女流作家 フィリーネ・オルフ (物語の魔法使い)
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1話

 

 外では誰にも明かしていないことだが、パウル・フォン・オーベルシュタイン軍務尚書の趣味は小説の執筆である。

子供時代から隠れてこっそり書いており、今ではかなりの量になっていた。

ジャンルはその時の気分で変えているため、恋愛ものからSFまで様々だ。

自分の達成感のために製本して自邸の書庫に収めてあるが、誰にも見せることは考えておらず、自分が死んだら処分するように遺言もしたためてあった。

 だが魔が差したとでも言うのだろうか。

誰かに読んでもらいたい、とふと思った。

遺伝子は遺すつもりはないが、せめて情報素子だけでも伝えてみたいと感じた。

その小さな思いの芽は心の中で日に日に育ち、無視出来ないほどにまで深く根付いて大きくなるばかりだ。

もちろん知り合いに渡して読んでもらうといった身元がばれるようなことは論外だ。

自身の立場上相手も感想をどう言えば良いか困るだろうし、何よりも恥ずかしい。

しばらく悩んで出した結論はペンネームを使って賞に応募することだ。

別に出版したいと思っているわけではない。

ただこれならば少なくとも選評者は読むし、評価なども送られてくる。

 決めた後のオーベルシュタインの行動は早く、子供時代に書いた恋愛ものを手直ししてから応募してみた。

ペンネームはフィリーネ・オルフ。

昔から印刷の際に使っている名だ。

するとわずか一カ月程度で書面で連絡がきた。

なんと送った作品が賞をとり、是非出版したいというのである。

会って詳細を詰めたいとのことが書いてあったが、素性がばれると面倒なため編集に頼み込んで音声通話のみでの話にしてもらった。

声に関してはボイスチェンジャーで女声に変えたため、編集はなんの疑問も抱かずオーベルシュタインを女性だと思い、彼の作品を褒めたたえた。

『いやぁ、長年編集をやっていますが、応募作品を読んで泣いたのは初めてですよ』

そのありきたりでも心のこもった褒め言葉が素直に嬉しくて、オーベルシュタインは出版に同意した。

この決断がかなりの大騒動になるとは、帝国の頭脳すら予測していなかった。

 

 

