蒼天の狙撃手 (バティ)
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プロローグ

プロローグを追加しました。


この日更識楯無は敵対組織の襲撃をうけていた。

 

(くっ…!私としたことが、油断した…)

 

いつもならそれもあっさり撃退していたところ。

しかし今は腹部に銃弾を二発受けており、すでに満身創痍。もう意識は朦朧としていた。

そして、普段人が通らないような路地裏で、銃を持った大人数の黒服の男達に囲まれている。

はっきりいって絶体絶命の状況だ。

 

「ははは。更識楯無。死んでもらおうか」

 

「…くっ!」

 

(まだ私は…こんなところで…死ぬわけには…いかないのに…!)

 

「なんか臭うなぁ。ドブネズミの臭いだな」

 

そこにたまたま一人の少年が通りかかった。

 

それは結果的に、今まさに死にかけている楯無にとってはあり得ないような幸運であったし、そして運命の出会いにもなった。

 

少年は銃を構えた男達にも、全く怯むことなく自分の庭でも歩くように平然と近づいていく。

その少年はかなり体格がよく、紫色の胴着のような服を着ている。

 

「なんだお前。邪魔するんじゃねぇ!」

 

組織の男は突然現れた少年の余裕綽々の様子を警戒し、一度そちらへと銃を向けた。

 

(誰よ、この人…。知らない人まで、巻き込むわけにはいかないのに…)

 

知らない少年の乱入にも、倒れている楯無はもうただそれを見ていることしか出来ない。

 

「女一人にさ、銃もって囲んで襲うんだねぇ。ネズミさんはホントに本当に、せこいねぇ…」

 

「こいつはそんな甘い女じゃねえ!ガキは邪魔しねぇほうがいいぞ?俺たちはな…殺しのプロだ」

 

「それはよかったねぇ。おめでとさん」

 

どう見てもカタギには見えない男の脅しに、少年は涼しい顔でパンパンと手を叩いて応えた。

 

「な、なめやがって!お前なにもんだよ!?」

 

「俺か…?俺は死神…閻王だ」

 

「え、閻王だとぉ!?お前があの死神っ!?え、え、ええ、閻王!?」

 

その名前を聞いただけで、男達はこれ以上ないほどに狼狽え始める。

 

「なあ、お前ら。閻王に文句があんのか?」

 

閻王。裏の世界でその名を知らないものはいない。特に上海ではもはや伝説となっている死神の通り名。そして日本でも、既にいくつもの裏組織を一人で壊滅に追いやっている。

現在裏社会の悪党共をたった一人で震え上がらせている男。それが閻王である。

 

(う、うそ…あの子が、閻王!?まさかこんなに若い男の子だったなんて…)

 

楯無も当然その名前には聞き覚えがあったが、その容姿までは知らなかった。

 

「え、閻王が、閻王がこの女となんか、かっ、関係、あっ、あるのかよぉ!?」

 

「ちゅうちゅううるせえな。今日は機嫌が悪いんだ。だからおめでとう、お前ら全員地獄行きね」

 

「な、なんでぇ!?閻王は関係ないだろぉ!?」

 

「関係なくもない。閻王の文句はおれに言え!」

 

「や、ヤロウ、ふざけんなよ!?し、死ねぇ!」

 

閻王、その名を聞いて組織の男たちは、楯無から迷わず標的をかえる。

更識楯無も危険な女だが、もう身動きがとれそうにない。それよりまずはこの男、この男だ。

この男が本当に閻王ならば、こいつを殺さない限り自分達が殺されることは明らかなのだから。

 

バン!バン!バン!バン!

 

正面からまとめて放たれた銃弾。それを少年は懐から取り出したキセルで全て弾く。

そして少年はキセルを口に咥えながら、男たちの顔面に次々と蹴りを放っていく。

前後左右から飛ぶかう無数の銃弾も、ほんのわずかな動きで見切って攻撃の手は一切緩めない。

 

(動きに目が追いつかない…。それに、不思議…。戦う姿が美しいなんて)

 

銃弾が当たる間際、少年の姿がぶれる。そして、次の瞬間には相手の顔がべこんと陥没し、血を吹き出して倒れている。

辛うじて楯無の目に捉えることが出来るのは、その攻撃が相手に当たる瞬間のみ。

そしてわかったのは少年が放っているのは、ただのパンチやキックだということ。

しかしその単純な技の一つ一つのレベルが、信じられないほどに凄まじく高いということ。

 

「ぷふぅ~」

 

紫煙をたゆらせながら、悪漢どもをまるでゴミ掃除でもするように片付けていく。

そのあまりにも洗練された動きの数々に、楯無はすっかり見とれていた。

真に強き者の技には美が生まれる。しかしいったいどれ程の鍛練を積めば、こんな動きが出来るようになるというのだろう。

自分も色々と武芸を学んでいるからこそ、逆に楯無にはそれが想像もつかない。

そんなことを考えている間も、少年は男たちを容赦なく蹴り飛ばしていった。

 

「ち、ちきしょうぉ!ま、ま、ま、まさか閻王が、閻王が…更識と繋がっていたなんてぇ!」

 

残された最後の男がガタガタと震えながら、目には涙を浮かべ苦渋の表情でそんな声を漏らす。

 

「さらしき…。なんだ、それ。…そんなの関係ないよ」

 

「う、うそそぉん!?」

 

それが男がこの世で発した最後の言葉だった。

男が泣き叫ぶと同時に強烈な蹴りが、顔面に思いっきりヒットする。

蹴られた男は頭から血を吹き出して、文字通りその場から飛んでいく。

あっという間にやられてしまった組織の男たち。全員が地面に山積みされて、もう立ち上がることはおろか、ピクリと動くことすらも出来ない。

 

「ふ~~」

 

全員片付けたあと、少年は大きく煙を吐き出しながら、すぐに倒れている楯無に駆け寄り、そっと抱き起こす。

 

「おい、あんた…大丈夫か?」

 

「あ…ありがと…。でも…ちょっと…大丈夫…じゃない…かも」

 

抱き起こされた楯無は、少年の腕の中でぐったりとした様子でかろうじて答えを返した。

 

「そうか。どこに連れてけばいい?病院か?」

 

「IS学園…まで…お願い…」

 

「そいつはちょうどいい。俺も今向かってるところだっだんだ。なんかIS…乗れちゃってさ。入学試験とかいうの受けなきゃなんなくてねぇ」

 

少年は心底嫌そうに、顔をしかめてそう言った。

 

「えっ…。それじゃあ貴方が…二人目の…」

 

「ま、そういうわけだから。それじゃ急ぐぞ」

 

少年は楯無を抱きかかえるとドンッと地面を強く蹴り、凄まじい速度で走り始めた。

 

「どうして、助けてくれたの?」

 

「北斗の拳は女を殺さない」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

そう言ってニコッと少年らしい笑顔を浮かべる男に、楯無は体の力が抜けてしまう。

楯無が今まで聞いた閻王の噂は、どれも恐ろしいものばかり。だがどうやらこの男、噂に聞いたような非情なだけの男ではなさそうだ。

それにどのみち身動きの取れない今、この男に身を委ねる他ない。それほどに、すでに意識は揺らいでいた。

 

(本当に不思議な人…。初対面なのにどこか安心する…。あっ、名前聞かなきゃ…)

 

そんなことを考えたところで、楯無は意識を手放した。

 

 




霞拳志郎のような男がこの世界にいたらどうなるのか書いてみたくなりました。


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1話

原作流し読みしながら書いてみました。


「SHRを始めますよー」

 

幼い顔に眼鏡をかけた先生が、黒板の前には立っていた。しかし決してその顔で油断しちゃいけない。山田先生の胸部はしっかりと、見てください、私は大人ですよ!と激しく主張しているのだから。まあ今はそんな話はどうでもいい。

俺、霞桜介(カスミオウスケ)は今、集まる視線から逃れるようにひたすら分厚い参考書を読んでいた。

現在この教室には俺ともう一人を除いて見渡す限り女しかいない。何故かというとIS学園は実質女子高みたいなものだから。

篠ノ之束が開発した女性しか乗れないインフィニットストラトスの操縦者育成を目的とした教育機関がIS学園である。

何故一人目の男性操縦者(織斑一夏)が乗れるのか、そして俺が乗れるのか、全くわからないし、それは正直なところどうでもいい。

知り合いのIS企業に行ったとき、たまたまISに触ったら動いてしまった。たったそれだけのことで俺は今ここにいる。

あの時知り合いの人は本当に驚いていて、大きく口を開けているその顔は少しだけ面白かったのも事実だ。しかしその知り合いに頼まれて、まさかこんなことになろうとはあの時は思いもよらなかった。そろそろ旅にでも出ようかと思っていたのに。

話は戻るが、自己紹介の間も自意識過剰でもなんでもなく、明らかに視線が俺ともう一人に集中している。ただ男だというだけの理由で。そして自己紹介はどんどんと進み、ついに自分の番が来てしまった。

 

「こんにちわ。霞桜介です。趣味は読書です。皆さんこれからよろしくお願いしますね」

 

これ以上目立たないよう無難な自己紹介を終えて、椅子に座り、それから大きなため息をつく。そのあともう一人の男、織斑一夏も自己紹介をしてSHRが終わる。

そして休み時間になると、織斑一夏がすぐに俺の席までやってきた。こちらも声かけてみようかと思っていたから、これはちょうどいいのかもしれない。

 

「織斑一夏だ。一夏でいい。男は二人だけだし仲良くしようぜ。よろしくな」

「桜介で構わないよ。よろしくね」

 

笑顔で挨拶する一夏に、俺も笑顔で返す。この学園では貴重な男友達が出来そうなことに、少しだけ安心してしまう。

こいつは見るからにいいやつそうだし、これから長い付き合いになるだろう。

だがすぐに一夏は篠ノ之箒にどこかへ連れていかれ、教室に男子は俺だけが残されてしまう。

 

「霞くん、真面目そうだけどすごい体格いいよね?」

「スポーツの本を読んだことがあるのでね」

「本を読んだだけでそんな体にっ!?ねえ、触ってみてもいい?」

「ふふふ。女の子がそう簡単にね、男の体になんて触れるもんじゃありませんよ?」

「ねえ霞くん、ひょっとして照れてるの?あはは、可愛いね~」

 

初めて言われた、そんな言葉。薄々気づいていたが、やはり無理があるんじゃないのか、このキャラでやっていくのは。早くもそう思ってしまう。

そのあとも女子に囲まれて色々と質問されるが、もう適当にやり過ごすことにした。

それからおかしなことといえば、二時限目の途中、一夏が古い電話帳と間違えて参考書を捨ててしまったことが判明したぐらいだろう。だって、どう見ても新品だったのに参考書。もしかしたら、一夏は少しだけ頭が弱いのかもしれない。自分なら一度読んだものはたとえ捨ようと、内容を一文たりとも忘れることはないが、それでも簡単に捨てたりはしない。

そんなこともあって二時限目が終わり、また一夏と話をしていると、突然後ろから声をかけられた。

 

「ちょっとよろしくて?」

 

巻かれた金髪にブルーの瞳、透き通るような白い肌。まあはっきり言って美少女だった。しかしその顔は、ここに来る前に読んだ、その手の特集が組まれた本で見たことがある。確かこの少女はイギリスの代表候補生セシリア・オルコット。

 

「どういう用件だ?」

 

一夏がオルコットに返事を返す。この男、柔和そうな見た目とは違い、女子にもなかなかぞんざいな態度をとるようだ。

しかし自分には関係ないので、とりあえずこの場は黙って二人の様子を静観してみることにした。

 

「なんですの、そのお返事は!わたくしに話しかけられるだけで光栄なのですからそれなりの態度で…!」

 

一夏のそっけない返事に、オルコットは早速すごい勢いで食ってかかる。その様はまるでナンパに失敗して相手に逆ギレをする不良のようだ。しかしこの女、どう見てもお嬢様という風貌なので不良ではない。これは典型的な女尊男卑主義者とやらだろう。

そのまま一夏となにやら言い争いを始めるが、正直面倒なのであまり関わりたくない。俺には目に見える地雷に突っ込んでいくような自虐的な趣味はないのだ。

 

「あなたも先ほどから、せっかく人が話しているというのに聞いてるのかしら!」

 

そしてオルコットの激しい口撃は、ついにこちらにも飛び火し始める。大人しく本を読んでいる人間に対して、あんまりだと思う。それとも男は本も読むなってことかしら!

 

「やれやれ。こんな格好だから舐められてるのかな、ひょっとして」

「なにを、おかしなことを?」

 

人の第一印象は見た目で半分以上決まるとも言われている。せっかくの学園生活、心機一転大人しく過ごしてみようと思っていたが、もう無理だった。

かけていた丸眼鏡を外し、センターできっちり分けていた髪も適当にぐしゃぐしゃと元に戻す。それから椅子の背もたれに寄りかかり、足をドンと机の上に投げ出した。仕上げにポケットから取り出した煙草を咥える、のはやめておく。そんなことしたら、初日から担任と戦うことになりそうだ。それは少しだけ目立ちすぎるだろう。

 

「こ、これが、霞くん?」

「変わりすぎでしょ……」

「完全に、ワイルド系…」

 

いきなり変装をといた俺を見て、クラスメートからはボソボソとそんな声が漏れた。もう真面目くんの時間は終わりだ。我ながら本当に短かったと思う。絡まれさえしなければずっとこれでやっていこうと思っていたのに、三年もたなかったどころか、三限目もたなかった。非常に残念な結果である。

 

「お前さっきからうるさいんだよ、ボケ」

 

仕方ないからきちんとお返事とやらをしてやった。なんだかんだいっても、きちんと対応する俺は紳士。これなら紳士の国のお嬢様も納得してくれるだろう、そう思っていた。

だが予想に反してオルコットはさらに激昂し、今度は顔を真っ赤に染めて食ってかかってくる。

 

「あ、あなた…っ!ぼ、ボケとは、まさか、わたくしのことですか!?」

「ご名答、大正解だ。心配しなくても間違いなくお前のことだよ、ボケ」

 

指差してそこまで言うと、オルコットはまた真っ赤な顔でなにか言ってくる。だがもう俺はそんなもの聞いちゃいない。まったく困ったもんだ、オルコットちゃんは。顔は可愛いのにもったいない。

オルコットがまだ何か言っているうちに、チャイムは鳴って三時限目になった。どうやらここでクラス代表者を決めるらしい。

 

「織斑君がいいと思います」

「私も織斑君!」

「私は霞君がいいです!」

「私も霞君で」

 

珍しい男の操縦者にクラスの推薦が集中していた。しかし、そんなものになるつもりはない。仕方ないので一夏にお前がやれとアイコンタクトを送るが、いやお前がやれよと見事にアイコンタクトで返されてしまう。

 

「納得いきませんわ!」

 

友達と無言の会話を楽しんでいると、突然オルコットが机を叩いて立ちあがり、猿だとか島国だとかよくわからない文句を言う。

 

「よし、認めよう。やりたかったらやりたまえ。お嬢ちゃん、お前がナンバーワンだ!」

 

もうめんどくさかったのでため息混じりにそう言ってやる。すると、オルコットはさらに机をバンと叩いた。なぜだ、経験上、この手の輩は煽てに弱いと相場が決まっているのに。

 

「あ、あなた、バカにしてますの!?」

 

こいつさっきからバンバン、ぎゃあぎゃあうるせえな。次叩かれたら俺も机叩いちゃおう。

しかしその前に、まずは注意をしてみることにした。俺は基本的に平和主義者なんだ。

 

「キーキーうるせえ。猿はお前だろ、お猿さん」

「なっ、なんですって!?決闘ですわ!」

「はっはっは!決闘ってなんだ?冗談だろう!あまり笑わせるなよ、ボケ」

「冗談じゃありませんわ。あなただってお分かりでしょう、決闘の意味はっ!」

 

冗談だろ。そうでなきゃ、あなた。だってお別れでしょう、確実にこの世と。まだお若いのに…。

 

「おう、いいぜ。その方がわかりやすい」

 

いい子だからやめておくように忠告をしようとしていたら、そう言ってオルコットの決闘発言に乗っかったのは意外にも一夏だった。人が注意で済まそうとしているのに、どうしてすぐに挑発にのるのか?自分にはまるで理解できない。しかし意外と喧嘩っぱやいのか、この男は。そこは気にいった、気が合いそうだ。まあ猿の言うことなんぞ、いちいち気にする必要もないだろうと個人的には思っているが。こうなったら、ここは一夏のお手並み拝見といこう。

 

「わざと負けたら奴隷にしますわよ」

「真剣勝負にそんなことするか」

 

二人はどんどんと話を進めていく。しかし、こんなものは真剣勝負じゃない。何故なら、命を賭けぬ決闘など決闘ではないとそう思っている。一夏とこのお嬢ちゃんにそんな覚悟があるとは、残念ながら思えない。それでもやるなら勝手にやればいいと思う。

極論、俺が巻き込まれなければそれでいい。俺はお嬢ちゃんのおままごとに付き合ってやるほど、お人好しじゃない。

それにしても、育ちがいいはずのお嬢様の口からまさか奴隷とは驚いた。これは機会があれば、きちんとしつけ直してやるべきか、なんてそんなことを考えてしまうのは、お節介というものだろう。

 

「ハンデはどれぐらいにする?」

「あら、早速お願いかしら」

「いや、どれぐらいハンデをつけたらいいのかなと」

 

一夏の何故か自信満々のその言葉に、クラスメートたちから失笑がもれた。教室内にクスクスと女子達の笑い声が響く。

 

「男が女より強かったのって大昔の話だよ」

 

続けてクラスメートたちからは、そういった言葉が聞こえてくる。ふーん、そうなの?知らなかった…。

 

「……じゃあハンデはいい」

 

そしてなにやら怪しい空気になってきたようだ。明らかになめられてるのにそれはおかしい。そんな風だからなめられてしまうのだ。こんだけ言われて引っ込めるぐらいなら、はっきり言って死んだ方がましだろう。

 

「所詮ガキの喧嘩か……くっだらねぇ」

 

思わずそんなことを呟いてしまっていた。あくまで俺が望むのは、一歩判断を誤れば死に直結する真の強者とのひりつくような死闘。ようするに試合でなく死合だ。もし仮にどうしてもこの中の誰かと戦えというのならば、相手は生徒でなく教師。もっと言えば弟ではなく姉の方。さすがに強そうな匂いがぷんぷんする。そんなわけで死合の相手として見た場合、この二人に全く興味はない。

しかし俺は強さで友達を選ばない。俺はもうこいつの友人である。他に男がいなくて心細かったんだろう。そんな理由でも一夏の方から友達になってくれと言われて、それを快く了承している。友人ならばいざというときは責任もって介錯してやった方がいいのかもしれない。

こんな鉛筆でも少し削って投げれば充分楽に逝ける。そう考えたら、決断に時間はかからなかった。もしこれ以上恥を晒すようなら、潔く天に帰してやるとしよう。

 

「ねー、織斑くん、今からでも遅くないよ?ハンデつけてもらったら?」

「……男が一度言い出したことを覆せるか。ハンデはなくていい」

 

いや、すでに覆しているだろ。一瞬前のことも忘れるほどに記憶力がないようだ。

はっきり言って今のお前に男を語る資格はない。だからお前はおちょくられているのだ。

しかし友達がバカにされるのは正直気分のいいものじゃない。気づいたときにはチマチマ鉛筆を削ることをやめ、我慢できずに立ち上がっていた。

 

「霞くん?」

「どうしたの?」

「トイレ?」

 

どうしたもこうしたもあるもんか。こっちはそんなに気が長い方じゃあないんだ。

それにトイレじゃない、トイレじゃないからね。

 

トントン。

 

ボフゥ!

 

人差し指で軽くつつくと、今まで机だったものは一瞬で粉々の木屑と、ベコベコにひしゃげた金属のスクラップへと変わる。

 

「は……?」

「え……?」

「うそ…?」

 

嘘じゃない、現実だ。それよりどうした。こんなところもお茶目で可愛いだろう?

まだ周りを木屑が舞う中、顔を上げるとあれだけうるさかったクラスメートたちはすっかり黙りこんでいて、オルコットもまた目を見開き言葉を失っていた。

この際だから言うべきことは、ここできちんと言っておいた方がいいか。

 

「男は関係ねぇだろ、男は。もしかしてお前ら、男に文句があんのか?」

「な、ないよ。ねえ?」

「そ、そうだよ…」

「な、中身もワイルド過ぎるでしょ…」

 

これぐらいで黙るぐらいなら、最初から文句なんて言うんじゃない。

だがこの年頃の女子たちにそれを求めるのは、酷というものなのかもしれない。

もしここが男子校で、クラスメート達が男子だったとしたら、もうとっくに全員床に転がしていることだろう。

ついでに最後の女子、お前はなにもわかっていない。逆なんだよ、男は中身が自然と表に出るものなんだから。

 

「そうか、ないのか…。ないのなら、二度と俺の前で男をバカにするな。…うっとおしいんだよ」

 

それだけ言ってから、ゆっくりと椅子に座った。まだ言い足りないのなら、聞こえないところで勝手に言えばいい。もともとこの俺にはそんなもの関係ないんだから。

それよりも、初日から机がなくなってしまったのはすごく痛手だろう。これじゃあ授業はきっと受けにくい。しかし気分の悪い話をずっと聞かされるよりは、よっぽどいいかな。

 

「困ったな、あんなに楽しそうだったのに。ただの読書家の戯れ言ですよ」

「お、お前のような読書家がいるかぁ!」

 

みんなに声をかけると、一夏がすぐに突っ込みを入れてくれた。それで黙りこんでいた女子たちはまたようやく喋り出す。

織斑一夏か、やっぱりいいやつだな、こいつ。

このあとはみんな暴言を自重するようになったし、有意義な話し合いが出来ていたと思う。

それなのに結局一週間後の放課後、三人で決闘をすることになってしまった。

 

 

 




主人公の名前は適当に決めました。


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2話

今は初日の授業が終わり放課後、粉々に砕いてしまった机を片付けている。

しかしそれも一夏が手伝ってくれたおかげで、もうすぐ終わりそうだ。

やっぱり持つべきは男友達。早まらなくて本当に良かったと、桜介は心底考えを改めていた。

 

(しかし姉は別だ。なぜ怒られる?オルコットも叩いてたのに、つついただけで。これが女尊男卑…)

 

「はぁ…。どうしよう…。専門用語ばっかりで意味がわからん」

「はぁ…。なぜ俺が女子と決闘など…」

「どうしたらいいと思う?」

「もう戦るしかないだろ、戦るしか…」

「そうだよな…。やるしかないよな…」

 

会話がいまいち噛み合っていない気がする。

桜介は愚痴をこぼしながら、それはこれから勉強すればいいと、一夏の心配ごとを他人事のように聞いていた。

片付けている間も、廊下ではよそのクラスの女子が二人を見て、何やらひそひそと話している。

 

(俺たちは動物園のパンダかなにかかな。これじゃあ本当にパンダだねえ…)

 

少し長めのため息をつく。桜介はここに来てからため息ばかりついている。

 

(初日から反省文は書かされるし、もう帰りたい。早く帰りたい、帰って旅にでも出たい)

 

とりあえず屋上で一服してこようかな。ここで超がつくほどのヘビースモーカーがそう考えるのは、ごく自然なことだった。

 

「織斑君、か、霞君、まだ教室にいたんですね」

 

桜介がちょうど一服しようと考えていると、山田先生が教室に戻ってきて二人に声をかける。

どうやらこの先生、初日から派手にやらかした桜介に、少し怯えているようだ。

 

「寮の部屋が決まりました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

二人は山田先生に部屋番号の書かれた紙と鍵を渡され、寮へと向かって歩いている。

どうも部屋割りを無理矢理変更したため、入寮が少し早まったとのことだ。

一ヶ月後には個室が割り振られるが、それまで女子と同部屋らしい。

 

(これはラッキースケベがあるんじゃ…。それならやめるのは、もう少し待っても……なんてねぇ)

 

一夏と別れた後、桜介はそんなことを考えながら自分の部屋の前までくる。

 

「199Xか。ここだな」

 

そして部屋番号をきちんと確認し、鍵を開けてからドアを静かに開けた。

 

「お帰りなさい。ご飯にします?お風呂にします?それともわ・た・し?」

 

状況がいまいちよくわからないので、とりあえず一度ドアを閉めてみる。

 

(精神的に疲れているんだろう、幻覚が見えるなんて。これはどう考えても疲れすぎだろ…)

 

一度目頭を抑えて、部屋番号を再度確認し、もう一度ドアをゆっくりと開ける。

 

「お帰り。私にします?私にします?それともわ・た・し?」

 

しかしそこにはやっぱり、先日助けた女が裸エプロン姿で立っていた。

 

(まさかラッキーじゃないスケベとは…。いやいや、それもうただのスケベだろ!?)

 

まてよ、わかったぞ、そうか、そういうことか。桜介は一人納得して、ホッと一息つく。

 

(いつの間にか現地妻が出来ていたと…。しかも新婚だな、これは。それならこの状況も納得…)

 

まてまて、現地妻に新婚なんてないはずだ。とりあえずこれは現実、まずはそれを認めるところから始めよう。

桜介は自分を戒めるように首を横に振る。そして、目の前の女をそれとなく眺めて見る。

水色の毛先が跳ねた髪、気の強そうな赤い瞳、綺麗な白い肌、悪戯好きそうな笑顔を浮かべているが、整った顔立ちをしている。

 

(それからスタイルがいいね。それだけで合格、合格だ。よし、現地妻にしてあげよう!)

 

見た目ははっきり言えば、好みのタイプだった。

 

(特に水色の髪が大好物だぜ!いやいや、どんだけマニアックな趣味だよ…)

 

もちろん好みどころか、そんな髪の女など今まで見たこともない。

しかしわざわざこんな色には染めないだろうし、もしかしてこれが地毛なら、どっちかの親の遺伝なのだろうか。そんなどうでもいいことが無性に気になる桜介。

 

(しかし本当に、空みたいな鮮やかな水色だ…)

 

 

 

 

 

 

桜介が適当なことを考えているとき、楯無もまた色々と思考を巡らせていた。

楯無はこの男に助けられたあと、すぐに自分の家の情報網を使い、二人目の操縦者について丹念に調べあげていた。

閻王のことは噂でもともと知っていたが、自分の窮地を助けられたことで、改めて深く興味を持ち、入念に調べ直したのだ。

 

(やっぱりいい男…。お姫様だっこされたのよね。あんまり覚えてないのが、もったいないかも…)

 

そんな楯無からすれば普段の自分らしくない、いかにもこの年頃の少女が考えそうなことを思っていた。

しかし、すぐにそれを否定するように慌ててぶんぶんと頭を振る。

 

(わ、私ったらなにをっ!?だめだめっ、余計なことは考えないようにしないと…)

 

引き締まった精悍な顔立ちに、緩く後ろへ流れている癖のある少し長めの髪。

鋭い目付きも、それと合わせて凛々しい印象を与える。とても力強く、それなのにどこか哀しみも宿している瞳は、まるで蒼天のように澄みきっていた。

それに服の上からでも一目でわかる程鍛えぬかれた体つき。その割にはスタイルもよく、身長だって百八十センチはあるだろう。

美少年というタイプではない。しかし、整っている。つまり絵に描いたような男前がそこにいた。

 

(……それにしても、格好いいわよねぇ。でも、それだけじゃないわ)

 

男の内から迸る隠しきれないほどの覇気。絵で例えるならば、まるでラノベの挿し絵の中に一人だけ劇画から飛び出して来たような男臭さ、色気、そして存在感。

更識家の令嬢として、今まで社交界で色々な男性を見てきた楯無だが、この男はそんな有象無象とは明らかに存在としての格が違う。

若くして裏の世界を生きてきた女の直感が、はっきりとそう言っている。

 

それからアオザイの裾を靡かせて、窮地の自分の前に立ってくれた時の安心感。まるで本当に虎と鼠が対峙しているように感じてしまうほど、それほどに別格だった。

そして、自信満々にイキイキと戦うその姿。それがとても絵になっていて、他の誰よりも断然格好よく見えた。

 

(そ、それでも、それでもないの!私に限ってっ、一目惚れだなんて、あり得ないのよ…)

 

だからといって、所詮自分がただの少女だといきなり素直に認めることも出来ず、一瞬頭に浮かんだ考えを否定するように楯無は激しく頭を振る。

しかしどんなに必死で否定しようとも、少年はどこまでも威風堂々としていて、まだ一言も発していないが、そんなものすらもはや不要だった。

目の前に悠然と佇む少年は、ただそこにいるだけで男、いや(オトコ)を強烈に感じさせた。

 

「あんたは……」

「改めてお礼を言うわね。助かったわ、ありがとう。そ、それから、あの時のあなた……すっごく格好よかった…」

「ああ、気にしなくていいよ。たまたま通りかかっただけだ。なんなら忘れてくれて構わないさ」

 

もう過ぎたことだと言わんばかりに、桜介はすんなり話を終わらせる。

もともと恩に着せる気などさらさらないのだ。

 

「なっ!?あんなの、忘れるわけないでしょ!き、気にするわよっ」

 

お礼だけではなく、自分でも言ってて照れくささを感じた言葉すら、さらりと流されてしまい、肩透かしをくらった楯無は声を荒げる。

 

「じゃあラーメンでも奢ってくれ。それでいい」

 

「私の命がラーメン一杯…。ま、まあいいわ。それは今度ご馳走するとして、私は更識楯無。二年生で今日からルームメイトだから。よろしく♪」

 

あまりにも欲のない男だ。楯無はそれにまた驚いてしまう。しかしすぐに気を取り直して簡単な自己紹介を済ませると、取り繕ったように余裕の表情を浮かべ微笑む。

 

「霞桜介だ。よろしく……更識先輩」

 

ああ、たしかロシアの国家代表となにかの資料で見たことを思い出して、それでも平然と返す桜介。

 

「楯無でいいわ。それかたっちゃんでも可♪命の恩人だしね、桜介くんは。堅苦しいのはなし」

「ああ、わかった」

「それにしても、反応が可愛くないわね。普通美少女がこんな格好してたら、何かしらの反応はするでしょ?」

「……自分で言うのかよ。あのなあ、男が可愛くても仕方ないだろ」

 

せっかく準備したコスプレにもまるで無関心、それどころかまたしてもぶっきらぼうな物言い。

そんな反応など、まるで想定していなかったのである。そんな楯無は不満げな顔で扇子をバンと開く。そこには『生意気』と、しっかり書かれていた。

 

「あら、そんなことないわよ?せっかく初めての男子の後輩なんだから。もう少しぐらい、可愛げがあってもいいのに」

 

にっこり笑いかけてくる楯無に、桜介はすぐに自分がからかわれていることを理解した。

そして、それならやり返してやろうと即決する。このドSに迷いなど最初から微塵もないのだ。

 

「なるほどな…。たしかに、自分で美少女というだけのことはある」

 

自分をからかってきた女の頬に手を伸ばして、そっと優しく撫でつける。

その手つきは見るからに男らしい硬派な見た目からは想像もつかないほどに優しい。

 

「な、なによ……急に…」

「ああ、そうだった。そういえば先ほどの返事、まだしていなかったよな」

「ん?返事って?」

 

きょとんとしている女の目をじっと見つめると、顔を近づけて耳元で囁く。

 

「初めからその格好は少し冒険しすぎだ。だが俺は別に嫌いじゃない」

「そ、そう。それは、よかったわ」

 

色気を帯びたその声色と、凛々しい顔がすぐ近くにあることで、楯無は頬を少しピンクに染めながらもなんとか落ち着いて返事を返す。

しかし、相手はこれぐらいで満足するような甘っちょろい男ではない。

 

「楯無…。俺でよければ抱いてやろうか」

 

桜介は唐突にその歳に似合わぬ落ち着いた、そして今度はどこか甘さを含んだ声で囁いた。

 

「なっ、なななぁっ!?」

 

ついに顔を真っ赤にさせてのけ反る楯無。あまりの衝撃に、まるで金魚のように口をパクパクと開けたり閉じたりさせている。

 

「あんたが聞いたんだ。そんなに驚かなくってもいいだろうに」

「そ、そ、それはっ…!」

 

悪びれずに言うと楯無は俯きもごもごと口ごもってしまう。そこにもう一度近づいて、追撃でチークキス。これはロシアでは一般的な挨拶の一つで、頬と頬を左右交互に合わせるというもの。

 

「ひゃああっ!?」

 

すると楯無は何故か甲高い声を上げ、跳び跳ねるように後ろへ体を離した。いったいどうしてだろうか。ロシアに行くことがあるなら多分これぐらい慣れているんじゃないかと、そう思っても不思議ではない。

しかし、この時桜介はイタズラが楽しくて仕方がないというような悪い顔をしていた。そして、最後にきっちりと先程の意趣返しをする。

 

「ふっ。可愛いとこあるじゃない、先輩」

 

桜介は満足気に笑いながら頭を軽く撫でると、振り返ることもなく部屋へ入っていく。

 

(……案外うぶだな、この先輩)

 

まだ顔を赤くして、呆けたようにその場に立ち尽くしている楯無。

それを振り返って確認すると、下に水着を着けていることに今さら気づいて、ほんの少しがっかりしつつもワクワクしていた。

イタズラ好きそうなこの先輩を、次はどうやってからかってやろうか。

そんな意地の悪いことを考えて、ドSの後輩はこっそりと口角を上げた。

 

 




オリ主のモデルは霞拳志郎です。容姿も霞拳志郎を若くしたイメージです。髪型は22巻の表紙みたいな感じで。



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3話

原作流し読みしながら書いてるので設定とか本当ガバガバです。


あれからお互いに部屋着に着替えると、それぞれのベットに向かい合うように座った。

もっとも部屋着といっても、楯無は制服を脱いで下着姿に上はYシャツを着ているだけである。

 

「その格好は、一体なんなんだろうねぇ…」

 

桜介は呆れたように言うが、頭の中では早速生々しいことを考え出していた。

 

(こいつ、エロい…。これは本当に抱かれてもいいってことか?いいよな。よし、やっちまおう!)

 

桜介は決断が誰よりも早い。この男は基本的に迷うことなどほとんどないのだ。

 

「あん。えっちぃ」

 

堂々と向けられた視線に、楯無はわざとらしく恥ずかしがる素振りを見せてシャツの裾を引っ張る。

抱いてやろうかと言われたときは慌てふためいていたが、時間が経つとまた主導権を握ろうと、誘惑するような態度をとり始めていた。

それが効くような相手ではないことを、楯無はまだよくわかっていない。

 

(そうよね、やっぱり男の子だものね。それでも全然動じてないところは、少しだけ癪だけど…)

 

やっと興味を示されたことに少し満足して、ニヤニヤと笑う楯無だった。

しかし自分からこんな格好をしておいて今さら何を言ってやがると、桜介は当然それに反論する。

 

「エッチはあんただろうが」

 

「あら、嬉しいくせに♪」

 

「はぁ……。それで何が目的だ。二年生が一年生と同じ部屋。それもあの時助けたあんたがだ。これは偶然じゃないんだろ?」

 

桜介は改めて目の前の女に鋭い視線を向ける。

成り行きでとりあえず同部屋は受け入れたが、それでもどこか怪しい女だ。

桜介としては入学早々、面倒に巻き込まれるのは出来ればごめんだった。

 

「あら、警戒されちゃった?じゃあ単刀直入に言うわ。目的はあなたの護衛、それから私があなたのISの専属コーチをしてあげる」

 

「ふーん。でもさ、あんな連中に襲われてた時点で、あんた普通じゃないだろ」

 

「あー、それはね。私の家は対暗部用暗部『更識家』。そして私はそこの当主、17代目楯無なの」

 

この前のことを突っ込まれると、楯無はなんでもないような顔であっさりと正体を明かした。

桜介には相手が強いかどうかなんて、見るだけである程度はわかる。

この女を初めて見たときから、確かにそこそこ強いんだろうなとは思っていた。

 

(この年で当主か…。しかも暗部の。それならまあ、強いんだろうねぇ。……それなりには)

 

しかしまだ一つだけ納得のいっていないことがある。

今まで裏組織を一人でいくつも潰してきたのだ。

そんな自分にまさか護衛が必要だとはもちろん到底思ってもいなかった。

 

「あんたさあ、自分が俺よりも強いって…?」

 

「ふふ。この学園のこと、あまり知らないようだから教えてあげる。生徒会長は最強であれ」

 

楯無が扇子を開くとそこには『無敵』と、やはり達筆な文字で書かれていた。

 

「最強……ねぇ」

 

その言葉に桜介が初めて敏感に反応する。

最強を目指すのは、北斗神拳伝承者の宿命のようなものだからだ。

 

(ここまでオープンにされると、さすがにそそらないんだよ。本当に大丈夫か、この学園は…)

 

一番強いのがこの見るからに怪しいこの痴女。

その事実に桜介は早くも入学を後悔し始める。

 

「それでね、同居は護衛のため。これは助けてくれたお礼だから、気にしなくていいわよ」

 

「お礼って…」

 

そのあまりにも一方的な言葉に、もう顔をしかめるしかなかった。

同居するのがなんでお礼になるのか、それがさっぱりわからない。

そもそも北斗神拳に護衛など不要、それとも毎晩夜のお世話でもしてくれるか?この女は…。

 

「あなたが強いのはよくわかる。でも、私の方が強い」

 

桜介をまっすぐに見据えると、楯無は胸を張って自信満々にそう言い切った。

北斗神拳の伝承者であり、すでに裏社会では伝説にまでなっている男に向かって。

屈強な裏社会の男たちも、この顔を見たら最近は震えて逃げ出すことの方が多いというのに。

 

「ほほぉ~。言うねぇ。だがあんたの目は嘘をついていない。自信があるのは本当だろう。ならば頼もうか」

 

楯無がロシアの国家代表だということは元々知っていた。だが別に興味がなかったので、その顔までは知らなかった。護衛はともかくとして、ISのコーチに関してはよく考えると必要だと思ったのだ。いくら強くてもISに襲われたら、生身で撃破出来るとは思っていない。

それに楯無のどこか強い意思を秘めた、まっすぐな目が気に入った。それが了承した一番の理由だった。

 

 

 

 

 

 

話が終わると、桜介は窓を開けてベランダに出た。ポケットから煙草を取り出し口に咥える。それからライターを出してそれに火をつけた。煙草を一気に吸い込み、大きく煙を吐き出す。

 

「ぷはぁ~。うまいねぇ~~」

 

するとそれを見ていた楯無が、慌てたようにベランダへと飛び出してくる。それこそすごい勢いだった。

 

「ちょ、ちょっと!そういえばあの時も吸ってたけど。あなたねぇ、高校生がなに当たり前のように、煙草なんか吸ってるのよ?」

 

「あらら。ごめんごめん、すぐ終わるから」

 

桜介はイタズラが見つかった子供のように、無邪気な笑顔でそう言う。

口では謝っていても、まるで悪いと思っていないようなそんな態度だった。

 

「も、もうっ!い、一本だけよ…?」

 

楯無は唇をとがらせるが、至近距離で屈託のない笑みを見せられて、その頬はうっすらと赤く染まっている。

そして、胸の奥の方に今まで感じたことのない甘い疼きを覚えた。

 

(ああっ、なんて清々しい…。それにあの時、助けてくれた。で、でも、性格は可愛くないし――)

 

「あんたも大変だろ。その年で色々なもんを背負って。家の事情もあるんだろうけど、俺の家も特殊だからな」

 

「……そうかもね。あなたの家も?」

 

「裏稼業を二千年ほど。今はそれを背負う覚悟がある。あんたもそうだろ?そういうのは目を見ればわかるさ」

 

「そう、それにしても二千年はすごいわね…」

 

「過去の伝承者たちはみな、耐え難いほどの哀しみを背負ってなお、その宿命のために生きた。俺もそんな男になりたくってな」

 

桜介はそう言って一片の曇りもない蒼天のように、爽快な笑みを見せた。

 

(そ、その笑顔は、は、反則……。もともと男前なのに、そんな風に笑うなんて、卑怯……)

 

自分にまっすぐに向けられた、まるで晴れ渡る空のような気持ちのいい笑顔。

このとき楯無は本人すら気づかぬまま、一瞬であっさりと恋に落ちた。

まともに直視出来ずに慌てて顔を逸らすものの、その顔はすでに真っ赤に染まっている。

不意討ちで見せられた純粋な表情、それに不覚にもときめいてしまったのだ。

 

(巷では死神だとか…。それなのに、邪心もなにもない、そんな顔、こっちに向けないでっ…!)

 

これまで経験したことのない初めての感情に振り回されて、顔の熱はいつまでもおさまらず、胸もドキドキしてなかなか顔を上げられない。

そんな様子がしばらく続くと、やがて桜介が隣から手を伸ばして肩をポンと叩いた。

 

「ッ!?」

 

冷静さを失い取り乱しているところに、予期せぬ突然の接触。それに楯無は大げさにビクンと体を跳ねさせる。

 

「どうかした?」

 

「な、ななななんでもないわよっ!も、もう吸い終わったでしょ。は、早く、中に入りなさいっ」

 

楯無はごまかすように背中を押して、強引に部屋の中へと戻そうとする。

しかし体に触れるとまた心地いい胸の高鳴りが訪れて、余計にドツボにはまってしまう。

真っ赤になっているのが自分でもわかって、見られないよう、顔はずっと背向けっぱなしだった。

 

(さ、さっきから、顔は熱いし、それに、この胸の鼓動はは……一体なんなのよ!?)

 

急にムキになって怒りだしたのを不思議に思って、桜介は首を傾げる。かうなんだか考えるのもめんどくさくなり、そっけなく適当な返事を返した。

 

「わかったよ。うるさい先輩だ」

 

「ぜ、全部、あなたが悪いのよ!」

 

「何故だ…。おかしな女だな。…やはり現地妻にするのはやめておこう」

 

「はぁぁああ!?いやよっ、げ、現地妻ってようするに愛人でしょう!?こ、この歳で…」

 

あげくの果てには耳まで真っ赤にして怒るこの女は、一体なんなんだろう。

またしても八つ当たりされて、わけもわからずもう一度大きくため息を吐いた。

 

 



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4話

いきなり戦います。


楯無先輩の特訓を受けはじめて、あっという間に一週間がたち、翌週月曜。

今日はオルコットと俺たち男子の対決の日だ。

 

「なぁ箒」

 

「なんだ一夏?」

 

「気のせいかもしれないんだがISのこと教わってないぞ?」

 

「目をそ、ら、す、な」

 

どうやら一夏は剣道の練習しかして来なかったらしい。何故だろう。

一夏の専用機の到着は遅れているせいで先に俺がオルコットと戦うことになった。何故だろう。

別に自慢じゃないが、やる気なら明らかにこの中で、俺が一番ないぞ?

 

「ふあ~あ、早く昼寝したい」

 

しかし今さらそんなことを言ってもどうしようもないので、仕方なく知り合いの会社が開発した専用機、第三世代IS型「蒼龍」を身にまといピットを飛び出す。

 

どうでもいいことだが、待機状態のキセルを出した際に織斑先生にギロッと睨まれた。

ごめんね。仕方ないんだ。キセルなら普段から使えるから俺がリクエストしたんだ。

でも先生、安心してください、しっかり普段から喫煙してるんで宝の持ち腐れじゃないですよ。

 

蒼龍の外見は紫に近い蒼、装甲は薄くてシャープ、全体的になんとなく龍っぽい。

対するオルコットは騎士を思わせる青い機体、ブルーティアーズを纏っている。

 

「あら、逃げずにきましたのね」

「逃げる理由がねぇだろ、お嬢ちゃん」

「最後のチャンスをあげますわ」

「ほう。何のチャンスだ?」

「今ここで謝るのなら許してあげないこともなくってよ」

「やれやれ、君も性格がもう少し良かったらねぇ。美人なのにもったいないな~」

 

もったいないよね、本当に。せっかくの美人もその性格で全て帳消しだよね。残念、残念。

 

「そちらこそ。あなたにだけは言われたくありません。あなただって見た目は悪くないのに、その性格で全て台無しですわ」

「そんなのどうでもいいな。それより俺の穏やかな学園生活を返せ、このやろう」

「どのみちあなたには無理じゃなくって?もうお話は結構です。どちらが正しいのかは、戦って決着をつけましょう」

「はぁ~。はっきり言って俺はお前に興味もないし、この勝負もどうでもいい。だが負けたらさ、練習に付き合ってくれたやつに悪いよなあ」

 

そんなことをまだ話している途中、敵のISのセーフティロック解除を確認した。

もう、お嬢ちゃんは慌てん坊さんなんだから。

 

「ふっ…」

 

オルコットから放たれた閃光を、俺は危なげなくかわすことが出来た。

一週間会長さんの訓練を受けたのもあるが、入学前にも俺は専用機を稼働しているのだ。今となってはこの程度のことは造作もない。

 

「さぁ踊りなさい。わたくしセシリアオルコットとブルーティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で」

 

オルコットのISは中距離射撃型。蒼龍も一応ライフルがあるので中距離はさして苦手ではない。

俺としては本当は近接がやりやすいが、射撃は正直いって新鮮でなにより楽しい。

しばらく射撃の打ち合いが続いた。あちらの射撃を全て回避しながら、こちらのレーザーライフルで一方的にオルコットのシールドエネルギーを削っていく。

 

「残念だが、性格の悪い女と踊る趣味はない」

 

俺がいったい今まで生身で何千発の銃弾をかわしてきたと思っているんだ。正直軌道さえわかればこれぐらいよけるのは容易い。

そしてオルコットは射撃は確かに正確だが、回避の方はけして上手いとは言えない。だから俺の射撃技術でも充分捉えることが出来る。

 

「なぜ、なぜ当たりませんの!?どうせろくな練習などしていないでしょう!こ、こんなのおかしいですわ!」

 

「あ?」

 

今のはちょっと聞き逃せない。少しだけ生意気なんじゃないの、このお嬢ちゃん。

おれがきっちりとしつけをし直してやろうか。

 

「…俺のことはいい。だが練習は関係ないだろ?きちんと丁寧に教えてくれた…。コーチの文句は俺に言え!」

 

まどろっこしい削り合いはもう終わりにしよう。

もともとこんな決闘なんて、俺に言わせればお嬢ちゃんのおままごと。

ライフルを拡張領域(バススロット)にしまい、瞬時加速で一気にオルコットとの距離を詰める。

そして両腕に装備されたトンファーでビットを全て落としながら、近接の間合いに入った。

 

「かかりましたわね!ブルーティアーズは六機ありましてよ!」

 

オルコットから二機のミサイルビットが放たれた。

早とちりするんじゃない。

かかってねぇよ、お嬢ちゃん。俺を嵌めようなんてお前には二千年早い。

 

「最後に北斗神拳の真髄を見えよう」

 

ミサイルビットの一つが直撃する寸前でオーラを纏い、その場でくるんと横に一回転。

すると、あら不思議。そのミサイルビットは来た方向へ引き返していく。

向きを変えたそれはもう一つのビットに激突して、綺麗に爆ぜた。

 

「あ、蒼い炎!?うそ、こんなのうそですわ!」

 

嘘じゃない。仕方ないから、現実の厳しさを俺が教えてやろうじゃない。

 

「お前は甘いな。…甘すぎるんだよ」

「くっ…!」

 

オルコットは最後にナイフのような武装を展開した。どうやら最後の悪あがきのようだが、それをトンファーであっさり弾き飛ばす。

 

「そんなっ…!」

 

本当は女の子にこんなことをしたくないが、お前から言い出した決闘だ。

 

「セシリア・オルコット、お前の敗けだ」

 

再度ライフルを展開させてオルコットに銃口を向け、一方的に勝敗を告げる。

 

「あ、あなたは……一体?」

 

「霞桜介。ただの男だよ…」

 

「……っ!まいり…ました…」

 

『試合終了。勝者、霞桜介』

 

「はいはい、それじゃお疲れさん」

 

アナウンスが流れるとオルコットには目もくれず、まっすぐにピットに戻る。一夏にも一声かけてから織斑先生に一夏戦の棄権を告げる。

 

「ごめんね、先生。俺は図書委員になりたくってね」

「希望があるのはいいが、恐ろしく似合わないな…」

 

そして俺は一目散に屋上へ向かう。何故なら煙が俺を呼んでいる。呼ばれたならばいかねばなるまい、それが男である。それにしても似合わないなんて、おかしなことを言う。クラスに俺以上の読書家はいないと断言できるのに。ここでは目立たない穏やかな日常を望んでいるんだ。そのために図書委員なんてぴったりだろう。

 

 

 

 

 

 

「ぶはぁ~~。うめ~~~」

 

「こーら、なにやってるの」

 

うますぎるだろ、煙。そう思っていると、突然後ろから声をかけられた。

いつの間にか楯無先輩が屋上にきていたようだ。

さすが暗部、タバコに夢中で気づかなかった。

暗部関係ないな、それ。

 

「桜介くん、今度はキセルなんか吸って。おねえさん、許さないわよ?」

 

「ふぅ~。これはキセルじゃない、ISだ」

 

何か問題でも?と、おもいっきりしらばっくれると大きくため息を吐かれてしまう。しかしうまいな、このIS。

でも自分へのご褒美は大事だろ。この学園で他に楽しみなんかなんにもねえんだよ。

だからさあ、俺、あんまりうるさいとすぐにでも退学しちゃうよ?

 

「勝ててよかったわね」

 

「ああ、おかげさまで」

 

きっとどこかで見ていたんだろう、嬉しそうだ。

素直に感謝を伝えると、楯無先輩はニヤニヤとしながら頬をツンツンしてきた。

この女…すぐ調子にのるんだよな。ここらで一度ぐらい、教育的指導をしておいた方がいいか。

 

「私の文句は俺に言え、だっけ?」

 

「さあな」

 

「可愛いとこあるじゃない♪」

 

俺が内心舌打ちしながら答えると、上機嫌でからかってきた。少しだけムカついたなぁ。

よし、頬を両手でつねってみようか。

 

「……悪い子にはお仕置きが必要だよな」

「ひゃ!?いひゃい!はなしなひゃい!」

 

楯無先輩は必死に抜け出そうともがく。

だが俺の手からは抜け出せない。

力はそんなに入れてないが、動きに合わせて俺も動いてるから自力では無理だろう。

 

「はなひへ!」

「反省しなさい」

「ばひゃ!おぼえてなひゃいよ!」

 

なんだかもう、ちょっとだけこのバカな先輩が可愛く見えてきた。

いつもこんな感じだから、最近はこいつに敬語使うのもいい加減バカらしいのが本音だ。

俺がまだISに慣れていないのをいいことに、模擬戦と称して人をいたぶってくるし。

本当のところ、それでもコーチだけは的確だから、実は尊敬も感謝もしてるんだ。

だがそれを言うとこいつはまた調子にのるだろう。だから本人には言ってやらない。

 

「うう!うううっ!ご、ごめんなひゃい!」

「もう調子にのらないな?」

「ひゃ、ひゃい!」

 

ちゃんと謝ったので手を離してやると、涙目の楯無が睨んできた。

きっとこいつは今、拗ねているんだろう。

よし、ここはしばらく無視だ、無視してやろう。

どうせかまって欲しくて、そのうち自分から音を上げるに決まっている。

 

「桜介くん」

「なに?」

「あなた、生徒会に入ってもらえるかしら?私はあなたが欲しいの」

「なんで?」

「桜介くんには副会長になって、私のサポートをして欲しい」

 

急に真面目な声で呼ばれたから一応返事はしたが、正直言って驚いた。

いきなり副会長……はっきり言って面倒だな。俺は目立ちたくないし。

だがこいつにはコーチしてもらっている恩がある。

やっぱりその恩はきちんと返さないといけないか。

俺は恩知らずなわけじゃあない。

それにレディの熱烈なラブコールを、めんどくさいで断るわけにはいかないだろう。ここは図書委員を諦めるとしよう。

 

「わかった。俺で良ければ、あんたの力になろう」

 

「ふふふ。よろしくね♪」

 

楯無はにっこりと笑って手を差し出してきた。

最近こいつ表情がコロコロ変わるから、見てると面白いんだよな。

そんなことを思って俺も自然と笑顔になっていた。

 

「っ~~~~!!そ、その顔は、だめっ!」

 

笑顔で差し出された手を握り返そうとすると、楯無は急に顔を真っ赤にさせて変な言葉を叫び、その場から走り去って行く。

しかしここでそのまま逃がすような俺ではない。

今回のミッションはゆで蛸の捕獲、難易度は低そうだ。地面を強く蹴り、一瞬で屋上の入り口へと回り込んだ。

 

「ぎゃあ!」

「どういうつもりだ?楯無ちゃん、さっきの言葉きちんと説明してもらおうか?」

「なっ!?い、言えるわけ、ないでしょっ!そ、そんなこと……!」

「なんだと?いきなり人の顔にダメ出しをしておいて。わがままを言うんじゃない」

「わ、わがままなんて言ってないでしょ!?それにダメ出しなんてしてなくて、むしろその逆といいますか……ごにょごにょ」

 

真面目に聞いてるのに質問の答えを濁された上、まともに目を合わせようともせず、さらには自分のわがまますら自覚しない。

 

「なにがギャグだ。そんな悪い子にはお仕置きが必要だよな」

 

冗談は顔だけにしろってか?もう怒った。まずは体を入れ換えて扉の前へと追い詰め、上から顔をじっくりと覗きこむ。

 

「は、はわわ…。な、なにっ、な、なにをする気なの!?ち、近い、近い近いっ、近いわぁ!」

 

俺には茹でた覚えは全くないが、気づけばゆで蛸は湯気が出そうなほど完全にゆで上がっていた。

そしてどうやらパニックになっているようだ。

まあ、なにはともあれ食材は揃ったんだ。さあ!ここからは料理の時間だ!!

 




霞拳志郞はパチンコだと戦車の砲弾ぐらいなら素手で投げ返します。


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5話

「では一年一組代表は織斑一夏君になりました。一繋がりですね!」

 

「先生質問です!」

 

「はい織斑君!」

 

「俺は昨日負けたんですが」

 

「それはわたくしと桜介さんが辞退したからですわ!」

 

「お嬢様の仰るとおりでございます!」

 

「……バカにしてますの!?」

 

「バカになどするはずないだろう?大切な友人を」

 

「桜介さん……」

 

一夏に向かって自信満々に堂々と言い放つセシリアに、俺も便乗する。

結局あのあと一夏はセシリアを追い詰めたが、エネルギー切れで負けてしまったらしい。

まあ、一夏は剣道しかしてなかったみたいだから仕方がないんだけど。

 

「俺は友人を大切にしたいと思っている」

 

「ええ、ええ、そうですわね!わたくしもそうですわ!」

 

昨日屋上から戻り、部屋で一人でのんびりしているとセシリアが一人で謝罪にやってきた。

ころりと態度を変えてどこか緊張したように、丁寧に真摯に謝罪してくれた。そして、俺も今までの非礼を詫びた。

その時にクラス代表は一夏に経験を積ませるため、二人で辞退しようという話になったのだ。

一夏くん放っておくと剣道しかしなさそうだし。

 

「セシリア、どうやら俺たちこれからも上手くやっていけそうだな」

 

「桜介さん、もちろんですわ」

 

そう言って俺たちは改めて握手をする。

昨日話してるうちに俺たちは友達になったので、今はお互いに名前で呼びあっている。

正直、学園での初めての女友達に少しだけテンションが上がったのは間違いないだろう。

顔はもともと可愛いし、もうセシリア最高。

この子実はいい子だし、おかげで俺たちもうすっかり仲良しだもの。

 

「いくらなんでも、急に仲良くなりすぎだろ…。俺以上にあんにいがみ合ってたのに」

「そうだっけ?もう忘れちまったよ、そんなこと」

 

どうやら一夏のやつも、俺たちの仲の良さには驚いているようだ。

もうこの学園卒業したら、オルコット家の執事にしてもらおうかな。

給料はいくらでもいいから、セシリア俺のこと雇ってくれないかな。

もともと将来は女子大の講師でもどうだと知り合いに誘われていたが、執事も普通にありだな。

 

「桜介さん…。そんなにじっと見られたら、恥ずかしいですわ」

「ごめんごめん、少し考え事をね」

「あら、そうでしたのね」

 

それからセシリアには一緒に練習しませんかと誘われたので、生徒会や楯無との練習がない時は、たまにセシリアとも練習することになった。

まだISでの射撃にはそこまで慣れていないので、セシリアとの練習で得るものもあるだろう。

 

「一夏さん、とにかく勝負はあなたの負けでしたが、それはわたくしが相手ならば当然のこと。クラス代表は譲ることにしましたわ」

 

「お嬢様の仰る通りでございます。だから敗者は黙ってそれに従えでございます」

 

「あなた、やっぱりふざけてますわね?怒りますわよ?」

 

「怒ったら、もったいないな。せっかくの美貌が」

 

「お、桜介さん、び、美貌だなんて…!」

 

セシリアは意外と照れ屋さんなのか、正直に答えると恥ずかしそうにもじもじとし始めた。

一夏さんてことは、どうやらあのあと一夏とも友達になったのだろう。

それなら結果的にはあのくだらない決闘も、一応の意味はあったようだ。

クラスでも一夏の代表はみんな賛成のようで、本当になによりだ。

もし俺がなって不評とかだったら、もう家に帰りたくなるから棄権してよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になり、今は楯無に連れられて生徒会に向かって歩いている。

生徒会室の前まで来て、楯無がドアを開ける。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい会長」

 

楯無を出迎えたのは、三年生の生徒だった。

その後ろには、クラスメイトの布仏もいる。

 

「あれ~なんでかすみんがいるのー」

 

ん?かすみんて俺のことだよな。かすみんてなんだか可愛いね、好き。

 

「会長さんにスカウトされちまった」

 

「そうなんですね。私は三年の布仏虚。本音の姉で会計をしています。よろしく」

 

「よろしく~。うちは代々更識家のお手伝いさんをしてるんだよー」

 

「メイドさんですか。んふふ、これからよろしくお願いします」

 

「あはっ♪これからもよろしくね」

 

簡単な挨拶をすると、楯無がバチンと綺麗にウインクを決めた。

そういう仕草とても似合うね、あなた。

こいつもメイド服似合いそうだし、今度メイドさんになってくれないかな。

 

 

 

 

 

 

 

今俺は生徒会に後にしたあと、喫煙場所を求めて学園内をぶらぶらとふらついている。

同居はお礼のはずなのに、煙草吸わせてもらえないっておかしくない?そんなお礼いらない。

そんなことを考えていると、突然後ろから声をかけられた。

 

「ん?あれは男?一夏じゃないってことはもう一人の方か。ちょっとあんた、待ちなさいよ」

 

振り返ると、そこには見知らぬ少女が立っていた。

 

「あ?誰?」

 

「あたしは凰鈴音。あんた、良かったら受付まで案内してくれる?」

 

「いいよ」

 

この名前は中国か。上海にいた頃が懐かしい。とりあえず凰を受付まで連れていくことになった。

 

「あんた名前は?」

 

「拳崎志郎だ。ケンと呼んでくれ」

 

今は変装しているわけでもないのに、なぜかついつい偽名を使ってしまう。昔から俺の悪い癖だ。

 

「ケンね。私も鈴でいいわ。あのさぁ、一夏は元気にしてる?」

 

「え?そんなやついたっけ?」

 

「いるでしょ!?幼なじみなのよ」

 

「あ、そうだっけ。ああそういえばいたな、そんなやつ」

 

茶色の髪に黄色のリボン。それを見てたら、なんだかラーメン食いたくなってきた。

 

「知らないならいいわ」

 

「ほら、ついたぞ」

 

「ありがとね」

 

「ああ、じゃあね」

 

どうやらこいつは一夏の知り合いのようだ。まあどうでもいいな。それより今日の夕食もラーメンにしよう、そうしよう。

 

 

 

 

 



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6話

「というわけで!織斑君クラス代表おめでとう!」

「おめでとう~」

 

今は夕食後の時間。

食堂で一夏のクラス代表パーティーが行われていた。

 

「これでクラス対抗戦も盛り上がるねー」

「ほんとほんと」

「同じクラスになれてラッキーだったねー」

「ほんとほんと」

 

実際のところ、一夏にはいい経験になるだろう。

辞退して本当によかった。女子も喜んでるし。俺も喜んでるし、ウィンウィンだ。

でも違うクラスのやつとかなんでいるの?一夏君は早くもそこまで人気者なの?今も女子に囲まれてるし。俺はと言えばまともに話したことある女子なんてセシリアと会長さんの二人しかいないんだ。くそ、嫉妬しちゃう!なんて思ってると、どうやらセシリアがこちらにやってきてくれたようだ。

 

「桜介さん、お隣失礼いたしますわ。こんなところで、お一人ですか?」

「ああ…。どうも昔っからさ、パーティーとかそういうのはどうも苦手でねぇ…」

「まあ、そうなんですの?わたくしは当然、パーティーには慣れておりますが…」

 

そうでしょう、そうでしょう。パーティーとかすごい似合いそうだもの、あなた。もちろんドレス姿も大変お綺麗なんだろう。

 

「俺はそういうのよりさ、やっぱり戦っている方が性にあってるんだろうな」

「うふふ。あなたらしいですわ」

「それより突然なんだけどオルコット家の執事、まだ募集しているかな?」

「あら、急にどうしたのですか?」

「いや、ちょっと将来の参考にね……ん?」

 

そんなふうに頑張って未来の就職活動に精を出していると、突然目の前が暗くなってしまう。こんなときに停電とは、せっかく早いうちから内定をもらうチャンスだったのに。

 

「だーれだ?」

「むっ…!こ、これはっ…!!」

「時間切れ。正解は楯無おねーさん♪」

 

どうやら後ろから目をふさいできたのは、やはり楯無だったようだ。背中にその豊満な胸がしっかり当たっているのがその証。間違いない、このサイズはたしかに間違いなく楯無だろう。俺は一体なにを言ってるんだろうか。

とりあえず振り返ると、楯無はこっちにこいというように手招きをしながら、少し離れたところへと歩いていく。とりあえず俺はそれに黙ってついて行ってみることにした。

 

「ねえ、話聞いてたわよ?それでよかったらうちにこないかしら?いいえ、うちにきなさい!是非きてっ」

 

まくしたてるように猛烈な勢いで、またしても熱烈な勧誘を受ける。この女は最近勧誘ばかりしてくる。そのうち高い壷でも売りつけられそうだ。しかし、なんだ。大事な話からと思えばそんなこと。

あとでいいだろう、そんな話。どちらにしてもまだ何年も先の話で、急に呼び出すなんて別に緊急の用事でもあるまい。

 

「あんたんとこは怖いなあ。俺なんかに出来るかな、そんな裏の仕事。ちびっちゃうよ、きっと。それに比べて、オルコットさんちは平和で華やかそうだし…」

 

今さらこの女に気を使う必要もないだろう。だから今回も遠慮なしに、正直な意見をはっきりと言わせてもらうことにした。

 

「な、なにを言うのよ!閻王とか言われている人が!絶対に大丈夫!!そんな心配はまったくいらないわ。あなたより恐い人とかどこにもいないから。間違いなくあなたが一番恐いもの、逆に相手がちびるでしょ。そりゃあ大変なことだってあるわよ、悪い組織を相手にしたりとかね。でもそれって今まであなたが勝手にやっていたことよね。それが仕事になるだけのこと。そう、まさに天職なの!!きっとすぐにエースにだってなれるわ。そうなればもちろんお給料だってはずむわよっ」

 

ここまでのアプローチは夜の街で飲み歩いてたときも受けたことがないほどで、とにかくものすごく必死な様子だ。とりあえず恐くないのと、心配がいらないことだけはわかった。しかし、それを言ったら元も子もないだろう。やはり女にはなかなかわかんないのかもしれない、しょせん男のロマンというやつは。

 

「給料なんて普通でいいんだ。人は日に酒瓶が一本、タバコが二箱、ラーメンが三杯あれば、それで充分」

「あなただけじゃないの、それは。とにかくよ、その化け物じみた戦闘力を活かすには最適な環境だから」

「誰が化け物だ…。まったく、こんなに可愛い後輩を捕まえて。すごく失礼なことを言うねぇ、あんたは」

「どこが可愛いのかしら。あれだけ私のことをいじめておきながら!そ、それに、あんなことや、こんなことまでっ!」

 

なにを思い出したのか、会長さんはとつぜん顔を真っ赤にして怒り出した。しかし俺にはそんな記憶はないのだ。なにかしたとしたら思い当たるのはあれだが、そんなに大したことはしていないはず。それでも意外と純情な会長さんにはかなり効いたのかもしれない。

 

「人聞き悪いね。教育だ、教育」

「あなた一年生でしょ!色々おかしいわよね!?あ、そ、そうだ!私のところにくればたくさん戦えるわ!それにほら、その、私もいるし…」

「ふむ…。たしかに戦えるというのは魅力的だねぇ」

「なんですぐそっちに食いつくのかしら?少しぐらいは考慮してくれたっていいでしょう!ばかっ…」

 

気づけばこの会長さんは、あっという間に拗ねてしまった。とりあえず俺は強い相手と戦いたい、実はそれが第一希望だったりする。

拗ねた会長さんは一旦放置するとしても、突然現れた生徒会長のおかげで、既にクラスメートたちはこちらを注目し始めている。

こうなったらもう仕方ない、無理やりにでも話を戻すしかないだろう。

 

「どうしてあんたがここにいる?」

「桜介くんが退屈してないかと思って♪あまり女の子と話してるの見たことないから」

「ふっ。俺にだって友人くらいはいる。ちょうど今話してただろ。まあ楯無先輩といるのも楽しいけど…」

「ほ、ほんと?ほんとに!?わ、私っ、私もっ…!」

 

正直の気持ちを言うと、会長さんは今度は真っ赤になって俯いてしまう。たしかにそんな様子は一見すれば可愛いとも言えるもの、だが今それはまずい。

実際にクラスメートたちが呆然とした顔でこちらの様子を見ている。それだけじゃなく、周りでぼそぼそと何か話している声まで聞こえてくる。もう注目度は段違いと言える。はっきり言って最悪の事態である。俺は入学早々無駄に目立ちたくはないんだ。そもそも当初の予定では、三年間大人しく図書室の住人と化すつもりだったのだ。その予定はすでに狂いに狂っているというのに、これ以上だなんて冗談じゃない。

こうなってしまったら、現状をなんとかするにはどうしたらいいのだろう。少し考えてもわからないので、とりあえず今も俯いている会長さんの頭を軽くぺちんと叩いてみることにした。

 

「あたあ」

 

「いたあ!?な、なにするのよ、痛い!」

 

目に涙を浮かべて頬を膨らませる会長さん。でもよく考えたら、会長さんの頭を気軽に叩く一年生とかおかしいだろう。これはもしかして、いや、もしかしなくても悪手なんじゃ。

この流れもやはりダメだろうから、まずは一度席に戻ってまた一から仕切り直しだ。

そう考えた俺は、会長さんの手を取って一緒に席に戻ることにした。

 

「うう、これが、飴と鞭なのね……」

「なにいってんだ?いいからこい、友達を紹介する」

 

会長さんがもじもじそわそわしながら、突然おかしなことを言うが、それはもう面倒だから聞かなかったことにした。

 

「こちらがセシリアオルコット。将来的には末長くお付き合いすることになりそうな淑女だ」

「ま、まあ!お付き合いだなんてっ!わたくし、イギリスの代表候補生セシリアオルコットです。こちら桜介さんのお知り合いの方ですか?」

「こ、こら!やめなさい、紛らわしい言い方はっ!こ、こほん…。私は更識楯無、君たち生徒の長よ」

 

この先輩はいつだって突っ込みを忘れない。そういう律儀なところは結構好きだったりもする。

先輩はにっこりと笑うと、さっきまでのポンコツが嘘のように、凛とした態度で挨拶をした。

それにしてもこの人、なかなか切り替えが早い。さっきまで涙目だったのに。

 

「どこかで見たことがあると思いましたが、生徒会長でしたのね」

「そうよ。でも桜介くんは渡さない。この人はうちに来てもらうんだから」

「……なんの話ですの?」

 

う~ん、この生徒会長ってやっぱりバカだわ。

対抗心剥き出しで宣戦布告をする会長さんに、セシリアはきょとんとした顔をしている。

それはそうだろう、実は俺もそこまで本気で執事になると決めたわけじゃなかったんだ。

そんな感じで二人と少しおしゃべりをしていると、女子がまた一人こっちに歩いてきた。

 

「新聞部でーす。二人目の男性操縦者、霞桜介くんにもインタビューしにきましたー」

 

インタビューか、あんまり好きじゃないな、そういうの。

 

「あ、私は二年の黛薫子、新聞部の副部長やってまーす。よろしくね」

 

二年ということは会長さんとは同学年、きっと交流もあるんだろう。会長さんがウインクをすると、この人もウインクを返した。

必要以上に目立ちたくないから、本来ならそういうのは全部一夏に任せておきたいところ。

だから慌てて後ろを向いてメガネをかけ、櫛を使って髪をセンターできっちり分ける。もちろんインタビューには無難に答えておくとしよう。

 

「たっちゃんもすごいだけど、霞くんはとんでもないね!オーラが」

 

「そうですかね、見ての通りただの読書家ですよ」

 

「う~ん、でもさ、普通本を読むだけでそんな体になるかな…」

 

なるほど、この女いきなりそうくるか。

たっちゃんのはおそらくものの例えだろうが、俺の場合は実際に出そうと思えば、オーラなんてものは本当に出せるからな。

しかし今は抑えているというのに、それに気づくとはこの女なかなかやる。

しかもそれだけじゃなくこの女、俺の完璧な変装と受け答えをあっさり見破りやがった。

 

「じゃあずばり霞くんは、たっちゃんとはどういう関係?仲良さそうに見えるけど」

 

「ふむ、そうですね。ただの上司と部下でしょうか」

 

変に誤解されるのもめんどくさいので、これはハッキリとこの場で宣言しておく。後々のトラブルを回避するためには重要なことだ。

 

「え、そうかな?」

 

「そうですよ。俺と楯無先輩はな~んにもない…っ!」

 

改めてもう一度念押しをしようとすると、バカな同居人が隣から脇腹をつねってきた。

こっちを睨んでいるから、俺の言葉がどうやら不満だっだんだろうか。

 

「なんだよ、おい」

「ふんっ!」

 

視線を向けると、不機嫌そうにプイッとそっぽを向かれてしまう。

本当のことを言ったのに、何故怒られなければならない。やれやれ。周りに人がいなかったら、またお仕置きしてるかもしれない。

 

「まぁどうでもいいや。適当にねつ造しとくから」

 

「……やめてくれる?」「どうでもよくなんてないわよ!?」

 

お前はそっちかよ、いい加減にしろ。これ以上話をややこしくされたら俺もお前も困るだろう。

 

「おい…バカ」

 

「ふんだ!バカじゃないしっ」

 

軽く睨むがこの先輩はさらに不機嫌になったのか、こっちに目を合わせようとしない。

しかしあんたとは実際のところ、なんにもないだろう。別に心当たりが全くないと、そういうわけではない。

たしかにしましたよ、だが少しからかってやった程度。

しかも俺は基本的に、ちょっかい出されたらやり返しているだけだから。

 

「じゃあ今度はセシリアちゃんね。何かコメントあればお願い」

 

結局まともにインタビューは受けていない。まあいいや、もういいや、こんなもんどうにでもなれと、諦めることにした。

 

「わたくしがクラス代表を辞退したのかというとそれは―――」

 

「ああ、長そうだからいいや」

 

「最後まで聞きなさい!」

 

ああ、かわいそうなセシリアさん。

この人、本当に適当だな…自分からインタビューしておいて、それはどうなの。

結局黛さんは怒るセシリアをおいて、そのまま離れて行ってしまった。

 

「セシリア元気だせよ。そのうちいいことあるって。多分…きっと…あったらいいね」

 

「ありがとうございます。でもあなたのフォローは、なんだか余計に落ち込みますわ…」

 

そしてしばらくすると、クラス全員で写真を撮ることになった。

何故か楯無先輩、もう楯無でいいや。楯無も俺の隣で普通にそれに写ろうとしている。いやいや、おかしいだろ。

 

「それにしても近いな。こんなに体を押し付けられたら、俺じゃなければ変な気分になっているところだよ」

 

「それはそれで、やっぱり腹が立つわね…」

 

「なんだよ?」

 

「な、なんでもありません」

 

今度はなにが面白くないのか、じとっとした視線を向けてくる。結局今日は最初から最後まで膨れっ面である。

俺は多少の罪悪感を感じながらもそれをスルーし、クラス代表就任パーティーは終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7話

これは楯無と桜介が同部屋になった翌日の話

 

二人は放課後、畳道場にやってきた。

楯無は袴姿に着替えていたが、桜介もまた紫色のアオザイを着ていて、その胸元からは逞しい胸筋を覗かせている。

 

「やっぱりすごい身体…。相当、鍛えてるのね」

 

服の襟元から見える筋肉にどうしても目がいってしまい、楯無は正直にそんな感想を漏らした。

 

「これでも格闘技を嗜んでいるもんで」

 

これから戦うとはとても思えないような緩んだ表情で、桜介が適当に返事を返す。

 

「ん。君が強いのはもうわかっているけど、改めて君の実力を見せてもらう。私、こう見えても強いんだよ?」

「いいや、わかっていたらこの俺を試そうなんて思わないだろうねぇ。よほどのバカか、身の程知らず以外は」

「それは私がそうだっていいたいのかな?すいぶんと自信家なのね。だったらそれを今から見せてちょうだい」

「やめておけ、自信をなくす。いくらあんたが学園では一番強いと言っても、絶対俺に勝てやしないんだから」

 

桜介は全く表情を変えることなく、傲慢にもはっきりとそう言い放った。

そこにあるのは自分が、そして自分の使う拳法が誰よりも強いという揺るぎなき自信。

 

「じゃあもし君が負けたら、私が鍛えてあげる」

「好きにしたらいい。だがさっきも言ったよな、俺が負けるわけがないと」

 

桜介は自信たっぷりに笑うと、ふ~っと息を吐き出す。

それだけでそのリラックスしきった様子からは、想像も出来ないほどの圧力が相手にのし掛かった。

次に体から濃密な闘気が溢れだして、その場の空気もピリピリとしたものへ変化する。

ポキポキと指を鳴らし、首をコキコキしたあと楯無に向き合うと、静かにゆったりと構えをとった。

 

「さあこい…更識楯無。遊んでやるよ」

 

構えをとった後、楽しそうに右手をあげてクイクイと軽く手招きする。

この時点ですでに桜介の纏うオーラ、そしてその威圧感に楯無の背中に冷や汗がつたう。

 

(今のこの人は、はっきり言って怖いぐらい。それにゆったり構えているのに、まるで隙がない…)

 

「遊んでやるって、言ってるだろ。ほらほら、こいこいこい」

 

さらに右手をちょいちょい動かして挑発する。やるならとっととかかってこい、こんなの時間の無駄だと、直接口には出さないが、桜介の態度が完全にそう言っていた。

 

「じゃあ…いくわよっ!」

 

楯無は掛け声と共に古武術の奥義の一つ、『無拍子』を使って予備動作なしで、いきなりドンッと急加速する。

 

「ほう、速いな…だが」

 

「なっ!?」

 

しかし突進を開始した楯無を避けるわけでもなく、桜介はそれ以上のスピードで逆に接近をした。

そしてすれ違い様に左手で肩をポンと叩きつつ、一瞬で楯無の左側を通過してその後方へと立つ。

 

「人の速度じゃない…」

 

手を置かれた肩に触れながら、恨めしげな視線を向ける楯無。それは人の目が追い付かないほどの速度だった。出会ったときのようにただ傍観しているのと、実際に対峙するのとでは体感速度が全く違う。

 

「無拍子、その年でたいしたもんだ。しかし我が拳にはそんなもの必要ないんだよ」

 

「う、うふふ…。やるじゃない!」

 

楯無が最初に繰り出したのは掌打だった。

肘、肩、腹、と上半身を狙うが、ポンポンポンと簡単にあしらうように手で叩き落とされる。

続けて右足で蹴りを放つも、それは左手一本で受け止められた。

 

「あんたが考えてる以上に俺は強い」

 

桜介がそう言ってニヤリと笑うと、右手をピクリと少しだけ動かす。

楯無はそれだけでゾワリと背中に寒気が走って、慌てたように距離をとった。

 

「そうね。あなた……やっぱり強い」

 

まるで感心したように言うが、実際のところ感心ではなく驚愕していた。

こんなことは初めてだった。相手が攻撃をする素振りをわずかに見せただけで、勝手に身体が震え出すなんて。

だがそこは更識家当主、そして学園最強を誇る生徒会長である。得体の知れない恐怖心をおくびにも出さず、それを無理矢理に抑え込んで再度攻撃を仕掛けていく。

 

「だからと言ってなめられっぱなしは、好きじゃないのよね!」

 

普段飄々としてばかりいても、根っこのところは気の強い女だった。

楯無は掌打やパンチ、キック、足払い、掴み技などありとあらゆる攻撃を何十発も放つ。

しかしそのどれもがやはり当たらず、完全に余裕を持って見切られてしまう。

 

「なにか言いたげだな?」

 

「はぁはぁ…。なんで当たらないの……!」

 

「人間の潜在能力は、常人では30パーセントしか使う事が出来ない。しかし我が拳は残り70%を引き出すことを極意としている」

 

「っ…!?そんなの…!」

 

衝撃的な事実に息を飲む楯無。しかしその言葉どおり、掌打やパンチ、キックなどの打撃は全て簡単に避けられ、掴みにいこうとすればパチンと軽く手を払われる。

 

「眠いぞ、おい。寝ちゃってい~い?」

 

「こ、このっ!」

 

このままではらちがあかない。ちょうどそう思っているところに、相手からのあからさまな挑発。

ついむきになってしまい、楯無は安易に飛び蹴りを選択してしまう。

 

「どうだ、そろそろ諦めついたかね?」

 

そのモーションの大きい蹴りは、案の定あっさりと片手で掴まれる。

しかし楯無は掴まれた足をそのままに、もう片方の足で蹴りを放つ。

 

「まだよ!」

 

当然ながらやみくもに出した追撃はまたもひらりとかわされ、足を掴んでいた手はいつの間にか離されていた。

 

「好奇心は猫を殺すとは、よく言ったものだ」

 

気づけば後ろにまわりこまれている。

かけられた声に反応して振り向こうとした時には、もう桜介の手刀がその華奢な首筋にスッと置かれていた。

 

「もうわかっただろう。あんたは永遠に俺には勝てん。…降参でいいよな?」

 

窘めるように言われて、熱くなっていた楯無もようやく気づく。相手がどれだけ手を抜いてくれていたかを…。

向こうにその気があれば、反撃する機会なんていくらでもあった。

それでも攻撃しなかったのは、ただ相手にその気がなかっただけだろう。

いつでも終わらせられるのに、最初の言葉通り遊んでいたから助かっただけなのだ。

 

(よく考えたらこの人、途中から目を瞑っていた!おかしいでしょっ、いくらなんでも…!!)

 

これじゃまるで大人と子供の戦いだ。悔しい、悔しくて仕方がない。

後輩に遊ばれていたことももちろんそうだが、相手に本気を出させることが出来なかった自分自身に腹が立つ。

だからこのままじゃ終われない。まだ一度も相手に攻撃すら出させていないのだから。

 

「そんな顔をするな。あんたの動きは悪くない。ただ相手が悪いだけなんだ」

 

悔しげに顔を歪める楯無に、まるで慰めにならない慰めの言葉を放つ桜介。

己より強者の前では野生の虎も死を恐れて恐怖する。しかしこの男が目の前に立てば虎は最初から生を諦め、黙って頭を垂れて即座に死を覚悟し受け入れる。

本来ならば、そんな相手に臆することなく勇敢にここまでよく戦ったと言えるだろう。

そんなことはなにも知らない楯無も、普段であればもう少し冷静な判断が出来ていたはずだった。

だがすでにもう意地になってしまっていたことが、結果的に最悪の判断を招いてしまう。

 

「あなたはたしかに反則級…。恐ろしく強いし、その拳法も正直得体が知れない。でも、まだ終われない!!」

 

そう叫ぶと同時に出した後方への蹴りは片手で簡単に受けられてしまうが、楯無はその勢いでそのまま前方に飛ぶと、仕切り直しとばかりに再度構えをとった。

 

「かっこいいね。好きだよ、そういうの」

 

「だったら、そろそろ見せてみなさい。そのわけのわからない拳法を!」

 

「おいおい、なんだよ…。あんた、北斗に文句があんのか?」

 

「文句?文句があったらどうするのよ!」

 

「北斗の文句は、俺に言えぇ!」

 

そう言った瞬間、楯無の下半身がガクンと沈んだ。そして体がピシリと固まったように動かなくなってしまう。

なにもされていないというのに、身がすくんで金縛りにあったみたいに身動きがとれない。

 

(こ、これは、私が怯えてるんじゃない…!私の本能が怯えてる…。こ、怖い、怖いんだ、私っ…)

 

全く動けない、それどころか声すら出せない楯無を悠然と眺めながら桜介は静かに動き出す。

ゆったりと、のんびりと、ゆるりと歩いて少しずつ少しずつ近づいてくる。

その歩みはさながら死へのカウントダウン。その顔は少し前までのどこか気の抜けたような表情ではない。

これは噂でもういやというほどに、何度も何度も聞かされた裏社会にその名を轟かせる死神の顔。

先程までもかなりの息苦しさを感じていたが、今はもうその比ではない。これに比べたらそれまでのものが生ぬるくすら感じられる。もはやそこにいるだけで空気が痛いほどだった。

しかも、これはただの比喩では決してない。

桜介の体から発せられるそれによって、実際に道場全体がピシピシとひび割れたような音を立てて軋んでいる。

まだ闘気すら初体験の楯無が、先程から容赦なく浴びせられているのは、ありとあらゆる使い手の闘志も砕け散るような凄まじいまでの闘気によるその存在ごと押し潰さんばかりの重圧。

 

(まさか同年代でこんなのがいるなんて。これは私より強いとか、もうそんな次元じゃ…)

 

ここまでくれば完全に自分の見積もりが間違っていたことを楯無も素直に認めざるをえなかった。

大人と子供、それでも甘かったのだ。抵抗すら出来ないのだから正しくは大人と赤子だ。

周りからは天才と持て囃されてこの学園でもしばらく敵などいなかったことで、もしかしたら少しだけ傲りのようなものがあったのかもしれない。

相手が強いことを充分にわかっていながら、それでも自分なら少しはやれると思っていた。

そんな慢心が招いてしまった失態だった。

わかっていたつもりが、まるでわかっていなかったのである。閻王の通り名のその本当の意味を。

楯無はここで初めて、相手の力を大きく見誤っていたことを心底後悔し始める。

だが今さら後悔しても、もう遅い。

そうしてる間にも死神は徐々に、そして確実にヒタヒタとその距離を縮めてきていた。

 

(こ、殺される…。せっかく助けてもらったのに、殺される!う、動け、動け、動け、動いてぇ…っ)

 

楯無が必死に体を動かそうともがいてると、気づけば相手はもう目前まで来ていた。

 

「っ……!!」

 

全く動けないままの楯無のこめかみに、死神の立てた人差し指が迫る。

楯無はもう呼吸も瞬きすらも出来ずに、その数秒後に確実に迫りくる死の未来を、ただ呆然と見ていることしか出来ない。

 

「あんた、俺が敵なら死んでたよ。これからは無茶もほどほどに。これは可愛い後輩からのありがたい忠告だ」

 

人差し指をこめかみの近くでピタリと止めて、桜介はニヤっと無邪気に笑った。

その途端に、急に金縛りから解けた楯無がペタンとその場に尻餅をつく。

 

「ぷはぁ…はぁはぁ!こ、これが、あの、閻王なの!?私がまさか一歩も動けないなんてっ…!」

 

楯無は実際に起こったことがまだ信じられない様子で、おずおずと目の前の男を見上げた。

そこには先程までの圧力も、殺気もなにも感じられないただ爽やかに笑顔を浮かべている少年の姿があった。

 

「ほら、たてるか?」

 

桜介はそう言って、まだ床にへたり込んでいる楯無へとその手を差しだす。

まだ少し震えている手でなんとかそれを取って、楯無はそのまま立ち上がった。

 

「う、うん、ありがと……」

 

全く相手にならず遊ばれてしまった楯無だが、不思議とそこに悔しさはなかった。

それほどまでに相手との間には隔絶とした差があったからだろう。

あれだけ攻撃しても惜しい攻撃は一つもないどころか、相手がその気になったらもう身動きすらとれない。

今も様子を伺えば、目の前の男は汗一つかいていないというのに、自分はまだ息が乱れていて、いまだに冷や汗も止まってはいない。

 

(……本物だわ。この人は圧倒的に本物…。それも、今まで見たこともないぐらいに…!)

 

始まる前となにも変わらない様子で、悠然と佇んでいる男を見て、楯無は諦めにも似た感情を覚えた。だがそれと同時に度を越えた敗北感は、心の奥底で喜びに似た気持ちも呼び起こす。

これは努力とかそういうもので到達出来る領域では決してない。まるで強くなるべくして生まれてきたような絶対の強者のそれだ。

そんな天賦の才を持ちながら、一切の驕りなくあり得ぬほどに鍛錬された様子も、しっかりとうかがい知れる。

そんな男にここで出会えたことを、心のどこかでは感謝していた。

 

「あんたは武芸者である前に、操縦者だろ。しかし俺は違う。俺はあくまでも拳法家だ。まさか自分の土俵で、負けるわけにはいかないだろ?」

 

そう言って楽しそうに笑う。たしかにまだISに乗ったところは見ていないものの、この男の持つ資質にもはや疑いの余地などなかった。もちろん人によって適正はあるものの、いくらなんでもそれを使って素手より弱くなるということはないのだから。

そして実際に、それはなにも間違ってはいない。

何しろ男はこの世の最強拳の使い手であり、その中でも歴代で最も奔放苛烈で、最強と呼ばれている伝承者なのだ。

 

「……私の負けよ」

「拗ねるなよ。あんたが弱いんじゃない。俺の方が強かっただけなんだから」

「……強いなんて、もんじゃないでしょ」

 

それにしても、とんでもない後輩が入ってきたものだわ。なんてボソリと言いながら、楯無は最後に一つだけ質問をした。

 

「あなたって…何者なの?」

 

その問いかけに、桜介は改めて自己紹介をする。

 

「第六十二代北斗神拳伝承者霞桜介」

 

―――北斗神拳

 

1800年の歴史があり、一子相伝の暗殺拳。

 

だがあまりに壮絶なその秘拳は、太平の世には死神の拳法と忌避され、今はただ伝説として語られるのみであった。

 

 

 



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8話

「織斑くん、おはよー。ねぇ、転校生の話聞いた?」

 

席で一夏と話していると、クラスメイトが一夏に話しかけてきた。普段俺も挨拶ぐらいはされるが、初日に恐がらせてしまったからなのか、一夏の方が話しかけられることは多い。それでも中には積極的に声をかけてくる猛者もいる。どうやらここは肉食系女子が多いようだ。

 

「今の時期に転校生?」

 

「中国の代表候補生なんだってさ」

 

「ふーん」

 

そんな話を聞きながら、俺は先日出会った小柄な少女を思い出した。

そうするとまたラーメンが食べたくなってきた。

 

「あら、わたくしのことを気にしての転入かしら」

 

話に入ってきたのは、イギリスの代表候補生セシリアオルコット。将来俺の雇い主になるかもしれない高飛車お嬢様である。

 

「さぁ、どうだろうな」

 

そうは思わなかったが、それを言うのも悪いので適当に答えた。

お前は自分が思ってるほど有名じゃないぞ、実は。

 

「このクラスにくるわけではないのだろう。さわぐことでもあるまい」

 

篠ノ之箒が気づけば近くにきていた。

この子はしゃべり方が固い。というか全体的に固い。

だが胸はきっと…、やめておこう。それは紳士の考えることではない。

 

「どんなやつなのかな」

 

「さあなぁ。それよりクラス対抗戦、頑張れよ」

 

「桜介は他人事だと思って余裕だな!?」

 

「まぁ他人事だしねぇ」

 

一夏の肩をポンと軽く叩いてニヤニヤと笑った。

来月にはクラス対抗戦が行われる。クラス代表がリーグ戦を行うもので一位クラスには優勝商品として学食のデザート半年フリーパスが配られる。そういうわけで女子はクラス対抗戦に向けて燃えているわけだ。だがスイーツは俺にはどうでもいい。せめてラーメンならね。

 

「まぁやれるだけやってみるか」

 

お気楽な一夏の言葉に、すぐに女子が反応する。

 

「織斑くん頑張って」

「フリーパスのためにも」

「専用機持ってるの一組と四組だけだから余裕だよ」

 

すごい人気だ。ちょっとだけ羨ましいじゃねえか、このやろう。

一夏が女子たちに、おうと返事をすると入り口の方から声が聞こえた。

 

「―――その情報古いよ」

 

クラスの入り口をみると、先日会った小柄な少女が腕を組みドアにもたれて立っていた。

 

「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には勝たせないわよ」

 

「鈴?お前鈴か?」

 

「そうよ。中国代表候補生、凰鈴音。今日は宣戦布告に来たわ」

 

「何、かっこつけてんだ?似合わねぇぞ」

 

「それから、ケン!」

 

その名前を呼ばれると、俺は無意識に立ち上がってしまう。おかしいな、偽名のはずなのに何度でも立ちあがれそうだ。

 

「リン…」

 

「あんたねえ、おもいっきり知り合いじゃない!なんで知らない振りなんてしたのよ?」

 

「あ~、そうだった、そうだった。ごめんね、あの時は忘れていたんだ」

 

めんどくさくて適当に答えた弊害が、まさかこんなところで出るなんて。

もう反省したから、なんとかこれで納得してもらえないだろうか。そんなことを考えていると、凰の後ろから人が近づいてきた。

とりあえずそれを口は出さずに、俺はそのまま様子をみることにした。

 

「おい」

 

「なによ」

 

バシン!

 

予想通り、凰の頭に強烈な打撃が入った。やっぱり教えてあげればよかったか。でもめんどくさかったんだ。ごめん、許してね。

 

「SHRの時間だ、教室にもどれ」

 

「ち、千冬さん」

 

「織斑先生と呼べ。入り口を塞ぐな。邪魔だ」

 

「す、すいません」

 

慌ててドアからどく凰。その様子は完全にびびっていた。なんなら俺も少しびびっていたかもしれない。

 

「またあとでくるから逃げないでよ一夏!」

 

そういって凰は教室へと慌てて戻っていった。

 

そのあと授業が始まったがその日の午前中、箒は何度も織斑先生に叩かれていた。頭は固そうなんだどね、あの子。それでも痛そうだった。

 

 

 

 

 

 

「お前のせいだ!」

 

「なんでだよ…」

 

昼休みになり箒さんは真っ先に一夏につめよっていた。

よく知らないが、この子は暴力的な女の子なのだろうか。

俺だったらそんな女にはきちんと教育して、わかってもらうがな。一体お前は誰にそんなことをしようとしたのかをじっくりとな。

 

「桜介、飯いこうぜ」

 

「悪いが見ての通り、今日は弁当なんだ。また誘ってくれよ」

 

「おう、わかったよ」

 

手に持っている包みを見せると、一夏は食堂へむかって歩いていった。

お昼はちょくちょく一緒に食堂で食べているが、今日はお弁当の日だ。屋上で静かに一人で食べる弁当も好きなんだよな。

屋上について適当な場所に座り、包みを開ける。

 

この弁当は楯無に作ってもらったものだ。一度夕食を作ってもらう機会があり、本当に旨かったので素直に誉めたらそれから頻繁に弁当を作ってくれるようになった。

あいつは料理も上手いし、わりとなんでも出来る。

しかしバカはまだ当分治りそうにない。

いまだにちょっかいだしてくるから、やり返すと顔を真っ赤にして自分のベッドで丸くなる。さらにいじめると部屋の隅で三角座りでいじける。それでもやめないと、仕舞いには布団にくるまってふて寝したりする。

まったく、色々と面白すぎるだろ、あの先輩は。

 

今日の弁当も食べ終わり、いつも通り煙草を吹かしていると一人の生徒が俺に話しかけてきた。

 

「あなたが、霞桜介くん?」

 

「そうだけど…あんたは?」

 

セシリアとは少し違う色だがこの人も金髪だ。

肌も透き通るように白い。それに美人だ。

 

「私は二年のサラ・ウェルキン。イギリスの代表候補生よ」

 

「ご用件は?」

 

「前からあなたに興味があったの。セシリアに勝ったし、あなた生徒会長のお気に入りでしょ」

 

サラと名乗った女子は腰まである長いストレートの金髪を靡かせて、すぐ近くまで歩いてきた。

 

「へぇ。興味…」

 

そしてサラは特に断りもなく、黙って俺の隣へと座った。

美人に興味持たれるのは別に嫌じゃないが、どのみち俺には関係ない。

今は大事な大事な煙草の時間だから、邪魔だけはしてくれるなよ。

 

「ねえ、あなたって不良なの?」

「そんなつもりはない。俺はただの愛煙家だ」

 

いきなり失礼だな、この人。俺のどこが不良に見えるのだろう。

 

「不良じゃないんだからね!」

 

ぷいっと顔を逸らしてちょっとだけ拗ねてみる。

しかし煙草を吸ってる間もサラはこっちを興味深そうにじっと見ていた。

なんなのよ、あなた!もう照れちゃうだろ。

 

「拗ねちゃった…。ごめんなさいね。私さ、強い(オトコ)って好きなの。ねえ、貴方って強いんでしょ」

 

サラは俺の顔を覗きこむようにしてそう言った。

これが女の勘というやつだろうか……まあたしかに当たっているが。

それにしても、美人の顔が近いのは正直眼福だが、それでも少し近すぎないかな。

もう、それ以上は恥ずかしいから、見ちゃだめ。

 

「いやん」

 

「いやんって…」

 

「顔が近いからさ、照れちゃうじゃない。んふふ。それにしてもいい天気だな…今日は」

 

煙草を吸い終わるとそのまま床に横になる。それからただ空を眺めた。

俺は昔から空を見るのが好きなんだ。だからもちろん煙草もあるが、飯食ったあとのこの時間が好きで屋上にくるんだ。

 

「あなた、変わってるって言われない?」

 

「それも正解だ。すごいな…女の勘は」

 

「それは誰でもわかると思うけど」

 

呆れたように言うサラに、気づいたら笑っていた。昼休みが終わる直前まで俺たちはそのまま二人で屋上で過ごした。初対面だけど、この時間は意外と悪くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




サラ・ウェルキンさん登場させました。
多分名前しかでてない(はず)なので好きに絡めると思ったので。原作は流し読みなので詳しいことは知りません


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9話

なかなか話が進まない


放課後になり、一夏達がアリーナで特訓をしてる頃、桜介は生徒会室にきていた。

生徒会室には他には楯無、虚の二人がおり今日は本音は来ていない。

桜介は今、珍しく真面目に自分の席で黙々と書類仕事をしていた。

 

「ふ~。終わりました」

 

「ちょ、ちょっと早すぎない!?特に書類読むのが…。パラパラめくってただけじゃないの」

 

今まで机でだらだらしていた楯無が、突然驚いたように声をあげる。

 

「俺の記憶は写真に似ている。一度見たものは忘れない……たとえ一瞬でも」

 

桜介には直観像記憶能力が備わっており、書類仕事はめちゃくちゃ早い。

ちなみに直観像記憶能力とは、一度見たものを写真のように記憶し忘れない力である。

それに加えて修行の合間に、立ち読みだけで千ページある古書を一週間で書き写すほどに筆記は尋常じゃなく早いし、実は得意であるピアノで培ったブラインドタッチを生かしてキーボード入力もサクサクこなす。

 

「あなたって、やっぱり普通じゃないわ。さらっと言ったけど、それってすごいことよ?」

 

「そう?」

 

「そうでしょ?それにしても強いだけでなく、仕事も出来る男だなんてねえ!やっぱり素敵よねぇ!桜介くんはっ」

 

自分の目に狂いがなかったのが、余程嬉しいのだろう。楯無はいきなりおかしなテンションになっていた。

 

「……それはどうも」

 

「へへ…どういたしまして!」

 

桜介は軽く引いていたが、またひとつ意外な一面を知って、それもまた嬉しくて楯無はお構い無しにニコニコ微笑む。

 

「………」

 

そして表情をうっとりさせると、ついにはポーッと熱い視線を向け始めた。

 

「会長も真面目に働いてください」

 

そこに虚がティーカップを持ってやってきた。

そして順番に桜介も紅茶を注いでもらい、それに口をつけると芳醇な香りが口いっぱいに広がる。

 

「旨いですね」

 

「虚ちゃんの紅茶は世界一よ」

 

桜介が味の感想を言うと、何故か虚の代わりにどや顔を浮かべる楯無。

 

「そういえば、楯無先輩の昼の弁当も旨かった。それで、いつも世話になっている礼がしたい。だから良かったら今度、飯でもどうですか?」

 

「え、ええっ!?い、いいの?」

 

「迷惑じゃなければ」

 

「め、迷惑なわけないでしょう!絶対、絶対いくわっ!約束だからね!?」

 

頬杖をついていた楯無は急な食事の誘いに、完全にテンパりながらも、身を乗り出してすぐに飛び付いた。

 

(やった!こ、これはデートのお誘いよね!?デート…桜介くんと…デート…えへへ…)

 

楯無は赤く染まった頬に両手を添えたまま、なにやらイヤらしい妄想をして、いやんいやんと身をくねらせる。

その緩んだ口元からはよだれがダラダラと垂れていた。

 

「先輩の都合に合わせるから、空いてる日があったら教えてくださいね」

 

「はっ!?う、うんっ!わ、わかったわ!」

 

話しかけられると、色々と想像してトリップしていた楯無は慌てたように返事を返す。

 

(危ない危ない…。今度こそ桜介くんをメロメロにしてやるんだからっ。そしたら夜は…。ああっ、下着はどれにしようかしら…)

 

楯無は最近も、こりずにちょっかいを出しては反撃に合って撃沈していたので、今度こそ落としてやろうと心の中で密かに気合いを入れる。

だらしなくよだれを垂らしていることにも、いまだに気づかぬまま。

 

「これは……」

 

そして虚は初めてみる自身の主の姿を、ただただ呆然と眺めていた。

本人はまだ気づいていないようだが、今の姿は傍からみると完全に恋する乙女そのもの。

よだれを垂らすのが、果たして乙女と言っていいのかどうかはともかくとして。

 

「それじゃ自分の仕事は終わりましたので、これで失礼します」

 

桜介は仕事をさっさと終わらせると、軽く頭を下げて生徒会室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

夜、桜介がいつもの日課(喫煙)のため屋上へ来ると今日は先客がきていることに気づいた。

 

床に座って泣いている小柄な少女は、先日桜介が受け付けに案内した凰鈴音。

 

(あれは…。一夏と何かあったのかな?)

 

桜介には声をかけないという選択肢もあったが、少し考えたあと、とりあえず少女に声をかけることにした。

敵には容赦しない桜介だが、泣いてる少女をそのまま放っておくほど冷たい性格ではない。

 

 

「よう、どうした。腹でもへってんのか?」

 

「ケン…」

 

声をかけられた鈴は涙をにじませた顔でゆっくりと振り返った。

今の今まで泣いてからなのか、鈴の目は真っ赤になっていた。

 

「隣、座るぞ」

 

桜介は隣に座ると懐から肉まんを取り出して一つ鈴へと差し出す。

 

「ほら、俺の晩飯だ。まだあるから良かったら食えよ」

 

「…ありがと」

 

鈴が目に涙を浮かべながら肉まんにかじりつくと、桜介も懐から肉まんをもう一つ取り出してかぶりついた。

二人ともしばらく無言で肉まんを食べていたが、食べ終わると桜介が話を切り出した。

 

「一夏と…何かあったのか?」

 

「…あんたには関係ないでしょ」

 

そう言うと鈴はまた涙が出てきた顔を見せたくないのか、顔を逸らしてそっぽを向いた。

 

「関係なくはないさ…。一緒に飯を食った俺達はもう朋友(ポンヨウ)…だろ?」

 

一緒にご飯を食べたんだからもう友達だ。その安直な言葉に鈴は一瞬キョトンとした顔をしたあと、ぷっと軽く吹き出した。

 

 

 

 

 

「あんた、変わりものって言われない?」

「自分ではよくわからないが、言われたのは初めてではない」

 

桜介はポケットから煙草を取り出して火をつけると、すぅ~と吸って煙を吐き出した。

 

「あんたって不良?」

 

「それもよく言われる。だが俺はただの愛煙家。基本的に俺は優等生だからね」

 

桜介は本を読むのが好きだし、頭の回転が早いので勉強はよく出来た。

それを優等生というのかはともかく、本人は勝手にそう思っている。

 

その言い分に鈴は軽く笑い、呆れたようにため息を吐いた。だがその目にはもう涙はなかった。

 

「ケン…。あんたバカよね」

 

「ついでに言うと、俺の名前は霞桜介。ケンではないんだよ」

 

「やっぱりとんでもないバカだわ。まさか名前まで嘘をついていたなんて!」

 

二人は互いに笑顔を浮かべて改めて友達になった。

 

その後しばらくすると鈴は今日あったことを話し始める。

一夏は『鈴の料理の腕があがったら毎日酢豚を食べてほしい』という約束を『おごってもらう』と勘違いしていたことを。

 

(俺も女心には疎いと思うが、まだましだな。料理がうまくなったら奢ってあげるって…)

 

「ぷふー。じゃあもうそんな男やめたら?」

 

「そんなに簡単にやめられるわけないでしょ!」

 

強い口調で言い切る鈴に、桜介は満足げに笑う。内心では、へこたれない鈴に感心していた。

 

「じゃあきちんと話し合ってみたら?」

 

「わかってる…」

 

「ふ…。頑張れよ」

 

桜介が軽く頭を撫でると、鈴はくすぐったそうに目をつぶった。そして少ししてから目を開ける。すると先ほどまで不安げだった顔つきが、普段の強気ものへと戻っていた。

 

「寒くなってきたし、そろそろ戻ろうか」

 

まだ春なので夜の屋上は少し冷えている。

鈴が少し寒そうに縮こまっていることに、桜介は先程から気づいていた。

 

「桜介、今日はありがと」

 

「ああ、朋友だからな。今度はラーメンでも食いにいくか」

 

「あんたラーメン好きなの?」

 

「大好きだ。うまいだろ、ラーメン」

 

「あはは。まあね」

 

桜介が座っている鈴に手を差し出すと、その手をとって立ち上がり鈴はにこっと笑った。

 

 

 




朋友だろ。


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10話

桜介と楯無はお互いのベッドに腰かけて、朝から睨みあっていた。

 

「あんた、また俺が寝てる間にベッドに入ってきただろ」

 

「何のことかしら?そんなことするわけないでしょう。そ・れ・と・も、桜介くんは私と一緒に寝たいのかな?」

 

桜介の指摘にも楯無は余裕の笑顔を浮かべた。実は自分の行動を言い当てられたことに内心では少し焦っていたが、ここはさすが年上というべきか、それを表情には出さない。証拠はない、証拠はないのだ。知らんぷりを通す気満々だった。だがそこに桜介から爆弾が放たれる。

 

「俺の鼻は誤魔化せませんよ。楯無先輩の汗の臭いは特徴的ですから。有機酸の割合がね…」

 

桜介は犬並みの嗅覚を持っている。そして殺気には敏感な桜介だが、殺気も敵意もなくベッドに入られては寝てる間に気づくことはなかった。しかし起きたら残り香ですぐにわかってしまうのだ。

 

しばらく言葉の意味がわからず呆然としていた楯無だが、言われたことの意味を理解すると徐々に顔を赤くしていく。

それから少しして、真っ赤な顔で桜介に詰め寄る。

 

「ちょ、ちょっとっ!お、桜介くんは、わっ、私が汗臭いっていうのかしら!」

 

もう楯無はすっかり狼狽えていた。

寝る前にはきちんとシャワーに入っていたし、今まで汗臭いと言われたこともなかった。

だから桜介の発言は、まさに晴天の霹靂だった。

 

(え、えええええ!わ、私って実は汗臭いの?もしかして嫌われちゃった?どうしよう、どうしよう、どうしよう)

 

楯無はあわあわしだして、ついには耳まで真っ赤にするとやがて俯いてしまう。

 

「はぁ…。更識家のご当主ともあろう人が…」

 

桜介は首を傾げると、やれやれといった様子で深いため息をついた。

 

「も、もうっ、お嫁にいけないわ!お、桜介くんのバカバカっ!」

 

楯無は桜介の胸をポカポカ叩くが、まだ俯いていてその顔をあげようとしない。

 

「泣かないでください、楯無先輩。わかりましたから」

 

一体なにががわかったというんだろうか。楯無はまだ不安げ様子でおそるおそる顔をあげると、涙目で桜介を見つめた。

 

「楯無、俺が責任とってやるから。……なんてな」

 

そう言って桜介は額にチュッと軽く口づけると、なんででもないような顔で、スタスタとシャワールームへと入っていった。

 

「ぴぇっ……!?」

 

残された楯無はしばらく金魚のように口をパクパクさせて固まっていたが、しだいに状況を理解すると、今度は先程はと違う意味で、その頬が真っ赤に染まっていく。

 

「なっ、なななななななぁっ!?」

 

そして言われた言葉を自分の中で何度も反芻し、やがて叫び声をあげて大きく反応をした。

 

(あ、あわわ…。せ、せせせ、責任てそういうことよね、そういうことでいいのよね!?)

 

『こら、桜介。煙草はほどほどにしなさい。体に悪いんだから』

『悪い、少し口が寂しくてな』

『そ、そんなに口が寂しいなら、わ、私にキスしなさい!』

『まったく、しょうがないな。お前はいつまでたっても甘えん坊なんだから』

『んっ。んんっ。ふぅん…』

 

(きゃ~~~~~っ!桜介くんたらっ!もうっ!大胆なんだからぁっ!)

 

楯無はベッドの上で足をバタバタさせて悶える。

 

(も、もしかしたら……そっ、その後は……)

 

楯無はゴクンと唾を飲み込んで、また妄想を再開させる。

 

『んんっ~。』

『ふぅ…これでいいだろ』

『だ、だめっ!まだ、足りないのっ…。もっ、もっと…して?』

『仕方ないな、可愛い妻の頼みだ』

『んっ…ああっ…!そ、そんなとこまでっ…!』

 

そして妄想は、どんどんと加速していく。

 

(ああ…桜介くん…。そ、そんなのっ…だ、だめよっ…昼間から…。だめだってばぁ~!)

 

今度はベットの上をゴロゴロ、右へ左へと転がり始める。

 

「し、し、式は、いつにしようかしら……」

 

「楯無……先輩、なに言ってるんですか?それに鼻血すごいですよ。シーツ変えときますから、その間にシャワーに入ってきてください」

 

ベッドの上から声のした方を振り向くと、そこにはシャワーから出た桜介が呆れ顔で立っている。

しかもよく見るとその顔は少しひきつっていた。

 

「っ~~~~~!」

 

ぷしゅーっと頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にさせる楯無。

それから慌ててベッドのシーツを剥ぎ取ると、下を向いたままシャワー室へと駆けこんでいった。

 

 

 

 

 

 

 

サアアアー…。

 

楯無はシャワーを浴びながら、先程の出来事を思い出していた。

 

その引き締まっていながら、出るところは出ているスタイルのいい肢体を、水滴が流れていく。

 

(もっ、もうっ!ドS!鬼畜っ!!本当に、本当に意地悪っ……!で、でも、桜介くんに、キ、キキ、キスっ、キスされちゃった……!)

 

口づけを落とされた額にそっと手を当ててなぞり、うっとりとした表情を浮かべた。

まるで体の奥が熱くなっているようで、潤んだ瞳の焦点はぼやけていた。

思い出すだけで、今も心臓がドクンドクンと痛いぐらいに強く跳ねている。

胸が切なくて、甘くて、苦しくて…。

 

(はぁ…。刀奈って……呼んで欲しいな……)

 

突然キスされたというのに、それでも全然嫌だと思わなかった。いや、むしろ…。

 

(だ、だめだめ!こ、これは、恋なんかじゃ…。そうよ、メロメロにして、私の言うこと聞かせてやるんだからっ)

 

楯無は今に見てなさい!と決意を新たにする。

自分がもうとっくにメロメロになっていることなど、いまだに気づくことはなかった。

 

 

 




有機酸の割合がね


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11話

桜介が鈴と友達になってから数日がたったが、鈴は一夏といまだ仲直りしておらず、二人はちょくちょく夕飯を共にする機会が増えていた。

 

学園での桜介の交遊関係はあまり広くない。

まともに話すのは生徒会のメンバー以外では一夏、セシリア、鈴、あとは屋上で昼休みに会うサラぐらいである。

サラは桜介が一人で弁当を食べてる時に結構な頻度でやってくる。

箒とはまったく話さないわけではないが、二人きりで話したことはいまだになかった。

桜介は学園に二人しかいない男子。それにどこか人を惹き付ける不思議な雰囲気がある。だから他の女子にもよく話しかけられてはいた。だが群れることがそんなに好きではないので、何人かでこられた場合は一言か二言で会話を終わらせていた。

そんなわけで桜介は今日も鈴と二人、食堂でラーメンを食べていた。

 

 

桜介はラーメンのどんぶりに顔を近づけると、まずはくんくんと匂いを嗅いだ。

 

「ふむ。これはいい出汁を使っている」

「あんた犬みたいね」

「嗅覚が人より鋭いんだよ」

「へ~。やっぱりあんたって変わってる」

「おかげで昔っからすぐにわかるんだよね。薄汚いどぶねずみの臭いとか…」

「なにそれ?あんたといると、なんか悩んでいるのがバカらしくなるわ」

 

よくわからない話に、鈴は怪訝な顔をしたが夢中でラーメンを啜る桜介を見るとニコッと笑う。

あれだけ落ち込んでいた鈴も、桜介と過ごすうちに今ではすっかり元気を取り戻していた。

 

「それにしてもあんた、ラーメン好きよね。いつも食べてるじゃない」

「そうか?まあ、昔中国にも行ってたしな」

「そうなんだ!どこにいたのよ?」

「上海」

「へ、へ~。あんなところにね。よく生きていられたわね…あんた」

 

耐えられぬほど命が軽いと言われる魔都上海。その噂を中国にいた鈴もよく知っていた。

桜介がかつてそんなところにいたと聞き、驚いて鈴は顔をひきつらせる。まさか嬉しそうにラーメンを啜っている目の前の男が、上海の暗黒街を恐怖のどん底に突き落とした閻王だとは夢にも思っていない。

そんな鈴を尻目に、桜介はずるるるっと豪快にラーメンをひたすらに啜る。

 

「ふ~。ごっそうさん」

 

桜介はスープまで全て飲み干すと、腹を押さえて満足げに息を吐いた。

 

「食べ終わるの早いわよ!もう少し待ってなさい」

「ああ、待ってるよ。ところであれからどうだ?一夏とは…」

「全然っ!あ~思い出したら腹が立ってきた!」

 

その話題になると、少し前まで上機嫌だった鈴は突然不機嫌オーラを全開にさせる。

 

「時間をかけて距離を縮めていけばいい。まだ好きなんだろう?」

「それは…そうだけど」

 

それを聞いて桜介はニヤリと笑う。

 

「お前の目は美しい…。その愛ゆえに…」

 

いきなりのそんな発言に、鈴は顔を真っ赤にして狼狽え始めた。

 

「あっああ、愛って!」

「違うか?一度はプロポーズをしたようなものだろう?」

「それは…そうだけど」

「ふ。なら別にいいだろ」

 

そう言うと、桜介は立ち上がって鈴の頭を撫でた。

 

「そろそろいこうか」

「ちょっと!待ちなさいよ!」

「うまかった…。やっぱり明日もラーメンだな」

「仕方ないから付き合ってあげるわよ!」

 

鈴は慌てて立ち上がると、歩き出した桜介の背を追いかけた。

 

 

 

 

夕食を終えた桜介は、煙草を吸ってから寮に戻ると部屋の入り口のドアを開ける。

 

「おかえりなさい。ご飯にします?お風呂にします?それともわ・た・し?」

 

ドアを開けると、メイド服に着替えた楯無が、まるで待ちかまえていたかのように出迎えた。

桜介は内心でため息吐きつつ、メイド服姿の楯無をじっと見つめる。

 

(こいつも、なかなかこりないな。もう少しお仕置きが必要なようだ…)

 

桜介はすぐに物騒なことを考え出してしまう。

今までは楯無がこういういたずらをしてくるたびに、軽くあしらってきた。

桜介も変装好きである。実はコスプレが嫌いじゃない。むしろ見るのもするのも好きだし、眼福だとも思っていた。しかし、最近はその頻度がすごく増えてきたのだ。

 

「な、なにっ?なんの反応もしてくれないの?」

 

「じゃあ、お前だな。お前を頂こうか」

 

桜介は少しこらしめてやることにした。

楯無の膝裏に手を差し込むと、そのまま持ち上げる。簡単に言うと、いわゆるお姫様抱っこだ。

 

「ぴゃっ!?」

 

慌てたように足をバタバタさせる楯無。

それをそのままベッドに降ろして、桜介はその上に覆い被さるようにまたがる。

 

「あ、あわわわっ!?」

 

まるでいつもと違う想定外の行動に、楯無は目をキョロキョロとさせて完全に狼狽えていた。

 

「そんなに抱いて欲しいなら、抱いてやる」

 

上から真っ直ぐに見つめてくる桜介に、楯無は目を合わせることも出来ず、すぐに顔を逸らす。

 

「あ、あ、あぅ……」

 

楯無はあうあう言いながらチラッと上を見るが、一瞬でも顔を見るともうダメだった。

すぐ近くにあるのは誰よりも男らしい精悍な顔。

いつものふざけた様子とは違い、今は色気を帯びた男の顔をしている。

この後輩は中身もそうだが、外見も見れば見るほどに男を感じさせてくる。

それを間近でいつまでも直視出来るはずもなく、楯無は慌ててまた顔を逸らす。

 

「なんだ…。まだ経験がないのか。だが安心しろ、俺がちゃんと教えてやる」

「だ、だめっ…!ま、まだっ、そ、その……こ、ここ、心の準備が…」

 

最後の方は小声だったが、すぐ近くにいる桜介にはしっかりと届いていた。

楯無もこの男になら好きにされてもいいと、すでに本心ではそう思っている。

しかし、恥ずかしさと自分ばかりがそんなことを考えている悔しさとで、それを素直に認めることが出来ない。

 

「年上の癖に生娘だから怖いと?自分から誘っておいてねえ。あれぇ、お姉さんに夢中にさせてくれるんじゃなかったのかなぁ」

 

「う~~~っ!」

 

「望み通り抱いてやるって言ってんだろ。今さら四の五の言うんじゃねぇよ」

 

桜介も最初は間違いなく遊んでいたのだ。

しかし羞恥ですでに真っ赤に染まっている整った顔、服の上からでもわかる大きく膨らんだ形のいい胸、普段から考えられないほど弱々しく不安げに揺れる潤んだ瞳。

それらを上から見下ろしていれば、男として滾ってしまうのも無理はない。特に気の強い女のこういう姿は、ドSにはたまらないものである。

 

「ううっ…!うぅ~~っ!」

 

だから目に涙を浮かべ火照った顔を背けたまま、う~っと唸り続ける楯無に、それでもさらに追い討ちをかけていく。

 

「まさか暗部のご当主様が、抱かれる覚悟もなく年下の男を、誘惑なんてするはずもないよな?」

「ちょ、ちょっと待って!も、ももももう少しだけ待ってっ!」

「待てない。なあに、心配すんな…。俺に任せとけば大丈夫だって」

 

桜介は片手を頬に添えて少し強引に、しかしゆっくりと自分の方へと向かせる。

そして目が合うとじっと見つめながら、その頬を優しい手つきで撫でつけた。

 

「あっ…!」

「いい子にしてれば、可愛がってやる」

 

すると、狼狽えていた表情は途端に熱に浮かされたようなうっとりしたものに変わる。

次に親指で唇をそっと撫でられると、体をビクンッと跳ねさせはしたものの、潤んだ瞳はぎゅっと瞑っていた。

楯無はその頃にはもう、すっかり抵抗する気がなくなっていた。

 

「や、優しく、して……。お願い」

 

目を瞑ったまま少し震えた声で言われて、桜介は頷くと真っ赤に染まった頬に軽く口づける。

始めて口を付けたそれはとても柔らかくて、まるで熟れた林檎のように甘く感じられた。

 

「んっ…!」

 

そのあとすぐに立ちあがり、もう一つのベッドへとドカッと腰かける。

楯無が不思議に思っておずおずと目を開けると、桜介は笑いながらその様子を見ていた。

 

「何度でも挑んでくる根性は買う。だが自分をもっと大切にした方がいい。なにか間違いがあっては困るだろ」

 

「バカっ、バカバカっ…!」

 

一瞬で我に返った楯無は、枕や布団を投げつけてすぐに自分を弄んだ男に背を向けた。

からかわれていたというのに、簡単にその気になってしまった自分が、今はとにかく恥ずかしくて仕方がない。

あまりにも恥ずかしすぎて、やはり顔を見ることも出来ず、そのまま三角座りで俯いてしまう。

 

「少しやりすぎたかな。……悪かったよ」

 

「わ、私は、桜介くんなら……ごにょごにょ」

 

俯いたままぼしょぼしょ言葉を濁す楯無に、後ろから両手を肩に置いて桜介は耳元で囁いた。

 

「……また今度な」

 

「う、うん……」

 

楯無は気がつけば真っ赤な顔のまま、こくんと素直に頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

桜介は楯無が寝静まった後、一人ベランダにいた。

 

「満月の夜か………」

 

桜介は咥えた煙草に火をつけて空を見上げた。

 

ふ~ぅぅと大きく煙を吐き出して長いため息を吐いた。最近、同部屋の女が少しずつ気になってきている。

 

もう誰かを愛するつもりなどないというのに、危なかった。未経験の相手に、あやうく手を出してしまうところだった。

 

何故そんなに気になるんだろうか。

普通であれば、今さら経験もない女の子供じみた誘惑になど惑わされるはずもない。

 

一緒にいて退屈しないから?

出会ってまだ短い時間だが、確かに一緒にいて楽しいと思うようになっていた。

 

生徒会長として更識家当主として、重いものを背負っているのを知ったから?

あの年の少女が自分の運命を受け入れて、独りで必死に頑張っている姿は、健気でどこか儚さを感じさせた。

 

でも俺に守れるのだろうか。

 

あいつはもともと俺と同じ裏の世界の人間だ。

当然敵も多いし、また命を狙われることもあるだろう。

 

本当に俺に守れるだろうか。

かつて玉玲を守りきれなかった俺に。

 

そこまで考えて思考を振り払った。

 

俺はまだ…玉玲の笑顔を忘れることも、出来ていないのだから…。

 

 

 

 




玉玲さんは蒼天の拳だと主人公の妻になる人です


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12話

急に過去編


数年前。

 

まだ伝承者になる前の桜介は修行のため、一人上海へときていた。

治安の悪い上海で日本人の少年が一人で街をぶらぶらと出歩いていると、毎日当たり前のように悪いやつらに絡まれた。

そのため、その頃の桜介は日頃から、ゴロツキ共との喧嘩に明け暮れていた。

そんなある時、桜介はドジを踏んでしまい、路地裏で倒れていた。

基本的に襲われるたびに返り討ちにしていたが、その結果、上海のゴロツキは銃や刃物を持って大勢で襲ってくるようになったのだ。

 

だがそこで桜介は、一人の少女に出会う。

 

その少女、玉玲は倒れていた桜介を拾い、引きづって教会まで運ぶと傷の手当てをした。

 

桜介が目を覚ますと、玉玲は桜介に向かってニコッと微笑みかけた。

 

桜介はその笑顔に惚れた。

 

そこから時間がたつにつれて、桜介と玉玲はだんだんと距離を縮めていき、やがて二人は自然と付き合うようになった。

桜介は上海でマフィアをしていた玉玲の兄、潘光琳とも仲良くなり、しばらくは幸せな日々を過ごしていた。

 

だがその幸せは、あまり長くは続かなかった。

 

上海を牛耳っていた光琳が所属しているマフィア『青幇』と敵対し、無法の限りを尽くす新興組織『紅華会』が光琳の妹である玉玲に狙いをつけ、組織によってさらわれた玉玲は、迷惑をかけまいと自害してしまう。

 

光琳は青幇で、紅華会が最も命を欲しがった実力者であった。

 

それを知った桜介は号泣し怒り狂って紅華会のアジトに乗り込むと、手始めに幹部連中を全員血祭りにあげた。

 

「ま、まて、まってえ!うわらば!!」

 

幹部たちの血に染まった部屋で、死神が呟く。

 

「命乞いならあの世でやれ。おまえらは殺す、全員殺す、皆殺しだ…」

 

そして満月の夜、上海は血の朱に染まる。

 

―――それがやがて裏社会を震え上がらせる閻王の伝説の始まりだった。

 

紅華会を壊滅に追いやった後、桜介は静かな町外れの小高い丘に、光琳と共に玉玲の墓をたてた。

 

「俺は北斗神拳の宿命のために最強を目指した。でも何のための最強だ…。好きな女の命ひとつ守れずに…。何が最強だ…」

 

桜介は墓の前で血が滴るほどに拳を握りしめる。

 

「桜介…」

 

「虫も殺せないような女だった。そんな女が…」

 

(玉玲…。玉玲はあの時…名も知らぬ俺を…。玉玲よ…俺に…俺に…どうやってお前の笑顔を忘れろというのか…)

 

 

 

 

 

 

 

 

紅華会が壊滅してしばらくした頃、桜介は一人上海の空港へきていた。

 

「どこへいく気だよ?」

 

声をかけられ、後ろを振り返ると、そこには潘光琳が立っていた。

 

「潘」

 

「まさか俺に何も言わずに日本に帰る気か?」

 

「関係ないだろ」

 

「桜介いくな!お前は俺達の仲間だ!幹部にだってしてやれる!」

 

「幹部?ふざけるな。お前らマフィアだろ。人殺しの仲間になんぞなれるか」

 

「一人で紅華会壊滅させたやつが、何言ってやがる!お前この上海で…一体何人ぶっ殺してきたんだ!言ってみろよ、この野郎ぉ!」

 

光琳は桜介の胸ぐらを掴んだ。

 

「俺は拳法家だ。相手の死は試合の結果だ。マフィアは欲のために殺すだろ。俺は違う。それにこの街は…俺には悲しい思い出が多すぎる」

 

「桜介…。玉玲のことは…本当にすまなかった!あいつは…俺のせいでっ…死んだようなものだ…!」

 

「あ?」

 

「俺はマフィアしか道のない男だった…。だが玉玲は違う…。あいつは俺のことなど関係ないところで、幸せになってもらいたかった…」

 

「ふざけんな!お前は俺が恨んでいるとでも思ってんのか?あいつが死んだのは…俺のせいだ。俺が守ってやれなかったからだ…。最初からお前のせいだなんて思っちゃいない」

 

「桜介……。すまねえ…。だが…そしたらこの義理は、どうやって返しゃいいんだ」

 

光琳は悲しげな表情を浮かべ、煙草を一本差し出す。

桜介がそれを咥えると光琳は火をつけた。

 

「いらねぇ…。朋友…だろ?」

 

「朋友…。聞いたぜ、その言葉。お前のおかげで、上海は俺の手に入った。だがその半分はお前のものだ」

 

光琳は桜介の肩をガッと抱き、涙を流した。

 

「だから…いらねぇって」

 

「いつでも上海に帰ってこい…朋友」

 

「じゃあな…朋友」

 

そして桜介は日本へと帰っていった。

 

 

 




前話の最後で元彼女いることにしてしまったので過去編書いてみました。


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13話

対抗戦です。


クラス対抗戦当日

 

第二アリーナ 

 

対戦カードは一夏対鈴 

 

俺は観客席でそれを観戦していた。

 

『それでは両者、規定の位置まで移動してください』

 

俺の隣には楯無が座っている。未遂に終わったあの日の夜以来、今までよりも確実に距離が近づいた気がする。

あれは色々と忠告の意味でやったのに逆効果ということだろうか。

最初のうちは目が合うと顔を真っ赤にして視線をそらしていた楯無は、今では気づくと近寄ってきてすりすりとくっついてくる。その様子はまるで懐いた猫のようだ。

なるほど、どうやら俺は知らないうちに野生の猫を手なずけてしまったようだ。 

 

「あら、美味しそうね。それどうしたの?」

「その辺で売ってたんだ」

「そうだったかしら。ちょっとくれる?」

「ほら、どうぞ」

 

持っていた塩味の効いたポップコーンの箱を、楯無の方へと差し出す。

 

「ありがと。美味しいわねえ、これ」

「ああ、それよりどっちが勝つかねえ」

「普通に考えたら鳳さんねえ…」

「ふ~ん。鈴って強いんだねえ」

「………鈴?」

 

この猫はきっと少し嫉妬深いんだろう。

その証拠に鈴をあだ名で呼んだことで、楯無はムスッとした顔をしていた。

 

「最近、一緒に夕飯食ってんだよ」

「だからいなかったのね、最近…。わっ、私に内緒でっ…!たくさん探したのに…」

「聞かれなかったからだろ。それぐらいでいちいち怒るんじゃない」

「これが怒らずにいられる!?」

 

俺たちは友達なんだから、それぐらいは当然だ。

別にお前だって声かけてくれりゃ飯ぐらい付き合うし、お前もたっちゃんて呼んで欲しいなら、いつでも呼んでやるぞ。

 

「まあまあ、機嫌を直しなさい」

「……桜介くんのばかっ」

 

まだ拗ねてるようだし、ここは頭を撫でてみる。 

 

「ほら、ほら」

「にゃ、にゃあ」

 

撫でられると、猫はすぐにだらしないぐらいに頬を緩ませて鳴いた。

しかし顔真っ赤だぞ。恥ずかしいならやらなければいいのに。

 

 

 

 

 

 

試合の方は見えない砲撃によって、鈴優勢で進んでいく。

今まで劣勢だった一夏が瞬時加速で一気に近づいて一撃を入れようとする。

その時、大きな衝撃がアリーナ全体に走った。

 

「あらら。俺のポップコーンが…」

「桜介くん、ポップコーンはもういいから!生徒を避難させるわよ!」

「あいよ」

 

肩に頭をすりすりと擦りつけていた楯無が、まるでスイッチを切り替えたように真剣な表情ですぐに走り出す。

さすがに真面目モードだなと感心しつつ、床に落としたポップコーンを諦めて俺もすぐに後を追った。

 

 

 

 

楯無と出口に駆けつけると扉は全てロックされていた。よし、壊そう。これ壊してもきっとあとで楯無がなんとかしてくれるよな。してもらおう。

 

「ふ~、仕方ない。少し下がってもらえるか」

 

集まっている生徒の波を掻き分けて扉の前に出る。

 

「桜介くん、なにする気!?」

「この扉を壊す。見せてやる…、北斗神拳を」

「ちょ、ちょっと、待ちなさい!」

 

慌てだした楯無を片手で制して下がらせる。

残念ながら、俺は待つのが嫌いなんだ。

扉の前でふ~と大きく息を吐いてから構えをとる。

俺が闘気を練ると、既に闘気を体験している楯無以外の生徒が後ずさる。

拳を残像が残るぐらいに高速で扉に叩きつけていく。

これならいけるだろう、フィニッシュだ。

 

「うあたたたたぁ!おあたぁ!」

 

拳の連打を終えると、扉はガラガラと崩れてきた。

 

「ほら、避難しろ」

 

近くで見ていた生徒達に声をかけると、少しだけ呆然としていたがすぐに我に返り、次々と避難していった。

 

「素手でこの扉を…。あなたって本当に化け物ね…」

「だが、まだはっきり言ってISには及ばないだろ。だからコーチを受けてるじゃないか。良かったらまた遊んでやろうか?」

「や、やめておく………」

 

俺の誘いに、楯無は苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

生徒が全員避難したことを確認してアリーナに目を向けると、どうやら敵のISが一夏にビームを叩き込もうとしているようだ。

 

「おいおい、一夏大丈夫かな?」

「大丈夫じゃないでしょ!」

「俺がやる」

 

すぐに楯無を手で制してISを展開する。

ISを展開させて視界が広がると、すでにブルーティアーズを展開しているセシリアに気づいた。

セシリアは一瞬だけこっちに目を向けてニコリと笑う。

次の瞬間、客席からブルーティアーズの四機同時射撃が敵ISをうちぬいた。

 

「セシリアやるなぁ。やっぱり雇ってもらおうかな」

「……戦えないわよ、執事は」

「戦えるだろ?バトラーって言うぐらいだから」

「……本気じゃないわよね?それわざと言ってるのよね?」

「なにがだ?」

「……この人、実はバカなのかしら。いいから諦めてうちに来なさいっ!無理だから、あなたに執事なんて絶対無理だから」

「なんで無理なんだよ」

「主人の言うことを聞かない執事なんていないわ。あなた、おとなしく言うこと聞ける?」

 

楯無にはそう言われてしまうが、そこは面接で要相談といったところだろう。

それにしても主人の言うこと聞かない暗部はいいのだろうか。

なんだかんだで仕事はきっちりやるタイプだけどな、俺は。

就職について話しながらアリーナの様子を伺っていると、地上に落下した敵ISが残った左腕で再度ビームを放とうとしている。

 

「死んじまえ、くそやろう」

 

それに向けて、すぐに構えていたライフルの引き金を引いた。

 

「お嬢様、お疲れさん」

「ムム……」

「なんだ?」

 

また頬を膨らませている楯無を面倒に思いながら、一応問いかける。

猫なら猫らしく少しぐらい猫を被れよ。おもいきり顔に出てるぞ。

 

「私にはないのかしら?」

 

なんだ、そんなことで拗ねていたのか。ちょうどいい、ここは試しにあだ名で呼んでみるか。

 

「たっちゃんもお疲れさん」

「た、たっちゃん……」

 

楯無の肩を叩いてからセシリアに視線を向けると、ちょうど目があったので、さっきのお返しに俺も笑っておいた。

 

 



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14話

クラス対抗戦が終わって、部屋に戻って今は夕食を食べていた。

今日の夕食はハンバーグ。

楯無お手製のハンバーグは桜介の好物の一つだ。

器用にナイフとフォークを使って一口大に切り、それを口に入れてはご満悦な表情を浮かべる。

 

「うふふ、美味しい?おねーさんのハンバーグ」

「めちゃくちゃうまいな」

「そ、それならよかったっ。じゃ、じゃあ、また作ってあげる!」

 

べた誉めされた楯無は照れくさそうにしながらも、鼻歌でも歌いそうなほどに上機嫌だった。

 

「ごちそうさま」

「いいえ、どういたしまして」

 

二人とも食べ終わって、楯無がアイスコーヒーを煎れている間に桜介が皿を洗う。

料理を作ってもらったときは洗い物をするのが、いわば桜介の仕事であった。そして洗い物が終わると、二人並んでソファに座る。

 

 

「と、ところで、その…」

「ああ、材料費。これでいいか?」

 

どこか言いにくそうに話を切り出されると、桜介はすぐに察したように財布から一万円札を取り出してスッと差し出す。

 

「あのねぇ…。そんなせこいこと言わないわよ。それにそんなにかかってないし……」

「あれ、違う?」

「違うわ。ほ、ほら、ご飯のお誘いなんだけど、次の日曜日はどうかしら?」

「大丈夫」

「じゃあ約束よ!」

 

そういえばそんな約束していたなと思い出した。それは桜介にとっても学園に来て初めての外出。

ここにくるまでは色々とふらふらしていたこともあり、実は外出をとても楽しみにしている桜介はふふーん♪と鼻歌を歌いながら、残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 

そして日曜日。

 

お昼を食べた後、二人はIS学園の前に立っていた。

 

桜介は黒のスーツで、中にはグレーのYシャツを来ている。それにきちんとネクタイもしていた。

今日はレストランに行くというのもあるが、同じ年頃の男子に比べて桜介は出かける時にスーツを着ることがわりと多い。

それから少し長めの髪はいつもと違い、センターで分けている。

楯無は白のワンピース姿で、まさにお嬢様というような格好だった。

まだ集合しただけだというのに、初めてのデートを意識してその頬は既にうっすらとピンク色に染まっている。

 

「今日の格好、すごく似合ってる」

 

「そ、そう?あ、ありがと…」

 

いつもは意地悪な桜介の素直な言葉に、楯無はその頬を更に赤く染めて俯いてしまう。

桜介はもともとなんでもストレートだが、楯無は今まであまり言われたことがなかった。

 

(ああっ、大人っぽくて、やっぱり格好いいなぁ。私……今すっごくドキドキしてる…)

 

思わず胸を両手でぎゅっと押さえると、ドクンドクンと痛いほどに高鳴る自分の胸の鼓動が、それを簡単に証明してくれる。

 

「どうかしました?」

 

「う、うん……」

 

まるで答えになっていない返事を返す楯無の様子に、桜介は軽く苦笑いを浮かべた。

照れていることにはもちろん気づいている。もしこれがいつもならばそれを思いっきりからかいもするだろう。

しかし、今日は仮にもデートのようなもの。なにもデートの最初から、それをからかうほどに無粋ではない。

 

(まったく…。これじゃあおねえさんというより、可愛らしい少女だな)

 

そう考えたら今度は自然な笑みがこぼれていた。

入学前に女性と出かける機会もなかったわけではない。だがこんな気持ちは久しぶりだった。

 

「さて行こうか!買い物もしたいんでしょう?」

 

「はっ!?う、うん、いきましょう!」

 

桜介がいまだ慣れない敬語で大きめに声をかけると、気づいた楯無があわててそれに応えて、二人はようやく駅前に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

しばらく並んで歩いていると、楯無が先ほどからチラチラとこちらを見ては手を出したり、引っ込めたりていることに気づく。

もちろん気になるが、視線が合うと顔を赤くして慌てたように視線を逸らしてしまうので、桜介はもうしばらく様子を見ることにした。

 

チラッ。プイッ。チラッ。プイッ。チラチラッ。プイップイッ

 

(なんだこれ…。面白すぎんだろ。これはさすがに突っ込んだ方がいいのかな…)

 

少し考えたものの、いつまでも放っておくのはなんだかかわいそうな気がしたので、やっぱり聞いてみることにした。

 

「なんですか?」

 

「えっ!?それは…その…」

 

楯無は小さな声で何か言ったと思えば、両手の人差し指を合わせてもじもじさせている。

 

(これはそういうことだよな…。勘違いだったら恥ずかしいけど、まあいいか)

 

桜介はそこまで鈍感ではないので、考えてることにわりとすぐに気づいた。

いつもならその様子をニヤニヤと楽しむところだが、今日はそれをからかうのもやめて黙って手をとり、なんとその指をガッツリ絡ませる。

 

「あっ…!うう…っ」

 

手を繋ぎたいとは思っていたが、そこでまさかの恋人繋ぎ。それに楯無はぷしゅ~と、頭から湯気が出そうほどに赤面してしまう。

 

(うう、な、なんで、なな、なんでっ、いきなり、恋人繋ぎを!?)

 

あまりの出来事に楯無は冷静さを失っていた。

手を繋ぐだけで精一杯だというのに、急にそんなことをされたら心臓が激しく暴れ出して、もはや息が苦しい。

顔も熱くて熱くて、もう耳まで真っ赤になっているのが自分でもはっきりわかるほどだ。

 

(最近桜介くんのことばっかり考えてる…。これって、やっぱり好きになっちゃったのかなぁ…)

 

目が合っただけでドキドキする。

ふいに触れ合ったときには、まるで体中の血が沸騰したように体が熱くなる。

自分の料理を嬉しそうに食べてくれると、嬉しくて忙しくてもまた作ってあげたくなる。

はじめはいたずらでちょっかいを出していたのに、最近はやり返されるのがわかっていても、逆にどこかそれを期待してる自分がいる。

普段生意気なのにふいに無邪気に笑われると、胸が痛いぐらいに締め付けられる。

デートに誘われたら嬉しくて、恥ずかしくて、毎日それが楽しみで…。

 

(格好いいものね、桜介くん。すっごく男らしいし…。私って、思ったより単純なんだなぁ…)

 

「買い物ならやっぱり洋服ですかね?」

 

「はっ!?そ、そそそそうしましょう!是非ともそうしましょう!?」

 

「なぜ疑問系なんだ…。まあいいけどね。じゃあショッピングモールでいいかな?」

 

「は、はいっ!いきましょう!」

 

手を繋いだまま、二人は目的のショッピングモールへと歩き出す。

はじめは顔を真っ赤にして目もあわせらず、どこかぎくしゃくしていた楯無も徐々に落ち着いて、楽しそうにニコニコと笑い始めた。

桜介もそれを見ているのが楽しくて、普段見せないような微笑みを浮かべている。

そんな二人は傍からみるとただのバカップルにしか見えないだろう。しかし二人とも、そんなことには気づきもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ショッピングモールにつくと、まずは洋服を見ることになった。

楯無が試着してはそれを見た桜介が感想を言い、楯無がそれを踏まえて気に入ったものがあればキープ。気に入らなければそのたびに棚に戻す。

かなり時間がかかっていたが、桜介は美人が綺麗な服を着飾って自分に見せてくれるのが嫌いではなかった。というか、むしろ好きだったので、全く苦にしていない。

何点か買うものが決まり、楯無が元のワンピースに着替えてる間に桜介は会計を済ませておく。

やろうと思えば紳士な振る舞いも出来るのだ。それに知り合いに頼まれて仕事をすることもたまにあるので、金には困っていなかった。

 

「いきましょう」

「会計は?」

「済ませておきました」

「えっ!?自分でだすわよ」

「いつもご飯作ってもらってるお礼ですから。たまには格好つけさせてくださいよ」

 

楯無は内心でいつも格好いいでしょ、と惚気のようなことを思わないでもなかったが、もちろんそれを口に出すことはしない。

 

(はっ!?こ、ここ、これはまさか…!え、え、閻王が私を殺しにきてるんじゃ!?)

