魔法科高校のアンチテーゼさん (あすとらの)
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入学編
不思議・オブ・ザ・デッド


出たよ魔法科。自分でも何でこういう設定になったのかわからん。

あすとらのは司波兄妹の砂糖吐くようなイチャイチャが割と好きなので、深雪ヒロイン化はありません。すまねぇな、深雪推しのみんな。お兄様にゾッコンだからね、仕方ないね。


年端もいかない彼は、どこまでも空虚で。

 

馬鹿で無知で無学で暗愚で蒙昧で浅はかで浅学で浅簿であったのなら。底辺を這いつくばるだけの薄汚い子供だったら。あるいは逆に、脚光を浴びる、不自由など何一つない名家の御曹司として生まれていたら。

 

———俺は生きてる資格があったんですか?

 

彼は涙を流した。殴ってくれる人など、いないというのに。

 

西暦2092年、冬。彼は初めて、人を殺した。

 

◆◆◆

 

西暦2095年。東京都。

 

魔法という技術、何て新テクノロジーが登場して100年かそこらの日本。ある少年は、その日を待ちわびたように足取り軽く歩いていた。やや幸薄めな印象を受ける顔。端整かどうかは評価が割れるところではあるが、『整っているかいないか、どちらか二択しか許されないのなら整っている方を選ぶ』くらいのものだろう。

 

ともあれ、彼は辿り着いた。

 

国立魔法大学附属第一高校。魔法師を育成するという学校にこれほど分かりやすく単純なネーミングはないだろう。何を学んでいるの?と聞かれたら学校の名前を答えるだけで相手は察してくれる。

魔法師は徹底した実力主義、あるいは名家の血統第一主義的な側面もあり、正直生き辛い世界だろう。何せ差別が黙認されているのだから、いくら教育制度の歴史が古くないとはいえ生徒の自治どうこうなどと言っていられない環境であることも事実である。しかしそれでも、少年は門をくぐることをやめなかった。

彼は所謂『紋無し』で、差別される方に入ってしまっている。制服に紋がある一科生は本命、紋の無い二科生はその補欠。何とも分かりやすい階級構造で、この学校の目指すところが伺える。

 

耳ざとい彼は、ある声を捉えた。

 

「補欠の癖に張り切っちゃって」

「所詮スペアなのに」

 

魔法師は、自分達を選ばれし人間だと本気で思っている。それは時代の流れとともに徐々に外面へと押し上げられ、ついには感情だけでなく態度と言葉にまで出るようになった。魔法師は、非魔法師を圧倒するという充足感を、逆に非魔法師は嫉妬と敵愾心を持ち、人の感情や繋がりはそこで決定的に分かたれてしまった。魔法によって進化する科学、そこに到来する選民主義と国策。光があれば影が差す。時代は22世紀へと移り変ろうとしていた。

 

「おはよう諸君!」

「ぶっ………」

「はぁ!?」

 

校庭にいる人間の視界に入らず背後まで移動し、声を張り上げる。名もなき男子生徒2名は驚愕のあまり体制を崩す。しかし少年は御構い無しに言葉を続けた。

 

「陰口なんて健康的じゃないぞ!諸君!他人に何を言いたい時は大きな声で!」

 

彼は腕を意味もなく大きく動かしたり、掻くような仕草をして紋を見せることなく2人に話しかけた。

 

「あぁ、いえ、そんなこと………」

「じゃ、俺らはこれで」

 

怖がった、というより引いたのだろう。聴衆達が退散するまでそう時間はかからなかった。

 

「細いのう。そんなんじゃダメだぜ優等生」

 

そんな様子をニタニタと、意地の悪い笑みを浮かべて見守る彼がいた。

 

かつて魔法師の世界にある大波乱を巻き起こした、自称どこにでもいる『少年A』の学校生活はこの時から始まった。

 

◆◆◆

 

高校の廊下を歩くのが楽しくて仕方がない、とばかりに彼は笑顔だった。何も笑える要素など無い、ただ1人で歩いているだけだというのに。

彼は今となっては時代遅れなデジカメで廊下や教室や階段などの学校の内部を様々なアングルで撮影し、確認しては喜ぶという傍目からすれば奇人変人としか見られないような奇行をしていた。記念にパシャリというわけでもなく、ただただ撮影しては喜び、また撮影しては喜びという繰り返しは一種の狂気すら感じさせるものだが。あるいは偶に盛大にズッコケながら走ったり。

そんな奇行が目に留まったのだろうか、それとも行動そのものが目に留まったのだろうか。それとも服装の問題だろうか。

彼は裾が長いせいで絶望的に動きが阻害される制服を身に付けておらず、学校指定のカッターシャツにグレーのパーカーと、遊び人そのものの格好をしていた。そのせいか、やはりそのせいなのだろうか。

 

「新入生」

「おっと、それってもしかしてあたしのこと?」

「そうだ新入生。式はもうすぐ始まるぞ。講堂に集合だ」

「あらら。腕時計ってのは存外アテにならないもんね」

「………何を言っているんだ?」

 

やはり目に付いた。声をかけたのは、当然彼のことを新入生と呼ぶのだから上級生だ。ショートカットの黒髪で凛々しい印象の彼女は、ここにいなかったらおそらく演劇の道にでも進んでいただろう麗人だった。上級生であることは呼び方で分かるし、役職も分かる。腕章には見せつけるように風紀委員と書いてあったためだ。まずは何を聞こうかという彼女の思案を破るように、彼は言った。

 

「あらまぁ、フェミニズム離れの甚だしい麗人だこと」

「………入学式はもうすぐだぞ、新入生。講堂に行きなさい」

 

しかし彼女にも上級生としての矜持のようなものがあるようで、少年の言葉を無かったことにするように続ける。見ると彼女の制服には、八枚の花弁があしらわれていた。

一科生。二科生の彼とは対になる存在。この学校では生徒は一科生、二科生と呼ばれて分けられるのだが、その基準は単純に言えば魔法の才能。どれだけ前途有望か、今生徒が身に付けている技術を見て選別されるのだ。有望な者は一科生へ、そうでない者は二科生へ。その関係についてだが、魔法の行使には事故のリスクが伴う。肉体的な損傷や精神の摩耗で一科生の誰かが再起不能になると、その補填として二科生が使われる。いわばスペア。だからこそエリートとして将来を約束された一科生は花弁(ブルーム)であり、補欠の二科生は雑草(ウィード)と呼ばれ差別される風潮がある。

 

———幸先が悪い。

 

彼は心の中で悪態をついた。

 

「働きアリの大原則を学んでから声をかけてくんな。じゃなきゃ会話するって気にもならねぇろ?」

「何を言っているんだ?君は」

 

しかしそれにもボロは出てしまうもので。会話に脈絡が無いように思えてならないからこそ、その脈絡を知らないからこそ、知りたいと思うのは人間として至極当然なこと。この辺りは彼が手を回すまでもなく、上級生の女子生徒が勝手にドツボに嵌っただけではあるが。

 

楡井修平(ニレイシュウヘイ)。お姉さんの名前も教えてくらせぇな」

「………渡辺、摩利だが」

「忘れてほしい時は忘れさせますけ、楡井くらいは覚えてくんな。ほんじゃ」

「ああ………いや違う!待ちなさい!」

 

危うく場の雰囲気に流されそうになってしまった。とにかく自己紹介くらいは常識人としてすませたはいいが、いくらなんでも彼は奔放すぎる。口が滑ってさっさと退散しようとした少年こと修平を、止まるどころか見送りかけてしまったのである。慌てて首根っこを掴むと、大した力をかけなくとも修平は立ち止まった。最初から本気で立ち去るつもりは無かったようで、意地悪そうに笑いながら振り向いた。

 

「おゔ。待てと言われりゃ待つけんど、手を出すのはいただけんよお姉さん」

「そうじゃない!もうすぐ入学式だぞ!」

「いんや、あたしゃゼークトの軍事組織論に基づきゃあ結構な———」

「来なさい。君がどのような生徒かは知らないが………」

「………」

「………力を抜きなさい」

 

驚くことに、少年の体は力をかけても根を張ったように微動だにしない。片手だからだろうか?と摩利は推測したが、すぐにそうでないことに気付く。問題は自分の力ではない。彼のボディバランスや膂力にある。

 

「ずぇったいに嫌だ。あたしゃ是も非も知ったこっちゃないけんど、使命と趣味の境界くらい分からぁ。あたしにゃやるべきことがある。それこそ、入学式が烏合にしか見えねーくりゃあにな」

「………何?」

 

摩利にも新入生を歓迎するという意図は勿論ある。あるのだが、魔法技能師を育成するという特殊過ぎる学校。敵が多い故たかが高校と侮っていると冗談でない程度の傷を心身に負う。3年も在籍していれば感性も磨かれるというもので、彼女の第六感は察知したようだ。

 

「君は一体………」

「おぉん?せからしか、んなもん書いとろーが。何ね、文字から読まんね」

 

摩利は自身の記憶を辿る。魔法の世界は血統が大きな影響を及ぼす。数字付き(ナンバーズ)、古式魔法、数字落ち(エクストラ)に至るまで考えを巡らせた。しかし、彼が名乗った楡井という姓は少なくとも、摩利が知る範囲では名家と呼ばれる部類に存在しない。しかし彼の口振りは摩利に、先輩に対する不敬への怒りよりも、ただ疑念を噴出させた。

 

「楡井君、そうか、一般5教科で首席だったのは君か」

 

だからこそ、こちらが知る情報を使って釣らなければならない。彼の名前は確かに、一般教科試験の名簿にあった。高得点順の一番上に、全教科文句なしの満点だった。ステレオタイプかもしれないが、真面目な人物像を想像していた点も疑問があった。

 

「あぁ、せやね。元からそれ以外はどうでもいいっていうか何ていうか。正直嬉しくないからな〜」

「………ここは魔法科高校だが?」

「ん。知ってるよ。だけどね摩利ちゃんぬ」

「摩利ちゃんぬ?」

「そうだ摩利ちゃんぬ。ひとついいことを教えて差し上げよう。昔の偉い人が言った。敵を知り、己を知れば百戦殆うからず。今俺は己をこの世の誰よりも知ってる。あとは敵だけだ」

「っ!!」

 

摩利は即座に距離を取り、腕の精密機械を起動させんと素早く準備段階に入る。Casting Assistant DeviseことCAD。端的に言えば魔法の展開を補助する道具のことで、その形態は様々。しかし共通するのは、他人に対して行使をする場合、その意図は十中八九友好的なものではない。

 

「あんだよ、挨拶代わりにマッチアップかい。してんねぇサツバツと」

 

彼女だってそうしたくてやったわけではない。しかしやらざるを得ない理由は、彼が身を翻した時にチラリと見えた鈍色で鋭く尖った金属を見た時に全てが固まったのだ。魔法は武器だけでなく技術にもなりうるが、彼のソレは違う。ソレは、武器にしかならない。未知という恐怖に後押しされた彼女の自己防衛は、ソレによって決定的なものへと瞬時に変貌した。本当に新入生なのか?という疑問にまで思考が及んでしまえば、あとは行動するのみだ。

 

彼女のCADが発光して派手に起動するのと同時に、彼も今では古風になったデジタル腕時計のストップウォッチボタンに触れる。その動作に焦りの色はなく、軽口を叩くほどに冷静だった。

 

「摩利!修平君!」

「渡辺、どうした?」

 

と、いよいよ偶発的開戦寸前となった時に文字通りの横槍が入る。摩利は慌てて頭を冷やしてCADを停止させ、修平は虫の居所が悪そうに両手をポケットに突っ込む。2人の名で静止を呼びかけたのは、小柄な少女。高音過ぎない声の調子や目尻が少し下がったような顔立ちはどこか大人びている。が、少なくとも初見の修平の目を引くのはその後ろからやってくる大男だろう。太眉、睨みつけるような目つき、腹に響くような低音、筋肉質で高身長と威圧感溢れる肉体。

 

「真由美ちゃん何でゴリラ連れてんの?」

「修平君!」

 

巌のような大男………十文字克人を視界に収めた彼の開口一番がそれである。

 

「そっちのは新入生か?」

「デリバリーピザ屋にでも見える?」

「………おい七草、何なのだ、こいつは」

「あー………」

 

自分が声を張り上げて叱りつけても、彼の心には何も響かない。小柄で少女のような可愛らしさと職務を遂行する大人びた可憐さを併せ持つ少女、七草真由美は頭を抱えた。

 

「2人とも、知り合いなのか?」

「私は結構前から。十文字君は彼のお話だけ聞いてたの」

「おぉう。逆だったらゾッとするね。こんなガチムチゴリラの化身と幼馴染になってたかもしれんのか」

「ちょっと静かになさい」

「何だよ、昔を懐かしんで赤面するのは処女の特権だぞ」

「関係ない話をしない!」

「あーい………」

 

らしくない。摩利は声を荒らげて狼狽える親友を見る。少々年頃の女子に対する不適切な発言はあったものの、いつもなら微笑みながら流していただろうに。いつもの余裕綽々な笑みはどこへやら、これまで見たことがないくらいに狼狽している。

 

「それで、何があったの?」

「いやなに、ちょいと俺の口が鏡面処理したフローリング並みにお滑りしたもんでね。女性を怒らせちまったもんで」

「摩利が新入生相手に魔法を使うなんて前代未聞なんだけど?」

「いんや、ちょいと下世話な話をしちまって」

「………そういうことにしておきましょう。はい、摩利の目を見て、ごめんなさい」

「さーせんした」

 

しおらしく頭を下げるが、彼は形式だけを取っているのは誰の目から見ても明らかだ。ほんの一瞬だけ頭に血が上るが、やはりそれも一瞬。発言に大きなインパクトがあったとはいえ、寧ろ自分も噛み付いてきただけの新入生に対して過剰反応し過ぎたと摩利は自分を省みる。が、省みたことはあっても間違っているとは思えない。近頃は物騒な世になってしまったのだ。反魔法活動の台頭もあってか風当たりが強い。あからさまに不審者な彼が凶器を携えてご登場ともなれば、魔法くらい使いたくなる。

 

「出ないなら出ないで、あんまり先輩のこと困らせちゃダメでしょ?」

「じゃあ話とかなかったあんたの責任だろうが。危うく有象無象の中に放り込まれるとこだった」

「それはゴメンだけど〜」

「早う行かんね生徒会長。あとそこのさっきから全然喋んないキン肉マンもフェミニズムを捨てたティーンも」

「七草がお前と話をしている時に横槍は不要だ」

「いや真面目か!」

「何か聞き捨てならない渾名を頂戴した気がする………」

「うっせ!俺ァこう見えてやることがあんだ!」

「もう………分かったわよ」

 

駄々をこねる子供のように語気を強め、追い出すように手で払うような仕草をする。修平と真由美の関係は、お互いの性格のこともあってまるで駄々をこねる子供とそれを諌める母親のようにも見えた。

 

ここで、ある違和感が生じる。

 

あまりにも唐突であったため、摩利も今の今まで気付くことが出来なかったが、それを確認する前に親友達はさっさと退散してしまった。出会いから衝撃的だっただけにそれを忘れられず、言葉にした。

 

「なぁ、彼って方言とか使うのか?」

「聞いたことないわね。彼は生まれも育ちも東京の筈だし」

「そうか………」

「どうして?」

「いや………何でもない」

 

情緒が安定していないのか、と思った。最初の彼はつかみどころがなく、そののちに覗かせた彼はどこか軽薄で陽気ないかにもといった様子の若者。しかし真由美と話す彼はどこか怒りを露わにしているようで、言葉遣いも荒っぽい。真由美に反抗的なのかと思えば、彼女が『講堂に行きなさい』と言えば文句を垂れ流しつつも従い講堂へ向かっていった。もしかしたら、何か触れて欲しくないことなのかもしれない。出会って1時間と経っていない新入生に対して大いに反省するべき点があったのだから、いくら先輩と後輩という関係があれど礼節がなければならない。そう考えて目を伏せたのだが。

 

「あの子のことを知りたいなら団結しなきゃダメよ」

「え………?」

 

不意に彼女の声色が変わる。それは力強くありながらもどこか悲しげで、彼を気遣っているのか哀れんでいるのか憎んでいるのか、そんな真由美の感情が受け手側の摩利にも分からない曖昧なものだった。

 

「平々凡々で特筆すべき点もない、実害が無さそうな対人能力の高い高校生。そういうキャラクターは彼にとって情報収集するのに最適だし、実際私ももう何回も騙されて、きぃぃ〜!」

 

しかしそんな彼女が覗かせたのはほんの一瞬のことだった。過去にどんな煮え湯を飲まされたのやら。彼女らしさというのは、どうやらフラストレーションで消え去ってしまったようだ。顔見知りらしかったが、アレを相手にするとなると相当に強靭なメンタルが要求されることは摩利も想像出来る。

 

「そ、そう………」

 

ので、そうやって相槌を打つのにとどめた。不用意な慰めは彼女にとってと毒だ。あれば一体何だったのか。今は知るすべなどない。

 

「でも、彼を知りたいなら、心理的に彼の上を行かないと、逆に出し抜かれちゃうんだから」

 

ストレスから脱却した真由美のその言葉に、更なる疑問が折り重なる。彼の魔法力は中の下程度、理論は成績優秀だがトップ10に名を連ねるほどに優秀というわけではなく、実技に至っては落第。正直、よく合格したものだと感嘆するレベルだ。どうやって入ったか、と問いかけるのは、何となくだが憚られるような気がした。

 

「彼は魔法技能師になるために魔法科高校に入学したのではありません。寧ろ、彼は魔法科高校の存在意義と真っ向から対立する理由でここに身を置いているの」

 

親友の口調がお固くなるのは、彼女をして油断ならない存在であるという、つまるところ人間的な悪い予兆だ。そして語られる言葉は隠すつもりが感じられないほどに摩利の悪い予感を掻き立てる。

 

「彼は魔法師を研究している。魔法師に対抗出来る非魔法師として、魔法という存在そのものを否定し戦うアンチテーゼとしてあるべき姿のためにこの学校にいるの。だからよく注意しないと、足元掬われちゃうわよ」

 

彼に祈りなど届かないとは思いつつも、彼の胸ポケットから顔を覗かせたハンティングナイフがオモチャであってほしいと、摩利は心で願うようになった。



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迷なる儀式

前回は短かったんですな。今回は普通です。


結局あれから粘り勝ちをしたと言うべきか、彼女が年長者らしく折れてくれて助かったと言うべきか。結局彼の事情か学校の事情かどちらを通すかという選択に、彼女は後者を選び、今に至る。七草真由美からの厳命は、保健室から絶対に出ないこと。思わずあたしゃ隔離患者かと遺憾の意を表明するところだったが、しかし、トラブルが無いなら無いでそれでいい。性格が悪いと言いたければ言えとばかりに、皆が厳粛な式で肩肘張っているところで1人だけ悠々自適というのも中々悪くないと、ベッドで寛いだり今は不在の養護教諭がいつも座っているであろうテーブルに座ったりと、好き放題やっている。しかし王様気分に飽きてしまった彼が強く関心を持ったのは、棚に整然と並べられた薬品の数々だった。消毒用のエタノールに、オピオイド系の鎮痛剤。魔法飛び交う高校だからか保健室の薬剤はちょっとした研究機関並みに揃っている。ここまであれば混ぜ合わせてアレコレ出来るもので、胸も高鳴る。

 

「何たるや………こいつは認可外だとばっかり………」

 

ゴムやガラスに添加されているマグネシウムを抽出し、硝酸アンモニウムを加えて一定の温度で炸裂する火薬に放り込むと閃光弾が出来上がる。あるいは、それを可塑性のある粘土などの物質に混ぜ込めばプラスチック爆薬の代わりにもなる。

 

「すげぇ」

 

真由美の判断は正しかった。彼の興味を惹くものが陳列されている保健室は外に出ようという気を失せさせるものであった。

 

というのは彼が薬品を漁って20分が経過した頃までの話。

 

「んー………」

 

黒板大の大型の端末が許す限り二進数をひたすら羅列している頃には、どうやらその興味は失われていたようだ。羅列は完璧な筈なのに、最後の数字がどうしても一致しないことについてうんうんと唸りながらマジックペンをくるくると手で遊ばせる。小首を傾げて思考に耽っている理由は、ここでの彼の生命線を手直ししているから。あるシステムのコーディングの手直しを突然思い立って即断即決で行動したわけだが、どうにも引っかかる点があってコードを羅列していって問題を見つけんというひどくアナログな手段を取った。しかし喉に何か詰まったような違和感を覚えながらも、コードは問題なしを示している。睨み合って5分ほど経つと、閃きのとっかかりとなりそうな違和感に気付いた。

 

「すみませーん。誰かー」

「ぶっ………」

 

が、しかし、間の悪いことに、悩んでいる最中に突然の訪客のようだ。いくらか明るい女子生徒の声が扉を隔てた向こう側から聞こえると、彼は手慣れた空き巣の如く端末の電源を切り、調べるために棚から出した薬品を元の位置に戻す。そしてガーゼとエタノールと金属ナトリウムを手に持ったところで———

 

「なすっ!」

 

爪先をデスクの鉄脚にクリーンヒットさせ、プラスチック製容器やピンセットのような金属製の道具を床に散らして盛大な合奏となった。ジンジンと響くような指の痛みとともに後悔しても何とやら。

 

「ちょ、ど、どうしたんですか!?」

 

当然、静謐な保健室から爆音が鳴ったとなれば扉の向こうの人物も焦るだろう。そして乱暴な音を立てて引き戸が開放される。

 

「あ………あれ?」

「誰もいないね………」

 

入ってきたのは、勝気そうな赤毛の少女と、大人しそうな眼鏡の少女。2人は対照的だが仲良さげで、距離感も中々近い。

 

「聞き間違い………かなぁ?」

「そーんなわけ………」

 

訝しげに周囲を見回していく。床に散らばっている薬品や不自然に置かれた応急処置具を見るに、つい先ほどまでここで何かをしていたはずだと名探偵を真似て推理を始めたのは赤毛の少女の方で、気難しそうに眉をひそめて保健室の中を歩き回る。そして、カーテンで仕切られたベッドの方へ向かう。

 

「ここじゃ!」

 

誰かを見つけた時用のしてやったり顔のまま、少女は勢いよくベッドを引き剥がす。

 

「あり?」

「エリカちゃん………」

「おっかしーなー。絶対いる筈なんだけど………」

「具合悪い人がいるかもしれないんだから、やめよ?」

「んー………」

 

入学初日に学校で体調を崩すような面白い人間を見てみたい気もする、という言葉を、エリカと呼ばれた赤毛の少女は何とか飲み込んだ。騒ぎ過ぎたと、カーテンが閉まったベッドに目を向けてから目を伏せると、部屋を出た。

 

そして、デスクの下半身を収めるスペースに体を押し込んで身を隠していた修平がのそのそと這い出る。

 

「まったく恥ずかしがり屋で困るね。せっかく美人とお近付きになれるチャンスだったってーのによ。聞いてるかい?お前のことを言ってんだ、ヴァカめ」

 

カーテンを閉めるのは、誰かいると思わせるために修平が保健室に入って一番最初に行ったことだ。そして、これまたこの時代に古典的なスマートフォンの電源を入れる。画面には、先ほどの2人の少女の個人データが映し出されていた。

 

「いやしかし、手間が向こうから来てくれてえがったえがった。式も終わったっぽいし」

 

初日にしてはチョロいものだと、ほくそ笑みながら帰路につこうとする。その準備としてまずは、散らかった保健室を片付けるところからだ。骨が折れるが、しかし、やってしまったものは致し方なし。とばっちりを喰らってしまったが、楡井修平がやってしまったことに間違いはないのだから。

 

「難儀だねぇ、まったく」

「何が難儀なんだ?」

「らぁい!あんだよクソッ!」

 

休みなく二連続で心臓に悪い。しかし振り返ると、三連続になるのだが。立っていたのはあの十文字克人で、目を合わせただけで気分はさながから詰問される容疑者だ。しかし当の塗り壁は鋭い目付きのまま腰を下ろし、散らかったものを片付ける手伝いをする。

 

「………何で?」

「生徒のために存在するのが生徒会だ」

「あんたさぁ、それギャグで言ってないよな?」

「………お前の言わんとしていることは分かる。だが悪しきとはいえ慣習として染み付いたものを取り払うのは難しい」

「やらないのと出来ないのは別モンだぞ」

「………まったくもってその通りだ」

 

元々厳しい克人の顔が、更に厳しくなる。

 

元々十師族という名家で生まれた七草と十文字が生徒の代表や部活連のトップを張ることには、差別される方の二科生だけでなく一科生の一部からもよろしくない声が聞こえていそうだ。そもそも生徒自治という制度そのものが完璧でないところに、生徒会入りの規則等々には二科生は一科生の予備というシステムすら建前と感じるまでに不完全で、名家がそのポストに落ち着くためと言われても決して否定できないものになっている。規則要綱諸々を確認した時に、修平も思ったものだ。

 

「いや、そりゃいくらなんでも無理があるだろ………」

 

大前提として、学校というのは学ぶ場所である。そこに自治というシステムを持ち込むことを譲れたとしても、差別を公然と認めているという危険な橋を渡っているのにあまりにも建前がお粗末過ぎる。七草真由美、渡辺摩利両名は差別撤廃を目指しているが、今の学校の制度、そして十師族が生徒総代を固めている現状、これらを総合して、果たしてそれを真実に出来るものか。

 

何かの陰謀論を信じさせたいのか、それとも本当にそこに何かが存在しているのか。

 

「楡井、お前、これからどうするんだ?」

「帰るよ」

「いや目下ではなくだな………」

「じゃあハッキリ言えや」

「楡井修平に関する情報は十師族に留まらず様々な家で共有されている。だからこそこれからの学校生活について問うている」

「これからねぇ。別に、俺は高校生だかんなぁ。勉強して、運動して、色々高校生らしいことやろうかなぁ」

「その中に件の事故は含まれているか?」

「もち。こんなお坊ちゃんお嬢ちゃん学校に入ったんはそのためでもあるんだぜ」

 

どうやら七草真由美の言葉は正しかったらしい。彼の動揺の程度を図るために口にした件の事故という言葉。しかし彼はそれを否定するどころか悪びれる様子もなく肯定した。大小はあれど狼狽は見える筈という前提から覆った、ということになる。

 

「………そうか」

 

期待があっただけに、歯噛みする。これだけで計り知れないということを突き付けられたようで、気分はあまりよろしくない。ここで罪悪感などと聞いてしまえば、それこそ目的を掴まれて利用されるだけ利用される。それだけは避けたかった。

 

「まさかそんなこと聞くために部活連の会頭サマが来たわけなかろうよ。今の質問でなぁに掴もうとしてんだ?」

 

前言撤回。どうやらもう彼は察知しているようだ。その嗅覚は直感から来るものか、それともそうでないのか。明朗にはにかむ彼の笑顔が、そんな言葉ででなければどれほど友人にしたいと思ったことか。金属製の鉗子をトレーに乗せて片付けが終わると、彼はかったるそうに伸びをしてブレザーを脱ぎ、さっさと保健室を後にする。

 

「どこへ行くんだ?」

「帰るに決まってんダルルォ!?」

 

これは修平の自論だが、正直義務が消えた学校に価値など存在しない。やるべきことをやる場所であって、やりたいことをやる場所ではない。自宅の方が倍快適で、倍自適で、それでいて倍自由なのだから。何が悲しくてプログラムが終了した学校に何をするでもなく居残りをしなくてはならないのか。今回は無かったが、終業のチャイムと共にノータイムで席を立ち、ドアを開け、廊下の窓からHALO降下で1階までショートカットし、ダッシュで校門を駆け抜けるところなのだが。

 

「七草が呼んでいたぞ」

 

しかし憎くきチビがそれを許してくれない。

 

「お前そういうことは挨拶のあとに言うもんだろ」

「忙しそうだったのでな」

「で?あのチビは何て?」

「知らん。ただ連れて来いと」

「相変わらずイヤラシイやり方すんなぁ。致し方なしたかし、放課後ティータイムと洒落込もうかね」

「茶は出ない」

「そういうこと言ってんじゃねーよ」

 

思わず真面目かと叫びそうになった。

 

とにかく、七草は手札を見せてくれない。概要すら話さずにただ来いという言葉を飛ばすのみ。妖精だなんだともてはやされている彼女に女王様気質は無理があると言葉にしようと考えたこともあったが、別にわざわざ教える義理もなし。彼女も楽しんでいるなら、修平はまたそんな彼女を見て楽しもう。加虐嗜好癖の性的倒錯者にでも。

 

「いらっしゃい修平君」

「お前さては馬鹿だな」

「もう、いきなりご挨拶ね」

「何だよ生徒会総出で。新入生囲んでそんなに楽しいかよ」

 

中央のやけに豪華なテーブルに腰を落ち着ける真由美と、その脇を固めるように立つ2人の少女。片方は無機質で無表情を徹底する能面のような人物で、もう片方は威圧的な修平に対して畏怖のような好奇のような、どちらともつかない目で見る小柄な少女。そして少し離れた位置には渡辺摩利がどうするでもなく立っている。

 

「座ってもいいのよ?」

「言っとくが俺の体が回れ右したくてウズウズしてる」

「んもう、人付き合いはちゃんとしなきゃダメよ?」

「おいガチムチ、このチビ何言ってんの?」

「言葉通りだな」

「過労か、おいたわしや」

「違う!」

 

バンッ、と机を叩く。予想外の行動にある者は手に持っていた端末を落としかけ、ある者は人知れず肩をすくませ、またある者はしてやったぜとばかりに鼻を鳴らした。

 

「じゃあ何だよ。囲んで棒で叩く趣味もなかろうに」

「あぁ〜………そのことなんだけどね、修平君」

「あん?」

「この後、暇?」

「オーケー、暇じゃない。帰る」

「待って!待ってねぇ!お願いだからぁ!」

「ぶふぉっ」

 

背中を鈍器で殴られたような衝撃にえずく。真由美が踵を返した修平の背中にしがみついたのだが、その勢いは激突と呼んでもいい。

 

「こんの………みっともねぇぞ生徒会長!」

「いいじゃない!みんな知ってるんだから!ねぇ待ってよお願いだからー………」

 

生徒会長としてでなく、十師族の一員としてでなく、純粋に七草真由美として。

 

なのだが、まったくときめかない。状況がこれでなければもう少し穏やかになったであろうものを、ただひたすらに鬱陶しい。義務感が終われば彼は虚脱するだけだ。

 

「……………離れろよ。じゃないと内股で転がすぞチビ助」

「はーい」

 

何より、彼にも嗜好というものがある。

 

「そこまでしてどうしたいんだお前は。言っとくが依頼は8桁積むことになるぞ」

「そんなんじゃないわ。この高校の学生らしいことをしたいの」

「お前でもいいんだぞ」

「私が大怪我したら大変でしょ?」

「いっそさせてやろうか、この野郎」

 

大変よろしくない。修平の背後を陣取る克人に表情の変化はなし。摩利は真由美ではなく修平を見た。小動物っぽい方は申し訳なさそうに目を伏せ、無表情な方はそもそも修平に関心がないように目を泳がせている。

 

「会長、彼は?ついに会長にも春が?」

 

修平から見て、真由美の左を陣取る女子生徒が疑問をぶつける。彼女からすれば意味不明な茶番を見せられたような気分で、表情はまったく動かないが考えることはひとつ、さっさと紹介しろよとばかりに少し幼稚な挑発をする。

 

「そんなんじゃないから!やめてリンちゃん!」

「頭ん中真っピンクじゃねーか、能面女」

「のっ………」

 

返しはやや手痛いものとなったが、すぐにそれは形状を記憶しているようにいつもの無表情となった。彼女にとっては、先輩と後輩という立場にありながら友達感覚の会話どころか、人目をはばからず罵る修平を見てあまり面白くないのだろう。そういう意味でも少しだけ表情が崩れた。しかし修平はそれを知った上で、ターゲットを外した。何せ完全アウェーで3年生で十師族で三巨頭でと、情報量があまりにも多過ぎる。だからこそ、今するべきは対抗することだ。

 

「ゴリラとチビと、それからそこの男装の麗人。徒党組んだのはお前らか」

「名前で呼んで欲しいな〜って、修平君?」

「じゃ今すぐ帰らせろ」

「会長、彼は何を?」

「ちょっとね………」

 

萎縮しているだとか、強がっているということは一切ない。寧ろそう思わせようとしている辺りに修平の小狡さが垣間見える。資料を見た克人や基本的に他人と壁を作るリンちゃんこと市原鈴音は見分けるかも分からないが、正直者の摩利や、震える小動物こと中条あずさは真由美の目から見て不安だ。

 

「チビ、お前俺の目真っ直ぐ見過ぎ。嘘吐く時は目を逸らすなんて、正直ありきたり過ぎて食傷気味だぞ馬鹿。ブラフ学んで出直せ馬鹿」

「うう………いつもより修平君の口が悪い………」

「あとゴリラはあの能面に見られ過ぎ」

「俺か?」

「あの能面女、あからさまに敵対してる。だから即応出来る位置にいるお前を観察してる。あいつの目の動きと仕草でお前が何しようとしてんのか大体分かるぞ」

「む………そうか?」

「直そうとすんな。馬鹿がバレるぞ」

「……………」

「お前に言ったんだよ能面女」

「………警告どうも」

 

鈴音は不快感を示さずにはいられない。当然も当然、彼の言動は『入学初日に突然三巨頭に囲まれて生徒会まで連れてこられた』あるいは『嫌だったけど来てやった』という点からしょうがないとされる配慮を既に逸脱している。彼もこの点においてギリギリの駆け引きをするつもりなど毛頭ないようで、ニタニタと意地の悪い笑顔を保ちながらも、踏み出せる姿勢を保って常に有形力の行使に警戒している。

 

「お前の魂胆分かったぞ、チビ」

「あらら。さっすが修平君」

「そんなに俺に自衛して欲しいか、この野郎」

 

彼は聡明な部類に入るようで、真由美のこれからさせたいことを全て暴いた。それは一般的には憚られるべきことで、実際彼もそれを拒否しようとする。学校で目立つのが嫌だというわけではないが、それによって余計に敵をつくってしまうのならばそれは断固拒否すると。しかし真由美にとってこれはある種、宣伝のようなものだ。彼の嫌がることを利用してでもそれをさせようとするだろう。魔法科高校やその生徒、教師や関係者に対する宣伝ではないが、どうしてもそれは必要なことなのだ。

 

(魔法という存在に対するアンチテーゼ。しかも非魔法師?ますます得体が知れない。何故学校はそんな生徒を?それよりも………彼のアレは一体?)

 

そんな彼を見て、摩利は首をかしげる。摩利にとって、魔法に対抗する非魔法師というだけでも謎めいているというのに、それに付随する疑問があまりにも多過ぎる。そこで彼女は、喋り方に目を付けた。強気なのか、気弱なのか。訛りのようなものはあるのか、ないのか。あるいは、話している時の視線である程度の対人能力を図れる。筈だったのだが、ここでまた真由美の言葉がフラッシュバックする。

 

彼は標準語しか話さない。

 

真っ向から矛盾する親友の言葉と現実。乖離甚だしい現状に風穴を開けなければならない。それは風紀委員としても急務であった。原理はどうあれ、楡井修平は魔法師を相手取るだけの秘密兵器か実力を持っているということ。しかも今の彼は明らかに気性が荒い。

 

「残念だけど私はお相手出来ないの。ほら、もう昔に嫌ってほどやったでしょ?」

「ああ。お前の鼻はへし折り尽くした」

「むっ………その挑発には乗らないわよ?」

「そうかい。新入生をさっさと帰してくれたのはいいけどよ」

「これは決闘ですから!むふふん!」

「戦わねえ癖に何言ったんだか。で?段取りは?」

「私だ」

「あんたか。その節は世話んなった」

「う………済まない。知らなくてな」

「いいさ。どうせあのちんちくりんがインサイダー取引した結果だろ」

「違いますー」

 

いくら年下の新入生であろうとも、事情を知ればあの時の自分は間違っていたのだと認めざるを得ない。こればかりは立場も何もない。

とにかくことの一端が真由美にあるのは間違いないが、今回はどうやらお詫びで終わるということもなさそうだ。つまり()()。それが必要な事態に追い込まれていると、彼は思ったし、もしも立場が逆ならこの場にいる誰もがそう思うだろう。

 

「模擬戦をしよう。君に興味が湧いた」

「お前それ言って人が喜ぶと思ったら大間違いだかんな。宝塚トップスター」

 

宣伝のため、彼は戦わなければならない。

 

◆◆◆

 

どうやら学校には実習室なるものがあるらしい。当然魔法科高校なので魔法の実習をする部屋なわけだが、そこはその特性上模擬戦にも使用される。ただ模擬戦をするとしても即断即決即行動とは当然ならず、部屋の確保や許可などなど。しかし生徒会役員とやるとなればそれが全てその場で完結するのだ。何ともありがた迷惑なことか。

 

「野次馬はお呼びじゃねーぞ」

「私は貴方のこと分かってるつもりよ。摩利は貴方のそういうのに弱いから私がついてないと」

 

修平にも事情というものがあるが、しかし、それでも模擬戦というのはまたとないチャンスだ。戦いというのはつまり、自分の持つ戦闘力だけでなく知識や感性までが問われる。だからこそよく観察したいのだが、まさかの観衆付きという事態に彼は口を酸っぱくして、野次馬は必要ないと廊下でずっと言い続けていた。

 

「じゃあいいだろ。100歩くらい譲ってゴリラはいいとして、そこの小動物と能面はお呼びじゃない」

「今集められる最大戦力よ」

「………お前それマジで言ってる?本気で?ここにいる全員のこと思ってんなら水爆ダースで持って来いや」

「そんなんじゃ死なない癖に………大丈夫よ。実戦用でも貴方は変に理性的だし、いざとなったらあーちゃんの魔法で時間は稼げるだろうし」

「その超スゴイスーパー魔法が当たればな」

「あうう………」

 

修平はやや皮肉めいた言葉を飛ばす。何やら物騒なワードばかりが飛び交っているこの状況に、あの気性の荒い一昔前の不良のような彼の被害が飛び火したらどうにか時間を稼いでくれ、と突然名指しされたあずさは萎縮するばかりだ。彼女自身生徒会所属の一科生で、成績はトップ5から落ちたことのない才媛で、人間の感情にはたらきかける系統外魔法を使いこなす才能もあるのだが、いかんせん性格のせいでその面影はまったくない。

 

「感情にはたらきかける、ねぇ?」

「あ、コラ!勝手にあーちゃんのID見ないの!」

「専門家的に見るが、ここは結構隙だらけだぞ」

「分かったからやめて!」

「あいあい」

 

廊下でのそんな不毛な会話をしたところで、演習室に入る。内部の設備はどこかの研究施設の制御コンピュータのように豪華で、メインフレームのようなものも鎮座している。異変が起きたのは、生徒会長である真由美が模擬戦を正式に認め、摩利と修平が向かい合って位置についたところであった。

 

「両者、準備は?」

「私は完了しているが………本当に彼はCADを使わないのか?」

 

それは、三巨頭たる自分に対して新入生が魔法を使わずに挑むということだ。彼女が自分ではなく対戦相手の身を案じるというのは大変な慢心に見えるが、しかし、そう思うのも無理はない。彼女は模擬戦とはいえ戦い慣れている。だからこそ主観と客観を使い分けて渡辺摩利という魔法師と、楡井修平という()()()()()()()を比較した時にどう攻略するかである。

 

人は見えるものを見るのではない。自分が見たいものを見るのである。

 

(真由美は彼を高く買っている………しかし魔法においての知識や技能も第一の中では凡庸。戦法がまったく見えないな………)

 

見えないものを諦めるのは、人間の仕方ない感性である。そしてそこに、十師族と肩を並べる三巨頭であるという誇りが重なれば、一見愚かな思考も実は誰にでも起こりうる。しかし初撃を外すような失態は許されない。知りたいと思い模擬戦を画策したのは摩利なのだから、それに乗ってくれた修平に敬意を表して全力で挑まなければならない。なので相手を観察した。模擬戦を開始する前から、別の面で戦いはすでに始まっているのだ。

 

「修平君は?」

「ですなぁ、実にニンビめいたカラアゲでございますなぁ」

「………おい、楡井君?」

 

突如、修平に明確な変化が見られる。これまでの、口は荒いながらも生き生きとしていた彼は表情を突き詰めて虚無にして、呪詛のように脈絡のない言葉を吐き出し始める。瞳は濁り、眉はピクリとも動くことなく、それは人間が会話をしているというよりも、ロボットが言葉を吐き出すために口だけ動かしているといった具合に限りなく近い。前兆のないあまりに急激な彼の変化に、その場にいる全員が怪訝そうに彼を見る。しかし言葉をかけることは出来なかった。あまりにもそれが脈絡のなさすぎる、いわゆるワードサラダであったためだ。

 

「ですです。すなわちそれは放射線同位体なのでございますな。そしてついにはミクロネシアで機銃掃射するんですな」

「どうしたんだ?」

「おや、258安打ではありませんか。つまりフィリッピンの夏は実に暑い」

「七草、彼はどうしたんだ?」

「ちょっと待って。こういうの確か前にもあった………」

 

しかしついに観衆である克人が摩利に変わって真由美に声をかける。彼は何の前触れもなく、穏やかな顔でワードサラダを唱え出した。あまりにも唐突過ぎる異常性にその場にいる全員が狼狽しているが、真由美は冷静に過去の記憶を探る。確かシチュエーションで、彼があれと同じ状況になったことがあった。

 

「模擬戦は中止にするか?」

「いいえ。戦えることは間違いないわ。寧ろこっちの方がいいのかしら」

「ならば始めよう。逆に興味が湧いた」

 

強行している、と思われるかもしれないが、摩利の言葉は真実だ。彼と初めて邂逅してからずっと気になっていたことは、彼の感情である。まだ出会って1時間と経っていないが、衝撃的だったという意味で記憶に深く残っている。

 

「………そうね。ではこれより模擬戦を開始します。勝利条件は相手の棄権あるいはこちらが戦闘続行不能と判断した場合。直接的に肉体を損壊する破壊力の高い魔法や著しい後遺症を残すと危惧される魔法は使用禁止。武器の使用は認められず、徒手格闘のみとします」

「了解」

「忍耐の季節でございますなァ」

「では、始め!」

 

威勢良い真由美の声で模擬戦が始まる。同時に摩利のCADが発光し、描いた魔法式を展開していく。手に馴染んだ私物ではなく情報端末のような形をした学校の備品。修平には内緒だが、これが可能な譲歩だ。調整は効くが、それでも万が一に備えなければならない。

 

組み立てられた魔法式は感応石を通して情報体へと干渉する———

 

「なっ………」

 

ことはなかった。突然CADからアラームが鳴り響く。今まで遭遇したことのないイレギュラーに対して、摩利は咄嗟の判断でCADを落とした。次の瞬間、それがキッカケとばかりにCADは部品やその破片を撒き散らして小さな爆発を起こす。爆発が終わるとそこには原型を留めず、何かの精密機械が転がるばかりだ。

 

「これは………」

「どうね。こいつで本気出してくれるんか?もちっとこっちが譲らぁならんかえ?おいはそいでもよかよ。ウチのモンは血が上りやすいけ、ここいらで歯止めをかけにゃあ」

 

そしてまたあの喋り方だ。一体どうなっている?それは演技で使い分けているというよりも、まるで性格というものがいくつもあるように感じるほどにあっさりと、かつ急激に切り替わる。まさかそれは、模擬戦のための策なのではなく本当に彼の性質なのだろうか。

 

彼を知りたいと、強引に吹っかけた模擬戦。それは奇しくも、更なる謎を呼ぶこととなってしまった。




なんか主人公達が出ないっすね。多分次回出ます。


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小さな世界

3話目にして主人公勢登場。そしてオリキャラも登場。


翌日。渡辺摩利の気分はあまりよろしいとは言えない。書類仕事は既に学校生活の中で慣れたものだが、頭の中に不安の種となっているのは昨日の件だ。

 

流石に軽率過ぎたと、彼女は後悔した。人は失敗から学ぶ。彼女も今まさにそうしているところだ。当然、好奇心だけで模擬戦をやろうなどと提案したわけではない。簡単に言えば真由美のお手伝いだ。原理は分からないが、意図的にCADを破壊してみせた。しかもそれをやった彼は相手が上級生だろうが三巨頭だろうが十師族だろうが物怖じしない神経の持ち主。どうやら彼は真由美と旧知の仲らしいが、七草家、となるとそれは単に旧友と片付けれないような関係なのだろう。首輪を付けることが出来れば、反魔法戦力となる彼の行動にも制限を———

 

———いや待て、何故学校は彼の入学を許可した?

 

昨日のリピートではあるが、改めて思うのは魔法師の脅威が魔法科高校に在籍しているという矛盾だ。生徒達への啓発、とするにはあまりにもやり方がおざなりかつ危険だ。あの時は咄嗟の判断でCADを手放したから事なきを得たものの、もしそうでなければ指が吹き飛んでいたところだ。彼はあまりにも殺意が高過ぎる。

 

初めて会うタイプ。というより、あまりに複雑怪奇過ぎてどう接すればいいのか分からない。初対面にはまず当たり障りのない挨拶からとされているが、あれを見せられたあとでは挨拶の仕方さえ詰まってしまいそうだ。

 

「多重人格………?」

 

思わず声に出る。中々的を得た閃きなのではないか、と思うからこそだ。摩利が見たのは、彼の3つの側面。様々な方言をごちゃ混ぜにして使う陽気な面、一昔前の不良のような、口汚く礼節に欠けた面、そして支離滅裂なワードサラダをひたすら呪詛のように吐き出し続ける面。

 

端末に乖離性同一性障害を打ち込んで検索をする。文献も出典も様々だが、ほとんどの資料に見られる特徴は幼少期に強い精神的ストレスを受けているというものだった。やはりというか、入学前に提示される個人データの特記事項に一致する。

 

これの開示が認められるのも、何とも度し難いものだ。しかしこれも今更というか、何というか。摩利にとっては興が乗ったの一言に尽きるが、果たしてどこの誰のどんな力で漕ぎ着けたのか分かったものではないが、ありがたいとは思った。そして情報を余すことなく見尽くしたあとで、達成感は出なかったようだ。

普通過ぎる。あまりにも普通過ぎる。普通に中学に入って、普通に魔法塾に通って、普通に受験して、受かって、そして今日に至る。彼の異常性をまた真っ向から否定する材料が増えただけで、乖離が甚だしくなっただけだった。

 

「姐さん!姐さん!」

「その呼び方はやめろと………」

「それどころじゃない!すぐに来てください!」

 

声をかけられた摩利は端末を置いて応える。いつもはふざけ合いの意味も込めて姐さんと呼ぶ後輩が、まくし立てるようにして言葉を発する。それだけで尋常でないと察した摩利はすぐに椅子が倒れそうな勢いで立ち上がり急いだ。

 

「風紀委員だ!道を開けてくれ!」

 

野次馬の加減で、現場はすぐに判明した。1-Aの教室前の廊下。主に一科生の新入生が壁を作るようにして事態を見ているようだ。どうやってこの人の壁を撤去するかと思考を巡らせていると、ドアを乱暴に開閉する音や何か硬いものを殴打する音、人々の呻く声や叫ぶ声など何やら穏やかでない音が聞こえる。

 

「風紀委員だ!通してくれ!」

 

摩利の顔は広く知られているので、引き波のように人の壁が瓦解していくのにそう時間はかからなかった。

 

「これは………」

 

また一科生と二科生の間で一悶着あったのかと、少々スパンが短すぎやしないかと若干うんざりしながら駆け付けると、そこには彼女の知る前例にあまりない光景が広がっていた。4人ほどが廊下に芋虫のように転がっていて、頰に打撲痕がくっきりと浮かんでいる。肩章を見ると、一科生であることが分かる。

 

「辰巳は応援の要請と怪我人の救護を。私が教室に行く」

「了解。お気を付けて」

 

前例はほぼないとはいえゼロではない。そして彼女は風紀委員の長として指揮を執る。これの張本人は一科生4人を相手取って無力化する実力者だ。噂をすれば影が差すとは言うものの、どうか今回は先人の教えが誤りであることを願うばかりだ。自分の中で合図のようなものを決め、タイミングを合わせて教室の中に突入する。

 

「風紀委員だ!そこから動かないように!」

 

1-Aの教室は死屍累々………正確には死んでいないのだが、とにかく失神している生徒が床に転がっている。その全てには出血や打撲の痕跡が見られる。呻き声が聞こえなかったのは、そもそも意識が無かったからのようだ。

 

「これは………君、何があった?」

「その………二科生の方が訪ねてきて、私に用があると。そうしたらその、周囲の方々が少し穏やかでなくなり………」

「新入生総代の生徒だね?」

「はい。あ、改めまして、司波深雪と申します」

 

とにかく疑惑を確定させなければならないと、聞き込みを開始した。そして一人目に声をかけた彼女を摩利はよく覚えている。才媛というだけでなく、女性である摩利から見ても美しいと、何やら変な趣味に目覚めかけたその麗しい容貌で、初日で学校のアイドルになった生徒だ。彼もファンの1人だと思ったが、しかし、少しばかり違うようだ。

 

「どんな用事かな?」

「分かりません。その、用事があると聞いたあとにすぐだったので………」

「そうか………」

「申し訳ありません」

「いや、いいさ。その二科生は名乗っていたかな?」

「はい。楡井さん、という方です」

「ああ………そうか」

 

現実は非情である。彼女は存外冷静で、受け答えもはっきりしていて記憶も定着している。混乱の誤答というのはあまり期待出来そうにない。これもまた仕事と割り切りたいが、魔法科高校で魔法に関連しない喧嘩騒動を取り締まるというのも中々ない。

 

「そうだな、とりあえず私がその楡井君に話を聞こう」

「私も行きます。元々彼は私に用向きがあったそうなので」

「………危険な男だ。少なくとも今の彼は。仕掛けは分からないが魔法を行使しようとしたCADが無力化された。彼に魔法を行使するのもあまり推奨出来ない」

「会話は出来ます」

「そうなのか?」

「ええ。その、元々は口論だったのですが、その、彼らから楡井君のご家族を侮辱するような発言がありまして。それで爆発してしまわれたようで」

「そうだったか………」

 

少々やり過ぎ、というのも引っ込んだ。机や壁に人の体を激しく何度も打ち付けた痕跡があったので相当な怒りを爆発させたのだろうが、家族への侮辱は一科生二科生という差別の黙認とはまた別の話。相当暴れ回ったようだが、魔法師に対して物怖じせず、10倍近い人数差を盛り返した彼の危険度が増したと言うべきか、真に家族愛の強い心優しい人物と言うべきか。

 

「そうだ、彼は怒る前はどんな様子だった?」

「ほんの一瞬でしたが………普通、でした。礼儀正しい方でしたよ」

「そうか………」

 

分からない。まったく分からない。主に感情が分からない。ただの激情なのか、それともそういう人格なのか。似たような面をすでに覗かせているせいで、どうしても判断材料に欠ける。

 

(こんな悩み方をしたのは初めてだ………!)

 

まさか出会い頭に戦闘開始とはならない筈だが、感情を根拠にすることがまったくアテにならないことを昨日学んだばかりだ。

 

「とにかく、他の委員にも連絡して探そう。彼が戦意を失っていないとすると———」

「やっほー」

「ゔぇあっ!?」

 

無闇に近付くのは危険、と言った瞬間に背後から声が聞こえる。摩利は耳を押さえて後ずさり、深雪も突然の出来事に反射的に身震いする。

 

「摩利ちゃんぬ。それから司波さんも。どったの?」

「ハァ………君がしでかしたことへの対処だよ」

 

すぐ背後に立っていたのはやはりというか修平で、摩利も思い出したものだ。犯人は現場に戻ってくる。それは人間の潜在的な不安がそうさせるらしいが、彼の場合は違う気がする。笑っているのだから。この面は少しだけ出た。初めて邂逅した時、その中で、敵を知る、という意味の発言をした時だ。

 

「おやまぁ。そうだ、司波さん、ゴメンね。色々台無しにしちゃって」

「いえ。ご家族のことをあんな風に言われたら、私も怒ると思います」

「優しいこと」

「………楡井君、君のやったことは決して褒められたものではないが、事情を鑑みれば一科生にも一定の責任がある。放課後、生徒会室に来るように」

「あい、違うことなくしっかりと」

「こちらからは以上だ。司波との用事を済ませてくれ」

「あんがとあんがと」

 

長く一緒にいるのは危険かもしれない。しかし今の彼は無差別に襲うほど本能に支配されていない。今は敵がどう、という会話をした自分は離れるべきと判断し、この場を司波深雪に任せることとした。

 

「それで、その、楡井さん?私にどのようなご用向きで?」

「ああ、早速それ入っちゃう?別にいいけど、それよりあんた自覚あるんだね」

「………何の、です?」

「自分が人気者だってこと」

「それは………」

「別にそんなの後ろめたいことじゃない。いややっぱこの話はやめよう。用事ってのはさ、ズバリ———」

「深雪」

「ヴァイ!今日はセリフカットデーじゃないの」

 

最初にカットしたのは自分自身である、というのは棚に上げて。言うが早いか声の主は深雪に駆け寄ると、2人だけの世界に入っていくまではそう時間がかからなかった。

 

「大丈夫か?すぐに行ってやれなくてすまなかったな」

「いえ。お兄様にもご自身の事情があるのですから」

「いや、そういうわけにもいかない。怪我はないか?」

「はい。私は何ともありません」

「よかった。心配したぞ」

「そんな………私が負傷しても一分一厘たりともお兄様のせいではございません」

 

場所を選ばないというか、ここで会話を展開してしまった修平も言えたことではないのだが、もう少しこの事件現場にふさわしい会話ってもんがある。好奇の目は先ほどの悶着で十分刺さったので、あとは仲睦まじい2人に任せようと、良さげな雰囲気を出している2人に背を向ける。

 

「なあ」

「………何ぞ?」

 

しかし、それは許されそうにない。彼女がお兄様と敬愛する男子生徒の声で、多くを語らないものの止まれと言っているのは明らかだった。溜息を吐いて不幸を呪うと、彼の方に向き直る。鋭い目付きが特徴的な男子生徒で、傍目からすればそれだけで一触即発のように感じてしまう。

 

「深雪に用事があるんだよな?」

「今なくなった。だから逢瀬を楽しんでくんな」

「乗り込んでか?」

「あんた、話を聞いて物を言いなよ。さっき保健室に運ばれてった人でなしどもの頬骨を折ったことなら俺に非はない。それとも可愛い妹と会話したら誰彼構わず悪い虫かい?お兄様」

「これは問題行動だぞ」

「それは妹のクラスだからっていう贔屓目が入ってるな。教室に入ってから言葉を口にするまで、彼女から視線を外さなかった」

「お前………」

「何だよ、ここの生徒は人の家族をコケにするだけじゃ飽き足らないのか」

 

膠着状態になる。それは当然、修平が意図して自分に関する情報を曖昧にしているからでもあるのだが、お互いが表面上だけを捉えようとしかしないという点にも原因がある。結局、言葉以外に見るべきところがないのだから当然といえば当然なのだが、それもあってどちらに傾くともならない。

 

「そんなに心配なら温室栽培でもしてくんな」

「………もう一度聞くが用事はなんだ?」

「そんなものない」

 

そして膠着を無駄と判断して、吐き捨てるようにして、彼は去っていった。元々用事があったのは司波深雪の方で、それが失われたとなればここにいる理由はない。結局修平からしてみれば、単に馬鹿にされるだけされてそれに対して名誉による防衛によってエネルギーを消費しただけのこと。釣り合いが取れないというのも苛立ちを募らせるひとつの原因である。

 

「あいあい、2人の逢引に水を差して悪うござんした。妹さんに引っ付く悪い虫でさーせんしたねー」

 

彼は笑った。その表情にどういう意味があるのか、誰も知らない。

 

◆◆◆

 

昼休みのこと。生徒会室に向かう足取りは重い。しかし、向かうのは修平ではない。

 

「わ、私もなんですね………」

「ごめんなさいね、付き合わせて」

「構わないけど………そんなに力にはなれないかも」

「あの言葉で楡井君がお兄様のことを誤解したら一大事、なんてワガママに付き合ってもらってるんだもの」

「ううん………私も、あの場にいたけど何も出来なかったら、ああいう風に仲悪くなっちゃうのはやだなって」

 

1人は司波深雪。もう1人は、あの場にいた一科生の光井ほのか。目的は違うのだが、とにかくあの一悶着と逆の展開で、彼女達の方が修平に用事が出来た。しかしながらあまりにも手がかりが少な過ぎるので、放課後に来いと言っていた生徒会室に行くことになったというか、行くしかなかったというか、それ以外に探しようがないというか。

 

「………いるのかなあ、怖いなあ。すっごい怒ってたし、なんか達也君とも喧嘩別れっぽくなっちゃってたし」

「だからこそ誤解を解かなければ」

 

ほのかの方は見た目の通り小動物のようで、しかも騒動を始終に至るまでしっかりと目と頭に焼き付けた。そのせいで恐怖心を植え付けられ、『自分には何か出来る筈だ』といって勇み足で部屋の前まで来たはいいものの、いざ現場を前にするとあの光景がフラッシュバックしてすっかり縮こまってしまっている。方や放課後まで待つ、という手は深雪にはなかったらしく、名誉挽回汚名返上のチャンスに気合十分のようだ。しかしその気合が果たして空回りしないかどうか、ほのかは渦中の男楡井修平と対面する前に冷や冷やものだ。

 

「すみません。1年A組の司波と光井です。先ほどの件でお話がしたく」

「はーい、ちょっと待ってね」

 

心なしかノックの音も大きいような気もする。それに反応したのは生徒会長の真由美で、昼休みもまだまだ余裕があるせいか生徒会室に腰を落ち着けている。

 

「あ………ここにいらっしゃったんですね、楡井君」

「いらっしゃい。司波さんと、光井さんね。摩利から話は聞いたわ。何だか今年は荒れそうね」

「いえ、彼が怒るのも尤もだと思います」

「私も、見てることしか出来ませんでしたし………」

「うーん、それについて話をしてほしいけど、残念ながら本人は5分前からこの状況で」

 

彼は、パイプ椅子に深く座って、硬そうなテーブルに突っ伏して眠っていた。悪い意味で、まず目に入ったのが彼だった。なので2人も反応に困るし、どことなく真由美も歯切れが悪そうだ。すやすやと安らかな寝息を立てる彼は、つい先ほど同級生相手に暴れ回ったとは思えないほどに年相応だ。決して整っていないわけでない顔のせいで、何故か起こすことがはばかられるような、理不尽な罪悪感にも襲われる。そして、眠っている彼と同じくらい2人の目を引いたのは、彼が枕の代わりにしているものだ。

 

「クマのぬいぐるみ………?」

「可愛い………」

 

70cmほどの大きさの子熊で、それに頭を預けて眠っていた。先程まで悪鬼羅刹の如き暴れっぷりで大立ち回りを演じていた彼と同一人物とは思えない、案外可愛らしい趣味もあるものだと意外性に驚いていると、そんな2人に向かって真由美が言う。

 

「その子、生きてるわよ」

「………へっ?」

「生きてる?」

 

そしてまるでタイミングを見計らったように子熊が閉じていた目を開く。

 

「ブブ」

 

思わず悲鳴をあげそうになったのを、2人は抑えた。まだ未成熟な牙を見せてあくびをすると、二度寝をしようとまた目を閉じる。

 

「……………」

「……………」

 

開いた口は塞がったが、それでも唖然とするばかりで、10秒かそこら、訝しげに凝視して固まったままだった。一気に言いたいことが押し寄せたわけだが、しかし、理性的になった2人はまず最優先すべきを言うことにした。先に口を開いたのはほのかの方だった。

 

「ここって動物オッケーでしたっけ?」

「これは特例かしらね」

 

そうでなければ学校の生徒会室に子供の熊がいるわけないのだが。

 

「フゴー」

 

しかし視線に気付いたのか、再度目を開けた熊は息を荒らげる。警戒しているというより、観察していると言った方が正しい。動物的な直感をはたらかせているのか、大きな双眸で交互に見る。

 

「餌付けは出来ないわよ」

「え?」

「その子、全然他人に懐かないから。最近私もやっと触らせてくれるようになってね」

「警戒心が強いタイプなのかしら」

「意外………司波さんってこういうの苦手かと思った」

「可愛いじゃない」

「ブブブブブ」

 

ただし、まだ指が惜しいので手を差し出すような真似はしないが。可愛いと侮るなかれ、未発達とはいえ動物の牙と咬合力が合わされば、人間の指など小枝のように断ち切られてしまう。人間の頭など、決して軽いものではないが、それを体に乗せ続けてもまったく疲労を見せない。

 

「フゴォォォォ」

「ヴォイテク………ちょっち静かにしてくんな………」

「ブブ」

「お静かに!!」

「楡井君、お客さんよ」

「寝てたんだけど………」

 

彼は寝ぼけ眼をこする。熟睡していたようで、少しばかり瞼が腫れている。寝てたんだから黙って回れ右をしろよ、とばかりに非難の目を浴びせるが、客人が関係者と知るといくらか目付きや姿勢はマシになる。それでも露骨に不機嫌ではあるが。寝起きが悪いようだ。

 

「いいからお話して。で、ヴォイテクちゃんはこっち」

「ブブブブブ」

 

ヴォイテク、と呼ばれた子熊は真由美に抱き上げられる。鳴き声が大きくなった様子で、彼に枕にされていた時のような落ち着きがない。あまり他人に懐かない、というのは正しいようで、もがくような仕草を見せている。

 

「司波さん。あと野次馬………じゃない、1-Aの生徒さんか。どったの?俺に用事?」

「というより、貴方の用事が気になって」

「私は付き添いです」

「用事ね………ま、都合はいいけど」

「………?」

 

口ごもる彼を見て、存外彼は頑固なのかもしれないと思った。しかし彼はちらりと真由美の方を見ると、ばつが悪そうに顔をしかめる。

 

「こいつがいる前じゃなあ」

「うふふ、出て行ってあげないわよ」

「ちょっとは下級生に配慮しろや、生徒会長」

「貴方は別よ。しゅーへい君♪」

「うっせ。ヴォイテクのエサにされてろ」

「やだ、この子は優しいからそんなことしません」

「チッ………いい、話すけど」

 

彼の言葉にあるのは諦観と、それによる嘆きが含まれているようだった。最初からそこで張り合う気がなかった様子の修平は、テーブルに頬杖をつくという態度の悪さがありながらも、真っ直ぐ深雪の目を見て言った。

 

「友達をつくりたくって」

「ふふっ」

「へ?」

「お友達………ですか?」

「ああ。あと笑いやがったの聞こえてるからなこの魔法ボット女」

 

耐えられずに吹き出したのが真由美、素っ頓狂な声をあげたのがほのか、思わず聞き返してしまったのが深雪である。予想の斜め上をいった衝撃を、いくらか間の抜けた声で表したのが深雪とほのかで、同じように予想をしていなかったものの、彼らしさを感じて思わず笑ってしまったのが真由美。その反応をある程度予想していたようで、修平は羞恥で顔を歪ませた。

 

「俺はちょいと厄介な病気にかかっててね、友達の作り方も工夫せにゃならん。人気者のあんたに近寄ってくる奴らを観察して、で、選ぼうと思ったんだけど。どうやらそれも無理そうだ」

 

病気、という言葉を使われると、2人もそこを掘り下げる気にならない。やり方は深雪を隠れ蓑にするようなものではあるが、それが彼の言う工夫なのなら、実害が及ぶものでもなし、寧ろ友人が出来るというのなら利点もある。しかしあまりいいやり方でない自覚はあるようで、それも口ごもる原因なのかもしれない。

 

「ま、分からんでもないよ。司波さん美人だし、あの兄様がご執心なのも」

「その、あれは誤解なんです」

「いや別に、あれについては何とも思ってないけど」

「………そうなんですか?」

「うん。彼は知らなかっただけだ。しかも俺に事情を尋ねなかった。多分司波さんのことになると周りが見えなくなるタイプだ。俺から話を聞くために呼び止めたのは、どさくさに紛れて司波さんとの関係性を聞くためだ。じゃなきゃ、開口一番用事は何だ?なんて言わない。普通あそこの状況確認から始めるだろうさ」

 

閉口する。存外観察していた、というより観察されていた。畳み掛けるのはさっさと出て行けよという意思表示なのか、関係改善を望んでいるのか。修平の顔がしかめっ面から動かないせいでそこを2人は測りかねている。ほのかはまだ先入観が拭えていないようで、困惑したように目を泳がせる。

 

「てなわけで、シスコンお兄ちゃんの心配性だって割り切ってるよ」

「そうですか………」

「でさ、話めっちゃ変わるんだけどさ光井さん」

「私ですか?」

 

突然話題の標的にされたほのかは、声を上ずった声をあげた。思わず口から出た言葉のあとに『今はあまり持ってない』と言いそうになってしまったが押しとどまった。

 

「友達になってくんない?」

「え?」

 

素っ頓狂な声をあげること二度。朗らかに笑う修平と対照的に、ほのかはどこまでも驚嘆した。




オリキャラその1、子熊のヴォイテク。元ネタは知ってる人なら知ってる第二次大戦のあいつ。

そして………あれ………達也………あれ?


