早坂愛は奪いたい (勠b)
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早坂愛は奪いたい

「騙すよりも騙される側の方がいいな。嘘をつくのは嫌いだから」

 そんな偽善者の様な言葉を早坂愛は内心見下す。

 人は嘘で塗り固められている。外見はメイクで、表情や言葉、仕草すらも。平気で嘘をついて人は生きる。少なくとも、早坂の知る世界はそうだった。だからこそ、彼女も嘘で固まった世界に対して嘘で応える。仕草も言葉も外見も。その場その時に適した嘘で。

 気恥ずかしそうに疑問に応えた少年に嘘で作った感銘の視線を送りながらただただ見下す。大成しない偽善者と。

 そう、見下していた。

 それは、目の前の少年が取られる前の時。失くなってから気になり始めた。嘘つきの自分にも本当の自分で向き合ってくれた少年の大切さを。

 気づいた時には、遅かったのだ。

 

 

 

 

 

 ぞろぞろと帰宅してく生徒達を廊下から眺めつつ、手にした手鏡で自分の顔を見ていく。金色の髪を軽く整え、青色の瞳で自身の顔が変ではないか眺めながら軽く着崩した服装を見渡して問題ないことを改めて確認し、深呼吸して急かす心を落ち着かせる。

 最後に手鏡に向かって天真爛漫と言えるような笑顔を作り、問題ない事を確認したら図書室へと入っていった。

 机に向かって本を並べる学生達や1つの本を囲んで中身について何やら話している人達と、様々なグループがその目的に対して沿って動いていた中、ただ1人で教科書を広げて難しい顔をしている少年を見つける。それだけで、早坂の頬は緩んだ。

 

「おーい」

 適度に人がいる図書室で邪魔にならない様、それでも彼の意識を奪えるような声で必死に机に向かっていた少年に声をかける。一気に集中が早坂に奪われ、少年は視線を彼女に向けた。

「今日も頑張るねー」

 クスクスと笑いながら空いていた対面の席に腰掛ける。夕焼け空に照らしていくように鞄から出した教科書とノートを出していった。少年はその姿を見ながら何も言わない。彼からしても、早坂とテスト前の勉強会をすると言うのはもうお決まりの行事になりつつあった。

 気の抜けた声に少年は嘆息しつつ返す。

「1年生最後の試験だろ? 追試はいいけど、それに落ちたら流石にやばいって」

 将来を期待されたエリートたちが集う名門校である秀知院学園。エスカレータ式の学校というのもありおなじみの学友達が多くいるが、先生達とはそうではない。いきなり追試になるような生徒というのは嫌でも目をつけられてしまう。少年は勉強が不得意なため、こうしてテスト2週間前には落ち着ける所で勉強していた。そんな恐怖に火蓋を切ったのはつい昨日の事からだ。

 高校生になっても変わらない。早坂は期待した通りの目先の恐怖に苦しんでいる姿に内心安堵の息を吐く。

 そんな早坂の注意を引くように、見慣れた物が音をたてて存在感を顕にしていた。彼が使っている携帯だ。何時もはポケットに閉まっており、必要な時に取り出して触っていた少し旧型のそれが机の上に放り出して何度も何度も震えていた。少し止まったと思えばまた震え始め、止まったら震え……これを続ける携帯の画面は常に明るい。少年は早坂の視線に気づいて一瞬確認すると「うるさいよね」と言いポケットに仕舞った。

 

「大変だねー彼女でしょ?」

「いや、そうでもないよ」

 苦笑いに対して楽しそうに聞く早坂。今の自分なら、この態度が正解だ。そう振り返りながら内心湧く感情を押し殺す。本当は、今すぐにでもあれを奪って連絡先を消すなりブロックするなりして助けてあげたい。しかし、それは早坂には許されない。相手は彼の彼女なのだから。

 チクッと胸に痛みが走る。顔は崩さず興味を向けた視線を送りつつも内心は相手の名前を見ただけで平常心が崩れていた。

 

 今何処にいるの? 

 私は学校だよ。あと少しで帰れそう。

 まだ勉強中? しっかりしないから追試になるんだよ

 私も頑張るから、貴方も頑張ってね

 

 早坂が見ていた一瞬だけでもこれだけのメッセージが連続で送られ、それを伝えるように震えていた。

 可哀想。ただ素直に感じていた。私なら、もっと相応しい彼女になる。いや、成るのに。

 視線を教科書に戻していた少年の顔は、早坂からしたら、去年に比べてやつれているようにも感じ余計に心配になる。しかし、何も言えない。早坂はあくまでもただの友人なのだから。ただの、友人だから。

 また早坂の心を小さな痛みが襲う。

 

「今回範囲広いから大変だよねー」

「わかる。もう少し狭くしてほしいよな」

 そんな痛みから逃れるように彼との会話に興じていく。

「でもさ、早坂は勉強出来るのにテストの成績悪いよな」

「もーう、気にしてること言うような意地悪な人には教えない」

「教えてくれるの?」

「謝ったらね」

「ごめん、教えて」

 手を合わせて頭を下げる彼の姿に嘆息する。早坂は勉強自体は出来る。だが、本人の大量の仕事と学生の二重生活は思っていたよりも苦しめていた。テスト本番の静かな空気の中に晒されると集中力を奪うように来る睡魔のせいで中々良い成績が出せない。いや、むしろ悪い点数を叩き出す。最も、身分を隠すためには下の方が注目を浴びずに済むため助かるのだが。

 ただ、成績が悪くて早坂は良かったと思っている。テストの結果が悪かったおかげで目の前の苦しんでいる少年に出会えたのだから。

 

 中学2年生の夏頃、互いに違うクラスだった2人は追試の試験として空き教室に互いに机を並べて用紙に向き合っていた。

 今となってはいい思い出だが、当時の早坂は最悪だと強く感じていた。主が自身が追試と知りそれはもう大癇癪を起こしたからだ。これで落ちたら後が怖い。そう思いながら望んだ試験。

 その時は自分がこんな気持ちを彼に抱くと思っていなかった。3年生の頃になり、たまたま同じクラスになってからこの縁で話始めるようになった。

 知れば知るほど正反対の相手。政治家の息子というから、主にも仲良くするように言われたため、いい機会と思い近づいていった。知れば知るほど、自分にないモノを持つ彼が羨ましく感じていった。

 誰に対しても素直で、騙されやすくて、優しい彼に。

 始めは見下していた。政治家の息子という腹に一物抱えてなければとてもじゃないがやれない職業の子供がこんなにも子供染みた思想を持っていることに。余りにも幼すぎる事に。

 しかし、彼との会話は楽しかった。嘘の自分でも、受け入れてくれているようで居心地良く感じていた。

 それだけなら、今でも気楽だった。

 仕える主がいない放課後、暇な時に話す相手で終わっていたら早坂は幸せだったのだろう。もしくは、その段階で自分の思いに気づいていたら。

 しかし、その間に切っ掛けなどなかった。彼に彼女が出来たと噂を聞いて初めて知った。

 自分の居場所がないという事に。奪われたという事に。

 

「……早坂?」

 固まる彼女に顔を上げて心配そうに見上げる彼。

 いけない。自分の世界に入り込んでいた。早坂は慌てて笑って誤魔化す。

「今度意地悪言ったら教えないからね」

「気をつけるよ」

 早速、と切り出した少年の質問に適時応えながら自分の分を広げていく。本当は早坂には必要ない。今更復習なんて。ただ、これが今できる早坂と少年、2人の時間の作り方。手段に過ぎない。

 それも長くは持たないが。早坂は生徒会役員である主が務めを終えるまで。少年は彼女の迎えが来るまでの短い間。

 早坂はとてもじゃないが満足出来ないでいた。もっと傍に居たい。話をしたい。触れ合いたい。もっと、もっとと。願いはするが口には出来ない。

 ただの友達なのだから。

 

「そういえばさ」

 少年の急な切り出しに早坂は手を止めて応える。

「もうすぐ春休みだね」

「うん、何処か行きたいね〜」

 春休み。無事に試験が通り、それが終われば早坂達は2年生になる。それは、早坂からしたらとてもつまらない事だ。

「……彼女は今3年生だから、もうすぐ同じ学校だよね」

 自分から口にする。少年の口から出るよりも受ける痛みは小さいと思ったから。それでもやはり、心は痛みを訴えた。少しだけ和らいだのは、困ったような苦笑いを見れたからだろう。

「そうなんだよね」

 反応もしてないのに今だに震え続ける携帯が、彼の反応に文句を言っているようで、早坂には滑稽に見えた。

「あれれ〜あんまり嬉しそうじゃないじゃん」

 少しだけ見えた希望に興味が湧いた。他人の不幸は何とやら、早坂は溢れそうな笑を隠しながら様子を伺う。

「いや、嬉しいといえば嬉しいけど……」

 頬を掻きつつ言葉を濁す彼を逃さない様に視線を注ぐ。逃げるように目を泳がしていたが、すぐに彼は諦めた。

「少し、大変になりそうな気がして」

 言葉を選んだつもりなんだろう。彼女と同じ学校に通うことにそんな表現で応える。その様を見て早坂は内心勝ち誇った。

 少年の彼女はとても依存的で束縛していたのを早坂はよく知っていた。同級生である自分にも何度か相談に来ていたからだ。しかし、それを良しとしない彼女は早坂と2人でいることに何度も文句を言ったという。3年生の頃、早坂がこの気持ちに気づいた頃には2人っきりになる機会を奪われた。

 しかし、高校生になり彼女の魔の手から逃れた彼は謝罪と共に仲良くしたいと早坂の元に訪ねてきたのだ。それは彼女に愛想を尽かしたのか、それとも自分の隣が居心地良く感じているのか。定かではないが、早坂愛という人間を求められた事が彼女にとって身に染みる程の幸福感を味わえた。

 それももう終わる。

 来年になれば、彼女が早坂と2人でいることを良しとしないのは目に見えてわかっている。勉強を教えるという大義名分も、きっと切り捨てられるだろう。中学最後の試験は早坂ではなく1年下の彼女が教えていたのだ。それだけ優等生であり、負けず嫌い。自分の物を奪われないように囲いこんでいる。

 だからこそ、奪ったときの優越感は凄まじいものだろう。想像だけで早坂の身は震える。

 

「あんな彼女……」

 言いかけて早坂は止めた。彼女は自分の身が余り明るみに出るのを良しとしない。学生であり、主に尽くす身であるからこそ、慎んで学校生活を励まなければいけない。

 そんな自分が別れさせ、少年と付き合うことになると良くも悪くも目立ってしまうだろう。

 それに、周りからは別れるように色んな人に言われる場面を良く見る。事ある毎にメッセージを送って何処にいようと自分がいるという存在の誇示を忘れない彼女がいる事はクラスメートどころか、学年内でも有名な話になりつつあるからだ。気味悪がって彼の友人達がそう言う場面を見かける度に内心同意の言葉を送っている。それでも別れる気配がないのは、彼の優しさからか、彼女が欲しいという欲求からか。束縛されるのが好みなのかもしれない。何れにせよ、自分ならばどんな欲求も満たせると早坂は自負している。そんな自分の方が相応しい席があると。

「あんな彼女でも良い人なんだよ?」

「ふーん、ウチは話した事ないからわかんないけどね〜」

 フォローを入れられた事に早坂はムスッとする。表情こそ出さないが。

 気まずい空気が訪れた。早坂は話題を変えるべきか、深く進むか考え、次の言葉を探している時の事。少年のポケットから鳴る音楽が図書室中の注目を引き寄せる。慌てて音を切ると、「ごめん」とだけ言って駆け足で部屋を後にする。一瞬流れた重苦しさを感じる曲に知らない人は変わった曲を設定してると思っているだろう。早坂は知っていた、その曲が彼女からのラブコールのサインというのに。

 再び静かになる図書室。掛けられた時計を眺めるといい時間という事に早坂は気がついた。もう少ししたら主も役目を終えて帰宅の用意をするだろう。少し早めに近くで待機で入るように早坂は机に並んだ自身の荷物を仕舞っていく。

 

「ごめん、そろそろ帰るよ」

 仕舞い終わった頃合いに戻ってきた彼が慌ててそう言うと乱雑に荷物を詰め込め始めた。

「どしたし〜?」

「仕事が終わったから迎えに来たって連絡。メール返してなかったから怒ってるみたいだから早めに行って機嫌とらないと」

 そう言い残して「それじゃ」と言い彼は駆け足で部屋から再び姿を消した。鞄のチャックもきちんと締めず、半分空いていたがそれを伝える時間もない。

 意味合いこそ違えど、そんなにも彼女に会いたがる姿は早坂からしたら面白くも何ともなかった。ただただ不愉快。

 私なら、あんな風に嫌な思いさせないのに。私なら、私なら、私なら……っと内心彼女と見比べる。それでも、妄想は妄想。現実は変わらない。早坂愛は友人であり、少年にはすでに恋人がいる。気に食わない恋人が。彼女が嫌いというわけではない。好きでもないが。ただ、嫌なだけなのだ。自分に無いものを持つ彼女が。欲しかったものを奪った彼女が。

 

 嘆息混じりで早坂も部屋を後にする。そのままゆっくりとした足取りで人気のない廊下へ出向くと、そこから校門を眺める。彼女の顔こそ隠れていて見えないが、必死に謝っている少年の顔を遠くから見つめる。先程の平謝りとはわけが違う。今すぐ土下座でもするかのような勢いだ。ただ、メッセージを見なかっただけで。返さなかっただけで。

 あんな彼女の何処かいいの? 

 早坂は漏れた疑問を口にしながら、1人ボッチの廊下で主の指示を待つ。気を使うように笑いながら彼女と歩き出す少年の背を見送りながら。

 

 

 

 

 

「早坂、テストは大丈夫なの?」

 早坂の主である四宮かぐやは呆れ混じりに尋ねる。

「はい、追試にならない程度には」

 彼女の髪をとぎながら、早坂は無愛想に応える。感情を出さないメイド。それは学園での天真爛漫な彼女とはかけ離れた姿であり、早坂の1つの姿。

「ならいいけど」

 嘆息混じりに応えつつ、かぐやは欠伸をする。もうすぐ就寝という今は早坂と共に過ごす彼女達のかけがえのない時間でもあった。

「それで、調子はどうなの?」

「調子、とは?」

 主語のない質問に首を傾げて聞き返すと、かぐやはその白い肌を少し赤く染めながら少年の名前を口にした。

「あぁ、彼となら今日勉強を一緒にしましたよ」

「そ、そう。それで?」

「それだけです」

「それだけ!?」

 かぐやは大袈裟な反応をして振り向く。そのまま驚く早坂の肩を強く掴んだ。

「それだけって、このままじゃ取られちゃうじゃない!? いいの!?」

「と、取られるも何も……」

 元から私のじゃない。彼は初めから彼女のモノ。

「いい、早坂」

 咳払いを1つして次の言葉を溜める。何を言おうとしているのか、かぐやの顔は更に赤くなっていった。

「貴方は四宮家のメイド。欲しいモノは四宮家に関わる人間として何が何でも手にしなさい」

 そんな叱咤激励に早坂の頬は緩んだ。侍女である自分の事も気にかけるかぐやの優しさに触れれる者は決して多くはない。大抵の人は彼女の冷たい態度や言葉に責められる。しかし、最近は徐々にだがその氷も溶けてきている。

 彼女もまた、恋をしている。本人は否定をしているが、早坂は確信していた。だからこそ、同じ様に恋をする身近な自分を応援してくれていると。

 

「そして……」

 言葉を続ける前にまた口ごもる。珍しく狼狽する姿に新鮮味を感じながらただ早坂は待つ。

「そして、何をしたらつつつ、付き合って、告白させれたか私に教えること!!」

「はぁ」

 何を言い出すかと思えば。早坂はため息のように大きく息を吐いた。

「ですが、私の恋愛はプライベート。かぐや様に報告の義務はございません」

「なによっ!? クラスも一緒にしてあげたし、休みだってとりやすくしたんだからそれぐらいいいじゃない!!」

 我儘を重ねると勢いよく顔を反らされた。子供のような反応に早坂は思わず笑を溢す。

 かぐやは早坂の思いを知るただ1人の人物。始めは遠回しに仕事について交渉を試みた早坂だが、勘の良い主に全てを看破され知られてしまった。既に彼女がいる人を好きになる事に否定されると思っていた早坂だが、予想外の返事が返ってきた。

 

 いいじゃない。欲しいものは奪ってでも得るものよ

 

 とても中学生の言葉とは思えないそれは、早坂の思いを加速させた切っ掛けでもある。だからこそ、諦めきれない。様々な協力をしてくれている主のためにも。

 

「まぁ、早坂の恋の行方を楽しみにしてるわ。最悪、その彼女とやらにはどっか地方にでも行ってもらえばいいし」

 最悪それに縋るだろう。早坂は内心で主の言葉に感謝をする。

「かぐや様」

 しかし、口には決してしない。

「この早坂、四宮家のメイドとしてプライベートでも最善を尽くすつもりです」

 先ずは自分の力で挑む。何事も卒なくこなせる様に幼い頃から教育を受けてきた主の名前に傷をつかないように。

 その姿勢が伝わったのだろう。かぐやは満足気に微笑えんだ。

 

 たとえ間違っているとしても、どんな手段でも使いたい。

 騙されてもいいと語る少年だからこそ、嘘偽りの自分に相応しい。

 居心地良い、自分の居場所。そこでしか息ができないとすら思えてしまう。

 そんな居場所を……。

 早坂愛は奪いたい

 



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ハーサカくんは知り合いたい

 騒々しいファミレス。窓際の1席で、興味深そうに見つめてくる視線に戸惑いを感じながらも、少年はテーブルに置いた参考書を見つめながらノートに解答であろうものを記入していく。

 間違えていたのだろう、対面に座る者が指で示しながら誤りを訂正していく。感謝の言葉を述べながら、気まずい空気に押されつつ修正をしていった。

「英語苦手なんですね」

 中性的な声で投げかけられた指摘に苦笑いで返す。

 あぁ、早坂。ありがたいけどなんでこんな面倒な事を。少年はこの場に見えない金髪の友人の事を思いながら内心嘆息する。普段の彼女ならばきっと楽しそうに笑いながら難問に対して四苦八苦する姿を眺め、野次を飛ばしつつ教えてくれていた。そんな光景を想像しながら。

「ハーサカさんは英語得意なんだね」

 対面に座り、また面白そうにノートに書かれた間違い探しをする少年に向かって返す。

 ハーサカと言われた少年は軽く笑って「それほどでも」と返す。

 そこで終わる会話にまた重い空気が伸し掛かった様に少年は感じ取った。

 

 ふと外を見つめると、大分薄暗くなった景色が広がる。駅前のファミレスというのもあり、かなりの交通量が目に入った。そこで一番気を引いたのは恐らく友人同士だろう同じ年齢の男女が複数人で話しながら自分を置いていくように通り過ぎる姿。

 本来ならば、自分も今頃は友人達と遊んでいた。例年通りならば。少年はこれ以上嫌な気持ちにならないよう目の前の少年に目を向ける。不思議そうに首を傾げる彼は、共に席を囲ってこそいるが、少なくとも今は友人とはいえない。それどころか知人とも言えない間柄。それでも周りから見たら仲のいい友人にでも見えるのだろうか。

「ここも間違えてますよ」

 そんな何とも言えない相手に再び指摘された所に視線を移す。移しながら、全ての元凶となった日の事を思う。どうしてこうなったんだろう。そんな困惑を胸に敷き詰めながら。

 

 

 

 

 

 

「今回もウチは補習なかったし〜」

 夕焼け空に塗りつぶされた教室で、他人の椅子に座りながらうなだれる彼に挑発的な言葉を早坂は向けた。返却された答案を束ね、それで自身を覆っていたが、そこにはとても良いとはいえない数字達が記入されていた。

 そんな彼を眠りから妨げるようにか、頭の横に置かれた携帯は相変わらずその存在感を震えてアピールする。折角の二人っきりの世界を邪魔するように。

「うるさいなー」

 重々しく体を起こしながら、溜め息と共に悪態をつく少年。ようやく見れたその顔に早坂は無意識に頬が緩んだ。

「別に、俺も補習じゃないよ」

「そなのー?」

 少し驚く早坂。朝からうなだれていたため、テストの点数が悪く朝イチで怒られていたのだと勝手に思ってしまっていた。

 今日、というよりも最近のテスト結果の発表日から数日の早坂はとても多忙だ。仕える主であるかぐやが成績発表の張り出しを見て決まって不機嫌になるからだ。文武両道はもちろん、何事にも1位を取らないと気がすまない。そのように幼い頃から躾をされている彼女だが、高校生になってからその席を自らのものにできていない。それがよほど悔しいのだろう。この日は決まってかぐやは隠れた場所で地団駄を踏み、早坂はそれを宥めることに注力していた。そのため、今日という日は日頃彼に使う時間の大半を早坂はかぐやに費やしていた。

 

「じゃ、なんでそんな暗い顔してたの?」

 素朴な疑問を口にする。それとともに、希望が内心からわき溢れた。テストの事ではないのに、珍しく落ち込む姿はもしや、もしや彼女と別れたのではないかと。だとしたらこれは絶好の機会。逃すという選択肢を捨てて挑まなければいけない機会だ。それじゃなくても、困ってる彼の手助けになる事ならば早坂は何でもしたいという気持ちもある。

「テストの成績がいつも赤点すれすればかりだから、今回の春休みは春期講習に行けって親に言われた」

「あー、大変だね」

 ため息をつく彼に苦笑しながら内心舌打ちをする。これだけの事柄では自分の存在をアピールすることも、相手を奪う機会にもならない。

「何処行くの?」

 それでも興味深い話題ではある。春休みの動向を探れるというのは大きい。スケジュール等把握できれば、その時間は彼女が接触してくることもないだろうから、その時間は早坂が安心出来る時間にもなる。

「勝手に決めろって。近くでも遠くでも何処でも金は出すから自分のためになりそうな所にしろって言われた」

 

 溜め息が大きくなる少年は、待っても来ない返答に不思議に思い横目で早坂の様子を伺う。顎に手を当てて考え込む珍しい姿に一瞬言葉をなくしたが、その真剣な眼差しは自分の顔こそ見ているが、見られていると感じない。その深くなる口元の笑みも相まり、戸惑いを覚えた。

「は、早坂?」

「……ん? どしたしー?」

「いや、あの……」

 視線が移ることはない。早坂はずっと少年の顔を見ていた。それでも、早坂の何時もの様な明るい返答を聞いて改めて見られているという感覚がきた。

「塾、塾だよね」

 口元も笑みこそ浮かべているが、先程のような薄ら寒さを感じるものではなく、何時もの楽しげに歪んだそれ。気のせいだったかも。そんな風に思いながら少年は早坂の言葉を待つ。

「ウチ、いいところ知ってるよ?」

「本当に?」

 行きたくないんだよ。っと言いたかったが少年はそんな事言えない。頻繁にメッセージをくれる彼女に事情を愚痴ったら行くべきと親以上に念を押されたばかりだからだ。早坂は愚痴に共感してくれるだろうが、それでもあんな思いをする可能性があることに少なくとも、少年はコリゴリだった。だからこそ、彼女の話を興味半分に流し聞く事にする。

 早坂もまた、彼の態度に気づく。だからこそ、注目を引き戻すためにと取り出した携帯で手慣れた様子で文字を打ち込んでいく。最終的に出てきたサイトを彼の視界が埋まるよう真ん前に勢いよく向けた。

 

「あー、有名だよね。CMとかよく見るよ」

「そそ、ここのね……」

 一度手元に戻して本当の目的地を探し始める。横目でチラチラ見る。まだ完全に乗り気というわけではないが、協力する自分を見て注目は完全に集めていた。眠たそうな瞳に自分が写っている。そう思うともう少し、もう少しだけ長くと思う自分がいた。そんな自分がページを送る指を遅くする。

「うーんと、えーっと」

 わざとらしく声に出しながらバレないよう手を抜いて探していくも、その項目は見つかってしまう。見つけてない振りをするかどうか一瞬悩んだが、どちみち時間制限がある事を思い出すと話は、早いほうがいい。

「ここここ」

「……あー、駅前だね」

「最近出来たんだってー」

 たまたま目にしてチラシを覚えていた自分に感謝しつつ早坂は次の言葉を考える。次のカードが今回の策の醍醐味でもあるから。

 

「ここにね、ウチの親戚も春期講習に行くんだー」

 あどけない笑顔を向けながら畳みかけるように続けた。

「先生達も良い人っぽかったって見学行った時に言ってたよー? 

 それにそれにー、その人は日本に来たばかりだから、知り合いがいなくて寂しいって言っててね。

 私、春休みはバイト一杯入れてるからいけないんだーだからさだからさ。

 私の為と思って一緒に行って上げて」

「お願い」と続けながら手を合わせて軽く頭を下げる。頬を掻いて困った顔をしている少年の顔をチラチラ盗み見する。

「駅前だから交通の便もいいし、何処でもいいならここでもいいじゃん」

「うーん」と考え込む少年。もう少しだな。早坂は確信した。

「それに、その人英語得意だから教えてくれるように頼んどくからさ」

「英語、英語かぁ……」

 溜め息をつく姿を見て早坂は勝ったと確信する。少年は全教科赤点ラインだが、特に英語は酷い。中3の試験、早坂が教える様になって初めて赤点じゃなくなったと言う程に。その時のとても嬉しそうにしていた姿を写真に撮ってなかった事を早坂は今だに後悔していた。

 

「……名前は何って言うの?」

 興味を隠せていない瞳を見るために早坂は顔を上げた。次の言葉を促すように向けられた期待の眼差しに自分の胸の鼓動が早くなる様に感じた。

 あぁ、馬鹿な人。

 思い通りに事を勧めてくれた少年をそんな風に思いながら。

 

「ハーサカっていうんだ。ウチの名前と似てるでしょ?」

「へー、早坂と似てるね」

「ね、不思議だよねー」

 内心を隠しながら笑顔で向き合う。少年も同じ様にす。それだけで満足する自分もいるが、もっともっとと求める自分がいるのも事実。早坂はそんな思いも隠して笑う。

 

 話題が塾からずれ始めた頃、またあの重々しい曲が流れ始める。溜め息と共に少年は机に置かれた携帯を手に取る。早坂には誰からの名前かは見えなかったが、その曲と真っ先にした溜め息の様子を見て誰かなんて考えずともわかった。

「塾、そこにするよ。教えてくれてありがとう」

 そんな礼の言葉と共に鞄を手にして席を立つ。少年からしたら、彼女との会話は色んな意味で聞かれたくないものであり、その要件も聞かずともわかっていた。部屋を後にする背中に向かって手を降る早坂。扉によってその姿が完全に見えなくなるまでそれは続いた。

 少し大きな音ともに手をピタリと止めると、目を細めていなくなった彼の背を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 本当に馬鹿。

 そんな風に思いながら冷たく見下した。いない彼を、笑っていた自分を。

 長い髪を頭上に纏めて落ちないように止めていく。

 塾に通う親戚なんて早坂にはいない。海外から来た親戚なんか。全て今作った設定だ。

 瞳にカラーコンタクトを入れ、特徴的な青い瞳を少し暗くする。

 それでも、早坂にはどうしても自分の知る塾に来てもらう必要が出来た。春期講習とは、春休みの間に通う学校。そこでなら、違う学年の彼女の干渉もないだろう。同じ学校の同じ学年、さらに同じクラスメートの早坂ならば共にそこで学ぶことができる。

 スタンドミラーに映る自分の控え目な胸に落胆しながらサラシを巻いて更に無くす。

 だが、早坂はそこには行かない。早坂愛としては。

 私服から適当に選び、それっぽくなる様に見繕う。

 

「よし」

 スタンドミラーに映し出された早坂愛の姿は、中性的な様子に変わる。どうしても線の細さや顔つきまでは変えられないが、それでも男性と名乗ればすぐに飲め込めれる程度の見立てだ。

 準備万端と意気込むと、机の上に置いた春期講習の案内を手に取る。

 もう少しで2年生。同じクラスになるのはかぐやに頼めば済む話だが、同じ空間にいるだけでは何も進展はない。1年下のやっかいな後輩が共に過ごす時間を容赦なく奪い尽くす事を早坂は去年身を持って知った。残された時間は少ない。

 かぐやに頼めば後輩の問題も解決するだろうが、不完全燃焼で中途半端な介入をすると後々大きな障害となるかもしれない。だからこそ、完璧に勝ち取りたいと早坂は考える。

 鬱陶しい彼女なんかよりも、優れた人が傍にいると。

 口うるさい彼女なんかよりも、気の利く人が傍にいると。

 束縛する彼女なんかよりも……そこで思考と動きが止まる。

 もし、もしも自分が彼女になったら。自分は彼を束縛しないのだろうか。好きにさせてあげるのだろうか。

 答えはすぐに出る。

 NO

 そんな事はしない。すぐに騙される所か、騙されてもいいなんて甘い事を平気で言う子供のような考えを持つ人を目の届かない所で放っておけない。

 今だってそう。彼女は正義感が強く嘘をつくような人ではないからこそ、その直向きな感情を直接態度で示した結果の束縛に彼は参っているように早坂は見えていた。

 答えと共に動いた身体は荷物を全て鞄に仕舞って部屋を出る。

 

 結局人は適度な嘘がないと生きていけない。自分に対して、他人に対して。

 隠すような嘘を庇うような嘘を守るような嘘を。

 人は嘘をつかないと生きていけない。

 

 彼が本当に嘘をつくのが嫌いというなら。それが嫌だと言うのなら。代わりに私が嘘をつく。隣に立って嘘をつく。

 だから、正直者同士の恋愛なんて反対だ。真反対の人の方がお似合い。それがわからないならわからせる。それでも理解が出来ないのなら、それでいい。その時は____

 

 

「ハーサカです。よろしくお願いします」

 

 少なくとも、今の彼女よりも自分の方が優れていると認めてもらう所から始めよう。

 見慣れぬ部屋で少し離れた席に座る唯一の見慣れた顔は、早坂の自己紹介に反応し視線を向ける。あえてわざとらしい反応はせずにお辞儀をして普通に座る。今の早坂と少年はあくまで他人なのだから。

 ただ、視線が外れるとバレないように早坂は横顔を盗み見る。何かに悩むように開かれた教材を見つめる彼を。

 

 騙されてもいいと言う人を騙すとしよう。

 騙されていいのなら、化かされたっていいはず。

 だったら、私が騙して化かす。

 嫌われないように奪えばいいだけ。

 薄っすらとした笑を浮かべて、早坂も自身の教材へと視線を戻した。



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ハーサカくん知り合いたい2

「ハーサカさん、だよね?」

 第一回目の春期講習が無事終わり、早々に片付けを始めた早坂を止めるような言葉に内心ほくそ笑む。それでも、そんな顔は表に出せない。少し驚いてる顔を作りながら視線を向けた。

「あの、早坂から聞いてる?」

 頬を掻きながらたどたどしく来た質問に「あぁ」と応えた。聞くも何も、話をしたのもこれからするのも自分。そんな気持ちをさとられないように。

「貴方が早坂さんの言ってた」

 自分の事を他人のように語る仕草に何とも言えない不快感を感じながら、早坂は続けた。

「よかった。日本の勉強風景を見たくて参加したんですけど、1人だと心細かったから。友達になってくれそうな人がいてくれて」

 軽く微笑めながら顔色を伺う早坂。初対面相手だからか何時もに比べてはるかによそよそしい態度に少し傷つく。しかし、今はハーサカという自分。早坂愛ではない。そう言い聞かせつつ、考えた設定を披露していく。

 

「日本のって事は海外で暮らしてたの?」

 思った通りの解答でほくそ笑む。やはり自分は彼の事をきちんと理解できている事を実感できた。そんな思いを顔を出すことはないが。

「はい、日本は死んだ父親の祖国なので興味があって来たんです。

 だから、友人や知り合いとか殆どいなくて心細くて……」

 少し大袈裟に困った顔を作る。早坂は知っていた。それぐらいわざとらしい方が少年の心に響くと。事実その通りであり、彼は気まずそうな顔をしていた。同情で気を引くことには成功した。早坂は内心の笑みを強くする。

「唯一話せる人も早坂さんぐらいだから、他の人と仲良くなれる機会が出来て嬉しいな」

 トドメと言わんばかりの一言に少年は「そっか」と短く応える。何を言っていいのかわからないのか、口ごもる彼を逃さないように片付けを再開し、パッパと終わらせた。

「だから、勉強教えるかわりに貴方の色んな話を教えてほしいな」

「俺の?」

「日本の学生について興味あるから」

 適当な理由付けをしつつ、荷物を纏めた鞄をわざとらしく見せる。

 少し近い? でも、人肌寂しい様子を見せればきっと応えてくれるはず。早坂が知る少年のイメージでは、この後断ることも出来ずになし崩し的に勉強会になる。もっとも、彼自身が勉強したいという熱意もあるため断ることは先ずないのだが。

 それでも、少しでも大きく気を引きたい。早坂の我がハーサカとして写し出される。

「そっか、じゃあよろしく」

 少年の同意と軽い笑顔に胸を打ちながら、早坂もまた笑顔で返した。自分の嘘を疑うことなく、敷かれたレールを走る姿に満足しながら。

 

 

 

 

 

 ここまでは予定通り。勉強会も早坂からしたらテスト前の日常と変わらない。普段通り大した問題もなく終えることになるだろう。

 しかし、それでは意味がない。わざわざハーサカという架空の男性で彼の前に出たのには理由がある。このためだけに主に頭を下げ、四宮の息のかかった塾に話をつけて入塾した。仕事に関しては普段のテストの成績を引っさげて学ぶ必要がある事をかぐやに説き、呆れさせながらも春期講習に通う事に許可を貰った。最も、かぐやは彼が絡んでいる事を早々に察して深くは尋ねてこなかったが。

 そこまでして通う事に意味はあるのか? もちろんある。早坂は自問自答に即答する。意味はある。これから作る。切っ掛けを。

 

 駅前というのもあり色々と融通がきく。共に勉強する場所なんて困る事はない。それでも、早坂は少年の親しみのあるファミレスを指差してそこに赴く事になった。彼女自身は余り縁のない場所。学生同士でこういった場所で遊ぶことに早坂は内心憧れを抱いていた。

 普段ならば主のためにと満足に友人と放課後に遊ぶ事など許されない。せいぜい学園の中を歩き回る程度しか離れる事は出来なかった。そんな早坂からしたら、時間になるまで気長に話し相手として付き合ってくれていた少年の存在は大きい。自分にも友達がいるとしっかりと認識出来ていた。最も、それは来年度からなくなるのだが。

 それを思うと思わず手に力が入る。感情を表に出さないようにすぐに深呼吸をして落ち着かせる。彼は気づく事なく目の前の教材に向かって溜息をついていた。

 来年度になれば、この1年当たり前のように過ごしていた日常が一気に非日常へと変わってしまう。その苛立は早坂の予想を超える。もう、その日が間近に迫っているからだろうか。

 

 自身の事を落ち着かせつつ、目の前で教材に向かって四苦八苦する少年の姿を楽しく見つめて早2時間。時間を確認しつつ綺麗に書かれていく英単語達を眺めつつバレないように顔を見る。真剣な眼差しで取り組む姿を間近で見ているだけで満足する自分に鞭を打つ。これから先、こんな風に傍に居られる時間が無くなる事を避けるためにも早くしなければ。そう思う自分と傷つきたくない自分がさっきから脳内で喧嘩をしている。自分を守っていたこれ以上踏み込まないという心が立ち行く時間に負けたのか、折れた事を感じ取り早坂はようやく切り出すことにした。

 

「早坂さんに聞いたけど、彼女ってどんな人なの?」

 ほぼ初対面の相手に聞くような事ではない。しかし、ハーサカは海外で育ったという設定。多少の常識外れの質問は許してくれるだろうと信じた。実際、少年は困った顔をしてペンを止める。言うべきか言わないべきか悩みながら。しかし、少年は悪気のない悪意無い質問とそれを感じた。友人知人がいない場所で過ごす彼からしたら、共通の話題は早坂のみ。そんな彼女から言われた話で興味あるものを選んで振って来ているのだろうと。

 それでも言いたくないという気持ちはある。乾いた喉にアイスコーヒーを流しこむ。

「僕、彼女とかいないからどんな感じなのか気になるんだ」

 そんな言葉に追い込まれつつ。

「別に普通だよ?」

 肩をすくめて無難な返答をする少年。早坂もその態度は予想していた。

「でも、さっきから携帯凄い鳴ってるよ? 彼女からじゃないの?」

 何時もの癖でテーブルに放り出されていた携帯はやはりその存在を誇示するように震えていた。

「早坂さんから、連絡とか凄いする人だって聞いてたけどこんなになんてね」

 苦笑するハーサカに少年も合わせる。

「少し困ってはいるんだけどね」

 そんな共感を得た言葉に早坂は尻尾を掴んだことを確信した。

 

 エスカレーター式の学校というのもあり、高校生になった所で環境が変わっただけですれ違うのは殆どが見知った顔。中学3年生の時に付き合い始めた彼の事やその彼女の事も殆どの人達がその関係を知っている。過度な連絡、異常な束縛、深い愛情。皆それらを知っていた。

 付き合い始めてすぐの頃は早坂も含めて周りが心配していたが、もう1年近くなるとそんな言葉は無くなり日常と化していた。むしろ、放課後に異性といる事を周りが冗談でからかってくる程に。早坂からしたら冗談でも浮気相手として言われる事に何ともいえない感情を感じていたが、少年の方は始めこそ否定していたが今となっては力なく笑うだけ。周囲からも彼女からも追い込まれ、精神的に疲弊しているのがよく見えていた。

 だからこそ、第三者からの同情の言葉に食いつくと早坂は睨んでいた。最も、自ら彼女の話題を振ることになるのは屈辱的だが。

「へー、どんな人なの?」

 それでも、今が絶好の機会。ハーサカとして接する事のできる少ない機会に最大の結果を残さなければわざわざ我儘を許してくれた主に申し訳が立たない。嫌がる顔を出さないよう、唇を軽く噛み締めながら平常心を装う。

「……つまんないよ?」

「別にいいよ」

 念を押す少年にとどめを刺す。

 

「僕は、貴方のことを全部知りたいんだ」

 

 オーバーな表現になったが、早坂からしたら本心だ。この時に出た笑顔は間違いなく早坂愛としての笑み。そんな笑みに彼女の面影を重ねながら親戚って似るんだなっと能天気に思いながら少年は話し始める。

「切っ掛けは去年の夏頃なんだけどね」

 去年の夏と聞いてふと思う。早坂が彼を意識する切っ掛けもその頃だ。

「泣いてる所をたまたま見ちゃってね」

 放課後にまだ帰らないクラスメート達と話している時。好みの異性のタイプを話をしていた。

「気になって声をかけたらさ」

 ちょうどドラマでやってた話。嘘つきの女の話題が出た。私のような嘘つきの恋愛話。そんな話題。

「凄い正義感が強い子でさ、それを周りにわかってもらえなくて苦しんでて」

 皆嫌がっていた。それもそう。名前も嘘、経歴も嘘、皆と接する態度も仕草も全部嘘。だから私は友達と思える人はいない。勝手に自分を重ねながら下らない話に相槌を打つ。

「話を聞いてると、可哀想に思えてきて。少し仕事の手伝いをする事にしたんだ」

 皆平気で人を騙す癖に、自分が騙される側になると途端に嫌がる。それでも、彼だけは言ってくれた。正直者の馬鹿な彼は。

「そしたら、なつかれてね」

 騙すよりも騙される側の方がいいな。嘘をつくのは嫌いだから。だから、俺は嘘つきな相手でも好きだよって。

「別に告白したりされたりしてないから、付き合ってるって実感ないんだけどね」

 あの時に、きちんと自分の気持ちに気づいて告白を___

 

「そうなんだ」

「つまらないでしょ?」

「そうでもないよ」

 改めて聞かされた早坂としては、思い出したくも無い顔を思い出す。自分から奪ったとしている彼女の顔を。

「でも、告白とかはしないんだ?」

 それも早坂愛として尋ねたことがある。少年はその時と変わらぬ返事で応える。

「どうなんだろう。今更告白するのも変な気がするし、付き合ってるって彼女は思ってるみたいだから、別にいいかなって」

 そんな曖昧な回答が早坂の怒りに触れるが、顔には出さないよう曖昧な笑みで堪える。

 私とならそんなふわっとした関係じゃなくて、きっちり付き合って傍にいるのに。何があっても。

「へー」

 ここまでは何時も通り。早坂愛としても行える、行っていた会話。あの時と自分は違う。今はハーサカという男性として踏み込めれる。

 

「それ、付き合ってるの?」

 素朴な疑問を口にする。少年の驚いた顔。その開いた瞳に自分の顔がよく写る。表情こそ悪びれた様子のない悪意のない笑顔。その心は嫉妬と執着心で歪んでいた。

「だって、付き合うとかって告白して初めて意識するものでしょ?」

「そうだけど……」

「付き合ってないのに、彼女も思ってるみたいなんて勝手に思って傍にいるのはどうなんだろう?」

「それは……」

 実際、その彼女は完全に少年に惚れている。遠目から何百と見かけていた早坂からしたらそれは間違いない情報だ。しかし、決定打に欠けていた。

 

 告白

 恋愛において重要な要素であり、恋愛の始まりを告げる合図であるそれを怠っている事を知った時、早坂は大きく動揺した。周りからしたら既に付き合っているように映っていたそれは、スタートラインにすら立ってはいないという事実に。

 早坂はその相談を受けた事がある。告白するべきかどうか。当然告白を応援するのが友人としての努め。当時の早坂もそう思っていたし、そう言うつもりだった。

 

「えー、もう付き合ってるみたいなもんだしいいんじゃない」

 

 自分でも何故そう言ったのかわからなかった。思考を飛ばして反射的に出た言葉。それを鵜呑みにした少年は告白せずに中学生活を終え、高校生となる。

 そう、その時の早坂の気持ちは誰もわからなかった自分すらも。しかし、少し時間を置いて考えて早坂はその答えに辿り着いた。

 

 悔しい

 嫌だ

 取られたくない

 

 醜い嫉妬に駆られた自分を見つめるのに時間がかかったが、それに気づいてしまえば飲み込むのは早かった。

 彼の事が好きな自分

 彼の隣にいたい自分

 彼を守りたい自分

 それらの感情を理解するのに時間はいらない。

 

 しかし、それらの思いを伝えることは出来ない。早坂は四宮かぐやの侍女。それを周囲に悟られないようにしなければいけない。下手に注目を浴びることはさけなければいけないのだ。学園の早坂愛として下手に割り込み、別れさせ、奪うように付き合ったら嫌でも噂は立ってしまう。いらぬ注目を浴びてしまう。

 だからこそ、早坂愛は良き友人として振る舞うことに力を注いだ。誰の目に映っても親しい異性として映るように。

 そんな自分が別れさせれない。しかし、誰かの手で別れさせるのもいや。そのまままた取られてしまうのは嫌だ。

 だったら、自分で別れさせて自分が奪う。励ますように付き添って、そのまま恋人に。

 夢見る希望を望みつつ、策を考え、重ねる内にそれが現実となる瞬間。それが今。

 

 ハーサカとして真摯に向き合いつつ、戸惑う少年に早坂愛として内心微笑みを浮かべた。

 

「仮に彼女だとしても、そんな2時間近くに何度もメッセージを送ってくるのはおかしいよ。そんな人見たことない」

「少し多いだけ。心配性なんだよ」

「少し? でも、それって1日の殆ど送ってきてるんじゃないの?」

「まぁ、ね」

「それってさ、信用されてないんじゃない?」

「えっ?」

 ほぼ初対面の人にしてはグイグイと前のめりに行き過ぎただろうか。一端わざとらしく咳き込む。それでも、この機会は逃さない。多少変に思われても、この姿なんて使い捨ての仮面に過ぎないから。

「ごめんね、ただせっかく出来そうな友達が苦しんでる様を見て心配で」

「別に苦しんでなんかないよ」

「そう? 早坂さんが心配してたよ?」

「早坂が?」

「うん、最近眠たそうにしてたり疲れた顔をよくしてるけど、彼女と何あったのかなって」

 

 実際早坂は心配していた。目の前にいる時はメッセージなど余り見ず返信することも少ないが、自室にいる時はどうなのか。早坂がいない場ではどうなのか。

 もしかしたら、こまめに返信しているかも。変わらず無視をしているかも。メッセージなんかじゃなくてカップルのように長電話しているのかも。

 色々と想像するが、どれも早坂からしたら嫌な未来だ。それももう終わる。終わらせる。

 

「疲れてるなら、きちんと話すべきだよ」

「話すって何を?」

「付き合い方だよ。もしかしたら、それすらも考えるべきかもしれない」

「……それはハーサカには関係ないだろ」

 嫌そうな顔をするが、強くは出れない。少年もまた、今の付き合い方が今後も続くという事を良しとはしていない。それでも

「俺はいいんだよ、これで」

 それでも、彼女がそれを求めている以上否定することは出来ない。憐れみか優しさかはわからないが、1年以上続けた今の関係を急に変えることに否定的な意見を述べた。

「……そうなんだ」

 最も、早坂もそう言われることはわかっていた。

 これでいい。今は、これで。

 

「ごめんね、変な事言って」

「別にいいよ、心配してくれてありがとう」

 思ってもいない謝罪の言葉で少年は普通に許す。

「でも」

 ただ、これだけは伝えたい。早坂愛として。

「辛くなったら何時でも言って。僕でも早坂さんにでも。何時でも協力するから」

「……ありがとう」

 ほぼ初対面の相手に懐かれた事に戸惑いを覚えながらも、心強い友人が出来たことを少年は無邪気に喜んでいた。

 その顔を見て、ハーサカはただ笑みを浮かべた。



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早坂愛は囲いたい

 早坂愛は器用だ。

 休日を使って自作PCを作るなど、最近のガジェットにも詳しい彼女の趣味の延長で作ったそれは悲鳴のような機械音をあげている。それを無視してテーブルに置かれた複数の雑誌とモニターを交互に見つつキーボードをカタカタとテンポよく鳴らしていた。そんな小刻みなリズム良い音が自室で鳴り響く事早数時間。かぐやの就寝を見届けてから始めた作業が終わる頃にはもうすぐ日が変わる時間になっていた。前々から始めていた事が無事に終わる事に達成感を覚えつつ、ようやく形になったその文字列を見て我が子のような愛着を感じ取り、満足気に微笑む。

 早速試しにと雑誌の後ろに置かれた複数のスマートフォンから1つを取る。学園で愛用しているピンクのそれは少年もよく見る物であり、早坂自身よく使う物だ。早速PCと接続しデータを移す。

 無事に終え、動作の確認をしながら今後のためにと青いスマートフォンにケーブルを指し替えつつ、今度は黒のスマートフォンを手にとる。ハーサカとしてのために購入したそれは、必要外の用途では殆ど使わないため連絡帳を開いても1人の名前しか書かれていない。迷う事なくその名前に電話をかけた。

 しかし、繋がる事なくすぐに電話は切られてしまう。早坂はむっとしながら画面を見ると通話中という文字が出てきて更に不機嫌になる。こんな時間に電話しているとなると、ほぼ間違いなく彼女とだろう。嫌な顔を思い出した。

 しょうがないか。そう思いながらメッセージを作り始める。手慣れた手付きで簡素な文を作り、送りつける。無事に送れた事を確認したら後は待つだけ。大量のメッセージに埋もれていないように祈りながら。いつ返信がきても反応出来るように両手で優しく包むように持ちながら、欠伸をしつつベッドに潜り込んだ。

 遠くない未来を楽しみにしつつ鞄の前に並んだノートPCと白い粉を眺めながら。

 

 

 

 

 

「一度来てみたかったんだ」

 早坂はハーサカとして狭い室内で口を開いた。それを聞く少年は嬉しそうな、それでも素直に喜べないような気持ちを前に出しつつ部屋を見ていく。真ん中に置かれたテーブルを囲うようにソファーが置かれ、部屋の隅にはモニターと大きな機械が置かれていた。我先にと言わんばかりに嬉しそうに笑いつつ早速早坂は腰掛けた。それに反して、一向に扉前で固まる少年。

「カラオケ、嫌いだった?」

 ハーサカは困った顔をしながら尋ねたが、そんな事ない事を早坂は知っていた。昔はよくクラスメート達と行く姿を何度も見送っていたから。彼女が出来てから、そんな風に友人達と遊びに行く事がなくなったのも知っている。

「いや、嫌いじゃないけど……。ここで勉強するの?」

 ファミレスの時とはまた違う騒々しさが部屋中を支配していた。集中したくてもそんな事出来るような環境ではない。それでもここにした意味は早坂にはある。この店でしか出来ない事が。

「音とか消せば静かになるよ?」

 わざとらしくたどたどしい振りをして操作していく早坂はモニターの音量を無くしていく。

「カラオケの意味あるの?」

 観念したのか、溜め息と共に早坂の対になるよう腰掛ける少年。

「一度来てみたかったんだ。1人で行くのは恥ずかしいし……早坂さんもバイトばかりで忙しいから。折角出来た友達と遊べる時に来てみたかった」

 

 春期講習もそろそろ折り返し。ハーサカとして勉強会を重ねて接していく内に少年の弱点を見つけた。友達という言葉に異常に弱く、それを言うとなんやかんやで付き合ってくれる事に。もっとも、早坂愛として言うよりもハーサカとして言った方がはるかに効果が大きいのは、設定を聞かされた彼の優しさを利用したものだろう。そんな優しさに惚れながら利用する自分に軽く呆れた。

「……まぁ、来ちゃったし別にいいんだけどさ」

 嘆息混じりにモニターを眺める。音こそないが最近流行っている曲の紹介がされていた。

「でも、折角来たんだし歌わないの?」

「それは勉強が終わった後にしよう」

 折角だから今日は遊ぼう。遊びたい。そんな邪な気持ちもあった少年からしたら、生真面目なハーサカの催促するように向けられた視線に苦しみつつ鞄から教材を広げていく。

「きちんと出来たら、早めに終わって遊べるよ」

「わかったよ」

 出来の悪い子供に向けて言うような優しい言葉遣いに気恥ずかしさを感じながらノートにペンを置く。

「僕も遊びたいから。頑張ってね」

 それを聞いて少年はやる気が湧いてきた。

 

 早坂からしたら元より友達としての地位があり、その関係で接していきていた。自然と少年の会話のペースや流れを把握していたため、ハーサカとして改めて接する事になり始めの曖昧な距離感は苦戦した。しかし、ある程度関係が築く事によりだんだんと早坂としてのポジションに近づく度にその居心地の悪さは消えていく。まだ出会って日は立たないがすっかり友人としての席に戻れた事に相性の良さを感じていた。

 少年からもそう。所々に早坂の面影を感じたが、親戚と言われているため似るものだろうと勝手に推測しつつも自然と近くなる距離感に悪い気はしていなかった。むしろ、最近会っていない友人の変わりのようで妙な安心感のようなものを抱いていた。何よりも、少年からしたら新しい友人が出来るという経験は久しぶりだ。今の学友達は昔からの顔馴染みばかりで新鮮さに欠けていたから。

 そして何より、彼女との関係を心配してくれる人に出会えたのが少年は内心嬉しかった。今のクラスメート達はそれを当たり前と捉えていて、もう誰も気にかけてくれる事はなかった。それは、早坂も含めて。

 

「飲み物入れてくるよ」

「助かる」

 空のコップを2つ手にしたハーサカの背中を見て、少年はふと思う。自分が早坂と全く遊んだ事がないことに。高校生になり、よく放課後に話すようになってはいたがそれだけ。休日に会ったり放課後に遊びに行くというのは全く無い。誘うことすら出来ていない。そんなことしたら癇癪を起こす人が自分にはいるから。

 それでも、今度ハーサカと早坂と3人で遊びに行きたいな。そんな思いが叶うはずがない事を少年は知らない。

 そのために、と教材へと視線を移してペンを走り出す。今は目の前の友人の願いを叶えたい。そんな気持ちで早く終えようと。

 

 そんな彼の様子をドアに取り付けられたガラス越しにこっそりと早坂は覗いていた。子供のように拙い夢を見ている少年を小馬鹿にするように笑みを浮かべてその場から離れていく。

 ここに来た目的は早坂にはある。カラオケを一緒に楽しみたいという欲求はあるが、それはあわよくば。本来の目的は違う。目的の要になる所につくと、それを眺める。

 ドリンクバー。ファミレスにもあるが、そこでは目立ってしまう。カラオケならば個室のため何をしても大きく目立つ事はない。それが今日の目的に一番重要なポイントだ。適当に目に入ったお茶を選んで1人分淹れていく。その後は自分の分。コーヒーをコップに8割方淹れてから周囲を警戒するように見回たした。春休みの夕方頃。同世代の人達が集まっているのだろう。早坂の周りにも4人程の学生と思わしき人達が同じ空間にいた。

 邪魔だな。そう思いつつ隅にコップを移して周りの目を見る。何処に視界が向いているか、誰かと話して集中が散乱しているか、1人でいるなら何を見ているのか。

 そんな事を確認しつつポケットに閉まっていた粉薬を開封して片手で握り隠す。余った手はミルクを取って蓋を開けた。

 自然に、自然に。自分に言い聞かせながらコーヒーにミルクを混ぜていく。真っ黒な海が白く汚れる様を見ている余裕はない。そのまま早坂はお茶に粉を混ぜていった。濁った色に白い宝石が落ちる様を早坂は楽しそうに眺めつつも手早く終えていく。全て淹れ終えたらポケットに空袋を仕舞って軽くかき混ぜて終わり。

 再び周囲を軽く見回すも、誰もそんな彼女の事を気にしている様子はない。これで、最大の危険地点は終えた。安堵した心が来ると、緊張と共に大きな息が口から吐きでた。

 

「お待たせ」

 緊張を全て抜け出させてから、何時ものように軽い笑みで彼の前へと戻っていく。

「ありがとう」

 何も知らない少年は差し出されたコップを受け取る。しかし、疑問に思ったのか首を傾げて中身を覗く。見た目だけならば変哲もないただのお茶。さっき迄手にしていた早坂も色んな角度で見て確認している。しかし、やましい気持ちが心臓の鼓動を早くする。

「あのさ」

「な、なに?」

 表に出さないように笑を作るが、何時ものに比べると幾らかぎこちない。バレた? うそっなんで? 

