雨恋 (プロッター)
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雨宿り

「・・・・・・雨か」

 

 言わなくても分かる。どんよりとした空から無数の水滴が落ちてきている今の天気は、雨だ。

 俺の初めての大洗女子学園艦乗艦日は、雨となってしまった。

 これから1ヶ月ちょっとの間、ここでお世話になる身としては幸先が悪い。

 

(ま、いつものことだ。気にしない、気にしない)

 

 俺はすぐに思考を切り替えて、鞄から折り畳み傘を取り出して差す。

 俺にとって何か特別な日が雨になってしまうのは、もう慣れたことだ。

 中学、高校と入学式は雨だったし、中学は卒業式も雨だった。学校の遠足や研修旅行も、雨で延期するか、中日が雨になることだってざらだ。

 それと、友達と遊びに行く日や、遠出しようとする日に限って雨になったりする。

 俺は、典型的な雨男だった。

 最初の内は雨が降るたびに文句を言ったり溜息を吐いていたが、今は『また雨か』程度にしか感じない。俺の友達も、俺の雨男体質を分っているのかよくからかってくる。

 つまり俺は、自分が雨男だということに慣れてしまっていた。

 

(さて、どこだっけ)

 

 それはともかく、これからお世話になる宿の場所をもう1度スマホで調べる。どうやら、目的地は船尾側にあるようだ。

 まるで学区を丸ごと船の上に乗せたようなこの学園艦の全長は7600メートル。今俺がいるのは、その中間よりやや船首寄りの場所だ。3キロ程度なら歩いて行ける。

 

「結構雨強いな・・・」

 

 せっかくなので海が見える側面の道を歩いているが、雨の勢いは強い。傘に当たる雨の音はバタバタと大きくて、肩に掛けているバッグにまで雨が当たっている。防水性のバッグだが、油断はできない。

 けど、この雨の中で3キロ近く歩くのは正直言ってしんどい。気温が元々高い上に湿気もあるので、汗で服の中が気持ち悪い状態になっている。

 

(ちょっと休むか・・・)

 

 情けない話だが、仕方がない。

 辺りを見回すと、1つ下の階層に海に面した公園がある。そこにはちょうど東屋のような場所があったので、そこへ行くことにした。

 階段を下りて公園を小走りに進み、東屋に駆け込む。傘に当たる雨の音が聞こえなくなり、一安心だ。

 

「ふー・・・」

 

 俺は傘を閉じて、そこで初めて東屋の中の様子を見る。

 ここには2人掛けのベンチが2つある。

 その内の1つには、1人の少女が座っていた。

 黒いショートヘアのその子は、白のフード付きウィンドブレーカーに、細めのジーンズと言う装い。この子も雨宿りだろうか。

 そして、その子は俺のことをびっくりしたような目で見ていた。

 

(まあ、仕方ないよな)

 

 何せここは、大洗『女子』学園艦。本来なら俺のような高校生男子はこの学園艦には存在しないはずなのだ。現に乗船するとき、白いセーラー服の船舶科らしき女子と、大洗の制服を着たおかっぱ頭の風紀委員から厳しめの乗船審査を受けた。

 

(っと、そうだった)

 

 そこで俺は、肝心なことをを忘れていた。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、ある番号へと電話する。

 

『もしもし?』

 

 電話の相手は、やや年上の女性。俺の高校の担任だ。

 

「もしもし、村主(すぐり)です」

『あ、村主。大洗に着いた?』

「はい、どうにか」

 

 俺がこの大洗に来ていることは、この先生も知っている。と言うか、先生の計らいでここに来られたのだ。

 

『初の大洗はどう?』

「いやー、雨で・・・ちょっと縁起悪いです」

『そうか・・・何か先行き不安な感じだな』

「ごもっともです」

 

 肩を竦めながら答えると、電話の向こうで先生が軽く笑った。

 

『それじゃ、手はず通り明日から実習だな』

「はい。その前に生徒会に挨拶をするようにと、言われてます」

『よし、明日から頑張ってな』

「分かりました」

 

 これで話も終わりかなと思ったので電話を切ろうとしたが、『あ、そうそう』と先生が何かを言いかけたので、電話を切ろうとする指を止める。

 

『言うまでもないとは思うけど、粗相のないようにね』

「・・・はい、重々承知してます」

『それならいい。それじゃあ』

「それでは」

 

 今度こそ、電話を切る。

 『粗相をするな』とは、夏休み前にも言われたことだ。何せ男の俺が実習とはいえ女子高に行くのだから。もしうっかり間違いでもすれば、俺の学校のイメージダウンにつながるし、何より俺の社会的地位が無くなる。

 

「・・・外から来たんですか?」

「え?」

 

 そんなことを考えていて、いきなり声をかけられてびっくりした。

 その声の主はベンチに座っていた女子で、俺のことを不審と言うよりは興味ありげに見ていた。どうやら、俺が電話していたのを聞いて、外から来たことに気付いたらしい。

 

「・・・はい」

「そうなんですか」

 

 答えないのも印象が悪かったので、大人しく答えた。

 

(あれ?この子って・・・)

 

 そこで、俺は気づいた。

 この子の顔を、どこかで見たことがある。それも、結構最近に。

 そんな引っ掛かりにも気づかずに、少女はさらに問いかける。

 

「生徒会に挨拶って言ってましたけど、何かご用事が?」

「えっと・・・夏休みに、ここで実習があるんです。戦車の整備の」

「え?」

 

 俺の答えに、少女が目を丸くした。

 

 俺がこの大洗にいる理由は、戦車の整備の実習を受けるためだ。

 元々俺が通っている高校は、技術系の専門学校。手っ取り早く説明するなら、エンジニアを育成するための学校で、そこそこ歴史がある学校だ。

 俺は将来、戦車の整備士志望なのだが、残念なことにウチの学校は戦車道の授業がなく(そもそも女子があまりいない)、戦車に関するカリキュラムもなかった。

 戦車道をやっていて、かつ専門の科目があるのはお金持ちのサンダース大学付属高校だ。しかし、残念ながら学費が足りず、家族に負担をかけさせるわけにもいかなかったので諦めた。

 それでもどうにか、勉強や、必修の技術の授業を受けて、戦車の整備士になるためにできる限りのことはした。

 そして今年で3年生になり、夏休みの外部実習を控えて、担任との面談の時。

 俺は、無理なお願いと分かっていても、戦車の整備実習を受けたいと言った。

 

 

「担任が大洗のOGでして。自分が『戦車の整備実習を受けたい』って言ったら、母校の大洗に相談してみるって言ってくれて。それで、受け入れてくれたんです」

「・・・そういうことですか」

 

 事情を話したところで、少女の表情が変化した。

 妙に、嬉しそうになったのだ。

 

「でも、戦車が好きな男の子って珍しいですね」

「ええ、学校でもよく言われました」

 

 戦車を用いる武芸『戦車道』。それは伝統的な乙女の嗜みであり、男が入る余地がない。つまり、『戦車道=女のもの』と言うイメージが根強くあり、そこに自分から首を突っ込もうとする俺は、ハッキリ言って異端だろう。

 それでも俺が戦車の整備士を目指すのには、もちろん理由だってある。

 

「母が元々戦車乗りで、自分が小さいころからよく戦車の話をしてくれました。戦車のおもちゃや本をくれたり、試合にも連れて行ってくれました」

「へ~、本当に戦車が好きな人なんですね」

「ええ。でも、成長してから男は戦車に乗れないって知って、ショックでした・・・」

「あー・・・それは確かに・・・」

 

 話を聞いて、少女の表情が陰る。

 気づけば俺は、自然とその少女の隣に座っていた。立ったまま話していると俺の方が見下しているような感じがするし、離れて座っても変な感じだったから。

 

「それでもどうにかして戦車に携わりたいと思って、整備士の道を選んだんです。元々、手先は器用だってよく言われていたので」

 

 その俺の言葉で、少女の表情も少しだけ明るくなってきた。

 

「そうですか、戦車の整備を・・・」

「?」

「私、この大洗で戦車道をやってるんです」

 

 少女の言葉、今度は俺の方が驚く。

 そこで、俺は光の速さで記憶を辿って、思い出した。

 

「あなた、今年の決勝戦に出てた・・・?」

「ええ、出てました」

 

 この少女は、大洗の数少ない戦車道履修生の1人だった。

 もはや伝説とも言われるレベルの、大洗女子学園対黒森峰女学園の決勝戦。俺はもちろん戦車好きとして、その試合を生で観戦した。

 その試合の内容は、まさにドラマチック。最初の撃ち合いから、高地の攻防、川での救出、マウス攻略、最後の一騎打ち。最初から最後まで、見逃せない展開だった。胸が熱くなるように感じるほど、面白かった。

 

「そうだ、表彰式にいましたね!」

 

 その試合の後の表彰式で、俺はこの子の顔を見たのだ。それを思い出した。

 ただ、この子がどの戦車に乗っていたのかは分からなかったが。

 

「だから、お世話になるかもですね」

「ええ、確かに」

 

 この子も戦車道履修生となれば、戦車の実習に来た俺もまたこの子の世話になるだろう。

 

「・・・わざわざ外から来たんじゃ、いきなりこの天気で残念でしたね・・・」

 

 少女が東屋の外を見る。相変わらず雨の勢いは強くて、一向に止む気配も、弱まる気配も見せない。実習に来たのにこの天気では、俺も気が滅入ると思ったのだろう。

 

「いや、慣れっこですよ。自分、雨男みたいなんで」

「雨男?」

「ええ。今日みたいに自分にとって大切な日って、いつも雨なんです」

 

 半ば自分を卑下するように笑う。

 

「それでも、雨は好きですけどね」

 

 だが、俺は雨男と言う体質にはうんざりしているが、雨自体は嫌いではなかった。雨上がりのアスファルトの香りとか、雨の音とか、少し霞んだ街並みは好きだ。

 

「私も、雨は好きです」

「あ、そうですか」

 

 そこで、少女の顔が少し明るくなったのが印象に残った。

 どうやらこの子、相当雨が好きらしい。

 

「こうした雨の日に出掛けるのも好きなんですよね~」

「へぇ~・・・自分はあまり外には出ないですね・・・」

 

 この子はどうやら雨でも気にせず出掛けられるらしいが、俺としては雨の日は極力自分の部屋で読書や勉強、ゲームなどをしている方がいい。晴耕雨読、に近い。

 

「お、少し弱まってきた・・・」

 

 少女と話していると、雨足が弱まってきた。今日はもう雨が止むことも無いだろうし、今のうちに宿まで急ぐとしよう。

 

「それじゃ、自分はそろそろ宿に向かいます」

「あ、送って行きましょうか?」

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとう」

 

 流石に、初対面の人に道案内してもらうのは気が引ける。それに、スマホで道も分かる。何より、男が女の子の手を煩わせるわけにもいかない。

 

「それでは、お気をつけて」

「ありがとうございます」

 

 立ち上がってバッグを肩に提げ、傘を広げて歩き出そうとしたところで。

 

「あ、そうだ」

 

 少女が思い出すように声を出した。俺は思わず立ち止まって、振り返る。

 

「まだ、名前を聞いてませんでした。私は、ナカジマって言うんですけど・・・」

 

 少女が名乗ったので、俺も名乗るべきだろう。

 

「村主です、村主文明(すぐりふみあき)

「村主さんね。分かりました、ありがとうございます」

 

 お互いお辞儀をしてから、

 

「それじゃ、実習で会いましょうね」

「・・・はい」

 

 そうだ。あの子も戦車道履修生だから、実習で会うのだ。名前を知っていても別に悪くないだろう。

 そして俺は、その子と別れて元の階層に上がり、もう一度海が見える道を歩く。

 雨の勢いは落ちたが、それでも海は少し霞んで見える。

 今日から1か月あまりとはいえ大洗での生活が始まるには少し心許ないが、それでも悪くない景色だ。

 そして、先ほど戦車道履修生の少女と知り合えたのもよかった。少しだけ、実習に対する不安が軽くなった気がする。

 明日からの実習の無事を祈って、俺は宿への道を急いだ。




どうもこんにちは。
初めて読んでくださった方は、初めまして。
続けて読んでくださっている方は、どうもありがとうございます。

ガルパン恋愛シリーズの6作目、
ナカジマの物語の始まりです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
最後までお付き合いいただければ幸いですので、
どうぞよろしくお願いいたします。


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小雨

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 大洗女子学園の連中は只者じゃない。

 そんな話を、村主は聞いたことがある。

 

 今年の夏に開催された第63回戦車道全国高校生大会。

 各地の強豪校が鎬を削るこの大会で優勝を飾ったのは、戦車道四強校の黒森峰女学園や(セント)グロリアーナ女学院などではなく、中堅とされる継続高校や知波単学園でもなかった。

 

 20年ぶりに戦車道を復活させ、突如として再び表舞台に戻ってきた、大洗女子学園という無名校だったのだ。

 

 この結末に、戦車道に携わる者たちは大いに驚いたという。そして、その大洗の優勝までの軌跡は『素晴らしいものだった』と異口同音に評価した。

 1回戦の相手は、戦車道四強校の一角にして戦車保有数・乗員数共に国内一を誇るサンダース大学付属高校。

 2回戦は、一部では高く評価されている統帥(ドゥーチェ)・アンチョビ率いる、ノリに乗らせると厄介な中堅・アンツィオ高校。

 準決勝では、サンダースと同じく戦車道四強校の一角にして昨年優勝した、重戦車を有するプラウダ高校。

 並み居る強敵を次々と制し、決勝戦では最強と言われる黒森峰女学園と熱戦を繰り広げた。その激戦の末に、大洗女子学園は勝利を掴み、奇跡の優勝を成し遂げたのだ。

 

 それだけの戦績を修めたのであれば、大洗にもさぞ熟練の戦車乗りがいると思うだろう。

 しかし驚くなかれ、大洗のメンバーはほぼ全員が戦車道の素人だというのだ。おまけに、大洗のメンバーは30人前後しかおらず、戦車もたった8輌しかいない。そして、そこまで良い戦車でもない。

 にもかかわらず、戦車道を復活させてから僅か数か月で、大洗のメンバーは全国大会で通用するレベルにまで成長し、優勝できるほどの実力を身につけた。

 それだけ、大洗の戦車隊長の指導力と、隊員たちの成長力が尋常じゃないということだろう。

 だから、大洗のメンバーは『只者じゃない』と評されたのだ。

 

 

 そんな只者じゃない大洗の戦車隊のメンバーを前に、村主は立っていた。

 

「えー、と言うわけで。連絡していた通り、今日から1人、外部から戦車の整備の実習を受ける生徒が加わるので、挨拶をしてもらう」

 

 隊員30人強を前にしてそう説明するのは、つい先ほど生徒会室で事前に挨拶をした、生徒会の広報・河嶋桃。片眼鏡とチョーカーが特徴的で、村主の第一印象は『知的な感じ』だ。

 その桃の両隣に立っているのが、生徒会の会長・角谷杏と副会長の小山柚子。ツインテールで背の低い方が杏で、やや癖のあるポニーテールの方が柚子だ。この2人とも挨拶はした。

 そこで桃が振り返り、村主に向かって視線で『前へ出ろ』と言ったので、大人しく一歩前へ出る。

 

「こんにちは。この度実習に参りました村主文明と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 

 お辞儀と共に、教えられた通りの挨拶をする。大洗の隊員たちも、『よろしくお願いしまーす』と返してくれた。

村主の学校の生徒たちは外部実習に行く前に、相手に失礼が無いようにこうした挨拶やマナー等について、一通り叩き込まれる。この挨拶もその賜物だ。

 頭を上げると、案の定だが隊員たちは好奇の目で村主を見ていた。女子校に男子がいるのだから仕方ない。

 それにしても。

 

(・・・本当に只者じゃなさそうだな・・・)

 

 表情には出さないで、村主は思う。

 決勝戦やその後の戦車道の特番でも見た大洗の隊員たちが、村主の目の前に揃っている。あの伝説とさえ言われる優勝を飾ったメンバーがいるのだと思うと、心が昂ってくる。

 だが、今目の前にいる大洗戦車隊のメンバーの大半は、タンクジャケットではなく大洗の制服を着ている。

 そして、その中にはオレンジのつなぎを着ていたり、何かのスポーツのユニフォームを着ている者もいる。それはまだ良い方だろう。

 しかし中には、制服なのに軍帽子を被っていたり、弓道の胸当てだの猫耳だの眼帯だの着けているのは流石に気になる。これを普通と思っている大洗も寛容だと、村主は思う。

 

「村主には今日から夏休みの終わる8月31日まで、レオポンチームのサブとして入ってもらう。レオポンチーム、連絡した通りだが問題ないな?」

「大丈夫でーす」

 

 桃の呼びかけに答えたのは、列の後ろの方に並んでいるオレンジのつなぎを着た少女。彼女が恐らく、レオポンチームだろう。

 

(って言うか、あの子・・・)

 

 そして、その返事をした少女に村主は見覚えがあった。

 昨日、偶然にも雨宿りをした場所で出会った黒いショートヘアの、ナカジマと名乗った少女だ。

 

 

 

「改めまして、村主です。よろしくお願いします」

 

 村主の挨拶を兼ねた朝礼が終わり、午前中は戦車の整備を行うらしい。

 そこで村主は、戦車の整備を受け持つレオポンさんチームの面々と改めて挨拶をする。

 

「よろしくね、村主。私はナカジマ」

 

 朗らかに笑いながら、軍手を嵌めた右手を前に差し出すのは、村主が昨日出会ったナカジマ。村主も同じく右手を差し出して、握手を交わす。

 レオポンさんチームは全部で4人いるが、誰もがオレンジ色のつなぎを着ている。特に黒いショートヘアの褐色肌の子は、つなぎの上は腰のあたりで縛ってタンクトップ姿だ。

 

「ホシノだ、よろしく」

 

 そのタンクトップの子が名乗り出て、村主も会釈をする。

 

「スズキです、よろしくね」

 

 同じく褐色肌だが、背が高く赤みがかった癖のあるスズキと名乗る茶髪の少女。村主と背の高さがあまり変わらないので、少し驚いた。

 

「ツチヤです、よろしく~」

 

 最後にのんびりした挨拶をしたのは、茶髪のショートヘア、そばかすと糸目が特徴的な少女だ。

 大洗のメンバー全員を覚えるのは少し時間がかかりそうだが、せめて世話になるこのレオポンさんチームのそれぞれの名前は覚えないと、と村主は思う。

 

「あまり畏まらなくても大丈夫だよ。少しの間だけど、同じレオポンチームの仲間だし」

「そうそう。ツチヤなんて2年生なのにタメ口だし」

 

 ナカジマとスズキに敬語無しを促される。その2年生と言うツチヤは、悪びれもせずににこにこ笑ったままだ。どうやら、上下関係をそこまで気にはしないチームらしい。

 

「それじゃあ・・・改めてよろしく」

 

 普段の話し方で喋ると、4人は頷いた。

 上下関係を気にしないのは村主としても有り難い。絶えず周囲に気を配って気疲れするのはあまり好きではないから。

 そして、村主のことを『仲間』と言ってくれたことは素直に嬉しい。ここに来るまで村主は、あくまで実習に来ている身だから気を付けなければ、と気負っていた。だから、世話になるナカジマたちの方から、打ち解けるような言葉をかけて貰えたのが嬉しかった。

それでも、村主自身はあくまで実習生だということは、しっかりと覚えておく。

 

「それじゃあ早速、戦車の整備に入ろうかな」

 

 既に他の隊員たちは戦車の整備に取り掛かっている。村主も、ナカジマたちに続いて戦車を停めているガレージの中へと入る。

 ガレージには全部で8輌の戦車が停まっており、当たり前だが全て村主が全国大会で見た車輌ばかりだ。あの大会で激戦を繰り広げた戦車が、今こうして自分の目の前にいるのはとても感慨深い。

 

「これが、私たちの戦車だ」

 

 ホシノが誇らしげに手をつきながら見上げるのは、グレーの車体に88ミリの主砲を持つどっしりとした戦車。砲塔には、ライオンのような動物のイラストが描かれている。

 レオポンチームの戦車、ポルシェティーガーだ。

 

「またの名を、『レオポン』ね」

「レオポン?」

「私たちのチーム名、レオポンさんチームだからね。だから、この子もレオポンだ」

 

 ナカジマに言われて、改めてポルシェティーガー『レオポン』を見上げる。あのライオンのような動物が、レオポンを模しているのだろう。

 戦車そのものに愛称を付けているということは、彼女たちもこの戦車には愛着があるのかもしれない。

 

「・・・ポルシェティーガーか」

 

 村主がぽつりと呟くと、ナカジマが興味を示した。

 

「気になる?」

「俺が好きな戦車だしな」

 

 そう言った直後、レオポンチーム全員の視線が村主に集中した。

 村主はそれを敏く感じ取ったが、彼女たちの目は敵意に満ちているというわけではなく、むしろ輝いているのも分かった。

 

「ポルシェティーガー好きなんだ。通だねぇ」

「まあ、きっかけはこの前の全国大会なんだけどな」

 

 件の全国大会、大洗のポルシェティーガーは決勝戦のみ出場だったのだが、その決勝戦でポルシェティーガーは重要な役目を負った。

 それは、大洗の隊長車・Ⅳ号戦車と、黒森峰の隊長車・ティーガーⅠが一騎打ちをする場所を守ること。

 これだけならあまり特別ではないが、このポルシェティーガーはその2輌が戦う場所の1つしかない入り口を塞ぎ、たった1輌で黒森峰の戦車数輌を相手取った。

 滅多打ちにされても決して退かず、ボロボロになりながらも果敢に戦い続けていたその雄姿は、村主からすれば滅茶苦茶カッコよかった。

 

「『動かざること山の如し』って感じだったのが、俺にはすごいカッコよく見えた」

『・・・・・・・・・』

「だから、俺はこの戦車が好きだ」

 

 黙って村主の話を聞いていたナカジマたちは、話を聞き終えると揃ってニッと笑った。

 

「ポルシェティーガー好きに悪い人はいないからね。気に入った!」

 

 ホシノがサムズアップしてくる。他の3人も同意見らしく、頷いてくれた。ツチヤは『教え甲斐があるな~』とまで言ってくれた。

 少し語りすぎてしまったか村主は不安だったが、どうやらその心配も無用らしい。

 

「よーし、それじゃ始めようか」

 

 ナカジマが号令をかけると、ホシノ、スズキ、ツチヤの3人はそれぞれ作業に取り掛かる。

 だが、村主は戦車に触れることも初めてだったので、まずは最初に設計図の見方をナカジマから教わることになった。さらに、戦車の整備に使う工具やパーツも一緒に教わる。

 

「基本的には自動車と同じなんだな」

「そうだね。まあ、履帯を繋げたり、砲身を掃除する用具とかパーツとか、例外もあるよ。そこは、戦車ならではだね」

 

 村主はメモを取りながら、教わることを細大漏らさず聞いていく。

 覚えることは多くあるが、ナカジマの教え方が上手いので全くもって苦にならない。それ以前に、いよいよ好きな戦車の整備ができるのだから、村主も前のめりな姿勢でいられる。

 

「あと、これはポルシェティーガーに限った話だけどね」

「?」

「ポルシェティーガーは、ガソリンエンジンで発電した電力で、モーターを回して動力を得るんだ。だから、普通の戦車とは違ってモーターの面倒も見なくちゃならない」

 

 ナカジマがポルシェティーガーの後部にあるスリットを指差す。この中に、心臓部と言えるモーターがあるのだ。

 ガソリンエンジンとモーターのハイブリッド方式の話は村主も知っている。自分の好きな戦車だったので、調べてるうちに身についた。

 

「まあ、ここの整備は慣れてきてからだね。それまでは、エンジン回りとかの整備をしてもらおうかな」

「分かった」

「それじゃ、当面は私と一緒にやるってことで」

 

 いよいよ、実際に戦車の下にもぐってエンジンとその周辺の整備に入る。

 戦車の下と言うことで仰向けになりながら、ナカジマは村主のすぐ横でエンジン部分の説明をし、さらに整備の仕方も教える。

 女の子とこうして密接することは、村主にとっても初めてのことだった。

しかし、今は状況が状況。目の前のこと、戦車の整備が最優先である。

 

「まずはパーツの目視と、触手点検。目立った傷がついていないか、ボルトやネジが緩んでないかを確かめるんだ」

「目立った傷・・・ヒビとか掠り傷とかか」

「そうだね。エンジンはデリケートだから、どんな小さな傷でも見逃しちゃダメだよ」

 

 説明しながら、ナカジマはエンジン内のパイプや、それを留めるネジなどを見て、触って、問題がないかを確かめる。素人にはただ触っているだけに見えるだろうが、村主は指で押して緩みが無いかを確かめているのだと分かる。

 

「・・・・・・」

 

 そのナカジマを横目にちらっと窺うと、真剣な表情だった。つい先ほどまで見せていた朗らかな様子がなく、瞬きさえも惜しんでエンジン部分を丁寧に見ている。

 

 そんなナカジマが、村主の目には輝いて見えた。

 

 メインのエンジン部分は1時間半ほどかけて調べて、次は履帯の点検に入る。

 次は履帯を留めるピンが緩んでいないかを確かめるのだが、これも結構重労働だ。何せ履帯が重いし、緩んでいた時にピンを打つためのハンマーも重い。

 ホシノたちはモーター部分を整備しているらしく、彼女たちの額には大粒の汗が浮かんでいる。戦車の整備は全体的に体力勝負なのだ。

 しかし、それでも彼女たちは汗など気にせず、真剣な目つきでモーターと向き合っている。彼女たちもやはり、熱心に整備に取り組んでいた。

 

 

 

「よし、じゃあお昼ご飯にしようか」

 

 履帯の点検が終わり、ホシノたちもモーターの整備が終わったのを見計らって、ナカジマが全員に告げた。時計を見ると既に12時を過ぎていて、いつの間にか何時間も過ぎていたことに驚く。

 既に他のチームのメンバーたちは戦車の上に座っていたり、ガレージの中にあったステップに腰掛けたり、レジャーシートを持ち込んだりして、思い思いに昼食を摂っている。

 村主とレオポンチームも、ポルシェティーガーの傍で昼食にする。村主は今朝ここに来る途中のコンビニで買ったおにぎりだったが、ナカジマたちも同じようなラインナップだ。

 そして、こういう時は自然と話題が村主のことになる。

 

「技術専門学校?」

「ああ、運輸整備科ってコースに通ってる」

「運輸って言うと・・・船とか?」

「飛行機とか自動車もやってるな。だから、戦車の設計図もそんなに難しくはなかった」

 

 自動車、と言ったところでレオポンチームの面々が『おっ』と口を開けた。

 

「何、どうしたの?」

「いやー、私らは元々自動車部だから。車って言うのが気になったんだ」

 

 ナカジマに言われて、村主は今朝生徒会室で挨拶をした時のことを思い出す。

 今回、村主が世話になるのは戦車の整備を受け持っている自動車部。サンダースやプラウダなどのように、戦車の整備を専門とする科が大洗には存在しないので、メカニックに詳しい自動車部に村主を臨時で編入させると。

 

「ってことは、自動車にも詳しい口?」

「車種とかまでは詳しくないけど・・・まあそこそこ」

「へー」

 

 ツチヤがニコニコと訊いてくるが、残念なことに村主はマニアと言えるほど車に詳しくはない。それでもツチヤは、しょんぼりせずにサンドイッチを頬張る。糸目なので元々笑っているように見える。

 

「でも、村主は結構筋がいいよ。すぐに覚えるし」

「そうか?」

「うん、私には分かった」

 

 村主はどうにも、褒められると照れくさくなる。ましてや相手が女の子ならなおさらだ。

 

「よし。これでちょっとの間、人手不足は解消だな」

 

 だが、安心したようなホシノの言葉には首を傾げる。人手不足とは、どういうことだろう。

 

「自動車部って私たち4人しかいないんだよね」

「たった4人?」

「そう。たった4人で戦車8輌の面倒を見なきゃいけないから、オーバーワーク気味だったんだ」

「大丈夫だったのか?色々と・・・」

 

 スズキの言葉を聞いて、村主は他のメンバーと戦車を見る。

 午前中の整備を見る限りでは、レオポンチーム以外のメンバーは、履帯の調整や砲身の掃除など簡単な整備はできているようだ。

 だが、動力部の修理や、今日はまだ無いが砕けた装甲の着け直しや、傷の修繕などはナカジマたちの仕事だろう。それを8輌全てとなれば学生の身でありながらも相当ハードなのは村主でも分かる。

 

「最初は全部私たちがやってたんだけど・・・それじゃ流石に厳しかったし、マニュアルを作ったんだ」

「マニュアル?」

「そう。履帯の整備とか、砲塔の掃除の仕方とかを簡単にまとめたんだ。それでちょっと、私らの負担は減ったけど・・・」

 

 かつての苦労を思い出すように、眉をハの字にするナカジマ。

 

「まあ、大変だったね。試合の後なんて、ボロボロになった戦車を直すために徹夜が基本だったし」

「徹夜・・・」

 

 あっけらかんと言うナカジマ。

 村主も整備課に所属している身だが、徹夜で作業などしたことがない。学園艦の運営に不可欠な船舶科は村主の学園艦でも24時間体制だが、ナカジマたち自動車部はどう考えても24時間体制が基本ではないだろう。

 それは同じ学生として、心配を通り越して尊敬に値する。

 しかし、ナカジマは微笑みながら続けた。

 

「それでもね、私たちは楽しいよ」

「?」

「そりゃ疲れることもあるけど、私らは戦車が好きだから」

 

 そしてナカジマは、ポルシェティーガー『レオポン』を振り向いて見上げる。

 

「最初に生徒会から『戦車の整備頼めるかな?』って言われた時は、面食らったよ。『車』って付いてても、戦車と自動車じゃ全然違うもの」

 

 それはそうだと、村主も思う。

 大洗は20年も前に戦車道が撤廃されたと聞いていたし、経験者もほぼいなかったらしい。だからナカジマたちだって、それまで戦車の整備などしたことがなかっただろう。それなのに、無茶振りに近い形で戦車の整備を任せられたのだから、面食らったに決まってる。

 

「案の定、最初の内は苦労したさ。保存状態がどれも悪かったし・・・いや、保存とは言えないな。崖の洞穴だの山の中だの、池の底だの沼だのに放置されてて・・・」

「引っ張ってくるのも整備するのも、重労働だったよ」

 

 ホシノとスズキが、その時のことを思い出したのかげんなりと笑う。ツチヤが『レオポンの時なんて学園艦の一角壊しちゃったよねー』と苦笑しながら言った。

 そんな劣悪な状態の戦車を回収するのも修繕するのも重労働だと、村主は容易に想像できた。とても笑い飛ばすことなんてできない。

 

「でも・・・戦車に向き合ってるうちに、私らも愛着が湧いてきたんだ」

 

 ツチヤの目が少し開き、ナカジマと同じようにポルシェティーガーを見る。

 

「そうやって苦労して直した戦車が動いて、戦っているのを見ると、直した甲斐があったなーって思えた」

「それで戦ってるところを見て、戦車の魅力に気付いたんだ」

 

 ツチヤに続いて、ナカジマが感慨深そうに言葉を洩らす。

 

「今は、自動車と同じぐらい戦車も好きだよ」

 

 まるで、レオポンチームの総意を代弁するかのように、ナカジマが告げる。

 村主は、先ほどのナカジマたちが戦車に真剣に向き合っているのを見て、そしてその気持ちを聞いて確信した。

 ナカジマたちは、本当に戦車のことが好きなんだと。

本当に真摯に、真剣に、戦車に向き合っているんだと。

 

「・・・そうか」

 

 自然と、村主は笑う。

彼女たちの戦車に対する気持ちを聞くことができてよかった。彼女たちもまた戦車のことが好きだと分かった以上、世話になる村主もまた戦車に真面目に向き合うべきだと思った。無論最初からそのつもりだったが、その意思は話を聞いてより強くなった。

 

「俺も戦車は好きだから・・・全力で取り組ませてもらうよ」

 

 村主も機械系に携わっていて、それでいて戦車も好きだから、レオポンチームの気持ちも理解することはできる。

 それに、村主は技術を学ぶためにここへ来たのだから、全力で取り組むのが礼儀だ。

 村主のその言葉に、隣に座っていたナカジマがポンと肩を叩いた。

 

「頼もしいね、村主」

 

 

 

 午後からの訓練は戦車の砲撃訓練なので、一先ず村主にできることはない。

 ただ、ナカジマや杏の計らいもあり、普段は審判が立って観測を行う高台から、訓練の様子を見せてもらうことにした。

 事前に聞いたところによれば、普段の訓練では躍進射撃や停止射撃など訓練を行うらしく、今もまたその通りの訓練が行われていた。

 大洗は世間では『高校戦車道の風雲児』などと言われているが、彼女たちはまだ戦車に乗り始めてから半年も経っていない。全国大会に通用するレベルでも、基礎的な練習を重点的に続けているのだろう。

 

「すごいな・・・」

 

 そして今、村主は戦車が動いているのを始めて自分の目で見た。全国大会の決勝戦はモニターでしか見られなかったから、こうして自分の目で見ることができたので、個人的にはとても嬉しい。

 

 その砲撃訓練が終わった時には、陽が傾き始めてしまっていた。

 しかし、レオポンチームの出番はここからだという。

 

「訓練の後で戦車に不具合が無いか、もう1度チェックするんだ。戦車に乗ってるみんなにも、どこか不調が無いかを確かめてもらってるよ」

 

 そんな話を、ナカジマと共にカモさんチーム―――風紀委員の3人が乗っているという―――のルノーB1bisを整備しながら教わる。

 他の戦車隊のメンバーは既に帰宅し、残っているのはレオポンチームのメンバーだけだ。これが基本スタンスで、最後まで残るのは決まってナカジマたちらしい。そして、4人で8輌の戦車を改めて点検・整備するという。

 村主も、ナカジマから皆と同じ時間に帰って大丈夫と言われたが、村主は整備のことを教えてもらうために自発的に残らせてもらった。

 

「一番念入りに整備するのはレオポンかな。何せ、エンジンとモーターの二人羽織みたいなもんだし、最初はしょっちゅう壊れてたからね」

 

 ポルシェティーガーの整備は一番最後だ。ナカジマの言う通り、最も重点的に整備するのだから時間は多めに取っておくらしい。

 陽が傾き始めてから戦車の整備を始めたのだが、他の戦車の整備もあり、ポルシェティーガーの整備を始めたのは丁度陽が落ちてからだった。先ほどと同じように、ナカジマと村主はエンジン回りを整備し、ホシノたちがモーターを点検する。

 たっぷり2時間ほどかけて整備した結果、ポルシェティーガーに特に問題はなかった。これだけかけて異常が無かったのだから、とても安心した。

 

「よーし、それじゃ今日はこれぐらいにしようか」

『はーい』

 

 全ての戦車に問題がないのを確認したところで、ナカジマが時計を見上げながら締める。

 村主は今日、ナカジマと共に基本的な戦車の整備の仕方を教えてもらった。明日以降は、同じくポルシェティーガーと、今日は触らなかった戦車の整備をすることになるかもしれないとのことだったので、今日教わったことはしっかりと記録して覚えべきだと、村主は思う。

 

「あ、そうだ村主」

「?」

 

 ホシノとスズキ、ツチヤが帰ろうとしたのを見計らって、ナカジマが村主に声をかける。

 

「自動車部の備品とか保管してる場所も一応案内したいんだけど、今から少し時間ある?」

「ああ、大丈夫だ」

「オッケー、じゃあ行こうか。ホシノたちは先に帰っていいからねー」

「りょうかーい」

 

 そう言ってナカジマは村主を連れて、陽が落ちてすっかり暗くなった部室棟の方へと向かっていく。

 その様子を見ながら、ホシノは『ふむ』と顎に指をやる。

 

「あの2人、なんか仲良さそうだけど・・・」

「そう?まあ、今日1日一緒に行動してたし、打ち解けたのかもね」

 

 スズキは、ホシノの抱いた疑問については大して気にはしていないらしい。

 だが、そんな疑問はツチヤも同じく考えていたらしく。

 

「そういや、最初に挨拶した時も妙に親し気だったね」

 

 最初の自己紹介をした時、握手をしたのはナカジマだけだ。

それを見てツチヤは、ナカジマがどうも村主と元々知り合いだったように思えた。

 

「考えすぎじゃない?ナカジマって結構フレンドリーなところあるし」

「そうだけど・・・」

 

 そうは言いつつ、スズキも2人がそんなことを考えているので、逆に興味が湧いてきてしまった。

 よくよく考えてみれば、スズキも昼食の時間などで村主とはある程度打ち解けることはできたと思っているが、それでもナカジマとの距離がスズキたち3人と比べると微妙に近い気がする。

 だが、それを考えるのは後にして、まずは先に空いたお腹を満たしたいと思い、定食屋へと3人で行くことにした。

 

 

 

「うぉ、すごい・・・」

「でしょー?」

 

 ナカジマに連れられて自動車部の部室を訪れた村主は、圧倒された。そんな反応を見てナカジマは、誇らしげに笑う。

 間取りは普通の高校と同じぐらいの広さで、個人用のロッカーや、箱詰めされた何かのパーツや機材などはさして変わり映えしない感じがする。部屋は整頓されていて、雑多な感じもしない。

 だが、壁には額縁に入れられた賞状が数多く掛けられており、さらにロッカーや棚の上にはトロフィーが所狭しと並べられていた。

 それだけ、自動車部の実力が高いことが窺える。

 

「先輩たちが取ったのが多いね。私たちが取ったのもぽつぽつあるけど・・・」

「先輩たちって言うと・・・卒業した?」

「うん、私とホシノ、スズキは3年だし。っと、それより説明しようか」

 

 この部室には、壊れやすい、消耗しやすい工具の新品や、戦車や自動車の設計図を保管しているらしい。部室が狭いので、置けるものも少ないようだが。

 その時、ナカジマがロッカーを1つ空けて何かを取り出そうとする。

 

「ところで、村主って身長いくつ?」

「俺?171ぐらいだけど」

「171だったら・・・これぐらいかな」

 

 言いながらナカジマが取り出したのは、新品と思しきオレンジのつなぎだ。

 

「余ってるから、実習の間はこれを着てるといいよ」

「え、いや、悪いよ。俺はあくまで実習で来てるんだし」

 

 今日一日、村主は元居た学校のジャージを着ていた。ほぼ1日中戦車の整備をしていたので、ところどころ煤が付いてしまっている。

 けれど村主は、これも世話になっている以上は仕方がないと思う。洗濯も宿でできるので、新しいつなぎを用意してもらうのも恐れ多くて仕方がない。

 

「いやいや。少しの間でも、同じレオポンチームの仲間だからね」

 

 しかし、ナカジマにそう言われてしまうと何も言えない。

 今日1日で大分打ち解けることができたし、仲間と言われたことも嬉しいので、もうこれ以上は反論しない。

 だから、素直につなぎを受け取った。

 

「・・・ありがとうな」

「どういたしまして」

 

 そして次に、旧部室棟まで連れて行ってもらった。

 新しい部室棟から少し離れた場所にあるそこは、木造建築の2階建ての建屋だ。しかし、建物自体は流石に『旧』とつくだけあってかなりくたびれている。窓ガラスが割れていたり、木もところどころ腐っている。

 それでもよく目を凝らして部屋の中を見てみれば、真新しい備品が置いてあったり、小ぎれいに掃除されている部室もある。まだここを使っている部活動もあるらしい。

 そんな旧部室棟を少し歩いてナカジマが足を止めたのは、かなり奥の方にある部屋の前だった。中に入るが真っ暗で、どうやら電気は通っていないらしい。

 

「ここには、部室には置いておけない戦車の修理工具とか、色々置いてあるんだ。もし、ガレージで修理してて足りない工具とかがあったら、大体こっちに置いてあるよ」

「ん、分かった」

「大体これぐらいかな・・・」

 

 どうやら一通りのことは教えたようで、腰に手を当てて小さく息を吐く。

 やはりナカジマも、少し疲れているようだ。

 

「・・・悪いな。案内させて」

「ううん、気にしなくて平気だよ。それじゃ、そろそろ帰ろうか・・・」

 

 だが、外に出ようとしたところで気付く。

 地面にぽつぽつと何かが滴るような音がする。村主とナカジマが部室の外へ出て空を見上げると、顔に水の粒が当たってくる。

 雨が降り出していたのだ。

 

「ありゃ、雨か・・・」

「通り雨か・・・?まあ、傘は持ってきてるから大丈夫だけど」

 

 そう言いながら村主は、肩に提げていたバッグ―――外出用の小さなものだ―――から折り畳み傘を取り出す。

 

「あれ、今日雨の予報じゃなかったけど」

「いや・・・予想外の雨なんてよくあることだから、常備するようになった」

 

 本当に村主は、外に出ると雨の予報が無かったのにも関わらず雨に見舞われることが多い。だから、最初から鞄に折り畳み傘を入れておくことが多くなった。

 

「入っていくか?」

 

 通り雨だと思うのでこのまま降り続けることは無いだろう。

しかし、ナカジマだけ傘無しで帰らせるわけにもいかないし、疲れているだろうから早く帰って休ませてあげたかった。

 そう思い、村主が傘を差して向けると。

 

「・・・じゃあ、お供させて貰おうかな」

 

 ナカジマは、ひょいと傘に入ってきた。

 

 

 そして2人並んで帰路につくのだが、これが俗に言う『相合い傘』だと気付くのにそこまで時間はかからなかった。

 

「今日はちょっと静かな雨だねー」

「昨日のとは全然違うな」

 

 だが、2人にとって今重要なのはそれではなくて、雨の方だ。何しろ2人とも雨が好きなのだから、気にすることは2人とも同じだった。

 

「確かナカジマも、雨が好きって言ってたな」

「うん。雨の音を聞いていると気持ちが落ち着くし、何だか頭もすっきりするような感じがしてね」

 

 今降っている雨は、擬音で表現するならば『しとしと』と言う感じだ。昨日のように強い雨ではないので、雨粒が道路に当たる音も心地よさを覚える。

 

「雨が降っていると、普段見る街並みも何だか違った感じに見えるし」

「ああ、それは分かる」

 

 村主は、雨で街並みや建物が霞んで見えるのが地味に好きだった。そしてナカジマも、同じような感性を持っているらしい。

 だがそこで、村主は思い出す。

 

「そう言えばナカジマ、知ってたのか?外から実習生が来るってこと」

「うん、前々から河嶋さんから連絡があってね」

「昨日黙ってたのは・・・」

「いやー、ちょっと驚かせようと思ってさ」

 

 昨日村主は、初めてナカジマに会った時に、戦車道履修生だということは話の流れで思い出せた。だが、レオポンチームのメンバーとまでは分からなかったし、彼女のチームが戦車の整備を担当しているとも知らなかった。

 自分がここへ来た事情は話したのに、それでも『ちょっと驚かせたかった』と言うのは意地悪だなと、村主は思う。

 

「あはは、ごめんごめん。でも、あの場で初対面の私が『君の実習の指導をするよ』って言ったら、村主も緊張してたでしょ?」

「それはまあ・・・確かに」

 

 偶然出会ったナカジマが、村主が教えを乞う人と知れば村主の態度も昨日とはまるで全然違っただろうし、乗艦初日から委縮していたかもしれない。それを避けるために、敢えてナカジマは自分のことを明かさなかった。それも気遣いの1つか、と村主は小さく笑い、追及をやめることにする。

 

「昨日、村主は戦車の整備を勉強したくて大洗まで来た、って言ってたよね」

「ん?ああ、そうだな」

 

 どうやら、昨日の話の流れで思い出したらしいナカジマが、村主に話しかけてくる。

 

「・・・すごいと思う」

「え?」

 

 だが、ナカジマの心からそう思っているらしいその言葉に、村主は思わずろくな言葉も紡げなかった。

 

「だって、小さいころから戦車のことが好きになったんでしょ?それで、その夢を諦めきれずに今日までそれを目指してるってのは、すごいと私は思うな」

「・・・そうか?周りからは『変わってる』だの『かっこ悪い』だの言われてるけど」

「いやいや、いいじゃない。小さいころからずっと好きだったんでしょ?戦車が」

「まあ、そうだけど」

「それならいいじゃない」

 

 ナカジマが、村主のことを見る。

 

「自分の夢を真っ直ぐに追っているのなら、他の誰が何と言おうと、私からすればそれは十分カッコいいよ」

 

 瞬きをする。

 そう言われたのは、初めてだった。

 

「・・・・・・そう?」

「うん」

 

 実感が持てないが、ナカジマは笑って頷く。

 何か気の利いたことでも言えれば、と村主は思う。だが、ボキャブラリーが少なすぎたので『相手のことも褒める』という答えしか弾き出せなかった。

 

「でも、俺からすればナカジマだってカッコいいと思うぞ」

「え?どうして?」

「どうしてって、そりゃ・・・」

 

 少し考えて、思ったことをそのまま伝える。

 

「戦車と向き合ってる時のナカジマだって、俺からすればカッコよかった」

 

 ポルシェティーガーの整備をしている時、村主はちらっとナカジマの様子を窺った。

 その彼女の顔はまさに真剣で、ああいうのがカッコいいって言うんだろうなと、村主は思ったものだ。

 

「・・・・・・そう見えた?」

「ああ、俺にはね」

「それは嬉しいなぁ。ありがとね」

 

 そんな会話を交わしつつ歩いていると、傘に当たる雨の音もいつしか聞こえなくなった。試しに傘の外に腕を出してみたが、雨粒も感じない。

 

「止んだみたいだ」

「そっか。よかったー」

 

 村主が傘を畳む。丁度交差点に差し掛かるところだった。

 

「それじゃ、また明日もよろしくね」

「うん、またね村主」

 

 そうして村主とナカジマは軽く手を振って別れる。

 村主は宿へと行く間に、さっきのナカジマの言葉を思い出す。

 

―――自分の夢を真っ直ぐに追っているのなら、他の誰が何と言おうと、私からすればそれは十分カッコいいよ。

 

 思い返してみて、そう言えば自分の人生で『かっこいい』って言われたことはなかったな、と悠長なことを考える。

 ナカジマの言葉は、村主にとっては始めて言われた言葉だ。

 そう思うと、少しだけ嬉しさと恥ずかしさがこみ上げてきて、頬が痒くなる。

 小雨の後のせいで吹いた風は湿っぽく、どこかひんやりとする。

 その風を浴びながら宿へと足を進める村主は、不思議と心地よい気分になっていた。

 

 

 村主と別れて少しして、ナカジマは立ち止まって空を見上げる。

 雨は既に止んだが、まだ夜空には雲がいくつか浮かんでいるのが分かる。

 

 ―――戦車と向き合ってる時のナカジマだって、俺からすればカッコよかった。

 

 鉄を打った時の音のように、胸の中に村主の言葉が響いている。

 同じ大洗の戦車隊の皆からは、『かっこいい』とか『頼りになる』と言われることがよくあった。

 けれど冷静に考えてみれば、同年代の男からあんなことを言われたのは初めてだ。女子高だし、自分のすぐそばで一緒に整備するなんてこともなかったから当たり前だけど、それでもやっぱり気になる。

 

「カッコいい、ね」

 

 口に出してみると、やたらと嬉しさが湧き上がってくる。

 褒められるのは悪い気がしない。だから嬉しいんだと、ナカジマは考える。

 兎に角、村主は飲み込みが早いし、同じく雨が好きと言うこともあるので、実習の間は上手くやっていけそうだと思う。

 小雨の後で湿っぽさを交えた風が吹き、ナカジマの身体を撫でていく。

 その風の心地良さを感じながら、ナカジマは寮へと鼻歌を歌いながら帰って行った。



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雨上がり

 翌朝、アラームの音ともに目覚めた村主は、寝間着から実習用の服に着替えていた。

 しかし、今袖を通しているのは昨日着ていたジャージではない。

 

「・・・イイ感じじゃん」

 

 鏡の前に立つ自分を見て、言葉が零れる。村主は別にナルシストではないが、それでも今の自分がかっこよく見えてしまう。

 村主が着ているのは、昨日ナカジマから支給された、自動車部のオレンジのつなぎだ。左胸のポケットの上には『OARAI』と校名の刺繍が入っている。

 もちろん、村主は大洗の生徒になったわけではない。実習の間はレオポンさんチーム・自動車部の仲間と言うことで、同じつなぎを貰ったのだ。

 

「つなぎって、こんな感じなのか」

 

 村主は、元居た学校でも機械に触れる授業を受けていたが、授業中は基本ジャージだった。こうして作業用の制服を着るのが初めてだったので妙な気分だが、同時にテンションが上がってくる。

 

「そろそろ行くか」

 

 時刻はまだ6時半に差し掛かったところだが、レオポンチームの活動が始まるのは7時からだという。戦車の整備以外にもやることがあるらしい。

 宿の朝食は7時からと事前に伝えられていたので、宿で朝食は摂れない。なので、途中のコンビニで昼食と一緒に何か買うことにする。

 そう考えながら外出用の鞄に最低限の荷物を入れて部屋を出ると、ドアの脇に小さな紙袋が置いてあった。

 

「?」

 

 村主が置いた覚えはないので、置いたのは宿の人だろう。

 気になったのでその袋の中を見ると、小さな紙と、ラップに包まれたおにぎりが2つ入っていた。

 そして、一緒に入っていた紙は手紙で。

 

『実習お疲れ様です。

 よかったら朝ごはんにどうぞ』

 

 短い言葉だったが、それでも村主の中には感謝の気持ちが浮かび上がってくる。

 昨日宿に戻った時、村主は主人に『朝が早いので朝食は無しで大丈夫』と伝えておいた。恐らくそれを聞いて、こうして心遣いをしてくれたのかもしれない。

 これは、主人に会ったらちゃんとお礼を言わないとな、と思いつつその紙袋を慎重に鞄に入れて玄関へと向かう。出る直前で玄関脇の受付を覗いてみたが、主人の姿は見えなかった。仕方ないので、お礼は帰った時にでも言うことにしよう。

 学校に向かいつつ、空を見上げる。昨夜雨を降らせた雲は既に散っており、僅かに朱が混じる青空が広がっていた。

 村主が夜眠っている間にまた雨は降ったようで、路面は少し濡れている。家屋の屋根や、木の葉から雫がぽつぽつと落ちて音を奏でるが、それも悪くない。

 

「・・・美味いな」

 

 コンビニに寄ってから、歩きながらおにぎりを食べる。行儀が悪いと分かっているが、実習を始める前にちゃんと食べないと昼食までもたない。

 校門が見えてきた頃には、おにぎりを2つとも食べ終えることができた。そして、その校門の前に3人の少女が立っているのにも同時に気付く。

 3人揃って前髪ぱっつん黒髪おかっぱ、着ているのも同じ制服なのでドッペルゲンガーか何かかと思った。

 だが、冷静に見てみると3人ともおかっぱの長さが微妙に違うし、顔つきもわずかに差がある。

 

「カモさんチームの皆さん、おはようございます」

「はい、おはようございます」

 

 挨拶をすると、長めのおかっぱの子が答える。

 昨日村主がナカジマと共に整備したルノーB1bisに乗る、カモさんチーム。風紀委員の3人が乗っていると聞いていたが、それが今目の前にいる彼女たちだ。

 しかし、如何せん姿が似ているので、名前で呼ぼうとしても誰がどうだかわからない。

 そこで村主は、昨日の生徒会室での挨拶で会長の杏たちと話したことを思い出した。

 

「えっと、確かそど子さん、ゴモヨさん、パゾ美さんでしたっけ?」

「違うわよ!私の名前はは園みどり子、こっちは後藤モヨ子と金春希美!初対面の人をいきなりあだ名で呼ぶなんて、いい度胸してるじゃない!」

 

 即座に全力で否定してきたのは、中くらいの長さのおかっぱ頭の子だった。厳密に言えば初対面ではないのだが、それはひとまず置いておく。

 彼女たち―――主に園みどり子だが―――を怒らせてしまったことについては、謝るべきだ。

 

「あ、すみません・・・会長から、『こう呼んであげるといいよー』と言われたので・・・」

「会長・・・」

 

 無神経に略して呼んだわけではないことを弁明すると、ロングのおかっぱ頭の後藤モヨ子―――ゴモヨは肩を落とす。どうやら、生徒会からも略して呼ばれているらしい。

 

「まあ、でも本名で呼ばれることは最近ないかも」

「そうだね・・・略しやすいからね・・・」

 

 だが、短いおかっぱ頭の金春希美―――パゾ美が悟ったように告げると、ゴモヨも同調する。そど子も悩ましそうに溜息を吐いているので、彼女たちにとってはあまり思わしくないことのようだ。

 

「・・・それにしても、こんな朝早くから見張ってるんですか」

「そうよ。日の出と同時にね。ここで不届き者がいないかを確かめてるわ」

 

 話を逸らすと、そど子は気持ちも落ち着いたのか話してくれる。

 正直言って、村主はまだ眠気が完全に抜けてはいないが、そど子たちは全然眠そうじゃない。いや、パゾ美があくびを噛み殺していたが、それはともかくきっちりしている。

 

「大変ですね・・・夏休みなのに」

「でも、私たちも戦車の練習がありますから丁度いいですし・・・」

 

 夏休みだから、遅刻者がいないかどうかを見る必要も無いだろう。それに学園艦の上である程度の治安の良さは約束されているし、朝から見張る必要性はあまり感じられない。

 だがゴモヨの言う通り、彼女たちも戦車の練習がある。その練習ついでと、生活リズムを整えるのには良いのかもしれない。

 

「それに私たちだって、皆から信頼されて風紀委員をやってるんだから。半端な気持ちで取り組むなんて、絶対に許されないわ」

 

 風紀委員になるためにはいくつかの条件をクリアする必要があり、その中には『周りからの推薦』もあるらしい。そど子たちが風紀委員であるのも、周囲からの信頼があると言うことだろう。

 

「だから私たちは、雨の日でも雪の日でも、ここで職務を全うしてきた。そして、これからもそのつもりよ」

 

 そど子の言葉に、ゴモヨとパゾ美も強く頷く。

 信頼を裏切らないためにこうして職務を果たそうとする姿勢は、村主からすれば素晴らしいことだ。月並みな言葉だが、それが一番合う。

 

「・・・頑張ってくださいね」

「もちろんよ」

 

 そど子が薄い胸をドンと叩く。

 

「ところで、村主さんはなんで自動車部のつなぎを・・・?」

 

 そこでようやくゴモヨから、村主の今の服装について指摘が入った。

 

「ああ、昨日レオポンチームから支給されたんです。一時的とはいえ、自動車部の一員だからって」

「へぇ~・・・」

「・・・女子高の服を男の人が着てるって言うのも何だか変な感じだけど、そう言う事情なら大丈夫だね」

 

 納得したようにゴモヨとパゾ美言う。そど子も指摘することはなく、一応は認めてくれたらしい。

 

「それじゃ、頑張ってくださいね」

 

 村主が別れ際に挨拶をして、気持ち少し早歩きでガレージへと向かう。カモさんチームと話をしていて少しだけ時間を取ってしまったが、まだまだ集合時間には早い。

 そしてガレージにたどり着くと、既にスズキとホシノがポルシェティーガーに腰かけて駄弁っていた。

 

「おはよー」

「おはよ。おっ、似合ってるじゃん」

「ん。絵になる」

 

 挨拶をすると、スズキとホシノが笑いかけてくれる。とりあえず、『変』と言われなくて安心した。自分では似合っていると思ったので、否定されると自分のセンスを疑問視してしまう。

 

「あれ、ナカジマとツチヤは?」

「機材を取りに行ってる」

 

 そこで、2人がいないことに気付いて訊ねると、ガレージの外から何かのエンジン音が聞こえてきた。だが、それは戦車のものとは違う。

 

「うぉ、すげー・・・」

 

 姿を現したのは、地面を均す大きなそりが付いたブルドーザー。そして、スコップのようなアームが付いた小さめのショベルカーだ。

 ブルドーザーにはナカジマ、ショベルカーにはツチヤが乗っている。

 

「あ、村主。おはよー」

 

 ナカジマは重機を停めると、運転席から顔を出して手を振る。

 

「ああ、おはよう。で、これ何だ?」

「何って、ブルドーザーだよ。これで昨日演習場に空いた穴を埋めるんだ」

「へー・・・」

 

 ナカジマが言うには、戦車の訓練の後は演習場に砲撃の穴だの履帯の跡だのが残っていて、万全なコンディションではないという。なので重機を使って、演習場を綺麗にするというのだ。

 

「・・・・・・」

 

 村主は重機を見上げる。こうした大型の機械は、どうしてこうも男心をくすぐってくるのだろうか。アイドリング音が心地良いし、複雑な構造の履帯も魅力を感じる。

 そんな村主を見て何かを感じ取ったのか。

 

「乗る?」

「ぜひとも」

 

 ナカジマが親指で自分の後ろを指す。村主は一も二もなく頷いて、運転席の後ろにつかまった。

 

「それじゃ、ちょっと行ってくるねー」

「気を付けなよー」

 

 ホシノたちに見送られながら、村主はナカジマ、ツチヤと共に演習場へ向かう。

 

「おおおおお・・・・・・」

 

 その間、村主は履帯の振動を感じながら、ナカジマの座る操縦席の背もたれにしがみつく。

 

「戦車とは少し違うけど、同じキャタピラ式だからね。戦車に乗ってるのと似た感じなんだ~」

 

 操縦するナカジマは楽しそうに告げる。

 

「自動車部ってこんなのも持ってるのか」

「ああ、いや。これは戦車道が復活してから、学校が中古品を安く買ったやつだよ。で、私らが整備し直して、新品同然にした」

「さらっと言ってるけどそれ結構すごいことだな」

 

 中古品を新品同然にする自動車部は、こういったメカはお手の物らしい。その技術力には、改めて脱帽する。

 

「まあ、学園長にレースで勝ったから、中古品を買ってもらえたんだけどね」

「え?レース?」

 

 だが、飛び出してきた『レース』と言う単語には首を傾げる。

 

「そ。『中古品でもいいからほしい』って私たちは言ったんだけど、先生は中々首を縦に振らなくてね。それで学園長が、『私にレースで勝ったら買う』って言ってくれたんだ」

「ちょっと待て、学園長ってレーサーなのか?」

「ううん?ただ、カーチェイスとか大好きみたいで、車も結構いいのに乗ってるんだ」

 

 村主は、学園長の顔は実習前の話し合いの場―――村主のいた高校で行われた―――で知っている。そこまで歳を召してはいない女性だったが、あの人にそんな趣味があったとは。

 

「それでこの学園艦でレースして、スズキが勝って見事買ってもらえたわけ」

「へー・・・」

 

 やはり自動車部と言うだけあって、ドライブテクも高いようだ。昨日見た部室のトロフィーや賞状を見れば、彼女たちもまた優秀なドライバーなのも窺える。

 

「いやー、でも便利だよ。穴を埋めたり均したりするのは手作業だと流石にしんどいし、模擬戦の後で戦車を牽引するのにも使えるし」

「免許は・・・持ってるんだよな」

「私有地内だけど、一応ね」

 

 村主は、こういった重機の類の免許は持っていない。憧れてはいるが、中々手を伸ばせないのだ。

 そうして、昨日訓練が行われていた演習場に到着する。昨日の夜の雨で土も若干湿っていたが、それでもぬかるむほどではない。

 

「よーし、それじゃあ始めようか。ツチヤは先に穴を埋めといて。あとでこっちで均しとくから。あと、後ろの的も持って行っておいて」

「ラジャー!」

 

 軽く打ち合わせをすると、ツチヤはショベルカーのアームを自分の手のように器用に操り、ブルドーザーの後ろに積んでいた荷物をスコップに引っかけて持ち上げる。

 ナカジマは早速、戦車の履帯をなぞるようにブルドーザーを動かす。

 

「結構慣れてる感じだな」

「レオポンの時もそうだったけど、最初は大変だったよ」

「レオポンも?」

 

 レオポン―――ポルシェティーガーの戦いぶりは、村主も全国大会で知っている。それでも、ナカジマたちも最初はあれの扱いには苦労したらしい。

 

「レストアしたての頃は、よくモーターを燃やしちゃってたよ。まだ最初の頃は、どうすればいいのか手探りだったなぁ」

 

 村主は昨日の整備の時間で、ナカジマたちレオポンチームの技術力の高さは分かっていた。そんな彼女たちでも、やはり複雑なポルシェティーガーも最初は扱いづらかったのか。

 

「それでもやっぱり、楽しいね。扱いにくいマシンを使いこなすのはさ」

 

 ナカジマは依然として、前を向いたままだ。操縦桿をせわしなく動かして、ペダルを器用に踏み、操縦に集中している。

 だが、その顔が笑っているのが、後ろにいる村主にも分かる。だって、そのナカジマの言葉からも、嬉しさや楽しさが感じられるのだから。

 そして、そんなナカジマのことを考えると、自然と心が温まってくる。

 

「・・・それはやっぱり、戦車が好きだから?」

「それもあるけど・・・。まあ、チャレンジ精神があるってことかな?絶対使いこなして見せるぞ、っていう」

 

 その考え方は、村主も一理あると思う。困難なことを前にして諦めるか、乗り越えようと努力するかは人それぞれだが、ナカジマは間違いなく後者だ。

 

「それは、私だけじゃなくて、ホシノたちも同じさ」

 

 停滞という言葉を知らず、向上心があるからこそ、レオポンチームは戦車道を始めた時から、大洗の頼れる存在なのだ。

 そんなナカジマたちを、村主は素直に尊敬していた。

 

 

 地面を均した後、ツチヤから『的の設置が終わった』と連絡が入ったので、ガレージへと戻る時。

 

「ねえ、村主」

「?」

 

 ブルドーザーを停めたナカジマが、村主を振り返る。

 

「ちょっと運転してみる?」

「え?」

 

 嵌めようとしているわけではない笑みのナカジマ。

 

「私有地だから免許要らないし。朝礼までまだ時間はあるし、ここら辺をちょっと走らせるぐらいだから」

 

 見るからに、演習場にはナカジマと村主以外は誰もいない。経験者のナカジマがいるから不測の事態にもある程度対処はできる。

 

「・・・大丈夫なのか?」

「うん。私がついてるし」

 

 その『私がついてる』と言う言葉、村主にはとても心強い一言だった。

 と言うわけで、ナカジマからレクチャーを受けながら、ちょっとだけ操縦してみることにした。

だが、これがすこぶる難しい。

 自動車をはじめとした乗り物の免許を取得できる年齢は、昔と比べて下がっている。村主もマニュアル車の免許を持ってはいるが、流石に乗用車とブルドーザーでは断然違う。何しろ操縦するのがハンドルとレバーで違う時点で、難易度に差があるのはまるわかりだ。

 

「そこでクラッチを踏んで、レバー入れて・・・」

「脚も腕も忙しいな!」

「そうだねー。マニュアル車よりも断然難しいよ」

 

 今度はナカジマが、村主の座る操縦席の後ろについて指導する。

 この時村主は、演習場の土の匂いに混じって、ほのかに甘い香りがするのを感じ取った。それがすぐにナカジマから漂うものだと言うことは分かったが、深く考えずに前と手元に集中する。うっかり故障させたり、万が一事故で起こしたら大問題だ。

 

「やっぱりレバーの操作は難しいな・・・」

「そっか・・・それじゃ、ちょっとごめんね」

 

 操縦桿を握る村主の手に、ナカジマの手がそっと重ねられる。口で教えるだけでなく、実際に身体で動かして教えた方がやりやすいと思ったからだ。

 そこで初めて、村主の身体が強張った。お互いに軍手を嵌めているので、体温は伝わらない。感触も厚い軍手の生地のそれしか伝わってこない。それでも、なぜか反応してしまう。

 

「ん、どうかした?」

「いや何でもない」

 

 だが、余計なことを考えているとミスを犯しかねない。重ねられた手のことは考えずに、前を見て操縦に集中する。

 そうして練習を続けること10分弱。

 

「おー・・・おー・・・!」

 

 村主はナカジマのアシスト無しでも問題なく操縦できるようになった。方向転換も、そりを上下に動かすことも、自在にできるようになった。

 巨大な機械を操縦するという密かなロマンが叶い、村主も若干表情が緩んでいる。

 

「やっぱり村主、飲みこみが早いね。昨日の整備の時も思ったけど」

「そうか?」

「うん。だって、こんなに早く操縦を覚えられたんだもの。私だってこれだけ早く覚えるのも無理だったのに」

 

 羨ましそうにナカジマが言う。

 だが、村主は思い上がったりはしない。

 

「いや、ナカジマの教え方が良いからだよ。俺だけじゃ多分、すぐには覚えられなかった」

 

 ただ説明書を読むだけだったら、村主はもっと時間がかかっていただろう。

 しかし、経験者のナカジマから直接指導を受けたから、吸収することができた。それに、戦車の整備でも思ったことだが、ナカジマの教え方も分かりやすいので、早いうちに会得できたのだろう。

 

「・・・そうなのかな?そんなこと、言われたことないから分かんないや」

 

 ナカジマは、ちょっとだけ間を挟んでから首を傾げる。

 そこでふと、時計を見るとそろそろ戻った方がいい時間になっていた。

 

「じゃ、そろそろガレージに行こうか」

「ああ、分かった」

 

 村主は再び操縦をナカジマに代わろうとする。いくら私有地で免許が要らないと言っても、実習生が操縦していると色々面倒なことが起きそうだからだ。

 しかし、2人はそこで手元を見た。

 

「・・・・・・あ」

「・・・・・・あ」

 

 レバーを握っていた村主の手に、ナカジマの手が重ねられていた。

 だが、すぐにナカジマが手を離す。

 

「ごめん、痛かった?」

「全然」

 

 そして2人は位置を代わり、ナカジマが慣れた手つきでブルドーザーを操縦してガレージへと戻って行く。

 

「昨日は眠れた?」

「ああ、ぐっすりな・・・疲れて」

「あはは、大丈夫。すぐに慣れるよ」

 

 ガレージまでの道すがら、2人は雑談を交わす。

 だが、頭の片隅には、先ほどまで手が重なっていたという事実が引っかかっていた。

 

 

 今日の整備では、ナカジマと村主は昨日と同じく共に行動したが、復習も兼ねて整備は村主が先導することになった。そして、その後でナカジマがダブルチェックをして、問題ないかどうかを確認する。

 結果、整備にミスもなく、見落としなどもなかった。

 

「いやー、よかった。ちゃんとできていてよかった・・・」

 

 昼休憩の時間にそう呟くのは、当の村主。いきなりナカジマから『一人でやってみよっか』と言われた時は面食らい、不安にもなったが、平穏無事に済んで心から安心している。

 

「でも私としても嬉しいね。教えたことをすぐ吸収して、できるようになるんだから。教える甲斐があるってものだよ」

 

 ナカジマが村主を見ながら頷き、焼きそばパンを頬張る。聞けば、ナカジマはソース焼きそばが好物らしく、数日に1度は食べるほどらしい。

 

「・・・気になったんだけどさ」

 

 そこで、スズキが控えめに会話に入ってくる。

 

「2人って、元から知り合いだったの?随分仲良さそうだけど・・・」

「ううん、違うよ」

 

 ツチヤとホシノも抱いていた素朴な疑問に、ナカジマたちはすぐに首を横に振る。

 

「一昨日、村主が学園艦に初めて来たときにね。たまたま会ったんだよ」

「ああ、公園の東屋で」

「へ~・・・初乗艦日が雨で災難だったな」

 

 ホシノが笑って、一昨日のことを思い出す。あの日は雨が強かったから、部屋でのんびりしていたホシノも外出しなかった。

 そしてレオポンチームの全員は、ナカジマが雨が好きで雨中の散歩が趣味だと知っていたから、東屋で出会ったことにも疑問はない。

 

「いや、俺って雨男みたいだから・・・大事な日が雨になるのはもう慣れてる。まあ、雨は好きだけどな」

 

 すると、その村主の言葉を聞いたホシノたち3人は『あー』と何か納得したような表情を浮かべた。

 

「なるほど、だから仲が良いのか」

「納得だね~」

「雨好きな2人で相性はいいってことね」

 

 3人でひそひそ話し合っているが、ナカジマと村主は何のことだか分からない。

 

「まあ、仲がいいのは良いことだから。うん、気にしない」

 

 スズキが愛想笑いを浮かべるが、ひそひそ話の後だと逆に胡散臭く感じる。

 村主がナカジマを見るが、ナカジマは『私も分からない』と首を横に振るしかなかった。

 

 

 昨日と同じ走行訓練と砲撃訓練をして、午後の訓練も夕方ごろに終了する。どうやら、普段からこうした基礎練習を繰り返し行い、基本を忘れないでいるらしい。

 

「今日の訓練は終了、解散!」

『お疲れ様でしたー!』

 

 桃が号令をかけて、隊員たちはそれぞれ帰り支度に入る。

 だが、レオポンチームは昨日同様残って戦車の整備だ。

 

「レオポンチームの皆さん、よろしくお願いします」

『よろしくお願いしますー』

「はーい!」

 

 去り際に礼儀正しく挨拶をしたのは、カモさんチームの3人。ツチヤが元気よく返事をして、他の4人もぺこりと会釈をする。

 

「やっぱり風紀委員だからか、礼儀正しいな」

「本当にねぇ。訓練の後はいつも挨拶してくれるよ」

 

 ルノーB1の下部でエンジンルームの整備をする村主とナカジマは、そど子たちの挨拶を聞いてそう話す。

 そして、その流れで村主は、今朝の校門前でのカモさんチームとのやり取りをナカジマに話す。すると、ナカジマは苦笑した。

 

「あー、確かにみんな『そど子さん』って略してるね」

「そうなのか」

「1年生のウサギさんチームからも略されてるし、あだ名って言うより愛称だね」

 

 ただ、村主はあくまで実習生だから同い年てあっても愛称で呼ぶのは馴れ馴れしかった。以後気を付けることにする。

 

「風紀委員って毎日校門に立ってるのか?」

「そうだね・・・見ない日はないなぁ。天候とかも関係なし、休みの日もいるね」

「・・・ナカジマたちもだけど、風紀委員も大変そうだな・・・」

 

 こうして雑談を交わしてはいるが、2人は整備をする手を止めない。そして、視線もまた戦車に向けられたままだ。手元を見ていないとどんなケガをするかも分からない。整備とは、そんな危険と隣り合わせなのだ。

 

「まあ、それだけこの大洗が好きなんだと思うよ」

 

 ナカジマの言う通りかもしれない。

 彼女たちは『皆の信頼を裏切らないため』と言っていたが、それ以前に大洗という学校が好きなのだろう。その場所を好きだからこそ、守ろうとして職務を果たす。その気持ちは、村主にも分かった。

 

「ナカジマはどうなんだ?」

「私?私も、大洗は好きだよ」

 

 手元にあるスパナを手に、ナットを締めながらナカジマは笑う。

 

「こう、大洗って何だかのんびりした感じがするんだ。それが性に合うって言うか、ね」

「なるほど・・・」

 

 良くも悪くも『環境』という要素は重要で、その人の持つポテンシャルを左右する。体調や天候なども言ってしまえば環境だが、場所というものが何よりも重要だ。

 とはいえ、村主はまだ大洗に来てから3日と経っていないのだから、大洗がどんなところなのかは分からない。そこは、実習の合間にでも出かけてみていくことにしよう。

 

「ん、なんか入りにくいな・・・」

 

 そこで村主は、エンジンルームの中のナットのゆるみを見つけたが、どうにも手を入れにくい。一応、指で軽く回してある程度締めることはできたが、まだ完全には締まっていない。

 

「どうかした?」

「いや、ここが―――」

 

 村主が手こずってるのを見て、ナカジマがその部分を見ようとする。

 だが、そのおかげでナカジマは村主の身体にピッタリと寄り添うような形になった。

 

「・・・ちょっと手が入りにくくてな」

「あー。ここは首振りレンチを使った方がいいね」

 

 だが、それについてを全く面に出さず、村主は話を続ける。ナカジマも特に気にしてはいないのか、いつも通りの口調で首振りレンチを差し出す。

 

「はい」

「ありがとう。やってみる」

 

 角度を調節し、レンチの口径も確認してからもう一度ナットを締める。確かに、この方がやりやすい。

 だが、ナカジマはなおも村主の身体にくっついているようで、村主の腕と目以外の感覚はそちらへと集中してしまっている。

 

(落ち着け、動揺したら絶対ミスる)

 

 今は戦車の心臓部とも言うべき部分に触れている。ここで動揺して何かミスをやらかしたら、エンジンをダメにしてしまうかもしれない。

 そうなれば整備を担当するレオポンチームに重大な迷惑がかかるから、それだけは絶対に避けたい。今は、ナットを締めることにだけ集中する。

 

「・・・よし、ハマった」

 

 無事にナットを締め終わる。

 

「チェック頼む」

「りょうかーい」

 

 村主は横にズレて、一番エンジンルームが見える場所をナカジマに譲る。

 そこでナカジマがチェックをしている間に、村主は先ほどナカジマと身体が触れたことを思い出す。

 今朝、演習場でお試しとしてブルドーザーを操縦した際に、レバーを握る手をナカジマに握られた時は身体が強張った。先ほども同じで、強張りはしなかったが意識はした。

 

(・・・こういうことが無いからだろうな)

 

 村主の元々所属する技術専門学校は、一応共学という扱いになってはいるが、女子の人数は圧倒的に少なく、3年生の男女比は9:1だ。

 村主のクラスにも女子は2人いるが、ここまで急接近などしたことがない。

 だから、自分はただ慣れないことに緊張していただけだと、村主は処理した。

 決して、何か考えてはいけないような感情に気付きそうになったから、ではない。

 

 ナカジマは、エンジンルームをチェックし終えると、村主に向かって頷いた。

 

「うん、ばっちり。問題ないよ」

「ありがとう」

「じゃあ次は、チヌに行こう」

「了解」

 

 戦車の下から這い出て工具を回収し、次に整備をする三式中戦車チヌへ村主と一緒に向かう。

 そこで、ナカジマは先ほど村主と触れていた右腕をちらっと見る。

整備していた時は、余計なことを考えるとミスをするからと、敢えて考えないようにしていた。だが、今ではその触れたことが気になって頭から離れない。

 ただナカジマは整備をしていただけ、ほんの少しだけ触れていただけなのに、どうしてこうも気になってしまったのだろうか。

 

(・・・普段から男子に触れることがないからかな)

 

 言うまでもなく大洗は女子校で、同年代の男子と接する機会など皆無だ。だから、こうして近い距離で男子と接したことがないから、妙に気になっているのかもしれない。

 だとすれば、昨日もそうだったはずだが、なぜ今日は気になったのか。

 

「ナカジマ、どうかしたのか?」

「え?いや、なんでもないよ。ちょっと考え事」

 

 表情が少し硬くなっていたのに気づかれたか、村主が問いかける。

しかし、まさか村主のことを考えていたと言うのも変なので、ぼかしておく。

 

(余計なことは考えないようにしないと・・・)

 

 小さなことに囚われていると、つまらないミスをしてしまいかねない。

 さっきのことについては、忘れよう。

 そう思いながら、チヌの前に立つ。

 まだ夜の整備の時間は、終わらない。



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夜雨

 大洗での実習3日目の昼休憩後、村主は副隊長の河嶋桃に呼び出されていた。

 

「ここのスイッチを押せば全体に通信が入る。伝えるのは試合開始の合図と、撃破の判定、試合結果だけでいい」

「撃破判定は、双眼鏡で確認すればいいんですか?」

「ああ。ただし、複数個所で同時に戦車が撃破されることもある。注意しておけよ」

「分かりました」

 

 村主は、模擬戦用の無線機の使い方を教わっていた。

 今日は週に1度の模擬戦の日で、各車輌の戦い方やチームワークを確かめるためのものだと言う。

 模擬戦を行う主旨は事前に聞いていたが、審判を頼まれたのはついさっきのことだ。こうしてやり方を教えてもらっているので、知識無しのまま放り出されるよりはマシな方だが。

 

「ごめんね、急に頼んじゃって」

「いえ、気にしないでください」

 

 手を合わせて謝ってくるのは、生徒会副会長の小山柚子。ふわふわした雰囲気の人で、きっちりしている桃とは正反対の雰囲気だ。

 

「まあ初めてだし、気楽にやっていいからね~」

「会長、審判が気楽なのは困ります・・・村主、しっかりやれよ」

「はい」

 

 気楽に、と言ったのは生徒会長の角谷杏。どうにも緩い雰囲気のする人で、つかみどころがない。村主の中の生徒会長というイメージとはかけ離れている。

 そしてこの生徒会3人で構成されているのが、カメさんチーム。彼女たちの乗るヘッツァーは、あの全国大会決勝戦で、黒森峰の切り札・マウスの下に潜りこんで足止めをし、マウス攻略に一役買った。あの局面には村主も度肝を抜かれたものだ。

 そんなヘッツァーにはどんな人が乗っているのかと思ったが、結果は三者三様。何というか、これもまた拍子抜けな感じがする。

 

「西住、指揮!」

「あ、はい。では皆さん、準備に入ってください!」

『はい!』

 

 桃に促されて号令をかけたのは、大洗戦車隊の隊長である西住みほ。全国大会で幾度となくどんでん返しを見せた、戦車道界隈では時の人となっている名将だ。

 その彼女の号令で、隊員たちは戦車に素早く乗り込もうとする。

 村主はそれを尻目に監視用の見張り台へ向かおうとするが、そこでナカジマに呼び止められた。

 

「村主は審判初めてなんだよね?大丈夫?」

「ん?ああ、一応やり方は聞いたし、何とかなると思う」

「そっか・・・頑張ってね」

 

 手を振って去ろうとするナカジマに、村主は声をかける。

 

「ナカジマも、頑張れよ」

「うん、ありがとね」

 

 村主は審判役だが、実際に戦車に乗って戦うのはナカジマだ。大変なのは彼女に決まっている。

 それに、村主も一時的だがレオポンチームの一員だ。だから戦車には乗れずとも、チームメイトとして応援するのは当たり前のことだった。

 村主の激励の言葉に、ナカジマは笑って頷きポルシェティーガーに乗り込む。村主もまた見張り台へと駆け足で向かった。

 

 

 

『試合開始!』

 

 腕時計で時間を確かめてから、事前の指示通り無線機で号令をかける。その直後、森をメインとした演習場にいる戦車が一斉に動き出すのが、双眼鏡越しに分かった。

 模擬戦は、AチームとBチームそれぞれ4輌ずつの殲滅戦。どちらかのチームの車輌を全て倒したチームの勝ちだ。

 Aチームの隊長車はⅣ号戦車D型、続けて八九式中戦車、Ⅲ号突撃砲、ルノーB1bis。

 Bチームの隊長車はヘッツァー、それと三式中戦車チヌ、M3リー、そしてポルシェティーガー。

 ほぼバランスの取れたチーム分けだが、どうなるのかは分からない。

 Aチームは最初に八九式を先行させて、偵察に向かわせているらしい。Bチームも、M3リーを同じように偵察に向かわせている。

 

(・・・偵察同士でかち合うか?)

 

 双眼鏡で試合の様子を見ながら、これからの盤面を予想する。

 思えば、戦車の試合をここまで間近に見るのも初めてだ。ましてや、雑用的なものは任されると思ってはいたが、審判まで任されるとも思わなかった。

 その時、『パタタタタ・・・』と小気味よい砲撃音が聞こえてきた。双眼鏡で確認すると、八九式が機銃でM3リーを撃っている。だがそれもほどほどにして、八九式は反転して戻っていく。挑発行動だろうか。

 M3リーはそれを追い、Bチーム全体も追う。ポルシェティーガーは足回りが不安なところがあるので最後尾だった。しかし、それでも遅れることなくついて行く。

 

「お」

 

 八九式が機銃を撃ちつつ逃走し、それをBチームが追う。

 だが、その先の窪地で待ち構えていたⅢ突が発砲し、Bチームの先頭を行くM3リーを撃破した。

 

『Bチーム、M3リー走行不能』

 

 そこで自分の役目を思い出して、言われた通り撃破の報告を伝える。

 どうやら八九式の役割は、偵察と囮だったらしい。八九式の全体的なスペックは低く、できることは少ないから妥当だろう。

 その隠れていたⅢ突を狙ってチヌが発砲するが、Ⅲ突は即座に後退して逃走。Bチームの残りの3輌はⅢ突と八九式を追撃する。

 だが、Aチームの他の戦車はどこにいるのかまだ分からない。

 

(ん?)