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曰く、幸あれ

案ずるなかれ、これは達也アンチじゃありませんぜ


放課後、生徒会室。昼休みの司波深雪や光井ほのかとの邂逅したその後、怒りが再燃して保健室に殴り込みに行こうとしたところを克人や摩利に諭されたり、魔が差したとCADを爆裂させかけたり、道行く一科生を通り魔的に襲おうとしたりと日中色々あり過ぎたが、その都度彼は鋼のメンタルで乗り切った。

 

「彼は熱したら冷めないタイプのようだな」

「ご家族を侮辱するのはやり過ぎだわ。そもそも差別を黙認するという前提もおかしいし、彼1人に対して1-Aの半分近くが魔法行使を辞さない姿勢だった。そういう意味では彼も決して過剰防衛と言い難いわ」

「しかしな………」

「生徒の1人は、修平君が魔法を使って戦ってくると思っていたそうよ。だからこそ虚を突かれたんでしょうね。修平君の徒手格闘の腕前もあるし。ねー、ヴォイテクちゃん」

「フゴー」

 

物憂げな表情で話す摩利とは対照的に、真由美はテーブルうつ伏せのままで微動だにしないヴォイテクの足を握ったり、毛の感触を撫でて楽しんだりと呑気に構えている。

 

「………色々聞きたいことはあるけど、その熊、何?」

「ヴォイテクちゃん。修平君の………何だろ、家族?お友達?」

「何でいるんだ?」

「私も修平君もよく分かんないんだけど、気付いたらいるの」

「何だそれ………」

「可愛いからいいじゃない。ほらほら、ヴォイテクちゃーん」

「ブブブブブ」

 

腑抜けたのか、惚気ているのか。動物を愛でている姿は所謂イマドキというか、いつものカリスマ性溢れる生徒会長の姿はなりを潜めている。愛でられる方は、頭を掻いたり目を細めてあくびをしたりと、始終マイペースだが。

 

「そろそろ時間だぞ」

「はーい………」

 

名残惜しそうに、真由美は自分の定位置に戻った。ヴォイテクはその言葉に反応するように鼻を鳴らして歩き回ると、結局何をするでもなくまたうつ伏せに寝転がった。

 

「不思議だな、動物は………」

「ブブ」

 

何か面白くないことでもあったのか、いやにご機嫌斜めだ。エサがないとか、眠いだとかそんなものだと思っていたが、その原因は向こうからやって来た。

 

「お邪魔ー」

「失礼します」

「失礼します」

 

はて、確か呼び出したのは修平1人だった筈だが、2人の女子生徒の声がする。1人は聞き覚えがある。光井ほのかだ。しかしもう1人は、司波深雪ではない。

 

「来ちゃった」

「失礼します、生徒会長」

「あら。光井さん………と?あら?」

「1年A組、北山雫です」

「俺の弁護士その1とその2。ほらヴォイテク、おいで」

「ブブ」

「あり?」

 

ヴォイテクは一度修平を見てそっぽを向く。原因は修平ではなく、ほのかでもなく、新たにやって来た北山雫でもなく、彼女が抱いている動物である。

 

「オスカーちゃん?」

「………機嫌直せよヴォイテク。別に浮気とかそういうのないから」

「フゴー」

「だぁーもう!いいだろヴォイテク!仲間じゃんか!俺も、お前もオスカーもさ!」

「ブブ」

 

オスカーと呼ばれた、雫の肩に乗っている全身真っ黒のアメリカンショートヘア。不機嫌に修平と目を合わせようとしないヴォイテクと違い、呑気に前脚を舐めている。

 

「にゃー」

「ブブ」

「また動物が増えた………」

「いやいや、オスカーは勝手について来ただけだよ。始めようか」

 

閑話休題、と修平達が席に座ると、オスカーは開いた窓から飛び降りていった。猫は身体能力が高く、ビルから落下しても無傷でいられるケースも存在する。オスカーも例外ではなく、何食わぬ顔で着地し、悠然とグラウンドを横切って学校を出ていった。

 

「正直、両成敗だってことは摩利ちゃんぬから聞いた。今回弁護士その1とその2を呼んだのは正確な情報の擦り合わせだよ」

「………罰は受けてもらうぞ」

「俺は無傷、向こうはどっかしら折れたか捻ったか。随分二科生に優しいんだな。一科生サマサマ」

「………皮肉はやめてちょうだい。授業に出ること、それが罰よ」

「………あっ、そう」

 

会心の一撃だ。しかし、修平は表情を崩さない。元々彼は目的のために高みの見物を決め込むつもりでいたし、とある事情により真由美もそれを了承していたが、今回の罰はそれを無効とすること。人間には誰しも自分を良く見せたいという欲求があり、それがプライドやアイデンティティにも繋がっている。それを損ないかねないという意味では、単純ながらも大きな威力を発揮する。

 

「減刑される?」

「控訴は棄却されるわよ」

「上告」

「同じこと」

 

望み薄ではあるが、ほのかと雫にアイコンタクトをする。それを受け取って2人は状況を話した。

 

「昼休みになってすぐ、私と北山さんと司波さんとで、二科生の司波さんのお兄さんと会う話になったんです。そうしたら、楡井君が訪ねてきて」

「司波さんに用事がある、と言いました。私や光井さんが気付いて声をかける前に、主に男子生徒がそれに反応して、そのまま言い合いに」

「その言い合いの原因は?」

「まぁ………司波さんの容姿もありますし、あとは、いつものです」

「そう………」

 

どうやら新入生の間でも、一科生や二科生間の軋轢はすでに有名なようだ。彼が弁護士、と称して彼女達を呼んだのも、そういった見せかけの優位性などに興味がない人物として選んだから。彼は擦り合わせと簡単に言うが、選択には手こずったことだろう。

 

「その時、一科生の生徒達は有形力行使に至る行動を取っていましたか?」

「CADをチラつかせる生徒が数名」

「実際、魔法を使う、という旨の脅迫をする者もいました」

 

実際、過去の出来事にたらればはご法度とされている。されているのだが、やはりこうして過去を想起させるとどうしても語りたくなってしまう。

 

「それで、楡井君のその用事というのが………」

「はい。お友達をつくりたいと」

 

摩利の言葉に対応して、ほのかが彼を見ながら答える。しかし顔から火が出そう、とまではならないものの、修平からしたら公開処刑もいいところだ。そもそも生徒会の呪縛からある程度流れるために、普通とは違う入り口ながらも同学年と繋がりを持とうとしたわけだが、それをこういう形で白日の下に晒されるとなると、今すぐこの場の生徒会役員の口を封じたいところだ。

 

「悪いか」

「いいえ」

「じゃあ何で呼び出した」

「貴方も生徒ですもの。生徒会は生徒のために存在しているのよ」

「じゃあいいだろ。全生徒平等宣言でもしてくれよ」

「分かってるくせに。問題はそう簡単じゃないのよ」

「規則は柔軟性の対義語だって言うよな。じゃ帰っても?」

「待ちなさい。そう焦るものじゃないわ」

「いや焦るわ。めちゃくちゃ焦るわ。もう帰りたいんだよ」

 

高校生としての義務はこの時点で終了した。あとは権利を主張するだけだ。そしてその権利を縛り付けている喧騒においては、正当性が証明された。ここに長居するだけの理由は全て消失した筈だが、真由美は全力で阻止してくる。デートと洒落込むつもりがないのなら何のつもりかと探りを入れてみると、真由美は目を逸らした。

 

「お前マジか、まさか二回戦するつもりじゃねーよな?」

「うふふ、まさか」

「二回戦って?」

「一回戦があったということ」

「2人は気にしないでいい」

 

変に詮索しようとするほのかと雫に待ったをかける。この発言はいささか軽率だった。元々悪かった居心地がさらに悪くなった現状は如何ともしがたく、吐き捨てるように舌打ちをすると、これ以上は何も言うなというメッセージも込めて少々語気を強める。

 

「もういいだろ」

 

()()()は頑固だ。それこそ脅しをかけるくらいの勢いでも動かざることさえあるので、賭けに出るのは危険極まりない。

 

「そうね。ありがとう、もう帰っていいわよ」

 

とりあえず、彼の怒りが収まることを待つことにした真由美は、今日はこれまでとした。

 

「失礼しました」

「失礼しました」

「ヴォイテク、帰るぞ。ほらおいで」

「フゴー」

 

ほのかと雫は形式的に頭を下げて、修平は特に渋々と言った様子で、ヴォイテクはわざとらしく歩を遅めながら出て行った。残された摩利と真由美は力を抜くようにして大きく溜息をひとつ吐くと、憂えた。今後のこと、楡井修平のこと、魔法のこと、差別のこと………頭痛の種が減ることは当分なさそうである。

 

「どうしたものか………」

「売り言葉に買い言葉を続けていたら、死者が出かねないわ。だけど今は口頭で注意する他手段がないのが現状よ」

「彼は強いのか?いや強いか………」

 

思い出されるのは模擬戦の時。摩利の魔法に反応してから作業を開始した彼の反射神経もさることながら、不可視の攻撃で学校のCADは木っ端微塵に砕け、そのまま魔法を使った模擬戦という前提をひっくり返されてしまい、勝敗の判定に審判の真由美もかなり迷ったようだ。とにかく真由美が笑顔のまま硬直しながら熟考すること15秒、結局レギュレーション違反ということで規則を味方につけた摩利の勝利となった。思うところはひとつ、あれが模擬戦ではなく実戦だったら。そうなってしまう根拠はないが、彼の怒りの矛先が摩利に向いたら。

 

「危険だな………」

「別に、手を出さなければ向こうからも出してこないんだから平気よ」

「そんな野生動物みたいな………一科生の様子は?」

「怪我がひどい生徒もいるけど、後遺症は残らないって」

「うーむ………」

 

その程度で済んだと喜ぶべきか否か。彼が一科生相手に暴れ回っている現場を押さえていないのでどうとも言えないが、しかし。遺恨以外は残りそうもなくて喜ぶべきと判断した。しかし、彼の謎の能力について対処しがたいのが現実であり、手放しに喜ぶということは出来ない。

 

「彼はBS魔法師なのか?」

 

摩利は直接疑問をぶつけた。技術的特異能力者、あるいは先天的特異魔法技能者。BS魔法師が行使するのは魔法として技術化が困難なものである。よく知られる魔法に当てはまらない場合、BS魔法師の異能を真っ先に疑うのは正しいが、真由美は首を横に振った。

 

「違うわ。そもそも彼の魔法師としての実力は下の下よ」

「………では何故?」

 

何故魔法科高校への入学が許可されたのか、何故一科生を相手取ってあそこまでワンサイドゲームを展開出来たのか。摩利の何故という言葉には、様々な意味が込められていた。

 

「………彼本人に聞くしかないわね」

「そうか………」

 

しかしそれも虚しく、そうあることはなくなった。

 

◆◆◆

 

太陽が沈もうとしている頃に3人と1匹は解放された。廊下に差し込む夕焼けはノスタルジックではあるが、それを見て思うのは帰りの時間が遅くなったということばかりだ。

 

「悪いね2人とも。今度お礼するよ」

「構わない」

「私も、全然」

「俺、貸し借りとか好きじゃないんだよ」

「私も好きじゃない。だから最初から貸し借りなんて存在しない」

「優しいね北山さん。ヴォイテクも警戒してないっぽいし」

「ブブ」

 

雫は表情の変化に乏しいが、他人を立てるタイプのようで、貸し借りを好まず比較的平和主義者だ。今回は心優しいほのかとともにその性格が功を奏したようで、悪く言えば修平にとっても上手く呵責につけ込むことが出来た。警戒心の強いヴォイテクが警戒せずに雫の腕にすっぽりと収まって拗ねている辺り、悪意は少ないのだろう。

 

「楡井君、何でこの子拗ねてるの?」

「多分さっきの黒猫のせい」

「北山さん正解。オスカーは神出鬼没なんだ」

「ヴォイテク、嫉妬してる」

「フゴォォォォ」

 

その言葉に反応したのか、撫でようとした雫の手を振り払う。それは嫉妬で怒っているというより、八つ当たりをしていると言った方が正しい。随分人間臭い熊がいたものだと2人も驚嘆するばかりだが、人間らしいならするべきことがあると、雫は伝える。

 

「楡井、仲直りした方がいい」

「ちゃんとするよ。するけどさ、ウチに犬もいるんだよ。嫉妬してたら間に合わないんだよマジで。なあヴォイテク」

「ブブブブブ」

「楡井、地雷踏んだ」

「あ゛〜………」

 

彼女達は単に善良な心故に警告しているのだろうが、しかし、どうしても煽っているように聞こえてしまうのは修平の心が荒んでいるからだろうか。兎にも角にも仲違いしたままというのはいただけない。そして、仲直りにもそれぞれ違うゴールが用意されている。

 

「楡井」

「おい、マジかよ………」

 

それは人間同士においても同じだ。仲直りをしたなら、全てが全て消えるというわけではない。

玄関にたどり着いたところで、猛烈に踵を返したくなったが、修平はそれを堪えた。深雪曰くちょっとしたすれ違いから半日近くが経ってしまっては、感動の再会も何もあったものじゃない。最悪に最悪が重なったようで、司波兄妹だけでなく初めて見る顔がいるということだ。

 

「ちょっといいか」

「何だよ。よくないって言ったらバイバイ出来んのかい?」

「じゃあその前に謝らせてくれ。事情を知らずにあんなことを言って、済まなかった」

「……………」

「………どうした?」

「いや。初めての経験だからちょいと戸惑ってるだけだ。それより事情知らないってお前、司波妹から聞いてないのかよ」

 

果たしてどういった言葉を返すべきか。達也があまりにも素直過ぎた故に困惑するばかりだった。しかし軌道修正はより早く、そこを突っつかれるわけにもいかないという危惧を持って。その場しのぎに疑問をぶつけたが、それは実際話を聞いた人間が不思議がるものだ。素人が見ても、深雪は達也を深く敬愛している。それに彼女も誤解を解きたいと言っているのだから、話の整合性を取るのは当然。しかし、深雪はピシャリと端的に返した。

 

「それは全て許される免罪符にはなりません」

 

深雪は、達也が知らなかったという事実に至るまで情報を擦り合わせていた。今回は、その場の事情を知る深雪とほのかと雫が証人になる形になった。それを受けて、修平も言葉を返す。

 

「いや。俺も大いに悪かったよ。冷静じゃなかったし、ちょっと時と場合を選ばなさ過ぎた。もうしないよ」

「………じゃあ、友達になってくれるか?」

「おまっ、そこは聞いてたのかよ」

「工夫が必要だったんだろう?」

「恥ずかしいからやめれ。まあ、よろしく頼むよ」

 

多少のやりにくさを感じながらも、しかし。過去の遺恨は忘れないだけでいい。握手を交わしてお友達になれるのならそれで。そして、閑話休題とばかりに視線を外して問うた。先ほどから変に中途半端に刺さる視線を感じるせいで気が気でなかった。

 

「あのスカウトみたいな2人は?」

「俺の友人だ」

「個性的だな」

「俺もそう思っていたところだ」

 

出番を待っていた、と言わんばかりに食い気味で自己紹介をするのは目鼻立ちがはっきりした、十文字克人にも劣らないがっしりした体格の男子生徒と、赤毛が特徴的な女子生徒だ。

 

「西城レオンハルト。レオって呼んでくれ。よろしくな」

「千葉エリカ。よろしくね」

「楡井修平。よろしくどうぞ」

 

西城レオンハルトには特徴的な、中央ヨーロッパ系の顔立ちの面影がある。レベルの高い魔法科高校に入学出来たとなると考えられるのは魔法先進国であるドイツか、新ソ連系旧バルト三国の辺りか。そして千葉エリカの方は、赤毛かと思われたが実は少し違う。中東、あるいはスカンジナビア系の栗色の毛を明るくしたような感じで、アイルランドやスコットランドに多い赤毛ではない。

 

(数字付きか………?)

 

そして、こればっかりは微妙なラインである。敵を知り、己を知れば百戦殆うからず。己を知ったから次は敵を知るところだが、彼の敵の中では千を冠した数字付きがいるとは聞かない。

 

「今から帰んの?」

「ああ。もう1人が少し遅れていてな、良ければ待ってくれないか?」

 

このメンツであと1人、となると………

 

(あの眼鏡の女子生徒か………)

 

千葉エリカは確実に、保健室で暇を持て余したご陽気外国人のようにベッドを剥いで狼藉していた女子生徒だ。その時、エリカの名を呼んでいた眼鏡の女子生徒。視力の矯正にしてはえらくアナログだと、印象に残っていた。

 

「しゃーなし。いいよ。予定ないし」

「助かる」

 

そして、当然といえば当然だが、事情を知らない達也、レオ、リカの3人は会話をしている修平よりも気にかかるものがあるらしい。

 

「気になる?」

「………まあ、学校に子熊はな」

「あいつ、ヴォイテク。でも警戒心強いし、今機嫌悪いよ」

「へー。あの子、噛むの?」

「噛みちぎる」

「噛みちぎる!?」

 

子熊にあるまじき生態に思わず声を上げたのはエリカだ。そんな人間に危害を加えまくる爆弾を抱えているも同然の雫は無表情を保っているが。たとえそうでなくても、日本で子熊をペットなどトリッキー過ぎて触るに触れないのだが。

 

「平気なの?それ」

「機嫌が悪いのは楡井のせい」

「フゴー」

「違うわアホ」

 

抗議というか、声を上げたというか。ヴォイテクは雫に同調するように吠えた。小さな体特有のやや高めのもので、大人の熊のような本能を刺激するような恐怖などないのだが。それは嫉妬している、というよりあの猫に対する抵抗感かもしれないが、動物同士の遺恨など知れるわけもない。

 

「でも、可愛いわね」

「熊と相性いいんじゃねーの?」

「はあ?野獣に言われたくないわよ」

「何よ」

「何だよ」

 

あれだけで、レオとエリカの関係がよく見える。下手に突かない方が良さそう、というより修平がどうにかしなくても、あの2人は仲良さげに見える。好きであることの反対は、好きとも嫌いとも思わないこと。またはひたすら興味がないこと。そう聞くだけに、ああいうのもまたひとつの理想の形だろう。

 

「ブブ」

「でも可愛い〜。お腹減ってない?」

「こいつ物食べないよ」

「え?熊でしょ?」

「よく知らないけど、食べないんだよ。餌代浮くしいいんだけど」

「へー………不思議」

「フゴー」

 

今の修平とヴォイテクのようにとはならないようだ。

 

「すみません。遅れました」

 

バタバタと小走りをしてこちらに来るのは、あの眼鏡をかけた女子生徒だ。魔法を学ぶ、というのには若干の先入観がある。それだけに、虫も殺さないような少女がいるというのは意外だった。

 

「あれ………」

「どうも。初めまして」

「………どこかでお会いしました?」

「いや、初めましてだよ。楡井修平。君の名前も教えてくださいな」

「柴田美月と申します」

 

少しばかり心臓の鼓動が早まる。彼女は人畜無害に見えて、意外と勘が鋭い。

 

「達也君とは仲直りしたんですか?」

 

きっと彼女は純粋な善意でそう話したのだろう。達也にとってはどうということはなくても、多感なティーンエイジャーである修平にとっては辛いもの。仲間内だけとはいえ晒し者にされた気分だ。それを知ってのことなのか、ほのかは顔を強張らせ、雫は若干ヴォイテクを抱き締める力が強まる。それを彼は見逃さず、尋問するように言った。

 

「………どっちが喋った?」

「ほのかが喋った」

「ええ!?」

「いや分かった。分かったから澄まし顔で黙ってんのはやめてくれ。司波妹」

「………お兄様と、そのご学友のためです」

 

が、しかし、真に後ろめたかったのは深雪である。彼女分かりやすいというか、はとことんまでに兄想いというか、ここまで来て誤解を恐れずあえて悪い言葉を使うとすればこうなる。

 

「このブラコンめ」

 

これが一番しっくり来る。

 

「ありがとうございます」

「いや褒めてねーし」

 

ただしダメージは軽い、どころかその言葉は彼女にとって名誉のようだが。

 

「なあ、帰らねえか?」

「司波兄との仲直りも終わったし」

「達也でいい。俺も修平と呼ぶ」

「あっそ。じゃあ達也で。これ以上待たせるわけにもいかん、帰ろうぜ。北山と光井は適当に自己紹介済ませといて。ヴォイテク!お前は機嫌直してくれ!後でレスリングごっこしてやるから!」

「ブブブブブ」

「レオが!」

「え、俺!?」

「フゴー」

 

一番ガタイがいい、というもっともらしくも理不尽な理由で子熊との取っ組み合いの約束を取り付けられたレオは虚を突かれて驚いた。横でニヤつくエリカに気付かないくらいには驚いた。そしてヴォイテクはというと、雫の腕を叩く。とはいっても、サイズがサイズなので力はあまりないが。

 

「ヴォイテクは強いぞ。ほらおいで、ヴォイテク」

「ブブ」

「ええ〜………」

 

ヴォイテクは雫が離してやると、フンフンと鼻を鳴らしながら地面を嗅ぐようにして彼の足元に寄り、前脚で軽くパンチをする。それに動じることなく彼は腕時計を確認する。放課後からそれほど時間は経っていないが、意味もなく学校に留まることもない。そして修平は、集まった達也の友人達に、歩きながらポツリと零すように話した。

 

「俺ら、悪目立ちするぞ」

「楡井、知り合って初日にそういう話をするのは良くない」

「仕方ないだろ。恨むなら学校のシステムを恨め。才媛で、総代で、一科生。そんな奴を二科生が囲ってんだ。クラスメイトからすりゃ面白くない。中には———」

「おい」

「………こういう奴もいる。気を付けなよ。事後報告だけど」

 

校門には、大勢の一科生が待ち構えていた。正面切って歩いていれば、嫌でも彼らとは目が合うもの。その視線は間違っても友人になりたいと握手を求めるようには見えなかった。当人や修平が危惧したのはもっと前のことだったが、どうやら先方の有言実行が早かったらしい。

 

「その人から離れろ。その人は、ウィード如きが一緒にいていい人じゃない!」

 

ウィード。差別用語であるそれは、建前上禁止されている言葉だ。しかし目の前の男子生徒は臆することなく、寧ろそれを誇らしく思うように声を張り上げた。最早分析するまでもない。彼は至上主義者だ。しかもトップクラスに面倒な、実力行使も辞さないタイプの。朝っぱらから友達作りに東奔西走して、一科生にいちゃもんをつけられて、会いたくもない人物に説教されて。その上これとは。

 

「いい加減諦めたらどうなんですか?深雪さんはお兄さんと一緒に帰るんです。他人が口を挟むことではないでしょう」

 

頭痛の種かと、頭を悩ませる彼に代わったのかは分からないが、その間にも美月、エリカ、レオと一科生の男子生徒との口論は加熱していく。

 

「何の権利があって二人の仲を引き裂こうとするんですか!?」

「ひ、引き裂く………」

「深雪………何故焦る?」

「い、いいえ?焦ってなど………」

「イチャつくのは後にしておくれ」

 

四面楚歌である。味方がいない。過激派と狼狽える者しかおらず、頼るべきがいない。

単純に結論だけを言うのなら、一科生には正当性がない。彼らの主張の全てを『結局決めるのは本人』という言葉で覆せてしまうのがその証拠。しかし深雪があのような嗜好でなければこの問題が起きていたかどうかも疑問であるし、出来がいい同士で集まりたいという一科生の思いもまた理解に苦しまないというわけではない。ただそれが、差別意識による感情論としか見れないのが問題なのだ。

 

(弱いなー頭………)

 

それは白熱していく二科生達に対しても。売り言葉に買い言葉でヒートアップせず、諭せというのと無理な話かもしれないが、火を付けたのが一科生なら油を注いでいるのは二科生だ。

 

(無関係決め込んでインテリぶってる俺も、頭弱いのかなー………)

 

「同じ新入生じゃないですか。貴方達が一体どれだけ優れているっていうんですか?」

「………どれだけ優れているのか知りたいなら、教えてやるぞ」

「はっ!おもしれえ!是非とも教えてもらおうじゃねえか!」

 

願わくばこのまま鎮まってほしいが、どうやら神は聞き入れてくれないようだ。

 

「だったら教えてやる!!」

 

言うが早いか、男子生徒は服に隠れた腰のホルスターから拳銃型のCADを抜く。拳銃と違うところといえば、規制がかけられていないところか。まったくもって厄介な話であるが、規制されているのは魔法そのものであってCADではない。だからどんな魔法が飛び出してくるか、分からないミステリーボックスだ。照準は真っ直ぐレオへ向き、サイオンがCADに流れ込み、魔術式が展開される。一連の動作には無駄がない。

 

(どうにか出来るんなら誰かに任せたいんだけど………!)

 

しかし思いのほかというか、どうやら二科生というのは単に劣等生というだけでは一纏めに出来ない存在らしい。

 

「この距離なら体動かした方が早いのよね」

 

行動を起こしたのはエリカだ。伸縮式の特殊警棒を肩に置いて、エリカは得意げに笑う。双方呆気にとられていたが、何をしたかは単純明快で、特殊警棒を使って男子生徒の拳銃型CADを弾き飛ばした。笑ってはいるが、彼女は構えを解かず油断するような素振りを見せない。第二第三の矢も、今の彼女には無意味だろう。それを知らないある一科生は、更に第二撃の用意をする。

 

先ほどからその願いは打ち砕かれているわけだが、今回はどうにかなるか。神のみぞ知る。しかし神は、修平を見捨てなかったようだ。

 

「やめなさい!自衛目的以外の魔法の対人使用は校則違反である前に、犯罪ですよ!」

 

今回ばかりはその顔を拝めてよかったと思えた。サイオンの塊が起動式と衝突し、取り巻きその一の魔法は霧散する。飛ばしたのは真由美だった。

 

「また君か………」

 

と、同じく騒動を聞き付けてやって来た摩利からはそんな言葉が飛ぶ。

 

「人を疫病神みたいに言わないで欲しいね。こっちだって首突っ込みたくて突っ込んだわけじゃない」

「そうか。帰るのはもう少し先になりそうだぞ」

「あらま、そりゃ残念」

 

事態の収拾を図る真由美は間に入って一科生と二科生の仲裁を行なっている。それに対して、生徒会長が出張るという事の重大さに気付いた双方は顔面蒼白し、熱も冷めた様子だ。摩利は何故か、真由美の側に付かず修平から目を離さない。

 

「行かないでもいいんでございますかね」

「彼女から言われた。何をするか分からないから、君から目を離すなと」

「あらら。警戒されてんね。残念」

「何が残念なのかしら?」

 

とりあえず、生徒会室で話を聞くという形に落ち着くまでは早かった。それは真由美の手腕ひとつであろうが、とにかく応急処置とはいえいざこざを一旦収めた真由美が、次はお前だと言わんばかりに修平に詰め寄る。しかし修平は、ふざけたような、おちゃらけたような態度を崩さなかった。

 

「いんや。俺のマルウェアの活躍の場がなくて残念だ」

 

彼は笑った。その深層は、誰も測れない。




1万文字超えてた件。


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ディープ

こういう小説の文字数が多いのか少ないのか分からない………


入学3日目。昨日は結局簡単な事情聴取だけで終わった。元々無理筋を無謀に通そうとした一科性の過失が大きいとしながらも、火に油を注ぐべきではなかったとして、二科生有利な両成敗、という形で決着した。傍目からすれば一科生と二科生の対立だったというだけに、深雪、ほのか、雫は居心地が悪いようでよそよそしかったのを思い出す。

 

そして3日目は、真由美から罰として授業へ出ることを命じられた日でもある。この際色々使って擬死でもしてやろうかと思った次第ではあるが、諦めることとした。理由は単純、これは捉えようによっては罰ではないからである。

彼女がそういった意図があるのかどうかは彼も掴みかねているところだが、実際これは情報を得るまたとないチャンスだ。主に彼のモチベーションを考えれば、このような機会は2度と訪れないと言ってもいい。意気揚々、とまではいかずとも、極端に沈むことなく教室まで歩みを進める。

 

「やっほー」

「修平………授業初日に休むなんて何事かと思ったぞ」

「それ言うの、1日ほど遅いよ達也ぁ」

 

茶化すようにして達也に言う。授業が有意義か無意味かはさておくとして、友達作りは有意義になる。教室には小競り合いの面々、レオとエリカと美月が固まって話をしていた。

 

「おっと、VIPのご登場だ」

「何だ、君らの間じゃ1ジョーク挟むルールでもあるのか?」

「あの熊ちゃんは一緒じゃないんだ」

「ヴォイテクは特例。教室ん中は駄目なんだよ」

「何で?噛みちぎるから?」

「か、噛みちぎる………?」

「当たらずとも、遠からず」

「怖っ………」

 

朝っぱらから何とも物騒な会話を繰り広げるのもルールというわけではない。彼は一科生や達也とのゴタゴタの時はいつも白色のカッターシャツを身につけていたが、今は白を基調とした長い丈の制服に身を包んでいる。

 

「制服の着心地はどうですか?」

「これ、作ってる奴はカッコいいと思って作ってんのかな?」

「あ、あはは………」

 

翻る丈のせいで絶妙に動きにくい上、余った布の部分が干渉して腕時計に手を伸ばすのに1秒以内の誤差が生じる。機能美という言葉があるが、今回その言葉は残念ながら適用されないようだ。この調子だと、投げ出すのも時間の問題かとばかりに、忙しなく細かく手足を動かしている。鞣す方法によっては着た感じが硬くなるらしいが、それ以前の着心地の問題である。勿論、肩の寂しい肩章も一緒に。

 

「でもよ、授業に出ないのも事情があんだろ?」

「別にどうってことない。今日限りだからな」

「それはそれで………何でだよ」

 

結局、今日が終わればそれっきり。騒動を人づてに聞いていても罰のことを知らないレオやエリカや美月には何ともおかしな話だ。しかし、罰の話をそれとなく聞いた達也が納得出来るかと言われればそれもまた違う。達也は穏便に事を済ませるため、そして能動的にあの騒動を仕掛けていない修平を案じて非を詫びたが、生徒会長は違う。生徒会長として暴力を仕掛けた者だけでなくそれに返した者も平等に罰するべきなわけで、実際そうなったが、事情を知らない者からすればあまりにも罰が軽い。明らかに両成敗とはなっていない。

 

「どこぞのちみっちゃいのがいなけりゃ、今頃家族と団欒してたんだがね」

 

それを知ってのことか、あるいは本当にそれを憂えているのか、修平は話の展開を変えようとする。気になるが、ここは口を噤むべきと判断した達也はそれに乗っかることにした。

 

「ヴォイテクのことか?」

「あとは犬と猫がいる」

「随分多いな………動物が好きなのか?」

「ま、好きだよ。俺は動物も家族に数えるタイプの人間だしね」

「そういうの、素敵だと思います」

「あんた結構ロマンチスト?」

「いやいや、違うよ馬鹿。ただそういう趣向ってだけだよ」

 

腕時計をしきりに気にするように話して笑う。

 

「そろそろ始業だ」

「ゲッ、もう?」

「転校生に群がるアレだな。どこの学校でもある」

 

授業は勝手に始まるらしい。これも一科生の優遇措置なのだが、魔法師が不足している。つまり魔法を教える教師も不足している。即戦力を即戦力のまま保っておくためには教師が不可欠だ。最早ここまで来ると、二科生の存在さえカメレオンしている気がしないでもないが、これもそういう制度と言われてしまえばそれまで。しかし利点もある。自由であること。

 

「じゃ、頑張ってくんな」

「いやいや………お前はよ?」

「いい質問だドイツの」

「誰がだ」

「俺はこういうことしたくてこの高校に来たんじゃない。逆に俺の手の内を明かさないで魔法を見るってのが目標だ。教師の見張りもないんだぜ?」

「不良だなお前」

「策士気取りと呼びなされ」

「気取りってお前………」

 

始業のベルにブザービードなど存在しない。レオは渋々授業の輪の中に入っていった。

授業風景は、やはり一科生のものと比べるといくらか見劣りすると言わざるを得ない。元々そうやって分けられたから仕方のないことではあるが。普通の魔法の行使は遅く、実戦向きとは言い難い。修平があまり言えた話ではないが。

 

「どうよ!」

「お前、こういうの苦手だろ。多分初動は防御に寄った受動的なものだ、どうだ?」

「すげえ!めっちゃ当たってる!」

「あの魔法であの速度だったら、硬化でそうするしかねーべ。お前みたいなガチムチが出来るったらな」

「ちょっとレオ!サボんな!」

「サボってねーよ。悪いな修平、観察、頑張れよ」

「嫌味じゃんか」

 

レオは人懐こいというか、コミュ力が高いというか。義理立てする性格らしい。修平があまり見ないタイプで、少し難易度が高い。そして彼も、本人がそう言ったように、目的は魔法師への登竜門こと魔法科高校のレベルを知るためである。

結果から言えば、収穫はそれほど多くない。そもそも期待していなかったというのもあるが、評価されるべき事項が限定的過ぎる。実技が重要視されるというのは間違いではなかったが、つまりそれは学校の設備という力を遺憾なく発揮すれば、という話に留まる。修平から見て、昨日尋常ならざる体捌きで瞬く間に一人無力化したレオやエリカは、その辺の量産型一科生より実戦での力は格段に上、学校の評価では計れない力があるというのも正しいようだ。

そして時は過ぎた。修平が授業風景に興味を削がれていると、案外早く終業となった。

 

「お前、本当に堂々とサボったな………」

「高みの見物決め込むのは中々愉快だったぜ」

「性格悪いわよアンタ」

「そりゃ是正せにゃな。皆さんこれからどうすんよ?」

「昼休みなので、お昼ご飯でしょうか」

「修平、お前はどうする?」

「迷惑じゃなけりゃご一緒するよ」

「迷惑なんて思わないさ。行こうか」

「あいよ」

 

何とも友達らしいことか。8人という大所帯だが、不思議と苦にはならなかった。それは昨日の一科生との騒動が心に強く残ったからだろう。元々無差別に魔法師を敵視しない彼と、選民的でない魔法師である皆とは意気投合するまでにそう時間はかからないだろう。その胸懐のほどまで共有出来るとは言わないが、友人というのに要素が存在する。そして彼らはその要素を満たしている。そしてこれから友人水入らず………

 

「あらぁ、偶然ね、修平君、達也君」

「会長。どうしたんです?」

 

………とはならなかった。達也はビジネススマイルを貼り付けて対応し、修平は露骨に顔を歪めて不機嫌さを前面に押し出す。他の面々は突然のビッグネームのご登場に狼狽を隠せていないようだ。

 

「あにしにきたっだ、トランスチビ」

「もう、そんな邪険にしないで頂戴な。今回は達也君も一緒に来てくれないかしら」

「いやお前偶然装えてねーじゃんか」

「行くの!?行かないの!?」

 

正当性をまず差し置くとして、屁理屈で足を掬われるかもという憂いは修平と対峙する時に常につきまとう。だからこそ、シンプルな力業ではあるがこうするのが有効だったりする。

 

「いや行くわ。これ以上新入生を餌食にさせないぞこの野郎」

 

それに対して修平も、あえてそれを受けることにした。いつものようにちょっとした言い合いを楽しまず、その有効な力業に頼るということは切羽詰まっているということだ。修平と真由美の関係は、ただ犬猿の仲とするにはやや複雑なもので、どれが是でどれが非かというのもまた複雑である。

 

「………何か誤解を招く言い方があったけど、皆さんも、ちょっとこの2人を借りていいかしら」

「え、ええ、全然………行こうぜ」

「じゃ、楽しんで………」

「お話、聞かせてくださいね」

 

見放された気分だ。暗澹たる思いで、彼は歩いた。

 

◆◆◆

 

「お肉とお魚とお精進、どれがいいですか?」

 

生徒会室は嫌いだ。作り笑いを貼り付けた役員が睨みを利かせているし、そのほとんどは彼にとって重大な障害だし、今も暗に『昼飯が終わるまでここから出さない』と言われてしまった。

 

「俺肉にしようかなー」

「自分は精進で」

「では私も、同じものを」

「修験者みてーだね………」

 

遠回しに苦言を呈するが、結局変わることは無かった。途中で深雪も合流し、新入生3人は生徒会室の席に着いた。

居心地の悪さの原因の一端は、ホスト席に座った真由美の隣、風紀委員長たる摩利の視線だ。最早隠す気が一切無くなったようで、穴が開くほど修平を見る。

 

(視線が痛い………)

 

これが慕情やそれに似た何かだったらもっと形容のやりようがあったのかもしれないが、そうではない。懐疑と、好奇心がそれぞれ半分ずつ。明らかに何かを探ろうとしている。ここで声をかけてやめさせることは容易だが、あえて彼はそれを無視した。あえて彼女だけに注意しないことで、似たような動きがないか全体の動きを掴むためだ。そして観察したところ、そのような動きは真由美以外に見られない。中条あずさが配膳し終え、新入生3人も食事を運び、

 

「ん〜、セルフサービス」

 

と、軽く皮肉を飛ばしたところで奇妙過ぎる会食が始まった。生徒会役員全員と風紀委員長が一堂に会するというのは中々威圧感溢れるが、唯一中条あずさは例外だ。

 

「クソ不味い」

「おい、修平………」

 

そして修平は最初から穏やかでいくらか静謐な場の空気を一言でぶち壊す。ハンバーグを掬って食べると、顔に出して不満を露わにする。

 

「いや俺だってレトルトに期待なんざしちゃいないよ?だけどさ、レトルトって人が食べるもんだべ?」

「お前、強心臓だな」

「ちょいと事情があってね。添加物は受け付けないんだ。心配しなさんな。俺は食べ物を粗末にしないタイプの人類だ」

「そうか………」

 

これだけで、主に修平と鈴音の間の亀裂が音を立てて更に深まった。あずさがそれを察知して表情に出しておろおろと狼狽え始め、真由美が何度かも分からないデジャヴに頭を抱え、司波兄妹が良からぬ空気を感じ取って視線を動かし始める頃も、摩利はひたすらに彼を分析した。

昨日から気になっていたが、彼は恐らく派閥によって人を分別しているようだ。友人である同級生、忌み嫌う生徒会役員とそれに近い上級生、愛すべき家族。多重人格という推論が正しければ、対人関係によって自在に人格を使い分けているとも推測出来る。フランクで、遊び慣れた青年のような人格と、こちらに噛み付きまくる不良のような人格。言葉を聞くに、それらが混ざっている。

 

(私達と司波が同じ場にいるとこうなるのか………?)

 

奇妙だが、原因はそうとしか考えられない。となると、彼は存外不器用なのかもしれない。本音を隠すというのは社会を歩く上で基礎かつ真髄だが、彼はあまりそれを出来ていないようだ。

 

「こんなんならHARも買わなくて正解だった。やっぱ自動化なんてするもんじゃないわな」

「HARが無い?それはまた珍しいな」

「便利を得るってことは、金を捨てるってことなんだな」

「深いですね」

「別に。お金がもったいないってだけだよ」

 

ホームオートメーションロボット。略してHAR。意味はそのまま、家の自動化を行うロボットの総称。前時代は丸いお掃除ロボットがどうこう、というだけのレベルだったのだが、今やその技術は家全体のスマート化にまで発展している。スマートキッチンに料理を任せ、スマートキーにセキュリティを任せる。便利というよりこれが一種の普通になりつつあるほど普及しているが、修平の家にはそれが無い。

 

「HARは一個のシステムで家中のロボットを制御してる。メインサーバーにハッキングされた瞬間、ダンボールハウスの百倍酷い家の出来上がりだねってことだ」

「そうなのか?」

「達也もコーディングの解析すれば分かる。マジであれ、どっかしらにワーム仕込んだら2分経たないでメインが死ぬから。全部落ちるから」

「お前まさか………」

「いやいや、あれは若気の至りって奴だよ。知識欲に勝てなかったんだ。俺は悪くない。なあ会長」

「えっ」

 

相変わらず手法がいやらしい。達也が何か良からぬ気配を察してそれを問おうとしていたところだが、彼のなすり付けは真由美に及んだ。何かしらあるだろう、と漠然とした危機感はあったものの、こういった形で巻き込まれるのは彼女も予想外だった。

彼が言った通り、HARのコードを解読しただけと言えばそれだけ。誰に迷惑をかけるでもない若気の至りではあるが、何故か彼は、自分で話題にしたこの件を何が何でも無罪にしたいように見えた。

 

「………そうね。便利さはそれが無くなる可能性を加味されていないという危険も孕んでいるでしょうね」

 

彼女も巻き込み事故は勘弁ということで、明確な発言は避けた。彼もそこまで会話が下手というわけではないが、今の会話に関してはどこか違和感があった。

 

(何かしら………?)

 

真由美も、修平との付き合いはそこそこ長い。だからこそ、ちょっとした違和感を感知出来る。このような現象は初めてだった。彼は揚げ足を取りたがるティーンエイジャーのように見えて、実は論理的に話したいことを展開するタイプである。だからこそ、不思議でならなかった。

 

(まさか突発的な切り替えで?)

 

更なる思考の海に沈もうとしていたところで、ハッと顔を上げる。

 

そうさせることが()()()の狙いだったらマズイ。

 

「つーかさ、やっぱいつも愛しの妹の手料理なの?」

「茶化すな」

「茶化してなんかないさ。言い方の問題さね。で、どうなの?」

「そうだな。俺も深雪みたいな出来た妹がいて、兄として幸せだよ」

「仲睦まじいようで、羨ましい限りだね」

「………本当に言い方の問題か?」

「俺っていっつもこんな感じだからね」

 

しかし、今の修平はスタンダードに見えるが………

 

「お前はどうなんだ?修平」

「おっと………聞かれるのは予想してなかったな」

「私も気になるな。君は一人っ子気質のようだから」

「あんたもですかい、風紀委員長。まあ恥ずかしいことじゃないんだけどさ」

 

探るべきは今じゃない。友人もそう言っている。真由美は一旦それを心の隅に押しやり、単純にこの会食を楽しむことにした。今はあまりにも手がかりが少な過ぎる。そして彼の場合、その掴むべき手がかりは会話をすればある程度掴める。ある意味最も困難で、最も簡単である。

 

「そういう修平君だって、愛しのお姉ちゃんがいるじゃない」

「楡井君にお姉さんですか」

 

あずさは純粋に、この会話を繋げようとするために口にしたのだろう。しかし、真由美は揶揄うため、摩利は知的好奇心のため、司波兄妹は興味のため。煩悩が多過ぎる。

 

「おまっ、ちょ、真由美おまっ」

「へぇー、意外です。修平君、結構自由人ですし」

「そうだな。結構好きにやってるから、一人っ子かと思った」

「褒めてねーなそれ。姉ちゃんが馬鹿みたいに静かだから相対的に好き勝手やってるように見えるだけで、ちょっと若気の至りが過ぎた程度だって」

「若気の至りっていうのは、自分で言うことじゃないのよ」

「うっせ、ほっとけ」

「あの、やっぱり修平君の舌が肥えているのはお姉様の影響ですか?」

 

やけにこの話に深雪が食いつく。何が彼女をそうさせるのか、修平には手に取るように分かる。というのも、彼女は達也と違ってよく顔に出るタイプだ。話題が転換されるより前に修平の姉のことを聞き出そうと、前のめりになっているのが表情にも焦りとして出ている。

 

「それもあるかなあ。姉ちゃん、めっちゃ料理上手いし」

「やはりそうですか………」

「HARが無いのも?」

「ああ。セキュリティガバガバな上に人間より劣ってんだ、あんなのに金かける理由が分からんね」

「そういうものか」

 

人に恵まれているのだろう。達也はそう思った。彼は妥当な理由があれど、入学2日で暴力沙汰を起こすなど滅茶苦茶だが馬鹿じゃない。そんな修平の姉ともなれば、それを教えた人間と考えても中々の脅威である。

 

「そっ。だから深雪ちゃんもスキルを磨けば一石二鳥どころか三鳥くらいあるんだぜ?」

「ほぇ?」

 

そして、そんな達也と修平との話だとばかり思っていた深雪は突然振られて素っ頓狂な声を出す。

 

「別にいいじゃん。お兄様のために何か作ってあげたいってのも、立派な兄妹愛じゃないの」

「な、何故それを………」

「バレバレなんだな、これが」

 

修平は嗜虐的に笑う。彼から見て、司波兄妹はそこが似なかったのだろう。ひたすら能面のまま人と接する兄と、比較的感情表現が豊かな妹。兄は感情以外に欠けている、というわけではないが、それでも兄妹という関係は互いを映す鏡ではない、ということか。

 

「俺も()に一人いるから分かるけど、結構そういうのは受け入れてくれるよ。何せ家族だからね。理屈抜きで」

「そ、そういうものですか………」

「ま、達也がいるからサプライズは潰えたけどね」

「あ゛っ………」

「うわぁ、流石修平君は変なところでえげつない」

「黙ってろ会長。迷える仔羊を導いてやっただけだろうが」

「聞いて頂戴な司波さん。修平君ってば私といるといつもこういう感じなのよ。意地悪で無遠慮で、そのくせ致命的に女に嫌われるようなことはしないのよ。何て酷い男なのかしら」

「相対的に悪く見せようとすんのやめろ」

 

それなら会食に呼ぶな、名前も呼ぶな、と言いたいところだが、しかし。ここはぐっと堪えて言葉を呑み込んだ。()()()()は喜んでやるが、主張は捻じ曲げられるものだ。であれば、アウェーでどうこうするというのは愚策である。

 

「そういえば、会長と楡井君は、仲がよろしいのですか?」

「そうよ」「全然」

 

これまでの様子を振り返ったあずさが、単なる話題の転換として問うと、そのようにして二人の口から同音でない言葉が出る。

 

「………うん?」

「テキトー言ってんじゃねーよ。妖精(笑)コラ」

「そんなこと言わないで。お姉様公認でしょう?私達」

「うっさい。妖精なら森ん中で大自然相手にさえずってろ」

「悲しいわ」

「哀れんでやろうか?」

「それもアリね」

「ナシに決まってんだろ馬鹿」

 

知らなかったとはいえ、もしや2人にとんでもない爆弾を投げ付けてしまったかと、あずさは慌てふためく。そして、とにかく何か言おうと絞り出したは悲しきかな、謝罪の言葉であった。それを言葉にしようとすると

 

「何言おうとしてんのか知らないけど、あんたは別に悪くない。悪いのはこの『三巨頭の巨頭じゃない方』だろうが」

「そうよあーちゃん。ちょっと修平君に教育が必要なだけなんだから」

「抜かせ、高級ゴミ箱女。俺に一回でも勝ったから言うこったな」

「あら、足元掬ってあげようかしら………」

 

いよいよ向かい合う2人がヒートアップして、椅子を弾き飛ばしながら立ち上がろうかという場面。修平のトラブルの相手が相手なだけに介入出来ずにいる司波兄妹と、混乱して声にならない声を上げるあずさ。となれば、介入するのは限られた。

 

「会長。お収めください。ここは上級生として譲歩を」

「楡井君も。熱を下げてくれないか。食事の最中だぞ。やるならここじゃない」

「………取り巻き(サイドキック)が優秀でよかったな、限界チビ」

「私が止めてあげてもよかったのよ、修平クン♪」

「何でお前はそんなに人をムカつかせるのが上手いんだろうな」

 

不完全燃焼のままだろう、修平にも言いたいことが山というほどあるだろうが、それでも最低限の秩序は保たれた。

 

「もういいだろ。用事も終わったし、帰るぞ俺は」

「昼休みはまだ終わってないけど?」

「休み時間ってのが休むためにあるのを知らないとは恐れ入ったね」

 

食器を片付け、後はそのまま。苦々しげに言葉を吐くと、修平は振り返ることもなくさっさと生徒会室を後にした。

 

「申し訳ありません、生徒会長」

「いーのいーの。昔っからあの子はあんな感じだったから。今更よ」

「そう言って頂けると幸いです。では自分達も、失礼します」

 

その場にいた友人代表として、達也が頭を下げる。真由美はそれを笑い飛ばし、それを受けて2人も退出した。

 

「ばぁぁ〜………」

「どうしたんだ?」

「めっちゃ怖かったぁ〜ん………リンちゃん、慰めて〜」

「少しは自重してください、会長。彼はすぐに手が出る危険な人物です」

「うーん、だってぇ〜、修平君だよぉ〜?」

「分かりません」

 

鈴音と摩利からすれば、怒っているという以上のことは何もなかった。しかし、真由美からすれば違う。

 

「もしあの時、2人きりだったらどうなってたか。想像すると怖いわ」

「………それは、どういう」

 

思い出すのも億劫とばかりに溜息をひとつ吐く。

 

「何をされるか分からないから怖い。正しくは、どんな理屈で何をされるか分からないからこそ、私は彼が怖い。摩利も分かる筈だわ」

 

思い出されるのは、彼の中で一層不気味さを醸し出していたあの模擬戦直前の彼。あの意味不明かつ論理不明なワードサラダが、頭にこびりついて離れなかった。




大体1ヶ月ぶり。遅れてしまって申し訳ありません。


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チガワレルモノ

リフレッシュとして始めたこちら、もうしばらくお付き合いください。


いつになく、彼は不機嫌だ。不機嫌である筈なのに、それをまったく感じさせない。それは、演技などという生易しいものではない。昼休み後の授業風景。

 

「そういやさあ」

「うん?」

「風紀委員にスカウトされたってマジ?」

「………それは」

「ああいいよ。どうせ放課後まで言うなってあのガラクタ屋に言われたんだべ?」

「………ああ、そうだ。授業が終わったタイミングで、スカウトのことを言わずに生徒会室に引っ張ってこい、と」

「会長の考えはお見通しか?」

「通じ合ってるみたいに言うな」

 

実はあの後。真由美は生徒会室を飛び出し、退出した達也を呼び止め、

 

『生徒会と風紀委員に入れたくて。でも風紀委員候補筆頭の修平君があんな調子だから、協力してくれないかしら?』

 

とのお達しを受けた。生徒会に深雪を、風紀委員に達也と修平を入れる計画らしい。無言のプレッシャーを受けてしまったために、それが効いたかどうかはとにかく、受けざるを得ない。だからこそ受けたのだが、しかし。

 

「ペッ、あんのチビ、頭にガンモドキでも詰まってんのか」

 

一瞬で虚しくも崩れ去り、露見してしまったが。

 

「生徒会に深雪ちゃん入れて、それで全部まるっと解決じゃないんかね」

「そうじゃないらしいな。風紀委員か………」

「普通に考えて戦力の補強だべ?じゃ達也だけでいいじゃんか」

「枠は2つある。2人入れられるならそれがいいに決まっている」

「ダメだダメだ。魂胆が丸見えだ。二科生使えば平等主義者っぽいでしょって。選挙期間中の政治家かあいつら!」

「………それは分からないが」

 

一見粗雑だが、その実態は誰よりも他人を観察する。その本物の彼が、達也にとって気がかりだ。確かに彼は不遜で物言いも酷いが、今は抑えていると見る。真由美がギリギリの駆け引きを展開しているというのもあるが、一番は修平が真由美と一科生にある程度の線引きをしているからだ。

 

「おっと、おかえり〜、お2人ぃ」

「おいっす。帰ったよぉエリカ」

「お2人とも、生徒会でどのようなお話を?」

「世間話?」

「世間話だな。修平が会長と旧知の仲だったらしいから、他愛のない話を」

「へえ〜、何だあ。てっきりヘッドハンティングだと」

 

エリカの何気ない一言は実に的を得ている。どころか、必中だった。しかしただでさえ表情を表に出さない達也と平気な顔で嘘を吐く修平に効果は今ひとつのようだ。

 

「こっちから願い下げだね」

「そう邪険にするものじゃない」

「するよ。あぁーもうレオ!」

「あ?」

「もし俺がヘッドハンティングされるなんてことがあったら頼んだ」

「ハゲ武者か」

「影武者だバカ。頼んだぞ」

「嫌だわ馬鹿。お前がご指名されるんだろ?」

 

これからされるかもしれない、ということにする。そうすれば、立つ波風を最低限に抑え、なおかつ例えばの話としてこうして救援を要請出来る。今回はどうやら、無情にも伸ばした手は払われたようだが。

 

「あいつは旧知の仲とか古い知り合いとか平気で使うタイプなんだ。嬉しくもねえこと押し付けてきやがる」

「人遣いが荒いってことか?」

「………そうだな」

 

忌々しげにそう吐き捨てる。しかし段々この話の環境に居心地が悪くなったのか、さっさと解散させるように追い払う。

 

「授業だ授業。俺はちょっと私用で外すから頑張って」

「何しに来たんだお前は」

「愛しの友人達にご挨拶。そんじゃねー」

 

のんびりとした口調の割に、修平は颯爽と駆け出した。

 

「あいつ、退学とかにならねえよな?」

 

レオのその言葉に、答えられる者はいなかった。

 

◆◆◆

 

当然ながら、授業中ともなれば廊下の人通りは皆無。話し相手が欲しいなどという贅沢は通らないもので、歩くだけというのは暇潰しにすらならないのである。

 

「こういう時に呼んだら来てくれる奴は家だもんなあ………」

 

あれも確かに、生物離れしているがしかし、限界がある。ここで爆弾でも爆発すればその耳でキャッチしてすっ飛んで来るだろうが、叫び声程度では自宅にいる家族はキャッチ出来ないのである。

 

これでは暇過ぎてどこかに不正アクセスでもしてしまいそうだと葛藤をしていると、不意に声がした。

 

「そういう態度は感心しないわ、楡井君」

「んー………?」

 

睨んでいるようにさえ見える目元、起伏のない平坦な声色。

 

「何だ、能面かい。そういう相手は間に合ってるから回れ右して帰ってくんな」

「そういうわけにもいかないわ。会長からの指示だもの」

「右腕が来たわけね。そりゃまた、泣かせる忠誠心だこと」

 

3メートル以上離れたら死ぬ呪いでもかけられているのかと疑いたくなるほど彼女のすぐ側にいて睨みを効かせる、積極的後方警備者。もとい、いつも無表情貴方の近くに這い寄る能面、市原鈴音その人だった。

 

「貴方が頑として授業に出たがらない理由も、この魔法科高校にいる理由も会長から聞いたわ。だから私がここにいるの」

「そうかいそうかい。そりゃまた、こっちもそろそろ知りたがりと死にたがりの相手に疲れたとこだ。それで、お茶でもするのかい?」

「ふざけないで」

 

ピシャリと、彼の言葉をはたき落とす。怒っているというよりひどく警戒しているがようで、()()をよく見ている彼にとっても見慣れたものだった。

 

「ふざけるもんか。俺はいつだって本気だよ。特にあいつが関わってることにはね」

「………会長、ですか」

 

苦々しく鈴音が吐き捨てる。これだけで修平は、鈴音の警戒と嫌悪という悪感情が何によるものかを大方当たりを付けていた。

 

「あいつは性格も態度も見てくれも実力もふざけてるけど、油断ならない。今回の件も、俺にとっては完全に不意打ちだった。心の中じゃ死ぬほどビビったさ」

 

だからこそ、自らがそれに乗り、それだけでなく鈴音も乗せた。ただそれだけの話である。

 

「今回の件?何の話をしているの?」

「決まってんだろ。俺をここに入れたことだよ」

「ますます分からないわ」

「おっと、チビから聞いた話ってのはそれより前か。情報提供ご苦労。もう帰っていいぞ」

「貴方………」

「情報ってのは独占しているから価値がある。封が切れればただのありふれた事実にしかならない。だから俺は、俺自身の情報を守ってあんたより優位に立つ」

 

そして、肝心なところで降ろす。これだけでいくらか優位を握れるものである。特に策士を気取った多感な女子高生ともなれば容易いもので。

 

「貴方………」

「さァどうする?力付くで聞いてもいいんだぜ。魔法使いの市原さん?」

 

最早敵意は確定した。ならば後はそれを利用するだけだ。十分程度の会話で、修平はほぼ優位を確定させていた。

 

そう、市原鈴音は修平の秘密の一部を知った。だからこそ、同時に自分で渡り合えないことを知ってしまっている。どうしようもないのだ。口先でどうにか出来れば良かったものを、今はその段階をとうに過ぎてしまっている。そして畳み掛けるように、彼は言った。

 

「気を付けた方がいい。彼女達は高熱を出す()()がある。助けに行った方がいい」

「………!貴方っ、どこまで!!」

「どこもここもあるか。調子に乗るからだ。一科生で上級生で優等生だからって、何でも出来る神様になったと思うなよ」

 

鈴音は走った。そして修平は、その後ろ姿を見て笑った。

 

◆◆◆

 

「会長っ!!」

 

廊下は走ってはいけませんなどと従う義理もなかった。鈴音は脚に力を入れて全力疾走し、保健室に辿り着いた。数分走って息を整え、ベッドのカーテンを開ける。

 

「あらぁ、リンちゃん………どうしたの?」

「会長、お加減は?苦しいですか?」

「んーん、いい感じ。修平君ってば、いっつも変なところで加減するんだもの」

「いい感じって………」

 

ベッドに横たわる真由美の姿は、どう考えても本人の話す気分と一致しない。発熱に加えて脈も若干遅くなり、軽度ではあるが腕に発疹も出来ている。

 

「私も心配してくれると元気が出そうなんだが」

「風紀委員長っ!?」

 

隣のカーテンが開くと、摩利が顔を出した。同じ症状で症状も真由美と比べて若干重いようだが、苦しみながらも体を動かす辺り気合いで乗り切っているという感じだ。

 

「どうして………」

「さあ………分からないわ。何か言っていなかったかしら、彼」

「そんなの………」

 

こんなこと、あんまりではないか。話を聞いた鈴音にはどうしようもない理不尽に思えた。そして、修平の異常さに慄くと共に苛立った。

 

「彼は普通じゃない!どうしてこんなことを、平気で出来るんですか!?狂ってる!!」

 

真由美と修平の関係も聞いた。だからこそ、このような暴挙に出た彼を狂っていると言った。いつもの冷静沈着な彼女らしからぬ怒りの爆発させように、二人は一瞬呆然としながらも、すぐに笑った。

 

「何か言ってなかったかしら。こうして私に授業をサボる理由を与えてくれた理由を」

「そんなの………」

 

知らない、と勢いに任せて吐き出そうとしたが、それを飲み込んだ。代わりにある言葉が浮かぶ。

 

調子に乗るからだ———

 

「調子に乗るから、か………」

「うふふ、そうね。修平君と久しぶりに会えて嬉しくて、ちょっと羽目を外し過ぎちゃったみたいね、私」

 

苦痛に歪ませるでもなく、慈母のように優しい笑みで真由美はそれを笑い飛ばした。何故そんなことが出来てしまうのか。まるで彼のことを全て許せてしまう。そんな雰囲気の真由美が異常に見えてならない。しかし、真由美は話す。

 

「うふふ、調子に乗っちゃった。私ね、摩利に話しちゃったの。修平君の体の秘密」

「え………」

 

怒りが、引っ込んだ。何故か。それは当然、真由美から話を聞いたからだ。彼の体も、それで何が、どうなってしまったのかも。

 

「摩利には分かって欲しかった。修平君に興味津々だったでしょ?」

「そうだな………彼は良くも悪しくも目を引いた」

「あーあ、こんなになっちゃうんだ」

「少し予想外だったな………」

 

それは自殺行為そのもの。何か策があるとすればあまりにもおざなりで、事実そうであったが故にこうして保健室のお世話になっている。彼女もこの事態を予想していただろうに。何故そのような自滅をしてしまったのか、笑みを絶やさない真由美に問う。

 

「魔法ではない強さを持つ彼が魔法科高校にいる理由はまた別に話すとして、言ったでしょ?対処しないと死者が出るって」

「申し訳ありません、会長。一つよろしいですか?」

「なあに?」

「凄く、お元気そうですね」

 

問うたはいいが、どうしても気になった。饒舌になっているというか、怠さというのが感じられない。感じられたのは入室して数分のことで、そういえばと省みると、死に際から回復まで中々早かった。

 

「うふふ、言ったでしょ。修平君は加減するって。もうピークが過ぎたようね。摩利はどう?」

「え………あっ………」

 

急速に熱が収まり、紅潮していた顔が元の白い肌に戻り、発疹が消えていく。そしてあまりに早い変化に鈴音が狼狽している間に、二人は完治してしまった。

 

「凄く迷った」

 

ここにいない筈の男性の声に、鈴音は少し肩をビクつかせながらも見る。いつのまにか保健室のテーブルに修平が座っていた。

 

「三年前なら問答無用で心の臓を止めてただろうが、今はそういうわけにもいかない。けど、俺の秘密を握るのが学校の人気者なんてとんでもない爆弾だ。いつ起爆して俺に被害が来るか分からない」

「だから、お二人にこんなことを………」

「当たり前だ。爆弾なら解除、無力化しなきゃならない。それに市原先輩、あんたにゃ言っただろ。調子に乗るからだ」

「だからって………」

「いいのよリンちゃん」

 

流石に手段を選ばな過ぎ、という鈴音の言葉を遮った。

 

「ごめんなさい。でも修平君、貴方も悪いとは言わないから、あんまり邪険にしないでほしいなって」

「今更何だ。言っただろ、本当なら心臓を止めても良かった」

「私一人にそうするのと、学校の全生徒にそうするのはどちらが()()だと思う?」

「握ってるもんが同じならどっちも変わんねーな」

「そう………」

 

悲しげに笑う真由美に対して、修平はどこまでも快活だった。

 

「でも、無力化ってのは殺すのが全てじゃない。そんなわけであんたら二人に使ったのはこっちの、色無しの方」

 