「なんでお茶?」

 肩をすくめて差し出された中身を尋ねる。そんな能天気な質問に乾いた笑みが出てしまった。

「ジュースばかり飲んでちゃだめ。今日は勉強が終わったらコーヒーでもコーラでも飲んでいいよ」

「厳しい先生になったね」

 そんな冗談の言い合いで無事に終わった事に安堵しつつ乾いた喉にコーヒーを入れていく。自分もお茶にしておけばよかったかもしれない。乾いた喉がよりうずくのを感じていた。

 そっと、少年もコップに手を付ける。友人から出された物。そんな物に疑うことなど先ずしない。迷う事なく口に運ばれたそれは、喉を鳴らして飲まれていくのを見て、早坂は大きく息を吐いた。

 あとはもう簡単。時計を軽く見たあと、落ち着いた気持ちで改めて少年の顔を見る。

 あとは待つだけ。内心の汚れた笑みを隠すような作り笑いで、書き記されるノートを眺めた。

 

 そんな時。部屋に聞き慣れない音が響く。少年が音の発信源に耳を傾けていると、それはすぐに早坂の耳に当てられる。

「早坂さん、どうしたの?」

 あるはずもない電話の主の名を口にしながらそっと部屋から退室していく。少年はまた、早坂の背を目で見送りつつまた彼女の事をふと思う。元気にしてるかな? なんて見送ったばかりの少年が彼女自身と思いもしない。

 そんな彼女のスマートフォンはポケットの中。取り出すことなく電話を切ると耳に当てていた携帯から流れていた何かにするような音は完全に消えた。

 先程とは違い今度は中の様子を見る事なく早坂は空いていた一室に無断で入るとインターホンへと手を伸ばす。待つことなく繋がると、相手の声からは戸惑いが感じ取れた。

 

「あのそちらの部屋は」「先日お話した早坂です」

 無用な話を聞く気はない。そんな意志を伝えるように言葉を被せる。

「店長はいらっしゃいますでしょうか?」

 少年の前とは違う無機質な声で淡々と要件を口にする。早坂の名前を聞き、相手は明らかに動揺を見せる。「お、お待ち下さい」と言われてすぐに目的の相手の声が聞こえた。

「早坂様、お待たせ致しました」

 慌てて電話をとったのだろう。少し荒い息遣いで様子を伺う様なおそるおそると言った様子で店長が出てきた。

「そろそろ用意の方をお願いしても」

「かしこまりました。手筈通りに」

 見えない筈の相手が頭を下げている光景が早坂には見えていた。声でこそ若い男性だが、学生の早坂とは明らかに年齢に差がある。そんな彼も彼女には頭が上がることはない。

「ありがとうございます。助けて下さったこと、かぐや様には私からお伝えしておきます」

 主の名前を出すと店長は「ありがとうございます!!」と再び深く頭を下げた。少なくともそのように早坂は感じとれた。

 彼を待たせるわけには行かない。その気持ちで一杯の早坂は用が終わったインターホンを戻して直ぐに部屋へと戻る。物事は着実に早坂の描く通りに進んでいった。その事実が彼女の笑を深くする。

 こういう時、自分の身分が役に立つ。大きな事を動かすならば主である四宮かぐやの力を借りなければいけないが、細やかな事象を起こすならばその名前を口にするだけでいい。自分が四宮家に仕えるメイドであり、両親はその幹部という立場は世間一般で見ても敵にしたくない役職だ。この仕事を続けていてよかったと感じる瞬間だ。

 

「おかえり」

 部屋に入って直ぐの落ち着く一声に深い笑みは暖かく変わる。

「ただいま。貴方のことが心配で電話したみたい。ちゃんと勉強してるか気になってるみたいだよ?」

「なんだよそれ。俺にすればいいのに」

「貴方にかけてもしてるって言うでしょ」

「確かに」

 そんな下らない雑談に笑い合う。

 早坂はこの時間が好きだ。出来ることなら、こんな性別すらも塗り替えた嘘偽りではなく、きちんと少年に向き合って笑い合いたい。そんな欲求が湧き出てしまう程に。

 それでも、それは許されない。少なくとも今は。

 彼女は他の女性との接触を極端に嫌がっていた。それを何度も体験している少年は、高校生になってから極端に異性との関わりが減っている。異性の友人等、早坂以外はいないだろう。だからこそ、彼女に最も警戒されてもいる節があるのだが。

 それでもああして付き合いがあるのは勉強を教えてくれる都合のいい女だからか、それとも意中の相手だからか。早坂からしたら後者を望むが、前者でも悪くはない。今だけは。

 

「あっ、間違ってるよ」

「ほんとに?」

 ノートに目を通しつつそっと指を指していく。今の自分の評価等早坂には興味がない。必要なのはこれから先。全てを奪い、笑うために、邪魔な人は取り除く。

 自分自身の幸福に向けて。それが、彼の幸せだと信じて早坂愛は疑わない。

 

 

 

 

 

 時計の針がもうすぐ一周する。今か今かとそわそわしてしまう身体と心を抑えながら、彼の顔を覗きつつノートを見ていく。

 

「うーん、難しいな」

 

 難問に出会ってしまい、先程からペンを止める彼にそんな彼女の様子を見る余裕はなかった。

 

「……はぁ、ちょっとトイレ行ってくるよ」

 

「行ってらっしゃい」

 

 ため息と共にペンを置き、気分転換も兼ねてか室外に行く背を今度は早坂が手を振って見送った。

 

 さぁ、急がないと

 

 彼女の思うように事が運んでいるなんて少年は知らない。

 

 

 

 利尿剤

 

 睡眠薬のような危険な錠剤に比べれば可愛い物をわざわざ用意し、少年は飲まされた。多少味に違和感があったが気にすることなく飲み干した彼。効果が出始めたのだろう。急に尿意を催した彼は部屋を出てトイレを探す事にしたのだが。

 

「清掃中?」

 

 置かれた看板にそう書かれたのを見てため息を付く。ここの構造はそう複雑ではない。全5階建ての建物の3階のフロアに案内されていた彼は、大人しく下の階へと行くことにした。しかし

 

「故障?」

 

「はい、そうなんですよ」

 

 2階のトイレ前で困った顔をしていた店員に言われた言葉を反復する。

 

「フロントのトイレでしたらご利用頂けます」

 

「はぁ」

 

 そんな店員の言葉に流されるまま1階へと降りていく。

 

 なんか災難だな。そんな軽い言葉で流しながら。

 

 言われた通り、フロントのトイレは無事に利用出来た。少し遠回りになったがそれでも用を終えて部屋に戻ろうとした所。

 

「お客様、よろしければアンケートにご協力下さい」

 

「えっ」

 

 受付前を通りかかると女性店員が少年を引き止めた。差し出された用紙とペンを見つめる。

 

「友達が……」

 

「今なら協力してくださった方を対象にクーポン券をお渡ししています」

 

「えっと……」

 

 少年はこういう押しに弱い。NOと言えない日本人でもある。より力強さを増して差し出されたペンを苦笑いしつつ手に取りつつ早く終わらせようと用紙を受け取った。

 

 

 

 きっと、こうなっているはず。早坂愛は予想する。フロアのトイレの封鎖、上に行こうが下に行こうが店員に邪魔をされてフロントへ行き、そこで強引にアンケートに記入させる。そういうを手に取るとついつい集中して取り組む所も早坂はよく知っていた。それでも、時間はあまりない。

 

 彼が部屋を出てすぐにテーブルにある見慣れたそれを奪い取る。彼のスマートフォンは違う主の手に渡っても変わらず震え続けていた。何時も置きっぱなしにしているそれを、そのまま忘れて何処かへ行くのはよくある事だ。震えて存在を誇示しても震えっぱなしのそれはもう、誇示ではなく当たり前になってしまっているのだから意味がない。

 

 

 

 愛しの彼のスマートフォン。覗き見て中身をこの眼前に晒し出したい所だがそんな事をする時間はない。

「早坂様」

 次々に送られてくるメッセージを軽く睨みながら眺めていると、先程声の主が部屋へと入る。取っ手のついたノートPCケースを両手で大事そうに抱えながらそっとテーブルに置きつつ若い男性は頭を下げた。

「ありがとうございます」

 そんな様子に目もくれずケースを開くと、早坂愛用のノートPCがそこにはあった。

「後は彼が来ないように適当に時間を稼いでください」

「かしこまりました」

 店長は深くは食い下がらず大人しく退室していく。

 

 

 後は時間との勝負。時計を見ている暇も余裕もない早坂は早速起動させ少年のスマートフォンをケーブルで繋げた。

 ……これで、もう準備は出来た

 ディスプレイもこの時のために直ぐに実行出来るように置いておいてある。

 これで私の知らない彼がわかるようになる。全部、全部わかってあげられる。歪んだ笑みを作りながら彼女は待つ。

 

 プログラムを実行しますか

 

 YES/NO

 

 そんな無機質な言葉に迷わず彼女は応えた。




活動報告にリクエストについて書きました。よければ見てください。


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早坂愛は囲いたい2

 狭い部屋に1人ポツンと居座る少年は溜息を吐きながら寂しく教材と睨み合う。

 余りにも集中出来ず、普段の遅いペースにより磨きかかっているのは彼自身よくわかっていた。集中があまりにも出来ていなかったのだ。普段よりも催す事が多く、頻繁にトイレに行き、出したぶん飲みたくなりお茶を飲んだら少ししてトイレへ戻る。隣りからうっすらと聞こえる歌声も重なって本来の細やかな実力すら発揮出来ていなかった。

 それならそれでいい。普段の彼ならそんな状況でものんびりとやっていっただろう。

 思い返して再び溜息をつく。

 ここに来たいとわざわざ誘ってくれた友人は部屋にはいない。もう来ない。その事実が少年の本日最大の反省点だった。

 折角来たがっていたカラオケに来たものの、普段よりも全く進まない様子にイラついたのか何時もよりも早く解散することを告げられてしまったのだ。

 

「ごめんね、用事があったの忘れてた。ゆっくりでもいいからここまで頑張ってやってみて。また明日見るよ」

 その言葉と共に気を使った笑みを浮べて退室していった彼の事を思うと自分が情けなく感じていく。

 本当は遊びたかったんだろうな。そんな風に気持ちを察しつつもそこまで物事を運べなかった自分の能力の無さを悔いていた。

 1人になってもうすぐ1時間は経つ頃、頻繁な尿意も徐々になくなっていくにつれてゆっくりとだが進むペースが戻っていく。指定された所に辿り着くのに時間はかからないだろうと少年は踏んでいた。

 別に適当に切り上げて家でやる事も可能だ。しかし、少年はそれを良しとしない。帰ったらやることなくだらける自分の姿が容易に想像できたから。やらないなんて選択肢は勿論ない。友人との約束を破るなんて事は彼は余程のことがない限りしないから。

 あと少し、あと少し。自分に言い聞かせながら進めていく。

 

 明日は何というべきだろうか。終わりが近づいていくにつれその考えが思考の幅を広げていく。今日の事を謝罪すべきか、何事もなかったかのように接するべきか。色々と考えては悩みつつ教材から視線が逸れていった。

 でも、今度カラオケには誘おう。友達として一緒に遊びに行こう。

 最終的にそれだけは決めて最後の問を埋めていく。明日会うであろう友人の事を思いながら。

 

 ようやく終わった開放感に包まれつつ、置きっぱなしだった携帯を手に取る。手にした所で震え続けるそれを眺めているとおかしな数字に気がついた。何時もならこの程度放っておいても9割近くはある充電が7割と少ししかない。特に触らず置いていたため何時もと変わりないと思っていたのだが。

 原因を軽く考えてみるとすぐに振動と共に新たなメッセージが送られた事が目に入る。

 ついに壊れたか。そう思うと複雑な笑を浮かべた。

 

 少年は携帯電話を本当に電話を携帯してるという認識だ。それこそつい最近まではガラケーで過ごして何の不自由も感じなかった。ただ、その長年の役目を果たしたそれを見た彼女に勧められたのと友人からのアドバイスでスマートフォンという小難しい機器に変えた。後悔こそしていないが利便性も感じていない。むしろ大量に送られるメッセージのせいで嫌気を感じる時もある。

「ん?」

 だからこそ、少年は画面に映る見慣れないアイコンを見つけて首を傾げるだけ。

 赤いハートのそれを不思議そうに軽く眺めて、どうしていいかわからずにポケットに仕舞う。

 目に入らなくなったと同時にそんなアイコンの存在を忘れて欠伸をして終わらせた。

 思考は既に友人の事へと向きながら、大分遅れて少年も部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 駅前というのは本当に便利と感じていた。交通の便が滞っているそこは、少し離れた自宅にも簡単にアクセス出来る。日が暮れてきた広場には色んな人が雑多に動く。決まっているようで決まっていない、そんな人混みの流れに逆らわないようにしつつ前の人と歩幅を合わせて歩いていくと周りの視線が同じ所に向いているのに感づいた。

 建物の影に隠れるように複数の男達。制服も着てないし見知った顔などそこにはいないが、自分と同年代の人達と感じ取っていた。

 何やってるんだろう? 不思議に思いながら、周りと共に視線を送る。少し歩いて見る向きが変わると、見知った顔が映った事に少年は驚いた。

 早坂? 

 男達に囲まれていた少女。そんな彼女の横顔と綺麗な金髪は遠目からでもよく傍で見ていた彼女のモノ。困った顔をしながら壁に背を当てて逃げようにも囲まれており逃げ場はなかった。

 少年は何も考えずに流れに横槍を入れるように駆け足でその場へ赴く。急な反応に周りの視線が一部自分に映るのを肌で感じながら。

 

「早坂!?」

 自分も物陰に隠れた集団に交じるように強引に彼女を囲う彼らの傍へ。急な声に今度は肌で感じていた背後ろからではなくしっかりと一人一人の視線を視野に入れる。向かれた顔達を除いて見慣れた友人の顔を見ようとした。が

「……あれ?」

 思わずとぼけた声が出てしまう。その綺麗な金髪は彼女そのもの。髪型こそ見慣れた縛っていたそれではなく、垂らしていたのは遠目からでも見れていた。しかし、鮮やかな青い瞳は深い青に変えて見開きながら少年を見つめる。雰囲気も顔も何処と無く似ていたが何かが違う。そんな違和感に固まってしまう。 

 しかし、自分のした事は変わらない。何をしていたにしても、彼等の邪魔をしたという事に変わりはない。

 

「おいおい、何だ何だ」

 1人の男が少年に近づいていく。それを皮切りに一歩また一歩と周りも距離を縮みていた。

 何だこの使い古されたラブコメみたいな展開。思わずそう言いたくなったが言えるような状況ではない。それを作ったのは自分なのだから。逃げるように一歩下がるが迫りくる壁の方が足取りは軽い。ゆっくりとだがその差は縮まっていった。

 走って逃げようとチラリと後ろを覗き込む。人混みの流れは巻き込まれたくないのか、いつの間にかその視線は消えていた。

 変わりに強い視線を感じる。囲いが消えた友人によく似た少女の涙ぐんだ瞳と目が合う。

 

「お、遅いよ!!」

 それが合図とでも感じ取られたのだろうか。ようやく口を開いたと思ったら短い距離を慌てて走り少年の腕を自身の両腕で絡め取った。

「この人、私の彼氏だから」

「は?」

 思わず声が漏れる。古典的なラブコメかよ。そんなツッコミをしそうになったがその深い瞳に軽く睨まれるとそんな言葉は出てこない。変わりの言葉を目を泳がせながら考える。

「そ、そうなんだ。ごめんね」

 何を言っていいかわからず、とりあえず謝ってみた。今更こんな展開でどうにか出来るかなんて少年は思ってもいない。すきを見て人混みに逃げ込もうと算段を立てる。しかし、目の前の光景はそれを許さない。

 

「なんだよ、彼氏持ちかよ」

「つまんな、行こうぜ」

「あーあ、可愛い子見つけたと思ったのにな」

 わざとらしさを感じるテンプレートなセリフと共に男達はその場に背を向け歩いていった。何とも言えないが、ツッコミたい衝動に駆られて手だけが伸びる。

 いや、古典的なラブコメかよ!! 

 もちろん言えない。言って事態が悪化する事は避けたいから。それは、隣の彼女も同様だったのだろう。男達の背が遠くなるとクスクスと笑い始める。

「なんか、漫画とかである話みたいだったね」

「……そうだね」

 嘆息交じりに応えつつ、相手の顔を近くで改めてよく見る。遠目では間違えたが傍にある微笑んでいる彼女の顔は、雰囲気こそ近いがやはり別人だった。

「ねぇ、この後時間ある?」

「え?」

 組まれている手を離してもらおうお願いするよりも前に言われた言葉に戸惑う。会ったばかりの女の子、しかも今までで一番と言っても過言ではない程の美形な少女からの誘いに付いていきたい誘惑が襲ったが、すぐに彼女の怒り狂う顔がよぎった。

「ごめん、予定があって」

 苦笑いしつつ距離を置こうと一歩下がる。もう一歩と下がると絡めた腕に引き寄せられるように彼女も一歩距離を詰める。離さないという意志を少年は感じたのは、より強く力が込められたから。

「忙しいんだけど」

 困った顔をしつつも空いた手で組まれた手に向けてそっと伸ばす。手を取るためではない。多少強引にでも引き剥がしたいと思ったから。

 友人の異性と話しているだけでも怒る彼女。宥めるのは簡単だが、それでも悲しい思いをしてほしくない。過度の拘束も寂しさからくるものだときちんと理解を示していた。だからこそ何か言いたくても何も言えない。言ったところで帰ってくる感情が目に見えていたから。そんな彼女から来る連絡を無視して知らない美女と共に過ごすことに罪悪感を覚えていた。だからこそ、強引にでもとこの場から逃げようとする。

 しかし

 

「あの、まだ怖いの。だから、誰かと一緒にいたくて……。少しだけでいいから」

 上目遣いで涙ぐみながら肩を震わせる美女の言葉に少年の手は止まってしまう。

「それに助けてもらったお礼もしたいから。ねっ? 少しだけでいいから」

 口元を軽く微笑みながらのお願いに少年は黙り込んで考えてしまう。

 本当に、本当に……!! 

「……少しだけだよ?」

「ふふふっありがとう」

 嬉しそうに笑を浮かべる彼女は、今度は自分の番と言わんばかりに絡めた腕を引っ張っていく。そんなか弱い力に少しでも意志を持てば反発できるが、そんな意欲はわかない。美女からの誘いに弱いのか、今はない目の前にあった今にも泣かれそうな顔に弱かったのか。

 少なくとも、その怒りをぶつけるように地面に向かって顔を伏せながら溜息を吐く

 古典的なラブコメかよ。そんな思いを込めながら。

 

 

 

 

 

 少女に案内されたのは最近できた友人とよく行ってる、そして今日は行きそこなったファミレスだった。そこで案内されたのは奇しくも始めて友人と話し込んだ窓際の席。他の席もところどころ空いているのにここに案内された事に奇妙な縁を感じながら対面に座り顔を赤くして俯く少女を無視して視線を外に向ける少年。見知った人にこんなところ見られ、それが彼女の耳に入ってしまったら……。そんなことを考えるだけで溜息が漏れてしまう。

「あの」

 そんな光景が十分程続くと重々しい空気に耐えかねた少女が口を開く。視線を外から少女に向けると、少女は改めて重い溜息が出てしまう。

「迷惑だった……かな?」

 恐る恐るといった様に顔を伺いながら来た質問に少年は頬を掻きながら悩む。迷惑といえば迷惑な話。すでに彼女がいる身分としてはこんな場面を見られてしまうと何の言い訳も出来ずに罪と罵られ断罪されてしまうだろうから。しかし

「いや、大丈夫だよ」

 そんな軽口を叩いてしまう。困った人やお願い事を放っておけない性分を呪いながら。

「……そっか」

 顔にこそ出ていないが、その暗い雰囲気に自分が迷惑をかけている事に感付きつつも垂らした前髪を軽くイジる。

 そんないじらしい仕草を見ていると、少年は最後の深い溜息と共に気持ちを切り替える。断らなかったのは自分のせい。バレてしまうのは困るためバレない事を祈りつつ少年は窓の方に軽く向けていた体をしっかりと正面に向けて折角の美女との会話を楽しむ方にシフトする。そう思うと心なしか気持ちが軽くなった。

 そんな姿を見て少女も察したのだろう。片目を閉じて軽く微笑む愛らしい仕草と共に手を合わせて持ち前の可愛さを強調した。

 

「スミシーさんだったっけか……」

 ここに来る道中でした軽い自己紹介を思い返しながら会話の種を探す。

「うん、どうしてあんな所にいたの?」

 とりあえず共有した出来事も時間も少ない2人で話せる唯一の出来事を話題にしたが、すぐに後悔する。名前で呼ばれて笑みを強くしたスミシーも、それを思い出したのか一気に暗い顔になり涙ぐんでしまった。

「あ、ごめん」

 慌てて他の話題に変えようとしたが、すぐに出てこない。見慣れぬ人との会話をしない普段の生活からきた弊害がここに来て襲ってくる。

「私、最近彼氏に振られてちゃって……。それで、落ち込んでばかりもいられないからってウィンドウショッピングにでも行こうって思って出かけたらあの人たちに声をかけられてね。

 怖かったから誰かに助けって思っても誰も助けてくれなくて……。

 だからね、声をかけてくれた貴方にとても感謝してるよ。

 してるけど……

 まだ怖いから、もう少し助けて欲しいな」

 再び手を合わせて上目遣いで顔を覗き込む仕草に少年は同情の視線を送る。嫌な出来事というのは立て続けに起こるもの。少年もよくそう思う経験があった。ならば、今この時だけでも好ましくとは言わなくとも嫌と思えないような体験談にして欲しい。そう思い改めてしっかりと向き合った。

 

「別にいいよ」

「ごめんね、忙しいって言ってたのに」

「大丈夫。気にしないで」

 一度関わってしまうとその人を気にかけてしまう。優しさのような甘さ。自分自身の最大の欠点と思ってはいつつも中々捨てられない性でもあった。

「ありがとう、優しいんだね」

 頬を赤く染めつつ言われたその言葉に、少年は言葉を詰まらせる。自分もまた同じような顔をして向き合ってると思うと、浮気と責め立てられても何も言えない。

「そうだ、早坂さんって彼女なの?」

「えっ?」

 急に出た友人の名に動揺を見せる。

「ほら、私と早坂さんを間違えてたから」

「あー」

 そういえば名前を出していた。思い返すと少し恥ずかしさを覚える。見知らぬ少女と見知った友人を間違えた事に勝手な罪悪感を覚えてしまった。

「彼女じゃないよ。仲のいい友達なんだ」

「そうなんだ」

 春休みに入り顔を見る所がまともに連絡すら取り合っていない友人。そんな友人がいつも話題の中心にいる事に不思議な気持ちになる。まるで、そこに居ないのに傍にいるような変な感覚に。

「そっか、良かった」

「なにが?」

 友人の顔を思い返して頬を弛ませていると彼女が安堵するように息を吐いていた。一つ一つ大げさ仕草をとる彼女だか、何処かうるさくない。それどころかどれも可愛らしく見えるのは元々の美貌故か、それとも自分の可愛さを引き立たせるための自覚から来た計算なのか。少年はそんな事考えることなくただ、両手の指で青い携帯を優しく挟んで前へ持っていくと軽く胸にあてる。そんな彼女の強い視線から言い得ない不気味な感じになり少し下に反らす。反らして直ぐに携帯の液晶が目に入った。その文字列に困惑する。

 

「だって、私が今日から貴方の彼女になるんだよね」

 

 ……はっ? と声が漏れるよりも早く彼女は立ち上がり、呆けた少年に追い打ちをかけるように顔を一気に近づける。

 鼻と鼻がぶつかり、唇が重なる数cmで邪魔が入った。少女の綺麗な人差し指が2人の間に立ち入る。

 

「……スミシーさん?」

 急展開に何の理解も出来無い少年はただ彼女の名前を呼ぶ。自分の指を動揺の眼差しでみる少女を。

「……ふふっ、続きはもうちょっとお互いを知ってからね」

 まるで自分自身に言い聞かせるように小さな声で呟くと、そっとただ呆然とする少年に上から抱き被さる。華奢の腕を身体全体に巻き取る様に抱えても自分の身体は寂しいまま。

「せっかくなんだもん、私ラブコメみたいな恋したいの。

 振られて直ぐに貴方みたいな人に出会わせてくれるなんて、神様がきっと頑張ってる私にプレゼントしてくれたんだよね。

 私、頑張るよ。貴方の彼女だもんね」

 囁くように困惑する少年を追い込む言葉達をぶつけて満足したのか、そっと離れて全身を眺めた。わけもわからないと思いっきり書いた顔にスミシーは満足気に微笑みながら最後に言う。

「お会計は私がするよ。これはお礼だから。私を助けてくれた事と、私を見つけてくれたお礼」

 そう言ってスミシーは席から離れていく。少年がようやく動けるようになったのは、窓越しで手を振る彼女の姿が完全に消えてから。大量の冷や汗がテーブルに顔を伏せると零れ落ちる。

 

「なんのラブコメだよ」

 そんな何度も言いたかったセリフをようやく頭を抱えながら呟いた。

 

 

 

 

 

「というのが本日の彼との出来事です」

 満足気に語る早坂。そんな彼女の顔をかぐやはまともに見れず背を見せて顔を伏せ、床に向かって真顔を向ける。

 誇らしげに語るメイドの顔を意を決してチラリと眺める。主の前というのに片耳にイヤホンをして手にした携帯をチラチラと眺める失礼極まりない姿は本当に自分の良く知るメイドなのかと目を疑った。

「……ねぇ、それなによ」

「それ、とは?」

「それよそれ」

 イヤホンとピンクの携帯を何度も指差しているとようやく伝わったのだろう。早坂は「あぁ」と呟いた。

「これは先程話したアプリの様子を見てるんです」

「そのアプリっていうの私はよくわからないんだけど」

「かぐや様はガラケーですからね」

「うるさい」

 気軽に軽口を叩く姿は何時もの彼女。メイドであり友人として見知った姿に安心感と共に複雑な思いを感じる。いっその事そっくりな別人であれば思いっきり距離を取って過ごせたのにと思いながら。「浮気調査のアプリを見つけたので、それを参考に作ったものです。これを入れていれば携帯から音とGPSのデータが送られるので何処にいても彼の事を知れます。消そうとしてもアンインストールにパスワードがいるので絶対に消せない仕様ですから、何時でも何時までも彼の傍にいる事が出来ます」

「そ、そう。それは良かったわね」

 重い 超引く 超恥ずかしい

 そんな気持ちと共にまた床に向かって真顔を向けた。

 

「これがあれば白銀会長の事をもっと知れますよ?」

「会長は携帯を持ってないじゃない。それに、何故私が会長のそんなあられもない事を知らなければ……」

「わかりました。何時までもデータを残してて足が着いたら嫌なので後で消しておきます」

「待ちなさい」

 かぐやは自分の人差し指を上に向ける。向けて数秒考えてそれを早坂に向けて冷静を装いつつ早坂へと視線を戻す。最も、長年かぐやの傍にいる早坂からしたらかなり慌てている事はすぐにわかった。

「会長のプライベートの覗き見……いえ、覗き聞きをするのではなく、会長の弱みを知るために使えそうだからそれは残しといて」

「ですが、バレそうになってしまったら私が困ります」

「その時は私が何とかするわ。他ならない早坂の手助けだもの」

「ありがとうございます」

 一礼してすぐに口元に笑みを作る。欲に弱い主でよかったと思いつつ、その顔を上げる時には消しておく。

 

「ま、まぁそのアプリとやらの話はまた今度でいいわ。そして、その男達はどうしたのよ?」

「カラオケ店で適当に捕まえた男達です。私のタイミングで声をかけてくるように伝えました。タイミングもアプリのおかげで居場所がわかっている分確実な所を把握出来ましたから。貯金はかなりありますので幾らか渡して芝居を打ちました。今頃遊び呆けている事でしょう」

「……あぁ、それも仕込みだったの」

「はい。恋愛とは第一印象で大きくスタートが変わります。多少わざとらしい展開の方が彼もスミシーを意識する要因になると思ったので」

「でも、困ってる所を助けて始まる恋愛も……いいかもしれないわね」

 意中の相手と自分で置き換えて妄想するかぐや。漫画やラノベのような俗世から切り離されて育った彼女からしたらこんな古典的なラブコメでも充分にときめく程のロマンスを感じていた。

 そんなかぐやの妄想を邪魔するように可愛らしい通知音が短く部屋に響く。早坂は慌ててポケットから青色の携帯を取り出してそれを開いた。興味を持ったかぐやも失礼とは思いながらわざとらしく早坂の肩上から覗き込んだ。止めない彼女の様子を見て別に見られてもいいという解釈して画面を覗き込む。

 名前欄であろう所にダーリンという不吉な文字があり目をそらしたかった。だが、好奇心には勝てない。勇気を持って本題のメッセージへと目線を下げる。

 

 名前教えたよね? わるいけど、そのダーリンっていうのは変えて。ごめん、たまたま目に入っちゃってさ。その場で言おうと思ったんだけど言えなくて……それも合わせて電話したいけどいい? 

 不在着信

 不在着信

 ごめん、電話出られない? 既読付くから見てるよね? 

 不在着信

 既読つくの早いから画面つきっぱなのかな? 見てないのにつけっぱなしなら充電勿体ないよ。気をつけて

 不在着信

 不在着信

 わかった、文で送る。本当は口で伝えるべきと思ったんだけど

 悪いけど、俺には彼女がいるんだ。だからスミシーさんとは付き合えないんだ。ごめんね

 

「振られてるじゃない!?」

「耳元で騒がないでください」

 メッセージで思いっきり振られてしまった早坂の肩を掴み激しく前後に揺らして囃し立てる。

「なによこれ、始まってないわよ!? スタートしてすぐ脱落しちゃったじゃないの!?」

「……えぇ、はい、そのようで」

「そこから始まる恋愛は何処に行ったのよ!!」

「か、かぐや様落ち着いてください」

 苦しそうな声にようやく我に返ったかぐやは早坂の肩から手を離し指を軽く噛みながら悔しそうな顔をする。

「やっぱり駄目ね、早坂程度でもいける恋愛テクなら使えると思ったのに」

「私程度とは?」

 失礼な言葉に反発しつつ、メッセージを直ぐに作って送り返した。それに気づき視線を向けたかぐやに向かって画面を前に出す。

 

 えー、彼女って私の事でしょ? 本当にいるなら今度紹介してよ。そしたら私諦めるから

 

「……彼女いるじゃない。諦めなさいよ」

「はい、絶対いやです」

「嘘つき!!」

 怒る主を宥めることなく返信を見ることなく電源を落す。その返信を直ぐに見たのだろう。イヤホンから溜息と共に「どうしよう」と困った声が聞こえた。形はどうあれ、今は自分の事で頭一杯な様子に早坂は満足してしまう。

 

「まぁ、スミシーの役回りは今後が要になりますから。この反応で先ずは成功ですよ」

「……そう、もういいわ。進展があったらまた教えて」

「私のプライベートなので余り言いたくないのですが」

「あなたが法を犯してないか私が見定めないといけないのよ」

 最も盗聴やGPSを使った位置把握等犯罪スレスレどころが二歩超えてアウトなのだが。最もらしい理由をつけて話を聞きたがる辺りはかぐやも恋愛に興味を持つ年頃なのだろう。聞いている話はそんな夢見がちな少女の夢が壊れるような略奪愛なのだが。

「そろそろ寝ます。おやすみなさい」

 話を区切りかぐやは欠伸と共に早坂に伝える。「おやすみなさい」と一礼と共に退室する早坂。

 ベッドに潜り暗い部屋でかぐやは溜息をつく。

 やだやだ、恋に恋すると人はあんなにも変わってしまうのかしら。私のようにどっしりと構えて上品に立ち振る舞えば自分から動かずとも相手の方から何かしらの手を打って動いてくるというのに。本当に、面倒な女にはなりたくないわ。そんな自分の事を棚に上げながらメイドの事を思いゆっくりと眠りについた。

 

 早坂は主の部屋の前にある窓ガラスで自分の人差し指を月に向けて立てていた。月明かりを一身に浴びる自分のそれを眺めながら切り落としたい衝動に駆られてしまう。

 何故、あの時邪魔をしたんだろう。夢にまで見たキスを。ただ後悔と共に無表情に眺める。早坂はキスなんて経験がない。だからこそ折角の機会を、強引とはいえ作った機会を邪魔したモノが悪くて悪くてたまらない。自分の指だとしても。

「…………あぁ、そうか」

 数分間誰もいない廊下で考え込んでようやく見つけた落とし所。

「ふふふっ、おかしな話。スミシーも私なのに、スミシーに取られるのが嫌だったんだ」

 ふと気づく。今日の自分が早坂愛ではないことに。最も、彼の前にいる自分も早坂愛ではあるが本当の自分ではない。

「別に嘘つきでも好きになってくれるんだから、嘘の自分で向き合ってもいいのに」

 言い聞かせるように呟く。複数いる自分自身に。その仮面に向かって。

「でも、やっぱりだめ。ファーストキスは私のもの」

 そっと指を自分の唇に当てる。彼の唇に触れた指。彼の前から姿を消してすぐにもやった。柔らかい感触が残っている内に、自分自身の指とのキスを。瞳を閉じて思い描く。驚いた顔が視界一杯に広がったまま、お互いの唇を重ね合わせる光景を。

「私の彼を奪わせない。誰にも、自分にも」

 誓う様に呟く。強い意志を込めながら、自分しかいない広い廊下で、はっきりとした大きな瞳を見開きながら。



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伊井野ミコは付き合いたい

ミコちゃん登場に伴いタグを編集しました。
また、折角なのでサブタイトルを付けるようにしてみました


 春休みも折返しを過ぎもう少しで終わってしまう。そんな短い休みの殆どを好きではない勉強に費やした少年の数少ない本当の休日が訪れた。

 前々から楽しみにされていたこの日のために早くから家を出て、ここ最近毎日来ている駅前の少し離れた公園のベンチに腰掛けると携帯で時間を確認する。珍しく震えが収まってるそれを握ることに違和感を感じてしまう。

 約束の時間には30分は早い。それでも、このぐらいの時間が丁度いいことを少年は知っていた。

 今から会うことになる少女と約束をすると30分〜数分前のタイミングで合流する事になる。ここまで幅がある理由も少年は知っているからこそ何も言わずに待つことしか出来ない。

 自販機で購入していた缶コーヒーを一口含む。まだ少し肌寒さを感じる少年の身を暖めてくれた。

 だが、震える心を暖めてはくれない。もっとも寒さで震えているわけではないのだが。

 たどたどしい手つきでメッセージを開く。彼女からの連絡がないことを確認して、他のメッセージを開く。

 

 彼女って私の事でしょ? 本当にいるなら今度紹介してよ。そしたら私諦めるから

 

 つい先日出会ったスミシーと言う厄介者の美女。彼女からのこのメッセージを最後に少年は何の返信もしていない。

 唯一この短い期間で話せた友人のハーサカもこれを聞き苦笑いをしていた。接触がない以上此方から関わらない方がいいと最もなアドバイスと共に。少年もそれには同意だ。

 異性と話しているだけで怒る彼女にこんな事が知れたら……想像するだけで心に共鳴してその身が震えた。

 誤解を解かなければいけないが、スミシーを紹介したらどんな顔をされるか。正義感の強い彼女の事だ、一度誤解されたら間違いなく少ない自由がより幅を狭くする。そう思うと気が重くなった。

 

「先輩、お待たせしました」

 溜息が出かけた少年を止めたその可愛らしい声の主に振り向く。学園では見ないラフな格好とその小さな背丈が相成って可愛らしい彼女が嬉しそうに微笑んで手を振っていた。

「待ってないよ、伊井野」

 コーヒーと共に買っておいたジュースを差し出すとそれを受け取り隣に座る伊井野。腕と腕がぎりぎり触れ合わないような近距離で照れ臭そうに話す。

「ごめんなさい、ポイ捨てされてたゴミがあったから纏めて捨ててたら遅くなりました」

 

きっと頼まれてもいないのにそんな事をする彼女の正義感の強さに感心しつつ、「頑張ったね」と伝えて頭を撫でる。ぷんっと可愛らしい音がつきそうなほどの愛くるしい反応と共に顔を反らした。

「もう、子供じゃないんだからそんな事しないでよ」

嫌そうに言っているが、甘えた声で頬を赤くし、頬を緩めてしまっては強がりにしか聞こえない。それどころか、チラチラと送られる上目遣いの視線にはもっともっととおねだりのような意志を感じた。少年は期待に応えるように撫でていく。

「頑張った子を褒めたいんだよ」

「もう、仕方ないな」

何が仕方ないのかわからないが、少なくとも強がりな彼女に合わせて「ありがとう」と断りを入れて続けた。えへへへと声が漏れている事に少年は触れずに続ける。

 

 そんな彼女、伊井野ミコこそが少年の彼女である。もっとも、告白もしていないため付き合っているとは言いづらい仲なのだが。

 両親の影響で正義感が強い彼女は入学してから常に学年1位の成績を保ち、風紀委員に席を置く誰もが優等生と認める少女。

ただ、肩書きこそ立派だがその人間性は年相応とは言えない。

融通が利かず、猪突猛進な所がある彼女は、学年でも浮いている。そのためか友人と言える友人は少ない。

自分の理想を曲げることなく他者に、何よりも自分に押し付ける彼女はその小さな身体には不釣り合いな重いモノを持ち合わせていた。その重圧に負けることなく他者と接するも関心を全くと言っていい程得られない。

 

そんな彼女と出会ったのは中学3年生の時。

放課後の人気のない別校舎に用事があったため訪れた時に泣いている伊井野と出会い、話を聞き慰めた。自分よりも幼い少女が持つその立派な正義に感心して。

 

それ以降、顔を合わせる度に話すようになり、傷ついた時は話し相手になり、彼女を支える様に自然となっていた。共有する時間が次第に増えていると思ってはいた。それが気がついたら毎日放課後は共に過ごすようになっていた。

風紀委員であった彼女の手伝いをするのが日課となっていた頃には手遅れ。

周りはそれを見て付き合っていると茶々を入れるが、伊井野はそれを否定する。自分の倫理観にそぐわないそれを。しかし、彼女の信頼ではその言葉は通らない。

面白い方にと話は広がり、収集がつかなくなった頃には伊井野も諦めたように事務的な反応しかしなくなる。いや、それどころか自分達が付き合っていると思い込むようになり始めた。

それに気がついたのは、少年が早坂に伊井野の事で相談をし始めていた頃。周りの空気を鵜呑みにして告白を考えていた頃には既に彼女の頭は固まって、異性との接触を嫌ってしまっていた。

そんな誰よりも真っ直ぐな少女が、少年の彼女である。

 

腕が疲れてきたため彼女の頭上から手を離す。「あっ」と残念そうな本意が漏れたのが恥ずかしいのか、伊井野は顔を赤く染めて俯いてしまう。

それでも、本調子に戻すためにと自ら会話を率先していく。

 

「勉強の調子はどうですか?」

「うーん……うーん」

「もう、頑張って下さいよ」

伊井野からの質問に何も言えない少年。春期講習として毎日勉強し、その後も友人と勉強会を開いてはいるが今一実感がわかない。

「私が同じ学年なら先輩に教えてあげたのに」

「伊井野は伊井野で大変でしょ? 俺は他の人と勉強してるよ」

「……早坂さんとは駄目ですからね」

 

念を押すような強い口調に少年は返事を濁す。

伊井野からしたら早坂という少女は危険因子だ。

同じクラスで仲が良いというのは渋々諦めるが、放課後も自分が誘わないと揃って話してばかり。中学生の時に2人が教室で話し込んでいる姿を見る度に嫌な気持ちで満ちてしまう。

ただ話しているだけ。浮気とか不倫なんかではない。それでも、許せない自分がいる。

伊井野からしたら、早坂は少年を狙っているとしか思えない。一度思ってしまったら彼女の考えは簡単には覆らない。だからこそ、自然体でもついつい口調が荒くなってしまう。

 

「今はハーサカさんって人に教えてもらってる」

「春期講習で一緒にやってる人ですよね」

この春休みはもちろん、高校生になってから学園が変わり伊井野は頻繁に連絡をするようになった。そのためだけにスマートフォンを買わせてまで。

そうでもしないと自分の知らない所で失ってしまいそうで怖かったから。

彼女はそれを苦とは思わない。例え少年側に立ったとしても。やましいことがないなら全てをさらけ出しても構わないと考えるから。そして、それが普通の事だと信じて疑わないから。

少年も疲れてはいるが初めての彼女。伊井野がカップルはそうすると言う事を信じてしまっていた。

 

「男なんですよね?」

「男だよ」

「……なんか、早坂さんと似てますよね」

「あーぁ、確かに」

少年は伊井野が一方的に早坂を嫌っていることを知っている。だからこそ、今の塾に行く事にしたのもハーサカを紹介された事も早坂が絡んでいたがそれを伏せている。

少年は異性の友人が少ない。伊井野の存在で絡まれたくないと皆避けるようになっていった。そんな中、今でも付き合ってくれる早坂は少年からしたら大切信頼できる友人。

だからこそ、トラブルは避けたい。これ以上奪われないように。

自らの大切な友人との繋がりを守りたいから。

 

「まぁ別にいいですけど。それじゃ行きましょう」

充分に休めたのだろう。ちびちびと飲んでいたジュースを最後は一気に飲み干して伊井野は立ち上がる。合わせるように少年も。

導くように前を歩く伊井野と距離が離れないようにペースを合わせながら少し後ろで歩いていく。

手と手を取るなんていうカップルがやるような事はしない。

それは、伊井野が嫌がることを少年は知っているから。

他者に言ったことは自分は必ず遵守する。そんな正義感の強い彼女と知っているから。

 

歩いて行こう直ぐに、ふと物陰を見た。スミシーと出会った場所を。

彼女に絡まれた時の柔らかい感触を思い出すと、今前を歩く彼女と重ねてしまう。

どちらがカップルに見えるのだろうか。

 

1年以上付き合いのある彼女と、出会って数日しかない彼女。

導くように前を歩く彼女と、導くように絡めた腕を引く彼女。

告白せず、付き合っているかどうか曖昧な彼女と、一方的に彼氏に指名した彼女。

 

こういうのって正反対な人に魅力を感じるのかな。そう思ってしまった所で視線を前へと戻す。戻そうとする。

物陰で一瞬スミシーが見えた。真顔で観察するように大きく目を見開く彼女を。

慌てて視線を戻すと、そこには誰もいない。よく見ようとしたが、人混みに入ってしまうとそんな落ち着いて見れなくなってしまう。

……気の所為でしょ。仮に見られても、伊井野を彼女って伝えよう。話しかけられたら……。スミシーさんの後に伊井野の誤解を解くとしよう。その時の自分の必死に頭を下げる姿を想像して止めていたため息が漏れてしまった。

 

 

 

 

 

伊井野ミコは付き合いたい

カップルとは、告白をして両思いになり始めて成立するものだと彼女はきちんと理解していた。

自分の気持ちを口で確りと表現して伝える。難しい事だが、それをすれば付き合えると思うと簡単な事に思えてしまう。

少なくとも、今ある辛い不信感が無くなると思えば。

 

伊井野は学生同士の恋愛にあまり肯定的ではない。付き合う事は構わないと妥協をしているが、それは学園の外で。聖なる学び舎でイチャつく等言語道断だ。

それを人に押し付けている自覚はある。皆が嫌がる気持ちはわからないが、自分が正しいという自覚が。

だからこそ、伊井野から告白するのは気が引ける。

押し付けている自分が率先して告白し、彼氏を作りその彼氏の横で楽しげに過ごす等出来るはずがない。

それを自分が認めてしまうと、人には言えなくなる。言う人がいなくなれば歯止めが効かない学生達が好き勝手やってしまう。

 

自分は正しい学生として立ち振舞、皆を導いていかなければいかない。それが正しい人の行いと伊井野は信じて疑わない。

だからこそ、だからこそだ。

周りを見る振りをして顔を横にして視線を後ろに送る。ぶらぶらと軽く小さく振りながら動く彼の手を一瞬見ると、掴みたくなる衝動に駆られるがグッと抑えた。

外したくないが、これ以上見ていては我慢が出来ない。何とか視線を前に戻した自分を褒める。

掴みたい、一緒に手を掴んで歩いて行きたい。そう思って止まらない。

周りの通行人達の中には同じように学生カップルがいる。楽しそうに手を掴みながら、腕を組んで歩きづらそうにしながらも楽しく会話しながら歩を進める人達が嫌でも目に入る。

 

もしも、もしも仮に

彼の方から告白されたら、伊井野はきっと受け入れる。考えることなく即答するだろう。

しかし、それは待てど暮らせど来ない。日が立つにつれて考えてしまう。

 

本当は嫌われてる?

好きなのは私だけ?

私なんかより早坂さんの方がいいの?

私の事捨てるの?

あれだけ優しくしてくれたのにもう優しくしてくれないの?

 

色んな不安が頭を過る。それは少年が高校生になってすぐにピークに達した。

自分がいない所で何をしているのかわからない。それが怖い。

何を言っているのかわからない。それが怖い。

誰と話しているのかわからない。それが怖い。

怖い 怖い 怖い 怖い 怖い

色んな恐怖が自分を襲う。

 

少しでも落ち着きたい。この恐怖から開放されたい。そんな気持ちで思考が埋め尽くされる。逃げ場を探す。

 

彼が携帯を壊したと言った。連絡を取りやすいスマートフォンにさせた。既読が付くと安心する。来ないと何時までもメッセージを送る自分がいる。落ち着きたいから。

彼が何をしてたか事細かに聞いてしまう。納得して始めて落ち着く。落ち着かないと何処まででも聞いてしまう。

夜になると何時も電話をしてしまう。声を聞くと安心する。出てくれないと何度も何度もかけてしまう。

ほんの少しだけでも息を吸える。彼と関わっている時だけが自分の息継ぎ出来る場所。

 

奪われないか何時も不安。取られないか不安でしょうがない。

彼の傍にいるときだけが落ち着ける。

「伊井野?」

だから

「何ですか?」

触れていいのは私だけ。

「いや、何か怖い顔してから心配で」

この優しさは私のもの。

「ふふふっ、心配してくれてありがとうっ、先輩」

私だけの宝物。

壊さないように逃さないように傷つけないように

心配そうに見つめてくれる先輩に伊井野は出来るだけの満面の笑顔を向けた。



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伊井野ミコは付き合いたい2

 付き合っている様な付き合っていない様な、そんなふわっとした関係である彼等が休日に揃って外出に行くのは良くても月に1度程。大抵は伊井野が誘い、少年はそれに乗る形である。

 初めは少年からも誘うことがあったが、彼女はそれに乗ることは少ない。それが続いたため、何時しか少年は彼女を誘うことを止めた。

 伊井野は自ら撒いた種に勝手に傷つくが、それを仕方が無いと思い誤魔化す。貴重な休日をデートのような形で過ごすと必然的に自分の時間が減ってしまうのだから。

 

 学年1位

 それは、伊井野の学園内での全てであり自らを肯定する絶対的な称号。それがあるから彼女は周りに対して自分の正義を押し付ける事ができる。秀才という冠があるからこそ自らを手本にするようにと周りに押し付けることが出来ている。

 だからこそ、休日の時間の割り振りは彼女にとってそこらの学生のような安いものではない。気軽に恋愛して遊び呆ける時間等取れない。

 しかし、全く遊ばないというのも嫌だ。学園内でしか関わりが無いというのは、裏を返せば休日何を誰と何処でどの様に過ごしたか知ることが出来ないと言う事。それは不安だ。

 何よりも本能に従えば休日は毎回遊びに行き、フラフラと話をしながら楽しい時間を共有していたい。それを理性で抑えなければいけない。

 それが伊井野が抱く理想的な学生恋愛だからだ。

 本分である勉学を優先し、長期休みやテスト明けのような気晴らし出来る所で逢引をする。それが学生という身分に相応しい付き合い方と定義し、自分に義務付け他者に押し付ける。

 この考えが伊井野ミコの常識であり、こうするべきと信じて疑わないのだから。

 

 少年は彼女の考えに特に異論はない。

 周りのカップルを見ていると、付き合って間もないのに手を繋いだり腕を組んだりキスをしたりと、1年以上付き合う自分達がしていない事を平気でするのを目にすると確かに思うところはある。

 しかし、伊井野には伊井野のペースがあると思うと何も言えない。彼女の指針に従うのみ。

 何よりも、少年には相談できる異性が少ないためどうすればいいのかが今一わかっていない。皆伊井野に目をつけられる事を避けてしまっている。そんな中でも友人として接してくれる唯一の異性である早坂は伊井野の愛着の強さを話し、極力従うようにとアドバイスをくれていた。だからこそ、下手な反抗はしない。

 

 下手にそぐわぬ行為をしてしまうと、どんな顔をされるかわからないから。

 愛されているのか愛されていないのかすらわからない。信頼されてるのかどうかすらも。

 過度に送られるメールがどのような思いで向けて来られているのかは気にするだけ無駄と思うことにしていた。

 一つ一つに意味を考えても無駄。わからないのだが。纏めて見て考え、直接会ってみればいい。

 否定や疑問はしない。この束縛だけが、伊井野から向けられるたった1つの愛情表現なのだから。

 

 そんな2人は都内にあるショッピングモールへと訪れた。

 映画館やゲームセンターのような娯楽施設から本屋や筆記用具店等生真面目な学生が好むような店まで幅広く揃えたそこは、安直なデートスポットであると同時に様々な目的で人々が集まる。

 家族のような関係や、友人同士で仲良く話し込む人達。そんな人々の中でも2人には憧れのように見える楽しげに過ごすカップル達が多数過ごしていた。

 片方は素直にカップルという枠に収まる事に片方は見栄を張らずに過ごせる自分に素直な人達に。

 

「……むぅ」

 だが、伊井野はカップルらしい行いをする彼等を見ても素直になれず、変わりに頬を膨らませて遠目で軽く睨む。

 それに気づいた少年が視線の先を見る。可愛らしい彼女と思わしき子が彼氏の腕に両腕を絡ませ、ゆっくりと歩幅を合わせながら談笑をしていた。

 そんな光景を伊井野の隣で見ると、よりスミシーとの出会いを思い返す。あんな風に抱き着かれ、有無を言わさず先導した彼女の事を。

「あの子、私と同じクラスの人」

 罪悪感にも似た感情が少年を襲う。そんな事知らない伊井野はその2人を足を止めてジッと見る。

 

 もしも、もしも自分がもっと素直になれたら。

 後ろを向くと何も言ってないのに合わせて足を止める少年の顔が自分の頭1つ上にある。複雑そうな顔をしていたが、伊井野が見ていた事に気づくと直ぐに心配そうな表情をして。

「どうかした?」

「ううん、何でもない」

 それが嬉しい。触れられなくてもわかる優しさが。

 

 自分が素直になるだけでもっと嬉しい思いや満足できる事をもっと沢山出来るようになる。

 そんな甘い誘惑が伊井野を襲うが、首を大きく振って振り払う。

 そんな事は必要ない。

 不安はある。

 それでも、彼が自分を大切にしてくれていると信じている。

 不安はある。

 それでも、自分を思ってくれていると信じている。

 言葉にしなくても、形にしなくても。

 むしろ、そんな風に言葉や形にこだわる事の方が馬鹿らしいとすら思ってしまう。思うようにしたい。

「行きましょう、先輩」

 そう言い聞かせる。臆病な自分に。意味はないとわかっていても。

 

 再び歩みを始めても周りに映る景色は変わらない。背景は変わって入るが目に入るものは変わらない。

 腕を組むカップル、手をつなぐ理由カップル、楽しそうに談笑するカップル、抱き合ってるカップル……。色んな形が見渡すだけで伊井野の目に入っていく。

「先輩は」

 言いかける。

 私と腕を組んで歩きたい? 