 

その証拠に、ずっと心臓がバクバクいっていて、もう胸が張り裂けさけそうなほどだった。

一瞬だけそんなバカなことも考えたが、そこまで言われて断るのも悪いので、結局は出してもらうことにした。

 

「今日はせっかくデートなんだから、敬語やめない?なにか距離を置かれてるみたいで、おねえさん悲しいな」

「そうかな?」

「桜介くん、敬語苦手でしょ?ちょくちょく、というかほとんど出来ていないし…」

 

実際のところ、桜介も意識しているときはなんとか敬語を使えているものの、そうでないときはため口である。

 

「そうだねぇ。はっきり言えば苦手だね」

「じゃあ、普通に話していいよ?」

「ふーん、わかった」

 

突然の提案に、桜介はよく見てるなぁ、と感心していたが楯無は全く別のことを考えていた。

 

(こ、これで、私だけ、特別…。私だけ……。うふふ、うふふふっ)

 

そんなことを考えて、その顔はやっぱりだらしないぐらいにやけきっていた。

 

 

 

 

 

 

次はアクセサリーを見ることになり、二人はブランドのアクセサリーショップへとやってきた。

楯無はイヤリングが欲しいと言い、少し前から二つのイヤリングをつけては外し、どちらにするかを決めかねていた。

桜介はどちらも似合うと思っていたが、個人的には右のイヤリングが好みだった。

 

「すいません、こちらを」

 

桜介は楯無の隣から自分の好みの方のイヤリングを手に取って店員に渡す。

会計を済ませて、水色の髪をさらりと流して耳にかけると、イヤリングをその耳につけた。

 

「やっぱりあんたによく似合う。俺はこっちの方が好きだな」

「っ~~~!」

 

顔を近づけて耳を触られながら、穏やかな笑顔でそんなことを言われたら、楯無はもうたまったものではない。

すぐに頬を朱に染めて、それと同時に頭の中もピンク一色に染まっていく。

 

(ああ…格好いい。どうしよう…。私…やっぱりこの人のこと好き…。大好きかも…。どうしよう…)

 

すでにこれ以上ないほどにときめいていた。

胸がギュッと締め付けられて、痛くて苦しくて。

思わず胸に両手を当てると、ドキドキと鼓動が激しく高鳴っていて、心臓が壊れそうなほどだ。

楯無はもう恥ずかしくて、またも目を合せられずただ俯くことしか出来ない。

 

(だ、だめ、もうだめっ…!み、認めざるを、得ない…。私は恋してる、この生意気な後輩にっ…)

 

そうしてしばらくすると、初めての恋に落ちた楯無の思考回路はやがてイヤリングの好きを、まるで自分が好きだと言われたように、脳内で都合よく錯覚を起こし始める。

 

「す、好きなの?」

 

「だからそう言ってるだろ」

 

「へへ…えへへ…好きって、言ってくれたぁ」

 

人目もはばからず抱きついて悶える楯無。その顔はこれでもかというほどに緩んでいた。

しかしそんな甘い空気を出しているところに、桜介はいつものように容赦なく爆弾を投下する。

 

「でもさあ、指輪はまだ早いだろ?」

 

楯無の頬に手を当てて、耳元でボソリと囁いた。

桜介はイヤリングを見てる間も、楯無の視線が指輪のコーナーと自分を、チラチラといったりきたりしていることに気づいていた。

それに気づいた桜介(ドS)が、いつまでも楯無(最高の餌)を前に我慢など出来るはずがない。

 

「な、なななっ、なぁっ!?」

 

いつも通りの爆撃に、トリップ中だった楯無はハッと慌てて我にかえる。

まさか自分の胸中に気づかれているとは、微塵も思っていなかった。

そこに落とされた、いつも以上に特大の爆弾。

全てばれているとは知らず、浮かれきっていた自分が恥ずかしい。もう顔をあげることなど出来るはずもない。

ただただ桜介の逞しい胸に頬をすりすりと擦り付けて、心の中ではひたすら唸り続ける。

 

(ううう~っ!私のバカッ!私のバカッ!)

 

今日のデートが始まって以来、楯無の心臓は常時ジェットコースター状態。

色んな意味で心臓に悪い男に、完全に振り回されて浮かれきったあげくに仕掛けられた罠。

そんなものかわせるわけがないのである。

頭をグリグリと押し付けて唸り続ける楯無。しかしそれも端から見ると、こんなところでそんなことをしているただのバカップルだ。

楯無はしばらくして、周りから向けられる生暖かい視線にようやく気づくと、桜介の手を引いてお店の外へと全力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15話

「バカ!バカバカっ!鬼畜!ドS!死神~!」

「おい、さりげなく死神をいれるな、死神を…」

 

アクセサリーショップを出てから楯無はしばらくの間、桜介に罵倒の言葉をあびせていた。顔を真っ赤にして怒っている。

 

「本当にひどいわよ!そこはわかってても言わないのが武士の情けってものでしょう!」

「武士の情けって……」

「あなたってほんとドSよね!?人がどんな気持ちでいたか、わかっててやってるの!?」

「わかるわけねーだろ。気持ちよさそうだなとは思っていたが…」

 

いきなりそんなことを言われ、桜介はすっかり困惑顔だ。いくら北斗神拳伝承者といえど、人の気持ちまで読めるわけではない。しかしそんな桜介に、楯無はさらに言葉を続ける。

 

「傷ついたわ…。やっぱり責任とってもらわないと…」

「なんのだよ。悪かったって…。ごめんね?」

「だめ!怒ってるんだから!簡単にはごまかされないわよ。私はそんなに安くないんだからね!」

「………ちょろいくせに」

「なに……?なにか言ったかしら……?」

「なんでもない……」

 

派手にからかわれたことで楯無は完全に不機嫌になってしまっていた。

頬を膨らませて、いかにも怒ってますというような顔をしている。

その眉はつり上がっていて、桜介に顔を近づけてキッと睨み付ける。

 

「もう!バカ!わかってはいたけど、あなたはやっぱりひどい男だわ…」

「じゃあ、気を付けるんだな。ひどい男にはひっかからないように」

「…………もう遅いわよ」

 

いっこうに怒りの収まらない楯無に、桜介は内心で深いため息を吐いた。まさかここまで怒るとは思っていなかった。今まではどれだけからかおうが、謝れば大抵のことは許されていた。だが今回は違うようだ。桜介はとりあえず、いつも拗ねた時の機嫌をとる方法をやってみることにした。

 

「ほら、いい子いい子」

「だ、だめ!そ、それぐらいじゃだめだから!」

 

頭を撫でながら幼子に接するようにあやしてみる。こんなのでなんで機嫌がなおるのかいまだにわからないが、いつもはこれですんなりうまくいくのだ。だが、今日の楯無はなかなか手強い。桜介は次の手に出ることにした。

 

「笑った方が可愛いよ、たっちゃんは」

「いや! もうごまかされないんだから!」

「本当だよ。笑顔見せてくれ」

「……お、女たらし……」

 

だんだん小さくなってきた声に桜介はいけると思った。

内心俺はなにをやっているんだろうと自問自答しながら、それを顔には出さずに両手で楯無の頬を挟んでぐっと顔を近づける。

 

「お前とのデートを俺も楽しみたいんだ。頼むから許して欲しい。悪かった」

「うっ……」

「お前があんまり可愛いから、つい調子に乗っちまったんだ。許せ……」

「ううっ……。わ、わかった…。わかったから!ち、近いのよ、顔がっ!も、もうだめ!」

 

楯無がバッと胸を両手で押して距離をとると桜介はホッと息をついた。これでも、ひたすらに拳を極めるために修羅の道を歩んできた男である。そんな男にここまでさせる楯無はある意味凄かった。これからからかうときはやり過ぎないように気をつけよう。今回のことで桜介はそう心に決めた。

 

「じゃあ私のいうことを一つ、聞きなさい」

 

ようやく機嫌を直した楯無が、扇子を開くとそこに『命令厳守』の四文字。

 

「……いいよ」

 

桜介も今さら機嫌を損ねるつもりはないので、二つ返事で返した。

 

 

 

 

結局楯無の出した命令は、ゲームセンターで一緒にプリクラをとることだった。

桜介にとってプリクラは初めての経験だった。そして意外なことに楯無も実は初めてだった。

二人ともよくわからないので適当にボタンを押すと、色んなポーズをとる。

 

楯無も自然に腕を絡ませたりしながら、もうすっかり上機嫌でニコニコ笑顔を見せていた。

 

「じゃ、じゃあ、最後は……お、お姫様だっこ……しなさい」

 

「はいはい。わがままなお姫様だよ、本当に」

 

そうは言いながらも桜介はむしろご褒美なのではなんて思いながら、楯無を簡単に持ち上げた。

 

抱き上げられた楯無は両手を首の後ろにまわすと、うっとりした表情を浮かべる。

間近で桜介の顔を見つめるとゴクッと唾を飲み込んだ。

 

(ち、近い、顔が…。見れば見るほど男らしい…。特にこの吸い込まれそうな瞳……好き…)

 

そんな楯無を、桜介も上からじっと見つめていた。

普段の凛とした涼やかな瞳は今は熱を帯びていて、首に回された手はひんやりしていてとても気持ちがいい。

引き締まった足はすべすべしていて触り心地がよく、いつまででも触っていられる。

瑞々しい美味しそうな唇には、今にも吸い寄せられそうになる。

雄としての本能が、この女が欲しいと訴えかけてくる。

桜介は気づいたら少しずつその唇に顔を近づけていた。

 

しかしお互いの鼻と鼻が触れ合いそうな距離になった時、パシャリとシャッターの切れる音がした。

 

桜介は我に返ると、すぐに楯無を降ろして小さく息を吐いた。

まずいと思って様子をうかがうと、楯無は頬を染めて潤んだ瞳でいまだに桜介をじっと見ていた。

それが『しないの?』と無言で訴えかけているような気がして、少しバツが悪くなって顔を背けた。

もともとそんなことをするつもりはなかった。

桜介にはもう人を愛するつもりがないから。

なんとも思ってないような女だったら、例え抱いたとしてもなんの罪悪感もないだろう。

だがすでに桜介は楯無を大切に思っていた。

自分が巻き込まれて死ぬことはなにも怖くない。

死に場所はどこでもいいし、とっくにそんな覚悟は出来ている。

ただ、その逆が怖い。愛する人を失う怖さを、そしてその悲しみをすでに知っているから。

桜介はそれを自分のせいだと思っていて、そのことが心に大きな傷痕となって残っていた。

 

 

 

 

撮り終えるとそろそろいい時間になったので、桜介の知り合いが経営する高級ホテルのレストランに行くことになった。

二人はそこで食事を楽しみ、食事が終わると桜介はこのままバーに行こうと言い出した。

楯無はすぐに了承し、二人は同じホテルのバーに行くため、エレベーターに乗る。

 

「美味しかったわ。ごちそうさま」

「ああ、礼だからな」

「それにこのホテルだったら、バーもきっと期待出来るわね…」

 

このあとのことを考えて、楯無は爛々と目を輝かせる。高級ホテルのレストランからホテルのバーというのは、普通の高校生がするデートにしては少し背伸びしすぎのような気もするが、二人がそれに関して気負いを感じることはなかった。

 

「ま、悪くはないと思うけどね」

 

エレベーターから降りると、楯無が桜介の腕をとり二人はバーの中へと入っていく。

桜介の顔を見るとバーテンが個室の席へと二人を案内した。

知り合いのホテルだけあって融通が利くので、桜介が事前に連絡をいれておいたのだ。

二人は革貼りのソファに並んで座った。室内を照らすのは間接照明だけで、雰囲気も申し分ない。

 

「いきなりこんな席に案内されるなんて、桜介くん最初からここに来るつもりだったでしょ?」

「ふふふ、どうだろうな」

 

楯無はバーテンにノンアルコールカクテルを注文するが、桜介はバーテンと目を合わせると黙って頷いただけだ。

何も注文しなかった桜介を楯無は不思議そうに見ていた。

ノンアルコールカクテルが出された後、バーテンは黙って桜介の前にウイスキーが入ったビンとグラスを置いた。

それをグラスに注ぐと、桜介は嬉しそうにニヤリと笑う。

このバーは日本に帰ってきてから、すっかり桜介の行きつけになっていた。

 

「実は常連なんだ」

「そう……。私はもう何もつっこまないから。それにしても桜介くんてこういう場所がやたらと似合うのよね。それはそれで…大人っぽくて素敵だけど」

 

楯無はぶつぶつと文句を言いながら、大きめのため息を吐くと体の力を抜いてソファに寄りかかった。

桜介の性格はもうわかっているので、飲酒については本人がやめる気もないこともすでに悟っていた。

 

 

 

 

そこからは他愛もない談笑をして時間が過ぎていく。

学園生活のこと、ISの操縦のこと、今日のデートのこと、食堂のメニューは何が美味しいだとか、お互いの家のことだとか。

少し時間が経つと、桜介は今日のデートで途中から思っていたことを口にした。

 

「普段から今みたいに少し力を抜いた方がいいぞ。お前、いつも気を張っていたら疲れるだろ」

 

今日の楯無は些細なことで喜んだり、時には怒ったりしながら終始とても楽しそうで、ずっとニコニコしていた。

まるでどこにでもいるようなただの十七才の少女に桜介には見えた。

 

「……なに?そんなにおねえさんが心配なの?」

 

楯無は一瞬だけ表情を変えたが、すぐに笑顔を浮かべるといつものように飄々とした様子で薄く微笑んだ。

 

「更識楯無」

 

桜介はタバコを灰皿に押し付けるとグラスをテーブルに置き、それから名前を呼んだ。

今楯無に向けられているのは、誰よりも力強く、そして優しい眼差し。

 

「無理は寄せ…。あんたの目は寂しすぎる」

 

桜介は目を真っ直ぐに見つめたまま、近くにあるその華奢な手を力強く握った。

 

「だから、あんたのことは俺が守ろう」

 

そう言った桜介の瞳は蒼天の光彩を宿していて、どこまでも澄みきっていた。

 

「え……?」

 

楯無は一瞬言っている意味がわからず呆けた顔をしたが桜介の表情で、その意味を、そしてその意思を理解する。

楯無という名前は楯が無くとも守りきるという決意の表れだった。

そして桜介はそんな自分を守ると言っている。

楯無は最初、耳を疑った。この人はいきなり何を言っているのか。

困惑の表情を浮かべる楯無だったが、桜介はそんなものはお構い無しとばかりに言葉を続けた。

 

「安心しろ。俺はお前が思っている以上に強い」

 

それは最初に道場で向き合った時と同じ言葉だった。

楯無はその言葉で色々と考えてしまう。

確かに桜介は強い。生身ではとても相手になる人間がいるとは思えず、まだまだ底が知れない。

ISの操縦はまだ自分には及ばないかもしれないが、素質はずば抜けている。あとは自分が、それを鍛えていけばいい。

楯無は近い将来、ISの操縦でも確実に自分を越えるだけの才能をこの男に感じていた。

それに桜介は裏の世界でも有名なあの閻王だ。

裏の仕事についても理解があり、それどころか味方になればこれ以上ないほどに心強い。

おそらく現時点でもすでに、世界中で最強の男。

そんな男が…自分を守ると言ってくれている。

本来ならいくら望んでも得られぬようなものが、突然目の前に現れてしまったのだから、楯無が困惑するのも無理はない。

しかしどれだけ考えたところで、桜介の言葉を断るだけの理由がみつからない。

色々と現実的に考えを巡らす楯無だったが、結局はなによりも、惚れた相手に自分を守ってやると言われて嬉しくないはずがなかった。

それどころか涙が出るほどに嬉しい言葉だった。

楯無も結局はただの女でただの少女なのだ。

実際のところ、すでに真摯な言葉と態度にどうしようもなく心が震えている。

それでも楯無は意地で溢れだしそうな涙をぐっとこらえ、想いとは逆の言葉を漏らしてしまう。

 

「……大丈夫。一人でもやっていける。今までもずっとそうだったんだから。こう見えても私、強いのよ?」

 

「たしかに強いな…。しかしどんな言葉を口にしても、その目は心を隠しきれない」

 

「っ……!!」

 

楯無は一人で何でも出来ると思っていた。

実際一人でほとんどのことは出来た。

でもほんとは誰かに連れ出して欲しかった。

孤独という名のここから…。

孤独が寂しくて、眠れない夜もあった。

誰にも弱音を吐けず、一人枕を濡らしたこともあった。

この人にもっと早く出会えていたら、そんなこともなかったのかもしれない。

 

楯無が俯いていた顔を上げると、目の前の男と目が合う。

その瞳は今までに見たどんな男とも違う。

瞳の奥に光るのは私利私欲など一切感じさせない、快晴の空のような清々しい蒼天の煌めき。

もとよりこの男には表も裏もなく、全てが自然体だ。

この男はきっと誰よりも信頼出来るだろう。

だから本当に頼ってもいいんだ、この人になら。

そう思ったら、涙腺はもう限界だった。

 

「頼ればいいさ、こんな男でよければ」

 

とてもシンプルな言葉だったが、それが止めになった。

 

「ずっ、ずるい……!そんなの、いいに…決まってる…っ!あなた以外は…いやよっ…!」

 

絞り出すような声でそう言うと、楯無は肩に顔を埋めてついに涙を流した。始めは静かにすすり泣くように、途中からは体を震わせて嗚咽を漏らす。それからまるで幼い子供のように泣きじゃくった。桜介のYシャツが涙が滲んでじんわりと濡れていく。その間も桜介は黙ってただ頭を撫で続けた。

 

「でも……本当に、いいの?」

 

「いいんだよ…。北斗神拳はもともと護るための拳法。あんたの想いと同じように、俺の拳も平和のためにある…」

 

しばらくしてようやく涙がおさまると、楯無は肩から顔を離して相手を見つめた。涙はもう出ていないが、その頬は赤みを帯びていた。すがり付いて泣いたことが、余程恥ずかしかったのだろう。少しして楯無は照れくさそうに話し出す。

 

「あ、あのね。私の本当の名前、桜介くんに、あなたに…聞いて欲しいの」

 

桜介は楯無が更識家当主の名前だとすでに聞いていたので、その言葉に今さら驚くことはなかった。桜介はこくんと無言で頷く。

 

「……刀奈、更識刀奈。それが私の名前」

 

刀奈は体を寄せて耳元でそう囁くと、桜介の頬にキスをした。そして少ししてから唇を離して口を開く。

 

「桜介くん……ありがと」

 

突然のキスに驚いてきょとんとしている桜介に、そう言って刀奈は花が咲いたように笑った。

 

 

 

 

 

 

帰り道、泣き疲れたのか、それとも頼れる人が出来たことへの安心感からなのか、眠ってしまった楯無…刀奈をおぶって、桜介は寮までの道を歩いていた。

 

――――――桜介くん……ありがと

 

「更識…刀奈。まいったな…あの笑顔は卑怯だろ」

 

そう一人呟いて桜介は夜空を見上げた。

 

その時、夜空で北斗七星が強く光る。

 

やはりこの選択は間違っていないのだろう。

 

自分の運命を司る宿星の輝きを見て、桜介はそう確信する。

 

もう一度、人を愛する覚悟なんて出来ていない。

 

自分のせいでこの人を失ったらと思うと、想像しただけで怖い。

 

だがとにかくこの大切な人を守りたい。

 

心から強くそう思った。

 



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16話

6月になった。

 

今月は学年別個人トーナメントがあるらしい。

そして一夏と箒は同部屋を解除されたが、俺の部屋にはいまだ猫が住み着いている。

もう護衛はいらないんじゃないかと正直に話したが、そんなことはないの一点ばりだった。

しかし他に色々と世話になっているのも事実。困ることもないので別にそれならそれで構わないと思っている。

 

 

月曜の朝。

 

「やっぱりハヅキ社製のがいいなぁ」

「そう?デザインだけって感じじゃない?」

「デザインがいいの!」

「私はミューレイの方がいいなぁ」

「あ~あれね高いじゃん」

 

教室では朝から女子たちが談笑していた。

 

「織斑くんと霞くんのスーツはどこのやつ?」

「あー特注品だって男のがないからどっかのラボが作ったらしい。」

「俺のは北大路のやつだねぇ」

 

北大路財閥。俺のISもそこの傘下企業が開発しているものだ。

クラスでそんな話をしていると、山田先生がISスーツの説明を始める。この人はこの学園では珍しい、割りと普通の真面目な人だ。

 

「諸君おはよう」

「お、おはようございます。」

 

織斑先生の登場で教室が一瞬で静かになる。いつもこの人がくるとみんな緊張するみたい。

どうやら今日から本格的な実践訓練を開始するらしい。

服装はスーツを忘れたら水着、水着がない場合は下着らしい。

俺は別に一向に構わないけど、男子もいるのにそれはどうなんだろうか。

ちなみに同居人のおかげで、俺はもうすっかり慣れている。水着姿も、下着姿も。

だが最近は気を遣うようになったのか、部屋では普通の格好をするようになった。実はそれが少しだけ残念だったりもする。

 

「ええと、今日は転校生を紹介します。しかも二名です。」

「えええええっ」

 

クラスがざわつく。俺は転校生がくることを楯無から事前に聞いていたので、そのことに今さら驚くことはない。

 

「失礼します」

「………」

 

入ってきた二人の転校生を見てざわつきが止まった。そのうちの一人が男性だったからだろう。

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。よろしくお願いします。」

「お、男…?」

 

見た目は中性的で俺にはどちらかと言えば女に見える。というかあれ女だろ。

 

「きゃああああー」

 

教室の中心から叫び声が響く。そしてあっという間にクラス中がざわめき出した。

そんなに騒ぐことでもないだろ。男だろうが女だろうがどうでもいい。

 

「騒ぐな、静かにしろ」

「みなさん、お静かに。まだ自己紹介が終わってません」

 

もう一人の転校生は見た目からして異端だった。腰近くまで長い輝くような銀髪。左目に眼帯。シャルルよりも背が低い。印象は軍人。俺にも軍人の知り合いはいるが、まあ似たような雰囲気を醸し出していた。

どうやら織斑先生の知り合いらしいそいつはラウラ・ボーデヴィッヒ。

そいつは織斑先生に促されて挨拶をしたと思ったら、唐突に一夏に突然ビンタをした。

これは、痴情のもつれかな。面白い、いいぞ、もっとやれ、もっとやれ。

 

「貴様がっ」

「私は認めない。お前があの人の弟などと」

「いきなり何しやがる」

「ふん…」

 

そしてすぐに自分の席に座った。なんだもう終わりか。一夏はどうやら心当たりがなさそうだ。でも一夏だからね。怪しいもんだ。気づかないうちになにかしたのかもしれない。

まあどのみち俺には関係ない。あまり興味が湧かないので、ぼぅっと窓の外を見ていた。

 

「ではHRを終わる。各人は着替えて第二グラウンドに集合。今日は二組と合同でIS模擬戦闘を行う。解散」

 

HRが終わり、織斑先生がバンバンと手を叩いて行動を促す。シャルルは同じ男子だから一夏と俺で面倒を見ろとのことだ。

一緒に移動することになったので、さっそくクンクンと匂いを嗅いでみる。

ふむ、やはり女の匂い。まるで変態みたいだな、俺。いや、そんなはずはないはずだ。

そういえばちょうどフランスから知り合いが日本に来ている。今日あたり会って、シャルルの話を聞いてみようか。それから一応楯無にも確認しておくか。

 

「では、本日から格闘及び射撃訓練を行う」

 

まずセシリアと鈴が山田先生と模擬戦をした。そしてあっさりやられてしまった。

 

「ぷっ…」

 

そんなの見たら思わず笑ってしまう。二人におもいきり睨まれるが睨むぐらいならやられるなよ。やる前にあれだけ余裕綽々で瞬殺されたら、誰でも笑うだろ。

 

「あんた、いい加減にしなさいよ!」

「この人、本当に性格悪いですわ!」

 

そのあとは各専用機持ちが分かれてグループで訓練だ。そこでは一夏が女子を抱き抱えていた。

俺もちょっとやってみようかなと思った。というかそういうのを期待する視線をグループの数人から感じた。

しかしやめておく。俺には誰とでも必要以上に馴れ合うつもりはない。

 

 

 

 

 

午前中の実習が終わり、急いで楯無の教室へと向かう。二年生の教室には楯無と、あとはサラがいるのでここに来たのは初めてではない。

 

「霞くんだ!こんにちは」

「ちわ~」

「霞くん何しにきたの?」

「色々」

「霞くん、今度デートしない?」

「また今度ね」

 

二年生に話しかけられるのも気づいたらもうすっかり慣れている。ちやほやされるのは悪い気はしないが、正直少し苦手だ。

話しかけてくる二年生を気にせず廊下を突き進んで、真っ直ぐに楯無の教室へ向かう。

 

「こんにちは、霞くん」

 

教室の前で話しかけて来たのは友人のサラ。サラは俺を見るといきなり腕に抱きついてきた。

それを見て周りの女子が騒ぎはじめる。ここではやめてください。恥ずかしいだろ。

 

「きゃ~~!ウェルキンさん積極的!」

「霞くんとウェルキンさんって付き合ってるの!?」

「嘘!?いや~。私霞くん狙ってたのに!!」

 

一緒に飯食ってるだけである。この学校の女子はすぐそういうのを想像する。

この年頃の女子はみんなそうなのだろうか。

それに今狙ってるって言ったのは誰だ。仕方ない、そういうことなら一晩だけ付き合おうか、なんてね。思わずため息が出る。

サラとは屋上で声をかけられてから話すようになり、一人で飯を食べていると、たまにミートパイを持って来てくれる。多分わざわざ焼いてくれてるんだろう。

一度セシリアの料理を食べてイギリス料理はどうも口に合わないと思っていた。しかしサラのミートパイは普通に旨かった。つまりお嬢がダメなのか、お嬢…。

セシリアの料理は匂いからしてもうおかしかった。俺の鼻はあらゆる毒をかぎ分けるんだ。

 

「あのねぇ、サラさん。これは少しくっつぎすぎなんじゃない?」

「ふふふ。気にしないで。それより私に会いにきてくれたの?」

「残念ながら違う。今日はな、楯無に用があってきたんだよ」

「そう、それは本当に残念。じゃあまた今度付き合ってね」

 

そう言って少し肩を落とすサラ。なんだか期待させたみたいで申し訳ない。

 

「そうだな…。それなら今日の放課後は?最初に用事を済ませないといけないが、それでもいいなら飯ぐらい奢ろう」

「本当?嬉しい!じゃあ放課後、正面玄関で待ち合わせしようか」

 

サラはニッコリ笑ってその場から去っていく。俺も手を振ってそれを見送る。

それにしても、サラにはよく差し入れをもらっているし、外出のついでちょっと悪いがちょうど良かった。

 

「桜介くん?ご飯って誰と誰が?」

「は?だから俺とサラさん」

「も、もしかしてサラって、私のことかしら?ほ、ほら、私も更識だし……」

「いいや、サラ」

 

返事をしながら振り向くと、立っていたのはやっぱり楯無だった。いくらなんでもそれは無理があるだろ、無理が。

 

「ふ~ん、そうなんだ…。それで?」

「ご飯を食べようかなと思ってね」

 

楯無は腕を組んで怒った顔をしている。これはめんどくさいところを見られたようだ。

冷く低い声で質問をしてくるが、俺はそれに淡々と答えてやった。こいつ、まるで嫉妬深い猫のようなやつだ。

 

「へ、へえ、桜介くんは誰とでも、デートするんだ?」

「飯食いにいくだけだ」

「それを世間ではデートっていうのよ!?」

「世間は関係ないだろ、世間は…。俺は飯を食いに行く、それだけだ」

 

楯無は一見ニコニコと笑っているが、その目が全く笑っていない。

それにしてもいやな世間だな、まったく。俺は友達を普通に食事に誘っただけだ。

 

「関係なくもないでしょう!?」

「ふ~ん。それにしてもお前、人の話を盗み聞きしてたのか?趣味悪いな」

 

これじゃまるで嫁だろ、こいつ。なんだ、猫じゃなくて嫁だったのかよ。それならそうと言ってくれないと…。

 

「なっ!?と、突然くるからでしょ!思わず隠れちゃったじゃないのっ」

 

顔を真っ赤にさせてそっぽを向く楯無。どうやらまた機嫌を損ねてしまったようだ。

しかし来ちゃいけないわけでもあるまいし、俺としてはそんなに悪いことをしたつもりはない。それにだからと言って…。

 

「……隠れる必要あんのか?」

「い、いいでしょ、それは今はっ!それよりいつの間に仲良くなったのよ!?」

「屋上で声かけられてからだな。弁当の時は、よく一緒に食べてるんだ」

 

素直に答えたつもりだったが、それがいけなかったのか、楯無は顔をぐっと近づけて胸ぐらを掴んできた。そして俺をキッと睨みつける。もうノリが完全に嫁だな、こいつ。

 

「まさか、わ・た・し・が、作ったお弁当をねぇ、実は他の女の子と、内緒で仲良く食べていた。そういうことでいいのかな?かな?」

 

こいつ、本当に嫌な言い方をする。

しかもそんな俺たちのやり取りに、周りで耳を澄ませていた生徒たちも素早く反応をした。

 

「あ、愛妻弁当!」

「あー!二股だったのね!」

「しゅ、修羅場よ!修羅場!」

 

もう舌打ちしたい気分だった。俺はもちろん二股どころか、誰とも付き合っていない。

しかしエプロン姿でのお出迎えは、たしかにグっとくるものがあるんだよな。

それに弁当もよく作ってもらっている。そう考えると、なんだか俺が悪い気もしてくるから不思議なものだ。

 

「弁当を友人と食べるのは普通だろ?それにこの学校には女しかいない。だから一緒に食べるも自然と女子になるだろ」

「だったら、だったらっ…!わ、私と、私と食べなさいっ」

「それはさ、ほら、照れちゃうじゃない」

 

恥ずかしいだろ、そういうのは。ただでさえくっつきたがるし、君は目立つんだから。

それに今みたいに、誤解されちゃうだろ。

 

「ね、ねえ…。今日見たところ、サラはあなたに好意があるように見えるんだけど…」

「いいや、そんなはずはない」

 

たしかに強い男が好きだとは聞いたが、それなら俺じゃなくてもいいだろう。

そのへんにいるだろ。他にも強い男なんてたくさん、いくらでもいるはずだ、多分。きっといるよね。だから俺じゃない。

それにサラの距離が近いのは、知り合った時からもともとそうだったわけだしな。

 

「わ、私にはわかるのっ」

「なんで?」

「な、なんでって……わ、私も女だからよ!」

「そういうもんなの?」

「そういうものなのっ」

 

そういうものなのか。そんなこと言われてもな。別に俺がなにかしたわけじゃないし。

困ったな、少ない友人は大切にしたいんだけど。

 

「……そうじゃないと思いたい」

「お、思いたいって…。それはもうあなたの希望じゃないの!」

 

いつもよりキレがあるな、今日の突っ込みは。なかなかやるじゃない。

しかしそんな風に素直に感心している間にも、楯無の顔はだんだんと険しいものになっていく。

 

「もうわかったからさ、あまり怒らないでくれ」

 

そんな様子にどうしたらいいかわからなくて、俺はもう困ったように笑うしかない。

 

「……お、女たらし……」

 

楯無はそう小さく呟きながら、まるで熟れた林檎のように赤くなった顔をふいっと反らす。なんか美味しそうだな、腹へった。

しかし聞こえていないつもりだろうが、しっかり聞こえているぞ、その言葉。

 

「いやいや、おかしいだろ。俺はそんなことをした覚えはない」

「お、覚えはなくても、女たらしなの!」

「なの!って…。どうしてそうなる?」

「どうしてもっ!」

 

きちんと話をしようにも、まるで聞く耳を持たない様子だ。そして腰に手を当てると、また不機嫌そうにじっと睨みつけてくる。

こいつはわりと子供っぽいところがある。こうなるともうしばらくはダメだろう。

このままじゃろくに話が進まない。今日の本題は別にあるんだ。とりあえず屋上にでも連れていくことにした。

 

「いいからこいよ。今日はお前に用があるんだ」

「ご、ごまかす気!?ごまかすつもりでしょ!?ごまかそうしてるのね!?」

 

だからどこの嫁だよ、お前は。もう引っ張ってむりやり連れてっちまうか。

昼休みの時間は限られているので、手をとって少し強引に歩きだしてみる。

 

「ほら、いくぞ」

「あっ…。ず、ずるい……」

「ずるくない、ずるくない」

「そ、そういうの、反則……」

「セーフ、セーフ」

 

いったいどんなルールだよ。そもそも聞いてないぞ、俺はルールなんてもの。

 

「………」

 

しかし実際に手を引っ張って歩き出すと、楯無はすぐに大人しくなった。

それにしても、こんなちょろい嫁だったら旦那はきっと楽だよな。飯もうまいし、可愛いし、文句なしだろう。

 

「お前はいい嫁になるよ、きっと」

「な、なななっ、なぁっ!?」

 

なにやら叫んでいるが、それを気にせずに少しだけ足早に廊下を歩く。余計騒がしくなった周りの声も、もう気にしないことにした。

やれやれ、まったく本当にいやな世間だよ。

 

 

 

 

 

 

 

屋上につくと一夏達が先に弁当を食べていた。

普段なら一緒に食べるところだが、今日は聞かれたくない話があったので離れて座ることにした。

 

「生徒会室にすれば良かったか。いつもはあまり人もいないんだけどね」

「それで話って?」

「シャルルのことだ」

 

周りに聞こえないように小さな声で話を切り出した。

 

「…あいつ、女だろ」

「そう。よくわかったわね」

「知ってたのか。どこまで知っている?」

「詳しいことはこっちも今調べているところよ」

「俺も今日の放課後、フランスの知り合いにあたってみるつもりだ」

「…ええ、わかったわ。また何かわかったらお互いに情報を交換しましょう」

 

話を済ませると弁当を食べ始める。もう腹が減っていた。包みを開けると美味しそうな香りが漂ってくる。

 

「はい、あ~ん」

「俺の弁当も同じおかずだよ?」

「あ~ん」

 

どうしよう、この子俺の話聞いてくれない。あーんなんてされたことないし、正直恥ずかしいんだよ。だが作ってもらっておいて、頑なに断るのも悪い気がする。それにまだ楯無の機嫌も直っていないし、ここは折れるか。

 

「ほら、くれよ」

「ふふ♪素直ね。あ~ん」

 

俺の返答に満足した楯無はニコリと笑うと、箸で卵焼きを口に運んできた。

 

「ふふーん♪旨いじゃない。さすがたっちゃんのお弁当は世界一だな」

「そ、そう。ありがと……」

 

正直に答えると楯無はボッと頬を赤くする。もしかしたら俺の顔も赤くなっているかもしれない。恥ずかしいんだ、こういうのは。自分が食べさせる分にはいいが、食べさせられるのはやはり抵抗がある。このままでは最後まで楯無にペースを握られてしまうだろう。ここはすぐに反撃することにした。

 

「ほら、あ~んだ」

「あ、あ~ん」

 

箸で自分の卵焼きを掴んでそれを近づけると、口を開けた時には楯無の顔はもう真っ赤になっていた。するのは平気なのにされるのは苦手なんだな、お前も俺も。

 

「恥ずかしいならやらなきゃいいのに…」

「や、やりたかったんだからいいでしょ…」

「ま、いいけどね」

 

そうか、やりたかったのか。それなら仕方ないのか?それにしても、こんなことしてたら卵焼きが余計に甘く感じちまうよ。こんなとこ一夏たちにはとても見せられないな。見られてないよな?見られてたら正直悶絶する自信がある。

 

「あ~ん」

「いつまで続くんだ…。これは…」

 

あーん地獄は結局、食べ終わるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

放課後、玄関で桜介はサラを待っていた。

 

それを少し離れた木陰から、じーっと見ているのは楯無だった。出掛けることはすでに知っていても、それでも気になるのが乙女心なのだ。

 

(ふんだ!おしゃれしちゃって。桜介くんて本当に女たらしなのかしら…。本人に悪びれる様子もないし、それが余計に腹が立つのよね…)

 

楯無は我知らずのうちにヤキモチを焼いていた。それは今までにない初めての感情だった。今までも桜介が誰かと仲良くしてるのを見て、少しイラッとしたことはあった。しかしここまではっきりと嫉妬の感情を抱いたことは一度もなかった。それを強く感じてしまうと楯無の心の中にモヤモヤとしたものが広がっていく。

 

今日の桜介は白いワイシャツにジーンズというシンプルな服装だ。

しばらくするとサラも出てくる。サラは白いブラウスにこちらもジーンズを履いていた。長いストレートの金髪が白いブラウスにとてもよく映えている。

 

(うそ…。これはペ、ペアルック!?私もまだしてもらってないのに!私もしたいのにっ!)

 

楯無はもう二人に目が釘付けだった。お揃いのように見える服で並んで歩いていると、二人がお似合いのカップルの様に見えて、楯無の心がズキッと痛む。二人の服装が似ていたのはもちろん全くの偶然だが、楯無はそれを知らない。ヤキモチはどんどんと加速していき、もう握りしめている扇子はピキピキとひびが入りそうな程に音をたてている。

二人が門のところまで歩くと、玄関に止まっていたトラックからバイクが一台降ろされた。桜介がそのバイクの前に乗る。それに続いてサラも後ろに乗って桜介の腰に両手を回した。それをじっーと見ていた楯無は、ぽかんと口を開けた。

桜介は用事を早く済ませるため、知り合いに連絡して愛車のハーレーを持ってきてもらっていた。

楯無は最初状況がよくわかっていなかった。それも当然だ。突然止まっていたトラックからハーレーである。しかし少し経って状況を正確に理解すると、ついにヤキモチを爆発させた。

 

「桜介くん!あなたいくつよ!?ハーレーも二人乗りも色々とおかしいでしょ!もう突っ込むのも疲れるのよ!」

 

楯無が木陰から勢いよく飛び出す。もう自分が隠れていたことはすっかりと忘れていた。

 

「ふ、二人乗りとかずるいっ!わ、私ともしなさい!むしろ……私としなさい!」

 

楯無は玄関に向かって全力で駆け出した。興奮のあまり、楯無はもう自分が何を言ってるのかもよくわかっていない。だから本音が完全に口から出ていた。

走ってくる楯無に気付いた桜介がサラにヘルメットを渡し、自分もヘルメットを被る。

 

「こら、待ちなさい!いかせないんだから!」

 

声をかけながらも、楯無はぐんぐん距離をつめていく。楯無は速かった。離れた木陰から走り出したのに、あと数秒もすればもう二人のところに追い付くだろう。

迫られている桜介は慌てた様子もなくエンジンをかけると、軽く右手をあげて声をかけた。

 

「じゃあな、楯無。愛してる!」

「ふぇ~~っ!?あ、愛しているだなんて…。あわわわ…。それは…その…実は私も…ごにょごにょ」

 

不意打ちをまともにくらった楯無は、ボソボソと言いながら耳まで真っ赤にさせて俯いてしまう。

しかし相手はそのチャンスをみすみす逃すような男ではない。桜介はその隙に走り出していた。

 

「はっ!?その手には乗らないわよ!?おねーさんはそんなに安くないんだから!」

「はっはっは。またな!」

 

楯無が我にかえって顔をあげた時には、桜介の背中はもう大分遠おのいていた。

 

「もう!桜介くんのバカっ!!!」

 

楯無はその場で叫んだ。

 




パラ読みしただけですが、個人的にインフィニットストラトスは嫉妬からの修羅場だと思いました。だからそれを書いてみました。
あと蒼天の拳のパチンコでハーレーみたいなバイクに乗っていたのでついでに出してみました。


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17話

「良かったの?更識さん怒ってたわよ…」

「…帰りに土産でも買ってくか」

「ふふっ。優しいのね」

 

二人が今向かっているのは、桜介と親交のある北大路財閥総帥、北大路剛士が経営しているホテル。ちなみに楯無とのデートで利用したのもここで、桜介はこのホテルのバーの常連だった。たまに一人でレストランを利用することもある。桜介はそこの一室でフランスの知り合いと会う約束をしていた。

ホテルに着くと桜介はサラをロビーで待たせて、知り合いが待っている部屋へ向かった。

 

「入るぞ」

 

部屋に入るとソファに座っていたのは長髪の美形の男だった。桜介は男とテーブルを挟んで反対側のソファに腰をおろす。

 

「桜介、久しぶりだな」

「元気か、ギース」

 

桜介が会いにきた相手はシャルル・ド・ギース。フランス陸軍情報武官で階級は大佐。ギースとは中国で知り合い、色々あって友となった。ギースは桜介の前に葉巻が入ったシガーケースをすっと差し出すと蓋を開く。桜介はそこから葉巻を数本取り出して咥えると、それに火をつけた。

 

「んふふ。嬉しいねぇ」

 

すーはー。

 

「おいおいそんなにいっぺんに。まぁいい。それで今日はどんな話だ?」

「三人目の男性操縦者シャルル・デュノアについて知っていることを全て教えてほしい」

「……やはりお前の鼻は誤魔化せないか」

 

ギースは小さくため息を吐くと仕方ないと言ってシャルル・デュノアについて話を始めた。本名シャルロット・デュノアはアルベール・デュノア社長と愛人の娘であること、愛人の母が死んでからアルベールに引き取られ、アルベールとは表向き仲が良くないが本当はシャルロットの身を守るためにIS学園に送り込んだこと。デュノア社の開発が遅れていてIS開発の許可を剥奪されそうになっていることなど、ギースは知っていることの全てを包み隠さず話してくれた。

 

「それでどうするつもりだ?」

「俺の機体のデータをお前に送ってもらう。フランス政府を通じて、デュノア社に渡してくれ」

「それは助かるが…いいのか?」

「頭を下げるさ……」

「まったく、苦労するのは北大路じゃないか…」

 

桜介のあまりに楽観的な言葉に、ギースは苦笑いを浮かべる。普通に頭を下げれば許されると思っているところがおそろしいところだが、この男の頼みならば実際に許されてしまうだろうと思い、もう笑うしかない。

 

「仕方ないだろ。俺は生徒会副会長らしいんで。生徒を守るのもその仕事の1つだ」

 

そう言って桜介は立ち上がると、笑いながらギースの肩にポンと手をおいた。ちなみに葉巻はまだ咥えたままである。

 

「お前がか?コホッ!ちょっとこっちに来ないでもらえるかな…。燻製にされる鮭の気分だよ…」

「色々あるんだよ。俺は人を待たせているから、もういくよ。また会おう朋友」

 

煙そうにするギースに笑顔を浮かべて挨拶し、葉巻を灰皿に擦り付けて部屋の出口へ歩いていく。

 

「今度はゆっくり酒でも飲もう。またな、朋友」

 

ギースの呼びかけに軽く右手をあげて応える。それからすぐに部屋を出た。

そしてロビーに来ると、サラがソファから立ち上がってスタスタと近づいてくる。

 

「終わった。行こうか」

「早かったわね」

「ああ。この近くの店でいいか?」

「ええ。エスコートしてくれる?」

「もちろんだ」

 

了承の返事をもらい腕を取ってニコニコ笑うサラに桜介も笑顔を返す。二人の間にはいつも通り穏やかな空気が流れていた。

 

 

 

 

 

やってきたのはカジュアルなイタリアンレストラン。二人は店に入ると、窓際の席に案内された。桜介は何回か来たことがある程度だが、この店のパスタがお気に入りだった。また、喫煙席があるのももちろん利用している理由の1つだ。ウェイターを呼んで注文を済ませると、サラは早速気になっていたことを聞いた。

 

「霞くん、更識さんとはどういう関係?あんな彼女初めてみたけど」

「上司と部下だ」

「それだけ?彼女はいつも余裕があって、何でも出来る人…。私はそう思ってた。……あなたが来るまではね」

「あー見えて可愛いところがあるんだよ」

「完璧な生徒会長の、唯一の弱点があなたってわけね」

 

サラはそう言って肩を竦めるとため息を吐いた。だが桜介の考えはまるで違っていた。

 

「俺は弱点なんかじゃない。逆だよ。あいつにとって俺は一番の強みだろ。何があっても俺はあいつの味方だ」

 

自分が好意を抱いている男と、仲がいい女との関係が以前から気になっていたサラだったが、最終的にはまっすぐな視線を向けられて、はっきりとした口調でそう言い切られてしまった。もともとなんでもストレートに言うタイプの男だ。本人には照れくさいのもあり、なかなか言うタイミングがないだけである。

 

「……凄い自信。あなたが色々と規格外なのはもう充分に知っているつもりだけど…」

 

サラが呆れたように言うと、男は無邪気に笑う。

純粋に羨ましいと思った。こんな男に、ここまで言わせる更識楯無が。

もともと好きになった理由は強くて、面白くて、かっこいいから。

そんな単純な、ひどく子供じみた理由だった。それでも知り合ってすぐに好きになっていて、もうすっかり本気にしまっていた。

だからサラはこの話をここで終わりにする。これ以上聞いても、自分が嫉妬するだけだから。

そういう面ではサラは楯無よりもずっと大人だろう。楯無は仕事に対してはともかく、プライベートでは子供っぽいところがあり、ヤキモチを妬けばそれがすぐに表に出る。怒っているのも拗ねているのも、桜介からすればわかりやすい。

それに対してサラの性格は大人しく落ち着きがあり、自由奔放な桜介の行動や言動に内心では驚いていようと、いちいち大きな反応をすることもない。

そういう意味では二人の相性はいい。奔放で苛烈な性格ばかりが目立つが、もともと一人で本を読んだり、バーやレストランを一人で訪れたりと、穏やかに過ごすのも好きな男だ。

だから桜介も一緒にいて落ち着けるサラとの時間を、実は大切に思っていた。

 

しばらくすると、木製のテーブルに前菜が運ばれてくる。それをフォークで口に運ぶと、今度は桜介から話を振った。

 

「そんなことよりサラさんこそどうなんだ?こんな男と飯食うよりも、もっとなんかあるだろ?」

 

もともと他人の恋愛ごとにわざわざ首を突っ込む気はない。しかし自分に対して少なくとも好意的に接してくれているのはわかっていたので、それとなく聞いてみることにした。

 

「この学園に来てもう一年だけど、男子は今年入った後輩が二人だけ。逆にこれでなにかあると思う?それとサラでいいよ」

「わかったよ、サラ。あんたせっかく美人なのにもったいないな」

 

サラは特別に目立つようなタイプではないが、大人びた知的な女性というのが似合う。金髪のサラサラしたストレートの髪は腰まで伸びていて、真っ白な肌も綺麗だ。少し細身の体つきもまた、スレンダーな美人と言える。

 

「ふふふ。あなたって女たらしね」

 

サラは少しだけ頬を赤く染めて、視線をテーブルに移すとフォークで前菜を口に運んだ。

突然そんなことを言われてしまうと桜介も眉を寄せて困った顔をするしかない。桜介にはもともとこの学園でも人付き合いの少ない方だという自覚があったのだから。

 

「女たらしは一夏の方だと思うが。俺が学園でまともに話すのなんて、サラを含めて数人だけだ」

「そういうことにしといてあげる。でもあなたも人気あるのよ?二年にはあなたと仲良くなりたい子がたくさんいる」

「それは男が少ないからだろう」

「あら、私から見ても貴方は魅力的な男性だけど」

「……そいつはどうも」

 

意外と誉められるのは苦手だ。そんな桜介が頭をポリポリ掻いていると、店員がパスタを運んできたのでこの話はもう終わりとばかりに、すぐにパスタを食べ始める。お調子者なところもあるが、面と向かって言われると、どうも照れくさくなってしまう。

 

「美味しいね、これ」

「それはよかった」

 

サラの言葉に桜介は穏やかに微笑んだ。店自慢のパスタに舌鼓を打ったあと、デザートを頼む。サラはティラミス、桜介はパンナコッタを注文した。

サラは普段感情をあまり表に出さない大人しい性格。しかし年頃の女子らしく、ちゃんと甘いものは好きなようだ。サラはデザートが運ばれてくると、嬉しそうに笑顔を浮かべてそれを食べ始める。

 

「サラ、少し顔をこっちに寄せて」

「はい?」

 

サラはきょとんとしていたが、言われた通りに顔を桜介の方へと少し寄せる。

 

「ほら、ここにココアがついてる」

 

桜介はサラの唇を親指でなぞると、そのまま親指を自分の口に持っていき、見せつけるようにペロっと舐めた。

 

「ふむ…。甘いね」

「えっ…」

「ご馳走さま」

 

まだ呆然としているサラに向かって、満足そうに笑いながらのご馳走さま。徐々にサラの顔が赤みを帯びていくのも仕方がないだろう。

やがて肩をプルプル震わせて俯いてしまう。しばらくしてサラは黙って立ち上がると、トイレに向かって無言のまま歩いていった。

桜介はそれを気にもとめずに、店員を呼んでお土産のデザートの分まで会計を済ませる。それから煙草に火をつけてサラが戻るのをゆっくり待つ。やはりどうしようもない男だった。

せっかく年上の女性をからかえるチャンスに、桜介が我慢などできるはずがなかったのである。

普段落ち着いている女性をからかうとどんな反応をするのかも気になっていたし、こんなことをするとサラにはまた女たらしだとか思われてしまうかもしれないが、そんなことはもうすっかりと忘れている。

この男、普段はわりとなにも考えていない。それ故に、その場の思い付きで行動をとることも少なくないのだ。

 

「おかえり!」

「……うん」

 

席に戻ってきたサラはいつもの様子に戻っているように見える。しかしその頬はまだうっすら赤くなっていた。

二人は店を出てそのまま寮に戻っていったが、帰り道の間サラは終始ジトッとした視線を、ドSの後輩へと向けていた。

 

 

 

 




ギース登場の話でした。話を早く進めるために利用してしまいました。ご都合主義です


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18話

桜介とサラが出掛けていったあと、楯無は生徒会の仕事を済ませ、部屋で一人悶々としていた。

 

「はぁ……」

 

(あの性格だから、今さら何を言っても、しょうがないのかもしれない…。でもやってることは、本当にめちゃくちゃよね……)

 

一緒にとったプリクラを見ながら、もう何度目かわからないため息をつく。

自分でも、何であんな人を好きになっちゃったんだろうと、そう思う。

桜介にあの掴みどころのなさは、まるで名前の通り、霞のようだ。

 

(自由奔放で、意地悪で、自信満々で…。それから強くて、優しくて、格好よくって、頼りになる…)

 

「はぁ……。素敵…」

 

楯無は気づけば、すっかりのぼせ上がっていた。

 

「……こっそり、携帯に張っちゃおっと」

 

持っていたプリクラを携帯に貼り付けて、上手く貼れたことに、楯無はにんまり笑顔を浮かべる。

貼ったのはもちろん、桜介にお姫様だっこをされている時のもの。

 

「わ、私ったら、何を考えてるのよっ!」

 

楯無は枕に顔を埋めて、足をバタバタさせた。

 

「でも、愛してるって、言われちゃった……」

 

―――じゃあな楯無、愛してる。

 

桜介のことだから、いつもの冗談だろう。

どうせいつものように、からかっているんだろう。

でも…嬉しかった。好きな人に、初めて言われた言葉だったから。

 

「はぁ……。惚れた弱味、かしら……」

 

(……それにしても、桜介くんって本当に女の敵ね。それにサラと、楽しそうにしちゃって…!)

 

楯無はプリクラの桜介をキッと睨み付けた。

サラと楽しそうにしているのを見ていると、何故かとてもムカムカした。

最初は声をかけるつもりなんてなかったのに、腹が立って気づけば飛び出していた。

 

「……私じゃ、だめなのかしら」

 

そう口に出してから、楯無はようやく気づく。

ヤキモチを妬いている自分自身の感情に。

 

(でも桜介くんは私のこと、どう思ってるんだろう?)

 

デートもした。頬にキスもした。守ってくれるって言ってくれた。

自分の真名も教えてしまった。家族以外には教えてはいけないのに…。

今思えば、最初から、初めて会ったときから、好きになっていたのかもしれない。

初めて出会った時に、他の人とは違う何かを確かに感じていた。

だから色々と、今までにしたことがないことも、もうたくさんした。

でも別に付き合っているわけじゃない。

何かそういう約束をしたわけでもない。

じゃあ単なる上司と部下?それともただの友人?

そこまで考えて、楯無の胸がぎゅっと押し潰されそうな程に痛んだ。

 

――それだけじゃ、嫌!

 

女として見てほしい、女として愛してほしい。

今すぐにでも会いたい、会って触れあいたい。

貴方のものにしてほしい、貴方が…欲しい。

 

(だめ……っ!これ以上…好きになったら、後戻り、できなくなっちゃうっ……!)

 

楯無は自分の気持ちに気づいてから、桜介と距離をおくように心の中で何度も何度も、自分に言い聞かせていた。これ以上好きにならないように。

更識楯無は更識家17代目当主。更識家の役割は対暗部用暗部だ。じゃあ霞桜介とはどのような男か?闇社会で最強と謳われし閻王。特に悪党に対しては滅法強く、無敵とされている男である。

悪党たちはその名を聞くだけで恐怖し、顔を見れば怯えて身がすくむものも多数いる。

あまりにも条件が良すぎる。本来ならこれはなにか運命の巡り合わせかと思ってしまうほど理想的な相手。強くて頭もよくて、ISにも乗れて。敵にはゾッとするほど非情だが、実は親しいものにはすごく優しい。

それに自分と同じ裏の世界で生きてきた男。それでいて心はまるで闇に染まらずに、純粋さはそのまま残している。自分好みの容姿も含めて、楯無にとってはまるでお伽噺に出てくるような理想の男性。

その奔放すぎる性格はたまに傷だが、それを補って余りある程に魅力的で。一度嵌まってしまったら、二度と抜け出せそうにない。それはまるで深い深い底無し沼のようだった。

 

(あんなの、あんなの、反則…。他にいるわけがないわ、ああいう人……)

 

もしかしたら、もうどっぷり嵌まってしまってすでに手遅れなのかもしれない。

どこまでも逞しくて、普段はふざけていても、本当に辛い時や困った時は誰よりも頼りになる。

いつでも心に余裕があって、何事にも動じず、ゆったり構えているから思いきり甘えられる。

つい意地を張ってしまいがちな自分の強がりも、桜介は黙って読み取ってくれる。

そんな実は自分が心の奥底で求めていたものを、最初から全て持っているのだ。

世界中探したってこんな漢は他にいないだろう。

それだけはすごく簡単に確信することが出来た。

本当はそんな男を絶対に逃がしたくなどない。

 

(あの人を、あの人を……知ってしまったら、もう他の人なんてっ……!)

 

桜介と出会うまでは、普通の恋は出来るかわからないが、それなりに優秀な男ともしかしたら恋をして、いつか結ばれる。そんな未来をなんとなく想像していた。

それが本物の男を知ってしまった今では酷く薄っぺらく感じて、そんなもの想像もしたくない。

 

(むりよ、むり、むり、むりっ!もう絶対むり、あの人しか、むりなのよ…)

 

それに他の男に肌に触れられるなんて、とても耐えられそうになかった。

既にそれほどに恋焦がれる楯無だが、桜介の家は1800年続く北斗神拳を受け継ぐ家。

その歴史は更識家よりも長く、楯無が17代目なのと同じように、桜介もその62代目の伝承者だ。

そして桜介はそれをとても誇りに思っている。

だからこそ更識の家を継いだ自分と、一緒になることは難しいだろう。

もう何度も何度も諦めようと思った。この甘くて切なくて苦い、そんな感情を教えてくれた燃えるような初めての恋を。

 

(でも、だめっ!どうしても、どうしても、どうしても、だめっ…!諦められない…)

 

楯無の名前を捨ててただの刀奈として、結ばれてお嫁にでも行けたらどんなにいいだろう。

でも楯無の名前は、そう簡単に捨てられるようなものではないのだ。

だからこの初恋はきっと叶わぬ恋、そう思うと心が簡単に悲鳴をあげる。

楯無はもう胸が苦しくて張り裂けそうで、手元の枕を強く強く抱き締めた。

 

「じゃあ桜介くんは、いつか他の人と…。それは……嫌っ、嫌よ、そんなのは、絶対に嫌…!」

 

気づけば口からは、そんな言葉が無意識のうちに漏れていた。

たまに自分に向けてくれるあの優しい眼差しを、桜介が他の女性に向けている。

そんな悲しい未来を想像すると、それだけで瞳からは涙がどんどん溢れ出てくる。

楯無はそれを拭わぬまま、枕に顔を埋めた。

そんなことをしていると、コンコンとドアを叩く音が聞こえてきた。

 

どきぃっ!?

 

同居人の突然の帰宅に、心臓が飛び跳ねる。

 

「も、もう、帰って、きちゃったの?まだ何にも…何にも、考えが、まとまってないのに…!」

 

もう楯無は完全に焦って、慌てふためていた。

 

(う、嘘!?も、もう、こんな時間!?どうしよう、どうしよう、どうしよう…)

 

「ふふーん♪ただいま~」

 

桜介はいつもと変わらない飄々とした様子で、悠々と部屋に入ってきた。

それに何故か上機嫌に鼻歌まで歌っている。

出かける時になんだかんだあったのも、この男はもうすっかり忘れてる様子だ。

 

(いつも、いつも、この男は…!誰のせいでっ、誰のせいでっ、誰のせいで…っ)

 

楯無はそれを見て無性に腹が立ってきた。

自分がこの男のことで、こんなにも悩んでいるというのに、目の前の男はいつだって、なんでもないかのように振る舞う。

まさに生粋の楽天家。それにいつも自分をからかっては慌てたり困っているのを眺めて楽しそうに笑う、意地悪な男だ。

よくよく考えてみると、いやよく考えなくても、とてもとてもひどい男だろう。

すでに楯無はもう、最初の頃からかおうとして自分からちょっかいを出していたことなど、完全に忘れてしまっていた。

そしてそんな男は一発ぐらい殴ってやらないと気がすまない、そんな気分になった。

 

「く、くらいなさいっ!」

「……なんで?」

「な、なんでもよ!た、たあっ!」

 

桜介はいきなり繰り出してきたパンチの連打を、軽く両手で受け止める。

パパパパパン!並みの男ならあっという間にノックアウトされるだろう連打も、桜介にはただじゃれあうようなものだ。

渾身の上段まわし蹴りも、桜介はあっさりと片手で受け止めた。

 

「パンツ見えるけど?」

「きゃあああっ!!お、桜介くんのエッチ!」

 

叫びながらの楯無の顔面への蹴りを、今度はその場でしゃがんでかわす。

 

「男はみんなエッチだろ」

「こ、このっ!女の敵っ!」

 

楯無が顔を赤くしながらも、飛び上がりキックを放つと、桜介はそれを掴んでニッと笑った。

 

「今日は紫ね。確かになかなかエッチだ」

「ば、バカっ!み、見たわね、私のパンツ!」

「心配しなくても、俺の記憶は写真に似ている」

「スケベっ!よ、余計に質が悪いじゃないの!」

 

からかわれて本気で怒った楯無は、そろそろISの拳を展開させようとする。

すると桜介は足を放してそのまま近づき、水色の頭にそっと手を置いた。

 

「刀奈、ただいま」

 

包み込むような優しい声で囁かれた自分の真名。

刀奈は一瞬ビクンッと体を跳ねさせると、その顔をカァァっと更に真っ赤に染める。

 

「っ!?」

「悪かったから、そんなに怒らないでくれる?」

「ず、ずるい……ひ、卑怯者っ…」

 

刀奈はずるいずるいと思いつつも、甘い誘惑に抗えず、背中に腕をまわしてギュッと抱きついた。

恋をしてから自分がダメになってしまった自覚はある。しかしそれ以上に心強い味方を得たのも、また事実なのである。

桜介も頭を撫でたまま片手を細腰に回して、それをすんなり受け止める。

二人はそのまま少しだけ抱き合って、やがて桜介から体を離した。

 

「あっ……」

「お土産買ってきたんだ。一緒に食べよう」

「……うん」

 

体を離されると刀奈はなんだか急に切なくなって、胸のうちからまた寂しさが込み上げてくる。

しかしそれを表には出さず、なんとか笑顔を作って返事をした。

本当はもっともっと抱き合っていたかった。ずっとそのまま、それこそ可能な限りいつまでも。そして、その温もりを独り占めしたかった。

でもそれを口に出すことは出来なかった。

だからそんな自分の心に気づかないふりをして、代わりに繋がれた手に少しだけ力を込めた。

 




基本的に霞拳志郎に準じたスペックにしたら、すごい何でも出来る男になってしまいました。


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19話

これISでも拳で戦った方が強くね?どうしよう?そうしよう!


「ええとね、一夏がオルコットさんや凰さんに勝てないのは単純に射撃武器の特性を把握していないからだよ」

「そ、そうなのか。一応わかっているつもりだったんだが…」

 

俺は土曜日の午後の自由時間、一夏達とアリーナに来ていた。シャルロットは一夏と同じ部屋になったらしい。

ちなみに楯無には既にギースからの情報は伝えてある。

 

「知識として知っているだけって感じかな」

 

「うっ…確かに。瞬時加速も読まれていたしな」

 

確かに一夏の瞬時加速は直線的だから、予測で攻撃出来てしまう。それにしてもシャルロットの説明は大変わかりやすい。俺は人に教えたことなんてないし説明なんてとても出来そうにない。だから黙って話を聞いていた。

楯無のレクチャーもわかりやすいが、何故か実戦訓練では俺を嬉しそうに攻撃してくるし、いつも俺を追い込んでは満足そうな笑みを浮かべている。あいつは俺になんか恨みでもあんのか?それとも俺をいじめて喜んでるみたいだし、実はSなのかね…、あれで。

 

 

「ふん。私のアドバイスをちゃんと聞かないからだ」

「あんなにわかりやすく教えてやったのになによ」

「わたくしの理路整然とした説明の何が不満なのかしら」

 

シャルロットのレクチャーを真剣に聞いている一夏に、箒や鈴、セシリアが不満を露にしている。三人とも説明下手だからな。セシリアはともかく、箒と鈴は一夏が好きだから拗ねてるのかもしれない。だが俺は訓練にそういうのを持ち込むのは、はっきり言って好きじゃない。

 

そう考えている間にもシャルロットの説明は進んでいく。第三世代型には特殊能力があり、それはセシリアのブルーティアーズだったり鈴の衝撃砲がそれにあたるらしい。ふむ~。勉強になるな~。

シャルロットが一通り説明を終えると、一夏の射撃訓練が始まった。

 

「おい」

 

オープンチャネルで声がとんでくる。

 

その声の主はボーデヴィッヒだった。

 

「なんだよ」

 

ボーデヴィッヒはまっすぐに一夏に向かって飛翔してくる。

 

「貴様も専用機持ちだそうだな。私と戦え」

「いやだ、理由がねぇよ」

「貴様にはなくても私にはある」

 

そしてボーデヴィッヒは語りだした。第二回IS世界大会『モンド・グロッソ』一夏が誘拐されたことで、織斑先生は決勝戦を棄権した。一夏がいなければ織斑先生はきっと大会二連覇をしていたはずだ。だから一夏の存在を認めない、そんなことを言っていた。

だがそれを聞いても、どうやら一夏はやる気がない様だ。

ふっ。甘いな一夏。喧嘩売られたら、とりあえず買えばいいんだよ、買えば。そのあとの方がお話もしやすいんだ。

 

 

「また今度な」

「ふん、ならば戦わざる得ないようにしてやる!」

 

ボーデヴィッヒは突然漆黒のISを戦闘状態へとシフトさせ、早速左肩の大型実弾砲が火を吹く。

 

俺はこの予想外の出来事に、さすがに驚いていた。

 

(ちっ!こんな密集した場所で!)

 

ゴガギン!

 

「こんな密集空間でいきなり戦闘を始めようなんてドイツ人は随分沸点が低いんだね。ビールだけでなく頭もホットなのかな」

「貴様」

 

シャルロットはシールドを構えて割り込むと、実弾を弾いた。そして右腕のアサルトカノンをボーデヴィッヒに向けて牽制している。仕方ないので、俺も渋々シャルロットの隣へいく。

 

「お前のせいで、ビールが飲みたくなっちまった。どうしてくれる~」

 

シャルロットはその言葉に苦笑いを浮かべると、またすぐにボーデヴィッヒへと視線を戻した。

模擬戦をする分には構わないが、周りの生徒を巻き込むつもりなら俺も対処せざるを得ない。

 

「まるで狂犬だな。なんなら俺が遊んでやろう。シャルル下がってろよ…」

「わかったよ」

 

シャルロットを下がらせて、ボーデヴィッヒを睨みつけた。狂犬には躾が必要だよな。

 

「なんだと…」

 

これでは狂犬には通じないか。それならわかるように言い直してやろう。

 

「――――」

「貴様、ドイツ語を…!」

「これでも語学は得意でな。もう一度言ってやる。遊んでやるからかかってこい」

 

そうして睨みあっていると、アリーナにスピーカーから知らない声が響く。

 

『そこの生徒何をやっている!学年とクラス、出席番号を言え!』

 

これは騒ぎを聞きつけた担当の教師だろうか。

 

「ふん、今日は引こう」

 

ボーデヴィッヒはそれを聞いてあっさりと去っていく。

なんだ、やんねぇのかよ。止められたくらいで引くなら、最初から喧嘩売ってんじゃねーぞ。

 

ボーデヴィッヒが去ると、シャルロットがすぐに一夏に駆け寄った。

 

「一夏大丈夫?」

「ああ、助かったよ」

 

こうして今日の訓練は終わった。

すると一夏がシャルロットに声をかける。

 

「たまには一緒に着替えようぜ」

「い、いや」

「つれないことを言うなよ」

 

俺は内心吹き出しそうになった。俺には一夏が口説いてるようにしか見えない。口説いてんのかね。お前もシャルロットの正体をわかってるのかな?それともやっぱりホモなのかな?それなら俺も気をつけよう。

 

「シャルルちゃんは恥ずかしがりなんだよ。な?」

 

シャルロットの肩を軽く叩いてそう言うと、突然のちゃん付けにシャルロットは一瞬ビクッとした。

 

「そ、そうだよ」

「そういうことだ、一夏」

 

俺が説得すると、一夏は渋々といった様子で引き下がってゲートへ向かった。

俺がいるとシャルロットはいつまでも着替えられないだろうし、俺も一夏を追いかけるしかないか。

 

 

着替えが終わると山田先生がやってきて、週に二回風呂に入れるとのことだ。わりとどうでもいい。だが一夏は喜んでいた。

それから一夏が喜びのあまり山田先生の手を握っている時に、シャルロットはやってきた。しかしその時のシャルロットは何故か不機嫌そうだった。やだ。もしかしてこれが嫉妬ってやつ?シャルロットちゃんもう落とされそうじゃないですか。え?もう?この学園にはもしかしたらちょろい子しかいないんじゃないか。最近そう思えてならない。それとも一夏の手が早いんだろうか。それなら是非ともその秘訣を、一度聞いてみたいもんだ。絶対本人わかってないだろうけども。ふ~、仕方ない。その様子を今度じっくり観察してみよう。

 



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20話

ストーリーはサクサク進めてくスタイル


部屋で読書をしているとコンコン、とノックの音が聞こえてくる。

 

「桜介いるか?」

「ああ、どうした?」

 

ドアを開けると、一夏がシャルロットを連れてきていた。これはもうそういうことだよな。今日は普通に胸が膨らんでいることから、もう隠す気もないんだろう。

 

「まぁ入れよ」

 

入室を促して二人を部屋のソファへ座らせる。

 

「どうしたの?そんなに慌てて!まさか女の子になっちゃったわけでもあるまいし」

 

すると、予想通り驚愕の表情を浮かべる二人。

 

「何で知ってるんだよ!?」

「なんでわかったの?」

 

驚いているシャルロットと一夏。だからおっぱいがね?たしかに最初は匂いで気づいたのもあるが、そもそも。

 

 

 

お前のような男がいるか。

 

 

 

 

それから俺は変装のプロだ。

 

 

 

 

よくよく話を聞いてみると、一夏は裸を見るまで気づかなかったらしい。ああ、是非とも俺も見たかった。俺も同じ部屋なら見れたかもしれないのに。これは完全に住み着いてる猫のせいだろう。これは責任とって裸を見せてもらうしかないだろ、もう。我ながらめちゃくちゃないちゃもんのつけ方だと思う。たちが悪いとよく言われる。

 

「初日からだ。生徒会長も最初から知っていた。俺達のデータが目的なのも」

「……うん、そうだよ」

 

あっさり認めるシャルロット。それでいいのかシャルロット。もともとお前に隠し事など向いていないようだ。

 

「それで?どうすんの?」

 

俺が質問すると一夏が自信満々に口を開いた。

 

「特記事項二十一、本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がなければそれらの外的介入は原則として許可されない。つまり三年間は大丈夫だ。その間に何か考えるつもりだ」

 

それで俺にも一緒に考えろということだろうか。しかしそれは残念。

 

「あっ、そう。その事なんだけど、実はもう終わってるんだよね」

 

根回しも含めて。実にいい友達を持ったもんだ。この礼は今度酒で返そうと思っている。

 

「フランスに友達がいてね、なんとかしてもらった。だからいつ本国に呼び出されても大丈夫だ」

 

まだ呆然としてる二人を気にせず、俺はそのまま話を進めることにした。

 

「シャルロット・デュノア。俺はお前の事情もすべて知っている」

「…うん」

 

俯くシャルロット。

 

「それを踏まえて言う。父親にも事情があったみたいでな、どうやらお前の親父さんは思ったより悪い人ではなさそうだ」

「え…?そ、それはどういうこと!?」

「俺の口からは言えんな。気になるんなら自分で親父さんに聞いてみるべきだ」

「うん…それはわかったよ。でも…なんで助けてくれたの?」

 

大した理由なんてないんだ。窓を開けて煙草を一本取り出し、火をつけて煙を吸い込む。

 

「ここで終わるには惜しい、そう思っただけだ」

「それだけ?」

「それだけだ」

 

そんな真剣な顔で聞かれても、それしか答えられない。これでなんとか納得してくださいよ。敢えて言うなら俺も母さんと会えたのは最近だから、少しだけ感情移入しちゃったのかもね。

 

「それじゃあね、お疲れさん」

 

話が終わって一夏とシャルロットが部屋を出ていくと、入れ替わるように楯無が入ってきた。こいつ、さっきの話聞いてたんだろうか。

 

「お前、話聞いてただろ?」

「うふふ。それにしても桜介くんて、やっぱり素直じゃないわねえ♪」

 

俺より素直なやつなかなかいないだろ。こいつがなんで上機嫌なのかわからないが、こういうところを見られるのはやっぱり少し照れくさい。

 

「それより、刀奈」

「な、なにっ?」

 

仕返しに本当の名前で呼んでやると、刀奈は体をビクッと跳ねさせた。

どうやらまだまだそう呼ばれることに、慣れてはいないらしい。

 

「ふ。なんでもない」

「くっ!そ、それにしても桜介くんって、不思議な人脈があるのねぇ……」

「ま、友達だねぇ」

「いい友達ね。なかなかいないわよ、あそこまですぐ動いてくれる友達なんて」

 

なんだか友達を誉められるのは、自分が誉められるよりも嬉しいもんだ。

 

「ふふ、そうかもねぇ。とりあえずお疲れさん」

「あはは。お疲れさま」

 

ソファーに体を預けていると、俺の頭を抱えるようにして抱き締められた。制服越しでも柔らかくて気持ちいいし、いい匂いがする。そして、何より温かい。

精神的に疲れている時に優しくをされると弱いのは仕方がないだろう。人になにか頼むのは昔から苦手だから。

俺ってやっぱちょろいんだな。それとも大きな胸にはなにか安心感のようなものがあるのかね。

そんなバカなことを考えながら、今はこのままこの温もりに癒されることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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21話

日曜日。

 

用事もないので部屋でゆっくりしていた。今は朝食を済ませてコーヒーを飲みながら読書をしている。楯無も俺のベッドで雑誌を読んでゴロゴロしている。おい、お前のベッドあっちだろ。まったりしすぎだ、人のベッドで。こいつ、俺のベッド好きすぎだろ。寝てる間にもこいつは勝手にベッドに入ってくる。そんなに好きならお前のベッドと交換してやろうか。こいつのベッドなんかいい匂いしそう。そうだ。そうしよう。でもそれムラムラして寝れなさそう。

 

「ねえ。桜介くんは兄弟っている?」

「弟が一人いるね」

「…仲良いの?」

「なつかれてはいるのかねぇ。俺の真似ばかりするから。それがどうかした?」

「あのね……」

 

なんだ?急に黙りこんで。訝しげな表情で見ていると、楯無はしばらくしてようやく話を始めた。

 

「私にもね。妹がいるの…。名前は更識簪。日本の代表候補生なの」

 

そう言って携帯の写真を見せてくれた。写真には水色の髪の眼鏡をかけた女の子が写っていた。それを見て正直少しだけ可愛いと思ってしまった。つーか携帯の中、妹の写真ばっかりじゃねーか。その中に俺の寝てる写真もあるのは、どういうことなんですかねえ。許可した覚えはないですよねえ。使い道が気になるんだけど、使い道が。そもそも妹の写真、目線こっち向いてないんだよね。これ盗撮だよね?俺の写真も盗撮だし。お前の携帯、盗撮写真しか入ってないよね。怖い、暗部怖い。

もしかして俺って狙われてるの?いじめすぎてもうターゲットにされてるの?ターゲットの写真って寝顔でもいいの?俺はそのうち暗殺されちゃうの?そしたら返り討ちにしてくれよう。捕らえて拷問にかけるしかないなぁ。ゴクリ。ヤバイ、興奮してきた。

 

「性格はネガティブっていうか…その…暗いのよ。あ、これは内緒だからね。誰にも言わないでね」

 

今のお前も充分に暗いだろ。

 

「で?なに?紹介してくれんの?」

 

なんかしんみりしてるから、少しおちゃらけて聞いてみた。

 

「……バカ。それでね…。妹とあんまり仲がよくなくって…どうしたらいいのかなぁって」

「お前って妹のことどう思ってんの?」

「もちろん好きよ…。たった一人の妹だもの。でも少し冷たくしちゃったりもして…」

 

そりゃあんだけ写真持ってりゃ大好きだろうな。妹は俺と違ってターゲットではないだろうから。

やられる前にこっちから捕らえて拷問してみようか。まずは縛ってみよう。

ヤバイ、興奮を隠しきれなくなってきた。俺って変態だったのか。やっぱ最近溜まってんのかな。

 

「じゃあ仲直りすれば?」

「でもあの子、私に引け目があるから…」

 

ふーん。出来すぎた姉を持つ故に悩む妹か。実際はわりとポンコツだったりするが、こいつそれ普段表には出さないからな。

妹が自分をどう思ってるかわからなくて怖いのかね。そういうことなら答えは一つだ。どのみち俺は味方になると決めている。

 

「俺が妹と接触してみよう。それでお前のことどう思っているのか確認してみるよ」

「うん…。ありがと。迷惑かけてごめんなさい」

「いいさ。それにお前には笑顔がよく似合う。いつまでもそんな顔してるんじゃねぇよ」

「あ、あはは、ごめんね」

「やっと…笑ったな」

 

そう言って頭を撫でると、楯無は気持ちよさそうに黙って目を瞑った。そんなこいつは例えるならやっぱり猫だろうか。

やれるだけのことはやってみるつもりだが、お前もきちんと妹と向き合う覚悟だけはしておけ。いくら協力したところで、こういうのは結局最後は二人次第なんだ。

だからとりあえず、今の俺に言えることは一つだけだろう。

 

「出来たら携帯に貼らないでくれるかな、プリクラ。恥ずかしいから」

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日。

 

 

朝、一夏とシャルロットと一緒に教室に向かっていた。

途中、シャルロットに先日の件のお礼がしたいと言われた。それなら煙草を一本もらおうか、と言ったら「持ってないよ!」と真顔で言われたのが、少しだけショックだった。

 

「そ、それはほんとなの!?」

「う、嘘じゃないでしょうね!?」

「本当だってば!この噂学園中で持ちきりなのよ?月末の学年末トーナメントで優勝したら好きな男子と交際でき―」

「男子がどうしたって?」

「「「きゃああ!?」」」

 

一夏がクラスに入って声をかけると、女子が悲鳴をあげて席に戻っていった。

 

「なんなんだ?」

「さあ」

「どうでもいいさ」

 

 

昼休み。

 

俺は四組に向かっていた。俺は今まで四組に行ったことはないが、とりあえず行ってみることにした。男は度胸だ。

 

「霞くん、どうしたの?」

「何か御用ですか?」

「誰かに会いにきたの??」

「ふっ…」

 

早速、四組の人たちに声をかけられた。どうすんだ、これ。何も考えてないけど、もう行くしかねーだろ。いくぞ。とりあえず簪さんには楯無と一夏の名前は極力出さない方がいいと言われている。一夏とも専用機絡みで色々あるらしい。良かった。俺、一夏じゃなくて。でもこれ用件もないのに、いきなり簪さんに話しかけたらただのナンパじゃない?いきなりハードル高い。まぁいい。やるだけやってみるか。よし、ミッション開始だ。

 

「更識…簪さんはいるかい?」

「「「え?…。」」」

 

俺の言葉に驚いて、四組の女子が道をあけるとクラスの一番後ろの窓際の席に

 

 

 

――――天使がいた

 

 

 

これはダメだ…。俺は一瞬その場で惚けてしまっていた。だが一瞬で気を取り直して、その席に向かい簪さんの正面に座る。そして無言でジッーと向かい合う俺たち。どうすんだよ、これ。小悪魔(楯無)の妹は天使。正直写真とは比べ物にならないぐらい可愛い。所詮盗撮だからな~、あの写真。姉妹だけあって少し似ている。水色の髪に赤い瞳。髪の毛は内側にはねている。この子、まじ天使。いつまでも見ていられそう。

 

「……霞桜介」

「……更識簪」

 

自己紹介終わり。とりあえずこの子パン食べてるから早速ここで今日の唯一の武器を使うか。胸ポケットからイチゴミルクを取り出して簪さんに差し出す。

 

「どうぞ」

「……。」

 

簪さんの視線はイチゴミルクとこちらをいったり来たりしている。もらってくれないかな~。よく考えたら好みとか聞いとけば良かったじゃねぇか。仲良くなるには必要だろうが。本当にやる気あんのか、俺は~。こんなに天使だと思わなかったからなあ。こんなに可愛いなら可愛いと言って欲しかった。うん、言ってた。すごく言ってた。言ってたよ~。どうせ身内贔屓だろうと俺が聞き流してただけだ。バカ、俺のバカ!写真写りあんまりよくなかったのか。それにしても、天使はイチゴミルクなど飲まないのだろうか。女の好きな飲み物なんてよくわかんねーんだよ。しばらく無言で見つめあっていると、簪さんはイチゴミルクを受け取り、ストローを差すとちゅーと吸い込んだ。

 

「……ありがと」

 

うん、可愛いわ。イチゴミルク、今度ダース買いしておこう。

 

「それは……買い、すぎ」

 

なっ!?天使は心が読めるのか。俺も読めるようになるかな?実は母さんは読めるんだよね。ん?天使がじーっとこっちを見てる。

 

「なんで…ここに、きたの?」

「君に興味があったから」

 

はい、これまるっきりナンパですね。

 

「……そう…なんだ」

「そうだ」

 

とりあえず俺はあれこれ考えることをやめて、懐から肉まんを取り出し、自分も昼飯を食べてみることにした。

 




はっちゃけてしまった


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22話

放課後。俺は簪とIS整備室にいた。

 

授業が終わって俺が四組の前で待ち伏せして勝手についてきただけだ。

これじゃまるでストーカーです。

その際は訝しげな視線を向けられたが、来るなとは言われなかったからセーフ。

少なくとも嫌われてはいないだろう。

簪さんはキーボードを打ちながら空中ディスプレイを見ている。

未完成の『打鉄弐式』を自分一人で完成させようとしてるらしい。

楯無が未完成の『霧纏の淑女』を一人で完成させたと簪は思っているようだ。

実際は黛さんや虚さんにも少し手伝ってもらったらしいが、俺はあまり詳しいことは知らない。

残念ながら、技術的なことは詳しくないので黙ってそれを見ている。

簪の手が止まったので、とりあえず買っておいたイチゴミルクを取り出した。

簪さんはそれを受け取るとまたちゅうちゅうと吸う。

可愛い。やっぱりストックしておこう。

よし、まずはそのために冷蔵庫を買おうか。

 

「霞くん…大げさ」

 

今、声に出ていないよな。やはり天使には敵わないのかね。でもそれでもいいか、天使だから。

 

「簪さん、どっかいこうぜ」

 

「いつ?」

 

「ふ…。もちろん今だよ」

 

そんなわけでちょっと強引だけど、今から二人でバイクで出かけることにした。

駐輪場に歩いている間も嫌がる素振りを見せなかった簪に、早速俺のバイクを紹介する。

 

「これだ」

 

「かっこいい…」

 

簪はバイク見ると目をキラキラさせている。もしかしたら、バイクが好きなのかもしれない。可愛い、とにかく可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

桜介は簪を後部座席に乗せて、崖沿いの道をひた走る。その顔はこの世の春かというほどにとても幸せそうだ。

しかし途中なにかに気づいたのか、緩んでいた頬を突然引き締めた。

 

「簪さん、よくつかまってろ」

 

「えっ!?」

 

簪が返事をするよりも早く、蛇行するようにハンドルを動かす桜介。

それと同時に後方の車から飛んできたのは、発砲音を伴う複数の銃弾だった。

 

「くそっ、人の青春を邪魔しやがって。俺がなにしたっていうんだよ!」

 

実際には街で絡まれるたびに血の海に沈めたり、組織ごと壊滅させたりと、闇社会の連中にはやりたい放題やっている。

だがそんなものはいちいち覚えていない。それだけのことである。

 

「お前…!よ、よくそんなことが言えるなぁ!?死ねええ、閻王っ!!」

 

そんな叫びと一緒に、なおも飛んでくる銃弾。二人が乗ったバイクはそれをかわしながら走る。

 

「か、霞くん!?」

 

「心配すんな。すぐに終わらせる」

 

バイクをUターンさせて逆に車の後方へつくと、銃弾を避けながらすぐに追い付いて、助手側のドアに蹴りを入れる。

 

「当たったらどうすんだ、こら!」

 

「ぎゃああ!」

 

一発で大きく陥没したドア越しの蹴りを受けて、銃を打っていた男が最初に悲鳴をあげた。

 

「ひいいいっ!?」

 

それで完全にびびってしまった運転手の男は慌ててハンドルを切り、ガードレールとバイクを挟み撃ちにしようとする。

 

「簪さん、飛ぶぞ」

 

「っ!?」

 

わけがわからずギュっとしがみつく簪に、桜介はイタズラ小僧のように笑いながら、地面を両足で強く蹴った。

バイクごと空中に高く飛び上がると、避けられた車は勢いあまってガードレールレールにおもいきり衝突する。

 

「す、すごい……本当に飛んだ!」

 

クラッシュした車からだいぶ離れた前方に無事着地すると、すぐに簪はそんな感想を漏らした。

 

「ちょっと待っててね。悪党はしぶといんだ」

 

一旦バイクを止めると、桜介はにっこり笑って一人で車へ歩いていく。

そして近づくと運転席側から車の中を覗く。すると運転席の男はたしかに気絶しているが、助手席の男はまだ意識があるようだ。

 

「え、閻王!な、な、なにする気だよ!!」

 

「別に…。それよりなんか臭いねぇ」

 

男は悲痛な声をあげるが、桜介は興味なさげに懐からタバコを取り出して、それに火をつける。

 

「おい、ばか、だめ、ここでタバコはだめぇ!」

 

「あ?なんでだよ、俺は吸いたいんだ。だいたいどこで吸おうが、お前に関係ないだろ」

 

「が、が、ガソリンが漏れてるでしょお!?タバコなんて吸っちゃだめぇ!!」

 

ドアに挟まれて車の中で動けない男は、涙目になりながら必死に説得しようとする。

 

「わかったよ。じゃあやめよう」

 

どうやら男の思いがきちんと通じたようだ。桜介は吸いかけのタバコを指で空にピンと弾いて、すぐにその場から去っていく。

 

「ば、ばかぁ!そうじゃな……」

 

直後、もちろん車は盛大に爆発した。しかし、もともと車の通りの少ない道だ。幸い他の車が巻き込まれることはなかった。

 

「お待たせ。海にでもいこうか。まだ泳ぐには少し早いが、今はきっと風が気持ちいいよ」

 

「あの人たちは…?」

 

「さあ?泳いでるんじゃないか」

 

(今頃火の海を越えて、三途の川を…)

 

 

 

 

 

海に着いてから二人はベンチに座って夕日をみていた。浜辺は夏が近いので夕方でもまだ少しだけ暑かった。夕日を見ている間も二人はあまり言葉をかわしていない。

しかし言葉などなくても、意思疏通がとれている。二人ともそんな不思議な思いを抱いていた。

 

―――更識簪にとって、霞桜介はもともと強い興味の対象だった。

 

まず織斑一夏の周りにはいつも誰かしらがいたが、桜介はわりと一人でいることも多かった。そう、まるで自分と同じように。

桜介はいつでも飄々としていて、何を考えてるかわからないが、自分と違って明るい性格なのは遠目で見ていてもわかった。それはまるで自分の姉と同じように。

それでも桜介は必要以上に、あまり人を近づけないようにしている印象だった。だから、昼休みに自分の教室に来たときは内心驚いていたが決して嫌ではなかった。

生身でアリーナの扉を壊したのを実は見ていたが、簪はあまり驚きはしなかった。最初見た時から桜介の纏う雰囲気が、普通の人とあまりに違っていたから。

姉のように超人的な身体能力ではなく、この男は本物超人だった。だけど何故かそれを怖いとは思わなかった。

放課後いきなり連れ出されて本当に驚いた。でもバイクに乗るのは初めてで、正直ワクワクしている自分がいた。そして道中、悪党を寄せ付けないその姿はまるで本物のヒーローのようだった。

最近はずっと一人で、開発のことばかり考えていた。だからこんな気持ちになったのは、すごく久しぶりのことだった。

 

「霞くんは…不思議な人」

 

「変わってるってよく言われる」

 

ははっと無邪気に笑う桜介の自然な笑顔に、簪の頬が薄い赤に染まった。

 

「簪さん、よかったら俺と友達になってくれないか。実は友達…少ないんだ」

 

困ったように言う桜介に、簪はぷっと少しだけ笑ってから、それに対して返事をする。

 

「じゃあ…簪、でいい…」

 

「俺も桜介でいいよ。よろしくな、簪」

 

簪は桜介が差し出した手を控えめに握った。

もうその顔は夕日のように真っ赤になっていた。

二人はそのあともたくさん話をした。

好きな食べ物や趣味のこと。

家族の話も少しだけした。

それでも桜介はあまり突っ込んだ話はしなかった。

少なくとも、本心から姉を嫌っているわけではなさそうなことに桜介は少しだけ安心していた。

 

「…そろそろいくか」

 

「うん…」

 

二人は手を繋いでバイクまで歩きだした。

 




簪さんと友達になりました。内容が薄いです。いずれ加筆しようと思います。


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23話

海から帰ってきて今は部屋でくつろぎ中。

 

もう時間が遅かったので、夕食はコンビニで一緒に買い食いして済ませた。残念だがディナーには今度誘おう。好きなものを楯無に聞いてお店を予約しないとね。だがあまり気合い入りすぎて引かれるのも怖い。俺にもそんな心がまだ残っていたんだなぁ。あぁ~もう、簪の食費用に、小遣いの一部を別口座で貯金しようかなぁ。まあ友達になったからそれぐらいは普通だな。そんなことを考えているとノックのあとに扉がバタンと開いた。どうやら、天使の(小悪魔)が帰ってきたようだ。

 

「どうだった?簪ちゃんの様子…」

 

「友達になったよ。すごくいい子じゃない」

 

俺はどや顔で言ってやった。どうだ、羨ましいかね。この出会いをくれた君には感謝しているよ。

 

「えっ…?もう、友達になったの?」

 

そう言った楯無は驚いた顔をしている。予想外の俺のコミュ力にびっくりしたようだ。まあ、慌てるな。ちゃんと一から説明してやるから。

 

「一人で四組に乗り込んだ時は、どうなるかと思った。ま、結局そのまま二人で昼飯を食べたんだけどねぇ」

 

あの時は緊張したけど、勇気を出して本当に良かった。自分で自分を誉めたいぜ。

 

「あの簪ちゃんが……」

 

驚いているね。やっぱり内向的なもの同士、気が合うのかもしれないな俺たちって。もうベストフレンドといってもいいんじゃないかな。いいよね?片思いじゃないよね?片思いだったら死にたくなる。

 

「放課後は整備室まで着いていったんだ」

 

「……よくあの子に、拒絶されなかったわね」

 

妹のことなのに、まるでわかってないな。天使はそんなことしない、絶対しない。

 

「とりあえず断られるまでは、がんがん行こうと思って」

 

「……その積極性はどこから来るのよ」

 

天使への愛情からに決まってんだろ、わざわざ言わせるんじゃない。

 

「そのあとね、海までツーリングした」

 

「は……?」

 

あれ?たっちゃん黙ってしまった。

そんなに羨ましかったのかな。お前も仲直り出来たらすればいいさ。そのために俺は今頑張っているんだから。いくら天使に魅了されようともお前の頼みを忘れちゃいないさ。

これ以上は自慢になってしまうが、とりあえず最後まで説明を続けるか。

 

「海でしばらく夕日を見たんだ、二人でね。綺麗だったなぁ。その後コンビニで買い食いして、さっき帰ってきたというわけさ」

 

ふふっ。これじゃ自慢になっちゃったかな?妹と仲良くしたいこいつにとっては。もしかしたら嫉妬されちゃうかもしれない。

 

「突っ込みどころがありすぎて……もうよくわからない……」

 

なにを突っ込む気だ、なにを。ただの青春だろう。思い出したら今日の俺って本当に青春してるな。まさか俺にそんな機会があるとは…。感謝します、姉さん。

 

「ふっ…。簪は天使のような女だ。前世はきっと修道女かなにかに違いない」

 

「て、天使って…」

 

「ふふふ、もう俺の友達なんだけどねぇ」

 

ふふんと自慢げに言ってやった。今まで青春とかそういうのあんまりなかったから新鮮だった。やっぱり青春って最高ですね。

 

「まず、初日でもう名前呼び!?いくらなんでも…早くないかしら…。うちの家はそういうのって…特別なのよ……」

 

「特別な友達だから当然だろ」

 

むしろベストフレンドですし。いやもうそれ以上の何かと言ってもいいだろう。なんだろうな、今度ゆっくり考えてみようか。

 

「いきなりツーリングとか、びっくりよね…」

 

「誘ったら行けた」

 

俺が笑顔で親指を立てると、それを見た楯無は顔を引きつらせた。

そしてどうしていきなり身を乗り出してくる。

どうしたんだろう?何か問題でもあるのかね?

 

「あ、あれ?おかしいなぁ。私はまだ乗せてもらってないんだどなぁ…」

 

「相手は天使だ…仕方ないさ」

 

ニッコリ笑ってそう言ってやった。羽のない天使には乗り物が必要だろう?当然のことをしたまでだ。

 

「そう…なんだ」

 

「だから今頃はきっと…天に祈りでも捧げていることだろう」

 

「……アニメでも見てるわよ、きっと。簪ちゃんのことあなたに頼んだの…早まったかしら」

 

そんなことを言って楯無は顔を曇らせた。だんだんと元気が無くなってきたが大丈夫だろうか。

 

「た、たしかに簪ちゃんは可愛いけどね!じゃ、じゃあ、その、私は?」

 

「小悪魔。もしくは痴女」

 

楯無の問いかけにはボソッと答えてやった。なにを今さら。あんまり大きな声で言ったら可哀想だから、小さな声で言った俺の優しさに感謝したまえ。

 

「うふふ、うふふふふ。この……すけこましっ!覚えてなさいよ!お弁当のおかずが明日からどうなるか、今から楽しみねえ!?」

 

楯無は急に怒り出すと悪魔のような黒い笑みを浮かべていた。これはもう小悪魔じゃない、悪魔だ。

それにしてもそうきたか、それはまずい。このままでは俺の少ない楽しみが無くなってしまう。

食堂ってプロが作ってるだろうに、なんでこいつの飯は食堂より上手いんだろうか。

決して冗談ではなく、本当に毎日食べたいぐらいだ。

きっとこいつのせいで俺の舌が肥えてしまったんだろう。悔しい、こんな体にした責任とってよね…ってなんか重いな。

今からなんとか機嫌をとってみるか。それともここは開き直ってこのまま突っ走ってみるのも手だ。お姉さん簪さんを俺にください的なやつを、的なやつを、一発かましてみようかな。それはまだ早いかな、早いな。やめよう、殺される。

そういうのは一旦全部忘れて、とりあえず冷蔵庫でも買いに行こうかな。

これだけ思考を巡らせてるにも関わらず、楯無は満面の笑みを崩さない。ただし目が笑っていない。怖い、すげえ怖い。俺にも怖いものなんてあったんだな。

こうなったら、ここは思いきって話を変えてみよう。

 

「ところでシャンプー変えた?いい匂いがする」

 

「ふんだっ。おねーさんはもう騙されないわよ」

 

顔を膨らませて、いかにも怒ってますよという態度をとる楯無。

しかし俺はめげずに近づいて、同じベットに座り水色の髪を撫でてみる。

 

「あっ…」

 

楯無は少しだけ反応してから顔を逸らした。これは効いてる、効いてるぞ。

 

「空みたいな…綺麗な髪だ」

 

さらに髪を撫でると体がピクッと動いた。

これはやっぱり効いてるんじゃないか。

ここはとにかく誉め殺しの一点ばりだ。

俺はこのまま遠慮なく攻めることにした。

ここで引いたら負けなんだ、仕方ないんだ。

赤く染まった耳に吐息をフーッとかけてみる。

 

「ああっ…」

 

息がかかると楯無はビクンと体を震わせた。

俺は一体何をやっているんだ?一瞬そう思ったがここまで来たら後には引けない。だからさらに積極的にいく。

 

「この髪はずっと触っていたいな」

 

一片の躊躇もなく、髪の上から額に唇を落とす。

 

「んっ…!」

 

小さく声を漏らすと、その顔はさらに赤みを帯びていく。そのまま頬を撫でると、楯無は潤んだ瞳をこちらに向けた。ばか、そんな顔されると俺もまじになっちまうだろうが。

 

「刀奈」

 

「は、はいっ!」

 

ここで名前呼びをしてみる。少し卑怯な気もするがもう手段は選んでいられないんだ。

 

「可愛いな」

 

「や、やだっ」

 

ついに真っ赤な顔をふいっと逸らして、そっぽを向いてしまった。悪魔とか言っちゃったけど可愛いじゃない。

出来ればもうこのまま頂いてしまいたいぐらい。

だがこれ以上は色んな意味で危険だろう。歯止めが効かなくなる。俺の我慢にも限度があるんだ。だからここで勇気ある撤退を選択することにした。

 

「やだったよな、いきなりこんなことされたら。ごめんね、やめるから」

 

「えっ!?」

 

目の前で呆けているのをスルーして、俺は自分のベットに戻り、そのまま布団に潜る。

それでもなかなか眠れそうにないのはムラムラしてしまったからだろうか。本当に変だと思う、最近の自分は。

前の俺ならこんなことはあり得なかったのに。

しばらくするとその我慢に追い討ちをかけるように、俺の布団に入って後ろから抱きついてきた。

これは俺の精神力が試されているのだろう。

修行によって精神力もガッツリ鍛えられているはずなのに、これは寝れない、絶対寝れない。



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24話

数日後の昼休み。

 

あれから毎日四組にきていた。友達じゃなかったら完全にストーカーです。だが友達だから違う。今日も一緒にご飯を食べている。俺がおにぎりを食べていると目の前の簪がこちらを向いた。

 

「むっ……」

 

俺は黙って頷くと、イチゴミルクにストローを差して簪の口の前まで持っていく。簪はそれを手を使わずに、ストローを咥えてごくごくと飲んでいく。次は簪の口にメロンパンを運ぶ。はむはむと美味そうに食べる簪。内心、その可愛さに悶えた。基本、簪は表情がわかりにくいが、俺には簪が美味しそうに食べているのがわかる。数日昼食を共にするうちに、簪の考えがある程度わかるようになったのだ。やっぱり北斗神拳に不可能はないんだな。

そうやって簪が最後までパンを食べ終わると、俺はハンカチを取り出して簪の口を拭った。頬をうっすら染めて恥ずかしそうに微笑む簪が可愛い、お持ち帰りしたい。

だがお持ち帰りしたら間違いなく姉と遭遇してしまうだろう。俺の目的は姉妹を仲直りさせることだ。

 

「桜介、ご飯ついてるよ……」

 

そう言いながら簪は、俺の口の周りについた米をとってくれる。

 

「ふっ…。ありがとな」

 

頭を撫で撫ですると、簪は少しだけはにかんだ笑みを溢した。やはり、一度更識家にはご挨拶に行かないといけないか。一度当主にはご挨拶必要があるんじゃないか。

おはようの挨拶は今日した。ただでさえあれから俺の弁当は塩おにぎりのみだ。これ以上の攻めるのは危険だろう。俺は一旦考えることをやめた。今はただおかずが欲しいんだ、おかずが!あんなに頑張ったのに、なんでだ。

 

 

 

放課後。

 

ヘビースモーカーでヘビーストーカーの俺は、今日も整備室に来ていた。しかし手伝えることなんて、雑用ぐらいしかない。悔しいが俺では簪の力になることは出来ない。

 

「かすみ~ん、かんちゃ~ん手伝いにきたよ~」

 

そこに現れたのは布仏本音。俺が声をかけておいたのだ。俺の代わりに手伝ってもらうために。こいつは簪とは幼なじみらしい。羨ましいな。俺がもし幼馴染みだったら、親に土下座してでも許嫁にしてもらっているだろう。

 

「本音…」

 

「一人で頑張っている理由を俺は知っている。だが姉と同じことする必要なんてないだろ。そのままでもお前は、俺にとっての天使なんだ…」

 

「て、天使って……」

 

思ってることをそのまま話したら、つい天使と言ってしまった。姉の話をしても驚かないのは、きっと俺が姉といるところを見たことがあるのだろう。俺はお前が努力家なのをもう知っている。姉もそうなんだけど。なんだかんだでこの姉妹は似ているんだろうか。だが真似することはないだろ。そういえば弟も俺とそっくりだとよく言われるし、真似もされる。弟や妹とはそういうものなのだろうか。だが簪の場合はコンプレックスになっているようだから、それじゃいけない。

 

「本音はな、俺が呼んだんだ。だからお前の姉に言われて来たわけじゃない」

 

「私はかんちゃんの専属メイドなんだから、手伝うのは当たり前なんだよ~」

 

本音にも声をかけられると、簪は不安げな顔で俺を見た。それにこくんと無言で頷く。思いがちゃんと伝わっただろうか。伝わるといいな。いや、きっと俺たちならもうこれだけで気持ちは伝わるはずだ。最近は本当に通じあっているような気がするから。

 

「はぁ…。わかった……」

 

簪はしばらくすると、息を吐いて脱力しながらそう言った。それから二人でじゃれあっている。主に本音から絡んでいるようだが、これならもう一人で無理をすることもないだろう。俺も少しは力になれたのならいいが、姉との仲直りはとりあえずタイミングをみてだな。

 

 

 

 




サクサク進めたつもりです


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25話

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。学年別トーナメントは俺と組め」

 

「面白い。他のお気楽な連中よりはましだろう」

 

「そうか……。じゃあ、ま、よろしくねぇ」

 

この日の放課後、ボーデヴィッヒを屋上へ呼び出してペアに誘った。ボーデヴィッヒは俺が簪に張り付いてる間に、セシリアと鈴を倒してしまったようだ。知らないうちに俺の数少ない友人、一夏、シャルロットは組んでしまい、セシリア、鈴は出場出来なくなってしまった。簪は専用機が完成していないので出場しない。組む相手がいないことに俺は絶望した。だが、それならボーデヴィッヒにしよう、そうしよう、これは即決だった。今のこいつはまるで狂犬のようだ。放置するのも危険だろう。友人のセシリアと鈴がやられてしまったのは、女同士の試合の結果なら仕方がない。ちゃんと戦ったのなら、その結果に俺が口を出すのは野暮というもの。用件が済むと俺はすぐに屋上を去った。ペアを組むと言っても必要以上に馴れ合う必要もない。それから、今日の昼飯は焼おにぎりだった。相変わらずおかずはなかったが、具がきちんと入っているあたり、楯無の機嫌も少しはよくなってきているということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……霞桜介。不思議な男だ」

 

ラウラは桜介のことはもともとよく知らない。だが軍人として生きて来たラウラには、他のISをファッションだと思っているような連中とはものが違うということは、初見でわかっていた。

ふとした時に感じる、まるで歴戦の戦士のような研ぎ澄まされた雰囲気。そして睨みあった時に一瞬だけ漏れでた強烈な殺気。対峙したとき、ラウラがなかなか仕掛けられなったのもその為だ。

こんな男が普通の高校生などということは到底あり得ない。何故こんなところに、こんな男がいる。ラウラは強くそう感じていた。

そして実際のところ、桜介は裏社会の悪党を一人で震え上がらせている死神だ。ラウラのその勘はどこまでも正しかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

そして6月の最終週。

 

学年末トーナメント。

 

スクリーンにトーナメント表が表示された。

 

「織斑一夏、シャルルデュノアVS霞桜介、ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

「へ~、楽しみだねぇ」

 

「一回戦で当たるとはな。待つ手間が省けた」

 

「ボーデヴィッヒ。まぁ好きにやんなよ」

 

「もとからそのつもりだ」

 

そして試合の幕が上がった。

 

「「叩きのめす」」

 

「おおおおお」

 

「ふん」

 

一夏が瞬時加速でラウラに突っ込んでいく。ラウラが右手をつき出すと一夏の動きが止まる。

 

そこにシャルロットが、アサルトカノン『ガルム』の射撃で割り込む。

 

「あらら、シャルロットちゃんは俺と遊ぼうか」

 

シャルロットに向けてビームを放つが、シャルロットはギリギリでそれを回避した。

 

「遊ぶ暇が、あるといいけどね!」

 

「んー?あるよ?」

 

シャルロットは即座に左手にアサルトライフルを呼び出す。得意の『高速切り替え』だろう。

 

それを確認してレーザーライフルを拡張領域に戻すと、瞬時加速でシャルロットに近づいていく。シャルロットのライフルが俺に向けて放たれる。それを全部かわしつつ、そのまま接近する。

 

「え……?な、なに、それ?」

 

「んふふ。死神の舞い」

 

瞬時加速中の軌道変更は、機体に負担がかかり操縦者が骨折することもあると言われている。

だがそれは並みの人間ならばの話。そんな常識は北斗神拳伝承者という超人には通用しない。

並みの人間が骨折するような負荷など、あってないようなもの。極限まで鍛え上げられた鋼の肉体には痛くも痒くもない。

そして、蒼龍は桜介のために作られた専用機である。そもそも普通の人間が乗ることを全く想定していない。

それ故に北斗神拳伝承者が乗るために作られた機体は、普通では全身骨折するような無茶な動きを当たり前のように可能としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




バトルかけなくて泣ける。なかなか進まず


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26話

ほんとの駄文です。


「桜介が近接!?」

 

「そういえばお前は知らなかったな。もともと射撃は趣味だ。本当はこっちが本職なんだ」

 

近づく桜介に近接ブレード『ブレッド・スライサー』を展開するシャルロット。シャルロットの連続の斬撃を体を少しだけ傾けて避けていく。するとシャルロットは左手に連装ショットガン『レイン・オブ・サタディ』を呼び出す。

 

「この距離なら」

 

シャルロットのショットガンが火を吹く。だがそれも桜介は少しの移動でかわす。

 

「なんで!?」

 

不意をついたはずの攻撃が当たらないことで、シャルロットは焦燥に駆られる。

 

「狙いはよかったね。だが少し遅い」

 

桜介のもともと持つ拳法家としての勘と経験。そして入学してから培ってきた操縦者としての技術が、近接戦における最小の動きでの回避を可能にしていた。桜介は父も母も北斗の血を継ぐ純血の北斗の子。闘う為の遺伝子を持って生まれてきたといってもいい。それ故に、一般的なそれとは血筋からして違う。鍛練の度合いも違う。そもそも北斗神拳の天才と言われていた桜介は、生身の戦闘では入学時点で最強だった。そしてその桜介に入学以来ISの操縦技術を指導しているのは、学園最強にしてロシア国家代表の更識楯無。その指導は厳しく無駄がない。他を遥かに超越した格闘技術と経験、それからもともと危険を察知する直感力を持つ桜介に、ISの操縦技術が加われば近接戦においてはもう、並み大抵の攻撃など掠りもしない。

 

「ありえないでしょ、こんなのって…!」

 

全く攻撃の当たらない目の前の男に、シャルロットの驚きは計り知れない。

 

「北斗神拳に不可能はない」

 

急加速、急停止。そして、まるで暴れる雷のような急激な方向転換。

縦横無尽な動きで攻撃を一通りかわすと、桜介は左拳でシャルロットを殴りつけた。

 

「うあっ!」

 

呻き声を漏らして後退するシャルロットに、桜介は追い討ちをかける。右の前蹴りで蹴り飛ばすと、そのまま瞬時加速で追いかけてシャルロットが体勢をたてなおす前に、今度は右拳でぶん殴った。

 

「ほおぁ」

 

「あぁっ!」

 

殴り飛ばされたシャルロットが体勢を整えると、もう目の前には誰もいない。しかしシャルロットのハイパーセンサーが、既に背後でレーザーライフルを構えている桜介を感知した。

 

「遅い遅い。遅くて眠くなるぜ」

 

「はぁ…はぁ…。桜介って、実は性格悪いよね」

 

「女には優しくしろって、かあさんには何度か言われてるんだがね。それより、終わったら一杯やらないか?」

 

「……ノンアルコールならね」

 

桜介がシャルロットと戦っていたその時、突然アリーナに一夏と戦っているラウラの絶叫が響き渡った。

 

「ああああっー!」

 

桜介とシャルロットがそちらに視線を向けると、ラウラのISがグニャリと溶けて、黒い闇がラウラを飲み込んでいた。それが地面に降りるとそこに立っていたのは黒い全身装甲のISに似た何かだった。そしてその手にあるのは『雪片』。ブリュンヒルデ(織斑千冬)の武器だった。

 

「おい、なんか変身したぞ?よくあるの?こういうの。俺も変身したい」

「ねえ、もしかして桜介って……実はバカなの?あるわけないでしょ!」

 

桜介たちが話している間に、黒いISは飛び立つと一夏に向かっていった。一夏はそれを避けるが、左腕からは血が滲み白式は解除された。

 

「それがどうしたぁ!」

 

一夏はそれでも殴りかかりにいく。

 

「ちっ」

 

桜介は一夏に近づいてそのまま抱えると、黒いISから一旦距離をおいた。

 

「死ぬ気かばか」

 

「離せ!あいつぶっ倒してやる」

 

「お前死んでみる気か?」

 

「どけよ!邪魔するならお前も──」

 

一夏の言葉を最後まで言わせずに、桜介は胸ぐらを掴んで睨み付けた。

 

「おい、お前が俺を…?どうするって?笑わせるなよ、こら!織斑一夏!どうせ死ぬんだ。なんなら俺が殺してやろうか?」

 

一夏に向かって軽く、本当に軽く殺気を放った。

 

「わ、悪かったっ!」

 

だが殺気になれていない一夏には、それだけで充分だった。すぐに謝った一夏の体は、すでにガタガタと震えていた。しかし桜介がそれを引っ込めると、すぐに一夏は落ち着きを取り戻す。

 

「で?何怒ってんの?」

 

「あいつ、あれは千冬姉のデータなんだよ。あれは千冬姉だけのものなんだよ!くそっ」

 

「……シスコンなの?」

 

「それだけじゃねえ!あんな力に振り回されてるラウラも気に入らねぇ。ISもラウラも一発ぶっ叩いてやらなきゃ気がすまねぇ」

 

「そうか。だが白式のエネルギーがねーだろ」

 

桜介は呆れたように言った。

 

(一夏くん、シスコンは否定しないのね)

 

「ないなら他から持ってくればいい」

 

シャルロットが二人に声をかけた。

 

「シャルル…」

 

「僕のリヴァイブならエネルギーを移せると思う」

 

「なら俺が時間を稼いでやる。お前が決めてみせろ、一夏」

 

桜介はニヤッと笑って、一夏に拳を差し出す。

 

「わかった」

 

一夏も拳を合わせて、どこか覚悟を決めた顔で頷く。

 

「桜介は、なんだかんだでお人好しだよね」

 

「ふ。それはどうだろうね」

 

まず桜介がシャルロット達から離れて、黒いISに突っ込んでいく。

 

近づくと黒いISの刀が上段から振り下ろされる。

 

「さすがに速いな」

 

体を横向きにかわすが、黒いISは続けて下段から斬りあげる。

 

「おい、ラウラ・ボーデヴィッヒ。これじゃあ洒落になんねぇぞ」

 

桜介はそれをブレードトンファーで受け止める。

 

「お前は生きることに、どうしようもなく不器用な女だ。今はまだ生き方がわからないんだろう。だが晴れない雨はない。お前の心の雨が止んだらまた戦おうか」

 

トンファーで雪片を弾き飛ばすと、そのまま前蹴りで黒いISを蹴り飛ばした。

 

「一夏」

 

「うおおおおっ!!」

 

エネルギーを充填した一夏は白式を部分的に展開し日本刀のような形の零落白夜を構えて黒いISに向かうと縦に真っ直ぐ相手を断ち切る。黒いISが真っ二つに割れる。

 

倒れ落ちるラウラを一夏は抱き抱えた。

 

「……キザだな、おい」

 

桜介はラウラを抱える一夏を見て小さく呟いた。

 

 

 




一夏がどうやって一人でラウラを追い詰めたのかは、なんかうおおおおってやったと思われます。なんだか色々と夜王の主人公みたいだな…。


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27話

トーナメントは中止になり、俺は簪を誘って夕食を食べに食堂へ歩いていた。食堂に入ると簪の座る椅子を引いて先に簪を座らせてから食べ物をとりにいく。今日も簪に対して俺は尽くす気満々だ。更識家って執事は募集してるかな?当主に聞いてみるか。でもオルコット家と掛け持ちって出来るのか?そしたら本音の仕事とっちゃうか。別の席に一夏がシャルロットと座っているのが見えたが、そっちにはいかない。俺の天使()悪い虫(一夏)がついたら困る。女たらしには近づいてはいけない。これは簪にあとでちゃんと言い含めておこう。最低十回は復唱しもらおう。俺と簪のチャーハンを受け取って簪の正面に座る。ちなみに俺は鮭チャーハン。簪は蟹チャーハン。簪の食べたいものを聞いてから別のチャーハンにしたのは、決して一口交換したいからではない。

 

「待たせたな」

 

「…ありがと」

 

もくもくとチャーハンを食べる俺達。

 

「簪、良かったら俺の蟹チャーハンと一口交換しないか?」

 

「う、うん……はい、あ~ん…」

 

あーんと口を開ける俺の顔は、にやけるのを我慢するので精一杯だった。これもしかして、スプーン落としたら全部食べさせてもらえるんじゃないのか?

 

「うまいな。簪もほら」

 

そう言ってチャーハンを差し出すと、小さな口を開ける簪。パクッと食べる簪に癒される。可愛い、お持ち帰りしたい。その為にもそろそろ姉妹には、仲直りしてもらわないといけない。もう食堂には誰もいないし、ここで本題に入ろうか。

 

「簪はお姉ちゃんが嫌いか?」

 

「えっ…?ど、どうして…っ!?」

 

簪はいきなりそんなことを言われて、やっぱり戸惑っているようだ。

 

「楯無は簪が好きなんだって。それで仲直りしたいらしくて。ま、俺の気持ちには敵わないけど」

 

さりげなく俺の方が好きだと遠回しにアピールしつつ、楯無の気持ちも告げてみる。もしかしたら遠回しじゃないかもしれない。しかしまさに一石二鳥だな。

 

「あ、あの人は、わ、私なんかに、興味なんて、ないよ…」

 

「冷たくされたんだろ?じゃあそんなひどい姉は、お前の代わりに俺がぶん殴ってやろうか?」

 

「だ、だめ!」

 

反射的に簪が反応した。やっぱり嫌いなわけじゃないんだよな、本当は。よし、それなら俺も腹をくくろうか。

 

「あいつのスマホ、実は簪の写真しか入ってないぞ。あ、これ俺が言ったのあいつには内緒だから。本当に言っちゃダメだから」

 

「な、なんで…。なんで、そんなこと?」

 

突然のカミングアウトに簪は唖然としている。これは俺の小物臭に唖然としてるわけじゃないよな。違うよね。

だってばれたら間違いなく怒るだろうし、これは仕方ないだろ。

 

「お前を愛しているからだ。それにあいつは簪が思ってる程に完璧な人間じゃないし、人より努力もしている」

「そ、それは、桜介だから、桜介がすごく強いから、言えるんだよ!わ、私には…私には…信じられない…!」

「どっちも嘘じゃない。苦もなくなんでもこなしているように見えるのは、そう見せる努力もしてるからだよ」

「うそ!うそだよ、そんなの!」

 

困惑しながらも俺の話を聞いてくれてはいるが、簪はなかなか信じてくれない。

このままいって大丈夫だろうか。不安がないわけではないが、もうこのまま最後までいく。

 

「変なとこ不器用だから、自分が全部背負って家の仕事から遠ざけたかったんだと思う。俺も一応兄貴だからわからなくもない」

「うそ、いやっ、もう、聞きたくない…っ!」

 

簪は耳をふさいでしまった。もしかしたらまだ早かったのかもしれない。だからこれで最後にしよう。

 

「わかった…。じゃあもう言わない。でも俺がお前に本当に嘘などつくと思うか?」

 

じっと見つめると、簪はぶんぶんっと勢いよく頭を横に振る。信じてもらえたのはよかったが、その瞳からは涙が溢れていた。

 

「思わない、思わないよぉ…っ!そんなこと!」

「それはよかった。お前との友情に賭けて誓おう…。嘘などないと…」

「うん…うんっ…!」

「泣いてもいいさ。この胸でよければ貸してやる」

 

隣に行って抱き寄せると、簪は嗚咽を漏らして泣きだした。わんわんと思いっきり泣いている。

なんだ、そっくりじゃねえか。泣き方も、不器用なところも。やっぱり姉妹なんだねぇ。

それにしても泣かせるつもりはなかったんだがな、二人とも。

やっぱり俺はだめな男なんだろう。だがこれで俺の言いたいことは、全部伝えることが出来た。

ちゃんと伝わったかはわからないし、これで上手くいくかはもっとわからないが、俺が出来るのはここまでだろう。

最初の約束通り、あとは二人に任せるしかない。不器用な姉妹が仲直り出来るといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 



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28話

簪と別れてから桜介は、浴場の更衣室に来ていた。今日は男子が風呂に入れる日なのだ。

 

(ん?中に誰かいるのか?)

 

クンクン。

 

おいおい、まさか一夏とシャルロットが混浴してんのか。羨ましいな~。モテる男は手も早いのか。簪は絶対に俺が守ろう、死守しよう。近づきたかったら俺の屍を越えていくんだな。

決意を新たにして、更衣室でしばらく待っているとシャルロットが裸で出てきた。

 

「よ。シャルロットちゃん、湯加減はどう?」

 

普通に声をかけると、慌ててタオルで大事なところを隠すシャルロット。

 

「わわわっ。な、なんで桜介がいるの!?」

 

「男子の入浴時間だろう?」

 

むしろお前がなんでいるんだよ。赤い顔で下を向くシャルロットに逆質問をする。当然の疑問だろう?

 

「それより早く着替えろ。いくぞ」

 

「ど、どこに?」

 

「ふっ。約束しただろう」

 

約束は果たさねばならないだろ、約束は。

 

 

 

 

「ほら、入れよ」

 

「お、おじゃまします」

 

「今は誰もいないから遠慮すんな」

 

やって来たのは二年の寮にある楯無の(・・・)自室。楯無が桜介の部屋に同居してるため今は誰も住んでいない。もともと楯無は一人部屋でルームメートもいないため時々桜介がここを好きに使っていた。鍵は桜介の部屋の楯無の机においてあったのを勝手に拝借したのだ。なお楯無にはばれていない。ばれたら間違いなく怒るだろう。

 

「俺は先にシャワー浴びてくるからそのへん座ってな」

 

桜介はシャルロットをソファに案内するとシャワールームへと入っていく。まるで自分の部屋のように振る舞う桜介にシャルロットは呆然としていた。

 

「あ、乱入してもいいぞ。そういうの好きなんだろう?」

 

桜介はシャワールームから顔を出して意地が悪そうな顔をした。

 

「し、しないよ!桜介のバカっ」

 

シャルロットはボッと赤くなりそれを見て満足したのか桜介はシャワールームへ戻っていった。まもなくして桜介はシャワーから出てくると冷蔵庫を開けた。

 

「どうせならノンアルコールドリンク、作ってやるよ」

 

そう言うと冷蔵庫から3つのボトルを取り出して桜介はシェイカーに液体を入れていく。シェイクが終わるとそれをグラスに注ぎシャルロットに差し出した。

 

「シンデレラだ。それじゃあ乾杯しようか」

 

「ありがと。でもシンデレラは洒落が効きすぎだよ」

 

桜介はシャルロットの隣にどかっと座り自分のグラスにドボドボとどこからか出してきたウイスキーを注いだ。

 

「はぁ~。桜介はもう何でもありだよね」

 

「そうかもね…。それより女子として通えるようになったんだろう。良かったね、お疲れさん」

 

「おかげさまでね」

 

笑ってグラスを軽く合わせる二人。

 

「おいしい」

 

「ああ」

 

それから二人はたくさんの話をして、夜は更けていった。

 

 

 




シャルロットと絡ませたかっただけの話。あと拳志郎がバーテンに変装してたシーンがあったのでついでに。


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29話

この日、楯無はいつもよりも余計に顔をニコニコとさせて、授業を受けていた。

つまりはご機嫌なのである。実際、ここ最近の楯無はずっとご機嫌だった。

それは先日、長い間距離を置いていた最愛の妹である簪と仲直りしたから。

 

(桜介くんには本当に感謝ね。やたら簪ちゃんにばかり構うのは、とっても気に入らないけど…)

 

桜介が簪を溺愛してるという噂はもう二年生にも広まっていて、当然楯無の耳にも入っていた。

しかし実際に見たら、噂の比ではないぐらいにそれはそれはひどい有様だった。

 

(あれはいくらなんでも、ひとすぎるでしょ…)

 

3人で部屋にいると桜介のベッドに二人が座って、楯無は1人で自分のベッドに座る。

そして桜介はことあるごとに簪の頭を撫でる。お菓子を食べさせる。飲み物を飲ませる。

それだけじゃない。簪が立つときはわざわざ先に立って手を差し出す。

 

(いつからそんな紳士に!?私はそんなことされたことないのにっ…!中身は紳士の皮を被ったドSじゃない…)

 

と、そんなことをうっかり二人の前で言いそうになる程だった。楯無はそれを見てたらだんだんと腹がたってきて、その日はご飯を作らなかった。

すると、桜介は少し悲しそうな顔で「拉麺で食うか…」と呟いて、食堂にとぼとぼと歩いていったのだ。

 

(でもあの人、あれで可愛いところも…あるのよねぇ…。胃袋はもう掴んだみたいだし、私に夢中になる日もきっと近いわねっ…!!)

 

それからいつも通りに、楯無の妄想が始める。

 

(そ、そしたら、あんなことやこんなことも!?しちゃったり!しちゃったりしてっ…!?)

 

そして妄想はだんだんと、いつものように18禁の方向へと進んでいく。

 

(た、た、たっぷりと…!んふふ…。迫られちゃったら、ど、どうしよう!?あなたの好きなようにして…。な、なんて言ったら…!?)

 

実際にそういうとき、桜介ならなんて言うだろうか、なんてことを考えてみる。

 

『刀奈、抱かせろ』

 

「………ぶっ!!」

 

そのあまりの衝撃に鼻から液体を吹き出してしまい、慌てて鼻を押さえる。

もし仮に他の男が自分にそんなことを言おうものなら、間違いなくぶん殴るだろう。それどころか、ボコボコにしてしまうかもしれない。

しかし桜介ならば、はっきり言ってありだった。

楯無は吹き出した液体をウエットティッシュで綺麗に拭うと、こりずにまた妄想を再開させる。

 

(あ、あの人のことだから…!ほんとに、や、やりたい放題に…!?でも、でも…!そ、それも悪くない…。なんちゃって、なんちゃってぇ!)

 

また鼻血が垂れてきていることにも、妄想に夢中の楯無は気付かない。椅子に座ったまま、身をくねらせてひたすらに悶える楯無。

 

(もう!桜介くんのバカバカっ!エッチなんだからぁ!はっ!?い、いけない、また鼻血が…!)

 

楯無はあわてて今度はハンカチで鼻を押さえる。もう完全に初めての恋に舞い上がっていた。

だから授業中、顔が終始にやけきっていたことにも、ノートにもよだれが垂れていることにも気づかない。

そして今日もそんな様子で、周りの生徒からは怪訝な視線を向けられ、教師にはまたかと弱冠呆れられていることにも、最後まで気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

休憩時間になり、楯無が廊下を歩いていると、他のクラスの女子の話が耳に入ってくる。

 

「ねえねえ、霞くんまた来てるみたい」

「誰に会いにきたのかな?」

「最近よく見るよね~」

 

ドキィッ!?

 

霞くん、その名前を聞いただけで楯無の心臓が大きく跳ね上がる。

 

「な、なぁっ!?お、お、桜介くん!?」

 

思わぬ不意打ちに、楯無は激しく狼狽した。

 

(へ、平常心、こ、ここは、平常心よ!そう、たまたま、たまたま会いましたってことに…)

 

楯無は大きく深呼吸をすると、話をしていた女子達の来た方向へはやる気持ちをなんとか抑えて、ゆっくりと確実に進んでいく。

 

(あ!い、いたっ…!)

 

たしかに廊下には、口に棒キャンディを咥えて壁に背中を預けて立っている桜介の姿があった。

 

(うう、あなたは、こんなに、私を夢中にさせてどうするつもりなのよ!?)

 

覚悟はしていても実際に思い人の姿を確認すると、胸がギュッと締め付けられて苦しくなる。楯無は無意識に胸をおさえて、廊下の角へと隠れてしまう。

 

(はぁ…。やっぱり桜介くんだ…。飴なんか舐めちゃって…。でもそれもちょっと可愛いかも…)

 

桜介は十人中十人が男らしいと言うような容姿。つまりは男というよりも漢。

決して可愛いと言えるようなタイプではない。しかし恋する乙女は、今日もしっかりと盲目だった。

 

(も、もしかして、私に会いにっ!わ、私っ、私も会いたかった!な、なんちゃって…)

 

なんて甘い妄想をしていると、桜介のもとに三つ編みの小柄な少女が駆け寄ってくる。

その少女はギリシャ代表候補生フォルテ・サファイア。桜介はフォルテが来ると親しげに右手をあげて挨拶をした。

 

(う、嘘!?な、ななななんで、フォルテが!?)

 

それを見ていた楯無はおおいに狼狽する。そして二人の会話が気になってしかたがないので、このまま隠れていることにした。

 

「呼び出して悪いな」

 

「どうしたんっスか?飴なんか咥えて。桜介また何かやらかしたんっスか?」

 

「はぁ。フォルテ、お前は俺をなんだと思ってやがる。それとこいつは禁煙用だ。まぁいいや、お前今度の日曜、俺に付き合え」

 

「いやっスよ。どうせろくなことしないだろ」

 

「なんだそれ?ほら、これやるから」

 

桜介は胸ポケットから高級そうな葉巻ケースを取り出すと、ケースごと手渡す。

 

「……あんた、ほんとに悪い男っスね」

 

それを黙ってポケットにしまい、ニヤッと笑うフォルテ。桜介もそれを見てニヤリと笑う。

 

「ふっ。お前もな」

 

「ふはは」

 

「はっはっは」

 

楯無がずっと見ていることと知らず、二人はハイタッチすると、揃って大声で笑いだした。

 

(い、いつの間に、知り合ってるのよ!?ふらふらしてるうちに気づいたら仲良くなってるとか、そんなのばっかりよね、この人)

 

そういえばサラの時もそうだったと、楯無は少し前のことを思い出していた。

そしてそんな予想は見事に当たっていた。

 

『タバコ……一本もらっていいっスか?』

『ああ、いいよ』

 

これが屋上での二人の出会いである。

 

(あの男…どこが口下手なのよ!?どこからどう見ても、すっごいフランクでしょうが)

 

桜介が以前、自分のことをそんな風に言っていたのを回想して楯無は憤る。

しかもフォルテのどこか影のある雰囲気や、背格好は桜介が溺愛する自分の妹に似ているような気がしなくもない。

それが余計にあーいうタイプが好きなのかと、さらなる不安を煽っていく。

 

「それじゃ日曜日…駅前でいいんスね」

 

「ああ、よろしくな」

 

もう用は済んだのか、戻っていくフォルテに手を振ると桜介は廊下を歩きだす。

 

「桜介くん、こんにちわ。二年生の教室に何か用かしら?」

 

楯無は桜介が一人になったのを見計らって、後ろから声をかける。

出来るだけ普通に声をかけたつもりだったが、その顔は少し引きつっていた。

 

「ああ、それならもう済んだよ。時間ないからそれだけならもういいか?」

 

桜介はいつも通りの飄々とした態度で返事を返す。どうやら話を聞かれていたことには、全く気づいていないようだ。

それに時間がないのも本当なのだろう。桜介にしては珍しく少し慌てていた。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

それに気づいた楯無は八つ当たりではないが、イラついているのも事実。だからちょっとぐらい困らせてやろうと思い、無理矢理引き留める。

 

「どんな用事だったのかしら?」

 

「対した用事じゃない。それよりさあ、もう時間がねぇんだよ」

 

「日曜はデートかしら?かしら?そうかしら?」

 

内緒にするなんて、この男。やっぱりいかがわしいことでもするつもりなんじゃ…。

 

「ふ…。それじゃ、俺もういくから」

 

「ま、待って!」

 

「なんだよ?落ち着けって。ほら、飴やるから」

 

「あ、あむむっ…!」

 

口に突っ込まれたのは、桜介がたった今まで咥えていた棒キャンディ。

それから頭を軽く撫でると、早足で自分の教室に去っていった。

 

(か、かか、間接キス…。間接キス、しちゃった)

 

残された楯無はボボボッっと顔を真っ赤にして、呆然と立ち尽くしてしまう。

 

(し、しかも、ディープなやつを…。こ、ここ、これはディープキスと言っても過言では…)

 

過言である。それでもただの飴のはずなのに、蕩けそうなほどに甘く感じられた。顔が熱くなっているのが自分でもわかるほどだ。それに心臓が痛いぐらいに、バクバクといっている。

 

(お、桜介くんは、い、いつも、心臓に悪いのよっ!もしかしてこんなことを他の子にも!?)

 

色々と想像をして、急に不安になってくる楯無。

 

「はっ!?いけない!私ももう戻らないとっ」

 

自分も時間がなくなって慌てて教室に戻る。しかし楯無はその日ずっとモヤモヤとしていた。

 

 

 

 

 

そして日曜日。

 

桜介とフォルテは約束した通り、駅前で待ち合わせをしていた。

それを少し離れたところから見守るのは更識姉妹。見守るというより尾行中といった方がいいだろう。

二人ともサングラスで顔を隠しており、服装は二人とも男性に見えるような格好。

ただし楯無の方はそれでも胸が少し膨らんでいて、それだけは隠しきれていない。

 

「簪ちゃん、ターゲットが動くわよ」

 

「う、うん…」

 

桜介達二人は早速ショッピングモール『レゾナンス』へと入っていく。

二人の距離は近くもなく遠くもない。もちろん手も繋いでいない。

楯無はそれを見て、露骨にほっとしたような安堵の表情を浮かべる。

 

「でも買い物はまずいわ…」

 

「お姉ちゃん……どうしたの?」

 

「桜介くんはこういう時、やけに慣れた様子で自然とエスコートしてくれるの。そういうギャップに女の子は落ちちゃうものなのよっ!」

 

楯無は危機感から思わず両手を握りしめ、必死に自分の実体験を踏まえて力説する。

たしかに簪と買い物なんて行こうものなら、それこそなんでも買ってあげるし、エスコートもしっかりするだろう。

しかしそれで簪がギャップを感じるかどうかは、また別の話である。なぜならいつもそんな感じなのだから。

 

「お姉ちゃん……落ちちゃったんだ」

 

「そ、そそそそんなことないわよ。ええ、ええ、ありませんとも!」

 

「お姉ちゃん、顔真っ赤……」

 

楯無は狼狽しながらも、なんとかごまかそうとする。しかし、じとっとした目を向けられると、すぐに顔をそらした。

姉妹がそんなことをしてる間に、桜介は水着売り場へと入っていく。

しかしそこでは何もなく、すぐに自分の水着だけ選び、さっさと会計を済ませて出ていった。

 

「想像していたようなエッチな展開、何もなかったわね…」

 

「桜介はそんなことしない」

 

「そ、そうね…そうだったわ…」

 

簪ちゃん騙されてるわよ!とよっぽど言ってやりたかったが、それを言ったらどんな仕返しがあるかわからないので楯無は思いとどまる。

実際のところ、桜介はいたずらで気軽にそういうことをするタイプである。そして本人はそれをちょっぴりお茶目と言って憚らない。

しかもその被害は今のところ楯無に集中していた。ただ簪の前では決してやらないのだ。

それに今さら、実は紳士の皮を被ったドSなの、なんて言ったら簪も悲しむだろう。そしてなにより桜介の機嫌を損ねるのはわかりきっている。

そうなればしばらく口もきいてもらえない。それで寂しい思いをするのは楯無も嫌だった。

 

 

 

 

 

 

次に桜介達は中華レストランのランチへと向かう。それを尾行する姉妹も当然のように同じ店に入り、離れた席に座わると、すぐに揃いのイヤホンを耳につけた。

 

『フォルテは何にする?』

 

『回鍋肉定食っス。桜介のおごりだからな』

 

『わかってる。それじゃあ俺はエビチリ定食にでもするかな』

 

『むむむ…。それも旨そうっスね』

 

『だったら一口やる。その代わり、お前の回鍋肉も味見させろよ?』

 

『仕方ないっスね』

 

『何でお前が偉そうなんだ…』

 

姉妹が聞いているのは桜介達の会話。実は前日に盗聴器入りキーホルダーを渡していたのである。

普通なら勘のいい桜介はそれに気づいたかもしれない。しかし楯無はそれを簪から渡すことで、その問題を簡単にクリアしていた。

天使を疑うことは決してしない。それは当たり前のことなのだ。自分で考えた作戦にも関わらず、いまいち納得のいかない楯無だったが、背に腹は変えられない。

 

「随分仲がいいわね…。私達も注文しましょう」

 

「うん……」

 

どこかイライラしている楯無。手に持った扇子がギリギリと軋んでいた。

簪はそんな姉の様子に戸惑いながらも、結局流れに身を任せることにした。

 

 

 

 

 

食事を終えると、桜介達は真っ先にブランドショップへと向かった。

今はフォルテと距離を近づけて耳元でぼそぼそと相談しながらなにやらアクセサリーを選んでいるようだ。

 

「フォルテにプレゼントするのかしら。やっぱりあの人、女たらしよね!?そうよね!?そうでしょう!?簪ちゃん」

 

「桜介は優しいから……」

 

「そうね。桜介くんは優しいもの……女の子にね。うふっ、うふふっ」

 

楯無は黒い笑みを浮かべつつも、扇子で口元は隠している。しかしその扇子には『女たらし』としっかり書かれていた。

そんなことは露知らずの桜介はというと、選んだペアブレスレットを購入すると、用は済んだとばかりすぐに店をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…。私、なにやってるのかなぁ」

 

「……お姉ちゃん」

 

遠目からであるが、たしかにペアブレスレットのようなものを購入しているのを見て、楯無は完全に落ち込んでいる。

まるで捨てられた子猫のようにしょんぼりとした様子で今は尾行もやめて簪と二人、近くのカフェに来ていた。

 

「はぁ…。あの人のことだからそういうの全然気にしないんでしょうね、きっと。ほんと憎たらしいわよねぇ」

 

これからあれを着けているのを見るたび、嫉妬してしまう自分自身が容易に想像出来てしまう。

そんな自分が悔しくてなんだか惨めに思えてきて、楯無は顔を俯かせ唇を噛みしめる。

 

「私……バカみたい」

 

「お姉ちゃん、泣いてる……」

 

その言葉通り、楯無の瞳には涙がじんわり滲んでいる。それを簪が心配そうに覗きこんだ。

しかし内心では初めて見る姉のこんな姿に、簪も驚きを隠せない。

 

「べ、別に泣いてないわよ。目に、目にゴミが入っただけだからっ」

 

精一杯強がるものの、その声も少しだけ震えている。必死にごまかそうとしたところで、どう見ても無理をしているのは明らかだった。

 

「桜介は友達、大切にしてるから。でもお姉ちゃんのこと、すごく大切にしてるよ」

 

「そ、そうかしら…っ。で、でも、私には全く遠慮とかないわよ、あの人……」

 

簪の懸命なフォローにも、楯無はいまだに顔を俯かせたまま、小さな声でぼそぼそ返すことしか出来なかった。

 

「それはお姉ちゃんに、甘えてるんだと思う」

 

「そ、そうかな。……そ、そう、かもね。すっごく子供っぽいところ、あるから……あの人」

 

本当はまだもやもやとする。しかし妹にこれ以上心配はかけられないと、楯無は顔を上げて無理矢理な笑顔を作る。もうその頃には、瞳に涙は浮かんでいなかった。

 

「うん……ケーキ、食べよう」

 

「そうね!たくさん食べるわよ、簪ちゃん」

 

姉妹はそれからケーキをたくさん食べて、そのまま仲良く帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

寮について簪と別れ、楯無が部屋に戻ると桜介は既に部屋へ帰って来ていた。今は椅子に座って読書をしている。

 

「ああ、おかえり」

 

「……ただいま」

 

楯無は部屋に入ると、一言だけ返事をしてそのまま直接ベッドへダイブした。

 

「そんなに疲れたのか…。ま、お疲れさん」

 

「ええ、おかげさまでね」

 

桜介には目もくれず、ベッドで雑誌を読み始める楯無。桜介はそんな様子を見て首を傾げるが、すぐに読書へと戻っていった。

たいした関心もないようなそんな態度。それで楯無はあっという間に拗ねてしまう。

 

(ふんだっ!私のことなんて興味もないのかしら。色んな子と仲良くなってるし…小悪魔とか言われたし…。私だって、優しくして欲しいのに)

 

しばらく拗ねていると、桜介は読書をやめて楯無のベッドにゆったりと腰を下ろした。

 

「おい、何か悩みでもあんのか?」

 

「……ないわよ」

 

桜介の全く悪びれる様子がない態度に、昼間のことを思い出して楯無は憤る。

 

(言えるわけないでしょ…あなたのことだなんて)

 

それでもじっと見られるので、楯無は扇子で顔をしっかりと隠す。その扇子には『恋煩い』とはっきりと書かれていた。

 

(な、なるほど。これはどうしたらいいのかな…)

 

当然桜介は顔をひきつらせるが、どうやら本人は気づいてないようだ。なのでそこは武士の情けとやらで、突っ込まないことにした。

それにあまりこういうのを明け透けに聞くのも、野暮というものだろう。

 

「……なくはないだろ」

 

「はぁ…。本当にっ、なんでもないわ」

 

「それならいいけどね。ま、なんかあれば言ってくれ」

 

そこまで言われてしまうと、楯無は急にばつが悪くなってしまう。桜介はもともと友達と出掛けただけ。自分がそれを勝手に尾行し、勝手に落ち込んでいるのだから。

それにフォルテをどうにかしようなんて気も、さらさらないだろう。

それは今日の様子を見ていればなんとなくわかる。どちらにしてもこのままで駄目だと思い、楯無は結局打ち明けることにした。

 

「あ、あのね、今日桜介くん、フォルテと遊びに行ったでしょ?」

 

「ふ~ん。ヤキモチでもやいちゃった?」

 

「う、うん…」

 

いつものようにからかうように言われたにも関わらず、楯無はそれに素直に頷く。

それがあまりに意外だったので、桜介は一瞬ポカンとした顔をして、そのあと少し言いにくそうに口を開いた。

 

「実はそれなんだけど…」

 

桜介はそう言って小さくため息をつくと、次に頭をがしがしと掻く。

 

「……な、なによ?」

 

「あのさあ…」

 

なんだろう、この男がいいよどむことなど滅多にない。そんな珍しい様子が気になって、俯いていた楯無は顔を上げた。

 

「桜介くん……?」

 

「ああ、ほらこれ」

 

桜介はポケットから二つの小さな箱を取り出した。その箱は昼間買い物をしていた店の物。

 

「な、なななっ、なんで!?そ、それが、なんで、こ、ここ、ここにっ…!」

 

楯無は信じられないほどに動揺した。それこそ今までそんなのを何度も見てきた桜介が、逆に驚いてしまうほどに。

 

「お前、まるでこれがなんだか、知ってるみたいな口ぶりだな」

 

「き、気のせい、じゃないかしら。や~ねぇ。あ、あはっ、あははっ!」

 

とぼけたように『知らぬ存ぜぬ』と書かれた扇子を広げる楯無に、ジロジロと疑いの視線を向ける。誰がどう見ても怪しいその態度。それに疑問を抱くのも当然だった。

しかしそれも突っ込まないことにした。桜介もこういう照れくさいのは、なるべく早く終わらせたかったのだ。

 

「……まあいいか。それでこれなんだけど、お前たちの仲直りの記念に」

 

頭を掻きながら照れくさそうに言う。しかし楯無は一瞬言われた意味がわからず、すっかり困惑してしまった。

 

「う、嘘…っ!」

 

「嘘じゃないよ。ほら」

 

桜介がそれぞれ箱を開けると、そこには水色のブレスレットが入っていた。

しかも二つとも水色である。これではもう疑いようもないだろう。

 

「これからはずっと仲良く出来るようにと、そう思ってね。気に入るといいけどな」

 

そして屈託のない純粋な笑顔を浮かべる桜介。

あまりの驚きで、しばらく唖然としていた楯無は、ここでようやく今日の外出の動機をちゃんと理解する。

 

(簪ちゃんが、言ってた通り…。やっぱり優しいわ、この人…)

 

それと同時にその不器用な優しさに、改めてまた惚れ直してしまう。

この男はたしかに素直じゃないし、破天荒だが気遣いは出来ることを楯無は思い出す。

それからその嬉しさと安堵の気持ちで、その瞳から自然と涙が零れてきた。

 

「ううぅ…。あ、あり…がと…っ」

 

「なんで泣いてんの?悪いが、そんなに高いもんじゃないぞ」

 

「えへへ…へへ…。何でも…ないの…っ」

 

「姉妹でお揃いが嬉しいのかな」

 

「ばかっ…。でも…きっと…私は…もっとバカだなあ…」

 

楯無は小さく呟いてから、思いっきり抱きつく。少し考えればわかることだ。拳を武器に戦う拳法家が腕にアクセサリーなど着けられるはずもないということ。そんなことをすればあっという間にボロボロになってしまう。

もしかして一度おもいきり泣かされてから、涙腺が緩くなってしまったのだろうか。

今日もまさか妹の前であんな姿を見せることになるなんて、少し前の自分からは考えられない。

今まで人前で泣くなんてこと、本当に幼い頃以外はまるでなかったと言うのに。

まだまだ恥ずかしさはあるが、どうせ強がりも通用しないのだからもうそれは諦めるしかないのかもしれない。

 

「そんなに喜んでもらえたら、嬉しいねぇ」

 

桜介は涙を人差し指で丁寧に拭うと、そのまま頭を撫で始める。

 

「うん…うん…っ」

 

撫でられた楯無は頭を、頬を、ぐりぐりと胸板へ擦り付けていた。

 

「甘えたい盛りなのか?」

 

「……そうみたい」

 

「悩みは解決したか?」

 

「う、うん。もう…いいの…っ」

 

「ふっふっふ。相変わらず面白いな、お前」

 

「もうっ!と、年上をからかわないの!」

 

「年上ってどこの甘えん坊が?」

 

「うっ……」

 

楯無は恥ずかしさと、それからまだ口には出せない思いを込めて、抱きしめる腕にぎゅっと痛いほどに力を込める。それでも身じろぎ一つせず、桜介はそのまま頭を撫で続けた。

 

「あ、あの……ありがとね、お、桜介くん。簪ちゃんとのことも……」

 

「気にするなと言いたいところだが、せっかくだからハンバーグでも作ってくれる?」

 

「そ、それでいいの?あはは……ま、まあ、そういうことなら、おねえさんに任せなさい……」

 

「ふっ…。じゃあ任せた。実はお気に入りなんだ、お前のハンバーグ」

 

「うふふっ、それは知ってる」

 

こうして今夜この部屋から、寝る時間まで二人の笑い声が絶えることはなかった。

 

 

 




フォルテ好きなので悪友的な感じで登場させました。10巻まで流し読みで11巻はパラ読み程度なのでキャラ間違ってるかもしれないけど。


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30話

臨海学校がなかなか書けなくて困りました。


「海、見えた!」

 

トンネルを抜けるとバスの中で女子が声をあげる。

 

臨海学校初日、天気は快晴。

 

口に禁煙用の棒キャンディ、右手には扇子を握っている。楯無にお守りだと渡された扇子には『堅忍不抜』と書かれている。これはなにかあっても我慢強く耐え忍ぶという意味だったかな。書くな、そんなこと。心配してくれるのはありがたいがどうせ無理だ。くれるならもっとなんか格好いいのが良かった。そんなことよりも、今はこの旅路を楽しむとしよう。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとうございます。でも今どこから出したんですの?ちゃんと冷えていますし」

 

「ふふっ、気にするな。紳士の嗜みだ。クッキーもあるよ。食べる?」

 

「ええ、頂きますわ」

 

隣に座るセシリアに紅茶を差し出し、バッグからクッキーを取り出す。ふふ、やはりこのスキルは役に立つ。優雅にティータイムといこうじゃないか。扇子も無駄にパタパタしよう。これだけでもなんとなく優雅に見えるはずだ。紅茶は缶だけど、そこはセシリア効果でなんとかなるだろう。

 

「久しぶりですわね。こうして桜介さんと二人で話すのも」

 

「最近忙しかったからね。やっと落ち着いて来たところだよ」

 

やっていたのはストーキングだがな。そんなこと恥ずかしくて親にも言えない。

 

「たまには付き合ってくださいな。訓練でも、食事でも構いませんわ」

 

「ふ。君みたいな美人に誘われるとは光栄だな。いつでもお付き合いしよう」

 

「ま、まあ、お上手ですこと」

 

「嘘じゃあないさ」

 

はにかんだ笑みを溢すセシリアに俺も笑顔で返した。そういえば久しぶりだったな、セシリアとこうして話すのも。最初は苦手だったが、なんていうか柔らかくなった。今では大切な友人だ。

 

「そろそろ目的地につく。全員ちゃんと席に座れ」

 

織斑先生の言葉で全員が席につく。この人とはいまだにあんまり話したことないんだよな。色々と後ろめたいことがあるせいで、無意識に避けているのかもしれない。今回も一応アルコールは持ち込んでいる。ばれたらどうなるんだろう。それも含めて早いうちに打ち解けておきたいところだ。

 

 

旅館前に到着し、全員がバスから降りた。

 

「ここが三日間お世話になる花月荘だ。全員従業員の仕事を増やさないよう注意しろ」

 

「「「よろしくお願いしまーす」」」

 

「はいこちらこそ。元気があっていいですね」

 

三十代ぐらいの大人の女性が丁寧にお辞儀した。どうやらこの旅館には毎年お世話になっているらしい。

 

「あら、こちらの二人が噂の?」

 

俺と一夏を見て、女将さんが織斑先生に尋ねる。

 

「今年は男子がいるせいで浴場分けが難しくなってすいません」

 

「いえいえ。いい男の子達じゃないですか。しっかりしてそうな感じですし」

 

「感じがするだけです。挨拶しろ馬鹿者供」

 

「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」

 

「霞桜介です。よろしくお願いします」

 

「ご丁寧にどうも。清洲景子です」

 

バカはひどいな、ボケならまだしも。そのあと部屋に向かうことになったが、俺は一人部屋。久しぶりに一人でゆっくり出来るのが少しだけ嬉しい。一夏は女子が押し掛けるとかで織斑先生と同じ部屋だったが、俺の部屋には誰も来ないだろう。来ないよね。友人の少なさに少し悲しくなる。簪は今回参加していないしな。すでに会いたいぜ。なるほど、これがカンザシックというやつか。

 

今日は1日自由時間とのことだから、とりあえず海にでも行ってみるか。

 

更衣室で水着に着替えて、俺は海に出ることにした。

 

「桜介ってやっぱりすごい筋肉だよな。触ってもいいか?」

 

「ぷー。別にいいけどね」

 

「お前、当たり前のようにタバコを……」

 

更衣室で着替えてると一夏に会った。男の裸を触りたいとか、俺は思ったこともないが、触りたいというのなら触らせてやった。なんか、おお~。みたいなこと言って喜んでた。ホモじゃないよね、怖い、怖い。

 

「あ、織斑くんと霞くんだ」

 

「う、うそ?私の水着変じゃないよね?大丈夫だよね?」

 

「ぷふ~。水着似合ってるよ」

 

「あ、ありがと。霞くん、普通にタバコ吸ってるけど…」

 

「わ~体格好いい。鍛えてるね。てゆーか、霞くんは鍛えすぎでしょ!触らせて~」

 

「織斑くんあとでビーチバレーしようよ~」

 

「お~時間があればいいぜ」

 

女子に遭遇したので水着が似合ってると誉めておいた。そしたら、また触られた。女子に触られるのはなんかムズムズすんだよな。俺は本格的に溜まってるのかもしれない。危険だから女子は逃げた方がいいぞ。今の俺は飢えたライオンだ。わかってはいたが、すごい女子の数だ。しかも水着。改めて思う。ここどう考えても女子高だよね。一夏は性欲どうやって処理してんのかねぇ。でもあいつ、ちょいちょい一人部屋になってるよね。俺はどうしたらいいんだろうか。実はここに来てから一度も処理していない。一度たりともだ。

これは一度休みの日に、女郎屋にでも行くべきか。別に欲はないつもりだが、生理現象ばかりはどうにもならない。

 

「いちか~」

 

その声に後ろを振り返ると、鈴が一夏に後ろから飛び乗っていた。

 

「鈴、おれが高い高いしてやろうか?」

 

「桜介、結構よ!ていうかあたしは子供か!?」

 

体型は子供だな。やっぱりおれは出るとこ出たほうが…と考えていると、ギロっと睨まれたので俺は目をそらした。鈴ドンマイ。なにがとは言わないが、それは俺の慈悲だ。

 

「桜介さん、ここにいましたの?」

 

「セシリア、どうした?」

 

「サンオイルを塗ってくれませんか?背中は自分で塗れないので」

 

「ぷっぷっぷー。いいよ~。その水着、とてもよく似合ってる」

 

「あ、ありがとうございます。どこでもタバコ吸っていますね、あなたは…」

 

少し照れくさそうに言うセシリア。やっぱり出るとこ出たほうが俺は好きだな、うん。むしろ大好きです。この学園に入るまで、周りには不思議とグラマラスな女しかいなかったから。

でも溜まってる今の俺にサンオイルを塗らせるのは、どうかと思う。もしかして、セシリアも俺と同じで友達が少ないのかな。大丈夫だセシリア、俺がいる。俺がお前の友達だ。この臨海学校中はセシリア、いやセシリア様についていこう。これはいわば執事の教育実習のようなものだろう。

それにしてもセシリア様の白い肌に、青いビキニが映えている。正直今の俺には目に毒である。

 

「ではお願いしますわね」

 

そう仰られて、セシリア様はパレオをお脱ぎになると、ブラの紐をとかれ、お胸をお押さえになられて、シートに寝そべられた。まことですか、セシリア様、お戯れを!今の俺にそれは自殺行為でございますぞ!