その笑顔のまま、彼は懐から密封された透明の細長い六角柱のプラスチック容器を二本取り出す。内部にはそれぞれ紙が入っていて、片方は赤色、もう片方は無色である。

 

「致死率2パーセント以下のデングウイルスを改良したものだ。ただでさえ死ににくいのに改良して更に死ににくくなった」

「じゃあ………赤色の方は?」

 

それを言った摩利からすれば、知って然るべきと生まれた当然の疑問である。

 

「………聞きたいか?」

「いや………すまない。忘れてくれ」

「賢明かな、賢明かな。というわけで、市原先輩に任した。好きに看病してくれ」

「ちょっと、貴方は?」

「俺は被害者なんだな、これが。二、三十分怠さが続くだろうから、よろしく市原先輩」

「そんな勝手に………」

「勝手なもんか。寧ろ俺はその二人の勝手に付き合わされた挙句個人情報を暴露されかけたんだ。それじゃあ、しーゆーあげん」

 

結局彼は、()()()のは致死性のものではないことを伝えてさっさと去っていった。保健室に、微妙な静寂が訪れる。それを打ち破った真由美は、ふらつきながらも立ち上がった。

 

「だいぶマシになってきたわね」

「本当ですか?」

「本当よ。全快したって言ってもいいくらい」

「それはどうか分かりませんが………これからどうなさるおつもりですか?」

「ああ、それなんだけど………緊急で話したいことがあるから、授業が終わったら生徒会を集めて。私と摩利はもうちょっと休むから」

「はい。了解しました」

 

とにかく無事ならばそれを信じるのも後輩としての務めというもの。鈴音は追及するでもなく、部屋を退出した。

 

後輩を見送った真由美はベッドに倒れ込む。気丈に振る舞っていたが、まだ完全に回復したわけではない。彼は改良したものだと言っていたが、それでも感染は感染。体力を大きく消耗する。

 

「これが彼の能力なのか?」

「ええ………ええ、そうね。正確にはその一端、だけど………」

「堪ったものではないな………魔法でもないのにどうしてこんなことが………」

 

そうは言ったが、こんなの魔法でも不可能であることくらい摩利も承知である。ただ最近、彼女の中で魔法という言葉が不条理の代名詞になってしまっているような気がしてならなかった。それすら凌ぐのだからその威力は推して知るべし。推すことも知ることもあちらからやってきたが。

 

「なあに、気になるの?」

「当たり前だろう。こうなってしまってはな」

 

からかうように笑う真由美に対して、摩利は笑いを返した。

 

「そうねえ、彼のお友達代表としてヒントを教えてあげちゃおうかしら」

「友達代表って………」

「でもそう難しいことじゃないわ」

「………それがヒントか?」

 

困惑はしたが、一つ確定したことがある。すっかり顔色も良くなった真由美は、この状況を楽しんでさえいる。クイズ大会でもしているつもりのようだ。どうしてそんな回りくどい真似を、と言いそうになるが探究心が刺激される。

 

「ええ。摩利、修平君が魔法科高校にいる理由が分からないって言ったでしょ?」

「ああ、そうだな」

「私、結構いいとこ突くなーって思って。私も同じこと考えてたから」

「彼は旧知の人なんだろう?」

「じゃあ逆に聞くけど、あの子の本性が()()か分かると思う?」

「………すまない。到底思えん」

「でしょう」

 

真由美の渾身のしてやったり顔でその探究心がいくらか削がれつつも、彼女の言葉を聞く。

 

「だから私も予想でしかないんだけど。ほら、普通五教科の首席で、しかもあんな芸当出来るんなら、もう凄いレベルの天才なんじゃないかなって」

「あんな芸当?」

「未知の言語を独学で解読したの。本一冊240ページ、暗号と人工言語の合いの子みたいなのを、一年かからないで」

「それは………凄まじいな。頭の回転が速いのか」

「そ。だから正直、知識教養のレベルも高いし、あの子ちゃんと仕事してるし、学校に行く必要もないと思うんだけどなあ………」

「それこそ、案外答えは単純なんじゃないか?彼のことだ、趣味とか退屈しのぎとか言うやもしれない」

「完全に否定出来ないから困る………」

 

摩利も本人に言ったが、彼はこの学校の普通教養トップ。そして実技を捨てた分魔法理論を学び、間に合わせにも関わらず十指に数えられる成績を残した。確かに天才と呼んでも不足はない。しかし、不足はないどころか飛び抜けてしまっているからこそ、疑問が残るもの。

魔法科高校は、魔法の教育以外においても高い水準を誇るが、最高ではない。寧ろ魔法が使えるか否かの実力主義の世界であるこの高校は、魔法師として圧倒的に劣る修平にとって最初に外れるべき候補なのである。そうでなくても、そもそも彼に必要性が感じられない、と真由美は言った。

 

「お金もある、仕事も安泰、家族もいる。そんな将来設計万全の彼が、わざわざハイ過ぎるリスクを背負ってこの高校に来たのなら、それは単なる気まぐれじゃないかもしれない」

「まあ、本当に気まぐれなら、もう退学していてもおかしくないからな………」

 

一科生の教室での騒動に然り、司波深雪に端を発する一科生と二科生のいがみ合いに然り、たった今起こった真由美と摩利のプライバシー侵害に然り。ここを去るだけの理由に、もう何回もぶち当たっている。

 

「彼の力は一つじゃない。っていうか、摩利はもう体験したでしょ?」

 

おそらくそうしない理由は、実力に絶対の自信があるのではないか、と真由美は言う。それは知性によって作り出されたものだけでなく、彼本来の能力からもそれが言えるのではないか、と。

 

「CAD爆裂の件か?あれはマルウェアだと言っていたがね」

「そうねえ………」

「下手をしたら私の体丸ごと吹っ飛んでいたかもしれないじゃないか」

「加減はしたと思うけどね。それに彼が作ったってだけで、彼の能力ではないし。ちなみに三匹の愉快な動物たちは、私も分からないけど」

「謎は深まるな」

「聞かないと分からないわね。私も全部理解してるってわけじゃないし」

 

結局のところ、そこに行き着いてしまうのだが。しかし摩利としても、先輩として情けない話だが、あまり気分を害してしまうと、一科生教室での事件があってしまっては、それが向かないとも限らない。真由美が気を使うような案件生産機ともなれば、摩利も腫れ物を扱うがごとくになる。

 

「さっぱり分からん」

「ま、機嫌がよければ話してくれるんじゃない?お友達も出来たっぽいし」

「自分から言うかもしれないのか?こんなにまでしておいて?」

「かもしれないってだけ。摩利も、あんまり好奇心が過ぎると凄いことされちゃうわよ?」

「………今のは線引きか?」

「どうかしら」

 

暫く話している内に、終業のベルが保健室にまで響く。

 

「行きましょうか。もう生徒会室に集めてくれてるでしょう」

「そうだな。はあ、胃が痛くなりそうだ………最早荒れるなんてレベルでは収まらないな………」

「そうさせたのは私なんだし、誤解は解けるようにしないと」

「誤解を払拭するために、会長だけでなく私も巻き込んで当事者にした、という推理は考えすぎだろうか………?」

「さあ、どうかしら」

 

真由美は笑わない。それが一層、不気味だった。



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三妖

難産だったもう一個の小説をやっと投稿できて、ちょっとすっきりしたあすとらの。まだ最終回じゃないのにね。


放課後。廊下を歩く修平は数度目になる問いかけを、隣を歩く達也に投げていた。

 

「何故俺?」

「会長から言われた。許せ修平」

「ま、まあ………皆さんいい人ですし」

「そう思われたいだけだよ、総代。俺はああいう、隠したつもりでいるような『裏に闇がある俺カッコいい』みたいな奴が大っ嫌いなんだ」

 

司波兄妹と修平は生徒会からの呼び出しに応じ、生徒会室に向かっていた。しかし、一年生を生徒会入りさせる件が三人の話題であった筈なのだが、今はただの愚痴と化してしまっている。

 

「授業環境も最悪、クラスメイトも最悪、その他の扱いも最悪と来たもんだ。ここ作った奴はよく訴えられなかったな」

「必死なんだろうさ。即戦力の確保に」

「有能な魔法師の確保は、国策ですからね。黙認のようなところもあるのだと思います」

「なるほどね………」

 

修平はつくづく思う。魔法師の世界に本格的に突っ込むことなく済むであろう人生で良かったと。そして、魔法師の世界に片足を突っ込んでいる現状への後悔を。

 

「前も誰か言ったと思うが、どうして修平は魔法科高校に?ここに入れるくらいの教養があれば、別に魔法を学ぶ必要だってない。お前のストレスだってなかったんじゃないか?」

「そういうわけにはいかんのよ。達也、俺はね、金と家族と悠々自適な休日のためなら地獄に飛び込むし悪魔も神もぶっ殺す。お前さんもそうだろ?」

「………そうだな。俺も、深雪に仇をなすなら容赦はしない」

「お兄様………」

「イチャつくのはよしてくれ」

 

笑いながらも話が変な方向にシフトしていったところで、生徒会室が見える。

 

「おっじゃまー」

「おい………はあ………」

「お邪魔します………」

 

修平がノックをすることもなく、勢いよく扉を開ける。それに続いて指摘を諦めた達也と困ったように笑う深雪が入室する。気安い笑顔で座る真由美と摩利、そしてよろしくない感情を持つ男子生徒が一名。二科生の二人を素通りし、深雪に爽やかな笑みを浮かべる。

 

「副会長の服部刑部です。司波深雪さん、生徒会へようこそ」

 

ここまで露骨だといっそ清々しい。達也は特に反応を示さず、修平は鼻で笑った。

 

「ノックくらいしなさいな」

 

困ったように真由美は笑う。

 

「ノックしたら回れ右して帰れって言ってくれたか?」

「そんなわけないじゃない。もう今日は大型新人ゲットに命かけてるから」

「ほぉう。ベタ褒めじゃねーか総代、もとい司波妹」

「わ、私ですか?」

 

明らかに本命が深雪、そのオマケで二科生が二人付いてきたとしか思えない構図。だがそれは修平にとっても都合がいいことだった。

 

「あら、お名前呼んでほしいならちゃーんと全員呼んであげるけど?」

 

………のは、過去の話。最近は真由美も腕を上げたというか何というか、必死故になのか、段々と手段を選ばなくなっている。それが修平の虚を突いているのだが。

 

「アホか。マトモじゃねーって自分で言ってて思わねーのか。手品バカ女。お前がやりたいことやった瞬間に俺はここでバーベキューパーティーするぞ」

「まあ座りなさい。その辺含めて話すために今日は呼んだのよ」

「事故が起こるぞ」

 

脅しらしい脅しはしたが、効果は今ひとつ。

 

「起きない………いいえ、起こさないわ。だから呼んだんだもの」

「まるで俺のことを知ってるみたいな言い草だ」

「この中で誰よりも、ね」

「………そりゃまた」

 

真由美があずさに命じると、深雪は別行動となる。当然と言えば当然、それもまた差なのだから。

 

「さて………行こうか」

「いやちょい待て」

 

さも当然のようにそう言った摩利に修平が食ってかかり、足を止めさせる。

 

「何だ?」

「ここで済ませろ。長居するつもりはない」

「今なら委員会本部にも招待するが」

「何だその嬉しくない初回限定特典。あのな、俺が今一番困ってるのはお前とそのお仲間の指揮下に入るってことだ」

 

なし崩し的、あるいは先輩としての権限でごり押しされても困る。ここで修平が最も避けるべきは、いいように使われること。委員に入ることを受け入れれば、それだけで断るという行動の大義は大半が失われる。

 

「君の力は役立つと聞いたのだが」

「そりゃ風紀委員会にとってだ。こんな名誉職で毎日雑魚の掃除なんて、続けてたらどっかしらおかしくなるぞ」

「随分じゃないか。そこまで実力に自信があるのか」

「魔法で戦おうとする時点で負けてんだよ。お前の右手が惜しくないなら証明してやってもいい」

 

摩利の背筋に悪寒が走る。三巨頭と呼ばれる実力者だからこそ、修平のその言葉が法螺でないことをいち早く察知した。挫折は味わえど、命の危機を味わうことがないのは高校生の身分であれば致し方のないこと。

 

「司波君から概要は聞いていると思うが、楡井君と司波君が風紀委員の希望だ。昼休みは色々あったからな。出来れば今日中に決めてもらいたい」

「ヤダ」

 

達也が逡巡していた丁度その時に、食い気味に、バッサリと切り捨てた。本題が来る前の嫌悪感で分かってはいたが。

 

「………もう少し考え直してはくれないか?」

「絶対ヤダ。だって———」

「渡辺先輩、待ってください」

 

二人の会話に、強引に割って入るのは、先程の一科生だ。

 

「何だ、服部刑部少丞範蔵副会長」

「フルネームで呼ばないでくださいっ!」

「ぶふっ」

 

思わぬ不意打ちに吹き出してしまう。どこの時代の人だよ、と無知なりに彼も思ったものだ。フルネームで人生を損していそうな副会長がキッと修平を睨むが、その時彼は既に達也と談笑する風を装っていた。

 

「風紀委員の補充について、お話が」

「何だ」

「そこの一年生を風紀委員に任命するのは反対です」

 

………まあ、平常運転である。修平にとっても、真由美、摩利、司波妹、十文字はやや異端に当たる存在。本当ならばこちらが反応としては正しいのだろう。

服部は厳しくなった摩利の視線に対し、負けじと真っ直ぐに見る。

 

「君が口を挟むのはお門違いだ。生徒会長の推薦と、教職員の推薦。それだけで十分というのは知っている筈だろう?」

 

ややうんざり、とばかりに、溜め息混じりに摩利はそう突き返す。

 

この時点で修平は、仮説を二つ立てた。

 

「過去、ウィードを風紀委員に任命した例はありません」

 

ですよねとばかりに、修平は笑いを堪えている。どこまでも感情豊かな彼に対して、達也はまるで悟りを開いたかのように無関心だが。

 

これ以上ないくらい分かりやすく侮蔑と敵愾心を剥き出しにした服部の言葉に摩利の眉が少し上がる。

 

「それは禁止用語だぞ、副会長」

「ブルームとウィードの間には決定的な実力差があります。これを取り繕ったところでどうにかなるわけではありません。事実これは学校の制度として認められたものです」

 

徐々に熱を帯びていく。これはマズイのではないかと真由美が制止を口にしようとした時だった。

 

「誰の人選だ。お前か、チビ助」

「………そうよ」

「目が曇るどころか節穴になってんじゃねえのか。あんなのが懐刀とは、泣かせる人手不足じゃんか?なあ、生徒会」

 

今の彼の厄介なところは、たちどころに悪い空気を振りまくというところにある。そしてそれを、慣れているとばかりに一蹴する者もいれば。

 

「口を慎め。ウィードの分際で」

 

という者も存在する。

 

「うっせーよ撃たれ好き。練習台にぶち込んで無敵気取るのも大概にしたらどうだ?」

「………何だと?」

 

売って、買った。高校生の間にはただそれだけの単純な方法で悪化するものもある。もっともこちらの場合は、最初から最悪だったが。

 

「何だ、ブルームってのは頭の中にもお花が咲いてるって?だから手ぬるいんだ、魔法師ってのは。なあチビ会長」

「……………」

「会長を愚弄するかっ!」

 

思わぬ飛び火。敬愛の対象に移ってしまったものに、服部は声を荒げる。

 

「俺としては助かってんだ。魔法師っていうのがあん時の泣き虫が会長になれるようなレベルでいてくれて。お陰でこっちもやりやすくなってる」

「貴様………」

 

怒りが頂点に達し、服部が遂に行動を起こす。右手を伸ばして胸倉を掴もうとする。こけおどしで魔法式を展開して。怒りで頭が沸騰しているが、言い訳の逃げ道を残す辺りは流石というべきか言わざるべきか。とにかく謝罪の言葉を吐かせるまで掴んで離さないつもりだった。

 

バギン———

 

そもそも、見誤っていなければ、の話だが。

 

「な………に………」

 

右腕のCADにヒビが入る。そしてそれはどんどんと広がっていき、遂には腕にはめる部分が割れて地に落ちた。

 

「ガラじゃねえだろ、副会長。威張るのは練習台の前だけにしとけ」

 

意地の悪い笑みを浮かべる修平が右手を掴む。

 

「魔法なんぞに頼るからこうなる。ご自慢の手品はネタ切れか?」

「この………舐めるなっ………」

 

恥辱で顔が歪む服部と、どこまでも楽しげに笑う修平。明らかに形勢は修平に傾いているが、それが悪化するキッカケとは限らない。不安定だからこそ、真由美は制した。

 

「そこまでにしなさい」

 

敬愛する会長の命令とあらば逆らえない。服部は睨みを利かせながらもおとなしく従った。が。

 

「ごっ………」

 

修平の鋭い右フックが服部の顔を捉える。倒れた服部は口を切って出血し、鼻血も出していた。

 

「ふん、てめえみてえな差別主義者(レイシスト)でも血は赤いんだな」

「修平君!」

「喚くなチビ。お前の名誉は傷付けないから安心しろ」

「そういう問題じゃない!今度は私でも庇えなくなるのよ!」

「こうさせたのはお前だろうが、筆頭」

「……………それは」

「今の俺は、先輩にいちゃもんつけられた可哀想な新入生だ。そいつが予想外に至上主義者で、目が合うだけで親の仇みたいに嫌われる。差別撤廃派の会長の腹心がこいつの理由を聞いたらキレ出した。一科生で生徒会副会長に迫られた可哀想な新入生は自分に出来る精一杯の自己防衛をした。これはそういうことだ」

「……………」

 

閉口する。言葉が見つからないから。イエスかノーかの簡単な意思表示が出来る筈だが、誰もそうしない。最も重要なのは、生徒会のトップたる真由美の決断だが、しかし。ここで彼女は言葉を失ってしまった。

 

修平の言葉は、決して間違っていない。嘘は何一つとして言っていないのだ。それが閉口の原因となってしまっている。

 

「ウィードの分際———っでぇ!!」

 

今度はサッカーボールを蹴り上げるように服部の腹を捉えた。

 

「今回は激しく競り合ったみてえだ」

 

修平は白々しく話す。

 

「ごほっ………ぐ………ふぅ………」

「やっぱりあの人は正しかった。魔法師なんて案外こんなもんだ」

 

失望した、という言葉は当てはまらない。事実を確認した、というのに近い。そして視線を外し、懐に手を伸ばす。

 

「ダメっ!」

「ぶっ」

 

が、それを力技で止めたのが真由美である。どうにかして止めたい。しかし有効打が浮かばない。達也も達也で、自らの秘密を守ったまま止められるかどうかに疑問符が浮かぶ。二人が攻めあぐねていると、今まで静観していた筈の真由美が突然動き出す。タックルと見間違うような速度で修平にしがみ付いた。

 

「ダメ………ダメなの………」

 

何かおかしな気配を察したのか。真由美は呪詛のように『ダメ』と吐き出している。

 

「お、おい………」

「会長………?」

 

何の前触れもない、あまりに突然な彼女の変化に対応出来ずにいる。必死なのは伝わるが、何にどう必死になっているかがまるで見えない。

 

「……………」

「お願い、お願いだからっ、お願いだからそれ以上はやめて………」

「……………はあ」

 

涙声で、いつか落涙するのではないかとヒヤヒヤさせるほどに儚げになった真由美を見て、修平はひとつ溜息を吐く。

 

「別にそこまで間抜けじゃない」

「あっ………」

 

心配されるのは願い下げとばかりに、しがみつく真由美を突き飛ばす。

 

「別に長引かせることもないだろ。風紀委員に入れるつもりなら、俺はそれを速攻で断る。達也で満足してろ」

「………本当に、入る気はないんだな?」

「ない。従わせたいんなら勝手にしろ。俺も自己防衛してやる」

「………分かった」

 

従わせる。それもまた、手段の一つとして摩利の頭の中にあった。しかしそれも、失われてしまったのだ。明らかにCAD、あるいは魔法のみを狙い撃ちにした彼の武器。彼の前では、魔法の優劣など関係ないと、改めて実感した。

 

「最終決定は本人の意思だ。君が嫌だと言うのなら無理強いはしない」

「そりゃどうも」

「その代わりと言っては何だが、一つ君のことで疑問があるんだ。応えてはくれないか?」

「………そりゃモノによるだろ」

「俺もある。この際だ、渡辺先輩と一緒に答えてくれ」

「便乗してんじゃねーよ達也」

 

だが、詮索と知的好奇心はこの場合似て非なるものである。単に気が置けない後輩を知りたいがため、達也も友人についての疑問、もとい不確定要素を減らしてもう一歩歩み寄りたいため。これが断られるようなら、いよいよ心理戦を身に付けなければならなくなってしまうが。

 

「まあ、言うだけ言ってみろ」

「突っぱねないのか?」

「聞くだけ聞くっつってんだろ」

 

先程から、縋るように修平を見る真由美が気になって仕方がない摩利と達也だが、最早修平の目には入っていないようだ。

 

「君は多重人格なのか?」

 

機嫌を損ねればどうなるか分かったものではない。さながら不安定な爆弾を触っている気分になりながらも摩利は問うた。

 

「……………」

 

数秒の沈黙が重く場を支配し続ける。真由美は相変わらず、自殺志願者を見るような、悲しみと恐怖が混ざったような表情で修平を見る。

 

(これは当たりか………?)

 

嬉しさ半分、恐ろしさ半分。即応出来る姿勢を保つべきかと摩利が悩む段階に入ると、修平は口を開いた。

 

「帰る。聞きたきゃついて来い」

 

答えが出るのかと思いきや、そうではなかった。

 

「では司波君に頼もうかな」

「えっ」

「スカウトはあえなく撃沈してしまったし、私は警戒されているようだしな。司波君には後日改めて話すとしよう」

「………了解しました」

 

これは友人としての立場から体良く押し付けられたのではないだろうか。達也も、己に枷がなければここで気前よく受け入れたもののそうとはいかない。

これは実戦経験豊富で確かな実力を持つ達也の第六感でしかないが、彼から見て修平は強い。だからこそ、秘密を秘密のまま暴走した彼を制圧出来るかを問われれば、難しいと言わざるを得ないのである。

 

「まったく。深雪ちゃんも終わってんだろ。行こうぜ」

「そうだな………では先輩方、失礼します」

「ああ、出来れば今度は茶菓子を用意して待ってるよ」

「いい?修平君。絶対ダメ。絶対ダメだからね?約束破ったら真由美お姉ちゃん泣いちゃうから」

「わーったようっせーな!」

 

キャラじゃないだろ、と最後に吐き捨てて修平は部屋を出た。達也もぺこりと一礼してそれに続く。生徒会室の中には、後味の悪さだけが残った。

 

達也と修平は、まだ若干の明るみが差す廊下を歩いた。しばらくお互いが無言になると、修平の方から言葉が出た。

 

「………ケーキ」

「え?」

「1ホールのケーキを等分して、どれが偽物のケーキでどれが本物のケーキなんてことにはならない。俺の感情の変わり方はそういう誤差でしかないんだ。多重人格ではない」

 

それは、天啓のように降って湧き、ようやく手に入れたヒントらしいヒント。

 

(いや………)

 

ではない。達也は、それが明らかにミスリードを誘うための罠だと即座に見抜いた。

 

理屈っぽい内容。しかし意味はというと、単に煙に巻いているだけのものに過ぎない。

 

(ヒントを与える気はないということか………)

 

分かってはいたが。

 

「ちょっといいか?」

「仕方ないのう。特別サービスだぞぉ?」

「服部先輩のCADを破壊したもの、話に聞いていた渡辺先輩との模擬戦で使ったもの、お前がこうして魔法科高校で戦える材料は全て同じものなのか?」

「そうだよ。全部同じ」

 

情報で圧倒的に優位に立っている修平が、ここでわざわざ嘘をつくとは考えにくい。修平が達也を敵として見ていなければの話だが。

 

「じゃあ、お前はどうしてあそこまで七草先輩を嫌悪しているんだ?」

 

無神経だとは自覚している。しかし、180度入れ替わったような軽薄で、怒っていないという意味では穏やかな彼ならば。と、思ってしまうのである。

 

「気になるかい?」

「ああ。先輩も手馴れている様子だったし、良くも悪しくもただの顔見知り程度には思えなくてな」

「そーけそーけ………まあ、色々あるんだよ。こっちも」

「ぶっちゃけられないか」

「話すならみんなの前でだ。そうしないと不公平ってもんだろ?」

「………そのみんなには、渡辺先輩や十文字先輩も含まれているのか?」

「本人次第だな。十文字ゴリラはどうせ七草から聞いてるだろうし。聞きたいんなら聞かせてあげましょっ」

 

達也から見て修平は、明らかにテンションが上がっている。明るくなっているというよりは高揚しているといった方が正しいか。スポーツ観戦を楽しむサポーターのよう。自分の手の届かないところで奮闘する人間達を見て楽しんでいるようだ。

 

「………最後に聞かせてくれ」

「ほいほい。何なりと」

「お前はどういう立場で先輩方を見てるんだ?敵として見ているのか?それとも楽しむためのものでしかないのか?」

「そりゃ今は言えないな。ネタバレ防止、今はもう少し知恵を見るんだ」

 

その必要はない、と達也は心の中で苦笑する。最早それが答えのようなものだ。

 

明らかに楽しんでいる。渡辺摩利が氾濫するヒントという名の情報に翻弄される様を、あるいは七草真由美が真実を知りながら傍観することしか出来ず苦悩している様を。そしてそれは、観察するという簡単な方法で可能になってしまっている。

 

「お前は会長をどうしたいんだ?」

「まったく、最後ってさっき言ったじゃないの。今日の窓口受付は終了しました〜」

「はあ………明日また出直せと?」

「やるべきことはやった。あとは待つだけだ」

 

屈託のない笑顔は、まるで邪気がないように思わせる。しかし騙されることなかれ。

 

「俺ちょっと用事あるから。兄妹仲良く下校してくんな」

「気を遣わなくてもいいんだぞ」

「バッカ、あんな風景見せられただけで薄ら寒いわ。精神衛生上よろしくないんだよっ」

 

そう言うと、修平はさっさと走っていった。

 

明らかに何かを察知していた。それが何なのか、それはまだ、修平が奇々怪界なせいで測りかねているところではあるが。とにかくそこに何かあった。

 

「そうか、俺達では楽しめないのか、修平」



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ぼくのわんだーらんど

ま さ か の 伏 線 だ け 回


その日はあまり、目覚めがいいとは言えなかった。何せ就寝時間はいつも通りなのに、体に何かバグのようなものが起こってしまったのか午前四時に覚醒したのだから、おそろしく暇を持て余した。

 

「おいっす、みんな」

「おはようございます、修平君」

「おはよう柴田さん。いやあ今日も綺麗だね」

「あ、ありがとうございます………」

「何あんた、今度は美月なの?」

「前があったみたいに言うな」

 

動きにくいと制服の着用を一蹴してから、ずっと着慣れたグレーのパーカーを、場違いさなど感じないとばかりに平気な顔で教室に入った。

 

「綺麗な女性は素敵だけど、俺はしばらく色恋沙汰はいいかな」

「遊んでそうなのに、何か意外」

「おおい心外だぞエリカ氏。俺はこれでも清廉潔白な紳士でだな」

「あんた軽そうって誰かに言われたことない?」

「ないよドバカ。これでも俺は東洋のランスロットと呼ばれてだな」

「何それ、ちょっとカッコいい」

「不義の恋に溺れたということでは………?」

「うわ、やっぱカッコいくない」

 

いつも授業には出席しないが、友人との会話は友人らしくする。波長が合うのは相手を立てようとする柴田美月と、同じテンションを保っている千葉エリカや西城レオンハルト辺りだろうか。当然交友関係は広く浅くを保っているが、話しやすければ長引く、というのは実に高校生らしい。

 

「………でね、最近思うわけよ。自分を特別だと思うのが中二病って、別に中二じゃなくてもいいじゃん。思春期病でもいいわけじゃん」

「語呂がよかったんじゃねーの?」

「いやいや、案外名付けた奴がタブロイド思考だっただけかもしらん。だってさあ、いかにもなスラングじゃん」

 

とりとめのない会話ばかりしていると、滑り込むようにして達也が教室に入ってくる。どうやら相当走ったようで、魔法を使っていても疲れが顔に出ている。

 

「おはー、達也。珍しく遅れてたじゃんか」

「少し人と会っていてな」

「知り合い?」

「お前の知り合いだぞ、修平」

「俺ぇ?」

 

道でばったり会ったにしてはそこそこの時間が経っていると推察出来る。そうでなければ走るなんて事態にはならない。当然知り合いは学校外にもいるが、ここでひとつ疑問と猜疑が生まれる。

 

「なになに?何の話ー?」

「達也が俺の知り合いに会ったかもって………どんな人だった?」

「女の人だ。二十代前半くらい、前に話してたお姉様じゃないかと思ってな」

「修平ってお姉さんいたんだ」

「意外です。一人っ子気質ですし」

「生徒会の奴らと同じこと言われた………」

 

目を丸くするほど驚かれる事態に少しばかりショックに打ち震えながらも、ここでひとつの可能性が生まれる。あくまで可能性の話で、しかも今ある目下の魔法という脅威とはまったく関係ない、新たな脅威が生まれてしまうことになる。どうか予想が外れてくれと願うばかりだが。

 

「そいつ多分姉ちゃんじゃないよ」

「そうか?」

「俺のこと何か言ってた?というか何か言ってたから俺の知り合いって思ったんだろ?」

「ああ。お前を探してると言っていた」

「………それ以外に何か言ってた?」

「自分と修平は運命の赤い糸で繋がっていると」

「oh………」

 

しかし、現実は非情である。一人候補に挙がる人間がいるのだが、まさか()()なるとは予想していなかった。空いた口が塞がらない、を通り越して両手で顔を覆う。

 

「めっちゃショック受けてんだけど」

「当然お前のことは言っていないぞ」

「よぉぉしオッケー!ナイッスゥ!!」

 

かと思えば、狂喜とばかりに声を張り上げてガッツポーズをする。突然情緒不安定になった修平に若干引きつつも、それが何なのかに迫ろうとする。

 

「ただならぬ関係じゃん」

「腐れ縁、というやつでしょうか?」

「何か敵多そうだもん、あいつ」

「……………いや、まあ、はい」

 

決してエリカの言葉も間違ってはいないのだが。

 

とにかく難を逃れたわけではあるが、危機を脱したわけではない。達也が正常な警戒心をはたらかせてくれたおかげで突破出来た難局は一時的なものでしかない。

 

「よーし、聞きなさい君達。怪しい女に俺の住所とか聞かれても答えないように。達也、会った女の身体的特徴を」

「年齢は二十代前半、身長は俺や修平と同じくらい。そういえば、去っていく時に右脚を引きずるように歩いていた」

「ああ、間違いないわ。絶対あいつだわ。クソがッ、何でこんなとこにアタリつけたんだよ………」

「どういったご関係の方なんですか?」

「あー?うーん………」

 

歯切れが悪くなる。これは単に、子供の頃の諍いが続いただとか、そういう問題ではなさそうだということを察知した。

 

「うーん、まあ、因縁の敵みたいなもんだよ。死んだと思ってたけど、まさか生きてるなんて楡井さんびっくり」

「………とにかく、友人というわけではないんだな?」

 

みたいなもの、とまたも曖昧に語る修平だが、そこは上手く達也が、とにかくとして、と話をまとめた。

 

「ああ、それは間違いない。話しかけられても答えないように」

「一科生の教室で暴れ回ったあんたがそこまで警戒するってのも、何だかおかしなもんね」

「馬鹿、あれを魔法師なんてカラクリ屋と一緒にすんな。細かいことはまだ言えないけれども」

 

果たしてそうまで言わせる人物の正体とは一体何者か。ちょっとした恐怖と大きな好奇心が渦巻き始めると、更に遅れてレオが登場する。

 

「おっす」

「やっほー」

 

いつも二科生の中で定番の、集まっている面子。レオとエリカは賑やかし、美月は会話に入れたり入れなかったり、達也は静観、修平は茶々を入れるいつもの会話のパターン。そうなる筈だった。

 

「そういやさ、さっきすげー美人に会ったんだよ」

 

ピシリと、何かがひび割れるような。あくまでそういった雰囲気だが、そんな音が聞こえそうになり、場の雰囲気が冷え始める。

 

「………あれ?」

「レオ………お前それ、どんな奴だった?」

 

単に美女に会っただけ。それだけならばどれほどよかったことか。しかし修平は薄々感じているのだ、そう何度もご近所の美人がこの辺りを徘徊する奴ではないと。

 

「ああ、ちょっと訛りがあった。顔はアジア系だったから連合の人じゃねーかなって。あと、右脚を引きずって歩いてた。怪我してるんじゃねーの」

「……………」

「な、何だよ………」

 

重い沈黙。誰も何も言わない。正確にするならば、話す言葉が見つからない。やがて、沈黙を破ったのは誰の言葉でもなく、始業のチャイムだった。

 

「みんなはレオに言っといて。ちょっと一人にしてくれ………」

「あ、ああ………」

「どうしたんだ?修平の奴」

「ちょっとワケありなのよ。あのね———」

 

◆◆◆

 

暗澹たる思いである。苛立つのではなく、ただただ心が沈んでいく。八つ当たりする気力もなく、憂鬱なばかり。窓を見ると、通行人がただ何をするでも歩いているだけ。しかし確かにいたのだ。あの女が。

 

「あれ………楡井君?」

「光井さんじゃないの。どったの、光井さんもサボり?」

 

廊下でバッタリと、光井ほのかと遭遇する。少しばかりの馴れ合いとばかりにそう茶化す。

 

「ち、違う違う!違います!その、ちょっと保健室に。何だか気分が悪くて」

 

それに過剰に反応してしまうのは、ほのかが真面目故だろう。当然いつもと比べて会話のトーンが落ちていることも、若干顔が青ざめていることもすでに分かっていたが。

 

「あっそう?ちょっと話し相手がほしくてさ。ついてってもいい?」

「いいけど………授業、出なくていいの?」

「ああ、いいのいいの。そもそも俺、魔法師になんてなりたくないし」

「………へー」

「そういう顔しちゃう〜?」

 

それでも症状が軽いようなので、暇潰し。もとい互いの時間の有効活用として雑談でもと誘うと、渋々ながら了承する。

 

「でさあ、どう思う?頭痛が痛いって確かにおかしいけど、別にそこまで突っかかるほどでもないじゃん。いや使い方は間違ってるかもしらんけど」

「いやあ、どうだろ………」

「危険が危ないみたいなこともあるし。あ、ベッド使う?」

「ううん。座るくらいで大丈夫。そんなに酷いものでもないから」

「………やっぱサボりたかった?」

「………ちょっとね。ほんのちょっとだよ?」

 

その後もなんてことのない話をひたすら続けた。どちらがイニシアチブを取るとか、そういったことではなく、ただ学生らしく、日常の出来事を面白おかしくふざけたようにああいうことがあっただとかという他愛のない話を交わした。

 

「そういえば、ヴォイテクちゃんとか猫ちゃんとかは?」

「来てない。多分気が乗らないんだろうね。ああなったらあいつらは長い」

「不思議だね………」

「ま、戦いの要だから何かあったら問答無用で呼び出すんだけどね」

「そうなんだ………そういえば、魔法で戦わないんだよね。気になるな」

「はっは。トップシークレット、トップシークレット。いっくら光井さんが超絶美人でも教えるわけにはいかんなあ」

 

口調こそふざけているが、そこには揺らがない絶対的な意思が存在する。

 

「………お、どったの?」

「いえ………」

 

突然、ほのかの体調が目に見えて悪くなる。呼吸が乱れ、胸を押さえて苦しそうに息をする。まさかそんな、潜伏期がある重病なのかと事の重大さを受け止めた修平だったが、すぐにその原因が病でないことに気付く。

 

「光井さんって緊張しいなんだね」

「ごめんね………」

「いや、全然気にしてないけど。何?俺なんかやらかしちゃった?」

「ううん、そうじゃないの。そういうのじゃなくて。その………」

「落ち着きなよ。別にそれやったら死にますみたいなのじゃなけりゃ、大体どうにかなるから」

「……………」

 

何か、彼女の中でキッカケがあったのだ。勇気を振り絞って何かをしようという、そのトリガーが。ほのかは大きく深呼吸をして、修平目を真っ直ぐ見る。

 

「力を見せたくないというのは、()()修平君の本意なんですかっ」

 

時間が止まったような静寂が支配する。歯を食いしばってそれに耐えるほのかと、目を泳がせる修平。修平のその様子は怒っているというより、戸惑っているように見える。そんな彼の表情の変化を見て一喜一憂するような様子で、ほのかはひたすら耐えている。

 

「どうして、聞きたいのかな?」

「私が、そうするべきだと思ったからです。貴方のことを何も知らないけど、だからこそ知りたい。誰でもない私と貴方のために。友達になりたいんです」

「………そっか」

 

この瞬間、修平が最も恐れたのは彼女が七草真由美に毒されてしまっていること。だが、そう断ずることが出来ない。人の心など読めるようなものではない。故に絶対が存在しないというのに、その言葉が嘘あると言えなかった。

 

「………ダメ、かなあ」

「別に、そんなことはないさ。俺も光井さんと友達になりたいよ」

「あ、ありがとうございます………」

 

修平には理解し難いが、どうやら彼女にとってそれを聞くというのは凄まじい緊張を呼び起こすらしい。気弱な少女が背伸びしているだけ、と言うにはあまりに準備されているのだが。

 

「まったく、嘘はいかんなあ光井くぅん」

「ご、ゴメン………」

「優等生らしくないぞ。何だってこんなことする?」

「友達になりたいっていうのは本当なの」

 

顔色が悪いのは緊張が酷かったから。それに起因する体調不良も、あることにはあったのだろう。しかしそれ以外は嘘八百。もしもあの時修平が話し相手が欲しいなどと言わなかったら。そもそも修平が廊下をうろつくなんてこともなかったら。そういうリスクを加味しない、何とも未熟で子供らしいほのかの弄した策である。

 

「これは()()()()()()()()()だけどさ。光井さんが俺の左半身を見たとしよう。そうすると光井さんは俺を見たって言う。俺の右半身がどうなってるか知らないのに」

「へえ………へえ?」

 

要領を得たような、そうでないような。思考を深めては壁にぶち当たり首をかしげるほのかには荷が重いと、話題を変える。

 

「で、本当にそれだけ?そーんな、俺の素性聞くためにここまでやったわけなかろうて」

「あう………」

 

そこまで見破られているのなら、嘘を重ねるのも無理だろうと、ほのかは口を開く。

 

「達也君にはもう聞いた?右脚を引きずった女の人の話」

「ああ………それ絡みか………」

 

ここに来て、まさかの不意打ちがクリーンヒット。一瞬心臓が早鐘を打った。

 

「あの人に話しかけられたんだけど、何だか、おかしいの」

「あいつは結構おかしいけど、どうした?」

「臨戦態勢というか、こう、上手く言えないけど、油断してないって言うのかな。やっぱり魔法師によくない感情があるのかなって」

「……………そう」

 

その挙動に、修平は大いに思い当たるところがあった。

 

「武装してるな、そいつ」

「え゛っ」

「あのキチガイに何かされてないかい?」

「い、いや、全然、触れられてもないよ。うん………大丈夫」

「そっか、ならよかった」

 

明らかに、その女は警戒している姿勢を見せている。それが周りに降りかからなければそれでいいが、経験者たる修平からすれば、そう簡単に終わらないような気もする。

 

「二科生のみんなには警告したけど、一科生はまだだったんだ。悪いんだけど光井さん、教室に戻ったら北山さんと深雪ちゃんに伝えてくれない?」

「うん。近寄らない方がいいよね?武器持ってるんだもんね」

「しつこいようだったら全力で逃げるか、俺に言ってほしい。どっちかで対処出来る」

「分かった」

 

その後もしばらく、なんてことのない雑談を続ける。修平の言いたいことが言い終わったタイミングを上手く見計らって、ほのかは教室に戻っていった。あんまりサボり過ぎるのもよくないよ、と付け加えて保健室から出ていったが、余計なお世話だと言いそびれた。

 

(思ったより見つかるのが早い………)

 

さて、先程の好青年のような笑顔はなりを潜め。今はもうどうやってこの事態を収束させるか、持てる策を講じる顔は間違っても爽やかな顔とは言えない。

 

◆◆◆

 

その日の魔法科高校は、いつもと違う活気に溢れていた。そして、活気の裏でトラブルもあり、風紀委員大活躍となる。それもこれも、新入生勧誘期間のせいだ。本来は事務室に預けるべきCADは魔法のデモンストレーションということで、申請次第で携行と使用が許可される。

毎年何かやらかすなら対策しろよとは思うが、八月には魔法科高校の一大イベントがあり、そのために前途有望な魔法師を獲得したいというのが各クラブの思惑である。第一高校はイベントでの優勝回数が最も多いため、今更下手な成績を残せないという焦りもあり、荒れるらしい。それはそれは風紀委員が疲労に喘ぐくらいには。学校も学校で成績のためにこの大荒れ模様の新入生勧誘期間を黙認してしまっているらしく、手のつけようがないのが現状である。というわけで。

 

「力を貸してくれないだろうか」

「すっげー嫌なんだけど」

 

摩利が頭を下げるなど、凄まじい一大事である。それを察した修平も、一体口から何が飛び出すかと思えばこれだ。

 

「そのための仕事で、そのための風紀委員だろうが。なぁに甘ったれてんだ」

「むう、そうは言ってもな。人手が足りないんだ。いくら実力者であれど体はひとつ、信頼出来る協力者が必要なんだよ」

「一科生から引っ張れよ」

「そういうわけにもいかない。悲しいことだが、皆が皆正義と風紀のためにこの腕章をつけているとは限らないんだ」

「そりゃまた。分かっちゃいたけども。で、何で俺?」

 

それは、意識の差ではなく、決定的な意識の隙間にあるもの。正義感の隙間に存在する優越感。それがいつ増幅させられ、風紀委員会という皮を被ったレイシストになるのか。それもまた人間の恐ろしさである。だからこそ、必要なのだ。

 

「差別に無頓着な実力者。それでいてどうしてこいつを協力者にしたんだと意外がられて、生徒会長と私的な繋がりまであって、魔法を使わない戦法を持つような人間が必要だ」

「後半全部俺じゃねえか」

「というわけで、どうにかお願いできないだろうか」

「断る。と、言いたいが、巻き込まれて揉まれるのも嫌なんだ。取り締まれるならそっち側に行きたい」

「そうか。ありがとう、助かる」

 

勧誘に巻き込まれるかもしれないという意味で、司波深雪は特大の爆弾である。それを遠ざけるどころか、自らの意思で鎮圧出来るという意味では風紀委員会の手伝いというのは願っても無い相談だった。ここはいつもに反し、摩利の話に乗るのが得策であると察した。

 

「俺は一人でやらせてもらった方がやりやすいんだが、そういうわけにもいかないんだろうな」

「まあ、な。中条あずさが君とペアを組む」

「中条………」

「本人は役不足だと言っていたが、実際フリーで、かつ君と円滑なコミュニケーションが取れるのが彼女しかいなかったからな」

「………って誰だっけ」

「おい」

「いや待て、思い出した。あのチビくらいチビなチビだ」

 

前途多難ではあるが、しかし。摩利は大きな全力を獲得した。摩利自身も、これが修平にとって悪い話でなく、彼が乗るであろうことは予想していたので特に驚きもしなかった。

 

「まあいい。期間中はよろしく頼むぞ。くれぐれも職務以外で実力行使をしないように」

「そうだな。一科生の馬鹿どもに言っておいてくれ。俺がそんなことしないで済むように、余計なこと言うなって」

「はあ………本当に頼むぞ」

「心配するな。自己防衛以外はしないから」

 

一向に不安が拭えない。それもその筈、ここまで念入りに但し書きをされれば拭えるどころか募るばかりになる。

 

「本当だろうな?」

「知ってるだろうけど、俺は嘘を吐かない」

 

生徒会室での、副会長との一悶着が頭をよぎる。

 

「それを身をもって知るのか、そうでないのか。全ては一科生次第だ」

「………今は君を信じよう」

「まったく、俺を風紀委員本部に呼ばない理由は大体分かるがね。その辺の廊下でしていい会話じゃねえだろ」

 

風紀委員と書かれた腕章と、掌サイズのビデオレコーダーを摩利から預かると、そう軽く悪態をついてその場を去っていった。

 

「………もういいぞ」

「本当?本当に本当?」

「疑り深いな。もう彼は行った」

 

修平が見えなくなった辺りで摩利が声をあげると、二人が会話していた場所のすぐ近くにある空き教室から真由美がひょこっと顔を出す。狼狽えるように、あるいは怯えるように首を忙しく動かして周囲を何度も見ると、納得した頃にようやく教室から出た。

 

「いやあ〜、ありがとね、摩利」

「まったくヒヤヒヤしたぞ。彼が存外冷静で助かった」

「大丈夫よお、修平君だって四六時中殺気立ってるわけじゃないんだから」

「だったら私じゃなくてもよかったんじゃないか?」

「だって、私は魔法が使えなかったらただのか弱い女の子だもん」

「だもんじゃない。言っておくが、私は彼と知り合ってまだ1ヶ月と経っていないんだぞ」

 

つまり全ては七草真由美の主導だったわけで、結果的に彼はそれに乗ったことになる。

 

真由美がこのような茶番を仕込んだ理由はいくつかあるが、最も大きな要素は連携について。風紀委員会といえば魔法を取り締まる。つまりその段階で荒事が起こるのだ。その際に戦い慣れしていればいるほど、連携が出来ていればいるほどいいのだが、しかし。既に正規の風紀委員新入生枠は、1-A生徒の森崎駿と1-E生徒の司波達也で埋まった。ここで問題。彼はおそらくどちらとも相性が悪い。

 

1-Aの森崎駿は言わずもがな、一科生と二科生の制度に忠実で差別を悪しきとしていない。これでは連携どころか、有事の際にどさくさに紛れて修平に背中を撃たれる未来が目に見えている。

 

司波達也はどうか。彼と組む場合問題となるのは、どちらが相手を制御するのか。修平が戦局を見極めるのか、あるいは逆か。そこに大きな疑問が残る。だからこそ上級生と組ませた。

 

「だが自己主張の乏しい中条に果たして務まるのか?」

「大丈夫。別にあーちゃんに限らず、修平君が本気出したら私達、時間稼ぎくらいしか出来ないもん」

「それは大丈夫、なのか………?」

 

どんな実力があろうとも、それが魔法という範疇を超えなければ、それは修平にとって時間稼ぎでしかない。そういう意味で、あずさも摩利も真由美も平等なのである。その中で最も警戒されていない人間を消去法で選んだ結果そうなったというだけのこと。

 

「そうだ。司波達也はどうなっている?彼の強さも凄まじい。放置も出来ない人材じゃないか」

 

とにかく、信用すると言ったのだ。彼が自己防衛しかしないと言えば、それを信じる。自己主張に乏しいながらも人畜無害なあずさを悪いようにはしないだろう。

そして話題は次なるものへ。というより、修平という異端児の対応に追われたせいで出来なかった話にその場で移る。

 

「司波達也君は、二科生でありながらはんぞー君を完封した実力があるわ。彼も遊ばせておくのは勿体ないくらいに強いし聡明だけど、どうしても目に見える脅威に目がいっちゃってね」

「本当に勿体ないな。理論の点数は前代未聞、模擬戦でもあれだけの実力を見せつけたんだ」

「そうなのよねえ。でも、修平君に対応出来るのは私くらいだもの。本当は司波君も、一科生二科生に縛られない強さがあるのに」

 

司波達也。彼もまた、一科生二科生という制度を嘲笑うように現れた新星である。字引のような魔法理論や魔工の知識に加え、とても素人とは思えない体捌きや、予想を裏切る魔法の応用によって卓越した戦闘能力を見せた。彼もまた真由美の目に留まった大型新人であり、だからこそ風紀委員に入れるという形で規則をくぐり抜け自分に出来る平等を実行したのだが。

 

「と言っても、謎が多くて………」

「そうだな。何をどう、考察すればいいのやら………」

「とりあえず、すっごく強い?あとはエンジニアとしても優れてるから、魔工学の道にも?」

「うーん………」

「うーん………」

 

優れていることに疑いようはない。疑いようはないのだが、いかんせん情報に乏しい才能より、情報過多な脅威の方にどうしても注目してしまうというものである。

 

「要観察、ということかしら」

「それ以上言えないな………」

 

三年生二人は、ある下級生達について頭を悩ませるばかりだった。




達也君の見せ場が減る理由がコレ。


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真より無為のなるままに

ここで問われるのは、修平の理性的な行動ではなく、あずさの先輩としての資質なのだろう。

 

「はいダメー!はいそれダメー!」

「あああ!楡井君待って!待ってください!」

「そんなこと言ってたら現場に間に合わないよあーちゃん先輩!」

 

楡井修平は止まらない。アクティブ過ぎるのである。権力を手にしたことで躍起になったのか、その心情は見えないが、とにかく違反を見つけては悪即斬。あっちに行っては取り締まり、こっちに行っては取り締まり。広大な学校の敷地内を駆け回っている。

 

「はぁ、はぁ、ひゅー………ちょ、ちょっと………タイム、楡井君、ま、待ってくださ、ください………」

「いやいやいかんよ。本当に、いつもと比べて荒れてんだから。休んでる暇はないぞ、あーちゃん先輩、出撃だッ!」

「ひぃぃん!」

 

ぺたんと座り込むあずさの手を引き、無尽蔵ではないかと錯覚するほどのスタミナで駆け回る。

 

「はいはい先輩方、新入生に圧かけるのも大概に。困ってるでしょうに」

 

あまり前に出られない自分に代わり、業務をこなしている修平を見ているあずさは、頼もしい、申し訳ないという感情に加え、もうひとつ渦巻くものがあった。

 

(思ってたのと、違う)

 

生徒会室で出会った彼は、汚い言葉で生徒会長である真由美を声高に罵倒する、喧嘩腰、やたら噛み付く。お世辞にも態度がいい生徒とは言えず、最早暴徒か何かと間違えるほどだった。しかし、今のそれはやや異なる。馴れ馴れしい上に話し方も不遜だが、荒々しさは消えて、親しみやすい好青年という雰囲気だった。

 

「ウィードで、しかも下級生だとッ!身の程を知れ!」

 

時にはそう返されることもあったが、それは修平をめげさせるどころか逆にスイッチが入ってしまう合図のようなものだ。

 

「がぁぁぁ!!肩がああだだだだ!」

「はーい肩固め決まったよーこのままだと関節の可動範囲が増えるよーやったねー」

 

そうして差別を受けても殴る蹴るはせず、あくまで彼は無力化をしようとする。それがまた、生徒会室の彼らしくなかった。

 

「あーちゃん先輩のお陰で、変なこと企む輩は減ってはいるかな。ちょっと休もうぜ」

「あ、はい………」

 

目に入った最も近くのベンチに並んで腰掛ける。

 

「何か買ってこよっか?」

「い、いえ、大丈夫ですよ。お気になさらず」

「そう?そう言うんならいいけど、無茶はしない方がいい」

「ありがとう、でも、大丈夫です。はい」

 

こうして一対一で喋ると、らしくなさは顕著だ。ただ先輩後輩という垣根を強引に取り払われるようになるだけで、気遣いも出来るしアドバイスまでしてくれる。

 

(あれ………?)

 

ギャップに戸惑っていると、ここで違和感に気付く。

 

普通逆じゃない?と。

 

普通は初仕事に慣れない新入生を先輩が優しく労うものではないか。意気込む後輩に対して、期待してると声をかけるものではないか。立場の逆転を感じるとともに、物寂しさを感じるあずさであった。

 

「なーんであーちゃん先輩なんだろな」

「ふぇ!?」

 

まさかその心を読まれていたのかと、思わず変な声が出る。

 

「流石に俺だって鈍感じゃない。七草も摩利ちゃんぬも、首輪をつけたいんだろうなっていうのは何となく分かる。でも俺がそれを分かってたら、懐柔する意味だってない。ここであーちゃん先輩をくっつける意味が分からん」

「それは………私には分かりません。会長のお考えは、私では遠く及ばないところにある」

「どうだろうね。案外あいつは分かりやすい。観察すれば、見えるものもあるさ」

 

そう言って修平は薄く笑う。

 

「その、聞いていいのか分かりませんが、会長と楡井君はお友達ではないんですよね?」

「うん。友達じゃない。顔を知ってるし会話もするけど、それだけ。友達は同級生にいるから」

「じゃあどうして、あんなに律儀に会長に合わせてくださるんですか?」

「……………」

 

そうして笑う彼に馴れ馴れしくなった、というわけではない。地雷を踏み抜く覚悟はしている。しかしそれでも、生徒会役員として会長を支える立場であるならば、把握するべきだと思った。交友関係に口出しをしようとか、そういうおこがましい真似はしない。ただ、修平との関係はただの交友関係ではないのだから。

ただ、顔を見れば罵るほどに嫌悪しているのなら、そもそも顔を合わせない選択肢だってあるではないか。彼のことだ、フイにするのが怖いというような性格でもあるまい。

 

「………やっぱりそこは、デリケートですか?」

「いや。あーちゃん先輩なら別にいいよ。どこまで聞いてるのかは知らんけど」

「まったく聞いていません」

「あっそう。まあそんなに難しいことじゃない。()が対応するのかの違いってだけだ」

「それは———」

 

あずさが言葉を発しかけたところで、それは遮られた。

 

『闘技場で一悶着起こりそうだ』

 

右耳のトランシーバーから、無機質な達也の声でそう発せられる。

 

「闘技場ってどこぉ」

「こっちです。行きましょう!」

 

第一は任務、それに変わりはない。二人は闘技場へと駆けていった。

 

◆◆◆

 

一悶着起こりそう、と聞いて、もう少し暴動めいたものを予想していた二人だが、起こっている光景は若干それと異なるものだ。

 

片や、いかにも武道に習熟していますという感じな流麗かつ凛々しい女子生徒。片や、若干軽薄そうな男子生徒。両名が竹刀を構えて向かい合っていた。

 

「中条先輩は?」

「外で警戒してる。飛び道具持ちはそうした方がいい。んで、どうしたよ。エキシビションにしか見えないんだけど」

 

見れば、防具をつけていない。何とも趣味の悪いエキシビションマッチかと思えば、両者には若干の違いがあった。

 

「剣道部に剣術部が突っかかった。体こそ一対一だが、双方一触即発だ」

「そりゃまた………いや、なるほど。大体分かった」

 

剣道部と、剣術部。剣道部はそのまま良く知る武道だが、剣術というのは噛み砕いて言えば魔法と剣道を組み合わせた武道である。そして女子生徒は剣道部、男子生徒は剣術部。その差が意味するところとは。

 

「分かってくれたか?」

「あれは女子生徒の方が勝つね。間違いなく。そんであの人多分二科生だ」

「ああ。壬生紗耶香先輩は大会で入賞する実力者な上に、桐原武明先輩は面を打つのを躊躇するだろう」

「二人の実力差は大きくない。こりゃ負けて剣術部が逆ギレするだろうな。まして壬生さんは二科生、そういうプライドもぶつかると厄介だ」

 

当然、併用とはいえ魔法を扱う剣術部には一科生がいる。対して剣道部は、純粋に剣のみでの勝負となるため魔法はさほど重要視されない。そのため実力ある二科生も在籍しているのが特徴だ。両部のぶつかり合いというだけでなく、一科生と二科生のぶつかり合いでもあるのだ。

 

「そういうわけで増援を呼んだ。頼めるか」

「任せなさい。じゃあ剣術部のチャラ剣士は俺がやるから、取り巻きは任せた」

「了解した。中条先輩はどうする?」

「生き証人になってもらう。この場を正確に証言してもらわないと」

「レコーダーがあるだろう?」

「そう上手くいかんのよ。まあやれば分かるさ」

 

話している最中に決闘は始まっていたようで、既に目で追うのがやっとの剣戟が繰り広げられていた。

 

「おおう、エリカじゃないの」

「おいっす。もう始まってる?」

「決闘なら始まってるよ」

「お、間に合ったか。えかったえかった」

 

見物するほど興味があるのかと修平がエリカ問うと、彼女は勿論だと答えた。曰く、実家の関係で剣に関することに目がないらしい。純粋に勝負を楽しませたいのなら、この後乱闘騒ぎが起こるであろうことは伏せるべきだ。

 

「それにしても面白い対戦カードだわ」

「あら、そうなんだ」

 

面白い、というのは、見応えがあるということだと解釈した。それほどまでに、純粋な剣による腕くらべで壬生紗耶香は強いのだ。

 

「剣道小町って呼ばれててね。大会二位で有名になった人なの」

「………一位は?」

「その………ルックスが………」

「ああ………」

「世知辛い世の中ですのう」

 

そして試合中の両者だが、徐々に、剣を交える二人に差が出始める。紗耶香はあくまで冷静に、太刀筋を見て回避や受け流しを行い、隙が生じれば攻撃に転ずる。一方で、桐原には余裕がないように思えた。段々と動きや攻撃を狙う箇所の選別が雑になっていき、容易く回避される単調な攻撃になってしまっている。

 

「おお、すげえな壬生さん。めっちゃ強い」

「いや、二年前と動きが全然違う。たった二年であそこまで変われるものなの………?」

「どうだろうな」

 

ここで、弾くような打撃音が鳴る。竹刀が命中したようだ。壬生紗耶香が桐原武明の右肩に竹刀を綺麗に当てた。一科生と二科生の代理戦争の勝者は、二科生の壬生紗耶香。そして当然、それに納得いかないのが一科生の剣術部である。

 

「素直に負けを認めなさい、桐原君。真剣だったらその右腕はもう使い物にならないわよ」

 

凛とした声で紗耶香が告げる。その言葉が武明には堪えたようで不気味に笑う。

 

「真剣………だと?俺の体は斬れてねえぞ、壬生ぅ………真剣勝負がお望みかあ………」

 

桐原は小手の形をしたCADに触れ、魔法式を展開する。サイオンの光が竹刀を覆い、そこからガラスを引っ掻いたような甲高い不協和音が発せられる。ギャラリーの中には不快感に耳を抑える者も少なくない。

 

「だったらお望み通り、真剣で勝負してやるよッ!」

 

そう叫んで突進する桐原に、言い知れぬ何かを感じたのだろう。紗耶香は竹刀による防御を捨て、後退して回避する。

 

「なッ———」

 

まさに紙一重。彼女の道着は横一文字に切れた。数秒と言わず数瞬の遅れがあれば、切れていたのは道着だけでは済まなかっただろう。

 

「どうだ壬生、分かったか。これが剣道部と剣術部の差だッ!!」

 

桐原はそう吠える。

 

振動系、接近戦闘用魔法、高周波ブレード。単純化して言えば、超高速の微細振動によって分子を崩し切断する。それは原理上、切るというより溶かすと言った方が正しいかもしれない。当然それは人間の肉体に対しても例外ではなく、極めて危険な魔法である。

 

そして、人間を殺傷する剣を振り上げ、紗耶香に向かって振り下ろす。

思わず目を覆う者が現れる中、それは起きた。

 

群衆から飛び出した影が二つ。一つは紗耶香を庇うようにして立ちはだかり、もう一つは少し離れた位置で剣術部員達を牽制するようにして立つ。修平と達也である。

 

突然の介入に驚いた武明だが、意識する程度では振り下ろされた刃は止まらない。

 

「おるぁ!!」

 

高周波ブレードに臆することなく、彼は竹刀向かって拳を飛ばした。当然待つのは、溶断の筈。

 

ヴゥン………

 

しかし、皆が目を覆いたくなるような残酷な結果とはならなかった。家電の電源が落ちるような、何とも間の抜けた音。ゴン、という鈍い音が鳴ったかと思えば、その竹刀はもうサイオンの光をまとっていなかった。

 

「何———」

 

驚く暇もなく、次の行動へ。竹刀の間合いを外して懐に入り込み、そのまま背後に回る。左手で腰を抱えて右手を右脇の下から通して左襟を掴む。そのまま持ち上げ、倒れ込むようにして武明を後方に投げる。柔道で言うところの、裏投。そのまま地に落ちて倒れる桐原に追い打ちをかけるように後ろ手を回して固める。

 

「よーしよしよし、さてさて、話を聞かせてもらおうじゃないのパイセン。達也、ゲッチュしたぞ」

「ありがとう。桐原先輩、魔法の不正使用により同行を願います」

 

達也が呼びかけると、武明は苦しそうに、あるいは悔しそうに呻きながら頷いた。やはりというか二人の予想通りというか、大きな反応を示したのは取り巻きの剣術部員達だった。

 

「あの腕章、風紀委員か!」

「しかも二科生だと!?」

「何で桐原だけなんだ!壬生だって同罪だろ!!」

 

悲しき人間の性というべきか、エンブレムを見た瞬間に部員達がヒートアップする。

 

「あー俺こういうの苦手だわ」

「はあ………分かった。魔法の不正使用により、と先程申し上げましたが」

 

どこまでも冷静を貫く達也に、面白くないと思ったのだろう。

 

「ッ………何だ、その言い方」

「スペアの分際で!舐めるなよ!」

 

結果だけ見れば神経を逆撫でしてしまい、失敗だったように思える。

 

十名ほどの部員達が、一切に達也に襲いかかった。

 

「じゃあ、よろ」

「軽いな………」

 

応援が必要ではないか。騒動を見守るエリカはCADに手をかけるが、目が合った修平は、それを見て人差し指を唇に当てる。暗に手を出すなというサインだ。

 

そして彼の予想通り、あるいはギャラリーの予想を大いに裏切る光景が繰り広げられる。当然といえば当然、剣術部は徒手格闘において、素人に毛が生えた程度の実力。頭に血が上り冷静さを欠き、大人数で挑むという慢心が戦術的な思考力さえ奪っていく。

 

突進する部員をヒラリと躱し、躱し、躱し。当たりそうで当たらないというもどかしさに部員達はさらに冷静さを失って追い込まれていく。時に部員同士がぶつかるような、およそ武人らしからぬ凡ミスまで誘発させ、ただ鮮やかに躱すだけでなく逆に距離を詰めてプレッシャーを与えることも忘れない。実に奇妙な光景なもので、手を出していない達也が相手を追い詰めている。そんな茶番が数分続いた頃には、息も絶え絶えといった様子で部員達は転がっていた。それと対比するように、達也は息が上がらないどころか汗ひとつかかない、表情も変えない。

 

「うぉぉ強いッ!何か達也めっちゃ強い!すげえ!」

 

ギャラリーとエリカが、あのピリピリと殺気立った立ち上がりからあまりにも呆気ない終幕に呆然とし、修平は一人、武明を押さえつけながら興奮した様子。部活同士の威信をかけた競り合いは、たった二人の二科生によって鎮圧された。

 

◆◆◆

 

「………以上が、闘技場での剣術部による魔法不正使用に関する報告となります」

 

淡々とした様子で、達也は報告を完了させる。横に構える修平とは一言も発さない。あずさは一足先に報告を、というより彼女は警戒をしていた以上のことを言えないためここにはおらず、報告に耳を傾けるのは俗に三巨頭と呼ばれる三人。生徒会長の七草真由美、風紀委員長の渡辺摩利、部活連会頭の十文字克人である。

 