 私と手を繋いで歩きたい? 

 私と抱き合いたい? 

 それとも、それ以上の……

 

「伊井野?」

 押し黙る彼女を心配する。

「……ううん、何でもない」

 言えない。

 言いたいけど、求められたらどうなるか自分の事がわかっていたから。

 きっと、言われるがままにしてしまう。望むがままにされてしまう。

 それだけはいや。

 望まれたいという本能と、清く正しい自分でいたい理性が必死に言い争う。

 望まれるがままに動く自分の姿を想像して顔を真っ赤に染めながら。

 

「あー、伊井野」

 そんな彼女の気など知らずに軽く肩をぽんと叩く。ビクッと大きく震えた反応をした後は、恐る恐る視線を向ける伊井野の面前に指を立てた。

「少し疲れたし休まない?」

 優しく問いかけながら指先を変える。

 指示をされた子犬のように従順にそこへと視線を向けると

「たい焼き」

 子供でも見てわかるような愛嬌のある絵と共に書かれた看板を伊井野は嬉しそうに読み上げた。

「少し、少しだけですよ。忙しいですから」

「えー、1時間ぐらいゆっくりしたいんだけど」

「少しです!!」

 わがままな子を叱るように強く言いつつも、視線は看板に釘付け。それどころか、会話を早々に切り上げて早足で店へと伊井野は向かう。

 そんな仕草とまるで屋台の前に立つ子供の様に目を輝かせながら置かれたたい達を眺める様を後ろから見ていると、彼氏というよりかは保護者のような感覚になっていく少年。彼からしたら、次の展開もわかっていた。

 

 買うだけ買ってすぐそばのベンチで一匹のたいを頬張る。既に半分程無くなっていたそれの餡こを堪能しつつも隣の彼女をチラリと眺める。

 自分との間に置かれた2匹の鯛と1つの空袋。その手中にあったたいはついに最後まで小さな口に飲み込まれてしまう。

「よく食べるね」

「先輩が食べないだけです」

 わかっていても強がりなのだろう。嫌味な言葉に頬を膨らませつつも次のたいへと手を伸ばす。

「食べてる時の伊井野は可愛いよ?」

「……静かだからって言いたいんですか」

 そのまま軽く睨むように目を細めるも、口に含んだ新たなたいに「抹茶も美味しいと」口と頬を溢して幸せそうな表情をする。

「違う違う、そう思っただけ」

「そうですか」

 

 食い下がろうにも口に含んだ抹茶のクリームを堪能する事に夢中になる伊井野は再びたいを口に持っていく。本当に子供の様な反応で甘い物を頬張る姿に機嫌が良くなったと安心する少年。

 伊井野ミコはよく食べる。

 学年で見ても低身長の上その細身な身体に何処に入るのかわからない程には。

 特に今日のように歩き回る日は本当に食べ歩く。文化祭等の行事では見回りのためその時間殆どを歩いて過ごすというのもあり余程お腹が空いたのか昼休憩時に自分の分を食べ終えてすぐに隣で食べていた少年の弁当を食い入るように見る程には。

 それらを食べ終えてからも気になる出し物をちょくちょくとつまんでいたのだから余程食い意地が張っているのだろう。

 最も、彼女の色気より食い気と言わんばかりの食へ素直な所によく助けられているため少年としてはありがたく思っていた。

 

 もう一口とまた口を開けたタイミングで少年はまた伊井野の頭に手を乗せる。そのままゆっくりと優しく撫で始める。

 伊井野自身わかってはいた。自分が何かを食べている時に手持無沙汰になると決まってこのように撫でてくるのだから。

「人前でこんなの恥ずかしい」

「少しだけ、ね」

「……少しだけなら」

 とは言いつつも満更でもない。こうやって甘やかしてくれる少年の優しさは伊井野の価値観を揺るがすには充分過ぎる。

 駄目とは思いながらもされたいようにされるままで強く言えない。言ってしまえば止められるのは目に見えている。行動に移されてはもっともっとと望んでしまう本能に逆らえる程の理性がない。

 周りの手本になるように、見本になるような付き合い方をしたい自分の筋に逸れてしまう。

 だからこそ、言い聞かせる

 これぐらいなら大丈夫。手をつないでるとかそんなカップルみたいなものじゃない。これぐらいなら許される。

 そんな風に自分自身に言い訳をしつつ逃げるように新しいたいへと手を伸ばす。

 

 そんな彼女の気など知らず、ただされるがままの伊井野に大型犬のような愛らしさを感じながらのんびりと少年は撫でていった。

 そういえば、とふと思い出す。

 伊井野と初めてあった時の事を。

 泣いていた彼女をたまたま見かけ、どうしていいかわからずとりあえずの気持ちで頭を撫でたら

 

 人の頭を勝手に撫でるな!! 

 

 と涙目で必死に怒りながら手を叩いて来たことを。

 今思うと泣いていたとはいえ、初対面の子の頭を撫でた自分のデリカシーのなさに少し引いてしまう。

 しかし、そんな風に強がって吠えていた彼女もそれなりに仲良くなった今では耳と尻尾があればそれをパタパタと振っていそうな程に嬉しそうに撫でられながらおやつを共に食べている。

 付き合い方って大事なんだ。そんな風に思いつつ、タイミングを見て最後の尻尾を口に放おった。

 自分が飲み込むと、彼女も合わせるように最後のたい焼きを食べ終えて満足そうに息を吐く。

 

「美味しかったですね」

「美味かったね」

 そんな短絡的な感想をのんびりと述べていると、伊井野は「さぁ」と立ち上がる。

「早く行きましょう、先輩」

 また導くように誘導する彼女の姿勢に苦笑した。

 これだけ張り切る理由はわかる。だからこそ、正直少年は乗り気ではなかった。

「映画夕方でしょ? のんびりしようよ」

 

 今日の目的は映画鑑賞であった。

 それは伊井野が前から気になっていたものであり、少年からしたら全くと言っていいほど興味がなかった。

 それでも、彼女は半ば強引に泣きつくようにお願いをして渋々連れてこられたのだ。

 思わず彼女から逃げるように目をそらす。何か他の店でも指しててきとうにはぐらかそうと。

 しかし、そんな少年を逃さないと言わんばかりに宙に浮く一際目立つ場所にいたそれに目が入った。

 それを持つ主は母親と思しき女性と手を繋ぎながら片方の手で風船を持つ。中学生として見ても背の小さい伊井野の半分にも満たないその少女は楽しそうに母親に対して何かを話していた。

 再びその風船へと視線を戻す。ウサギや猫のような愛くるしい動物達をモチーフにしたキャラクター達がプリントされ、そんな絵柄に相応しいピンク色はこの人込みに一際激しい存在感を放っていた。

 

 女児アニメ

 主に少女にターゲットを絞ったそのアニメーションの総称。

 といっても、その幅は広い。小学生向けだったり、さらにその下だったりと。あの絵柄のは後者の方だろう。

 伊井野は中学生といえば中学生。ターゲットにボール1つか2つ分外れているとはいえ、その幼い容姿でも流石に誤魔化しきれない程度には今回のメインとなる客層とは離れているだろう。もっとも、あくまで狙っているターゲットというだけでそれ以外の客が見る事自体には何ら問題はない。ないのだが

 あのウサギや猫がスクリーン一杯に動く様を今から見ると思うと何とも言えない複雑な気持に襲われる。

 今回の目的がそこにあるのだから余計に質が悪い。誤魔化しようがないのだから。

 

 1人で行くのが不安と言うから何の映画か聞かずに共に行くことを快く了承した自分を悔やみつつ、諦めながら名残惜しい気持ちを無視してベンチから離れていく。

 先導者はようやく動いた少年にため息を吐きながら見守っていた。

 帰りたいなんて一言を呟かないように気をつけつつ。

 立ち上がってふと気づく。何時もはテンポよく何度も何度も終わることなく震え続ける携帯が、その原因が前にいるにも関わらず小刻みに震えていることに。

 ポケットから取り出してすぐ、デカデカと書かれた今一番見たくない名前から目を逸らして時間を見た。

 昼食には少し早い今から映画が始まる夕方もしくはそれが終わるまではこの複雑な思いで今日を過ごさなければいけないという事に本当に参ってしまう。

 少なくとも、問題事は今は間に合っている。携帯を見て止まる自分に不信感を覚える伊井野にこれ以上疑われないよう赤いボタンを押して見慣れた画面へと戻した。

 それもすぐに切り替わると、再び見たくもない文字が画面を占拠する。

 

「どうかしました?」

 携帯を見て固まる姿に苛立ちと不安を覚えて画面を覗き込もうと近づく伊井野。

「大丈夫だよ」

 必死に笑顔を作りながら大丈夫と言う。

 大丈夫、次伊井野に会うまでには誤解を解くから。

 そう思いつつ着信を拒否した。

 

「もう、電話してって言ってたじゃん」

 

 忘れられない声が背後から聞こえた。

 その可愛らしい声は昨日までならば聞きたかったが、今の少年には一番聞きたくなかった声。

「誰ですか?」

 背筋が凍る所か、全身が凍てつくあまり冷や汗をかき始めた少年を守るように間に立つ伊井野。

 先ず一番見せたくない相手の前に立つ彼女の小さな背中に勇気を貰って何とか、何とか少年は振り返る。

「私? 私は……」

 とぼけた口調で話しながら耳にしていた携帯を離して伊井野に向かって見せつけるように前に出した。

 

「スミシー、彼の彼女だよ」

 

 早坂はただただ笑顔で目の前の番犬に言い放った。



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伊井野ミコは付き合いたい3

「で、どういう事なの」

 

 静かに、それでも溜まりに溜まった怒りを隠すことなく隣に座る伊井野は言う。

 そんな彼女の怒りをより際立たせるように対面に座っているスミシーはニコニコとした笑みを浮かべていた。その目は表情と反比例するように沈んでいるが。

 

 人込みの中で騒動を起こされてはいけないと少年は近場にあった喫茶店へと何とか2人を誘導したものの、テーブルという小さな障害物があるだけでいざとなれば簡単に取っ組み合いが始まりそうなこの状況に1人後悔をしていた。

 身から出た錆

 そんな言葉を思いつつも、ぼちぼちと人が埋まる静かな店内で必死に笑顔を作る。目尻に涙を溜めながら。

 

「さっき説明した通りだよ」

 スミシーとの経緯とも言えないような浅い仲をじっくりと話すのに時間はいらなかった。

 それだけ互いの事を知らない、知らなすぎるのだから。

 もっとも、スミシーからしたら時間等関係ないのだろう。少年の言葉に付け加えるように「説明された彼女だよ」と挑発的な事を軽々と言う。

 

「彼女って言ってるけど!!」

 テーブルを強く叩くと、コップに入った飲み物達が誰も口を付けていなかった事が災いしてどれも少し零れていく。

 伊井野からしたらそんな事に眼中にもない。周りから集まった視線の数々も。

「いや、違うって」

 少年もまたそんなのに構えるような余裕はなかった。

 そんな2人に余裕を見せつけるようにテーブルの汚れを拭きながら周りに軽く頭を下げるスミシー。

 この現状を楽しんでいるような様にやはり伊井野は気に食わない。

 

「スミシー、彼女を紹介したら諦めるんだろ?」

「うーん、どうしよう」

 小さな唇を強調するように人差し指を当てながらわざとらしく横目で少年を見る。

 そんな自分の可愛さを理解し、示すような仕草に伊井野は余計に腹が立って仕方がない。

 自らには無い遊びなれた様な雰囲気や、少し年が離れているだけなのに感じる大人な雰囲気。

 何よりも、何処と無く自分の嫌いな人に似ているから。

 

 早坂愛

 伊井野は彼女の事を苦手としている。

 所謂ギャルと呼ばれる彼女と真面目な彼女。

 真反対な所にいる2人は正しく水と油だ。

 何よりも、怖い。

 同性の友人すら少ない伊井野に異性の友人なんて殆どいない。同じ学年の人達には煙たがられる様な扱いを受けているからだ。

 だからこそ、早坂のように同性異性問わずにフレンドリーに皆と接する姿は羨ましいとついつい嫉妬してしまう。

 そんな彼女が特別少年とよく居る場面を何度も見てきた。中学3年生になり初めて同じクラスになったと聞いている。その前から顔だけは知っていたことも。

 特別やましい事はないと言っている。彼女の本心はわからない。

 自分では出来ない様な触れ合いも気軽に出来てしまう早坂に、少年を取られてしまうような気がしてならない。

 最も特別早坂が目立つだけで他の女性達皆に対してそう思ってしまうのだが。

 

 だからこそに伊井野は怯える自分を隠すように怒りを顕にする。

 早坂ではないが、相手は少年を奪おうとする女。

 取られてしまうという恐怖と絶対に思い通りにさせないという怒りで向き合う。

 

「どうしようって、何でそうなるの」

 ため息をつくものの少年は内心こうなる気がしていた。

 急に付き合うと言って彼女面したスミシー。そんな型破りな少女が言葉通りにならないだろうと。

 それでも、連絡先を交換しただけなのだから今後会うことはないだろうと思いこれ以上連絡が来ないように願いつつ放っておいた。自分には既に彼女がいる事を念押しして。

 

「もう付きまとわないで」

「付きまとってないよ、たまたま遊びに来たら会っただけ」

「なら、これからは声もかけないでください」

「え〜、折角知り合えたんだからそんな酷い事言わないでよ」

 徐々に険しくなる伊井野をからかうようにわざとらしく困った顔をするスミシー。

 少年からしたら、伊井野がいる今の内にスミシーにははっきりと別れてほしい所。

 何処と無く友人に似ている彼女を冷たくあしらう事に抵抗を感じるが、それでもこれ以上伊井野の機嫌を損ねる事のほうが面倒事になってしまうから。

 

「スミシー、俺の彼女は伊井野なんだ。お前じゃない」

 ゆっくり、はっきりと伝える。

 その言葉に伊井野は表情こそそのままに口元が緩む。

 私の事を彼女と言ってくれた。私の事を好きでいてくれてる。

 そう思うだけで多幸感に浸りながら、改めて隣に座る少年がしっかりと相手と向き合ってくれる事実により強気になる。

 

「本当に?」

 そんな強気な思いも重々しく感じる言葉と瞳を前にすぐに2人して怯んでしまう。口元に笑みだけ浮かべたその冷たい声の前には。

「本当に付き合ってるの?」

「ほ、本当です」

「へー、私を騙そうとしてるんじゃなくて?」

「騙す必要なんかないだろ」

「あるよ」

 自分の番と言わんばかりにはっきりと口にするスミシー。

 

「だって、私は急に告白したんだよ? 

 そんな人、気味悪がって嫌になるよね。

 ごめんね、気持ちを考えてあげられなくて。

 でもね、これだけは知ってほしいの。

 私は、貴方の事本当に大好きなんだよ」

 

「……何それ、意味わからない」

 思わず伊井野は声が漏れた。

 強く言わなきゃいけない。そんな思いと共にまたテーブルを思いっきり叩いてその反動で立ち上がる。

 スミシーや少年はもちろん、店内全員の注目を浴びても気にしない。

 言うべき相手は1人なのだから。

「一目惚れなんて知りません。

 貴方がどれだけ彼が好きでも、彼と私は──ー」

 

 言わなきゃいけない。はっきりと今、言葉にしないと。

 自分に言い聞かせる。何度も、何度も。

 それでも、そんな本能を否定するように理性と身体が言う事を聞かない。

 唇だけが震えながらもゆっくりと動く。空の言葉を伝えるように。

「伊井野?」

 少年ははっきりと言った。自分の事を彼女だと。

「どうかしたの?」

 彼女もまた、告白をしたとはっきりと言いつけられた。

 

 自分だけ、何も言っていない。

 好きだと伝えるような言葉も態度も。

 言えない。

 言ったらどうなるか。

 風紀委員として学生を取り締まる自分が、異性との交流に否定するような事を言う自分が彼氏を作るなど。

 

 本当はわかっていた。

 言葉にしないだけで、自分は彼女なようなものだと。彼は彼氏のようなものだと。

 待っていた。

 告白さえしてくれれば、何時だって彼女面出来るのに。周りに言われても、先輩に告白されて仕方なくって言い訳を並べれるのに。周りにではない、自分自身に。

 そうすれば、文句を言いつつも自分の中の正義に則って付き合う事が出来たのに。

 

 助けを求めるように少年を見る。

 黙る伊井野を心配そうに見つめる顔

 そして、自分を興味深そうに見てくる沢山の視線

「……あっ」

 困ったような店員の顔をトドメに伊井野は顔を真っ赤にして座ってしまう。自らの勢いを殺してしまった。

 

「大丈夫?」

 隣から聞こえた心配する言葉。その主の顔なんて見れる余裕はない。

 ただ俯いて、歪んでいく視界の中膝の上で震える両拳を眺める事しか出きなかった。

「ほら、やっぱり付き合ってないじゃん」

 勝ち誇った顔をする相手の顔すら見れない伊井野。

 ただ、自分の事を情けなく思うことしか出来ない。

「ねぇ、私と付き合おうよ」

 こんな風に、こんな風に自分に素直になれたら

「私前の彼氏ともそんなに深くなかったから初めての事ばかりなの……だから、色々と教えてほしいな」

 自分の中のルールも規則もない、守るものもない人だったらどれだけ気楽だったんだろう。

「私ね、同じ年の彼氏と教え合いながら勉強してみたかったんだ〜」

 だけど、素直な良い子じゃないと

「一緒に映画見たり、買い物したりご飯食べたり。

 やりたいこといっぱいあるね」

 素直な良い子じゃないと誰も愛してくれない。

 それが伊井野ミコの価値観でもある。

 

「……やだ」

 ただ呟く事しか出来ない。

 映画も買い物も食事も全部伊井野がこの後やる予定だった事。楽しみにしていた事。

 ふと、想像してしまう。

 

 眼の前の彼女と少年がありふれたカップルのように過ごす様を。

 自分とだったら出来ない事を平然とやる様を。

 手を繋いで歩き回るのだろうか。

 腕を組んで歩き回るのだろうか。

 暗い部屋で互いの手の温もりを感じながら過ごすのだろうか。

 感想を言い合いながら談笑しつつ食事をするのだろうか。

 自分とならそんな事は出来ない。

 手を繋ぐなんて出来ない。そんなのまだ早い。

 腕を組むなんてもってのほか。

 話だってきっと、何時ものように自分の愚痴を優しく聞いてくれるだけ。

 

 彼女なんかじゃなくても出来る事しか私はしてあげられない。

 眼の前の彼女のように、フレンドリーな接し方もできない。

 

「……やだよ」

 それでも、それでも離したくない。

 必死に頑張って袖口を掴む。掴もうとする。

 薄い布に指が触れると、途端に怖くなる。

 こんな時にだけ彼女面する自分に冷たい仕打ちがこないか。

 縋る手を振り払おうとしてこないか。

 

 そんな事はないのだろう。

 少年は何も言えずに戸惑うのみ。スミシーもまた、その伊井野の様子に笑みを強める。口元を両手で隠しつつもその興味深そうな視線だけは隠せない。

 そんな周りに視線を向けず、ただただ指と指という小さいながらにも掴んだ自分の希望を一点に向けた。

 これだけなら、これぐらいなら大丈夫。そんな風に言い聞かせながら。

 

「可愛くていいな〜じゃ、私も」

 そんな軽い口調にに合うように軽々しく、いや、スミシーからしたら本当に軽い事なのだろう。

 伊井野が必死に掴んだ袖口とは反対の手を無理矢理に取ると、強引に自分の指を絡めていく。

「あ、温かいんだね」

 照れているのか顔を赤く染めながら。

 

「伊井野? だ、大丈夫?」

 

 中学生という身分だからこそ、身の丈にあった付き合い方を徹底しなければいけない。そう思って付き合ってきた。

 こんな風に指を絡める者達なんて沢山共に見てきて、少年の前ではっきりと注意をしたのも何度もある。

 いけないことだと定義していた。

 世間的には許される事なのだろう。

 それでも、周りに煙たがられ友人と呼べる友人が少ない伊井野には世間の常識というのか著しく欠落していた。

 きちんとした付き合いをするのであれば、それ相応の年月を重ね身分に相応しくなってから。

 そんな風に子供の頃から思い、間違っているなんて思いもしない。

 

 周りを見れば自分が浮いているなんて直ぐに分かった。

 それでも、自分が正しいと思う。

 一歩でも道を誤れば全てを手放す事になりかねないような事態になるのだから、その前に予防線を張るなんて子供にだってわかる事。それができないのは、理性よりも本能を皆が優先してるから。

 そんな風に思っていた。

 

 自分が正しい。間違った事なんて言ってないししていない。

 

「伊井野、伊井野?」

 

 軽々しく他の女と指を絡めるながら、その手を必死に外そうとしながら心配そうに見てくる少年。

 自分ではなく、彼が悪い。

 

 そうだ、だから──ー

 

「先輩、先輩が悪いんだ」

 何時の間にか溢れていた涙になんて気にもしない。ただ1人視界に映る少年を見る。

「先輩が悪いんだから」

 何度も呟く。

「私は悪くないもん」

 何度も何度も。

 

「ふっ、ふふふふっ、ふふふふふふふっ」

 

 その姿に不気味さを覚え、少年も少女も言葉を失う。一方的に絡まれた指は中途半端に外されながらその動きを止めて。

 そんな2人とは違い、周りはその不気味な彼女を不審がる。店内の異質な雰囲気に見かねた店員が近づくのを合図に笑い声が収まると、伊井野は静かに笑った。

 

「私帰るね」

 ただ静かに呟いて伊井野は席を立つ。

 振り返ることすらせずに店を出ていく彼女の背中に影を感じつつ、追いかけるかどうかすら判断できずにただ、掴まれていた腕を伸ばす。

 どんな言葉をかけていいかすらわからない。どうするべきかも。

 彼女からみた自分の立場も、自分から見た彼女の立ち位置も。

 何もかもわからなくなったまま、表現できないその気持ちに気付いて貰いたいように。

 

 そんな少年の姿を見ながら、早坂愛は額から浮かぶ冷や汗を軽く拭き取りつつ大きく息を吐いた。

 



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早坂愛は付き合いたい

「ぶぐっ、ふぐぶぐぶくっ、ぶぐぐぐぐっ」

「ちゃんと聞いてる?」

 

 覇気なく伝えつつテーブルにうなだれるように見を預けながら少年はストローを使いコーラーを泡立てる少女に言う。

 そんな下から聞こえる声に早坂は苦笑いをする。

「ってか、下品だぞ早坂」

「えー、楽しいじゃん」

 早坂愛は茶化すように応えた。疲れ切っている少年に、高揚した気分を抑えきれない自分に。

 久々に早坂愛として会う事に緊張しつつも、珍しく少年の方から会う事を望まれたという事実が心臓の鼓動を早くする。

 ただ、ボロを出さないようにだけ気をつける。

 早坂愛として初めて共に来たファミレス。既に日が落ちた時間で会うのは初めての事だが、それでもここには共に何度も来ている。

 初めてだけど初めてではない。そんな矛盾を顕にしないように自分自身に言い聞かせる。

 

「大変な春休みだったんだね」

 苦笑しつつ少年と同じようにうなだれてみる。狭いテーブルは人2人を乗せる事等考えておらず身体の殆どを外に放る形になったが、コツンと優しく頭と頭が触れ合うのを直に感じるとそれだけで抑えきれない程の欲求が自身を襲う。

 

「春休みというか、今日の出来事なんだけどさ」

「うわー、1日大変だったね」

「本当にさ、どうしてこうなったんだろう」

 

 重い溜め息と共により肩を下げる少年。

 そんな少年の姿に早坂は自身の心を傷つける。

 ごめん。でも、もうすぐだからね

 そんな風に言いたい口を抑えながら。

 

「それで、何でウチを呼んだの?」

 誤魔化すように話題を反らす。

 表に出してこそいないが、早坂愛がこうして学園外で少年と会うのは初めてだ。

 誘った事は何度かあったが、休日に会おうものなら彼女であった伊井野から小言を言われそうと少年の方から何時も断られていた。

 そんな少年の方からの誘い。早坂愛に会いたいという誘い。

 決して学園での自分が本当の自分ではない。多分の嘘を含んでいる。

 それでもやはり、この慣れ親しんだ名前を指して呼んでくれたという事実が早坂を盛り上げてくれていた。

 ニヤけっぱなしのダラシのない顔を腕で隠しながら、もう少し甘えたいという本心から頭を軽く押し付ける。

 ちょっとした痛みを感じるも、それだけ近くにいるという現実を肌で感じる事に幸せを見出していた。

 

「こんな事早坂ぐらいにしか話せないからさ。誰かに話して少しでも気を楽にしたかったんだ」

 この言葉が余計に早坂に効く。

 学園でも目立っていない少年だったが、それは随分と過去の事。一学年違うとはいえ噂になっていた伊井野と仲良くしていた事でその名前は良くも悪くも広まっている。

 下手に付き合うとトラブルの元になると陰ながら噂されている事に少年は気づきつつも事実なのだからと何も言えずに過ごす日々。

 結局孤立こそしてはいないが、恋愛絡みの話となると周りに相談する事など出来ない。伊井野の目がある以上はトラブルをより大きくされてしまうのだから。

 同性相手だと、自分とは違うお手本のようなカップルの話を聞かされ悩み、異性相手ではそもそもとして余り長く話せる人等いない。余計な癇癪を買いたくない人達ばかりだし、何よりも少年もそれを良しとしない。

 それでも、早坂とこうして話すのは彼女だけが伊井野とトラブルになっても気にせずに話しかけてくれるからだ。周りはそれを見て余計に少年と関わらなくなったのだが。

 

「ふーん」

 興味なさげに応える。

「ふーん、私だけ……。ふーん」

「なんだよ」

「いや、何でもないし〜」

 自分だけが特別に見られている。そう解釈してしまう思考に囚われるとますます口元はだらしなく緩んでいった。見られたくない程に。より見られないように隠しつつも早坂は話題を掘っていく。

 

「それで、そのスミシー? さんって人とはその後どうなったの?」

「なんかごめんねって言って帰ったよ。伊井野の後も追ったけど見つからなかったし、連絡しても繋がらないし」

 テーブルの上になる放ってある携帯は確かに何時もとは違い、その存在感を消していた。

「どうすればいいんだろ」

 再び重々しい溜め息をつきつつ頭を抱える少年。トラブルこそあったが何一つとして解決せずに終わる1日にとてつもない不安を抱いていた。

 

「うーん、とりあえずスミシーさんにはきちんとつたえるしかないよね〜」

 白々しくもう1人の自分の名前を口にしつつ、早坂も考える素振りを見せる。

「でもさ、伝えてもわかってくれなかったよ?」

「うーん、それは伊井野ちゃんにも問題があるんじゃない?」

「問題?」

「うん、だって」

 首を傾げる少年に合わせつつ、しっかりと目を合わせる。

 もう少し、もう少し。

 そんな風に自分に言い聞かせつつ、だからこそしくじらないようにと気をつけつつ。

 腕から離れた顔にしっかりと力を入れて真剣な顔を作って向き合って。

 

「だって、伊井野ちゃんが私が彼女だって言えば納得したかもしんないし」

 

「それは……」

 それはそうだけど。なんて事を言えればどれだけ気楽だっただろうか。

 事実、今日一番傷ついたのがそれでもあるのだから。

 確かに告白なんてしていなかった。異性間の付き合い方にこだわりを持つ伊井野と付き合うには彼女のペースに合わせていくことしか一番だと考えてはいた。

 それが、自分に出来る唯一の事だと。

 異性間の付き合い方にもの申す後ろ姿を何度も何度も見てきたからこそ、彼女特有の付き合い方に従う事が互いに長く付き合える方法だと考えるからこそ、自分から距離を縮めるようなことはしなかった。

 最も、これは早坂に言われたアドバイスなのだが。

 

「ウチも付き合ってると思ってたから気にしなかったけど、付き合ってもないのにあんなに付きまとわれてたら嫌じゃない?」

「……どうだろ」

「わかんないよ」と弱気になりつつ顔をテーブルに押し付けて眼の前の光景全てから逃げるように振る舞う。

 どうすればいいか、どうしたらよかったか、どうするのがよかったか

 そんな自問自答の嵐に何一つ答えを見いだせないまま。

 そんな自分の殻に閉じこもる少年に追い打ちをかけるように「ねぇ」と早坂は続ける。

 

「嫌なら嫌ってはっきりいいなよ。

 伊井野ちゃんも、その方が嬉しいんじゃないかな」

「嫌って?」

「付き合い方とか、彼女かどうか曖昧な事とか、何よりも」

 一拍置く。小さく息を吸って淡々と言う事に意識をしながら。

 

「一度別れてはっきりと友達から始めてみたら?」

 

 ……言った。

 ようやく、言えた。

 緊張でかく冷や汗を拭く暇なんてない。

 その言葉の反応と様子で今後の全てが変わっていく。

 願うなら───願うなら、自分の理想の言葉が来ることに望みを託して。

 

「…………」

 

 これ以上は追い打ちをかけない。踏み込まない。

 自分は『学園での友達』であるから。『心配してアドバイス』をしているだけなのだから。

 自分の1言で別れさせるのは簡単だが、変な疑心感を持たれるのはとても癪だ。

 重々しく、永遠とも感じるような長い沈黙。それを打ち破る言葉を待つ。断頭台に立つ者のような気持ちを早坂は感じていた。

 次の1言で自分のプランを大きく変える必要があるのだから。

 もし、もしも望まない1言が来たら。

 今以上に強引な手段を用いらなければいけない。

 リスクを考えるとそれは控えて置きたいのが本音。

 

「……」

「……」

「…………ッ!!」

 

 沈黙を破るように何時ものように少年の携帯が震え始める。

 嬉しそうな、そうでないような。そんな複雑な表情を浮かべながらも手に取ると、画面を見てすぐに頭を抱えた。

「どしたし?」

 震え続ける携帯をゆっくりと画面を早坂に向けた。

 

 スミシーさん

 

 そう表記された画面を見て早坂は目を丸くする。

 

「えっ? これって?」

「……さっき言ってた人」

 少年は呟くと指を真ん中で止める。電話に出るべきか、出ないべきか。小刻みに震える指先は微動だにしない。

 電話に出るべきなのだろう。そう思う自分がいる。

 誤解を解いて、これ以上ない関わらないようにお願いするべきだろうと思う。それでも、1年以上付き合っていた、そう思っていた相手との仲をメチャクチャにした彼女。そんな彼女に次は──ー

 

「嫌なら嫌ってはっきりいいなよ」

 

 怯える子に優しく接するように、微笑みながら早坂は言った。

「……言っていいのかな」

 不安げに問う少年の背中を押すように頷くと、それを見た少年は不思議と動いた指に合わせて携帯を耳に当てた。

 

「…………もしもし」

 苦々しげな表情からなんとか捻り出したであろう言葉に対して、軽薄な冗談めいた口振りで返す。

「やった、今度はちゃんと出てくれた」

 スミシーと表記された相手からは感情を読み取れないような軽い口調で話し始めた。

「さぁ問題。私は今どこにいるのでしょうか?」

 そんな問いに対して早坂を凝視する。彼女越しにある窓ガラスを。

 日が落ちても街灯や建物から漏れでる明かりのおかげで今が昼かどうか混乱させられる程の光に群がるように性別、年代問わない人々が右往左往と歩きいく様を。

 

「あっ、目があった」

「なぁ、何がしたいんだよ!!」

 子供のようにはしゃぐスミシーに対して苛立つ少年。そんな彼を早坂は心配そうに見つめる。

「でもね、今日は言い忘れた事を伝えたいだけなの」

「言い忘れた事?」

 早坂も少しでも話を聞き取ろうと耳をスピーカーに近づける。彼女にも聞こえるようにと少年もまた、携帯を2人の間に置く。

 間接的にだが繋がっているように感じて高揚感を覚えた早坂だが、この場に相応しくない顔にならないようより一層真剣な顔を作り次の言葉を待つ。

 

「私はずっと貴方を見てるから、他の女と浮気は駄目だよ」

 優しくも何処か冷たい口調で聞こえる言葉に戦慄を覚える青年。今も何処かで見てる、目があったと語る見えない彼女からの言葉に喉が詰まる。

 それでも、冷たい空気で冷え固まった口が動いたのは共に携帯を握ったその手の暖かさに伝染されたからだ。

「スミシー、俺は」

 早坂の目を見つめる。

 淡い青い瞳に吸い込まれそうになりながらも、彼女の顔を見ながら彼女(スミシー)に向かって。言いたかった事をはっきりと。

 

「お前は、俺の彼女じゃない。俺はお前が嫌いだ」

「…………」

「…………」

 1人による2つの沈黙。

 嫌い。

 自分であって自分じゃない人物に向かった言葉。

 思い当たる節どころか、事を起こした本人である早坂に向けられた言葉。

 スミシーであって、私じゃない。そう思わせるように内心呟き続けるも効果はない。青くなる顔面を必死に歪ませる。

 良くできた友人を祝うように、自分を傷つける思い人へと必死の笑顔を。

 

「まぁいいや。また今度その話をしようね」

 つまらなそうに語る言葉を最後に一方的に電話を切られる。虚しい電子音を待ち焦がれていた少年はようやく聞こえたそれに安堵と共に再びテーブルへとその身を下ろした。

「頑張ったね」

 うなだれる少年の頭を撫でていく早坂。

 本当に頑張った。そう自分自身を褒めつつ、事が上手く行ったことに彼女も安堵の息を漏らす。

 

 この春休みは本当に事が進んだ。自分の思うように、望んだように。後が怖くなる程順調に。

 彼女もどきである伊井野との関係に亀裂を入れた。

 何時でも見張れ、その声が聞こえるように携帯に細工を出来た。

 友人としての立場を手に入れた。

 そして何よりも

 

 共通の敵

 

 集団での人間関係をより纏まりやすくなる要素であり、特定の個人を互いに敵視する事によってより団結を固める要素。

 伊井野もスミシーを敵と捉えるだろうが、その前に伊井野の前に余り姿を現せなければ自然と話題はなくなる。それどころか、前回の一件で苦手意識を持っているように印象付ければ少年の方から闇雲に話題を振ることはなくなるだろう。

 だが、早坂は違う。

 しっかりと言うようにアドバイスを送り、それで解決したかのように印象付ければ今後スミシーが少年の前で現れた際に縋るのは早坂の方。そして自分の言ったようにスミシーを動かせばいいだけ。

 そうお願いすればいいだけ。

 自分と付き合うようになれば、その直前のタイミングで退場させれば何事も無かったかのように振る舞うことができる。

 早坂の負の面を一重に背負わせた仮面。付けるも外すも捨てるも全て、早坂が決めればいいのだから、この敵は自分にとてつもなく都合のいいモノになる。

 

「最初から声をかけなきゃよかった」

「なんで声かけたの?」

「遠目から見たら早坂に似てた気がした」

「あはは、春休みはバイト三昧って言ったじゃん。欲しい服あるから働きっぱなしで疲れたし〜」

「……そっか」

 チラリと向けられた視線と目が合うとそれは直ぐに反れた。遠くに向けられたわけではなくほんの少しだけ横にズレたその先にある毛先をわざとらしくイジってみると再び顔を伏せる少年。

 彼は良く早坂の髪の毛を見る。一緒に話をしている時、勉強して手を休める時等手が空いた時にチラリと。その度に軽く自分の髪を触ると明らかに視線を大きく動かすのが面白い。

 似合ってるって思ってる? だとしたら嬉しい。大好きなママと同じ色の髪を。

 似合ってない? だとしたら嫌だ。どうしよう。

 どうしようもないから、好きになってもらうしかない。今のままの私を。

 好きにさせるしかない

 

 早坂からのキツイ視線に気づく事なくテーブルに顔を見合わせたまま深いため息。

 早坂からしたら上出来な春休みだが、少年からしたら今まで最も最悪な春休みといえた。

 休みなのに殆どを嫌いな勉強に費やすことになり

 彼女と思っていた人とは連絡が取れなくなり

 ここ最近は何故か携帯のバッテリーの減りが少し早くなり

 唯一の良い事は同性の友人が出来た事ぐらいだろう。最も、春期講習が終わればその関係がどうなるかはわからないが。

 

 それでも、この春休みを最悪と決定づけるのはやはりスミシーの存在が余りにも大きすぎた。彼女と出会って間もないにも関わらず持ってきた問題の大きさは少年のキャパシティを遥かに超える。ようやくはっきりと伝えた1言も何処まで本気に捉えられるか分からないとなると、暫く襲ってくるであろう問題の山々に目眩を覚えた。

 自分の行い1つでこうも転がなんて。ふと嫌な言葉がよぎるが考えないように目を伏せるも

 

「身から出た錆だね」

「…………」

 伏せた矢先に届けられたその言葉に明らかに不機嫌になる。

「早坂、そのことわざ嫌いなんだけど」

「えー、いいじゃん」

 とはいいつつも、明らかに不機嫌になる目つきから逃げるように片手を縦にして謝罪のポーズをとる。こんなに怒るとは思ってもいなかった。

「でも、名前の由来でしょ?」

「…………」

 それでも、踏み込むことは辞めない。

 何もこのやり取りも初めてではないのだから。

 伊井野なんかよりも長い。好きになった時は遅くても、付き合いは早坂の方が長いのだから。

 だからわかる。結局ため息をついて誤魔化すように視線を泳がす事になることを。

 案の定早坂の思ったようにため息をつく。逃げるように視線を泳がしたのを見て詰めるように早坂は口を開いた。

 

「お父さんも酷いよね〜身から出た錆だから、赤錆身仁なんて」

「……早坂」

 呟きつつようやくテーブルにへばりついていた重い身体を起こしてソファに持たれかかりつつ少年、赤錆身仁(あかさびしんじ)は天井を見つめる。

「何か今日いじわるじゃない?」

 力なく投げかけられた問に首を傾げる。

 それを言われて早坂は確かに自分が今少しイラついているのに気づいた。

 なんでだろ? 考えてみる。しかしそんな素振りを見せることなく考えてすぐにわかった。

 

「ねぇ、ウチの髪よく見てるでしょ?」

「急に何? ってかバレてた?」

「女の子は視線に敏感だし〜」

 苦笑する赤錆に向けるように毛先を向けて軽くイジっていく。

 言葉にする事を戸惑いを覚えていたが、それでも聞きたい。自分の好きな所を好きでいるかどうかに。

「似合ってるかな〜?」

 気にしてない素振りを見せつつも心臓は様々な事を起こした春休みで1番大きく鼓動する。一回、また一回と感じながら返ってくる言葉を待つ。

 似合ってないと言われたらどうしよう? 価値観を変えるのは大変だけど、どうしても不可能ではない。無理矢理にでも……

「綺麗だなって思ってるよ」

 …………

「その、似合ってるよ。とても」

 

「私、飲み物入れてくるね」

 何も言わず、顔を見せないように伏せてまだ半分はあるコップを手にする早坂に「え? は、はい」と声をかけようにも急に変わった雰囲気に何も言えずに黙る赤錆。結局静かにテーブルから離れる早坂の背を見ながらまずいことを言ったか考えつつ、戻ってきた時の言葉を考え始める。

 女心はやっぱりわかんないな。自分には理解できそうにないこの春休みで何度も間違えた難解な問いの分厚さに挫けそうな心を少しでも癒やすように外を見る。

 スミシーはまだいるのかな? 正直な所、赤錆としては早坂がいる時に出てきて貰うのが1番嬉しい。彼女なら、この難問に立ち向かう知恵と力をくれるから。

 頼りっぱなしの友人の機嫌を直す方法を考えつつ、彼もまた空になりつつあるカップを手にした。

 必死に融けかけた氷が入ったカップを頬に当て顔の紅潮を冷やす早坂の心境に対して赤錆はその少ない女性経験から答えを導き出そうと悩ませながら。

 

 

 

 

 

「最近遊び過ぎじゃないかしら」

 不機嫌そうに言うかぐやの髪をドライヤーで乾かしつつ、早坂は尋ねた。

「かぐや様、私は与えられた休暇の合間に遊んでいますが」

「それでも、他のメイドを貴方の用事に使うのは不当よ!! 今日なんて私の前で貴方の頼まれ事をしてたわ」

 そう言いつつ何かを持ったような仕草をした両手を互い合わせにする。少し考えて早坂は答えに辿り着いた。

「あの会話、かぐや様もお聞きになられたのでしょうか?」

「えぇ聞いたわ!! 最後まで傾聴したわよ!」

 スミシーとの会話は当然早坂が声を出さなければいけない。

 しかし、早坂は相手である赤錆の前にいたため当然そんな事は出来ない。だからこそ、事前に1つの携帯で録音した音声をスミシーの携帯を使って流したのだ。会話になるように幾つかのパターンを入れ状況に合わせて音声を切り替えるように他のメイドにお願いをして。

 早坂は四宮家で務めて長い。必然的に彼女の世話になった従者も多いため、その実行役は頼めばすぐに協力をしてくれた。

 最も、内容を聞いて引きついた笑みを浮かべていたが。

 

「大した女優よね!!」

「お褒めに預かり光栄です」

 かなり不機嫌な主からの世辞に冷静に返す。

 明らかに機嫌が悪い様子に察しがついている早坂は仕方がないと思いバレないように小さく息を吐いた。

 

「ご安心くださいかぐや様。残りの春休みは通常通り貴方様の傍にいさせて頂きます」

「……春期講習は?」

「用事は終わりましたのでもう行かないと先程連絡しました」

「なによそれ最後まで行きなさいよ」

「用は終わりましたので」

「……彼と会わなくていいの」

「かまいません」

 はっきりと応えた意外な返答に驚きつつ振り返る。

 嬉しそうに自分の金髪を撫でながらうっとりとする友人の顔を映すと、何も言わずに前へと向き直す。

 

「良い思い出が出来ましたので、これ以上汚れてしまわないよう残りの数日は大人しくさせていただきます」

「……そう」

 これ以上かぐやは言えない。語る言葉が出ない。

 少なくとも、唯一気の許せる友人が幸せそうにしているのを見てほんの少し安心感を抱きつつそっと目を閉じる。

 自分もいつか、こんな風に幸せに浸れる日が来るのか期待に胸を寄せながら。

 

 自慢の髪を褒められ、早坂はご機嫌だ。

 似合わないなんて否定的な事を思い浮かべていた自分を情けなく感じてしまう。そんなはずないのに。

 自分が好きということは、赤錆も好きでいるはずなのだから。

 そこに疑いの目を向けた自分を本当に恥ずかしく感じる。

 嫌いという重たい否定は既に蚊帳の外。もっとも、スミシーに言われた事であり早坂には関係ないと思っているのだが。

 綺麗という言葉が何度も頭をよぎる。

 始めて自分の容姿を彼に褒められた。お気に入りの髪を。

 スミシーとして彼の前に出る時も、自分の面影を残して気を引きたいという狙いと共にあった女性として前に出るなら触りたくないという思いで髪型を変えるだけで留めていた。大好きな母親との共通点。

 それを褒められた事を、何よりも自分を綺麗と言われた事に早坂はこの上ない幸福を味わって噛み尽くしていた。

 

 ふと耳につけていたイヤホンからため息が聞こえる。

 理由は手にとるようにわかった。先程ハーサカとして送った塾に行けなくなるというメールを見てだろう。

 付き合っていた彼女もどきとも別れ、新しく出来た友人共中々会えなくなる最悪な1日。

 だからこそ、昔からの友人と共に過ごしたという事実がより際立つ。

 赤錆くんも今日が最高の1日と思ってほしい。そう願いつつ

 恋の始まりとして、春を告げた1日になってほしいと願いつつ

 早坂は少し機嫌が良くなった主の髪を乾かしていった。



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赤錆身人は愛を知りたい

 赤錆身仁

 政治家の父を持つ少年は母の顔どころか名前すら知らない。

 顔を見ようにも、母の写真所か存在を確認を出来るものが家にはない。父子家庭には広すぎる家には他の者が住んでいた形跡1つ存在しない。

 名前を尋ねる相手がいない。父に尋ねた所で返ってくるのは無関心な言葉のみ。他の親族も彼の母を知る人等いなかった。

 

 それでもよかった。

 初めからいない人に、いたという事実すらない人を知りたがる程赤錆は好奇心に飢えていなかった。

 そして、子供ながらにわかってしまった。

 自分は名前も知らない女との間に出来た子というのを。

 

 まだ小学生になったばかりの頃。

 周りの子達は自身の名前の由来について興味を持ちそれをよく話題としていた。赤錆も例に漏れず興味本位で父に尋ねる事にした。

 誰もいない静かなリビングは子供だった赤錆には広く寂しい空間が広がる。それでも、仕事で忙しいと語り2人っきりの家なのにすれ違いの日々を過ごしていた父と話をしたいとこの日は言いつけを破り何時もよりも遅くまで起きていた。

 瞼を開くのも限界になったのは時計の針が10時を指しかけた頃。テーブルに持たれつつ勝手に閉じ行く視界を必死にこじ開けようと1人奮闘していた時に、ようやく聞こえたのは待ち人が帰ってきた事を示すドアが開かれる音。

 普段とは全く違う上機嫌な声で何かを話す父の顔を見ようと出迎えに行く時には襲っていた眠気等全て放って忘れていた。

 

 数日振りに見た父は驚きつつも赤錆を叱りつけたのを思い出す。言いつけを忘れて悪さをした自分の子を。

 それでも、涙を浮かべ謝罪をした後に続けた質問に大好きな父は短く応えた。舌打ちをして激しい苛立ちをぶつけながら。

 

 身から出た錆

 遊びで出来たのがお前だ

 

 子供だった赤錆にその言葉の意味を理解するのは、自分で意味を調べた数日後の事。

 母の存在に興味を無くしたのは、思えばこの時だったのだろう。

 激しく怒る父を慰めるように言葉をかける見知らぬ女性。様々な部位を露出させた派手な衣類に身を包んだ女と目があった。

 ここからは大人の時間だから子供は寝るようにと優しく言い聞かせた彼女の言葉。今でも赤錆はその声を思い出せる。

 短い間だが一方的に言われた言葉の数々。我儘な自分を責め立てた言葉達よりも恐ろしく、気味が悪く、最も気分を害させたその女の言葉。

 優しいその声かけに赤錆は逃げるように自室へ走る。

 何の知識も持たない子供は、この家で唯一寛げる夢の時間に早く行こうとベッドで丸くなって思う。自身の直感のような何かに。

 自分が夢の世界へ逃げる時に、大人である父は何をしてるのだろうか。

 それは、大人達の遊びだろうか。

 それは、自分が生まれた理由なのだろうか。

 それは、母の顔を知らない理由なのだろうか。

 何も分からない子供はただ、静かな部屋で1人頭を抱えて夢の世界へ逃げ行った。

 

 それは、無力な子供が出来る唯一の逃げ道だったから。

 

 そしてそれは、高校生となった少年も変わらなかった。

 無力な抵抗も終え、置いておいたパンを適当にかじり静かな携帯を見つめる。

 少し前まではアピールを欠かすことなく震え続けたのが懐かしく感じつつも、今では自分が相手にアピールする番。今日も彼女に挨拶を送ると直ぐに既読がついた。それでも返信が来ないことは知っていた。

 半ば諦めた気持ちを持ちつつも、それでもという思いにかけつつテーブルに置いてチラチラと見ながら食べていく。結局全てを食べ終えても何も変わらない画面に複雑な気持ちを抱いた。

 

 春休みのあの日、スミシーと伊井野が出会ったあの日から彼女からの連絡はない。

 前ならば頼まなくても大量に送ってきた言葉達は空に消えてただ一方的に送りつけるようになってしまった。

 伊井野はどんな気持ちで俺にメッセージを送り続けていたんだろう。そう思うと、まともに返してなかった自分自身への甘さが嫌になる。

 一言でも言葉が返ってきたらどれだけ気楽だろうか。せめて今日ぐらいは気楽に行きたい。そう願っていたのに。

 窓ガラスから映る日差しが自身の服装を照らす。真っ黒な制服を。

 

 始業式

 1年生は2年生に。2年生は3年生になる今日は、赤錆からしたら最悪な1日だと始まってすぐに決めつけていた。

 余りにも多忙で、多難であった春休みの終わりは余りにもあっけなく結局スミシーと伊井野そして早坂と会った日から特別な事等何もなく過ぎ去っていった。強いて言うならばその日に折角出来た友人とも春休みに会えなくなったと急に連絡があったぐらいだろうか。

 黒猫が横切るのは不幸の前触れ。スミシーは赤錆の中で不幸の前触れ所かその原因にすら思える程の印象を与えていた。

 そんな彼女からもあの日を境に連絡はない。此方の方は赤錆から連絡をする事すらないのだが。

 

 そんな春休みの終わりを告げる始業式。この日は3つの試練を告げる日でもあった。

 1つは連絡1つ寄越さない伊井野の存在。1人では支えきれない程の重圧を感じていた。

 せめて一言あれば。何かしらの会話が出来ればスミシーの説明も落ち着いて出来た。それに伊井野の機嫌を治す切っ掛けを作ることも。

 2つめは新しいクラス。正確には彼女、早坂愛と同じクラスになるかどうか。

 違うクラスでも話すぐらいは出来るが余所のクラスというのは少し入りづらい雰囲気を感じる。あの他人を受け入れるかどうかのクラス中の見定めるような視線は彼は好きではない。

 何よりも、2年間同じクラスで友人として付き合っていた事、それに春休みで唯一話せたあの日。ある意味では自身の多難な春休みの最後の思い出を楽しく彩ったあの日は赤錆からしたら救いを感じていた。

 気兼ねなく接することができ、気軽に様々な事を話せる彼女の存在は友人が少ない赤錆からしたら大きな心の拠り所でもある。

 そんな幸運の象徴のような彼女と同じクラスになれるかどうか。

 

 そして、3つめは目の前のトビラの先にある。

 大きく息を吸い、吐いていく。

 ドアを軽く叩いて声がしたらそっと開ける。

 自分にあてがわれた部屋よりも倍近く広い部屋の中央に置かれた1人で余りにも大きすぎるベッド。ここの主は目覚めたばかりなのか眠たそうにあくびをしながらそれに腰掛けていた。

 

「おはようございます。父さん」

 下着姿を隠すことなく堂々とテーブルに置かれていたタバコを手に取り火を付けると、挨拶と言わんばかりに濃い煙を自身の子に向けて吐く。

 目に染みる煙に顔をしかめつつ軽くそむけると、ベッドにはもう一人ゲストがいた事に気づく。

 首から下をシーツに包まれ安定した呼吸で休む顔も知らない女が。

 あぁ、またか。もはや口にするのも面倒になりつつベッド周りに散乱した衣類を見て呆れた気持ちになる。

「なんだ、もう春休みは終わったのか」

 隣の女の事も、自身が半裸で居ることにも触れず制服姿の子を興味なさげに見つめる。

 

