する生徒の皆のアピール、楽しみにしています」

 

 それで説明を締め、ゆっくりと一礼すると盛大な拍手で見送られながらアーテーは自分の席に戻っていく。

 どこかふらふらとして危なげな足取りだった。

 席につくと、アーテーは白衣の内から小さな試験管を取り出し、その中の液体を口に含む。

 試験官を仕舞う時、アルテはアーテーと目が合った気がした。

 

「ありがとう、アーテーさん。アーキメイラの推薦枠を含めた四人は、最後まで戦わなければならぬ。ゴブレットに名を入れる者は、軽々しく決めるでないぞ。心底、競技に挑む用意があると確信をしたうえで入れるのじゃ。さて、もう寝る時間じゃ。皆、お休み」

 

 その日はそれで解散となった。

 アルテは満腹となり、欠伸をしつつ席を立つ。

 ダフネたちも含め、十七歳に達しておらず、参加するつもりもない四人は誰が代表選手になるか話しつつ寮に戻る。

 彼女たちにとって、選手になる可能性のない対抗試合は殆ど他人事であった。

 ――少なくとも、今のうちは。




※ハロウィンを前に警戒する三人娘。
※ドラコ「クラムがスリザリンのテーブルに来たぞ!」
 アルテ「誰?」
※来校する黒幕臭のする人たち。
※ダフネ達に毒見をさせるアルテ。
年齢不問の推薦枠


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四人の代表選手

 

 

 翌日は土曜日だった。

 アルテたち四人は何となくで、玄関ホール近くにいた。

 引かれた年齢線を越えようとする、十七歳未満の生徒は出てこなかった。

 老け薬などを用意すれば、挑戦は出来るかもしれない。

 そんな生徒さえ出てこなかったのは、それよりも確実な方法が提示されたからだろう。

 ホールの一角に出来た人だかり。

 その中心にいたのは、アーテー・アーキメイラだった。

 

「初めまして! フレッド・ウィーズリーです!」

「ジョージ・ウィーズリーです! ホグワーツ、グリフィンドールです!」

 

 ゴブレットに名前を入れた上級生たちも、その年齢に満たない生徒たちも、試合に挑む意欲を持つ者は殆どがアーテーに声を掛けていた。

 前者は、ゴブレットに選ばれなかった場合の保険として。

 後者は、彼女から推薦されるという参加の唯一の可能性を高めるため。

 己が如何に選手に相応しい生徒であるかをアピールしているのである。

 

「あら、双子なのね。選手に選ばれるのは一人だけよ?」

「分かってます!」

「優勝したら、賞金は山分けにするんです!」

 

 積極的に話し掛ける生徒たち一人ひとりに微笑みかけ、その評価らしきものを手元の紙に記しているアーテー。

 アルテたちは特に参加を希望してはいないため、それを遠巻きに眺めているだけだったが、それでも彼女の人の好さが見て取れた。

 

「あれがエリスの母親ねぇ……似てなさすぎない?」

 

 アーテーを眺めながら、ミリセントが言う。

 それは生徒たちが少なからず思っていたことではあった。

 親子というにはエリスとアーテーはあまりにも似ていない。

 

「事情があるんだろうけど……それを言うなら、他の二人もよね」

「お兄さんと妹さんって言ってたね……何処にいるんだろ」

 

 昨日大広間にやってきた兄妹だという二人は、あれから姿を見せていない。

 どうやらアーテー以外はこの対抗試合に積極的に関わっている訳ではないらしい。

 

「今話してるのはウィーズリーの双子で……これまでゴブレットに名前を入れたのは?」

「ワリントンが入れてたわね。それからグリフィンドールのジョンソンに、ハッフルパフのディゴリーでしょ――」

 

 その中でも、名前を入れた後アーテーに声を掛けなかったのは、四人の知る中ではセドリック・ディゴリーくらいか。

 それほどまでに、皆代表として選抜されることを望んでいるのだ。

 