「そう、ご苦労様。そんな数を相手にしたようだけど、二人とも怪我はないかしら?」

「ええ、問題ありません」

「安心しろ。言うほど強くなかった」

 

悪い意味で予想を裏切られたというか、期待外れだったがとばかりにそう吐き捨てる。実際、彼にとってはそうだったのだ。一科生と二科生の対立なんて、所詮はこの程度。その思考を加速させるものとなった。

 

「ふむ、流石だな。楡井君も司波君もよくやってくれた。私の目に狂いはなかったな」

「ありがとうございます」

「へーへー、どうも」

 

心底どうでもよさそうに、実際どうでもいいのだろうが、面倒そうに彼は言葉を使っていた。

 

「桐原の様子はどうだ?」

「当人は自身の非を認めていて、反省している様子でした。また報復に関しても、そのつもりはないかと」

「そうか………剣術部の部員はどうだ?」

「楡井も言いましたが、特に被害もありませんし。そちらも問題ありません」

 

達也は淀みなく摩利の問いに答えていく。二人の問答に移ってからは修平が欠伸をしたり、指を遊ばせたりと退屈が目立つようになった。

 

「そうか。風紀委員会としては、報告を統合して懲罰委員会に持ち込むべきではないと判断する。如何か」

 

そう言って摩利は克人を見る。彼は溜め息をひとつ吐くと重い口を開いた。

 

「寛大な処置に感謝する。本来なら殺傷ランクBの魔法の使用は停学処分級の重大な違反だ。後は部活連で対処させてもらおう」

「よし。二人ともご苦労だったな」

 

あまりにもあっさりすぎるくらいに場が収まろうとしていた場で、今度は修平が口を開いた。

 

「やっぱりさっきから考えても解せねえ。何であんなもんが使えた?」

 

このままでは終わらせないとばかりに、語気を強めて、最早詰め寄ると言っても過言ではないほどに強気に三人と相対する。すると先程までのいくらか理性的な雰囲気が壊れ始める。これでは痛いところを突かれたことが丸分かりだ。

 

「桐原も言ってたが、あれは真剣だ。学生が真剣持ち込んで生徒に斬りかかったってことだぞ。無法地帯じゃねえか。どうなってやがる」

 

誰も、何も発さなかった。

 

「………分かった」

 

しかし、その沈黙というリアクションは最初から予想していたとばかりに、あるいはそれを返事と受け取ったのか、修平自身も沈黙を短くした。

 

「やっぱりいい。忘れろ。将来魔法師が、冷酷無比な殺人マシーンになれるように国と魔法の名家が一生懸命殺しに慣れさせようとしてるなんて、そんな都市伝説は忘れろ」

 

彼は達也に声をかけて、ビデオレコーダーをテーブルに投げ、圧をそのままに退出した。重い静寂が辺りを流れたのが十秒ほどだったか。

 

「七草の言う通りだったな」

「ねぇ〜、これ本当によかったの〜?摩利ぃ〜」

「ああもう、言うな。私だって悩んだんだぞ」

 

真由美がぐでっとテーブルに突っ伏したのを合図に、摩利も姿勢を崩して溜め息を吐く。克人は腕組みした姿勢を保ち続けているが。

 

「私言ったじゃない。変に側に置こうとするとこうなるって」

「耳が痛いな………司波君が隣にいてくれなかったら、あの1-A教室騒動の再来を見る羽目になっていた」

「俺は悪くないと思うぞ。目に付かないところで暴力沙汰を起こされるよりは、こうした方が問題も減るだろう。楡井は無茶だが馬鹿じゃない」

「そうだな………」

「あぁ〜、このレコーダー結構高いのに〜………」

 

修平の是非について話し合う摩利と克人をよそに、真由美はビデオレコーダーのボタンをカチカチと押す。しかしレコーダーはうんともすんとも言わず、完全に沈黙してしまっている。

 

「どうした?」

「………ご臨終だわ………」

 

それは、トランシーバーの方も同様だった。外傷はない。彼に渡した時とまったく変わらない筈なのに、故障しているのではなく、完全に壊れてしまっている。

 

「………どこで壊れたんだ?」

「魔法を無効化した時ね。間違いないわ」

 

ぐぬぬぬ、と真由美は身をわななかせる。

 

「………なあ」

 

いっそ弁償させてやろうか、CAD以外も壊すのかと恨み言を呪詛のように並べる真由美に、呟くように摩利は声をかけた。

 

「何ッ」

 

若干ご機嫌斜めになっている真由美が振り返る。しかし、射抜くような摩利の視線にただならぬ気配を感じ取ったのか、いつもの落ち着いた生徒会長に戻った。

 

「教えてくれないか。十文字会頭もいるんだ。長引かせることもない、彼の戦法を知れば、あるいは」

「無理よ」

 

摩利が何を言いたいのか、何をするべきか考えた上で何をしたいのか。それを真由美は汲んだ上で、そう突っぱねた。やや食い気味だったこともあり、若干ムッとした様子の摩利だが、それを承知で真由美は続ける。

 

「あの子もいつか言ったでしょう。私達が魔法師である限り、魔法を高めようとする限り、魔法を戦力の全てだと考えている限り、私達は彼に勝てない。私が彼の力を話さないのは、彼を案じてるのもある。でもそれ以上に、無駄だからよ」

「しかしな………」

「ちょっと待ってくれ、七草」

 

二人の論争になろうかと言う時、克人が割って入る。

 

「お前は何を恐れているんだ?例の、魔法を封じる奴の能力か、それとも粗暴な人格か、優れた徒手格闘の腕前か」

「全部よ。全部引っくるめて、楡井修平っていう子は、魔法師の天敵なの。あの子の強さは経験した私が一番よく分かってる。聞くのはいいけど、それで彼の全てを知ったと思わないでほしいの」

「そんなこと思わないさ。彼はただでさえ謎めいているからな」

「そうじゃない」

 

摩利の言葉は的外れだとばかりに真由美は首を横に振る。

 

「どうにか()()()と思わないで」

 

その言葉の重みを知ることが出来ないというのは、意識の隔たりである。真由美は有無を言わさない強い口調、だが、どこか縋るような表情、そんな矛盾を抱えた彼女を見る摩利と克人は、真由美が納得する答えを捻り出せなかったのである。

 

「すまない。それでも私は聞きたい。もう好奇心がどうとか、そういう問題じゃないんだ」

「俺もだ。聞かせてくれないか。理由はどうあれ、彼も生徒ならばな」

 

意思は固いのだろう。まったくどうにも頑固な二人だ。

 

———笑えない。

 

「………修平君にこう言って」

 

二人は口元に耳を寄せる。

 

「———に———してると」




魔法科原作の最初の方を読んでて一番分からなかったのが、CADに規制がかかってるのに魔法に規制がかかってない点でした。勧誘期間で解放されるのに。何でやねん。


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ウツクシキ重奏

またもう片方の小説が滞ったせいで、現実逃避もかねてバリバリ進むこちらの小説。どうしましょ。


闘技場での一件で、大きなインパクトを残した司波達也は、その存在を大きく知られるようになった。一科生が束になっても勝てないという衝撃をもってして、そのニュースは学校中を駆け巡ったのだ。しかしそれは、達也に立ちはだかる受難である。当然注目されて良く思わないのは、プライドが高い一科生の面々。

それによって何が始まったかといえば、要するに嫌がらせである。

 

死角から魔法が飛んでくるわ、誤爆を装って魔法が飛んでくるわ、人体に穴が開くレベルの魔法が飛んでくるわ。達也ほどの身のこなしでなければ三回は死んでいるような、最早嫌がらせどころか暗殺とさえ呼べるような事態が続いているのである。

 

そして始末の悪いことに、達也はこれを躱し続けている。それが更なる反感を買い、また嫌がらせが続くという負のスパイラル。

 

「おっすー達也。風紀委員会の仕事は?」

「今日は非番だ。久しぶりゆっくり出来そうかな」

 

しかし、狂乱の一週間こと新入生勧誘期間が終わり、その手の嫌がらせはパタリと途絶えた。様々な試練を乗り越えて手に入れた平穏、終業のベルと同時に風紀を守るジョブチェンジする忙しい生活ともオサラバである。ちなみに期間が終わったことで、修平も臨時の協力者としての任を解かれている。

 

「達也君凄いじゃーん。大活躍だったもんねえ。魔法を使わないで剣術部を制圧した謎の新入生って、噂になってるよー?」

「どういうキャラなんだ、エリカ」

「でも、本当に凄いですね。あの人数差で、しかも魔法を使わないなんて」

「そうだぞお、何か色々変な噂も立ってる。暗殺者だとかそうじゃないとか」

「レオ………お前もか。まあ、ありがとう。だけど、ああいう仕打ちを受けると、あまり素直に喜べないな………」

 

注目される代償がアレなのなら、嫌味も皮肉も抜きにして注目されたくなかったというのが達也の本音である。命の危険は感じないが、とにかく煩わしい。

 

「よっし、じゃあ慰労も兼ねて行くか!アイネブリーゼ!」

「お、いいじゃん」

「あれ、でも達也さん、ご予定は?」

「いいや、大丈夫だ。特に予定はない」

 

あんな試練に打ち勝ったのだ、友人と羽を伸ばすのもいいかもしれない。深雪も呼んで、お茶でもしよう。

 

と、思い立ったはいいが、何があったかその深雪が中々見つからない。またしつこい一科生にでも捕まっているのかと探し回るが、校舎中をひっくり返すが如く捜索しても見つからない。

 

「そういえばさ、修平もいないけど、一緒なのかな」

「あり得るな。俺は実技棟を見よう」

「そんじゃ私と美月はこの辺探そっか」

「ええ?じゃあオレも達也と行くよ」

 

図らずも男女で分かれることになったが、それぞれ宣言した場所を探す。

 

「あれ、どったのみんなして。俺達ハブられた?」

「そ、そんな………お兄様の隣はこの深雪が………」

「違う、違うから!」

「そうだぞ深雪、俺がお前を抜きにするなんて天地神明に誓って有り得ないさ」

「お兄様………はい、私も、いつでもお兄様の側におります………」

「イチャつくのはよしてくれって」

「あはは………でも二人らしいや」

 

二人だけの世界に入りかけた司波兄妹を呼び戻し、いざ行かんアイネブリーゼと歩を進める。

 

「そういや深雪ちゃんにも伝わってるけど、凄いじゃないの」

「はい!私もお兄様のご活躍をこの目で見たかったです!」

「あまり買い被るのはやめてくれ。修平だって活躍したじゃないか」

 

またその話か、と若干気後れしそうな達也が、話題を修平に変えるためそう話す。突っぱねなかったのは愛する妹の手前もあるのだろう。

 

「魔法を封じれば、あんな奴チャンバラごっこの小学生とおんなじさ。達也だって似たようなこと考えてたべ?」

「そうだな」

「やっぱり!俺達世界で二番目のコンビだ!」

 

達也は調子のいい奴だ、と溜め息を吐き、しかし友人としては嬉しいものだと笑う。しかし違和感。ちょっと待て、と確認するように修平の方を向く。

 

「………うん?二番目?」

「一番目は俺と姉さん」

「ほう………」

 

歯を見せて挑戦的に笑う修平に、達也は不敵に笑い返す。

 

「俺と深雪を忘れていないか?」

「忘れてると思うかい?」

「いや、どうだか。不注意を指摘してやろうと思ってな」

「はっはっは、面白い。そうこなくっちゃ」

 

修平はそれを聞いて、一層深く笑みを浮かべる。それを聞いて反応したのは、やはり燃える二人の蚊帳の外にほっぽり出された四人。

 

「どう思う?なーんか二人ともバチバチしてるけど」

「でも、修平君のお姉様ってどんな人なんでしょう」

「そりゃ弟があんだけ言うんだ、めちゃくちゃ強いんじゃねーの」

「会ってみたいような、みたくないような………」

 

達也と深雪の強さは言わずもがな。稀代の天才魔法師と、二科生としての常識という枠から大きく飛び出す魔法の革命児。注目されるかされないかの差はあれど、確かな実力を持つ二人は兄妹で、連携にも長ける。

片や、そもそも魔法という範疇から外れた異端児である楡井修平。謎めいた実力と、謎めいた姉、ミステリアスな強さを持つ。

 

「いやいやマジで、うちの姉ちゃんマジで強いから」

「何を言っているんだ。深雪の強さは留まるところを知らないんだぞ」

「おおいそういうこと言っちゃう?そういうこと言っちゃうんだ」

「はいはい二人とも、そこまでにしておいて。終わりが見えないわよ」

 

おそらく終わりが来ないだろうことを察した蚊帳の外組は、不敵な笑みを浮かべる二人の間に割って入る。

 

「いつか試そうぜ」

「いいだろう」

 

バチバチと火花が散っているが、それは単にライバルなどという言葉では片付かないだろう。いつか訪れればいいと互いが思いながら、その話は終いとなった。

 

「でさあ、ヤバくね?剣術部のアレ、闘牛見てる気分になったわ」

「修平お前、趣味悪いって言われたことねえか?」

「まっさかあ」

 

話題は変わり、深雪が待ち望んでいた司波達也の活躍の話である。証人となるのはここにいない中条あずさの他に修平しかいないので、彼のさじ加減となるのだが。

 

「でね、お前背中に目玉ついてんのかってくらい避けるのよ、達也は。余裕がなくなる剣術部の奴らはお笑いだったね」

「流石はお兄様、他を寄せ付けない圧倒的な強さでございます!」

「おい修平………」

「何だよ、事実だろ。なあに心配すんな、武勇伝みたいなもんさ」

「そうだぜ達也。修平の言う通りだ。凄いことは凄いんだ」

「ほどほどにしときなさいよー、あんた達」

「達也君もシャイですし………」

 

徐々にノリが悪くなり始める男子組と、それをたしなめる女子組。形はあれど、そういう会話の形だった。

 

「まあそういうエンターテイメントみたいなもんじゃん。人間闘牛的な」

「やっぱ趣味悪いわね、あんた」

 

◆◆◆

 

果たしてアイネブリーゼでの様子がどうだったかと問われれば、全員がいつも通りだったという以外ない。

 

「あんなに賑やかな場は久しぶりだな………」

「良いではありませんか。学友との懇談会のようなものと思えば」

「おもむろに殺人鬼のニュースを読み出すような友人がいるとはな………」

「た、確かにあの修平君は想定外でしたが………」

 

すっかり陽が落ちた住宅街を、司波兄妹は歩いた。結局慰労なんて名ばかりで、やったことといえばただのお茶会のようなものだったが、それもまた悪くない。友人としてそこに参加出来れば、彼らとしてもそれは心温まるものだった。

 

「当分甘いものはいいかな………」

「分かりました。それは夕飯のリクエストでございますね」

「ははは………優秀な妹で兄貴も助かってるよ………ん?」

 

本当に、不相応な喜びであると噛み締める。友人もいる、可愛い妹も、ちょっと異端なライバルも。学校というものを楽しめているのではないかと実感を湧かせる達也に水を差すようにしてそれは起こった。ふと、情報端末がメッセージを受信する間抜けな音を鳴らす。二人は同じ動作でそれを取り出し、中身を確認した。

 

『(解読不能)を信じるな』

 

修平から送られた、そんなメッセージ。一部は文字化けしているため解読が出来ない。

 

「何だ………?」

「また修平君お得意の暗号では?」

 

現代の技術であれば、文字化けは最早撲滅済みのウイルスと同様だ。それどころか、そんなバグが存在することを知らないものもいる。偶然起こるとは考えられない。そうであれば、深雪の言葉は正しいのだろう。

 

「嫌な予感がする。早く帰ってこれを解析しよう」

「お言葉ですがお兄様、電話で聞けばよろしいのでは?」

「信じるな、と書いてるんだ。何を信じるなと言っているのか分からない以上、これは俺達だけの問題として持ち帰るのが得策だ」

「そうですね………申し訳ありません。浅はかでございました」

「いいさ。張本人にアタックをかけるのも、悪くないと思ったからな」

 

少し小走りになりながら、路地を抜ける。そして十字路を右折したところで、それにぶち当たった。

 

「………」

「お兄様、あれは………」

「分かってる。俺の後ろに」

 

隠れようとしない。それどころか、自分がここにいることをアピールしてるようにさえ見える。街灯をスポットライトのように浴びて立つその姿は、出で立ちと相まって不気味さを助長するものとなっていた。

 

「何者だ」

 

懐から得物を取り出し、向ける。何せソレが、夜道を歩く一般人には見えなかったから。

 

とにかく、ソレは全身が真っ黒だった。まるで素性を包み隠すように。黒色のレインコートとカーゴパンツ、顔はガスマスクで覆い隠し、手には得物として、明らかに動物を撃つことを想定していないと思われる散弾銃が握られている。

 

近付くべきではない。しかし、先程のメッセージとの因果が頭をよぎると、あの者の声が届く位置まで行きたいとさえ思ってしまう。慎重に近付き、3メートルほど離れた位置で相対した。

 

「……………」

「答えろ。何者だ。ここで何をしている」

 

有無を言わなさないほどの強い口調。しかし、何者かは答えない。その代わり、望んだものとは違う言葉が飛んだ。

 

「それは魔法師に知られながら、同時に最も知られなかった男」

 

耳障りな、ボイスチェンジャーで加工された極端に低い声。そして試すような奇妙な言葉。やることなすことがその風貌も含めてカンに触る。

 

「ふざけるなよ」

「ふざける。そのような痴愚は実に私らしくない。よってその言葉、実に無益である」

 

一見、会話が通じているように見える。しかしその実、お前は誰だという根本的な問いに答えない。そうすることで情報をある程度握らせて満足させるのがガスマスクの腹づもりだ。

 

「修平君の警告のこともあります。処理なさいますか?」

「そうだな………」

 

自らが信じる得物。それは自らが手を加えたものである。達也がチューンナップしたシルバーホーンの引き金を引こうとしたその時、相対するガスマスクが反応を見せた。

 

「修平………修平………ニレイ、シュウヘイ。成る程道理で」

「お前、修平を………」

「違う」

「………?」

「楡井の敵と相成れば、それもまた記憶。そこに大小はあれど有無は存在しない」

 

話が通じない。それどころか、会話をするつもりなのかさえ怪しい。

 

(何だ、この話し方。どこかで聞いたことがある)

 

そして強烈なデジャヴが達也の頭を苛む。何かどこかで、身近なものでこのような話の通じないパターンを確かに見た記憶がある。しかしそれ以上のことがどうしても閃かない。

 

「黙りなさい。これ以上、お兄様に毒を浴びせるつもりならば容赦はしません」

 

しかし、深雪はそんなものを感じないとばかりに威嚇を強めた。

 

「毒。その喩え、実に無知。それはそこにあるシュプレヒコールからの逃避であり、許容量の超過である。是非もなし。よって———」

「もういい、黙れ」

 

言葉を遮った。そうして話の主導権を一気にこちら側に引き寄せようと達也は画策するが、しかし。ガスマスクが一歩早い。

 

「イニシアチブはない」

 

シルバーホーンよりも先に、散弾銃が火を噴いた。予備動作などなく引き金を引き、ビーズほどの大きさの鉄球が束になって襲いかかる。

 

来たか———

 

多少の被弾はやむなし。深雪もギリギリとはいえ弾の拡散範囲外にいる。

自己修復術式。達也にはこれがある。自らが操る魔法、分解と構築のうち構築を利用して、文字通り自己を修復する。これが傷次第で自動で稼働するのだから便利なものだ。

達也の右脚を弾がえぐる。それと同時に術式を———

 

ヴゥン………

 

(何………)

 

期待していたことは、あるいは達也の日常の一部とも言うべき当然は、当然とはならなかった。

 

「お兄様!!」

 

敵に大きな隙を晒すことになる。そんなことを構う様子もなく、深雪は達也の身を案じた。しかし深雪自身も意外なことだが、心配、という気持ちは吹っ飛んでしまったのだ。代わりにやってきた感情は。

 

「よくもお兄様を………」

 

純粋な怒り。敬愛する兄が傷付いたという事実と、それを行った者に対する非常にシンプル、かつ純然たるもの。

 

「貴方を排除します。お兄様を傷付けたこと、あの世で後悔なさい」

 

携帯端末型のCADを取り出す。今すぐ目の前の異物を、取り除かなければならない。大丈夫、出来る。だって自分は———

 

「驕ることなかれ」

 

———逸材である兄の、妹で、魔法科高校の新入生総代表なのだから。

 

そんな思考を読み取ったかのようなガスマスクの言葉。思わず集中力が乱れ、怒りという情動に大きな隙が生じる。

 

(しまった———)

 

深雪は身構える。もう一度銃が火を噴けば、確実に助からない。弾は皮膚を食い破り、筋肉と神経と骨を砕きながら内臓を水風船のように破裂させてしまうだろう。そうなれば、あらゆる技術をもってしても完治は不可能。

 

「如何か」

「………?」

 

しかし、走馬灯が流れるでもなかった。そして飛んで来たのは銃弾ではなく、言葉。身構えたまま、深雪はそれに耳を傾けるしかなかった。

 

「持て囃される、持ち上げられる、尊ばれる、崇められる。恐ろしいまでの自己否定と利他主義が貴女を狂わせた」

「何を………」

「今の貴女は人間らしい。だからこそ、足元を掬いやすい。殺すことなど造作もない」

 

ガスマスクは踵を返して、二人に背を向ける。

 

「待ちなさいッ!!」

 

逃すわけにはいかない。あれだけの呪詛を吐きながら、喋るだけ喋ってそのままなんて許されない。何より、やられっ放しは到底許されない。

 

ジャキン!

 

威嚇するように鳴らされた金属音、散弾を勢いよく排莢する音に肩がビクッと跳ねる。反射的に、武器への恐怖を植え付けられたのだ。

 

「魔法師の最も愚かなところは、自分を超人だと思い込んでいること。所詮自分は、魔法という手段を講じる人間に過ぎないことを覚えておけば、寿命が延びる」

 

プラスチックの面が不気味に光に照らされて、深雪はガスマスクを直視出来ない。

 

「驕るなかれ、侮るなかれ。200年前に開発された散弾銃で、魔法師は殺せる」

 

そう牽制すると、ガスマスクの男は足早にその場を去っていった。そして振り返らずに、一言。

 

「楡井修平を信じるな」

 

ほぐれかけた緊張の糸が、またも一気に張り詰める。しかし、どういうことだ、と深雪が声をあげた頃には、ガスマスクの姿は夜の街路に溶け込むようにして消えていた。

 

異常だ。しかし、どこか論理的。奇妙な尋ね人は、その場に謎と爪痕を残したのである。

 

「お兄様ッ!!」

 

しかし、視界から消えたのならそれはそれでいい。深雪は達也の体を支えて身を案じる。

 

「深雪、おかしいんだ。自己修復術式が起動しない」

「何故………いいえ、それは後です。この深雪、お兄様を背負ってでも無事に送り届けてご覧にいれましょう」

「いや、肩を貸してくれるだけでいいんだが………」

「遠慮は無用でございます!いつもお兄様の影にいる身、今日ばかりは頼ってくださいませ!」

「いや、肩を………」

 

午後8時のことである。

 

◆◆◆

 

同日、午後七時。司波兄妹襲撃の1時間前。

 

「あ、ちょっと待って!置いてかないで!ねぇ〜修平く〜ん………」

「うるっせえ。こっちは駆り出された身なんだ。さっさと終わらせるぞ」

 

鬱陶しそうに歩を早める修平と、それについて行こうと小走りになる真由美は、明かりの落ちた高校にいた。

 

「置いてかないでってば〜。手、つなご?ね?ね?」

「チッ………」

「あら、結構素直———いたたたたいいいい痛い痛い痛い!!!」

「ふんッ」

 

灯りのともらない魔法科第一高校は、静まり返っていることもあって不気味で、なおかつ暗闇は人の想像を悪い方向に掻き立てる。見えないところに何かがあったら?あるいは、何かが現れたら?そしてそれが、現実を大きく逸脱し、常識を冒涜するような存在だったら?長くいるほど思考は悪化していき、暗く深い方へと沈んでいく。

 

のは、真由美に限った話。

 

正確に言えばそれもまた違うが。人間は太古の昔から、暗闇に恐怖を抱くよう遺伝子に刻まれているのだ。それは修平も例外ではなく、避けれるなら避けたいというのが彼の本心であることも間違いない。それでも怖気付かないのは、単純にその時間がもったいないから。理論が本能に勝ったのである。

 

「お前がCADの備品と私物を取り違えたなんてアホやったせいだろうが。黙って道だけ教えろ」

「そうだけどぉ〜………一日中つけてるとつい忘れちゃうの〜」

「俺が行く必要なんざねえだろうが」

「怖いじゃない!夜なのよ!?」

「アホくせえ………」

 

侮蔑と憐憫が半分ずつといったところか。真由美の顔を見ながら呆れた様子で溜め息を大きく吐くと、すぐに直って歩く。

 

「もっといるだろ、他に」

「いないわ」

「ムキになってんじゃねえよ」

「だってえ、かけたら出てくれるの修平君くらいなんだもん」

「なあにが『だもん』だ。キャラじゃねえだろうが」

「私女の子だしッ!」

「だから、ムキになるんじゃねえって」

 

修平の目ならば、光源がなくとも暗闇の中で空間について正確に把握することが出来る。故に懐中電灯の類は持つ必要などないのだが、真由美は右手で修平の服の裾を掴み、左手でライトを持っている。暗い場所を見れるか、というのは問題ではない。彼女にとっての問題は、暗い場所があることが問題なのだ。

 

「別に使いっ走りでもさせりゃいいだろ。お前が一声出せば、犬みたいに尻尾振ってくらあ」

「一番信頼してる人に一緒にいてほしいの。それだけよ」

「………あっそ」

 

信頼してる。その真由美の言葉に、修平はそっぽを向く。照れ隠しではない。そう言うには、あまりにも睨みが効きすぎている。そこからは、歩きながらも双方話さなかった。やってしまったと後悔しても、それは先に立たず。修平は口を噤んだ。

 

「あ、ここね」

 

気まずい沈黙を破りたいがために、目的地に着いたことをやや大きな声で言った。

 

「生徒会室?事務室じゃねーのか」

「その、ここで色々準備してたら………ね?」

「お前ホント馬鹿」

 

そう吐き捨てるように言うと、修平は扉に手をかける。

 

カタン———

 

「ひぇッ!!」

「うるせえな」

 

部屋の中から、床と固いものが軽くぶつかるような音が鳴る。自分の呼吸音が一番大きい音、といえるほどに静謐な校舎内。であれば、物を動かした時に出る僅かな音も、耳は敏感にキャッチする。

 

「だ、誰?オスカーちゃん?」

「オスカーは正門にいた」

「待って、待ってちょっと待って!開けないで!」

「開けないと用が終わらないだろうが、このアンポンタン」

「心の準備が必要なの!!」

 

面倒なものだ。魔法なんて力がありながら、感性は人間のままだなんて。面倒な上に、扱いにくい。

 

———じゃあどうして、あんなに律儀に会長に合わせてくださるんですか?

 

頭の中に滑り込むようにして、先日のあずさの言葉が反響する。一刻も早く手を切るべき存在が誰なのかを暗示し続ける修平の死角から現れた言葉ではあった。その存在は知っていても、目にしたことはない。そんな、彼の中ではどこか都市伝説めいた言葉だった。

 

「もういいだろ」

「あ、もうちょっと………」

「あいあい、さっさと済ませてお化け屋敷から脱出しような」

「うぎぎぎ………」

 

それはきっと、意外であれど理屈としては通る。そんな答えを、修平と真由美の関係に疑問を抱く人間に授けるだろう。

 

「お邪魔ー」

「何もいない?何もいないよね?」

「何かいても、俺の片手動かせないからどうしようもないぞ」

「いや。離れたくない」

「アホだろお前………」

 

そしてそれによってどうなるのか。どんな結果を招くのか。誰の心が動き、また誰が動かざるか。

きっと、二人の関係性を明らかにする誰かは、そうして観察を楽しむのだろう。まったく悪趣味である。

 

「………?」

 

ソレは、逃げも隠れもしなかった。明らかに高校に侵入した不審者。であれば、後ろめたい思いは逃避に繋がる筈なのに、ソレはそうせず、寧ろ待ち構えるようにして立っていた。

 

「こりゃ大捕物じゃんか」

 

顔を真っ青にして動きがフリーズする真由美に対して、修平はどこか嬉々とした様子で懐の得物に手をかける。

それは、相手も同じだった。まるでガンマンを気取ったような、早撃ち。

 

「クソッ———」

 

黒い強化プラスチック製のガスマスクと、撥水生地のレインコート。灯りに照らされないそれらは、暗闇と同化するようにしてそこに佇んでいた。

 

火薬の炸裂する音が二つ響く。一つは、七草真由美に殺意を向けて。もう一つは、彼女を庇うようにして。




ガスマスク、不気味だけどカッコいいですよね。いや、不気味だからカッコいいのかな?そう思うのは私だけ?


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コジアケイズム

その日の彼は、どこか様子がおかしかった。

 

「おいっすー、修平!」

「………ああ、うん」

「およ?」

 

エリカとレオのハイテンション組が挨拶をしてもこう。

 

「修平君、おはようございます」

「うん………」

「………?」

 

穏やかに美月が挨拶してもこう。

 

とにかく誰がどう挨拶をしても、返ってくるのは力無い会釈ばかり。いつもの快活さや気安さが完全に消え去ってしまったのかと思ってしまうくらいに、あるいは情動が狂ってしまったのではと心配になるくらいに、昨日と今日であまりに差がありすぎる、というより反転しすぎていた。あまりにも萎んで腑抜けた様子に、どこかのネジが緩んでしまったのではないかと特にエリカとレオが腫れ物を触るみたいに扱う。

 

「ちょっと、何よあれ」

「オレに聞かれても困るっつーの」

「何があったんでしょう………」

「好きな女の子にフラれたとか?」

「あんた、バカじゃないの?」

「うっせーな」

 

様々な憶測が飛び交う中でも、特にこれ、というものは浮かばない。10代特有のセンチメンタルなのか、しかしそれにしたって変貌ぶりが凄まじい。

 

「何があったか知らねえけどよ、修平。あんまり思い詰め過ぎると体に毒だぜ?」

「思い詰めないバカが言っても説得力ないわよ」

「は?」

「あ?」

「二人とも………」

 

そして、エリカ、レオ、美月の三人は図らずもここで決定的な瞬間を目撃してしまう。

 

「おっはよー修平君!」

 

修平とは犬猿の仲といった具合の、七草真由美。彼女がいつもの落ち着き払ったのとはまた異なる様子で挨拶をする。

 

またか、と三人は内心頭を抱えたくなる。様式美というか、初心を忘れないというか。次に修平の口から飛んでくるのは耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言ともなれば、余計に———

 

「ああ、おはよーさん………」

「へ………?」

 

挨拶をした当の本人も、決して難しくない筈の彼の返事を考え込む事態となってしまっている。

 

「ど、どどどどどうしたの修平君!どこかに頭ぶつけた!?」

「うっせーな」

 

力なく反論する彼を見て、昨日のお礼でも、と思っていた真由美に頭を殴られたような衝撃が走る。その狼狽ぶりといえば、衆人環視を恐れずに声を張り上げ。

 

「一大事だわッ!摩利!摩利ぃー!!」

 

これは自分だけでは手に負えないと、すぐに助けを求めて疾走していった。

 

「ああ、うるせえ………」

 

頭痛に蝕まれる患者のように、頭を押さえてそう悪態を吐くが、やはりそこには覇気や力が感じられない。これはいよいよ病魔の仕業か、あるいは重い精神的ショックを引きずっているのか。とにかく尋常でない様子を察した三人は、手を打とうとする。

 

「修平」

「あ゛ぁぁ〜?」

 

それより前に、登校した達也が声をかける。しかしそれに対する反応は、最早返事というよりただ呻いているだけのようだ。

 

「おう、達也」

「レオ、修平の様子がおかしいぞ」

「俺達も思ってるんだけど、どうにもなんねえなあ。ほら修平、達也だぞ」

「おっす〜………」

 

修平机に突っ伏したまま、手だけ動かして反応する。

 

「………大丈夫か?」

「大丈夫と信じる気持ちが大事」

「大丈夫じゃないだろう、それは」

「いやいや、マジに、マジに大丈夫。大丈夫だから」

「………そうか」

 

彼のテンションを見るに大丈夫とはほど遠いが、それでも彼がそう言うならば問題ないだろう、と、都合よく言葉だけを嚥下した達也は、では、と口を開く。

 

「昨日の8時頃、どこにいた?」

「8時ぃ?あー………」

 

いつもの調子で、とはいかないようだ。達也の顔は基本的に動作しないが、今回ばかりは違う。いつもの鉄仮面が若干厳しくなっているのが見て取れる。だからこそ、変にはぐらかすことなく、言った。

 

「あのバ会長の付き添いで、学校にいた。備品と私物を取り違えたんだと」

「そうか………俺にメールをしたか?」

「するわけあるか、用事もないのに。それが何か?」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ」

「いや気になるわ。めちゃくちゃ気になるわ。何かあったから聞いたんだろ?」

 

簡単にうやむやにはさせてくれない。このまま彼のあずかり知らぬところで探りを入れることを狙っていた達也にとっては、予想外の痛手である。無理矢理にでも追求を振り切るべきか?しかしそれでは疑惑を強めてしまう。

 

「見てくれ」

 

考えた結果、情報収集を最優先とした。昨日受け取ったメッセージの画面を見せた。

 

「………なんじゃこりゃ」

「何これ、謎解き?」

「というより、単なるバグに見えますが………」

「お前のアドレスから送られてきたんだ、修平。知らないのなら、これを解くために力を貸して欲しい」

「んー………」

 

暫し目を細めて画面を観察する。文字化けという稀なケース一つをとっても、分かることは様々なのだ。頭の中の知識というのは、引き出してこそ価値がある。情報科学の知識に基づいて脳内で検索をかける。

 

「メッセージが短いからなあ………エンコードとデコードの不一致なんて初歩的なミスはないだろ。つーかソフト使ってるんだからミスなんて起きようがないからな。となると………」

「となると………何だ?」

「何かしらのファイルが干渉してるか、どっかの馬鹿が道楽でつくったウイルスに感染したか。問題があるのはメッセージソフトじゃないよ。端末側だ」

「………そうか。お前から送られたことについては?」

「イマドキは指先ひとつで情報が抜き取られるからなあ………俺の不注意かもしらん。許しておくんなまし」

「そうか………」

 

達也はもう一度画面を見る。やはり映るものは、変わらずに。

 

(解読不能)を信じるな

 

(一体何を信じるなというんだ………?)

 

最も肝心な部分が読めない。それはある意味、信じるべきでない人間が明らかになるよりずっと不安なことだ。

 

「解析すれば済む話じゃんか。知りたいことがあるなら、そこに自分から飛び込まないと。待ってたって時間が解決してくれることなんかないんだぜ?」

「そうだな………」

 

もとよりその辺りのアドバイスは、あまり重視していない。寧ろここから先がそうなのだ。付け加えるように、あまり重要であることを気取られないようにして言う。

 

「偶に感じる強烈な既視感………それがどうにも晴れなくてな、スッキリしないんだ。どうしたらいいと思う?」

「ああ〜、そういうことあるよね。そうさな………」

 

うーんと、呻くようにしてアイデアを捻り出そうとする。そして、一言。

 

「そりゃあ、目で見るしかないな」

「………目で見る?」

 

思わずおうむ返しをしてしまう。

 

「記憶力のいい人間っていうのは、なんてことのない風景も記憶する。それがデジャヴの元になることだってあるのさ。そうでなければ、似ている何かを同じものだと思い込んでるか、あるいは、そうだな………」

 

そしてまた、今度は呻くのではなく唸る。先程よりも熟考している様子で、放った一言。

 

「何かと何かを、繫ぎ合わせようとしてるのかな」

 

一気に雪崩れ込むように、ではない。徐々に徐々に、重い扉が音を立てて開くようにして、そのデジャヴの正体が判明していく。

 

支離滅裂で成り立たない会話。魔法師を下げるような言動。

 

———似ている何かを同じものだと思い込んでいる?

 

そして、自己修復術式が起動しない謎。それは全て、ある男が見せた面と、ピッタリ一致する。

 

『それは魔法師に知られながら、同時に最も知られなかった男』

『楡井修平を信じるな』

 

あの耳障りなボイスチェンジャーの声が、達也の頭にこびりついて離れなかった。

 

◆◆◆

 

「ねえ、ちょっといいかしら?」

 

道端で尋ねられるように自然な雰囲気で、あまりにもナチュラルにそう声をかけられたため、エリカやレオも普通に返してしまったが、後からそれを是正した。

 

「会長!?」

 

突然の妖精姫の接触に、思わずレオが上擦った声をあげ、エリカが美しさに見惚れ、美月が緊張で固まった様子を見て、思わず真由美の方が一歩引いてしまいそうになった。

 

「そんなに緊張しないで。私もイチ生徒だから」

「無理ですよ………」

 

謙遜されても、噂が歩くせいで一年生にはそれは難しい注文だ。それはもう、七草真由美という人間の一部、と割り切って彼女は本題を持ってくる。

 

「ちょっと聞きたいことがあるの。楡井君のことなんだけど」

「修平ですか?」

「でもあいつ、いっつも授業が始まる頃にはいなくなってるよな?」

「はい。帰ってくる時も、いつのまにかという感じで………」

 

聞きたいと言われても、最も拘束時間の長い授業中に彼はフラフラと教室から出て姿を消してしまう。なので期待に添えられない可能性を、三人は先に口にする。

 

「うーん………お話もしなかった?」

「話しましたけど、あいつテンション低かったので」

「それよ」

「へ?」

「あの子、私と話した時もあんな感じだったでしょ?」

「あー………それかあ………」

「あれは確かに、ある意味驚きだったよな」

 

あの場に居合わせたので、三人もよく分かる。罵声が飛ぶかと思えば、弱々しいあの声には驚かされた。

 

「クラスメイトだし、放課後一緒に遊ぶような仲だったら、何か分からないかなって」

「………そう仰られましても」

「私達と会った時も、あんな感じでして、皆目見当もつかないんです」

「そう………」

 

うーん、と真由美は唇を若干尖らせて、出口が見えないことに不機嫌になりながらも考える。

 

「あの、会長、よろしいですか?」

「柴田さん、だったわね。どうしたの?」

 

どこか焦るような、あるいは緊張したような様子で、言葉を途切れさせながらも、美月は言った。

 

「失礼を承知でお聞きしますが、会長は楡井君に好意を抱いておられるのでは?」

「ぶっ———」

「ちょ、美月!?」

 

時間も場所も、そんなもの知ったことでないとばかりに撃ち込んだとびきりの爆弾。いくらなんでも突っ込み過ぎだとレオとエリカはヒヤヒヤと肝を冷やすばかりだ。

 

「………そうね」

 

どこか憂うように、真由美は柔和な笑みを浮かべ、消え入りそうな声でそう答える。

 

「でも私に、そんな資格はないもの。おふざけ程度しか許されないの」

 

ありがとうね、と付け加えて、真由美は背を向けて去って行った。

 

◆◆◆

 

保健室のベッドは、授業中の定位置だ。だが今回は、終業のベルが鳴ってもそこから動くことはなく、つまり友人達のもとに向かうことなくベッドに仰向けで寝ながら一昔前の漫画を熟読する。

 

「楡井修平君よね」

 

そしてそれを邪魔するように訪客が来た。といってもそれは、そういった意味でもそれ以外の意味でも、彼にとって招かれざる客ではあったが。

 

「あんた確か剣道部の………」

「壬生紗耶香よ。よろしくね」

「よろしくしたいところだけど、俺は今テンションが低いんだ」

「知ってる。でもお話したくて」

「そう言われてもなあ………」

 

新入生勧誘期間の最中に起きた一悶着、その当事者の一人である、剣道部所属の二科生、壬生紗耶香。彼女はタメ口で話す修平に特に嫌悪を抱くでもなく、気安く話しかける。あの一件で彼女もそこそこ有名人になったようで、行き交う人々は度々視線を投げていた。

 

「まずは、助けてくれてありがとう。あの時、楡井君ってば仕事が終わったらさっさと帰っちゃうんだもの。お礼言いそびれちゃった」

「いやいやお構いなく。こっちもそういう仕事というか、取り引きというか。そんな感じだし」

「そっか。じゃあ本題ね。ちょっと聞きたいことがあって。二科生として」

「その手の話題は苦手なんだ」

「どうして?」

「そういう小難しい話はしない主義なんでね。そうやって俺なりに学校生活を楽しんでるんだよ」

「ふーん………そう」

 

紗耶香に拍子抜けした、という様子はない。寧ろ面白そうだと見たか、笑みを浮かべる余裕さえある。修平の、何だこいつ、と訝しむ顔にも目立った反応は見せない。その真意が見えないのは、七草真由美と司波達也、それと彼女で三人目だ。果たしてその心でとんな物を言うのか、それが少しずつ気になり始めているというのは内緒の話だが。

 

「ねえ、貴方に聞きたいの。この学校の制度について」

「何で俺が。一科生を制圧した二科生だからか?」

「それもあるけど。生徒会長と仲がいいでしょ?そういう人の考えも貴重だから」

「仲がいい、ねえ………」

 

好きの反対は無関心、とよく言うが。果たしてそのケースに当たるものだろうか。物思いにふけるようにして口を噤むと、紗耶香は畳み掛けるように喋る。

 

「本当かどうかは知らないけど、あの人は差別撤廃を掲げてるから。そう考えると、楡井君の交友関係って凄く複雑でしょ?」

「あー………」

 

会話をする程度に知り合うといえば。お近付きを虎視眈々と狙われるような新入生総代表の美女とそのクラスメイト達、二科生として規格外の力を持つその兄とクラスメイト達。上級生の知り合いといえば、差別容認派の一科生が一人と撤廃派の一科生『三巨頭』が三人。

 

「確かにカオスだわ」

 

自分自身を省みて、そう零す。

 

「でしょ?多角的な意見をね?」

「ほーう………」

 

それを是として受け取った紗耶香はこう告げた。多角的な意見。一科生二科生両方との交友関係を持つ人間からの意見はつまりそういうことだと。

 

「残念ながら、ご期待に添えそうにはないな」

 

しかし、紗耶香の言葉を修平は否定した。

 

「………どうして?」

「どうしてって、あんたも薄々気付いてるんじゃないのか?」

「どういうこと?」

 

お力添えできなく申し訳ないが、なんて丁寧な前口上もなしに断りを入れる修平の態度が気に入らなかったとか、そういうことも紗耶香にはあっただろう。若干きつい声色で、迫るようにして問うた。

 

「この学校は差別を認めるどころか推進してる。だから二科生の手で革命を起こすべきだなんて、あんたが望む言葉をかけてやれそうになくて」

「……………」

 

目を細めて、彼女はにらみを効かせる。

 

「私は、ただ意見を聞きに来ただけよ」

「またまたあ」

 

しかし修平は、冗談めかしたような笑いで意にも介さず言葉を返す。

 

「差別を認めるわけじゃない。けどそういう感情は、人なら誰しもが持ってるもんだ。俺や、あんたにも」

「………違う」

「違わないさ。自分の得意なところに逃げるのも人間だ。あんたは剣道じゃメチャ強いけど、他じゃそうもいかない。二科生として差別されるあんたは随分いい子だが、どうだ?平等なんて出来っこない。人間にとってそれが原動力である限りは」

「やめて!!!」

 

ややヒステリックに、紗耶香はそれ以上の修平の言葉を拒絶した。

 

「どうして分からないの!?魔法()()考慮されないことも、それなのに魔法を使わないクラブがあるなんて矛盾も、嫌がらせの一つが命に関わるっていう危険も、貴方や貴方のお友達がよく分かっている筈でしょッ!!」

「………そりゃね」

 

当然、理解している。差別があるのは人間らしさとはいえ、それを助長するような制度があること、それによって悪しき習慣がついてしまっていること。列挙すればキリはないが、達観出来ないような悪辣がこの高校にあることは、紗耶香が言うように教育という大義のもとに振り回される力であり不条理そのもの。しかし、それでも。

 

「現実を見なきゃならない。そういう悪政があるんなら、そこから逃げられるわけないだろ。ダダこねたってお上は動いちゃくれないぞ。だったら自分がどうにかしなきゃな」

 

他人がどうにもしてくれないので、自分がどうにかする。ひどい消去法でとんだごり押し、かつありきたりな発想だが、結局それが思考の帰結である。彼女に足りないのは、そんな不条理を拒絶したこと。確かにそれは忌避すべきかもしれない。あってはならないことかもしれない。だが、平等にならなかった。()()()()()()()()。過去を過去として、それが受け入れられないという弱さ。それを一朝一夕で変えられるという驕り。彼女達平等派には、それがまるで呪いのようにべっとりとこびり付いて離れない。だから彼女達の信じる大義は達成されない。他ならぬ自分達の弱さによって。

 

「………もういい」

 

結局、自分の期待する答えを言わなかったがゆえに興味を失った。紗耶香のその感情はまさしく修平の予言そのものだった。彼女は背を向けて去ろうとする。

 

「そうだ。参考になるかは分からんが」

 

しかし、背後から蛇足とばかりに声がかかる。

 

「俺は魔法式に干渉するマルウェアをつくったり、CADをハッキングしてオーバーフローを起こしたりして魔法師をフルボッコにするけど、自分を稀代の天才と思ったことは生まれてこのかた一回もない。この意味があんたに分かれば、きっとあんたの力になる筈だ」

「………どうも」

 

興味なし、とばかりにそれを跳ね除けるような冷たい声で紗耶香はそのまま去っていった。

 

「殺伐としてんなあ」

 

諸行無常な人間がやること。これをやれば一発逆転なんて都合のいい革命などこの世には存在しない。それを言い忘れたことを、彼は激しく後悔した。

 

「楡井」

「………何さ」

 

剣道小町と入れ替わってやって来るのが野郎ともなれば、その後悔とともに心を苛む。テンションが再び地に落ちた修平の心情を知ってのことかそれとも知らずか。この十文字克人という男はとにかく表情が変わらない。やりやすい、やりにくいという観点で人間の良し悪しを決める彼からすれば、この男は最悪と言ってもいい。

 

「かつてないほどにお前の様子がおかしいという話を七草から聞いてな。様子を見に来た」

「余計なお世話だっつーの………もう分かっただろ。俺は一人でいたいくらいローテンションなんだ」

「差し支えなければ、理由を聞いてもいいか」

「お前マジで………チッ。別に、お前が気になるような話じゃねーよ」

 

修平はとにかく億劫だ、とばかりに、取り付く島もないような様子で会話を早々に切り上げようとする。

 

「高校に侵入した不審者の件か」

 

しかし克人がそう口にすると、修平は眉をひそめて寝転んだ姿勢のまま睨みを効かせる。

 

「………そこまで知ってて俺の口から言わせようとしたのか。この野郎」

「こちらにも事情がある。事実として、その件については箝口令が敷かれているからな」

「十師族の事情なんざコメディアンの浮気疑惑よりどうでもいいが………」

 

あの場で遭遇したもの、それと何があったかについて。そしてそれに箝口令が敷かれ、多くが口を噤む理由といえば、考えられるのはひとつしかない。心底うんざりした様子で大きな溜め息を吐く。

 

「そんなに屈辱か。俺に守られるっていうのは」

「………俺個人としての感情は違う。だが、家はそう思っているだろうな」

「そうかよ。なら家に伝えろ。お前が他の家と足の引っ張り合いしてる間に、七草のご令嬢は俺がキッチリ守り抜きましたってな」

「……………」

「ついでに、二年前のことは謝るつもりもないし間違ってるとも思ってない」

 

居心地が悪くなった。黙り込む克人のリアクションを待つより早く、修平は立ち上がってさっさと保健室を後にした。

 

「……………何してんの」

「あ、いや、楡井君、違うんだ、これは………」

「あはは………修平君、やっほー………」

 

そう思って扉を開けると、戦闘には明らかにその場に偶然居合わせたとは思えない摩利と真由美。そして同級生の友人達。聞き耳をたてるようにして耳を扉に向けていた。

 

「違うのよ?」

「何がだよ」

 

冷や汗をかきながら弁明をしようとする真由美に対し、詰め寄るでもないが、身長差のせいで見下ろすような形になり、睨み付けるせいで圧力は凄まじい。

 

「ちょっと気になっただけというか、みんなお友達でしょ?だったら、あんまり隠し事するのもよくないかなーって」

「何でもかんでもお前の一存で決まるわけねえだろ。話せば家のお達しに背くことになるんだぞ」

「いいわ」

「は?」

「それでいい。ここにいる全員のためには、それがいいと思うの。私がそうするべきだと思ったから、今からそれをやるの。今は生徒会長の七草真由美ですもの」

 

そんなものが通じるわけない。そんな言葉を修平はぐっと呑み込んだ。どうしても、昨日のことが頭から消えないのだ。悔しそうに歯噛みすることしかしなかった。

 

「それからね、私、それでいいと思うから」

「………何がだよ」

「二年前のこと。私も貴方が間違ってるとは、思ってないから」

「あっそ………」

 

卑怯だ、というそんな言葉もまた出ない。友人達の視線が痛い。頼むからそんな目で見ないでくれという言葉が引っ込んでしまったのは、弱さからだろうか。そんな疑問まで頭をよぎると、歯噛みして堪えるしかない。

 

「俺達が無理を言って先輩方に頼んだんだ。なあ修平、人には秘密くらいあるだろう。だけど、お前も話したいことがあるんじゃないか?だから、ヒントを出すなんて真似をしたんだ」

「お兄様の仰る通り。何かあるのなら、相談くらいしてくだされば、応えましたよ」

「……………」

「修平君、いつもとっても明るいじゃないですか。きっと怒るのには理由があるんです。私達にその悩みの解決、お手伝いさせてください」

「私達、友達でしょ?一緒に悩むくらいしてあげられるわよ?」

「おう。どんと来いだぜ」

 

嬉しかった。これは紛れも無い修平の本音である。正直、目頭が熱くなったのは彼だけの秘密だ。それほどまでに、彼はこういった場でそんな言葉をかけられることに慣れていなかった。

 

しかし………

 

「お前が話せ、七草。お前の口からだ」

「……………それは」

「友達がそう言ってくれて嬉しい。これはマジだ。だけど俺の口から喋るわけにはいかない」

「……………」

「好きにしろ。お前の愛しい家族がそうしたように」

 

足りなかった。憎しみが勝ってしまった。修平は目元を見せないように俯きながら、保健室を出た。

 

拒まれてしまった。気まずい沈黙が辺りを支配する中で、真由美が口を開く。

 

「ちょっと羨ましいわね。そんなこと思う資格だってないのに」

 

そう儚げに微笑んだのち、このまま話すわけにはいかないと、表情をつくってから聴者の方を向く。

 

「彼の能力についてはいいでしょう。彼がどうして魔法師という存在を忌むのか、不安定になってしまったのか。全ては十師族、師補十八家だけでなく、百家から数字落ち(エクストラ)まで。あらゆる有力各家の責任なの」

 

口を噤んで許される段階はとうに過ぎた。

 

「二年前、数字付き(ナンバーズ)各家は、彼とその家族を亡き者にしようと暗殺を試みました。理由は、彼の頭脳によって魔法師の立場が危うくなるような()()()()から。………ただ、それだけだったの」

 

そうして彼女は、自分にとって不利にしかならない事実を語った。



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さきがけのカーテンコール

社会とは争いの連続だ。大なり小なり、常にそのリスクに晒されるという意味では人は平等だ。ただ、不平等でなくなるのは、それによって得るか失うか。楡井修平は、後者だった。

 

頭脳明晰で、平等を重んずる正義漢の非魔法師。たったそれだけの理由で彼は家族を奪われ、恩人を殺されかけた。苗字で通じるような名家でない、ごくごく一般的な家庭の楡井家。そして、魔法師としての才能は遺伝しやすい。そこで奪う側の者達は考えたのだ。

 

凡庸な家庭から生まれた天才、楡井修平というイレギュラー。IQ200超、コンピュータと競えるレベルの並列演算能力、それに加えて類い稀な身体能力と完璧なボディイメージ。

 

家は関係ない。つまり、たった一人生まれた特異点を消し去るだけでいい。そうして彼は、狙われた。

 

魔法師としてさえありえない才能を持つ、非魔法師。だから彼は、命を狙われた。

 

「おいお前ッ!」

「………あ?誰だてめえ」

「一科生の森崎だ!」

「知らねえな。お前に用はない」

「僕達は用があるんだ!いいから———」

「知らねえっつってんだろ。話しかけんなモヤシ野郎。次同じことしたら死ぬまで殺すぞ」

「ぐ、ぐがぁ………あ、が………うぐ………」

 

———金も権力もコネもない一般人。だから俺は、生きてちゃいけないのか?

 

騒動が沈静化した後も、そうして、彼の心を苛み続けた。永遠に答えなんて出ないんじゃないか。今彼は、出口の見えない闇の中で手探りをしているのだ。

 

◆◆◆

 

放課後の出来事は、さらに追い討ちをかける。

 

『全校生徒の皆さん!僕達は学校の差別撤廃を目指す有志連盟です!』

 

有志連盟を自称する二科生の生徒達が、生徒会と部活連に対して差別完全撤廃を要求。それが通るまでは放送室を出ないと宣言した。

 

魔法は実力主義。それは認めるが、魔法以外の分野でそれが横行するのは我慢ならない。自分達は学生だ。要点はそういうことである。

 

「……………」

「……………」

「………話は分かった。で、何で来た」

 

それ自体、起こることは修平予想の範疇に収まっていた。ジャックするというのはやや強行が過ぎているが、何かしらの穏やかでない手段で主張を押し通そうとすることも。だからこそ、不機嫌を貼り付けて邪魔するなオーラを前面に押し出していたのだが、それが通じない相手がいる。

 

「いやあだって………怖いじゃない?」

「うるせえな。部活連のゴリラに守ってもらえばいいだろ。()()()二科生に遅れる奴じゃねえ」

「私が一緒にいてほしいのよ!悪いッ!?」

「お前いよいよ言い訳しなくなったな」

 

まだるっこしい建前すらなくなった真由美。それはある意味防御を捨てた戦士と同じで、猪突猛進だからこそ恐ろしい。バランスなど意識せずに攻撃一辺倒になるもので、その面倒さと言ったら、あらゆる人間と比にならない。

 

「昨日のことなら、私も貴方も無事だったじゃない。お互いこうして五体満足でいられたのは、貴方が強かったからよ」

「うるせえ。そういう問題じゃねえんだよ。お前みたいな楽天家のせいでいらん心配までさせてんだ」

「………じゃあ、そんなに貴方にとって引っかかる何かがあるなら、今、挽回するべきじゃない?」

「チッ………」

 

あいも変わらず、卑怯な言い回しだ。きっと二人は同時にそう思っただろう。片方は忌々しそうに、もう片方は自嘲気味に。

 

「プランは」

「どうにかして扉を破って、お得意のビリビリ銃早撃ちでささっと無力化する感じ?」

「実質無策じゃねえか、このアンポンタン」

「アン………じゃ、修平君はどうするつもり?」

「差別撤廃派の先鋒はお前だろ。何を怖がってる?お得意の長広舌で、演説でもすればいい」

「そんなこと出来ないわ」

「出来るかどうかじゃない。やるんだよ」

 

一体何の冗談か。いや、実際にいつものタチの悪い冗談と思った真由美はそれを苦笑で回避しようとするが、有無を言わさないほどの鬼気迫る表情で彼はそれを許さない。

 

「差別はなくしたいけどとりあえず二科生は制圧しますやったーさすが真由美先輩バンザイ一科生バンザイ。こんなもんが通ると思ってんのか。お前とお近付きになりたいお花畑野郎共が、お前らが出張った事態の収束でどういう反応するか分からんほど馬鹿になったのか」

「それは………」

 

どうにかして事態を収束させたい。それには風紀委員会の力を借り、有形力の行使によって鎮圧するのが最も手っ取り早い、かつ安全策である。しかしその安全というのは、二科生の安全ではない。

 

二科生がなんか主張してたけど、やっぱ魔法とその名家には逆らえないんやなって。

 

そんな風潮が生まれれば、ある意味従来の差別より深く根を張る事態になりうるだろう。

 

「武力で制圧したいなら勝手にしろ。だがその瞬間、お前は生徒っていう踏み台を使ってヒーローになったことになる」

「……………」

 

そんなこと、到底許されない。それは何より、差別を容認しない真由美がよく知っている。しかし修平には、いつだか摩利が言っていた言葉が頭から離れない。

 

正義と秩序のために風紀委員の腕章をつける者が全てではない。中には、二科生への侮蔑という邪な思いでその職務を遂行する者もいる。

 

「………どうすればいい?」

 

蚊の鳴くような声で、真由美は縋った。もう今は、生徒会長だとかそういう肩書を投げてでも、自分の正義に殉じたかったから。

 

「言っただろ。話し合えばいい。その場で正論かまして打ち負かそうが何しようが、今言ったようになるよかマシだろ」

「もしも、逆上した誰かに襲われたら?」

「万能の魔法師だろ。自分でどうにかしろ」

「いつだって、魔法が絶対的な力じゃない。そう教えたのは貴方よ。それにもし………彼女が現れたら?」

「……………」

 

彼はくだらない、とばかりに鼻で笑った。

 

「お前を死なせないと約束した。これ以上は言わせんな」

 

真由美は、笑わなかった。

 

◆◆◆

 

2日ほど経った頃。講堂では、公開討論会が行われていた。緊張した様子でパイプ椅子に腰掛ける同盟側の生徒と、相対する生徒会長の真由美。聴衆は前半分が一科生、後ろ半分が二科生。舞台袖には生徒会の面々と、不測の事態に備えて風紀委員会もスタンバイしている。

 

討論会の真っ只中に結論を出すのは性急だが、こればかりは勝敗が見えている。

 

ディベートの能力、多数の聴衆がいようとも物怖じしない姿勢、どれをとっても真由美は同盟側の生徒を圧倒している。データと数字を用いて論理を展開する真由美と違い、あちらは、差別されてるので撤回、撤廃してくださいの一点張り。それは討論というより、駄々をこねる生徒をいさめる説得のようだった。

 

「楡井君、私だ」

 

目はしっかり弁舌をふるう真由美とその周辺に向け、しかしトランシーバーを使って、摩利は事の張本人を呼び出す。

 

「おっすー摩利ちゃんぬ。どったの?」

 

あっけらかんとした様子、というか悪びれる様子がないだけだが、修平は明るく答える。

 

「何、生徒会長を脅した張本人がいないのが寂しくてね」

「心外だなあ。間違ってはいないべ?」

「それには同意するが………ここまで話を大きくする必要があったのか?」

「それは知らん。俺が大きくしたんじゃない、勝手に野次馬が集まっただけだからね」

 

彼の言う通り、彼自身もここまでの大ごとになることを予想はしていても、それを許容するとは思っていなかった。一科生は、生徒会長が身の程知らずの二科生をコテンパンにするところを見たくて。二科生は逆に、一科生に対して一矢報いることを望んで。それが超満員の理由だ。

 

「今どこにいる?」

「学校に決まってんじゃん」

「そういうことではなくてな………学校のどこだ?」

「放送室」

「それはまた………何故?」

「スピーカーってのは指向生ひとつで簡単に集音器になる。情報収集なうだよ」

「そうか………何か気がかりがあるんだな?」

「そりゃね。摩利ちゃんぬも気付いてるだろうけど、作戦成功。陽動と本隊を上手く切り離せた」

 

席に空白がある。

 

反魔法師団体のブランシュと、その下部組織であるエガリテ。それらが深く関わっていることに関してはある匿名の情報筋から分かっていたことだったが、それに生徒が所属していると知った時は目と耳を同時に疑った。それでも、こうして実際にここにいない二科生を見ると、疑念は実感へと変わっていく。

 

「壬生さんはそっちにいるかい?」

「………いない」

「やっぱり壬生さんもエガちゃんに入ってたのか」

「驚かないのか?」

「学校がどうにかしてくれないなら校外に助けを求める。それくらい当たり前だべ?」

「そうだな………」

 

悲しいが、もどかしいが、悔しいが、そういうことなのだ。結局学校は、有能ならばそれでよし、無能ならば捨て去るという間引きによってエリート校と呼ばれてきた。こうした分裂も、大人達にとっては瑣末な問題なのだろうか。それが摩利にとっては解せない。

 

「君はどう思う?」

「何が」

「差別についてだよ」

「それ壬生さんにも聞かれたなー………」

 

若干間延びするように、気怠げになったあと。しかしすぐに考えるように唸って、あるひとつの答えを示した。

 

「150年以上前、アドルフ・ヒトラーはあえて被差別階級を作り出すことで国民を一致団結させた。その階級に落ちたくないがために国民は努力をして、識字率も平均知能指数大学進学率も高くなった。思うに、善でも偽善でも独善でもない、良くなったっていう結果論だけ残るのが、必要悪なんじゃないかな」

 

あくまで、そういう思想。そういう仮説。そういう考察。それだけのはずなのに、どこかそれには説得力というか。学生の思い付きのはずなのに、学術書に載っていたらうっかりなるほどと言ってしまいそうな言葉だった。

 

「君は自分を正義だと思うか?」

「アッハハ!何じゃそりゃ!そんなん思ったこと一回だってないよ!」

「そうか、それは———」

 

慌てて摩利は口を閉じた。

 

———正気でいてくれたようでよかった。

 

彼のあんな話を聞いた後に、こんなことを言うなんて非礼もいいところだ。

 

「ま、高校生らしくテキトーにやってるよ。ちょっとやることあるから切るね〜」

「あ、ああ………分かった。ありがとう」

 

始終やたらご機嫌な口調で、そのまま通話を切った。

 

「さて………」

 

向き直ると、最早真由美の独壇場になったと言っても過言ではなかった。

 

そもそも、これは真由美にとって舌戦による争いではない。悪しき風習を打ち破りたい気持ちは嘘偽らざるものだという、一般生徒達への宣言であり、その意思を汲もうとしない同盟に相対したのは正直、彼に言われて気付かされなければなければやらなかったことだろう。人の気持ちなど簡単には曲がらない。信じるものがあれば、余計に。だからこそ、生徒会長という立場を人質にして公約を掲げたのだ。

 

こうして討論会は、真由美の意思確認という形で終結———

 

「………!窓から離れて!!」

 

———したらどれほどよかったか。目付き鋭く放った真由美の言葉によって風紀委員と生徒会が臨戦態勢をとる。窓を破って飛び込んできた円筒型のそれは、床で少し跳ねたあと煙を吐き出した。

 

「ガス弾か!!」

 

動いたのは、副会長の服部だった。展張を続ける煙幕に腕を伸ばすと、煙はビデオの巻き戻しのように収束していき、最後は球状に集まっていく。慎重に操作し、お返しとばかりに投げ込まれた窓からガスの塊を放り出した。

三体のうち、最も自由に流動する気体を精確に操作するには、相当な実力が必要だ。将軍(ジェネラル)の名は伊達じゃないというか。驕りとそれによる怠慢で敗北を喫したことはあったものの、本来の実力は相当なものである。

 

「皆さん落ち着いて!この場は生徒会と風紀委員が対処します!」

 

混乱が伝染し始めるが、三巨頭という精鋭の力強い言葉に縋った。もとい、落ち着きを取り戻した。

 