「わかってるな、出来損ないの女の手からわざわざお前を引き取ってやった意味を」

 忌々しい感情を隠す事なく顔に出し、再び煙を赤錆に吐く。焦げるような匂いに混じってほのかに臭う獣臭さに吐き気を覚えながらも「わかってます」と小声で応える。

「お前が四宮の娘と同年代の子じゃなければ、俺も放っておいたのに」

 ため息の後に「面倒だ」と付け加える父の姿。

 そうそう話す事も、顔を見ることもしない実の父から向けられる実子に向けたとは思えない言葉の数々も赤錆からしたら聞き慣れた言葉になっていた。

「いいか、お前の顔だけでも売っておけ。四宮家と繋がりが出来れば、それだけで俺の未来は安泰だ」

「わかってます。頑張ります」

 そう言って頭を下げる。

 

 学校の始まりと終わりの日はこうして父と話すのが赤錆家の事例になっている。

 唯一この日のみが父と子が話す日。それ以外は顔を合わせても挨拶ぐらいしかしない。

 子からしたら、自身を道具としか見ない父に深く関わりたくなくて

 父からしたら、自身の錆の象徴を見たくなくて

 そんな2人の久々の会話はたったの数分で幕を閉じ、「行ってきます」の1言と共にトビラを閉めた。

 

 トビラに背を向けて改めて大きく息を吸う。焦げた匂いは消えていたが、何処か獣のような匂いを感じた。吐かれた息のせいなのか、自身に流れる血がそう思わせているのか。

 父と会う度に考えさせられることがあった。

 

 愛ってなんなんだろう

 

 そう思い真っ先に浮かぶのは唯一の心の許せる友人の顔。最も、彼女の名前だから思い浮かべるだけなのだが。

 あの悪夢を境に隠すことなく時折見知らぬ女を連れてくる父の姿と口先1つで嬉しそうに微笑む女達の顔。今日の女は何を言われていたのだろうか。

 根も葉もない嘘達を並べて騙し、蜜を吸って吐き捨てる。それが自分の父であり、捨てられた花は自分の母。

 当然、そんな女の事を身内が知るはずもなく居た形跡が残る事もない。

 そんな事になるとも知らずに、幸せそうに笑うあの顔達が赤錆は思うところがあった。

 

 嘘だらけの自身の父親。

 女に語る言葉も、新聞やテレビで見る凛とした姿も赤錆は第三者として見ることはあっても当事者として見たことはない。何処か他人の様に感じるし、実際他人と言われたら疑わないだろう。

 それ程迄に想像できない様な振り幅を持つ父は、何処にでもいける立派な嘘つき。

 そんな父の子だからこそ、赤錆は嘘が嫌いだ。自分が嘘をつくことを嫌う。

 それでも、彼の知る大人は父と女達しかない。

 騙す側と騙される側しか。

 ふと思う。いや、何時も思っている。

 どうせなら俺は、何も知らずに幸せな嘘で騙されたい。そのまま捨てられようとも。

 人を騙して捨てるぐらいなら、捨てられるぐらいが気楽でいい。

 乾いた笑いを浮かべながら玄関を開ける。

 

 嫌になる程綺麗な青空は今の赤錆からしたら目に染みる。

 ため息と共に気持ちを切り替える。

 新しいクラスに友人の名前がある事を祈りつつ、すぐに同じ場所に来るであろう彼女と学校で出会う前に話を出来ることを祈りつつ赤錆はもう1度と思い息を吸う。

 獣臭さは無くなり、自然な空気に胃の中を入れ替えようと。

 充分に堪能したらしい最後、誰もいない玄関に向かって返ってきたことない言葉を呟く。

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 通行人達に聞かれないよう小声で早坂愛は呟いた。

 イヤホンから聞こえた少年への返事。届くことも、聞かせることも今は出来ない。

 何時もよりも少し早めに四宮家を出て学園に向う彼女は周りから見ても明らかに上機嫌な笑みを浮かべていた。

 早く出たのはクラス変えを見たいからではない。早坂からしたら既に主と彼と同じクラスにいるというのは知っていた。今回も、これからも。

 ただ早く来てやらなければいけない事があるから、わざわざ早起きをして用意を済ませ主に断りを入れた。

 

 かぐやは送迎者と共に車で学園へ向かう。

 彼女の近侍として学園にいる事を隠すためにも早坂は朝は別行動をとり何時も早めに学園で待機していた。

 それが少し早くなるだけ。主はため息と共に了承してくれた。

 

 順調に事が進んだ春休み。

 自分の悲願がようやく叶う日もそう遠くないと彼女は確信していた。

 どんな風にトドメを刺そうか、終わらせようかとは考えていない。むしろその後にばかり目が行っていた。

 終わらせ方は考えていた。

 

 元は人の噂から始まった恋愛。

 別に彼は伊井野の事を好きではない。そう早坂は決めつけている。

 束縛が強く、異性と話してるだけで目くじらを立て、会えない時は異常な程の連絡を寄越し、傍にいる時は常に付きっきりの彼女。

 ただ体よく使われているようにしか早坂には見えていない。

 

 それでも周りは嘘を言う。

 付き合っているんじゃないか、と。

 その言葉を信じただけ。だから私が助けるだけ。

 告白しようと考えてた事もあった。でも、私に相談するって事は悩んでいるという事。

 駄目なことは駄目と教えないといけない。

 嫌な事は嫌と口にするように教えないといけない。

 そんな手の掛かる子供のような所もまた、早坂からしたら可愛らしくて愛おしい。

 

 伊井野は赤錆を自分と同じ正直者の汚れない善人だと感じている。

 嘘を嫌う彼の言葉からそう感じ取って勝手にシンパシーを感じているだけと。

 だが、早坂は違う。

 赤錆を好きになり、真っ先に始めた情報収集で彼の事をよく知れた。父親の事を。

 表に出てないだけで女たらしな性格も、実の子に対する扱いも。

 もっとも、音声しか聞けない早坂は今日も連れ込んでいた女の前で話していた事は知らないが。

 

 そんな彼だからこそ、早坂は彼を汚れきった人と考える。

 四宮家の近侍として幼い頃から務めあげ、今まで様々な事をし、様々なオトナ達と関わって周りよりも汚れた自分と同じように。

 違いは単純。

 自分が汚れていると知っているか知らないか。

 汚れた父の背中しか見たことのない彼は自分の汚れを知らない。だから、人からの単純な悪意ある噂を気にせずに鵜呑みにして思い込んだだけ。

 

 誰かが守ってあげないといけない人。

 それは、彼をよく知る自分にしか出来ないこと。

 誰よりも、それこそ親や本人よりも知り尽くしている自分にしか出来ないこと。

 だから、私達はお似合いだよ。

 

 そんな事を思いつつ、これからの未来予想図を描いていく。

 そのための仕上げは簡単。

 

 噂で出来上がったカップルという関係。

 もう少しで誠になったかもしれない嘘。

 そんな関係を壊すには、やっぱり元を正すしかない。

 一度壊せば、簡単なアドバイスで幾らでも彼の動きを変えられる。

 駄目ならスミシーを出せばいい。

 ハーサカとして、男性の意見と称して付き合いを否定してもいい。

 

 あと少し

 そう思っていると、イヤホンから足音しか聞こえなくなった事に気づく。

 後は普通に通学するだけだ。だったら、少しだけ甘えてもいいよね。

 そう思って音声を切り替える。

 新しく聞こえた声に早坂の顔はまた真っ赤になる。

 紅潮した顔を隠すことなく、こんな思いをまたしたいと強請るような気持ちに押し負け早足で学園へと向かっていった。

 

 

 

 

 春休みが終わり、新たなる始まりも告げる始業式

 

 この日からそう遠くない未来に赤錆は愛に触れる。

 情けなく倒れ込んだ自身に向かって差し出されたその手の主に、胸のトキメキを感じる事に。

 新たな春を告げたその日は赤錆は人の愛情に触れ

 彼を取り巻く少女達の深い愛に襲われる

 もっとも深い感情は既に赤錆を襲っている事に気づいていないだけなのだが。



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早坂愛は教えたい

「情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ」

 早坂愛は教壇に立ち、黒板にでかでかと書いた言葉を口にする。

 自分達しかいない教室で放れた言葉。当然受取人は自分しかいない事を知りながらも、赤錆はその言葉に見向きもせずに机の上に置いた自身の腕にその顔を埋めていた。

 

「情欲じゃないけど、流されて付き合ってた? わけだから、これからは気をつけないといけないよ〜」

 書きたいことを書き終え、彼の隣の席に無断で座り、顔を近づけ反応を観察していく。

「ほらほら、何か言いたいことある人〜?」

「……ありません」

 勘弁してと言うように悲惨な顔を早坂に向ける。今にも泣き出してしまいそうなその顔を。

 そんな思いするぐらいなら始めから付き合わなくてよかったのに。

 早坂からしたらそれを見せられてもため息しか出なかった。

 

「付き合ってないってはっきり言われんだから、開き直ればいいんじゃね〜?」

「開き直るも直らないも、先ずは伊井野と話をしないと……」

「でも、逃げられたんでしょ」

「なんで逃げられたのかなぁ」

 再び顔を隠す赤錆。

 2年生になって早2週間。

 この間に赤錆は春休みに起きたトラブルを何一つとして解決していないどころか、更に増やしている。

 

 スミシーとは音信不通。また黒猫のように気まぐれに目の前を横ぎるかもしれない。

 彼女が言う今度が何時いかなる時になるかわからないまま過ぎていく。

 伊井野とも連絡を取れていない。

 スミシーとは違い、同じ学び舎に通う彼女。当然会いに行こうと思えば会える。

 赤錆は早速彼女に会いに行ったが、まだ風紀委員じゃないにも関わらず学校の見回りをしていると彼女のクラスメートに言われ会えないまま数日が過ぎていた。

 早坂にも協力してもらい放課後地道に探し回ってようやく昨日彼女と会うことができた。

 しかし、赤錆の顔を見るなり駆け足で逃げていったその様に彼の心は大きく抉られてしまう。実際今日は登校するなり殆ど顔を隠して席に座りっぱなしだ。

 この、2つの問題は既存のもの。そして、学校が始まり出来た問題は1つ。

 

 伊井野ミコと別れたという噂の一人歩き。

 付き合っていたかどうかという認識も出来てないまま広まり始めたこの噂。煙が立つことは始めからわかっていた。

 付き合いができてからの中学時代、同じ学校に居た時は毎日のように放課後クラスに訪ねてきた伊井野がこの一週間顔すら見せない。彼女自身は見回りをしているのに。赤錆を連れ回していない。

 赤錆の同級生殆どが知っていた光景とは違う今を見て誰かが噂したのだろう。

 伊井野ミコと別れた、と。

 

 しかし早い。早すぎる。

 赤錆も噂をされるのは覚悟していた。

 初日の時点で伊井野がかつてのようにクラスに顔を覗かせて早坂と話している事に文句を言いつつ見回りに誘ってきてくれたら、どれだけ気持ち的に楽だったのだろうか。

 見回り後にでも、スミシーの話を自分の口でして最後お互いの関係を見つめ直して定義付け出来たらどれだけ楽だったのだらう。

 

 付き合っているか、付き合っていないか。

 付き合うのか、付き合わないのか。

 

 傍から見たらカップルに見えた自分達。それを否定する伊井野に合わせていた所はあった。

 一時期告白を考えた事もあったが、結局は目の前の友人に相談をしていた。

 付き合うという感覚が、好きになるという気持ちがよく分からなかったからこそ無心にも目の前の少女に。その時は「もう付き合ってるみたいなもんだしいいんじゃない」と言われその言葉だけを鵜呑みにした。

 告白をして振られることを恐れたというのもある。自信がない。

 自分が伊井野ミコを好きだと言える自信が。

 人を好きになるというのがいまいち赤錆には分からなかった。

 幼い頃から愛情など与えられなかったから。分からない。

 父親の背を見てもその時だけの愛情を言葉して語る姿しか見たことがない。だから人を好きになる感覚がわからない。

 

 だからこそ、その関係を明確にすることを避けていた。避ける彼女の傍にいた。

 伊井野の傍で過ごす事によって人を好きになる気持ちが分かると考えたから。

 その結果がこれである。

 周りから見たカップルというカテゴライズに甘え、恋人の真似事をして気持ちを知ろうとした結果が今、伊井野を深く傷つけている。

 自分のせいで傷つけている。

 その現実が少年の身に重くのしかかっていた。

 

「まぁさ、落ち込んでたら進まないし」

 雑に彼の頭を数回叩き笑顔を向けるも反応はない。

 早坂からしたら、本当に不思議に見えた。

 付き合ってたって嘘が無くなっただけで、落ち込む事なんてないのにな。ただただ不思議に感じている。

 

 始めから2人が告白のような形めいた事をしていないというのは赤錆から聞いていた。噂話に飢えた周りが広めた虚偽。伊井野を疎む人達がからかい半分で広めた嘘。

 赤錆自身も悩んでいた不明瞭な関係にようやく終止符が打たれたのだ。むしろ喜ぶべきなのに。

 告白すべきかどうかの問にとっさに出た言葉。無意識の嫉妬から生まれた言葉のおかげでここまで宙ぶらりんな関係になってしまった。

 もっと早く好きでいたら、こんな事にならずにすんだのに。

 そう思うと、落ち込んでいる赤錆を自分が追い込んでいるように見えて胸が苦しくなる。

 自分の不甲斐なさが原因で生んだこの結果に。

 

 だからこそ、赤錆を助けたいと強く願う。

 そして、助けるだけでなく自分をアピールするチャンスとも。

 

 恋愛相談

 

 既に特定の意中がいる相手に対して、その悩みを聞きアドバイスを送る。

 相談する側は自分が直面する問題を他者に話す程弱っている証拠であり、受ける側はそんな弱っている相手に自分の優しさを印象づけるチャンスでもある。嫌な顔せずにしっかり聞く自分の優しさを。

 それ以外にも、相手に対して自分の意見を言うということは自分の考え方をしっかりと伝える機会。お互いの考え方を認識しあうというのは今後の付き合いで大事なことにもなる。もっとも、早坂は赤錆の事を殆ど理解していると自負しているが。

 相談相手というのは誰にとっても貴重な者。自分にとって大切な存在と格付けされる。

 現に中学時代からよく相談を受ける早坂は、赤錆からしたら誰よりも親しい友人としてカテゴライズされていた。

 この立場を保ちつつ、恋愛に対する考え方を伝える。恋愛が何一つわからない赤錆を自分の考え方で染める絶好の場なのだ。

 

「流され恋愛なんてダメダメ、誰も得しないし。

 赤錆くんは後悔してるんでしょ。

 伊井野ちゃんも、コーカイしてると思うな」

「……そうだな、自分で好きだと思った相手と付き合わないと」

「そそ、赤錆くんが好きだと思った人。

 でも、思ったってだけで告白なんてゼッタイダメ。

 きちんと相手の事を知って、分かってからじゃないと今度はスミシーさんみたいな人と付き合っちゃうかもね〜」

「ちゃんと知ってから付き合わないとダメ、か」

「そうそう。

 わかってきた? 

 困ったことがあったら助けてくれて〜相談に乗ってくれて〜何時でも優しくしてくれる人を探さないとね〜」

「そんな人中々いないよ」

 

 すぐ隣にいますけど。

 言いたくなる言葉を抑えて苦笑いの赤錆を真顔で見てしまう。

 

「理想は高くしないとダメっしょ! 始めからハードル低くしてたらそのうち誰でもいいやってなっちゃうよ」

「それは嫌だ。ちゃんとした人と長く付き合いたい」

 誰でもいい人と付き合う。その言葉を聞いてすぐに思い浮かべた父の顔。

 あの人のように、誰も彼もと付き合ってすぐに捨てるような大人にだけはなりたくない。

 

「だったら探してみないと。

 案外すぐに見つかるかもしれないよ〜」

「そうだね、頑張る」

 今度は互いに笑い合う。

 別に今は気づかなくてもいいや。私から告白でもしたら、きっとわかってくれるはず。

 そう思いつつも、やはり自分の気持ちに気づかない赤錆には少し感じるものはある。

 最もこれは、長い恋愛相談をしていた結果『恋愛対象』から『深い友情』に意識的か無意識かはわからないが括られたからだろうから。自分の事もよく知ってくれていると早坂は願いつつイジワルを考える。

 

「恋愛って難しいね〜」

「そうだね」

「でも、私も誰かと付き合いたいな」

「えっ?」

 意外な言葉と思われたのか、少し目を大きく開ける赤錆。

 そんな瞳の中心を奪おうと恥じらいを浮かべた様子を見せる。

 私を見てほしいから。

 

「私も、誰かと付き合いたい」

 念を押す様に言ってみる。

 誰か、という部分は嘘。付き合いたい相手は決まっている。そんな相手は呆然としているが。

 

 甘い空気が流れていく。

 時期が時期ならこのタイミングで告白する事も視野に入れるような雰囲気が。

 だが、今は出来ない。

 伊井野ミコと別れたという噂が流れる今は。

 四宮かぐやの近侍として学園にいる以上、目立つわけにはいかない。自分が目立つという事は、今後もあるであろう主からの無茶振りや様子を伺う仕事に足枷が出来るため。

 自分自身に来る甘えた考えを必死に切り捨てて口を閉ざす。

 

 幼稚園からこの今まで同じ環境で過ごしてきた人が多いこの学園に置いて、話題というのは重要だ。

 特定の大きな話題に皆飢えている。自分達が好きに話せる話題を。

『あの伊井野ミコと赤錆身仁が付き合ってる』という恋愛談や『2人が別れた』というような失恋談が。

 前者ならば、2人が傍にいる場面を見れば一時的に小規模ながら再熱し新たな話題を組み入れて伝播していく噂。しかし、後者は違う。結果だけを並べたこれは時間と共に風化していく。

 付き合うとするならば、その後。皆が忘れきたタイミングに。

 今付き合うと泥棒猫という不名誉なレッテル貼りと共に噂が大炎上してしまい、熱を冷めるのを待つのが難しくなるから。

 

 それでも、意識はしてほしい。

 早坂愛という少女も恋をしてみたいという現実に。

 少しでも意識を持って、それがあわよくば知らないところで恋愛感情として発展すれば早坂からしたら言うことはない。

 そこまでいかなくても、今後あるかもしれない他の女に対して芽生えた感情と自分を比較するようになればいい。

 自分の恋人としてどちらが相応しいか、見比べればいい。

 早坂を選べばそのまま、相手を選べば……。

 何れにせよ、今は付き合えない現状。

 時間稼ぎにしかならないが、それでも自分も恋愛候補の1人としてカウントされればそれでいい。

 ただ、それだけでは終わらなそう。

 意外にも固まっていた赤錆はゆっくり口動かしていく。固まっていても、その頬は紅潮していた。

 最も傍にいる異性からきた、急な恋愛相談。

 普段とは逆の関係に、急に来たその言葉に。

 早坂も期待する。

 

 

「早坂、それって──」

「──ここですか!! 恋愛してるっぽい部屋は!!」

 

 ただ、最悪なタイミングで最悪なゲストの登場によって早坂が期待する言葉も展開にもならなかった。

 1人異様にテンション高い彼女は、部屋に入ってくるやいなや早坂と赤錆の間に立ってその目を輝かせながら交互に向ける。

 

「ねぇ、ねぇ!! 恋愛してました!」

「してない」

「またまた赤錆くんはすぐ誤魔化すんだからー」

「してないし」

「えー、早坂さんまで誤魔化すんですかー?」

「千花、うるさい」

「ひどいっ!!」

 

 乱入者、藤原千花は冷たい一言に突き放されると早坂に抱きつく。

 暑苦しいと感じつつに無表情でその頭を撫でていった。

「もー、そんな甘い空気なんて出してないよちか……千花?」

「あっ、早坂さんも私の事千花って呼んでくれるようになった!!」

 子供のようにはしゃぎながら顔を近づける藤原に対して、邪魔と感じつつ首を傾げて赤錆を見る。

「えっ? 千花って?? えっ???」

「うん? どうかした?」

「どうかしましたか愛ちゃん?」

 疑問が頭を埋める早坂を置いて仲良く同じ問を同じタイミングで口にして早坂の真似をする。

 

 えっ? なんでそんなに仲良しなの!? 

「えっ? なんでそんなに仲良しなの!?」

 思考と同時に口に出た疑問。この際急激に仲を詰めてきた事は不問とした。

「なんでって言われましても……」

「昔から?」

「昔から!?」

 珍しく彼女の慌てふためく姿を見る赤錆。それを不思議そうに藤原と見ていたが、彼はいち早くその理由に気づいた。

 

「千花とは子供の頃よく遊んでたんだよ」

「でも、去年とか全然話してるとこ見てなかったよ!!」

「去年というか……伊井野と仲良くなってからピタリと話さなくなったね」

「うっ」

 思い当たるところがあるのか、藤原は気まずそうな顔をして2人から目を逸らして明らかに逃げる。

 

「不都合な風紀とか守らないから風紀委員の伊井野に目をつけられたら困るし」

「ううっ」

「持ち込んでるもの見られたら没収されるものよく持ってくるし」

「うううっ」

「注意深く見られると埃がポロポロ落ちてくるから、伊井野と仲のいい俺との縁をばっさり切ったんだよ」

「ううううううっっっ!!」

 

 仇返しと言わんばかりの言葉で切られた藤原はその場で蹲ると「しょうがないじゃないですか」と呟く。

 うわー、ひどっ。

 何一つとしてしょうがないことではないのに言い訳をする藤原の小さくなる背に早坂は少し軽蔑をした。

 いや、それよりも。思考を切り替える。

 

 藤原千花

 かぐやの付き人としてここにいる以上、主からの命は絶対。

 しかし、彼女が関わるとどんなささいな要件でもその命は一気に厳しいものとなる。

 思いつきでしか動かない予想不能な動きに思いつきでしか動かない思考回路。その場の流れや空気を平気で踏み潰すような彼女は現にいい雰囲気であるこの教室を狙って突撃するという明らかに常人ではない判断と行動の片鱗を見せつけてきた。

 そんな彼女が、赤錆と仲の良い。それも昔から。

 

「へー、そうなんだ〜」

 焦る内心を笑顔で隠す。

 赤錆身仁の家庭事情、家族関係なんなら本当の母親の事といった彼が知らない事すら調べ尽くしてる早坂。

 だが、調べていないことはある。

 学園内での交流関係

 正確に言えば調べる必要がないと思っていた。

 そんなもの、自分が傍で見ていれば嫌でもわかるのだから。

 だからこそこの衝撃的な事実に早坂は考える。

 取り急ぎで必要な情報は何か。

 得られたもの次第では進む道標を変えなければいけない。

 自分がした事が、藤原の味方になるような事があってはいけない。それではまるで自分が後押ししたような形になるのだから。

 

「ふーん、へー」

 とりあえず時間を稼ぐ。考えを纏めたい。

 女性というのは自分を飾りたいもの。しかし、学生という身分では限界がある。

 校則という限界が。

 はじめは校則に触れるか触れないかというグレーゾーンで各々オシャレを持ち込み自慢しあって共感し合う。

 自分達のオシャレが浸透してくると、グレーゾーンから一歩また一歩とはみ出していく者が出てくる。校則を破る者が。

 だからこそ、風紀委員であり正義感の強い伊井野という少女は疎まれている。

 そんな彼女に付き合う彼もまた、クラスの女性陣とは距離を置かれていた。

 嫉妬深い彼女からしたら、仲良く話しているだけで苦言を言われ、それが続けば顔を覚えられて何時しか通りすがっただけでもマークされるようになると思い始めたからだ。

 実際、早坂は中学時代ではよく指導のため声をかけられていた。尤も、始まる前に問題箇所を瞬時に修正して難を逃れたが。

 そんな早坂を見て、その愚痴を聞きより距離を置かれていたのが昨年。当時はいなくても、翌年には彼女が来ると思っただけで離れた距離は縮まる事を知らなかった。

 

 今もまだ埋まらない。

 まだ始まって2週間。噂話では別れたと言われているが事実はわからない。

 当事者達は始めから付き合ってないという昔からの言い分しか返ってこないのがまた不気味に見えたのだろう。

 結局は、噂が事実と確信するまで離れた距離を維持されている。

 だからこそ、早坂は今が絶好の機会。

 自分ぐらいしか接する事がないからこそ、ずっと変わらずに接していた自分だからこそ周りに見られても特別不審がられずにコミュニケーションを深める機会。

 それが、邪魔されようとされていた。

 

「書記ちゃんはさ〜」

「千花で良いですよ愛ちゃん」

「書記ちゃんはさ」

「……はい、なんですか早坂さん」

 自分の要望が叶わない事を察して戻しつつも少し寂しそうにする藤原。

「遊んでたって、なにして遊んでたりしてたの〜?」

 しかし、その質問が来ると難しい顔をして指を唇に当てる。コロコロと表情が自然に変わるのが彼女の魅力。作ってばかりの自分とは違うところ。

 

「少し前迄頃は妹と3人で買い物とか行ってましたよ」

「妹ちゃんと? 仲いいんだ」

「はい! 小学生ぐらいの時はよく泊まりにきてたんですよ〜」

「へー、書記ちゃん家にお泊りね〜」

 思い出したのか楽しそうに笑う藤原。それを見て赤錆は少し複雑な顔をしていたのを早坂は見逃さない。

 追及は置いておき、家族ぐるみで仲の良いというのはとても面倒と考えを絞る。

 

 家族公認で友好を深める事は早坂には出来ない仕掛け。

 両親共々四宮家に仕え、仕事一筋な2人は自分が会いたくても会えないことが殆どなのだから。

 それだけでも強く寂しさを覚える両親の娘である早坂から見ても、家族愛という輝かしい言葉とは真反対の家族に育てられた彼もまた、家族愛という暖かな希望に焦がれていると考えていた。

 それを簡単に使って距離を縮めていた藤原。

 何をするにしても、本当に彼女が関わると面倒になる。

 

「今度の休みの日に買い物行こ! ねっ!!」

「今はちょっと……」

「いいじゃないですか! 荷物持ちして下さいよ!!」

「うーん……」

「ねっ!! ねっ!!」

 悲しげに揺れる瞳で顔前を占拠するが、赤錆は難色な様子で返す。

 現在進行形で女性とトラブルを起こしている身である以上、下手に他の異性と遊びに行くのは点けられた導火線を加速させるようにしか感じなかった。

 彼女もまた、そんな彼を考えない提案には否定的だ。

 

「あーあ〜書記ちゃん嫌がられてるよ〜」

「嫌がられてないですよっ!!」

 くわっと後ろにいる早坂にその涙目を向ける。うーっと唸りつつ、このまま押しても意味がないと考えた彼女は気になっていた黒板の文字を口にする。

 

「情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ……?」

 口にしながら考える。何故この言葉がでかでかと黒板に書かれているかを。

 すぐに恋愛に紐付ける彼女の脳内からしたら、時期的を考え当てはめるとすぐに見当が行く。「あっ」と呟きニヤけた口元を隠して

「赤錆さん、伊井野ちゃんに欲を見出したんだー」

「違うって」

 苦笑するも、そんな言葉は藤原に届かない。

「1つ下とはいえ、相手は中学生ですよ? 

 中学生は犯罪ですよ〜ロリコンですよ〜

 あーあ、赤錆くんが犯罪者って知ったら皆驚くんだろな〜」

 

 面白い方に話を捉える藤原。

 だが、彼女がニヤける理由はこれだけではない。その後の反応が見たいから。

 少し怒っている赤錆の胸に「どーんっ」という掛け声と共に飛びつく。

「はっ!?」

「くっ!?」

 座っていた椅子からは勢い良く押し倒され、急な力の変化に対応できず激しく転がり回る椅子。

 その音が静かになると、頭の中が真っ白になりかけていた早坂の思考は落ち着く。

 同年代とは思えないスタイルを恥ずかし気もなく押し付けながら、「むふふ」と笑う藤原と、顔を真っ赤にして抜け出そうとする赤錆の姿に目眩を感じた。

 

「ほら流されるなら高校生でもいいんじゃないですか〜?」

「高校生でも犯罪だろ!!」

「はい! なんで、流されるのはもう少し後にしてくださいね」

「意味が分からない……!」

 首に回された手を両手で掴み必死に剥がす。

 嫌がっている様が目に見えてわかっても、それでも嫌なものは嫌。

 自分から力任せに剥がしに行きたいが、見えないように隠しつつ両手の拳をグッと丸めて堪える。

 恋愛脳の藤原に下手に行動すると、その軽い口からありもしない噂をポロリと漏らされてしまう可能性があるから。

 無駄に交友関係が広い彼女に好きにされては、嫌でも目立つことになる。

 何よりも、ペンは剣よりも強しという。力任せにするよりもスマートにかつ迅速に解決する方法を思いついたからだ。

 

「あーぁ、書記ちゃんが教室で男を押し倒して風紀を乱してるって伊井野ちゃんにチクッちゃお〜」

「すいません赤錆くん、足が滑って転んじゃいました」

 内心の焦りを思いっきり顔に出しながら大量の冷や汗として現れつつ、大急ぎで立ち上がり彼に手を伸ばす。

 少しでも立場が悪くなると瞬時に行動を変える昔から変わらないその姿にため息をしつつその手を取った。

 

「もー、遊んでないで仕事しなよー。生徒会は?」

「今大事な書類の完成前なんですよ。それが出来るまで休憩です」

「大変だな」

 取られた手を引っ張られるような形で立ち上がる赤錆。

 打ちどころが悪かったのか、片手で腰を押さえて「いててっ」と呟きつつ飛ばされた椅子を戻して座り直す。

「大変な私は疲れているみたいなので生徒会室で休みますね」

 痛みの元凶という立場であり、不都合な名前が出て来たところで居心地の悪さを覚えた藤原はそそくさと教室から出ていく。

「またメールしますからね、赤錆くん」

 去り際に顔だけ覗かせて伝えるだけ伝えると手を振りながら部屋を後にした。

 

「慌ただしいやつ」

 嵐のように過ぎ去った後の静けさに赤錆の呟きが残る。

 彼女の言う甘い雰囲気はどこへやら。残されたのは疲れきった空気のみ。

 ため息をする少年とは違い早坂はジッと赤錆を見る。

 先程まで他の女と抱きついていた少年の身体を。

 

 見られていることに気づくと、声をかけられる前に早坂は立ち上がり場の空気を変えるためにも黒板に書き記した文字を後ろから消していく。

 最後に残った情欲という単語を少し見て、勢い良く消し去った。

 

 情欲

 高校生ともなるとそこに重点を置いて相手を選ぶ男も多い。

 早坂も自分のスタイルには自信がある。

 しかし、万が一藤原がその気ならば。

 藤原千花が自分の恋愛劇に組みいってきたら。

 何をするかわからない、どんな被害が起きるか予想できない彼女の登場は早坂からしたら御免被りたい。

 それでも、藤原が関係すると言うならば本格的に絡む前に手を打つか終わらせなければならない。

 だがそれは早坂愛では難しい。

 他の役で行わなければ──

 

 思考が纏まるのを見て、再び彼の隣に座る。

 何もないのに楽しげな笑みを浮かべながら心配そうに見る赤錆を見ると、安心したのか同じように笑って再び顔を隠すように机にうなだれた。

 次の話題は考えた。

 口を開き掛けたその時に、再び勢い良く開かれた扉の音で閉ざしてしまう。

 

 その人物を見て、すぐにわかった。

 直接接した事こそないが、少し前に主から話を聞き遠目ながら先日見た顔である。

 今現在かぐやが一番関わるコミュニティに所属する1人。

 話を聞いていたからこそ、不穏な空気を感じる。

 感情の読み取れない無表情に内心ため息をつく。

 今日は邪魔されてばっかり。

 残念な気持ちを表に出さないよう隠しながら、その口が動くのを見届ける。

 

「ちょっと借りていいですか」

 

 言葉こそ自分に向けられているが、その差し出された指は赤錆をしっかりと捉えている。

 少年、石上優は必死に隠しても隠しきれない怒りを込めた瞳で固まった赤錆を見据えた。



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石上優は暴きたい

 様々な問題を生んだ春休み。

 結局の所、何一つ解決しないどころか、更に時間と共に問題が増えていく。

 新しいクラスになって2週間。

 同時に今年も同じクラスで過ごす事になった早坂と2人しかいない教室に突如として現れた人物。

 赤錆には久々に見た顔を、早坂はかぐやから聞かされた程度の認識しかないその男は固まる2人に向かって隠すことなく静かな怒りを向けていた。

 

「ちょっと借りていいですか」

 

 湧き上がる感情を理性で抑えようにも、まったく静まらない。少しでも感情に身を任せないように意識を向けつつ彼は赤錆を指差した。

 突然の出来事に何を言うべきか戸惑う赤錆、知っているからこそ面倒事だと察して考え込む早坂、握りしめた拳をポケットに入れ表に出さないよう押し付ける少年、石上優は久々に会えた先輩に無言の感情をぶつける。

 

 その始まりは今から1時間前にあった。

 

 はー、面倒くさい

 そう思いながら石上は誰もいない空き教室の隅で床に座り壁に背を預けていた。離れた所から見える扉の開き窓からは下校時間を過ぎたというのに人影が度々見える。誰かの顔が視界に入った瞬間には無意識に顔をそらしてしまう。

 

 石上優

 彼の名を知らない者は同じ学年の、同じ中学にいた人達にはいないだろう。

 良い意味での有名ではない。全て悪い話ばかりだ。

 周りに何を言われようと、どう思われようと関係ない。知る顔を見る度にそう思って気持ちを切り替えて膝に置かれたノートパソコンを見つめる。

 真面目な文が綴られるそれを流し見すると思わずため息が出てしまう。こんな風に生真面目に役割をはたすというのは自分のキャラではない。

 それでも、地獄のような日々から手を差し伸べてくれた恩人からの頼み。その願いに全力出応えたいという思いとそれに逃げたら自分に来るであろう身の危険から守るために応えなければいけないという責務から逃げるわけにはいかなかった。

 

 早く終わらせてゲームやろ。そう思いつつようやくその重い指を動かしていった瞬間。勢いよく開いた扉の音と、その犯人の顔を見た瞬間には軽やかに向かっていたキーボードから自らの耳へと行き先を変えて全力で塞いだ。

 

「何やってるのよ石上!!」

 

 それでも彼女、伊井野ミコの声はよく聞こえる。

 指差された石上は深い溜め息を、余りにも突然の出来事に渡り廊下にいた人は野次馬達はその場を遠目で眺めてくる。

 面倒な奴に見つかった。露骨に顔に出しながらこの場から出ていってもらおうとこれ以上何かを言われる前にノートパソコンを伊井野に見せつける。

「生徒会の仕事をやってるだけだから問題ない」

「なら生徒会室でやればいいじゃない!!」

「ぐっ!!」

 それを言われると石上に言葉はない。

 本来であれば生徒会役員である石上の仕事は生徒会室で行うもの。しかし、それは出来ない。

 

 組織内での人間関係

 

 自分以外は2年生というのもありある程度関係が出来ている生徒会という組織。

 しかし、石上は高校生になる前に会長である白銀御行とは既に知り合っており、彼こそが自分を救ってくれた恩人である。

 彼と接する事に問題はない。むしろ敵しかいないこの学校で唯一と言っていいほどの友人。その顔を見ることを拒む理由はない。

 問題はもう1人。

 四宮かぐや

 まだ数回しか会っていないが、何故かとてつもない殺気を彼女から感じていた。何故か机下に貼られていた喫茶店の割引券を拾っただけで語るも恐ろしい表情をされたのは石上にとってはしたくもない人生経験だった。

 それが生徒会に入ってすぐであり、更にはつい先日の事というのだから余計にあそこに居たくなかった。

 

 恩義ある会長のいる生徒会。そこには自らの命を狙う副会長がいる。

 生徒会に所属して早々の濃すぎる組織図に石上は頭を悩ませ、仕事を持ち帰りとして家でやる事によって生徒会室で過ごす時間を最低限とし、更に家でやるのとによって会長の助けになるという手段を作った。

 しかし、今仕上げているこの書類だけは緊急との事で少し離れた空き教室を使っていた。

 

 口にするのは簡単なこと。だが、かぐやの事を口に出すのは脅されているため言えない。

 しかし言わなければ目の前でガミガミと怒っている伊井野は納得をしない。

 

 人間関係のトラブルというのは何も組織内に限った話ではない。

 目の前の伊井野とは中学時代から犬猿の仲。風紀を守らない自分もいけないのだが、見かける度に怒ってくる。

 それは久々に登校してからも変わらない。

 一度出来た関係というのはそう簡単には変えられない。

 怒る側と怒られる側

 脅す側と脅される側

 嫌う側と嫌われる側

 組織での立場からなる関係であったら立場が変わることによって逆転する事はあるが、個人間で出来てしまったそれはそう簡単には変わらない。

 簡単には、変えられない。

 

「僕の邪魔をしたら会長達が困るけど?」

「ぐぬぬ……」

 その一言で口を止めると歯ぎしりをしつつ石上を睨みつける。

 誰もいない教室を無断でを使ってはいるが、それは生徒会の仕事をするため。学園のためにしていると言われると伊井野は黙ることしか出来なくなった。

 それでも、自分の中で落としどころがつかないのは事実。実際今は真面目にしているが目を離すとすぐに遊び始める可能性も十二分にある。

 そう思い、考えてすぐに伊井野は答えを導いて実行した。

 

「よいしょ」

「なんで座るんだよ」

 石上から少し離れた所で座ると、彼のパソコンと手をじっと睨む。

「石上がサボらないように監視するの。

 目を離すとすぐにゲームしそうだし、目の前でゲームしたらすぐ没収できるしいい事尽くめじゃない」

「僕がサボる前提で話すな!!」

「日頃の行いのせいでしょ!?」

「ぐぬぬ……」

 そう言われては何も言い返せない。実際さっきまで触らずにぼーっとしていたのだから。

 中学時代から伊井野に没収されたゲーム機、漫画、ラノベは山のようにある。

 日頃の信頼が低いからこそなせる結果に辟易しながら早く終わらせようと作業を始めた。

 

「…………」

「…………」

 2人の付き合いは長い。

 校則を平気に破る石上と絶対遵守を掲げる伊井野。

 顔を合わせる度に怒り怒られの2人にしては珍しい静かな時間。

 若い男女が2人っきりで過ごすその空間は今、一触即発な空気で包まれていた。

 隠れてゲームをしていないか、サボったらすぐに注意するという硬い意志の元、その気持ちを視線に変えて隠すことなく指の動きを追う伊井野。

 何か言いたいが見られていることに文句を言ってもまたうるさくなるだけと我慢をし、真面目に仕事をしている時に注意されたら言い返してやると機会を待つ石上。

 互いに互いの動きを睨み合いながら注意深く見ていく。

 

 そんな重苦しい空気の教室とは明らかに気圧が違う一歩離れただけの開きっぱなしの渡り廊下は、軽い気持ちの者たちが通り過ぎていく。

 何故か扉が開いてる教室をチラリと眺めて歩きさる人達には2人の気持ちも関係もわからない。

 だから、気持ちもない噂話を

 心のない言葉を平気で言える。

 

「あの伊井野って子赤錆くん振ってもう違う男作ってるよ」

「ッ!!」

「…………」

 

 静かな部屋には充分すぎる小声での会話。いや、伊井野に聞こえるように言ったかもしれないその言葉に彼女は酷く動揺する。

 その顔を見て、石上は何も言わずに目の前のモニターを見つめ淡々とキーボードを打っていく。

 

「赤錆先輩と別れたのか?」

 

 赤錆身仁

 その名前は中学時代の石上にとって伊井野の次に馴染み深いものであった。

 元々クラスでも浮いていた石上。性格的にも必要以上に誰かと接する事をしなかった彼からしたら数少ない知ってる先輩。

 彼の認識は自分と同じ学年の人ならば良くも悪くも知っている人は多い。

 

 伊井野ミコに絡まれている可哀想な先輩と

 

 元々その正義感と歪んだ価値観を押し付けるように注意する伊井野は同級生達に疎まれていた。

 そんな彼女が急に連れ回し始めた先輩。彼女とは違って風紀委員でもないのに。

 周りからしたら、それは可哀想と映るが伊井野からしたら違う。学園のためなら役職や立場に問われず働く事が大事だと考えているのだろうから。現に今も入学したてで風紀委員という役職じゃないにも関わらず石上の事を見ているのだから。

 

 そんな彼女に毎日遅くまで校内を連れ回され、注意をする伊井野とその相手にいつも割って入っていた先輩。石上も過去何度か注意を受けた際に赤錆は間に入っていた。

 もっとも、猪突猛進な彼女はせっかくの仲介人を無視して話を押し切るため意味はなかったが。

 

 そんな彼女に何故付き合うのか? 

 それは付き合っているからだろう

 それが少なくとも周りが作った結論である。

 伊井野も赤錆も何度もそれを否定していたが、そうでなければ赤錆が伊井野に大人しく連れ回される理由がわからないからだ。

 わからないからこそ理由をつけたがる。

 特に悪目立ちする伊井野のような人には。

 異性間の交流にも煩い彼女には、赤錆が彼氏だから傍に居させているという風に話を作っていれば注意された時に言い返す事ができるから。

 

 嫌われ者の自分とは違い、同情の意味で知り渡されている先輩。それが石上が知る赤錆身仁という人間だ。

 もっとも、石上は付き合っているとは思っていない。伊井野のちょろさからして付き合っているとするなら顔を赤くして口ごもり否定するだろう。はっきりと彼女の口から否定するという事は、付き合っていないのだろうと感じたからだ。

 だからこそ余計に連れ回されている赤錆が分からなかった。付き合う意味が。

 

 だが、それは石上が知ってる間の話。

 不登校だった石上はそこから先の事を知らない。

 周りが噂する、急に出始めた別れたという噂しか。

 

「別れたも何も、付き合ってないし」

 顔を俯かせながら呟く伊井野。

 彼女がそういうなら、そうなのだろう。

「じゃ、はっきり言えば」

「言ってるけど皆聞いてくれないだけ」

「……そっか」

 

 石上優は知っていた。

 彼女は周りからの冷たい言葉に何度も傷ついている事を。

 彼女はその視線に怯えている事も。

 彼女は正しくありたいだけの、ただの女の子ということを。

 

「終わったから帰る」

「……うん」

 それ以上言うことはない。そう言わんばかりにパソコンを仕舞い立ち上がる石上。

 伊井野もまた何も言わず何も見ない。自身の膝に顔を埋めて俯くだけ。

 さり際に横目でチラリと見ただけで声はかけない。

 普段とは余りにも違う彼女を見ただけで、彼にも心の余裕は無くなりつつあった。

 

 何があったか分からない、知りもしないが石上に見えている現実はただ、自分の知ってる努力を欠かさない直向きな少女を泣かせた男がいるという事実。

 束縛が強い彼女がその手を離すようなことをされたか、したという事実。

 誰が悪いかも誰も悪くないかもわからない。

 だからこそ石上は知りたい。

 嫌われ者の自分だからこそ、これ以上嫌われようと構わない。

 周りと違って学校にいるという意味を見出していない。

 嫌われてでも何があったかの真実を知って納得をしたい。

 

 誰よりも強がりな伊井野が自分の前で落ち込む程の事があったかどうかを。

 

 

 

 

 

 

 

「……こんな感じかな」

 そんな石上は校舎から少し離れた場所でベンチに座りながら赤錆の話を聞く。

 感情的に、というよりも落ち込みながら話していく赤錆の姿をよく見ながら。

「…………」

「……なんか」

 一通りの話を聞き、ゆっくりと咀嚼しながら飲み込んでいく。飲み込み終えて石上はなんとか1言を呟いた。

 

「なんか、本物の恋愛ってドロドロしてるんですね」

「恋愛に本物も偽りもあるの?」

 ようやく捻り出した1言に興味を向ける赤錆を無視して石上は考え込んだ。

 

 自分が学校に来ていなかった間は特に進展がなかった事

 春休みに急に現れた一人の女のせいで物事が面倒に歪んた事

 歪みを解そうとしても一方的な連絡になり、伊井野からの接触は避けられているという事

 そして、一緒にいた早坂の事。

 

 事態だけを並べれば単純。その女1人が悪者になるのだから。

 だが、石上は気になった。

 余りにも都合が良すぎる展開に。

 作り話で赤錆が自分を悪くないように仕立てているだけだと考えたが実際に送られた、送っているメッセージを見る限りその線は薄い。

 何よりも、本当は二股していたぐらいならばこの場で感情に身を任せるだけで少なくとも自分は満足した。

 だが、物事はそうも単純には行かない。

 これでは何方も被害者だ。

 

 この展開で得をする人がいるとしたら誰だろうか。

 考えてすぐに浮かぶシルエットは、ついさっき見た少女の面影。

 しかし

 

「そのスミシーさんって早坂先輩と似てたんですよね? 

 実は変装してたとかじゃないんですか?」

「ないでしょ、映画やドラマじゃないんだし。

 それに、スミシーさんと電話してる時に目の前に早坂はいたんだから」

 

 そう、早坂愛はスミシーとの最後の接触の時にその場にいた。

 だからこそ、彼女ではないと決めつける。

 面影を感じる少女を、もしも赤錆の事を好きであるなら一番得をするであろう少女を。

 

「なら純粋にスミシーさんを助けてフラグが立ったって事なんですよね」

「フラグ? ってのはわからないけど、まぁ、彼女を助けたから面倒にはなったな」

 

 スミシーという存在。

 たった一人で人間関係に大きくひびを入れた少女。

 本当に偶然出会っただけなのか、それとも仕組まれた出合いなのか。

 どうしても石上には彼女の存在が道具にしか見えなかった。

 だが、その思考を外へ追い出すように大きく息を吐く。

 

 恋愛ゲームと漫画の見過ぎで変な事考えちゃうな。

 とりあえずはそう切り替えた。切り替える努力をする。

 

「まぁでも、先ずは伊井野にきちんと話さないとダメっすよ。

 さっき会ったんで、僕が顔繋ぎしますから謝りましょう。

 スミシーさんにもはっきり言って、伊井野にもきちんと話さないと。

 こんな風にしたのは赤錆先輩なんですから、先輩がはっきりと言って終わらせないといけないっすよ」

 もしも

 まだ頭の片隅にある可能性に考える。考えてしまう。

 もしも、黒幕がいるとするならば自分という存在はノーマークのはず。

 中学時代でもそこまで話す仲ではなかったのだから。

 そんな自分が元の鞘に収まるように尽力すれば、誰も傷つかずに済む。

 石上はその思いで俯きながらも決意を固める赤錆を見つめた。

 

「そうだね。 

 はっきり言わないと」

 その姿を見て、自分の湧き上がる怒りを向ける本当の相手を見極めようと決心する。

 人の心をもて遊ぶ黒幕を。

 スミシーか、それとも、その裏にある──

 

「あっ、いたいた」

 

 場の解決が見えてすぐ、息を切らしながらの声に石上は振り向く。

「もう、探したんだかんね」

 早坂愛は肩で息をしながら、その乱れた呼吸を戻すように大きくいきを吸っていた。

 

「早坂、どうしたの?」

「急に石上クンが来たから、どんな人かと思って後輩に聞いたら……。

 怖くなって見に来たんだし!!」

 そう言って何事もなさそうに振る舞うのんきな赤錆を見てため息をつく。

 石上もまた、自分の悪評が広がったことを知り同様にため息をついた。

 ただ

 

「石上は変なことしないよ」

 

 息を吐いてる最中に聞こえた1言に固まる。

 

「聞いたのってあの噂でしょ? 

 暴力事件なんて石上は簡単にしない。

 千花と一緒で自分にルールがあるだけで、それに従っていれば風紀を守らないだけ。

 カッとなってすぐ暴力に走るんなら、とっくの昔に伊井野が殴られてるよ」

「……ふーん、そうなんだ」

 

 笑いながら話す赤錆を石上は見る。

 あぁ、そうか

「いや、流石に女相手に殴ったりはしないですよ」

「男なら殴ってた?」

「そりゃもう!! 毎日殴り倒してましたね!!」

 シャドーボクシングの真似事をして笑い話を広げる石上。

 赤錆はその姿を見て「こわいな〜」と面白そうに早坂はわからないといった顔で首を傾げる。

 

 僕の事を信じてくれる人だって中にはいる。どれだけ少なかろうか、いるんだ。

 そう思いつつ笑う石上。

 だからこそ、止めないといけない。

 そんな信じてくれる人を傷つけようとする奴がいるならば。

 疑う事を知らない赤錆の顔を見て、その決意を固めた。

 

 そして、その決意が試される時はすぐに来る。

 赤錆のポケットに収まって、そのなりを潜めていた携帯。

 それが激しく震えると共に、聞こえてきた音。

 スミシー

 彼女の名を記しながら。



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伊井野ミコは伝えたい

 1人部屋の隅で膝に顔を埋める伊井野。

 彼女の気持ちを無視して追いやるような声はもう聞こえない。

 静かな部屋で黄昏れる少女。

 そんな彼女を迎えに来たかのように、その人物は扉を開けた。

 

 ちらりとその人を見てすぐに慌てて立ち上がる。

「えっ、あっ、お、お久しぶりです!!」

 軽く頭を下げる伊井野。

 そして、そんな彼女に向けられた優しい誘惑。

「……本当にいいんでしょうか」

 甘言に戸惑いつつも、言われたことは不思議な程に甘く、咀嚼すればするほどに自然と飲み込んでいく。

「はい、はい」

 溢れていた疑問。

 その疑問も徐々になくなっていく。

「……そうですね、そうですよね!!」

 自分の都合の良い風に並べられた、その言葉達に。

 伊井野はただ、その目を輝かせた。

 優しく笑う彼女に向かって。

 

 

 

 

 

 

「スミシーからだ」

 震える携帯を取る手も心無しか震わせながら赤錆は呟く。

 それを聞いて、石上は横目で早坂を見る。

 手を後ろに組みながら驚いた顔をする早坂を。

 

「……出たほうがいいかな?」

 投げかけられた問に2人は息を合わせたように頷く。

 それを見て、大きく息を吸ってから赤錆は耳に当てた。

 

「もしもし」

「あっ、赤錆くん久しぶり〜」

 場の緊張感を壊すような柔らかい声。

 そんな声を聞き逃さないように2人は赤錆に近づく。

 

「どうかしたの、スミシーさん」

「バイトが忙しくって全然連絡取れなかったから、久々に声聞きたいな〜って思ったからかけたの」

 クスクスと笑いながら話す彼女。

 たが、「それに」と付け加えるとその声も消えて真剣味を帯びたものへと変わる。

 

「私、赤錆くんときちんと話さないといけないなって思ったから」

「話す……?」

 赤錆からしたら、その機会は是が非でも欲しいものでもあった。

 自分との関わりを帳消しにしてほしい、そう願い出るチャンス。

 電話を拒否しようとメッセージを無視しようと、何処からともなく現れそうな彼女に対して、はっきりと口にする機会。

 面と向かって、はっきりと。

 

「あぁ、いいよ」

「本当!? 嬉しいな、断られたらどうしようと思ってずっと悩んでたから」

 安堵の息と共に話すスミシー。

「それじゃ、また合う日はメールするね」

「うん」

 トントン拍子に事が進む中、石上は自分の携帯を取り出して慌てて文字を打っていく。

 

 どこの学校に通ってるか聞いてみてください

 

 その文字列をみせつけられた赤錆はわけもわからないまま頷く。

「スミシーさんはどこの学校に通ってるの?」

「えー、何急に」

 本当に唐突な質問に石上以外の全員が首を傾げる。

 ただ、石上のみが次の言葉に真剣に耳を傾けた。

 

「そんなに気になるなら、次あった時教えてあげる。

 楽しみにしててね」

 答えずにはぐらかすような回答。

 それに合わせて石上はまた次の質問を打っていくが

「それじゃ、私バイトあるから切るね」

「あっ、待って!!」

 そんな言葉をついつい漏らしたが、無慈悲にも一方的にその声は途切れた。

 石上は打ちかけていた文字列を眺める。

 

「なんであんな事聞いたの?」

 赤錆からしたら余り長く話したくない相手。世間話も避けたい所だった。

「学校がわかったら直接乗り込んで話に行こうと思って」

「凄いアクティブなこと言うな!?」

 誤魔化すように笑う石上の恐ろしい言葉に驚く。

 石上からしたら、この質問に意味なんてない。何でもよかった。

 ただ、少し気になったのだ。

 彼女、スミシーの声に。

「…………」

 口元こそ笑っているが真剣な眼差しで地面を見つめる石上の様子に早坂は嫌な汗をかいてしまう。

 石上優という男について、早坂は少しとはいえ知っているから。

 かぐやと同じ生徒会役員の1人。

 まだ彼が活動して間もないとはいえ、その観察眼と感の鋭さは生徒会でもずば抜けていると。

 先程の質問も本質は別にあるだろうと予想を立てつつ、諦めたように息を吐く。

 

 まぁ、もう遅いんですけど

 

 そんな風に内心呟きながら。

 

「それじゃ、伊井野の所に行こう」

 見たくもなくなってきた電話を仕舞って赤錆は石上に言う。

「そうですね、行きましょう」

 その前向きな姿勢に石上は関心を覚えた。

 何を言われるか、何をされるかわからないにも関わらず自分がやった事にしっかりと落とし前をつけようとする赤錆の姿に。

 自分だったら、きっと逃げようとしてしまうと思いながら。

 そして、本当に彼は悪くないんだと感じながら。

 

「伊井野ちゃんの所に行くの!?」

 急な言葉に早坂は驚く。

「あぁ、まだいるみたいだから。早めにきちんと話をしないといけないと思うし」

「でも、逃げられたんでしょ?」

「大丈夫ですよ、僕が逃さないんで」

「ふーん」

 2人の顔を順に見る。何を言ったところで止まる気はないと言わんばかりの顔を。

 

「石上くんも居るなら大丈夫かもね〜」

 会わせるのはまだ早い。

 その気持ちを出さないように意識しながら、とぼけた口調で石上に問う。

「石上くんと伊井野ちゃんって仲良いの?」

「ははは、あんな奴と仲良くするぐらいなら自分の舌を噛み切りますよ」

「なんでそうなるしっ!?」

 爽やかな笑みとは裏腹な言葉に思わず突っ込む。

「まぁ、仲悪いんだよね? 