「うーん……誰もかれもパッとしないわね。ボーバトンとダームストラングは全員入れてたんだっけ?」

「うん。元々全員、代表候補として来ていたみたいだし」

「推薦枠がホグワーツ以外から出るのは避けてほしいわね……かといって、あの人が何を基準にしているか知らないけど」

 

 単純にホグワーツに優勝が齎される可能性を増やすためにも、アーキメイラの推薦枠は是非ともホグワーツが獲得したいところだ。

 しかし、当然ながらアーテーと話しているのはホグワーツ生だけではない。

 それに、アーテーが何をもって推薦する生徒を決定するのかも不明だ。

 ああして声を掛けている生徒だけを候補としているという訳でもないだろう。

 

「推薦なら十七歳未満もアリなんでしょ? ならアルテって線もあるんじゃない? 去年の成績、かなり良かったし」

「やる気はない」

「まあそうだよね……」

 

 相変わらずのアルテ。脱狼薬の材料を購入して余りある賞金は惹かれるものがあるが、それでも参加したいとは思わない。

 今自分が持つ、どの目的にも直接関係のない試合だ。

 そんなことに一年間縛られるなど御免だった。

 

 

 

 その日の夜、ハロウィン・パーティは例年より盛大に行われた。

 甘味に満たされている訳ではない豪華な料理の数々。

 しかし、それらに完全に心を奪われているのはアルテくらいであった。

 何故ならば、これから試合を戦うべき代表選手が発表される。

 たった一枠ながら、誰しもが選手となりうる可能性がある枠が存在するだけに、誰もが気が気でなかった。

 

「さて、ゴブレットはほぼ決定したようじゃ。わしの見込みでは、あと一分ほどじゃの」

 

 その皿が一頻り片付いた頃、ダンブルドアが立ち上がった。

 誰が代表となるか談義をしていた生徒たちが一瞬にして静まり返る。

 

「さて、代表選手の名前が呼ばれたら、その者は大広間の一番前に来るがよい。そしてあちらの部屋に入るよう。そこで最初の指示が与えられるであろう」

 

 ダンブルドアは教職員テーブルの後ろの扉を示して言う。

 そこに招かれるべき生徒は四人。

 その内三人が、今、ゴブレットにより決定される。

 ダンブルドアが杖を大きく一振りすると、大広間の蝋燭が全て消える。

 真っ暗な部屋の中で、ゴブレットの炎が明々と輝いている。

 静寂の中、ゴブレットの炎が一際大きく燃え上がり、火花が飛び散り始める。

 そして炎の舌先から焦げた羊皮紙が一枚飛び出し、ダンブルドアがそれを捕らえた。

 生徒たちが――特にゴブレットに名前を入れた者たちが、固唾を飲む。

 ゴブレットの明かりで紙を照らし、そこに書かれた名をダンブルドアが読み上げる。

 

「ダームストラングの代表選手は――ビクトール・クラム!」

 

 大広間中が大歓声と拍手に包まれる。

 その男が代表に選ばれるのを望んでいたのは何もダームストラングだけではない。

 クィディッチの世界的名選手である彼は他校の祝福も受けつつ、立ち上がった。

 

「ブラボー、ビクトール! わかっていたぞ! 君がこうなるのは!」

 

 拍手の音にも関わらず全員に聞こえるほどの大声でカルカロフが吠える。

 どうやらクラムはカルカロフが目を掛けている生徒らしい。

 前かがみでダンブルドアの方へと歩き、そして隣の部屋に消えていくクラムを最後まで祝福していた。

 そして再び静まり返ると同時、もう一度炎が大きくなる。

 

「ボーバトン代表選手は――フラー・デラクール!」

 