「もしもし修平君?何企んでるか知らないけど、今講堂は大変だから!」

「心配すんな。何なら手伝ってやってもいい。もうちょいで用事も終わる」

「………修平君がそう言うってことは、貴方の助けが必要な事態が来るってことね?」

「まあな。問題ないってんなら、ここで見物してるよ」

「すぐにお願い。敵の狙いは図書館内の研究資料よ」

「イエスマム」

 

陽気な様子で修平は通話を切った。

 

胸騒ぎがする。彼が自ら加勢に名乗りを上げたということは、単なる暴徒ではないということだ。

 

「……………」

 

自分達ならば、やれる筈。そんな自信が、どこか幻想のようで。彼の姿を見てしまってからは、魔法に秀でているから大丈夫、という文句がひどく言い訳に聞こえてならなかった。

 

それでも、そんな心配をよそに、銃で武装した襲撃者達は、三巨頭をはじめとする実力者達に次々と無力化されていく。

 

摩利は、気体分子に干渉するMIDフィールドと呼ばれる魔法を駆使して、マスクの内側の酸素濃度を操作、窒息死しない程度に手加減しているとはいえ急激な酸素欠乏によって男達は崩れ落ちた。

 

「………!」

 

しかし、これも彼女が聡明だった結果だろう。胸騒ぎの正体はすぐに判明した。

 

「摩利!十文字君!」

 

◆◆◆

 

実技棟入口前。そこでは、達也達が敵の攻撃を食い止めていた。

 

食い止めるというより、実力差が圧倒的で反攻作戦すら可能なのだが。パンツァーと呼ばれる、レオが得意とする硬化魔法で普通の殴打や刺突は通じず。武道に明るいエリカと自己加速術式のコンビネーションは凶悪で、ヒットアンドアウェイに徹されてはそれだけで敵は彼女を捉えられない。

 

深雪の戦法は実に多彩で多才だった。加重系で数人を纏めてその場に拘束したり、武器を狙い撃ちで氷漬けにして破壊したり。魔法師として成熟していると言われてもおかしくない、技術と臨機応変な対応力、状況判断力に優れていなければ出来ない芸当だ。

 

一方で達也は、少々異端だ。白兵戦ではあるが、魔法を一切公使しない。100パーセント身体に依存した戦法である。ただこれは、彼だからこそ可能という側面もあり、身のこなしや体術によって魔法というハンディキャップを見事に克服している。

 

「何だ、大したことねえなあ」

「油断してズッコケても知らないわよ?」

「うっせえなあ。そっちはどーよ、達也」

「問題ない。深雪、そちらはどうだ」

「問題ありません。もう終わります」

 

不意打ちという点において上を行ったものの、そこから乱戦に持ち込まれてからは、魔法科高校側が質で圧倒していると言ってもいい。兵士として凡庸ならば、油断しなければこのまま勝てる。

 

「悲しきかな、悲しきかな」

 

凡庸ならば、の話だが。

 

「何、あいつ………」

「おい、ヤベエんじゃねーの?」

 

黒のレインコートに、ガスマスク。武装した襲撃者達とは明らかに違う。手には、『surprise!』とラメが散りばめられた文字が書かれている長方形の箱。それを、大事そうに両手で抱えている。

 

「お前は………」

 

あの時、帰り道で待ち構えていたガスマスクだった。達也はあの時のお返しをしてやろうと構えたが、やがてそれに話しかけた。

 

「ひとつ、聞いておくことがある」

「何かね、悲しき人よ」

 

あの時の言葉を総合し、分析し、推測するのなら。ある答えにたどり着く。達也もこんな答え見つけたくなかったが、間違いであると信じたかったが、それでも仕方のないことだ。

 

「もしかしてお前は、楡井修平なのか?」

 

支離滅裂で、意味の通じない喋り方。あれは、模擬戦で摩利と相対した時の修平と似ていた。まったく同じ、というわけではないが、特徴が当てはまる。自己修復術式の機能不全も、彼が高周波ブレードを封じたものと同じ原理を使っていたとしたら不可能ではない。強烈なデジャヴは、いつも見ていたゆえだろう。

 

「………それはナンセンスな問いである。悲しき人よ」

「どういう意味だ」

「いつだか、その楡井修平が話したであろ。ケーキを等分した時、分けられたそれらを偽物と本物で区別するようなことはしない。つまり、そういうことよ」

「………にわかには信じられないな。お前も分けられた存在だと?」

「違うな」

 

やや食い気味に、それを否定する。

 

「なあ達也、どういう意味だよソレ」

「そのままの意味だが」

「いやいや、分からないってそれ。ちょっと私達にも分かるように説明してよ」

「むううん、そちらの人々はそんなに悲しきかなじゃない。事情を知らなんだか」

 

とにかく正体を暴こうとして突っ走る。そんな達也の姿勢を危惧して、エリカとレオは止めに入ろうとする。

 

「無残」

 

ガスマスクが箱を開けると、造花の赤いカーネーションが溢れる。そして取り出されたものは、やはりあの時と同じ。本来は獣を撃つために使用される筈の散弾銃だ。しかし今回はピストルグリップで、銃床と銃身を切り詰めている。

 

「貴様………」

 

銃口は真っ直ぐに達也の方を向いている。

 

———これが、命の危機というやつか。あまり実感が湧かないな。

 

死ぬ時は、魔法によって死ぬと思っていた。そうでなくても、いつの日か命が終わることも予想はしていたが。

 

こうして魔法以外の何かによって死ぬなんて、とても———

 

「オラァお鼻敏感野郎!そのガスマスクのフィルターに納豆突っ込んでやろうかこのボケ!!」

 

ドンドンと、叩きつけるような足音が響く。もしや新手かと思考を切り替えて構えていたら、それは敵ではなかった。

 

あるいは、味方でもないが。

 

「修平………」

「おっす。突然だけどこいつの相手は引き受けた。みんなは他のとこの手助けしてちょ」

 

彼らの前にタイミングよく現れたのは、修平だった。それはいい。それだけならいい。しかし今回の彼は、それだけじゃない。戦っていた四人が、はい分かりましたと頷き難い理由はその得物である。

 

「修平君、何でそんなの………」

「あん?ああこれ?何って深雪ちゃん、別に、俺のお手製ってだけよ?魔法師なんてこれよりえげつないもん持ってんじゃん」

「でも………」

「でももヘチマもないんだよお。いいからさっさと行った行った」

 

彼が手に持っていたのは、マットブラックの、なんてことのない、ごくありふれた機能しか持たない、自動拳銃。

 

魔法の中には、既存の武器をはるかに凌ぐ火力を持つものも存在する。というより、深雪はそれを扱える。しかしそれでも、長年の時を経て植え付けられたイメージはそれをも凌ぐのだ。銃とは人を殺すもの。魔法は人を殺す以外も出来るが銃はそれが叶わない。だからこそ、持つべきではない。そんな棚上げのような理論が、その場の四人全員の頭を支配する。魔法はいいけど武器はダメだ、と。

 

「………あとで説明してもらいますからねッ」

「いいともいいとも。ほれ、早う行きんさい」

 

しかし、専門職は専門家に任せるべきと、それもまた総意だった。戦力に穴があるのならば、そこを塞がなければならない。ガスマスク一人に魔法師四人では、相性も効率も悪い。四人は劣勢、あるいは拮抗している場所に援護に向かうためこの場を離れた。

 

「久しいな、贋作」

「本物偽物っていう区分は正しくないって、お前が言ったんだぞ」

「黙るがよろし。もとより贋作はどこまでやっても贋作以上になり得ない」

「会話ってやつをしてほしいね。俺は出来るぞ」

「貴様の本質はこの世に生まれ落ちた時から不変のものだ。時に………」

 

黒いレンズの双眸で、達也達が走り去った方向を見る。

 

「あの魔法師達は何か」

「友達だけど」

「………遂にこちらも血迷ったか?」

「そんなわけあるかよ、お前じゃあるまいし」

「ならば問いを変えよう。本気か」

 

顔はマスクで覆われて見えない。声はボイスチェンジャーで加工されていて、声質が分からない。それでも、ガスマスクが怒りに震えているということは観察ではなく直感で得たものである。

 

「ああ。残念ながら本気だよ」

「……………何故」

「高校生なもんで。友達くらいほしいと思うお年頃さ」

「ふざけるな」

「ふざけるわけあるかよ。こちとら友達作りに色々犠牲にしてきたんだぞ」

「何故ッ。何故よりによって、魔法師を友人などと呼称する?理解出来ない。理解、理解、理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解理解!!」

 

———まだバグがあるのか。予想外だったが、そうでなくても案外簡単なものだ。これは幸運が舞い込んだ。

 

「やっぱり魔法師と友達になるなんて、すげえインパクトだよなあ」

 

今まで、へらへらと軽薄そうに笑っていた修平の顔は、突然限界まで口角を吊り上げ、歯を見せて笑う嗜虐的なものに変わる。

 

「会いたかったよオ!!()()ッ!!ここでお前の腹かっさばいて内臓爆散させて骨砕いて、消し炭にしてやる!!」



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世捨てられて

実は、修平の謎を九校戦編まで持ち込むつもりはない筆者。これが正しいかは知らん。


魔法科高校、図書館。特別閲覧室。ここは戦闘区域のけたたましい轟音がどこか遠くの出来事のように、こだまするばかりである。

 

「いよいよ、この国の最先端技術が載った資料が手に入るのか………」

「これを盗み出すことが出来れば、我らの悲願に一歩近付くぞ!」

 

武装したテロリストは、目的を達成する一歩手前まで来ている。その喜びに打ち震えるとともに、自分達が上を行ったという優越感で興奮気味だ。彼らはエガリテではなく、その上位のブランシュに所属している。手を伸ばせば届く点にまでいるのだ。

 

しかし、テロリスト達の案内を仰せつかった彼女、壬生紗耶香の心中は複雑なものだ。

 

———正しいって、なんだ?

 

差別を悪しきものと排斥するのは正義だ。でも今のこれは、正義なのか?学校を急襲して機密を抜き取るのは、テロなのではないか?

 

ただ、普通に扱われることを望んだだけなのに。こうしなければならなかったのか?

 

剣道部の主将、司甲。そしてその義理の兄である司一。最近は、彼らの言葉にも疑問を覚えているのが彼女だ。大義である。だが、手段は本当にこれしかないのだろうか?一度その疑問に支配されると他の言葉に、たとえ一の言葉であってもどこか空想にさえ感じてしまう。

 

平等なんて出来っこない。人にとって、それが原動力である限りは。

 

修平の言葉が鉛のように重くなる。人を強くするのは、その力の源は、羨望ではない。『あいつのようにはなりたくない』という危機感である。どのみち、競争という差別の建前は、全て的外れというわけではないのだ。それは、魔法に限らず、あらゆる競争と勝負事においてありふれたものである。

 

「お前ら、記録用のキューブは用意してあるな!」

 

しかし、そんな葛藤を無視して話はどんどん進んでいく。ついに特別閲覧室の扉は破られた。

 

だが、もう後戻りは出来ない。

 

道理にはもう背を向けた。あとはそのまま走り去るだけだ。

 

「よう、壬生。あん時以来だな」

 

そうであった筈なのに、運命はそうさせてくれない。目を背けることを、許さないように。

 

「桐原君………会頭までご一緒とは」

「一大事なものでな」

 

特別閲覧室の中。そこには、あの問題を引き起こした一科生、桐原武明が仁王立ちで通せんぼしていた。隣には部活連会頭、十文字克人もその巨躯で待ち構えている。

 

「どうしてここが?」

「ある情報筋から、とだけ。結構正確なんだぜ、この情報寄越した奴。誰だか知らねえけど」

「………そう。それで、二人はどうするつもり?」

「知れたこと」

 

克人が短く、切り捨てるようにして言う。賊ならば、排除するまで。短い彼の言葉には、全てが詰め込まれていた。

 

「そう、二人とも………私達の邪魔をするの」

 

声は悲しげだった。それでも、彼女は立ち止まらなかった。今更どっち付かずなんて許されない。こうして実行までしたのだ、やっぱり魔法科高校側に付きますなんてこともまた許されない。こうした時点で、残された道はひとつしかないのだから。

 

「あの時私を殺そうとしたんだから、桐原君。もう間に合わないよ」

 

自分が魔法科高校に牙を剥くのは仕方ないこと。そう思える何かをかき集めると、結局それに行き着いた。

 

「………あれは悪かったよ」

 

彼も、そう言われては返しようがないと、桐原蚊の鳴くような声で詫びる。

 

「………なあ壬生、お前本当にどうしちまったんだ?」

「何が?」

「今までのお前は、真剣ならとか、そんなこと言うような奴じゃなかった。馬鹿にする奴がいたら腕前ひとつで黙らせただろ!学校でも、最初はそうだったじゃねえかよ!」

「……………もうそれも、限界なの。一科生の増長が止まらない限り、魔法に関係ない剣道まで差別されるのなら、私が行動する。学校の二科生は文句を垂らすだけで満足してるし、もうたくさん」

「……………ごめんな、壬生。闘技場のことはあとでちゃんと謝るし、償うよ。だが今は………」

 

得物の竹刀に、サイオンの光が集まる。そして、ガラスを爪でひっかくような不協和音。あの時のように。

 

高周波ブレード———

 

「壬生を誑かしたクソ野郎をぶち殺してやる。そのあとで、二人でじっくり話そうぜ、壬生ッ………」

 

怒りと悲しみが入り混じった様子で歯軋りをしながら、得物を構えた。

 

◆◆◆

 

「楡井君!どこだ!」

 

摩利は校舎を駆けずり回り、喉が裂けんばかりの声を張り上げて彼を探し回った。講堂周辺、放送室、最後に目撃された実技棟前。全て当たったが姿どころか痕跡さえなかったので、彼女はいよいよ焦った。

 

まさか、彼に限ってそんな………———

 

彼の強さは身をもって体感した。CADを破壊なんて芸当が出来るのだ、魔法師に遅れを取るような男ではない。それでも、不安は一度頭にこびり付くと中々取れないものだ。それどころか、より悪い方へといってしまう場合もある。摩利も自分自身で驚くことに、未だ自らが戦った手強い敵としてではなく、二科生というラベルが離れない。

 

血だらけで倒れ伏す彼の姿が、摩利の妄想の中でやけにリアルに思い描かれる。

 

「楡井君!!」

「も少し音を絞ってくだされ。大声が耳に悪いなんて、周知でありんしょ?」

 

校舎の裏側で、摩利に背を向けてゴソゴソと何かを探っている修平を発見する。

 

「よかった、無事だったか」

「悪運が死なせてくれなかった」

「………そいつは、賊の一人なのか?」

「ううん?うん、まあ、当たらずとも、遠からず。ばってん賊ってのも間違っちゃないにい」

「………そうか。ありがとう」

 

倒れていたのは、ガスマスクの男。仰向けで倒れるそれには、背中から夥しい量の血が流れている。素人目から見ても、失血死したことは明確なくらいには。

 

「そだ、渡辺の」

「うん?どうしたんだ?」

 

しかし修平が摩利の方を向くと、その真の姿が露わになる。

 

「楡井君、それは………!」

「ああん?なんね?」

 

挙動や言葉に不自然な点がなかったせいで、それを見る限り気付かなかった。彼の胸、腹、肩、 腕。上半身にはべっとりと赤い血がまとわりつき、彼の灰色のパーカーはまるで赤色のペンキをぶちまけたように、元の灰色の部分が塗りつぶされてしまっている。返り血でないことは、彼の体から滴る血が地に落ちてガスマスクの血と混ざるところを見ても明らかだ。

 

「ど………どうしたんだ!?そいつにやられたのか!!」

「せからしか。戦ったんやぞ、ちぃとばかしの怪我なんぞにあれこれ言っても仕方なかよ」

「これがちょっとなものか!」

 

魔法を封じる可能性がある以上、摩利は、念には念を入れて治癒魔法ではなく、手に持っていた応急処置キットを使うことに決めた。不思議だが、彼は会話も問題なく、直立不動で立っていられている。

 

「君はどういう体をしているんだ………?」

 

半裸にして傷口をまじまじと見ると、そんな率直な感想は頭の中で考えるだけでは終わらず、声に出てしまう。人差し指が入りそうなほどに大きな、スラッグ弾が撃ち込まれたと思われる銃創。腹を左から右まで切り開かれたような、あるいは切り裂かれたような切り傷。胸の刺し傷は背中まで到達し、背中で内出血のように青くなっている。

 

「俺じゃない。オスカーだよ」

 

エタノールで消毒され、傷口に塩を塗られるような痛みでも涼しい顔で、そう答える。

 

「オスカー?あの黒猫のことか?だが、どういうことだ?」

「あいつは半分が機械で出来てる」

「………は?」

 

しかしそれを聞いて、思わず摩利の手が止まる。そんな馬鹿な、と一蹴しそうになるが、もう今は彼にそんなことを言っていられない事態なのだ。

 

「ってマズイ!血が止まらない!!」

「適当になんか貼り付けとけばいつか止まるよ。そんなことより、オスカーは機械ってもそんなメカメカしいもんじゃない。有機回線を埋め込んで、ニューロンネットワークとワイヤレスで接続すれば、簡単に動くスパコンの出来上がりだ」

 

血が止まらない、という摩利の焦燥を、そんなこと、という一言だけで彼方へ。彼にとっては自分の怪我はそんなことらしい。

 

「………なあ」

「あ?」

 

それもまた気がかりだが。それよりもまだ引っかかることがあるのだ。

 

何故だか分からないが、この時摩利は根拠もなく、今聞けば修平が疑問に答えてくれると、理屈ではなく直感ひとつでそう感じたらしい。そして、傷口を消毒して塞ぐを繰り返しながら疑問を呈する。

 

「君の人格が分割されたことは分かった。一体何等分されて、それぞれどんな特徴があるのか。よければ教えてくれないか?」

「………別にいいが」

 

自分の直感も捨てたものではない。きっと彼女はそう思ったろう。それが直感ではなく運であることに気付くまで、そこまでの時間はかからなかったが。

 

「つっても、全部見てるだろ。今と、軽薄でノリが軽い奴と、なんちゃって方言話者と、意味不明なワードサラダを吐き出す奴。これで全部だよ」

「どうしてそうなったんだ?」

「その前にひとつ言っておくことがある。結構衝撃的なカミングアウトするから、深呼吸しておけよ」

「え、何だそんな、急に———あ、ちょっと待て!」

 

摩利の治療の途中で、修平はしっかりとした足取りで倒れるガスマスクの元に寄っていく。

 

「準備はオーケー?」

「あ、ああ………だがどうしたんだ?」

「実はこれを伝えるのは誰でもよかった。あんたじゃなくても。十文字、市原、中条。名家と通じてそうなのはこれくらいか。というか通じてなさそうな同級生でもよかったし、何なら七草本人に言ってもよかった」

 

やけにもったいぶる。修平が自分で衝撃的なカミングアウトと言っていただけに鼓動が早くなって息が上がり始める。戦う時とはまったく違う緊張感、未知を目にする前の、旺盛な好奇心と恐怖心の狭間で心が苛まれる。

 

「人格が四つに分かれた。支配率はそれぞれ軽ノリと今が40パーずつ、方言と支離滅裂野郎が10パーずつに。じゃあ分かれる前、100パーだった時はどんな奴だったか?」

 

レインコートのフードを取り、ガスマスクを剥ぎ取る。

 

「……………」

「こういうことだ。まったく馬鹿のせいで、エガちゃんに乗じて来やがった。あいつのせいだ、あのクソ女が手引きしやがった」

 

ただの死体。言葉にするならただそれだけ。しかしディテールは、摩利の想定した衝撃を軽く上回ってしまうほどのものを彼女にぶち当てた。

 

「な、なん………いや、どう、どうして、何なんだこれは………」

 

口を手で覆い、ショックを隠そうとするが。実はその行動が最もショックを受けた人間の姿勢であることに気付かない。それほどまでに、頭を揺らしたような混乱が彼女を襲った。その顔を、知っていたから。

いや、知っていたというのは少し語弊がある。より正確に表すならば、今も知っているし、何なら目の前にいる。

 

「楡井君………!?」

 

口から血を流して倒れるガスマスクの正体は、他ならぬ楡井君修平自身であった。

 

「どういうことだ!ふた、二人!楡井君が二人いる!!」

「まあ落ち着きなよ」

「これが落ち着いていられるかッ!!!」

 

このまま目を手で覆って逃げ出したい衝動と、知るべきという第六感が対等にせめぎ合ったのは初めてかもしれない。そして、とにかくパニックが苛む今、冷静沈着な修平の言葉に流されてしまいそうになる。

 

「おま、おま、何だそれは!ドッペルゲンガーか、クローンか!?いやいやいやおかしい!おかしいぞそれはッ!!」

「いいから落ち着きなよ」

「馬鹿か君は!!!」

 

同一人物が二人いる。世界には自分のそっくりさんが三人いるなんて迷信は、摩利の中から吹き飛んだ。そして彼女は、敵の無力化に手慣れているという意味で実戦慣れしている。人が死ぬというパニックの累乗で、当たり散らすようにして蓄積するフラストレーションを発散させようとしているのだ。

 

「こんな………これは、どういうことなんだ………」

 

徐々に激情が収まり、声が弱々しくなっていく。

 

「あ」

 

遂には脳が処理限界を迎え、安全措置として意識を無理矢理シャットダウンした。摩利は目眩が酷くなったようで、頭を抑えながらその場にうずくまり、やがて意識を手放してしまった。

 

「………やっちまった」

 

一人、自省する修平を残して。

 

最早結果を迎えてしまったので、どう悔いても後の祭り以外に浮かぶことがないのだが。知りたがっているのだから、知らせてあげようというのは浅はかが過ぎた。

さて、行動不能になった人間が一人増えた。どうするべきかと、その場に座り込んで暫し考え、修平は答えを引き出した。

 

「ヴォイテク、摩利ちゃんぬは任せた。俺はこいつの後処理をする」

 

体長1メートルに満たない子熊。しかしヴォイテクは、器用に二本足で立って、摩利の脇の下から前足を通して引きずっていく。後々の制服の洗濯は面倒を極めるだろうが、彼にとってそれはそれ、これはこれ。野ざらしにしないだけ感謝してほしい、と言い訳と正当化を済ませたところで、ガスマスクの男………もう一人の自分に向き直る。

 

「分かってるよ。自分で作った癖に勝手な真似しやがって、だろ?でもな、お前と俺は体は一緒だけどそれ以外は違ったんだ。俺だって、まさかあの時は自分とケンカするなんて思わなかったし、こんなことするのだって罪悪感もあったんだぜ。だけど………」

 

目を見開いて苦悶の表情を浮かべる彼に、修平はエンゼルケアを施す。しかしその顔は、とても安らかにさせてあげようと考える男の顔ではない。

 

「もう少し論理的に考えろ。七草真由美は殺さない。()()()()()()()()()()()()だぞ」

 

火の灯ったマッチ棒は、橙色の明かりで修平の顔を不気味に照らした。

 

◆◆◆

 

長い。この学校の廊下は、こんなに長かっただろうか。真由美は運動不足を呪いながら、ひたすらに廊下を駆け抜けた。こんなことなら走り込みでもしておけばよかったと、過去の自分の魔法一辺倒だった姿勢を今になって顧みても、遅いのだが。

 

『摩利!十文字君!急いで修平君を探して!!殺されちゃうかもしれないわ!!』

 

まさかそんな、とは思いたかった。真由美自身も、あんな風に声を張り上げながらも、どこか自分の想定する最悪のパターンは、空想の産物のように思えてならない。しかし、レインコートにガスマスクという組み合わせで彼女の思う最悪の考えには王手がかかってしまったのだ。

 

『負傷した。ちょっと内臓が使い物にならなくなった以外は軽傷だ』

『そういうのを重傷って言うのよ!!』

 

やはり、ガスマスクは修平にとっても天敵だった。当然だろう、あれは紛れも無い自分自身なのだから。自分自身だから誰よりも知っているし、行動だって読めることだろう。今の彼に限って負けることはあり得ないだろうが、痛み分けの可能性がどうしてもこびりついて離れない。

 

彼女の頭に思い起こされるのは、過去の過ち。今はそれよりも、生徒会長として学校を守る責務があるはずなのに、どうしても過ちを犯した十師族という考えを、頭が都合よく切り離してくれない。

 

「……………」

 

結局、有名各家の陰謀に巻き込まれたものではないか。保健室に向かったところで、陰謀の首謀者は被害者にどんな言葉をかければいい?

 

(今まで私、どんな風に話してたっけ?)

 

遂に足がピタリと止まる。

 

「ッ………ふ………うう………」

 

彼はきっと、今回の襲撃で改めて自分が何をされたのか、その結果に向き合うこととなるだろう。その時になったら、今まで通り表面上の和解さえも困難になる。そうなったら、また命を狙われるのではないか。そんな利己的な、保身しか考えられない自分が嫌になる。

 

あの子は涙が枯れてしまったのに

 

あの子は悩みを自分なりに解決して前を向いたのに

 

あの子は被害者で、七草(わたし)は加害者なのに。

 

私に泣く資格なんてあっただろうか。真由美は両手で目を覆い、溢れ出るものを何とか隠そうとした。

 

「うう………ふふ………ふふふ、あはは………」

 

そして同時に酷く滑稽だ。うずくまって顔を両膝にうずめ、しやくり上げるようにして笑う。そう、復讐に駆られながらも修平は前進し、真由美は手を下してボロボロになった。彼の策略によって見事に逆転してしまっている。そんな考え足らずな自分が喜劇の道化のようで笑えてくる。ここに笑ってくれる人間でもいたら、彼女はきっと大笑いしていただろう。

 

「何してんだお前」

「あえ………?」

 

怪訝そうな顔でうずくまる真由美を、修平は見下ろしていた。慌てて目をこすって涙を拭い、立ち上がる。血まみれなのは多少の驚きはあったものの、彼をよく知る真由美からすれば、驚愕よりもまたかという呆れの方が強い。

 

「修平君………」

「そうだよ。来るっつって来ねえから、こっちから行ったわ」

「……………そっか。ゴメンね」

「別にいい。渡辺は安定してるから、俺がこうして外してても問題ないからな。状況はどうなってる?」

 

目を腫らす真由美にあえて触れようとしない修平は、いつものようにぶっきらぼうに話す。分からない筈はないだけに、行き場のない羞恥心が彼女を襲うが、それをそっちのけで修平は会話をする。

 

「うんとね。侵入してきた敵はほとんど無力化したわ。十文字君と桐原君のおかげで図書室の方も無事だし。今十文字君が主導で、今回の首謀者を叩く計画があるの」

「そらまた、高校生らしくない発想だな」

「うん。それでね、出来れば、そのお〜………」

「………言っとくが、協力はしねーぞ」

「そんなあ………そこを何とか、ね?」

「……………チッ」

 

まだ昨夜の遺恨は消えていない。だからこそ、そういう()()()には弱い。

 

「………姉ちゃんに頼む。今回だけだからな」

「ありがとう。助かるわ」

 

渋々といった様子でスマートフォンを取り出し、歩きながら通話をする様子は、やはり思春期ながらも仲のいい姉弟といった様子で、修平は若干声を荒らげながらも姉を気遣ったり、姉もまた心配だと身を案じたり。美しい、姉弟愛である。

 

「やってくれるって」

「助かるわ。お姉様がいれば百人力ね」

 

自分とは、正反対。だからこそ美しい。彼女はそんな感情を押し込めて、彼の望むように話す。

 

「わざわざ学校から送り出す必要がなくなったな。十文字は防御を固めてるんだろ?」

「ええ。修平君にはあんまり関係ない話だけど、彼の防御は凄いのよ」

「本当に関係ねえな………。俺はもうすることないだろ?」

「いいえ。まだ残っているわ。右脚を引きずる彼女の件が」

 

望むことは、彼女の話。右脚を引きずる、あの不審者の話だ。少なくとも今の彼には、学校が襲撃されるより、その首謀者が征伐されるより、遥かに魅力的なのはそちらの方だ。やや勇み足になっているのがその証拠。保健室に看病担当として真由美を置き、自分はさっさと不審者を捜索したいというのが早足の理由だろう。

もう一人の自分とは決別したのなら、あとは彼女との遺恨を断ち切るだけ。彼は今、自分以外の全てを顧みない状況にある。

だとすれば、危険ではないかと真由美は呼び止めようとするが、後悔先に立たず。止まれない状況が出来てしまった。事態の沈静化を急ぎ過ぎた、と彼女は頭を抱える。

 

とにかく摩利を起こして、一緒に説得を———

 

「はあい」

「ッ………」

 

出来ない状況になってしまった。

 

「………てめえ」

 

招かれざる客は、まさにそこにいたのだから。その不審者は保健室のベッドで呑気に寝息を立てる摩利の側に立ち、見るものを落ち着かせる穏やかな笑みで、彼女に銃口を向けていた。

流麗な黒髪をハーフアップでまとめている彼女は、やや垂れた柔らかい目付きと浮かべた微笑のおかげで柔和な雰囲気を醸し出しているが、全身真っ黒の服装と手に持つ得物のせいでそれはぶち壊されている。

 

「楡井様………いいえ、『コーウィン』様。お待ちしておりました。いいえ、来たのは私ですが」

「今さら何しに来やがった。そこで馬鹿みたいに安らかに寝てる女に傷ひとつ付けてみろ、今度動かなくなるのは右脚だけじゃねえぞ」

「………そう」

 

悲しげに俯く彼女は、しかし。拳銃のグリップを強く握りしめる。

 

「誰が貴方を誑かしたのかしら。貴女?それともそこの、薄汚い自称エリートかしら」

 

———だからコイツは嫌いなんだ!

 

苦々しく歯噛みする修平の顔が全てを物語る。最早彼女と接する時は、話が通じるという前提を己の中から完全に排除しなければならない。懐から拳銃を抜いて女性の眉間に照準を合わせる。一方で女性は、照準を合わせる対象を絞りかねているようだ。十師族のネズミと、そのお付きの人間に。

 

「いいか。もうセーフティーは外してるだろうからその先を言っとくが、引き金を引いた瞬間倍の数てめえにぶち込む」

「いやだわ、そんな。言葉が物騒なのは相変わらずですが、向ける相手を間違えていますよ」

 

そうにこやかに笑って、修平の背後を銃で差す。小動物のように縮こまる真由美を差しているのは明白だが、彼は背後に目を向けて、再度女性を見る。

 

「言いたいことは分かるが、間違ってないな。今はこれでいいんだよ」

「……………へ?」

「ああ、パニクるよな。俺も多分三年前くらいならビックリ仰天してひっくり返ってただろうさ」

 

修平は自嘲気味に笑う。真由美を庇うようにして立つというのだから、事情を知らない不審者の女からすればひどい矛盾に見えて仕方がないのだろう。

 

「………やはり誑かされたのね。それとも洗脳?ここの二科生にやったように。四葉とかいうエリート気取りの脳ミソスポンジ野郎どもが手引きしてるのかしら」

「どういう意味だ」

「あら、お耳が早い楡井様にしては珍しい。実は私、ずっとこの学校に目を付けていましたの」

「だからこの辺ウロついてたのか。俺の情報はオマケだったわけだな」

「言い方を悪くすれば。しかし私も苦渋の決断でしたが、それを下すことで期待以上の情報を得ら———」

 

ダァン、と火薬の炸裂する音。螺旋回転する弾丸は発射されると窓ガラスに向かっていく。しかし、甲高い金属音を奏でただけで、銃弾は潰れてポトリと床に落ちる。

 

「………オスカーちゃんも一緒とは」

「分かったら全部話せ。隠してもいいぞ、俺に通じると思うなら」

「うふふ、強引な方」

「てめえが引っ張ってくる情報はムカつくほどに正確で貴重だ。だから話せ。変な気は起こすなよ」

 

人をなぶり殺しにしそうなほどに厳しい形相の修平、片や余裕そうに穏やかに笑う女。表情だけ見れば、心理的に優位に立っているのは女に見える。というより、そう見せる意図が彼女にあるのかもしれない。

 

それでも、真由美は見逃さなかった。明らかな女の変化に。表情も、姿勢も、言葉も変わらない。

 

だが拳銃を握る彼女の手は、小刻みに震えていた。




四等分された修平。


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純・破・急

最初の方を加筆修正しようか、悩み中。


「話せ。知ってること全部」

 

保健室には緊張感が張り詰めている。

 

そんな感想しか抱かなくなった自分の鈍さを心の中で呪いながら、真由美は、逃げ出せずにいた。恐怖で足がすくんだとか、そういうことでは決してない。ただ、ここから逃げたら今度こそ自分は人として終わってしまう。

 

———償えなくなる。

 

そしていつしかそれを忘れてしまうという、自身のエゴに対する嫌悪感が、その場に留まらせたのだ。目前では、張り詰めた緊迫感の中で修平と女が睨み合っていた。いや、彼女は修平の言葉に従って情報を話すので形勢は若干彼の方に傾いているが。

 

「優秀な魔法師を育成し輩出するのは国家を挙げたプロジェクト。さらなる魔法技術飛躍のために、その対抗手段を持つ楡井様がこの学校に入学することを許可されたことはご自身もお気付きのほどと存じますが、水面下では十師族の対立が激化しています」

「だろうな。三年前もそれで割れたんだから、三年かけてようやく再始動ってところか?」

「いいえ。三年前とは違った理由です。三年前は単なるリスクヘッジ。使い方によっては戦略級魔法を容易く無力化する楡井様の発明そのものへの脅威からですが、今は違う。いや、寧ろ真逆といっていいかもしれません」

「………どういう意味だ?」

 

そしてその辺りの情報を修平が握っていないと知るやいなや、女は急に饒舌になる。それでも手の震えは収まることないが。特に彼が睨みを効かせると、特にそれは隠しようがないほどにビクリと跳ね上がる。

 

「楡井様と和解したがった理由は、それはもう両手の指で数えられないほどですが、代表的なものは三つ。楡井様の報復が堪えたから、技術利用に舵を切ったから、もう一つは………第一高校への工作との両立が難しくなったからです」

「………続けろ」

「元々第一にある十師族の席は、七草と十文字の二つだった。そこに割って入るように、師族間の連携強化などと心にもないことをのたまって席を持って来やがった家があります。それが四葉です」

「四葉………」

 

驚嘆した、というより恐れたという方が正しいかもしれない。七草の正統な後継者となる真由美のもとには、世界の深層に関する情報はよく届く。それこそ、目の覆いたくなるような残酷な真実も。それはきっと、政府と不可侵条約を結ぶような立場にある数字付きの家系だからこそ、という自覚も。だからこそ、この女は知り過ぎている。

 

一体どこから?一体誰が?そもそも流して得るメリットなんてたかが知れているのでは?

 

しかしここは、すぐにでも家に連絡したい衝動を抑え込み、話を聞くことにした。

 

「深いのか浅いのか、その辺りは不明ですが、四葉と関わる人間が新入生にいることまでは突き止めました。案外近くにいるかもしれませんよ?あるいはそこで、虎視眈々と楡井様の首を狙っているのかも」

「なるほどな………それで、お前の用事はこれだけか?」

「ええ。後は()()を済ませるのみです」

「私用とは?」

「お分りでありませんか?」

 

にこりと、満面の笑みを浮かべる彼女は絵画のように美しかった。

 

「害虫駆除をして、貴方の洗脳を解くんですよ」

「たくましい妄想しやがって、このクソアマ」

 

言葉さえなければだが。こめかみに青筋を浮かべて怒りを露わにする彼女は、笑顔の裏で凄まじい怒りを煮え滾らせていた。

 

「魔法科高校に入学するなんて、気が触れたと思いました。でも今こうして、そこの女狐を庇う貴方を見てハッキリしました。弱味を握られたか、頭の中に入り込まれましたね?まったく数字付きらしい姑息な手段です。しかしご安心を、この私、コーウィンの忠実なる僕にございますので、立ち所に撃ち殺してご覧にいれましょう」

「やめろっつってんのが聞こえねえのか」

「そう言わされているのですねッ。何とも卑劣な、私の師を手駒にした罪は重いですよ。その命をもって償いなさい。ここが貴女の墓場———」

 

本当に、言葉さえなければ交渉の余地があると思える現場に早変わりするだろう。だって女はあんなにも笑顔なのだから。

 

再び、破裂音。今度は床に向かった一発だが、やはり床が穿たれることはなく、弾頭がキノコのように潰れて転がった。

 

「……………」

「話をしようぜ。な?」

「………」

 

不意打ちでの発砲は、ある意味ただびっくりするよりもダメージが大きい。具体的に言うと、真由美の跳ね上がった心臓がまだ痛い。

だからまあ、強い人間に縋りたくなるというのはごく自然なことなのだ。真由美は修平の体にしなだれかかる。

 

「ゴルァ女狐!なァにイチャつこうとしてんですか私の目が届かないとでも思ってんですか!?」

 

が、それを許さないものが約1名。口を尖らせて同一人物とは思えないような口汚さで威嚇する。修平が壁になっていなかったら問答無用で撃ち抜かれるか鉄拳で打ち抜かれるか、いい結果とはならなかっただろう。

 

「私、怖いぃ………」

「こんの………つけあがりやがって………」

「じゃあ調子付かせないためにも得物は下ろせ」

「ますます調子に乗るじゃないですかッ。貴方の後ろで泣き真似してんのは万能の魔法師ですよ!?」

「こいつが勝てるわけねえだろ。いいから、こっちは話すことがあるんだよ。殺気立つと大人しく()()()ぞ、脳内スポンジ女」

 

それが彼女の沸点に点火してしまったのか、女は震え出す。今までの恐怖によって引き起こされたものではない。明確な怒りによって。

 

「ふふ………貴方を救いに来たんですよ、私は。三年前のように尊厳も権利も踏みにじられてしまってからでは遅いと。それなのに貴方は、よりによってそのように迷妄なさったか!!」

「学ばないな、お前は。だからやり方も粗いままなんだ。今までその情報源に何回ケツ拭きさせた?」

「それとこれとは話が別です」

「そうかよ。頭の出来の差って意味じゃ関係あるだろ。こいつは生かしとかなきゃならないんだ」

「馬鹿な。あれだけの不条理を、身勝手を、許すおつもりですか!?その女は当人でないから仕方ないと!?」

「そんなわけあるか。当人じゃなくても当人の家である以上一定の責任は負ってもらう。だから生かしておくんだ」

「意味不明です………!」

 

噛み合わない。というより、修平の方が噛み合うように喋らせないのだ。噛み合うともなれば、それは女が修平の真意に気付いた時。しかしそうではない限りこの二人の決定的な意識の差が埋まることはない。そうした意味で、彼は試しているのだ。気付けるか否か、合理化出来るか否か、そしてその過程で、余計な一時的感情をコントロール出来るかを。

 

「そうか?」

「………もういい。その脳ミソ取り出して、新しく付け替えて差し上げます。そうすれば前の貴方に戻るはず………」

「おお、やる気じゃねえか。やってみろよホラ。フルパワーでケチョンケチョンにしてやる」

 

まさかよりによってここで激しいガンファイトでも始めるのかと、真由美は思考より先に行動に出た。キュッと彼の左手首を掴む。

 

「ねえ………」

「うるせえ。こっちだって考えなしじゃないんだ。お前はあそこで寝てる男女を引きずってでも連れ出せ」

「修平君はどうするの?」

「それくらい分かるだろ。あいつと俺のお楽しみだ。お前は邪魔すんな」

「………ここで?」

「来ちまったもんは仕方ないだろ。エリート気取りの魔法師のタマゴが勝てるような相手じゃない。命が惜しいならここはしばらく封鎖しろ」

「………分かった」

 

それを振り払って、修平は真由美を外へ追い出そうとする。すやすやと寝息を立て始めた摩利と一緒に。巻き込まれて取り返しのない結果になる前にここから逃げろという言葉に置き換えられたのは、きっと彼女の都合のいい思考パターンだろう。この期に及んで、と真由美は自嘲して彼の前に出る。

 

「死ぬ決心が?」

「お前の相手はそっちじゃねえだろ。こんなの殺したところで損を背負うだけだぞ」

「………分かりました。わざわざ人質を取る必要も省けた。私が貴方を正気に戻します」

「俺は生まれてからずっと正気だよ。心意気は買うが、お前今まで一度だって買ったことねえだろうが」

 

残念ながら、真由美に人一人を担いで機敏に動き回るだけの筋力も体力もない。姿勢を変えたり力の入れ方を変えたりと手間取りながら人間の体重と戦い、もたつきながらも保健室の外に出た時には息も絶え絶えといった様子だった。情けないとは、言うまい。元から彼もそこまで期待していなかったのだから。

 

「これでいいか?」

「視界から消えただけでも、良しとしましょう」

「決戦にはもうちょっといい場所だってあったろうに。悪いな、こんなとこで」

「いいえ………ここにある薬で、麻酔くらいは作れます。貴方から、教わった知識で」

「バイオレンスなお嬢様だこと」

 

修平は嘲笑うように、フッと鼻を鳴らしながら笑い、拳銃の弾倉を抜く。

 

さて、一見するとこの関係性は、自身の妄想を叶えんと手を下そうとする女と、それから逃れたい修平に見える。それはそれで正しいのだが、彼にとってはそれだけではない。

 

「無粋なモンは下げようか」

 

先に動いたのは修平だった。最低限の動作で拳銃を投げ付け、前進。今度は弾倉を投げ付けて前進し、女がそれらを避けて体勢を立て直す頃にはトップスピードまで加速、そのまま速度と勢いに任せて飛び膝蹴りを喰らわせる。初撃が決まってからは、女の姿勢が崩れているうちに右腕を捻って拳銃を床にはたき落とし、蹴って隅に滑らせる。拳を何度も叩き込んでいった。彼女もまた、不意打ちに限りなく近い状態から攻撃を受けたにも関わらずある程度執拗な彼の攻撃を受け流せているのだから常人離れしているが、それでも彼の手数の多さに押される。そしてそのまま無力化するために肩固めをかける。

 

「楽しもうぜ。銃なんてあったら一瞬で終わっちまうだろ。興醒めをいいところだ」

「あの憎たらしい七草の女狐に、何を吹き込まれたんですかッ」

「何も吹き込まれちゃいねえよ」

「嘘ッ!!ならばどうして、殺さないどころか守るなどという暴挙を!?」

「それが分からんとは半人前だな。まだまだ2代目『コーウィン』への道のりは長いぜ」

「ッ………」

 

その修平の言葉で、彼女の心に火が着いた。左腕を使って強引に修平を引き剥がし、一発蹴りを腹に入れられながらも肩固めを外して反撃に入る。しかし、彼は彼女のストレートを受け流し、フックとアッパーカットをスウェーで回避し、なおも余裕の表情のまま数発を彼女の体に打ち込む。

 

「何故………」

 

苦悶に歪む彼女の顔は、言葉よりも様々なことを物語る。

 

「拳銃抜く前にそうやって聞いてくれたら楽だったんだがな」

「…………」

「話を聞く気になったか?」

「貴方に………寄り付く害虫を………」

「強情なヤツめ。俺はピンピンしてるし頭の中も健全そのものだよ」

「ふざけないでください。では何故、アレを庇うのですか!?惨たらしく、時間をかけて、生まれてきたことを後悔させながら肉を削いで殺してくださいよ!三年前から貴方はそうして魔法師を減らしたではありませんか!!」

 

喉が裂けんばかりの絶叫。先ほどまでの、笑顔をピッタリと貼り付けた余裕綽々な態度は最早完全に反転し、今の彼女は完全に自身の感情をコントロール出来ずにいる。それを眉ひとつ動かさずに聞いた修平は、悟すように言った。

 

「何か誤解してるが、俺は許そうなんて気持ちはこれっぽっちもないぞ」

「でしたら、何故ッ………」

「きっとお前の予想と俺の発想は完全に逆なんだよ」

「……………何ですか、それ」

「仕方ねえなあ、特別に教えてやるよ」

 

ニタニタと意地の悪い笑みは、彼女の頭に映る修平と変わらなかった。それは何よりも現実感を伴っていた。

 

◆◆◆

 

一方で、真由美は自身の筋力の低さを呪いながら摩利を引きずっていたところ。

 

「んん………!私って、こんなに力なかったかしら!?」

 

あるいは人の体重がどれだけのものか見誤っていたか、あるいは………

 

「甘いものでも食べ過ぎたのかしら、摩利………?」

 

そういうことにしておけば、いくらか心持ちも違うようになるというもの。

しかし、力の入りにくい姿勢というのもあるだろう、こんなことならいくらスパルタでも修平に体を鍛えてもらうんだったと一抹の後悔がよぎり、ヴォイテクであれば運ぶのに1分とかからないであろう期待を抱いた頃。

 

「会長?」

 

何とも都合よく助けはやって来た。任務を解かれた達也とバッタリ鉢合わせたのだ。

 

「ちょ、ちょっとヘルプミー」

「………了解しました」

 

根掘り葉掘り聞くことなく、達也は状況だけを見て端的に言った。さすがに先輩を引きずるのはマズイと、所謂お姫様抱っこで持ち上げる。

 

「ありがとね〜。助かっちゃった」

「構いませんが………渡辺先輩は保健室で休んでいたのでは?」

「ちょっとあってね。退避してきたの」

「どちらに運びましょうか」

「どこかソファに。生徒会室にあったかしら。今回の襲撃事件に関する報告も、そこでするから」

「了解しました。そういえば修平は?」

 

思わず流れでいつものように笑顔で応対しようとした真由美に、浮上する記憶がそれに対してストップをかける。

 

新入生の中に、()()四葉家の関係者が———

 

となると、マズイ。何がマズイって、それはもうマズイ要素があり過ぎるのがマズイ。とにかく修平と行動を共にしていた新入生は誰も信用しないというスタンスで、やり過ごすことにした。

 

「さっきオスカーちゃんがいないって言ってたわ。探し回ってるんじゃないかしら。そうだ、見つけたら司波君も彼に教えてあげて」

「そうでしたか。分かりました」

 

四葉の関係者がいるからどうなる?彼にとってどんな害になる?それは彼女にも漠然としか分からない。だがそれは逆に言えば、彼女は害になるというところまでは分かっているのだ。発言力で七草と拮抗する彼の家は、何かと黒い噂が多過ぎる。デマも紛れてはいるだろうが、火のないところに何とやら。そう呼ばれる所以は確かに存在するのだ。このままこの話題で続けるのは大変よろしくない。

 

「そ、れ、と。私が四六時中彼と一緒にいるなんて思っちゃダメよ」

「そうは思っていません。ただ、あえて言葉を選ばないとすれば、寂しがっておられるのではと」

「そんなことありませ〜ん。あの子ったら言葉は乱暴だし、私のこと歳上だと思ってないし、たまにグーで殴られるし」

「………そうですか。それがお嫌でしたら、俺が友人として注意しますが」

「いーのいーの。あれはもう、そういう性格なんだって割り切ってるから」

 

我ながら卑怯なやり方で捻じ曲げたと思うが、彼女はとにかく抵触するラインにまで話を変えた。探るために。

 

「私の話、どう思った?自分でも酷い話だと思ってるけど、貴方はどう?」

「自分ですか?そうですね………」

 

彼の身の上話には、必ず十師族が登場する。史上最悪な悪役として。それを聞いて家への忠誠心が表へ出るのか、出ないのか。真由美はそれを探ろうとした。

 

「失礼ながら、当然だと思いました。修平が会長を殺さない………いや、死なせまいとする理由も、復讐に染まるのも。あれほどまでに惨い話を聞かされては、果たして魔法師に正義などあるのかと、疑いたくなってしまいます」

 

まるでカンペを読んで話しているかのような模範解答。なるほど、仏頂面を貼り付けているだけかと思えば、彼はどうにも手強いらしい。真由美はアタックを仕掛ける。

 

「私はね、彼にあんな酷いことが起こってから、本当に今の七草家は正しいのかってずっと考えてるの」

「………それは」

「ここだけの話、二十八家がこれ以上彼に理不尽な理由て犠牲を強いるつもりなら、私は七草の名前を捨てても構わない」

「ッ………そんな、まさか。自ら数字を捨てるのですか?」

「いいえ、ちょっと違うわ」

 

これが彼女にとっての渾身の一撃なのだ。これでどうともならないのなら、後は野となれ山となれ。それほどにこの発言が、何を意味するのか、自分自身でもよく分かっているつもりだった。

 

数字落ち(エクストラ)にもならない。完全に数字付き(ナンバーズ)との関係を絶つわ」

「……………本気、ですか?」

「ええ」

 

一瞬驚いたような素振りは見せたが、別に十師族と関わりがなくたって驚くような言葉だ。放棄した権力は表立ったものだけ、裏では政府との密約を交わすほどに強大な力を持つ家柄で、得られる恩恵は計り知れない。それを捨てると言うのだから、魔法師とそれに関する知識を持つ人間ならば声をあげて驚くだろう。それがなかっただけ、達也は凄まじく冷静なのだ。

 

「何故そこまで………」

「可能性の話よ。あくまで、彼がそれを望むならっていう話」

「望めば、捨てるのですか?」

「当然よ」

「………それが、償いだから捨てるのですか?」

「ええ、そうよ」

「修平はそれを、どう受け止めたのです?」

「………もちろん、彼も止めたわよ」

「七草が空席になるからですか?」

「いいえ、違うわ。もっと人間らしい理由よ」

 

そこまで言ったところで、生徒会室は目前のところまで迫った。核心を突かないもどかしさが達也の心に残ったものの、今はそれより優先すべきことがある、とした。

 

「七草」

「十文字君、お疲れ様。ごめんなさいね、急にストップかけちゃって」

「構わない。反攻作戦とはいえこちらから攻めにかかるのは、正しいか迷っていたところだからな。………渡辺は保健室じゃなかったのか?」

「ちょっと保健室が使えなくなって。摩利はソファに寝かせておくから、始めましょう」

 

達也は言われた通りに摩利をソファに寝かせた。まではいいのだが、真由美がこの部屋から出て行って欲しいの代名詞、ご苦労様をいつまで経っても言わないまま会議は始まってしまったのだ。

 

「自分は失礼しても?」

「ああ、ちょっと待ってて。貴方にはまだ用があるの。それと防衛に参加した生徒としても話を聞くから」

「了解しました」

 

生徒会のメンバーが集まる様にも、もう慣れたものだ。達也は場違いを承知で各方面に指示を出す真由美を観察する。

 

手慣れたものだ。その高校生離れしているリーダーシップも、きっと七草家次期当主というとてつもないプレッシャーに流されて身に付いたものなのだろう。

 

………本当に、そうだろうか?

 

彼女は、贖罪の果てにあらゆるものを失う覚悟をしていた。聡明なのだ。だからこそ、それによってどんな結果が自分に降りかかるかを完璧に予知しているだろう。無用の長物となるそれを、何のために身に付けているんだ。

 

自分の頭に浮かんだ可能性を、彼は首を振って拒んだ。あり得ない。

 

「さて………司波達也君」

「はい」

 

指示を出された全員が生徒会室から退室し、部屋に二人きりとなった。彼女はえらく改まった様子で、達也を見上げる形で見据える。

 

「今回はありがとうね。貴方やお友達のおかげで、私達が想定していたより遥かに少ない被害で済んだ。建物の被害ね。人的被害は、死者がいないって意味でゼロ。本当に助かったわ」

「いえ、俺達は高校の生徒として当然のことをしただけですので」

「謙遜しちゃって。そういうところも妹さんにそっくりね。もうないとは思うけど、念のため第二波を警戒してちょうだいね」

「はい」

「それと………」

 

形式だけの話はもう終わった。真由美にとってそれは、あまりにも短か過ぎる戦いだが、ともかく自分は命を張るのだ。そう思うと中々素直に声が出ないが、無理やり喉をこじ開けた。怖気付いて許される段階はとうに過ぎたのだ。

 

「七草でも十文字でもない、十師族の()()()が彼を狙っているという情報が入ったわ。クラスメイト達とも共有して、貴方も気を付けてね」

「……………はい」

 

やや沈黙が長いくらいか。彼女が神経を張り詰めて一挙手一投足に注目していなければ気付かなかったほどの、ちょっとした誤差にさえ思えるほどの小さな綻びだった。

 

「さあ、早く早く。どうせ修平君は無茶してるんだし、私が止めないと!」

 

早足で、真由美は退室した。後に残ったのは、不気味な静けさと、まるでそこを支配するように佇む達也だけだった。

 

「………叔母上、俺です」

 

◆◆◆

 

保健室での戦いは、未だ終わらない。

 

「こんの、クソアマ………」

 

いい加減彼女のしつこさが天元突破して、ストレスまで暴発してしまいそうになるほどに、お互いがお互い拮抗していた。ジャブを身を屈ませて回避し、ストレートを受け流し、回し蹴りをスウェーで避ける。そうして避け続けて放つ修平のカウンターも、同じようにして女に防御されるか避けられるのだ。引き延ばし作戦が今となっては完全に裏目に出してしまったどころか、今度は修平自身がこの場に釘付けにされてしまったのだ。だからこの女は嫌いだと、心の中で悪態をつく。

 

「ああ憎らしい、恨めしい!罰という名目で、まるでダニみたいに楡井様にくっ付いて歩くなんて!重罪人の分際で!」

「うっせえ。普通に犯罪者が何言ってやがんだ」

「貴方がそれを言いますかッ!」

「言うんだよ。俺はもう()()じゃない」

「それで都合よく、殺しの過去から決別したおつもりですか?貴方の行いは、一生貴方に付き纏いますよ。魔法師どもは徹底的に叩くつもりですよ。無駄でしょうが」

「……………」

 

今まで饒舌だった彼の口が止まる。それにしびれを切らした女は素早く後退し、声を荒らげた。

 

「答えてください、『魔女狩り』!!本当に貴方は魔法師の敵なのですか!?」

 

保健室の扉が開き、彼の友人の耳にそれが届いたのは、驚くことになんと偶然だったのだ。



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新生の決壊、狂気の瓦解

たまにアプリが落ちたりキーボードがバグったり萎えたりして感想の返信ができませんが、私は元気です。感想見ては嬉しくてニヤニヤしています。多分近いうちにまた再開できる。


保健室の扉が開く。それがまったくの偶然であることは、女の表情が何より物語っている。あまりに突然の介入者に目を丸くして驚き、構えたまま固まっていたが、それが天恵だとばかりに白い歯を見せて口角を吊り上げ笑う。それと反比例するように、修平の顔付きは厳しく、青ざめていく。

 

「修平?ちょ、どうしたのその血!?」

「て、手当てしなくちゃ!」

 

その突然の介入者というのが、一科生の光井ほのかと二科生の千葉エリカ。よりによって友人と呼ぶ存在が扉を開けてしまったのだ。そして彼は、それを拒絶した。修平は、自分にこれほどの声量があったのかと自身で驚愕するほどの大きな声で、手当てをしようと近寄った二人を真っ向から拒絶した。

 

「来ないでくれ!こんな………こんな時に………君らにはこんな姿見られたくなかったッ………!」

 

これまでに見たことはないほどの狼狽。というより、隠したいものを隠せないというショックで混乱しているように見えた。敵である女に背を向けてまで友人達に何と言葉をかけてこの場をやり過ごすか、それに全ての神経を総動員させているようにも見える。

 

「修平君………と、とにかく傷の手当てをしないと、危ないよ」

「そうよ修平。そんな怪我じゃいつか倒れるわよ」

 

とにかく、生命の危機を最優先に。そうしてとにかく戦闘行動から離脱させる理由付けをさせたかった。しかし少々、その策は学生らしいながらもいささか浅はかだった。彼に考えさせるという行いは、様々な感情を揺さぶる要素が溢れたこの状況で、下策となってしまう。

 

「はははッ。あはははは!!あはははっははははは!!!」

「こんのアバズレ………」

 

彼女の狂気と狂喜が交錯して不協和音を奏でながらこだまする。今まで見せた怒りほどに怒りをぶちまける修平は、人格がどうだ、という域を超えてしまっている。懐から、隠し持てるサイズの回転式拳銃を抜き躊躇うことなく全ての弾を発射する。

 

「ははは………ああ〜………あははッ」

 

壁にぶち当たって吹っ飛ばされたように床に倒れ伏し、身体に開いた六つの穴から血潮を吹き出しながらも、彼女はまるで壊れた蓄音機のように笑いを漏らすばかりだ。

 

「ふふふ………。あっはは………。流石、魔女狩りの面目躍如ですね。一時はどうなるかと思いましたが、よかった」

「黙れ。ぶち殺してやる」

「その拳銃、学生の道楽で終わらせるにはもったいない仕上がりです。売りに出せば、本家を凌ぐのでは?」

「黙れっつってんだろ」

 

意外なことに、彼は口でこそ激情を隠せていないものの、その表情は決してそれだけで狂ったような怒りが見て取れるというほどの形相ではない。歯を食いしばり、眉をひそめているその顔は、怒っているというより苦悶で表情を歪ませているといった方が正しい。二人の構図はまるで逆転しているようで、再装填した銃を眉間に突き付ける修平は苦しみ、瀕死の重傷を負っている女は狂喜している。

 

「貴方の()()は不要です。さあ、ぶち殺してください。さもなくば、私があの二人を殺します」

「てめえ………」

「ふふふ………迷っておられますか。変わりましたね」

 

狂っているというのは、たとえここにいたのが二人でなく十人だとしても、全員が思うことだろう。問題はその狂気が外に向かっていってしまうことだ。非常に残念なことだが、彼女達は高校生、まだ大人ではないのだ。今までの敵襲が手緩かっただけに、彼女達には足りていなかった。殺すという直接的過ぎる言葉をこれまたストレートに投げ付けられるという恐ろしさを、忘れていた。まったく無双というのは恐ろしいもので、人の感情の大事なブレーキ役である恐怖を麻痺させてしまうのだ。

 

「ふざけんなよ………てめえッ、どこまで汚ねえ真似しやがる」

「大真面目です。大真面目に、貴方を魔女狩りに戻すつもりですよ。さあ、私が憎いのなら殺してください。そうすれば思い出す筈です。怒りに駆られて殺人を行う過去の貴方自身を」

 

徐々に、拳銃を持つ彼の手が震え始める。明らかに、追い詰められている。精神に攻撃を受けてもその動揺を抑えられないほどに。

 

果たして助太刀するべきか。今の今まで賊を相手に圧倒したせいで根拠のない自信を身に付けた二人、特にエリカはそう考える。確かに、修平との徒手格闘を見ても只者ではない。しかし、そうであるのは自分も同じ。彼の力を借りれば、ここで無力化も可能なのではないか、と、得物の伸縮警棒を持つ手に力が入る。

 

「ブランシュもエガリテも、理想論だけを語る唐変木ばかりでしたが、役には立ってくれました。混乱は収束しつつありますが、完全ではありません。貴方の実力で、この学校を壊滅させることなど容易でしょう」

「てめえ何がしたいんだッ。遂にイかれたのか!?」

「もう貴方と会った時からイかれてますよ。それに何がしたいだなんて、さっきもお話ししましたよ」

「……………」

 

歯を食いしばり、今すぐにでも撃鉄を起こしたい衝動を論理でどうにか抑え付ける。ここで撃ってしまえば、彼女の言う通りに狂人に成り下がってしまう。

 

「俺は、あれが間違ってるとは思わない。だけど、もう人殺しは無駄だって分かったんだ。お前にも話しただろ!だから七草真由美を殺さなかった!」

「それは納得しました。しかしこちらもお伝えした筈です。二年もの間私から離れた貴方が、正気を保っているとはとても思えません。だから戻すんです。荒療治ではありますがね」

 

沈黙は金。彼はそれに対して、何も言わない。ただ、変わらぬ敵意で、拳銃を向ける。どうしたって話し合えないことは分かっていた筈だが、それでも彼は話すことを諦めなかった。その理由は平和主義がどうとかそんな倫理がどうとか、そんな道義に溢れたものではない。ただこれ以上、友人である二人にとっての汚点でありたくないというのが()()の願いだったから。しかしその願いも砕かれてしまった。ではいかんともしがたいこの現状で狂気をのさばらせておくままとなるのか。それもまたそういうわけにはいかない。

 

「っしゃ!」

 

対処するに必要なのは言葉でないとは分かっていた。だからこそ行動に移るまでが早かった。彼は背中を向けると、脱兎のように走り出す。そして、呆然と立ち尽くすエリカと美月に対して、両腕でそれぞれを突き飛ばすように保健室の外へ出すと、扉を閉めた。

 

「健全な少年少女にゃ見せられん」

「………ああ、それでこそ、私が敬愛する方」

 

その後、エリカと美月が聞いたのは、一発の乾いた破裂音だけだった。

 

◆◆◆

 

その後、ニュース速報によって校外で起きた事態の全てが明らかになった。襲撃者が拠点にしていた廃工場に警察の特殊部隊が奇襲を仕掛け壊滅。エガリテは魔法師との戦闘を備えていただけに一般的な武器を使う特殊部隊に対してなすすべもなく、制圧には30分とかからなかったらしい。そして情報を掴んだある女性警察官は、この功績で賞与が出るそうだ。家族への報復という危険性から、特殊部隊に所属する隊員は素性を明かされない。だからこそ機密保持が可能になる。そんな特殊部隊の特性を生かした情報保全について流石というか、安定しているというか。そして更に、仕事についての言葉があった。

 

「それと、姉ちゃんから伝言だ。『この程度のはした金で賞与なんて、七草も随分ケチくさい名家になったものね』だと」

「………重く受け止めるわ」

 

生徒会室のソファーで寝転ぶ修平と、机に両肘を置いて両手を口元に持っていく姿勢の真由美。真面目と不真面目を体現した二人は、生徒会のメンバーを交えずに会話をしている。

 

「いやあホント………一時はどうなるかと思ったけど、新入生に強い子が多くて助かったわ」

「あーね。特に達也ヤバかったなー」

 

話題は、やはりというか、襲撃事件で活躍した金のタマゴ達、その中でもすでにその身を昇華させた達也についてだ。

 

「彼、強いわよねえ。才能なのか、専門家にトレーニングでもつけてもらってるのかしら」

「だろうな。じゃなきゃ高一でアレはありえねえだろ」

 

修平はまだ、彼の力の一端だけを垣間見たに過ぎない。服部副会長との模擬戦、今回の襲撃事件、そして『アイネブリーゼの帰路での襲撃事件』。しかし模擬戦は服部が油断していたせいで彼も本気を出し切ることなく勝利し、今回は強力な友人達のおかげでまたも本気を出さず、アイネブリーゼ帰りはそもそも戦ってすらいなかった。それでも、彼の実力は魔法師の中で随一だろう。それは、魔法による強さというだけでない。

 

「いやそれ………修平君が言う?」

 

もっとも、異端という意味では彼も間違いではないが。

 

「俺はいいんだよ。やってきた努力が違うんだから。まあ一番の脅威は達也で間違いないだろうけど」

「じゃあじゃあ、妹さんの方は?」

 

そしてこれから先は、単なる真由美の興味本位で、期待の新人達の実力を、信頼している人間の分析による見地から知りたいというものであった。しかし、彼は顔をしかめてそんな質問してんじゃねえよとばかりに苦々しそうな顔を向ける。

 

「あ、あら?」

「お前俺に何言わせようとしてんだよ」

「どうして……………あ、ああ………」

 

自分で言っておきながら、十数秒ほどたっぷり使ってようやく理解する。彼女は、現代魔法においての才媛である。その実力は圧倒的で、他の追随を許さない。処理速度、演算規模、干渉強度のどれを取っても前代未聞であるが、修平にとってはただそれだけの存在。

 