 ある日の会議。

何故か出席者の大半が酷く沈んだ顔をしていた。

その様はまるで戦友が亡くなったかのようであり、中には涙すら滲ませている者もいる。

「……何があったというのだ?」

少数派である皇帝ラインハルトが当然疑問に思って、近場にいたオーベルシュタインに尋ねた。

尋ねられた方も平生と変わらず、「さあ?存じません」と受け流していつもどおり淡々と報告を読み上げる。

ならばと明らかに落ち込んだ顔をしたビッテンフェルトに聞いてみても「なんでもございません。私事にございます」と首を振るのみ。

他の面々に聞いても大体同じ答えで、ラインハルトと同じく少数派のロイエンタールも困惑している様子だ。

理由はかなり気になったが、表情が暗いだけで別に悪いことをしているわけではないし、会議の時間も決まっている。

皆の様子を無視してさっさと会議を進行していく軍務尚書をやや恨めしく思いつつ、その日の会議も滞りなく終わった。

「オーベルシュタイン。本当に卿は何も知らないのか?」

会議が終わり、オーベルシュタインからの報告を聞き終えた後、さっさと退室しようとする彼にラインハルトは問う。

しかしこれは問いというよりも、『本当はわかってるだろう?』という確認だ。

現にオーベルシュタインは作りが細い肩を竦めて、目を細めた。

「彼らの間で今流行っているものがあり、そちらで悲劇が起きた。おそらくそれだけの話でございます」

「流行っているもの?」

「はい、小説です」

「……小説?」

もしや賭博などが流行っているのではないかと警戒していたのだが、教えられた単語に一瞬呆気をとられてしまった。

近くにいた皇妃が『ああ!』と納得の声をあげて手を叩く。

「フィリーネ・オルフの『英雄の烙印』の新刊発売は昨日でございましたものね!」

「ええ。おそらくそのせいではないかと」

「・・・・・・落ち込むような展開が待っているということですね。ああ、覚悟して読みませんと」

「皇妃。・・・知っているのか」

自分を残して勝手に進む話に、ラインハルトは慌てて割り込んだ。

ヒルダは女学生のようにはしゃいでしまったことを恥じるように頬を赤らめて説明する。

フィリーネ・オルフは最近話題沸騰の女流作家であり、ゴールデンバウム王朝滅亡後の出版自由化で生まれた天才だという。

彼女の描く物語は本当にジャンルが幅が広く、精密かつ引き込まれる筆致と豊かな感情表現やギミックが魅力で、短期間で熱狂的なファンを多数獲得したそうだ。

「……そんなに有名な作家なのか。今まで全く聞いたことがないが」

「陛下の立場上、このような話は耳に入りづらいでしょう。それに本を出版しだしたのはごく最近にございます」

「ですが、元々かなり書き溜めていらしたらしくて、刊行ペースが非常に早いのです。もうすでに長短編合計27冊も出しておられます」

「ほう。面白いのか」

「ええ、とても!今回続きが出た『英雄の烙印』は英雄に祭り上げられた一軍人の悲喜劇を描いたもので」

勢いこんであらすじなどを説明しようとする可愛いらしい皇妃に若き皇帝は苦笑する。

「待て待て待て。余も読みたいからそれ以上言わないでくれ。・・・ふむ。読書か。隙間の時間に出来る良い趣味だな」

戦略などの参考のためにその手の古書などは熱心に読んだが、娯楽小説の類は読んだことがあまりない。

平和になって仕事も減って来たことだし、流行りを経験するのも悪くないだろう。

オーベルシュタインも淡々と同意を示す。

「良いと思います。他者や場所を準備せずとも行える理想的な娯楽かと」

「うむ。ところで、卿もそのオルフという婦人の小説を読んでいるのか?」

「……はい。うちのメイドのひとりが勧めて参りましたので」

「ほう。卿に小説を勧めるとは肝の据わったメイドだな。卿はどれが面白かった?」

「……そうでございますね」

主君の問いに、義眼の軍務尚書はやや悩む素振りを見せた。

「個人的には『雌虎と呼ばれた女』が気に入っております」

「あ、私もあのお話が大好きです!痛快なお話ですよね!」

「ええ」

再びファントークが盛り上がり出しそうだったため、ラインハルトは再び苦笑した。

「だから待てと言っている。皇妃。読みたいから後で貸してくれるだろうか」

「はい、もちろん」

オーベルシュタインは穏やかに見つめ合う夫妻を邪魔せぬよう一礼して退室する。

皇妃の面白かったという感想で心を温めながら、通常の業務に戻った。

 

 

 

「……まさかアルフレッドが死ぬなんて」

「ああ。本当に良い奴だったのに。惜しい男を亡くした」

「奴がつまらない詩を書いて幸せに暮らせるような世界を見たかったのに」

海鷲に集った上級大将達はまるで葬式の後か何かのように悲嘆に暮れていた。

それを少し離れたところで見聞きしながら、ロイエンタールは不思議そうな顔をしている。

「なあ、ミッターマイヤー。アルフレッドとは誰だ?」

「ああ、『英雄の烙印』に出てくる主人公の親友だ。今回の話で主人公を爆破テロから庇って死んでな。俺も読んでいてショックだった。良い奴だったのに」

「……架空の人物だろう?大袈裟な。会議で皆がおかしかったのはそれが原因か」

ロイエンタールはいつも通りの冷笑で呆れを示すが、ミッターマイヤーはゆったり首を振って窘めた。

「そう言うな、ロイエンタール。フロイライン・オルフの作品は話に引き込まれて、まるで自身が主人公になったような気持ちになるんだ。だからアルフレッドが死んだ時は、本当に親友が死んでしまった気持ちになってエヴァに心配されるくらい泣いたよ」