 レイブンクローの席にいた、ボーバトン生の中でも一際美しい少女が立ち上がった。

 シルバーブロントの豊かな髪をサッと振って後ろに流し、テーブルの間をすべるように進んでいく。

 しかしながら、クラムと違い大歓迎とはいかないらしい。

 他のボーバトン生の中には失意で泣き出す生徒までいる。

 フラーが立ち去ると、選ばれなかった生徒たちのすすり泣く声以外の音が消え去る。

 そして三度、ゴブレットが燃え上がった。

 かの杯によって選ばれる最後の生徒。

 巻き上がった紙をダンブルドアが取り、読み上げるまでの時間は異常に長く感じられた。

 

「――ホグワーツの代表選手は、セドリック・ディゴリー!」

 

 その時のハッフルパフのテーブルの歓声は凄まじかった。

 生徒たちは総立ちになり、足を踏み鳴らしながら叫ぶ。

 セドリックは爽やかな笑みを浮かべながらその中を通り抜け、隣の部屋へと向かっていく。

 あまりにも拍手が長々と続いたため、ダンブルドアが話し出すまでに暫く間を置かなければならないほどだった。

 

「結構、結構! それでは最後の選手を発表してもらうとしよう!」

 

 ダンブルドアの隣にアーテーが歩み出る。

 手には何も持っていない。

 読み上げるまでもなく、選ぶべき生徒は決まっているらしい。

 もう一度、大広間が静まり返る。

 

「炎のゴブレットと同じく、私たちも推薦する生徒を一人、決定しました。この生徒ならば、必ず対抗試合の四人目として相応しく、皆様を楽しませることでしょう。どうか皆様、盛大な拍手を」

 

 蕩けるような微笑みで生徒たちを見渡すアーテー。

 また、アルテは彼女と目があった気がした。

 ――いや、今回は気のせいではない。視線が交差した一瞬、アーテーが笑みを深めたのを、アルテは見逃さなかった。

 

「推薦選手は、ホグワーツ――」

 

 その一言で、二校の生徒は露骨に落胆した。

 これで二校は、先の代表選手のみが頼みの綱となる。

 そしてホグワーツ生は誰が呼ばれるかと、今一度息を呑む。

 

「スリザリン、四年生――――」

 

 

 

 ――アルテ・ルーピン。

 

 

 

 その名が呼ばれ、拍手が巻き起こったのは、数秒遅れてからだった。

 そして拍手もセドリックのように、万雷の喝采とはいかない。

 スリザリン、かつ色々な意味で悪名高いアルテ・ルーピンだ。

 迷いなく歓声を送っているのはスリザリンの四年生以下くらいであり、当の本人に至っては怪訝そうに目を細めていた。

 

「アルテが……!?」

「やったじゃない、アルテ!」

「ほら! 前!」

 

 パンジーたちに促され、そして自分に向けられる拍手があまりに煩わしくなったのか、至極面倒そうにアルテが立ち上がる。

 歩いている間も視線を受け続けるのは、ひどく鬱陶しかった。

 アーテーの前まで歩いていき、非難の意を込めて睨みつけるが、対する彼女は笑みを返すばかり。

 

「では、こっちへ。行きましょう」

 

 アルテの非難を無視し、背中に手を置いて連れ添い隣の部屋に向かう。

 扉を開け、部屋まで繋がる小さな通路まで来ると、アルテは立ち止まり、もう一度アーテーを睨みつけた。

 

「ん? どうかした?」

「選手になるつもりはない」

 

 拒絶を受けても、アーテーの表情は僅か崩れることすらなかった。

 その表情を変えないまま、コテンと首を傾げ、問いかける。

 

「辞退すると?」

「そう」

「ふぅん……確かに。貴女に関しては例外的に選手としての魔法契約は結ばれていないけど……」

 

 であれば問題ない、とアルテは踵を返そうとした。

 その背中に掛けられる、囁くような言葉も、無視するつもりだった。

 

「――――ヴォルデモート」

「ッ」

 