そもそも発動する魔法に対して確実な非魔法的アプローチなどということが可能なのは彼くらいなのだが。むしろ魔法を取り払えば、彼女は『同世代よりちょっとタフなただの女子高生』にしかならない。

 

「俺にとっての脅威は、魔法に頼り過ぎない奴。そういう意味ではレオとエリカの方が彼女より百万倍くらい恐ろしいね」

「分かってはいたけど、何だかもったいないわね。司波さんは魔法師の未来を変える存在になるかもしれないのに………」

 

それは修平の素人目から見ても分かる。十師族の太鼓判ともなれば、影響力は魔法師という世界にも響くことだろう。しかし、それもまたそれだけ。

 

「魔法師はそうだろうな。でも人類の未来は変わらないさ。何かを燃したいなら火炎放射器があるし、凍らせたいなら冷気噴射器(クライオレーター)がある。空飛びたいならジェットパックでお手軽に、永久機関はヘンダーショット式で証明済み、銃弾を受けたくないなら防弾チョッキでどうぞ」

 

彼の言葉は痛く刺さる真実というか、それを言ったらおしまいだよと言いたくなる言葉だ。加重系魔法の難題の一つに、空を飛ぶ魔法というものがある。しかし、空を飛ぶという難題はあくまで魔法に限った話。人類は、今から190年以上前に空を飛べるようになっている。普及している防弾チョッキは新素材によって、高速徹甲弾でも貫けないものとなっている。

 

そして加重系魔法の難題が解決されれば、魔法の歴史にとって革命となるだろう。発明者は魔法における天才と囃し立てられるし、それによって魔法は新たな進化を遂げるだろう。

 

しかしそれは、魔法にとっての進化だ。人類にとっての進化ではない。彼の言葉はそういうことなのだ。人は空を飛べるし、ヘンダーショット発電機を用いた永久機関も実証済み、熱核融合炉の制御は核プラズマを分子衝突によって発生させ、磁場閉じ込め方式ではなくレーザーを用いた慣性閉じ込め方式を採用すればそもそも重力による制御は必要なくなる。

 

「ショボいよなあ、魔法って。空を飛ぶのが難題なんだから」

「………そう」

「才能が必要ってのも、何かねえ。才能なかったサイドから話すと………ああ、これ以上はやめよう。魔法科高校でするような話じゃない」

 

空を飛ぶメリットが少ないなんて言われればそれまでだが、それに目を瞑るにしても、魔法を用いなければ数万円の出費で高性能ジェットパックでも何でも買えるのだから。

 

「あーあ、何だか気分が下がっちゃう」

「間違ったことは言ってないジャン」

「そうなんだけどねえ………」

 

実際、彼の言葉はそれ自体が的外れで論ずるに値しないというわけではない。しかし、魔法師であるという贔屓目がなくても真由美にとっては納得しがたいものだ。そうして魔法師と互角以上に戦えるのも、そのために開発したツールも、それらは紛れもない彼の機械、電子工作の才能と発想力が可能にしたものだ。魔法師は選民思想、家柄が左右する、あるいは才能という不平等で不条理な世界とよく言われるが、しかし。楡井修平が魔法師に対抗するために編み出した術もまた才能によって生まれたのだ。

 

不条理を生み出すのは才能という生まれ持つものだが、その才能という不条理に対抗出来るのが別の才能という矛盾。頭が痛くなるような話だ。なので、ここで話題を変えることにした。それについてはまた、襲撃の件が十師族の中で決着してから、彼についての対処となった時に話せばいい。寧ろ彼に聞いて確実性が欲しいのはこちらの話題だった。

 

「貴方にとって、司波深雪さんの脅威度は?」

 

七草真由美にとって、入学式の時点で今年の最重要ニュースは決まっていた。高校生離れ、どころか最早人間離れした魔法力を有する才媛、いずれ十師族とさえ肩を並べるという危機感を始めて真由美に抱かせた司波深雪について。そして全魔法師の天敵、現代兵器でもって魔法という革新的だった筈の戦法を完全に封じ込めることが出来る戦士、楡井修平。魔法師の中の異端児、司波達也については後に知ったことなのだが。では、正統派魔法師としてトップクラスの実力を持つ深雪は修平にとってどれほどの存在なのか。

 

「………お前これ、達也の前では絶対言うなよ?」

「言わない、言わないから」

 

友人に配慮しているのだろう。室内を見回して、真由美を自身の方へ呼び寄せる。そしていくらか声のボリュームを抑えて話した。

 

「正直、俺が出会ったどの魔法師よりも脅威を感じない。実力の九割九分九厘が魔法に極振りされてるから、俺と戦ったら多分誰よりも弱い」

「………そう、そっか」

 

まあ、致し方なし。いつか修平本人が言ったように、彼に立ち向かうならば魔法を使うことそのものが悪手なのだ。彼女は魔法師という枠に嵌れば最強に近い才媛だが、その枠の外にいる修平と戦ったら?などという問いそのものがナンセンスなのだ。

 

「お前とおんなじだな、七草」

「もう」

 

そこは一言余計だと、彼女は怒ったというよりも、注意して言い聞かせるようにして、寝転ぶ修平に向かって飴玉を投げ飛ばす。

 

「シケてんなあ」

「文句言う子には、もうあげないわよ」

「あいあい」

「話は戻るけど、実際脅威なのは魔法以外の戦う術を持ってる人間ってことね?」

 

飴玉を転がしながらリラックスする彼は、比較的整った顔立ちもあって、見栄えもいい。顔の見栄えとは対照的に、首から下はまるで大砲で撃たれたように、固まった血で真っ赤に染まっているが。

そんな彼に、真由美は単純に自分知識欲として疑問をぶつけた。少し考えれば分かることでも、本人の口から出る言葉というのはまた重みが違うのだ。何より戦いという、間違うことが即時死に繋がることについては確実な答えが欲しいのだ。それを律儀に答える彼も彼だが。

 

「いやまあぶっちゃけ、魔法封じて銃弾(タマ)撃ち込めば全員同じだけども」

 

そうして彼の異常さを知れば、ますます手出ししようなんて考えも起こらなくなる。ここまで彼の思惑にしっかりとはまっているのだから、自分もつくづく都合のいい女だと真由美は思う。

 

「ぶっちゃけたわね………」

「実際そうだからなあ」

「じゃあ、司波達也君と戦ったら勝てると思う?」

 

こうして、規格外を肌で感じたいと思っている自分はすでに手の施しようのないのではという自覚は、当然ある。

 

「先手を取れば100パー勝てる。逆に取られれば確率五分五分。お互い見つめ合ってよーいドンなら………どうだろ、分からん」

「………つまり?」

「実力と確率と運を信じれば勝てる」

「へえ〜………ふーん………」

 

状況次第で負けるというの修平の姿が想像出来ないのは、贔屓というわけではない。単に既知と未知の差異でしかない。ここで注目すべきは、未知の方。真由美にとって修平は天敵であり、『魔法師七草真由美』に立ちはだかる絶対的な壁だ。しかしその本人が、自分は打ち崩されるかもしれないと言ったことだ。

 

「やっぱり今年は豊作ね。いやあ、前途有望な子が沢山だわ」

「それ俺の前で言うか?」

「貴方の前なら優秀とかそうじゃないとか関係ないじゃない」

「そりゃそうだけれども」

 

彼の前では、魔法の実力の良し悪しなど関係ない。そういう意味では平等だ。全て等しく彼のツールの前では消え去る他ないからだ。しかしそれに風穴を開ける存在になるかもしれない。そういう意味でも、特に二科生は中々粒揃いだ。そうなれば、一泡吹かせるくらい出来るのではないかとうんうん唸っていた時、それを遮るようにして彼の声が飛ぶ。

 

「それよりお前さあ、呑気に俺とくっちゃべってていいのか?」

「後は摩利と十文字君が引き継いでくれたし」

「何で俺が生きてここにいるか、普通に考えて分かれよ」

「だってガスマスクの秀平と戦っ………あ゛ぁ!!」

「馬鹿かお前。馬鹿だろお前。この学校に死体袋なんてもんがあると思ってんのか」

 

徐々に彼女の顔が青ざめていく。彼女も魔法師の名家の人間として様々な異常事態をシミュレートしているが、今回はそれにまた異常事態が重なってその対応に追われていた。そんなイレギュラーが様々あったせいですっかり抜けてしまっていたが、魔法科高校の裏庭はまだ、血を流して事切れる人間の死体が転がっているのだ。

 

「ええ〜だって、ええ〜!?そういうのって普通やってくれるんじゃ………」

「この学校にあんのはゴミ用のポリ袋くらいだ。ちっこい袋に?人間を?()()()()()()しろと?」

「ごめん、ごめんなさい。謝るからそれ以上話さないで」

「じゃあお前もお前で風呂敷広げんじゃねえよ」

 

実際問題、戦いとはそういうものだと釘を刺すように強い口調で話す。

 

「ちゃんと片すから心配するな。それよりお前は自分の心配した方がいいぞ」

 

ここまでは茶番でしたとばかりに、急に彼は襟を正すように、自分の心配をの辺りから深刻そうな口調で話し始める。自分の分身を殺した話であるとか、それをどう処理するかの話であるとか、話すことさえ憚れるようなバイオレンスでエキゾチックな話をした挙句それを放り投げる点については、彼の図太さと言うべきか不条理と言うべきか。

 

「そうね。内部の協力者がいたとはいえ、まさかこうも簡単に侵入を許すなんて———」

「そうじゃない。いやそれもあるけど。もっと深刻な問題だよ」

「……………?」

 

真由美の話は、生徒会長としてはそうではあるが、七草家としてはそうでない。矛盾のようだがそれもまた違うのだ。

 

「分かってるだろ。俺の人格の支配率は、話し合いたい系と十師族絶対許さないマンが同じくらいなんだよ」

「ええ、そうね」

「正直、かなり揺らいでる。あのサイコお嬢様と話しちまったのは失敗だったなって思ってる自分と、よかったって思ってる自分が両方いるんだ」

「……………それは、つまり」

 

今の今まで、嫌な予感というのはしなかった。しかしそれによって真由美は、自身の第六感は決して機能していないのではという疑惑を確信に変わらせてしまった。

 

「全員殺して手っ取り早く復讐完了だと思ってる。だから、俺と話す時だけでいいから、あまり三年前の話はしないでくれ」

「………分かったわ。その、今は………どうなの?」

「今のところは大丈夫だ。今のところはな。あの鉄壁ゴリラにも伝えておけ。俺のことを暴こうもんなら、てめえの眉間に開通工事してやるって」

「………そう。何かあったら私に知らせてね」

「言われなくても」

 

衝撃的とは思わなかった。修平からすれば、歪んでいても自分を慕う女性からの熱いアプローチであり、それを信じてしまいたいと思うのは人間として当然の思考回路だ。そしてそれ以前に、彼女の思想はかつての彼のものを受け継いでおり、今も彼の中の40パーセントはそれで出来ている。そのような物騒な思想は新しく植え付けられたのではなく、元々あったものを増幅させたに過ぎないのだ。

 

「そんじゃ、片付けてくるわ。分かってると思うけど誰も入れんなよ」

「ええ」

「お前も入んなよ」

「入らないわよ」

「警官も入れんな」

「入れないから」

 

その後も問答が2分ほど続いたのちに、彼は生徒会室を後にした。

 

「あ、ちょっと待って」

「あんだよ」

 

そういえばまだ聞きたいことが終わっていなかったと慌てて廊下に出て、アスリート顔負けのスプリントで廊下を疾駆する直前の彼を呼び止める。

 

「その、彼女はどうなったの?」

「あいつがお前を殺さなかったのは残念だが、それ以前にあいつがここまでゴリ押ししてくることを予想しなかったのは俺の落ち度だ。だからきっちり俺が終わらせたよ」

「……………そう。それは、よかったわね」

「ああ」

 

手を振って彼は走り出す。これで自分の命を狙う者が一人減って安心するのは、果たして罪なのだろうかと、彼女の胸の中に湧いた新たな疑問が彼女を縛めた。




なお襲撃者さんに名前は与えられない模様。オリキャラなんて二次創作のスパイスだと思ってぶち込んでます。やたら会話が多いのは、そういう回です。はい。

それと途中で出てきた加重系魔法に関する情報は完全にリア友の受け売りですので、間違っている可能性があります。もし「違えよド馬鹿」という方がいらっしゃいましたらご指摘願います。


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有惨

エガリテのメンバーによる第一高校襲撃事件は、裏から糸を引いていたブランシュの他予期せぬ襲撃者等あったものの、損害に関しては高校側に人的情報的被害どちらもなく、魔法科高校にとって完璧に近い形で終息した。

 

さて、今回の襲撃事件に関連するブランシュの摘発については、警視庁公安部が行ったことで日本支部は壊滅したとニュースで報じられたが、今回の件については表裏がある。真に見破られない嘘とは嘘の中に真実を混ぜて話すことであると、それに則ってシナリオは書かれた。警察官が動いたという真実の中に、それが公安部であるという嘘を。学校の生徒の手引きによって警察官が動いたという情報はそのまま揉み消し、数年かけて公安が調査した情報を元に摘発したことにした。情報提供や調査に関しては箝口令が敷かれているが、警察上層部の中でも一握りの人間しか知らない警視庁の秘密情報部が存在している、という噂がまことしやかに囁かれているとか。

そして表裏というのは、日本の深部に潜む十師族に関しても同じことが言える。今回の件の統制には十文字が動いたが、ブランシュと直接的な関わりがないと思われるガスマスクの襲撃者と右脚を引きずる襲撃者については十文字克人と七草真由美の活躍によって征伐されたとした。当然これは、魔女狩りの犯人『コーウィン』が学校の危機を救ったとなれば十師族にとっても印象がよろしくない。魔法師のコミュニティの頂点に君臨する彼らにとっての怨敵がMVPであってはならないからだ。それについては当人である修平も納得しているようで、寧ろ過去を暴かれるほどに注目されるような事態を避けられたのは幸いだった。それと現場を走り回る犬猫熊については、誰も触れていない。

 

今回、問題となった二科生の生徒は洗脳によって一科生に対する敵愾心が増幅されていたことが判明したために病院へと搬送された。彼女達に処分が下されないというのは、これが一科生と二科生という一種の身分制度のようなものと関連付けたくない、つまり制度が悪いと結論づけたくない、あくまで学校内部の問題として片付けたいお上の思惑もあるのだろう。そんな洗脳の症状は個人差があり、黒幕の近縁である司甲は完全な除去が困難なほどに脳を侵食されているため自主退学、壬生沙耶香はそこまで重症でなくとも完全な回復に1ヶ月ほどかかるらしい。

 

そして今日は、そんな壬生沙耶香が退院を迎える日。

 

「花束なんてデリバリーでもよかったんじゃないか?」

「いいえお兄様。こういったものは人の手で渡すことに意義があるのです」

「別に俺達、壬生ちゃんの友達ってわけじゃないけどね」

「修平君まで………」

 

退院祝いとして向かったのは達也、深雪、修平の三人だが、そのうち達也と修平はあまり今回の件について乗り気ではなかった。というのも、十人中十人が振り向く美女こと深雪が花束を持っていれば、だらしのない視線が集まるだとか、そういうどうでもいいこと以前に今回の件は懸念事項があり過ぎた。沙耶香は根が善良な生徒なので、罪悪感に押し潰されていないだろうかとか、未だ一科生に対する苦手意識はあるのではないかとか、とにかく列挙してもキリがないくらいにメンタルに関することが多かった。接触する許しが出たのが退院の日というのも、それだけ彼女にかけられた洗脳の恐ろしさを物語っている。

 

「あれ、三人とも、来てくれたんだ」

「当事者AとBとCだもんで」

「あはは………そっかあ」

「壬生先輩、退院おめでとうこざいます」

「うん、ありがとう、司波さん」

 

三人のまばらな拍手でも祝福として十分だったようで、沙耶香は本来彼女が持つ咲くような笑顔を見せた。

 

「壬生」

「あ、桐原君」

「桐原先輩?」

「なんだ、チャンバラ野郎も一緒だったのか」

 

病院から遅れて出たのは、沙耶香とのゴタゴタが極まった問題の一科生、桐原武明だった。楽しげに笑う彼女の笑顔を向けられてほんのりと両頬が赤くなるのを目ざとく発見した修平だが、それについては何も言うまい。一度は生死のやり取りをした二人でも、何かしらがあってそうなったのだ。そういう結果があるのだから、過程を疑えど結果が覆ることはないのだ。

 

「楡井、お前と話したい人がいる。それを伝えに来たんだよ。それだけだぞ!?」

「あっそ、それならそれでいいけど………。はて、病院で呼び出される覚えはないぞね」

「壬生沙耶香の父親の壬生勇三だ。楡井君、少し時間をいいかね」

「………構いませんが」

 

スーツを着こなす壮年の男性に対し、修平は特に頭を下げる様子もなく、寧ろ怪訝そうに眉をひそめて応対する。

 

「みんなは先帰んなよ」

「俺達はそうさせてもらうが、司波はどうする?」

「俺は待ちます。深雪はどうだ?」

「ええ、勿論。お兄様のご判断ならば」

 

桐原と沙耶香はそのまま帰路へ、司波兄妹は友人を待つこととなった。壬生父と修平は病院のロビーの隅まで移動する。

 

「まずは、娘を救ってくれてありがとう」

「………自分は自分の権利を守るために戦った。桐原さんや他の生徒がそうであったように。結果彼女が救われただけです」

 

その会話は、礼から始まった。礼は受け取らないと非礼とも言われるが、それを知ってもなお彼はそれを受け取らないことにした。それは彼の矜持にも関わることなのだが。

 

「娘にかけた言葉があっただろう。その中にあった自分がどうにかしなければならないという言葉の持つ意味だよ。あれは矛盾にも聞こえるがそうじゃない、だろう?娘は最後までその意味を考えたからこそ、洗脳が剥がれかかったのではないかな」

「あらら。そういう矛盾でヘイトを集めたかったんですが、見破られてしまいましたか。親子揃っては利発でいらっしゃる」

「どうしてそんなことをしたんだい?」

「彼女達の敵愾心は一科生にだけ向けられていたようで、その実自分達と同じ思考を持たない二科生にも向いていました。そういう気持ちを増幅させて強硬策を取らせ、さっさと三巨頭なり他の実力者なりに制圧させてしでかしたことを後悔させたかった。ただまあ、テロリストがバックにいるのが予想外だったので、あえなく失敗しましたが」

 

つまり彼は、この騒動をあくまで被差別階級である二科生のストレスが爆発したゆえの暴動で片付けるつもりだったと。そしてここまでを聞いて、彼が策を講じて事に臨んだのは分かった。それよりも………いや、そうだからこそ湧く疑問を、修平にぶつけた。

 

「違う。君ならば、無力化は簡単だった筈だ。どうしてそこまでの策を練ったのか、教えてくれないかな?」

「それは俺の能力を知っている人間しか湧かない疑問です。自分は貴方の生業について興味津々ですが」

 

もしやそれで探っているつもりなのかと、彼の心に若干の侮りが生まれる。

生じる最も疑問は、そこまでの策を練る必要があったのか否か。知らない者は修平を、魔法の才能がないにも関わらず魔法科高校に在籍する変人であるとするが、知っている者からすれば彼は『優秀な魔法師』程度が顔を真っ青にして逃げ出す強さの人間である。だからこそ、後者として壬生勇三はそう問うた。彼の能力と武装をもってすれば力押しなど容易いだろうに、そうしなかった理由とは?

 

「噂通り、ちょっとやそっとのことでは揺れないか」

「それはもう、訓練の賜物ですよ。三年程度の突貫工事ではありますがね」

「そうか………。恨んでいるかと思っていたが、普通に話してくれるんだな」

「あんた、娘の感謝とか言っときながら探ろうとするなんて中々図太いですね」

「許してくれ。私としても、娘が通う学校にいる生徒が()()()()()をするなんて思いたくないが、過去の記録はそう言ってくれないんだ」

 

しかし修平は、頑としてその話に持ち込ませようとしない。壬生勇三が職権を行使して1人の高校生を調べているという話から、話題を変えさせようとしないのだ。これは生半可な揺さぶりも効かないだろうと、勇三は一旦これを置いておくこととした。

 

「これだけは覚えていてくれ。これから世界は彼の世界大戦に匹敵する激動の時代に入るだろう。その中で君は、魔法師を凌駕する非魔法師として重要な立場に立たされる。君は言うなれば、ワイルドカードやジョーカーのようなものなんだ。そんな君の決断がどんな結果を呼ぶのか、どうか様々な想定をして欲しい。そして想定外に立たされたら、誰か頼るということも頭に入れてくれたまえ」

 

切り取ったメモ帳にボールペンですらすらと、彼の連絡先と思われる数字の羅列を書いて修平に渡した。差し出されたそれをいくらか凝視した後に、彼はそれを受け取る。

 

「どうも」

「いいんだ。ああそうだ、君の友人達はきっと、君を助けるために全力を尽くしてくれるだろう。特に………そうだな、司波達也君は、惜しみない努力をしてくれるだろうね」

「………それはまた」

「それと、いい姉上をお持ちだ」

「ありがとうございます」

 

蛇足とばかりに呼び止めて発せられた言葉は、彼にとって大きな意味があった。仲睦まじく喋る兄妹を遠くから眺めて、口を一文字に結んだ彼は、そんな訝しむ様子を隠して二人に声をかけた。

 

「帰ろうぜ」

 

◆◆◆

 

達也は、その鉄仮面のような無表情の下でひたすらに迷っていた。

 

今回のテロ事件は襲撃こそ大規模だったものの、目立った人的被害はなく、また損壊された器物もかなり少ない。完封に限りなく近い勝利を挙げたのは生徒や教師の実力もあるだろうが、それ以上に情報が大きかった。敵はどれだけの数で、どんな武装で、本命となる狙いは何で、突入経路はどこで、どこの誰が陽動で、得意とする魔法は何なのか。その事前情報の全てを網羅するのは、四葉でも困難なことだった。普通ならばそのような異常事態が起こる筈がないと一瞬困惑したが、後に分かったのは、それらの隠蔽を行ったのがエガリテと直接関係ない筈の『右脚を引きずる女』と『ガスマスクの男』だったことだ。

 

———エガリテやブランシュと距離を置きたいが、今回の襲撃で何らかの目的を達成したかった、ということか。

 

つまり、その男女にとって反魔法団体はあくまで目的のための捨て駒だったということだ。そしてその襲撃者に関する情報は現在も固く閉ざされている。噂では大亜細亜連合か新ソ連の工作員だとか、ただの腕が立つスプリーキラーだとか、差別を受ける二科生の近親者だとか様々な噂が流布されて、情報網は混乱しているのだ。どうやって死者の身元特定を現在進行形で妨害しているのか。その疑問が残っている。襲撃者のうちどちらかが生きているか、ブランシュの他国支部が隠蔽している、あるいは———

 

———あるいは、第一高校襲撃事件の当事者の誰かが内部から意図的に二十八家の情報網を混乱させている。

 

楡井修平が最も怪しいと、四葉を始め他の家も満場一致でそう思っている。何故なら、同じように彼の素性もまた謎に包まれているからだ。そしてこの状況で名家を混乱させたいと思う充分な動機があるのは、七草家曰く修平以外あり得ないらしい。

 

今自分達の少し先を歩き、電話で七草真由美に対して犬派猫派論争を仕掛ける彼が、魔法師に恨みを持つサイコパスな連続殺人鬼である可能性を達也は深く考えて悩んでいた。

 

◆◆◆

 

その日は彼女達にとっては暗黒の日だったと言う他ない。そうなったキッカケは些細なもので、端的に言えばそれは人の気分というひどく気まぐれで曖昧なものだった。

 

「なんだよ、三巨頭が揃って一年を圧迫面接か」

 

三人は笑わない。というより修平が、笑わせる気も笑うつもりもない。口こそ軽いが表情は威嚇するように目を吊り上げて睨むような格好となる。

突如招集がかかり、それについての連絡が10回以上入るという軽い嫌がらせを受けて生徒会室の門戸を開けば、待っていたのは三巨頭が勢揃いの現場。これはいよいよただごとでないと、猛烈に踵を返したい衝動に駆られながらも促されて、三人に対面する形で腰掛けた。生徒会のメンバーも、友人達もいない。これが、この高校での十師族とそれに近しい立場ゆえに知り過ぎてしまった人間の図であると考えれば、口にされる話題というのも予想に難しくないものだ。

 

「襲撃事件での立ち回りについては見事だった。あの正体不明の襲撃者については想定外だったからな、お前の臨機応変な対応のおかげで対処出来た」

「お前のことは嫌いだけど、あのキチガイ二匹が入り込んだのは俺の見立てが甘かったせいだ。落とし前をつけただけだよ」

 

十文字の言葉を、彼はやめてくれとばかりに跳ね返す。実際その修平の言葉には、今回の侵入が自分のミスでなければあの二人に何百人殺されようが静観していたという意味も孕んでいて、彼ならそれを平気な顔で実行に移すであろうことも、三人は承知している。事実彼は、自身に立ちはだかる障害としての襲撃者以外に驚くほど無関心で、銃を持った有象無象はほとんど三巨頭含む上級生のエースや教師が片付けた。

 

死ぬなら勝手に死んでくれて構わない。

 

どこかでそれが、彼の子供らしい強がりであるだろうという見通しが甘かった。彼は本気だったと後悔する頃には、手遅れ一歩前まで追いやられていたのだ。そんな彼でも………否、そんな彼だからこそ、摩利の進言によってこの場は設けられた。

 

「回りくどいのは嫌いだ。私の口から言うが、君の()()を聞かせてくれないか」

「事情………事情ねえ。どの辺りから?」

「今の君に繋がることなら、全てだ」

 

十師族の中で彼の事情に最も詳しいのは、当事者である七草。十文字はそれを影から静観するか、あるいは茶々を入れるだけに過ぎなかったため持っている情報は少ない。現役の十師族でこれなのだから、師補や百家、数字落ちが流れる情報量などたかが知れている。そういう打算的なものではないかと修平は信じて疑わなかったが、こればかりは違う。単に上級生が、年長者として訳ありの下級生の事情を知っておきたいというだけ。あるいはそこから渡辺摩利個人が何かを掴めればという、それだけのことに過ぎない。

 

「分かってる癖に。俺に嫉妬した七草が俺の肉親をぶっ殺して、その後俺を拾ってくれた恩人までぶっ殺そうとして。ムカついたから魔法に対抗できるモン発明して、復讐でぶっ殺し返した。それだけだよ」

 

彼は放り投げるように雑な言い草だったが、それも仕方のないこと。あまり彼にとって触れて欲しくないエリアなのは百も承知だが、ここでやっぱり何でもないので忘れてくれとはならない。少なくとも彼の向ける敵意が、全てではないとはいえ無差別的である限り、あるいは彼の()()()()がテロリストとして攻撃を仕掛けてくる限り、そして彼を彼たらしめる怨嗟が分からない限りは退くわけにはいかない。

 

「何故七草は………いや、数多の魔法師は君の家族を手にかけた?」

「目的を妨害して抵抗したから」

「目的とは?」

「言わせんな。いや言うけど。俺をぶっ殺すことだよ」

 

彼も徐々に、素直でないとはいえ事情を話し始める。魔法師の咎をぶちまけるにはいいチャンスだと思ったのだろう。生徒会のメンバーや彼の友人がここにいない理由にも合点がいっている様子だ。というよりさっきから、観葉植物の鉢に仕込まれた隠しカメラをチラチラ見ている。カメラ越しにこの部屋を監視している誰かさん達にバレないようにチラチラと。

 

「ではこれから核心を突くぞ。何故魔法師は君を殺したがる?」

 

そこまでバレているのなら、変に気遣う方が不自然というもの。摩利は意を決して、前もって報告をした上で彼の生い立ちの核心を突いた。

 

「妬ましかったからだよ」

「………は?」

 

こんなことを聞いたら怒るのではないか、それに留まらず命のやり取りにさえ発展してしまうのではないか。そんな彼女の不安は、彼の気の抜けた声と答えによってみるみるうちに萎んで消えた。

 

「私は真面目に、君への理解を深めたいと思ってだな」

「大真面目だわ。胸焼けするくらい大真面目だわ。逆にふざけんなタカラジェンヌもどきコラ」

 

思わず閉口する。十文字はいつものように冷静とはいかず、眉をひそめて静かに驚愕の意を示し、真由美は修平を直視したくないといった頭を垂れて右手で目を覆っている。家庭の事情が事情なのでその辺りの込み入った件については摩利の耳に届いていなかった。彼の両親は犯罪者やテロリストなどではなく、ただのどこにでもある普通の家庭の普通の親だった。当然そこに、犯罪者以上の死ぬべき道理など存在しない。薄々感じてはいたが、それでも。同じ魔法師だからという贔屓目があっても、摩利の仮説が現実であって欲しくなかった。

 

魔法の才能は家柄とそれによる遺伝子———

 

名家であればあるほどに、魔法師のトップとしての英才教育を———

 

楡井修平は中産階級から生まれた神童で———

 

そのマイナスにはたらく仮説は確定され、現実のものとなってしまったのだ。

 

間違いない。間違いなく彼を祝福した両親は、殺されてしまったのだ。

 

優秀な血統を超える神童の良き両親であったがために。そして修平もまた、優れていた。その妬み嫉み。言葉にすればたったそれだけのことで彼は家族との幸福な生活を引き裂かれてしまった。

 

「そんな………馬鹿な………」

 

一瞬にして、自分の信じる正義が瓦解してしまった。魔法師は一般社会ではまだまだ少数派、だからこそ反魔法組織に代表されるように虐げる者がいる。自分達は虐げられる側で、そんないわれのない誹謗中傷に立ち向かう『正義』の筈だったのに。やっていることは罪のない家族を権力で押し潰す悪辣そのものではないか。

 

「何だっけ、俺とその家族がある発明を使って魔法師を無差別に殺傷しようとしてるから征伐するだっけか、建前は。なあ、七草」

「……………ええ。建前はそうよ」

 

何てことを———。

 

実際に、その楡井家テロリスト論は存在したのだ。———妬み嫉みを補強するものとして。『天才なのだ、魔法師に対抗する何かを開発してしまうかもしれない』という嫉妬由来の被害妄想に似た危機感を募らせた、その結果が、あのような………。

 

残酷で、生に無頓着で、狂っていて、どうしようもなく哀れな彼になってしまったとでもいうのだろうか。

 

「まだ話していないことがある」

 

不意に、克人が口を開く。あまりこちらから突っ込むべきではないと声に出そうとしたところだが、この話題での彼の本気の拒絶はおそらく言葉だけでは済まなくなる。

 

「お前のその後………二年前から始まった魔女狩りとしてのお前についてだ」

「ああそっか。そういやそうだった。いやでも、ないだろ話すことなんて。今まで俺がやってきたみたいに殺したんだよ。分かるだろ言わせんな恥ずかしい」

 

克人は重々しい口調で続ける。魔女狩りについては、二十八家に限らず『そこそこ有名な魔法師の家』程度にも情報は伝達されている。それほどまでに当時の彼は危険で冷酷で狂気じみたな人物だった。そしてそれを示すものが、今手元にあるのだ。送り主については不明だが、日付は襲撃事件の前日。十中八九あの二人のどちらかであろう。風紀委員で支給されるものと似た型のボイスレコーダーをテーブルの中央に置き、再生ボタンを押す。流れたのは、いくらか若い修平の声だった。

 

『………なんだ、親父も魔法師なのか』

 

どうやら電話をしているようで、彼の声以外には何も聞こえない。

 

『ああ、姉君は美人さんだったよ。美人過ぎて殴り殺したのがもったいないくらいだった。ああいや、原型はちゃんと残ってるからご安心を。次からは毒にでも切り替えるかな。………そんなに騒ぐなよ。俺だって心が痛いんだぜ?二個くらいしか違わない歳の女の子の息の根を止めるなんて。でも仕方ない。だから、騒ぐなって。安心しなよ。天国に行けるように俺も祈っといてあげるから』

 

耳を澄ませると、声は聞こえないが音が聞こえる。コンクリートのような硬い床の上で、何かがもぞもぞと蠢く音だ。彼が『殺す』や『息の根を止める』といった直接的な言葉を口にするたび、音は大きくなっていく。間違いなく、彼に囚われた被害者だ。

 

『調子に乗るからだ。嗅ぎ回ったのが悪い。それに真実を消したのは、貴方が可愛がっていたご令嬢なんだぜ』

 

直後に、何かを踏み潰す音。おそらく通話に使っていた情報端末だろう。そして、ゴトンという鈍い金属音。

 

『グッバイ、美人さん』

 

そして響き渡ったのは、骨が割れる高い破砕音とそれの中に混じった肉が叩かれる間の抜けた音。その耳障りの悪い音を最後に、ボイスレコーダーはノイズだけを吐き出した。

 

「覚えているか?」

「もちろん」

「どんな気持ちだった?」

「達成感に満ち溢れてた。あれは一撃がこれまでにないくらい綺麗に入ったんだ。おかげで頭骨の陥没も少なくて」

 

録音されていた音声の年月日は2093年の夏の日を指している。あの日の一大ニュースは、親魔法師派で選民思想主義者だったさる巨大重化学工業コングロマリットのCEOの娘、その三姉妹が不可思議な失踪を遂げ、そのうち次女と三女が遺体で発見されたことだ。当時15歳だった長女は未だ行方不明、そのCEOの()()()によって今も警察消防が捜索しているが、最早生きて帰れはしないだろうと、探す場所も川の底だったり山の中だったりだそう。

 

「言いたいことは分かるか?」

「分かるさ。もう関係ないからぶっちゃけるが、右脚を引きずるアイツがそうだよ」

「やはりか………」

 

ようやく噛み合った、と克人は内心で胸を撫で下ろした。ようやく重大な惨殺事件に光が当てられたのだから。しかし手放しに喜べる筈もない。

 

今、殺人罪で楡井修平を告発することは絶対にできない。

 

理由は単純。彼は十師族の陰謀によって殺されたも同然、彼はその陰謀の証拠というとてつもない爆弾を隠し持っている。未解決事件の犯人逮捕にメディアが飛びつかないわけがない。多くの人も関心を持つだろう。そんなところで、彼がその爆弾を起爆させたらどうなるか、想像に容易い。情報統制でどうにかなるような規模じゃない。

 

「奴らは俺の努力遺伝子と体に身に付いたボディイメージの能力を欲しがった。だからそれの全盛期である10歳の秀平を俺のクローンとして作り上げた。方法は知らんけど。企業努力じゃねえの?」

「それが君と戦ったガスマスクの男というわけだな」

「クローンですか………。技術的には可能でしょうが、まさか本当にそんなものが」

「ちなみに違法だ。遺伝子やら脳みそそのもの、それで生まれる特許や利権を独占したいがために会社は十師族と手を組んで、楡井秀平を死んだことにした。証拠もある」

 

そして彼は恐ろしく用意周到で、自分にされた仕打ちの全てを証拠として残しているのだ。並みの精神力ではそのようなことは出来ない。彼は例えるなら食虫植物のようと言うべきか、彼の脅威を知った者は彼を亡き者にしたいか、あるいは彼の体は謎の宝庫であり、それを見破りたいと強く思う輩が吸い寄せられるのだ。彼はそんな輩に食いついて離さず、養分を吸う。具体的に言えば『大量殺人で裁かれない』『一般人の身分でありながら十師族と対等に渡り合う』『本来ならば違法である武器の所持と使用を黙認される』等々。

 

「用意周到だな」

「だからこうして生きていられるんだ。あんたらがこれ聞いて何がしたいんだか知らんけど、お互いが幸せになる選択をしような」

 

虫の居所がが悪くなったようで、彼は白々しくそう吐いて席を立った。

 

「最後に、俺が一番気になっていることに答えてくれないか」

「………いいでしょう。楡井さん優しいから」

「お前は七草が憎い筈だ。ならば何故、手を下さない?それどころか、近寄るような真似をするんだ?」

 

意外だとでも言いたげに、修平は目を丸くして驚いていた。暫し立ったまま熟考すると、やがて考えがまとまったようで、口を開く。

 

「そいつが反省してるから」

 

やはり彼は狂っていると、その答えを聞いた時に克人はそう思わざるを得なかった。たとえ彼に、どんな悲惨な過去が隠されていたとしても。



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しゅうへい

過去編つくるか悩みどころ。いるんですかね、そういうの………


その日から彼は、学校を欠席した。

 

原因は最早言うまでもないが、彼の告白だ。彼は昨日二年前の行いを全て告白した。誰をどんな理由で、どんな方法で殺害したのか。その時どんな気持ちだったのか、二年経ってどんな気持ちでいるのかの全てを。彼は最初、自分を貶めた十師族の罪と自分の殺人を道連れにして共に落ちるところまで落ちるつもりだったようで、饒舌に語っていた。しかし最後は意地になって全てをぶちまけた。嫉妬と被害妄想によって肉親が死んだこと、加害者の七草家がそれを『征伐』と言っていたこと、肉親が死んで傷心の彼を拾ってくれた恩人を殺しかけたこと。記録できるものならやってみろとばかりに、その時の映像と音声をご丁寧にその場で再生させていた。

そして直接ではないが、責めた。それはそれはしつこいくらいに真由美を責め立てた。それを彼女は甘んじて受け入れ、キツイ皮肉や雑言の全てをその身で受けた。あの邂逅が終わってから彼女は気丈に振る舞っていたがやはり相当なダメージを負ったようで、一人でいる時はかなり意気消沈している。翌日になってからは更にダメージが増加したようで、ただ沈んでいただけの昨日に比べて精神が安定していない。独り言が多くなったり、皮膚が赤くなるほど掻き毟ったり、冷や汗を流したりと、情緒不安定になっているようだ。手を打たなければいずれ隠すことがストレスになり、悪化していくだろう。

そして三巨頭の中では最も彼に疎い摩利、カメラを通して別室でモニタリングしていた同級生達は、自分の選択を後悔した者も少なくない。それはひとえに、背負うものが重過ぎた。

 

「33人だそうだ。楡井が殺害した人数は」

 

克人の静寂を破る声は、本人の声質もあって鈍重な空気を更に澱ませた。室内にいるのは摩利と、生徒会のメンバー。本来この情報は三巨頭の内のみで秘匿する筈だったし、七草と十文字もそうするつもりでいた。しかし摩利の強い反対や真由美が持つイデオロギーへの疑問などで、なし崩し的にこの場が設けられた。心身喪失に備えて、本来ならこうした話題の中にはあまり似合わない中条あずさの姿もあった。

 

「政治的思想を持たない単独犯としては日本最多ですね」

「まさか犯罪者が入学していたとは………」

 

反応は様々だった。市原鈴音は会話の中で、所謂サイコパス的思考回路の片鱗をキャッチしていたため、33人という犠牲者の数に圧倒されながらも表情を崩さなかった。しかしあずさは、周囲を落ち着かせる役割を担いながらも、新入生勧誘期間に少しいたずらっぽく話した彼が連続殺人鬼というショックを隠し切れていないようだ。

 

「しかし、妙に慣れていたのにも頷けますね」

 

と、ある時好き放題殴られ蹴られた生徒会副会長、服部は語る。あの時の彼は、服部の態度や言葉に腹を立てていたとはいえ人を傷付けるのに迷いや躊躇がない。それどころか、どこか楽しんでいるようにさえ見える。摩利は大きく溜め息を吐いた。

 

「これは誰がどう悪いんだ………?」

 

思わず心にしまってあった本音が出る。彼が狂った一連の流れは、果たして魔法科高校にいる誰かが絶対悪なのだろうか?当時七草の運営に関わらなかった真由美を責め立てていいものなのか?しかし、そうでなければ彼は両親を不条理に奪われたことについて閉口しなければならないのだろうか?どこか善悪が曖昧になってしまっているような気がしてならない。だからこそ彼女は、迷った。彼をイカれた殺人鬼と軽率に断じていいものか。

 

「十師族が元凶ということでよろしいのでは?」

 

しかし、そんな彼女の迷いを知ってか知らずかそう声をあげた者がいる。鈴音だ。

 

「それは………どういうことだ?」

「言葉の通りです。彼の両親はテロリストでも犯罪者でもない、普通に彼を愛しただけです。ならばどちらが悪いかなどに議論の余地はありません。全ての元凶は、嫉妬というくだらない感情に支配されて理不尽に市民の命を奪った七草側にあると、そう判断すべきではありませんか?」

「…………………」

「………何か?」

「いや、少し意外でな。てっきり真由美の肩を持つかと思っていたから」

「私だって善悪の区別くらいはつきます」

 

どこまでもクールに決める彼女だが、すぐにそれが、決して彼を肯定しているのではないということに気付く。単に彼女が信じる正義を優先させたのは、きっと彼女の中に元々あった不信感のようなものが修平の登場によって爆発した結果だろう。魔法師の能力が生まれ持つ才能に大きく左右されるのはどうしようもない不変の事実であるが、彼は魔法の才能ではなく一般的な学術を努力で身に付け、その結果魔法を凌駕するに至った。彼を嫉むくらいならば、見習うべき点を見習おうとしなければならないのではないか。成長志向の彼女らしさが出た考えである。

 

「私も………、魔法には才能が大事っていうのは分かりますけど、だからって楡井君のご両親のような仕打ちは………」

 

あずさも、いつものおずおずとした様子が抜けないながらもそう言った。魔法の世界は才能が是であったたとしても、それは他の才能を刈り取っていい理由にはならない。

 

「服部副会長はどう思った?」

 

人道的にも許されることではないとの結論で一致した摩利、鈴音、あずさ。しかしそこに水を差しかねない人物に話を振る。

服部副会長は典型的というか、分かりやすいくらいに魔法至上主義者だ。人事に乏しかったため差別反対を掲げる生徒会長の下についているが、そうでなければただ実力がある魔法師でしかなかったであろうくらいに、彼は色々露骨過ぎる。しかし今回は話題が話題、下手なことを口走ればいよいよ彼の命の灯も修平によって消し去られるのではないか、と慄きながらも話しかける。

 

「自分は………間抜けな話だな、と思いました」

「………と、言うと?」

「七草は、いつか楡井が溢れる才能で魔法師を脅かすかもしれないという被害妄想に取り憑かれて両親を殺害した。でも当の楡井は逆に、両親を殺害されたことによって魔法師を脅かす存在になった。つまり七草家は、自分達が抱く被害妄想を他ならぬ自分達によって現実のものにしたのです。これほど間抜けで皮肉な話もないでしょう」

「なるほど………それは、確かにその通りだな」

 

確かにそうだ、と皆が納得した。七草家はただ彼の怒りに触れたわけではなく、自分達のミスによって藪を突いて蛇を出したのだ。魔法師による一強体制を崩したくないという願いで行った理不尽な殺しは、かえって体制の終わりを早める結果となってしまった。服部の言う通り、どうしようもなく荒唐無稽で間抜けで皮肉が効いた話だ。身を滅ぼすきっかけを作ったのは自分自身。これは壮大な自滅でもあるのだ。

 

「しかし、ヤツも相当賢い」

 

苦々しそうに服部は吐き捨てる。

 

「33人も殺していればそれだけ証拠も残るでしょうに。それでもヤツは逃げおおせた。そして自分の罪が露見しない環境まで作り上げたのです。十師族の一大スキャンダルという盾を使って」

「殺しも相当洗練されているのでしょう。状況証拠しか残らなかったのかも」

 

鈴音もそれに続いた。土台もない状況で一からスキルを磨くには相当な努力が必要だ。その相当な努力を可能にした原動力は、許容量を超えた憎悪と憤怒と怨嗟だろう。それで彼は強くなった。最初はまず殺しの技術から始まり、次は戦いの技術へと。そして戦いの技術と同時に、魔法を無力化する技術もゼロからスタートして積み上げていったのだ。相当な努力を積み重ねたのだろう。

 

「君も意外だな」

「何がです?」

「君と楡井君は相性最悪だと思ったが」

「ヤツが魔法力で劣っているのは事実ですが、それ以外のヤツを構成するものには関係ありません」

 

彼は至上主義者ではあるが変に正直だ。優越を覚えるところは全力でマウントを取りにかかるが、それ以外にどうこうということはしない。生まれ持った性質なのか、あるいは顔にフックを喰らった時に頭を揺さぶられただけかもしれないが。

 

「彼のあんな側面を知ってしまったんだ、いつも通りとはいかないだろう。だがそうなった責任の一端が彼でないことを心に留めておいてほしい。以上、解散」

 

精神が不安定になった生徒会長、思想のせいで引っかかるであろう副会長、家柄の問題に加えて事情を深く知らないため彼の問題に突っ込めない部活連会頭に代わって摩利が指揮を執っていた小さな会議はここで解散となった。

 

「渡辺先輩」

「どうした、服部」

「会長の様子は?」

「あまり芳しくない。後悔と罪悪感で相当摩耗している。手を尽くさなければいずれ限界を迎える」

「限界を迎えると………どうなるんです?」

「………無事では済まないだろうな」

 

彼女を慕う服部の顔は歪んでいく。やはり彼女が不安定になるというのは酷くショックなのだろう。そしてそれ以上に、何も出来ないという無力感や寧ろ何もしない方がいいというもどかしさが彼の心を苛む。

 

「今は任せるしかない。彼の言葉の方が真由美にとっても心に響く重いものなんだ」

「良くも悪しくも、ですか?」

「そうだな………」

 

魔法師を強く憎みながら、彼女に武力というかたちで復讐を成そうとしない修平。そんな彼がどのような言葉をかけるのか、正直なところ不安だけが摩利の心に残っていた。

 

◆◆◆

 

彼女にどんな言葉をかけ、どんな表情を向けるのか。修平に与えられた時間は多くなかった。ズルズルと時間引き延ばし、昼休みも時間いっぱいあれはダメだコレはダメだと悩み続け、結局固まったのは放課後になってからだった。その間に彼は誰の助けも借りることなくあれこれ考え抜いたが、今になってそれは正しかったのだという確固たる自信があった。きっと人々は、穏便に済ませろだの身を削ってでも立ち直らせろだの、七草家のことだけを彼女の中に見るだろうから。片方が十師族という時点で、事態の中立というのは失われている。そんなもの許せるかと、単身参った次第なのだが。

第一高校図書室、特別閲覧室前。そこで彼女は彼に背を向けて不動のまま立ち尽くしていた。

 

「帰ったと思って一回お前ん家まで行っちまった。何してんだこんなとこで」

「……………」

「どこ探したってもうテロリストはいねえぞ。それともアレか、1匹見たら30匹いるみたいなアレなのか。それ人間にも有効なのか」

「……………」

「シカトですか、そういうことするか。小学生かお前」

 

彼とて鈍感ではない。今の彼女にとって、事の張本人と会話をすることがどれだけ苦痛か、具体的にこうとは言えないがそれなりに分かっているつもりだ。彼女の望みは単純で、今は彼と会話したくない。もしくは視界に入れたくない。考えたくもない。それら全てを満たしていなければ不安と責任感とそれから派生する重圧で狂ってしまうだろうと、自覚があるのだ。当然その気配を彼も察知している。その察知を真由美も承知している。しかしそれでも、無視を決め込む上級生とそれを破ろうとする下級生の攻防は続いた。事態が動いたのは、彼が振り向かせようとする数多の言葉の中にあった。

 

「今どんな気分だ?」

「……………」

「ちなみに俺は、いたいけな少女とその妹を追い詰めてる悪者になった気分だ」

「……………それはッ!」

 

それは違う、と真由美が言いかけたところでハッとする。彼女は頑として彼の顔に自分の目を向けなかったが、頭の中の彼はいつも通りこちらを煽るようにニタニタと笑いながら言葉をかけているのだろうと、そんな妄想があった。しかし釣られて彼の顔を見ると、それが妄想であったがそれでしかなかったことを知る。彼は笑うどころか睨んでいるようで、その言葉にも若干の怒りが隠しきれておらず滲み出ている。

 

「やっとお話する気になったか、散々自分の世界に入りやがってこの野郎」

「………ごめんなさい」

 

理由は修平の言葉に全て詰まっていた。傍から見ればこれは彼の方が絶対的な悪人になっているからだ。上級生から言われて真実を話して、魔法というものの負の側面をわざわざ見せたというのにその帰結がこんなことかという怒りでもあるのだ。

 

「謝ってほしいわけじゃない。上級生サマから言われたとはいえ、そうさせたのは俺だからな」

「………じゃあ何で?」

「お前が狂いに狂って屋上から飛び降りたらどうしようかと思ってな」

「そんなこと………しないし」

「俺の目ぇ見て言えやコラ」

 

これだから彼女を放っておけない。何せここで狂乱しながら屋上まで走っていってそのまま屋上からフォールしてしまうのではないかという懸念が絶えない。何せ、二年前も同じようなことがあったから。あれは確か、彼女が初めて七草家と修平の闘争とその背景を知った時だ。その時も彼女は当時高校1年生の女子が背負うには重過ぎる荷を背負おうとして潰される寸前にまで追い込まれた。彼が駆けつけるのがあと1.5秒ほど遅れていたならば、今ここに彼女はいなかっただろう。

 

「病んでるよお前」

「………そうさせたのは貴方でしょ」

「そりゃそうだ。だけどお前に死なれるのは俺が死ぬよりずっと困る。お前の命の危機とありゃあ俺は文字通り死ぬ気でお前を守るよ」

「そのセリフ、もうちょっと純粋に言って欲しかったわ」

「不純にさせたのはお前だ」

「そうね………」

 

またも、辺りを沈黙が支配する。彼女がそのような仕打ちに耐えられないと感じるのも時間の問題だろう。だからこそ彼はあえて数秒を沈黙に浪費し、まるで世間話をするかのように平然とした口調でこう話す。

 

「俺は七草が大嫌いだが、あんた個人のことは嫌いじゃない」

「………へ?」

「正確には、嫌いじゃなくなってきてるが正しいかな」

「………え、そんな、だって、それは………ええ?あれえ?」

 

混乱するのも無理はない。およそ好きとは正反対とも言える言葉を散々浴びせられて今に至るのだから、寧ろそれを嘘だと突っぱねない彼女の懐の深さと存外な冷静さについて喝采を送ってもいいほどだ。

 

「………どうして?」

「さあな。四人で脳内会議した結果なのか、一番怒り狂ってた人格の溜飲が下がったのか、もしかしたら今の俺のやり方に納得したのかも」

「納得………?ちょ、ちょっと、ちょっと待って、今凄く聞き捨てならないこと口走ったわよ貴方」

 

先程の、心の奥底まで病み尽くした彼女の姿はどこへやら。彼の口からさも当たり前ですよねとばかりに平時のトーンで発せられた言葉に食いつく。彼の言葉には、まるで人格にまとまりがないような意味が孕んでいると感じられるものが含まれている。『もしや、いやいやまさかそんな』と、現実を見て立てられた仮説とそうであって欲しいという願望の間でせめぎ合う彼女は、ようやく疑問符の言葉を絞り出した。

 

「貴方の人格が分かれてたことは知ってたけど………え、何、私を生かすことについては今の今まで人格双方納得してなかったの?」

「うん」

「えぇぇぇぇ!?!?」

 

彼のまさかのカミングアウトに、彼女の胸中と表面に思わず瀟洒な生徒会長としてでもなく、七草家のご令嬢としてでもない素の自分が出てしまった。

彼は性格こそ粗雑な面が出ているが、その実恐ろしく用意周到で完璧主義者、あえてパフォーマンスを披露するようなことがあってもそれによってボロを出すことはない。だからこそ彼女は、勝手に思い込んでいた。彼にとっては、四つに分裂した人格でさえも己を隠す武器の一つなのだと。しかしあっさりと彼が吐いた一言で、今その前提が音を立てて崩れ去った。

 

「激おこ人格の方はずっと考えてたよ。どうすればお前を、十師族から完全に隠して暗殺出来るか」

「ウッソ………」

「マジマジ。その度に色んなとこでストレス発散したりさあ」

「ちなみに具体的にはどんな?」

「そりゃもう、主に一科生相手に。二科生の反撃ってことにすれば大目に見られるし。これ以上具体的に言って欲しいならお前の精神状態と相談してもらうが」

「………やっぱりいい」

「そうしとけ」

 

つまり彼は、真由美の死をもって復讐を完了とするかなりの過激思想を完璧に制御出来ず、常に戦っていたということだ。彼女の背筋に悪寒が走る。彼は言葉を濁したが、つまり自分の接し方を間違えるかあるいは彼の機嫌次第でどうにかなってしまっていたということだ。もしもあの時の冗談を冗談と受け止められなかったら?もしもあの時かける言葉の選び方を間違えていたら?過去の話にたらればは無意味であると知っていてもそんな悪い方向への妄想が止まらない。

 

実際、危うい場面があったのか。そんなことを聞くような度胸は彼女にはなかった。

 

「何で魔法師アレルギーの俺が、こんなとこに入学する気になったと思う?」

 

彼の中で些細なその話はどうやらそこで終いになったらしく、彼は更に話題を変えた。魔法師を忌み嫌う彼が、どうしてこの高校に入ろうと思い、実際こうして行動に移したのか。しかしこれは彼が本人の口から言ったことだろうと訝しげに答える。

 

「私を見張るためでしょ?間違った気を起こさないように」

「それだけじゃないんだな、これが」

「え………」

「もう友達にも知られた。だから今こうして話すんだがな、言うなればお前は人質だ」

「……………」

「それと先輩がそんなバカみたいなツラしてたら名前負けするぞ、七草のお嬢様」

「………悪かったわね。こんな荒療治じゃないと治らないような面倒くさい女で」

「安心しろ。そこまで期待してない」

 

いちいち言葉がカンに触る。しかし彼の言ったこともまた事実なのだと思えばああして罪悪感に押し潰されるというのもまた馬鹿らしいと考えるようになってしまった。

 

今この瞬間、彼の復讐は為されている。自分はこうすることで償えているのだ。まったく自分でも嫌な話だが、都合がいいと言われようと、そう念じると真由美の心は少し楽になった。

 

◆◆◆

 

『それで、達也さん。どうだったかしら、楡井修平君は』

「………それは戦闘能力を評価しろということですか、それとも人格や精神面を観察した結果を報告しろということですか」

『両方話してもらえるのかしら』

 

達也は声だけしか聞こえない自身の叔母の声を聞いて、苦々しそうに歯噛みする。その音が相手に伝わるというわけでもないのに。その理由は過去の確執というだけに留まらず、今こうして話している要件についてだ。

楡井修平の評価。言葉はいいが、やっていることは諜報と何ら変わりない。そして四葉がそうする原因は彼の実力と人格にあるのだろうが、逆に言えばその二点でしかない。彼の過去も、十師族の因習も全て含まれず、四葉に言わせれば原因ただ彼の要素でしかないのだ。まったく汚い。汚れきっている。だが、逆らうことは許されない。そんな凄まじいジレンマを抱えながらも答える。

 

「予想以上ですね。あれでは魔法師が返り討ちに遭うのも無理はないかと。徒手格闘の腕前もそうですが、魔法式に介入するウェアが厄介過ぎる」

『そう。それは対処不可能なのかしら』

「彼は博打をするタイプじゃない。何らかのバックアップがあると考えた方が妥当でしょう。そのバックアップが不明な以上は、武装もありますし手も足も出ないかも」

『……………情緒は?』

「入学当初に比べて安定しています。支配率の差だと本人は言っていましたが」

『分かったわ。ありがとう。観察を続けて、必要なら介入しても構わないわ』

 

まるで野生動物を観察するように言うんだな———。そう言いかけた自分を律し、達也は、はいとだけ言って通話を切ろうとした。これ以上の会話には期待していない。お互いがそうであろうことを考えれば余計な話はしないことが一番だと。

 

終了しようとした時、端末からノイズが走る。

 

「………?」

『達也さん?これは何事かしら』

 

どうやら向こうでも同じ異常が確認されているようで、しかし彼は原因究明のために急いで分析を始めるためそれどころでない。まさか何者かに通信を傍受されているのかと、危機感が募った時にはもう遅い。その仮説は最悪な結果を伴ってやって来た。

 

「呼ばれてないけどジャジャジャジャーン!!!』

 

その犯人は、ボリュームも気にせず大音量で声を張り上げた。楽しくて仕方がないといった具合に、不自然なくらいにハイテンションで。そしてその声は達也にとってごく聞き慣れたもので、それが衝撃を呼んだ。

 

「修平………!」

『そうですよ、修平君ですよ。いやあ〜仲睦まじい親族の会話に口を挟むのは憚られたんですがね、致し方なし。初めまして四葉のお姉さん。名前も顔も知らんけど。楡井です』

『あらあらご丁寧に。四葉真夜よ。よろしくね』

『やだなあ、よろしくするんですか?マジで?俺は確かにお付き合いするなら断然歳上派ですけど、年の差ダブルスコア以上はちょっと』

『まあ、生意気な子だこと』

『ははは。まあそんなこと言わずに』

 

まずは弁解を考えた。話を聞いた限りでは、四葉も彼にとっての敵になるはずの存在だったし、右脚を引きずる女の話もあった、彼は相当警戒している筈だ。しかしそれでは、弁解するようなやましいことがあると彼に教えるようなものではないか。瞬間的にいくつものシミュレートを行なったが最適解を得られない中で彼はやけに上機嫌だった。それは悪い予兆を常に表して来た。

 

『腹を割って話そうか。司波達也君よお』



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正偽-セイギ-

いやあ終わりどころが見つかりませんね。九校戦入れるか不安になってきましたよこれ。


彼が去り際に残した言葉。反省しているから生かしたという言葉。その言葉は、彼の狂気を見てしっかりと浸かった三人にとって何を意味するのかという真意を驚くほど早く理解できるものだった。つまり何が言いたいのか?彼は両親の仇である家族の次期当主候補に対して、殺してやりたいという復讐心を抑えつけてそのような判断を下した。真由美が家の判断を間違いだったと認め、己を悔いたというのは真実だ。彼女は自分の家がしでかしたことについて深く悔悟の念を抱き、どうにか償えないものかと頭を悩ませた。それに対しての彼の返事が、これだ。

 

生きて、自分ならばそんな間違いは起こさなかったとひたすら悔やみ続け、どうすれば罪を償えるのかとひたすら悩み続け、罪悪感と後悔に苛まれながら長い人生を生き続けること。それが修平の出した答えであり、最も有効な復讐だ。死んで楽になろうなどと、この世のしがらみから解放されようなどと。そんなことは絶対に許さない。七草家とそれに関係する家は、両親を殺したというスキャンダルを握られ、魔法師にとっての仇敵たる修平を庇い、時に彼の言いなりになりながら彼によって()()()()()という屈辱を味わいながら存在し続ける。

 

それが、喪失という絶望に打ちひしがれた一年と、壮絶な怒りに支配された二年で考え抜いた結果だ。そしてこれらの復讐は、何一つとして欠けてはならない。七草真由美の死も許さない。それが魔法師の天敵、楡井修平がこの学校に入学した理由だ。道理で、彼女の生にこだわったのだと合点がいく。

 

そして、今。

 

「さあ、腹を割って話そうか。司波達也君」

「………修平」

 

校舎裏で達也と相対する修平。口元は笑っているが目は笑っていない。それだけで彼が四葉に対して良い感情を抱いているのか否か、言葉を交わすよりも早く、そして確実に理解出来た。明らかに嫌悪している。それは聞くまでもなく、探るまでもない。自然と体は実戦に備えたものになり力が入る。

 

「四葉の当主は一度だけ見たことがある。あんなの年齢詐称もいいところだ。そうは思わないかい?達也」

『失礼しちゃうわね』

「いやあ、だってそうでしょ。魔法師は美形が多いって聞くけど、ヤバイよあれ。マジヤバイ。あの人の素性知らないでうっかり街とかで会ってたら、うっかりプロポーズしてたかもしれん」

『あらあら、おませな学生さんだこと。そんなにおだてても私がうっかり貴方に堕ちてしまうことはなくってよ?』

「やだなあ、そんなの俺だって願い下げですよ。ところで———」

 

彼らの会話は和やかだった。歳上然とした態度を貫く真夜には子供じみた罵倒くらいでは響かないと修平も承知しているからこそ、そのような冗談を言い合うような関係に見えるのだ。そうして、始終和やかなまま終わって欲しい。そんな達也の願いが叶う筈もないと、彼自身分かっていながらそう思うことをやめられない。いずれそうならなくなる。そしてその瞬間は思ったより早かった。なんてことのない雑談から一分経ったか経たないか。それくらいの時間で、修平は言った。

 

「ところで四葉の美人さん。姉君はどうですか。大漢の後から音沙汰なしのようで」

「ッ!!」

『……………』

「といってもまあ、顔を見たことはありませんけどね。司波………なんだっけ、深夜(ミヤ)さんか」

 

その言葉で平和的に解決しようなんて気が失せたのは真夜だけではない。達也は自身の得物、特化型CADシルバー・ホーンの三連魔法向けチューンナップモデル『トライデント』を抜き、銃口を修平に向ける。それと同時に修平の方も太腿のホルスターから38口径の五連発リボルバーを抜き、達也に向ける。その二人の得物だけ見ても、まったく異なるスタンスを垣間見ることが出来る。自らの技術でもって武器を作り出し、磨き上げ、それを行使する創造の才能を持つ達也と、すでに『あるもの』である既製品をそのままコピーする………。つまり、あるものを使うという行使の才能を持つ修平。高性能で、高価格で、高品質なトライデントとは対照的に修平のリボルバーは銘もない、ブランドもない、新進気鋭のビックリドッキリ技術もない。あるのは現代技術で極限まで耐久力を引き上げた実用性一辺倒の拳銃だ。

 

「どうしてそれをッ………」

「常に備えてるのさ。さあ真夜さん、俺に聞かせておくんなまし。大漢を滅ぼして大亜細亜連合の大漢併合の手助けをした気分はどうですかい?」

『……………そんなもの、貴方が知ってどうするつもり?』

「どうもしませんよ。ただ………陰謀論者日本代表として、ただの事故で片付けられないようなことには首を突っ込みたくなるタチでして」

『それで、七草に首輪をつけた後は四葉の番かしら?』

「俺が首輪をつけたくなるようなことをしたんですか?四葉は。でしたらこの場できっちりかっちりこっちり、お聞きしますよ、ええはい」

 

今現在においては、主導権は修平の側にある。彼が話したその情報を、真実だと肯定するのか嘘八百だと否定するのか。その二択しか許されていないからだ。

 

大漢崩壊———-。俗に2062年の悪夢とまで呼ばれるその出来事は、まだ四葉真夜が彼らくらいの年齢の時に起こってしまった。四葉家と台湾の武力衝突とそれに起因する大亜細亜連合による台湾の全土併合のことだ。一体どうして、一体どこから。絶え間なく疑問符が浮かんでは、その疑問の解消は不可能だと解決もままならないまま消えていく。真夜はここで、侮っていた彼を再評価した。誰の家だとか、国家のスーパー諜報機関だとか、それにまったく属さない、東京都在住の男子高校生の情報収集能力を。同時に達也は、これがただの揺さぶりであることを察知した。修平の復讐云々というのは全て今から三年前に起きた魔法師による一般人抹殺がキッカケであり、30年以上前のこの出来事は彼にとっては無関係なのだから。しかしその揺さぶりによって彼は何をしたいのかと問われれば、おそらく何をしたいわけでもないというのが答えだろう。愉快犯的に優位を取って優越感に浸っているか楽しんでいるか。勿論これは、彼の言葉を信じるならばという前提のもとだが。