「俺はいもしない奴と同格なのか?」

「何故そう悪くとる。そういう気持ちになったというだけで、現実では絶対に味わいたくない」

明らかに拗ねている親友に、ミッターマイヤーは困った顔をする。

ロイエンタールはあまり娯楽小説の類を読まないので、ひとりだけ仲間外れにされたようで納得できないのだろう。

だからといって自分も周りに合わせて流行りにのるというのも嫌だと感じているに違いない。

一度へそを曲げるとなかなか元に戻らない友人の性質を知る元帥は、どうしたものかと頭を悩ませた。

 すると、不意にこんな言葉が耳に飛び込んでくる。

「小官はフロイライン・オルフを平民ではなく貴族の女性だと思っております」

「……ほう。何故」

「表現に上品さが滲んでるんですよ。それに物凄く学がある方だ。もちろん学がある平民女性もいるでしょうが、ここまでだと考えづらいと思います」

「……なるほど」

部下の自信ありげな主張に、平坦な相槌が返る。

アントン・フェルナー准将とパウル・フォン・オーベルシュタイン軍務尚書だ。

どうやら彼らも比較的近場で飲んでいたらしい。

あんなほの暗い男も部下と交友を深めることがあるとは意外だ。

 だがそんな珍しい光景よりも、謎の人気女流作家フロイライン・オルフの話の方が気になったのだろう。

葬式顔組がフェルナーに注目しているようだ。

「あと小官の勘だと年齢は30代ではないかと」

「いや、もっと若いだろ」

「待て。むしろ三十代でも若いんじゃないか」

フェルナー准将の言葉にビッテンフェルト達はやいのやいの自論を展開していく。

ロイエンタールはミッターマイヤーがその議論に興味を持っていることはわかったが、わざと意地悪をして帰りを促した。

「時間は良いのか、ミッターマイヤー」

「ああ。もうこんな時間か」

愛妻家は少し慌てたように席を立って帰って行く。

残されたのは楽しそうに謎の作家を推理する一団と、それに加わらないふたりだけだ。

 オーベルシュタインは一緒に飲みに来た部下が自分を放って他の面々と言い合っていても気にする様子はなく、淡々と酒杯を重ねている。

その薄い口許に笑みがあるように見え、ロイエンタールは妙に興味を惹かれて、普段なら率先して近づきたくもない義眼の男の隣へ移動した。

人工の視線が一瞬向けられるが、特にそれ以上の反応はない。

美丈夫は不満そうに高い鼻を鳴らした。

「……ふん。相変わらずつまらん男だな、オーベルシュタイン。あの副官も何が楽しくて卿と飲みに来たのやら」

「卿はわざわざ席を移動して喧嘩を売りに来たのか。この中の誰よりも欲求の発散方法の心得がありそうだが」

絶対零度の異名をとる男は珍しく応じる。

それだけ聞いていると険悪に思えるが、色の異なる目には陰気な男が表情こそ全く変化はないがやはりどこか楽しそうに見えた。

「……何がおかしい?」

この仄暗い男が楽しそうなところなど今までに見たことがない。

怪しんで尋ねれば、人工の瞳に微かに疑問符が浮かんだようだった。

「おかしい?いや、特に卿の顔をおかしいと感じたことはないが」

「違う。卿の冬の沼地のような顔が中途半端に陽が差していると言ったのだ」

「……そうか」

オーベルシュタインはそう言ったっきりロイエンタールから再び視線を外す。

だが、その小さな耳は少し離れた場所で繰り広げられる話を熱心に拾っているように思えた。

「なんだ。卿も謎の女流作家が気になるのか?」

揶揄するように尋ねれば、鶴のような首が竦められた。

「……これほど話題になっていればな。ここまで大騒ぎになるとは予想外だったが」

「それだけ娯楽が不足しているのだろう。ゴールデンバウム王朝時代の出版規制の反動も大きい」

「確かに。これをきっかけとして様々な作品が世に出るだろう。良い作品が後の世に残ってほしいものだ」

祈りのような言葉を口にしながら、グラスを傾ける。

珍しく人らしい感情が見える台詞に、ロイエンタールは皮肉気に笑った。

「ほう。卿にしては随分優しい願いだな」

「受け継がれる物語というのは尊いものだ。さらに言うなら本が売れるというのは国にとって良いことだ。売れるだけの識字率があるということだからな」

「なるほど」

淡々とした口調で意外に穏やかなことを言いだした男に驚きを感じながら、美丈夫は酒で多少滑らかになった口で問う。

「卿はフロイライン・オルフはどんな女だと思っている?」

「……どのようなとは?」

「別になんでも構わんさ。年齢でも出自でも。卿はどんな女だと思う?」

「気になるなら卿も討論に交じってきてはいかがか。私に聞くより多彩な意見が聞ける」

「遠慮しておこう。俺は卿の意見が知りたい。というか卿がその女の話で妙に楽しそうな理由が気になる。教えろ」

言いながら、ロイエンタールはバーテンにオーベルシュタインと同じ酒を注文した。

勝手な話ではあるが、自分が楽しくない時に他人が楽しそうだと腹が立つものだ。

オーベルシュタインもロイエンタールの八つ当たり気味な好奇心に付き合わされていることがわかっているのだろう。

やや批判的な視線を投げるが、意外に長い睫毛をゆっくりと瞬かせ、諦めたようなため息をついた。

「彼らが子供のように賑やかに話し合っているのが微笑ましいと思っているだけだ。あとフロイライン・オルフのことだが……年齢まではわからんが別にどこにでもいるような平凡な女性だろう」

「ほう」

意外な答えに、出てきた酒を一息で飲み干す。

思っていたよりかなり強い度数で少し驚いたが、それよりもオーベルシュタインの予想が気になった。

相変わらず平坦な口調が続く。

「普段自己主張が出来ないタイプなのだろうな。溜めこまれた感情や思い、願いが頭の中の想像の種に注がれ、実ったものを文字に起こした。それだけだろう」

「どこにでもいる女がこれほど多くの人間の心を動かすとは思えんが」

未だ熱心に交わされている議論を横目に、軍務尚書の意見を軽く否定する。

義眼の男は残り少なかった酒を空けると、また同じものを注文した。

ロイエンタールもついでの頼んだ。

すぐに出てきた酒を静かに、しかしあっという間に干しながら、温度のない声が流れる。

「時代のせいだろう。卿が言ったように今までの規制の反動だ。おそらく出版社も大乗り気だったろうしな。別にフロイライン・オルフが書かなくとも、いずれ旧時代のしきたりや常識を打ち破る物語は生まれた。彼女の作品はタイミングが合ったから売れた。別に不思議なことはない」