 

「綺麗な背中だ」

 

「も、もう」

 

思わず口から出てしまった言葉に、照れて頬を染めるセシリア様。うん、大変お可愛い。さすが白人だけあって肌が本当にお白い。あと、わきの下から見える乳が柔らかそう。それからいいお尻してますね。この俺が認めてやる、セシリアオルコット…様。お前は出るとこ出てる立派な淑女だ。だがな、セシリア様。お前は完全に人選を間違っている。間違っているんだよ。ライオンの前に生肉を放りこんでどうするんだ?とりあえずサンオイルを両手でぬちょぬちょさせると、ねちょねちょとセシリア様の背中に塗り始める。これも執事の務めなんだ、後ろめたいことなどなにもないんだ。

 

「ん…っ」

 

「こんな感じか?」

 

「い、いいです…わぁ」

 

ご満足頂けたようなので、さらにねちょねちょと塗りたくっていく。なんか擬音がやらしいな。ねちょねちょって…。

 

「んふぅ。いいですわ。はぁ…っ!」

 

エロい、エロいぞ、セシリア様。だがな、俺は普段から楯無に鍛えられているんだ。これぐらいじゃ負けない。あれ、おかしくない?あいつなんのコーチなの?エロのコーチだっけ?気を取り直して、腰にもねちっこくオイルを塗っていく。

 

「ああっ、だ、ダメですわ、そ、その手つきはダメですわ…!」

 

ダメか、そもそもお前の人選がダメなんだ。どうしてくれんだよ、おい。

 

「足も、足も塗ってくださいな…っ!」

 

耳まで真っ赤になっているご様子のセシリア様が、そんなことを言った。そのご命令、承ります。セシリア様の太もも様にそっと手を触れる。太もも様ってなんだ、おい。とてもすべすべしている。太ももの外側から丁寧にぐっちょりと塗っていく。まったく、執事の業務も楽じゃないな。

 

「そ、そこ、そこが、よろしくってよ…!」

 

かしこまりました、お嬢様。手を動かす度に、セシリア様の吐息が漏れる。それが今の俺には深刻なダメージを与えていく。苦しい、苦しいんだよ、こっちも。もしかして我慢強くとはこういうことだったのか?たっちゃん、俺は今必死に耐え忍んでいるよ。偉い?

くそ、もうこうなったら我慢比べだ!どちらが先に根を上げるか、決闘ですわ!なんか少し前に聞いたな、そんな言葉。しかしそうと決めたら、俺の中でなにかが吹っ切れた…気がする。気のせいかもしれないけど。俺は柔らかなふくらはぎをどっぷりと堪能してから、太ももの内側にも手を伸ばす。あれ、堪能って言っちゃったぞ!

 

「はぁっ…ふぅん。よ、よかったら、お尻もっ」

 

セクハラ様~!いや、セクハラは俺だ。セシリア様~!どうかそんなに悩ましい声をださないでくださいませ。

 

「それはダメでございます、お嬢様!」

 

さすがにお尻は遠慮させてもらった。

でも足は自分で塗れるだろ、とは最後まで口に出せなかったよ。

なんか色々と最低だな俺。また親に言えないことが一つ増えた。かあさん、ごめん。

 




サンオイルが書きたかっただけの話。


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31話

なんとかセシリアとの死合い(サンオイル)に勝利した俺は林間学校の間、セシリア(お嬢様)の執事に徹することに決めたのだった。今はお嬢様はぐったりとパラソルの下に横たわっている。お互いにダメージはでかかったようだ。他の友達はみんな一夏に夢中なんだもの。他人の恋路を邪魔するのは無粋だろう。おや、どこからか嫉妬の炎が燃えてきたぜ。

 

「お嬢様、あちらでカヤックの貸し出しをしているようですよ。よろしければ一緒にやりませんか?」

「あら、それはいいですわね。でもその言葉遣いはやめてくださるかしら」

「じゃあセシリア。ちょっと借りてくる」

 

もうカヤックを借りて思いっきり遊ぶことにした。今日の俺のこの積極性は、一体どこからくるんだろうか。旅で気分が、少し開放的になっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

力いっぱい漕ぐと、カヤックは波を掻き分けてかなりのスピードで進んでいく。

 

「ほいほいほいっと」

「ちょ、ちょっと!速すぎますわ!」

「まだだ、まだこんなものじゃない」

「きゃあ!」

 

セシリアの悲鳴をBGMに、カヤックは漕げば漕ぐほどどんどんと加速していく。主人の悲鳴をBGMってそんな執事いるんだろうか。きっとどこかにいるだろう。

それにしても結構スピード出るんだな、カヤック。なかなか面白いじゃないか。

力を入れて漕いでいると、カヤックはあっという間に浜が小さく見えるところまで来てしまった。

 

「それにしても平和だねぇ」

「お、恐ろしい目にあいましたわ…」

「ん?どうかしたのかな?お嬢様」

「桜介さん、わかってて言ってますわね?」

 

青い空を見ている俺に、頬を膨らませるセシリア。どうやら少し調子に乗ってしまったようだ。

だが美人と二人で快晴の天気の中、こうしてゆっくり空を見て過ごすのも悪くない。

まるでバカンスに来ている気分だ。旅行じゃなくてバカンスなのはきっとセシリア効果だろう。すげえな、セシリア。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく二人でトロピカルジュースを飲みながらのんびりしていると、セシリアが急に真剣な表情で話を切り出した。

 

「あの、一つ聞いてもよろしいですか?」

「なんだ?」

「桜介さんはどうしてそんなに強いんですの?」

「ん?」

 

急にそんなことを聞かれて、空を見ていた桜介がセシリアに視線を向ける。北斗神拳が強いんだよ。一瞬そう思った桜介だったが、どうやらこれはそういう意味じゃなさそうだ。だからこのまま続きを聞くことにした。

 

「わたくし、この学園にくるまで男はみんな弱いものなのだとばかり思っていました。でも桜介さんも一夏さんも違った。だからどうしてそこまで強くあれるのか、それを知りたいのですわ」

「……強さ、か」

 

桜介は言葉の意味を考えながら、ボソッと呟くように返事を返す。

 

「ええ、わたくしはあなたたちの強さの秘密を知りたい」

「少し前に一夏ともそういう話をした。一夏は強くなって、誰かを守ってみたいと言っていた」

「そうですか…。では、あなたは?」

「俺も似たようなもんだ。強くなければなにも守れないからね」

 

桜介はまた空に視線を向けながら答える。セシリアにはその表情がとても大人びて見えた。

答えながら桜介は今までのことを思い出していたのだ。過去の苦い記憶や、IS学園に入ってからのことを。

 

「その守るというのは、自分の身を危険に晒すことになったとしても、ですか?」

「自分で決めたことだ。その結果、例え死ぬことになったとしても悔いはないさ」

「フフッ。男の人って、思ったより単純ですのね」

「ふ。確かに俺達は馬鹿だ。だが俺はその思いを失ってまで生きたくはない」

 

桜介はそう言ってニッと笑う。なんとも男臭い笑顔だが、それを見てセシリアはその強さの理由にも、なんとなく納得がいってしまう。

目の前の男の顔つきは、もうとっくに覚悟を決めた漢の顔。そしてその瞳に宿す光は自身のパーソナルカラーよりも透き通った、まさに頭上に広がる空と同じ色。

入学時から既に他の生徒とはかけ離れたほどの力を持ちながら、お金や地位など下世話なことにはまるで興味がない。そんな男に相応しい、まっさらな蒼天の蒼。

 

「フフッ。なんとなくですが、わかった気がします。ありがとうございました」

 

スッキリしたのか、空に浮かぶ太陽のように晴れやかな表情をするセシリア。そしてその顔もまた、お日さまらしく、しっかりと赤みを帯びている。

 

(この人は体も心も、どこまでも強く…逞しく…そしてきっと誰にも媚びることなど決してない…)

 

セシリアは幼い頃から、強い母に憧れていた。

そしてそんな母の顔色ばかりうかがう父を見て、自分は将来こんな情けない男とは絶対に結婚しないと、そう思っていた。

つまりセシリアにとって理想の男性とはその逆。

強く逞しくて、堂々としていて、誰に対しても決して媚びることのない、そんな男。

その条件に目の前の男は完璧に合致していた。それどころか、全てがまさにこの男のことを指すような言葉だ。

だからもはや理想を越えて、空想上の人物のようにすら思えるほどである。

実際のところ、この男以上にそれが当てはまる人間などセシリアには想像することすら難しい。

むしろあまりにも当てはまりすぎていて、桜介に対して強い憧憬のような感情をも抱かせていた。

しかしそれは単純に恋心というには、少し強すぎるほどの憧れでもあった。

 

「さて、じゃあそろそろ戻ろうか。ちょうど昼飯の時間だろう」

「ゆ、ゆっくりですよ!?い、急いだら、だめですわっ!」

「ん?なにが怖いんだ?お嬢様は」

「あなたですっ!あなたの悪ふざけが、怖いんですわっ!」

 

気軽に声をかけたものの、すっかり怯えた様子のセシリアに、桜介は少しだけ自分の行いを反省することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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32話

夜の時間になり、俺たちは夕食を食べていた。

 

正座に慣れていないセシリアに気をつかって、俺たちはテーブル席へと座った。一夏達は座敷なので隣の部屋に行っている。

メニューは刺身と小鍋、それに山菜の和え物が二皿。味噌汁とお新香。

だがセシリアは刺身が苦手らしく、それを俺にくれた。おかげでセシリアのおかずは一気にショボくなっている。もしかしたら食わず嫌いというやつなのかもしれない。せっかく日本に来ているんだ、それなら一度ぐらいチャレンジしてみてはどうだろうか。

カワハギの刺身に少量のワサビを乗せて、刺身で巻くように箸で摘まみそれに醤油をつけてセシリアに差し出す。所謂あーんというやつだ。ちなみに俺はいつも刺身を食べるときに、醤油にワサビを溶かすことはしない。

 

「ほら、セシリア。刺身も一枚ぐらい食べてはどうだ?」

 

「お、桜介さんがどうしてもというのなら、し、仕方ありませんわね」

 

「ありがとね。じゃあ口、開けようか」

 

別にどうしてもというわけではないんだがな。少し頬を染めて口を開けるセシリアは大変可愛らしい。普通の男ならこれだけでも惚れてしまうだろう。だがすでに簪でこういうことにも鍛えられた俺は、今さらそれで動揺することはもうないのだ。つくづく思う。俺はこの学園でいったい何を鍛えているんだろうか。そんなわけだがら、俺は気持ちに余裕を持ってセシリアの口に箸を運ぶ。当然あーんなどいう恥ずかしい言葉を、口に出すことはしない。

 

「どうだ?」

 

「わ、悪くはありませんわ」

 

そう言いながらも、少し嬉しそうなセシリア。うん、まあ、良かったんじゃないか。日本食を誉められて俺も嬉しいよ。あれ?よく考えたら別に誉めていないな。

それにしても、セシリアは金髪なのに浴衣がよく似合う。どこか上品に見えるのは育ちのせいだろうか。お嬢様さすがですね。しかし俺が今日1日楽しく過ごせたのも、全てセシリアのおかげだ。ここは感謝を込めて、風呂上がりに何か飲み物でもご馳走しよう。そんなことを考えながら、セシリアと楽しい食事の時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

楽しい夕食を終えて俺が温泉に足を運ぶと、既に一夏が湯船に入っていた。

 

「はぁ~~。気持ちいいなぁ」

 

大きく息を吐き出して体をぐったりさせる一夏。なんかこいつ、爺みたいだな。

 

「ふ…。うまいな」

 

「お、桜介…。それはなんだよ?」

 

「せっかく温泉に来たんだ、日本酒に決まってんだろ。お前も一杯やる?」

 

「やらないから」

 

どうやらお猪口は二つもいらなかったようだ。気を利かせて損した。

二人でゆっくり温泉を満喫する。普通こういう男子だけの風呂だと、女の話で盛り上がったりするんだろう。

 

「なんだよ、つれねぇな」

 

だが一夏にそういった話を期待するのは酷。例えるなら幼稚園児と数学の話をするようなものだ。それに俺も、話せることはなにもないしな。

 

 

 

 

 

 

風呂から出て部屋に戻り、窓際で海を見ながら日本酒を飲む。男の嗜みですね。一人でこういう贅沢な時間を楽しむのが好きだ。だが実は今日は一人ではない。

 

「桜介さん、いらっしゃいますか」

 

おっと、どうやらセシリアが来たようだ。食事の時にセシリアに一杯ご馳走する約束をしていたのだ。

 

「一人部屋だから遠慮なく入ってくれ」

 

「では失礼いたします」

 

セシリアを窓際の椅子へと案内する。俺達は窓際の椅子に向かい合う形で座わった。今回はジュースも一通り用意してあるんだよね。

 

「桜介さんの飲んでるのは何の飲み物ですの?」

 

「お米の……ジュースだ」

 

「まあ。日本にはお米のジュースなんてものがありますのね。では、わたくしにもそれを頂けますか?」

 

「いや、セシリアはフルーツのジュースがいいと思う。お米のジュースは日本人以外には少し飲みづらいんだ」

 

そう言って俺は立ち上がると、冷蔵庫に冷やしておいたフルーツジュースをグラスに注いでセシリアに出す。どうやらセシリアは俺が飲んでいるのが日本酒だとわかっていないようだ。ここは一人部屋。セシリアにアルコールを飲ませて、万が一間違いが起こっては困る。何の間違いなんだろうね。さっぱりわからないな。

 

「さぁ飲もうぜぇ」

 

「ふふ。桜介さん随分楽しそうですわね。でも今日はどうして誘ってくださいましたの?」

 

「なんでだろうね。ただ君と飲みたくなった、それじゃだめか?」

 

「うふふ、構いません。でもあなたって本当に…不思議な人ですわ」

 

そう言ってセシリアは可笑しそうに笑った。

口に手を添えて麗しげに笑うセシリアはどこか奥ゆかしくて、そして綺麗だった。

 

 




セシリアと親交を深めました。


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33話

合宿2日目。

 

今日は午前中から夜まで丸1日ISの各種装備試験運用とデータ取りだ。

 

「それでは各班ごとに振り分けられた装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ」

 

「「「はい」」」

 

織斑先生の指示に全員が返事をする。

 

ここに搬入されたISと新型装備のテストが、今回の合宿の目的らしい。バカンス気分は昨日までのようだ。

 

「篠ノ之、お前はちょっとこっちにこい」

「はい」

 

箒が織斑先生に呼ばれて、そちらに向かった。

 

「お前には今日から専用――」

「ちーーーちゃーん」

 

それをボーッと見ていると、そこに誰かが走ってきた。

 

「束」

 

「やあやあ!会いたかったよ、ちーちゃん!さあハグハグしよう!愛を確かめ――ぶへっ」

 

織斑先生は走ってきた女の顔面を片手で掴んで持ち上げた。やっぱり結構力あるな、この先生は。

 

「ぐぬぬぬぬ」

 

その女はもがいてようやくアイアンクローから抜け出すと、今度は箒の方へと向かっていく。

 

どうやらあれが篠ノ之束のようだ。何を考えているのかわからない不気味な女だ。そしてそれなりに強いんだろうことも、一目でわかった。

 

今は篠ノ之姉妹でなにやらやり取りをしているようだ。

姉妹を見ていると、今度はそこに山田先生が声をかける。

 

「え、えっとこの合宿は関係者以外は――」

「ISの関係者というのなら一番はこの私をおいていないよ」

「えっ、あっ、はい、そうですね」

 

山田先生…。ちょろすぎないですかね。

 

「おい、束。自己紹介ぐらいしろ」

「えー、めんどくさいなぁ。私が天才の束さんだよ。はろー。終わり」

 

なんていうか自由人なのかね。今のところ自分から関わるつもりはないが、めんどくさそうだなこいつ。

 

しばらくすると、篠ノ之束の存在に気づいた女子たちがざわめき始めた。突然の有名人の登場だ、無理もない。

 

織斑先生は昔からの知人らしく篠ノ之束の扱いも慣れている。二人のやり取りを漠然と見ていたら、なんと篠ノ之束は山田先生の胸を揉み始めた。巨乳同士の共演だな、うん、眼福でした。今は織斑先生に蹴られて砂浜に倒れている、巨乳が。

 

「それで頼んでおいたものは?」

 

箒が自分の姉にそう尋ねた。

 

すると空から何かが落ちてくる。それがパカッと開くと、中には深紅の機体が出てきた。か、カッコいい。

 

全スペックが現行ISを上回るらしいその機体は『紅椿』というそうだ。すごいすごい、頑張ったね、お疲れさん。

 

その後、フィッティングとパーソナルライズの作業が始まった。そして二人の姉妹仲はあまりよくないように見える。姉は妹が好きみたいだが、妹の方が苦手意識があるようだ。最近どこかで聞いたような話だな。俺は男兄弟だからか兄弟で仲悪くなったことはない。まぁ男と女では色々と違うんだろう。

 

「あの専用機って篠ノ之さんがもらえるの?身内ってだけで」

「だよね。なんかずるいよね」

 

そういう周囲の声が聞こえてくる。でもそれは知り合いの開発したISを使っている俺にも耳の痛い話だ。だからそれは頑張って聞かなかったことにする。

 

「おやおや、歴史の勉強をしたことがないのかな。有史以来世界が平等であったことなんて一度もないよ」

 

いいぞ篠ノ之束、もっといってやれ。今だけは応援してやる。すると指摘された女子は、気まずそうに元の場所へと戻っていった。よくやった、俺は思わず拳を握ってしまった。ファンになりそうだぜ!

憧れの視線を向けると、そんな話をしながらも束ちゃんはひたすらキーボードを叩き続けていた。さすが束ちゃんだぜ!さっきのやり取りで勝手に俺の好感度は増したようだ。爆上がりしたと言ってもいいだろう。俺ってチョロいな。そして作業を終えた束ちゃんは一夏にも話しかけた。

 

「いっくん白式見せて。束さん興味津々なのだよ」

「え、あっ、はい」

 

声をかけられた一夏が、言われた通りに白式を呼び出すと、束ちゃんはすぐにデータを取り始めた。束ちゃんはデータをとりながら一夏とべらべらと話している。羨ましい、ファンとして嫉妬しちゃうぜ!そんなことを考えていると、一人の少女が束ちゃんに話しかけた。というかセシリアだ。

 

「あの、篠ノ之博士のご高名はかねがね伺っております。もしよろしければわたくしのISも見て頂けないでしょうか?」

「はあ?誰だよ君は。金髪の知り合いは私にはいないんだよ。そもそも今は箒ちゃんとちーちゃんといっくんと数年ぶりの再開なんだよ。どういう了見でしゃしゃり出てくるのか理解不能だよ」

「えっあの」

「うるさいなぁ。あっちいきなよ」

「うっ」

 

冷たくあしらわれたセシリアはしょんぼりして涙目になっている。なるほどね、身内以外には冷たいのか束ちゃんは。まぁ俺にはそんなこと全く関係ないな。

 

「おい兎。なにうちのお嬢泣かしてくれてんだ。金髪に文句があんのか?金髪の文句は俺に言え」

 

肩にポンと手を置いて、そのままセシリアの前に出る。我慢てなんなんだろうね、知らないなそんなもの。むかつくんだよこういうやつ。

二人の間に割って入って、束ちゃんを軽く睨みつけながら人差し指で指差してやった。

この合宿中、俺はセシリアの執事なんだ。お嬢様泣かされて黙ってる執事はいないだろ。別に束ちゃんに関わるつもりはなかったが、こうなったらもうどうでもいい。

 

「篠ノ之束、お前は俺が泣かしてやろうか」

「へぇ。怖いね、君。なんで怒ってるのかな?」

 

こいつって、すごい天才なんだろう?こんな簡単なこともわからないとは…。

 

「友達をバカにされた。それが俺には殺し合いの理由にだってなる」

「う~ん。理解不能だけど、嫌われちゃったみたいだ。仲良く出来そうにはないね?」

「俺はこれでも友達には優しくってな。だが俺の友達にこんなウサ耳はいないんだよ」

「ふふふ。君には会ってみたかったんだ」

 

闘気で周囲に砂ぼこりがパラパラと舞い始めた。

束ちゃんはそれを興味深そうにじーっと見ている。

面白い、その目をすぐに涙目に変えてやろう。

そう思ってさらに近づいていくと、あちらも俺に近づいて来て俺達は完全に向かい合う形になった。

 

「この闘気に怯まないなんて、やるなお前。それでも俺とやりあったら泣くよ、お前。やるぅ?」

「面白いね、君。そっかそっか、たしかに強そうだ。君とあの子(・・・)一体どっちが強いんだろうね?」

 

さすがに会話がこんだけ噛み合わない相手は初めてかもしれない。男だったら間違いなく、すでに挨拶代わりの一発をお見舞いしてるところだ。

 

「どうでもいいから、早くやろうぜ。もちろん手加減はしてやるから」

「うっふっふ。三人目…だよ。今はやーめた。またね~」

 

束ちゃんはなにに満足したのか、俺にだけ聞こえる声で小さく囁くと、すぐに背を向けて元いた方へと戻っていった。

 

 

 

 

 




ライバルがそのうち登場予定になりました。


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34話

篠ノ之束が一夏の方に戻っていって、しばらくすると紅椿のテストが始まった。

 

今はみんなでそれを見ている。

 

三人目か、まぁ俺も何で乗れるのかわかんないからそんなこともあんのかな。ま、それはどうでもいいな。

 

「あ、あの、桜介さん!先程はわたくしの為に怒ってくださって、ありがとうございました」

 

「ああ、俺がムカついただけだ。セシリアが気にすることじゃない」

 

「たがらってあんな有名人に喧嘩を売るなんて」

 

「有名だろうが、無名だろうが、この俺には関係ない。ただ義気のために動く。…それが友達だ」

 

はっきりそう言ってやると、セシリアは照れてしまったようだ。白い肌がすっかりピンク色に染まっている。

俺も少し恥ずかしいな、面と向かってこんなことを言うのは。

それにしてもISに乗れる男って、やっぱり篠ノ之束が絡んでるのかね。なんにしろなにか知ってるのは確かだろう。どうせならあの女ともちょっとやりあってみたかった。

 

「うふふ、そうですね。それで、桜介さん、あの、うちのお嬢様というのは…!一体どういう意味ですの!?」

 

「ああ。それはな、こっちの話だ。それも気にすることはない」

 

「そんな…!き、気にしますわ、やっぱり嬉しかったですし!」

 

「ま、セシリアはさ、しょんぼりしてるよりも、そうやって強気な方が似合うんじゃないの」

 

「あっ…」

 

そう言ってポンと頭に手を置くと、セシリアはとたんに俯いてしまう。ああ、やっちまったか。少しは元気を出してもらおうと思ってやったつもりが、逆に落ち込ませてしまったようだ。やはり女を慰めるなんて、俺には向いていないのである。それに感謝されるようなことはなにもしてないし、いつまでも気にされると逆に悪い気がしてくる。

 

「や、やはり昨夜のお礼も兼ねて、帰ったら紅茶をご馳走しますわ。最高の茶葉を用意して…」

 

「いいや、結構」

 

「あら、どうして?」

 

どうやら元気が出た様子のセシリアが不思議そうな顔で問いかけてくる。しかしどうしてと言われても、しいて言うなら。

 

「その笑顔…」

 

「え…?」

 

「その笑顔がなによりの馳走です、お嬢様」

 

その眩しい笑顔にこちらも微笑みを返して、気にすることはないと再度念をおす。お礼など美少女の笑顔だけで充分なのだ。だって絶対高いだろその茶葉。そしてそのまま頭を撫でてみる。所詮俺のレパートリーなど、そんなもんだ。

 

「っ……!?」

 

するとセシリアは両手で顔を隠してしまう。ああ、逆効果のようだ。せっかく笑っていたのに泣かしちゃった。

まいったな。もう俺に出来ることなんて、ハグやキスぐらいしか残されていないじゃないだろうか。そりゃあそれぐらいで泣き止んでくれるならお安いご用だし、もちろんしてやりたいところだ。それに欧米じゃ友達同士の挨拶みたいなものだと聞く。つまりセシリアからすれば普通のこと。しかしそれはきちんと衣服を身に付けている場合の話。水着でそんなことをしていいものなのか、絵面的にもヤバいこと間違いなし。それにしても髪の毛サラサラだな、セシリアは。

 

「んっ…。で、でも、やっぱり気になりますっ!うちのお嬢様だなんて…!」

 

そうだよな、やっぱりいきなりあんなこと言われたら、気になっちまうよな。この合宿中、俺はあんたの執事なんだ。しかし勝手に決めたことだとはいえ、思わず口に出したのはまずかった。

なに言ってんのこいつ?などと思われても仕方がない。よく考えたらセシリアの許可ももらっていないのだ。まだ雇った覚えはありませんわ!なんて言われることうけあいである。だからそれだけは最後まで言えない。許せ、セシリア。でも別に賃金を要求するつもりはないから、安心してくれ。

 

「た、大変です!お、織斑先生!」

 

いまだ俯いたままのセシリアをなんとか元気付けようとなでなでしていると、山田先生が慌てて織斑先生に声をかけた。

 

「どうした?」

 

山田先生が小型端末を織斑先生に渡し、二人は小さな声でなにやらやり取りをしている。

 

「全員注目!」

 

山田先生が去ったあと、織斑先生から生徒たち全員に向けて声がかかった。

 

「現時刻よりIS学園教員は特務任務行動へ移る。今日のテスト稼働は中止。ISを片付けて旅館へ戻れ。連絡あるまで待機。以上だ」

 

「え…?」

「何で中止?特殊任務行動って…」

「状況がわからないんだけど…」

 

突然の中止の指示に女子たちが例によっていつものごとく、ざわめき始める。お前たち毎回ざわめくよね、これが年頃の女子というものか。

 

「とっとと戻れ!以後許可なく部屋を出たものは身柄を拘束する!いいな」

 

「「「は、はい!」」」

 

語気を強めて言われると、全員がいつものように慌てて動き始めた。

 

「専用機持ちは全員集合しろ!織斑、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰、霞!それと篠ノ之も来い!」

 

「はい!」

 

部屋に帰って酒でも飲もうと歩き始めていると、呼び止められてしまう。なんでたよ。しかしそんな理不尽な命令にも、箒ちゃんは元気よく返事した。束ちゃんの妹だし箒ちゃんだな。篠ノ之呼びにくいし。まだ本人には呼んだことはないが、いつか呼ぼう。

 

 

 

 

 

 

「それでは現状を説明する」

 

宴会場には名前を呼ばれた俺達と教師陣が集められた。室内には大型の空中ディスプレイが浮かんでいる。

 

「二時間前、ハワイ沖でアメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型軍用IS『銀の福音』が制御下を離れて暴走。監視空域より離脱したとの連絡があった」

 

それを聞いた全員が厳しい顔つきになっていた。一夏だけはポカンとした顔をしている。そしてボーデヴィッヒはいつになく真剣な顔だ。

 

「その後、衛星による追跡の結果、福音はここから二キロ先の空域を通過することがわかった。時間にして50分後。学園本部からの通達により我々がこの事態に対処することになった」

 

淡々と説明を続ける織斑先生。

 

「教員は訓練機を使って空域および海域の封鎖を行う。本作戦の要は専用機持ちに担当してもらう」

 

面白い、こっちはもともとスポーツなんて柄じゃあないんだ。こういうの、待ってたんだよ。

 

「それでは作戦会議を始める。意見があるものは挙手するように」

 

「はい」

 

うちのお嬢様が早速手を挙げた。お嬢様、随分とやる気だな。なんか微笑ましい。

 

「目標ISの詳細なスペックデータを要求します」

 

「わかった。ただしこれらは二か国の最重要軍事機密だ。決して口外するな。情報が漏洩した場合査問委員会による裁判と最低二年間の監視がつけられる」

 

「了解しました」

 

代表候補生達と教師陣がデータを元に相談を始めた。作戦なんていうのは苦手なんだよなぁ。こういうところが経験の違いというやつだろうか。一夏も俺と同じく先程からなにもしゃべっていないが。

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型…わたくしのISと同じくオールレンジ攻撃を行えるようですね」

 

「攻撃と機動の両方に特化した機体ね。しかもスペック上ではあたしの甲龍を上回ってるから向こうのが有利」

 

「特殊兵装が曲者だね。リヴァイブの防御パッケージが来てるけど連続の防御は難しい感じだ。」

 

「このデータでは格闘性能が未知数だ。偵察は行えないのですか?」

 

なんかみんながカッコよくみえてきた。俺は内心拍手を送る。何やってんの、俺。代表候補生達の会話に入れないんだけど。言ってることはわかるけど、ぶん殴って止めたらいいんじゃないの、とはさすがに言えない空気だ。ここまで真面目な感じだと困ったねえ。きっと楯無だったらうまくまとめるんだろう。そういえばあいつ、今頃何してんのかな。

 

「無理だな。超音速機動を続けているからアプローチは一回が限界だ」

 

「一度きりのチャンス…ということはやはり一撃必殺の機体であたるしかないですね」

 

山田先生の言葉で、みんなが一夏を見た。

 

「え?」

 

「一夏、あんたの零落白夜で落とすのよ」

 

「それしかありませんわね。ただ問題は…」

 

「どうやって一夏を運ぶかだね。エネルギーは全部攻撃に使わないとだから移動をどうするか」

 

「目的に追い付ける速度が必要だな。超高感度センサーも必要だ」

 

どうやら話に入れないどころか出番もなさそうだ。思わず、ぐだぁと肩を落とす。俺のもそこそこ速いんだろうけど、タクシーみたいな真似はごめんだ。

 

「お、俺が行くのか?」

 

「「「「当然」」」」

 

代表候補生の声が重なった。あれ、よく考えたらこれで空気なの俺だけじゃない?虐めかな、簪に慰めてもらいたくなってきた。ハグしてくれ、ハグ。

 

「織斑これは訓練ではない。実戦だ。覚悟がないなら無理強いはしない」

 

「やります。俺がやって見せます」

 

「よし、具体的な内容に入る。現在この中で最高速度が出せる機体は?」

 

「それならわたくしのブルーティアーズが。強襲用移動パッケージ『ストライク・ガンナー』が送られて来ています。超高感度ハイパーセンサーもついてます」

 

「オルコット。超音速下での戦闘訓練時間は?」

 

「20時間です」

 

「ふむ。それなら適任――」

 

「待った待ったー。その作戦はちょっと待った~」

 

天井からいきなり束ちゃんが現れた。忍者かな、楽しそう。今度俺もやろう。でも女子の部屋でこれやったらもう変態だよな。一夏にはやっても面白くないし、自分の部屋でやろう。たっちゃんならきっといい反応してくれる、絶対。部屋を真っ暗にしてやったらびびって泣いちゃうかもしれない。泣いたら慰めてやろう。それにしても忍者って格好いいな。北斗神拳は一応暗殺拳なんだけど、それにしては派手な技が多すぎる。体が爆発するやつばっかだし。ご先祖様は何を考えてるんだろうか。暗殺って普通もっと気づかれないような隠密行動なんじゃないの。気付かれても全員殺しちゃえばいい、みたいな考えの奥義多くない?俺もこそこそやるのは好きじゃないけど。今までの伝承者もみんなそうだったのかね。なるほど、これが血筋。もしかして更識ならそういう技あんのかね?暗部だし。今度聞いてみよう。教えてくれるか知らんけども。でも下手に秘伝の技とか教えてもらっちゃったら、引き返せなくなりそう。何それ怖い。気づいたら暗部入りしてそう。あれ、でもそれって俺あんまり今までとやること変わらなくない?要するに悪党を消せばいいんだろ、多分。違うのか?そういえば誘われていたし、簪をくれるっていうならその話考えてみようかな。更識桜介か、ないな。そもそも婿入りなの?でも簪の子供とか絶対可愛いだろうな、抱っこしたい。更識簪子…うん、悪くない。結局婿入りしてるじゃねーか。

 

「山田先生…室外へ強制退去を」

 

「えっ、あの、降りてきてください」

 

そう言われると束ちゃんは天井から飛び降りて、見事な着地を決めた。なにがとは言わないが、ぷるんぷるんだった。

 

「もっといい作戦が私の頭の中に――」

 

「出ていけ」

 

このやり取りに、少し吹き出しそうになった。笑ってもよかったかもしれない。どうせ出番ないんだし。はぁ~。毎日訓練してきたのにこういう時に出番なしとか。

 

「ここは紅椿の出番なんだよ!」

 

「なにっ?」

 

「紅椿のスペックデータを見てよ!パッケージなんかなくても超高速移動が出来るんだよ」

 

おめでとう、すごいね。出番がないとわかってからテンションが下がってきた。真面目にやっているみんなに悪いから、さすがにそれを顔には出さないが。

 

「展開装甲を調整して、ホイホイっ。スピードばっちり」

 

展開装甲とは第四世代型ISの装備らしい。さすが束ちゃん、憎いねこのっ。束ちゃんの説明はわかりやすいけど、これ結局は紅椿が強いっていうのを自慢したいだけだろ。それだけの為に話が長くて、だんだんイライラしてきた。強いんだよ、紅椿!この一言で済ませればいいだろ。束ちゃんとはやっぱり性格が合わないのかもしれない。もう一服してきていいかな。

 

「束、やりすぎるなと言ったはずだぞ」

 

「そうだっけ。えへへ。ついつい」

 

それから白騎士事件について語られた。俺はやっぱりISで強くならないといけない。この話を聞いてもっともっと強くなろうと改めて思った。大切な人を二度と死なせないように。

 

「紅椿の調整にはどれくらい時間がかかる?」

 

「わ、わたくしとブルーティアーズで必ず成功させてみせますわ」

 

「そのパッケージは量子変換してあるのか?」

 

「それはまだですが…」

 

「ちなみに紅椿は7分あれば余裕だね」

 

「よし、では織斑、篠ノ之両名による追跡および撃墜を目的とする。作戦開始は30分後。ただちに準備にかかれ」

 

作戦の概要とメンバーが決まるとみんなが動き始めた。

どうやら参加メンバー以外は準備の手伝いをするようだ。俺も一服したら手伝おう、手伝えることがあれば。

 

 

 

 

 

 

外に出て煙草に火をつけて煙を吐き出し、コーラを開けて一気に飲み干す。暑い日のこれはうまい、うますぎる。ビールならもっと良かった。

 

リラックスしまくっていると、そこに紅椿の調整を終えた束ちゃんがやって来た。作戦には用なしの俺なんかになにか用でもあるのかな。今の俺は機嫌が悪いんだ、遊んでやる気にはなれないぞ。

 

「今回の作戦、君は参加しなくてよかったのかな?」

 

「参加してもやることないだろ」

 

「本当はいきたそうに見えたけどね?」

 

「束ちゃんには関係ないだろ。行ったらなんかあんの?面白いことでも」

 

「ウフフ♪別にー。それより君は会議中、一言も話さなかったね!」

 

「それは言うな!それを言ったら、おしまいだろうが!」

 

それに気づくとは、やはり天才か。ごほうびにもう一本のコーラを束ちゃんにあげよう。

 

「きみって、実はいいやつなのかい?」

 

黙ってコーラを差し出すと、なんだか喜んでくれたみたいだ。

 

「なんだ、今頃気づいたのか?」

 

旨そうに飲んでるよ、この人。また機会があれば買ってあげよう。今度は振ってから渡してやる。

 

「ぷはー。君はやっぱり面白いね」

 

「俺はちっとも面白くねえよ、お留守番なんて」

 

「いっくんが心配じゃないの?お友達でしょ?」

 

「男がやるって言ってるんだ。それを信じてやるのも友達だろ。だからいいよ…今回は」

 

「そっか…。えへへ。そうだね!桜介ちゃん!」

 

「ちゃんづけはやめろ、このやろう!」

 

束ちゃんは楽しそうに笑っていた。でもこいつ、なに考えてるかわかんないんだよな。



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35話

時刻は11時半。

 

一夏と箒の二人は砂浜に立っていた。

 

二人がISを展開すると一夏が箒の背中に乗る。

 

それを俺は少し離れたところから見ていた。

 

『織斑、篠ノ之聞こえるか?』

 

そこにオープンチャネルで織斑先生の声が聞こえた。

 

一夏と箒が頷く。

 

『今回の作戦の要は一撃必殺だ。短時間での決着を心がけろ』

 

「了解」

 

「織斑先生、私は一夏のサポートをすればよろしいですか?」

 

『そうだな。だが無理はするな。お前はその専用機での実戦経験は皆無だ。』

 

「わかりました。出来る範囲で支援します」

 

箒も自信満々だ。実際紅椿凄かったしな。上手くいくといいね。

 

しばらくすると、織斑先生から二人に号令がかかった。

 

『では、はじめ!』

 

そして箒が一夏を乗せたまま上空へ飛翔すると、あっという間に加速して見えなくなった。

 

それを俺はただ見ていた。俺も行きたかったな、といまだに少し思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

結果からいうと作戦は失敗した。一夏は今ベッドで倒れている。戦って、それに敗れて倒れる。それは俺も何回も何回も経験してきたことだ。それこそガキの頃から。あのくそ親父、ふざけんなよ。自分のガキ相手に加減をしろ、加減を!

今さらそんなことを言っても仕方ないか。俺は実際に今までそんなだったわけだが、一夏が倒れたことに何も思わないわけじゃない。ま、それが友人というものなんだろう。

 

結局、専用機持ち達で一夏の敵討ちにいくことになった。今はボーデヴィッヒが銀の福音の位置を調べている。俺も参加することにした。その前に一度だけ一夏の様子を見に行くか。

 

部屋の前までくると、中で話し声が聞こえた。どうやら既に先客がいるようだ。

 

「あのさぁ、一夏がこうなったのってあんたのせいなんでしょ?」

 

「……」

 

「で、落ち込んでますってポーズ?ふざけんじゃないわよ!」

 

鈴と箒が話をしている。箒は完全に落ち込んでしまっている。鈴はたしかに激情家だが、何も考えなしに怒鳴り散らすタイプではない。鈴なりの発破のかけ方なんだろう。きっと放っておいても鈴なら上手くやるかもしれない。ここで俺に出来ることなんて何もないのかもしれない。それに箒とはそんなに親しいわけでもない。どうしようか。やっぱり俺も一応、声ぐらいはかけておこうかな。そんなことを考えていると、いきなり箒の態度に激怒した鈴が、箒の胸ぐらを掴んで無理矢理立たせていた。

 

「やるべきことがあるんじゃないの?今戦わなくてどうすんのよ!」

 

「わ、私は…もう…ISは使わない…」

 

激昂した鈴が腕を振り上げたので、俺は部屋の中に入っていきその腕を掴む。

腕を掴まれた鈴は、案の定こちらを勢いよく振り向くと、キッと俺を睨み付けた。

 

「桜介!邪魔するんじゃないわよ!」

 

「鈴、もういいんじゃないか。箒さんは戦いたくないんだろう。好いた男が自分を庇って倒れされ、そして心が折れた。それだけの話だ」

 

「……霞」

 

本当に気が強いな、鈴は。ま、やっぱり鈴はそうじゃなくっちゃな。惚れた男が倒れたというのに、お前のそういうところは正直感心するよ。内心はお前だって辛いだろうに。

だが、箒はまだ俯いたままだ。この子も一見気が強いように見えるんだけど内面はすごく繊細なんだろう。

よし、それなら俺も少しだけ焚き付けてみるか。

 

「お前は弱い自分に絶望して立ち上がることを諦めて、それで一夏のことも一緒に諦めるんだろ?いいんじゃない、それで」

 

「い、一夏のことは関係ないだろう!」

 

その言葉に箒はやっと顔をあげた。やはり一夏は、この子の中では特別なんだろう。箒の目をしっかりと見据えて俺は言葉を続ける。

 

「関係あんだろ?あいつがお前を庇ったのは、お前を守りたかったからだ。お前にそんな顔をさせたかったからじゃあない」

 

「じゃあ…どうしろと言うんだ!」

 

「いいか。男が惚れるいい女っていうのは、辛い時に頑張れる、こういう芯の強い女なんだよ」

 

「なっ!?」

 

「桜介!?」

 

俺は鈴の頭に手をおいてそう言った。あくまでこれは俺の考えだ。一夏がどういう女を好きなるかなんて実際にはわからない。だが箒ちゃんには足りないものだと思うから、ここで敢えて言っておく。

 

「その心の強さに男は惹かれるんだ」

 

その時に俺の頭に最初に浮かんだのは、あれだけ愛していた玉玲ではなくて、水色の髪の少女だった。そのことに、正直自分でも驚いた。

 

「心の…強さ…?」

 

「そうだ…。正直一夏の好みは知らないが、あいつの姉をみてたらそれが完全に間違いってわけでもないだろ。あの人は強いから、今ここいないんだから」

 

あの実はブラコン気味の織斑先生がここにいないのは、今は心を押し殺して自分がやるべきことをやっているからだろう。あの人のそういうところは素直に尊敬している。

 

「それで?篠ノ之箒、お前はここにいていいのか?」

 

そう箒に問いかけると、やっと少しずつその瞳に力が戻っていく。自分でも柄でもないことを言った自覚はある。だからとっとと元気になってもらわなきゃ困るんだよ。

 

「そうだな…。言いたいことはわかった。だがどうするんだ、もう敵の場所もわからない!戦えるなら私だって戦う!」

 

箒は自分で立ち上がる。その瞳は完全に力を取り戻していた。それを見てようやく鈴がため息をついた。

 

「やっとやる気になったわね。あーあ、めんどくさかった!」

 

「素直じゃねーな、お前は」

 

「あんたにだけは言われたくないわよ!」

 

ん?誰よりも素直だろ俺は。鈴と話していると、突然ドアが開く。そっちに視線を向けると、そこに立っていたのはボーデヴィッヒだった。

 

「出たぞ。ここから三十キロ離れた沖合い上空に目標を確認した。ステルスモードに入っていたが光学迷彩は持っていないようだ。衛星による目視で確認した」

 

「さすがドイツ特殊部隊、やるわね」

 

「ふん、お前の方はどうなんだ」

 

「当然。シャルロットとセシリアは?」

 

「ああそれなら…」

 

問いかけられたボーデヴィッヒがドアの方に視線を向けると、いつの間にかセシリアとシャルロットもすでに部屋の外まで来ていた。

 

「たった今完了しましたわ」

 

「いつでもいける」

 

これでここに全員が集まった。そして全員が揃って箒に視線を向ける。もう大丈夫だろうが、一応俺も確認するような視線を箒へと向けた。

 

「で、あんたはどうするの?」

 

「私…私は…戦って…勝つ!今度こそ負けはしない!」

 

「ふ。やっと武人らしくなったな」

 

「霞……、お前」

 

鈴の問いかけに箒は力強くしっかりと答えた。ま、そういうことならみんなで頑張ろうじゃないの。

 

「決まりね!じゃあ作戦会議よ」

 

「ああ!」

 

良かった。良かった。全員で敵討ちにいこう。でも俺の恥ずかしいセリフ、みんなに聞かれてたのか。みんなドアの外にいるって知ってたら、俺きっとあんなこと言わないよ。ショックだ~。

そのことに少しだけ後悔していると、セシリアとシャルロットに両側からポンと肩を叩かれた。

 

「格好良かったですわ」

 

「うんうん。なかなか良かったよ」

 

「……」

 

ほっといてくれ。俺は心の中で悶絶していた。

 



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36話

なんちゃってISバトルです。サクサク終わらせました


専用機持ちが旅館を出発して銀の福音に接近してる最中、集団の最後尾をいく桜介のハイパーセンサーが銀の福音とは別のISの反応を感知した。

 

次の瞬間、横から桜介に向けて無数のビーム放たれる。

 

それを辛うじてかわしビームが来た方向を見ると、赤い龍を思わせるISを纏った銀髪の強面の男がいた。年は桜介と同じぐらいか少し上ぐらいに見える。体格は桜介よりも一回りほど大きい。

 

「俺は北斗劉家拳の劉宗武。お前が霞桜介だな」

 

「北斗劉家拳…。確か伝承者の名前は劉宗武だったな。それで?北斗の分派がこんなとこで何やってんの?ISにまで乗っちゃってさ」

 

「……」

 

桜介の問いかけにも、宗武はただ笑みを浮かべていた。

 

「何笑ってんの?とりあえず邪魔なんだけど。どいてくれる?」

 

「ふっ。大きな獲物を狩るのに喜ばぬ狩人はいない」

 

「あー、そういうことね!分かりやすくていいね。………というわけだからみんなは先に行っててもらえる?こいつ、うちの関係者なんだ」

 

桜介が視線を向けると、専用機持ち達は突然現れた男性操縦者にまだ驚いていた。

少し離れたところで二人の様子を伺っていた彼女たちに、桜介は再度先に行けという合図をする。

 

「桜介!?」

「桜介の知り合い!?」

「男性操縦者がまだいましたの!?」

「今は色々と説明してる暇は無いだろ。ここは俺に任せてくれないか。こいつは俺に用があるみたいだし」

「……わかった。先にいくぞ」

「霞、無事でな」

「ありがとね」

 

専用機持ちを見送ると目の前の男に向き直る。改めて対峙する二人。北斗神拳伝承者と北斗劉家拳伝承者。二人目と三人目の男性操縦者。蒼い龍と赤い龍。北斗神拳に伝承者なき時、北斗劉家拳よりこれを選ぶ。北斗にはそういう掟があった。

 

「お前、束ちゃんの犬だろ?犬なら犬らしく、ワンワン吠えてみたらどうだ、おい」

 

「ふっ。ISも所詮は遊びよ。俺は強いんだよ!誰よりも確実にお前よりなぁ!」

 

宗武は傲慢に笑うと高速で桜介にあっという間に接近し、右拳で桜介の胸部を力強く殴り付けた。

 

ドカァ!

 

「むぐっ」

 

パンチを食らって衝撃で吹き飛ばされる桜介。

 

「北斗神拳など稚戯に等しい」

 

「遊ぶなら…あの世で遊べよ」

 

体勢を立て直そうとする桜介に、宗武は右手からビームを放った。

 

それをぎりぎりで避けることができたが、そこに宗武は上から殴りかかった。

 

桜介はそれを横にかわして、右足で蹴りを放つ。

 

「おあたぁ!」

 

しかし宗武はその強烈な蹴りを掴んでそのまま放り投げると、瞬時加速から再度殴り付ける。

 

「ぬぅん!」

 

「ぐはぁ…!」

 

派手に殴り付けられてぐったりしている桜介の頭を宗武は片手で掴んだ。

 

「脆すぎるな。お前など俺の敵ではない。北斗の掟など知ったことか。劉家拳は北斗神拳の下僕にあらず!」

 

宗武は劉家拳が北斗神拳より下だとするような北斗の掟を、認めてはいなかった。宗武が止めを刺そうと、拳を大きく振りかぶる。

すると力の抜けている桜介の体から実体のない黒いなにかが溢れだした。

 

(なんだ、この闇は!?)

 

黒いなにかに驚いて動きがピタリと止まり、宗武からは冷や汗が流れる。

 

(この殺気…。この闇に何が潜む…)

 

 

 

 

その時桜介は、既に意識が飛びかけていた。そこに老人の声が聞こえてくる。

 

『ふしゃしゃしゃ~。北斗の拳はまだまだ奥が深い。極めきれるかのう。最強の道を…。北斗の者よ。楽しむがいい、運命の旅を!』

 

(誰だよ、この爺さんは…。ってそれより、今は寝てる場合じゃねぇぞ!)

 

 

 

 

桜介は目を開けると、すぐに目の前の宗武に前蹴りを放った。宗武は蹴りを食らい後ずさる。そして桜介はボロボロになりながらもフッと笑った。

桜介が伝承者となってから今まで、自分と互角に殴り合える相手などどこにもいなかった。

桜介の武道家としての最大の武器は全身バネのような体だった。しなやかにしなり強靭に跳ねるバネ。桜介は子供の頃からそれが取り柄だった。もともと敵の攻撃をかわすことが得意だった桜介は、強くなるにつれて攻撃を受けること自体が少なくなっていた。

ISの訓練では最初楯無によく凹まされていたが、もともと攻撃をかわす勘や間合いを見切る素質がずば抜けている上に、危険を察知する未来予知のような直感をも持ち合わせている。

だから最近は訓練でもそこまでやられていない。そもそも楯無とは殴り合っていたわけではなく、桜介は楯無を敵だとも認識していなかった。そういう意味で宗武は、桜介にとって久しい強敵といえた。

 

「へへっ。痛てぇなぁ。だがなんとも気持ちいい。久しぶりだ、こんな気分は」

 

「……。」

 

楽しそうに笑う桜介にも宗武は黙りこんだままだ。

 

(この俺が死を感じるとは…。なんだあの闇の幻影は…。まさか…無想転生!?)

 

宗武は垣間見た闇にいまだ戸惑っていた。宗武もまた北斗劉家拳の天才。今まで負けたことなど一度もなく、自分が死を感じるほどの相手がいたことに心の底から驚いていた。

だがそんなことはお構い無しとばかりに、桜介が加速して突っ込んでくる。

 

ベコオッ!ベコオッ!

 

高速移動中の蒼龍は衝撃音と共に連続で角度を変え、さらに加速する。そして宗武が構える反対側から、強烈なパンチを当てた。

 

「ぐっ…!」

 

「雷暴神脚。お前は聞きしに勝る天才児だ…。死合うに足りる…。来い」

 

雷暴神脚とは、北斗神拳の飛翔軽巧術を元に開発された蒼龍の特殊兵装。高速移動中に空気の壁を蹴って急角度での方向転換を可能にする。そして空気の壁を蹴ることで、蒼龍はさらに加速する。

 

「ふ…こざかしい」

 

宗武が上段蹴りを放つが、桜介はそれをかわす。宗武が拳の連打を放つと、桜介も負けじと高速の拳を連打させた。残像が残るほどの連打の応酬。

 

ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!ドオン!

 

互いの拳同士の衝突音が空に響き渡る。やがて拳の衝撃で二人に少し距離ができた。

二人はすぐに近づくと、互いに渾身のパンチを放った。

 

「おあたぁ!」

 

「ぬおおぉ!」

 

相手の拳を拳で受け止め、二人は頭と頭をぶつけながら拳に力を込めて相手を押していく。

 

「そんな貧弱な力では俺の拳を受け止められんぞ」

 

「最後の切り札は馬鹿力か。笑わせるなボケ」

 

「口だけは達者だな。女にうつつを抜かしているお前などに負けるものか」

 

その宗武の発言に、桜介の眉がピクリと動いた。

 

「女…?女は関係ねぇだろ!」

 

「な、何っ!?」

 

「女の文句は俺に言えぇ!」

 

桜介は拳を振り切るとそのまま手刀を放つが、宗武も負けじと手刀を繰り出した。それが互いの腹部にヒットする。

 

「ぬっ!」

 

「ぐっ!」

 

歯をくいしばって耐える二人。

 

「運がいいな。生身なら今ので死んでるぞ、お前」

 

「お前の方こそだ…」

 

互いに意地の張り合いをしていると、宗武は何かに気づいたように急に体勢をかえた。

 

「ぬっ。どうやらお前の仲間が来たようだな。桜介!この場は見逃してやる!ありがたく思え!」

 

「あ?なんだそりゃ?」

 

そう言うと宗武はどこかへと飛び立っていった。突然勝負に水を差された桜介だが、既に疲労困憊でそれを追うことは出来なかった。宗武が見えなくなると、すぐに桜介の元へと仲間たちがやってきた。




銀の福音、名前だけの登場で終わってしまった。ISなのに殴り合いしかしてない。北斗神拳でISバトルを書くのはなかなか難しそうです。あと狙撃してない。タイトル…。


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37話

あの後、専用機持ち達と合流して旅館に戻ってきた。銀の福音は倒したようだ。一夏の白式は第二形態に移行したらしい。なにそれすごい。

 

そして今は大広間で全員正座である。

 

「あ、あの織斑先生、もうそろそろそのへんで、ね。け、怪我人もいますし」

 

「ふん」

 

山田先生優しい。ここでまた俺の好感度が簡単に上がる。タプンタプンだし。俺ってチョロいんまっしぐら。

 

「じゃあみんなまずは水分補給をしてください」

 

みんなにスポーツドリンクを配ってくれる山田先生。

それをゴクゴク飲んでいると、織斑先生がみんなに声をかけた。

 

「しかし、まぁよくやった。全員よく無事で帰ってきたな」

 

この人ツンデレかな。やっぱり千冬ちゃんはツンデレなんだね。いつかこの人がデレデレになる時がくるんだろうか。来ても俺には態度変わらなさそうだな、今のところ接点が少なすぎる。聞いた話だと千冬ちゃんも酒飲むみたいだし、いい酒が手に入ったら一度差し入れしてみよう。でもそれ、俺が飲んでるのもばれる。手に入る時点でおかしくないかな、どうしよう。

 

「あの、みんなの診察しますから男子は出ててください」

 

そう言われて、俺は部屋から出た。別に診察なんか興味ないからね、多分。

 

 

 

 

 

夕食の時間が終わり、俺は自分の部屋で織斑先生に今日のことを話していた。

 

「霞が戦った正体不明のISは一体なんだ?知っていることがあれば全て話せ」

 

「IS自体はよく知らないが、知っている男が乗っていた。名前は北斗劉家拳の劉宗武、実家の拳法の分派の男。 我が流派は北斗神拳。少し前に俺が継いだんだ」

 

「そうか。他に何か知っていることはないか?」

 

「束ちゃんと知り合いみたいだねぇ。束ちゃんは三人目の男性操縦者がいること知ってたから」

 

「わかった。時間をとらせたな」

 

これでめんどくさい話は終わった。

よし、ここからが本番だ。

早速やってきたビックチャンスを、俺はみすみす逃がすつもりはない。

すぐに冷蔵庫を開けて冷えたビールを、立ち上がろうとする織斑先生に渡す。

 

「先生、ま、一杯どう?」

 

「それはいいが、なぜお前がこれを持っている?」

 

さすがに織斑先生に睨まれるが、ここで負けたらダメだ。どうせいつかバレるんだ。開き直ってガンガンいくぜ。

 

「男の嗜みかな」

 

俺は織斑先生の鋭い視線から目を逸らさず、じっと見つめ返してそう言った。こういうときに目を逸らすのはだめなんだよな。俺はなにも悪くないという態度が大事なんだ。

 

「いいだろう、じゃあ一杯もらおうか」

 

しばらくの沈黙の後、千冬ちゃんはそう言った。ほら、やっぱりな。この流れならもういける。俺はグラスにビールを注いで渡すと、千冬ちゃんはそれに口をつけた。それを確認してから、俺は自分のグラスにもビールをついで一気に飲み干した。だがまだ弱いな、俺はこんなところで引くつもりはない。

 

「先生は日本酒とか飲む?」

 

「……頂こうか」

 

肩の力を抜いてそう言った千冬ちゃん。もう完全にこっちのペースだぜ!俺は隠していた日本酒を出し、コップを千冬ちゃんに渡す。

 

「この銘柄は…!」

 

「貰い物なんだけど、手に入っちゃってさぁ。これ旨いんだよねぇ」

 

この酒を知ってるとはなかなか通だな、千冬ちゃんは。トポトポと千冬ちゃんのコップに日本酒をついでいく。そして自分のコップにも注ごうとすると、千冬ちゃんから声をかけられた。

 

「私がついでやろう」

 

「すいません」

 

俺もついでもらった。この人、思ったよりノリがいいな。意外と仲良くなれそうだ。

 

「思えば初めてだな、霞とこうして二人で話をするのは」

 

「はい。なかなか機会がありませんでしたので」

 

避けてたのもあるのかもしれない。後ろめたいことしかしてないから。まるで不良みたいだな俺。

 

「学園生活はもう慣れたか?」

 

「どうかな。でも女子ばかりだと心が休まらないこともあるよね」

 

それにしても先生みたいなこと聞くね、千冬ちゃん。あ、先生だわ。本当は全然に気にしちゃいないけど、とりあえずこんなもんだろ。

 

「なにを言っている。お前がそんな男か。お前は普通の学生とは少し違うようだからな」

 

「そうかもね」

 

そう言って日本酒を煽る千冬ちゃんに、俺は少し笑ってしまった。あんたも普通の先生じゃないから大丈夫だよ。俺も将来は女子大の講師になるかもしれないが、この人がやってけるなら俺もやれるだろう。先生はコミュ力より強さだと、この人が教えてくれた。

 

「そうだろう。それで好きな女は出来たか?ここにはたくさんいるだろ、女子が」

 

「……今はいねぇな」

 

突然そんなことを聞くもんだから、思わず敬語とか忘れてしまった。聞かれたくないこと聞くから、この人が。つまり俺は悪くない。

それにしても、そんなこと聞くなんて思ったよりフランクなのか。それならもうめんどくさいから、こっちもこのままいこう。

 

「なあ、お前は今でも充分強いだろ。なんとなく雰囲気でわかる。それでもさらに力をつけようとしている。それで結局お前はなにがしたい?」

 

「守りたい女がいる。あとは拳法家として生きて、そして死ぬ。それだけだ」

 

「なるほど…。更識姉が痺れるわけだ。お前には迷いが全くない。ふ…。私も十年前に出会っていれば、惚れていたかもしれないな」

 

この人もそういう冗談とか言うんだな。本当にさっきから驚かされてばかりだ。これだから人は見かけによらない。

だがそれよりも、誰とは言っていないのに何故ばれた。俺はそんなにわかりやすいのだろうか。

 

「別に迷いがないわけじゃないさ。ただそういう生き方しか知らないだけだよ」

 

照れ臭くなって頭を掻きながらそう言うと、千冬ちゃんが少しだけ微笑んでいた気がした。




千冬さんと親交を深めました。


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38話

プロローグを追加しました。


翌朝、朝食を終えて撤収作業をするとすぐにバスに乗り込んだ。

 

バスでは一夏がぐったりとしているが、まぁ死にはしないから大丈夫だろう。そんな状態だというのに、専用機持ちの面々はみんな一夏に冷たいようだ。弱ってるときに優しくされると、だいたいの男はコロッといくんだぞ、わかってる?つまり落とすなら今がビックチャンスなんだよ?いいの?このままでいいの?でもなんとなく一夏は落ちなそうだな。俺なら一瞬で落ちるだろうに。それにしても何かあったんだろうか。痴情のもつれかな、それならもっとやれ。ふむ、一夏は少し女性の気持ちを考えた方がいいな。はっはっは。

 

「喉乾いた…」

 

そんな声が聞こえてきた。さっきから一夏が飲み物を欲しそうにしている。しかし誰もあげようとしない。仕方ない、友人として俺が手を差し伸べよう。俺の飲み物はいつでもキンキンに冷えている。そう思った時、箒、シャルロット、ラウラが一夏に同時に声をかけた。

 

「「「一夏」」」

 

「はい?」

 

その時、一人の女性が車内へと入ってきた。金髪の美人さん。それをジーッと見ていると、その女性と目が合った。その瞬間、女性はこっちに向けてバチンとウインクをしてきた。最高、金髪最高!

 

「ねぇ、織斑一夏くんはいるかしら?」

 

「はい、俺ですけど」

 

「君がそうなんだ」

 

「あなたは?」

 

「ナターシャ・ファイルス。銀の福音の操縦者よ」

 

次の瞬間、その金髪の美人さんは一夏の頬にキスをした。やっぱり金髪はないな、うん。あと飲み物あげようと思ったけどやめた。誰がやるか、お前なんかに。そもそも少しでもこいつに同情したことが間違いだったんだ。金髪美女からいきなりキスされるような男に、同情など永遠に不要だろう。俺なんかに同情されたらむしろ失礼に当たる。

 

「「「死ね!!!」」」

 

「ぐはっ!」

 

「……とどめだ」

 

「げふっ!?最後の誰だ!?後頭部に…」

 

俺がガックリと項垂れていると、三人にペットボトルを投げられる一夏。どうせだから俺もついでに投げておいた。やはり欧米では頬へのキスなどただの挨拶。口へのキスすら挨拶だ。こんなことならウインクのお返しに、こちらからしておくのが礼儀だった。なんなら今からでも追いかけて、ハローの代わりにがっつりお見舞いしてやろうか。

 

「桜介さん、どうかしましたの?」

 

「いいや、なんでもないよ。少しペットボトルが邪魔だったもんでねぇ」

 

「そうですか。全くおかしな人ですわ。ふふふ」

 

「はっはっは」

 

隣に座っているセシリアが落ち込んでいた俺を本気で気遣ってくれる。俺が馬鹿なことを考えているとは、全く疑いもしないセシリアまじお嬢様。さすがうちのお嬢様は心優しい。なんだかセシリアが輝いて見えるのはやっぱり金髪だからだろう。ここは感謝の気持ちをいつか欧米風挨拶で…。

そのあとは特になにもなかったが、サービスエリアで食べたラーメンは美味しかった。

 

 

 

 

 

 

学園についてバスを降りると、荷物を降ろしてすぐに解散になった。たった三日間だがとても長く感じたし、正直疲れた。今日は部屋でゆっくりするとしよう。部屋の前までくると一応ノックをする。異性のルームメートがいる以上、これもマナーというやつだ。

 

「入るぞ」

 

ドアを開けた瞬間、飛び込んでくる水色の弾丸。銃弾を避けるのは得意な俺だが、この弾丸は避ける必要がないだろう。

 

「お帰りなさい」

 

それを胸で受け止めると、久しぶりに聞いたその言葉にやっと帰ってきたことを実感する。

 

「ただいま。いきなりどうした?」

 

俺は数日ぶりにその髪を撫でた。それに反応するように、楯無はぐりぐりと頭を擦り付けてくる。

 

「そ、それはその……さ、寂しかったのっ」

 

楯無はうつむくようにしながら、頬を赤らめてポショリとつぶやいた。

 

「今日は素直だな。俺がいない間さあ、いい子にしてたか?」

 

「こ、ここ、こっちの台詞よ、それはっ!」

 

これにはさすがに納得がいかないのか、顔を赤くして怒ったように反論してきた。

しかし今もおもいきり甘えてきているので、説得力がまるでない。

 

「そうだっけ。まあ俺の場合、いい子過ぎてみんな困ってたんじゃない?」

 

「……それは絶対違うでしょ」

 

「ふっふっふ」

 

「うふふ。誤魔化したわね?」

 

いつものように、こんなどうでもいいようなやり取りをしている間も、楯無は嬉しそうに胸板へと頬を擦り付けてくる。

 

「それよりさ、早く中に入りたいんだよね。こんなところ、誰かに見られたら困るだろ?」

 

「えっ!?」

 

「熱い抱擁は嬉しいが、今みんなちょうど戻ってきてるぞ」

 

「あ、あわわっ…」

 

実際寮の廊下には、ちらほらと一年生が歩いていた。我に返った楯無が、慌てて俺を中に引っ張り入れる。それでようやく自分の部屋に入ることができた。

 

「き、気づいてたなら、ももももっと早く言いなさいっ!」

 

「勿体ない気がした。どうせだから堪能させてもらった」

 

「うう…」

 

俺が隠さずに自分の気持ちを言うと、楯無はすっかり俯いてしまった。なんだかこんなやり取りも、すごく久しぶりな気がする。

 

「やっと帰ってきたんだ。座らせてくれる?」

 

「そ、そうね。お茶、入れるわ」

 

「ふ…。ありがとね」

 

お茶を入れてもらってソファに座ると、俺は今回の合宿の話をした。

 

「まさか三人目までいるなんて。しかも今のあなたと互角とか…。相当手強いわね」

 

「んふふ。どうやら俺はまだまだ弱いらしい。そういうわけだから、これからもよろしく」

 

「苦戦したわりには、なんか嬉しそうだし…。まったく…あなたらしいわ。でもあんまり心配…かけないでね」

 

どうやら自分でも気づかないうちに、笑みを浮かべていたらしい。拳法家にとって強い相手と戦える、そんなに嬉しいことはない。

でもそんな泣きそうな顔をされたら、あまり心配かけれないじゃないの。

そのためにも、もっと強くなろう。あいつは生身でも相当やるはず。

そしてあいつが劉家拳の伝承者である以上、それもいつか決着をつけないといけない。

 

――これもまた、北斗の伝承者の宿命なんだろう

 

「……ごめんな」

 

「いいわ。それが桜介くんだもの」

 

楯無の言葉を否定することなど出来ず、ただ謝ることしか出来ない俺に、そう言ってくれるこいつはとても優しくて、そして強い女だ。

 

「ありがとう」

 

「うん…疲れたでしょ。よかったらどうぞ」

 

楯無はそう言って自分の膝をポンポンと叩いた。

何故か遠慮する気にもならなかったので、俺は頭を膝に置く形で横になる。

頭で感じる柔らかな感触がどこか心地いい。

膝枕とかそういうのはあまり慣れていないから、俺の顔は今少し赤くなっているのかもしれない。

だけど下から見る楯無の顔はすでに真っ赤だ。

自分からしといて、こういうところは本当に…。

それが照れくさくなって目を閉じると、優しく髪を撫でてくれた。

 

「気持ちいいな」

 

「ふふ。珍しく素直ねえ」

 

「今日はそういう気分なんだ。だめか?」

 

「別に……だめじゃないけど…。いつもこうだったら可愛いのに」

 

「ふ…。疲れたよ、少し眠らせてくれ」

 

たった三日が長く感じたのはこいつのせいかな。なんて少しでも思ってしまった今日の俺は、相当どうかしているのかもしれない。



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39話

7月の土曜日。

 

「桜介の餃子旨そうっスね。一個もらい~」

「…フォルテ。お前…」

「なんスか?」

「こないだもそう言ってチャーシューとっただろうが…。2枚しか入ってなかったんだぞ、二枚しか…!」

 

桜介はフォルテと二年生の寮食堂で夕食を食べていた。

そんな文句を聞き流して、旨そうに餃子を頬張るフォルテ。この男の文句を聞き流せるあたり、なかなかいい度胸をしているがその服装はジャージ。あまり服装には頓着しないタイプだ。

 

「まぁいい。それよりいい酒が手に入っちゃってさあ!今夜一杯やる?」

「ま、まじっスか!やるやる!」

「じゃあ七時半にあの部屋に来いよ。あと氷作っとけ…今切らしてんだよ」

「それって……。おい、私のISは製氷機じゃないんだぞ」

「じゃあお前飲まないんだな。わかった、ジュースでいいな…フォルテちゃんは」

「ぐっ…!このやろう!作ればいいんだな、作るっスよ!」

「そういうことだ。くっくっく」

「全く悪い(ヒト)だなぁ。フハハッ」

「お前もな。はっはっは!」

「ふははははっ」

 

怪しげな笑みを浮かべ、大声で笑う二人は端から見るとまるで悪の組織のメンバーのようだ。

しかし二人で楽しげに笑っていると、そのテーブルに入ってくるものがいた。

 

「なんだか随分と楽しそうね、桜介くん。隣いいかしら?」

「ああ、いいぞ」

「ブッ!」

 

桜介の隣に座ったのは楯無だった。その手には野菜炒め定食を持っている。悪い話をしているところに、突然の生徒会長の登場で、フォルテはビックリして口から何かを吹き出してしまう。

 

「それで?お酒がどうかしたのかしら?」

「いいや、何でもない。なぁフォルテ」

「そ、そうっスよ。何でもないっスよ?」

 

問いかけられると慌てて目を逸らすフォルテ。

その額からは冷や汗が垂れていて、その様子はどうみても怪しい。

 

「……七時半にねえ?ねえ?桜介くん」

「そうだな」

 

桜介はそれでも表情を全く変えず、なんでもないように平然と返事を返す。

 

「………」

 

このままではまたとぼけられて終わってしまう。

楯無はそう考えて、テーブルの下でスカートをぎゅっと握りしめる。

その左手首には姉妹でお揃いの水色のラムスキンのブレスレットが付いていた。一応フォルテと買いに行ったものの、フォルテが役に立たないので結局桜介が一人で選んだものだ。

 

「どうした?そんな顔をして」

 

楯無の顔が強ばっているのが気になって、桜介がそれとなく問いかける。

それでようやく楯無は、頬を赤らめながらおずおずと話を切り出した。

 

「わ、私も、私もいきたいなぁ…。な、なんてね、だめかなぁ?」

 

そして楯無はバツが悪そうな顔をして、桜介を恥ずかしそうにチラチラと見る。

楯無にも友達付き合いを邪魔しているんじゃないかという自覚はあるのだ。

だとしても、それでも一緒にいたいのが恋する乙女心だった。

 

(おい、フォルテどうすんだ。先輩だろうが。お前がどうにかしろ)

(先輩とか言われたの初めてなんスけど!?都合よすぎでしょ!こうなったら会長も誘ったら?)

(バカヤロウ。あの飲み部屋、もとは楯無の自室だぞ…。勝手に使ってんのばれちまうだろ)

 

実は本来楯無が住んでいる特別個室の一人部屋を、簡易の酒場代わりに利用しているのだ。

しかも楯無はずっと居座るつもりなのか、桜介の部屋に全ての荷物を運び込んでいるので、まだ本人にはバレていない。

そこに置いてあるのは自分で買った酒、知り合いに貰った酒など多種多彩に及び、その品揃えはもうバーに近いほどだった。

 

(じゃ、じゃあ……どうするんっスか?)

(今日はバーで飲む。七時半に駅前だ。楯無には黙っとけ、酒飲むとあんまりいい顔しないから)

(りょ、了解)

 

そして相談が終わると、最後に二人はコクンと揃って頷いた。

 

「そ、それで、さ、作戦会議は終わった?」

「ふ。何のことだからわからないな」

「そんなずっと耳元でボソボソやってて、誤魔化せると思ってる方がおかしいわよ!?」

 

自分を仲間外れにして仲良くしている二人の様子に、問い詰める楯無の顔はすごく険しい。

並みの男ならもしかしたらこれだけでもビビってしまうかもしれない。

だがそこは霞桜介だ。当然肝の座りかたが違う。

 

「楯無…」

「な、なにっ?」

 

いきなり真剣な声色で呼び掛けられて、楯無は警戒心を露にする。

 

「ふ…。あんまり怒るとさあ、せっかくの美人が台無しだぞ」

「だ、誰のせいよ!もっ、もうっ!い、いつまでもそんなので騙されるほど私は甘くないの!」

 

そう言いながらも、楯無は頬を染めて視線を逸らす。相変わらず誉められるのも、攻められるのにも弱い楯無。

それをとっくに知っている男が、ご機嫌取りにそれを利用しないはずがない。そして、ついでにいうなら楯無は笑顔にも弱かった。

 

「あれ?会長、桜介のこと好きなんっスか?」

「なぁっ!?な、ななななに言ってるのよっ!そ、そそ、そんなこと!わ、私っ、私は…っ!」

「おい、フォルテ。このバカ!」

「いったぁ…!な、なにするんスか!?」

 

フォルテのまるで空気を読まない発言に、桜介は頭を軽く叩いて睨み付ける。

一気にゆで上がって目を泳がせまくり、もはや混乱していると言っていい楯無を横目に、お前がなにするんだと、そういってやりたい気持ちだった。

 

「お前がバカなこと言うからだ」

「私はバカじゃないっスよ!?」

 

ダメだ。うすうす気づいてはいたが、こいつは本当に空気が読めない。

ここはフォルテがこれ以上余計なことを言わないうちに、一度解散した方がよさそうだ。

 

「さて、食べ終わったし、そろそろ部屋に戻ろう。楯無も食べ終わっただろ、いくぞ」

「そ、そうっスね…」

「……あ、怪しい……」

 

楯無は訝しげな視線を送るが、桜介が先に立ち上がると、それに続いて部屋へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

時刻は七時。

 

桜介はベランダで一服していた。

 

「桜介くん?そろそろ中に入ってきたら?」

 

楯無がいつまでも戻らないのが気になってベランダに出ると、そこには誰もいなかった。

 

「…………」

 

楯無はさすがにというか、実際かなりムカついたが、そこは年上の余裕を見せようと大きく深呼吸をし、とりあえずメールを送ってみることにした。

 

『どこいったのよ?』

 

しばらくすると、携帯に桜介からの返信が届く。

たとえ怒っていても、しっかり返信がきたことに楯無はついついにやけてしまう。

 

「えへへ…。素直じゃないけど、やっぱり可愛いところ、あるじゃない♪」

 

楯無が嬉しそうにメールを開くと、そこに書かれていた文章は…。

 

『俺は雲。雲の行き先は風に訊け』

 

その時ちょうど開けっぱなしの窓から、吹き付けた夜風が楯無の頬を撫でる。

一応風に向かって問いかけてみた。桜介くんはどこ?どこにいるの?

しかし風からの返事は、ぴゅ~っという音だけ。

 

「あ、あ、あの男…っ。まっ、また私をバカにして…!年上を一体なんだと思って!!」

 

そして楯無の中で、なにかがブチンと切れる。

あの男、完全にふざけている。そして明らかに自分を舐めている。いや、舐めきっている。

そう思ったら、もう我慢など出来るはずもない。

握りしめている携帯が、ギシギシと音を立てて軋む。その顔はまさに憤怒に駆られている。眉はつり上がり、こめかみには、ピキピキと血管が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

場所は駅前。時刻は七時半。

 

「お前…。なめてんのかこら」

「何が?」

「バーに飲みに行くって言ったよな?」

「それが?」

「なんでジャージのままなんだ…?お前はもともと見た目がガキっぽいんだ。せめて服装ぐらい大人っぽくしろよ、こら」

 

呆れ顔で言う桜介だが、「ガキ」その言葉にフォルテの眉がピクリと動いた。

 

「……ガキっスか」

「え?何?そこ気にしてんの?怒るなよ…。とりあえず適当に服を調達しにいくぞ」

「……どうせ私は。ガキで悪かったな」

「ああ、もうめんどくせぇな。おい。早くこい」

 

すっかりいじけたフォルテをどうにか言いくるめて、とりあえずまだやってる店でまずは服を買うことになった。

 

「……どうっスか?」

「くっ…!完璧なんじゃないか?」

「……やっぱりおかしくないっスか?」

「……大丈夫だ。大人っぽく…見えるぞ」

 

桜介が会計を済ませて二人は店を出た。フォルテの格好は黒のパンツスーツに黒のサングラス。まるでどこかのエージェントのようだ。それを見て桜介は、吹き出すのをこらえるので必死だった。

 

 

 

 

 

 

その後二人がやって来たのは、桜介の知り合いが経営するホテルのバー。ここのオーナーとは、桜介が中国で命を助けてからずっと懇意にしていた。

店に入り二人はカウンターに座ると、桜介はウイスキーをストレートで、フォルテは同じウイスキーをロックで頼んだ。

 

「乾杯するか?」

「そうっスね」

 

チーンとグラスを合わせると、二人はグラスに口をつけてテーブルに置き、ほとんど同時に煙草を咥えるとそれに火をつけた。

 

「ぷー。うめぇ」

「ふぅ~。そうっスね~」

「もうすぐ夏休みか。フォルテもやっぱり帰国すんのか?」

「それは…そうッスよ」

「ギリシャだよな」

「そうっスよ。暇だったら桜介も遊びにくるか?」

「なんでだよ、いかないよ。それより飲み過ぎんなよ…毎回めんどくさいから」

「え?なにが…っスか?」

「やっぱり覚えてねぇのか、お前は…」

「えっ?なに?そんなこと言われると、すごい気になるっスよ!?」

 

フォルテの話を適当に聞いていると、携帯にメールが届いた。グラスをグイッと煽りながら、桜介はそのメールを開く。

 

『ゆるさない』

 

五文字だけの短いメールだった。

 

「ブッ~!」

「桜介、どうかしたッスか?」

「げほっ……。な、なんでもない」

 

ビックリして口から垂れたウイスキーを拭っていると、髭を生やしたオールバックの白髪の男性がやってきた。男は見るからに威厳のありそうな、五十代の紳士だった。

 

「隣いいかな?」

「もちろん。北大路さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」

 

桜介は立ち上がって、やって来た紳士に丁寧に頭を下げた。

 

「ああ。久しぶりだな。隣の女性は友達か?」

「ああ、先輩だよ。フォルテちゃん」

「……フォルテちゃんっス」

 

やって来た紳士は北大路財閥総帥、北大路剛士。

大財閥のトップであり、日本を代表する実業家である。実は桜介のISも北大路のIS企業が開発したものだ。

北大路はフォルテに簡単に自己紹介をすると、桜介の隣に座って自分もウイスキーを頼んだ。

 

「そうか。君がIS学園でも楽しくやってるようで何よりだ」

「……窮屈で仕方ないけどな」

「基本桜介はろくなことしないっスからね」

「お前には言われたくないんだよ」

「まあ、君にはそうだろうね。ところで話は変わるが、実は今日は頼みがあってきたんだ」

「なんだい?俺はあんたには色々とよくしてもらってる。俺で良ければ喜んで力になろう」

「ふ。感謝してるのはこちらの方だ。君は命の恩人だからな。忘れないでくれ…この恩は、地獄まで追いかけてでも返す」

 

中国で父娘ともども、誘拐目的のマフィアに狙われたところを助けられて以来、これまでも北大路はなにかと桜介の力になってくれていた。

ISが乗れることがわかったときも、真っ先に専用機を用意したぐらいだ。

だがこれには商売人としての意図などまるでなく、単純に男が男に惚れている、そういうことだった。

 

「大げさなんだよ…。それで頼みっていうのは?」

「どうも最近娘がな、どうも知らない連中につけられているようで…君に護衛を頼みたいんだ」

「なに!?綾さんが?また誘拐目的か…。でもそれなら俺に頼むよりさ、あんたんとこのSPを増やせばいいんじゃないのか?」

「恐らく…そうだろう。確かにSPを増やすことも出来るが、死神に守られるほど心強いものはない。それにその…綾が君に会いたがっていてね」

 

北大路はグラスを置くと、苦笑いを浮かべてそう言った。

 

「そうか…。でも綾さんは今年から大学生だろ。こんなガキが相手でいいのかい?」

「私としては、君が娘の婿に来てくれたら嬉しいんだがな」

「……あんたも物好きだな。俺はろくな男じゃないというのに」

 

北大路の婿発言に、今度は桜介が苦笑いを浮かべる。北王路綾は気の強い美人で、どちらかといえば桜介の好みではあるが、なにかとよくしてもらっている北王路の娘であり、本人にも好意を持たれていた。そして父親には結婚まで望まれている。だからこそ気軽に手を出すことも出来ない。もしそんなことをしたら、すぐにでも婚約することになるだろう。別に嫌いというわけでもないので無下にはしていないが、そもそも誰かと交際する気がない桜介はいつものらりくらりとやり過ごしていた。だがそんなことは知らないフォルテが、またしても余計な茶々を入れる。

 

「良かったっスね!桜介、モテモテじゃないっスか!」

「うぜえ。お前少し黙ってろよ、もう」

「いっ!?ひどいっ!」

 

フォルテはチョップされて頭をおさえると、桜介に恨みがましい視線を向けた。例えどんなに加減していても、北斗神拳伝承者のチョップはそれなりに痛いのだ。

 

「それはそれとして、護衛の件頼まれてくれるかな?もちろん礼はする」

「いいよ、そんなの」

「いや、娘の安全がかかっているんだから」

「じゃあ一杯奢ってくれ。それでいい」

 

桜介はウイスキーを飲み干すと、人懐っこい笑顔を浮かべて北大路にグラスを向けた。

久しぶりの再会でも変わらないその様子に、北大路も笑顔を浮かべる。

北大路はボトルを片手で持つと、桜介のグラスへとウイスキーを注いだ。

 

「ふ。君は蒼天のように爽快な男だな」

「そうかな。それよりフォルテ、お前も手伝え」

「えっ?な、なんで私が!?私関係ないッスよね?」

「こないだの飲み代、まだもらってねぇよな?あとその前の分も…」

 

桜介はフォルテの顔をじっと覗き込む。

 

「ち、小さい男は嫌われるっスよ?」

 

痛いところをつかれて焦り始めるフォルテだが、桜介にそんなことは関係ない。普段奢ってやってるんだ、たまには言うことを聞いてもらうのもいいだろう。

 

「もともとお前に好かれようとか思ってねぇよ。それより良かったな、早速その変なスーツ役に立つぞ。お前も格好だけは…もう一人前の護衛だ」

「やっぱりおかしいんじゃないっスか!自分でも薄々変だとは思っていたっスよ!?」

「気づいてたのか。思ったよりやるな、お前」

「なにげにひどいっスよ!?」

 

北大路が帰ってからもしばらく飲んで、二人は寮へと帰って行った。

しかしそれからが大変だった。夜遅くまで機嫌をとるのに苦労することになり、桜介が眠れたのは結局夜中のことだった。

 

 

 

 

そして翌日の日曜の午前中。天気は快晴。

 

桜介は北大路綾と遊園地に来ていた。少し離れたところにはフォルテ・サファイア。

 

「いやあ、綾さんいい天気ですねぇ」

 

「霞くん、今日はお誘い頂いてありがとうございます」

 

「いえいえ。こちらこそこんな綺麗なお嬢様の相手をさせて頂いて、光栄ですよ」

 

桜介はニコリと笑いかける。

 

北大路綾は髪型は軽くウェーブのかかった黒髪ロングで目鼻立ちがはっきりしており、美人なお姉さんというのがピッタリの女性だった。

 

二人は遊園地の中を連れだって歩きだした。

 

歩きながら桜介は、フォルテにISのプライベートチャネルを使って通信を入れる。

 

『怪しいやつはいないか?』

 

『今のところ見当たらないっス。それにしても何で遊園地?』

 

『こういう人が多いところってのは誘拐とか狙うやつらにとっては狙いやすいもんなんだよ』

 

『そういうもんなんっスか。それにしても桜介その髪型変ッスよ。あと眼鏡も』

 

今日の桜介は髪を七三分けにして丸眼鏡をかけていた。

 

『バカヤロウ。俺が強そうだったらな、誘拐犯に警戒されるだろうが。今の俺はただのインテリ少年に見えるだろ』

 

『勉強しただけで、そんな体になるわけないっスよ!?その格好は逆に目立つんじゃないっスか。あと正直ダサいし』

 

『ふっ。わかってねーな。いいかフォルテ。どんな格好でも男前は男前なんだよ』

 

『……もうそれでいいッスよ』

 

自信満々の桜介に、フォルテは呆れたように通信を切った。

 

「霞くんあっちに行ってみましょうか」

 

「そうですね。でも絶叫系は少し怖いなぁ」

 

「うふふっ。慣れれば大丈夫ですよ」

 

桜介たちはいくつか乗り物に乗ったあと遊園地のカフェで昼食をとることにした。会話をしながら食事を楽しむ二人。綾の方は時折頬を染めて桜介を見つめている。

 

カフェから少し離れたところでそれを見ながらチュロスをかじるフォルテは一人ぶつぶつ愚痴をこぼした。

 

「あ~あ。なんで私がこんなことしなきゃなんないんだ。全く…。桜介はいつも自己中なんだよなぁ」

 

(あっ、あの二人組ずっと桜介達の方みてる…)

 

フォルテは早速桜介にプライベートチャネルで通信を入れた。

 

『桜介達の後ろの席の黒い服の二人組がずっとそっちを見てるっスよ』

 

『ああ、俺もさっき気づいた。怪しいな。引き続き監視と報告頼む』

 

桜介はそれだけ言うと通信を切って綾に声をかける。

 

「さて、そろそろいきますか」

 

「ええ。霞くんは行きたいところありますか?」

 

「そうですねぇ。とりあえずぶらぶらしてみましょうか」

 

桜介達はカフェを出てから園内をブラブラと買い物などしながら歩いてまわった。そしてやはり黒服の二人組は桜介達に少し離れてついてきていた。桜介達は歩き疲れたからと言ってベンチに座って休憩をすることにした。実際のところ桜介はそれぐらいで疲れたりはしないが。

 

『フォルテ。連中ついてきてるか?』

 

『きてるっス。ここで仕掛ける気っスか?』

 

『さすがだな。そうだ』

 

桜介はそろそろ本題に取りかかろうと、綾に断りをいれる。

 

「少し待っててもらってもいいかな?トイレに行ってくる」

 

「ええ、わかりました」

 

桜介は離れたところからベンチの様子をうかがう。すると綾に二人の男達が近づいて行った。幸いまだ距離があるため綾はそれに気づいていない。

 

『フォルテ、俺がいく。何かあったら援護しろ』

 

『了解。待ちくたびれたっス』

 

桜介が駆け出すと、男達はそれに気づいて振りかえり胸ポケットに手を入れた。

だがその一瞬で桜介はグンと加速して男達との距離を一気につめる。

 

「な、なんだこいつ!速すぎる!?」

 

「くそっ!なんなんだよ!?」

 

男達は慌てて拳銃を取り出すがその銃弾が放たれることはなかった。

綾に気付かれることなく素早く二人を倒した桜介は北大路のSPを呼び、それを引き渡すと綾の元へ向かう。

 

「お待たせ。さて、そろそろ帰ろうか」

 

「えっ?もうですか?」

 

「ごめんごめん。さっき知り合いに会ってね。用事が出来てしまったんだ」

 

桜介が申し訳なさそうな笑顔を浮かべてフォルテの方に視線を向けると、フォルテが二人に近づいてくる。フォルテは綾に簡単に挨拶をした。

 

「一応…桜介の先輩ッス」

 

「そういうわけだから。今日はありがとう。またね。綾さん」

 

桜介は手を振るとそのまま歩いていってしまった。

フォルテもそれに続いて歩き出そうとしたが、綾の声に足を止めた。

 

「冷たい(ヒト)ね。今日1日、手も握ってくれないなんて…」

 

「…桜介は…冷たくなんかないっスよ。桜介はもうあんたを守ってる………っス」

 

綾はえっ?とフォルテに顔を向けるが、その時フォルテは既に桜介を追って歩き出していた。

 

 

 

桜介とフォルテは帰り道を歩いている。

 

「ほら、奢ってやるよ」

 

桜介はポイっと缶ビールを投げフォルテがそれをキャッチすると、桜介は自分の缶を開けてぐびぐびと飲み出した。

 

「あれ?このまま飲みに行かないんっスか?」

 

「…今日は飯作ってくれるみたいでな」

 

「あ~。それでさっきからご機嫌なんっスか?」

 

「あ?別に普通だろ。いらないなら返せよ。それも俺が飲む」

 

「…返さないっスよ?もう私のっスよ?」

 

「ちっ」

 

「全く…桜介は…。素直じゃないなぁ…」

 

「…やっぱり返せ」

 

「嫌っスよ!」

 

こんな休日も悪くはないな、たまになら。フォルテはビール缶を開けながらそう思った。



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40話

日常編。内容がないです。


「なあ、刀奈…。これよかったらさ、もらってくれないかな?」

 

「えっ?これ、どうしたの?」

 

部屋で食後にまったりしている時、桜介が突然渡したのは包装された小さな箱。

 

「携帯のストラップ。前から注文してたのが、やっと届いたんだ。それで俺も早速使ってるんだけど、もう一つ余っていてね」

 

「ええっ!?お、お揃いのストラップ…。ほ、本当にいいの!?」

 

思わぬサプライズに、いきなり刀奈の胸の鼓動が激しく高鳴る。もうあっという間に喜びを通り越して、感動の域にすら達する勢いだ。

その証拠に、すでに小箱を受け取った手が微かに震えていた。

 

「なに、二つあるんだ。気にすることはない」

 

「嬉しい!ありがとう、桜介くん!」

 

本当に嬉しくて桜介にそのまま飛び付く。あまりの喜びでその目はうっすらと潤んでいた。

 

「開けてみたらどうだ?自慢の一品だから」

 

「あははっ。それじゃあ早速つけないとね!」

 

(桜介くんと、お揃い…。これって他の女の子よりも、私を特別に思ってくれているってこと?)

 

自分の顔が真っ赤になっていることを自覚しつつ、それはもうどうしようもないことだと、刀奈はすぐに諦めることにした。

 

(うわ、私……すっごいドキドキしちゃってる…)

 

まるで恋人同士みたい、と刀奈は夢見心地でぽーっと熱に浮かされたまま、胸に抱いていた小箱の包装を破れないように、丁寧に丁寧にゆっくりと開けていく。

 

「桜介くん…。こ、こ、これはっ…!?」

 

「オーダーメイド、というやつだ」

 

刀奈は箱を開けて出てきたものに、胸の高鳴りをどこかに飛ばして、ただただ唖然としていた。

開けられた小箱から出てきたのは、水色の髪に赤い瞳、IS学園の制服に身をつつんだ少女の人形がついたストラップ。

その人形の髪の毛は内側にはねており、顔には眼鏡のような物までつけられていた。

 

「いやあ、これ作ってもらうのにすごい苦労したんだよねえ!最初作って貰ったときは体型が微妙に違うしさあ!それからあの眼鏡みたいやつ!その形を再現するのがなかなか大変だったらしくてね!それだけじゃない、次に顔だ!天使のような可愛らしさがどうしても出なくて、何度作り直させたかな!最後はもう泣いてたからね、これ作ってくれた人っ!!随分前に頼んだのに結局出来上がったのは最近だよ、待たせやがって!はっはっは!!」

 

どこまでも饒舌にそう言って、とんでもなく上機嫌に笑う桜介。いくらお調子者でも、ここまで嬉しそうにしてるのは珍しい。

しかし刀奈はそれを見ても、想い人のあまりの奇行にやっぱり唖然としていた。

 

「それでどうだ?最高の出来だろ?」

 

「お、桜介くん…。これをどうして私に?」

 

「ふ。余りに出来がいいもんでさあ、誰かに自慢したくって。わかるだろ、その気持ち!」

 

「……わからないわ」

 

小さく無機質な声で、刀奈は静かに呟いた。

 

「どうした?驚いて声も出ないかな、あまりのクオリティに…」

 

「……返しなさいよ」

 

「あ?」

 

「わ、私のときめきを返しなさいっ!」

 

刀奈は叫ぶようにしてそう言うと、真っ赤な顔で詰め寄る。そして顔をすぐ近くまで近づけると、このバカな男をきつく睨みつけた。

 

「あ?いきなりなに言ってんの、お前」

 

「この女の敵っ!女心を弄ぶのも、いい加減にしなさいよ!?」

 

「ふっ。俺はいつだって女の味方だ。それに弄ぶってなんで?」

 

「よ、余計に、質が悪いじゃないの…。なんでって…。なんでって!そろそろ自覚したらどうかしらぁ!?」

 

自分がこんなに怒っているというのに、いつも通りの飄々としている様子が、さらに刀奈を苛立たせる。

桜介の煽りスキルは天然でもかなり高い。一度煽りすぎて霧纒の淑女の拳で殴られてからは、ほんの少しだけ気をつけるようになったが、今回は完全に天然だった。

 

「ふーん、こんな感じかな?」

 

「な、なにっ?」

 

桜介は懐からワックスを取り出して、水色の外はねの髪を一生懸命に内側に巻き始める。

しかし手を離せばすぐに外にはねてしまう髪を見て、なかなかうまくいかないな、などと言いながらやりたい放題だ。

 

「ね、ねえ…。あなたはいったいなにをしているのかしら?」

 

「ん?決まってるだろ。なんとか天使に近づけないかと思ってねえ」

 

「や、やっぱりそうなのね…。本当に、このばかは。あんまりふざけてると、私だって本気で怒るわよっ!?」

 

下を向いたまま、怒りでぶるぶると肩を震わせる刀奈。そんなすっかり怒りモードの刀奈を、桜介は不思議そうな顔で上から覗き込む。

 

「ん?気に入らなかったのか。まあいらないなら仕方ない、返してくれ」

 

「こ、こんなものっ!」

 

刀奈は渡されたストラップをキッと睨み付ける。

 

(あぁ…!か、可愛い、可愛いわっ…!)

 

どこまでも精巧に作られた人形は、見れば見るほどに可愛く思えてきて。まるでその人形の愛らしい顔が、自分にお姉ちゃんと呼びかけてくるように感じて。

それをいつまでも睨み付けていることなど、刀奈にはとても出来なかった。

そして気づいたら、その人形から目を逸らしてしまっていた。

 

(悔しいけど、これ…。本当によく出来てる…!)

 

そんな感じでがっくりと項垂れてしまう刀奈。すかさずその肩にポンと手を置いて、桜介は穏やかに微笑んだ。

 

(うう、それ、ダメっ……!)

 

それはたまに見せる刀奈の好きな優しい笑顔。その笑顔に、刀奈はまたときめいた。

あんなに怒っていたはずなのに、そんな顔をされてしまうと、もう何も言えなくなってしまう。

 

(くっ!この無邪気な笑顔が、また憎たらしいわ)

 

そうして全く悪びれた様子もなく、自然に微笑む相手にすっかり毒気を抜かれてしまう。

こうなったこの人に何を言っても無駄だろうな、と今さらながらに悟った刀奈だった。

 

「喜んでくれたようで何よりだ」

 

「うん…。もう、それでいいわ…」

 

相手が誤解しているにも関わらず、刀奈はもうどうでもいいやと完全に脱力し投げやりに答える。

 

「ふふふ、もっと素直になったらどうだ」

 

「私はいつも素直よ?」

 

「なら笑ったら?」

 

桜介は楽しそうに刀奈の頬を摘まむと、少し無理やりに笑顔を作らせる。

 

「ほら、可愛い」

 

「も、もうっ!ま、また、そうやって、年上をからかって!」

 

そう言いながらも、誉められた刀奈は顔を赤らめて三度ときめいていた。

 

「可愛いのは、本当なんだけど?」

 

「は、はわわ!?」

 

今度は両手で頬を挟むように、手の平をぴったりと当てられた。

自分でも顔がすごく熱くなっているのがわかる。すると刀奈はその熱が桜介に伝わってしまうんじゃないかと、そんなことが心配になってしまう。

 

(どうしよう、どうしよう、どうしよう。な、ななななんとかしないとっ!)

 

「あ、あの…その…っ」

 

(だ、だれかっ、だれか助けてっ…!)

 

すっかりパニックを起こした刀奈が、慌ててしどろもどろに口を開いた時、部屋のドアが突然バタンと開いた。

 

「桜介、お姉ちゃん。誰もいないの?ノックしたんだけど、返事ないし…。鍵、空いてたから…」

 

その瞬間、桜介は人間離れしたような素早い動きで、刀奈の持っていたストラップをポケットに隠し、簪を颯爽と出迎えていた。

 

「悪い、聞こえなかった。まあ入ってくれ。今日は泊まっていくか?俺のベッドで良ければ、半分貸してやる」

 

「ふえぇっ!?は、半分…」

 

「そ、仲良くハンブンコ♪」

 

まるでパンでも半分に分けるように、さらりと提案された同衾の誘いに簪は赤面し俯いてしまう。

桜介はそれを気にする様子もなく、手を引いてソファへと座らせた。

次に刀奈の方に歩いていき、ポケットからストラップを取り出してこっそりとその手に握らせる。

 

「楯無、お茶」

 

「バカッ、バカッ!」



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41話

IS学園も8月になり夏休みに入った。

 

桜介は夏休みに入ってすぐに実家に帰ったが、すぐにやることがなくなってIS学園に戻ってきていた。

 

それから母にも会った。

桜介が物心つく前に生き別れた母、月英と再会したのはわりと最近であり、ずっと一緒に暮らしていなかったこともあって、桜介は軽くマザコン気味であり、月英も桜介に会えない時間が長かったのでとても気にかけている。桜介からすれば母は少し心配性なんじゃないかとすら思っていた。

 

 

IS学園に戻ってきてからは気ままに学園に残っている友人と遊びに行ったり、整備室に簪の様子を見に行ったり、楯無とISの訓練をしたりしていた桜介だったが、この日は珍しく退屈していた。

 

暇をもて余した桜介が学園内をぷらぷらと歩いていると、正面玄関にちょうどロールスロイスから降りてきたセシリアが見えた。暇をもて余していた桜介は、セシリアを見つけると早速声をかけた。

 

「セシリア、帰ってきたんだな。おかえり」

 

「ただいま戻りました。一週間ぶりですね、桜介さん」

 

思わぬ出迎えにセシリアは自然と微笑んだ。

もしかしてわざわざ出迎えに来てくれたのだろうか。そんなことを思いながら。

 

「ああ、セシリアが帰ってきてくれて本当に嬉しいよ」

 

思わぬ友人との再会に、桜介も嬉しそうに微笑みを浮かべた。

 

「え、ええっ!?や、やっぱりそうですのね!」

 

「今日はこの後、時間あるか?」

 

「も、もちろんですわ!」

 

憎からず思っている桜介に帰ってきたことをこんなに喜ばれたうえ、出迎えまでしてもらったセシリアは悪い気がするはずもなく、思わずはしゃいでしまっていた。

 

「それは助かる。セシリアの準備が出来たら出かけよう。もし良かったら荷物運ぶのも手伝うよ」

 

「それはもう終わりましたから大丈夫です。お心遣い感謝いたします」

 

後ろから桜介に声をかけてきたのは、メイド服姿の年上の女性だった。

 

「こんにちわ。セシリアの家の人かな?」

 

「お初にお目にかかります。セシリア様にお仕えするメイドでチェルシー・ブランケットと申します。以後お見知りおきを」

 

「へぇ。貴女がチェルシーさん。セシリアから話は聞いていたが…本当に美人さんだねぇ。俺は霞桜介です」

 

「ありがとうございます。霞様、ちなみにお嬢様は私のことをなんと?」

 

「素敵な女性だと」

 

「まあ」

 

チェルシーはそれを聞いて優しい笑みを浮かべた。それに合わせて桜介も微笑んでいる。

 

(まあ。桜介さんったら嬉しそうにしちゃって。やっぱり桜介さんは年上が好きなのでしょうか)

 

桜介が年上好きだという噂はIS学園では既に結構有名だった。桜介はちょくちょく二年生の教室や廊下、寮食堂に顔を出していた。生徒会長の更識楯無が頬を染めて熱い視線を桜介に向けていたとか、イギリスの先輩サラ・ウェルキンが廊下で桜介に腕を絡ませていたとか、フォルテ・サファイアがよく桜介とこそこそと内緒の話をしているとかそんな噂はセシリアの耳にも届いていた。学園には男子が二人しかいないので桜介と一夏の動向はすぐに女子達の噂になった。

 

「将来は同僚になれるといいですね」

「それはどういう意味ですか?」

「ふっ…。俺、執事になろうか検討中でしてね。セシリアが雇ってくれたらの話ですが…」

「ふふふ。それは楽しみですね」

 

何を話しているかまではよく聞いていないが、すぐに打ち解けて仲良く話をしている二人を見ているとセシリアは何故かわからないが、先ほどまでの嬉しい気持ちに水を差されたような感覚を覚えた。

 

「私もIS学園にいる男性の話はお嬢様から聞いておりますよ」

「へぇ。そうなんだねぇ。俺もセシリアとは仲良くさせてもらってますよ」

「お嬢様いわく、面白い男性がいると。その人は掴みどころのない不思議な人。でも本当は強くて優しい人。お嬢様は何故か最近その方が気になって―――」

「ちょ、ちょっと!チェルシー、わたくしのことを忘れて二人で喋りすぎじゃありませんこと?さ、さあ、桜介さん!そろそろいきましょう。今日はどこへ連れていって下さいますの?」

 

二人の話をよく聞いていなかったセシリアだったが、聞こえてきた自分の話題にはすぐに反応した。少し慌てた様子で桜介の腕を引いて歩きだす。引っ張られた桜介はチェルシーの方を振り返るとチェルシーはにっこりと柔らかな笑みを浮かべ丁寧にお辞儀をした。それに桜介は軽く会釈を返す。

 

「桜介さん、やっぱり年上が好きなんですの?」

「なんで?やっぱりって何だよ。別にそんなことないと思うけどね」

 

桜介の顔をジーッと見つめるセシリア。急にそんなことを言われ桜介はきょとんとしている。少なくとも桜介にそんな自覚は微塵もないようだ。

 

「ふふっ。まあいいですわ。それよりどこにいきましょうか?」

「そうだな。今日は映画でも見て、軽く何か食べたら早めに帰ってこようか」

「いいですわね。でも桜介さんは映画とか何か似合わないですわ」

 

ふふっと楽しそうに笑うセシリアに桜介もつい笑顔になってしまう。

 

「ははっ。俺だってたまには映画ぐらい見るさ。それにセシリアも帰ってきたばかりで疲れているだろう。映画ならゆっくりできるしな」

「ふふっ。やっぱりあなたは優しいですわ」

「誉めてもポップコーンぐらいしか出ないぞ…?」

「充分です!さあ、早くいきましょう!」

「ふっ。ご機嫌だな…お嬢様」

 

手を引いて少し早足で歩き出したセシリアに桜介はニコリと笑った。

 




チェルシーさんを出したかった


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42話

夏のある日。

 

桜介は待ち合わせ場所に来ていた。しかし約束の時間より早く来てしまい、今はキセルを吹かして相手を待っているところだ。

 

「桜介くん!」

 

声のした方を振り返ると、浴衣姿の楯無が視界に入る。自分も人のことは言えないが、少しはしゃいでいるところを見ると、すでに色々と仕事もこなしているというのに、こういうところは普通の女の子だなと思い、桜介はうっすら笑顔を浮かべた。

 

「ゆっくりこいよ。こけるぞ?」

 

そんな注意も聞かずに、楯無がパタパタと足音をたてて駆け寄ってくる。

白い花柄の入った黒い浴衣に、赤い帯がよく映えている。そしていつもの扇子も、それによく似合っていた。

しっかりとお洒落した楯無は、大陸に咲く大輪の花と称された元恋人や、年齢を全く感じさせない神秘的な美貌を持つ母のせいで、知らぬ間に目の肥えていた桜介から見ても、思わず見惚れてしまうほどに綺麗だった。

 

「お待たせ♪」

「そんなに待ってない。それじゃいこうか」

 

そうして歩きだした二人の距離は近いといえば近いが、決して触れあう程ではない。

 

「む~っ」

 

今日という今日こそ夢中にさせてやろうと思い、気合いを入れて浴衣を選んだはいいが、期待していたような言葉がない。そのことに少しだけ不満を抱いて、楯無が軽く頬を膨らませる。

 

「ぷふー。なかなか混んでるね」

「……そうねぇ」

 

こういう時、いつもならさらりと誉めてくれる男が何も言ってくれないことに、楯無はだんだんと不安になってくる。

 

(もしかして浴衣似合ってないのかしら。くっ!桜介くんはすごく着物似合ってるし…)

 

楯無が思わず悔しがるほど、桜介の着流し姿は憎らしいぐらいに決まっていた。雰囲気も大人っぽく、どこか色気を感じされる。贔屓目なしに見ても、惚れ惚れするような男っぷりだ。

 

「誘ってくれてありがとな」

「う、ううん。付き合ってくれて嬉しいわ」

 

それだけ答えて、楯無はすぐに顔を逸らす。

着物姿の桜介は普段よりも余計に輝いて見える。

その姿が眩しくて、まともに顔が見れなかった。

 

「浴衣すげえ似合ってる」

「あ、あ、ありがと…」

 

この男らしい、とてもシンプルでストレートな誉め言葉だった。

それでももう楯無の胸の鼓動は、痛いぐらいに激しく高鳴る。

あっという間にすっかり顔が赤くなっているのも、すでに自覚出来るほどだ。

 

(やっ、やだ、私ったら、すっごくときめいちゃってる……それも、こんなに簡単に)

 

楯無は急に恥ずかしくなって、両手で顔を隠すように押さえた。それから指の隙間を利用して、隣の男の様子をソッと伺う。

 

(……やっぱり、ね)

 

男は楯無の予想通り、まるで照れた様子もなく、ゆったりと前を向いて歩いている。

この男は出会ったときから、いつだってどんなときでも自然体だった。そしてそれがまたよく似合っていた。

 

(ああ…。どうして、この人は男のくせに、こんなに綺麗に見えるのかしら…)

 

楯無がそう感じた理由があるとすれば、それはやはり桜介が漢だからだろう。

漢とはそもそも銀河の意。たとえ死しても天空の星となり、一片の後悔もせず。そのように悠にして、凛と生きるが漢。

だからこそ、その生き様は美しく、その佇まいも美しいのだ。

 

また、私が夢中になってるっ!これじゃいつもと変わらないじゃない。今日は夢中にさせるのよ)

 

「ねえ、私の浴衣…そんなに似合ってる?」

「ああ、綺麗だよ…。本当に」

 

楯無がその場でくるりと回って見せると、桜介は少し照れくさそうにもう一度感想を漏らす。

 

「そ、そう」

 

これなら頑張ってお洒落してきた甲斐があったのかもしれない。

実際に桜介は一言呟いたあと、そのまますぐに前へと視線を戻した。

意外と照れ屋な男だから、そういう反応をされると正直期待してしまう。

自分のことを意識してくれているんじゃないかと…。楯無はそう考えると、先ほどよりももっと顔が熱くなってきた。

 

(は、恥ずかしいっ…!でも、嬉しい…!すっごく嬉しい…!)

 

だけどここはもっと攻めてみよう。楯無は考える前に、自然とそう思った。

 

どうせもう退路はないんだから。この気持ちにもう後戻りなんて出来ないんだから。

楯無は少しの決意をしてから、また声をかける。

 

「こ、混んでるから…は、は、はぐれたら、その、困るし…。ね?」

「ねって、言われても…。なんだよ?」

「な、なな、なんでもないっ!」

 

声をかけたものの、聞き返されると楯無は慌ててごまかしてしまう。

 

(う~っ!私のバカバカっ!私の……意気地無し)

 

本当は手を繋いで欲しいと、そう言いたかった。

予定では年上らしく余裕の笑みを浮かべて、さらりとそう言うつもりだった。

 

(はぁ…。私は一体……なにをやってるの。小学生じゃないのよ!?)

 

楯無は最初のデートから何も成長出来ていない自分自身がふがいなくて、思わず俯いてしまう。

 

(……いつから、こうなっちゃったのかなあ)

 

最初は自分からちょっかいを出していた。

その度におもいっきり反撃されて、色々とひどい目にもあった。

たしかにその頃から他の人とは明らかに違っていて、確実に意識はしていた。

それでも今に比べたら、おそらくまだ少しだけ余裕があったはず。

 

(でも最初から、格好よかったものね。助けてくれたあのときだって…)

 

こんな男を知ってしまったら、普通の男じゃきっと物足りない。気づいたらいつの間にか他の人を好きになれる気は、もう全くしなくなっていた。

 

(もうだめね、私…。今さら他の人なんて、とてもじゃないけど、考えられないもの。性格…悪いのになあ…桜介くん…)

 

今だってもしかしたら、自分の気持ちに気づいていて、わざと知らないふりをしているのかもしれない。

それで後でいい笑顔を浮かべてからかってくるようなひどい男だ。

それでも楯無はこの男が、桜介が好きだった。

実は優しいことも、すでに知っているから。

でもこういうところ、すごく意地悪だと思う。

やっぱりわざととぼけているんじゃないかと、楯無はそれがどうしても気になって、桜介の顔を横目でチラッと見る。

 

「ん?だから何?」

「むっ…」

 

桜介は首を傾げてきょとんとしていた。

どうやら本当にわざとではないようだ。

それもそうかと楯無はすぐに思った。まさか自分がそんなことも言いだせないとは、この男は思ってもいないのだろう。

最初の頃に散々自分からちょっかいを出していたから。楯無はこの時、過去を少しだけ後悔した。

 

(はぁ…。だってあの時は、こんなはずじゃ…なかったのよねぇ…)

 

結局、楯無はなけなしの勇気を出して、控えめに手を差し出してみることにした。

 

「あんたは器用そうに見えても生き方は不器用で、いつも涼しい顔をして、重責を背負い、孤独に耐え、自分の運命と向き合っていた」

 

微笑みながらそう言われて、僅かにちょこんと差し出していた手を握られる。

たったそれだけのことで、楯無の全身にビリビリと甘い痺れが走った。

 

(ああ、やっぱりわかっちゃうんだ。この人は本当に、なんでも出来ちゃう人だから…)

 

楯無は自分が今まで築いてきたものは、全て自分の努力によるものだと思っている。

実際のところは才能もあるのだが、少なくとも自分自身では特別な才能などなにもないと、そう思ってひたすらに努力を重ねてきた。

桜介はそんなところをすぐに見抜いたのだろう。

だがもともと負けん気が強く、人に弱味を見せるのが苦手な楯無が、そんな言葉を素直に受け入れられるのは相手が桜介だからだ。

生まれながらに規格外のスペックを持ち、戦闘に関しては楯無のそれを軽く凌駕する才能。

これまでも裏の世界で、秘かに時代の最強を担ってきた北斗二千年の歴史。

その中でも現時点で唯一人、究極奥義無想転生まで会得している二千年に一人の天才。

だからこそ楯無のことを天才だとか、そういった色眼鏡で見ることもなく、ただの女として見ることが出来る。

それに加えて、更識家当主やロシア国家代表、IS学園の生徒会長など、楯無の肩書きに引け目を感じることも一切ない。

それは身の程知らずでもなんでもなく、この男にはそれだけの余裕があるのだ。

 

(天才っていうのは、こういう人のことを言うのよね。贔屓目なしに見ても才能の塊だもの、この人)

 

楯無には相手に対して精神的優位に立つため、または自分の繊細な部分を見せないためなど、そういう理由から敢えて余裕があるように振る舞っている節もある。

だが桜介にとってそんなものは当たり前の素。

心も体もそれこそ超人的ではなく、正真正銘の超人。絶対的な強者であるからこそ、強がる必要などどこにもなく、いつでもどんな時でも余裕があり、だから自然とそう振る舞っているだけ。それほどまでに強いのだ、この男は。

それに楯無を継いだときに一度は捨てたはずの心を、初めて拾い上げてくれた男でもある。

そして今もまた、包み込むようにして自分の心に寄り添ってくれている。

そんな男の言葉だからこそ、すんなりとなんの抵抗なく心に染み入る。

 

(本当は…すっごく…恥ずかしい。でも私のこと…ちゃんとわかってくれている。桜介くんは…)

 

自分の内面を見透かされている恥ずかしさで、もう顔はこれ以上ないほど真っ赤になっている。

そしてちゃんと自分を見てくれているという嬉しさで、もう涙が溢れそうだった。

 

(不思議…。この人になら…全然嫌じゃない。私のこと…全部知られたって…。むしろ…全部…知ってほしい…)

 

それでもまだどこか恥ずかしい気持ちは残っていた。次の言葉を言われるまでは。

 

「だがそれがいい!その姿は美しかった!!」

 

桜介はそう言って、すごく自然にふわりと笑う。

次の瞬間、周りに涼やかな風が吹いたような気がした。そしてそれを包む空気は、あまりに透き通って見えた。

 

(華やかで、儚くて、美しくて、本当に名前の通り、桜のような人…)

 

本当はいつだって必死でやってきた。どんなに表面上取り繕っていたとしても、目を見れば気持ちのわかってしまう男からすれば、それはどれだけ滑稽に映ったことだろう。

それでもそんな格好悪いはずの自分を美しいと言ってくれた。まるで自分の弱さを肯定してくれるような台詞。

さっきまで残っていた恥ずかしさは、いつの間にかどこかへ消えていた。

しかし楯無はさらに顔を真っ赤に染めて、今にも泣き出しそうになる。

完全に見惚れてしまっていた。そんな儚げな表情で、そんなこと言われてしまったら、もう…。

ドキドキして…胸が痛くて…息が苦しくて…それでもやっぱり嬉しくて…。

年上の威厳とか面子とか、そんなものどうでもよくなってしまう。

この年下の男は言動も行動も、その在りかたすらも、全てが自分の急所を的確に抉ってくる。

 

「あ、ありがと…。そ、そんなこと、言われたの、初めて。でも、すごく嬉しい…」

 

楯無が途切れ途切れになんとか言葉紡ぐと、やはりまた桜介は儚なげに微笑んだ。

それはこのままどこかに、ふわっと消えてしまうんじゃないか、と思わせるような儚さだった。

楯無はその表情に、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。

 

(やっぱりあなたの方が、よっぽど…。不器用でしょ、生き方…)

 

そう感じたのは初めてではない。なぜなら楯無はすでに知っている。精一杯生きて潔く散る、桜介のその武人としての生き方を。

それが時折、この男とは一見かけ離れているように見える、儚いという感情を抱かせた。

まず、武を学ぶものとしてその生き方に憧れた。最初はそれが格好いいとさえ思っていた。

しかし男を愛する一人の女としては、それはとても寂しくて切ない。

それでも、そんな男がもう愛おしくて愛おしくて仕方がないのだ。

 

(この人と…ずっと一緒にいたい…。出来ることならじゃない、いるのよ!ずっと一緒に…!)

 

どこにもいかないように、例えどこかに行ってしまっても、自分のところにちゃんと帰ってくるように。それぐらいにあなたも夢中にさせてあげる。

だから渡さない、この人は誰にも渡さない。今しっかりとそう心に決めた。

こんなになにかを欲しいと思ったのは、楯無にとって生まれて初めてのことだった。

 

―――だから覚悟しなさい、霞桜介

 

楯無は繋がれた手を、『絶対に離さない』そういう意思を込めて、強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

「たまにはいいな、こういうのも」

「うふふ。楽しみね、お祭り」

 

手を繋いで、どこまでも楽しそうに歩く楯無。その姿は凛としていて涼やかでありながら、どこか妖艶な雰囲気を醸し出していて、道行く人間を男女問わず惹き付けていった。

そして、それは隣を歩く桜介も決して例外ではない。まじまじと見るのが少し照れ臭くて、先程からずっとただ前を向いて歩いている。

 

(今までも可愛いと思っていたが、ちゃんとしてたら美人だよな。やっぱり…)

 

恋い焦がれた男を必ず振り向かせてみせる。そのこれまで以上の決意が、覚悟が、熱情が、切望が、もともと容姿端麗な楯無をさらに美しく見せていた。

初恋を知って、ようやく覚悟も決めたことで、女としてまたいちだんと花開いたのである。そんな内面の変化がそのまま表にも出ているのだ。

そんな楯無を見ては、あちこちからため息が漏れる。そこには羨望や憧憬の眼差しが自然と集まっていた。

しかしそれを気にもとめず、その目に映るのは只一人の愛しい(ヒト)

 

「んっふっふ~♪」

「随分とご機嫌だねぇ」

「ふふふ、楽しいもの。私、夏祭りにくるのは小学生の時以来かも」

「俺もすごく久しぶりだよ。そもそも死神に祭りなど、似合わないだろ?」

「その割には桜介くん、着物着なれてる」

「実家ではよく着てるんだ」

 

言われて、そういえば普段の寝間着も浴衣だったと楯無は思い返す。古い家だから、そういう風習なのだろう。

二人はそんな会話しながら歩いて、祭りが行われてる神社へとやってきた。

神社には出店が並び、香ばしい匂いが入口まで漂ってきていた。もう既にそこは多くの人で、がやがやと賑わっている。

 

「腹へったなぁ」

 

「あは♪ゆっくり回りましょう」

 

「とりあえずなんか食いたいね」

 

「あそこに焼きそばがあるわ。行くわよ桜介くん!」

 

楯無は腕をとって嬉しそうに歩きだす。引っ張られるままに、黙ってそれに着いていく桜介。

二人が焼きそばの屋台の前までくると、お腹を刺激する旨そうなソースの匂いがしてきた。

 

「おっさん、焼きそば2つ頼む」

 

「あいよ。兄ちゃん綺麗な彼女連れてるね!」

 

「ふっ。羨ましいかい?」

 

桜介はニッと人懐っこい笑顔を浮かべる。やっぱり連れを誉められて悪い気はしない。

 

「バカヤロウ。うちのかみさんも昔はすごい美人でなぁ」

 

「あんた!今は美人じゃないってのかい?」

 

「い、いや、今も美人だよ。はっはっは」

 

「はっはっは。おっさん頑張れよ」

 

夫婦のそんな会話を聞きながら、桜介は焼きそばを2つ受け取ってから店を出た。

 

「か、彼女…」

 

「どうした?初対面のおっさん相手に、ムキになって否定することもないだろ」

 

「う、うん…」

 

楯無は指をもじもじさせて、桜介の様子をチラチラと伺う。そして目が合うと、プイって顔を反らした。そんな相変わらずの反応に、桜介はすっかり和んでしまう。

 

(こいつ、本当にうぶだよな…。それも可愛いんだけど、今はとりあえず移動しよう…)

 

「いこうか」

 

そう声をかけてから、桜介は手を握り、軽く引っ張るようにして先の方へと歩き出す。

 

「何か食べたいものないの?」

 

「り、リンゴ飴、食べたいかも……」

 

「ふっ。随分可愛いものが好きだねぇ」

 

「な、なによ、もうっ!いいじゃない、私が食べたいんだから…」

 

ニヤニヤと笑われたことで、楯無は拗ねて口を尖らせてしまう。

 

「ははっ。いいけどねぇ」

 

それを見て、桜介はまたしても面白そうに笑う。

まずリンゴ飴を買って、さらにたこ焼きも買い、二人は座れるところを探すことにした。

 

「ここでいいだろ」

 

桜介が座ってすぐに蓋を開けると、ソースのいい匂いが空腹の食欲をさらに掻き立ててくる。

 

「あ~ん」

 

「いいよ、2つ買ったから。1個ずつあるし。それにしても、それ好きだねえ」

 

一度も成功したことなどないくせに、こうして懲りずに主導権を握ろうとしてくる楯無が、今日はなんだか可愛く思える。

しかし何故かそれを素直には言えなかった。それに食べさせてもらうのは正直照れる。

 

「ぶーぶー。桜介くんのけちんぼ!」

 

「……けちんぼって言うな」

 

楯無は不満そうな顔をするが、桜介はあーんを断ったあと、あっという間に焼きそばとたこ焼きを平らげた。

 

「ごちそうさん」

 

「早いわね。そんなにお腹空いてたんだ…」

 

実際に楯無の焼きそばはまだ半分以上残っていた。

 

「さて、飲み物買ってくる。お茶でいいか?」

 

「ええ、ありがとう」

 

食べ終えて飲み物が欲しくなり、桜介は一人離れて飲み物を買いにいくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐに飲み物を買って戻ると、楯無がチャラチャラした若い男たちに囲まれていた。

これはどうやらナンパをされているようだ。

 

(その女は、お前達がどうにか出来るような女じゃないぞ。ナンパ男達は御愁傷様…)

 

少し様子を見ていると、楯無と目が合った。そしてニッコリ笑って、何やら目配せをしてくる。どうやら助けろということらしい。

 

(余裕だろ、そんなやつら。これだから女心はよくわからない。まあ助けろと言うなら助けるが)

 

桜介はゆっくりと、そっちの方へと歩いていく。

 

「お待たせ。はい、お茶」

 

男たちと楯無の間にさりげなく割り込むと、楯無に買ってきたお茶を渡す。

 

「うふふ、ありがと」

 

楯無は普通に受けとるが、突然現れた着物の上からでもわかる程の筋骨隆々とした男に、ナンパ男達はすでに少し怯んだ様子だ。

 

「な、なんだよ、お前!この子はこれから、俺達と遊びに行くんだ!男はとっとと失せろや!」

 

リーダー格の男は怯みながらも前に出ると、桜介に向かって精一杯に凄む。

 

「ぶはぁ~~~」

 

桜介はキセルをおもいっきり吹かして、煙を男の顔に盛大に吹き掛ける。

 

「げほっげほっ…な、何しやがる!?」

 

「せっかくのデートなんだ。邪魔すんなよな。だいたいお前らにさあ、こいつは勿体無いだろ」

 

「は、はぅ!?」

 

片手で抱き寄せられて、楯無は身長差から胸元に顔を埋める形になる。

大好きな男の匂い、そしてその感触に、かぁぁぁーっと一気に首まで赤くなる楯無。

 

(しししし、心臓に悪いのよ、こっ、この人は…。いつも、いつも、いつもっ!)

 

いきなり抱き寄せられた楯無は、内心でそんな愚痴を溢していた。

 

「お、お前一人で三人に勝てると思ってんのかぁ!?」

 

「ふぅ~。思ってるよ?何百人いても一緒だ。それにお前らに、この女は無理だ」

 

「は?なんでだよ?」

 

「顔だよ、顔。こいつは面食いなんだ。お前ら、鏡見たことあるか?」

 

なあ?と頭をくしゃくしゃに撫でられると、楯無はうなじまで赤く染めて、言われるがままにコクコクと頷く。

 

(た、逞しいなんてもんじゃない…。な、なにをどうしたらこんな体に…!もう、だめっ、こんなの、反則っ…!)