では信じていなかった場合、どのような予測が立つか。これもまた単純、優位に立って交渉を進めたいからである。崩壊にどのようにして関わったのか、それを明るみに出されるというのは、四葉一族という表向きは国と関わりを持たないただの家が、報復として国家を攻めたということ。つまりこれが意味するところは、国家に所属していない(正規軍でない)団体が国を攻撃した、報復テロであるということを示す。彼は知らないことを知りたいと言いながら、そのような情報操作をすることをちらつかせるつもりかもしれない。

 

「腹を割って話そうと言ったな。どういう意味だ」

「あっそう。もうその話入っちゃう?別にいいけど………。お前さんが四葉の飼い犬なのか、俺をぶっ殺すつもりなのか、当事者同士で白黒ハッキリつけようじゃないのってことだよ」

「俺達はお前の家族については何も知らない、関わってない。だからお前を狙う理由は存在しない」

「そんなに真夜様の前じゃ言えないんなら、俺がブチっと通話を強制遮断してあげてもいいけど?」

「叔母上は関係ない!」

「………あっそ。それがファイナルアンサー?」

「そうだ。家も十師族も関係ない。普通に魔法を学ぶ生徒として、この学校に入学した。そしてお前と出会った。偶然だ」

 

互いに武器を向けて威嚇しあったまま。それ以外ならば信頼に足る。ゆっくりと修平が銃を下ろすと、同じように達也はCADを下げた。

 

「信じるよ」

「………ありがとう」

 

当然、達也はそれを真に受けない。しかし、修平の中で信じてはならない材料が減ったかと思えば達也にとってそれもまた成果だ。ここで達也に怒りをぶつけるべきでないと感情を抑え込んだ修平は、真夜に話しかける。

 

「まあ別に、四葉に何かされたわけでもないし、何かしてやろうとは思ってないよ。そっちから吹っかけない限りは」

『肝に銘じましょう』

「おや素直。魔女さんにしては珍しい」

『私は間違いなく優れた魔法師だけど、貴方にとってはそれだけの存在なのでしょう?」

「ハハハよく分かってらっしゃる」

 

その後の展開で、ほぼ真夜は修平に屈した形で決着した。その場で彼が録音した不可侵条約についてはあくまで即興、本格的な会議までの前座だったが、互いに攻撃を禁ずることという前提を組むことは叶った。四葉は彼の家族や友人に手出し出来ない一方で、修平が禁じられたのは真夜、達也、深雪への攻撃だけだったという点で有利なのだ。

 

『約束は約束よ』

「俺はキッチリ約束は守る主義なんだ。あんたらとは違ってね』

『そう………あ、そうだ。貴方の所業はバラしていいってお姉さんが言ってたから、バラすわよ?』

「あっそう。どうせならホラー映画っぽく演出してほしいね」

『アレなら変に脚色しない方が怖いわよ。それじゃあね』

「ハイな。あ、今度お食事でも一緒にいかがです?」

『もう少しオトナになってからね』

 

そうして四葉家の頭領とただの男子高校生の会話は終わった。つまりそれは、この場で起こることを知る者は二人だけに絞られたということを意味する。ここで彼はどのような行動を取るのだろうかと、達也は身構える。撃つのか、あるいは魔法を封じて近接戦闘でも仕掛けてくるか。まったく予想のつかない彼のその後の行動について、戦士として様々なシミュレートを瞬時にこなしていく。そうして完全に隙はなくなった頃だった。

 

「この前行ったカフェあったじゃん。あそこまた連れてってよ」

「………え?」

「いや、えって………。俺そこまで変なこと言ってないべ。アイネブリーゼだっけ。美味しかったからまた案内してくれよ」

「あ………ああ………分かった。いつがいい?」

「別にいつでも。都合のいい時連絡くれよ」

「………ああ」

「戻ろうぜ。兄様不足で妹が禁断症状でも起こしてるかもしらん」

 

彼は言った。四葉がちょっかいをかけなければ修平も何もしない。しかしその逆になれば彼はどうするのだろうか。今までのように、笑いながら殺しを実行する狂人になるのか、怒りに身を任せるのか。

 

この時、四葉が彼に害を加えたらどうにか和平の道を探ろうという考えがまったく浮かばない達也は、自分が正常なのか大いに疑念を抱いた。修平が達也に背を向けて先を歩いていると、達也の情報端末がある一枚の動画を受信する。サムネイルのにこやかな笑顔を浮かべてピースサインをしている少年は修平だが、撮影時期は二年前。再生ボタンを押すことが躊躇われた。

 

◆◆◆

 

校舎に戻ると、玄関で立ち話をしている三人にばったり鉢合わせた。

 

「お兄様、それに修平君も。お二人で何を?」

「ちょっとした雑談さ」

「そうそう。親交を深めてってヤツさ」

「なんで達也だけ?」

「いや、近くにいたし」

「キャッチセールスみたい………」

 

同級生で集まるのが、どうしても久しぶりに思えてならない。特に一科生の深雪とほのかと雫は、襲撃事件でも一部の人間と二言三言交わしただけに過ぎなかった。単独行動をするか、三年生と一緒にいるかのどちらかだったので共同戦線を張ったことも勿論ない。三人とも大活躍だったという話を聞いていただけだ。

 

「楡井、怪我してるって聞いたけどもしかして平気なの?」

「こんなの擦り傷だって」

「ガッツリ内臓が再起不能になってるって聞いたけど」

「どちら様から?」

「生徒会長から」

「……………あっそう」

「楡井君、顔怖いよ………?」

 

とりあえず真由美の行く末に暗雲が立ち込めたところで、修平は彼女達の顔をよく観察した。三人は確実に、三巨頭とのやり取りをカメラ越しに見た筈だ。三巨頭からすれば情報は一つでも多く欲しいところ、知り合い以上ということであれば片っ端から声をかけただろう。あるいは十文字辺りが光井家と北山家を案じて修平から引き離させるためにあれこれ画策したのかもしれない。しかし彼女達は少なくとも表面上は冷静でいる。あくまで今まで通りの、なんてことのない付かず離れずのような関係でいようとしてくれている。わがままかもしれないが、それが逆に裏で何を考えているか分からないという不信感を増幅させてしまうのだ。彼女達は復讐の対象ではない、ただ魔法師なだけだ。ゆえに敵対する必要もない筈なのに、彼の合理性はそれを許してくれそうにない。

 

「でも本当に大丈夫?」

「光井さん超優しいじゃん。見直したわ」

「今までの私ってどんなんだったの………?」

「お兄様、私達もああして定期的にイチャイチャしましょうか」

「あれはイチャイチャなどでは………。深雪、お前少し変わったか?」

「いいえ」

「今まさにそうやってイチャついてんだよバカ兄妹」

 

しかしこうして、とりとめのない話をするのも悪いことではないと、少し彼が十師族と会話したというストレスから緩和される。

 

「修平君ッ!!」

 

のは、一瞬のこと。真由美が血相を変えてやって来る。

 

「………あんだよ」

 

冗談を言い合っている暇はないと、真由美は言葉ではなく行動で示す。修平の腕を引っ張って———

 

「早く………こっち………ちょっ………凄い力!!」

「何でお前はそう非力なんだよ」

 

———いくことは出来なかった。何せどれだけ全身に力を込めても修平の体は根っこが生えているように微動だにしない。踵が1ミリも浮くことないどころか、よろめくような動作も見せない。ただそこに突っ立ったまま外力を加えても動かないのだ。

 

「今そういうのいいから!来て!」

「まず事情を説明しろ」

「ないの!そんな時間は!」

「会長?何をそんなに急いているのです?」

「楡井が困っています」

「そんな時間ないのにッ」

 

とにかく彼女は急かした。事情など御構い無しで、実力行使に無理があると事前に判断する余裕さえもなく、やってみて気付いたとばかりに態度で急かす。

 

「あるだろ。結構あるだろ。それとも俺のこと引きずっていける想定だったのかよお前は」

「貴方の情報が漏れたの!今私の家がてんてこ舞いよ!」

「俺がやらせたんだよ」

「What’s!?」

「うるせえ。いいからちょっと落ち着いて黙れ」

「これが落ち着いていられるかッ!」

「説明しろっつってんだよ頭スポンジ女!!」

 

修平は真由美の服の襟と腕を持って軽々と彼女の体を持ち上げ、いくらか手加減しつつも背中から落とした。手加減したというのは彼の中の比較で、真由美は固い床に落とされて肺の中の空気が押し出されて呼吸が一瞬止まる。

 

「あっ、ちょっ、待っ………。折れ………、折れた。私の背骨が折れた………」

「喋る余裕があるんだから折れてねえよ。で、何がどう漏れてマズイのか説明しろ。今」

「今!?」

「今」

「鬼畜ぅ………」

 

目頭に少し涙を浮かべ、真由美は空気を必死に取り込みながら何とか受け答えをする。つまり痛みを引きずったままだ。

 

「うう………もう、彼女からの連絡よ」

「あ?誰?」

「分かるでしょ!もう全っ然予兆なんてなかったしデータにアクセスされた痕跡もなかったし!どういうことなの!?」

「どっからか漏れたんだろ。お前のお友達辺りに。まあいい、さっさと消してやりゃいいんだよ」

「出来るの?」

「出来る。出来るからそれくらいで狼狽えんな恥ずかしい」

 

人の往来考えろ、と吐き捨てるように言い、まだ投げ技(サルト)の痛みが鈍く体を苛む真由美を放置して生徒会室に向かう。またも何やら友人にトラブルの気配だと、一科生三人と達也もその後に続いた。彼が何も言わなかったということは、許されたということだろう。

生徒会室には意外なことに2名しかいなかった。神妙な面持ちでプロジェクターによって投影された画面を見つめる十文字克人と、その横でいつのも能面のまま見つめる市原鈴音だ。修平が入室するや否や重い声色で話す。

 

「ガールフレンドから連絡だぞ」

「俺は人間以外はNGなんだ」

 

部屋には何やらただでは電話をさせてくれそうにないいかつい機械がいくつも並んでいる。逆探知か声紋採取のものだろうと、別に気にも留めなかった。

 

『楡井様!?楡井様であられますか楡井様ァ!』

「じゃかあしい。ボリューム下げろバカ女」

『もーうこの不肖ウィッカーウィッチ、貴方に無事をお知らせしたいと思いながら焦がれること数日。やっと高校の通信を打通させることが出来たと思ったら女狐の声ばかり、耳が丸ごと腐り落ちるかと思いました!』

「うっせえっての。お前が無事だってのは分かったから、切るぞこの野郎」

『待って!お待ちになってくださいまし!気にならないんですか!?私が息吹き返したこと!』

「政治家の不倫報道より興味ない」

『ヒドイッ!けど、その冷たさも、その………。イイ………』

「悦に入ったんじゃねえよ変態」

 

真由美が狼狽えていた理由はここにあった。あの時修平によって抹殺された筈。というか本人もそう言っていたが、それを正面から堂々と裏切られてしまった。右脚を引きずるあの女の声が部屋に響く。

最初にその異常性に対して恐怖感を抱いたのは、意外なことに女傑と名高い深雪だった。そこにある事実を、目を剥いて見ながらも受け入れたくないとばかりに口元を両手で覆う。ほのかと雫も同じように、そのあまりの狂気とその張本人がすぐ近くにいるという事実に必死に耐えようとしていた。達也と真由美は逆に観察するように彼を見た。

 

———あれは一撃がこれまでにないくらい綺麗に入ったんだ。

 

自慢げに話していた彼の言葉が脳内から離れない。話では、彼女の妹達は他でもない修平によって殺害された筈。どうしてそんな相手に敬称までつけて尻尾を振ることが出来るのか。底知れない狂気を感じたのは深雪だけではなかった。

 

「お兄様………これは………」

「深雪。辛いなら見なくてもいいんだぞ」

「………いいえ」

 

顔が青ざめた深雪は、ぐっと踏みとどまる。これは、の後に何が言いたかったのか自分でもおぼろげだが、とにかくもう無理だという旨を話すつもりだったのだろう。しかしそれを堪えて、彼の狂気をちゃんと見届けたいも思った。

 

「彼は………お友達ですから」

「………そうだな」

 

彼は狂いたくて狂ったのではない。ただ、そうすることでしか両親の仇を討てなかった。真に家族思いな少年だったからこそ、そうして強大な権力に立ち向かわなければならなかった。妹の胆力に感嘆するとともに、達也はあることに気付く。

 

彼の才能の目を潰したのは、『持つ者』達の嫉妬や被害妄想でしかなかったのだ。そうでなければ彼は純粋なまま科学者なり博士なりになって日本の技術発展に大きな影響を及ぼした存在になっただろう。しかしそうはならなかった。その知性も、器用な手先も、発想力も、全て復讐のために使われてしまったのだ。

 

それをもったいないと表現するのは果たして正しいことなのか?達也は考えても分からなかった。

 

「お前、まさかまだあの会社と繋がってるんじゃねえだろうな」

『そう猜疑されると思いまして、ちゃーんとそれを証明する手段も用意しましたよ。さあ、とざいとーざい!汚ねえ花火のお時間ですよ!』

「あ?」

『あの万年能面女………。若菜(ワカナ)なら、もう情報を入手していると思いますよ。何てったって天下の公安、しかも秘密部署なんですからそれはもう壁に耳あり障子に目あり。もうあと数秒で———』

 

その時、ある特定のメンバーの電話が鳴る。この室内では修平、真由美、克人の三人だ。怪訝そうに互いに見つめ合うだけだったが、修平が通話を開始するとそれに倣って二人も電話に出る。それぞれ通話の相手もかけられた言葉も違うが、内容は異口同音にしてまったく同じものだった。

 

———倉島ケミストリー&インダストリーズ岩見沢研究所で爆発事故。原因不明だが建築学的に脆弱な柱や梁を狙って破壊しているので、爆弾テロとの見方を強めて公安が捜査を開始した。

 

「………賑やかだな」

『でしょ!でしょでしょ!?もう先人の言う通り芸術を爆発させたらもういい感じに、ね!』

「語彙力どうしちゃったんだよ。また姉ちゃんに追っかけられるぞ。再戦するつもりか?」

『今度こそあの忌々しい面を変形するまでぶん殴ってやりますよ。じゃあまあそんな感じで、私は無事ですよっていう報告と、こういうことしたので私は完全に実家と決別しましたっていう報告です。そろそろ飛ばし携帯だってバレそうなので、さようなら。今度一緒にご飯行きましょうね』

 

賑やかしをするだけしておいて、女はさっさと通話を切った。誰もが辺りに鈍い沈黙が流れる気配を察知したのだが、この大事件に首を突っ込むべきか否かについては沈黙を守っていても全員一致することだろう。答えは絶対的に否だ。

 

そして達也から見てやはりというか、方々に対する態度はいくらか軟化している。かと思えば、殺しについて聞いてもいないことを嬉々として語る異常性も見せている。今の彼がどういう情緒なのか、達也にはまったく分からなかった。

 

「貴方、相当やりたい放題やってたのね」

「やりたい放題?」

 

と口を開いたのは鈴音だった。その言葉には侮蔑も恐怖もなく、かと言って称賛するでもない。ただ気になったから質問した、とばかりの事務的で無機質なもの。あらゆる感情が消失したようだ。しかしそれに対して、心外だとばかりに眉をひそめる。実際そうなのだろうが。しかしそこに攻撃的な意図はないようだ。

 

「やりたくてやったわけじゃない。やらないで済むなら俺だってやりたくなかった。殺しなんて」

 

彼に異変が起きる。手で目を覆い、俯き、そして声は震えて唇がわなないている。

 

「でも仕方ないんだ」

 

この国に正義がないのなら、権力次第で殺しさえも許されるどうしようもない不条理が存在するのなら。それを打ち破る者がいなければならない。そうでなければこの世は地獄そのものだ。しかしそうであってはならない。そうならないための存在がいないのなら、自分がなろうと思った。それが正義であると信じているから。

 

『グッバイ、美人さん』

 

きっと魔法師達もそう信じていたのだろう。ドス黒い真実を知るのは彼が殺した一握の人間、その他全員は本当に楡井家を悪と断じて、国家泰平と正義のために殺さなければならないと。そう思った筈だ。だから征伐という言葉まで使った。彼らは信じた筈だ。

 

悪はいる。だが正義はあったのか。悪でないと正義であるというのは別物なのではないか。

 

今目前で、泣きながらも殺しを悔いない彼に少し疑問を抱くというのは『正義』としておかしいことなのだろうか。達也は自身に問うた。



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九校戦編
マワリ・マ・ワッテ


後半、ちょっと暴力的な描写注意。生徒会長スキーの方は特に。


四月はとにかく慌ただしくスリリングだった。しかしその喧騒が嘘のように五月と六月を乗り越え、ああだこうだ、梅雨がなんだと言っているうちに初夏へ入り夏まであと少しと迫る七月に突入した。まだ初夏とはいえ、運動をすれば汗ばむし相応に喉も乾くが。さて、夏といえば学生のオアシス、夏休みが存在する。一時的に勉学という地獄から解放される至福のひと時が間近に迫る中、しかし生徒達に浮ついた様子はまったくない。それもその筈、この時期は夏休みを迎えるためのある試練が存在する。それは生徒達の良し悪しを計る絶対基準にして優劣を定めるもの、劣の方になりたくないがために生徒に徹夜までさせなかねない恐ろしい試練。夏休みという天国を見るために一度地獄を見なければならないというどうしようもない自己矛盾。

 

それが期末テストである。

 

「で、君か」

「何だよ。担当者不在なら出直すけど?」

「いや、いい。さっさと始めよう」

 

一般生徒の試験期間が終了したある日のこと。演習室に四名の生徒が集まった。一人は生徒会長の七草真由美。もう一人は渡辺摩利、そして十文字克人と続き、最後に生徒会室の常連という不本意なアダ名を付けられるに至ってしまった非業の人、楡井修平である。

こうなってしまった原因は様々だが、まず一つ言えるのは、この決定については合理的ながらも私情という、生徒会長の一見すると相反する筈の二つの要素が混ざっている。修平は魔法科高校のテストについて、ほとんど落第することが決まっているようなものだ。実技に関しては言わずもがな、彼に魔法を扱う才能など雀の涙ほどもない。まだ雀の涙の方が多いくらいだ。そして筆記に関して勉強を始めたのは一年前。全て独学で魔法塾にも一切通っていないどころか、教えを請うたこともない。そんな、極端に一般教養だけ高い生徒を繋ぎ止めるというのは容易ではないし、真由美は是が非でも彼の成績不振による退学を避けたかった。表向きは彼の対魔法師能力研究のため。しかし裏で考えていることは、生徒会長でも七草家次期当主としてでもない、完全に個人の私情である。あまりつまびらかには出来ないが、彼女にも高校生らしくそういう時期が来たのだと、つまりそういうことだ。不審な動きを察知すれば修平もスキャンダルを世間にぶちまけて十師族を社会的に抹殺するつもりなので、退学などあり得ないのだが。それでも、自分は学生なんだから何かしら試験を受けさせてくれと進言した彼の心を無下にするわけにはいかず、このような事態になった。

 

「試験が実戦訓練とはな………。で、どうして相手が私なんだ?」

「七草は徒手格闘クソザコだし、十文字は個人的にNG」

「おい、どうしてだ?」

「野郎と訓練して俺のモチベが上がるかよ」

「お前私のこと散々タカラジェンヌとか男女とか………」

「生物学的に女なら何も問題はない。やるならさっさとやろう。あんたにとっちゃあの時のリベンジマッチだな」

 

試験というのはつまり、魔法師との模擬戦。彼は対魔法師の能力を買われて入学したのだからその能力を図ることが彼の学校での進歩を見る一番の試験だ。摩利は一度、超短期決戦とはいえ彼の能力を実際に身をもって知った。彼女魔法師としてだけでなく戦士として優秀で、一度引っかかった初見殺しで負けることはないと考えていい。彼と一度戦ったことがある。その点が十文字克人との差である。真由美については白兵戦の心得がまったくと言っていいほどないので問題外であるが。

 

「ハイハイ、両者位置について」

「もう初見殺しには引っかからんぞ」

「そうかい」

 

相対している摩利から見て、修平はいつものようにキレのある冗談や皮肉を飛ばさない。それだけ警戒しているのだ。実際の戦場ならばありえない再戦というシチュエーションに置かれているからだろう。

 

「始めッ!」

 

ルールはいつかの実戦と同様、致命傷となる直接攻撃は厳禁。そして修平の場合はCADに対する破壊を禁じ、あくまで構築された魔法式に対するもののみを許可する。勝敗は負けを認めるか、審判である真由美が戦闘不能と判断した場合。ルール違反は控えている克人が力ずくで止める。三巨頭として並ぶ摩利と魔法師最大の天敵である修平を止められればの話だが。

 

二人は同時に仕掛け、最初に攻撃を行ったのは摩利だった。顔を狙ったワンツー、続くボディブローも腕で素早くガードされる。するとその隙を突いて修平が攻めに転じる。しかし彼のフックとストレートは防がれ、摩利がカウンターで再度ボディブローを狙い、それを回避してお互いが距離を取る。牽制のために魔法を行使しようとしても、彼が腕時計のストップウォッチボタンを押しただけで魔法式は簡単に、まるでデータが消されるように消去されてしまう。

やはり魔法に対処する能力は飛び抜けている。魔法師が魔法を行使するには魔法演算領域という精神機能が発達していることが条件で、つまり人間的に構造が出来上がってなければいけないが、彼の魔法削除は違う。機械がマルウェアを発動しているだけに過ぎず、操作もボタンを押すだけと超単純。そこには才能など必要ないのだ。忌々しいくらいに完璧な出来で、合理的で、製作者の能力の高さをうかがわせる。摩利は今、魔法師だというのに白兵戦をしなければならないというどうしようもない上に本来あり得ない状況に追い詰められているのだ。それでも流石、三巨頭に名を連ねるだけあり、彼と互角に渡り合っている。魔法を封じられている、という点で一見彼女が不利に見えるが、彼女はそれによる焦りをまったく感じさせない。実際感じていないのだろう。

 

「強いな」

「どっちが?」

「渡辺の強さを知っている分、楡井の方がな」

「私は逆かなあ。修平君の強さも怖さも知ってるし、付いていける摩利って凄いなーって思っちゃう」

「そうか………」

 

率直に言って、強い。それはどちらにも言えることだ。摩利は安定して強く、修平もまた同様に崩れないという強さがある。どちらも目立った危機がなく拮抗しているのだ。しかし真由美は彼をよく知っている。戦う姿の違和感に気付く。

 

「修平君、動きが鈍いわね」

「あれでか?」

「内臓が潰れたって言ってたし、それが完全に治っていないのかも」

「………人間か?あいつは」

「人間よ。別に変な人体改造とかも受けてない普通の人間」

「理解出来んな」

 

真由美から見て、動きが鈍い上に戦い方が慎重過ぎる。本来の戦い方は今のようなものではなく、あるいは右脚を引きずるあの女との戦いでもない。最も近かったのは剣道部と剣術部の小競り合いの時に見せた戦いぶりだ。敵に臆することなく、魔法を無力化する力技で小細工ごと打ち破る。それをやらないとすれば、彼と同じように膂力とタフネスを持つあの女と戦う時くらいのもの。不本意ながら加減をしているのだ。

 

修平と摩利の戦いは、攻防が目まぐるしく入れ替わる接戦だった。どちらかが攻撃を仕掛ければ、もう片方が防御や回避からのカウンターで素早く攻めに転じる。そのほとんどは拳や蹴りの打ち合いだが、動きがあったのは、この膠着状態を破ろうと両者が思った頃だった。修平が摩利の前蹴りを躱し右脚を小脇に抱えるようにして掴むと、左脚を払って地面に仰向けに倒すと追撃を加えようとする。しかし摩利は修平の左腕を取り、首を腿で締め上げる三角絞めを決める。

 

「ゔぅ………あぁ〜………んぎぎぎ………」

「うわ、ちょ、待っ………」

 

しかし、首を絞められた上に腕を決められているにも関わらず、摩利の体が浮き上がっていく。彼が両腕の力で彼女を持ち上げているのだ。青筋を浮かべながら体を持ち上げ、そして思い切り背中から落として床に叩きつける、パワーボムをお見舞いする。危うく喀血するのではないかと思うほどの衝撃が摩利を襲うが、歯を食いしばってそれを耐え、辛うじて外されていなかった左腕を再度決め、彼の体を引き倒して腕ひしぎ十字固めに切り替える。

 

「やっぱり摩利は強いわあ」

「そうだな。しかし楡井もかなりいい勝負をした」

「そうねえ………。摩利〜!うん?………摩利?」

 

こうなれば体にハンデを背負った修平に勝ちの目はない。勝負は決したと模擬戦終了の合図を出した。しかし。

 

「ゔぅぅぅ………。があああ!!」

「んぎぎぎぎッ………お前、どういうッ、力してッ………あ゛ぁぁぁ!!んぐー………」

 

あまりにも激しい戦いに模擬戦ということを一時忘れ、本気で彼の腕をへし折らんと力を込め続けている。そして一方の修平も決められている左手に力を込め、摩利の右肩を掴み、握力で万力のような力で締める。握力だけだというのに、ロープで思い切り力を込めて絞められたような息苦しさと鈍い痛みが走り、摩利の本音が思わず漏れた。

 

「ちょ待って二人とも!ストップ!折れる!どっちも折れるから!どっちも折れて致命的な致命傷だからやめて!」

「おい二人とも、模擬戦は終了だ。おおい」

 

二人は同時に技を解くと、息を切らしながら実習室の床に倒れる。

 

「お前ッ、下級生相手ならもうちっと手加減しろよ」

「君こそ、女性に対してえげつない技をかけおって」

「お前三巨頭だろうが!」

「君は対魔法師戦闘のエキスパートだろうが!」

 

これが試験の模擬戦であることを危うく忘れかけるような壮絶な死闘を終えて、二人はあーだこーだと言い合う。その様子を見て思うところは様々だが、とにかく真由美はその結果について手元のタブレット端末に記入していく。

 

「もう………。それじゃあ今回は花丸満点あげちゃおうかしら」

「そういえば、楡井はどうしてこのようなハンデを背負って試験に?」

「手負いのままで敵と戦う時の実戦訓練なんですって」

「楡井は何と戦っているんだ………?」

「さあ。魔法師じゃないかしら」

 

真由美のタブレット端末には彼の身体データも入っている。そこには警告色である赤い文字で彼の身体に関する警告が記載されている。

 

大腿四頭筋裂傷、橈側手根屈筋断裂、小円筋筋繊維断絶、虫様筋裂傷、第一、第二及び第三肋骨骨折(摘出済)、腓骨挫傷、上腕骨挫傷、第十胸椎に若干のズレ、肝臓左葉摘出、膵臓ランゲルハンス島の4割は機能停止。秀平と戦ってから数日で完治した部分もあるものの、まだこれだけのダメージを負っている。それを知っているのは真由美と保健室の養護教諭だけだが、克人もそれを感じている。というより負傷した箇所の多さと中々の重傷であるので、感じることは一つだ。

 

「本当に人間なんだよな?」

「人間だから………人間よね?」

「俺に聞かれても困る」

 

これでよくあれだけの動きが出来るものだと、賞賛するより前にまともかどうかを疑ってしまう。まだ向こうで摩利と何だかんだと言い合っている修平を、真由美は微笑ましく見守っていた。

 

「真面目ねえ………。言い訳のしようなんていくらでもあるのに」

 

怪我をしているので本気を出すことが出来なかった。そう言えばいくらでも負けという結果を繕うことだって充分可能だったろう。しかし彼はそうしなかった。ひとえに真面目なのだ。そういう言い訳をするのは醜いこと、たとえ不利な状況であっても………。いや、実戦を考えて自ら不利な状況に飛び込んだからこそ負けを負けとして認めるのが道理だと、彼はそう考えている。本当に、今までと矛盾するようにどこまでも真っ直ぐだ。

 

「まあよさげな感じならいいや。付き合わせて悪かったな、渡辺」

「いやいいさ。あそこまで緊迫した戦いは久し振りだったからな。私もいい訓練になった」

「そりゃどうも、チクショウ。………うん?」

 

さっさと実習室から出ようと、自動ドアのパネルに手をかけたところである違和感を覚える。この室内ではなく、室外からのものだった。こればかりは理論も理屈も存在しない完璧な第六感であるが、それは的中した。

 

「わっ!」

 

扉を開けたことで、体重を預けていたほのかが重力に従ってずっこけるように実習室に入る。そしてそのほのかに体重を預けていたエリカ、更にエリカに預けていた雫………。と、雪崩れ込むように入室していった。

 

「ど………どうも〜」

「何してんの」

「いやあなんていうか………観戦?」

「どうやって」

「実はちょっとだけ開けてた」

「あのさあ………。別に見るなとは言わないけども。見られて困るようなことしてねえし。何でこんな覗き魔みたいなことしてんの?」

「巻き込まれるのは嫌だし」

「巻き込まねえから」

 

聞けば、お遊びとはいかない真剣そうな場面だったので帰ろうとしたが、三巨頭の戦いぶりや友人の実力を見ておきたいという好奇心には勝てなかった。なので邪魔にならない程度に、同じく好奇心の誘惑に負けたほのかと雫とともに観察していた。しかし扉の隙間の死角から修平が接近したため気付かず、見つかってしまったということだ。

 

「うーん………。まあ別に、いいじゃない?減るもんじゃないし。ねえ修平君」

「嫌だとは言ってねえっつの。それで、一科生と武道のお家的には見てどうよ」

「私、徒手格闘は専門外で………」

「ほのかに同じ」

「アタシは剣術専門だから」

「何でだよ………」

 

それ意味ある?との物言わぬ問いかけには、覗き魔三人は苦笑で返すしかなかった。

 

「俺帰っていいか?」

「ええ。結果は追って伝えるから」

「これで満点じゃなかったらお前ら全員呪い殺してやる」

 

見世物にされて居心地が悪くなったのだろう。僅かに眼球の毛細血管が切れて白目の部分が赤く染まっている目で威嚇して、去って行った。

 

「時に七草、評定は?」

「呪い殺されたくないから満点」

「うむ、よきにはからえ。……何が?」

 

◆◆◆

 

これを鬼畜の所業と言わずに何とするか。保健室で包帯と消毒液を拝借して、両手の口を器用に使いながらテーピングを施していく。体の至る所の骨が損傷し、筋肉は亀裂が入っている。書類の上では限定的な記載だったが、それは負傷した部位が多すぎて書ききれないということ。もはや無事な部分を探す方が少なくて楽なほどに、今の彼の体には相当のガタが来ている。テーピングなど間に合わせどころか気休めにしかならないが、それでもないよりマシというやつだ。そして今回は、いつかの入学式の日のように孤独というわけにはいかない。教員用の机は彼が占拠しているので、来客用のソファに腰掛けて彼の()()をじっくりと観察しているその人は、総合カウンセラー、小野遥その人だった。

 

「………なんでさあ、そんなに動けてるの?折ってるんでしょ、骨。あと筋肉断裂してるんでしょ?」

「男なら痛いくらいで泣くんじゃねえって母さんが言ってたから」

「それ、ツッコミ待ち?」

「勝手に受け取ってくんな」

 

服の上からでは分からないが、修平は包帯でミイラのようにぐるぐる巻きになっている。遥の人生の七不思議の一つは彼の体だ。手術を受けて強化されているわけでもない、薬を服用しているわけでもない。魔法など以ての外。生まれた時から今に至るまで純粋なままだというのに、腕が切り離されていない限りは軽傷とのたまうような、頑丈という言葉だけで片付けられない肉体の持ち主だ。

 

「本当ならアンタとこんなに平和にお喋りしてる筈じゃなかったんだ」

「じゃあどうするつもりだったの?」

「あんたがただのカウンセラーなら、何発かお見舞いして脅しようもあったのに。姉ちゃんの元同僚相手じゃ絶対無理だ」

「………それはどういう意味で?」

「俺が警察に遅れを取るとでも?俺がここまでしてやっても殺人の一件も立件出来ないような無能どもに?コネクション的な意味でだよ。あんたを()()()()傷物にすると流石に姉ちゃんに怒られる」

 

小野遥と修平の姉は以前面識があった。といっても、知人とさえ呼べない、挨拶をすれば返す程度の仲だったが。その時にでも聞いておけばよかったと今更ながらに後悔する。

 

———彼の体の秘密が分かれば、人間はもっと進化できる。国防だけでなく国の発展にも有用だというのに。

 

そんな邪な思いで見られるがゆえに、修平は遥を受け入れられないのだ。何人と話そうとも、やはり信じられるのは家族しかいない。

 

「友達も信じられない?」

「カウンセラーっぽいことしようとするなよ」

「カウンセラーですもの。今の貴方が信用しているのは家族だけ?」

「そりゃもう。シスコンとでもマザコンとでも呼ぶがいいさ」

「どっちも血は繋がってないでしょ。最近じゃようやく生徒会長いじめるのをやめて同級生と仲良くしてると思ったのだけど」

 

しかし今はカウンセラーと生徒の関係を貫き通し、聞くべきを聞く。主にあるのはそう、特に多重人格という特異な精神状態にある彼は正常にコミュニケーションを取れているが、それは理性でコントロール出来る状態にあるからだ。そして彼は自然と、理性が爆発しない………。つまり、恨みつらみを吐き出さずに済む相手の側にいようとするだろう。

 

「無理だわ」

「何が」

 

すると彼は、大きな反応を示した。同級生についての話題に変え、直接言葉に出さずとも『彼らは信用に足る人物なのか』と問いかけるとこのような答えがノータイムで返ってきたのだ。

 

「今んとこ信頼ゼロのがいるんで、無理な話だ。なんなら改心させた七草の方が落ち着くってのもまあ事実っちゃ事実だ」

 

彼の言うことも真理だ。名前は出さずとも、魔法師嫌いで十師族憎しの彼が警戒しているクラスメイトが誰なのかなど容易く予想がつく。その上で、腐れ縁どころかかつて敵同士だった七草真由美は既に裏切る心配は皆無だ。何せ握れるだけの弱みを握ったのだから、彼に反旗を翻せばこれまで秘密にしておきたかったアレやコレが白日の下に晒される。

 

「改心させた?」

 

いやちょっと待て、と一度そこから話を逸らす。改心させたという言葉、聞こえはいいが要するにこういうことだ。

 

「俺なりのカウンセリングってヤツ」

「………まさか」

「安心しろ。生命保険には入ってるらしい。うっかり加減を間違えても、真由美(アイツ)が冷たくなって動かなくなっても価値があるってことだ」

 

ここに来て当たって欲しくない予想が見事に的中する。

 

「見上げた根性してるわ、貴方。復讐に魂を売ってそこまで残虐な人間になるなんて。元々素質があったの?」

「そっちこそ。いつもじゃ生徒の前でタジタジのイジられキャラのクセに俺相手じゃこれかよ。怖いねえ女の人ってのは」

 

彼はケタケタと笑った。二桁の人数を惨殺しておきながら更生するどころか戦果として堂々と見せびらかしている。もしここに物証でもあればテーブルに並べるのではないかというほどに、彼はこの所業を誇らしく思っているのだ。やはりこいつは脳の一片に至るまでドス黒く汚染されて、イかれている。年齢がなんだと言う前に、ここで殺して悪の芽を摘んでしまうべきなのではないか。胸ポケットに隠した護身用の拳銃に意識が向いたが、その思考を取り払う。

 

狂った彼ではない。狂わせた元凶を叩く。警察官とは本来そうあるべきなのだ。復讐殺人は刑法で禁じられているので、貴方の事情なんて知ったこっちゃありません逮捕。それで幕引きをするのは彼女の矜持がどうしても許さなかった。

 

「………もしも。もしもよ?この高校にいる魔法師と戦うことになったら、貴方はどうする?」

「殺すさ。俺ならそれが出来る」

「本当に?」

「俺が一個のCADだけ無力化するようなケチくせえ用意しかしてないと思うか?おととい来やがれってんだ」

 

しかし彼が止まらないのもまた事実。今の話はあくまで仮説だが、同時に不可能でないということだ。

 

「なんかデカい行事もあるらしいし、俺は静かにしてるよ。向こうからちょっかいかけたりしない限りは」

「そうであることを願っているわ。もう終わり?」

「そりゃこっちのセリフなんだがね。あんたもさっさと警察官らしさが消えて上手く潜入出来るといいな」

「子供が気にすることじゃありません」

「あいあいマム。そんじゃまあ、お世話様っしたーありあとやんしたー」

 

彼はしっかりとした足取りで保健室を出て歩いて行った。怪我など微塵も感じさせない。あれならば全快までは一ヶ月とかからないだろう。まったく矛盾するようだが、人間離れしている能力に最も人間らしい体がくっついている。魔法師以上に。

 

「若菜が聞いたらブチ切れるでしょうね」

 

どうして上司と元同僚の板挟みになってしまうのか。そして生徒同士が持つ倒錯的な関係があることに、遥は一人溜め息を吐いた。

 

◆◆◆

 

ある休日のこと。七草真由美は一人、自室の姿見に映る自分とにらめっこしていた。茫然としているわけでもなく、ただ見ていた。

 

おもむろにブレザーとシャツを脱ぎ、下着だけで前に立つ。彼女はトランジスタグラマーで、小柄で可愛らしいサイズ感ながらも女性としての肢体は艶やかだ。痩せ過ぎず太過ぎない理想的なもので、年頃の男子ならば体一つで骨抜きになってしまうであろうほどに。

しかし、そんな完成された肉体の至るところにはそれを冒涜するかのように痛ましい打撲痕が胴体に、夥しい数ついている。そのほとんどは青あざだが、内出血の規模が大きいものや変色し始めているものなど、見るに堪えない傷もある。

 

そして麗しき華の女子高生にあるまじき惨状に、彼女は笑った。愛おしそうに、傷の一つ一つを白い指でなぞりながら、慈母のように優しげな瞳でうっとりと魅入っていた。

 

「そんな………」

 

すぐそこで、愛しき妹がそれを見ているとも知らずに、彼女は恍惚に浸っていたのだ。




入学編だけで修平君のこと終わらせられなかったよ………。というわけで、無念の持ち越しです。ええはい、すみません本当。


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二乗解

司波兄妹など、彼が一応表面上は友人として扱う人物が生徒会や風紀委員会など学校運営の中核を担う役職に就いてから、修平は四六時中と言ってもいいほどに真由美や摩利に付くようになった。理由については言わずもがなだが、そうまでして生徒会と近寄らなければならない理由は、例の行事にあった。

 

「ほんっとーにありがとねえ、修平君」

「やめろ気持ち悪い。そんなセリフ聞くために引き受けたわけじゃねえぞ」

「だが実際助かった。まさか君が自らセキュリティ担当に立候補してくれるとは思わなかったが」

「姉ちゃんがやるっつーんならやる。何で姉ちゃんの部署が出張るのかは知らんけど。そんでもってシャクだけど」

 

九校戦こと、全国魔法科高校親善魔法競技大会。毎年夏に開催される魔法の競技大会で、全国にある九つの高校が選りすぐりの魔法科高校生を集めて開かれる。ただの運動会とはいかず、実力ある金の卵を見つけるために政府や軍の関係者、企業の重役とスカウトまでもが観戦する。大会の主催と競技場の提供を軍が行うという点でも、大きな大会だ。さて、もちろん古今東西大会というのは選手だけでは成り立たない。サポートあって選手たちものびのびと競えるもので、裏方というのは目立たないながらも必要不可欠な存在である。その裏方作業員の一つ、警備スタッフについては民間の警備会社ではなく警視庁公安部の機密部門(表向きは公安機動捜査隊の一部門)が行うことになり、姉の仕事に弟である修平がくっついていくという体制になった。民間企業よりも信用できる上に実力派の修平もつくとなって真由美は踊り踊って喜びそうになったが、問題はそれだけではなかったのだ。

 

「そうじゃねえだろバカ。結局技術スタッフはどうなったんだよ」

「そうなのよねえ………。それが一番の問題っていうか、修平君はCADの調整できないんだよね」

「俺はぶっ壊す専門だからな」

「元々魔法工学志望が少ないのよねえ、ウチ………。あーちゃんと五十里君がいる分今年はいくらかマシだけど、それでも頭数が足りなくて」

「主力選手の十文字と真由美がカバーするわけにもいかないな」

「摩利がそっちの方面に詳しかったらまだやりようはあったのだけれど」

「………いやあ、ははは」

 

真由美の責めるような視線に、摩利は気まずそうに目を背けるしかない。

最も重要かつ九校戦開幕前に表面化した問題として浮上したのがこのエンジニアの圧倒的な不足である。魔法師志望が圧倒的に多い第一高校で、九校戦でしのぎを削れるだけの性能のCADを調整できる有能なエンジニアが少なく、予備も含めれば三桁の数に迫るCADを全て捌くだけの頭数が足りていないのだ。修平は精密機械に強いものの彼の弁の通り魔法に関するデバイスは破壊する専門なのでボツ。専門家と言えるだけの人材はいない。

 

「仕方ねえなあ。それじゃあ馬鹿と愚図と無能に楡井さんが解決策を示してしんぜよう」

「ちょっと待って、それ誰がどれ?」

「どれにしたって酷いじゃないか………」

「いるだろここに、有能なエンジニアが。お前らのフシアナ・アイでもしっかり見れる位置に」

「近くってどこに———」

「なんか修平君、人格バグってきてない?」

 

真由美の指摘を華麗にスルーし、修平は有能なエンジニアとして隣で昼食を黙々と食している達也を指差した。

 

「えっ………」

「……………」

「……………」

 

指された本人は予想外過ぎる不意打ちに固まり、生徒会組と摩利も発案者の修平と指名された達也を交互に見る。

 

「それだわッ!!」

「そうだ!それだ!!」

 

そして堰を切ったように沈黙から一転して真由美と摩利が大声を張り上げる。思わぬ盲点だった。それもそのはず、彼女たちには競技と直接関係する箇所に新入生を加えるという点がそもそも考えられていなかったから。こればかりは素直に認めて喜ぶべき発見のようで、いつも能面と呼ぶに相応しい鈴音も少し口角を上げていた。

 

「私は賛成です。お兄様でしたら、たちどころに一流企業のエンジニア顔負けのチューニングをしてくださるでしょう!素晴らしいCADが完成するに違いありません!」

「しかしな、深雪………。そうは言っても………」

「不満か?」

「当たり前だ。過去、一年生がエンジニアになった例はない。前代未聞のことなんだぞ」

「よかったじゃんか。歴史に名を刻めるぞ」

 

しかし当の本人は、先輩二人と愛する妹が激推ししていても渋っている。修平の軽口に付き合う様子もなく、迷惑そうに顔をしかめる。

 

「俺は二科生なんだ。俺が出張れば同級生の一科生が黙っていないぞ」

「些事だわそんなん。そんなことより出来る奴が出来ることをやらない方が大問題だろうが。魔工に関しちゃここの万能(笑)魔法師もオトコオンナも能面も草食動物も補欠のレベルだぞ。専門家一人いりゃあ安心だろうが」

「確かにその通りだが………。お前、どうしてそこまで俺を推すんだ」

「誤解してるかもしれないが、俺は魔法師の敵じゃない。俺に仇なすスポンジ脳みそどもの敵なんだ。魔法師が多いってだけでな」

「……………」

 

敵ではない。その言葉はまったく信用出来ないが、達也は嫌味に感じるほどの謙虚さはなく人並みだ。自分に魔法工学の知識があることはよく分かっている。何せ自分のことなのだから。趣味人以上の成果を出すことが可能であることも、分かっている。だがストップをかけている理由は自分で口にした通りもあるのだが、修平が推すというだけで信用ならない。何か重大な陰謀が渦巻いているのではないかと勘繰ってしまう。誘いに後ろ向きになっていると、深雪が懇願するように見つめて言う。

 

「私はお兄様にCADを調整していただきたいのですが………。ダメでしょうか?」

「……………」

 

弱い。まったく弱い。こういったお願いに、達也は弱いのだ。こうなっては折れるしかない。

 

「………はい。エンジニアの件、謹んでお受け致します」

「っしゃあ!!やったわね摩利!」

「ああ!これで何も怖くない!」

「フラグ立てんじゃねえよバカ二匹」

 

本当にいいものだろうかと、深雪の活躍を見れる場のつもりがそう簡単にいかなくなってしまった。果たしてどうしたものかと、達也は首を傾げた。

 

「あ、そうだ。修平君はこの後の会議に出るように。()()()()()()()が警察関係者とコンタクトを取れるわけないもの、貴方は伝達役として出てもらうわよ」

「お前ホントそういうとこ………」

 

◆◆◆

 

九校戦の準備会議は部活連本部で行われる。さながら大企業の会議室のような空間に選手だけでなくエンジニア、作戦スタッフのような裏方も一堂に会するのだ。深雪ら一科生は何度も参加して慣れたものだが、参加を突然突き付けられた修平とエンジニア就任がつい先ほど決定した達也は初めての参加となる。九校戦に出場するのは全員一科生であるため、そこに入ってきた二科生二人の登場には険しい表情で嫌悪感を露わにする生徒が多い。しかし四月と違う点は、その中にも好意的な視線が少ないとはいえ存在するというところだ。風紀委員としての一件もあって、その実力が認められつつあるのだ。

 

「中々の歓迎だこと」

「そう言ってやらないでくれ」

「あ?どしたチャンバラ野郎。お前さんも選手か」

「そうだが………って、そのアダ名は確定なのな」

「何せ弱かったもんでな。場所はここで合ってる?」

「ああ。それで………楡井は話に聞いてるけど、司波はどうした?」

「俺はエンジニアで」

「マジか。一年で、しかも二科生でエンジニアかよ。こいつはまたえらいこった」

 

話しかけてきたのは、以前一悶着あった一科生の桐原武明だった。しかし笑ってはいるが意地の悪いものではなく、心の底から楽しげに笑っているようだった。友人のように親しげにとまではいかないものの、二人揃って笑い飛ばす一科生と二科生の確執はないように見える。

 

「司波達也!それに楡井修平!どうしてお前らがここに!ここは九校戦に選ばれた生徒しか入ることを許されていないんだぞ!!」

「あ?誰だてめえ。後になって『ああ確かそんな奴いたね』程度で済ませられるようなモブAが気安く話しかけんじゃねえよ」

「森崎だッ!一科生の森崎駿だぞ!」

「ああ、いたねそんな奴」

「貴様———がはっ!?」

 

それに水を差すようにして現れた森崎駿に対する処理は早かった。修平はパイプ椅子を掴むと、ソフトボールさながらのアンダースローで思い切り投げ付けた。椅子にはスポンジがあるとはいえ骨組みが金属が使われている重量物なのだ、質量を持った物体が激突して森崎は吹っ飛ばされるように倒れる。更に追い討ちをかけるべくポケットから特殊警棒を取り出して歩み寄っていく。

 

「待て修平」

「待てと言われりゃ待つけれど、向こうがそうとは限らんぞ。衆人環視の前で二科生に盛大に恥かかされたんだからな」

「正当防衛の大義くらい持つべきだと思わないか。それ以上はやめてほしい」

「仕方ないにゃあ」

 

達也が止めに入ると、修平はあれこれケチをつけずに驚くほどあっさりと退いた。

 

「大会前に選手を壊さないでくれないかしら」

「見解の相違ってヤツだな。二科生が囲んで棒で叩かれる事態を避けたんだよ」

「………じゃあもうそれでいいから、頼むからおとなしくしてて」

「先制パンチが来たら正当防衛くらいはするが?」

「来るまではおとなしくしてて」

「あいあい」

「それじゃミーティングを始めます。ほらみんな、ポカンとしてないで座って」

 

パンパンと手を叩き、小競り合いのせいでドン引きしているその他の生徒を強引ながらも席に座らせて真由美は会議をスタートさせた。

 

やはりというか、真っ先に取り上げられた懸念事項は二科生の達也がエンジニアに就任した件についてだ。好意的な一科生というのはまだまだ少数派で、未だ二科生はあらゆる面で一科生に劣っているという偏見は消えていない。なので反対の声は会議中もいくつか聞かれた。修平の方はまだ何とかなった、というよりそもそもセキュリティになど興味がない生徒がほとんどなのでその辺りはどうでもいいといった印象で、真由美のゴリ押しもあって話は進んだが、エンジニアというのはその能力一つで競技の根幹を揺るがすポジションなのだ。

 

「司波のエンジニアとしての腕前が分からないから反対の声があがるのだろう?確かめるのは簡単だ、調整させればいい。何なら俺が実験台になるが」

 

腕を組んで思案していた十文字がそう提案した。実際彼の主張は真理で、分からないのなら分からせてやればいいという至極単純ながらも効果的なものだ。当然学校で人気の真由美が選んだのだからその名前で売ることは容易いが、それでは周囲との軋轢を生む上に実力を証明できない、さらに生徒会長効果という裏技の悪手である。

 

「会頭、よければその実験台、俺に任せてもらえませんか」

 

名乗りを上げたのは桐原だった。単に上級生を二科生から庇っただとかそのようなネガティブな思考ではなく、信用しているようだった。もっともその信用というのは当然達也に向けてではなく、指名した生徒会長へのものだが。あの真由美が、同情と哀れみとほんの少しの気まぐれだけで指名したとは到底考えられない。是非エンジニアになってほしいと直々にヘッドハンティングするだけの実力があるのだろう。魔法師はCADに対して無防備で、その調整を行う相手は二科生。一科生が心配や反対の声をあげる中で、最も強く反対したのは彼らではなかった。

 

「コンピュータエンジニアリングの世界じゃ、用途もスペックも違うデバイスとコードを複製してぶち込んだらほぼ確実にバグる。下手すれば分散処理もできないような重大なヤツが。安全マージンのことを考えれば正気の人間がやることじゃない。何せ基礎の関数から違うんだからな。アルゴリズムのチャートを変える必要性だってあるかもしれない。魔法は違うのか?」

「………その可能性は大いにあると言わざるを得ないわね」

「てめえチャンバラ単細胞男、わざと吹っかけたんじゃねえだろうな」

「いや、そんなつもりはなかったんだが………」

「あっそう。そりゃまた、使う()()の人間ってのは楽でいいね。俺ももう少し頭の出来が悪かったらそっちに行きたかったよ」

 

もう一つ、容量に空きがあるCADを持ち込んだことでその実験台というのが何をされるのか即座に悟った、皮肉るような修平の言葉に辺りはシンと静まり返る。現代魔法に関する知識は、彼の言ったようにコンピュータエンジニアリングや情報工学である程度置換可能である。当然ある程度であって全てではないが、彼の指摘は正しかった。真由美が予定していた課題というのは桐原のCADを競技用のものにコピーし、即時使用可能な状態にすること。桐原が差し出したのは競技用に調整されたものだが、コピー先のCADはそもそも世代が異なるのか廉価版なのか知らないがスペックが低い。桐原の剣術の腕前は確かなもので、CADもそれに見合った高性能なもの。とりあえず数が揃えばいいといった学校の量産品とはまったく異なるものと考えてもいいのだ。

 

「どこまでいっても馬鹿が馬鹿みたいなやり方で馬鹿面晒しただけだったな七草。言い訳は考えてきたか?『桐原君のCADはイッテンモノで似た用途とスペックのものがなかったからやむを得なかった』とかか?」

「……………ごめんなさい。焦っていたみたいね」

「急いては事を仕損じる、だからな。お前の提案は差別主義者(レイシスト)どもの格好の餌だぞ」

 

予定していた言い訳まで看破され八方塞がりになった真由美は白旗を揚げた。

何も真由美も、わざと出来もしないような課題を吹っかけて達也を落としたかったわけではない。寧ろ彼を登用したかった。しかし彼女は結果を焦り過ぎて視野狭窄となってしまっていたのだ。真由美のエンジニアリングに関する知識は修平の言ったように補欠のレベル、溢れる才能もあってプロ寄りのアマチュアレベルまで到達しているものの本業には遠く及ばない。その無知ゆえに彼が指摘したような大事な点を見落としてしまっていた。

 

「あーゴメン、待って、ちょっと待って。今考えるから少し待って。ちょっと修平君、あと摩利と十文字君も。ちょっとこっちカムヒア」

「何で俺までお呼ばれしなきゃなんねーんだよ。手前の不手際だろうが身内でなんとかしろ」

「まあまあ楡井君、少し付き合ってくれ」

「楡井、俺からも頼む」

「真面目かッ!十文字真面目かッ!」

 

しかし達也の()()としては、吹っかけられてエンジニアの座を落とされるというのも困る。より具体的に言えば、餌を取り上げられては困る。彼に隙を与えなければならない。本当に信用すべき人物なのかを知るためには、知性を排除して欲望の深淵を覗かなければならないのだ。

 

「俺は構いませんよ」

 

達也のその一言に、緊急会議を開催しようとしていた三巨頭プラスアルファは弾かれたように彼の方を見る。修平が丁寧に不公平である点を挙げ連ねてそれを聞いた筈なのだが、それらを全て手で払うようにして達也は言ってのけたのだった。

 

「俺がよかねえんだよ。万が一にもお前がヘボだったら困るのは俺ら後援会組なんだよ」

「しかしだな、俺としても受けると言ってしまった手前反故にするわけにもいかない。その課題で済むなら良心的なくらいだ」

「お前さんが馬鹿じゃないことは分かってる。けど後顧の憂いってのは断てる時に断つもんだ。今回に限って言やあ、落ち度は完全にあっちにあるんだぞ」

「分かっている、お前の言ってることは全て正しい。だけどやらせてくれないか。意地みたいなものだが」

「………お前と心中するつもりはないんだが、まあうん。いいんじゃねえの。さっきから深雪ちゃんの視線が痛いし。やりたいようにやりなよ」

 

愛しいお兄様を盲信している深雪にとっては受け入れがたい発言の連続だったのだろう。いつも花が咲くような笑顔を見せていたが今は眉をひそめて修平を睨むばかりだ。彼も彼で話した通り、こんな意固地ひとつで野郎と命運を共にする趣味はないのだが、推してしまったこともまた事実。達也は小手先ばかりの技術者でも知識だけの本の虫でもないことは保証されているようなもので、修平が懸念した万が一というのは前世で大罪を犯して業が深くない限りはまず起こらない。

 

実際に使用する車載型の調整機を部屋の真ん中に置き、片方に達也が座ってその向かい側に桐原が座る。

 

「これから司波達也君に課題に取り組んでもらいます。課題は先に話した通りです。その調整機を使って桐原君のCADを競技用のものにコピーし、即座使用可能な状態にしてください」

 

達也が言いたいことは、修平が代弁した。それでも達也はこの不公平な勝負を受けると言った。その発言に責任を取るためには、課題クリアという勝利を収めなければならない。友人や妹のためにも負けられない。

 

と、気合を入れた風ではあるが、正直この課題はあまり難易度としては高くない。エンジニアとしての腕の見せ所は、要するに用途の違う式をどうやってバグのないままにコピーして違和感なく魔法が発動できる状態に持っていくか、というところにある。難しくない。自分の知識と技術をもってすれば余裕だ。

 

そう心で唱えて達也は作業を開始する。まず桐原のCADからデータを抜き出し、それをコピペするのではなく一旦調整機に保存する。次に桐原のサイオンを測定する。このまま自動設定をしてもいいが、マニュアル操作の結果の良し悪しがエンジニアの腕前によって大きく左右される。しかし丁度次の行程に移る辺りでピタリと達也の手が止まる。もしや何か間違いが起こってしまったのか。恐る恐る画面を覗き込んだのは、この手のデバイスに目がないあずさだった。

 

「これは………!」

 

あずさは二の句が告げなかった。本来は作業効率上昇のために表示される筈のグラフや細かい表は存在せず、ひたすらに数字の羅列が目にも留まらぬ速さで表示されては画面外に消えていく。専門家ではないとはいえデバイスに明るい彼女はそれをすることの難易度をよく理解しているからだ。

 

「ねえ、ねえねえ修平君、あれ凄いの?凄いんだよね?」

「静かにしてろバ会長」

「バっ………。ううん、でも修平が見入るんだから、凄いのか………」

「凄いけど、原データから掘り返すってマニアックすぎるだろ」

「じゃあ、修平君だったら同じようなことやろうと思う?思わない?」

「科学ってのはいかに人間に楽をさせるかを追求するために生まれたんだ。人工知能(AI)コーディングしてそいつにやらせるに決まってる。つーか俺にこんなこと言わせたら達也の凄さが霞むだろうが。あんなの一山いくらのエンジニアじゃ千年かかってもできないスゴワザなんだよ」

「へー………」

「興味なさそうだし………」

「その辺の判断はあーちゃんと十文字君と桐原君に任せようかなって」

「お前ってホント馬鹿」

 

聞いておいてそれかよと会話を切り、達也の作業を見る。最近の世は便利になったもので二進数やプログラミング言語を延々と打ち込むだけがプログラミングやコーディングだけではなくなっている。しかしその時代から逆行するようなやり方にもかかわらず、その作業は恐ろしいほど精密で、とても人間業とは思えない。これといいキーボードオンリーでの操作といい、真由美から見ても修平が言うマニアックというのは間違っていないように感じた。

 

「終わりました」

 

終了の意思を告げる達也の言葉で現場が忙しく動く。すぐさまテストのためにCADが桐原に渡され、十八番である高周波ブレードが形成されていく。

 

「桐原、どうだ?」

「問題ありません。まったく違和感がありませんね」

 

克人と桐原が魔法式がどうだ、出来がどうだと真剣に協議している間に真由美はさりげなく修平の隣に移動して問いかける。

 

「時間はぶっちゃけ平均的だけど、どうかな」

「タイムアタックしてんじゃねえんだ。そんなの二の次だろうが」

「そっか。うん、そうだけど、でも速さって大事じゃない?」

「あんな芸当やってのけた達也の後釜はお前でもいいんだぞ、万能の魔法師サマよ」

「………ごめん、それはなしで」

「だろうな。あんなの目隠ししてコード打ち込んでるようなもんだ。じゃあさっさと決めろ。多少強引でもいい。無能のメンツと大会、どっちが重いかくらいお前にも分かるだろ」

「そうよねえ………」

 

真由美の専門知識を総動員して分かったことといえば、どうして彼が時代遅れなこだわりを持ちながらどうして平均的な時間に収められたのかが分からない。分からないことが分かったということだ。未知の領域に踏み込んでしまうほどに、達也の知識と技術は底知れない。趣味レベルどころか下手な専門家を凌駕していることは明確で、エンジニア不足にあえぐ第一高校においては救世主のような存在だ。が、それを阻む存在がいる。

 

「一応の技術はあるようですが、当校の代表レベルには到達していないのでは?」

「そ、そんなことありません!私は司波君の代表入りを強く希望します!!」

 

達也のエンジニア加入賛成派のあずさと反対派の生徒がぶつかっている。しかしあずさの方は元来の内気な性格が災いしてみるみるうちに声が小さくなっていき、反対派が優勢と言わざるを得ない。反対派も反対派で、不利な勝負を吹っかけておきながらその策が破られると次は単にあれこれそれっぽい理由をつけて阻もうとする。

 

「私も、司波達也の代表入りに賛成です」

 

助け舟を出したのは、意外なことに副会長の服部だった。完全無欠といっていいほどの至上主義者で、四月の一件もあったというのに今は丸くなっている。

 

「桐原のCADは競技用よりもハイスペックでした。それを使用者の違和感なく完全な形で作業を完了させたし、時間についても別に遅いわけじゃない。今は一年生だ二科生だと言うよりも、優秀な人材を積極的に登用すべきと考えます」

「俺も服部に同意見だ。司波は代表エンジニアとして相応しい実力を見せた。代表入りを支持する」

 

生徒会副会長だけでなく、部活連会頭にして三巨頭の一角である十文字克人も支持に回った。ただの一生徒にここまで重くのしかかる言葉を押しのけることなどできるはずもない。こうして達也は代表入りした。

 

「じ、じゃあ、そいつは!そこの魔法も使えない二科生はどうしているんですかッ!!こんなヤツをセキュリティ担当として代表入りさせることだけは許容できない!競技中もそうでない時も命を預けるんですよ!?それをこんな、魔法の才能がないウィードに———」

 

達也の件で勝てないと察した生徒は、矛先を修平の方に向ける。魔法科高校に在籍しているのに魔法を使えない。そこだけ切り取れば反対派の生徒の主張は正しいように思える。

 

だが事はそこまで簡単ではない。『ただの名門』程度では知ることさえも許されない、もっと複雑な事情があるのだ。そもそも平等を推進する生徒会長の前で軽く差別用語を使うとは何事か。誰よりも真由美の視線が凍てつくように鋭くなり始めたちょうどその時に、乱暴に会議室の扉が開けられる。蝶番へのダメージが大きいであろうことが明確に分かる程度には。

 

「警視庁の者ですが」

 

屈強な男を引き連れた女性がIDを示し、辺りは騒然とする。女性は切れ目の凛々しく、可愛いというより綺麗といった表現が相応しい。まだ二十代前半にも見えるが纏っている雰囲気はどこか五里霧中というか、表情も変わらないままでどんな人間か初対面で第一印象を測ることができそうにない。そして彼女はその生徒たちの方へ向いて言葉を発する。

 

「警視庁公安部公安機動捜査隊特事第一係係長の楡井若菜(ニレイワカナ)です。それで………うちの弟が何か?」

 

事件じゃないか、事故じゃないか、いやいや他のやんごとなき事情があるのではないか。ヒートアップした野次馬根性の据わった現場が一瞬にして凍りついた。



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グッド・デイ、グッド・ダイ

突然の死

この度は長らくお待たせして申し訳ありません。どうやろ、この先投稿ペース、上がるかなあ……。


会議室が喧騒で溢れたのは僅かに十数秒のことだった。というより彼女が連れてきた屈強な男たちが半ば強引に、自分たちに関わる人間以外を外に出したのだが。国家権力に逆らうような真似もできず、口だけで反抗しながら退出させられ、部屋に残った生徒は三巨頭と修平と達也の五人だけであった。口喧しい生徒たちが退室してからようやく彼女は口を開く。

 

「強引な方ね。摩利まで追い出すなんて」

「生徒の教育がもう少ししっかりしていればこんなことする必要もないのにね。お、じょ、う、さ、ま」

 

開口一番がこれであるが。会話を始めるよりも前、出会った途端にバチバチと火花を散らす真由美と若菜。これは長くなりそうだとそれより前に修平が待ったをかける。

 

「姉ちゃん、今お仕事中だべ?」

「あんたがそこら中の骨折ってこなけりゃ私もこんなこと言う必要もないのよ。本当に警備の話だけしに来たと思ってるの?」

「あの、楡井係長、それはどういう意味で?」

「貴方にも関係あることよ修平の親友クン。反魔法師のテロリスト連中と、頭のネジが吹き飛んだ馬鹿が二人襲撃に来たでしょう」

「ええ………そうですが」

 

ただ仕事に私情を挟んでいない、というだけでない。明らかに若菜はこの環境とそれを取り巻く人々をまるで敵を見るように警戒している。腰のホルスターの拳銃をしきりに触っている他、一挙手一投足に注目しているのはここで何か()()()が起きてしまっても容易に鎮圧できるからだ。

 

「本当にあの二人が、形だけとはいえ反魔法師団体と同調するとお思いで?二人だけでこの学校の生徒の八割を亡き者にできるというのに、どうして有象無象のブランシュやらエガリテと手を組んだの?」