「本当につまらない意見しか言わんな、卿は。たまには感情や主観で物を言ってみれば良いものを。卿も読んだのだろう?何か感じることはないのか?」

また酒杯を空にして、注文する。

オーベルシュタインはやや呆れた様子で息を吐いた。

「ないわけではないが、感想や見方は人それぞれだろう。そもそも卿の質問は大味過ぎだ。著作はそれなりの数があるのに、どれのことを言っている」

「卿はどれがお気に入りだ?そもそもお気に入りがあるのか?」

「それも読んでいない卿に言っても仕方があるまい。……さっきから飲みすぎだ。ペースが早い」

「卿に合わせてやっている」

「……妙なところで対抗するな。せめて自力で帰ってもらおう。明日あたり卿の変死体が見つかったとケスラーに報告されるのは御免こうむりたい」

「随分サービスが悪いな。部下に放っておかれている悲しい男に、わざわざ付き合ってやっている優しいこの俺を放置して帰るのか?」

またすでに味がわからなくなっている酒を胃に流し込む。

ロイエンタール自身、何故この無愛想な男にこれほど絡んでいるのかわからなかった。

おそらくそれはオーベルシュタインが非常に珍しく仕事以外のことを話したからであり、つまらないと言いつつも案外普通に話せることが新鮮だったからだ。

ひとりで飲むよりは多少ましだと思ったからに違いない。

帝国一の色男の記憶はこのあたりで途切れた。

 

 

