緑の兄弟どもが行く (カロ)
しおりを挟む

緑の兄弟 in 異世界

「壮観だな……」

 

Vault111からの唯一の生還者は、要塞の司令塔から眼下に蠢く三百体近くいるというスーパーミュータントを見て呟いた。

 

冷凍睡眠から目覚めてからというもの、核爆発前に軍人として従軍したアンカレッジの戦いが可愛く思えてくるほどの地獄を掻い潜ってきた。

 

その為、大抵の事では驚かなくなったと自負している彼ではあるが、まさか自分がスーパーミュータントになる日が来るとまでは予想していなかった。

 

発端は差出人不明のある手紙で、文面にはインスティチュートに関する事柄について重大な話があると書かれていた。

インスティチュートは彼が最高指導者の正体を知らされてからは、協力するべきか、それとも他のスタンスを取るべきかの決断が出来ず、現在は距離を置いている組織ではある。

 

ただ文面から漂うただならぬ雰囲気に興味を惹かれ、書かれた場所まで向かったのが一連の騒動の始まりだった。

 

指定された建物に入った瞬間、全身に強力な電流が走り、次の瞬間には腹部に何かが突き刺さるような痛みを感じた。

そして強烈な頭痛と共に意識を失い、目が覚めた時には彼の体は既にスーパーミュータントに変貌していたのだ。

 

自分の変化に戸惑う中で、すぐ近くで待っていたらしい二体のスーパーミュータントが話しかけてきた時のやりとりは今でも鮮明に思い出せる。

 

 

 

 

太い緑の指、これまでとは明らかに違う鋭敏な感覚、体の内から湧き上がる活力……、そして己の変化に戸惑う恐怖。

 

「これは……、なんだ。 俺はこの建物に呼び出されて……、お前達が俺に何かしたのか?」

 

事態を把握できず混乱する彼に、低く濁った声でスーパーミュータントの一体が話しかける。

 

「その様子だと適応は成功したようだね。 いきなりニンゲン、クイタイ、とか言いだしたらどうしようかと思ったよ」

 

「アマンダ、今の言葉でウイルスへの適応が正常に行われたと判断するのは尚早だ。 断定するには知能テストと聞き取り調査を行い、IQスコアを……」

 

「おだまり、クリストフ。 インスティチュートの監視網がそこまで行き届いていない地域だからここを選んだけど、こんな変異体だらけの所に長く居たくないんだ。 まずあんたには謝罪と、こうしなければならなかった事情について説明するわさ」

 

アマンダと呼ばれたスーパーミュータントの話によると、彼女らは元はインスティテュートのバイオサイエンス部門の科学者だったらしい。

 

彼女らはバイオサイエンス部門の中でも医療技術について専門的に研究していたらしく、その過程で、ありとあらゆる病気に掛からなくなり、放射線に対しても完全な耐性を持つスーパーミュータントに着目したらしい。

 

だがFEV研究部門のトップだったバージルが逃走してから、FEV研究は凍結されており、彼らは閉鎖されていたFEV研究所にハッキングし当時の研究データを入手し、それを元にインスティチュートには秘密裏に研究を進めた。

 

あくまでも組織には隠れて研究を行わざるを得なかったという都合上、彼らの研究は大規模な設備を用いての実験よりも、人造人間の一部を勝手に動かして戦前のFEV研究の資料を収集することから始めたらしい。

 

そして最近になり、アメリカ海軍の古い軍事基地から、かつてイカロス島要塞という場所にて極秘でFEVの研究が行われており、そこでは人間にFEVを投与した後の知能の低下や記憶の消失を防ぐFEV抑制剤の試作に成功したという情報を見つけ調査を行おうとした矢先……、実験中の事故により二人はFEVに感染してしまったらしい。

 

「なぜ血清を使わない? 実を言うとかつてインスティチュートを脱走したバージルの頼みで、FEV研究所から試作型の血清を回収し、それによりバージルがスーパーミュータント化を治療した事がある。 ……あんたらがその血清の存在を知らない筈が無いだろう?」

 

その質問にクリストフと呼ばれた男が答える。

 

「それは勿論だ。 だが、なぜ人間に戻る必要がある? スーパーミュータントは我々の理想に近い生物だ。 強く、頑健で人間よりも優れた感覚を持ち、放射線や病の影響を受けない。 唯一の問題は、変異の過程における脳の変化により、過度な攻撃性が発露し、知能の低下、記憶の消失が起きる点のみだ。 無論、全ての人間に理解出来る考えだとは思っていないが、少なくとも僕たちの研究はそのデメリットを解決する為に行われていたと言っていい。 組織を裏切って極秘の研究を進めていたことは既に露見しているだろうし、最早インスティチュートには戻れん。 かと言って研究所しか知らない僕たちが生身でインスティチュートの追跡から逃れるのも難しく、残された選択肢はFEV抑制剤を手に入れ、完全なスーパーミュータントの力を手にする事だけだ」

 

 

「ま、そういうことだわさ。 私ももう六十歳を超えるし、スーパーミュータントとなって決して老いない体を手に出来るなら、人間として生きるよりもいい。 でも私達だけで、戦前の軍の要塞に侵入するのは不可能だと思って連邦中で様々な武勇伝を打ち立てているあんたを巻き込む事にしたんだ。

言っておくけどインスティチュートのFEV研究所から試作型血清を回収して自分に投与しようとしても無駄だよ。 逃げる前に現在ある分の血清は全て回収してある場所に隠したし、製造装置も破壊しておいたからね。 血清はFEV抑制剤を手に入れたら渡そうじゃないか」

 

「……まだ俺にはお前達を脅して、血清の場所を吐かせるという選択肢もある」

 

「私達にも、拷問されても吐かないという選択肢があるね。 一か八かで血清のありかを知る術を失ってしまう賭けをするか、私達に強力して血清を手に入れるか……、どちらが目的を達成する確率が高いかはあんたが判断すればいい」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

そうやって彼はこのイカロス要塞の地下施設にある抑制剤を探す事になった。

この要塞は核爆発時に発動した機密防衛プロトコルにより、研究所があった地下施設は完全にロックされ、職員達は表向きの軍事施設としての役割を果たす地上部分に追いやられるか、地下に残り防衛ロボットに排除されるかの末路を辿ったらしい。

 

彼は並み居るロボット達を打ち砕き、何とか二人と共に抑制剤の保管庫に辿り着いた後、まずは自分達の精神の変異を防ぐ為に自らに抑制剤を注射した。

 

FEVには感染者の精神を変容させる効果があるが、戦前の研究では現在のように投与した直後に凶暴な怪物に変異してしまう程ではなかった。

 

だが連邦で暮らす人間達は二百年もの間、高レベルの放射線にさらされ続けた事と、空気中に漂う微量のFEVに感染する事で遺伝子構造が戦前の人間とは異なっており、FEVの投与により異常な凶暴化が引き起こされる事が多い。

 

インスティチュートで生まれた二人の研究者も外で暮らす人間程ではないが、FEVの精神への影響が主人公よりも早く進行しており、学者らしくもなくFEV抑制剤に直ぐに飛びついてしまった。

 

………だがその結果、警備システムが発動して残りのFEV抑制剤は全て破壊されてしまったのだ。

 

 

 

そしてその後二人はイカロス島要塞に残り、知性を持つスーパーミュータントとして生きていく事にした。

エヴァは研究者として、この島の設備を使って変異生物対策の研究を行っており、彼も時折、キャップと引き換えに研究サンプルとして変異生物の体の一部や卵等の採取を手伝っている。

クリストフはその用心深い性格から島の戦力増強を画策し、彼にレイダー等の無法者の捕獲を依頼ており、研究施設にあったFEV培養装置を使って、島の防衛戦力としてのスーパーミュータントを増やしている。

 

 

 

そして彼は今、クリストフがインスティチュートから盗んだ設計図を使用して作ったベルチバードで、生け捕りにしたレイダーを送り届けたついでに島の見物をしていた。

 

「ストロング、お前、スーパーミュータントになって嬉しい。 下の兄弟達と人間ぶっ殺すか?」

 

スーパーミュータントばかりの島に来るということで連れてきた、スーパーミュータントの仲間ストロングが物騒な提案をするが、彼は首を横に振る。

 

「それは辞めておこう。 そろそろ俺も人間に戻るか……」

 

思ったよりスーパーミュータントでいるのは気分がよく、ついついこのままの状態で三ヶ月程過ごしてしまったが、この姿では人間に怯えられて一部を除いて居住地に入ることが出来ない。

 

明日にでもアマンダに教えられた連邦にある血清の隠し場所に向かうか……、と思考を巡らせると、彼は床が急に揺れるのを感じた。

 

「地震か? 珍しいな……」

 

部屋にある椅子や机が激しくなる程の揺れ。

地震の少ないこの地域では、ここまでの揺れを感じる事など滅多にないと言っていい。

 

だが施設の倒壊を危惧する程の事態でもなく、直ぐに彼は落ち着きを取り戻した。

 

「うん?」

 

Pip Boyから流れていたラジオの音楽が途絶えた。

 

(何かの拍子に周波数のチューニングが狂ったか?)

 

画面を表示させてみるが、そこには一切の電波が入っていない事が記されていた。

 

まさか先ほどの地震で放送局に異常があったのだろうか。

全ての電波がロストしている所を見ると、この島とは違い連邦では想像を絶する大地震になっているのかも知れない。

 

「ストロング、直ぐに連邦に向かうぞ」

 

彼は急いで塔の階段を駆け下り、ベルチバードへと乗り込んだ。

 

連邦までは北西に百五十キロ程度。

動力源のフュージョンコアの残量はまだ十分にあるし、二人の科学者がインスティチュートから持ち出した設計図のおかげでフュージョンコアすらも作成可能になった今では、そこまで消耗に気を使う必要はない。

 

ベルチバードの巡航速度である時速三百五十キロで、彼とストロングは連邦の方角へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この作品ではfallout4のスーパーミュータント化する架空のDLCが導入されています。
代わりにAutomatronが販売されなかった事になっており、ロボット作成は出来ませんが、一部のハイテク武器の弾薬やフュージョンコア、ベルチバードが製造可能となっています。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新天地の調査(連邦流)

イカロス島要塞の地下でストロングとアマンダ、クリストフ、そして彼の四人が顔を突き合わせて話し合っている。

話題は、連邦に戻ろうとベルチバードに乗った彼が見てきたものだ。

 

「無線でも報告したが、連邦があるはずの座標に行ったが陸地は見つからなかった。 これは何か尋常では無い事態が起こっていると思ってな。 その後も飛行を繰り返し、出来るだけ広い範囲を探索していた所、陸地を見つけた。 砂漠と荒野が続くのみで建築物は確認出来なかった事から、連邦では無さそうだったな。 地上からの攻撃を警戒して最大高度近くからの探索だし、小規模な建物は見逃している可能性もあるが」

 

「……まあ、驚くべきことではないかもね。 あんたから、無線による連絡を受けたとき星を利用しての天測で現在地点を突き止めようとしたんだけど、結果は全くの無意味だった。 なんせ明らかに地球とは星の配置が違うんだからさ」

 

クリストフもアマンダの言葉に頷く。

 

「現時点で得られた情報から合理的に考えると、僕たちは地球とは別の惑星に転移してしまった可能性が非常に高い。 理由は不明だが………、瞬間移動技術を実用化させているのは僕が知る限りではインスティチュートだけだ。 もしかしたら、彼らの僕達に対しての攻撃かもしれないな」

 

「邪魔者は遠くへ放り出す、という訳か。 ………ま、これ以上悩んでも仕方ない。 今は目下の問題を考えよう。 現時点では俺たちがどのような状況に置かれているのかは不明であり、情報収集が最優先だ。 ………そして外敵からの防衛もな。 今、スーパーミュータントは何体いた?」

 

「二百九十七体。 あとはミュータントハウンドも121体……、いや、120体だ。 君が便宜上の群れのボスを引き受けてくれたおかげで統率は上手くいっている。 だけど当初は、多少苦労したよ。 スーパーミュータントは人間式の軍隊のように階級による指揮系統に馴染ませることは難しい。 彼らが敬意を払うのは唯一強い存在のみであり、大規模な集団を組織するには強力な個体が統率するのが最も適しているからな」

 

「よし、それではクリストフとストロングは要塞に残り拠点の守りを固めてくれ。 アマンダは俺と共に発見した陸地に探索に行こう。 未知の土地を調査するには、アマンダの生物学の知識は重要だからな」

 

「はいよ。 ……ま、この世界の環境なら生物が存在する可能性は高いだろうからね。 私達ですら、感染すれば死を免れない細菌なんかがいなければいいけど」

 

「……ふ、それを祈ろう」

 

流石にスーパーミュータントの免疫力を突破する細菌やウイルスが存在する可能性は低いとは思うが、この世界について何も知らない今、油断は禁物だ。

 

彼は改めて気を引き締めた。

 

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 

クリストフが思い出したように声を上げる。

 

「陸地に食料となる物がないかも確認して欲しい。 今までは島に住む変異生物や、襲撃してくるマイアラークの群れが主な食料源だったが、付近の海の様子も大分様変わりしているようだからな。 今後はマイアラークの襲撃がなくなる可能性もあるし、新たな食料源を確保しておきたい」

__________

 

彼とアマンダは地上に降り立って調査を行う前に、新たに発見した陸地に関して上空からの調査を行い、大まかな地理を把握する事に決めた。

当初発見したのは砂漠と荒地のみの荒涼とした土地だったが、そこから海岸沿いに一時間程北上していくと大地の様子が変わってくる。

 

「緑の大地……」

 

人工冬眠から覚めてから、もう見ることは無いだろうと思っていた光景に、彼は思わず呟きを漏らす。

広大な草原に、青々とした森。

最終戦争後の地球の状態を考えれば、まさに理想郷としか言いようのない光景がそこに広がっていた。

 

ただその景色に見とれる彼だったが、その視界の隅に黒い点が飛び込んでくるのを捉えた。

 

「警戒、飛翔体を発見した」

 

彼は浮ついていた気分を一転させ、瞬時に脅威に対する警戒体勢へと心身の状態を持っていく。

 

スーパーミュータントとしての優れた視力が飛翔体の正体を判別した。

 

「空を飛ぶトカゲのような生物……、の上に人型の生物が乗っている。 レイダーの中にも変異生物を飼いならす者がいたが、それと似たようなものか?」

 

「危険度はどう見る?」

 

「速度はベルチバードの巡航速度より遅いし容易に振り切れるだろうが………、一旦帰るか? 知的生物と思われる存在を見つけられただけでも収穫だし、相手の実力がわからない状態で敵対したくない」

 

「まあ、あんたの判断には従うさ……」

 

ベルチバードの進路をイカロス島の方向へ向け、飛行生物を易々と振り切って帰路に付く。

その途中でアマンダが口を開いた。

 

「あんた、これからどうするつもりだい? もしこの世界に国家のような大規模な集団があったとして、イカロス島のスーパーミュータント達がまともに交流するなんて無理だよ。 あんたが統率してもスーパーミュータントはスーパーミュータントだ。 その暴力性は絶対に変えられないさ。 ………まあ、あんたなら、どんな場所でも一人で生きていける気はするけどね」

 

「………どうかな。 俺はこの世界にとっては異物だし、な。 ただそれだけの理由で脅威として排除される存在になる気がするよ。 ………それにイカロス島の奴らをスーパーミュータントにしたのは俺だ。 どうせ居住地を守る為に殺さなくてはならないレイダーなら、むしろスーパーミュータントとして新たな生を送らせた方がいいかもしれないという……、俺の傲慢だ。 奴らを見捨てる訳にもいかないさ」

 

地球のものとは異なる青く澄み渡った海の上を渡り、彼らはイカロス島要塞へと帰還していった。

 

(スーパーミュータントの集団では、どのような勢力とも友好関係を築く事は不可能………。 但し安定した食料の供給と、武器弾薬を作るための物資の作成を考えると新たな陸地への進出は必要だな。 むしろどのように上手く敵対していくかを考えるべきか)

 

 

 

 

 