 

楯無は間近で感じるその匂いと温もり、そしてその感触にすでにくらくらしていて、ろくに話など聞いていない。

 

「て、てめぇ!じゃあその顔を今からぼこぼこにしてやる!!」

 

簡単に煽られたナンパ男達は、まだ怯んではいたものの、怒りに任せて桜介を囲む。

 

「バカだな。いい男は死んでもいい男なんだよ。何故かわかるか?男の顔は生き方で決まるんだ」

 

もういいと言わんばかりに、もっていたビール缶を片手でグシャリと握りつぶし、桜介は男たち向かってニヤリと笑う。

 

「ひっ!?」

 

開封してなかったビール缶はあっという間にグシャグシャにひしゃげて、手のひらをぱっと開くとそれはすでに小さな金属の球体と化していた。

しかもおそろしいことに、表面は綺麗につるつるになっている。

 

「お前たちは今からこうなる。さてお前たち、なにか言い残す言葉はあるか?」

 

完全に怯んでしまった男達に、楯無を抱いていない方の手で、クイクイと手招きをする。

 

「ば、ばけものだぁ!」

 

捨て台詞を吐きながら、慌てて逃げ出す男たち。

 

「相手みて喧嘩売れ、あほんだら」

 

桜介は呆れた顔で、また煙を大きく吐き出す。

 

「ビール、勿体無かったな」

 

「あっ……」

 

抱き寄せられていた手を離されて、その場にぺたんと尻餅をつく楯無。

 

「あらら」

 

「こ、腰が、抜けちゃった……」

 

「あれ、濡れちゃった?もしかして」

 

桜介が上から見下ろして上機嫌に笑う。ついでにセクハラ紛いの発言など、もうやりたい放題だ。

 

「お、桜介くんの、エッチ!スケベっ…!」

 

「ふっふっふ。男はな、みんなスケベなんだ」

 

桜介はまたしても上機嫌な様子で自慢げに笑う。

 

「……あなたって、女殺しの死神さんね」

 

「ふ。女は殺した覚えがないな」

 

楯無の皮肉も上機嫌なまま、いつものようにさらりと受け流す。今日の桜介は、なにを言われても気にしないほどに機嫌がいい。

 

「もうっ!ま、まったく…。はぁ…。それにしても、あなたのすぐに相手を煽る癖、なんとかならないのかしらねぇ?」

 

「……ならないなぁ」

 

「……でしょうねぇ」

 

少し考えてから出した男の答えに、楯無はガックリと肩を落す。

 

「それよりさ、抱っこしてやろうか」

 

桜介は楽しそうに笑いながら、楯無をそっと下から抱きかかえる。

 

「な、なななっ、なぁっ!?」

 

「別にとって食いやしねぇよ」

 

「う、うん…」

 

突然の抱っこに心底驚いた楯無だったが、纏う雰囲気や体を支える手、自分に向ける眼差しがあまりに優しいので、体の力を抜いてそのまま身を委ねることにした。

 

「……ずるいなぁ。桜介くんは…」

 

どんなに意地悪されたって、無邪気にニコッと笑われると、なんだって許してしまいそうになる。楯無はそれが悔しかった。

でもとても抗えそうにはない。今までも、そしてこれからもずっと。

そんな自分をバカだなと思いながら、決してそれが嫌ではないのだから、もうどうしようもないんだろう。

 

「あれ、顔が赤いぞ。もしかして熱でも?」

 

「ぴゅっ!?」

 

桜介が素知らぬ顔で、唐突に額に額をくっつける。するともう、あっという間に二人の顔は、互いの息がかかるほどに近い。

 

「あ、あわわ…」

 

楯無はもとから赤かった顔を、さらに真っ赤にさせて、腕の中でバタバタと暴れだす。

 

「ち、ちち、近い!ちかっ、近すぎるっ!」

 

「ふっ。ははっ、おもしれぇよなお前」

 

全く期待を裏切らないそんな反応が面白くて、桜介はしばらく眺めてから、ぷっと吹き出す。

 

「ば、バカっ!またからかって!わっ、私の方がお姉さんなのよ!?」

 

それでも、楯無はもう潤んだ瞳でキッと睨みつけることしか出来ない。

 

「まったく。面白いお姉さんだ」

 

「うう、わ、わざとでしょ!?もうっ、そ、それぐらい、わかるんだからっ」

 

「いいや、心配したんだ。でも熱はないから、きっとりんご飴のせいかな、赤くなっているのは」

 

「桜介くん……私で、遊んでるでしょ……」

 

今度は拗ねたように口を尖らせる楯無。コロコロと表情を変える楯無がなんだか可愛く思えて、桜介は知らず知らずのうちに微笑んでいた。

 

「よくわかったな」

 

「わかりたくなかったわよ!」

 

「それでどうするか…。俺はこのまま回っても構わないよ」

 

「そ、そんなこと出来るわけないでしょ!」

 

「なんだよ。お前、実はダッコ好きだろ?」

 

「そ、それは、そ、その、嫌いじゃないけど…。だ、だからって、は、恥ずかしいじゃないのっ」

 

核心を突かれてアワアワしだした楯無。それがどこかおかしく思えて、桜介はまた口角を緩める。

夏祭りなど小さい頃以来で、それもあってか今日は全てが新鮮に思える。

 

「俺はお前を抱いていること、別に恥ずかしくはないんだけどね」

 

「やっぱり、そういうところ……ずるい」

 

「なにかっていうと、すぐにずるいと言う…」

 

「仕方ないでしょ……その通りなんだから…」

 

「こんなに正々堂々としてる男も、なかなかいないだろうに…」

 

「じ、自分で言うのね…。まあそれも、その通りなんだけど…」

 

またこういう何気ないやり取りも、実はとても好きだった。そして何より、心地よかった。

だから本当はもっとゆっくりと回りたかったし、この時間を大切にしたいとも思っていた。

 

(本当に…いったい何年ぶりだろうか、こんな気持ちになるのは)

 

だが楯無の言うように、このまま回るわけにもいかない。だから今回はもう諦めて大人しく帰ることにした。

 

「じゃあ、このまま花火見て帰ろうか」

 

「う、うん。あの…助けてくれてありがと」

 

照れくさそうに楯無が言った。自分でもなんとでも出来たとはいえ、助けてもらったのは事実だ。

 

(うぅ…。ほんとはこんなに早く帰るのは、勿体無さすぎるけど…)

 

楯無は首に両腕を回して、抱き抱えられている男の目を見つめた。

 

「なんかこうしてると、あんたに最初に会った時を思い出すね」

 

「懐かしいね。なんか…もうずっと前から一緒にいるみたい…」

 

「そうかもねぇ…」

 

「綺麗ね、花火……」



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43話

桜介はこの日、部屋で朝から読書をして過ごしていた。

昔から本を読むのが好きで、その気になれば1日中でも読んでいられた。

楯無もいないので自分で買ってきたお茶を飲みながら、パラパラとページをめくっていく。

パラ読みでもきちんと全ての内容が頭の中に入ってくるため、そのペースはとても早い。

一冊目をすぐに読み終えて二冊目に手を伸ばそうとすると、近くに置かれていた携帯に着信が入る。

 

「サラか」

 

桜介は着信の相手を確認すると、サラがもうイギリスから帰ってきていたことを思い出して、すぐにその電話に出た。

 

「どうした?」

『霞くん、今日は何してるの?良かったらどこか行こう』

「あ~。今日は本をね、読みたい気分なんだ」

『あら、私も本を読むの好きよ。それじゃあカフェで読書もいいんじゃない?』

 

サラの誘いに少しだけ考えてから返事を返す。

 

「たしかに悪くないな。でもさ、あんまりカフェって知らないんだよね」

 

周辺のアルコールを飲める店なら、既にリサーチ済みなのは言うまでもない。

 

『それなら私が知ってるから大丈夫』

「わかった。じゃあ今から準備するよ」

『ええ。それじゃあ正面玄関に30分後ね』

「ああ、いいよ」

 

こうして今日の予定は、サラの知ってるカフェで読書になった。

 

 

 

 

 

 

待ち合わせして二人で少し歩き、カフェにつく。

二人はウェイターに奥の方の席に案内され、桜介はコーヒー、サラは紅茶を注文した。

 

「なかなかいいところじゃないの」

「そう?よかった」

 

それからそれぞれ自分の持ってきた本を読み始める。

今日の桜介は黒ぶちの眼鏡をかけていて、髪もセンターで分けていた。

サラも今日は赤い縁のある眼鏡をかけていて、服装も少し大人なコーデだ。

こうなるともともと見た目が大人っぽい二人は、頭の良さそうな大学生のカップルにしか見えない。

もともと大人しめな印象を人に与えるサラはともかく、普段完全にワイルド系な桜介までそう見えるのは、この男が単に変装やコスプレに無駄に凝るからだった。

本を読んだりする時は割りとそれに合わせたような格好をすることもあるし、変装すれば演技にも熱が入り過ぎるぐらいには入るタイプだ。

しかしそれで逆に周りから怪しまれることに、本人だけが気づいていない。

 

「どうかした?」

「いいえ、今日のその髪型も素敵よ。眼鏡も似合ってるし」

「ありがとねぇ」

 

時折会話を交えながら読書をする二人の間に穏やかな時間が流れていると、執事服のウェイターがテーブルに注文したコーヒーと紅茶を持ってきた。

 

「お待たせ致しました。コーヒーのお客様は?」

「こっちだよ、シャルロット君。ふむ…とてもよく似合っているね」

「えっ…。お、桜介!?な、なんで?」

「いやあ、コーヒーが飲みたくなってしまってね。でも安心してくれ、今日はゆっくりしていくつもりなんだ」

 

桜介は執事服の女性にニヤニヤと笑みを浮かべた。

それを見て露骨に顔をひきつらせるシャルロット。

 

「お、お砂糖とミルクはお入れになりますか?」

「そうだね。いつもは入れないんだが、シャルロット君がせっかく入れてくれるならさ…頼もうかな」

 

ピクピクとさらに顔をひきつらせながらも、シャルロットは丁寧に慣れた手付きで砂糖とミルクをかき混ぜていく。

 

「ほう、様になっているな。俺が女ならきっとお前に惚れてる」

「あ、ありがとうございます…。ど、どうぞ」

 

シャルロットは顔を赤くして、プルプル震えながらかき混ぜたコーヒーを差し出す。

桜介はこのままならそれこそ可能な限り、からかい続けただろう。

しかしその様子を見ていたサラが、すぐにシャルロットへと助け船をだした。

 

「こら、霞くん。あんまりいじめたら可哀想でしょ。ごめんなさいね、デュノアさん」

「あ、いえ、大丈夫です。こちら紅茶になります」

「ありがとう。お砂糖とミルクは自分で入れるから大丈夫」

 

シャルロットは相席している知的そうな女性に、少しだが見覚えがあった。

学園で桜介といるところを一度だけ見たことがあったからだ。

 

「かしこまりました。あの、もしかして2年のサラウェルキン先輩ですか?」

「ええ、そうよ。初めまして。シャルロットデュノアさん」

「初めまして。今日は二人で?」

「ええ。霞くんが読書がしたいと言うからね、カフェに連れてきたの」

「ふ…。そういうことだ」

 

なにが面白いのかニヤリと笑う桜介に、シャルロットは苦笑いを浮かべた。

 

(クラスでは仲いい人、そんなにいないのに…。学年が違う人とはこうやってプライベートでも遊んでるんだから、不思議な人だな)

 

フランス政府とのパイプもそうだが、桜介の謎の人間関係にシャルロットは考えを巡らせていた。

 

「それでは、また何かありましたらお呼びください」

 

少ししてシャルロットは、丁寧なお辞儀をすると逃げように素早く下がっていった。

 

「あなたはすぐ調子に乗るんだから」

「ふふふ、まぁいいじゃない。それにしても今日は思わぬ収穫があった。誘ってくれて本当にありがとう」

「ふふっ。楽しそうで何より。次は霞くんからさ、誘ってくれてもいいんだけど?」

「……考えておく」

 

桜介は少し困った顔をして、珍しく曖昧にそう答えた。

こういう大人しい女性からの押しには意外と弱い。

 

「あら。つれないわね。約束よ?」

「え?つろうとしてんの?」

「もう。わかってるくせに」

 

頬杖をついて顔を見ながらニコニコと笑うサラ。

桜介は肩を竦めると、コーヒーに口をつけてそのまま読書を再開する。

それを見てサラも、軽くため息を吐いてからまた読書に戻っていった。

 

「霞くん。もうコーヒー無くなっているけど、おかわり頼む?」

 

しばらく黙って読書をしていると、サラが桜介に声をかけた。

 

「ああ、すまない。それと食べ物も頼もうか」

「ええ、そうね。もうお昼だし…。お腹すいたわ」

 

二人はメニューを見て注文するものを決めると、桜介が今度は近くにいたメイドに声をかけた。

 

「もしもし?そこのメイドさん?来てくれる?」

「なんだ?……か、霞!?」

「よお、ラウラちゃん。うんうん、似合ってるねえ」

 

まさかのクラスメートの来客に、ラウラは驚いた顔をしていた。

既に桜介とラウラはクラスでもたまに話すぐらいには打ち解けている。

桜介もシャルロットと普通に仲がいいので、その関係でよく一緒にいるラウラとも話す機会がちょくちょくあったのだ。

 

「な、何故お前がここにいる?」

「そりゃここはカフェだからね。俺がコーヒーを飲みに来てもおかしくないだろう?」

 

ニコッと笑って自信満々に正論で返答されるが、ラウラはそれでも訝しげな表情を浮かべた。

この男がそんな理由でわざわざここまでくるだろうか、そんなことを考えていた。

だが実際に訪れた当初の理由は本当にそれだけだったのだから、その言葉に嘘はない。

 

「そうか……そうだな」

「それで注文をしたいんだけどいいかな?」

「ふん、いいだろう」

「これとこれを。あとコーヒーと紅茶をおかわりで」

「わかった」

 

いつも通りの淡白な返事をするラウラにも、桜介は遠慮なしにどんどんと切り込んでいく。

 

「それにしてもラウラのメイド服姿、可愛いね。一夏も好きだと思うよ、そういうの。あ、ちなみに俺はメイド服好きだよ」

「な、何!?それは本当か!?」

「うん、俺はメイド服大好きだからね」

「ば、馬鹿者、そっちじゃない!」

「ふ~ん、じゃあどっち?」

「……霞、貴様」

 

堂々とからかってくる相手を、キッと睨みつけるラウラ。

一方ラウラとは最近いつもこんな感じなので、桜介はいつものように飄々と涼しい顔をしていた。

そろそろ怒り出しそうなラウラの頭へと笑顔でポンと手を置いて、諌めるようにゆっくりと声をかける。

 

「ごめんごめん。冗談だから怒らないでね?」

「おい、なんですぐに私の頭を撫でるんだ?」

「いや、なんとなく?」

「む……」

 

ラウラはどんな時もあまりに余裕な態度や、洗練された武人の雰囲気を平然と出しているこの男が少し苦手ではあったが、決して嫌いなわけでない。

そして気づいたら相手の懐にスッと入ってくるようなところがあり、何故か憎めないのでいつも文句を言いながらも結局おとなしく頭を撫でられていた。

 

「ちょっと霞くん、そのへんにしておきなさいね。大人しく注文も出来ないのかな?」

「……わかったよ」

「まったく。あなたはいつもそうなんだから」

 

やれやれといった様子にばつが悪くなってしまい、忠告にはきちんと耳を傾ける。

毎回落ち着いた様子で毅然と窘めてくるので、桜介はサラのいうことには普段からわりと素直だった。

 

「お前達、夫婦みたいだな」

「あら、嬉しい。言われてるよ…霞くん?」

「おいおい…勘弁してくれ」

「ふむ。違うのか?」

 

真顔で聞き返すラウラに、サラはニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「私はそれでもいいんだけどさ、霞くんがなかなか振り向いてくれないのよ…ねえ?」

「はぁ…。冗談はそれぐらいにしとけよ」

 

純粋なラウラの発言に桜介は苦笑いを浮かべていた。

ちょうど何か飲んでいる時だったら、きっと吹き出していたかもしれない。

サラが薄く頬を染めて、恥ずかしそうに視線を向けてくる。

桜介は目が合うと、困った顔をして視線を逸らした。

クラスメートをからかおうとしたはずが、なんでこんな会話になってしまったのだろうか。

しばらく無言を貫いていると、やがてラウラは勝手に納得したのか二人のテーブルから離れていった。

 

「そんなに好きなら今度着てあげるね、メイド服」

「……よろしく」

 

金髪メイドさんの誘惑には、素直に負けておく。

そんなやり取りをしてから少しすると、飲み物のお代わりと頼んだ料理がテーブルに届いた。

桜介は鶏肉のソテーで、サラはトマトを使った魚料理をオーダーしていた。

フォークとナイフを手に取ると、慣れた手付きで綺麗にチキンを一口大に切り、それをゆっくりと口に運ぶ。

 

「うん、旨い。ちょっと執事を呼んでもらおうか」

「霞くん…。いい加減にしないと怒るよ?」

「ん…?臭せえ…。食事中に臭えなぁ」

「え……?」

 

桜介がそう言った直後に、事件は起こった。

 

「全員動くんじゃねぇ!」

 

男の三人組が店内に入ると同時に大声をあげた。次の瞬間に銃声が聞こえると店内から悲鳴が聞こえた。

 

「きゃああ!」

「騒ぐんじゃねぇ!」

 

男達は見るからに強盗というような服装で札束が入ったバッグを持っていた。外のパトカーからは犯人たちへの警告が聞こえてくる。どうやらこの店は既に包囲されているようだ。

 

「か、霞くん?」

 

サラが桜介の様子を伺うと、テーブルに顔を伏せてガタガタと震えていた。

その様子にサラは心底驚く。あの剛胆な桜介が怖がっていることなど、今まで誰も見たことがない。

初めて見るその姿に、シャルロットやラウラですら唖然としていた。

 

「だ、大丈夫?」

 

小さな声で心配そうに声をかけるサラ。

しかし体格のいい男がガタガタと音をたてて震えている姿は、店内でもやたらに目立つ。

案の定それを見た犯人達のリーダーが、すぐに震えている桜介に近づいていった。

 

「あれ~?こいつ泣いてるのか?こんな大きい体でガタガタ震えちゃって」

 

男が間近に近づいても、まだガタガタと震えて顔をテーブルに伏せていた。

 

「おい、見ろよ~。こいつ泣いてるぜ」

 

リーダーの男は仲間の二人に視線を向けて、バカにしたような笑い声をあげた。

 

それでやっと桜介はゆっくりと顔をあげる。

 

頭をポリポリして髪型を戻すと、眼鏡も外して煙草を咥え、ライターでそれに火をつけた。

 

「無粋…あまりにも無粋」

 

「え?」

 

驚いてリーダーの男が振り返ると同時に、桜介はテーブルを力強くドンと叩いた。

テーブルに置かれていた二人分のナイフとフォークが宙を舞う。

 

「な、なんだ!?こいつ!」

 

リーダーの男は突然の行動に体が反応してしまい、連続で拳銃から銃弾を発泡した。

それをフォークとナイフを握ってチチチンと弾くと、フォークとナイフをリーダーの拳銃を持つ手と、後ろの二人の仲間の額に向かって素早く投げつけた。

 

「あいっ」

「ぶっ」

「げっ」

 

リーダーの男は手にフォークが刺さって拳銃を落とし、後ろの二人に至っては額にナイフが突き刺さってしまい、そのまま血を流して倒れた。

 

「はぁ~~」

 

桜介は床に落ちている拳銃を蹴り飛ばし、リーダーの男にゆっくりと近づいていく。

 

「おい、俺はまだ記念写真も撮っていない。執事シャルロット君とさあ!お前どうしてくれんの、これ」

 

「いや、撮らせないよ!?撮らないからね!?」

 

「それにラウラの可愛い姿だってね、まだ撮ってないんだよ」

 

「……私は可愛いのか?」

 

シャルロットとラウラの二人は、念のため倒れた犯人達の武器を回収すると桜介の両隣へと並んだ。

 

「楽しみを邪魔されたこの俺の怒り…どうしてくれようか」

 

「あのさ、そもそも勝手に楽しみにしないでね!?」

 

「私は可愛いのか……」

 

怒りに燃える桜介には、もはやシャルロットとラウラの声も聞こえていない。

指をポキポキと鳴らしながら、リーダーの男のすぐ目の前に歩み出た。

 

「ふ、ふざけるな!」

 

リーダーの男はナイフを取り出すと、顔に向かって突きだす。

しかしそれは人差し指と中指だけでよそ見しながら簡単に受け止められてしまう。

それを懸命に押したり引いたりするが、もうナイフはびくともしない。

 

「く、くそっ!な、なんで動かねえっ!」

 

「う・る・せ・え・な」

 

「ぷけけ~」

 

黙ってろと言わんばかりの強烈な往復ビンタが、吠える男にきれいに炸裂する。

男の顔はまだ辛うじて原型は残っているものの、あっという間に腫れ上がってしまった。

 

「まだ、寝るな。寝たら死ぬぞ?」

 

「霞くん…。ここは雪山じゃないのよ」

 

後ろからはそんな声も聞こえてくる。

すでに男が立っていられるのは、桜介が胸ぐらをしっかりと掴んでいるせいだった。

 

「シャルロット。良かったらやる?」

 

「う、ううん、任せるよ。その容赦のなさはさすがだね……」

 

「ラウラ」

 

「任せた」

 

あまりの歯応えのなさにやる気をなくした桜介は、二人に男の相手を任せようとするが、シャルロットが首を横に振って断るとラウラにも断られた。

相手はなんとか意識を保ってはいるが、もうすでにボコボコなのだから二人が遠慮するのも無理もない。

 

「残念。あんたさ、モテないね」

 

「も、もう……許してくだひゃい」

 

「それなら私がもらうね」

 

サラは後ろから桜介の肩を掴んで勢いよく前へ飛び、そのまま空中で男の顔に回し蹴りを入れた。

同時に掴まれていた手を離された男は、勢いよく後ろに倒れてしまう。

 

「ふ~ん。サラもなかなか…」

 

「ふふっ。これぐらい…あなたと比べたらね」

 

「いいや…格好いいじゃない」

 

素直に誉められるとサラは、少し照れくさそうに舌を出して微笑みを返した。

サラもここで躊躇わずに止めを刺すあたり、ドSの影響は確実に受けているのだろう。

 

(これからはサラも…あんまり怒らせない方がいいかな?なんで俺の周りはこんな女ばかりなんだ…)

 

そんなことを考えながら、桜介は煙を吐き出してサラにボショボショと耳打ちをする。

突然耳元で囁かれたことでサラは顔を赤く染めたが、それに黙ってコクンと頷いた。

 

「お、俺達助かったのか…?」

「助かったの?…私達…」

「た、助かったぞ!」

 

しばらくして店内は安堵からまた騒がしくなった。

 

「ラウラ、まずいよ。公になったら」

 

「そうだな。このあたりで失敬しよう」

 

「桜介達も、早く逃げた方がいいよ?」

 

シャルロットが桜介達の方を振り返ると、もう二人はいない。

その代わりにテーブルには、一万円札がポツンと1枚置かれていた。

 

「自由すぎるよ、いくらなんでも…。今度絶対なにか奢らせるからね!」

 

「ふ、ふざけんじゃねーぞぉ!!」

 

思わずシャルロットが愚痴を吐いた直後、倒れていたリーダーの男が叫んで立ちあがった。

そしてその腹にはプラスチック爆弾のようなものが巻かれていた。

 

「きゃああ!」

 

すぐさま店内はパニックになり、シャルロットとラウラが慌ててそれに対処しようとする。

 

「がふぇ!」

 

しかし男は突然手足から血を吹き出すと、勝手にバタリと倒れてしまった。

倒れた男は床でビクンビクンと体を跳ねさせている。

その不思議な出来事に、店内の客はみな呆然としていた。

 

「桜介……怖すぎるでしょ」

 

シャルロットだけがただ一人、小さくそう呟いた。

 

 



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44話

内容があまりないです


「簪、なに頼む?カルビ?ハラミ?やっぱりロースにしようか!」

 

桜介は簪とシャルロットを連れて焼き肉屋に来ていた。先日カフェでのバイト中の桜介の振る舞いとトンズラに怒ったシャルロットからクレームの電話を受けて、桜介が食事を奢ることになった。それならと簪も誘って三人でやってきたのだ。焼き肉になったのは桜介がちょうど肉が食べたかったからだった。座席は桜介と簪の向かいにシャルロットが座っている。

 

「……実はお肉、嫌いなの…」

 

「よし、帰ろう!じゃあここで解散!簪、寿司行こうぜぇ!旨い店があるんだ!日本人はやっぱり寿司だよね」

 

「え、ちょっと待って!?」

 

「あ?なんでだよ。日本人じゃないだろ、お前」

 

「言ってることめちゃくちゃだよ!?そもそもその子は日本人なの?」

 

「当前だ。この綺麗な水色の髪と、可愛らしい真っ赤な瞳を見れば、そんなの一目瞭然だろーが」

 

「ど、どこが!?むしろだから聞いたのに!とにかく今日は桜介のおごりだよ。勝手に帰ろうとしないでね!」

 

どんどん飛び出す理不尽な物言いにシャルロットが不満を口にするが、気の抜けた顔で桜介は適当に反論する。

 

「一夏に連れてってもらえ、一夏に」

 

「それは今は関係ないでしょ。それにライバルが多くて大変なんだよ?一夏誘うのは…」

 

「俺ならいつでも暇だから、タダ飯にありつこうってそういうわけか、こら」

 

「あ、あはは。はっきり言えば、その通りかな」

 

「だがそもそも、そんな男を好きになったのはお前だ。俺には関係ないな、そんなこと」

 

苦笑いを浮かべるシャルロットにも、桜介はまるで興味なさげに、煙草をくわえ火をつける。

 

「それはそうだけど…」

 

「じゃあそういうことで!友達なら人の青春を邪魔しないの!俺も邪魔しないから。わかった?」

 

「でもさ、奢ってくれるって言ったでしょ!まだなんにも奢ってもらってないよ?」

 

「なあ、男があんまり細かいこと言うなよ」

 

「僕はそういう冗談が一番嫌いなんだよ?」

 

その言葉に桜介は顔をしかめて、ため息のように長い息を吐く。

こいついつまでいるつもりなんだ、とそう言いたげな視線を向けると、シャルロットもとっくに顔をしかめていた。

 

「……喧嘩、しないで…」

 

「仲良しだからね、俺たち。もちろん俺と簪ほどじゃないけどさ!シャルロットちゃん、たくさん食べてね!」

 

「う、うん。ごめんね、簪さん」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

「ふふふ」

 

「……桜介ってそんなキャラだっけ?」

 

満面の笑みを溢す桜介を見て、シャルロットがそう言った。普段の態度とのギャップに驚くのも無理はない。先日のカフェでは途中からかってはきたものの、基本的にはサラと大人っぽいカップルを演じていた男がこれである。だがこれはいつも通りの通常運転だった。

 

「冷麺あるよ?簪はそれ食べるか?」

 

「うん……そうする」

 

「店員さーん!」

 

すぐに店員を呼ぶと、どんどん注文してどんどん肉を焼いていく。桜介は焼酎も頼んでいた。ゴクゴク飲んでバクバク食べる桜介にシャルロットは訝しげな視線を向けると言いにくそうに口を開いた。

 

「あ、あのさ。さっきからちょっとしか食べれないんだけど。桜介とるの早過ぎるよ!?」

 

「あ、ごめんな。ほら、ハラミが焼けたぞ」

 

桜介がハラミをサンチュにくるんでシャルロットの口の前まで差し出す。これはいわゆるあーんというやつだが、基本的に馴れ馴れしい桜介はそんなの全く気にしていない。シャルロットは少しだけ迷うそぶりを見せたが、その匂いにつられてそれをそのまま口に迎え入れた。そして口をモグモグとさせるシャルロット。

 

「……美味しい」

 

お肉を食べて頬を緩めるシャルロットに、桜介も無意識に微笑んでいた。

 

「だろ?」

 

「このハラミって美味しいね。それとこの赤いのは、何かな?」

 

「ああ、それはコチュジャンといってな。まぁ調味料みたいなもんだねぇ」

 

「ふーん」

 

コチュジャンを箸でこんもりとって、それを口に入れるシャルロット。

 

「あっ…ばか」

 

桜介は止めようとしたが少しだけ遅かった。

 

「っ~~~!?」

 

辛さに悶えるシャルロット。ワサビを大量に食べた臨海教室から、まるで成長していない。

 

「み、水…水、ひょうだい!」

 

涙目で視界がぼやけているシャルロットは、目の前にある水のように見えた飲み物に手を伸ばし、それを一気に飲み干した。

 

「お、おい…」

 

またしても桜介は止めようとしたが既に遅かった。

 

「ああ…。飲んじまったよ、俺の水割りを」

 

「あ、あれ…?」

 

シャルロットは水割りを一気に飲み干すと、そのままテーブルの上にバタリと顔を伏せてしまった。それにはさすがに頭を抱える桜介。

 

「簪、どうする…?」

 

「…どう…しよう」

 

隣を見ると眉をハの字にして困ったような表情をしている簪がいた。それに桜介は内心で思いっきり悶えた。テーブルの下では、足を小さくバタバタとさせている。

 

「仕方ない…起こそうか」

 

桜介は心配になりシャルロットの隣に座ると、背中をトントンと叩いてみた。

 

「おい…。大丈夫か?」

 

それでも無言のシャルロットに、桜介はいよいよ本気で心配になってきた。その時シャルロットはガバッと勢いよく顔を上げる。するとその顔は、すでに真っ赤になっていた。

 

「おうすけぇ~」

 

「なんだ?」

 

「僕だって…僕だって…メイド服が着たかったんだよぉ…」

 

「うわぁ…。そうだねぇ」

 

桜介が顔をひきつらせて簪を見ると、やっぱり困った顔をしていた。もうそれに悶えることは至極当然のことだった。だがテーブルに頭を軽く打ちつけて、すぐに正気を取り戻す。

 

「それなのにおうすけは…。バカにしてさぁ…」

 

「ごめんな?もうしないからお水頼もうか」

 

普段の愚痴を溢すシャルロット。その目は完全に座っている。桜介は気安く頭をポンポンしながらも、内心ではだいぶげんなりとしていた。

 

「いつも僕に意地悪するよね……」

 

そう言って瞳に涙を浮かべるシャルロットに、桜介は完全に困惑していた。簪の前でこいつはなにを言っているんだと。

 

「シャルロットさん?してないよ、してないからね、してないでしょ」

 

慌てたようにそう言うと、シャルロットはニコッと笑ってから再びテーブルに顔を伏せた。

これを見て桜介はとりあえず安心して、小さく息を吐いた。

 

「ふぅ…。酔っぱらいには、困ったものだな」

 

「う、うん…」

 

「アイス食べようか、アイス」

 

「……そうだね」

 

 

 

 

 

 

結局アイスを食べ終えても、シャルロットはまだ伏せていた。しかもくぅくぅと寝息までたてている。どうやら眠ってしまったようだ。

 

「あ、すいません。お会計お願いします」

 

まだそんなに遅い時間ではなかったが、二人は諦めて今日はこのまま寮に帰ることになった。

まさか簪におぶらせるわけにもいかず、帰り道は桜介がシャルロットをおぶっている。

 

「軽いな、こいつ」

 

「…少し、羨ましい…」

 

「やってほしければ、いつでもやってやる」

 

「あ、ありがとう……」

 

袖口をちょこんと摘まれて俯き気味にお礼を言われると、それにも簡単に悶えてしまう。

それと同時にものすごい庇護欲がわいてきて、霞桜介は思わず天を仰いでこう言った。

 

「まったく……俺を殺す気か…」




なんか色々とごめんなさい


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45話

さくさくストーリーを進めます。



「―――以上が織斑一夏の報告になります」

 

薄暗い部屋。三人の女と一人の男がテーブルを囲んでいた。

 

三人は席につき中央の女は立っていた。それはさながら王に使える忠臣のようだったが、一人の男は眠そうに欠伸を漏らしていた。

 

「そろそろ動くときかしらね」

 

中央の女が言った。その声は透き通り澄み渡っていた。

 

「正直対応が遅すぎる気がします」

 

「各方面から苦情も相当…。もう待つべきではないかと」

 

じっと王の言葉を待つ忠臣がテーブルに視線を移すころには男はすでにテーブルに上半身を伏せていた。

 

室内の四人は新入生の専用機持ちの多さ、そしてイレギュラーの存在に対応を迫られていた。

 

「…ふむ」

 

窓の外を眺めていた王がくるりと身を翻した。

 

「決めたわ!そろそろ動き出しましょう」

 

がたんっ!

 

眠っていたらしい男の体が動きだした。

 

「では?」

 

「近く機を窺って接触します。バックアップをよろしく」

 

「りょ、了解しました」

 

「承知…」

 

王は笑みを浮かばた。獲物を見つけた猛禽類のように。

 

 

 

 

 

 

「…接触も何も昨日一夏んち呼ばれて行ったらあいつら全員いたんだけど…。それよりお茶、入れてくれる?喉渇いた」

 

「え?私そんなの聞いてないわよ?だったら連れてってくれればいいのに。昨日は一人で寂しかったんだから!あっ、お茶すぐに入れるわね!

 

 

 

 

って、せっかく人が途中まで格好よく決めてたのに!あなたのせいで台無しじゃない!どうしてくれるのよ!?」

 

「…お前の入れてくれるお茶が飲みたい」

 

男は王の淹れるお茶が好きだった。毎朝飲んでいて既に舌がそれに慣れていたのだ。

 

「そ、そう?仕方ないわね。じゃあすぐに入れてくるわ!」

 

王は上機嫌で駆け出した。そしてお茶を淹れるとすぐに戻ってきた。

 

「はい、お茶どうぞ」

 

男はお礼を言うと受け取ったお茶を口に含みゴクンゴクンと一気に飲み干した。

 

「ぷはぁ。やっぱり旨い」

 

「えへへ。良かった」

 

王は嬉しそうに頬を緩ませた。

 

「……」

 

「……」

 

忠臣たちはジーっとその様子を眺めていた。

 

その視線に気づいたのか王は決まりが悪そうに視線を逸らした。

 

 

「………覚悟してもらいましょう!織斑一夏」

 

「ふっ。面白くなりそうだな」

 

 

男は満月を背に微笑んだ。男には満月が恐ろしいほどに似合っていた。それはさながら標的を狙う死神のようだった。

 

 

 

 

 

九月三日。二学期最初の実践訓練が行われた日の午後。

 

一夏が授業に遅れてきた。

 

俺にはそれが誰のせいかわかっていた。御愁傷様です。

 

「…遅刻の言い訳は以上か?」

 

「いや、あの、見知らぬ女生徒が…」

 

「では名前を言ってみろ」

 

「だから初対面ですって」

 

え…。楯無と一夏って初対面なの?俺たまに一緒に屋上で飯食ったりしてたし、そん時は離れて座ってたけど一夏も屋上にいたこともあったよな。楯無と一緒に廊下歩いてる時一夏とすれ違ったりもしてたし。あれ?一夏どんだけ俺に無関心なの?まさか友達だと思ってるの俺だけだったりしないよね?俺の片思いじゃないよね?確かに夏休みは一回しか会ってないけど。お前の家で遊んだから大丈夫だよね。大丈夫だきっと。その一回しか遊んでないけど。一夏と二人で遊んでも何したらいいかわからないんだよ。男同士で遊ぶの自体は好きだけどな。飲みに行ったり、あと飲みに行ったりとか。飲みにしか行ってねえ。そういえば潘とは上海にいる時よく飲み歩いたな。でもまさか一夏飲みに誘うわけにも行かないよね。箒ちゃんあたりにでもばれたら俺が怒られそうだ。怖い怖い。いや、武士ならもう元服しててもおかしくない年齢だ。その辺を上手くつついて言いくるめれば飲酒ぐらい…。なんかもう面倒くせえな。

 

 

 

 

 

 

そして翌日、全校集会が行われた。

 

今日俺がやることはないので、一般生徒と一緒に下から壇上を見上げている。

やがて虚さんの紹介の後、楯無が壇上にあがる。しかし目が合うと頬を赤らめて視線を逸らした。

まったくぅ、照れ屋さんなんだから。

それでもあいつの真面目な姿など久しぶりにみるので、ついつい口元が緩んでしまう。

 

「んっ…!」

 

今度はふいっと顔ごと反らされた。我らが生徒会長は本当に恥ずかしがり屋さんなんですね。

そんなんで挨拶なんて大丈夫なんだろうか。なんて大丈夫に決まっているのに俺は心配性だ。

 

「みんなおはよう。今年は色々立て込んでて挨拶が遅れたわね。私は更識楯無。生徒会長よ。以後よろしく」

 

楯無が挨拶するとあちこちから熱っぽいため息が漏れた。女にも人気があるのはあいつにカリスマ性みたいなものがあるからだろう。凛としてるあいつは俺から見ても確かに格好いい。最近あまり見ないがそういう姿も本来の姿なのかもしれない。俺は何故か少し誇らしい気持ちになった。さすが俺の上司だ。

 

「今月の学園祭だけど特別ルールを導入するわ!名付けて各部対抗織斑一夏争奪戦」

 

ディスプレイに一夏の写真が写し出された。近くにいる一夏はポカンと口を開けている。俺は既に知っていたので笑いをこらえるのに必死だ。そして絶叫がホールにこだますると一夏に視線が半端じゃなく集まった。

 

「学園祭で催しものを出し投票一位の部に織斑一夏は強制入部させましょう!」

 

 

「うおおおおっ!」

「素晴らしいわ会長!」

「こうなったらやってやるわ!」

 

 

すごい人気だ。まったく羨ましいよ。一夏くん。はっはっは。

 

 

「ねえ、そうすると霞くんは?」

「そういえばそうよね!霞くんも入部させてよ!」

「私は霞くんの方がいいわ!」

 

 

今度は俺に視線が集まった。俺の方がいい人なんているんだね。でもやだ、恥ずかしがり屋だからあんまり見ないでください。仕方ない。せめてもの抵抗で変装用眼鏡をかけてみる。しかし効果がないようだ。よし、こうなったら楯無さんに助けてもらおう。久しぶりだな楯無さんて。俺は早速上司に視線を送ると楯無さんはニッコリ笑って頷いた。ありがとう。さすがたっちゃん大好きだぜ。この状況をなんとかしてくれたらあとで何でも言うこと聞くよ。だからよろしくね。

 

 

「それはだめ。彼は私のパートナーだもの」

 

 

凛とした透き通るような声がホールに響きわたった。ふーん、パートナーねえ。ルームメート的な意味かな。それとも生徒会のことか。なるほど、ものは言いようですね。でもこんなんで大丈夫かね。あいつは頭がいいからきっと大丈夫なんだろう。俺にはわからない考えが何かあるはずだ。

 

 

 

一瞬の静寂の後、ホールに絶叫と悲鳴がこだまする。

 

 

そして先ほど以上に俺に突き刺さる視線。

 

 

あらら。結局楯無さんの発言は返って俺に生徒たちの視線を余計に集めてしまった。そうか。失敗したか。まあそういうこともあるよな。あいつも何でも出来るわけじゃない。突然無理を言って悪かった。俺は申し訳ない気持ちで楯無さんに視線を送る。

 

 

 

壇上を見ると楯無はニンマリと満足そうに笑っていた。

 

 

 

え?あれ?まさか…あのバカ!!

 

一瞬だけポカンと口を開けて固まってしまったが、すぐにあのバカをキッと睨み付ける。ついでに殺気も込めてやろうか?あの女。横を見ると一夏はまたもポカンとしていた。お前さっきからポカンしかしてないよね。ポカンポカン。なんか可愛い。駄目だ。今は和んでる場合じゃないんだ。俺は再度壇上を睨んだ。

 

 

「やん♪」

 

 

目が合うと俺に向けて、楽しそうにウインクしてきた。

 

 

 

今のはムカついた。本当にホントにムカついた。

 

 

 

俺はこの後イライラを堪えるのに必死だった。

 

 

 

 

 

 

 



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46話

全校集会が行われた日の放課後のHR。

 

今日は文化祭の出し物を決めるようだ。

 

一夏がクラス代表なので前に出ていた。黒板に書かれているのは『織斑くんと霞くんのホストクラブ』『織斑くんと霞くんとツイスター』『織斑くんと霞くんとポッキー遊び』『織斑くんと霞くんと王様ゲーム』などというものだった。

 

「却下」

 

「おい、一夏ちょっと待て。ホストクラブは当然飲めるんだろ?飲みてぇな、ドンペリ」

 

「桜介突っ込むのそこ!?飲めるわけないだろ」

 

「あぁ。はいはい、じゃあ却下でいい」

 

なんでも却下する一夏にクラスからはブーイングが聞こえる。ここは俺もブーイングしておこう。ツイスターって俺と一夏でやるわけじゃないよね?

そうじゃないなら喜んでやらせてください。

 

「誰が嬉しいんだこんなもん」

「私は嬉しいわね!」

「………俺も嬉しいけど」

「そうだ!そうだ!」

「男子は共有財産である!」

 

どうやら俺の声は聞こえないようだ。最近の女の子ってみんなこうなの?なにそれ怖い。

 

「山田先生ダメですよね?こんなの」

 

「わ、私はポッキーなんかいいと思いますよ…?」

 

山田先生、それは一番面白みがない。もうなんでもいいや。どうせ飲めないんだから。

 

「メイド喫茶などどうだ?」

 

「さすがラウラちゃん!実は俺もそれがいいと思っていたんだよねえ!」

 

ナイスアイディアだ、ラウラ。メイド服似合ってたしな。どうしよう。メイドだらけとか入り浸ってしまいそう。もう天国確定でしょ。とりあえず金はおろしておこう。ラウラに向かって親指を立てると、ラウラはふふんと誇らしげな表情をしていた。

 

「客受けはいいだろう。経費の回収も行える。休憩所としての需要もある」

 

そして俺にも需要がある。簪もメイドさんしてくれないかな。なんで同じクラスじゃないんだよ。駄目だ。想像したら顔がにやけてしまう。俺はそんなキャラじゃないんだ。ここは我慢するんだ。

 

「え~と、みんなはどう思う?」

 

「いいんじゃないかな?一夏と桜介は執事か厨房を担当してもらえばオーケーだよね」

 

「ふむ。俺は出来ればお客さん役を担当したいんだけどいいかね?料理とかしないし」

 

「それなにも働いてないよね!?」

 

「ばれたか、それじゃあ俺は何人か適当に冥土に送ればいいのかい?」

 

「なんでそうなるの!?いきなり物騒なこと言わないでよ!普通に執事でいいからね」

 

シャルロットはなかなか厳しいねえ。

 

じゃあお前も執事でいいからね、とは怖くて言えないし。

 

メイド喫茶はクラスの女子にも好評なようだ。

 

「メイド服にはつてがあるから執事服も含めて聞いてみるとしよう」

 

こうして出し物はメイド喫茶に決まったのだった。ラウラちゃん最高!

 

 

 

 

 

 

 

出し物が決まると一夏はすぐに職員室へ向かったので、楯無と合流して職員室の前で一夏が出てくるのを待つ。いまのうちに俺はさっそく楯無に詰め寄る。

 

「俺はまだ朝のこと忘れてねぇぞ、こら」

 

「あ、あは、あははっ。私なにかおかしなこと言ったかなぁ?」

 

「夜…覚えておけよ。このやろう」

 

「えっち」

 

「しねぇぞ、そんなこと。頬を染めるな、もじもじするな、バカなことを考えるなぁ!」

 

「えへへ…」

 

「もういいや」

 

「……してくれないの、エッチなこと……」

 

「そんな期待を込めた目で、こっちを見ないでくれるかなあ。何もしないからね!」

 

こいつはなんで最近こんな積極的なの。なんで俺が逆に詰め寄られてるの?今時の女子はみんな肉食系なのかもしれない。これじゃ怖くて寝れなくなりそうだ。ムラムラしてしまうから。結局いつでも俺は食べる側なのだろう。その気になれば肉食系女子もペロリと平らげてしまう自信がある。

 

「桜介、何してるんだ?」

 

「一夏を待っていたんだ。実は前から好きだったんだ。いっくんのこと…」

 

「……は?」

 

「こら、すぐにふざけないの。織斑一夏くんね。あなたも私がISのコーチをしてあげようと思って」

 

ふふっと涼しげに笑う楯無。こいつ初対面にはいつもこんな感じだな。

 

「え?でもコーチはたくさんいるんで」

 

「あれ?知らないのかな?IS学園の生徒会長は…」

 

その時前方から竹刀を片手に女子が襲い掛かってくるのが見えた。

しかし俺がスッと前に立つと、楯無は視線を一夏に戻して再び話を続ける。

 

「覚悟ぉぉ!」

 

人差し指でその竹刀を粉々に砕いて妨害する。物騒な学校だな、個人的には退屈しなくていいけれども。

 

「な、なんで霞くんが!?」

 

「あ、ごめんね。ちょっと待っててくれる?」

 

そう言って肩に手をおくと、剣道女子はすぐに大人しくなってくれた。

 

その瞬間、窓ガラスが割れた。なにかと思えば外から次々と弓がこちらへ飛んでくる。次は遠距離攻撃か、なるほど。

 

「二指真空把」

 

隣の校舎の窓からは袴姿の女子が見えた。飛んできた弓を人差し指と中指で掴んでは二本指で次々と投げ返していく。

弓は全て女子の体の周りを囲むように刺さり、ぺたりとその場で膝をつく袴姿の女子。

 

「もらったぁ」

 

そして掃除ロッカーからもう一人。今度はボクシングのグローブをはめているようだ。ボクサータイプ、横からパンチを繰り出した手首を掴んでそれに対応する。

 

「嘘!?お、桜さん!?」

「違うだろ、パンチはこうだ」

 

腰が入っていないままでは威力出せない。だからもう実演して見せてやることにした。

 

「こ、こう、ですか?」

「違うよ、こうだって」

 

後ろから腰を掴んで教えてやろう。こうだよ、こう。ぐいっとそのタイミングで腰をまわしてみる。

 

「あ、そうだった。それより君たち。今日のところは引いてくれるかな?大事なお話中なんだ」

「そ、そんなこと言われましても…」

「女の子に怪我させたくないんだ。頼むよ」

 

拳をコツンとボクサーの子のグローブに当てる。それだけでボクサーの子は顔を赤くさせた。その積極性は凄まじいものの、基本的にあまり男に耐性のないのがここの生徒たちだ。ここでは仕方がないとしても、中学ではまともな恋愛を経験してこなかったのだろうか、疑問に思ってしまう。

しかし、どうやら肉食系女子は楯無さんだけですね。安心しました。でも桜さんてなんだろう?俺は残念ながらこのボクサーの子、全然知らないんだ。

 

「桜さん……」

「だめかな?その代わりと言ってはなんだが、俺でよければいつでも相手してあげるから」

「はひ!わ、わかりましたぁ!!」

 

勢いよく返事をしてダッシュで去っていく二人。良かった、いやあ平和に解決できたわ。北斗神拳は女を殺さない。そして俺は平和を愛するんだ。

 

「桜介く〜ん?なぁにをしてるのかなあ!?」

 

安心していると、突然肉食獣が現れた。なぜか額には青筋を浮かべているようだ。やだ、食べられちゃう。しっかりあなたのこと守ったのに、なぜ。

 

「ふぅ〜〜〜。これで今日も学園の平和は守られた。めでたしめでたし」

 

「いい仕事しました。みたいなスッキリした顔してるけどね?やってることは無駄に女の子誑かしただけでしょう!」

 

「それで話は終わったのか?」

 

「はぁ…。とりあえず生徒会室に行くことになりました」

 

「いやあ、良かったね。それじゃあ行こうか」

 

げんなりしてる楯無の肩をポンと叩いて、俺たちは生徒会室へと向かった。



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47話

ストーリーをサクサク進めます。駄文です。


俺たちは一夏を連れて生徒会室へとやって来た。

 

「おかえりなさい会長、霞くん」

 

「ただいま」

 

「こんにちは虚さん、本音」

 

「おりむ~」

 

「のほほんさん?」

 

一夏は本音とはクラスでも話しているからな。さすがのコミュ力ですね、二人とも。そのあと虚さんも一夏に自己紹介をした。一夏が部活動に所属しないことで苦情が寄せられていることを説明する楯無。生徒は必ずどこかに所属しないといけないらしい。一夏はそれを聞いて迷惑そうな表情を浮かべている。最初そんなの知らなかったけど俺生徒会入っててよかった。部活とかめんどくさそうだもの。でももし入るとするなら格闘系の部活かな。でも女子と組手はやりたくない。

 

「交換条件としてこれから学園祭までの間、私が鍛えてあげる。ISも生身もね」

 

「遠慮します」

 

「そう言わずに」

 

「どうして鍛えてくれるんですか?」

 

「ん?君が弱いからだよ」

 

「それなりに弱くないつもりですが」

 

「弱くないつもりなんだ?その程度で」

 

すげえな、そこまで言うのかよ。楯無って他の人の前だとキャラ違くない?こいつってこんなキャラなの?いじめられっ子じゃなくていじめっ子なの?今日から見る目が変わりそう。ま、それは置いといてとりあえず俺もここは後押ししてみよう。

 

「一夏、お前模擬戦で俺に勝ったことないだろ」

 

「ぐっ」

 

「俺もこいつにコーチしてもらってるんだよ。鍛えてもらっとけ。こいつの指導は的確だぞ」

 

「んふふ♪」

 

途中でフォローしてやると、自慢げに胸をはる楯無。大きいですね。ジーッとガン見してたら胸を両手で隠された。恥じらう表情とか仕草がいちいちエロい。やめて、ちょっと前屈みになっちゃうからやめて。こんなの虚さんとか本音にばれたら、俺もう生徒会これないよ?ここは親父の顔を思い出して落ち着くことにしよう。おかげであっという間に萎えた。ありがとう親父、ごめんね親父。

 

「一夏くんは滅茶苦茶弱い。だからちょっとでもましになるように、私が鍛えてあげようって話なんだけど。納得、出来ないかなぁ?」

 

だめ押しとばかりに、一夏を煽る煽る。この子、実は煽るの大好きなんじゃないの。いつも俺に注意してくるのはなんなんだよ。俺ならこんなに煽られたら即挑発にのっちゃうよ。その点、一夏くんはやっぱりドMなのかな。俺ならあんなに暴力振るわれたら、とっくに学園やめちゃうから。ま、その前に振るわせないけどね。

 

 

結局、一夏が挑発に乗って勝負することになった。

 

一夏と楯無は道場に向かったので、俺は一旦部屋に戻って着替えることにした。

 

 

 

 

 

 

場所は代わり畳道場で向かい合う一夏と楯無。桜介は部屋に戻って着替えているためここには二人しかいない。

 

「さて、勝負の方法だけど、私を床に倒せたら君の勝ち」

 

「え?」

 

「逆に君が続行不能になったら私の勝ちね」

 

「え?いや、それはちょっと」

 

「どうせ私が勝つ」

 

楯無はここでも相変わらず、一夏を煽りに煽りまくっていた。しかし実際明確な実力差があるのも事実。一夏はその挑発にムッときてしまう。だが一夏は楯無に攻撃を当てることは出来ず好きなように翻弄されてしまう。倒されても諦めず何度も立ち上がる一夏。そして一夏は楯無に掴みかかると胴着の上半身を脱がして楯無のブラジャーが露になった。ついに一夏のラッキースケベ攻撃が楯無にヒットしたのだ。豊満な胸を包む下着が人目に晒される。それに目が釘付けになる一夏。

 

「私が肌を見せる相手はもう決めているの。だから覚悟なさいね?」

 

それでも楯無は余裕の表情を浮かべると、一夏の腕を素早く払いおとす。

暗部の当主をつとめる更識楯無が、普通の女子のように今さらそれぐらいで動揺することはない。

しかしその時、道場の扉が静かに開いた。

 

「ごめん。いいところだったのに邪魔しちゃったかな。本当にホントにごめんなさい。あとは若い二人でごゆっくり」

 

パタン。

 

紫のアオザイに身を包んだ男は二人の様子を確認すると、申し訳なさそうな顔をしてゆっくりと扉を閉め、スタスタと去っていった。

 

「な、な、な、なななっ!?」

 

「な?なんですか?」

 

口をパクパクさせて呆然とする楯無に、一夏が不思議そうに問いかける。

 

「な、なんてことをっ!なんてことをしてくれたのよ!このすけべ!」

 

そして楯無の絶叫しながらの空中コンボが、一夏に全てヒットした。

 

「ぐはぁっ!」

 

楯無は涙目になりながら全力で駆け出した。

男が去っていた方へと全速力で駆け出した。

 

「待ってぇ!これは違うの!違うのよぉ!!」

 

一夏は意識を失う間際に見たのは、その楯無の後ろ姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんだ!少しは嫉妬してくれたって…。下着を見られたのに怒るどころか、笑うなんてねぇ!?本当にひどい男…!」

「ほとんど初対面の男をあんな格好で出迎えて、着替えたと思ったらあんな格好だった。そんな女の台詞とは思えんな」

「そ、それは、だって、あの時は…!も、もう忘れなさい、そんな昔のことはっ」

 

黒歴史をほじくりかえされて、楯無は顔を真っ赤にして抗議する。今となってはあの恥ずかしい過去の行いを悔いているのだ。

奔放そうに見えても根っこは古風な男である。むやみやたらと肌を見せるような女に本気で惚れる男ではない。そう気付いたら尚更のことだった。最初の印象は痴女だったと真顔ではっきり言われたときは、しばらく立ち直れなかったほど。

 

「ねえ。簪ちゃんが同じことされても、そんな態度がとれるのかしら?」

「とれるな…。その辺に死体が一つ増えるだけで」

「それをとれるって言わないでしょう…。いったいどんだけ好きなのよ、簪ちゃんのこと!?」

「ふふふ。聞きたいか?」

「聞きたくないわよ!?」

 

自慢げな顔で、いくらでも語れるという態度をとられてしまっては、楯無ももう呆れるしかない。

 

「でもいいのか?もし仮に俺が嫉妬をしたとしよう。そしたら多分すごいぞ、お仕置きが」

「お仕置き…。それも…すごいお仕置きが…。それは…だ、だめ…かも…」

「ふ、じゃあよかったな。俺が嫉妬しなくて」

「はぁ…。なんだか、また上手く言いくるめられてるような気がする…」

 

一夏が目を覚ますと、そこには楯無と桜介がいた。桜介はひとしきりからかった後、一緒に道場へと戻ってきていた。さんざんからかわれた楯無はすでにぐったりと疲れた顔をしている。

 

「おはよう、一夏」

 

桜介がいい笑顔を浮かべて、一夏に声をかける。

 

「桜介はいつから指導受けてるんだ?」

 

「入学してからすぐにかな」

 

「そうか。それで…」

 

「桜介くんはISのコーチだけ。生身での指導は一度もしてない。…最初から私より強いから」

 

小さな声でそれだけ言って、楯無はどこか拗ねたように口を尖らせた。

 

「そ、そうですか……」

 

少し考え込むような様子を見せる一夏。しばらくして一夏は口を開いた。

 

「……桜介。一度手合わせしてもらってもいいか?敵わないかもしれないけど戦ってみたいんだ」

 

「たっちゃんにしとけ、たっちゃんに…。俺は男には手加減しないから」

 

自らに戦いを挑む友に対して、手を抜くことはその友の誇りを汚すこと。

戦いを願った相手に手を抜かれる。それは男にとって死ぬことよりも屈辱的なことである。

桜介のような漢がそんな無粋な真似をするはずがなく、やるなら手を抜く気はさらさらなかった。

珍しく真剣な表情で話す桜介に一夏は一瞬怯んでしまうものの、やがて強い意思を込めた瞳で見つめ返すともう一度言った。

 

「それでも頼む」

 

「一夏くん、きみ死にたいの?こういうときは本気でやるわよ、この人」

 

「おおげさですって。それに戦ってみたいんです。やってみなければわからないでしょ?どれだけ差があるのか」

 

「おおげさじゃない、ただの事実。何も知らないからそんなことが言えるの。わかった時にはもう死んでる!」

 

楯無が必死に止めるが、桜介は一夏の真剣な態度に少しだけ考える素振りを見せた。

友が自分と戦いたいと言ってくれたことが嬉しかったのだ。しかしそれに慌てたのは楯無だった。

 

「ふむ…。試合か」

「ふむじゃないでしょ、死んじゃうからっ!だいたい、一夏くんとは友達なんでしょう!?」

「だからこそだ。友の望みだからこそ、出来れば叶えてやりたい」

「そんなことを言っても、実際に行われるのは一方的な虐殺じゃないの!」

「やってみなきゃわからないこともある。知りたいんだよ、織斑一夏という男のポテンシャルを」

 

楯無の激しい突っ込みは、真顔でしかも嬉しそうにさらりと返されてしまう。

 

「知る前に死ぬ!あなたが素人に向けようとしてるのは、分厚いアリーナの扉を殴り壊したその剛腕かしら?」

「どうだろうね。やってみなきゃわからないな」

「じゃあ見えない動きを生むその剛脚?それとも平気で鉄を貫くようなその指?お話にもならないでしょっ!」

「全身凶器か、俺は…。しかし男がやりたいと言ってるんだ。それを簡単にむげにするわけにもいかないだろ」

 

真剣な表情で一見正しいようなことを言う桜介。

すでに心の中では友の気持ちに応えようと、応えたいと思い始めていた。

 

「楯無さん…。一応昔剣道やってたので、完全に素人というわけじゃ…」

「そういうレベルじゃないの。飄々としてばかりいるけど、これでも裏の世界じゃ超がつくほどの有名人よ?」

 

途中で一夏が口を挟むものの、楯無がすごい形相ですぐに黙らせる。もちろん死神だとかそういう情報は意図的にふせて。

それは別としても、北斗史上最強の伝承者と、ブランクのある剣道経験者の試合など、認められるはずもない。

 

「なあ、これってもしかして俺のこと?いくらなんでもひどくない?物じゃあるまいし…」

「ねえ。死んじゃったら、織斑先生になんて説明するつもり?即死するでしょ、あなたが普通に殴ったり蹴ったりしたら」

「そのときはちゃんと言えばいいだろ。男同士の真剣勝負だったと…」

「あなたバカなの?一夏くんはISに乗れるただの男の子なの。立派な死に様でした、で誰が納得するのよ!?」

「失礼なこと言うねぇ。俺にも一夏にもさ。男が決めたことなら、それに応えてやるのが友情ってもんだろ?」

 

試合の結果がどうなろうとも、それは男が自分で決めたこと。それにあとから口を出すような無粋な真似、たとえ家族であってもしないだろう。桜介は本気でそう思っていた。

たとえ血を分けようとも、漢たらねば身内にあらず。北斗の家はそういうところ。そう考えるのも無理はない。

 

「だ・か・ら!それが通用するのは、あなたの周りだけなの!おかしいのはあなたとその周り!」

「あまり野暮なことを言うんじゃない。だいたい男の勝負におかしいもおかしくないもないだろ」

「や、野暮…」

 

なんとか制止しようとする楯無の肩を叩いて、桜介はなんとも楽しそうに笑った。

もう迷いなどなにもない、まるでワクワクしている子供のような純粋な笑顔だ。

やっぱり笑顔が素敵だな、なんて一瞬ときめきそうになった楯無だが、今はそれどころではない。後輩の命が懸かっているのだ。

この男はこうなったらかなりめんどくさい。命の心配すらも野暮の一言で済まそうとするんだから、もう相当重症だろう。

早くなんとかしないと。楯無はそう思って対処するべく動き出した。

 

「……仕方ないわね。ただ言っても二人とも聞かないでしょ。とりあえずついてきなさい」

 

ため息を吐きながら楯無が歩き出すと、男たちは黙ってそれについていく。この時すでに楯無の顔は相当疲れきっていた。

 

 

 

 

 

楯無に連れられてやって来たのは学園の中庭。

そこには楯無が呼んだ簪も、いつの間にか合流している。中庭には、桜介の三倍の高さはあろうかという大岩が置かれていた。簪が来たことで密かにテンションを上げた桜介がそれを見上げる。

 

「ん?石?」

「太湖石っていうの。その道を極めた達人は、指一本でそれを割るってきくわ。桜介くんなら出来るでしょ?」

「壊していいの?」

「ええ、許可はもらってる。ちなみに私には出来なかった。穴は空いたけどね。これとは張り合うだけ無駄よ」

 

どこか諦めの表情を浮かべる楯無。そして言われた意味がよくわからず、きょとんとした顔をして岩を見上げる一夏。

それを尻目に桜介は脱力した状態でゆるりと岩に近づくと、目の前で立ち止まる。

人差し指を一本立てて岩へと近づけ、手前でピタリと止めた。

 

「ふんっ!」

 

スゴァッ!!

 

次の瞬間、直接触れていないはずの大岩が粉々に砕け散った。そして、がらがらと細かくなった石が足元へと崩れ落ちてくる。

 

「指一本でこの奇石を割れと言うのなら、触れずとも気をもってそれをなす。それが北斗神拳!」

 

そして片手を背中に回したまま、立てた人差し指をチッチッチと左右に振る。

 

「はっ?な、なんだよ、これ?」

「ゆ、指から、ビームをっ!?」

「すっ、すごい……北斗神拳!」

 

一夏も、そして楯無でさえも、口をあんぐりと大きく開けて唖然としている。

そんな顔をすればどんなイケメンも美少女も、どこか滑稽に見えた。しかし、簪だけはただ目をキラキラとさせている。

 

「そ、そんなのありか…」

「…人間やめてるわね…」

「桜介…。すごいよっ!」

 

ピクピクと顔をひきつらせる一夏と楯無。憧れの熱い視線を向ける簪。

 

「実は俺も昔から格闘技をやってるんだ。毎日毎日死にかけて、それでも嫌だと思ったことは一度もなかった」

 

懐かしそうに昔のことを思い出しながら、ふぅ~と煙を空へと吐き出す。

 

「さて、そろそろ始めるか。お相手しよう、北斗神拳の伝承者として」

 

桜介は無邪気に笑いながら、くるりと三人の方へと振り返った。その顔はもう戦いを待ちきれない武人の顔だ。それを見て簪は、桜介頑張って、と小さく呟いていた。

 

「……やっぱりいい」

「は?お前いまなんつった?」「えっ?ど、どういうこと?」

 

一夏の返答に、桜介が意味がわからないというような顔をする。そしてそれは簪も同じだった。

 

「やるわけないだろ…。お、鬼か、お前はっ!?そんなのやられたら、俺死んじゃうでしょ!」

 

二人に訝しげな視線を向けられた一夏が、大きな声で叫ぶように言う。

 

「ん?まぁ死ぬかもね。そんなことよりさ、早くやろうか。…もう待ちきれねぇぜ」

「こ、殺される…」

「だから、やめとけって言ったのに…。戦いたくって仕方ないのに、やる気にさせちゃうから」

「……往生際が悪い」

 

桜介はなんでもないよう言うと、そのままゆったりと構えをとった。

それを見て今さら後悔し始める一夏。その様子に楯無が呆れたように呟き、簪もそれに続いた。しかし幸いなことに簪のその黒い呟きが、男たちの耳に入ることはなかった。

 

「ふ~。久しぶりだな。友達と戦うのは」

 

桜介にとって生き死には所詮試合の結果である。男同士が精一杯戦ったらば、その結果死んでしまってもそれは仕方のないことなのだ。

たしかにこれはたかが訓練かもしれないが、桜介が修行で崖から落とされたのが七才の時、虎の檻に入れられたのが九才の時、そして初めて他流と試合をしたのが十一才の時だった。

北斗神拳は伝承者以外の者が他流試合で奥義を使うことを禁じている。それでいて北斗神拳の長い歴史上、他流試合においては未だに無敗。つまり奥義を使わずに、大人の達人を相手に必ず勝利しなければならない。

桜介にとって修行とは常に命がけのもの。また、やりたい相手がいるのに敵わないからやらない、危険だからやらない、などという思考はもちろん最初から微塵も存在しない。

 

「た、戦わないって言ってるよね!?」

「男ってのはそうじゃねぇだろ。目の前に強い奴がいる。あとはそいつより強えか、弱いかだ!」

 

漢にとって戦うか戦わないかというのは、もはや選択肢ですらないのだ。

 

「よ~く考えてみろ。相手が戦いたいと言ってんだ。そこから逃げるぐらいなら、死んだ方がよほどましだろ」

「お前がよく考えろ?逃げた方がましだよ!?付き合ってられるか!」

 

この男、話が全く通じない。それにようやく気づいた一夏は走ってその場から逃げ出す。

 

「うそだろ、おい…」

 

漢は理屈じゃないのである。一度やると決めたのなら、試合の勝ち負けや生死などもはや関係ない。そんなものは誇りに比べれば些細なこと。

今までも幾度となくあった。明らかに自分より力の劣る相手に戦いを望まれたことは。

そんな男たちはみな、死を覚悟して桜介に挑んできた。それは己の誇りのため。

だからこそ桜介はその意を汲んで、一切の手を抜くことなく相手をしてきたのである。

今回は結局のところ、二人の住む世界が違いすぎたのだろう。

 

「はぁ…」

「残念だが、また今度だな」

 

簪が残念そうにしょんぼりと肩を落とすと、桜介は近づいて慰めるようにその頭を撫でた。簪としてはせっかくなのでもっと色々な技を見たかったのだ。それが途中で水が刺されたのだから、心底ガッカリするのも当然である。

 

「どうやら、一夏にはまだ早かったようだな…」

「そうなの?」

「ああ、覚えておくといい。試合において肝座らぬは、武芸者たりえず」

「……か、か、かっこいい……」

 

甘い言葉に弱い妄想癖のある姉とは違い、こういったいわゆる決め台詞に弱いのがヒーローに憧れる妹の方。そして、それを自然にやれるのが霞桜介という男だった。

 

「簪ちゃん…。一夏くんは武芸者じゃないし、これはもともと訓練なの…。試合じゃないのよ?」

「そうだ、簪。気を取り直して、パフェでも食いにいこうか!実はいい店を知ってるんだ」

「ねえ…。どう考えても今日は私が一番疲れたわよね?だから私を労いなさい、私をっ!」

 

楯無がすごい勢いで二人の間に割って入る。

この二人出会ってからすぐに打ち解け、それからもやたら仲がいい。それこそ楯無がかなり嫉妬をするほどに。

 

「うーん、お疲れさん?」

「お姉ちゃん、お疲れ様」

「疑問系……。そういうのじゃなくて、もっとなにかあるでしょ?べ、別に、頭撫でてくれたっていいのよ…」

 

労われてもまだ納得いかない様子の楯無に、二人は顔を見合わせた。

しばらくして、困ったなという顔を浮かべた桜介がしぶしぶ口を開く。

 

「残念だが今は手が塞がってる。それに構ってやりたいのもやまやまだが、肝心の喫茶店が閉まっちまうだろ」

「離せばいいじゃないの、簪ちゃんを撫でてるその手をっ!それに私を誘わないのはわざとよね、絶対にっ!」

 

その指摘通り、右手はここが定位置だと言わんばかりに簪の頭の上にずっと置かれており、左手にはキセルを持っていた。

 

「三人で、いこ?あんまり意地悪しちゃ、お姉ちゃん可哀想だよ…」

「か、かわいそう…。私はかわいそうなんだ…」

「あんまり笑わせるなよ?でも、そうだなぁ…。三人で行こうか。…かわいそうだから」

「くっ!どうせ私はかわいそうよ…」

 

 




蒼天の太湖石のエピソードを入れてみました。簪さんの出番が少なかったので少しだけ登場させました。


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48話

前話の後半部分を結構加筆修正しました。


カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。

 

カリカリカリカリ。カリカリカリカリ。

 

俺は生徒会室で虚さんと事務作業をしていた。

 

先日から楯無は一夏と箒に放課後の指導をしているので代わりに溜まっている書類を片付けているのだ。

 

ふっ。真面目な部下を持てたことありがたく思いたまえ。

 

「霞くん、どうぞ」

 

「すいません」

 

お茶を入れてくれる虚さん。この人は出来るお姉さん的な感じが強い。この人楯無の従者なんだよね。いいな。俺もメイドさん欲しい。それにしても楯無は割りと自由奔放だから振り回されることもあるんだろうに。この人ってすげえな。あれ?そう考えると楯無を振り回してる俺って相当ヤバいんじゃないのか?最近、俺見てため息吐くこと多い気がするし。どこか諦めた感じの顔で見られたりすると結構グサッときたりするんだよね。失礼だな。そもそも俺は優等生なはずだ。成績も結構いい。あ、でも成績は楯無の方が良かったね。やっぱり俺はヤバイのか。凹む。あ、お茶旨いな。

 

「美味しいです」

 

「そう。よかったわ」

 

この人と二人の時はだいたいこんな感じ。俺もこの人からかうのとか絶対無理だし向こうもそれほど話を振ってくるわけでもないからお互い黙々と仕事をする。なにそれ。仕事が進んじゃう。それでいいのかよ。何の問題もないですね。この人も裏の仕事とかしたりするのかね。俺だってこんなメイドさんがいてくれたら自ら働きたくなっちゃうよ。そして気づいたら裏の世界にしっかり嵌まってそうで怖い。あ、俺もうどっぷり浸かってるね。むしろ俺見て逃げ出すか襲ってくるからそういう人達。やだ俺って有名人?そんな有名人なりたくねえよ。しかし虚さんって結構胸あるなぁ。ついつい目がいってしまう。そういえばこの人はメイド服着たりするのかね?

 

「ん?どうしたの?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

 

真面目に仕事しよう。

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

 

四時限目が終わってやっと昼休み。

 

あぁ煙草吸いてぇ。今日はパンでも買って屋上で食うか。最近ボッチ飯多いな。別にいいんだけど少しだけつまらない。そんなことを考えているとザワザワと教室がざわつき始めた。なんだろうか。

 

「こんにちわ」

 

声のした方に視線を向けるとサラが教室に入ってきた。どうしたんだ?こいつ今まで俺の教室とか来たことないだろ。

 

「霞くん、ご飯食べよう」

 

「別にいいけど今日飯持ってねぇから先に買ってきてもいいか?」

 

「私が持ってるから大丈夫」

 

「…わりぃな」

 

サラは俺の机の前に座るとバッグからタッパーを取り出した。タッパーは透明で中身が透けて見えている。確かにサラにはたまに作ってもらったりしてるけど、でもこれってあれだよな?いつもはパンが多いのに。中身を開けると出てきたのはやっぱりカレーライス。おいおい。

 

「なんでカレーなんだ?」

 

「カレー好きでしょ?」

 

「まあね」

 

しかしさっきからクラスメートに結構見られてるな。まさかのカレーだもんね。匂いとか強烈ですわ。あとサラが今まで教室きたことなかったからかね。あんまりこういう注目のされ方は好きじゃないんだよ。知らない人達になら別にいいけど。噂されるのとかは出来れば勘弁だな。そういうのはいっくんに任せたい。ちなみに全校集会は地獄でした。

 

「旨い」

 

「そう。良かった」

 

そう言って水筒からコーヒーを注いでくれるサラ。気が利くね。ありがとう。

 

「でもなんでここまで来たんだよ?今まで来たことなかっただろ?」

 

「貴方が二年生の方に全然来ないから」

 

そうか。楯無に全校集会でやられてから行ってねぇな。行きにくいんだよな。

 

「サラ先輩、こんにちわ。今日はどうしたんですの?」

 

「久しぶり、セシリア。霞くんとお弁当を食べてるだけよ」

 

セシリアが声をかけてきた。もちろんサラとは知り合いなんだろう。俺がサラとよく飯食ってるのは、セシリア知らないんだろうけど。

 

「そうですか。あの、お、桜介さん、良かったら今度わたくしも、お弁当を作って来てもよろしいかしら?」

 

「あ、大丈夫です。そのお気持ちだけありがたく頂いておきます」

 

「な、何故ですの!?ひどすぎますわ!あんまりですわ!!」

 

「ごめんなさい。明日も明後日も、お腹いっぱいなんです」

 

「おかしいでしょう!?言ってることがめちゃくちゃですわ!」

 

思わず敬語になっちゃった。そんな捨てられた子犬みたいな目で俺を見るんじゃない。可愛いからやめてくれ。

どうしよう、何かフォローしないと。本人に悪気はないんだから。

 

「実はイギリスの味付けがどうも口に合わなくて。ホントに本当にダメなんだよ。気持ちは嬉しいんだけど…」

 

「そ、そうですか。まあそれならば、仕方ありませんわね」

 

セシリアはくるんと綺麗にターンして戻って行った。さすがはお嬢様です。

セシリアすまん、本当に悪いと思っている。でも正直助かった。

そうしてホッとしたのもつかの間、セシリアが途中で立ち止まった。

俺何かおかしなことでも言っただろうか。それにしても旨いなこのカレー。

セシリアは首を傾げるものの、そのまま教室を出ていってくれた。

 

「……悪い人」

 

「……俺は悪くない」

 

サラに呆れたような顔でため息を吐かれた。最近色んな人にこんな顔される気がする。凹むんだけど。呆れ顔とため息はセットなんですね。サラ、お前にセシリア飯を食わせてみたいものだ。知らないからそんなことが言えるんだよ。むしろ料理教えてやってください。お願いします。

 

 

「お邪魔します」

 

そう言って入ってきたのは楯無だった。その手にはお弁当を持っている。俺の分も。今日は朝渡されてなかったからないのかと思ってた。一緒に食べようとしてたのか。でも最近二年生の方に行きにくいのはお前に原因があるんだからな。

 

 

 

楯無はこちらを確認すると凍り付いたような顔をして立ち止まった。

 

そして背を向けると走って逃げ出した。

 

 

「くそっ!」

 

 

俺は教室を出ると走って追いかけた。なんでお前が逃げるんだよ。こいつ変なとこで遠慮するんだよないつも。そりゃあサラにたまに弁当作ってもらってるのは言ってなかったけど。俺が悪いのかな。少しお前に悪い気はしてたけど、弁当二つぐらいなら軽く食えるからサラに断ったりもしなかった。わざわざ厚意で持ってきてくれるのをいらないとも言えなかったんだよ。廊下を全速力で走るとすぐに追い付いてきた。だいたい俺から逃げられると思ってんのかよ。

 

「離しなさい!」

 

「…離さない」

 

「なんで?私聞いてないわよ?サラにも作ってもらってるんでしょ、お弁当」

 

「……たまに」

 

俺の言葉で楯無は瞳に涙を浮かべ、悲しそうに顔を歪めると俯いてしまった。そうか、俺は本当はこんな顔を見たくなかったから言えなかったんだ。たしかに俺から作ってくれと言ったわけじゃない。しかしお世辞じゃないとはいえ、あれだけ誉められたら多少無理してでも作るだろう。そんなのちょっと考えればわかることだ。結局どんないいわけをしようともやっぱり俺が悪い。こいつは忙しい時も作れる時は用意してくれてたんだ。いつだって嫌な顔一つせずに…嬉しそうに笑って…。そんな思いを踏みにじって…そんなの知らなかったからと、気づかないふりをして…それで済ませていいはずがないだろ。やっぱり俺はろくな男じゃない。

 

「……離して」

 

「離さねぇよ!」

 

その場で楯無を抱きしめた。腕の中で楯無の小さな体は小刻みに震えていた。俺なんかのせいで、こいつは…。周りがざわざわと騒がしいが今は関係ない。こいつとはそんな関係じゃねえんだ。変に噂されても困るのは確かだが、今はそんなことよりも、何よりもこいつが大切だ。後のことは後で考えればいい。まずはきちんと謝ろう。

 

「悪かった」

 

「……本当に悪いと思ってるの?」

 

「思ってる。ごめん」

 

「……わかった。いいよ、許してあげる」

 

楯無はそう言って顔を上げた。その瞳にはまだ涙が微かに残っていたが、それでもニッコリ笑ってくれた。

だけど俺はもう一度この胸に抱きしめる。生徒会長が生徒たちに涙を見せるわけにもいかないだろう。

それから他のやつの見せたくないというのは、俺のわがままだろうか。

俺は実際こうやって何度もこいつの優しさに救われてる。やっぱりどう考えても俺には勿体無い女だ。本来ならお前はこんな男のために泣くべきじゃない。

だから謝ることしか出来ない。他に俺に言えることなんてなにもない。

 

「戻って飯食おう」

 

「ええ、いきましょう」

 

完全に泣き止むのを待って体を離し、俺たちは元いた教室へと戻っていく。

戻る途中にも生徒たちの視線が集まっていたが、この時は全く気にならなかった。

 

 

 

 

 

 

戻るとサラは一人でまだカレーを食べている。

何も聞かないあたり大人だよなこの人。とりあえず俺が机に座ると楯無も隣に座った。

つまり今は両隣に美人が座っているということ。

なるほど、これがリア充ライフというやつか。

今までも殺し屋に挟まれたことは何度もあるが、それでは得られない充実感がここにはある。

楯無の弁当を早速開けてみると、俺の好きなおかずがいくつも入っていた。

この照り焼き旨いんだよな、やっぱり和食最高。

 

「あら、更識さんもお弁当作ってきたの?」

 

「そうよ。いつも作ってるし。桜介くんいつも食べてるでしょ?私のお弁当」

 

「ええ。霞くんいつも美味しそうに食べてるわ。あなたのお弁当」

 

「い・つ・も?」

 

「……。」

 

顔を近づけてジーっとこっちを睨む楯無さん。

あれ、大人じゃなかったのかなぁサラさんは。

それっていつも一緒に食べてるって言ってるようなもんだよね。確かによく一緒に食べてるよ。なんとなく入学当初からの習慣だしね、もう。それは認めよう。だけどわざわざそれを今言わなくてもいいよね。

ポケットから変装用のつけ髭を取り出してつけてみる。どうだろうか?

う~ん、ダメかなぁ。たっちゃん全然笑ってくれない。笑った方が可愛いよ。

そもそもこれって本当に憧れのリア充ライフなのか?こんなのが?男のロマンはどこにいったんだ?何にも楽しくねぇぞ。

いっくん、今まで勝手に嫉妬しててごめん。全ては俺の勘違いだった。全然羨ましくないし、本気でもなかったけど、もう冗談でも嫉妬しないから。

本当にごめんなさい。お体に気をつけて、これからも頑張ってくださいね。

 

 

 

やっぱりボッチ飯が一番いいんじゃないかな。

 




書けてるかどうかわからないけどたまにはラブコメ的なものを入れてみました。下手くそですが。


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49話

日常編


AM七時起床。

 

『桜介くん起きてっ。お茶入ったわよ』

 

あ~。もう朝か。眠いな。ん?なんだこの柔らかいのは。ふにふにしてる。今日の朝食は肉まんか。

 

「あっ…。こ、こら、やめなさい!」

 

朝からこんなでかいの二つも食えねえよ。この肉まんなかなかとれないな。むにゅむにゅしてて触り心地がいい。どうやらこいつは、いい生地を使ってるぜ。

 

「ああっ…。だ、だめっ!」

 

う~ん、肉まんが喋った。肉まんの化け物め。退治してやる。ん?ここなんか暗いぞ?そうか、これは夢だな、きっと夢だ。

 

「やぁっ…。そ、そんなところに頭…入れないでっ…!」

 

それにしてもなんかいい匂いがする夢だ。お花畑にでも迷いこんだのかな。

 

「い、いい加減にしなさい!」

 

パシン!

 

「……いってえな」

 

「桜介くん、お・は・よ・う」

 

衝撃で目を開けると、エプロン姿で顔を近づけて睨んでくる楯無の姿があった。

 

そういうことか。俺は納得してポンと手を叩く。

 

「なるほどねぇ、これがラッキースケベ…」

 

「どこがラッキーなのよ、毎朝毎朝…っ!ただのスケベじゃないのっ!」

 

そう言われてキッと睨まれる。どうやら今日は朝から怒ってるようだ。女の子の日かな、きっと。

 

 

AM七時半朝食。

 

「このほうれん草、旨いな」

 

「よかった♪まだあるからよかったら、おかわりどうぞ」

 

「ああ、ありがとね」

 

「うふふ。お弁当もおいといたから」

 

「いつも悪いな。今度お礼するから」

 

「あ、ありがと」

 

機嫌は直ってるみたいだ。どうやら女の子の日ではなかったようだな。それにしても最初こいつのエプロンはコスプレ道具だと思ってたんだけど、ちゃんと毎日着るんだよな。なかなか似合ってるぞ、言ったことないけど。

 

 

AM八時半登校。

 

「一夏おはよう」

 

「おう、桜介おはよう」

 

「特訓頑張ってるみたいだな」

 

「でも楯無先輩の訓練って厳しいな」

 

そう言って顔をしかめる一夏。だが厳しくなければ訓練ではないだろう。あいつは軽くSなところもあるから、もしかしたらここでストレス発散してるのもあるかもしれない。ストレスの原因って俺じゃないよね、違うよね、違うといいな。

 

「ま、なんとかなるんじゃない。頑張りたまえ」

 

「……そっくりだよな、そういうところ」

 

「あ?なにが?」

 

「そういう人を食ったような態度とか…。自由奔放でマイペースなところが」

 

「ぶっ」

 

思わず飴を落としちゃったじゃないか。どうしてくれんだよ、おい。だいたい似てないだろ、振り回されてるところしか見たことないぞ、あいつ。あれ、そうすると俺のせいだな…ストレスの原因。やっぱり今度外出でも誘おう。

 

「あとさ、人が困ると嬉しそうに笑うんだ…あの人。お前の女版だな、もう」

 

「ま、もうさ、そのへんにしとこうよ。じゃ、そういうことで」

 

おいおいそれは失礼だろ、俺よりはよっぽどましだろうが!実際たっちゃんは困った顔ばかりしてるのに。なんだかだんだんと罪悪感が出てきたので、話を強引に終わらせて教室に入る。

教室に入るとすぐに、セシリアがこちらに歩いてきた。

 

「桜介さん、おはようございます」

 

「セシリアおはよう」

 

「まあ。桜介さん頬っぺたが赤くなってますわ」

 

「……猫に叩かれたんだ」

 

いわゆる猫パンチだ。痛くはないけど跡は残っているようだ。多分これは男の勲章というやつだろう。

 

 

AM十時授業中。

 

「くぅ~。くぅ~。」

 

「霞!この問題を答えてみろ」

 

「――――――――です」

 

「正解だ。しかし寝るな!」

 

これでも勉強は好きな方だが、参考書の内容は全て暗記しているし、板書は写さずとも授業の最後に一瞬見ればこと足りる。そういうわけで、やることがなさすぎて眠くなるのも当然である。

そしてこの攻撃も、眠気を覚ますにはちょっと物足りない。俺は勢いよく振り下ろされた出席簿を二本の指で挟んで受け止めていた。

 

「誰が受けていいと言った?」

 

「さすがは千冬ちゃん、スジは悪くない。しかしそれじゃあ俺には届かない」

 

「……私をなめてるのか、お前は」

 

「なめるわけないだろ。だが、少しばかり鈍っているんじゃない?」

 

何年も対等に喧嘩出来る相手なんていなかったんじゃないだろうか。しかし今はちょうどいいことに、ここにいるんだよ。

 

「ほう。面白いことを言うな、ガキの分際で」

 

「やはりその腕、腐らせるにはあまりに惜しい。俺でよければ稽古をつけてやろうか?」

 

そう答えると、突然教室がシーンと静まり返ってしまった。あれれ、どうかしたのかな。

なんだか気になったので一夏の方を向いてみると慌てて顔を逸らされてしまう。俺、あいつになにかした?

それならセシリアに教えてもらうか。そう思い隣を見ると青い顔して俯いている。体調でも悪いのかしら。

優等生のシャルロットかな、やっぱり。おいおい、黙って首を横に振られても、それじゃわからないって。

やっぱりわからないことは先生に聞くのが一番だよな。先生、いったいどうしたの?

 

「このガキ。あんまりふざけるなよ?そして誰が千冬ちゃんだ、馬鹿者!」

 

今度はさっきよりもだいぶ速い、そして重い!おかげで一気に眠気が覚めたぜ。

 

「この俺に両手を使わせるとは…。ご苦労さん、よくそこまできたね」

 

そして正直な感想をもらす。すると、今度こそ教室の空気は完全に凍りついた。おかしいなぁ、誉めたつもりなのに。

 

「……霞。表へ出ろ」

 

「待ってたぜ、その言葉」

 

思い通りの展開に思わず頬が緩んでしまう。俺が今人差し指の先端でぐるぐる回しているのは、こんなこともあろうかと予め用意しておいたもの。

 

「このバカ、前もって道場の鍵を…。そんなものを待つな、アホ!誰だこいつを生徒会に入れたのは!?」

 

「それにしても、嬉しいねぇ。千冬ちゃんが相手してくれるなんて」

 

「はぁ…。このバカには話が通じないんだった。どこの戦闘民族だ、お前は?」

 

千冬ちゃんから頭をグシグシされながら、そんな言葉を頂く。しかしどうやら、千冬ちゃんの顔は少しひきつっているようだ。

 

「喧嘩の相手になるやつがいなくって。退屈で退屈でしょうがないんだよ」

 

「だからって教師に喧嘩を売るんじゃない。まったく、お前の相手は疲れるんだよ」

 

「そんなこと言わないの、まだ若いんだから。そういうわけで、千冬。…一回やらせろ」

 

そう言った瞬間、千冬ちゃんからではなく自分の後方から強い殺気を感じて、思わずその相手にこちらもそれ以上の殺気を向けて振り向く。

 

「くっ…!」

 

どうやら殺気を向けてきたのはラウラだったようだ。申しわけないことをした。ラウラは千冬ちゃんを尊敬しているからな。随分大人げない真似をしてしまったが、すぐに殺気を引っ込めることにした。

 

「いい度胸だ…。久しぶりに書くか、反省文。今回は二十ページにしよう」

 

「おいおい、そいつは卑怯だろ!?得意の体罰はどうしたんだよ、得意の体罰は!?」

 

隣からはもうその辺にしといた方が、という声も聞こえてくるが、その辺てどの辺なのかきちんと教えてくれないと。わからない、困ったな。俺はそんなもの書きたくないんだ。

 

「…よほど私を怒らせたいようだが、そうはいかん。私は大人なんだ」

 

「そんなに青筋立ててよく言うな!?」

 

「ふっ。いいか、放課後までには提出しろ」

 

「しかしあいにくだが、俺はセシリアを保健室に連れていかねばならない」

 

その言い訳にセシリアはぎょっとした顔をした。

 

「わ、わたくしは関係ないでしょう!?巻き込まないでくださいなっ!」

 

青かった顔を赤くして必死に抗議するセシリア。やはり熱があるのかもしれない。

 

「いかんな。これは看病も必要か。それに念のため俺が運んだ方が…」

 

「ああっ、急に頭が…!桜介さん、なにをしていますの?早くいきますわよ!?」

 

セシリアは突然勢いよく立ち上がる。しかし、こんなに元気ならどうやら運ぶ必要はなさそうだ。そうと決まれば千冬ちゃんに一声かけてから、早速連れていくとしよう。

 

「そういうわけだからさ、俺はこう見えても忙しいんだよ、千冬ちゃん」

 

「よかろう…。次は本気でやってやろうか」

 

「おやおや、穏やかじゃないな。だいたいそんなのまともに食らったらさ、俺死んじゃわない?」

 

「ふん、いいから席につけ。死にたくなければ、冗談もほどほどにしておくんだな?」

 

死んじゃうのは否定しろよ。本気でこられたら痛いよ、絶対。それに居眠りで死ぬのは、さすがにごめんだな。

 

 

 

 

 

PM十二時昼休み。

 

屋上で昼飯。

 

今日もいい天気だ。少し暑いぐらいである。

そして、反省文はもう書いた。大人は汚いよ、体罰ならいくらでも反抗しようがあるものを…。

 

「霞くん、本当に美味しそうに食べるよね」

 

「サラ…。申し訳ないが、これから弁当は楯無に作ってもらうことにした」

 

「…嫌いじゃないわ、そういうはっきりと言うところ。もうあんまり更識さんを怒らせたらダメよ?」

 

「ああ、悪いな」

 

「ふふ。いいよ別に」

 

サラは気にした風でもなく、柔らかく微笑んだ。

みんな優しくてちょっと涙が出そう。

食べ終わると床に横になった。そうすると少し眠くなってくる。

 

「膝まくらしようか?」

 

「いいや、やめておこう」

 

「そんなに気になる?」

 

気になるというか、なんというか。なんて言えばいいんだろう。

 

「欲しいものもなかなか素直に欲しいと言えない、そんなところが可愛くってな」

 

「そう。そっくりね、あなたたちって」

 

「どこが?」

 

サラの思わぬ発言に、勢いよく起き上がる。今日はなんかよく言われるな、それ。

 

「そういう不器用なところ。あなたも言えないでしょ、そういうの」

 

本当は誰にも言うつもりはなかったが、そんな顔をされてしまったら、もうごまかせないかな。

 

「ふぅ…。最初はただ守れればいいと、そう思っていたんだけどねぇ…」

「あなたって、泣かせる男よね…」

 

苦笑いを浮かべると、胸にガバッと抱きしめられてしまう。初めてかもしれない、サラがこんなに感情的になるのは。

 

「……サラも意外とあるな」

「……怒るよ?」

 

 

 

 

 

 

PM一時。

 

午後の授業。

 

特にいつもと変わらず。

 

PM四時。

 

放課後。

 

今日も生徒会室への道を歩く。

 

「か、霞くん、お願いします!」

 

突然、柔道着の女子が走って襲いかかってきた。何?最近の刺客は挨拶するの?随分礼儀正しいんだな。そもそも会長いないんだけど。俺倒しても意味ないじゃん。

 

柔道着の女子は俺に掴みかかる。

 

手を叩き落として足払い。出来れば女の子は殴りたくねぇよ。このままじゃ倒れちまうから腰を支えてやる。

 

「桜さん、いきますよ!」

 

今度は他の女子が足にタックルしてきた。レスリングかな?だから桜さんてなんなんだよ。

 

タックルを横にかわす。このままじゃ床に顔から突っ込んじまうから手を掴んで立たせてやる。

 

「大丈夫か?無茶すんなよ。な?」

 

俺は一応声をかけておいた。相手が俺だからいいけど他の人にやったら危険だぞ。

 

「あ、ありがとうございました!」

「桜さん!あの、また、よろしくお願いします!」

 

またも丁寧な挨拶に俺は手を振って答える。

 

「ふっ。頑張れよ」

 

声をかけると、二人とも顔を真っ赤にして駆け出していった。

とりあえず頑張れよとは言ったものの何を頑張るんだろうか。こんなこと頑張ったらダメなんじゃないの?それにしても最近の刺客はあだ名をつけてお礼まで言うんだな。なんか至れり尽くせりですね。俺はVIP扱いのターゲットなのかな?狙われてる時点で喜べないんだけど。そもそもまたよろしくっておかしくない?またくるの?しかも襲撃予告までするとかどんだけ俺を倒したいの?絶対無理だから諦めろ。それにあくまで俺倒しても、何の意味もないぞ。わかってる?

 

 

PM五時。

 

 

生徒会の仕事を済ませて、簪に会いに整備室まで来た。

中を覗くと、本音と二人でなにかやっているようだ。その顔は一人でやっているときよりも、どこか楽しそうに見えた。よかったな簪。本音がいる以上、今日は俺の出る幕は無いだろう。出来ればずっと見ていたいが、邪魔をするわけにもいかず、そのままそっと退室する。一瞬でも天使の顔が見れただけ来てよかったと思う。

 

アリーナにでも行くか。

 

アリーナでセシリアと会う。一緒に訓練することに。

 

ひたすらセシリアのビームをかわしていく。ははは。当たらねぇぞ。

 

「ああもう!なんで当たりませんの!?桜介さん、どうやって避けてるんですか?」

 

「……勘?」

 

「……これだから桜介さんは」

 

ぶつぶつ言われた。

 

 

PM七時。

 

二年生の寮食堂で夕食。

 

ふむ。このエビフライなかなかだな。

 

「桜介のエビ一本もらうっス」

 

なんか桜エビみたいだな、それ。てめぇぶっとばすぞ。

 

「ふはは。うまいなぁ」

 

「………許さねえ。お前だけは許さねえ!」

 

フォルテのハンバーグを箸で摘まんで、そのままかぶり付いてやった。

 

「ふむ。悪くないな」

 

「ああ~。何てことを~!私のおかずが…。鬼っ!桜介の鬼!」

 

「だからお前に言われたくねぇんだよ!俺のおかずとっただろうが…。三本しかねぇのにとるか普通!」

 

アイアンクローしてやろうかこのチビ!

 

そう言ってるうちにもフォルテは俺がかじったハンバーグを取り返して残りをがぶりと口に入れた。

俺たちの間に間接キスなどという概念はもはや存在しない。

そんなことを気にしてたらこいつと飯など食えないのだ。

相手は勝手にこっちのおかずに毎回箸を伸ばしてくるようなフォルテだからな。

たっちゃんだったらいまだにそれだけで真っ赤になって俯いてしまうというのに。

ピュアピュアじゃないですか、楯無さん。

 

「……もう怒ったっス。怒ったぞ。このろくでなし!」

 

いやいや、なんで怒るの?お前が悪いだろ。ろくでなしとか言われるのおかしいから。お前がろくでなしだ。

 

フォルテが俺のエビフライをもう一本とろうとフォークを俺の皿に伸ばす。俺は箸でそれを掴んだ。睨みあう俺達。

 

「はぁ~。今度また飲みに連れてってやる。それでいいか?」

 

「ほ、本当っスか!絶対っスよ!?嘘ついたら許さないからな?」

 

もうめんどくさくなって俺が折れてやると、フォルテは物凄く食いついてきた。なんでそんなに必死なの?お前も代表候補生なんだから飲みに行く金ぐらいあんだろ。なんで毎回俺の奢りなの?お前一応年上だろうが。チビだけど。こいつチビとか言ったらまた怒るんだろうなぁ。本当にめんどくせえなぁ。

 

 

PM八時。

 

部屋に戻る。

 

「お帰り」

 

「ああ、ただいま」

 

「お茶入れるから。座っててね」

 

「…すまない」

 

なんか癒されるな。あの夕食の後だと特に。ああ、もう楯無が女神に見えてきた。天使越えちゃってるじゃん。眩しい。後光が射してるのかな。あ、部屋の電気だ。

 

PM十一時就寝。

 

「そろそろ寝ましょう」

 

「…そうだな。たまには一緒に寝るか?」

 

「え、えええっ!?い、いいの!?」

 

「…………いいよ」

 

すごい食いつかれた。お前にとっての俺はフォルテにとっての酒みたいなもんなのだろうか。中毒や依存症にでもならなければいいが…。

 

「えへへ…。やたっ」

 

そういうわけで一緒に布団に入る。とても喜んでもらえたようだが、俺の体格でシングルベッドに二人はかなり狭い。

 

「そんなに嬉しいの?」

 

「へへ…嬉しいの」

 

胸板に頭をすりすりと擦り付けられた。この甘い空気はなんなんだ。一緒に寝るとか実は冗談だったんだけど、今さらそんなこと言えない。こんなに喜んでいるのに言える空気じゃない。最近冗談が冗談にならないことが多い気がする。どうにかしないと。

 

「ねえ…腕枕してくれる?」

 

上目遣いでそう言われ、断れずに俺が腕を差し出すと頭を乗せてくる。抱きつかれて今度は頬をすりすり。だからこの甘さはなんなんだ?甘えん坊なのかな?そもそもお前そんなキャラじゃないだろ。

 

「私ね、桜介くんの匂い…好き」

 

「……どうも」

 

楯無はとろんとした目をこちらに向けて、そんなことを言った。これなんて返事したらいいんだろう。俺もお前の匂いは好きだけど、そんなことを言うつもりはない。あと内心ちょっと悶えた。

 

「また…時々でいいから一緒に寝てくれる?」

 

「……寝不足になっちゃうねぇ」

 

「…えっちなこと考えたでしょ」

 

楯無は恥ずかしそうに体を寄せるとぐにゅりと胸を押し付けてくる。

ここまでされて少しでもそういうこと考えないやつはいるのだろうか。これもう据え膳だろ…。

俺だって男、それもガッツリ肉食系の。聖人でもなんでもないし、場合によっては女だって抱く。実際よく我慢してる方だと思う。

 

「…してもいいのに」

 

そんなことを考えていると、楯無がぽしょりと呟いた。その悪魔の囁きはとりあえず聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 



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50話

学園祭当日。

 

俺達のクラスはご奉仕喫茶で、俺はスーツに着替えて接客をしていた。何故スーツかというと執事服が似合わないからだそうだ。将来執事になるかもしれない俺に向かってそれはひどくないかな。似合わないとか言われてもうテンションは激低だ。スーツに着替えたら今度はなんかSPみたいと言われた。結局なにしても執事には見えないらしい。代わりに、いつ大爆発が起こっても助けてくれそうとか、マフィアのボスに狙われても助けてくれそうとか、そのまま恋に落ちちゃいそうとか。映画の見すぎだ、バカヤロウ。護衛は実際何度かしたことあるが、将来やりたいとは別に思わない。

 

「霞くん、二番のテーブルにいってね」

 

「わかった」

 

こんな感じですぐに呼ばれるから、俺達男性陣はずっと働きっぱなしだ。おい、俺はSPなんだろ?だったらもう入り口にただ立ってればよくないですかね。というか、いい加減に俺が客になりたい。そしたらメニュー全部頼んでやるから。そろそろメイドさんにご奉仕されたい。メイドさんは男の夢なんだよ。ちなみにシャルロットは念願のメイド服が着れたからなのかすごく楽しそうだ。でもなんか俺からすれば普通過ぎてまったく面白くない。だがセシリアのメイドさんは俺的には全然ありだった。むしろ雇いたいぐらい。だがあんなお嬢様をメイドにするには、一体いくらかかるんだ?所詮叶わぬ夢だろう。

そんなことを考えながらポッキーと紅茶をもって席につき、客の対面へと座った。

 

「これが欲しい?」

 

「ほ、欲しいです…」

 

「いいよ、お嬢様。お口を開けなさい」

 

少し恥ずかしそうにしながらも、あーんと口を開けるお客様。リボンの色からして三年生だろう。

 

「ほら、しっかり咥えるんだ」

 

「は、はい…。わかりまひた~」

 

「ふ。いい子だ」

 

俺はポッキーをつまんでお客様の口へと入れていく。少しずつポッキーをかじっていく三年生。なんかこれ、おかしくない?なんでこんなに素直なの?一年生にこんな態度とられて、なぜ君はそんなとろけそうな顔をしているの?一応この子年上なのに、これで本当にいいの?

それにしても俺はさっきから食べさせてばかりだな。一夏は結構食べさせてもらってるのに。食べさせられるのは絶対に嫌だから、それは全然構わないが腹へった。今日は一体あと何本のポッキーを食わせたらいいんだよ。

それにこれじゃ俺が客にやらしいことしてるみたいだ。なんか変な気分になっちゃうんだけど、気のせいかな?気のせいだよね?はっきり言ってこれセクハラだよね。

自分で言うのもなんだけど、こんな執事がいたら嫌だろう。もうこんなので金もらうのが、悪い気すらしてきたよ。ふむ、どうやら俺は客商売が絶望的に向いてないようだ。

 

「おやおや、もう終わりか…残念だな」

 

「そ、そんな…っ!」

 

ビシッ!

 

真面目に接客?をしていると、突然俺の首筋に後ろからなにかが突き立てられた。あらら、俺の柔肌が傷ついちゃうじゃないの。

 

「な~にやってんのかなぁ?」

 

「あ?見ればわかるだろ?執事だ、執事」

 

「わからないわよ!?そんな執事がいるわけないでしょう!?」

 

「ここにいる」

 

「くっ…!この!」

 

むっ、この突っ込みと悔しがり方は。

 

「それよりなんでお前がメイド服きてんの?それで俺にご奉仕でもしてくれるわけ?」

 

「し、しないわよ!」

 

振り返るとそこに立っていたのは、やはりメイド服を着た楯無だった。

 

「本当にしない?じゃあ何しにきたの?」

 

「……しません!お茶飲みにきたのっ」

 

どうやらお茶をしにきたようだ。喫茶店だから当たり前ですね。しかしご機嫌があまりよろしくない。

 

「それにしてもメイド服、よく似合ってるね」

 

「ど、どうしてもっていうなら、また着てあげる…」

 

こいつの機嫌とるのにはもう完全に慣れている。慣れたくないがな、そんなもの。なんか情けないし。

だがメイドさん姿が最高なのは本当だ、何度見てもやっぱりガン見しちゃう。

それから少し楯無と話していると、そこに他の女子がやってきた。

 

「どうも新聞部でーす。話題の織斑くんと霞くんを取材にきましたー」

 

やってきたのは楯無の友達の黛薫子さんだった。

 

「薫子ちゃんだ!」

 

「たっちゃんやっほー」

 

正直この人は少し苦手なんだよな。新聞とか載ってもろくなことがないだろう。俺の行いが悪いからだろうか。ニコニコと笑っているし、なんか嫌な予感がする。

 

「さて、俺はトイレにでも行ってこよう」

 

「待ちなさい」

 

立ち上がろうとすると楯無に肩を掴まれ、再び椅子に座らされた。何故だ、もれちゃう、もれちゃう。

 

「せっかくだし霞くん、たっちゃんとツーショットちょうだい」

 

「うふふ、いいわよ。えいっ」

 

楯無は後ろから俺の首に腕を回すと、頬をくっつけてきた。この距離間はプリクラですか?プリクラより近くない?もう顔とかくっついてるよ?つーかこんなのいいわけねーだろ。どこのバカップルだ。ただでさえあれからこいつと噂になってんのに、こんな写真撮られたらもう確定みたいなもんじゃないだろうか。新聞とかに載せられたらもう逃げ場がない。

なんとか抜け出そうともがいてみるが、上からがっちり肩を押さえられていて逃げられない。嘘だろ?この俺が?女の力で?あり得ないだろ。

なるほどな、合気か。こいつどんだけ必死なの。怖い、肉食系たっちゃん怖い。

 

「わあ。たっちゃん大胆!はい、ありがとねー」

 

「いえい♪」

 

「ありがたくないからね。新聞やめてね」

 

写真を撮り終えると満足したのか黛さんはまたねーと言って、話も聞かずに一夏の方に向かって行ってしまった。訂正するわ、少しじゃなくてこの人苦手だ。

 

「お前な、あんまり調子にのるなよ?」

 

「あは。どうかしたかなぁ?」

 

「はぁ……。それで?なんか飲む?俺が淹れるわけじゃないけど」

 

いい笑顔だな、おい。そしてついに俺は、お嬢様だけでなくメイドさんにもご奉仕する立場になってしまった。一応こいつもメイド服着たお嬢様だが。最初の予定だとメイドさんにご奉仕してもらう予定だったのに、なんでメイドさんにご奉仕してんだろう。

 

「うふふ。執事にご褒美セットで」

 

メニューを見ながら満面の笑みで注文をする楯無。もうこいつ、メニューの内容わかってて頼んでるよな?なんで?うん、これメニューの名前みたら誰でも内容想像つくからね。

 

「……勘弁してくれ」

 

「だめ♪」

 

「…………はぁ」

 

既にげんなりしてる俺に、笑顔で止めをさそうとしてくる。こいつに普段どんだけ恨まれてるの?俺のこと実は嫌いなの?こんだけ仕返しされるようなことした覚えは……ありすぎる。もうありすぎて、どれだかわからないぐらいだ。結局嫌な顔を隠そうともせずにポッキーと紅茶を運び、それをテーブルに置くと対面に座った。

 

「ご説明が必要でしょうか?お嬢様」

 

「そうね♪お願いしようかしら」

 

この女…。もうわかってんだろ?せめてもの抵抗とばかりに睨み付けてみた。

 

「きゃあ。執事さんこわーい」

 

「ちっ……食べさせてください」

 

「何かなぁ?おねーさんに聞こえるように、もう一回♪」

 

ふむ。どうやらこの猫はしつけがなっていないようだ。覚えとけ。きっちりみっちりしっかり仕返ししてやるからな。それでお前が、一体誰をおちょくっているのかきちんとわからせてやる。こういうのはな、普段のしつけが大事なんだ。俺はやると決めたらやる。

 

「ポッキーを食べさせてくださいよ」

 

「いいでしょう。食べさせてあげる」

 

あーんと言ってポッキーを差し出してくる。あーんをわざわざ言わなくてもいいだろうが。あーんと言われるだけで、余計に恥ずかしさが増すんだよ。だいたいお前もう絶対知ってるよな。俺がこうやって食わされるの苦手なの。

仕方ないので屈辱に耐えながらポッキーを食べ進めていく。だが甘い、お前はポッキーよりも甘い。俺がここまでおちょくられて、黙って最後までただポッキーを食わされるとでも思ってるのかな?さんざんやり返されて凹まされたことを、もうすっかり忘れてるのかな?ポッキーが根本まできたので、そのまま指まで咥えてみる。

 

「あぅ…あ…ああっ…!」

 

指を咥えたまま見つめると、楯無は既に頬を上気させてぷるぷると震えていた。だがまだだ、ここでさらに止めをさす。見てろ、俺はお前のように甘くはないんだ。

 

「ポッキーより甘いな、お前は。ごちそうさん」

 

「っ~~~~!!」

 

指を舐めながら言ってやった。楯無はぼふっと音を立てたように顔を真っ赤にさせ、テーブルに突っ伏す。ちょろいな。勝った、また勝っちまったぜ。俺はこいつにいまだ無敗だ

 

「え~!ええ~!」

「きゃあ!会長と霞くんてやっぱりそうなの!?」

「会長ずるい!美人で完璧で彼氏が霞くんなんて!」

「いやあ!そんな…。私たちのお姉さまが…」

「私の霞くんが……」

 

あーあー。聞こえない、聞こえない。そういえば教室満員だった、廊下まで満員だった。それにしてもやっぱりって何?ねえやっぱりって何かな?残念ながら彼氏じゃない。それからお前のお姉さんじゃないだろ!俺のお義姉さんだバカヤロウ!

少しすると、「私の……霞くん?」そう言って楯無がゆっくりと顔を上げた。

 

「ほら、よしよし」

「こ、こら!またごまかしてっ!」

 

別にごまかしちゃいない。それはおいといてこの勝負、本当に俺の勝ちなんだろうか?なんか今さらだけどこんなはずじゃあなかった。ひょっとして俺はバカなのか?

 

「………バカ」

 

やはり俺はバカなようだ、知らなかった。

楯無にもジト目を向けられてはっきりとそう言われてしまった。

 

「はぁ~。疲れたな」

 

「私も一気に疲れたわ」

 

そんなこんなでなんだか二人ともぐったりとしてしまった。もう今回は引き分けでいいや。それでいいからもう休みたい。もうここから逃げたい。でも黙って抜け出しても後がこわいからな。よし、とりあえずクラスメートにでも聞いてみるか。

 

「しばらく休憩してもいい?」

 

「客足も少し落ち着いてきたから今ならいいよー」

 

本当に?これで落ち着いてるの?まあいいや。とにかく助かった。とりあえず煙草だ、煙草を吸いにいこう。

 

「しばらくそのへんふらふらしてくるから。なんかあったら連絡してくれ」

 

とりあえず楯無にも声をかけてから、ふらふらしてくることにした。本当はメイド喫茶で休憩したかったけど、ここにいたら休憩にならないだろう。結局天国はどこにもなかったんだね、現実って非情だね。

 

「あっ。私も――」

 

「桜介さん、それならわたくしも一緒に行ってもいいかしら?」

 

「ああ、じゃあそうしようか」

 

「ううっ……」

 

ほとんど同時に誘われたが、セシリアと休憩に一緒に休憩に行くことにした。こうなったら煙草は我慢しよう。せっかくの誘いだ、断るのも申し訳ない。楯無には悪いが周りにあんなこと言われてたら、お前とは一緒には行きにくい。俺はこれ以上そういうことで目立つ気はない。どうせ誰とも付き合うことなんて出来ないんだから。でもやっぱり肉食系ではないのかもしれない。本当はもうわかっていたけど。落ち込んだように俯いている楯無に背を向けて、そのまま教室から出ようとした。

 

「楯無、あとでこっちから連絡する」

 

「……うん」

 

そう思っていたのに、結局楯無に声をかけてから俺は教室を出た。お前のしょんぼりとした顔は正直見たくないんだ。俺は一体何がしたいんだろうか。どんどん外堀が埋められていっているのに、そんなことされても困るというのに、お前がその気になればなるほどあとでがっかりさせることになると言うのに、それでも放っておくことが出来ないんだから、やっぱり俺はバカできっと甘いんだろう。

 

 



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51話

セシリアはメイド服、桜介はスーツ姿のまま教室を出て、二人は廊下を歩いていた。

桜介は何度もチラ見しては眼福だなぁなんて思いながら、ふふーんと鼻歌を歌っている。

 

「桜介さん、そのスーツ姿よく似合ってますわ」

「あまり執事には見えないらしいが…」

「そんなことはないと思いますけど」

「ふっ。そう言ってくれるのはセシリアだけだ。なんならさ、雇ってくれてもいいんだぞ?」

 

桜介は心底嬉しそうに笑う。変装や演技のセンスはないが、本人は自信満々なのだ。それをクラスメートに散々弄られたところに、やっともらえた誉め言葉。嬉しくないはずがない。

 

「そ、それはちょっと。や、やっぱりあなたに執事は似合いませんわ。だいたいあなたは大人しく、人に従うような人じゃないでしょう?」

「そんなことはないと思いますけど」

「……あるでしょう?」

 

桜介の熱心なアプローチに、セシリアは苦笑いを浮かべていた。セシリアも教室での働きぶり?を見ていたのでさすがにあんな執事は嫌だった。誰だって嫌だろう。よっぽどのドMでもなければ。

 

「それは困ったな…」

「それだったら、SPはどうでしょうか?わ、わたくし専属でも構いませんわ!」

「いや、それはやめておこう。俺がなりたいのはな、執事なんだ」

 

執事をあっさり断られた桜介は、今度はセシリアの逆アプローチを即決で断る。セシリアの気持ちはもっともだ。こんな男が護衛に付いてくれたら、それほど頼もしいものはないだろう。それにもしかしたら、主人とボディーガードの甘いロマンスもあるかもしれない。年頃の乙女であるセシリアがそんなことを期待しても、なにもおかしくはなかった。だが桜介がやりたいのは、あくまで執事、執事なのだ。

 

「そ、そうですか。それは残念ですわ。執事の件…考えておきましょう」

「ありがとねぇ。ところでセシリアはさ、どこか寄りたいところってある?」

「そうですね、桜介さんは楽器を弾けますか?」

「昔……ピアノを弾いていた」

 

問いかけに桜介は何かを思い出すように、遠い目をして答えた。

 

「まあ。でしたらこちらに寄りませんか?」

 

セシリアが指差したのは吹奏楽部の教室。そこには楽器の体験コーナーと書かれていた。

 

「いいよ。行こうか」

「ええ、行きましょう!」

 

セシリアは桜介の腕をとって教室へと引っ張っていく。セシリアが教室の扉を開けると、中には部長が一人で楽器の手入れをしているところだった。

 

「こんにちは。楽器を弾かせて欲しいのですが…」

「いらっしゃい。あ、あれ?霞くんもいるじゃん」

「ああ、部長さんこんにちは。ピアノ借りてもいい?」

「ピアノ弾くんだ?なんか意外。どうぞどうぞ!」

 

桜介は上級生の教室や食堂によく出没していたので、吹奏楽部の部長とも顔見知りだった。といっても挨拶ぐらいしかしたことはない。桜介の学園内でのイメージは洗練された武人であり、極めて男らしい男だ。ピアノはそんな普段のイメージとはかけ離れていた。

 

「セシリアはどうするの?」

「わたくしはヴァイオリンを」

「そうか。さすがはお嬢様だ」

「もうっ!お嬢様はやめてください!」

 

セシリアが拗ねたように頬を膨らませてヴァイオリンを手に取ると、桜介もピアノの前にゆっくりと座った。

 

 

 

 

 

二人は演奏を終えると、吹奏楽部の教室を出た。

 

「やっぱりセシリアは、ヴァイオリン上手いんだな。俺はところどころ間違えていた」

 

「そんなことありません。桜介さんもお上手でしたわ。ピアノ、よく弾いていたんですね」

 

「ああ。昔、よくせがまれてな。覚えちまった…。まあ昔の話だよ。最近は弾いていないから」

 

「そうですか……」

 

(いつでも明るいこの人が…こんな表情を…)

 

セシリアが見てきた桜介はいつだって明るく、常に飄々と振る舞っていた。普段の力強い瞳をセシリアはよく知っている。そんな桜介が初めて見せる、どこか寂しそうな瞳がセシリアは内心とても気になった。だがそこに簡単に踏み込んでいいのか躊躇して、今はこの話を続けることをやめた。

 

「これからどうしましょうか?」

 

「それがさっき連絡があってさ。どうやら招待した客がもうきたようだ。もう迎えに行かないといけないから、ここで別れることになる。それでもいいかな?」

 

「そうですか。それなら仕方ありませんわね。その代わり、今度しっかり埋め合わせをしてくださいね」

 

「ああ、それでいいよ。悪いね」

 

桜介は手を振ってセシリアと別れると、正面玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

正面玄関に立っていたのは一人の女性。見た目は二十代後半ぐらいに見える。その女性は長い銀色の髪にグレーの瞳、そしてどこか神々しいような雰囲気を醸し出している、神秘的な美貌を持つ美女だった。

 

「ほんとに来たんだな」

 

「ふっ…桜介。元気にしてましたか?」

 

桜介が声をかけると、銀髪の美女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 

「ああ。元気にやってるよ」

 

「それは何よりです」

 

女がニコリと笑うと、桜介は少し照れくさそうな顔をした。

 

「それでは案内してもらえますか?」

 

「……わかった」

 

桜介がため息を吐くが、女はそれを気にする様子もなく桜介の腕を取った。

 

「お、おいおい…。恥ずかしいからやめてくれよ」

 

「たまにしか会えないのですから…これぐらいは」

 

「……全く。かなわねぇな」

 

桜介は頭をガリガリ掻いて困った表情をしたが、女には本気で嫌がっていないのはわかっていた。そしてそのまま二人は入り口へと歩き出した。

 

「こんにちわ霞くん。……その人は?」

 

入り口でまず声をかけたのは、布仏虚だった。

 

「俺の……客です」

 

「こんにちわ」

 

隣の女性が礼儀正しく頭を下げると、虚はその美貌とあまりに涼やかな凛とした佇まいに、思わず恐縮してしまった。

 

「こ、こんにちわ」

 

色々と思うところがあったが、それ以上は聞かないで欲しいというような桜介の視線に気づき、虚はそのまま会話を終わらせた。虚との会話が終わると、そのまま二人は校舎へと入っていく。腕を組んでスタスタと歩いていく二人を、虚は後ろから呆然と見ていた。話している時、桜介の方は終始困った顔をしていたが、虚にはまんざらでもなさそうに見えた。

 

(お嬢様がまた機嫌を損ねるわね。いつもそれで苦労してるのは私なのよ。まったく、霞くんはもう少し大人しくしてて欲しいわ。まぁ…無理でしょうけど。巻き込まれても面倒だし、これはお嬢様には黙っておきましょうか)

 

そんなことを思って、虚はため息を吐いた。

 

 

 

 

その頃楯無は連絡が入るまで、見回りも兼ねて廊下を歩いていた。

 

「会長、こんにちわ」

「ふふっ。こんにちわ」

 

生徒から人気があるので、廊下を歩いているとたびたび話しかけられる。それに答えながら扇子をパタパタと扇ぎつつ、悠然と巡回をしていた。

 

(ふふ~ん。そろそろ連絡くるかしら。見回りってことにすれば、一緒に学園祭回れるわね♪)

 

「ねえねえ、霞くんの話聞いた?」

「聞いた聞いた」

 

廊下の生徒達の声が偶然楯無の耳に入る。

 

(うふふ。またなにかやったのかしら。困った人。やんちゃなのも、いい加減にして欲しいわねえ)

 

「年上のすっごい美女連れて歩いてたみたい」

「ね~。しかもすごく仲良さそうに。やっぱり年上が好きなのよ、霞くんは」

 

(…なるほどね。あの男は、どれだけっ、踏みにじる気なのかしら…。乙女の純情を…)

 

思わず手に力が入ってしまい、握っている扇子がピシピシと悲鳴をあげる。

そして、楯無はすぐにメールを送った。それは『まだかしら』と五文字だけの短いメールだった。

すぐに携帯に返信が届く。楯無は送り主を確認すると、早速そのメールを開いた。

 

『きっとまた巡り合う。会うべきときに、会うべき場所で』

 

桜介は何も知らないと思っているのか、相変わらずふざけたようなメールしか寄越さない。

それでも今までもらったメールはフォルダーを作って全部保存してあるが、それを見るたびに思い出すのは甘い記憶では決してなく、過去の怒りの記憶だった。

見てもイライラするだけなのに、たまに見返しては悔しい思いをするのだ。

しかし実は自分としかメールをしていないことを、楯無は知らない。

 

(私、やっぱりなめられてるのかしら…)

 

本当に今さらながらにそう思った。それにこれはどうやら喧嘩を売っているようだ。少なくとも楯無はそう解釈した。それなら買ってあげよう、そうしよう。

 

「こ、今度こそ、年上の怖さを教えてあげる!だから待ってなさい!!」

 

楯無は握っていた扇子をバキッとへし折ると、くるんと踵を返して歩きだす。

 

「ひっ、ひいっ!?か、会長こんにちわ」

「ふふふっ。こんにちわ!」

 

挨拶をした生徒は、その身から発せられる怒気とその表情を見て身を震わせる。しかし楯無も身を震わせていた。その理由は、もちろん溢れんばかりの怒りと嫉妬だった。

 

 

 

 

 

 

 

二人は生徒達の視線を集めているのも気にせず、ゆったりと会話しながら歩いていた。普段から桜介は目立つ方だが、今日は隣を歩く女性がそれ以上に目立っていた。

 

「とりあえず…何か食べる?俺は途中で戻らないといけないから、そんなに時間もないんだ」

 

「桜介のクラスは何をしているのですか?」

 

「喫茶店だ。そこで俺は執事をしている」

 

「ふっ…桜介が。それは是非見てみたいですね」

 

「……それは勘弁して欲しいんだけど、だめかな?」

 

問いかけに黙ってニコリと微笑んだ女性に、桜介は諦めの表情を浮かべ肩を落とした。基本的に桜介はこの女性には弱い。だから今回も黙って受け入れることにした。その時後ろからドンと強い衝撃を受ける。

 

「お・う・す・け・く・ん!待てなくて来ちゃった♪」

 

「あ、ああ、ごめんなさい」

 

一番見つかりたくなかった相手に、突然後ろから抱きつかれて桜介はすっかり困惑していた。

ちゃんと遅れることは伝えてあったはずに、なんでこいつはここにいるんだろうか。

楽天家の桜介はメールを送ったことで、すっかり油断していた。

楯無に送ったメールも、本人的には煽るつもりはなかったのである。

 

「うふふ。なにしてるのかなぁ、と思って。私ね、待ってたの」

 

「申し訳ないんだけどね、ちょっと今は離れてもらえると助かる。後で…後でさあ、いくらでもしていいから。ね?」

 

桜介が普段では考えられないぐらいに狼狽えるが、楯無はそれが面白くない。

 

「い~や♪」

 

「離れろよ。今は本当にやめてくれ」

 

「絶対に…いやっ!」

 

「だだっ子か…お前は」

 

真剣に嫌がる素振りを見せられて、楯無は意地になってしまった。

桜介のお腹に回した腕にギュッと力を込めて、初めて隣の女性をまじまじと見た。

綺麗な長い銀色の髪に、透き通るようなグレーの瞳。どこまでも落ち着いている大人の女性。そして神秘的なまでの美貌。

桜介と楯無の様子を見ても表情を全く変えず、微笑ましいものでも見るように見守っている。まるで菩薩のような雰囲気。

 

(な、なんなのよ、この聖母みたいな人は…。もしかして私…ちょ、ちょっとだけ負けてるかも…)

 

目の前の美女を前にして、楯無の自信がぐらぐらと揺らいでいく。

 

「楯無、ちょっとこっち来い」

 

「うぅ…。い、いやよ、いや!騙されないんだから。そんなにこの人が大事なの?そうなの?そうなのね!?」

 

本気で拒絶されるとは思ってなかった楯無は、最初の怒りも忘れてもうすっかり涙目になっていた。

抱きついて軽く嫌がられたことはあっても、ここまで拒絶されたことは今までなかった。

 

「はぁ?なにいってんの。いいから来いよ」

 

桜介は頑固にここを動かないと主張する楯無に、冷静な態度で移動するように促す。

 

(妄想癖あるんだよな、こいつ。おかげでさっきからすげえ目立ってる。またお前のファンが泣くぞ)

 

楯無の精一杯のアプローチも、桜介はいつもゆらりと流れる雲のようにかわす。

楯無はもともと、自分でもうっすら自覚しているほどには構って欲しい方だ。それなのにそんなことが続くと、恋心を完全にもて余してはたびたびこんなふうに暴走してしまう。

 

「いい加減自分で歩けって」

「いやよ……このすけこまし」

 

桜介は最近楯無の扱いにもすっかり慣れてきた。結局後ろから抱きつかれたまま、とりあえず人のいないところまで引きずって歩いていく。

 

「ふんだっ。桜介くんは大人の女性が好きなんでしょう?私は…どうせ、子供っぽいわよ…」

 

人のいないところまでくると、やっと背中から離れた楯無は瞳に涙を溜め、拗ねたようにそんなことを言った。

それを見て桜介は呆れたようにため息を吐く。

 

「はぁ…。何を勘違いしてるか知らないが、あの人は俺の母さんだから」

 

「ええっ!?わ、若すぎるでしょ!」

 

「あれでもそれなりの歳だよ」

 

そう言われてると、楯無は口を開けてその場で固まってしまった。

 

「だからやだったんだ、呼ぶの。前から来たがってたから呼んだけどさ」

 

「ほ、本当に?あのすごく綺麗な人が?お母様?桜介くんの?」

 

「そうだ。お前さ、初対面からなかなか斬新な挨拶だったな」

 

残念なものを見るような目を向けられると、楯無は俯いてブルブルと震えだした。

 

「な、な、な、ななっ…!?」

 

「な、じゃないだろ、な、じゃ…」

 

「な、ななな、なんで最初から…言ってくれないのぉ~!!」

 

そして楯無は大きな声で叫んだ。

 

(私のバカ―――!)

 

驚きで一度は引っ込んだ涙が、その瞳からまた出てくる。涙目の楯無は目の前の胸ぐらを掴んで桜介を思いっきり睨みつけた。

 

「恥ずかしいだろ。この年で母親と…腕を組んで歩いてるなんて」

 

「……もういや。………し、死にたい」

 

楯無は真っ赤な顔を両手で抑えると、その場で崩れる落ちるようにしゃがみこんでしまった。

恥ずかしさもあったが、こんなじゃ呆れられてるんじゃないかと不安になってしまう。

勝手に暴走したあげく、母親の前であんな失態を。

嫌われたらどうしたらいいのかもわからない。

それぐらいにもうこの男に夢中だった。

自分の情けなさと恥ずかしさ、そして不安でもう涙がこぼれるのを止められそうにはなかった。

 

(もうだめ…。最悪…。なんで、こんなことに…。もう絶対に、呆れられちゃった…)

 

目の前でそんな風に落ち込んでいるのを見て、桜介はどうしたものかと考えてしまう。

たまに暴走するのはもう慣れてきていたから、実はそんなこと全く気にしてなかった。

もともと細かいことは、というより大抵のことは、気にしない性格だ。

それよりも楯無の言った言葉が気になっていた。

 

「あ、ああ…」

 

手を掴むと楯無はされるがままに立たされる。

よほどショックだったのかもしれない。

どうやらまだ放心状態のようだ。

しかし隠し事の苦手な桜介は、構わず自分の気持ちを正直に言うことにした。

 

「お前は、俺が絶対に死なせやしない」

 

たとえ冗談でも、死ぬなんて言葉は聞きたくないのだ。しかしその瞬間、楯無のハートは見事にズキュン!と撃ち抜かれた。

 

「はぅ…!な、なによ、急に。やだっ、なんで、そんなに格好いいの…。わっ、私を殺す気!?」

 

「は?死なせないって言ったろ」

 

「そ、そそそんなのって!は、反則っ!」

 

「なんで?」

 

楯無はさらっと言われた不意討ちの殺し文句に狼狽してしまっていた。

さっきまで泣きそうだったのに、今度は嬉しい気持ちが溢れてきて胸がいっぱいになった。

そして今は違う意味で心臓がバクバクといっている。

 

「な、なんでって…。そ、そんなこと言われたら、わ、私…どうしたらいいのよぉ…」

 

そう言って恥ずかしそうに頬を染め、もじもじとしている楯無。

少しするとそっと頭に手を置かれ、落ち着かせるように少し癖のある髪を優しく撫でられた。

 

(う~~~っ!だ、だめ…!そんなに近づかれたら、心臓の音が聞こえちゃう…っ!)

 

自分のうるさいぐらいに高鳴る鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思い、楯無は手を前に出してバッと勢いよく体を離した。

 

(ああ…!凛々しいわ、やっぱり…!!あのお母様だったら、それも納得だけれど…)

 

そんな様子でずっと落ち着かない楯無を見て、桜介は宥めるように言葉をかけた。

 

「どうもしなくていいだろ、少し落ち着こうか。俺はそろそろ戻るから。また…あとでな」

 

「わ、私も…いく。ちゃんとご挨拶しないと…その…このままじゃ、絶対変な女だと…思われてるもの」

 

そうは言ったものの、楯無はまだ不安そうな表情を浮かべている。

なので桜介は、ここで母の秘密を話すことにした。

 

「そうか。まあ、それは大丈夫だと思うけどな。母さんは人の心が読めるから。心の声が聞こえるそうだ。だから誤解なんてしちゃいない」

 

「え…?…え、えええっ!?」

 

楯無はその言葉にまた呆然としてしまう。

何でもないことのように言われて、意味がわからずに口をぽかんと開けていた

 

「事実だから、諦めろ」

 

「はっ!?そ、それじゃあ、もしかして、わ、私の気持ちは…」

 

「筒抜けだな」

 

「いやぁぁ~~~っ!!」

 

楯無が両手で真っ赤な顔を押さえると、またその場で絶叫した。

ここがベットなら、ゴロゴロ転げ回って悶えていただろう。

実際には立ったままだが、肩はぶるぶると震えていた。

 

「ねえ?そんなに変なこと考えてたの?」

 

「うぅ…。うううっ…」

 

「ドンマイ」

 

桜介がしばらくポンポンと背中を叩いていると、楯無は次第に少しずつ落ち着きを取り戻していく。

顔にはまだ赤みが残っていたが、やがてポツポツと喋りだす。

 

「ま、まあ、あなたのお母様なら、それぐらい出来てもなにもおかしくないわよね…。なんかもう…なんでもありなんでしょう…きっと」

 

落ち着きを取り戻したように見えた楯無は、ただやけになっていただけだった。

 

「なんか引っ掛かる言い方だな…それ。ま、いいや。行くなら行こうぜ。もうそんなに時間もないしさ」

 

「ねえ、あなたの家系は一体…どうなってるのかしら」

 

「あ?なんだそれ。お前の家だって特殊だろうが」

 

「桜介くんのところに比べたらねえ…。あなたのところは、もう人間離れしてるから…」

 

「はぁ…。そうなのかねぇ。まあそれはこの際おいといて…とりあえずいこうか」

 

このままじゃなかなか戻れないと思った桜介は、何度目かのため息を吐いて再び戻るように促すと、楯無の背中を押してそのまま歩き出した。

 

「や、やっぱり、ご、ご挨拶するなら着替えてからの方がいいんじゃ…」

 

「なんの挨拶だよ…。いいからこい」

 

結局まだぶつぶつと言っている楯無を、来たときと同じように引きずりながら戻って行った。



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52話

「はじめまして。更識楯無です」

 

「ふふふ、はじめまして。桜介の母です。桜介がいつもお世話になっています」

 

楯無が丁寧にお辞儀をすると月英もきちんとしたお辞儀を返してにこりと微笑んだ。

 

二人は桜介の母、月英と合流後、結局三人で学園を回ることになった。

はじめ楯無は親子二人なのだからと遠慮しようとしたが、月英がせっかくだからと言い出した。

母にそう言われてしまえば桜介は何も言えず、ただこくんと頷くのみであった。

 

「ふっ…ここで桜介が、思ったよりも楽しそうにやっているようで今日は安心しました」

 

「気のせいだ。楽しいわけねえだろ…」

 

「あら。そのわりにはいつも楽しそうじゃない。私をいじめる時とか」

 

「まあ。そうなんですか?…桜介」

 

桜介は楯無を無言で睨み付けたが、楯無は桜介の方を見ようとせずに顔を月英の方に向けたままだ。

 

「……そんなことはしていない」

 

月英はどうせ心が読めるのだ。

だからここで何を言っても、無駄だとわかっていながら、桜介はそれでもとりあえず否定の言葉を口にした。

 

「そんなことより一年四組にいこう!さあ、いこう!今すぐいこう!!」

 

桜介はここで無理矢理に話題を変えた。

もちろん簪のクラスが食べ物を売っていることは既にリサーチ済みだ。

 

「そうね…。いきましょうか……」

 

楯無にしては珍しく歯切れの悪い返事をする。

その勢いとテンションに、なにか嫌な予感がしたからである。こういうときは大抵ろくなことを考えていない。

そんなこと楯無はすでに身に染みてわかっているのだ。だが桜介が楽しそうに笑うので、楯無はそれに水をさすようなことはなにも言えなかった。

 

 

 

 

 

 

一年四組の教室まで歩き出した三人だが、やはりやたらと目立っている。

二学期になってから噂になっている楯無と桜介。

普段一人一人でも目立つ二人が一緒に歩いているだけでいやでも視線を集める。

それに今日は銀髪の年上美女を連れている。一体どういう状況なのかと、周りの生徒達は三人の様子を伺っていた。

しかしそれを気にしているのは桜介一人。その桜介もしだいに諦めた様子で、もう途中から投げやりになっていた。

 

一年四組の教室に入ると、桜介は二人の前に出てまっすぐに簪の元へと進んでいく。

残る二人は黙ってそれについていった。

 

「あっ、桜介…。いらっしゃいませ」

 

「よ、妖精のコスプレか、これは?」

 

簪に声をかけられた桜介は咥えていた棒キャンディをポロっと落とした。

ボーッとただ立ち止まり簪を上から下まで眺めた。

一年四組はクレープやから揚げ、ポテトなど食べ物を販売する売店をやっている。

そして今日の簪は割烹着姿に着替えていた。

 

「ご注文は?」

 

「簪」

 

「え…?」

 

「いや…。それじゃあ全部もらおうか」

 

桜介は懐から札束を取り出すと、それを売店のカウンターにドンと置く。

 

「つりはいらん」

 

今まで北大路からの依頼で振り込まれた謝礼金の一部を、メイド喫茶のためにおろしていたのだ。

 

「ええ…!?」

 

「どうせ使い道のない金だ…。お前のために使えるならば、これ以上の使い道はないだろう」

 

前もって金は必要ないと言っておいたが、それでも勝手に振り込まれてしまったのだ。

それはこれが初めてではない。今までもなにか頼まれる度に振り込まれていた。

だが今までその金に手をつけたことはなかった。

しかしもう諦めて、気持ちよくパーッと使おうと決めたのである。

それは少し前に一度返そうとしたところ、大人に恥を掻かせないでくれると有難い、北大路本人に困り顔でそう言われてしまったからだ。

もしかしたら、もともと人の厚意を無下にするのが苦手な性格を、わかっていたかもしれない。

 

「で、でも……。そんなに、いらないよ…?」

 

「大事なのは金額ではない。気持ちだろ。たしかに俺の気持ちはこんなものでは測れない。だがこれは今日持ってる所持金の全て。つまりきみに全てを差しだしても、構わないという気持ちの現れ…!」

 

「なにが、なにが、気持ちの表れよ!?このバカはっ、いつもいつも戯けたことをっ…!」

 

「戯けたって…」

 

「戯けてるでしょ。そのお金、私が管理してあげる。だからこっちに寄越しなさい」

 

よくわからない理論を展開すると、楯無がすぐに食ってかかる。金に頓着がなさすぎるのも既にバレバレだった。しかしだからと言って、その提案は素直に頷けるものではない。

 

(嫁かお前?俺の嫁だっけ?絶対おかしいよ、そんなの。やはりこの金はここで使うしか…)

 

ここで一度認めてしまえば、もしかしたらこれからもお金を管理されて、ずっとお小遣い制になってしまうかもしれない。

ただでさえ買うものといえば、だいたいが酒かタバコ。そうなると楯無は簡単には、首を縦には振らないだろう。

当然そんな提案は認められないので、こうなったら早くお金を使ってしまいたい桜介。

だが後ろからの一声によって、それはあっさりと阻まれてしまうことになる。

 

「私も無駄遣いは、あまり感心しませんね」

 

よく響くその声を聞いて、桜介の肩がピクリと動いた。振り向くと、いつもと変わらずに微笑みを浮かべる母。だが何故かここは引いておかなければいけない、そんな気がした。

 

「……冗談だ」

 

桜介は諦めて、がっくりと肩を落とす。なんとか反抗しようにも、母を含めた二対一では分が悪すぎるだろう。

 

「桜介……その人は?」

 

「母さんだ」

 

「えっ?桜介のお母さん!?」

 

母さんという言葉に簪は驚いたように目を丸くして、確認するように再度問いかけた。

 

「こんにちわ。桜介の母です」

 

「お、お母さん…。よ、よろしくお願いします」

 

月英が軽くお辞儀をすると、簪は少し戸惑いながらペコリと挨拶を返した。

 

「簪さえ良ければ、これからも一生お母さんと呼んでくれてもいいんだよ!」

 

「ふ、ふええっ!?」

 

「あなたねえ、いい加減にしなさいよ?ふざけるにもほどがあるっ…!!」

 

「義姉さん……」

 

「だ、誰がお義姉さんよ、誰がっ!お母様の前でそれはさすがに洒落にならないでしょ!?」

 

唐突な義姉さん呼びに、楯無は頬をひきつらせて額に青筋を浮かべると、胸ぐらを掴んでぐわんぐわんと揺すり始める。

もう楯無は完全に怒っている。だがそれでも気にすることなく、桜介はさらに煽っていく。

 

「楯無義姉さん…」

 

「……確かに聞いたわ。聞いたけどね、わざわざ言い直さなくていいわよ!?」

 

「なんだ、そうならそうと言ってくれれば…」

 

「私はその手の冗談が一番嫌いなの。そんなに私を怒らせたいのかしら。もう一度言ってみなさい!誰がお義姉さんですって!?」

 

「お前だろ?よく自分でおねえさんて言ってるのはさ、そういうことだよねぇ」

 

「そういうことだと思うかなぁ、本当にっ!!」

 

「思うけど?ほら、どうした。いつものように、おねえさんて言ってみろよ?」

 

「くっ!このっ、性悪男…!」

 

顔を真っ赤にして激昂する楯無がさらに顔を近づける。

だがどれだけ揺すられようとも、桜介はよそ見を決め込む。

あくまで知らぬ存ぜぬを決め込むつもりだった。だがそこに突然大ダメージが入る。

 

「だいたいこんなひどい男に、大事な簪ちゃんを任せられるわけないでしょう!」

 

「ぐっ!そ、それは…っ」

 

「……否定出来ないんだ」

 

それを言われれば、さすがに落ち込んでしょんぼりと項垂れてしまう。

しかしまだ完全に諦めてはいない。長女は小悪魔、次女は天使。それならば…。

 

「さっ、三女はいないのかよぉ!?」

 

「そ、そう……し、死にたいのね…」

 

「悪かったよ、どうせこんな男だ…」

 

「ほらほら、そうやってすぐに落ち込まないの。慰めてあげるから」

 

がっくりと膝をつく桜介。その頭を楯無は胸元に引き寄せて優しく撫でる。

 

「たっちゃん…」

 

そしてあれだけいがみ合っていた二人は最後には仲直りをし、そんな様子を簪とそのクラスメート達は呆然と見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、簪…。もうあんな姿、二度と見られないかもしれないのに!」

 

「ねえ、その執着心を私にも見せなさいよ……たまにでいいから…」

 

「仕方ねぇか。こうなったら、お義姉ちゃん!妹さんを俺にっ…」

 

「た、たあっ!言わせない、言わせないわ、そこから先はっ…!」

 

桜介はとりあえず頭を下げようとするが、その顎を掌底で跳ねあげられる。

 

「いてえ、いてえな!なにすんだよ、こら」

 

「ほほほほ、面白いですね。あなたたちは」

 

怒るのも仕方がないだろう。せめて写真だけでも、と粘ったが結局楯無に引きずられる形で一年四組の教室を出た。そればかりか引き出したお金も、しっかり取り上げられてしまっている。

 

「この恨み忘れねぇぞ、俺は…」

 

「あら、そう。写真は私が撮っておいたけど?」

 

「たっちゃん……!」

 

そうして三人はこれからどこにいこうかという話になった。そこで桜介はとりあえず自分のクラスに戻ることを伝える。

 

「二人はこれからどうするんだ?」

 

「私はそろそろいきますよ。桜介の様子も見れたことですし」

 

「お母様…。お帰りになる前にお茶でもいかがですか?生徒会室でもよろしければ。たいしたおもてなしは出来ませんが」

 

「おい…。さらっと言ったけどねぇ、この人はお前のお母様じゃ……」

 

「写真」

 

「好きに呼んでくれ!」

 

「そう。よろしい」

 

「お前なあ……」

 

「おほほほ。それじゃあせっかくなので、一杯だけ頂きますね」

 

口元を押さえて楽しそうに笑う月英だった。

それに合わせて楯無もニコリと笑った。

この二人はいつの間にか打ち解けていた。

桜介だけが少し頬をひきつらせて、一人教室の方へと向かって歩き出した。

楯無が母親に余計なことを言わないか不安になったが、実は心の中では安心もしていた。

クラスメートの前で、母親にポッキーをあーんされないで済んだことに。

 

 

 



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53話

短いです。


桜介は楯無達と別れた後、やっぱり一服してから教室に戻ろうと思い屋上にきていた。

 

「桜介。やっぱりここにいたんっスか」

 

屋上のフェンス越しに外を見ながら煙草を吹かしていると、フォルテが後ろから声をかけてきた。

 

「ふぅ~。うるせえ」

 

「ひどいっ!?」

 

吐き捨てるようなその言葉にフォルテがいつも通りの反応するが、桜介はそれを無視した。

 

「おまえが霞桜介か?」

 

「…あ?」

 

初めて聞く声にやっと後ろを振り向くと、いつもとは違い、フォルテの隣には金髪の髪を後ろで束ねた背の高めの女性が立っている。

 

「あんた…ダリルケーシー?…先輩、だっけ?」

 

「光栄だな。有名人に名前を知られてるなんてよー」

 

ダリルは名前を呼ばれると嬉しそうに笑った。

 

(はぁ…。今日は次から次へと、面倒がやってきやがる。厄日だな…)

 

桜介は顔をしかめて煙をぷかぷか吐き出し、めんどくさそうに用件だけを聞くことにした。

 

「ふぃ~。それで先輩が俺になんか用?」

 

「ふーん。なかなかいい男じゃねーか」

 

ダリルは顔を近づけて桜介の顔をジっと見る。その視線が少し鬱陶しかったが、ダリルがフォルテと仲がいいのは以前から知っていたので、とりあえずは我慢することにした。

 

「見た目に騙されたらだめっスよ。桜介はさ、こう見えて悪党っスからね」

 

「それは別に間違いでもないが…。とりあえずうぜえ。もうお前何しにきたわけ?俺の休憩を邪魔しにきたの?」

 

「悪党か。あっはっは。余計にいいだろ、それ」

 

ダリルは桜介の隣にきて自分も煙草に火をつけると、へらへらと笑いだす。その時にはもう、桜介の顔は既にひきつっていた。

 

「はぁ……。なんなんだ、あんた」

 

「ふぅ~。まあ、気にすんなよ。オレがおまえに会ってみたかった、それでいいだろ」

 

ダリルは隣から反対側の肩に腕を回して、ニヤニヤとした顔を向けてく?。ダリルのFカップの膨らみが背中にしっかりと当たっていたが、桜介はもうそういうことを気にするような気分でもない。

 

「いいわけねーだろ。フォルテ、とりあえずこいつ……ぶん殴ってもいいか?」

 

ついにダリルの馴れ馴れしい行動に暴言を吐き出す。普段の自分の馴れ馴れしさについては、完全に棚にあげていた。

 

「い、いいわけないっスよ!?とりあえずってなに?だから嫌だったんスよね…紹介するの」

 

最後の方は小さな声で言ったが、桜介の耳にはしっかりと届いていた。

自分の周りは今でも充分にお腹一杯なのだ。

当然そんな面倒を押し付けられてたまるかと、すぐにフォルテに食ってかかる。

 

「フォルテ、何勝手なことしてくれてんの?」

 

「仕方ないじゃないっスか。ダリル先輩がどうしても紹介しろって言うから…」

 

問い詰められたフォルテは、ため息混じりにダリルへと視線を向ける。

どうやら見たところ、フォルテも頼まれて仕方なくということらしい。

 

「おい、先輩。男なら俺のクラスにお勧めがいる。なかなかいい男でな、俺と違って優しい」

 

「残念ながら、オレは優しいだけの軟弱な男には、興味がねーんだよ」

 

「別に軟弱でもないと思うがな。だが悪いね、俺はあんたに興味がないんだよ」

 

「そんなこと言わないでさ、オレとも仲良くしようぜ?……閻王」

 

さらりとまた一夏に押し付けようとするが、失敗に終わってしまう。

またそれだけでなく、桜介の頬を撫でてダリルは耳元で静かに囁いた。

 

(なんだ、有名人ってそっちか……)

 

閻王と聞いて、桜介の眉がぴくりと動く。

 

「おいビッチ…お前、閻王に文句があんの?」

 

そう言って鬱陶しそうに手を払うと、目の前の胡散臭い女を軽く睨みつけた。

 

「ハハハ。堪らねーな。その目は敵なら容赦なくぶっ殺すって目だ。そんな目で見られたらゾクゾクするぜ」

 

近くで睨まれたダリルは、少し興奮した様子で頬を紅潮させ、妖しく笑う。

 

「はぁ…。付き合ってらんねぇよ。俺は戻るぞ。じゃあな、フォルテ」

 

「ああ、うん…。またな」

 

桜介は疲れた様子でフォルテにだけ声をかけると、ダリルを無視して出口へと向かって歩き出す。もともと興味のないことには、どこまでも淡白な男だった。

 

「慌てんな。せっかくだから、もう少し付き合えよ」

 

ダリルは唐突に後ろから後頭部に回し蹴りを放つ。全くの予想外な行動に、それを見たフォルテが驚いた顔をする。

長い足から繰り出されたのは、よく鍛練されたようなキレのある回し蹴り。

 

「なめてんのか、こら」

 

それを振り返らずにしゃがんでかわすと、右足を一回転させてダリルの軸足を払う。

もはや桜介にとって、普通の達人レベルの蹴りなど目視の必要すらない。

 

「いてーな、おい」

 

一瞬のうちに軸足を払われたダリルは、そのまま床にストンと尻をついた。

 

「悪いが俺はビッチは好みじゃないんだ。遊びたいんならな、他のやつに遊んでもらえ」

 

それだけ言って、桜介は振り返ることなくそのまま屋上を後にした。

 

 




学園祭で戦う相手がいないから、もうダリルさんでいいやと思いました。一夏のところ行ったってやること無さそう。でもフォルテ友達にした時点でいつか出そうと思ってました。原作だとこの二人恋人同士なんですね。そういう描写は書ける自信ないから、この作品では二人は相棒で仲のいい先輩後輩ということで。


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54話

また短いです。


喫煙を終えた桜介は、教室に戻ると早速働かされていた。

 

「霞くん、これ持って四番テーブルにいってそのままゲームしてきて」

 

「はいはい。わかりましたよ」

 

結局休憩中何も食べれなかった桜介はお腹をすかせたまま働くことになった。一夏も桜介と入れ替わるように休憩に行ってしまい、空腹と余計忙しくなったことで桜介はもうすっかりやる気をなくしていた。

 

「お待たせしました。オムライスと紅茶になります」

 

「霞くん、来ちゃった。頑張ってる?」

 

「サラ…。ゲームなんかいいからさ、そのオムライス…俺に半分くれよ」

 

桜介はニコリと人懐っこい笑顔を浮かべてサラが座る椅子の対面の椅子に座り、そのまま客の飯をねだりだした。

もう完全な仕事放棄だが、今はご飯を食べるお金も持っていないのだから、それも仕方がないのかもしれない。

 

「あなた…なかなか面白い接客するわね」

 

「ふっ…。だめか?」

 

「別にいいけど、ご飯食べてないの?」

 

桜介はコクンと無言で頷いた。

 

「どうする?先に食べるか?」

 

「ううん、先にどうぞ」

 

差し出されたスプーンを受けとると桜介はオムライスを一口すくってそれを口に入れた。

 

「うん、悪くない…」

 

一言そう言って、二口目からはオムライスを黙々と食べ始めた。サラは紅茶を飲みながらニコニコと桜介が食べるのを眺めている。

 

「ふふっ。かわいい」

 

スプーンを持つ手がピタリと止まる。桜介は困ったような表情で手に持ったスプーンをサラへと差し出した。

 

「……ごちそうさま」

 

「まったく…とんだ執事さんね」

 

くすくす笑いながら桜介からスプーンを受けとるサラ。

 

「じゃあ、働いてくる。来てくれてありがとな」

 

「うん。頑張って」

 

桜介は席を立つと先ほどよりは少しやる気になったのかスタスタと仕事へ戻っていった。

 

桜介がしばらく働いていると一夏も休憩から戻ってきてそれからは桜介も少し真面目に働くようになった。あくまでも少しだったが。

 

 

一夏が戻ってから少し時間がたった頃、楯無が再び教室に現れた。

 

「今度はちゃんと働いてるみたいねえ。やれば出来るじゃないの」

 

「まあねぇ。今用があるのは一夏だろ?連れてってもいいぞ」

 

「うん、実はその事なんだけど…」

 

そして楯無は言いにくそうに話を切り出した。

 

 

 

 

 

第四アリーナの更衣室。桜介と一夏が生徒会の催しものの衣装に着替えていると楯無が更衣室に入ってきた。

 

「一夏くん、はい王冠。それと…桜介くんはこれ」

 

楯無は一夏に王冠、それからどこか不満そうに桜介には中折れハットを手渡した。だが、それを受け取った二人もまた揃って顔をしかめていた。

 

「一夏はいいとして、なんで俺までこんな茶番に?」

 

「よくないからな?お前いつもそうやって、俺に面倒なこと押し付けようと…」

 

げんなりした顔を向ける一夏だが、桜介は目を合わせようとしない。

 

(ばれてたのか…。こいつ鈍感なくせに、そういうのは意外と鋭いな)

 

顔には出さないが、桜介は内心で意外な事実に驚いていた。

 

「茶番って…。生徒会に結構クレームが来てるのよ。生徒会長ばっかり、ずっとあなたと同部屋なのはずるいって。だから仕方なくよ、仕方なく」

 

そう言って、楯無は大きくため息を吐く。

 

「へえ。死神と同じ部屋になりたいなんて、奇特なやつもいたもんだ」

 

「……そうね。でもその帽子、絶対に誰にも渡さないと約束しなさい。」

 

「俺を誰だと思ってんだ。俺から無理矢理奪えるやつなんて、この学園にはいないだろう」

 

「そうよね…。うん」

 

髪を後ろにかき分けて帽子を被りながら自信満々に答える桜介に、楯無は少し安心したようにニコリと微笑んだ。

 

「この王冠、なんかあるんですか?」

 

「大丈夫だ。よく似合ってるぞ」

 

「そうよ。一夏くんが気にすることは、何もないんだから」

 

一夏の頭に乗せた王冠を見ながら、こういう時だけは息ぴったりに答える二人に、一夏はもう投げやりになった。だがそれでもなお、一夏には一つだけ気になっていることがあった。

 

「なんで俺だけ、こんな王子様みたいな格好なんですか?」

 

「それは演劇の衣装だから」

 

「桜介はなんかお洒落なスーツ着てますけど」

 

「それは……私の趣味」

 

ポッと頬を染めて、照れくさそうに答える楯無だった。

一夏と違い、桜介が着がえたのはグレーのスリーピーススーツ。実際にそれは桜介にはとてもよく似合っていた。

 

「楯無さん……。露骨にえこ贔屓がすさまじいんですけど!?」

 

「ふっ。この年でそんなバカそうな格好が出来るか。お遊戯会じゃあねーんだぞ」

 

ネクタイをきゅっと締めながら、桜介は心の底からバカにするように言った。

 

「桜介……。あのね、俺も同い年なんだけど」

 

「あら。桜介くん、ネクタイ曲がってるわよ」

 

目ざとく気づいた楯無が、一旦ネクタイを緩め、きちんともう一度締め直していく。

 

「はい、もう大丈夫」

 

楯無はネクタイを締め終わると、桜介の逞しい胸を軽くポンと叩いて、満足そうにそう言った。

 

「ああ。悪いな。一夏、なんか言った?」

 

「えへへ。どういたしまして。一夏くん、どうかした?」

 

「…もういいです」

 

自由奔放な桜介達に次々と突っ込みを入れる一夏だったが、何を言っても聞き流す二人に抵抗するだけ無駄。諦めが肝心だとすでに身にしみてわかっていた。

 

「なんていうか…。楯無さんも、女の子だったんですね…」

 

「ふっ、ふふ。おい、言われてるぞ」

 

「ちょっと一夏くん、それどういう意味かな?」

 

思わず漏れた一言に桜介が腹を抱えて笑いだす。そしてそんなことを言われた楯無は眉をつり上げて一夏を睨みつける。

 

「ふ…。お前が男にでも、見えたんじゃない?」

 

桜介は楯無の肩をポンポン叩いてまだ笑っている。言うまでもないが、性格の悪さは折り紙付きだ。

 

「もうっ!桜介くんも笑いすぎよ。そうやってすぐにからかうんだからっ」

 

「ああ、もういかないとね」

 

こういうときは逃げるが勝ちだ。桜介は二人をおいて我先にと逃げるように、アリーナに作られたセットの舞台袖まで歩いて行った。

 

 

 



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55話

『さあ、幕開けよ!』

 

ブザーが鳴って照明が落とされる。

 

幕が上がってアリーナのライトが点灯した。

 

『昔々あるところにシンデレラという少女がいました』

 

「なぁ…桜介。シンデレラって誰なんだろうな?」

 

「心配すんな…。見てりゃわかる」

 

楯無のナレーションで生徒会の劇が始まった。

 

『否、それは名前ではない。幾多の舞踏会をくぐり抜け群がる敵兵をなぎ倒し、灰塵を纏うことさえ厭わぬ、地上最強の兵士たち。彼女らを人は灰被姫と呼ぶ!』

 

「ほ~らくるぞ」

 

「え…?」

 

『今宵もまたシンデレラたちの夜が始まる。王子の冠に隠された隣国の軍事機密を狙い、舞踏会という名の死地に少女たちが舞い踊る!』

 

「楽しそうにしちゃって、まあ…」

 

ノリノリのナレーションにやれやれという様子で桜介は待機状態のキセルを吹かし始めた。

 

最初にドレスを着た鈴が一夏に襲いかかる。

一夏がそれをかわすと、鈴はそのまま一夏に飛刀を投げつけた。

 

「おわぁ!」

 

一夏は悲鳴をあげてのけ反ると、それを寸前のところでかわす。

 

「ふぅ~。いやぁ、モテる男は辛いねぇ」

 

「何…これ?」

 

「シンデレラだろ」

 

「はぁぁ~!?桜介助けてくれよ!」

 

「桜介、邪魔するんじゃないわよ!」

 

鈴と一夏に挟まれた桜介は、間を飛び交う飛刀を指で掴んではポイポイと捨てていく。

 

「なんだよ…。情けねぇな。女はちょっと気が強いぐらいの方が可愛いだろ」

 

「いいからそこをどきなさい!」

 

鈴が桜介を怒鳴り付ける。その形相で一夏はさらに逃げる、逃げる。

先ほどからずっと桜介を中心に、二人はその周りをぐるぐると回っている。

 

「ちょっとってレベルじゃないだろ、これ!」

 

「そうか?これぐらい可愛いもんだ」

 

「それはお前だから言えるんだよ…」

 

「そうかもね。それより硝煙の臭いがする。とりあえずしゃがめ、一夏」

 

桜介は自分の後ろに隠れていた一夏の頭を押さえつけて、一緒にしゃがませた。

スナイパーライフルの銃弾が、しゃがんだ二人の頭上をそのまた通過する。

 

(桜介さんと同部屋。悪く、悪くありませんわ!)