 目覚めると、見覚えのない天井があった。

おそらく貴族の屋敷の客室だろう。

ミッターマイヤーと飲んでいて奴が帰って、……確か軍務尚書に声をかけた。

その後どうしたのだろう。

女に声をかけられて、家に転がり込んだのだろうか。

だが、その予想はすぐに否定される。

寝ていたベッドには明らかに一人分の痕跡しかなく、綺麗過ぎた。

さらに夜着をしっかり着ている。

 疑問が解消されないまま、まだ酒が残っている頭を軽く揺すって、近くに畳まれていた軍服に袖を通す。

するとタイミングを計っていたかのように、ドアが控え目にノックされた。

入室の許可を与えると、丁寧に一礼して入って来たのは品の良い老執事だ。

「おはようございます、ロイエンタール様。朝食の準備が整っております」

「ああ、いただこう。ところで……すまない。酔っていたせいでここにどうやってきたのかもよく覚えていないのだが」

最初は状況だけで判断しようと試みていたが、正直に尋ねることにする。

すると、執事は穏やかにここはオーベルシュタインの屋敷で自分は執事のラーベナルトであると説明した。

「主人からは可能な限りもてなすようにと仰せつかっております。仕事場にはすでに体調不良での欠席のご連絡をしておりますのでご安心を、とのことです」

ロイエンタールは頭を抱えたくなった。

それと同時に昨晩の記憶が蘇ってくる。

うっすらとではあるが、オーベルシュタインと話している時に泊めろだのなんだのとごねた記憶があった。

失態である。

酔った勢いであのオーベルシュタインの屋敷に一泊したなどありえない。

 まあ、やってしまったものは仕方がない。

ロイエンタールは早々に開き直ると、遅めの美味い朝食を味わい、病欠扱いなので外に出ず、屋敷内を暇つぶしに探索した。

清掃の行き届いた古い屋敷は、華美な部分はなく、家主の性格を反映するように実用をかなり重視されている。

だが意外に居心地は悪くなく、使用人達の気立ても良かった。

 あてもなくうろうろしていると、偶然書庫を発見する。

そこはなかなかの広さで、棚から溢れんばかりの本があった。

貴族の多くはこのような書庫を所有しているが、それはあくまでの財産やステータスの位置づけであり、飾り物と同義であることがほとんどだ。

しかしここは例外であるようで、ぎっしりと敷き詰められたそれらは読みこんだ痕跡があった。

おそらく帝国最高の頭脳の礎となった場所なのだろう。

 山のような専門書や古書を何気なく眺めていると、他とは明らかに異なる棚が一番奥の目立たないところにあった。

収められていた比較的新しく見える本は小説らしい。

作者はフィリーネ・オルフ。

噂の女流作家の本だ。

なるほど、オーベルシュタインは読んだことがあるどころかこの作家の信奉者であったのか。

あのつまらない男の秘密を見つけたと多少得意な気分になり、適当に手に取ろうとしたが、そこで違和感に気付いた。

本の数が多いのである。

本棚に収められている本はどんぶり勘定でも軽く300冊は超えている。

だが、漏れ聞いた話では出版されている本はせいぜい2、30冊だったはず。

これが市販されているものならばどう考えても計算が合わない。

不審に思いながらも手に取ると、しっかりと丁寧な装丁がされており、市販されているものではないとすぐにわかった。

そこでロイエンタールはある可能性に思い当たる。

もしや目の前に置いてあるのは出版前の原本を製本したものなのではないだろうか。

「……ないな」

考えておいて自分で否定する。

奴に家族や友人の類はいないし、使用人が製本して勝手にここに収めているなどありえないだろう。

一番自然に考えるならばここに置いてある本の作者=フィリーネ・オルフはオーベルシュタインということになる。

だがあの情緒や感情が乏しい男が、人の心を揺さぶる文章を書けるはずはない。

ならばこの目の前の本をどう説明するのかという問題になるのだが、悩んでみてもうまい説明が思いつかなかった。

 手の中の『悪女』と題された本を開き、最初の方だけ読んでみる。

なるほど、感触は悪くない。

するすると自然に文章が頭に入ってきて、文字を追うのが楽しく感じられた。

話の内容としては、架空の国の妾腹の王女が生き残るために女王を目指すというものだ。

時には陰謀を用い、時には信頼する仲間を切り捨てねばならず、心身を傷つけ苦しみながら戦う彼女の姿は、虚構の人物とわかっていても胸を打つものがある。

一番最初に味方になってくれた忠臣に汚名を着せて死なせる選択をするシーンなど、本当に泣き出しそうになった。

物語が希望のある終わりを迎えなければ、しばらく落ち込んでいたかもしれない。

 次のシリーズは銀河帝国の一都市を舞台に、そこで暮らす平民達の人間模様をコミカルに描いた話だった。

どこにでも転がっているような話を笑いあり涙ありで表現していて、行ったことがない町にいつも行っている商店街のような親しみを抱かせる。

 さらに次のシリーズは辺境の海賊討伐を任務とする帝国軍の話で、そこを任された女性司令官の奮闘記だ。

こんなとんでもない女はいないだろうが、彼女の思わず笑ってしまうようないい意味での非常識さや強さに惹かれて多くの兵が集まるのはよくわかった。

ただ明らかに彼女には何か秘密がある。

彼女は何を隠しているのか。