そして、その三日後。

夜も大分深まった頃、イカロス島要塞内に作られたベルチバード発着場に彼を含めた四体のスーパーミュータントが集っていた。

体は分厚い鉄板や太い鎖で作られた無骨なスーパーミュータント用の鎧で覆われているが、その手には鈍器や刃物等の近接攻撃用の武器が握られており、銃で武装している者はいない。

 

ベルチバードの最大積載重量は2500キログラムであり、平均して体重三百六十キログラム程度のスーパーミュータントであれば、六~七体は乗る事が出来る。

 

ただそれは装備を考えない時の重量であり、実際にスーパーミュータントをベルチバードで輸送しようとすれば、その巨大な体躯もあり、一度に四体が限度となっていた。

 

「今回の遠征では、俺とアマンダ、そして他の八人で向かう。 残りのメンバーは後で迎えに来よう。 目的は昨日説明したように、この世界の陸地の探索、及び知的生物がいたとして、その文明レベルと戦力を図ることだ。 クリストフとストロングは拠点の防衛を頼むぞ」

 

「退屈だ、でも仕方ない。 今度は俺も戦うぞ」

 

「ああ……、そうなる可能性は高いな」

 

一般的なスーパーミュータントは自力で食料を生産するという思考も適性も皆無であり、結局のところ、狩猟か略奪しか生きていく方法はない。

 

だが無計画に暴れてはいつか必ず限界がやってくる。

 

流れに身を任せた結果とは言え、配下となったスーパーミュータント達と、自分がこの世界で生き残るために。

彼はベルチバードの操縦桿を力強く握った。

 

敵に発見されるのを避ける為に夜間無灯火での操縦だが、スーパーミュータントの視力があれば月明かりでも十分に操縦出来る。

 

夜の帳が降りた発着場で、ベルチバードのプロペラが空気を切り裂く音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初接触=初戦闘

張り詰めた赤い皮を噛み破ると、瑞々しい果汁が弾けるように口中に溢れた。

 

顔についた汁を手で拭ったあと、彼は久しぶりに食べるトマトの味に思わず喉を唸らせる。

 

「これは……、凄いな。 ここは周囲に集落も何もない森の中だぞ。 なのにそこら中に様々な野菜や果物が生えているとは」

 

イカロス島と、この地を結ぶ唯一の移動手段であるベルチバードを隠しておくため、彼は付近に人工物のない森の中にある開けた場所に機体を止めていた。

 

ここに来るまでに、幾つか集落らしき建物が並ぶ場所を上空から見つけたので、この地に住む知的生物は集団性を有しているのは間違いないだろう。

とりあえずの目標は、この場所から北に二十キロ程行った場所にある集落と思われる場所を調査すること。

 

だが彼は降り立った直後に見つけた野菜や果物に、他のスーパーミュータント共々夢中になってしまっていた。

 

「どれもインスティチュートに保管している戦前の植物サンプルで見たことがある。 もしかすると、ここは案外地球上のどこか……、いや、それだと星の配置が変化した事の説明がつかないね。 ……ってあんた、見た目は戦前の植物に似ているとは言え、そんな得体のしれない物がよく食えるわさ。 戦前生まれの癖して、野蛮な連邦の価値観が染み込んじまってるのかね」

 

「得体のしれないとはいっても、ラッドローチやブロードフライの肉よりは余程安心して食える。 ま、変異生物を食った後、腹の中で動く感触も慣れればどうってことはない」

 

「うまい! うまい!」

 

アマンダは彼を、そして二体のスーパーミュータントを交互に見てから肩をすくめ、周囲の植物をサンプル採取用の箱に入れていった。

 

同じバイオサイエンス部門の研究者といえどもアマンダは遺伝子治療を専門とする生化学者で、クリストフは人工臓器を研究する工学者。

 

遺伝子解析や生物の研究は、アマンダが得意とする分野だった。

 

「さて、これから残りのメンバーを迎えに島へ戻るが、その前にタレットを作動させておくか」

 

そう言うと彼はヘリに積んであったライトマシンガンタレットを一台、ベルチバードの近くに下ろすと右腕に装着したPip-Boyを作動させ、装置と一体となったコードを使いタレットに接続する。

 

自動防衛兵器であるタレットを制御するには本来はコンピュータターミナルが必要だが、携帯型パーソナルコンピュータであるPip-Boyでも代用出来る。

Pip-Boyを使いこなすには情報工学の知識が必要不可欠だが、それさえあれば他のターミナルにハッキングすることさえ可能だった。

 

ただ、このPip-Boyの機能の真価はターミナルの代替品となる事などでは無い。

体との接触面から神経を流れる微細な電気信号を受信して、筋肉にかかる負荷やバイタルを解析し、持ち物の重量管理や外傷の有無、放射線への被曝量の解析を行う生命維持機能。

逆に神経にPip-Boyからの信号を送り、銃の照準等の動作をアシストするVATSシステムという戦闘補助機能もある。

 

連邦の噂ではPip-Boyには幾つかのモデルがあり、生体に電気回路を挿入して直に神経と接続するタイプもあるらしいが、それはVATSシステムの精度が向上する代わりに特殊な手術無しでは取り外せなくなるらしいので、何かと不便な面も多いだろう。

 

アマンダ達の生体信号をバイオメトリックスキャナーを通して非攻撃対象として入力すると、最後にもう一つだけトマトに齧り付き、彼は再度ベルチバードの操縦桿を握った。

 

 

 

________

 

「いきなり、ここまでするつもりでは無かったんだがな……」

 

目の前に広がる、鎧ごとひしゃげた二十体以上の死体を見ながら彼は呟いた。

こうなるまでの経緯に思いを馳せながら……。

 

 

 

 

全てのメンバーを輸送し終えた頃には、空が朝焼けに染まってしまっていた。

 

「いいか、敵は殺せ、そうじゃなければ殺すな」

 

スーパーミュータントの知能でも理解できるように、命令は可能な限りシンプルにしておく。

もし現地の知的生命体と交戦になったとしたら、情報を得られそうなら生け捕りにして拘束したいという思いはあるが、状況別の臨機応変な対応などスーパーミュータントには難しいだろう。

 

彼はスーパーミュータントとの付き合いの中で、命令にはシンプルかつ暴力的な言葉を用いる必要があることを学んでいた。

 

そして上空から見つけた大規模な集落……、周囲を塀で囲った中に数百の建造物が立ち並ぶ場所へと向かった。

 

 

だが、その道中も無人だったという訳ではない。

事前のベルチバードからの偵察で、草原の中に線を引いたように土が踏み固められた街道と思われる道がある事を発見しており、彼はあえてそこを通って集落へと向かっていたからだ。

 

当然、幾度かは現地の知的生物とも接触しており、それらは始めはこちらを同族だと思っているのか警戒なく街道を通り近づいてきたが、大体百メートルくらいの距離まで近づくとスーパーミュータント達の異常な風体に気がつき慌てて立ち去っていった。

 

この分だと到着するまでには、集落の住人にこちらの事が伝わるだろう。

もしかしたら、警戒して戦闘部隊を差し向けられるかもしれないが、それはむしろ望む所だった。

 

理由は単純で、イカロス島へのマイアラークの襲撃がこの世界に来てから途絶えた事で、島のスーパーミュータント達が力を持て余して不満を訴えているからである。

 

スーパーミュータントはとにかく争いを好む種族で付近に敵がいなければ、新たな敵を探して移動してまで、常に戦いを求め続ける。

彼は一般的なスーパーミュータントを遥かに凌駕するその強さから、今の所はスーパーミュータントのボスとして認められているが、このまま不満が高まり続ければ統率に綻びが生じてくる可能性は高い。

 

彼が、我が強いスーパーミュータントを支配できる根本的な理由は、知性や利益などではなく圧倒的な暴力から来るカリスマ。

 

だが常に新たな戦いを提供できなければ、そのカリスマでもスーパーミュータントを束ねるのは難しくなっていくだろう。

 

その為に今回の調査では現地の生物と戦闘をして、相手の強さと危険度を測っておきたかった。

現地の勢力図も分からないままに知的生物に喧嘩を売るのは、かなり荒っぽいやり方ではあるが、この状況では仕方がない。

 

もしスーパーミュータントにもう少し知性があれば、特定の勢力に肩入れして戦う事で、全方面を敵に回す事を避ける事も出来ただろうが、彼らにはそんな頭脳も理性もない。

 

例え他の種族と友好関係を築こうとしたところで、末端が勝手に殺し合いや略奪を始めてしまう事は目に見えている。

 

 

そして街まで二十キロメートル程の距離にまで近づいた頃、彼は遠くから街道沿いに近づいてくる集団を発見した。

どうやら動物……、遠目から見る限りでは馬に近い大きさの生物に乗って移動しているらしく、時折放つ光を見るに、金属製のアーマーを身につけているらしい。

 

(やっと来たか……、まあ、いきなり殺し合いを初めては情報も得られないし、相手の戦力も事前に測っておきたい。 まずはコミュニケーションを試みるべきだな。 会話は通じないだろうが、ジェスチャーで何とか……)

 

チームに命じて足を止めながら考え事をしている内に、相手との距離は三十メートル程に縮まっていた。

 

近くまで来たことで、相手の姿が明らかになる。

その姿は明らかに地球の物と同じ外見の馬に乗り、金属の鎧と兜を装着した人間だった。

 

 

彼らは当初は異常に大きな体躯を持つ完全武装の集団を前に同様していた様子だったが、僅か数秒で顔を引き締めると重厚な金属音を響かせ馬から降りる。

 

良く訓練を受けているのだろう。

淀みない動きで、こちらに向けて剣や槍などの獲物を構えてきた。

 

 

 

「止まれ! 我らはクワ・トイネ公国所属リベラ都市防衛隊。 まずは武装を解除し、諸君らの……はがッ!」

 

英語を話している、と彼が驚く間もなく、名乗りをあげた男の胸に大人の握り拳程もある大きさの石が勢いよく衝突し、男の鎧を陥没させて体を三メートルは跳ね飛ばした。

 

「こいつら武器向けた! 敵だ! ぶっ殺せ!」

 

(………えぇ)

 

確かに脅威に素早く対応させる為に、敵は殺せとはいったが……。

スーパーミュータントと敵対関係になる事の容易さをうっかり彼は忘れてしまっていた。

 

スーパーミュータントの中では、人間は全くの無抵抗で武装もしていない状態で、初めて敵から餌へと見方が変わるのであり、武器を向けてくる行為は即座に殺し合いを仕掛けられたと判断してしまう。

 

都市防衛隊と名乗った彼らにしてみれば、武器を抜いたのはあくまでも威嚇の為だったのだろうが、そんな意図が戦う為に存在しているような種族に通用するわけもなかった。

 

そこから先は一方的な展開だった。

 

緑の巨体が繰り出すパイプの一撃が兜を陥没させ、巨大な拳のひと振りが容易く首の骨を折る。

戦いの興奮に酔いしれるスーパーミュータントを止める事は、彼でさえ容易では無い。

 

情報を抜くために、何とか殺される前に確保出来た一人の兵士を除き、二十人以上居た部隊はものの三分ほどで全滅してしまった。

 

(こいつらを束ねていくのは思った以上に厄介かもしれないな。 あまりに戦闘意欲が旺盛すぎる。 まあ、現地の知的生物……、見た目からして人間か? それとの戦闘を見ることは出来たが……、少なくとも今の奴らに関して言えば、肉体的には非常に脆弱らしいな)

 

彼は目の前の光景に小さくため息を吐くと、足元に呆然とうずくまる若い兵士へと目を向ける。

 

「答えろ、クワ・トイネって何だ?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ブラザーズ

「つまり例の陸地はロデニウス大陸と呼ばれており、現在はロウリア王国、クワ・トイネ公国、クイラ王国の三国家が存在する訳かい」

 

「ああ、あの兵士の証言が正しければ、な。 それと大陸に暮らす知的生命体は人間だけではなく、亜人と呼ばれる種族も存在するようだ。 交戦した兵士の中にも猫のような耳を持った者がいたし、事実と見ていいだろう」

 

彼は捕獲した兵士を尋問する事で、この世界についてある程度の情報を得ていた。

話を聞く限りでは大陸の技術レベルは低くせいぜい中世レベル。

情報網も発達していない為にあくまでも限られた知識ではあるが、全くの手探りの状態からは進歩したと言えるだろう。

 

あれから尋問に答えてくれた兵士は、殺すことなく解放した。

特にこちらについての情報は与えていないし、彼自身、殺しが好きなサディストという訳でもない。

必要性がなければ、無駄な殺生をする意味はなかった。

 

ただそれは裏を返せば、必要性があれば平気で人も殺せるという、良くも悪くも連邦的な価値観に染まっているという事ではあるが。

 

情報と戦闘経験を得るという当初の目的を達成した事で、一時拠点としている森へと撤退した後、現地で採取したサンプルを積み、彼とアマンダは一時的にクイラ王国南部の海岸から、南東に八百キロ程離れた場所にあるイカロス島へと戻っていた。

 

得られた情報についての説明を、クリストフは興味深そうに聞きながら、時折頷く。

 

「少なくとも今回遭遇した相手に関して言えば、肉体的にスーパーミュータントよりも遥かに脆弱か。 で、これからどうするんだい?」

 

「そうだな……。 例え個々の戦闘能力はスーパーミュータントよりも弱いとは言え、クワ・トイネ王国だけでも人口は数百万人に及ぶらしい。 それに兵士の話では魔法を使うことができる魔道士という存在もいるらしいからな」

 

「魔法? ……それはどう言う意味だい」

 

「魔力という力を使い、様々な現象を引き起こす超常能力。 物語に出てくるような魔法と同じだ。 あまり詳しい情報は得られなかったが、十分な警戒は必要だろう。 ……だがその上で、俺は配下のスーパーミュータントをロデニウス大陸に進出させようと考えている」

 

確かにリスクはあるがスーパーミュータント達をこの島に閉じ込め続けて置くのにも、いずれ限界が来る。

それに自分達を脅かし得る外敵が現れた時の為に、力を蓄えておくには大陸から金属等の物資を調達する事が必要不可欠。

 

それに現地の人間や亜人のスーパーミュータント化や、この世界特有の生物、技術の研究を進めるには、遅かれ早かれ大陸に拠点を作らなければならない事などを彼が説明すると、アマンダとクリストフも納得した様子だった。

 

「後、望みは薄いかもしれないが、ねじやスプリング、電子回路の供給源がないかも当たってみよう。 ワークショップでもそれらは作成出来ないからな」

 

「ああ、ワークショップね。 戦前のどこかの大企業が開発した万能型工作装置……、素材の溶接、切削、圧延までなんでも出来るって触れ込みだが、それにしてもタレットまで作っちまうあんたは工作の天才と呼べるだろうね」

 

「その企業とVault-Tec社は業務提携を行っていて、殆どのVaultにはワークショップが設置されているんだ。 その為か、Vaultの職員用のPip-Boyにはワークショップで様々な機械を作る設計図がインストールされている。 俺はそれに従って工作しているだけだから大した事はない。 ……だが、ねじやスプリング等の部品は一から作ろうとすると装置がエラーを起こしてしまってな。 大方、製造元の企業が素材からどんなものでも作れるようにしてしまっては自社の製品が全く売れなくなるからとプロテクトを掛けたんだろう」

 

「全く余計な事を……、ただ中世レベルの技術しか持たない奴らから、その部品が得られるとは思えないね」

 

彼は兵士から聞いた話を思い出しながら首を振る。

 

「いや、この世界には高度な技術を独占する事で軍事的優位を保っている文明圏国家という国々が存在するらしい。 このロデニウス大陸の国家は全ては非文明圏に属するらしく、その文明圏とやらの国家から工業部品を調達出来る可能製はある」

 

「……うん、大陸進出の必要性については了解した。 ただ長期的な展望はあるのかい? まさか力を盾に闇雲に様々な勢力に喧嘩を売り、無計画に力を蓄えるだけじゃないだろうね?」

 

「それはあたしも聞きたいね」

 