 なのに伊井野ちゃんのために頑張るんだ〜」

 覗き込むような上目遣いで石上の様子を観察する。

「……別に伊井野の為なんかじゃないですよ。

 赤錆先輩が困ってるから助けたいんです」

 はっきりと応える。

 伊井野の為ではないと。

 赤錆の為に動いていると。

 

「ふーん」

「…………」

 面白そうに聞く早坂を石上は冷たく見る。

 まだ自分の中で黒の彼女を。

 もう少しと内心焦る気持ちを必死に隠す早坂を。

 互いの内心を決して表に出すことなく見つめ合う両者。

 その気持ちを何も理解できない赤錆はただ、声をかけるタイミングを逃して手をこまねいていた。

 そんな赤錆を助けるように横槍が入る。

 

「楽しそうじゃない、石上君」

 

 来た

 早坂は後ろからかかった声に笑顔を向ける。

「あっ、かぐやちゃん」

「四宮先輩!?」

「……四宮さん」

 早坂は嬉しそうな笑顔を石上は驚いた顔を、赤錆は気まずそうな顔を。三者三様の面に彼女、四宮かぐやはため息をつく。

 

「石上君、遊ぶのは勝手だけど仕事は終わったのよね?」

「仕事……あっ!?」

 その反応を見て再び大きく息を吐く。

 次の言葉が来る前にと石上は慌ててカバンからパソコンを取り出した。

「大丈夫です!! 仕事は終わったので命だけは……」

「いえ、終わってなくても命までは取りませんけど」

 けど、と続ける

「会長も藤原さんも貴方の仕事が終わるのを待ってますから、生徒会に一旦戻ってくれないかしら?」

「はい、わかりました!! わかりましたから、命だけは……」

「取らないって言ってるでしょ!!」

 子鹿のように震えた膝を隠すことなく必死に懇願する石上。

 そんな彼にだけ聞こえるように赤錆は耳打ちする。

 

「1人で行くよ、教えてくれてありがとう」

 それだけ言って赤錆はかぐやと石上の間に立つ。

「俺が石上を引き止めたんです、だから悪いのは俺で……」

「そうですか、石上君は私や会長の仕事が終わらない事を知っていながら赤錆君と話すことを選んだんですね」

「いや、そういうわげじゃ……」

 決して許さない

 そんな気持ちをひしひしと感じた石上の膝は更に震える。

「でも、珍しいですね」

「珍しい?」

 そんな彼を放ってかぐやは口元に浮かべた笑みを手で隠す。

 その冷たい瞳を強調するように。

「えぇ、珍しいですよ。

 ここ最近ずっと同じクラスなのに挨拶すらしなかった貴方がこうして私に話しかけるなんて。

 とても珍しい事じゃないですか」

「…………」

 それを言われて赤錆は逃げるように視線を逸らす。

「いいですよ、気にしてませんから。

 むしろ、四宮の名前だけを見て媚びへつらう人達よりも感心を持ちますよ」

「そうですか、それはよかった」

「ただ」

 

 かぐやは早坂から良く赤錆の話を聞く。

 彼女は赤錆が思っている以上に彼の事をよく知っている。

 だからこそ、言いたいことは山のようにある。

 それでも、明確に無関心を決めつける態度にどう接していいかわからず、結局何も言えないままだった。

 そんな状態が続いた中でようやく話すことが出来た機会。

 彼女は考える。

 自分が最も突きつけたい言葉を。

 

「ただ、私を無視するぐらいでは貴方の代わりにお父様をどうこうするような判断はしませんので、これからもそれを頭に入れて置いて下さいね」

「…………」

「…………」

「……えっ? お父さん?」

 

 石上だけが何も知らない。

 だからこそ、急な話の飛び方に何もついていけない。

 現れた疑問のおかげで集中する事ができ、目の前の恐怖心から関心がそれた。

「……覚えておきます」

 それ以上話したくない。

 そんな気持ちを伝えるように頭を下げて赤錆は早足でその場を逃げていく。

 

 ようやく言えた。

 かぐやは湧き上がる気持ちを笑顔に変えて自分から逃げるは恥だが役に立つ少年の背に手を振っていく。

 少し前の自分ならば、無視されるぐらい何も感じなかった。

 だが、最近は人に関心を持つようになってきた。

 だからこそ、余計な痛みを感じるようになった。

 一方的に、理不尽な痛みを。

 名前があるというだけで。

 そんな痛みを与えてくる人に1言言えた。

 それだけでかぐやは満足してしまう。

 後は早坂がこれを機に自分に対する扱いを改めるように言わせるだけ。

 問題の1つが解決し、上機嫌になりながら再び対面した恐怖に怯える石上に一歩近づく。

 

「石上君、少し話があるのだけれど」

「は、はいっ!!」

 涙目を通り越して泣き始めた石上。

 そんな彼を早坂はかぐやの後ろで見守る。

 視界の隅で徐々に消えていく赤錆を見ながら。

 

 今すぐに一緒に行って話を聞きたい。

 落ち着かせて、自分の考えを教えて理解をしてもらいたい。

 自分の主は怖くないと、何があっても抱え込まずに自分にだけは話してほしいと。

 誰かを巻き込む事なく、私だけを頼ってほしいと。

 伝えたい気持ちを必死に胸に押し込む。

 目の前の場を荒した元凶に掻き回された感情を向けながら。

 

 

 

 

 

 

 下校時間も大分経ち、人気がなくなった廊下を早足で歩く赤錆。

 少し前ならば、こんな事をしたら間違いなく怒られていた。

 自分の隣に立っていてくれた少女に。

 怒られる事をしながら、知りながらもその少女に会いに行く様に不思議な違和感を感じると思わず笑みが溢れてしまう。

 話せるかどうかわからない。

 顔を見るぐらいは出来るかもしれない。

 また逃げられて終わりかもしれない。

 そう思いながら、赤錆はようやく着いた空き教室の前で止まると息を整えようと呼吸を大きく──

 

「廊下を走っていた人は誰!?」

 そんな怒りが籠もった声と共に目の前の扉が勢いよく開かれる。

「うわっ!?」

「えっ? 赤錆先輩?」

 思わずたじろぐ少年の姿に伊井野は驚いた。

「……むぅ、色々と聞きたい事はありますけど。

 とりあえず、廊下を走ったら駄目ですからね」

「……気をつけるよ」

 普段の注意とは違い優しく言い聞かせるような姿。

 これを皆にすればこう煙たがれる事はないのに。

 そう思いつつ苦笑いをしてすぐに気づく。

 いつもの様に話してくれたという当たり前の大切さに。

 

「伊井野?」

「なんですか?」

「……逃げないの?」

「なんで逃げる必要があるんですか」

 ため息をついてすぐ小声で「あの時はまだ気持ちの整理がついてなかっただけだもん」と呟く。

 あの時、と聞けば昔のように感じるがそれは昨日の話。

 自分の顔を見て駆け足で逃げ出した少女。

 だが、今は

 

「あっ、昨日は廊下じゃなくて外だったから走ったんですからね!! 

 風紀は破ってません!!」

「スミシーの事」

 伊井野の言い分に耳を傾ける余裕なんてない。

 赤錆はただ、伝えたい事を必死に纏めながら口にする。

 

「今度、スミシーに会うよ。

 きちんと伝える。

 別にお前と付き合ってなければ、付き合う気もないって

 だから──」

「別にいいんじゃないですか?」

 だから、その次の言葉を探す時間を伊井野は与えなかった。

 

「赤錆先輩と私は付き合ってなかったんです。

 だから、赤錆先輩が『今』誰と付き合っても私には関係ありませんから。

 だって、私は──」

 

 ポケットから携帯を取り出す。

 画面を開いて何も触らずにその付けていた画面を赤錆に見せた。

 それは、彼からしたら最近見たもの。

 彼が伊井野に対して必死に送っていたメッセージのやり取りをしようと懸命に送っていた言葉達が綴られていた。

 

「前は私が何度も送るだけでたまにしか返事くれなかったのに、今は先輩の方からたくさん送ってくれますよね」

「まぁ、そりゃ」

 話したいのに返事もくれない。

 そんな不安な気持ちが先行して何度も何度も話したと言葉を変えて送っていた。

 春休み前とは逆の立場

 以前は事ある毎に送られてきたメッセージに嫌気をさしていたのに、自分がその立場になっていた。

 

「私、それが嬉しいんです」

 大切そうに、壊さないように、亡くさないように

 優しく両手で携帯を包み込んでそれをギュッと抱き寄せる。

 嬉しそうに微笑みながら。

 

「私の事を見てくれてる。

 私の事を考えてくれてる。

 私の事を心配してくれてる。

 私の事を気にしてくれてる。

 私の事を……私だけの事を考えながら、必死になってくれてる。

 それが、とても嬉しいの。

 前は何時も私が送って、返ってこない返事に不安だったけど今は違う。

 何もしなくても、何も言わなくても、何も望まなくても

 あなたが自分から私のためだけに動いてくれる。

 それが、幸せなんです」

 

「で、でも、俺が悪いって」

 嬉しそうに話し始める伊井野に。

 今でも忘れられない喫茶店での出来事。

 その時の感情とは裏腹な現実にちょっとした恐怖心を感じながら水を差す。

 

「あぁ、あの時は落ち込みました。

 でも、あの後教えてくれた人がいるんです。

 今誰と遊んでも成功する人なんていないって

 だから、今は遊んでても許してあげなさいって。

 私もそう思います。

 学生恋愛なんて長続きしない。

 恋愛なんて、結婚する前の遊びじゃないですか。

 憲法だって、結婚してから適応しますけど、その前じゃ何も適応されません。

 だから、大事なのは今じゃなくて未来なんだって」

 

 語る伊井野の言葉に赤錆は唾を飲み込む。

 誰かに言われた。

 だったら、なんで昨日は逃げたんだ

 伊井野にそう伝えたのは、学園の──

 

「でも」

 思考を回してすぐ、そっちにばかり気を取られていて伊井野の事を見てなかった。

 それが、彼女には許せなかった。

 

「私の事を見てくれないなら、遊びでも許さない

 私の事を考えてくれてないなら、遊びでも許さない

 私の事を心配してくれないなら、遊びでも許さない

 私の事を気にしないなら、遊びでも許さない

 私の事をしっかりと考えてくれてるんだったら、私は許してあげますよ

 今だけは、ですが」

 

 伊井野はそっと赤錆の胸に頭を預ける。

 以前のように、頭を撫でてほしいと無言でのアピール。

 それに気づきつつも、彼の手は指1つ動かない。

 動かしてしまえば、目の前の恐怖を跳ね除けてしまいそうになるから。

 伊井野からしたら、それは面白くない。

 動かないその手を取って無理やり自分の頭上に乗せて動かしていく。

 

「先輩、私は『間違い』さえしなければ許してあげますからね。

 何をしても、何をやっても。

 だから、忘れないでくださいね。

 私の事を」

 

 言いたいことを言え、更に甘えることもできて伊井野としては大満足に終わった急な出会い。

 彼女はそっとその手を傷つけないように外すと、最後に「帰りますね」とだけ伝えてその場を去っていく。

 1人緊張と恐怖で固まる赤錆を置いて。

 

 どうしてこうなったんだろう。

 錆びた思考回路が回り始めたのは、伊井野の背が見えなくなってから暫くした後。

 自分の手で顔を隠してその場でうずくまるように丸まってから。

 彼が動き始めた事により時が進んだ。

 そう感じさせるように、声が聞こえる。

 

「先輩」

 石上は何処からともなく現れると、赤錆に同情の視線を向けた。

「……すいません」

「……なにが?」

 誤魔化すように必死に笑う。しかし

「少しだけ聞きました。

 まさか、伊井野の奴あんな事言い始めるなんて思ってなくて」

 自分が伊井野と会わせた故の結果。

 勝手な正義心からきた目の前の惨状に石上は悔やむ。

「別にいいよ、悪いのは俺だしね」

 そう

 自分がしっかりとしていれば、こうはならなかった。

 自分が、自分のせいで

 

「……帰ろう」

 静かな時間と重苦しい空気に嫌気がさした赤錆は俯く石上に向かって言う。

 精一杯の強がりで笑いながら。

 

「先輩」

 軽くよろめきつつも立ちがあった赤錆に石上は向き合う。

「俺、先輩を必ず幸せにします!!」

「…………は?」

 急な言葉に戸惑っしまう。

「だから、いい彼女を見つけてください!!」

「えっ、いや、なに急に??」

「先ずは女心を学びましょう!! 

 おすすめのギャルゲーと漫画貸しまから!!」

「あっ、ありがとう」

「先輩に合う、先輩に相応しい最高の彼女を見つけたら、僕が全力でサポートしますからね!! 

 必ず教えて下さいね!!」

「う、うん……うん??」

 急な気合の入れ方に戸惑いを覚えたが、その勢いで赤錆は思わず笑ってしまう。

 錆びた思考も気づけば元に戻っていた。

 目先の問題は何一つとして解決していない。

 それでも、心強い味方が出来たことに先ずは安心感を覚えながら。

 

 面倒な味方が出来たことに思わずため息を吐いてしまう。

 誰もいない、おそらく来ることもない待ち人の机に座りながら空の席を見つめる。

 普段は対面になるように座るが、こうして傍で話してみるのも楽しそう。ふと出来た楽しみに早坂の頬は緩んだ。

 イヤホン越しに聞こえる彼の声を聞きながら、空いた席を見つめていると本当に話しているような錯覚に陥っていく。

 明日になれば虚しい空想じゃなくなるのに、

 本当に面倒な味方が増えた。

 

 だが、いい事も言った。

 赤錆に相応しい彼女

 そんな人が出てきたらサポートをしてくれる。

 なら、もう私の味方だ。

 だって──

 赤錆身仁に合う人等、同性異性問わずに自分しかいないのだから。

 少なくとも、あんな恐ろしい事を言う人が似合うはずなどない。

 これからも、これまでも。

 自分が相応しいに決まっているのだから。

 

 時計を眺めると、何時もならもうそろそろ生徒会も終わり帰る時間だ。

 だが、石上のせいで仕事が終わるのにもう少しかかりそうだ。

 ならば

 目を閉じて聞こえてくる声に小声で返事をしていく。

 聞こえる事のない、自分に向けられてない言葉達に、独り善がりに。

 早坂はただ、笑みを浮かべながら応えていった。



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石上優は語りたい

「時代は一周回って妹萌えなんですよ!!」

 黒板にでかでかと書かれた妹という一文字。それを強調するように黒板を叩きながら石上は高らかに叫んだ。

 そんな本来このクラスに居るはずがない後輩の魂の叫びを赤錆は内心引く視線を、早坂は内心虫ケラのように見下す視線を隠しつつ見つめた。

「いいですか!! 時代は妹なんですよ!!」

「「へー」」

 既に離れきった温度差をただ1人感じない石上は大切な事と言わんばかりに2度言う。言ったところで注がれる冷たい視線は変わらないが。

 

「彼女にするならやっぱり、妹のように甘え上手な子が1番です!!」

 教卓を何度も叩きながらの力説だが、その音が静かな教室に響く度に2人は珍しく帰りたいという気持ちが芽生え、育まれていく。

 

「石上くん生徒会はいいの〜?」

 このままでは埒が明かない。

 そう判断した早坂は手を上げてただ1人妹という文字に燃えている男に尋ねた。

「生徒会の仕事は家でやるから大丈夫です」

「えー、生徒会室できちんとやらないとかぐやちゃんに怒られるよ〜?」

「い、いいんです!! 会長から許可貰ってますから」

 かぐやの名前を言われ動揺する石上。

 だが、副会長という立場では会長権限を覆せない。

 それを盾に石上は教鞭を執る。

 

「恋愛初心者の赤錆先輩には王道をよく学ぶことが先決です。

 いいですか、妹萌えというのは──」

 妹萌え

 本当に妹がいる者ならば理解し難い風潮。

 だが、姉妹がいない者が二次元というフィルターをかけると妹という存在に恋い焦がれるようになる。

 そう、石上のように兄しかいない男ならば妹という存在を欲するようになる。

 熱するように、萌えるようになる。

 

 兄弟がいないどころか、母親すら知らない赤錆には今一ピンと来ず苦笑いを。

 血こそ繋がってはいないが、かぐやという主でありながらも何処かわがままな妹のような存在がいる早坂は二次元というフィルターの強さを痛感しつつ石上の話を聞いていった。

 

 一方的に話す石上はその思考も違う事を考える。

 必死に共感を示そうとする先輩とは違い、薄っすらとした笑みを浮かべる早坂の冷たい目をチラリと覗きながら。

 

 

 

 

「石上くんは面倒な恋愛に関わるのが好きなのね」

 それはつい先日の事。

 赤錆と早坂、石上とかぐや。

 同じクラスの集まりと同じ生徒会の集まりという共通点を持つコンビが2組揃ったあの日の事。

 最も、かぐやの登場により赤錆は抜けてしまったが。

 彼の背が小さくなると、1人置いていかれ逃げる事も出来ない石上は自分から歩き出す事も出来ずにただ、自分の前で立つかぐやの動きを待っていた。

 待った先に言われた事が、ため息と共に漏れたその一言。

 

「……別に、そんなんじゃないですよ。

 ただ、自分の事を構ってくれる先輩に悪い虫がついたみたいなんで追い払いたいだけです」

 赤錆という知った人だから助けたい。

 その気持ちに偽りはなかった。

 少し前に恋愛に絡んで痛い目を見た。

 いや、片方が恋愛と思っていたがもう片方は──

 

 自分のちっぽけな正義感で大きな痛い目を見た石上。

 今回もそうなるのかもしれない。

 だが、それでもいい。

 間違っている事を誰かが間違っていると言わなければならないと石上は思う。

 正義感からか、情からか。

 自分が正しいと思う事をして、友人達の為になると言うならば。

 石上は痛い目を見てもいいと、少なくとも今この時は感じていた。

 

「あらあら」

 クスクスと楽しそうに笑いながら、そんな彼の熱い瞳に冷やかすような視線を送るかぐや。

 かぐやからしたら、石上という存在は特別でもある。

 自分が関わる生徒会役員の1人。

 生徒会長が選んだ唯一の後輩。

 そんな彼の熱くなる視線から主である自身を盾に隠れる早坂を横目で見る。

 学園では見ることのない、見慣れた顔つきの彼女を。

 

「石上くん」

 別に従者の恋愛に興味はない。

 むしろ、ここまで落ちた様を見せられ哀れに感じてしまう。

 恋愛という取引で負けてしまい、恋に落ちた彼女の様を見て。

 嫉妬に狂い自らの持ちゆる全てを使って無理矢理にでも相手を落とそうとする姿を見て。

 主である自分を使ってまで。

 

「恋愛って何なのかしら」

 自身の中でも日に日に増していく疑問をぶつける。

「恋愛……ですか」

 投げかけられた疑問に考えるが、漠然とした答えしか思い浮かばない。

 石上自身恋愛のよう綺麗な思い出がない。

 画面や書体から見て得た思い出しか。

 

「……やっぱり、お互いに好き合うものなんじゃないんでしょうか?」

「石上くんらしい答えね」

 より強く笑いながらの反応。

 まるで出来の悪い生徒に見せるようなそれに石上は特に何も感じない。

 自分が恋愛という概念を理解していない事くらいわかっている。

 自分が知っているそれは、絵空事なのだから。

 

「ねぇ、石上くん。

 恋愛は複雑な思考が纏まった結果だと思わないかしら」

「結果?」

「えぇ、そうよ。

 例えば……そうね。

 玩具会社社長の息子である貴方が好きな人が出来たとします。

 そして、相手は貴方ではなく社長の息子という地位を欲して付き合うとする。

 この恋愛は間違っているのかしら?」

「……それは」

 自分が好きな相手は自分ではなく自分に付加した価値を見て付き合う。

 恋愛とは、単純なものではない。

 必ずしも、自分という人間が好きで付き合いが生まれ発展するとは限らない。

 そんな事はドラマや映画でよく見ていた。

 

「間違っています」

「あら」

 はっきりとした答えにかぐやは少し驚いた。

「そんな恋愛長続きしません。

 例え上手く行っても、互いに好きあってない以上そのうち後悔する事になります」

 恋愛という尊い関係。

 だからこそ、石上はその価値を高いものとして決めつける。

 互いの気持ちがあって初めて生まれ、上手くいくものだと。

 

「本当にそうかしら?」

 そんな石上との距離を詰め、少し離れた身長差を少しでも埋めるように軽く伸びをして耳元で囁いた。

 

「自分の欲しいものが自分から来るのよ? 

 心の底から手を伸ばしたくなるような人が、自分から。

 自分から

 自分自身に価値を見いだされなかったなら、近づいてからアピールすればいいじゃない。

 そこから好きになってもらえばいいじゃない。

 どんなに酷い始まりだとしても、道中次第で結果なんて幾らでも変えられるわ」

 

 恋愛という絵空事。

 石上の汚れなきキャンパスを見ていると嫌でも自分の汚さを感じてしまう。

 

 生まれも育ちも何もかも特別な自分。

 だからこそ、他者の価値観とは共感できない事が多分にあった。

 目の前の綺麗さが嫌でも目立つように感じる程には汚れている自分の心。

 本当ならば、綺麗なものは綺麗なままにしておきたい。

 自分が汚す事を良しとはしない。

 自分の関わりある後輩の価値観を。

 それでも、関わらなければならない。

 視界の隅に写る、数少ない──いや、唯一の心許せる友人の願いを訴えるような視線に逃げる。

 

「恋愛は複雑よ? 

 他人なんかが関わっても碌な目に合わない。

 当事者にしかわからない気持ちがそこにはあるんだから。

 石上くんは、あの人の恋愛がどうなれば満足なのかしら?」

「……僕は、赤錆先輩が良い人と付き合えればいいと思っています」

「そう。

 なら、貴方から見てあの娘は良い子なのかしら?」

「まぁ、口煩い奴ですけど、悪い奴ではないと思ってますよ」

 嫌そうにしながらも素直に評価を口にする。

「そう。なら、見てらっしゃい」

 

 そう告げて石上が持つパソコンが入ったかばんを半ば無理矢理受け取る。

「急げば面白いものが見れるかもしれないわ」

 クスクスと笑いながら呆然とする石上を急かすように続ける。

「ほら、残った仕事は私と会長の『2人っきり』でやるから、石上くんは赤錆さんの所にでも行ってそのまま帰りなさい」

「えっ、でも会長に1言謝らないと」

「明日にしなさい。二兎追う者は一兎も得ず、と言うでしょ? 

 先ずはあの人の事をやってあげて、その後会長に謝りなさい」

「は、はぁ」

 釈然としないが、少しばかし嬉しそうに顔を崩しながら囃し立てるかぐやを見つつ、確かにと思う。

 今から生徒会に顔を出すのも気まずいものがあるため、明日で済むのなら早めに帰れてゲームも出来て一石二鳥だ。

 

「じゃ、行きますね」

「えぇ、急ぎなさい。残った仕事は私と会長の『2人』できちんとやっておきますから」

 

 念を押すように2人を強調されつつ、急ぎ足でその場から立とうとする石上。

 最後に見たのは、事の行末を見守るようなスタンスで全く口を開く事がなかった早坂の姿。

 視線に気づき、何処か気まずそうな笑みを浮かべながら手を振る彼女に軽く会釈をしつつ納得行かない心境を表に出さないように振る舞う。

 他人の恋愛に踏み込むのは確かに損を見るかもしれない。

 それでも、納得出来ない。

 自分がどうするのか、考えながらその場を駆け足気味に逃げ出した。

 

 そんな石上が見た光景は、自分の知っている真面目な同級生の姿をした誰かだった。

 

 

 

 

 恋愛観

 人によりその価値観は大きく離れる。

 頼ってくれる人が好き

 甘やかしてくれる人が好き

 見た目を重視

 内面を重視

 人によって様々な価値観を持って恋愛という行為に至るための好意を持つ相手を探す。

 そこに口を挟むのは確かにおかしな話でもある。

 しかし、目の前にいる男は違う。

 共に帰路に着く中で、赤錆という人間に触れて石上は感じた事がある。

 

 赤錆という人間は何処か恋愛感情という感覚がわからないでいた。

 度々口にしていたが、自分に向けられる好意が恋心なのか、それとも親切心からきたものなのか。

 もちろん、そんなものは誰から見てもわからない。

 当事者でもなければ。

 

 伊井野ミコに過剰な程の関わりを求められるのは何から来る感情なのか。

 早坂愛から来る積極的な関わりは親切心からくるものなのか。

 スミシーという女から来る異常な繋がりは恋愛からきているものなのか。

 

 赤錆は何もわからずただ漠然とした不安を感じている様子だ。

 このまま時が過ぎても悪化の一途しか辿らない現状に。

 ならば、と石上は思い立った。

 それは──

 

「いいですか!! 妹属性に外れはないんですよ!!」

 

 自分自身気づいていないが、そのテンションは明らかな右肩上がりをしつつその価値観を押し付ける。

 恋愛観

 それは、人の成長過程によって知らず識らずのうちに形成されるもの。

 家庭環境や、過ごし方による。

 母親どころか親戚の顔すらまともにしらない赤錆は、唯一の繋がりある父との希薄な関係から見て育つも、幼い内から愛が多いその後ろ姿に疑問を持って生きてきた。

 対する石上は、その恋愛観を現実ではなく二次元で形成された部分が大きい。

 故に、このギャルゲーから学んだ妹萌えの提唱とそれを一方的に聞く恋愛がわからない男が首を傾ける奇妙な姿に早坂は立ち会う事となってしまった。

 

「あの上目遣いがあれば、もうなんだっていいんですよ!!」

「何を言ってるかわからないんだけど」

 苦笑い気味で1人エンジンが温まる石上を見つめる赤錆。

 未だに落ちることないその勢いに早坂はこっそりと溜息をつく。

 

 どうしてこうなった。

 そんな言葉を飲み込みながらボーッと横目で赤錆の横顔を眺める。

 それでも聞こえてくる雑音に頭がクラクラとしてくるが、決して表には出さない。

 あくまでも、自分は友人がその友人の話をしているのを聞いているだけ。

 そんなスタンスを崩さないように。

 

 早坂からしたら、何がどうなってこうなったのかはよくわかっていない。

 わかっているのは、石上が伊井野と赤錆の一件を聞いていたこと。

 赤錆が自分の事情を話してしまったこと。

 特に家族の話を石上にしていたのを盗聴越しに聞いた時は腹が立ち、空き教室にいた早坂は傍にあったクラスメートの机を軽く蹴ってしまった。

 

 自分にもまだ話してくれていない話をする姿に、嫉妬した。

 相手が男とはいえ、自分にもしない、してくれていない話をした事に。

 

 早坂自身で調べた事とはまた違い、表面上のみ……具体的には、愛人を幼い頃から連れ込んでいるという様な知られては父親の立場がまずくなる事は伏せ、共に暮らしてはいるが全く話していないぐらいのニュアンスに落ち着いてはいたが。

 それを、彼の口から直接自分に向けて話してほしかった。

 何かを伝って言われるのではなく。

 知っているからこそ、その話をされるという事は自分という人間を深く知ってほしいというポーズのような、全てをさらけ出すような間柄だと認められるような。

 そんな高尚な話だと思っていたから。

 

 実際全てを話していなかったからこそ、こうして嘘とはいえ笑顔で話を聞いていられるが……。

 もしも、全てを石上が聞いていたら。

 自分はこうして笑っていただろうか。

 笑っていた、とは思う。

 その嘘という言葉そのものが早坂を象徴する一文字なのだから。

 それでも、内面はもっと暗かっただろう。

 それこそ、横目で赤錆を見るような余裕もなく。

 どうしようか、と真剣に考えながら教壇を見つめていただろうから。

 

 まだ、落ち着いてる。

 そう言い聞かせながら、これ以上考えるのを辞める。

 知られてしまったのはしょうがない。

 話してしまったことはしょうがない。

 そう思って切り替える。

 石上という相手にも、既に手は打ったのだから。

 

「何をしてるのかしら石上くん?」

 戸の開き窓から見えていたその顔は、おそらく教室からも漏れていたであろう演説を聞いて一瞬呆けた顔をして深く息を吐くと、ニコニコとした笑顔を浮かべながらゆっくりと戸を開けてそう言った。

 静かな、とても静かな一声だった。

 それでも、その声でエンジンは故障したのかと思う程に一気に収まりぎこちない様子で首をゆっくりと声の方へと向けた。

 

「し、四宮先輩」

 不安と緊張で大量の冷たい汗を一気にかきながらの呼びかけに、更に満足気に笑みを濃くする。

「石上くん、生徒会役員だろう人が神聖な教壇の上で何を話してるのかしら?」

「あっ……あっ……」

「お話があります。来てくれますよね?」

 

 石上は早かった。

 その身柄を拘束されるよりも前に、教壇から降りてかぐやとは違う教壇の出入り口へと駆け出す。

 しかし、そんな石上の背を逃さないと言わんばかりに、動きを読んでいたかぐやはその一歩と同時に同じゴールへと駆け、そして

 

「逃しませんよ」

 先に辿り着いたかぐやはその笑みを、惜しくも一歩足りずに固まった石上の視界を埋めるように見せつけた。

 声にならない叫びをしながら、大量に溜めた涙を赤錆達に向ける。

 気まずそうに手を振る2人の姿を見ながら、襟元を掴まれそのまま教室から引き出されていくように2人は去った。

 

 時間にして数十分程で消え去った雑音。

 毎日のように何時間も2人で過ごしているにも関わらず、そのたった数十分の時間を奪われた事に苛つきを感じたが、ようやく訪れた2人っきりの時間を前にするとその苛つきも消えていく。

 思えば、昨日も邪魔が入り満足に過ごせていなかった。

 順調に進んだ春休み。

 順調に進みすぎたからこそ、調整と言わんばかりに多難が訪れた新学期。

 進級して早々に訪れた邪魔な要素を思い浮かべると目眩がする。

 

 考えることは何時だって出来る。

 まずは、目先の楽しみを満喫したい。

 そんな思いを隠すことなく身体ごと隣の席に向けると、ぼんやりと天井を見ながら呟く赤錆がいた。

 

「妹萌え……か」

 

 不吉なワードを口ずさむその姿に、一途の冷や汗をかきながら軽く息を吐く。

 

 どうやら、早坂が楽しみにしている取り留めもない話をするにはまだ待たなければいけないようだ。



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赤錆身仁は祓いたい

「妹萌え、か」

 必死に語っていた後輩が消えると共に訪れた静寂ないつもの教室。

 心地よさと共に寂しさを感じながら、騒音を思い返しつつ赤錆はつぶやきながら口元に笑みを浮かべた。

 

 石上優という少年を赤錆は余り知ってはいない。

 2人の共通の友人であった伊井野ミコという少女を通してしか関わったことがないから。

 それでも、石上は無闇矢鱈に人に何かを説こうとするほどの聖人では無い事ぐらいはわかっていた。

 自分の傍にいる人に、自分と関わりがある人を大切にしたいという人。

 そう思ったのもつい先日の事だが。

 

 赤錆もまた、石上から見て大切にしたいと思われている。

 その認識だけが心地よく残っていた。

 

 そんな後輩からダイレクトに送られたメッセージは、恋愛という答えを知るための遠回りなヒント。なのだろうか。

 辞書で調べて出てくるような直接的な見飽きた答えとは違う、また1つの視点であり、1つの答え。

 どんな気持ちでそれを送ったかはさておき、届いたメッセージを噛み締めながら呟く。

 どれだけ咀嚼しても一向に飲み込まれない言葉を。

 

「お兄ちゃん」

 

 そんな工程に夢中になっていると、隣に座っていた早坂は面白そうに笑いながら赤錆を呼んだ。

 他所へと夢中になっていた思考を引き戻すように。

 

「何急に?」

「妹萌えって言ってたから! お兄ちゃんって呼んでほしいのかなーって」

 

 クスクスと笑いながら、何処か小馬鹿にしながら早坂は続ける。

 

「赤錆くんは年上が好きなの? 年下が好きなの?」

 

 それは、恋愛トークでは初歩的であろう問答。

 しかし、赤錆はそれすら言葉を詰まらせてしまう。

 

 年上がタイプか年下かタイプか

 

 年上好きな場合は、一般的に頼りになる相手、包容力を異性に求めるタイプ

 年下好きな場合は、自分から引っ張っていきたい、自分に自信を強く持つ者が傾向としてなりやすいといわれている。

 勿論、純粋に好みとして口にするだけの者もいるが。

 男性としては年上好きのタイプが多いというのが傾向だ。

 

 赤錆も男子学生。

 この手の話は同性間で何度かしたことはある。

 ただ、周りに比べて圧倒的に少ないが。

 中学生という異性に興味を持ち始める頃にはその話を振られていた。

 しかし、終わる頃には周りからは彼女持ちと噂され、更にその相手は同学年グループでは風紀委員として厳しい取締をしていたとの噂も重なりその手の話を全くと言っていい程振られなくなった。

 異性の話どころか、放課後はよく駆り出されたり、赤錆の傍にいた早坂が何かと標的にされていた場面を目撃されたせいでまともに話す関係すら減ってしまっていたのだが。

 

 だからこそ、改めて振られたこの問に赤錆は口を閉ざす。

 楽しそうに、大きな瞳を楽しげに揺らす彼女の視線から逃れる様に顔を反らしながら。

 

 率直に言ってしまえば、伊井野ミコは嫌われていた。

 彼女の口煩い注意に嫌気が差し、過度の干渉を避けるような人達が現れて

 噂が広まり、その幅が広まっていって

 同学年という枠組みから外れていって

 気がつけば彼女の周りに集まる人は決して多いとは言えなくなった。

 

 だからこそ、彼女の彼氏として扱われていた赤錆は恋愛という枠組みに触れる機会がなかった。

 それが、彼の救いでもあった。

 

 年上の女性との付き合い

 

 それを考えるだけで、赤錆は思い出してしまう。

 まだ中等部に上がる前の事。

 

 あ、身仁くんだ

 お父さん先に仕事に行っちゃったから暇なんだよね……

 ねぇ、お母さん欲しいでしょ? 

 もし私をお母さんにしてって言ってくれるなら……

 今から、とってもいい事教えてあげる

 

 ねえ、身仁くん

 

 誰かも知らない赤の他人が言った言葉。

 その言葉が頭の中を駆け巡る。

 獣のような匂いを隠すような強い香水の匂いが鮮明に思い出せる。

 何もできない、何もできなかった自分を

 嫌でも思い返してしまう。

 

 忘れていた

 過去に構えるほどの余裕がなかった。

 過去に怯える意味がない程今が充実していた。

 過去に縋る程の思い出がなかった。

 だからこそ、久々に襲い来る過去に赤錆は言葉と共に余裕を失う。

 取り繕う程の余裕すら。

 

「……赤錆くん?」

 

 誰よりも彼を心配する声に振り向く。

 覗き込むような姿勢で見上げる彼女の瞳は、改めて向き合う瞳に驚く。

 見開かれたその小刻みに揺れる視線に。

 赤錆もまた、彼女の瞳に恐怖する。

 その綺麗な青い瞳は、今の彼には全く違うものに見えた。

 忘れていた、忘れようとしていた、忘れた事にしていた瞳に。

 興味心と自己愛と目先の欲に満たされたような醜悪な瞳に。

 

「あ……あぁ!!」

 逃げたかった。

 今ならば逃げられるかもしれない。

 振るいたかった。

 目の前の餌に逃げられないように、悟られないようにゆっくりと徐々に徐々にと追い詰めていくその腕を今なら振るえるかもしれない。

 忘れたかった。

 嫌な事だと、そんな事もあったといつか思えると教わったから。

 全てをなかった事にしたかった父に全てを話して言われたからこそ、いつか忘れられると思って思い返さないようにしていた。

 誰にも言わず、誰にも言えず、誰にも答えず

 心配するその瞳達が醜悪な瞳に重なっていても、必死に隠していた感情。

 どれだけ蓋をしようと決して逃れられないその顔が目の前に映る。

 

「い……いや」

 

 頼りにならない見捨てられた言葉の次に思い返した言葉があった。

 嫌なら嫌ってはっきりいいなよ。

 数少ない友人から伝えられたその言葉を思い返して必死に呟く。

 逃げるように、祓うように。

 その汚れた瞳を退かすように彼女の顔に向かって腕を振るう。

 殴りたいわけでも、叩きたいわけでもない。

 あの時にしたかった事を、思い返してしまったからこそ身体が動いた。

 あの時にしたかったからこそ、座っていた椅子から立ち上がろうとする。

 見たくないものを見ないように、強く目を閉じて。

 ただ夢中で、ただがむしゃらに。

 

 その結果がどうなるか、そんな簡単な結果ですら思いつく余裕がなかった。

 

 ましては、振り上げた腕は振り切ることなく掴まれ逃げるように立とうとしたにも関わらず、目の前にあった机が目の前どころか眼前に迫る様な事になるとは考えてもいなかった。

「……急にどうしたの」

 少しばかりの緊張感をはらんだ声が頭上から響く。

「とりあえず」といいつつ掴まれていた襟首から手が離されると、そっと机の上に頭を落とした。

 額に感じたひんやりとした冷たさが赤錆の頭に響く。

 

「……うーん、まぁよくわからないけど」

 少し呆れつつも早坂は何も言わない、何もしなくなった事を確認しつつ掴んでいた腕を外すとそれもまた、ぶらりと空に舞う。

 改めてもう何もされない事を目視して安心からか息を大きく吐きつつ、机にうずめた頭を更に押し付けるように両手を乗せる。

 強くなっていく冷たさよりも、友人のその聞き慣れた声が赤錆を現実へと引き戻すように頭に入っていった。

 

「何も考えなくていいんだよ」

 いつも以上に優しく、いつも以上に甘い言葉が。

 

「赤錆くんが何でも1人で考えなくていいんだよ。

 私が何でも聞いてあげるから。

 辛い話があったら、私に言ってくれれば頑張ってって言ってあげる。

 悲しい話があったら、私に言ってくれれば一緒に泣いてあげる。

 嬉しい話があったら、私に言ってくれれば一緒に喜んであげる。

 昔の話でも、今の話でも、明日の話でも。

 私に言ってくれれば全部聞いてあげるし、全部一緒に考えてあげる。

 ずっと傍にいてあげるからね」

 

 そんな言葉が、冷静さも落ち着きも取り戻しきれてない赤錆の中に不思議とスルリと入り込む。

 その顔を見ようと顔を上げようとする。

 けれども、それを拒むように押さえつけられた両手に力が込められると、そのままそっと丁寧に赤錆の頭を撫でていく。

 

「こうみえて口硬いんだよ〜。

 誰にも言うなって言われたら言わないし。

 だから、何でも言っていいんだよ。

 誰かに言うなって言われる事でも私にだけは言っていいんだよ。

 人に聞かせたくないぐらい恥ずかしい話でも、笑わずに聞いてあげる。

 最後までちゃんと聞いてあげるからね。

 一緒にどんな問題でも考えてあげるからね。

 私だけが、赤錆くんの味方でいてあげるからね。

 ずっと、何があっても」

 

 最後には強く、深く印象つけるように力強く。

 だが、それでも優しさを忘れさせない声で耳元に囁くように呟く言葉。

 赤錆はそんな言葉を飲み込んでいく。

 それと同時に、頭を撫でられる感覚に不思議な感情を抱いていた。

 

 こんなふうに撫でられた事、なかったな。

 父親は昔から構ってくれることはなかった。

 母親はいない。

 自分を気遣ってくれる親族も。

 そんな赤錆の頭を撫でる人等いなかった。

 伊井野によくやっていた事は、するべきタイミングと思いしていた事ではなく、してほしいという気持ちからきていた事なのかもしれない。

 そんな風に思いながらそっと口を開く。

 

「……ごめん、なんか気が動転してた」

「そんなの、あんな酷い顔してたら誰でもわかるし」

「それと」

「……うん」

「俺は、年下の方が好きかな」

 

 ようやく答えた問いかけに早坂は笑い出す。

 赤錆もまた、口元に笑みを浮かべながら軽く咳払いをして場の空気を流す。

 

「俺、家族が欲しいな」

 そんな願いと共に話し始める。

 早坂からしたら大半は知っていることを。

 知らない体で相槌を入れながら。

 机に向かって押し付けられている赤錆は見れやしない。

 自分の過去をようやく知れた彼女の顔は、重々しい雰囲気とはかけ離れた満面の笑みを浮かべている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 伊井野ミコはノートに走らせていたペンを止めた。

 高校生になり、中学とはまた違った範囲、教材を使った勉強に慣れる為にいつも以上にと気合を入れて自室で学習をしていた彼女にも譲れないものはあった。

 机の隅に置かれていた携帯が震えたのだ。

 震え始めてすぐに手を取り、相手を確認する。

 そこには、自分が望む相手からのメッセージが確かにきていた。

 

 一方的に連絡が送られてきたつい最近までの環境を伊井野はとても気に入っていた。

 しかし、それに自分が反応するともう連絡が来ないような……そんな粗末な不安で一杯になり返信をする事なく眺めるだけになった。

 いつしかそれが、自分をそれだけ大切にしてくれると思うようになった。

 

 それは、伊井野もそうだから。

 

 取られそうで、壊されそうで、汚されそうで。

 離れている時は何時も不安だった。

 傍にいないとどうしようもなく不安で、胸が辛く張り裂けそうで。

 傍にいないだけで、自分との間にある距離がその時間だけ離れていくようで。

 不安で不安でしょうがなく、正気がない。

 何をしているか気になったら連絡を入れ、嬉しい事があったら、悲しい事があったら。

 どんな細やかな事があっても必ずメッセージを送っていた。

 そんな気持ちで、赤錆が自分の事を心配してくれていると感じていた。

 両思いだと、感じている。

 

 だからこそ、今の伊井野に不安はない。

 学生恋愛を余り良く思わないからこそ、明確な関係を口にするのは憚れるが、両思いならば口にすることもおこがましい。

 好き合う者が互いに好きならば、最後は法の元でその関係性を固めるのが道理なのだと信じて疑わないのだから。

 

 そんな彼から送られてきたのは、今日は何をしていたのかという質問に対してだ。

 昨日から色々とメッセージを送っていたが、ようやく来た返信。

 昨日は久々に話したから、わざわざ送ることないと思われたのだろうか。

 それとも、全く連絡に気づかなかったのだろうか。

 自分の連絡を見た形跡がないのだから後者なのだろう。

 次にあったら、連絡ぐらいきちんと返すように言わないと。

 そんな風に思いながら、返ってくるまでの時間に対して余りにも短い文章に目を通す。

 

 石上の名前が出てきてイラッとして、妹萌えという単語に首を傾げ、早坂という名前に無表情になる。

 

 今はいい。

 好きなだけ、遊んでもいい。

 伊井野はそう思うことにした。

 そう思うようにする。

 遊ぶだけなら、別にいい。

 

 そんな風に思いながら、携帯を置いて変わりに傍においていた本を寝転びながら表紙を眺める。

 『家族計画』

 そんな4文字を指でなぞりながら。

 気が早い? 

 でも、今の内に備えてたほうがいいよね。

 そんな風に自問自答をしながら、既に何枚もの付箋を貼ったそれをそっとめくっていく。

 勉強の息抜きに、来るであろう未来を想像しながらそっと一息ついていった。



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早坂愛はサボりたい

「その、好きな人が出来たんだ」

 

 早坂からしたら、聞きたいようで聞きたくなかった言葉を向けられる。

 顔をほんのりと赤くして、羞恥心を隠すように顔を反らして言う所が本当っぽく感じて不快だ。

 

 いや、ぽいのではなく本当なのだということを早坂は知っていた。

 知っているからこそ、むしろ自分からそう言ってくれた事に対して嬉しくもあり苛つきもする。

 意中の相手にそんな事を言われたのだ。

 それも、その相手は間違いなく自分ではない。

 

 女性に対して少なからず苦手意識のある赤錆。

 だからこそ、自分から好意を持つ相手が現れる事はないだろうと思っていた所は早坂もあった。

 あったとしても、言い寄られて真に受けるぐらいだろうと。

 恋愛というただでさえ曖昧な定義から更に尺度を失った赤錆に限って自分から好意を持つ人が現れるなどないと。

 

 そう思っていた自分が甘かったと後悔をする。

 

 定義がないからこそ、1つ思えばそれを真たるものだと信じ込む。

 尺度がないからこそ、1つの出来事で確信を得てしまう。

 知識がないからこそ、思い込みを目の当たりにしてしまう。

 

 早坂愛は、赤錆という人間の曖昧さを知った上で見過ごしていた。

 

 彼は、自分が思うよりも危なっかしい人だということを。

 だからこそ

 だからこそ、自分が守ってあげなければいけないのだと。

 

 そう確信しつつ、早坂は友人の恋愛を祝う。

 その先を見据えつつ、どう転ぶのかいくつかのパターンを視野に入れながら。

 だからこそ、思い返す。

 何故こうなってしまったのかを。

 

 それは、つい先日の出来事。

 早坂からしたら苦渋の週末だった。

 

 

 

 

 

 

 

「かぐや様」

 車内でずっと、いや、昨晩からずっと珍しくそわそわとしているかぐやは早坂のその声でビクッと震えた。

「早坂、やっぱりこの服装は駄目かしら? 

 もっと殿方の好みに合わせたような──」

「いえ、それで十分に素敵ですよ」

 何百回と言われた答えだが、それでもかぐやは満足して「やっぱりそうよね」と頷く。

 今日は殿方、白銀との紆余曲折の末共に映画を見ることになったかぐや。

 

 所謂デート。と呼べればいいのだが、その実態は全く違う。

 映画のチケットをかぐやが用意し、それを白銀に送りつけ、普段からバイトや勉強で忙しい白銀のスケジュールから割り出した映画という長時間の拘束を可能とする時間が出来る今日このタイミングに彼女は待ち伏せているのだ。

 更には、今白銀が向かっていることを持ち前の家来達を使って確認、居場所の把握までしている。

 一歩も間違えることなくストーカー行為だ。

 普段から赤錆に対する求愛行動を咎められる早坂からしたら、どっちもどっちと言ってやりたい。

 いや、明確に愛し合っている自分達の方が正当化出来そうだ。

 

「かぐや様」

 

 呆れながらも再び主の名を口にする。

 

「なによ早坂、もうすぐ会長が来るんだから用件は手短にお願い」

 

 少し不機嫌そうに言うが、これは自分に募る緊張感から来る余裕のなさの現れだ。

 もっとも、ぞんざいな扱いには慣れている早坂は気にしない。

 気にしないが、1つ気になることはある。

 

「かぐや様が映画の鑑賞中、私達は助太刀する事ができません」

「駄目よ」

 

 手短に纏めようとした用件すら言えない。

 少しむっとするが顔には出さない。

 しかし、かぐやの方は明らかに顔に出して続けた。

 

「早坂、学校でのあなたを窮地を救ってあげた私への見返りはなんだったかしら?」

「……今日を1日空ける事です」

「そう。わかってるならいいわ」

 

 こちらの問答も何百回と繰り返したもの。

 全く同じやり取りを互いに繰り返しつつ時間は迫っていく。

 周りの使用人達と同じインカムを片耳に、愛用のイヤホンをもう片方に着けながら、早坂はイヤホンの方に神経を集中した。

 これが自分のできる最大限の譲歩だった。

 

 ただのデート(?)に対して割くような仕事を皆していない。

 それでも、仕事として全力で当たる使用人一同に紛れて不真面目な彼女の姿を周りが知れば手を抜きたくなる。

 しかし、そんな我儘が許されるのは普段から懸命に働きその忠誠心を買われている彼女だから許される事。

 多少の無礼も彼女達の仲だから許される事。

 

 そして何よりも、今日という日だから許される事。

 物寂しげに車窓から外を眺めつつ、恨み辛みを小言で呟く。

 

「……あーもう!! 

 しょうがないじゃないの!! 

 私はずっと前からこの日を狙っていたんですから、文句があるなら藤原さんに言いなさいよ!!」

 

 その強い言葉に早坂はため息をつく。

 そう、今日この日。まさにこの場所で早坂の思い人も来るのだ。

 

 映画館も複合したショッピングモール

 かぐやと白銀は映画館へ

 赤錆と藤原はショッピングモールへと。

 

 まるでダブルデートだ。

 そんな言葉が何度も頭に過ぎってはため息をつく。

 

 それに向かってかぐやはまた言葉を並べるが、待ち人を待つ彼女の言葉は早坂からしたら聞く耳を持てない。

 ただ、赤錆達の会話を聞き取れるように神経を削ぐだけ。

 

 こうするしかなかった。

 石上というどう転ぶのかわからない地雷を撤去するにはこの日を捨てるしかなかった。

 自分自身への言い訳を並べる。

 伊井野という問題を解消するにはこうするしかなかった。

 これが過ぎれば──

 考えて、自分の思いを見つめ直して落ち着かせる。

 

 本当ならば、この場に早坂は必要ない。

 すでに四ノ宮の人間が何十人とこの場にいるのだから。

 しかし、かぐやの思いは違う。

 何十人の使用人も必要だが、何よりも早坂という友人にそばにいてほしい。

 自分の恋愛がどうなるか、どう進むか今日の出来事次第でどう発展するのか。

 その時に自分の話を聞いてくれる人が、傍で見守ってくれる友人が。

 

 早坂に対して不満を覚えられると流石に自覚しながらも、それでも我を通したい。

 だからこそ、この約束取り付けて協力したのだから。

 今後の石上対策を。

 だからこそ

 

「……鑑賞中ぐらいは」

「くどい!!」

 

 約束を結んだのは早坂。

 彼女からしても、今後の障害を取り除きたいのは確かな事。

 悪魔の契約とも思われるかもしれないが、契約は契約だ。

 ただかぐやは観察眼のある石上の脅威を伝え、今後どころか初手を放っては全てが気泡に化すと伝えただけなのだから。

 その情報を知った上で契約を結んだのは彼女なのだから。

 

 たった1日見放すだけで急に事なんて進まないわよ。

 半年掛かったって上手く行かないものなんだから。

 

 友人の心配性に呆れつつも、それでも不安げな顔を見せられると複雑な気持ちだ。

 自分自身、少なからずとはいえ、本当に少なからずとはいえ思い人のような人がいる身。

 常日頃からどうしようもなく相手の事を気にしてしまう気持ちは痛いほど分かる。

 だからこそ、自分の我儘で隣に座ってもらっていることに、少なからず思うところはある。

 

「早坂」

「なんでしょうか」

 

 何時ものような冷静さを装っていはいるが、その顔はやはり少し暗い。

 そんな気を落とした、落としてしまった友人に向けての助言を伝える。

 

「いい早坂。

 これはチャンスなのよ。

 あなたが知らなかった赤錆くんと藤原さんの関係を知るチャンス。

 この際、今日はこのまま片方の耳ぐらいは大目に見てあげるからきちんとあの二人の関係を聞きなさい」

「出来れば直接目で見たいので両目両耳を許してくれないでしょうか?」

「それを許したら仕事じゃなくなるでしょ!?」

 

 一歩許しただけで何歩も進もうとする図々しさ。

 しかし、それだけ冗談も言える程度には前向きになったのだろう。

 少しだけ顔にも活気が宿った気がする。

 それを見て安心する。

 

 しかし

 付き合ってもいないの男が他の女と遊ぶだけでこうにもピリピリとしだす早坂には少しげんなりとしていた。

 重い女。

 そう一言で決めつける。

 もしも自分なら、もっと寛容的に……

 と、考えるもやはり白銀が他の女と遊びに行くのを指をくわえて見ているのは思うところが幾つもある。

 

「かぐや様、そろそろ」

 

 少しムッとしていたタイミングで早坂はドアを開け、かぐやを出すように促す。

 その顔は、何時もの見慣れた表情だ。

 

「……そうね、くれぐれもサボらないように」

「仕事をサボった事はありませんよ」 

 

 仕事と割り切るとすぐに切り替えるその姿に、何時もの近侍として、たった一人の友人としてのその対応の素早さに関心と何とも言えない安心感を得る。

 恋愛という人の心を狂わせる魔力があっても、そこには変わらない関係があるのだと実感させられた。

 

「行ってくるわ」

 

 車を出て、振り向きながら自信を表して早坂に言う。

 今回でもし、事が上手く行けば幾らかの余裕は生まれるはず。

 そうすれば、後は早坂の恋愛を応援する事に全力を注げる。

 

 彼女には釣り合うことの無い男との恋愛だが、当事者が好きと言うなら他者が口を挟むわけにはいかない。

 付き合って、好きあってから改めて後悔するか満足すればいい。

 

 ただその時赤錆くんにはそれなりの思いをしてもらわないと。

 こんなにも自分を思ってくれる人を無下にする人には、何らかの罰がないとね。

 私がわざわざ挨拶をしても返してくれなかったりと、彼には色々とこけにされていますから。

 そんな思いで口元が緩むと

「かぐや様」

 と震えた声が返ってきた。

 

 先程までの切り替えは何処へやら、一瞬で仕事モードは終わったとわかりやすく教えてくれるように、震えた手でショッピングモールを指差す。

「やっぱり、サボっていいですか?」

「いいわけないでしょ!!」

 もう、なんでコロコロと転がるのかしら!! 