「そりゃあ、残りの二割を仕損じないために?」

「その残りの二割にあんたが入ってるってことよ、修平」

「……………まさか、そんな」

「まあ正確には、この高校のエースとあんたを殺すのがあの二人で、他のモブどもを殺すのがエガリテなんでしょうけど」

 

みるみるうちに修平の顔が険しくなっていく。

 

「公安部は十師族ならびに師補十八家が今回のゲリラテロ事案に関わっていると判断して捜査を行っています。はい、通達終わり」

 

さあ仕切り直そうとばかりに手を叩く若菜だが、残念ながらそれは不可能に近い。彼女は導火線に火をつけたようなもので、着火された時限爆弾こと修平は射抜くような視線で探るように克人と真由美を交互に見る。克人の方は深刻そうに何かを思案しているようで、真由美はすっかり顔が青ざめている。両者は顔を合わせようとしないところにおいて共通しているが、プレッシャーに押されたということはないと修平は考える。自惚れる人間を演じることはあっても自惚れることはないので、自分が大きいとも相手が小さいとも考えない。

 

「メンチ切ってるとこ悪いけど修平、多分その二人は何も知らないわよ」

「あ?」

「姉貴にそんな顔しないの。お上が勝手にやったんでしょ。流石お国と条約結ぶだけあって、憲法もクソもあったもんじゃない自作自演ができるもんだわ。あなた達、十師族の代の中でも五指に入る傑物だって聞いたけど」

「恐れ入ります」

「真面目ねえ。蛙の子は蛙って言うけれど、案外そうでもないかもね」

「………?」

 

修平を含めて意味深な言葉に全員が疑問符を投げかけるが、若菜はそんなもの知ったこっちゃないとばかりに話を切る。風呂敷を広げるだけ広げて畳まないのは彼女の悪い癖だが今に始まったことではないし治療も困難だ、そういうものだと諦める他ない。

 

ただ予測はできる。子息は傑物なのに親はそうでもない、と言いたいのだろう。何においてかと問われれば、謀略の能力だ。あれこれ消す手立てを考えたのだろうに、結局やり方はおざなりになってテロリストをけしかけるという力押しになってしまった。その能力の低さでもって、蛙の子は蛙というのも中々正しくないと言ったのだろう。

 

(何で姉貴の会話は会話するだけで疲れるんだ)

 

何が楽しくて別に高度でもなんでもない会話に推測の余地を挟むのか。そこは敬愛する姉の不可思議な面である。

 

「本題入ってよ、姉貴」

「はいはい本題ね。本題……。なんだっけ」

「警備の話だろ。九校戦の」

「ああ……。そうだったわね」

 

分かりやすい。若菜は実に表情の変化が分かりやすい。そういやそんなこともあったねとばかりに遠い目をして眠たげな表情で唸るように顎に手を添えて考える。

 

「まあ、うん。いいんじゃない?いつも通りで」

「いや何しに来たんだよ姉貴」

「顔見せ。あとはまあ、愛する弟に忠告をね」

「白々しいなあ。ここで手錠かけないってことは状況証拠くらいなんだべ?」

「マジレスすると警察内部でも九校戦の警備って優先度低めなのよね」

 

あからさまにやる気をなくした若菜が吐き捨てるように言う。魔法師の前でしかも出場校の前、それも出場選手の前でそうカミングアウトできる図太さは、血は繋がっていないというのに修平とよく似ている。

 

「それは……どうしてですか?」

 

達也がそう問いかけると、面倒臭そうに間延びした声を発したあとに

 

「そりゃ当たり前でしょ。生まれついて人間兵器になる運命の魔法師に割く余裕は公務員にはないのよ」

「それは……どういう……」

 

修平をこの場にいる全員の顔が険しくなる。反魔法師の常套句を修平の姉、警察官から聞くとなっては警戒心も強くなるし心象も穏やかではない。

しかし彼女も退くような気配はない。若菜という警察官の本懐は自分を守る力がない弱者をあらゆる人権の侵害から守ることで、軍がどうとか政治がどうとか、そんなクソ複雑になった高校生大会でお守りをすることではない。まして彼女にとってのたかが九校戦に公安の一部署が出張るなんて。この手の管轄は普通警護課かあるいは人手が足りなければ民間から引っ張ってくればいいものを。

 

「私たちは人間です!どうして貴女まで、そんな……」

 

最も声を荒らげたのは深雪だった。彼女は敬愛する兄が侮辱されたという怒りと、非魔法師にしては話が分かる方である修平の姉がそのようなことを口走る混乱で語気を強めたが、徐々に消え入るような声になっていく。恨めしそうな目が若菜に刺さると、彼女はフッとため息を吐く。

 

「そうね。ハッキリさせておきましょう。修平がこの学校で友達ができるのは予想外だったけど知ったものですか」

 

それは修平に対する深雪の友人としての義理立てのようなもので、自分の友達なのだから分かってくれるという期待のようなものなのだろう。純真無垢というか雛鳥のようというか、疑いを知らないというかパーソナルスペースに入られると弱いというか。

 

「反魔法師は平等な人類がどうとかほざいて人々に弱くあることを強制するけど、あなたたち魔法師は強い一部分が私服を肥やすために人々に弱くあることを強いる。力のある危険思想の持ち主という点において魔法師もそれに類する活動家も、反魔法師団体となんら変わらない。少なくとも私はそう考えているわ」

「………それは………どういう………意味、ですか?」

「第三次世界大戦が終わって世界の中心は戦争で大活躍した魔法師になったでしょう。そこに問題はないわ、ええ、戦争で武勲を立てた人間が政治に入り込むなんて昔からある話だもの」

 

でも問題はその後なのよ、と若菜は続けた。

 

「厳しい男尊女卑の制度が敷かれたある国で革命が起こり、それまでの政権が倒されて新政権が樹立された。やっとこさ自由になれるという国民の期待は当然大きなものだったけれど残念ながらまたも男女間の問題で叶わなかった。は〜い司波達也君、その理由を述べなさい」

「女性が強くなり過ぎた………ですか?」

「大正解。新政権の女性リーダーはこれまでの鬱憤を晴らすみたいに女性に有利な法案を通しまくった。まあそんな感じで男尊女卑の軍国主義国家が打倒されて生まれのは結局女尊男卑の帝国主義国家でしたとさ。あーめでたくない」

「姉貴さあ、回りくどいんだよ。要するにどういうことよ」

 

そこまで聞いて、必要以上に理屈っぽく長ったらしい若菜にうんざりとした様子で修平が食い気味に問いかける。

 

「大戦終結から今に至るまで、もっと激しい差別があった。魔法師に対する風当たりはもっと強かった。サイレントマイノリティーだった魔法師は日本国の法律の名の下に差別される弱者だったけど今は政治の中枢に入り込んでる。弱者が強者になったらそりゃサクセスストーリーだけど、なった結果がこれ。それまで差別をしていた非魔法師とされていた魔法師の立場が逆転しただけで何も変わっちゃいない」

 

普通ならば、弱者が成り上がって強者になるというのは喝采に値する物語になるだろう。若菜の言うように民衆が持て囃し、ノンフィクションとして後世にまで伝えられるべきハッピーエンドのサクセスストーリーなのだろう。だが魔法師は、成功し過ぎた。

 

強く権力を持ち過ぎたがゆえに、非魔法師の才能が恨めしいという子供のようなワガママが通った。そのせいで彼は肉親を惨たらしく殺され天涯孤独の身となって人格に障害が生まれて異常者になった。殺意を見せずとも明確な敵意を見せた若菜は食ってかかるような勢いで元凶の家である七草の令嬢、真由美を射抜くように睨む。

 

「被差別階級にあったなんて免罪符にならないのよ。私たちは貧民も富豪もその中間も等しくとっ捕まえる警察官、学校あるいは生徒一個人と百家の濃密な癒着が判明次第手錠かけてしょっ引いて絞首台に送ってやるから覚悟なさい。そこの筋肉ダルマ君もよ」

「お言葉ですが、免罪符にならないというのは楡井も同じことでは?」

「あ゛?」

 

今度はドスのきいた声とともに十文字にその目が向く。しかし彼の真っ直ぐな目を見て削がれてしまったのか、溜め息を大きく吐いた。

 

「やっぱり、蛙の子は蛙だったわね」

「どういう意味ですか?」

 

その言葉に若干苛立った克人が語気を強めて目を鋭くするが、若菜は意に介する様子もない。

 

「才能ある非魔法師に嫉妬して、苦痛を与えるために彼の両親を殺した。そんな無茶苦茶やったクソ野郎とその愉快な仲間たちが、警察にマークされないとでも?本気で思ってたの?バカなの?死ぬの?体だけと言わず脳ミソまで筋肉でできているのかしら」

 

ここで両者には大きな前提からの間違いが存在する。国とはそこら辺を含めて条約を結んでいる筈だと驚く十文字と、さっきからしょっ引くって言ってるだろうがと対面の頭の弱さにうんざりする若菜である。まさか警察官が逮捕するという言葉を口にした時冗談だとでも思っていたのか?それとも自分の家は無敵だと勘違いしていたのか?それは最早怒りを通り越して哀れにさえ思えてしまう。その可能性を考えた若菜は、どうやら自分の言葉を本気で想定していなかったらしい克人に対して口角が引きつりながらなんとか無表情を保とうとしている、いわばドン引きの状態である。

 

「ウチの部署で一番ホットな話題はあなたたちがいるゴミクズ家に決まってるでしょう?まさか本当に捜査の手が伸びていないと思っていたのかしら」

「いや……しかし、それでは……」

 

それで全ての議論に決着がついた、ということではないらしく克人の歯切れは悪い。しかしその疑問を、彼女は一瞬で解消した。

 

修平(コイツ)、公安のスパイ(S)だから。立派な捜査員よ」

「何……?どうして殺人鬼である楡井が?」

「あら、公安っていうのは公共の安全を守る部署よ。そう例えば、嫉妬に狂って無辜の民を二人殺して子供に消えない傷を与えた人でなしが安全を害しているから、それを取り除いただけ。表彰モノの大活躍でしょう?」

 

それを聞いていた真由美は歯痒さ、申し訳なさ、後悔、ちょっとした怒り……。様々な感情がごちゃ混ぜになって思わず目を伏せた。きっとこれはこの場にいる全員が同じ思いを抱いていることだろう。

 

何も間違っていない。若菜の言葉は、否定したくなるが何も間違っていないのだ。彼は被害者、真由美たちは加害者、そして彼が行なった殺しは復讐という名の執行であり、両親を殺した犯人は罰を受けずのうのうと暮らしていたため死という罰を下した。部下である魔法師を殺したという怒りを抱く権利は、加害者にはない。目には目を、歯には歯を、殺しには殺しを。

 

「権力を笠に着てのうのうと暮らす殺人犯を裁いた。また一つ、世界平和に近付いたと思わない?」

 

誰も、何も言わなかった。誰もが恨めしそうに笑った若菜を見るが肝心の彼女は気に留める様子もない。それがまた彼女の不気味さをよく煽る。

警察は法執行機関であり殺し屋でも過剰防衛の自警団でもない。法に基づいて罪人を罰するのは警察ではなく裁判所であり、略式処刑は本来許されないものなのだ。だが彼女はその許されない行為を隠すどころかひけらかし、あまつさえそれが平和のための行為だと叫ぶ。

この若菜の言葉に対して抱く感情は三者三様だ。司波兄妹は修平の両親殺害事件についてまったくの無関係であるために、若菜の言葉は到底理解できるものではない。理論においては犯罪者が排除された方が平和に近付くというのは正しいかもしれないが、それは現行の法律に隷属する警察官という立場においてはタブーなのだから。だが十師族の二人の心には深々と刺さるものである。特に真由美には。

 

そう、あの時———。襲撃が成功したと聞かされたあの日、盲目的に家の言葉を信じた私は彼の両親をテロリストと罵り、彼に対して犯罪者の両親が死んでよかったとさえ思ってしまった。度し難い、まったく度し難い。過去に飛べたとしたら、真っ先に過去の自分のスカした顔面に二、三発おみまいしているところだ。

 

「しかし———」

「いいのよ司波さん。これは十師族の汚点であり、最大の過ちなの。倫理人道の観点からも許される行為ではなかったの」

 

熱を帯び始めた深雪の言葉を、やや俯きがちに真由美が遮った。十師族の汚点。その言葉に対して若菜は舌打ちをして苦々しく顔を歪めると、まあいいわ、と話題を切った。

 

「そうだ修平。第三の一条とかいうの、貴方にお熱みたいよ」

「やだん、気持ちは嬉しいけど俺ってば女の子が好きだから」

「そうね。アプローチは熱烈だと思うけど、気張りなさいな。はい、お話終わり。邪魔して悪かったわね。あとは学生諸君で青春を謳歌してちょうだい」

 

負の感情を顔に出すか、あるいは無表情か。最後までそのどちらかしか見せなかった若菜は部下を引き連れて帰っていった。大喧嘩があったわけでも乱闘があったわけでもないのに、何故だか台風一過のような疲労が全員に襲いくる。

 

「修平君のお姉様というのは、なんというか……」

 

少しだけとはいえ直接衝突した深雪はどう表していいか迷い言葉を濁す。第一印象もその後の印象も悪いが、やはり人様の家族を直接罵倒するというのは憚られる。さて、不自然なところで言葉を切ってしまったが、深雪の二の句について修平はこともなげに言った。

 

「うざったいでしょ」

「いや、そんなことは……」

 

こともなげに、そしてあっさりと、言葉を繕うこともなく。修平は言った。あまりにあっさりし過ぎて深雪はたじろぎながら否定の意を唱える。面食らったせいで、その旨を伝える筈だったがまったく逆のことを言ってしまう。

 

「いいって。俺もそう思ってるし。なんか理屈っぽいし正論至上主義だし、論理で動かない奴を見下してるっていうか。正直拾ってくれたっていう恩がなかったら俺もキレるような人だから」

「そ、そう……」

 

まるで日頃の鬱憤を晴らすが如く、弾丸のように姉に対する愚痴が放たれて止まらない。

 

「姉ちゃん、仕事もできるし美人だけど性格だけはとことん最悪だ」

「そ、そうなんですか……」

「まあちゃんと正義の人っていうかちゃんと義侠心もあるし実際いい警官なんだけど。その反動が家族に来るってどうなのさ」

「は、はあ……」

「つか公安の一部署だつってんのに、引き受ける方も引き受ける方だよ。その辺非情になりきれないクセにクールなデキる女気取ってるから優先度低い仕事も押し付けられるんだよ」

「ええ……」

「そもそもキャリア組の警部補で刑事課すっ飛ばしてこんな国内向けの防諜組織に……。ブツブツブツ……」

「あのー……」

 

感情が死んで自分の世界に没入し始める修平に対して、深雪は距離感を図りかねている。いよいよ、我が姉を出し抜いてやろうかなどと不穏な言葉を口走り始めたところで、パンパンと真由美が手を叩く。

 

「ほらほら修平君、もういいでしょう。家族のことは家族の間でね」

「じゃあ俺、(けえ)るわ」

「おい修平……」

 

こともなげに右手を上げて、それじゃあなと回れ右して帰ろうとする修平を克人が引き止める。

 

「なんだよゴリラ。姉貴に言い負かされたのがムカつくからって弟に突っかかるな。俺が呼び出された理由はコレだったんだろ?じゃあこれ以上ここにいるこたあねえだろうが」

 

先程よりも顔付きも言葉も厳しくなった克人の穏やかでない心象を見破った修平は、火に燃料を注ぐが如く嘲るような笑みを浮かべてからかうようにそう言った。

 

「待て修平、お前もここの生徒で選ばれてここにいる以上ここの規則に従わなければ」

 

場の雰囲気が険悪になってしまった。達也は事態を悪化させている、つまり平和的な解決を放棄している修平に注意を呼びかける。すると彼はピタリと黙り込み、その表情を見た真由美の顔は青ざめる。

 

「まさか師族会議の決定だけで十文字と七草が同じ学校でかち合うと思ったのか?」

「……どういう意味だ?」

 

怒気を向ける克人と、殺意を向ける修平。二人は周囲など見えず声も聞こえていないように相対しているが、その一触即発の状態は修平の方が譲ったおかげもあってか、あるいはただの気まぐれか。そんな言葉だけを残して彼は背を向けてドアの方に歩いた。

 

「あ、ちょっと待ってよ修平君!あッ、解散!とりあえず話したいことは話したからここで解散ね!ねえ待ってよ!修平君ってば!ね〜え〜!!」

 

修平は緩慢な動きで歩いていたが、真由美が付いて回るとスプリンター並みのスタートダッシュで部屋を出てそのまま廊下を駆け抜けていった。

 

「なんで逃げるのッ!?」

「お前が追いかけるからだわ!こっち来んなメンヘラ女!」

「酷い!私はただ君のことを想ってるだけなのに!」

「うっせえ!寄んな!」

 

言い争う声と走る音は距離が離れていくとともに弱まっていき、そして消えた。

 

「今凄まじいスピードで楡井が走っていったが……」

 

入室した摩利が、怪訝な顔でそう問いかける。しかし誰一人として口を閉ざしてそっぽを向くほかなかった。

 

◆◆◆

 

「お前、そんなになるなら追いかけてくんなよ」

「ひゅー……。ひゅー……」

 

所変わって校舎裏。一度は真由美の追跡から逃れた修平が隠れるという名目でこの後予定される学校での用事を全てサボってやろうと画策していると、自力で彼の居所を探り当てた真由美がやって来た。最初の方こそ『これで逃げられないわよ、さあ覚悟して体を差し出しなさいぐへへへ』などと意味不明なことをのたまっていたが、やがて修平と同じペースで走った時の疲労が限界に達したのかその場で倒れ、うつ伏せになりながら肩で息をしている。

 

「生きてっか?」

「も……むり……。じぬぅ……」

「温室育ちが無茶苦茶やるからだ。ちなみに水はない。お前が勝手に追いかけて来たんだからてめえだけでどうにかしろ」

「きちくう……」

「よく言うぜ……。トドメがご所望ならそうしてやるが」

「も、もーちっと待って……。あ、できれば修平君膝貸して」

「ぶっ殺すぞクソアマ」

 

最初の方こそまるで瀕死の重傷を負っているような苦悶の表情を浮かべていたが、徐々に息を整えると軽口を叩くようになる。正直修平にとっては最初の方がよかったが。

 

「それで、何の用だよ」

「ほ?」

「ほ?じゃなくて。意味もなく鬼ごっこしたのか?」

「まさか。意味はあるわよ」

「しょうもない用事だったら鳩尾に一発だからな」

「やだん、修平君ってば激しい……」

「そんな物欲しそうな顔するな。あばらまで折りたくなる」

「待って!武器はダメ!それは反則!」

 

こうなるから余計に、大人しい方がいい。バッと起き上がって両腕で胸を隠すような仕草は、十中八九修平をからかっているのだろう。そういう行動がいちいちカンに触る。

 

「で、マジに何の用だ。九校戦のことか?」

 

修平の声色で真由美は落ち着いた表情になり、彼の隣に座る。彼女は『本当に本当の用事よ?』と前置きをした後、その言葉の意味を図りかねている彼の理解よりも早く言う。

 

「ずるいわ、十文字君だけ。私だって修平君にあんな風にゴミを見るような目で見られたい。命は修平君次第なんだって直接感じたいのに。最近はおふざけばっかり。どうして?司波君たちが四葉の者かもしれないって分かってから冷たいわ」

 

まるで恋い焦がれる乙女、やきもちを妬く可愛らしい少女。真由美は隣に座る修平の顔を見上げてぷくっと頬を膨らませた。

 

「あなたに私の全てが握られていないとダメなの。だからお願い。嫉妬しちゃうからそういうことするのは私だけにしてよ」

 

表情だけ切り取れば、むくれる愛らしい少女だというのに。真由美の言葉を受け止めきれない修平は、彼女の顔から目を背けた。




今更ながら、 なんだか独自設定過多の本作。まあ趣味全開だからね、仕方ない。


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愚者の壁

こっちも遅れてしまいましたことをお詫び申し上げます。早く読みたいと言ってくださる方もいらっしゃるのに、大変お待たせしてしまいました。


8月1日。いよいよこの日は九校戦の会場である富士演習場へと向かう日。会場から遠い高校はもう少し早めに現地入りすることが多いのだが、最も近い第一高校はこの頃の出発となる。

さて、出発予定時刻から一時間半が経過している現場はというと、機材も人も全て積み終えたというのにバスは停車したまま。炎天下の中直射日光とコンクリートから上昇する熱で挟まれている摩利は決して心中穏やかでない。

 

「……遅いな」

「ですね」

 

ちなみに、同じ状況に置かれている達也は汗ひとつ垂らさず涼しい顔で摩利の隣に立っている。つまり出発予定時刻から一時間半待っているということだが、修平は余裕綽々といった様子でバスの窓から顔を出して紙パックのジュースをストローで吸っている。

 

「是非、彼女を叱る時の列に君も加わってほしいのだが、どうだ楡井」

「俺が『気合いを入れる時の七草に時間の概念なんてない』って言った時、それを聞き入れなかった大間抜けの脳足りんのことをもう忘れちまったとは驚きだ」

「……撤回して謝罪しよう」

「うふふ、もう遅い」

 

そう言って修平はバスの窓をピシャリと閉めた。

 

「はあ……」

 

後悔先に立たずとはよく言ったもので、照りつける日光の下で無限にさえ思える時間を過ごしていたまさにその時だった。

 

「遅れてごめんなさーい!」

 

サンダルのヒールを鳴らしながら真由美がやって来る。口先では謝っているもののその明るいテンションには済まないという意思がまったく込められておらず、それは純白のサマードレスに広いつばの帽子という気合いの入りまくった服装からも見て取れる。

 

「やっとか……」

「これで出発できますね」

 

達也は手に持っていた端末の、リストにある真由美の欄にチェックを入れる。これでようやく全員が揃い出発できるようになった。

 

「ごめんね二人とも。私のせいでこんなに待たせちゃって」

「問題ありません。事前に話は聞いていましたので」

「ありがと。ねえ達也くん、これ、どうかな?」

 

自分が着ている服を示し、真由美が問う。これは中々後輩としての姿勢が問われるものだと逡巡したのち、答えた。

 

「よくお似合いですよ」

 

無難な感じで、無表情を貫きながら。

 

「もうちょっと照れながら褒めてくれるとよかったんだけどな〜」

 

真由美の身長は平均よりも下であるが、体型はとても女性的でグラマラスだ。姿勢を少し変えれば豊かな双丘が谷間を刻んでいた。思春期真っ只中の健全な男子ならばこれだけであれこれ考えて誤解してしまうかもしれないが、残念なことに達也は良くも悪しくもその範疇にはいない。

 

「心中お察しします」

「なんか誤解が———きゃんっ!」

 

達也との会話の最中、バスの方から螺旋回転しながら飛翔する空のペットボトルが真由美の額に命中する。

 

「いつまで茶番やってんだ」

 

ダーツでブルに命中させるがごとく捻りを加えたペットボトルを投げ付けた犯人は、やはり修平だった。

 

「ちょっとお……。酷くない?乙女にこんな仕打ち……」

「お前のせいでどんだけ燃料食ってると思ってんだ。バスさんに謝れや」

「私ってバスより下の位なのっ?」

「今更気付いたのか。オラさっさとしろ、次は満タンのが飛んでくるぞ」

「もう、なびかない子二号……。ね〜服は?私の服可愛いでしょ?あと私も可愛い。ね〜、修平く〜ん」

「うぜえ。つーかなんじゃその服。浮かれてんじゃねーよ」

「オシャレですぅ〜。そんな初歩的な女心も分からないなんてまだまだよ、修平君」

「誰が好き好んでお前の腹の内を知りたがるもんか。いいから早くしろ!いい加減暇なんだよ!いつまで足止め喰らわせる気だこのカタツムリ女!」

「カタっ……。もう!怒るわよ!」

「ノロマにカタツムリつったんだ、お前の名前呼ぶのと何が違うんだよ」

「ムキー!!」

 

真由美の後に続いてバスに乗り込む摩利と達也は、その言い合いが全てうるさいくらいの音量で耳に入って来る。

 

「不思議な関係だな」

「ですね」

 

それを聞いて思うところはこれに尽きた。本気で憎み合っているにしてはあまりに口調が軽く、しかし二人の因縁は確かなものとして存在している。修平はそれを水に流すつもりもないだろうし、真由美もそれを承知している。修平が殺してしまいたいほどの憎悪を抱くことなくかといって全てを許すでもなく、その中間で拮抗しているというか、その先に行こうとしない。あくまで真由美は、憎い家系の一人という存在に留めているのだろうか。

 

(これも多重人格の影響なのか……?)

 

他の一年生に比べて修平とは多くを話したが、摩利にはまだ彼のことが分からない。

 

「うん?そういえばどうして楡井がこっちのバスに?」

 

そういえば、と摩利は問いかける。あまりに自然に真由美との会話を展開したせいで気付かなかったが、彼はあくまで警察の協力者として九校戦に赴く。しかしその警察が用意した車両はすでに出発した後だった。

 

「この女がいくつの罪状で公安からマークされてるか教えてやろうか?」

「いや……やめておくよ」

「じゃあ黙ってろ。余計なことは言うな。俺にも手錠をかけたくない人だっている」

「修平君ってば私の専属ボディーガードになったの♪」

「お前だけは治外法権の名の下に今ここで射殺してもいいんだぞ」

 

どうやら深く根を張っているものらしい。満面の笑みで修平の腕に自身の腕を絡めて胸を押し付ける真由美と、その手でホルスターに格納された拳銃を取りたくて仕方がない修平は対照的だ。

 

「お待ちなさい達也チャン。暑い中ご苦労さん。ほれ水じゃ」

「ああ、ありがとう。それじゃまた向こうでな」

「私の水は!?」

「ペットボトルならある」

「ひどぅい!あんまりよ!」

「あーもう、熱中症にならなきゃいいんだろ。ほら」

「塩」

「塩分補給とか大事だろ?」

「モロ!モロに塩!」

 

まるで夫婦漫才のよう。そして自然な流れで修平は真由美のすぐ後ろに座り、バスは出発した。

 

◆◆◆

 

走り出してからそれなりに時間が経ったが、前列の方は中々賑やかだ。主に騒がしいのは生徒会長とその監査役で、三人目は完全に巻き込まれた市原鈴音だ。

 

「やっぱり私のこと好きなんでしょ〜?隣に座ってもいいのよ?」

「分かってると思うが、お前が何か企んでも分かるからな」

「そうね地獄耳さん。いつも思うけど、どうやって探ってるのかしら」

「どうってことねえよ。芸能人の浮気を探る記者みたいなもんだ」

「それはまた、目を使わないで分かるなんていい才能ね」

「そうでもねえ。七草真由美(こんなの)の腹の内を、探るつもりがなくても探れちまうなんて罰ゲームもいいとこだ」

「え〜?じゃあ、私は今何を考えてるでしょう!」

「俺がなんて答えても不正解にしてやろうって考えてる」

「……………残念、ハズレ!」

「やるならもうちょっと上手に嘘をつけ。俺を欺こうなんて甘いんだよ、馬鹿の擬人化かテメェは」

 

名家の出だとかその中で身につけた礼儀作法だとかを抜きにして実のない雑談に興じている姿はまさに年相応の高校生のそれだ。

 

「つーかお前、なんでこんなコスプレしてんだよ」

「コスプレ!?乙女の精一杯のお洒落をコスプレ!?」

「学校行事でその格好はコスプレだろうが。気合の入れ方間違ってんだよ」

「会長ならば似合わない服はないかと」

「お前も慰め方の方向性間違ってんだよ能面」

「……その渾名、気に入ったの?」

「お前の特徴を表したいい渾名だろ?」

「貴方って本当に嫌な男ね」

「お前に嫌われたから俺がどうなるってんだ。自分のこと見て物を言え」

 

(何をやっているんだ、あいつら……)

 

そのうち鈴音もヒートアップしていき、真由美も含めてやいのやいのと言い合うというやり取りを摩利は呆れた様子で見ていた。とてもカリスマ性に溢れる生徒会長とクールな生徒会役員のものには見えないような程度の低い会話には目を背けるしかない。

 

(ああも変わるものなのか、彼の前だと)

 

そして感嘆もした。これほどまでに難しい人間関係を難なく保ってみせるというのは中々できることではない。そのやり方を是非ともご教授いただければ学校の人間関係も遥かにいいものになるのだろう。

 

「はあ……」

 

是非ともこの状況を打開する術も教えてほしい。摩利の隣では女子生徒が本日数度目かの溜め息を吐いていた。

 

花音(カノン)……。二時間くらい待つことはできないのか?」

 

ボーイッシュなショートヘアに凛々しい顔立ちの女子生徒、千代田花音(チヨダカノン)はまるでその呆れたような摩利の言葉がスイッチになったのか不満が爆発した。

 

「私だって二時間や三時間くらいは待てますよ!でも今回は啓も技術スタッフとして選ばれてすっごく楽しみにしてたんだから!今日もずっとバスの中では一緒だと思ってたのに!思ってたのになんで、技術スタッフは作業車なんですかッ!!」

 

現在達也とともに作業車に乗っている技術スタッフの五十里啓(イソリケイ)と花音は実は許嫁同士である。とはいってもその手の話にありがちな本人が望まないというものではなく、むしろ二人のバカップルぶりは校内でも有名だ。

 

「バスの席だって余裕あるし、足りなければ二階建てでも三階建てでも持ってくればいいんですよ!ああもう、納得いかーん!!」

「五十里のことになると毎度人が変わるな、お前は……」

 

隣でキンキンと喚かれているせいだろうか、頭が痛いような気がする。摩利はこめかみに指を当てて悩んだ。

 

そして隣人との関係について悩んでいるのは摩利だけではない。

 

「……………」

「……………」

「……………」

 

そこは死んだ空気と形容していいかもしれない。後ろから二番目の窓際に座る深雪は花音のように騒ぐようなことはせず、ただひたすら無言を貫いていた。普段は華やぐ端正な顔立ちも、今となっては生気のない人形のようでやや不気味な印象を抱かせる。そして彼女は無意識のうちに穏やかでないプレッシャーを周囲に撒き散らし、生徒たちはそれに当てられて縮こまるしかない。彼女の隣に座るほのかや通路を挟んで同じ列の雫も例外ではない。

 

「ええと……。深雪、お茶でも飲む?」

 

その沈黙に耐え切れなくなったのか、おずおずとほのかがそう切り出した。

 

「ありがとう、ほのか。でもごめんなさい。私、そんなに喉が渇いていないの。……だって私はお兄様と違ってこんな炎天下にわざわざ外に立たされていたわけじゃないもの」

 

これはやらかした。思わず自分の体が凍り付く。

 

「おバカ」

「うう……」

「ああ、誰が遅れてくるか分かっていたのならわざわざ外で待つ必要もなかったのに……。どうしてお兄様があのような辛いお役目を……。しかも狭い作業車の中で移動だなんて……。せめて移動の間くらいはゆっくりお休みいただきたかったのに……」

「ううう……、修平君ヒドイよ……」

 

ブツブツと、まるで早口で呪文でも唱えるように窓に向かって語りかける深雪を横目に、ほのかは彼に対して恨みを口にした。

実は修平は本来雫の隣に座る予定だった。だが出発の四十分ほど前に突然所定の位置を離れて、真由美の隣に座らせろと言ったのである。当然反発はあったが、彼はまったくノーダメージ。それどころか二、三発グーをつけて恫喝して無理矢理その場を収めたのである。

 

『いやん、修平君ってば大胆……。いいよ、私の隣においでなさいな。うふふ、お姉さんがじっくりねっとり———ああ待って!待ってお願いだから!隣、ね?隣来てよぉ〜お願いだから〜』

 

真由美は遂に想いが実っただのと喜んでいたが、今思えばこういうことだったのだ。ほのかはその危機察知能力を嫉んだ。

 

「誰もやりたがらない仕事を率先して引き受けるところが、達也さんのいいところだと思うよ」

 

それまで無言を貫いていた雫がそう口を開く。思わぬ助け舟に、ほのかは乗るならばこれしかないと瞬時に乗った。

 

「そう!そうだよ!達也さんって素敵な人だよね!うん!」

 

百パーセント不本意というわけではないが、いくらか盛ってこの場においての最適解を導いた。

 

それからというものの、二人の努力によってようやく上機嫌になった深雪は誰に向ければいいのか分からない不満とそれによって噴出するオーラを収めてくれた。ようやく平和になったと二人は言うが、それは束の間のものであった。

 

◆◆◆

 

その着地点のない、脳の外側だけを使ってもいいような簡単な会話を始めたのは意外にも鈴音であり、彼女の一言から始まった。

 

「お二人は恋仲ではないんですよね?」

「いや———」

「あるわけねえだろ能面」

 

そしてその言葉に対し真由美が否定する、つまり恋仲であると言おうとすると凄まじい速さで修平の更なる否定をする。

 

「修平君!?ちょっと修平くぅん!?」

「うるせえな!ないもんはないんだよ!」

「バチギレ………」

「なんか修平君、勢いが怖いよ?」

「なんでそういう発想が生まれるんだよ……」

「お二人の夫婦漫才のようなやり取りで」

「夫婦漫才……」

「ええ、やだぁ〜。夫婦なんてそんな〜。ねぇ〜?」

「ねぇ〜じゃねえよ」

 

いつもと違う様子の修平。いくつもある人格の歪みかあるいは単に戸惑っているように見えるが、今回は冗談とともに過激な罵倒をつけるという切れ味がない。それどころか目頭を押さえて低く唸っている。

 

「会長」

「ん?」

「どうやら照れ隠しではないようです」

「え、マジ困りなの?」

「当たり前だろ……」

 

など、多少の紆余曲折がありつつもバスの中では穏やかな時間が流れていた。

 

「みんな、あの車!なんか様子が変だよ!」

 

なので、千代田花音のその言葉に対する反応が遅れてしまったのである。

反対車線を走るオフロード車は明らかにスピードにおいて同車線を走る車両を凌駕していた。そして突然ブレーキを踏んでバランスを崩しながら蛇行を始め、中央分離帯に激突、勢いよく飛び上がった車は車線を超えてバスの真ん前に落ちる。

 

「きゃああああああ!!」

 

バスが咄嗟にブレーキをかけたため激突とはならずに済んだ。シートベルトを閉めている女子生徒が体にかかる強烈な慣性に悲鳴をあげる。

 

「ちょっと、何!?」

「おい、馬鹿」

 

状況確認のために真由美と鈴音等生徒会のメンバーがまず慌てて立ち上がり、手順に則って被害状況を確認しようとする。修平は何かを感じたのか通路に出る真由美の襟を掴んで強引に自身の後ろに引っ張る。突然のことで真由美は倒れ、腕を掴まれた鈴音も異議を唱えた。

 

「ちょっと、何?」

「邪魔なんだよ」

 

鈴音は修平の手を払おうとするが、修平は素早く彼女に手首固めをかけて動きを封じた後、その腕を背中側に回して更に肘を極め、勢いよく体を押すと同時に背中を蹴って押し出す。

 

丁度そのタイミングで、彼が感じていた何かは現実のものとなった。車が爆発し、大量の金属片がフロントガラスを突き破ってバスの中に退去して押し寄せる。そのほとんどは構造上路線図などが貼ってあるバスの左右の壁に突き刺さるが、何もない中央の通路はそうはいかない。

顔の前で腕を交差させて防御姿勢を取る修平の全身に銃弾のように突き刺さり、皮膚を侵食し筋肉を断裂させ骨を砕いて内臓を破壊する。

 

「修平君!?」

 

爆発によって真由美のその声はかき消された。

 

「こいつは効くね」

 

それに対する返答ではないが、修平は頭に積もった大量のガラス片を払い落としながら呑気な調子で言った。

 

「大丈夫………大丈夫なの!?」

「おう。この程度じゃ死なんよ俺は。死なんが、体の中が気持ち悪い。早いとこ取ってくれ」

「え、それは嫌」

「ナチュラルかよ。あ〜気持ち悪い」

 

体の中に多量の金属片が入ってなお、彼はそんな文句を垂れる余裕がある。いや、それどころか傷を負っているということ以外においてあらゆる生命活動が順調に行われている。

ピンセットで取ってくれ、それは嫌だと真由美と修平のやり取りが続く中バスが再び加速を始める。

 

「ちょっ……」

 

このままでは進路上にある燃え盛る車に激突してしまう。さて、どうしたものか。

 

「吹っ飛べ!」

「消えろ!」

「止まって!」

 

バスの生徒はそれぞれがそれぞれの方法で事態を収拾しようと思い思いの魔法を発動する。車に向けて一斉に魔法が仕掛けられた。

 

「馬鹿!」

 

しかしそれは事態を収拾するどころか悪化させてしまうものである。同一のものに魔法をかけるとそれぞれのサイオン波が干渉し事象改変力が薄まってしまう。

そしてこの状況を打破するには現在発動されているあらゆる魔法を圧倒する、つまり事象改変という力で全てをねじ伏せるような圧倒的な魔法の実力が必要だ。今それができる即応可能な人間といえば———。摩利は後ろに立つ克人に視線を向ける。すると彼も同じことを考えていたのかすでにCADを構えて起動式を展開していた。だが、このキャスト・ジャミングにも似た状況下でしかも炎と衝撃に対処しながら魔法というのは克人でも中々難しい。

 

「私が火を消します!」

 

その時に名乗りをあげたのが深雪だった。すでに魔法の起動準備を整えており、それを見た克人は防壁の魔法を用意する。

 

「無茶だ、司波!いくらお前でもこんなサイオンの嵐の中———」

 

だが摩利の言葉は否定された。無秩序な魔法が綺麗さっぱり消滅し、その直後に深雪の魔法によって燃える車は一瞬にして常温に戻る。克人が発動した防壁のおかげで車と正面衝突しながらもバスはダメージがなく、また衝突の衝撃すらも伝わって来なかった。修平がバスの運転システムを二秒で構築し直し、それを少々不正な裏技でコンピュータの制御権限を奪ってブレーキをかけ直した。

 

「みんな大丈夫?」

 

そして一連の動きが完結して事態が終わった頃、真由美が呼びかける。軽傷者が数名いるものの、重傷者は幸いにもいないようだ。

 

「楡井のそれは軽傷なのか……?」

 

ごく自然な流れで、爆発をモロに体で受けた修平も軽傷者認定してしまったが。これは確かにそう言わざるを得ないだろう。

 

「んなもん、死んでなけりゃ全部軽傷に決まっとろーが」

「いやすまない、ちょっと何言ってるか分からない」

 

摩利は、もはや彼の体については深く立ち入らないことにした。立ち入って聞き出したところで理解が追いつかないだろうから。とにかくそういうもんだと割り切らなければ上手く付き合える予感がしない。

 

「ていうか修平君、いつもの魔法消すアレは?アレでババンとやれなかったの?」

「腕時計がないんだよ。多分右手と一緒にどっか飛んでっちまったんだな」

「あっそう……。うん?」

「うん?どうした?」

「右手と一緒に?」

「おう、ほら」

 

何食わぬ顔で修平は右腕を掲げる。右手首よりも先がそのままなくなっており、切断面からポタポタと血が滴っている。どうやらとりわけ大きな破片によって切断されてしまったようだ。

 

「ひっ!?」

 

それを見てしまったほのかが引きつった悲鳴をあげ、雫や深雪はまるで幽霊でも見たように眉をひそめる。

 

「そ、それ……大丈夫、なの、なんですか?」

 

ほのかが震える指で彼の右手を指しながら、しどろもどろになりつつどうにかそんは言葉をかけた。暫し自分の腕を見つめた修平は数秒待機したあと、

 

「ぐあぁぁぁぁぁ!腕がぁぁぁぁ!!」

 

地面に伏してそう悲鳴をあげる。

 

「えっ、えっ!?だ、大丈夫!?」

「大丈夫よ光井さん。茶番だから」

「……ほえ?」

 

素直なほのかはそれを信じてしまい、生徒数名からも混乱するような声があがっていくが、一頻り茶番をやって満足した修平は顔をあげる。

 

「嘘だ」

「……………へ、平気なの!?それでッ!!?なんでぇ!?」

「ちょっと風通しがよくなっていい」

「……………きゅう」

「ほのか!?」

 

あまりの衝撃を直視させてはならないと彼女の脳が判断したのか、ほのかは目を回して倒れてしまった。深雪と雫が介抱に回る。

 

「あとでくっつけ直してもらわないと」

「体の治療はどうするの?」

「勝手に治るだろ。今までもそうだったし」

「ええ……」

 

座席の下を覗き込んだりして行方不明になった自身の右手を探し回っている修平もそうだが、深雪も大概驚異的だ。あの緊急時に適正な魔法を選択し、かつ力み過ぎず火を消す程度に抑えた魔法を構築するというのは三年生でも難しい。縁の下の力持ち的な立ち位置として鈴音がひっそりとバスに減速魔法を仕掛けていたとしても、である。そしてそれに感嘆すると同時にある一つの疑問が湧いた。

 

(あれだけの魔法を消したのは誰だ……?)

 

そう、あれが事態解決の一つの入り口であった。その人物が真由美かと思ったが、彼女のそれはあくまで相殺という意味合いが強い。なんの前触れも視覚的に認識できる現象もなしに魔法が消え去ることなど本来はあり得ないことなのだ。大本命の修平はご覧の有様でデバイスが使えず、アンティナイトと呼ばれる軍事物質である可能性はそもそも存在自体が極めて怪しい。

 

ああ、ダメだ。皆目検討がつかない。一度考えることをやめて外に目をやると、作業車の生徒たちが救助活動を行なっている。そして現場記録のためにビデオカメラを回す達也が、それらしい行動は何もしていないというのに強く摩利の目を引いた。

 

まさか、な———

 

自分の中で浮上した万が一つの可能性を、摩利は失笑とともに消し去る。そして別の場所に注目したその時に彼女は凍り付いた。

 

修平は笑っていたのである。口角を上げて、誰にも悟られないように口だけで笑っていた。だが瞬きした瞬間に彼は無表情に戻っており、しつこく身を案ずる真由美に対してうざいだのなんだのと言っている。

 

(いや、そもそもどうして彼は真由美を守ったんだ?)

 

そして新たな疑問が湧いた。彼の、七草真由美は利用価値があるという狙いを忘れたわけではない。だが、とはいえ親の仇である七草家の彼女を守りたいものなのか。いや、利用価値という合理的思考のために仇を討ちたいという感情論を排除できるものなのか。真意を確かめようと、一歩を踏み出したその時、足に奇妙な感触を覚える。どうやら何かを踏んだようで、表面は柔らかいのに踏むと硬い何かに当たる不思議な感触である。

 

(まさか……)

 

凄まじく嫌な予感がする。ゆっくりと、恐る恐る下を見ると、彼女の足は切り離された右手をしっかりと踏んでいた。

 

「わぁぁ!?」

 

摩利は思わず飛び退いた。



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ワズライの二重

一連の事件は途中のハプニングとして処理されながら、九校戦は中止されることなく、また第一高校の参加が撤回されることもなかった。

 

「は?何で?ナンデ?NA☆N☆DE☆?襲われたのよ俺たち、ワケの分からん爆弾犯に。殺されかけたのよ、ここにいる全員。分かるか、分かるよね、分からないと頭おかしいよ、病院行ってこいよ」

「わ〜た〜し〜に〜言われても困るの〜。それに、私だって嫌なのよ」

「クソかよクソがッ!!」

 

それを知った修平はかなりご立腹で、それは怒り狂っていると言ってもいい。道路標識を素手で叩くと、まるで包丁で野菜を切るように金属製の柱が真っ二つに切断され、地面に倒れたそれを勢いよく蹴り上げるとそこら辺の建物の壁に深々と突き刺さる。ここまで激しく物に当たる彼というのも中々珍しく、時折彼の怒声には低感度のラジオのようにノイズが走る。彼の脳内が荒ぶっていることを現しているのだ。

 

「会長……」

「相当頭にきてるみたいね。珍しい」

「やはり私たちを庇ったことでしょうか」

「そんなわけないでしょ。もしそうだったら、私ら今頃あの子にネチネチネチネチね……」

「そうですか……。彼は何にあそこまで腹を立てているのですか?」

「それはもう、一つしかないでしょ。運転手さんが亡くなったのよ」

「……まさか、それでですか?」

「いやそれナチュラルに失礼……。気持ちは分かるけど……」

 

そうなってしまう原因は一つ、先の攻撃によって運転手が死亡してしまったことにある。今回の車両の爆発が何者かによる攻撃だったこと、それによって運転手が死亡した旨の一報を聞いた時の修平の顔は、それはもう達也が殺意を察知して身構え、真由美が興奮のあまり赤面するほどであった。

 

「でもそんなところもステキ……」

「……前々から思ってましたけど、会長って」

「いやいや、違うから。そうじゃないから」

「まだ何も言ってません」

「あり得ないから〜!私ちゃんと清純派で通ってるから〜!」

 

真由美が遠巻きに眺めている修平はまだ怒りが収まらない様子であるが、そこに誰かから着信が入ると一変する。完全に払拭されたというわけではないが冷静に話をするようになり、落ち着きなくグルグルと周回しながらではあるが暴力性はなりを潜めるようになっていった。

 

「……おっけぃでぃす。じゃあそんな感じで。おい七草、お前の飼ってる奴全員呼べ」

 

が、真由美に向かった瞬間彼の言葉は低くドスの効いたものになる。電話の相手は公安に勤める姉だろう。

 

「貴方ねぇ、生徒会長に使いっ走りさせるってどういう了見よ」

「お前はいいんだよ。さっさと呼べ、でないと目玉をほじくるぞ」

「冗談にならない……。いくわよリンちゃん。目玉ほじくられるから」

「はい」

 

そうしてなんの躊躇いもなく真由美に使いっ走りをさせて集合をかけたことで、生徒会のメンバーと修平が相対する形になった。これからよくないことを話すということで無意識ながら雰囲気の圧力が強くなるが、修平は上級生数人から発せられるプレッシャーをものともしない。元より生徒会の役員たちは上級生だが、修平にとってはただそれだけの存在なのである。特に服部からの殺意にも似た圧に対しては笑顔で手を振り煽るような余裕さえある。

 

「テロだった。公安が捜査に入ってる。今は公機捜が現場に初動捜査で入ってて、魔法を使用した痕跡が見つかってるらしい」

「やはりか……」

 

修平の言葉は淡々としている。そこには憤怒やその他の情動が込められておらずただ事実を事実のまま機械的に読み上げているようだ。ニュースキャスターが一字一句違うことなく原稿を読んでいるようなものだ、そこには感情のようなものはない。

 

「魔法が使われたのは全部で三回、いずれも車内からの行使。んで魔法式の残留サイオンも検出されなかった。ドライバーは中々優秀らしい」

「ん?ちょい待ちなさいな修平君。要するにドライバーが犯人ってこと?」

「まあそういうこって。明らかに専門訓練を受けてるってことで、バックになんかしらいるだろうな。だとしたら第二波第三波もあるんで各自警戒を怠らないように。以上、ハイ解散」

 

特に思うようなところも、あるいは感想も義侠心の動きのようなものもなかったのだろう。さっさと報告を切り上げ、修平は誰よりも早くホテルに入っていった。

 

「七草ァ、これくっつけてくれ。得意だろこういうの」

 

用事は終わったとばかりに、修平は私用の話をする。つまり自分の体の不足、より正確に言うならば切り離された右手のことだ。真由美の手先の器用さを見込んで、お願いと言うにはあまりに高圧的であるがとにかく縫合して元に戻す作業を要請する。

 

「はいは〜い♪ちょっと待っててね〜♪」

 

真由美はそれに大変機嫌をよくしたようで、声をかけられて露骨にご機嫌な様子でその後を付いていく。効かないと分かっていてもしっかり猫撫で声でアピールしながら。

 

「会長にあんな一面が……」

 

その一部始終をバッチリ目にしていた花音はまるで変人を観察するような無遠慮な視線を真由美に送る。そして摩利はそれを咎めることができなかった。

 

「私もあんな彼女を見るのは初めてだよ……。おおかた頼ってくれて嬉しいとかそんな感じだろうが」

「いやあシチュが猟奇的過ぎる……。彼、本当にあんな状態でケロっとしてるんですね」

「彼については深く考えない方がいい。疑問が増えるだけだ」

「はあ……そうなんですか。そういえば渡辺先輩、彼と戦ったって本当ですか?」

「そのウワサ、広まってるのか?」

「ええ。強かったですか?」

「それはもうなんとか()()()()()()()()よ。正直五体満足の彼と戦っていたらと思うとゾッとする」

 

実際、摩利も同じ思いだからだ。確かに修平はその人格、体質共に謎が多く興味深い存在であるがそれだけ。そこに魅力など感じられないし何なら不気味なので可能な限り近寄りたくない。もしも彼が高校の後輩ではなく街角で出会っただけだとしたら、意図的に接触を避けるだろう。だからこそ真由美のソレは理解の範疇にない。因縁がなくてもそうするのだ、因縁がある彼女があそこまで入れ込むというのは数奇者では済まない。

 

「改造人間とかじゃないですよね?」

「まあ、特に人体改造の類は受けていないらしいが……」

「でも手首から先がなくなってもケロッとしてしましたよ」

「だから考えるな。人体の神秘とかそんな感じのものだ、きっと」

「は、はあ……」

 

花音にそう言ったのは単なる忠告という意味合いもあるが、それ以上に自戒の意図もあった。今はまだいい、どういうわけか修平も摩利や克人や一年生が自身を探ることについて気付いていながら黙認している。だがそれがいつまで続くか分からない。いつか彼の、生い立ち以上に重要な何かを知った瞬間にその銃口が知ろうとする人々に向き、躊躇なく弾丸が発射されるかもしれない。そうなる前に手を引くべきなのだ、それは分かっている。

 

「死にたがってるようにしか見えないぞ……」

「へ?」

 

それでも、知ってしまった以上後戻りはできない。出過ぎた真似だとの批判はいくらでも受けるが、やはりそのまま放っておくことができなかった。

 

「なんでもない。それより花音お前、五十里はいいのか?」

「いいんです。技術スタッフはなーんか仲良さげに固まってたので。こっちはこっちで話せる人いない同士、仲良くしましょ」

「私をそんな不名誉なカテゴリに入れないでくれ」

 

◆◆◆

 

第一高校のバスが()()()()に巻き込まれたというニュースは警察の情報規制がある程度解かれたことで発生から三十分ほどで大会関係者の耳に入った。まさか九校戦開催前に選手が故障したのかと関係者一同は暫く生きた心地がしなかったが、()()に怪我人は一人もいなかったという続報が入って胸を撫で下ろした。しかしそれは個々人に無関係な人間が抱ける無責任な感想であり、巻き込まれた者と親しい人間は心配せずにはいられない。少々特殊なケースであるが、この二人もそうだった。

 

「本当にいいの?情報を開示しないって……。修平君がやったこと、知られないってことだよ?」

「やったことってなんだ七草。お前の雨除けになってやったことにそれほどの価値があると思ってるのか」

「むう……。それはそうだけど。こういうのって手当て出るんじゃないの?」

「俺はエスだぞ。警察官じゃない。危険手当てなんざつかないっての」

「じゃあ私が払おっか?」

「お前の出る枠じゃねえから大人しくしてろ」

 

ホテルの一室で二人は向かい合って座り、いつも通りふざけたような会話を展開する。着地点が特に定められていないぐだぐだとしたものだが、周囲の生徒会役員の面々はそれどころでない。

 

「はわわ……はわわわわわ……」

「そんなに辛いなら外に出てれば?」

 

主にあずさが顔面蒼白である。というのもなんてことのないように話しながら真由美は切断された修平の手を縫合し、彼もそれを受け入れている。当然麻酔などという上等なものはなく、真由美は布を縫い付けるように一切の躊躇いもなく肌に針を突き刺して糸を通していく。それが痛々しいのだ、普通の感性の人間にとっては。

 

「うわ、刺っ……!」

「あーちゃん、そんな無理にみてなくていいのよ?」

「つーかなんでいるんだよ。ギャラリー呼んだ覚えはないぞ」

 

修平がジロリと睨むと、元々押しが弱く小動物的なあずさは縮み上がってしまう。

 

「こら、リアクション返ってくるのが楽しいからってあーちゃんのこといじめないの」

「別にいてもいなくても変わらないだろ、こんなの」

「こ、こんなの……」

「はいはいそこまで。これでもB君の方は結構あーちゃんのこと気に入ってるんだよ?」

「B………?」

「あの日和見野郎のことは言うな。あんなのがいるから今になってもやることやれねーんだ」

 

完全に縫合が完了してから五分か十分経ったところで、青白くなっていた右手に血が通っていき健康的な血色が戻っていく。そこから更に三分ほど経つと指が動くようになっていくのだが、痛々しい縫合の結果を見なければ一度切断されていることも分からないほどに自然な動きだ。

 

「うっわあ……。もう動いてる。うっわあ……」

 

あずさは見てはいけないものを見てしまったように……というか彼女にとっては見てはいけないものなのだが。

 

「はい、あんまり無茶はしないようにね」

「無茶はさせないでくれよ」

「ディナーくらいご一緒してくださらないかしら」

「御心のままに。ただしどうなっても知らないからな」

 

彼女にとっての一大事も、何も触れられることなく当然のような流れのままに終結した。

 

(あれ?もしかしてこれって私の方がおかしいの?)

 

一瞬あずさは自分の感性に疑問を抱いたが、やはりそんなわけないと首を振る。動じない性格の鈴音と克人にそれらしい感情を期待していないが、修平と真由美はもう少し人間らしいと思っていただけに衝撃だった。慣れている、ということなのだろうか。

 

「それで、生徒会の皆々様が何用で。あんだけ体張ったんだ、俺はもう休みたいんだけど」

 

真由美の部屋にいる用事はこれで終わったのだが、周囲はそれで終わらせてくれそうにない。

 

「まあそう言うな。少しだけ聞いておきたいことがあってな」

「あんだよ」

 

このまま押し通るのは簡単だが、警察の協力者としての立場を無にするようなことも憚られる。

 

「九校戦を開催して問題ないとしたのは誰の決定だ?」

「そんなもんお前の実家辺りが一番詳しい……。ああ、蓋されてるのか、不便だねえ権力っていうのは。ダメなもんがダメなまま動かない」

 

そう憎まれ口を叩きながらも、修平はそれに対して明確な答えを用意していた。

 

「つっても薄々分かってるっしょ、ミスターゴリラ。この魔法師だらけの大運動会が中止になったら、どいつがどう優秀なのか分からないわけで、それで困るのは『採用する側』のギャラリーの方々なわけで。な?」

「……なるほどな。そうか、まさか本当だとは」

 

少々遠回しではあるが克人は納得した様子。しかし表情は答えが分かったという嬉しさのようなものはなく、ただ深刻な面持ちで考えるばかりである。

 

「やっぱ分かってたんじゃん。俺に言わせる必要あった?」

「確証が欲しかった。身内からの言葉にはバイアスがかかりやすい、お前のような立場の人間の言葉がなければな」

「そいつはまた、修平さん嬉しいよ。で、それを踏まえてどうするんだい。テロに巻き込まれて運転手が死んで生徒一人は右手首から下を切断する大怪我を負ったわけですが、それでも中止するつもりはないのかい」

「残念ながらそのようだ」

「クズっぷりが安定してんなぁ。安心と信頼のクソだわ」

 

やはりというか、表情から碌でもないような真実を聞かされるとは修平も思っていた。だがこれはあまりにも……。この場にいる全員がそれぞれ思うところがあり眉をひそめた。

 

「とはいえ公安は絡まないだろうね。魔法師同士が勝手に殺し合ってるならそのまま高みの見物ってところか」

「それじゃあ……。このまま競技をしなければならないんですか?どこで誰が襲われるか分からないのに?」

「そういうことっスよあーちゃん先輩。まあこっちも仕事はするんで、そっちが無茶苦茶しなけりゃ守り通しますよ。不本意ながらね」

「修平君ってば一言余計〜」

「お前もちゃんと俺の右手さんに詫びとけ」

 

特に礼を言うでもなく、修平は居心地の悪さに舌打ちで抗議しながら部屋を出た。

 

「このお礼は1日デートで———あれ?」

「もう出ていきました」

「ちょっとぉ、早くない!?ねえ早くない!?カムバーック!!」

 

どこか既視感のある光景だが、今回は真由美が廊下に出るとすでに修平の姿はない。どうやら全力疾走で廊下を駆け抜けていったようだ。

 

「逃げられた……」

「会長、そろそろ彼と仲がいいのか悪いのかハッキリしてくれませんか」

「仕方ないじゃない。どの修平君が表になってるかで変わるんだもの」

「だが七草と話している時の楡井は大抵攻撃的な人格のようだが」

「やっぱり嫌われてるんじゃないか?」

「ありませ〜ん!そんなことありませんから〜!!あの子はただツンデレなだけですから〜!!」

 

と、真由美への対応は始終散々であったが本人は頑なにそれを認めようとしない。だが実際彼女の言うことも一理ある。攻撃的というのも彼の上限不明の人格の一つであり、どれを本質と呼べるのかは定かでない。

 

「それを確かめるために、中条を傍に置いておくという話ではなかったのか?」

「いや〜でも、居心地悪くなるようなことはするなって言われちゃったし。今はそっとしておくべきじゃない?」

「中条なら無害な人格が出てくるかもしれんぞ」

「十文字君ねえ、私が彼のために仲間を安売りするような奴だと思われても困るんですけど。生徒会のメンバーの中で修平君とかち合って相性最悪なのは私とあーちゃんなんだからね。魔法を封じられたらおしまいなんだから。そういうのは対処できる人がするの」

「五体満足の彼と真正面から当たるのは私も避けたいぞ。というかそんなことしたら殴り合うまでもなく射殺される」

「ほら〜摩利もそう言ってる。これはもう、私たちが出たらスイスチーズもびっくり穴開き模様にね」

 

生徒会の面々の間に沈黙が流れる。今問題になっているのは、つまりどの人格が誰に対して敵対的、誰に対して柔和なのかが分からないということだ。前々から疑問に思っていたが、今回はそれが分からないことの問題が顕著に現れた。

 

「バスの中で七草を庇った時の楡井は確実に最も攻撃的なA人格だった。それにあの状況、七草が死んでいても体面は悪くなるが言い訳もできた」

「やっぱり相思相愛———」

「お静かに願います」

「人格の差異はあっても、それ以外の目的意識のようなものは同じということなのか?」

「いや分かんないわよ。私に聞かれたって。知ってるのは本人だけ……()()を本人って呼ぶのかは知らないけど」

 

そしてまた、重い沈黙が流れる。そして鼻の頭を親指と人差し指で押さえながら克人は神妙な顔つきで溜め息を吐き、

 

「どうして九校戦で特定の生徒の話をしなければならんのだ」

 

忌々しそうにそう言って自室に戻っていった。

 

「議題に上がるほど強くなった原因は私たちでしょ〜。自業自得みたいなもんよ」

 

真由美も『二人分のディナーの席を予約しておかなくちゃ』と部屋を出る。二人目が誰なのかは考えるまでもないが。

 

「確かに。強くなった()()の彼を咎める資格はないな」

「しかし、事が大きくなり過ぎればそうも言っていられませんね。攻撃的な人格がいつどんな行動を起こすか分からない。そうなった時は一巻の終わりですね。魔法なしで銃弾を捌けない限り」

 

摩利も鈴音も部屋に帰っていくが、あずさは廊下で立ち尽くす。やはりというか、彼女は他の面々と違って善良過ぎるのだ。そのせいであれやこれを考えてしまう。独善、あるいは偽善の域にまで達してしまいかねないほどに。

 

「あっ……楡井君」

「中条氏。いや済まないね、先程の私が」

 

しかしそう呼んでいいものか、開幕の一声で早速躓いた。

 

「だが了承いただきたいのは、彼はあんなだが楡井修平を構成する重要な要素なのだ。彼がいなければ自己防衛さえままならない」

「は、はあ……。いえ、私は気にしていませんが……」

「そうかい?まあ非礼に変わりはないので謝罪させていただく。そうしなければ立つ瀬がないのでね。本当に済まなかった」

 

今まで、主に三巨頭に対して命令口調で話したり罵詈雑言を飛ばしたり皮肉ったりと粗暴かつ粗雑な面が前面に押し出されていたが、今の彼はそれとは真逆である。紳士的で知的な雰囲気が漂っていて、決して悪くない顔立ちもあってその全体像は女性の理想が詰まっていると言えなくもない。

 

「少し話をいいだろうか」

「わ、私とですか?」

 

思わず歳下だというのに敬語を使ってしまう。だが修平はそれを特に気にする様子もなく、人格は変わっても歳上が敬語で歳下がタメ口という奇妙な会話に変わりはない。

 

「何、あのA人格が唯一無害化される人間がどのような人なのか、私の興味本位だ。嫌なら嫌だと言って欲しい」

「嫌……ではないです。私も聞きたいことがあって。楡井君があんな感じだから全然聞けなかったけど」

「むう。やはりあいつは非礼が過ぎる。私こそA人格に相応しいのではないか?」

「あの……」

「いや、なんでもない。そちらの聞きたいことからどうぞ」

「あ、はい。じゃあ……」

 

あずさはそこまで言って今更ながら尻込みする。禁忌に触れていきなり銃弾が飛んでこないか、もしそんなことになったらここで若き人生を散らすことになってしまうが。

 

()も君をあまり脅威として見ていない。宣戦布告でもない限り君に危害を加えることはないよ」

 

感情の遷移を敏感に受け取った修平は言う。気休め程度ではあるがなんの言葉もないよりはいい。おずおずと、しかし確実に切り出す。

 

「楡井君は……私たちの味方なんですか?」

 

修平はその言葉に対して怒りはしなかった。どういう意味だと問うこともなかった。あるいは、はぐらかすようなこともしない。

 

「もちろん。私は善良な人々の味方だ、つまり君たちの味方だとも」

 

きっぱりとそう断言した。善良でない人々にとっては味方でないと。

 

「………」

「納得できないという顔をしているね。私としてはこれ以上ないくらいシンプルかつ分かりやすく言葉にしたつもりだが……。時に中条氏、この世で最も辛いことはなんだと思うね」

「それは、質問に関係あることですか」

「ああ」

「……死ぬことです」

「違う」

 

隣を歩く修平の足が止まり、それに釣られてあずさも止まる。修平は彼女の目をしっかりと、怜悧だが心の内まで見透かすような眼差しで見ていた。

 

「死ねないことだよ。生き死にさえも他人に縛られて、望む時に望んだ結末を迎えられないことさ」

 

そして口角を吊り上げて笑う。まるで、今言ったことを楽しむように。

 

「死んで楽になろうなんて許さない。私たちの復讐は、奴らの生死を支配してようやく始まるんだ」

 

どいつもこいつも、長く生きることがいいことだと思い込んでいる馬鹿そのものだ。最後にそう吐き捨てると彼は引っ込んだ。

 

「……あん?どした中条。俺の顔になんかついてっか」

「……ううん。なんでもない。会長が楡井君とディナーを一緒にって言ってたよ」

「断っとこ」

 

修平はかったるそうに自室に戻っていく。修平はあずさに対して脅威に感じていないと言っていたが、この先そうならないとは一言も言っていない。道を間違えれば悲惨な結末を辿るだろう。

 

だが魔法師としての道を歩くというのは必然的に彼と敵対する道を歩くのと同義なのではないか。あずさの中に一抹の悩みが芽生えた。



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