二人の言うことは最もだ、と彼は思う。

理論的には寿命が存在しないスーパーミュータントにとっては、百年後、二百年後の未来でさえ決して他人事では無い。

確かに、ただ暴れ続けるだけではロデニウス大陸の住人達の技術の向上に伴い、いずれ駆逐されてしまうだろう。

 

「何をしたいのかと言われれば……、生きたいのさ。ただ安全な場所に隠れているだけではそれは果たせない。

この世界は良い、あの朽ち果てた世界とは違って生命に溢れ、豊かな自然がそのまま残っている。 ……しかし人類がこの星に生き続け文明が発達し続ければ、必ず地球のような悲劇が繰り返され、この世界は滅びてしまうだろう」

 

二人は沈黙しながら否定も肯定もせずに黙って彼の話に耳を傾ける。

 

「俺達がこの世界に来たのは何かの巡りあわせかも知れない。 生まれてからずっとインスティチュートの中で過ごしてきたお前達には理解できないかもしれないが、俺はこの戦前の地球のような美しい世界で生き続けたい、確かにそう思ったんだ。 ……ただ、その為に何をすべきか、はまだ定まっていない。 今の所はこの答えでいいか?」

 

数十秒間の無音の後、最初に口を開いたのはアマンダだった。

 

「ま、あたしにもこの世界の美しさくらいは分かるわさ。 それを守る、なんて大げさな事があたし達に務まるような事なのかは知らないけどね。 ……当分はあんたの方針で行くことに異論はないよ」

 

「………僕も同じ意見でいい。 スーパーミュータントとして生きるにしても、将来の生活の質を無視する訳にもいかないからな」

 

「よし、決まったな。 じゃあ、まずは大陸での本格的な略奪活動を始めるか。 統率力を高める為に組織の名前やシンボルでも作ってみるか? あまり複雑な名前や図案だとスーパーミュータント達が覚えられないだろうから、単純なものをな」

 

「名前はブラザーズなんて良いんじゃないかな? この島のスーパーミュータントは同じFEVのウイルス株から生まれた兄弟みたいなものだからね」

 

「いいな、言いやすくて」

 

その後はアマンダの発案により、組織のシンボルは縦線を三本ならべた図形。

彼が冬眠していたVault111を表すマークに決定した。

 

「よし、決まったな。 大陸で活動するにあたり暫くは下手な知性等は見せず、野蛮な怪人の群れとして振舞おう。 賢しい部分を見せると相手を警戒させて、こちらの素性について探りを入れられるかもしれないからな。

それよりは裏表のない愚かな存在と思われた方が都合がいい」

 

彼はアマンダを島へと残し、代わりにストロングを連れてクワ・トイネ公国内の拠点を目指し飛び立つ。

それはロデニウス大陸を舞台にした、略奪劇の最初の一歩だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの森は今

「耳長ニンゲン! お前の腸を引きずりだして、それを使って絞め殺してやる!」

 

後方から聞こえてくる恐ろしい罵声に心臓を高鳴らせながら、ウォルは必死で森の中を駆け抜けた。

突き出た木の枝が肌を掠める痛みを感じるが、もはやそんな些事に気を取られている余裕もない。

 

「慈悲深き森の木々よ、我に仇なす敵を阻みたまえ」

 

鬱蒼と茂る木々が枝を伸ばし、鋭い枝で奴らの行く手を阻むが、強靭な外皮を持つ奴らにとっては大した脅威とはならないのだろう。

直ぐに無理やり障害を突破してくる、枝折れの音が聞こえてきた。

 

ハイエルフという種族特有の強力な魔力と森の木々との共感能力は、このエルフの聖地、リーン・ノウの森の中で絶対的な優位となる筈であった。

 

かつてロデニウス大陸で猛威を振るった魔王でさえ、力押しではなく森を焼き払う事で、この自然の要塞を攻略しようとした伝説が残っている。

 

だが、永きに渡って破られなかった不落の神話も二年前までの話。

現在この森はブラザーズと名乗る、スーパーミュータントという魔族の集団により支配されてしまっていた。

 

彼らは二年半程前から突如としてロデニウス大陸に出没し、クワ・トイネ公国のみならず、クイラ王国やロウリア王国において村や小規模な町を襲い始めた。

 

当然、各国の軍隊は迎撃に動いたが、スーパーミュータントが持つ圧倒的な膂力と弓矢すら跳ね除ける強靭な外皮という種族的優位を崩すことが出来ず敗走。

幾度かは交渉を試みようとする動きもあったらしいが、あまりの凶暴性に全く話が通じなかったらしい。

 

しかし、奴らへの対抗策は全くの皆無という訳ではなかった。

スーパーミュータントは魔法を行使する事が出来ず、扱う飛び道具といえば精々が投石のみ。

 

そこで各国はワイバーンを用いた対空攻撃で、スーパーミュータントの脅威に立ち向かおうとした。

この作戦は実際にある程度の効果を発揮したらしいが、残念ながらスーパーミュータントもあらゆる面において愚か者という訳ではない。

 

理性的な対話や、生産性という面に関してはまさに獣並としか言えない種族だが、なぜか戦闘に関しては意外な知性と機転を発揮する。

 

奴らはワイバーンの攻撃からの防衛策として、上空からの自分達の姿の発見が困難となる森を拠点とすることを選んだ。

よりにもよってそれが、このエルフの聖地、リーン・ノウの森だったのだ。

 

当然この森を守るエルフはスーパーミュータントの侵攻に対応しようとしたが魔法の力も、侵入者を惑わす深森の景色も奴らの勢いを止めるには至らなかった。

 

魔法による攻撃はそれを凌駕する膂力でもって打ち破られ、森の声を聞けない種族を惑わすリーン・ノウの地形にも、野生動物じみた方向感覚を持つスーパーミュータントは容易く適応した。

 

住民のエルフ達は奴らと戦い殺されるか、聖域の守り人としての誇りをすて逃げ出すかのどちらかを迫られ、ウィルも命からがも森の外へと逃れた一人だ。

 

永きに渡り受け継がれてきた種族の使命から目を背け、ただ命をつなぐ事を選んでしまった。

幸いクワ・トイネ王国のある土地は大地の神の祝福を受けており、食べていくには全く困らない。

 

近頃は野生の獣を仕留め、その肉を売る狩人としての仕事にも慣れてきて、何とか前途が開けてきた。

しかし、そのウォルはまたこの森に戻ってしまった。

 

その理由は幼馴染のエルフの娘、ミーナとの別れの記憶である。

森から逃げる事を選んだウォル達の派閥とは違い、ミーナを含む全体の三分の一程のハイエルフは最後まで聖域を守る為に戦う事を選んだ。

 

どんなに説得しても自分の信念を曲げようとしないミーナと、最後は喧嘩別れになってしまったが、新たな環境に馴染む事に必死だった二年間を過ぎて、暮らしに余裕が生まれ始めると、なぜかミーナの事を思い出してしまう。

 

日に日に大きくなるその思いに、彼はついにもう一度リーン・ノウの森に足を踏み入れる事に決めた。

流石にもう生きてはいないだろうが、ミーナの最後を少しでも知ることが出来たら……。

 

その一心で始めた探索だったが、途中で三体のスーパーミュータントに見つかってしまい、ウォルの命も尽きようとしていた。

 

もはや魔力も枯渇し、逃げる体力も尽きた。

 

「あっ」

 

命の危機を目前にした焦燥の為か。

木の根に足を取られ、地面に体を投げ出してしまったウォルをスーパーミュータント達は笑いながら取り囲む。

 

「お前、馬鹿だ。 どうせ死ぬのになぜ抗う?」

 

「耳長の肉、食ってやる!」

 

もはや立ち上がる体力も無く、無様に地面に転がる彼をスーパーミュータントは嘲笑する。

 

これでは楽に殺してすら、くれそうもない。

 

直ぐ先に待ち構えているであろう己の未来を悟り、せめて自分の手でこの人生に引導を渡そうと、彼は腰の短剣に手を伸ばした。

 

(報い……、なのかな。 ごめん、ミーナ、あのとき一緒に死んであげられなくて)

 

ウォルの口元に乾いた笑みが浮かび、まさに短剣を抜こうとした時だった。

 

「っ!?」

 

狼を思わせる、腹を揺るがすような咆哮が森を突き抜け、ウォルの腹の奥を揺さぶる。

 

スーパーミュータント達も獲物をいたぶる前の楽観的な雰囲気を改め、途端に周囲を警戒しだした。

 

「ラビットマン! いるのか?」

 

「出てこい、出来損ない共! 俺はお前らより強い!」

 

スーパーミュータントの声に応えるように、少し離れた場所にある茂みから葉が擦れる音が聞こえてきた。

 

「そこだ! 行くぞ!」

 

一斉に走りだす三体のスーパーミュータント。

彼らの意識は一時的にウォルから逸れ、新たな外敵へと向けられている。

 

その僅かな隙にも、疲れきったウォルは動くことが出来ない。

だが地面に蹲っていた彼は、視界の隅から飛び込んできた何かに勢いよく抱えられる。

 

「なに!」

 

驚くスーパーミュータントが対応する間も無く、その何かとウォルは森の中へと消えていった。

 

 

 

______

 

ウォルを抱えてスーパーミュータントから逃げ出したそれは、怪物としか言いようのない姿をしていた。

 

全身を大部分を黒い体毛に覆われ、狼を思わせる頭部を持ち、その口からは肉を噛みちぎる為の鋭利な牙が覗いている。

手足のバランス等は純粋な獣よりも人間に近いだろうか。

だが極端な猫背であり、ウォルを抱えていた時の様子を見るに二足歩行も出来るようだが、四足歩行が最も適している移動方法のようだ。

 

頭から突き出す、茶色い肌の尖った長い耳だけが体表の中で唯一毛に覆われていない部位だった。

 

もしかしてこの怪物は、自分を喰らう為にスーパーミュータントから奪ったのだろうか。

怯えるウォルを怪物は暫く見下ろした後、鋭い鉤爪がついた指で一方向を指さした。

 

「日が暮れる前に逃げて。 夜の森で奴らに見つかったら逃げる術は無いわ」

 

獣のような外見に相応しい、唸るような低く重い声。

 

だが、その言葉の中にウォルは聞き覚えのある響きを感じた。

 

「ミー……、ナ?」

 

怪物はウォルの発した声に一瞬びくりとした後、何かを振り払うように数度首を振り、森の奥の方へと踵を返す。

 

「この森にもう来ては駄目。 奴らは……、恐らくあなたが思うよりずっと恐ろしい存在だから。 私も今度会った時は、あなたを殺してしまうかもしれない」

 

「ま、待て。 ミーナ……、ミーナ!?」

 

ミーナと呼びかけられた怪物は何も語ろうとせず、ウォルの元から遠ざかっていく。

 

ミーナが生きているという希望に縋りたいのか。

それともあんな姿になっているという可能性を信じたくないのか。

 

混乱と葛藤の中で、ウォルは後を追うことも出来ずに、怪物が消えた方向を見つめ続けていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ポイ捨て・エフェクト

クワ・トイネ公国西部の都市ギム。

ここはロウリア王国との国境近くに位置し、亜人に対して敵対的な政策をとり続けているかの国の侵攻に備える為に作られた防衛都市である。

 

その都市に配属されている軍、西部方面騎士団第一歩兵隊の三百人と兵站を積んだ複数の馬車はギムの東方に広がる平野の中を、黙々と歩み続けていた。

 

まだ朝と言える時間帯とは言え、夏の日差しは既に容赦なく地表に降り注いでいる。

金属製の胸鎧とすね当て、ガントレットを身にまとった兵士達は汗だくになりながらも行進を続けた。

彼らの顔は一様に緊張で強張り、両手で持った金属製のメイスを強く握り締める者も居た。

 

やがて彼らの前方に、広さは概ね百メートル四方程度、と事前に教えられた小さな林が見えてくる。

視界を遮るもののない平原の中にポツリと現れたそれは、どこか不気味な印象を見るものに与えた。

 

「あそこだな?」

 

総隊長であるマクデは林から三キロメートル程距離をおいて部隊を止めさせると、副官に尋ねる。

 

「はい、一週間前に虫狩りがあの林の周囲で殺人蟻の大群に遭遇、その後報告を受けた軍が偵察隊を派遣し調査を行った所、複数の巨大な蟻塚を発見したそうです。 推測では森全体で、少なくとも二千体は生息しているかと……」

 

「ああ、それは聞いている。 林という上空からの警戒が行き届かない地形が、このような都市の近くでの殺人アリの繁殖を見逃したという訳か……。 だがそれも今日で終わりだ。 今の内に兵士を少しでも休ませておけ。 我々は、これから合流する虫狩り達を含めた包囲作戦の最終確認に入る」

 

マクデの言う虫狩り、というのは二年程前にクワ・トイネ公国で初めて発見された二種類の巨大な虫の駆除を生業とする者達だ。

 

どちらの虫を専門に狙って狩りを行っているかで、羽狩りと蟻狩りの二つに分類される。

羽狩りとは巨大な羽を持つ茶色い甲虫、通称、茶羽虫をターゲットとするものでこちらは主に都市の中で行動する事が多い。

 

だが、茶羽虫はもう一方の虫よりは弱いとされているが、小さくても三十センチ、大きいものでは一メートル以上の大きさになる虫だ。

飛行してからの体当たりを生身で喰らえば骨にヒビが入ることがあるし、強靭な顎による噛み付きを喰らえば、傷口から病気に感染する危険もある。

何よりその生理的な嫌悪感を刺激する見た目から触る事はおろか、近づくことさえ出来ないという者も多く、羽狩りは余程の度胸がなければ務まらなかった。

 

茶羽虫はクワ・トイネ公国に大地から生まれる豊富な食料を栄養源に、たった二年で爆発的に生息地域を拡大しており、今やクワ・トイネ公国の全域と、ロウリア王国、クイラ王国の一部で目撃されている。

人間の生活圏を特に好んでもいるようで、都市の排水管や廃屋などに数百匹単位の茶羽虫が潜んでいた、という事も珍しいことではなかった。

 

羽狩りのなり手の少なさと危険度から討伐報酬はそれなりに高く、上手くすれば元手無しでひと財産を築き上げる事も不可能ではない。

 

しかし、それ故に都市の中にわざと茶羽虫を放ち繁殖させる羽狩りが捕まった例もあり、たったの二年でここまで生息域が広がった理由には人の手によるものも大きいと言う見方もある。

 

 

 

そしてもう一方の蟻狩りは殺人蟻と呼称されている、雌の場合、茶羽虫と同じくらいの大きさになる巨大な蟻を専門に討伐する者達である。

 

殺人蟻は数十~数百体程の群れで行動する性質があり、土を積み上げて作った蟻塚の中で繁殖する。

蟻塚を破壊すれば群れを散らすことは可能だが、女王蟻を持たず繁殖を行う性質から、少しでも蟻を取り逃がしてしまえばまた新たな場所に巣を作るだけだ。

 

また一体一体の戦闘能力も茶羽虫よりも強く、金属に匹敵する強さを持つ甲殻と分厚い革鎧を切り裂く鎌のような顎を持ち、集団で襲われれば武装した者でさえ殺される危険が高い。

 

オスは羽蟻と呼ばれており、雌よりは小さく二十から三十センチくらいの大きさにしかならないが、大抵は集団で行動しており、纏わりつかれればあっという間に全身の血管を食い破られてしまう。

 

蟻狩りはその危険度故に仕事の報酬も茶羽虫を狩る場合よりも高く、退役軍人や武芸者、組織に属しない魔導師が集団で行う事が多かった。

 

この蟻により村一つが滅んだ事例もあり、フリーの討伐集団である蟻狩りの手に負えない大規模な生息地が確認された場合は、今回のように軍が動員されることになっていた。

 

 

 

 

平野の中に存在する小さな丘の上に天幕を張っただけの簡易的な司令部で今回の作戦の責任者であるマクデと副官及び各部隊長、ギムの行政機関が雇った蟻狩りのチームのリーダーが集まり、一連の討伐作戦の第二段階である包囲網の形成について話し合っていた。

 

マクデの指示を受けた副官が、参加者全員に作戦の流れを説明する。

 