 その、何よりも己が執着する名前に、アルテは咄嗟に振り返る。

 左右の頬に冷たい手が置かれた。

 鼻が触れ合うほどの近さに顔が迫る。

 その何処までも深く続くような瞳が、まっすぐアルテに向けられる。

 

「ヴォルデモートを殺したい。誰が手を出すよりも早く、自分がその首に手を掛けたい。そう思わない? 思うわよね? そうでしょう?」

「ッ――」

「だけど今の貴女では足りない。どれだけ運が良くても、今の貴女では殺せない」

 

 否定しようと思った。

 しかし、出来ない。

 その瞳が力不足を暴き自覚させるようにアルテを覗き込む。

 自分の全てを知っている、そしてその上で動いていたような物言い。

 己を見透かす眼前の女性に、彼女が口にした敵の名に――この日初めて、アルテは息を呑んだ。

 

「だから、私が貴女を強くしてあげる」

 

 それが本懐かの如く、アーテーはより笑みを深める。

 

「この試合を通して、貴女がヴォルデモートと戦えるまでに。貴女が持つべき武器を、この一年で教えてあげる」

「……何故、わたしに?」

「――それはね」

 

 一瞬、その目が大きく開かれた。

 それを伝えたくて仕方がなかった――そういう風に、アルテには見えた。

 

「貴女が、他のどんなモノよりヴォルデモートを殺すべき存在だから」

 

 ――己の望みを、その時初めてアルテは肯定された。

 

「ヴォルデモートを殺すことだけが貴女の存在意義。ならば、今の話にならない貴女に――無価値の貴女に価値を与えてあげる」

 

 誰もかれもが否定する。

 しかしそれでも、自分にはそれしかないと思っていたことを。

 闇の帝王を殺すことこそを生きる理由として定めているアルテを、初めて他者が理解した。

 

「辞めたければ辞めればいいわ。だけどそうすれば、貴女は最後まで無価値のまま。成したいことも霧散して、貴女は貴女を認められなくなる」

「ッ」

「それは嫌でしょう? なら、行きましょう。戦いましょう。一年後、貴女は間違いなく、ヴォルデモートに手を伸ばせるモノになっているわ」

「……」

 

 答えはしなかった。

 しかし、大金よりも、地位よりも、あまりに甘美な誘惑だった。

 アルテに抗う術などない。それが例え大法螺だとしても、初めての己の理解者の言葉を、断る理由が生まれてこなかった。

 その、決意の色を見て取ったのだろう。

 アーテーは顔を離し、手を再びアルテの背中に置いて、選手たちの待つ部屋へと誘う。

 

 ――かくして。

 強さを求め、その先の、たった一つの命を刈り取るため。

 他の誰とも違う、唯一の理由をもって、アルテ・ルーピンは第四の選手となった。




※四人の代表選手(正規)
※面接の自己アピール的なヤツ。
※お約束。
※選ばれて尚拒否るアルテ。
※アーテーママのカウンセリング。
※初めての理解者。
※参戦決意。
※空気のハリー。多分今頃ゴブレットが紙吐き出そうとしてる。


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不和と策謀と

 

 

 アーテーに連れられて部屋にやってきたアルテに視線が集まる。

 クラムは興味なさげに、セドリックは何かに気付いたように、そしてフラーは驚いたようだった。

 

「えーと、その人がー、四人目の代表でーすか?」

「ええ。年下だけど、手加減はいらないわ。一人の選手として、彼らと変わらないライバルとして扱って構わないわよ」

 

 フラーの問いに、アーテーは変わらず蕩けたような笑みを浮かべたまま返す。

 

「当然でーす。絶対に、わたーしが優勝しまーす」

 

 この場に、四年生が選手として選ばれたとて手を抜く者など一人もいない。

 それは打倒すべき敵だ。

 寧ろ、自分たちを前に委縮しないアルテを侮ることなく見返した。

 