 

実はこの催しもので男子の王冠を奪ったもの、桜介の場合は中折れ帽子だが、それを奪ったものはその男子と同部屋になる権利が与えられることになっている。楯無が自分でこの催し物を決めておいて、最後まで参加にやたらと不満そうにしていたのもそのためだった。

 

「ふぃ~。セシリアも出てたんだねぇ。てっきり参加しないのかと思ってた。一夏、一旦散るぞ。巻き込まれたら庇いきれん」

 

「大丈夫か?当たったら死ぬぞ、これ…」

 

そんな心配をよそに、桜介は立ち上がるとろくに目視もせず、セシリアの連射をくるりくるりとかわしていく。

 

(さすがですわ。ハイパーセンサーも無しに…!)

 

「それ、どうやって避けてるんだ?」

 

一夏がテーブルの下にしゃがんだまま、不思議そうに問いかける。

 

「俺には正面も背後もない。北斗神拳とはそういうものだ。じゃ、またね~」

 

それだけ言い残して、一瞬のうちに桜介はその場からあっという間に姿を消した。

 

(き、消えたっ!あの人、めちゃくちゃですわね!?)

 

たしかにセシリアには突然消えたように見えた。

しかしアリーナの床には、ベコンと凹んだ片足の足跡がくっきりと残されている。

北斗神拳の軽巧術雷暴神脚。特に桜介のそれは見たものから神速とも言われていた。

 

 

 

 

 

 

「これでしばらくは大丈夫だろ」

 

ぷかあ~と煙を吐きながら桜介は先程いた場所とは反対側のステージの端を歩いていた。

 

「桜介、タバコないかぁ?」

 

「ないね~。このキセルは俺のISだろ?だから俺が吸ってるのはISの煙。そもそもステージで煙草は禁止なの。わかったかな?」

 

そこに現れたのはフォルテだった。フォルテの問いかけに桜介はいつもの屁理屈で返す。

 

「なるほど…。わからないっスよ!!」

 

「なんでだよ?納得いかないんだったら、お前もISの煙吸えばいいだろ」

 

「それ、ただの冷気っスよ!?」

 

「ところでなんでお前がここにいる?お前はこんなのに興味ないだろ。まさか一夏が目当てか?」

 

フォルテの考えがまるでわからなかった。セシリアが参加したのにも結構驚いていたが、フォルテはそれ以上にないだろうと思っていた。そんな桜介の疑問に、フォルテが神妙な顔で話を始める。

 

「桜介…。ここは同部屋になるっス」

 

「あ?なんで?」

 

唐突な提案だ。これにはさすがに心底わからないという顔を浮かべる桜介だった。

 

「桜介、今は週何回ぐらい飲んでるっスか?」

 

「う~ん、一回か二回?部屋では一人の時しか飲めないんだよねぇ。同居人がうるさくって」

 

「ふーん、煙草はどこで?」

 

「ベランダかな~。これも同居人がさあ…」

 

うんうんそうだろうと満足そうに頷くフォルテ。これには桜介も途中で何かに気づいたのか、はっとした表情を浮かべる。

 

「ふふふ。つまり私達が同部屋になれば…」

 

「毎日飲み放題じゃねーか!!」

 

「ふはは!そうっス。もう煙草吸うのもベランダ行かなくてもいいんだよなぁ」

 

嬉しそうにテンションをあげて笑うフォルテ。しかし、桜介はフォルテの薄い胸ぐらをガッと掴むとキッと睨み付けた。

 

「フォルテ、てめえ!……なんでもっと早く言わないんだよ!?」

 

「交渉成立…だな?」

 

「ああ…。何の不満もねぇよ?」

 

ニヤリと笑顔で握手をかわす二人。そして既に頭の中には二人にとっての理想郷が、くっきりと浮かんでいるのだろう。二人の頬はこれでもかというぐらいとっても緩んでいる。

 

「ほら、桜介。乾杯だ」

 

「まじかよ…。お前最高だぜ!」

 

フォルテが懐から取り出したのはキンキンに冷えた缶ビールだ。ISの力でそれは凍る寸前の温度でしっかりと冷却されて、まさに最高の状態。

 

「ほら、俺のキセルも貸してやるからな!」

 

「フフフ。桜介ってほんと調子いいっスね」

 

これで、無事に桜介の物語は円満にハッピーエンドを迎えるかに思われた。

 

だが、桜介の物語はそう簡単には終わらなかった。

 

フォルテとハイタッチをしていると空中から桜介の頭上に猛スピードで何かが迫る。

 

桜介は飛んできたそれを片手でパシッと掴んだ。

 

桜介が掴んだのは閉じられた一枚の扇子。

 

桜介はなんだか嫌な予感がしてすぐにバッ!とその扇子を開く。

 

するとそこには「裏切り者」の四文字。

 

桜介の額から一筋の冷や汗が流れた。

 

桜介は恐る恐る飛んできた方向を向き直る。

 

今まさに空中からスタッと綺麗に着地したのは…

 

悪魔のような笑みを浮かべるシンデレラ(更識楯無)だった。




続きます


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56話

短いです。そしてほとんどフォルテ視点です。


「ふぅ~。冗談はこれぐらいにしておこう」

 

「え?何が?それより部屋にワインセラー買わないっスか?最近ワイン好きなんだよなぁ」

 

「……前を見ろ、前を」

 

フォルテは小声でそう言われて指差された方向を向いた。すると視界に映るのはニコニコと笑顔を浮かべた悪魔。それを見たフォルテは背筋にゾクッと寒気が走り、普段のぐだっとした猫背から一瞬でピンと背筋を伸ばした。

 

「こんにちわ」

 

楯無から目の前の二人にかけられた声は普段では考えられない程に冷たく、そして低い声だった。その冷たい声とその表情からは、いつもの桜介に甘える猫のような姿を微塵も感じさせず、その姿はまさに暗部の当主のそれだった。

 

「楯無…。ナレーションは?」

 

「虚ちゃん」

 

「は、ははは、冗談っスからね。冗談」

 

「あら。私が買ってあげようか、ワインセラー」

 

そう言われたフォルテは体を震わせて俯いてしまった。なんなんだよ、この底冷えするような恐ろしい笑顔は。この会長、こんなに恐かったの?そしてフォルテはなんでこんなことになってしまったのかと自問自答を始める。この催しものは同部屋になりたい人は参加自由なんじゃなかったのか?そのはずだ。こうなったら一か八か、開き直って王冠を奪い合って戦ってみるか?相手はロシア国家代表だ。普通なら勝てる見込みはとても低い。でもISなしならなんとかならないだろうか?自分も代表候補生だ。格闘技術ならそれなりに自信がある。いや、それはダメだ。隣の男はそれに関しては最強の男。もしかしたらISとも生身で戦えそうな正真正銘の化け物。フォルテは一緒に飲みに行ったときに、何度か桜介が悪そうな男たちに襲われたときのことを思い出した。襲ってきた男たちは気づいたら倒れていて、その時の桜介の手の動きも足の動きもフォルテには全く見えなかったのだ。この男はもし仮に私と会長が戦った場合、あっさりと私を裏切って会長につくだろう。それは桜介のひきつった顔からも明らかだった。そもそも、桜介は既に今回のことは冗談で済ませる気満々だ。そのためなら私を笑顔で差し出すぐらいのことすらやりかねない。そして会長は桜介にはなんだかんだいって甘い。いや、正直いって激甘だ。それに端から見てもすぐにわかるぐらいにベタ惚れしている。今は怒っていても桜介が一言でも謝ればすぐにでも許すだろう。それぐらいに桜介にはちょろいのだ、この会長さんは。そしたら私は最悪、一人でこの二人を相手することに…。一人は国家代表、一人は規格外の化け物…。無理だ…。考えただけで心が折れそうだ。うん、同部屋は諦めよう。すっぱりと諦めよう。今はもうとにかくこの状況を何とかすることを考えるのが先決だ。フォルテは気付いてしまった。短い夢だった。やっぱり理想郷なんてどこにもなかったんだなぁ。フォルテはどこか悟ったような表情で顔を上げた。

 

「いやあ、フォルテが変なこと言い出すからね。俺は説得してたんだ」

 

「そう…なんだ」

 

楯無はそう言って頬をピクピクとひきつらせながらニコォっと笑った。

 

それに桜介も後ろめたいことは何もないかのようにニコリと微笑んで返した。

 

フォルテは桜介の腰にしがみついてガタガタと震え出した。

 

フォルテは思った。このやろう!やっぱりそうきたか。こいつ私に全部押し付けて自分だけ逃げる気満々だな。桜介は基本的に女や子供には甘い。だからもし女友達に何かあれば、積極的に庇うタイプだろう。しかしフォルテは桜介に常に男友達のように扱われてきた。女扱いされたことなど思い返しても一度もなかったし、今までフォルテはそれを不満に思ったことなどなかった。フォルテもむしろそんな関係が好きだった。でもフォルテは知っていた。桜介は友達思いだが、時折冗談がキツすぎることを。そして多少の面倒を押し付けてもそれを笑って冗談で済ませることも知っていた。それに本人に悪気がないのが余計にたちが悪かった。やっぱり桜介に関わるとろくなことがないなぁ。そこまで考えてフォルテは、せめて桜介が一人だけ逃げださないように必死で腰に回した手に力を込めた。だがそれは悪手だ。フォルテは知らなかった。それが楯無の怒りをさらに煽っているということを。

 

「いつまで…」

 

名前を呼ばれたフォルテは反射的に体をビクッとさせた。

 

「…くっついているのかしら」

 

自分の男に…。楯無が直接そう口には出したわけではないがフォルテを見るその冷たい目が、その冷たい口調が、言外にそう言っているように感じられて、フォルテは桜介から慌てたように一瞬で飛び退いた。

 

「フォルテ、どうしたんだ?お通夜みたいな顔をして…。それにお前たちって仲悪かったっけ?」

 

フォルテはキセルを咥えたまま無邪気な笑顔で自分の頭をポンポンしてくる桜介に、今はやめろと心底思った。もともと私は会長とは仲良くも悪くもないんだよ!今の空気はお前が原因なんだ。お前のその誰にでも気安い行動が、余計な怒りを買ってるんだよ。お前それ絶対わかってないだろ。そう思いながら涙目で桜介を睨み付けた。

 

「まあ、元気だせよ、な?」

 

だがフォルテのそんな思いはまるで届かなかった。いや、届かないだけならまだましだった。桜介は何を勘違いしたのかフォルテを慰めるように今度は頭を撫で始めた。後ろでは楯無がそれをじっと見ているというのに。そういう優しさは今はいらないんだよ!フォルテは心の中で桜介に向かって叫んだ。フォルテは楯無の顔を見るのが怖くなってまた俯いてしまった。この男、まじでぶん殴ってやりたい。頭を撫でられてる間、フォルテはずっとそう思っていた。




今日は続きが思い付かないのでここまでです。


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57話

「ふ~。誤解も解けたことだし一件落着だね」

 

桜介は肩にポンと手を置こうとしたが、楯無にはかわされてしまう。

 

「ん、どうした?」

 

桜介が首を傾げると、楯無はにっこり笑って胸ポケットから扇子を取り出し、バンと開いた。

 

『フォルテ、てめえ!……なんでもっと早く言わないんだよ!?』 

『交渉成立…だな?」

『ああ…。何の不満もねぇよ』

 

それは明らかに、先程のフォルテとの会話を録音したものである。

 

「ひ、ひどい…。最初から疑ってたんだ!盗聴なんてあんまりだよ!!たっちゃんバカ、もう知らないっ」

 

「待ちなさい」

 

傷ついたように顔を抑えてその場から走り去ろうとする。しかしガシッと肩を掴まれてしまう。

 

「ちっ。恐ろしい女だ、まさかこれを見抜くとは…」

 

「それで逃げられると思ってるのが恐ろしいわよ!」

 

仕方ないので桜介は諦めてふ~~っと大きく煙を吐き出し、すぐにフォルテに耳打ちをした。

 

「逃げるぞ」

 

「……いかないっスよ。この裏切り者め…」

 

「いい加減、観念なさい!」

 

フォルテには断られ、楯無には諦めろと諭された桜介はスタスタとゆっくり歩きだす。

ぷかぷかと煙を吐き出しながらある程度距離を置くと、くるんと二人に向かって振り返った。

 

「なあ。君たちさ、たった二人で俺に勝てるつもりなの?それも素手で」

 

振り向きざまに、裏切り者と書かれた扇子を開いてパタパタさせながら問いかける。

 

「はい?」

「ん?」

 

きょとんとした顔をした二人に、桜介はやれやれとため息を吐くと再度口を開いた。

 

「はぁ…。銃でもナイフでも好きに使っていいから、まとめてかかってこいよ。なんなら俺に触れたら勝ちでもいいぜ」

 

桜介は左手を前に出すとクイクイッと手招きをした。右手は扇子をパタパタさせたまま。

 

「……知ってはいたけど、ほんと、いい性格してるわよね。あれじゃあまるで悪役よ」

「しかもあれは、完全に私たちをなめてるっス」

 

楯無とフォルテは揃って呆れたような顔をした。しかし二人とも、そこまで言われて黙っていられるほど気が長いわけではない。

その証拠に楯無は眉間にしわを寄せてぷるぷると震えているし、フォルテも顔をしかめて拳を握りしめていた。

 

『ただいまからフリーエントリー組の参加です』

 

三人が今にもバトルを始めようとしていると、虚のナレーションが流れて、数十人が一夏と桜介のいる方に別れてドドドドドッと激しく音を立てて走ってくる。

桜介の元に集まったのは合計でざっと二十人。そしてそのうちの何人かが声をかけてきた。

 

「桜さん、ここは任せてくださいっ!」

「もう会長の好きにはさせません!」

「桜さんは私たちが守りますから!」

 

桜介の周りに集まってきたのは格闘系の女子ばかりその数、二十数名。

そのメンバーには最近襲撃してきた女子が多く、その顔にはだいたい見覚えがあった。

 

「君たちはいつもの…。いいの?じゃあ代わりに戦ってくれる?あいつら、俺のこといじめるんだよね〜」

 

まだ状況がよくのみ込めていなかったが、これはいい流れ。とりあえずこの流れに身を任せることにした。

 

「桜介くん…!あなた…っ!覚えてなさいよっ!」

 

それを聞いた楯無は、顔を真っ赤にして怒り出す。

 

「桜介、調子に…乗りすぎっスよ?」

 

そしてフォルテも、氷のように静かに怒っていた。

 

「あ~怖い怖い。あの先輩たち、怖いなぁ~。またいじめられちゃう」

 

「大丈夫です!私たちが自由にしてあげます!そしたらまた稽古つけてくださいね?」

 

「うん?ありがとう??」

 

桜介が困ったような顔をしてしれっと怖がるそぶりを見せると、それに元気よく答えたのはどこかで見たことがあるようなボクシング部の女子だった。

 

(稽古なんてつけた覚えないんだがな…。まぁいいか、なるようになるだろう)

 

そして深く考えることをやめた。とりあえず今は煙をぷかぷか、扇子をパタパタさせてこのまま様子を伺うことにした。

 

声をかけた後、女子たちは楯無とフォルテに向かって勢いよく駆け出していく。

 

そして桜介は途中で何かに気づいたのか、扇子をパタンと閉じる。

 

「……なるほど。これが噂のモテ期っていうやつか。悪くねぇな…」

 

その呟きに、真っ先に反応したのは楯無だった。

 

「………殺すわよ?この、お調子者っ!すぐにいくから、そこで大人しく待ってなさい!」

「桜介はほんとろくでなしっスよ。そんな余裕でいられるのも、今のうちだからな?」

 

フォルテも冷たい声でそれに続く。

 

こうして黒幕が堂々と見守る中、女子たちの大乱闘が始まった。

 

 




この主人公、気づいたらどんどん性格が悪くなっていく。


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58話

なかなか話が進まないけどもうすぐ進ませます。ほんとは劇は1話で済ませるはずが長くなってしまいました。


「くらえぇ!」

 

楯無に右側から竹刀の上段突き。

 

「邪魔」

 

屈んでかわしてそのまま腹部に掌底を叩き込む。

 

その場で崩れ落ちる剣道女子。

 

「桜さんを解放しろぉ!」

 

続けて正面から空手部の正拳突き。

 

「まったく…」

 

腕を扇子でパシンと叩いて向きをそらす。

 

「彼の本性を知らないから、そんなことが…」

 

地面を蹴ってふわりと飛び上がる。

 

「言えるのよ!」

 

右足の回し蹴りが側頭部を蹴り抜く。

 

数メートル吹っ飛ばされて倒れる空手女子。

 

「もらったぁ!」

 

着地したところにレスリング部のタックル。

 

「あれは魔王よ、魔王…」

 

もう一度飛び上がってそれをかわす。

 

「わたしの好きなようになんて…」

 

空中で後ろに一回転。

 

「出来るわけないでしょうが!」

 

そのままサマーソルトキックで蹴りあげる。

 

後ろに倒れるレスリング女子。

 

扇子で口元を隠しながら周りを見渡して一言。

 

「さあ、かかってきなさい。憎っきあの男の前座にしてあげるわ!」

 

 

 

 

 

その頃、桜介は楯無たちの戦いぶりしっかりと見ていた。

 

「ふむ。旨いね、この紅茶」

 

「そ、そうですか。ま、まあ当然ですわね。わたくしが淹れたんですから」

 

いつの間にか合流したセシリアと紅茶を飲みつつ、談笑を交えながら。

スーツでビシッと決めた桜介とドレス姿のセシリア。和やかにお茶を楽しむ二人の様子はさながら、ちょっとしたお茶会のようだ。

 

「いやあ、君が敵じゃなくて本当によかったよ。みんな凶暴でさあ、もう女性不振になりそうだったんだ」

「まあ、恐ろしいですわね」

 

もともとセシリアは今回、どうしても同部屋になりたくて参加したわけではない。自分を淑女して扱ってくる桜介との同部屋は、やはりまだ恥ずかしさが勝るのだ。今までも二人はそういう絶妙な距離感だった。

 

「ところで桜介さん。この状況はいったいどういうことでしょう?」

 

「それが俺にもよくわからないんだ。なんだか気づいたらこうなっていた…」

 

桜介もこの状況にはすっかり困惑顔だ。肩を竦めて両手を広げ、やれやれというようにそう言った。

 

「よくもぬけぬけとそんな嘘が…!呑気にお茶なんか飲んで!いくらなんでも調子にのりすぎなのよ!」

 

「ぶん殴るっス。桜介ぇ、ぶん殴るからなぁ!」

 

二人からはそんな怨嗟の声も聞こえてくるが、幸い桜介の耳には届いていない。

 

「おっ、これなんてなかなかいけるじゃない。セシリアもどう?」

「ええ、頂きますわ」

 

桜介が差し出した皿には少し摘まむのにちょうどいい簡単なオードブルが乗っている。

 

「「この男、なめるにも程があるっ!」」

 

そんなふざけた態度に怒りが増したのか、楯無とフォルテの相手を倒すペースがさらに上がる。向かって行った女子たちは呻き声をあげて、バタバタと二人に倒されていく。

 

「あっ…!!」

「いっ…!?」

「うっ…!!」

「えっ…!?」  

「おっ、桜介さん!?とても怒っていますわ!二人ともなんだかもうすごい形相でしてよっ!?」

 

四人が足元まで飛んできてセシリアが慌てて声をあげた時には、既に二十人以上いた女子はとっくに十人をきっていた。

 

「ふぅ。女は怖いな。やっぱりセシリアのようなおしとやかな淑女が一番だよね…」

 

「もう!お上手なんですからっ」

 

「はっはっは!俺は嘘はつかないさ」

 

そして、お調子者はすっかり調子にのっていた。

 

「嘘ばっかりじゃないの。その続きは……地獄でやったらどうかしら?」

 

そんなお調子者に後ろから声をかけてきたのはやっぱり楯無だった。残り数人をフォルテに任せて、一人で先に戻ってきたようだ。

 

「お、桜介さん怖いですわ。か、会長さんが、まるで悪魔のような顔をして…」

 

「ふ…。セシリア、きみは下がってろ。この悪魔は俺がなんとかする!」

 

「桜介さん…っ」

 

「それよりアリーナは少し冷えるだろ。よければこれでも羽織っておくといい」

 

桜介は手に持っていた紅茶をテーブルに置くと、セシリアを庇うようにスッと前に立つ。

そしてスーツの上着を脱ぐとセシリアに手渡した。

その紳士らしい立ち振舞いにセシリアはうっとりとした表情を浮かべる。

鬼気迫る相手にも微塵も怯む様子はない。ああ、なんて、なんて頼もしさだろうか。

実際は全て自業自得だが、当然そんなことをセシリアは知らないのだ。

 

「悪魔はあなたでしょ…。それでその茶番は一体いつまで続けるつもりかしら?」

 

「はて、何のことかな?」

 

「まさかスーツをそんな風に使うなんてね。さすがによくわかってるわ、私が怒るツボをっ…!」

 

顔を痙攣させながらちらっと桜介の背後に視線を向けると、楯無の視界に映るのは上着をぎゅっと抱き締めて、なにやら匂いを嗅いでいるようにも見えるセシリアの姿が。

私が選んだスーツを。私があげたスーツを。そう考えたらもうだめだった。

それだけでなく、セシリアの目がとろんとしているのも、その頬がすっかり赤く染まっているのも、どちらも余計に楯無を苛立たせる。

 

「やれやれ、レディに対する当然の配慮だろう」

 

「っ!あなたの格闘センスは言うまでもなく天才的だけど、それと同じぐらいかそれ以上に、煽りのセンスも天才的よね…!」

 

「ありがとう。スーツは感謝してる。趣味もいいしサイズもバッチリだよ。それにセシリアも暖かそうだ」

 

「……わかった。その性根を叩き直してあげる」

 

すでにメラメラと怒りに燃える楯無にもはやいつものような冗談は通じない。

ただただ目の前の憎たらしい男をキッと睨み付ける。

 

「楯無……」

 

「だめよ」

 

「たっちゃん……」

 

「だめっ!急に甘えても、だめだから」

 

「だめ、か……」

 

「だ、だめ、だめだからっ!やめなさいっ、そんな悲しそうな顔をするのはっ!ひ、卑怯よっ!?」

 

フッと儚げに微笑む桜介に楯無は一瞬だけたじろぐ、がすぐに表情を元に戻した。

そしてまたじーっと怒った顔を向けた。

もうわかっているのだ。自分をたっちゃんと呼ぶ時はだいたいが機嫌をとるとき、誤魔化そうとするとき、からかっているときのどれかだと。短くない付き合いの中でしっかり学習していた。

 

「成長したな、楯無ちゃんも」

 

「当たり前でしょう!今まで何度、何度それで騙されてきたと思ってるのよ!?」

 

そして桜介をこらしめようとしてる人間がもう一人いた。

 

「またせたな…。もう許さないっス」

 

顔面に向かって真っ直ぐに飛んできたナイフを、桜介は二本の指で掴んでそちらに視線向ける。

 

「ふ~。結局こうなるのか」

 

「誰のせいよっ、誰のっ!」

 

そして二年生二人に両側から挟まれる形になった。

桜介の実力を学園の中では最もよく知る楯無。そして簪を抜かせば次に知っているのはよくつるんでいるフォルテだ。

二人とも怒りに身を任せて無謀な一対一をやろうとは全く考えなかったようだ。

 

「フォルテ」

 

「任せるっスよ」

 

フォルテは蹴り技主体で、時折ナイフを投げて桜介を攻め立てる。

楯無はそれに合わせる形で隙を狙って仕掛けていく。

しかし即席の連携も、桜介は余裕を持ってひらりひらりと全てかわす。

 

「これじゃあきりがないっスね。それならこれでどうっスか~!?」

 

ここまで攻撃を全てかわされていたフォルテが両手を使い、残りのナイフを全て指に挟んだ。

そして、八本のナイフがフォルテの指からまとめて放たれる。

それに対して桜介は得意の軽巧術で一瞬で後ろにまわりこむと、軽く手刀を当てて気絶させようと腕を出す。

 

「終わりだ」

 

しかしそこに待っていたのは、すでにそれを読んで待ち構えていた楯無だった。これは動きを見切っているというより、女友達の腹や顔を殴れる男ではない。それを知っていたからだった。

 

「もらった」

 

繰り出したのは威力充分のソバット。そして楯無が声を出したときには、もう避けられるタイミングではない。

それはキレイにクリーンヒットする。

桜介をきれいにすり抜けて、その後ろにいるフォルテの顔面に。

 

「ぐへっ」

 

背後からもろに食らったフォルテは変な声をあげて前に倒れる。それと同時に楯無の制服の上着がバンと弾け飛んだ。

 

「きゃっ!?」

 

「ふ〜。悪いが、もう貸してやれる上着はない」

 

「桜介くん…?今、あなたの体をすり抜けたように見えたけど…」

 

「この奥義はあらゆる攻撃と回避を無効化する」

 

楯無が後ろを振り返ると桜介は楽しそうに笑っていた。そんな様子に楯無はムッとした顔で当然の不満を口にする。

 

「そ、それは反則じゃないのかな。今さらだけど、本当にいい加減にしなさい。勝てっこないでしょ、そんなの。あなたってずるいのよ、色々と」

 

「ふっふっふ。自慢していいぞ。女にこれを使わされたのは初めてだから」

 

どこか嬉しそうにそう言われてしまい、楯無はもう呆れたようにため息を吐くしかない。

 

「そんな風に言われたら、悪い気はしないなぁ。なんだかもう気が済んじゃった」

 

そう言った楯無も実際にどこかすっきりとしたような顔をしていた。色々とやりあって体を動かしているうちにだんだんとその怒りも収まってきていたのだろう。

 

「それはよかった。じゃあここからはこっちの番だよな?さて…。お仕置きの時間だ、更識楯無」

 

死神と呼ばれる男は本当の悪役のような笑顔を浮かべて静かにそう言った。

 

 

 




こんなところで無想転生


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59話

「さて、お仕置きの時間だ…。更識楯無」

 

それを聞いた楯無はゾクリとして、反射的に後ろへ飛び退いた。

 

「お、桜介くん、もう終わりよねえ?」

 

「だって俺まだ一度も攻撃してないし。そんなのおかしいだろ」

 

キョトンした顔で返事をして、それから笑いながらゆっくりと歩き出す悪魔のような男。

 

「さ〜て、覚悟はいいかな?」

 

楯無はその表情に見覚えがあった。あれはいつも自分を困らせる時の悪戯っぽい笑顔だ。自分をいじめる時のとっても嬉しそうな笑顔だ。

 

「な、なにをする気なのっ?」

 

楯無とて、自分に本気で攻撃したりしないことはわかっている。じゃあいったいこの人は何をしたいのだろうか?目的は?楯無はストレートに聞いてみた。

 

「そうだな…。お仕置きだから、お尻ペンペンでもしてみようかね〜」

 

「じょ、冗談よね?いつもの冗談でしょう?だからフルネーム呼びとか本気っぽい空気だすのもやめよ?」

 

楯無の問いかけに桜介は黙ってただにっこりと笑う。しかしその返しに楯無は凛とした態度とは裏腹に内心焦りまくっていた。

背中を伝う冷や汗がだらだらと止まらない。だって万が一にもこんなところで、そんなことをされるわけにはいかない。

 

「俺はなにもお前をいじめたいわけじゃない」

 

「う、うそつきっ!いじめたいわけでしょう!?騙されないんだから!」

 

見え透いた嘘に、楯無は顔を真っ赤にして叫ぶ。

もしこの場でお尻ペンペンなんてされたら、きっといつものように泣きついて許しを乞うことになる。

しかし公衆の面前で一年生にそんなことしたら、築き上げてきた生徒会長の威厳は台無しだ。

 

「ずいぶんと疑い深いじゃないか。俺はお前をそんな風に育てた覚えはない」

 

「わ、わ、私だって、あなたに育てられた覚えなんてないわよぉ!」

 

「あれ…。そうだっけ?」

 

「あなたの方こそ。あんな菩薩みたいなお母様から、よくもこんな邪悪な息子が…」

 

「……怒ってもいいか?」

 

気にしてることを言われて桜介の目付きが変わる。そしてうっかり地雷を踏んでしまい、困った楯無が周りを見渡した。

すると、少し離れたところで生徒会長と副会長、学園最強と最強のルーキー、そんな二人の戦いを周りの参加者たちが一時的に王冠争奪戦を休止してまで、興味深く見守っていた。

 

「桜介、がんばれよ!」

 

「任せておけ。こんな茶番に付き合わせた悪戯好きな生徒会長はこの俺がきっちりとお仕置きしてやるよ」

 

桜介の声にかけたのは一夏だ。いつの間にか一夏も興味津々に二人の戦見ていた。桜介はそれに軽く手を上げて応える。

 

(なにを頑張るつもりなのよ、なにをっ!あなたも大好きじゃないの、イタズラは…!)

 

黙りこんでいた楯無だが、心の中ではいつものように、きちんと突っ込みを入れていた。それもわりと律儀な性格のなせるわざだろう。

 

「先輩、頑張ってください!」

 

その声は最近訓練を見てあげている箒だった。どうやら日頃のコーチの甲斐もあり、なんだかんだで慕ってくれているようだ。実はちょっとだけ嬉しかったりもする。だからといって、今そんなことを言われても困る。以前組み手に付き合ってもらった際、やっぱりまるで歯が立たなくて悔しがる自分に言っていたのだ。北斗神拳とは闘神の化身(インドラ・リバース)なのだと。

 

(そんなのを相手に素手でどう抗えと??私は普通の人間なのよ!?)

 

後輩からのせっかくの応援にも、すっかり心の中ではそんな愚痴をこぼしていた。

この催しものでISの武装は使用禁止のルール。

それも楯無が自分で決めたルールだった。

それを自分から破るわけにはいかない。

仮にもし使おうとしたとしても、この距離では展開する前に待機状態のそれを神速の軽巧術であっさり奪われてしまうことだろう。

人間の限界を軽く超えているISの展開速度よりも速く接近出来るだけの足と反応速度。それも理不尽の塊のような男の理不尽たる所以なのだ。

 

「か、考え直しなさい!だめよ、そんなの…」

 

「いい子にしてたらすぐ終わる」

 

「う…!やだやだっ、そんなのやだ!」

 

「何がそんなに嫌なんだ?」

 

「お、お尻ペンペンなんて、やだっ」

 

既に涙目の楯無は必死に首を振って抵抗した。それにも関わらず、本人の口からきちんと言わせるところがまさにドS。

本当はすぐにでも逃げたい、逃げ出したい。しかし生徒会長として向かってくる後輩から情けなく逃げ出すわけにはいかない。

それにどうせ逃げても、すぐに捕まってしまうことは目に見えていた。

 

「だだをこねるんじゃない!」

 

「なっ!こ、こねるわよ!?」

 

まるで幼子をたしなめるように言われて、それでも楯無の胸の鼓動は激しく高鳴った。もちろんいつもとは違う意味で。

相手は裏の世界では既に伝説となっている死神。そしてその通り名は閻王、要するに閻魔大王。

地獄の王にも例えられるその実力は決して伊達でも酔狂でもなければ、ましてや誇大表現などではない。

銃器を持っていたとしても勝てそうにないが、今はそれすら持っていない。

楯無がなにをどう考えたところで、すでに状況が完璧に詰んでいるのだ。

 

(くっ!よっぽどみんなの前で、私のお尻をペンペンしたいのかしら。こ、この変態は…)

 

そんなことを考えている間にも、桜介はゆっくりと近づいてきていた。

 

「楯無ちゃん、ごめんなさいは?謝ったうえで、きちんとお願い出来たら許してやる」

 

そう言って桜介はフッと僅かに微笑んだ。それで楯無はすぐに気づいてしまう。

あの顔はこの状況を完全に理解していて、明らかにそれを楽しんでいる生粋のドSの顔だ。

 

(い、いじわるっ!そんなこと、出来るわけ、ないじゃない。こっ、こんなところで…っ)

 

実はそんなところも嫌いではなかったが、それはあくまで二人っきりでの話。

いつもは大好きなその笑顔が、もちろん今はとてもとても憎たらしく見えた。

 

「うう、こ、このっ!」

 

楯無は持っている扇子を十数個、全部投げつける。例えそれが無駄だとわかっていても、このまま抵抗もしないで、素直にお仕置きを受け入れるつもりはない。

 

「まったくぅ。悪い子だ、オイタするなんて」

 

だが桜介はもう向かってくる複数のそれを、避けることすらしない。

右手の人差し指を立てると左手は腰に回したまま、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピッと指先で飛んできた扇子を順番に突いていく。

まるで残像が残るような速さで突かれた扇子が、次から次へと粉々に砕けちっていった。

砕かれた扇子の破片は重力に逆らって、上へ上へと舞い上がっていく。

 

「わ、悪い子…!お、オイタ…!!」

 

その言葉を聞いて楯無の脳裏に今までいたずらするたびに受けてきたお仕置きの恥ずかしい記憶が甦る。

いい子だと言われた時には思い切り甘やかされてきた。逆に悪い子だと言われた時にはたっぷり辱しめられる。そんなことを繰り返されたら、その言葉が嫌でも身に染み付いてしまう。

楯無は気づけば自分の体を抱きしめてぶるりと身を震わせていた。

 

「もうこいつもいらないねぇ」

 

桜介は持っていた裏切り者と書かれた扇子を無造作にポイッと目の前に投げ捨てる。

すると、投げ捨てられた扇子はすぐにボン!と音を立てて空中で爆ぜた。

 

「お、お、桜介くん、なっ、なんか周りに、青い炎みたいのが見えるんだけど…」

 

「これは俺の闘気、いわゆるオーラだ。だが心配はいらないよ、痛くしないから」

 

「あ、あは、あははっ。な、なるほど、痛く、ないんだぁ。それなら安心…ね」

 

そう言った楯無の顔は、やはりひきつっていた。

 

(お、オーラって、見えるんだ…。と、闘気なんて、普通ないのよ!?)

 

もう楯無にはスタスタと近づいてくる足音が、自分に迫る死神の足音のように聞こえていた。

普段はどこまでも頼もしいその姿だが、今はそれが自分を追い詰めてくるのだ。

 

「鬼!外道!桜介くんの人でなし!読書家なら、一度道徳の本を読んでみなさい、道徳の本を!」

 

「読んだことあるよ。しかし内容を忘れちまった」

 

「また見え透いた嘘を!北斗神拳の伝承者が女子をいじめるなんて前代未聞ね!ご先祖様も悲しむわよ!」

 

一生懸命に皮肉たっぷりの罵声を浴びせる楯無。

しかしすでに楯無には自分がその大きな肩にあっさりと担がれて、お尻ペンペンされて泣かされているところまでがリアルに想像出来てしまっていた。

 

「……余計なお世話だよ」

 

先祖の話まで持ち出されては、さすがの鬼畜にも効いてしまう。それ以外にもすでにボロクソに言われている。それもまた実は結構気にしていた。こう見えても、お年頃の男子は意外と繊細なのである。

 

「あ、あわわ…」

 

そして恨めしげな視線で再度睨まれると、楯無はそれにまた大いに動揺する。

 

「ご、ごめんね?い、言い過ぎたかも…」

 

内心傷ついていることにようやく気付いて、とりあえず謝ってみる。

 

「……ゆるさん」

 

「うう。こ、ここ、このいじめっこ!やめなさいっ、そんな悪ふざけはぁ…!」

 

どうやらもう手遅れのようだ。楯無はそう言って最後の抵抗をする。が、しかし本当はもうわかっていた。

相手がふざける時は本気でふざけるタイプの人間だということを。痛いぐらいに身にしみて。

 

「う~ん、だ〜め。やめてあげない」

 

「う~~~っ!バカバカっ……!!」

 

気づけばもう目の前まで来ていて、二人の距離はほとんどない。それでも最後まで逃げることをしなかったのは、ただの強がりであり、そして意地だった。

 

「っ~~!」

 

桜介が目の前に来てピタリと歩みを止めると、楯無は身構えてピクリと体を反応させて目をぎゅっと瞑る。

 

(ああ、こんなところでペンペンをされちゃうんだ…)

 

楯無は目を瞑ったまま心の中ではもうすでに覚悟を決める。しかしいつまで経っても、楯無が想像していたようなことは起こらない。その代わりに頭の上に何か置かれたようなそんな感触が…。

 

(あ、あれ…?)

 

楯無が恐る恐る目を開けると、桜介は満足そうに微笑んで帽子を頭の上にのせて軽く被せていた。

 

「俺の負けでいいや。反則なんだろ奥義は。それに最初からお前以外に渡すつもりもない。約束しただろ」

 

「……へ?」

 

当然楯無はその言葉に呆然とする。まさか思わないだろう、ここまでの悪ふざけは全て盛大なお茶目の前振りだとは。

 

「少し遊んでみたかっただけだ。それが途中から楽しくなっちゃって。ごめんね」

 

桜介は頭をガシガシ掻きながらバツが悪そうに顔を逸らす。実は少しふざけすぎたかなと思っていたので、無理もないだろう。

 

「……少し?少しじゃないでしょうが!桜介くん、周りをよく見てみなさいよ?」

 

「周り?」

 

桜介は言われて周りをぐるっと見渡す。すると、そこにはフォルテも含めて何十人もの女子が床にばったりと倒れている。

 

「これはほとんどお前がやったんじゃ…」

 

「……なにかしら?」

 

「はぁ…。悪かったよ」

 

憤る楯無に桜介は苦笑いを浮かべて謝る。はしゃいでしまったことには少しだけ反省していたようだ。

 

「まあ、でもちょっとしたイタズラだろう?可愛い後輩の」

 

「可愛い後輩……誰が?」

 

じとっした視線を向けられても、桜介はしたり顔で自信満々に自分を指差す。やはりこの男、ずぶとさも並みではない。

 

「……よく堂々とそんなことが言えるわね。一体その自信はどこからくるのかしら」

 

「だめ?悪かったね、かわいくなくて」

 

「ふ~ん。そ、それより、私以外に渡す気なかったっていうのは?」

 

「それは本当だ。約束しただろうが」

 

怪しむように聞いたところ、真面目な口調で答えられたので楯無はホッとため息をつく。

しかし桜介はそれに気づかずに、そのまま淡々と言葉を続けた。

 

「それに俺はお前の味噌汁が飲みたいんだ」

 

「な、な、なああっ!?」

 

放たれたあまりに率直な言葉。それに楯無は金魚のように口をパクパクとさせて激しく狼狽える。

実際桜介は楯無の料理が大好きだった。朝ごはんも毎回おかわりするほどには。

 

「好きなんだ、お前の味噌汁が。だからさ、また作ってくれよ」

 

桜介が照れくさそうに言うと、楯無は両手で胸を押さえて俯いてしまう。

 

「うう、うううっ…!」

 

そして、しばらく胸をギュッと強く押さえていると、楯無の服の中でなにやらカチッという音がした。

 

『好きなんだ、お前の味噌汁が』

 

―――――好きなんだ

 

「す、す、すっ……好きぃ!?」

 

胸ポケットで再生された音声がとどめとなり、楯無は胸を押さえたまま、後ろにバタンと倒れ込んでしまう。

 

「あらら…」

 

そして残されたのは数十人の倒れている生徒たちの中心に立って、キセルを吹かすただ一人の男。

 

「ぷふー。なんだか静かになっちゃったね…」

 

それはとても不思議な光景だった。しかしそれがこの男には異様なほどに似合っていた。

まるでこれがいつもの光景だと言わんばかりに、当たり前のように感じられた。

そこにあるのはまさしく覇者の風格。思いかけずしてそれを身に纏う男の姿だった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

桜介はとりあえず側に駆け寄り、抱き起こして楯無の頬をぺちぺちとしてみる。

 

「えへへ…好き…。えへへ…へへへ…」

 

どうやらにやけた顔で放心しているようだ。口からはやっぱりよだれが少し垂れていた。

それでも帽子だけはしっかりと胸に抱いている。

ああなんだ、いつものやつか、それなら安心。それに幸いなことに、今日は鼻血が出ていない。

 

「……よし、これでいいか」

 

口から垂れているよだれをハンカチで綺麗に拭きとり、床に脱いだベストを敷いて、楯無をその上にそっと寝かせる。

そして自分の行いにすっかり満足していると、そこに一夏が駆け寄って声をかけてきた。

 

「楯無さん、急に倒れちゃったみたいだけど、どうしたんだ?」

 

「ああ…。たま~にね、こうなるんだ。でもすぐ治るから大丈夫」

 

「そうか、大丈夫ならいいんだけどさ。そういえば桜介も味噌汁好きなんだなぁ。やっぱり日本の朝は味噌汁だよな!」

 

「ああ、うん、そうだね…」

 

一夏は不思議そうに、床で倒れたまま放心している楯無を見ると、朝食の話を始めた。

しかしそれに相づちを打つ桜介は、かなり複雑そうな表情をしている。

しかし二人がそんな話していると、そこに声をかけるものがいた。

 

「あんたたちは…女の敵ね」

 

誰かが二人を睨むようにしてそう言った。

 

「女の敵だな…」

「ちょっと許せないよね」

「許せんな…」

「さすがにそういうのは許せませんわ」

 

他のものもすぐにそれに続いた。

 

「ち、違うよ?味方だよ?俺は」

「ど、どうしたんだ?みんな!?」

 

二人は気づくと、恐い顔をした女子たちに周りを囲まれていた。しかもなんで怒ってるのか、理解が追い付かない。

そんなに怒るようなことをしただろうか。もしかしたら少し誤解があるんじゃないだろうか。

桜介はとりあえずちゃんと話せばわかってもらえるんじゃないかとそう思っていた。

 

「今回はね、わざとじゃないんだ」

「なに…?」

「なんだ?」

「なにか言ったか?」

「じゃあいつもはわざとなんだね?」

「そういうことになりますわね」

「いつもわざとじゃないよ、多分ね」

 

説得したものの、話を聞いてもらえそうにないので、すぐに諦めることにした。

ああ、そうだった。この人たち怒ったら、人の話を聞かないんだった。

桜介はなにかを思い出したような遠い目をして、黄昏るように煙を上にぷーっと吐き出す。

 

「一夏、とりあえず逃げよう」

「そ、そうだな」

 

しかしこのまま大人しくやられる桜介ではない。一夏を抱えて床を蹴りそのまま高く飛ぶ。

だいたい5メートルぐらい飛んで女子たちの囲いの外に着地すると、二人は別れて逃げることにした。

 




強引に話を進めました。


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60話

「ふぃ~~」

 

やはり怒った女は怖いと再認識した。自分の言い方が悪かったとは思うが、あんなに怒ることないだろう。こういうときは逃げるが勝ち。一夏くんも頑張って逃げてくださいね、そう思っていると、後ろからパンと聞き慣れた音がしてとっさに体が反応してしまう。

 

「はは、この距離でそれを避けるか。噂通りの化け物だな、お前」

 

「はぁ……。言わなかったっけ?俺はビッチは趣味じゃないんだよ。ナンパならお断りだって」

 

声をした方を振り替えると、こないだ知り合ったばかりのダリルケーシーさん?が怖い顔で立っていた。そしてあの小型拳銃はデリンジャーか。銃にはそれほど詳しくないが、あれは以前にも見たことがあり、まさに女スパイか女怪盗って感じで、その怪しさ満載の風貌によく似合っている。

それにしても、この学園やはり色々とおかしい。いくら上海でも、女子高生が当たり前のように銃を向けてきたりはしない。

 

「ちょっとつきあってもらおうか」

 

「おいおい、告白もお断りなん…」

 

そう言いかけたところで、また拳銃をぶっ放される。なんでだろう、どうしてこの学園の女子たちは、もれなく人の話をきちんと最後まで、しっかり聞いてはくれないのだろう。 

 

「ちっ」

 

わかりやすく舌打ちをするなんとなんとかさん。その態度も含めて失礼にも程がある。もし首をひねらなかったら、こっちは普通に死んでいたんだ。そろそろ怒ってもいいだろう。それにいい機会だから、将来の教員候補の一人として、この無知な女生徒に学問というものを教えてやることにした。

 

「おい、知らないのか?ニーチェいわく、北斗見しときは死すときなり」

 

「哲学者がそんなことを言うか」

 

「御名答。そう言ったのは…霞桜介だ!」

 

 

 

 

 

 

そして連れてこられたのは屋上だった。しぶしぶついてきたが、みんな学園祭に夢中なのか屋上には誰もいない。つまり男女が二人きり、といえばやはり。

 

「それで?俺になんか用?告白なら先に言っとくね、ごめんなさい」

 

「ふざけた態度もいい加減にしろよ、くそガキ」

 

そう吐き捨ててキッと睨まれる。どうやら本当に告白ではなさそうだ。そうなると、こっちが自意識過剰でなんだか痛い子になってしまう。腹いせにその怒りをぶつけてやるしかないだろう。

 

「ふざけてんのはお前だろ。こっちは学園祭楽しんでんだ。邪魔するんじゃねぇ!さては痛い子だな、てめーはよ!?」

 

「あっはっは。痛い思いをするのはこれからだよ!今からお前を殺す。お前はオレ達には邪魔なんだ、ヘルハウンド!」

 

ダリルケーシーは興奮気味に笑うと次の瞬間、フワッとした光の粒子に包まれた。ヘルハウンド、地獄の番犬だろうか。

 

「ぷふー。最初からそう言ってくれたら喜んでついていったぜ。やっぱりナンパの仕方が間違ってんだよ、ビッチのくせに」

 

こうなるとさすがに生身ではきついだろう。こちらも煙を一口吸ってから、いやもう一口、もう二口吸ってからISを展開させる。

 

「このガキ…。ほんとに生意気だな」

 

「ところでオレ達って?もしかしてお前…。悪の組織の一員だったりする?」

 

「よくわかったな、亡国機業だ」

 

「ふーん、なんだ。じゃあ悪党(ゴミ)か…。それなら遠慮はいらないねぇ〜」

 

ダリルケーシーのISはダークグレーの装甲に両肩には犬の頭がついていてそこからは炎が吹き出している。たしかフォルテは氷でこいつが炎、それで二人はコンビだと聞いている。

その時は心底どうでもいいと思って聞き流していたんだ。しかしこんなことなら、もっと詳しく聞いておけばよかった。そんなことを考えていると、楯無からプライベートチャネルで通信が入る。

 

『桜介くん!なにやってるのよ?やっぱり一夏くんが狙われたみたいなの!』

『ふーん。一夏の方にもねえ。悪いがこっちも取り込み中でさ、これから遊んでやるところだよ』

『……いつもよりテンションが高い。なんでそんなに嬉しそうなのよ!間違えてやられたりしないでね?』

『誰に言ってんだ?お前。いいから早く行ってやれ』

『うふふ、冗談よ、それにしてもバカよね?よりによってあなたを狙うなんて。それじゃまたあとでね!』

 

もともと話の長い女ではないが、向こうもかなり慌てているのか、話が終わるとすぐに通信を切った。

しかし気に入らないのは、今の間も攻撃してくる時間はあっただろうに、なにも仕掛けてこなかったということだ。もしかしたら無意識に余裕のつもりなのかもしれない。一年生だと思って侮られている。もしそうだとしたら、このあとすぐに後悔することになる。

 

「おいビッチ、もういいぞ。好きなときにかかってくるがいい」

 

「誰がビッチだ!?後悔すんなよ?お前みたいな生意気なガキは、口のきき方から教育しないとなー!」

 

ダリルケーシーは大層な口を聞きながら、両肩の犬の頭から炎を吐き出した。それなりに大きな規模の炎が勢いよく迫ってくる。小手調べの火炎放射といったところか。

とても熱そうなそれを右手で炎の向きを変え、そのまま後ろに受け流してみる。なんてことはない柔拳の応用だが、気をつけないと校舎が燃えてしまうので注意が必要だろう。

 

「こんなもんじゃねーだろ?ビッチ先輩、きちんと教育してくれや」

 

「死ね、くそガキ!地獄の業火で燃えちまえや!」

 

そして、次に出したのはさっきよりもデカイ、それもかなりデカイ火球だった。さっきも校舎の心配をしていたのに、ついつい挑発してしまう、そんな悪い癖が招いた結果だった。

 

「ぬんっ!」

 

今度は避けるわけにはいかない。少し後悔しながら、直前までに来たところで闘気を高めて噴出させる。すると周りを包んでいた炎は、あれだけ燃え盛っていたのが嘘のように綺麗にその場で霧散した。

 

「業火の割にはぬるいな。教えてあげよう、地獄とはつまり俺の庭よ」

 

と、そんな適当なことを自信満々に言ってみる。無論炎がこれで消せるのは知っていたが、ISの炎でも出来るかどうかはまた別で、かなり半信半疑。まず勢いと火力が通常のそれとはまるで違うのだ。だから上手くいってよかった、本当はそう思って安心しているのは内緒。

 

「てめー、何しやがった!?」

 

「ちょっとだけ気合いを入れてみた。そうしたら消えちゃったんだ。こんなのさ、俺にはとろ火だねぇ〜」

 

「ふざけるんじゃねぇ!」

 

「だから、ふざてるのはてめぇだろ。二度も同じ手を使うとは…なめてるねえ!」

 

「お前…、一体なんなんだよ」

 

ギリッと歯を軋ませてそんなことを言ってくる。その顔には先程までの余裕はないように見える。そうだ、俺はその顔が見たかったんだ。しかし、それは特別なことじゃない。むしろ普通で当たり前のことなのだ。さて、ここでひとつネタばらしといこう。

 

「お前が相手にしてるのは死神だ」

 

 

 

 

 

 

その頃、一夏も同じく亡国機業の襲撃を受けていた。

今そこに楯無が駆けつけたところだ。

 

「てめぇ、どこから入った?まあいい、見られたからにはお前から殺す!」

 

「楯無さん!」

 

既に一夏を追い詰めていた亡国機業のオータムは突然現れた楯無へと襲いかかった。

オータムの八本の装甲脚が楯無の全身を貫くがオータムにはなんの手応えも感じられなかった。

 

「手応えが…ないだと…」

 

「うふふ」

 

楯無が涼しげに笑うと次の瞬間、楯無だと思っていたものは水に変わった。

 

「こいつは…水…?」

 

「そうよ。何?水に文句があるの?」

 

「あ?何言ってんだお前は…」

 

「水の文句は…ってさすがにこれはないわね」

 

何か言いかけたが途中でやめて楽しそうに笑う楯無。

 

笑っていた楯無は次の瞬間にはもうランスで攻撃していた。

 

「くっ…」

 

オータムは寸前のところで距離をとったが、凪ぎ払いを浅く受けた。

 

「あなた、運がいいわ。私が相手で。あの人…私より性格、悪いから」

 

 

 

 

 

 

 

別のところでそんな悪口を言われているとは知らず、桜介はダリルとまだ戦っていた。

 

「脆いな…お前は…。死ぬのが恐いんだろう?」

 

「ほざけ、くそガキ!」

 

またも同じような大きさの炎の球を放ってくる。もう何度目だろうか。これだからビッチは嫌いだ。しつこくて、品がなく、なによりも可愛いげがない。

 

「くそっ!お前…まじでなんなんだよ!」

 

「だから死神なんだって。近づけないのは恐いのか?炎は効かないんだ。ほら、とっととかかってこいよ」

 

「ちっ!このくそガキ!殺してやる!」

 

「殺す気だけでなく死ぬ気でこい。お前が対峙してるのはそういう相手だ」

 

「オレはレインミューゼル!炎の家系、ミューゼルの末席だ…。こんなでところで負けてたまるかよ!!」

 

ビッチはここで唐突に家名を名乗る。日本でも昔の武士は戦うときに名乗りを挙げたらしい。やつの祖国ではいまだにそういう文化があるのだろうか。いいや、現代の西洋文化に関する本を読んだが、そんな事実はどこにもないはず。

 

「…まさに地獄だな」

 

「そうだ。オレが生きてきたのはずっと地獄なんだ。呪われてんだよ、うちの家系は」

 

「違うな…。家の名を出さねばまともに戦えぬ。お前のその様が地獄よ」

 

「てめーになにがわかんだ!」

 

ビッチは顔を真っ赤にさせて双刃剣を展開させた。そしてよほど怒っているのか、真っ直ぐにこっちに向かってくる。しかしわかりやすいな、と思ってしまう。

その腕に握りしめた剣の刃は、その顔と同様に熱で赤く染まっている。やっとまとめに戦う気になったようだが、もともと北斗神拳伝承者相手に格闘戦など地獄行きの片道きっぷ。

ダリルケーシーは距離を詰めて間合いに入ると、そのまま斬りかかってきたが…。

 

「ぬるい」

 

それをかわす。次もかわす。またかわす。間違ってもやつの斬撃が当たることはない。もし仮にこれが何年も命がけで鍛練を積んだ本物の剣であれば、もしかしたら俺にも届いたのかもしれない。しかし、これはそんな立派なものではない。

 

「うるせえ!」

 

過去に何度か剣の達人と死合う機会があった。言わせれば、これは所詮は付け焼き刃。ただのISの装備の一つとして使っているに過ぎない。剣士ですらないその太刀筋では簡単に軌道が読めてしまう。これでは逆に当たる方が難しい。この程度ならミリ単位で見切ることも可能である。実際に今からそれを証明しよう。

 

「ぷぅ~。おかげでライターも、いらないねぇ〜〜」

 

「う、う、うそだろ…!おい…!!」

 

避けながら剣に顔を近づけて咥え煙草に火をつけた。それでやつの顔色がはっきりと変わる。かわいそうなことをした。もしかしたら、今ので折れてしまったのかもしれない、その脆い心が。

 

「ホステスでもやってみたらどうだ?なんなら、行きつけの飲み屋を紹介してやろうか」

 

そんな極めてもいない剣で北斗神拳を相手にするなんてやっぱりこいつ、なめてるねぇ。

ましてや俺は達人以上。迷いが生じたことで更にひどくなった斬撃を楽々かわして、そのままぶん殴る。

 

「ぐふっ…!」

 

ダリルケーシーはその衝撃で体勢を崩した。そこに上から、かかとおとし。そのまま床に落下して、地面に這いつくばるその姿は野良犬にはお似合いだろう。

 

「バカか、お前。北斗神拳の伝承者と虫ケラ共の下っ端。どちらが強いかなんて、幼稚園児でもわかる」

 

「ぐっ…!!」

 

「さすがにもうわかっただろ。お前は所詮かませ犬。お前では俺の相手はつとまらない」

 

「うう……!」

 

最初からわかっていた。この目は死を恐れてるやつの目だ。相手を殺す覚悟は出来ているようだが、自分が死ぬ覚悟がまるで出来ていない。それでもその歳にしては、それなりにご立派。しかし、死地においてそれは致命的である。結局、こいつは中途半端な覚悟しか出来ていない、ただのガキなのだろう。

 

「おい、クソガキ…。ミューゼルだかなんだか知らないが、俺の家は二千年も殺し屋稼業なんだ」

 

「それがどうした…」

 

もし仮にここまで、同じように地獄の中を生きて来たとしよう。しかし、自分のISにそんな名前を付けられているぐらいだ。お前はたかだか番犬風情なのだろう。忘れてもらっては困る。人は俺を、閻王と呼ぶんだ。つまりは…。

 

「格が違う!!」

 

「なっ!?なめてんじゃねえぞ、こら!」

 

「……哀れだねえ。弱いっていうのは」

 

「何が哀れだ!」

 

バカにされたと思ったのか、こりずにまた突っ込んできた。しかしそれも正解だ、実際にバカにしてやったのだから。

斬撃をかわして剣の柄を蹴りあげる。やつの手から離れて地面に刺さったそれはすぐに頑丈な校舎の屋上の床を溶かす。これは当たれば怖いが、万が一にもありえない。とりあえずもう一発ぶん殴っておく。

 

「うぐぐ…!」

 

「いつまでもそんなもんに縛れてるのが、哀れだと言ったんだ」

 

腹部をサッカーボールのように蹴っ飛ばしてみる。それにしてもぬるい、本当にぬるい。道を違えば親でも倒す。少なくとも俺はそうするだろうし、うちではどうやら昔からそれが常識だったらしい。

 

「おぇぇっ、おっ、げぇえ」

 

嘔吐してのたうち回っている。それを見ながら、なんだかだんだん気持ちがよくなってきたが、これはけして普段戦えないことに対する、俺のストレス解消でない。れっきとした命の奪い合いなのである。そう割り切って、まだ衝撃で悶えてる弱者の頭を片手で鷲掴みにする。

 

「はぁはぁ…離せよ、てめー!」

 

「まったく、弱い犬ほどよく吠える。…黙らないと死ぬよ、お前。死ぬ?」

 

「っ……!!」

 

一応希望を聞いてやると、ビッチは血の気の引いたような顔をしてすっかり黙りこんだ。まるで今のこいつは恐怖に怯えた子犬。しかし、俺にお前を可愛がってやるつもりはない。

 

「ふんっ!」

 

「あ、あっ!?……げほっ!!」

 

人差し指から心臓に向けて闘気を放つと、ダリルケーシーは口から血を吐きだした。そして、そのままその場に倒れた。

北斗神拳奥義天破活殺…。指先から闘気を放つ技だ。本来なら相手に触れずして秘孔を突く技だが、今回は秘孔は突いていない。だがダメージは与えてやった。しばらくは立ち上がれないだろう。

 

「な…なんだ?それは…!」

 

「闘気でお前の心臓を撃った。いわゆる気力だよ、そんなものにシールドバリアーも絶対防御も関係ないんじゃない?」

 

人指し指を立ててご丁寧に答える。実験台がいなくてIS相手にはやったのは初めてだったが、うまくいったようだ。これが通るなら、一発のパンチでも気力を込めて秘孔をつけばどんな相手でもやれるということ。結果的には大収穫だった。

 

「そんなの…ありかよ…っ!」

 

「ありだねぇ。ま、お疲れさん」

 

お疲れ様を言ってからまたタバコに火をつけた。戦った後の一服はやめられない。戦ってる間もやめられないけど。

 

ふぅ~~。うめえな。

 

「お、おい、殺すなら早く殺せよ…。お前は死神だろ?そしてオレは、お前の敵だろうがぁ!」

 

完全にびびってるくせによく言う。もしかしたらもう生きることを諦めてるのかもしれない。

しかし、あいにくだが俺には最初からお前を殺す気などない。

 

「お前を殺せばフォルテの心が壊れてしまう…。俺の拳は少女の心は殺さない」

 

「え……?」

 

仕方なく本当のことを言うと、こいつは心底驚いたような顔をした。

お前の中で俺は一体どんだけ非情な男なんだか。だから本当は言いたくなかったんだ、そんな柄でもないこと。

 

「ま、とにかくそういうことだ。ダリル・ケーシー、俺はお前を殺さない」

 

「意味わかんねーよ!?だいたいオレはもうダリルケーシーなんかじゃねえ!オレは…レインミューゼルだ!」

 

「あ!?親がつけた名に文句があんのか」

 

「えっ?え…!?」

 

「名前の文句は俺に言えっ!!気に入らないなら、二度とその名を口にするなぁ!!」

 

「え…。なにいってんの!?」

 

くそガキがいっちょまえに名前にまで文句をいいやがる。どこまでまで甘ちゃんなんだ、こいつ。

 

「てめーが弱いのはてめーのせいだ。親のせいにすんじゃねぇ」

 

これ以上ごちゃごちゃ言いやがったら、もう一度ぶちのめしてもいいんだぞ、このやろう。

 

ふぃ~。イライラしたからもう五本吸うか。

 

「なぁ…」

 

「なんだ?」

 

「家に縛れてんのはお前も同じだろ。そんな家に生まれて、今までに何人ぶっ殺してきたんだ?」

 

「何人殺したかなんて、もう覚えちゃいない…」

 

「……それで、なんで、なんで、お前はそんな平気なんだよぉ!?」

 

冷酷な暗殺者だと思われるのは心外だ。あくまでも俺は拳法家。相手が死んだのはその試合の結果。結果がどうなろうとも、俺の知ったことではない。それに楯無ともお前は違う。

 

「お前と一緒にすんな」

 

「あ…?」

 

「俺はたしかにそういう宿命の元に生まれた。だがそれを背負うと決めたのは俺だ。ガキと一緒にすんなボケ」

 

「ぐっ!やっぱり口が悪いな、お前…」

 

「他に用がないなら、もう行くぞ」

 

ぶっ倒れてるビッチに背中を向けて立ち去る。

 

「なぁ…。オレはどうしたらいい…?」

 

かっこよく去ろうとするとまた声をかけられる。去り際を台無しにしやがって。しつこいし、だからそんなこと知るかボケ。

 

「好きなようにしろ。このまま逃げたければ、逃げればいいさ。ゴミ掃除は次に会ったときに俺がしてやるよ」

 

「ゴ、ゴミ、掃除…」

 

「悪党なんてゴミや虫けらと変わらない。放っておいたら勝手に涌き出てきやがる。だから処理してやるんだ」

 

「こ、こわすぎる、だろ、こいつ…っ」

 

笑顔で俺の考えを教えてやると、ダリルケーシーはブルブル震えながら弱々しく呟いた。

さっきまでの威勢はどうしたのかな。それに怖くない死神なんているのかな?

 

「今まで自分がどうしたいかなんて、考えたこともなかった。今更自分がどうしたいかなんて…」

 

「まあ、死にたくなければよぉく考えることだ。裏切れば組織に狙われるだろ。だが、戻れば俺がお前を殺す」

 

「せ、性格悪いな、お前…!」

 

「ふっ。負け犬に相応しい末路だな。別にどちらでも俺は構わないんだよ、お前が決めろ」

 

「だから、それがわかんねえんだって!」

 

たしかにこいつは今運命の岐路に立たされているのかもしれない。

だが、お前の人生だ。お前の道はお前の心が決める。家が決めることでも、ましてや俺が決めることでもない。

それでも俺に言えることがあるとするならば…。

 

「もし思い悩むことがあれば、蒼天を思え!蒼天に願え!お前の望みは蒼天に!!」

 

「願い…望み…。そうだな……やっぱりちっともわからねえ……」

 

そう言ったダリルケーシーは倒れたまま、虚ろな目でぼんやりと空を見ていた。

本当に今までそんなこと考えたこともなかったんだろう。いきなり好きにしろと言われても、まだ難しいのかもしれない。

 

「とりあえず後輩の面倒でもみてやればいいさ。ああ見えて寂しがり屋なんだ…」

 

「それは……よく知ってるよ」

 

わかってるならいい。俺一人で相手するのは面倒くさいんだ。それになにより、食費が二倍になるのはごめんでね。




色々と突っ込みどころはありますけどこれで文化祭編、終わり!敵がどんどんいなくなっていく。蒼天の拳でも戦った相手はだいたい味方になるし多分なんとかなる。


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61話

「一位は生徒会主催の観客参加型劇シンデレラ」

 

そう言ったのは我らが生徒会長だ。今は学園祭の結果発表をしている。

一夏はもともと生徒会に入れるつもりだったんだ。つまりあんなの全部茶番である。

 

「「「え??」」」

 

驚いてる生徒たち。そりゃそうだ、楯無はわりと卑怯なところがある。俺にたいしても。

 

「ずるい!」

「おかしいわよ!」

「がんばったのに!」

 

当然のブーイングにも、楯無はそのまま言葉を続ける。

 

「織斑一夏くんは各部活に派遣します。マネージャーや庶務をやらせてあげてください」

 

その言葉を聞いて、ぴたりとブーイングがやむ。

 

「まぁそれなら…」

「仕方ないわね…」

「どうせ勝ち目なかったし…」

 

それで生徒たちはみな、納得してしまったようだ。ちょろい、ちょろい。ちょろ無さんに言いくるめられるとは、前からうすうす気づいてはいたが、この学園の女子たちは全員ちょろいのである。

大抵の場合に当てはまる特徴として、まず気が強く積極的。そして、もれなく全員が惚れやすい。将来悪い男にひっかかるんじゃないかと、今から心配になってくるレベルなのだ。

それから予想通り、女子たちによる一夏へのアピール合戦が始まった。しかし、俺をあれだけ慕ってくれていた女の子たちはといえば、すっかり黙りこんでしまっている。しかもよく見るとその多くは俯いて黙り込んでしまっていた。

全員一撃でやられてしまったのだから、それも無理はないだろう。こわっ。たっちゃんこわっ。これは知らなかったが、女の世界にも、弱肉強食というやつはたしかに存在するようだ。

 

 

 

 

 

 

「桜介くん、何か食べたいものとかある?」

「たまには肉だな」

「じゃあ、今夜はすき焼きかしら。買い物に付き合ってね」

「まじかよ…。そういうことなら、荷物持ちは任せておけ」

 

体育館から解散して生徒会室へと歩いている途中、楯無は夕飯のおかずを聞いてきた。

たっちゃんルンルン、とってもご機嫌である。

もしかして、あの子たちを黙らせたからじゃないよね?違うよね?そうだったらこいつ、こわすぎるだろ本当。

深く考えない方がよさそうだ。今はそれより肉だ、肉。そういえば日本酒がまだあったな。楯無もこんだけ上機嫌なら酒のこともとやかく言わなそうだし、すげえ楽しみだな。ふふーん♪

 

「桜介~。近いうちに飲みにいくっスよ。もちろん桜介の奢りで」

「あ?だからなんでいつも俺の奢りなんだ?」

 

廊下を歩いていると、後ろから追い付いてきたのはフォルテだった。学園祭の日に戦ったダリルケーシーも一緒だ。

戦ったことは楯無にだけは話してある。色々と言われたが、敵にまわったら俺が始末するからと言って強引に納得してもらった。

すごい嫌そうな顔をされたが仕方ない、一応そういう約束なんだから。それでも一応納得してくれた理由はやはり北斗神拳にある。嘘をついたところでいくらでも吐かせられるし、なんなら意のままに操ることすら可能である。

 

「私を裏切ったこと、まだ忘れてないっスよ?」

「桜介、そういうことならオレもいくからなー」

 

フォルテの恨み節にダリルケーシーが続く。別に酒代が惜しいわけではないが、先輩二人に堂々とたかられるっていうのはいかがなものか。

 

「どういうことだ。奢るなんて言ってねぇだろ。それになんでお前までくる?」

「言ったじゃねーか、蒼天を思えって。なんならオレは二人っきり、でもいいんだぜ?」

 

ダリルケーシーはいつの間にか俺の腕をとって、突然そんなふざけたことを言ってきた。

なんでだと?お前少し前までギラギラに殺意を向けて、俺を殺そうとしてたよね?あれ、たしかそうだったよな?違ったっけ?

百歩譲って名前呼びはまあいいとして、少しばかり態度が馴れ馴れしいと思ってしまった俺は決して悪くない。

 

「それとなにが関係あんだよ?」

「いるだろ。蒼天のような男が」

 

あれはそーいう意味じゃなくて、自由に生きろという意味だろう。ある意味自由に生きてるのかもしれないが。

どんだけポジティブなんだろうか。頭が沸いているとしか思えない。それにあれで俺になつく要素が全くない。生意気だからボコボコにして突き放してやった、ただそれだけなのだから。もしかしたら人違いというか、単純に好意を向ける相手を間違えているんじゃないだろうか。

 

「それって俺?」

「そう、あんた」

 

そうか、やはり俺か。別に俺を狙ったことはなにも気にしちゃいない。しかしいくらなんでも急に態度が変わりすぎて気持ちが悪い。しかし、そういえばセシリアも倒した途端、急に優しくなったような…。待てよ、たしかラウラもそうだったと聞く。もしかして、これって欧米文化なのでは。ちょうど簪と前にやったRPGのモンスターがそんな感じだった。よく考えたらあれも西洋が舞台となっていたし。

 

「やっぱりそうなるのね…。そんな気はしてたのよ。……格好いいものね、戦ってるときは特に」

「おいおい、やっぱりってなんで?これはきっと欧米の文化なんだって」

 

倒した相手に懐くのが西洋の伝統。もうこの仮説にほぼ間違いなし。なんたって過去の事象がすべてを証明している。

 

「またわけのわからないことをっ。ちょっと黙って。ダリル、今さらそんなの認められるわけないでしょう!」

「別にお前に認めてもらわなくてもそんなの自由だろ?桜介は好きなようにしろって、オレにそう言ったぜ?」

「それとこれとは話が別だわ。とにかくっ、すぐに桜介くんから離れなさい!」

 

なにがやっぱりなのか知らんが、馴れ馴れしく密着してくるビッチに、楯無がすかさずカットインしてくれた。

そうだ!その調子でガンガン言ってやれ!早くこの怖い悪人を引き離してくれ!俺が悪に染まってしまうその前に!

なんたって仕事柄、悪人の対処は得意だろうし。そのへんは安心して任せられる。

たしかに好きにしろとは言ったが、好きになれとは言っていないはず。そこのところを忘れてもらっては困る。

それになにより、勝手にお前の人生に俺を巻き込むんじゃない。俺は俺の人生を歩むんだ、お前とは全く関係のないところで。

 

「オレはあんたの苛烈さに惚れた。はっきり言って想像以上だった。もうありえねえぐらいに!」

 

楯無を無視してさらに接近し、熱い思いを語ってくれるビッチ。もうなんていうかすごいな、悪い意味でぶっとんでる。やっぱり極力関わりあいにはなりたくない。

 

「なあ、この学校には恋愛脳しかいないのか」

「そ、そこでこっちを見ないでもらえる!?」

 

それに見ろよ、この女の目付きやガラの悪さを。俺はのんびり縁側でお茶でも飲んで読書などしながら暮らしたいんだ。そんな理想とはかけ離れた平気で人殺しをするような極悪人だろ。そんなやつには同じような極悪人の男がお似合いってもんだ。

 

「そ、そんなにまじまじ見られたら照れるぜ。でもあんたになら…」

「だ、黙りなさいっ。それ以上は言わせないわ」

「なんでだよ?だからお前は関係ないだろって」

 

声を荒げてすごむ楯無にも怯まずこの返し。自分より格上を相手にこの態度とは。さすが三年生、なかなかやるじゃねーか。俺はこの女の評価を少しだけ上方修正することにした。

 

「関係あるわよ?一生敵同士殺しあってればいいの。急に仲良くなんてさせないんだからっ!」

 

ものすごい言いぐさだった。ここまでくるともういっそ清々しい。正直なところ、率直な物言いは嫌いではない。しかしもう少し言い方があるだろう。まあ黙ってって言われたからもう黙ってるけども。

 

「だからな、オレは桜介の味方なんだって」

「そういう問題じゃない!桜介くん、あなたもなにか言ってやりなさいよ?」

 

黙れと言ったり喋れと言ったり、忙しいやつ。それにしても、あれだけやられてすぐに告白してくるなんて、中々いい根性してる。そこだけは買うが、しかしこれではこの先が思いやられる。

 

「これが洋モノ……でかい。そして柔らかい。ふっ、人生は波乱万丈。まさに山あり谷ありというわけか」

 

ずっと押し付けられている、というよりもはや腕が挟まれていると言ってもいい。その豊満な胸の弾力に、思わず口からはそんな言葉が漏れていた。それにしても、この重量感。楯無と比較しても、少しばかり上回っているかもしれない。そう考えたら、それはそれでなんだか悔しい気持ちになってきた。でも歳もひとつ上だし?身長だってこっちの方が高いわけだし?などと言い訳を考え始めた俺は、正直どうかしているのだろうか。

 

「桜介くん。あなた、ラーメン好きよね。夜はカップラーメンだから。お湯は沸かしてあげるから自分で入れなさいな」

 

最初はなにを言っているのかよくわからなかったが、チラッと顔を見るとどうやら怒ってるようだ。まさにたっちゃんプンプン、明らかに不機嫌である。じゃあ俺の肉は一体どうなるんだ?

 

「あ、あれ?すき焼きは??」

「さあ?なんのことかしらね」

 

どうして?すごく楽しみにしていたのに、あんなに楽しみにしていたのに、それだけが楽しみだったのに。どうしてこうなった?そもそもこうなってしまったの、誰のせいだっけ?

 

「てめー…。俺の肉どうしてくれんだよぉ!!」

 

俺は気づけば金髪の頭を片手で鷲掴みにして、そのまま上に持ち上げていた。

 

「っ~~!!いてえ!いてえよ、まじでいてえっ!!離せ、離せよ、こら!!」

「黙れや。俺の楽しみを。許さねぇぞこら!」

 

楽しみにしていた分だけ、掴む腕にも力が入る。久々のすき焼きを奪われた俺の悲しみは、もう計り知れない。

 

「お、桜介くん!?いくらなんでも、それはやりすぎなんじゃないかなぁ…」

「そ、そうっスよ!一旦落ち着くっスよ!?」

 

これがどうして落ち着いていられようか。足をバタバタとさせて必死にもがくビッチ。しかし、それぐらいでは当然びくともしない。俺のすき焼きを返せ、俺のすき焼きを!

 

「ぎゃあ!?し、死ぬ!死んじまう~っ!!」

「悪党共はいつだって大切なものを奪っていく。お前のおかげで、改めてそう確信出来たよ…だから死ね」

「あ、あんたが言うと洒落になってねーんだよ!」

「当たり前だろ。こっちは洒落じゃあねーからな!?俺の肉、いったいどうしてくれんだ!」

「に、肉!?肉って、なんだぁ!?」

 

まさかとぼけるとは。どうやらこの女はよほど俺を怒らせたいらしい。まさに怖いもの知らずとはこのことだろう。

 

「俺の夕飯に決まってんだろうが!今日はそれで一杯やるつもりだったのに!!」

「お、奢る!オレが奢るから~っ!」

「あ~?てめーの肉片をかよぉ~?」

 

そんなもの食えるはずがない。もしそれで腹でも壊したら、いったいどうするつもりなんだ。

 

「こ、こええ!こわすぎんだろ、こいつ…。オレにそんなグロテスクな趣味はねーよ!?」

「じゃあなんだ?わかんのか、ヤンキーのお前に!?割り下の味が!!」

 

俺は一度食べさせてもらったあの味をいまだ忘れていない。若くしてあーいう上品な味わいが出せるというのは、きっと幼少期から慣れ親しんできた実家の味だから、そうに違いない。

 

「わ、わ、割り下って、なに!?」

「おいおい!あんまりなめんじゃねぇぞ!?日本の伝統料理、牛鍋を!!」

 

おそらく楯無自身の育ちのよさもあるのだろう。まるで料亭の味と変わらないほどだった。とてもじゃないが、いまだにSUKIYAKIとか言ってるアメリカ人には到底無理だ。

 

「そこぉ!?あいつまじできれてる!?」

「たまに不思議ちゃんなのよ、この人は」

 

そんなフォローはいらない。だからもう一度考え直してほしい。やはりもう今夜は本気ですき焼きを作る気はないのだろう。その事実を受け入れることが出来ず、俺は深く絶望してしまう。

 

「か、かわりに、他のを奢る!」

「……なにをだ?」

「えっ!?は…ハンバーガー?」

「なしだな、そんな昼飯じゃあるまいし…。聞いて損した、もういい。じゃあな、お別れだ」

 

もしこれがラーメンであれば、許してやることも考えた。ハンバーガーはきっとこの女の好物なのだろう。しかしそれは俺の好物ではないのだ。昼飯ならともかく、ハンバーガーで日本酒が飲めるか!だいたいハンバーガーとすき焼きでは相性を抜きにしても比べものにならない。ラーメンならまだしもだ。楯無も先程ヒントを与えていたのだから、きちんと聞いておけば助かったものを。

 

「ステーキ!ステーキで!!頼むからっ、それでなんとか怒りを沈めてくれよぉ…っ」

「ふん。わかった、いいだろう。しかし、その前にまずお前を血の海に沈めてやる!」

「いやぁぁぁ!こいつまるで話が通じねえ!?お前ら見てないで助けろよ、おい!!」

 

そう言って楯無とフォルテに泣きつくものの、二人はものすごい勢いで顔を反らす。すると、女は次になにやら太ももの辺りに手を伸ばした。きっとスカートの下にレッグホルスターでも付けているのだろうか。どちらにせよ、まだ抵抗する気力はあるようでなによりだ。

 

「抜けよ…。俺とどちらが早いか、競争だ!」

「げぇっ!?やめるっ、やめるから待って!」

「なんだ、つまらんな。こいつは春菊の分!」

「うああ、助けて…!」

 

さらに力を入れていくと、メキメキと頭蓋に食い込む音がした。もうほんの少し力を入れるだけで潰れてしまうだろう。そう、それはまるですき焼きに欠かせぬお供である卵のように。

 

「春菊であれじゃ、お肉のときはどうなるんだよ!?ちなみに具はあと何種類あるんっスか!?」

「そうね……六種類かしら」

「そ、それよりあんた、さっきからなんでそんな冷静に!?なんとかしなきゃ絶対死んじゃうじゃん!?」

「だってねえ?恋敵は一人でも少ない方が…」

「そっ、そんな理由で!?ほんとあんたら自己中というか、とことんマイペースっスよねぇ!?」

 

それにしても、考えてみたらステーキは悪くない選択肢だ。もちろん本当はすき焼きが良かったが、それも叶わぬ今となっては妥協も必要だろう。もう仕方ないから今回はそれで許してやることにした。

 

「フォルテ、ちょうどよかったな?今夜は先輩が奢ってくれるそうだ!ジャンジャン飲んで楽しくやろう」

「お、鬼だ…!ここに鬼がいるっスよ~!!」

 

誘ってやるとあんなに飲みたがっていたフォルテは顔をひきつらせていた。一体どうしたんだ?ガタガタ震えちゃって。

 

「も、もうダメだぁ!ああっ、意識が…」

 

おっと、手を離すのを忘れていたようだ。俺としたことが、大切な財布を未使用のまま、壊してしまうところだった。

 

「はぁ…はぁ…。痛かった、まじで痛かった…。いきなりなにすんだ!?てめー、まじでぶっ殺すぞ!?」

 

財布はその場にへたり込むと、涙目でこっちを睨みながらそんな文句を言ってきた。どうやらまだやる気があるようで、つい顔がにやけてしまうのを自覚する。そして、見直してしまう。はっきり言ってその意気や良し。

 

「ほう、気が合うな。ここで二回戦といこう」

「うわぁっ!や、やっぱなし!今のなしぃ!」

 

しかし、今さらキャンセルはきかない。クーリングオフもきかない。人生には取り返しのつかないこともあるんだ。それを俺が今から冥土の土産に教えてやる。

 

「ぶっ殺すんだろ?ほら、やってみろ」

「や、やめろっ…!」

 

女は睨み返すと慌てたように視線を逸らした。しかしこうなったら仕方ない。本当はこんなこと絶対したくないんだが。

 

「……やめろだと?」

 

その言葉遣いが気に入らない。だから再び近づいて、上から見下ろつつ、もう一声かけてみることにした。

 

「やめてくださいだろうが!?」

「や、やめっ、やめてください…」

「声が小さくて聞こえねぇな!」

「っ…!や、やめてくださいっ!」

 

予想以上に手間がかかるようだ。だが、こういう生意気な先輩には教育が必要だろう。それにきっとこのままじゃ将来就職するとき困るに違いない。だからこれはいわば俺の親切。

まず手始めにわからせてやらねばなるまい。まずは口の利き方というやつを。

 

「やっぱり桜介くんって不良なのかしら…。それに最近見てて思うのよね、女尊男卑ってなんだっけって」

「それ今さら?今さらなの!?盲目にも程がある…。そんなかわいいもんじゃないっスよ、この悪魔は!」

 

いつもいつも人に奢らせておいてよく言う。どうしてもお前にだけは言われたくないと思ってしまう。毎回毎回必ず奢ってくれる気のいい友人など、探したってなかなか見つからないだろう。

財布を忘れた、今月ちょっと苦しい、ちょうど持ち合わせがなくて、もう聞き飽きたんだ、そんな言葉。それに本当に奢られ上手というか、その口癖も含めて生粋の後輩気質とでも言えばいいのだろうか。いつも気づけば自分が払っている。

そんなことより生徒会加入のお祝いってことで、せっかくだし一夏も誘ってやろう。きっと喜んでくれるはず、そう思ったらなんだかだんだん楽しみになってきている自分がいた。






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62話

一回ぐらい大人数での飲み会を書いて見たかった。でも、やっぱり人数多いのは苦手です。


「織斑一夏くん、生徒会入りおめでとう」

「おめでとさん」

「おめでと~」

「これからよろしくね」

 

桜介が夕飯のメニューを決めた後、二人が生徒会室にくると既に一夏は生徒会室に来ていた。

 

「なんでこんなことに…」

「ほらほら、一夏って人気者だからねぇ。揉めないように生徒会に来てもらうことになったんだ」

 

言葉は柔らかいものの、言っていることは自分に面倒がかかるのは嫌だからもう決めといた、よろしく。そういうことである。

 

「うんうん、そういうことね」

「そういうこと~」

「簡単にいうとそういうことになりました」

 

桜介は一夏の肩に腕を回してざっくりした適当な説明をした。それに揃って相槌を打つ幼なじみの三人。口が達者で、自分に都合の悪い話はさらりと聞き流す桜介と楯無がそう言ってる時点でもう何を言っても無駄だろう。最悪なことに、二人とも基本的に楽しければいいという自由気ままなタイプ。加えて強引さも学園で一二を争うほどだ。仕方ないと諦めたように一夏はガックリ肩を落とす。

 

「…放課後に毎日集合ですか?」

「当面はそうですね。ですが、派遣先の部活が決まったらそちらに行ってください」

「虚さん、俺は?一度見てみたいんだよねぇ、色んな部活動を」

「霞くんは……大丈夫」

「え?え?大丈夫?大丈夫ってどういうこと?」

「行かなくて……大丈夫」

 

答えにいまいち納得がいかず、二度問いかけたがそれでも虚の答えは変わらない。桜介はその答えに不満顔を浮かべる。

 

「おいおい、虚さん。ちょっとそういう贔屓はずるいんじゃないの?一夏ばっかりさ~。俺だってぶらぶらしたいんだよねぇ!」

 

そして不満そうに虚に詰め寄った。虚に絡むこと自体が稀だが、今回は本当にぶらぶらしたいと思っていた。宛もなくぶらぶらするのはもともと大好きなのだ。

 

「下心は……少しもないのね?」

「……そんなことは」

 

図星を突かれてしまい、言葉を詰まらせる桜介に虚はさらに追撃を入れる。

 

「私も本気であるとは思っていないけど、面白がってるのは事実でしょう?」

「うっ…」

「桜介くんはどうせぶらぶらしたいだけよね。あとはついでにチヤホヤもされたいのかなぁ!?」

「むっ…」

「かすみんのえっち」

「ぐっ…!」

 

どこまでもわかりやすい男に、幼なじみの見事な連携が炸裂する。特に最後の天然の一撃が、一番よく効いた。

だからここはとりあえず一旦諦めて、桜介は話題を変えることにした。

 

「ところでいっくん。生徒会に入ったお祝いに、今日はステーキをご馳走しよう」

「なんだ…?急に…」

「優しい先輩が是非ご馳走させてくれって!でもほら、俺一人じゃ緊張しちゃうだろ?だから一緒にどう~?」

「優しい?あんなことされて?それにあれは脅迫でしょう?緊張って、誰が?色々設定が盛られていくわねぇ」

 

いつものように適当な説明をするが、経緯を全て知っている楯無はぶつくさと文句を言う。

もともと一緒にご飯を食べようとしていたのに、気づいたら飲みにいくことになっていた。それをまだしっかり根にもっている。

 

「別にいいけど…。でもそれって、楯無さんじゃないのか?」

「会長さんは優しくないからね。カップラーメンぐらいしかご馳走してくれないよ!くれだましはするけどね」

 

桜介もすき焼きをお預けされたことを、すっかり根にもっていた。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。しかしこの嫌みたっぷりの煽り文句に、すぐに反応したのはもちろん楯無だった。

 

「わ、私がいつくれだましを…。それに、誰が会長さんよ!?だいたいあれはあなたが悪いんじゃないの!!」

「お前が会長さんだろ。違う?俺はたっちゃんのすき焼きすげえ楽しみにしてたのにまさかくれだますなんて」

「じゃあ、なにがでかいのよ、なにがっ!」

 

勢いよく問い詰められて、桜介はとぼけた顔で答える。

 

「さあ。なんだろねぇ、肉?」

「それはアメリカ産?アメリカ産なの?アメリカ産なのね!?肉は肉でもすき焼きのお肉じゃないでしょう!」

 

身を乗り出してさらに問い詰められると、桜介はさらにとぼける。

 

「そ~お?じゃあなんの肉?」

「おっぱいでしょう!前からうすうす気づいてはいたけど、あなたおっぱい好きよね?意外と俗っぽいところあるし」

「ふっ、なにをバカなことを…。そんな思春期の学生じゃあるまいし」

「思春期の学生でしょ!?それにすっかり懐かれてるじゃないの、また…」

「またって……。俺は今までそんなことをしたつもりは一度もない」

 

顔を近づけられてのさらなる追求には真顔で答えた。これは本当に心当たりが全くないのだから、仕方がない。

 

「つもりがなくても、そうでしょう。しかも接点がないはずの上級生を次々と…!」

「はいはい、気のせいだよ」

 

これには心当たりがあっても、もうめんどくさくなってきたのでさらりと流す。

 

「気のせいじゃないわよっ!それともあなたは、一夏くんと競争でもしてるのかしら?」

「なんの競争だ?」

「……女の子をたぶらかす競争」

 

突然こんな風に言われてしまうと、なに言ってんのこいつと呆れ顔を浮かべる。とんだ見当違いだと心から思いながら。

 

「バカか、お前。俺がそんな暇そうに見える?」

「見えるわよ?いつもふらふらどっか行ってるじゃない!そのふらふら活動が原因よ、大抵はっ」

「仕事はちゃんとしてるだろ。まだあれば机の上に置いといてくれ。全部やっておくからさ」

「むむむっ…!憎たらしいことに仕事はおそろしく早いのよね。あなたって人は…」

 

決して仕事をサボっているわけではない。むしろ人並み以上にやっている。

しかし実際に仕事を頼まれてもすぐに終わらせてしまうのだから、手が空くのは仕方がない。人間はこんなに早く文字の読み書きが出来るのかと周りが毎回驚いてしまうほどだ。

そして暇になるとフラッとどこかに消えるのが、最近の習慣だった。

 

「ねえ…。なんで怒ってんの、お前」

「どこかの死神さんが、また女の子をたぶらかすから。……女殺しの死神さんが」

「どこかのって、死神なんてあんまいないだろ。それに北斗の拳は女を殺さない」

「もうそういうのいいから。そんなこと言って落としたんでしょ、どうせ。想像つくのよ、あ~腹が立つわぁ」

 

気づけば、あっという間にいつも通りの言い争いが始まっていた。睨みつけている楯無に途中からよそ見して適当に答えている。

そんな態度が楯無を余計にヒートアップさせる。いつものように胸ぐらを掴むのも、もはや時間の問題だった。

 

「いいならいいだろ、もう。あー、疲れたなぁ」

「よくないわよ!?他の女にちょっかい出してないで、もういい加減に観念なさいっ!」

「別にちょっかい出してないし…。それに一体なにを観念するんだ?」

「う……。わ、わかるでしょ…」

 

楯無はそう言って目を逸らす。あんなにヒートアップしていたのに、途中で鎮火してしまったようだ。チャンスがあればとは思っていても、実はビビりな楯無が人前で自分の気持ちを伝えられるはずもない。

 

「わからないな。一夏、お前にはわかるか?」

「……わからん」

「ほら、見ろ。女の考えてることなんて、男にわかるはずがないんだよ」

 

友人の本当にわからない様子を確認して、桜介は楯無へと勝ち誇ったような顔を向けた。

 

「くっ…!そ、その人選は卑怯だわ!むしろ悪意しか感じないわよ!?」

 

別に幼稚園児に数学の質問をしたわけでもあるまいし、そんな風にまるで最初から返事がわかっていて話を振ったかのように言われても困る。

 

「なんで?これは全男子生徒の総意だろう」

 

この場では一夏が同調した時点で必然的にそうなるのだ。そしてそれが普通だと言い切られてしまったら、他に男子もいない以上、そんなはずないだろうと思っていても、女である楯無がそれを完全に否定するのは難しい。

 

「そ、それぐらい空気を読んで察しなさい!デリカシーのない男はもてないわよ?」

「じゃあ一夏を見てみろ。そんなことは関係ないと、すでに実証されているんだよ」

「あくまでもそれを基準にするわけね…。き、汚い、なんて汚い男なのかしらっ!」

「しょうがないだろ、他にいないんだから」

 

強烈な皮肉や追求も友人を上手く使って突っぱね、切り抜ける。口喧嘩にはどんな手を使おうが勝てばいいという卑劣な男だった。

 

「……なんですか、これ。それになんか俺、さりげなく二人に悪口言われてます?」

「こんなのはいつものことですから」

「そ~そ~」

 

二人の様子にすっかり困惑する一夏に、布仏姉妹が諭すように言った。

生徒会役員にとってこんなのはいつものことだ。実際に二人の言い争いは日常茶飯事だった。

 

「一夏、覚えておけ。男は理屈で納得もするが、女は現実でしか納得しない」

「なんとなく……わかる気がする」

「言ってることは間違ってないのかもしれないけど、あなたが言うとやっぱり腹が立つわ」

 

急に悟ったようなことを言う桜介に、一夏はなんとなく心当たりがあるのか同意の返事をし、楯無は複雑そうな表情を浮かべている。

 

「一夏、じゃあそういうことだから!一時間後に迎えにいく!私服に着替えておけ!じゃあな、はっはっは!」

 

桜介は手をあげながら一夏に声をかけると、生徒会室を勢いよく出ていった。その様子はもう今にでも飛び出していきそうなほどにノリノリだ。理由はもちろん肉と、そして久しぶりの酒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間後、私服に着替えた一夏と桜介が寮の部屋から玄関まで歩いていると、その二人を偶然見かけたものたちがいた。

 

「あれは、一夏と桜介じゃない」

「あら、二人とも着替えてますけど、どこか行くのかしら?」

「それにしても珍しい組み合わせね」

 

二人を見つけたのは、訓練を終えて寮に戻ってきていた鈴とセシリアだった。

 

「ねえ、鈴ちゃんにセシリアちゃん。お肉食べたくない?お姉さんがご馳走するわよ」

 

今度はそこに声をかけるものが現れた。あっちにふらふら、こっちにふらふらする桜介の様子を尾行するのが、最近の楯無の日課になっていた。

 

 

 

 

 

 

「お前らはとりあえず生でいいだろ。一夏はどうするんんだ?」

「俺はジンジャーエールにしようかな。ていうかさ、生ってなんだよ?」

「生搾りジュースだろ?」

「それビールだからね?」

「そうか。知らなかった~。でもまあ、固いことは言うな。今日はお祝いなんだから!」

「いやいや、お祝いでもだめだろ!?」

「もう、いっくん。固いこと言うなよ。こっちはこっちで勝手に飲むから。いちいち気にしたらだめだよぉ!」

「はぁ……。そのための私服だったんだな」

 

桜介、一夏、フォルテ、ダリルの四人は近くのステーキハウスに来ていた。ダリルがたまにくるこの店は、アメリカ産の熟成肉を取り扱っているカジュアルなレストランだ。席は桜介の隣に一夏、桜介の正面にフォルテ、一夏の正面にはダリルで、フォルテとダリルが隣同士だった。

 

「目の前の優しい先輩が、今日奢ってくれるダリルさん。その隣のは奢ってくれないから覚えなくていい」

「よ、よろしく」

「よろしくっス」

「ああ、よろしくな」

 

適当な自己紹介を終えると、桜介が元気に声をあげる。

 

「ほらほら、今日は一夏のお祝いだからな。好きなだけ飲んで、好きなだけ食べようぜぇ!」

 

桜介はナイフとフォークを手に取ってとっても楽しそうだ。しかし、テーブルにはまだ飲み物すら来ていない。

 

「な、なあ、払うのはオレだろ?なんでお前がそんなこと言うんだよ?」

「あ、なに…?まさか支払いに文句があんのか?自分から言い出した支払いに…」

 

ダリルの言葉に桜介の眉がピクリと動いた。そしてダリルをキッと睨みつける。

 

「な、ない!ないから!お前のそれ、まじでトラウマになりそうだから!頼むからその手を引っ込めて!」

 

桜介が目の前で右手をワキワキさせると、ダリルはいいかけた言葉を飲み込んで、過剰な反応をみせた。ダリルは突然目をキョドらせてオロオロと狼狽え始める。

 

「ボン!」

「ひっ!?」

 

桜介が人差し指を向けて脅かすと、ダリルは悲鳴を上げて飛び退く。

 

「ビールまだっスかぁ」

 

そんな二人の様子をフォルテは素知らぬ顔でやり過ごしていた。しかしドSはこんなものじゃまだまだ到底納得していない。

 

「なあ、頼むじゃないだろ」

「っ………!」

「人にものを頼むときは?」

「おっ、お願いします…っ」

 

ダリルは既に学園祭の屋上で一度、今日の放課後の廊下で一度、合計二度も桜介に頭を掴まれて痛い思いをしている。一度目は血反吐を吐かされ、二度目は意識を失いかけた。それにダリルはもう桜介が相手に触れなくても致命傷を与えられることも知っている。そんなダリルにとって、この脅しは洒落にはならない。

 

(こ、こええ。今まで男なんてもれなく見下してきたのに、こいつにはまるで逆らえる気がしねぇ!)

 

心の奥底まで刻み込まれた恐怖心と、それ以上に今まで感じたこともないほどに強く、研ぎ澄まされたように鋭利な漢のオーラ。

それに完全に飲まれてしまい、ダリルは気づいたら言う通りにしていた。

 

「よおし、やめてあげようか。まったく、手間をかけさせるなよ…」

「ふぅ…。こ、こええ、まじでこええよぉ!」

「いいか、これは俺の慈悲だ。次はないぞ?」

 

そんな言葉を平然と放つ男の顔を、ダリルはまじまじと見つめる。

たしかにこれは自分が慈悲深いと、本気で勘違いしている男の顔だ。その思い込みが逆に怖い。

 

「わ、わ、わかったから!もう言わないから!」

「桜介、悪ふざけが過ぎるんじゃないっスか…。ほんとその性格……直した方がいいっスよ?」

「この先輩、絶対こんな人じゃないんだろ?俺はさ、お前が恐ろしいよ!」

 

フォルテが呆れたように言うと、一夏もドン引きした様子でそれに続いた。

こうして桜介がしばらく上級生の教育に精を出していると、すぐにウエイターが三人分のビールと、それから一夏のジンジャーエールをテーブルに運んできた。

 

「はい!じゃあ乾杯しようかね」

「……なんにっスか?」

「そりゃあ一夏の生徒会入りにだろ?」

「俺はそれ、あんまり嬉しくないんだけど…」

「それ以前にさ、オレたちこいつとは今日が初対面なんだけど?」

「まぁまぁ、せーんぱい。いいじゃないの!」

「早く飲むっスよ~」

「はい、それじゃ乾杯!」

「「「かんぱーい」」」

 

 

 

 

 

こうして四人が乾杯をしてる頃、それを離れたテーブルから見ている視線があった。楯無、鈴、セシリアの三人組だ。

三人の耳にはお揃いのイヤホンがはめられている。当然楯無が配ったものである。

 

「今日も絶好調だわ、調教してるようにしか見えないのは気のせいかしら…。気のせいよね、気のせいだわ、きっと…」

「ほら、あの人、わりと冗談が好きな人ですから…。それにしても、なぜわたくしまでこんなことを??」

「あいつ本当にろくなことしないわ。ていうかあれ、普通に飲んでるわよね。こんなのに誘うなんて!!」

 

アルコールまで飲み始めたのを見て、鈴はすぐに怒りを露にする。もともと男同士で出掛ける分にはなにも問題はない。しかし今回は二対二のいわば飲み会のようなもの。そんなところに思い人を誘われていい気はしない。

 

「鈴ちゃん、殺気はだめ。殺気にはものすごく敏感だから、すぐにばれちゃうわ。フォークやナイフが飛んでくるわよ」

「一体どうなってんのよ、あいつは!?」

 

窘められた鈴が不満そうに愚痴を漏らす。臭いも殺気も気配すらも感じとる相手を尾行するのは簡単ではない。実際それによって楯無の変装技術や隠密スキルは日々磨かれているのだ。

一方セシリアもけして興味がないわけではない。しかし盗聴までする必要があるのか、まだ疑問に思っているところだ。

そこにあるのは桜介に対する間違った絶対の信頼。それはともかく今の会話を聞いて一つだけ確信出来ることがあった。

 

「やっぱり欲しいですわね。あの人をわたくし専属のボディーガードに。そして、ゆくゆくは…」

 

既にその打診を一度は断られているセシリアである。しかし、これほど優秀な男をそのまま放っておけるはずもない。

こんな男が一人いれば、それだけで公共の場に出るときなども警護の安心感が格段に違う。

もし自分に付いてくれたら、仮りになにか危険なトラブルに見舞われたとしてもあっさり解決してくれる。

ついでにもともと語学もすごく堪能なのだから、本当になにからなにまで申し分ない。

それに桜介はもともとセシリアにとって憧れの、そして気になっている異性でもある。そうすると、欲しくなってしまうのも当然のこと。

 

「だ、だめよ!?そんなの、絶対にダメッ!!」

 

それに動揺した楯無が慌てて叫ぶ。専属のボディーガードももちろん認められないが、ゆくゆくはなんなのだろうか。それもなんとなく想像がついてしまう。どうせ婿にするとでも言うのだろう。いくら性格に難があるとはいえ、なにせこれだけのハイスペック。たとえ好き嫌いを抜きにしても引く手あまたに決まっている。そしてもちろんそれだけじゃなく、しっかり好意的な感情もあるように見える。

そもそも自分を守ると約束してくれたはずだし、そしてゆくゆくはなどと、全く同じことを妄想していたのだから、すぐに気づくのも当然だった。それもずっと前から、毎日のようにだ。

 

「あ、あの、とりあえず乾杯をしましょう」

 

あまりの勢いにセシリアは顔をひきつらせながらすぐに話題を変えた。

学園祭でもそうだったがこの先輩、あの人のことになるとコロッと人が変わる。

普段の冷静さなどあっという間にどこか行ってしまう。ああ、恐ろしい。思い出すだけで恐ろしい。あのときのあの悪魔のような顔を。

簡単に諦めるつもりもないが、これ以上ここで下手に刺激するのは得策ではない。セシリアは瞬時にそう判断をした。

 

「そ、そうねっ!まずは私たちも乾杯しようか!」

「「「かんぱーい」」」

 

後輩相手に大人げなくむきになってしまった。その気恥ずかしさから楯無は顔を赤く染めながら、それでもなんとか誤魔化すように笑顔を浮かべ、セシリアの意見に同意する。

当たり前だがこっちは普通にジュースでの乾杯。三人はなんだかんだ言いながら、食事は食事で楽しむ気満々だった。

 

 

 

 

 

 

 

「うまいな、このステーキ。赤みが多いから、これならたくさん食べられそうだ」

「確かにねぇ。やるじゃないの、先輩」

 

女子三人組が乾杯している頃、四人は既にお肉に舌鼓をうっていた。一夏がステーキの味に満足げに感想を漏らすと、お肉を頬張っていた桜介もそれに同意する。

 

「そうかぁ?ここはたまにくるんだ」

「うまい、うまい。うまいっス」

 

桜介に誉められて自慢げに胸を張るダリルと、ひたすら肉を食べてビールを飲むフォルテ。

そのときダリルの大きな胸に、男子二人の視線がたしかに一瞬だけ向いた。

しかし二人はすぐに視線を逸らす。だがそれに気づいたダリルがジト目を向ける。

 

「お前ら…。今、見たよな?」

「いや、それは……」

「なんだお前。もしかして欲求不満か?それなら早く言えよ。仕方ねぇな、俺でよければ揉んでやろうか」

 

口ごもる一夏と堂々と開き直る桜介。端的に言えばMとS。性格がまるっきり違う二人はそれぞれ対照的な反応をみせた。その瞬間離れたところからガタンと大きな音が聞こえた気がするが、それはきっと気の所為だろう。

 

「ははは。桜介の反応はつまんねーなぁ。なんならほんとに揉んでみるか?お前なら別に、かまわないぜ」

 

妖しく笑いながら胸元を覗かせるダリルに、思春期の二人は思わずゴクンと唾を飲み込んだ。それに加えてすでに一夏だけ顔も少し赤くなっている。

 

「あまり図に乗るなよ?このビッチ、たっちゃんよりちょっとだけ大きいからって!!」

 

たまには敵に塩を送るのも一興。どうしても揉んでくれと言うのならば、揉むこと自体は別にやぶさかではない。しかし調子にのせるのは本意ではない。そして気づけば、まるで関係ないはずの楯無までしっかり巻き込んでいた。

 

「おいおい、ちょっと待て。なんでいちいち生徒会長と比べるんだ?」

「あ?なんとなくだよ。その胸洗って待ってろや…。来年までには追いぬいてやるからよ?」

 

なんなら特別に洗ってやってもいいぐらいだ。負ける気は毛頭ないが、やはり勝負である以上片方にばかり肩入れするのもフェアじゃないので、これぐらいならば許容範囲だろう。

 

「なあ…。お前はなにをする気なんだ、なにをっ」

「ん?なにってマッサージだろ??お前も女子によくやってるじゃねーか」

「いやいや、絶対ちがうだろ…」

 

そんな一夏の突っ込みには目もくれず、先にこれだけは断言しておこうと思い、今度は明確に拒絶の言葉をも口にする。

 

「だが、俺は悪党共と兄弟になるつもりはない」

「……一応言っとくけど、オレは男性経験ねーから。それならさ、もらってくれんのかよ?」

「ぶっ!」

「たっちゃんだってないさ、ただの耳年増だ。なのに一生懸命迫ってくるのが、いじらしいんだろーが!」

「ぶぶっ!!」

 

ダリルの顔を赤く染めながらの赤裸々なカミングアウト。その衝撃で口からなにかを吐き出したのは一夏だった。どうやら少し刺激が強すぎたのか、負けず嫌いによる追撃でしっかり鼻血まで垂れ流してしまう。

それにしても、さっきからいったいなにと戦っているのだろうか、この男は。

 

「だいたいな、俺は知りたくもないんだ。お前なんぞのそんな事情なんて」

「お前さっきからもう発言がすごいな、色々と。やたら落ち着いてるし…」

「一夏、そんなのは場数だ。なんなら今度キャバクラでも行こう。それか大学生ならつてもあるし、合コンにするか?」

「き、キャバクラ!?合コン!?おいおい、そんなのだめに決まってるだろ!?俺たちまだ高校生だぞ!」

「いいか、よ〜く聞け。お前には女をたらしこむ特別な才能がある。足りないのは経験で、生かすも殺すもお前次第だ」

 

どうせ他人事だと思って好き勝手言う。しかし、またキャバクラや合コンと言ったあたりで、他の席から大きな音が聞こてきたような。しかし、ここは大衆酒場ではなくレストランだ。当然マナーを考えればそんなことはあり得ないはずで。だからやっぱりまた気の所為だろう。

 

「聞きたくなかった、そんなの…。喜んでいいのか、それ。そんなもの生かさない方が絶対いいんじゃ…」

「だがどんな才能でも、才能は才能。使わなきゃもったいないだろ」

「……どうやって使うんだよ」

「例えば敵が女だったら手を抜いてくれるかもしれない。または危ないところを女が助けてくれるとか…」

「そんな情けない戦法!?やだよ、かっこ悪い!」

「知らないよ、そんなの。俺に言われてもね。関係ないし、そんなことに興味もない」

 

衝撃的な事実を一方的に突き付けておいて、あとは我関せずの無責任な言葉。もう完全に面白がっている。しかも、それを隠そうともしていない。才能の話はともかく、友達だけは選んだ方がいい。これは間違いないだろう。

 

「あれ〜?桜介言ってたっスよね?大きな胸は男の夢だって。さっきから興味ない振りして、本当は触りたいんだろ?」

「ぶふぅ!?」

「うわっ、汚い!汚いなぁ!?こっちまで飛んできたじゃないっスかぁ~」

 

今度は桜介が勢いよく吐き出してしまう。パッパと服を払うのはいつも基本的に空気を読まないフォルテ。しかも酒が入るとさらにそれは顕著になる。やはり友達は選んだ方がいいようだ。

 

「おい、少し黙ってろや」

「ああ、あとなんだっけ?大きなお尻は男の浪漫なんだよな、このムッツリ野郎」

「にひひっ。お前もそういうところは普通なんだな。いいよ?ほら、触ってみろよ?」

 

どこか嬉しそうに胸を寄せてケラケラと笑うダリル。事実、学園に入るまでの知り合いの女性は全員がグラマーであり、唯一付き合った元カノも一般的な女子高生がまだ子供に見えるぐらいにはボンキュッボン。それ以外にも子供を除いて皆が皆出るところは出ており、そうじゃない年頃の女性など今まで見たこともないレベル。

たとえば学園屈指のプロポーションを誇る楯無やダリル、箒たちですら桜介目線では普通なのだ。つまりはインド人が日本のカレーを食べても辛くないのと同じこと。だからといって別にそれで人を好きになるでもなし、どちらが好きかと言われればこっち、あくまでその程度である。

しかし、以前酔っぱらってついぽろっと漏らしてしまった本音には違いない。それを勝手に暴露されてしまえば誰だって怒るだろう。

 

「相変わらず冗談が過ぎるな。誰がムッツリ野郎だ!おい、酒が好きなら死ぬまで飲ませてやろうか!?」

 

怒りに任せてきつく睨み付ける。それでもフォルテにはまるで効かない。酔っ払ったフォルテはすでにもう無敵だった。しかし離れた他の席ではそれ以上に怒っているものもいた。

 

 

 

 

「も、もう我慢の限界だわ。耳年増はともかく、人前でそれを言うかなぁ!?こっ、殺す、殺すわぁ!?」

「あたしも決めた!まず一夏は殺す、絶対殺す!ついでにあいつも!まじで女の敵よね?何様のつもり!」

 

鈴からすれば大きな胸を見て顔を赤くし、照れている一夏。そして、胸の大きさをネタにして遊んだり、キャバクラや合コンにも連れて行こうとする不良。どちらも許せるはずがない。

 

「ほ、ほら、冗談が好きな人なんですわ、あの人は。だからこれもきっとなにかの冗談ですのよ!?」

「毎朝寝ぼけたふりして、人のおっぱいを触っておいて…。それだけじゃ飽きたらず他の女の胸をっ…!」

 

揉んでやろうか、からのちょっとだけ大きい発言、キャバクラや合コンの誘い、そして盛大な暴露。楯無はもはやその口から飛び出す言葉のなにもかもが気に入らない。ここまでくると、逆によくこんなに人を怒らせられるものだと、この時は本気でそう思った。

 

「最低ね、あいつ。ねえ、早く殺そう!あ~、もう!あたし我慢出来ないわ!!」

「そうねえ?三人ならきっと殺れるわ。あの巨乳好きを!あの変態を!あの女たらしを!」

 

すでに二人とも顔を真っ赤にして完全にキレていた。眉間には皺が寄り、こめかみには青筋が浮かぶ。二人は今にも立ち上がりそうに怒りで体を震わせていた。その手の震えでテーブルがガタガタと揺れている程である。

しかしそれに慌てたのは、いつの間にか巻き込まれていたセシリアだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいな!?おかしいですわ!!三人って、なんで当然のように数に入っていますの!?」

「そんなの当たり前でしょ!ねえ、セシリア。今さらびびってんじゃないわよ!」

「あのね、セシリアちゃん。女には殺らなければいけないときがあるの、それが今なの!」

「そんなっ!早まったらだめですわ。あの人を殺すだなんて。わたくしはやりません、やりませんわ!!」

 

こんなところで無断展開をしようとする二人をセシリアはなんとか宥めようとする。先程までの話の途中で何度も席を立とうとするたびに抑えていたのも彼女である。

それなのにいつの間にか人数に入れられても困る。しかし、完全にキレている二人の勢いはそれぐらいでは止まらなかった。

 

「甘いわ。あいつはほっといたら、どんどん調子にのっていく。それはあたしもよ~く知ってる。だから殺すっ!!」

 

鈴は眉をつり上げてセシリアに詰め寄る。今まで何度かラーメン屋に付き合わされたこともあり、もうすでに桜介の性格などわかっている。極度の楽天家なのも、完全に愉快犯なのも、わりと調子に乗りやすいことも、すでに鈴にはしっかりとばれている。

目を輝かせてラーメン食い行こうぜ!と突然目の前に現れたり、お前見るとラーメン食いたくなるんだよな!と失礼なことを言われたりしたあげく、店に入れば目の色を変えてひたすらにラーメンを啜る。そのたびにこいつばかなんじゃ、と何度思ったことか。

 

「そ、それは…桜介さんにも、きっとなにか考えがあってのことでは…」

「ない、ない。あの男に夢を見てるみたいだから断言してあげる。残念だけどあのバカは普段なんにも考えてないから」

「そ、そんなことは、ないはずですわ!」

「あるのよ。俺でよければってさ、普通見るからに自分に好意を持ってる女に言う!?言わないわよね?」

「とっ、とてもそんな風には見えませんわ!」

「そうね、見えないのよね、憎たらしいことに。だからそれで勘違いしたファンがたくさんいるんだわ…」

 

一生懸命フォローに走るセシリアの意見を楯無は真っ向から否定する。そして苦々しい顔で暴露し始めた。

たしかにその性格を知る親しい人間以外には落ち着いた大人の雰囲気に見える。そうすると容姿はただの男前だ。その上立ち振舞いは武人らしく、洗練された鋭さを自然と纏っている。それに憧れている女子も多い。特に格闘技を嗜む女子には大人気だった。

普段のふざけた性格などつゆ知らず、気づかないうちに人気を集めている。それには楯無もひそかに頭を悩ませていた。

 

「あたしのクラスにもいる。あれがクールだとか言ってるのよ!?笑わせんじゃないわよ、女の敵は即刻死ぬべきね!」

「ええ、ええ、これ以上変態の被害者を出す前にここでしっかり殺っておきしょう!う、それがいいわね、それがっ!」

 

話してるうちにも怒りはどんどんエスカレートしていく。すでに二人の中では、あの男、あのバカ、あれ、女の敵、そして変態だった。

セシリアだけはそんな話をいまだに半信半疑で聞いている。しかし、今日の桜介を見た上で怒り狂った二人にここまで言われてしまうと、セシリアの心にもふとある疑問が浮かぶ。

 

「も、もしかして、あの人はわたくしが思っているような紳士じゃないんじゃ…。」

「目を覚まして現実を見なさい。あいつはね、すかした顔して中身はムッツリスケベなの!」

「あんなに男らしい人、他にいないとずっとそう思っていましたのに…っ」

「実際見たまんまそうなのよ?それに紳士なところもあるわね、たしかに。でもとんでもない鬼畜だから」

「そ、そんな…!うそっ、うそですわ!」

 

セシリアの素朴な疑問。それに最初に答えたのが鈴、次に頭を抱えて叫んだのが楯無だった。

二人の答えにはさすがのセシリアもショックを受ける。自分の知る桜介との余りのギャップに、驚愕の表情を浮かべていた。

 

(あの人が鬼畜だなんて…。そういえば最初の頃、そんなところもあったかしら…)

 

最初はいがみ合っていた二人だったが、いつの間にか桜介の態度は紳士的なものに変わり、今ではそれが当たり前のようになっていた。いまだに執事になろうかと考えていることもあり、セシリアの前では執事のような紳士的な振る舞いだ。変装好きな桜介の無意識に役になりきってしまう癖が、自然とそうさせていた。それに自分が紳士だと本気で勘違いしている節もあるのだ。セシリアがそういった誤解するのも無理はない。結局二人がかりの糾弾は、三人が食べ終わるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

店から出た桜介たち四人は寮までの帰り道を歩いている。一夏はお腹一杯になったのか、満足そうにお腹をさすっている。フォルテは酒が好きだが、そんなに強くないのでふらふらと三人の前を歩いている。そしてダリルはそれなりに出費が痛かったのか、少し後ろでがっくりと肩を落としていた。あのあとフォルテがワインをガブガブ飲んでいたのがやはり大きいだろう。

 

「ぷふー。ごちそうさん」

 

上機嫌な桜介は葉巻を三本ぐらい咥えて煙をぷかぷかしながら、ダリルに声をかけた。

 

「なんだよ、これで満足しただろ。もうあんまり無茶なこと言うんじゃねーぞ」

「なんだぁ?拗ねちまったのか。そんなにきつかったなら、今度は俺が奢ってやるよ」

 

ふてくされた様子のダリルに、桜介は全く悪びれずにそう言った。

 

「は…?次があんのかよ?」

「ん~?なんだ、それ。やっぱり敵にまわることにしたのか?」

「いや、お前の敵にはなりたくねーんだ。でも殺そうとといて、仲良くしてもらおうなんて虫が良すぎるよ…」

「ダリル…。俺は最初から気にしちゃいない」

「桜介……。お前…っ」

 

この時、ダリルは桜介に初めて名前で呼ばれた。なんだか認められたような気がして、思わず目に涙を浮かべるダリルに、桜介はほれ、ほれ、ほれい、と言いながら懐から出した葉巻を一本渡す。それを受け取って、ライターで火をつけるとダリルは葉巻を吹かし始めた。

 

「そんなこと気にしてたら酒がまずくなる。どうせ俺たちは地獄行きだ。だったらせめて旨い酒が飲みたいさ」

 

肩をポンと叩かれ隣を見ると、桜介が肩に手を置いたままニヤリと笑っていた。なんて清々しい笑顔だろうか。

それがダリルには、だからお前も気にすんな、とそう言っていた気がした。

強いだけじゃなく器もでかい。こんな男がいるのか、そう思ったら自然とその頬が徐々に赤く染まっていった。

 

「お前は……すごいな」

「あ?なんで?」

「どこまでも自由だから…」

「それが俺の生き方だ。文句あるか」

「はは、ないよ……」

 

うまそうに煙を吐き出す桜介の横顔に熱い視線を向けて、ダリルは力なく笑った。

実際に触れてみると、桜介の人柄は噂で聞くよりもずっと温かい。一緒にいると心が急速に溶かされていく。

 

(ああ…。なんかすげえ格好いいな、こいつ…。こんな男にだったら、オレは…)

 

この男は死神の家に生まれ、非情な宿命を強いられながらもそれに流され染まることなく、自分の思うがままに生きてきた。だからこそいつまでたっても純粋である。

この男のことを考えると、胸が燃えるように熱くなる。これは今までにない初めてのことだった。

 

「なあ、お前ってさ…実は優しいよな」

「……そんなんじゃない。俺はただ、つまんねえことは気にしないだけだ」

 

やはり空のような大きな心を持つ男だ。どこまでもこの男についていきたい。そしてこの男の行き着く先を見てみたい。もうそう思わせるには充分すぎる程であった。

 

「つまんねえことじゃ、ねーだろ。普通は……。お前って、本当にバカだな…」

「あ…?バカ?誰がバカだ、このやろう!!」

 

ダリルは目に涙をいっぱいに溜めて、泣きそうになりながら絞り出すように言った。だが桜介はその言葉を別の意味で捉えたのか、右手をワキワキとさせながらダリルに近づいていく。それを見てダリルは、真っ赤に染まっていた顔を一瞬で真っ青にさせた。

 

「ち、違う!今のバカはいい意味だからっ」

「バカにいい意味なんてあるか!体に教えてやるよ、言葉の使い方を」

「いやぁ!今のは違くて本当に…!!」

「悪党の言い訳は聞こえんな」

「ごめん、許して!」

「ふふ、遺言はそれでいいのか?」

 

今度は違う意味で涙目のダリルを、楽しそうに笑いながらゆっくりと追い詰めていく。これは一見、ダリルがいじめられているように見えるが、これはいじめではない、れっきとした教育だ。少なくとも桜介はそう思っていた。

 

「いっ!?い、いいわけねーだろ!?てめー笑ってるな!?なに笑ってんだ?実は楽しんでるだろ、こら」

「あ〜?てめー?こら??」

「うっ、嘘、嘘だからっ!わかったから!それ以上、こっち来ないでっ!」

「しかし嘘つくなんてな。いい度胸だな、おい?」

「ご、ごめんっ!ご…ごめんなさい!!」

 

ダリルがすぐに謝ろうとも、必死に謝ろうとも、死神はけしてその歩みを止めない。少しずつその距離をつめられて、ダリルは後ずさりながら両手を前に出して必死に止める。しかし話は全く聞き入れてもらえず、言うことは全て裏目裏目になっていく。

 

(こ、こ、こいつに比べたら、今まで見てきた男は全員か弱い子猫だった…。こいつは虎…いいや、死神…。紛れもなく死神だ!!)

 

歩み寄る男の背後には、確かに鎌を持った死神の幻影が見えた。合わせて、それなりに戦場を渡り歩いてきた己の本能が『勝てるわけがない、これに逆らうな、待っているのは破滅だぞ』と、やばいぐらいにガンガン警鐘を鳴らしてくる。そして、ようやく気づいたダリルだったが、今さら気づいてももう遅い。

ギラっと鋭い視線を向けられると、もう完全にトラウマを拗らせたダリルは今にも泣き出しそうだった。

 

「わ、悪かったよぉ。オレが悪かったからぁ…」

「そうか、よ~くわかった。じゃあ教えてやる。悪いやつは地獄に送ると、俺は決めているんだ」

「うぅ。も、もう言わないから!もう絶対に言いませんっ。だから、た…助けて…ください…」

 

追い詰められて、すでに足を止めたダリルが俯いたまま、泣きつくように許しを乞う。すると、慰めるように肩にポンと手を置かれる。

それでようやく顔を上げると、桜介はとてもいい爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

「なに、気にすることはないさ。あの世で好きなだけ言うといい」

「そ、そ、そ、そんなこと言わないで!お、お願い、お願いだから…っ!!」

 

革ジャンを掴んでダリルはお願いをする。許してくれるまで離さないと言わんばかりに、その手には力が入っていた。そこからもその必死さが伺える。瞳に涙を浮かべ上目遣いで見上げるようにして、文字通り完全に泣きついた。もはや恥もなにもかも捨てている。それでも相手は返事をしないので、なおも人目を憚らずにすがりつく。

 

(だっ、だめだ…っ。や、やっぱり、逆らえねえっ…。こ、怖えぇ!怖すぎるぅ…!!)

 

そのあまりの必死さに桜介はため息を吐きながら、肩を竦めてやれやれというような仕草を見せた。今のダリルは完全に怯えた子犬のよう。それを見てまだどうにかしようとするほど自分とて悪魔ではない。本当に反省したと言うのなら、そろそろ許してやってもいいだろう。

そんな様子を見てホッとしたように、ダリルはゆっくりと掴んでいた手を離した。

 

「ふ~。仕方ないな、もう言わない。ここからはただ行動あるのみだ」

「ううっ…。そんなぁ、許してよぉ、謝っただろぉ」

 

ついに泣き出してしまったダリルは背を向けて、ここから逃げ出そうとする。

しかし後で束ねている髪をギュッと掴まれてしまう。それでリードを引っ張られた子犬のように急停止し、ダリルがおずおずと振り返るとやっぱり桜介は笑っていた。

 

「どこに行く?まだわからないのか…。もうこの世に逃げ場など、どこにもないと」

「離して…っ!やだ、やだよぉ!」

 

結局のところ、北斗神拳伝承者は基本悪党には一切の容赦がない。桜介はそんな北斗の血を色濃く受け継いだ純血の子。普段は髪で見えないが、頭に北斗七星のような痣を持って生まれてきた男である。ゆえに全く容赦がないのも当然のことで。絶望と恐怖をこれでもかとたっぷり与えて、それからおちょくるようにして敵を追い詰め、最後に殺すのが北斗流。むしろこれが正しい作法なのだ。厳密に言えばダリルにもう敵意はないが、こればかりは出会い方が悪かったと諦めるしかないだろう。

 

「泣くな、ダリル。もう許してやるから。だが次からは気を付けろよ、来世で」

「はぁはぁ…。ま、待ってください…っ。な…なんでも言うこと、聞きますからぁ…」

 

人差し指で涙を掬い上げながらの鬼畜責め。それでもまだ音をあげないあたり、どうやら厳しい教育の成果はしっかりと着実に出ているようだ。

ダリルはべそをかきながらも息を荒くして、その顔は上気したように再び朱に染まっていた。

しかし、桜介はそんな様子にもまるで興味を示さず、一片の容赦もなくたんたんと告げる。

 

「ほう、なんでもか…。じゃあ死ね」

「ううっ…。ば、ばかぁ!そんなに簡単に人を殺そうとすんなぁ!!」

 

この男、悪魔ではないがやはり死神だった。頭に手を置かれて、最高の笑顔で言われた身も蓋もない言葉に子犬はついにキレた。

 

「お前がそれを言う?いきなり死角から拳銃ぶっぱなした女が。惜しかったな、俺でなければね」

「うるせえ!オレで遊びやがって!たしかに興奮したけど、プレイにしても限度があんだろ…っ」

 

いつまでも続くあまりに理不尽な言葉遊びに、すでに耐えられなくなっていた。その目に浮かべているのはもう感動の涙ではなく、ただのいじめられた涙。しかし泣かされながらも興奮しただの、プレイだの言うダリルに、桜介は少し驚きながらも心底呆れていた。

 

「なにがプレイだ。知るか、そんなもん。まあいいか、続きはあっちでやってもらえ。誰かにな」

「あ…あっちって…?」

「ふ。そんなの言わなくてもわかるだろ。お前の犬小屋があるところだよ」

「ふ、ふざけんなぁ!地獄だろ、それ…。散々オモチャにしておいて!この人殺しぃ!!」

 

ダリルは鼻をすすりながら泣き言を言うと、フォルテのところまで走って逃げていった。

 

「バカはお前だ…。優しい死神なんて、いるわけねーだろうが」

 

走り去っていくその背中を見ながら、その場で大きく煙を吐き出す。

 

「はぁ…。まったく、本当に不器用なんだから。それにしても、大学生のつてっていったいなにかしらね」

 

それはまたいずれ問い詰めるとしよう。同じく鈴たちと帰り道を歩く楯無は呆れたようにため息を吐くと、それだけ言ってその耳からイヤホンを外した。

 

 




作風の問題かと思いますが、蒼天の拳の女性キャラは大半がグラマラスな美女ですからね。


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63話

一夏歓迎会の翌日の朝。

 

 

「おはよう」

 

「ふんっ」

 

朝、楯無に声をかけるとプイっと顔を逸らされた。なんでだろうか。もう一度声をかけてみよう。

 

「たっちゃんおはよう」

 

「……おはよう」

 

どうみても機嫌が悪い。朝の身体検査を避けられたのも初めてのことだった。ずっと成長を見守ってきたのに。

飲み行くのとか、あんまりよく思ってなさそうだもんな。変なところ真面目だもんなぁ、こいつ。俺は本当はこいつとも、飲みに行きたいんだけどね。別にアルコールは飲まなくてもいいからさ。とりあえず誘ってみるか。

 

「よかったら今夜、二人で学園祭の打ち上げしないか?前に行ったバーで…」

 

柄にもなくちょっと緊張しちゃった。だってこいつ、今明らかに機嫌悪いから。

 

「……いく」

 

「じゃあそういうことで、よろしく」

 

よかった。なんで飲みに誘うだけでこんな緊張するんだよ、柄にもなく。

 

 

 

 

 

昼休み、食堂

 

当然、今日のお弁当はなしだ。なんでだよ。仕方なくラーメンを食べているが、さっきから向いの席に座っているセシリアに睨まれている。なんでだよ。とりあえず聞いてみるか。

 

「セシリア、どうかした?」

 

「どうかしたじゃありません!」

 

セシリアにプイっと顔を逸らされた。いやいや、これもう朝やったから。最近流行ってんのか、これ。

 

「……どうした?」

 

「わたくし、桜介さんがそんな人だったとは、思ってもいませんでしたわ!」

 

問いかけると、セシリアは勢いよく立ち上がってそう言った。そんな人ってどんな人?どんな人だよ?ねえ、どんな人?

 

「あなたのせいで、大変だったんですから!本当にっ!」

 

「……ごめんね」

 

こんなにすごい剣幕でそう言われてしまったら、謝るしかない。俺が知らないうちに、きっとなにか迷惑でもかけたんだろう。

 

「お、桜介さんはっ…!やっぱり胸の大きい女性がお好きなんですの?」

 

ぶほっ!セシリアは今度は意を決したように一息ついてから、急にそんなことを言い出した。なんでだよ。思わずラーメン吹き出しそうになってしまった。

なんでそんなことを聞くのか知りませんけど、セシリアもなかなか立派なものをお持ちだと思いますけどね、個人的には。だが当然、正直にそんなことを言うつもりはない。さすがにそんなことを食堂で堂々と言えるほど、俺のメンタルは強くない。

 

「セシリア…。君の言いたいことはよくわからない。でもそんなこと気にする必要ないだろ」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「そうですよ、お嬢様。お嬢様がそんなことを気にされてはいけません!」

 

「ですが…!あの、桜介さんがどうしてもって言うのでしたら、わたくしの胸をっ!」

 

「だめです、そんなの!この拳崎が許しません!!」

 

「拳崎…。なんだか爺やみたいですわね……」

 

あまりに突拍子もないことを言うものだから、知らず知らずのうちに執事になりきってしまっていた。

それにしても、今度は別の意味でひやひやした。まったく朝から緊張の連続だぜ、こっちは。

 

 

 

 

 

 

 

夕方、楯無と玄関前で待ち合わせ。

 

 

飯は既に軽く食べてある。待ち合わせとかこれ、デートみたいだな。同じ部屋なのに待ち合わせする意味あるのかな。まあ女は準備とかあるんだろうね。

 

「お待たせ」

 

「じゃあいこうか」

 

声をかけてきた楯無は丈が長めの黒のワンピース。どうやら水色と黒は相性がいいらしい。率直に言ってとてもよく似合っている。

 

「手…つなぐか?」

「う、うん!」

 

二人でどこか行くときは楯無は必ず手を繋ぎたがる。

だが普段はベッタリしてくることも多いこいつは、意識してしまうとなんにも出来ないポンコツになるようだ。

それなら俺から切り出して握ってしまった方が早いだろう。

自分からこの手を取ってしまっていいのか、少しだけそう考えてしまう。しかし毎回相手からそれを切り出させるのも悪いだろう。

こんなこと直接言えたもんじゃないが、俺だって本当はこの手を握りたいと、そう思っているんだから。

 

 

 

 

 

 

 

ホテルについた俺たちはバーに入ると馴染みのバーテンがカウンターの一番奥の席に案内してくれた。俺がいつも座る席だ。楯無を一番奥に座らせて、俺はその隣に座る。バーテンにウイスキーをロックで頼み、楯無はノンアルコールカクテルを頼んだ。

 

「お疲れさん」

「お疲れ様。今日は誘ってくれてありがとう」

「こちらこそだ。付き合ってくれてありがとね」

 

俺たちは小さく乾杯した。はぁ、うまいな、やっぱり。

いつからだろう、酒を飲み始めたのは。中国にいたときかな、やっぱり。潘のやつに誘われてよく飲みに連れていかれたっけ。懐かしいな、あいつ元気かなぁ。

 

「桜介くん、なにか考えているでしょう」

「中国にいる友人のことを考えてた」

「そう。その人とは仲がいいの?」

「親友…だな。俺よりもわりと年上だけど」

「…女の子?」

「男だ…。あのな、俺が学園で女の友達とばかり遊ぶのは、学園に女しかいないからだ。普通に男友達のが多いんだぞ、俺は」

「うふふ。冗談よ」

 

そう言って楽しげに笑う楯無。笑顔がいいよな、やっぱり。こいつには笑顔がよく似合う。

思えば、中国のことを思い出してもわりと平気になったのもこいつと出会ってからだ。

毎日が賑やかでそんなこと考える暇がないのもあるが、もしかしたら楯無のおかげでもあるのかもしれない。

そういう意味でもこいつには本当に感謝している。

それにこんな男にはもったいないぐらいに色々と尽くしてくれている。

そして向けられている好意にだって、もちろん気づいているさ。

でもどうしたらいいか、それがわからないんだ。

 

「あ、あのさ、桜介くん…。突然!こんなこというのも、び、びっくりするかもしれないけど!…あのね…その…私…」

 

二杯めのウイスキーを飲み干してちょうどそんなことを考えていると、楯無はいきなりもじもじとしだして、なにやら改まって話を始めた。

びっくりはしないけど、正直そういうの困る。

これはさっきまで考えていた、どうしたらいいかわからないやつだろ。

こんな風になにかから逃げたいと思ったのは、正直これが初めてだ。

しかし普段のこいつをちゃんと見ていたら、いつかこうなることはとっくに予想ができた。

そんなことも考えないで、デートだなんだと浮かれてた俺はどんだけバカなんだろうか。

それで今さらになって慌てるなんて、いい加減自分のバカさ加減に腹が立ってくる。

結局俺はあの頃から、なにも成長していない。

 

「その…えーと、私ね、実は…ずっと前から、あなたのこと…」

 

「それはこんな男に言っていい言葉じゃない」

 

悪いが、そこから先は言わせない。

 

やっぱり俺には無理だ。

 

俺はお前にふさわしくない。

 

許せ!刀奈。

 

本当は俺だってお前といたいんだ。

 

「俺はお前のことなんて好きじゃない」

 

「好きじゃ…ない…」

 

「それに俺は女を幸せに出来るような男じゃないんだ。やめとけ…こんな男」

 

中途半端に曖昧にするよりは、ここではっきり言っておいたほうがいいだろう。

北斗神拳伝承者と歩む人生なんて、女を幸せにするものではない。

こんな男じゃなくて、お前ならもっと普通に幸せになれるだろ。お前は確かに裏社会の人間だが、まだ完全に染まりきっちゃいない。しばらく一緒に過ごしていて、それはすぐにわかった。

 

「桜介くん、それがどうか、した?」

 

「え、どうかって…」

 

正直、泣かれるのもぶん殴られるのも覚悟していたのに、その態度は凛としていて、涼やかで、その顔はどこまでも無表情で落ち着いていた。

 

こいつが今何を考えてるのか、俺にはわからない。

でもはっきりしているのは、今まで受け入れることも拒絶することもせず、散々中途半端にしてきた俺が悪いってことだ。

期待させるような態度をとっていた自覚もある。

俺はずっとお前の優しさに甘えていた。こいつの近くにいると、とても居心地がよくて、気付けばずっとそばにいたいとすら思っていた。

別に責めるなら責めてくれたって構わない。俺はひどい男だ。嫌われたって別にいいんだ、むしろその方が諦めもつく。

 

「あの~お取り込み中のところ、悪いんだけど…少しいいかな」

 

「あ……?」

 

大事な話をしているところに、背後からずけずけと割り込んできた男。思わずイラつきながら振り返ると、そこにいたのは…。

 

「葉さん…?葉さんじゃないか!どうしたんだ?いつの間に日本に来たんだよ!」

 

上下黒のスーツに黒いハットを被っている、二十代の男。

中国の親友、上海のマフィアのボスである潘の、その右腕と言われる男、葉さんだった。

 

「久しぶりだな、桜さん!また会えて嬉しいよ!本当に…」

 

「こちらこそ。なんだ?観光か?よかったら案内しようか?」

 

「いや、それは嬉しいけどさ…。今回はそうじゃないんだ」

 

「え?だったらなんだよ?」

 

俺の問いかけに、葉さんは突然深々と頭を下げた。

 

「……助けてほしいんだ。実は今社天風が、上海を狙って攻め入って来て抗争中なんだ…」

 

葉さんは頭を下げたまま、本当に言いにくそうにそんなことを言った。

 

「ふーん、でも確か社天風なんてコソ泥上がりのゴロツキだろ?潘のやつがそんなやつに遅れをとるとはとても思えんな」

 

「桜介くん、社天風と言えば…今や秘密結社の大ボス。裏の世界じゃ、かなりの大物よ」

 

俺の言葉に、葉さんが来てからずっと黙っていた楯無が話に加わってきた。

あんな話の途中で突然こんな話になっちまったのに、けろっとしてるこいつに俺は正直驚いた。

 

「そうなんだよ!それで連中、なんでもISまで所持してるらしい」

 

「なに…?」

 

「嘘!?」

 

いまやマフィアがISを所持する時代。とんでもないな。いや、亡国機業もそれは対して変わらないし、今更か。

 

「しかも、その操縦者のうち一人は、北斗曹家拳という拳法の使い手で…男だって噂だ」

 

「へえ、それは面白そうじゃねーの。神のいたずらか、それとも兎のいたずらか…」

 

どっちにしろいたずらじゃないか。あー、やだやだ。しかし、そういうことなら俺がやるしかないのだろう。それから正直言うと曹家拳にも興味がある。

 

「もう日本での生活がある桜さんに、こんなこと頼むのは筋違いなのはわかってる。でも助けてくれないだろうか。後生だ」

 

「ふ~。顔をあげてくれ」

 

「……桜さん」

 

「それじゃあ行くか…。再び、中国へ」

 

「ほんとか!でも…いいのか?実は親分には…まだ言ってないんだ。俺が日本に来てること…」

 

「あんたが頼ってくれた。それだけで充分だ」

 

「桜さん…すまねぇ…助かる…っ」

 

「いいって」

 

気持ちを伝えると、葉さんは涙を流して礼を言う。おおげさなんだよ、友達が困ってたら助けるのは当たり前だろ。

それにいい機会でもある。このまま消えちまった方が、楯無のためにはいいのかもしれない。

 

「それにしても…さっきの。初めてだったな…あんなに焦ってる桜さんを見るのは」

 

「ち…。うるせえな。そんなこと言うなら行くのやめちゃうよ、中国」

 

「あ、はい。ごめんなさい」

 

余計なことを言うなと睨んでやると、まだ泣いてる葉さんは素直に謝った。この人もわりとお調子者なところ、変わらないな。

 

「男にも女にもそんな殺し文句を言って……泣かせるのね、あなたって。私もいくわよ、中国」

 

楯無は呆れたような顔で、突然そんなことを言い出す。それこそ本当にいつも通りの、なんでもないような口調だった。葉さんもこれにはすっかり呆気にとられているし、俺も再び驚いた。

 

「おいおい、人聞きが悪いな。遊びにいくんじゃねぇぞ?秘密結社とやらをぶっ潰しにいくんだ」

 

「私は更識家の当主なの。ISまで使いだした秘密結社は放っておけないでしょう。いつこの国にだって、攻めてくるかもしれない」

 

「それはちょっと…無理矢理すぎるんじゃない?俺でもそんな屁理屈言わないよ、多分」

 

むちゃくちゃなことを言う楯無に、俺は自分でも顔がひきつっているのがわかった。

それに俺が少しおどけたように返すと、楯無が視線を下げて俯き気味に口を開く。

 

「……お前の手に負える男じゃない。だから諦めろって、さっきそう言われたように聞こえた…」

 

「だったらなんだ?」

 

別になめてるつもりはないが、はっきり言ってしまえばその通りだろう。

だからそう言っているんだよ、実際に。

 

「だとしたらずいぶんと、なめられたものね。私も……私の想いも……」

 

「なめてるつもりは…ないけどね」

 

「それがなめてるって言ってるの。もうこの際だから、はっきり言っておくわ」

 

「なにを、だよ?」

 

「行き先がどこであろうと私はついていく。例えそれが地獄でも。あなたと居るところが、私には天国だから」

 

刀奈は顔を上げて、力強くはっきりと言いきる。

それはこんな男には勿体ないような過ぎた言葉。

しかし、顔を見たらすぐにわかってしまった。

一度も涙を見せていないが、今も唇を噛みしめてなんとか堪えているんだろう。

それがわかってしまったのは、やはり一緒にいる時間が長すぎたから。

ああ、それにしてもこいつは本当に本当に…。

 

「……バカな女だ」

 

「バカでいい、それでもあなたといたいから」

 

「……好きじゃねえって、言ったよな」

 

「それは……これから好きになってもらう。だから今は、それでもいい」

 

刀奈は少し考えてそう言うと、今度はしっかりと涼しい顔で笑ってみせた。

しかしせっかくのところ申し訳ないが、それは絶対に無理だろう。

もうとっくに惚れているんだから。

最近すっかり忘れていたが、そういえば確かにこいつはもともとこういう女だった。

今も向けられているのは、とても強い意思を秘めた瞳。

その目が死んでも曲げないと、そう言っている。

揺らぐことのない、その強い瞳に惹かれたんだ。

でもお前も人のことは言えないだろ。

おかげでさっきから妙にタバコの煙が目に染みて、俺はしばらく天井を見上げていた。




ということで次回から魔都上海編。


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64話

あれから二日後、俺たちは上海に降り立った。

 

葉さんが訪ねてきた翌日には、楯無が航空券をすぐに手配してくれて、あっという間に上海だ。

葉さんはすでに俺たちよりも1日早く上海へと戻っているので、今は二人で繁華街を歩いている。

上海の繁華街は前と変わらず、ガヤガヤと騒がしく賑わっていた。

まだそんなに経っていないというのに懐かしい。ここにはもう来ることはないと思っていたのに。

 

「うふふ。これが上海!それでどうするの?早速、潘さんのところに行くつもり?」

 

隣を歩く楯無はとても楽しそうだ。今も気づいたら俺の腕をとっていた。

ほんと猫みたいなやつ。こいつにはいつの間にか懐かれていて。はっきりといつからそうなのかは知らないが。

しかしわりと最初からチョロかった気もする。

 

「あのなぁ、俺はこっちじゃ本当に恨みとか買いまくってるからね。少しは警戒した方がいいんじゃないの?」

「なにかあっても、どうせあなたが守ってくれる。それにせっかく来たんだから、ついでに楽しまなきゃ損ってもんよ」

「まあ、そりゃあそうだけど…。お前本当に目的わかってんのか?」

「大丈夫。仕事はきっちりやるから」

 

そう言われてしまえばまあその通りなんだろう。

そうすると言えることはもうなにもない。俺は思わず軽いため息をついていた。

 

「じゃあ久しぶりに来たんだ。拉麺でも食いにいくか」

「あなたって…本当にラーメンが好きねぇ」

 

割りきることにして、腹が減ったからとりあえず飯に誘うと楯無はすっかりいつもの呆れ顔だ。

だって仕方ないだろ、好きなんだから。

 

 

 

 

 

少し歩いてやって来たのは高級レストランではなく、どこにでもあるような大きめの大衆食堂。

俺たちが案内されたのは二階のテーブル。この食堂は全体が吹き抜けになっていて、壁がないので外側の席は風が心地いい。

 

「それにしても、よく休みがとれたわね。織斑先生でしょう?あなたの担任」

「いい酒を持ってったら、普通に許してくれた」

「まったく…。平然とあの人の前を、酒瓶片手に歩ける生徒はあなたぐらいものよ?」

「そうかもな……」

「そうよ。本当に肝が据わってるというか、なんていうか…。それに何故か気に入られてるし…」

「そういえば土産を頼まれたな…上海蟹。まあ、それは後で考えればいい。とりあえず飯食ったら潘の家に行こうぜ」

「ええ、わかったわ。それよりも、今は本場の拉麺……楽しみね!」

 

そう言って嬉しそうに目を輝かせる楯無に、俺もいつの間にか楽しい気持ちになっていた。

 

「はい、おまちどうさま!」

 

店員が早速ラーメンを二つもって、テーブルに運んで来た。

しかしこの店員、やたらとガタイがいいうえに顔つきも相当悪い。

そしてラーメンをテーブルに置くと、その店員はこちらとラーメンをじっーと交互に見ている。

どうやら早く食えと言っているようだ。ばかにしてるのだろうか。お前みたいな悪い顔したウエイターがいるわけないだろ。

俺はどんぶりに顔を近づけて、その匂いをクンクンと嗅いてみる。

 

「はぁ~~。早速かよ…」

「う、うん?桜介くん!?」

 

もうわかっていたとはいえ、思わずテーブルをタンと叩いてしまう。楯無はそんな俺に怪訝な視線を向けた。

 

「おい、おっさんまだたんねーだろ。よかったら、これやるよ」

「えっ!?いいの?本当に!?」

 

すごい勢いでスープを平らげていた隣のテーブルの客に丼を差し出すと、すごく喜んでくれた。

 

「え?だめだめ!これはこの人のものよ!?」

 

急に焦りだしてそこに割り込んでくるウエイター。別に俺のラーメンなんだから、どうしたっていいだろうに。

 

「この人がいいって言ったんだから、これはもうワタシのアルよ!」

「だめだめ、だめでーす!規則アルよ、規則!」

「嘘つけ!喰うアルよ~!」

 

正面を見ると、楯無はまだ状況が理解出来ずに隣の客とウエイターが言い争うのを呆然と見ている。

 

「……ま、まさか、あなたが……ラーメンをあげちゃうなんて……」

 

そっちかよ!?