 呆れながら、もう話す時間はないと告げるようにかぐやは待ちあわせ場所、もとい待ちあわせる場所に向かっていく。

 

 ……なにかあったのかしら? 

 いえ、きっとそう言って私の気を変えようという演技ね。

 こんな短時間で何か起こるなんてありえないわ。

 そう決めつけつつ、自身の待ち人を一方的に待つこととした。

 

 

 早坂はそんな主を遠巻きで見つつ、イヤホンから聴こえる声に冷や汗がたれる。

 人というのは、知らない事に対して恐怖感を覚える。

 特に、中途半端に知っている恐ろしい事に。

 

 病名と何となくの症状を知っているが、具体的な事は知らない。

 そんな病気にかかるのと、全く知らない病名を言われるとじゃ恐怖は違ってくる。

 知らなければ、恐怖感よりも不安感が強くなる。

 生死に関わるのか、重いのか軽いのか。

 無知だからこその不安。

 

 しかし、何となく知っていたら不安はない。

 ただ、恐ろしい病気だったら不安よりも恐怖を感じる。

 急に癌と宣告されたような、言いようもない恐怖を。

 

 早坂はまさに、恐怖を感じる。

 中途半端に知っているからこそ、怖いのだ。

 

 藤原と二人っきりではないと知っていた。

 妹も来ると言っていたからだ。

 三人での遊び。

 だからまだ、まだ許せた所はある。

 

 相手は藤原だ。

 余程のことがない限り恋愛に発展することはないだろう。

 その家族も何処かおかしい所があるというのは、かぐや経由で知っていたから。

 だから、恋愛に発展するなんて。

 そんな風に何処かで身構えていた。

 

 だからこそ、もう一人居るなんて聞いてなかった。

 私が知らない。なら、赤錆クンも知らない。

 赤錆経由で、彼の携帯に仕込んである盗聴アプリで常に入ってくる音は自分に届く。

 

 だから届いた。

 急だけど友達を連れてきたの、と

 届いた

 

 兄が何時もお世話になっています。白銀圭です、と

 

 兄、というのは恐らく今主と待ちあわせ場所に合流した白銀だろう。

 珍しい名字だ。そうはいない。

 

 何時もというのは学校を指すはずだ。

 クラブにも塾にも参加してない赤錆が普段から活動するのは学校ぐらいだかろ。

 

 だとしたら

 

 白銀御行は、それなりに美形だ。

 目つきの悪さが珠に傷だが、それを取り除けばかなりの美形。

 そんな彼の妹だ。

 恐らく、それなりだろう。

 

 白銀御行は常識人だ。

 少しばかし角が目立つところもあるが、藤原のような余りにもなズレはない。

 そんな彼の妹だ。

 常識人なんだろう。

 

 ……あぁ、かぐや様。

 サボったら駄目でしょうか。

 せめて一目見たいのですが。

 

 恨めしい目線で主を睨むも彼女はようやく映画館へと入っていった。

 ここからは簡単だ。この近辺を付かず離れずの距離で動いて周りに外敵のような物が近づかないか見張るだけ。

 ただ、そんな事は他の使用人でもできる。

 自分がいなくても。

 

 ……しかし、これは約束だ。

 今日という1日が何もなければ、石上という地雷を取り除ける。

 更には、今後のかぐやによる支援にも関わってくる。

 私情にかまけて仕事をサボったのがバレれば先ず怒られるだろうから。

 小言で済むだろうが、もしもこの映画作戦が失敗に終わったらその分の恨み辛みも自分に降りかかる。

 下手に機嫌を損ねて万が一協力者を失うような結果になれば。

 

 せめて付き合うまで。

 付き合ってからならば、彼女として何とでもできる。

 その地位さえあれば。

 

 大きく息を吸い、ゆっくり吐く。

 かぐやと白銀の姿が自動ドアによって隠された事を確認しつつ、早坂もまた動き始める。

 適当にふらふらと、辺りを歩きつつウインドショッピングの振りをしながらかぐやと交流のある者がこの近辺にいないか探す。

 白銀とかぐやのデート。

 これを知られたくないがため、周りに知り合いが来ないようにさせるのが使用人達の仕事。

 

 事前に来るのが分かっていた藤原だが、この映画チケットはかぐや達の元に来る前に一旦彼女の手に渡っていた。

 それを言えば丸く収まる。

 だからこそ、それ以外の外敵がいないか見渡す。

 

 辺りに散らばる様々な顔を一人一人大雑把に見渡しながら。

 あわよくば、赤錆が自分の元に訪れてこないかと。

 そうすれば、一目見ればわかる。

 

 知れば知るほど、この恐怖心に対抗する術がわかるのだから。

 

 



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伊井野ミコは浸りたい

クリスマス記念の番外編のような本編です
前後編にわけて、後編はクリスマス……か、年始までには必ず……たぶん……

前編は本編要素薄いですが、後編は少し関わってくる(予定)ですので見ていただけたら幸いです。




 クリスマス

 

 それは、男と女という異性の関係が一気に密接となる日。

 ただの彼氏、彼女という関係から一歩先へと進むカップルが多いだろう。

 

 それ以前の関係もそう。

 彼氏彼女という関係にすらなれない微妙な付き合いである男女が先へと進む機会にもなる。

 

 逆を言えば、この日で進展しなければこの先2人の関係が密接となるのは遠くなるだろうという事。

 先に進みたいという人達は試され、挑む日。

 これは、そんな聖夜に1人の少女が挑んだ日だ。

 

 

 

 クリスマス当日。

 

 伊井野ミコはこの日、自分が来年に通うこととなる学園の門前で過ぎ去る人達の顔を見つつ自分の携帯に連絡が来てないかの確認をせわしなく繰り返していた。

 

 終業式

 

 中等部である伊井野も高等部にいる待ち人も同じ学園の生徒。

 学び舎こそ違えど節目に関しては同じ日程に統一されている。

 

 伊井野はこの日、中学生生活最後になる終業式を終えると、友人達と適当に挨拶を交わして真っ先にここに来た。

 

 彼女にも少ないながらも友人はいる。

 本当は暫く会うことの出来ない友人達と満足行くまでおしゃべりをし、惜しみながらも別れるといった普通の学生らしい過ごしをしたい気持ちもあった。

 事実、そういった普通の学生らしく過ごした記憶はない。

 

 終業式という学校から開放されるこの日には、更にはクリスマスというイベントと重なった今日という日は特に学園内外問わずにトラブルを起こす生徒が現れる。最も、伊井野判断のトラブルのためそこまで大事ではないのだが。

 

 だが、彼女の判断でトラブルと定められるのがまずい。

 正義心に心動かされる彼女がこの日に風紀委員としての職務を放り出す事はない。

 今日という日は、特に厳重に取りしまなければならない。

 だからこそ今の彼女は機嫌が悪い。

 こんな所で1分1秒も無駄にしたくないにも関わらず時間に待ちぼうけているこの身が。その理由が。

 

 携帯を確認する。

 昨日の夜に帰ってきた返信を最後に彼からの連絡がない。自分だけが何度も送っている。

 朝起きた時も、出発する前も、学園につく前も、終わった後も。

 

 何時も見るのは早いのに、今日に関しては全く見てくれていない。

 ついさっき既読はついたが、何時もならもっとこまめに見てくれていた。

 こんな日に限って見ることすら遅い。

 

 今どこにいるかも、何をしているかも、誰といるかも、1人でいるかもわからない。

 わならないという事実が腹立たしい。

 見ているくせに返事をくれないことが悲しい。

 

 自分からのメッセージは見ているくせに何一つとして教えてくれない事実。

 まるで教えたくないと言われているような。

 自分はその日にあった事どころか、嬉しい事や悲しい事はもちろん、些細な事でも時間ができれば連絡しているにも関わらず返事がくるのは極々稀だ。

 

 その対応がますます伊井野に不安と怒りを覚えさせる。

 

「あっ」

 

 集団に紛れるように静かに歩く少年に目が入る。

 誰かと話しているわけではないにも関わらず、周りと歩幅を合わせながらゆっくりと歩いていく少年。

 周りは友達同士なのだろう。

 彼1人を置いて各々のグループで話している集団の中に意図的か無意識か忍ぶようにそこにいた。

 

 人に紛れて自分を置いてさっさと帰りたいのだろうか。

 約束も口ではしていない。

 メッセージのやり取りで自分が誘い、返事をくれたもの。

 今思うと、その返事も少しだるそうだった

 

 喜ぶような表現もなく淡々と誘いを受け取るような、そんな機械的なようにも感じてしまう。

 誘われたから、断る理由が見つからないから受けておいた。

 そんな社交辞令のような風に感じ取れてしまう。

 

 ふと思う疑問に言葉が止まる。

 だが

 

「あっ、伊井野」

 

 門前で顔を俯かせて佇む少女が目に入ると、彼は気づく。

 

「わるい、先生に成績の事で注意受けちゃって」

 

 集団から離れて駆け足で伊井野に近づきつつ言い訳を並べる。

 本当なんだろうか。

 それも嘘で、本当はこのまま歩いていくのを自分が声をかけなかったのを不審に思って来ただけではないのだろうか。

 疑問はある。

 言われたことを鵜呑みに出来ない。

 

「連絡しようかと思ったんだけど、もう来てるって見たからさ。だったら送るよりも行ったほうが早いって思ったんだけど」

 

 遅れた理由はわかった。連絡をくれない理由も。

 この2つが伊井野が苛立せていた主たる理由。

 その理由がわかった。

 それだけで、彼女は──

 

「もうっ、心配なんですから先に連絡くださいよ!!」

 

 口調こそ怒った雰囲気だが、頬は少し緩んでいた。

 嫌われているわけではない。

 どれも理由がきちんとあった。

 

 そこが納得いくだけで、彼女の中あった不信感は全て消える。

 2つの言葉があるだけで全てを鵜呑みに出来てしまう。

 

「ごめんって」

 

 本当は怒っているわけではない。

 彼女の顔をみて、それをわかりつつも形だけでも謝罪をしてそっと横に立つ。

 

「それじゃ、お仕事頑張ろう」

「遅れた分赤錆先輩には頑張ってもらいますからね!!」

「……はーい」

「もうっ、連絡くれたら許してあげたのに」

「そんなの書くの少し恥ずかしかったからさ、口で済ませたかった」

「心配したんですからね!!」

「……そんな心配することないと思うけど」

「ふんっ!!」

 

 可愛らしく怒っているアピールをする伊井野。

 そして、それに付き合う少年──赤錆。

 

 去年まで同じ学校にいた者からしたら伊井野ミコの正義感は有名だ。

 下手な学生なんかよりも名がしれている。

 そんな彼女がわざわざ迎えに来るのも、このやり取りそのものを見ても2人の関係は傍から見たら一目瞭然。

 言葉にする必要すらない。

 

 だから、口にしない。

 

 口にしたら伊井野が感情的になる事は昨年で赤錆の同級生達は見てきたのだから。

 他の学年はそもそもとして興味がないのだから。

 だから、裏で噂が独り歩きしていく。

 2人の耳に入るほどに膨れ上がった、1つの手垢で汚れた噂話が。

 

 伊井野ミコと赤錆身仁は付き合っている

 

 そんな噂話が広まり、2人の同級生の中では周知の事実になっている。

 

 風紀を重んじそれを振りかざす秀才と、富豪名家の子供が多く属する秀知院学園の中でも珍しい政治家の息子。

 この2人は自分達が認知している以上に名が知れているのだから、その噂話は皆面白がる。

 エスカレーター式という何時までたっても大きく顔触れが変わらない、刺激が少ないからこそ求める恋愛という話題の尽きない強い刺激を作る対象になっていた。

 

 その刺激も、1年も過ぎれば皆当たり前と認知をして飽きてしまうのだが。

 

 だから今更口にしない。

 その事実が間違っていると聞き届けない。

 認知された周知に今更メスは入らない。

 

 だから誰も口にしない。

 

 教室の窓から遠く離れた1人の少女が2人のやり取りを眺めている。

 何を話しているかも、どんなやり取りをしているのかもわからない。

 わからないことが、腹立たしい。

 

「早坂?」

「ん? どしたー?」

 

 クラスメイトに声をかけられ顔こそ向くが視線は離れようとしない。

 楽しそうに離れていく赤錆のその背中から。

 

 早坂愛は口にしない。

 その事実が嘘だというのを。

 口にしないからこそ、出来る事があるのだから。

 

 彼女はまだ、挑む事すら出来ない。

 

 

 

 

 

 

 駅前の広場で簡単な昼食を済ませた2人。

 食事という場面の切り替えのおかげで伊井野の機嫌が良くなったことを見て赤錆は少しだけほっとしていた。

 

 彼女が怒るのは日常茶飯事だ。

 それでも、本当に怒っている事はない。

 今日もそうだ。

 

 しかし、何故か今日は何時もよりも小言を言われることが多いのだ。

 連絡をもっとほしい

 その要望が多いのだ。

 

 話し言葉こそ変えるが、中身を見たら全てそれに終着してしまう。

 1日に何10件ものメッセージをもらい、その全てに返事を返すことは少しだるい。場合によっては今日のように返信出来ない場面もある。

 とてもじゃないが安請け合い出来るものではない。

 

 1度受けたら最後、出来なかった時のつけが怖いのだから。

 その時はきっと、約束を破ったときはきっと、本当に怒ることになるのだろうから。

 

 だからこそ、彼女の気が変わったのは1つの安心でもあるが……。

 問題は、その向いた対象だ。

 

「伊井野、早く行かないと」

「むっ……むっ〜!!」

 

 クリスマスイルミネーションに飾られた駅前。

 そんな駅前で一際繁盛しているお店は決まっている。

 年に1度の稼ぎ時と気合をいれて腕を捲くって振るうケーキ屋だ。

 

 そんなケーキ屋に通りすがる度、飾られている食品サンプルや写真を見る度に伊井野は足を止めてしまう。

 どうやら、1度胃に物を詰めてしまったことが原因らしい。

 昼食前はこんなことなかったのだから。

 

 伊井野は意外とよく食べる。

 中学生の頃、昼食の時は食事の遅い自分の弁当を食べ終わった伊井野が物欲しそうに眺めてくるため少し分け与えていた。

 忘れていたわけではない。

 むしろ、その細い身体に無尽蔵に入りそうな程に食べるその姿を忘れたくても忘れられない。

 何時しか弁当に必ず伊井野の好物を入れて伊井野避けをしていた努力を忘れてはいけない。

 

 ただ、今は彼女の言葉を借りるのならば『仕事中』なのだ。

 だからこそ、こういった誘惑は自分から断ち切ることを知っていた。

 しっかりと……いや、欲望に負けかけることはあるが、それでも最後はしっかりと断ち切っていたのだから。

 

 こんなにも物欲しそうに見つめ数分も足を止めることはなかったのだから。

 

「ほら、行くぞ」

「……まっ、待ってください!!」

「なに?」

「ここのケーキは有名店なんです!! 

 今なら待ち時間少なく済むそうなんで、食べてからでも──」

「ケーキは後!!」

「くっ……!!」

 

 何度も繰り返したお諮問等だが、伊井野は今回ばかりは粘る。

 

「こないだ雑誌でも紹介されてたんですよ!!」

 

 それは、クラスメイトとクリスマスについて話していた時。

 クリスマスにカップルで行きたいお店ランキングという何とも伊井野の年代が好みそうな雑誌を中心に話題になっていた時に小耳に挟んだ話だ。

 

 実際、周りのお店と比較しても小洒落たお店だ。

 真っ白な部屋に数個のテーブルが置かれており、1つ1つに多くスペースをとって窮屈さを感じさせない。

 そんな空間に作っている様子が店内から見つつ、外の景色も堪能出来るようにされている。

 中学生や高校生のカップルが入るには少し背伸びした空間が醸し出されている。

 

 こういったお店はまず値段が違う。

 大衆向けに多数の商品を売って利益を出すのではなく、少数精鋭と言わんばかりに一部の顧客に高めの商品を売って利益率を上げている。

 実際、伊井野が目にしているショートケーキはそこらで買うのに比べて何倍もの値段がする。

 

 資金面だけで見れば問題はない。

 方や裁判官の娘方や政治家の息子。

 貰っているお小遣いの額もお小遣いの範疇を優に超えている。

 

「……たっか」

 

 しかし、赤錆は伊井野に釣られて見たケーキの値段を見て呟く。

 普通の学生ならとってもおかしくないリアクションだが、赤錆がとるのはおかしい話だ。

 

 実際に貰っている額だけで見ればここのケーキを毎日数個食べても優に余る額だが、そんな発想は彼にはない。

 値段を見て真っ先に思いついたのは近くにあるスーパーのショートケーキの値段。

 2個入りのそれを2つ買ってもまだ足りない値段に本音が漏れた。

 

 彼が貧乏というわけではもちろんない。

 庶民的な生活を興じたいなんていう崇高な目的がないことも。

 それでも、そんな生活を過ごす理由を、伊井野は知っていた。

 その反応を見て「あっ……」と呟き、慌てて動き出す。

 

「ほら、赤錆先輩。休憩は終わりです。行きますよ」

「……えーっ」

 

 キリッとした顔に戻るとそそくさと歩き始めた伊井野に何か言いたげに手を伸ばすが、すぐに戻して彼女の横につく。

 彼女の切り替えに付き合う事には慣れているから。

 

「……はいはい」

「はいは一回」

 

 子供に対する親のような注意にももう、何も言わない。

 

 クリスマス

 もしも今日という日が冬休みに突入していら、このよう寒空の下に駆り出されることはなかったのだろう。

 赤錆からしたら少し面倒にも感じつつも楽しんでもいた。

 こんな日に自分を慕う後輩と過ごせることに。

 その関係を表す言葉が出てこなかったとしても。

 

 伊井野ミコと赤錆身仁は付き合っていない。

 

 それでも、中学生最後の年は登校日は毎日必ず顔を合わせていたし、放課後は見回りと称して学校内を2人で過ごした。

 そこらのカップルなんかよりも、ずっと長く一緒にいた。

 学校が終わっても過度に来る連絡に適度に返し、暇な時は電話をしていた。

 

 それでも、2人は付き合っていない。

 

 どちらかが告白をすれば、その形に名前がつくのだろうが。

 2人はそれをしない。

 

 赤錆は伊井野が自分とどうなりたいのかわかっていない。

 付き合っていない。

 それは、伊井野がはっきりと周りに茶々に応える。

 だから、付き合っていないのだろう。

 

 だが、彼女は異性間の交友に対して厳しい視線を送る。

 学生という身分でそのような浮ついたモノに興じることに。

 そんな関係に彼女はなりたいのだろうか? 

 

 ……わからない。

 

 結局の所、それは伊井野が判断することだ。

 折を見て自分から告白しようとも思えない。

 それはやめたほうがいいと『アドバイス』を貰ったのだから。

 

 彼女が満足するまで付き合えば、彼女が時期を見て告白するだろうと。

 本当に付き合いたいと向こうが思ってるのならば、そうするだろうも

 と。

 

 今は付き合っていない。

 彼女が言う学生が社会に出るまでを指すならば、社会に出てから付き合ったことになるのだろうと。

 そう思う。それまで付き合いがあれば。

 今は下手に悩ませたくない。

 

 学生恋愛に否定的な彼女に告白をし、この関係を壊したくない。

 

 今はこれでいい。

 自分を慕う女子と共に過ごす。

 それで、愛情という曖昧な気持ちに触れたい。

 

 好きな人と居るとどんな気持ちになるのか、好かれている人と居るとどんな気持ちになるのか。

 

 子供の頃に皆が当たり前のようにしてきた体験を、自分がしてこなかった体験を感じたい。学びたい。知りたい。

 

 伊井野という存在を利用しているようで感じが悪い。

 だから、赤錆から彼女を連れ出すことは殆ど無い。

 自分から傍に行くことも。

 

 こういう都合のいい思考で自分を納得させようとする。

 悪い癖だ。

 親譲りの、悪い癖。

 見られないように皮肉を笑みに映しながら周りをウロウロとしつつ歩く伊井野に付き合っていく。

 

 2人の関係を1言で表す言葉はない。

 

 付き合っているや、カップル等の周りを共に歩く集団に当てはまりそうな言葉は自分達に当てはまらない。 

 

 それが、伊井野には丁度良く、それでいて物足りない。

 

 学生恋愛には反対だ。

 節度を守れば許容出来る。

 それが出来る人たちならば。

 

 自分はどうだ? 

 

 その問答に強く返事ができない。

 これが他者からの声ならば否定しただろう。

 だが、相手は自分。

 嘘をつけない。

 

 節度を守って付き合う。それは、難しい事だ。

 人間関係の中でという非常に曖昧なルール。

 

 どうしても場の流れや、その場の雰囲気に飲まれて過ちを犯すことがあるだろう。

 恋愛という、甘美な獲物を前にしては。流石の自分も耐えきれない事が出てくるだろう。

 そう、人間は完璧ではない。

 だからこそ、正しくあろうとする心がなければならない。

 

 学生恋愛等というのは、責任を取れない子供が、大人の真似事をする切っ掛け作りになりなかねないのだ。

 

 そう、人間は正しくなろうとするから価値がある。

 

 だから、間違っている人は正さなければならない。

 

 この仕事もそうだ。

 終業式という学校生活の1つの終わりに調子に乗る学生達に指導をしなければならない。

 それが、風紀委員としての自分の責務。

 

 実際にさっきから見かける自分達と同じ制服を着た学生達に早く帰宅するように、遊ぶなら一度帰って着替えてからにするようにと何度も注意をしてきた。

 終わって間もない今だからこそ、制服姿の学生達を多く見つけられる。

 

 普段なら駅前まできてこんな事はしない。

 だが、今日はクリスマス。

 終業式当日がクリスマスとは……。

 

 こんな日は必ず調子に乗った、乗ろうとする人達が出てくる。

 そんな人達を注意するために、今日だけは特別に駅前まで来ての指導になった。

 

 だが、外というのは危険がある。

 普段の学園だけではないのだから、何があるかわからない。

 予測できないトラブルが付きまとうのだ。

 

 そう伝えると、赤錆が男として先輩として自分と共に見回りに協力してくれることを快く引き受けてくれたのだ。

 

 クリスマス

 制服デート

 駅前の豪華なイルミネーション

 

 ……これは、流れなんじゃ? 

 そういう雰囲気なんじゃ!? 

 

 伊井野はこの日を何日も前から楽しみにしていた。

 何も過ちを犯す前提ではない。

 この関係に、名前のつかない関係から一歩先へと進みたいのだ。

 

 クリスマスという絶好の日に。

 

 去年のクリスマスは1人だった。

 両親が仕事でいない中、1人でケーキを家で食べてその後は決まったスケジュールで勉強をしただけ。

 味気ない、変わりない1日だった。

 

 赤錆とは既に知り合っていた。

 しかし、クリスマスにつれ出す理由はなかった。

 去年はまだ、ずっと傍にいたのだから。

 

 放課後も昼食時もずっと傍に居たのだから。

 関係に名称にこだわる理由がなかった。

 

 しかし、今は違う。

 進級という避けられない事実が2人を分かつ。

 

 来年になれば、以前のように毎日傍に居られる。

 

 その来年が待てない。

 もう半年も、その半分すら過ぎているのに。

 その日が待てない。

 

 明日には

 明日には、同級生で好きな人が出来たと言われそうで不安だ

 明日には、先輩に告白されたと言われそうで不安だ

 

 肩書があれば

 名前があれば

 赤錆を守ることができる。

 自分の隣から、奪われないように。

 

 だから

 

 だから、場の雰囲気に流されたい。

 自分自身に言い訳ができるように、正当化できるようにと無意識に望んでしまう。

 

 伊井野ミコは自分の欲に浸りたいのだ



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早坂愛は浸りたい

結局クリスマスに投稿できませんでした……
それでも、年内に更新出来てよかったです。


 伊井野ミコのプランは、とても不安なものだった。

 こういった恋愛関係の知識には乏しく、雰囲気作り等の細かい手配りが必要な段取りは彼女の性分にはあっていない。

 

 ただ、クリスマスという記念日に2人で歩き回りイルミネーションでも見ながら適当なお店でケーキでも食べる。

 それだけで雰囲気作りになるだろうと思っていた。

 

 お店のマークもしていた。

 しかし、それは赤錆の反応を見て諦める。

 先の事ばかりを見て彼の事情を考えていなかったことに反省しつつ立て直しの機会を伺う。

 伺うのだが……。

 

「ほら、制服姿で遊んでちゃダメでしょ!!」

「はっ? お前等だって制服だろ!!」

「私は学園の仕事中だからいいの!!」

 

 ちょうどカラオケ店から出てきた複数人のグループを見るやいない駆けつけて注意をする。

 

 当然ながら、同じ服装の人に指摘をされても気に食わない。

 集団でのブーイングで応じるが、伊井野は一歩も引く事なく言葉を吐いていく。

 そんな泥沼に咄嗟のすきを見て赤錆は身を持って間に入る。

 

「まぁまぁ、さっき俺達も警察に注意されたしさ。そろそろ解散したほうがいいと思うよ?」

「げっ……この人って」

 

 赤錆の顔を見てやたらと嫌そうな顔をしたのは、グループの女子達だ。

 恋愛話に花を咲かせるのはいつだって女性の方が多いのだろうか。赤錆と伊井野の顔を交互に見つつまだ気づかない人達に小声で赤錆の名を伝える。

 

 名を聞きすぐに思い出すと、皆それぞれ2人の事を明らかに邪険に扱う。

 

「なんだよ、人には注意しといて自分達はクリスマスに制服デートかよ」

「だから、付き合ってないって言ってるでしょ!!」

 

 その糾弾するような大声に周りの視線が集まる。

 注目を受けると、グループの1人がある一点を指差す。

 そこには、ギラリと視線をチラつかせた警察が1人。

 

 トラブルに巻き込まれたくない。

 それは、誰もが思う当然の心理。

 伊井野達には何も言わず、自然と早足気味でその場をグループ達は去っていった。

 

「もう! 始めから大人しく帰ってればいいのに」

「まぁまぁ」

 

 頬をふくらませる彼女を宥めつつ、未だに視線を外さない警察に赤錆は軽く頭を下げた。

 

「ほら、俺達ももう少ししたら帰ろう」

 

 時間だけで見ればまだ子供が遊んでいても問題はない時間だ。

 しかし、冬場という時期もありすでに空は真っ暗。

 それでも周りは不自然な程に光り輝いている。

 

「…………もう少し」

 

 何も成果を得られない自分を卑しく映えさせるような光達。

 昨日までは待ち焦がれた景色も当日にはこんなにも忌まわしく見えるのだろうか。

 

 ケーキを何処かで食べる。

 簡単な所から攻めようと、浅はかなりに考えたプランに戻そうと周りを巡視しつつ手頃な店を探していた。

 赤錆でも許容してくれそうな、そこまで高くないお店を。

 

 しかし、そういう時に限って仕事が舞い込んでくる。

 同じ制服姿の人を見ては注意をし、一度したら次はいないかとやっきになって力を入れる。

 数十分程して、巡視から散策へと切り替えたところにまた学生。

 

 それを何回も繰り返すうちに時間はあっというまに過ぎていった。

 

 まだ学生が出歩いていても問題はない時間。

 それでも、冬場という時期が今がもう夜中だと感じさせる程に空の明かりを無くす。

 こんな時間だからこそ、最後にロマンチックな雰囲気に飲まれたい。

 何も最後まで行きたいわけではない。

 そこまでは伊井野自身も考えてはない。

 ただ一歩。もう一歩だけ踏み込みたい。

 

 自分という存在を、特別にしたい。

 

 それだけが、彼女の望み。

 形のような物が欲しいわけではない。

 2人を表す言葉が欲しい。

 自分を安心させれるような。

 

 だから、伊井野は歩き始める。

 自分を正当化させるようなモノを探して。

 

 そしてそれは意外にも早く見つかる。

 

 駅前の広場に置かれた大きなクリスマスツリー。

 御利益でもあるのだろうか、その下に集うのは男女のペアばかりだ。

 隣同士で仲睦まじく話しながらその場に留まる集団。

 ツリーを照らす光に自分達が末永く幸せであるようにと願うように皆がその一つ一つ輝く様々な色をした光を見つめていた。

 

「綺麗……」

「ほんとだね」

 

 紛れ込むように集団に飛び込む二人。

 望んた形に成就している群れに交じると、伊井野もまた自分の望みが叶ったような気に錯覚させる。

 気持ちだけでは成れないものに。

 

「…………」

 

 赤錆は完全に光に視線を奪われていた。

 伊井野もまた、そんな彼の横顔を見て自分もと改めて視線を向ける。

 

 しかし、どこか落ち着かない。

 

 綺麗な景色に包まれて、寒空の下に暖かな光に囲まれる。

 そして、今がクリスマスという特別な1日だと誰にも伝えるかのように鎮座するクリスマスツリー。

 それを眺める男女。

 

 いい雰囲気ではないのだろうか。

 

 自分に問でみる。

 

 今こそが、今日一番の雰囲気ではないのだろうか。

 

 その気持ちがあるから、落ち着かない。

 

 ツリーを見ては彼の横顔を見る。

 そんな視線の反復をしていると、していたからこそ偶々目に入ったカップルの後ろ姿。

 

 こんな人混みにも関わらず堂々と口付けをする2人の姿。

 

 それは、伊井野の気持ちにより拍車をかける。

 

 伊井野ミコ

 正しくありたいと思う気持ちが人一倍強い彼女も、ただの思春期の女子だ。

 口付けはもちろん、他の事も想像することはある。

 

 自分と、自分が好きな特定の誰かとしている所を。

 

 想像し、まだ早いと拒否をして、想像だけならと再び始める。

 一通りを終えて来るのは、こんな未来があったらいいなと望む自分とどうすればそうなるかと悩む自分。

 踏ん切りがつかないのだ。

 

 あと一歩という踏ん切りが。

 自分の背中を押してくれる存在が足りない。

 

 そしてそれが今日。

 

 クリスマスという日が冬休みに入った、もしくは入る前だったら。

 自分から誘うの事は自分が許せない。

 学生恋愛に勤しむ自分の姿を、誰よりも自分自身が許せない。

 

 今日は違う。

 終業式後に遊び回る学生を取り締まるための学校周辺の視察。

 建前がある。

 

 この関係になり1年が過ぎた。

 赤錆が常に居ることがなくなってもう少しで1年が経つ。

 どうしようもない寂しさに耐える毎日に神様が与えてくれた記念日だと直感した。

 今日という日を。

 

 改めて赤錆の顔を見ようとしたのを邪魔したのは、聞き慣れた着信音だ。

 始めから設定されているそのリズム感のある音楽。

 多少でも触れる人なら真っ先に変えるそれを、よくわからないし必要ないからと変えようとしない今時の学生ではまず間違いなく少数であろうそれを愛用しているのはこの集団でも1人だけだろう。

 

 伊井野の予想通りに赤錆は携帯を手に取る。

 

「ごめん、少し電話してくる」

「…………はいはい!!」

「はいは一回でしょ?」

「うるさいなー!!」

 

 急に不機嫌になった空気を変えるための言葉もただ燃料を注いだだけに終わった。

 何故急に変わったのかわからないまま、相手を待たせるわけにも行かないと彼はその場を離れていく。

 

 もう少し電話が遅ければ言えたかもしれない。

 それを邪魔された事に対する八つ当たりだとわかるはずもないだろうが。

 

 伊井野自身、八つ当たりしたとわかりつつも彼のタイミングの悪さに嫌気が差す。

 そんな自分に癒やしを求めるように空に浮かぶ明かりを直視する。

 

 何時までも見れそうな輝かしい光りたち。

 厚い雲がその光をより輝かせて映えている。

 

 それらを眺め癒やしを求めること数分。

 たったの数分が今の伊井野には限界だった。

 

 遅い

 

 その言葉が頭を埋めていく。

 

 赤錆は余り長く電話を楽しむ方ではない。

 それは伊井野は身を持って知っていた。

 自分の電話では長くて5分。

 短くて2分程で電話が終えることもある。

 

 最も、用事があればそれ以上に付き合うこともあるのだが、伊井野からの電話はたいてい赤錆も反応に困る細やかな事が多いため話題がなくそれでおえてしまうのだが。

 彼女がそれに気づいていないだけで。

 

 そんな扱いをされる彼女だからこそ、この大事な時に数分も電話として離れることにどうしようもない不安を覚えた。

 

 周りをキョロキョロと見渡すも、校門前という特定の場所で少数の顔を見分けるとはわけが違う。

 何十人も居る集団の中で1人を見つけるのは至難の業だ。

 

 ならば、と自身も携帯を取り出して電話をしてみる。

 

 コール音すら鳴らずに今は電話に出られないとの機械音が聞こえ先ずは一安心だ。

 

 彼女が一番に感じた不安。

 

 それは、自分をこの場に置いていかれることだ。

 

 電話といってその場を離れてそのままさっさと帰ってしまったらどうしようと。

 自分一人何時間も置いてけぼりをくらったらどうしようと。

 

 それがなく、本当に電話をしているだけなら少しだけ安心する。

 ほんの少しだが。

 

 不安感が大きな息として吐き出すと、今度は吸った呼吸に不安が舞い戻る。

 

 自分達が合流できるのかどうか。

 

 それは、伊井野がこの場を離れなければいいだけの話だ。

 だが、それは出来そうにない。

 

 すでに自分の足は彼を探しに行きたくてうずいて仕方がないのだ。

 もしもこの場を離れたら。

 

 自分達が再び今日会うことなく自然な流れで解散することになる。

 だから迂闊に離れられない。

 

 ……5分。

 後5分だけ待とう。

 

 そう心に決める。

 イルミネーションを眺めてれば5分等あっという間だ。

 ただ無心で見つめているだけですぐに過ぎる。

 その間に来るだろうと信じて。

 

 1分

 クリスマスツリーと携帯を交互に見つめる。

 一応心配だからとメッセージを入れておく。

 

 2分

 クリスマスツリーよりも携帯を眺める時間が増えてきた。

 メッセージに既読はつかない。

 改めて心配だと送っておく。

 

 3分

 完全に頭が下がる。

 上を見る周りに囲まれ1人頭を垂れるその姿に周囲からは浮いてしまうが、そんな事に構っているほどの余裕はない。

 何度も送ったメッセージに既読はつかない。

 気づいていないだけかもしれないと思考が回ると同時にその指は止まらない。

 

 4分

 歪み始めた画面でもわかるように一斉に既読という文字が書かれる。

 それだけで、少し救われた気がした。

 

 今なら大丈夫と思い、急いで電話をする。

 数回のコールの後に息を切らした声が聞こえた。

 

 

「もしも──「どこにいるんですか!!」

 

 その声が決め手となり、浮いた彼女は周りの視線を掻っ攫う。

 

「え、駅前だけど」

「すぐに行くから待ってて!!」

 

 電話を切り、踵を返すと前に見えた集団は彼女の通り道を作ろうと端へと移る。

 潤いと共に籠もった怒りの瞳に誰もが関わることに無言の拒否を決め込んだ。

 

 それは伊井野には好都合だ。

 わざわざ集団を掻き分けて進む手間が省ける。

 といっても、駅前は目と鼻の先であり何も急ぐことはないのだが。

 それでも、彼女は早足でその場から離れていく。

 

 歩いても分も掛からない距離には、あきらかに怒っている彼女に対して戸惑いを隠せていない赤錆がそこにいた。

 彼女達の反応を楽しもうと、道を譲った者達の何人かが2人を遠巻きに眺めている。

 

「どこ行ってたんですか!!」

「ちょっと電話に行くって言っただろ」

「ちょっとって時間じゃなかった」

「10分もかかってないじゃん」

「……もういいです」

 

 涙声での睨みに赤錆は対応に困る。

 実際、彼からしてみてはきちんと伝えたにも関わらず向かってきた怒りに理不尽さを感じてしまう。

 

「……それで」

「なに?」

「それで! 誰と話してたんですか!?」

 

 置いていかれるかもしれないという不安。

 それが解消されたら来た次なるものは、離れた理由。

 

「誰と、何の話をしてたんですか!」

 

 自分を置いてまで話したかった人なのか。

 本当にそれだけ大事な人なのか。

 自分よりも大切な人なのか。

 

 もちろん、伊井野にも良識はある。

 例えば親からの連絡。

 それならば、そうと応えてくれれば安心する。

 

 しかし、赤錆の周りには1人不安な人がいる。

 もしも、彼女からの連絡ならば──

 

 どうも出来ない。

 

 怒ることしか、嫌がることしか自分にはできない。

 情けないが、それぐらいしかやれないのだ。

 

 自分は、ただの後輩なのだから。

 

「……受け取りの連絡がきた」

「受け取り?」

 

 人の名前ですらないその理由に首を傾げる。

 ふと視線を移すと、さっきまで持っていなかった小さな3つの箱が彼の手にはあった。

 

「……こういうのはサプライズが喜ばれるって知ったから、驚かそうと思ったんだけど」

 

 そう言いつつ箱の1つを伊井野に差し出す。

 そっと手に取ると、すぐにその箱の中身はわかった。

 

 自分が何度も目にして、時には食べたいと強く思っていた物だ。

 その商品が手元に送られる。

 

「……えっ、でもこれ」

「驚いた?」

 

 苦笑いしつつも伺うように様子を見る。

 一気に静まり返ったその様子を見てギャラリー達の視線も外れた。

 それは、周囲から見ても彼女の怒りが一気に下がったことを暗示させるようで赤錆の気も少し落ち着いた。

 

「よかったよ、伊井野が食べたいって言ってたものが手に入って」

 

 それは、伊井野が食い入るように見ていたお店のケーキだ。

 箱に書かれたその店名を見ただけで伊井野は驚いていた。

 

「高いって言ってたじゃないですか!」

「実際高いと思ったけど、せっかくの記念日なんだしたまには贅沢したいじゃん?」

「……記念日」

 

 クリスマスという記念日。

 赤錆からしたらさして興味のないイベントでもあった。

 だが、そんな日に付き合ってくれた後輩へのささやかな恩返し。

 そんな気持ちを認めてのプレゼント。

 

 記念日。

 それは、伊井野からしたら自分と2人でクリスマスを過ごしたという記念すべき日という言葉。

 そう受け取った。

 

「……赤錆先輩がこんな物くれるなんて驚きです」

「まぁ、伊井野は食べ物のほうが喜ぶと思ったし」

「人を食いしん坊みたいに言わないでください!!」

「ごめんごめん」

 

 すっかり元の調子に戻った様子に彼は安心する。

 

「でも、驚いたよ」

「えっ?」

「少し離れただけでまさか泣いてるなんて」

「なっ、泣いてはないもん」

 

 すっかり乾いたが、さきほどまで潤っていた瞳を思い返しつつ赤錆は微笑む。

 

「まだまだ子供だな」

「うーっ」

 

 恥ずかしさのあまり視線を反らす伊井野の頭を軽く撫でる。

 

「次からは遅くなりそうならきちんと伝えるよ」

「……そうです、赤錆さんが悪いんですからね」

 

 教訓として覚えておこう。

 そう記憶に刻みつつ、彼女の柔らかな髪をそっと撫でていく。

 

「……そ、そういえばここのケーキって予約できたんですか?」

 

 恥ずかしさの余り話題を変える。

 広場に人が集まっているとはいえ、都内の駅前にもそれなりの通行量はある。

 そんな人達こんな姿を見られるのは我慢ならない。

 

「あーぁ、それね」

 

 そしてこの話題の切り替えと同時に頭に置かれた手は離れ、困ったように頬をかく。

 手が離れるまではよかったが、そんな顔をされると思っていなかった伊井野は少しキョトンとした。

 ただ電話を事前にした等の簡単な答えだと思っていたのに。

 

「クリスマス当日は忙しいから無理だったみたいなんだけど、友達に頼んだらなんとかしてくれて……」

「……友達、ですか」

 

 秀知院学園

 そこには、様々な生徒が通っている。

 普通の学校には通っていないような特別な子供達の集まりだ。

 駅前のお店1つに我を通す事など軽く成し遂げられる子供達の集まりなのだから、彼の言葉に伊井野は不思議とも感じない。

 

 むしろ納得がいった。

 手にしていた箱は3つ。

 1つは自分が、もう1つは赤錆だとしたら残った1つはその友人にだろう。

 

 相手が誰か聞きたいところだが、その人のおかげで食べたかったものが手に入るため深くは聞かないでおく。

 その人はある意味では恩人であり、ある意味では仇敵になる。

 

 せっかく眼の前にあった幻想的な景色は変わる。

 同じ光でも白い空間を照らすだけの無機質な光が目の前に広がる。

 自分が何時も登下校で使う駅のホームの光は、今日という1日がもう終わりであることを告げているようだ。

 

 わかっている。

 我慢などできない自分がここまで来たのだ。

 自分が終わらせた。

 ここまで来てもう少し居たいなんてもう言えない。

 

 それを言ったら、建前が消えるように感じるのだから。

 それを感じたら自分が望んだなし崩し的な言い訳はただの見苦しい言い分に変わってしまう。

 

「…………」

 

 わかっていても帰りたくない。

 まだ夢に浸りたい。

 幻想的な世界に酔っていたい。

 この酔のまま、一歩踏み込みたい。

 

「……帰ろうか」

 

 それは、言われて然るべき言葉だ。

 

「…………」

 

 何も言わない。

 帰ろうとしなければならないのに、どこかしら考えてしまう。

 自分を納得させる言い訳を。

 

 黙り込み下を見つめる。

 必死に考え込みながら。

 

 それは、赤錆からしたら少し問題だ。

 これ以上の時間は彼に残されていないのだから。

 

「ほら、冬休みはまだあるんだから次また遊ぼう」

 

 子供を諭すように優しく伝える。

 その言い方よりも、その言葉に伊井野は反応を示した。

 

「……次?」

「予定が合えばまた遊べるだろ」

「また、遊べる……」

 

 考えていなかった。

 今日という日が、偶然に偶然が重なったようなこの日だけが特別な日だと思いこんでいた。

 

「……次の機会がある」

 

 それは、思ってもいなかったチャンス。

 冬休みという短いながらも学生に与えられた休日は、伊井野の心を揺らす。

 

 今日という日に固執しなくてもいい。

 また次の機会に雰囲気が重なれば、背中を押せる日が来る。

 

「それじゃ、ケーキを食べながら予定を立てましょう」

「食べるって、持ち帰りしたから店に入れないぞ?」

「なら、電話しながら決めましょう!! テレビ電話がいいな」

「……あー、うん。わかった」

 

 渋々と言った様子で引き受ける赤錆。

 そんな彼の様子に構いなく喜びを表情に隠さない伊井野。

 その顔を見ただけで、まぁいいかと感じてしまう。

 

「それじゃ、俺の方が遅いだろうから帰ったら連絡するよ」

「はい! 約束ですよ!!」

「約束ね」

「冬休み、また遊ぼうね!!」

 

 子供のように無邪気に喜ぶ後輩の姿に思わず赤錆も笑みが漏れる。

 とても1つ下の子とは思えないその姿が、自分の言葉だけでここまで喜んでくれるこの後輩の存在が、今の赤錆には不思議に見えた。

 

 自分もいつか、言葉1つでここまで豹変出来る日が来るのだろうか。

 急に怒り、急に泣き

 突然喜び、突然悲しむ

 喜怒哀楽の激しい彼女が自分の前ではより激しくなるように見えてしまう。

 それは、俺の事を──

 

「先輩、それじゃ連絡待ってますからね!!」

「あっ、うん」

 

 余程楽しみにしているのか手を振ってその場から離れていく伊井野に合せる赤錆。

 色々と思い悩む事はあるが、先ずは目の前の少女が無事に帰った事に一安心をした。

 もっとも、この後が長くなりそうで不安なため息を吐くのだが。

 

 伊井野の足取りは軽い。

 先程迄は離れていく気色にもう少しとかじりつきたかったにも関わらず、今は特に何も感じない。

 この後また話すことが出来るという事実に喜びを。

 また次があるという当たり前に感謝をする。

 

 だがらこそ、少し離れた後に気づく。

 

 ここから家に帰った場合、赤錆の方が自分よりも早いのだ。

 だが、彼は遅くなると言った。

 

 何故なのだろうか。

 聞いてから帰ろう。

 そう思って振り返ると、そこにはもう彼の姿はいなかった。

 さっきまで手を振っていた赤錆の姿はもういない。

 

 ……不安はある。

 だから、一度戻ろうと足を止めるが

 

「キャッ」

「危ないだろ、急に止まんな!!」

「す、すいません」

 

 すぐ後ろを歩いていたらしいスーツ姿の中年にぶつかる。

 向こうから当たってきていたが、急に止まった自分が悪いのも事実。

 そして、周りに迷惑を掛けないように再び歩き始めてしまう。

 

 ……まぁ、後でメールしよ。

 それに、後で電話できるしその時に聞いてみよう。

 

 そんな風に自分を納得させる。

 次がある。

 その希望が彼女を満足させる。

 

 植えた欲望を満たすような希望に彼女は浸っていた。

 

 

 

 

 

 石上優は眼の前の画面を潤んだ瞳でしかと見届けた。

 画面一杯に映る少女の笑顔を1人見て、何度も頷く。

 

「やっぱり妹萌えは原点であり頂点だ」

 

 自分の気持ちを言葉にしつつ、ゲーム画面を閉じてソフトを取り出す。

 それをケースに仕舞うと、既に10本以上入ったカバンの中に大切に仕舞った。

 

「いやー、赤錆先輩はどの妹が喜ぶんだろうなー」

 

 石上優

 彼は恋愛(ゲーム)マスター(自称)である。

 自室には数多くのギャルゲーがあり、それら全てを攻略してきた。

 そんな彼は現在、恋愛のいろはを知らない無知な先輩のためにと自身がオススメするソフトを選んでいる最中だった。

 

 だが、ソフトを見ると次第にそれらをプレイしたくなるというもの。

 結局選ぶだけでは留まらず、手にしたゲームを改めてプレイしては泣き、笑い時には余りにも理不尽な展開に腹を立てつつ楽しんでいた。

 

 多くの学生が休むであろう土日の休日を、彼もまた満喫していた。

 

 そして、次のソフトを選ぼうと席を立った瞬間、机に置いていた携帯が震え始める。

 

「げっ」

 

 手にとって映る相手の名前を見て声が漏れた。

 今後の指導をしやすくするためという理由で中学生時代に交換したまま自分からは1度も使っていない相手の名前がそこに映っていた。

 

 ……まぁ、出るか

 普段なら休日に聞きたくない声なのだが、近い内に話さなければいけないと思っていた相手でもある。

 一言二言苦言を呈さなければいけない相手だ。

 もしかしたら、この電話もその理由に関わりがあるのかもしれないのだから。

 

「……もしもし」

「石上?」

 

 何時もの煩い声ではなく、震えた声で名前を呼ばれた。

 それだけで、石上の目から気だるさが消える。

 

「なんだ伊井野、どうかしたのか!?」

 

 彼女、伊井野ミコが自分には先ず見せないであろう弱った姿に興奮する。

 

「……赤錆先輩とあんたって仲良いんでしょ?」

「えっ、まぁ、うん」

「赤錆先輩が連絡取れないの」

「取れないって……」

 

 時間を見てみる。

 今が夜遅くなら寝ているだけと一蹴できるがまだ夕方だ。

 寝るにしては早すぎるし二度寝にしては遅すぎる。

 何よりも、彼が今日家にいないというのは知っていた。

 

「友達と遊んでくるって言ってたのは知ってるけど……

 さっきまでは1時間おきにきちんと連絡くれたのに、急にくれなくなったから電話したのに出ないの」

「はぁっ!? 1時間おきに連絡きてたの!?」

「うん、してってお願いしたから」

 

 当たり前のように来た回答に頭を抱える。

 

「あのなぁ、付き合ってるわけでもないのに」

「今はそんなのいいの。

 とにかく、赤錆先輩から連絡来なくて、電話しても切ってるみたいでつながらないの」

「……で、僕に何をしてほしいわけ?」

「あんたなら何か知らないかなって」

 

 声こそ弱々しいが要求は図太いにも程がある。

 付き合ってもいない人の行動を制限するなんて、我が強すぎる。

 付き合っていても嫌なのに。

 

 ほんと、こういう束縛がきつい女は面倒だよなぁ。

 そんな事思いつつ、石上は大きく息を吸う。

 

「別に赤錆先輩だって子供じゃないんだから連絡とれなくても心配しなくていいだろ。

 それに、付き合ってもいない人にわざわざ構う程暇じゃないんじゃないか?」

「……でも、連絡くれるって約束したもん」

「……まぁ、僕は約束してないからしらないけど。

 それでも、もう一度きちんと話した方が2人のためだと思うけど?」

「話す?」

「今後の事とか」

「…………」

 

 今後の事

 多少大きな的として言っているが、その意味は伊井野にもはっきりと伝わる。

 

 2人の関係性だ。

 

 これから先もこの一方的な繋がりのまま付き合うのか、それともきっぱりと別れるのか。

 それは、伊井野には何も言えない。

 

「……もういい! あんたに頼った私が馬鹿だった!!」

 

 最後の強気の大声に鼓膜が破れるかと思い、携帯を離す。

 

「あっ、おい!!」

 

 だから、最後の自分の言葉は届く前に一方的に切られていた。

 

 なんだよあいつ。

 

 悪態をつきつつ携帯を放り投げる。

 気持ちを切り替えてギャルゲーあさりをしようとしたが、気になってしまう。

 

 赤錆と連絡がとれない。

 

 相手は自分達よりも年上だ。

 だが、少し心配な所はある。

 そう思うと、石上も不安になってきた。

 

 ……ま、まぁ僕の場合は友達として心配なだけだから

 

 そう言い訳をしつつ携帯を拾い上げる。

 

 先ず掛けたのは赤錆の携帯。

 しかし、コール音すら鳴らずに流れていく機械音。

 

「よかったな伊井野。着拒否はなかったみたいだ」

 

 もしかしたらと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 いや、もしかしたら自分も拒否にされているだけかも……。

 

 そう思うと泣けてきた。

 数少ない友人と思っていた人が減ったかもしれない。

 

「くそっ! 掛けたくないけど掛けるしかない!!」

 

 石上の交流関係は狭い。

 同学年では壊滅。先輩はほんの数人程度だ。

 それは赤錆にも言えること。

 

 幸いなのは、たまたまなのか、それとも相手が優しいだけなのかはわからないが、2人の交流のある人物達が被っているということだ。

 

 今日赤錆は友人と遊ぶと言っていた。

 その相手とは、石上のよく知る人だった。

 

 藤原先輩

 

 その文字に触れること数コール。

 

 ……どうやら、あの人も出ないようだ。

 

「あれ、本当に大丈夫なのか?」

 

 もしかしたら電車に乗っていたりと電話に出られないだけかもしれない。

 それでも、2人揃って

 赤錆に関しては少し前から連絡がとれないというのは少し奇妙だ。

 

 不安がっている時に、メッセージが届く。

 藤原先輩

 送り主の名を見て慌てて読み始める。

 読み始めて、言葉を失う。

 

「……赤錆先輩が、倒れた……?」

 

 短い文面を読み返す。

 

 そして考える。

 伊井野に伝えた方がいいのだろうか? 