「さて。この四人で試合を戦ってもらう訳ね。先生方が遅いけれど、どうしたのかしら」

 

 アーテーはまるでどうでも良いことのように疑問を口にしてから、白衣の下から試験管を取り出す。

 中の液体は、普通の飲料とは思えない水色をしている。

 その中身を飲み干すアーテー。

 あまりに危険そうな色に、思わずセドリックが聞いた。

 

「あの……その薬は?」

「んー? 考えを纏める薬、かしら。あまり他の人には勧められないわぁ」

 

 空になった試験管を仕舞いながら説明するアーテー。

 それ以上言う気はないようで、胸の下で腕を組んで部屋の外へと目を向ける。

 ちょうどその時、部屋に一人入ってきた。

 ダンブルドアら教師ではない。

 

「どうしまーしたか?」

 

 ハリーだった。フラーがシルバーブロントの髪を後ろに振り、ハリーに近付いていく。

 アーテーに目を向けていたアルテは一瞬、彼女の表情が消え去ったのを見た。

 ハリーの後から慌てた様子で駆け込んできたのは、ルード・バグマン。

 彼はハリーの腕を掴むと、興奮を隠さない様子で部屋の面々に告げる。

 

「いや、素晴らしい! ご紹介しよう、信じがたいことだが……君たち四人に次ぐ、五人目の代表選手だ!」

 

 特に反応を見せていなかったのはアルテくらいのものだった。

 アーテーはハリーに背を向け、もう一度白衣から薬を取り出す。

 そんな中で、フラーは冗談だと思ったのだろう。すぐに笑みを作った。

 

「とてーも、おもしろいジョークです。ミースター・バーグマン」

「いやいや、それがジョークではないのだよ。ハリーの名前がたった今、炎のゴブレットから出てきたのだ!」

 

 アーテーが試験管二つを空にする。

 そうしている間に、バグマンの言葉が本気であると悟ったのだろう。

 フラーが顔を顰めた。

 

「ゴブレットからどういう訳か、ハリーの名前が出た……この時点で逃げ隠れは出来ないだろう。これは規則であり従う義務があると……」

 

 言葉を遮るように、大勢の大人たちが入ってくる。

 ダンブルドアを先頭に、クラウチ、カルカロフ、マダム・マクシーム、マクゴナガル、スネイプ。

 去年の終わりからすっかりスネイプを嫌うようになったアルテは目を細め、彼を睨みつけた。

 

「ダンブリー・ドール、これは、どういうこーとですか?」

 

 部屋に入って早々、マダム・マクシームはダンブルドアに威圧的に問う。

 隣にいたカルカロフも不満を隠さず、迫った。

 

「私も是非とも知りたいものですな? ホグワーツの代表選手が三人もいるとはどういうことですかな。開催校のみ代表選手を増やしてもいいとは知りませんでしたぞ?」

 

 暇を持て余したように、特に感情を乗せずにアルテはハリーに目を向ける。

 ――またか、と何となく、思った。

 他の寮でありながら、彼の姿はよく見る。

 炎のゴブレットから名前が出てきたと言っていた。

 年齢線があって名前を入れることが出来ないと聞いていたが、アルテは特段何とも思わなかった。

 彼が五人目の代表選手となったことに、疑問を感じるほどの興味もなかったのである。

 

「我々としては貴方の年齢線が年少の立候補者を締め出すだろうと思っていたのですがね? それが規定の年齢に達していない者を二人も出すとは――」

「あら、ミスター・カルカロフ。アーキメイラの推薦枠に今更異論が?」

 

 嘲るように冷たい視線をダンブルドアに向けていたカルカロフは、途中で差し込まれた、どこか無機質な声の聞こえた方向に目を向ける。

 アーテーは半分閉じたような目は、苛立ちを見せるカルカロフをまっすぐ捉えている。

 ふん、と鼻を鳴らし、カルカロフはアーテーに詰め寄る。

 