「……ロイエンタール元帥」

「…………」

「ロイエンタール元帥」

「……っ!」

声に反応して顔を上げると、家主がとても複雑そうな顔でこちらを見ていた。

気付くと本にかなり集中していたらしく、首が痛い。

オーベルシュタインは相変わらずなんとも言えない顔で眉間に皺を寄せた。

「……卿は今日も泊るのかね?」

「……は?」

何を言っているのかと思い何気なく時計を見て驚いた。

書庫に入ったのは午前中だったはずだが、今はもう夜だ。

半日近くが経過している。

信じられないほど本にのめりこんでいたらしい。

「……悪かった」

「ああ。これからは自分の限界を見極めて飲んでいただきたいものだ」

「違う。俺は卿に文才などないと高を括っていたが間違いだった。卿の書く話は面白い」

その賛辞に軍務尚書の双眸が見開かれた。

暗殺者相手にも一切動揺しない男が後ずさったのを見て、ロイエンタールは自分の推測は間違いではないと確信する。

青白かった頬に赤みが差していた。

楽しくなってきたロイエンタールがさらに気合を入れて褒めたたえると、耐えかねたのか痩身が踵を返して逃げて行く。

もちろん客人は追いかけた。

 数分後捕まえられたオーベルシュタインが、ロイエンタールにさらに色々言われて困っているところを使用人達は目撃したという。

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話

せっかくだから平和で仲良く過ごしてほしかったのです。
私が。


 女流作家、フィリーネ・オルフの正体を知ってから、帝国一の色男はかなり頻繁にオーベルシュタイン邸に通って来た。

家主がいようといまいとお構いなしに勝手に上がり込み、書庫から本を持ち出して寛いでいる。

親友がどこに行っているか知らないミッターマイヤーに『何をしているのか?』と聞かれて『部屋で本を読んでいる』と答えて喜ばせたらしい。

漁色よりは非常に健全な趣味であるため安心したようだ。

通っている先が憎きオーベルシュタイン邸であると知ったらどんな顔をするだろうか。

家主である冷徹と名高い軍務尚書は、職務以外――特に自身のこと――は基本寛容であるため好きなようにさせておいた。

 このそりが合わない統帥本部総長にかなり重大な秘密を知られたわけだが、言いふらす心配はあまりしていなかった。

ロイエンタールは脅迫といった手法を好まないし、ミッターマイヤーなどに話してわざわざ夢を壊すようなことはしないだろう。

かなりの頻度で夕食を食べていっても、元帥ともなればひとりやふたりに食事を振舞ったところで懐が痛むはずはない。

本人に言えば絶対に憤慨するだろうが、通いの野良猫がやってくるようになった程度の感覚である。

強いて言えば、彼はオーベルシュタインが帰宅するとその近くまでわざわざ移動して、ぽつぽつ感想を言ってくるのが嫌だった。

『このどんでん返しは鮮やかだな。真実がわかった時快感すら覚える』

『卿の描く女は皆強く美しいな。ああ、容姿の問題じゃない。心根の問題だ。・・・嫌いじゃない。とても魅力的だが、モデルはいるのか?』

オーベルシュタインが照れてしまい、頬を赤らめて視線を逸らすのが面白いらしい。

いちいち言わなくて良いと言っても一向にやめる気配はない。

その得意げな美貌に何かを思い切りぶつけてやりたい衝動に駆られながら、『フィリーネ・オルフ』は執筆を続けた。

 ある日オーベルシュタインが仕事から帰宅すると、いつものようにロイエンタールが書斎のソファに寝転んで本を読んでいる。

しかし、珍しいことにそれは『フロイライン・オルフ』が書いたものではなく、別な作者のものだ。

部屋の主はいちいちそんなことには言及せず、マイペースに読書や執筆を行った。

するとロイエンタールはまだ半分も読み進めていなかった本をしおりすら挟まずに閉じて、逞しい体を起こす。

「おい、オーベルシュタイン。卿は自身が文壇の活性化の一助になればと言っていたな」

「・・それがどうかしたのかね」

「まだまだ時間がかかりそうだぞ。後に続く者より、卿の人気に便乗した粗製乱造が蔓延り始めた」

言って今まで読んでいた本の表紙を不満そうに手で叩く。

名匠の絵画も霞むような麗貌には怒りの色すらあった。

「これは卿の『悪女』の模造品だ。ほとんど一緒の内容だったぞ。それに下手だ。丸々文章を盗って来たシーンもあった」

「そうか」

オーベルシュタインは淡々と頷いてみせる。

盗作が増えていることは出版社からの指摘ですでに知っていた。

著作権に関しての裁判などは他人に委託しているし、勝てると言われているし、自分でもそう思っている。

 『フィリーネ・オルフ』の小説が売れたのは、ゴールデンバウム王朝が数百年に渡って行って来た出版規制や報道規制の反動だ。

今まで出版を許された本は、王朝や貴族の賛美や毒にも薬にもならぬ類の恋愛ものなどである。

もちろん裏ではそれ以外の書物の売り買いもされていたが、見つかればただでは済まずかなり多くの逮捕者が出ていたものだ。

ローエングラム王朝になってからはそれらの規制は撤廃され、表現の自由は認められた。

だが今まで何世代にも渡って行われてきた悪法は国民の多くに染み付いたままで、表の出版社が賞を設けて自由な投稿を募っても人口から考えれば微々たる応募しかなかったのだ。