「森の中の蟻は最低でも二千はいると推測され、更に大規模な群れとなっている可能性もある。 今作戦では第一段階として、林全体をギムから出撃した第一飛龍隊のワイバーン十騎の導力火炎弾で焼き払います。 幸いにして蟻の生息地は平野の中で孤立した林であり、大規模な山火事を引き起こす恐れもありませんから。 今回の我々の役目は、その際に群れから離れ、林から逃れて周囲の平野へと散開した殺人蟻を可能な限り討伐する事にあります」

 

「まあ事前に話は聞いていたが……、たかが虫を狩るために林一つを焼き尽くしてしまうなど大げさではないでしょうか? 国境に配属されている精鋭歩兵三百人に加え、蟻を狩る専門家まで揃っている訳ですし白兵戦で十分殲滅出来るのでは……」

 

部隊長の一人であるエルフが挙手をし副官の説明に対し意見を述べるが、会議に参加していた蟻狩りのリーダー達は皆一様に呆れたような目で彼を見る。

 

総勢三人のリーダー達は、それぞれが三十~五十人程の集団を束ねる殺人蟻との戦いの熟練者であり、だからこそ可能な事と不可能な事の区別はついている。

 

「無理ですわねぇ。 この戦力で二千の殺人蟻と正面から戦えば確実に絶滅しますわ」

 

リーダーの一人である猫の亜人ラーマがあたりまえの事のように、あっさりと断言する。

 

「三倍ルールって知ってます? 私達、蟻狩りの間では有名な基準なんですが、自分達の三倍以上の数の群れには挑んではいけないという教えです。 蟻の移動速度は概ね人族の子供の全力疾走程度。 鎧を来た兵士にとっては、速度の面で優位に立っているといって良いでしょう。 殺人蟻の群れを攻撃すれば、群れの蟻が一斉に自分達以上の速度で襲いかかってくるんですよ? もし二千の蟻に襲われればどうなるか……」

 

ラーマの声に、別のチームのリーダーを務める人族の男が答える。

 

「ま、死ぬわな。 結局のところ、一人が何とか同時に相手出来る蟻は三体が限度ってこった。 働き蟻か、戦士蟻か、羽蟻かでまた変わってくるから、あくまで一つの目安だけどな。 ……今回は林を焼くことで一匹でも多く始末出来る事を願うしかない」

 

エルフの部隊長も、蟻との戦いの経験者の声を真っ向から否定することは出来ず、渋面を作りながら押し黙った。

だがギムの付近ではこれまで軍隊が動く程の群れが確認された事が無かったこともあり、個々の兵士の殺人蟻に対する認識に差があるのは仕方がないと言えるだろう。

 

会議はその後は滞りなく進み、戦力を四つに分けて森の東西南北に配置し、包囲陣形を構築する方針が説明される。

 

ワイバーンの攻撃は会議が終わった時刻から二時間ほど後に開始される事となっており、四つに別れた部隊はそれぞれの持ち場へと歩き出した。

 

 

 

_______

 

上空を華麗に舞う空の王者ワイバーン。

計十体のワイバーン達の大きく開かれた顎から、林へ向けて戦いの始まりを告げる火炎弾が放たれた。

 

人間とは隔絶した魔力を持つワイバーンにより、魔素で構成された粘性のある炎が林の至る所に着弾する。

一応、威力だけに限って言えば同じ威力の導力火炎弾を放てない事もないが、ワイバーンが数十発の火炎弾を発射出来る程の魔力を体内に有しているのに対し、人間の魔力では撃てた所で精々数発。

そして速度と射程はワイバーンのそれとは比べ物にならない。

 

非文明圏の対空装備や魔法では空を悠々と飛行するワイバーンを、地上から打ち落とす事はほぼ不可能であり、それがワイバーンを戦場における絶対的な強者に押し上げていた。

 

殺人蟻にとってもそれは例外ではなく、羽蟻が飛べる限界高度の遥か上から放たれるワイバーンの火炎弾に林の中に急速に炎が燃え広がっていく。

 

その様子に森から一キロ程の距離を保ち布陣している兵士達は歓声を上げ、どこか楽観的な空気が部隊の間に広がっていた。

 

険しい表情で林を睨みつけている蟻狩り達や、蟻との戦闘経験のある部隊から転属されてきた一部の兵士達を除いて。

 

「なんだ、ありゃ」

 

声を出したのは、大声でワイバーンを応援していた兵士の一人だった。

林の一角から地を這って黒い水がにじみ出てくるように見える。

 

だが、直ぐにその黒い水の正体を理解した。

いや、理解してしまった。

 

「あ、蟻だっ! な、何だよあの数はっ」

 

地表を埋め尽くす程の膨大な量の蟻達が、押し寄せる洪水のように林の中から這い出していた。

今、見えるだけでも千以上は確実にいることだろう。

 

しかも林から溢れる蟻は留まるところを知らず、なおもその数を増やし続けている。

 

その光景を見たのか上空のワイバーンから森の外の蟻の群れに向けて火炎弾が放たれるが、まるで川の流れに小石を投げ込んだかのように、群れの勢いを全く弱めることは出来ない。

 

「ぜ、全員撤退ーー。 申し訳ございませんけど、私達帰りますわー」

 

林の西側に配置されていた蟻狩りのチームリーダー、ラーマが顔面を蒼白にして仲間に撤退指示を出す。

その言葉に仲間も誰ひとり反論せず、そそくさと地面に下ろした荷物を纏め始めた。

 

「お、お前達! 行政からの依頼を放棄すると違約金が発生するし、公的な依頼も受けられなくなるぞ。 分かっているのか?」

 

「死んだら金もクソもありません。 あの数は聞いていませんわ。 無理に決まっているでしょう?」

 

「こ、この臆病者がぁ!」

 

激しい剣幕でまくし立てる部隊長の言葉も、蟻狩り達は全く意に介さない。

 

「知らないんですか? 蟻狩りとして生き残っていく為に必要なのは勇敢さではなく、死ぬ前に躊躇わずに逃げることが出来る臆病さなんですよ。 では、ごきげんよう!」

 

逃げ去る蟻狩り達、そして森から溢れ出る蟻達を交互に見て、三十人程の兵士達も蟻狩りを追うようにして踵を返し始めてしまう。

 

「せ、戦争で敵と戦って死ぬならともかく、虫に食われてたまるか! 俺は逃げるぞ」

 

「か、勝てるわけねえだろ、こんなの。 後はワイバーンに任せるしかねえよ」

 

口々に弱音を吐き、部隊から遠ざかっていく兵士達に部隊長は必死で引きとめようとする。

 

「き、貴様ら、敵前逃亡は重罪だ! 私が報告すれば刑務所行きだぞ!? この国土を薄汚い虫けらから救おうという……、何だ魔信係! えっ……、司令部から全軍撤退命令? 遅いわ! もう敵は目の前だぞ。 くそっ、構え、構えだ!」

 

生き残った兵士達は怯えた形相で手元のメイスを構える。

 

既に逃げ切れない程に近くまで接近した殺人蟻の群れを迎撃しようとする兵士達だったが、あまりに素早く移動する無数の蟻の群れにあっという間に飲み込まれてしまう。

 

鈎状の爪を使い兵士の体中に纏わりついた殺人蟻は、鎧に覆われていない関節や首筋、顔を手当たり次第に噛みちぎっていく。

 

多くの兵士が出来た抵抗らしい抵抗は、最初の会敵時に振り下ろされたメイスの一撃だけであり、それですら殺人蟻の甲殻を正面から捉えられず、多少の傷を与えるに留まることが大部分だった。

 

結局は持ち場に残った兵士達が全員絶命するまでに、三分と掛からなかった。

 

死んだ兵士と、生き残った兵士。

それらを分けたのは、撤退命令を告げる魔信が届くまでの僅かな時間の間に逃げ出した者と、そうでない者の違いだけだった。

 

 

__________

 

「こ、これは……」

 

マクデは司令部から、壊滅していく部隊を見下ろして呟く。

 

猛然と押し寄せる濁流のような群れは大切な部下達を瞬く間に飲み込んで、覆い隠してしまった。

群れの出現から、撤退の命令を決断するまでの二分程の僅かな時間。

その時間に、兵士達の命運は決まってしまったのだ。

 

 

あの大群を発見したときに直ぐに撤退命令を出せば、兵士達を逃がしてやれたのではないだろうか。

だが、あの時一瞬、自分の経歴や名誉に傷がつくことを恐れて命令を出すのを躊躇ってしまった。

 

もしかしたら勝てるかも知れない。

勝てる戦から逃げ出せば、自分は臆病者の烙印を捺されるのではないか?

殺人蟻の恐ろしさを知識では知っていたが、実際に見たことがなかったマクデはそう思ってしまったのだ。

 

 

そしてその結果は、総勢三百人に及ぶ歩兵隊の壊滅。

 

ただ後悔と絶望だけが押し寄せ、マクデはただ赤く燃え盛る森を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

後に政府により作られた報告書にはこう記されていた。

 

『ギム東方における殺人蟻討伐遠征』

 

ワイバーンによる巣の壊滅を目的とした一次攻撃は成功。

しかし事前に行われた偵察において林の地下に自然に存在していた洞窟、及びそこに作られた多数の蟻塚を発見出来ず、結果として想定されていた二千体という数を遥かに上回る推定一万体の殺人蟻が森から溢れ出した。

 

作戦参加戦力の七割が失われ、生存した三割の内訳は蟻の群れの規模を確認し、即座に撤退を選択した蟻狩りの三チームと、撤退命令が発令される前に逃亡した兵士のみとなっている。

 

今作戦の責任者マクデは、自身の判断の誤りが撤退命令の遅延を招いたとし、逃亡兵へと罪が及ばないように主張。

世論も逃亡した兵士に同情的であり、その為兵士は十日間の謹慎処分の後、自主退職という形で軍籍から追放した。

 

自己判断で任務を放棄した蟻狩り三チームには事前調査の不備という軍の失態と、クワ・トイネ公国全体における今後の殺人蟻対策に与える影響を考慮し、処分は下されていない。

 

 

 

 

 

_________

 

約二年半前、クワ・トイネ王国内に作られた一時的なベルチバード発着場において。

 

「ふう……、三百人も運ぶのは結構時間が掛かるな」

 

Vault111の彼は、ベルチバードを用いたスーパーミュータント達のピストン輸送を行っていた。

 

イカロス島からクワ・トイネ王国までは片道でも三時間はかかる上、ベルチバードが発見される事を防ぐ為に夜間にしか飛行出来ない為、輸送のペースは早いとは言えない。

 

だが人里離れた森の中に作ったこの臨時拠点もいつ見つかるかも知れず、彼としては出来るだけ早く全てのスーパーミュータントをこの大陸に運び込みたかった。

 

「大変そうだな。 まあ、早く移動を済ませてしまいたい気持ちも分かるが。 とりあえず輸送が終わるまではスーパーミュータントをこの森に留めておくという頼みについては上手くいっている。 いずれ血が騒ぎだすだろうが、今の所は全員、この世界の食物に夢中のようだ」

 

イカロス島に戻り、現地で採取したサンプルの分析をしているアマンダに代わり、今はクリストフがクワ・トイネ王国に残りスーパーミュータント達の統率を行っている。

 

クリストフはスーパーミュータントとなったことで人間を遥かに超える強さを得たが、同族の中での実力は中の上と言ったところだ。

 

だがリーダーである彼が一時的な指揮を任せたという体裁を取れば、少なくともスーパーミュータントを一箇所に留めておく事くらいは出来る。

 

「そうか……、予定では後二週間で輸送は終わる。 それまで何事も無いように目を光らせておいてくれ」

 

「勿論だ。 そういえばスーパーミュータント達は最近狩りに嵌っているようだ。 この土地は食料が非常に豊富だし、動物の生息数も多いらしい」

 

「そうか……」

 

そして僅かな会話を交わした後は、今夜中にもう一往復する為、彼は急いでベルチバードを発進させた。

 

彼が居なくなった所で、クリストフはふと大きな木の根元の部分に積まれた布袋に目をやる。

 

「イカロス島から、持ってきた食料だが誰も食べていない。 ………腐る前に捨てるか」

 

食料の内訳はイカロス島に生えている野生の食用植物や、変異生物の肉等だ。

自分達の素性を隠す為にテクノロジーの漏出に過度に気を使うリーダーの彼は、戦前の缶詰等の食料の持ち込みは禁止している。

 

ただ変異生物といっても大型の動物等は全てスーパーミュータントが狩り尽くしてしまった為、クリストフの指示の元、島に来る前にラッドローチとアリを狩ってその肉を大量に持ってきた。

 

ただ虫の肉はその不味さからスーパーミュータントにさえ不評であり、美味く新鮮な野菜や果物、肉のある大陸では、もはや誰も食べようとはしていない。

 

「おーい、そこの君、手伝ってくれ。 これをその辺に放り出しておいてくれないか。 袋は使うから中身だけだ」

 

実験により生成したスーパーミュータントを、平気で連邦に廃棄するインスティチュートで育ったクリストフには環境保全の意識など微塵もない。

 

要らないなら捨てる。

仮に島から持ってきたラッドローチやアリの腹の肉の中に、まだ生きている生の卵が眠っている物があったと知った所で、クリストフは気にも留めなかっただろう。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進行中

転移から約四年後、イカロス島要塞にて。

 

 

 

「うむ………、一筋縄ではいかないだろうと思っていたとは言え予想以上に難航しそうだな」

 

Vault111の彼はアマンダとクリストフが作成したレポートを睨みながら、額を掻いた。

目の前には二人の研究者が座っており、彼が資料に目を通し終わるのを待っている。

 

 

既にこの世界に来て四年以上の月日が経過した。

その間、彼らはただ物資の略奪とこの世界の情報収集に腐心していた訳ではなく、その一方で様々な計画を進めていたのだ。

 

その一つが、この世界の種族をベースとした新たなスーパーミュータントを作り出す実験である。

転移した当初の配下のスーパーミュータントの総数は三百体程度であり、現在は幾つかのトラブルにより数体のスーパーミュータントが死亡したとは言え、兵力には殆ど変化がないと言っていいだろう。

 

ただ今後、外部の勢力との抗争が激化した時の為に新たなスーパーミュータントを作り出す術は確保しておきたかった。

 

だがこの世界の人間やエルフ、獣人は魔素という未知の物質を体内に溜め込む機能を持つ事からも明らかなように、地球の人間とは遺伝子レベルでの大きな違いがある。

 

これまでに自分たちに差し向けられた討伐隊等を中心に、数百人をFEVに感染させて変異過程を観察したが結果は芳しくない。

 

最もFEVへの適合性が低いと思われるのが獣人であり、ウイルスの影響で変異するにつれ徐々に人間性を失い、最終的には体毛の生えていない四足歩行の動物のような姿になる。

 

種族や個体により犬に近い外見になったり、豚と猫の間の子のような外見になったりと変異後の姿は異なるが、制御不可能な凶暴さと獣並みの知能だけは共通だった。

 

この世界の人間の場合はもう少しスーパーミュータントに近い姿へと変異するようで、体毛が抜け落ち、白い皮膚に覆われた人型の姿になる。

 

彼らはその姿をホワイトと呼称しているが、ホワイトの知能も残念ながら配下として扱える程に高くはなく、純粋な欲望と破壊衝動のみで動く獣と言っていい。

筋力や外皮に関しても人間の時よりは強化されているようだが、素手でパワーアーマーとさえ渡り合えるスーパーミュータントの水準には遠く及ばない。

 

残念ながら新たな兵力として期待出来るとは言えないだろう。

 

 

 

そして最後はエルフ。

彼らはFEVに感染すると体毛が増加すると同時に骨格も変異し、伝説にもある狼男に近い容姿になる。

頭部にはエルフだった頃の名残だと思われる体毛の生えていない長い耳があり、それがうさぎの耳のようにも見える事からラビットマンと呼称されていた。

 

ラビットマンの知能もホワイトと大差なく、とても知的な活動が出来る水準ではないが、これまでに少なくとも一体は知能を保っていると思われる個体が確認されている。

 