「文句なら先代のご当主様に十二分に伝えた筈ですがな? 逝去される前に貴女に伝えられなかったようですな?」

「ええ。父はそのような事、気にしない性格でしたから。とはいえ、良いではないですか。我々の推薦する下級生が、そしてそこの……ハリーくんが代表となることに何の問題が?」

 

 皮肉の雰囲気はない。

 アーテーのそれは心底からの疑問のようだった。

 

「問題? そんなこと――」

「貴方がたの学校の代表は下級生にも劣ると?」

 

 カルカロフとマダム・マクシームがピタリと止まる。

 

「それでは仕方ありませんが。フラー・デラクール、ビクトール・クラム。お二方がホグワーツの四年生に劣っていると?」

 

 校長二人だけではない。

 選ばれた代表二人もまた、眉間に皺を寄せてアーテーに目を向けた。

 自分への明確な侮蔑に、フラーなど懐の杖に手まで掛けている。

 

「そうではないでしょう? 学校を代表する貴方たちにとって、下級生などいないも同然、ライバルと見なすにも値しない有象無象である筈です」

 

 クラムにフラー。彼らはダームストラング、ボーバトンそれぞれの精鋭から選ばれた、学校最優秀の生徒と言っても過言ではない。

 そうでなければ、意思もなく平等に決定する炎のゴブレットが選ぶ筈がない。

 二人ともそれを自覚しており、そして彼らを擁する校長二人も彼らを誇りに思っている。

 優勝に足る存在だと、確信している。

 ホグワーツ代表のセドリック・ディゴリーに負けはしない。まして、実力の劣る四年生など敵ですらない。

 カルカロフもマダム・マクシームも、クラムもフラーも、何も言えなかった。

 ここで不満を述べれば自分たちが選手に相応しくないと言っているようなものだ。

 彼らがようやく黙り込んだことで、アーテーは気怠そうに溜息をつく。

 

「さて。どうぞ、ダンブルドア校長」

「うむ……ハリー、君はゴブレットに名前を入れたのかね?」

 

 二人の剣幕で聞きそびれていたダンブルドアは、ようやくハリーに問う。

 それまで何も言っていなかったハリーは、我に返ったようにビクリと肩を震わせると、首を横に振った。

 

「いいえ」

「上級生に頼んで、君の名前を入れてもらったのかね?」

「いいえ。そんなことはしていません」

 

 断固として、ハリーは否定する。

 何も言わないものの、カルカロフやマダム・マクシームは一切信じていない様子だった。

 スネイプは今こそ彼の不正を指摘せんと一歩踏み出し――何を言う前にダンブルドアに手で制される。

 埒が明かないと思ったのか、カルカロフが中立である二人に問いかける。

 

「クラウチさん、バグマンさん? お二方の見解もお聞きしたいものですな。中立の審査員である貴方たちの。こんなことは異例だと思いませんかな?」

「……規則には従うべきです。そして、ゴブレットから名前が出てきた時点で、試合で戦うべき義務がある」

「その通り。バーティは規則集を隅から隅まで知り尽くしている」

 

 魔法省からやってきた二人もまた、ハリーの参戦を肯定した。

 どれだけ異例のことだとしても、選手を見出すべきゴブレットから名前が出た。

 それはその他の規則を上回る契約だ。

 誰が何を言おうとも、ハリーが戦うことは絶対となっているのだ。

 彼らがそう言うならば、これ以上食い下がることも出来ない。

 カルカロフは露骨に舌打ちし、それまでよりも荒々しい口調で吠える。

 

「まったく! あれだけ会議や交渉を重ね妥協したのに、このような事が起こるとは! 次の試合にダームストラングが参加することは決してないだろう! 寧ろ今すぐにでも帰りたい気分だ!」

 

 最早仮面など被っていない。

 へつらい声も取って付けたような笑みもかなぐり捨てた態度だった。

 