 

 すると、そのBチームが追撃している場所から少し離れた場所をⅣ号が走っていたのが見えた。それも、Bチームの後ろを取るかのように大回りをしている。

 

(何するつもりだ?)

 

 ともかく、村主は追撃するBチームの様子を見る。

その追撃している途中で、ポルシェティーガーが発砲し、Ⅲ突を撃破した。

 

『Aチーム、Ⅲ号突撃砲走行不能』

 

 通信を入れながらも、ポルシェティーガーの威力に村主は目を見張る。

 ポルシェティーガーは足回りが不安な面を除けば、性能は大洗の中でもトップクラスだ。主砲の火力が違うから、砲撃音も他とは違う。Ⅲ突が前面固定砲塔で後ろを狙えないのもあったが、とにかく火力の比較的高いⅢ突を落としたのは大きい。

 すると今度は横合いからルノーが飛び出してきて、ポルシェティーガーを狙って発砲する。だが入射角が悪かったのか、掠り傷をつけるだけで致命弾に至らない。

 そして、飛び出したルノーはヘッツァーの射線上にいた。あの距離でヘッツァーの火力なら、ルノーの撃破も狙える。

 ヘッツァーもそのつもりだったようで、ルノーに向けて発砲した。

 ところが。

 

「・・・・・・どこ狙ってんだ」

 

 ヘッツァーの砲撃は、ルノーに掠りもせず明後日の方向に向かって行ってしまった。あの距離で、しかも固定砲塔なのに、なぜあんな所に着弾するのか。

 チヌもルノーを狙おうとするが、ルノーの装甲がそこそこ厚いので致命弾にはなりえない。

 

「あっ」

 

 そこで、戦場の外側を大きく回っていたⅣ号が、Bチームの後ろへと迫っていた。

 Aチームの戦車が全て陽動で、隊長車のⅣ号が本命だったらしい。

 そしてⅣ号は、ヘッツァーを後ろから打ち抜いて撃破した。

 

『Bチーム、ヘッツァー行動不能』

 

 これでBチームは司令塔を失ってしまい、それぞれの判断で戦わなければならなくなった。村主も、戦いでの基本はまず相手の頭を叩くことだとマンガで読んだことがあるが、実際に見るとは思ってもいなかった。あのⅣ号も随分と酷なことをする。

 Bチームはチヌとポルシェティーガーだけで戦うことになってしまうのだが、2輌共勝負を諦めずに懸命に戦っている。だが、チヌの動きが少しぎこちないように村主には見えた。

 一方でポルシェティーガーの動きは、結構手慣れた感じだ。乗っているレオポンチームの車関連のポテンシャルが高いからかもしれない。そんなことを考えていると、ルノーが撃破された。

 

『Aチーム、ルノー行動不能』

 

 面白くなってきたと、村主は思う。

 Bチームは隊長車を失ってはいるが、それでも諦めずに果敢に戦おうとし、ルノーを撃破した。チヌも砲撃こそ当てられてはいないが、まだ勝負を捨ててはいない。

 するとⅣ号は加速して、ポルシェティーガーの脇から追い抜く。そこをポルシェティーガーは狙うが、側面装甲―――シュルツェンを弾き飛ばすだけになってしまった。

 Ⅳ号はチヌを去り際に撃破し、体勢を整えようとする。そして入れ替わるように八九式が躍り出て、ポルシェティーガーに機銃を撃つ。通常砲撃も交えるが、八九式の性能でポルシェティーガーを倒すなど夢のまた夢の話、撃破はできない。

 そしてポルシェティーガーは返す刀で八九式を撃破し、残るはⅣ号のみ。

 

『Aチーム、八九式走行不能』

 

 しかしⅣ号は距離を取っており、ポルシェティーガーもそちらに車体ごと向けようとする。

 そこで、Ⅳ号が発砲した。

 

「あ」

 

 狙いすまされた砲撃は、ポルシェティーガーの後部に収められているモーターを撃ち抜き、爆発炎上。文句なしの白旗判定となった。

 

『・・・Bチーム、ポルシェティーガー走行不能。Aチームの勝利!』

 

 ポルシェティーガーが撃破された時、村主は一瞬反応が鈍った。だが、それでも審判としての役割は果たし、試合の結果を伝える。

 撃破された戦車は、後でレオポンチームがブルドーザーを使って回収する。唯一撃破されなかったⅣ号だけは自力で帰り、他の戦車の乗員は歩いて帰るらしい。

 村主も見張り台を下りて合流しようとする。

 

(負けちゃったか・・・)

 

 階段を下りながら、村主は先ほど撃破されたポルシェティーガーのことを思い浮かべる。最後まで奮戦していたが、最後には弱点のモーターをやられてしまった。モーターはポルシェティーガーの動力源だから、まさに弁慶の泣き所だ。

 村主が今案じているのは、ポルシェティーガーに乗っていたレオポンチームだ。モーターが爆発炎上してしまったが、中にいる彼女たちは大丈夫なのだろうか。車内へのダメージをほぼ無力化できる特殊カーボンがあるとはいえ、やはり心配だ。

 それと。

 

(徹夜確定か・・・)

 

 今回撃破された7輌全てを直すのに、徹夜は避けられないなと村主は苦笑した。

 

 

 

「桃ちゃん、あの距離で外す・・・?」

「桃ちゃんと呼ぶな!」

 

 合流すると、柚子が困るような笑顔を浮かべながら話しかける。それに対して桃は噛みつくが、柚子の顔が『出来の悪い娘を見る親の顔』に見える。

 

「河嶋先輩は外したにゃー・・・」

「奴はヘッツァー砲手の中でも最弱もも・・・」

「あの距離で外すとは砲手のツラ汚しぴよ・・・」

「聞こえてるぞ貴様らッ!!」

 

 そして声を潜めて、どこかで聞いたようなセリフを呟くのは、見た目が奇抜なアリクイさんチームの3人。しかし桃も否定しないあたり、砲撃が当たらないことに関しては気にしているようだ。

 

「いやー、やられちゃったねー」

「今夜は長くなるぞ~」

 

 そして村主が一番心配だったレオポンチームは、気楽そうにこの後のことを話している。モーターが爆発したせいで服には煤が付いているが、見た感じ怪我はないようだ。それに安心しつつ、村主は声をかける。

 

「お疲れ」

「お、村主。審判ご苦労様」

「大変だったな・・・モーターをやられて」

 

 スズキが『あーあ』と頭の後ろで腕を組む。彼女にとっても、あれは相当応えたらしい。

 

「今夜はレオポンにつきっきりだな~・・・あれ直すの結構かかるもんね」

「そうだな・・・ま、やりがいがあるってもんだ!」

 

 ホシノが不敵に笑い、ナカジマたちも頷く。試合の後で疲れているはずなのに意気込んでいるその様から、彼女たちが如何にタフかが分かる。

 やがて解散が告げられると、他のチームは『この後どうしようか』と相談しながら帰り支度を始める。

 しかしながら、ここからがレオポンチームにとっての本番だ。

 

「よーし、それじゃ私とツチヤで戦車を回収してくるから、3人はまずⅣ号から直しておいて」

『了解!』

 

 ナカジマの指示に全員が頷く。そしてナカジマとツチヤは、ガレージの裏に回ってブルドーザーに乗り演習場の方へと向かっていく。

 

「さてと、始めようか」

 

 スズキが指をほぐしながらⅣ号を見上げる。模擬戦で最後まで勝ち残った車輌だが、それでも掠り傷がついていたり、シュルツェンが剥がれてしまっていたりで無傷ではない。

 

「それじゃ、私とホシノで傷を直すから、村主は・・・シュルツェンの付け直し、できる?」

「ああ、ナカジマから聞いてる」

「それじゃお願い。もしわからなかったら、私かホシノに聞いてね」

 

 Ⅳ号のシュルツェンは、昨日までのナカジマの指導で仕組みは知っている。だから直すことも可能だ。

 レオポンチームはあらかじめ、戦車の金物パーツを自分たちで製造し、ストックしているらしい。それを今日のような修理をする際に使うとのことだ。本当、村主はレオポンチームの技術力には頭が上がらない。

 あらかじめ聞いていた金物が置いてある場所へ向かい、必要なパーツを必要な数だけ持ち出し作業に取り掛かる。シュルツェンはそれなりに大きくて割と重く、おまけに薄い金属なのでうっかりすると手を切る。軍手は嵌めているが、それでも細心の注意を払わねばならない。

 

「・・・スズキたちって、試合の後はいつも徹夜で修理してるんだよな」

「そうだね。私らがやらないと誰もできる人がいないし」

 

 スズキが、Ⅳ号の車体に刻まれてしまった傷を、工具を使って丁寧に直しながら答える。

 簡単な整備の仕方はマニュアルにまとめたようだが、こうした傷の本格的な修繕はその道に詳しい人にしかできない。レオポンチームも戦車整備には出ずっぱりなのだ。

 

「一番キツかったのは、決勝戦の後かな」

 

 ホシノが装甲の凹みを直す手を止めずに、当時を思い出しながら話す。

 

「もう全車輌ボロボロだったし、翌日には大洗に戻らなきゃだったから、一晩で全部の車輌を直した」

「あれは大変だったねー」

 

 スズキもそれを聞いて苦笑する。確かに、あの試合では大洗のどの車輌もボロボロだったのは、試合を観ていた村主も知っている。同じ整備士を目指す者として、あれだけのダメージをたった一晩で全て直すのがどれだけ大変か、分からない村主ではない。

 

「けどま、やりがいはあったな」

「そうだね~」

 

 だが、ホシノもスズキも、それを苦とは思っていないらしい。レオポンチーム・・・自動車部として修理が本分だからか、それとも機械いじりが好きだからか。多分両方なのだろうと、村主は思った。

 

「はーい、お待たせ~」

 

 やがて作業を進めていると、ナカジマとツチヤがブルドーザーに乗って戻ってきた。ナカジマがポルシェティーガー、ツチヤがルノーをそれぞれブルドーザーの後ろに引いている。

 

「やっぱりレオポンは時間かかりそうだから、こっち先にやってくれる?」

「分かったー!」

 

 ナカジマの頼みに、ホシノが威勢よく答える。それを聞きながら、ナカジマとツチヤは戦車とブルドーザーを繋いでいたワイヤーを外し、再び戦車の回収に向かう。

 

「じゃあ、どうしようかな・・・」

 

 Ⅳ号を下りたスズキが、ポルシェティーガーとⅣ号、ルノーを見比べながら少し考える。

 

「ホシノー、レオポンはどんな感じ?」

「これは・・・腕が鳴るね」

「なるほど・・・よし」

 

 ポルシェティーガーの壊れたモーターを見て、ホシノが苦笑する。それだけで、スズキは作業にどれぐらいの時間が必要かが分かったらしい。

 

「村主、悪いんだけど・・・Ⅳ号とルノーの整備、先にお願いしてもいい?」

「え?」

 

 村主を振り返ってスズキが告げたのは、単独での整備だ。

 

「レオポンはモーターだけでも大分手間がかかりそうだからね。私とホシノでやらないと多分、時間が結構かかると思う。だから村主と・・・ナカジマとツチヤには他の戦車の整備をお願いしたいんだ」

 

 村主はⅣ号とルノーの整備は、昨日一昨日で既に経験している。またナカジマからのお墨付きも貰っているので、ある程度1人で進めることはできる。しかし傷の修復はまだできないので、できることはエンジン回りの整備ぐらいだ。

 

「・・・分かった」

「よし、それじゃあお願いね。もしわからないことがあったら、遠慮せず聞いてくれていいから」

「了解!」

 

 既にⅣ号のシュルツェンの取り付けは終わっている。傷の修復も既にスズキたちが終えていて、外見は新品同然だ。後はエンジン回りで、これは村主も1人で行うことができる。

 村主が答えると、早速スズキはポルシェティーガーの後ろに回ってホシノと共に壊れたスリットを外してモーターの修繕に取り掛かる。

 それを見届けつつ、村主は下に潜ってⅣ号のエンジンルームを確認した。

 

「熱っ・・・」

 

 だが、エンジンルームの蓋を開けた途端に、猛烈な熱気が村主の顔に降り注がれる。少し前までエンジンを稼働させて試合をしていたのだから、熱を持っているのも当然だ。それでも、暑い夏の今それを受けるのは厳しい。

 軍手を嵌めていても、電子機器に触れていると指が熱くなってくる。

 しかし、パーツの不備を見逃してしまうとどんな大事故につながるかも分からない。そして恐ろしい。

 

(・・・・・・よし、ここは問題ないな・・・)

 

 だが、熱よりも手元のパーツに集中していれば、自然と気にならなくなる。

 ケーブルの掠り傷やナットの緩み1つ見逃してはならないので、集中力は常にフル稼働状態だ。額に汗が浮かんでも、タオルでさっと拭く程度に済ます。

 そうして作業を進めている間に、何度かブルドーザーが戦車を運んでくるような音が聞こえてきたが、それも気にせず整備を続ける。

 

「どんな感じ?」

 

 集中していて反応が遅れたが、自分に向けられたらしき声を戦車の外からかけられたので、村主は作業を一度止める。外を見ると、ナカジマが屈んで戦車の下を覗き込んでいた。

 

「Ⅳ号のエンジン回りは、そこまで問題はないな。ナットの緩みが少しあるぐらいだ」

「そっか。他に気になったところとかもない?」

「ああ。今のところは」

 

 匍匐前進で戦車の下を這い、ナカジマの下に来る村主。ガレージの外を見ると、既に陽は落ちていた。

 

「もう夜か・・・時間が経つのが早く感じるな」

「それも整備をしているとよくあるねぇ。集中してるうちに時間なんて全然気にしなくなっちゃうから」

 

 どうやら戦車の回収は終わったらしく、ツチヤも合流している。

 これからの動きは、ナカジマ、ツチヤ、村主の3人で戦車の修復と整備。スズキとホシノでポルシェティーガーの修理(主にモーター)と言った形だ。

 

「本当にいいの?徹夜するの」

「ああ。実際に整備士になったらそう言う機会もあるだろうし」

 

 ナカジマが不安そうに聞いてくるが、村主は笑って答える。徹夜するとは実習前には聞いていなかったが、それでも村主は自分から『やりたい』と言った

 

「もっと戦車の整備を経験しておきたいしな」

「上昇志向だねぇ」

「そりゃ、自分の夢だからな」

 

 さも当然と村主が告げると、ナカジマはふっと笑った。そのひたむきな姿勢は、ナカジマも嫌いじゃない。

 

「疲れたら無理しないで休んでいいからね」

「ああ、サンキューな」

 

 ナカジマはそう言うが、疲れているのは彼女たちの方だろうと村主は思う。実際に試合をした上に、休む間もなくすぐに戦車の整備までするのだから、断然疲労度は彼女たちが上だろう。

 そんな彼女たちが頑張っている手前、自分だけ休むのも少し違う。だから、多少しんどくてもやるべきだと、村主は意気込む。

 

「Ⅳ号が終わったら私に声かけて。傷の直し方も教えるから」

「分かった」

 

 ナカジマはそう言って、Ⅳ号の隣に停めてあるルノーによじ登って整備を始める。

 村主も、すぐにエンジンルーム下に戻って作業を再開する。と言っても、ほとんど整備は終わっていたので、あとは仕上げの目視と触手点検だけだ。締め直したものも含めて、ナットやケーブル、パーツなどを一つ一つ確かめる。

 全てに問題が無いことを確認すると、工具を回収してⅣ号の下から出て、ナカジマの下へと向かう。

 

「ナカジマ。Ⅳ号は終わったから、後で確認してほしい」

「了解。それじゃまずは、ルノーから始めようか」

 

 そして村主は、ナカジマの指導を受けながらルノーの整備と、傷の修復を始める。ツチヤはM3リーの整備をし、ホシノとスズキは引き続きポルシェティーガーのモーターを直す。

 そうして懸命に修復作業をしていると。

 

「こんばんは~」

 

 レオポンチームの誰でもない声がガレージに響く。村主とナカジマが声の出所を見ると、扉の前にあんこうチームの5人が立っていた。

 ナカジマが問いかける。

 

「どうしましたー?」

「レオポンチームの皆さん、整備でお疲れだと思ったので・・・」

「お弁当作ってきました!良かったらどうぞ~」

 

 隊長兼あんこうチームの車長・みほと、通信手・武部沙織の言葉に、その場にいたレオポンチーム+村主の食指が一斉に動く。

 時計を見ると時刻は既に20時を回っている。訓練が終わってから村主たちは何も食べていなかったので、切りのいいところでコンビニにでも夕飯を買いに行こうと思っていたのだ。

 集中のあまり空腹さえも感じなかったが、意識しだした途端にお腹が空いてきた。

 

「ありがとうございます~!それじゃ遠慮なく、いただきますね」

 

 戦車を降りたナカジマが弁当を受け取る。

 

「おーい、みんな~!休憩にしようか~!」

 

 ナカジマが他のメンバーに呼びかけると、ホシノが『りょうかーい!』と元気に返事をし、それぞれ作業を終えてナカジマの下へと集まる。村主も工具を箱に戻してから合流する。

 

「どうも、こんばんは」

『こんばんは~』

 

 村主の挨拶に、丁寧に返事をしてくれるあんこうチームの面々。

 あんこうチームは大洗を代表するチームだ。あの全国大会決勝戦で、黒森峰のフラッグ車と一騎打ちを繰り広げて戦いを制した、まさに勝利の立役者。

 そして、優れた隊長が搭乗し、乗員それぞれが戦車乗りとしてずば抜けて秀でているとされているチームだ。

 しかし蓋を開けてみれば、彼女たちもまた一介の女子高生にしか過ぎない。

 

「すみません・・・モーターを壊してしまって・・・」

「気にしないでください。試合なんですし、直すのは私たちの本分ですから」

 

 みほはあの模擬戦でモーターを撃ち抜いてしまったことを後悔しているのか、律儀にナカジマに謝る。ナカジマの言う通り試合だから仕方がないのだが、妙なところで優しいなと村主は思う。

 そのすぐそばでは沙織が弁当の準備をてきぱきと進め、装填手の秋山優花里はホシノたちが整備をしていたモーターを興味深そうに見学している。操縦主の冷泉麻子は、ツチヤと何かを話していた。

 

「大洗には慣れましたか?」

「え?ええ、まあ・・・」

 

 そして、ゆったりとした口調で話しかけてきたのは、砲手の五十鈴華。あんこうチームの中でも比較的背が高く、均整の取れた身体つきと長い黒髪から、大和撫子と表現できる人だ。

 

「整備の実習ということですが、なぜ大洗に?」

「えっと、自分の担任が大洗のOGで。そのツテで」

「そういうことでしたか」

 

 初対面の村主に対して、華は割と積極的に質問をしてくる。そういう性格だからか、それとも身近に男性がいて耐性があるのかもしれない。

 

「ほら、みんなご飯にしよ?」

「いやー、お腹空いたな~」

「疲れた疲れた・・・」

 

 沙織が声をかけると、皆がレジャーシートに座る。ひどい損傷を負ったモーターを修理していたせいか、ホシノとスズキのつなぎやタンクトップは煤でところどころ黒ずんでしまっている。小麦色の肌にも煤がついていた。

 

「ごめんね、わざわざ用意してくれて」

「ううん、気にしないで。レオポンチームのみんながいるから私たちは戦車に乗れるんだし、これぐらいはしないと」

「ありがとうね~」

 

 沙織がツチヤと話しながら弁当を広げていく。あんこうチームも一緒にここで食べるようで、量は割と多めだ。

 重箱にはおにぎりや、から揚げや卵焼き、ポテトサラダなどのおかずが詰められていて、色鮮やかだった。見ているだけで、否が応でも食欲を掻き立ててくる。

 

『いただきまーす』

 

 全員座ったところで手を合わせて、割り箸を手に取り食事にありつく。

 

「ん、美味しい!」

 

 卵焼きを食べたツチヤが顔を輝かせる。『ありがとうね♪』と表情を輝かせた沙織を見るに、やはり作ってきたのは彼女のようだ。村主も1つから揚げを食べてみるが、確かに美味しい。

 

「・・・美味しいです」

「ホント?よかった~」

 

 素直な感想を告げると、沙織は胸を撫で下ろす。もしや、『不味い』と言われることを恐れていたのだろうか。

 

「男の人から美味しいって言ってもらえたってことは、まず料理はクリアってことかな?」

「ど、どうかな・・・あはは・・・」

 

 すると、沙織とみほがひそひそと何かを話している。厳密には、みほが沙織の話を聞いて苦笑する感じだが。

 

「・・・・・・いつものことだ。気にするな」

「はあ・・・」

 

 困惑する村主の疑問を察したのか、隣に座る麻子がおかずをパクパク食べながら達観したように告げる。沙織たちが何を話しているのかも分からないので、村主も深く考えようとはしなかった。

 

「村主殿は外部から実習とお聞きしましたが、戦車がお好きなのですか?」

 

 訊ねてきたのは優花里。うきうきしている感じがするので、彼女は戦車が好きなのかもしれない。

 

「ええ、まあ。母の影響で」

「男の方で戦車が好き、というのも珍しいですね」

「よく言われます」

 

 優花里の言葉は実際、何度も言われたことだ。男のくせに女性のイメージが強い戦車道に興味を持つなど、変わっていると。

 

「でも、そのおかげで私たちは助かってるよ。整備にもちょっと余裕ができてるし」

 

 村主の左隣に座るナカジマが笑って告げる。『助かってる』と言われると、自分がしっかり力になれていると実感できるから素直に嬉しい。

 

「えっと、質問いいですか?」

「あ、はい」

 

 手を挙げてきたのは、沙織だった。

 

「村主さん的には、戦車に乗ってる女の子ってアリですか?」

 

 この時、沙織と村主を除いた全員が『またか』という表情を浮かべた。

 沙織が恋に恋する性格なのは今に始まったことではないし、それは戦車道チームの周知の事実。比較的遅く戦車に乗り始めたナカジマたちレオポンチームでさえそれを知っているのだから、その情報は『濃い』。

 

「アリ・・・とは?」

「・・・・・・要するに好きか嫌いかだろ」

 

 要約した麻子の言葉に、村主は『ああ』と言ってから。

 

「普通にアリですけど」

 

 戦車に乗る女性は敬遠されがち、という話を村主は聞いたことがある。だが、村主はそうは思わない。むしろ自分が戦車が好きだから、戦車に乗る女性だって好みの範疇に含まれる。

 

「・・・よし、よし」

 

 その答えを聞くと、なぜか沙織が意気込むように腕をぐっと構えた。反応の理由が分からずに、村主は小首を傾げる。

 

「気にしないで大丈夫ですよ。本当にいつものことですから」

 

 華がおにぎりを片手に笑いかけてくるが、本当に沙織の反応がいつものことだとしたら不安になってくる。

 ちなみに沙織が『よし』と言っていたのは、戦車乗りがモテないという可能性が少なくともゼロではなくなったことに安心したからだ。

 

「ええと・・・ところで、村主さんはどちらの学校から・・・?」

 

 微妙な空気を払拭するように、当たり障りのない質問をみほがする。

 

「東京の、技術専門学校から来ました」

「どんな学校なんですか?」

「大づかみに言うと、エンジニアを育成する学校です。IT関係のシステムエンジニアとか、車とか飛行機の整備士とか・・・」

「へー、何だかカッコいい!」

 

 優花里と沙織も興味が湧いてきたらしく、村主の方を向いてくる。みほもまだ気になるところがあったらしく、さらに聞いてくる。

 

「戦車のカリキュラムは、無かったんですか?」

「うちって、女子がほとんどいなくて戦車道の授業もないんです・・・だから、戦車の整備はどこかで実習を受けるしかなかったんですよ」

 

 だからこうして、村主は今大洗でナカジマたちと共に戦車の整備をしているのだ。こうして徹夜まですることになるとは、来る前は思ってもいなかったが。

 

「大洗はどうですか?」

「皆さん良くしてくれますし・・・のどかな感じがしますし、いい場所だと思います」

 

 華の質問にも、率直な感想を述べる。まだ大洗に来て数日しか経っていないが、宿の主人然りレオポンチーム然り、良いところだと思う。

 それを聞いて、皆は小さく笑ってくれた。自分たちの住む場所が良く言われて嬉しいのだ。

 

「皆さんは大洗に実家が?」

 

 大洗とは、陸とこの学園艦両方を指すのだが、その中で首を振ったのは華とみほだった。

 

「私は水戸の方に・・・」

「そうなんですか・・・西住さんは?」

「私は・・・熊本から」

「熊本?また遠くですね・・・」

 

 水戸とあれば、隣にある市だからまだ近い方だろう。みほもそうなのだろうかと思ったが、よもや県どころか本州からも離れた場所から来たとは予想外だ。

 

「どうして大洗まで・・・?」

 

 となれば、わざわざ熊本くんだりからここまで来る理由が気になる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 しかし、それを聞くとみほの表情が陰ってしまった。それだけで、村主は何か触れてはいけないことに触れたことに気付く。

 そして、隣に座っていたナカジマから軽く袖を引っ張られて、唇に人差し指を当てるジェスチャーを向けられる。『深入りするな』と言うことだ。

 

「・・・・・・すみませんでした」

「いえ・・・・・・・・・」

 

 村主はすぐに謝ったが、みほの表情は未だ硬い。

 

「あの、あの!村主さん!1つ質問してもいいですか?」

「あ、はい」

 

 再び沙織が質問してきたので、村主はそれに答える。沙織がみほの変化に気付いたからどうにかしようと思ってのことだったのは、村主にも分かった。

 

 

 1時間ほど雑談を交えながらの夕食会が続き、9時過ぎになるとあんこうチームは帰って行った。

 そして再び、レオポンチームのメンバーと共に村主は戦車の整備に戻る。

 

「・・・村主」

「ん?」

 

 ルノーに上ろうとしたところで、ナカジマが話しかけてきた。ナカジマが少し悲しそうな笑みを浮かべていたので、村主は普通の話じゃないと気付く。

 

「あまり、西住さんの実家のことには、触れないであげてね」

「?」

 

 切り出されたのは、食事会での一幕。あのことは、村主自身も気にしていた。

 

「西住さん、2年生から大洗に転校してきたんだけど、熊本の方でちょっと色々あったみたいでね。だから・・・ね」

「分かった」

 

 ナカジマの言わんとすることは、分かった。

 村主には、人のトラウマや嫌な思い出をほじくり返す趣味はない。人がされて嫌なことを進んでやるつもりもないので、ナカジマの忠告は素直に聞き入れる。

 

「・・・ありがとうね」

「お礼なんて」

 

 本当にお礼を言われるほどのことでもないので、村主は小さく笑って再び整備に取り掛かる。

 ガレージの中では、工具を使って戦車を整備する音しか聞こえてこない。ナカジマから傷の直し方を教えてもらう村主も、相槌を打ち、時にメモをとりながら作業を続ける。

 

「ワイヤーストリッパー」

「はい。ラジオペンチちょーだい」

「ん」

 

 未だポルシェティーガーのモーターは直らず、スズキとホシノがつきっきりだ。聞こえてくるのも、道具を渡すような最低限度の会話しかない。

 単独で整備をしているツチヤも、多くの器具を使って黙々と戦車の傷を直している。

 こうして無駄な音、会話が無いのも、それだけ作業に集中しているからだ。作業に集中しなければ、戦車が不調を来すかもしれないし、間違って自分がけがをしてしまうかもしれない。整備とは身の危険と隣り合わせのものなのだと、村主も学校で教わっているから、それは言われなくても分かる。

 その時、ガレージの外から何か音が聞こえてきた。

 

「・・・・・・雨だ」

 

 村主がちらっと外を見ると、ガレージの明かりに反射して雨粒が見えた。しかし勢いはそこまで強くはなく、サーっと降る感じの雨だ。

 

「いい音だねぇ。捗りそう」

 

 隣で作業をするナカジマは、うきうきするように笑って戦車と向き合っている。

 雨の音を聞くと気持ちが落ち着くし、頭もすっきりする。以前、ナカジマはそう言っていた。と言うことは、今はナカジマにとっては絶好のコンディションなのだろうか。

 

「・・・・・・ああ、確かにな。なんかこう、リラックスする」

 

 そして村主も、似たような気持ちだ。

 大洗に乗艦した日の雨とは違い、今日の雨は静かに降っているから気を散らすようなものではない。気持ちを落ち着かせるような、それこそリラックスできる音だ。

 

「それじゃ、張り切っていこうか」

「おう」

 

 ナカジマと同じで、雨の音を聞いてリラックスできたので作業にも集中できる。顔を見合わせて頷き合い、戦車の整備を続ける。

 村主たちの夜は、真剣に戦車の整備をしながら過ぎていった。

 

 

 

 時計の長針が何度か“12”の数字を跨いでから。

 

「よーし、整備完了!」

『お疲れ様~!』

 

 つなぎや頬が煤で汚れてしまったナカジマが、全ての戦車を見直してそう宣言すると、村主たちは疲れ切った声と顔で挨拶を返す。ちなみに、他の誰もがナカジマと同じようにつなぎも頬も煤だらけだった。

 ポルシェティーガーのモーターが直り、戦車の傷や凹みも全て修復が終わった。他の戦車も、傷や凹み、禿げた塗装が元通りになっていて新品同然だ。

 

「うあ~、疲れた・・・」

 

 その戦車たちを見ながら、村主は首を回したり、腕を伸ばしたりする。ほぼ一定の姿勢で作業をしていたせいで、変な感じに身体が凝ってしまっている。

 時計を見ると既に夜中の4時を過ぎていて、整備を始めてから実に10時間近くが経過していた。外ではまだ雨が降っているが、勢いは変わっていない。

 

「さて、それじゃ7時ごろまで仮眠しようか」

『はーい』

 

 工具を片付け終えてからナカジマが告げると、レオポンチームは部室棟の方へと向かおうとする。

 忘れてはならないが、夜が明けたらまた戦車道の訓練がある。それに演習場の整備もまだできていないので、作業が完全に終わったわけではない。だから、自分の住む寮に戻らずに学校に留まるのだ。

 そして仮眠となれば、村主にも問題が生じる。

 

「村主はどうする?私らは部室で休むけど・・・」

 

 スズキが聞いたことこそが、村主にとっての問題だ。

 前に自動車部の部室に入った際、部屋はそこまで広くはなかった記憶がある。だから5人も入ることはできないだろう。それ以前に年頃の男女が同じ部屋で寝るのも倫理的にどうかと思う。

 

「俺はガレージにいるよ」

 

 もちろん、それは村主も考えていた。今の時期なら、ここのような場所で仮眠をとっても風邪はひかないだろうし、問題はないはずだ。

 

「それじゃ、またあとでね。お休み~」

「ああ、おやすみー」

 

 村主がそう言ったことで納得したのか、ナカジマたちも頷いて手を振りながらガレージを去って行った。村主はそれを見送りながらガレージの明かりを消し、あくびを1つかく。

 

「疲れた・・・眠い・・・」

 

 そして、思い出したように疲労感と睡眠欲が襲い掛かってくる。妙に体が重く感じるし、体中が凝っているように錯覚する。

 村主はとりあえず、ポルシェティーガーに背中を預けて座り、天井を見上げて大きく息を吐く。

 

「はー・・・」

 

 自然と瞼が重くなってくる。やはり長時間整備を続けていたから体力を消費したのに加えて、集中力を駆使していたから頭も疲れている。

 今なお雨は降っていて、静かな音が聞こえてくる。その気持ちを落ち着かせるような音が、睡魔を誘ってくる。

 

「ふぁ・・・」

 

 また1つ、あくびを零して村主は目を閉じた。

 雨の音が耳に入ってくるが、それも少しして村主が眠りに就き、聞こえなくなった。

 

 

 

 肩に何かが当たるような感触。

 

「・・・・・・・・・ん」

 

 それで村主は、目を覚ました。まだ雨は止んでいないが、空は少しだけ明るくなっている。時計は6時半を指していて、どうやら2時間半ほど眠っていたようだ

 そして、肩に当たったのは何だろうと思ってそちらを見て。

 

「すぅ・・・・・・すぅ・・・・・・」

(・・・・・・・・・・・・え?)

 

 言葉を失った。

 なぜなら、そこには村主と同じくポルシェティーガーに背を預けて眠っているナカジマの姿があったからだ。それも、ナカジマは少し村主に寄り掛かるような形になっていて、肩が当たっている。それがさっきの感触だ。

 寝息を立てているあたり、ナカジマはまだ眠っているらしい。

 

(待て待て、おい、どういうことだ)

 

 そのナカジマを見て、村主は寝起きで鈍った頭を必死で回転させる。一体全体どうしてこんなことになったのかは、皆目分からない。自分が寝る前には確かにナカジマはいなかった。つまり、ナカジマの方から来たと言うことになる。

 だが、その理由は皆目分からない。なぜよりにもよって自分の隣で眠っているのか。

 

「・・・・・・・・・」

「すぅ・・・・・・すぅ・・・・・・」

 

 ナカジマの寝顔を見る。まだぐっすり眠っているようで、村主が起きたことにも気づいていない。

 よほど疲れているのだろうと、村主は思う。昨日は戦車の模擬戦もあったし、加えて数時間続けての整備をしていたのだから仕方がないが。

 

(・・・・・・と言うか)

 

 改めて、ナカジマを見る村主。寄り掛かっているので、ナカジマの顔も今はよく見える。

 

(ナカジマって・・・・・・)

 

 そして今、その顔を間近に見ていることで、村主は見落としていたことに気付いてしまった。

 

 

(結構・・・・・・可愛い・・・・・・?)

 

 

 そう気づいたところで、ナカジマが身を捩じらせて目を開けた。

 

「あ、村主・・・おはよう」

 

 起きたナカジマは、何でもないように村主に話しかける。

 村主は今自分が感じたことを胸に仕舞い、一番の疑問を投げかける。

 

「・・・何でここに?」

 

 ナカジマは部室で休むと言っていたはずだが、なぜここに、しかも村主の隣にいるのか。

 

「いやー。雨が降ってるし、せっかくだから雨の音がよく聞こえるここで寝ようと思って。雨の音って聞いてると落ち着けるからさ~」

「・・・そうか」

 

 雨の音が落ち着くから、というのは分かる。村主だってそのおかげですぐに寝付くことができた。

 

「・・・何で俺の隣に?」

 

 しかしやはり、それが気になる。雨の音ならガレージの中でどこでも聞こえるはずなのだが、どうしてよりにもよって村主の隣に座ったのか。

 

「嫌だった?」

「・・・そう言うわけじゃないが」

 

 ナカジマが隣で寝ている、と知ったのは起きた後だから、嫌だとかそう言うことはない。それと、図らずも女子と接近できたことに関しては結果オーライと言ってもいい。

 

「まあ・・・同じレオポンチームの仲間だし、距離を取ってって言うのも何だか変な感じがしたから」

「・・・・・・そうか」

 

 それを聞いて村主は、妙に『寂しかった』。

 ナカジマから『仲間』と言われたことは素直に嬉しい。あくまで実習生と言うわけではなく、対等な存在として見てくれていること自体は、嬉しく思う。

 だが、どうしてだか、胸の奥の奥がチクリと痛んだ気がした。

 それが何なのか、どうしてなのかは上手く言葉にできないが、ただ『寂しい』と言う気持ちはあった。

 

 ナカジマが村主の隣に座った理由は、『同じレオポンチームの仲間だから』と言うのもある。

 だが、それ以外の理由もナカジマにはあった。

 しかしその理由とは、『ただ近くにいたかった』と荒唐無稽に近いものだ。

 

(なんでそんなこと思っちゃったのかな・・・)

 

 そしてナカジマ自身、どうしてそう思ったのかは分かっていない。自覚できていない。

 しかし、自然と村主の傍にいた。それは村主のことを悪く思っていないからなのは明白だが、それだけで隣に座って寝ようと思うだろうか。

 どうしたんだろう、と頭を働かせていると、ホシノたちが姿を見せたので考えを止めた。

 これからは、演習場の整備が始まる。



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通り雨

 

「よーし、整備完了!」

『お疲れ~』

 

 村主の大洗での実習が始まってから5日が経ち、今日も今日とてレオポンチームは訓練の後の戦車を整備していた。

 村主はナカジマから指導を受けながら整備を進めて、大洗の戦車の整備の仕方は一通り学ぶことができた。次回以降は、単独での整備もすることになるだろう。

 

「ね、この後ファミレス行かない?」

 

 帰り支度を始めようとしたところで、そう提案したのはツチヤだ。元々糸目で笑っているように見える彼女だが、今はより一層嬉しそうに見える。

 それを聞いて、ホシノは腰に手を当てて思い出すように虚空を見る。

 

「あー、そう言えば今日金曜か」

「うん、いいね。お腹空いたし」

 

 スズキが親指を立てて、ホシノとナカジマも頷いた。

 

「やったー!じゃあ早速行こう!」

 

 1人状況について行けず取り残されているのは村主。なぜツチヤは、ファミレスに行くだけでここまでテンションが上がっているのだろうか。

 

「ツチヤってドリンクバーが好きなんだよ」

「そうなのか?」

「色んな味を楽しめるから好きだよ~」

 

 ナカジマが解説すると、ツチヤがにっこり笑う。色んな味が楽しめるという点は村主も同意だし、ドリンクバーも嫌いではないのでツチヤの気持ちは分かる。

 だが、ツチヤが『色んな味』と言った時、ナカジマとスズキ、ホシノの表情が渋くなったように見えたのは村主の気のせいだろうか。

 

「金曜日、って言うのは?」

「金曜日はドリンクのレパートリーが増えるんだよ」

 

 そう言えば、店によってはそう言うところもあったなと村主は思い出す。

 学園艦という限られた土地である以上、娯楽の種類も限られてくる。そうして退屈する学生のニーズに応えるために、そう言うサービスは積極的に取り入れているらしい。

 そこでナカジマが『そうだ』と何かを思いついたように表情を明るくした。

 

「村主も一緒に来ない?」

「いいね。歓迎会も兼ねてってことで」

 

 ナカジマの意見に、スズキも同意する。ホシノとツチヤも笑って頷いた。

 

「いいのか?」

「うん、もちろん」

「それなら、ご一緒させてもらおうかな」

 

 再確認するとナカジマは首を縦に振ったので、ご相伴にあずかることにした。

 すると、ツチヤが肩をポンと叩いてきた。

 

「じゃあ村主には、ツチヤお手製のスペシャルドリンクをご馳走してあげよう」

「え?」

 

 その申し出自体は嬉しいはずなのに、『スペシャルドリンク』という言葉に村主は嫌な予感がした。

 それがどんな代物なのかをナカジマたちに訊こうとしたが、3人は気まずそうに顔を逸らしてしまった。

 

 

 5人は帰り支度を手早く済ませて、チェーン系列のファミレスへと向かった。

 席に通されて注文を終えると、早速ツチヤがドリンクバーへと向かって行く。その後に、ホシノとスズキも飲み物を取りに行く。

 その『ツチヤ特製スペシャルドリンク』なるモノがどんなものかは秘密と言うことで、村主は席で待機していた。その隣にはナカジマが座っている。

 

「ナカジマは知ってるか?そのスペシャルドリンク」

 

 待ってる間にナカジマに訊いてみたが、なぜか神妙な面持ちで首を横に振る。

 

「飲んだことはあるけど・・・味は説明できないかな」

「?」

 

 要領を得ないナカジマの回答に、村主は首を傾げるしかない。

 

「でも安心しなよ、味の保証はできないけど、命は保障するから」

「おい」

 

 まったく安心できないどころか不安を煽るような言葉。どうやらツチヤの『スペシャルドリンク』の味は皆知っていて、しかもあまり美味しくないらしい。それが先ほどナカジマたちの表情が渋くなった理由か。

 

「お待たせ~!ツチヤ特製『スペシャルドリンク』だよ~」

 

 そしてホシノとスズキ、ツチヤが戻ってきた。ホシノとスズキの持っているドリンクは普通だが、ツチヤの手にある2つのドリンクの色は何かおかしい。

 ツチヤの持つドリンクの1つはツチヤ自身の下へ、もう1つは村主の下へと置かれる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 村主の口が真一文字に引き締められる。

 中に入っている液体の色は形容しがたいもので、村主の記憶している限りこんな色の飲み物はない。スムージーにも無いだろう。

 

「・・・これ、何だ?」

「私が研究に研究を重ねて生み出したドリンク」

 

 思わず額を押さえる村主。どうやらこれは、何種類ものドリンクを混ぜたものだ。

 村主もドリンクバーを使うことはあるが、飲み物を混ぜたことなどない。だから、ジュースを混ぜるとどんな味になるかも分からない。

 顔を上げると、ツチヤ以外は全員が気まずそうに視線を逸らしている。救援は望めなかった。

 当のツチヤが笑っているので『いらない』と言うのも憚られる。ここは飲まなければ、男が廃るだろう。

 

「・・・いただきます」

 

 意を決してコップを手に取る。ナカジマとスズキ、ホシノが死地に向かう戦士を見るかのような目になる。

 匂いを嗅いでみるが、別に異臭のようなものはしない。むしろ爽やかな匂いだ。

 しかし匂いのわりに味は・・・という可能性もあったので、心の中でお祈りを済ませてからストローで一口啜ってみる。

 

「・・・・・・これは」

 

 その異様な『スペシャルドリンク』を飲みこむと、村主の表情が変わる。

ナカジマたちは注目する。村主の口から出る感想がどんなものか、気になるところだ。

 

「・・・美味い」

『嘘ぉ!?』

 

 驚いたことに、見た目に反してこのドリンクは美味しかった。

 その感想が意外過ぎて、ナカジマたちは思わず声を上げるほどに驚く。

 

「いやー、よかったよかった。前作った時はナカジマたちには不評だったからね~」

 

 ツチヤが安心したように自分の分も飲み『うん、いい出来だ』と満足げに頷く。

 とはいえ、確かに美味しいが若干の違和感はある。普段村主が飲むジュースや炭酸飲料のような『シンプル』な味ではなく、『複雑な』味だ。ナカジマの言う通り、説明はできない味だった。

 飲み切ると、ツチヤがニコニコとしながら問いかけてくる。

 

「お代わりいる?」

「いや・・・いいかな」

 

 流石に2杯目はキツイ。ツチヤの厚意だけ貰うことにする。

 

「しかし、まさかごちゃ混ぜにしたやつがああも美味くなるとはな」

「ごちゃ混ぜじゃないよ。ブレンドって言ってほしいな」

「物は言いようだね・・・」

 

 スズキが苦笑するが、村主はまだツチヤのコップに残ってる表現しようのない色のジュースを見る。

 

「ツチヤって、いつもそんな感じで混ぜてるのか」

「いつもってわけじゃないけどね。でも、いつも新しいタイプのドリンクを研究・開発してるよ」

「その試作品を私らに飲ませるのはやめてほしいんだけど・・・」

 

 得意げにツチヤが言うが、ホシノがくぎを刺す。先ほどの渋い表情は、味を知っているだけではなくて、失敗作を飲んできたからでもあるらしい。

 

「村主は混ぜたりしないの?」

「そんな冒険したくないな」

「えー?面白いよ~?」

 

 村主とツチヤが話す傍らで、ホシノとスズキがドリンク片手にたまに相槌を打つ。

 村主の隣のナカジマも頷いているが、その顔はどこか浮かない感じがした。

 村主とツチヤの話自体は聞いているだけで面白い。時々ナカジマも言葉を挟むが、その2人が話をしているのを見ると、どうにも自分が置いてけぼりになっている感じがする。

 どうしてか、席は隣同士のはずなのに、村主との距離が離れているように感じた。

 

「あ、そうだ村主。飲み物取ってくるよ」

「え?いや、悪いよ。自分で取ってくる」

「いいからいいから」

 

 そう言ってナカジマは、村主を押しとどめる形でドリンクバーへと向かう。まるで、自分の中のこんがらがる気持ちから逃れるように。

 

「・・・どうしたんだ?」

 

 村主も、ナカジマが少しばかり強めに抑えていたのを見て疑問を抱く。ホシノたちも気になったが、あまり深くは考えないでいることにした。

 

「そうだ、明日はどうする?」

 

 スズキがホシノとツチヤに話しかける。

 明日からの土日は訓練が無い日だったが、休日と言うことで出掛ける予定でも立てるのだろうか。

 

「やるか、レストア」

「そうだねぇ、もうちょっとで終わるし」

 

 だが、レストアと聞いて村主もそうじゃないと分かった。

 

「レストアって、修理するあれ?」

「それ以外の何があるのさ」

 

 確認するように聞くと、ホシノが呆れたように笑った。

 やはり彼女たちの言うレストアとは、劣化した車やオートバイなどの電気系のものを修理して復活させるものだった。村主も学校でレストアのことは習っている。

 

「前からずっとちょことちょこ直してた車が、やっと完成しそうなんだ」

「だから明日、仕上げちゃおうかって話」

 

 ホシノが言うには、今年度になってから戦車道が始まり戦車の整備も兼任することになったため、自動車部としての活動に時間があまりとれなくなったらしい。それでもレストアは、少しずつ積み重ねるようにやってきたのだと言う。

 

「何の話?」

 

 そこへナカジマがオレンジジュースの入ったコップを持って戻ってきた。それを村主の下へ置き、村主は『ありがとう』とお礼を言う。

 

「明日レストアしようかって」

「あー、いいね。やれるうちにやっときたいし、もうすぐ終わるしね」

 

 スズキから話を聞いて、ナカジマも頷いた。

 となると、村主はどうするかだ。自動車部の活動となれば、戦車道とは関係ないので参加する義務はない。明日と明後日が休みになり、時間に余裕ができる。

 

「・・・・・・あの」

「?」

「見学していいか?」

 

 だが、村主は自分から参加を申し出た。それは単に、自動車のレストアをしている様子を実際に見たことがなく、どんなものかが気になったからだ。

 

「いいよいいよ、ぜひ見に来て」

「もしよかったら手伝ってくれると嬉しいな」

「ああ、手伝うのはいいぞ」

 

 ホシノたちも歓迎ムードだったので、斯くして明日のレストアには村主も参加することが決まった。ただ見学させてもらうだけなのも気まずいので、手伝うのに関しては構わない。

 その傍らでナカジマは、レストアに参加が決まり嬉しそうな村主を見て、頬が緩む。

 さっきは妙な寂寥感を抱いたというのに、今の笑っている村主を見ていると、どうしてかナカジマの気持ちは温かくなってくる。

 だが、こうしたことが初めてだから、どんなメカニズムでこうなるのかナカジマ自身には分からない。

 その答えのない気持ちに思考が浸かりかけたところで、店員が注文の品を持ってきて、和やかな夕食会が始まった。

 

 

 翌日、村主は活動を始める時間に間に合うように学校へと向かっていた。

 校門で見張っていたそど子たちと軽く挨拶をして校内へ入ると、グラウンドを1輌の戦車が走っていた。

 

(八九式・・・アヒルチームか)

 

 多くのビスと、後ろに付けられた橇が特徴的な八九式中戦車は、大洗でも性能が低い方、というか正直一番弱い。しかし、これまでの大洗の試合では偵察やフラッグ車を務めてきたれっきとした戦力だ。

 そんな八九式が、村主の傍まで寄ってきてやがて停車した。

 

「おはよーございます!」

 

 キューポラから身を乗り出して元気のいい挨拶をするのは、アヒルさんチームのリーダー・磯辺典子。練習の時はいつも体操服で乗り込む、黒髪ショートヘアの活発な2年生だ。

 

「おはようございます。早いですね・・・」

「これからバレーの練習なんです」

 

 同じくキューポラから姿を見せたのは、長いブロンドヘアーと白いカチューシャが目立つ佐々木あけび。

 アヒルさんチームのメンバーは典子以外全員1年生らしいが、あけびのグラマーなスタイルと金髪は1年生どころか日本人にすら見えない。

 

「村主さんはどうしたんですか?」

「自動車部のレストアに参加させてもらうことになりまして」

「レス、トア・・・?」

 

 しかし、村主の言葉に典子とあけびはいまいちピンと来ていない様子。レストアという用語は、確かに整備関係をかじっていないと聞き慣れない言葉かもしれない。

 

「ええと、要するに古い車とかを修理して復活させるんです」

「あ、なるほど・・・」

 

 そこでようやく、あけびが頷いた。

 今度は、前側のハッチが開いて中から2人の女子が姿を見せる。ハチマキを巻く赤みがかった茶髪の子は近藤妙子、セミロングの茶髪を後ろで縛っているのは河西忍だ。そして顔を見せた妙子が訊ねてくる。

 

「整備の実習に来たんですよね?自動車部の活動にも参加するんですか?」

「まあ、興味があったので」

 

 典子以外の3人は全員がユニフォームを着用している。そのユニフォームの種類からして、彼女たちはバレーボールの選手なのが分かる。

 

「アヒルチームの皆さんは、バレーの練習ですか?」

「はい、そうです!」

「バレー部も大変ですね・・・休日も練習とは・・・」

 

 典子は質問にはきはきと答えたので、戦車の訓練で差し引いても元気が有り余っているらしい。

 しかし、村主の言葉に典子たちの表情に陰りが差した。

 

「えっと、どうかしましたか・・・?」

「いえ、その・・・・・・」

 

 あけびが視線を逸らす。とにかく何かしらの地雷を踏んでしまったことは明白なので、村主が謝ろうとする。だがその前に、忍が口を開いた。

 

「バレー部は、私たちが入学する前に廃部になっちゃったんです・・・」

「え・・・・・・」

 

 忍が告げた事実に、村主は二の句が継げなくなる。

 バレーはポピュラーなスポーツに含まれるだろうし、嫌われているスポーツというわけでもないはずだ。それなのに廃部になってしまうとは。

 それと、人気の有無にかかわらず、廃部と言うのは部員にとって酷な話だ。典子はバレーが好きでバレー部に入ったのだろうし、あけびたちも同様に好きだからバレー部に入ろうとしていたはずだ。ユニフォームを着ているのが何よりの証だろう。

 その場所が無くなってしまったのは、彼女たちにとってはとても辛いことだというのは村主でも分かる。

 

「でも、戦車道で活躍すれば部員が増えて、バレー部が復活するかもしれないんです!」

 

 ひと際声を張り上げて典子が告げると、村主の下がりかけていた視線が再び上がる。

 

「それで、もしバレー部が復活した時に私たちが鈍っていたら示しがつかないので、自主的に練習してます!」

 

 典子の横にいるあけびも負けじと声を上げる。

 

「だから練習、行ってきます!」

 

 妙子がさらに続けて、忍も頷く。

 現状にへこたれている様子もない彼女たちの自信に満ちた表情を見て、村主は心が熱くなってくる。目標に向けてひたむきに努力を欠かさないのは村主も嫌いではないし、むしろ好きだ。

 

「・・・頑張ってくださいね」

『はい!』

 

 そして八九式は、学校の裏手にある山へと向かう。グラウンドや体育館ではなく、この先にある開けた場所で練習をするらしい。

 八九式と、手を振る典子を見送りながら村主はまたガレージへと向かう。

 既にレストア中と思しき白い自動車がガレージの裏手に停められていて、エンジンルームをナカジマとホシノが整備している。自動車の下に入ってモーター周りの整備をしている2人は、スズキとツチヤだろう。

 

「おはよー」

『おはよー』

 

 村主が声をかけると、ナカジマとホシノが顔だけを向けて挨拶を返す。ツチヤとスズキは声だけだった。

 

「悪い、少し遅れた」

「大丈夫だよ」

 

 荷物を置いて準備を始めながら謝るが、ナカジマは首を横に振る。

 軍手を嵌めて村主はエンジンルームに近づく。

 

「どんな感じなんだ?」

「エンジンルームはもうほとんど終わりに近いね。後は最後の点検と、ダスターで吹くぐらいかな」

 

 村主はナカジマの話を聞きながらエンジンルームを見る。

 戦車のものとはまた違うが、車のエンジンルームは村主も見たことがある。通っていた高校の教科書に図面があったし、実習でもこれと似たような感じの車(実習用)を整備した。

 そして村主も、タイヤの空気圧を確認したり、ナカジマたちのアシストをする。レストアも順調に進んでいた。

 

「ナカジマたちって、車のエンジンルームの構造とかはどうやって勉強するんだ?」

「ほとんど・・・独学だね。大洗には機械関連の科が無いし、授業も無いから」

 

 となれば、彼女たちは本当に自分たちの力だけで、自動車と戦車の整備をする術を身に付けたことになる。

 

「・・・ホント、ここに来てからナカジマたちには驚くことばっかりだ」

「え?どうしたの、急に」

 

 感慨深そうに呟くと、ナカジマが作業を止めて額に浮かんだ汗をタオルで拭う。しかしその目は、村主を見据えていた。

 

「だって、自分たちの力だけで戦車とクルマに関しちゃプロ顔負けのレベルにまでのし上がるんだから。驚くななんて方が無理な話だ」

「褒めても何も出ないぞー?」

 

 ホシノが軽く笑いながら言うが、村主にとってはお世辞でも何でもない。紛れもない本心だ。

 

「やっぱ、そう言うクルマ系が好きだからここまで来れたんだよな・・・?」

「まあ、そうだね」

 

 レストア中の車を見て、ナカジマも小さく頷く。

 彼女たちを突き動かしているのは、『クルマが好き』という真っ直ぐな気持ちだ。それだけでここまで成長できたのは、本当にすごいと思う。

 

「よーし、モーターは良い感じだよー!」

 

 車の下に潜っていたスズキが声を上げたので、村主とナカジマも話を一度止める。エンジンルームはホシノが仕上げたようで、ナカジマが足元に置いてあったダスターの缶を手に取り中を一通り吹く。

 

「悪い、邪魔して」

「いやいや、気にしなくて平気だよ」

 

 途中で話しかけてしまったことを謝るが、ナカジマは言った通り気にしていない。

 

「こっちも終わった」

「それじゃ、早速テストドライブだね」

「その前にエンジンかかるかどうかを確かめないと」

 

 ツチヤの言う通り、まずはエンジンがちゃんと動かなければクルマとして話にならない。

 そう言うことで、ツチヤが運転席に座りエンジンを始動する。『ドルルン』とやや重めのエンジン音が聞こえてくると、『いい音だね~』とナカジマが笑う。

 調子を確かめるためにアクセルを踏んでいるようで、エンジン音が上がったり下がったり、波のように唸る。

 

「うん、エンジンとモーターは問題ないみたいだよ~」

「それじゃあ早速、テストドライブに行こうか!」

 

 ツチヤがエンジンを切って、車を降りる。ホシノが嬉しそうに提案すると、ナカジマとスズキも同意するように頷く。

 

「じゃあ誰が運転するかだけど・・・」

 

 そう言いながらナカジマが、我こそはと手を挙げる。だが、他の3人も『運転したい』とばかりに小さく手を挙げている。

 

「・・・別にいいんじゃないか?誰が運転したって・・・」

「違うな」

 

 村主が苦笑いを浮かべながら言うが、ホシノはそれをぴしゃりと否定する。

 

「『一番最初に』こいつを運転する、それが重要なんだ」

 

 この車に乗れるのは今日限り、というわけではない。だが、レストアしたばかりのこの車に乗れるのは1度だけだ。そこを彼女たちは重要視している。

 自分たちが手間暇かけてレストアした車の性能がどれほどのものなのか、それを早く確かめたくてしょうがない。

 彼女たちは、うずうずしているのだ。まるでプレゼント箱を開ける前の子供のように。

 

「じゃあ、公平にじゃんけんでも―――」

『ジャンケンポン!』

「よっし!」

『あー・・・』

 

 間をとって村主が言いかけたところで、4人は速攻でじゃんけんを済ませて勝利に喜ぶ声をホシノが上げる。他の3人は残念そうに溜息を吐いた。

 早速ホシノが運転席に乗り込み、助手席にツチヤ、後部座席にスズキとナカジマが乗り込む。

 

「村主も来なよ。楽しいよ?」

 

 ナカジマが乗ろうとしたところで手招きをする。確かに村主も、レストアしたての車に乗ったことは無いのでどんな感じなのかは気になった。

 

「それじゃ、失礼しますよっと・・・」

 

 そして、村主はナカジマの隣に座る。

 3人座ったことで後部座席は狭くなるかと思ったが、ナカジマとスズキが細かったのでそこまで窮屈には感じない。

 しかしながら、村主はすぐそばにナカジマが座っていて、しかも体が結構密着しているので妙にもどかしい。

 そう思うのはナカジマも同じだが、それに加えてナカジマは妙に心臓がどきどきしている。

 昨日までの整備で村主とはこうして近くにいることだってあったはずなのに、どうして今は緊張してしまうのだろうか、分からない。

 

「よし、それじゃ出発!」

 

 ゆっくりとホシノは発進させ、通用門から外へと出る。空を見ると少し雲が広がっていた。

 

「んー、イイ感じだね。悪くない」

「変な音も聞こえないし、揺れも感じないね」

 

 運転するホシノと助手席のツチヤが異変などをチェックしている。勿論ホシノは運転最優先だし、後ろに座るスズキたちも何か変わったところが無いかを確認する。と言っても、村主にとっては新車同然の乗り心地なので、むしろどこに欠点があるのかが分からない。

 

「ちょっとスピード出してみようか」

「じゃあ外周道路だね」

 

 そう言ってホシノはハンドルを切る。

 学園艦の外周を通る道路は、住宅地と比べると制限速度が高い。自動車部もこの車は元々高スピードを出すことを前提にレストアしたのだから、外周道路の方がより実践的だ。

 

「黒森峰の外周道路って速度無制限らしいね」

「アウトバーンだっけ?羨ましいなぁ」

 

 スズキとナカジマが気楽に話しているが、速度制限なしなど村主からすれば恐ろしい。作業も運転も安全第一と教わっていたので、むやみやたらにスピードを上げるのも憚られる。

 

「ん、雨か・・・?」

「あー、ホントだね・・・まあ、通り雨だと思うよ。雲はそんなに広くないし」

 

 そこで、車の窓にぽつぽつと水滴が落ちてきた。空を見上げると、いつの間にか雲が広がっている。

 雨の勢いは少しずつ増していくが、この前の徹夜の時よりも勢いは弱い。ツチヤの言う通り、ただの通り雨だろう。

 

「雨なら私が運転したかったなー・・・」

「あとで運転すればいいじゃない」

 

 ナカジマが少し不貞腐れたように言って、スズキが窘める。雨が好きなナカジマのことだから、雨の中を運転するのも好きなのだろう。

 そうこうしているうちに、車は外周道路に出てくる。そしてホシノはシフトチェンジを素早くこなしてスピードを徐々に上げていく。

 

「・・・・・・っ」

 

 シフトチェンジのたびに、車は一瞬速度が落ちて車内も揺れる。そして加速するのを繰り返すので、そのたびに村主は心臓が跳ね上がるような感覚に陥る。

 マニュアル車がそう言う特質なのは分かっているが、今はスピードが結構速いせいで言い知れぬ恐怖に襲われる。

 

「どうした村主、怖いの?」

「いや、怖いっていうか・・・」

 

 ルームミラーで村主の様子に気付いたのか、ホシノが話しかけてくる。確かに怖いと言えば怖いのだが、同時に緊張もしていた。

 

「ホシノの異名、知ってる?」

「?」

「『大洗一速い女』だよ」

 

 ツチヤが軽く笑いながら告げた事実に、村主の額から冷や汗が流れる。

 それを合図と受け取ったのか、車はトップスピードに達する。窓の外の景色が普通とは比べ物にならない速さで後ろに流れていく。

 

(ひいいいい・・・)

 

 口には出さず、村主は心の中で悲鳴を上げる。村主が体験したことのないスピードで走っているので、緊張してしまい、それを紛らわせるために自然と拳も握られている。

 そして、目の前にカーブが見えてきた。

 しかし、ホシノは一向にスピードを緩めようとはしない。おまけに今は小ぶりとはいえ雨が降っており、路面は濡れている。

 

「ちょっと、スピード落として―――」

 

 恐怖心から来る村主の呼びかけも虚しく、ホシノはスピードを落とさずカーブに差し掛かる。そしてブレーキとアクセルを巧みに操り、後輪をスライドさせてドリフトを決める。

 

『イェーイ!!』

 

 横にGがかかると車内でナカジマたちが楽しそうに声を上げるが、対照的に村主の顔は完全に青ざめてしまっていた。自動車のドリフトなんてゲームでしかやったことがないし、自分の身体で体験したのは生まれて初めてだった。

 そんなわけで、自動車部のメンバーのようにはしゃぐことなどできず、Gがかかっているためにかなり接触しているナカジマの身体も一切気にならず、ただただ恐怖と戦うことしかできない。

 時間にして数秒程度だったが、えらくゆっくりに感じた村主はカーブを抜けたところでようやく人心地が付いた。

 

「いやー、最高!」

 

 ハンドルを握るホシノが嬉々とした表情で告げる。華麗なドリフトを決められて楽しそうで何よりだが、村主からすれば寿命が縮むようなことだったので気軽にはしないでほしい。

 

「じゃあ次は私の番だねー」

「え」

 

 だが、助手席に座るツチヤが軽く手を挙げているのを見て、村主は思わず口から声が洩れる。

 

「いやー、あそこまで綺麗なドリフト見せられたら私も黙ってられないしね」

 

 どうやら学校に戻ったら、運転をツチヤに代わるらしい。

 また先ほどのようなドリフトを経験するのはキツイと思ったが、1回経験したので次は多少マシだろうと村主は思った。

 なので、ツチヤのテストドライブにも同乗させてもらうことにした。

 

 しかしこの時、村主はツチヤが自動車部きってのドリフト好きだと言うことを知らず、ホシノの時以上の恐怖を味わうことになると言うこともまた知らない。

 

 

 

「死ぬかと思った・・・」

「あはは、大丈夫?」

 

 帰り道で、村主がぐったりしたように歩く横で、ナカジマが心配してくれる。

 結局あの後、ツチヤだけでなくナカジマとスズキもテストドライブを行い、村主はそれに付き合った結果ここまでやつれてしまった。

 

「まさか、ドリフトがあそこまでキツイもんだとは思わなかった・・・」

「私も慣れない最初の内は辛かったな~」

 

 そう言うナカジマも、さっきは華麗なドリフトを見せていた。今でこそ穏やかな雰囲気を見せる彼女だが、運転するときはむしろ激しいように村主には見えた。

 

「雨が降ってればなお良かったんだけどね~・・・」

「まあ、仕方ないな」

 

 ナカジマが運転する頃には雨が止んでしまっていたので、ナカジマは不満げだ。今も既に、空には晴れ間が見える。

 そこで村主は、もしも雨が降っていてナカジマのコンディションが良かったら、さらに恐怖を味わっていたのかもしれないと思うと、寒気が走りぶるっと体が震える。

 

「・・・ホントに大丈夫?顔青いけど・・・」

「いや、大丈夫だ・・・」

 

 心配そうにナカジマが覗き込んでくる。

 そこで村主とナカジマの顔の距離が少しだけ近くなってしまい、村主は思わず視線を逸らす。ナカジマの顔を間近に見ることが恥ずかしくてできないからだ。

 だが、顔を逸らす直前で村主には1つの気持ちを抱いた。

 『ナカジマが可愛い』という気持ちを。

 

(・・・・・・いかん)

 

 前の徹夜整備で仮眠から目覚めた時、村主は隣で眠っていたナカジマを見て『可愛い』と感じた。戦車の整備をしている時は何とも思っていなかったが、素直な寝顔を見てそう思ってしまい、どうにもナカジマのことを見つめることが(整備をしている時を除いて)できなくなっている。

 その時感じた『恥ずかしい』と『可愛い』という相反するような気持ちが、今も村主の中に根付いている。

 しかしそう思うのは、村主が通っていたのがほぼ男子校で、ここまで女子が近い位置にいることがないせいで耐性が無いのだろう。そう村主は自分で結論付けている。

 それと、手を出そうものなら強制送還も辞さないと風紀委員から言われているし、頭の中には担任の『粗相すんな』という言葉が響いている。手を出そうなどとは到底思えない。

 

「そういや・・・アヒルチームっていつも戦車を使ってバレーの練習してるのか?」

 

 変な方向に考えが働き始めたので、話を逸らす。

 それは帰り際に、典子たちアヒルチームが八九式と共にバレーの練習を終えて戻ってきたことを思い出してのことだ。

 彼女たちはバレーの練習だと言っていたが、よく考えてみたら八九式まで持ち出す理由が分からない。

 

「うん、大分八九式に愛着があるみたいだしね。前に私たちが、全国大会で優勝した後の祝勝会の余興で、八九式をポルシェティーガーに改造しようとしたら思いっきりバッシングされちゃったぐらい」

「・・・・・・・・・」

「・・・余興だよ?手品だからね?」

 

 村主が本気で信じそうな目だったので、ナカジマが慌てて訂正する。村主は今日まででもう十分ナカジマたちレオポンチームの技術力を目の当たりにしてきたので、戦車の改造、というか作り直しまでできそうだと思い込んでいた。

 

「・・・アヒルチームは、バレー部を復活させるために戦車道を始めたって言ってた」

「聞いたんだ」

「ああ、朝会った時にな」

 

 バレー部と話したことをナカジマにざっくりと話すと、ナカジマも思うところがあるようで頷く。彼女たちも元々は、自動車部という部活動のグループだった。

 

「すごいよねぇ。バレーが好きって気持ちであそこまで結束するなんてさ」

 

 夕暮れの空を見上げながら、ナカジマはしみじみと呟く。

 

「知ってるかもしれないけど、八九式ってそこまでスペックは良くないんだ」

「ああ・・・そう聞いてる」

「けど、アヒルチームの皆はスペック以上の力を発揮してるよ。全国大会のプラウダ戦でも、決勝戦でも、整備した私たちでも想像がつかないぐらいに頑張ってる」

 

 プラウダ高校との準決勝では、プラウダの戦車隊から単機で逃げ続けて大洗の勝利までの時間を稼いだ。そして黒森峰との決勝戦では、マウスの車体上部に載って砲塔の動きを止めて、ヘッツァーと共にマウス攻略の鍵となった。

 

「好きって気持ちだけで協力して、八九式を使いこなして、あそこまで戦ってるんだ。私からすれば、すごいと思う」

 

 そう告げるナカジマの顔が、羨望や劣等感を含んでいるかのような笑みに村主は見えた。

 それを見て村主は、心が妙に締め付けられる。さっき間近にナカジマを見た時とは違って、恥ずかしさではなく、どうにかしたいという気持ちが芽生えた。

 

「・・・素人の意見で悪いけど」

「え?」

「俺はナカジマも、すごいと思ってる」

 

 心底驚いたようにナカジマが表情を変えるが、今更『やっぱり今の無し』はできない。だからその理由を告げる。

 

「ポルシェティーガーだって、八九式とはまた違うベクトルだけど、あれもやっぱり扱いづらい戦車だ。けど、ナカジマたちはそれを使いこなして戦ってるじゃないか」

「・・・・・・・・・」

 

 黙ってナカジマは、村主の言葉に耳を傾けている。

 

「自動車部の活動だってそうだ。『クルマが好き』って気持ちで独学で色々勉強して、自分たちの力だけで車1台レストアすることだってできたんだから。それも半端な気持ちじゃできないことだ」

 

 『独学で』とナカジマが言った時、村主は本当にすごいと思った。その気持ちは、言わなければだめだと思う。

 

「だからもっと、ナカジマも誇っていいと思う」

 

 村主が笑って告げると、ナカジマは少しだけハッとしたように表情が変わる。

 しかし、すぐに笑みへと表情を戻す。

 

「いやぁ、嬉しいね。そう言ってくれると」

「・・・まあ、あくまで外の人間の言葉ってことで」

 

 ナカジマが持ち直したことは村主にとっても嬉しいが、やはり多くを言いすぎてしまって妙に怖くなり謙遜してしまう。

 

「・・・じゃあ、俺こっちだから」

「うん、それじゃまた月曜にね」

 

 明日は日曜日で、戦車の訓練も、自動車部の活動もない完全なオフだ。だから、2人が会うのも来週の月曜日になる。

 そうして村主はナカジマと別れたが、まだ胸の中に引っ掛かりがある。

 間近にナカジマの顔を見た時は無性に恥ずかしくなってしまい、彼女が憂うような表情を浮かべた時は自然とどうにかしたいと思うようになった。

 

 それは果たして、男女の間で誰でも起きうるようなことなのかと、自問する。

 

 村主はナカジマに対して、同じ戦車の整備を行い、雨が好きと言うことで趣味も合い、友情的な気持ちを抱いてはいる。

 しかし、本当にそれは友情という気持ち『だけ』なのだろうか。

 

「分からんな・・・」

 

 首を横に振って一歩踏み出すと、水たまりを踏んでしまい水飛沫が立った。

 

 

 村主と別れてから、ナカジマは寮までの道をゆっくりと歩く。

 先ほどまでの通り雨の影響でアスファルトは湿っていて、雨上がり特有の匂いが漂う。

 普段ならその違う景色を楽しんでいるところだったが、ナカジマの心にはこの前の徹夜整備の時のこと、具体的にはあんこうチームの沙織と村主の会話が浮かんでいた。

 

 ―――村主さん的には、戦車に乗ってる女の子ってアリですか?