そこに現れたのがオーベルシュタイン=フィリーネ・オルフである。

『彼女』は銀河帝国文学のあらゆる常識を覆した。

男に比べるとはるかに教育を受ける機会がないはずの『女』小説家であるということ。

地球時代のような様々なジャンルを描いたこと。

そして今までのゴールデンバウム王朝への批判ととれる内容も堂々と表現していることなど、あげればきりがない。

 『フィリーネ・オルフ』はある意味で英雄だ。

卓越した文章力で人々の心の闇を払い、夢や希望、知識や思想を伝播した。

しかし、有名になれば便乗や盗作などが出てくる。

オーベルシュタインはそれでも良いと、最初からどこかで思っていた。

もちろん放置は出来ないが、他者の作品に影響を受けるのは自然なことだ。

今は猿真似だけかもしれないが、きっとこれから新たな花や実が結ばれるだろう。

自分は種を撒いただけだ。

「昔から珍しくもないことだ。金の臭いにつられて羽虫は寄ってくる。商業作家ならば一大事だろうが、私は職を持っているし、これで生きようとも思っていない」

今更なことを子供のように言ってくるロイエンタールに、オーベルシュタインは淡々と無感情に囁いて、端末に向かう。

型がかなり古いそれは外部と一切繋がっていない。

国内で絶賛され続ける作品はここから生まれた。

乱れのない一定の速度でキーを叩き、文字が鮮やかに増えていく。

 作者がまったく気にする様子がないことが不満なのか、ロイエンタールは高い鼻の上に皺を寄せる。

「納得いかんな。卿はなんとも思わんのか」

「思ったところで仕方があるまい。むしろ卿が腹を立てている理由がわからない」

「・・・まったく」

ロイエンタールは呆れたように、わざと芝居がかった仕草で肩を竦めた。

認めるのは癪だったが、自分はこの陰気な男の作り出す鮮やかな文章に魅了されている。

オーベルシュタインが描き出す世界が、人々が好きだった。

本当に自分の知らない別な世界があり、そこの世界をそっと覗き見ているような気持ちになった。

主人公達と共に戦い、共に笑っているような心持になってくる。

だが、そんな美しい世界の創造主はそれらを模倣されることへの憤りはないようだ。

それが腹立たしい。

「文字を知る多くの帝国民が憧れる女流作家が、こんな可愛げがない中年男だとはな。夢がない話だ」

「卿も夢を見ていれば良かっただろう。真実は大抵苦いものだ」

「あいにく甘い嘘より、苦い真実の方が好みでな」

「・・・そうか」

オーベルシュタインの指は止まらない。

熟達したピアニストのように、キーの上を滑らかに走り続ける。

「・・・・・・何を書いている」

沈黙に飽きてきたのか、ロイエンタールはオーベルシュタインの背後に回って覗き込んでくる。

「英雄の烙印の最終回だ」

「・・・・え?」

素っ気ない答えに思わず間抜けな声を出してしまった。

彼が何日も通って一週目読破を終えた本棚には、『英雄の烙印』もあった。

この宇宙で唯一フィリーネ・オルフの著書全てを読んだ読者は、その最終回も当然読んでいる。

親友を喪い、悲嘆にくれながらも多くの仲間達に支えられて『英雄』であり続けることを選ぶ感動のラストだ。

「なんだ、最終回を書き直すのか?」

「・・まあ、そうだ。短くまとめた」

「・・?」

オーベルシュタイン越しで見た文章からすると、どうやら後半部を省いて最終回に持って行くつもりでいるらしい。

「おい。なんで話を削る。卿の話は無駄などないではないか」

思わず口を出してしまった。

後半にも見せ場は多くある。

予想外な敵の出現。

時には敵対していたライバルとの共闘。

務めをとるか家族をとるかの選択。

主人公は脳髄を絞って戦い、ぎりぎりで勝利していく。

それを削るなどとんでもない。

無意識のうちに細い肩に手をかけて揺さぶってしまう。

オーベルシュタインはされるがままになりながら、とんでもないことを言いだした。

「少し予定より早いが引退する。そのために早めた」

「はぁ!?」

今度は思わずビッテンフェルトのような大声を出してしまった。

デビューしてから一年足らず。

まだ書庫にある作品の三分の一も発表していないではないか。

にもかかわらず引退とはどういうつもりか。

抗議しながら色の異なる双眸が敵と対しているかの如く睥睨するが、オーベルシュタインは相変わらずだった。

ひたすら指を動かし、物語を終焉に向かわせる。

「おい。オーベルシュタイン。説明しろ」

「どういうつもりも何も、元々長く続けるつもりはなかった。仕事がどうなるかわからないし、いつ暗殺されるかもわからん。卿にバレたことだし潮時だと判断した」

「ほう。俺のせいにするのか」

確かに勝手に屋敷内を歩き回って書庫を見たのは少し悪かったかもしれないが、すぐ帰れとも歩き回るなとも書庫に近づくなとも言われていない。

軍務尚書は小さく頭を横に振る。

「いいや。占いのようなものだ。おかげで引き際が決められた。礼を言う」

とても礼を言っている口調ではない、温度のない声だ。

そこには文章の内に込められている溢れんばかりの情がない。

報告書でも読み上げているのと大した差はなかった。

「・・・・・残った話はどうするつもりでいる」

「何も変わらんさ。書庫に保管しておく。今までのままだ」

「・・卿は本当に腹立たしいほど引き際が淡白だな。さらに言うなら自分勝手だ。これほどまでに人々を魅了しておいて、あっさり引退出来ると思っているのか?」

この様子ではまだ誰にも言っていないのだろう。

新聞などに載っているフィリーネ・オルフ関連記事にはそんな記述は一切なかった。

歴史に残る大作家にいきなり引退されたのでは出版社と印刷会社が発狂寸前の錯乱状態に陥るだろう。

ことの重大さをわかっていないのか、オーベルシュタインははっきり頷いた。

「出来る。むしろ誰がどうやって引退を防ぐのだ?善良な婦女子を相手にするように『書き続けないと殺す』とでも脅すのか?実際はこの通り可愛げがない中年男なわけだが」

「卿ならば女に生まれても脅しになど屈しまい。引退理由はなんだ?仕事のことは理由にならんだろう。書き溜めたものがまだあれほどあるのだ。それだけでも世に出すという選択肢もあるはずだ。・・まさか飽きたのか?」