 ……いや、面倒になるだけか。

 あいつが騒いだら、休まるものも休まらない。

 

 そう思いつつより詳しく知るために藤原へと連絡を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 伊井野ミコ

 

 彼女は赤錆の事で傷つき、悩む時は決まってクリスマスの日の事を思い返す。

 

 恐らく自分達の付き合いで最も幸せだった時のこと。

 

 それは、もう来ないのかもしれない。

 少なくとも学生の間は。

 

 学生恋愛に価値なんてない。

 

 それは、司法が決めている。

 何故なら、恋愛という曖昧な関係を司法は取り扱っていないからだ。

 

 司法が管理するのは、結婚した後という明確な形を残した間柄のみ。

 それ以前の関係がどれだけ拗れようとすれ違おうと価値なんてない。

 

 結局は、最後

 明確な形を残した者だけが明確なルールによって縛られ、守られる。

 

 それは、彼女からしたらわかりやすく納得しやすい、鵜呑みにしやすい話だ。

 

 学生という義務を果たす能力のない人達の恋愛に価値なんてない。

 

 そう思いこむように言いつつも、この日の事を思い返すと不思議と笑みが漏れる。

 

 私達なら、きっと最後は幸せになりますよね? 

 

 そんな言葉を思いつつ。

 

 だが、それにも限度がある。

 

 繋がりが薄い今でも繋がっていないのは不安だ。

 だからこそ、彼との連絡のやり取りは伊井野にとって唯一の希望である。

 その希望が、今まさになくなっている。

 

 不安

 不安しかない。

 

 その言葉だけが頭を埋め、それを取り除くように過去に浸る。

 それでも、何度電話をしても繋がらない携帯。

 それを持つ手が震えてしまう。

 自分を落ち着かせることなど出来ない。

 

 自分は正しい。

 恋愛は過程も大切だとわかる。

 それでも、最後の結果を残せないと意味がない。

 それは、自分が大切にしている六法全書が教えてくれた。

 知識ある先輩が教えてくれた。

 

 だから、きっとこの考えは正しい。

 

 そう言い聞かせつつ、何度も何度も繰り返し電話をする。メッセージを送る。

 いつか来る返事を急かすように。

 

 そして、それが来るまで自分を落ち着かせるようにクリスマスの出来事を思い返す。

 

 だが、クリスマスには続きがある。

 それは、伊井野ミコが知らない続き

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっほー」

 クリスマスツリーを眺める集団に紛れていた早坂は、ようやく現れた赤錆に笑みを向ける。

 

「待たせてごめんね」

 

 全身をコートに包まれているとはいえ、剥き出しになっている顔は寒さのせいか赤く染まっていた。

 彼女の白い肌がその赤みをより際立たせる。

 

「大丈夫だよー、バイト終わってからそんなに時間立ってないし」

「そっか」 

 

 変わらず笑みを浮かべたまま「それに」と言ってツリーへと視線を移す。

 

「こんな綺麗な飾り見てたら時間なんてあっという間だったしねー」

「綺麗だよね」

「うんうん、家にもこんな飾ったツリー欲しいな」

「大きくない?」

「いや、サイズは小さいのにするし!!」

 

 クスクスと笑い合いながら冗談を言う。

 

「そうだ、忘れない内に」

 

 赤錆は持っていた箱を1つ早坂へと差し出す。

 

「わー、ありがとー!!」

 

 彼女はそれを大切に受け取った。

 

「お礼を言うのは俺だよ。予約とってくれたしね」

「別に、毎年予約出来てるから大したことしてないって」

「でも、人気なんでしょ? 取りに行くとき凄い人だったよ」

「まぁ、毎年この時期には雑誌に乗ってるしねー。すっごい美味しいし」

「へー」

 

 こういった雑多情報に余り興味を示さない赤錆からしたら、このケーキ1つにどれだけの価値があるかなんてわからない。

 しかし、早坂のお墨付きというのならばそれなりの価値なんだろうと感じた。

 

「ふふふっ、本当はお店で食べるのが1番なんだよー」

「そうなんだ」

「そそっ。だから、美味しかったら2人で行こうよ」

「2人かー」

 

 思わず苦笑してしまう。

 

「2人は少し厳しいかな」

「えーっ、なんでー?」

「あー、ほら、伊井野がそういうの怒るからさ」

「むー」

 

 その名前を聞き反射的に少し目が釣り上がる。

 最も、それに気づくと彼女はすぐに戻したが。

 

「付き合う前からそんな重い人辛いよ。

 もっと自由をそんちょーしてくれる人の方がよくない?」

「……まぁ、少し不自由だけど」

「でしょでしょ」

「でもさ」

 

 赤錆は伊井野の事を思い返す。

 今日1日彼女に連れ回され、色んな感情を向けられた日を。

 

「伊井野なりに俺の事を慕ってくれてるって思ったら悪い気はしないよ」

 

 それが、赤錆なりの考えだ。

 

「…………そっか」

 

 それは、早坂からしたら無かったことにしたい言葉。

 

「じゃあさ」

 

 無かったことにしたい。

 

「もし、伊井野ちゃんが許してくれたら行けるんだ」

 

 なら、無くしてしまえばいい。

 

「えー、無理だと思うよ?」

 

 次はこんな思いをしないようにすればいい。

 

「そんなのわかんないし!! 私なりにお願いしてみるよ」

 

 そうさせてしまえばいいのだから。

 

「……まぁ、行けたらね」

「むふふっ、今から楽しみにしといてねっ!」

 

 少なくとも、その気持ちが今の彼女の原動力なのだから。

 忘れないように刻み込む。

 どんな思いを何時したのかを。

 

 思い返すと身体の奥が熱くなってくる。

 そんな自分を周りと合わせるように、引き戻すように空から落とし物が落ちてきた。

 

「あっ」

「雪だー!」

 

 小粒の雪がふらふらと早坂の前に落ちる。

 それを革切りに周りにもゆっくりと振り始めてきた。

 

「ホワイトメリークリスマスになったね」

「珍しいな」

 

 2人は感心しつつ共に同時にツリーを見上げた。

 ゆっくりと落ちていく雪に合わせて飾りの輝きは更に増すように見える。

 

「……綺麗だね」

「そうだね」

 

 そんな景色に釘付けになる赤錆と周りを軽く見渡す早坂。

 

 一通り大丈夫な事を確認すると、大きく息を吸った。

 

「実はね」

「ん?」

 

 友人の言葉に視線を向ける。

 

「実は、赤錆くんが来るまで結構待ったんだ」

「……あーぁ、ごめん」

「そこは怒ってないよー。けどね」

「けど?」

 

 そっと彼の横に半歩近づく。

 腕と腕が触れ合いそうな距離になると、赤錆は少し身を避けようとした。

 しかし、更に景色を見ようと集まり始めた集団にもまれてしまい思うように動けない。

 結局は余り改善されることはなかった。

 

「もしも、もしも少しでも悪いなって思ってるならね、お願いを聞いてほしいな」

「……簡単なのでお願いします」

「簡単だよ。すぐに終わるから」

 

 再び大きく息を吸い、吐いていく。

 肺の中に冷たさが埋まる。

 だが、それを持ってしても自分の興奮が収まることはない。

 それどころか、高まるばかりだ。

 

 落ち着かない自分の心に残念に思いつつも、珍しく昂ぶる気持ちに素直になりたいと動く体。

 それらを動かす熱に従うように、早坂は赤錆の片腕に自分の片腕を巻いていく。

 

「早坂!?」

「……少しだけ、ね?」

「…………」

 

 やばい。

 そんな単語が頭を埋める。

 

 完全に勢い余っての行動だ。

 明確に理解している。

 外で、誰が見ているかもわからない状況でこんな事をするなど。

 

 彼女がいる、そう思われている相手に自分が腕組をするなど。

 

 もしもこれがバレてしまっては、完全にお終いだ。

 秀知院学園という閉鎖された空間でこんな噂が立ってしまっては、今後の生活に、仕事に多大な影響が出てしまう。

 

 いつもの彼女ならば、間違いなくやらない。

 こんなチャンスが巡ってきても涙を呑んで耐えるだろう。

 今じゃなくても、その内好きなだけできるから

 そう自身に言い聞かせて。

 

 しかし、その我慢が今はできない。

 出来そうもない。

 

 ホワイトクリスマス

 注目をを独占するようなツリーの下

 周りにいるカップル達

 

 完全に場の雰囲気に飲まれた行動に自分の理性が追いつかない。

 

 離れないと

 離れたくない

 離さないと

 離したくない

 

 そんな言葉が交互に浮かぶ。

 

 だが、身体の方は自分に素直。

 自身すら知り得ない本能のような部分に従う。

 

 もっと、もっとと力を入れて完全に身体を密着させるように。

 赤錆の体温を奪い、より自身に熱を持たせるようにと。

 

「……あっ、やばい」

 

 突然の出来事に動揺と混乱から赤錆は聞き逃したが、早坂は小声で呟く。

 

「これ、欲しいな」

 

 貯まりに貯まる熱すらも忘れさせるような暖かさ。

 服越しとはいえ確かに感じる人の暖かみに早坂の心が漏れてしまう。

 

 幸福、幸せ

 

 それに気づいたときには、離れようという考えは完全に消えてしまった。

 

「……あのー、早坂さん?」

「……もう少し」

「恥ずかしいんだけど」

「恥ずかしくないよ。皆してる」

「俺は恥ずかしい」

「大丈夫」

「学園の人とかいるかもしれないし」

「…………」

 

 もう、それでもいいんじゃないだろうか。

 噂が立って悪目立ちしても、この幸せが毎日感じられるのならどんな無茶難題でもこなせれる。

 頑張った自分にご褒美がある。

 それがモチベーションとなって毎日を過ごせる。

 

 たった一人、赤錆さえ隣にいればそれでいいんじゃないのか? 

 

「…………そうだね、ごめん」

 

 離れたくないと必死に訴える気持ちに無理矢理指示を出し、ゆっくりと組んだ腕を離していく。

 

 理性が勝ったわけではない。

 本能か勝ったわけでもねい。

 

 このまま勢いに呑まれようかと思い赤錆の唇を見た時に、視線の隅に入った瞳。

 異常な程に揺れ動く瞳が目に入った。

 隠しきれないような動揺が。

 全く気づいていなかったが、心做しか彼の身体が少し震えていたようにも見える。

 

 赤錆身仁に好きになってほしい

 彼を好きな早坂愛を

 

 そう思うと、彼の嫌がることは今はできない。

 

 嫌がる理由なんて幾らでもある。

 きっと1番大きいのは彼女の存在なんだろう。

 

「ごめんね、一度男の人とやってみたかったんだー」

「……そういうの、好きな人にやりなよ」

 

 貴方ですけど? 

 

「あははっ。出会いがないんだよねー」

「あーぁ、いつかあるよ。きっと」

 

 もうない。

 もう出会いは済ませたから。

 後は──

 

「早坂可愛いから、きっと好きな人ができても上手くいくよ」

「……ッ!?」

 

 そうだよね。

 上手くいくよね。

 そう言ってくれるんだ? 

 

「ありがと」

「どういたしまして」

 

 2人の間になる雪が落ちる。

 それを最後に会話が止まった。

 騒々しい周囲とは違いただ静かに互いを見つめると、赤錆はすぐに目を逸らした。

 

「ごめん、疲れたからもう帰るよ」

 

 急な腕組からか、まともに直視出来ない。

 複雑な気持ちが入り交じるが、そこには喜びのような気持ちはない。

 ただ、このまま組まれていたら何かありそうな。

 そんなありもしない思いが浮かんで1人拒否感を感じる。

 

 嫌な記憶が少しだけ思い返されると、頭を軽く殴られたような気分になる。

 そんな情けない姿を、数少ない友人に見せたくなかった。

 

「うん、付き合ってくれてありがとう」

「俺の方こそ、ケーキ助かったよ」

「……来年は一緒に食べに来ようね」

「えっ? なに?」

「またケーキ食べに行こうねって!!」

「行けたらね」

 

 苦笑気味に応えつつ赤錆はそっとその場を後にした。

 

 複数のグループで作られた集団。

 そんな中で1人でいる早坂は少し浮く。

 

 しかし、それもすぐに周りに合わさっていく。

 

 駅のホームに赤錆の姿が紛れるのを見て、スーツ姿の中年がそっと彼女の後ろに佇んた。

 

「早坂さん、車の用意が出来てます」

「ありがとうございます」

 

 目線も合わせることなく応える。

 

「1日外にいて冷えているでしょう。明日もお仕事なんですから早く戻りましょう」

「……そうですね」

 

 最後にもう一度

 そう思いツリーを眺める。

 イルミネーションの光は、先程よりも神秘的にも、美しくも見えない。

 ただの光が浮いているだけ。

 

「来年もまた、見に行こうね」

 

 誰にも聞かせない独り言。

 それは、彼女しか知らなくていい思いのうち。

 

 クリスマス

 終業式という日が重なったからこそ、赤錆とこの日を過ごすことができた。

 

 もしこれが冬休みに入っていたら、仕事のせいで予定が組めないかもしれない。

 そもそも、相手に彼女もどきがいる手前まともに誘うことすら出来ない。

 関係を発展さることなど、そんな機会に挑むことすら出来ないでいた。

 

 重なったからこそ、こうして幸せな時間を過ごすことができた。

 

 いい思い出を得ることができた。

 

 その為に、様々な事をした。

 

 食いしん坊な相手が早く帰るために、わざわざこの時期に人気なケーキ屋を調べたり。

 終業式の後に駅前で遊ぶように何組かのグループを誘導したり

 わざわざ注意する程でもない時間なのに、帰るよう急かすように警察に言ってもらったり

 

 その苦労も全て報われた。

 

 そっと自身の胸に手を当てて、小さく息を吐く。

 胸の内にある暖かさを消さないように。

 無くさないように。

 

 少しでも自分の気持ちを冷めないようにと、そっと目を瞑り、ついさっきの出来事を1から思い返す。

 

 早坂愛は、今日という幸せな記憶に浸っていた。




年内最後の更新です。
来年も月1更新目指して頑張りたいです

亀更新の上駄文しか書かない私ですが、来年もよろしくお願い致します


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赤錆身仁は出会いたい

随分とお待たせして申し訳ございません。
今後はもう少し詳しく短いスパンで更新できるように頑張ります


 赤錆身仁には特にこだわりはない。

 何かを与えられればそれで満足し、それ以上を求める事は殆ど無い。

 上を求めたらきりがない事も心から欲しいと思っても、手に入らないものが世の中には沢山あるという事も彼は知っているからだ。

 

 一度くらい母親に会ってみたい。

 子供の頃強く思ったその願いが、その結果がこの価値観を作っていた。

 殆ど会うことのない、疎遠のような親族達に尋ねても。

 共に暮らしているはずなのに、家に帰ってくることが殆ど無い唯一の家族である父に尋ねても。

 2人で暮らすには多すぎる部屋の数々を隅々まで調べても。

 母親の名前一文字すら分からなかった。

 

 父は決まってこう言う。

『余計な事をしてくれたと思ってたが、時期がよかった。

 それだけの女の事を一々覚えているわけがないだろう』

 醜悪な笑みと共に言われた言葉は今でも赤錆の頭からこびりついて剥がれない。

 

 与えられた物で満足しなかった。

 得られた物で満足しなかったら。

 自分もあの父親のように大切な1人がわからないまま、色んな人を代わる代わるに手を伸ばすのだろうか。

 

 そう思うと、求めるという行為が億劫になってきていた。

 その価値観は幼少期から変わらない。

 

 スポーツを皆でやり、中の下程の成績でも満足していた。

 勉強も別にトップを狙う気なんてなく赤点かどうかの瀬戸際ぐらいで丁度いい。

 芸術や音楽なんて見向きもしない。

 

 擦れた少年はこの価値観で過ごしていた。

 この拗れた考え方に人によっては嫌悪して人によっては居心地の良さを感じる。

 今の自分を肯定し、上を見ない思想に。

 大衆受けは決してしないからこそ、彼の友達と呼べる人は少なかった。

 それでいい。

 そう肯定する。

 

 そんな赤錆だからこそ、ショッピングモールというのは魅力的だ。

 大概のものはそこで揃う。

 コアな人が望むような大衆受けしないものには端から興味なんかない。

 手短に手頃に揃えられるのならばそれでいい。

 遠くのもののほうが魅力的だとしてもだ。

 

 普段ならば特に意識もせずに向かうところだが、今日という日は少し重い。

 ショッピングモールには、嫌な思い出が出来たばかりだからだ。

 スミシーの顔が浮かび、追い払うように首を振る。

 しかし、せっかく追い払ったにも関わらず思い返されるように机に置いた携帯が震える。

 

 どうやら今日の天気は良いようだ。

 会話ならば数回のキャッチボールで終わる話題をわざわざメッセージとして送ってくれた事に少しだけ安堵した。

 少し前ならば、面倒くさく感じていたのに。

 スミシーが割って入ってズレた関係。

 元々形容し難い間柄だったからこそ起きてしまった大きなズレ。

 

 その形の1つとして、今のように頻繁に来ていたメールが一通も来なくなるというのがあった。

 それが無くなり、毎時毎分のようにメールが来るようになったのはズレが少し収まったように感じた。

 

 最も、感じるだけでズレた関係は擦れ切っていっているようにも思えたが。

 彼女、伊井野ミコは自分の事を考えて欲しいと言っていた。

 赤錆が必死に彼女の事を思ってメッセージを送っていた事を喜んでいたと。

 そんな彼女をこれ以上不快にさせないように、求められるがままに赤錆からも送るようにしている。

 しかし、大抵は彼女への返信になってしまっているが。

 

 なるべく関心を持っていると思って貰えるよう長めの文を数分かけて打ちながら、少し前のファッション雑誌を参考に揃えた服を一式取り出す。

 それらに袖を通しつつ、深いため息をつく。

 

 久々の友人との外出は楽しい思い出になるのだろうか。

 嫌な思い出を薄れさせる程には。

 そう思いつつ、窓から空を眺めると確かに晴天が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 都会に行けば何でも揃う。

 そんな一言を1つの土地で叶えたような物がショッピングモールなのだろう。

 子供から大人まで、1人から家族まで様々な客層で溢れるそこには、それぞれのニーズに幅広く取り扱うように店が配置されている。

 そういうスタイルが彼は好みだった。

 また、駅から近いというのも良い。

 下手に遠いと行く気が削がれる。

 待ち合わせの時間から時刻表を見て逆算するのも簡単だ。

 電車の数も多いため大きな遅刻も早く着きすぎる事もない。

 

 利便性を兼ね備えているからこそ、多くの人が利用する。

 だからこそ起きる満員電車の現象はどうしようもないが。

 人が多いなら多いで立って邪魔にならない様に気をつけながら過ごせばいいだけ。

 暇つぶしではないが、手の空いている間に伊井野へとメールを送りつつ返信をしておく。

 

 そんな時間を過ごしつつ、駅へ着くと同時に歩き出した周りの人々に合わせるように電車を降りた。

 直ぐに目に入る目的地を見るとそれだけでモチベーションが上がってくる。

 嫌になる思い出も眼前へと近づいて来ているのだが。

 

 あの時は1人ではなかった。

 そして、今回も

 

「身仁ー!!」

 

 駅から歩いて数分。

 ショッピングモールと駅の間にある広場に着くと同時に自身の名を呼ぶ方へと向く。

 それと同時に軽く飛び抱きついてきた彼女の重みに負けないよう踏ん張りながらバランスを崩さないようそっと肩を掴んだ。

 

「危ないだろ、萌葉」

 

 萌葉と呼ばれた少女は彼の胸に頬を擦りつけながら緩んだ顔を隠すことなく見せた。

 

「もう、久しぶりなんだからいいじゃん!」

「……良くないだろ」

「えへへっ、身仁の身体だ~いすき」

 

 小言は聞く気はない。

 そう伝えるように彼の胸に深く顔を1回埋めた後、再び見せた笑みのまま彼女は言う。

 

「ねぇ、萌葉のためにこの身体を長く維持するようにコールドスリープしない?」

「しない」

「ざんねん。でも、身仁の身体ならどうなってても好きだから別にいいや」

 

 身も凍るような話をさらりと流す。

 彼女、萌葉との会話はこんなぶっ飛んだ話題が多々ある。

 幼い頃からの付き合い故に、一々リアクションを取る事の無意味さを赤錆は学んでいた。

 彼女だけではない。

 萌葉の姉もまた、ぶっ飛んだ話題を良くする人だ。

 

「もう! 遅刻ですよ赤錆くん」

 

 少し遅れて現れた彼女の姉であり、今日の誘いをした張本人である藤原千花は不機嫌そうに指を指して頬を膨らませていた。

 

「レディを待たせるなんて紳士失格なんですから」

 

 待ち合わせにはまだ10分程の余裕がある。

 それで遅刻の判定を受ける事に口を出すことしない。

 したところで「待たせた事実は変わらないんですっ」と謂われる未来がわかっていたから。

 

「ごめんごめん。どれぐらい待たせたの?」

「1時間ですよ!!」

「なんでそんなに早く来たの……」

 

 予想よりも長く待たせていた様だ。

 その驚きに呆れている赤錆に補足するように萌葉は応えた。

 

「身仁に早く会いたいから急いで来ちゃった」

「時間にならないと俺は来ないけど」

「わかってたけどね、萌葉は少しでも身仁に触れてたいし、少しも離れたくないの」

 

 そう言いつつ今度は腕を回して抱きつく萌葉。

 彼女に好き放題されている姿もまた、千花のイラつきを加速させる。

 

「なんで赤錆くんは中学生にすぐ手を出すんですか!!」

「俺からは出してないだろ!!」

「言い寄られる様な事をしても犯罪なんですからねっ!」

 

 会っただけで機嫌を良くする萌葉とそれに付き合わされる度に悪くする千花。

 どっちも立たせれない姉妹に困っていると、萌葉は話題を大きく変える。

 

「お父様も最近身仁達に会ってないってぼやいてたよ?」

「……まぁ、そのうち父さんと行くんじゃない」

「その時は今日のこと言ってやる」

「言ったら妹が困るんじゃない?」

「萌葉は親公認の仲になるだけだから別にいいけど?」

「……わかった、頼むから辞めてくれ」

 

 ようやく頭を下げた赤錆を見て千花は少しだけ機嫌を良くする。

 憂さ晴らしを終えたのを見届けた所で、赤錆はこの話題も変えようとする。

 

「そろそろ行こう。あと、萌葉は早く離れてよ」

「まだ1人来るよ? それと、萌葉は離れないからね」

「だ、誰が来るの……」

 

 無理矢理剥がそうと伸ばした手を止める。

 その反応を楽しそうに見つつ萌葉は続けた。

 

「ふふふっ、身仁にどうしても会いたいって人がいたから連れてきちゃった」

「俺に? どうしても??」

「うんっ。モテモテだね」

「……辞めてくれよ」

 

 その冗談に本気で嫌気が差した。

 冗談ではなく、力を込めて萌葉を剥がすと簡単に彼女は距離を取り一歩離れる。

 嫌がる姿を隈なく見るように視点を下から上へとゆっくりと動かしつつ彼女は笑った。

 

「失恋してすぐに次の女に手を出すなんて、最低」

「……俺は、何もしてないよ。失恋もしてない」

「本当に? 卒業してからも仲良かったって有名だよ? 

 だって、中学生の時同じ学校にいない萌葉も身仁の名前聞いてたもん。

 あの風紀委員と付き合ってる男がいるって。

 話しかけるだけで風紀委員に目をつけられるから気をつけろって」

「それ、誰が言ってたの?」

「クラスの人とお姉ちゃん」

「お姉ちゃんねぇ」

「わ、私はそんなこと言ったかどうか記憶にないですけどね〜」

 

 吹けない口笛を必死にふかしつつ目を逸らす姉の姿。

 その情けない姿に赤錆は突っ込む気力を失っていた。

 そんな彼の耳元に萌葉は囁く。

 

「大変だね」

「大変?」

 

 返しつつも内心分かっていた。

 自分が今、大変な状況にいる事に。

 

 噂のもう一人のメインである伊井野との関係には尾ひれがついており、この話題は秀知院学園の同級生ならば誰もが一度は耳にする。

 閉ざされた空間での恋愛話。

 それも、悪い意味で目立つ彼女の。

 話題を口にしたものは、時が経ち現れた、ある意味では望んでいた展開に一斉に口を開く。

 今か今かと待ち望んでいたものがようやく来たのだから。

 期待させた時がある分、広がる速度も付いた手垢も尾ひれも大きなものになっているのかもしれない。

 当事者である赤錆には聞こえてこないだけで。

 

「いいんだよ。

 萌葉は別に家族の付き合いじゃなくて、身仁一人で会いに来ても。

 萌葉は別に、赤錆の名前じゃなくて身仁が好きなんだから。

 お姉ちゃんもクラスの皆も学校の皆にも腫れ物にされても、萌葉だけは大好きなままだからね。

 寂しかったらいつでも来てね」

「……べつに、寂しくないよ」

 

 強がりではない。

 千花もそうだが、早坂や石上がそばにいてくれる今は。

 何よりも、伊井野とも別れていないのだから。

 付き合ってもいなかったのだから。

 ある意味では、いい切っ掛けでもある。

 前に進む事も、引く事も考えられる切っ掛けだったと思える。

 どっちに行っても、障害となる女がいるのは代わりはないが。

 

「……なんか、思ってた以上に前向きだね」

 呟きつつ萌葉は再び腕に絡みつく。

 先程よりも強く、離さないと伝えるように。

 

「もっと落ち込んでる顔が見たかったのにな」

「酷くない?」

 

 独り言のつもりなのか赤錆への返事はない。

 

「まぁ、だったら会わせてあげてもいいかな。

 落ち込んでるんだったら絶対に会わせたくなかったし」 

 

 強く向けられたその視線に赤錆も合わせる。

 

「忘れないでね、萌葉はずっと身仁の傍にいるからね。

 味方でいてあげる。

 萌葉だけ、ね」

 

 そんな言葉を聞き逃す程、その視線の先の少女に目を奪われていた。

 まるで人形のような綺麗な少女。

 

 そんな少女が頬を軽く赤く染めながら、より引き立たされた青い瞳を上目遣いにしつつ外しそうに言う。

 

「あの、白銀圭……です。覚えてますか?」

 

 その少女、白銀圭の自己紹介に混乱しつつ助け舟を求めようと萌葉を横目で見る。

 しかし、彼女の視線は少しズレていた。

 ショッピングモールへと向かう人混みに向けられたその視線。

 自然とその先を追うと、綺麗な金髪をした女性の後ろ姿が一瞬見えた。

 見覚えのある色をした髪。

 遠目からでもわかる綺麗な金髪。

 

 それは、学校以外では会うことの少ない学友のに似ていた。

 彼女とならば、どこで会っても楽しめる。安心できる。

 心の落ち着く数少ない友人。

 そして、その友人と似た髪の色をした少女。

 ここで2回目の出会いをして、強烈なインパクトを残すと共に彼女に辛い経験をさせた少女。

 どこで会っても嫌な、トラウマを刻もうとする少女。

 

 そんな少女達と同じ髪の色をした女性の姿は、ショッピングモールへと入って消えた。




久々の更新のため、過去話を見つつ思い出しながらの執筆になりました。
自分の過去作っていつ読んでも恥ずかしくて辛い……悶絶しながら読んでいました。
更新大分空いたため、話を忘れた方は今一度読み直してくれたら嬉しいです。
俺もやったんだからさ(同調圧力)


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赤錆身仁は出会いたい2

「どうかしましたか?」

 

 白銀圭から投げかけられた問に赤錆は視線を人混みから彼女へと戻す。

 隣りにいた萌葉は彼とは違いジーッと見据えたまま赤錆の腕をより強く抱き寄せた。

 

「いや、大丈夫」

 

 心配かけないように笑みを浮かばせるも、赤錆の心臓は少し早く鼓動する。

 だが、そこまで慌ててはいなかった。

 

 友人に似た髪の色をした女性

 

 そんな女性を見ただけなのだから。

 ただ、同じ色をした少女の事を思い出したため動揺しているだけ。

 

「萌葉達を見てる人がいたよね」

 隣から同意を求める声がすると、視線を再び人混みへと一瞬戻す。

 そこには既にその女性の後姿はなかったが。

 

「見てたかどうかまでは知らないけど……」

「ジーッと見てたよ。うるさかったのかな?」

「かもね」

「うーん、萌葉を見るのはいいけど身仁を見られるのは嫌だ。

 やっぱり部屋に監禁して萌葉だけの飼い犬に躾けたほうがいいのかな?」

「もう、萌葉がうるさくしてるからですよ」

 

 ため息を漏らしつつ千花もその話題に入ってくる。

 妹の狂言が止まらない事に姉として感じるところがあったのだろう。

 一旦話題を止めたものの、その目は少し輝いていた。

 

「それでそれで、どんな人だったんですか?」

 

 自分達を見つめてきていた人物像をしりたいと好奇心を隠すことなく尋ねる。

 

「うーんと、凄い綺麗なお姉さんだったよ?」

「なるほどなるほど、他には?」

「うーん、遠くで見てただけだからそんなにわかんないよ」

 

 お姉さんという言葉に赤錆の鼓動が少しだけ落ち着く。

 後ろ姿しか見れなかったものの、確かにその姿は自分達とは離れた年をした人だった。

 見知った同級生でも会いたくない同い年でもない、ただ少し面影を感じる程度の人。

 嫌な事を思い返させるには十分すぎる切っ掛けだが、それだけだ。

 

「……まぁ、気にしないでおこう」

 

 更に追求しようと迫ってくる千花を宥めつつ、それよりもと赤錆は白銀圭を見た。

 

 覚えてますか? 

 

 と、先程疑問を投げかけてきた少女。

 人形かと思える程に人並み外れた容姿をした少女。

 彼女は赤錆と視線が合うと気恥ずかしそうに少しだけ視線を反らした。

 

「白銀さん、だよね……?」

「はい」

 

 名前を呼んでみる。

 おどおどとしながら帰ってきた返事に、赤錆は少しだけ考え込んだ。

 全く覚えていない。

 初対面と言いたい位には。

 

「えーっと」

 

 赤錆の中には覚えていないと正直に言う以外の道はなかった。

 問題は、どう伝えるかということ。

 素直に頭を下げるにしてもどう伝えながら言うべきか。

 

「赤錆くん、白銀ですよ白銀」

「……わかってるよ」

「わかってないですよ〜」

 

 考えを邪魔するようにニヤニヤした顔を近づける千花。

 その顔が視界一杯に広がると、急に離れて指を1つ立てた。

 

「ほら、秀知院学園の白銀と言えば?」

「……なに?」

「む〜」

 

 次は2を指す。

 

「秀知院学園の全生徒を仕切る人と言えば!!」

「生徒を仕切る? 先生?」

「むーっ!」

 

 最後に3を

 

「私がよくお世話になってる人ですよ!!」

「……やっぱり先生じゃん」

「違いますよ!! 生徒会長ですよ!!」

「会長?」

 

 と答えを聞いて初めてピンときた。

 秀知院学園生徒会長、白銀御行の名前を。

 

「あー、会長の妹なの?」

「兄がいつもお世話になっています」

 

 深々と頭を下げる圭をに合わせて赤錆も頭を下げる。

 

「いや、何もしてないけどね」

 

 上げると同時に苦笑した。

 

 白銀御行

 秀知院学園現生徒会長

 その存在は、赤錆とは全くと言っていいほどに無縁だ。

 廊下ですれ違うか壇上で話す彼の姿を眺めるぐらいの人。

 まともに話したこともない。 

 彼の部下である生徒会役員とは仲が良い人がいるが。

 

「ふふふっ、あの会長の妹なんですから失礼な事したらいけませんよ」

「別に誰が相手でもしないよ」

 

 会長の妹だから覚えているか聞いてきたのだろうか。

 それとも、学園で会ったことがあったのだろうか。

 質問の意図はわからないが、話が流れたのは確か。

 割り込んできた千花に内心感謝をしつつ今度は自分と思い口を開く。

 

「赤錆身仁。今日はよろしく」

「……よろしくお願いします」

 

 流された事に不服そうに少し頬を含む圭。

 それを見て怒らせたと思い話を戻そうともしてみるが、姉妹はそんな空気を無視するように話を進めた。

 

「それじゃ、今日のウィンドウショッピングはどこ行きましょう?」

「萌葉は水着が見たいな〜。

 去年買ったやつは少し小さくなっちゃった」

 

 そう言いながら中学生とは思えない豊満な胸を寄せつつ赤錆の腕に当てる。

 柔らかい感触から逃げるように動かそうとしても絡められた両腕は逃がさないと伝えるように強くなる。

 

「ねぇねぇ身仁、今年の夏は海に行こうよ」

「あっ、海いいですね〜」

「まだ春が始まったばかりなのに気が早いだろ。

 それに、俺は水着とか持ってないし」

「なら、萌葉が似合うやつ探してあげる!!」

「いいよ、行く予定ないし」

「むーっ」

 

 嫌がる赤錆の顔を軽く睨む萌葉。

 彼女が黙ると自分の番と言わんばかりに千花は手を上げた。

 

「海は海でもハワイとかいいでよすね。

 今年の家族旅行はハワイはどうですか?」

「それは家族で決めたらいいんじゃない」

「だから、家族の赤錆くんに聞いてるんじゃないですか」

「家族じゃないだろ!」

「ふふふっ、今は家族じゃないですけどそのうち家族になりますよ」

「ふざけろ」

 

 自分も水着が見たいと遠回しに言う姉にため息を返す。

 そんな3人を少し離れて見る圭は黙々と何か言いたそうに萌葉を見つめていた。

 

「ねぇ、萌葉と赤錆さんは仲良いの?」

 姉が黙ったタイミングでようやく自分の質問を口に出来た。

 初めから突っ込みたい所だったが、家族旅行や優先したい自分の話を先にして遅くなった問に萌葉は笑みで応える。

 

「えっ、今更じゃない圭ちゃん」

「うん、初めから聞いとくべきだったかも」

「えへへっ、萌葉と身仁は昔からよく遊んでたんだよ。

 親も政治家同士だからよく合同で食事に行ってたし学園に入る前からよく会ってたしね。

 もう本当に家族みたいな関係なんだよ」

「家族……ね」

 

 過去を思い返し嬉しそうに話す萌葉が言った単語を赤錆は明らかに顔を反らす千花に向ける。

「家族みたいなものですよー」

 と弱々しく小声で返していた。

 

「それでそんな風に腕組んで歩く仲なんだ」

「そりゃもう。

 兄と妹、飼い犬と飼い主みたいな関係なんだもん。

 目を離してお痛しないようにしっかりとリードを掴んで見ておかないとね。

 身仁は目を離すとすぐにふらふらしちゃうんだから」

「昔からよく迷子になってましたもんね」

 

 仕返しと言わんばかりと千花の追撃に赤錆は「気をつけます」と同じように視線を反らして応えた。

 

「ふーん、仲いいんだ」

「うんっ! とってもね」

 

 最後の確認なのかこれ以上の圭からの問はない。

 ただ、2人の絡まれた腕を軽く見つめた後は赤錆へと視線を戻した。

 

「私はウィンドウショッピングを楽しみたいのでどこでもいいですよ」

 話を進めよう。

 そう赤錆に視線で訴えかける。

 

 少しだけ空気が重くなった。

 圭は気にしてないように振る舞い、そんな彼女に萌葉は笑みを向けたまま。

 決定的に何が悪いとまでは赤錆にはわからなかったが、ただこの重くなった空気にどうしようかと狼狽える。

 そんな彼を何時ものように彼女が救った。

 

「それで、赤錆くんは何処に行きたいですか?」

 

 千花の何気ない問いかけに赤錆は感謝する。

 彼女自身もまた、場の空気の悪さを変えようと視線を送る。

 

「俺は……最近充電の減りが早いからモバイルバッテリー? っていうのが欲しいかな」

「赤錆くんが機械を欲しがるなんて珍しいですね」

「……別に、普段から触らないだけで欲しいものはある」

 

 そう言いつつポケットから携帯を取り出して充電を見る。

 出発前まで充電しており出発から1時間近く経った現在ではもう少しで残りが半分になる程に減っていた。

 もちろん、ここに向かうまでの道中で伊井野とメッセージのやり取りをして画面をつけっぱなしにしていたのも原因だが少し前から明らかに減りが早くなっている。

 

 それは早坂が秘密で入れたアプリのせいなのだが、彼はそんなことは知らない。

 自分の使い過ぎだと決めつけ、減りが早いのならばこういったものがあると正に元凶である早坂に勧められた物を購入するのが今回の買い物での彼の第一目標であった。

 

「へー、萌葉が充電のもちが良くなるように設定見てあげようか?」

「いいよ、友達にこないだ見てもらったし。

 余り色んな人に携帯の中身見せたら駄目だってその人に言われたし」

「ふーん、男の人? 女の人?」

「……関係あるの?」

「うんっ、聞きたいもん」

「男の友達だよ」

「ふーん。ならいいや」

 

 いい、と言いつつも納得していない顔を見せつつ萌葉は自分の携帯も取り出す。

 赤錆が見慣れたそれは、彼が今現在手にしているのと全く同じ機種のものだ。

 

「でも、身仁じゃ設定とかわからない事一杯あるから萌葉と同じやつを一緒に買いに行ったのに……。

 なんで萌葉じゃなくてその人に聞いたの?」

「萌葉がおすすめって言ったからこれを買ったんだろ? 

 それに、最近会えてなかったし……。

 今度困ったことがあったら連絡するから怒るなよ」

「やっぱり身仁のリードはずっと萌葉が握らないと駄目だね」

 

「携帯も2人で買いに行ったんだ」

 

 そんなやり取りを呆然と見ながら圭は呟いた。

 赤錆は少し困りながら頬を指で掻く。

 

「携帯とかよくわからなかったから、千花に相談したら萌葉が一緒に付いてってくれたんだ」

「萌葉も機種変したかったしね。

 せっかくだからお揃いの携帯にしたかったし、揃えたほうが夫婦って感じするでしょ?」

「夫婦な感じはしないけど、困った時に萌葉に聞けば助けてくれるって思ったからそれにしただけ」

「……ふーん。本当に仲良いんですね」

「まぁ、うん」

 

 別に仲の良さを隠す必要はない。

 というよりも、もう隠せられるレベルではない。

 腕を組みながらずっとやり取りをしてるのに今更仲が悪いと言う方がおかしいのだから。

 

 圭がどう思っているかはわからない。

 余り感情を出さないようにしているのか、起伏が少ない性格なのかはわからないが喜怒哀楽も無表情に近い。

 いや、怒に関してはわかりやすく漏れていたが。

 殆ど初対面であろう彼女の感情を全く掴めれないまま赤錆は困った顔をする。

 

「まぁ、仲良くしてるよ」

「……そうですか」

 

 また少しムスッとしていた。

 やはり怒りの感情に関してはわかりやすい少女だと赤錆は思った。

 彼がそれを感じるという事は、友人でもある萌葉は手にとるようにそれを理解しているということ。

 その反応に合わせてようやく赤錆から離れると今度は圭に抱きついた。

 

「もう、圭ちゃんも拗ねないでよ〜」

「べつに、拗ねてなんてないってば」

 

 フォローのつもりなのかはわからないが、ようやく離れた重荷に対して軽くなった腕。

 その腕に抱きつく事こそなかったが、千花は萌葉の代わりと言うように赤錆の隣に立った。

 

「中等部でも赤錆くんは有名人みたいですよ」

「……別に知ってるよ」

 

 自身が高等部に上がった後も度々中等部に訪れる事はあった。

 中に入ることは希だったが、それでも校門前で伊井野の用事が終わるのを待つために居座っていた事が。

 

 藤原萌葉と白銀圭は現在中学2年生。

 現在高校2年生である赤錆や千花とは同じ学舎で会うことはない。

 そのため、先ず互いの名前を学校で聞くことはない。

 しかし、赤錆は違う。

 

「赤錆くんが卒業した後も風紀委員の活動は続いてたんですから、噂が下の子に届いちゃうのは仕方がないですよね」

 

 困った笑みを千花は浮かべた。

 伊井野が活動する度に、厳しく取り締まる度に嫌味のようにあいつには彼氏がいると言われるのだろうか。

 赤錆身仁という名前と共に何かを言われていたのだろうか。

 

「……まぁ、気にしないでおくよ」

 

 噂の渦中の人物と別れた人間が、年下の他の女と仲良くしてる。

 それも自分の友人と。

 白銀圭がどう自分を見ているのか、どう感じたのかはわからない。

 しかし、そんな事を一々気にしても仕方がない。

 

 伊井野とは付き合っていなかった。

 そんな言い訳をわざわざこの場でするわけにもいかない。 

 聞かれたら応えてもいいかもしれないが、自分から言ってしまえばそれは立派な言い訳だ。建前だ。

 自分からそんな言葉を吐くことを赤錆は嫌うのだから。

 

「ほら、早く行こうよ」

 

 萌葉は圭に抱きつきながら静かに2人を見守る赤錆達に声をかける。

 千花は笑顔で一歩踏み出し、赤錆を見る。

 

「萌葉達はまだまだ子供なんですから、私達お姉ちゃんお兄ちゃんがしっかり見てあげないと駄目ですからね。

 私達も楽しみながらちゃんと見ててあげましょう」

 

 そんな声に付いていくように赤錆も歩き始めた。



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白銀圭は話したい1

「萌葉また落としたよ」

 

 そう言いつつ、前に立つ友人のポケットから落ちた真っ白なハンカチをすくい、軽く埃を払ってから差し出す。

 萌葉は足を止めると呆れ顔の圭から手渡されたハンカチを小さく畳んでポケットにしまった。

 

「ごめんね圭ちゃん。ポケット小さいからすぐ落ちちゃうみたい」

「もう、高い物って言ってたじゃん。なくさないように大事にしなよ」

 

 呆れながら溜息をつきつつ何度目になるかわからないやり取りを繰り返す。

 休日のショッピングモールだけあって、中には老若男女問わず様々な人がいるなか足を止めてのやり取りに周りの流れを遮ってしまう。

 それを良しと思わない萌葉は流れに再び交じるように歩き始めた。

 つられるように圭もその隣を歩く。

 

「気をつけるね〜」

 

 何度目になるかわからない気の抜けた言葉に圭の呆れ顔は戻らない。

 ウィンドウショッピング

 実際に買うことなく、ただ陳列された商品を見て楽しむ行為。

 それが今日ここに集まった目的だ。

 ただ、本当に見て終わるのは自分だけ。

 他の人達は結局気に入ったものを買うことになる。

 特に、隣に立つ友人は多少値段に悩むことはあるがそれでも結局気に入ったものを買うことが多い。

 自分ならば諦めるような値段のものも、彼女にとっては少しの考慮だけで買えるような金銭感覚の差。

 

 ただ、今だけは店に入らず表に並べられた物を軽く見て終わるだけになっているため本当にウィンドウショッピングをしているように圭は錯覚していた。

 店舗に入り物色するのは全員が揃った後だと萌葉は言う。

 携帯ショップで何を買うか悩み戸惑う赤錆と、それに対して同級生のセンスとして必死にアドバイスをする千花の2人のやり取りが長くなりそうなため別行動を提案した萌葉。

 ここに来る前に散々ベッタリとくっついていたのに急に別れる事を口にした彼女に驚きつつ、思わず圭はついてきてしまった。

 

 彼女の目的は2つ。

 赤錆と少しでも話すこと。

 圭は彼の事を少しだけ、ほんの少しだけ気になっていた。

 異性としてではなく、人柄を。

 どんな人かというのを実際に知りたいと思っていた。

 昨年度では1年生の自分達にまで耳に届いた3年生の先輩、伊井野ミコと付き合っていた彼の事を。

 どんな思いで、どんな気持ちで、どんな性格で付き合うおりそれに付き合いきれたのはどんな人格だったのかに興味があった。

 自分と少しだけ関わりがあった事もあったから。

 

 2つめは純粋にウィンドウショッピングを楽しむこと。

 この名目で参加したのだから、楽しみきりたい。

 中学2年生という遊び盛りな圭からしたら、友人や仲のいいその姉と遊ぶ機会で楽しまないというのは損な事だ。

 

 そして、3つめ。

 ある意味ではこれが最も大切な事だ。

 

 兄が今日何をしにここに来ているのかを知りたい。

 

 自分が家を出るよりも少し早くに出ていった兄、白銀御行。

 休日なのに制服で出ていった事にも驚いたが、理由を尋ねると

「少し映画を見に行こうと思ってる」

 なんて服装からは思いも寄らない応えを返してきた兄。

 なぜ制服で出向くのか。

 それを聞く前に時間と言われ自転車で走り出した兄もまた、今日はここに来ている。

 今はまだ映画を見ている最中かもしれないが、ここで過ごせばそんな兄に会うかもしれない。

 

 白銀御行にとって、秀知院学園の制服というのは家にあるもっとも高価な服装だ。

 それを普段着? 扱いしてまで出向く理由。

 ただの友人との遊びとは考えづらい。

 そうなると──

 もしかしたら、いるのかもしれない。

 兄にとって特別になるかもしれない人が。

 自分にとって義姉となる人が今日ここに。

 

 ウィンドウショッピングを楽しみたいという気持ちはあるものの、圭の目線は物よりも人混みに自然と流れていく。

 映画を楽しんでいる最中かもしれないが、もしかしたら映画はもう少し後で今はショッピングデートをしている可能性も十分にある。

 怪しい人、もとい場違いな制服の兄が何処かにいないかを探す為に視線を動かす。

 そんな時だ。

 

「あっ、これ」

 

 そんな友人の声に足を止める。

 友人の視線の先にはガラス越しに春物のアウターを着た人形が飾られていた。

 萌葉が人混みを分けるように近づくのを見て圭も慌てて追いかける。

 商品の直ぐ側に立つとジッとそれを見つめる彼女。

 余程気に入ったのか、真剣な眼差しは何時もの悩むと言いつつ結局買う事になる時のそれとは少し違った。

 

「気に入ったの?」

「違うよ、萌葉には少し似合わないよ」

 

 そう苦笑する彼女。

 なら何でそんなに食い入るように見るのか。

 それを尋ねるよりも早く萌葉は口を開いた。

 

「このアウター、さっき身仁を見てる人が着てたのだなって思ってね〜」

 

 興奮してるのか少し声を大きくしつつ萌葉は続ける。

 

「ほら! 何処かで見たことあるなって思ったらこないだテレビで紹介してたブランド物だよ!!」

 

 そう言って萌葉が指を指した値札には、圭の財布事情ではとても手の出せない金額が書かれていた。

 試着したいという言葉すら戸惑ってしまうような目眩のする金額。

 新聞を何件届ければいいのか考える事すら辞めていた。

 

「こんなの着てる人ってよっぽどお金持ちなんだね! 

 しかも、持っていたバックも確かブランド物だったし、それはこれ以上に高かった気がするし!! 

 こんなの持ってるお金持ちの人なんてそうそう会えないよね〜!!」

 

 自身も政治家の娘のため周りに比べれば遥かに金銭面では優遇されている。

 そんな彼女が羨むのは、子供だからお小遣いとしてでしかお金を貰えていないからだろうか。

 その小遣いですら、圭からしたら十分過ぎる額になるのだが。

 

「お金持ち、か」

 

 政治家の息子と娘。

 今日のメンバーと自分では金銭や社会的な立場で比べられない程の差がある。

 そんな事圭は気にしない。

 気にはしないが、そんな風に親の社会的な立場と権力を振りかざすのは嫌いだった。

 

 友人である萌葉はそんな素振りを一切見せない。

 だからこそ、心の許せる数少ない友人だ。

 他の人達は許せないから冷たく振る舞う、なんてことは決してない。

 学校という閉じられたコミュニティにおいてそんな態度は自分の立場を悪くするだけ。

 特に女性というコミュニケーションを主として楽しむ自分達ならば尚更気をつけなければいけない。

 多少気になるところや、嫌なことがあったとしても。

 自分のクラスにも決して馴染むことはないと思う人は何人もいる。

 表面上は互いに仲良くしているが。

 

 赤錆さんも、政治家の息子だからって鼻にかける人なのかな。

 まだよくわからない気になる人のことを、そんな風に少し勘ぐってしまう。

 ただ、それは今から探ればいいこと。

 仮にそんな人だったとしても、学校の違う自分には関係のない話だ。

 そう割り切ればいいだけの話だ。

 

 そんな風に自分を納得していると、萌葉の視線がアウターとは違う方に見ていることに気づいた。

 人混みに向けられた視線を追うと、決して綺麗とは言えない薄汚れたとしか表現できない男性の後ろ姿がそこにあった。

 

「……あんまりジロジロ見てたら失礼だから」

 

 外で遊ぶということで、必然的に小綺麗薄な衣装に身を包む人混みの中では嫌でも目立ってしまうその男性は、周りの人達も気を使っているのだろう。少しだけ空間が空いていた。

 彼を遠ざけるバリアなようなものが貼られているように見える。

 ただ、実際は逆。

 彼がバリアから弾き出されているのだ。

 周りの人が意図的にか無意識にか一歩距離を置いて過ぎ去る、足並みを揃えたくないのか早足で追い越す。

 お金がないから身嗜みを整えられないのだろう。

 後姿だけでそんな想像が容易にできてしまう。

 そんな差別的な気持ちを持った自分が嫌だ。

 そんな気持ちを表に出す人達も。

 

 無理に仲良くする必要はないだろう。

 けれども、その先駆けとなる一歩すらも拒否しようとするその姿勢が圭は気に食わなかった。

 

「あの人、さっき萌葉がハンカチ落とした時に拾おうとした人だ」

「えっ?」

「圭ちゃんが拾ってくれたから良かったんだけどね、落とした時に慌てて近づこうとしてたからもしたかしたら、って思ったんだけどね」

 

 改めて男性の後ろ姿を見ようとしたが、視線の先には小綺麗に揃った集団の列しかいない。

 もしも、善意で拾おうてしてくれていたら。

 ただ2人で礼を言って終わっただけ。

 他の人がそれをやろうとしたら、それで終わったのだろう。

 しかし、その見た目がそれだけでは終わろうとさせてくれない。

 高いハンカチ、とは萌葉が初めて落とした時に圭に言った事だ。

 あれからか何回か、少し歩く度に落としていた。

 高いものをよく落としていた。

 それを狙っていたのだろうか。

 

 そう思ってしまう自分が、少しだけ嫌になる。

 見た目だけで発想を決めようとした自分の事を。

 これじゃ、秀知院の人達と変わらない。

 そう思って、これ以上考えるのをやめる。

 やっぱり彼だけを除け者にしたのには理由があったなんて考えが過ぎったからそのまま思考の外へと追い出していく。

 

 正しさなんてすぐに変わる。

 1つの情報があるだけで、間違ってると思ってた事が正しく思えるなんて事はよくある事だ。

 正義なんて不確かな事程確執するのはおかしな話。

 

 ただ、お金がないというだけで不当な扱いをされるのにむかついただけ。

 なさそうというだけで避けられのに嫌に感じただけ。

 それだけを見て自分はムッとした。

 そう言い聞かせる。

 これ以上考えたところで、楽しい時間が減るだけなんだから。

 

「……そろそろ行こうか」

「うん、そうだね」

 

 気をそらすには環境を変えるのが一番いい。

 丁度よく先輩組が他で遊んでいるのだから。

 彼女達と合流すれば、こんな気持ちはすぐに無くなる。

 楽しい時間へと変わる。

 そう思いつつ今度は圭から先に歩き出す。

 

 他に自分の気持ちを変えてくれそうな人が1人いた。

 いや、2人かもしれない。

 自分の兄がいないか思い出したかのように周りを探りながら圭は歩き始めた。

 

「……早く余計な人は帰ってほしいな〜」

 

 そんな見ることに気を取られていた圭は気づかない。

 萌葉は楽しそうに笑いながら付いていっている事には。

 

 

 

 

 

 

「だから、これが一番おすすめなんですよ!!」

 

 携帯ショップに入るや否や、2人の聞き慣れた声が聞こえた。

 片手にピンクのモバイルバッテリーを持ちながら、それを引いた顔つきの赤錆の前へと差し出す。

 

「ほら! ソーラーパネルもあって使ってない時に外で充電できますし、バッテリーもこっちのほうが大きいんですよ!!」

「うーん……えー、ピンクー?」

 

 考えた素振りを見せてはいたが、その色合いに文句があるようで結局すぐに不満は口に出た。

 色の話題が出たことにより、千花はその自慢の胸を強調するように前へと出して胸を張る。

 

「最近男の子のピンクがエモいんですよ! 