 ―――普通にアリですけど。

 

 なぜ今、その話を思い出してしまうのだろう。

 

「・・・・・・」

 

 自分の左腕を、そっと右手で触る。

 先ほどまでのテストドライブで、村主はナカジマの隣に座っていた。その時も心臓の鼓動が速くなったし、(運転する時を除き)移動している間も少なからず意識はしていた。

 なぜこうも、村主を意識するようになってきたのか。

 それは分からない。

 

「どうしたんだろうなぁ、ホント・・・」

 

 夕焼けに染まる空を見上げながら独り言つが、当然答えは返ってこない。

 そうして空を見上げながら歩いていると、水たまりを1つ踏んでしまった。



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夏時雨

 窓の外からはしとしとと降る雨の音が響き、天候もあって部屋は7月でも涼しいくらいだ。

 雨は朝から降っていて、今なお止む気配を見せない。今朝方に大洗女子学園船舶科が発表した天気予報でも、今日は1日中雨とのことだ。

 そんな雨の日、村主は宿の自室で机に向かい、黙々と宿題に励んでいた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 学生ほぼ全員の悩みの種とも言える宿題。特に夏休みになると、生徒たちを縛り付ける『宿題』という鎖は一層厄介に感じられる。

 村主の大洗女子学園での実習が始まったのは、夏休み初日。しかし、実習が始まってから今日に至るまで、村主は宿題をほとんど進めていなかった。

 何しろほぼ1日中戦車の整備をし、夜に宿に戻ったら疲れのあまり宿題をする気も起きず眠っていたのだから。仕方がないといえば仕方がない。

 だが今日は完全な休日なので、少しでも宿題を進めておきたかった。

 

(実習で量は減ってるけど、これはなかなか・・・)

 

 村主の学校では、3年生になると夏休みの外部実習に任意で参加することができるようになる。そして、実習に行く生徒に限り宿題の量が普通よりも減らされているのだ。

 しかし全て免除されるのではないので、限られた時間でどうにかしようと皆必死になる。

 そんな学校側の計らいで減らされている上、さらに愚痴を垂れるのはわがままじゃないかと、村主は思っていた。だから文句は言わずにその暇で宿題を進める。

 

「ちょっと休むか・・・」

 

 キリがいいところで、村主は一度シャープペンを手放し腕を伸ばす。壁に掛けられた時計は11時過ぎを指しており、大分時間が経っていることに今頃気付いた。

 頬杖を突いて窓の外を見ると、やはり雨はまだ降っている。

 

 ―――こうした雨の日に出掛けるのも好きなんですよね~。

 

 最初にナカジマと会った日に交わした言葉が頭をよぎる。

 村主は、今日のような雨の日はあまり外を出歩こうとは思わない。大体は部屋で雨の音をBGMにゲームをしたり、読書に勤しみ、厄介な宿題を片付ける。案外そうやって静かに過ごすのが好きだった。

 だが、ナカジマのその言葉を聞いてから、そういう過ごし方も気になってきてはいる。

 

「・・・行くか」

 

 雨中の散歩がどんな感じなのかが気になる。それに、この学園艦の街並みも少し見ておきたい。

 そう思って村主は最低限の荷物と折り畳み傘を持って部屋を出る。

 

「おや、出かけるのかい?」

 

 玄関から外へ出ようとしたところで、後ろから声をかけられた。その声の主は、この宿の主人だ。

 

「ええ。昼食がてら、散歩にでも」

「傘はあるのかい?」

「折り畳みのヤツが」

 

 カバンの中からお気に入りの折り畳み傘を取り出して見せると、

 

「それじゃこの雨だと不安だなぁ。そこの傘立ての、使いんさい」

 

 苦笑いを浮かべながら主人が指差す傘立てには、確かに普通の傘が何本か入っている。

 

「あ、どうも・・・使わせていただきます」

 

 正直折り畳みだと、今日みたいなまとまっている雨は防御しきれずに不安なところがあった。なので、せっかくの厚意に甘んじることにした。

 

「転ばんように気をつけてな」

「はい」

 

 主人に見送られながら、村主は玄関から外に出て青い傘を差す。

 主人の気遣いと厚意には感謝しかない。早朝から整備をする村主のためにおにぎりを用意してくれたのもそうだが、本当に優しい。

 その優しさを噛みしめながら、村主は雨降る学園艦の町へと繰り出した。

 

 

 雨の勢いはそこまで激しくなく、音も静かだ。夏の熱気も雨のおかげで和らいでおり、実に過ごしやすい温度である。雨の日がいつもこうだというわけではないだろうが、快適な感じだ。

 

「~♪」

 

 雨の音を聴きながら学園艦の街を歩きつつ、村主は鼻歌を歌う。

 村主自身は雨男という体質を自覚しており、その体質があまり好きではないが、雨という天気自体は好きだ。だからこそ、その雨の音をBGMに部屋で趣味や課題に傾倒するのが村主なりの休日の過ごし方だったが、こうして出歩くのも意外と悪くなかった。

 

(ナカジマに感謝しないとな)

 

 こうして新しい発見ができたのも、ナカジマの言葉のおかげだ。雨好きとして、見解が1つ増えたことにお礼を言いたい。

 

「あれ、村主?」

「うわっ!?」

 

 などと考えていたら、突然曲がり角からナカジマが姿を見せたので驚いた。思わず声を上げてのけ反り、ナカジマは首を傾げる。

 

「どうしたの、そんな驚いて?」

「いや・・・丁度ナカジマのこと考えてたから・・・」

 

 直後、ナカジマが意表を突かれたような顔になった。

 それを見た村主は自分の発言を顧みて、解釈の仕方によっては際どいことを言ってしまったと気付く。

 

「あ、いや・・・前にナカジマが『雨の日に出掛けるのも好き』って言ってたのを思い出してたから、それで・・・」

「な、なんだ。そういうことかぁ」

 

 慌てて弁解すると、ナカジマは胸をなでおろす。あのまま訂正しないでいたら、村主の印象が悪くなってしまうかもしれなかった。ナカジマが安心したようなので、村主もホッとする。

 村主は改めて、ナカジマを見る。白のウィンドブレーカーに、細めのジーンズ。差している傘は淡い緑色だ。その出で立ちは、村主の記憶が正しければ最初にこの学園艦で出会った日と同じだ。

 

「じゃあ、村主は散歩中?」

「ああ、宿題の息抜きに。それと、この学園艦を見て回りたくて」

「そういうこと。それじゃ、一緒に歩かない?」

 

 さらっとナカジマが提案すると、村主は面食らう。嫌なわけではないが、貴重な休日に付き合わせてしまうことが、どことなく申し訳ない。

 

「ナカジマにも予定があるんじゃないのか?」

「ううん、私も村主と同じで、雨の散歩を楽しんでただけだし」

 

 軽く笑うナカジマの言葉に、村主も少し考える。当初はあてもなく適当に見て回ろうと思っていたが、土地勘があるナカジマがいると何かと安心できるだろう。

 

「じゃあ、一緒に行くか」

「OK!」

 

 快諾すると、ナカジマは村主の隣に並び、雨降る学園艦の町を歩きだす。

 雨の勢いはやはりそこまで強くはなく、傘の下にいる村主たちに降りかかると言うこともない。

 

「ところで村主って、大きい傘持ってきてたっけ?」

 

 ナカジマが、村主の差す青い傘を指さす。そう言えば、これまで村主はナカジマの前では折り畳み傘しか差していなかった。

 

「いや、これは宿の主人が貸してくれた」

「そうなんだ」

「ああ。外を歩くならこっちの方が濡れないし頑丈だって」

「へぇ~」

 

 向こうから車が来たので、村主は一度ナカジマの後ろに付いて歩く。車の立たせる水飛沫に注意しながら通り過ぎるのを待ってから、再び隣を歩く。

 

「ナカジマは普段の休日って、何してるんだ?」

「んー、大体学校でクルマをいじってるかな」

「休日もか?」

「やっぱりクルマが好きだしね」

 

 戦車の訓練も部活動もない休日さえ、クルマをいじるのは筋金入りのクルマ好きの証拠だ。村主は思わず笑う。

 

「まあ、今日みたいにフツーに休むことだもてあるよ」

「そうか・・・」

 

 話をしながら町を歩くが、ナカジマは内心気が気でない。

 今日雨の中を歩いていたのは、元々雨の中での散歩が好きだったからなのもあるが、自分の気持ちを整理しようとしていたのもある。

 そうしようと思ったのは、昨日のテストドライブの後から村主のことが気になってしまっているからだ。

 

(どうしてかな・・・。ここまで気になっちゃうのは・・・)

 

 ナカジマ自身でも分からないが、どうしてか村主のことが気になっている。

 大洗は元々女子校なので、同年代の男子など皆無だ。故に、村主のような男子と接したことがない。ナカジマには弟がいるが、こういう時に血縁関係にある男性を引き合いに出すのは何か違う。

 とにかく今は、答えのないような思考に嵌らず、普通に村主と歩いていればいいのだ。変に気負うことなどないはず。

 

「あ、ここのパン屋は美味しいよ。私らも徹夜明けにはよく買いに来てる」

「へー」

「個人的におすすめなのは焼きそばパンだね」

「それほんとに好きだな・・・」

 

 通りかかったパン屋を指差す。外は雨が降っていて少し暗いせいか、店の中が普段より一層明るく見える。ここは焼き立てのパンが売りなのだが、時間の都合で棚にはあまりパンが並んでいない。また今度来ることにしようと、村主は思った。

 

「お、サンクス。ウチの学園艦にはないんだよな・・・」

「そうなんだ?」

「ああ。学園艦で展開するコンビニも違うらしい―――あたっ」

 

 自分の元居た学園艦にないコンビニが気になっていると、看板に激突した。ナカジマが笑いをこらえているが、何も言うまい。

 

「74アイスクリームはあるんだな」

「限定の干し芋フレーバーが人気だよ」

「後で食べに来ようかな・・・」

「いいねぇ」

 

 全国展開してるアイスクリーム店を見つける。ナカジマの言う干し芋フレーバーが村主も気になったので、また後で訪れることにしよう。

 そして学校の方向へと歩くが、途中でナカジマが角を曲がり、別方向へと進路が変わる。

 

「艦内の養殖場とか見てみる?」

「一般人が入っても大丈夫なのか?」

「うん、普通に一般公開されてるし」

 

 言うが早いか、ナカジマは学園艦の下層へと向かう階段を降り始める。村主もそれに続くが、階段は結構長く、そして狭い。

 幸いにも誰かとすれ違うことはなく、学園艦の内部―――食料の養殖や栽培などを行っている階層に到達した。

 

「やっぱり広いな~」

 

 中を見渡しながら、村主が感心するように言葉を洩らす。ナカジマも『そうだね~』と呟き、魚の養殖を行っている水槽を眺める。この広大な空間は、事情を知らなければどこかの巨大な工場か倉庫にしか見えないだろう。船の中とは思うまい。

 

「村主の学校にも、水産科とかはあるの?」

「あるけど、そんなに珍しい種類は養殖してないはず・・・」

「うちはね、アンコウを養殖してるんだ」

「え、アンコウ?」

「そう、大洗特有だよ」

 

 ナカジマが指差す先には、確かに『アンコウ』と書かれた水槽があり、中には魚の影が見える。村主の学校ではアンコウなど養殖してはいないし、食べたことだって一度もない。

 もちろん、大洗はアンコウしか養殖していないわけではなく、他にもマグロやサーモンなどの一般的な魚も養殖している。

 

「水産科も大変だな・・・ほぼ毎日活動してるんだし」

「そうだね・・・私らなんてまだまだだよ」

 

 巨大な円形水槽の隙間を縫うように敷かれた通路の上を、紺色のつなぎを着た水産科の生徒たちがせわしなく歩き回っている。それを見て、村主とナカジマは感心するようにそう言った。

 水産科は生き物を扱っている以上、年中無休が基本だ。今は大洗も夏休み期間中だが、水産科と農業科、船の運航に携わる船舶科は夏休みなどあって無いようなもの。さしものナカジマたちも、彼女たちには頭が上がらない。

 水槽を横目に見ながら見学用の通路を歩いていき、隣のブロックへと差し掛かる。

 水産科の隣の区画は農業科だ。地上と同じような畑が広がっており、様々な作物が栽培されている。麦わら帽子と白いエプロンを身に着ける農業科の生徒たちが、甲斐甲斐しく野菜を収穫していたり、種を植えたりと作業をしていた。

 

「・・・ここは結構暑いな」

「そうだねー・・・艦の中で晴れの天気とかを再現しないといけないからね・・・」

 

 作物が育つにはもちろん晴天が必要だが、同時に雨も必要になる。なので農業科の区画は、システムを操作すれば雨も降らせることができるのだ。今は丁度晴れのモードなので、少し暑い。

 村主とナカジマの声が聞こえたのか、農業科の生徒たちが2人の方を向いてぺこっとお辞儀をしてくれた。村主たちも会釈をする。

 邪魔にならないように遠巻きに見物しつつ移動し、展示室で学園艦の模型も見学する。

そして再び階段を上って甲板上の住宅街に戻ってきた。相変わらず雨は降っているが、勢いは先ほどまでと同じで穏やかだ。

 

「もうお昼だねー・・・村主は昼ご飯まだ?」

「ああ、まだだけど・・・」

「じゃあ一緒に食べようか」

 

 村主も腕時計を見れば、12時を回ったところだ。普通の散歩と、長い階段を往復した上に艦内の広大な空間を歩いたことで、いい感じにお腹も空いていた。だから、ナカジマの提案には賛成した。

 そうしてナカジマに連れられたのは、とんかつが売りだという海に面した定食屋だった。店内に入ると軽快な音楽が流れており、揚げ物を揚げているらしき音と匂いが伝わってくる。

 

「いらっしゃい!」

 

 店主らしき、髭とメガネが目立つおっちゃんが笑顔で出迎えてくれた。村主は軽く頭を下げて、ナカジマと並んでカウンター席に座る。

 

「ここは戦車カツがおすすめだよ」

「戦車カツ?」

「カツが戦車みたいに盛り付けられてるんだ。結構ボリュームあるよ」

 

 ナカジマからざっくりと説明を受けたが、それだけではあまり実感が持てない。

 ならば百聞は一見に如かず、ということでそれを頼むことにした。

 

「じゃあ頼んでみようかな」

「よし。おじさん、戦車カツ2つね」

「はいよー!」

 

 ナカジマが注文すると、さっそく店主は準備し始める。

 料理ができるまでの間、村主は店の中をぐるりと見回すが、一見変わったところはないように見える。

 だが壁に掛けてあるフォトフレームのうちの1つに、ある新聞記事が収められているのに気付いた。さらに目を凝らしてよく見ると、その記事は今年の全国大会で大洗が優勝したことに関する記事だ。

 

「どうかした?」

「これ・・・大洗の記事だ」

「え?ああ、ほんとだ。あの時の記事だね・・・」

 

 ナカジマも振り向いて、その記事の入ったフォトフレームを見る。

 自分たちが優勝を成し遂げたことを改めて客観的に見たことで、また何か思うところがあるのだろう。

 

「はいよ、戦車カツ定食2つ!」

 

 しばらくして、カウンターに『ごとっ』という重量感ある音と共に皿が置かれた。手元で見ると、確かにカツの上にコロッケが載っていて、しかもカツとコロッケでアスパラを挟んでいるのは戦車に見える。その様に、思わず笑みがこぼれた。

 

「ね?」

「ああ、言った通りだ」

 

 ナカジマが得意げに笑う。定食でついてくるご飯とみそ汁、そしてお新香を置いた店主も、客の驚く様子を見てしてやったり顔だった。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 ナカジマと揃って手を合わせて、カツを一切れ食べると。

 

「美味っ!」

「んー、美味しいよね~」

 

 一瞬で顔を明るくする村主。カツの厚さや揚げ具合、噛み応えがどれをとっても素晴らしい。揚げたてなので当然熱いが、その熱さがまた旨味を引き立てているような感じがする。隣に座るナカジマも、舌鼓を打っていた。

 

「兄ちゃん、見ない顔だけど外から来たのかい?」

 

 戦車カツの味をしばらくの間楽しんでいると、店主が話しかけてきた。村主は一度箸を止めて、店主の方を見て答える。

 

「戦車の整備実習で来ました」

「へぇ~、実習ねぇ。わざわざ大洗に?」

「ええ。担任が大洗のОGでして」

「あ、なるほどねぇ・・・」

 

 店主は『ふーん』とか『へぇー』とか唸ってから、にっと笑ってまた村主に問いかける。

 

「この学園艦はどうだい?」

「いいところだと思います」

 

 地元住民ならではのような質問に、迷いなく答える。今日、ナカジマと色々見て回る前もそう思ったが、今日でその魅力もより一層強く感じた。

 すると、店主は『ははは』と笑ってくれた。

 

「少し前まではここもあんまり特色のない地味な感じがしたんだが、戦車道の大会で優勝してから、活気が溢れてきた気がするんだ」

 

 ナカジマを見て頷きながらそう言う。つまりこの店主は、ナカジマが戦車道をやっていることを知っているのだろう。

 

「本土の大洗町も、大会で優勝したからって愛好家たちがたくさん来るようになったって話を聞いてる」

 

 腕を組んで頷きながら笑う店主。

 村主も正直な話、あの全国大会まで大洗という場所は知らなかった。しかしあの決勝戦以降、戦車道界隈では大洗の名を聞かない日はないし、一時期ニュースでも取り上げられていた。

 

「本当、優勝してよかった。自分の住んでる町や場所に注目が集まるっていうのは、嬉しいことだよ。だから、ありがとう」

 

 ナカジマに向けて笑いかけ、頭を下げる店主。その笑顔と仕草から、店主が自分の故郷である大洗に結構な愛着があることが分かる。

 そうなったのも全ては、ナカジマたち戦車道履修生があの全国大会で優勝を成し遂げたからだ。感謝の念を抱くのは、それだけ自分の住む街を愛しているからだろう。

 

「・・・どういたしまして」

 

 対して、ナカジマは恥ずかしそうに笑って言葉を返す。村主もその様子を見て、妙にほっこりしつつコロッケを齧る。

実に美味しかった。

 

 

 戦車カツを平らげて店を出ると、少しだけ雨の勢いは弱まっていた。しかし、まだ雲には空が広がっている。

 2人は散歩を再開するが、食休みということで海に面する公園で休憩することにした。村主が初めて乗艦した日に立ち寄った場所とはまた違うが、構造は基本的に同じようで、東屋が設えてあった。

 

「へー、あの戦車カツって、元々メニューになかったのか」

「うん、元々はあの決勝戦前に、生徒会の3人が立ち寄ったときにゲン担ぎってことで作ってくれたやつらしいよ。で、後で要望が多くて正式にメニューになったってわけ」

「なるほど・・・」

 

 『戦車』で『カツ』、確かに景気づけにはもってこいだろう。ちなみにナカジマ達レオポンチームが試合前夜に食べたのはカツカレーだった。

 

「そうそう、私たちが決勝戦から大洗に帰ってきた時、大洗の皆が歓迎してくれたんだ。『優勝おめでとう』って」

「ホントか?すごいな・・・」

 

 町を挙げての凱旋歓迎となれば規模も相当だろう。それを実現するのは簡単じゃないはずなのだが、大洗の皆はそれをやってのけたのか。

 

「でも、本当によかった・・・優勝できて」

 

 雨降る水平線を見ながらのナカジマの言葉は、安堵の気持ちが感じ取れる。

 しかしどうしてだか、村主にはその言葉には別の意味が込められているようにも感じられた。

 

「やけにしんみりしてるな。優勝できたのに」

「・・・まあ、色々あったんだよ。大洗も」

「色々?」

 

 訳知り顔で頷くナカジマ。何があったのかが気になってしまう村主は、自然とナカジマの方を見つめる。

 ナカジマも、口の中でボソッと『村主になら言ってもいいかな・・・』と呟いてから、小さく息を吐いた。

 

「実はさ・・・あの全国大会で優勝しなきゃ、大洗は廃校になるところだったんだ」

「え」

 

 ぽつりと告げた、重大すぎる情報に村主も開いた口が塞がらない。そんな村主に気付いているのかいないのか、ナカジマは追って説明する。

 

「大洗って元々、あんまり目立ったところがない学校でね。生徒の数も年々減ってきていたんだ」

 

 それを聞いて村主の頭をよぎったのは、アヒルさんチーム・・・もといバレー部だ。バレー部が廃部になってしまったのは部員数が減ってしまったかららしいが、それももしかしたら、ナカジマの言うように生徒数の減少による弊害かもしれない。

 だが同時に、自動車部の部室に飾られていたトロフィーや賞状のことも思い出す。

 

「でも、自動車部だって色々賞をとってただろ?それに、アンコウの養殖だって大洗特有って言ってたし・・・」

「それでも、この学園艦を維持するにはものすごいお金がかかるんだって。それぐらいの特徴じゃどうにもならないぐらい」

 

 学園艦を管理する文部科学省は、莫大な維持費のかかる学園艦の運営体制を見直し、大規模な統廃合を計画していた。その中で、目立った功績もない学校から順に廃校にしていくという方針になり、大洗はその対象になってしまったという。

 

「でも、会長が交渉して、『戦車道大会で優勝すれば廃校は免れる』って話になって、今年度から大洗で戦車道が復活したんだ」

 

 村主は小さく息を吐く。戦車道の新聞では大洗のことを『突然20年ぶりに表舞台に戻ってきた』と表していたが、その裏にそんな事情があったとは。

 

「廃校撤回がかかっていたなんて知ったのは、準決勝に勝った後・・・ちょうど私らレオポンチームが参戦した頃だったし、決勝戦のプレッシャーはすごかった」

 

 それは仕方ないと思う。自分たちの初陣が自分たちの学校の存続をかけたものなど、緊張しないはずがない。

 

「だからさ、優勝できてよかったんだ。本当に」

「・・・・・・」

「こうして私たちの学校は守れたし、住んでる人たちもここに居続けられたんだから」

 

 村主は、水産科や農業科の生徒、先ほどの定食屋の店主、宿の主人のことを思い出す。彼ら彼女らが今も普段通りの生活を送っていられるのは、全てはナカジマたちが奮戦し、優勝をもぎ取ったからだ。

 そしてそれは、戦車道に携わる者を除けば、この大洗の誰も知らないことなのだろう。

 言わば彼女たちは、人知れず大洗を救った陰の功労者だ。

 

「すごいな・・・」

「・・・・・・」

 

 そんな率直な感想を、口にせずにはいられない。

 

「自分たちの力だけで、自分たちの居場所を守るなんて・・・誰にでも出来ることじゃないだろうし」

「いやいや、私たちなんて決勝戦しか出てないし、優勝できたのは皆の力あってのことだよ」

 

 ナカジマが謙遜するように手を横に振るが、村主はナカジマの意見には反対だった。

 村主は元々大洗の住民ではないから、知ったような口を利くのは間違いだと思っている。

 

「何言ってるんだ」

 

 しかし、それでも村主はこの一昨日までで戦車の整備の実習を行って、そして話を聞いて、思うことがあった。

 

「ナカジマたちこそ、大洗の優勝に一番貢献したんじゃないか?」

「え?」

 

 どういう意味か、説明を請うナカジマの表情。もちろん、村主もちゃんとその意味を伝える。

 

「そもそも大洗が戦車道を復活して、戦えるようになったのは、ナカジマたちが戦車を修理したからだろ?」

「・・・・・・」

「それに、試合の後でいつもボロボロになった戦車を直してきたから、決勝戦まで勝ち進むこともできたんだし」

 

 大洗が戦車道を始めることができたのも、試合に参加することができたのも、戦い続けてこれたのも、全てはナカジマたちがいなければ成り立たなかったこと。村主はそう思っている。

 

「だから、ナカジマたちはもっと胸を張っていいんだ」

「・・・・・・」

「万が一、他の誰もそんなことを思っていなくても、少なくとも俺はそう思ってる」

 

 そう言って村主は、軽くナカジマの肩を叩き、笑って告げた。

 

「俺は、一番すごいのはナカジマたちだって、そう思うよ」

 

 

 

 その時、ナカジマの心に何か、ポツンと1粒の雫が落ちたような感じがした。

 

 

 

(あ・・・・・・)

 

 その感覚の正体に、ナカジマはすぐに気づくことができた。

 

 

 それからまた少し村主と歩いて、74アイスクリームで干し芋フレーバーのアイスを食べてみた。村主の感想は『意外と甘い』で、ナカジマも同意見だった。

 そして14時頃。

 

「それじゃ、そろそろ戻ろうかな」

「うん、分かった。それじゃあまた明日ね」

「ああ」

 

 明日からまた、戦車の訓練が始まる。そうなれば、レオポンチームに加えて村主は出ずっぱりとなるだろう。

 そうして別れようとしたところで、村主は足を止めた。

 

「あ、そうだナカジマ」

「?」

 

 呼び止められてナカジマが振り返ると、村主は小さな笑みを浮かべていた。

 

「雨の散歩も悪くないって、気付くことができた」

「・・・それはよかったよ」

 

 ナカジマも同じように笑みを浮かべて返すが、村主の言葉はそれだけではない。

 

「ナカジマが教えてくれたおかげだ。ありがとうな」

 

 嘘偽りない村主の言葉を聞いて、ナカジマはほんの少しの間だけ目を閉じる。

 そして、できうる限りの笑顔で返した。

 

「どういたしまして、村主」

 

 そして今度こそ、2人はそれぞれの寮へと戻っていく。

 そのナカジマの歩調はいつもと変わらないが、親しい人からすればその表情は晴れやかに見えるだろう。

 そして、そんな彼女の心臓の鼓動は高鳴っている。

 

「・・・そっかそっか・・・」

 

 先ほどまでの、村主と過ごした時間を思い出す。

 気になっていたのだ。なぜ、村主のことを思うと心がかき乱されるように、恥ずかしさと嬉しさが湧き上がってくるのか。村主のことを、気にしてしまうのか。

 金曜日のファミレスで、ツチヤたちと楽し気に話をする村主を見て、少しだけ心にモヤっとした気持ちが浮かんでしまったのか。

 徹夜明けで村主のすぐ隣で眠ってしまっていたのか。

 それは、ナカジマ自身が村主のことを特別に想い、その傍にいたいと無意識に思うようになっていたからだ。

 そして、その理由は全て―――

 

「・・・・・・ふふっ」

 

 生まれて初めて抱くこの温かい感情、そしてナカジマ自身を大きく揺るがすような気持ちに気付いたナカジマは、思わず笑みをこぼす。

 いつの間にか、雨は止んでいた。



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雨見

 村主の実習が始まってから、1週間が経過した。最初は実際に戦車に触れるということで興奮と緊張を抱いていたが、今では村主も整備に慣れてきている。それでも、他所様の戦車を扱っているということで緊張感は今もあるが。

 整備の腕前は、ナカジマが『筋がいい』と評すほどには良く、戦車の整備に関してはレオポンチームの面々と同じぐらいの技量を持っていた。

 

「すみませ~ん」

「?」

 

 そんな中、ポルシェティーガーの整備をしていると、のんびりとした声を掛けられた。村主とナカジマがそちらを見ると、ふわっとしたショートボブの女子―――ウサギさんチームの宇津木優季がいた。

 

「どうしました?」

「М3のエンジンの調子が悪いみたいで~・・・見てもらえませんかぁ?」

 

 言われて2人がウサギチームのM3中戦車リーを見ると、乗員たちが心配そうにM3を見上げていた。何人かは、下へ潜り込んでエンジンルームを開けようとしている。

 ナカジマたちが作ったマニュアルには、エンジン整備の仕方は載っていない。だから彼女たちはエンジンには触ったこともないだろうし、下手をすれば怪我をするかもしれない。

 

「村主、ちょっと見てきてあげて」

「分かった」

 

 ナカジマに促されて、村主はM3へと向かう。

 少し前は何か不具合が生じた場合でも、村主はナカジマなりホシノなり、誰かしらと一緒に対応していた。しかし、こうして単独で送り出されることも増えてきている。

 それはナカジマたちが、村主の腕を信頼しているからなのは村主も分かっている。それでも思い上がらず、慢心せずに整備には取り組む。自分の力を過信すると逆に痛い目を見るとは、学校で村主が教わったことだ。

 

「エンジンから、何か空気が洩れるような感じの音が聞こえてきて・・・」

「分かりました。ちょっとエンジンルームを見てみますね」

「すみません、お願いします・・・」

 

 事情を話し、律儀にお辞儀をしてきたのはウサギチームのリーダー・澤梓。真面目な子と聞いているが、こうして真っ先に村主に頭を下げてきた辺りにそれが伺える。

 その言葉を聞きながら、村主はМ3の下へと潜り込み、エンジンルームの蓋を開ける。中は暗いのでペンライトを口で咥えて照らし、軍手で触り、目で見て丁寧に調べる。

 

「これか・・・?」

 

 やがて、奥の方のパイプがぐらついているのに気付いた。

 一度村主は戦車の外に出て、自分用に支給された工具箱を持ってきてから、もう一度エンジンルームを見る。スパナを取り出し、パイプの根元にあるナットを締め直してから、固定されたのを確認する。

 そして工具を回収してまた外に出てから。

 

「ちょっとエンジン動かしてもらえますか?」

「あい!」

 

 ウサギチームの操縦手・阪口桂利奈に伝えると、彼女は溌溂とした返事とともに戦車に乗り込む。エンジンを始動させると、しばらくの間アイドリング状態を保つ。その間、エンジンの音を村主は注意深く聞くが、妙な音は聞こえない。

 

「直りましたー!」

 

 操縦席の桂利奈が、嬉しそうに声を上げる。どうやら原因は、やはりあのパイプがずれていたことだったらしく、これで一安心だ。

 

『ありがとうございます!』

 

 ウサギチームのメンバーが、村主に頭を下げてお礼を言う。ただ、若干色が薄いショートヘアの丸山紗希だけは、頭を下げるだけで無言だったが。

 村主は『また何かあったら言ってくださいね』と言って、ポルシェティーガーの下へと戻る。そしてナカジマに、今回のことを報告した。

 

「不具合って、どんなだった?」

「なんか、エンジンルームの奥のパイプがぐらついてた。根元のナットが緩んでたから締め直したけど…」

 

 状況を説明すると、ナカジマが首を傾げる。

 

「おかしいなぁ・・・金曜は私が整備したんだけど・・・」

 

 村主は、ナカジマが雑な作業をしたとは毛頭思っていない。

 すぐ傍で指導を受けた時もナカジマの顔は真剣そのものだったし、何より彼女はクルマを愛している。戦車にも思い入れがある。だから、手を抜いていたとは到底思えない。

 とすれば、別の何かが原因と考えるのが自然だ。

 

「もしかしたら、また自主練していたのかな?」

「自主練?」

「うん、ウサギチームって休みの日でも自分たちだけで練習してることが多くてね」

「へぇ・・・」

「だから多分、練習の時に振動で緩んじゃってたのかも」

 

 戦車の鍵は、戦車道履修生だけが入れる倉庫に保管されている。誰かに申告する必要もないので、自主練は自由に行うことが可能だった。

 それ以上は追及せず、ナカジマと村主は下に潜ってエンジンルームの整備に取り掛かる。

 

 

 やがて昼休憩。レオポンチームと村主は、今日もまたポルシェティーガーの脇で昼食を摂っていた。

 

「昨日は何してた?」

 

 おにぎりを食べながら、休日明けの定番のような質問をスズキが投げかける。一番最初に答えたのは、その隣でカップラーメンを啜るツチヤだ。

 

「宿題進めてたな~・・・雨でどこに行く気も起きなかったし・・・」

「私も・・・。雨の日はどうしても気分は上がらないからな」

 

 スズキの反対側に座るホシノも、サンドイッチを片手に苦笑する。確かに普通に考えると、雨の日は湿っぽいし、傘を差しても濡れやすい。ましてや、ここは移動できる範囲が限られている学園艦という土地だ。進んで外出しようとは思わないだろう。

 

「ナカジマは、やっぱり散歩?」

 

 しかし、この場では唯一ナカジマだけが、雨が好きだ。そんな日に出歩くことも好んでいる。そんな性格と趣味を知っていて、一緒にいた時間も長いから、スズキはそう訊ねた。

 

「え?あ、うん・・・」

 

 しかし、返ってきたのはどこか歯切れの悪い答え。

 

「あれ、違った?」

「いや、違くはないんだけど・・・」

 

 スズキが訊き直すが、ナカジマの答えはやはりどこかぎこちない。

 

「昨日ナカジマは、俺とちょっと学園艦を見て回ってた」

 

 そこで村主が補足した。村主には、ナカジマが答えに詰まる理由が分からなかったが、隠すことでもなかったので、代わりに答えたのだ。

 だが、そう言った瞬間。

 

「・・・・・・」

 

 ナカジマの頬が、ほんのりと赤く染まってきた。

 それを視界に捉えたホシノとスズキ、ツチヤが村主の方を見る。

 

「・・・ホントにそれだけだったの?」

「ん?ああ。艦内の水産科とか見学させてもらった」

 

 訝しそうにホシノが訊くが、村主はなお動じない。

 改めて村主が昨日ナカジマとしたことを思い出すが、別に何もおかしなところはないと、思っている。

 

「何も変なことなんてなかったよな?」

「う、うん・・・」

 

 同意を求めてナカジマに聞いてみるが、やはりその反応は含みがあるような感じだ。

 そんなナカジマを見て、村主もだんだん怖くなってくる。自分では特に変なことをしていないつもりでも、もしかしたら何か粗相をしてしまったのではないか、自分で分からなくなってくる。

 

(え、何かしたのか?俺がしちゃったのか・・・?しちゃったりしちゃったのか・・・?)

 

 体が水の底に沈んでいくような感覚まで起き始める。ホシノたち3人の視線が妙に痛く感じてくるし、ナカジマはナカジマで焼きそばパンをもそもそ食べていて孤立無援だ。

 一体自分はこの後どうすればいいのか分からずにいると、近くからひそひそ声が聞こえてくる。まさかもう噂になってしまっているのだろうか。

 声の出所は、村主の後ろの方。そちら横目に見ると、女子が3人ほど、村主たちをチラチラと見ながら何事かを話している。メンバーからしてウサギチームだ。

 

「聞いてみたいなぁ~」

「でも失礼じゃない?」

「そもそも彼氏かどうかって話だし・・・」

 

 ぽつぽつと聞こえてくる、やはり村主とナカジマの関係を示唆しているように思う。余計に心配だ。

 そして近づいてきたのは、黒いロングヘアーとそばかすが特徴の比較的背が高い女子だ。この子はさっきM3の近くで見た、ウサギチームの山郷あゆみだ。

 

「すみません、ちょっとお話を聞いてもいいですか?」

「あ、はい」

 

 明確に話しかけてきたので、村主は立ち上がる。何を聞かれるのかが怖かったが、どうやら話があるのは彼女ではなく、先ほど不具合を申し出てきた優季らしい。

 

「突然すみません~」

「いえ、それで何か?」

 

 優季はどこか、全体的にふわふわした雰囲気がする。声が間延びした感じもそうだが、結構のんびり屋なのかもしれない。

 

「あのぉ、一つお聞きしたいことがありまして~」

「・・・はい」

 

 ここで考えられる質問は2つ。戦車の実習に来た理由か、どこかから漏れてしまった(かもしれない)ナカジマとの関係性についてだ。

 前者はまだいい。大洗に来てから、結構聞かれてきたからすぐ答えることはできる。

 しかし後者となると、面倒なことになる。昨日の出来事は、村主からすればおかしなことは何もなかったはずだが、ナカジマの様子が変なせいで逆に不安になってきていた。そこを突かれてしまうと立つ瀬がない。

 

「・・・戦車が好きな女の人ってどう思いますかぁ?」

 

 だが、優季の口から出てきた質問はその予想を超えた。

 そしてその質問、以前あんこうチームの沙織から似たような質問を受けた気がする。

 

「えっと、どういうことです?」

「それは流石に直球すぎでしょ」

 

 村主の疑問も当然と問い返す。優季のそばにいた茶髪のツインテールの女子―――大野あやが呆れたように笑う。優季もそれで『あぁ、そっかぁ』と手を合わせてのんびりと柔らかく笑う。

 

「えっとぉ、実は私、彼氏がいたんですけどぉ」

「はぁ」

「でもぉ・・・戦車道を始めて少し経ったらぁ、逃げられちゃってぇ」

「え」

 

 あまりにもほんわかと告げられたショッキングな報告に、村主も驚く。

 

「そもそもホントに彼氏なの?」

「ホントだよぉ~。少なくとも私はそう思ってたよ?」

 

 しかし、あやの言葉で村主は察した。

 恐らくだが、優季はその相手のことを彼氏と思っていたようだが、向こうは優季のことを彼女とは見ていなかったらしい。要は一方通行の関係性だったのだろう。

 しかしそんなことは、部外者の自分は口が裂けても言えないので、何も分からない体で話を聞く。

 

「いったい何がダメだったのかなぁって。それで、同じ男の人の村主さんに聞いてみたんですぅ」

 

 言われて村主は、少し考える。

 その男が彼氏かどうかはともかくとして、確かに戦車道は年頃の男からはあまり好かれない。村主のいた学校でも、戦車と言うと『えー?』と芳しくない反応を示された。

 

「まあ、戦車道は男にはあまり人気がないってイメージありますからね・・・多分、その辺りが理由かも」

「やっぱりそうですよねぇ・・・」

「でも、村主さんは戦車好きなんですよね?」

 

 あやが訊いてくる。確かに村主は戦車が好きだし、整備士になりたいと思ってここまで来たのだから、間違ってはいない。だが、何事にも例外はつきものなのだ。

 

「まあ自分は・・・育ちの環境とかがあってですし」

「村主さんはどうなんですかぁ?戦車に乗ってる女の子って」

 

 またしても、以前の沙織と同じ質問。優季は何か、沙織と示し合わせでもしているのだろうか。

 

「全然、嫌いじゃないですけど」

「そうですかぁ、よかった~」

 

 優季はそれを確かめたかったようで、安心して胸に手を置く優季。

 なんにせよ、戦車道をしているというだけで疎遠になるのは、村主としても悲しい気持ちになる。彼女たちも頑張っているというのに。

 そこでふと、村主は先ほどのナカジマの言葉を思い出した。

 

「ところで、昨日ウサギチームって練習してました?」

「あ、はい。しましたけど・・・」

「さっきナカジマにМ3の不具合の話をしたら、『多分自主練をしてたから』って言ってたんですが・・・」

 

 そこで話を聞いていたあゆみが『あっ』と言いたそうに口を開けた。

 

「すみません、多分報告し忘れてました・・・」

「あ、それは後で改めて言ってくれれば大丈夫だと思います・・・」

 

 あゆみに謝られるが、それは実習生の村主よりも大洗の生徒であるナカジマたちに言うべきだろう。

 それと、本題はそこではない。

 

「自主練って、いつもされてるんですか?」

「いつもってわけじゃないですけど・・・」

「参加できる人だけだよね」

 

 あゆみとあやの言葉から、やはり練習を行っているのは本当なのが分かった。

 

「私たち、最初の試合で逃げちゃったし、まだまだ頑張らなきゃいけませんから・・・」

 

 優季の言う『逃げた』とは、ウサギチーム全員にとっての失敗だった。

 大洗の戦車道チームが発足してから最初の練習試合。聖グロリアーナ女学院とのその試合で、ウサギチームは相手チームの砲撃が怖くて、思わず戦車を降りて逃げ出してしまった。あの時のことは試合の後で猛省し、今でもその苦い経験を忘れてはいない。

 そしてその時のことを糧として、彼女たちは自主的に練習を続けていると言う。

 

「決勝戦で、黒森峰の重戦車を2輌倒すことができて、私たち自信がついてきたんです」

 

 あやが嬉しそうに告げる。

 全国大会の決勝で彼女たちが乗るM3は、黒森峰の重駆逐戦車・エレファントとヤークトティーガーを撃破した。ヤークトティーガーは相討ち同然だったが、それでも強力な重戦車を2輌も撃破したことは、戦車道界隈においても話題に上がっていた。

 

「あの大会で私たち、もっと頑張って戦車を倒せるようになるんだって、決めたんです」

「目指せ、重戦車キラ~♪」

 

 あゆみと優季も、あやの言葉に続く。

 だからこそ、彼女たちウサギチームは休みの日も自主練を行っていたのだ。過去の失敗をバネにして、さらに上を目指すために。

 バレー部の再興を目指すアヒルチームと言い、このウサギチームと言い、そしてナカジマたちレオポンチームと言い、大洗にはまっとうに努力を重ねて実力を上げている人物がとても多いと村主は思う。

 

「練習、頑張ってくださいね」

『はい!』

「でも次からは、自主練をしたらしたでちゃんと報告はした方がいいと思います」

「あはは・・・気を付けまーす」

 

 気楽なあやの返事に、村主も妙に気が抜ける。

 それにしても、こうして遠慮なく色々話してもらえる辺り、自分と大洗の皆との間の壁も大分低くなってきたのかなと、村主は思った。実習を始めた最初の数日は、いるはずがない男子ということで少し怖がられていた感じもしたのだが、今はそんな感じもしない。

 とりあえず、実習の間周りから敬遠されるのもいたたまれないので、仲良くなれたのは良かったと、村主は思った。

 

 

 ナカジマの様子がおかしい。

 それは戦車の整備をしているときはあまり感じられなかったが、昼休憩になり、スズキの『昨日何してた?』と質問してからおかしくなり始めた。

 そして今も、明らかに何かが違う。

 

「・・・・・・」

 

 もそもそと焼きそばパンを食べるナカジマ。普段見せるような和やかな笑みもなく、ウサギチームの3人と話をしている村主の様子を少しだけ伺いつつ咀嚼している。

 そして、パンを食べ終えると。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 憂鬱そうなため息。流石にホシノたちも、ただ事ではないと分かった。

 

「ナカジマ、ホントにどうかしたの?」

「え・・・?何が?」

「いや、何がって・・・明らかに本調子じゃないでしょ」

 

 たまらずホシノとツチヤが問いかけるが、ナカジマは笑って首を横に振る。その笑顔さえも、3人には無理しているようにしか見えない。

 

「ごめん、ちょっと風にあたってくるよ」

「う、うん・・・」

「大丈夫、訓練の時間には戻るから・・・」

 

 そう言ってナカジマは、ふらふらとガレージの外へと出て行ってしまった。

 そこでホシノとスズキ、ツチヤの3人が顔を突き合わせる。どう考えても異常事態だ。

 

「どう思う?」

「まあ確実に村主とひと悶着あったんだろうね・・・」

「でも、具体的に何が?」

 

 3人は頭をできる限り回転させるが、何があったのかは分からない。ホシノたちの知る限り、2人の仲は特段変でもなかったはずだ。

 

「2人はもともと仲いい感じだったんだよね」

「そうだね・・・でも、なんで今日はあんななんだろう?」

 

 ツチヤとスズキが顔を見合わせて考える。

 もともと、ナカジマは村主の指導役というポジションだ。しかし、2人は雨が好きという同好の士として意気投合したらしい。だからホシノたちも、2人は友達ぐらいの関係だったのだろうと思っていた。

 しかし、さっきのナカジマの様子で、確実に何かあったのは分かる。

 そして、その『何か』とは昨日起きたとすぐに分かった。

 

「やっぱり昨日、何かあったのかなぁ・・・」

「もしかして、村主が嘘ついてるかもしれない?」

「いや、それはちょっと・・・」

 

 ホシノが可能性を示すが、スズキとツチヤは首を横に振る。言ったホシノ自身も、その可能性は低いと思っていた。

 ナカジマほどではないが、3人も村主とこの1週間共に戦車の整備をしてきて、整備の腕と性格はある程度理解している。指示には従順だし、作業の出来栄えも良い。整備に熱心な性格もあって、安心して戦車を任せられる。

 そんな村主が、嘘を吐き、ナカジマに手を出すとは考えにくい。

 

「あれ、ナカジマは?」

 

 そこへ、ウサギチームの3人と談笑していた村主が戻ってきた。その3人も、M3の方へと戻っていく。

 

「ねえ、村主。ホントに昨日はナカジマと何もなかったの?」

「え?ああ・・・そのはずなんだけど・・・」

 

 戻るや否やスズキにそう訊かれて、村主の中に再び疑念が頭をもたげる。

 

「やっぱり、ナカジマの様子が少しおかしい気がするんだ・・・」

「整備してる時はそんな感じはしなかったけど・・・」

 

 村主は先ほどまで、レオポンチームと一緒にポルシェティーガーの整備をしていた。その時のナカジマは別に変った様子ではなかったし、村主も普通に接していた。それはホシノたちも同じだし、分かっている。

 

「でも、ナカジマの様子が変わったのは、スズキが昨日何をしていたかを訊いて、村主が答えてからだ」

「村主が嘘を言ってないと私たちは信じてる。けど、ナカジマにとって何かあったのは確かだよ」

 

 ホシノとスズキに詰め寄られ、村主も口を閉ざす。

 もちろん村主だって、先ほどのナカジマの様子には気づいていた。それはもしかしたら、気付かないうちに村主が失礼を働いてしまっていたからなのかもしれないとも、思っている。

 

「・・・・・・後で、ナカジマと話してみる」

「それがいいかもね」

 

 そして村主が達した結論は、村主自身が直接訊くこと。

 ツチヤもその通りだと小さく頷き、ホシノとスズキも頷く。

 そこで副隊長の桃が昼休憩の終わりの告げたので、4人は急いで食べかけの昼食を腹に流し込む。

 ナカジマも、タイミングよく戻ってきた。

 その顔にはもう、落ち込んだ様子はない。

 

 

 その後の実車訓練で、他の戦車はもちろん、ポルシェティーガーにも変化は見られなかった。

 ナカジマが何に対して心が揺らいでいるのかは、村主も未だ分からない。

 だが、彼女が車長を務める戦車にまで支障が出ていたらどうしようかと本気で悩んだが、その心配がなくて安心した。

 そして、実車訓練がつつがなく終わって一旦の解散を迎えた後、レオポンチームは戦車の整備に移る。

 

「それじゃあ村主は、M3とルノーをお願いね」

「分かった」

 

 ナカジマがてきぱきと指示を出す。

 既に技量を認められているからか、午前のM3のような異常事態だけでなく、戦車1輌の整備も村主に任せられていた。それと、その2輌はこれまで何度か整備した戦車だから、村主も不安なところはあまりない。

 

「何かあったら、聞いていいからね」

「・・・ああ」

 

 やはり今は、ナカジマの様子に変わったところはなく、ナカジマはナカジマでⅣ号戦車の整備に取り掛かっている。

 そのナカジマを見ていると、本当に悩みを抱えているのかが分からなくなってくるが、とにかく昼に様子が変わったことについては聞いておきたい。

 

(・・・始めるか)

 

 村主も、M3の下に潜り込んでエンジンルームの蓋を開ける。

 ナカジマのことが気がかりだが、今は整備だ。戦車に限らず、機械の整備はうっかりすると怪我をするし、下手をすれば命を落とす。それは村主のいた学校で耳にたこができるほど教えられてきた。

 だから村主も、戦車の整備には真剣に取り組むのだ。

 

 

 

「よーし、じゃあ今日はここまでにしようか~」

『お疲れ~!』

 

 全員がそれぞれ受け持った戦車の整備が完了し、工具を片付けてからナカジマが締める。ホシノたちは腕や顔に付いた煤を拭い、腕を回したりして疲れを解す。

 村主も同様に、肩や首を回して少しでも疲れと凝りを和らげようとする。

 だが、村主はまだ終われない。

 

「・・・・・・」

『・・・・・・』

 

 ホシノとスズキ、ツチヤの3人が村主に目を向けて何も言わずに小さく頷き、村主も無言で頷き返した。

 

「・・・ナカジマ」

「ん?」

「少し話があるんだけど・・・いいか?」

「え・・・・・・うん」

 

 呼び止められてナカジマも少しだけキョトンとするが、すぐに表情を戻した。ホシノたちは『それじゃお先~』と手を振って、先に帰っていく。

 

「・・・悪いな、急に」

「ううん・・・大丈夫だけど・・・・・・」

 

 ナカジマは言葉では平静を装っているものの、心は痛いぐらいに跳ねているし、顔にじわじわと熱が集まってきている。

 昨日、村主と共に雨の中での散歩をし、公園で話をした後で、ナカジマは自分の村主に対する『気持ち』に気付いた。

 それを忘れてなどいないし、覚えている。

 だから今、2人きりで、村主が目の前に立っていることに緊張しているのだ。

 

「・・・話って?」

 

 恐る恐る、ナカジマが切り出す。村主は小さく息を吐いて、ポリポリと頭を軽く掻いてから。

 

「・・・俺、何かナカジマに変なことしたか?」

「・・・・・・え?」

 

 問いかけたが、どこか脈絡のない言葉にナカジマは首を傾げる。

 

「昼休憩で、俺が昨日ナカジマと出掛けたって言ったら、ナカジマ・・・なんか様子が変わってさ。それでホシノたちから、『何かしたんじゃないか』って言われて」

「いや、それは・・・・・・」

「俺は昨日、何かナカジマに失礼なことをしたつもりは・・・ないと思ってる。だけどもし、何か変なことをしたって言うんなら、素直に謝る」

 

 目を伏せる村主。だが、逆にナカジマは狼狽えた。

 

「いや、違う違う!村主は何も悪いことしてないから!」

「でも、さっきはなんか様子が違って・・・」

「あれは、その・・・・・・」

 

 否定しようとしたが、その理由を素直に言えずにナカジマは俯いてしまう。まさか、ナカジマが村主に対して特別な気持ちを抱いてしまったことなど、今はまだ言えるはずがない。

 

「ごめん、変に心配させて」

「いや、謝ることは・・・」

「・・・でも、大丈夫。昨日は、村主は私に変なことなんて何もしてない。それは安心していいよ」

「そうか・・・・・・」

 

 とにかくまずは、村主やホシノたちに心配をかけてしまったこと謝る。

 

「ちょっと、考え事をしてたんだ。だから、様子が違って見えたのかな」

「考え事?」

「うん。昨日、村主から言われたことをね」

 

 嘘は言っていない。実際ナカジマは、その言われたことと、そこから生まれた気持ちについて考えていたのだから。

 ナカジマは体の向きを変えて、ガレージの外、真っ暗なグラウンドを眺める。村主もそれに倣って、同じ方向を見る。

 

「・・・昨日さ、公園で言ってくれたでしょ?大洗で一番すごいのは私たちだって、少なくとも村主はそう思ってるって」

「・・・ああ」

 

 あの言葉に、嘘はない。本当にそう思っているからこそ、あの場で村主はそう言った。

 

「そんなこと言われたの、初めてだったんだよ」

「?」

「私たちは、好きでクルマをいじってて、それが高じて戦車の整備もするようになって・・・。まあ、私たちからすればできて当たり前、別に褒められることでもなかったんだよ」

 

 空を見上げるが、暗い雲が広がっている。星なんて見えやしない。

 

「その当たり前だと思ってたことを褒められて・・・すごく嬉しかったんだ」

 

 その時ナカジマは、確かにうれしいと思った。

 しかし、そこで同時に生まれた『気持ち』は、まだ言えない。

 

「あんなこと言ってくれたのは、村主が初めてだよ」

「・・・」

「ありがとうね」

 

 村主を見て笑ってくれるナカジマ。

 その笑みを見て、村主の顔に熱が集まってきて、思わず顔を逸らす。

 

(なんなんだ・・・一体・・・・・・)

 

 こうしてナカジマから笑みを向けられると、上手く直視できなくなる。恥ずかしさとか嬉しさがない交ぜになった気持ちが、胸の中に渦巻く。

 そしてまた、前に感じた『ナカジマが可愛い』という気持ちがフラッシュバックする。

 

(・・・・・・)

 

 昨日のナカジマとの出歩きは、村主にとっては単なる偶然でしかないはずだ。

 しかし、客観的に見ればあれは、デートと勘違いされてもおかしくはないのかもしれない。そんなことを考えてしまう。

 

(・・・・・・一体、なんなんだ)

 

 自分が今、普通じゃない状態なのは村主自身も分かる。

 ここまで1人の女の子を前にして悶々とすることなんて、(環境があったとはいえ)今までで一度もないことだ。

 疚しいことなどしていないと分かった今も、今度は別の要因で村主の心が揺らいでいる。

 自分に落ち度がなかったと安心したはずなのに、ナカジマを前にするとどうしても胸が妙に高鳴る。

 この気持ちは、いったい何なんだろうか。

 

「あ、村主」

「え?」

 

 そうして心の中で悶々と悩んでいると、不意にナカジマが村主の顔に向けて手を伸ばし始めた。

 突然のことに村主の顔がこわばり、何をされるのかが分からない。

 思わずぎゅっと目を閉じると、右の頬から何か柔らかく温かい感触が伝わる。

 

「え?」

「汚れ、ついてたよ」

 

 目を開けると、ナカジマが少し黒ずんだ親指を見せる。どうやら、ただ単に村主の顔についていた汚れを取ってくれただけのようだ。

 それぐらいのことに思いきり緊張してた自分が恥ずかしくなって、村主は口をつぐむ。

 そして物言わぬ夜空をただ見上げた。

 

 

 シャワーを浴び、寝間着に着替えたナカジマの耳に、聞き慣れた雨の音が入ってくる。

 カーテンを少し開けて外を見ると、案の定雨が降っていた。

 せっかくなので、リラックスも兼ねてナカジマはしばらくの間その雨を眺めることにする。

 

(心配かけちゃったな・・・)

 

 雨を眺めながら、昼のことを考える。

 自分の様子がいつもと違ったのは、村主にも、ホシノたちにも分かるほどだった。それで、『村主が何かした』という誤解とも不安ともとれる心配をかけてしまったことを、ナカジマは悔やむ。これについては明日、ホシノたちには自分から改めて釈明しようと思う。

 それにしても。

 

「これが・・・嫉妬ってヤツかぁ・・・」

 

 ぼそっと、呟く。

 昼休みに村主がウサギチームの3人と話をしていたのを見て、ナカジマは寂しさを覚えた。それから気分は右肩下がり、気持ちを落ち着かせるためにわざわざ外まで風を浴びに行くほどになった。

 そうなった理由こそが、自分でも言った通り嫉妬なのだろう。

 だが、村主に対して特別な感情を抱き、それ特有の嫉妬という気持ちを感じても戦車の整備を普段通りできたのは、ナカジマ自身がちゃんと思考をオンとオフで切り替えることができたからだ。

 ナカジマは、戦車に限らず機械の整備は命の危険と隣り合わせなのを知っている。だから、自分の気持ちが普通ではなくなっても整備に対しては真剣に取り組めた。

 それができているのなら、ナカジマはまだ平静を保てている。

 しかしもし、それができなくなったら。

そして、そうなってしまう時とは。

 

「・・・・・・怖いなぁ」

 

 新しく芽生えた気持ち1つでここまで自分自身が左右されることが、ナカジマは怖かった。

 それでもなお、ナカジマは笑う。その気持ちの根っこにあるのが、決してネガティブなものではなく、むしろ穏やかな気持ちだから。

 ナカジマはカーテンを閉めて、ベッドに横たわる。

 明日もまた、戦車の整備だ。早めに寝なければ。

 そうして、雨の音を静かに聞きながら目を閉じて、静かに眠りに就いた。



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雨間の熱

 朝7時半。

 気温、31度。

 

「あっつい・・・・・・」

「体溶けそう・・・・・・」

 

 機材を運びながら、村主とスズキは声を捻り出す。まだ朝日が昇ってからそこまで経っていないのに、その暑さはまさに体を溶かしてしまいそうなほどだ。

 ニュースではついに『梅雨明け』と報じられてしまい、この先雨は期待できない。夏らしい猛暑の日々が続くのだろう。そう思うと気が滅入る。

 

「これだけじゃ暑さも凌げそうにないな・・・」

「でも無いよりはマシだからね・・・」

 

 2人が運んでいるのは、移動式のスポットクーラー。本体から伸びる太いパイプで冷風を送る装置だが、広いガレージでは気休め程度にしかならない。スズキの言う通り『無いよりマシ』なぐらいだ。

 ガレージに戻ると、鉄扉の前でホシノがホースで水を撒いていた。撒いた水の冷気で辺りを涼しくする『打ち水』というものだ。

 

「お疲れ~」

「おー、なんか涼しく感じる!」

 

 スズキが表情を緩ませる。村主も冷気が漂うのを感じて、気持ち少し涼しくなってきた。打ち水も意外と馬鹿にならない。

 

「これはどこに置いとく?」

「とりあえず両端かな。電源が確か近くにあったはずだから」

 

 ホシノと相談して、スポットクーラーはガレージの両端に置くことにした。

 そこへ配置したところで、演習場の地面を均していたナカジマとツチヤのブルドーザーが戻ってきた。

 

「いやぁ、今日は一段と暑いねぇ・・・」

「喉からっから・・・」

 

 額に浮かんだ汗を腕で拭う2人。この2人もまた、朝とは思えない鋭い日光に当てられて大分グロッキーらしい。

 そんな2人を見て、村主は予め用意していたタオルと水を2人に渡す。汗がそのままでは気持ち悪いし、年頃の女の子としてはその辺りを注意してほしい。

 

「まあ、天気がこんなだから、皆整備をする時は身体に気を付けてね」

『了解』

 

 この暑い時期につきものなのが熱中症だ。誰でも罹り得るもので、なおかつ命の危険もある、非常に厄介なもの。

 ただでさえ戦車道は屋外での活動が多い。その上、レオポンチームは戦車の整備という重労働があるため、余計熱中症になる可能性が高い。それは皆もちろん分かっているから、水分補給やこまめな休憩などの対策はしっかり取るつもりだ。

 

「村主も、無理しないでね」

「ああ・・・」

 

 村主の肩を軽く叩きながら、ナカジマが軽く笑う。

 その様子を見て、村主は少し安心した。先日は多少の誤解があってお互いぎこちない感じがしたが、今は普通に接してくれている。

 その誤解が解けたことは喜ばしいことなのだが、それ以上に今の村主は、どこか心が満たされるような感覚だ。

 

「・・・・・・」

 

 思わず胸の辺りを押さえる村主。

 ただナカジマに声をかけられて、肩を叩かれただけなのに、なぜこんな気持ちになってしまうのか。今になって疑問視する。

 

「どうしたの村主、もう熱中症?」

「いや・・・違うけど・・・」

 

 ツチヤが話しかけるが、断じて熱中症ではないと思う。

 別の熱に浮かされていると、それだけは村主でも分かった。

 

 

 

「・・・・・・暑い」

 

 そんなことは分かっているし、言ったところでどうにもならないのも知っている。それでも言わなければ、やってられない。

 それだけ今の状況は暑い。

 

「よし、できた」

「じゃあ次、行くぞ」

 

 今、村主はカバさんチームの戦車・Ⅲ号突撃砲の整備を手伝っている。砲塔が回らないタイプのこの戦車は、車高が低く火力が高いことから偵察や強襲、待ち伏せなどに使われやすい。

 

「砲身の掃除はきついな・・・」

「今の時期は特にぜよ・・・」

 

 村主が車体の下でエンジンルームを点検する間、カバチームのメンバーは履帯をつなぐピンを打ち直していたり、砲身を柄の長いブラシで掃除している。通信機器や照準器など、内部の整備はすでに終わらせていた。

 戦車の下は、意外と蒸し暑い。風通しはそこまで良くないし、狭い故の圧迫感もあるせいで妙に暑苦しく感じる。

 そして何より、村主の『暑い』という気持ち助長させる要素があった。

 

「エンジンの整備、終わりました」

「ありがとう、助かりました」

 

 整備を終えて、チームのリーダーであるカエサル―――本名で呼ぼうとしたら頑なにそう呼ぶよう言われた―――に報告すると、頭を下げられる。

 他の作業をしていたメンバーも、作業を止めて村主の下へと来て挨拶をしてくれる。

 その彼女たちを見て、村主は心の中で唸る。

 

「村主さん、私らの顔に何かついているのかな?」

 

 緑の軍帽を被るエルヴィン―――カエサルと同じで本名ではない―――が訊ねてくる。

 村主は、確かに彼女たちカバチームのことが気になっていた。

 なぜならば。

 

「・・・皆さん、暑くないんですか?」

 

 気にしているのはそこだ。

 彼女たちのことは、初日に挨拶をした時から気にしていた。何せ、制服の上から色々な装飾品を着けていて、涼しそうとは全く思えない。

 リーダーのカエサルは、この真夏に赤いマフラーを巻いている。エルヴィンは、制服の上から軍用コート。村主が疎い女子の流行りかもしれないが、この時期にこんなトレンドが流行っているのだとしたら流石にどうかしてる。

 

「村主殿、『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉をご存じないぜよ?」

「いや、知ってますけど・・・」

 

 癖のある黒髪とメガネが特徴のおりょう―――本名ではない―――がそう言うが、彼女の装いだって大概だ。制服の上から羽織を被っているのだが、時期が時期でなければ趣あると思えただろう。今はただの熱中症を助長させるアイテムでしかない。

 

「私らが熱中症になるのを心配してくれるのは嬉しいが、その心配は無用」

 

 そう言うのは、長い黒髪とコインの描かれたバンダナ、弓道の胸当てが特徴の左衛門佐―――本名のはずがない―――だ。彼女の出で立ちはこのカバチームの中でも一番マシな部類だ(普通とは言ってない)。

 

「熱中症の対策はしてある。首に濡れタオルを巻いたりな」

「後は、冷却シートも用意してある」

 

 カエサルがマフラーを解くと、確かに首にはタオルが巻いてあった。エルヴィンの指差す先にはクーラーボックスもあるし、恐らくあの中に冷却シートや飲み物などが入っているのだろう。

 

「その着てるものも外せば熱中症のリスクは減るはずなんですが・・・」

 

 それだけ熱中症対策をしているのであれば、そのマフラーだのコートだのを脱げば、より熱中症になる可能性は格段に下がるのだ。それなのに彼女たちは、何に拘っているのかそれを頑として脱ごうとしない。

 

「それは愚問だよ、村主さん」

「これは私たちにとって魂のようなもの・・・」

 

 エルヴィンが帽子を、おりょうが羽織をぐっと握る。

 

「そのコスプレがですか?」

「コスプレ言うな!」

 

 左衛門佐に噛みつかれた。どうやら彼女たちにとってはコスプレのつもりではないらしいが、村主にはそうとしか見えない。

 

「これは私たちが尊敬している偉人が身に着けていたものだ」

 

 カエサルが誇らしげに言う。『やっぱりコスプレじゃないか』と思ったが、口には出さない。そういえば、カエサルという名前は世界史の授業でちらっと聞いたなぁ、とも思う。

 

「歴女ってやつですか」

「まあ有体に言えばそうぜよ」

 

 おりょうの特徴ある語尾も、恐らくは彼女が尊敬する偉人に準えたものなのだろう。

 その話し方は村主も聞いたことがあるが、どこで誰が言っていたのかは分からない。ついでに言えば、村主は日本史が苦手なので日本の偉人がすぐには思い出せない。

 

「我々は敬意を表してこれを着けているのだ」

「それを外すなど、とんでもない」

 

 とりあえず、彼女たちはそれぞれ着けているものに愛着、と言うか執着があるのだろう。それだけは分かったし、多分彼女たちは注意してもそれを脱ごうとはしないだろう。

 

「・・・熱中症には気を付けてくださいね」

「当の然」

「そこは流石に弁えるさ」

 

 熱中症の原因が『偉人への敬意』など笑えないので、ちゃんと節度は弁えるように忠告しておく。それは分かっていたようで安心だ。

 

「それにしても、風紀委員がよく見逃しましたね」

 

 厳しい感じのそど子達風紀委員が、校則から外れているであろう彼女たちの装飾品を黙認しているのが不思議に思えた。

 

「ああ、最初は注意されていたさ」

「だが、我々の誠意を持った幾度の説得の甲斐あって、彼女たちも認めてくれたんだ」

「多分それ根負けしたのでは・・・」

 

 げっそりした風紀委員の顔がありありと脳裏に浮かぶ。

 

「まあ、装飾だけで安心しました」

「どういうことかな?」

「これで戦車にまで変な装飾とかしたらと思うと、ちょっとあれですけど」

 

 冗談のつもりで村主はそう言ったが、カバチームは全員不敵な笑みを浮かべている。

 村主の額から、一筋の汗が落ちる。

 

「・・・やったんですか?」

「最初はな」

 

 『最初は』と言っても否定はしないことから、やっぱりしたのだろう。その行動力の高さに、村主は呆れを通り越して尊敬する。

 

「ちなみに、どういった風なものを?」

「なに、色を塗り替えて幟を立てただけさ」

 

 その具体的な内容については、聞きたくなかった。

 

「幟を立てるなんて、目立ちません?」

「ああ、目立ったさ。それでやられたから、止めたんだ」

 

 『やられた』とは、全国大会の前に行われた聖グロリアーナ女学院との練習試合での話だ。聖グロリアーナのマチルダを倒して意気揚々としていたが、幟のせいで位置がバレて壁の向こうから撃ち抜かれた。

 その時のことを教訓として、派手な塗装と幟を止めて、今の状態に戻したらしい。

 

「まあ、最初は私たちも、そこまで戦車道に真剣じゃなかったんだ」

「それは確かにな・・・今思い返せば、あの時はそこまで真剣になれてなかったと思う」

 

 真剣だったのなら、戦車に変な塗装を施したり、幟を立てたりもしない。しかしカエサルたちは、過去の歴史を彩った戦車に乗れることに興奮していた。それを重要視していて、戦車道そのものに対する関心が薄かったのだ。

 だが、その認識を改めさせられたのは、やはりあの練習試合。最終盤で隊長車のⅣ号戦車が最後まで勝負を諦めずに戦い、相手チームをあと一歩まで追い詰めたのが、彼女たちの心を動かした。

 

「あの戦いを見届けて、私たちは反省した。戦車道を歩む以上は、半端な気持ちで挑んではならんのだと」

「戦車だけに注目しているだけでは、戦車道など無理ぜよ」

 

 左衛門佐の意見に、おりょうも同意見のようだ。

 以降、彼女たちは戦車道に対する意識を改めて、試合に臨んだという。その結果、彼女たちはチームのために大いに勝利に貢献した。

 

「あの時最後まで残っていた西住隊長たちが教えてくれたのさ。あの人がいなければ、私たちはまだ戦車道のなんたるかが分からなかっただろう」

 

 エルヴィンたちは、隣にいるⅣ号戦車と、その近くでナカジマと話をしている西住みほを見る。

 彼女たちこそが、カバチームのメンバーの戦車乗りとしての意識を変えたチーム。

 ひいては、この大洗を変えた。

 

「だから私たちは、あんこうチームについて行くさ」

「戦車道も、卒業するまでは続ける」

 

 カエサルの言葉に、村主は引っ掛かりを覚える。

 

「卒業するまで?」

「卒業後にまたこのⅢ突に乗れる可能性は低いからな。色々あったが、この戦車は結構好きなんだ」

 

 大学でも戦車道を続ければ、恐らくだがこのⅢ突よりも良い戦車に乗ることができるだろう。

 だが、彼女たちはこのⅢ突と共に戦車道を始めた。そしてこのⅢ突が好きだから、他の戦車では満足できない。それならばいっそ、乗らない方がいい。

その言い分も、村主にはわかる気がした。

 

「でももしできるのなら、またあの色に塗り直して戦いたいなぁ」

「名案ぜよ!その時は今度は転輪にも龍馬の家紋を入れるぜよ!」

 

 とりあえずそれはやめてほしいな、と村主は遠い目をする。

 あと、おりょうが贔屓にしているのは坂本龍馬だと今知った。

 

 

 くどいようだが、暑い。

 昼休憩に入り、時刻も12時過ぎ。太陽が朝よりも高くなり、地上に降り注がれる陽の光は一層強くなっていて、日向を見ているだけで暑くなってくる。

 

「涼しー!」

「コラァ!ウサギチーム、スポットクーラーを占領するなぁ!!」

 

 ガレージの中も蒸し暑く、じっとしていても汗が肌から噴き出てきそうだ。

 スポットクーラーは2台だけで、この程度では広いガレージ全体を涼しくすることなどできるはずもない。風が出るパイプを自動で左右に動くようにしているが、効き目はほとんどない。

 

「いや、しかし暑いね~・・・」

 

 ツチヤがコンビニの冷やし中華を啜る。もうすっかり、この夏の定番料理が美味しく感じる気候になってしまっていた。

 

「この調子じゃ、夜まで気温は下がらなそうだね・・・」

「困ったな・・・。今日は徹夜なのに・・・」

 

 サンドイッチとカレーを食べるスズキとホシノ。

 今日はチーム内の模擬戦があり、徹夜で戦車の整備をするのはもはや確定。熱帯夜の作業など御免被りたいので、少しでも気温が下がってほしいと願う。だが、スズキの言う通り気温が下がる気配もないので厳しそうだ。

 村主はおにぎりを片手にスマートフォンを見て、今日の夜の気温を調べるがやはり高い。完全に熱帯夜、今から憂鬱になってくる。

 

「とにかく、熱中症には注意してね。ちゃんと水分補給して、体も冷やしておくように」

『りょうかーい』

 

 コッペパンを片手にナカジマがそう告げる。

 返事をしながら、村主は空を見上げた。

 

「村主、どうかした?」

「いや、なんでも・・・」

 

 正面に座るスズキが問いかけるが、村主はそっぽを向く。

 さて。

 とかく今の時期、ガレージは暑い。汗だって止まらないし、服の中は熱気でむせ返っている。何もしていなくても倒れそうだ。

 おまけに、本来レオポンチームが着ているオレンジのツナギは、部品などで生地が切れてけがをしないように厚手のもので、余計に熱が籠りやすい。

 この時期にそんなものをぴっちり着ていては、カバチーム以上に熱中症のリスクが高まる。

 

「・・・・・・」

 

 だから今は、レオポンチームは全員ツナギを上半分だけ脱ぎ、腰のあたりで袖を結んでいた。言うなれば全員ホシノと同じスタイルで、村主も同様の格好をしている。

 しかし、村主はツナギの下にTシャツを着ていたのに対し、ナカジマたちは揃いも揃ってタンクトップだった。

 タンクトップは知っての通り、肩や腕、首元がほとんど露出している。整備系の作業をする際に着ることは推奨されてはいないが、禁止されているわけでもないから着られるのだ。

 要するに。

 

 ナカジマたちの露出が多すぎて、村主が目のやり場に困っている。

 と言うか目のやり場がない。

 

 

(考えるな・・・無心になるんだ・・・)

 

 目を閉じて、黙々とおにぎりを食べる村主。

 育ってきた環境柄、このような状況に陥ったことがないから仕方ない。だが、今の状況は非常に目に毒だ。水着ほどではないにしろ、タンクトップも露出度は高いから直視できないことに変わりはない。

 そして、とりわけ気にするべきはホシノとスズキだ。

 

「いくら水飲んでも足りないな・・・」

「ホントにね~・・・なんか飲んだ傍から全部汗になってるみたい・・・」

 

 襟元をパタパタと扇いで、少しでも服の中に風を送り込もうとするホシノとスズキ。

 今まで気にしてなかったが、この2人は結構スタイルがいい。特にスズキはツナギで分からなかったが、ホシノと同じぐらいには胸が大きい。しかもそれを自覚しておらず、遠慮のない行動のせいで村主の精神は確実にすり減っている。

 

「村主、どうかした?」

「いや、大丈夫・・・」

 

 村主の異変に気付いたのかナカジマが覗き込んでくるが、村主は目を逸らす。

 忘れてはならないが、ナカジマもホシノたちと同様に上がタンクトップ状態だ。普段以上に肌を露出するナカジマを至近距離で見られるほどの強靭な精神力を、村主は持っていない。

 何より、ここ最近ではナカジマの姿を見て、そして言葉を交わすだけで胸が疼くような感じがするのだ。なおのこと、こうしてすぐ近くにナカジマがいることに耐えられない。

 村主はおにぎりを口に放り込み、立ち上がる。

 

「・・・ちょっと水撒いてくる」

「う、うん・・・」

 

 非常にいたたまれなくなり、村主は立ち上がる。ホースを取り出して、今朝ホシノがやっていたようにガレージの前にホースで水を撒き始める。だが、その様子はどこかやけくそ気味に見えた。

 

「村主、どうしたんだろうね?」

「さあ?」

 

 ツチヤとホシノはどういうことか全くわからずに、首を傾げる。

 ただ、ナカジマは少しだけだが、辛かった。村主の態度が、どうにも自分を避けているような感じがしたから。

 

 

 午後からは予定通りチーム内の模擬戦。こんな炎天下でも戦車道は行われるのだから、過酷なものだ。

 今日の試合形式はフラッグ戦だったが、勝利したのはやはりと言うか、あんこうチームが所属するチームだった。あのチームには弱点があるのかと思えるぐらい強い。

 その模擬戦中、村主は遮蔽物がない観測用の高台で審判を務めていた。日光がダイレクトアタックをしてくるので、熱中症にならないか不安で仕方なかった。とはいえ、水分補給はちゃんとしていたのでその心配も杞憂に終わったが。

 だが、夕方辺りから気温が下がってくれたらいいな、というレオポンチーム全員の願いも空しく、夕方になっても気温は30度を超えたままだった。

 他のメンバーは『帰りにアイス食べよ~』とか『ラムネが恋しい』と言っているが、村主たちはそんな言葉を聞きながら戦車の整備に取り掛かる。整備を終えるまでアイスとラムネはお預けだ。

 

「じゃあ全員、しんどい時は休んでいいからね。水分補給もこまめに」

『了解』

「さ、始めよう!」

 

 作業前にナカジマが忠告し、全員が頷く。そしてそれぞれが整備する戦車が割り振られ、今日の村主の担当はⅢ突とM3に決まる。ポルシェティーガーはダメージを受けて撃破判定をもらったが、先週のように動力系をやられるということにはならず、1人で修理できるほど(レオポンチーム基準)だったので、これはホシノに一任。ほかの戦車も分担して修理することになった。

 

「暑い・・・」

 

 Ⅲ突のエンジンルームを整備しながら、村主は独り言つ。

 日中と比べて気温は下がっているが、それでもまだ蒸し暑い。予報通りの熱帯夜となりそうだ。

 額に浮かぶ大粒の汗を拭い、着ているTシャツもまた汗でじんわりと湿ってきている。

朝持ってきたスポットクーラーも絶賛稼働中だが、やはりこのガレージが広すぎるせいで効果がそこまでない。たまにそっちの方を見てみると、ホシノやスズキが直に風を浴びているのが分かる。恐らく見てないところでは、ナカジマとツチヤも風を浴びているのだろう。

 村主も、そろそろ限界が近づいてきていたので風を浴びに行こうかなと思い、切りのいいところで戦車の外へと出る。

 日没前に作業を始めるとき、ナカジマたちは変わらず上がタンクトップだけのホシノスタイルだった。また直視できないほど露出度の高い彼女たちを見てしまうかもしれないので、見ないように細心の注意を払いたい。

 

「あ、村主。お疲れ」

 

 そう思っていたのに、立ち上がった先にはナカジマがいた。タイミングが悪い。

 しかもあろうことか、ナカジマは襟元を少しだけ引っ張ってそこから冷風を取り込んでいた。タンクトップの中の汗と熱気には有効だろうが、そのせいで胸元が見えてしまっている。おまけに冷風でタンクトップが内側から膨らんでいて、お腹の辺りまで普通に見えていた。

 その瞬間、村主は頭の中で『あああああ』と叫び、頭を掻きむしり、のたうち回る。意識を向けるとよくない情念が湧き上がってきて、取り返しのつかないことをしてしまいそうだ。担任の『粗相すんな』という言葉も頭の中に響き、熱帯夜の暑さなど頭の外へとポンと飛び出した。

 

「・・・・・・お疲れ」

 

 それだけ言って、村主は戦車の下にまた戻る。後ろでナカジマが『あれ、村主?』と呼び止めるような声を上げるが、村主は聞かずに水を乱暴に飲んで戦車の下へと戻る。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そんな村主を見て、ナカジマは心が締め付けられるような感じがした。

 村主がどうして自分のことを避けているのかは分からない。だが、ナカジマの村主に抱いている気持ちを考えれば、避けられることはとても辛いものだ。

 

(落ち着いてから聞いてみるしかないか・・・)

 

 自分が受け持つ三式中戦車チヌへと向かいながら、ナカジマは自分に言い聞かせる。

 多分避けられるかもしれないが、それでも村主にはその理由を聞きたかった。以前、村主が自分から聞いてきたように。

 誤解からくるすれ違いとは、歯がゆいものだ。

 

 

 Ⅲ突の修理を終えて、続けてM3の作業に入る。

 ちらっと時計を見ると0時を回っていたが、依然として暑さは引いていない。十中八九の熱帯夜だろう。

 各自で摂った夕食の後、村主は2~3分の休憩をたまに取りつつ戦車の修理を続けている。ここに来るまで戦車の整備をしたことがなく、おまけに修理も1人でするのは初めてなので、時間がかかるのはもはや必然。それでも、それをどうにかしようとして、村主はピッチを上げて整備を進めている。

 だんだんと、暑さも気にしなくなってきた。もしかしたら、気温が下がってきているのだろうか。途中で水分補給をしたり、汗を拭いたりしているが、そこまで暑くない。

 

(忘れろ、忘れろ、忘れろ・・・)

 

 それと、村主がここまで整備に集中しているのは、先ほど目に入ってしまったナカジマの姿から死に物狂いで意識を逸らそうとしているからでもある。

 自分は健全な男子高校生、おまけに先ほどのような状況にも出くわしたことがないから耐性もない。だからこれは一種の防衛本能だ。

 

(傷は直した、色も塗り直した、凹みも出っ張りもない・・・次はエンジン・・・)

 

 作業だけに集中して、村主はM3の下へと潜り込む。

 そしてエンジンルームの蓋を開けて、気を引き締めて作業に取り組む。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ん?」

 

 気づけば、村主は仰向けになっていた。

 見上げているのは、戦車の底の面ではなく、ガレージの天井。

 

(あれ・・・?俺、M3の整備をしていたんじゃ・・・あれ?)

 

 村主が頭を働かせるが、M3のエンジンルームの整備をしていた辺りで記憶がない。それでも頭を働かせて思い出そうとすると、靄がかかったように頭がぼーっとしてくる。

 そこで、額に載っていた何かが『べちゃっ』と音を立てて床に落ちた。

 

「・・・冷凍パック?」

 

 完全に溶けてしまっているが、体を冷やすのには重宝される冷凍パックだった。

 だんだんと、意識がはっきりとしてくる。それを見て、誰かが知らないうちに載せてくれたのは分かった。だとすれば、村主はいつの間にか作業を終わらせて、疲れて眠ってしまっていたのだろうか。

 そして今度は、頭の後ろから何か柔らかい感触が伝わってくる。タオルか何かが敷かれているのだろうか。

 

「・・・・・・・・・へ」

 

 だが視線の先には、ナカジマの顔があったからだ。ナカジマは眠っていて、村主が起きたことに気付いていない。

そして、村主の右の手のひらは、ナカジマが両手で包み込むように握っていた。

 ナカジマが至近距離にいる、ということよりも、どうしてこんな状況になったのか。それが気になって仕方がない。

 

「・・・・・・ナカジマ」

 

 だから、寝ているところを起こすのが申し訳ないと思っても、小声で起こそうとする。

意外にも、村主が1回小さく言っただけで、ナカジマはパッと目を開いた。

 

「村主・・・!大丈夫!?」

「いや・・・俺はなんともないけど・・・」

 

 心底心配しているような、ナカジマの第一声。そこでナカジマが手を離したので、ようやく村主は体を起こして向かい合う。

 だが、その直後。

 

「よかった・・・!」

「!?」

「ほんとによかった・・・!」

 

 ナカジマが、真正面から抱き締めてきた。唐突にもほどがある事態に、村主は目を白黒させることしかできない。汗の匂いがほんのり混じった甘い香りや、自分とは違う柔らかい感触など二の次だ。

 

「ど、どうした・・・ナカジマ?」

「どうしたもこうしたもないよ・・・だって・・・・・・」

 

 村主を抱き締める腕を解き、真正面から見るナカジマ。

 

「・・・倒れてたんだよ?戦車の下で」

「・・・・・・え?」

 

 事実を言われて、村主も絶句する。

 村主は覚えていなかったが、M3の作業を進めている途中で、軽い熱中症で意識を失ってしまっていたのだ。

 そして、レオポンチームの4人が作業を終えても村主が姿を見せず、返事もなかったので様子を見たら、M3の下で村主が動かなくなっているのを発見した、らしい。

 それに気づいたナカジマたちはいち早く村主を戦車の外へと連れ出して、応急処置を施した。この時期はこうなる可能性が高かったので、処置の仕方はマスターしていると言う。

 それもあって、村主は先ほどまで意識を失うだけで済んでいたのだ。

 

「・・・・・・本当、よかった・・・」

 

 声が震え、村主の手に水の粒が落ちてくる。

 ナカジマは、泣いていた。

 それだけで、ナカジマが村主のことをどれほど心配していたのか、痛いほど伝わってくる。

 

「・・・もしもあの時、もう少し助けるのが遅れてたら・・・」

 

 その先は、口をつぐんだ。何が言いたいのかは村主も分かる。恐らく、二度と村主が目を覚ますこともなかっただろう、と。

 

「・・・ごめん、心配かけて・・・」

 

 力なく、そう答えることしかできない。

 ひどいものだと、村主は思う。実習先で命の瀬戸際に追い込まれ、しかもそれが自分の不手際、そして助けてくれたのは自分が世話になっているナカジマときた。しかも今、こうして涙を流させてしまっているのだから、どう償えばいいのかも分からない。

 

「・・・俺、どうしたらいいのか・・・」

 

 自分にできることが分からない。だから確かめようと思ったが、ナカジマは顔を横に振る。

 

「・・・こうして、村主が無事なのを確かめることができただけ、私は十分だよ」

 

 村主の手を握るナカジマの手に、ほんの少し力が籠められる。

 手のぬくもりが、村主の心にも伝わってくるようだった。

 そして、安堵の表情を浮かべるナカジマに、村主の目はくぎ付けとなる。

 やけに心臓がうるさくなってきた。後遺症だろうか。

 

「村主は、戦車の整備の実習のためにここに来たんでしょ?」

「・・・ああ」

「それで、将来は戦車の整備士に、なりたいんでしょ・・・?」

「・・・そうだな」

 

 一言一言を、ナカジマは噛みしめるように言う。

 

「その村主の夢は、私も応援してる。だから、その夢が叶わなかったら、って思うと私も悲しい」

 

 心の底から安心しているように、ナカジマは笑っている。

 

「村主が頑張ってるのは、私も分かってるつもりだから・・・」

 

 手元に視線を落とす。

 

「それに、この前村主の言葉を聞いて、私もすごく嬉しかったし・・・」

 

 顔を上げて、村主の顔を見据えて。

 

「私にとって村主は・・・・・・かけがえのない人だから」

 

 

 

 とくん、と。

 村主の心は、ひと際跳ねた。

 

 

 

「だから・・・無事だってわかっただけで嬉しいよ」

「・・・・・・ありがとうな。ナカジマ」

 

 だが、それはおくびにも出さないで、あくまで冷静に、村主は笑ってそう答える。

 それでナカジマも安心して、涙を拭った。

 それと同時に、ナカジマは一つ村主に聞きたいことがあったのを思い出す。

 

「そういえば、村主」

「?」

「何か昨日は、私を避けているような感じがしたんだけど・・・どうして?」

 

 訊かれて村主は、『うぁ・・・』と目を逸らして声を洩らす。

 少しの間迷ったが、やがて村主は自分自身の胸元辺りを指差す。

 

「その・・・・・・ナカジマ、タンクトップだから・・・それで・・・」

 

 言い淀む村主の言葉と、そのジェスチャーで何が伝えたいのか分かったナカジマは、今度は顔を赤くして胸元を手で隠した。

 

「・・・・・・ごめん」

「いや・・・・・・暑いし、仕方ない。だから・・・あんまり見ているのも目に毒だから、避けてた・・・」

 

 なんとも拍子抜けする理由に、ナカジマは軽く笑う。

 そして、その村主の額を軽く拳で小突いた。

 

「・・・もしかして、それでさっきの休憩の時、戦車に急いで戻ったの?」

「あ・・・まあ、うん」

「まあ、私も恥ずかしいっちゃ恥ずかしいけど・・・それで村主が休憩も我慢して命の危険にさらされたなんて、笑い話にもならないんだから。次からはきちんと休みなさい」

「・・・はい」

「それと、ホシノたちもすっごく心配してたから、後でちゃんと謝るんだよ?」

「・・・はい」

 

 母親に叱られるように言われて、村主も頭を下げる。

 

 

 外を見ると、まだ日は昇りきってはいなかった。時計を見れば6時半前。村主が意識を失ったのはいつだったのかは覚えていないが、どうやら4時間近く意識がなかったらしい。覚えてないところが、現実味を帯びさせる。

 まさか、夏にこんな経験をすることになろうとは、思ってもいなかった。今後は、ナカジマの言う通り、多少の恥を忍んでも休憩はして、二度と命の危険に自分から飛び込むような真似はしないと、誓う。

 だが、同時にこうも思う。

 

 このことがなければ、自分の気持ちに気付くのがさらに遅くなっていた、と。

 

 ここ数日の間で、村主はナカジマのことを気にすることが多くなっていた。避けられていると思ったことを深く気にしていたのも、触れられただけで妙にそわそわしたのも、そしてある時ふと感じた『可愛い』という気持ちに後ろ髪をひかれていたのも。

 その全ては、ある1つの感情によるものだったのだと、たった今気付いた。

 それは自分の心を支配するほどに大きくて、強い気持ちだということ。

そんな気持ちが自分の中で知らず知らずのうちに育っていたことを、朝日を浴びながら村主は実感した。

 

 

 自分の、ナカジマに対する、その気持ち。

 この気持ちは、生まれて初めての心地よいものだった。

 

 



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鬼雨

 金曜日、整備が終わった後のファミレスで。

 

「この前は本当に、心配をかけた。ごめん」

 

 席に着いたところで、村主がその場に座る全員に向けて頭を下げた。

 徹夜で整備をしていた時に起きた脱水症状と、それに伴う気絶。その場に居合わせていたレオポンチームには、大きな心配と迷惑をかけてしまった。それを今、村主は改めて詫びている。

 同じテーブルに座るナカジマたちは、村主を糾弾することもなく、厳しい表情でもなく、ただ安心したように笑っている。

 

「最初はヒヤッとしたけど、こうして元気になって安心したよ」

「ああ、大事にならなくてよかった」

 

 スズキとホシノが笑ってくれる。ツチヤも頷いてくれた。

 そして、村主の隣に座るナカジマも、本当に安心したように笑ってくれている。

 

「今日は俺が奢るから、みんな好きなもの食べていいからな」

『やった~!』

 

 宣言すると、ホシノたちは無邪気に喜んだ。もともと彼女たちは、肉体労働が多くてお腹を空かせることが多いので、まさに渡りに船というべきか。

 注文すると、早速ツチヤはドリンクバーへと軽やかな足取りで向かう。ホシノとスズキも嬉々とした様子でグラスを取りに行った。

 しかし、ナカジマはすぐには立ち上がらずに話しかける。

 

「・・・ホントにいいの?みんな奢りだなんて」

「ホシノたちに心配と迷惑をかけたのは事実だしな。これぐらい、安いもんだ」

 

 村主は笑って首を横に振る。出費が想定以上になっても、明日から節制すればいいだけだ。

 それと、村主はもちろん、ナカジマのことも忘れてはいない。

 

「特に、ナカジマには心配かけたし・・・。だから、行ってきていいぞ」

 

 そう促すと、ナカジマもにっと笑って立ち上がる。

 

「村主のも持ってくるよ。何がいい?」

「じゃあ・・・オレンジのソーダ」

「了解~」

 

 ドリンクバーへと向かうナカジマ。その後ろ姿を見ながら、村主は小さく息を吐く。

 

 村主は当然、あの時ナカジマに大きな心配をかけてしまったことを覚えている。涙を流させてしまったことも村主の不手際によるものだから、忘れてはならないことだ。女の子を泣かせてしまうなど、汚点と言っていい。

 そしてあの時、村主の中には1つの大きな気持ちが宿った。その気持ちを抱いた時から、村主は心に誓ったのだ。もう二度と、ナカジマを泣かせるような真似をしないと。

 だからこの前のようなことは、ナカジマのためにも、そして村主自身のためにも起こしてはならない。

 

 

「いよいよ明日だね。レース」

「ああ」

 

 気づけばスズキとホシノがグラスを持って戻ってきていた。その中身は、ツチヤと違って見る限り普通のドリンクらしい。

 それより村主が気になったのは、『レース』という言葉だ。

 

「レースって、どこで誰と?」

「もちろんこの学園艦で。学園長とね」

「学園長・・・あー、そういえばレース好きなんだっけ」

 

 以前ナカジマから、学園長がレース好きという話を聞いたことがあった。今レオポンチームが使っているブルドーザーも、学園長とのレースの戦利品のようだとも聞いている。

 

「レースって、どれぐらいの頻度でやってるんだ?」

「んー、2か月に1回ぐらいかな」

 

 スズキの答えに、村主は『意外と多いかな』という印象を抱く。

 それは恐らく、レオポンチームとその学園長がそれだけレースが好きだからだろう。

 

「何、明日の話?」

 

 そこへツチヤが、またしても複数混ぜたらしき形容しがたい色のドリンクを持って戻ってきた。スズキとホシノは、その中身を一瞬だけ見たがすぐに目を逸らす。

 

「何時からやるんだ?」

「朝の7時。何せ学園艦の道路だし、車の量が少ない時間帯じゃないといけないからね」

 

 答えてからツチヤは、自作のミックスドリンクを飲む。が、すぐに『んぇ』と舌を出して渋い顔をした。どうやら味の配分が間違っていたらしい。

 

「飲んでみる?」

「やだよ、そんな美味しくなさそうな顔で」

 

 ツチヤが差し出してくるが、先ほどの反応を見た後では飲みたくない。

 そこへナカジマが戻ってきて、村主の前にオレンジスカッシュを置いてくれた。村主は手を挙げて『ありがとう』と伝える。

 

「誰が明日走るんだ?」

「明日は私だよ」

 

 誰が走るのかは予め決めていたようで、即座にナカジマが名乗り出た。レースをする人はいつも同じではなく、基本はローテーション、あるいはコースや天気などで決めているらしい。

 

「まあそれよりも前の時間から、クルマの整備は始めないとだけど」

 

 ホシノがふぅ、と息を吐く。

 戦車道の試合もそうだが、試合前に徹底的に整備をして万全の状態にして、改めて試合に臨めるようにしている。マシンの状態で試合が大きく左右されるのは、クルマも同じだ。

 そこまで聞いて村主は、『あのさ・・・』と話しかけて。

 

「俺もそのレース、観てもいいか?」

「もちろん。別に秘密にしてるわけでもないし」

「できれば整備も手伝ってくれると嬉しいかな」

「ああ、ぜひとも」

 

 彼女たちの言う『レース』がどれほどのものかは分からないが、興味ができた。それに、ただ観るだけでなく整備も手伝いたい。スズキの頼みも願ったり叶ったりだ。

 また、村主は学園長に挨拶もしておきたかった。事前面談で挨拶はしていたが、それでもコンタクトが取れる機会があるのなら、積極的に会っておきたい。

 