かつてリーン・ノウの森をスーパーミュータントの活動拠点として確保した際、大量のエルフを捕獲した事がある。

その際にアマンダの要望でFEVの投与実験が行われ、エルフが変異したラビットマン達は実験が住むまで集団で檻に閉じ込めておいた。

 

しかし、この時点でラビットマンの知能レベルに関しては判明していたので、檻についても厳重な監視体制を敷いていなかったのが災いした。

 

高い知能を持つと思われるラビットマンの一人が見張り役のスーパーミュータントを挑発し、外から檻の扉を開けさせてしまったらしく、ラビットマンの集団脱走が起きてしまったのだ。

 

情報漏洩対策の観点から、彼らは実験に使ったFEV感染者は余程の事情がない限り始末する事にしているが、この広大なリーン・ノウの森の中に散らばったラビットマンを狩ることは三百体程度の兵力では容易では無い。

 

年単位の時間を掛けて脱走したラビットマンの大部分は始末したものの、未だ高い知能を持つと思われる個体の捕獲には成功していなかった。

 

「結果は望ましいものではないとはいえ、現地の生物へのFEVの影響に関して知見が得られただけでも良しとするか……」

 

「それにこの実験で得られた実利もあるわさ。 被検体ブルーが最たるものだね」

 

「ああ、ブルーか。 確かに彼は役に立っている。 人間社会に溶け込んだ彼の協力で、この世界の情報収集が一気に捗るようになったしな。 ……まあ少し野心が強すぎる嫌いもあるが、こちらが抗体という命綱を握っている以上、少なくとも暫くは脅威にはならないだろう」

 

「だけれど野心がありすぎる所が気になるね。 フィルアデス大陸への進出も狙っているようだし……」

 

「それはそれでいい。 ロウリア王国が勢力圏を広げる事は、俺達の計画にもプラスになる」

 

「ただ他の大陸に変異生物を持ち込ませないようにしないとね。 ………ったく。 いいたかないけど、クリストフ。 あんたのせいでロデニウス大陸全土が変異生物で汚染されちまった。 特にクワ・トイネ公国の状況はひどすぎるね。 リーン・ノウの森もラッドローチだらけになっちまったよ」

 

「あれは………、事故だろう。 それにブルーが作ったあれを使えばロウリア王国内では………、事態の改善は可能かもしれない。 クワ・トイネ公国はもう仕方がない。 アリとラッドローチが短期間であそこまでの膨大な個体数になってしまったのは、あの国の特殊な土壌があってのことだ」

 

「よせ、その話は既に済んだことだ。 それよりこれからの事を考えよう」

 

だんだんと語気が強くなってきたクリストフとアマンダを遮るように、彼が声を上げる。

 

その後も三人は、現時点で抱えている様々な問題について話し合いを続けた。

 

 

 

 

___________

 

ロウリア王国王都ジン・ハーク内、王城ハーク城。

 

王国が誇る三重の城壁を持つ要塞都市ジン・ハーク。

時刻は直ぐに夕暮れであり、橙色に染まりつつある光が王都を淡く照らしている。

 

人口約七十万人を誇るその都市の中核に位置するハーク城の中庭は、普段とは異なり数多の人間達が作り出す熱気に満ち溢れていた。

 

彼らの大部分はジン・ハークを守護するロウリア王国内でも指折りのエリート兵士達であり、今日は特別な式典のみで身に付ける煌びやかな礼装を身に纏っている。

 

やがて城のバルコニーにある人物が姿を現し、場に満ちた緊張感はいよいよ最高潮に達した。

 

彼らが待っていた人物は、まだ齢十歳前後に見える幼い少女であり、同時に今日からこの国の王となる者でもある。

彼女は長く伸ばした金色の髪を風になびかせ、白い礼服に身を包んでいた。

事前に知らされていたとは言え、予想以上に幼い新王の姿に兵士達の間に動揺が走る。

 

多くの視線を一心に集めたバルコニーの上の少女は、眼下に整列する兵士たちを見下ろしながら表情一つ動かさずに沈黙を続けた。

 

これより戴冠式を終えた新王からの演説がある、と聞かされていた兵士達が困惑するほどの長い時間が過ぎ、もしかしたらこの軍勢に圧倒されて話せなくなってしまっているのではないか、と多くの兵士が不安に思い始めた頃、やっと少女は口を開いた。

 

「兵士達よ」

 

少女自らが使用した声の音量を上げる魔法により、静かな口調だが庭の隅々までその言葉が響き渡った。

年に似合わない冷静な、しかし力の篭った声。

 

兵士達の意識は、一気に彼女へと引き付けられた。

 

「ここ数年、我が国は怪虫という前代未聞の災厄に見舞われている。 怪虫達は際限無く溢れて、畑を森を食い荒らし、多くの村を滅ぼした。 それに伴う食糧生産の低下により民は飢え、冬季には餓死者まで出ており……、怪虫により住処を奪われた民は難民と化し、治安と経済へ多大な影響を与えている。 ………そして我が父であり、長年に渡りロウリア王国の為にその身を捧げてきたハーク王も二ヶ月前、病により崩御された」

 

その場にいる兵士達は表情さえ変えず、石像の如く整列し続けているが、それぞれ心中には国の行く末への不安、怪虫との戦いへの疲れ、事態の悪化になす術の無いことに対するやるせなさ等が呼び起こされる。

 

隣国であるクワ・トイネ公国では、国土の大部分が天然の畑と化しているという特殊な土壌により爆発的に怪虫が増え、今や国土の半分以上は人の住める土地では無くなってしまったらしい。

 

ロウリア王国はクワ・トイネ公国よりは、怪虫に侵食される速度は遅いが、繁殖に対して駆除が到底追いついていないのが現状。

 

このままでは後数年でクワ・トイネ公国の二の舞になるのではないか、という懸念は国民の大部分が持っていると言ってもいい。

 

「だが余は敢えて言おう。 喜べ兵達よ、我がロウリアの国民よ。 神の祝福は……、ロウリアに降りた。 このかつてない危機を打開し、ロウリアを更に偉大なる存在へと押し上げる力を余は神から受け取ったのだ。 今からこの場でその一端を見せよう」

 

「「はっ!」」

 

新王が演説を行っている間に、いつの間にか兵士の最前列の前に、長い棒のような物を持った二十人程の兵士達が等間隔で並んでいた。

 

服装は中庭に集まった兵士達と同じものであり、彼らは地面に棒を突き立てると、その先端に付けられた長さ三十センチ程の筒を空に向ける。

 

事前に練習したのだろう。

兵士たちは全く同じタイミングで、同じ言葉を唱え始めた。

 

「「大いなる火竜よ。 その怒りを解き放て」」

 

「なっ!」

 

次の瞬間、このような式典における作法が身に染み付いた兵士達からも、思わず驚きの声が上がった。

 

兵士達が構えた棒の先端から、直径三十センチメートル程の火炎弾が打ち出され、空高くへと打ち上がる。

そして火炎弾が最大射高である上空五百メートルに達した頃、炎を包んでいた風の膜が解け、内部の炎が日没が近づき群青色に染まった空に舞い踊る。

 

その様子は兵士のみならず、王都に住まう国民からも見ることが出来た。

 

棒を持った兵士達は、他の者達の目が空へと昇っていく火炎弾へと引き寄せされている隙に、筒の中に赤い宝石のようなものを入れ、先ほどと同様に詠唱を開始する。

 

「大いなる火竜よ。 燃えたぎる力をここに現せ」

 

次は筒の中から炎が奔流となって空へと吹き出し、高さ二十メートル以上の火柱を形作る。

 

熱気が押し寄せてくる程の凄まじい火力に前列に近い兵士達は思わず後ずさるが、それと同時にまるで魅せられたように炎を瞳に映していた。

 

「今、炎の魔法を放った彼らは魔導師では無い。 彼らが使った兵器は、そなたたちも同様に使用出来る。 聞け、兵士たちよ。 我々の反撃は今、この瞬間、この場所から始まる! そしてこのミラ・ロウリアはここに宣言しよう。 余の治世においてロウリア王国はかつてない程の栄光に包まれると!」

 

幼さ故のカリスマ性の低下という問題を、強大な力で押し切るという強引な手法。

だが現在のロウリアに必要なのは、まさにその現状を打開しうる強大な力だった。

 

あの強力な炎の魔法が自分達にも扱える。

革命的な新兵器を見せつけられた兵士達の胸に熱いものがこみ上げ、王城の中庭にはやがて、新たな王を称える歓声が響き渡った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ファースト・コンタクトは突然に

クワ・トイネ王国経済都市マイハーク、海軍宿舎。

 

本来は軍の施設であるこの建物は、同時に国内の要人や、外国からの賓客の宿泊施設としても使用される事がある。

現在、その宿舎の中でも特別な来賓に提供される上等な一室で、五人の男がテーブルの上に書類を並べて話し合っていた。

 

「さて、確認しておくが明日の早朝にこのマイハークを出発。 公都クワ・トイネへはヘリを使い移動し、明日の昼過ぎにはこのクワ・トイネ公国の代表団と会談が行われる予定だ。 今回の会談は、我が国が地球とは異なるこの世界に転移してから初となる他国家との交渉となる。 皆、気を引き締めてことに当たってくれ」

 

政府より、異世界の国家との初の接触、及び交渉を任された外務官の田中の声に、その補佐の為に同行した外務省の職員達は口々に同意する。

今ですら国内は転移に伴う様々な問題に大いに揺れている。

 

今のところそれは母国へと帰国できなくなった外国人の暴動や、外国との取引が不可能になった企業の倒産など、まだ致命的ではないものに留まっているが、近い将来、確実に更なる混乱と破局をもたらす問題がある。

 

それが食糧問題とエネルギー問題であった。

国内で消費する食糧の多くを外国に依存していた日本において、食料の輸入が完全に途絶えてしまえば下手をすれば餓死者さえ発生しかねない深刻な食料不足が引き起こされるだろう。

 

燃料に関しても、今は計画停電やガソリンの供給の管理を行い国内の備蓄を少しでも長く持たせる為のやり繰りをしているが、長くはもたない。

 

良い意味でも悪い意味でも、他国に依存した経済構造を作り上げてきた日本にとって、この世界の民族との交流は必要不可欠といって良かった。

 

「それにしても、驚きましたね。 まさか、エルフや獣人なんてもの……、いえ、方たちと現実で接触する事になるとは」

 

「確かにそれは言えるが、幸いにも理知的な交渉が出来る方達で良かった。 明日の会談もこの分だと期待できるよ。 さて、船旅の疲れを癒す為にも今日は早めに寝ようか」

 

「はい」

 

田中の声で一同はソファから立ち上がり、水を飲んだり、歯を磨いたりと就寝の準備を整えていく。

 

「すいません、ちょっとトイレへ……」

 

そんな中、一人の職員が立ち上がり、室外に備え付けられたトイレへと向かった。

クワ・トイネ公国の生活水準は非文明国の中では飛び抜けて高く、この宿舎のトイレに関しても、室内に備え付けられた便座から地下に埋められた下水道へと便を流す、という比較的高度な作りになっている。

 

とは言え流石に日本の水洗トイレ並、とは行かず便所へと入ると据えた便臭が漂い、職員の男は微かに眉をしかめた。

 

「この国がもし日本と貿易をする事になったら、上下水道のシステムを輸入出来そうだな………、さて……」

 

用を足すか、と彼が便座の上に乗せられた木製の蓋を除けた時、その内側から黒い何かが獣が唸るような大きな羽音を響かせ、飛び出した。

 

「ひっ!」

 

職員は勢いよくドアの外へと飛び出て、照明の備え付けられていないトイレに行くために持ってきたペンライトを使ってそれが何か確認しようとする。

 

だが、それを………、茶色い大きな羽で宙を舞い、長い触角を頭から生やし、油を塗ったように黒光りする胴体を持つその虫を……、彼はまともに見てしまった。

 

「ぎ、ぎやゃゃああああああああ!!!」

 

大の男にあるまじき悲鳴に、外務省の職員達や、護衛として随伴している自衛隊員達が自分たちの部屋から飛び出し一斉にトイレへと集まる。

 

「落ち着いてください、一体何が……うぉぉぉぉ」

 

いの一番に駆けつけてきた自衛隊員の胸に、大きさ三十センチ程のその虫が止まり、常日頃から厳しい訓練を通して培ってきた精神力を無効化するほどの衝撃を与える。

 

それから数十秒間、駆けつけた日本人たちの間を縦横無尽に這い回り、飛行する虫に阿鼻叫喚の地獄が繰り広げられた。

 

「えいっ!」

 

混乱に終始符を打ったのは、騒ぎを聞いて駆けつけてきた海軍宿舎で働く掃除人の少女だった。

彼女は両手で持った箒を使い、虫を地面に叩き落とすと勢いよく何度も打ち据える。

 

やっと彼らが日本の代表団としての使命を思い出した時には、虫が完全に潰されて、体液を床に撒き散らした頃だった。

 

「申し訳ございません! 宿舎内の茶羽虫は念入りに駆除していたのですが……、ここのトイレは普段あまり使用されないので、下水道から上がってきてしまったみたいです」

 

「い、いえ、こちらこそお見苦しい所を……。 我々の知る虫によく似ていたもので、つい取り乱してしまいました。 ところで、この……、巨大な虫はこの国に多く生息するものなのですか?」

 

「ええ、数年前はそうでもなかったのですが、今ではクワ・トイネ公国の至る所にいますよ。 古い空家などには数十体のこの虫、茶羽虫の群れもよく居ますし……。 何でも、このロデニウス大陸の近くにあるアルタラス王国やシオス王国でも、輸出品に紛れて茶羽虫が侵入した事があって、幸い数が少なかったので駆除は出来たようですが、それが原因で今じゃ殆ど交易停止状態ですよ。 ……あ、それとさっき、この虫が巨大と言いましたが、これは小さい方ですよ。 大きいのだと一メートル以上に……」

 

「ミーナ、君の職分を越えた事をするな! 外国からの重要なお客様に無駄話で時間を取らせてはいけない」

 

田中とミーナと呼ばれた少女との会話を遮ったのは、日本からの客たちの接遇を任されるエルフの男性だった。

彼は柔らかな……、だが微かに引きつったような笑みを浮かべ、ミーナを追い払う。

 

「申し訳ございません、彼女は掃除婦ですので、正しい礼儀など知らなくて……。 さ、明日はお早いと聞いております。 この場は私どもが片付けておきますので、どうぞごゆっくりとお休みください」

 

「は、はい……、そうさせていただきます」

 

男性の様子と立場から、この場でこの件について問い詰めても事態は進展しないと考えた田中は自衛隊員や外務省の職員達を促し、部屋へと戻っていく。

 

だが彼の頭の中は、新たに現れた特大の懸念事項の事で満たされてしまっていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

交渉のテーブル

クワ・トイネ公国 公都クワ・トイネ 首相官邸。

 

先日、マイハーク沖に島のように巨大な鋼鉄の船に乗り現れたという者達は、自分達の事を日本国という国家に属する者であると説明し、クワ・トイネ公国の代表者との会談を求めた。

 

そして現在、クワ・トイネ公国の最高指導者である首相カナタ、及び外務卿リンスイを含む外務局員達は、日本国の外交官である田中達と相対していた。

 

「我々が求めるのはこの世界の情報、そして食料と資源です。 先ほどご説明した通りに我が国は転移後、完全に輸入を絶たれ、現在、新たな交易相手となる国家を求めています。 無論、我が国の需要が貴国のみで対応可能とは思っておりません。 しかし我々としては可能な限りの食料、又は資源の融通を求めたいのです」

 

「ほう、食料ですか………」

 

田中の説明に外務卿のリンスイは暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

 

「我が国の土壌は大地の神の祝福を受けており、穀物や野菜が特別に手をかけなくても成長していく程なのです。 野生動物や鳥が、畑の作物を食い、その糞を通して種が他の土地に落ちる。 そこでもまた作物が勝手に成長し……、という過程を繰り返す事で、森や野原など人の手の入っていない環境中でも多数の食料が実っています。 恐らく、幾つかの問題を解決できれば、貴国の食料調達に大いに協力出来ると思いますよ」