 友達いない赤錆くんにはわからないかもしれませんが、ピンクは絶対に流行っているんです!」

「エモいっていうのはよくわからんけど、友達はいる」

「早坂さんと私だけだけじゃないですか!! 

 男友達の話ですよ!」

「……石上くんがいるし」

「あの人も友達いない系男子なんでエモい話では戦力外ですからね」

「…………」

 

 石上を封じられては同性の友達等他にいなかった。

 エモいとかピンクが流行っているのか等の現在の最新情報は確かに赤錆は持っていない。

 そして、相手は様々な友達を持つ人当たりのいい千花。

 彼女がいうならばそうなのでは? と鵜呑みに仕掛ける。

 

「……ピンクか〜」

「可愛いじゃないですか」

 

 ダメ押しに、と千花はモバイルバッテリーを赤錆へと手渡した。

 合わせるように、彼がもう片方の手で持っていたのを千花に差し出す。

 

「これがいいんだけど」

「む〜っ」

 

 丁寧に受け取った赤錆とは違い、少し雑に千花は受け取る。

 カラフルな自分の渡した物とは違い、黒色でシンプルなそれは無難な物であった。

 

「……普通すぎますよ。

 容量も私の選んだ物の方がいいですし、それにこれは充電してるときハートマークで残量を教えてくれるんですよ!」

「……ピンクにハートて」

 

 半分になった時が悲惨では? 

 等と思いつつ受け取ったものを見ていく。

 見ていくが、言葉の意味がよくわからない赤錆からしたらただわかりやすい数字と千花の言うハートで知らせるという文言しかわからなかった。

 

「……これがいいの?」

「はい! 一番のお薦めですよ!!」

 

「それ、お姉ちゃんが欲しがってたやつだ」

 

 最後のひと押しと思い思いっきり足を踏み込んだ千花。

 しかし、その足元には妹が手招きしてたかのようにタイミング良く割り込んできていた。

 赤錆に見えないように口元を隠していたが、千花にははっきりとニヤニヤとした笑みが見えていた。

 

「お姉ちゃん、どうせいつもみたいに身仁に買わせてつかわなくなったり似合わないとかいちゃもんつけて自分のお古と交換する気だったんでしょ〜!」

「や、やだなー、そんなことないですよー」

「やっぱり? そんな気がした」

 

 急な味方の登場で勢いをつけた赤錆は勧められた物をそっと片付ける。

 それを名残惜しそうに千花は眺めていた。

 

「うう〜もうすこしで買ってくれるところだったのに〜

 萌葉! なんで邪魔するんですか!?」

「邪魔っていうか、最低なことしてるからねお姉ちゃん」

「千花姉……」

 

 妹のニヤニヤとした口撃と共に来たその友人からの冷たい視線に気づくと彼女はハッとして焦る。

 年上の尊厳を保たなくては、そんな気持ちで「えぇ〜っと」と口籠りながらも言葉を考え、纏めつつそれを展開していく。

 

「そ、そう! 

 私は私のオススメを教えただけであって、それが赤錆くんに合うかどうかは別問題!! 

 もし仮に赤錆くんが合わないようなら、せっかく買ったものを使わずに仕舞っておくのも勿体ないから私の物と交換してるんですよ!! 

 私はあくまでも、私の欲しいオススメを紹介しただけですからね!!」

 

「…………千花姉」

「やめてください! そんな冷たい目で私を見ないでください!!」

 

 結局弁解は出来ずに強まった落胆の視線に耐え切れず千花は泣き始めてしまった。

 そんな姉に寄り添いながら妹は

「そうやっていつも身仁を虐めてるから冷たく見られるんだよ」

 とトドメを刺す。

 更に強くなった涙を他所に圭は戻された商品を見る。

 周りのモバイルバッテリーとは桁が違う値札が貼られを。

 

「うわっ、これ買わせて奪おうとしてたなんて」

「奪おうとしてませんよ!! 赤錆くんが気に入ってたら何も言いませんでしたから!」

「でも、気に入らなかったら交換してあげるって言ってたんですよね?」

「…………」

 

 そんは圭の言葉にピタリと泣き止むと視線を反らす。

 横顔を見せながら2人の顔を見ないようにしつつ千花は言い訳をする。

 

「私のセンスにまかせた赤錆くんが悪いんです。

 私の欲しい物をオススメとして紹介しただけです。

 買うかどうかは赤錆くんが決めるんだから、責任は全て赤錆くん側にあります。

 私はただオススメを紹介しただけですし」

「…………」

 

 ついに何もかける言葉を見失った圭。

 赤錆が何を言うかと顔を見ようと思ったが、そこにはもういなかった。

 既に自分の選んだ物を手にしていつの間にかレジへと並んでいた。

 いつもと萌葉に言われる通りこの習わしはこの3人の習慣なのかもしれない。

 慣れた赤錆は事の顛末すら見届けることなく、もしくは更に変な物を押し売りされる前にと事を済まそうとしてるのかもしれない。

 

「あれ?」

 

 ふと気になって赤錆が手にしている物を見ようとしたが、モバイルバッテリーのコーナーにはそれはなかった。

 気づいてすぐに漏れた声に千花は反応する。

 

「どうしたんですか圭ちゃん?」

「あの、赤錆さんは何を買ったのか気になって」

「えー、圭ちゃんも身仁とお揃いのもの買うの〜?」

「違う! 幾らの物を買おうとしてた人に千花姉は押し売りをしようとしてたか見たかっただけ」

「あ、あの〜押し売りはやめてもらえませんか?」

 

 申し訳無さそうに要求をするも千花の声は通らない。

 圭の意識はコーナーから離れる萌葉に既に向いていた。

 それを察した千花もあぁ、先輩としての尊厳が……と思いつつトボトボも付いていく。

 

 様々な商品が分類ごとにコーナーわけされている店内にポツンと仲間外れのように置かれた箱。

 その箱の中は分けられている他の商品とは違い様々な物が乱雑に仕舞ってあった。

 その中の1つを萌葉は手に取る。

 

「身仁はシンプルなものじゃないと使えないし、そこまで高いのは買いたがらないからこれを選んであげたんだ」

 

 いつの間にか自分のオススメを既に紹介していたらしい。

 所謂ワゴンコーナーという所に置かれていたそれは、千花が勧めた物と比べると遥かに安い。

 値段を見て千花はまた視線を何処かへやった。

 何か言われる、と覚悟した彼女だが一向にその言葉はやってこない。

 恐る恐る圭を眺めと、彼女は自分ではなく不思議そうにワゴンの中を見つめていた。

 

「赤錆さんって政治家の息子なんですよね?」

「うん、同業者だから子供の頃から親同士の付き合いなんだよ」

「なのに、安くなったものを買うの?」

「……うーん、まぁ色々とあるんだよ」

 

「聞いてみたら?」なんて付け加えられたが、ほぼ初対面の人にいきなりそんな事を聞くのも失礼だ。

 改めて赤錆を見る。

 ようやくレジ前に辿り着いた彼は財布からお金を取り出そうとしていた。

 

 別に政治家の息子だから羽振りがいいと決まったわけではない。

 現にお小遣いが少ないからと欲しい物を男に買わせようとした政治家の娘が傍にいた。

 ただ、勧められたからと言って安くなったものを迷わずに買うお金持ちの息子に益々話したいと興味を引いた。

 ワゴンとか割引セールなんて自分の身近にある言葉を知らなそうな人が、言葉の意味を知って買っているのか、意味に引かれて買っているのか。

 少しだけ興味が湧いた。

 

 やっぱり話してみたいな、と。



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白銀圭は話したい2

 ウィンドウショッピング

 

 店に並べられている売り物を見て回る買い物をしない楽しみ方。

 この店にはどんな商品が置いてあるのか、どんなジャンルの物を取り扱っているのか。

 店の外観だけではわからないようなことを実際に入店して回ることで様々な情報を仕入れ、次買い物へ繰り出す時への参考とする。

 

 見て楽しむとは言うものの、道中見かけた気に入った物で買えそうな物はついつい手が出てしまうものだ。

 自身の持ち金と相談し、手を伸ばせられる物ならば。

 

 そういう意味では、この場では白銀圭は少し浮いていた。

 自分以外は政治家の子供。親からして財力が決定的に違う。

 娘に甘い身内を持つ藤原姉妹とはいつ比べても財布の中では勝てるはずがなく、必然と買えるもの、買えないものの差は大きい。

 ぶらぶらと回ること数店舗。

 ただ1人異性である赤錆もいるためか、自然と今日の向かう足は衣類を取り扱う店は少なく、小物や音楽等の娯楽品に訪れる事が多かったように圭は感じていた。

 先陣を切る藤原姉妹の後ろを赤錆は通る店に毎回視線を移して物色し、視点と歩幅を合わせるように圭も周りを見ていた。

 

 視点は彼とは違う目標の姿をいち早く見つけるため。

 既に萌葉と共に見回ったため、今更改めてチェックしたいと思う店はそこにはなかった。

 歩幅は話題があった際にいち早く声をかけ、かけられるため。

 理想としては後者だ。

 

 殆ど初対面の年上の異性。

 何を話題にするのかも、どんな風に話しかけていけばいいかも上手く指針が定まらない。

 兄と同年代というのも更に考えを崩れさせる。

 白銀と聞きすぐに反応を示さなかったあたり、兄との面識は薄いと圭は考えていた。

 

 それは正解。

 赤錆と白銀御行の接点は殆ど0に近い。

 きちんと顔を見たのも彼が生徒会長として檀上の上で生徒全体を相手に振る舞う時ぐらいだ。

 後はせいぜい廊下をすれ違う程度。挨拶すらすることない。

 殆ど初対面のような関係。

 

 ここで自分がおかしな発言や様子を見せたら、そんな薄い関係の御行に対して『ほぼ初対面』から『おかしな妹を持つ会長』とレッテルと共に見方が変わるかもしれない。

 自分からしたら普通な行為も、政治家の息子という生まれの立場からして大きく違う赤錆の価値観と共感、共通している部分は少ないだろう。

 しかし、そんな生まれであっても高級品にすぐ手を伸ばさずにワゴン品という自分からしたら身近な存在に手を伸ばした姿に少しだけ好感と共に共感を持てていた。

 

 お金があるという事は金銭に関して疎くなっていくという事。

 自分では買えないような一流のブランド物を普段から着こなしたり、身につけたりして当たり前のように過ごす人の多い自分とは感性が違う人の集いで過ごす学園生活。

 赤錆もまた、等部が違うとはいえそこで過ごす生徒の一人。

 どこかは自分とは違う。

 そう思うと、その何かを踏み込んでしまうと思うと行動に出れない。

 

 立場だけじゃない。

 年上の異性等普段から兄ぐらいしか日常では相手にしない。

 その兄すら最近は余り相手にしていないが。

 年上の男との会話を自分が率先して行うというのもおかしな話だ。

 年下の女をリードするぐらいの気概は見せてほしい。

 相手は少し前まで自分と変わらない年齢の相手を彼女にしていたのだから。

 たったの1つ2つの差とはいえ、学生という限られたフィールドで過ごす自分にはその差は大きい。

 決して年上の男性と話すことに緊張していると言うわけではない。

 相手の反応を見てからそれに合わせていきたいという自分の考えに則っているのだ。

 

 そう圭が考えている隣では、同じような事を赤錆も考えていた。

 彼女に見られないように店に顔を大きく動かし深く注目してるふりをしながらも、その面は困っていた。

 彼がよく相手をする異性は早坂、伊井野、藤原姉妹。

 皆揃って自分から話を引っ張ってくれる人達だ。

 他の異性、いや同性も含めても殆どの人が積極的に話をしてくれる人達の繋がりが多い。

 環境に助けられていただけでコミュケーション能力の欠如を身を持って知り内心へこんでいた。

 

 自分からしたら相手は初対面の異性。

 向こうは自分の事を知っているらしい。

 悪名なのかもしれない。

 そんな先入観も邪魔の1つだが、初対面の相手というのがネックになっていた。

 限られたコミュニティでの学生生活。

 エスカレーター式の学校では接する相手が大きく変わることは少ない。

 現に高校生になり入学してきた御行とは全く接点がないのだから。

 ただ、赤錆の場合は周りからも1足離れた関係でしか接してくる人ばかりだったのだから新たに入学した生徒に気を向く余裕はなかった。

 あった所で接しに行ったかどうかは別の話だが。

 

 こういう時に考えてしまうのは親友の存在だ。

 自分とは違いコミュケーション能力の高く、常に周りに人がいるような存在である彼女の事を。

 思い出すとついつい周りを探してしまう。

 休日のショッピングモールという実際に出くわしてもおかしくないような機会。

 たまたまでも会えたならばこの空気を変えてくれるかもしれない。

 こんな気持ちで過ごすぐらいならば初めから一声かけて話題を作っておくべきだった。

 そんな後悔の念に駆られながらも視線を往復してざっと人混みに目をやっていく。

 特徴的な綺麗な金髪が目に入らないか祈りながら。

 

 そんな風に思っていると、違う助けの手が向けられた。

 それは、自分か思っていた頼りになる親友とは違い、助けになるかどうか疑わしい存在。

 その手の主はにやにやと嗤いながら二人を手招きする。

 その顔だけで何がしたいのかを察したが無視をするわけにもいかない。

 

「赤錆くーん、こっちですよー」

 

 明らかに怪しい満面な笑みを浮かべながら、気がついてたら店に入っていた藤原千花。

 彼女は圭の事を置いて一人のカモを手まねこうと必死に呼びかける。

 圭は普段三人で来る時は立ち寄る事の無い店にいる千花に新鮮さを感じており自身の名を呼ばれていない事に全く気づいていなかった。

 

「ほらほら、見てるだけじゃつまらないので買い物しましょうよ〜」

「ウィンドウショッピングじゃないの?」

「そんなの学生どうしで買い物する建前なんですから気にしなくて大丈夫ですよ」

「…………そうか」

 

 赤錆自身初めから明確に買う物を定めて買い物目的で来たのだから何も言い返せない。

 藤原姉妹とウィンドウショッピングに来て見るだけで終わる等出来るはずない。

 それは店前で立ちつくす二人にはわかっていた。

 そして、呼ばれた店を見て赤錆はその先の事すらわかってしまう。

 先に一歩踏み出した圭は未だに看板を見て困りながら動こうとしない赤錆の姿に察する。

 意識がバラけていた時に呼ばれたため何も考えもせずに導きに従っていた。

 そんな圭の姿に後ろ足を押されるように赤錆もゆっくりと歩き始めた。

 いやいやというオーラを隠そうとせずに。

 

「……行こう」

「……そうですね」

 

 ごめんなさい、と思いつつ圭は赤錆の重い足取りに合わせながら共に店内へと入っていく。

 

「もう、あんな店前で止まってたら他の人に邪魔になりますよ」

 

 入店してすぐに千花はわざとらしい怒り顔で赤錆を見る。

 それに対して視線を反らしながら赤錆は不満げに言う。

 

「だって、ここって何時ものあれだろ?」

「ふふふっ、何時ものですよ〜」

 

 何時も、という自分だけ置いて進む話なのにわかってしまう会話の流れに圭は呆れてしまう。

 

「千花姉やっぱり何時もあれやってるの?」

「……たまに、たまーにですよ。

 私のオススメ商品を赤錆くんにプロデュースしてるだけですよ」

「無理矢理買わせてるの?」

「酷い言いがかりですよ!? 

 別に赤錆くんが欲しくないなら素直に断ればいいんです!」

「断る……か」

 

 最近も親友にそう言われていた。

 嫌なものは嫌と言うべき、と。

 そんな事を思い返すと不思議と少しだけ気が楽になった。

 

「なら嫌だ」

「まだ何も言ってませんよ!」

 

 聞く耳持たずの姿勢を見せた赤錆に驚きつつも千花は困り顔を見せる。

 自分が言った矢先に順応する姿に違和感を覚えた。

 何時も萌葉の前でも同じ事を言っても困り顔で終わるだけなのに、何故こうも早く飲み込んでしまったのか。

 

「むむむっ〜とりあえず、今回は違うから大丈夫ですよ」

「本当に?」

「はい! 信じてください!」

 

 と、思ってはいたが所詮は赤錆。

 長年の付き合いがある千花からしたら自分の土俵に持っていくことは容易い物だ。

 子供のように素直な赤錆相手ならば疑われれば話を少し変えるだけで十分通じる。

 この後の展開まで見据えつつ、かつ話に邪魔が入らないうちに千花は赤錆の手を取り引っ張っていく。

 

「ほら、これですよ」

 

 コーナーの一角に並べられた大量のリボン。

 そこの1つの指差す上機嫌な千花。

 何時もの流れになってきた事に暗雲を感じる赤錆と、差された物を見て少し驚く圭。

 そのまま彼女は口ら思った言葉が出てくる。

 

「千花姉のリボンってここで買ってるんだ」

 

 千花が愛用する形のリボン。

 同じ見た目で様々な色が狭しに仕舞われており、その豊かな色合いに包まれながら千花は何故か胸を張る。

 

「ここだけじゃなくて他にも色んなお店で買ってますよ。

 ここのお店は色が多いのでよく来る方ですね」

 

 自分のリサーチ能力の高さを誇りたいのか店の品揃えを自慢したいのか、それともどちらもなのか。

 誇らしげに語る口調を聞きながら圭は流れるようにリボン達を見ていく。

 赤や青のような定番の色をしっかりと抑えつつも全く同じ形のものが色だけ違う物に囲まれるのは少しだけ不気味に感じた。

 

「で、何が違うの?」

「ふふふっ、それはですね」

 

 そう言いつつ既に買うものは決めていたのだろう。

 視線を赤錆に向けたまま手だけで物を見ずにそれを取ると、両手のひらで大切に持ちながら白いリボンを赤錆に差し出した。

 

「嫌だ」

「まぁまぁそう言わずに最後まで聞いてくださいよ」

 

 それを見て帰ろうとした赤錆の腕を掴みつつ千花は彼女の名前をゆっくりと口にした。

 

「早坂さんに感謝してますよね?」

 

 無視して帰ろうとした赤錆も流石に親友の名前を出されては足を止めて振り返ってしまう。

 不思議そうにそのリボンを見ながら急に出てきた名前に食いつく。

 

「早坂? そりゃ感謝してるけど……」

 

 急に出てきた名前に圭だけはついていけない。

 ここまでは何とかついてきていたが、ここまでらしいと割り切って赤錆の横でリボンを眺めながら聞き手に回る事にした。

 

「なら、感謝の気持ちを伝えないと駄目ですよ! 

 テスト勉強につきあってもらったり、一人ぼっちの時に話し相手になってくれたりして赤錆さんの事を一番助けてくれた人じゃないですか!」

「まぁ、そうだけど」

「感謝の気持ちは言葉じゃなくて物ですよ! 

 言葉だけじゃ伝わらない思いもあるんですから、そういう思いを贈り物として形にして渡すのが一番喜ばれるんです」

「喜ぶ」

 

 こんな簡単な文言にあっという間に釣られる赤錆を見て千花は更にニコニコと笑みを強くする。

 最悪早坂とペアルックで過ごすというのも悪くなはい。

 そんなことを思いながら続けた。

 

「ただ、急に男友達からプレゼントを渡されても困ると思いますよ。

 しかも、少し前まで彼女がいた人に渡されたら噂になっちゃいます。

 ですので、私が見せて気にいったようなら私からプレゼントしましょう。

 後で赤錆くんからのプレゼントって早坂さんに伝えておけば噂になる事もないですから」

 

 そう言って流れるように赤錆に渡そうとしたが、それは寸前の所で止まってしまう。

 隣でさっきまで周りを眺めていた圭に腕を掴まれてしまったから。

 怒っているようでも、悲しんでる様子もなくただ不思議そうに彼女は尋ねる。

 

「その早坂さんって人はこういうリボン好きそうなの?」

「えっ?」

 

 普段の親友の格好を思い出す。

 私服姿で会うことは少なく、普段は学園の規制の中で収まったファッションで過ごす彼女。

 容姿こそ可愛いという言葉が似合うが、千花のような大きなリボンが似合うと言われれば、言葉に詰まる。

 

「プレゼントを送るならきちんと相手に合うものを考えて送らないと嫌がられますよ。

 特にこういう小物を送られたら次会うときに着けないといけないと思うと、それに合わせる服装から考えないといけないから大変なんです」

「そ、そうなんだ」

 

 ファッションに疎い赤錆は横から来た意見に流され、改めてリボンを見る。

 普段からアイデンティティのように着ける千花は制服姿の時にすら付けているから違和感はもうないが、早坂が改めてこれを付けて学園に来る姿を想像し、すぐに止める。

 とてもじゃないが気に入りそうにない。

 

「物なんて貰えれば喜ぶものですよ! 

 家族や恋人でもないのに自分の好みに絶対合うものを貰ったらそれはそれでストーカーみたいで気持ち悪いですから!」

「ストーカー……」

「渡されて困るものだってあるの! 

 ただでさえ服装には気を使わなくちゃいけないのに、更に条件を強いられたらそのためだけに新しい服を買ったりして無駄遣いになるだけ! 

 そんな事されても迷惑なだけだから!」

「迷惑……」

 

 あまり広くない店内で少女達の言い合いが始まる。

 幸い人が少なかったために店員も遠巻きに見てるだけでどうするかを悩んでいるようだ。

 もっとも、千花の意見に流れれば売上に繋がるという算段もあるのだろう。

 ただ、そんな店員と千花の思いは圭の一言で黙することとなる。

 

「なら、千花姉が選んだプレゼントを嫌がられたらどうするの?」

 

 その一言で千花はバツが悪い顔をした。

 

「赤錆さんから渡したら好意と思われるかもしれないけど、はじめに千花姉が渡したら友達からのプレゼントでしょ? 

 人によるけど、その早坂さんって人が友達からのプレゼントを断る人ならどうするの?」

「……買ったのは赤錆さんなんですから、もちろん駄目でしたって言ってお返ししますよ〜」

「こんなリボン男の人が貰っても困るだけじゃん」

「…………」

 

 止めのような言葉に千花は逃げるように視線を地に向ける。

 つい先程携帯ショップで見た景色はあまりにも直近すぎて、2人揃って容易にかつ鮮明に思い出せれた。

 

「千花姉、貰う気でしょ?」

「ま、まぁ、物は回り回って欲してる人に来るものですし? 

 人によって価値観は違うんで、無駄に買って困ったものは本当に欲しい人の手に渡るほうが物も喜ぶものですし? 

 赤錆くんが返って来てどうしても困るようなら、捨てる様な事になるなら慈善事業として私が貰ってあげてもいいかなって思っただけですよ」

 

 早口で言い訳を並べる姿に2人は肩を落として眺める。

 そんないたたまれない空気を変える様に千花はそっとリボンを戻した。

 そのまま2人を見ずに真剣な目で陳列した山を見つめる。

 

「……私は自分が気にいるやつを探すので少し待っててください」

「さっきのやつじゃないのか?」

「あれはまぁまぁいいかなと思ったやつです。

 自分のお小遣いで買うならもっと納得のいくやつを買わないと後悔しますから」

「……えぇ」

「男の人に貰うなら白色の方がいいんです。

 自分の心が白に思われてるみたいで気分がいいじゃないですか」

「何回厚塗りすればお前の心は白になるんだろうな」

 

 肩を落としながら千花と同じように様々なリボンをぐるりと軽く見て回る赤錆。

 女性の買い物というのは長い。

 学生という金銭に制限がついてまわる者には特に。

 そういう意味では、圭も何処かでは千花の言い分に納得する所があった。

 決して声には出さないが。

 

 そんな2人、というよりかはぼーっと見ている赤錆の横顔を見て思う。

 今が2人で話すチャンスなんじゃ。

 真剣にリボンを見る千花は難しい顔をしながら1つ1つを手に取り着けた自分を想像して戻す作業を繰り返し、赤錆はそんな千花を見ては再び視線を品物達に向けてぐるっと回す。

 明らかに暇そうに。

 

 どう声をかけるべきか。

 自分から離れる事を提案したら千花に何かを思われるかもしれない。言われるかもしれない。

 変な想像を口に出されては溜まったものではない。

 ただでさえ、妹の萌葉にからかわれたのだから。

 これ以上変な扱いを受けることは好ましく思っていない。

 

 別に顔に出していたわけではなかった。

 ただ、考え事をしている最中に床をジッと見ていただけ。

 横顔を見つめていても何かを言われそうで嫌だった。

 リボンを見ていても思考がそれそうで嫌だった。

 それだけの理由。

 ただ、赤錆はその仕草を見て自分と共に退屈していると感じた。

 つまらなそうにしていると。

 実際にそうではあるのだが。

 

「千花」

「なんですか?」

「俺は疲れたから少し休んでくるよ」

「えぇ〜まだ全然歩いてないのに。

 赤錆くん、体力落ちたんじゃないですか〜? おじいちゃんになったら大変ですよ〜」

「歩き疲れたんじゃなくて相手に疲れたんだよ」

「酷い! それじゃおじいちゃんになる前から大変な事になっちゃいますよ!」

「なんで?」

「ふふふっ、私と赤錆くんの縁は切っても切れない縁なんですから。

 学生の時に私の相手を嫌がってると、将来私の相手をする時に困っちゃいますよ〜」

「残酷な運命を宣告しないで」

「酷い!」

 

 せっかく可愛らしい顔で応えたにも関わらずの無慈悲な返事に項垂れながらもリボンを漁る手は止まらない。

 そんな様子を見て赤錆は圭へと視線を移す。

 

「白銀さんも少し休まない?」

「あっ、はい」

 

 こう来るとは思っていた。

 流石にここで自分を置いて何処かへ行くことはないだろうと。

 とりあえず、相手からの誘いを出させることは上手く行った。

 こうして一言二言が進めば会話は成立していく。

 

 先に店を出た赤錆の背を少し笑みを浮かべて圭は付いていった。

 これはあくまでも赤錆さんからの誘い。

 私が話そうと誘ったわけじゃないから、言い訳もたつ。

 そんなふうに自分自身の言い分を並べながら。

 

 

 

 

 

 

「対象Fを中心にこのまま監視してください」

 

 雑踏から少し離れた場所で雑音に飲まれるように小声で早坂はインカムに向かって指示を出す。

 自身は変わらず映画館のフロアを展望出来る位置で無表情に人混みの束を眺めていた。

 休日のショッピングモール。

 千花達以外にもクラスメートはもちろん、学園の関係者達が来る可能性はある。

 今日の自分達の任務はそんな自分たちを知るもの達に主であるかぐやが会長と共に映画を見ているという事実を悟られないこと。

 早い話が人払いだ。

 

 そして、早坂だけの任務が1つ。

 かぐやが会長との進展で困った事があったらサポートに向かう事。

 学園での早坂愛としての役割の1つになりかけつつある業務を指示されている。

 

 そんな大役を胸に、インカムのマイクを切ると思わず溜息が出てしまう。

 確かに、かぐやと白銀との関係でトラブルが起きた際に第三者が介入して場をごまかしたり発展させたりするのは難しい。

 共通した関係者がいたほうがスムーズにどんな事も入る安くなる。

 だからこそ自分が抜擢された。

 

 ただ、タイミングが悪すぎた。

 インカムとは違う耳に着けたイヤホンをギュッと自身に押し当てる。

 どちらに集中すべきだろうか。

 業務連絡が聞こえる方はトラブルなく進行している。

 聞いているだけで退屈だ。

 イヤホンからは楽しそうな会話が聞こえる。

 彼と、彼女達の。

 聞いてるだけで腹立たしい。

 

 ストレスを貯めるぐらいならイヤホンを引きちぎってインカムに集中するだけで日は過ごせる。

 ただ、その場合は何か向こうにあった時に対応に困ってしまう。

 だから、我慢してでも聞かなければいけない。 

 その義務感もまた、彼女自身を苛立たせる正体の1つだった。

 

「……プレゼント」

 

 リボンを渡されても困るのは事実。

 自分にあれを付けこなせたとしても、付けて出歩く勇気はない。

 だが、貰ったら無理をしてでも付けてしまうのだろう。

 だから困る。

 周りに『そういう関係』と思われてしまう。

 

 思われてもかまわない。

 想われたい。

 周りに、好きな人に

 自分達の関係をそう思って決めつけてほしい。

 そのほうが幾分楽で、そうなったら随分楽だ。

 彼女がいると思われたら良識ある人は友好の一歩から踏み出そうとしない。

 だから、気持ちが楽になる。

 

 しかし、今踏み出そうとしてるのは自分だ。

 いや、踏み出していたのはだ。

 彼女がいると思われている人に恋い焦がれたのだから。

 

 そんな相手と友好的に接してきた。

 放課後という人気のない時間で、ずっと。

 幸いしたのは、彼女と思われていた人は嫌われ者だった事。

 自分が慰めている様な間柄に映ったこと。

 誰にでも接する早坂愛は、嫌われ者の恋人にも分け隔てなく接する人という風に見られていたこと。

 その程度で止まるように色々としてきた。

 

 だから、ここで駆け足に事を進んだら全てが気泡とかす。

 あいつは初めから赤錆を狙っていた。

 奪い取る気でいた。

 そんな風に思われるのだけは避けなければいけない。

 主のサポートという本業を疎かにするわけにはいかない。

 噂がたつと目立ってしまう。

 目立つととれる動きに制限がかかる。

 大きな変化がそうそう起こらないこの学園では特に、大きな噂を立ててはいけない。

 かき消す手段が少なすぎる。

 

「なにが欲しいかな」 

 

 だから、我慢をする。

 今だけはどんなに腹立たしくても、自分の物に平気で触る人達の声を聞いても。

 気持ちに余裕を持たせる為に考える。

 自分なら、もっと彼を楽しませられるのにと。

 

 声を聞くだけで満足していた。

 暇があれば両耳でイヤホンを付けて過ごす時が増えた。

 独り言や彼が発する小さな物音まで聞いていると、不思議と繋がっている気がして嬉しかった。

 それも今はできない。

 

「……何でもいいや」

 

 何も満たされない。

 空虚な気持ちを感じる。

 その空虚さは、自分の飢えだ。

 

 初めてあった時から注目していた。

 政治家の息子というレッテルだけで。

 誰かのモノになった時、悔しくもあり悲しくもあった。

 友人として祝えなかった。

 空っぽの祝福の言葉に喜ぶ姿が嫌だった。

 

 話せるだけで満足だった。

 満足しようとしていたら、それすら許せない人がいた。

 放課後2人で時間を潰すだけの時間。

 用事があったのか、何も言わずに教室を出ていく背を見る日もあった。

 何も教えてくれないのが嫌だった。

 声を聞くだけで満足だった。

 満足しようとしているが、それすら邪魔する声がある。

 

 自分はまだ何も堪能していない。

 何一つとして味わっていない。

 満足行くまで感じていない。

 そう感じると、彼女の飢えは止まらない。

 それでも、今は我慢の時。

 仕事のために、と。

 

「……映画みたいな」

 

 そんな小さな呟きはすぐ後ろの人混みにすら届かない。

 同じ場所にいても離れている彼の耳にも当然。

 ただ、それで彼女は頬を少し緩ませた。

 自分がこれを言ったら、どんな反応をするか。

 ここにきてそれを伝えたらどうなるのか。

 当然彼女にはわかった。

 そこから起きる出来事を想像しながら、少しだけ自分の空腹を満たしていった。



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白銀圭は話したい3

 丁重に思考を重ね、何重にも策を練り込み下準備も全て順調に終えた計画。

 それらがたった1つのミスで気泡に化すとき。

 それは、当事者からしたら例え難い苦痛と怒りが湧いてくるものだろう。

 その1つが、自分の無知のせいだったのならば尚更。

 

 誰かに邪魔をされたなら、その誰かを恨めばいい。

 環境ならば環境を。物ならば物を。

 憎める何かがあれば、それだけでそれに向かって感情をぶつけるだけでいつか気が晴れる。

 内心恨みを綴るだけでも、直接口で吐くだけでも。

 気が晴れるのだから楽である。

 

 そのミスが自分のせいというのだからたちが悪い。

 そう思いつつ、早坂はすぐ横の自販機で買ったお茶を主に差し出す。

 本日のメインであり、今後の予定の第一歩であった映画鑑賞。

 本来であれば、意中の相手とも言える白銀御行と映画を楽しんだ後は昼食や買い物といった人並みの幸せな時間を満喫する予定を既に組んでいたかぐや。

 映画もそうだが、この幸せな時間をどれ程楽しみにしていたかというのは早坂もよく知っていた。

 映画鑑賞が決まったその日から何度もどう食事に誘うか、遊びに誘うかの相談を連日連夜受けては流していたのだから。

 まともに聞いていては第三者の精神が持ちそうではなかった程度には、彼女の中の楽しみであった。

 

 その想像が全て水の泡。

 更には、普段ならば自室以外の場所では感情的にならない程度には広い心に大きな波紋を広げる程に溢れて割れる。

 途方も無い怒りが。

 

「もう! もうもうもうもう!!」

「かぐや様、人目につきますのでお静かにお願いします」

 

 御行とぎこちない雰囲気で映画館から出てくると、そのまま二言三言交わして離れていく彼にこれまた必至に作ったぎこちない笑みのまま手を振っていた彼女。

 それを見ただけで全てを察した早坂は面倒くさく思いながら合流し、一先ず落ち着こうという事で少し離れた通路に行く。

 直ぐ側の広場とは違い人気の感じさせない空間である事を確認すると、かぐやの方から事の経緯を語り始めた。

 それがついさっきの出来事。

 

 四宮かぐやは令嬢だ。

 映画館なんていう大衆的な場所に行くのは初めてであった。

 もちろん、彼女の幼いころから共に育った早坂は知っていた。

 こんな場所に主が出向いた事が無いことなど。

 ただ、彼もそんな事は簡単に想像できると思っていたし、何ならば共にチケットを引き換えて隣の席に自然と誘導するものだと考えていた。

 一々無料券の使い方や座席を指定する事など説明しなくても大丈夫だろうと。

 何ならば、御行に全て任せた方が話題にもなるだろうと思っていた。

 しかし、現実はそんな誰しも想像する映画館デートとは違う経緯を進んでいたらしい。

 

 共に映画を見るという主目的であり、今回のプランの大前提はある意味では達成できた。

 隣に座り恋愛映画を共に楽しみ合うという肝心要の所だけは出来なかったが。

 曰く、先に列に並んだ御行の後ろに並んでおりそのまま彼だけが先に交換。

 すぐに呼ばれたかぐやはどの席にするかを悩んでいた所を彼に言われたヒントを頼りに選んだら斜め後ろの席になってしまったそうだ。

 ……うわっ悲惨

 そう思いながらムカムカとしている主をベンチを座らせてお茶を差し出している。

 

「だいたい! 会長が悪いのよ!! 

 もっとわかりやすいヒントにするべきだったし、受付に呼び出される前に私に一声かけて一緒に交換するべきだったの! 

 なんですかあれは! 

 あれじゃ、まるで私の隣で映画を見たくないって言ってるようなものじゃないですか!!」

「……初めから映画デートって誘っておけばこんな事にならなかったでしょうに」

「私から誘うわけにはいかないの! 

 恋愛は好きになった方が負け!! 

 仮に今回の件をデートとするのならば会長の方から誘うべきなのよ! 

 それに、男の人から誘うべき事でしょう!!」

 

 一向に興奮が収まる様子はない。

 幸いここに来るための通路は使用人達が適当に邪魔をしているため怖いもの見たさで寄るような人がいないのは幸いか。

 地団駄を踏みながら悔しがるかぐや。

 どうしたものかと考えつつ、引き取ろうとされないお茶を一回離して顎に手を当てて考える。

 

 ここまで上手くいかないというのは予想外だった。

 最低でも映画デートぐらいは上手くいだろうと踏んでいた。

 だからこそ、この後も自分は長く拘束される事になると思っていた。

 しかし、そうではない。

 想像していた夢の一時を過ごすための肝心の最初の一歩を踏み外し、そのまま地の底へと落ちていったという事は当初の予定よりも遥かに終わる時間が早まるということ。

 彼のいるここで解散となれば、自分の足がどう動くかなんて考えなくてもわかっていた。

 しかし

 

「……早坂」

「はい、なんでしょうか」

 

 恨めしそうに自分を見上げるかぐや。

 昨晩の時の楽しさ全開とも呼べる顔はどこへいたのか。

 その楽しみは自分が思っていたよりも天にあったために、上を見すぎて地を見てなかった彼女も悪いだろう。

 気づいた時に自分から合流するなり、離れる彼に直接尋ねておけば済む話だったのだから。

 プライドも高い2人の恋愛は発展しそうにない。

 そう早坂は思いつつ、ならばあなたもと言わんばかりの視線に目線を少し反らした。

 

「赤錆さんがここに来ているんでしたよね?」

「……そうですね」

「あなた、もしかして主を置いて自分だけデートを楽しむつもりかしら?」

「……他の友達も一緒ですよ」

「あなたの事だから強引に抜け駆けしてデートにするつもりじゃないでしょうね?」

「…………」

「…………」

「やだなー☆

 クラスメートと仲良く買い物行くだけだしー!」

「もう行く準備万端な様子ね」

 

 使用人モードから学園でのギャルモードに切り替えた姿を見るとかぐやは呆れながら項垂れる。

 

「……いいわね、貴方はすぐに負けられて」

 

 早坂はさっきからかぐやの言葉を耳から耳へと流していた。

 自分の前ではよく癇癪を起こす。

 自分だけ特別な扱いを受けているようで嫌なわけではないが、全てを受け入れていたら苦痛になってしまう。

 仕事というのは向き合い方だ。

 全てを受け流さなくても十分。流せるところは流さなくては。

 そう思ってはいても、一言だけ頭の中に重く響く言葉はあった。

 

 恋愛は好きになった方が負け

 

 かぐやの恋愛に対する思考で重きを置くその言葉。

 きっとその通りなのだろうと早坂は痛感していた。

 人を好きになった側の自分は、好きと認めている自分は負けている。

 今もこうして主を慰める仕事をしつつも、赤錆の事を考えている自分はいる。

 現にイヤホンは外していない。彼の言葉を聞くために。

 

 もしも、向こうから自分をこれ程に愛していてくれたら。

 こんな風に不安に思うこともないだろう。

 誰と仲良くするのか、誰と仲良くしているのか、誰と仲が良かったのか。

 そんな事をここまで気にする事もなかっただろう。

 それを気にして気が気じゃなくなるのは好きになったほうなのだから。

 敗北者の特典だから。

 好きになられてない自分は、自分を好きでいてくれるように、好きになってくれるように立ち振る舞う事しか許されない。

 その舞台に誰が上がっているのかを常に気にしながら。

 

「……早坂」

 

 今度は不安気に自身の従者を見る。

 とても侍者に見せられるようなものではないその顔に早坂は一瞬言葉が詰まる。

 悟られないように無表情に再びお茶を差し出した。

 

「大丈夫ですよ。

 かぐや様が落ち着くまで私が傍にいますから」

 

 軽い言葉が簡単に出ていく。

 思考もせずに反射的に並べられた言葉。

 それにかぐやは少しだけ嬉しそうに笑いながらお茶を受け取った。

 

 仕事なのだから離れるわけにはいかない。

 そう自分に言い聞かせながら主を見つめる。

 仲間思いの人だ。

 こうして我儘を言って拘束してる事に多少は申し訳無さを抱いている事を早坂はわかっていた。

 同じ恋する女として、好きな人が傍にいるのに行かせないことに悪さを感じているだろうと。

 ただ、自分がこう言えば早坂はここに留まるともわかっている。

 私事よりも仕事を優先することを。

 慰め、愚痴を聞き落ち着かせる事を。

 お互いに気持ちがわかっていた。

 ふと早坂の口角が上がった事をかぐやは見逃さなかった。

 

「なによ! 私が落ち込んでる姿がそんなに楽しいわけ!」

「珍しいとは思いますが、楽しいとは思ってません。むしろ苦痛なので早く切り替えてください」

「うるさいわね!」

 

 危ない危ない。

 そう思いつつ自然に上がった口角を戻す。

 自分の行動と想い人の動きがピッタリと重なった。

 そんな声が片耳が聞こえた。

 それだけで、自然と自分達が繋がってると感じて顔に出ていた。

 行為も目的も違うものだが。

 

 余計に癇癪を起こした主の横に座り考え込む。

 楽しみがなくなった主に対しての励まし。

 他に楽しいことを作ってしまえばそれで気が紛れるし帰った後も「でもあのあと楽しかったですよね」で話題を終わらせられる。

 何かないかと考えながら片耳から聞こえるかぐやの言葉に生返事で相槌をしつつ、最悪主込みでもう片方の声の主の元に行けないかと思考を巡らせた。

 仕事をしつつ私事をこなせないかと集中していく。

 これ以上、自分の心を乱さないでほしいから。

 負けた人に訪れる奪い奪われるんじゃないかという思考の片鱗に恐れつつ、どうにか全てを解決できないかと考えていった。

 

 

 

 

 

 

「はい、お茶」

 

 千花が入っていた店から離れたベンチで礼儀正しく背筋を伸ばして座っていた圭。

 そんな彼女に少し離れた自販機から買ってきたペッドボトルを赤錆は差し出した。

 ただ、彼女はそれをすぐには受け取ろうとしない。

 感謝どころかどこか不機嫌そうにそれを見て頬を少し膨らました。

 

「いくらしましたか?」

「えっ?」

 

 思ってもいない言葉にピクリと一瞬体を震わせ彼女の動きを見つめる。

 それを受け取るどころか、取り出した財布から小銭を触り金勘定を始めながら再び問われる。

 

「そのお茶、いくらしました?」

「え、いや、あげるけど」

「……そういう贈り物とかいりません」

 

 不機嫌そうに突っぱねられる事に予想をしていなかった。

 困った顔をしつつ、でも何処か懐かしさを少し感じていた。

 なんだったろうか。

 と、考え込んですぐにわかった。

 その時の事を思い返しつつ、同じ事を口にする。

 

「これはお礼だよ」

「お礼?」

「そう、千花から助けてくれたから、そのお礼」

 

 そう言って再びペッドボトルを差し出す。

 小銭を数える指の動きが止まったのを見て、もう少しと思いながら言葉を重ねた。

 

「いつもあの店に入るとリボン買ってって聞かなくて。白銀さんのおかげで助かったよ」

「そのお礼ですか?」

「そうそう。これで貸し借り無しで」

 

 そう言いつつ更にと思いながら近づける。

 顔の前にまで来たペッドボトルを渋々受け取りながら複雑そうな顔をした。

 これ以上何かを言われないようにと、彼女の隣に座り早速自分の分を開けて一口咥える。

 視線でどうぞと促しながら。

 

「……何もしてませんよ」

「そんなことないよ。

 そう白銀さんは思ってる事でも助かってる人はいるんだから」

 

 これも言ったな。

 なんて思い出す。

 始めて伊井野と遊びに、もとい外部の見回りに行った時に似たような会話があった。

 ひたすらに受け取ることを拒否する伊井野に対して、感謝と称して送ったら申し訳無さそうに受け取ったこと。

 何回かしていくうちに、どこかへ行くときは何か食べ物を奢っていた気がする。

 実際、彼女にはいつも感謝をしていた。

 自分の正義に則って周りが言えないような、言わないような細かい事まで人に伝え、自分で行うその日々の姿勢に。

 何よりも、どんなものでも美味しそうに食べていた姿が可愛かったという邪な思いもあるが。

 

 またこんな風に遊びに行けるのかな? 

 彼女と遊んだ事を思い返す。

 そんなに昔のことでもないのに、何故だが遠い記憶のように感じていた。

 好きだったのか、そうじゃなかったのか。

 それすらわからないまま結局変な距離感になっている。

 ただ、以前のようにメッセージのやり取りはするようになっているのだから良くなってきているのだろう。

 悪化しているようにも感じているが。

 

 思い返したように携帯を取り出すと、未読のまま何十件も溜まっている事の知らせを見て画面に向かって苦笑した。

 遊びに行くと伝えていたが、どうも連絡が来ないことに怒っているらしい。

『今どこですか?』『何してるんですか?』

 その2つが交互に数分置きに来ている。

 ショッピングモールにいる事をそのまま伝えるのはどうだろう? 

 ここでは最近嫌な思い出があったばかり。

 しかし、他の場所を伝えるわけにもいかない。

 そう思いながら文字を入力していく。

 悩みながらで指が重く、たったの数文字でも数秒の時間をかけた文を送る。

 送った瞬間に画面が勝手に切り替わると、聞き慣れていた着信音が鳴った。

 

 伊井野ミコ

 その名前が真ん中で主張する。

 

「ごめん」

 

 まさか急にかけてくるとはと思いつつ、未だに手にしたペッドボトルを複雑そうに眺める圭に一声かけて席を離れる。

 少しだけ離れて彼女からの電話に応えた。

 

「……もしもし」

「あっ、先輩」

 

 覇気のない声で呼ばれた。

 やっぱり嘘でも他の所にしておいたほうがよかったのだろうか。

 ただ、やっぱり嘘はつきたくない。自分を守るような事は特に。

 息を呑みつつ、伊井野の言葉を待つ。

 

「ショッピングモール、なんだか懐かしいですね」

「うん」

「……春休み、行かなきゃよかった」

「……」

 

 自分自身そう思ってる所はあった。

 他の場所に行っていれば、少なくとも伊井野とは以前と変わりなく過ごせていたのだろう。

 ハーサカにさえ会わなければ。

 彼女の事をここで思い出すのはよくない。

 少しだけ身体が震えた。

 

「……ハーサカさんとは付き合ってないんですよね?」

「うん。付き合ってないよ」

「そうですよね」

 

 彼女からしたらどう映っているかわからない。

 自分が嘘をついていると思われているかもしれない。

 素直に受け取ってくれているかもしれない。

 ただ、覇気のない言葉しかない今ではその胸の内を読み解くヒントはどこにもなかった。

 

「……先輩」

「なに」

「学生恋愛は法的に問題ないです。

 だから、今だけは節度を守って遊んでくださいね。

 結婚したら、もう遊ぶ事は出来ないんですからね」

「…………」

 

 以前会ったときに言われた言葉。

 記憶の保管をするかのように再び重ねられたその言葉だけは、やたらと重みを感じてしまう。

 今だけは許してやる、そう言われているようで。

 まるで自分の未来を決定づけられているようで。

 

「……うん」

 

 何も言い返せずただ相槌をうつだけ。

 それだけで満足したのだろうか、ふふふっと笑い声が聞こえる。

 この時だけは、以前の時と同じ声で何処か安心した。

 自分の知っている、共に過ごした伊井野ミコと話していると少しだけ実感が湧いた。

 

「それじゃ、また連絡くださいね」

「なるべく返すようにする」

 

 そう言って切れた電話を仕舞う。

 さて、そんな風に思いながら圭の傍に戻っていった。

 そのまま何も言わずに横に座る。

 そして静かに考え込んだ。

 

 遊びとは何だろうか。

 こうして遊ぶだけのことはただの遊び。

 伊井野が言いたい遊びは女遊びの事だろう。

 こうして同級生やその妹、そしてその友達とのウィンドウショッピング。

 その休憩として、接点のない同級生の妹の友達という微妙な関わりの人と共にベンチに横並びに座ること。

 これも女遊びと言われるのだろうか? 

 

 と自問してみてすぐに自答する。きっと伊井野は怒るだろうと。

 早坂と放課後に教室で話すだけでも不機嫌そうにしていた彼女。

 そんな彼女がこの場面を見たらきっと癇癪を起こすだろう。

 以前ならば。

 今は、どうなんだろうか。

 きっとさっきと同じ事を言って終わる。

 今だけ、と念を押して。

 言葉を重ねて。

 無理やり飲み込ませるように言葉をねじ込んで行くのだろう。

 

 今だけ

 結婚したら

 俺は伊井野と結婚する? 

 付き合っている……わけじゃない。

 でも

 でも、そんな風に決められているなら

 決めていてくれるなら──

 

「あの」

 

 自暴気味に思考を走らせているとそれを無理矢理止めるように圭は声をかけた。

 赤錆の顔が少し沈んでいた事もあるが、タイミング的にも適切だと彼女は判断した。

 自然な流れだと決めた。

 

「なに?」

「今のって伊井野さん、でしたよね? 

 すいません、携帯の画面が見えて」

「別にいいよ。伊井野からの電話だった」

「……やっぱり付き合ってたんですか?」

「いや、付き合ってない」

 

 言い慣れた言葉だからスムーズに出てきた。

 考える事もなく自然に、反射的に出てきた。

 そう、付き合っていないんだ。

 彼女自身そう言っていた。

 自分自身そう言い続けてきた。

 だから、彼女とはただの友達だ。

 

 何度も同じ事に悩んでいた。

 名前の無い距離感にどう呼ぶべきなのかと。

 そんな時に頼りになる親友は、形がないならただの友達と教えてくれた。

 だから、というわけじゃないが。

 彼女が決めたからというわけじゃないが。

 彼女の言う通りなのだろう。

 そう思うから。

 名前の無い親しい関係なんて大抵が友情だ。

 だから、まだ伊井野と結婚なんて考える事はないのだろう。

 そう思うことにした。

 

「学年違うのに付き合ってるって噂知ってるの?」

「伊井野さんって有名人でしたから。結構噂されてましたよ」

「……そうなんだ」

 

 苦笑気味に赤錆は応えた。

 圭は現在中等部の2年生。

 自分が卒業してから入ってきた進級組の彼女ですら自分の名前と共に伊井野と付き合っているという噂が広まってることに背筋が固まる。

 学園が変わってから会うことは少なくなったが、どうやら自分がいなくても元気にやっていたようで少し安心だ。

 今も友達と共に元気に活動しているのだろうか。

 少し不安だ。

 

「私、赤錆さんとお会いした事があるんです」

「あぁ、言ってたね」

「その時伊井野さんもいたんですよ」

「……?」

 

 不思議そうに圭を見つめる。

 伊井野と自分が共にいる事自体は珍しい事ではなかった。

 しかし、それは中等部を卒業するまで。

 新入生である彼女に会うことはなかったはずだが。

 

「覚えてないですよね」

「えっ! あぁ……」

 

 こういう時に気の利く事を言えた方がいいのだろう。

 しかし、知らないことを知ってるとは赤錆は言えなかった。

 

「ごめん」

 

 少しキョドってからの小声での謝罪。

 その姿に圭は少し笑いながら話していく。

 自分との出会いの話を。

 

 とっておきの話なんかじゃない。

 ただの世間話のような、ごくごく当たり前の話。

 ただ話しておかなくてはいけない。

 

 上から目線で物を送られるのも、勝手なことを言われてプレゼントを渡されるのも余り好きではない。

 特に親しくもない他人から。

 自分が物乞いのように見られているようで寒気がする。

 全てを話してさっさと返そう。

 そう思いながら、話を聞く姿勢に入った赤錆ではなく、渡された未開封のペッドボトルへと視線を移した。



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