(・・・よし、頑張らないと)

 

 その傍ら、ナカジマは明日村主が来てくれると聞いて、声には出さずに喜んだ。初めからベストを尽くすつもりでいたが、村主が来てくれるのであればより一層頑張れる。モチベーションも上がってくるものだ。

 自然とナカジマは、拳を握る。

 

 それからは村主の奢りで夕食会が始まったが、代金は村主の予想よりも少し低かった。学生の財布事情を知っているからなのか、皆手加減をしてくれたらしい。

 ちなみに、一番多く料理を頼んだのはホシノだった。

 

 

 翌日は、日が昇る前からガレージに集合し、以前レストアを終えた白い車―――ソアラの整備を始める。自動車部からすれば、これから始まるレースはこのソアラの初陣となる。だからと言うわけではないが、それでも念入りに整備を行う。その緊張感も、普段よりも強い。

 自動車の構造は村主も学校の実習で知っていたので、今回は大いに協力することができた。

 そして、着々とメンテナンスを続けて、日の出の時刻を迎えた。

 空が白み始めるも暗い雲が所々に広がっていて、その色合いは一雨降りそうな感じを醸し出している。しかし、それはあまり気にせずに整備を続ける。

 やがて日の出から少し経ち、ガレージの外から自動車のエンジン音が聞こえてきた。それに釣られて村主たちが振り返ると、1台の赤い車がガレージの前に停まっていた。流線型のフォルムで車高が低い、赤い自動車だ。

 

「フェラーリか・・・」

「学園長だね」

 

 車のエンブレムを見て、タイプは分からなくてもどこの車か村主には分かった。

 ドアを開けて降りてきたのは、白髪と少し皺のある顔が年齢を感じさせる女性。彼女こそ、ナカジマの言った通り大洗女子学園の学園長だ。村主も顔合わせはしたことがあるので、言わなくても分かってはいたが。

 

「おはよう、自動車部の皆さん」

『おはようございまーす』

 

 学園長のあいさつに、ナカジマたちは間延びした感じで答える。既にレースを何度もやっている間柄だからか、両者の間の空気は実に和やかだ。教師と生徒という隔たりもなさそうに見える。

 しかし、村主は別だった。

 

「お久しぶりです、学園長。村主です」

「あら、お久しぶり。あなたの学校の面談以来かしら?」

「多分、そうですね。覚えている限りでは・・・」

 

 記憶している限り、村主が学園長と話をしたのはその事前面談1度きりだ。それだけでは打ち解けたとも言えないため、やはり畏まってしまう。

 

「どうかしら?実習の方は」

「自動車部の皆さんが丁寧に教えてくださるので、頑張れてます」

 

 お世辞を言ったつもりはない。

 しかしナカジマたちは、普段村主が砕けた口調で話すので、今のように敬語を使っているのが少し可笑しく見える。

 

「あなたたちから見て、村主君はどんな感じ?」

 

 話を振られて、口を開いたのはナカジマだ。

 

「やっぱり専門学校である程度学んでいたからか、結構筋はいい方ですね。一通り教えたこともできているので、整備も大分助かってます」

「そう・・・流石はあの昴の教え子ね」

 

 昴とは、村主の学校の担任の女性教師、大洗のOGのことだ。事前面談の時も、学園長と昴は結構打ち解けた様子で話していた。

 

「私ね、昴の担任をしてたのよ」

「あ、そうでしたか」

 

 どうやら学園長は、元々はヒラの教員だったらしい。その時自分が受け持っていたのが、村主の担任の昴ということか。

 

「あの子、意外と勉強ができててねぇ。成績も結構上だったと思うわね」

「そうなんですか・・・」

 

 昴は割とフランクな性格だと村主は思ったが、意外と頭も良かったらしい。教師も馬鹿では務まらないが。

 ともかく、担任の身の上話は興味深かったが、今日のメインはあくまでもレースだ。

 

「今日は誰が走るのかしら?」

「私です」

 

 ナカジマが一歩前に出ると、学園長はふむ、と顎に指をやる。

 

「・・・そろそろ雨が降りそうだし、あなたにとってはいいコンディションかもね」

 

 改めて空を見ると、今にも雨が降り出しそうな暗い雲が近づいていた。

どうやらナカジマが雨が好きなのは、自動車部だけでなく学園長も知っているようだ。

 

「勝ったら部費アップ、お願いしますね」

「ええ、分かったわ」

 

 ホシノが腕を組んでニヤニヤ笑う。以前は中古の重機を賭けていたようだが、最近は部費を賭けているのかと、村主は苦笑する。予算案の意味もなさないだろうに。

 時刻は6時45分、レース開始時刻が差し迫っている。早速学園長が車に乗り込む。

 

「それじゃ、ナカジマ。頑張って」

 

 レースに参加しないホシノたちは、カメラ付きのドローン(自動車部所有)を飛ばしてレースを観戦するつもり『だった』。

 

「村主」

「?」

 

 だが、ガレージに向かおうとした村主をナカジマが呼び止めた。

 振り返ると、ナカジマはソアラを指差して。

 

「一緒に乗ってくれる?」

『え?』

 

 それに反応したのは村主だけでなく、レオポンチーム全員だ。フェラーリに乗り込もうとした学園長も、動きを止める。

 

「ちょっと待って、ナカジマ」

 

 そして、声をかけられた村主よりも早く、ホシノが声を出す。

 

「レースで鍵になるのは集中力だってことは、当然分かってるよね?」

「もちろん」

「・・・なら、その集中力を欠くような要因は持ち込まないべきだってことも、分かってるはずだけど?」

 

 ホシノが暗に、『村主は足手まといだ』と言っているのは、その場にいる誰でも分かる。

 これはレースに限った話ではない。勝負の世界において、勝敗を左右するような要素はできる限り取り除いておくべきだ。そんな要素は自分から取り入れるべきではない。

 村主もそれは分かるし、ナカジマだって何度もレースをしてきたから分かっている。

 

「ホシノの言う通りだ。でも私は、村主がいてくれればもっと頑張れる」

 

 だが、それでもなおナカジマの意思は揺るがない。

 そしてその意思を聞かされて、ホシノたちは意表を突かれたような顔になった。

 村主など、自分の心が一段と跳ねたように錯覚する。

 

「・・・分かった。それなら」

 

 ホシノに背中を押されて、ナカジマが運転席に、村主は助手席に乗り込む。スズキとツチヤは、『頑張ってね~』と声をかけてから、ドローンを準備しだす。

 学園長もその様子を最後まで見届けてから、フェラーリに乗り込んだ。

 

 

 

「・・・なんで俺を乗せようと?」

 

 コースは学園艦の外周道路1周。スタート地点はその途中にある交差点だ。

そこまで向かう間に、村主はそう訊ねる。さっきは断りはしなかったし、なすがままの感じでの同情となってしまった。それに、ナカジマの言っていたことは断片的過ぎて、村主自身でもわかっていない状態だから、聞いておきたかった。

 

「・・・言った通りだよ。村主がいてくれると、私も頑張れるから」

 

 しかし、ナカジマの返した答えはさっきと同じ。ますますもって分からず、村主は首を傾げる。

 

「大丈夫、特別なことをしろってわけじゃないよ。ただ見てくれているだけでいいんだ」

「ふーん・・・?」

 

 角を曲がり、スタート地点に到達する。サイドブレーキを下ろして、アイドリング状態にした。既に右隣には学園長のフェラーリが停まっている。

 話題を変えるように、ナカジマが話しかけてきた。

 

「村主は、クルマのレースって観たことはある?」

「ないな」

 

 生観戦はもちろん、テレビでも観たことがない。映画でカーチェイスのシーンを見たぐらいだった。そして当たり前だが、レースをする車に実際に乗ったこともない。

 

「すっごく楽しいよ」

「・・・そうか」

 

 生き生きとした顔で、ナカジマが告げる。やはり、レースは好きらしい。

 そこで村主は、このソアラをレストアしたすぐ後の試乗会を思い出す。あの時はレオポンチーム4人のハイスピード+ドリフトによって、精神を思いっきり削られた。

しかし、今日は正真正銘のレースなのだから、その程度では済まないだろうことは想像がつく。思わず苦笑する。

 

「・・・学園長って、レース強いのか?」

「んー・・・どうだろ?たまに壁とかにぶつけたりしてるし・・・」

 

 おいおい、と村主は思う。学園長が学園艦の設備に傷をつけてどうすんだと、別の意味での不安が湧いてきた。

 そこで、時刻が7時になった。目の前にある信号は未だ赤。この信号が次に青になった時が、スタートだ。

 サイドブレーキを上げて、エンジンをふかし始めるナカジマ。学園長のフェラーリも、エンジンを低く唸らせる。

 このレース直前に集中力を高めているような今の状況は、容赦なく村主を緊張させる。

 

「さあて、行くよ・・・しっかり掴まっててね」

「ああ・・・」

 

 その時、ガラスにぽつぽつと雨が降ってきた。空模様がそんな感じだったので驚きはしないし、むしろ雨が好きなナカジマにとっては好都合だ。

 そこでナカジマは、ふっと笑う。

 

「村主」

「?」

 

 ナカジマの視線は、前を向いたまま、信号を捉えたままだ。

 それでも、まるで村主のことを見ているかのように話しかけて。

 

 

「初めてのレース・・・しっかり楽しんでね」

 

 

 その瞬間、信号が青に変わる。そして、勢いよく2台の車はスタートした。

 

「・・・っ!?」

 

 走り出した直後、村主の体がシートにめり込むように後ろに押される。乗用車の急発進でも似たようなことにはなるが、それとは段違いだ。

 それはさておき、肝心のスタートはナカジマの方が一歩勝っている形だ。ただ、学園長も負けてはおらず、引き離されてはいない。

 そこで、急に雨の勢いが増してきた。こんな短時間で勢いが増すということはただの雨ではない。それでも空を見る限り雲がそこまで広がってはいないので、ゲリラ豪雨だろう。

 

「いいねー!」

 

 雨で視界が悪いにもかかわらず、ナカジマはスピードを落とさない。どころか、むしろスピードが上がってきている。

 それでも不思議と、村主の中に不安や恐怖と言った気持ちは浮かばなかった。

 きっと、雨が好きだと言うナカジマがハンドルを握っているから、安心しているのだろう。

 

 

 

「スタートはいい感じだな」

「そうだねぇ」

「結構勢いが良い気がするよ」

 

 ゲリラ豪雨に見舞われるが、ホシノたちはガレージの中でドローンの空撮映像を観ている。ちなみにドローンを操縦しているのはツチヤで、雨にもかかわらず腕は結構良かった。

 

 

 雨で視界が悪い中、最初のカーブをドリフト気味に曲がる。横にGがかかり、加えて雨で路面が滑りやすくなっていて、村主の体がドアに押し付けられそうになるが、何とか体勢を保つ。

 そこで、少しだけナカジマの横顔を見てみた。

 その目に映るのは、先ほどまでの笑顔も、普段見せる穏やかささえ一かけらも感じさせないほど真剣な表情。さながら戦車を整備している時と同じようだが、今は状況のせいかそれ以上に真剣に見える。

 カーブを終えて、再び直進すると体の位置も戻る。

 

「フー!」

 

 思わず村主が声とは言えないような声を上げると、ナカジマは軽く笑った。

 

 

 激しい雨が降りしきる中、学園艦の外周道路を突っ走る2台の車。やはり土曜日で、交通量が少ない朝方だからか1台もすれ違わないし、見かけもしない。ジョギングをしていたらしき少女が、走り去る2台を『何事!?』とばかりに振り返ってはいたが。

 その2台だが、ついに結構距離が離されてきていた。ソアラがフェラーリをリードする形で。つまり、今のところはナカジマが勝っている

 2つ目の角を勢いよくソアラが曲がったところで、スズキが呟く。

 

「・・・なんか、普段よりもスピード出てない?」

「ああ、だけど安定感もある」

 

 ホシノも同じことを思っていたらしい。ドローンを必死に操縦して追いかけているツチヤも、同じことを思っているらしく頷いていた。

 

「こんな雨だから?」

 

 ガレージの外の猛烈な勢いの雨の音を聞きつつそう言うが、ホシノとスズキはレースに集中しているのか答えなかった。

 

 

 ソアラの中で村主は、目まぐるしく後ろに流れていく景色と、ガラスに打ち付ける雨粒の音、エンジンの音と振動を五感をもって体感しながら、自然と笑っていた。

 これだけのスピードを出す車に乗ったことはない。前に行われた試乗会でも、ここまでのスピードは出ていなかった。だから、レースの世界を体感したのは正真正銘今日が初めてだ。

 その初めてが、雨の日に、ナカジマと、というのは運がよかったと今では思う。

 なぜならば、自分のすぐそばで、自分が大切に想う人が頑張っているのだから。

 これが楽しくなくて、何だというのだ。

 そうして3度目のドリフトを受けるが、その時はもう怖さなど抱いていなかった。

 

 

 スタート地点の信号を通り過ぎると、ナカジマはブレーキをかけてゆっくりと停止した。少し遅れて学園長のフェラーリも到着する。

 ナカジマの勝ちだ。

 

「・・・おめでとう、あなたの勝ちよ」

「ありがとうございます~」

 

 窓を開けて学園長が話しかけると、ナカジマは普段のように柔らかい口調で返事をした。先ほどとは打って変わって、いつものように和やかな雰囲気を纏っているナカジマは、レース中が嘘のようだ。

 

「普段よりもスピードが出ていたし、動きも洗練されてたわね」

「そうですか?私はそんな感じはあまりしませんでしたが・・・」

 

 学園長の評に、ナカジマは首を傾げる。レースに集中しすぎて気付かなかったが、それはホシノたちに聞けばいいだろう。

 そんなやり取りの傍ら、村主はレースが終わった今も心臓がやかましく高鳴っているのを感じていた。

 初めてレースを体験して、自分の知らない新しい世界が開かれたような感じがした。怖さとか、不安とか、そんな気持ちはどこにもない。あるのはただ、興奮と、達成感だ。自分が運転したわけでもないのに、こんなにも心地よくなれるとは。

 

「さて、それじゃあ戻ろうか」

「あ、ああ・・・」

 

 ナカジマが再び車を走らせる。スピードは普段通りだったが、レースの後だと何だか物足りない感じがした。

 

 

 

「やったね!これでまた部費アップだ!」

「新しいパーツ何買おっかな~?」

 

 ガレージの前に戻ると、ホシノたちがナカジマを温かく出迎える。ハイタッチをしたり、拳を合わせたりして健闘を讃えていた。

レースの興奮で忘れかけていたが、そういえばこのレースは自動車部の部費アップが懸かっていたのだった。

 

「本当に部費上げるんですか?」

「約束だからねぇ」

 

 村主が訊くと、学園長は苦笑いだ。

 

「学園長、レース好きだったんですね」

「ええ。子供の頃に生でレースを観て以来、とりこになったわ」

 

 最初はクルマのおもちゃやプラモを集めていたが、大人になって自分の車を持つことに憧れるようになったらしい。その結果、こうして速い車を買ったとのことだ。

 

「・・・彼女たちには感謝してるのよ」

「?」

 

 学園長がナカジマたちを見ながら、感慨深そうに頷く。

 

「ああして年寄りの娯楽に付き合ってくれるんだもの」

「・・・」

「部費を上げるぐらいのお礼はしてあげなくちゃ」

 

 果たして公道でのガチンコ(?)レースが年寄りの『娯楽』の範疇に含まれるのかは疑問だが、確かにこの学園艦でその相手が務まるのは自動車部ぐらいだと思う。

 

「だから、そうね・・・部費を上げるのはお駄賃ってところかしら?」

「でも勝負はするんですね」

「じゃなきゃ楽しくないじゃない」

 

 いたずらっぽく笑う理事長。やたらと茶目っ気のあるお人だと、村主は笑う。

 

「私も大洗の出身だけど、この学園艦はいい場所よ」

「?」

「さっきみたいに公道で堂々とレースができるのなんて、ここぐらいよ」

 

 サンダースは自前のレーシング場があり、黒森峰には速度無制限のアウトバーンがある。それでも、今日のように町の中を走れる場所はそうないらしい。よくクルマを題材にした映画だと街中でレースをする場面が多く、学園長はそれに憧れているらしいので、うってつけなのだ。

 

「それだけじゃなくて、見て回ると色々と魅力が詰まってるのが分かって。温かい場所なのよ」

 

 レースの賜物だけではないが、長年この場所で生活しているからこそ、この学園艦の魅力を分かっている。年長者ならではの感想だろう。

 村主も以前、ナカジマと一緒にこの学園艦を少し見て回って、ここがいい場所だというのは賛成だ。

 

「レースを観たのは初めてだったのかしら?」

「ええ、まあ・・・初めてでいきなり乗るとは思いもしませんでしたけど・・・」

 

 話題が変わり、村主は頭を掻く。その答えに、学園長は小さく息を吐いた。

 

「・・・聞いたかもしれないけど、レースは基本的に集中を削ぐような要素は、できる限り取り除くのが基本よ」

「・・・ええ、それはホシノも言ってました」

「でも結果的に、ナカジマは私に勝ったわ。それも、普段よりも良いペースでね」

 

 それを聞いて、村主は驚いた。あの時は村主自身、自分はただ邪魔になるだけだと思っていたのだが、逆にナカジマの調子が上がっていたとは。

 

「それは、雨が降っていたからでは?」

 

 しかし冷静に考えてみれば、レースの時には雨が降っていた。今はもう止んでしまったが、雨が好きなナカジマは、雨が降っていると気持ちも落ち着くと言っていた。それが理由ではないかと思う。

 

「どうかしらねぇ?」

 

 そう言って、学園長はナカジマのことを見る。そのナカジマは、パーツのカタログをホシノたちと一緒に眺めて、何を買おうかと話し合っていた。

 だがこの時、学園長は、ナカジマがどうして村主に同乗を申し出て、そしていつもよりいいスコアが出たのかが、分かるような気がした。

 分かる理由は、『年の功』と言ったところだ。

 

 

 その後はレース後のマシンの整備と共に改善点を―――乗っていた村主には改善点などないように感じたが―――話し合って、今度はレースほどではない速度で試走。

 結局、その日解散したのは夕方頃だった。

 

「いや~、有意義な一日だったなぁ~」

「そりゃよかったな・・・」

 

 帰り道で、ナカジマが実に嬉しそうに、キラキラした表情でそう言う。

一方で村主は、話し合い自体はそこまで苦ではなかったが、時間が長引いたことと、レースの緊張感で少しだけ疲れていた。元居た学校で自動車の勉強と整備実習はしていたが、あそこまで本格的に話を突き詰めたことはないし、いかにレースが面白かったとはいえ体は疲れているのだった。

 

「今朝はごめんね、いきなり一緒に乗ってほしいって言っちゃって」

「いや、謝らなくていいよ。俺も結構楽しかったから」

「本当?」

 

 それは確かなことだった。最後の方で村主は、自然と笑っていたのだから。

 

「でも、どうして俺がいると頑張れるんだ?」

 

 しかしやはり、その疑問だけは晴れない。レースに参加させてもらったことで得られるものはあったが、どうしてもそこだけは気になった。

 

「・・・ああ、えっと・・・」

 

 ナカジマは頬を掻きながら、天を仰ぐ。答えに迷っているようで、村主は『あまり深く考えてなかったのか?』と思ったが、どうも違うらしい。

 

「言っても・・・怒らない?」

「怒らない」

 

 確認を取るが、村主は間髪入れずに答える。

 ナカジマは、少しだけ考えた。

 自分の気持ちを包み隠さず言うのではなくて、伝えたいことだけを伝えられる言葉を。

 すぅっと息を吸って、村主の顔を見て。

 

 

「・・・何かね、村主が傍にいてくれていると頑張れるような、力が湧いてくるような・・・安心するんだ。そんな感じがしたから」

 

 

 その答えには、上手く反応できなかった。

 村主の脳裏に、レース前のナカジマの穏やかな表情と、レース中の真剣な表情が蘇ってくる。

 あの表情の裏付けとなっていたのは、自分?

 そう考えると、顔が熱を帯びてくる。

 答えた本人も恥ずかしいと自覚していたのか、鼻の下をこする。ナカジマとしては、自分の奥の奥の気持ちも素直に伝えるなんてことは、まだできない。

 そしてナカジマは知らないが、村主もまたナカジマに対し特別な感情を抱いている。その言葉が、村主の気持ちをより一層強くした。

 

「・・・ごめんね、なんか変なこと言っちゃって」

「いや、謝ることないけど・・・」

 

 恥ずかしさに耐え切れずについ謝ってしまうが、村主は謝ることなんて、と手を振る。

 何か話題を変えなければと、村主は頭を働かせる。

 

「でも、あの時一緒に乗れてよかった。レースの楽しさが分かったから」

 

 村主もまた、夕焼けの空を見上げる。

 

「何か、クルマが好きになる理由も分かる気がする。俺も、ああいうレースが好きになりそうだ」

「・・・それは、嬉しいな」

 

 レースを間近に観て、すっかり心は染まってしまいそうになっていた。今だって、ナカジマのこともそうだが、レースで感じた多くの感覚はずっと残っている。それだけ好きになってしまっている。

 ナカジマは、それが嬉しかった。自分の走りで、村主の心を引き寄せることができたことが、嬉しいのだ。

 村主は、『嬉しい』と言われてしまったことで、つい。

 

 

「それに、ナカジマもすごいカッコよかった」

 

 

 本音が洩れてしまった。

 数秒して『あ』と気付いた時には、時すでに遅し。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ナカジマは赤面してしまっていた。

 村主も結局、自分でもカッコつけたことを言ってしまったのと、先ほどのナカジマの言葉を思い出して、黙り込む羽目になってしまう。

 お互いに自分の中の相手に対する気持ちの大きさを、あらためて思い知った。

 

 

 同時刻、校外の自動販売機の前で、ホシノとスズキ、ツチヤの3人はジュースを片手に神妙な面持ちで立っていた。

 ツチヤが口を開く。

 

「あの2人、やっぱり何かあるよね」

「ああ。こんなこと、今まで一度もなかったからね」

 

 ホシノの言う通り、ナカジマがこれまでレースをする際に、誰かを同乗させることなんて一度もなかった。

 前にも言ったが、レースでの重要な鍵はドライバーの集中力だ。だからその集中力を乱す要因となるようなものは極力取り除くべきだし、同乗者などもってのほかだ。

 にもかかわらず、ナカジマは村主を招き入れ、そのレースの結果はいつも以上に輝かしいものとなった。

 

「・・・あの時雨が降っていたから、マシンが違うから、って言うのは違うかな」

「それもあるだろうけど・・・それだけじゃないんだろうな」

 

 スズキの推測に、ホシノは素直に頷けない。あのソアラがレースをするのは今日が初めてで、それ以前は別のクルマに乗っていた。雨のレースも今日が初めてではない。

 新しいクルマとの相性が良くて、またナカジマの得意とするコンディションだったから、と言うのもあるだろうが、ホシノの言う通りそれだけとは思えない。

 ミルクコーヒーを飲むスズキは、『やっぱり・・・』と切り出す。

 

「・・・村主が、大きな要素なんだよね」

「何だろう、何があったんだろう・・・?」

 

 オレンジジュースを呷るホシノは、考えても答えが出てこない。

 一方で、レモンスカッシュを飲み切ったツチヤは、『ふぃ~・・・』と息を吐いてから。

 

「っていうかさ、多分だけど・・・」

 

 一つの仮定を示した。

 だが。

 

「「まさか」」

 

 ホシノとスズキは、笑ってそう言った。ツチヤも『だよね~』と苦笑する。

 が、すぐに3人とも真顔になって考え直す。そのツチヤが示した『仮定』こそ、一番考えられるものだった。

 

「・・・それがホントだったらどうする?」

「・・・いや、どうするもこうするも・・・」

「応援・・・すればいいのかな・・・」

 

 3人はそれぞれ飲み物を飲み切った後も、しばらくの間このことについて考えることになった。




学園長もレース好きなんだろうなぁ、と思いました。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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雨籠

 村主の実習は3周目に突入し、季節も8月で夏真っ盛りとなってしまった。

 この時期の風物詩はセミの鳴き声、青い空に輝く太陽と決まっているが、最近ときたらセミはやかましいし、日光も下手をすれば命を落としかねないほど強い。こんなことでは風物詩も何もない。

 そんな中でも戦車道の訓練は行われるので、村主は今日も今日とて戦車の整備に勤しんでいる。暑いのは耐えられないが、村主は戦車の整備の実習のためにここへ来たのだ。遊びに来たわけではないので、文句など言ってられない。

 

「じゃあ村主は、Ⅳ号の整備を手伝ってあげて」

「分かった」

 

 朝礼を終えてから、ナカジマの指示を受けてあんこうチームのⅣ号戦車に向かう。この3週間で、村主も大洗の戦車の整備は問題なくできるようになっていた。今ではこうして、1人で整備にあたることも多い。

 戦車の整備士になる、という夢を叶えるためにこの実習を希望したのだ。それで整備の術を学べないようではここに来た意味もないし、この実習を取り付けてくれた教員にも示しがつかない。だから、1人で整備をするに値するほど技量が認められている今は、好ましい状況ともいえる。

 

「すみませーん、整備の手伝いに来ました~」

「あ、はい。お願いします」

 

 声をかけると、みほが返事をしてくれた。沙織と華も頭を下げてくれる。前の徹夜作業の際に夕飯の弁当を作ってきてくれたこともあって、彼女たちとはそこそこ打ち解けてはいる。

 なので変に遠慮したりはせずに、早速整備を始めようと戦車の下を覗き込んで。

 

「うわっ!?」

 

 戦車の下で誰かが倒れているのを見つけた。ぐったりとしていて、ピクリとも動いていない。

 ふと思い出すのは、先週の徹夜中に倒れてしまった自分自身。倒れた時の記憶がないが、ナカジマの言っていた通りなら、あの時と状況は同じだ。

 思わず工具箱をかなぐり捨てて戦車の下に潜り、その倒れている人の下へと這いながらも全力で向かう。

 

「だ、大丈夫ですか・・・!?」

 

 倒れていたのは小柄な少女だ。長い黒髪と白いカチューシャの少女は、うずくまるように体を丸めて、目を瞑っている。

 このⅣ号戦車―――あんこうチームの操縦手の冷泉麻子だった。

 

「どこか具合が悪いんですか!?」

「・・・・・・だるい、つらい」

 

 うめくように声を洩らす麻子。どうやら重症らしい。

 急いで処置をしなければと、どうにかして外へ引っ張り出そうとすると。

 

「あーっ、麻子ったらそんなとこで寝てて!」

 

 村主の声が聞こえたらしく、戦車の下を覗き込んでいた沙織が声を上げた。村主は即座に、沙織にも助けを求めた。

 

「武部さん!冷泉さんが・・・」

「あ、ごめんなさい・・・麻子って低血圧で朝が弱くて、そうなることが多いんです・・・」

 

 言いながら沙織もまた戦車の下に潜り、『村主さんの邪魔になるでしょー?』と言いながら麻子を引っ張り出そうとする。麻子は変わらず、気だるげな感じで沙織のなすがままに、戦車の外へ引きずり出された。冷静に見ると、麻子は確かに怠そうではあるが、目に見えるレベルで容態が悪いというわけでもなさそうだ。周りも、取り立てて騒いでいる様子はない。

 村主が午前中で、このⅣ号の整備を手伝うのは今日が初めてだった。M3やルノーなどの時はこんなことがなかったので面食らったが、あんこうチームにとってはあれが普通らしい。普段から麻子はのんびりしているように見えたが、まさか学生で低血圧だったとは。

 とにかく、先ほど動揺のあまり投げてしまった工具箱を回収してからまた戦車の下に潜り、改めてエンジンの整備に入る。

 実習が始まったばかりのころは、ナカジマの指導の下で教えてもらったことをこなすだけで精いっぱいだった。今は、あらかた整備の仕方も身に付いてきたので、そこそこ心に余裕ができている。

 

「・・・手際がいいな」

「へ?」

 

 不意に横から声をかけられて、間抜けな声を上げてしまった。見れば、先ほど戦車の外へ連れ出された麻子が、横で仰向けに寝転んでいた。

 

「・・・・・・さっきはすまなかった。沙織も言っていたが、私は低血圧で朝が弱い、あー・・・」

 

 『地面冷たい・・・』などと言いながら、まるで身を委ねるように声を洩らす麻子。

 

「・・・何でさっきは戦車の下に?」

「・・・・・・日陰で涼しいと思ったが、意外とそこまででもなかった」

「そんなもんですよ」

 

 戦車の下は確かに日は当たらない。だからと言って熱気は防げないし、狭くて圧迫感もあるため、本当にそこまででもない。整備をする村主だっていつも汗だくになってしまう。

 

「本当に大丈夫なんですか?」

「・・・・・・ああ、いつものことだ」

 

 とりあえず、こうしてまともに会話ができているので心配はないだろう。いつもあんな感じで世話をしているのであれば、沙織もタフなものだ。

 そう思うと、先ほど何も知らずに狼狽えていた自分がどうも恥ずかしくなってくる。

 

「それにしても、その体質で戦車に乗るのは大変なのでは?」

 

 そんな恥ずかしさを忘れようと、適当に話題を振ってみた。すると、麻子は少しばかり『うむ・・・』と口ごもる。

 

「・・・・・・確かに大変だが、西住さんには借りがあるからな」

「借り?」

「・・・・・・遅刻していたところを助けてもらった」

 

 麻子は体質のせいか、朝がすこぶる苦手で遅刻の常習犯らしい。だが、2年生になり少し経ってから、通学途中でみほに偶然出会い、フラフラな麻子を学校まで連れてきてもらったらしい。そこに恩を感じたこともあり、麻子は戦車道を履修したという。

 

「・・・・・・西住さんには、感謝してるんだ」

 

 村主は整備をする手を止めないで、麻子の話に耳を傾ける。

 

「・・・・・・正直、私は人より少し勉強ができるだけで、あとはこれと言った取り柄もない。学校だって、『怒られない程度に行ければいい』ぐらいにしか思ってなかった」

 

 実際のところ麻子は、遅刻の件でそど子からちょくちょく怒られているのだが、それはまた別の話だ。

 

「・・・・・・だが、西住さんに図らずも会ったおかげで、こうして戦車道を始められた」

「・・・・・・」

「・・・・・・自分の力を発揮できる場所ができて、仲間も増えて。何もなかった学校に、色がついた感じだ」

 

 麻子は仰向けになったまま、戦車の底面を見つめているだけだ。だが、その目に映っているのは果たして戦車だけなのだろうか。

 その表情は、無表情には近いものの、嬉しさを込めているような、そんな表情だ。

 

「・・・良かったですね」

「・・・・・・ああ、全くだ」

 

 上手く言葉にはできないが、その村主の言葉だけで麻子には通じたらしい。

 

「・・・・・・にしても、手際がいいな」

 

 それはどう聞いても、村主に掛けられた言葉だった。自分が整備しているところを指しているのだと気づく。

 

「ナカジマたちに教えてもらいましたから」

「・・・・・・整備の実習も大変そうだな」

「戦車が好きですから、そんなに苦じゃないですよ」

 

 

 

 指先に、痛みが走る。

 

「痛っ・・・!」

 

 思わずナカジマは、工具を落としてしまい自分の指先を抑える。それを聞いたスズキが、慌てて戦車の下を見た。

 

「大丈夫?」

「大丈夫・・・ちょっと挟んじゃっただけだから・・・」

 

 強がりなどではない。ポルシェティーガーのエンジンルームの蓋を閉めるためにボルトを絞めていたら、うっかりして自分の指を巻き込んでしまっただけだ。切ったり折れたりしたわけではない。

 だが、指先からは鈍い痛みが続いていて、指を抑えて少しでも痛みを和らげようとする。

 スズキに促されて一旦戦車の外へ出て、指先を見せると少しだけ腫れていた。それも、強めに挟んでしまったからか結構赤くなっている。

 

「ちょっと水で冷やしてくるといいよ。それと、絆創膏も貼っておくといいと思う」

「・・・・・・うん」

 

 すごすごと、ナカジマはガレージの外にある水道の蛇口へと去っていく。

 それをスズキが見送るが、モーターを整備していたツチヤが話しかけてきた。

 

「ナカジマ、どうかしたの?」

「指を挟んじゃったんだって。赤く腫れてたから、水で冷やすように言っといた」

 

 事情を聞いて、ツチヤは『ふーん・・・』と呟いてから。

 

「なんか、初めてかな?ナカジマが怪我するのって」

「・・・・・・言われてみれば、そうかも」

 

 そこへホシノもやってきて、話を聞くと『ふむ』と顎に指をやって考える。

 

「今、村主って何してる?」

「確か、Ⅳ号の整備を手伝ってるはずだけど・・・」

 

 ホシノに訊かれてスズキがⅣ号の方を見ると、ちょうど戦車の下から村主が出てきたところだった。

 だが、そのすぐ後に麻子も出てきたのを見て。

 

「「「あ」」」

 

 3人の声が揃う。

 なんとなく、ナカジマの不調の原因が分かったような気がした。

 

「・・・やっぱりツチヤの言う通りかもね」

「それはまだわかんないけど・・・」

 

 土曜日の学園長とのレースの後、村主とナカジマがどういう関係なのかをツチヤは予想し、スズキとホシノも概ねそうかもしれないと思っている。

 だが、やはり『そういう』経験が無いから、まだ確証は持てていない。

 

「直接聞いた方がいいんじゃない?」

「そうだね・・・もうナカジマ、ケガするぐらいには整備に手がついてない感じだし、早いとこ吐き出させないと」

 

 ナカジマが『ある気持ち』に気を取られて、作業に集中できていないのは明らかだ。さっきは指を挟む程度で済んだが、このままではもっと大きな怪我をするかもしれない。そうならないために、ナカジマに本心を話させるべきだ。

 

「今日の訓練が終わったら、訊いてみるよ」

 

 ツチヤが手を挙げると、ホシノとスズキも頷く。だが、スズキは忠告するように言った。

 

「でも、あんまりストレートに訊くと逆に答えてくれないかもしれないから、そこは注意しなよ」

 

 

 

 

「村主は何かあった?今日の訓練で気になること」

「はい?」

 

 その日の実車訓練が終わって、軽いミーティングの時間。カメさんチームの杏から話を振られた村主は、言葉に詰まった。

 実習を始めて3週間、大洗のメンバーとも打ち解けてきてはいると思ったが、まさか訓練についての意見まで求められるとは思わなかった。初めてのことに、内心ではひどく動揺している。

 

「なんだ、まさかぼーっと見ていただけなのか?」

「いえ、そんなことはないですけど・・・」

 

 桃に指摘されるが否定する。元々村主は、観測台で戦車の動きは見ていたが、それは戦車の不調がないかどうかを確認するためだ。だから、決して桃の言うようにぼーっとしていることはない。

 だが、改めてどこか変わったところがないかを訊かれるのは、少しばかり緊張した。

 

「えっと、あまり難しく考えないでください。ちょっとでも気になったところとかあれば、それでいいんです」

 

 隊長のみほも、村主が緊張しているのが分かっているのか、やんわりと補足してくれた。

 村主としても、気になる点は確かにあった。それを言えばいいのだろうが、言ってもいいものかと逆に不安にもなる。

 

「いいから言ってみ?」

 

 杏に背中を軽く叩かれ、他のメンバーの視線も感じつつ、口を開いた。

 

「・・・三式の動きが、少しぎこちなかったような、感じがしました」

 

 三式中戦車チヌ―――アリクイさんチームの戦車の動きが、他に比べてギクシャクしているように見えた。それが気になったのだ。

 指摘を受けて、アリクイチームのメンバーが『うっ・・・』と反応を見せる。

 カバさんチームのカエサルたちも奇抜な服装をしていたが、アリクイチームの3人も負けず劣らずの出で立ちだ。猫耳だの桃の眼帯などを着けているし、セーラー服のリボンが無い。おまけに内襟もないせいで胸の谷間が普通に見えていた。どう考えてもダメだろう。

 しかし、今重要なのはそれではなく、戦車の動きについて。

 

「もしかして、戦車にどこか整備不良が・・・?」

「あ、い、いいえ・・・ボクたち、力が弱いから・・・」

「戦車を動かすのも一苦労もも・・・」

 

 瓶底眼鏡と猫耳を着けているのがねこにゃー、桃の眼帯とピンクのカチューシャを着けているのがももがー。この2人に加えて、後ろで縛った銀髪のぴよたんの3人で構成されるのが、アリクイさんチームだ。

 彼女たちはネットゲームを通じて知り合い、戦車に乗り始めたのだ。だから彼女たちの名前も、そのネトゲで使うハンドルネームらしい。

 そんな彼女たち、体力がほとんどないと言う。戦車の操縦には力が必要なので、非力な彼女たちにとってはそれさえもままならないのだ。だから動きが良くなかったのだ。

 それはみほはもちろん桃も分かっているらしく、『少しは鍛えろよ』と桃が忠告すると、ねこにゃーたちは小さくなるように頭を下げた。

 

「よーし、それでは今日の訓練はこれまで!解散!」

『お疲れさまでしたー!』

 

 気になるところはそこだけだったので、最後に桃が号令をかけて解散となった。

 ここからは普段通り、レオポンチームと村主が残って大体日没まで戦車の整備。もう十分慣れてきた。

 ナカジマがどの戦車を誰が整備するかを分担し、村主は今日は三式中戦車と八九式中戦車に決まった。

 早速村主は工具箱を持って三式中戦車に向かうと。

 

「ぐぬぬ・・・」

「重いナリぃ・・・」

「腕の骨が折れるぴよ・・・」

 

 砲弾をダンベルのよう掴み、腕を鍛えようとしているアリクイチームの3人。全員顔が真っ赤になっていて、ただ持つだけで精いっぱいな感じだ。

 

「・・・筋トレですか?」

「うぴゃぁ!?」

 

 声をかけると、ももがーが妙な声を上げて砲弾を落としてしまった。低い金属音がガレージの中に響く。

 

「び、びっくりしたもも・・・」

「すみません、驚かせるつもりはなかったんですが・・・」

 

 謝って、確かに前置きもしないで急に話しかけたのはいけなかったと自省する。

 一方で、砲弾を落としたももがーは、そそくさと拾い上げて元あった場所に戻し、ねこにゃーたちも同じように砲弾を片付ける。

 

「やっぱり、慣れないことはするもんじゃないにゃ・・・」

「腕痛いぴよ・・・」

 

 戻したら戻したで、今度は腕を押さえる3人。普段からあまり筋肉を使うことがないらしく、少し動かしただけで早くも筋肉痛になったらしい。

 

「村主さんは、筋肉結構ある方ぴよ・・・」

「え?」

 

 ぴよたんに言われて、自分の腕を見る。確かに村主は、筋肉モリモリマッチョマンと言うわけではないが、標準より少し上程度には筋肉がついている。

 

「まあ、整備って大体力仕事が多いですし、自然と力がついてくるんですよ」

「羨ましいにゃ・・・」

 

 しかし、と村主は思う。

 

「よく、戦車に乗ろうと思いましたね」

 

 その体たらくで、とは言わない。

 だが、自分たちには力がないことは分かっていただろうに、それでも力が必要な戦車に乗ろうと思ったきっかけは何だろうか。

 

「いやー、ゲームなら戦車の操縦はお手の物だったケド・・・」

「現実は非情であるぴよ・・・」

「それは当たり前でしょう・・・」

 

 ゲームで上手くできたからと言って、現実でも上手くいくわけではない。戦車もゲームの中ならキー1つで動いたりするのだろうが、本物は操縦桿だのペダルだのがあるから勝手は違う。

 

「それに、西住さんの力になりたかったし・・・」

「?」

 

 ねこにゃーが指をもじもじ合わせながら言ったので、村主は首を傾げる。

 

「西住さん・・・熊本から転校してきて色々大変だったみたいだし・・・何とか力になってあげたかったから・・・」

 

 ももがーは照れ臭そうに、頭に手をやって。

 

「私は、戦車の操縦がリアルでできるって聞いてテンション上がっちゃって・・・」

「西住さんのことは、学年が違うからよく知らなかったけど・・・でもすごい人だって聞いてたっちゃ」

 

 ももがーは1年、ぴよたんは3年。そんな彼女たちは、ねこにゃーの呼びかけで同じ戦車に乗るようになった。不器用ながらも、戦車に乗って戦うことを決めたのだ。

 初戦はレオポンチームと同様に黒森峰との決勝戦だが、彼女たちの三式中戦車は序盤の黒森峰の奇襲にやられてしまった。その際、Ⅳ号を守る形で撃破されたのだが、あれは偶然だったとのことだ。

 

「でもこのままじゃダメだと思うし、手近なところから筋トレしようと思うにゃ・・・」

 

 今日、村主から指摘を受けて改めて体を鍛えようとしたというわけだ。

 自分の言葉でそうさせてしまったのもあり、村主は笑ってそれを応援することにした。

 

「頑張ってくださいね。でも砲弾をダンベル代わりにするのは危ないと思いますよ」

「あはは・・・その通りナリ・・・」

 

 砲弾も戦車道で使う大切なものだし、結構重い。持ちづらいのでダンベルの代わりにはならないだろう。

 

 

 今のナカジマの様子を表現するなら、『悶々』だろうか。

 

「・・・・・・」

 

 スパナを手に、自分の肩をトントンと叩きつつ村主の様子を伺っている。その顔はどこか寂しげ。その視線の先にいる村主は、アリクイチームと何かを話している様子。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 溜息をこぼして、ナカジマはⅣ号の整備に入る。

 一方でホシノたちは、気が気じゃない。

 

(頼むから早く作業してくれ村主・・・)

(ナカジマの様子が明らかに違うんだから・・・)

(こっちは冷や冷やしっぱなしなんだよ~・・・)

 

 ホシノとスズキ、ツチヤの3人は、ナカジマの様子をチラチラ伺いつつもそれぞれ戦車の整備をして、かつ村主に無言で『作業に戻れ』と思念を送るという高度な技を揃って使う。

 昼前にナカジマがちょっとした怪我をしたのは3人とも知っているし、だからこそナカジマが作業に集中できていないのも分かる。

 その原因である村主が普通に作業をしてくれればその心配も不要になるので、早いところ村主には作業に戻ってほしかった。村主がサボっているとは思っていない辺り、信頼してはいるのだが。

 

「・・・・・・」

 

 その時、ナカジマがふっと笑った。

 どういうことかと村主の方を見れば、村主はアリクイチームの面子と別れて、三式中戦車の整備に取り掛かろうとしていた。

 そして、それを見届けたナカジマは、実に嬉しそうにⅣ号の整備に取り掛かっている。

 

「・・・もう、完璧アレだね」

「・・・うん」

 

 素早くスズキの傍に移動したツチヤが耳打ちすると、スズキも笑って頷いた。

 どうやら、ツチヤの勘は当たっていたらしい。

 

 

 

「よーし、今日はそろそろ上がろうか~」

『りょうかーい』

 

 全員の整備が終わったことを確認して、今日は終わりだ。外は陽が沈んですっかり暗くなってしまったが、暑さはまだ引いていない。まさしく夏だ。

 

「ん、ナカジマ?」

「え?」

 

 だが、そこで村主が何かに気付いてナカジマを呼び止める。

 指差したのは、ナカジマの左手。絆創膏が巻かれているその指は、朝の整備で挟んで腫れてしまったところだ。

 

「それ、どうしたんだ?」

「ああ、これね・・・ちょっと朝、うっかり挟んじゃって」

「大丈夫か?」

 

 村主が気になっていたから、など言えるはずもないので少しぼかして伝えると、村主は心配そうに言ってくれる。

 そして、さらっとナカジマのその左手を優しく包むように握って、患部を不安そうに見つめてきた。

 

「・・・うん、大丈夫。もう痛みも引いてるし・・・」

「そうか・・・。けど珍しいな、ナカジマがケガするなんて」

「あはは・・・そうだね。気を付けるよ」

 

 変わった様子が無いように話しているが、ナカジマは心臓が痛いぐらいに跳ねていた。村主が手を握っているのだから、熱が伝わっていないか心配で、さっきまで作業をしていたから、汗の匂いを気にしていないかが不安だ。

 だが、村主はナカジマの言葉で安心したのか手を放す。嫌悪感などを抱いているようにも見えない。

 心の中でナカジマは安堵の息を吐くが、ほんの少しだけ手を離したのが残念と思ってしまう。

 

「あー、ナカジマ?ちょっといい?」

 

 そこでタイミングを見計らっていたのか、ツチヤが話しかけてきた。

 

「ちょっと話があるんだけどさ、時間ある?」

「うん。あるけど・・・」

「ごめんね~。でもそんなに時間は取らせないから。村主は先に帰ってていいよ~」

「あ、ああ・・・」

 

 そこで村主だけ帰るように言われて、村主はもちろんナカジマも疑問に思った。村主に聞かれては困る話となると、2人には思いつかない。

 だが、食い下がるわけにもいかなかったので村主は大人しく帰ることにした。これで残ったのは、レオポンチームの4人のみ。

 

「何、話って」

「いやぁ、実は気になってたんだけどさ~」

 

 普段通りの口調で話しかけるツチヤ。

 一方で傍にいるホシノとスズキは笑ったままだったが、心の中では。

 

(さりげなく訊いてよツチヤ・・・あまり正直すぎると誤魔化すかもしれないし・・・)

(まだ『そう』って確証もないんだから・・・。変に決めつけるように訊くと気を悪くさせるかもしれないし・・・)

 

 ナカジマに直接真意を訊くということになり、それを訊くのはその推測を立てたツチヤに決まった。

 ホシノとスズキはハラハラしながら2人の様子を見ていたが。

 

 

 

「ナカジマって、村主のこと好きなの?」

 

 

 

 

((ちょっとぉ!?))

 

 あろうことか、ツチヤは直球で質問を投げ込んだ。これにはホシノとスズキも黙っていられない。

 

「ちょっと、ツチヤ!言ったじゃん、もっと遠回しに、慎重に訊けって!」

「いや~、でもあんまりまだるっこしいのは嫌だし・・・」

「なんでこういうところで思い切りがいいのさツチヤ・・・やっぱり私が訊くべきだったかな・・・」

 

 ホシノとスズキが小声でツチヤに文句をつける。

 それで忘れかけていたが、思い出したようにナカジマの様子を伺ってみると。

 

 

「え・・・あ・・・・・・その・・・・・・」

 

 

 顔が赤い。言葉もおぼろげだ。

 それを見た直後、ツチヤたちは議論を止めて、全員同じことを思った。

 

 あ、この反応は本気だ、と。

 

 

「・・・え、ナカジマ、そうなの?」

「い、いやいや・・・違うよ」

 

 思わずスズキが問うが、ナカジマはしらばっくれるように目を逸らす。しかしホシノが逃しはしない。

 

「嘘だな。普段のナカジマだったら全然違う答え方すると思う」

「あ~、そうかも。笑って『違うよ~』って言いそう」

 

 もしも、その相手が村主ではなくほかの男だったらというのは、同年代の男子がいないこの学園艦では確かめようがないが、それはひとまず置いておく。

 ナカジマも、ホシノとツチヤから追及されて口をつぐむが、やがて俯き。

 

「・・・・・・・・・うん」

 

 注意深く聞かなければ聞き取れないほどのか細い声で、肯定した。

 ホシノたち3人は、それを聞いて『安心した』。

 

「・・・これではっきりしたね」

「ああ、胸のつかえが取れた気がする」

「え?」

 

 何に納得しているのか分からないナカジマの肩を、スズキがポンと叩く。

 

「いやぁ、おかしいと思ったんだ。ナカジマと村主って、前から仲良さそうだったし。この前のレースの時なんて、村主を一緒に乗せて、おまけにいいタイムを出したんだから」

「あ、あれは・・・」

「いや、言わなくても分かるよ。村主に傍にいてほしかったんだよね?」

 

 遠慮ないスズキの言葉に、ナカジマは一層恥ずかしくなる。それがまぎれもない事実だったからだ。

 

「今日だって、村主が冷泉さんとかアリクイチームの人とかと話してたらあからさまに効率落ちてたし・・・怪我までしちゃって」

「まさか、あのナカジマが嫉妬するなんてね~。でも結果的に、村主に手を握ってもらったからいいんじゃない?」

 

 ツチヤとスズキからも追い打ちを喰らい、ナカジマはしゃがみ込んでしまう。しかしながら、その顔が真っ赤なのは隠しきれてはいない。

 

「で、村主のどこに惚れたのさ?」

「・・・それは言わなきゃダメ・・・?」

「気になる」

 

 とりあえず今それを言うのは死ぬほど恥ずかしいので、それはまたの機会と言うことにしておいた。

 

「っていうか、それを知ってどうするのさ・・・」

「いや、ただナカジマを応援するだけだよ」

「大丈夫大丈夫。横取りなんてしないから」

 

 スズキの『横取り』と言う言葉に一瞬動揺しかけたが、けらけら笑っているので本当に冗談なのだろう。

 

「さーて、そうなると村主はどうなのかな?」

「さっきは手を握ったりしてたけど、あれが天然だったら大分手ごわいね~」

「でも、脈はあるっしょ?この前なんて2人で出歩くぐらいだし」

 

 好き勝手に盛り上がる3人を見て、ナカジマは一つ溜息をついてしまった。

 

 

 

「ぇっくし!」

 

 帰り道を行く村主は、派手なクシャミを1発かました。周りに人がいなくてよかったが、風邪かなと村主は不安になる。気温からしてそれはないだろうが。

 依然として気温はまだ高く、湿っぽい空気がして汗が浮かんでくる。『暑いなぁ』とぼやきながら右手で汗を乱暴に拭う。

 そこで右手を見て、先ほどこの手でナカジマの手を握ってしまったことを思い出した。

 

(・・・柔らかかった)

 

 あの時は怪我が心配だったのもあって意識していなかったが、改めて冷静に思うと何だかむず痒くなってくる。

 そして、あの時触れたナカジマの手の感触は、今もまだ覚えてしまっている。

 

(いかん、まるで変質者だ)

 

 その右手を握って、自分の頭を小突く。

 そのまま考えていると、考えなくていいことにまで思考が巡りそうだったので、強引に頭を使うのを止めた。

 明日もまだ訓練は続くのだから、早いところ戻って寝ようと、宿への道を急ぐ。



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雨湿

『雨』がテーマなのに作中雨が全然降らない・・・


 8月に入ってから、輪をかけて暑くなってきた。

 気温が35度を超える猛暑日が続き、雨もここ数日とんと降っていない。おかげでカラッと暑い日が続き、何度雨乞いしようかなどと考えたことか。

 こうなると、炎天下で行われる戦車道は地獄と言っても過言ではない。戦車の中は通気性もさほど良くないので、隊員のほぼ全員は訓練終了時に汗だくになっていることが多い。

 加えて、レオポンチームと村主は体力勝負の戦車の整備もある。整備では基本的に腕だけを動かし、体を動かさないことがほとんどなので、動いている時よりも暑さを強く感じる。

 要するに、死ぬほど暑い。

 

「あづ~い・・・身体溶けそう~・・・」

「アイス・・・ラムネ・・・かき氷・・・」

 

 金曜日の実車訓練が終わった夕方。M3から飛び出すように降りたウサギさんチームの優季と桂利奈が、地べたに転がりそうなレベルで俯いている。

 

「確かにこの暑さは厳しいな・・・北アフリカ戦線のロンメル将軍もこの暑さを経験したのだろうか」

「いや、イタリアは毎年これぐらい暑い日が続いているという。きっと古代ローマもそうだったのだろうな」

 

 カバさんチームのエルヴィンとカエサルは世界史の話をしているが、彼女たちの服装がアレなので、見てるだけ、話を聞いているだけで汗が噴き出しそうになる。

 

「この程度の暑さなんて根性で乗り切るぞ!」

「はい、キャプテン!」

「いや、根性だけじゃ命落とすから・・・」

 

 アヒルさんチームの典子が声を張り上げると、あけびが同調する。そんな2人に忍が冷静にツッコむ。根性だけで乗り切れるのであれば熱中症など存在しない。

 

「しかし、この暑さは士気に関わるな・・・」

 

 そんな感じでグロッキーな大洗の面々を見て、桃が深刻そうに呟く。隊長のみほも同様に、どうしたものかと思案している。ただしやはり彼女も暑いと感じているのか、額に汗が浮かび頬を伝っていたが。

 

「じゃー、皆でプールで涼んじゃう?」

 

 そこで杏が、人差し指を立てて唐突に提案すると、一部を除いたメンバーが『わっ』と歓喜の声を上げた。

 しかし、村主はそれに飲まれはせずに一歩下がって存在感を薄めようと試みる。

 そして柚子が不安そうに声をかけた。

 

「会長、そんな急に決めても・・・」

「確か水泳部の使ってない予備のプールがあったよね?頼めば貸してくれるんじゃない?」

 

 杏は干し芋をかじりながら気楽に答える。その横で桃はどこかに電話をかけ、短い会話を交わしてから。

 

「水泳部の部長に連絡しました。予備のプールは、掃除してくれれば使っていいそうです」

「桃ちゃん連絡早い・・・」

「桃ちゃん言うな!」

 

 なんと、杏が提案した直後に確認の電話を入れるとは。その実直さと忠実さ、迅速な行動力には村主も舌を巻く。ちなみに、桃が柚子から『桃ちゃん』と言われるのを嫌がっているのは既に慣れていた。

 

「よーっし!それじゃあ明日は皆でプールで水遊びと洒落こもー!」

『イェーイ!』

 

 とんとん拍子で事が決まり、杏が宣言すると皆は腕を上げて喜んだ。特に喜んでいるのはウサギチームで、何となく彼女たちはそういうイベント系が好きそうだと、村主は思っていた。カバチームやアヒルチーム、あんこうチームも嬉しそうなので、やはり彼女たちも暑くてやってられないのだろう。

 

「あのー、1つ質問」

 

 そこで、村主の近くにいたナカジマが手を挙げて杏に訊ねる。

 

「村主はどうします?」

 

 ああ、余計なことを訊いてくれたなと、村主は内心で渋い表情になる。

 ナカジマのその質問で、湧き上がっていたチームが冷水をぶっかけられたように突然静かになり、一斉に村主の方を見る。ものすごく、視線が痛い。

 

(無理もないんだよな)

 

 村主は本来ここにいるはずのない男だ。女子高のプールにそんな輩がいたら、色々と気になってしまうだろう。それは分かる。

 杏も村主の存在を思い出したのかこちらを見てくるが、村主はもげそうな勢いで首を左右に振り、『拒絶』の意思を示す。

 

「あー、本人が嫌がってるし、村主は休みってことで」

 

 杏も干し芋を片手に苦笑すると、村主はお辞儀をする。

 これで一安心だ。水着だらけの女子たちの中に男1人で放り込まれるなど、新手の拷問か何かだ。何の臆面もなく『ひゃっほう!』と楽しめるほど図太い精神は持ち合わせていないし、あったらあったで逆に問題だ。

 

「もしプールに近づいたりしたら、即刻学園艦の営倉行きよ!」

 

 そど子にくぎを刺されて、村主は『分かりました』とだけ言う。

 触らぬ神に祟りなし、という言葉に則って明日は学校には近づかないようにしよう。そう村主は思った。

 

 

 

「残念だったね~、プール行けなくて」

 

 整備も終わり、ファミレスでドリンクを片手にツチヤが話しかけてくる。今日は金曜日で、ドリンクバーのレパートリーが増える日。すなわちツチヤの独壇場だ。今日もまた、ツチヤは表現できないような色のドリンクを持っている。

 

「別にプールはそんなに好きじゃないし」

「そっか」

 

 ツチヤが納得してドリンクを啜る。今回はいい出来だったのか、にっこりと笑った。試しに飲んでみたい、とは全く思わないが。

 とにかく、と村主はメロンソーダを一口飲んで。

 

「俺は気にせず、皆で楽しんでくればいい」

「なんかごめんね?私たちだけ楽しんじゃって」

「いや、謝ることなんてない」

 

 明日が休みとなれば村主も体を休めることができる。それに宿題もまだ終わっていないので、できる限り進めておきたい。プールに呼ばれなかったからと言って別に損失があるわけでもなかった。

 

「・・・ナカジマ、どうかしたか?」

「え?ううん、何も・・・?」

 

 そこで、隣に座っているナカジマの表情が陰っているのに気付く。しかし、笑ってナカジマは首を横に振ったが、それでも村主の中のしこりは消えなかった。

 ナカジマのその表情の理由は、やはり明日村主がいないこと、村主と遊べないことであった

 ホシノたちにもその表情が見られてるとも知らず、ナカジマはどうにも浮かない気分だった。

 

 

 やはり翌日の天気も快晴で、予定通り大洗の皆はプールで遊ぶことになった。

 しかし、その前に掃除をするのも忘れてはならないので、水泳部の倉庫から道具を借りて作業に取り掛かる。

 プールはよほど長いこと使っていなかったようで、汚れ放題だ。ガレージの裏手にあるので砂や煤で汚れており、ひどいところでは雑草まで生えていた。ブラシで砂や汚れをきれいにし、雑草は地道に毟っていくしかない。

 

「いやぁ、やっぱり暑いなぁ・・・」

 

 モップを片手に、皆で協力して掃除を進めながら、ナカジマは空を見上げてぼやく。

 今日もまた日照りは厳しく、今いるプールはガレージと違って屋根などないので日光をもろに浴びている。まるで身体全体がトースターで炙られているかのようだ。

 

「そりゃーっ!」

「冷た~い!」

 

 そんな暑さに我慢できなくなったのか、ウサギチームのあやが水が出たままのホースを振り回し、水を頭から被ったあゆみが両手を挙げて喜んで(?)いた。そのあとすぐに桃から注意される。

 予想はしていたが、この段階から既に遊ぶ者はいた。ここにいるのは同じ戦車道メンバー、さらに開放的な場所にいるのもあるのか行動に遠慮がなく、全力で楽しもうとしていた。

 真面目に掃除をしているのは、レオポンチームを除けば、あんこうチームとカモチーム、アヒルチームだ。ちなみにアリクイチームの面々は、長時間直射日光を浴びて行動できないため、早々にダウンしていた。

 

「戦車の整備とはまた違った厳しさだね~」

「私らも夏場でこんな長いこと外で作業したことなんてないし、仕方ないか・・・」

 

 ナカジマの傍らで汗をぬぐうツチヤとスズキ。彼女たちもまた水着だが、やはり暑さは耐えられないらしく汗だくだった。

 

「にしても・・・」

「?」

「村主は来なくて正解だったかもね」

 

 ブラシを片手に、ホシノが周りを見渡す。

 男子の水着事情は知らないが、女子の水着は大体色とりどりで華やかだ。詩的な表現をするなら、まるで花畑のように見える。

 だが、中には際どい水着を着ている人もいる。特に、生真面目なはずの桃や、プールサイドで休憩中のぴよたんの水着などはっちゃけてるが、あんなものはまだ可愛い方だろう。

 問題なのは、とホシノはプールサイドを見る。

 

「やぁやぁ我こそは左衛門佐!いざ尋常に勝負~!」

「その勝負、このおりょうが買ったぜよ!でりゃぁ~!」

 

 ブラシを片手にチャンバラの真似事をする左衛門佐とおりょう。ブラシの柄がぶつかり合う度に軽い音が響き、しかも割と白熱しているのが妙に憎い。そして案の定、危なっかしいのでそど子に止められた。

 しかし、ホシノが気にしているのはそこではなく。

 

「大体あなた、その水着は何!?っていうかそれは水着なの!?」

「む?これは真田紐なのだが、俗に言う“紐ビキニ”ではないのか?」

「全ッ然違うわよ!!!」

 

 身体に紐を巻いて肝心なところを隠しているだけの、左衛門佐の水着(?)だった。そど子の言う通り、校則云々ではなく水着かどうかが疑わしい。

 

「見ろ、グデーリアン!水に溶ける水着が本当に水に溶けてしまったぞ!気が付いたら全裸だった!」

「それは確かに色々な意味ですごいですがまずは前を隠してください!」

「私は今まさに『ブルータス、お前もか』という心境だぞ!」

 

 また、その近くにはなぜか何も着ていないにもかかわらず誇らしげなエルヴィン。近くにいた優花里とカエサルは顔を真っ赤にしてタオルをエルヴィンに渡す。一応、この場にいるのは女子だけなので倫理的に問題はないが、やはり女の子同士であっても恥ずかしさは感じる。カモチームはキャパオーバーのあまり頭を抱えてしまっていた。

 

「・・・ホント、来なくてよかったね」

「そうだね。こんなところにいたら早晩死ぬかもしれないし」

 

 このカオスな光景に、ホシノとスズキがしみじみと呟く。ナカジマも、恐らくこの場に村主がいたら目を回していただろうと苦笑いを浮かべた。

 

「まあ、ナカジマは残念だったかな?ここに村主がいなくて」

 

 ツチヤがにんまりと笑いながら言ったのを聞いて、ブラシを手放しそうになる。

 

「な、何言ってるのさ・・・」

「いや~、だって村主に水着でアピールするいいチャンスだったんじゃないの?」

「変なこと言わないでよ・・・」

 

 ツチヤがそんなことを言ってくるので、思わずナカジマは自分の水着を腕で隠そうとする。

 ナカジマが着ているのは、ピンクと白を基調としたごく普通の水着。上は胸の前で結ぶビキニ風だが、下はホットパンツのようなタイプだった。

 

「なんか意外だね、ナカジマがピンクって」

「別にいいじゃない、何色が好きでもさ」

 

 そういうホシノは、白地に黒い縦線が入った縞模様のビキニ。そこまで飾ったデザインではないので、印象的には合っている。

 ちなみにスズキはオレンジのチェック模様のチューブトップビキニ。小麦色の肌に絶妙にマッチしているようにも見えた。

 ツチヤは水色のホルターネック水着。フリルが付いていて、色もあって活発なイメージがあった。

 

「でも昨日、村主が来ないって聞いて少しがっかりしてたじゃん。そこんところはどうなの?」

「あ、あれは別に・・・・・・アピールしたいとかそんなんじゃなくて・・・」

 

 ブラシでプールの汚れを磨きながら、はにかむナカジマ。

 

「・・・村主はずっと大洗にいるってわけじゃないし、少しでもいいから整備の時以外も一緒に楽しみたいなって」

 

 途端、頭に熱が上がってくる。間違ったことは何も言っていない、ナカジマにとっては素直な気持ちを言っただけなのに、恥ずかしい。聞いているのがレオポンチームだけだったのが幸いだ。

 そんなナカジマを、ホシノたちは微笑ましいものを見る目で見つめる。

 

「まあ確かにね。村主はもともと大洗の人間じゃないし」

「早いとこ告白しとかないと、後悔するよ?」

 

 スズキが言うと、ナカジマは頭を抱える。

 

「告白かぁ・・・」

「何、する気もなかったの?」

 

 ホシノに訊かれるが、その気はもちろんある。

 だが、告白という言葉は口にするのはいくらでもできるが、いざ実際にその想いを相手に打ち明けるのは簡単ではない。そしてタイミングも重要であり、ホイホイ気軽にして良いものでもない。

 今はまだその時ではないと思っているのだが、確かにスズキの言う通り、いつかは言わなければ後悔する。

 

「一体いつすればいいんだろうね・・・」

「私たちに聞かないでよ。それはナカジマ自身が決めるべきだからさ」

 

 

 

 窓のカーテンレールに吊るされている風鈴が、風に揺られてリンリンと鳴る。この音を聞くと、どんなに暑くても涼しく感じるのはなぜなのだろう。

 部屋の中も暑いと言えば暑いが、扇風機を回しているのでまだ耐えられるレベルだ。

 

「へっくし!」

 

 そんな部屋で村主は、大きなくしゃみをした。ここ最近、特に寒いわけでもないのにくしゃみをすることが増えてきた。誰かが噂をしているのか、新手のアレルギーか何かだろうか。

 そんな村主は今、机に向かって宿題と格闘中だ。丸一日休みと言うことで、宿題を進める絶好のチャンスだった。これまでも地道にコツコツ進めてきていたが、ここで大きく稼ぎたい。

 

「あつ・・・・・・」

 

 しかし障害となるのが、この暑さだ。扇風機を回そうが風鈴が鳴ろうが、これだけはどうにもならないし、これがモチベーションを大きく下げている。

 最初は張り切って宿題に励んでいたが、暑さを如実に感じる今ではその筆もあまり進まない。しっかり進めなければ最後に泣くのは自分だというのに。

 と、そこでスマートフォンがメールを知らせてきた。送り主はツチヤ。プール遊びの途中経過かな、と思いつつ気分転換も兼ねてメールを開いたら。

 

『水着は露出が多い方が好き?

 それとも少ないのが好き?』

 

 とんでもない質問を投げてきやがった。スマートフォンに溜息がかかる。

 からかっているのか、割と真剣に訊いているのか。確かめようはないが、無視するのも感じが悪いし、『どうでもいいでしょ』と答えるのも同じだ。

 そして、村主の好みはともかくとして、『多い方が好き』と答えてしまうと、もしかしたら今後村主を見る目が変わってしまうかもしれない。それは避けたかった。

 つまり答えは、もはや一択同然。

 

『少ない方が』

 

 簡潔にメールを送る。

 この方が一番無難だし、村主の好みもそういう感じだ。ウェットスーツのような水着が好みとは言わないが、どちらかと言えば露出は少ない方がむしろ好みである。

 ただ、送ったところで『俺はいったい何をやっているんだろう』と冷静になり、大人しく宿題を再開する。頭が冷えたので、宿題を始めるにはいいタイミングだ。

 

 

 

「へぇ~、なるほどねぇ」

 

 プール掃除も終盤に差し掛かり、今はブラシで磨いた汚れを水で洗い流しているところだった。

 掃除も終盤でやることはそこまで無く、また普段から整備で世話になっているということで、レオポンチームはプールサイドで休憩中だ。

そんな時、ツチヤは村主から送られたメールを見て、興味深げに笑う。

 

「何、どうしたの?」

 

 ナカジマたちが気になったので訊いてみると、ツチヤはその村主からのメールの返事をナカジマに見せる。

 

「村主って、あんまり肌を見せないタイプの水着が好きらしいよ」

「へ~、意外」

 

 反応を見せたのはスズキ。男はどちらかと言えば布面積が少ない方が好みだと思っていたが、少々意外だ。

 そして、それを聞いたナカジマは、ふと自分の水着を見る。

 今着ているものは、ホシノやスズキと比べると多少露出は控えめだ。ショートパンツタイプの下もそうだし、上も谷間は見えているが布面積も決して狭くはないはずだ。

 

「どうしたのナカジマ、自分の水着なんか見て」

「え?いや、別に・・・」

 

 ホシノに訊かれて、そんなに自分はじっくり見ていたのかと慌てるが、スズキは『へ~』とニコニコ笑っている。

 自分の水着が村主の好みと合っているかどうかを確認していたのだと、バレていた。

 

「何なら写真撮って村主に送っちゃう?」

「変なこと言わないでよー!」

 

 本気で嫌がったのでそれは叶わなかったが、できるのであればホシノたちは適当に隠し撮りして村主にでも送りたかった。

 だが、それをすると2人の仲に亀裂が走りかねないので、それはやめておく。大前提としてホシノたち3人はナカジマと仲間同士であり、親友でもあるのでその辺りは弁えている。

 そこで柚子が、プールを磨き終えたのを確認すると注水を始めた。

 

 

 少し時間が経って、2時過ぎ。

 

「・・・・・・うめぇ・・・」

 

 村主は74アイスクリームのカウンター席に座って、干し芋アイスを食べていた。口の中が一気に冷たくなり、干し芋のほのかに甘い味が広がる。

 宿題がひと段落して暇になった村主は、何か冷たいものを求めてここにやってきた。以前、ナカジマと学園艦を回った際に食べた時に美味しかったと記憶していたので、また食べているのである。

 

「もうこんな時間か・・・」

 

 店内の時計を見てぼやく。結構宿題に集中していたが、時が経つのがずいぶん早く感じた。

 今頃、戦車隊の皆はプールで水遊びを楽しんでいるのだろう。昨日の時点で浮ついていたウサギチームの子たちを見れば、それは容易に想像がつく。きっと、ナカジマやホシノたちも普段の疲れを忘れて遊んでいるに違いない。

 混ざりたい、とは思ってない。それは最初からだ。やはり水着女子数十名の中に男1人で放り込まれるのが不安で恐ろしい。

 それ以前に、もともと自分は実習で大洗に来ているのだ。それだけは、忘れてなどいない。今日のプール遊びは戦車道のメンバーが参加してはいるものの、戦車道の活動ではないので自分は参加するべきではないだろうと、そう考えている。大洗の厚意で整備を受けているのに、そこまでの恩恵に与るのは遠慮が働く。

 だから、村主は気にせず1人の時間を過ごそうと決めたのだ。

 その時、スマートフォンが電話を告げる。その相手はスズキ、周りに客がいないのを確かめてから電話に出る。

 

「もしもし?」

『あー、村主?今平気?』

「ああ、問題ない」

 

 アイスはすでに食べ終わっているので溶ける心配もない。安心して電話に集中できる。

 

『実はさっき会長から、村主に渡したいものがあるって言われてね。それを渡したいんだけど・・・』

 

 言われて、村主は『ほう』と興味を向けざるを得ない。会長からの贈り物とは初めてだ。そこまで話したこともないが、いきなり渡したいものがあるとなれば気になる。

 しかし問題なのは、村主がプールに近づけないということだった。

 

「それはいいけど、俺プールに近づいたらしょっ引かれるから」

『うん、それは分かってる。だからガレージに置いておくから、村主がそれを持ってくってのはどう?』

 

 少々まどろっこしいやり方だが、それならまあ納得がいく。だが、それならは別に今日取りに行かなくても良いのではないだろうか・・・。

 

『なんか日持ちしないから、今日持って行ってほしいみたいだよ?』

「食べ物か何かか?」

『そうらしいんだよね~。私も中身は知らないんだ』

「まあそういうことなら・・・」

 

 とにかく、他人様からの贈り物を後回しにするわけにはいかない。日持ちしないという理由があるのならばなおさらだ。

 

『何時ぐらいに取りに来る?できるなら、引き上げる4時より前に来てほしいんだけど・・・』

「ああ、今74アイスクリームにいるから、すぐに行ける」

『そっか・・・それじゃ、2時半ぐらいに来てくれるかな?』

「分かった」

 

 スズキの時間指定に頷く。ここから学校のガレージまでは10分もかからないので、まだ急ぐ必要もない。

 そうして電話を切り、口直しのお冷を飲む。

 まだその渡したいものの中身は分からないが、後日杏には贈り物のお礼でもした方がいいなと思った。

 

 

 約束の15分ほど前に74アイスクリームを後にして、村主は学校へ向かう。いくら10分もかからないと言っても、ぴったりに間に合えばいいとはなかなか思えない。

 晴れ渡る空の下、ぎらつく太陽の光を全身で浴びながら学校へ向かうのだが、店を出てから5分でまたアイスが欲しくなってくる。いい加減雨でも降ってほしい。

 そして校門を抜けて敷地へ入るが、そこでふとした違和感が生じた。

 

(・・・・・・ガレージに置いとくだけなら、時間とか訊く必要はなかったんじゃ?)