 

「いっただきまーす!」

 

気づけば隣のおっさんは、ウエイターの制止を振り切って丼を奪い取り麺を箸で持ち上げていた。

 

「もう知らないアルよ!」

「知ってんだろ、こら」

 

慌てて去っていこうとするウエイター。俺はその胸ぐらを掴んで引き留める。

 

「おっさん、それ毒入りだぜ」

「ぶー!!」

 

ちょうど麺を口に入れていたおっさんは、俺の声でラーメンを勢いよく吐き出した。

それが周りのテーブルへと飛び散っていく。

 

「はぶぶ~!毒!毒入りアル~!」

「ど、ど、毒~!?」

「きゃああああ!!」

 

そして店内はあっという間に大騒ぎになる。

それを横目に、結局食事がお預けになりがっかりした俺はとりあえずタバコを吸うことにした。

 

「あ~あ。どうすんだよこれ?」

「うう!」

 

俺の問いかけにも、ウエイターはもう冷や汗をかいてただ唸るのみである。

そんなウエイターを持ち上げて、体を吹き抜けの外へと持っていく。

 

「どういうことだよ、これはよぉ!?」

「あ、危な…。知らないアル~!」

 

たしかにここは二階とはいえ結構な高さがある。

落ちたら怪我じゃすまないかもしれないな。

だがそれがどうした。俺は腹が減ってんだよ。

 

「知ってんだろ」

「し、知らない!知らないアル~!」

「おかしいだろ!?」

「おかしくないアル~!!」

「おかしいんだよ!なんで俺の丼にはいつも毒が入ってんだよ!?」

「ぐく…。そ、それはその~」

 

ウエイターは苦しそうに口ごもるが、食い物を粗末にした恨み、どう言い訳したところで許されるはずもない。

 

「お前に恨みがあるからだー!!」

 

ついに本性を現したウエイターは隠し持ったナイフを取り出して突き刺そうとしてくる。

 

「俺への文句は直接言え!そんなことにラーメンを利用するなぁ!!」

 

だからおもいきり頭からテーブルに叩きつけてやった。食い物の恨みは恐ろしいのだ。

 

「ぶぽげ」

 

初日からこれじゃなんだかやりきれない。そんな思いもあり、俺はまたタバコに火をつけていた。

 

「いいか、これが上海だ。ここではな、ゆっくりラーメンも食えやしない」

「そ、それはあなただけでしょ…。一体どれだけ恨まれてるのよ?」

「どうせ潰した組織の残党だろ。飯は潘のところで食わしてもらうか。今日はなんだか外食する気が削がれちゃったな」

「あはっ、あははっ。そう、しましょうか」

 

顔をひきつらせて、楯無は俺の意見に同意した。

毎回毎回毒入り出されたら、なかなか飯も食えないやしないからな。

 

「会計はいらないな。こんなもんに金払う必要もねーだろ」

「ええ、そうね…」

「楯無、いくぞ」

「…………」

 

金を払わずそのまま店を出ていこうとするが、楯無から返事がない。どうかしたんだろうか。

 

「桜介くん…。刀奈よ、か・た・な!」

「かたにゃん」

「か、かたにゃん……」

 

もうこのやり取りも今まで何回しただろうか。

俺の答えに一応は満足したのか、やっと楯無……かたにゃんはまた俺の腕をとった。

しかし今回は旅行じゃねぇんだってこと、本当にわかってんのかな、こいつ。

だがお前がついてくると言うのなら、なにがあっても俺は守ってやる。

そう思いながら大きく煙を吐き出した。

 

 



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65話

飯を諦めた俺は、葉さんに連絡し車で迎えに来てもらうことにした。

俺たちは葉さんが運転する車に乗って、潘のところに向かっている。

 

「来てくれて本当にありがとう。楯無さんも」

 

「それはいいって。それにこいつは無理矢理についてきたようなもんだ。それより俺は腹が減ってんだ。なんで俺のはいつも毒入りなんだよ…」

 

「…なに?なにか文句があるのかな?」

 

「ないよ?ていうかそれ俺の口癖…」

 

「あは。ないならいいわ」

 

「ふぅ~。お前には敵わないねえ」

 

「は、ははっ。桜さん、すっかり尻にひかれてるね」

 

「そんなんじゃねぇよ。はぁ……。それより俺の拉麺…」

 

「まったく…。いつまでも拉麺ぐらいで、グチグチ言わないの」

 

「ははっ…。あんたたち見てると…まるで昔に戻ったみたいだ…」

 

「葉さん」

 

「わ、悪りぃ。と、ところでさ、桜さんたちはどこに泊まるつもりなんだ?」

 

俺が釘を刺すと、葉さんは慌てて話題を変えた。

それを楯無が隣で不思議そうな顔で見ている。

ああ、本当に自分自身に反吐が出そうだ。

いまだに過去のことを知られたくないと、そう思ってしまった。

 

「潘の家。あいつんちでかいから、問題ないだろ?」

 

最初からそのつもりだったが、実際のところ潘のやつは俺が楯無を連れて行ったら、一体どんな顔をするんだろうか。

今さらながらそれが少しだけ気になった。

 

「そうか。そりゃあ親分も喜ぶだろうな。あんたが来るって言ったら、勝手なことすんなって怒られちまったけどさ…へへ…」

 

「へ~」

 

久しぶりに一緒に飲める、しかもうまい酒が。

そう考えたら楽しみになってきた。

楯無も言っていたが、楽しむ部分は楽しまなきゃ損だし、やっぱり。

仕事さえしっかり殺れば大丈夫なはずだ。

 

 

「でも、本当にいいのかしら?突然お邪魔しちゃって…」

 

申し訳なさそうに楯無が言う。

心配しなくてもこの人たちは、そんなの気にするような連中じゃないんだって。

 

「楯無さん、いいんだよ。この人は俺たちの恩人だからな。特別なんだ」

 

「俺はただ暴れてただけなんだがね…」

 

「ふふっ。桜介くんらしいわね…」

 

なにが面白いのか穏やかに微笑んでいる楯無。

それにしても、こいつの中では暴れてるのが俺らしいのだろうか。

なんかやだな、それ…。

 

「着いたよ」

 

葉さんが門の前に停めて俺たちは車を降りた。

 

潘光琳邸。

 

俺が昔世話になっていた、三階建てのかなり大きな洋館だ。

相変わらずでかい。広い庭には噴水まである。

マフィアって儲かるんだね。

 

「本当に…大きいわね」

 

「そうか?お前んちもどうせでかいんだろ」

 

「そうねえ。桜介くん、よかったら…その…今度うちに遊びにくる?」

 

「ふっ…。機会があればな」

 

「もうっ!……桜介くんのいけず」

 

ほっとけ、それはきっと生まれつきだ。

適当に返事をされたと思ったのか、楯無は拗ねている。

別におまえんちに全く興味がないわけじゃないが、そんな機会があるかどうかはまた別問題だろう。

 

俺たちが話していると、突然門が開いた。

どうやらわざわざ出迎えにきてくれたようだ。

 

「会いたかったぜ、朋友」

 

「待たせたな、朋友」

 

久しぶりの再会に、そして以前と変わらない笑顔で話しかけてくる潘に、俺はなんだか嬉しくなった。

 

 

 

 

 

俺たちが案内されたのは三階のリビングだった。

潘と向かい合うようにして俺と楯無が並んでソファに座っている。

 

「潘、それで社の居所は掴めているのか?」

 

「まだだ。上海に入ったのは確かだが、やつは行方をくらませた。今子分たちに全力で探らせているところだ」

 

「そうか。今日から俺たちも捜索に加わる」

 

「うふふ、やってやりましょう」

 

楯無は扇子をバッと開きながら力強く言い放った。

その扇子には「お任せあれ」と書かれていた。

こいつ、基本的には頼りになるんだがたまに抜けてるからなぁ。

こいつにとっては初めての上海だし、二人で行動した方がよさそうだ。

 

「すまない…。ところで桜介、さっきから気になっていたんだが…その人は?」

 

「更識楯無。学校の先輩だ」

 

「桜介くんの学校の先輩の更識です。今回は組織の殲滅を目的として桜介くんに同行しました。よろしくお願いします」

 

淡々と自己紹介をしているが、わさわざ同じ言葉を復唱されると少し嫌みっぽく聞こえる。

他に言いようがないんだからしょうがないだろ。

 

「…そうか、わかった。だが今日はもうじき日が暮れる。今日はもうゆっくりして、明日からよろしく頼む」

 

「それはいいが、とりあえず腹へった。まずは飯をよろしく頼む」

 

「くっ…。くっくっく!お前…全然変わってねえなあ!すぐに用意させるから待ってろ」

 

「悪いねえ」

 

「……バカなんだから」

 

俺が飯の催促すると、楯無が顔を赤くして恥ずかしそうにしていた。

こっちで拉麺頼むと、いつも毒入りなんだから仕方ないだろ。

拉麺屋が悪いんだ、俺は悪くない。

 

 

 

 

夕食の準備が出来るまでの間、俺と楯無はそれぞれゲストルームへと案内された。

泊めてもらうことは快く了承してくれて、俺たちの部屋は隣同士になった。

それぞれの部屋で着替えてからしばらく楯無と時間をつぶしていると、メイドさんが俺たちを呼びに来てくれた。

 

「ふ~。やっと飯だな」

 

「よかったわねえ」

 

三階の部屋に入ると潘の他にもう一人、懐かしい顔がいるようだ。

 

「美玉…」

 

「桜介…。久しぶりね」

 

胸元の大きく開いた黒のドレスに身を包んでいるのは、潘と玉玲とは孤児院からの幼なじみで潘の恋人、楊美玉。

かつて上海で売り出し中だった女優で、いまや中国一の人気女優だ。

 

(ちょ、ちょっと…。女優の楊美玉じゃないの。桜介くん、な~んか親しそうに見えるんだけど?)

(ああ、美玉は潘の恋人だ。だから俺も昔から知り合いなんだ)

(そうなんだ…。なんか大人の女性って感じ。すごく色っぽいわね)

(まあ潘もそうだが…二人とも俺たちより年上だからねえ。あいつら実際に大人だしな…)

 

楯無がボソボソと耳うちをしてくる。

耳元で囁くように言われて、息がかかって少しくすぐったい。

潘も美玉も二十代だから普通に大人だろう。

美玉は玉玲を妹同然に可愛がっていた。

個人的には今の楯無だって充分に色っぽいと思うが。

俺はいつものアオザイだが、楯無はチャイナ服へと着替えていた。

深いスリットからは、ほどよく引き締まった脚を覗かせている。

それにチャイナ服はボディラインがハッキリとわかるがこいつのそれはとても魅力的だ。

だがそれよりも感心したのはこの準備の良さというか、中国だからチャイナ服持ってこよう、という楯無の考え方というかなんというか。

まあ簡単に言うとそういうお茶目なところだ。

 

「さあ、食えよ。お前の好物ばかり用意したんだぜ!」

 

「ふふふっ。さすがだねえ。ほら、楯無も座ろうぜ」

 

テーブルの上のご馳走を前に、もう腹の虫がなりそうだ。

丸いテーブルを囲むように四人で座り、俺たちは食事をとることになった。

 

 

 

 

「飲む?」

 

「ああ、悪いな」

 

「素敵ですね。二人とも美男美女でとてもお似合いですよ」

 

「あら、ありがとう」

 

潘のグラスにワインを注ぐ美玉。

それを見て楯無がそんな感想を漏らすと、美玉はニコリと微笑んだ。

美玉はもちろん美人だが、潘もイケメンというやつなんだろう。

そういえば昔から女にもよくモテていた。

気づけば俺が食事に夢中になっている間に、女性二人は打ち解けている。

楯無のこういうところはさすがのコミュ力と言うべきか。

そういうのは俺にはとても無理だろう。

 

「あの子…なかなかいい女じゃねーか」

 

「まあな…」

 

「んだよ。しけてんなお前」

 

「潘、そんな話はどうでもいいだろうが」

 

「桜介…。お前…」

 

女たちに聞こえないように小さな声で話しかけてくるのでそれにそっけなく答えると、潘は神妙な顔をした。

気にかけてくれてるのはわかるが、心配はいらない。

俺は充分に楽しくやっている、だからお前がそんな顔をする必要はない。

 

「桜介、このあとまだ飲むだろ?ふふっ。酒ならたっぷりあるぜ」

 

「ふっ…。その言葉を待っていた」

 

「はははっ!今夜は寝かせねぇからな、このやろう」

 

「こら、桜介はまだ高校生なのよ?ほどほどにしときなさいよ」

 

「そうよ。桜介くん…、本当に今さらだけど、自分がいくつだと思ってるのよ…」

 

「久しぶりなんだ。たまにはいいじゃねぇか」

 

「そうだね、うんうん。いいこと言うな~」

 

「そもそもあなたが桜介に教えたんでしょ!酒も煙草も」

 

「そうやってすぐ調子にのるんだから」

 

そういえばそうだったな。潘とつるむようになってからだ、酒も煙草も。

マフィアってやっぱりろくでもねぇな。

だからって今さらやめる気も全くないけど。

 

「ふぅ~。潘、早く出せよ。どうせいい酒持ってんだろ?」

 

「おう!ちょっと待ってろ」

 

潘が席を立った後、楯無と美玉はやっぱり呆れていた。

本当に久しぶりなんだ。今夜ぐらいはいいだろ。

 

「さあ飲もうぜ!葉巻もあるんだ。キューバ産だぞ、ほら」

 

「嬉しいねぇ~」

 

「更識さん、もうバカ二人は放っておいて、私たちはお風呂にでも入らない?案内してあげる」

 

「バカとはひどいな、おい」

 

「ボケならまだしも…」

 

「はぁ……ボケならいいのね。美玉さん、でもいいんですか?…放っておいて」

 

「いいわよ!この二人はお酒すごく強いから。このままだと平気で朝まで飲んでるわよ」

 

「そうですねえ…」

 

美玉が楯無を連れて部屋を出ていく。

部屋から出ていくときに楯無にはじとっとした視線を向けられたが、笑いかけると諦めたような大きなため息を吐かれた。

でも俺はそれにはもう慣れた。

 

 

 

 

 

「桜介、今回は悪かったな…。だが正直助かった」

「ふぅ~~。知らないうちにどうやら大変なことになってるようだな」

「おいおい、一気に何本も吸いすぎだろ」

「困ってるなら…さっさと呼べよ。俺が来なかったらどうするつもりだったんだ?お前」

「これはうちの問題だからな。俺はお前を呼ぶつもりはなかったんだ…。本当だ…」

「水臭いんだよ。俺とお前はあの日から朋友だろ」

「朋友…」

 

俺たちは夕食を終えてからずっと飲んでいた。

日付はもうとっく変わっている。

 

「それにしてもお前が普通に高校生やってるんだから驚きだな。それを知ったときは死ぬほど笑ったもんだ。死神と言われたお前がねえ」

「ほっとけよ。自分だって驚いてるんだからさ」

「ちゃんと学校行ってんのか、こら。この不良が」

「お前に言われたくないんだよ、このマフィアが。よく考えたら酒も煙草も、お前が俺の前で平気でゴクゴクぷかぷかうまそうにやってたから、そのうち覚えちまったんじゃねぇか」

「ははは、そうだったか?もうそんな昔のことは…忘れちまった」

 

潘はニヤリと笑い、新しいボトルを開けると自分のグラスにウイスキーを注いだ。

俺も潘も強い方だからもうこれで三本目のボトルだが、飲むペースは最初から全く変わっていない。

 

「桜介…。俺な、美玉と結婚の約束をしたんだ」

「美玉は昔から…お前しか愛せぬ女だ」

「そうだな…。だがこれでもう、簡単には死ねなくなっちまった」

「ふっ…。だったら尚更、社のやつはきっちりと地獄に送ってやらないとな。それが俺からの結婚祝いだ」

「はっ。言うねえ、相変わらず。お前はあの頃から、何も変わっちゃいない」

 

俺たちには例え何年会っていなかったとしても変わらない友情がある。

例え相手がマフィアだろうと、そんなものは関係ない。

俺がグラスを開けると潘がそこにウイスキーを注いでくれた。

 

「ふ~~。うまいな」

「なぁ、桜介。…お前……あの子に惚れてんだろ?」

「あ?」

「お前のあの子を見る目、明らかに他のやつに向けるものとは違う。そしてそんなお前を…俺は昔見たことがあるんだよ」

 

潘はそんなことを言って憂わしげな表情を浮かべた。

心配かけてるのはもうわかっているが、俺は正直言ってそんなもんは余計なお世話だと思った。

 

「………だったらなんだ?そんなもんはお前には関係ねぇだろ」

「なんだと!?関係ないわけねーだろ、こら!」

「俺には彼女の心を受け止める資格はない。そんなことはお前もよくわかってるはずだ」

「わかるわけねーだろうが!ガキが随分と悟ったようなこといってんじゃねーぞ、このやろう!」

 

潘は俺の胸ぐらを掴んで叫ぶ。

思えばこいつは昔から熱い男だった。

 

「誰が…ガキだ。やんのかこら」

「ああ?てめーだよ!やってやろうじゃねーか!チキン野郎が!てめーびびってるだけだろうが!」

「誰がびびってるって?ふざけんじゃねぇぞ…おい」

「こんな情けない男に…俺は妹を任せた覚えはねぇぞ…このガキが!」

 

潘の言葉に、カーッとなって自分でも頭に血がのぼるのがわかった。

俺も気づけば潘の胸ぐらを掴んでいた。

 

「お前…今さらそれを言うのか。本当にぶっ飛ばされてぇのか…このくそマフィア!!」

「なにが今さらだ?いつまでも女々しいのはてめーの方だろうが!学校で女に囲まれてるうちに随分女々しくなったな、おい。このくそガキぃ!」

 

潘は俺の顔を拳でぶん殴ってきた。

特に格闘技もやっていない潘の拳を、わざわざかわそうとも思わず俺はそのまま受けた。

だが思っていたよりも少しだけ痛かった。

 

「いてぇな…。いい加減にしろよ?だいたいお前が俺とやりあえるわけ…ねーだろ」

「じゃあお前もいい加減にしろ。お前自信がないだけだろ?いつまでも妹を言い訳にしてんなよ…。お前のそんな姿見たら、あいつが悲しむ」

 

今までそんなこと考えたこともなかったが、潘が言うのならそうなのかもしれない。二人はそれぐらい仲のいい兄妹だったから。

玉玲はきっと今も、天国で俺たちを見守ってくれているのだろう。いつまでも女々しく過去を悔いている俺のことも。

潘の顔を見るととても悲しそうで、その瞳には涙まで浮かべている。こいつは昔から人情味があって、きっとあれからも俺のことを本気で気にかけてくれていたんだろう。こいつのそういうところ、全く変わっていない。

 

「ふ~。そうか…そうかもな…。俺は今も昔もどうしようもない男だった」

「俺たち…だろ?親のいない俺がこの上海で生きていくにはこの道しかなかった。そんな俺がこんなこと言える立場じゃねえけど、お前ならきっと大丈夫だろ。少なくとも俺はそう信じてる」

「はぁ……。最後は無責任だなお前。なんでそう思う?」

 

俺が呆れたように尋ねると、潘は無邪気にニカっと笑ってグラスを煽った。

 

「お前は俺の朋友だからだ。日本人だろうとそんなもんは関係ない。お前が妹と一緒にならなくても、俺は変わらずお前を兄弟のように思ってるんだ。だからあんまり心配かけるなよ、兄弟…」

「バカヤロウ。まったくどいつもこいつも…。俺を泣かせる気か」




中国編ではちょこちょこ蒼天の拳のキャラが出てきますがサクサク進めます。


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66話

「おいおい、桜さん。本当にいいのか?車ぐらい出すぜ」

 

「俺はマフィアじゃないんだ。俺たちは俺たちで行動する」

 

「葉、言っても無駄だろう。桜介はマフィアが嫌いだからな…」

 

潘と明け方まで飲んで少し寝た後、俺たちは早速社の捜索に動き出すことにした。

葉さんが車を出すと言ってくれたが俺はそれを断った。

足は潘がとっておいてくれた俺のバイクで充分だ。

 

「ほら、楯無乗れよ」

 

「…それはいいんだけど」

 

「なんだよ?」

 

声をかけると楯無は不満そうな、納得がいかないようなそんな表情を浮かべていた。

 

「やっと…やっと二人乗り出来ると思ったら…なんで私が運転なのよ~!!」

 

「なんだ、そんなことか。お前だってバイクの運転は出来るだろう?」

 

「それは出来るわよ?出来るけど…。…ロマンがないのよ!」

 

「ロマンは今度でいいだろ。帰ったらいくらでも乗せてやるから、な?早く乗った乗った」

 

「絶対よ?絶対だからね!」

 

「任せとけ」

 

楯無は俺が後ろに乗るのが大変ご不満らしい。

しかし説得すると渋々、俺の前にまたがった。

実際に銃撃戦になれば俺が後ろの方が銃を使いやすいからな。

 

「楯無…。ここでは法律はないようなもんだから。危ないと思ったら迷わずISを展開させろ。最悪なんとかなる。警察は全部裏組織と繋がってるからな。役人もだ」

 

「本当に……夢もロマンもないわねえ」

 

「ここにはそんなもんはない」

 

「ええ、もうわかったわよ!充分に…」

 

久々のたっちゃんご立腹である。

仕方ないだろ、仕事で来てるんだから。

 

 

 

 

俺たちはバイクで市街地へと向かっている。

 

「ふふ~ん♪」

「あら、桜介くんご機嫌じゃない。どうしたの?」

「ああ、お前ってやっぱりいい匂いがするな」

「なっ!?ちょ、ちょっと、あんまりクンクンしないで!」

「いいだろ、少しくらい」

「だ、だめっ!そ、そんなの…」

 

あ~。いい匂いだなぁ。

ケチケチすんなよ、減るもんじゃないだろ。

 

「むっ…。臭え…」

「な、なななっ!?」

 

楯無が突然急ブレーキをした。

顔を真っ赤にさせて。

 

「ちょっと待ってろ…。あそこの男…」

「もうっ!あ、あなたねえ、紛らわしいのよっ!」

 

俺はバイクを降りて、路上で立ちしょんべんをしている男に後ろから近づいていく。

 

「フンフフーン♪フフ、わ、わらびっ!」

 

俺が後ろから首を掴んで持ち上げると、男は変な声をあげた。

こっち振り向くなよ、しょんべんがかかる。

 

「忙しそうなところ失礼する。お前…社の子分だよな?親分さんはどこにいるのかなぁ?」

「知らないっ、知らないよっ!」

「そうか…。仕方ないねえ。だったらさぁ、よく行くところ教えてくれる?あるよなぁ?社みたいな野郎なら女の五人や六人囲ってんだろ?おい」

「い、言えないよ!こっちが殺されちまう!」

 

仕方ない、ここは無理矢理聞き出すか。

俺はしょんべん野郎の口に指を突っ込んだ。

 

「あびゃい!」

「上顎という秘孔を突いた。お前は意思に関係なく、俺に聞かれたことに答える。社がよく行くところはどこだ?」

「そ、そんなことしたら、こ、殺され…お、親分は…女には興味ねぇんだぁ~!と、賭博場だぁ!親分は博打狂いなの~!今頃~競馬場にでもいるじゃ~!え、あ、あれ?」

「そうか、ご苦労様」

 

それだけ言うとしょんべん野郎はバタンと倒れた。

 

人体には七百八つの経絡秘孔(ツボ)がある。

北斗神拳の真髄はその経絡に気を送り込み、肉体の表面ではなく内部からの破壊を極意としている。

つまり破壊された肉体に外傷なし。

まあ、それが究極の暗殺拳と呼ばれるゆえんなんだろう。きっとね。

 

「楯無、競馬場だ。競馬場に行こう」

「ダリルがあなたに怯えてる理由が……少しだけわかったわ」

「お前も俺がこわいか?」

「え…?ううん、全然」

「そうか、よかった…」

「お、桜介くん…?」

「どうした?」

「う、ううん。な、なんでもない……」

 

目の前で人を殺めても、こいつは俺を恐がったりはしない。そして死神だ悪魔だと忌避されている俺のこともだ。本当にいまさらだが、そのことに安心したし、なんていうか嬉しい気持ちになった。

 

「じゃあいくか」

「桜介くん…」

「なんだ?」

「その前に手…洗ってね」

「…………」



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67話

「す~~~。あの車に社が乗ってるね」

「もう見つけるなんて…あなたの鼻は本当に便利ね」

 

競馬場に向かって俺たちがバイクを走らせていると、前方を走っている車から社の臭いがした。

初日からヒットするなんて、ついてるな。

 

「楯無…」

「わかってる!」

 

楯無がスピードを上げてバイクを走行している車の横へとつける。

 

後部座席を覗きこんで顔を確認する。

 

顔に大きな傷のある太った男。間違いない、社だ!

 

ライフルを窓ガラス越しに車の中の社に向ける。

 

「え…閻王か!?」

 

ドン!

 

「ひゃああ~!」

 

俺が発砲した弾丸は窓ガラスを突き破ったが、社はどうやらしゃがんでかわしたようだ。

 

車は速度を上げて逃げていく。

 

やがて車は交差点へと差し掛かった。

 

交差点では警官が車にとまれと合図をしている。

社のやつ、どうするつもりだ?

 

「スピード出しすぎいけませんね~」

 

ピーピーと警官が笛を吹いている。

 

「とまってくださ~い」

 

社はそのまま車を突っ込ませて警官をひいた。

 

警官が何メートルかふっとばされていく。

 

ま、とまるわけねぇよな。とまったらお前は死ぬんだ。

 

俺たちは交差点を抜けて、もう完全に社の車に張りついている。

ISも出てこないし、初日からあっさり決着か?

 

キィィィィ!

 

俺たちが真後ろに張りついているのを確認して、車は急ブレーキをかけた。

 

「くっ…!」

「任せろ」

 

地面を両足で蹴り、バイクごと車の上を飛んだ。

 

バイクは車を飛び越していく。

 

飛び越えざま車の天井から蹴りを放つ。

 

車の天井が蹴りでベコベコに凹んで吹き飛んだ。

 

ははは、どうだ、オープンカーにしてやったぜ。

 

「あいつ…飛び越えざまに車に蹴りを…」

「そんなバカな…ばけものじゃあるまいし…」

「ばけもーん!いや、ばかも~ん!あれが閻王なんだよ!」

「ひぃ~!逃げましょう~!」

 

社と運転手を乗せた車はUターンしてまた逃げていく。

 

「楽しくなってきたな」

「このドS…。あのね、遊んでるんじゃないのよ」

 

しかし本当にふざけた野郎だな。

追いかけているうちになんだかんだで競馬場の近くまで来ていた。

う~ん、あっさり見つかったことで拍子抜けして、なんだかんだでここまでバイクで追いかけてきたが、よく考えたら向こうがIS出さないからってこっちまで遠慮する必要はないよな。もうそろそろ派手にやっちまうか?

 

「桜介くん、前!」

「んー?」

 

俺たちの前に立ちふさがっているのは茶髪で長髪の優男だった。

体格は俺と同じぐらいで、年も俺たちに近いようだ。

それとこいつ、なかなか出来る。

 

「ちっ!」

「きゃっ!」

 

楯無を抱き抱えてバイクから飛び降りた。

そのまま突っ込んでいったバイクは、優男の蹴りで真っ二つにされて男の後ろで爆発した。

 

「はっはっは!お前いい女を連れてるな~。そんなお前にいいものをやろう!」

 

「なんだ?バイク代か?」

 

男は懐から錠剤のようなものを取り出した。

ドーピング剤かなんかだろう。

 

「これだ!金剛猛力回春丸!これ一つで男根は剛槍と化すのだ~!俺はこれを使って一日で二十人の女を抱いた!」

 

「ふ~ん。あいにく俺のいちもつはもともと疲れ知らずでな。そんなもん使わなくても一晩中元気なんだよ。それよりバイク弁償しろ、こら」

 

「あわわ…。つ、疲れ知らず、そ、そんなっ…!ひ、ひ、一晩中だなんて…っ!ごくん…っ、てなにを張り合ってるのよ、なにを!」

 

「ん?なにってナニだろ?」

 

「も、もう、ナニの話はいいからっ」

 

「お前が聞いたくせに…。たっちゃんのエッチ」

 

「なっ!?き、聞いてないでしょう!?そそそそ、それにエッチなんかじゃないんだからっ」

 

少しからかっただけにも関わらず、楯無は慌てたように大声をあげた。

しかもよく見ると目を泳がせて、耳まで真っ赤にして怒っている。

少し乗っただけだが壊された俺のバイク、余程乗り心地がよかったんだろうか。

きっと壊されてしまった罪悪感もあるんだろう。

だが安心しろ、お前は悪くない。それに日本にはまだバイクあるから、慌てなくても必ずまた運転させてやる。

 

「ほう…。疲れ知らずか。お前もなかなかやるようだ」

 

「当たり前だろ。俺のはな、強いんだよ」

 

「あなたたち…いい加減にしなさいよ?」

 

楯無は赤い顔のままキッと睨んでくる。やっぱりこいつ、うぶだよな~。

でもだからって俺をこんな女狂いと一緒にするんじゃない。

しかし、この男…。さっきから臭うんだよな。

 

「確かにあんたからは女の臭いがぷんぷんするんだけど、他に…なんか俺と同じにおいもするんだよねぇ」

 

「同じねえ…。ふふ~ん。お前が閻王だろう?そろそろ上海の女にも飽きてきた頃だ。我が北斗曹家拳で一汗流すのも一興か」

 

「北斗曹家拳…。やっぱりな。てめー、花嫁泥棒の張太炎だろ?他人の女を奪うのが好きなゲス野郎だって噂の」

 

「はははっ。男はなぁ、いい女とやるために生まれてきたんだ。俺が一番気に入らねえのはいい女に屁みたいな男が乗っかることよ」

 

「ぷふぅ~。それは俺も気に入らないが…お前みたい野郎はもっと気に入らねえな」

 

「では、こいつの代わりに…お前には北斗曹家拳で死ぬ栄誉をくれてやろう」

 

そう言って張太炎は、手に持っていた精力剤を握り潰した。

おもしろい、こいつはここでやる気満々だな。

 

「先に競馬場行ってろ。これは拳法家同士の喧嘩…お前の出番はなさそうだ」

 

「そうね…。わかったわ。気をつけてね」

 

「お前もな」

 

駆け出した楯無を見送り、再度張太炎と向きあう。

 

「安心しろ。お前が死んだらあの女も俺がもらってやるよ」

 

「どうやら喧嘩の相手はガキか。他人のものを見境なく欲しがるのはガキだけだ」

 

「ガキだと?」

 

張太炎の眉がピクリと動いた。

さて、どんなものか見せてみろよ。

 

「北斗曹家拳…遊んでやるよ」



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68話

「ほお~。北斗曹家拳を遊ぶ?北斗神拳はそれほどのものか?思い上がりも大概にしろよ」

 

「いいからこいよ、遊んでやるから。わかったか。こい、このやろう!」

 

「後悔させてやろう」

 

太炎は両手を素早く動かした後、親指を立ててそれを下に向けた。

この手の動きは堕天掌。

北斗ではこれは死の宣告の意味を持つ。

わざわざこんな真似をするとは、律儀なやつだ。

 

「日本で惰眠をむさぼった北斗神拳など…この手で屠ってくれるわ!」

 

太炎は真っ直ぐに胸に向かって、左手の手刀を放ってくるがそれを右手で掴む。

 

「いいのか?IS使わなくて。持ってんだろ?」

 

「ふっふっふ。俺たちは操縦者である前に、拳法家だろう?だったらまずは拳でやってやる」

 

「ほう。どうやらゲス野郎のお前でも、拳法家としての矜持だけは捨ててはいないようだな」

 

「いつまでそんな余裕でいられるかなぁ?」

 

やつがそう言うのと同時に、俺の右手から血が吹き出した。

曹家拳は剛の拳と言われるが、本質はその気力にある。

こいつ、込められた闘気で俺の手を突き破る気か。

 

「どうだ?いてえだろ?」

「ふ~~」

 

こちらも同じように闘気を放出し、やつのそれを抑え込む。

闘気を抑え込まれた太炎はそれでもニヤリと笑った。

 

「あの女、今頃…誰かに襲われてないといいな」

「……てめえ」

 

右手がふさがっているので、左手で掌底を放っていく。

しかしそれは全てやつの右手で払われた。

やはりやつも北斗の一派、そう簡単にはいかないか。今頃楯無には仲間を仕向けているのだろう。

あいつなら襲われたところで大丈夫だろうが、万が一ということもある。本音を言うと、なるべく早めに終わらせたいところだが。

 

「甘いな、本当に。女のことは下半身だけで考えてりゃいいんだよ!」

「脳みそまで摩羅か。…お前に女を愛す資格はない!」

「そんなもんいらねぇんだよ!!」

 

太炎は右足で蹴りを繰り出した。

残像が残る速さの連続蹴りを、俺も左足の蹴りで迎え撃つ。

 

「うあたたたたたたあっ!」

「ありゃりゃりゃりゃあ!」

 

やつの蹴りは決して速いだけじゃなく、一発一発が重い。まさに即死級だ。

互いに出した蹴りがどんどんと相殺されていく。

そして最後の力の入った一撃同士がぶつかると、一度距離が離れた。

どうやら蹴りが得意なようだ。それなら手数で勝負するか。

すぐに距離を詰めて、今度は両手で手刀を出していく。

 

「あたたたたあ!」

「どりゃりゃりゃあ!」

 

しかしそれも同じように手刀で返され、俺の攻撃は全て防がれてしまい、体にはヒットしない。

まじでやるな、こいつ。

俺と同じぐらいの速度で拳を繰り出せんのかよ。

 

「いい加減にしろよ。真似すんじゃねぇぞ、こら」

「ほほお、俺の拳をかわすとは大したもんだ」

 

気づけば俺もやつも両手の指先から血が垂れていた。

それにしてもここまでやるとは予想以上だ。

女に対する考え方は噂通りのゲス野郎だが、こいつの拳に対する研鑽はどうやら本物のようだ。

 

「お前…なんで社みたいなふざけた野郎の下についてんだ?」

「バカか、お前。俺はあんなやつの下になどついていない。俺はここに女を抱きにきたんだ。面白そうだからついでにやつの話に乗っただけよ」

 

少しだけ見直して損した。

やっぱりただのバカだ、こいつは。

だが邪魔するんならぶっ潰すのみだ。

 

「だが、お前の方がよっぽど面白い。お前はこの手で殺してやろう」

「光栄だねえ。それじゃあ決着をつけようか」

「強がるなよ、お前さっきから女が気になってんだろう?そんなお前を倒しても俺の拳が泣くだけだ。その命…あずけといてやるよ」

 

そう言って太炎はISを展開させた。

黄色の、やはり龍を思わせるような形をしたIS。

 

「めちゃくちゃ強ええな…お前。次はこいつも使ってやろう」

 

太炎はそう言って凄まじい加速でそのまま空へと飛び立っていった。

本当はこいつを倒して社のアジトも吐かすつもりだったが、もう追い付けそうにない。

仕方ない、今はとりあえず楯無に合流しよう。

 

 

 

 

 

鼻を頼りに楯無の行方を追っていくと、競馬場の前にたどり着いた。

楯無の足元には、頭に六芒星の刺青が入った体格のいいスキンヘッドの坊さんが倒れている。

良かった…どうやら無事刺客は倒せたようだ。

 

「よぉ。お待たせ」

「ちょっと桜介くん、手がボロボロじゃない!」

「気にするな。こんなもん唾つけときゃ治る。それよりこいつ、さっきから寝たふりしてるぞ?」

「え…?」

 

そう言うと、楯無は改めて倒れている坊さんへと視線を向けた。

 

「ふふ、閻王。噂通りの鼻のきき方だな」

 

指摘を受けて倒れていた坊さんは、やはりすぐに起き上がった。

俺がくる前にもし秘孔でも突かれていたらと思うと、心底ゾッとする。

 

「ほら、起きた。相手はISなんて持ってないんだから、お前のランスですぐミンチに出来ただろうに。得意だろ?ハンバーグ」

「……あのねえ」

 

まだまだ甘いんだ、お前は。ま、殺しに慣れればいいってものでもないけど。

 

「おい、聞いてるのか。閻王!」

 

だったらそのままでいい。無理して変わる必要もないだろう。地獄に落ちるのは、俺だけでいい。

 

「だがその甘いところ、嫌いじゃないんだ。だったら、お前に襲いかかる全ての死神は俺が始末すればいい!」

「はぅあっ!?お、お、桜介くん!す、素敵っ!なんて素敵なのかしら…」

 

堂々と敵はぶっ殺すと宣言しているのに、そんなキラキラした目を向けられても正直困る。だんだんと俺に染まってきてないか、こいつ。

 

「おのれ!この北斗曹家五叉門党の一星様を愚弄するか~!しえ~い!」

 

人がまだ話しているというのに、怒った坊さんは指突を放ってきた。

 

だからビンタした。

 

「か…か…ああ…」

 

ビンタで坊さんの顎がひん曲がってしまった。

しかし、坊さんは自分でひん曲がった顎を無理矢理にゴキンと直す。

 

「ふふ…なんのこれしき」

 

「じゃあおかわりをくれてやる!」

 

まだ強がりを言う元気があるみたいので、腹に蹴りを入れてみる。

 

「くぼぼっ…」

 

それはさすがに効いたのか、坊さんはうずくまってしまった。

 

「…話してもらおうか。やつらのアジトを」

 

「あなたって、本当に容赦がないわよね…」

 

「うぐぐっ…。ひ、秘孔を突いたか。さすが北斗神拳伝承者。だが……ごぶっ!」

 

坊さんは俺がアジトを吐かせようと秘孔をついたことに気づき、自分で別の秘孔をつくと血を吐いて倒れてしまった。

どうやら自害したようだが、さすがに坊さんに念仏はいらないよな。

 

「死んでも吐かないか。あんな女狂いにそんなに人望があるとはとても思えんな」

 

「なんだったのかしら?このお坊さんは。桜介くんと別れたあと、突然襲ってきたのよ」

 

「北斗曹家五叉門党。北斗曹家拳の一派だ。太炎が上海へ呼び寄せたんだろう。確かこいつらは五人組だったはず…」

 

「こ、こんな濃いのがあと四人も…」

 

楯無は想像してしまったのか、おもいっきり顔を引きつらせている。

 

「そういうことだ。それより俺たちが時間くってるうちに、逃げちまったようだ。もう競馬場からはやつの臭いがしない」

 

「はぁ…。これでまた振り出しというわけね」

 

「足もなくなっちまったし、とりあえず潘の家に戻るか。拉麺でも食ってから」

 

「もう拉麺はいいから。他のもの食べましょう」

 

なんでだよ。普通にうまいだろ、拉麺。



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69話

俺たちは初日の捜索を終えて、潘光琳邸へ戻ってきた。

社本人とも、操縦者とも接触したが、結局は今日の収穫はないに等しい。

潘の部下たちも手がかりを全力で探してくれているが、そちらもまだ進展はないとのことだ。

だが俺は少なくとも三日で決着をつけるつもりだ。

またすぐに襲撃されることはないと思うが、IS学園の方も気になるしな。

そういう意味では楯無がついてきたのは予想外だったから、なおさら早く戻らなければならないだろう。

 

俺は今、浴室に来ていた。

潘の家の風呂は臨海学校で行った旅館の風呂にもひけをとらない広さだ。

さすがに露天風呂まではついていないが。

 

「くそ…いてえな」

 

体を洗うのに手の傷がしみる。

久々だった。手応えのある相手とやりあったのも、傷をおったのも。

それでもどこかそれが気持ちいいんだから、それはもう強い相手と戦いたい拳法家の性なのかもしれない。

 

「桜介くん、入るわよ」

 

痛みを無視して体を洗っていると浴室に楯無が入ってきた。

楯無はバスタオルを体に巻いているが、他には何もつけていないようだ。

今までシャワールームに乱入されたことはあるが、たまにある男子の入浴の時間は決められているので、浴室となるとこれが初めてだろうか。

 

「…なんで入ってくるんだよ」

「うふふ。いいから、いいから♪体洗ってあげる」

「自分で洗える」

「手、しみるでしょ?」

「……すまないね」

 

更識楯無はいつだって俺に優しい。今思えば最初からずっとそうだった。

楯無はボディーソープを泡立てると、後ろから背中を手で直接擦り始めた。

 

「よくみると傷だらけね…あなたの体」

「昔から喧嘩は日常茶飯事だったからな」

「それはだいたい想像がつくけど…」

「ふっ…想像通りだよ」

「自慢げに言うことじゃないわよ。もしかして男ってみんなバカなのかしら。…特にあなた」

 

呆れたように笑う楯無。

だけどその声色は少し心配そうだった。

 

「ねえ、桜介くん。やっぱり無理矢理ここまでついて来ちゃって、その…迷惑だった?」

 

楯無は擦る手を止めて背中に手を当てたまま、急に不安げな様子でそんなことを聞いてきた。

今さらそんなことを心配する必要なんてないのに。

 

「本当言うと……嬉しかった。お前が一緒にいてくれて」

「そう、それなら…いいんだけど」

「だからそんなことを心配する必要はないんだ」

「ごめんね、急に不安になったの。あの日、あなたに拒絶されて…本当はすごく落ち込んだわ。それにたくさん泣いた。自分の中で少しは期待してたのね、きっと」

「それは…お前が悪いんじゃない」

 

悪いのは俺だ。期待させるようなことをしておきながら、気持ちを受け止めることが出来なかった俺が悪い。怖かったんだ、俺のせいでお前を失うことが。

今まで怖いものなどなにもなかったのに、お前と出会って初めてなにかを怖いと思った。

 

「じゃあ…なにが悪いのかな。悪いところがあれば教えて、直すから。私ね、あれが初めての告白だったの。だから…どうしたらいいか…わからなくて…っ」

「お前はそのままでいい。傷つけちまって…すまなかった。守るって言ったのにな…」

 

背中に当てられている手が微かに震えている。

そうだ、こいつは見かけによらず繊細なんだ。

自分のことに夢中で気づいてやれなかった。

とっくに知っていたはずなのに、お前の態度や言葉を真に受けてしまっていた。

そして俺はまた、こんなことを言わせるのか。

 

「……実はね、美玉さんから聞いた。玉玲さんのこと」

「……あの頃の俺は何も考えていない、ただ自分の拳を追い求める血に飢えた狼だった」

 

あの頃は本当になにも考えていなかった。

だからあんなことになったんだろう。

あれはいくら悔いても悔やみきれない過去だ。

 

「じゃあ…今は?」

「あれから日本に帰って伝承者になって、それを背負って一人で生きていくつもりだった。昼間も見ただろう?俺の血塗られた宿命を…。一緒にいるだけで、お前まで狙われることもあるかもしれない」

「それはお互いさまでしょ。それに、それは一緒にいられない理由にはならない。言ったでしょう?私はどこまでもついていくって…」

 

気づけば後ろから強く抱きしめられていた。

その温もりが背中からバスタオル越しに伝わってくる。

お互いさまか。確かにそれはその通りかもしれないが、だとしたら俺も怖い女に狙われたもんだ。

そう考えたら真剣な話をしているというのに、場違いにも笑ってしまいそうになった。

 

「強いな……お前は」

「あら、知らなかったの?私、強いのよ」

 

さっきまで震えていたのに、今はもう楯無らしい自信満々の口調だ。

知っている、そんなお前だから俺は惚れたんだ。

 

「私はあなたが好き。大好きだよ…桜介くん」

 

楯無は優しい声で確かにはっきりとそう言った。

今度はそれを遮ることもできず、不意打ちの告白に驚いて思わず振り向いてしまっていた。

 

「え…?うそ…?桜介くん…泣いてるの?」

「そうか、涙が……」

「もう……。泣くことないじゃない」

 

俺は自分でも気づかないうちに涙を流していた。

涙を流すのは本当に久しぶりのことだった。

 

「それはきっと、お前の気持ちが嬉しいからだろう」

 

俺にはもう哀しみのために流す涙は、残っていないと思っていた。

だが喜びのために流す涙は、まだ枯れてはいなかったようだ。

 

「それなら……私も嬉しいな」

 

恥ずかしそうに頬を染めて、はにかんだように笑う刀奈。

たったそれだけのことであたたかい気持ちになるんだから、やはりお前には敵わないのかもしれない。

 

「刀奈、俺は誰よりもお前を大切に想っている」

「―――っ」

 

息をのむ音が聞こえた。

俺を抱きしめる腕も、密着している体も、ぶるぶると震えていた。

本当はすぐに抱きしめ返してやりたいが、まだやることが残っている。

全てはそれをきっちりと片付けてからだ。

だから今はその髪を撫でるだけで我慢しよう。

 

「お前まで泣くことないのに」

「あ、あれ、ご、ごめんねっ。嫌われてないんだって、安心したら……勝手に…」

「俺がお前を嫌うはずがないだろ。だからさ、帰ったらもう一度向き合おうか」

 

日本に帰ったら、その時はきちんとしよう。もう多分大丈夫だと思うから。

 

「そうね…。まずはお友だちを助けないとね」

「悪いな…。付き合わせてしまって」

「いいわ。自分から言い出したことだもの。それになんだかみんないい人たちみたいだし……マフィアだけど」

「おいおい、なにいってんだ。マフィアにいい人なんているわけねぇだろ」

 

そんな話をして、二人で泣いた俺たちは今度は一緒に笑った。

 

 

 



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70話

捜索二日目。

 

桜介は一人、ラーメンを食べていた。楯無は今回潘光琳邸でお留守番である。

楯無も別にラーメンが嫌いというわけではない。しかし何度毒を入れられても、店を見つけると懲りずに毎回入ろうするのには少しだけ呆れていた。

それに昨日の夜も結局付き合ってラーメンを食べたのだ。念願の本場のラーメンには感動すらしたものの、さすがに今日は他のものが食べたかったようだ。

 

「いい香りだねぇ~。やっぱり中国来たら、ラーメンたべないとなぁ」

 

桜介はそんな一人言を言いながら、まずラーメンの香りを目一杯楽しむ。

そして毒が入っていないことを確認したら、一気にずるる~とすすっていく。

すると、あっという間に一杯平らげてしまう。

この店のラーメンは豚骨ベースでありながら麺も細く、スープもあっさりとしていてとても食べやすかった。

 

「店員さ~ん」

 

桜介は店員におかわりを頼もうと声をあげた。

桜介とて、もう毒入りラーメンはうんざりなので今は丸眼鏡にセンター分けの髪型で変装し、対策済みである。

 

「霞さんかな?」

 

そこに突然声をかけてきたのは、黒服に身を包んだ人相の悪い男。

 

「相席いいですか?」

「他の席空いてますよ」

 

桜介は他のテーブルを指差してそう言った。

お昼の時間はもうとうに過ぎていて、店内はがらがらである。なので男の言うことは明らかに不自然だろう。

 

「おたく、霞さんでしょ?」

「いやいや、違いますよ~」

「顔を隠してるとよくわからないので、顔を見せてもらえませんか?」

「人違いですってば」

 

男が近づき顔をよく覗きこもうとすると、桜介はメニューで顔を隠した。

 

「そんなこと言わないで、見せてくださいよ」

「いやん」

 

メニューを顔に当てたまま恥ずかしがる素振りを見せるものの、男はしつこく食い下がる。

本人はもちろん変装には自信満々だったが、やたらと筋肉がついているのでその変装はかえって目立っていた。

 

「桜介…。なにをやってるんだ、お前は」

「なにぃ?」

 

男が後ろからの声に振り返ると、強烈なアッパーが男の顎に炸裂する。

 

「あめんっ」

 

殴られた男は変な声を出して天井までぶっ飛ぶと、跳ね返ってそのまま床に落ちてきた。

落ちてきた男はもう倒れたままぴくりともしない。

 

「俺に一杯奢らせろ」

 

男にアッパーをお見舞いしたのは銀髪の男、桜介が臨海学校で対峙した北斗劉家拳伝承者劉宗武だった。

宗武はぶっ倒れた男の代わりに向かいの席に座ると、ラーメンを自分の分と合わせて二杯分、店員に注文した。

わりとすぐにラーメンが届いて、二人は一緒にそれをすすり始める。

もうこの時すでに、桜介は変装を解いていた。

 

「それにしてもどういう風の吹きまわしだ?」

「お前、社のやつを殺りにきたんだろう?」

「ああ、そうか…。そうだったな…」

 

箸を止めて、ギロッと鋭い目を向ける宗武。

それに対して桜介は少し考えると、思い当たることがあったので、どこか納得したように肩をすくめた。

 

「そういえばあいつはお前の親の仇だったな…」

「そうだ、だからあいつは俺にやらせろ」

 

幼い頃社天風に父を殺され孤児となった宗武は、桜介の母である月英の父、つまり桜介の祖父にあたる北斗劉家拳先代伝承者劉玄信に弟子入りし、その技を受け継いで伝承者となったのである。

 

もともと宗武の劉家拳や太炎の曹家拳は北斗三家と言われる、三国志の時代に三英雄を守護するために北斗神拳から分派した拳法で、他には孫家拳があるが、その伝承者は既に中国時代の桜介に倒されたのち、病でこの世を去っていた。

 

「ま、仕方ないか。もうラーメン食っちまったし。……いいよ、だが太炎のやつは俺がやる」

「俺はそんなもんにもともと興味はねぇ。それはお前の好きにしろ」

「ああ、好きにするさ」

 

 

 

 

 

 

 

桜介はラーメンを食べ終わって宗武と別れ、潘の家に戻ってきた。

家に入りリビングにあがると、楯無が帰りを待っていたかのようにすぐに駆け寄ってきた。

 

「桜介くん、遅いわよ」

「ん?どうかしたのか?」

「うふふ。組織の溜まり場の情報を掴んだの」

「うそ?ほんと?」

「昨日のうちに呼んで、探らせておいたのよ。うちの家の諜報員をね♪」

「いつの間に……。やるな、お前…」

「優秀なのよ?うちの諜報員は。車で今迎えに来させてるからもうすぐここに来るわよ」

 

誉められた楯無は、ふふんとどや顔をして胸を張る。しかしその段取りのよさには、桜介もすっかり舌を巻いていた。

 

(この子、基本的にはすごく優秀なんだよねぇ。たまにポンコツになるだけで…。まあそれも可愛げがあって、いいのかな?)

 

そんなことを考えながら桜介は楯無と共に階段を降りていくと、玄関を出たところで潘の部下たちに呼び止められた。

声をかけてきたのは、屋敷の警護をしているものたちだった。

潘もその右腕である葉も、今は出払っていてこの屋敷にはいない。

青幇のメンバーも既に何度か敵の襲撃を受けており、組員にも少なくない犠牲が出ているのだ。

 

「お…桜介さん、俺たちも連れていってくれ!」

「そうだぜ、桜さん!きっと何かの役には立てるはずだ」

「お前らはここで大人しくしておけ。俺たちだけで充分だよ」

「あんたは親分の客人だ。青幇じゃねえ。そんな人に任せちまったら俺たちの名折れだ!」

「うるせえな。俺は潘のためにやるんだ。俺にとって朋友であるということは、()であることより重い!」

「そういうわけだから、ごめんなさい」

 

桜介が睨みをきかせ、楯無が申し訳なさそうに断りを入れると、警護のものたちは渋々ながらも引き下がった。

桜介からすればそもそもマフィア同士の争いに興味などなく、ただ友人が困っているのなら戦う、それだけだ。

しかし桜介も、そして楯無も、組員たちの気持ちはわからないでもなかった。

だが一緒についてきたところで、正直言って足手まといになってしまう。

それに桜介にとってはこいつらもすでに短い付き合いではないし、普段は気のいいやつらだ。

出来るだけ無駄な犠牲は出したくなかった。

 

 

 

 

 

二人は楯無が呼んだ黒塗りの車に乗って目的地へ向かっていた。

運転席に座っているのが、更識の諜報員の女性だった。

年は二十代半ばぐらいで、黒髪を肩にかかるぐらいの長さで切り揃えている。

その女性が運転をし、桜介たち二人は後部座席に座っていた。

 

「こら。桜介くん、車内では禁煙だから」

「むっ…」

 

桜介が煙草を口に咥えると、楯無にそれを取り上げられてしまった。

超がつくヘビースモーカーが車の中で好き放題にぷかぷかすれば、いくら窓を開けたとしても車内は瞬く間に煙でいっぱいになってしまう。

 

「ま、いいか。で、今はどこに向かっているのかな?」

「組織の溜まり場ね。詳しいことはあなたが説明してもらえる?」

「はい、かしこまりました。今向かっているのは市街地から少し離れた港の近くにある酒場です。そこが組織の溜まり場になっているようです」

 

説明を任された運転席の女性は丁寧な口調ですらすらとわかりやすい説明をしていく。

桜介はそれにふむふむと相づちを打って、女性に協力してもらったお礼を言う。

 

「なるほどね。じゃあ吐かせればいいか。すまないね、わざわざお手数かけちゃって」

「いえ。か、…旦那様、お気になさらず。こ、これも仕事ですので…」

「うん…うん?……お前さあ、俺のこと自分ちでなんて言ってるわけ?おかしくない?今のおかしいよねぇ?」

「あ、あははっ。まったく、気が早いんだから。うちの部下にも困ったものねえ!」

「この人、今言い直したよ?最初名前で呼ぼうとして。これは明らかになにか言われてるよね?誰かさんに…」

「き、気のせいじゃないかしら?」

 

顔を近づけてじーっと疑いの視線を向けられると、楯無は視線を逸らして胸元で扇子をパタパタとさせ始める。

 

「………」

 

視線を逸らされた桜介がさらに顔を近づけて、なおも疑いの視線を送るとついには完全に顔を反らしてしまう。

 

「も、もう!いいじゃないの、細かいことは!」

「細かいことかなぁ……これ…。ま、いいか…」

「ええっ!?い、いいの!?」

「へえ、なにが?」

 

頬を赤らめた楯無が身を乗り出してすぐに食いつくが、それに桜介はしてやったりという様子で、にんまり笑って問いかける。

 

「はっ!?な、ななななんでもないわよっ!」

「本当に~?」

「わ、罠に嵌めるなんて…ひ、卑怯ものっ!」

「はめてねぇだろ。お前が勝手にはまったんだ。それより正直に吐いたらどうだ?」

 

うっかり自ら墓穴を掘ってしまい、かーっと顔を赤らめてあわあわし出した楯無。それを再びジロジロ眺める。

楯無が右を向けば右から覗きこみ、左を向けば左から顔を出して覗きこんだ。

仕掛けにかかった獲物は絶対逃がさないとばかりに、じりじりと執拗に追い詰めていく。

 

「うっ…!」

「白状する気になったかね?」

「うう、し、知らないっ…!」

 

気づけば体に覆い被さるような形になっていて、その匂いと顔の近さに楯無はまたドキリとする。

 

「嘘つけ、こら」

「……知らないんだから」

「じゃあ俺の目を見て言ってみろよ」

 

しかし問い詰められていくうちに、ダラダラと冷や汗まで流し始めた楯無を助けたのは、やはり忠実なる部下の女性だった。

 

「ご当主様…。もうすぐ到着致します」

「そ、そう!ご、ご苦労様!」

「おいおい、邪魔するわけ?」

「か、若様、到着致しました」

「誰が若だ?お前はバカだ!」

「さあ、いくわよ!」

 

楯無がパンと勢いよく扇子を開くと、ちょうど車が酒場の近くの道路に止まる。

扇子には『いざ出陣』の四文字が書かれていた。

 

「その扇子も…もはや様式美だねぇ」

 

桜介は車から降りると、すぐに煙草を咥えてそれにライターで火をつける。

 

「あなたの煙草よりは、いいんじゃないかしら」

 

運転主に簡単な指示を出して、楯無も反対側のドアから降りてきた。

 

「いや、これはそんなんじゃない」

「じゃあなにかしら?」

「ふぅ~。これはやつらの葬式の線香だ」

「に、似合いすぎて怖いわ……そういう台詞」

 

これから敵の溜まり場に乗り込んでいくというのに気負いなどまったく感じさせず、ぷか~っと煙を吐き出してゆるりと歩いていく桜介。

その普段通りの様子に、頼もしさを覚えながら楯無が続く。

二人が店の前まで来てドア越しに中を覗くと、広いバーの中はまだ夕方だがすでに多くの客で賑わっていた。

店内には全部で数十人はいるだろうか。

四、五人ずつ丸テーブルに座って酒を飲んでいて、騒がしい笑い声が外まで響いていた。

そして中の客は一目でわかるほどに、いかにもガラの悪い連中ばかりだった。

 

「どうやら溜まり場というのは本当らしいな」

「ええ、間違いなさそうね。あとはどうやって潜入を…」

 

楯無がそう言った時には、桜介はすでに右足を前に出していた。

ハイキックでドガシャア!とバーのドアが店の中へと派手に飛んでいく。

ドアが飛んでいった方を見ると、入り口の近くにいた男が一人巻き込まれて倒れていた。

 

「いくぞ」

「正直、やると思ったわよ?思ったけど…本当にやるなんて。潜入はもう無理ね。…あなたのせいで」

 

そんな愚痴を聞きながら、桜介が先頭でスタスタと店内に入っていく。それこそ散歩でもするように、リラックスした様子で。

楯無も諦めてそれに黙ってついていくが、座っている客の視線はすでに二人に釘付けだった。

楯無は内心でこんなはずじゃなかったのに、と深いため息を吐いた。

紫のアオザイの桜介と黒のチャイナ服の楯無は、間違えて悪の巣窟に迷いこんだ若いカップルにも見えただろう。あんな入り方さえしなければ。

そんな当初の予定もあれで全て台無しである。

 

「あ~あ、睨まれてるわ。どうするの、これ」

「ふふふ、どうしようか。どうせだから一杯やる?」

 

そんな軽口を叩いていると図体のデカイ男が一人立ちあがり、桜介の目の前に歩いてきた。

立ちふさがったのは二メートルを越えるような大男だ。

この男、どう見てもカタギの人間には見えないので間違いなく組織の一員だろう。

 

「なんだお前~。死にてえのかこら~」

 

そう言われるとほぼ同時に、桜介は目にも止まらぬ速さでパンパンと相手の首すじを二ヶ所突いた。

あまりの速さに周りの客も、大男自身でさえも、なにかされたことにすら気づいていない。

 

「秘孔風厳を突いた。忘れたのかよ?お前は俺の朋友だろ」

「あ?なに。……そうでした~。一緒に飲みましょう飲みましょう!どうぞどうぞ、はははっ!」

「楯無、せっかくだから頂こうぜ」

「洗脳しちゃったの?ほんとなんでも出来るわね、あなたって…」

 

態度をころりと変えて、気持ち悪いぐらいにニコニコ笑う大男に奥へと案内される桜介。

 

(広くて大きい背中…。なんて…なんて頼もしいのかしら……)

 

むしろ学園にいるときよりもこういう場所の方が、どこかイキイキしているようにすら見える。

 

「もうっ。待ってよ」

 

その頼もしすぎる背中に後ろから追いつくと、楯無はちゃっかりその腕をとった。




早く日本に帰らせたいので次からはサクサク進めていきます。


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71話

「はっはっは。あんたなかなかいけるじゃねえか。すげえ飲みっぷりだ、気に入ったぜ!」

「ふ~~~。こんなんじゃ全然足んねぇぞ。もう一本持ってこい~~!」

 

桜介は二本目の老酒を瓶でらっぱ飲みしていた。

今は大男とは別の、この中でもリーダー格と思われる髭面の男と同じテーブルに楯無と三人で座っている。

既に髭面の男とも二人はすっかり打ち解けていた。

もともとコミュニケーション能力の高い楯無はともかく、桜介だってアウトローな男たちとの付き合い方は青幇の連中で慣れている。

ただし、実際にはマフィアが嫌いだったり、そういう連中は大体が襲って来たりするのでそんな機会はなかなかないのだが。

 

「ねえ、桜介くん…。いい加減にしなさいよ。忘れたの、目的を!」

「わかってるって」

 

耳打ちされた桜介は静かに頷き、返事を返した。

それから酒のついた口を手で雑に拭うと、唐突に男のこめかみに人差し指を突っ込んですぐに引く抜く。引き抜いたときに、ポン!とまるでワインのコルクでも抜いたような音がした。

それを隣で見ていた楯無は顔をしかめて、えぐい…えぐいわ…と小さく呟いていた。

 

「な…なに?」

「お前は俺の質問に全て答える。社は今どこいんだ?」

「へっ…。言えるわけないだろうが。こう見えても俺はプロの殺し屋だぜぇ~」

 

威嚇するように睨みを利かせて凄む男だが、桜介は一歩も引かない。

酒瓶を持ったままふらふらした足取りで相手に近づいていき、眉間に皺を寄せて男を睨み返す。

 

「あ~~?俺はプロの酔っぱらいアルよ~!!」

 

今回も負けず嫌い故の、悪い癖が出てしまう。

酔っぱらいは対抗心を剥き出しにし、相手に思いっきり絡み出した。

いつの間にか丸眼鏡につけ髭、それにチャイナ帽子まで被っていて、完全に酔っぱらい親父になりきっている。

 

「アルよ~って…。頭はいいくせに、どうしてこんなのにバカなの。なんでもかんでも、張り合えばいいってものじゃないでしょう」

 

薄々気づいてはいたが、目の当たりにしたあまりのバカっぷりに楯無は額を押さえガックリと肩を落とした。

この仕事の自分のパートナーは、確かに普段は冷静で大人っぽい。そして誰よりも頼りになるのに、演技に熱が入りすぎてわざとらしかったり、わけのわからないところで熱くなる男だったことを思い出すと、頭が痛くなってしまいそうだ。

しかもそれが自分の惚れている男なら尚更だった。ましてや、いずれは人生のパートナーに、などと色々と未来を妄想をしている楯無にとって、決してそれは他人事では済まない。

 

「酔っぱらいにアマもプロもあるか!バカヤロウ!」

「だがお前はこの写真を見ると喋りたくなる」

 

完全に酔っぱらっているように見える桜介だが、仕事を忘れたわけではなかった。

馬鹿にされたと思い激昂する男に、用意しておいた写真を懐から取り出してそれを見せる。

しかし男は社天風の写真を横目でチラッと見ると、すぐに顔を反らした。

 

「何言ってやがる。俺が写真を見ようが何しようがボスを売るような真似を…」

 

喋っている途中で男の口が、意思とは無関係に動きだそうとする。

 

「………」

 

それに気づいた男は口を抑えようとした。

 

「武装輸送船です。要塞のような大型の船が港から少し離れた海に停泊しています」

 

しかし男は口を抑えることも出来ずに、ついにベラベラと喋り始めてしまった。

 

「そこがやつのアジトだな?」

「ボスは上海に来てからはそこを拠点にしています」

「はい、ご苦労さん」

 

男の返答に対して、桜介が変装を解きながら満足そうに笑顔を浮かべた。

するとここで、楯無もようやく口を開く。

 

「少し離れているなら直接飛んでいくより、相手に気づかれないように、船である程度近づいた方がよさそうね。それとも、泳いでいく?」

「煙草が湿気ちまうだろ」

「はぁ…。仕方ないわね。すぐに用意させるわ」

「さすが俺のパートナーだ」

「もう!こういう時ばっかり調子がいいんだから。あの時はあんなに嫌がってたくせにっ!」

「許せ…刀奈」

 

聞くことを聞いて満足した二人は、いつものように談笑を始める。過去のことを思いだし、食ってかかる楯無を桜介が宥めようする。

相変わらずの調子のよさに、憤りを隠さなかった楯無だが、頭にポンと手を置かれ真名呼びをされると頬を染めて俯いてしまった。

 

「じゃ、じゃあ、ギュってして?それで許してあげる……」

 

そのリクエストに答えるように、桜介は頭を撫でながら腰へと手を添えた。

それで俯いていた楯無は顔を上げ、上目遣いで潤んだ瞳を向ける。

 

「刀奈…。そのチャイナ服よく似合ってる」

「桜介くん…。ありがと」

 

とても優しい眼差しで見つめられて、楯無も背中に腕を回し、その逞しい体に強めに抱きついた。

 

「なんでも似合うな…お前は」

 

そのままいい雰囲気になりかける二人だったが、無理矢理口を開かされた男がそれを黙って見ているはずもなかった。

 

「て、てめーら、ふざけんなぁ!死ねぇ!」

 

意思に反してボスの居所を吐かされ、目の前でイチャつき始めた二人に男は激怒していた。

すぐに銃を抜いて、二人の方へ向けようとする。

 

「まったく…。本当に無粋な野郎だな。少しは空気を読め、空気を」

「んっ…。読むわけないでしょ?敵なのよ、相手は。わかってるのかしら」

 

桜介はそんな鋭い突っ込みを受けながらも、体は既に動き出していた。

男の方を振り向くと、持っていた老酒の瓶で銃口をカポッと塞ぐ。

そして銃口のすっぽりはまった瓶の先端を、強引に手元にグイッと引き寄せる。

すると男は気づいたら一瞬のうちに、銃を奪われてしまっていた。

 

「あらっ?」

 

取り上げた拳銃のグリップの底を、驚きの声をあげた男の額に向かって勢いよく振り下ろす。

 

「はいーー」

「あいた!」

 

拳銃で殴られた男は、ひどく陥没した額から豪快に血を吹き出して倒れた。

 

「あ、兄貴~!」

「おい、てめぇ!」

 

それを見ていた男の子分が正面から二人、後ろからも二人駆け寄ってくる。

 

「はいはい、ごちそうさん」

 

ちょうどツマミを食べるのに使っていた箸を、まずは正面の二人に投げつける。

 

「「あいぃ!?」」

 

それが顔面にブッスリ刺さって、もうとても痛そうというレベルではない。

 

「ふあ~あ」

 

そして後ろの二人には、欠伸をして体を伸ばしながら、両手を後ろにやって裏拳を叩き込む。

 

「「ぷぷけ~!」」

 

二人は後ろに倒れながら、勢いよく噴水のように一メートルほど鼻血を吹き出すと、床で体をピクピクと痙攣させた。

 

「ふあ~あじゃないでしょ。たまには真面目にやりなさい、たまにはっ」

「酔っぱらいの演技、なかなかだったろ?」

「桜介くん…あなたはっきり言って、変装のセンスないわ。演技もすごくわざとらしい…」

「そんなわけないだろ。完全に成功したのに」

 

結果的に上手くいっていることで、桜介は自信満々に腕を組んでそう言い切る。

 

「力づくでね。ふざけてるように見えて仕事は早いんだから。あなたといると、やることなくて暇なのよねぇ」

「でもそれ、いいことだろ」

「そうなのよね…。守られる立場って、今までなかったから。なんだかお姫様になったみたいで気分がいいわ」

「そうかよ。それはよかったねえ」

「それに安心感がすごいし…。や、やや、やっぱり、お、お、お婿さんになってもらうしか…」

 

楯無は小さな声で呟くが、それも桜介にはしっかりと聞こえていた。

 

「誰がお婿さんだ…。それにやっぱりってお前、やっぱり家で都合のいいように言ってんだろ?」

 

ここで桜介はお婿さん発言よりも、やっぱりという言葉の方により強く反応する。

この男の記憶力は並みではない。当然行きの車中での出来事も、まだ忘れてはいないのだ。

 

「な、なんのことかしら?こ、こっちの話よ、こっちの話っ!そ、それよりも、本当に酔っぱらったりしてないんでしょうね?」

「そっちの話じゃなくて、どちらかと言えばこっちの話じゃねえのか、それ。まぁいい。あれぐらいで酔うわけがないだろ。もう行こうぜ」

「あれぐらいって…。らっぱ飲みしてたじゃない。それで、ここの支払いは?」

「こいつら奢ってくれるって言ってただろ」

「……そうだったわ。これじゃ詐欺みたいなものね。どっちが悪人なんだか、わからないわよ」

 

人並み外れた記憶力は、敵が倒される前に奢ってくれると言ったこともしっかりと覚えていた。

周りのテーブルでは今はみんな酒に夢中になっていて、店内がガヤガヤと騒がしいのもあり、まだ男たちが倒されたことには気づいていない。

二人は用件が済んだのでもうここにいるのは時間の無駄とばかりに早々と店を後にすることにした。

すぐに目的地へと向かおうと二人は店を出たところで、部下をぞろぞろと連れた葉と鉢合わせた。

 

「あれ?葉さん、なにしてんの?だめだよ、人殺しなんてしちゃあ!野蛮人やマフィアじゃないんだからさあ!」

「え?マフィアじゃん!マフィアじゃん、おれ!!」

「あ、そうだっけ?じゃあいいや。でもこんなことなら、全員ぶっ殺しておけばよかったかな」

「……桜さんの方が野蛮じゃないか」

「はぁ…。気にするだけ無駄よ、この人の言うことは。私たちもう行くわ。葉さんたちも気をつけてね」

「ありがとう、楯無さん。それじゃいくぞ、お前ら!」

「「「「おう!」」」」

 

二丁拳銃を構えた葉の掛け声で青幇の組員たちが次々と店に雪崩れ込んでいく。

店内ではすぐに銃撃戦が始まり、発砲音が外まで聞こえていた。

桜介たちはそれを見送るとその場を離れ、港に向かった。

 

 

 

 

 

 

二人が港で更識の諜報員の女性と合流し、用意されたプレジャーボートに桜介が乗り込もうとするとそこに現れたのは体格のいい強面の男、劉宗武だった。

 

「おい、ふざけるなよ。社は俺にやらせろと言ったはずだ。なに勝手に出発しようとしてんだよ」

「あ?だってお前の連絡先知らないし」

 

怒っている宗武に桜介は悪びれずにしれっと言った。

いくら約束したといっても連絡先を交換していなければ連絡のしようがない。

 

「だったら、先に言えばよかっただろ。連絡先教えてくださいと」

「ああ~?なんで俺がそんなこと言わなきゃなんねぇんだ?お前が言え、このやろう!」

「あ?ラーメン奢ってやっただろ」

「知るか、ぼけぇ」

「なんだと…こら。お前から殺してもやってもいいんだぞ」

「上等だ、かかってこいよ。ほら」

 

北斗の男たちは顔を近づけて睨み合う。

その今にも殴り合いそうな雰囲気に、既に船に乗り込んでいた楯無が慌てて降りてくる。

 

「ちょっと!なにやってるのよっ!そもそもこの人は誰?」

「前に言っただろ。臨海学校で戦ったって…。それがこいつだ」

「なんだ?この女は…。桜介、女連れとはどういうことだ?遊びに行くんじゃねぇんだぞ」

「あのなぁ、たっちゃんこう見えても結構有名なんだぞ。バカにすんなよ?」

「あ?知らねぇな」

 

楯無を見た宗武がどういうつもりだと言わんばかりに桜介をギロっと睨み付ける。桜介のフォローにも宗武は聞く耳を持たず、楯無をチラッと見て吐き捨てるように言った。

 

「ああ、あなたと互角に戦ったっていう…。それにしても桜介くんのフォローは、相変わらずバカにしてるようにしか聞こえないのよね…」

「誰が互角だ、こら!」「互角じゃねぇだろ!」

「……めんどくさいわねえ。…あなたたち」

 

楯無が身を乗り出してきた二人を見て呆れたようにため息をついた。

桜介がめんどくさいところがあるのはもうわかっていたが、そんなのを二人も相手にするのは実際たまったものではない。

 

「おい、桜介…。生意気だな、この女」

「そこがいいんだろうが」

「もうっ、桜介くんたら…」

「バカか、お前ら」

「バカとはなんだ、おい。表でろ、こら」

「桜介くん…。ここは外よ、外だから!」

「あ?なんだお前、本当にバカなのか?」

 

桜介が胸ぐらを掴む。宗武も掴み返す。短気な二人が互いに挑発されて耐えられるはずもない。

見かねた楯無は嫌々ながらもすぐに仲裁に入る。

 

「二人とも仲間なんでしょ?喧嘩しないの!」

「誰が仲間だ!」「仲間じゃねぇだろ!」

「なんで私が怒られるのよ!いい加減にしないと、二人ともおいてくわよ!?」

 

 



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72話

どうしてもバトルがまともに書けない


「見えた。あれだろ。でけえな~。まったく最近の悪党は金もってやがる」

「あの船か…」

 

港を出発してしばらくすると、プレジャーボートのデッキから大型の輸送船を目視できる距離へとやってきていた。

ちなみにボートの操縦は更識家の部下の女性がしている。

 

「気づかれてないみたいだし、こっから狙撃しちまえば一発で終わるねえ~」

「ふざけるな。この拳で殺してやらねば気がすまないんだよ。あいつが俺の親父にやったように」

「おい、冗談だから怒るなよ。中に社がいることを確認しない限り、そんなこと出来ないしさ。それに俺も、そんな形で決着をつける気はない」

 

気やすく宗武の肩に手を置いてふふっと笑う桜介。

途中で煙草が切れたので、今はシケモクを咥えている。

モクモクと煙を吹かしながら、チラッと楯無を見てると声をかけた。

 

「さて、どうする?」

「途中で相手が逃げ出した時のためにも、誰かがここに残った方がいいでしょう。…私が残るわ。どうせ二人とも乗り込む気満々だろうから」

「よくわかったねぇ」

「あなたたち見ててわからない方がおかしいでしょ」

 

無邪気に笑う桜介に、肩をすくめて楯無が言った。結局あのあと喧嘩はすぐにおさまったが、移動中もことあるごとに言い争いを始める二人のせいで少し疲れた顔をしている。

 

「ふふふ。疲れてるなら肩でも揉んでやろうか?」

「あなたのせいで疲れてるのよ。わかってるのかしら?揉んでくれるのは嬉しいんだけど、それは終わってからにしましょ」

「おい、とっとといくぞ」

 

しびれをきらした宗武がはやる気持ちを抑えきれないように、身を乗り出して二人に声をかけた。

宗武は今でも親を殺された幼い頃の夢を見るぐらいには、社を憎んでいるのでそれも当然である。

いつまでもマイペースな桜介に付き合うつもりもないのだ。

 

「おい、なんか出てきたな」

「お前が女といつまでもくっちゃべっているからだろ」

「女は関係ねぇだろ、こら」

 

輸送船から飛び出してきたのは一機のIS。それを桜介たちよりも年上に見える女性が操縦していた。

 

「どうやら…ばれちゃったみたいだねぇ」

「もう。のんきなんだから」

 

二人が話してる間にもISの実弾兵器が船を襲う。

楯無はすぐさまミステリアス・レイディを展開した。

そして船の前に出ると迫りくる実弾を水のヴェールで受け止めて無効化する。

 

「桜介、あのISは俺がやってやるからお前は見てろ」

「まぁ、待てや」

「あ?」

「ここは楯無に任せてさ、俺たちは俺たちの仕事をとっとと終わらせてこようぜ」

「大丈夫か、あの女…」

「楯無は俺のISのコーチなんだ。弱いわけがねぇだろ。あいつはな、強いんだよ」

「ほう…。大した女だな」

 

宗武が感心したように楯無に視線を向けた。

楯無が実弾を受け止めていた頃には、既に桜介も宗武もISを展開させて海上に浮遊している。

 

「それでいいだろ?たっちゃんも」

「もちろん。二人とも早くいってさっさと片付けてきなさいよ」

「だ、そうだ。劉…行こうぜ。少なくとも太炎は中にいるようだしな。あの女から太炎の臭いがしてさぁ。あいつ、まじで見境なくやりまくってやがる」

「犬みたいなやつだな…お前」

 

桜介が臭そうに顔をしかめて言うと、宗武が呆れたように返事をして二人は輸送船へ飛んでいく。

途中輸送船からの砲撃を受けたが、それを二人はあっさりとかわしながら甲板へと着地した。

 

「さて、私もさっさと片付けて帰る準備をしましょう」

 

飛んでいった二人を見届けて、楯無がにこりと微笑む。

 

「あたしも随分と舐められたもんだね」

 

二人が飛んでいくまでの間、射撃をことごとく水で防がれていた女が、ギリギリと歯を軋ませて言った。

馬鹿にされたように感じたのか、中国人の女は眉間に皺をよせて、こめかみをピクピクとさせている。

 

「別に舐めてないわ。ただの事実だもの」

「それを舐めてるって言うんだよ!」

 

女は怒ったように双剣を展開させて切りかかると、楯無はランス『蒼流旋』でそれを次々と払っていく。

 

「あはは!あんたたちはここで死ぬんだよ。閻王もいたようだけど、あの男でも太炎には勝てない!」

「うふふ。残念だけどそんな心配は全くしていない。桜介くんは必ず勝つし、どうせ私も勝つ」

 

ランスで双剣を凪ぎ払うと、そのまま女の機体に攻撃した。女はそれで少し後ずさるが、ランスの直撃はまぬがれ、すぐにまた向かってきた。

 

「くっ!このガキ!あんたさぁ、あんな男に惚れるなんてよっぽど死にたいんだねえ?」

「どういう意味だか、わからないんだけど」

 

楯無はランスで斬撃を逸らして、女に蹴りを入れた。

 

「あ、あはは!あんな死神に惚れるなんて、早死にしたいのかって聞いてるのさ!」

「なにも知らないくせに、勝手なことを…」

「よく知ってるさ。この上海であの男以上の有名人はいないからねえ!あの男には昔、女がいてね…」

「あなた、もう…喋らなくていいわ」

 

ここまでの短い攻防で既に分が悪いことを悟った女は、攻撃しながら同時に挑発を始める。

しかし楯無はそれを無視するように、涼しげな表情で攻撃を全ていなしていた。

それでも女は気にすることもなく、さらに挑発を続けていった。この時はまだそれが結果的に裏目に出るなどとは、女はこれっぽっちも考えていなかった。

 

「ぐっ!なんだ、知ってるのか。あの男に抱いてもらったんだろ。お前も男を見る目がないね!だからここで死ぬのさ!」

「してもらってないわ、まだ。でもあの人は、心を…私の心を抱いてくれた」

 

そう言って、なにかを思い出したように表情を緩めると、楯無は艶然と微笑んだ。

逆に女はその言葉に反応して、ずっと挑発していたはずの自分があっさりと逆上してしまう。

 

「きれいごとをっ!これだからガキは嫌いなんだよぉ!!」

「ガキで結構、嫌いでも結構。でも私はもう喋らなくていいと、そう言った!」

「ぐうううぅ!」

 

水を纏った蛇腹剣『ラスティー・ネイル』が今度は相手にしっかりと直撃する。

愛する男をバカにされて、怒らない女はいないだろう。それは楯無だって、もちろん例外ではない。むしろ内心では、これ以上ないほどに怒り狂っていた。

だからこれは表では冷笑を浮かべながらも、内には迸る怒りを秘めた、そんな一撃だった。

そして顔に汗を滲ませて焦りに駆られる女に向かって、凛とした態度でしっかりと言い放つ。

 

「あなたはここで負けるわ。敗因は私を怒らせたこと。それから、男を見る目がないことよ」




戦うのを書くのが難しい。また雰囲気バトルになりました。


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73話

「ちっ、売店はどこだ?タバコ売ってるよな…」

 

輸送船に侵入した二人はそれぞれの目的のためすぐに別れ、桜介は臭いを頼りに太炎のもとへと向かっていた。そもそも仲の悪い二人に共闘しようなどという考えは初めからないのだ。

 

「ヒャッハー!ここはとおさねーぜぇ!?」

 

キョロキョロと店を探していると、すぐさまチンピラたちにすごまれてしまう。もともと侵入者など想定外なのだろう。相手はよほどなめてかかっているか、油断をしているようにも見える。

 

「…どうやらショッピングの前に、害虫の駆除が必要なようだな」

「あぁ!?そんな会社頼んでねーぞ、おい!」

「この格好が処理業者に見えるか、ボケ」

「ふざけやがって。おい、思い知らせてやる。俺はなんと、あの閻王に拳法を教えた男だぜぇ?」

 

そういって一人の男が拳法のような構えをとる。しかし、どこからどう見ても隙だらけの素人、ようするにただの喧嘩自慢だろう。

 

「……そうか。だが俺は知らんな、お前なんぞは」

「ん?お前は関係ないだろーが!俺は閻王に教えたんだよ、閻王に!」

「それはすごい。なぁ、突きはこれでいいのか?」

「そうそう、それそれ!それれれれれぇ!?」

 

そのアホ面に拳をめり込ませながら質問するが、どうやらもう返事はもらえそうにない。なので残りに視線を合わせる。

 

「あの野郎を一撃で…。なにもんだ、てめー!」

「おい、この顔を見忘れたのか?」

 

桜介が自分の顔を指差してそう言うと、首を右左と順に傾けてはなにやら真剣に考え始めてしまう男たち。

 

「言われて見ればたしかにどこかで…」

 

そんな男たちはしばらくしてほぼ同時に思い出したようにポンと手を叩いた。

 

「えええ、えおえおお!?それを先に言ってぇ!!」

「俺はこの上海が好きなんだ。お前らはこの上海を食い潰す害虫だろ。つまり駆除されるのはお前らだ!」

 

それは一方的な死刑宣告に近いものだった。命乞いを始める間も与えず距離を一瞬でつめて、次々とこめかみに指を刺し込んでいく。

 

「俺の前でヒャッハーとは、命知らずにも程がある」

「ま、ま、まっ!はな、はなな!」

 

指を抜いた順にぐしゃりと嫌な音を立てて、男たちはその場に倒れる。ここまで組員たちをバッタバッタと倒しながら広い船内を進み、桜介の通った後の床には既に大勢の敵の屍が転がっていた。

 

「悪党共と話すことなどなにもない。しかし線香もないとは。せめて代わりに墓前に供えてやるとしよう」

 

殺害したモンスターから銭を剥ぎ取る勇者のように、切れたタバコは現地調達をすることにした。倒れている男の胸ポケットからタバコを数本取り出し、残りはポケットに戻してやる。それからもらった数本に火を付けると、うまそうに煙を吐き出しながら再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

その頃、港では輸送船が襲撃を受けていることを知って出港しようとする太湖幇の集団と、それを待ち伏せしていた潘光琳率いる青幇との銃撃戦が行われていた。

 

「あいつがくれたせっかくの好機だ。ネズミは一匹足りとも逃がすんじゃねぇぞ!」

「「「おおう!」」」

 

黒いコートに身を包んだ潘が煙草を咥えながら厳しい顔で号令をかけると、部下たちは続々と銃弾の飛び交う戦場へと向かっていく。

潘の隣には酒場での襲撃を終えて合流した葉が立っていた。

 

「黙って行くってことは、手を出すなということだろう。俺たちを巻き込まないために。あいつはここで一気に決着をつける気だ」

「そうですね。桜さんって、そういうとこあるから…」

「だったら俺たちの見せ場はここだ。あいつの邪魔はさせねえぞ!」

 

 

銃撃戦が行われている港には、屋敷の警備をしていたものたちも参戦していた。

今は車の影からライフルで敵を狙い撃っている。

 

「桜介さんは今頃海の上で戦ってるんだ。俺たちもここでやるしかねぇぞ」

「前もそうだった。黙って紅華会に乗り込んで、玉玲さんの仇を…。そして今回も…。だからこそ、死んでもあの人の邪魔はさせない」

「そんな泣かせる男なんだよ…。やつらには何人も仲間を殺されて、正直今回は俺もハラワタが煮えくり返ってんだ。やってやるぞ!」

「それに…俺もあんな男に朋友と言われてみたいんだ。例えあの世でも…」

「俺もそう思っていたところだ…。だが朋友になりたかったら、まずは名前を覚えてもらうことからだ」

「く、くそ!それを言うんじゃねえ!でも今さら自己紹介とか…なんか恥ずかしいよな。あ~いくぞ、もう」

 

屋敷の警備の黒服たちはそれだけ話すと、ライフルを捨てて車の影から一斉に飛び出す。

そのままマシンガンを構えると、敵の密集地へと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

鋼鉄の扉が開くと、中は百人以上が一度に食事をとれるような大きな食堂になっていた。

一番奥のテーブルは一際立派で、十人ぐらいが座れるように大きい。

そこの中央の椅子に張太炎は一人で座っていた。

頬杖をついて足をテーブルに乗せたまま、余裕たっぷりに桜介へと視線を向けてくる。

 

「おい、聞いたよ…。お前の死んだ女、玉玲というそうだな」

「それが…どうした?」

 

にやっと笑って、話を始めた太炎を桜介はギロッときつく睨み付ける。

 

「おい閻王!女には惚れるなよ。惚れれば心に隙が生まれる。それじゃこの世界は生き残れない」

「よ~く聞けボケ。たしかに俺は一度女を守れなかった男だ」

 

それで死ぬほど後悔もした。自分さえ関わらなければ。自分に人を愛する資格なんてなかったんだと、本気でそう思っていた。

 

「そうだろう。女にうつつをぬかしてなどいるから、そんなことになるんだ」

「だがそんなどうしようもない男を、好きだと言ってくれた女がいたんだよ」

 

それが嬉しかった。それこそ、もうとっくに枯れたと思っていた涙が、再び頬を伝うぐらいには。

 

「ほう。それでつまりなにが言いたい?」

「だからもう決めた。俺は女を愛す!そして共に生き残る!!」

「ふっ…。愚かな男だ。だがそいつは面白れえ。お前が相手ならやり応えがありそうだ!」

 

そう言って太炎がテーブルに足を振り下ろす。

長方形の長いテーブルがメキメキと中央から真っ二つに割れた。

太炎は椅子から立ち上がると、桜介と数メートルの距離をおいて向き合った。

 

「北斗曹家拳……。秘奥拳、爆龍陽炎突。俺の拳はお前には見えないよ」

「俺に見えぬ拳などないんだよ」

 

太炎が両手を左右に広げて上下させながら近づく。

桜介はそれを迎え撃とうと掌底を放った。

 

「はっ!」

「ぬっ!?」

 

突然動きを変えた太炎に対して桜介は掌底をやめて、ガードの構えをとる。

 

しかし太炎は正面に立ったまま桜介の背中へと指突を数発放った。

 

「ぐはっ」

 

桜介はギリギリのところで秘孔を突かれるのは避けたが、指突を完全には避けきれなかった。

突かれた背中には服に数ヵ所の穴が空いており、そこから血を吹き出すと、片ひざをついてしまった。

 

「あぶねぇな」

「ふふ…。俺をただの女たらしと思って見くびったか」

「そうかもな…。それにこれは…曹家拳じゃねぇだろ」

 

桜介は膝をついたまま、シケモクに火をつける。

 

「これは俺だけの拳だ。北斗曹家拳を抹殺するためのな。お前を倒せばこの拳は完成する」

「あ?抹殺する?」

「そうだ!北斗曹家拳伝承者章大厳をこの拳で殺す!」

「……お前の親父だろ?」

 

意味がわからないという風に桜介が怪訝な顔をすると、太炎は表情を変えずに言葉を続けた。

 

「奴は俺の母を殺した…。幼かった俺の目の前で…。張は母の姓だ。俺は敢えて母の姓を名乗っている。この恨みを忘れぬようにな」

 

それを聞いた桜介が黙ったままゆっくりと立ち上がる。その背中からはまだ血が流れていた。

破れた上着を脱ぎ捨ててふーっと煙を吐き出す。

 

「どうした?北斗神拳伝承者。それで終いか。北斗曹家拳を剛拳と思い込んだことが隙を生んだ。それが命取りだったな」

「ぬんっ!」

 

力を入れると桜介の全身の筋肉が隆起し、モコモコと膨らんでいく。

やがて背中の傷はくっついて、流れていた血もピタリと止まった。

 

「もういっぺんやってみろ。俺に二度同じ技は通用しない」

「だが俺の拳の真骨頂はまだ見せてないんだよ」

 

太炎は今度は同じような構えから連続蹴りを繰り出す。

 

「ぐっ!これは無影脚か…」

 

無影脚。地面に足の影が映らないほどの素早い連続蹴り。

それをまともに腹に食らった桜介は床に足をついたまま、ズザザーっとひきづられるように後退した。

 

「甘いなぁ。俺の突きを見て、蹴り技はないと思ったんだろう。北斗神拳とはこんなものか?恨むなら日本で秘拳を腐らせて奥義を伝え得なかった師父たちを恨め」

「ふー。全然効かねぇな。誰に文句いってんだ?師父は関係ねぇだろ。師父は…。北斗神拳の文句は俺に言えぇ!」

 

腹に蹴られた足跡を残したまま、桜介は再び立ち上がると、中指を立てて太炎を睨みつけた。

先代伝承者だった父には、幼い頃から厳しい稽古をつけられたが、けして煩く口を出すことはしなかった。

親は黙してその子供の生き様を我が責とするのみ。そんな父親が好きだった。

それに今の伝承者はすでに自分だ。自分のことを言われるならともかく、父の文句まで言われて黙っていられるはずもない。

 

「やっとやる気を出したか。今さらもう遅いんじゃねぇのか。くらえ!爆龍陽炎突!」

 

向かってくる太炎に雷暴神脚で床を蹴って飛ぶと、天井に両手をついて素早く下へと向きを変える。

降り立ち様に拳を繰り出すと、太炎の背後へと着地した。

ここまでの動きを、瞬きをする間ぐらいの一瞬のうちに行った。

 

「ぬぐっ!」

 

太炎の肩から遅れて血しぶきが上がる。

 

蹴った鋼鉄の床には足跡が、手をついた鋼鉄の天井には両手の後がそれぞれくっきりと残っていた。

 

「まるで弾丸だな。俺の目が追い付かないとは…」

「お前もたいしたもんだ。そう言いながら俺の秘孔への点穴をかわしている」

「さすがだねえ。だが俺の背後をとったのは失敗だったな」

 

太炎は後方に体を倒しながら跳躍し、指突を繰り出す。

 

「鞭のようにしなる俺の手足に背後への死角はない!」

 

桜介が手でそれを受け止めようとすると、太炎はそれを途中でやめ、そのまま回転しつつ上から蹴りを放った。

 

桜介はそれをしっかりと見切り、バク転でかわす。

 

「今の蹴りをかわすとはな…」

「剛の曹家拳がよくぞそこまで柔の技を磨いたもんだ。しかし…惜しいな」

「なに!?」

「憎しみの拳では北斗神拳を越えることは出来ない」

「ぬっ!」

 

ブシューっと今度は足から勢いよく血が吹き出すと、太炎は足元をぐらつかせた。

 

「俺にはお前の死角が見えた」

「ハァーハァー。何故だっ!?」

 

大量の出血と共に息を乱して汗を流し始めた太炎に、桜介は煙草を吹かすとやれやれといった様子で説明を始める。

 

「わかんねぇなら教えてやる。しなる鞭は溜めを作る。そこに一瞬の隙が出来る」

「バカな…溜めの一瞬など見えるはずがない」

「俺には見える」

 

太炎の目にはそう言った目の前の桜介が実物以上にとても大きく見えた。発せられる凄まじいほどの圧力で汗が滲む。太炎はすでにハーハーと肩で息をするようになっていた。

 

「なぁ、そろそろIS使えよ。そっちならもしかしたら勝てるかもしれないだろ?もっと遊ぼうぜ」

「はぁはぁ。お、おのれぇ!」

 

まるでおちょくるように言われた太炎はそのままISを展開させる。

 

それを見てから桜介も同じようにISを展開させた。

 

太炎はスラクター四基を使って、個別連続瞬時加速を行う。

超加速で距離を一気に詰めると、やはり鞭のようにしなる両足で見えない連続蹴りを放つ。

 

「幻夢百奇脚!」

 

残像で足がいくつにも見えるほどの蹴りの連打。

この組み合わせが太炎のIS戦闘での切り札だった。

いきなり切り札を使わざるを得ないほどに、太炎はすでに精神的に追い詰められていた。

 

「ぶほっ!」

 

初めて見る個別連続瞬時加速の移動速度と、その反動をつけた強力な連続蹴りに桜介は対応出来ない。

上下左右からほぼ同時に連続蹴りが命中し、桜介は勢いよく壁まで飛ばされるとそのまま床に倒れた。

 

「どうだ?俺の動きが見えないだろ。手も足も出ないとはこのことだな」

「やるじゃない。ふっふっふ」

「な、なにがおかしい!?気でもふれたか」

「久しぶりに歯応えのあるやつと戦っている。それが嬉しいんだよ」

「負け惜しみを言うなぁ!」

 

煙草を咥えた桜介は起きあがると嬉しそうに笑顔を見せた。

 

気味が悪そうにたじろぐ太炎だが、再び個別連続瞬時加速で接近を試みる。

 

しかし今度は桜介も同じように個別連続瞬時加速を使い、すれ違い様に太炎の頭部と腹部にその拳を入れた。

 

「ぬあっ!」

 

衝撃で吹っ飛ばされる太炎を見ながら、桜介は煙草に火をつける。

 

(バ、バカな…)

 

太炎は倒れたまま、いまだに信じられないような顔で煙草を咥えている男を見上げた。

 

「お、お前…俺と同じ技を…!」

「一生懸命練習したのかな?よく頑張ったね、ホントに本当にごくろうさん」

 

桜介は煙を吐き出し、ニヤッと笑って倒れてる相手を見下ろしながらそう言った。

 

「ぐぬっ…。あり得るのか、こんなことが…!」

「知らないだろうねぇ。俺は戦えば全てを学ぶ」

 

北斗神拳の真髄、それは一度見た技をすぐに使えるようになること。むしろそれに改良を加え、己の技として昇華することすらも可能である。

まだISの訓練を受け始めたばかりの頃、楯無を一番驚嘆させたのも実はこの点だった。

 

「で、では、最初から俺など敵ではないと!」

 

いや、それは違う。たしかにその邪な目的が拳の妨げになっているのも事実。しかしそれでも充分に強かった。

だからその考えはそもそも前提からして間違っている。そんな風に思いながら単純にもう一つの事実を告げる。

 

「北斗神拳は無敵だ」

 

ワナワナと身体を震わせて、驚愕の表情を浮かべる太炎に対し堂々と宣言した。

その言葉に太炎は大きく目を見開き、改めて自分をあらゆる面で上回っている目の前の強者をじっと見つめる。

きっと自分の拳に絶対の自信があるのだろう。その男はまだ戦いの最中でありながら、どこまでも余裕綽々の様子だった。

 

「まさか……ここまでとは…」

「我が拳は全能の闘神にすら挑む、格が違う」

「はっ…!」

 

ただ父に復讐するために磨いた拳と、ひたすらに道を極め神域を目指して修練に励んだ拳。それでは始める前の志の時点で既に勝負はついている。

 

「憎しみがお前の拳を曇らせた。お前の拳はただ父、大厳を倒すための奇襲の拳。それでは俺には勝てない…」

「…汚れすぎたか。復讐のために鬼畜の仮面をつけたつもりが、いつしかそれが本当の顔になっていたんだな」

 

太炎は戦意を喪失してガックリと肩を落とす。

やがて起き上がってISを解除させると、ふらふらと歩いて生身で桜介の前に立った。

 

「やってくれ。こんな拳では、どのみち願いは叶わん」

 

自らの過ちに気づいた太炎は、目をつぶって桜介に止めをさすように言った。

その顔は憑き物がとれてどこかすっきりしたような、死を覚悟した漢の顔だった。

 

 




次回でやっと上海編が終わります。思い付きで中国行かせたせいで長くなってしまった。


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74話

「やってくれ。この拳ではどのみち願いは叶わん」

 

その言葉に桜介もISを解除し、人差し指を近づける。もとよりこれは命を懸けた死合。そして相手も一廉の漢である。ここで情けをかけるのは、相手にとってただの侮辱。そんなことはすでに言われるまでもなく心得ていた。

 

「む…!」

 

その時船内で大きな爆発が起こり、船体がぐらりと揺れた。それによって近くのガス管が爆発し、太炎の背後へと業火が迫る。

 

(ふ。天も俺に死ねと言っている。それもまたよし…)

 

太炎は目を瞑って、ただその運命に身を委ねた。

 

「うおおおおっ!」

 

しかし死を待つ太炎へと迫る業火に、立ち塞がったのはスキンヘッドの大男だった。その身を焼かれながらも、男は身動ぎ一つせずそこに立ち尽くす。

 

「お前は…二番星…!なにをしてる!?」

 

太炎の前に立ったのは、先日楯無を襲った五叉門党の一人だった。頭には六芒星の入れ墨が二つ入っている。

 

「ほ、北斗神拳伝承者よ、今しばらくの命を…!太炎様に…!この命に代えて…!」

 

「あ…?」

 

「わ、我らが使命は…太炎様が父…大厳様を越える日までお仕えすることなのだ…!大厳様がそう命じられた…!」

 

「ば…馬鹿な…!なぜそんなことを…っ」

 

二番星の思わぬ発言に、太炎が驚愕の表情を浮かべた。

 

「あ、あなたの力は…天が与えたもの…!それを大厳様は見抜いていた…!」

 

「なんだと…大厳が!?」

 

「そ、そして我らが命捨てるは…母を思う…幼きあなた様の涙に…心震えたから…!」

 

二番星が足をガクガクと震わせながら倒れることなく、そう言い切った。そして険しい顔のまま、次は視線を桜介へと向ける。

 

「桜介様、どうか我が願い!お聞き届けをー!」

 

「に、二番星ーっ!!」

 

最後に願いを言うと、二番星はその場に倒れ伏した。もうすでに息の根は止まっているのだろう。倒れたあとはピクリとも動かない。

 

「な、なぜ、なぜこんな俺なんかのために…!」

 

「ふ~!太炎…お前は父、大厳に挑み…曹家拳の伝承者になれ!そしたらさ、もっかいやろうぜ」

 

「桜介…。だが…!」

 

「気にすることはない…。拳法家のお前は死なすには惜しい。それだけだ」

 

「すまぬ…。その言葉…生涯忘れぬ…」

 

そう言って男泣きし、大粒の涙を流す太炎。

 

(それに、楽しみはとっておくに限るからな…)

 

桜介はそれを見て肩の力を抜いた。本当は惜しいと思っていたのだ。自分と死合った強敵(とも)をここで亡くすのは。だから心の中でその理由をくれた男に少しだけ感謝し、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「別にいいよ、とっとと忘れてくれて」

 

 

 

 

 

 

 

燃え盛る船から脱出し、太炎と別れて楯無の待つボートへ降り立った。

着地するとすぐにISを解除して、ポケットから出したタバコを咥える。

デッキから海上を見渡すと、もう外はすでに暗くなっていた。

 

「ただいま」

 

「桜介くん!大丈夫!?心配したのよっ、急に船が燃え出したから」

 

タバコに火をつけていると、楯無がすぐに駆け寄ってきて出迎える。

その慌てた足取りと本気で焦った顔からは、たしかに心配の色が伺えた。

 

「きっと宗武が派手にやり過ぎたんだろう。あいつ相当怒ってたからな」

 

「もう少しで、乗り込むところだったわよ!あ、そういえば、あの人まだ出てこないんだけど、大丈夫かしら」

 

「ま、大丈夫じゃない?あいつも簡単にやられるようなやつじゃないだろ」

 

もうすっかりいつものお気楽モードの桜介は、次にデッキの端へと目を向ける。

 

「それよりさ、あれ。随分やられたようだねえ」

 

「うふふ。あんまり口が悪いから、教えてあげたの……口のきき方を」

 

二人の視線の先には、既にISが解除されて生身のまま縄で縛られている操縦者の女の姿。

目を開けていないので、まだ気絶している様子だ。

 

「よかったよ…お前が俺の敵でなくて」

 

こいつやっぱり怖い女だな、なんて思いながらしみじみとそう言うが、今の楯無はそれぐらいでは止まらない。

 

「あの女…。あなたの悪口を言ったの。だから黙らせてやったのよ」

 

「そんなの放っておいたらいい」

 

「あなたがよくても、この私の女がすたる!」

 

「ふ…。格好いいね、今日のたっちゃんは」

 

いまだに憤りを隠せない様子の楯無だったが、ここ上海では、閻王の名はいわば死の象徴。

そんな男が今さらそれぐらいのこと、わざわざ気にするはずもない。

しかしそれでもすでに絶好調の楯無は凛とした態度で、さらに言葉を続ける。

 

「それに!それにあなたの名誉を守るのも、妻である私の使命!!」

 

「まだ妻じゃないだろ」

 

「そ、そそそそうだよね!ま、まだだもんね!?わ、私ってば、あわて者なんだからっ!あはっ、あははっ!」

 

またいつものようにバカだなとでも言われて、突っ込まれるのを予想していた楯無は想定外の反応に、おもいきり挙動不審になってしまう。

しかしボートの操縦席の女性も、それは桜介に同意見なのか、コクコクと小さく頷いていた。

 

「でも助かったよ、お前がいてくれて」

 

「じゃ、じゃあ、ご褒美をもらえるかなぁ」

 

そう言って首に腕を回すとそのまま抱きついた。

桜介もその背中に腕を回して、久し振りに穏やかな笑みを溢す。

すでに人生初の迷いが晴れた今、もうこの愛しい温もりを逃すつもりなどさらさらない。

 

「俺は別に名誉なんていらない。お前が無事ならそれでいい」

 

密着したまま耳元で囁かれた言葉は、今まで以上にとても甘いものだった。

 

「も、もう。ま、またそんなことをっ!」

 

その声色も含めて余りの甘さに、もう楯無は逞しい腕の中でいやんいやんと悶えるしかない。

 

(これはまさか、夢かしら。そしたらきっとまた、そのうち覚めちゃうんじゃ…)

 

日本にいた時と本当に同じ男なのか、疑わしいぐらいのレベルで自分に対する態度が違う。

心配になって胸板に頭を擦り付けてみると、夢や妄想ではあり得ない確かな感触がした。

 

(ああっ、幸せ。間違いなく今が一番幸せ…。やっぱり来てよかった、中国にっ!)

 

無理矢理ついてきて、玉砕覚悟の再告白に涙まで流して嬉しいと言ってくれた。

そして、自分が一番大切だと言ってくれた。

これからはこうして誰よりも一番近くにいられるのだろうか。今まで口には出せなかったものの、本当は前からそんな日がくることをずっと望んでいた。

 

「だから忘れないで欲しい。お前の身の安全が、俺にはなにより大事だということを」

 

「う、うん、ごめん……」

 

と、しばらくそんな感じでイチャイチャしている間、運転席の女性は二人から目を逸らしていた。

だいたいが自分の主人のおもいきり甘える姿だったが、それを見ないようにしていたのは気を使ったのが半分、気恥ずかしさが半分である。

それに二人ともマイペースで自由奔放な性格だ。

宗武のことなど、もう頭の片隅にあるかないというところだろう。

だから女性がまだ仕事中にも関わらず、早く帰りたいなどと少しだけ思ってしまったのも無理はない。

 

「お…なんか出てきた」

 

「あら、本当」

 

密着したままの二人の視線の先には、炎上している船から出てきた緑色のIS。

そしてその操縦者はまたしても男性だった。

 

「すぅ~~~。あの男からは砂漠の匂いがする。社のやつ…呼び寄せたのは、太炎だけじゃなかったわけだ…」

 

「もう一人いたのね。男の操縦者」

 

「あの男は…俺と同じ死神だ」

 

「なっ…!?」

 

桜介はいつものように平然とそんなことを言うが、楯無は驚きを隠せない。

こんな恐ろしいのが他にもいるのかと、体を離さぬまま緩んでいた顔を一気に引き締めた。

しかしボートの存在には気づいたものの、緑色のISを纏った男はすぐにその場から飛び立って行った。

 

「行ったか…。そしてどうやら宗武も出てきたようだ」

 

今にも沈みゆく船から緑色のISを追うように脱出してきたのは、赤いISを纏った宗武だった。

桜介もさすがにそこで体を離すが、楯無はまだ名残惜しそうにその横顔を見つめていた。

 

「よ、お疲れさん」

 

ボートを降りてすぐに声をかけられた宗武は、返事をせぬままISを解除させる。

すると、その左肩からはひどい出血がみられた。

 

「く…。不覚…!俺としたことが」

 

「宗武…。まさか失敗したのか」

 

「いや…社はたしかにこの手で殺った!だが…怒りの余り気づかなかった。やつが潜んでいることに…!」

 

その口から伏兵の存在が苦々しく告げられる。

告げた宗武は顔から汗を流し、よろめきながら肩を押さえていた。

 

「不意討ちとは言え…お前ほどの男が」

 

「あの男は…それほど危険と言うことね。とりあえず、包帯を巻いておきましょう」

 

ここでやっと楯無が話に加わる。

その顔はすでに真面目モードへと変わっていた。

楯無が負傷した肩にぐるぐると包帯を巻いていくと、やがて宗武が再び口を開いた。

 

「緑色の目をした男だ…。やつは北斗神拳に似た拳法を使う」

 

「それは北斗神拳のルーツとも言える」

 

桜介が珍しく真剣な顔で、宗武の言葉に続けてそう言った。

 

「なに!?」

 

「西斗月拳。北斗神拳に潜む狼の血は…その拳法から受け継がれた」

 

 

 

 

 

 

 

ボートが港につくと、桜介たちはすぐに宗武と別れを告げる。

 

「いいのか?俺をこのまま帰しても…」

 

「あ?どういう意味だ」

 

「次に会ったときはまた敵同士だ。狙うなら今だろうが」

 

もともと強面の顔をさらにキツくさせて睨みつけてくる男に、桜介は黙って近づくとその肩をポンポンと叩く。

 

「ぐ…!なにすんだ、こら」

 

「なあ、軽く触っただけだぜ」

 

「ちっ…」

 

「お前との戦いは避けられない。多分それは宿命だろう。だが俺は手負いの獣は狙わない」

 

「甘いな…。後悔するぞ、俺を倒す好機は今しかなかったことを…」

 

「誇りだ…。北斗神拳の伝承者としての」

 

それだけ聞くと宗武はどこか嬉しそうにニヤリと笑い、背を向けてそのまま立ち去って行った。

 

「いっちゃったわね。よかったの?あのまま行かせて…」

 

声をかけられて振り返ると、そこには楯無が呆れた顔をして立っていた。

 

「どうした?そんな顔をして」

 

「どうにかならないかと思って。あなたのそういうところ」

 

「ん?なにが?」

 

まるでよくわかっていない男に、腰に手を当てて人差し指を差しながら、本当に不満そうな表情を浮かべて指摘する。

 

「そういうバカみたいに甘いところよ!元気になったらまた殺しにくるわよ、あなたのこと」

 

「だからだろ、だから面白い!」

 

そんな風に笑顔で言われてしまうと、もう呆れてものも言えない。

楯無は諦めたように大きくため息を吐いて、がっくりと肩を落とした。

 

「……本当にバカなんだから。あなたを守るのは妻である私の責任なのに!」

 

「だからさあ、まだ妻じゃねーだろって」

 

「ま、また、またまだって…!それにあなたの口から妻って言葉を!やっぱり何度聞いてもいいわ!その響きっ…!」

 

俯き気味に呟いて快感に身悶える。楯無はもうこのやり取りが楽しくて楽しくて仕方がない。きっと何百回やっても飽きない。それぐらい楽しいものだった。

 

「桜介くん…。録音するからもう一回、もう一回言ってっ!」

 

「なんだよ、それ…。やだよ」

 

「もー!けちっ!」

 

「けちじゃねぇだろ、別に」

 

言葉は嘘偽りのない本心だが、それでもそんなのは嫌に決まっている。だから桜介はここで話題をかえることにした。

 

「そういえば肩を揉んでやる約束だったな」

 

「えっ!?い、いいわよ、こんなところで」

 

「なに、すぐに終わる」

 

桜介は俯いている楯無の両肩に手をかざして、ボッと気力を送りこむ。

 

「あ、あれ…。体が、すごく、軽くなった!?」

 

楯無は不思議そうにコテンと首を傾げた。

実際には肩揉みなどされていないのだから、そういう反応をするのも無理はない。

だが気力をもって人体のツボを突くことを極意としている北斗神拳ならば、それぐらいはたやすいことである。

 

「北斗神拳は活法にも通ずる。また疲れがたまったら、いつでも言ってくれ」

 

「……本当になんでも出来るわね。でもなんで今まで隠してたのかしら。そういうのがあるなら、早く言ってくれればよかったのに」

 

「別に出来ないとは言ってないだろ」

 

今さら愚痴をこぼしても、この男にはどこ吹く風。きっとまだ自分が知らないだけで、出来ることは色々とあるのだろうか。

でももうなんでもありかな、この人だったら…。なんて、そんな風にも考えてしまう。

結局楯無はせっかくの触れ合う機会が減ったことを残念に思いつつ、再び大きめのため息を吐くしかなかった。

 

「それよりさ、帰ろうぜ…日本に。拉麺もいいが、そろそろお前の料理が恋しくてな」

 

「なんだか素直すぎて怖いぐらい。今日のあなたは…。これは夢なんじゃないかって、途中で何度か思ったぐらいだもの…」

 

楯無は怪しむように、目の前の男の顔をジロッと見つめる。

優しくされて嬉しいことは間違いない、嬉しくないはずがない。

しかし今までとはあまりに違いすぎるその対応には、まだ全く慣れていなかった。

 

「じゃあやめるか。別に意地悪するのも、嫌いじゃないんだ」

 

「むしろ大好きでしょうが。でも…やめなくていい」

 

桜介は予想通りの返答に口角を緩めて、ついに念願のリクエストを口にする。

 

「よろしくね、すき焼き」

 

「……まだ根に持ってたんだ」

 

「ふふふ、だって約束しただろ」

 

そう言って、自ら死神を名乗り、閻王と呼ばれる北斗神拳最強の男は、見ている方が気持ちがいいぐらいに、どこまでも快活に笑った。




魔都上海編、完!


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75話

しばらく短い日常編です。多分。


日本に帰ってきてから、初めての寮での夕食。

相変わらず一夏のところには、専用機持ち女子が集っている。

そして俺はというと、それを遠目で眺めながら離れたテーブルで黙々と目の前の麺をひたすらに啜っていた。

 

「本当に、よく飽きないわね…」

 

そう声をかけてきたのは、向かいに座って焼き魚定食を食べている楯無だ。

魚の骨を綺麗に取り除いてから、その身を箸で口に運んでいた。

 

「どうやら一夏の誕生日は今月らしい」

「ふーん、よく聞こえるわねえ」

「いや、唇を読んだ」

「……きっとあなたなら、今すぐにでも凄腕のエージェントになれるわ」

 

そういうことをガキの頃から仕込まれたからな。

なにやら多少は驚いているようだが、楯無の家ではやらなかったのかね。俺の家よりもそういうのやってそうなのに。

こんな技術ばかり持っているから、こいつにやたらと欲しがられるのかもしれない。

こいつはこれでも一応暗部の当主だしな。

俺の家は二千年も殺し屋稼業やってるわけだから、俺ってもしかして、ある意味エリート中のエリートなんじゃ…。

まあそれだけじゃないのも、わかってはいるんだけどね。それにしても…。

 

「一夏ってさ、やっぱりモテるんだねえ。俺にはなんにも考えてないように見えるんだけど」

「……あなたが言ったらおしまいよ、それは」

「あれが天然というやつか…」

「また嫉妬した振りをして、私を怒らせたいのかしら。例え冗談でもイライラするのよね、あれ」

 

そういえばそんなこともあったかな。だがもうそんな冗談を言うつもりはないから。だから、いちいち睨むんじゃない。

 

「そんなんじゃない。ただそう思っただけだよ」

「それならいいけど。まあ一夏くんは人気あるからね。この学園のプリンスだとか、最近そう言われてるのよ」

 

なんかカッコいいな、それ。やっぱりあの学園祭のコスプレが効いたんだろう。まああれはなんだかんだで、似合ってはいたよね。

 

「ふーん。じゃあ俺にはなんかないのかよ?たとえば紳士とか…」

「ま、まあ、いいじゃない、そんなこと。あんまり気にしても、いいことないわよ」

「え?え…?どういうこと?」

 

興味本位で聞いてみたら、急に箸をピタリと止めて、なんだか言いにくそうに口ごもってしまった。

もともとたいして気にしてなかったのに、そういう態度とられると余計に気になってしまうだろ。

 

「……言っても怒らない?」

 

しばらく待っていると、今度はまるでこちらの顔色を伺うかのように、おそるおそる聞いてきた。

陰でそんなに悪口言われてるのだろうか。でも今さらそんなこと、いちいち気にするはずもない。

 

「ふ…。それぐらいで怒るわけないだろ」

「あなたのはね……多いの…」

 

また複雑そうな顔でそんなことを言う。たくさんあるにしても、えらく勿体ぶるなあ。そんなに焦らさなくてもいいだろうに。

 

「まず…暴君」

 

楯無は本当に困ったような顔をして、ボソッと小さくそう言った。

 

「暴れてないだろ」

「……本当に?」

「……あんまり暴れてないだろ」

 

多少の心当たりはあるので一応言い直すと、楯無は眉をひそめてため息を吐いた。こいつにも知らないところで、色々と苦労をかけているのかもしれない。それなら迷惑をかけないように、これからはもっと大人しくしよう。

 

「次に…覇王」

「……覇を唱えてないだろ」

 

もし覇を唱えているのならば、とりあえずこの目の前の生徒会長を倒そうとしているはずだ。

だが俺はそんなことをしようとしたことは一度もない。からかい倒したことは何度もあるが、それは違うはず。

 

「きっとそういう風格があるのよ。あなたって、一年生には見えないものね、色々と…」

 

精一杯フォローしてくれているが、これはやりたい放題やっているのが学園祭で一気にばれたのだろう。それをはっきり言わないのは、きっと楯無の優しさ。

 

「なんか…ごめんな、色々と」

 

もうこの機会に反省して、これからは平和な日々を過ごそうと思う。もともと俺が望むのは、穏やかな日常なんだから。

 

「それから…閻王」

「ぶっ!」

「はい、ハンカチ」

 

さすがにそれはダメだろ。渡されたハンカチでしっかり口を拭ってから、俺はもちろんこれに激しく反論する。

 

「おかしいだろ。ここの生徒はさ、そんなのは知らないはずだろう?」

「最近そう言われてるんだから、実際に」

 

楯無は表情を変えずにそんなことを言うが、俺は学校でまでそんなあだ名で呼ばれたくはない。普段から平和を望んでいる俺からすれば、そんなの断固反対に決まっている。

 

「あのねえ…。なんとかなんないの?」

「ならないわねぇ。別に私が言ってるわけじゃないもの」

 

そんな風に冷たい言い方しなくてもいいんじゃないの。ついムッとして、ジト目を向けてしまう。

 

「……拗ねても無理よ」

「……拗ねてない」

「拗ねてるでしょ」

「拗ねてねえって」

 

あんまり人を子供扱いするんじゃない。いつもお前の方がよっぽど子供だろ。

普段あれだけベタベタしておいて、今さらマウントとれると思ってるところがこいつらしい。

この甘えん坊はなにかとすぐ年上ぶるんだから。まったく困ったものだ。

 

「そうね…。じゃあ、煙王?」

「誰がスモーキングだ…。ふざけんなよ?勝手に人のあだ名で遊ぶんじゃない」

「あら、ピッタリじゃない。本当にあっちでもこっちでも、ぷかぷかやってるんだから」

 

その言いぐさに、だんだんと腹が立ってきた。なにがじゃあだ。もうこいつ、楽しんでるんじゃないのか?お前ついこないだ俺の悪口を言われるのは女がすたるとか、そんな格好いいこと言ってたよね?

 

「いい加減にしろ。さっきから黙って聞いてればなんか偉そうなやつばっかりだし…」

「態度が完全にそうでしょうが…。一度自分の胸に聞いてみなさいよ?」

 

こんな風に言われて、俺は久しぶりにカチンときてしまった。

 

「よし、わかった。そういうことなら、早速お前の胸に聞いてやろうじゃないの」

「きゃあ!?な、なにをっ!?」

 

ふにゅふにゅ。

 

「あっ、あん、やめて、だっ、だめよ!」

「なぁ。おい、胸無さん。教えてくれよ、俺のどこが悪いんだ?」

 

もみもみもみもみ。

 

「あああっ!ぜ、全部よ、全部ぅ!また変な名前をっ。それじゃ私がぺたんこみたいじゃない!」

 

全部とかそんなはずないだろう。しかも、俺はお前に聞いてるんじゃない、胸無さんに聞いているんだ。そういうわけでまだまだ尋問を継続する。

 

「胸無…。いい子だから正直に言ってみなさい。パパは怒ったりしないからね?」

「くぅっ、両手で…!!な、なにがパパよぉ!?小癪な小芝居をっ」

 

思えば、もう大分前からかかさず毎日のように愛でてきたのだ。雨の日も、風の日も。そう考えたら、なんだかだんだん情が移って、愛着だって湧いてくる。

 

「ほらほら!パパだよ、パパと呼んでごらん!」

「やっ、やめなさい、こんなところで…っ。こんなだから言われちゃうの!!」

 

途中で手をぺちんと払われてしまう。しかしこの子はある意味、俺が育ててきたと言っても過言ではないのだろう。丹精込めて触れあいを重ねてきた言わば我が子のようなもの。どうやら胸無と接するうち、気づけば娘を持つ父親の気持ちになっていたようだ。

それにしても、なんで閻王なんて言われてる?この学園に裏の人間なんてそんなにはいない。

楯無が言うはずないし、虚さんは知っていたとしても、絶対に余計なことは言わないはず。

他にそんなこと知ってて、平気でベラベラ言いそうなやつなんて…。

 

「ダリル……あの女泣かす」

「はぁはぁ…。あなたは、いきなりなにを言ってるのかしら?もう充分に泣かしたでしょ、あれでもやり過ぎなぐらいだから」

「どうやら…まだ足りなかったようだ」

 

本当に自分の甘さに反吐が出るぜ。甘かった、俺は甘かったようだ。

もう手加減はしない、絶対にしない、この際だからもう手段も選ばん。

 

「足りてるから。あんなのされたら私だって…」

「ふ~。腕がなるぜ」

 

思わずポキポキと指を鳴らしてしまった。あいつは男をバカにしてる節がある。

よし、こうなったら男の怖さをもう一度しっかりと叩き込む。それから本当の地獄を見せて、二度とおかしなことを喋らないようにしてやる。

 

「だめだめっ…!だってあれ調教だものっ」

「そんなことないと思うんだけど」

「ど、どうしても、そういうこと、したいなら、わ、私に……私にしなさい……」

 

楯無は顔を赤らめてそう言うと、すぐにふいっとそっぽを向く。そして、勇気を出したんだろう。テーブルの上では拳をぎゅっと握っていた。それに対して俺の正直な感想としてはいくつかある。恥ずかしいならそんなこと言わなくていいだろうに、簡単に自分の身を犠牲にするな、といったところか。どうやらこいつは大きな勘違いをしているようだ。なぜなら俺はもともとそんなことはしていない。

 

「心配すんな。ただきちんと教えてやるだけだ。男をなめたらどうなるかをな」

「……もう知ってるから。絶対知ってるわ」

 

そう言った楯無はどこか遠い目をしていた。しかし、知らないからベラベラと余計なことを喋るんじゃないのか?だったら、やっぱり厳しい再教育が必要なんじゃ…。

 

「まあ任せておけ。悪いようにはしないさ」

 

あまり気は進まないがやるしかないだろう。

これは言わば自分が蒔いた種、俺が責任を持って刈り取るべきなんだ。

 

「桜介くん、三年生の教室でやるつもりでしょ。また変なあだ名が増えるけど、いいの?」

「それは…やだ」



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76話

「そういうことでキャノンボール・ファスト、俺は出ないから。よろしく」

「なにが……そういうことなのよ?」

 

目の前の男からまたも放たれた自由奔放な発言に、楯無は訝しげな視線を向ける。

 

「お客さんいっぱいくるみたいだしさあ。なにかあっても困るだろ?だから会場の警備しないと」

「それはそうだけど…。本音はなにかしら」

「あれ、要はレースだろ。そんなものに興味はない。女子に混じって追いかけっこしろと?正気を疑うな」

「す、すごい言いぐさねぇ、相変わらず。まったく、この自由人っ」

「俺は拳法家だ。レースなんぞ参加できるか。そんなことするぐらいなら、害虫駆除をしてた方がましだ」

 

そのあまりの言いぐさに、楯無はこの男と出会ってからもう何度目かわからないため息を吐く。それと同時に、その言葉から想像できる未来を考えてゾッとした。この男、敵には本当に容赦がない。命を見逃すのは基本的に自分が認めた相手のみ、それ以外の敵に訪れるのは明確な死。

楯無がこのIS学園の守りの要だとすれば、この男はさしずめ矛。それも全てを貫く最強の矛といったところだろう。なにより恐ろしいのは悪党をなんの躊躇もなく屠っていくその冷酷さだ。

煙草をぷかぷかやりながら、顔色一つ変えずに悪党どもをどんどん血の海に沈めるその姿は更識楯無をもってしても、まだ現れてもいない敵に思わず同情してしまいそうなほどである。

 

「うまいな、この伊勢海老」

 

楯無がそんなことを考えている間に、男は丁寧に殻を剥き終えると、それに上品にカプリとかぶりついていた。普段から豪快な印象が強いが、食べ方は綺麗なのだ。ラーメンを除いては…。

 

「この炊き込みご飯も最高だ。出汁がしっかり効いていて香りもいい。それにキノコも旬の天然ものを使っているね?」

 

スーッと息を吸い込んでから、少し多めに頬張ってはそんな感想を漏らす。

 

「うふふ、さすがの嗅覚ね。やっぱり秋の味覚だし、せっかくだから使ってみたの」

 

ここは二年生の教室、そして今は昼休み。今日のお弁当は楯無が早起きして作った重箱五段にもなる豪華なものだった。

 

「さすがなのはそっちだろ。本当にうまい」

 

「よかったっ。頑張った甲斐があったわ」

 

無邪気に食べるその様子に楯無も嬉しそうに微笑む。なにかあってもきっと大丈夫、この男がそばにいれば。そういう時は誰よりも頼りになる。

楯無はそう思って自もおかずに手をつけようとするが、一つだけ気になっていたことを思いだしたので、先にそれを聞いてみることにした。

 

「そういえば中国で見た緑色の目をした男、あれ以来現れないわね。たしかあなたの家を恨んでいる…」

 

「まあそうなんだけどね。話せば長くなるかもしれない。だからたっちゃんもさ、食べながら聞いてくれる?時間なくなっちゃうよ?」

 

そう言って桜介はだし巻きを口にパクッと入れた。モグモグとよく味わってからそれをゴクンと飲み込み、よっぽど美味しかったのか、へら~っと頬を緩める。

自分の命を狙う敵の話をしているというのに、本当に緊張感もへったくれもない。しかしそれは今に始まったことじゃないし、今さら何を言ってもどうせ変わらないだろう。だから楯無はすぐに諦めることにした。

弁当箱からホタテをとって口に入れる。つまり結局言われた通り食べながら話を聞くことにした。

 

「それで?なんでそんなに恨まれてるの?」

 

「俺の家は古いだろ。二千年前にね、北斗神拳の始祖シュケンって人がいたんだ。北斗宗家の…まあ俺のご先祖様だな」

 

桜介はなにかを思い出すように、真剣な顔で話を始めた。思っていたよりもずっと重そうな話に、楯無は口に入れていたおかずをゴクンと飲み込む。

 

「その北斗宗家のシュケンて人はさ、若い頃からやっぱり天才だったんだけど、西斗月拳っていうのに弟子入りしてその秘術を全て学んだんだ」

 

「へえ~。昔から交流があったんだ。でもそれだけでそこまで恨まれるものかしら?」

 

「そのあとシュケンはその西斗月拳の伝承者とその高弟12人を抹殺し、そして当時その辺りの砂漠一帯を支配していた月氏族は滅んだ…」

 

「だけど実際には滅んでいなかった。今になってあの男が現れたわけだから。それにしても、昔から過激だったのね、あなたの家系は…」

 

スタートからあまりに支離滅裂な内容に楯無はあっという間に顔を引きつらせる。

それでもお構い無しに話は進んでいく。桜介はカレイの煮付けをモグモグして飲み込み、また話を始めた。

 

「それでその時、既に受け技を極められていた北斗宗家の拳は西斗月拳の秘孔の術を取り入れて、究極の暗殺拳北斗神拳となったわけだ」

 

「でもどうしてシュケンさんは、西斗月拳の人たちを殺したの?奥義まで教えてくれて、感謝することはあっても殺すことないじゃない」

 

すっかり話に聞き入ってしまっていた楯無が、思わず唾を飲み込んで食いぎみに問いかける。

その質問は至極最もな、当然の正論だった。

 

「それにも理由があってさ…。あ、そのピーマンの肉詰め、美味しそうだな」

 

「もうっ!ほら、あげるから。あ、あーん…」

 

「ふむ、やはり旨い。これぞ奇をてらわない王道の味付け。たっちゃん、やるねぇ!また腕を上げたな!」

 

「そ、それは嬉しいけどね。今はそれよりも、早く、早く、続きをっ!」

 

楯無は頬をほんのり染めながらも、それでもとにかく続きを促す。そんな風に誉められて嬉しいのはたしかだ。しかし、今は一番大事なところでお預けを食らっているので、そちらが気になって仕方がない。

 

「ま、それはまた今度話すよ。今はあんまり時間もないしな。とりあえずさ、一服しようか」

 

「こ、このマイペースッ!いいところで…!!」

 

そんなクレームを受けながらも、桜介は気にすることなく持ってきていた巾着袋から茶碗を二つ取り出す。そして同じく取り出した茶器から、茶杓で抹茶を掬って茶碗に入れると、水筒から少し冷めたお湯をトポトポと注ぐ。それから茶筅を持ってシャカシャカとそれを素早くかき混ぜていく。

 

「あれ?桜介くん、お茶なんてやってたの?」

 

「初めてだよ。見よう見まねだから自信はないが、まあこんなもんだろ」

 

はい、どうぞ。そう言って桜介はニコリと笑い、細かく泡立った抹茶を目の前に差し出した。

それをただ眺めていた楯無は思わずドキリと胸が高鳴り、その顔はみるみる赤みを帯びていく。

 

((……いいなあ、こういう男くさい表情も。この人の場合、自然体なのがまた格好いいのよね……)

 

かなり贔屓目が入っているのも確かだが、実際お茶を立てるのは初めてだというのに、その姿はどこか様になっている。

言葉通り本当に作法もなにもなっていない。それでもしっくりきてしまうのは、やはりこの男が武人だからなのだろう。

お茶も古くは武人の嗜み。妙に似合うのもそのためだろうかと、楯無は一人納得した。

 

「え、ええ、いただくわ」

 

初めての相手が自分だというのもやっぱり嬉しくて、にっこり笑顔を浮かべて、両手で大事そうに茶碗を受けとる楯無。

しかし冷静に考えると、こんなところでやらなくてもいいのに。一瞬そう思わないでもなかったが、自分はお昼のお弁当に五段重箱を持ってくるような女である。

楯無は気づいていないが、とても人のことは言えない。変わっているのはお互い様だった。

もしかしたら、天才にはこういう変わり者が多いのかもしれない。

 

「悔しいけどお似合いね、あの二人」

「なんなの…あの優雅な昼食は!」

「霞くんのお茶…。更識さんばっかりずるい」

 

相変わらず平然と奇行を行う二人に、楯無のクラスメートからもそんな声が聞こえてきてくる。

そう、ここは教室なのだ。目立つ二人だから、先程からの昼食の様子も普通に注目を集めていた。

もちろん当たり前のようにあーんしているところも見られている。

だが楯無はもとより、桜介もそんなことはもう全く気にしていなかった。

 

「あら、おいしい!」

 

楯無は両手で茶碗を持ち上げて、一口飲んでから笑顔で感想を漏らす。

 

「道具は全部貰い物なんだけど、使う機会がなくてさ。早起きして弁当作ってたから、せっかくだしやってみようかなって」

 

その心遣いがまた嬉しくて、楯無は頬を緩めて上機嫌に笑う。

 

「ふふ、ありがとう。でも誰にもらったの?これ、かなり高価なものだわ」

 

「北大路さん…の娘さん」

 

その言葉に笑っていた楯無の眉がピクリと動く。それから睨みを利かせるように見つめて、すぐに問い詰める態勢に入った。

 

「………」

 

桜介は聞かれたから正直に答えたのに、またこうなるのかと内心で思いながら、自分のお茶の準備を始める。

 

「ねえ、どういうことかしら?」

 

「そういうことだけど?もらったけど、使ってなかった。でも使わないと勿体ないだろ?」

 

なんでもないように言いきる桜介に、後ろめたい気持ちなどあるはずもない。

厚意を無下にするのも悪いので、とりあえず受け取っておいたに過ぎないのである。

しかも貰ったのはもう結構前のこと。今さらそこを突っ込まれるとは、思ってもいなかった。

 

「北大路さんに娘さんがいることは私も知ってる。あの人、すごく美人よねぇ…。あなたより三つも年上で…」

 

「なんだ、知ってたのか。じゃあ問題ないな」

 

楯無の家もかなりの名家なので、社交界で北大路の娘、綾とも一応の面識があった。

それを知って、知り合いなら大丈夫だろう。それで安心した桜介は再びお茶をシャカシャカとかき混ぜていく。

そして泡立ったお茶を見て満足そうに微笑むが、美人を全く否定しなかったことに、楯無はさらに憤っていた。

 

「問題だらけでしょうが。だいたいね、こんなもの貰えるような仲なのがおかしいわよ!?」

 

「そういえば昔、襲われてるところに偶然通りかかって助けたことがあったかな。だけどそれだけだよ…」

 

でもその時は確か気絶してたし。そう飄々と言ってのける。わかってはいたが、本当にどうしようもない男だ。

開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。色んなことを気にしないにもほどがある。

 

(これは危険……。危険だわ…)

 

思わぬ伏兵の登場に、楯無は本気で焦り出す。

なぜなら、たしか北王路綾は一人娘だったはず。

そして父親と桜介の仲はすこぶる良好。というか、ものすごい気に入られている。そうなると婿に欲しがっていても、なにもおかしくはない。

抜け目なく連絡を取り合っている桜介の母親は別として、自分はまだこの人を親に顔合わせすらさせていないというのに。

この考えなしのことだ。なんか気づいたら婚約してましたなんてことも、絶対にあり得ないとは言い切れない。

それで気づいたときには困って海外に逃亡するところまでが、なんとなく想像出来てしまう。

ふらっと消えて女の気持ちをリセットしようとするのは、中国の時ですでにお見通しである。

せっかく苦労してここまできたのに、土壇場でそれは洒落にならないし、泣くに泣けないだろう。

まあそうしたらそうしたで地獄の底まで追いかけ回して参ったを言わせればいいだけのこと。それだけの覚悟も能力もお金も権力も人手もすべて持っているのだから。

しかし年上として、ここで取り乱すのはあまりに格好悪いことに気付いて、まずは冷静になるべきだと考えた。

私のお婿さん、私のお婿さん、と聞こえないように二回呟いて、楯無は深呼吸をする。

それから先ほどの突っ込みどころ満載の発言にも、出来るだけ余裕をもって踏み込んでいくことにした。

 

「そ、それだけって!ま、またあなたはなんでもないことのようにっ!そ、そんなの、よっぽどでしょう!?」

 

「それを言うならさ、お前のことも助けただろ」

 

「だからっ、すっ、好きになっちゃうでしょ…。そんなことされたらっ」

 

真っ赤な顔で俯き気味にぽしょりと呟く。そんな様子が桜介はもう可愛くて可愛くて仕方がない。

ここが教室でなかったら、頭を撫でるぐらいはしていただろう。いいや、最近の勢いならばハグまでは確実だ。

だが今は自分と北大路綾がそんな関係ではないということを、きちんとわかってもらうのが先決。

なによりもあらぬ誤解で、また楯無の機嫌を損ねてしまうのが嫌だった。

 

「そんなことはない、といいな…」

 

「いいなって、おかしいわね?桜介くん、それもうただの願望よ!?もうわかってるんでしょ…。高価なプレゼント受けとるぐらいだからっ」

 

「あのな、俺は茶器とかわかんないし。いらないからくれたんだと、普通そう思うだろ」

 

再び鋭い視線を向けてくる楯無の顔をじっとみつめて、桜介は正直にしっかりと反論する。

 

「普通は思わないでしょう!」

 

「思ったんだよ、その時は」

 

げんなりした顔で言う。それでも楯無はまだまだ不満があるようだ。

 

「だいたいなんで毎回そんなところに通りかかるの!おかしいでしょっ」

 

「それはやっぱり主人公補正で…」

 

「そんな漫画や小説じゃないんだから。まったく、高校生だけじゃ飽きたらず、まさか大学生にまで手を出すなんてっ」

 

「…手は出してないよ」

 

プンプンしてる顔も可愛いな、なんて思いながらここははっきりと否定しておく。

たしかに何度か一緒に出かけたことはあった。なにかの拍子で泣かしてしまったときは、慰めるためにおでこにチューぐらいはしたかもしれない。おまけに責任とってやるからみたいなことも言ったような気がする。しかし、それはあくまでも冗談だからもちろんノーカウント。

あの頃は意中の人間もおらず、そういうこと自体がもうどうでもいいと思っていた。どこか投げ遣りになっていたので、彼女の親父さんから手を出すのはいいが、そうしたらわかってるね?というような無言の圧力がなかったら、正直どうなっていたかわからない。この歳の男には少し重たい気もするが、大事な箱入りの一人娘を想う親御さんの気持ちを考えれば、まあそれもわからなくもないわけで。目の前の女のように自ら手を出させようとしたり、出す前から責任を取らせようとしてくるよりはずっとましだろう。それにしても、今思えばあの時手を出さなくて本当によかったと、過去の自分を褒めてやりたいぐらいだ。

 

「……本当かしら。あの人も、あなたのこと、その、す、すすすすきなんでしょう!?」

 

楯無はまた顔を赤らめて、しどろもどろに言う。

だって好きという言葉はどうしたって、あの日の告白を強く意識してしまう。

二人で一緒に泣いたあの夜のことを思い出すだけで、もう顔から火が出そうなほどだった。

 

「俺の口からはなんとも…」

 

「……な、なんともって……」

 

「……美味しいねぇ、お茶始めようかなあ」

 

「はぁ…。そういう人よね、あなたって」

 

自分の勘違いでなければ、好意を寄せられているのは事実だろう。実際に父親にもそんなようなことは言われているのだから。

楯無ときちんと向き合うと約束した以上、なんとなくこういうところで嘘はつきたくない。

だからといって、それをそうですよと素直に認めるのも少し自意識過剰じみているだろう。

もう手詰まりになってしまい、桜介は言い訳するのも諦めてまったりとお茶を飲むことにした。

 

(こんな心配しなくちゃいけないのも、結局のところ、男までたらし込んじゃうこの人が悪い!)