「はったりだな、カルカロフ。代表選手を置いて帰ることなど出来まいよ」

 

 そんな、唸るような声と共に床を打つ義足の音が近付いてくる。

 ムーディだった。

 義足を鳴らしながら暖炉に近付き、暖を取りつつ続ける。

 

「選ばれた者は全員、競わなければならんのだ。魔法契約の拘束だ、都合のいいことにな?」

「都合がいい? 何のことですかな、ムーディ」

「簡単なことだ。ゴブレットから名前が出れば、ポッターは戦わねばならん。そうと知っていて、ゴブレットに名前を入れたのだ」

 

 ムーディは迷いなくハリーの無罪を断言した。

 それに対し、カルカロフは何かに耐えるように拳を握り込む。

 

「……見事な見解ですな? 流石、朝から昼食までの間に、ご自分を殺そうとする企てを六件は暴かないと気が済まないお方だ」

 

 声を張り上げていながらも、その口調だけは落ち着いていた。

 

「わしの妄想だとでも? ありもしないものを見るとでも?」

 

 己が妄言を抜かしているなど、微塵たりとも思っていない。

 少なくともムーディの中ではそれは揺るぎない真実だった。

 

「あのゴブレットに名前を入れるような魔法使いは、腕のいいヤツだ。あの、強力な魔力を持つゴブレットの目を眩ませたのだからな!」

 

 炎のゴブレットは試合に際し、三校から一人ずつ、生徒を選出するよう覚え込んでいた。

 それは並大抵の魔法では傷つけることすら出来ない強大な記憶である。

 この記憶を惑わせるには、相当な威力の錯乱の呪文を掛ける必要があるだろう。

 しかし、犯人はそれをやってのけた。

 四校目の選手はポッターしかいないと、ゴブレットに確信させたのだ。

 

「随分とお考えを巡らされたようですな、ムーディ。で? そちらの寛大なスポンサー様も同じ意見で?」

 

 現状、ハリーを疑っていない件についてはムーディと同類であるアーテーに、再びカルカロフは目を向けた。

 既に自身の言い分は終わったと判断していたらしいアーテーは自然な仕草で首を傾げ、数秒考える様子を見せてから口を開く。

 

「ゴブレットに入る筈のない名前が出てきたなら、そういう事なのではないですか? 正直、誰が悪いかなどと考えるのも面倒ですねぇ……」

 

 その時のアーテーは、部屋に入る前と随分と違っていた。

 どこか超然とした雰囲気はそこにはない。

 話を振られることも、それに対し思考を傾けることすら億劫だとでも言うほどに。

 アルテの参戦を促したアーテーと同一人物とは、とても思えなかった。

 

「……どのような経緯でこんな事態になったのか、我々は知らぬ。だが結果を受け入れるほかあるまい。ハリーもまた、試合で競うように選ばれたのじゃから」

 

 そんな不真面目なアーテーの態度で、部屋が静まり返ったのを好機と取ったのだろう。

 ダンブルドアが半ば強制的に場を纏めた。

 不満げな校長たちやスネイプにそれ以上何も言わせないよう、すかさずバグマンが手を打った。

 

「さあ、それでは開始といきますかな? 彼ら五人を正式に代表選手と定めましょう」

 

 これ以上話し合っていても不毛だと判断したのだろう。

 クラウチもバグマンに続く。

 

「よろしい。それでは、君たちに最初の課題について話すとしよう」

 

 クラウチは暖炉の前に進み出た。

 灯りに照らされたクラウチの顔は病気かと思えるほどに白かった。

 

「最初の課題は、君たちの勇気を試すものだ。ここでは、具体的にどのような内容なのかは発表しないことにする。未知のものに遭遇したときの勇気とは、魔法使いにとって非常に重要な資質である」

 