 

 荷物をガレージに置いておき、それをスズキたちが引き上げる4時までに取りに来てほしいのであれば、村主の来る時間はそこまで重要ではないはずだ。村主だって4時以降にとりに行ってやろう、などと嫌がらせるをするつもりは無い。

 そして、すぐに行けると答えてから逆にスズキが時間を決めてきたのも、どうもしっくりこない。電話の後ですぐにガレージに置いてくれればいいはずなのに。

 

(・・・・・・考えすぎか)

 

 その杏からの贈り物が、直射日光を避けるべき類のものと言う可能性もある。ガレージは蒸し焼き状態だろうから、村主が来るギリギリまで別の場所に保管して腐るのを防ごうとした、とも考えられる。

 もしくは、偶然出くわして水着を見られるのが嫌なのかもしれない。

 ともあれ、向こうにも向こうの都合があるのだろう、と思いながらガレージに足を踏み入れようとして。

 

「「あっ」」

 

 2人分の声が重なった。

 1人は無論、村主のものだ。

 そしてもう1人は、まさかのナカジマの声だった。

 そして、今日は水遊びということで当然だったがナカジマは水着だった。それも、先ほどまでプールに入っていたからなのか、髪や水着、身体にはわずかに水滴が付いている。首にかけていたタオルが、夏らしさを引き立てている。

その手には、小さな段ボール箱。これが会長からの贈り物かなと、場違いなことを思った。

 

「・・・・・・・・・えっと、これは・・・」

 

 それは果たしてどっちの言葉だったか。偶然過ぎる邂逅に困惑して、上手く言葉が発せられない。

 少ししてから落ち着きを取り戻して、まずナカジマが口を開く。

 

「・・・会長から村主への贈り物を、ここに置いといてってスズキから言われて・・・」

「・・・ああ、俺もスズキからこの時間に来るように言われた」

 

 流石にこれで、スズキが糸を引いているのは2人にも分かった。『てへぺろ』な顔をするスズキが目に浮かぶ。

 

「あ、じゃあこれ・・・会長から。『できれば早めに食べてね~』って」

「あ、ああ。わざわざ悪い・・・やっぱり食べものか」

 

 ナカジマから受け取るが、箱の大きさの割に少し重い。中身が気になるが、まだ確認しない方がいいだろう。

 さて、これでナカジマは荷物を渡して手ぶらになったわけだが、そのせいで段ボールで見えていなかった全身像が改めて見えるようになってしまう。

 

「・・・・・・・・・」

 

 見てはならない、凝視してはならないはずなのに、どうしても村主の視線がナカジマの水着姿に吸い寄せられてしまう。

 その視線を感じたのか、ナカジマは自分の身体を隠すように身を捩るが、逆にそれがどうしてだか色っぽい。

 ガレージの外ではセミの鳴き声がやかましく、ガレージの中には2人以外誰もいないので痛いほど静かだ。そんな中で、水着女子と2人きり。倒錯的な気もしてくる。

 

「・・・じゃあ、俺はこれで・・・」

「あ、うん。それじゃあね・・・」

 

 一体どれぐらい正対していただろうか。1分程度か、もしくは10分ほどか。気まずさに耐えかねて村主がそう言って、踵を返して帰ろうとする。ナカジマもまた、プールの方へ戻ろうとしたが。

 

「・・・・・・ナカジマ」

「?」

 

 足を止めた村主が、呼び止める。村主はナカジマに背を向けたままで表情はうかがえない。

 

「・・・・・・その、水着」

 

 指摘されて、ナカジマの心臓が跳ねる。

 

―――村主って、あんまり肌を見せないタイプの水着が好きらしいよ

 

 昼前のツチヤの言葉が頭をよぎる。

 なんで今それを思い出しちゃうのかなぁ、と自分の思考回路に文句を付けたくなるナカジマだが。

 

 

「・・・・・・・・・か、可愛いな」

 

 

 そんな村主の言葉で、一気に何も考えられなくなってしまった。

 当の本人もやっぱり恥ずかしかったのか、『じゃ、じゃあな!』と言って駆け出し、学校の外へと行ってしまった。

 その後ろ姿を見えなくなるまで目で追い、見えなくなったところで自分の胸に手をやるナカジマ。まだ鼓動は、高鳴っている。さっきまでプールに入っていたのに、身体は熱い。

 

「・・・・・・はー」

 

 ストレートだったけど、確かに胸に響く言葉。

 思わずため息が漏れてしまうほどに嬉しくなってしまった。

 

 

 宿に駆け込んだ村主は、まず部屋の畳の上に段ボールをゆっくりと置いて、大きく息を吐いた。

 

「ああ、くそっ・・・・・・」

 

 自分はなんてバカなことを言ってしまったんだと、深く後悔している。

 あんな去り際に、『水着が可愛い』なんて言ったら、思いっきり拒絶され、嫌われるかもしれなかった。だからナカジマの言葉を聞く前に思わず駆け出してしまったが、そんなことになるぐらいなら最初から言わなければよかったのに。自分の胸中にとどめておくだけにしておけばよかったのに。どうにもならない後悔の波が押し寄せてくる。

 

「・・・・・・」

 

 しかしながら、撤回したいと思う気持ちはない。村主がナカジマの水着姿を可愛いと思ったのは事実だし、正直言ってああいうタイプの水着は個人的な好みでもあった。

 だからと言って、それは言わない方がよかったのに、と堂々巡りの思考になる。

 とにかく、そのことばかり考えていると変態みたいなので別のことに目向けることにした。

 そして、目の前の杏からの贈り物という段ボール箱。

 手を切らないようにテープを剥がして蓋を開けると、白い保護用のシートの上に1枚の便せんが載っていた。

 

『実習お疲れちゃん。

 プールで涼めなくて残念だけど、これでも食べて元気出してね~』

 

 どうやら、実習で整備を頑張る村主を気遣ってくれたらしい。実習の身でありながらこうして気遣ってくれたことに感謝の気持ちを感じつつ白い保護シートをめくると。

 

「・・・干し芋」

 

 大量の干し芋が箱詰めされていた。それと申し訳程度に、ミネラルウォーターのペットボトル。そういえば、杏はよく干し芋をかじっていたなぁと思い出す。

 とりあえず1つ取り出して食べてみるが、意外と甘い。そして手がべたつく。

 でも一応、ありがたく食べることにした。流石に今日中に食べきるのは難しいので、何日かに分けながら。

 

 

 

 ほぼ同じころに、ナカジマはプールサイドに戻ってきた。ガレージの中で茫然自失としてしまっていたが、どうにか戻ることができた。

 

「おっ、ナカジマおかえり~」

 

 出迎えたのはニコニコ笑顔のスズキ。絶対訳知り顔だ。

 

「・・・スズキ、よくもやってくれたね」

「?何のこと?」

 

 しらばっくれるスズキだが、ナカジマは『ふぅ』と小さく息を吐いてプールに入る。

スズキが先ほどのように計算してナカジマと村主を鉢合わせたのは、アピールを手助けした意味もある。余計なことかもしれなかったが、ナカジマには村主と幸せになってほしかったので、少しでも村主の意識がナカジマに向けばと思ってのことだ。

 プールで仰向けに漂うナカジマは、3年の付き合いもあってそれに気づいていた。

 やはり、ナカジマの村主に対する気持ちは教えるべきではなかったのかな、と頭の片隅で思うが、結果的に今日のような嬉しいことは起きた。

 皆から労われることや、自分の整備したクルマがちゃんと動くのも嬉しいことだが、村主から『可愛い』と言われたことが何よりも嬉しい。

 自然と唇が緩んで、青空を見上げる。

 夏の太陽はまだ明るい。




左衛門佐の紐水着とエルヴィンの水に溶ける水着は、『ウォーター・ウォー!』より。
次回、久々に雨が降ります。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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旱天慈雨

 数日、あるいは数週間ぶりに雨が降った。霧雨や通り雨みたいなちゃちなものではなく、結構まとまって降る雨。オプションとして雷が鳴ったり、突風が吹くこともない純粋な雨。

 久々の雨ということで、大洗の戦車道メンバー―――特にウサギさんチームだが―――は大いに盛り上がっていた。ここのところ日照りが続いていて、暑さもいい加減限界間際だったから、まさに水を得た魚のようだ。

 もちろん、雨が好きな村主とナカジマは表情には出さなかったが、内心ではとても嬉しい。連日猛暑日で整備も汗だくだったし、いまいち気分も乗らなかった。この天気は、良いリフレッシュになるだろう。

 尤も、今日大洗に来る訪問者にとっては嫌な天気なだけだろうが。

 

「とりあえず、あんまり目につかない場所にいた方がいいね。その方が、あまり厄介なことにはならないだろうから」

「それなら、俺は戦車の下にいるよ。どうせエンジンの整備もしなきゃいけないし」

「うん、それじゃそういうことでお願い」

 

 作業前にナカジマと相談をし、その訪問者が来る時どうするのかを決める。

 悪事を働くために大洗にいるのではないが、それでも厄介ごとをできる限り避けたいという生徒会の意向により、訪問者が来る間は姿を隠すように、と言われたのだ。

 

「西住ちゃん、来たよ~」

「あ、はい!」

 

 そこで、近くにいたみほに杏が話しかける。その訪問者は桃が乗船口まで車で迎えに行ったので、連れてきたということだろう。

 村主は早速、打ち合わせ通り戦車の下に潜ってやり過ごすことにする。

 それでもほんの少し、どんな人が来るんだろうと興味ができて、ポルシェティーガーの履帯の隙間からその訪問者の様子を伺うことにした。

 来訪者は3人。1人はえんじ色の傘を差し、2人は焦げ茶色の雨合羽を着ていた。

 

「お初にお目にかかります!知波単学園より参りました、西絹代と申します!以後、お見知りおきを!」

 

 やたらと張りのある声で挨拶をしたのは、傘を差していた、土色の詰襟と赤いプリーツスカートの制服を着る、艶やかな黒髪ロングヘアの女子だ。

 

「同じく、知波単学園副隊長・玉田!」

「右に同じく副隊長・細見であります!」

 

 隣に控える2人の女子が、合羽を脱いで元気よく挨拶をする。後ろに編み込んだおさげの子が玉田、頭の上で髪をぐるぐる巻いている子(後で調べたらビクトリーロールという髪型だった)が細見と言うらしい。

 大洗側から案内をすることになったみほと桃が、軽い挨拶を交わしてから知波単から来た3人にガレージを案内する。それを見て、村主も見えないように引っ込んだ。

 

「この戦車で全国の頂に・・・素晴らしいです」

「恐縮です・・・知波単の皆さんも、黒森峰相手に善戦したじゃないですか」

「いえ、我々もまだまだこれからですから。これを機に、大洗の皆さんの戦い方を勉強させていただければと思います!」

 

 みほの多少社交辞令が混じった言葉に、西は敬礼をして決意表明をする。

 そしてしばらくの間、知波単の3人は戦車を見学してから、みほたちと共に『話し合い』を行うための生徒会室へと向かった。

 みほたちの姿が見えなくなったのを見計らって、村主は戦車の外へと一度出る。

 

「行った?」

「うん、生徒会室にね」

 

 ナカジマが答えるとほっとする。一応、見つからないように、という使命は果たされたようだ。ちょっとしたスパイ映画のようにも思える。

 

「知波単学園ねぇ・・・」

 

 質素倹約を掲げ、属する生徒は誰もが生真面目で誠実かつ文武両道という知波単学園。茶道や華道、剣道などのあらゆる日本古来の文化に傾倒しているらしい。

 戦車道のカリキュラムもあるらしいが、その戦い方は『突撃』。過去には全国大会ベスト4まで上り詰めたこともあったが、その時の勝因が『突撃』だったせいでそれに拘ってしまっている。全国大会の常連だが、初戦落ちが続いているのが現状だった。

 そんな知波単の生徒がこの天気の悪い中わざわざ大洗まで来たのは、見学をするためではない。

 

「まさか知波単と組むことになるとはね・・・」

 

 来る8月24日、大洗町で全国大会優勝を記念したエキシビションマッチが開催されることが決まった。その試合で、大洗は知波単とタッグを組んで試合をすることになったのだ。

 

 そもそもどうしてタッグを組むのかは、このエキシビションマッチのルールによる。

 まず優勝校が試合に参加するのは確定。その相手となるのは、優勝校及び準優勝校が準決勝で戦った2校のタッグだ。大洗が戦ったのはプラウダ高校、黒森峰が戦ったのは聖グロリアーナなので、この2校と戦うことになる。

 そして大洗は、準優勝校が1回戦で戦った学校とタッグを組んでそれに挑む。それが知波単学園なのだ。

さらに、準優勝校が2回戦で戦った相手も助っ人として呼べるのだが、該当する継続高校が出場を辞退したため、助っ人なしでプラウダと聖グロリアーナに挑むことになる。

 

 知波単の3人は今日、そのエキシビションマッチの打ち合わせをするために来たのだ。

 

「この雨の中、ご苦労なことだね」

「ああ、確かにな」

 

 ナカジマと共に、外で降る雨を見る。結構勢いが強く、バタバタとガレージの屋根にも強く打ち付けている。傘を差していた西はともかく、合羽の玉田と細見にはこの雨は堪えるだろう。久々の雨なので涼しいことだけがせめてもの幸いだろうか。

 

「もしかしたらチハに触らせてくれるかな?」

「それは難しいかもな・・・」

 

 どうやらナカジマにとっては、触れたことのない知波単学園の戦車をいじることが楽しみらしい。しかし知波単の戦車は知波単側で整備するだろうし、試合後は戦車道連盟が整備を代行してくれるはずだ。だから触れる機会もないだろう。

 

「そういえば村主って、大洗の試合を観るのはあの決勝戦以来かな?」

「ああ、そうだな・・・」

 

 全国大会の決勝戦以外の大洗の試合は、戦車道の公式サイトで調べて知った。大洗の試合の生観戦は、ナカジマの言う通り決勝戦以来だ。

 

「じゃあ、ちゃんと勝ってみせないとね」

「おお、期待してるぞ」

 

 ナカジマがぐっと腕を構えながら笑って見せると、村主も親指を立てる。

 久々に大洗の試合を観られるし、その試合に参加する大洗の戦車は村主も整備する。自分が整備する戦車が試合に出るとなれば、気合が入らないわけがない。

 まだそのエキシビションマッチは先のことだが、それでも整備をする腕に自然と力が入る。

 

 

 その日の訓練が終わった後、村主は生徒会室に呼び出されていた。

 部屋は広々としていて、入って右手には応接スペースが設えており、杏の座る生徒会長の席の傍には、あの戦車道全国大会の優勝旗が飾られている。近くの棚には何かのトロフィーが飾られていた。窓からは大洗の街並みと海を見渡すことができる。しかしながらあいにく雨で、景色はさほど良くはない。

 村主は応接スペースに通されるわけでもなく、杏の座る席の前に立たされて話を切り出されると。

 

「無理です」

 

 即答した。

 

「いやー、そこを何とか頼めないかな~?」

「いえ、流石に会長の頼みといえどそれは・・・」

「おい!会長が直々に頼んでるんだぞ!聞いてやらないか!」

「そうは言ってもですね・・・」

 

 いつものような軽い調子で頼んでくる杏と、それに乗っかり厳しく言ってくる桃。しかし、それでもまだ村主は首を縦には振れない。

 話とは、明後日の校内模擬戦でヘッツァーの操縦手をしてほしいという依頼だった。

 発端は、本来ヘッツァーの操縦手である柚子が、明後日はどうしても実家に戻らなければならなくなったということだ。柚子は結構な大家族の長女で、その日は曾祖母の誕生日らしい。大家族が一堂に会して祝うことも少ないので、どうしてもその日はずらせないという。それだけ柚子が家族を大事に思っているということなので、責めることはできなかった。

 そこで肝心なのは、柚子が実家に戻るとヘッツァーが動かせないということだ。

 加えて、明後日は外部からの教官も呼んでいるため模擬戦の日程もまた変えられない。

 そこで杏は、村主にヘッツァーを操縦させようと提案したのだ。

 

「ほかのチームから誰か借りるってのも難しいしさ~。戦車のことは勉強してるんでしょ?それならできるって、今回だけだから」

「ですが、戦車道の規定では男は試合に参加できないのでは?」

「あくまでうちの敷地でやる試合だし、模擬戦だし、そんなにルールに拘ることはないでしょ」

 

 あくまで今回の模擬戦は、訓練の一環に過ぎない。だから、規定に厳しい公式戦とは違うし、公的な記録も残らないので問題は無いと、杏は言っているのだ。

 それは一理あるが、それでもまだ村主は納得がいかない。

 

「実際に戦車を動かしたことは無いです。それに、動かし方自体分からないですし・・・」

「小山~、教えてやって?」

「それは構いませんが・・・」

「ほらー、小山もこう言ってるんだしさ~」

「ですけど・・・」

 

 村主はなおも渋る。

 村主が戦車が好きなのは確かだし、それなりに勉強も自分でしてきた。それでも戦車の操縦をしたくないのは、戦車が女性の乗り物だということをよく理解しているからだ。その戦車に乗るのは、タブーを犯しそうな気がして気が進まない。

 それをやんわりと伝えたが、逆に桃を怒らせてしまった。

 

「いいからつべこべ言わずに乗れ!エキシビションマッチの重大さが分からんのか!我が校の力を見せるいい機会なんだぞ!」

「・・・まあ待って、桃ちゃん」

「だから桃ちゃんと呼ぶな!」

 

 ヒートアップしてきた桃を窘めてきたのは、当の柚子。

 柚子は困ったような顔で村主を見ると、目を閉じた。

 

「・・・うん、分かった。ダメもとだったし、仕方ないね・・・」

「柚子、でも・・・」

「大丈夫だよ、桃ちゃん。何とかなるから」

 

 柚子の言葉に、村主はもう一度頭を下げる。

そして、踵を返して生徒会室を出ようとしたが。

 

「まあ・・・結果エキシビションマッチで負けるかもしれないけど、その時は気にしないでね、村主君」

 

 村主の足が止まる。

 

「来年度まで大会とかはもう無いし、私たち3年生にとっては最後の公式戦になっちゃうかもしれないけど、負けちゃうのは実家の都合で参加できなくなっちゃった私の責任だから」

 

 村主の目元がぴくぴく震えだす。

 

「それにもし、模擬戦に参加できれば桃ちゃんも練習できて本番で命中させられるかもしれないけど、それができないと桃ちゃんは1発も当てられないまま卒業になるし・・・でも、参加できないんじゃ仕方ないね」

 

 生徒会室に微妙な空気が流れだし、桃も冷や汗を流しだす。

 

「だから気にせず、村主君は実習に集中してくれればいいから」

「・・・・・・」

「場合によっては大洗がこの先試合で勝つことはもう無いかも―――」

「やります。やりますからその話し方止めてくださいお願いします」

 

 重くのしかかるような柚子の言葉に耐えられなくなり、村主は振り返っていやいや承諾する。途端、柚子は『ありがとう!』と満面の笑みで喜んでくるものだから、先ほどの話し方は演技だろう。

 

「・・・あの巧みな話術、なかなか侮れないな・・・」

「話術って言うか純粋に脅しじゃない?」

 

 桃と杏がそんなことを言っているのは、聞こえていた。

 柚子は口が上手いということを、村主はその身をもって思い知った。

 

 

 

「それは・・・何とも言えないね・・・」

「ああ、全くだ・・・」

 

 そのあと細かい調整を終えてから、村主はガレージに戻った。レオポンチームと合流して事の顛末を伝えると、ナカジマたちも驚いた。まさか村主が戦車を実際に動かして戦うなどとは。

 

「副会長もやるね~。村主をその気にさせるなんて」

「口が上手いんだよ、あの人は」

 

 実際、生徒会と折衝を行うほかの部活動や委員会も、柚子の話術で言いくるめられてしまったことが何度もあるらしい。大洗の生徒でさえそうなら、一介の外部実習生の村主が敵うはずもなかった。

 

「でも戦車の操縦なんてやったことないんでしょ?どうするの?」

「副会長から教わる。だから明日は・・・実車訓練の後でヘッツァーの操縦を教えてもらうことになるから、整備にはすぐには参加できないけど・・・それでいいか?」

「うん、そういう事情があるならもちろん」

 

 ナカジマたちも同意し、明日のヘッツァーの整備は練習が終わった後そのまま村主が担当するということになる。

 

「じゃあもしかしたら、明後日の模擬戦は村主と戦うことになるかもしれないのか」

「あ~言われてみればそうかも」

 

 気づいたようにホシノが言う。まだ試合形式は分からないが、場合によってはヘッツァーとポルシェティーガーが違うチームに配属され、敵対することになるのかもしれない。

 

「それじゃ、その時はお手柔らかにな」

「ああ、善処するよ」

 

 冗談を言い合って、それぞれは整備を再開する。

 

 

 翌日の訓練後、予定通り解散してから村主はヘッツァーに乗り込み、柚子の指導を受けることになった。

 ちなみにこの日の訓練は、Ⅳ号戦車とポルシェティーガーを仮想敵として、聖グロ・プラウダ連合との戦い方を確認した。練習弾を結構撃ったので凹みや掠り傷などが割と多い。

 

「それじゃあ今日はよろしくね」

「はい、こちらこそ」

 

 他の車輌の整備はナカジマたちに任せて、村主は柚子と共に練習に入る。

 乗り込む前に挨拶をすると、後ろからホシノたちが『頑張れ~』とエールを送ってくれた。村主は手を挙げてそれに応える。

 さて、いざヘッツァーに乗り込もうという段階で気づいたが、実際に戦車に乗り込むのは村主は初めてだった。自分が操縦するのはもちろん、動いている戦車に乗ることも経験したことはない。

 それを今さら認識し、急に緊張感が高まってくる。

 

「どうかしたの?」

「いえ、実際に戦車に乗るのが初めてで・・・」

「緊張しなくても大丈夫だよ?ちゃんと教えるから」

 

 素直に明かすと、柚子はふんわりと笑った。操縦を覚えられるかが心配なわけではないのだが、ひとまず厚意に甘えてヘッツァーに乗り込む。

 ヘッツァーの中は、前方から操縦手、砲手、装填手、車長が着く仕組みになっており、車体自体が小さいために狭く感じる。村主は最初は後ろから柚子の操縦を見学することとなり、まずは砲手席に座る。

 

「それじゃあ、後ろからでいいからよく見ててね」

「はい」

 

 柚子が手慣れた手つきでエンジンを点けると、エンジン音と共に戦車が振動を始める。そして操縦桿を動かして、ヘッツァーは前進しだす。

 

 

 ヘッツァーを見送るナカジマは、どこか寂しかった。

 その理由はもう、深く考えなくても分かる。

 

「村主のこと、心配?」

「・・・・・・うん」

 

 ホシノが訊くと、ナカジマは躊躇ってから答える。

 『心配』というのは事故を起こさないか、というのはもちろんある。しかしながら同時に、戦車の中で柚子と2人きりの状況が心配でもあった。

 それはホシノも分かっていたらしく。

 

「大丈夫だって、きっと。村主はたぶん戦車の操縦を覚えるので手一杯だろうし、そんな意識する暇もないでしょ」

「そうだと思いたいけど・・・」

 

 ホシノの言い分も分かるが、それでもナカジマの不安は尽きない。

 そして、その不安を煽るような言葉が後ろから聞こえてくる。

 

「でもさー、副会長って下級生の子たちに人気なんだよね~」

「そうなの?」

「ウサギさんチームが、性格とかスタイルが憧れだって言ってた」

「あー、まあ確かに気持ちはわかるかも」

 

 ツチヤとスズキの会話に、ナカジマは体が硬くなるような気がした。

 ツチヤの言っていたように、柚子はそのスタイルの良さとおっとりした性格で下級生には人気だった。それはナカジマも知っている。

 そんな柚子と狭い戦車の中で2人きりなど、今のナカジマには悪い予感しかできない。

 

「さて、それじゃこっちも整備を始めようか」

 

 ヘッツァーが練習場に向かうのを見届けてから、ホシノが宣言する。

 この日ナカジマは単独で整備ではなく、ホシノと共にポルシェティーガーのモーターを整備することになっている。それを言い出したのはホシノで、1人で作業をしていて村主のことが気になり、またこの前みたいに怪我をするのを避けるためだ。ポルシェティーガーとヘッツァー以外の残りの戦車は、ツチヤとスズキで分担する形となった。

 

 

 色々な意味で心配をされているとはつゆ知らず、村主は柚子にヘッツァーの操縦を教わる。

 ヘッツァーは他の戦車と違い、目の前にある電車のマスコンのようなレバーで操縦するのが特徴で、これには慣れるのに大分時間がかかる。

 戦車に乗ること自体初めてなので、興奮しつつ四苦八苦しながらの練習となったが、柚子はちゃんと懇切丁寧に教えてくれた。自分の都合で村主に苦労を掛けてしまうことを後ろめたく思っているのかもしれない。

 

「うん、いい感じだね」

「そうですか?」

 

 そんな形でレクチャーを受けること数十分ほどで、ようやく操縦に慣れてきた。

 戦車の勉強は、独学と今回の実習で学んできたつもりだったが、操縦の仕方は今日知ったばかりだ。それでもこうして適応できたのは、ナカジマが言っていたように筋がいい方だからかもしれない。

 

「うんうん、これなら安心して任せられるかな」

「それは良かったです・・・」

「ありがとうね」

 

 しばらく適当に練習場内を走って慣らし、問題がないのを柚子も確認する。そして、村主の操縦でガレージへと戻ることにした。

 

「昨日はごめんね、変な形で頼むことになっちゃって」

「いえ、家族の事情があるのなら仕方ないですし・・・」

「でも、最初に会長がそう提案した時は私も驚いちゃって・・・」

 

 苦笑する柚子。

 そんな彼女、そしてカメチームの3人を見ていると村主は思うことがあった。

 

「生徒会の皆さん、仲がよさそうですね」

「入学して以来の付き合いだから」

「そうなんですか」

 

 てっきりカメチームの3人の仲が良いのは、生徒会で培われた信頼関係からと思ったが、そうでもなかったのか。

 それにしても、仲の良い友達が3人揃って生徒会に入ったというのも珍しい。生徒会に入るのだって簡単ではないだろうに。

 

「元々大洗って、イベントとか学校行事には積極的だったから。それで杏が、『生徒会に入ったらもっと色々楽しいことできるんじゃない?』って」

「結構、軽い気持ちだったんですね・・・」

「あはは・・・そうだね。でも、生徒会に入ってみたら意外と楽しくて。書類作業とか辛いこともあるけど・・・」

 

 そこで、柚子が言葉を選ぶように口を閉ざす。

 

「・・・楽しいこともたくさんあったから」

「・・・」

「・・・・・・だから、学校を守れてよかった」

 

 最後の言葉は、恐らくは独り言のつもりだったのだろう。

 しかしその言葉の真意は、以前ナカジマから話を聞いたので理解できた。

 

「・・・・・・廃校の件ですか」

「え!?なんでそれを・・・!?」

「ある人から聞きしました。その人のことは話せませんが・・・校外の人に話してはいません」

 

 それは言わなくてもよかっただろうが、柚子がそれを避けて話そうとすると色々と厄介だろうから、知っていることを明かした。これで少しは話しやすくなるだろう。

 

「・・・うん、その通り。大洗はあの全国大会で優勝しないと、廃校になるところだったの。それは戦車隊の皆は全員知ってる」

 

 その事実は最初、生徒会の中でもカメチームの3人と、学園長など学校上層部しか知らなかった話だ。だが、全国大会の準決勝で窮地に陥った際に桃が思わず明かしてしまい、なし崩し的に戦車道メンバーの全員がそれを知ることとなった。

 

「騙すような形で戦車道を始めて申し訳なく思うけど・・・みんな頑張ってくれて大洗を守れたから・・・」

「・・・・・・それなら、良いのではないでしょうか?それだけ皆も大洗を好きだったってことですし」

 

 柚子は、未だ嘘を吐いて戦車道を皆に促したことに罪悪感を抱いているらしい。

 だが、『終わり良ければ総て良し』とも違うだろうが、こうして大洗の廃校がなくなった今、それを気に病むこともないだろうとは思う。結果的に戦車道メンバーの結束力は強まり、大洗も再び平穏な日々を取り戻せたのだから。

 

「・・・・・・そうだよね、そうかも」

 

 柚子もどうやら、村主の言葉で少しだけ気が楽になったのか、ふっと笑う。

 そして、戦車のガレージが見えてきた。

 

 

 

「ナカジマ、ラジオペンチ貸して」

「ん・・・・・・」

「・・・・・・これ、ニッパーだよ」

「あ、ごめん・・・」

 

 ホシノと共にポルシェティーガーのモーターを一緒に整備するナカジマだが、どうも集中できていない節がある。先のようにホシノが工具を要求しても、かれこれ4回も違う工具を渡してしまっていた。

 改めてラジオペンチを受け取ったホシノは、小さく息を吐きながら配線を確かめつつ整備する。

 

「そんなに気になる?」

「・・・・・・うん」

 

 集中できていない自分を奮い立たせようと口数を減らしているが、ホシノの言う通りやはり村主のことが気になる。

 柚子の個別指導が始まってから1時間ほどが経過し、もうすぐ陽が落ちようとしている。時間が経てば経つほど、不安は大きくなってきていた。心が押しつぶされそうになるぐらいに。

 村主がナカジマのことをどう思っているのかは分からない。だが、今回のことがきっかけで万が一、村主が柚子のことを好きになってしまったとしたら、ナカジマ自身どうすればいいのか。推測の話であっても頭につきまとう。

 

「お、戻ってきた」

 

 ホシノが言うと、ナカジマはすぐにそちらを見た。確かにヘッツァーが、バックでガレージに入ってきたところだった。ヘッツァーが停止すると、キューポラから柚子と村主が出てきて、一言二言話してから柚子は帰っていった。

 

「すまん。待たせた」

「いや、大丈夫だよ」

 

 いつもの調子で村主が手を挙げるとホシノが答える。村主は『ヘッツァーを整備するよ』と言いながら自分用の工具箱を持って、ヘッツァーの下に潜り込んで整備を始めた。

 

「いつも通りじゃない。心配することなんてないでしょ?」

「ん・・・そうだね・・・」

 

 一見、村主に変わった様子はない。変ににやけている様にも見えないし、後ろめたさを感じている風でもない。それに関してはひとまず安心だった。

 だが、それでもナカジマの不安は尽きることがない。

 

「・・・心配ならさ、ナカジマ」

「?」

 

 そんなナカジマに、ホシノが1つアドバイスをした。

 そこまで不安なら傍にいればいいと。

 

 

 その日の整備が終了すると、ナカジマは村主に話しかける。

 

「あのさ、村主」

「?」

「今日、一緒に帰らない?」

「ああ、いいよ」

 

 元々ナカジマとは一緒に帰る間柄だったので、こうして改まって約束をするようなこともなかったのだが。ともかく村主は、特に気にせずOKした。

 帰り際、村主に向かってホシノたちが親指を立てていたのについては、言及しなかった。

 

「戦車の操縦はどうだった?」

「いやー、なかなか難しかった・・・」

「まあ、ヘッツァーは他とは操縦の仕方が違うし、仕方ないね」

 

 夜道を2人で歩きながら話すことは、やはり先ほどの操縦練習のことだった。柚子のことはともかくとして、初めての操縦がどうだったのかは気になる。

 

「でも、結構楽しかった。最初は緊張したし、苦労もしたけど・・・それでも戦車は好きだったから」

「そっか・・・それならよかった」

 

 苦痛となる体験にならなかったのは幸いだ。これでもし戦車が嫌いになった、なんてことになったら流石に胸が痛む。

 しかしながら、それとは別にもう1つ大事なこともあって。

 

「副会長が教えてくれたから、どうにかなった」

 

 あっけなく、ナカジマの心配なんてお構いなく、その大事なことを言ってのけた。

 整備をしている間、村主が練習している間、ずっとナカジマは不安だった。その不安の根底にあるのは、村主を想うが故の嫉妬だ。

 そんなナカジマには気づかず、村主は嬉々として練習のことを話していた。初めて戦車を操縦することができて興奮しているのは分かるが、それでも自分のことを見ていないような感じがして、不安だった。

 

「おっと・・・雨か・・・・・・」

 

 そこでタイミング悪く、パラパラと降ってくる雨。そこそこ強くて、傘が無ければあっという間に濡れ鼠になりそうなほどだ。

 村主は即座に鞄から折り畳み傘を取り出して差す。雨に対して用意周到なのは変わらないようだ。

 

「ナカジマ、傘は?」

「あ、持ってなくて・・・・・・」

「じゃあ入ったほうがいい。風邪ひくから」

 

 言って村主は、躊躇もなくナカジマに傘を差しだした。

 

 ナカジマを案じているようなその表情に、ナカジマの中の不安は少しだけ晴れた。

ちゃんと村主は、ナカジマのことを見てくれているんだと実感できたから。

 

 それが少しだけ嬉しくて、ナカジマはひょいっと傘の下に入る。

 実習が始まったばかりの日の帰り道でも、相合傘はした。しかし今は村主もナカジマも、それぞれに対する気持ちがあの時とは違う。特にナカジマは、今は村主に対して不安な気持ちを抱いていた。

 

「村主、肩濡れてるよ」

「ん、これぐらいなら大丈夫だ」

 

 ナカジマが濡れないように、村主は左肩が傘の外に出るぐらいに位置をずらしている。そのせいで、村主の左肩は雨で濡れてしまっていた。

 しかし、それはナカジマも黙って見過ごせない。

 

「ダメだよ、それこそ風邪ひいちゃうよ?」

 

 そう言ってナカジマは、村主の右手を引いて傘の中に引き入れる。

 途端、村主はナカジマと身体が密着することになってしまったが、ナカジマはたじろぎもせずに寄せてくる。

 この一瞬でナカジマとの距離が縮まったことに、村主の心臓が跳ね上がる。そしてなお、ナカジマは村主の手を握ったまま離さない。

 

「ナカジマ・・・その手は・・・」

「・・・いいでしょ?少しの間」

 

 ナカジマは笑って村主のことを見る。

 

「・・・・・・少しだけでいいから、このままでいさせて」

 

 握る手にほんの少しだけ力が籠る。体温を直に感じて、村主の体も強張る。

 そう言われては、そんなことをされては、反論できない。

 

 その手の温かさや、柔らかさを確かに感じながら、2人は雨の中を歩いていく。

 結局、雨はナカジマの住む寮まで止むことはなく、それまではずっと2人は手をつないでいた。

 ナカジマも、この突然の雨に向けて『ありがとう』と心の中でお礼を告げた。



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喜雨

 エキシビションマッチに向けた校内模擬戦は、バトルロイヤル形式に決まった。2チームに分けて対戦する形にしないのは、各チームの戦い方を鑑みて、本番のエキシビションマッチでの大まかな配置を決めるためでもあった。

 

「今回審判をしてくださる蝶野教官は、13時ごろにいらっしゃる。教官の準備が整い次第、模擬戦を開始する」

 

 朝礼で桃が連絡事項を伝える。聞いたところによれば、今回来てくれるその蝶野教官は大洗の皆に戦車の手ほどきをしてくれた御人らしい。その人の人柄もあって、大洗とはそこそこ親しい仲らしい。

 

「あー、ちなみに。今日は副会長が不在のため、特例措置として模擬戦では村主が代わりにヘッツァーを操縦することになる」

 

 さらに桃が告げたことに、そこにいるほとんどの人はざわつき驚く。これを知っているのはカメチームとレオポンチーム、そして隊長のみほだけだ。

 肝心の村主も、その時が近づくにつれて緊張感が高まり、同時に心が押し潰されそうにもなっていた。このことを頼まれた時は、柚子の脅し・・・もとい話術に嵌ったこともあって即座に引き受けてしまったが、今思うとやはり乙女の乗るはずの戦車に自分が乗るのは抵抗もある。

 操縦に関しても不安だ。練習では柚子曰く『問題ないレベル』にまでこぎつけたが、それでも経験者と比べれば劣ってしまう。実際の試合(模擬戦だが)で通用するかは分からない。

 しかしここまで来ては後戻りもできないし、やれるだけのことをやるしかなかった。

 

「午後の模擬戦に向けて、午前は戦車の整備と車内連携の確認にかかれ!」

 

 桃が仕切ると、全員は一度口を閉ざして姿勢を正す。

 

「西住、指揮」

「あ、はい。それでは皆さん、練習に入ってください!」

『はい!』

 

 実習で分かってきたが、連絡事項を伝えるのは桃で、最後に締めるのは専らみほだった。真面目な雰囲気の桃と、柔和な感じのみほでつり合いは取れているのかもしれない。

 村主も午後の模擬戦が始まるまでは、いつも通り戦車の整備だ。工具箱を用意して早速取り掛かろうとしたが、その前にウサギさんチームの面々が話しかけてきた。

 

「村主先輩、戦車の操縦できたんですか?」

「いえ、昨日副会長から教わって」

「へー!」

「でも男の人が戦車乗るのって変な感じだよね」

 

 無邪気に喜んだり、率直なことを言ってくれる彼女たち。実習を経て大分打ち解けてきたから、こうして距離も近くなったのだろう。

 ある程度ウサギチームと話してから、今度こそ戦車の整備に入る。

 

「まさかバトルロイヤルルールとはね~」

「最初の時以来かな?」

 

 ツチヤが言うには、まだ大洗女子戦車道チームが発足したばかりのころ、最初の訓練で同じくバトルロイヤルを行ったらしい。その時はまだカモ、アリクイ、レオポンの3チームは結成していなかったが、レオポンチームはその時から戦車を修理したから知っていた。

 

「あの時はあんこうチームの一人勝ちだったけど、今はどうかなぁ?」

「分かんないな。みんな結構強くなってるし、チームも増えてるし」

 

 ホシノの言うように、最初期と比べて大洗の皆の力は格段に上がってきている。かつてのようにあんこうチームの独壇場とはならないだろう。

 そんな彼女たちに交じってぺーぺーの自分が戦車に乗ることに、村主は未だ実感が持てない。自分の腕など通用せずに速攻でやられるのではないかと不安で仕方がなかった。

 

「村主も頑張ってね」

「・・・できる限り善処する」

 

 ナカジマから激励の言葉をもらうが、村主はできる限り頑張ることしかできない。

 緊張が過ぎて胃が痛むのを感じながら、戦車の整備に取り掛かった。

 

 

 午前の整備を経て昼休憩になり、13時前になると皆はガレージの外に出て教官が来るのを待っていた。

 村主はまだ、その教官がどんな人物なのかを聞いてはいない。知っているのは自衛隊の陸尉で女性、ということだけだ。杏の知り合いらしいが、自衛隊とコネがあるとはどんな人脈を持ってるんだと思う。

 やがて、13時の5分前。

 

「お、きたきた」

 

 空を見上げて杏が言うと、皆の視線もそちらへ向かう。村主も視線を上に向けると、銀の機体の輸送機が飛んでいた。それも結構な低空飛行だ。

 

「あれは・・・?」

「あれに乗ってくるんだよ、教官は」

 

 隣にいたナカジマが話すと、輸送機はさらに高度を下げていき、職員駐車場へ着陸する勢いだ。車が多く停まっているのにと思ったところで、輸送機の後部ハッチが開いた。スパイ映画みたいにあそこから降りる気だろうか。

 

「パラシュートで降りてくるのか?」

「うーん・・・少し違うかな」

 

 随分アクロバティックな登場だと思ったが、ナカジマの反応からしてそれも違うらしい。

 するとハッチから飛び出してきたのは、人ではなく戦車だった。それも自衛隊所属と思しき迷彩色で、戦車道に参加している車輌とはまた違う近代的なデザインの車輌。

 

「10式です~!」

 

 その飛び出した戦車を見て、優花里が興奮気味に叫ぶ。

 10式、という戦車は聞いたことがあった。自衛隊の最新鋭の戦車で、富士の総合火力演習でも目玉として度々取り上げられている。戦車道には詳しくなくても10式は知っている、というファンも多いらしい。

 あの戦車に教官は乗っているのか、などと悠長なことを考えていたら、10式は職員駐車場に着陸。しかし横滑りし1台の赤い車に激突して横転させてしまった。というか、あの赤い車には見覚えがあった。

 

「・・・・・・あれ、学園長のフェラーリじゃ?」

「あー、またやっちゃったね~」

 

 結構な大ごとだというのに、ナカジマはのんびりと苦笑いしていた。

 さらに10式は後退して体勢を立て直そうとし、横転していたフェラーリを踏み潰す。ウン千万円クラスの高級外車が、あっという間にポテトチップス同然のスクラップに成り果てた。

 

「おいおい・・・」

「大丈夫大丈夫。多分補償されるだろうから」

 

 一番最初に来た時も、学園長のフェラーリはあの10式によって同じようにお釈迦になった。その時は自衛隊から補償が下りたらしいが、2度目はどうなんだろうか。

 10式はガレージの前までやってきて停車し、そのキューポラから深緑色の軍服を着るショートヘアの女性が身を乗り出した。

 

「こんにちはー!」

 

 穏やかな挨拶と共にヘルメットを脱いだ彼女が、教官の蝶野亜美だとナカジマが耳打ちする。

 亜美は一瞬だけ、この場にいるはずのない男の村主を見たが、特に話しかけたりはせず戦車を降りて皆の前に立つ。

 大洗の皆はチームごとに1列に並び、村主は少し外れた場所に並ぶ。

 

「本日はお忙しいところをお越しくださり、ありがとうございます」

「ノープロブレムよ。戦車道のことならいつでも呼んでOKだから」

 

 フランクな口調で話す亜美からは、軍人らしい堅苦しさや生真面目さはあまり感じられない。生徒の前だからなのか、それとも素なのかは分からないが、そこまで張り詰めた空気にはなっていないのでよしとする。

 

「今日はエキシビションに向けての模擬戦だったかしら?」

「はい。ルールはバトルロイヤルで行おうかと」

「あら、最初の時と同じね。楽しそうじゃない!」

 

 やはり亜美も大洗の最初期のことを覚えていたようだ。それにしても、バトルロイヤルと聞いて『楽しそう』と笑うのは、軍人らしくないなと思う。いい意味で破天荒だ。

 

「それについて1つ報告したいことがあるのですが」

「何かしら?」

「本日は、ヘッツァーの操縦手が不在で。代理としてあちらにいる実習生を乗せるつもりです」

「実習生?」

 

 そこで初めて、村主と亜美の視線が合った。同時に桃が、『こっちに来い』と顎で示す。村主は亜美の前に立つと、お辞儀をした。

 

「初めまして、戦車の整備実習で来ています村主です」

「よろしく。陸自の蝶野亜美です」

 

 握手を交わすと、亜美は今一度桃の方を見る。詳しい説明を要求しているようだ。

 

「今回の模擬戦はあくまで内輪で行われる試合ですので、公式戦とは違い公的な記録は残りません。あくまで今回のみの特例として、彼をヘッツァーに乗せます」

「なるほど・・・操縦はできるのかしら?」

「不在の操縦手が昨日指導し、『問題ないレベル』にまではどうにか。もちろん、当日は本来の乗員が乗りますが」

 

 ふむ、と亜美は少し考える。戦車道の教導を担う者として、男を戦車に乗せるのはどうかと考えているのだろう。

 やがて亜美はうんと頷いてから答えた。

 

「そうね。そういうことなら大丈夫よ」

「ありがとうございます」

 

 許可が下りたので、村主も正式に参戦ということになった。桃がお辞儀をする。

 ただ、ここで却下してくれた方が村主としてはまだマシだったと思う。緊張感はピークを迎えつつあり、今にも逃げ出したい気分だ。今の村主は、歴戦の戦士の中に混じる新米同然なのだから。

 そんな村主の気も知らず、大洗の面々は模擬戦を楽しみにしているようだ。

 

「各車輌のスタート地点は決めたのかしら?」

「はい、既に周知済みです」

「グッジョブ!それじゃ、早速準備に入りましょう!」

 

 もう一度挨拶をしてから、それぞれが戦車に乗り込み始める。

 最早抵抗も無意味なので潔く戦車に乗ろうとする村主だが、その直前でナカジマが話しかけてくれた。

 

「村主、頑張ってね」

「・・・ああ、ナカジマもな」

 

 そしてナカジマはポルシェティーガーへ、村主はヘッツァーへ乗り込む。少し亜美と話をしていた杏と桃が後から乗り込むと、村主は深呼吸をしてエンジンを点ける。深呼吸程度で緊張は抜けないが、気休めにはなる。

 

「しっかりやれよ、村主」

「気楽にやっていいからね~」

「どっちなんですか・・・」

 

 桃と杏から正反対の激励の言葉を受けて苦笑しながらも、ヘッツァーをゆっくりと前進させる。ほかのチームも同様に準備ができ次第スタートし始める。

 練習場内で、それぞれのチームのスタート地点は離れている。スタート地点からどこへ向かい、誰を狙うのかをそれぞれ自分で考えるのは、判断力や行動力を試されるので悪くないと思う。

 やがてヘッツァーは、何事もなく所定のスタート地点―――川の傍の砂利道にやってきた。

 

「操縦は悪くない感じだねー」

「だが試合中はさっきみたいなのんびりした動きだと、一瞬でケリをつけられるぞ」

「分かりました」

 

 いつものように杏はのんびりとした感じで褒めてくれるが、桃は手厳しい。上手い具合にバランスが取れている。

 人生初の戦車の試合とあって、村主もいい加減緊張の限界だが後戻りはできない。もはや今の村主にできることは、『頑張る』ことだけだ。

 

『一同、礼!』

「「「よろしくお願いします」」」

 

 車内スピーカーから亜美の声が聞こえてくる。戦車道は礼に始まって礼に終わる、というのは知っているので、村主もそれに則り挨拶をする。杏も干し芋を仕舞ってお辞儀をするあたり、適当に見えて礼儀は大切にする性分のようだ。

 

『それでは全戦車、パンツァー・フォー!』

 

 掛け声と共に、ついに模擬戦が始まる。自然と操縦桿を握る村主の手にも力が入った。

 

「どうしますか?」

 

 2人に訊くが、杏は『とりあえず適当に走ったら?』と要領を得ない答えを示したのでスルーする。反対に桃は真剣に考えているようで、『そうだな・・・』と考え込む。

 他の戦車がどこからスタートしているのかは分からないので、地形をもとにある程度の推測を立ててそこへ向かうしかないだろう。

 しかし、村主が地図を見ていると、重い金属音と共にヘッツァーの中が激しく揺れた。不意打ちに胃が縮むような気がする。

 

「被弾した・・・?」

 

 それが、何者かの攻撃を受けたことは、初めて乗る村主でも分かった。

 

「アヒルチームだ。八九式なら撃ち抜けない、心配は不要だ」

 

 ペリスコープで周囲を確かめる桃が、その発砲した戦車を見つけたらしい。

 それを聞いて村主も少し安心した。悲しいが、八九式の砲ではどの戦車も撃破できないので、桃の言う通り恐れるに足りない。

 しかし、遠くから戦車のエンジン音と、砂利を巻き上げる音、履帯が擦れる音が聞こえてくる。どうやらどこかから戦車が近づいてきているようだ。

 

「!」

 

 そして村主は、操縦席の脇にある覗き窓から、ヘッツァーの横を通り過ぎていくアヒルチームの八九式を目にした。八九式はスピードを落とすこともなく、通り過ぎて行く。

 そして少し離れた場所から、挑発のつもりか今度は機銃を撃ってきた。機銃弾が装甲に弾かれる軽い音が響く。

 

「小癪な!追え!」

 

 桃は頭に血が上ったのか、乱暴に指示を出す。村主もそれを聞いてヘッツァーを前進させた。急発進をしてしまったが、桃の気力に圧されてしまったので不可抗力と思いたい。ちなみに杏はまた干し芋を齧っていた。

 

「後ろを見せるとは無防備な!」

 

 砲を構える桃。ついさっきまでの真面目な雰囲気が嘘のように威勢がよく、トリガーハッピーという奴だろうか。

 

「ファイヤー!」

 

 そして発砲。被弾した時ほどではないが、発砲の衝撃が車内に響いて村主も喉がひゅっと縮む。戦車の砲撃は、外から見る分には『迫力あるなぁ』とか『かっこいいな』ぐらいにしか感じていなかったが、間近で感じるのはやはり違う。

 そしてヘッツァーの砲撃は、八九式ではなく、離れた川の水面に着弾した。

 

「はい外れ~」

 

 外を見ながら杏が茶化すと、桃はすぐに次の弾を装填して砲撃準備に入る。

 一方で八九式は道を逸れて林の中へと入っていき、村主も操縦桿を動かして向きを変え追跡する。

 道などあって無いようなものなので、草木も伸び放題だ。おかげで背の低い草の葉が車体に当たり、村主が見ている小窓にもガサガサと音を立てながら迫ってくる。思わず目を瞑ってしまいそうになるが、操縦中にそれは致命的なので目を眇める程度にしておく。

 普通の車と違い、戦車の操縦席からの視界は狭い。昨日の練習ではこの視界に慣れるのも一苦労だったので、本来操縦する柚子の苦労も垣間見た。いや、柚子に限らず、ツチヤや麻子など戦車を操縦している者は、いつもこんな風に不安や恐怖を感じながら操縦しているのだろうか、という考えが尽きない。

 そんな時、視界の端に八九式とは別の戦車の姿が見えた。

 

「げえっ、レオポン」

 

 大洗の中では一番性能が良いとさえ言われる、レオポンチームのポルシェティーガーだった。これまで整備を幾度と無くしてきたので、その強さは村主も知っている。

 ポルシェティーガーはまだヘッツァーには気づいていないようで、前を行く八九式に発砲する。だが、八九式はそれを避けて林の奥へと突き進んでいく。

 そこで、向こうもこちらに気付いたようで今度は砲をこちらに向けてきた。

 

「ありゃー、アヒルさんの狙いはそっちか」

 

 杏が苦笑して干し芋をかじる。

 どうやら八九式は、ヘッツァーを挑発して適当な戦車の前におびき出し、撃破させる作戦だったようだ。もちろん、その『適当な戦車』に自分たちが撃破されるリスクも承知の上だっただろうが、性能の低い八九式が生き延びるために敵を減らすには、この手段が一番有効なのかもしれない。

 

「おい、何とかしろ!」

 

 桃が村主に向かって投げてくる。ポルシェティーガーは右前方から迫ってきており、ヘッツァーの砲塔は前面固定なので狙うことができない。操縦手の村主の肩にかかってしまっていた。

 村主はとりあえずスピードを上げて少しでも狙いにくくしようとする。だが、ポルシェティーガーは回転砲塔なので偏差射撃もできる。現に、ポルシェティーガーは砲塔を右に旋回し始めていた。

 まずい、と村主は直感でそう思った。

 そして、たまらずヘッツァーの向きをわずかに左にずらす。

 

「うぉっ!?」

 

 後ろで桃が虚を突かれたように声を上げた直後、ヘッツァーの右側面を何かが掠るような音が聞こえた。そして少しして、左の方から着弾する音。どうやら命中は避けられたようだ。

 

「危なかったね~」

 

 相変わらず気楽そうに杏が言う。村主は反応せずに、ヘッツァーを進めていった。

 

 

 

「避けられたか」

 

 スコープを覗いていたホシノが、悔しそうではあるが笑う。

 次の砲弾を装填するスズキが『やるねぇ』と呟いて、ツチヤはナカジマに指示を仰いだ。

 

「どうする?追う?」

「うーん、向こうも結構スピード出てるし、追いつけなさそうだね・・・。深追いしないでおこうか」

「それじゃ、一度開けた場所に出よう」

 

 ツチヤが操縦桿を巧みに動かして、向きを反転させて林を出ようとする。

 ナカジマは周囲に気を配りながらも、先ほどのヘッツァーの動きを思い出していた。

 

(ホシノの偏差射撃を読むなんてやるなぁ・・・)

 

 あれは果たして、カメチームの誰かが指示したのか、それとも操縦している村主の独断か。

 分からないが、そこで遠くから砲撃の音が聞こえ、さらに審判の亜美の声が聞こえてきた。

 

『八九式中戦車、走行不能!』

 

 あらら、と思いながらもナカジマは双眼鏡でその音のした方向を見る。

 木々に阻まれていたが、煙を上げる八九式と、近くにあんこうチームのⅣ号戦車がいるのをかろうじて確認した。逃げた先でⅣ号に鉢合わせてしまったらしく、実に運がない。

 さしあたりナカジマは、戦闘の後で警戒しているだろうから、Ⅳ号の方へはまだ近づかない方が良いとツチヤに伝える。

 

 

 林の中を進む村主は、桃に改めてこの後はどうするのかを訊ねる。

 

「林の中は視界が悪い。一度開けた場所に抜けて体勢を立て直すぞ」

 

 とりあえずこのまま前進ということになったが、すぐ傍からエンジン音が聞こえてきた。

 

「まずいぞ、Ⅲ突だ!」

 

 車高の低さを生かして茂みに隠れていたⅢ突だった。ヘッツァーの後ろに出てきて追いかけてくる。Ⅲ突の75ミリ長砲身は強力で、この距離で後ろから撃たれたらまず間違いなくやられる。

 桃はそれを避けるために、蛇行運転をするように指示を出した。言われて村主は操縦桿を動かすが、車体全体が左右に揺れるので腕がものすごく痛いし、身体がどうにかバランスを保とうとして余計に痛い。

 

「村主~」

「はい!?」

 

 そんな中で杏に話しかけられて、焦りながら返事をした。杏は齧っていた干し芋をひらひらと揺らしながら、軽く言った。

 

「ちょっと止めてみ?」

 

 言われて村主は、右に蛇行したところで停止させる。

 すると、その左側をⅢ突が通り抜けていった。わざと停車させてⅢ突の後ろにつくのが、杏の狙いだったのだ。

 

「かーしま、やっちゃえ」

「はっ!」

 

 緩い感じで杏が言うと、桃はきびきびと返事をして砲を構える。『ふふふ・・・』と低い笑い声が聞こえたのは気のせいだろうか。

 

「喰らえっ!」

 

 意気込んでトリガーを引いた桃だったが、砲弾は明後日の方向に着弾してしまった。

 

「はずれ~」

 

 思えば、村主が大洗に実習に来てから今日に至るまで、桃はこれまで一度も的や敵車輌に弾を当てたことがなかった。

 しかし、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神でこのまま頑張るしかないだろう。そう思い村主は、ヘッツァーをⅢ突の後ろに付けて前進する。

 だが、少しの間走っていると、Ⅲ突が突然走りながら向きを180度変えようと旋回したのだ。

 

「「なっ・・・!?」」

 

 驚いた村主と桃が声を揃える。これで撃たれてしまったら終わりだ。

 だが、Ⅲ突は180度どころかそれ以上に大きくスピンしてしまい、やがて茂みに突っ込んで停止した。あれでは体勢を立て直すのに少し時間がかかるだろう。

 

「よし、逃げよう」

 

 杏の指示通り、村主はヘッツァーをⅢ突から離れさせた。

 

 

 スピンしたⅢ突の中で、おりょうはズレたメガネを直しながらカエサルに謝る。

 

「すまん、失敗したぜよ」

「大丈夫だ。すぐに体勢を立て直そう」

 

 おりょうは履帯を巧みに回転させて、素早く戦車を立て直そうとする。

 

「やっぱりまだまだ練習が必要だな。車体の重さがネックだな・・・」

「当たり前だろ。アンツィオの快速戦車とはまるで全然違うんだから」

 

 カエサルの呟きに左衛門佐がスコープを覗きながらぶつぶつ言う。

 先ほどの走行中の方向転換は、アンツィオ高校の快速戦車・CV33が得意とするものだった。とある伝手でそれを聞いたカエサルは、せっかくだから自分たちもやってみようと思ったが上手くいかなかった。

 

「・・・・・・せっかくひなちゃんに教えてもらったのに」

「え、何だって?」

 

 誰に言ったわけでもない独り言のつもりだったが、エルヴィンに拾われてしまった。しかもニヤニヤと笑っているので、カエサルは顔を逸らして我関せずの姿勢を貫く。

 

 

 どうにかしてヘッツァーは林を抜けたが、出合頭にウサギチームのM3と遭遇してしまった。現在逃走中だが反撃できないので、固定砲塔は本当に難儀なものだと改めて思う。

 M3は砲が2つあるので、蛇行運転しようとしても狙われてしまう。仕方なしに直線的に逃げつつ隙を見てどこかで離脱する、という方法しかなかった。

 

「ええいちょこざいな!」

「どうします?」

「とにかく逃げろ!」

 

 そう言っている桃の声は何だか焦っているようで、若干涙声だ。普段のクールな感じや先ほどまでの血気盛んな様子はどこへ行ったのやら。

 とはいえ、このまま逃げているだけでもじり貧なので、どこかしらで隙をついて林の中に隠れた方がいいかもしれない。リスキーだが、ヘッツァーの車高の低さを生かして物陰から奇襲をかけてもいいのではないかと村主は思ったが、あくまで自分は代替要員なので意見することもできないだろう。

 そんなことを思っていたら、前方にポルシェティーガーが現れた。

 

「あ」

「撃て!」

 

 咄嗟に桃が発砲したが、やはり砲弾はどこかへ行ってしまった。この距離で外すとはひどいエイム力だと思う。

 反対にこんな間近では流石に避けることもできず、ポルシェティーガーの砲撃は素直に受けるしかなくなった。

 88ミリ砲が光り、ヘッツァー全体が大きな衝動に襲われる。

 その砲撃を間近に受けた村主は、その音と振動にびっくりする。まさかこれほどまでに揺れて、耳に来るようなものだったとは。

 そして車体の外から白旗の揚がる音が聞こえて、スピーカーからヘッツァーが撃破されたという亜美の通信が入る。

 

「あー、負けちゃったね。ドンマイ」

「くぅ・・・不覚・・・」

 

 杏はいつも通りの気楽な感じだったが、桃は心底悔しがっている様子。

 ちなみに桃は今回の模擬戦で結構な数撃っているが、1発も戦車に当たることはなかった。どころか、村主が実習で来て以来、桃が弾を当てたことは一度もない。意外と砲手には向いていないのかも、とだけ思った。

 

 

 そのあとの模擬戦は、順当な結果になった、と言える。

 三式中戦車が泥にはまり動けなくなっていたところをルノーが撃破。さらに別の場所で、ポルシェティーガーの後ろからM3がモーターを狙って砲撃し、これも撃破。Ⅲ突は茂みから機を窺いルノーを撃破するも、後ろからⅣ号に撃たれて撃破される。最終的にはM3とⅣ号の一騎打ちとなったが、これを制したのはⅣ号だった。しかしM3も、直前でⅣ号の履帯を切って見せたが、わずかに力及ばずだった。

 

「みんなグッジョブベリィナイス!」

 

 そして、ガレージの前での終礼。審判の亜美から一言、という段階で亜美は親指を立ててそう言った。アバウトでフランクな感想だったが、亜美はどうやらそういう人だと村主にはもう分かった。

 

「最初に戦車に乗った頃とは全然違ったわ。どの戦車もそれぞれの性能を生かして戦っていたし、流石は全国大会優勝校って感じね」

 

 そう言うと、大洗の皆は照れ臭そうに、嬉しそうに笑った。村主も悪い気はしなかったが、正確には大洗の生徒ではないので微妙な気持ちではあったが。

 

「それじゃ、エキシビションマッチも頑張ってね!」

『はい!』

 

 そうして最後に大洗の全員で亜美に向かって挨拶をし、終礼も終わる。

 その後は、今回の模擬戦の結果を基に、改めてエキシビションマッチの打ち合わせをするということになり、各チームのリーダーは生徒会室へと向かった。それ以外の生徒は解散し、亜美も10式戦車に乗って帰ろうとしたが。

 

「そこの少年、ちょっと待った!」

 

 村主を見つけると呼び止めた。少年などこの場には必然的に1人しかいないので、村主は恐る恐る振り返る。一体何を言われるのかが不安だからだ。

 

「初めて戦車に乗ってみて、どうだったかしら?」

「へ?あ、ええと・・・すごかったです」

 

 唐突に質問を受けて、思わず歯切れの悪い答えを返してしまう。亜美は気を悪くしてはいないのか笑っているが、多分何がすごかったのかは言わないとダメだろうなと思った。

 

「試合に参加することになるなんて思わなくて・・・。間近で砲撃をするのも受けるのも初めてで、戦車をせわしなく動かすことも難しくて」

 

 そこで一度言葉を区切って、自分が思っている正直なことを言った。

 

「・・・・・・普段戦車に乗ってる皆さんが、どんなにすごいかって言うのを知りました」

 

 初めて戦車に乗った村主は、今回の模擬戦に臨時で参戦した身だが、それだけでも戦車に乗るのは大変なのを思い知った。それでも、大洗の皆は、そして戦車道を歩む人はそんな戦車に乗って戦い続けている。それは村主も、純粋に尊敬していた。

 納得のいく言葉を聞けたのか、亜美は頷く。

 

「そうね、大洗の子たちは特に」

 

 亜美は、ガレージの方を見て帰り支度を始める大洗のメンバーを見る。

 

「大洗で戦車道を始めた時、経験者はほとんどいなくて、戦車の“せ”の字も知らないぐらい初心者が多かった。でも、瞬く間に皆は成長して、全国優勝を成し遂げるまでになったわ」

 

 村主が模擬戦の中で思ったことは誰でも思うことで、怖くて戦車に乗るのをやめる人もいるらしい。実際、ウサギチームの1年生たちは、最初の練習試合で砲撃が怖くて思わず戦車を放って逃げ出してしまったと言う。

 だが、それでも彼女たちは戦車に乗ることをやめはせず、戦車に乗り続けて成長し、知っての通りの全国優勝の伝説を打ち立てるほどに強くなった。

 

「彼女たちは多分、戦車乗りとしてのポテンシャルを秘めていたんだと思う」

 

 そう都合よく、彼女たちに戦車乗りとしての才能があったとは考えにくい。だが、本気ででそう思わせるほどの成長ぶりだ。性格や環境、相性などの様々な要素が相まって、大洗の皆の才能が開花し成長したのだと、亜美は信じている。

 

「だから、あなたのその感想も決して間違ってはいないわ。そして、そんな皆と一緒に1回だけ、特別な理由でも戦えたことは素晴らしいことだと思うわ」

 

 確かに最初は嫌々なところもあったが、そんな彼女たちと試合をすることなど、男だったら成しえないはずのことなのだ。それを体験できたことは、亜美の言う通り素晴らしいことで、自慢できることだろう。

 

「・・・・・・そうですね。今回のことは、胸に刻んでおきます」

「その意気よ!」

 

 最後に背中を叩き、『実習頑張って』と激励の言葉も贈ってくれて、亜美は10式に乗って帰っていった。

 杏とは違う意味でつかみどころが無いような人だったが、大洗のことを見てきたからこそああいう言葉が言えるんだろうなと思った。

 

 

 他のチームは解散してしまったが、レオポンチームと村主はもちろん戦車の整備があるので残ることになっている。しかも今日は、ほとんどの車輌がボロボロということでいつも以上に忙しくなることは容易に想像できた。

 

「お疲れ村主~」

「ああ、ありがとな」

 

 今はツチヤとホシノがブルドーザーを使って戦車の回収に行っている。ナカジマは打ち合わせで、残ったのはスズキと村主だけ。今はガレージで整備の準備を進めているところだった。

 

「どうだった?初めての戦車は」

「思ったよりも厳しいな、あれは」

 

 首を回しながら答えると、スズキは『やっぱり?』と苦笑した。

 これまで戦車の試合は、当然ながらただ観ているだけだった。しかし今日、イレギュラーな事態から実際に戦車で試合に挑んで、いかに戦車に乗る彼女たちがタフなのかを思い知った。

 

「あんな風に息つく暇もなく戦車動かして、弾撃って、やられて。想像以上だった」

「私もね~。確かに最初に乗った時はそんな感じだったよ」

 

 今回のことはかけがえのない経験だと、村主は思う。

 ああして実際に戦車に乗って戦うのがどんな感じなのかを知ったから、整備でもまた乗る人のことを考えて真剣に取り組むことができる(最初から真剣に取り組んでいるつもりではあるが)。

 試合に関しては、柚子の脅しに乗せられた形で少し嫌々ではあったが、結果的に得られるものは多かった。亜美に言った通り、胸に刻むべきことだ。

 

「今日の整備は・・・まあ徹夜だけど分担はどうする?」

「そうだね・・・レオポンはまたモーターをやられちゃったし、Ⅳ号も履帯がバラバラ。いつも以上にハードになるね~」

「うげ・・・」

 

 ポルシェティーガーのモーターを破壊し、Ⅳ号の履帯を切ったのはウサギチーム。中々に整備士泣かせのダメージをくれたものだ。

 そんなことを考えていると、ツチヤたちのブルドーザーが戦車を牽引して戻ってきた。戻ったのは、件のⅣ号とレオポンだった。これらが一番ダメージが深刻だったから、優先して運んできたと言う。

 

「とりあえずまずはⅣ号の履帯を直して」

「ああ、分かった」

「了解」

 

 ホシノが戦車とブルドーザーをつなぐワイヤーを切り離しながら指示を出す。流石に砕け散った履帯を直すのは1人では辛いだろうと思ってのことだった。

 

「それから村主。今日はレオポンのモーターの整備ね」

「え?」

「ナカジマと2人でお願い」

「・・・・・・ああ、分かった」

 

 村主がポルシェティーガーのモーターを整備したことは、今まで一度もない。それが今日任されるのは、信頼できるほどに技術が身に付いたからなのかもしれない。そう思うと、自然と気持ちが上向きになってきた。

 

「聞いた通りだからまずはⅣ号の履帯からやっちゃおう」

「ああ」

 

 履帯を繋ぎ直すための機材はすでに準備してある。早速、スズキと協力してⅣ号の履帯を修復する作業に取り掛かった。

 

「やっと村主も、レオポンのモーターが整備できるね」

 

 そうして履帯を繋いでいる途中で、雑談程度にスズキがその話を上げてきた。村主もまた、履帯を繋ぐピンを打ちながら答える。

 

「モーターも難しいんだよな、やっぱり」

「そうだね~。でも大丈夫、クルマと戦車が好きなら何とかなるよ」

「何とかなるってなぁ・・・」

「まあナカジマが教えてくれるし、そこは安心して」

 

 ナカジマから指導を受ける、ということについては村主も安心していた。実際村主の戦車の整備の腕は、大体がナカジマから教わったことによる賜物だ。それを言ってもナカジマは『村主の筋が良いから』と返すだろうが、そのことだけはナカジマのおかげだと確信している。

 やがてツチヤたちはえっちらおっちら戦車を牽いて戻ってきて、全ての車輌を回収してきた。そこでナカジマたちの打ち合わせも終わったらしく、戻ってくる。

 

「お待たせ~」

「大丈夫、やっと戦車が戻ってきたところだし。タイミングが良いよ」

 

 ナカジマを出迎えたのはツチヤ。ちょうど、村主とスズキもⅣ号の戦車の修復を終えたところだった。ただ切れただけでなく、バラバラに砕けた履帯を繋ぎ直すのは流石に重労働で、この時点で村主の息は少し上がっていた。

 

「えっと、ナカジマは村主と一緒にレオポンのモーター含めて整備してくれる?私ら3人で他の戦車をやっつけるから」

「うん、分かった」

 

 方針をホシノが伝えると、ナカジマは早速工具箱を手にポルシェティーガーの下に寄る。

 

「村主~、始めるよー」

「分かった~!」

 

 早くも垂れてきた汗を拭う村主は、急いで工具を回収してポルシェティーガーへと向かう。

 ポルシェティーガーのモーターは、ど真ん中に砲弾を受けたせいでぽっかりと穴が開いていた。銅線もあちこち切れているし、ローターも凹んでいる。こうしてモーターをじっくり見たことは初めてだが、深刻な破損だというのは馬鹿でも分かった。

 

「これ、直るのか?」

「時間はかかるけどね」

 

 『無理』とは言わない辺り、ナカジマだけに限らず、レオポンチームの腕が優れているのが分かる。

 まずはモーターを取り出すためにスリットを外し(これも後で直す)、リフターを使ってモーターを吊り上げて外へと取り出す。それを慎重に、新聞紙を敷いた下に降ろしてパーツを一つ一つ分解し、切れてしまった銅線も全て一から巻き直す。

 もちろん設計図なしで直すのは至難の業だし、村主に指導するという目的もあったので、傍らには設計図も置いてある。

 

「やっぱり手間がかかるな・・・」

「だからだろうね。他でレオポン・・・ポルシェティーガーを使っていないのは」

 

 設計図を見て、ナカジマから指導を受けつつパーツを組み直しながらぼやくと、ナカジマも汗を拭いながら答える。

 足回りが不安なのに加えて、整備の手間もかかる。だから他の学校はもちろん、プロ戦車道でもポルシェティーガーは運用されることは全くないらしい。

 

「黒森峰戦でも、失敗兵器なんて言われちゃって」

 

 寂しそうな言葉に、村主も手を止めてナカジマを見る。ナカジマは俯いていて、もしかしたら悲しい顔をしているのかもしれない。

 全国大会の決勝戦で、レオポンチームは両校のフラッグ車の一騎打ちの場を守る番人の役割を負った。その際に相手チームから砲弾の雨に晒されて、相手チームからそんなことを言われてしまったのを、ナカジマは覚えていた。

 

「でも、レオポンはちゃんと役目を果たしてくれたよ。決着がつくまでの時間稼ぎをしてくれた」

 

 銅線を巻き直す手を止めて、ナカジマはポルシェティーガーを見る。

 

「レオポンは誇りだよ。私たち、大洗のね」

 

 見上げるナカジマの表情は、輝いているように見えた。

 心からこのポルシェティーガー『レオポン』のことを自慢に思い、大切に思い、誇らしいと信じて疑わない、純粋な表情。

 その表情に、村主は目を奪われ、見惚れた。

 戦車のことを大切に思い、まるで我が子のように愛しているナカジマのことが、村主は好きだったのだと、改めて実感させられる。

 

「でも、レオポンはまだまだ進化するよ!」

「?」

 

 意気込むナカジマの言葉に、村主は小首を傾げる。

 

「実はね、レオポンをグレードアップさせようって計画をしてるんだ」

「グレードアップ?」

「うん。レオポンは足回りが不安だけど、逆にそこを克服すればもっと強くなれる。だから、モーターにちょっと手を加える計画をしてるんだ」

「え?それいいのか、レギュレーション的に」

 

 戦車道のレギュレーションとして、終戦までの戦車は使用でき、それに搭載する計画のあった装備への換装・改造は認められている。しかしモーターを根本的にいじるというのはそれに抵触しないだろうか。

 

「ああ、確かにエンジン関係の規定はあるよ。でもモーターについての制限はないんだ」

「そうだったっけ」

「うん。何しろ、モーターとエンジンの二人羽織なんてするのはポルシェティーガーぐらいしかいないからね。だから、やってみようかって今相談してるんだ」

「へ~・・・面白そうだな」

「そうでしょ?」

 

 もちろんそれに取り掛かるには時間がかかるだろうし、戦車道ルールを改めて確認するなどの手間もかかるだろう。だが、より強くすることに関しては夢が広がって実に楽しそうだ。それを聞いて、村主も何だか心が躍る。

 それから、作業をしながら村主はナカジマから、ポルシェティーガーをどんなふうに改造するかの計画を聞いた。

 そのナカジマの表情は、実に嬉しそうだった。

 

 

 

(・・・何だ、上手くやれてるじゃない)

 

 そしてそんな2人を遠巻きに見るホシノたちは、ナカジマが楽しそうに話しているのを見てほっとしていた。村主と2人きりで作業を行うのは結構久しいことなので、もしかしたらままならないことにならないかと不安だった。

 しかし今は、作業に集中できていないどころか、むしろ村主と盛り上がっているではないか。

 とりあえずこのまま2人にはポルシェティーガーの整備を続けさせて、願わくば2人の距離もより縮めばいいなあとホシノたちは言葉を交わさずともそう思った。

 

 

 時間を忘れて作業に没頭し、村主とナカジマがモーターを完全に直し終えたのは日付が変わったあたりだった。夕食抜きでここまで来たが、時間を意識しなかったせいで空腹感は無い。だからこのまま、ポルシェティーガーの全体的な整備に入った。

 普段通りなら、村主もこの程度ではあまり疲れも感じなかったが、今は普段よりも少しばかり疲れてきている。

 その理由はやはり、戦車に乗って模擬戦に参加したからだ。戦車の操縦には思った以上の体力と気力が要るし、大分エネルギーを持っていかれる。そのせいで普段よりも疲れているのだ。

 しかし、それはナカジマたちだって同じことだ。彼女たちはいつも、こうした疲労を抱えながら戦車の整備をしている。たった1回試合に参加した村主だけが弱音を吐くわけにはいかなかった。

 『疲れたら休んでいいからね』というナカジマのアドバイスも、今ばかりは素直には聞けない。以前倒れた時のことを思い出しながらも、村主は心の中で謝りつつ整備を続ける。

 

 

 そして空が白み始めたころ。

 

「終わった~!」

 

 ツチヤが腕を上げて声を上げ、直後に欠伸を洩らした。

 ようやく、8輌全ての戦車の整備が終わったのだ。装甲も履帯もエンジンも、全てが新品同然になっている。ここまで元通りに直せることが大洗の信頼を受けている証拠だろう。村主の腕も、ナカジマたちのおかげでそれぐらいにまで近づいてくる。

 

「意外と手間取らなかったね。村主もレオポンのモーターに触るのは初めてだったでしょ?」

「ああ。けど、やっぱりナカジマが教えてくれたから」

 

 ホシノは、村主が初めてモーターをいじるということで結構時間がかかるものと思っていた。だが、時間にしてホシノたちが整備をするのとほとんど変わらないぐらいの時間で終わっていた。

 それは村主の言うように、ナカジマの教え方がよかったからだろう。整備を最初に教わった時もそうだったが、教え方が良いからこそ飲み込みもより早くなる。村主が戦車の整備に関する知識に貪欲なのもあっただろうが。

 それからレオポンチームは解散となり帰路に付く。幸いにも、日付が変わって今日は戦車の訓練が無いため、ゆっくりと体を休めることができる。恐らく戻ったらまずはシャワーを浴びて寝ることになるだろう。

 

「もう体バッキバキだ・・・」

「あはは、私も。やっぱり戦車の整備は大変だね~」

 

 肩を回すとゴキゴキと歯切れの悪い音が聞こえる。ナカジマも同様に首を回すが、『大変』と言いつつその顔に疲労はあまり見られない。やはり戦車の整備を楽しんでいるからだろう。

 

「でも今回はいい経験になった。戦車の模擬戦もそうだけど、戦車に乗ったうえで戦車の整備もすることの大変さも学べたから」

 

 そしてナカジマを見て言う。

 

「ナカジマたちがどれだけすごいか、よくわかった」

 

 まさに疲労困憊な村主の言葉に、ナカジマは苦笑しつつも『ありがとね』と答える。

 やはり村主に褒められるというのは、ナカジマにとっては特別なことだった。大洗の面々から同じように褒められることや、労われることもあったけれど、やはりナカジマからすれば村主の言葉は一言一言が特別な価値のあるものと思える。

 

「しかし今回は・・・結構しんどかったな・・・」

 

 今頃になって眠気が襲ってきたのか、村主が1つ欠伸を洩らす。それを見てナカジマは。

 

「最近村主も頑張ってるし、少し休んだ方がいいかもね」

「休むって・・・俺は実習で来てるんだし・・・」

「あ、そうじゃなくて。今度寄港したら、ちょっと羽を休めて遊びに行くのもいいんじゃない?」

 

 整備が終わって解散する前に、ナカジマから打ち合わせの内容を改めて聞いた。

 全国大会のエキシビションマッチが行われるのは8月24日で、場所は大洗町のほぼ全域。それに伴い、この大洗女子学園艦はその2日前の22日に大洗に入港する。

 そして試合前日の23日は、訓練がない休みの日だった。そこで遊んではどうかと、ナカジマは提案したのだ。

 

「村主も整備頑張ってるし、それに今日だって代替で戦車に乗ったじゃない。十分働いてるからそれなりのご褒美はあると良いよ」

「ご褒美ね・・・」

 

 目元を押さえて、村主はぼやく。

 あまり自分を過大評価することはしないが、確かに村主自身も最近は大分整備に集中してきたと思っている。おかげで腕前は1人で整備を任されるほどだし、今日はモーターの修復をさせてもらえた。それだけ技術が秀でているということだろう。

 さらにヘッツァーの操縦手を代わりに努めたのは、得られるものが大きかったとはいえ頑張っていたと思う。

 ナカジマの言う通り、何か自分へのご褒美があると良いかもしれない。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そこではたと、村主はあることを思いついた。

 

「・・・・・・ナカジマ」

「何?」

 

 視線はまだ薄暗い住宅街へ向けたまま、ナカジマに話しかける。

 

「・・・その、今度の寄港して、その休みの日にさ」

「?」

「・・・・・・一緒に出掛けないか?」

「え」

 

 思いがけない村主からの申し出に、ナカジマも思わず足を止める。

 村主の心境は、大きく分けて2つ。実習で世話になったナカジマに対して何らお礼ができていないこと。そして、自分からアプローチが何一つできていないことにあった。

 村主は大洗に実習に来るまで、戦車の整備など机上で調べたことしかない。しかし大洗に来てナカジマが指導してくれたおかげで、こうして腕前も格段にレベルアップしていた。もちろんホシノたちにも世話になっていることは忘れていない。

 だがもう1つは、村主がナカジマだけに対して、特別な感情を抱いていること。それなのに、村主はナカジマに対して何のアプローチもしていないと、村主自身は思っている。

 このままでは進展もないまま実習が終わってしまうのではないか、と村主は疑問視してしまって先の申し出をしたのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 しかし、ナカジマは処理が追い付いていないようで、動きを止めてしまっている。

 村主も今更になって、図々しい申し出なんじゃないかと不安になり、訂正しようと声を出そうとする。

 

「・・・一緒にって・・・」

 

 だがその前に、ナカジマが声を出した。

 嫌なのか。もしかして2人きりは嫌なのか。村主の中にマイナスイメージの予想が生まれる。

 

「・・・・・・いいの?」

 

 だが、その予想に反してナカジマの答えは満更でもないようだ。

 そのチャンスを逃さず、村主は首を縦に振る。

 すると、ナカジマは少しだけ口を閉ざしてから。

 

「・・・・・・うん、いいよ」

 

 笑ってくれた。

 OKしてくれた。

 出かけることが、成立した。

 それだけで村主は大きな安堵の息を吐きそうになるし、疲れなんて海の彼方へ飛んでいきそうになる。

 

「・・・ありがとう」

「あ、でも」

 

 感極まって頭を下げようとしたら、ナカジマがストップをかけてきた。それで高まってきた感情が急に冷やされる。

 

「村主って、大洗の町に詳しいっけ?」

「・・・・・・いや、大洗は」

 

 正直な話、大洗の町には全然詳しくない。この学園艦に乗る際に、連絡船に乗るために大洗港には来たが、町を歩いたりはしなかった。見どころがあるとは知っているのだが時間がなかったのだ。

 

「じゃあさ、一緒に街を見て回るって言うのはどう?」

「ああ、それでももちろん」

「じゃあ決まりだね」

 

 またニコッと笑ってくれるナカジマ。

 これでどうにか、ナカジマとのお出かけ―――有体に言えばデートにこぎつけることができた。

 しかし村主自身、ナカジマはデートとも何とも思っていないだろうなと卑屈に考えていた。

 そんなナカジマは。

 

(まさか村主の方から誘ってくれるなんて・・・)

 

 内心ではとても喜んでいた。

 

(これってもしかして・・・・・・デートになるのかな・・・・・・)

 

 村主の想像とは真逆のことを考えていたのだが、当人は知る由もない。

 ともあれ、2人はそれぞれ、お互いに2人きりで出かけられることを内心では嬉しく思っていた。



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にわか雨

 大洗女子学園艦は、悪天候などに見舞われることもなく、予定通り母港・大洗に寄港した。

 来るエキシビションマッチに向けて大洗の面々は一層練習に励み、試合に向けてできる限りのことをしてきた。ただ、今回大洗とタッグを組む知波単学園は、航行している場所が離れすぎていて、合同練習は結局叶わなかったが。

 それでも大洗は大洗で練習を進め、試合には万全の状態で臨めるようにしている。

 

「村主~、Ⅲ突はどんな感じ?」

「ああ、エンジンは大丈夫。足回りも・・・問題ないな」

「それじゃあ、次はルノーをお願いね」

「分かった」

 

 その万全な状態にするためには、綿密な作戦や選手のコンディションもさることながら、レオポンチームと村主の整備も重要だ。

 村主は一度戦車に乗り、実際に戦車で戦うことがどれだけ大変かを知っているから、整備により心を込めることができている。これまでも真面目にやってきたつもりだが、戦うことの大変さを知って、そんな彼女たちが安心して戦えるように戦車を整備しようと思うようになったのだ。

 

(・・・・・・明日か・・・)

 

 整備の手を止めて、村主はふと思う。

 明後日はいよいよエキシビションマッチだが、明日は束の間の休息とも言える休日。そしてこれが肝心、ナカジマと一緒に出掛ける日だった。

 約束をした日から、頭にそのことが根付いている。それだけ明日を楽しみにしていることに他ならないが、同時に不安なこともある。

 ナカジマが明日のことをどう思っているかだ。

 

(・・・OKしてる時点で、悪いと思ってはいないんだよな・・・?)

 

 一緒に出掛けることにナカジマが頷いてくれた時点で、まず今回のことを悪く思っていないと信じたい。

 だが、ナカジマはそれ以来別に変わった様子もなく皆と接している。別に動揺してほしいわけではないが、ああして何も意識していないように見えると少しばかり寂しい。村主のことを特別意識しているというわけではない、ということだから。

 しかし、村主は首を横に振る。

 

(いやいや、自惚れんなって)

 

 意識してくれていたら、と期待していたが、それに振り回されて悶々とするなど馬鹿馬鹿しい。

 というか、今は戦車の整備中で余計なことなど考えている暇はないのだ。

 自分を律するためにスパナで自分の頭を軽く叩いたが、地味に痛かった。

 

 

 お互い整備で疲れているだろう、ということで当日の待ち合わせは朝の10時に決まった。

 場所は学園艦の中層にある公園で、村主とナカジマが一番最初に出会った場所でもある。航行中はここから広大な海を見られるが、入港中の今は海の代わりに大洗の町が見えた。

 寮を出る前に再三自分で確かめた村主の服は、実習の際に持ってきた服の中でも一番良いものだ。まさか実習先でこんなことになるとは思わなかったので、こんなシチュエーションに合う服を持ち合わせていなかったのは失策だ。

 そこで村主は、『実習』という言葉から、担任の『粗相すんな』という忠告を突然に思い出してしまう。

 

(もしかして、これって『粗相』になるんじゃないか・・・?)