 

「お、おお!」

 

リンスイの言葉に日本国の一同は明るい顔になり、田中も僅かながら肩から力が抜けたような思いすらしてくる。

だが、幾つかの問題という言葉を発する時のリンスイの様子に何かただならぬものを感じた田中はリンスイに問いかけた。

 

「それはありがたい。 ところで差し支えなければ、その問題について教えて頂けないでしょうか」

 

「え、ええ、勿論……」

 

田中から目を逸らしつつ口を開いたリンスイを、カナタが遮った。

 

「外務卿、ここからは私が説明しよう。 貴国への食料輸出に関して我が国が抱える問題は複数あるが、その内、最も重大なものはクワ・トイネ公国全土に蔓延した殺人蟻でしょうな」

 

「殺人、蟻?」

 

「その通り。 殺人蟻というのは大げさな名称でも何でもなく、その名の通り人をも食い殺す巨大な蟻だ。 六年程前からクワ・トイネ公国の一部で確認されるようになり、それから瞬く間にロデニウス大陸全土に広まってしまったのだ。 クワ・トイネ公国の状況はロデニウス大陸の中でも深刻で、国土全体に豊富な農作物が有り余っている故に、それを餌にして殺人蟻が無数に増殖してしまった。 今では殺人蟻から身を守る戦力を持たない地方の農村は殆どが壊滅してしまい、人口は大都市に一極集中の傾向にある。 それに伴い我が国は戦力を集約し、都市部とその周辺地域の防衛に注力する事で民を守ってはいるが………、難民の増加に伴う治安の悪化や、農地の大部分を喪失した事による食糧難など問題は多い。 だが、もしも何らかの方法で蟻の駆除が可能になれば、貴国の要求にも答えられると考えている」

 

「巨大な蟻……、ですか。 我々の世界の蟻は大きくても一センチメートル程度だったので想像が難しいですね。 ですが……、実は私達も昨日、巨大なゴキブリ……、失礼、ゴキブリとは我が国に生息する小さな虫のことです。 その虫を巨大化したような虫で遭遇しました。 この大陸では、あらゆる昆虫が巨大化している、という訳ではないのですか?」

 

カナタが田中の懸念に苦笑する。

 

「ゴキブリというのは聞いた事はないが、貴国に似たような虫がいるのは興味深い。だが、そこまでの心配はしなくてもいい。 我が国に大量に生息する巨大昆虫は殺人蟻と、そのゴキブリに似ているという茶羽虫の二種類だけだ。 どちらともほぼ同じ時期に目撃され始めた虫だが、茶羽虫は殺人蟻程には高い戦闘能力を持たない。 ただ顎は非常に鋭く、噛み付く力も強いので危険であることには代わりないのだが」

 

「そうですね。 噛み傷から病気に感染する事もありますし、この虫によっても決して少なくはない死者が出ています。

ただ知能は案外高く、犬猫と同じくらいに賢いとも言われています。 餌をやったり触れ合う事で人間に慣らす事も可能で、中にはペットとして飼育している者も……、いえ、失礼。 余計な話でしたな」

 

話の途中から日本の外交官達の顔色が悪くなったのを見て、リンスイは口をつぐんだ。

しかし実際に茶羽虫を飼い慣らしている者は多くはないものの存在し、公都クワ・トイネ近郊には、数十体の茶羽虫を番犬替わりにして、このご時世に一人で農業を営んでいる変わり者もいた。

 

「い、いえ、問題ありません。 さて、殺人蟻という昆虫への対策について、私の立場では何ともお答え出来ませんが、首相のご意見は本国に持ち帰らせていただきます。 それから、この世界の事についても出来る範囲で教えていただきたいのですが」

 

その後も、様々な分野に関する会話を一時間程続け、日本国とクワ・トイネ公国の初の対話は終了した。

 

 

__________

海上自衛隊所属、護衛艦「いずも」船内。

 

外務省職員に割り振られた天井の低い部屋の中で、 田中と他の職員達は今回の会談についての評価を行っている。

 

「少なくとも、問題があるとは言え食料の輸入に応じてくれそうな国家と接触出来たのは幸運だった。 しかし危険生物が相手となると国内への生態を守る為の検疫や検問、戦力派遣の論議など様々な問題がありそうだ。 あのロデニウス大陸にある他の二つの国家に関しても話が聞けたが、クイラ王国という国は国土の大部分が農業に適さない不毛な土地であり、食料の輸入相手としては期待できそうもない。 しかも近年、クワ・トイネ王国とは小規模な武力衝突が幾度も発生しており関係は最悪。 慎重な対応が必要となるな。 あくまでクワ・トイネ公国側だけからの情報なので全てを鵜呑みにする訳にはいかないが……」

 

「では期待できるのは、もう一つのロウリア王国ですか?」

 

田中は職員の言葉に頷く。

 

「ロデニウス大陸最大の国土面積と人口を有する大国……、詳しい情報は得られていないが先進的な兵器を実用化していて軍事力も近年急激に増大しているらしい。 ただ人間以外の種族を差別する思想を持ち、数年前まではクワ・トイネ王国とクイラ王国に対し不穏な動きを見せていた……、ここと国交を結ぶなら他の二カ国との兼ね合いも考える必要がある」

 

「ただ約二年前に王が代替わりしてからは、他の二カ国に対する軍事的な動きはなりを潜めたようだ。 その理由としてはパーパルディア皇国という国家と急激に関係が悪化した事による可能性が高い、か」

 

「まあ、王がパーパルディア皇国の使者を殺してしまえば関係悪化もやむなしですね。 しかしそんな気性の荒い人間が王として統治している国家との交渉……、我々は大丈夫なんでしょうか?」

 

地球にいた頃は考えもしなかった外交の途中で殺されるかもしれないという可能性に、その職員の声色に怯えが含まれている。

 

「何とかするのが私達の役目だ。 我々の交渉には日本国民全員の命運がかかっている。 怯えるなとは言わないが、それでもやらなければならない事があるんだ」

 

彼を鼓舞するように、そして自分を勇気づけるように田中は力強く言い放った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ジャンキー・クイーン

ロウリア王国、首都ジン・ハーク、ハーク城。

 

その一室はテーブルから文机、椅子まで細やかに細工された豪華な家具で統一されていた。

ハーク城の中でも最も警備が厳しく、奥まった場所にあるそこは王の寝室。

 

窓から差し込む朝日が部屋を薄ぼんやりと照らす頃、天幕付きのベッドの上で一人の少女、ミラが身を起こした。

 

「ふぁぁぁ、眠……」

 

背を伸ばして、大あくびをする姿は彼女の臣下や国民たちには見せられないものだが、部屋に一人でいる今は特に気にする事もない。

 

あと三十分程で侍従がミラを起こしにくる筈であり、それまでに毎日の日課をこなしておこうと、彼女は寝台脇のテーブルから水差しを取り、銀のグラスに水を注いだ。

 

そして文机の中から、小さな白いケースを取り出すと、中から白い錠剤を幾つか手の上に落とす。

錠剤を口に放り込み、水で一気に飲み込むんだ後、彼女は恍惚とした表情を浮かべ、ベッドの上に腰を下ろした。

 

「やっぱり、寝起きのメンタスは最高ですねぇ……、寝ぼけた頭が冴え渡る感じが何とも言えない」

 

そのまま彼女は暫くぼんやりと座っていたが、やがて文机の上においてあった昨日の分の新聞を手に取る。

市井の動向を知るために、民間の新聞を毎日部屋に届けさせているが、王としての仕事があまりに忙しくて、つい溜めてしまう。

人が見れば本当に読んでいるのか疑問に思える程の速度で次々と紙面を捲っていくが、メンタスの長期間投与により文章の理解力や読む速度が飛躍的に向上したミラにとっては、このくらいが適正な速度だ。

 

(しかし、分からないものです。 スーパーミュータントに囚われたときは死を覚悟したのに、今ではロウリアの女王として国を導く存在にまでなっているとは)

 

こうなるまでの経緯をミラは思い返した。

 

 

 

 

 

 

彼女……、いや、彼は元々ヤミレイというロウリア王国に仕える王宮主席魔導師だった。

 

あれは三年程前だっただろうか。

ロウリア王国全体でも二人しかいない大魔導師の序列に位置する彼は、その実力や知識により王のすぐ近くに置かれる程だった。

 

平民出身の彼だったが、一人で百人の軍団とやり合えるとまで言われた武力を持つ彼には、例え貴族でも敬意を払わざるを得ない。

 

しかし地位と名誉を欲しいままにし、魔導の研究と自身の立身出世に邁進していた日々はある日終わりを告げた。

 

近年、辺境の村々を荒らし回り、食料や道具等を奪い去っていくスーパーミュータントという種族がジン・ハーク近隣で目撃されたのだ。

 

魔族であるとも噂されるスーパーミュータントに実験材料としての興味を見出したヤミレイは、奴らの討伐を自ら買って出て、十人の魔導師の部下と五十人の騎士団を連れて出撃した。

 

事前の情報によると、スーパーミュータントの数は僅か五、六人程度。

その時は十倍以上の兵力差があれば、いかに魔族と言えど討伐であれ捕獲であれ容易に出来ると思っていた。

 

……しかし結果は悲惨なものだった。

 

兵士の放つ矢も、振るう剣も尽くが強靭な外皮に弾き返され、僅かな傷を与えたのみ。

 

魔導師達の放つファイヤーボールは表皮を火傷させる程度の効果はあったようだが、ファイヤーボールは詠唱と構築に三十秒程の時間がかかる。

 

スーパーミュータント達は最初に一撃で魔導師を脅威と認識したようで、二回目の魔法を放つべく詠唱を行う魔導師達に握り拳大の石が次々と投げつけられて、ヤミレイもそれが頭に当たり気を失ってしまった。

 

そして次にヤミレイが意識を取り戻した時には、スーパーミュータントによりヤミレイ以外の討伐隊は全滅してしまっていた。

 

だがスーパーミュータント達はヤミレイが死んだものと思い込んでいたようで、一時は命を長らえたヤミレイも、意識が戻った後直ぐに殺されそうになる。

 

ヤミレイは主席王宮魔導師としての恥も外聞も忘れ命乞いをしたが、スーパーミュータント達は嘲笑いながら手に持ったメイスをヤミレイの頭にふり下ろそうとする。

 

しかし、その時スーパーミュータント達の群れの統率者がそれを制したのだ。

 

 

「おい、やめておけ。 そういえば、魔術師のサンプルを試してみた事はなかったな。 そいつは基地まで連れて行こう」

 

その一言で間一髪助かったヤミレイは縄で拘束されてクワ・トイネ王国内の森へと連行される。

彼らの目的は自分の体を使って何かの実験をすることだったようで、ボスと呼ばれる統率者が透明な筒に針がついた器具を使い、緑の液体をヤミレイの体内に注入した。

 

 

あの時の感情はよく覚えている。

つい先日まで栄光の中で生きてきた自分が今では化物の実験台になるという屈辱と、これから何が起こるのかという恐怖。

 

だが、結局はその緑の液体こそがヤミレイの運命を大きく変えたのだ。

 

液体を打ち込まれて数分が経過した時、骨を除くヤミレイの肉体は透明な粘液となって崩れ落ち、地面に広がる。

 

ヤミレイとしての肉体で最後に見た景色は自分の両手が溶け落ちて、骨が露出する光景であり、そこでヤミレイは己の死を覚悟した。

 

……だが人間としての終わりを迎え、肉体が半透明な粘液に成り果ててもヤミレイの意識は途切れなかった。

 

「これは……、興味深い」

 

ボスはそう呟きヤミレイの粘液と化した肉体と、後で知ったことだが脳が変異して生まれた青く光るナメクジのような本体を回収し、それから半年かけてヤミレイの体は隅々まで調べられた。

 

その研究によって判明した情報によると、ヤミレイはナメクジのような本体と、その本体の意思である程度動かせる粘液の体の二つに分裂したらしい。

 

それからヤミレイが研究材料として分析されている間は、ヤミレイの体内に抗体という物質が投与されていたと聞く。

全ては理解出来ていないが、どうやら緑の液体を注入された者は、基本的に知能が低下し記憶も失ってしまう。

ヤミレイも今は人間だった頃の記憶を保持しているが、それもいずれ失われる可能性が高く、そうならない為にボスの体内から抽出した脳の変異を防ぐ抗体という物質を定期的に投与しているらしい。

 

ボスやアマンダと名乗るスーパーミュータントは、この抗体を体内で産生する能力を持っているため、他のスーパーミュータントよりも高い知能を持つらしい。

 

 

粘液は本体に直接触れている部分と、それに繋がっている部分しか動かせないが、ボスとアマンダというスーパーミュータントの発案で応用訓練を重ねた結果、他の生物の体内に本体を潜り込ませ、血管内に粘液を混入させる事で、生物の体を乗っ取り自分のものとして扱える能力を持つ判明した。

 

但し、他の生物の体を乗っ取った所で宿主として使えるのは短期間のみ。

その期間を過ぎると宿主の肉体が限界を迎えて、腐敗を初めてしまう。

 

スーパーミュータントの研究者達はそれを拒絶反応とやらのせいだと結論づけたようで、人間の、それもヤミレイと"でぃーえぬえー"の構造が近い者を宿主にすれば恒久的に寄生を続けられる可能性が高いと考えた。

 

そこでヤミレイは身柄の解放と、抗体の持続的な提供を引き換えに、スーパーミュータント達とある取引をする事になる。

 

取引の内容とはロウリア王国の上層部に潜り込んでスーパーミュータント達に有利な情報を流したり、便宜を図るというもの。

 

ボスはどういう手段を使ってきたのか、ロウリア王国の王族や貴族の毛髪を採取してきて、ロウリア王国第一王女であるミラが最もヤミレイの宿主として適していると結論し、ヤミレイも取引を了承してミラに寄生した。

 

動機は研究材料として一生閉じ込められるより、例え条件付きでも自由に生きたかった事。

そして己の誇りを踏みにじったスーパーミュータントへの復讐を果たすためだった。

 

ただ後者は抗体を相手側に握られていることや、スーパーミュータント達の圧倒的な武力を前に未だ目処が立っておらず、出来れば将来的には、という希望に近い。

 

今の目下の問題はパーパルディア皇国や殺人蟻への対策であり、スーパーミュータント達とも敵対よりは協力した方が圧倒的にメリットがある為、直ぐに事を構えるつもりはなかった。

 

やがて部屋に入ってきた侍従に身支度を整えられ朝食を済ませた後は、いつもどおりに水の神殿から部下に汲み取らせてきた神水を部屋に持ち込んで作業に移る。

 

 

 

自由になってからもヤミレイは自身の体について研究を重ね、スーパーミュータント達から提供されたメンタスの効果もあったのか、幾つかの重大な発見をした。

 

まずヤミレイは緑の液体により変異してから、魔力を生み出すことが出来なくなり魔法が使用不能になっていたが、一つだけ魔法を使う方法がある。

それは他人の体内の魔力を取り込む事だ。

 

ミラの肉体を乗っ取った時に、寄生に邪魔な幾つかの器官を分解して処分したが、その時にヤミレイの粘液の中にミラの肉体に含まれる魔力が取り込まれた。

 

ヤミレイはその魔力を自分のもののように扱う事が出来、それは魔法の使用を諦めかけていたヤミレイにとって大きな発見となる。

 

そして二つ目は粘液に特殊な処理をする事で、自分が使用した魔法を封じ込めた結晶を作成できること。

作成には実際に魔法を詠唱し、発動するのに要するのと同じ時間がかかるが、これを使えば魔法の資質を持たないものでも簡単に魔法を利用できる。

 

 

 

ミラに寄生し、成り代わった時からヤミレイに既に王族への敬意などない。

かつての自分でさえも及びもつかない豪勢な暮らしを知り、王族という立場の心地よさを感じ、思いがけなく手に入れた力に酔ったヤミレイにある欲望が浮かんできた。

 

……この国の王になりたい、と。

 