 

中国から帰る際、強面の男たちが揃って涙を流して別れを惜しんでいた様子を思い出して、楯無は心の中で一人愚痴る。

そして目の前のノホホンとしている男を一目見てから、ガクッと肩を落とした。

だけどそれも仕方ないのかなと、少しだけそう思ってしまう。

楯無が恋慕し愛慕しているのは、義理人情にやたらと厚く、男気も人一倍ある男の中の男。そして他に類を見ないほどの豪傑でもある。

だから男でも惚れてしまう、その気持ちもなんとなくだがわかる気がする。

それにもともと、貰った物の値段なんて気にするような男ではないのだ。

女心に疎いのは出会った頃からわりとそういうところはあったし、今さら他の女性で学ぶのは論外である。

それは少しずつわかってもらえばいいかと、楯無は考えることにした。

 

「あら、このお茶…霞くんが入れたの?ちょっとちょうだい」

 

「ああ、ほら。飲みかけでよければ」

 

声をかけてきたのはサラだった。手渡されたお茶を少しだけ飲んで桜介に戻す。

サラは抹茶を飲んだのはこれが初めてだったが、その味は思いの外渋いものだった。

 

「うーん、私の口にはあまり合わないかな」

 

「そうか…。まあ素人だからねえ」

 

去っていくサラにひらひらと手を振って、ズズーッと再びお茶を啜る桜介。

それからやっぱりそれなりにはうまいんじゃないかと、不思議そうな顔をする。

 

「お、桜介くんは、か、か、間接キスって知ってるかなあ?」

 

「ん?お茶ってそういうもんだろ?」

 

「それは濃茶でしょう!これは薄茶よ!?」

 

「いやあ、なんだか照れちゃうねぇ。まさか唾液まで人にあげたくないなんて」

 

皮肉を言ったつもりの楯無だが、いつものようにしっかり反撃に合ってしまう。そしてそうなると、やっぱり冷静ではいられないのも、出会った頃からのお約束だ。

 

「っ~~~~!!」

 

楯無は勢いよく椅子から立ち上がり、両手で顔を隠してそのまま教室から、だーっと逃げるように飛び出していった。



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77話

ある日の放課後。アリーナでは、簪の打鉄弍式の飛行テストが行われていた。

楯無の稼働データや、一夏の荷電粒子砲のデータ、本音の協力もあって、打鉄弍式はすでに完成間近なのだ。

 

機体を纏った簪が、ピットから勢いよく空へと飛び出していく。それを協力した楯無、一夏、桜介の三人は下から見守っていた。と言っても他の二人とは違い、桜介が協力したのは主に雑用と差し入れだけだった。

 

「やっとお目見えだな、俺の相棒が」

「え?そうなのか?」

「そんなわけないでしょ」

 

上を見上げたまま、腕を組んで満足げに言う桜介に、一夏が問いかけ、楯無が突っ込みを入れる。

それはいつも通りの穏やかな空気だったが、それはすぐに一変する。

空を飛んでいる打鉄弍式の右脚部のブースターが、突如爆発したのだ。

 

「簪ちゃん!」

「更識さん!」

 

楯無と一夏が名前を叫んで、慌ててISを展開したときには、桜介はもう飛び出していた。

二人よりも反応が早かったのは、それが生身のままだったから。

桜介はアリーナの床をドンと全力で蹴って飛び、次に中央タワーの外壁も蹴って、三角飛びの要領で自分の方へと落ちてくる簪の元へと向かい、それをキャッチした。

 

「は、速ええ…」

 

一夏が上を見ながら唖然とした顔で呟く。

ここで一夏はそういえばと、特訓中によく言われている、ある言葉を思い出す。

『たいていのことはがんばれば出来る』更識楯無は確かにそう言っていた。

 

「あれも、がんばれば出来ます?」

「……出来ると思う?」

「……いいえ」

 

その返答を聞きながら、楯無は空を眺めて少し昔のこと思い出していた。

入学してすぐの最初の訓練、色々と驚きを隠せないでいる楯無に新入生は涼しい顔でこう言った。

『たいていのことは見れば出来る』霞桜介はふてぶてしくもそう言ってのけた。

 

「もう人間業じゃないでしょ…。本当に短い距離ならISより速いわよ、あの人」

 

楯無が言うようにここまでの動きはまさに神速。実際に地上の二人はまだISを展開したばかりだった。

 

「よし、もう大丈夫。安心して」

「お、桜介…!こ、怖いっ…!」

「心配はいらない、俺を信じろ」

 

すでに背中には爆発したブースターから吹き出した炎が燃え移っている。だがいわゆるお姫様だっこをされている状態の簪からはそれが見えない。だから桜介は安心させるように笑顔を浮かべたまま、着地の態勢に入った。

 

「おう…すけ…!」

「ぬおおおおっ!」

 

ズドオオン!!

 

凄まじい轟音と共に、二人は床に着地する。それと同時にアリーナの床が着地の衝撃でベコンと大きく凹む。そして簪を抱きかかえる桜介の背中には炎が先程よりも激しく燃え盛っていた。

 

「あ…!ほ、炎がっ……!!」

「大丈夫だ。これしきの炎で、俺の体は燃やせない」

 

桜介が不敵に微笑んで、むんっ!と気合いをいれると、その言葉通りなにかがボンと弾けて、体を包んでいた炎は嘘のように一瞬で霧散する。

ちなみに狙ったわけではないが、簪にこの手の台詞はドストライク。下手に甘い言葉を吐くよりもずっと効く。加えてアニメでしか出来ないようなアクションもサラリとこなしてみせた。ここまでくるともう見事な簪ホイホイと言っていきだろう。

 

「今、何メートル飛んだんだ…?」

「そんなの今さら。気にしたら負けよ」

「それにあいつ、炎を……」

「それも今さらね。遊んでいたもの、ダリルを散々追いかけ回して。シクシク泣いてたわ、かわいそうに」

 

少し離れたところでは地上に残っていた二人のそんな話し声も聞こえてくる。しかし着地したばかりの二人の耳にそれは届いていない。

 

「かっ、格好いい、凄い、凄い」

「ふぅ。まいったな。そんなお前こそ、今日も一段と可愛らしい。これじゃ目のやり場に困ってしまうよ」

「そんな……可愛くないよ…」

「なに言ってんだ。これ以上は俺が困る」

「どう、して…?」

「本物の天使と見分けがつかない」

 

桜介は既に簪を床におろしていたが、まだ二人はほとんど密着したまま見つめあっていた。すっかり興奮状態の簪が向けているのは熱に浮かされたような熱い眼差し。

簪のいつも見ているアニメのヒーローは、一人で悪をバッタバッタと倒すのだ。

それだけと聞くとまさに霞桜介そのものである。同じようにこの男もまた実際に一人で悪党をバッタバッタと倒しまくっている。むしろ倒した人数で言えばアニメのヒーローより圧倒的に多いかもしれない。

ただ少し違う点は変装はするが変身はしないところ。それから大きく違う点は悪を倒したあとに爆発する代わりに血を吹き出すところで、ヒーローというよりどう見てもダークヒーローなのだ。

しかし簪に見せるのは基本的に流血の少ないクリーンファイトである。一緒にいるときはそういった輩に遭遇したとしても、血なまぐさいところは全く無いとは言えないが、極力見せないよう配慮している。それでいて一度の攻撃で5人ぐらいまとめて爽快に倒すし、必殺技も多彩なので夢中になるのも頷ける。

 

「楯無さん、あれは…?」

「りょ、両想い、では、ないかしら…」

「なるほど!すげえ、あれが伝説の両想いか…」

「そ、それにしても、よくも次々とあんな台詞が出てくるものだわ。あのすけこましはっ」

 

続けて、だいたい本物の天使なんてどこにいるの!?と激しく突っ込みを入れてしまう楯無はどこまでも正しかった。

 

「あいつ、すけこましだったのか……悪いやつ」

「一夏くん、少し黙っててくれるかなぁ!?そろそろ怒るわよ、おねえさん」

 

楯無は頬を引きつらせて言う。それも今まで聞いたこともないような低い声で。それになぜか恐怖を覚えて、一夏は少しずつ後退りをする。

別に一夏に悪気はなかったが、イライラしている楯無にはもうそんなこと関係ない。しかしそんな二人の声も、いまだ見つめ合う二人には届かない。

 

「ああ、世界一可愛い俺の簪よ。次の休みは一緒に家でも見にいこうか。知り合いに不動産屋がいるんだ」

 

この少々行き過ぎた発言には、さすがに年上の余裕を自負する楯無もカチーンと来てしまう。

むしろここまで我慢できたのは、相手が自身も溺愛している簪であればこそ。そうでなければすでに間違いなく発狂している。

別に世界一可愛いの部分は気にしていない。楯無にとっても可愛い可愛い妹なのだから、それはまあ納得もいく。つまり聞き捨てならないのは残りの部分。

 

「お、お、おれ、の、かん、ざし…?」

「くっ、苦しい…!苦しい、です…っ」

「私はまだ言われたことないのにっ!」

 

しかし実の妹相手に直接ムキになどなれない。その代わり、近くにあった襟を掴んで強く絞めつける。だけど楯無にも悪気はないのである。

 

「私の部屋はあるのかしら?私の部屋はっ!?」

「知るわけ、ない、でしょ!?い、息がっ…!」

 

楯無にとって三人での同居に抵抗はないようだ。しかしもちろん恋愛に関しては妹にも譲る気はない。

そうこうしているうちに簪から普段ではとても考えられないような答えが帰ってくる。

 

「ろ、ローン組めるかな?」

「北斗神拳に不可能はない」

 

びっくりするような質問にも、即答できっぱり返事をした。しかし、いったいその知り合いになにをするつもりなのだろうか、この腑抜けた伝承者は。

 

「やっぱり頼りになる…!」

 

もう完全に二人の世界だった。いつもは暴走に驚かされてばかりの簪だが、今日はしっかりと乗っかる。もうそれぐらいにうっとりしているのだ。そしてその年に似合わぬほどに頼りがいもある。

 

「簪は、旅行先はどこがいいかな?」

 

しかし、いつもと若干反応が違うことに気づかぬ桜介はそんな質問をしながら、簪の手を取るとその指を己の人差し指と親指で作った輪っかに通しては、なにやら真剣に考えごとを始めてしまう。

 

「け、けほっ!やめてくださいよ、もう!!それよりあいつ、今度はなんか指のサイズ測ってますけど…」

「一夏くん、後のことは頼んだ。あはは、もうこうなったらあの人を殺して、私も死ぬしかないわよね…」

 

楯無が北斗の男でも地球の裏側まで逃げ出したくなるような重い覚悟を決めた直後、当事者たちの方にも変化があった。もともと変身と変装の違いはともかく、爆発するのと血を吹き出すのに大した違いなどないのだ。何故なら炎が出ないだけで敵はきちんと爆発する。つまり一番の難点である変装にさえ目をつぶればもう百点満点。今さらそれに気づいたのかどうかはしらないが、簪はもう色々と抑えきれなくなって、ついには自分のヒーローにガバッと抱きついてみた。

 

「げふぁっ!?」

 

しかし桜介はその強すぎる刺激に耐えられず、その場にバタンと倒れてしまう。これは何日か中国に行っていたこともあり、ただでさえ久しぶりの接触。そこでいきなりこんな風におもいきり触れあってしまえば、こうなってしまうのはむしろ必然。

しかし後ろに倒れたことで、強く抱きついていた簪もまた、その上に乗っかる形で倒れこんでいた。

 

「あ、あれ…?ど、どうしてっ!?」

 

ここで初めて簪は慌て始める。さっきまでぴんぴんしていたのに、どうかしたんだろうか?もしかして本当は怪我でもしているんじゃ?だって、ヒーローとはそういうものである。

 

「はぁ…。俺にもついに死兆星が…」

 

実はそれどころか、もはや見えてはいけないものまでが見えてしまっている。それでもすっかりテンパっている簪は、なかなかその上からどこうとはしない。

 

「だ、だ、大丈夫!?」

 

それから顔色をよく見ようと胸の辺りに手をついた。その瞬間にウッと呻き声を上げて、下にある無敵なはずの体がその場で大きく跳ねる。

 

「え!?えっ!?ええっ?」

 

いよいよ本気で心配になってきた簪がとった行動。それは頬に手を添えて顔を近づけ、まじまじと覗きこむことだった。

 

「ああ、もうお使いがきたのか…。どうやら天に帰るときがきたようだ」

 

そんなことをしているうちにも、ぐったりしてる体からはどんどんと力が抜けて、すでに意識も朦朧としているようだ。

 

「か、簪ちゃん、も、もうやめてあげて…。それ以上は色々と危険よっ!」

「お姉ちゃん!だってっ、だってっ!」

「大丈夫よ、簪ちゃん。これはただの病気…。病気だから。気にすることないわ」

「で、でも……」

「大丈夫。…大丈夫かしら?でもこれはたぶん、一生治らないわねぇ…」

 

楯無がそう言いながら額に手を当てて、頭が痛いというような仕草を見せる。

治らない病気、つまり不治の病なのになにが大丈夫なんだろう?簪がそう思ってしまうのも無理はない。でもこの姉が大丈夫だというなら、きっと大丈夫なんだろう。さすがは物知りのお姉ちゃんだ。簪はわけがわからぬまま、しかしとりあえず立ち上がり、安心したようにホッと息を吐く。少なくともこれでとりあえず一命は取り留めることが出来たようだ。

 

「桜介くん…。気分はどう?」

「あ、あれ?マイホームは?」

「……夢でも見てたんじゃないかしら……」

「やっぱりね…。あれは夢か。しかし俺は一瞬だが、たしかに天国を見た」

「私は見たくなかったわ、あんな姿…。それにやせ我慢したでしょ?あれは実際ビルから飛び降りたようなものだもの」

 

やっと正気に戻ったものの、いまだ放心状態でボーッと空を見ながら呟く。そして楯無からはどこかトゲのある返答。たしかに実はまだ少しだけ足が痺れているが、さすがによく見ている。

しかしそれになにか返事をすることもなく、桜介はしばらくの間ただ呆然と空を眺めていた。

 

「桜介、大丈夫か…?」

「ああ、意識が揺らいだだけだ。ふ。いくら俺でも、天使の抱擁には敵わんさ」

 

ここでようやく起き上がると、燃えてしまった上着を脱ぎながら一夏の方に向き直る。

すると一夏は少しだけ不安そうな顔をしていた。いくら相手が規格外の怪物とはいえ、一応は変わり者の友人を心配したんだろう。一夏にはそんな優しいところがある。だがそんな心配もぶち壊しにするように、桜介はすっかりいつもの調子に戻っていた。

 

「たしかにお姫様抱っこもいいもんだなぁ。お前が毎日ことあるごとに、誰にでもやりたがるわけだな?」

「ぐっ!や、やってないから……毎日は…」

「相手を変えて、頻繁にやってるのは認めるんだ…。これも病気ね、きっと。同じく一生治らない方の…」

「……気持ち悪い」

 

姉妹に揃ってそう言われると、さすがの一夏も落ち込んでしまう。そして考え込む。いったいなにがいけないんだろう。

だがここで一つだけ学ぶことも出来た。この性格の悪い友人に心配など無用だということを。



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78話

この日は休日。桜介は一人大好きなラーメン屋巡りと趣味の本屋巡りをする予定だった。

一応ネクタイはしているものの、黒い革ジャンと白のワイシャツをラフに着こなし歩くその様はまさしく肩で風を切るという表現がよく似合う。だが今日はその後ろを懸命に追いかける一人の女生徒がいた。

 

「おい、桜介!待てって」

「ついてくるんじゃない」

「ひどすぎるだろ…。たまには付き合ってくれてもいいじゃねーか。一緒にどっかいこうぜ?」

 

ようやく追い付いたその女生徒はIS学園三年生のトップに立つ生徒、ダリルケーシー。中国から帰ってからというもの、顔を見ては付きまとってくることにもううんざりとしていた。

 

「なんで俺が貴重な休日にお前の相手を…」

「だからさ、遊んでくれたっていいだろ?」

 

どこまで歩いても勝手についてくるその様はまるでぶんぶん尻尾を振る懐いた子犬。

今日も玄関を出るところをたまたま見られてしまい、ここまでついてこられている。その遭遇率はこいつ、いつも俺のことを探してるんじゃないのかと疑いたくなるほどだ。

 

「はぁ。じゃあラーメンだけだ。そのかわり飯食ったら帰れよ、お前」

「へっ。やっぱり話がわかるな、桜介は」

 

何故か周りをキョロキョロと警戒してから、しぶしぶ同行を許可する。それでもダリルは嬉しそうにニッコリ笑った。実際のところ、食事のあとの予定は本屋で店員に止められるまでひたすら立ち読みをして回るというもの。相当な読書家以外は楽しくもないだろう。

 

「…わかりたくもないんだがな」

「なんだよ?ツンデレか、おい」

「残念だ。ダリル、いいやつだったよ…」

 

しょうがなく許可を出したというのに、すぐ調子にのるバカはここでお別れだ。もともと男女など問わず、友人や連れと食事に行くぐらいでいちいち躊躇うタイプではない。それでも気にしているのはまた見つかって楯無の機嫌を損ねるのが嫌だから。以前は軽いスキンシップや何気ない言葉ひとつでのぼせ上がっていた女も、最近は学習したのかそう簡単にはいかず、なかなかに手強い。どう考えてもからかいすぎたのが悪いので、これはもう自業自得だった。

 

「うえぇ!?過去系にするなぁ!だからそれは洒落になんないんだってば!!」

「うるさいな、そう簡単にやるわけないだろ。そんな殺し屋じゃあるまいし…」

「いやいや、あんた、伝説の殺し屋じゃん…」

「んだと?どこが殺し屋だ、ぶっ殺すぞ!?」

「そこだよ、そこぉ!」

 

失礼な誤解をされているようだが、職業は拳法家である。しかし最近これと一緒にいると、楯無が本当に嫌そうな顔をして睨んでくる。拗ねたその様子も一見すると可愛いものだが、毎回そこから機嫌とるのが大変なのだ。

もう正直慣れたといえば慣れたが、出来ればやりたくない。それに特技が女のご機嫌とりなど情けないし、冗談にしても笑えないだろう。

 

「実は店はもう決めてある。このあたりにある店が旨いらしくって。一度行ってみたいと思ってたんだよ」

「へえ〜。お前にそんな趣味があったなんて。怖いイメージばっかりだったからさ、なんだか新鮮だな!」

 

ダリルは本当に楽しそうだ。その辺りすごい精神力である。例えばついこないだ閻王と言いふらした腹いせでモヒカン刈りにしようとしたらガチ泣きした。その後、おでこをトンとつついて、お前の命はあと五秒だとカウントダウン付きで脅してやった時には、過呼吸を起こして失禁までしたばかりだというのに。

どれだけいじめられようと次に会うときにはケロッとまるで忘れたようにフレンドリーに接してくる。そんなダリルに最初は呆れていたが、ここまでくると凄まじい根性だ。いったいなにをどうしたら離れていくのか、けして外れぬ呪いの装備にもうお手上げ状態だと言ってもいい。

 

「まったく…。何がそんなに楽しいんだ」

「いいんだよ。それより早くいこうぜ!」

 

そう言って図々しく腕を組んでくる。しかし、それをすぐに払う。エスコートの文化はもちろん知っているが、そんなことを許せばまた調子にのるに違いない。それに万が一見つかったときのリスクも跳ね上がる。たびたび巧妙に後ろをつけられているような気がするのに、チェイシングだけならまだしも、密着マンマークはまずい。その豊かな胸の感触と天秤にかけても、やはり宥めるときの苦労がだいぶ勝る。数分間気持ちがいい代わりに数時間機嫌をとれと?冗談じゃない。

 

「ちっ。けちだなぁ…」

「…黙ってついてこい」

「へいへい、わかりましたよ〜」

 

そして二人並んで街中をラーメン屋台のある路地裏へと向かって歩き出す。

いまさらだがこの二人、揃って長身である。海外のアクション俳優と比べても全く引けをとらない逞しい体つきの男と、欧米人らしいグラマーな体型の女。それに纏う雰囲気もこれでもかと言うほどにワイルド。顔立ちだって二人とも整ってはいるが、キツメの部類には入る。今日のダリルは黒のブルゾンジャケットを着ていて、ともに下はジーンズ。並んで歩くともうどこからどう見ても、よくいる不良カップルにしか見えない。それどころか、もし仮にダリルの腕に赤ん坊がいたとしても、まるっきりなんの違和感もない。

そんなところも楯無が嫌がる原因の一つで。クールでどこかミステリアスな雰囲気を持つ楯無より、どうしてもワイルド系のダリルの方が隣にいても似合ってしまう。というより、見た目だけなら学園の誰よりもよく似合うだろう。

楯無も背は長身とまではいかないものの、わりと高い方であり、二人も充分にお似合いといえる。要はダリルがそれ以上ということ。些細なことでも負けを認めるようで、悔しいから決して口に出したことはない。しかし楯無は結構気にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここだな…。ダシのいい臭いがする」

「本当に臭いだけで見つけやがった、地図も見ずに。やっぱお前の方が、余程犬なんじゃねーのか?」

「そうだよな…。やっぱり駄目犬には一度厳しい再教育が必要だよな。なあ、お前もそう思うだろ?」

「ちょ、ま、待てっ、待ってぇ!それは、だめだよっ、早まるなぁ、もう入ろ?入ろうよぉ!!」

 

路地裏の屋台の前でそんなやり取りもあったが、外まで通ってくるそのいい臭いに、桜介はなんとかしつけを思いとどまって暖簾をくぐる。

そして、二人は指定された席に並んで座った。

 

「親父、ラーメン!」

「じゃあオレはチャーシュー麺を」

「あいよ!」

 

元気のいい返事をするラーメン屋台の中年店主。これはもう間違いないだろう。見るからに職人気質の主人に、その期待値はさらに跳ね上がる。

 

「ああ…。楽しみだな、おい!」

「本当にキャラ変わりすぎだろ…。なんなんだ、そのテンションは?どんだけ好きなんだよ…」

「うまいんだよ、お前も食えばわかるって!ほらほら、もうすぐくるぞ?」

 

そんな話をしてるうちに、カウンター越しに丼が二つ出された。

その透き通るようスープや、香ばしい醤油の臭いに、桜介はもう当然のごとくウキウキである。

 

「んふふ~♪いただきまーす!」

 

桜介は鼻歌混じりに丼に箸を突っ込もうとするが、突然屋台に黒塗りの車が突っ込んできた。

 

「ん?」

「ぎゃああ!?あっちいぃ!!」

 

桜介はそれに驚いて、丼を隣のダリルの頭へと綺麗にぶちまけてしまう。

屋台を通りすぎた車の方へと視線を向けると、他の車がそこに衝突するように止まっていた。

そのあとも次々と車が止まり、中からは銃を持った黒服の男たちがどんどん降りてくる。

 

「どっかの組織同士の抗争だろ…。巻き込まれても面倒だな。しゃあねぇ、もういこうぜ?」

「ふざけんなよ、あいつら。人の飯を…!!」

 

ダリルがやれやれといった具合に声をかけるが、その時にはもう桜介は完全にきれていた。

鬼の形相を浮かべて、まっすぐに車が止まっている方へとすごい勢いで走りだす。

 

「なんだ?こいつ!」

「ガキが邪魔すんじゃねえ!」

 

左手の指にタバコを四本挟んで一気に吸いながら、まずは二人の頭部に肘打ち、そのままもう一人にはストレート、その隣の男にはフックを打ち込む。

 

「邪魔したのは、てめーらだろうが!」

 

そう叫びながら、今度は右手の指に挟んだ四本のタバコをまとめて吹かす。

そして右足で目の前の男の腹に蹴りを、そのまま隣の男の顔面に後ろ回し蹴りを放つと、そのあとも手当たり次第に周りの人間を殴りまくる。

 

「なにいってんだ、このガキは!?」

「あ、頭おかしいぞ、こいつっ!?」

 

次に殴りかかってくる男にはカウンターでアッパーを、掴んでくる相手はそのまま投げ飛ばし、その二人は何メートルもぶっ飛んだ。

 

「しらばっくれてんじゃねぇ、くそども!ラーメン返せよ、俺のラーメン!!」

 

当然これぐらいでは怒りは到底収まらない。

もう遠慮なしに銃をぶっぱなしてくるので、タバコをまた四本咥えて火をつけ、銃弾をしゃがんでかわしながら凪ぎ払うようなローキックで二人同時に地面に倒す。

すぐにジャンプしてそれを踏みつけると、ついでに後ろの二人には裏拳を叩き込んだ。

 

「つええぞ!?このガキ…!」

「なにもんだ、このガキ!?」

「ガキはママに小遣いでも貰ってろ!」

 

後ろから複数人に銃撃を放たれる。それに気づくと残りの八本を全部咥えて高く高く飛ぶ。

 

「小遣い…。小遣いだと?」

 

器用に空中で火をつけて一口で根本まで吸いきると、後方宙返りから横に強烈な蹴りを振り切り、まとめて派手にぶっ飛ばす。

 

「おい、お前。小遣いに文句あんのか?俺が小遣いもらってたら、そんなにおかしいのかよぉ!」

 

桜介は一人だけ残った男の胸ぐらを掴んで、強引に持ち上げる。そのまま顔を近づけ、有無を言わさぬ強い視線でギロッとキツく睨み付けた。

 

「とりあえずラーメン代とタバコ代だ。しっかり弁償しろ、このやろう!」

「な、なんで?なんで、たばこ?た…たばこは関係ないだろ、たばこはぁ!?」

「全部吸っちまった。それもお前らのせいだろ。おかげでこっちはまたシケモクだよ、おい!!」

 

そんなことを言ってる間にも、強く締め付けたせいで男は気絶してしまう。

そこにようやく巻き添えを避けて、離れたまま様子を見ていたダリルが駆け寄ってくる。

 

「な、なあ。そろそろ許してやれって!こいつらもう意識ないだろ。これ以上は死んじまう…」

「こいつらも俺のラーメンを殺したろ」

「殺したってそんな生き物みたいに…」

「悪党どもの命と、俺のラーメンの命。重みは比べるまでもねーよな。起きろや、こら」

「だから蹴るなぁ!死んじまうだろ、こんな街中で」

「なんだ、お前。敵は殺せと教わらなかったのか?」

「教わったよ!?でもこいつら別にお前の敵じゃないだろ!手にかけたら後々面倒なことに…」

「そうか。じゃあもういっそのこと組織ごと潰しちまおう。おら、起きろ。アジトはどこだ?」

「た、たかがラーメンをこぼされたぐらいで!?お前まじでたち悪すぎだろ!!」

「……たかが?ぐらい??さっきから聞いてればしょせん他人事だと思って!お前…ちょっとこっちこい」

「ちょっ、おい、ばか、だめ、やだ、やめて!ラーメンは奢る、タバコも分ける、分けてあげるからぁ!」

 

自分にも飛び火したことで、慌てたダリルがなんとか諌めようとする。しかしそれぐらいで止まるはずがない。ここでチョイスしたのは、なんと掟破りのチョークスリーパーだ。

 

「なにが、はい。今月のお小遣いよ、だ。そんなの親にももらったことねーぞ、俺は…」

「うぐっ!?」

 

ダリルは当然もがくが、後ろから太い腕を食い込ませてがっちり締め上げる。ここまで怒っているのは、やはり学園祭から始まったお小遣い制が大きい。盛大に無駄遣いしようとしたせいで、見かねた楯無が唐突に管理するなど言い出した。それもよりによって母親の前で。

そして案の定、同じく見かねていた母は二つ返事でそれを了承してしまう。

 

「当たり前だが、俺は独り身なんだよな。普通こんなのってありえねーだろうが…」

「げえっ!?」

 

楯無だけならいくらでも言いくるめられる。しかしそうなるともう逆らえるはずもない。もともと再会したばかりの母には滅法弱いのだ。

 

「くそ…。あいつ、いったいなんの権利があって…」

「くはっ…!!」

 

試しに一度返せと言ってみたときはその場で親に電話されそうになった。だからもう諦めるしかないのはわかっている。たしかに自分もまだ学生の身。悔しいが、親であればその権利もあるのだろう。

そして当たり前のように心を読んでくる母に、言い訳や嘘の類いは一切通用しないのだ。

 

「あ〜。ムシャクシャする。とりあえず殺しとくか」

「やっ、やめでぇ…」

 

もがく、もがく。愚痴をこぼしながら八つ当たりをしてしまったが、さすがにこれ以上やったら泣いてしまう。熱くなりやすい性格も裏目に出てしまった自覚があるので、ここらで離してやることにした。

 

「はぁ…はあ…。おいぃぃ!オレが逆らえないからってなにしてもいいと思ってんのかよぉ!!」

「んー?ははは、わるいわるい!せっかくだしさ、レインちゃんもついでに死んどくかなって♪」

 

基本的に悪人にはなにしてもいいと思っているのも事実。これぞ北斗神拳伝承者の鏡といえるだろう。

 

「ひぐっ、レインちゃんって、言うな…っ」

 

ほんの軽いアメリカンジョークのつもりだったが、どうやら結局泣かせてしまったらしい。どうしようかと思っていると、ちょうどよくポケットの携帯が鳴る。

 

「今度の土日?通訳の仕事だって?もちろんやる。うん、給料なんていくらでもいい。ただし、振り込みより現金で…」

 

連絡は昔から付き合いのある人物からだった。いくらお金に関心がないとはいえ、取り上げられて初めてわかるありがたみ。ないよりはあったほうがいいのだろう、そう思ってしまった。結局煙草のない外出など考えられず、今日のところはラーメンだけ奢ってもらい、そのまままっすぐ寮へ帰ることにした。



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79話

ただお土産を配るだけの話


ラーメンを食べて寮に帰ると、受付に自分宛の荷物が来ていた。それは帰り際、潘に頼んでいた上海のお土産。

そしていくつかある箱の中でも、発泡スチロールの箱の中からは、なにかがガサガサと動いている音が聞こえてくる。

 

(お~♪活きがいいねぇ。季節的にまだ少し早いのに、よく見つかったな…)

 

それをまとめて自分の部屋へと運ぶ。

しかし途中で中身をチラッと見たところ、思っていたよりも数が多い。

いや少し多すぎると言ってもいいだろう。

もともと千冬に頼まれていたものとはいえ、とても自分と千冬だけで食べきれる量ではなかった。

 

「潘のやつ……なに考えてんだ」

 

そう一人呟いてから桜介は、とりあえずお土産を適当に配ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

「霞です」

 

名前を名乗り、コンコンとドアをノックする。

桜介がまず最初にやって来たのは千冬の部屋だった。

 

「どうした?」

「お土産届いたから持ってきたんだ」

「そうか、今いく」

 

すぐに部屋の中から返事が聞こえてきて、それから少しするとドアが開いた。

 

「よく来たな。実は少しだけな、楽しみにしていたんだよ」

「ほら、これ。ちょっと多いからさ、一夏にでも調理してもらって一緒に食べるといい」

 

差し出したのは、もちろん上海蟹が入った箱。

たくさん届いたそれを大雑把に、だいたい二人でなんとか食べきれるぐらいの量に分けたものだ。

 

「ふ…。わるいな、いくらだった?」

「金はいいって。どうせ貰い物だ」

「そうか…。まあとりあえず入れ」

 

お礼を言われた桜介は人懐っこい笑顔を浮かべ、招かれるがままに部屋に入り、ソファに座った。

千冬も冷蔵庫からビールの缶を二つ取り出してから、それを目の前のテーブルに置いて隣に座る。

 

「嬉しいね。…つまみはこれでいいか」

 

持ってきた袋から、これまたお土産の一つである五香豆を取り出して封を開ける。五香豆とは簡単に言えば油でいったソラマメを乾燥させてスパイスをかけたものである。

 

「気が利くな。それにしてもツマミのチョイスが渋いんだよ、お前。本当に高校生か?」

「ふっ。まあ、名物だからねぇ」

 

そんな話をしている間にも箱からの中では、蟹がガサガサと元気に動いていた。

 

「なあ、これ生きてるんじゃないのか?」

「その方がな、ウマイんだよ。死んだのなんて食えたもんじゃない」

 

千冬の問いにきっぱりと答えた。

活きがいい方がうまいに決まっている。

料理には詳しくない千冬も、どうやらその説明には納得したようだ。

すぐにニッと少し意地の悪い笑顔を浮かべて、桜介の肩をポンと叩いた。

 

「それでどうだった、更識姉との旅行は?」

「だから旅行じゃねぇって」

「だがお前は帰ってきてから、ずいぶんとすっきりした顔をしているぞ」

 

千冬がビールの缶を開けてそのまま口をつけた。

しかしグイグイと突っ込んでくるその気さくな態度で、桜介はすぐに気づいてしまう。

この先生、さてはくる前から飲んでたなと…。

確かに今はもう夕食前の時間、そして今日は休日。未成年なのに飲んでいる自分がおかしいのであって、いい大人である千冬がすでに晩酌を始めていても、なにも不思議はなかった。

 

「一つ、いいことがあった。それだけだ」

 

もともとあまりベラベラと、人にそういう話をするタイプではない。

簡単に一言で済ませて、桜介も自分の分のビールを開けると、すっかり慣れた様子でそれをグイっと煽った。

 

「ほう、それはよかったな」

「まあ結果的には、よかったのかもね…」

「しかし、普通の女と付き合うよりもずっと大変だろう。あそこはそういう家で、あいつはそういう立場だよ」

 

一言で済ませようとしたその目論見は、あっさりと失敗に終わった。

相変わらず遠慮なしに突っ込んでくる担任に、困り果てて仕方なしに口を開く。

 

「しょうがないだろ……惚れているんだから」

 

にこりと本当に困ったように笑いながら、それでもどこか嬉しそうにそう答えた。

 

「愚問だったな。だがその台詞、お前に惚れている女子が聞いたら悶絶するぞ。特に更識姉は確実に卒倒する」

「……勘弁してくれ」

 

意地悪な笑みを浮かべ楽しそうな千冬に、桜介はもう苦笑いするしかない。何が悲しくて教師と恋愛談義なぞしなければならないのだろうか。そんなことをするぐらいなら武に生きるものとして戦い方の指導、特にISの操縦について講義でも受けた方がよほど有意義だ。

 

「私も九年前だったら…」

「おいおい、さりげなくカウントダウンをするんじゃない」

 

からかわれているのはわかっているので、そうはさせないと、すかさず突っ込みを入れる。

 

「いいだろ、ノリが悪いぞ。私の学生時代には釣り合うような骨のある男がいなくってな」

「いやいや、よくないだろ」

「なあ。お前なら自分よりも遥かに強い女を、心の底から愛せる自信はあるか?」

「そんなの気にするはずもない」

 

千冬のおふざけに、またしても律儀に突っ込む。桜介とて芯の強い女が好きなのであって、物理的な強さはまったく関係ないのだ。

 

「それはお前だから言えるんだよ!普通はどこかで気後れするんだ!!」

 

だんだん酒癖が悪くなって来てないか、この人。ドンと缶をテーブルに叩きつけた担任を見て、正直そう思ってしまう。

 

「だが女の方が強い、今はそういう時代だ。そんなの平気な男ばかりだろ。気にする方が珍しいんだよ…」

「ばかもの。私がそんな男に惚れると思うか」

 

バツが悪そうな顔をして、ふ、と少しだけ残念そうに微笑む千冬。思いもよらぬ発言に、桜介は目を見開いた。

 

「そんなこと気にするんだな、あんた」

「気にするさ。私だって女なんだから」

 

千冬はそう言って残りのビールを煽り、空になった缶をテーブルに置く。

それは最強の女であるが故の小さな悩み。しかしそんならしくない愚痴を聞かされては、あんた普段そういうキャラじゃないだろ。と心の中で愚痴を返すしかない。

この表向き厳しい先生だが、二人だけのときには意外とこういうことも言うのだ。特に酒が入ったとき、それは顕著になっていた。

それにしてももったいない。性格も男前で話も合う。この人の影響もあり、将来は教師になろうかと本気で考え始めたぐらいだ。もし仮に自分が女だったら、惚れていたかもしれない。もしくは玉玲や楯無に出会わず、同年代で同じ時を過ごしていたら、もしかしたら。なんて柄にもなく、絶対にありえぬことをほんの少しだけ想像してしまう。

 

「惜しいな。俺に相手がいなければ、もらってやってもよかったのに」

「アホ、私はガキには興味ないんだ。いや待てよ、あと八年ほど寝かせれば角がとれて丁度いい具合に…」

「そ、そんなウイスキーじゃあるまいし…。はっきり言ってそういうところだぞ?」

 

あまりの発言に桜介も珍しく怯んでしまう。あんた、色々と男前過ぎるんだよ、とまごうことなき快男児にそう思わせてしまうほどの女傑っぷり。織斑千冬とはそういう女だった。

 

「しかし、クソガキも恋をすれば立派になるもんだ。相手がいなければと、そうきたか」

「……もうそのへんにしといてくれ。それにまだ気持ちもちゃんと伝えていないし……」

「なに、そうなのか?じゃあ私が先に聞いてしまったわけだ。ふっ、そうか。それは悪いことをしたな」

「何回か言おうと思った…。しかしな、俺はこんな男だし、それに今さらそういうのが照れ臭くてさ」

 

ポリポリと頭を掻きながら、桜介も残りのビールを一気に飲み干す。告白、ずっと戦いに明け暮れていた男にとってそのハードルは思いの外高い。だいいち玉玲とは自然とそういう関係になっていた。当然告白なんてものしたことがない。だからと言ってまた自然にというのも無理だろう。そうなるには今までに色々とからかいすぎている。今から気づいたらそんな雰囲気に、なんてなれるはずもない。むしろ突然そんなに態度を変えたら、急におかしくなったと逆に心配されてしまうだろう。それに先にはっきりと告白された以上、こちらもきちんと気持ちを伝えるのが礼儀というものである。それはしっかりわかっているが、不器用ゆえになかなか上手くいかない。

 

「意外とヘタレだな、お前。そんなに男らしい顔をして…。それじゃせっかくの男前が台無しだぞ」

 

千冬にも残念なものを見るような目でそう言われてしまう。女の強さを知って、この女なら大丈夫だと思ったところで、幸せにする自信がないのだから、仕方がない。何年も前から宿命のために生きると決めている。そして命を投げ出さねば戦えぬ相手がいる。これからもきっと悲しませることだってあるだろう。そう考えたら、どうしたって躊躇してしまう。

 

「ほっとけ…。顔は関係ないしな。さてともう飲み終わったし、千冬ちゃんがいじめるからもう行くよ。ご馳走さん!」

 

ここでさらりと挨拶をして、立ち去ろうとする。もともとこんな話をするのは本意ではないし、土産は持ってきても、土産話は持ってきていない。しかもそれを酒の肴にされているのだから、早めに帰ろうと思うのも当然だった。

 

「おい、何度言えばわかるんだ?千冬ちゃんと言うなと言っているだろう」

 

しかし立ち上がる前に呼び止められてしまい、簡単にそうさせてはもらえなかった。

これはめげない桜介にも原因はあるだろう。桜介にとって、なんと言われようとも千冬ちゃんは千冬ちゃんなのである。

 

「なんだよ、俺と千冬ちゃんの仲だろう」

「なにが俺と千冬ちゃんだ。お前とそんな関係になった覚えはない」

 

気安く肩を組もうとするが、その手をぺちんと払われてしまう。確かに桜介にもそんな覚えはないかもしれない。しかしその方が呼びやすいし、しっくりくるんだから仕方がない。だから簡単には諦めず、勇敢にももう一度肩を組んでみる。

 

「ねえ、そんなに怒んなくてもいいじゃない」

「まったく、馴れ馴れしい男だな。本当に…」

 

今度は払われなかったものの、先程までとても楽しそうだった千冬が今は軽く睨んできている。もしこれが普通の生徒なら、萎縮してしまってもなんらおかしくはないだろう。しかし相手は普通の生徒ではない。数多の修羅場を潜り抜けてきた、自由奔放にして剛胆無比な漢なのだ。

 

「ひどいねぇ〜。あんたも酔っ払ってよくやるだろ、これぐらい。この間も…」

「知らん、もう覚えていない。だいたい男の癖に過去のことをグダグダ言うな」

 

こんなところでも女尊男卑の文化はしっかりと根付いているようだ。そして都合の悪いことは忘れた、これも酒飲みの常套句である。しかし、教師としてはいかがなものだろうか。

この教師、いつまでだって飲み続けられるイメージ通りの酒豪だが、飲めば飲むほど酒癖が悪くなる。肩を組まれたり背中を叩かれたりの軽いスキンシップを含めた絡み酒から始まり、軽くふらふらしてたので思わず腰に手を回してしまい、おもいきり殴られてノックアウトされたときなんて、こんなの自分じゃなかったらよくて大怪我、それどころか下手したら…。ボディタッチすら命懸けでは貰い手など夢のまた夢。なんて失礼なことを思わずにはいられなかったほど。

 

「あっ、そう。そんなことをいうわけ?」

「当たり前だ。言うに決まっているだろ」

 

そうか、そういうことなら仕方ないだろう。桜介は残念そうにため息を吐いて、持ってきていた袋から箱を取り出した。

 

「じゃあついでに渡そうと思ってた紹興酒。これは俺が一人で飲むとしよう。もらったんだけど、これなかなか手に入らなくてさ、蟹の味噌ともよく合うんだ」

 

最後にそれじゃあ失礼します。それだけ言い、軽く頭を下げてから取り出した箱を仕舞う。

そして桜介は立ち上がろうとするが、何故か隣からガッと肩を掴まれてしまう。

 

「……ちょっと待て」

「織斑先生、どうかされましたか?」

「それは私に持ってきたんだろう?」

 

まさにその通り、その通りである。上海蟹と一緒に送られてきたそれは桜介もお気に入りの紹興酒。ちょうど二本貰ったので、せっかくだから一本は先生に差し上げようとここまで持ってきたのだ。しかし今となってはもう少し事情が違う。

 

「もう忘れましたよ。だいたいそういうの馴れ馴れしいんじゃないですか?私は織斑先生とはそんな関係ではないので」

「くっ、本当にこのガキは…!」

 

生徒の子供じみた仕返しに、千冬は唇を噛み締めながら、今度はしっかりとその生徒をキツく睨み付けた。

教師としてこの生徒に罰を与えることは簡単だ。この男は飲酒に喫煙など、本当にやりたい放題にやっているのだから。

だが仮にこの男をしばらく謹慎させたとしよう。「最近なかなか読書の時間が取れなくって、読む本がいっぱい貯まってたんだよね!」とかなんとか言われてお礼をされるに違いない。じゃあ退学にさせたとしよう。そうすればこいつは逆に喜んで、次の日には嬉しそうに旅にでも出るんだろう。もともと廊下に立たせても、気づいたら部屋に帰って寝ているような男なのだ。千冬にはその姿が簡単に想像できてしまう。

 

「ビールじゃねえんだよなぁ、上海蟹には…」

 

その言葉に反応して、更に千冬の目力が増した。こう見えても普段はわりと穏やかな男だ。このようにふざけることはあっても、なにもなければ自分から積極的にトラブルを起こそうというタイプでもない。しかし喧嘩でも売られれば、間違いなく買う。もし襲われでもすれば、迷わず全員始末するだろう。ついでにラーメンでもこぼされれば、もうすぐさま大暴れだ。こんな男を外に追い出すのは、街中に爆弾を放り出すのとなんら変わらぬ危険行為。

 

「まあ味わってみないとわからないだろうねぇ、あのマリアージュは」

 

酒好きの心をくすぐるような台詞とそのしたり顔があまりにも憎たらしい。もう世間に迷惑をかけようがぶん殴って退学にしてやろうかと一瞬思った。しかしそんなことはないと思いたいが、下手したらどこかの生徒会長まで一緒に着いていくとか、バカなことを言い出しかねないとすぐに考え直す。

あれはあれで責任感の強い女だが、これに対する執着心もまたものすごく強い。

 

「これだけ寝かせたものはさ、中国にだってそうそうないと思うよ?これって向こうでもお祝いで飲むようなやつだし」

 

紹興酒にはあまり詳しくないが、どうやらビンテージ品のようだ。そこまで言われたら、もう是が非でも飲みたくなるのが酒飲みというものだが、所詮は貰い物だろうになんでこいつがそんなに偉そうなんだ?そう考えたら余計に腹が立ってくる。そして千冬が次に思い付いたのは、力ずくで没収するといういたってシンプルであり、己が最も得意とする方法。

しかしそれをしようとすれば、間違いなく無駄な死闘になるだろう。いや、得物を持っていない以上はっきりいって分が悪い。果たしてそこまでもっていけるのだろうか。その力にものを言わせる方法を得意としているのは、己だけでないのだ。相手もまた得意中の得意。しかも自分とは違い、素手で戦うことを生業としているその道のエキスパート、いわゆる素手喧嘩(ステゴロ)の達人である。仮に身体能力で引けを取らなかったと仮定しても、技術では向こうに二千年の途方も無いアドバンテージがあるのだ。この体勢で後ろから不意打ちの手刀を放っても、確実に反応をしてくるはず。そう思ったときにはもう、千冬はそれを行動に移していた。

 

「片手で止めるか、想像以上だな…」

 

これが全力というわけでもないが、けして手を抜いたわけでもない。つい試してみたくなってしまった。こんなのでも一応は生徒。普段ならこんなことはしないと言い切れる。しかし何故か興味が湧いた。もしかしたら、この男にはそう思わせるなにか不思議な力があるのかもしれない。あえて理由つけるとするなら、まあそんなところだろう。

 

「いえいえ、それほどでも」 

 

目にも留まらぬそれを掴んだ男はいつも通り憎らしいほどに飄々している。ここから本格的に始めれば、この部屋も早々に廃墟と化してしまうだろう。ただでさえ風呂上がり、すでにアルコールも入っている。その後片付けも含めて、考えれば考えるほどここでやり合うのは気が重い。片付けなどというものは苦手なのだ。だからといって今からわざわざ着替えて道場に、なんていうのはもちろん論外である。しかもこちらから仕掛けたことで、相手は見るからに嬉しそうである。隠しているつもりだろうが、あんまり教師をなめるんじゃない。そんなのとっくにバレバレだ。

 

「それよりもう決めちゃってよ、どうすんの?」

 

思わず立ち上がりかけた自分を必死に戒める。よく考えてみればことあるごとに戦いたがっていた男にとって、実力行使という選択肢はむしろ最高のご褒美。こんなにむかつくのに、なぜ自分からそんなものをあげなければならないのだ。

しかし奔放すぎるところは致命的だが、基本的にはいい男。ちょくちょくどこからかもらった酒もお裾分けしてくれる。高い酒だろうと惜しむことなく、時には一本を二人で分けあったこともある。さすがに悪いと思ってお前の分は足りるのかと聞いてみたところ。

 

『ん?たしかに一人で飲む酒もいいが、二人で飲んだ方がずっと旨い』

 

一丁前にもそんなことを言っていたのを思い出す。それにしても、毎回毎回どこからこんなに貰ってくるんだ、この人たらしは。その時はそんなことを考えながらも、久しぶりにどこか心が暖かくなるのを感じたものだ。本当に気持ちのいい男だな、と思った。あと何年か若かったら、不覚にもときめいていたかもしれない。いいんじゃないか、名前ぐらい好きに呼ばせてやれば。私は大人なんだから!と、頑張って自分に言い聞かせる。心の中ではそんな葛藤をしながら目の前の男を黙って睨み付けていた。

しばらく桜介がそれを涼しい顔で眺めていると、やがて千冬は忌々しげに呟いた。

 

「……許可してやる」

「はて?なんの許可でしょう??」

「……それを私に言わせるのか?」

 

どうしても自分の口から千冬ちゃんと言わせたいらしい。この男、とんでもない性格の悪さだ。表の世界の最強と呼ばれている女と、裏の世界ですでに最強と呼ばれている男が、呼び名と一本の酒を巡ってバチバチと主導権を奪い合う。

しかし女の方が歯をギリギリ軋ませて、本当にきつくきつく睨んでくるので、すでにある程度満足していた男はあっさりここで降りることにした。

 

「冗談だよ。俺が千冬ちゃんにさ、そんなことさせるはずないだろ?」

「……他の生徒がいるところでは呼ぶなよ」

「ああ、わかってるよ。じゃあな、千冬ちゃん。その蟹は適当に調理しても充分旨いが、おすすめは姿蒸しだ。一夏にもそう伝えておいてくれ」

 

持ってきていた紹興酒をテーブルに残して、ふんふんと鼻唄を歌いながら去っていくその背中に、お前このままだとろくな大人にならないぞ、千冬は呆れたようにそんな言葉を漏らした。



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80話

またお土産配るだけの話


「霞桜介だ」

 

前回に引き続き名前を名乗り、部屋のドアをコンコンとノックする。

桜介が千冬のところを出て、次にやって来たのは鈴の部屋だった。

楯無や簪に食べさせる分を考えても、蟹はまだまだ残っているのだ。

 

「桜介?どうしたのよ?」

 

ノックをするとすぐに部屋から出てきて、鈴が怪訝そうな顔で出迎えた。

 

「ほら、おれまた中国行ってきただろ?今日はそのお土産を持ってきたんだよ」

 

持ってきた箱を見せながら、簡単に説明をする。

 

「そうなんだ。それでなによ、これ?」

「上海蟹。まだ生きてるんだ」

「えっ!?高級食材じゃないの!」

 

鈴はさすがにびっくりしたようだが、目をキラキラとさせている。

単純に中国の食材だから鈴のところにも持ってきたが、少なくとも嫌いではないようだ。

 

「俺の友達が送ってきたんだよ。だが数が多すぎて食いきれない。良かったらもらってくれ」

「じゃあもらうわね。それとあんた、いいところにきたわ。ちょっとあがってきなさい」

 

鈴の反応に満足した桜介は箱を渡して帰ろうとするが、またしても部屋に招待を受けてしまう。

別に予定があるわけではないが、桜介としては出来れば蟹と一緒に送られてきたキューバ産の葉巻を、早く吸いたかったのである。

 

「なんで?」

「いいから早く入りなさいよ」

 

こいつって結構強引だよな、なんて自分のことを棚にあげてそう思ったが、友人の誘いを煙草が吸いたいからで断るほど、桜介は付き合いが悪い方ではない。

結局鈴に言われるがままに、少しだけ部屋にお邪魔することにした。

 

「あ、こんにちわ。霞です」

「う、うそ!?霞くん!?ど、どうしたの?」

 

部屋に入るとルームメートがいたので、桜介はとりあえず簡単な挨拶をする。

鈴はそれを横目で見ながら、ちょっと待ってなさい、と一声かけてすぐにキッチンへと向かった。

 

「お土産渡して帰るつもりだったんだけどさあ。なんか鈴のやつがあがってけって」

「そ、そうなんだ……。まあとりあえず、座って、座って!」

 

鈴のルームメートは金髪碧眼の少女だった。

その金髪をリボンで結わえた巨乳の少女は、鈴の代わりに桜介をソファへと案内してくれた。

 

「悪いねぇ…」

「いいって、いいって!まあゆっくりしてってよ。あ、霞くんお菓子食べる?」

「う~ん、今はいいや。それよりなんかさあ、キッチンから、いい臭いがするんだよねぇ」

 

いつの間にか隣に座ってポテチの袋を差し出してきた少女の誘いを断り、桜介はくんくんと鼻を鳴らして、キッチンの方へと目を向けた。

鍋を使ってなにやら料理をしているようだ。

 

「織斑くんの誕生日が近いみたいでさ、鈴はラーメン作ってあげるんだって。それで最近練習してるみたいよ」

「なんだと……!?」

 

ラーメン、その言葉には当然敏感に反応する。

鼻をさらにくんくんさせ、口の中ではあっという間に唾液が分泌されていた。

 

「よし、俺が試食してあげよう」

「そのつもりなんじゃないの?それにしても霞くんがラーメン好きなのって、本当なんだね!いつも食堂で夢中で啜っているという噂だけど」

 

ニコニコと笑う少女だが、一方の桜介はそれに複雑なそうな表情を浮かべている。好物を隠すつもりもさらさらないが、別になに食ったっていいだろう。

なんでそんなことがいちいち噂になるのか。それに夢中になっているところを見られているのも、正直言えば少し恥ずかしい。だからさりげなく話題を変えることにした。

 

「しかし鈴はさ、偉いよな…。今も一人の男のために、一生懸命練習してるんだから」

「まあ本人はそれをなかなか素直には、認めないんだけどね……」

「それもまたいい。そこがあいつの可愛いところじゃないか」

 

鈴のそういう意外と健気なところは、知り合ったころの酢豚の時から感心していた。

素直になれないのはまあご愛嬌、むしろ可愛げあると言えなくもないだろう。

少女は一瞬だけきょとんとしたあと、やたらと喜色満面の笑顔を浮かべた。

 

「やっぱり大人ね、霞くんは!織斑くんも格好いいと思うけど、私は断然霞くん派だからね!」

 

本来バランスのとれたイケメンである一夏も、これが隣にいれば自然と可愛い系の部類に入ってしまう。そこで自然と好みが別れるのも無理はないだろう。それに海外、特に欧米では筋骨隆々としたマッチョな男性が好まれるのは周知の事実。むしろ第一条件であり、加えて髭が似合うようなダンディなタイプがとても人気である。

 

「そうかな?照れちゃうね、そういうの」

 

実際には照れたわけでもなんでもなく、もちろん口だけの言葉だった。

そういう風に持て囃されるのは正直苦手だし、それより気になるのは当然麺類の方。よってラーメン楽しみだなと思いながら、いつものように適当に答えただけのこと。

 

「か、可愛いじゃない…。クールな男の子が、そういうの見せるのは、ずるいわね…!」

 

なにがだよ、なにがずるいんだよと、本当は派手に突っ込みを入れてやりたかった。実際、相手が気心知れた仲なら頭に軽くチョップでもいれたことだろう。

でもこの子は初対面、だからここは我慢だ。桜介は苦笑いを浮かべて、なんとか返事を返す。

 

「可愛くないだろ。君の方がさ、よっぽど可愛いんじゃないかな」

「そ、そうかな……」

 

とっさに返した言葉で、頬を染めて俯く少女。それからもじもじしだしたのを見て、余計に早く帰りたくなる。

 

(男より可愛いと言っただけだ。胸はこんなに目立ちたがりなのに、内面は恥ずかしがり屋さんとは)

 

どうやら言い方が悪かったようだ。ここはラーメンだけ食ってとっとと失礼するとしよう、そう今心に決めた。

そしてその思いは、すぐに実ることになる。

 

「桜介、本当にいい加減にしなさいよ!なんであんたは初対面だと、毎回そんな感じなのよ!?」

「鈴、それは……?」

「ラーメンよ、あんたの好きなラーメン!悔しいけど、やっぱりラーメンと言えばあんただし…」

「ふ…。よくわかってるじゃないの!」

 

助かった、だがそれはおくびにも出さず、ラーメンを持ってきた鈴へと余裕のどや顔を向ける。

鈴の言いたいことはなんとなくわかる。猫被ってんじゃねーぞ、こら!ということだろう。

だからと言って、知らない女子相手にいきなりくだけきった態度でおちょくるのも、それはそれでいかかなものか。

 

(ふざけてて怒られるならまだしも、真面目にしてても怒られるって…)

 

そう思わないでもなかったが、口には出さずにその話はさらりと流すことにした。

しかしスルーされた鈴も、あの飲み会のときの怒りがまだ完全には収まっていない。

 

「こいつだけはやめときなさい。手に負える相手じゃないから。楯無さんが泣かされてるのよ?」

「そんなことないでしょ。落ち着いてて素敵だわ。それにこう見えても可愛いのよ、霞くんは」

「落ち着いてる?可愛い?誰がよ!?それにこいつ、なんにも考えてないわ」

 

二人の話を聞きながら、失礼だなと内心で思いつつも、目の前のラーメンをおもいっきり啜る。手作りとはとても思えないクオリティーだ。さすが元中華料理屋の娘だけのことはある。

 

「しかも霞くんは強いんでしょ、ものすごく」

「それが余計にたちが悪いんじゃない!」

「なんで?強い方がいいじゃない、男の子は」

 

麺はしっかりと歯応えがあって、ぷりんぷりんした縮れ麺。スープも鶏ガラのダシがきちんと効いている。

それから麺とスープだけではなく、具にも全く手を抜いていない。

 

「いいとこしか見てないからでしょ!こいつが本当にそんなやつなら、今頃みんな惚れてるわね」

「そうなの?でも霞くんは近くで見るとまさに男って感じよね。それに見なさいよ、あの体を!」

「だからそれに騙されるんでしょうが!そもそも鍛えすぎなのよ、実際はただの巨乳好きだわ!」

「そ、そうなんだ…。でもそれなら私だって、それなりにはね…」

 

チャーシューは崩れない程度にとろとろだ。少し味が濃いめなので、あっさりしたスープとの相性もいい。

そしてノリとメンマがいいアクセントになっている。

個人でよくぞここまでと本当に感心しながら、ひたすらに食べていく。

これが本日二杯目のラーメンだろうと、桜介にはそんなもの全く関係なかった。

 

「ぐぬぬ!とにかくムッツリスケベの変態なのよっ、桜介は!!」

「誰がムッツリの変態だ。あと一夏だって対して考えてないだろ。それに騙した覚えもないし」

「あ、あんた、い、いつの間に!しかももう食べ終わってるじゃない!」

 

やっと自分の方を振り向いて、もうスープまで飲み干していることに驚く鈴。

そんな鈴に桜介はすぐさま立ち上がって、ラーメンの率直な感想を言う。

 

「鈴、毎日俺のラーメンを作ってくれ」

「死ね!」

「残念だよ。このままでも店で通用する、それぐらい旨かった。ごちそうさん」

「味の感想がろくにないじゃない。ま、まさか、あんた、ラーメンならなんでも旨いんじゃ……」

 

そんな鈴の呟きは聞き流して、くるりと背中を向け、右手を上げて部屋を出る。

帰り際にも手を振っていた少女、そういえば名前を聞いていなかった。

桜介はそのことを一瞬だけ考えたが、まあいいかとすぐに考えるのをやめた。



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81話

またまたお土産を配る話です


「桜介だけど」

 

前回や前々回に引き続き名前を名乗り、部屋のドアを軽くノックする。鈴の次に訪ねたのはクラスで一番仲良くしているセシリアの部屋だった。

 

「お、桜介さん!?」

 

すぐに部屋の中から、少し慌てたようなセシリアの声が聞こえてくる。

 

(そういえば、久しぶりだったな…。この部屋を訪ねるのは…)

 

セシリアとはクラスで一番よく話すし、一緒に行動することもそれなりに多いが、部屋にくることは今まであまりなかった。

いくら親しくしているとはいえ、やはりそこは男女。互いに気を遣っているのである。

 

「急にいらっしゃるから、びっくりしました」

「悪いな、事前に連絡すればよかったか」

「大丈夫ですわ。それで今日はどうしたんでしょうか?」

 

突然の訪問にも、出迎えてくれたセシリアにまるで取り乱した様子はない。

先程は少し慌てていると思っていたが、出てきたセシリアは身なりもきちんとしている。

それを見ながらやはり淑女は違うなと、桜介は改めて思い直した。

 

「今日はねぇ、お土産を持ってきたんだ」

「それはなんでしょう?」

「上海蟹。千冬ちゃんのリクエストでな」

 

セシリアの率直な質問に、桜介は飄々と答える。

しかしそれを聞いたセシリアは、ここで今日初めて驚いたような顔を見せた。

 

「ま、まあ。蟹、ですか?」

 

セシリアが驚くのも当然だった。

なぜなら、この箱の中でなにかが活発に動いている音が、セシリアには最初からしっかりと聞こえていたのだから。

 

「あまり好きじゃないかな?」

「いえ、蟹は好きですけど。そ、それ、生きてるんじゃ…」

「その方がうまいんだよ」

 

それは千冬に返したのと同じ答えだったが、セシリアは今まで調理された蟹しか見たことがない。

いきなり生の、しかもまだ生きた蟹を渡されても困るだろう。

 

「い、一応頂いておきますわ」

 

苦笑いするセシリアを見て、ようやく桜介はそこに思い至る。

千冬ちゃんはわりと豪快な性格だし、鈴は見慣れた食材だったから大丈夫だったけど、もしかして普通はそうなるんじゃ…。

 

「そうか、やっぱり困るよな…。いきなりこんなもの渡されても……」

「いえ、蟹は好きですから大丈夫ですわ!」

 

珍しくどこか気落ちしたように見える桜介に、セシリアはすぐにフォローを入れる。

 

「そう?活きがいいからさ、適当に調理してもそれなりにはね………よし、俺が調理してやる!」

「……その間はなにかしら」

 

そんなセシリアの呟きを聞くこともなく、桜介は勢いよく自分の部屋へと駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

「ふふふふーん♪」

 

桜介は着替えてすぐに戻ってくると、セシリアの部屋のキッチンで早速調理に取りかかっていた。

まずは蟹を水で泳がせて、泥をしっかりと吐かせているところだ。

ちなみにルームメートは出かけていて、今この部屋には他にセシリアがいるのみである。

 

「桜介さん……その格好は?」

「んふふ、似合う?」

「いえ、まあ、そうですわね」

 

料理中の桜介は白のコック服を身に付けていた。

その頭にはしっかりとコック帽まで被っている。

これは何事も形から入るタイプというわけではなく、もちろん変装するのが好きなだけ。

そして偶然だが、それははからずも楯無と共通の趣味と言えるものだった。いや、正確には楯無の場合趣味というより特技かもしれないが、この男の場合は完全に趣味であり、特技では決してない。

 

「桜介さんって、料理出来たのですね」

「いやいや、しないよ全然。でもこれは友人の得意料理でな。昔作ってるのを一度だけ見たことがある」

 

セシリアと話しながらも、泥を吐かせた上海蟹をブラシでゴシゴシと擦っていく。

 

「なぜ料理しないのに、コック服を…。本当に大丈夫ですの?」

「大丈夫さ。蒸すだけの簡単な調理だし、それに俺は一度見たものは忘れないから」

 

桜介は心配そうな顔を向けるセシリアに笑顔で答えると、きれいになった上海蟹を一匹一匹、器用に紐で結び直して、蒸し器に入れた。

 

「……そうでしたわね」

「ああ、俺には三歳からの明確な記憶がある」

 

桜介の言葉でセシリアは思い出す。この男は配られた分厚い参考書の内容を、入学して最初の授業で全て覚えてしまい、テストでも暗記科目は常に満点だ。

 

「少し、少しだけ羨ましいですわ。あなたは簡単になんでも出来てしまうから」

 

それは普段から自信満々でプライドの高いセシリアらしからぬ台詞だった。

最近のセシリアがISの練習で、少し行き詰まっているということは桜介も知っている。

それでも人前でそんな弱音を吐いたのは、とても意外なことだった。

 

「簡単ではないさ…。俺は修行中何度も死にかけてね、よく河にぷかぷか浮かんでいたよ」

「な、何度も死にかけて……ぷかぷか」

「ああ、その度に友達に助けてもらっていた」

 

顔をひきつらせるセシリアに、桜介はたんたんと過去の話を続ける。

実際に伝承者になる前の桜介は己の拳を磨くため、北斗神拳を封じたまま日々喧嘩や修行に明け暮れ、死にかけては黄浦江に浮かんでいるところを、何度も潘たちに助けられた。

桜介は今でもその恩を、決して忘れてはいない。

 

「だからさ、セシリア。今やってる練習、俺でよければ手伝おうか?」

 

友達が困っていたら助ける、それは桜介にとって当たり前のことだった。

 

「いいえ。せっかくのお申し出ですが、お断りいたします。わたくし一人で頑張ってみますわ」

 

しかしその申し出に、セシリアは強い意思を込めた声で、ハッキリと断りを告げる。

 

「ふ…。セシリアらしいな。君ならきっと、なんだって出来るよ」

「ふふふ、ありがとうございます。ですが、どうしてそう思いますの?」

「君は絶対に諦めないだろ。だから出来るさ」

 

そして、桜介もはっきりとそう断言する。

セシリアは最初のクラス代表マッチで桜介に負けたときも、専用機持ちたちとの模擬戦の結果が振るわないときも決してくじけず、へこたれずにただ一人でひたすらに努力を続けていた。

そんなセシリアだからこそ、最初は冗談半分だった桜介もこの気高い少女のもとで働いてみようかと、わりと本気で考えていたのだ。

 

「うふふ。あなたにそう言われると、本当に出来そうな気がしてきましたわ」

「それはよかった。さて、そろそろ蒸し上がるぞ。先にテーブルで待っていてくれ」

 

にっこり笑うセシリアに、桜介も皿を用意しながら自然と微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「さあ、セシリア食ってくれ」

 

コック姿の桜介が上海蟹が盛られた大皿を持って、テーブルへと運んでくる。

蒸し上がった上海蟹からはホカホカと湯気がたっていて、色は鮮やかな赤に染まっている。

 

「ええ、頂きますわ」

 

セシリアは嬉しそうにこくんと頷き、大皿から一杯取って自分の皿に移す。

 

「ですがわたくし、上海蟹は初めてですわ。これはどうやって食べたらいいんでしょう?」

「そうだったか。これはまず甲羅をとって、ここをこうしてな……」

 

桜介が横からレクチャーしながら、慣れた手付きで殻をむいていく。

 

「ほら、これを黒酢につけて食べるんだよ」

「え、ええ……」

 

こんな執事だったら案外悪くないかもしれない。

 

(この人に執事になってもらえば、毎日こんな風に…。そして、夕食のあとは…)

 

そんな未来を思い浮かべて頬を染めながら、言われた通りに蟹の身を口に運ぶセシリア。

 

「あら、美味しいですわ」

「ふふふ、よかったよ。お嬢様のお口に合ってなによりだ」

「でもわたくしだけでこんなに食べきれません。桜介さんも一緒に食べましょう」

「そうだねぇ。それじゃそうしようか」

 

桜介も向かいの椅子に座り、ここでやっと被っているコック帽をとる。

それから上海蟹を一つ掴むと、食べられない部分をポイポイと外してそのままかぶり付いた。

 

 

 

 

 

 

「やはり旨いな、セシリアの紅茶は。入れ方はもちろんだが、いい茶葉は香りが違う」

「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいですわ」

 

二人は蟹を食べ終わって、今はティータイムに突入していた。

いつ飲んでも旨いセシリアの紅茶を飲みながら、桜介は高級そうな椅子の背もたれに、くだぁっと寄りかかる。

 

「それにしても、その格好は?」

「以前あなたが似合うと言ってくれたので、着替えて見ましたわ」

「ああ、うん、もう最高。マーベラス、とてもよく似合っている」

 

セシリアが着ているのは学園祭のときのメイド服。桜介がそのときに絶賛していたのだ。

もともとコスプレ好きでメイドさんも大好きなので、そんな服装で紅茶を入れてもらえば、どうしたってウキウキしてしまう。

 

「あ、ありがとうございます。そういえば桜介さん、もうすぐ一夏さんの誕生日でしょう?」

「そうだねぇ。でもそれがどうかした?」

「それでわたくし、ティーセットを差し上げようと思っていますの」

「うん、いいんじゃない。あげたら?」

「そ、それでついでによろしければ、桜介さんにも差し上げますわ!」

 

途中まで他人事で聞いていた桜介は、その言葉ですぐに思考を開始する。

確かにセシリアの紅茶は旨い、こんな旨い紅茶がいつでも飲めたらきっと幸せだろう。

しかし、お嬢様、茶器、プレゼント…。

なんか最近それで揉めたような気がする。はて、なんだっけ?桜介はしばらく考え込んでしまう。

 

「いや、やめておこう。だいたい俺は誕生日じゃないし、やっぱり悪いよ」

「だ、だからついでですわ!一夏さんのついでなんですから、遠慮しないでくださいなっ」

「ついでって言われてもね。それでもわざわざ用意してもらうわけだし…」

「それならわたくしが普段使っているものを。たくさんあって余ってますの!」

 

いらないってなら、まあもらっても。そんなに気にしなくても、あくまでもついでだ。ついでに余り物をお裾分けしてくれるっていう、隣人等によくあるあれ。そういえば教室での席も隣同士。そういうことなら、何の問題もないだろう。

ここまで言われて断るのも申し訳ないし、せっかく気を効かせてくれたのなら、ここは素直に受け取っておくべきか。

過去の経験から一度は断った桜介だが、説得されると簡単に納得してしまった。

 

「わかった。じゃあ楽しみにしてる」

「ええ、そうしてくださいな。あの、ところで、桜介さん!」

「ん?なに?」

 

一体今度はなんだろうか。少し緊張した様子のセシリアに、桜介は首を傾げる。

 

「し、執事の件ですが……」

「すまない…。それは無理になった」

 

切り出された話の答えを聞く前に断りを入れる。

もともと自分から言い出したことなので、本当に申し訳なく思ったが、こればっかりはもうどうしようもない。

 

「ど、どうしてでしょうか?」

「この国に残る理由が出来た。簡単に言えばそんなところかな」

 

きっぱりと男らしく言い切るが、そのときセシリアの眉がピクリと動いたことに、桜介は全く気付かなかった。

 

「お、桜介さん、ま、まさか、そんなことはないと思いますが、更識会長に誘惑されてその魔の手に落ちたのではっ!?」

 

それは久しぶりに向けられる、セシリアからのきついきつい視線だった。

ここで冗談や嘘は許さないと、テーブルの上で震えている握りしめた手と、睨みつけてくるその目がそう言っている。

 

「誘惑されたかな……確かにいっぱいされたな。でもどちらかと言うと、俺の方が魔の手だと思うんだけど…」

 

まったく裏表のない男は、あっさりと白状する。

そしてこの男、最初から自分がろくな男じゃないという自覚だけはあるのだ。

しかし『誘惑されたかな』何気なく呟いたその言葉はしっかりと…。

 

―――セシリアの逆鱗触れた。

 

「や、やっぱりっ!」

「やっぱりって、なにが?」

 

すくっと立ち上がって、まるで出会った頃のように険しい表情を向けてくるセシリアに、おそるおそる聞いてみる。

 

「悪魔のようなあの人が、いかにもやりそうな手です!ああっ、一緒に旅行なんて行くからこんなことに!!」

 

バン!とテーブルを叩いて声を荒げるセシリア。

どうやら最後の方の台詞は、誘惑されたという言葉が強烈すぎて聞いていなかったらしい。

それに学園祭のときから楯無は悪魔のイメージが定着してしまったようだ。

 

「いや、あのね、セシリアさん?」

「あなたもあなたです!そういう人じゃないと、信じておりましたのにっ!わたくし決して諦めませんから。必ずあなたを雇ってみせますわ!」

 

旅行じゃないと言わせてもらえないぐらいに、もうセシリアは怒っていた。透き通るような白い肌を真っ赤に染めて、完全に怒っていた。

 

「たしかに誘惑はされたんだけど、それはあんまり関係ないんだよ…」

「関係ないこともないでしょう?現にこうして、靡いているじゃありませんか!」

 

実際のところ、桜介は度重なる誘惑を軽くあしらっていたわけだし、それに靡いたわけではない。

あんまりと言ったのは、何度反撃にあってもめげない。そんなところが気に入っているのも事実だからである。

しかし、セシリアから見ればどうだろうか。

見るからにそういうことをしそうな、そしていかにもそういうことが得意そうな、楯無の普段の振る舞い。それはそう思わせるには充分であった。

それと同時に、誰よりも信頼していた男に裏切られた。そんな気持ちにもなっていた。

 

(セシリアがこんなに怒るなんて…。そういえば、最初はこんな感じだったな)

 

一方の桜介はその様子に、昔を思い出して少ししんみりとした気持ちになっている。

しかしいつまでも一人でしんみりしているわけにもいかず、やがて言いにくそうに口を開いた。

 

「あのさ、もっといい執事はいっぱいいると思うよ。俺ってわりと言うこと聞かないところもあるしさ…」

「そういう問題じゃありませんわ!それに、なにかあったときあなたほど頼れる人はいないでしょう!?」

「そうかもね。でもさ、なにもなければそれが一番いいわけで、なかなか難しいと思うので諦めた方が…」

「あら、わたくしは絶対に諦めないんでしょう?そして諦めなければ出来ると、あなたはそう言わなかったかしら?」

「……なるべくお手柔らかに頼むよ」

 

それを言われてしまっては、桜介にはもうそれしか言えなかった。

 

「ふふふ、ふふふふふっ、いやですわ!」

 

高笑いしながら、怖い笑顔を浮かべるセシリア。

そこにはもう部屋から出てきてくれた時のおしとやかな淑女の姿はどこにもない。

セシリアが向けているのは、今までのような憧れの男性に対する憧憬の眼差しではなく、ターゲットに狙いを定める狙撃手の眼光だった。

 

「そろそろ帰ろうかな、腹へったし……」

「待ってくださいな。そういえばわたくし、ちょうど昼間にスコーンを焼きましたの」

「そ、そうなんだ。でも、ほら、帰らないと…」

 

すぐにここから逃げ出そうとするが、それを阻止するかのごとく、すぐにセシリアが皿を持って近づいてくる。

そこには山盛りのスコーンが乗っていた。量が多いのはお腹が空いたと言ったからだろう。

そして天性の鼻のよさがここで仇となる。

 

「ぐぁっ!?」

 

その漂ってくるどこかスパイシーでエキゾチックな香りに、桜介はスコーンと後頭部を叩かれたような強い衝撃を受けてしまう。

 

「あなたに食べてもらおうと思っていたから、ちょうどよかったですわ」

 

皿を目の前に置いて、ニコニコと可憐な笑顔を浮かべるセシリアが、もう悪魔にしか見えない。

思わぬ窮地にふと窓の外を見ると、すでに北斗七星の隣で小さな星が怪しく光っていた。

 

「ふ~。部屋に帰るつもりだったが、これはどうやら天に帰ることになりそうだな…」

 

しかし、いつまでも往生際が悪いのはただ見苦しいだけだろう。こうなれば男は黙って、ただ己の運命を受け入れるのみである。

 

「さあどうぞ。あなたのために作りましたわ。たくさん作ったので、おかわりもありましてよ?」

「お、おかわりまで!?こんなにあるのに……。あの、実は私ですね、少食、なんですよねぇ…」

「あら、それでそんな体になるかしら?」

「だよね!俺もそう思ったんだ!出来れば紅茶をもう一杯、いえ、大丈夫ですね、じゃあはい、いただきます」

 

じっと見られながらそんな風に言われてしまっては、せっかくの厚意をむげにするわけにもいかず、やはりもうそう言うしかなかった。

 

決してセシリアが怖いからではない。



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82話

「更識会長、今すぐ部屋をかわってくださいな」

「あら、セシリアちゃん。随分といきなりね?」

 

今は月曜日の放課後、セシリアは授業が終わるとすぐに生徒会室までやって来ていた。

理由はもちろん昨日の一件である。誰よりも男らしく、誰にも媚びることのない男の中の男だと、今まで憧れていた男がうっかり漏らしてしまった聞き捨てならない言葉。そして、それにすっかり靡いてヘラヘラしている様子を見て初めて感じた言い様のない怒り。

それをたった1日で、忘れられるはずもない。

 

「またとぼけて!あの人を誘惑したでしょう。わたくしのボディガードになってもらうつもりでしたのに」

「そもそも、セシリアちゃんにあの人のガードが必要かしら?正直他の人でも事足りるでしょ」

 

オルコット家は別に裏稼業をしているわけでもない。それほど危険な状況にさらされることなどなかなかないはずだ。それでは宝の持ち腐れ。こんなオンリーワンのガードでなくとも、お金で雇える一流で充分では。直接口には出さないものの、もちろんそういう意図を込めての発言だった。

天帝、すなわち蒼天。つまりは神の守護者とされている北斗神拳伝承者の護衛など、本来であればたびたび危険な任務を行うこともある楯無自身にだって、過ぎたるものなのだ。

決してとぼけてばかりではない。時には正論も織り混ぜて言いくるめようとする。それが楯無の処世術だった。

 

「……必要ですのよ。それより、ごまさないで答えなさい!あなた、あの人を誘惑しましたね!?」

「誘惑なんてしてないわよ、多分。ええ、ええ、してないはず…。うん、してないわね、きっと♪」

 

突然乗り込んできたセシリアにも毅然として余裕綽々の態度で対応する。

正直言って、セシリアの言っていることに当然心当たりはある。むしろありすぎるぐらいだった。

際どいコスプレをして出迎えたことも数えきれないぐらいにあるし、シャワーに乱入したことも、寝てる間に勝手にベットに潜りこんだことも何度もある。

あるいはもっと生々しく直接的に、関係を迫ったことすらあるのだ。

それでも飄々とした態度で、悪びれもせずしれっとやり過ごすのが楯無流。

まるでそのやり口は知らず知らずのうちにこんな状況を招いてしまった誰かさんのようだ。

 

「しましたわね…。桜介さんの教育のためにも、もうあなたには任せておけませんわ」

「……教育って。あれでも真面目な時はすっごく大人よ?うちの子はね、やれば出来る子なの。だから安心しなさいな」

 

いくら心当たりがあっても、楯無になにも後ろめたい気持ちはない。実際のところ、たびたび仕掛けた誘惑は全てあっさりかわされていた。それどころか、反撃されてひどい目にあい泣かされてきたのは自分の方。

 

「何がうちの子ですの!結局子供じゃないですか!?あの人が腑抜けてしまったのも、あなたが甘やかすからでしょう」

「そんなことないと思うけどなぁ。わりと最初からゆるゆるだったわよ、あの人」

「信じられませんわ。かつて雄々しい虎のようだったあの人が、ヘラヘラと優男のようになってしまって」

「あれは演技でなりきってるの。別にいいじゃない、見てる分には面白いし。許すのも女の度量だわぁ〜」

「また知ったような口を。だいたいあなたばかり色々と不公平ではなくって?」

 

セシリアにそんな指摘をされて、痛いところをつかれたはずの楯無は怯む様子もなくバンと扇子を広げる。

 

「いいこと教えてあげる。恋は戦争なの。敗者はどんどん淘汰され、結局最後には勝者だけが生き残るの」

 

そこに書かれていたのは『弱肉強食』だ。しかし後輩相手に我知り顔で恋愛を語っているのは、まだ初恋を経験したばかりの耳年増だった。

 

「こっそり誰にも言わず自分だけ海外にもついて行ったり、抜け駆けばかりして…。やることがいちいち卑怯ですわ!」

「ただ黙ってついていく、大和撫子とはそういうものよ。それに戦においては一騎駆けこそ花形。うふ、醍醐味でしょ」

 

扇子をびしっと閉じて言い切る。黙ってついていったのは自分が古き良き日本女子だから。そして抜け駆けではなく一騎駆け。そんなことを平然とのたまう。裏でコソコソやった小狡い謀も少し言い方を変えてしまえば、正々堂々勇猛果敢な女の見せどころのように聞こえてしまうのだから、まったくもって不思議なものだ。

 

「な、なにを屁理屈を…!もういいから大人しく部屋を代わりなさいっ!」

 

やがてそのペースに付き合いきれなくなったセシリアがしびれを切らし声を荒げると、楯無はにんまり笑って再びその端正な口を開いた。

 

「却下」

 

今度はきっぱりと断言する。それは無理なものは無理だという明確な意思表示。特に理由を言うこともなく突っぱねる。

最初はお礼だから護衛だからと無理やり理由をつけて同部屋になったが元から護衛など不要もいいところ。

例えそんな命知らずな輩がいたとしても、即返り討ちにされるのがもう目に見えている。

つまり、今も同部屋になっているのは完全に私情。しかし、そんな自分の弱みをわざわざライバルに言うつもりはない。

 

「納得がいきませんわ!そもそも、最初から同じ部屋なのがもうずるいでしょうっ!?」

「うふふ。それはね、生徒会長権限!」

「な、なんて卑怯なっ!桜介さんあなたもずっと黙ってないで、そろそろなにか言ったらどうかしら!?」

 

そしてついに声をかけられてしまう。急に矛先を向けられて、自分のデスクで呑気にお茶を飲んでいた男が反応する。

 

「ん?呼んだ?」

 

桜介は食べかけのセンベエを片手に、少し驚いたように人差し指を自分へ向けた。

先ほどからずっと目の前で繰り広げられているのはまさしく修羅場である。だというのにこの男、微塵も動じていない。

それもそのはず、考えてもみてほしい。本物の修羅が今さら修羅場程度で焦ったり動揺するだろうか。それはもちろん否である。仮にホームアンドアウェイで例えるなら、修羅場はむしろ圧倒的にホーム側。もはや我が家も同然なので読書も余裕だし、なんなら昼寝だって出来る。

こんな状況でも平然としていてこそ、修羅の道を悠々と歩めるのだ。

 

「俺は今読書中なんだが…」

 

それになんでこんなことになってしまったのか、それもいまいちよくわかっていないのだから、なおさらだろう。最初に執事を言い出したときには、たしかそれほど乗り気じゃなかったはず。実際に眉を寄せてかなり困った顔をしていたのだ。どちらかと言えば嫌がっていたのを、俺はちゃんと覚えているんだぞ!オルコットさん?

だから納得がいかないし、あくまでも出来ることなら最後までこの話題には我関せずを決め込みたかった。

男同士の喧嘩はもちろん大好きだが、女同士の言い争いに首を突っ込むのは本意ではない。

まあ、はっきりいえば苦手なのである。しかし、今回はそう思い通りにはいかないようだ。

 

「あら。それは私も聞きたいわ。どうしてこんなことになったのか、それも含めてねっ!」

 

いよいよ二人にきつい視線を向けられ、修羅はようやく重い腰を上げてデスクから立ち上がり、二人の元へと歩み寄る。

 

「俺は別に……。もともと一人部屋でも…」

「なぁっ!?う、裏切るつもりぃ!?お前の朝飯が食べたいって、はっきりそう言っていたくせにっ!」

「それはそうだけどね。だがなぁ、通い妻というのも魅力的だよなぁ」

「か、かか、通い妻っ!?た、た、たしかに!!そ、そういうことなら……はっ!?」

 

わざわざ耳元で囁くように、しかもあえて意識して使われたパワーワード。食いつきそうな言葉を選んだ甲斐もあり、それにうっかり飲まれかける楯無だったが、途中でなにかに気づいたように我にかえる。

 

「だ、騙されるもんですか!それって面倒ないざこざは避けてご飯だけ食べようと、そういうことよね?」

「おぉ、まじかよ……さすがだな」

「なにがさすがよ?相変わらずひどい男ねえ!?まさか甘い言葉で惑わそうとするなんてっ…!」

 

バレてしまっては仕方がない。しかし仏頂面の楯無を見ながら、最初はあんなに簡単に口車に乗せられていた同居人の成長ぶりと、自分に対する理解の深さに桜介はうっすらと感動すら覚えていた。

 

「ごめんごめん。生徒会長権限なら仕方ない。権力にはとても逆らえないな。よし!部屋割りの件、会長に一任しよう」

「し、仕方ないわね、わかったわ。任せなさい!私も本当は忙しいんだけど、きちんと決めておいてあげますともっ!」

 

多少棒読みになってしまったが、これにて一件落着。その返事を聞いて桜介は頼りになるなぁ、なんて思いながらコクンと頷き、足早に席に戻ろうとする。

しかし、それに慌てたのはもちろんセシリアだった。

 

「な、なんですか、この茶番はっ!?桜介さん、わりとどうでもいいのがバレバレでしてよ!?」

「しかしね、セシリア。俺が誰と同居することになろうが、俺にはなんの関係もないじゃない?」

「そ、そう言われてみれば……。いえ、そんなはずがありませんわ!またすぐそうやってごまかそうとっ」

「いや、こっちも読書の続きがね…」

「そんなのあとでいいでしょう。今は大事な話をしてるんですから!」

 

顔を真っ赤にしてそう言われても、面倒くさそうにため息をつく男。別に誰々と同じ部屋がいいとか、今さらそんなことは気にしていない。今のままでももちろん満足しているし、セシリアと同じ部屋になってもそれはそれで楽しいものだろう。ゆえに流れに身を任せるというもっとも楽な選択肢を選んだのだ。決してご飯の質で選んだわけではない。しかし、ここで言うべきはしっかり言っておく。

 

「あのさ、セシリア。俺はたしかに、君の執事にはなれないかもしれない」

「っ……!!」

「だが俺は困ってる友達を放っておいたりはしない。なにかあればいつだって君の力になるよ」

 

真剣な表情を浮かべ、落ち着いてゆっくり諭すように言う。いくら微妙な反応をされたとはいえ、自ら言い出した執事の申し出。それを自己都合で断ってしまった以上、きちんと誠意を持って最後まで対応するつもりだ。

たしかにその発言自体は悪くない。今までのチョロコットさんであれば、その勢いもこれで一旦は収まったことだろう。しかし、今のセシリアにもうそれは通用しない。

 

「桜介さん。それは臨時雇用ならば構わないと、そういうことでよろしいかしら?」

「せ、セシリアさん!?」

「そういうことで、よろしいですね?」

「そ、そうだねぇ…。よろしいのかなぁ?」

「はっきり言いなさい!よろしいですわね!?」

「え、ええ、大変よろしいかと思われます!?」

「わかりました。…いいでしょう。とりあえず今日のところは、それで引き下がってあげますわ」

 

一応少しは納得してくれたようだ。しかし返事を聞いたセシリアはにこりと柔らかく微笑んでその場でくるりと背を向けると、最後にまた強い口調でこう言い残した。

 

「ですが、このセシリア・オルコットの望みはあくまで専属の執事、またはボディガード。それを忘れないでくださいな」

 

それだけ言って少しだけ満足したのか、セシリアは堂々とした足取りで生徒会室を去っていった。

 

「ふぅ…。まいった、まいったなぁ……」

 

これじゃあイカリア・オコルットさんの間違いだろ。そう思ったところで、そんなこと口が裂けても言えない。桜介は結局苦笑いを浮かべてその背中をただただ見送ることしか出来なかった。

 

「ねえ、桜介くん…。あなたいったいセシリアちゃんになにをしたのよ?」

「お土産を配ったんだよねぇ…。最初は喜んでくれたかと思っていたんだが」

「あ、あのねぇ…。なにをどう配ったら、あんな眠れる獅子がいきなり飛び起きちゃうわけ!?」

 

実際のところは地雷を見事に踏み抜いて、セシリアの幻想を粉々に打ち砕いてしまっていた。憧れという名の幻想を…。

少なくとも桜介はもうセシリアが心の底から強烈に憧れた強い男を体現しているような『完璧な男性』ではない。そんな幻想はすでに打ち砕かれ、そして残ったのはただの恋心。

つまりは今までのように本人の前で過剰なほどの慎みを持つことも、必要以上に遠慮をすることもなくなってしまったのである。

 

「あれはもう俺の知っている可憐でお淑やかで奥ゆかしい、いわゆる名家のお嬢様の姿ではない…」

 

勘違いをしていたのはなにもセシリアだけではない。自分に対する態度を見て、桜介もまた勘違いをしていたようだ。昨日のことで互いの勘違いが解け、その歴史にようやく終止符を打ったばかりというのが実情だった。

 

「そ、それは、私に対する当てつけかしらぁ!?」

「なんでだよ。お嬢様といえば清純清楚と決まってるだろ。どこぞの痴女じゃあるまいし…」

「そうね、よ~くわかったわ!やっぱり私に喧嘩を売っているってことがねえ!!」

 

しかし桜介の発言のなにが癇に障ったのか、楯無がまた怒り出す。それを横目にやれやれと思いながら、肩を落として話し始める。

 

「はぁ…。あれはもうセシリアお嬢様というより、言うなればセシリアさん。うん、セシリアさんだな…」

「今までさんざん紳士ぶっていたものね、特にセシリアちゃんには。それもご令嬢に好かれる原因の一つなのかしらね」

 

楯無が知っているだけでも北大路家、オルコット家、そして更識家。いずれも正真正銘の名門であり、各家のご令嬢から好意を向けられている。現にそのすべてから強く求められているのだから、ついついそんな愚痴が出てしまうのも無理はない。

 

「そんなことはないと思うんだがな。しかし、まさかあんなに怒るなんて…」

 

桜介もさすがに落ち込んだ様子を見せる。今までなにがあろうとも、いつだって余裕で飄々とした態度をとっていた男がもうたじたじだった。

 

「……弱気だなんて、あなたらしくない。なにか変な物でも食べたのかしら……」

 

それには楯無も、信じられないものを見たように呆気にとられ、まるで驚きを隠せない。

 

「最近二度目だよ、俺が死兆星を見たのは…」

 

食べた、たしかに食べた。それも大皿で山盛り二杯。その時はとても残すことが許されるような雰囲気ではなくて。

楯無からすれば茶化すつもりで言った冗談だが、それは完全に的を得ていた。

いくら大抵のことは気にしない桜介でも、あれをたった1日で忘れることなど出来るはずもない。

皿に山盛りのそれをなんとか平らげた。そこまではまだよかった。しかしそのあとのおかわりが、まさにダメ押しになっていた。

しかも怒っていたからか、なんと飲み物なし。ただでさえ飲み物なしのスコーンなど拷問だろう。さらに山盛り、それもセシリアお手製となれば、もはや役満。苦しみは約束されたようなものである。

 

「はぁ…。あなた、モテモテね」

「それは違うだろ」

「……違くないでしょう」

「もし仮にそうだとしたら、それは男子が少ないからだろ。お前の方こそ男子校行けばきっともてること間違いなしだ」

 

そんなもんだよ、と楯無の皮肉も全く意に介さない。そして、ニッと人懐っこい笑顔で肩をポン。

桜介はあっという間に、すっかり普段の調子を取り戻していた。

 

「……バカッ。そういうこと、言ってるわけじゃないのに……」

 

本当にわかっているのか、いないのか。それともわかっていて、それでも気にしていないのか。いずれにしろヤキモキさせられて、楯無は拗ねたように口を尖らせた。



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83話

「と・に・か・く、余計なことは言わない!それからしないこと!い~い?わかった?わかったわね!?」

「わかったよ、もう…」

「あなたはトラブルメーカーなの。その一言が大事になったりするの。少しは自覚をしなさい、自覚を!」

 

もう今日何度目かわからない注意をされて、桜介は大きくため息を吐く。

その度にしっかり返事はするものの、それでも何度も何度も念を押されるたびに、どれだけ信用されていないんだと内心は複雑な心境だった。

 

「じゃあ、行ってくる」

「うん…。いってらっしゃい」

 

アオザイの裾をバサッっとなびかせ、くるんと背を向けて自信満々に生徒会室を出ていく。

立ち去る姿は一見するとものすごく頼もしく、まるで一枚絵になりそうなほど様になっている。

それこそ敵のアジトにでも乗り込むところならば、なんの心配もいらないほどに。それを見ているのが仮に恋する乙女ならば、それこそ一発で惚れ直してしまうほどに。

しかしそれを楯無はまるで初めてのお使いに送り出す親御さんのように、とても不安げに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ここか」

 

桜介がやって来たのは空手部の道場。中からは威勢のいい掛け声がきこえてくる。どうやら皆、真剣に稽古をしているようだ。

邪魔するのも悪いと思い、静かに入り口の扉を開ける。すると次の瞬間、いきなり時が止まったように道場はシーンと静まりかえった。そして集まる、部員全員からの視線。

 

「お、桜さん…?」

 

やがて、その中の一人が小さく呟いた。

 

「か、霞くんよ…」

「確かに、霞くんね……」

 

それに続いて、また何人かがボソッと呟く。

 

「お邪魔します。今日はこちらに参加させてもらいに来ました。よろしくお願いします」

 

部員たちの微妙な反応に、居たたまれなくなった桜介が礼儀正しくペコリと頭を下げる。

 

「きゃああ!!霞くん!しかも胴着姿…!」

「ついに、ついに、霞くんがここにっ!!」

「お、桜さん……」

 

突然大声をあげ始める部員。そして、あからさまに大袈裟すぎる反応。

最後に声をあげた女子に至っては、なにを感極まったのか泣き出してしまっている。

慕われていること自体は知っていたし、別にいまさら気にならないものの、その反響は想像していたよりもずっと大きい。

しかしなにも聞かされていないところに、突然現れたのは格闘系生徒たちの憧れの的。ある意味、こうなるのはもう必然的だった。

 

「どうぞどうぞ!」

「ゆっくりしていってね!」

「お、桜さん…!うっ、嬉しいです!」

 

勢いよく近づいてきた部員たちに案内されるまま、道場の中へと入っていく。

今日ここに来たのは、すでに部員たちに説明した通り、部活動への参加のためである。

学園祭で楯無がまとめて叩きのめしたため、一度は収まったがまた一部の部活動から、クレームが集中してきていたのだ。

 

(参加させてもらうと言っても、北斗神拳の伝承者が女子と組手なんて洒落にもならねぇぞ)

 

クレームの内容は簡単に言えば、生徒会長ばっかり桜介を独占するのはずるいというもの。

パートナーだなんだと理由をつけたところで、楯無が個人的に好意を寄せているのは、普段の態度を見ていれば誰の目にも明らかだ。

 

(確かにあいつは浮かれているのかもしれない…)

 

廊下で見つければ、走って駆け寄っては人目をはばからず後ろから抱きつき、頬をこれでもかと緩めてスリスリと頭を擦り付ける。

一緒に歩いていれば、嬉しくて仕方がないような笑顔を浮かべ、腕に抱きつくのは当たり前。時には幸せいっぱいに鼻歌まで歌い出す。

たまに頭を撫でられると、顔を真っ赤にさせてうっとりと恍惚の表情で、潤んだ瞳を向ける。その様子はまるで可愛い子猫。

楯無はもともと、人前でベタベタすることはあっても、決して人前で甘えるタイプではない。

しかし軽くあしらわれていた今までの反動から、楯無は周囲を気にすることもなくこの世の春を謳歌していた。

そして桜介も生粋の楽天家らしく、少し行き過ぎたそれを全く気にもとめていない。

その様子がまた楯無の浮かれ具合に、さらに拍車をかけているのである。

 

(だが最近は仕事もきちんとやっているし、なにも問題はないだろうに…)

 

そんな感じで完全に浮かれきっている楯無だが、相手はこの学園に二人しかいない男子。

毎日のように見せつけられれば、ただでさえ普段から男子との関わりが少ない他の生徒たちはおとなしく黙ってはいられない。

完璧な生徒会長が完璧な彼氏までいるなんて、そんなのズルイズルイと騒ぎ立てる。

実際には二人とも完璧でもないが、そんなことは知らない生徒である。つまりバカとポンコツがバレていない。

それにIS学園では、貴重な男子は全校生徒の共有財産であるという認識が、生徒たちの間ではいまだ根強い。

しかし、自由をこよなく愛する桜介がそんなものを認めるはずもないのだ。

 

「はぁ…。早く卒業してぇなぁ」

 

そんなわけで今回寄せられたクレームは格闘系の部活動からが非常に多く、その中でも一番声の大きかった空手部に派遣されたわけだ。

もちろんその目的は、生徒たちの不満をきれいに沈静化させることだった。

 

「ほう、何人か動きのいいのがいる」

 

これも仕事だと割りきって、床に胡座をかいたままボーッと稽古を眺めていた桜介は一人ごちる。

もちろん楯無やラウラなどの所謂プロの連中には到底及ばないが、それでも中にはそこそこ動ける部員もいる。

そこはさすがIS学園といったところか。明らかにそのへんの女子高生よりも全体のレベルも高い。

 

「桜さん!もしよかったら、少しだけ、稽古をつけてもらえませんか?」

「桜さん!私もよかったらお願いします!」

「桜さん!今日はきちんと相手してください!」

 

いきなり声をかけてきたのは、いつぞやのボクシング部の女子だった。

それに続いたのは、やはりよく襲撃してくる空手部の女子と、剣道部の女子。

 

「こんにちわ。ふむ…稽古か…。しかしやっぱり危険だな、俺がまともに相手したらさ」

 

桜介はその申し出を、わざとらしい困り顔でさらりと受け流す。

空手部はともかく、何故他のやつらがここにいる、ちゃんと部活しろ、部活を!

そう思わないでもなかったが、律儀に言いつけを守って極力余計なことは言わず、今日はいい子でいることにした。

 

「そ、そうですか…。やっぱり、桜さん強いから。私たちじゃ、相手にならないですよね……」

 

本当に残念そうに、しょんぼりと項垂れるボクシング女子。そういう反応をされると、なんだか罪悪感が半端ない。

 

「わ、私たちが弱いから……この間は会長にやられてしまって…!」

「桜さんに、桜さんに、ご迷惑を…!!」

 

続けて急に熱が入ったように、涙を浮かべて拳を握りしめる空手女子と剣道女子。

 

(あの時だけの冗談だったんだけど…。君たち、いくらなんでもチョロすぎるんじゃ…)

 

そんな言葉が思わず口から出かかったが、桜介はそれをなんとかこらえる。

 

「気にするな。君たち誤解しているようだけど、俺と会長は仲良しなんだ。だから、なんの心配もいらないよ」

 

ひきつった笑みを浮かべて、桜介が精一杯のフォローをする。それに今後のためにも、この誤解はここできちんと解いておいたほうがいいだろう。

 

「わかってます…。そう言うしかないですよね、会長には誰も勝てないから…っ」

 

ボクシング女子は涙を流して、悔しそうにそう言った。一体なにがわかっているんだろう、このおバカさんは。

 

「いや、あのね…」

 

なんとかもう一度、誤解を解こうと試みる桜介。

 

「……でも桜さんなら、勝てるんじゃ…」

「そうよ、桜さんなら……きっと」

 

空手と剣道がなにかを閃いたように、唐突にそんなことを言い始める。

どうやら話が突然変な方向に進み始めたようだ。

 

「桜さん!こうなったら桜さんが会長を倒して、生徒会長になるしかないですよ!」

「桜さんなら生徒会長よりも強いでしょうし、私たちも手伝いますから」

「協力します、私たちレジスタンスがっ…!」

 

そして桜介は思った。このおバカさんたちを、誰かもう一度黙らせてくれないかな。

 

(なにがレジスタンスだ…。この学園には、やっぱり変なやつしかいないのか…)

 

自分のことは棚に上げて、そんなことを考えながらぼんやりと天井を見上げる桜介。

そうしてる間にも、女子たちの話はどんどんヒートアップしていく。

 

「会長を倒せば、桜さんの天下に…!」

「敵は本能寺にあり!」

「すぐにでも討ち入りの準備をっ!」

「よし!そうと決まれば、これを!」

 

いつの間にか合流していた薙刀部の女子が、桜色の襷を人数分配り始める。

それを受け取って、肩に揃いの襷をかけ、真剣な表情でさらに気合いを入れる女子たち。

 

(あれれー?おかしいぞ。ここは戦国時代だったかなぁ。あの襷も俺とはなにも関係ない…)

 

だからうっすらと桜模様が見えるのは、きっと気のせいだろう。全力でそうだと思いたい。

もう誰でもいいから、助けてくれないかな。と他力本願にそこから目を反らす桜介。

 

(こんなのバレたら、きっと怒るだろうなぁ…。ただでさえあんなに心配してたぐらいだし…)

 

桜介はもうめんどくさくなっていたが、ここに来る前の楯無の不安げな顔を思い出し、まだ諦めずに再度説得を試みることにした。

 

「やる気満々なところ悪いが、俺では楯無に勝てない。だからこんなこと諦めたほうがいい」

 

正直なところ、もし仮に本気でやり合ったとしたら負ける気はしない。

しかし戦う気がまるでない。桜介にとって本気でやるということは、当然命をかけた死合い。

楯無とそんなものやりたくもないし、金輪際やるつもりもない。絶対にあり得ないが、万が一殺し合わなければならないような状況にでもなれば、笑って死んでやるだけだろう。

つまり傷を負わせるような危険な技を全て封じ、遊びで勝てるほどISを使う楯無は甘くないのだ。

それに勝てないという言葉だって、全くの嘘というわけでもない。

最初に胃袋を掴まれたと思ったら、次に財布の紐を握られて母親の信頼まで掴みとられていた。しかもいつの間にか行動も把握されている。そして、実はハートも鷲掴みされているのだ。そんな相手には誰だって敵わない。

 

「殿!またまた、ご謙遜を」

「そういう謙虚なところが、またいい!」

「早く行きましょう!!」

 

もうすっかり乗り気のレジスタンスたち。殿とかふざけるにもほどがある。

ダメだ、こいつらまじでなんとかしないと。桜介はこの現状に頭を抱えてしまう。

 

「僕…ちょっとトイレ」

 

そして選んだのは逃避。同じく死神仲間である小さな名探偵が言いそうな台詞を残して、すぐにこの場を去ろうとする。

とりあえずここは一旦生徒会室に帰って、また後日仕切り直しだ。

 

「待ってください、いかせませんよ!」

「あ…?」

 

桜介は思わぬ反応を受けて、つい無意識のうちに女子をギロッと睨み付けてしまう。

 

「そ、そんな顔してもだめです!」

「桜さんのことだから、どうせ一人で会長のところに行くつもりでしょう?」

 

その言葉にはさすがの桜介も驚きを隠せない。この連中はただのバカだとばかり思っていた。実はそうでもないのかと少しだけ見直してしまう。

 

「お前ら……何故わかった?」

「……やっぱりそうなんですね」

「すまない。俺はお前らに嘘をついていた」

 

もともと誤解を招いてしまったのは、学園祭での自分の軽はずみな発言が原因。

だから桜介は頭を下げてそれを謝罪し、戦うつもりがないという意思を改めてしっかりと示す。

 

「わかってます。桜さんのことだから、私たちを置いて一人で戦うつもりですよね!」

「そんなこと、とっくにお見通しですよ!?私たち桜組には…!」

「確かに私たちでは力になれないかもしれません。ですがせめて、見届けさせてください!桜さんの戦いを!」

 

それを聞いていた桜介は口をあんぐりと開けて、今度こそ呆れ果ててしまう。連中のあまりのバカさ加減に…。

たしかそういう嘘を何度かついた覚えはある。だがそれは行き先が死地であり、嘘をついたのはその友人の身を思えばこそ。

何故思い人の元へ帰るだけで、しかもよく知らない相手のために、わざわざそんなめんどくさいことをしなければならないのだろう。

 

(レジスタンスじゃなかったのかよ。俺が首謀者みたいだろーが。お前ら、男ならぶん殴ってるぞ?)

 

険しい顔で睨み付けるようにして周りを見渡す。するといつの間に集まったのか、あの時と同じ総勢二十数名が気合十分で立っていた。

そしてその肩には全員お揃いの桜色の桜柄が入った襷をまるで当たり前のようにかけていた。

桜介はそれを呆然と見ながら、久しぶりに実家に帰りたくなっていた。

 




下らない話ですが続きます。


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84話

生徒会室に向けてゆっくりと廊下を歩いていた。キセルをぷかぷか吹かしながら、一見悠々と歩いているようにも見えるが、実際のところその足取りは重い。

 

「ふぅ~。どうしたもんかねぇ」

 

後ろを振り返れば、気合い十分の数十名の女子たち。部活動はそれぞれバラバラだが、共通点といえば武術や格闘技を行う部活動に所属しているところ。あとは肩に揃いの襷をかけているところだろう。

 

「私たちの心配は大丈夫です。もう覚悟は決めましたからっ!」

 

グローブをはめた両手を胸の前に構えて、やる気をアピールしてくるボクシング部。

 

「背中は任せてください!」

 

竹刀を肩に担ぐようにして、清々しい笑顔を向けてくる剣道部。

 

「下克上ですよ、下克上!」

 

嬉しそうに拳を握りしめる空手部。

 

「実は鉢巻も作ったんですよ!よかったら使ってください!」

 

桜色の鉢巻きを懐から取り出して、じゃーんと効果音がしそうなぐらいに掲げる薙刀部。

 

「いるか、ボケ。諦めろって言っただろ。お前ら全員バカじゃねーのか」

 

霞桜介はしみじみと心からそう言った。とてもじゃないが、もうこの連中に遠慮など無用だろう。

 

「はぅ…!でも、でもっ!」

「やらないで諦めるぐらいなら!」

「私たちはバカでもいいっ!」

「それが私たち、桜組っ!」

 

そして自分たちいいこと言ったとばかりに、満足げな顔をする仲良し四人組。その後ろに連なる二十人ほどの女子たちも、それに黙ってウンウンと頷いていた。どうやら四人組はこの集団の中でもリーダー格のようだ。

これでもわりと面倒見はいい方である。慕ってくれる分には構わないが、どうしてよりによってこんな連中ばかりなのだろうか。

 

「はぁ…。バカばっかりだ」

「だったら扇子もありますよ、もちろん全員分」

「バカ、それはやめろ。お前ら自分達では勝てないくせに、そんなに露骨に喧嘩を売るんじゃない!」

 

 

 

 

 

 

病院の総回診のような陣形で生徒会室に向けて歩いていると、やがて正面から一夏が歩いてくるのが見えた。

複数の女子たちに囲まれているところを見ると、今日は一夏も同じようにどこかの部活動に派遣されているのだろう。

ただひとつ違うところは気合が漲っているこちらとは違い、あちらはキャッキャッと楽しそうに和気あいあいと話している点。

 

「桜介…?どうしたんだ?なんだか昔不良漫画で見たことあるぞ、こういうの…」

「誰が番長だ、こら。それより一夏、ちょうどよかった。代わってくれ、もうこいつらもらってくれよ!」

 

思いついたのは適材適所。こんな武闘派連中の相手は日頃から慣れている一夏にすべて任せて、穏健派の自分はのんびり部活見学からやり直すとしよう。

 

「たぶんすごい似合うと思うぞ、番長。そもそもお前はさ、そんなに引き連れてどこいくつもりなんだ?」

 

呑気にのほほんと問いかける一夏。まさか桜介がクーデターの首謀者に祭り上げられているとは、夢にも思っていない。

 

「……生徒会室に。それより交換してくれ、女の相手は得意だろ?俺がそっちの部活いくから!」

 

この織斑一夏と言う男、相当なラッキーマンである。思わぬ幸運もあり、肝心なところではいつも実力以上の結果を出してきた。加えて女性相手では特にその傾向が強い、いわゆる女性特攻持ち。たとえばラッキースケベの腕前だってそう。自分が緻密な計算と渾身の演技、苦しい言い訳によって成り立つ秀才タイプだとするならば、この男は打算など一切になしに成し遂げるまさに天才タイプ。それは北斗神拳の天才と言われ続けた己に、初めて才能の壁というものを感じさせるほどだった。それを約半年間も近くで見てきたのだ。この連中だって一応は女である。ポケモンのように相性でいうなら、こうかはばつぐんだ。きっとなんとかしてくれるんじゃないか、多分してくれるに違いない。いいや、してくれるに決まってる。もうめんどくさいので、そこに賭けてみることにした。

 

「やだよ…。絶対まためんどくさいことになってるんだろ?やめろよな、俺に全部擦り付けようするの!」

 

「それならじゃんけんでどうだ?」

 

俺に見えぬ拳はないというのが、もっぱらの自慢だ。それこそじゃんけんなんて朝飯前、つまりは確実に勝てるだろう。それでもなんだかんだお人好しの一夏なら勢いでワンチャンあるかもしれない。

 

「なぁ…。もともと俺のじゃないのに、なんで勝負しなきゃいけないんだ?」

 

「……あっち向いてホイでもいいよ。これならきっと平等だよな!」

 

じゃんけんの後に指差しを加えることで、動体視力にプラスして反応速度まで問われることとなる。これは提案を変えたフリをしてさらに勝率を釣り上げる悪魔の策略。これならどう転んでも勝てる。どんな強運があろうとも万が一にも負けない完璧な二段構え。

 

「平等なのもおかしいけど、怪しいな。なにか隠してるんだろ、どうせ」

 

そんなことをしなくても一夏の警戒心はもともと初めからマックスである。それはたびたび面倒を押し付けてきた過去の行い故であり、最初から一貫してなんとしても拒否の姿勢を崩さない。

 

「なかなか手厳しいねぇ。なら男らしく腕相撲でも。これなら種も仕掛けもない」

 

「もうやだ、こいつ。隠すのも諦めちゃった!?誰がそんな見え見えの罠に…!」

 

「俺はな、ただ平和に暮らしたい。それだけなんだ。そういうわけで、ここは友達を助けると思ってさ!」

 

「あの、じゃあ、俺の平和は…?」

 

「これでも真っ直ぐで純粋ないい子たちだから!それに今なら、なんと鉢巻きまでついてくるんだぞ!?」

 

男らしいとかそういうのをなにかと気にする一夏ならのってくると思っていたのに。相変わらず渋い顔で首を横に振る一夏に、なおも制服の裾を掴んでぐいぐいと食い下がる。もう一夏の都合などまるで無視だった。そんな男はなかなか色好い返事のもらえぬ一夏に早々に見切りをつけて、ついには一夏の連れていた女子たちに直談判まで始める。

 

「ねぇ、俺じゃだめかな?こう見えてもスポーツ全般得意なんだけど」

 

そんなことを言って自分を積極的に売り込んでくる男に、一夏の連れていた女子たちも考え込んでしまう。

 

「どう見ても得意そうに見えるよ!?」

「えっ、霞くんが来てくれるの!どうしよう…」

「わたしは別にいいよ、どっちでも!」

 

流れがオーケーの方向に傾きかけて、ほくそ笑む男。その顔はとてもじゃないが、悪を許さぬ北斗神拳伝承者とは思えない。

 

「桜さん!」

 

そんなやり取りをしていると、ここまで黙ってその様子を見ていた襷掛けの女子の一人が、いきなりその会話に割り込んできた。

 

「んだよ?お前らもどうせ男なら誰でもいいんだろ。ちょっと待ってろ、今交渉中だから」

 

面倒くさそうに吐き捨てる。しかしあまりにひどい言い草、ひどい言い草だ。さすがは自他ともに認めるひどい男だけのことはある。

 

「ふふふ。さてはこの期に及んで、私たちの忠誠心を試してるんですね?」

「でも残念でした。私たちは殿一筋ですから!」

「それよりゆっくりしてたら、もう会長帰っちゃいますよ?さあ、早く行きましょう!」

 

割り込んだ女子に残りの三人がすかさず続く。かなりひどいことを言われているのに、これぐらいではへこたれない四人組だった。

 

「試すわけねーだろう、そんなもん。誰が殿だ!ふざけるなよ?お前らってやっぱり本当にバカだな!?」

「「「「はぅ…!」」」」

 

叱られてると体をビクリとはさせるものの、それもどこか喜んでいるように見える。そして、促されるようにそんな連中にやんわりと背中を押される桜介。

しかしそんなことをしているうちにも、一夏は迷っている女子たちを連れて、そこから足早に立ち去ろうとしていた。

 

「おい待て、一夏!代われよ!」

「が、頑張れ。じゃあまたな!」

 

申し訳程度に一声かけてから、一夏はもといた女子たちと一緒にその場を去って行く。

 

「……これじゃまるで、疫病神にでも取りつかれてる気分だぜ」

 

桜介はそれを見送りながら、少し疲れた声で小さく呟いていた。

 

(今さらそんなこと言っても、しょうがねぇか。さて、どうする…)

 

廊下を進みながらも思考を巡らせる。よく考えたら自信満々で生徒会室を出てきた手前、今さら途中で投げ出すことなど出来ない。

別に男としての面子なんてどうでもよかった。ただ心配していた女を安心させたい。考えていることはそれだけだった。

 

「桜介!?なにやってんだよ?」

 

生徒会室にだんだんと近づいてきた頃、次に出くわしたのはダリルだった。

 

「ああ、なんだお前か。こいつらが俺を生徒会長にしたいらしくってな。そんな柄じゃねえっていうのに」

「「「「そんな柄ですよ!」」」」

「お前ら黙ってろ、ボケ」

「「「「あぅ…!」」」」

 

一言言われると同時に一瞥されると、指示に従って一斉に黙りこむ四バカ。

 

「まじかよ。なんで真っ先に声かけてくれねーんだ?水くせえじゃねーか」

 

そんな事情を聞いて、ニッと無邪気に笑うダリルはとっても楽しそうだった。しかし、桜介はなにが楽しいのかわざわざ詮索することもなく、せっかくなので目の前の女に協力を仰ぐことにした。

 

「なかなかわかってもらえなくてな。こいつらには正直困ってんだよ。なんとかなんねーかな?」

 

周りに聞こえないように、ダリルにだけこっそり耳打ちをする。あくまでも理想はこの集団に納得して諦めてもらい、同時に不満も沈静化させること。

もともとそれが目的であり、そのためにはもうなりふり構ってなどいられない。

 

「はっ、なんだそんなことか。お前のためなら、いつだって力になるぜ。とりあえずここは任せとけよ!」

 

相変わらずの馴れ馴れしさで、肩をバンバン叩いては軽快に笑うダリル。

しかし、このとき初めてダリルのことを頼もしいと思った。さすがに最上級生は違うな、と思わず目を細める。普段からその言動で自分を呆させることの方が多いダリルだが、生徒たちからの人望はあるのだ。それを知っているので、今度はそこに賭けてみることにした。

 

(なんとか頼むぞ…。うまくいったら、ラーメンに餃子をつけてやってもいい…)

 

そして桜組の女子たちを前に、ここからダリルの熱い演説が始まる。

 

「おい、お前ら。このIS学園で、本当に一番強くておっかねえのは誰だかわかってんのか!?ほら、言ってみろや!!」

 

「「「「桜さんです!」」」」

 

「そうだ、桜介だっ!閻王、霞桜介こそが最強だ!!じゃあ生徒会長は誰がやるべきか!?もう当然わかってんな!!」

 

「「「「桜さんです!!」」」」

 

「その通りだ!これからは暴力が支配する時代、つまり桜介の時代なんだよ!!じゃあ、そんな恐怖政治の覇者は!?」

 

「「「「桜さんです!!!」」」」

 

「大正解だ!いいか、おめーら。だったら道は一つ!オレらで桜介を王にするしかねーだろ?わかったか!返事は!?」

 

「「「「おー!!!!」」」」

 

最後に差し出された鉢巻きを力強く受け取り、それをギュッと頭に巻きながら、気持ち良さそうにカツカツ足音を響かせて戻ってくるダリル。まるで応援団のような長い鉢巻がとても良く似合っていて、そのあまりに頼もしい様子に、女子たちからはリーダー素敵!ダリル団長!とかそんな声もチラホラ聞こえた。

 

「おい…。ついに頭がいっちまったのか?いったいなんだ、これはよぉ」

 

ぐいっと胸ぐらを掴んで、壁に押し付ける。そしてこのアホをキツく睨み付ける。この駄目犬、もといバカ犬はいったいなにをやらかしてくれているんだろうか。

困ったことに演説する前よりも、明らかに女子たちのボルテージは跳ね上がっている。その勢いはもはや、最高潮と言っても過言ではないほど。

 

「ぐっ!オレが一番強いと思ってんのはお前だ…。オレが従ってもいいと思ってんのは、お前だけなのさ」

 

ダリルはいつになく真剣な表情で、向けられている厳しい視線にも、普段のように怯むようなこともなく、きっぱりとそう言い切った。

 

「ダリル…」

「はは…。これだけは譲れねぇな」

 

はにかんだように笑うダリル。それに桜介も掴んでいた手を離して、うっすらと笑顔を浮かべる。自分はただ普通に過ごしたいだけなのに、どうしてこうなるんだろう。それはどこか諦めたようなそんな笑顔。

 

「俺はそんなもんやりたくねぇんだよ!王にするだ?俺の意思はどこいった!なにも従ってねえだろ!?」

「そ、それは…!これから、おいおい…」

「オイオイ、なにがおいおいだよ!?それに俺がいつ暴力で支配しようとした!ほら、言ってみろよ!?」

「い、いま!いま、いま、いままさに…っ」

「やっぱり覇王も暴君もお前だったんだな!?何も知らない生徒たちの前で、きやすく閻王と言うなぁ!」

 

貼り付けたような笑顔のまま再び胸ぐらを掴み、今度は片手で軽々持ち上げる。そして、そのまま煙草を咥えてライターで火をつけた。ちなみに怒りにはもうとっくに火がついている。

無理矢理に荒々しく持ち上げられたことで、もともと際どい制服を着ているダリルの胸元がはだけ、黒の下着がもろに露出しているが、そんなものはもうまるでお構い無しだった。

 

「う、うぐぐ…」

「なぁ、返せよ!?俺の平穏無事な学園生活を!!」

「も、もともとねぇものを、どうやって返せと…っ」

 

やっぱりだ。すぐにこうやってしらばっくれる。悪党どもはいつだってそうだ。こうなるともう強硬手段に出るしかないだろう。

もともと悪党には滅法強く、苛烈に責め立てるのも得意中の得意。そしてそれは当然ダリルにもしっかり刺さる。ポケモンのように相性でいうなら、もちろんこうかはばつぐんだ。

 

「一応聞いてやる…なにが目的だ?」

「お前が、なめられねーようにだっ」

「別にいいんだよ。学校でまで怖がられたいわけがあるか、このやろう」

「いつもヘラヘラしやがって。そんなのでいいのか?なにがしたいんだお前はっ」

「図書委員さんとか呼ばれてみたかった…。お勧めの本を紹介したり、そんな穏やかな三年間を送りたかったんだよ!」

 

別にラノベ主人公などによくある、なにか事情があって力を隠している必要があったとかそういうわけではない。ただ今まで出来なかった平凡な学園生活というものに憧れていた。最初にその予定を崩したのはセシリア、次に楯無、そして今それをやろうとしているのがこの女。でもセシリアさんはちょっとあれだ。楯無もまあいい。さて今回は三度目の正直。

 

「う、嘘だろ、お前みたいなやつが!そんなめちゃくちゃな気の短さで!?」

「ほう、じゃあなにか?俺が普通の学園生活すら送れないほど野蛮で危険なとんでもない荒くれ者だと?」

「えっ……逆に違うとでも?」

 

やはり平穏無事な学園生活は力づくで勝ち取るしかないようだ。欲しいものは人任せでなく、己の力で手に入れる。邪魔なものはすべて排除すればいい。今までずっとそうしてきたのに、そんな当然のことをようやく思い出すことが出来たのが、今回唯一の収穫と言えよう。戦いの果てに平和があるのだから、これはまず手始めにその第一歩。

 

「この駄犬が。ふざけるにも程がある。もうしょうがねぇよな?この俺がきっちりしつけ直してやる!!」

「だ、駄犬…!!し、し、しつけぇ!?」

 

何を想像しているのか、ダリルはその言葉に顔を紅潮させ、思わず息を荒げてしまう。そんな痴態を晒しながら、初めて屋上で出会ったときと同じその眼光に身震いしていた。それは完全に自分を見下している、それこそ蔑んだような冷たい目。お前なんぞ眼中にないと、まるで遥か高みから格下を見下ろす冷酷な瞳。今まで自分にそんなもの向けてきた、いや向けることが出来た男など誰一人いない。だからこそ、初めて受けたその衝撃は本当に凄まじいものだった。

 

「き、厳しく、躾けて…」

「あ?なめんなよ、こら」

 

最近こいつ実はいいやつなんじゃ、なんて思い始めるようになっていた。その理由はなんといっても、あのとき奢ってもらったラーメン。その味を一生忘れることはないだろう。それに敵意があればすぐにわかる。フォルテには悪いが、さすがに二度の見逃しはない。自分だけならいいがそんなことをしていれば今度は周りにも危害が及ぶだろう。だから次に敵対したら即刻処分するつもりだった。しかしそんな心配は杞憂に終わり、どこまで本気かわからないあからさまな好意はともかく、今のところこちらに牙をむく兆候すら感じられない。そう思っていたが、やはりそれは大きな間違いだったようだ。

 

「な、な、舐めさせて…」

「ふざけてんのか、おい」

 

こんなやつに心を許しかけていた自分が恥ずかしい。ついには卑猥な欲望を口にし始めたダリルは、もはや自分の平穏な学園生活を脅かす最大の敵である。そうはっきり認識をすると、敵限定でとっても短気な男はすっかり我慢することなどやめていた。

雑に床へ放れば短く悲鳴を上げ、慌てて必死に床を這いつくばったまま逃げ出そうとするダリル。それに制裁を加えんとその背に向けて足を振りおろすつもりでいるのは、数々の悪をもれなく絶望の淵へ突き落としてきた閻魔様。これは決して男女平等キックなどではない。男と女、その上に敵と味方がくる、ただそれだけのこと。

 

「な、仲間割れはダメですよ!?」

 

激しく攻めたてようとする鬼畜に慌てた四人が一斉に腰へしがみつく。しかし、桜介はそんな連中にも厳しい視線のまま構うことなくこう言い放つ。

 

「こういうバカには体で教えてやるのが一番なんだ。邪魔をするなら、いっそお前らもまとめて教育を…」

「「「「どうぞ、どうぞ!!」」」」

 

そもそもがこんな男のファンなのだ。当然全員がどこに出しても恥ずかしいような筋金入りのドM。喜色を多分に含んだその声色に力が抜ける桜介だった。




次回でクーデター編完になります。


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85話

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簡単なお説教を行ったのち、また生徒会室に向けて進みだした一行。

そして、もう部屋に帰っててくれたらいいんだけど、という切実な思いも空しく、一行はついに生徒会室前の廊下で鉢合わせてしまう。

 

「……楯無」

 

それに最初に気づいたのは、やはり先頭を歩いている桜介だった。まだだいぶ距離はあるものの、遠くから見えるのは、水色の髪の少女。

そんな色の髪をもつ生徒は、この学園でも僅かに二人。二人とも自分に関わりの深い生徒だ。

どんなに遠かろうとそれぞれに好意的な感情を抱いている以上、その臭いを間違えるはずもない。

だからあれは間違いなく姉の方、つまり楯無。こっちに向かってゆっくりと歩いてきているのは、たしかに学園の生徒会長、更識楯無だった。

 

「お前ら、ここで待ってろ」

 

やがて距離が少し近づいてみながターゲットに気づいた頃、桜介は後ろを振り返らず一方的にそう告げる。

ついに諦めさせることは叶わなかったものの、一応は教育の成果もあったのだろう。その一声で歩を進めていた生徒たちは足を揃えてその場にピタリと止まる。

 

「あぐっ…!」

 

後続をおいて一人歩き出すと、すぐに呻き声をあげたのはダリルだった。

桜介はそれでもお構い無しに進む。ダリルは言い付け通り足を止めたまま、両手で首を押さえるようにして床をずるずるとひきづられていく。

 

「は、離せ!離せよ、くそったれ!!」

 

その悪態に対して瞬時に漏れ出る殺気。それは今までのようなおふざけではない。明らかに敵に向ける用の本物の殺気。数多では足りない。軽く幾千の敵を屠った怪物が放つそれはもはやそれ自体が凄惨な凶器に近い。

 

「おい…。もういっぺん言ってみろ」

 

むしろここまで怒らせて、いまだ五体満足で生存していることこそが奇跡に等しい。しかしこの先もまた迷惑をかけられるかと思うとそろそろおっくうになってきた。もういっそのこと意のままに動く操り人形にしてくれようか。

 

「あっ!いやっ、許して、お願いっ」

 

肩を震わせて怯えたように言い直すダリル。そこでやっと握っていた鉢巻きを離してやる。そして一瞬だけ冷然たる視線をやり、また背を向けて歩き出す。まるでお前なんぞいつでも塵にしてやるぞ、と代弁しているような強烈なプレッシャーだけを置き去りにして。持ち前の鬼畜さは絶好調だった。

 

「う、うう…!あ、あいつ、本当に虫けらでも見るような目で…っ」

 

首にきつく巻き直された長めの鉢巻き。それを握りしめながら、ダリルは高ぶった声を漏らす。

自分の希望を無視して生徒たちの勢いをさらに煽ったこと、さらには勝手に閻王の通り名を、なにも知らない生徒たちに広めたこと。

どちらも望んでいる平穏な学園生活にとって、妨害行為以外の何ものでもない。だから桜介は怒ってもいたし、ムカついてもいた。いくら悪気がなかったとはいえ、これはもう完全にダリルの自業自得である。

 

「よう、お疲れさん」

「あら、お疲れ様。あなたのお仕事は?」

「……見ての通りだ」

 

もともと顔を合わせるのも気まずいのだ。そんな桜介は早速痛いところをつかれ、もう困り顔でこう言うしかなかった。

 

「見てもわからないわよ?」

「どうやら俺にお前を倒して生徒会長になってもらいたいらしい…」

 

突然そんなことを言われても、楯無はただただぽか~んするしかない。クレームをなんとかするため、それだけのために派遣されたというのに、何故さらに状況を悪化させて帰ってくるのだろうか。

 

「そう。相変わらず他人事のように言うわね。やりたいなら代わってもいいけど。やりたいの?生徒会長」

「はぁ…。冗談じゃない、お前までそんなことを…。俺は自ら人の上に立とうとは思わない」

 

心底嫌そうな顔で言われて、どうしてもげんなりしてしまう楯無。よく見ると引き連れているメンバーも、全員が少し前に自分が倒した連中ばかりだった。

当初の目的が思ったように上手くいかず、成り行きでここまで来てしまったと、まあそんなところだろう。それでこの困り顔かと、楯無はこの状況を瞬時に理解した。

 

「……でしょうねぇ。この際だから、どうしてこうなったかは聞かないでおくわ」

「理解が早くて助かる。まさか北斗神拳の伝承者が、女子を力でねじ伏せるわけにもね…」

 

じゃあ先ほど首に紐のようなものを付けて、力ずくでひきづり歩いていたように見えたのは自分の気のせいだろうか。

相変わらず調教しているようにしか見えない。それにダリルの服装が乱れているのも、正直とても気になるところだ。

 

「それで押しきられて、のこのことここまでやってきてしまったと?北斗神拳の伝承者ともあろう人が?」

「その言い方は……やめてもらえるかなぁ…」

 

互いに引きつった笑みを浮かべる二人はちょうど少し離れたところにいる集団からはいがみ合っているようにも見える。

 

「じゃあ、拳法家さん…。一子相伝よね、あなたのところ。どうしてハーレムを作ろうとしてるのかなぁ」

「作るか、バカ…。そんなものは俺には糞食らえよ。むしろ迷惑だな。面倒なだけで何のメリットもない」

 

厳密にいえばこの学園自体、男が入学した時点でハーレムになること必至の、まるでその為に用意されたと錯覚してしまうような場所であり、まさに男の夢を具現化したところと言っても過言ではない。しかしきちんとTPOはわきまえているつもりだ。ここは学校、つまり勉強をする場所である。遊郭でもあるまいし、わざわざそんな場所で女遊びなどするつもりはないのだ。

 

「じゃあなんでこうなるのよ?やっぱり作るつもりなんでしょ、ハーレムを!」

 

しつこく何度問い詰められようがその答えはノーだ。一人だけでも悩んでいるのに、それが何倍にもなるなんてそれこそ冗談ではない。よっぽどのすきものならともかく、そうではないのではっきり言って百害あって一利なし。そう、例えるなら煙草のようなものだろう。

チョロインハーレム。適当に学園を歩けばチョロインに当たる。こんな環境ならば作るのは簡単だ。むしろ作らないための努力が必要なのかと思えるほど。しかし大変なのはその後のこと。そんなもの作ってしまえば、次代の伝承者争いは熾烈を極めることになる。骨肉の争いになるのは間違いなく、この人数では腹違いの兄弟たちによる殺し合いの勝ち抜きトーナメントまで開催されてしまう。それを止めようとすれば今度は親子喧嘩になり、やっぱり殺し合いに。外ではどうせ殺伐としてばかりだし、せめて家庭ぐらいは平和がいい。そんなイベント、間違っても起こさせちゃいけない。

 

「こいつらはな、勝手についてきちゃったんだ…」

「なによ?その犬や猫を拾ってきた子供のような言い訳は。元いた場所へ返してきなさい」

「……返したいよ、俺だって」

 

自分が狙っているポジションはあくまで知る人ぞ知る紳士的な図書委員さん。どう間違ってもハーレム王などではない。

 

「……本当かしら」

「本当だよ。だいたいそういうのは一夏の仕事だろ?まったく、もう少し頑張ってもらいたいもんだな…」

 

織斑一夏は良くも悪くも天然の女たらしである。しかしそれだけじゃ足りない。確かに世代屈指のハーレマーであるが、それでも取りこぼしはあるのだ。女性関係のトラブルを全て向こうに押し付けたい。どうやらその望みを叶えてもらうにはもっと女性を惹き付け、その注目を一身に集めてもらう必要があるようだ。つまり天然に加えてのプラスアルファ、本人の努力も必要。だからそれを怠っているあいつが悪い。そんなことを平然と口にして責任転嫁する。先程見捨てられた仕返しも兼ねたいっそ清々しいほどの開き直り。

当然その言い分で納得してもらえるはずもなく、ジト目を向けて軽く睨み合う。その様子はもう端から見れば、これから戦うようにしか見えない。

 

「それにしては、あなたの仕事もきちんと出来ていないようだけど?」

「ぐっ!俺はただ目立たずひっそりと穏やかに過ごしたいだけなんだよ…」

「そんなの最初から無理よ、あなたには」

「…しばらく放っといてくれ。俺は図書室に籠もる」

「拗ねないの。それよりどうするつもり?この状況」

 

のんびり日常を暮らしたいのはわかるが、そのくせ大の喧嘩好き。あまりに矛盾しているし、我が儘にも程がある。それにただの高校生というにはあまりにもオーラが異質すぎて、なんならそこにいるだけで目立つ。しかしそれは今に始まったことではなく、楯無も今さら突っ込むつもりはないので、とりあえず話を先に進めることにした。

 

「ふ…。それだがな、俺にいい考えがある」

 

楯無は顔をしかめているが、やっと本来の話題に戻ったことで、桜介は安堵の笑みを溢す。

そこから説明が始まり、しばらくしてようやく話が終わると、二人はそのまま少し距離をとる。

 

「ふぅ~。かかってこい」

 

そして口に煙草を咥えたまま、力を抜いていつも通りゆったりと構える桜介。

 

「もしこんなのが生徒会長になんてなったら…。私が卒業するまでに、勝てる人いるのかしら…」

 

今も廊下で旨そうに煙を吐き出している、もしこんな男が生徒会長にでもなってしまえば、風紀は乱れに乱れまくること間違いなしだ。まさか自分が風紀を気にする時がくるとは夢にも思わなかった。もし仮にここが男子校であれば、入学初日のうちに生意気だと呼び出され、早々に絶対王政が敷かれていたことだろう。

仕事はすごく出来るのになんてもったいない、とガックリ肩を落とす。楯無はそれを想像すると今から不安で不安で仕方がない。単純に強さや能力でいえばゆうにその基準は満たしている。学園最強の称号にこそこだわりはあるものの、それも譲る相手による。有り余る才がありながらそれに胡座をかくことなく、全身全霊でもってひたすらに誰よりも強くあろうとするその生き方にも惚れている。だからいつ任せてもいいと思っているのも事実。むしろ自分が内助の功だとか言ってそれを支える、なんていう美味しい展開を期待したいぐらいである。

しかしそれはあくまで真面目にやる場合の話。残念ながら、そんな未来は訪れない。実際のところ、真面目にやるわけないだろう、この男が。

自分だって真面目かと言われれば正直違うだろうが、これはもうそんなレベルじゃない。

強さも能力も、なんならカリスマ性だってある。ただただ絶望的にやる気と常識がない。自分も常識にはとらわれないタイプだ。しかしこの男は圧倒的にそれ以上。文武両道にして大胆奔放。長所も短所も似ているが、決して上位互換ではない。何事もほどほどにという言葉がある。長所短所ともに自分を軽く上回るそれはもはや手のつけられない問題児であることを意味する。

もし仮に権力など持たせようものなら、即日食堂の隣にバーやシガーバーでも作ってそこに入り浸ることだろう。そんな暴挙を制御出来る同級生が果たしているのだろうか。

一人だけ思い浮かんだのは、同じクラスの金髪のお嬢様。最近お説教されているを見たし、なんならちょっとだけビビってる節がある。

じゃあそうなると、将来的には一緒に生徒会を?自分のいない生徒会室で?もしかしたら二人っきりで?

そんなのは駄目だ、絶対に駄目。もちろん却下、それが当たり前だし、認められない。

こうなったら、一年留年するのも視野に入れるべきか。そうすれば同じクラスになって一日中ずっと一緒にいられる。よくよく考えたら、それはそれでとても魅力的だ。

 

「ぷふぅ~。いつでもいいぞ」

 

「本当に、いいのね?」

 

これが最後の確認とばかりに、不安そうな様子で尋ねる楯無。これは作戦の最終確認である。そしてその作戦はいたってシンプル。戦いを挑むふりをして、楯無にあっさり倒されるというものだ。

だから思いっきりぶん殴ってくれ、とそんな提案をしていた。

 

「だからそう言ってんだろ。ほらほら、ちゃっちゃと終わらせようぜ」

 

そのぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、自分と目を合わせて穏やな表情で頷かれると、やっぱり躊躇してしまう。いくらこんな事態を招いてしまったからといって、相手は出会った頃から好きで好きで、それこそ夢中で追いかけた初恋の男。

今回も何とかしてくれようと彼なり頑張ってくれたことはなんとなく伝わってきたし、今までも本当はいつだって優しくしてくれた。それを無抵抗なのに本気で殴るなんてこと、果たして自分に出来るだろうか。

そんなことを考えている時、ふいに楯無の脳裏に過ったのはやはりまだ知り合ったばかりの頃、顔を合わせるだけで恥ずかしかった時のこと。

 

『あれれ〜、なんだか顔が赤いな。熱でもあるんじゃない?見せてみな、ちょろ無さん?』

『うぅ……!』

『それより得意の水着エプロンはどうした?なんなら裸でもいいんだぜ。痴女無ちゃん?』

『ううっ、ううう!』

『どうしてよそ見ばかりしてる。ほら、またからかってみろよ俺のこと。なあ、処女無?』

『う~~っ!うううう~~っ!!』

 

やっぱりこの男は一度ぐらい、思いっきり殴ってもいいのかもしれない。

むしろ殴った方がいいような気がする。結局布団の中に引きこもるまでいじめられたあの屈辱を思い出し、楯無の気持ちにも変化が生じる。けして一度や二度ではない、恥ずかしくなって逃げ出すたび、最後は捕まえられていじり倒された。

今思えば最初から自分の好意にも気づいていたんじゃないだろうか。それでいてひたすらに知らんぷりを。いくらどうしようもない過去の事情があるとはいえ、ひどい話だ。そこに気づいてしまったら、もう思い出すだけで顔から火が出るほどに恥ずかしい。

 

(だいたい、処女無って!それじゃ、まるで私がなんだか尻軽みたいに…)

 

それに思いっきり殴ったところで、どうせたいして効きやしないだろう。楯無の気持ちは徐々に逆方向へと傾いていく。

 

「桜さん、信じてます!」

「桜さ~ん、頑張って!」

「桜さん、格好いい!」

「桜さん、やっちゃえ~!」

 

わかってはいたが本当に人気がある。特に一部の女子たちはもはや熱狂的だ。ここまでくると崇拝されていると言っても決して過言ではない。理由はある程度予想がつくものの、楯無としてはやはり面白くないし、あまり気分のいいものではない。だから嫌味の一つも言ってやりたくなる。

 

「……大人気ね……」

「そんなことないよ」

「わかっているんでしょ?あなたは別にそこまで鈍感ってわけじゃないものね」

「そのスキルについては今勉強中なんだ。あればなにかと便利だと、最近そう思ってね…」

「これから取得しようと!?自ら積極的に!?そんな資格でもとる感覚で!?」

 

驚愕するのも無理はない。どこまでも傾いている。種明かしをすると、あえて鈍感さを身につけることによってこうして責められた時、手前にもわかりませぬで押し通そうという腹なのだ。鈍感だから仕方がないと諦めるとでも思っているのだろうか。まったくもってふてぶてしい男である。それにしてもまさかの次回予告。次はこんな手を使いますよと宣言しているに等しい。やはりどこかぶっ飛んでいる、あるいはよほど大物なのかもしれない。いずれにしてもこの男は間違いなくバカだが、それ以上にバカにされているように思えるのが腹立たしい。そんなつもりはまったくなかったが、ことあるごとに『素敵ね』『すごいわ』とついつい本音が漏れてしまい、やっぱり少し甘やかし過ぎたのかも。最近は特に。好きな人にはどうしても甘くなるもの。でもそのせいで侮られてしまっては元も子もない。

百歩譲って人気があるのはまだいい。二人しかいない学園の貴重な男子だし、容姿もいい。それもある意味当然だろう。天性の人たらしと天然の女たらし。その違いこそあれ、ここまではもう一人の男子である織斑一夏も同じこと。いや、人数で言えばおそらく一夏の方が多いだろう。やはり一般的に欧米などの海外とは逆に日本ではマッチョより細マッチョ、ワイルドな男前よりもキュートなイケメンくんの方が受けがいい。しかし癖が強い分、コアなファンが多いのは確実にこちらの方。

女尊男卑のこの時代でも、世の中には相手に力強さや頼もしさを求める女子もいまだ存在する。いや、男が弱いこんな時代だからこそ余計にそうであるのかもしれない。加えて野性味のある男性や、Sっ気のある男性を好む女子だって一定数はいる。そして、余裕のある男性にこそ女性は甘えられる。そのあたりに関しては全て極まっているのがこの男。

客観的に見ても、精悍な顔立ちに逞しい体つき、武に対してだけは誰よりも真摯に向き合う姿勢、基本的に明るく気さくな性格だって持ち合わせている。

なるほど。そう考えたらたしかに格闘系女子たちがこぞって夢中になるのも頷ける。

 

(それにしても……ここまで慕われるとはねぇ)

 

もし自分が襲撃される度にいちいち代わりに相手をしてこなかったら、その際逆にアドバイスまで送ったりしていなかったら、ここまで懐かれることなどあっただろうか。いいや、なかったはず。

生徒たちの相手ぐらいたとえ何人でこようとも、自分一人でどうにでもなったのに。実際もうわざわざ相手をしなくていいって何度か言ったのに。

この人はいったい何を考えているのだろう。いいや、どうせなにも考えていない。

確実にただの暇潰しだと断言出来る。だから余計にイライラしてきた。

 

「こ…今度…試しに呼んでみるかな…ご…ご…ご主人様って!!」

 

なにやら興奮気味の声が聞こえてくる。そちらを反射的にキッと睨んでみれば、床にへたりこんだまま、褐色の肌を真っ赤に染め、震える自分の体を抱きしめるダリルがいた。

今まで自分より強い男に出会ったことがない、いや、むしろ存在しないとすら思っていたダリルにとって、男に力ずくで言うことを聞かされる経験などもちろん皆無。それが躾によって新たな趣向に目覚めていたとしても不思議ではない。もともとなによりも、その苛烈さに惚れ込んだのだから。

しかも無理やり胸ぐらを掴まれたときに、制服の上着のボタンがとれており、そのせいで下着がもろに見えている。もはやあられもない姿だった。

 

(こ、ここ、これじゃあ、お、お、襲われたようにしか見えないじゃないっ!)