 

 実習先で女子をデートに誘う、場合によってはそれに抵触するかもしれない。今更それに気付いてしまい、不安が心の中で渦巻き始める。

 

「おはよ、村主」

 

 そんな中で差し込んできた声に振り返ると、そこには確かにナカジマが立っていた。

 薄い青と緑のツートンカラーのフリル半袖シャツに、七分丈のジーンズという装いの彼女は、色もあって涼し気な雰囲気を見せている。

 その瞬間、村主は一瞬だけ息が止まったように錯覚し、不安が霧散する。普段は自動車部のつなぎを着ているところしかほとんど見てないから、一層新鮮な感じがしたのだ。以前一度だけ休日に会った時も私服だったが、その時とはまた違う雰囲気がする。

 

「・・・ああ、おはよう」

「随分早いね」

「少し早く起きてな・・・」

 

 まさかそれは今日のことが楽しみだったからとは言えないし、ここに30分前から来たことも明かせない。

 

「さて、それじゃ早速行こうか」

「今日はよろしくな」

「いやいや」

 

 ナカジマはすぐに歩き出し、村主も後に続く。今日のことをナカジマはどう思っているんだろう、という疑問は置いておくことにした。

 

 

 下船して大洗の地に足を着けると、村主は大きく息を吐く。実習が始まって以来の陸なので、1か月と少しぶりの上陸だ。元居た学校では、それ以上に長い間下船しなかったこともあるが、何分ここでは色々ありすぎたので余計に久しく感じる。

 さて、村主は土地勘がないので、今日歩くルートは全てナカジマに一任していた。聞けば、商店街を回りつつ水族館に向かうらしい。

 

「大洗って高い建物とかないんだな」

「うん。高い建物と言ったらマリンタワーだけだね。その分、ごちゃごちゃした街並みじゃなくていい感じなんだ」

「あ、それは分かる」

 

 高層ビル群も嫌いではないが、どこか狭苦しく感じることがある。反面、大洗はそう言った場所もないから結構広々とした印象があるのだ。

 

「連絡船に乗る時、町を見たりはしなかったんだよね?」

「ああ、接続が悪くてな。ゆっくり見る時間もなかった」

「そっか。それじゃ今日はゆっくり見て回ろう」

 

 ナカジマが先導する形で歩くが、村主は歩調を少し早めて横に並ぶ。

 

「悪いな・・・大事な試合前なのに」

「気にしなくて平気だよ。私も試合前にリフレッシュしたいなって思ってたし」

 

 ナカジマは気にしてなさそうに笑う。

 そんなナカジマを疑うわけではないが、無理していないかどうか、それが村主が心配だったが。

 

「・・・むしろ、嬉しいし」

「え?」

 

 ポロっとこぼしたその言葉は、思わず訊き直さずにはいられなかった。

 見ればナカジマの顔は、ほんのりと赤く染まっていて、視線も下に向いている。

 

「こうして村主と、出かけられるのが。そして、誘ってくれたことが」

 

 それは果たして、村主が奥手な奴と思われていたからだろうか。

 それとも、何か別の『特別な』気持ちを村主に抱いているからだろうか。

 そこから先を追及すると『男が廃る』と村主の本能が発したので、『そうか』とだけ答えて前を見る。

 最初の目的地が見えてきたが、それでもナカジマのことが気にならずにはいられなかった。

 

 

 やってきたのは、港にほど近いアウトレットモールだった。早速買い物を楽しむのではなく、あくまでも名所の1つとして楽しむだけである。

 

「結構色んな店があるな」

「そうだね~。ここに来れば基本色々揃ってると思うよ」

 

 洋服やインテリア、雑貨などの品揃えは多岐に渡り、お洒落な雰囲気のカフェや海鮮料理を扱うレストランなども充実している。敷地の中央を貫くように花壇が設えてあるが、元は水路だったらしい。有効活用していると言える。

 そんなモールをしばしの間適当に回る。村主もナカジマも、特に今欲しいものは無かったので、お店に入って『これとかイイ感じじゃない?』とか、『あれとか面白そうだな』と、商品を眺めながら取り留めのない言葉を交わす。

 そうして歩いていると、あるショップが目に入った。

 

「ウォーターレジャー専門店?」

 

 主に水着や浮き輪、ビーチサンダルやパラソルなどの海のレジャー用の商品を揃えている専門店だ。ナカジマはそこを見て『ああ』と思い出すように。

 

「大洗はビーチも有名だからね。すぐに遊べるように、こういうところにもあるんだよ」

「へー」

「大洗のみんなも水着はここで買ったんだよ。私もだけどね」

「水着・・・・・・」

 

 それを聞いて思い出してしまうのは、以前スズキの謀略に嵌り、うっかり水着姿のナカジマと鉢合わせをしてしまったこと。あの時のことは、自分の発言含めて全てを鮮明に覚えてしまっている。

 その時の気まずさと、自分の発言を思い出して、村主は『くっ』と呻きながら腹を押さえる。

 

「・・・・・・」

 

 ナカジマもどうやら同じことを考えてしまったのか、顔が赤い。確かにあの時も、ナカジマは(当たり前だろうが)恥ずかしそうで、また気まずそうに見えた。

 とりあえず、この空気はどうにかしたかったので、村主は『そろそろ出ようか』と持ち掛けてその場を離れることにする。

 

 

 モールを後にすると、ナカジマは商店街へと村主を連れてきた。

 まず目を引くのは、『大洗女子学園優勝おめでとう!』と書かれた横断幕。さらに、店先には同じように大洗を祝う幟が立っている。商店街全体がお祝いムードだった。

 

「すごいな・・・」

「いやー、優勝した身としては嬉しいよ」

 

 横断幕を見上げるナカジマは照れ臭いらしい。こうも大々的に祝われると、嬉しいのと同時に恥ずかしいのかもしれない。その気持ちは、なんとなくだが村主も分かった。

 さて、商店街は都市部のアーケード街のように華やかな感じはなく、ほぼ全て個人経営の商店で、まさに昔ながらの商店街と言った感じだ。だが、それでも人は結構多くて賑わいを見せている。

 

「ちょっと前まではこんなに人もいなかったんだけどね」

「そうなのか?」

「うん。あのとんかつ屋のおじさんも言ってたけど、私たちが優勝してから観光客が増えたんだって」

 

 もともと大洗はビーチや水族館など観光資源を売りにしていたが、今一つ客足が伸びなかった。だが、大洗女子学園が優勝し、話題を呼んだことで大洗を訪れる者も増えてきている

 

「それに少しでも力を貸すことができたんだとしたら、私も嬉しいよ」

 

 ナカジマが笑う。自分たちの故郷が廃れているのは流石に見ていて気持ち良くないだろう。自分たちの努力の甲斐あって町に活気を取り戻せたのなら、それは十分喜ばしいことのはずだ。

 

「まあ、私らは決勝戦からの参戦だったからちゃんと貢献できたかなって言うと、それは微妙だけど」

 

 言って肩を竦めるが、その肩に村主はポンと手を置く。

 

「前にも言ったと思うけど、大洗が優勝できたのは、ナカジマが戦車を整備して、ちゃんと戦えるようにしたからだ。多分だけど、ナカジマがいなかったら戦車道を復活させることもできなかっただろうな」

 

 正確に言えば、ナカジマ『たち』だ。

 けれど、今この場にいるナカジマにだけはハッキリとそれを伝えたかった。そして自分の気持ちを強く伝えたくて、村主はそう言った。

 

「もっとナカジマも喜んでいい。胸を張っていいんだ」

 

その言葉に、背中を押されたような感じがした。

 だから、ナカジマは。

 

「・・・ナカジマ?」

 

 そっと、村主の手を握った。これには、言った本人の村主も困惑する。

 

「ん?いや、嬉しいのを表現しようかなって」

 

 言いつつ、ナカジマは村主の手を放そうとはしない。前に雨の降る中一緒に帰った時も、こうしてナカジマは自然と村主の手を取ってきた。こうする理由が村主には分からないが、嫌ではないので拒絶もしない。

 ナカジマが嬉しく思っているのであれば、振りほどくわけにもいかない。

 だからその手を優しく握り返すと、ナカジマは笑ってくれた。

 

 

 商店街を歩いているうちにお昼時となったが、ナカジマ曰く『1つのお店で食べるのもいいけど、食べ歩きも面白い』ということで、食べ歩きにした。

 夏休みシーズンということで外に簡単な屋台を出しているお店も多く、まずはお好み焼き屋の提供する『たらし焼き』という粉ものを食べてみた。

 

「お好み焼きみたいだな」

「材料はちょっと違うけどね。おやつ感覚で食べれるよ」

 

 確かにお好み焼きと違って軽くつまめる感じで、美味しかった。

 その次はパン屋に寄って、それぞれ気に入ったパンを買い店先で2人で食べた。村主はコロッケパン、ナカジマはまた好物の挟まった焼きそばパンで、焼きたてらしく美味しかった。

 さらに商店街を進んでいくと、カーブの近くに焼き鳥・唐揚げ屋があったので、そこで唐揚げを買って食べつつ先へ進もうとすると。

 

「ナカジマさん、村主さん」

 

 私服のみほと沙織、華とばったり出会った。先に気付いたのはみほで、つられて沙織と華も気付く。沙織とみほは、近くにあった団子屋の串団子を1本持っていたが、華は意外と食べる方なのか何本も団子が載った皿を持っている。

 

「西住さん。下調べ?」

「はい。明日のエキシビションで、この辺りを作戦に使えないかなって考えてたんです」

 

 言われて村主は、今自分たちが立っている場所を改めて見直す。

 ずっと真っ直ぐだった商店街が、ここだけ急なS字カーブになっている。いきなり複雑な地形になっているので、初めて来る人にとっては難所だろう。しかも、カーブの傍には宿が建っていて、下手をすればここに突っ込んでしまうかもしれない。

 

「作戦って・・・フェイントとか?」

「そうですね。前に聖グロと練習試合をした時もマチルダが対処できなくてここに突っ込んだので・・・」

 

 聖グロリアーナの練習試合云々については良く知らないのだが、村主の心配はすでに現実のものになってしまっていた。戦車道の試合による建築物の破損は、戦車道連盟から補償が下りるので心配も不要だが、そんなことには極力ならない方がいいだろう。

 しかしみほは、明日の試合でもまたここを作戦で使おうと考えているらしい。意外と容赦ない性格をしているのかもしれなかった。

 

「大変ですね・・・休みの日なのに」

 

 ナカジマとの話が一区切りついたところで、村主は3人を見て話しかける。せっかくの休日なのだし、試合のことや戦車のことを考えずにリラックスした方がいいだろう。尤も、みほは大洗を率いる隊長だから、それも難しいのかもしれないが。

 

「ああ、いえ・・・休みなのでお出かけがてら。私、大洗の町ってまだそんなによく知らなくて・・・」

「そうですか・・・」

 

 そういえば、みほは熊本から転校してきたという話を思い出す。その話は『深入りするな』とナカジマからすでに忠告を受けていたので、無難な返事をしておく。

 

「あ、ところで村主さんとナカジマさんは・・・?」

 

 話の流れを変えようとしたのか、みほは村主たちに水を向ける。

 しかし、村主たちが何かを答える前に、2人の雰囲気を敏く感じ取った沙織が割と強引に間に入った。

 

「あ、み、みぽりん!次は向こうの通りの方を見て回ろ?結構路地とかもあって作戦に使えるかもしれないし」

「え?うん・・・」

「それではお2人とも、ごゆっくり」

 

 3人はそそくさと村主たちが来た道を引き返すように歩き出す。みほだけは未だ状況が掴めず、沙織に背中を押される形だったが。

 

「隊長も大変だ」

「そうだね・・・。休みの日でも考えなくちゃいけないし」

 

 そんな彼女たちを見送ってから、2人はまた歩き出す。

 

「あの3人、結構仲が良いんだな。同じチームだからなんだろうけど、よく一緒にいる」

「同じクラスだしね。それと、最初に大洗でできた親友だって西住さんが言ってた」

「へえ・・・・・・」

 

 そういう間柄ならば合点がいく。同じ隊長車に乗っていて、親友だからこそ、こうした休日に一緒に出掛けたり作戦を考えている。

 みほにどんな事情があったのかは知らないが、ああして信頼できる友達ができてよかったと思う。

 

「あ、そうそう」

 

 そこでナカジマが思い出すように話し始める。

 

「武部さんって、まあ『恋に恋する』子なんだよね」

「何だそりゃ」

「要するに、恋愛することに強く憧れてるんだよ」

 

 ああ、と村主は腑に落ちた気がした。まだ大洗に来たばかりのころ、徹夜整備の際に弁当を作ってくれた時、質問がやたらと『そういう感じ』のが多かったのはそれが理由だと、今頃気付いた。

 

「だからさっき、ちょっと無理矢理気味に西住さんの気を逸らしたんだろうね。邪魔しないようにって」

「・・・邪魔って」

 

 そして沙織の性格がそういうものだと分かれば、ナカジマの言っていることも自然と伝わってきそうになる。

 

「私と村主が・・・デートしてるんだって思ったんだろうね」

 

 そしてその真意を、あっけなく明かした。

 ナカジマの口から『デート』という言葉を聞いて、村主はたまらず顔を押さえる。自分の顔に熱が集まってきて、赤くなっているのが自分でも分かっていたから。ナカジマに見られたら何と言われるか。

 

「・・・元々は俺が誘ったからなんだけど、ナカジマは嫌じゃなかったか」

 

 それはさっき訊いたが、デートと勘違いされた今もその気持ちは同じかと、それだけは不安だった。

 

「全然、嫌じゃないよ」

 

 これもまた、ナカジマは躊躇なく答えた。それには村主もすぐ反応できなくて、思わず顔から手を下ろして、足を止める。

 

「“そう”捉えられることも、悪い気はしないからね」

 

 屈託のない笑みでそう言われてしまって、村主は瞬きさえも忘れてしまう。

 悪い気はしない、とはどういうことか。

 そんな村主の夢うつつな気持ちを現実に引き戻したのは、携帯の着信音だった。

 

「もしもし!?」

『おー、村主。どうした、そんな慌てて?』

 

 相手の名前も確認せず反射的に電話に出たら、担任だった。相手が相手なので、冷静になろうと努める。

 

「・・・いえ、大丈夫です。問題ありません」

『そう。実習はどんな感じ?』

「ええ、まあ概ね順調です」

『今は何してるの?』

「大洗の町をちょっと。今日は休日で」

 

 どうやら担任は近況を訊いてきただけらしく、質問は別に変ではない。

 それに対して村主は、当たり障りのない返事をしておく。大洗の女子と出掛けている、と言えば面倒なことになるのは目に見えていた。

 

『あと1週間で実習も終わりだな』

「・・・そうですね、何かあっという間な感じでした」

 

 担任に言われて、村主もハッとする。

 実習が終わるのは8月31日。もう1週間とそこらぐらいしかない。もう大洗にいる時間は残りわずかと言うことになるし、それは今のようにナカジマと顔を合わせ言葉を交わす時間も少ないことと同義だ。

 

「残りの時間も、精一杯努力します」

『その意気よ。頑張って』

 

 だが、残りわずかだからと言って実習を疎かにする気はない。口先だけではなくて、本当にそのつもりでいる。

 そして電話を切ると、様子を伺っていたナカジマに声をかける。

 

「悪い。行こう」

「誰から?」

「ウチの学校の担任。実習が後1週間ちょっとで終わりだから、まあ近況を聞いてきた感じだ」

 

 電話の内容自体はありふれたことだったので隠さなかったが、ナカジマの表情が途端に暗くなったのは分かった。

 

「・・・そっか。もうあと1週間しかないんだね」

「ああ・・・大分世話になったな」

 

 ナカジマが寂しがってくれているのは、(自分で言うのも何だが)仲良くなれた村主と離れ離れになってしまうからだろうと思っている。

 しかしその根底にあるのは、村主と同じ『気持ち』であることに、村主自身は気付くことができなかった。

 

「ところでさ」

 

 2人の間の空気が少し沈みかけていたので、少し違う話題を出すことにした。

 

「その担任から、『粗相はしないように』ってくぎを刺されてたんだよな」

「粗相?」

「まあ、何が粗相かってのは微妙なところだけど」

 

 担任との電話つながりで思い出したことだ。

 その言葉は、実習が始まる前の電話でも言われた。以来、事あるごとにその言葉を思い出していたのだが。それを聞いた時、村主は『大洗の女子に手出したり間違いを犯したりするな』と言うことだろうと思っていた。

 だが。

 

「今日のこれって・・・粗相に当たるのかなって」

 

 今朝も思ったことが再び頭をもたげて、不安になってきている。

 

「大丈夫だよ」

 

 そんな村主の不安も、ナカジマは一蹴した。

 

「その担任が言う『粗相』がどういうことかは分からないけど、少なくとも私はそうは思ってないし、むしろ村主と一緒に出掛けられるのは嬉しいから」

 

 言われて、村主も『あっ』と思う。

 相手に失礼を働いてはならないと自分を縛っていたが、こうしてナカジマが『そう思っていない』と知って、肩の荷が下りた感じだ。

 

「・・・良かった・・・」

 

 安心して、村主は息を吐く。

 

「それずっと気にしてたの?真面目だね~」

「そりゃ気にするさ。だって俺は、大洗にお世話になってる身だから」

 

 ナカジマが笑うが、村主にとっては笑い事ではない。

 ともあれ、先ほどの少し沈んだ空気を換えられたのには安堵する。

 

 

 商店街を抜けて、海沿いの街道を2人で歩く。この先に目的地の水族館があるのだが、その途中にあった神社で、せっかくだからと参拝することにした。

 

「何だこの階段・・・キツ・・・」

「だよねー・・・私もまだちょっと慣れないや・・・」

 

 その神社の本殿に向かうまでの間に、すごく急で長い階段があった。整備をしているうちにちょっとだけ体が鍛えられた村主でも、なかなかこれは厳しい。ナカジマも肩で息をしながら上っている。

 だが、上りきったところで後ろを振り返ると、鳥居の向こうに海が広がっているのが見えた。

 

「おー・・・綺麗だな~・・・」

「この景色が見られるんなら、この階段も多少楽に思えてくるよ」

 

 そこから見る景色は綺麗で、ナカジマの言う通りこの景色が見られるなら階段も苦とは思えない。ただ惜しむらくは、雲が少し広がっていて天気があまり良くないことか。

 

「もうちょっと晴れてれば、もっと綺麗な感じだったんだけどね~・・・」

「ま、それはまたの機会だな・・・」

 

 境内に入ると、そこそこ参拝客はいたが静かだった。本殿がまた荘厳かつ神秘的な雰囲気を醸し出しているので、自然と静かにしなければという意識が芽生えるのかもしれない。

 村主とナカジマも順番に並んで、作法に則り参拝をする。手を合わせてお参りをした後で、参道を戻ろうと振り返ると。

 

「うお、すごいな・・・」

 

 目に入ったのは大きな戦車を模した絵馬だった。人の背丈よりも高いそれは、境内に入った時は目に入らなかったが、メインである本殿よりも目立たないようにするためだろう。ちなみに描かれているのは、大洗のランドマークのような扱いなのか、あんこうチームのⅣ号戦車だった。

 

「町の商工会の人たちが作ったみたいだよ」

「力の入れようがすごいな・・・」

「本当にね。戻ってきた時町の人みんなで出迎えてくれたし」

 

 この絵馬もそうだが、やはりこの大洗町は戦車、大洗女子学園とのつながりが強く感じられる。若干寂れてきていた大洗に新しい魅力を作ってくれたのだから、感謝の気持ちがあるのかもしれなかった。

 だが、こうして町全体が活気を取り戻してきたのをナカジマは嬉しく思っているようだし、ここが故郷ではない村主もまた気持ちが良かった。

 

 

 長い階段を下りて海沿いの街道に戻り、今日のメインともいえる水族館までの道を並んで歩く。

 しかし、途中でぽつぽつと雨が降ってきてしまった。

 

「ありゃ、ツイてないな・・・」

 

 空を見上げながら、ナカジマは肩に提げていたバッグから折り畳み傘を取り出して広げる。村主も同じく、常備していた折り畳み傘を広げようとしたが。

 

「・・・あ」

 

 ぽきっ、と心地よい音と共に傘の柄が折れた。

 ナカジマも『あらら』と声を洩らす。だが、村主は露骨に悔しがりはせず、小さく息を吐くだけだ。

 

「・・・まあ、随分長いこと使ってたし寿命か」

「とりあえず入りなよ。にわか雨だろうけどさ」

 

 ナカジマが傘を差しだしたので、仕方なく便乗させてもらう。傘は背が高い村主が持つこちにして、ナカジマの負担を減らすことにする。

 だが、同じ傘に入っていて、濡れないように体を寄せると、どうしても2人の間の距離は近くなってしまう。そしてそれを意識しているせいで、自然と口数も減ってくる。

 こうして近くにいるだけで、胸の鼓動は高まってきているし、特別なことは何もしていないのに顔が熱くなってきている。それは村主もナカジマも同じだった。

 たまりかねて、ナカジマが海の方を見ながらぽつりと呟く。

 

「せっかくのお出かけなのに、雨になっちゃって・・・」

「いや、正直もう慣れたからな・・・」

 

 やっぱり、自分はどうにも雨に見舞われてしまう性質らしいと苦笑する。

 

「最初に大洗に来た時も雨だったし、もうこの雨男体質はずっとこのままなんだろうな」

 

 乾いた笑いを洩らす村主だが、ナカジマはそんな村主に笑いかける。

 

「でも私は雨が好きだから、雨男の村主は羨ましいな」

「まあ、俺も雨は好きだけどな」

 

 ナカジマも雨が好きと言うのは、既に知っている。その好きな雨が降っているのは、雨男な自分のおかげなのかなと思うと、村主も少し心が晴れてくる。

 

「だからさ、ずっと一緒だったらいいな、とさえ思うよ」

 

 その言葉に、思わず傘を落としてしまいそうになる。

 ナカジマは海の方を見ていて、村主と視線を合わせてくれない。どんな顔をしているのかなど、分かるはずもない。

 そのナカジマがどんな顔をしているのかを想像すると、胸がざわつく。

 最後の目的地の水族館は、すぐそこに近づいてきていた。

 

 

 水族館に着くと、雨も止んでしまった。2人で歩いている時を狙って降るとは何ともタイミングが悪い。

 さて、訪れた水族館はサメの飼育数が国内一なのが有名らしく、水族館のマークもサメをモチーフにしていた。

 券売機で入場券を買う際に、村主はナカジマの分のチケットも一緒に買った。無論、費用は村主持ちである。

 

「今日付き合ってくれたお礼ってことで」

 

 村主が笑ってチケットを差し出したので、ナカジマも追及は諦めて受け取ってゲートをくぐる。

 その時。

 

「?」

 

 どこかから、聞き覚えのある声がした。それに気づいたのはナカジマだけで、後ろを振り返ってみるが、見知った人物はいないように見える。その声も、他の来場客の声に揉み消されていく。

 

「どうかしたか?」

「え?ううん、何でもないよー」

「そうか」

 

 村主はやはり気付いておらず、ナカジマを待ってから水族館を回りだす。

 水族館は何と言っても自由に泳ぐ魚を売りにしているので、それが見えるように色々と工夫が為されている。代表的なのは館内の照明を暗くして、水槽の中がより鮮明に見えるようにしていることだ。完全なブラックアウトと言うわけではなく、かろうじて見える程度に。

 村主とナカジマも、お互いにはぐれないように近くに並んで見物をする。

 

「でっかい水槽だな~・・・」

「ね~。こういうのって何かロマンを感じるよね」

 

 この水族館で一番大きいという水槽を見上げながら、2人して呑気に呟く。

 水槽の向こう側には大小様々な魚が悠々自適に泳いでいて、その動きの優雅さはどこか惹きつけられるところがある。規則正しい動きではなく不規則なところが魅力の1つだろう。

 その水槽も見るのはほどほどに、クラゲやカニなどを見て回る。その中でアンコウを見つけると、ナカジマが『リアルあんこうチーム?』とジョークを噛ましたのでお互いに吹き出した。

 エスカレーターで2階に上がると、この水族館の名物ともいえるサメとご対面だ。

 

「おっかないな・・・」

 

 大きなサメを見て、村主が自己防衛の表れなのか腕を組む。そんな仕草を見て、ナカジマは少し意外な気持ちになった。

 

「男の子ってサメとか好きなイメージあるけど、違うんだ?」

「好き嫌いは人それぞれだしな・・・俺は昔観たサメ映画の影響でちょっと苦手で」

「へー?」

 

 サメの水槽は種類ごとにいくつかあって、それを歩きながら眺める。

 ナカジマは、『サメが苦手』と言った村主の言葉にちょっと興味が湧いた。

 

「サメ映画嫌いなんだ」

「と言うか、ホラー系は大の苦手だ。もうパッケージとか映画館のポスターも見れない。レンタルショップのホラーコーナーも極力避けてる」

「あはは、それは極端だね~・・・」

 

 そこでナカジマは、お化けなどが苦手なあんこうチームの麻子を思い出す。彼女も確かその手のものが苦手だという。

 とはいえ、ナカジマもホラーはそんなに進んで観たくはないので、気持ちは分かった。

 

「じゃあ逆に、好きな映画は?」

「アクション系。派手に爆発が起きたり、カーチェイスしたりするやつ」

「ああ、それは私も好き。特にカーチェイスがさ」

「やっぱりクルマ好きだからか」

「そうそう!」

 

 自動車部所属でクルマ好きと自分で言っていたから、なんとなく想像はできた。試しに世界的に有名なカーチェイス映画のシリーズの名前を出すと、ナカジマは大きく頷く。

 

「そっか、やっぱりあれ見てたのか」

「やっぱり外せないからね~。クルマ好きとして」

 

 亜熱帯地域のコーナーにやってくる。この辺りに展示されている魚は、色鮮やかでまた変わったものが多い。

そこで村主が回りを見てみると、ほとんど人がいなかった。どうしてかと思ったが、どうやら丁度イルカのショーが始まる時間らしく、大体の客はそちらへ流れていったらしい。

 

「・・・村主のことがもっと知れてよかった」

「?」

 

 その声に視線を戻すと、ナカジマは熱帯魚の水槽を見て足を止めていた。

 

「もうすぐ村主ともお別れになるし、それまでにもっと、色々話したいなって思ってたんだ」

「・・・・・・」

「でも私たちは、ほら・・・戦車の整備でなかなか時間が取れなかったし」

 

 村主に視線を移す。

 ナカジマは、寂しそうに笑っていた。

 

「だからさ、今日こうして村主と一緒に歩くことができて、話もできてよかったよ」

 

 そんな顔で、そんなことを言われてしまって。

 村主は自分の気持ちを押さえられそうにない。泣きそうになる気持ちを押さえようと、俯いて目を閉じる。

 

「・・・村主?」

 

 急に様子が変わった村主を気遣おうと、ナカジマが顔を覗き込もうとする。

 だが、そこで村主は顔を上げてナカジマの肩を掴んだ。

 

「え?」

「ナカジマ・・・」

 

 その村主の真剣な表情・・・さながら戦車を整備する時のような顔で見つめられて、ナカジマも思わず動きを止める。

 村主は、ずっと言いたかった気持ちを告げようと、口を開く。

 

「言えなかったんだけど、さ。もう今ぐらいしか言えないから、言わせてほしい」

「・・・うん・・・・・・」

 

 その前置きに、ナカジマも村主が何を言おうとしているのか、『もしかして』と淡い期待が浮かんでくる。

 

「俺、ナカジマのことが―――」

 

 

「あっ、ナカジマ先輩!村主先輩!」

 

 

 天真爛漫という表現が似合う声が滑り込んできて、思わず村主はナカジマの肩から手を放し、言葉が喉の奥に引っ込む。

 その声がした方を見れば、ウサギチームの阪口桂利奈が駆け寄ってきた。その後ろからは『ああもう・・・』と言いたげな澤梓と、相も変わらず虚空を見ている丸山紗希がいる。

 

「・・・阪口さん、こんにちは」

「あい!こんにちは!」

 

 村主は努めて平静を装って、何事もなかったかのように桂利奈に挨拶をする。一方で桂利奈は本当に状況が分かっていないのか、悪気ゼロな笑みを向けてきた。余計心が痛い。

 

「こんにちは・・・。えっと、お邪魔でしたか?」

「いえ、全然・・・」

「うん、問題ないよー・・・」

 

 梓もまた挨拶をするが、桂利奈よりも幾分か状況を理解できていたらしい。しかし、面と向かって『タイミングが悪い』とは、桂利奈の天然なところを見ると口が裂けても言えない。なので2人して、残念な気持ちを抱きつつも否定した。

 

「2人とも何してるんですかー?」

「ええと、自分が大洗の町を知らなかったので、ナカジマに案内してもらったんですよ」

「そうだったんですかー!」

 

 2人が話す様子を見て、ナカジマは心の中で『ああ』と納得した。

 水族館に入った時、聞き覚えのあるような声がしたのだが、その正体はこの3人だったのだ。

 そしてそれが分かったところで、ナカジマは不完全燃焼感が込み上げてくる。

 

「で、阪口さんたちは?」

「今、夏休み限定でウルトラメンとコラボイベントやってるんです!スタンプを集めると、特製の缶バッチがもらえるんですよ~!」

「桂利奈、特撮ものとか好きですから・・・」

「なるほど・・・」

 

 そういえばそんなことを前に聞いたような聞かなかったような。

 

「イルカショーは?」

「ほかの人がそっちに流れてるところを狙った方がいいって、紗希が」

 

 イルカショーも楽しそうだが、それもまた通っぽいなと村主は思った。そう提案した当の紗希は、彼女はチンアナゴの水槽をまじまじと見つめている。この子も大概自由だ。

 そして桂利奈たちは、どうやらこの先のスタンプと、海鳥のエサやりが目当てらしく先を行こうとする。

 その直前、梓が気まずそうに村主に話しかけてきた。

 

「あの、村主先輩」

「はい?」

「なんか・・・・・・ごめんなさい」

 

 やはり梓は、雰囲気を、村主が何をしようとしていたのかを遠巻きに見て気付いていたようだ。しかし、村主は『気にしないでください』と柔らかく伝える。

 そして梓を見送ると、ナカジマが話しかけてくる。

 

「・・・・・・ねぇ、村主」

「ん?」

「さっきさ・・・・・・なんて言おうとしたの?」

 

 無論、ナカジマもあれだけされてすべて忘れることなんでできはしないだろう。恐らく、その言葉の続きをすぐに聞きたいのだろうと思う。

 しかしながら。

 

「・・・・・・悪い、今は言えない。また今度話すよ」

「・・・・・・そっか」

 

 彼女たちに悪気がないとはいえ、一度雰囲気が流されてしまった以上、改めて言うのは最早興醒めだろう。だからもう、今日は言うことができないと悟って、また今度改めて言うことにした。

 ナカジマはそれを聞いて、少し残念そうではあったがすぐに表情を持ち直して『それじゃあ私たちも行こうか』と歩き出す。村主も、ナカジマと並んで水槽を眺める。

 しかし、2人の間には微妙な空気が漂うことになった。

 

 

 全ての展示を見終えて、最後に売店に寄る。

 オーソドックスなイルカのぬいぐるみや、魚を模した文房具、お菓子などが売られていたが、いまいち村主の琴線に触れる物は無く結局は何も買わないことにした。

 しかしナカジマは、何か良いものを見つけたのか早速レジに並んでいる。

 会計を済ませている間も村主は商品をふらっと眺め、会計が終わったのを見計らってナカジマと合流した。

 

「お待たせ。はい、どうぞ」

 

 そしてすぐ、その買ったものを渡してきた。

 村主は困惑しながらもそれを受け取り、中を見てみる。

 

「・・・折り畳み傘か」

「うん、さっき壊れちゃったでしょ?」

 

 中には、薄い水色の折り畳み傘が入っていた。柄の部分にはサメを模したマークが刻まれていて、大きさも村主が持っていたものとほとんど変わらない。

 

「実習お疲れさまってことで、ちょっと早いけどお祝いのプレゼント」

 

 実習自体祝われるようなものではないのだが、それを指摘するのは無粋極まりないだろう。

 

「それに、ここに私と一緒に来たことを忘れないようにね」

 

 その言葉だけで、もう受け取る価値は十二分にあった。

 それ以前に、ナカジマからもらえる物なんて、嬉しいに決まってる。

 

「・・・ありがとうな。大切に使わせてもらうよ」

「うん」

 

 

 

 学園艦が停泊している大洗港までは、路線バスで帰ることにした。

 雨は既に止んでいたが、反対に晴れてきたせいで日差しもまた強くなってきている。この中で割と長かった来た道を戻るのもつらかったので、バスと言う手段をとらせてもらった。

 

『お客様にお知らせいたします』

 

 水族館を出てほどなくすると、アナウンスが流れる。

 

『8月24日は、大洗町にて戦車道全国大会エキシビションマッチが開催されます。このため、大洗町では朝9時から昼の15時まで大規模な交通規制が実施される予定です。また、鹿島臨海鉄道は同時間帯、常澄~涸沼間で運休となります。予めご了承ください』

 

 それを聞いて、村主は隣に座るナカジマに話しかける。

 

「いよいよ明日だな・・・」

「うん。ちょっと緊張してるかな」

 

 当然ナカジマもレオポンチームとして参加する。

 村主は参戦できないが、彼女たちが乗って戦う戦車の整備を担当し、皆を応援させてもらう。

 

「・・・自分の整備した戦車が試合をするってのも、何か不思議な感じだな」

「それは私も思ってるよ」

 

 自動車部として活動していた時は、自分がレースをするために自分のマシンを整備していた。だが、戦車道の整備を担当するようになってからは、自分たちが整備した戦車にほかの誰かが乗るというのだ。それは自動車部の時とは少し違う。

 

「でも私たちにできるのは、皆が心置きなく戦えるように、戦車の整備に尽力することだよ」

「・・・ああ、その通りだ」

 

 戦車に乗って戦う皆は、レオポンチームのナカジマたちを信頼して戦車に乗っている。そして今は、村主もその信頼を預かる側だ。

 

「整備も試合も、全力で頑張ろう」

「・・・そうだな」

 

 ナカジマが力強く言うと、村主も頷く。

 そこで、先ほどの水族館での一幕を思い出す。

 

(あれでよかったのかもな・・・)

 

 ナカジマに自分の思いの丈を伝えようとしたところで、遮られた。

 だが、あの時もし自分の思いを全てナカジマに伝えていたら、どうなっていただろう。

 もしかしたら動揺してしまって、戦車の整備に、そして明日の試合に悪い影響を及ぼしていたかもしれない。

 だとすれば、それは最悪の結末でしかないだろう。

 だから、自分の想いを伝えられなくて正解だったのかも、と思った。桂利奈の登場と言うアクシデントは、むしろファインプレーだったのかもしれない。

 

(まだだ。まだダメなんだ・・・)

 

 先走って多くを言おうとしてしまったが、言うべき時は今ではなかったのだ。

 妙に残念だった自分の気持ちは切り替えて、明日のために引き締め直す。

 想いを伝えるのは、明日の試合の後でも遅くないはずだ。

 

 

 窓の外を見る村主だが、ナカジマはその横顔を肩を落としながら眺めていた。

 そこで、先ほどの水族館での一幕を思い出す。

 

(もしかして、村主も・・・・・・)

 

 あの時、村主は何かを言おうとしていたが、あの勢いと、真剣そうな表情で、どんなことを言おうとしているのかには薄っすらと気付いていた。

 確証はないけれど、あの場で言うであろう言葉は相当限られている。

 だからもしかしたら、とナカジマは淡い希望を抱いていた。

 しかし、ちょっとしたアクシデントが起きてお流れになってしまい、何か妙にモヤっとした気持ちがナカジマの中には渦巻いている。

 

(・・・・・・でも、もうしょうがないんだよね)

 

 あの時、村主に代わってナカジマの方から自分の想いを伝えるという選択肢もあった。

 だが、あの場での村主はもう『その気』が無くなってしまっていたし、そんな村主に伝えるのも何か違うだろうとナカジマは思った。

 その言葉を伝えるためには、ムードと言うものが大切なのだ。

 

(・・・・・・こうなったら、エキシビションの後ででも・・・)

 

 この想いを伝えないままお別れと言うのは無しだ。

 既にナカジマだって、言うべき時はいつか来る、いや絶対に言わなければという覚悟はできている。

 窓の外に、大洗女子学園艦が見えてきた。夕日を背にする学園艦のシルエットは巨大で、だけど自分が暮らしていた場所だから安心感もある。

 その学園艦を見上げながら、バスは大洗港に到着した。




桂利奈ちゃんは色恋にちょっぴり疎そう・・・
次回から劇場版パートに移りますので、よろしくお願いいたします。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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涙雨

前回のあとがき通り、今回から劇場版パートに移ります。
ゆっくり読んでいただけると幸いですので、よろしくお願いします。


 エキシビションマッチが始まるのは朝の10時。

 しかし、選手や審判など試合に携わる関係者は、戦車の運び出しやらなにやらの事前準備でその前から動き出すし、戦車の整備はさらにその前から始まる。

 

「はよー」

「おはよう、村主」

 

 無論村主もその1人で、夜明け前にガレージへ赴き、戦車の事前チェックを行っている。

 ナカジマたちレオポンチームもいるが、彼女たちはすぐに試合に参加できるよう、いつものオレンジのつなぎではなく大洗のタンクジャケットを着ていた。衣装マジック抜きでカッコいいと村主は思う。

 

「いよいよだね~」

「まあ全国大会とは違うし、胸を借りるつもりで頑張ろうか」

 

 整備を進めていると、ツチヤとホシノが軽い調子で、緊張など感じさせない様子で話している。全国大会のように、大洗の存続が懸かった瀬戸際の戦いと言うわけでもないから、プレッシャーもそこまでではないだろう。

 ただし、勝とうと言う意志はもちろんある。試合に対し『負けてもいいや』と考えたことなど一度もないし、それは自分たちを信頼してくれている仲間への非礼に当たるのだから。

 

「村主大丈夫?緊張してるみたいだね・・・」

「そりゃ緊張するって・・・」

 

 心配そうにナカジマが声をかけてくるが、確かに村主は動きがどこかぎこちない。それが緊張しているからなのは傍目でも分かる。

 自分が戦うわけではないのだが、自分の整備する戦車が大きな試合に参加するということが、改めて思うと大それたことだと意識するようになったのだ。その試合が刻一刻と近づいてきていて、緊張せざるを得なくなっている。

 

「模擬戦の前はそうでもなかったけど・・・。ナカジマたちは緊張しないのか?」

「うーん、あんまり」

 

 その問いに、ナカジマは笑って首を横に振る。

 

「むしろ、燃えるかな。私たちが整備した戦車の力を見せる時だー、みんなの力を見せる時だー、って。まあ、実際戦車に乗るのは私たちだけじゃないけど」

 

 もちろん試合はレオポンチームだけでするものではなく、大洗の全員でするものだ。

 それでも、自分たちが手塩に掛けて整備した戦車が試合で活躍することを、望まずには、楽しみにせずにはいられない。大洗の戦車は彼女たちが動けるように一から整備したのだから、思い入れはなお深い。

 

「・・・確かにな」

 

 その言葉で、緊張全てが消え失せたとわけではないが、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

 そこで丁度、他の戦車道のメンバーが集まってきた。試合の事前準備があるので、集合時間は普段よりも早めに設定されていたのだ。

 しかし、陽はまだ水平線から顔を出したばかり。眠気から脱していない者もそれなりにいる。あんこうチームの麻子に至っては、華に背負われながら寝息を立てていた。

 

「整備の方はどうなっている?」

「もう大体仕上がってますよ。ガンガン走れます」

「よし」

 

 桃の質問に、ナカジマはアバウトな感じで答えたが、それでも桃は満足そうに頷く。それだけナカジマたちの腕を信じているのだろう。

 村主も自分を奮い立たせようとする。桃はもちろん、これから試合をする彼女たちは、戦車を整備したナカジマたち、そして村主の腕前を評価し、信頼しているのだ。その信頼を一応は預かっている村主が物怖じしてどうする。

 

「よーし、全員整列!」

 

 桃が手を叩いて集合をかけると、全員がてきぱきとチームごとに並ぶ。村主はいつも通り列から少し外れた場所に立つ。

 

「今日は我々にとって、大きな晴れ舞台だ。全国大会優勝校としての実力を、皆に知らしめるのだ!」

 

 力説する桃の言葉を、全員が静かに聞いている。

 

「全員で協力し、一丸となって戦うぞ!そして、必ず勝利を掴み取るぞ!」

 

 そして桃は、みほの方を見る。

 

「西住、何か言え」

「あ、はい!えっと・・・」

 

 突然話を振られたので、みほは少し面食らうがすぐにきりっと表情を戻す。

 

「今回戦う聖グロリアーナとプラウダは、どちらも以前戦ったことがある強力なチームです。この両校が手を組んだときの強さは・・・正直、未知数です」

 

 プラウダ高校は全国大会の準決勝、聖グロリアーナは練習試合でそれぞれ戦ったことがあるから、大洗はその強さは知っていた。それを差し引いても、両校とも戦車道四強校として強力と知られている。

 その場にいる全員の表情が引き締まる。

 

「ですが、今回私たちと戦う知波単の皆さんも、戦車道の経験が長く、頼もしい方たちです」

 

 『頼もしい』という言葉を聞いて、村主は今年の全国大会で、知波単学園が1回戦で黒森峰相手に無為な突撃の結果完封負けしたのを思い出す。

 

「そして皆さんも、今日までの練習を頑張ってきました。チームの連携も、錬度も上がってきています。私たちが力を合わせれば、必ず勝つことができます!」

 

 笑って、そして力強そうに告げると、大洗の皆の表情も自信に満ちたものに変わっていく。

 

「皆さん、力を合わせて勝利しましょう!」

『はい!』

 

 そう締めると、全員が頷いて答える。

 村主も拳を握る。自分は戦車に乗って戦うことはできないが、戦車を整備するという形で力を貸すことはできた。

 ナカジマの言った通り、整備した戦車と、皆の力を見せる時だ。不安になどなっていられない。

 

「それでは皆さん、戦車の最終チェックに入ってください」

「7時になったら出発する!事前の打ち合わせ通りだ!」

『了解!』

 

 解散して、それぞれが戦車に乗り込もうとする。最終チェックとは、戦車のエンジン回りの他、砲の照準器や無線機、搭載する砲弾などの確認作業だ。

 今は6時なので、丸まる1時間は確認作業に取り組める。村主はその時間、各チームのサポートに当たることとなった。

 まずは、先ほどまで整備していたカバチームのⅢ号突撃砲をチェックする。念には念、重要なエンジンルームの確認は何度やっても損ではない。

 そこで、カエサルたちが戦車に乗ろうとしていたので、村主は声をかける。

 

「何か調子が悪いところとかあったら言ってくださいね」

「ああ、ありがとう。けど、レオポンチームと村主さんが整備したのであれば、安心だ」

 

 しかし、カエサルが笑みと共に告げたその言葉を理解するのに、少しばかり時間を要した。

 だんだんと、その言葉の意味を理解することができるようになる。

 つまり、信頼してくれているのだ。ナカジマたちレオポンチームと、村主の整備の腕を。

 

(・・・・・・・・・やった)

 

 少し、唇が緩む。

 実際に戦車に乗っている者から言われたのは初めてだから、改めて自分の腕が戦車に乗る人から認められたことがとても嬉しい。

 逸る心を押さえながら、村主もチェックを始める。エンジンルームを開けて、目視点検と触手点検を行い、問題がないのを確認してからエンジンルームを閉めて次の戦車に向かう。各車輌がエンジンを始動し、そこで何か異常があれば逐一駆け付けるやり方だ。

 しかし結局、どの戦車にも問題は見つからず、最終チェックは滞りなく終了して出発の時刻を迎えた。

 

「よし、行くぞ!」

 

 桃の合図で戦車が動き出し、大型車両用の乗下船口へと向かう。

 村主は出1輌1輌に向けて『頑張ってください!』と声をかける。届いたかは分からないが、それでもキューポラやハッチから手を振ってくれる人はいた。

 そしてその中には、ポルシェティーガーから手を振るナカジマもいた。

 村主は『頑張れ!』と言い、ナカジマも腕をぐっと構えて返してくれる。その姿が見えなくなってから、村主は手を振るのを止めた。

 朝日と共に戦場へと向かう戦車は、村主にはものすごくカッコよく見える。まるで映画のワンシーンのような、美しさがあった。

 

「・・・俺も行くか」

 

 そして村主も、予定通り陸の観戦席へと歩き出す。

 

 

 今回の試合では、アウトレットモールとその近くの駐車場が観戦スペースとなっていて、安全面から発砲禁止区域になっている。そこには大型のモニターが1台ずつ設置されており、試合の様子をドローンと航空機から俯瞰的に、そして地形図を使って簡易的に観ることができる。

 村主が今観戦しているのは駐車場の観戦席で、ここも大勢の観客で賑わっていた。家族連れらしきグループや、酒や屋台の食べ物を片手に楽しむおっちゃん、パソコンを持ち込んだ同い年ぐらいの男子など、まさに老若男女揃って試合を楽しんでいる。

 

(人多いな・・・)

 

 観戦している人の数は、既に大洗町の人口を上回っているらしい。前日の大洗町内のホテル・宿はほぼ満室だったということで、それだけ今日の試合を誰もが楽しみにしているのが分かる。

 昨日は町も静かで雰囲気が味がしたものの、こうして戦車道ファンで湧き上がっているのも悪くない。活気に溢れているのを見ると村主も自然と嬉しくなる。

 

「さて・・・」

 

 肝心の試合だが、今は大洗・知波単連合が優勢だった。聖グロリアーナ・プラウダ連合の動きを察知して隊を分断させ、ゴルフ場のバンカーに敵フラッグ車のチャーチルと複数のマチルダⅡを追いこんでいる。

 大洗・知波単連合が優勢に立ち、激しい砲火を浴びせると観客たちは『押し込め~!』とか『突撃しろ~!』と歓声を上げて一斉にヒートアップしていく。マチルダを2輌撃破してからさらに白熱し、村主もその様子をじっと観ていた。

 しかし、突然知波単の戦車が前進しだしてから試合の流れが変わった。『出たぞ!知波単名物“突撃”!』と観客の誰かが声を上げ、周りもつられて『おお!』と声を上げる。

 しかし、仰々しい突撃はいいが、チャーチルとマチルダⅡの2輌に知波単の6輌が返り討ちに遭ってしまう。これには観客たちも打って変わって残念ムードだ。

 

(頼もしいって言ってたんだよなぁ・・・)

 

 朝礼でみほは知波単のことをそう評していた。だが、先ほどの突撃は失礼かもしれないが犬死だろう。多少のリップサービスもあったのかもしれない。

 戦車の数は逆転し、さらにゴルフ場脇の防衛線も突破され、プラウダと聖グロリアーナに挟まれそうになった大洗・知波単連合は、町に向かって撤退する。敵部隊を分断させようと挑発するが、聖グロリアーナ・プラウダ連合は中々挑発に乗らずまとまって追撃してくる。

 そこで、ウサギチームのM3が、プラウダの強力な重戦車IS-2を足止めしようと単身で前に飛び出してきた。それは丁度、今いる観戦席の近くだ。

 

「いいぞー!」

「やっちまえ~!」

 

 果敢にIS-2に立ち向かう様子に、沈み始めていた観客たちがまた盛り上がってくる。

 村主はそれを見つつ、あの中で梓や桂利奈たちが頑張ってるんだろうなと思いながら戦いをじっと見届ける。

 しかし、IS-2の長い砲身につっかえ棒のような感じで車体を押さえられ、ゼロ距離で撃たれて弾き飛ばされ撃破されてしまった。観客は頭を抱え、村主も『あらら・・・』と口の中で残念そうに言葉を転がす。

 一方、町役場付近に大洗の戦車は集結し、フラッグ車のⅣ号が引き付けてきた敵チームを撃破しようと防衛線を構築していた。そこで砲撃戦が始まり、Ⅲ突や三式が順調に敵戦車を撃破していく。

 Ⅳ号戦車は町役場を過ぎると、聖グロリアーナのクルセイダー4輌に見つかり追い回される。ここでやられてしまうのかと、観客たちはハラハラしだす。

 だが、やはりあんこうチームの練度は高かった。住宅街の細い道を素早く走り、店の駐車場で向きを変えると、まず1輌撃破。そして別の道へと入り、先回りしようとバックしていたクルセイダーをまた1輌撃破する。

 

『おお~!!』

 

 華麗にクルセイダーを立て続けに撃破したのを見て、歓声が上がる。やはり全国大会優勝校の名は伊達ではないなと、村主も改めて思った。

 だが町役場前で、村主にとって残念な出来事が起きた。

 M3と交戦して遅れていたIS-2が合流し、高火力に圧されて大洗の戦車も後退し始めて、頃合いを見て撤収しようとする。

 そこで、またしても知波単の九七式中戦車が敵陣に無防備に突っ込んで反撃に遭い、撃破されてしまった。

 どうやらそれは大洗にとっても不測の事態だったらしく、気を取られてしまい慌てて撤退しようした。そして、一番逃げるのが遅くなってしまったポルシェティーガーは、撤退する車両を守るように角度を変える。だが、敵チームから滅多打ちにされてしまい、撃破されてしまった。

 

「あ・・・・・・」

 

 村主はの口から、ぽろっと声が洩れた。

 自分にとっても思い入れのある戦車で、自分の想い人が乗っている戦車が撃破されたのを見ると、何も感じずにはいられない。残念だ、悲しいという気持ちが浮かび上がってくる。

 だが、そんな村主の気持ちを放っておいて試合は進んでいく。

 Ⅳ号はクルセイダーをまた1輌撃破し、商店街へと戻ってくる。そこへプラウダのT-34が2輌、さらにIS-2が登場して追撃を始める。

 Ⅳ号は追撃を避けつつ商店街を進み、やがて例の急なS字カーブに差し掛かる。みほが昨日の下調べで『フェイントに使おう』と言っていた場所だ。

 

「おおっ」

 

 その時、村主の前列に座っていたおっちゃんが嬉しそうに声を上げたのは、そこまで気にしなかった。

 Ⅳ号は速度を落とさずにカーブを曲がり切るが、後ろから来ていたT-34は曲がり切れずに宿に突っ込みそうになる。しかし、玄関前で急停車して事なきを得た。

 だがその後方から、倒れた信号機を踏んで制御できないのか、クルセイダーがスピンしながらT-34に激突。予備燃料タンク、砲弾、宿のプロパンガスが誘爆を起こし、宿が爆発四散して崩壊してしまった。

 

「ぃやったぁ!うっしゃああッ!!」

「またかよ」

「お前んところばかり羨ましい」

 

 宿が木っ端みじんになるところを目の当たりにして、前に座っていたおっちゃんが大喜びする。どうやら、この人こそあの宿の主人らしい。補償が下りるとはいえ宿があんな有様になったというのに寛容だなと、妙に安心した。

 

 カメラが切り替わって浜辺では、Ⅲ突とヘッツァーがプラウダのT-34に追われていた。大洗の2輌とも前面固定砲塔なので、追撃を振り払うには足で逃げるしかない。

 そこでⅢ突が、突然180度スピンして向きを変え、反撃に打って出た。観客たちも度肝を抜かれたようで驚きの声を上げる。その動きは、以前村主が特別措置で参加した模擬戦でやろうとしたものだ。あの時は安定せずに、道端に擱座したが、今度のは安定して向きを後ろに固定できている。

 しかし、T-34はⅢ突の砲撃をひょいっと躱し、横っ腹に1発撃ち込んでⅢ突を撃破する。カバチームのアイデアは良かったが、広々としている場所で仕掛けたのが悪かった。

 

『ただいま、アウトレットモール内に戦車が進入しています。進路上のお客様はお気をつけて観戦してください』

 

 突然そんなアナウンスが聞こえてきたかと思うと、モニターがアウトレットモールに切り替わる。アナウンスの通り、確かにモールの中をアヒルチームの八九式と、知波単の九五式軽戦車、そして聖グロリアーナのマチルダⅡが走っていた。周りにいる客は、暢気に写真を撮ったり手を振ったりしている。

 モール内は発砲禁止区域ではあるが、進入禁止というわけではない。そこを利用してアヒルチームは時間稼ぎをしようとしているのだ。随分と狡い手だなと村主は苦笑する。

 モールを抜けたアヒルチームと九五式は、立体駐車場でマチルダⅡの待ち伏せを狙った。

 タワーパーキングに隠れているように見せかけて、後ろの多段式駐車場に八九式が隠れる。その奇抜な作戦に、村主も思わず吹き出してしまった。

 

「前の練習試合と同じだなぁ」

「あー、あの時もそうだったか」

 

 前に座っているおっちゃんたちが話す。練習試合とは、大洗の戦車道が発足して間もないころに行われた聖グロリアーナとの試合のことだろう。

 

(それじゃ向こうも分かってるんじゃ・・・?)

 

 村主の頭をよぎった不安は、すぐに現実になった。待ち伏せを読んでいたのか、マチルダⅡは砲塔を後ろに向けていたのだ。

 だが、その隣の多段式駐車場に潜んでいた九五式は予想外だったらしく、薄い上部装甲に砲撃を喰らってマチルダⅡは白旗を揚げる。

 観客たちは、その奇妙な待ち伏せとコンビネーション技に、拍手を贈って称賛する。村主も同じように拍手をし、性能が低い八九式なりの戦い方なのかなと思った。

 

 そしてついに、敵フラッグ車を大洗・知波単連合の全ての車輌で追う最終局面に移る。

 敵フラッグ車のチャーチルは大洗の海岸を水族館方面に逃げようとするが、その途中で隠れていたプラウダのKV-2が海から姿を現す。

 KV-2は大洗の一団を狙って152ミリ榴弾砲を放つが、狙いは逸れてその後ろに建つホテルに直撃し、半壊・炎上させる。少し離れたところで万歳三唱しているのは、もしかしてあのホテルの従業員だろうか。

 さらにKV-2は大洗・知波単連合に向けて発砲するが、今度は別のホテルに直撃し、建屋を貫通して下層フロアを爆散させてしまった。すると今度は、観客席の前列で大人たちが両手を挙げて喜んでいる。『今年下旬リニューアルオープン決定!』などと冗談を飛ばしたりしていた。

 さっきの宿の主人もそうだが、彼らもタダでホテルを新築できるのだから嬉しいと言えば嬉しいのだろう。他の観客たちは、ホテルが派手に破壊された様と、ホテル関係者が喜んでいるのを見て苦笑気味。この辺りから、大洗町が戦車道に寛容なところが伺える。

 ちなみにKV-2だが、不安定な足場で砲塔旋回した結果、横転して走行不能となった。

 

「押せ押せ~!」

「突っ走れ~!!」

 

 さて、大洗の戦車は全速力でチャーチルを追撃するが、砂浜で足場が不安定なせいで思うように当たらない。

 その中でもヘッツァーだけは、掠るどころか全然違うところに着弾しているのだ。

 

(何やってるんだ河嶋さん・・・)

 

 あのヘッツァーの砲手・桃の砲手の腕は既に知っているので、村主も苦笑いを浮かべるしかない。

 やがて、全ての戦車が水族館の駐車場に集結する。両チームとも大分車輌数が減っていて、ここが最後の決戦の舞台となるだろう。先ほどまで大喜びだったホテル関係者も、観客も全員がモニターに集中し、試合の行く末を見届けようとしている。

 浜から駐車場に上がったⅣ号は、上れると思っていなかったチャーチルの不意を突いて横を狙おうとするが、IS-2に邪魔されて失敗。水族館に向かって逃げるチャーチルを追い、チャーチルの脇から離れないようにして撃破されにくくする。

 その後ろにヘッツァーが移動し、停止射撃でチャーチルを背後から狙おうとする。

 

「行け~!」

 

 観客の誰かだろう、子供が叫んだ。

 そして、ヘッツァーが発砲した。その砲弾はチャーチルではなく、後方からチャーチルを援護しようと小高い丘から飛び出したクルセイダー(宿の爆発に巻き込まれていた)に命中し、白旗判定となった。

 

(当たった!!)

 

 そこで村主は、桃が弾を当てたことに驚く。見事なクリーンヒットだ。

 しかし肝心なのは、フラッグ車同士で決着をつけようとしていたⅣ号とチャーチル。

 2輌は向かい合う水族館の階段をそれぞれ上り、先に上りきったⅣ号がチャーチルめがけて発砲すると、命中したのか黒煙が上がる。

 

「やった!!」

「勝ったぞ!!」

 

 気が早い観客が、判定の出る前に勝利の声を上げる。

 しかし煙が晴れて、撃破されたのはチャーチルではなく盾として前に出ていたT-34だと分かった。

 それを見たⅣ号が驚異的な速さで装填し、発砲するも狙いは定まらず。

 チャーチルの狙い澄ました砲撃がⅣ号の装甲を貫き、Ⅳ号に白旗を揚げさせた。

 

『大洗・知波単フラッグ車、走行不能!よって、聖グロリアーナ・プラウダの勝利!』

 

 主審の蝶野亜美が宣言すると、モニターの画面に聖グロリアーナとプラウダの校章、その下に『WIN!』という文字が表示される。観客たちは、『あー・・・』『うわ~・・・』とあからさまに残念そうな声を上げていた。悔しそうな声ばかりが聞こえてくるので、どうやらここにいるほとんどの人は大洗を応援していたらしい。

 

「ふう・・・」

 

 村主も同じく、残念そうに息を吐くが、皆は善戦したと思う。

 最初の方の知波単の突撃は少しいただけないが、クルセイダー部隊を返り討ちにしたⅣ号や、立体駐車場の八九式と九五式のコンビネーションは素晴らしいの言葉に尽きる。M3がIS-2を足止めしたのも、結果としては残念だったが勇敢な行動だったと思う。地味に良かったのは、ヘッツァーの桃が敵車輌を撃破できたことだ。

 そうこうしてるうちに、回収車が試合会場に散っていた選手たちを集めて、開会式を行った港のスペースへと連れて行く。

 つつがなく閉会式が執り行われると、モニターで観ていた観客たちも盛大な拍手を贈り、選手たちの健闘を労う。村主もまた同様に拍手を贈る。

 式が終わると、村主は立ち上がってある場所へ向かう。ここからは、村主も頑張る番だ。

 

 

 各校からは戦車の整備士も上陸して、試合を観戦していた。皆は交通規制が解かれる前に戦車が擱座している場所へ向かい整備に取り掛かる。

 大洗の整備士は元々レオポンチームの4人しかいないため、戦車道連盟から整備士を派遣してくれることになっていた。それは大洗を気の毒に思ってのことと、町中に長時間破損した戦車を置いておくのは都合が悪いかららしい。

 村主はナカジマに連絡を取って指示を仰ぐと、役場前で擱座しているポルシェティーガーに来てほしいと言われた。他の戦車は戦車道連盟に任せるらしい。

 小走りに役場の前に着くと、砲撃戦の影響でボロボロになった役場もだが、ポルシェティーガーも大概で、それを見て村主も渋い顔になる。プラウダの戦車にタコ殴りにされたので、凹みだの傷だのがあちこちにあって痛々しい。履帯まで切られている始末だ。

 

「お疲れ」

「お、来てくれたね」

 

 声をかけると、修理に取り掛かろうとしていたナカジマたちが振り向いてくれる。

 村主が買ってきたスポーツドリンクを渡すと、4人とも喉が渇いていたのか蓋を開けてぐびぐびと飲みだす。

 

「あぁ、生き返った~」

「ありがとうね」

「その様子だと、やっぱり戦車の中も暑かったんだな」

 

 8月も残り1週間だが、まだまだ暑さは厳しい。この調子では9月になっても残暑は長引きそうだ。

 そんな天気で通気性もさほど良くない戦車に乗れば、蒸し風呂状態になるのは目に見える。パンツァージャケットは厚手の生地で作られているからなおのこと。労いの品としては丁度良かった。

 

「残念だったな・・・負けちゃって」

「まあ、勝負は時の運って言うしね」

 

 なるべく癇に障らないように気遣って話しかけるが、ナカジマは大して悔しがる様子もなく履帯を直そうとする。ホシノたち3人も同じで、負けたことが尾を引いている感じはない。

 

「・・・意外だな。もっと悔しいのかと思った」

「いや、全く悔しくないわけじゃないよ?」

 

 履帯を直す器具を用意しながらナカジマが答える。村主も工具を用意する。

 

「確かに『勝ちたい』って気持ちはあったよ。でも、『勝たなきゃならない』って気持ちだけに縛られてると、それしか見えなくなるんだ」

「?」

 

 少し理解が難しい様子の村主を見て、ナカジマは『えーっと』と言葉を選びながらポルシェティーガーを見上げる。

 

「一緒に戦ってくれる仲間が、見えなくなるんだ。そうなると、勝つことは難しくなるかもしれないよ」

 

 切れた履帯の状態を確かめながら、必要な工具を手に取り修理しようとする。村主もナカジマの傍について手伝う。履帯の修理は1人だけでは難しいからだ。

 

「もちろん、『勝ちたい』気持ちは大切だ。でも、戦うのに必要なのはその気持ちと、『仲間を信じる』気持ちの両方だって、私は思う」

 

 戦車は1人では動かせない。集団で戦っている以上は1輌だけでも勝つことは難しい。だからナカジマは、『仲間を信じる』気持ちも大切だと言っているのだ。

 

「自惚れてるわけじゃないけど、だから私たち大洗は強いのかもね」

「え?」

「私たちレオポンチームはそうしようって意識してるけど、多分他の皆も同じじゃないかな。『勝ちたい』って気持ちと、『仲間を信じよう』って気持ちをバランスよく持ってるから、ここまで強くなれたんじゃないかって思うな」

 

 どちらかの気持ちだけが大きくても小さくても、上手く戦うことができない。その2つの相対するような気持ちをバランスよく持てば、強くなることができる。ナカジマはそう言っているのだ。

 そしてその言葉は、戦車道の強さとは、戦車の性能や個々人の練度だけではない、という意味も含んでいるように聞こえる。それは、お世辞にも強い戦車ばかりとは言えない大洗のこれまでの戦いを見て、村主もよく分かった。

 

「まあつまり、勝つことしか考えてない、勝利に執着してるってわけでもないから、負けた時にそこまで悔しくは思わないんだ。ちょっと残念には思うけど」

 

 軽くナカジマが笑うと、『さて』と仕切り直す。

 

「履帯を繋げようか。村主、手伝って」

「おう、分かった」

 

 ナカジマが履帯を持つと、村主はそれに合わせるように外れた履帯を持ち上げて、ピンをどうにか差し込む。

 作業の間で村主は、ナカジマの言っていた2つの気持ちを併せ持てば強くなる、という言葉を頭の片隅で考えていた。

 

 

 交通規制は予定通り15時に解除されたが、まだ路上で擱座している戦車もいた。ポルシェティーガーもそうで、仕方なく戦車の周りをコーンで囲う応急処置がとられる。

 そして作業を続け、16時過ぎ。試合に参加したナカジマたち4人に連絡が入り、急遽ポルシェティーガーを離れることになった。何でも、町の温浴施設で選手同士の親睦会を行うらしく、試合に参加した選手全員がそこへ行くらしい。

 当然村主はお呼びではなく、残って戦車の整備を続ける。

 そこへ、他の戦車の整備に回っていた戦車道連盟の整備士数名が手伝いに来てくれた。来たのは全部で4人だが、その中には男性も混じっていた。

 5人でポルシェティーガーを修理するが、やはり本職の整備士はレベルが違う。手際は良くて、てきぱきとしていて、申し訳ないがナカジマたちよりもスピードが速い。

 

「へぇ、大洗に実習を」

「はい、学校の担任のツテで。戦車の整備の勉強をしたかったんですけど、うちの学校は戦車道の授業がなくて」

「なるほどなぁ・・・。俺はサンダース出身で、戦車の整備もちょっとやってたから、戦車の勉強には苦労しなかったな」

「そうなんですか・・・サンダースで・・・」

 

 整備を行う傍ら、戦車道連盟お抱えの整備士の男性と話をする。年齢は30代前半といったところか。

 それにしても、サンダースは戦車隊の規模が国内一で設備も充実している強豪校だが、その代償として学費は高い。その都合で進学を諦めた村主としては、サンダースで勉強をしたその男が羨ましいの一言に尽きる。

 

「村主君だっけ?君は将来どういった形で整備士になろうと思ってる?」

「それは・・・まだ。大学に入ってから方針を固めようかなって考えてまして」

「そうか・・・けど、早いところ決めておいた方がいいかもしれないぞ」

 

 戦車の整備士、という夢は既に決まっている。

 だが、『戦車の整備士』といっても色々な形があるとその男は言った。彼のように戦車道連盟所属となったり、プロ戦車道チームの専属になるという手もある。また、社会人チームに整備士として入隊するというやり方もあると教えられた。

 

「ああ、そう言えば」

「?」

「最近、自動車メーカーが戦車道のチームを設立させるってニュースがあったのは知ってる?」

「ええと・・・はい」

 

 そのニュースは、確かに以前聞いたことがあった。国内でも有数の自動車メーカーで、もしチームが発足したらドイツ戦車を重点的に起用するチームを編成するとかなんとか。

 そのメーカーは、レーシングカーの開発にも携わっている企業で、前に自動車部のソアラをいじっていた時にナカジマたちがその名前を出していた記憶がある。

 

「今の専門学校で自動車系の勉強もしていたのなら、そういう企業も視野に入れると良いと思う。武器があるんなら、それは活かすべきだ」

 

 専門学校で学んだ知識を活かして、その手の企業への就職も考える。

 村主はその話を聞いて、そういう見方もあるのかと、見聞が広まった気がした。

 

 

 軽い話を交わしながらもポルシェティーガーの整備は順調にこなし、無事に終了する。

 全ての戦車はその親睦会が行われている温浴施設近くの砂浜まで運ぶことになっているので、ポルシェティーガーもまた戦車道連盟の整備士の手によって砂浜へと送られた。村主が操縦できるのはヘッツァーだけだったので、ここでできることはなく、整備士の厚意に甘えて砂浜まで連れて行ってもらう。

 

(結局、レオポンを操縦することはなかったな・・・)

 

 特例措置として模擬戦に挑む際、ヘッツァーの操縦は柚子から教わった。しかし、他の戦車を操縦したことは、あれ以来無い。

 こうしてポルシェティーガーという貴重な車輌が身近にいるのだし、ヘッツァーだけだが操縦できたから、と思っていた。操縦したいという気持ちが芽生えていたのだ。

 しかし現実は、そう上手くいかない。

 そして、操縦できなきゃ嫌だと駄々をこねるほど固執しているのでもない。それに、そもそも自分は男なのだ。そうそう何度も戦車を操縦できるはずがないと、すっぱり諦めがつく。

 溜息を吐いて、前を見る。1台のトレーラーとすれ違った。

 

(・・・何かトラックとか多い気がするな)

 

 その砂浜まで、アウトレットモール脇の大通りを通るのだが、どうにもトラックとすれ違う頻度が多い。交通規制が行われていたので、物資を運ぶトラックが溜まっていたのかなと適当に結論付ける。

 砂浜に無事に着くと、村主は大洗の戦車の最終チェックを始める。その温浴施設での親睦会(ぶっちゃけるとみんなでお風呂パーティ)がいつまでなのかは分からないので、正直暇だったからだ。

 戦車道連盟の整備士が修理したⅣ号やルノーなどを見ると、その出来栄えは新品同然だった。たった数時間でここまで直すとは、やはりプロは仕事のレベルが違うと思う。

 17時頃に戦車道連盟の整備士は撤収し、村主はお辞儀をして送り出す。

 やがて、陽が沈む前辺りで選手たちがやってきた。出てきたのは聖グロリアーナ、プラウダ、知波単生徒で、あれこれ聞かれて面倒なことになるのを避けるために、戦車の陰に隠れる。大洗の皆が最後に出てきたのを確認すると、隠れるのを止めた。

 

「おお、お帰り」

「ただいま~。戦車の整備は?」

「全部終わってる。やっぱり本職の人たちって仕事が早いな・・・」

 

 既にチェックを終えているので、問題ないはずだ。他のチームが乗り込んでエンジンを始動させると、どれも問題なく動き出す。

 そこで、村主はあることに気付いた。

 

「あれ、会長は?」

 

 背が低い茶髪のツインテールという目立つ容姿の彼女がいない。乗り込もうとしたスズキが答える。

 

「何か、至急学園艦に戻って、って放送が入って先に帰っちゃった」

「ふーん・・・」

 

 スズキも『どういうことかな?』と首を傾げていた。そんな放送が入るとは、何かあったのだろうか。

 だが、その疑問も置いておき、レオポンチームの4人も戦車に乗り込み学園艦へと進みだす。歩くのも大変だということで、村主も乗せてもらった。中に入るのではなく外に腰掛ける形で。

 さて、学園艦へ向かうまでの間に港の傍の道を通るのだが、そこでまたしてもおかしな光景を目にする。

 

「・・・何か、トラック多くないか?」

「そうだね・・・私も初めて見るかも。こんなにいるのは」

「さっきもトラックと結構すれ違ったけど・・・」

 

 駐車場を埋めるほどのトラックが停まっている。ワゴン車など普通の車も停まっているが、どれも大きな荷物を多く運べるようなサイズだった。

 村主たちの頭の中で、違和感が濃くなってくる。

 乗下船口から入って艦上の住宅地に出ても、その違和感は消えず、むしろ強くなる。

 日没間際だというのに、建物の明かりが点いていない。光っているのは道路脇の街灯だけ。しかも人っ子一人、誰もいない。

 

「・・・・・・」

 

 異変に気付いたのか、誰も何も言わなくなる。頭の中の違和感がチリチリと焼けるように際立ってくる。

 そして、校門にたどり着いたところで、その違和感、疑惑は異変に変わった。

 

「誰よ!勝手にこんなことするなんて!」

「まさか落書きとかしてないよね・・・?」

 

 門の前に立つそど子が怒りを露にする。

 理由は単純、校門が黄色いテープでがんじがらめに縛られていたのだ。それもテープには『KEEP OUT』の文字入り、刑事ドラマや映画なんかでよく見る立ち入り禁止の印だ。ゴモ代も他校からカチコミでも喰らったのではないかと不安そうにしている。他のメンバーも心配そうだった。

 

「あれ?『きーぷあうと』ってどういう意味だっけ」

「体重をキープする」

「してないじゃん、アウト~」

「ひっどーい!」

「あははは~」

「そういうこと言ってる場合じゃないよ!」

 

 ウサギチームの面々はこの異変を前にしても呑気なものだった。

 

「君たち、勝手に入っては困るよ」

 

 そこに、遠慮の無いような男の声が割り込んでくる。

 全員が一斉に振り返ると、暗い色のスーツに七三分けの黒髪という風貌の男が立っていた。まだ会ったことのない大洗の教師だろうか、と村主は思ったが。

 

「あの!私たちはここの生徒です!」

「もう君たちは生徒ではない」

「どういうことですか!?」

 

 桃とそど子の口ぶりからして、どうも違うようだと思った。

 

「君から説明しておきたまえ」

 

 スーツの男は質問に答えず、後ろにいた誰かに声をかけると、皆の前から姿を消す。この場にいるはずではない男の村主など、気にも留めていなかった。

 そして、その男の後ろに立っていたのは杏だった。神妙な面持ちで、いつも食べているはずの干し芋を手に持ってもいない。

 誰もが人気のない学園艦、塞がれた校門、そしてこの真剣そうな杏。

 

「どうしたんですか、会長・・・?」

「会長・・・?」

 

 不安げに桃が訊くと。

 

 

 

「大洗女子学園は・・・8月31日付で、廃校が決定した」

 

 

 

 

 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 あの全国大会で優勝すれば廃校は免れる、という話だったはずなのに、なんでまた?

 その答えは、あの約束はあくまで『検討するだけ』だったのだと言われる。

 廃校になるにしろ、それは年度末のはずだったのに?

 それは『年度末では遅い』というだけの理由で前倒しになった。

 会長が淡々と伝える事実に、私だけじゃなくて、大洗のみんなが落ち込むのが分かる。さっきまでエキシビションマッチで一緒に戦って、温泉で楽しく話をしていたのが嘘みたいだ。

 

「じゃあ、私たちの戦いは何だったんですか・・・?学校が無くならないために戦ったのに・・・!」

 

 澤さんの言葉は、多分ここにいる全員が思っていることだ。

 私たちの居場所を守る為にあの大会で戦ってきたというのに、廃校にするのはその戦いの意味を全部『無かったことにする』のと同じだ。

 もちろん皆は納得できなくて、河嶋さんは学校に立てこもって抵抗すると言い出した。他の皆も口々に『絶対におかしい』『抗議しよう』と声を上げる。私だって、久々に冷静ではいられなくなって、ツチヤたちとどうしたものかと話をする。

 

「残念だが本当に廃校なんだ!!」

 

 だけど、初めて聞いた会長の悔しそうな荒っぽい声に、昂った感情が冷やされていく。

 私たちが抵抗すれば、この学園艦で生活していた人たちの再就職は補償せず全員クビだと文科省が警告をしてきたらしい。これでは何も手出しができない。

 そして何より辛いことは、私たちが一緒に戦ってきた戦車まで文科省に回収されてしまうことだった。

 私たちが整備して、動けるようにして、戦えるようにして、あの全国大会で乗った戦車まで取り上げられるなんて、本当にあの大会の意味を全部失くしてしまうようなものだった。

 

「・・・・・・すまない」

 

 最後の悲痛な会長の呟きには、もう誰も何も言うことができなかった。

 その時、静寂を破るように携帯の着信音が鳴り響く。

 

「・・・はい、村主です」

 

 今まで一度も言葉を発しなかった、村主のものだった。

 自然と皆の視線がそちらに向く。村主もまた大洗で整備をして、短い間とはいえ大洗の一員だったのだ。

 だけど本当は大洗の生徒じゃない村主は今、何を思っているんだろう。

 

「・・・・・・はい。自分も今、聞きました・・・・・・はい」

 

 その背中が、小さく見える。誰が電話の相手なのかは分からないけど、話している内容は廃校のことなのはなんとなく分かる。

 その声も少し元気が無さそうだった。やっぱり、村主にとってもショックだったのかもしれない。

 

「・・・・・・はい」

 

 そこで村主が、私たちの方を振り向いた。

 今の私たちの顔なんて、ちっとも明るくないのだろう。私もそんな顔をしている自覚はある。

 村主と目が合った。

 

「・・・・・・いえ、残ります」

 

 そして、その言葉にはほんの少しだけ強い意思が込められているように聞こえた。

 

「はい・・・・・・せめて実習が終わる日までは、残らせてください」

 

 電話の向こうで、誰かが何かを話す。

 

「・・・・・・はい、ありがとうございます」

 

 電話を切る。

 改めて私たちの方を振り返った村主は、会釈をした。それが何に対するものなのかは、私にもわからなかった。

 

 

 杏から鍵を受け取って校門を開け、戦車をガレージの前に移動させた後、大洗のメンバーは家に戻って身辺整理ということになり一旦解散となった。

 それぞれが部屋へと向かう足取りは重く、当たり前だが落ち込んでいる様にしか見えない。

 村主もまた、自分の荷物を回収するためにお世話になっていた宿へと向かう。

 既に太陽は完全に沈み、学園艦全体が暗くなる。どこの明かりも点いていないのだから、余計に暗く感じた。

 コンビニも、パン屋も、74アイスクリームも、ファミレスも、どこも明かりが点いておらず、人の姿もない。まるで廃墟のようだ。

 その場所を見るたびに、村主の中で大洗で過ごした時間がフラッシュバックする。溜息が同時に口を吐いて出てくる。

 やがて宿の前に着くと、案の定明かりは全て消えていて、誰もいないようだった。

 

「?」

 

 だが、宿の玄関の前に段ボール箱が置かれていているのに気付き、村主は自然とそれに近づく。

 開けてみると、中に入っていたのは村主が持ってきていた鞄だった。中を確認してみると、荷物が全て綺麗に仕舞ってある。

 箱には一緒に便箋が入っていた。

 

『突然の事態に、ご迷惑をおかけしてすみません』

 

 それを見て、村主も悲しい気持ちが込み上げてきて、あの温厚な宿の主人の悲しむ表情も目に浮かぶ。謝ることなんてないのに、ありがとうと自分が言いたいのに、と感情がかき混ぜられる。

 便箋を大事に仕舞って、鞄を抱えて学校へと戻ることにする。

 来た道では明かりの点いてない建物を見るたびに気持ちが沈んだので、帰りは別の道を通ることにした。しかし、どこを通っても明かりの点いている建物など全くないので結局は同じだ。

 だが、商店街に差しかかると1軒だけ明かりの点いたお店があった。その店先には軽トラックが停まっていて、丁度店を引き払うところらしい。

 親子らしき2人が協力して荷物を運び出しているが、その手伝いをしている娘は村主も知っていた。

 

「秋山さん」

「あ、村主殿・・・」

 

 声をかけると、癖の強いショートボブが特徴の優花里が顔を上げた。一緒に作業をしていた父親らしきパンチパーマのおじさんは、村主のことをキョトンとした顔で見ている。初対面だし、女子校の学園艦に同年代の男がいるのがおかしいのだろう。それもこんな時に。

 

「お父さん。この人は、戦車の整備の実習で大洗に来てた村主さん」

「あ、そうですか・・・どうも、優花里の父の淳五郎です」

「初めまして・・・村主です」

 

 丁寧に挨拶をしてくる淳五郎。そこで、店の中で掃除をしていた母の好子も出てくる。村主は挨拶をして、店を見上げる。

 

「・・・実家、床屋だったんですか」

「ええ、代々ここで床屋を営んでました」

 

 赤い幌に白く書かれた『秋山理髪店』の文字。その外見から見て、かなり年季が入っているように見える。恐らく、ここに店を構えた時からずっとこのままなのだろう。

 

「・・・大変なことになりましたね・・・」

「はい・・・エキシビションの観戦から戻ったら、こんな紙が貼られていて」

 

 淳五郎が見せたのは、『強制退去勧告』と書かれた赤い紙だ。12時間以内に立ち退くようにと威圧的な文章が書かれており、周りを見ると他の店や家にも貼ってある。

 

「全く急な話なもんで・・・なんで突然廃校になんて・・・」

「本当・・・もう何十年もここでやってきたのに、それが急に無くなるんだもの」

 

 淳五郎と好子は、切ないとばかりに首を横に振る。優花里の表情も沈んでいた。

 こうして学園艦で自営業をしているとなると、陸ではどうするのかが難点になるだろう。文科省は艦内の人間が抵抗しない限りは再就職先を斡旋するらしいが、自営業については不明らしい。同じように再就職先を用意するのか、それとも土地を与えるのか。

 

「この学園艦だったから、やってこれたんですけどねぇ・・・」

 

 どちらにせよ、生活がこの先上手くいく保証はない。自分たちの住んでいた場所こそが一番良い環境なのだから、そこから退くのは不可抗力とはいえ悪手だろう。

 手伝おうと思ったが、秋山一家は『お気になさらず』と無理して笑ったので、村主は片付けの邪魔をしないように、最後にお辞儀をしてその場を去る。

 暗い町を歩き学校に戻ってくると、ガレージの方から1台の車が走ってきた。自動車部がレストアしたソアラだ。向こうも村主に気付いたのか、傍で停車させる。

 

「村主、お疲れ。荷物は回収できた?」

「ああ、どうにか」

 

 助手席のナカジマが窓を開けた。ハンドルを握っているのはツチヤだ。

 

「どこか行くのか?」

「いやぁ、ちょっと学園艦をひとっ走りしようと思ってね」

「・・・そうか。気をつけろよ」

「もちろん」

 

 ソアラは軽快に走り出して、明かりの消えた町へと消えてゆく。

 それを見送りながら、なぜ今学園艦を走ろうと思ったのかが分かった。自分たちが暮らしてきた場所を、最後に見ておきたいのだと。ナカジマたちが学園長とのレースで走ったであろう道をまた走りたいと思ったのだろうと、それが分かった。

 村主は自分から『俺も一緒に』とは言えなかったし、もし誘われたとしても乗る気はなかった。学園艦を走る時間は、ここで暮らしていた時間が長い彼女たちだけで過ごした方がずっと良いはずだ。気持ちを整理するための時間に、たかだか1か月ちょっとしかここにいない新参者がいるのは無粋だろう。

 ガレージに向かうと、全ての車輌が外に並んでいる。初めて見た時や試合の前は、カッコよくて、頼もしく見えたのに、今となっては戦車でさえも落ち込んでいるように見える。

 

「・・・・・・ちくしょう」

 

 誰に、何に向けたわけでもない呟きが、村主の口から洩れる。

 そこへ、後ろから足音が聞こえてきた。振り向いてみれば、他のチームのメンバーが戻ってきていた。カモチームが校名のプレートを抱えていたり、ウサギチームがうさぎを抱きかかえていたりと色々おかしかったが、誰もそれを咎めたりはしない。

 やがて、一周走り終えたらしいナカジマたちも戻ってきた。

 

「いやー、やっぱりドリフトはいいね~!」

「もう4回もやってくれちゃって・・・こっちの身にもなってよ」

 

 ナカジマ曰く、最後ということでツチヤがドリフトをしまくって、同乗していたホシノたちはグロッキーだという。かくいうナカジマも多少疲れ気味だったが。ツチヤのドリフトを経験した村主も、なんとなく想像できたので苦笑する。

 

「あの、皆で寄せ書きしませんか?」

 

 そこで、梓が控えめに、しかしその場にいる皆に聞こえるように提案してきた。その後ろでは、あゆみとあやがガレージの中にあった黒板を引っ張り出してきている。ミーティングなどで使っていたものだ。

 

「・・・いいね、書こうよ」

「そうだね、もうこれが最後だし」

 

 アヒルチームの妙子とあけびが最初に乗っかり、他のチームもせっかくだからとチョークを取って思い思いの言葉と名前を書く。

 村主もナカジマから『どう?』と誘われたが、首を横に振る。やはり村主は、元々大洗の戦車道メンバーでなければ、生徒でもない。彼女たちに混じってメッセージを書くのも何か違う気がした。

 やがてあんこうチームのメンバーがやってきた。あとはカメチームだけだが、生徒会の書類整理に手間取っているらしい。

 寄せ書きを終えたメンバーは、それぞれの戦車に向けてお別れの言葉を贈っている。

 村主がその様子を静かに見ていると、夜の空から何かのエンジン音が聞こえてくるのに気付いた。

 

「・・・何だ?」

「え?」

 

 音のする方を見ると、夜の闇に混じるように緑と赤の小さなライトが空に浮かんでいる。ナカジマたちもその音に気付き、空を見上げる。

 よく目を凝らしてみると、その正体は巨大な輸送機だった。校内模擬戦で教官の亜美が乗ってきたものとは機種も違う。

 そして、いつの間にかグラウンドに並んでいたトラックのライトが一斉に点灯して疑似的な滑走路へと早変わりし、そこへ謎の大型輸送機が着陸する。

 その機体には、ある学校の校章が描かれていた。

 

「サンダース大付属の、C-5Mスーパーギャラクシーです!」

 

 優花里が嬉しそうに声を上げる。その言う通りで、あれはサンダース大学付属高校の航空科が所有している超大型輸送機だった。

 それがなぜこんな時に、こんな場所に。

 

「サンダースで、ウチの戦車を預かってくれるそうだ!」

 

 土煙が収まると、いつの間にここへ来たのか、通信用のハーネスを背負った桃が得意げに宣言する。その横で、スーパーギャラクシーの格納庫が開いた。

 

「えっ?」

「大丈夫なんですか?」

「紛失したという書類を作ったわ!」

 

 あんこうチームの心配そうな声に、柚子が得意げに『戦車紛失届』という書類を見せる。半ば強引な感じがするが、『向こう』だって一方的に大洗を廃校にしてきたのだ。これぐらいのことはお互い様だろう。

 

「これでみんな処分されずに済むね」

 

 先ほど廃校を告げた時と違い、杏の声にも心なしか嬉しさが見える。

 そして、スーパーギャラクシーのタラップが下りて、2人の少女が姿を見せた。サンダース戦車隊の隊長・ケイと、副隊長の1人・アリサだった。

 

「さんきゅー!さんきゅー!」

「こんなのお安い御用よ!」

 

 杏が嬉しそうにお礼を伝えるが、ケイは笑って手を振る。こんな大型輸送機を持ち出して、国に内緒で戦車を引き取るなどというリスキーな行動を、『お安い御用』で済ますケイの胆力と懐の深さが、村主には計り知れない。

 

「さあ皆、ハリアップ!」

『はい!』

 

 ケイが促すと、戦車の燃料を最低限まで抜いてから、スーパーギャラクシーに積み始める。やはり8輌もの戦車を1度に運ぶのは相当難しいようで、バランスなどを考えながら積み込むらしい。

 村主は大洗のメンバーに混じって作業をしていても、サンダース側に不審がられることはなかった。今は急を要する事態だからなのかもしれないし、村主が指示の伝達などで忙しそうにしていたからなのかもしれない。

 とにかく、戦車を全て収納し終えると、移動先が判明し次第戦車は返すということが決まる。そして、スーパーギャラクシーは大洗のみんなに見届けられながら夜の空へと飛び立っていった。

 

 その日、村主は戦車のいなくなったガレージで一夜を明かした。

 

 

 翌朝8時。

 戦車道のメンバーは、それぞれ最低限の荷物を持って港に立っていた。天気は晴れなのに、皆の表情は陰っている。文字通り天地の差があった。

 

「全員揃ってるな」

「はい・・・」

 

 点呼を取り、杏と柚子が再確認をしたところで、学園艦の太く低い汽笛が港に鳴り響く。まるでこの学園艦が、皆との別れを惜しんでいるかのようだ、

 ゆっくりと学園艦は動き出し、港を離れていく。こうなってしまってはもう誰にも止められない。本当に大洗が廃校になってしまうのだと、嫌でも実感させられる。

 しばらくの間、皆は黙って学園艦が離れていくのを見届けていたが、たまりかねてウサギチームが追いかけるように走り出す。

 

「行かないで~!」

「笑って見送ろうよ~!」

「ありがとー!!」

「元気でね~っ!!」

 

 妙に場違いな内容のものも混じっているが、そんなのは関係なかった。

 彼女たちは学園艦を追いかけるが、やがて足を止めて、精一杯の声をかける。

 

『さようならぁぁぁ!!!』

 

 学園艦の起こす波飛沫が、雨のように降ってくる。

 誰もが何も言わないで、港を離れていく学園艦を見送っている

 

 これは何だと、村主は思った。

 

 大洗に来て、彼女たちとそれなりの交流を深め、学校や仲間、大洗という場所に対する思いを聞いてきて、いかに彼女たちがあの場所を大切に思っているのかを理解していたつもりだ。

 寄せ集めの戦車と素人ばかりのチームで全国大会に臨み、無謀だったはずの優勝を手にして、廃校を阻止し居場所を守ることができたと確信していたはずだ。大洗という場所を愛していたからこそ、彼女たちは今まで頑張ることができたのだ。

 だというのに、この仕打ちは何だ?