それからというものヤミレイは魔法を封じ込めた結晶を魔封石と名付け、発表する事で王族の中での自分の存在を急激に増していき、スーパーミュータント達に更なる便宜と引き換えに助力を頼み、自分が王となる為に邪魔な王族を、そして最終的には王をも暗殺して自分がロウリアの頂点に立った。

 

彼は自分の事を神に選ばれた王だと謳い、魔力を溜め込む粘液をジン・ハーク内に作った石造りの池に張り、神水の泉と名づけ、国民にある布告を出した。

 

我が国は水の神の祝福を受け、この神水の泉を与えられた。

これより我が国で亡くなった者は、この泉に入れる事で弔うべし。

さすれば神の身許へと送り届けられよう、と。

 

粘液は魔力を吸収すると、淡い青色の光を発する性質がある。

美しく光輝く神秘的な泉と、水の神の名前は、ロウリアの民に王の言葉を受け入れさせ、今では泉には一日に数百体の遺体が葬られていた。

 

粘液は有機物を取り込む事で勝手に増えるので、枯渇する心配もなく、ここにヤミレイが魔封石を無尽蔵に生産するための仕組みが整った。

 

 

……だが当のヤミレイ、いや、ミラはと言うと魔力を豊富に含んだ神水を前にして憂鬱そうにため息を吐いていた。

 

「はぁ……、戴冠式の時、大見得を切りすぎました。 今じゃ兵士達も湯水のように魔封石を使って殺人蟻を駆除してるし……、少しは私の苦労も知って大切に使って欲しいですね」

 

魔封石の作成には、実際にその魔法を使用するのと同じくらいの時間がかかる。

つまり、現在最もよく使われているファイヤーボールの魔封石を作るのには約三十秒間必要となってくるわけだ。

 

ミラが休憩を挟まずに魔封石を生産していっても、一時間に百個の魔封石を作るのが限度。

それを六時間行って、一日六百個生産するとしても、兵士達はそれらを簡単に消費してしまう。

 

正直、ミラの精神は毎日の単純作業でかなり疲弊していた。

 

「これがなきゃ、やってられませんよ」

 

そう呟くとミラは懐から、スーパーミュータントから受け取った薬物であるジェットを取り出して、レバーを引いて内部のガスを噴出させると、吸引口から深く吸い込む。

 

このガスには動体視力や反射神経を上げる他に、覚醒作用や集中力の強化、気分の高揚などの効果があり、ミラは魔封石作りの時には、この薬品を常用していた。

 

(でも、即位して間も無くパーパルディア皇国の使者を殺してしまったのはまずかったですね。 ………本当に反省しなければ。 人がジェットで高揚しているときに魔封石の製法を提供しろとか何とかで、不愉快な脅し方をしてくるものだからつい……、今度から人に会う時はジェットをキメるのはやめておきましょう)

 

ミラはため息を吐き、これから薬は減らそう、と何百回目か分からない決心をする。

 

体の構造が人間とは違うからか幻聴や記憶障害などの副作用は出ていないが、依存性の影響は受けている。

 

ジェットの服用をやめる事による意欲低下など、禁断症状も軽度ではあるが現れていた。

 

 

ちなみにパーパルディア皇国の件に関しては、スーパーミュータント達との約束で大きな行動を起こすときは事前に知らせるように言われていた為に、ボスに相談している。

 

ミラとしてはパーパルディア皇国への謝罪と賠償で何とか衝突を回避できないか、と考えていたが、ボスとしてはそのくらいでパーパルディア皇国が矛を収めるとは考えられないという意見だった。

 

やってしまった以上は下手に引くよりもとことんまで行った方がいい、というアドバイスの元、ミラは使者を殺した理由として、自分が王に即位したことを機に奴隷の供出を一切停止する旨を伝えた所、聞くに耐えない言葉で罵倒してきた為に討ちとったと正式に発表。

その場にいた者にも箝口令を敷いた。

 

これによりミラは民を想う王としての姿を民衆に示し国民の支持を一気に集めたが、パーパルディア皇国との決裂は決定的になる。

 

魔封石とスーパーミュータントのアドバイスにより地上戦、海上戦ではそれなりに戦える目処がついてきたが、航空戦ではワイバーンロードを有するパーパルディア皇国に対しての圧倒的不利は否めない。

 

非文明国とは言え、人口だけならロウリアは大国。

パーパルディア皇国と言えども、戦争には相応の準備が必要であり、まだ軍事衝突には至っていないが、それも時間の問題だろう。

 

なるまでは深く考えなかったが、実際に王になると責任やら立場やらで気苦労ばかり。

ミラはたまに後悔の心境になってしまう事もあった。

 

 

 

そんないつもと変わらない筈の一日だったが、その日の昼食時にミラはある報告を受ける。

 

「本日、外務局に日本国と名乗る国家が接触してきました。 彼らの申すところによると、クワ・トイネ公国から北東に千キロ程の沖合に出来た振興国家だそうですが……、我が国のワイバーンを見て初めて見たと驚いている所を見ると所詮、未開の蛮国でしょう。 先んじてクワ・トイネ公国と接触している所を見ると、我が国とは価値観も合わないように思えますし、追い払っておいてよろしいでしょうか?」

 

「日本国、か。 確かに聞いた事のない名前だな。 ……だが追い払う事はあるまい。 我が国はパーパルディア皇国との戦争を控えており、その際の補給地点を求めてアルタラス王国やシオス王国、フェン王国、ガハラ神国との交渉を試みているが、どこもパーパルディアに怯えていて成果は出ていない。 日本国とやらが存在する位置ならば、来るべきパーパルディア皇国との戦争において重要な地点となる可能性が高い。 ………とりあえず、私が会ってみるとしよう」

 

「た、確かにそうですな。 私が浅慮でございました。 しかし陛下自らおいでになる程の事では……」

 

「いいから、どこかの会議室を確保して会談の準備をしておけ。 私は準備をしてから向かうので、開始は二時間後だ」

 

宰相にそう言い放つとミラは部屋から出て自室に向かう。

 

(取り敢えず、軽く汗を流してから服を着替えて、緊張しないようにジェットを……、ってダメだ。 さっき人に会うときは辞めようと決めたばかりでした。 しょうがないから、メンタスで我慢しときますか……。 あ、一応スーパーミュータントにも連絡してきましょう)

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

列強は既に動いて

ロウリア王国、首都ジン・ハーク、ハーク城内会議室。

 

田中がハーク城の三階にある会議室に入ると、磨きぬかれた長方形の木のテーブルの向こう側に、ロウリア王国の上層部の者達、三人が座っていた。

 

「遠く海を渡り、ようこそ来られた。 まずは用意した席にお座りください」

 

最初に声を発したのは、ロウリア王国の外務卿であるバスケスである。

国の法律では外交のトップは宰相となっているが、各国との細やかな調整など実務においては彼が事実上のトップと言ってよかった。

 

声にはどこか傲慢な響きが含まれているが、口調自体は丁寧なもので、田中達はそれに従い椅子に座る。

 

 

「本日は急な来訪にも関わらず、国の代表の方に対応していただいた事にまずは御礼申し上げます。 私は日本国外務省の田中、こちらの二人は部下の鈴城と加藤と申します」

 

「私はロウリア王国外務局の外務卿を勤めているバスケスです。 そしてこちらにおわすのがロウリア王国国王であらせられるミラ・ロウリア陛下と、宰相であられるマオス閣下です」

 

(幼い……)

 

それが田中がミラを見て浮かんだ印象だった。

事前に少しは情報を仕入れて来たのでロウリア国王の事は知っていたが、まだ十歳かそこらに見える外見は、とても一国の元首には見えない。

 

金色の肩まで伸ばしており、まだあどけなさが残る顔は美しく整っている。

だが、ともすれば病的にも見える程の青白い肌はまるで作り物の人形のような感覚を田中に覚えさせた。

 

「さて、まずは日本の皆さん。 今回の訪問の理由をお聞かせ願いたいのですが」

 

今回田中達は、一ヶ月程前にクワ・トイネ公国と初めて接触した際に相手に不安を与えてしまった事を反省とし、まずはクワ・トイネ公国とロウリア王国との国境の町、ギムまでは空路で移動し、そこから先は民間の業者から馬車を借りて、ここジン・ハークまでやってきた。

 

クワ・トイネ公国では陸路を旅するのさえ、常に殺人蟻の恐怖に怯えながらでなくてはならないが、ロウリア王国内では主要な街道の付近の殺人蟻は兵士達にまめに駆除されている為、道さえしっかり選べば比較的安全に旅ができるらしく、これまでの道中で田中達は殺人蟻には遭遇していない。

 

しかし日本国は現在、食糧難に喘いでおり、政府が物流を統制して何とか時間稼ぎをしてはいるが、国民からは先行きに対する不安の声が噴出している。

したがって日本にとってロデニウス大陸からの食糧の輸入は最優先事項であり、クワ・トイネ公国と接触してから数週間しか経っていないが、既に殺人蟻を数十匹、厳重管理の上で日本国内の離島に運び、効率的な駆除方法の研究を重ねていた。

 

「我々日本国は、貴国とぜひ交流を持ちたいと考えております。 今回の訪問でお互いの国家のことを理解し合い、可能であれば国交を結ぶ事も視野に入れて、こうして会議に場を開いていただきました」

 

「ふむ……、なる程。 所で我々は日本国という国家を聞いたことがない。 確か北東海域には小さな島々があったのみだったと記憶しているが……、貴国はその島々により形成された国家なのだろうか」

 

宰相マオスが尋ねるが、田中はその質問に首を振る。

 

事前にクワ・トイネ公国にロウリア王国への紹介を頼むことが出来ればこの話は、少しは楽に進める事ができたのだが、残念ながらロウリア王国とは疎遠だということで断られてしまった。

 

田中は以前にクワ・トイネ公国にしたのと同じ説明をもう一度繰り返す。

 

「いえ、我々は元々この世界に存在していた国家ではなく、地球という星から転移してきた、と認識しております。 原因は未だに判明していないのですが……」

 

「はぁ……、転移国家だと!? こちらが丁寧に対応しているのに、そんな馬鹿げた嘘を吐かれるとは……、陛下の御前であまりにも無礼すぎはしまいか?」

 

マオスが額に青筋を浮かべて、田中達を睨みつける。

 

だが、更に何かをまくし立てようとしたマオスを幼い女王が制した。

 

「よせ、マオス。 この者達に我々を侮辱しようという意図は感じないし、逆にあまりにも突飛な話すぎて真実でもなければこの場で話しはすまいよ。 ………とは言え、そなたらの話を鵜呑みにするのは現時点では流石に不可能だ。 何かそれを証明出来る手段はあるか?」

 

「……もし、貴国の方に我が国を訪問して頂ければ、我々の言うことを証明することも可能かと存じます」

 

「それには時間が掛かりすぎよう。 そうだな……、例えば、この国には無い魔法や道具を見せてもらえれば、一応の材料にはなろう」

 

「それでしたら……可能かと。 実はこの度、ご挨拶として我が国で製造している品々をお持ちさせて頂きました」

 

田中は部下に持たせておいたトランクから日本刀や着物等の工芸品や、洋服、運動靴、香水など様々な品物を取り出した。

ロウリア王国と友好的な関係を築けなかった場合の情報漏えいを恐れて、機械の類はこの中に含まれていないが、

日本が高い工業力を持つことを証明する役には立つだろうと田中は考えた。

 

ロウリア王国側の者達は興味深そうに品物についての説明を聞いていたが、やがてマオスが眉を顰めて吐き捨てる。

 

「ふん、どこかの文明国から購入してきたものでは無いのですかな? 新興国にこれほどのものを作る技術があるなど……い、いえ、失礼」

 

ミラが鋭く細めた目をマオスに向けた事で、流石に彼も押し黙らざるを得なくなった。

 

「この世には、俄かには信じがたいことが溢れている。 この品々は私ですら見たことの無い品質のものが殆どであるし、貴国が異世界から転移してきた、という話は一先ず受け入れよう。 その前提で改めて尋ねるが、貴国は我が国に何を望んでいる? 国交の締結などはあくまでも入口、その先について教えて欲しい」

 

「はい、我が国は転移前、多くの資源を輸入していましたが、現在はそれが途絶えてしまった状態です。 我々としては貴国から貿易による食料や資源の輸入を望んでおります」

 

「ふむ……、食料か。 以前は我が国は食料の輸出も行っていたが、現在は巨大昆虫の影響で輸出が途絶え、生産しているのは国内消費分のみだ。 それによって発生した休耕地を再度利用すれば生産量を増やし、食料を輸出することは可能だろう」

 

その言葉に外務省の職員達の間に安堵の空気が流れる。

日本の食糧事情は日に日に悪化しており、一刻も早い食糧輸入先の確保は急務と言えた。

 

「だが今では農業をするにあたり、農地の殺人蟻からの防衛という新たな要素が出現している。 現状よりも耕作地を増やそうとすると、新規に多くの人間を雇う必要があり、経費の増大は免れない。 このままでは貴国へ輸出する食料は相当割高になってしまうであろう」

 

「……では、もしも我が国が何らかの形で殺人蟻の駆除に有効な手段を提供することが出来れば、いかがでしょうか?」

 

「それは………、無論助かるが、具体的には?」

 

「現在我が国の研究機関では殺人蟻に対して有効な駆除方法の研究を進めており、今の所はまだ確かな事は言えませんが、近い将来、殺人蟻に高い効果を示す駆除薬等の開発が期待されています。 もし殺人蟻の脅威が減少したとすれば、我が国が貴国からどれほどの食糧を輸入出来るか。 それだけでも、検討していただけないかと思っております」

 

「もしもの話を元に計算したところで正確な数字は出せないだろうが、大まかな予測ならば食糧管理局に出させよう。 さて余は公務の予定があるので、そろそろ失礼する。 貴国との国交の樹立は承認する。 貿易に関しても、前向きに検討しよう。 詳しい話はバスケスと進めておいてくれ」

 

そうしてミラはマオスを伴い部屋を出て、自室へと向かっていく。

何かを考え込む様子で歩くミラに、マオスが不満そうに尋ねた。

 

「陛下、どこの馬の骨とも分からぬ国の使節相手に、あまりにも話を急に進めすぎでは? 百歩譲って彼らの話が正しいとしても、国交を結ぶ言質を取らせるのは日本国とやらを実際に確認してからでも遅くはないかと」

 

マオスの疑問は確かに至極もっともと言える。

 

ミラは廊下を見回して人目がないことを確認すると、手近な部屋へと入り口を開いた。

 

「いや、もしも日本国が本当に強大な力を持つ国家である可能性が少しでもあるなら、早期に国交を結んでおいて損はない。 ………もう話してしまうが、実を言うとフェン王国とアルタラス王国に対して、パーパルディア皇国が強硬なやり方で属領化を迫ったという情報が入ってきた」

 

「な……、私は何も聞かされていませんが一体どこから……」

 

マオスの疑問も最もであり、パーパルディア皇国はロウリア王国との戦争の準備段階として周辺国家に対して、ロウリア王国に対する重要物資の禁輸等の圧力をかけてきている。

 

必然的にフェン王国やアルタラス王国との外交関係は希薄化しており、外務局に入ってくる情報をかなり少なくなっていた。

 

「あ、いや、そうか。 フェン王国からのルートですな? あの国は地理的にフィルアデス大陸に近いが、土地面積や資源の面から見て重要性の低い土地であり、軍事力も大した事はない為にパーパルディア皇国からの監視の目は少ない。 国王のシキはいずれパーパルディア皇国と矛を交える事態になった時の為の保険のつもりか、秘密裏に最低限の国交を保っていましたが、そこから……」

 

マオスは頭が固く常識に縛られる嫌いがあるが、あくまでも既存の知識の範囲内でならば優秀な分析能力を持つ。

 

ミラはマオスの言葉に頷き、肯定の意を示す。

 

フェン王国との秘密外交はその秘匿性から外務局ではなく、パーパルディア皇国との戦争の為にミラが創設した王直属の国家情報部が担っていた。

 

だからこそ、宰相である自分も知らない情報をミラが持っていたのかと彼は納得する。

 