 

思わず目を覆いたくなるような惨状。そんなものまじまじ見てしまってはさすがに楯無もひどく動揺した。

どうしてこんな風になっているのかは知らない。しかしどうせ犯人は一人しかいないのだから、調教だけは順調に進んでいるに違いない。というか、様子を見るにもうほとんど終えているんじゃないだろうか。

本来の仕事は全く上手くいかず、現にこうしてほぼ丸投げされているにも関わらずである。本当に何をやっているんだろう、この男は。あまりに気になったので、現在進行形で痴態を晒し続けるダリルをわなわな怒りに震えてしまう手で指差しながら聞いてみることにした。

 

「あ、あのさ、桜介さ、あ、あれは、なに…?」

「見ればわかるだろ?犬だよ、犬。あまり粗相をするんでな、教育してやった。そしたらキャンキャン鳴いちゃってさ」

 

ああ、なんて晴れ晴れとしたいい笑顔。そして、殴りたいこの笑顔。きっとやることやってすっきりしたんだろう。

何度もやめるように言ったのに。あんなにやめるように言ったのに。なのに、悪びれる様子も全くない。それどころか、まるでよくぞ聞いてくれました!という感じで嬉しそうにそんな報告をしてくる。

 

「そ、そうなんだ。あは、あはは…」

 

もういい、もう充分。殴る理由なんて、考えれば考えるほどにたくさんある。それになにより今は無性に殴りたい気分だった。むしろ自分の中でずっと殴りたい男不動のNO.1だったことをすっかり思いだしていた。むしろもう一生忘れられないだろう。からかわれ、振り回され、弄ばれたあの日々を。

 

「いくわよ!覚悟しなさい!!」

 

気合いの入った掛け声と同時に、体をぐっと沈ませて前傾姿勢で低く低く構える。

息を大きく吸い込んで吐き出し、そこで息をピタッと止めてそのまま床を強く蹴った。

それは楯無が生身で出来る最高速の動きだった。

楯無は動きだしから一瞬のうちに、もう相手の懐に飛び込んでいた。そして、次の瞬間。

 

「ああっ、本当に憎いわ、憎たらしいっ!くらいなさい、乙女の怒りをっ、『深い深い愛情(ディープ・アフェクション)』!!」

 

という名の、楯無渾身の右パンチが完璧に鍛え上げられた腹筋に深々と突き刺さった。愛情も時には憎しみに変わるのだ。

 

「げぇっ!俺、なにかした!?」

 

それは普通の人間なら肋骨が何本も折れてしまうような威力で、桜介は驚きの表情を浮かべた直後、盛大に後方へ飛んでいく。

 

「霞桜介…。自分の存在が一番の粗相と知りなさい」

 

「失礼すぎる。しかしそれにしても、やっぱりお前って重いよな…」

 

ふっ飛びながらそんな会話もして、その鋼のような肉体が長い廊下をだいたい二十メートルぐらいは飛んだだろうか。

おまけによほど勢いがあったのか、床に落ちてからもズザザザーっと倒れたまま後退する。

 

「ああっ、気持ちよかった。なんだかとってもすっきりしたわぁ♪」

 

ようやくその勢いが止まると、パンパンと軽く手を叩きながら、にんまり笑顔を浮かべる楯無。

それにしても相変わらず演技が下手だ。いくらなんでも飛びすぎでしょ…。などと思いつつ、周りの集団へと目を向ける。

 

「「「「えっ…………」」」」

 

すると女子たちは完全に沈黙していた。おそらく今実際に起こったことが、まだ信じられないのかもしれない。

稽古という名の襲撃をたびたび繰り返しては、時には余所見しながら、時には指一本で軽くあしらわれてきた。

そして入学してから今日に至るまで、一年生同士の模擬戦でもいまだ無敗。まだ負けているところなど、誰も見たことがないのだ。

そんな男がただのパンチ一発で、あっさりやられてしまったのだから無理もない。

 

「ま、まじかよ……」

 

先ほどまでトリップしていたダリルも、見ればすっかり正気に戻っている。

もちろんそれだけじゃなく、集団の女子たち以上に驚きを隠せない様子だ。

それもそうだろう。実際に自分自身が学園祭の屋上で牙を折られるまで一方的に蹂躙されている。

それに裏の世界でも最強の呼び声高いあの閻王である。そして自身もあの日からこの男が最強だと強く信じてきた。そんなダリルにとって、その驚きは到底計り知れない。

 

「あらぁ。やられちゃったわねぇ、桜介くん。さて、どうしましょうか?」

 

すでに意気消沈している連中にも、楯無は冷たく無慈悲に問いかける。

そう、更識楯無はもともとSっ気満載だ。ただそのパートナーが強烈すぎて、普段は内に秘めたMの部分が目立つだけ。これでも好きな男には合わせるタイプだった。

 

「……ラッキーパンチだろ」

 

呟くような小さな声だが、静まりかえっているこの場ではそれは充分によく響く。

 

「そ、そうなんですか?それにしてはものすごい吹っ飛んでましたけど…」

 

集団の中の誰かが不安げな様子で、まるですがるように問いかける。

 

「そうに決まってんだよ…。じゃなきゃあの桜介が、こんな簡単にやられるわけねーだろ!」

 

聞いてきた相手を睨みつけながら、ダリルはまるで自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

「た、たしかに……」

 

他のメンバーもその勢いに押されるように、静かに相づちを打つ。

 

「現実を見なさい、現実を。倒れたの、あなたたちの大好きな彼は」

 

生徒たちに改めて言い聞かせるように言う。色々と突っ込みどころ満載な台詞だ。

桜介が隣にいれば妄想ばかりしているお前が言うなと、突っ込みぐらいはいれたことだろう。

それが千冬であれば大好きなのはお前だろうと、やはり突っ込みをいれたはず。

しかし今そんな突っ込みをいれられるものは、残念ながらここにいない。

 

「てめー…。調子にのんなよ」

 

その場にへたりこんでいたダリルは、ここでようやく立ち上がる。そして自分にとっての最強をぶっ飛ばしてしまった楯無を歯を食いしばって鋭い目つきで見据えた。

 

「あははっ。のってたらどうするつもり?」

 

「決まってんだろ。桜介の仇をとってやる」

 

楯無に向けられているその眼光は、たしかな意思を感じさせるものだった。

ここまでくると楯無も、この女意外と手強いなと考えを改めざるをえない。

それにしてもよくこの短期間で、こんなアウトローな女をここまで手懐けたものだ。

しかしよくよく考えれば、本人がある意味それ以上のとんでもない無法者。今まで本当にフリーダムに色々とやらかしている。それもあるのだろうが、非常に不本意ながら今は床で寝ている男にもついつい感心してしまう。

 

「やりましょう!」

「桜さんの仇うちをっ!」

 

ダリルの言葉に触発されたように、放心していた女子たちも復活する。

ダリルに続くように、次々に勇ましい声をあげる女生徒たちの集団。

ただでさえ単純で乗せられやすい人間ばかりが集まっているのだ。こうなるのはもう必然だった。

 

「……うまくいかなかったわね」

 

この時点で、桜介の目論見がすでに失敗していることなど楯無以外は誰も知らない。もとより事前に説明したこの作戦の目的は大きく分けて二つ。

一つめは自分があっさりやられることで、この集団を幻滅させて愛想をつかされること。

二つめは楯無の強さを改めて見せつけることで、もう二度と反抗されないようにすること。

どちらもラッキーパンチ発言のおかげで、見事なまでに台無しとなっていた。

 

「まずは私たちが挑みます!」

「ダリルさんは、桜さんを!」

「一矢報いてみせますよっ!」

「あとのことは、よろしく!」

 

覚悟を決めた顔で四人組は後ろを振り向くと、それだけ告げて楯無に突っ込んでいった。

 

「お前ら……」

 

実はこの四人組、全員が二年生である。後輩たちのそんな姿にダリルは感慨深い声を漏らす。

 

「結局、こうなるんじゃないの。作戦なんて慣れないものを考えるからっ」

 

そもそも完全に直感で動くタイプの男がまともに作戦など立てられるはずがないのだ。一夏が天災のお気に入りであるように、この男もまた天のお気に入り。天に愛されているが故に直感でだいたいうまくいってしまう。最近はあまり使っていないが、旅をしてる間は迷ったら投げた金属盤の表裏で行動を決めたほどだ。それで万事オッケーなのだから楽天家になるのも無理はない。

 

「ああ、めんどくさいなぁ!」

 

楯無は愚痴をこぼしながら、四人組とそれに続いた二十名を順番になぎ倒していく。

 

「桜介、大丈夫か?」

 

その間に倒れている桜介に駆け寄ると、抱きおこして胡座の上に頭を乗せ、膝枕をするダリル。

それから何度か呼び掛けるが、返事はない。それでもダリルはなおも呼び掛ける。

 

「……唇ぐらい奪っちまってもいいかな。許してくれるよな、味見だけなら……」

 

色気を含んだその呼び掛けに、寝たふりをしている桜介は内心ぎょっとした。

たしかに楯無のパンチは結構痛かったが、もちろんそれぐらいで気を失ってはいない。

楯無のふかふかした柔らかい感触とは違うガーターストッキング越しのより筋肉質な強い弾力をしっかり満喫していた。これは不測の事態にも風に流れる雲のように柔軟に、とりあえず一度は状況を受け入れる。その度量があればこそのなせる業。そもそもが実際にわざわざ自分から行くかどうかは別にして、なにかの間違いで遊郭にでも放り込まれればその場はきっちり遊べる男だ、もともとは。

 

(バカかこいつ、俺は白雪姫じゃねーんだぞ…)

 

しかし、薄目で睨みつけようにも自慢のバストが邪魔をしてその顔すらも拝めず、今は絶対領域の太ももを撫でつつも、ただ静かにひっそりと眉を寄せることぐらいしか出来ない。

 

(作戦が裏目に出るとは…。読めなかった、この霞桜介の目を持ってしても!)

 

もしここで起きたら全てが振り出しに戻ってしまう。もうここまで来たらまた楯無に全員倒してもらうしかない。そう思っているのでまさか起きるわけにもいかず、ただただ困惑するばかりの苦しい状況だった。だったらせめて気晴らしにでもなればと、健康的な小麦色の太ももに指をツツーッと滑らせていく。

 

「んっ!寝てるのに手つきがやらしい…」

 

目をつむっているのだから、うっかりストッキングの中に手が入ってしまうこともあるだろう。いまだ太ももを撫で続けているのも、急に動きを止めて怪しまれるのを避けるため。なんとなく手持ちぶさたで撫で始めてしまったのが悪いといえば悪いものの、今となってはもうどうしようもない。

 

「なにしてるの!?今すぐ離れなさいっ!!」

 

不穏な動きにいち早く気づいた楯無が豪快に蹴りを繰り出しながらキレ気味に叫ぶ。

 

「絶対手の届かねーと思ってたものが目の前にある。そこで指咥えて見てるやつはただのバカだろーが?」

 

そう言ったあと、ごくっと唾を飲む音が桜介にだけ聞こえてきた。

 

(ただのバカだろ、お前…。しかしなぜ唾を飲む?欧米ではただの挨拶だよな、キスは…)

 

洋画などでも友人同士でマウストゥマウスの挨拶をしていたし、もしかしたら向こうではおやすみのキスぐらい当たり前なのでは、と思い始めた矢先に降って湧いた疑問。それによってますます焦り出すが、身動きがとれない桜介は仕方なく演技を続行する。

 

「それは盗人の思考でしょうが!ああ、もうっ、邪魔邪魔邪魔!!」

 

そうしてる間にもダリルは膝枕したまま上半身を屈め、そのまま顔を下ろし始める。

 

「沈黙は肯定と同じって言うよな…。それじゃ、まずは一口だけいっとくか」

 

寝ているんだから返事のしようがない。そんな相手にもこの理論を使って正当化する。アウトローの真骨頂だ。

もともとダリル・ケーシーはどこからどう見ても肉食系女子である。しかし相手が百獣の王では、その本領を発揮するのも無理というもの。それも相手が寝ていれば話は別。この千載一遇のチャンスを逃すはずがない。慎重に細心の注意を払って確実に獲物を狩ろうと近づいていく。

 

「ダリルぅぅ!そんなのルール違反でしょう!!それをやったら、戦争よ!?」

 

楯無がまた女子の顔面に躊躇なく拳を打ち込む。しかしいくらなんでも人数が多すぎた。万に一つも負ける可能性はないが、連中も最強の格闘家に憧れるだけあり、それぞれの競技の全国大会出場者という精鋭たち。一人一人ならば瞬殺も出来るだろうが、多勢であれば倒すのにまだ多少の時間がかかる。

 

「けっ。それでも裏稼業の元締めか、お前。オレにはルールなんてねーんだよ」

 

「……後悔させてやる。これは最期の忠告、やめるなら今よぉ!」

 

楯無はそんな脅しをかけながら、女生徒の鳩尾を思いっきり蹴っ飛ばす。これも桜介には到底出来ない芸当だ。

 

「誰がやめるか、ボケ」

 

既に息がかかる程の距離で自分の口癖まで真似されて、いよいよ本気で焦った桜介がとった手段。それはひどく単純なものだった。

ごろんと寝返りをうって顔を背けることで、それを回避することにしたのだ。

 

「「なっ、なぁっ!?」」

 

刹那、あれだけいがみ合ってはずの二人が揃って同じような叫び声をあげる。

それもそのはず。スカートが短いのも手伝って、寝返りをうったことで中に頭がすっぽりホールインワンしてしまったのだから。

 

(結果オーライ、ここなら安全だ。こんなつもりじゃなかったが、まさにラッキーパンツというべきか…)

 

しかし、とりあえずの窮地はこれで凌げるだろう。とどこまでも冷静な男とは違い、その行動に女たちは冷静さを失ってしまう。

 

「お、お、桜介さん!?そ、そんな、まさかお前さんの方からっ!?」

 

スカートの上から両手で頭を押さえながら、慌てふためく。普段まったく相手にされていないだけに、このとんでもない行動によって、ダリルは完全に挙動不審になってしまっている。

 

「このすけべ!あなたって人は!時々信じられない行動にでるわよね!?すぐに起きなさい、起きないと殺すわぁ!?」

 

一方の楯無はもう怒り狂っていた。すっかり頭に血が昇っており、作戦なんてものもすっかりどこかに忘れてしまっている。

 

(まじかよ〜。助かったと思ったのに、これはどうやらやぶ蛇だったようだ…)

 

さすがにこれはまずいと思い始めるが、もう完全に後の祭りだ。今さら、ぼく実は起きてましたとも言えないだろう。

 

「こらっ、さっさと出てきなさい!頭隠して尻隠さずとはこのことよ!?」

 

ようやく見つけた安住の地、やっと一息つけると思ったら、そこは地雷原だった。楯無は引き続き断固として、そこからの早期退去を要求する。

 

「ひっ?」

「でっ!」

「ぶ!?」

 

怒りに任せて無双していく楯無。やられた者たちのどこか聞き覚えのある呻き声が、次々と静かな廊下にこだまする。

 

「これは隠れてるっていうのかよ?むしろ頭しか隠れてねーじゃん…」

 

まだそんな突っ込みを入れる余裕がある分、ダリルの方が少しは冷静なようだ。

しかしそんな余裕も、けして長くは続かない。

 

「はぁ…ンッ!息がっ、息がかかってぇ…」

 

なにをやっても上手くいかない。この状況では百戦錬磨の男でさえも、ため息を連発するしかないだろう。

そして、それは当然並みのため息ではない。タバコをわずか一息で一気に根本まで何本もまとめて吸いきるほどの肺活量から飛び出す空気の弾丸だ。それはドライヤーの強を直に押しあてるよりもずっと強い。

 

「やっ、やめ、ああっ、ふーふーしないで…!」

 

なにはともあれ、まずは落ち着いてこの状況をどうするか。それを考えなければなるまい。だから桜介は深呼吸をする。

そうすると、またしてもダリルに容赦なく襲いかかるそれはもはや荒れ狂う暴風。

しかし男は至って真面目。決して湿ってるからついでに乾かしてやろうとか、そんな余計なことは微塵も考えていない。

 

「だからギャグパートは嫌なの。名もなきモブ達がこんなにしぶといはずないでしょう。そろそろ本当に怒るわよ!?」

 

楯無は手に持った扇子で側頭部を強打。そうして女子達をまた一人また一人と倒しながら、ついにはそんな警告をする。

 

(あ〜あ、言っちゃった…。実は俺が鍛えていたとか、そういう裏話があるかもしれないだろ)

 

それに名前のない人間なんているはずがないのだ。どこかの修羅の国でもあるまいし、本当おかしなことをいうものだ。

 

「そう、無視するわけだ?いいの?いいのね、本当の本当に怒っても!?」

 

まるで今ならまだ許してくれるかのように聞こえる。しかしもうそれなりに長い付き合いである。すでにカンカンに怒っていることなどとっくにお見通し。そんな甘い言葉に釣られるもんかと、ついつい反抗してべ~っと舌を出してしまう。

 

「ひっ!?こ、こらっ、やっ、やめろぉ…っ。舌が、当たってる、だめっ、そんなとこぉ…!」

 

隙を見せたらすぐに欲望のままの行動に出たくせに。悲鳴をあげているようだが、自業自得だろう。考えれば考えるほどにこの犬、色々となめている。普通あれだけ厳しく締め上げれば途中で根をあげるか、逃げ出してもおかしくない。それなのに、しつこく絡んできてはそのたびに自分の平穏を脅かす。その根性は立派だし、逆によく恨んで襲ってこないなと思うほど。並の悪人であれば最大限の恐怖を与え、命乞いを理不尽に拒否した時点で逆上し、本性を表して襲ってくる。そこで止めをさすのがいつものパターンだが、ダリルには一切その挙動が見られないのだ。しかし、やはりなめられっぱなしは性に合わない。

 

「ひゃああ!バカ、バカ、なめちゃだめだってぇ…」

 

それに安易にあんな子供だましにひっかけようとした楯無も楯無だ。こうなると桜介も頑固である。いまだ引きこもる意思はその鍛え抜かれた腹筋なみに固い。そっちがそういうつもりなら、こっちもいつまでだって籠城する覚悟だ。

そして古来から籠城戦といえば、やはり食料が胆になってくる。

 

「ああっ!いたぁい…っ」

 

眼前のもも肉にガブッと無心でかぶり付く。どうやら空気の薄いスカートの中にいることにより、酸欠で一時的に知能が低下しているのかもしれない。不思議なものだ、海には素潜りでも十分以上余裕で潜っていられるのに。

しかし腹が減っては戦が出来ぬと昔の偉い人も言っている。そのあたりはやはり読書家の面目躍如と言えなくもない。

 

「んぅぅ!やだぁ、やめて、いたいのはっ」

 

何度も何度も矯正しただけあり、言葉遣いだけは多少改善したようだが、寝た振りをした途端食べようとしてきたのだ、この愚犬は。

だったら、改めて立場を思い知らさねばなるまい。どちらが捕食者で、どちらが被食者であるかということを。そう野生の本能が囁いた。だから反対側の太ももも大胆にガブガブする。

もともと人を食ったような男だが、実際に食べようとしたのは意外なことにこれが初。ちなみに胡座をかいている以上足を閉じることも出来ず、これが楯無ならとっくに頭へ肘でも落としているところだが、そんなことも出来るはずのないダリルはずっとノーガードのやられ放題だった。

 

「な、なななっ、なにをやってるのよっ!ふ、ふざけるのもほどほどにしとくべきよ!?」

 

なにやらいかがわしいことをしているのに気づいて、もちろん楯無はさらに憤る。

しかしそんなに責められれば、年下の男なら誰だっていじけてしまうだろう。

 

(なんだよ…。そんなに怒んなくったって!)

 

案の定、桜介はその怒りを敏感に察知するとさらなる奥地へと引っ込んでいく。それこそ北風と太陽のようのようなものである。そして、ここにいる間中ずっと禁煙しているともなればなにかしゃぶりたくなるのが愛煙家の性。

 

「あっ、くっ、ああ…!ひい…!だ、だめっ、だめだよぉ、そこはぁ…」

 

「そうか。かくれんぼを楽しんでるわけだ。そんな不埒ものは成敗するしかないわよね!!」

 

別にすっかり気分は冒険家というわけでも、宝探しをしているわけでも、もちろんかくれんぼをしているわけでもない。もとを正せば単純に合わせる顔がない、それだけのことなのだ。

 

「……むにゃむにゃ。もう食べられないよ……」

 

いよいよ最終勧告をされたことで、自分が暴走してしまったことにやっと気づく。が、もう引き返せない。だから本当に寝てたことにしようと考えて、最後の悪あがきをする。もう食べられないのくだりはもちろんダリルを試食したことに対してのフォローである。演技にはこだわりがあるのでこういうところも芸が細かい。

 

「寝たふりをしても無駄。今までなぜか自信満々だから言わなかったけど、もういい。あなたは演技が致命的に下手。そして変装はさらにド下手。それはもう完全に素人以下。はっきり言って下手の横好きもいいところ。気絶してる人はむにゃむにゃ言わないのよ!」

 

それは非情な通告だった。時には事実をそのまま告げることが相手を深く傷つけることにもなる。

 

(ぐぬぬぬ。お、落ち着け、落ち着くんだ…。あんなの見え透いた挑発。そうだ、そうに決まってる!)

 

読書と並ぶ大切な趣味をここまでバカにされて、当然悔しい気持ちにだってなってくる。それでも今は寝たふりを続けるしかない。しかし桜介はあまりのショックと動揺でわなわな震えながら、気づけばスカートの中で煙草を咥えていた。

 

「え、うそ!?やっ、やだ、やめて、お願い、お願いします、どうかっ、そんなところで寝煙草はぁ…っ」

 

まだ火だってつけていないのに、外からは早くもすすり泣くような声が聞こえてくる。

全くもってふざけている。どいつもこいつも馬鹿にしているとしか思えない。いくらヘビースモーカーといえども、寝たままライターで煙草に火をつけるなんてあり得ないだろう。咥えるだけならまだしも、そんなのはもう寝煙草じゃない。

 

「ああっー!」

 

あんまりビクビクと動かれては寝心地が悪い。それで思わず枕をバシンと叩いてしまう。

本来物に当たるのはいただけない行為だが、当然こちらにだって言い分はある。本当に泣きたいのはこちらの方なのだ。今回の作戦は全て失敗に終わり、結局始末をつけてもらうはめなった。それだけじゃなく、今も余計に怒らせてしまっている。それでいったいどの面下げて出ていけと言うのだろうか。

まさにお先真っ暗、ついでに視界まで真っ暗だ。ここは松明の代わりにまずは煙草に火をつけるとしよう。

 

「やっぱり火遊びするつもりなのね、わかった。そうなる前に私が鎮火してあげるわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

しかし他の女の秘境を探検しているのをいつまでもただ黙って見過ごす楯無ではない。

楯無は怒りの形相でガトリングガン『バイタル・スパイラル』を右手に握ると、それを二人の方に向けてぶっぱなす。

 

「はあ!?このアマ、ふざけんじゃねーぞぉ!?」

 

ダリルは急いでヘル・ハウンドを部分展開し、向かいくる超高圧水弾を炎の弾丸で相殺する。

 

(ふぅ〜。こんなの生身で食らったら、俺だって穴だらけで死んじゃうよ?)

 

今は一人床で寝かされている桜介も内心ひやひやする思いだった。

 

「おい、生徒会長。さすがに寝てる相手にこれはないんじゃねーか」

「本当に寝ている相手ならね。まあいい、早くそれをこっちに寄越しなさい」

「あっはっは、断る。これはオレのご主人様だ。譲るわけにはいかねーな」

 

若くして裏の世界を生きてきた女たちらしい殺伐とした雰囲気。これは誰かが止めなきゃとんでもないことになる。軽い冗談のつもりが、戦争になるなんて冗談じゃない。そう思って桜介はそろそろ起き上がるタイミングを見計らっていた。

 

(それにしても、やはりこの犬は危険だな。飼い主の手にも平気で噛み付くような狂犬。…里子に出すか)

 

もうモブ達は全員おねんねしているわけで、とりあえず今回の目的は達したのでいつ起きても問題はない。

もちろんまだ楯無に対する気まずさは残っているが、もうそんなことを言っている場合ではなさそうだ。

 

「なっ!?な、なにがご主人様よ!?私はそういう冗談は嫌いなのよっ!」

「冗談ってなんだ?とにかくそういうことわけだ、これは諦めてもらおうか」

「あいにく、それは私の主人なの。諦めるわけないでしょう!それより本気でひかないつもり?」

「あたりめーだ。これから部屋に持って帰って、さっきの続きをするのさ…」

 

ギロッときつく睨みつけられているに関わらず、頬を上気させてとろけた表情を見せるダリル。そして先程まで鉢巻きが巻かれていてまだうっすら痕が残っている首、それからくっきり歯形が残っているももを順番に撫で下ろす。そんなダリルはもう完全に雌の顔。いや、雌犬の顔をしていた。

 

(しかし結婚願望がすごいな。そういえば最近部屋にそういう情報誌まで。…せめて見えるところに置くなよ)

 

どうなるにせよ、就職とかも考えればそういうのはせいぜい十年ぐらい先の話だろう。戦国時代でもあるまいし。呑気にそんなことを考えていると、楯無の眉がピクピクと動いた。それを薄目を開けている桜介は決して見逃さない。ああ、このままずっと静かに寝ていられたらどんなにいいか…。

 

「そんなことはさせない。そのバカは少しお茶目がすぎる。だから私が持って帰ってお話するの」

「たしかに、このサドはすごくやんちゃだよな?でも男なんてそれぐらいでちょーどいいんだよ」

 

互いにひどい言いようだが、こんなろくでなしをお茶目ややんちゃで済ませるあたり、二人ともすでに盲目となっているのは間違いないだろう。

 

「ダリル…。そんなこと言っても、どうせ男なんて知らないでしょう!」

「なぁっ!?お、お前だって、知らねーだろ!?もうバレてんだよ!?」

 

話がどんどん下らない方向へと加速している。しかし、すっかり熱くなっている二人はそれに気づかない。

これでもこの二人、普段は飄々としていて同性から見ても格好よく見えるらしくその人気は高い。加えて学園最強と次に強いと思われている三年生のトップ。当然その見た目や振る舞い、強さに憧れている生徒も多いのだ。

 

「私はもう少しなの…。だからさっさと諦めなさい。どうせ相手にもされてないんだから!」

「お、オレだってもう少しだっただろうが!?いいところでお前が邪魔したんだよ!」

「するに決まってるでしょ!?あんなの学校の廊下でやっていいことじゃないのよ!」

「てめーこそいつもベタベタしやがって!あいつはそんな男じゃねーんだ!ふざけんな、この色ボケ!!」

 

それがこの様である。いまだ続いてる終わりの見えない不毛な争いに、桜介の表情もだんだんと渋いものへと変わっていく。

 

(処女ビッチが二人…。これはキャットファイトかな?いや、それともドッグファイトかな?)

 

あまりのくだらなさに面倒くさいを通り越して、もう困り果てていると言ってもいいだろう。

 

「誰が色ボケよ!?私はトンビに油揚げさらわれるようなまぬけじゃないの。はっきり言って時間の無駄」

「誰がトンビだ!汚いのはお前だろ。どうせ中国にも勝手について行ったんだろ」

「くだらない、何を証拠にっ」

「他人、ましてや女を巻き込むタイプじゃねーだろ。そういうやつなんだよ」

 

どうやらどんどんヒートアップしているようだ。これを仲裁するのはなかなか骨が折れるし、想像しただけで気が重い。

 

(味噌汁の具じゃあるまいし…。もう両方持って帰って俺が仲良くお仕置きしてやろうか)

 

そして二人のぞんざいな扱いに拗ねてもいた。それでもなんとか争いを止めようときっちりタイミングをはかることだけはやめない。

 

「くっ、知ったような事を…。と、とにかくさっきは立派な猥褻行為よね!?それは生徒会としても見過ごせないわ!」

 

図星をつかれて楯無が悔しそうな表情をする。それにしても先ほどから桜介の過大評価が止まらない。いったいダリルはなにを見ているのだろうか。そんな硬派な一面もあるにはあるが、それはあくまでも本質的な部分。世の中には雰囲気イケメンという言葉がある。意味はようするに雰囲気がイケメンということなのだが、それと同じように桜介は雰囲気硬派なのだ。普段からその戯れぶりをずっと見てきた楯無からしたら、そこまで潔癖なイメージはどうもしっくりこない。むしろそれどこの霞さんかしら?と思わず聞いてみたくなるレベルだ。

 

「ははっ。それらは全て合意の上だ。だったらなんの問題もないだろーが」

「おかしいわね!?合意の上にしては何度もだめだめ言ってたじゃない!」

「そ、それは言葉の綾だっ!お前だって散々してきただろ?真面目ぶりやがって、この猫かぶりが!」

 

互いに顔を真っ赤にして喚きたてる。先程、普段からクールを気取る楯無が最近の甘えている姿を揶揄された仕返しに、男勝りなダリルの一方的に嬲られ、まるで媚びるように懇願した姿を指摘する。もう完全に互いの足を引っ張り合う泥試合の様相を呈していた。

 

「はあ!?誰が猫かぶりよ!」

「お前だろ。せこいんだよ!」

「いいわ…。決着、つけてあげる」

「……おもしれーなぁ、上等だぜ」

 

そして二人が本格的にISを展開させようとしたとき、もうここしかないと思った。両手を広げて瞬時に二人の間へ飛び込むように割って入る。

 

「おはよう。犬と猫、炎と水、それにアメリカとロシア…。きっと相性が悪いんだろう。だが、喧嘩することないんじゃない?」

 

霞桜介は睨み合う、きっとこの学園でも一二を争うほどに怖い先輩たちの前で腕組みしながら、いつもの緩い感じで堂々とそう言ってのけた。

 

「相性…」

「ああ、悪いみたいだな」

 

楯無の呟きに、コクンと頷いて相づちを打つ。

 

「ええ、ええ、わかっておりますとも!あくまでも自分が原因ではないと、そう言いたいのね?」

「だってそうだろ。寝てる間になんかあった?」

 

楯無の眉がつり上がり、眉間に皺がよる。

 

「なるほど。それってつまり寝ていても、自慢の鼻は女の園を正確にかぎ分けちゃうってこと?」

「そんなの知らないよ。気絶してたんだから」

 

楯無の額に、はっきりと青筋が浮かぶ。

 

「そうね…。無意識であんなこと出来るなんて、よっぽど好きなのね……。スカート潜りがっ!」

「そんなスカートめくりみたいに言われてもねぇ」

 

楯無の握りしめた拳に、さらに力が入る。

 

「そんなかわいらしいものじゃないわ」 

「ならば謝ろう。寝相が悪くってどうやらご迷惑をおかけしたようだ。お騒がせして申し訳ございません」

 

キセルを口の右端に咥えて左を向いたまま頭を下げている。これは上から見れば一見きちんと謝っているように見える。しかし、実際にはよそ見をしていて本当は謝る気はまったくありませんというわけだ。その証拠によく見るとキセルを上下にピコピコさせて口で遊ばせている。

 

「こ、これははっきりさせておく。あなたの寝相は決して悪くない。むしろきれいで、寝顔だってとっても素敵なの…」

「お前が言うとなんだか生々しく聞こえるよ。しかし今回はたまたま悪かったというね…」

 

あくまで徹底して偶然を装う。たしかに早めに謝れば多少マシになるかもしれないが、そもそも罪を軽くしたいわけじゃない。全てなかったことにしたいのだ。

 

「あんなのラッキースケベとは言わせないわ!あれはもうそのレベルじゃない、ただの強姦未遂よね!?」

「む……」

 

たしかに一般的にラッキースケベといえば、つい着替えをのぞいてしまったり、何かの拍子に触ってしまったりするのがデフォルト。上級者編でもせいぜい一緒に倒れこんだりしたところで顔がちょうどスカートの下敷きに、または体勢をなおそうと動いたことで体をまさぐってしまう結果に、はたまた転んだ拍子にパンツをずりおろしてしまい、なんてまあいいとこその程度だろう。

しかしそんなちょうどいい塩梅でそつなくこなせるのはあくまでも天才の場合。偽りの天才、いわゆる凡人ならばその極地に至るには何倍もの努力と経験が必要なのは自明の理。

自分があとを継いだとき、北斗の高僧たちが北斗神拳は人材を得たり。と口々にそう言ったらしい。勉強だってそうだ。本を読めばそれだけで人よりもよく出来た。どうやら才能はある方なのだろう。今までずっと無意識にそう勘違いをしていた。その結果がこの醜態だ。

いったいどれぐらいぶりだろうか、全力を出してなお遠く及ばない、そんなふうに感じたのは。格の違いを思い知らせるつもりが逆に思い知らされたのは。

時には失敗して殴られたのでやけ酒してふて寝したことだってある。技を見ただけでものに出来る北斗神拳の特性、それでも絶妙なタイミングまではどうしても再現出来なくて。しかも相手には全く意識すらされていない。一方的にライバル視しているのはこちらの方。その立ち位置は向こう側からすればただの噛ませ犬ポジションの雑魚ということ。

最初はただの暇つぶしであった。しかし、挑んでは負け、挑んでは負けで初めて味わった挫折。でもそれがなんだか嬉しくて強い高揚感を覚えてしまう。むしろそういうときこそ燃える男だった。

そんなわけで。諦めません、勝つまでは!と今回も果敢にチャレンジしてはみたものの、悲しきかな。しょせんは真似事の二番煎じ。それでもオリジナルより秀でたところをあえて一つ挙げるとすれば、チャンスとみたら迷わず倍プッシュを選べる思い切りの良さだけだろう。だからといって、もともとその才なきものにそんな自然な動きや、適切な匙加減など到底出来るはずもなく…。

 

「他に言い訳は?」

 

「うん……ごめん」

 

事実上の敗北宣言だった。どちらかといえば趣味にも力を入れるタイプだし、いつだって遊び心を忘れないのがもっとうだが、これが現状の己に出せる精一杯の実力。己はまだまだその道では旅の途中どころか、歩み始めたばかりの初心者。最初からそのジャンルの特化型相手に張り合えるはずもないのだ。それをあっさりと認めることが出来る潔さと、飽くなき向上心。両方を持ち合わせているのは大きな長所であり、そして今後の伸びしろだろう。

 

「それで許されるとでも?」

 

しかし、どうやらそこのところもまったく評価してはもらえないようだ。こうして言い争っている間も、ずっとお腹をゴスゴスと叩かれている。決してポカポカなんてかわいいものではない。

こちらは既に相当キレている。どう見ても簡単にはおさまりそうもない。

やはり仲裁するなら、簡単な方から攻めるのが定石だろう。だから今も容赦なく殴ってくる楯無にひとまず背を向け、まずはダリルと向き合うことにした。

 

「ダリル。まずは一口だけって、なんだ?」

 

「はぁっ!?なっ、なんで、それをっ!?」

 

いきなりアワアワしだしたのを見て確信する。やはりこちらから攻めるのが正解だったと。しかしなかなかそう上手くはいかない。

 

「やぁー!はぁー!」

 

「ぐっ、ぐえっ、蹴るな!もうちょっと待って」

 

「少しは痛い目にあいなさい、このド変態っ!」

 

わりと本気で尻と背中が痛いが、何はともあれ今はとりあえずダリルだ。楯無はそのあとにゆっくりと時間をかけて説得すればいい。

 

「とにかくだ!だめだよ、暴力なんて!」

 

「そ、それはっ…!だって、だってさ…」

 

「痛い、だから痛いんだよ!?謝るから」

 

ダリルが言い訳をし始めるが、もうそんな話を聞いている時間はない。とにかく尻が痛いので、多少強引にでも話をつけることにした。

 

「めっ!わかった?ダリル、お返事は!」

 

「は、はい!でも実は起きてたんじゃ…」

 

「それはそれだ!喧嘩とは関係ないだろ」

 

きっぱり言い切られると、うっ…!と黙りこむダリル。それ見てやっと本命に集中するべく、後ろを振り返ることが出来た。しかしあくまでもここからが本番なのだ。

 

「忘れないから、私を後回しにしたこと」

 

腕を組んでいまだ険しい顔を浮かべている。そして腕組みしているその上には、立派なお山がドンと二つ乗っていた。それを見るとついつい手が吸い寄せられそうになってしまう。まるで主婦がお饅頭に手を伸ばすように自然な仕草だった。習慣とは本当に恐ろしいものだ。だけど、それはきっと罠だ、ハニートラップだ。いつもなら軽く怒られることはあっても、そこにエベレストがあったからと、小粋なジョーク一つでなんだかんだ許してくれる。しかしそれも今なら間違いなくひっぱたかれるだろう。少なくとも桜介はそう判断して伸ばした手を途中で引っ込めた。

 

「なによ、その手は?」

 

「なんでもないですよ?」

 

「私は今まであなたが気軽にやってくる、そのセクハラ染みた行為にも、ずっと目を瞑ってきたわよね?」

 

「……そうですねぇ」

 

スタートから全く反論の余地がない。あまりにその通りすぎてもうぐうの音も出ないとはこのことだった。

 

「人の胸やお尻を…。本当に気まぐれに!なんの遠慮もなしに!そんな気もないくせに!」

 

「……おっしゃる通りですねぇ」

 

やはりお見通しのようだ。それでも最初はあれをマッサージだと言い張ってやろうかと思った。お家柄、ツボに関しては誰にも負けない自負がある。実際にそれを知っている楯無からはよく頼まれている。なんなら医者よりよほど詳しい知識を持っているし、どこをどうすればどうなるのか完璧に把握している。もちろん知識だけでなく施術についても、超高速の格闘戦の中ですら相手のツボを正確につけるのだ。動かぬ相手に失敗などするはずもなく、その効果はといえば体が楽になるどころか時には病気だって治せてしまうほど。そんな自分にとってただのマッサージなど、高名な数学教授に小学生の算数を解かせるようなもの。少なくともその言い訳でマッサージの定番であるお尻はまあなんとかなるだろう。問題は胸だが、今日より明日なんじゃ〜!と種モミじいさんのようなことを言ってみたところで、残念ながら揉んだのは種でなく胸。ここで悪気はなかったとでも言ったら、まるで痴漢の犯人の供述みたいだ。改めて日頃の行いを思い返してみたが、そればかりはどうしても上手い言い訳が見つからない。

 

「み、認めた…。認めちゃった!やっぱり遊びっ!?遊びなの!?遊びだったのね!?」

 

「……そんなことは」

 

重い重いと思いながらも一応は否定する。遊び半分でやってたのがいけなかった。ようするに真面目にやれということだろう。しかし、真面目になにをやれというのだろうか?このお姉さんは。

 

「別に嫌ではなかったし、あなたも男の子だからね、そういうのもしたいのかなって、そう思ってたの…」

 

「う〜ん、そうか…。どうもありがとう?」

 

「も、もしかして……ふざけてる?」

 

「とんでもない!!」

 

どうやら今回は真剣なようだ。それにしても、楯無がここまで怒っているのは久しぶりのことだった。

 

「な、なぁ…。上海の悪夢とまで言われた男が、そんなまさか女の尻に…」

 

「今は会話中だろ、しゃべんなボケ!礼儀を知らねぇのか、こら!!」

 

「こ、こわぁ!き、気のせいか…」

 

ふざけたことを言う駄犬はすぐにでも黙らせる。これはどんな時であっても常識である。

 

「だけど他の女にもそれをしようっていうなら、当然話は別よね。そんなの許さない……絶対許さないわ」

 

「だがな、あれをセクハラっていうなら、むしろお前の方から積極的に…」

 

色んなところをマッサージしたのはあくまで頼まれたから。胸だって当ててきたり、押し付けられたりしたこともある。それで毎回向こうに来てもらうのも悪いからと、こちらから迎えに行くことにしたのだ。これはもうある意味デートの待ち合わせみたいものだろう。

 

「ふぅん、それを言うんだ!?私はあなただけよ?見境なしの狼さんと一緒にしないでくれるかなぁ!?」

 

「そう思うだろ?しかし忘れているんじゃないかね。俺は今回胸にもお尻にも一切触れていないという…」

 

「死ぬ?」

 

そう言って首筋にランスを突きつけられる。もう言い訳はするだけ無駄のようだ。それにやっぱり悪いところはしっかり悪いと認めるべき。

 

「すいません…」

 

そしてすぐさま諦めた。今までの経験上、こういう場面で言い訳するのは逆効果だったりする。だったら、ここからはなだめる方向にシフトチェンジだ。

 

「……どうせ言葉だけでしょう?」

 

「…悪のりしたのは認めよう。本当に悪かったと思ってる。しかしそんなに怒らなくても…」

 

「これで怒らない女がいるぅ!?」

 

「じゃあさ、せめて優しく怒るとか…」

 

本人も反省しているんだし、と続けてどうにかこうにか諌めようとする。そこだけ見ればまるで叱られている子供を庇う娘にとても甘い父親のよう。今日のところは自分に免じてこれぐらいで許してやってはくれまいか。そんなふうにやんわり諭しているのだと思わせる落ち着いた穏やかな大人の対応だった。

 

「ねえ…。それどの立場で言ってる?」

 

「ごもっとも!!だからごめんね!?」

 

ここは謝り倒すしかないだろう。本当にダリルとは一味も二味も違うようだ。ちょろ無さんとか言っていた頃がもはや懐かしい。

 

「隙あらばふざける、そして謝ればすむと思ってる。まずはそれを改めなさい!」

 

「わかったから落ち着け。ほら冷静にね?すぐに熱くなるんじゃない。いつもの澄ましたお前の方がいい」

 

思えば、母も涼やかな雰囲気を持つ神秘的な女性。再会したときの印象は、思わず物の怪の類かと疑ってしまったほど。楯無もそこまでいかなくても、わりもそういうところがあったりする。激流を制するは静水。自分はもしかしたらそんな女性に弱いのかもしれない。

 

「はぁ!?しらじらしい、全ての元凶がなにをっ!」

 

と、思ったがそれはどうやら気のせいだったようだ。

 

「だいたい、私ひとりで充分でしょう!?お色気お姉さん枠はっ!」

 

やはり気のせいで間違いないだろう。楯無は両の拳を胸の前で握りしめて、そんなふうに力説してくる。しかし、入学する前にいたところでは右を見ても左を見ても女性はみながみな色気むんむんのナイスバディ。可愛さでいえばこの学園の女子が上だが、色気ではそちらが勝る分耐性がついている。今更そのお色気(笑)とやらでどうにかなるはずもない。それにしても、真面目に怒っていると思ったら不意打ちでそれはずるい。

 

「ぶっ…!笑わせるのは卑怯だろ!?」

 

「な、なにを笑ってるの?こっちは全然笑いごとじゃないわよっ…!」

 

「……正直どっちも機能してないんじゃ……」

 

「……なに?なにか文句があるのなら、はっきり言ってみなさい!」

 

「ちっ……調子のんなよ、このチョロりが…」

 

小声でボソッと反撃。事実を言っただけで、なぜここまで責められなければならない。あれだけやらかしておいても、まだそう思える強靭なメンタリティと、あくまでそれはそれ、これはこれと割りきれる図々しさ。

 

「なっ、な!い、い、いまなんと!?」

 

「俺が悪かったとそう言ったんですよ」

 

本当はもっともっと反撃したいところだが、今はこれが精一杯。攻撃したらすぐに引く、見事なヒットアンドアウェイ。

 

「それならいいけど……。本当に真面目に反省してるのかしら?」

 

「……してますよ」

 

「じゃあ……その眼鏡は?まさか真面目アピール!?真面目アピールのつもりかしら!?本当にそういうところよ!?」

 

「申し訳ない!」

 

すぐに両手を合わせて謝る。謝ると決めたらとことん謝る。決して中途半端なことはしないのだ。

 

「お、おいおい、桜介さんっ!?数々の組織から恐れられた男が、そんな簡単に女にペコペコと…」

 

「さっきからうるせぇな、こいつ。もう黙ってろや?この犬っころが!」

 

「……ジキルとハイドか、こいつ……」

 

もう片付いた相手に余計なことなど言わせない。そこだけは徹底している。眼鏡を外し後ろに向けて一睨み、それからまた眼鏡をかけて前を向き苦笑いする。

 

「あんなことしておいてなかったことにする。そこはさすが、お見事。でも私はそんなに甘くないわよ?」

 

「それより、さっきから痛いんだけど。ほら、お前って強いんだから」

 

相手をたてつつ様子をみる。こうして少しずつ城壁を崩すように怒りをおさめていく作戦だ。そう、先程までの籠城戦とは打って変わってこれは攻城戦。情勢は不利だが、負け戦こそ戦の華。それを楽しんでこその漢である。

 

「ふんっ。たいして痛くもないくせに!」

 

「痛いに決まってるさ。なにせ学園最強の生徒会長様のパンチだ。あやうくまた気絶しちゃいそうだよ?」

 

もともと女子の拳とは思えぬほど素晴らしいパンチをお持ちなのだ。しかもまだ成長途中というのだから、末恐ろしいとはこのことだろう。しかしこのパンチ、これはだめだ。てんでだめのだめ無さんだ。この拳はこちらの言葉に感情を乱され、ただ怒りに身を任せただけのもの。つまりは手打ちであり、腰も入っていないため、いつものようなキレがまるでない。これならわざわざ受けの体勢を作るまでもなく、人差し指で軽くピンと弾いてやることにした。驚くべきことだが、どんな大男だって邪魔するやつは指先一つでダウンなのだ。

 

「んなぁ!?このっ!」

 

「そんなに怒らないで?ほら、いいこいいこ」

 

さり気ない神業を軽く見せたあと、パンチを手の平で捌きながらめげずにもう一度褒めてみる。いつも褒められると照れながらも嬉しそうにしているのを知っている。これは確実に効果的なはず。そして、パンチは避けずにきちんとすべて受け止めることが大事。こういうとき攻撃を避けられれば、余計にストレスが溜まるに違いない。もちろんその合間をぬって頭を撫でることだって忘れない。餅つきの返し手のようにタイミングよく手を伸ばしていく。普段撫でられるのも恥ずかしがりはするものの、本当は喜んでいるのがよくわかる。少なくともやらないよりかはやった方がずっといいだろう。

 

「こ、子供扱いしないのっ!そういうところが……憎たらしいのよ…」

 

これだけおだててみても、やはりだめ。取り付く島もない。天下取り、いやご機嫌取りへの道のりは相当険しいようだ。さらにいつも通り余裕な態度がなおさら気に入らず、またしてもいいボディブローを打ってくる。

 

「ま、まったく…。私のほうがお姉さんなのよっ」

「わかったよ、お義姉さん。今度から俺のことはさ、義弟くんとでも呼んでもらって…」

「ねえ、死ぬ?」

 

そしてまたランスを鼻先に向けられる。これではまるで無限ループだ。しかもこのままでは永遠に抜け出せそうもない。困った。本当に困った。こんなに厄介になるぐらいなら、一生ちょろいままでもいいのに、とすら思えてくる。自分さえついていればへんな男にひっかかる心配だって皆無だろう。

 

「もういい加減許してくださいよ…」

「いいえ、今日という今日は許せないわ。これはもう今回のことお母様にも報告かしらね!」

「……そんなことするなら、俺は部屋を出ていく」

「な、なにをっ!」

「そうだ、生徒会もやめちゃおう」

「なっ、な、なっ!?」

「寂しくなるな、会えなくなるなんて」

「ひ、卑怯者…。卑怯者、卑怯者っ!」

「痛い、お前のポカポカは痛いんだよ!?そんな釘でも打つみたいに!だいたい親に言いつけようとか卑怯なのはどっちだ、おい」

 

涙目ポカポカはたしかに可愛いが、その威力と脅しは全然可愛くない。どこの世界にリバーやハートを的確に打ち抜くポカポカがあるというのか。

赤子の頃に生き別れて何年か前に再会した際、立派になってと泣きながら喜んでくれた。そしてあなたの親であることを誇りに思うと、そんなことも言ってくれた。そんな母に何を言うつもりなんだ。あの母なら責任を感じて、ともに天に帰りましょう。なんてことを言い出しかねない。やはりもしかしたら、重いところは似ているのかもしれない。一番似てなくていいのに、そんなところ。

 

「だったら知られたくないようなことしなきゃいいでしょ、しなきゃっ!」 

「うんうん、ごめんごめん。俺が悪かったから、もう機嫌なおせよ。な?」

 

本気で怒っているというのにパンチを受け止める手とは逆の手を頭に置かれ、まるであやすような口調で言われる。楯無はそれがまた気に入らない。

 

「だ、誰のせいかなぁ!?私も潜らせてあげる。ほら、大好きなスカート!ほらっ、ほらほら!」

 

そんな楯無は惜しげもなくスカートをあげると、ストッキングの下から薄ピンクの下着が見えていようがお構いなしに挑発した。

そして羞恥心と怒りで顔を真っ赤にして自分にもやれと食って掛かる。本当はこんなことでダリルを羨む必要も、無駄な対抗心を燃やす必要もないというのに。

 

「いい子だから、その言い方やめようね?もう部屋に帰ろう。腹へった、お前の飯が食いたいな」

 

もう二度と女を好きになることはないと思っていた。そんな中出来た好きな女。心変わりなどあり得ない。

だいいち、付き合ってもいない女に嫉妬からキレられたり、ときには暴力を振るわれる。これは一夏の周りでもよく見られる典型的な理不尽行為だが、本来この男には通用しない。己に降りかかる理不尽を許さぬのが、理不尽の権化。そもそもが縛られることを嫌う奔放気質。それ故、自分も基本的に相手の行動を縛ることはしない。時には悪党にさえ死に方を選ばせてやるところなど、そのへんがよく現れていると言えるだろう。もし本当に理不尽だと思ったなら、お前には関係ないと一蹴する。そうしないのは、すでに告白されているから。そして自分もこの女を好いているからにほかならない。北斗神拳の伝承者でさえなければとっくに自分から告白している。いまだ付き合えていないのは完全に自分のせいだとよくわかっているのだ。

 

「そ、そんなので、ごまかされると思ってる!?それに、だ・れ・が、ちょろ無ですってぇ!?」

 

今はそんなこと言ってないのになんなんだろう、と本当はそう思わないでもない。しかしとりあえずそれは置いておくことにした。

今日はもう疲れたから、早く部屋に帰ってゆっくりしたい。さっさと帰って夕飯食べてベッドでゴロゴロ過ごしたい。

そんな桜介はまたしてもいつものように突然閃いた。そうだ、どうせなら。

 

「楯無」

 

「な、なにっ?」

 

「たまには一緒に寝ようか」

 

疲れているときというのは無意識に安らぎを求めてしまうもので、ご機嫌取りの意図など一切なしの純粋な提案だった。

 

「「な、なななっ、なぁっ!?」」

 

楯無とダリルは二人同時に叫ぶ。その様子にこいつら実は仲いいんじゃないか、と桜介は少しだけ思い直すことにした。

 

「もちろん、お前が嫌でなければ」

「いやなわけ……ないじゃない…」

 

そっぽを向きながら楯無が本音を漏らす。いくら不機嫌だからといって、ここで突っぱねるのはあまりにもったいない。

そんなことすれば当分の間、後悔することになるのは目に見えている。それに断ったらもう誘ってもらえないかもしれない。勝手に潜り込んだことは数知れないが、今までにこんなお誘いは冗談混じりのたった一度きりだったのだから。

 

「よかったよ。じゃあよろしく頼む」

「こ、こちらこそ。不束者ですが…」

 

ドキドキして変なことを口走ってしまう。あれだけ怒ったあとだから、断られると思っていたのだろう。安心してほっと一息つく姿。普段の憎たらしさもあって、そういう素直な反応をされると余計に胸が高鳴る。

 

「ん?まぁいいや、だったら早く帰ろうぜ」

「そ、そうね、うん……。か、帰ろっか…」

 

だめ押しとばかりに再度促されると、楯無は恥ずかしそうに下を向いて両手の指をもじもじ合わせながらも、その顔はすっかりにやけていた。

 

「じゃ、そういうことだから。お疲れさん!」

 

桜介はいまだ鯉のように口をパクパクさせて呆けているダリルに軽く一声かけて、それから楯無の手をぎゅっと握った。

 

「あっ…」

 

あまりにも自然に繋がれた手。そしてその温もりととても大きくて男らしい、女のそれとは明らかに違うゴツゴツとしたリアルな感触。

突然の行動に弱い楯無はそれをじかに感じて、もう何度か繋いでいるというのに、かぁーっとおもいきり赤面し、どうしてもそわそわしてしまう。

 

「お、桜介くん、早く!早く行こう!今日は牡蠣ごはんに、鰻の蒲焼きよっ」

「それはうまそうだ。しかしそんなの食べたら、なんだか元気になっちゃわない?」

「な、なにいってるのよ!気のせいよ、気のせいっ!あはっ、あははっ!」

「なんだ、気のせいか。それなら大丈夫……本当に大丈夫かな…」

「いいからいいから!美味しいの作るからっ」

 

桜介は一瞬だけ考えてしまうものの、美味しいならまあいいかとすぐに思考を放棄する。そして握っている手に少しだけ力を込めると、楯無はそれにまた顔をほころばせた。

無意識でそういうことが出来るあたり、もはや楯無のご機嫌とりに関してはプロと言ってもいいだろう。ただし、怒らせる方もプロ中のプロだが。

 

「だがそうなると酒が欲しくなってくる…」

「それならあるわ、中国でもらったあれが」

「ああ、ハブ酒か…。和食に合うのかね?」

「ばっちりよ、料理に間違いなく合うわ!」

 

こと料理に関しては、楯無が言うのなら間違いないだろう。そこには今まで日々築き上げてきた全幅の信頼があった。

そして珍しく飲酒の許可をもらったことで、さらに期待に胸膨らませる桜介。

和気あいあいとそんな話をしながら、二人は手を繋いで仲良く歩きだす。

 

「こええ女だ…。相手が底なしに脳天気なのをいいことに、やりたい放題しやがる。おとぎ話の魔女か、てめーは!?」

 

後ろからはそんな声も聞こえてくる。しかし一刻も早く帰りたい二人が、それぐらいでわざわざ振り返ることはない。

 

「桜介も警戒心を持て、少しは!大人しく添寝しようって顔じゃねーぞ。隣にいるのはな、おとぎ話の魔女なんだよ!」

 

頂点捕食者たるもの基本的に警戒心を持たない。そうとはつゆ知らず、捨てられた子犬のようなダリルがもはや可哀想なぐらいだった。それでもマイペースな二人は振り返らない。

 

「さあ行くわよ。あ、そうだ。買い物行かなきゃね!」

「今バイクは整備に出してるから、自転車になるけど」

「二人乗り!いいじゃない!!そういうのを待ってたのよ、たまにはそういう高校生らしいのをっ」

「テンションが高い……なあ、やっぱり怪しくない?お前が急に飲ませてくれるなんて」

 

それでもダリルの発言は全くの無駄というわけではなく、脳天気な男にも僅かながら効果があったようで、じーっと楯無の目を見つめて問いかける。

 

「……大丈夫。それより今日は御馳走だから。松茸に鮑の茶碗蒸しもつけてあげる」

「楽しみだよ。……しかし、御馳走なのにいかがわしく聞こえるのはどうしてだろうねぇ……」

「心配いらないから。お姉さんに身を任せなさい」

「飯食うのに身を任せるって、おかしいだろ」

「も、もちろん健康管理よ!放っておいたらラーメンばかりじゃないの!武道家は体が資本でしょ?」

 

そんなこと言われたらやっぱり嬉しくなってくるのが男心。もともと高い好感度がさらに天元突破し、気づいたらプロポーズしてその日のうちに婚約から結納までさせられてしまいそうになる。しかしそれらはもちろんなにも裏がなければの話で、目が泳いでるので今は怪しさの方が勝るのが残念なところである。

 

「それは本当にありがたいよ。だがな、あいつの言っていることも一理ある…」

「あんなの気にしなくていいの。どうせ負け犬の遠吠えなんだから♪」

 

うふふと上機嫌に笑って、楯無は扇子をぱんっと開く。そして、そこには『勝利』の二文字。

仮にも恋のライバルの前で選んでもらった。その優越感もあるのだろう。以前ならこういう時は適当にはぐらかされて終わっていた。

それもあって、楯無はもうとにかく嬉しくてしかたない。その証拠にさっきから頬も緩みっぱなしだ。

しかし余裕綽々のそんな発言は当然しっかりとダリルの耳にも届いていた。

 

「聞こえてんぞ!?誰が負け犬だ、この淫乱女!戻ってこいよ?それとも逃げんのか、こら!!」

 

ダリルはわりと喧嘩っぱやい。それがいくら生徒会長とはいえ、年下からのあからさまな挑発になど耐えられるはずもない。

楯無の煽り文句はそんなダリルをキレさせるには充分過ぎるものだった。

 

「あは。だったら吠えてないで、とっととかかってきたらいいじゃない。こっちは早く帰りたいのよね!」

 

まるであざ笑うかのようなその物言いと、繋いだ手を上下にぶんぶん振って見るからにはしゃぎまくっているその態度。それにダリルは心の底から腹が立った。

だってそうだろう。お前が嬉しそうに手を握っているのは死神だ。そして誰がどう見ても、このあとの夕飯に心踊らさせている。

こうなるともう邪魔をするのは危険。しかもよりにもよってお食事の邪魔など出来るはずがない。この死神は中国での経験から、食事の邪魔をされるのを極端に嫌うのだ。

 

『俺はただゆっくり飯が食いたいだけだ…。それがなぜこうなる?誰か教えてくれや』

『も、もういいだろ!なんならオレのをやるよ?だんだん食欲もなくなってきたし…』

『なんだ、ダリル。まだ前菜じゃねーか。もうご馳走さまかよ?手なんか合わせちゃって』

『ご馳走さまというか、ご、ご愁傷さまかな…。なぜだか、とても他人事には思えなくって?』

『へえ…。優しいんだな、お前。だがこいつらは飯にたかる蠅だ。ぶんぶんうっとおしいだろ』

 

ダリルの脳内で甦るのは、以前勝手についていったレストランでのそれはもう凄惨な記憶だった。

まるで噴火口のマグマのように次々と店内のあちらこちらから吹き出す血、血、そして血。それによってまるでレッドカーペットのように瞬く間にどんどん真っ赤に染まっていく床。

またまた襲撃された際、ついうっかり皿を落としてしまったために起こった、まさしく地獄絵図。

ここで自分から仕掛けようものなら、まるで遠足前日の子供のようなニコニコ顔が一瞬で悪鬼羅刹の顔に変貌するに決まっている。つまり遠回しに死ねと言っているのだ、この女は。

 

「きったねぇ!きたねぇぞ、生徒会長!!」

 

「うふふ。真の王者は戦わずして勝つ」

 

ダリルの猛抗議を受けて、しかし楯無は『王道』と書かれた扇子をパタパタさせながら微笑んだ。目的のためには手段を選ばぬ、時にはそれも王の資質なのだ。

 

「ひ、卑怯なだけじゃねーか…。仮にも王者だってんなら、せめて正々堂々と戦えや!?」

 

「あらあら、秘密結社のエージェントがなにを。勝負に卑怯もラッキョウもないのよ〜?」

 

「なめんのも大概にしろ。桜介ならともかく、テメーにそこまでなめられる謂れはねーんだよ!」

 

さすがに男にはなめきられている自覚があるようだ。ついでに言えば、今日は物理的にもなめられている。これはもう認めざるをえないだろう。

 

「あらぁ、私はなめたりしないわぁ。だってはしたないでしょ?下品な野良犬じゃないんだから」

 

「へえ、そうか…。吐いた唾飲むんじゃねーぞ!次に顔を合わせたら、その場で開戦だからよ!?」

 

楯無は冗談も交えてさらに煽っていく。そして、それを真に受けてさらに激昂するダリル。

 

「ちょっと待て。俺は暴力はだめだってさっき言ったよな。嫌いだな、同じことを二度と言わせるやつは」

 

「き、きらい……」

 

しかし待てと窘められるとあっという間に冷静さを取り戻し、落ち込んだようにしょんぼりと項垂れてしまう。

 

「大体危ないだろ。怪我したらどうすんだよ?」

 

「なにをぬるいことを!そいつに弱みでも握られてんのか?さっきからどうしちまったんだ!?お前ほどの男がよ!!」

 

なかなかいたいところをつく。弱みがあるすればそれは惚れた弱みだろう。やはり先ほどの頭が上がらない様子、ようするにご機嫌とりしてるところを見られてしまっては、不満を持つのも当然なのかもしれない。

ましてや、それが自分に対して平然と暴虐の限りを尽くし、ありとあらゆる尊厳のすべてを笑いながら蹂躪した男であるならば、なおさら黙っていられるはずもない。

たしかに知らずしらずのうちにダリルやセシリアの男嫌いを直してしまったのはこの男だが、そもそもなぜ嫌いだったのか。男とは情けない生き物であり、腰抜け連中ばかりだと思っていたからである。その考えを変えさせたのは、情けなさとは無縁のどんなことにも屈することなく、どんなときでも堂々と振る舞う姿。

そして、もちろんその言動だけでなく、それに見合うだけの実力もあわせ持つ。強さ、苛烈さ、冷酷さ。従う上でのダリル的重要三大必須項目。さぞかしその全てで前代未聞のとんでもないハイスコアを叩き出していることだろう。つまり霞桜介とは、ダリル史上最も魅力的でかつ、恐ろしく危険な男なのだ。だから数々の無茶振りにも黙って泣き寝入りしてきたというのに、あんな姿を見せられては文句のひとつも言いたくなる。しかし、桜介はそんなダリルに毅然とした態度で返す。

 

「バカヤロウ。青いな、お前は。あえて掌で転がされてやる、そしてそれを楽しむのがいい男ってもんだ」

 

そこから伝わってくるのは大人の余裕。もともとしたいようにさせてやればいいと考えているし、なかなか素直に甘えられぬ女のわがままぐらいは聞いてやりたい。仮に惚れているのかと聞かれれば素直にそうだと認めもしよう。もしかしたら最近はその勢いに少し押されぎみなのも事実なのかもしれない。しかし、尻に敷かれているだとかそんな戯言は一切認めるはずもないのである。

 

「お、おう…。そ、そうか…。うん、なんだか格好いいじゃねーか…」

 

たとえ苦し紛れの言葉でも、キリッと真剣な顔で言えばなんだかんだそれなりに説得力があるというもの。適当にもっともらしいこと言わせたら、もうこの学園で右に出るものはいないだろう。

 

「それより、ずりーぞ!?俺はな、喧嘩の相手がいなくって、不便で不便で仕方がないんだよ!」

 

「ず、ずりーって…」

 

そして桜介は少し考えるそぶりを見せると、なにを思ったかダリルのところまで引き返してきた。

 

「そうだ、もうお前でいいや」

 

両肩に手を置かれ満面の笑みで言われる。ダリルに突然おとずれた命の危機だった。そして、すぐに相手の思い通りに激しく狼狽えてしまう。そうなると、ここからはドS無双だった。

 

「やっ!いやだ!やらない、やらない…っ」

 

そんなつもりはないと、急にしおらしくなったダリルが下を向いたまま首を大きく横に振る。しかし、その過剰な反応がまた相手を面白がらせる。

 

「でもさ、味見ぐらいなら許してくれるだろ?」

 

性格の悪さが滲み出たような笑みで問いかける。もう完全にいじめる気満々だ。やはりダリルに対する対応の問題点でいえば、セクハラというより断然パワハラやモラハラだろう。

 

「うう、意地悪…。も、もう味なんて、知ってるじゃんかぁっ」

 

「なんだよ、レインちゃん。つれねーじゃない。いいからやらせろよ」

 

俯いているダリルの顎を親指と人差し指で持ち上げながら、このドSは囁くようにそう言った。

 

「ムリムリッ!ほんとにムリだって!!」

 

「そこをなんとか、せめて一発だけでも」

 

それに続けて「なんで俺だけ仲間はずれにするんだ?二人で楽しそうにしちゃってさ」と拗ねたように見当外れなことを言う。男の目には自分を除け者にして、二人だけで楽しんでいるように見えたのだろう。口喧嘩とはいわば、喧嘩の前哨戦。そこも含めて大好きなのが、霞桜介という男である。

 

「い、痛くしない?」

 

そうして迫ってくる男に対して、心配そうに上目遣いで顔色を伺う。そんなダリルはもうまじもまじ、おおまじだ。当然だろう、まさに死活問題なのだから。

 

「これは喧嘩の話よね。なんだかとっても卑猥。もしかして楽しんでるんじゃ…」

 

それなのに後ろで聞いている楯無からはそんな感想が出てきてしまう。

 

「しないしない。じゃあ指の先っちょだけ、先っちょだけでいいから」

 

いくら傍若無人な男でも、時には後輩らしくせがんだりお願いだってする。しかしそのギャップにも、ダリルは全然ときめかない。

 

「いや!絶対痛いもんっ…」

 

「いいや、むしろ気持ちよくしてやる」

 

「だめだよ…っ。それ、死んじゃう…!」

 

たしかにおねだりをされているはずなのに、目に涙を溜めていやいやをする。これでは逆にダリルの方がだだをこねているかのように見えた。

そして不幸なことに、激しく首を横に振ったことで後ろで束ねた髪がきれいに桜介の顔にクリーンヒットしてしまう。

 

「いてて…。強烈なビンタだな。でも嬉しいよ、お前もようやくその気になってくれて」

 

「ち、ちがっ…!」

 

必死の弁明を遮って、首に人差し指をあて下から上へ這わせるように顎へとゆっくり動かしていき、再び顔をあげさせる。

 

「あ〜あ。レインちゃん、可愛そうに…。こんなに怯えちゃって…」

 

「う、あ、あ…」

 

やっと見つけた喧嘩相手候補。ここで逃がさぬよう、無駄に怖がらせるつもりはない。そのためなるべく穏やかな声で呼びかけたつもりだったが、それでも少しばかり震えているようだ。思い当たる節がある。多分やりすぎてしまったのだろう、教育を。それなら今から優しくすればちょうどチャラになったりするのだろうか。熱い風呂に水を足すような感覚でそんなことを考えてしまう。ま、それはそれとして…。

 

「おい、違うだろ。教えたとおりにやるんだ」

 

ダリルは視線の逃げ場を無くすように頬を両手で挟み固定されてしまう。もう否定できないほどに完全にもてあそばれている。喧嘩したくなければまたあれをやれと言うのだろう、この鬼畜なご主人サマは。しかも今度は憎っき女の前で。その冷酷で非道な指示を受けて、ダリルは顔を真っ赤にして体をこわばらせた。

 

「きゃっ、きゃん、きゃん!」

 

しかし有無を言わさぬ視線にあっさり負けてしまう。本気で詰められて、犬はなんて鳴くんだ?と脅され、叩き込まれた屈辱的な行為。つい先程のように四つん這いで紐をつけられていないだけ今回は幾分ましな方だろう。それでもやはりまだ抵抗があるのか、固くなっている様子が見受けられる。そんなダリルだが桜介がそれならと緊張をやわらげるようにあごの下をさすってやると、だんだんその鳴き声も猫なで声へと変わっていく。

 

「これは喧嘩。…喧嘩よ……喧嘩よね?」

 

いつの間にか仕込みは終えているらしい。まさかのうめき声にまでクレームを入れる理不尽さ。普通いちゃもんをつけて弱者を食い物にするのは悪党の役割だが、その悪党にこそいちゃもんをつけて絡んでいくのが閻王スタイル。こういうことをやらせれば、もうまばゆいばかりの輝きを発揮する宝石のように至極の才能を持っている。

しかしなんて悪趣味なんだろう。基本的には女に甘い男の負の面が完全に出てしまっている。特定の相手、主に悪党などに対する極度の嗜虐体質。いわゆる悪党いじめ。北斗神拳伝承者に代々受け継がれてきた敵を玩具にするサディストの系譜。そんなこととっくに重々承知の楯無ですらもう見ていられなくて、顔を隠して軽く現実逃避しかけている。

 

「くっ、くぅん、くぅーん…」

 

「そうだ、それでいいんだよ…。だがオイタしちゃったときどうしたらいいか、もうわかっているんだろ」

 

「クンクン……ごめんなさい」

 

これまでのスパルタ指導の甲斐もあって、促されるがままにしっかりと謝る。どうやら獰猛なだけでなく、従順な一面も持ち合わせてはいるようだ。

 

「うん、そうだね。口喧嘩ならともかく、暴力はよくないよな。俺は暴力が大嫌いなんだ。わかるだろ?」

 

「はい、しません……ご主人サマっ」

 

どう考えてもお前が言うなと言いたくなるような説得力0の指導にもきちんと従う。それも仕方がないだろう。逆らっては行けないと骨の髄までわからされている。そしてしつこいようだが、なによりも惚れ込んでいるのはその苛烈さであり、厳しく激しくされるたび下腹部がキュンとしてしまう。つまり酷いことをすればするほど好感度が上がる素敵仕様。桜介からしたら唾棄すべき悪循環以外の何物でもなかった。

 

「よし、偉いぞ。今度ラーメン食いに行こうぜ。次は俺が奢ってやる番だ」

 

「まっ、まじで!いいの!?」

 

「いいさ。餃子とビールもつけてやろうか。たしか好きだったよな、よく頼んでたし」

 

気落ちしていたダリルはよしと言われた途端、ぱぁーっと表情を明るくして、目の前の餌に激しく食いついた。極度の空腹時にはただのあめ玉が五臓六腑に染み渡るように、あれだけ冷酷な一面を見せたあとで少し甘い顔を見せられれば、それだけでどっぷりのめり込んでしまう。

たしかに端から見ればたかがラーメンの誘い。しかしダリルにとっては初めてのお誘い。しかもさりげなく好みを覚えているあたり、特級調教師としての才覚の片鱗をしっかり窺わせる。

 

「この人……。無自覚に飴と鞭を…」

 

意識的に調教などしていないことに楯無もここでようやく気づく。そして、おそろしい子。と再認識する。

たびたび泣かしているのは基本的にムカついて怒っているだけであり、それが恐怖を植え付けてしまった。その際にちょっと余計なプライドが目についたから、ついでとばかりにへし折ってやっただけのこと。

今回は自分も喧嘩したいのと、ラーメンが食べたい。その欲求に素直なだけ。そこに根っからのサド気質が合わさればこうなる。何故ならそれぐらいのことはそこらの悪党にはしょっちゅうやっている。例えば太った悪党を豚の姿揚げだと煮えたぎった油に放り込んだり、ハゲた悪党を四肢の関節を外した上、泳いでみろ河童と水中に落としたこともある。そんな鬼畜王にとってこの程度はまだ序の口に過ぎない。

ようするにもともと調教してやろうなどという不純な考えなどなく、これもただただ普通の素の姿だった。

 

 

 

 

「さあ帰ろう」

「う、うん!」

 

今度は楯無から手を繋ぐ。もし約束したのがいつものラーメンでなければ、もう少しムスッとしていたかもしれない。楯無もいつだって一緒に出掛けたいと誘いを待っているのだから。しかし、問題は無類のラーメン好きが通うそのペース。それにスタイルを気にする年上の乙女が毎回付き合いきれるはずもない。もちろん年上のプライドだってある。友達?とラーメンを食べに行くのに、いちいち目くじらを立てるような女にはなりたくない。

 

「原付ぐらいなら追い抜けるかな」

 

「やめなさいよ?絶対痛いでしょ、お尻」

 

そんなバカなことを言って無邪気に笑うので、事前にしっかり忠告しておく。その脚力はともかく、自転車で競争しようとか、そのあたりはそこらの一年生となんら変わらない。

そして思い出すのは、まるでこれからとびきり上等なご馳走でも食べに行きます!というラーメンに出掛けるときの嬉しそうな姿。そこは誰と行くとかあまり関係ないのだろう。あれを見ているともうなにも言えなくなってしまう。たとえ内心どう思っていたとしても。



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86話

クーデター騒動の長い一日が終わり、夜も余裕の態度で乗りきった。しかしとっくに初心な坊やなどではない。どちらかと言えば、鈍感で初心な綺麗事ばかりのラノベ主人公というよりは、酸いも甘いも知っている青年漫画の主人公タイプ。女を抱くことは悪いことだと思ってもいなければ、もちろん過度な抵抗もない。それも好いた女ならなおさらだろう。それでもベットを共にし、なにもしないというのは順序をきちんとしたいから、といえば聞こえはいいが、ようするにまだ告白出来ていないからだった。

そして翌日の昼休み。今日も世界一旨いと本人の照れもお構い無しに言い切る楯無の手作り弁当を片手に屋上へ向けて駆け上がる。

ちなみにもう喧嘩でもしない限り毎日作ってもらってるものの、喧嘩の頻度はわりと多い方。というより、たびたび一方的に怒らせてしまっている。

 

「ん?あれは…」

 

桜介は視界に水色を捉えると、生身でドリフトでもするように急激な方向転換をした。そこからのよーいドン!ダダダダーッと勢いよく走り出す。

さすがに床が凹むような技は使っていないが、それでも生徒たちの間の僅かな隙間を減速せずにすり抜け、かなりの猛スピードでターゲットに接近していく。

 

「アモーレ!」

 

そして右手を前に差し出しながら、最高に明るくどこまでも陽気に、イタリア人男子顔負けなぐらい愛嬌たっぷりの挨拶をした。

 

「桜介!?いつのまに…」

「俺は風…。いつだって気まぐれに現れる」

 

あっという間に近づいて声をかけた相手はやはり更識簪だった。最初は突風のように突然目の前に現れたことに目を丸くして驚く簪だが、これぐらいはまあよくあること。しかし、落ち着いている様子はなく、少しふるふるしながら簪は呟いた。

 

「かっこいい…」

「うん、今日も相変わらず可愛いな」

 

それから可愛い、格好いいと互いに言い合うのも、いつものこと。ここまでくると、この二人の間にはもはやなにか特別にそういうルールでもあるのだろうか。

その後、たわいもない話をしながら食堂へと一緒にゆっくり歩いていく。

 

「混んでる」

「ま、なんとかなるさ。先に注文しよう」

 

少しだけ出遅れてしまったこともあり、今は席がほとんど空いていない。

だが注文して出来るまでの間に、空く席もあるだろうと桜介は気にせず並ぶことにした。

簪もそれにくっついて一緒に並び、それぞれお盆を受けとり席をさがし始めると、まだ混んではいるものの二人ともなんとか座ることが出来た。

 

「た、食べにくいね」

「ああ、なんだか視線が集まっているからな」

「それも、そう、だけど…」

 

桜介は首をかしげて、顔を真っ赤にして困っている簪にきょとんとした顔を向ける。

 

「どうかした?」

「う、ううん……なんでもない」

 

その答えをどう思ったのか、にっこり笑って桜介はお弁当と味噌汁がわりのいつもの麺類を食べ始めることにした。包みを開いてふたを開けると、どうやら今日はご飯の上に海苔が敷き詰められている。所謂のり弁だ。まずは自前の箸を取り出し、手を合わせてから海苔でご飯を巻くようにして口に運ぶ。

 

「あぁ…。幸せだ」

 

そして幸福を噛み締める。それもそうだろう。大好物のお弁当とラーメン、まさしく夢のコラボ。もう一生このローテーションでもいいかもしれない。しかもそれを自分の天使と味わっているのだから、それだけで幸せは倍増する。すなわち今は夢の時間であり、この空間こそがパラダイスなのだ。

 

「相変わらずだね、桜介は」

「ふふ、そうかな。それより一口食べる?この卵焼きがな、また絶品なんだ」

 

箸で綺麗に切ってはんぶんこしたそれを摘まんで持ち上げながら、にこにこと笑顔を向けた。

この子にはなんだって分け与える。例えそれが自分の大好きなオカズであったとしても。

 

「あっ、おいしい…。お姉ちゃんの卵焼き……」

 

周りの視線をこれでもかと集めながらも、桜介は溺愛する簪と一緒に久しぶりの穏やかな時間を満喫していた。

 

「お、桜介さん…。な、なにを、していますの?」

 

そこに登場したのは、どこか顔をひきつらせているようにも見えるお嬢様だった。

 

「ん?見ての通り昼飯食ってるよ~。セシリアはもう食べ終わったのかい?」

 

予想以上に気の抜けたようなその返答に、セシリアは今度こそはっきりと顔をひきつらせた。

 

「いいえ、まだ途中ですわ。わたくしもご一緒してもよろしいかしら?」

「もちろんだ。でも椅子が足りないだろ?」

「ご心配なく。それなら持ってきましたわ」

 

たしかにセシリアを椅子を持ってきていたようだ。まずはそれを向かいの席に置くと、次に食べかけのランチを他のテーブルから運んできた。

 

「それでは、あらためてもう一度お聞きします。あなたはいったいなにをしているんでしょう?」

「おやおや、またかい?今はお弁当とラーメンを食べてるねぇ」

「そろそろ怒りますわよ、わたくし」

 

睨まれてビクッと体が先に動いたのは簪だった。それに続いて桜介も少しだけ反応してしまう。

 

「待った…。ただのブリティッシュジョークだ。改めてきちんと説明しよう」

 

セシリアの眉がつり上がるのを見るやいなや、桜介はすぐに白旗をあげる。

先日再度部屋がえを迫るセシリアに楯無が言ってしまったのだ。桜介くんは私のご飯が食べたいのよ!とそんなことを自慢げに、えへんと胸を張って。

それを隣で聞いていた北斗神拳伝承者が顔を青くしたのは言うまでもない。

続けて、毎回おかわりだってするんだから!と言われたときには慌ててその口を塞いだほど。

そしてそれは当然のごとくセシリアの高い高いプライドを大いに刺激し、お手製の夕飯にもたびたび招待されてしまう。もう熱くなりやすいセシリアをとにかく怒らせないようにすると、固く心に決めていた。

 

「ええ、ええ、そうしてくださいな」

 

ブリティッシュジョークを華麗にスルーして、セシリアはここでようやく笑顔を浮かべる。しかしまだ簪は怯えた兎のように縮こまっていた。

 

「ッ……!?」

 

そこで少しでも安心させようと、お腹にキュッと腕を回した。その行為に、簪はまたビクッと体を大きく跳ねさせる。

 

「席がたりなかった」

「それは見ればわかります。他になにか理由はありませんの?」

「それだけだ」

「だからその人はあなたの膝の上に座っている。そういうことでよろしいかしら?」

「イエース。よろしいよ、お嬢様♪」

 

桜介は屈託もなく爽やかに笑って、自分の上に座る簪の頭を撫で撫でする。実はこの男、旅でよく子供に出会っていたこともあり、わりと身長の低めの子を見ると簪でなくても、ついつい撫でてしまう癖があったりもする。

 

「お、桜介!?」

 

しかし、たとえよく撫でられていたとしても人前ではやはり恥ずかしいものである。

 

「よろしくないですわ!?あなたの頭の中は一体どうなっていますの!?」

「よろしくないって、それはおかしいだろ。自分からきいたんじゃないか…」

「どう見てもおかしいのはあなたです。そもそもどなたですかその人は!?」

 

ぷるぷるしながらそう言われて、桜介は初めて二人の面識がないことに気づく。それならと、まずはお互いを紹介することにした。

 

「機体が完成し、新しく専用機持ちになった更識簪。その飛んでいる姿はまさに天使を彷彿とさせる。そして、その愛くるしさはまさしく天の恵み!あるいは、神のいたずらで偶然この世界に迷いこんだ妖精!!」

「さ、更識…?」

 

そんな恥ずかしい紹介を受けて顔を赤くする簪とは逆に、その名字を聞いてセシリアの顔はよりいっそう険しくなる。

セシリアが頭に思い浮かべているのは、もちろん簪の姉のこと。

IS学園にいる間は友人として仲を深め、卒業したら自分のもとで働いてもらい、日々を共に過ごすうちいずれはそういう関係に…。

そんな漠然とした将来設計を、一から練り直す元凶ともなった悪魔のような魔女。生徒会長、更識楯無のことである。

 

「それでね、こっちがセシリアさんで~す」

「よ、よろしく……」

「んふふ~。よろしくぅ」

 

たどたどしく挨拶をする簪の肩の上、桜介はそこに顎を乗せた。いくらとっても仲良しとはいえ、スキンシップもここまでくると度が過ぎている。

 

「だ、だめだよ、これ以上は…」

 

そのまま後頭部に頬擦りまでされて、簪はあわあわと狼狽える。しかし、至福のひとときを満喫している男はそれに全く気づかない。

 

「な、なんだか互いの紹介が納得いきません!」

「そんなこと言わないで、これから仲良くしてくれたら嬉しいよ。俺にとって二人とも大切な友達なんだ」

 

そして、ふ、と小さく微笑む。それから穏やかな表情を浮かべ、食事を終えた簪の口元をハンカチで綺麗に拭き取った。

 

「は、恥ずかしいっ……」

 

同級生にそんなことをされれば、簪が俯いてしまうのも無理はない。しかも、おもいっきり公衆の面前なのでなおさらだろう。

 

「そんなにえこひいきをされては、仲良く出来るはずなどありませんわ!?」

「なに言ってるんだ。俺は大切な友達に対して、態度や行動に差につけたりは……しないかもね…」

「その体勢で言われても、まるで説得力がありませんね。自覚だってあるんじゃありませんこと?」

 

セシリアがビッと人差し指をさしながら言う。

その指摘通り、きつい視線を向けられているにも関わらず、今も後ろからぎゅっと抱きついている男の口元はほんのわずかだが、たしかにしっかりと緩んでいた。

 

「席が足りなかっただけだ。決して役得だとか、そんなこと微塵も思っちゃいないさ」

「だったら椅子を持ってくればいいでしょう!?おかしいですわ、その様な食事の取り方はっ」

「なるほど、そんな手が!さすがはお嬢様です。あ、そうだ簪。放課後は餡蜜でも食いに行こうか。実はいい店を探しといたんだ。授業が終わったら、すぐに教室まで迎えにいくから。こんなこともあろうかと、早めにバイクを整備に出しておいて本当によかった!ついでにヘルメットも専用に一つ用意したんだよ!!」

 

激しく突っ込まれて、まるで今気付きましたといわんばかりにポンと手を叩く。

それでも腕をしっかり回したまま下ろそうとはせず、そのままちゃっかり放課後の約束までも取り付けようとする。それにしてもすごい熱の入れようだ。さすがはベストカンザシストをずっと自認するだけのことはある。

 

「な、なんですの!?その至れり尽くせりは…。先程から、ずっと、うっ、羨まし……破廉恥ですわ!!」

「だってねぇ?天使なんだもん!」

「………!!!」

 

ここでさりげなくつむじの辺りにそっと唇を落とす。さらっととんでもない暴挙に出たが、果たしてこんなに調子にのっていいものなんだろうか。もうデレデレしているのを隠そうともしない。

 

「桜介、だめ、こんなところで……」

 

幸いなことに、少なくとも簪に嫌がられてはいないようだ。もし嫌がられたりしたら、しばらく立ち直れないところだったので、それはよかった。ただやっぱり場所が悪いらしい。それを見ていた周りのテーブルからはうるさいほどの悲鳴が聞こえてくる。

 

「な、な、な!?な、なんだもん、じゃありません!今っ、なにをして!?そ、それに天使ってどういう意味かしらっ」

 

本場の人間も何故か驚いている。おたくの国の挨拶ですが、なにか?それこそ毎日のようにそこら中で繰り広げられている光景のはずだ。日本でいうお辞儀と変わらない。それなのにどうだろうか、このオーバーリアクションは。しかし、それも立派な欧米文化だっだのを思い出して勝手に納得する。

 

「ならば教えてあげよう。それはエンジェル。そう、エンジェルだよ。ドゥユーアンダースタン?」

 

とりあえず天使の説明を求められたので、渾身のどや顔で英訳をする。もう気分はすっかり外国人である。男前のいい笑顔だし、無駄に発音もいい。それがその行動に加えてセシリアを余計に苛立たせる。その証拠に白磁のような肌がすでに真っ赤っ赤になっていた。

 

「わたくしをバカにしていますの?」

「ノーノー。してないよ、お嬢様♪」

「……よくよく思い返せば、あなたって最初からそういうふざけた人でしたわ」

「いつもはそんなことないのだが、どうやら今日は少しだけ浮かれてしまったようだ」

「桜介……いつも、こんな感じ…」

 

ついには簪にもそう言われてしまう。すると、桜介は決まりが悪そうにぷいっと顔を反らした。

 

「こっちを向きなさい」

 

額に青筋を浮かべたセシリアがそれをまっすぐに見据えて睨み付ける。わざわざ顔を見なくても、大変お怒りになっている様子がよくわかる声色だった。

 

「……やだ」

 

だからそう答えてみる。今の心情をあえて言葉にするなら、怒らないって約束してくれるまでそっち向かないもん、といったところだろう。

  

「や、やだじゃありません。それといい加減にその人を降ろしなさいっ!」

「しかしやだ。どうせ叱ろうってんだろう?俺は昔からお説教が嫌いでね」

 

テーブルをバンと叩いて立ち上がるセシリアだが、それでも桜介はそっぽを向いたまま目を合わせようとしない。顔を見ればもっと本格的に怒られるとよ〜くわかっているからだ。

 

「ま、まあっ!?どうせですって??だめですよ!?そんなふうに拗ねてみてもっ!!」

「はぁ。あんなに優しい淑女だったセシリアが、まさかこんな教育ママさんみたいにね」

 

一方的に怒られるのは好きじゃないので、桜介も残念そうにため息を吐きながら反撃する。

 

「あら!あんなに素敵な紳士だった桜介さんが、ヌイグルミを離さぬだだっ子のようで」

 

互いに見たまんまを言っているだけだが、端から見ればもはやただの嫌みの応酬だった。

 

「……お腹いっぱい」

 

簪もなんだかんだ居心地のいい膝の上で、膨れたお腹に手を当てて、静かにその様子を伺っている。

 

「天使のヌイグルミ…。それもいいが、どうせなら抱き枕にしてくれ。俺の誕生日プレゼント」

「わっ、わたくしにそれを発注しろと!?ああもう、最初からこんな人だと知っていれば…!」

 

こんなになるまで放っておいたりしなかったものをと、盲目的に信頼していた過去の自分を思い出して、本気で頭を抱えるセシリアだった。

 

 

 



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87話

「はぁ……はぁ……」

 

セシリアは今日の放課後も、アリーナで偏向射撃の訓練に明け暮れていた。

最近ではそれがすでに日課となっている。しかしどれほどレーザーに曲がれと念じたところで、いまだに成功したことはない。

 

「少し休もうか」

 

息を切らしたセシリアに、両手に飲み物を持った桜介が声をかける。

ここにいるのは自主訓練に付き合ってもらうようあらためてセシリアから言ったから。

以前に一度は断ったものの、今はもうあの時とは状況が違う。更識姉にすっかりうつつを抜かし、更識妹には激甘にしか見えない。

つまりすべては、気づいたらそんな風になってしまっていたこの男のせいである。

 

「ええ、ありがとうございます」

 

セシリアは汗を拭うと、飲み物を受け取ってすぐ近くのベンチに腰をおろした。

 

「それで……どうでしたか?」

 

今までずっと見学していた桜介に、率直な意見を求めるセシリア。

見てもらったのは今日が初めてだが、もしかしたらなにかわかるかもしれない。

わずかにそんな期待があった。何しろ桜介は初見で大抵の技は出来てしまうのだから。

 

「さすがにどうしようもねぇな。せめて曲がっているところを見ていれば…」

 

「そうですか…。やはりあなたでも…」

 

今回はもうなりふり構わずに頼った男の言葉に、わかっていてもセシリアは少しだけ落ち込んで、肩を落としてしまう。

もともと簡単になんとかなるとは思っていない。それでもなんとかしてしまいそうな雰囲気が、たしかにこの男にはあった。

 

「だが次は俺が相手しよう。実戦形式の方が上手くいく場合もあるだろう」

 

「それは……」

 

思いもよらぬ提案に、セシリアは思わず言葉を詰まらせてしまう。

何故なら相手は遊び半分でライフルも使えるが、本質は格闘センスの塊。その特性は近接戦の、そして対人戦の鬼。ようするに一対一にはとにかく滅法強いのだ。

遠距離型の自分とはもともと相性が悪い。その上もはや凶悪と言っていいほどに速く、超人的な肉体の恩恵を受けて本来そんな動き方をすれば体にかかるはずの負荷など無視したように、常時変則的で不規則な動きをする。

的を使った練習ですら成功しないというのに、そんな相手と戦いながら、偏向射撃を行う余裕など到底あるはずもない。

しかし思案顔のセシリアに続けて放たれたのは、先ほど以上に予想外のそれこそ信じられないような言葉であった。

 

「心配しなくても、俺はISを使わない」

 

 

 

 

 

少しの休憩を挟んですぐに再開された訓練。

そこに言葉通り、生身のままセシリアと向かい合う桜介がいた。

 

「さあ、やってみよう」

 

決していつものふざけた態度ではない。真面目モードの拳法家の顔だった。

 

「桜介さん、やっぱりやめた方がいいのでは…」

 

何度も説得をした。それでも笑って大丈夫だというから一度はその気になったが、セシリアもそんな無茶は当然反対である。

 

「生身の俺から逃げんのかよ。…しょせんはお嬢ちゃんか」

 

「……っ!」

 

わざと煽っているのはわかっている。それでもカチンとくることを言う。たしかに出会った頃からこういう男だった。

 

「こ、こんなことをさせるなんて、あなたはっきり言っていかれてますわ!」

 

「能書きはいいからやってみせろ。成功したら当たらないんだから、危険でもなんでもない」

 

ゆったり構えて、ここを狙えとばかりに自分の額を指差して見せる桜介。

 

「も、もう、どうなっても知りませんわよ!?」

 

極度の緊張により上ずった声でセシリアは叫ぶように言うと、BTライフルを構えた。

 

(……曲がりなさい!)

 

そして、震えた手でライフルから放たれたレーザーは、正確に桜介の頭部を捉える。しかし、曲がることもなくそのまま真っ直ぐに突き進んでしまう。

 

「桜介さん!」

 

桜介はそれをギリギリまで見極めてから、ひょいッと首を傾けてそれをかわす。

その左の頬からは、熱でわずかに焦げたような傷と、少しの血が流れていた。

 

「だめじゃないか、ちゃんと曲げないと。それに桜介さんじゃない、コーチと呼んでくれたまえ」

 

「こ、コーチ!こんなこと続けてたら、死んでしまいます、本当に!あなたはおかしいです…!」

 

そんな心配をよそにニッと笑う桜介、いや、コーチ。自分より射撃の腕がいいセシリアにコーチと呼ばせて悦に浸っているあたり、まだまだ余裕があるようだ。

しかしその様子にセシリアが正気を疑うのも無理はないだろう。幼少のころより常に命懸けの訓練を行ってきた男にとってこれぐらいはなんでもないこと。

そして、友達のために体を張るのはそれ以上に当然のこと。そんな男だからこそ、男も女も惚れてしまうのだ。

もし仮にこんなところで死ぬようなら、それが自分の天命である。自分の運命を信じていると言えば聞こえはいいが、その考え方は清々しいほどに潔く、他人には理解出来ないほどに苛烈だった。

 

「だからどうした。見くびるなよ…。この程度で俺は死なない」

 

「む、無理ですわ。もう撃てませんっ…!」

 

「甘っちょろいんだよ、セシリア・オルコット。どうして失敗したときのことばかり考える?」

 

「くっ…!」

 

いくら弱音を吐いてもまともに取り合わない。それどころか、逆に弱気になるのが理解不能だと首を横に振る。

そこにはもうあれだけ優しく紳士的だった男の面影はなく、セシリアが初めて見るひたすらに修羅の道を歩んできた男の姿があった。

 

「それに知ってるだろ。…俺は閻王。もともとあの世の方が友達が多くってね」

 

俯いてしばらく黙りこんでしまったセシリアにかけられたのは、過去最大級に笑えない冗談。

入学直後からずっと仲良くしてきたセシリアは、ある程度桜介の素性を知っている。

北斗の家のことも本人にそれとなく聞いたことがある。

もちろん組織を潰しまくったり、悪党を殺しまくったことなど詳しいことは何も知らない。

しかし裏の世界で生きてきたこと、桜介がその世界でそう呼ばれていることは知っていた。

 

「あなたは死ぬのが、怖くないのかしら?」

 

「俺は夢で毎晩死んでいる。だから目覚めた俺は言わば死人。…死人は死を怖れない」

 

「……あなたは女心がわかっていない。こうなったら、もうやけですわ!最後までお付き合いしましょう!!」

 

こんな風に命を投げ出して、それでも笑顔を浮かべる男の心配をするのが、なんだかバカらしくなってしまう。

それは半ばなげやりで、変な形で覚悟を決めたセシリアだった。

 

「そうだ、この程度で折れるはずがないよな…。それでこそ、セシリア・オルコットだ」

 

桜介は満足げに微笑むと、今度はスッと静かに目を閉じる。

 

「―――っ」

 

その行為に、セシリアは大きく息を呑みこんだ。

つまりは自分を完全に信頼している。そういうことだとすぐに察した。まだ一度たりとも、成功したことがないと言うのにである。

 

(わたくしなら、出来ると…。桜介さんは無言で、またそう言ってくれている!)

 

不思議な気分だった。実際にはなんの根拠もないというのに、今ならなんだって出来る気がする。

これは端から見れば、なんとかまがいなりにも覚悟を決めたセシリアを、さらに追い込むようなそんな行為。まさしく鬼畜の所業だ。

しかし、それがたとえどれだけ命知らずな馬鹿げたことだとしても、これだけ信頼されて嬉しくないはずがない。

 

「それにしても……なんて、バカな人…」

 

半ば呆れ気味に呟く。この土壇場で、セシリアはかえって冷静になっていた。

その心の中はまるで穏やかな水面のようだ。

そして実質的に退路を絶たれたことで、迷いは完璧に消え、セシリアの集中力は極限まで高まる。それこそかつてないほどに。

 

(お願い、ブルー・ティアーズ。この人の気持ちを、無駄にしないで…)

 

震えのおさまった手で、今回はしっかりと握られたライフルからレーザーが飛び出していく。

それはまた同じように、頭部を寸分の狂いもなく撃ち抜く勢いで進む。

それでも今回セシリアは声をあげない。ずっと憧れていた男に信頼されている。そんな自分自身を誇りに思うことこそあれ、もう信じられないはずなどなかった。

 

「ふぅ……。やるじゃないか、セシリア」

 

誉めると同時に、レーザーが通過するまでピクリとも動かなかった桜介が目を開ける。

そして、右頬には左側と同じように少しばかりの火傷の跡と垂れている少量の血。

 

「で、出来ましたの…?」

 

やがて緊張感から解き放たれて、その場にペタリと尻餅をついていたセシリアが、桜介を見上げてそう呟いた。

全く動いていないのに、右側を通過した。ということは間違いなく成功したということ。

実際にレーザーは桜介に当たる直前、急激に弧を描いて左にカーブしていた。

 

「そういうことだ。よかったね、おめでとう」

 

桜介はやはり笑って手を差しのべた。しかし、セシリアはすぐにその手をとることが出来ない。

 

「ありがとう、ございました…っ。ですが、もう二度とっ!このような、こと、させないで…っ」

 

セシリアは両手で顔を覆いながら、涙声でそう言った。考えてみれば当たり前のことだが、怖かった。とても、とても。

恋心を抱いている相手を殺してしまうことも、相手が死んでしまうことも、両方とも。

 

「少しやりすぎたかな…。そんなつもりは、なかったんだがな…」

 

信じていたのは事実だが上手くいかなかった場合も、少女に一生もののトラウマを背負わせる気などなかった。

北斗神拳には正面も背後もない。目を瞑っていたとしても、万が一のときは気配を感じてかわすことも出来た。

 

「桜介さんのバカ…!」

 

「やはり俺はろくな男じゃないらしい。よく女の子を泣かせて、ひどい男だと言われるんだよ…」

 

初めて目にする気高き少女の涙に、桜介は決まりが悪そうな顔をする。

うまくいったので後悔はしていないが、もっと他にやり方があったんじゃないか、と今更ながらに思っていた。

 

「たしかに。ここで他の女性の話をするのも、他人ごとのように言うのも、どちらもまるでだめだめですわね」

 

「……ここにくるまで喧嘩ばかりしていたから、そういうのはからっきしで」

 

悪党どもは女心など教えてはくれなかった。だから仕方がないのだ。

 

「くすっ。でしたら、レクチャーしましょうか?レディの扱いを」

 

「それは勘弁してほしいねぇ…」

 

「もちろん、いやですわ」

 

桜介がげんなり顔を浮かべると、ようやくその手をとって立ち上がりにっこり笑うセシリア。

傷だらけの顔に似合わないゆるりとした態度が、今はどこか安心出来てとても心地よかった。

 

「はぁ…。まいったよ、お嬢様」

 

そんな様子にもう降参だと肩を竦めるしかない。一度怒らせてからというもの、どうもセシリアには弱くなってしまっていた。

 

「仕方ありませんわね。手伝ってくれたことですし、まずは傷の手当をしましょう」

 

泣かされてしまったとはいえ、おかげで初めて成功することが出来た。だからきちんと感謝はしている。しかしもう一度やりたいかと言われれば、もちろん話は別だ。

訓練となればたちまち鬼と化す。しかも妥協を許さぬ強者の理論でとことん追い込んでくる。そんな鬼コーチとマンツーマンの訓練だけは二度としたくないだろう。エースでも狙えというのならまだしも、やるのはテニスではない。命がけの戦闘訓練なのだ。

 

「すまない。それは助かるね」

 

「そのあと夕食をご馳走しますわ」

 

「それは……助からないねぇ」

 

「……どういう意味かしら?」

 

そういう意味である。セシリアが桜介の訓練を恐れているのと同様に、桜介もまたお手製の料理を恐れている。

日々飼い慣らされるようにどんどん肥えてく舌、もともと人間離れしてる犬並みの嗅覚を持つ鼻。

そのどちらもが、最近急にお呼ばれするようになったそれを恐ろしいと言っている。

だからこそ、またまた無駄な悪あがきを始める。

 

「ほっ、ほら!やっぱりさ、夕飯は自分の部屋でゆっくり食べたいじゃない?」

 

ここが天国と地獄のわかれ目だとはっきりわかる。こうなったらもう全力でもっともらしい主張を展開するしかない。

 

「……更識会長の夕食を?」

 

「だって、あいつの飯、なに食ってもうまいし…」

 

問い詰められて、ボショボショと言い訳をする。しかし半ば惚気のようなそれはセシリアにとって色んな意味で禁句だ。刺激を与えないよう気を付けていたはずが、焦って言わなくていいことまでついつい白状してしまっていた。

しかしいったいどれだけ女の地雷を踏めば気がすむのだろうか、この男は。

 

「…だってじゃありません。だからわたくしが、今度こそ美味しい夕食をご馳走するとっ!」

 

「しかし、今日はお米が食べたいんだ…」

 

楯無の料理は基本的に和食。それに対してセシリアはもちろん洋食だ。つまり和食も洋食もどちらも好きな場合、そのお誘いはちょうどいいはず。それでもなんだかんだ理由をつけて全力で逃げようとする。

 

「それなら特製リゾットをご用意いたしますわ」

 

「と、特製…っ。セシリアさんの…。今日は大変お疲れでしょうし、たまには冷凍食品を使ってみては?」

 

特製ということはまたしてもレシピ通りではないオリジナルということ。慌ててすぐに安全策を提案する。

 

「コーチ。それでは練習になりませんわ。それにわたくし、冷凍食品など食べたことがありませんのよ?」

 

「そのコーチはご遠慮願いたいと言いますか、なんと言いますか…。最近は冷凍物もなかなかいけますよ?私はなんだって食べますのでね。それに食べる前から美味しくないと決めつけるなんて、これが一番よろしくない!よろしくないです!!お嬢様、いいですか?まずはなにごとも挑戦すること、それがなにより大切なんですよ!」

 

「あら。でしたらやっぱり特製リゾットを作りましょう。そしてデザートはライスプディングに挑戦しますわ。むろん召し上がっていただけますね、コーチ?」

 

自分でなんとかしようとするのはいいことだし、それもセシリアの強みであり、美点だと思っている。しかし、たまには弱音を吐きたくなることだってある。

 

「とほほ、増えてる…。なぜお米をデザートに?それにコーチじゃないって言ってるのに、もうやだ」

 

「おほほ、ご安心くださいな。一流の食材を取り寄せましたの。きっと今までとは一味違いますわ!」

 

セシリアの意思はもう覆せそうにない。走って逃げ出すことも一瞬だけ頭をよぎる。そうしたらビームが追いかけてきそうだ。もしかして俺は余計なことをしてしまったのではと、今さらながら頭を抱える。しかし逃げてもどうせ同じクラスだ。そこで顔を合わせるだけのこと。結局逃げ場などどこにもないのだろう。

 

「材料は関係ないだろ、材料は…。一味しか違わないんでしょ?やだやだ!食べられないよ、そんなの!」

 

そしてついに今まで不満一つ言わず、出されればどんなものでも食べていた男の本音が露見した。

心はもうポッキリ折れてしまって、それは今まで誰も見たことがないような、泣き言を言う弱気な姿であった。

 

「なっ!?好き嫌いをするんじゃありません!」

 

「えっ!?こ、これって好き嫌いって言うの?」

 

「だいたい執事になってくれると約束しましたのに、それを反故にしておいて!今度はコーチじゃないと言いますか?」

 

「約束してないですよね!?セシリアさん、あの時はたしかに嫌がってましたよね!?」

 

「桜介さん…。言い訳は男らしくありませんわ」

 

そう言われると、なんだか自分が間違っていたような気がしてきて、簡単に説得されそうになってしまう。心許したものにはわりとチョロいのも、男の特徴だった。

 

「……ならば俺が作ろう。わざわざお手数をかけるなんてとんでもないし、今日はお祝い!お祝いだ!!」

 

「全然しないと言っていましたが、蟹以外の料理も出来ますの?」

 

「炒飯ぐらいなら出来る……いいや、自信があるっ!俺は、今俺に出来る最高の炒飯を……作る!!」

 

「桜介さんの手料理…。悪くありませんわね」

 

必死である。死をも恐れぬ剛胆無比な男が。そんな豪の者がここにきて初めて必死になっている。

そこまでご馳走させてほしいというのなら、断る理由もないだろう。

その様相にセシリアは自分の腕をふるえないことを残念に思いながらも、任せてみることにした。



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88話

久しぶりで短いですが、リハビリみたいなものなのでご勘弁を。


「よし、こい」

 

「くっ……」

 

その合図を受けて動き出したのは、いきなり呼び出されてコック服を渡された助手。

しかしその長身や抜群のスタイル、後ろで束ねた髪も含めてなかなか様になっている。

助手は言われるがままISを部分展開すると、ちょうどいい大きさと温度に加減された火炎を放つ。

 

「うん…。こんなものかね」

 

イメージ通りに再現されたお店の火力、それに満足げに首を縦に振るのは、これまたコック服に着替えた体格のいいシェフだ。こういういわゆる体育会系の男っぽい職業をやらせれば、珍しくそれなりによく似合ってしまう。

まず中華鍋に中華お玉で投入するのは油だった。鍋を片手で回すとその強い火力でジュワーっと響くのは心地よい油の音。そして、卵、ご飯の順にどんどん入れていく。その手慣れた様子は、とても料理の素人に見えない。

 

「ふむ…。ほんの少し火力を上げてくれたまえ」

 

「ちっ…」

 

「おいおい、助手さん!?きみさ、今舌打ちしたよねぇ?あとで裏へきなさい、お話しようじゃないか!」

 

「えっ?してねーですよ、料理長…」

 

ご飯と卵をお玉でほぐしながら鍋を返しつつ、雑談をするだけの余裕があるあたり、わりと手先が器用な方のだろう。

 

「ふんふんふーん♪」

 

パラパラになるように混ぜながら炒める。たったこれだけのことでも、シェフはなんだかとっても楽しそうだ。もしかしたらコック服を着れただけで、もうすでに大満足なのかもしれない。

持ち前の腕力でパワハラシェフがパワフルに鍋を振るうと、米は瞬く間にばらけてパラパラになっていく。

 

「あっちぃ!?おいグリル!もう少し弱めてくれる?これじゃあ鍋が溶けちゃうよ!?」

 

「誰がグリルだ…。ちきしょう!」

 

そう言いつつもきちんと火加減を調整する助手。当然弱すぎるのはだめだが、逆にあまりに強すぎるのもだめ。あくまでもチャーハンは火力が命。それが今回この炎の料理人を助手に選んだ理由でもある。

 

「ほい、ほいっと」

 

助手の仕事を確認してから、あらかじめ切っておいたネギとチャーシューを皿から投入。鍋を煽りながらそれを混ぜ合わせる。

 

「ふぅ……」

 

ここで煙草を咥えて助手へ視線を向けるが、部下であるはずの助手は、なんとそれを見て見ぬふり。もしかして、これは遅れてきた反抗期というやつだろうか。

 

「……グリル?」

 

「ああっ、くそ!グリルじゃねーんだってば!!」

 

促されてようやくポケットからライターを取り出し、シェフの煙草に火をつける助手。それでも最低限の言葉で意思疏通がとれるのは息の合ったコンビネーションのたまもの。

 

「ぷぅ~。別にいいじゃねーか、炎の家系なんだろ」

 

塩、胡椒、旨味調味料を振りながら一服する。一見不真面目に見えるかもしれないが、ヘビースモーカーのシェフにとっては、これもまた大事な作業の一環。それに決してお玉で混ぜるのも疎かにはしていない。

 

「ググッ!こんなことやらせやがって。もうお前以外だったら、とっくに網焼きにしてるところだぜ…っ」

 

ここでも助手はぐっと堪える。本来短気な女がさっさと網焼きにしてしまわないのは、キレても勝てないとわかっているからだろう。

 

「バカヤロー!それでもやる気あんのか、おい!もうやめちまえー!」

 

「えっ、いいの?」

 

「……いいわけねーだろ。お前はグリル係のグリル!わかったか、このグリルー!」

 

厨房にシェフの容赦のない罵声が飛ぶ。コックの世界は完全な縦社会だ。上下関係にはとても厳しい。シェフが焼き物担当に任命したからには、下のものはそれを全うしなければならない。個人の希望など通らないのだ。厨房はいわば小さな戦場であり、ここでは上司のいうことは絶対だった。

 

「あら、なにやら騒がしいですわね。調理の方はどうかしら?」

 

「ん〜?なんだ、こっちはドリ……おっ、お嬢様!」

 

「シェフ、あとで部屋へ来なさい。お話があります」

 

「滅相もない、もう少々お待ちを!」

 

危ない、危ない。最初に目に入った巻き髪を見て、ついうっかり口を滑らせてしまうところだった。ここは一刻も早く料理をお出しして有耶無耶にしなければ。

 

「それよりも、あなたが今いったいなにを言うつもりだったのか?むしろそちらの方が気になりますわね」

 

「さて、なんのことですかな?」

 

ニヤリとニヒルな笑みを浮かべる。シェフといえばやはりこの台詞。たいていの場合、これで相手が勝手に色々と察してくれる。それどころか、勝手に恋に落ちた女性も数しれぬ魔法の言葉。もちろんそれ以上の詮索などされることもないのだ。もう気分はすっかり幻の料理人だった。

 

「はぁ…。まあそれはそれとして、わざわざ助っ人など頼まなくても、言ってくれたら手伝いましたのに」

 

「それには及びません。よりによってお嬢様の手を煩わせるなんて。料理人のプライドがありますので!」

 

姿勢をピンと正してお返事をし、そっと背中を押してなんとか食卓へお戻り頂く。シェフといえど雇われの身、雇い主には逆らえない。例えば、『わたくし、デザートが食べたいですわ』と突然仰られれば、今からでも氷のパティシエを呼び、大急ぎでアイスクリーム作りにも取りかからねばなるまい。そしてそれにも経費がかかる。材料費はもちろん、その見返りに寿司でも奢らされるに違いない。いったいアイスクリーム一つ作るのにいくらかかることやら。だからといって、まさか安易にコンビニアイスをお出しするわけにもいかないだろう。

 

「やっぱりじっとしてるのも退屈ですわ。わたくしも手伝わせていただき…」

 

「だめですって。火傷しちゃいますよ!?その白魚のような美しい手がっ!」

 

「し、仕方ありませんわね、そこまで言うなら…」

 

今度をお手をそっと拝借して食卓へ丁寧にエスコートさせて頂く。たとえ英国でも上流階級の飯は漏れなく美味である。世界各国のレストランが揃っているので当然と言えば当然だが、つまりお嬢様も料理の腕前はともかく、舌だけはしっかり肥えていらっしゃる。それはある種のワガママボディとすら言えるだろう。すでにチャーシューだってそれなりのものを使用しているのだ。そのうえアイスまで本格的なものを用意するとなれば、お小遣い制の身には大打撃となる。チャーハンだけでどうにか満足してもらうためにも、失敗だけは絶対に許されない。サラリーマンの悲哀がそこにあった。

 

「やれやれ…。お嬢様にも困ったものですな」

 

「甘やかしすぎだ。お前が女に弱えのはわかった…。じゃあなんでオレにだけそんなにつええんだよっ!」

 

正真正銘のワガママボディの持ち主である助手からはそんな不満が漏れるものの、たとえ女や子供に対して甘い甘いといくら言われようとも、チンピラなどの輩に対しては徹底して冷酷無比を貫くのが信条。しかしそれを今バカ正直に話しても、いたずらに部下の労働意欲を下げてしまうだけだろう。

 

「色男、金と力はなかりけりだ…」

 

「ち、力がねえって…。誰が!?」

 

「俺だよ、俺」

 

「ありえねーだろ……色男はともかく」

 

「それよりグリちゃん、スープの用意だ!」

 

「なぜオレが一年の飯の支度を…」

 

チャーハンに中華スープは必須である。しかし、そもそもスープ作りはグリル係の仕事ではない。事実、これはスープ係のいない小さな厨房ゆえの苦肉の策。

 

「そういうな…。それより仕事が終わったら、久しぶりに一杯どうかね?実はワインを冷やしてあるんだ」

 

余ったチャーシューをツマミにしようか、なんてやんちゃ笑みで。普段武骨なシェフの滅多に見せない気遣いに、助手は思わずドキッとする。厳しいだけでは上に立つものは務まらないし、誰もついてきやしない。たまには部下の愚痴を聞いてやるのも上司の役目。そしてよく頑張った時にはささやかなご褒美だってあるのだ。

 

「それを先に言ってくれよっ。オーケーボス。スープは任しとけ!」

 

急にやる気を出すげんきんな助手に、フッと笑みを浮かべたシェフは鍋を混ぜつつ、鍋肌に醤油を垂らしてまたガンガン煽る、煽る。そして仕上げのネギ油を入れて混ぜたら、あっという間に本格チャーハンの出来上がり。

 

完成(ウァンチァン)

 

助手が器に盛ったスープに長ネギを散らし、チャーハンをお玉で皿へよそう。最後を中国語で締め括るあたり、いかにこのシェフがノリノリでなりきっているのかが、実によくわかる。料理よりも変装が好きなのが玉に瑕のシェフ、しかし一応最後まで立派にやりきった。途中までは助手との温度差がすごかったものの、まさしく二人がかりの渾身の一品だ。それが本日のお嬢様のご夕食だった。



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89話

「今日の食材は……ラーメン!」

 

ホワイトボードの前に立った生徒会長が銀色のクローシュを勢いよく持ち上げる。すると中から湯気がもくもくと立ち昇った。

 

「いい香りだ。これはさしづめ和風ラーメンといったところか…」

 

それに顔を近づけてくんくんしながら、早くもうっとりした表情を浮かべるのは一人の男。その様子はまるで怪しい薬でも嗅いでいるかのようだ。

 

「異議あり!!その食材、おかしいですわ!それもう出来てるでしょう!?」

 

そう叫んだのは、そんな激しい気性が似合わぬ見目麗しいご令嬢だった。そしてここは学園の校舎の一室、いわゆる家庭科室と呼ばれるところ。

 

「……いただきます」

 

万が一にも冷めてしまったり、のびてしまったりでもすればこの料理、いや食材に失礼である。しかしそれさえも、もはやただの言い訳に過ぎないだろう。男はもう待てませんとばかりに、早速その丼に箸をつけることにした。

 

「っ……!やはりあご出汁が効いている…!!」

 

それにしてもいったいいつの間に出汁をとっていた?今日だってちゃんと授業には時間通り出ていたはず。今は放課後だがここに来るまでそんな素振りなど一切見せなかったというのに、味もさることながらその事実にまた驚愕する。

 

「正解。今回はちょ〜っと自信あるのよねぇ」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!こんなのは卑怯です、まだ勝負は始まっていないはずですわ!」

 

先手必勝とか書かれた扇子を手に、もう丼に無我夢中な男の様子を見て笑顔を浮かべる生徒会長。そしてそれに抗議するのはセシリア・オルコット嬢だ。たしかに今日は相手がテーマとなる食材を発表する番。実はこの勝負、今回が始めてではないのだ。最近何度か行われており、もちろんセシリアが食材を決めたことだってある。しかし、これはない。これを食材と呼ぶのはいくらなんでも無理がある。

 

「美味しゅうございます、美味しゅうございます」

 

男の方はというと、先程から壊れたラジオかベテランの料理記者かのようにそればかりを繰り返している。それもなにかの中毒にでもかかっているかの如くだ。ついでにその上品な味に釣られ、言葉まで何故か丁寧語になってしまっている。

 

「はぁ…。大変美味しゅうございました!」

 

満足気に息を吐いてから両手を合わせる。それから腹のあたりをぽんぽんと軽く叩く。これはあまりお行儀がよろしくない行為ではあるが、まだ余韻が残っているさなかのためそのあたりはご愛嬌。

 

「ごちそうさまでした!もう満腹だよ…」

 

「よかったわ。じゃあ、採点をどうぞ!」

 

「む、無効です!こんなのは絶対無効ですわ!」

 

セシリアは当然だが猛抗議する。限られた調理時間内で、今からラーメンの出汁など一からとれるはずもない。しかも審査員が味見を完食してしまったこともあり、お腹だってすでに膨れている。最初から自分に有利な勝負のはずなのに平気でそんな真似をしてくる。改めて敵は強大だとまたもや思い知らされた。ただ単に料理の腕だけでなく、その全く読めない魔性とも言うべき手管。ヒロインの座を守るためならなんでもやる強い執着心。そして、溢れんばかりの独占欲。最初の部屋割りから旅行の件も含めて今回のように抜け駆けも大得意。もはや第一人者と言っても過言ではない。本当になにからなにまで恐ろしいのがこの魔女である。それでも簡単に負けを認めるわけにはいかない。これは部屋の権利を賭けた大事なお料理対決なのだ。

 

「そうだな…。今回の勝負は無効が妥当だろう」

 

「なっ!?」

 

楯無もその判断には驚きを隠せない。好みの味付けはもう完全に把握している。出汁にこだわるタイプなのももちろん知っている。それを大好物のラーメンと合わせた、いわば自信作である。もはや自らの勝利は疑う余地すらないはず。厳密にいえば、たしかにルール違反なのかもしれない。しかし、審査員が審査員。ルールなんてもともとあってないようなもの。なんなら自分が一番守らない。それの虜と言ってもいいほど夢中になっていた。なのに、なぜ、なぜ。こんな急に冷静になっている。もうなにがどうなっているのか、楯無には訳がわからない。

 

「当然ですわ。では後日改めて仕切り直し、ということでよろしいかしら」

 

「はっ。もちろんですとも。しかしお嬢様もお忙しいでしょうに…」

 

「かまいませんわ。それで日時はいつ頃に?」

 

「そうですな。お嬢様の予定や吉日なども踏まえますと再来週……いいえ、来月。来月のこの日あたりがよろしいかと」

 

桜介は手帳を取り出してペラペラめくると、ある日付に大きく丸をつけた。その自然な振る舞いはまるで長年付き従う側近かと見紛うほど。そのポジションはもうすっぱり諦めて先日辞退したというのに、態度だけ見る限りはとてもそう思えないのが不思議なところ。

 

「……なんなのよ、これは……」

 

それを見て楯無がまたも驚く。しかし、男は冷静だ。もちろん血迷っているわけでもなんでもなく、なるべく面倒を先延ばしにしつつ遠ざけるため、自ら懐に飛び込んで主を巧みに誘導しようというのだ。卒業まで逃げ切ればあとはなんとかなるだろう。名付けて獅子身中の虫作戦。平和のためならばあえて被ろう、奸臣の悪名を。

女には一生わからぬことだが、男には賢者モードという状態が存在する。最高の一時を味わったのちに訪れる急激に落ち着きを取り戻し、妙に頭がさえてしまう時間帯。今がまさにその状態でそれが楯無にとって唯一の誤算だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「桜介く〜ん、あなたどっちの味方してる?いいえ、そもそも決着つける気ないわよねぇ〜?」

 

部屋に戻るとすぐさま楯無に問い詰められる。二人に言われるがまま、とりあえず審判を受けてみたはいいものの、これもまた毎回恒例。終わってからもまだ簡単に一息つかせてはもらえない。まるでいつも残業ばかりさせられるサラリーマンの気分。

 

「なぜそう思う?」

 

ソファにドカッと座って後ろに体重をかけ、ぐったりしながらその質問に質問で返した。

 

「何度も引き分けにしたあげく、今回は無効。八百長を疑うのは当然だと思うけど?」

 

しかめっ面に不満そうな態度を見るかぎり、やはり判定に納得していないようだ。セシリアの料理はお世辞にも上手とは言えない。それは仲間内では誰もが知っていること。桜介自身、教えられるだけの腕がない代わりに料理本をプレゼントしようか悩んだあげく、それでは料理を催促しているみたいに思われちゃう!と結局自分が読むことにしたほど。今のところ楯無のご機嫌とり、千冬の絡み酒と並ぶ三大厄介ごとの一つ、それがセシリアクッキングである。

対策として楯無は怒らせなければいいし、千冬は飲ませ過ぎなければいい。そして、セシリアには作らせなければいい。これで間違いないのだが、それでも苦手なものを一生懸命やっている。だからどちらかと言えばセシリアに忖度しているのかもしれない。あるいは不本意ながら一応名目上コーチとして、無意識に応援してしまっていたのかもしれない。それに不利な方の味方をしたくなるのも人の心理というものだ。

 

「……俺はただね、みんな仲良くしてほしいなって」

 

「負けたら全てを失うの。なのにみんな仲良くだなんて、そんなのあなたにとって都合のいい幻想。ただのまやかしよ」

 

「そこまで言う?そんな世紀末でもあるまいし、大げさ過ぎない?なかなか現実は厳しいな、これでは夢も希望もない」

 

小説なんかだと争ってはいても、なんだかんだで和気あいあいとしていたり、時には譲り合ったもするはずだが、リアルではそううまくもいかないようだ。読書家の男はついそう思ってしまう。

 

「だいたい私でもいいわけでしょう!?ワガママお嬢様枠はっ」

 

「そんな枠が……そもそも必要なのかね、そんな枠」

 

ワガママされる側からしたらデメリットしかない。しかしまさかあれを見破れているとは…。リアクションには差をつけぬよう細心の注意をはらい、それこそ俳優、いいやベテラン俳優顔負けの芝居をしているつもりだった。それらも全てお見通しというわけだ。そんなこととはつゆ知らず、オイシイデース!だのトレビアーン!だのと派手に気合で服破りを連発し、上半身裸になっていた自分が恥ずかしくなってくる。着替え直すだけでも大変だったのに、洋服を何枚も犠牲にしてこれではまるで道化のようではないか。

 

「そんな困ったちゃんみたいな顔をしてもだめよ?」

 

言いたいことはよくわかる。こんなの八百長だ。楯無だって決して手を抜いているわけではないのだ。今日の出汁だってそれなりの手間と時間がかかっているに違いない。そう考えたらもう後ろめたい気持ちで一杯になる。決着の行方にさして興味はないが、真剣勝負に水を差すような真似をしたことに関しては、勝負に生きる人間としては責められても文句など言えない。

 

「あぁ……もう。どうすんだよ、これ……」

 

決着などつけられるはずがないだろう。もし仮に楯無を負けにしたとしよう。間違いなく怒る、それから家事ストライキを起こされる。そして困るのは自分だ。下手したら二度と作ってくれなくなるかもしれない。それは困る。今ではすっかり食堂よりも落ち着いて食べられる部屋食派。たまの贅沢を除けば献立は基本的に一汁三菜だが、自炊しようにもいわゆる男料理しか出来ぬ自分にはそんなの到底無理。当然レパートリーも乏しく、頑張ってせいぜい丼物。それではすぐに飽きてしまう。もし今後違う部屋になったとしても、ご飯だけは毎回きっちり時間どおりに食べに行くつもりでいるのだ。

 

『ご…』

 

『ご飯?セシリアちゃんに作ってもらいなさいな』

 

『ど…』

 

『どうしてか?本気でわからないわけないわよね』

 

『わ…』

 

『わるかった?なんでもかんでも謝れば済むとっ』

 

しかし、行ったところでこうなるのがもう目に見えている。じゃあここは思い切ってセシリアを負けにしたとしよう。間違いなく怒る、それからこれまで以上に料理にのめり込む。そして食べるのは自分だ。どうせそうなるに決まっている。さすがにそのへんはもう学習した。そもそもセシリアほどのお嬢様なら、この先大人になっても料理で苦労することなどありえないだろう。

 

『なぜ上手くできませんの!?コーチ、こうなったら今日から猛特訓ですわ!』

 

『お嬢様、焦る必要はありませんぞ。今はただ無理をせず、将来はコックに全部任せるという選択肢も…』

 

『たしかにそれもいいですわね。体力は勿論のこと、手先も意外と器用ですし…』

 

『ええ、ぜひそうしましょう。いやあ、それにしてもすでにどこか心当たりでも?さすがです、お嬢様!』

 

『あらゆるレシピを覚える記憶力。いかなるスパイスも嗅ぎ分ける嗅覚。ええ、きっと立派なコックに…』

 

『……セシリア、なにしているんだ。準備はまだか?上達するには特訓あるのみだ』

 

善意で助言をしたはずなのに多分こんな感じで、状況がさらに悪化してしまうのは容易に想像出来る。たしかに料理漫画などでもスパイス使いはわりと強キャラだし、頑張って練習すれば出来るようになるかもしれないが、そんなことに時間や手間を費やすつもりは毛頭ない。それにしても両方のパターンを想定してみたところ、あら不思議。どっちが勝っても食べるのはセシリアさんのご飯になる。つまりは結局のところ、どうあがいても本当の敗者は霞桜介ただ一人。これは最初から負け戦なのだ。

 

「……あ〜あ、まぁたやっちまった。いったいどこで間違ったんだ?もはや泥沼だな……」

 

その時たまたまちょうどお腹が減っていた。そんな理由で初めから審査員など安請け合いしなければよかったのだ。せめて事前に対決の相手さえ知らされていれば、丁重にお断りさせて頂いたことだろう。今さら自己紹介をするわけではないが、自分は幼いときから過酷な運命のもと厳しい環境で修練に励み、武に生涯を捧げた所詮戦うことしか能のない男である。つまり生まれから育ち、頭の先からつま先までその全てが武芸者なのだ。当然立ち位置的にもバラエティ担当などではなく、言うなればバトル担当。それ専門なわけで。そんな人間にこの手のチャラチャラしたイベントなど向いていないのは明々白々だ。それぐらいはわかってくれてもいいのに。

 

「だからやめなさい。そのむむむって顔…。そんな顔してもだめなものはだめなのよっ」

 

あれもだめ、これもだめ、と言われればもう八方塞がりだ。もともと女同士のいざこざなど北斗神拳の出る幕じゃない。話し合いでも解決しそうにないし、こんなの下手したらチンピラに絡まれるのと変わらないぐらいに質が悪い。しかし、幸いなことにそんな経験は誰よりも豊富である。そんなときは、知りません、わかりません、すいません。この三点セットでどうにかやり過ごすしかないだろう。しょせん一介の文学少年に出来る対応などそれぐらいしかないのだから。

 

「はぁ……」

 

そもそも、突然の奇行にも「へえ、いいんじゃない」で受け入れ、何か企んでいるような怪しい動きだって「ん?まあいいか」で済ませられる男と楯無の相性は普通に考えて抜群のはずだが、逆にこうしてしょっちゅう怒らせてしまうのはどうしてだろうか。いつも怒られる側の桜介はわかりやすくしょぼーんと項垂れてみせた。

 

「珍しい、本気で落ち込んでる…。わ、わかったわ、わかりました!もう責めないからっ」

 

しかし、どんより気が滅入っているのは本当のこと。だいたい同棲しろというのなら話は別だが、たかだかルームシェアの話だろう。いちいち大騒ぎするほどのことではないので、あまり困らせないでもらいたい。上げ膳据え膳はありがたいし、基本的にはチヤホヤしてくれるので悪い気はしないが、やはり御令嬢育ちゆえの気質なのか、二人とも己の欲求を満たされて当然かのように振る舞ってくる。ふとした瞬間いつものように気を抜いて空返事でもしようものなら、言質は取ったと言わんばかりにあっという間に話を進め、気づけばかたや就職先、もう一方なんて永久就職先までも決めてしまいそうなほどだ。空返事二つで人生のほとんどが決まってしまうなんてこれ程恐ろしいことはないだろう。正直まだ十六なのでどちらもせめてあと五年は待ってほしいところである。その頃には宿命にもどうにか決着がついていることだろう。

それにしても、一度就職を断ってしまったセシリアさんはともかく、楯無の方はそんなに遠回しでもない形で、将来的な考えは何度も伝えていたはずだが、どうやらそれだけで満足はしてもらえていないようだ。

 

「薄々そうじゃないかと思ってはいたが、どうやら俺は世界一飯運のない男のようだ…」

 

「またおかしなことを…」

 

おかしくもなんともない、だってそうだろう。まず高い確率で出される皿には毒が入っている。運良くそれを乗り越えたとして、その次はだいたい銃弾が飛んでくる。店にバズーカをぶちこまれたことだってある。そんなこんなで今まで食事中にいったい何人の人間がこの世と別れを告げることになったのか。おそらく数えろと言われても数え切れないほど。いただきます、で先にきちんと命には感謝しているので何の問題もないが、これだけ不運な男は世界広しといえども他にいないのでは。もちろん根拠はある。今まで一度も見たことがないのだ、他のテーブルで殺し合いなんかしているのを。ふざけるなと言いたい。もはやナイフやフォークも最近は半分飛び道具だと思うようになってしまった。それに比べてこの半年間のなんと平和だったこと。別に美食家というわけではないが、やはり色んな意味で安心安全の楯無飯、今さら失うにはあまりに惜しい。

 

(そもそもこういうのは一夏に任せるべきだよな…)

 

もはや自分には制御不能だ。二人ともチョロいのをいいことに、今まで怒られるたび適当なことを言ってはちょろまかしてきた。いわゆる私生活版柔の拳だが、やはりそればかり使っていれば動きを読まれてしまう。その弊害なのか、ある程度耐性がついてしまっていて、すでに上手く言いくるめられる自信がない。

ならばここは逃げるが勝ち、ようするに逃げた時点で勝ちなのだ。知らないうちに結果が決まっていた。決まったことなら仕方ない、それにならうとしよう。あくまでもこの形が理想。負けた方には、そうだったのか、とっても残念だよ。これでアフターフォローも万全だ。

自分の部屋を一夏に決めてもらう。多少不自然な形なのかもしれない。しかしそこは業務委託だとでも言えばいい。少なくともその結果委託先がどんな判定を下そうとも、二人から直接怒りの矛先を向けられる心配はなくなる。そして一夏も一食分の食費を浮かせられる。互いに得をするウィンウィンの取引というやつだろう。そもそも容姿も育ちも特級の美少女たち。その手料理を食べて正直に感想を言うだけのとっても簡単なお仕事である。むしろ役得であり、これを嫌がる男はそうそういないだろう。それでもどうしてもと言うならば譲歩して、司会ぐらいはやってもいいが審査員だけは絶対だめ。私の記憶が確かならば、その日は学校の予定も特になく一夏も空いているはず。そうと決まれば早速明日にでも話し合いの場を…。

 

「ねえ、今度は汽車の役でするつもり?」

 

気づけば考え事をしながら懐から新品のタバコを取り出し、銀紙を雑に破いてクレープでも食べるように、あ〜んとまるごとかぶりついていた。しかし案の定といったところか、それはシュボボボボってする前にひょいっと取り上げられてしまう。

 

「俺が幼稚園児にでも見えるか?そんなお遊戯会でもあるまいし。お前やっぱり俺の変装をバカにして…」

 

「何度も言うけど、ベランダで一本ずつ吸いなさい」

 

「ああ、あとでそうするかな…」

 

「もう吸うなとは言わない。でもその本数はまだ早いとかそれ以前の問題よ?それに……もったいないわ」

 

諦められているのは複雑だが、危うくまた一瞬で一箱吸い切ってしまうところだった。そうなれば今日一日シケモクだ。もともと宵越しの金は持たぬ主義。いつもの通り止められてはしまったものの、今回は逆に助かったと感謝してみることにした。

 

「……よし」

 

ここは気を取りなおして一杯やるとしよう。すでに食後だしちょうどいいだろう。飲みかけのブランデーがまだ残っていたのを思い出して、もはや酒専用と化している棚へボトルを取りに行く。

 

「こんな時間から?飲みすぎは体に毒よね?せめて、夜にしなさい。簡単なおつまみぐらい用意するから」

 

「それもそうだな、じゃあそうするか…」

 

まだ完全に日も落ちていないので、たしかに飲み始めるには少し時間が早い。そう思い直して座りなおす。どうせもう夕飯は食べられないし、酒のお供はチョコレートかなにか軽くつまむぐらいでいい。そう思っていたのでその申し出はかえって有り難く、渡りに船と言えなくもない。出鼻をくじかれた格好だが、楽しみは最後にとっておくという考え方だってある。

 

「……今日はこれにするか」

 

他にやることがパッと思い浮かばず、代わりに淹れてくれたお茶を啜りながら黙々と本を読む。たまには学園モノもいいだろう。

そうしてしばらく現実逃避をしながらちらりと横へと視線を向けると、楯無もベットで雑誌をパラパラめくり始めたようだ。もともと二人の趣味は、それぞれ読書と将棋である。静かな時間もけして嫌いではなく、たまにはこういうのも悪くない。そうしてるうちに、だんだんどうでもいいことで悩んでいたのがバカらしくなってくる。そもそも、人がせっかく作ってくれた料理に優劣をつけることなど、最初から間違っていたのかもしれない。

 

「なぁ。もういっそのこと部屋決めなんて、適当にローテーションか、なんならくじ引きでも…」

 

「桜介くん!今までのことは全て水に流すわ。だからね、あなたは余計なことはなにも考えなくていいの」

 

「……いいのか?」

 

「いいわ、次からちゃんとやってくれたらね?」

 

「たっちゃん…」

 

ニコニコしながら横向きに膝の上へ座る楯無をすっと腰に腕をまわして支える。柔らかなお尻の感触も含めて役得だが、一応バランスの悪い膝の上なのでこれぐらいはいいだろう。

しかしなんていい女なんだ。明らかなイカサマを見逃す広い心、そして何も考えなくていい。今断トツで一番欲しかった言葉である。困ったらなんとかしてくれる。これが年上の包容力…。

もともと楯無が煽ったことが原因なのも忘れ、ちょっと優しくされただけでグッときてしまう。そもそも中国で肉まんを渡されてニコッとされただけで恋に落ちた前科があり、日本でもお弁当を渡されてニコッとされただけで恋に落ちた単純な男である。自分で判定をつけるのはなにも変わらないし、どのみち負けイベントからは逃れられないと相場が決まっている。ついでに八百長審査員が最後に不幸に見舞われるのなんてそれこそ物語の定番。しかしそれにも気づかぬ幸せものは、もう完全に肩の荷が降りた気分だった。

 

「ところで、桜介くん…。あなたも最近料理を始めたみたいね。私も一度くらい食べてみたいものだわぁ」

 

まさしく青天の霹靂とはこの事だろう。今度日頃の感謝を込めて花束でも贈ってみよう。それで多少なりともいい雰囲気に…。なんてすでにそんなことを考えていた。それがこれ。やはり色恋ごとというのは思っていたよりも遥かに難儀なものであるらしい。激しい抗争などでは単騎特攻上等の完全無欠な武闘派も、まともな恋愛事に関しては慎重でどちらかといえば受け身の消極的な穏健派。そんな男の精一杯の作戦もなかなか実らない。傍から見れば相思相愛のイージーモードのはずが、当の本人からすればとてもそんなふうには思えない。事実まさか安心しきったこのタイミングでその話を切り出されるとは夢にも思っていなかった。

 

「さあ、なんのことですかな?」

 

それでも動揺をまるで表に出さず、とっさにしらを切る。楯無らしい緩急をつけた鋭い攻め口だ。しかし、まだまだ詰めが甘い。くぐった修羅場の数がまるで違うのだ。持ち前の大した度胸でニヤリと笑ってみせる余裕の切り返しだった。

 

「コック服が洗濯物に出されてた」

 

「私には関係のないことだ」

 

「ポケットから材料費のレシート」

 

「いい加減にしてもらえませんかな」

 

「私も読んだわ、その漫画。だって部屋においてあるんだもの」

 

「けほけほっ!?な、なんのことですかな?」

 

先に証拠を押さえられたうえ、馴染みのラーメン屋で無理言って借りてきた役作りの参考資料、料理人のバイブルまで見つかってしまうとは。正直恐れ入った、これではニヤリをしている暇もない。

しかし、窮鼠猫を噛むの諺もある。ましてや今猫が追い詰めているのは鼠などではなく、動物なら確実に獅子や虎の類。綺麗な顔を近づけて迫ってくるので、ここで一か八か押し倒してみたら、もしかしてはぐらかせたりもするのだろうか?なんて邪なことを頭に浮かべ、肉食動物は淡々と逆襲、そして捕食の機会を伺っていた。

 

「そうよね〜?うちでは三食作らせておいて、よそでは素知らぬ顔で料理を振る舞うなんてね〜?紳士なあなたがそんなひどいことするはずないわよねぇ〜?」

 

この程度の追求など過去に何度だってかわしてきた。所詮相手はただの耳年増で恋愛的には間違いなく弱者に該当する。つまり敵に置き換えればザコ。しかも、年上アピールなどで自分がまるで強者であるかと言わんばかりに強がるザコだ。敵に置き換えると俺は天才だぁとイキっている凡人なのだ。そんなやつはお得意様。何回も撃退どころか毎度瞬殺してやった。さて、今回もどう料理してやろうか。

 

「適材適所という言葉が…あた!あたたたたぁ!?」

 

対策としては腰に手をまわすのではなく、手を握っておけばよかった。幾度となく手痛い目にあおうとも、全く懲りずに毎回これでもかと余裕をかましてみせるのは間違いなく大物の証だが、油断してるところに腿を思いっきり抓られてしまう。

しかし、懇切丁寧に自分の行いを並べて指摘されるとなんだかとっても悪いことをしているように思えてくる。もともとひどい男の自覚は人一倍あるが、別に俺が作る必要なかったから。とここで開き直れるほど腐ってはいない。

そういえばいつからだろうか。呼び方が『きみ』から『あなた』へと変わったのは。既に色々と所帯じみてるな、こいつ。うちとかよそとか…。部屋からもなんだかんだずっと出ていかないし、これが押しかけ女房というやつか。桜介は足に残る痛みを感じながらぼんやりそんなことを考えていた。

 



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