 彼女たちの今までの戦いは全部無かったことにされて、有無を言わさず学園艦を追い出され、脅されて抵抗もできず、こうしてただ黙って学園艦がスクラップ置き場に向かっていく様を見ていることしかできない。

 

「・・・・・・っ・・・・・・ぅっ」

 

 隣を見ると、ナカジマが泣いていた。周りに心配をかけさせないようにと、声を押し殺して。

 村主が、ナカジマが泣いているのを見るのはこれで2度目だ。

 1回目は、村主の不甲斐なさが原因で倒れた時に、無事だったと知って安堵した時のこと。あの時のことは、ナカジマに心配をかけさせてしまったと、村主の中での後悔として突き刺さっている。

 だが今、ナカジマから感じられるのは、『悲しい』『悔しい』という想いだ。

 無理もない。戦車を見つけたのは彼女たちではないが、戦えるように直したのはナカジマたちだ。だから誰よりも戦車に愛着はあるし、そして自分たちが直した戦車で優勝できたのだから、喜びだって人一倍あるはずだ。

 その喜ぶべき全国優勝で残るはずだった大洗が、なくなってしまうのだ。悲しくないわけがない。悔しいと思うに決まってる。

 しかし、それに抗うことができなくて、ただ泣くことしかできない。

 

「・・・・・・」

 

 そんなナカジマを想い、村主はそっとその手を握る。自分から握るのは初めてだったが、ナカジマの手は震えていた。力を籠めると、壊れてしまいそうなほどに。

 そして、ナカジマはその手を強く握り返す。その力だけで、本当に落ち込んでいるのが分かった。

 周りを見ると、普段はクールなホシノも、明るかったスズキも、笑みを崩さなかったツチヤも、泣いていた。

 そんな彼女たちを見て、自分の中にふつふつとした感情が浮かび上がってくるのが分かる。

 それが怒りだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

(・・・・・・ふざけんな)

 

 こんなことになって黙って見過ごせるほど、村主は達観できていない。仕方ないと処理するほど大人にもなれてない。

 何とかしてやりたい、と強く思う。

 だが、自分に何ができる、と同時に問う。

 自分はあくまで実習生。正直な話では、この件については赤の他人だ。ただの一介の学生に何ができるんだと、同時に自分が情けなくなる。

 水平線に消えていく学園艦のように、自分もまた小さくなっていくような感覚がした。



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雨明かり

 エキシビションで盛り上がった昨日とは打って変わって、大洗の町は静かだった。日中でも車の通りはまばら。商店街に人気はほとんどなく、まるでゴーストタウンの様相だ。

 そして、昨日まで掲げられていた大洗女子学園の優勝を称える横断幕や幟は全て撤去されている。大洗が廃校になってしまったのを聞いて、とても祝う気分になどなれないのだろう。

 KV-2によって半壊させられたホテルにはブルーシートが張られている。ホテル関係者は狂喜乱舞していたが、今となっては逆に寂れた感じしかない。

 大洗女子学園という学校が無くなってしまったことで、町の印象もガラッと変わってしまっていた。

 

 そんな廃校になってしまった大洗の生徒は、一時待機場所で転校手続きが終了するのを待つことになる。戦車道メンバーとそれ以外の一部の生徒は、町内にある廃学校を利用した研修施設で待機ということになった。見た目はボロだが、研修施設として民間に貸し出されているので中は小綺麗に整備されている。

 基本的には、教室を再利用した宿泊室で生徒は寝泊まりをする。しかしあんこうチームは、優花里がテントとその他野営用具一式を持ち込んできて、外でテントを張って泊まることになった。優花里が生き生きと夕食の準備をしていたのは、割と印象に残っている。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 村主がポルシェティーガーに腰掛けて溜息を吐いたのは、その日の夜だった。

 大洗の戦車が戻ってきたのは夕方。サンダースのスーパーギャラクシーが、約束通り届けてくれたのだ。最初は近くの大通りに空挺落下されて、今はグラウンドの隅に停められている。

 溜息を吐いたのは、無力感を味わっていたからだ。村主は以前から大洗に深い関りがあるわけではないが、今回の廃校を前にして何もできない自分が、小さく感じる。

 一実習生の学生にできることなど無いも同然なのは分かっているが、それでも何かできたのではないか、と模索している。そして『結局何もできなかった』という結論に達する堂々巡りだった。

 

「・・・村主」

 

 不意に声をかけられて振り返る。

 いつの間にか、戦車の脇にナカジマが立っていた。着ているのはずっと見てきたオレンジのつなぎ、どうやら寝間着の代わりらしい。

 

「眠れないの?」

「・・・ナカジマこそ」

「まあね・・・正直、気持ちの整理がついてないよ」

 

 言ってナカジマは、『隣、邪魔するね』とポルシェティーガーに上って腰掛ける。

 夜空に見える星は、空気の澄んだ海の上とは違ってまばらだ。

 

「・・・これから、どうなるんだろうな」

 

 夜空を見上げて村主がぽつりと洩らす。主語のない言葉だったが、ナカジマにはそれが大洗のみんなのことを指しているのを分かっていた。

 

「・・・・・・さあね」

 

 ぼかしたのは、()()()()()()()()だ。

 ここで転校手続きが滞りなく終了すれば、正式にナカジマは大洗の生徒ではなくなり、どこかの学校に転校することになる。そして大洗の仲間とは高い確率で散り散りになり、寂しく残りの高校生活を過ごすことになるのだろう。

 それを伝えれば村主は余計に傷つくのが予想できたから、ナカジマはぼやかして答えた。

 尤も、どうなるかが分からないほど村主も馬鹿だとは思っていないが。

 

「ナカジマは、これでいいのか?」

「・・・今はどうすることもできないよ」

「・・・・・・何だそれ」

 

 ナカジマの答えに、村主はわずかに苛立ちを見せた。

 そんな声を聞くのは、今が初めてだった。

 

「・・・俺はこんなの、納得いかない。できるわけがない」

 

 視線は下に向くが、その声は『怒り』よりも『困惑』という表現が似合う。

 

「俺は大洗の人間じゃないし、大洗には1か月ちょっとしかいなかった。だから、全部分かったような口は利けない。けど、こんな無理矢理なのは間違ってる」

「・・・・・・」

「大洗で色んな人の話を聞いて、それだけでも皆にとって大洗が大切な場所だって分かった」

 

 大洗の戦車道チームのみんな、学園艦で店を営んでいた人たちは、誰一人大洗を貶していなかった。

 あの場所を愛していた人がいれば、あの場所で自分たちの目的を達成させようとする人もいたし、大洗という場所で仲間と共に戦いたいと願う人もいた。その言葉だけでも、誰もが大洗という場所を大切に思っているかが伝わるには十分だった。

 だというのに、そんなみんなの思いを無下に、あの場所を取り上げるということが許せない。

 

「あんな風に脅してまで取り上げて、みんなを追い出すなんて、俺には理解できない」

「村主・・・」

「だって、みんなのことを何も考えてないじゃないか。それに学園艦が大洗を離れる時、ナカジマだって泣いてて、それで余計許せなくなって・・・」

「村主」

 

 少し強めに村主の名を呼び、その肩に手を置く。

 湧き上がってきていた村主の中の感情が、落ち着いてくる。

 

「・・・許せないっていう村主の気持ちは分かるし、正直私も同じ気持ちだよ。今も悔しいと思ってる」

「・・・だったら」

「でも・・・そんなことを言っても、大洗は戻ってこないよ」

 

 責めるわけではなく、言い聞かせるような話し方に、村主も口を閉ざす。無意識に握っていた拳が解かれる。

 怒りに任せて言葉を連ねて学園艦が戻ってくるのなら、いくらでもそうする。

 だが、ナカジマの言う通り、そんなことをしてもあの学園艦はもう帰ってこない。そう考えると、口調を荒げて感情を吐き出すことも惨めに思えてきた。

 村主が悔しそうに鼻で息を吐くと、ナカジマは肩から手を離す。

 

「どうして急に廃校になったのかは分からない。気持ちの整理も、まだ私はできてない」

「・・・・・・」

「だけど悲しいかな、もう過ぎたことなんだ。今更何かを言ったところで、変えることはできないよ」

 

 ナカジマのその言葉は、村主からすればナカジマ自身にも言い聞かせているように感じる。現にその表情は、目が慣れてきてようやく分かったが、少し暗かった。

 

「・・・でも、村主の気持ちが聞けて良かった」

「え?」

「私たちのために怒ってくれてるんだもの。だって村主は・・・元々、大洗の人じゃないのに」

 

 大洗に深い関わりがあるわけではない。だが、短い時間の中で大洗の人の思いを汲み、その人たちのために村主が怒ることは、ナカジマにとっては嬉しいことだった。それだけ村主も、人を含めて大洗のことを好きになっていたということだから。

 あの廃校の話が会長から明かされた時、村主が何を思っているのか不安だったが、今こうしてその本音を聞くことができて、安心もしている。

 

「それに、多分このままじゃ終わらないと思う」

 

 何を根拠に、と村主が眉を顰めるが、ナカジマは今自分たちが座っているポルシェティーガーを軽く叩く。

 

「会長がこうして戦車を残したってことは、きっとまだ何か策があるんだと思う」

 

 サンダースに戦車を預けるという作戦は、杏が発案したことだった。サンダースの隊長・ケイがフレンドリーな性格なのもあって、杏の頼みはあっさりと通り、計画通りに事は運んだ。

 杏が『思い出を残すために』こうしたのは確かだろうが、ナカジマはそれだけとは思えない。

 

「でもそんなこと・・・」

「分かってるよ、全部推測だって」

 

 それでも、とナカジマは、消灯時間を過ぎて明かりの消えた校舎を振り返る。

 

「結局口約束だったけど、文科省から『優勝すれば廃校は免れる』って話を引っ張り出したのも会長なんだ。だから会長なら・・・って思ってる。河嶋さんも小山さんも、会長を信じてる感じだった」

 

 村主の知っている杏は、いつも干し芋ばかり食べていて、掴みどころがない。模擬戦で操縦士の代理を村主に頼んだ時も、緩い感じがした。もちろん、廃校を伝えたあの時の心の底から辛そうな声と顔だって覚えている。

 その2つの正反対な面を見ると、そうなのかもしれない、と村主も少しだけ思えてくる。

 

「・・・・・・ねぇ、訊いてもいい?」

「・・・?」

「昨日、会長から廃校って言われた後、村主に電話がかかってきたでしょ?あれは・・・?」

 

 あの時の電話の相手が誰だったのか、シチュエーションも相まって気になっていた。電話の最中で村主とナカジマの目が合ったのだからなおさらだ。

 

「・・・学校の担任から。『大洗が廃校になったって連絡がきた。実習は中止、学園艦に帰ってこい』って」

 

 大洗が廃校になったという話は、今はまだ大洗の関係者と大洗町の住人、そしてサンダースの一部の生徒以外は知らない。

 もしこのことを意図的に公にした場合は、抵抗した場合の処置同様、元学園艦の住民への再就職を斡旋しないと警告を受けている。村主も同様の警告をその電話で聞いていたから、このことは誰にも話していない。

 

「じゃあ、どうして村主は残ろうと思ったの?」

 

 だが分からないのは、どうして村主は残ろうとしたのかだ。

 村主は、空を見上げる。

 

「・・・俺は大洗でみんなの世話になったし、いろんな人の話を聞いてきた。けど、やっぱり俺は大洗の人じゃないから、今回のことも本当は無関係なんだろうとは思う」

 

 そこで村主は、小さく首を横に振った。

 

「でも、『それはなんか違う』とも思った」

 

 ナカジマが、表情で疑問を示す。

 

「他人だから、『実習先の学校が無くなったからおしまい。さようなら』。それは、大洗で色々と世話になった立場の態度としては、違うだろって思った」

 

 ナカジマを見る。ナカジマは笑いもせずに、真剣に話を聞いてくれている。

 

「大洗で学んだこと、みんなと関りが持てたこと、話を聞いたのは、俺にとっては全部かけがえのないことだと、俺自身は思ってるんだよ」

 

 膝の上で、広げていた手が握られる。まるで、そのかけがえのないものを掴み取るように。

 

「だから・・・そんな大洗から後味悪いまま帰るのが嫌だった。どうなるにしたって、せめて最後の日までは残りたいと思ったから、自分で『残りたい』って言った」

「・・・・・・・・・そっか」

 

 それだけ返すナカジマ。

 村主の気持ちは伝わっただろうか。少しでも伝わってくれれば嬉しいのだが、ナカジマが少しだけ笑っているのを見て、伝わったのかもしれないと感じる。

 

「・・・そろそろ寝よう。明日から、また忙しくなるだろうし」

「そうだな・・・」

 

 ナカジマは危なげなくポルシェティーガーから降り、村主はキューポラからポルシェティーガーに乗り込もうとする。

 

「悪いね、そんなとこで寝泊まりさせちゃって」

「野宿じゃないだけ十分だ。ありがとうな」

 

 年頃の女子ばかりが寝泊まりする校舎で村主も一緒とは到底不可能だったが、戦車の中なら問題ないと桃、そしてナカジマから言われたのでその恩恵に与っている。もし戦車がなければ、民宿に泊まるつもりだったが。

 それでも桃からは、『変な気は起こすな』と言われたが、こんな状況ではその気など起こしたくても起こせない。

 

「それじゃ村主、お休み」

「ああ、お休み」

 

 ナカジマが校舎に帰っていくのを見送ると、村主もキューポラを閉める。

スマートフォンのライトをつけて戦車の中を見渡すと、戦車の中は広々とした感じはした。

 だが、すぐにライトを消して目を閉じる。昨日今日と色々なことがありすぎて、眠って気持ちを落ち着かせたいと思ったのだ。

 中々寝付けなかったのは、戦車の寝心地が悪いだけではないだろう。

 

 

 翌日以降のスケジュールは、基本的に『自由』だった。

 朝礼で出席を取ってから朝食で、その後は夕食の時間まで自由行動となる。自由時間中は町に出るのも可能だし、外泊申告をすれば別の場所で泊まることもできる。また、食事は栄養科、農業科、水産科の有志による炊き出しで、昼食のみ各自で用意することになっている。

 朝礼では待機生徒全員がグラウンドに出るので、村主はその前に起きていてもポルシェティーガーの中にいた。事情を知らない他の生徒に見られて面倒なことになるのを避けるためだ。

 それにしても。

 

「出欠をとりまーす。全員いるわねー。はいしゅーりょー」

 

 点呼を取るそど子たちカモチームは、悪い方向に変わっていた。朝礼には遅刻、身だしなみも雑、点呼だってあんなにアバウトだ。普段のきっちりした様子は欠片も残っていない。

 生徒たちがその変わりようにショックを受けながらも朝礼は終わり、それぞれ行動を始める。

 最初に動いたのはウサギチームだった。

 

「すみません、戦車をお借りしてもいいですか?」

 

 整備に取り掛かろうとしたレオポンチームを呼び止めたのは梓。その後ろには、テントやタープなどのキャンプ用具を持ってウキウキしている桂利奈やあゆみたち。

 

「はいはーい。ちなみにどこへ行くの?」

「えっと、川沿いの公園へ。キャンプがしたいなぁって」

「了解。外泊届は出した?」

「はい、河嶋先輩に。鍵も貰っています」

「オッケー。それじゃ気を付けてね」

 

 ナカジマが応対して、ウサギチームはM3に乗り込んで、その公園へと向かっていった。

 ちなみに、戦車の鍵は生徒会が一括して預かっているので、桃か柚子を通さなければ戦車を持ち出すこともできないのだ。

 その後もアリクイチームが筋トレ、カバチームが(戦略ボードゲームの)気分転換のために、それぞれ戦車を借りて外出する。残りのチームはバレーの練習だったり雑務だったりで戦車を使わないので、残りの戦車をレオポンチームと村主が空いている時間に整備することとなった。

 時間がたっぷりあるからこそ、こうして戦車を入念にチェックする。昨日のナカジマの言っていることが本当だとすれば、この戦車が活躍する場面がいずれ来る。その時を信じ、その時に備えて、万全な状態にするのだ。

 

「・・・・・・ん?」

 

 そして12時過ぎ。村主が昼食の買い出しから戻ってくると、丁度校舎から杏が出てきたところだった。背中にはリュックサックを背負っていて、遠出するつもりなのが分かる。

 杏も村主に気付くと、緩い感じに手を挙げて挨拶をしてきた。

 

「お疲れ~」

「お疲れ様です。会長、どちらへ?」

 

 村主が挨拶を返して訊ねると、杏は背中越しのリュックを見て。

 

「・・・ちょっと、野暮用」

「・・・・・・そうですか」

 

 それ以上は深く訊かない。

 どうやら、動くつもりらしい。

 

「お気をつけて」

「うん。それじゃ」

 

 そして杏は、町へ向かって歩き出した。。

 村主はそれを見送って、ナカジマたちの下へ戻る。戦車はすでに空いていた駐車場へと移動させていた。

 

「お待たせ。買ってきたぞ」

「おー、ありがとー」

 

 コンビニ袋を掲げると、ナカジマたちが作業を止める。

 戦車の近くに地べたに座って、袋からおにぎりやパン、飲みものを取り出して昼食を始める。

 そんな中で村主が、先ほど杏が外出したことを言葉を選びつつ慎重に話すと、皆は『うーん』と唸り首を傾げる。

 

「何するつもりなのかな」

「文科省に直訴するとか?」

「聞いてくれるかな・・・」

 

 色々と予想するが、これといって確実性のある予想は立てられない。

 それにしても、とツチヤが切り出す。

 

「こういう時って会長、行動力がすごいよね」

「ここぞってところで思い切りがあるのは、確かに羨ましいなぁ」

「普段は干し芋食べて遊んでるだけなのに」

 

 スズキが言うと、小さな笑いが起こる。

 

「だからだろうね。生徒会長に選ばれたのって」

 

 ナカジマが言うと、皆は確かにそうだ、と頷く。

 普段は大らか(というよりもおおざっぱ)で緩い、だけどやる時はきっちりやる。指導者としては理想的なのかもしれない。上の人間が普段から肩肘張って真面目なようでは、その下に付く人たちも委縮するだろう。だから、上に立つ者として必要なのはああいう感じの『程よい緩さ』なのだろう。

 村主も杏の普段はあまり知らないが、確かに今日の様子は少し違った。だからこそ、何とかしてくれるという信頼もあるのだろう。

 今もまた、ナカジマたちは少し杏に期待をしていたのだ。

 

 

 

「・・・あれ?」

「どうしたの?」

「ルノーがいない」

「え?」

 

 休憩の後で生徒会から力仕事を任されたのでそれを手伝い、戻ってくると村主の言う通り、確かにルノーがいなかった。直前まで作業をしていたホシノの工具は、全部地面に揃えられている。

 もしや、カモチームが入用になって使ったのだろうか。

 

「レオポンチーム、ちょっといいか?」

 

 そこへ桃と柚子がやってくる。

 

「ルノーの鍵が見つからないんだが、どこにあるか知らないか?」

「いや、分からないです・・・。こっちもルノーがいつの間にか消えてて」

「え?」

 

 村主が戦車がいた場所を指さすと、桃と柚子は怪訝な表情になる。戦車を持ち出すには、生徒会を通して鍵をもらわなければならないはずだが。

 

「もしかして、カモさんチームが勝手に持って行っちゃったのかも?」

「全くあいつらは・・・」

 

 柚子が言うと、桃は額を押さえる。朝礼に引き続き、戦車の無断持ち出しまでするとは風紀委員の名が泣くだろう。

 戻ってきたら生徒会室(元職員室)に来るように伝言を頼むと、桃たちは戻っていく。彼女たちも書類整理などで忙しいのだ。

 

「・・・工具をきっちり揃えてるのが、そど子さんたちらしいって言うかだけど」

 

 地面に丁寧に並べられていた工具を見て、ホシノが苦笑する。腐っても元風紀委員と言ったところか。

 そして作業を再開するが、ナカジマがぽつりと呟く。

 

「・・・反動だろうね。そど子さんたちが荒れてるのって」

「反動?」

 

 これまでそど子達は、自分たちの仕事に責任を持って職務に忠実でいた。それは皆からの信頼を預かっているからであり、学校を愛していたからでもある。その支えである学校が無くなった今、そど子達もどうすればいいのか分からないのだろう。

 そして、風紀委員を務めている中で積もっていたであろうストレスが、ここにきて抑えられなくなった。そういう意味でも、『反動』ということなのだ。

 

「どうする?」

「今はそっとしておいた方がいいよ。無理に連れ戻そうとすると、余計荒れかねないし」

 

 悲しいが、ホシノの言うことにも一理ある。ここは一度、ガス抜きをさせた方がいいのかもしれない。

 胸の中に引っかかりを抱えたまま整備の時間は過ぎていき、やがて夕方になると外出していたカバチームとアリクイチームが戻ってきた。ウサギチームは予定通り外泊なので、心配はない。

 しかし結局、その日カモチームが帰ってくることは無かった。

 

 

 陽が落ち、夕食の時間が過ぎてもレオポンチームだけは活動を続けている。

 神社の裏手にある道路で決められたルートを一周し、動きを限界まで速める訓練をしていた。村主は時間計測係である。

 ポルシェティーガーの火力と装甲は大洗でもトップクラスだが、やはりその弱点は不安定な機動力。レオポンチームは常にそこに細心の注意を払いながら試合に臨んでいるが、何とかして動きの悪さを克服しようとしていた。

 ちなみに、学園艦なら遅い時間まで練習を行うこともできたのだが、ここは住宅地が近いうえ、すぐ近くの校舎で生徒が生活している。だから、遅くとも消灯時間の10時までと桃から忠告を受けていた。ここにも学園艦暮らしでなくなったことによる弊害が生まれている。

 

「1分8秒22、さっきより速くなってるな」

「うーん・・・もう少し速くできない?このルートなら1分は切りたいな・・・」

「後できるとすれば、ドリフトをもう少しインでやるくらいかな。やってみるよ」

 

 ポルシェティーガーが戻ってくると、村主はタイマーを止めて経過した時間を報告する。そして、操縦手のツチヤにどうした方がいいかをナカジマが伝える。この繰り返しだ。

 

「それじゃ村主、またよろしくね」

「分かった」

 

 ナカジマが頼むと、村主はタイマーをリセットする。そして、ポルシェティーガーがスタートするのに合わせて、再びタイマーを動かした。

 

(くよくよしてられないな・・・)

 

 夜道に消えていくポルシェティーガーを見ながら考える。

 学園艦が無くなり大洗の廃校が決定的になっても、ナカジマたちは諦めずに今自分たちができることに全力で取り組んでいる。

 本当のところ、村主は今もまだ今回の廃校については納得できていない。

 だが、村主がこれまで大洗で一番長く接してきたナカジマたちは、もう廃校を嘆いておらず、気持ちを切り替えている。なのに、自分がうじうじしたままなのは情けないとは思った。

 

(俺も頑張んないと・・・)

 

 頭を振って、自分の蟠りを振り払おうとする。

 廃校のことに憤って腐るのは、もうやめた方がいい。

 これからはナカジマたちと同じように、今の自分にできることをするしかない。腐って愚痴を吐くためにここに残ったわけではないのだから。

 

「っと」

 

 そこで、気付けばポルシェティーガーが戻ってきた。村主は慌ててタイマーを止める。

 時間は1分7秒01。さっきよりも早かった。

 

 

 翌日もまた、カバチームとアリクイチームは外出し、ウサギチームもキャンプを続けている。

 無断外出&外泊をしたカモチームだが、地元の生徒(小学生)と喧嘩をしていたところで桃が仲裁に入り、強制的に連れ戻された。現在はウサギ小屋という名の営倉に収容されている。落ちるところまで落ちるのかと、村主含め大洗の面々は心配になってきていた。

 さて、今日はレオポンチームにも変化があった。ナカジマとホシノが、転校手続きの書類に必要な保護者のサインをもらうために実家へ戻っているのだ。スズキとツチヤは交代で明日実家に戻るので、何かあった際に今動けるのは2人に加えて村主だけである。

 

「ねえ村主。今ちょっといい?」

 

 Ⅳ号の整備を村主がしていると、スズキに話しかけられる。整備は丁度きりが良いところだったので、『問題ないけど』と立ち上がって答える。そこへツチヤも合流してきた。

 

「エキシビション前日にさ、村主とナカジマ、2人で出掛けてたっしょ?」

「待て、何でそれを知ってるんだ」

「試合前にM3を診てる時にね。澤さんから聞いた」

 

 さも当然とばかりにスズキが切り出した話題に、待ったをかけざるを得ない。

 エキシビション前の最終チェックで、スズキはウサギチームのM3を整備していた。その際、雑談程度の気軽さで『昨日の休みに何してた?』とウサギチームに聞いたところ、梓は『水族館に行ってました』と答えた。

 そして、『ナカジマ先輩と村主先輩を見かけましたよ』とも言っていた。直後に口を滑らせたことに気づいたらしく、口を塞いでいたが。

 スズキはもちろん、ツチヤもそれは初耳だった。その休日は、それぞれが自由に休むということで予定を把握していなかったのだから。

 そして梓の反応を見るに、2人の間に言わない方が吉と言えるほどの何かがあったのかも窺えた。

 

「こんな時に訊くのもなんだけど、2人ってどういう関係なの?」

 

 ナカジマが村主にどんな想いを抱いているのかは知っている。

 だが、その反対は分からない。元々雨が好き、整備ができるなどの共通点があって、お似合いではあると思ってはいた。だが、実際のところどうなのだろうか。

 村主が大洗にいる時間も残り少ない。こうして時間がある時にそれは訊きたかった。

 

「・・・・・・今はまだ、友達同士だ」

「今は?」

「まだ?」

 

 スズキとツチヤが2人して訊き返す。あまりにも含みがありすぎる答え方だ。

 

「率直に訊くけど、村主はナカジマのことどう思ってるの?」

 

 ツチヤが訊く。ナカジマの時よりオブラートに包まれているが。

 村主は、周りに人がいないことを確認する。グラウンドからバレーの練習に励むアヒルチームの掛け声が聞こえるが、人の声はそれだけだ。

 村主は、1つ息を吐いてから。

 

「・・・・・・ナカジマのことは、好きだと思ってる」

 

 初めて、その気持ちを言葉にした。

 それを聞いてスズキとツチヤは『はー・・・』と息を洩らす。しかしながら、顔は嬉しそうに。

 そしてこの瞬間、スズキとツチヤは、ナカジマと村主が両想いであることを知った。

 

「そっかぁ・・・ナカジマをね・・・」

「何だよ、悪いか」

「いーや、全然?」

 

 全てを知っているスズキとツチヤは、可笑しくて笑いを堪える。村主もまさか、そのナカジマから想われているとは思ってもいないようで、愁いを帯びているような感じが逆に面白い。

 

「じゃあ、もしかしてこの前のお出かけも?」

「ああ・・・・・・まあ、デートのつもりだった」

 

 結果としては残念だったが、それでもあの日は一緒に出掛けられてよかったと思う。一緒に出掛けようと誘ったのも、デートみたいだと言う自覚はあった。

 

「それなら後は、告白するだけ?」

 

 スズキが興味津々に訊いてくるが、村主は首を横に振る。

 

「・・・今はそんな場合じゃないよ」

「え?」

 

 一転して暗くなった表情の村主に、ツチヤは『どうして?』と問う。

 しかしスズキは、何故村主が告白できないのか、その理由に心当たりがあった。

 

「・・・今は、ナカジマだけじゃなくて、大洗のみんなが大変なことになってる。学校が無くなってショックを受けてる時に告白するのなんて、弱みに付け込んでるみたいな感じがして嫌なんだよ」

 

 港から学園艦を見送っていた時、ナカジマが泣いていたことを忘れてはいない。

 村主がナカジマのことを好きでいることに変わりはないし、告白もできればしたいと思っている。だが、そう思うたびに、あのナカジマの涙が頭をよぎり、罪悪感が迫ってくる。

 とても告白する気になんてなれない。

 

「・・・真面目だね」

「真面目で結構」

「でも、告白できなかったらどうするの?」

「それでも別にいいさ」

 

 あっさりとした村主の答えに、2人は驚く。

 

「さっき言ったみたいに弱みに付け込んで告白して、OKしてもらえたとしても、俺は手放しに喜べない。そんなことになるのなら、告白なんてしない方がいい」

「・・・・・・・・・」

「それに、ナカジマが俺のことをどう思ってるのかは知らないけど、『そういう狡いやつ』って思われたくもない。ならいっそ、このままお別れの方が・・・」

 

 当たり前だが、村主はナカジマの正直な気持ちが分からない。そのデートの日でも『それらしい』ナカジマの言葉を何度か聞いたが、それだけで全面的に信じられるほどでも盲目的ではない。

 ナカジマの気持ちが分からない今、迂闊なことが言えなくて、村主は及び腰になっている。

 そんな村主を見かねて。

 

「あのさ、村主」

「?」

 

 スズキが話しかける。

 スズキ自身、自分がやろうとしていることは過ぎたお節介なのかもと思っている。

 しかし、お互いの気持ちを知って、そして目の前で苦悩している友達を見ている今、黙っていることができなかった。

 

「これって・・・私が言っちゃダメなことなんだろうと思うけどさ」

「え?」

 

 スズキが何を言おうとしているのか、ツチヤも気付いた。

 そして、スズキは口を開いて。

 

「ナカジマは村主のこと―――」

「レオポンチーム!」

 

 言いかけたところで、校舎から桃がやってきた。思わずスズキは言葉を切り、代わりにツチヤが応対する。

 

「何ですか?」

「物資が足りなくなってきたから、町のお店で貰ってきてほしい。お店の連絡先と場所はこのメモに書いてある」

「了解でーす」

 

 ツチヤが受け取ると、桃は忙しいのかまた校舎に戻っていった。ツチヤは、メモを見て『ふむふむ』と呟いてからスズキに話しかける。

 

「スズキ、手伝って。ちょっと一人じゃ厳しい量だから」

「・・・分かった」

 

 村主も行こうとしたが、『何かあった時のために残っておいて』とのことでツチヤに止められた。村主は言われたとおりにして、整備を再開する。

 

 

 学園艦から持ってきていたソアラで町に向かう合間に、ハンドルを握るツチヤが話しかける。

 

「・・・止めた方がいいよ、スズキ」

「?」

「ナカジマの気持ち、村主に教えるの」

 

 ツチヤに言われて、スズキは俯く。

 

「・・・村主もナカジマも両想いなのに、あんなに悩んでるのを見ると、放っておけなくて」

 

 お互いの気持ちは同じで、想いを伝えあえば2人は喜ぶだろう。

 なのに、今の状況がその想いを伝えることを妨げていて、素直に気持ちを伝えられない。このジレンマがもどかしかった。

 

「村主の言っていることも、スズキの気持ちも分かるよ。けど、今の村主にナカジマの気持ちを伝えたら、多分今以上に悩むだろうね」

「・・・・・・・・・」

「それに、誰かを好きだって気持ちは本人が言ってこそ一番響くし、それを他人が教えるのはダメなんじゃないかなぁ、って私は思う」

 

 ツチヤの言葉に、反論できない。

 ナカジマの気持ちを知っても、村主は諸手を挙げて告白するとは、今の村主を見ていると考えられない。聞いても、この状況で想いを告げてもいいのかと悩み、苦しむだろう。

 そして、これは大洗の全員に言える話だが、一緒に戦ってきた仲間、同じ学校の仲間ともうすぐ離れ離れになってしまうかもしれないのだ。それを考えれば、やはり辛いところはある。そんな中で告白するのは、空気が読めていない。

 今は、想いを伝えるのには最悪なタイミングだったのだ。

 

「どうしてこんなに、見てる側が辛いんだろうね・・・」

「全部廃校になったのが悪い」

 

 スズキもツチヤも、まだ初恋さえまだだった。だから恋をするとどうなるのかは分からないが、今が辛いのだけは分かる。

 そして、ツチヤの言う通り、大洗が大人たちの勝手な都合で廃校になったせいで、事態は複雑になったのだ。スズキも大きく首を縦に振る。

 恋愛とは、こんなにももどかしくて繊細なんだと、流れる景色を見ながら思う。

 

 

 その日の夜、レオポンチームの作業は少しだけ早い時間に終わった。

 だが、それはスズキとツチヤ、ホシノだけで、ナカジマと村主はまだ残っている。しかも村主は、直前でナカジマから『少し残ってほしい』と言われたのだ。

 村主としては、残ることは別に問題ない。自分が寝ている場所がポルシェティーガーだからだ。

 ちなみに村主は、戦車の中で寝泊まりしているからといって、中が汚くなるような真似は断じてしていない。

 

「・・・どうかしたのか?」

「いや、ちょっと村主に提案があってさ」

 

 提案、と聞いて村主は首を傾げる。

 ナカジマはポルシェティーガーに手を置いて、こう言った。

 

「レオポンに乗ってみない?」

「え?」

 

 その『乗ってみない?』の意味は、単に中に入るというわけではなく、操縦してみないか、という意味なのは分かった。

 だが、すぐには賛成できない。

 

「どうして急に?」

「理由は後で話すよ。だから乗ってみて」

 

 いつになく強引な感じがするナカジマに促され、村主は仕方なくポルシェティーガーに乗って操縦席に座る。

 ヘッツァーの操縦を頼まれた時は渋ったが、別にこれから試合をするわけでもない。それに、ナカジマがいやに真剣な表情だったのを見て、恐らく何か意味があることだと瞬時に悟った。これが普通の状況だったら、また村主は断っていたかもしれない。

 さて、ヘッツァーと違い、ポルシェティーガーの操縦席はそれよりも少しだけ広い。操縦桿も普通のレバータイプだ。だが、足回りが繊細なのを耳にたこができるほど聞いてきたので、迂闊に動かすことはできない。

 

「じゃあ後ろから失礼するね」

 

 ナカジマが後ろの砲手席に座り、指導を始める。

 何の意図があって村主を乗せたのかは分からないが、今は指導に集中するべきだ。今でこそポルシェティーガーの操縦手として頑張っているツチヤも、最初のころはエンジンを過負荷で炎上させてしまうことが多かったので、そんなことにならないように気を付けなければ。

 

「レオポンはナイーブだからね。慎重にいかないと」

 

 ヘッツァーの時よりも長い時間をかけて操縦の仕方を教わり、やがてそろそろとポルシェティーガーを前進させる。

 

「いい感じだね。しばらくはこのスピードを維持させようか」

 

 速度は果てしなく遅いが、とりあえずはこの速度で安定させることになる。

 そして操縦していると、分かることがある。

 

「・・・このモーターの振動とか音って、何かイイな」

「でしょー?それがレオポンの魅力だね」

 

 ポルシェティーガー特有のモーター。そこから発している低い音と振動が、妙に癖になる。普通の人からすれば聞いていて心地よいものではないだろうが、戦車が好きな村主にはこれも絶妙なスパイスだ。

 

「・・・・・・なんかヘッツァーもそうだけど、自分が整備した戦車がちゃんと動くのって安心する」

「そうだね。達成感、みたいな感じかな?」

 

 それは、戦車を整備して、そして操縦することで初めてわかる気持ちだった。自分たちが手塩に掛けた戦車がちゃんと動くことは、最も安心することであり、何より自分たちにとっての小さな誇りだ。こうして余裕ある時に戦車を操縦して、改めて理解することができた。

 そして、感慨深い気持ちになったところで、村主は前を向きながら、改めて訊ねる。

 

「なんで・・・急に俺を戦車に乗せようとしたんだ?」

 

 その質問にナカジマは少しだけ迷うが、やがて口を開く。

 

「・・・もう一度訊くけど、村主はどうして、大洗に来たの?」

 

 質問に質問を返される形になって戸惑うが、その答えと理由は考えるまでもない。

 

「戦車の整備実習のためだよ」

「その実習を受けるのはなんで?」

「整備士になるためだ」

「じゃあ、どうして整備士になろうと思ってるの?」

 

 ナカジマは、ずっと質問をしてくるだけで、何故ポルシェティーガーに乗せたのかを言ってこない。どういうつもりなんだと頭の隅で不安になるが、村主は答えた。

 

「戦車が好きだから」

 

 そして、その答えを告げた直後、ナカジマは笑った。

 

「だからだよ。それがレオポンに乗せた理由」

「え?」

 

 村主は思わずポルシェティーガーを止めて、ナカジマの話に集中する。

 

「最近村主、ずっと思い詰めてるような感じがしてさ。ちょっと前までは整備も張り切ってたし、楽しそうにしてた。けど・・・今は少し暗い感じがする」

 

 自分の顔に触れる。確かに村主も、ここ最近は色々大変なことがあって張り詰めているような気はしたが、こうして他人に指摘を受けるほど目立っていたのか。

 

「・・・多分、村主もショックを受けてるからかもって思ったんだ。大洗が廃校になって」

 

 それはその通りだが、それに加えてナカジマに対する気持ちを今後どうすればいいのか、という悩みも村主は抱えている。そんなことは本人には言えやしないが。

 

「それで、忘れかけてるんじゃないかって思ったんだよ。村主は、戦車が好きだってこと」

 

 言われて、思い出す。

 まだ廃校が決まる前は、整備がどれだけきつくても、自分の夢を叶えるため、そして戦車が好きだからと、自分を奮い立たせてきた。整備を楽しんでいるところもあった。

 だが、大洗の廃校が決まってから今に至るまで、そのことが頭から抜け落ちていた。大洗が理不尽に廃校になったことに対する困惑や怒り、そして今できることを必死にやる“しかない”、という思考のしがらみに囚われていたのだ。

 

「・・・村主の実習はあと少しで終わっちゃう。それまでに、私たち大洗がどうなるのかは分からない」

 

 振り返る村主の顔を、ナカジマは真っすぐに見る。

 

「だけど『戦車が好き』って気持ちは、どうなっても忘れないでほしい」

「・・・・・・・・・」

「もし、村主がその気持ちを忘れちゃったとしたら、それが一番私にとって悲しいことだよ」

 

 大洗の存続ももちろんだが、何よりも村主のことが気がかりだと、そう言ってくれた。

 それを聞いて、本当に自分のことを考えてくれるナカジマを見て。

 

「・・・ああ、そうだったな」

 

 自分の根底にある気持ちを、忘れかけていた。

 その『戦車が好き』という気持ちに気付かせるために、ナカジマは村主をポルシェティーガーに乗せたのだ。自分が整備した戦車が動くことの達成感を抱かせ、整備士としてのやりがい、村主が戦車が好きだということを改めて気付かせたのだ。

 

「・・・ありがとうな、ナカジマ」

 

 心からの感謝の言葉を、ナカジマにかける。

 

(・・・・・・言いたいよ)

 

 そんな村主を見て、ナカジマの心が締め付けられる。

 自分が村主のことをどう想っているか、今も口にしたい衝動に駆られている。

 だが、それはできなかった。

 今はナカジマたち大洗の全員が大変な時期にいる。廃校という理不尽な結末になり、ナカジマだって涙を流さずにはいられなかった。

 その時、隣にいた村主はナカジマの手を握ってくれた。その時の温かさは今も覚えている。

 その涙を見られたから、今が大変な時だから、告白することができなかった。

 

 ―――俺、ナカジマのことが―――

 

 あの時、水族館で村主が言おうとした言葉は、もう想像がついている。

 そして、たとえ自分と村主の抱く気持ちが同じだったとしても、今は伝えられない。

 廃校になった今、自分の想いを全て伝えてしまうと、村主の同情を誘うような形になってしまう気がしてならないから。実際、村主には励ますようなことを言ったが、ナカジマはまだ気持ちが落ち着いてはいないのだ。

 贅沢かもしれないが、この気持ちはお互いに何の不安もない状態で伝えたい。それができないのであれば、想いを告げることは無理だ。しかし、後ろめたさを感じながら付き合うよりもマシだ。

 廃校という問題は、村主とナカジマ2人の想いを遮るほどの重大な障害となっていた。

 

 

 事態が動いたのは、研修施設での待機4日目、村主の実習が終わる3日前だ。

 その日の午前中に、スズキとツチヤは実家に戻って転校手続きの書類にサインをもらい、昼過ぎに帰ってきた。それから、改良を加えるためにポルシェティーガーのモーターを取り出し、細部まで点検をしていたのだが、夕方になって変化は起きた。

 ぴんぽんぱんぽーん、と軽やかな音がスピーカーから聞こえたと思うと。

 

『非常呼集、非常呼集!会長が帰還しました!戦車道受講者は、直ちに講堂へ集合!』

『うわああああぁぁん!!うぇえぇぇぇえぇぇん!!うぇぁぁぁぁぁああぁ!!』

 

 招集を呼び掛けている声は、柚子のものと判別できる。

 だが、その後ろで聞こえるのは何だ?

 

「・・・何か変な音混じってるな」

「ノイズ?」

「泣き声?」

「雄たけび?」

 

 作業を止めてスピーカーの方を見上げる。今もなお非常呼集と謎の泣き声の不協和音は続いており、早いところ止めないと近所迷惑になりかねない。

 

「とにかく、皆行ってこい。あとは俺がやっとく」

「悪いね」

「助かる」

 

 クリップボードをホシノから受け取ってチェックを引き継ぐと、ナカジマたちも駆け足で講堂へと向かう。

 やがて、外出していたアヒルチーム、アリクイチーム、カバチーム、ウサギチームの戦車が続々と駐車場に戻ってきて、それぞれ素早く降りて講堂へと走って向かう。それを尻目に見ながら村主はモーターのチェックを続ける。

 ほどなくして、今度は誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。

 

「・・・?」

 

 ちらっと見ると、今度は麻子に手を引かれているカモチームの3人が見えた。泣き声はカモチーム3人のもので、ゆっくり歩きながらも講堂へ向かっている。

 

(・・・何なんだ一体)

 

 先ほどの泣き声交じりの非常呼集と言い、あのカモチームと言い、今日はおかしい日だ。

 とはいえ、ああしてカモチームが泣いているということは、荒んでいたそど子達にも心境の変化があったのだろう。それが正しい方向への変化であることを願う。

 そして非常呼集とは、何だろうか?転校先が決まったのなら、戦車道履修生だけ集めるのも少しおかしい。それ以外だとすれば、一体どんなものがあるか。

 そんなことを考えつつ、モーターの状態チェックを進めていると。

 

『よっしゃああああああ!!!』

 

 講堂から歓びの声が聞こえてきた。建物自体古びた校舎なので、壁が薄く、大きな声は聞こえてくるのだ。

 思わず村主がクリップボードを落としてしまいそうになるが、何があったと尚更気になってくる。廃校が撤回になったという話なら嬉しいことこの上ないが、その可能性を無邪気に信じられるほどにはなれない。

 何があったのか確かめに行きたい衝動を押さえつつ、モーターのチェックを続ける。

 やがて、最初の非常呼集から30分ほど経つと、ホシノとスズキ、ツチヤが戻ってきた。嬉しそうに。

 

「何だったんだ?」

「いい?村主、よく聞いてほしい。大洗の廃校が撤回されるチャンスが来た」

 

 気がかりなことを訊ねると、有無を言わさずホシノがあっさりとそう告げた。

 

「・・・は?」

 

 あまりにも唐突で、ちらっと願っていたことに近い答えが返ってきて、思わずバカみたいな声が洩れた。

 改めて、3人の口から先ほどの講堂で何が起きたのかを教えてもらった。

 集まるや否や、杏は『試合が決まった』と告げたのだ。

 杏は留守にしている間に文部科学省、日本戦車道連盟本部へと赴き、日本戦車道連盟理事長、そして高校戦車道連盟の理事長に懇願し、今回の試合を取り付けることに成功したのだ。

 その相手は大学強化チームで、この試合に勝てば、大洗の廃校は今度こそ完全に撤回されることになったと言う。

 全国大会前の口約束ではない。これは正式な契約であり、文部科学省大臣、日本戦車道連盟、大学戦車道連盟、高校戦車道連盟の理事長のサインも入った念書もある。

 今度こそ、本物だ。

 

「・・・じゃあ」

「そう。この試合に勝てば、私たちの学園艦は帰ってくる」

「大洗も、もう廃校にならないんだ」

 

 嬉しそうにスズキが要点をまとめる。ツチヤも頷く。

 ようやく事態を飲み込むことができて、実感が湧いてきて、高揚感が心を満たしていく。

 

「すごいじゃないか!それ!」

「うん!だから、早く準備しないと!」

 

 ツチヤが笑って肩を叩く。

 試合が行われるのは北海道の大演習場。そこまではフェリーで向かうが、この数時間後に大洗を発つという急な話だ。なので、取り出していたモーターを急いでポルシェティーガーに戻し、ありったけの工具と代替用のパーツをまとめて出発の準備を整える。他のチームも必要な持ち物をまとめて出発の準備を急ピッチで進めていた。

 この場にいないのはカメチームの生徒会3人と、各チームのリーダーだ。彼女たちで、今回戦う大学強化チームのことを調べている。だからまだ、この場にナカジマはいなかった。

 そして、村主たちが出発の準備を終えたところで、話し合いも終わったらしく、準備を終えた人から順に車輌に乗り込んで出発する。

 だが、ポルシェティーガーに乗ったナカジマは、神妙な顔をしていた。学園艦が戻ってくるということを喜んでいるようには見えない。

 

「・・・どうかしたのか」

「その、戦う相手チームがさ・・・」

 

 村主が問うと、港までの道すがら、ナカジマが今回戦う大学強化チームのことをざっくりと説明した。

 相手は先日、関西地区2位の強豪社会人チーム相手に勝利し、所有車輌数は30輌と大洗の3倍以上。さらに全体的に性能の良い戦車を揃え、隊長車は強力なA41センチュリオン。

 しかもその隊長は、戦車道二大流派の一角である島田流の後継者・島田愛里寿ときた。彼女は弱冠13歳にして大学に飛び級した天才少女。彼女が隊長に就いてから、大学強化チームは無敗を誇り、その下にいる副官3人の実力も侮れない。

 総じて、大学強化チームはとにかく強いチームだと聞いて、不安な気持ちが頭をもたげる。

 

「・・・それ、大丈夫なのか?」

「それでも何とかするしかないよ」

 

 この機を逃せば、もう大洗が復活することは無いだろう。ならば、たとえ蜘蛛の糸のような望みであっても、それに縋らなければならない。

 

「それに、会長だってこの試合を取り付けるのにもすごい苦労したんだ。それを無駄にするわけにもいかないから」

 

 先ほどの打ち合わせで、みほもそう言っていた。

 そして、『戦車に通れない道は無い。戦車は火砕流の中も進む』という言葉。たとえ勝機が薄い試合であっても、必ず勝ち目はどこかにある。勝つための道のりは果てしなく困難だが、勝てる手を考えるのだ。

 ナカジマたちは笑い、村主も表情が引き締まる。

 そして、学園艦を降りた日以来となる大洗港へと到着した。

 

 

 フェリーでの移動中、レオポンチームと村主は車庫で戦車の整備を行っていた。本来、航行中は車庫に入ることができないが、頼み倒してどうにか入れて貰えた。

 フェリーは学園艦とは違い、船体が小さいので海の揺れも強く伝わってくる。だから、フェリーも揺れるし、そんな中で精密作業をするのは難しいため大した作業ができず、せいぜいが要所のチェックと調整ぐらいだ。

 村主たちは基本的に車庫にいたので、他のチームが何をしていたのかは把握していない。だが、後で杏やみほから聞いたところ、試合で使えるような欺瞞作戦用のパネルや、作戦会議用に戦車の映画を観たり、試合会場をネットで調べたりしていたらしい。

 なお、船外デッキでパネルを作っていたらカモチームに注意された、とカバチームのエルヴィンが言っていた。それを聞いて、そど子達も元の風紀委員としての職務と誇りを取り戻し、立ち直れたのだと思うと、安心した。

 時間にして1日半ほどの移動も、やることが多いとあっという間に感じてしまい、無事に苫小牧港に到着する。

 そして試合が行われる大演習場近くの宿舎まで移動し、到着したのは17時過ぎだ。試合が始まるのは明日の10時だから、もう半日と少ししかない。

 息つく暇もなく、村主とスズキ、ホシノ、ツチヤは、船上でできなかった戦車の本格的な調整に入り、ナカジマは残りのチームと一緒に試合の作戦を考える。

 ところが。

 

「殲滅戦?」

「うん・・・・・・さっき、文科省の役人が来て、そう言った」

 

 沈んだ表情のナカジマの言葉に、村主は何も言えない。ここまで露骨に大洗を追い詰めると、怒りを通り越して呆れる。

 殲滅戦は、相手チームの車輌を全て撃破すれば勝利する試合形式。だが、そのやり方で30輌に対して8輌で挑むなど、自殺行為もいいところだ。数に加えて相手チームは経験と知識も上、元々薄かった勝機がも一層薄くなった気がする。

 

「・・・・・・どうするんだ」

「どうするもこうするもないよ。やるべきことをやるしかない」

 

 ナカジマは、格納庫に停められている8輌の戦車を見渡す。

 試合の成否を握っているのは、戦車の整備をするナカジマたちと言ってもいい。自分たちが気弱になっている暇などないはずなのだ。

 

「・・・けど、今回はまた一段とキツそうだ」

 

 ホシノのこぼした言葉は、誰もが思っていることだ。

 これまでの試合もそうだったが、大洗は最初は常に劣勢を強いられていた。今回の試合はそれ以上にハードになるのは想像に難くない。

 だが、それでも後戻りはできないし、この機を逃せば次はもうない。

 

「だから、聞いてほしい」

 

 そこでナカジマが切り出して、4人はそちらを見る。

 

「レオポンのモーターを改造する計画を、今日やろう」

 

 村主も前に聞いた、ポルシェティーガー特有のモーターを利用し、グレードアップを図る計画。それを今ここで実行するのだ。

 だが、それには誰も反論しない。どころか、全員が『そう来なくちゃ』と不敵に笑っていた。それは選択の余地が無いからではない。燃えるからだ。

 それにはまず、ポルシェティーガー以外の戦車を整備して万全な状態にする。それだけで日没は軽く超えてしまった。

 そしてそれが終わると、残りの時間を全てポルシェティーガーに掛ける。

 

「さあ、始めるよ!」

『おー!』

 

 まず手始めに、ポルシェティーガーの電装系を全て分解し、モーターを取り出す。

 村主はナカジマ、スズキと共に改造設計図を開きつつ、モーターを分解していく。ホシノとツチヤは、戦車道のルールブックでレギュレーションを確認し、モーターはともかくとして他はどこまで改造できるのかを調べる。

 モーターの分解を終えると、銅線を一から巻き直し、操縦席でモーターを操作するパネルとそのモーターを繋ぐ機構を設計図を基に構築し、モーターとエンジンを接続する。

 言葉で書くのは簡単だが、実際これらを全てこなすのには繊細な技術、多大な時間と労力を要する。特にモーターの銅線を巻き直すのは根気が要るし、新しい操作パネルを作るのも簡単ではない。狭い戦車の中でケーブルを繋ぐのだって難しい。全体的にこの作業は、神経を酷使するものだった。

 

(・・・全然、まだまだだったな)

 

 文句の1つも言わず、コツコツと作業を進めるナカジマたちを見て、村主は感心する。

 こんな神経を使う作業を何時間も続けられることが、村主にとっては尊敬と羨望に値するレベルだ。

 おまけに、電装系を一新するのだって普通は1日以上はかかるはずなのに、それを数時間で終わらせようとしている。

 まだ村主は、彼女たちのポテンシャルを全部見てはいなかったのだ。

 感心しながらも作業は続き、気付けば日付を跨いでいて、試合をする当日になっている。時間は『まだ9時間ある』か、『もう9時間しか残っていない』かは疑わしいが、時間がないことは確かだ。

 

「・・・・・・まだみんな起きてるみたいだな」

 

 大洗に貸し与えられた宿舎の方を見ると、どこもまだ明かりが点いている。それぞれのチームが、試合に向けての作戦会議などの準備をしているのだろう。

 

「私たちも、まだまだこれからだけどね」

 

 ナカジマの言う通りだ。

 この後は、取り出したモーターを戻して、エンジン、操縦席へと接続・配線する。まだまだ寝る時間は遠い。

 

 

 会話らしい会話もなく、夜を徹してモーターの改造は続き、新しいパネルの設置が完了した時には、空は白み始めていた。

 

「・・・・・・・・・よし・・・できた」

 

 静かに、ナカジマが告げる。操縦席でツチヤが軽く操作をし、モーターとエンジンに問題がないのを確認する。全ての改造が、終わったのだ。

 そこでナカジマたちは声を上げたりはせず、大きく息を吐いて安堵を示す。他のチームはとっくに眠りに就き、これから始まる試合に向けて休息をとっている。

 ポルシェティーガーは、まだエンジン回りや履帯などの最終チェックが残っていたが、それは村主1人でもできる作業だ。

 

「後は俺がやっとく。だから4人は休んだ方がいい」

 

 ナカジマたちは、徹夜作業で油汚れが目立つし、フラフラだった。試合が始まるまでまだ5時間あるので、少しでも仮眠を取ったりシャワーを浴びたりして疲れを取った方がいいだろう。

 ホシノたちはその村主の厚意に甘えてすぐに宿舎へ向かうが、ナカジマだけは残っていた。

 

「・・・不安か?」

「まあ・・・そりゃね」

 

 2人きりになったところで、村主が問う。ナカジマは苦笑した。

 そうなるのも仕方がない。相手はプロにも匹敵する実力で、数的には大洗が圧倒的に不利。それをどうにかしようとポルシェティーガーを改造したわけだが、これもどこまで通用するかは分からない。

 そもそも勝てるかどうかさえ疑わしい今回の試合に、不安になるのは当然と言える。

 そのナカジマを、安心させるつもりで村主は笑いかける。

 

「ナカジマ、覚えてるか?俺に言ったこと」

「?」

「『勝ちたい』って気持ちと『周りを信じる』って気持ちを持てば、強くなれるって」

 

 ナカジマは、その言葉に気付かされたようだ。

 もう間もなくすれば、陽が昇る。北海道の広大な草原を横目に、改めて村主は訊く。

 

「今、ナカジマはどんな気持ちでいる?」

 

 問われて、ナカジマは小さく息を吐いた。

 

「・・・その通りだね。私もちょっと、それを忘れてた」

 

 どうやら、どちらか片方だけの気持ちしか持ち合わせていなかったようだ。自分の言葉を返されて気付くとは。

 気持ちは落ち着いてきたようで、ナカジマは笑う。

 

「それじゃ・・・村主。よろしくね」

「ああ、任せとけ」

 

 ナカジマがそこで、拳を向けてきた。村主も笑って、自分の拳をこつんとくっつける。

拳を離すと、ナカジマは軽く手を振りながら宿舎へと向かっていった。

 

「さて」

 

 それを見送ると、村主は首を回して戦車の下に入る。

 村主は、戦車に乗って戦うことはできない。だが、こうして戦車の整備をして、応援して、力になることはできる。

 村主もこれからの試合が不安で仕方ないが、それでもやるべきことをやるだけだ。

 

「・・・頼んだぞ、レオポン」

 

 エンジンルームを見上げながら、物言わぬポルシェティーガー―――レオポンに言葉をかける。

 太陽は、地平線から顔を出し始めていた。




次回で劇場版パートは終了です。
もう少しでこの作品も完結しますので、よろしくお願いいたします。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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催涙雨

 試合会場の観戦席には、既に大勢の観客が座っていた。

 客層は広く、保護者らしき大人たちも何組か見られるし、村主も一度会ったことがある優花里の両親もいる。大洗町でエキシビションの観戦をしていた見覚えのある老人もいた。他には戦車道ファンらしき大人や、パソコンを持ち込む少年など、様々だ。

 今回の試合の主旨は、対外的には『高校生と大学生の親善試合』とされている。本当は大洗の存続が懸かっているのは、大洗の関係者しか知らないことだった。

 そんな事情を知る村主は、観戦席の後ろの方に座っていた。モニターには今回の試合の概要が映されており、その試合形式と両チームの車輌数が表示されると、観客の一部がざわつき始める。あんな平等も何もない条件を見ればその反応も当然だし、村主も承服できていない。

 

「・・・・・・・・・はぁ」

 

 試合開始まであと数分、村主は憂鬱な気持ちだ。これから始まるのは、試合などと生易しくはない、公開処刑も同然な戦いだと分かっているから。

 昨日、大洗のみんなは夜遅くまで、作戦を考えたりトレーニングをするなどして、それぞれこの試合に勝てるように最大限努力した。村主もナカジマたちと共に徹夜でポルシェティーガーを改造し、自分なりに勝利のために貢献したつもりだ。

 だが、この圧倒的な差は努力でどうにかなるレベルではない。その差はまさに、両者の間に高く聳える壁だ。

 試合開始時刻が目前になり、モニターが開会式を行う草原の映像に切り替わる。

 モニターに映る隊長・みほの顔は晴れない。いかに無名校を全国優勝へ導いた名将と言えど、今度ばかりは勝つビジョンが見えていないのだろうか。隊長のみほでさえああなってしまっているのだから、村主もまた不安になる。

 両チームが整列するがメンバーだけでもその差は歴然。大学選抜は100人を超えているのに対し、大洗はたった30人ちょっとだ。

 

『ではこれより、大洗女子学園対大学選抜チームの試合を行います』

 

 審判長の蝶野亜美が宣言すると、両チームが姿勢を正す。

 村主は心の中で手を合わせる。願わくば、奇跡が起きて、この絶望的な差を覆し大洗が勝利できることを。

 

『礼!』

『『よろし―――』』

 

 2人の隊長が挨拶をしようとした、まさにその瞬間。

 

 

『待った―――――――――ッ!!』

 

 

 突如割って入ってきた、別の誰かの声。その様子を見ていた観客がざわつき、驚きを隠せない。

 ドローンのカメラが遠くを映すと、そこにいたのは黄土色の4輌の戦車だった。

 

「黒森峰?」

 

 黒十字の校章が描かれた黄土色の戦車は、全国大会の決勝戦で見た強豪・黒森峰女学園の戦車だ。それはともかく、大洗と大学選抜の仲裁に入るように姿を見せたその戦車に、観客たちは困惑する。

 そして、その戦車から降りてきたのは、大洗女子学園の制服を着た黒森峰の隊長・西住まほ、副隊長の逸見エリカだった。

 驚く観客をよそに、何らかの話を亜美とする2人。

 そして、画面が突然切り替わった。

 

『大洗女子学園、車輌数変更のお知らせです』

 

 アナウンスが入ると、大洗側の車輌に黒森峰の4輌の戦車が追加される。どうすればいいのかわからなかった観客たちが、『おー』と喜びの声を洩らす。

 村主もまた、今の状況は理解できてはいない。しかし、黒森峰は大洗を助けに来てくれたことだけは分かる。

 だが、急展開は止まらず、黒森峰に続いてサンダース、プラウダ、聖グロリアーナと戦車道四強校の戦車が続々とやってくる。それだけにとどまらず、アンツィオ高校、継続高校、そして知波単学園の戦車までもが駆け付けてきた。

 大洗の車輌数は着々と増えていき、ついには大学選抜と同じ30輌になった。

 

「・・・なんだ、これ」

 

 口ではそういう村主だが、その顔は昂りを隠せていない。

 村主だけでなく、大洗を応援する観客たちもまた表情が輝いている。勝利が絶望的だった大洗に、かつて戦ったチーム―――継続高校は謎だが―――が助けに来てくれたのだから。

 勝ち目は無いに等しかったのに、今は勝てるかもしれないと希望が持てる。

 大学選抜の隊長・島田愛里寿が増援を容認したため、車両数が30輌で固定され、改めて開会宣言が行われる。

 もう誰も、悲観的な表情ではなかった。

 

 

 何の前触れもなく駆け付けてきた他校の戦車に、大洗の誰もが驚きを隠せずにいた。

 それはナカジマも例外ではなく、不安だった自分の心を埋めるような嬉しさ胸に浮かんでいる。

 

「しかし、壮観だね・・・」

 

 勢揃いした戦車を見て、嬉しそうなツチヤ。

 30輌もの戦車が一堂に会する場面は大洗では見られないし、多彩な戦車が集っているのは見ていてとても心地良い。こうして多種多様な車輌を見ていると、メカニックとしての血が騒ぐ。

 

「みんな、私たちを助けに来たってこと・・・だよね」

 

 確かめるようにスズキが言うが、そうでなければ何のために彼女たちはここへ来たと言うのだろう。かつて鎬を削り合った戦友が、むざむざと廃校になってしまうのを見過ごせないからか。

 すると、ポルシェティーガーの後ろに停まっていた、聖グロリアーナのチャーチルから1人の金髪の少女が降りてきた。

 

「ごきげんよう」

「あ、どうも・・・」

 

 その佇まいは、果たして自分と同じ女子高生なのかと問いたくなるほど、ナカジマからすれば優雅だった。

 聖グロリアーナの戦車隊長・ダージリン。大洗から2度も白星を勝ち得ている、正真正銘の実力者だ。エキシビションマッチ後の親睦会で、少しばかり話をしたこともある。

 

「えっと、今回はありがとうございます・・・?」

 

 疑問形になったのは、ナカジマがまだ状況を全て把握しきれず、どんな言葉をかけていいのかわからなかったからだ。

 対してダージリンは、言い方を可笑しいと思ったのかのかころころと笑う。

 

「礼には及びませんわ。これは全て、私たちが望んでやったことだもの」

「でも、私たちを助けてくれることに変わりは無いですから」

 

 そこでダージリンは、整列する戦車をちらっと見る。

 

「・・・私たちは戦友を、そして目標を失いたくはないのよ」

「目標・・・?」

 

 戦友はまだ分かるが、大洗が『目標』とはどういうことだろうか。

 ダージリンは、並ぶ戦車を見つめたまま、おもむろに話し出す。

 

「ここに集ったほとんどの学校は、あなたたち大洗と戦い、そして敗れた学校。だけど彼女たちにとって大洗は、その敗れた時から、誰もが『次こそは勝ちたい』と思う目標になっているのよ」

 

 つまり、大洗に黒星を喫したサンダース、アンツィオ、プラウダ、黒森峰にとって、大洗とは乗り越えるべき壁のようなものだ。そんな目標があるからこそ、次は勝てるようにと、彼女たちは努力してきた。

 その大洗という目標を失えば、負けたままの悔しさしか残らず、強くなろうと努力した意義も大きく減る。だからこそ、彼女たちは大洗のために動いたのだ。

 

「そしてあなたたちは、戦車道チームの理想でもあるのよ」

「?」

「大洗は、凝り固まった伝統・・・固定観念と言えばいいのかしら。そういうものに縛られない柔軟性を持っているわ」

 

 聖グロリアーナは、OG会という後援組織の介入が強いせいで、強力な戦車を導入できずに強くなれない。それは聖グロリアーナの忌むべきしがらみだ。

 知波単学園は、『一斉突撃による勝利』という過去の栄光に囚われて、今や突撃至上主義。突撃に拘り過ぎてしまって中々勝てない。そして、その凝り固まった考えに誰もが侵され、疑問に思わないでいる。

 

「柔軟に、自由に、様々な形の戦い方を学び、吸収して強くなっていく・・・まさに戦車道チームの理想形と言っても過言ではないわ」

 

 戦車や人員はともかく、意欲的かつ自由に戦い方を学んでいき、流動的に戦い方が変わり強くなっていく。明確なテンプレート、定石という戦い方が存在しない。そんな大洗とは、まさに理想的なチームなのだ。

 その理想を失うことは実に惜しく、黙って見過ごすことはできない。

 

「まあ、継続高校の皆さんは、どういうつもりかは分からないけれど」

 

 くすくすと笑うダージリン。

 確かに継続高校は、ナカジマたちも馴染みがない。戦ったことは無いし、妙な伝統に縛られているという話も聞かない。本当にどういうつもりだろうか。

 

「そういえば、何で知ってたんですか?私たちが廃校になるって」

 

 廃校になることを意図的に公にすると、学園艦の住民の再就職が斡旋されないという警告が出ていた。もしも大洗の誰かがそれを明かしたとなれば、色々と不安なことがあるのだが。

 

「私のところの諜報部が独自で調べたのよ。だから安心なさい」

 

 ペナルティが課されるのは、『意図的に』リークした場合だ。大洗にとっても不測のことなので抵触はしないだろう。

 そこへ、同じ聖グロリアーナのタンクジャケットを着た、長い金髪に黒いリボンの少女がやってくる。

 

「ダージリン隊長、作戦会議が始まります」

「分かったわ。アッサム、あとはお願いね」

 

 そして、ダージリンは作戦会議を行う会議用テントへと向かっていった。アッサムと呼ばれた少女は、チャーチルに乗り込んでいく。

 

「・・・私たちが理想ねぇ」

「考えたこともなかった」

 

 ダージリンの言葉を思い出す。これまで戦車に乗ってきても、自分たちが他の学校の目標であり理想とするチームでもあるなど、まさにホシノの言う通り考えたこともない。

 そして、みんなの理想ならば、尚更こんなところで廃校になるわけにはいかない。

 

「・・・なおのこと、負けられないね」

「うん、その通りだ」

 

 ダージリンの話を聞いて、ナカジマたちも俄然やる気が湧いてきた。

 大洗のみんなに、試合前の落胆する空気は既に消えている。これだけ集まれば、勝つことだってできる。

もう、『負けたらどうしよう』などとは考えない。

 『勝ちたい』という気持ちと、大洗の仲間、そして駆け付けてくれたみんなを信じて、ナカジマたちは試合に挑む。

 

 

 強力な助っ人が来てくれたことで、大洗の戦力も大分心強くなった。

 しかし、それで大学選抜チームが弱くなるわけではなく、苦戦を強いられるのは避けられなかった。

 試合序盤から大学選抜の練度の高さに圧倒され、林の中の戦闘で早くも大洗側は2輌やられてしまう。殲滅戦はフラッグ戦と違い、戦車が減れば減るほど敗北に近づいていくので、1輌やられる度に村主の胃に穴が開きそうになった。

 さらに大学選抜が、ルール違反一歩手前のカール自走臼砲なるトンデモ車輌まで持ち出した時は頭を抱えた。そのカールのせいで3輌も撃破されてしまい、周りの観客がブーイングを浴びせていたのは覚えている。

 そんな中で、会場に雨が降り出す。

 

「雨か・・・」

 

 だが、村主は意に介さない。今は雨よりも、試合の方が気になっている。雨が好きなのはそうだが、今は雨にうつつを抜かしている場合ではない。大洗の戦いを見届けることが、何よりの優先事項だった。

 

 機動力重視の小隊を結成し、カールとその護衛小隊を撃破した時は、喜びのあまり腕を突き上げてしまった。アヒルチームとカメチーム、アンツィオのCV33と継続高校のBT‐42が協力し、村主の頭にはアヒルチームとカメチームのみんなの顔が浮かんでいた。

 その時BTが履帯なしで走ったのを見て、そんな戦車もいるんだと感心してしまった。

 

 戦場が廃遊園地に移り、大学選抜がさらに強固なT-28重戦車を持ち出してきて防戦を強いられる。さらに大学選抜の策に嵌って野外音楽堂で包囲された時は、観客たちは恐怖のあまり黙り込み、村主も息が詰まるような思いになった。

 だが、そのピンチもウサギチームの機転によって観覧車を介入させ、包囲網を破って無傷で脱出を果たした。村主は周りの観客と同様、ウサギチームの機転の良さに拍手を贈る。

 

 野外音楽堂から脱出してから、大洗が一転攻勢に入る。

 商店街エリアで、カバチームのⅢ突が偽装パネルを使ってパーシングを連続で撃破した。それで村主は、フェリーでカバチームが作っていたのはあれかと今更気付く。

 さらにウエスタンエリアではレオポンチーム、アリクイチーム、そしてプラウダのT-34が協力してまた3輌ものパーシングを撃破する。そこでアリクイチームの三式が、練習では見られなかった機敏なドリフトを見せたので、びっくりした。虚弱な感じがしたアリクイチームの3人からはとても感じられない。

 さらにアミューズメントエリアで、アヒルチームと知波単学園のチハが協力して敵を撃破し、ボカージュ迷路エリアではあんこうチームとカメチームが大学選抜を翻弄しつつ撃破し、ついに大学選抜の戦車が2桁を切る。

 

「頑張れ・・・」

 

 二転三転する状況、あと少しで勝利が見えてくると村主も無意識に祈るように手を合わせていた。

 しかし、流れを断ち切るように敵チームの隊長車・センチュリオンが参戦し、大洗の戦車を一気に5輌も屠った時は恐ろしくなった。そしてそれを皮切りに、大洗の戦車が撃破されるペースが上がり、強固なT-28を撃破しても安心できなくなった。

 大学選抜の副官3人の連携攻撃が始まり、サンダースのシャーマン3輌もあっという間に撃破され、大洗の戦車が猛烈な勢いで減っていく。

 そんな中でモニターに映ったのは、その副官3人の乗るパーシングを追う3輌の大洗の戦車。

 黒森峰のティーガーⅡ、プラウダのT-34、そしてレオポンチームのポルシェティーガーだった。

 

 

 場所は西洋の街を模した大通り。

 ナカジマたちの戦車3輌は、敵の連携攻撃を受け流しつつどうするかを考える。

 今追っているのは、特殊なパーソナルマークが入っているのを見て、大学選抜の副官3人が乗っているものだと分かった。その実力は悔しいが本物で、既にサンダースのシャーマン3輌と聖グロリアーナのマチルダⅡが餌食になっている。

 

「多分あっちのチームは西住隊長のいる場所に行って、一気に片をつけるつもりだね」

 

 向かっている場所からして、恐らくは中央広場。そこには隊長車のⅣ号戦車、あんこうチームがいる。このままあの3輌を向かわせるわけにはいかなかった。

 ではどうするか。

 

「あれをやろう」

「よしきた!」

 

 ナカジマが言うと、操縦手のツチヤが準備する。

 レオポンチーム、そしてこの場にはいない村主と力を合わせてパワーアップさせたモーターを使う時だ。

 

「このままじゃ追いつけないから、パワー出すよ!スリップでついてきてね、よろしく!」

横滑り(スリップ)するのか?』

 

 後ろの2輌にナカジマが伝えると、最初に返事をしたのはティーガーⅡに乗る黒森峰の副隊長・逸見エリカ。いまいち通じなかったようでナカジマが補足しようとするも。

 

『スリップストリームね!』

 

 T-34に乗るプラウダの隊長・カチューシャが先に理解した。

 それでエリカも『ああ、そういうこと』と理解したが、すぐに『ちょっと待って』と反論する。

 

『ポルシェティーガーの速度じゃ絶対追いつけないでしょ』

「それができるんだなー、これが」

 

 スズキが砲弾を装填しながら得意げに言う。

 

『どういうことよ?』

「ウチのポルシェティーガーは特別製。モーターにちょっと手を加えてスピードを出せるようにしたからね」

 

 ホシノがスコープを覗き込み、いつでも撃破できるように準備を整えながらそう言うと、エリカは案の定困惑した。

 

『ちょっと、それってレギュレーション違反じゃないの!?』

「大丈夫だよ~」

『なんで!』

「エンジン規定はあるけどモーターは無いもんね!」

 

 ツチヤが答えながら、新しく取り付けた操作パネルの『EPS』スイッチを押すと、ポルシェティーガーのモーターが唸るような大きな音を出し始める。

 

『今は議論してる暇はないわ!このポルシェティーガーに賭けるのよ!』

『ああもう、どうなっても知らないわよ・・・!』

 

 カチューシャに説得されて、エリカも渋々承諾する。

 スリップストリームが発生しやすいように、ポルシェティーガーの後ろにT-34とティーガーⅡが並ぶ。ナカジマは、十分近づいてから発砲するようにホシノに言った。

 モーターの出力はどんどん上がり、それにつれて速度も上がっていく。引き離されていたパーシングがどんどん近づいてくる。今頃向こうも驚いているだろう。

 レオポンチーム、そして村主の力を合わせて作り上げたこの特別製モーターで、相手に目にもの見せてやろうとナカジマの手に力が入る。

 

「行け、超音速の貴公子!!」

 

 ナカジマが声を張り上げた直後。

 過負荷が起きてモーターが爆発炎上、砲撃する前に白旗判定になってしまった。

 

「・・・あれ?」

 

 もうちょっと耐えられると思ったが、少し計算を誤ってしまったか。

 それでも、後ろの2輌がパーシングに肉薄するには十分な距離を稼ぐことができた。T-34とティーガーⅡは前に出て、どうにか最後尾のパーシングを1輌仕留める。しかし、残りの2輌は止められず、T-34とティーガーⅡはそこで撃破されてしまった。

 

「おーいホシノ!消火器早く!」

 

 ナカジマが急かすと、ホシノが足元に置いてあった消火器を渡し、消火スプレーをモーターに向けて吹き掛ける。

 どうにか鎮火したが、モーターは焼け焦げてしまっている。これではもう使い物にならないだろう。

 

「あちゃー・・・」

「でもよく頑張ったよ、うん」

 

 後ろからスズキが覗き込んで、労わるようにポルシェティーガーをポンポン叩く。

 

「次はもうちょっと持つようにしなきゃだね」

「それは『次』があればだけどな・・・」

 

 ホシノの指摘で思い出す。

 今はまだ試合中だ。そして、この試合の成否によって、大洗が戻るか戻らないかが決まる。勝たなければ“次”も無いのだ。

 

「・・・まさか、ここまでの改造をするなんてね」

 

 そこへ歩いてきたのは、黒森峰の黒いタンクジャケットを着るエリカだ。ポルシェティーガーのあれほどの出力を見て、よほど凝った改造を施したのだろうと改めて理解した。

 そのエリカの顔を見て、ナカジマは思い出す。あの全国大会決勝戦で、このポルシェティーガーのことを『失敗兵器』と罵ったのは彼女だと。

 だからと言って、ナカジマは拗ねたり邪険に扱ったりなどしない。今でこそ大洗の主力戦車だが、当初は確かに扱いづらく故障も頻発した、まさに失敗兵器だったのだから。

 

「審判に注意されたらどうするのよ?」

「大丈夫、ちゃんと戦車道の規定は確認済みだよ」

 

 昨夜、ツチヤとホシノはルールブックに嚙り付いて、動力系の規定を確認していた。今回の改造はちゃんとそれに抵触しない範囲のものだ。

 得意げに笑うレオポンチームを見て、エリカはふっと呆れたように笑ってから。

 

「・・・なかなかやるわね、この戦車も」

 

 ポルシェティーガーを見上げる。

 その言葉だけで、彼女も少しだけだがこのポルシェティーガーを認めてくれたのだと、理解できた。

 それを嬉しく思いつつも、ナカジマは戦車が走り去っていった方向を見る。

 

「後は頼みます、西住隊長・・・」

 

 

 

 ポルシェティーガーが炎上したのを見て、村主は一層残念な気持ちになった。

 当初の計画では、もう少し耐えられたはずだった。しかし計算に誤りがあったのか、それともまだ試作段階だからか、過負荷に達するのが早い。

 とはいえ、ナカジマたちが無事だったので安心だ。それに厄介な副官のパーシングも1輌撃破できたので、戦果的には上々だろう。

 

 いよいよ試合も最終盤。

 残るはあんこうチームのⅣ号と黒森峰の西住まほが乗るティーガーⅠ、そして大学選抜の隊長・島田愛里寿のセンチュリオンだけだ。

 中央広場で地形と遊具を最大限に生かして戦う3輌を、観客の誰もが食い入るように見守っている。

 センチュリオンの砲が火を噴き、Ⅳ号のシュルツェンを剥がれ、ティーガーⅠの車体を掠めるたびに、声を上げる代わりに胃が縮むようだ。

 

(頼む・・・頼む・・・!)