 この場で課題が何であるかを発表すれば、それに対し五人は対策を取るだろう。

 だが、それは第一の課題に求められる要素ではないようだ。

 事前に具体的な対策を取ることなく、相対して初めてその脅威を知る。

 そして、その場でどのような戦法を組み立てるか――それこそが最初の課題で重視される要素だった。

 

「競技の課題を完遂するにあたり、どのような形であれ先生方からの援助を頼むことも、受けることも許されない。勿論、アーキメイラ家の者たちにもだ。選手は杖だけを武器として、最初の課題に立ち向かわなければならない。第一の課題の後、第二の課題についての情報が与えられる」

 

 当然ながら、この課題は代表たる選手一人に与えられるもの。

 競技においては教師たちでさえ、部外者に他ならない。

 たった一人で戦う、だからこその危険性。

 それをクラウチが改めて言葉にすることで、セドリックらは息を呑む。

 

「さて。試合は過酷で時間が掛かるもののため、君たちは今年度の試験が免除される……話すことは話し終えたと思うが、アルバス、まだあったかな?」

「いいや、これで全部じゃろう」

 

 終わりだという言葉で、最初に動いたのはカルカロフだった。

 クラムに顎で合図をして、荒い足取りで扉に向かう。

 

「カルカロフ校長、寝る前の一杯はいかがかな?」

 

 ダンブルドアの誘いを背中に受けつつも、答えることなくカルカロフは部屋を出て行った。

 それに続かんと、マダム・マクシームもフラーの肩を抱いた。

 彼女たちの歩みもまた、この場で起きたことへの苛立ちが籠ったものだった。

 

「では、私たちも。この子と少し話したいので。来てくれるかしら?」

 

 アーテーはアルテの帽子に手を置き、微笑んだ。

 人を気楽にはさせない、今にも崩れて消えてしまいそうな儚い笑み。

 それに対して、何を思った訳でもない。

 アルテは単純にその話とやらを『ヴォルデモートを倒すためのもの』と判断し、頷いた。

 歩み出したアーテーに続く。

 セドリックと――不愉快そうなスネイプと――そして、何かを言おうとしているハリーと目が合う。

 だが、部屋を出るまでハリーが口を開くことはなかった。

 

「……」

「――課題についてのヒントは言えないわ。言う理由がないし、言わない理由があるもの」

 

 部屋を出て、扉の前で立ち止まったアーテー。

 大広間にいた大勢の生徒たちは既におらず、かぼちゃの灯りは大半が消えていた。

 大広間の入口へと歩いていくカルカロフやマダム・マクシームたちが離れるのを待っているようなアーテーに、アルテが声を掛けようとしたのを見計らったように彼女は口を開いた。

 しかし、その言葉はアルテが求めていたものではない。

 

「ヒントなんていらない。それより――」

「分かっているわ。時間も惜しいし、明日から貴女に色々と教えてあげる」

 

 競技など、アルテにとっては二の次だった。

 それよりも求めているのは、参戦を決定した条件に他ならない。

 

「貴女が身に付けなければならない技術の全て。敵意と殺意を食らうための体。ヴォルデモートを殺すための武器。全部、全部、この一年で刻んであげる」

 

 アーテーがこの時、何を思っているか――アルテには分かる筈もなかった。

 だが、例え知っていても、アルテは応じていただろう。

 アーテーが考える『アルテの到達点』を“異常”と思う常識を、アルテは知らない。

 それに対する嫌悪感を、アルテは持っていない。

 万が一、あったとしても――――ヴォルデモートを討つという悲願には及ばない。

 

 ――アルテにとって、己とはそういうものであり。

 

 ――アーテーにとって、己の推薦した■■■はそういうものでない筈がなかった。




※逃げきれなかったハリー。
※薬に溺れるアーテーママ。
※煽りアーテーママ。
※言い争いクッソどうでも良さそうなアーテーママ。
※課題のヒント<<<<<ヴォルデモート。
※物騒なこと言い出すアーテーママ。
※チョロいアルテ。


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