「それで……、我々はどのように動くのですか? 恐らくパーパルディア皇国の狙いは、来るべきロウリア王国との衝突に備えて、フィルアデス大陸南方海域の国家を抑え、制海権を確固たる物にしようというところでしょう。 補給地点を絶たれれば、洋上での長期間の行動は不可能ですからな。 しかし、かと言って援軍を出そうにも、皇国のワイバーンロードへの有効な対応策が完成していない現状では……」

 

高速ではるか上空を飛び回る飛竜に対して、地上からの攻撃は効果が薄い。

ロウリア王国も魔封石の登場で急激に兵器の研究が進み、当たればワイバーンでも落とせる、というレベルの武器を幾つか開発することには成功していたが、実際の命中率は実用レベルには届いていなかった。

 

現状、最も有効な対空攻撃と言われているのは、ファイヤーボールの魔封石を使った攻撃だ。

魔封石によるファイヤーボールの射程距離は約五百メートル。

ワイバーンの導力火炎弾の射程距離は約七百五十メートルであり、1.5倍の開きがあると言っていい。

 

但し、ワイバーンは導力火炎弾を放つ際に首を真っ直ぐに伸ばさなくてはならず、必然的に攻撃時は目標に向かい一直線に飛行することになる。

 

更に最大射程の七百五十メートルで攻撃したところで命中率は低く、精度を求める攻撃ならば目標から三百~五百メートル程度が火炎弾を放つ距離だ。

 

それを考えればファイヤーボールで弾幕を張ることが出来れば、ワイバーンの攻撃を阻害することは十分可能であり、ワイバーンが攻撃を試みているタイミングを狙えば命中の望みもある。

 

ただファイヤーボールの弾速は約時速百五十キロメートルであり、通常飛行時のワイバーンに命中する可能性は非常に低かった。

 

「ワイバーンロードは確かに強力だが、対地攻撃能力はそれほどでもなく、飛竜部隊単独で戦争が遂行できる訳でもない。 フェン王国は我が国に援軍を求めてきているが、余はこれに応じ、パーパルディア皇国の侵攻前に地上部隊をフェン王国に上陸させて地上で迎え撃つ。 だが、アルタラス王国に関しては放置する」

 

「それは……、どうしてですか? フェン王国よりもアルタラス王国に対して恩を売った方が利益が大きく、中継地点としての価値も高いかと考えますが」

 

マオスの言葉にミラは口元だけを釣り上げて微笑んだ。

 

「アルタラス王国の方が領土的価値があるからだ。 あの国は大規模な魔石の鉱山もあり、国民も人間種のみで構成されている。ぜひロウリア王国の領土としたいが民衆の王族への支持が高く、国内も安定しており、力による強硬な支配は反発を招く。 かと言って現在余が、王への権力の集中を進めている現状では、アルタラス王国を支配するにあたり、王族の排除は最優先事項。 ……どうせパーパルディア皇国の事だ、支配するにしても民にはアメも与えずに恐怖のみで縛り、王族、貴族は皆殺しというお決まりのやり方だろう」

 

「な、なる程、そこで我が国が解放軍としてアルタラス王国に攻め入れば労せずして王族、貴族を排除でき、民衆からの反発も少なくなる……、という訳でありますか?」

 

ロウリア王国が新たな領土を支配する時は、初めの内は幾つかの町を滅ぼしたり、亜人を殺害、あるいは追放したり、その国の王族貴族を虐殺するなどして恐怖で民衆を抑えるが、占領後は新たな領土の住民にはロウリア王国民としての権利を保証し、無駄な迫害は行わない。

そして新領土には大量の移民を行い、現地の住人達は必然的にその移民と結婚をし、子供を生んでいく。

 

そうして数十年も経つ頃には、その土地の住人はかつての国のことなど忘れ、ロウリア王国民としての自覚を持つようになる。

 

「ああ、新しい領土を支配するには多少の加害行為は必要だが、度が過ぎた痛みはいつまでも恨みとなって残り続ける。 だがその加害行為をパーパルディア皇国が引き受けてくれるなら利用しない手はない」

 

「でしたら、フェン王国に援軍を送る理由は……」

 

「あの国はガハラ神国と関わりが深いからな。 もしガハラ神国がパーパルディア皇国との戦争に加わってくれれば風竜の存在により、パーパルディア皇国の航空戦力の優位は引っくり返る。 今回はフェン王国に恩を売ってガハラ神国とのパイプを作り、ロウリア王国の戦力を宣伝するのが目的だ」

 

「それは……、なる程」

 

マオスは目の前の幼い女王に対して内心で舌を巻く。

このミラという新たな王が誕生したときは、その幼さを利用して上手く操り、自分がロウリア王国を思うがままに動かそうという野望を持った事もあった。

 

だが彼女は王宮に文官として仕えるエリートも舌を巻く程の知識量と、その年齢にして異常な思考力と勘の良さを有しており、必要であれば残酷な手段も躊躇なく用いる冷酷さも併せ持っている。

 

今ではマオスはミラをロウリアの真の王として認め、忠誠を誓うまでになっていた。

 

 

話が終わったミラは密談に使った部屋から出ようとドアノブへと手をかけるが、その直前に何かを思いついたように動きを止める。

 

「そうだ。 あの日本国の外交官達を土産として渡された品物の礼、とでも名目を付けて宴に誘い接待を行え。 宴の席でどのような姿を見せるかで、日本国とやらの役人の性質や価値観を図ってみよう。 但し、場合によっては警戒されるだけになるから程々にな。 そうだな……、遠路遥々、ロウリア王国を訪ねた事をねぎらうとでも言って、個人的に貴金属を贈与させてみろ。 受け取りを拒んだら、無理に押し付けず即座に引くようにな。 後、女をつけるのは流石に露骨すぎるので辞めておけ」

 

「はっ!」

 

幼い少女が考えるような内容ではないが、この程度は何時もの事だ。

マオスは部下に命じ、早速宴の用意を整え始めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ある会議室で

ロウリア王国、首都ジン・ハーク、ハーク城。

 

日本国の使節の訪問から一週間程経過したある日、ロウリア王国政府の上層部はハーク城内の会議室に集まり、臨時会議を開いていた。

 

会議の議題は日本国との国交樹立に関する説明、及びフェン王国への援軍派遣について。

 

まずは外務卿であるバスケスが、日本国に関する概要を報告し始めた。

 

「まだ使節団を派遣した訳ではないので、あくまで相手方の説明のみになりますが、日本国は約一億二千万人の人口を有し、三十七万八千キロ平方メートルの国土面積を持つ国家であり、異世界から転移してきたとの説明を受けています」

 

バスケスの話すあまりに荒唐無稽な内容に、一部を除く会議の出席者達から失笑が漏れる。

だが、その反応はバスケスも予想していたもので、特に調子を乱す事もなく説明を続ける。

 

「確かにこの説明を聞いた当初は私もありえない、と考えました。 ですがその後、日本国の使節と接する内に彼らの言うことに嘘は無いのではないか、と感じるようになったのです。 まずは使節から土産という事で渡されたこれらの品々をご覧下さい。

 

調べれば調べるほどに非常に高い技術で作られたと理解できる物品や、バスケス自身が使節と話しているときに感じた未開の蛮国では有り得ない高い教養。

田中という外交官に宴の席で遠まわしに持ちかけた金品の授与もやんわりと、しかし断固として断られ、職業意識も高いと判断出来る。

勿論、あの宴の場では他の日本国使節の目があるから断っただけかもしれないが、少なくとも堂々と他国の人間から金品を受け取ることを避ける価値観はあるのだろう。

 

やがて場の空気は、全く信じておらず鼻で笑うようなものから、全てを鵜呑みにはできないが話半分程度なら信じていいのではないか、というものに変化していく。

 

「そして日本国は転移前、多くの食糧を輸入に頼っていたらしく、現在大量の食糧を欲していると聞きました。

我々、ロウリア王国は二年前にパーパルディア皇国と関係が悪化してから、パーパルディアの影響を受けた国家から一斉に貿易停止を申し渡され、現在外貨や国内には少ない資源を得る手段がありません。 私としては、日本国との貿易は非常に得る物があるかと」

 

「ほう、確かにそれはいい。 日本国の実際の国力がどうであれ、少なくともまともな商売相手にはなりそうな国家だ。 食糧の増産には時間がかかりそうだが、交易が盛んになれば新たな雇用も期待できような」

 

嬉しそうな声を上げたのは財務局のトップである財務卿ニーゼルだ。

パーパルディア皇国との関係悪化と殺人蟻の影響で発生した難民により、国内の景気は落ち込んでおり、景気回復の為の起爆剤となるかもしれない新規の貿易相手の開拓には積極的な態度を見せる。

 

「ですが殺人蟻の駆除には、その際に使用する武器の威力と任務の危険性から職業軍人を当たらせていますが、パーパルディア皇国への備えと国内の治安維持を考えると、もう新たに殺人蟻対策に回せる兵力はありません。 農地を増やすとなれば軍人の新規雇用は必須となりますが、その財源は如何するのですか?」

 

鍛え抜かれた体躯を持つ、三十代の髭面の男、王国防衛騎士団将軍のパタジンは軍人としての懸念を示す。

その質問にはミラが答えた。

 

「日本国は先んじてクワ・トイネ王国と国交を結んだようだが、あの国は恵まれすぎた国土が仇となり、もはや瀕死。 日本国の要求に応えられる程の食糧を輸出する余力はあるまい。 クワ・トイネからの安価な作物の輸出がないならば、我が国が以前他国に食糧を輸出していたときの相場より割高で輸出しても、十分売れる筈だ。 それにより得られた財源を兵力に回す」

 

「なっ……、恐れながら陛下。 私は反対であります」

 

ミラに意見をしたのは、背が低く髪の薄い五十代の男、ロウリア王国の食糧生産を管理する食糧局の長、バジンだ。

見た目はうだつの上がらない男だが殺人蟻の発生以降、悪化し続ける食糧事情を何とか改善しようと手を尽くしてきた苦労人で知られる役人であり、ミラも彼の言葉に耳を傾ける。

 

「理由を話してみよ」

 

「はっ、現在我が国は何とか国内消費分の食糧は生産出来ているとは言え、備蓄に回す分を考慮すれば十分な余力があるとは言えない状況です。 この状況で食糧を大量に、しかも高額で購入する貿易相手が出現すればどうなるでしょうか。 恐らく貴族は税として徴収した食糧を国内の市場に回さず日本国に売り、利に聡い商人達も同様の行動に出るでしょう。 勿論、食糧の大幅な増産が可能であればそれでも問題はありませんが、現状ですら殺人蟻の生息地は少しずつ拡大を続けており、兵力を増強した所で急激に自体が改善するとは思えません」

 

「それは……、一理あるな」

 

バジンの言葉にミラは頷く。

ミラの魔封石の生産能力には限界があり、殺人蟻への有効な対抗手段として用いられているファイヤーボールの魔封石は一日に六百から七百個の生産が限度。

 

この問題はミラも頭を悩ませており、現在、幾つかの改善案を考えてはいる。

その一つは、爆裂魔法を封じ込めた魔封石による火砲の開発だ。

 

ファイヤーボールは攻撃魔法としては代表的な魔法だが、炎を風の球形に整えて、それを高速で打ち出す、と中々に複雑な工程を必要とする。

 

このような多数の工程を有する少し複雑な魔法の魔封石はデリケートであり、もし破損してしまえば力を失ってしまう。

 

だが魔力を純粋にエネルギーに変換するタイプの魔法を封じ込めた魔封石は、かなり応用が聞き、複数の欠片に分割しても十分な効力を発揮する。

軍の兵器開発局はこの性質を利用し、爆裂魔法を封じ込めた魔封石を数百の欠片に分割して、それを火砲用の火薬として用いる案を考えていた。

ロウリア王国ではパーパルディア皇国のように複雑な着火機構を兼ね備えた火砲を作る技術力はないが、一応、

金属製の筒の中で爆裂魔法を作動させ、その爆発力を利用して物体を投射するという基礎的な原理はフェン王国からの情報提供により得ている。

 

それを利用してロウリア王国も自分達なりの火砲を開発してはいたが、鋳造技術の限界から火砲の大型化や、命中精度、射程距離の延長などの観点から見るとパーパルディア皇国の水準には遠く及ばない。

 

今の所、ファイヤーボールの魔封石の代用品となる程の物は完成していなかった。

 

「食糧が大量に他国に流れれば、国内では国内の民を餓えさせ、そうして浮かせた食糧を日本国に輸出するという行為がまかり通ることになるでしょう。 そのような事態は飢餓輸出といい、主に文明国を主要な貿易相手とする非文明国に多く見られています。 食糧を輸出するにしても、何らかの法律による制限は必要かと」

 

「卿の懸念も分かるが、商業の分野に国家が干渉しすぎるのもな……、それはそれで国内から不満があがるぞ」

 

その役目柄、貴族や商人との結びつきが強いニーゼルはバジンの進言に難色を示す。

 

ニーゼルとバジンを中心とした議論は暫く続いたが、結局ミラは暫くはバジンの案に従い、過度な輸出に対して監視の目を厳しくするが、もし日本国の協力、あるいはロウリア王国の兵器の進歩により殺人蟻問題へ改善の目処が立った場合は、徐々に締めつけを緩くしていく、という決断を下した。

 

日本国に関する議論はこれで終了し、次はフェン王国への貿易の件に議題が移る。

しかし、こちらの方は既に全体に通達がされており、各部署で検討されている為に、議論というより報告の意味合いが強い。

 

フェン王国におけるパーパルディア皇国との戦闘は、現状では有効な対応策がないワイバーンロードへの驚異を少しでも低下させるため、逃げ場のない海上ではなく地上戦で勝負をつけるという計画になっている。

 

今作戦における総責任者となった、フェン王国遠征軍将軍パンドールが席から立ち上がった。

 

「今作戦への動員する兵力は陸軍三万を予定しており、兵員輸送艦隊は戦闘への直接参加を避け、輸送任務終了後にはロウリア本国へ一時帰投させる方針です」

 

その発言に会議室が一斉にざわつく。

推定ではパーパルディア皇国の動員戦力は十万以上と予想されており、純粋な武装においても劣勢が予想される対皇国戦において、パンドールは更に参加兵力を相手の三分の一に絞るという。

 

彼の正気を疑ったものもいるくらいだったが、当のパンドールもこの作戦は大きな賭けだと思っていた。

しかし、大兵力を遠く離れたフェン王国まで輸送するには莫大な資金と物資が必要となり、それは殺人蟻に疲弊したロウリア王国に多大な出費を強いることになる。

 

更に下手に大兵力を動員してフェン王国を守ったとしても、今回の作戦はあくまでガハラ神国等のパーパルディア皇国に脅威を感じている国家へのデモンストレーションが主な目的であり、得られる資源や財はない。

 

政治的、経済的な観点から言って、今のロウリアには三万の兵力がぎりぎり捻出可能なラインだったのだ。

 

 

しかしながら、ミラやパンドールとしても勝算のない戦いに三万の兵士を送り込むような愚か者では無い。

この作戦は、対パーパルディア皇国用に開発した様々な兵器の実戦試験も兼ねており、来るべき本格衝突の明暗を占う試金石だった。

 

「無論、私も負けるとわかっている戦いに兵士達を向かわせるような指揮官では無い。 今作戦にはこれまでの二年間、ロウリア王国が総力をあげて開発した新兵器の多数動員が予定されており、それらが予定通りに機能すればパーパルディア皇国を打ち破る事も可能だと見ている」

 

出来るだけ自信に溢れて見えるように注意を払いながら、パンドールは堂々を言い放つ。

 

(頼むぞ、スカイフィッシュ。 あれの成否が今作戦の大部分を左右すると言っても過言ではない……)

 

きりきりと痛み出す胃に眉を顰めつつ、パンドールは女王肝煎りの兵器の成功を祈った。

 

……その女王であるミラは、スーパーミュータントのクリストフから、スカイフィッシュと名付けられた兵器のアイデアを教えられたのだが、それはミラ以外のロウリア王国の人間は誰も知らないことであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。