 

 村主は心の中で切に祈る。

 この3輌が、全てを握っているのだ。

 やがてⅣ号とティーガーⅠが高台に上り、1列に並んで階段を降り始める。センチュリオンは下で砲を構え、2輌を待ち構える。

 先ほどまでとは違い、無防備に直線的に突っ込むのはなぜか、と村主は疑問に思った。

 だが、Ⅳ号に向けてティーガーⅠが真後ろから発砲したのを見て疑問が消える。

 放ったのは空砲、Ⅳ号は撃破されることなく速度が急激に上がり、センチュリオンに向けて突進。

 タイミングを外されたセンチュリオンがⅣ号の履帯を攻撃し、転輪を破壊するが勢いは止まらない。

 そして、Ⅳ号がセンチュリオンと激突すると、ゼロ距離で発砲。

 2輌同時に、白旗が揚がった。

 

『センチュリオン、Ⅳ号、走行不能!』

 

 審判のアナウンスが流れる。

 この時点で、試合の決着はついた。

 だが、村主を含めた観客全員は、水を打ったように静まり返っている。

 まだ試合の結果を信じられないようで、『その結果』を証明する言葉を待っているかのようだ。

 

『残存車輌確認中』

 

 空撮映像に切り替わる。

 序盤の草原、湿原、森林、山岳地帯、そして廃遊園地。至る所に黒煙を上げる戦車が擱座しており、試合がどれだけ広い範囲で行われ、どれだけ激しいものだったかを物語っている。

 

『目視確認終了』

 

 モニターは空撮映像から、両チームの戦車のリストに切り替わる。

 

『大学選抜、残存車輌なし』

 

 バツ印がリストの上から順番に付けられていく。

 中央に表示されている両チームの車輌数が30から減っていく。

 

『大洗女子学園、残存車輌1!』

 

 両チームの車輌数が『大洗女子学園:1』『大学選抜チーム:0』と表示される。

 大学選抜側のリストは全てバツが付き、大洗側のリストはティーガーⅠを除く全てにバツが付いている。

 つまり。

 

 

『大洗女子学園の勝利!!』

 

 

 審判長の亜美が告げた直後、一気に燃え上がるかのような歓声が上がる。立ち上がり、腕を突き上げ、勝利の声を上げる。モニターに向かって祝福の声を叫ぶ。

 村主だって、同じだった。何を叫んだか分からないような声を上げて、両手を挙げて震わせて、喜びを体現した。感極まって泣きそうになるぐらいだ。

 激戦を制して勝利をおさめた。そして、これで廃校は無くなり、大洗女子学園は戻ってくる。これ以上、大洗のみんなが苦しむこともなくなるのだ。それが嬉しくなくて、何だというのか。

 これほどまでに試合に集中し、勝利した時に感情を露にしたことは、果たして今まであっただろうか。それぐらい、この試合が村主にとって、これまで見てきた中で素晴らしいということだ。

 やがて選手たちが、回収車に乗って戻ってくる。大洗側の選手は誰もが晴れやかな表情をしていた。大学選抜は年下相手に負けたことが残念なのかちょっと不服そうだったが、それでも観客から拍手が贈られる。

 村主はもまた、惜しみない拍手を贈り、大洗の勝利を讃えた。

 

 

 閉会式が終わっても、観客たちの勝利の熱は収まらない。

 だが、心地よい勝利の余韻に村主が浸っていると、杏から電話が入ってきた。

 

『記念撮影するから来てくんない?』

 

 すぐに頷いて、村主は指定された場所まで向かう。

 既に増援に駆け付けた生徒の大半は引き上げてしまっていたが、少しだけ残っている学校もあった。

 そして大洗のみんなも、この激闘を制し、自分たちの学校を取り戻すことができたことの喜びが大きいらしい。未だに抱き合って喜んだり、勝どきを上げている。

 

「桃ちゃーん?お~い?」

 

 中でも桃は、勝利したことの現実味が無さすぎるのか茫然自失としている。柚子の呼びかけには全く応えない。

 そんな桃に苦笑しながら辺りを見回すと、あんこうチームを見かけた。

 そして、今回の勝利の立役者でもあるみほは、黒森峰のまほ、そして大学選抜の愛里寿と楽し気に話をしている。

 まほは、名前からも分かる通りみほの姉なので問題は無いが、愛里寿はどうしてだろうか。

 

「ええと、あっちの隊長は?」

「よく分かんないけど、西住ちゃんと仲良くなったみたいだよ~」

「はあ・・・」

「それに西住ちゃん、不思議なことに戦った相手みんなと仲良くなるんだよ」

 

 だからみんなが増援に来てくれたのかもね、と付け加える杏。

 カリスマ、と言っていいのかは分からないが、人を惹きつける魅力がみほにはあるのではないかと言うことだろう。

 それは、妙な毒気もないみほを見ていると、何となくだが村主にも分かるような気がする。

 と、その時誰かと肩がぶつかった。

 

「あ、ごめんなさい・・・」

 

 反射的に村主が謝ると、そこにいたのはウサギチームのあやだった。が、そのメガネには派手なひびが入っている。

 

「ん?ん~・・・?」

 

 当のあやも、誰にぶつかったのかが分からないらしく、メガネを上げて村主を険しい目つきで見る。

 

「あ、村主センパイだ。すみません、大丈夫ですか?」

「いや、むしろ大野さんが大丈夫ですか、それ」

「あー、大丈夫です。いつものことなんで」

「いつもあるんですか・・・」

 

 試合の度にいちいちメガネが割れていては、財布が持たないだろうに。

 一応は大丈夫らしく、あやはウサギチームの仲間たちと一緒に喜びを分かち合っている(それでも誰が誰だか判別するのは難しいらしいが)。

 

「でも、紗希のおかげでみんなを助けられたね」

「あの映画観てよかったぁ~」

「でも優季ちゃん最初は分かって無かったじゃん」

「やっぱり重戦車じゃなくて軽戦車キラーで行こうか」

 

 すると今度は、唸り声が聞こえてくる。

 

「しかし惜しむらくは、我々の欺瞞作戦が破られたことだな」

「だからあれは、ハンバーガーショップのパネルなんて出したのが間違いなんだ。定食屋の前なのに」

「戦車から見れば同じようなものだと思ったんだが・・・」

「いや、明るい内装じゃ違いすぎぜよ・・・」

 

 先ほどまで鬨の声を上げていたカバチームだが、自分たちの敗因を真剣に考えているらしい。ただ、カエサルの言う通り店の見た目と中身が違いすぎたから仕方がない。

 

「ところでそど子、『規則は破るためにある』って言ってたよね?」

「言ってない!そんなこと言ってないわ!空耳じゃないかしら!?規則は守るためにあるのよ!!」

「はいはい」

 

 カモチームも普段通りきっちりした感じだが、どこか角が取れたような気がする。やはり一度荒んだことで、色々と見解が変わったのかもしれない。

 

「いやぁ、爽快だったにゃー」

「筋トレの成果が出たぴよ」

「レバーが折れちゃったのはちょっと・・・」

 

 アリクイチームは、腕を回したり拳を鳴らしたりして筋肉をほぐしている。

 そういえば、試合中も綺麗なドリフトを見せたりして、何だか妙にたくましくなった感じがした。ぴよたんの言う通り、待機時間中の筋トレの賜物だろうか。

 

「福ちゃん、また会えるといいな・・・」

「いつか会えるよ、きっと」

「また戦車道頑張らないとね」

「よーし、これからも根性出していくぞ!」

「「「はい!」」」

 

 アヒルチームは、試合中に協力した知波単の面々と仲良くなったらしい。忍は廃遊園地のアミューズメントエリアから持ってきたであろうアヒルのぬいぐるみを抱えている。

 

(よかった・・・)

 

 こうして大洗のみんなが明るく話をしているのを見ると、もう彼女たちを苦しめていた廃校という問題が本当に無くなったのだと、改めて思う。

 あの研修施設での待機時間中も、みんなはそれぞれ何かしらのことに積極的に取り組んでいた。だが、あれもよく考えてみれば、残された時間で仲間との思い出をできるだけ多く作ろうとしていたようにも見える。無為になった時間を必死に繋ごうとしているだけだったのかもしれない。

 しかし、今は違う。誰もが心の底から勝利したのを喜んでいる。

 今度こそ廃校が撤回されたことに喜び、それを噛みしめている。

 また仲間たちと一緒に過ごせることを、嬉しく思っている。

 

「村主!」

 

 そんな喜びを感じ取っていた村主に、ナカジマが声をかける。

 ナカジマたちレオポンチームも、服や体に煤が付いていたが、それも今や勲章のように輝いて見える。彼女たちも、つき物が落ちたような笑みを浮かべていた。

 

「みんな、お疲れ様」

 

 まずは、直接は言えなかったねぎらいの言葉をかける。

 

「レオポン、ちょっと無理が祟ったみたいだな」

「まあね・・・でも、まだ試作段階だから改良の余地はあるよ」

 

 大洗を廃校から救ったからこそ、『次』に向けての希望を持つことができる。

 自然と村主も、唇が緩んだ。

 

「・・・おめでとう」

 

 村主が告げると、レオポンチームの皆はそれぞれ拳を出して、5人で突き合わせた。

 

「よーし、そんじゃ撮影係も来たことだし、記念写真撮ろっか!」

 

 杏が仕切ると、大洗のみんな、そして愛里寿が整列しようとする。だが、愛里寿だけはなぜか熊の遊具に跨ったままだ。よほど気に入っているらしい。

 

「大洗()()男子が来ていたのか」

「うん、戦車の整備の実習でね」

「そうか・・・それじゃあみほ、また後で」

「うん、分かった」

 

 みほも、まほと一旦別れて整列する。村主はすれ違いざまに、まほと軽く会釈をした。

 放心状態から抜けない桃を柚子が押したり、周りが見えないあやを梓が引っ張ったり、紗希が蝶と戯れたりしながらも、どうにか整列する。

 村主は、杏から渡された一眼レフを手に、並ぶ彼女たちを写真に収めようと距離を少し開ける。

 

「撮りますよー」

 

 並ぶみんなは、それぞれ思い思いのポーズを取ったりまだ呆けていたりと好き放題。このまま待たせるのも何だったので、カウントダウンをしてから1枚撮る。

 

「こんな感じなんですけど・・・」

「どれどれ?」

 

 撮った写真を杏に見せると、『ほうほう』と言ってから。

 

「いいんじゃない?これで」

「みんなバラバラですけど・・・」

「その方がウチらしいじゃん」

 

 確かに、全員が真顔だったり同じポーズだと少々不気味な感じがする。戦車道のメンバーと、その戦車からしてバラバラなのが大洗だから、こっちの方がそれらしいだろう。

 とりあえず写真はこれでOKだ。

 

「せっかくだから村主君も一緒にどう?」

「いや、自分は・・・遠慮しときます」

 

 今回の試合、実際に戦車に乗って戦って大洗を取り戻したのは彼女だ。そこに整備士とはいえ試合に参加しなかった自分が混じるのも何だか悪いと思ったので、柚子の誘いは丁重に断らせてもらった。

 

「じゃ仕方ないね」

 

 杏があまり引きずらずに言うと、整列していたメンバーが解散し、撤収作業に入る。

 村主も戦車の回収を手伝おうとすると、ナカジマが話しかけてきた。

 

「写真、入らなくて良かったの?」

「ああ、俺は・・・まあ、やっぱり大洗の人じゃないからな」

 

 今回の試合での主役は間違いなく、大洗のみんなだ。そこに自分が混じるのは少し違う。

 今は、大洗のみんなだけが勝利の喜びに浸れるようにするのが筋というものだ。

 

 

 戦車の回収には結構な時間がかかった。何せ広大な試合会場に戦車が散らばっており、特に大洗の戦車は遠い廃遊園地に集中しているのだから。閉会式前から撤収作業は行われていたが、まだ終わっていない。

 結局大洗の戦車を全て回収できたのは夕方の5時過ぎ、太陽も山へ向かって沈み始めている。

 苫小牧港から出る帰りのフェリーの時間まで少し足りなかったので、聖グロリアーナの『一緒にお茶会を』という申し出は断ることになってしまった。心苦しいが仕方ない。

 何とか出港前に戦車をフェリーに乗せることには成功し、フェリーは遅れることなく定刻通りに苫小牧港を出港する。この時点で既に陽は沈んでいた。

 

「さーて、大洗に着くまでに全車輌完璧に直すよ!」

「18時間もあれば余裕っしょ?」

「十分十分」

「余裕のよっちゃんだよ~」

 

 フェリーの食堂で手早く夕食を食べると、レオポンチームと村主は車庫に入り、工具と替えのパーツを広げて修理に取り掛かる。また警備の人に頼み込んで入れさせてもらったが、今回は『戦車を直さないと降ろせない』という事情があるだけに行きと比べてすんなりと入れた。

 運航情報によれば、航路は穏やかな状態で揺れも少ないらしい。これなら、存分に修理に取り組める。

 

「それじゃあ、スタート!」

『おー!』

 

 ナカジマが掛け声を上げると、それぞれが分担して整備に取り掛かる。

 まず整備するのは、損傷が特にひどいⅣ号とポルシェティーガー以外。村主が担当したのはⅢ突と八九式だ。

 

(もうすぐだな・・・)

 

 車庫で黙々と整備していると、村主もやはり思うところがある。

 本来実習は今日、8月31日までだったが、このフェリーが大洗に到着して下船した時が、村主の実習の終わりとなった。陸に降りたら、すぐに駅に向かって電車で帰る予定である。明日は村主の学校はもう始業式だが、休む旨はすでに担任に知らせており、了承もされている。

 

(・・・残ってよかった)

 

 車庫に並ぶボロボロの戦車を見ながら、村主は思う。

 予想だにしない事態が起こってもなお、村主は大洗に残りたいと望んだ。

 その結果、今回の戦車道の歴史に残るであろう試合を見届けて、その歴史的瞬間に立ち会い、こうして最後にその試合を彩った戦車を整備するのはまさに貴重な体験だろう。それだけで今回実習に来た価値は十二分にあると言える。

 そして。

 

(みんなとも、お別れか)

 

 まさに十人十色な、大洗のみんなのことを思い浮かべる。

 実習を通してみんなとは打ち解けることができたから、もう赤の他人ではない。

 だからこそ、廃校が決まってからすぐに帰るのを止めた。かかわりを持てたからこそ、彼女たちが辛い顔をしたまま自分が去るのが嫌だった。世話になった人、親しい人たちへの態度として間違っているから、帰るのを拒んだ。

 その結果が今日の試合。

 そして学校を取り戻し、再び笑顔を咲かせた彼女たちを見ることができた。

 これで憂いなく、大洗のみんなと別れることができる。

 

(・・・・・・そういえば)

 

 ふと、気付いた。

 大洗が廃校を撤回し、彼女たちの居場所が守られたことで、みんなの心を蝕んでいた『廃校』という大きな不安も解消されたことになる。

 とすれば、だ。

 

 村主がナカジマに想いを告げても、問題ないのではないだろうか。

 

 思わずナカジマの方を見る。

 すると、ナカジマもまた村主のことを見ていた。

 だが、お互いに視線が合ったことが気まずくて、戦車に視線を戻す。

 想いを告げる告げないは別として、まずは戦車の整備が先決だ。いくら大洗まで18時間あると言っても、降りる直前には戦車が全て動く状態にしなければならない。それに、あまり長い間車庫にいると、警備の人にいい顔をされない。

 一刻も早い復活を目指して、整備をする腕に力が入る。

 

 

 途中何度か休憩を挟みつつ、5人で整備を続ける。

 その最中、村主たちは休憩がてら船内を少しだけ見て回り、他のチームはどうしているだろうかと確かめた。

 まず目に入ったのは、窓際の談話スペースでお喋りをしていたあんこうチームだった。行きは試合前で落ち着かなかったので、普段とは違う船旅を楽しんでいるらしい。

 そんな彼女たち曰く、ウサギチームとカモチームは、試合で疲れていたのか既に眠りに就いたと言う。アヒルチームは浴場で疲れを癒しているらしい。

 食堂を覗いてみると、カメチームが夜食を楽しんでいた。しかし桃だけは未だ呆けている。試合会場からずっとあの顔をしている気がするが気のせいだろうか。

 売店に顔を出せば、カバチームが色々と商品を眺めており、お土産に何かを買いたいようだ。

 ゲームコーナーを見てみると、アリクイチームは筐体ゲームを楽しんでいる。

 

「私らも整備が終わったらちょっと休みたいな~・・・」

「せっかくのフェリーだものね・・・」

 

 そんな彼女たちを見て、ホシノとスズキが洩らす。

 整備自体は苦ではないが、試合前日も遅くまでポルシェティーガーを改造していたので全体的に睡眠不足だ。村主も昨日は徹夜だったから、体力は限界もいいところ。意欲に体力が追い付いていない感じがする。

 それでも整備は着実に進めていく。車庫の中には船の動力源から発せられる音と、工具を動かす音、Ⅳ号のシュルツェンをアーク溶接する音だけが響いている。

 やがて、ポルシェティーガーのモーターを隠すスリットを嵌めたところで、全員が腕を伸ばす。

 

「終わった~・・・」

「今回も厳しかったね・・・」

 

 5人揃って床にへたり込む。

 一番時間がかかったのは、やはりポルシェティーガーだった。何せモーターが爆発炎上してしまい黒焦げだったので、組み立て直すのにすごい時間がかかった。しかも外に取り出すための工具が無いため、モーターを収めたまま整備したので余計に時間を喰った。

 時計は朝の4時半過ぎを指している。

 日付は既に変わっていて、村主が帰る当日になっていた。

 

「・・・・・・ナカジマ、スズキ、ホシノ、ツチヤ」

 

 村主が名前を呼ぶと、4人は村主のことを見た。

 

「・・・俺は、このフェリーが大洗に着いたら、実習が終わることになってる。そこでお別れだ」

 

 言うと、4人ともが付かれていても真剣な表情になって村主のことを見る。

 その視線を受けながらも、村主は笑えるように努める。

 

「・・・短い間だったけど、今まで本当にありがとう」

 

 整備を教えてくれたこと、自分のことを『同じレオポンチームの仲間』と言ってくれたこと、そして整備士という形ではあるが共に戦えたこと。

 それらすべてに対して、村主は頭を下げた。

 

「・・・私たちこそ、ありがとうね」

 

 そう告げたのはナカジマだ。頭を上げると、ナカジマは瞳が揺れていたが、笑っていた。

 

「あの大学選抜との試合、村主が力を貸してくれたおかげで、私たちは勝てたんだと思ってる」

 

 大洗の戦車を丁寧に整備し、ポルシェティーガーのグレードアップにも貢献した。その結果、大洗は勝利することができた。それは自分のおかげ、と村主は妄信しない。あくまで自分なりにできることを最大限にやったまでだ。

 だが、村主は力を貸してくれた。そのナカジマの気持ちはレオポンチームの総意らしく、3人も頷いている。

 

「だから、お礼を言わせてほしい。ありがとう」

 

 手を差し出してくるナカジマ。

 村主はその手を掴む。あの日のデートとは違う、お互いを認め合う握手だ。

 それからスズキ、ホシノ、ツチヤとも握手をして、最後にホシノがポケットからスマートフォンを出しながら。

 

「せっかくだし、みんなで写真撮らない?」

 

 村主が何かを言う前に、スズキが肩に手を掛けてくる。

 

「『イヤだ』なんて言わせないよ?」

「そのつもりは無かったけどな・・・」

 

 あの試合会場での大洗のメンバー全員での写真撮影は断った。

 しかしこの写真撮影は、レオポンチームだけの思い出として残すものだ。断るつもりはない。

 5人でポルシェティーガーをバックに並び、ホシノがスマートフォンを掲げて全員が写るようにする。

 

「ツチヤ、もうちょっと詰めて。入らない」

「はいはーい」

 

 そう言ってツチヤは、グイっと体を寄せてくる。言ったホシノも収まろうと体を中央に寄せる。

 それで、丁度中央で隣同士だった村主とナカジマの距離が一気に詰まって、密着する。

 

「ちょっとツチヤ・・・」

「スズキ、ホシノ、力加減してくれ・・・」

「いーじゃんいーじゃん」

「よし撮るぞ~」

 

 ナカジマと村主が恥ずかしそうに抗議しようとするが、ツチヤとスズキはどこ吹く風。そしてホシノがお構いなしに撮ろうとしたので、急いで笑顔を取り繕う。

 カシャッ、と電子的なシャッター音が倉庫に鳴り響く。

 撮れた写真を見てみると、悪くない。

 

「それじゃ、みんなに送るよ・・・って、電波がダメだ」

「陸についてからじゃなきゃ無理だね~」

 

 残念ながら海の上で電波が悪い。送るのは難しかった。

 ツチヤが締めくくると、5人は笑って『それじゃあちょっと休もうか』と言って倉庫を後にした。

 

 

 スズキとホシノ、ツチヤの3人はそれぞれ割り振られた寝台で眠りに就く。

 だが、村主とナカジマはデッキに出て海を眺めている。何となく、まだ眠りたい気分ではなかった。

 空は日の出前だが大分明るい。もう間もなく日の出だろう、水平線がひときわ明るく感じる。穏やかな潮風も気持ち良い。陸はまだ遠いが、霞んで見える程度だ。

 

「・・・終わったんだな」

「そうだねぇ・・・今回も厳しい戦いだったよ」

 

 遥かな海を眺めながら村主がしんみりと呟く。隣にいるナカジマもそれに答える。

 あの試合の興奮は、まだ村主の中では収まっていない。ナカジマも同感で、試合に出た当人だからそれは村主よりも強い。

 

「・・・・・・後、9時間ぐらいか」

 

 大洗までの到着時間。

 そして、村主の実習が終わるまでの時間。

 時計を見ながら言うと、ナカジマは。

 

「寂しくなるよ。村主がいなくなると」

 

 本当は、寂しいどころじゃなかった。離れたくない。ずっと村主と一緒にいたい。

 しかしこれは、もうどうにもならない。曲げることはできない。それはナカジマも分かっていた。

 潮風にナカジマの髪がなびく。

 その隙間から見える表情に、村主は胸が苦しくなる。

 大洗が廃校になることは避けられたが、村主の実習が終わるのはどうしても避けられない。どれだけ慰めの言葉をかけても、ナカジマが明るくならないのは目に見える。

 

「・・・ナカジマ」

 

 そんなナカジマに、村主は言いたいことが1つだけあった。

 

「・・・実習が終わる前に、伝えたいことがある」

 

 ナカジマの瞳が、村主の顔を捉える。

 心なしか、その表情が明るく感じるのは、『期待しているから』なのだろうか。

 だが、村主は後戻りをする気なんてない。

 

「初めて会って、実習を通してナカジマと過ごしてきて・・・心配かけたこともあったし、新しい体験をさせてくれたこともあった」

 

 馬鹿みたいな理由で倒れた時は、ナカジマを泣かせるほどに心配させた。

 学園長とのレースでナカジマのソアラに同乗した時は、自分の知らなかった世界が垣間見えた。

 実習で、ナカジマは村主に多くのことを教えてくれた。実習以外の時間でも、色々な体験をさせてくれた。その中に無駄なことなんて、何もない。

 雨が好き、という2人だけの共通の『好き』があって、それが嬉しかった。

 そんな中で村主は。

 

「・・・ナカジマには色々なことを教えてもらったし、たくさん言葉をもらった。戦車道とは違う一面も、見せてくれた」

 

 ナカジマは黙って、村主の言葉を聞いてくれている。一つ一つの言葉を噛みしめているように。

 

「その中で俺は・・・ナカジマに惹かれていった」

 

 柵に寄りかけていた身体を起こし、ナカジマに体を向ける。

 ナカジマもまた、それに応えるように村主の前に立つ。

 視線が合うと、村主は。

 

 

 

「・・・俺、ナカジマのことが好きだよ」

 

 

 

 言えなかった気持ちを、明かした。

 ナカジマは、少しだけ目を見開いた後、すぐに俯く。

 迷惑だったか、という後悔は今は後回しだ。

 

「・・・聞かせてほしい。ナカジマの気持ち」

 

 この後告げられる答えが『NO』でも、もう悔いはない。自分の想いは全て伝えた。あとはナカジマの返事次第だ。それによっては、潔く前を向き直ることもできる。

 

「・・・そっかぁ。私のことをね」

 

 また再び、柵に体を預けて海の方を向ナカジマ。

 

「・・・・・・何でこのタイミングで言っちゃうかな・・・」

 

 少しだけ、困ったような口調。しかし、その言葉にはどこか嬉しさを秘めているようにも聞こえた。

 どっちと取れない言葉に村主の中で焦りが生まれるが。

 

「・・・・・・私が同じ気持ちだったら、って予想はしなかった?」

「え?」

 

 ナカジマの言葉に、改めて困惑の声を出す村主。

 そして次にナカジマが振り返った時には、笑ってくれていた。

 その笑みに、日の出が重なって、一層明るい笑顔になって。

 

 

 

「私も同じだよ。村主のことが好き」

 

 

 

 ぽっと、心に明かりが点いたような感じがした。

 初めて見るようなその笑みに、心を掴まれたような感覚。もしも心というものに形があるならば、今の村主の心は波打っているだろう。

 

「・・・良かった」

 

 ナカジマと同じように、柵に体を預ける。心の中にただ『幸せだ』という気持ちが残って、思わず息が洩れる。

 隣にいるナカジマは、少し村主との距離を詰める。

 

「なんですぐに言ってくれなかったのさ」

「だって、こう、タイミングとかムードとかいるだろ・・・」

 

 告白できてすっきりしたのか、ナカジマはいつものような調子で問いかける。

 村主だって、想いを伝えられるのならすぐにでも伝えたかった。だが色々とタイミングを計ったり、ムードを考えたりで踏ん切りがつかないでいた。極めつけに廃校と来たものだから、それこそ告白なんてできないかもと思っていたのだ。

 

「・・・ところでナカジマ、いつからだ?俺のことをそう想ってたのって」

「・・・実習が始まってからちょっと経ってからかな」

「じゃあ、あの大洗の町に出掛けた時の口ぶりは・・・」

 

 デートとしては及第点以下だったあの日、ナカジマの様子が少し違ったと村主も思った。あの時は疑問だった思わせぶりな話し方や行動が、全部村主のことを想っていたからと考えれば合点がいく。

 村主の抱いていた、『もしかしたら』という予想は間違っていなかった。

 

「まあ、私も村主のことは言えないかな・・・」

「?」

「だって私も・・・いつ告白したらいいのかなって探ってたところもあったし。あのデートの日にできたらいいな、って思ってたし、レオポンに乗せた時も言いたかった」

 

 あの日、出かけた時のことを、ナカジマはデートと認識していた。村主と同じように、想いを伝えることまで考えていた。

 色々な感情がごちゃ混ぜになってしまった村主は、『ああ、もう・・・』と言いながら、ナカジマを抱き締める。どう表現すればいいか分からず、自分が思うままにこうした。

 

「・・・ちょっと苦しいよ、村主」

「・・・・・・やめるか?」

 

 力加減はしたつもりだ。

 ナカジマもそうは言うが、満更ではない顔だったし、声だって嫌がっていない。お互いにこうしたかったのは同じだ。

 

「・・・ううん、もうちょっとこのまま」

 

 ナカジマも、村主の背中に手を回す。少しだけ身長差があるから、村主がナカジマを包むような形になっていた。

 

「ぅゎ~・・・」

 

 そんな2人を現実に引き戻したのは、近くから聞こえた声。

 思わず腕を離す2人。誰に見られたと視線を巡らすと、見ていたのは階段から降りてきたあんこうチーム全員だった。全員の顔が赤かったり口元を押さえてたりで、一部始終を見られたと悟る。

 村主の心にひびが入る音が響く。

 

「・・・おはよう、みんな」

 

 何でもない風を装ってナカジマが聞くが、ナカジマも赤い。村主と同じように恥ずかしかったらしい。

 

「えっと、日の出を見に来たんですけど・・・・・・」

 

 沙織が何を言い訳しているのか顔を赤くしながらわちゃわちゃと手を動かすが、やがて『ごちそうさまでした!』と言いながら残りのあんこうチームの背中を押して中に戻る。

 

「・・・・・・・・・はぁ・・・」

 

 柵に寄り掛かる村主。恥ずかしさのあまり、すぐにでも身投げしたい気分だ。何故、水族館の告白の時と同様、ここまでタイミングが悪いのか。

 

「ドンマイ」

 

 ナカジマが、泣いている子供をあやすように背中を優しくさする。

 恥ずかしさの熱が収まるまで、2人でデッキで潮風にあたりつつ海を眺める。

 太陽は水平線を離れていた。

 

 

 2人でデッキで静かに過ごしていると朝食の時間になり、寝ていたみんなも起きてくる。食堂ではチームごとに一緒のテーブルで朝食を摂る形になり、村主はもちろんレオポンチームとだった。

 その際、ナカジマが相談に乗ってもらっていた(?)ので、お互いに想いを確かめ合ったことを3人に伝えた。ツチヤが『見逃した~!』などと悔しがっていたのを除けば、3人とも素直に祝ってくれた。

 そのあとは3人ががかりで、事あるごとに村主とナカジマを2人きりにさせようと画策してきた。ただ、流石に疲労が限界に近かった村主とナカジマが仮眠―――別々の寝台で―――をとった時は、流石にそっとしておいてくれたが。

 仮眠から起きた後は、レオポンチームで、売店で買ったお菓子やジュースで打ち上げに興じる。途中で他のチームが一時的に加わることもあり、その際に村主は世話になった旨を伝えて、挨拶をした。大洗のみんなも村主に向けて頭を下げたり、握手をしたりした。

 やがて、大洗到着まで残り1時間になると、大洗の全員がデッキに出て陸の方を心配そうに見つめる。村主も同じように外に出て、後ろからその様子を見守る。

 既に陸地が近づいてきており、大洗港も間もなく見えてくるだろう。

 みんなは確かめたかったのだ。本当に学園艦が戻ってきているのかを。

 

『・・・・・・・・・』

 

 全員で固唾をのんで待ち続ける。

 フェリーが低く太い汽笛を鳴らしたその時。

 

「「あっ!」」

 

 麻子とそど子が、何かに気付いたように声を上げる。

 それを聞いて全員がのめり込むように、目を凝らす。

 

「あれは・・・」

 

 エルヴィンが帽子のつばを上げて、声を洩らす。

 

「学園艦だー!!」

 

 桂利奈が嬉しそうな声を上げた。

 近づいてくる大洗港。大洗で一番高い建物・マリンタワーが見えてくるが、その近くに停まっている巨大な船舶。

 間違いなく、大洗女子学園艦だった。

 その姿を認めた瞬間、試合の決着がついた観戦席のような歓声が沸き上がる。ハイタッチをしたり、ハグをしたり、あるいは涙を堪え切れなかったりと、誰もが喜びを体現していた。

 村主も傍にいたホシノに肩を叩かれ、ナカジマに腕を掴まれてぐらぐら体を揺らされて、みんなの喜びに押し潰されそうになっている。

 かくいう村主だって、こうして彼女たちの学園艦が戻ってきたのを見て、自分の中が高揚感で満たされていくのが分かる。本当に取り戻すことができたのだと確信できて安心し、この場に立ち会うことができてよかったと、心から思う。

 

 

 学園艦の姿を見ると、誰もが早く早くと到着を待ち侘びるようになり、到着間際には下船口に大洗のみんなが集まってくる。村主はその最後尾に並び、そのすぐ近くには杏がいた。

 やがて大洗港に接岸し、下船口が開くと、我先にと大洗のみんなが走り出す。咎めるべきことだが、風紀委員さえも同じように走り出したので、それだけ嬉しいのが見て分かる。

 最後尾近くにいた杏も途中まで走るが、フェリーを降りて学園艦を見上げると立ち止まる。

 

「いやー、戻ってきたね~」

 

 巨大な学園艦は静かに佇んでおり、港に大きな影を落としている。フェリーから降りた大洗のみんなは、乗船口から早速乗り込み始めていて、それを杏は静かに見守っていた。

 そして、村主は杏に話しかける。

 

「会長」

「ん?」

 

 振り返った杏は、やはり少し嬉しそうに表情が緩んでいる。手には、最近は見かけなかった干し芋が握られていた。

 

「自分は、これで実習が終了ですので・・・」

「あ、そっかそっか。本当は昨日までだったんだよね」

「ええ、まあ・・・」

 

 うやむやな感じになってたのか、杏が思い出すように干し芋をひらひらとする。

 

「今日まで、お世話になりました」

「気にしないで平気だよ~」

 

 気楽そうに杏が笑うと、やはり彼女も本調子に戻っているのだろうなと思う。

 しかし。

 

「・・・ありがとね。戦車、整備してくれて」

 

 しんみりとした感じのそれは予想外だった。

 戦車の整備をするという形で、今回の戦いに貢献したことを言っているのだろう。村主は『いえいえ』と手を横に振る。

 

「でもいいの?帰ったらちょっと祝勝会的なのやろうと思ったんだけど」

「・・・実習は終わってしまいましたし。それに、大洗の皆さんが取り戻した学校なんですから、大洗の皆さんで楽しむべきだと思います」

 

 村主の実習は終わり、本当に大洗の人間ではなくなる。

 この学園艦は、紛うことなくみんなの力で取り戻したものだ。しかし、たとえ戦車の整備という形で力を貸しても、大洗の人ではなくなった村主がそれに参加するのは変な感じだ。それに、フェリーの中で別れの挨拶を各チームとしてきたものだから、参加するのも興醒めだろう。

 

「そっか、残念」

「はい。お気持ちはありがたいですが」

 

 そこで杏は、代わりとばかりに右手を差し出してきた。

 

「改めて、大洗の生徒会長として言わせてもらうよ」

「・・・・・・」

「ありがとうね」

 

 村主は同じ右手でその手を握り、握手をする。

 これで本当に、実習は終わりだ。

 

「・・・それでは、またお会いする機会があれば」

「うん、達者でね~」

 

 軽く手を振る杏に向かって、会釈をしてから村主は歩き出す。杏もまた、学園艦の乗船口へと向かう。

 さて、バスの時間までは1時間はある。これなら歩いて駅に行った方が早い。肩に提げる鞄をずらしつつ、駅に向かうことにした。

 本当なら、もう少しだけナカジマとは、別れ際に色々と話しておきたかった。

 だが、別れるまでにかかる時間が長ければ長いほど、別れ際が辛くなり、離れている間がより寂しくなる。それはお互いに当てはまることだ。だから、村主はそれを避けようとして、こうして一足先に帰ることにした。

 別れの挨拶はフェリーで済んでいる。少し寂しくはあるが、これは仕方がない。

 その時、車のクラクションが鳴り響く。それも、自分のすぐ近くで。

 

「?」

 

 驚いて振り返ると、そこには見覚えのあるソアラがいた。

 そして助手席の窓が開き、中から顔を出したのは。

 

「送ってくよ、村主」

 

 ナカジマだった。

 断るなんて真似はせず後ろの座席乗り込むと、ツチヤの運転で駅へと走り出す。後部座席には、もちろんスズキとホシノも座っていた。

 

「水臭いな。挨拶もなしに帰っちゃうなんて」

「あー・・・大洗が戻ってきたのに部外者の俺がズルズルと残ってるのも何か悪いかなと思って」

「全然悪いことなんてないのに」

 

 後部座席に収まりながら、レオポンチームと最後の談話を楽しむ。助手席に座っているナカジマも、時折後ろを振り返りながら話しかけてきてくれている。

 

「あ、しまった。このツナギ・・・」

「いいよいいよ。持って行っちゃって。実習の思い出の品ってことで」

 

 最初は実習の間だけ借りるつもりで、最後は洗って返すつもりだった。

 しかし色々ごたごたしていたせいでそれを忘れてしまったが、ナカジマが首を横に振って『あげる』と言った。

 そんなナカジマは今、自分とのお別れをどう思っているのだろうか。

 正直言えば、村主は寂しい。スマートフォンという手段がある以上は、もちろん連絡は取り続けるつもりだし、時間があれば大洗にまた来たい。

 だがそれまで、直接会うことは無い。それが心残りだった。

 途中で商店街をちらっと見ると、活気を取り戻したように見える。横断幕や幟も戻っていた。

 再び明るさを取り戻した大洗の町を横目に見ながら、ついにソアラは大洗駅に到着する。

 

「ありがとな、送ってくれて」

「こんなのお安い御用だよ」

 

 ツチヤがサムズアップをする。

 

「じゃあ、元気でね」

「またいつでも連絡してよね~」

「ああ。みんなも、元気で」

 

 ホシノとスズキにも、軽く手を振る。

 ナカジマだけは、一緒に村主と降りていた。

 

「ひどいなぁ・・・何にも言わないで帰ろうとするなんて」

「すまなかったな・・・。あんまり別れる直前まで一緒だと、離れ辛くなるから」

 

 ちっとも責める様子ではないナカジマの言葉に、村主は笑って答える。

 だが、会話が終わるとお互いの表情が陰りだす。

 

「・・・寂しくなるよ」

「俺もだ」

 

 ナカジマも、同じ気持ちだった。自分のことを大切に思ってくれていると思うと、村主はこんな時でも嬉しくなる。

 だが、今こうして自分の目の前でナカジマが寂しそうな顔をしているのを見て、村主も胸が痛かった。

 

「・・・けど、これが永遠のさよならじゃない。また大洗には来るよ」

「うん・・・」

 

 安心させるつもりで言ったのだが、ナカジマは堪え切れなくなって、一筋の涙を流す。

 泣きたいのは村主も同じだ。しかし、ここで泣いてしまっては形無しもいいところだろう。

 だからそれをぐっと耐えて、ナカジマの髪に手を添える。優しくあやすように、静かにゆっくりと撫でる。

 

「・・・俺は、大洗に来ることができてよかった。ナカジマたちから整備のノウハウを教えてもらって、そしてナカジマと出会えて・・・悪いことなんて何もなかった」

 

 頭を撫でながら、村主は優しく伝える。

 

「ナカジマのことは忘れない。ずっと、ずっと、覚えてる」

「・・・・・・・・・」

「だからナカジマも、待っていてほしい。また大洗に来る時まで」

 

 すると、ナカジマが村主の手をそっと握る。

 そして、少しだけ背伸びして、触れるようなキスをした。

 

「・・・・・・絶対、約束だよ」

「・・・・・・ああ」

 

 少しの間だけ、村主の手を離さなかったナカジマだが、やがてその手をゆっくりと離す。名残惜しそうに。

 

「・・・・・・じゃあ、また」

「・・・うん」

 

 ナカジマが涙を拭って笑う。村主はそれを見届けてから、背を向けて歩き出す。

 その顔は、大洗の短いようで長かった日と、先ほどのほんの一瞬の出来事を思い出して、寂しさと嬉しさを併せ持つようだった。駅員に切符を渡す時もその顔は直らなくて、多分変に見られただろうけど気にしない。

 水戸行の電車に乗り、ドアが閉まる。ゆっくりと電車が動き出して、景色が後ろに流れていく。大洗の町並みや、マリンタワー、そしてみんなが取り戻した学園艦が離れていく。

 その時、ポケットの中のスマートフォンがメールの着信を伝えた。

 送り主は、ナカジマ。さらに添付ファイルが1つ。

 すぐに開くと。

 

『絶対、また会いにきてね!』

 

 添付されていたのは、フェリーの車庫で撮った写真だった。ポルシェティーガーをバックに、5人並んだ写真。ホシノとツチヤ、スズキに押されて中央辺りのナカジマと村主が恥ずかしそうにしているが、全員が笑っている写真だ。

 そのメールを読んで、写真を見て、村主の視界が歪む。

 それでも、メールを打って返信する。

 

『必ず、会いに行くよ』

 

 大洗の町は、もう見えなくなっていた。



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 夜の大洗女子学園艦の外周道路を、1台の自動車が駆け抜ける。エンジン音が低く心地よく辺りに響き、白い車体に街灯の光が反射して流れていく。

 それは、レオポンチームがレストアしたソアラ。少し開けている助手席の窓から潮の匂いが混じる夜の冷たい空気が流れ込み、車内は程よく涼しかった。

 

「ここを走るのも最後かぁ」

 

 外の景色をを眺めながら、助手席に座るナカジマが呟く。

 

「しんみりするな、飛ばすぞ!」

「走り収めだな~」

 

 後ろからホシノが発破をかける。スズキも思うところがあるのか、外を見ながら少しばかり寂しそうに言葉を洩らす。

 

「最後に思いっきりドリフトしてやる~!」

「思う存分やんな!」

 

 ハンドルを握るツチヤが意気込む。本当に今日で『最後』なのだ。せっかくの機会だし、最後ぐらいはツチヤのやりたいようにやらせる。

 ナカジマがゴーサインを出すと、ツチヤはにっと笑いながらシフトレバーを動かして、カーブに差し掛かると派手なドリフトをかました。

夜のジョギングをしていたらしき通行人が何事かと振り向くが、既にソアラは夜の町へと消えてしまっていた。

 

 

 外周道路を2週ほどして、最後に学校のガレージに戻る。

 

「いやー、良かったね・・・」

 

 満足げに笑いながら降りるツチヤは、付き合いがそれなりに長い他の3人からすれば、少し無理をしているように見えた。

 そして、そんなことをする理由も分かっている。

 

「それじゃ、最後の整備、始めよっか」

 

 ナカジマが仕切ると、全員が頷く。

 全員が工具箱を取り出して、運転の後は欠かさない車の整備に取り掛かる。

 しかし、黙々と点検をする4人の雰囲気は、ソアラの中とは少し違って、微妙に落ち着かない感じがした。

 

「・・・・・・明日で終わりだね~」

 

 タイヤの空気圧を確かめ、空気を入れながらツチヤが呟く。

 独り言のつもりだったのだろうが、それは拾わないと、とナカジマは感じ取った。

 

「やっぱり寂しい?私たちがいなくなると」

「当たり前だよ。ずっと一緒にやってきたんだし」

 

 寂しいに決まってる。ナカジマの質問は愚問だった。

 

 明日はいよいよ、卒業式。

 レオポンチーム・・・自動車部は、ツチヤ以外の全員が3年生。だからナカジマ、スズキ、ホシノの3人は、明日で大洗女子学園を卒業するのだ。

 そして残るのは、ツチヤだけ。

 

 

「そんな寂しそうにしないでよ。入部希望の子だっているんだし」

「そうだけどさ・・・」

 

 戦車道の活動を通して、レオポンチーム・・・自動車部に興味を示す生徒も多い。ホシノの言う通り、入部希望の生徒は少なからずいた。ポルシェティーガーに乗るかどうかは分からないが、それでも仲間が増えることに変わりない。

 

「でも、やっぱりナカジマやホシノ、スズキと一緒だった時間は長かったから・・・」

 

 だが、ツチヤはナカジマたちと実に2年もの間一緒に活動したのだ。寂しくないはずはない。全員とタメ口で話せるぐらいには打ち解けていて、仲が良かったのだからなおさら。

 

「また会いに来るからさ。頑張って後輩育てよう?」

「・・・うん」

 

 スズキが慰めるように肩を優しく叩くと、ツチヤはまだ寂しそうではあれど首を縦に振った。

 だが、その言葉でナカジマは思い出してしまう。

 

「・・・『また会いに来る』か」

 

 ナカジマが今、何を思っているのかが他の3人にはすぐに分かった。

 

「村主・・・結局一度も来なかったな」

 

 ホシノが残念そうにスパナを手で弄びながらぼやく。

 今ここにいない人物。夏休みの間だけ、戦車の整備の実習性として大洗に来ていた村主。

 そして、ナカジマにとっての恋人。

 

 ―――ナカジマも、待っていてほしい。また大洗に来る時まで。

 

 別れ際にそう言って、メールでも『必ず、会いに行くよ』と送ってくれた。

けれどあの日以来、村主は一度も顔を見せてはいない。

 だが、来れないのも仕方ないことは、みんな分かっていた。

 

「受験のあれこれとか、学園艦の位置とかもあるし、仕方ないじゃん」

 

 スズキの言う通りで、夏休み明けから3年生の村主とナカジマたちは、受験シーズンに差し掛かったのだ。

 レオポンチームで親しかったから、ナカジマだけでなくスズキたち3人も村主と連絡を取っていた。連絡と言っても堅苦しいものではない。単に大洗の近況報告をしたり、冬季無限軌道杯の話をしたり、話題には事欠かなかった。『桃が留年しそう』と話題を出した時に、村主が電話越しに腰を抜かしたのはいい思い出だ。

 だが、『たまには大洗に来てみる?』と訊くと、村主は大層残念そうにそれを断った。受験シーズン間際ということに加えて、それぞれの暮らす学園艦の距離が離れているから、思うようにはいかない。

 村主の事情は、同じ学生であり、学園艦で暮らす4人ともが分かっている。だが、理屈では理解できても、割り切ることはできない。

 結局、あの8月の出来事から半年以上が過ぎるも会うことは叶わず、とうとう卒業まで来てしまった。

 

「・・・・・・」

 

 ナカジマのレンチを握る手が止まる。

 今もまだ、こうして会いたいと焦がれているのに、現実は上手くいかない。

 毎日のように電話をして、メールを交わして、関係が消えないよう繋ぎ止めることしかできなかった。

 村主のことを一目見たい、会いたいと切に願い、そして村主のことが好きだと想うその気持ちは、一度だって褪せたことが無い。

 鮮やかなその恋心の反動が、胸が掻き毟られるような辛さだ。

 今生の別れではないはずなのに、なぜかもう二度と会えないのではと、錯覚してしまう。

 

「大丈夫だよ、ナカジマ」

 

 そんなナカジマの心中を察したスズキが、意識をはっきりさせるように肩を叩く。

 

「・・・ちゃんと約束したんでしょ?会いに来るって」

「・・・うん」

「なら大丈夫だって。村主は約束をほったらかすような奴じゃない。でしょ?」

 

 大洗が廃校の危機に瀕した時、村主は世話になった人たちと大洗という地に、簡単に背を向けはしなかった。そんな村主が約束を破るとは考えにくい。いや、考えたくない。

 『その通り』と言いながら、ホシノも歩み寄ってくる。

 

「もし本当に忘れてたりしたら、このスパナで思いっきり叩いてやるからさ」

 

 ホシノがスパナで手を叩きながら不敵に笑う。

 2人の精一杯の励ましに、落ち込んでいたナカジマは笑みを作って振り返る。

 

「ありがとうね、2人とも」

 

 そこで、ツチヤが『さて』と空気を変えるように声を出す。

 

「すぐに点検を済ませよう?明日は3人にとっての晴れ舞台だし、早めに休まないとね」

 

 幾分か寂しさから脱したのか、いつものようにニコニコ笑うツチヤ。

 ツチヤも、寂しいのはナカジマたちも同じだと分かっていた。

3年という短くない間、みんなと一緒に過ごしていた大洗から離れるのだから。寂しくないはずはない。ツチヤも駄々をこねているわけではないが、ツチヤ1人が引き留めるように寂しがるのは今ではないだろう。

 自分を奮い立たせるように明るく言うと、ナカジマたちも頷いて、ソアラの最後の整備に集中した。

 

 

 整備はものの1時間程度で終わるが、その後で4人は、戦車が停まっているガレージに入る。全ての戦車は既に整備を終えていて、特別にグリースも注してある。

 この戦車を見るのも、今日で終わりだろう。

 

「改めて見ると、みんなカッコイイね・・・」

「うん、何かこう・・・来るものがあるね」

 

 最初はろくな保管もされてもいなかった戦車を、ナカジマたちの手で直して動けるようにした。

 そしてその戦車と、それに乗る大洗の仲間は華々しい活躍を見せて、ついには全国優勝、さらには勝ち目無しと思っていた大学選抜との試合にも勝利して見せた。

 

「レオポンも、今日まで頑張ったな」

 

 ホシノが正面にいるポルシェティーガー―――レオポンを見上げながら、静かに笑う。

 飛びぬけて癖のあるこの戦車を、ナカジマたちは乗りこなした。試合では必ずと言っていいほど要の役目を負ったこの戦車は、ナカジマたちにとっての仲間・相棒だ。

 

「元気でね、レオポン」

 

 スズキが本当に寂しそうにそう呟くと、踵を返してガレージを出る。ホシノとツチヤもそれに続き、最後にナカジマが電気を消そうとして。

 

「・・・・・・みんな、ばいばい」

 

 並ぶ戦車に向かってそう告げると、電気を消して、ドアを閉めた。

 

 

 部屋に戻ったナカジマは、ベッドの上で明かりの消えた天井を見上げる。

 卒業に伴い寮の部屋も引き払うため、中は既に整理されている。残っているのはオプションとして元々あった家具と、最低限の衣類だけだ。元々シンプルなデザインで、自動車部の活動で徹夜が多くても、3年もの間暮らしていたこの部屋には愛着がある。

 壁際には、大洗の制服がハンガーに架けられている。明日の卒業式用に、赤い花も胸元に添えられてあった。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 息が洩れる。

 学園艦で暮らしていた記憶に加えて、あの夏の日に学園艦が奪われてしまったこと。そしてそれを取り戻した時の喜びは、昨日のことのように思い出すことができる。

 そんな中で後悔があるとするならば、やはり村主とのことだった。

 あの時、学園艦が一時的とはいえ廃校にならなければ、村主と恋人同士で過ごす時間がもう少し作れたのかもしれない。結局恋人らしいことができたのは、フェリーで告白を受けてから村主が大洗を去るまでの間だけ。半日にも満たないその時間は、あまりにも短すぎた。

 会いたいと焦がれ、胸が締め付けられる。そんな中で待ち続けて、気付けば卒業だ。

 

「・・・会いたいよ」

 

 気持ちが言葉に乗って口から洩れる。

 その声は、暗い部屋に溶けて消えてしまった。

 

 

 明けて卒業式当日、天気は朝から雨だった。

 しとしとと降る雨で、耳障りな感じはしない。雨が好きな人にはともかく、嫌いな人にとっては雨はどんなものでも嫌なのだろうが。

 雨が好きなナカジマはと言えば、本音を言わせてもらえば、今日ぐらいは晴れてほしかった。今日のような、みんなにとって特別な日に降る雨は少し残念だ。

とはいえ、予報ではこの雨も昼過ぎ頃には止むらしい。卒業式の間だけ降るとは、間が悪い。

 

「―――この学校で皆さんは、誰もが全くの同じではない思い出を作り上げたことでしょう」

 

 今は卒業式の、学園長の式辞の最中だ。

 壇上で弁舌をふるう初老の女性を見ながらナカジマは、そういえば学園長は1回も勝てなかったなぁと思い出す。

 

「ですが、それぞれが違う思い出を作ったことを恥じることはありません。それで良いのです」

 

 柔和な笑みを浮かべる学園長。

 

「人は誰もが、それぞれの人生という『道』を歩む権利を持っていて、誰かに合わせる必要なんてありませんから」

 

 同じではない思い出、と聞いてナカジマが思い出すのは、やはり村主とのあれこれだ。

 村主との『深い』思い出は、恐らく大洗の中でもナカジマだけのものだろう。

 

「あなたたちはこれから、大洗から旅立ち、それぞれの『道』を歩むことになります」

 

 学園長が、おもむろに演壇に手をつく。

 

「もし、その道を歩く中で迷ったり、立ち止まったり、振り返ることもあるでしょう」

 

 生き方に迷いが生じたり、挫折したり、自分の昔を思い出すのは、人生にとってつきものだ。これは、誰にでも当てはまることだろう。

 

「もしその中で、この大洗のことを思い出してくれるのであれば、これほど嬉しいことはありません」

 

 柔和な笑みの中に、一点の悲しさが混じっているような声。

 

「なぜならば、大洗があなたたちの長い『道』にとって、思い出してもらえるほど重要な場所になれたということですから」

 

 少しだけ目を閉じる学園長。自分の素直な感情を堪えているようだ。

 

「私も・・・いえ、私たち教員もこの大洗という場所が好きですから。そこが皆さんにとって大切な場所であるならば、それは本望です」

 

「皆さん、この大洗という場所に来てくれて、本当にありがとう」

 

「そして、皆さんがこれから歩んでいく『道』が素晴らしきものとなるよう、心から応援します」

 

 学園長が締めて、頭を下げると、体育館にいる全員が拍手を贈る。

 その中でナカジマは、学園長の言葉を噛みしめていた。

 大洗が以前廃校になりかけた時、生徒たちは悲しんでいたが、教員である学園長たちも当然悲しかったり、悔しかっただろう。学園長の言葉から、大洗に愛着があったことは窺える。

 だからこそ、学園長の言葉を聞いて、自分たちがこの大洗を取り戻せたことを改めて嬉しく、誇らしく思う。

 改めて、ナカジマは大きな拍手を学園長に贈った。

 

 

 

「柚子ぢゃぁぁぁん・・・・・」

「桃ちゃん泣きすぎ・・・」

 

 卒業式は滞りなく終わり、クラスごとの記念撮影も終わる。これでめでたく、3年生は大洗女子学園を卒業した。

 他の生徒はともかく、十人十色な『元』戦車道メンバーは、やはり過ごし方もそれぞれだった。

 桃は号泣して柚子にしがみついていて、顔は涙でぐしゃぐしゃ。そんな桃を宥める柚子も泣いていて、近くでは杏が静かに笑ってその様子を眺めている。けれど、その手にあるのはいつもの干し芋ではなく、卒業証書が入った筒だ。

 ぴよたんも、今日だけはいつもの改造制服ではなく普通のものを着ていて、ねこにゃー、ももがーと手を繋いでいる。

 そど子は目に少しだけ涙を浮かばせながらも、ゴモヨとパゾ美に自らの風紀委員の腕章を差し出している。

 3年生がいない他の戦車道チームのみんなも、卒業する仲間と色々と話をしている。ウサギチームはほぼ全員が貰い涙を流していた。

 

「みんなぁ・・・」

「よーしよし・・・大丈夫だよ~」

 

 そしてナカジマは、泣きじゃくるツチヤを抱き留めている。たまについ言ってしまう赤ちゃん言葉も持ち出してあやすが、一向にツチヤは泣き止まない。

 ナカジマだって、寂しさのあまり目が赤くなってしまっている。分かっていたが、やはり一緒にやってきた仲間と別れるのは悲しかった。傍にいるホシノとスズキだって、涙ぐんでいる。

 夏休みに大洗が廃校になりかけた時も泣いてしまったが、あの時とはまた違う涙だ。

 

「ほらほら、もう泣かないの」

「だってさ、だってさぁ・・・」

 

 やっと顔を離したツチヤだが、案の定涙で濡れている。

 そんなツチヤの頭を優しく撫でると、またしても感極まって泣き出してしまった。どうすればいいんだろう、とナカジマも苦笑する。

 

「今日は好きなだけドリンクバー付き合ってやるから」

「だから行こ?最後に思い出作ろう?ツチヤのドリンク、飲んでみたいし」

「うん・・・・・・」

 

 ホシノとスズキで慰めると、ようやくツチヤも顔を上げた。今日ぐらいは、ツチヤの特性ドリンクにも付き合うとしよう。

 

「卒業、しちゃったねぇ」

「長いようで短かったような」

 

 体育館を出て、校門まで歩く間に学校の中を見渡す。そこかしこで生徒同士が写真を撮ったり、涙を流して抱擁を交わしたりと、誰もが級友、仲間、そして大洗という場所との別れを惜しんでいる。

 

「お、晴れたね」

 

 窓の外を見ると、雨は止んでいた。朝とは打って変わって青空が広がっていて、雲一つない爽やかな空が広がっている。

 

「こんな日は、やっぱりこれぐらいの天気じゃないとね」

「雨好きなんじゃないの?」

「いやぁ、雨は好きだけどさ。今日ぐらいは晴れてほしかったんだよ」

 

 時折、教室や図書室などを覗きつつ昇降口へ向かう。そして傘を回収し、校門へ向かって歩き出すが、晴れているので傘は少し邪魔になってしまった。とは言え、もう置き傘もできないので持ち帰るほかない。

 これで大洗とお別れ、と思うとナカジマも思うところはやはりある。胸の中には大洗で積み重ねてきた思い出が募っているし、何よりもただ1つの『後悔』がある。その後悔の正体は、言わずもがなだ。

 のしかかる多くの思いを胸に秘めたまま校門の方を見ると、ナカジマはあるものを目にした。

 

「・・・・・・あ」

 

 校門の前では、卒業生が保護者や後輩などと別れの挨拶を交わしていて、それなりに人が多い。

 そんな中に、水色の折り畳み傘を携えている自分と同年代らしき少年の姿を見た。彼は、あんこうチームの面々と話をしている。

 

「・・・・・・」

 

 何かを言うよりも早く、ナカジマは駆け出していた。

 傍にいたホシノたちも『彼』に気付いたのか、止めようとはしなかった。

 ナカジマは、手に持っている傘と、卒業証書が入ったケースを落とさないように、校門に向けて走る。『彼』もまたナカジマに気付いたのか、こちらを向いたまま笑っている。

 それでナカジマの中の期待は確信に変わって、感情が抑えきれなくなって。

 

 

「村主!」

 

 

 待っていた人・・・村主の胸に飛び込むと、優しく抱き留めてくれた。

 しばらくの間、お互いに何も言わずそのままだったが、村主が先に口を開く。

 

「・・・悪い、遅くなった」

「ホント・・・遅いよ・・・・・・もう」

 

 意地悪く笑うナカジマだが、今になって堪え切れなくなった。

 ナカジマは、胸に顔を埋めるようにくっつく。村主はナカジマの背中をさすり、無理に泣き止ませようとはしない。

 

「でも・・・・・・来てくれて嬉しい」

「約束したからな・・・」

 

 村主は、あの時の約束をちゃんと覚えてくれていた。

 やむにやまれぬ事情があって遅くなったが、それを忘れずに今日来てくれたことだけで、ナカジマは十分だ。

 

「・・・遅かったね、村主」

「ああ・・・ちょっと立て込んでな」

 

 あとからやってきたホシノたちが、村主を見て笑う。いつの間にかあんこうチームは、その場から離れて静かに5人の様子の見守りに入る。

 ホシノたちも、今日村主が来ることは知らなかったので良いサプライズだ。ナカジマほど親密な仲ではないが、それでも一時レオポンチームの仲間として一緒にいたのだ。だから彼女たちも、嬉しい。

 

「寂しかったんだよな・・・ナカジマ」

「・・・うん」

「・・・・・・ごめんな」

 

 電話やメールで時折漏れ出ていたナカジマの本音を、村主は感じ取っていた。それを訊くと、ナカジマは顔を上げずに、顔を埋めたまま答える。

 そんなナカジマの頭を優しく撫でる。

 

「・・・私もさっきナカジマみたいな感じだった?」

「大方ね」

「・・・こう、第三者目線で見るとなんか恥ずかしいね」

 

 そんな2人の様子を眺めて、ツチヤが先ほどの自分と既視感を覚えたのか、頬を掻く。

 だが、ツチヤたちの冗談も村主とナカジマは笑って聞き流し、後ろめたく思わない。今はただ、再会の嬉しさに身を委ねていたい。

 改めて今日、今、晴れてくれてよかったと、ナカジマは素直に思った。

 

 

 スズキたちから『2人で話してきたらどう?』と提案されて、村主とナカジマは公園を訪れていた。学園艦側部にあるそこは、初めて2人が出会った場所であり、デートの待ち合わせをした場所でもある。何かと思い入れが深い。

 東屋のベンチに並んで座る。柵の向こうに広がる景色は、以前と変わらない大洗の町並みだ。

 

「卒業式、晴れてよかったな」

「朝は雨だったんだけどね」

「俺の時も雨だった」

 

 苦笑する村主。雨男体質は健在らしい。

 先ほどまで泣いていたナカジマの目元は赤いが、どうやら全て吐き出し終えたらしく、表情は明るい。

 

「村主のトコは、いつ卒業式だったの?」

「一昨日。大洗の卒業式の日付はホシノから聞いてたし、せっかくだから驚かせようと思ってな」

「いや・・・確かに驚いたよ」

 

 驚きのあまり、考えるよりも先に足が動いてしまったほどだ。嬉しいサプライズではあったが。

 

「・・・本当、ごめん。会いに行くって言っといて、結局今日まで来られなかった」

「ううん。でも、こうして来てくれて嬉しいよ。そりゃあ、会えなかった時は寂しかったけど・・・」

 

 村主も、会いに行けない状況をもどかしく思い、また会いたいと焦がれていた。

 ナカジマが同じ気持ちだったのは、自分のことをずっと想ってくれていたのだと、村主は分かっていても嬉しく思う。

 そしてナカジマだって、村主が自分に会いたいと切に願っていたことを知って、嬉しくないはずはない。お互いに強く、それぞれが会いたいと惹かれ合っていたのだから。

 

「で、受験で忙しかったって言ってたけど、どうだった?」

「受かった。流石にこれだけ待たせて、受からなかったじゃ合わす顔も無いし」

「あはは、確かに。でも、おめでとう」

 

 ナカジマもだが、受験で忙しくなってしまったからこそ会えなかったのに、おまけに落第しましたでは泣くに泣けない。

 

「ナカジマは?」

「うん、ばっちり。受かったよ」

「それはよかった・・・おめでとう」

 

 連絡を取り合っている間、お互いに受験の結果については話さなかった。もしも、どちらかが落第していたら傷つけてしまいかねないから、極力その話題は避けてきたのだ。それも杞憂に終わったわけだが。

 

「そういえば聞いてなかったんだけど、ナカジマって将来何かなりたいものとかあるのか?」

「そうだねぇ・・・機械いじり系の仕事に就きたいとは思ってる。でも、まだはっきりとは見つかってないかな」

「そうなのか」

 

 少し意外だったが、村主の知っている限りでは戦車の整備やクルマのメンテ、レースまでやっていたので、やりたいことが逆に多いのかもしれない。

 

「村主は戦車の整備士でしょ?」

「ああ、それはもちろん。だけど・・・」

 

 村主の夢は揺るがない。そのはずだが、含みのある言葉を聞いてナカジマも心が揺らぐ。

 もしや、その夢を叶える道が途絶えてしまったというのか。大洗で頑張ってきたというのに。

 

「あ、違う違う。マズいことがあったわけじゃないんだ」

 

 そこで村主は、スマートフォンを取り出して、表示された画面をナカジマに見せる。

 映されていたのは、社会人戦車道のホームページだった。

 

「あのエキシビションマッチの時、戦車道連盟の人と少し話をしたんだ。それでその時、近い内に戦車道チームを発足させる自動車メーカーがあるって話を聞いて」

 

 その企業名を聞いて、ナカジマも『ああ』と頷く。そこは自動車関連の企業でも有名なところだ。

 

「レーシングカーの製作にも噛んでるトコだね」

「ああ。で、俺は・・・学校で自動車関係のことも勉強してたから。武器は1つでも多い方が良いって言われて・・・ここに就こうと思ってる」

 

 あの時の話は、ただの世間話で流すことはできないようなものだった。

 自分なりに考えて、学校の担任にも相談した結果がそれだ。だが、そこへ就く前に、大学を出て、より専門的な知識を学んでいく。

 

「なるほどね・・・」

「後・・・レーシングカーってのも興味があるし」

「え?」

 

 村主はナカジマたちのように、とりわけレースに興味があるという話は聞いていない。かといって、ただ気まぐれに湧いた興味でもなさそうだ。

 

「俺が大洗にいて、ナカジマが学園長とレースした時、俺を乗せただろ?」

「・・・うん」

「あの時からだ。クルマのレースに興味を持ち始めたのは」

 

 あの時は、まだ2人は恋人同士ではなかった。だが、あの日の雨のレースは村主にとって初めての経験であり、自分の中で新しい境地が見えたような日でもある。

 そのレースで見た流転する景色や、超高速で移動するクルマの中の感覚、レースを終えた時の達成感は、決して一時だけの思い出には留まらなかった。

 

「だからさ、そっちに繋がるようなこともやってみたいなって、思ったんだよ」

「へぇ・・・」

「両立できるかどうかは分からないけど、でも目指してみたい」

 

 スマートフォンを仕舞う村主は、ナカジマのことを見る。

 

「やっぱり、大洗に来てよかった。戦車のことだけじゃなくて、クルマにも興味を持つことができたから」

「・・・それは、良かったよ」

「ナカジマのおかげでもあるんだぞ?」

 

 村主がすかさず、ベンチに置かれていたナカジマの手を握る。不意の行動に、ナカジマの肩が震える。

 もう長い間握っていなかった村主の手。ずっと触れたいと願っていたことが突然叶い、ナカジマもゆっくりとその手を握り返す。

 だが、村主の話が終わっていないのも忘れていない。

 

「ナカジマがあの時一緒に乗せてくれたから、新しい道を見つけられたんだ。本当に、ありがとう」

 

 真摯な目でそう言われては、謙遜する言葉も浮かばない。

 そういえば村主は、こういう面もあったなとナカジマは思った。

自分が『すごい』と思ったことは素直にその人に伝え、感謝の気持ちを惜しまずにその人に告げる。そういうところも、ナカジマが村主のことを好きになったところだ。

 

「・・・あっ」

「え?」

「虹だ」

 

 村主があるものに気付いて、空を見上げる。

 つられてナカジマも同じ方向を見ると、空には七色に輝く虹が浮かび上がっていた。午前の少しの間、まとまった雨が降ったからだろうか。

 それにしても、青空に架かる虹とは実に見栄えがあるものだ。今日が卒業式という特別な日であるからこそ、なおさら特別綺麗に見える。

 

「・・・なぁ、ナカジマ」

「?」

 

 虹を見ながら、村主が話す。

 

「俺さ、大洗に来るまでは、戦車に触れることは楽しみだったけど、実習は無難に終わる感じかなって思ってたんだ」

「・・・・・・」

「けど、大洗のみんなと話をしたり、学校が無くなりかけたりで、全然無難じゃなかった。もちろん、みんなと話せたのは嫌じゃなかったし、どれも貴重な経験だったよ」

 

 ナカジマも苦笑する。あんな一大事が『無難』なものか。

 それにさ、と村主はナカジマのことを見る。

 

「・・・・・・ナカジマとも、出会えたし」

 

 飾らないハッキリとした言葉に、顔が熱くなる。村主だけでなく、ナカジマも。

 だが、それで膠着状態に陥ったりはせず、村主は自分からナカジマの傍に寄る。

 

「言えなかったけど、ナカジマに会えない間はずっと辛かった。電話で声を聞いたり、メールで話したりすると、余計に寂しくなって・・・会いたくなってたんだ」

 

 村主の本心に、ナカジマの心が温かくなる。

 焦がれていたのは自分だけではなくて、村主も同じだったのだと、想いがまた通じ合ったような感じがする。

 

「で、実際こうしてナカジマと会って、話をして・・・寂しいって気持ちは無くなった」

「うん・・・・・・それは私も」

「だけどさ」

 

 この時、村主の表情に照れが入ったのをナカジマは見逃さない。

 何に照れているのか、とナカジマは疑問に思ったが、その答えはすぐに村主自らが明かす。

 

「・・・もっと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい、とも思った」

「え・・・・・・」

「そんな寂しい思いはもう、二度としたくない。だから・・・って」

 

 今度の村主のその表情には、冗談とか、酔狂とか、そんな邪念が無い。

 本当に、真剣そのものだ。

 ナカジマは、その意味を大きく捉えようとしてしまったが、すぐに笑って平静を装うとする。

 

「それは・・・私だって同じ」

 

 だが、ナカジマもまた同じようなことを想っていたのも事実。

 離れ離れになって、会いたいと願い、実際それが叶った瞬間は確かにそれは嬉しかった。

 けれど、それだけでは満たされず、その先もずっと一緒にいたいと思っている。

 それが『何』を意味するのかは、もうこの気持ちを知ったナカジマには分かっていた。

 

「でもそれってさ・・・まるで・・・・・・」

 

 その『何』を、口に出せば引き返すのは難しくなる、

 だがナカジマは、引き返すつもりなど無かった。

 

「・・・プロポーズみたいじゃない?」

「そうだよ」

 

 おどけるようなナカジマの言葉を、村主は一言で封殺する。

 思わず、息が止まるかのように錯覚した。

 

「ナカジマ」

 

 そして、村主の真剣な声と表情は、崩れない。

 村主は本気だった。

 

「気が早いかもだけど・・・」

 

 それでナカジマは、心の中で全てが()()()()()。安心した。

 村主と同じ気持ちを抱き、同じ考えだったことに、安心したのだ。

 

「俺と―――」

 

 その村主の言葉と、ナカジマの返事は、風に乗って、虹の架かる空へと溶けていく。

 

 

 

 

 

 

「・・・あの日も、虹だったな」

 

 ガレージから見える空には、鮮やかな虹が架かっている。それを見て思い出すのは、あの大洗女子学園艦に戻った日のことだ。

 

「どの日?」

「俺が大洗でプロポーズした日」

「あ、確かにそうだね」

 

 隣にいるナカジマは、あの頃と比べて少しだけ髪が伸びている。

 結婚して姓は変わったけど、プライベートでない今のような場所では、昔の名前で呼び合っている。だからこの場では、ナカジマも俺のことは『村主』と呼んでいる。家でそんな呼び方はしていない。

 

「あんなに虹がくっきり見えた日なんて、他になかったな」

「そうだね。まさに、ああいう日にはふさわしかったのかも」

 

 本当、お互いに想いを伝えあった日には絶好の虹だっただろう。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様~」

 

 後ろから声がかかると、ナカジマが振り返って気軽な挨拶を返す。俺も軽く会釈をした。

 立っていたのは俺たちと同年代ぐらいの女性。紫色のコートに黒のタイトスカートという服装の彼女は、俺たちのチームの戦車乗りだ。他のメンバーも続々とやってきて、どうやらミーティングが終わったらしい。

 

「整備は全部終わってます」

「異常はありませんでした」

 

 2人で報告すると、その女性はニコッと笑った。

 

「お2人が整備した戦車でしたら、安心ですよ。ありがとうございます」

 

 そう言ってⅢ号戦車に乗り込む彼女を見て、俺とナカジマは顔を見合わせて少し笑う。

 俺たちの整備の腕はチーム内でも相当らしく、『乗り心地が良い』という専らの噂だ。

 

「嬉しいね」

「ああ、本当に」

 

 ただ、俺もナカジマも、戦車の整備は仕事というより『好きでやっている』というイメージが強い。仕事だから、自分がしなくちゃならないから、と義務感が溢れてしまうと、どこかしらで『ズレ』が生まれる。

 だけど、俺たちはそれ以前に『戦車が好きだから』『整備が好きだから』という理由で、戦車の整備を担当している。仕事という意識もあるが、やっぱりこの『好き』という気持ちが一番の原動力だ。だから、自然と心に余裕もできて、整備の腕が良くなるのかもしれない。

 まさに、好きこそ物の上手なれ、だ。

 

「それじゃ、見送ろうか」

「うん」

 

 戦車のエンジンが始動し、ガレージの中に低いエンジンの音が響く。この音も慣れてくれば気持ちいいし、俺もナカジマもこの音は好きだった。

 20輌もの多様なドイツ戦車が動き出し、戦場へと向かって走り出す。

 そんな戦車に向かって、俺とナカジマ、そして他の戦車の整備士が手を振り、これから戦う選手たちを励ます。離陸前の飛行機に手を振る地上スタッフのようだが、こうして戦わない整備士たちがこうして応援するのもいつしか定番になっていた。

 

「俺たちも行くか」

 

 最後の戦車・パンターを見送ると、整備士を含めた試合関係者は、関係者用の観戦席に移動する。俺たちも向かおうとするが、ナカジマはまだそこに立ったままだった。

 

「・・・どうした?」

「もうちょっとだけ、虹を見ていたくて」

 

 ナカジマは、空に浮かぶ虹を眺めている。置いていくわけにはいかないし、俺も少し静かに虹を見たくなったので、隣に立って残ることにする。

 するとそこで、ナカジマのポケットのスマートフォンがメールの着信を告げた。

 

「ホシノからだ」

 

 隣から覗いてみると、一般の観戦席で撮ったらしき写真が添付されていた。写っているのは送り主のホシノ、隣に座っている糸目の女性はツチヤだ。彼女たちの膝には、小さな赤ん坊が乗っている。

 

「サインねだられることが多くて困ってるみたいだよ」

「そりゃあな」

 

 有名なレーサーが2人もいたらそうなるのも無理はない。

 そんな人を妻にしてる旦那さんがどれだけ苦労してるかは、想像に難くない。実際、たまに食事を一緒にすることもあるが、その時洩らしていた苦悩は酒の味と一緒に覚えている。

 ただ、旦那としてレースに関するいろいろな知識を知りたいとは言っていた。そんな時、レーシングカーの整備も一時的に担当することもある俺は、主にライダーのコンディションの重要性を教えている。妻を支えたいと願って勉強する真面目な旦那を持って、あの2人は幸せだろうなと思った。

 

「まるで同窓会だね。今日は」

「戦う相手もそうだしな」

 

 今回、俺たち社会人チームと試合を行うのは、あるプロ戦車道チーム。

 そのチームのオーナーは、驚いたことにスズキだった。

 

「力伸ばしてるとは聞いてたけど、ここまでとはな」

「まあ、昔からの夢が叶ったからじゃない?」

 

 まだ学生だった頃、スズキの将来の夢は『プロ戦車道チームのオーナー』と話していた。

 それが叶ったこと自体は嬉しいが、まさか自分たちのチームと戦うことになるとは何とも皮肉なものだ。

 

「次のお休みの日、一緒にご飯にしないかって言ってる」

「いいね。けど、まずは試合が先だな」

「そうだね・・・」

 

 戦場へ向かう戦車の後ろ姿は、大分小さくなっている。

 その姿を見るナカジマは、少しだけ緊張しているようにも見えた。

 

「緊張するね、やっぱり試合の前は」

「ああ、そうだな」

 

 戦車の整備を仕事にしてから結構経つし、大分慣れてきている。しかし、緊張とは切っても切れない関係だ。試合の前になると、どうしてもこれは感じざるを得ない。

 

「でも、心配いらないはずだ」

 

 そんなナカジマの肩を、優しく抱き寄せる。

 

「俺とナカジマで整備したんだから」

 

 その言葉に、ナカジマは俺のことを見上げる。

 目を逸らしたりはしない。自信を持ってそう言えるから。

 

「・・・そうだね」

 

 そう呟いて笑うナカジマ。

 

「じゃあ、そろそろ行くか」

「うん、そうしようか」

 

 そしてナカジマは、俺の手に自分の手を絡ませる。その手の温かさに口元が緩んで、俺たちは虹を背に観戦席へと向かう。

 

 学生の頃に俺は、自分の未来を実現するために大洗を訪れた。その実習の最中で、色々なものを学び、拾い、そして自分の成長の糧としてきた。

 大洗で得たものの中には、俺にとっての一番大切な人も含まれている。俺と同じような未来を目指す人がいてくれたから、今日この日まで挫けないで歩き続けることができた。

 あの時のことは昨日のように思い出せるし、親しい人との間柄も消えていない。それが、観戦席にいるホシノとツチヤ、そして今日戦う相手チームのオーナーのスズキだ。

 それは全て、過去から途切れることなく続いている『道』の示した基点だろう。

 そしてこの道は、この先途絶えさせるつもりは無い。自分がやれるだけのことを、行き着くところまで続けたい。

 自分にとっての大切な人・ナカジマが傍にいる限り、俺はそれができると信じている。

 

 やがて、試合開始の号砲が虹の架かる青空に響いた。

 

 




これにて、ナカジマと村主の物語は完結です。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
作者のガルパン恋愛シリーズも6作目となりましたが、いかがでしたでしょうか。

今回の物語では、まず大前提として、メインであるナカジマと主人公・村主の恋愛を描くことのほかに、
大洗女子学園艦に暮らす人々の大洗に対する思い入れを描いてみました。
大洗を舞台に話を描く、と決めた際、時系列は劇場版前後にしようとすぐに決まりました。
そこで、大洗という場所・そしてそこにいる仲間をみんなはどう思っているのかを描き、廃校になった際の悔しさ、そしてそれを撤回したときの喜びを表現したいと構想を練った次第です。
お付き合いいただき、ありがとうございます。

アッサム編、小梅編でも使った『期間限定の恋愛』というやり方を久々に起用し、
今回はその2人よりもさらに短い期間でした。
上手く表現できたかどうかは自分ではわかりませんが、1人でも面白いと思っていただければ幸いです。

次回作を投稿する時期は、恐らく年明けごろになるかなと思います。
次のヒロインは大学選抜チームの2人目か、BC自由学園、あるいは継続高校かもしれません。楽しみにしていただけると嬉しいです。

最後になりますが、
ここまで読んでくださった方、評価をつけてくださった方、応援してくださった方、またご指摘してくださった方々、本当にありがとうございました。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。

ガルパンはいいぞ。


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後日譚
雨の中、始まる2人


こちらのお話は、
先日まなぶおじさん様から頂いた三次創作を基に加筆修正をした、
後日譚となっております(本人了承済み)。


 あれから4年の月日が流れた。

 ナカジマと出会って、自分の本心を告白して、将来を誓い合ったあの日から、いつの間にかそれだけの時が過ぎていた。

 楽しいことも辛いこともあったあの日々は、思い起こそうとすれば、きっといくらでも思いだせるだろう。村主にとっては、それが一番の大切な過去だったと言っても過言ではないから。

 そう、一番大切『だった』過去だ。

 

「―――お待たせ、村主」

「待ってたよ、ナカジマ」

 

 ライトブルーのシャツにジーンズ、そして黄色い傘を手にするナカジマが、変わらないにこやかな顔で村主に寄ってくる。

 久々に会えた衝動からか、村主も早歩きでナカジマと距離を詰めた。

 

「元気にしてたか?」

「してたしてた。村主は?」

「相変わらずだよ」

 

 苦笑いをこぼしながら、視線を真上に向ける村主。せっかくナカジマと会える日だというのに、空ときたら威勢よく大雨を振らせている真っ最中だった。

 ナカジマも村主と同じように笑いながら。

 

「みたいだね」

「なぁ。とりあえず、立ち話もなんだからどこかで腰を下ろさないか?そこで色々と、な」

「うん」

 

 ナカジマが素直に頷く。

 

 ―――ナカジマとこうして出会えたのも、一体いつぶりになるだろうか。

 

 村主もナカジマも、ひたすらに夢を追い求めているからか、どうしても会う時間に恵まれない。

 もちろん2人とも、それは理解し合っているつもりだった。だから、隙あらばメールを送ってナカジマとコミュニケーションを取り合っているし、電話を掛けたことだって何度もある。大学の友人から、『お前、いつも誰かと電話したりしてるよな』と言われるぐらいには。

 そんなわけで、ナカジマとは良好な関係を保っている。

 

 良好()()()の関係を、続けていた。

 

□ □ □

 

 2人が入ったのは、街角にある落ち着いた雰囲気の喫茶店。

 窓際の2人掛けの席に座って、会えなかった間のことを楽しそうに話す。窓の外では雨が降り続けているが、お互いに相手のことだけを見ているから気にしない。

 

「―――それでホシノ、最速でライセンス取ったんだって」

「本当か?」

 

 向かいの席に座るナカジマは、村主の問いかけにうんうんと頷く。

 

「ホント。この前電話がかかってきて、やったやった、って大喜びしてた」

「へー、そりゃすごいな・・・。今度何か祝ってあげないと」

 

 何をあげればホシノは喜ぶだろう、と村主が考えていると。

 

「あー、それなんだけどね、村主?祝い事をするのなら、ちょっと財布の中身に気をつけた方がいいかも」

 

 意味ありげに口元を曲げるナカジマ。

 その言葉と表情の意図が皆目見当もつかない村主の口からは、『へ』と疑問を呈する声しか出ない。

 

「実はホシノ・・・彼氏にプロポーズされたんだって」

 

 少し溜めてから告げられたことに、村主は一瞬呆けてから。

 

「ま、マジで?」

「うん、マジで。卒業したらすぐ結婚するんだって。いやぁ、ホント最速だね」

「・・・流石は、元『大洗一速い女』・・・」

 

 心底嬉しそうに、ナカジマはあっはっはと笑う。

 対して、村主は冷静ぶって紅茶を飲むことしかできない。とても他人事とは思えない話だったから。

 

「いやー、うらやまし・・・くもないか」

 

 ナカジマが、視線を手元の紅茶に落とす。

 

「私も村主と・・・結婚するんだし」

「・・・ああ」

 

 他人事と思えない理由を、あっさりと口にする。

 

「・・・嬉しいな」

「・・・ああ」

 

 紅茶に口をつけて、ナカジマはふわりと笑う。村主のことだけを見つめながら。

 そんなナカジマの顔を見て、村主の息が震えだす。心臓が音を立て始める。村主はただただ、紅茶を飲むことしかできない。

 

「ねぇ、村主」

「?」

「・・・村主と同じ道を歩めて、本当に良かった」

「・・・俺もだ」

 

 頷く。

 ナカジマには、たくさんの夢があった。レーサーになってひとっ走りするか、クルマの整備士になるか、戦車の整備士を務めるか。

 精一杯に、悩んだだろう。すべてが、ナカジマの『好きなこと』だったから。

 精一杯に、考えただろう。どれかに、ナカジマの一生を捧げるのだから。

 そしてその末に、ナカジマは村主の目を見てこう言ったのだのだ。

 

「好きな人と、好きなことで手を取り合える。こんなにも素敵なことは、他にないよ」

 

 

 ―――村主と、同じ道を歩むよ。

 

 

「・・・・・・そうだな」

「うん。村主と一緒だから、どこまででも走れるよ」

 

 良かったと、切に思う。

 ナカジマの、こんな顔を見ることができて。

 

「・・・ナカジマ」

「うん?」

「あのさ・・・」

 

 だからもう、恐れない。

 

「実は、ナカジマに渡すものがあるんだ」

「え、何なに?あれ、今日って誕生日だったかな」

 

 もう、迷わない。

 

「これを」

 

 もう、抑えきれない。

 

「・・・・・・え」

 

 

 雨男なんて体質は、大体煙たがれる。

 俺自身、その雨男という体質を自覚し始めた頃はうんざりしていた。

 だが、雨も慣れれば悪くはない。

 雨が降っているからこそ分かるものがあるし、景色も違うように見えてくる。新しい発見だってある。

 

「・・・・・・ホントに?」

「・・・ああ。ナカジマに、受け取ってほしい」

 

 そして、新しい出会いも降ってくる。

 雨男という体質も、今はなんだかんだで好きだ。

 

「・・・そっか、そっか」

 

 こうして、雨のように涙を流してくれる、そんな素敵な人と巡り会えたのだから。

 

 

□ □ □

 

 

 私は、昔から雨が好きだった。

 きっかけは何だったか。本当に子どもの頃からだから、よく分からない。きっと音とか、匂いとか、雰囲気とか、そう言ったものが私に合っているんだと思う。

 友達にも、『雨が好きなんだよね』と口にしてみたことがあるけど、反応は『分かる気がする』だった。少なからず、雨にはそう言った魅力があるのかもしれない。

 

 だから私は、今日も今日とて雨が降りしきる大洗女子学園艦の町を歩いていた。

 車の走る音が、雨の隙間から聞こえてくる。傘に雨粒が弾かれる音が、絶えることなく耳に残る。

 その音を聞くたびに、いいな、と思う。

 やっぱり雨はいいものだな、と思う。

 そうしてあてもなく学園艦を歩いていると、ふと公園が目についた。1つ下の階層にある、海に面した公園だ。

 

―――少し、座ろうかな。

 

 みんなで走り回るのも好きだけど、たまには1人で静かな雰囲気に浸るのも悪くない。

だから私は、鼻歌交じりに公園に歩いて行って、そのまま東屋で落ち着いた。

 

 晴れていれば、穏やかで綺麗な海が望めるけど、雨が降っている今は景色も霞んでいる。

 そんな海を眺めながら、いくらかの時間が過ぎた。

 目を瞑ってみると、雨の音がよく耳に入る気がする。雨の中で、1人だけ取り残されたような感覚も、いい感じだ。

 しばらくこうしていようかな。

 そんな風に思っていたら、雨の中に足音が聞こえてきて、

 

 ―――え。

 

 声が、雨の中に溶けて消えた。

 学園艦では見慣れない、私と同じぐらいの年の男の人が、私の隣に座っていたから―――




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

まなぶおじさん様、素敵なお話を贈ってくださり、
本当にありがとうございました!


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