飽きるなどという人間らしい感情があるのだろうか。

ちらりとそんな考えが頭によぎるが、オーベルシュタインの感情はないどころかむしろ激しいほどであることは作品を見ればわかる。

ここで本当に飽きたなどと言ってきたらさらに怒りが湧いてくるだろうが、オーベルシュタインはきっぱりと首を振った。

「飽きてはいない。これからもおそらく書くだろう。・・・まあ、ある程度満足しただけだ」

「満足した?」

意外な言葉を繰り返す。

「ああ。満足した。人に読んでもらいたかった」

まるでひとりごちるように囁いて手を止める。

どうやら書き終えたらしい。

椅子を回転させて、下から僚友を見上げる。

いつもどおりの作り物の双眸だ。

だが、その中に柔らかな光が宿っているように見えた。

「読んでもらえた。それもたくさんの人々に。だから満足だ。目的は達した」

「だから引退すると?」

「ああ。そうしたい」

大きく息を吐いて、宣誓するように厳かに言い放つ。

ロイエンタールの筆で引いたような眉が跳ね上がり、美貌を顰められた。

「・・・オーベルシュタイン。俺は卿が嫌いだ」

「今更だな。あえて言われずとも知っている」

「卿は有能で、真面目で、私心がない。だが合理主義過ぎるし、他者と理解し合う気が感じられないし、何より自分の価値を理解していない」

珍しい言葉だった。

オーベルシュタインは別段ロイエンタールのことを嫌っていなかったし、ロイエンタールはオーベルシュタインを嫌いつつも能力は認めていた。

特に過不足がない関係だったように思う。

だから特に互いの中身について触れる必要はなかった。

しかし今ロイエンタールはあえて踏み込んできている。

「・・・・ロイエンタール元帥。何が言いたい」

「卿は勝手な男だということだ。人をこれだけ熱狂させておいてあっさりといなくなるつもりでいる」

「別に発表した本を回収するつもりはない。これ以上は発表しないというだけだ」

「・・怖いから逃げることにしたのか?」

「・・・・何?」

傍から聞いていると藪から棒に思える問いに、オーベルシュタインの目が細められた。

ロイエンタールはふんっと鼻を鳴らして告げる。

「見ていてわかった。卿は諦めている。何もかもをな。認められることも愛されることも愛することもな」

「・・・・それを卿が言うかね」

オーベルシュタインはあえて挑発するようなことを口にした。

怒らせて話題を逸らすつもりだったのだろう。

だが、ロイエンタールは皮肉気に口の端を持ち上げた。

「卿は諦めている。どれほど努力しても、どれほど結果を出しても、どうせ疎まれる。そう考えている」

「・・・・・・・・・」

オーベルシュタインは何も答えなかった。

ロイエンタールふと笑みを消して、真摯な口調で言葉を投げる。

「最初から諦めているから何を言われても受け流せる。どうせ最初から期待していなかったと」

「・・・・・・・・・」

「だが本当は認めてもらいたい。今回は偽名で正体を隠して成功した。認めてもらえて嬉しかった。だから期待してしまう前にやめることにした。そうだな?」

「・・・・・・・・・」

オーベルシュタインは何も答えない。

立ち上がって部屋から出ようとするが、椅子に押し戻された。

ロイエンタールは続ける。

「卿のことは嫌いだが『フィリーネ・オルフ』のことは気に入っている」

「それは良かった。いもしない女なら卿に泣かされることがない」

「いるさ。卿の一部だ」

「・・・・・・・・・」

仮面めいた無表情が何とも嫌そうな顔になった。

「おい。今気持ち悪いことを考えなかっただろうな」

「気持ち悪いことを言いだしたのは卿だろう。私はおそらく異性愛者だ」

「おそらくとはなんだ。・・・・とにかく。俺の楽しみを奪うと言われて黙っていられるか。書け、オーベルシュタイン。これからも書いて発表しろ。俺に命令されるのが嫌なら勅令にしていただくぞ」

「やめろ」

暗に皇帝にばらすと脅してくる僚友に、義眼の軍務尚書は鋭く制止を口にした。

かなり遅れてブームに乗った我らが主君は、夫妻で読書を楽しみ、臣下達とファントークするという新たな楽しみを得ている。

問題なのはラインハルトならば意外にオーベルシュタイン=フィリーネ・オルフを受け入れそうなところだ。

本当に平和を理由にして勅令を出しそうで怖い。

ここは折れるしかなさそうである。

だが、ここで大人しくしているほどオーベルシュタインはやわではない。

ため息をついて軽く嫌味を口にした。

「・・・卿は脅迫などという下種な真似を好まんと思っていたのだが、買い被りだったか」

「好まんさ。だが敵が強大ならば手段を選んでいられない場合もある」

「私は敵か」

「味方なのか?」

「敵で良い」

「投げるな!」

ふたりは会議よりも激しく言葉を交わし、あまりに白熱し過ぎて使用人達が心配して見に来るほどだったそうである。

 

 

 

 

 一応引退は先延ばしということで落ち着き(発表もされていなかったが)、フィリーネ・オルフの小説は着々と出版されていった。

舞台化なども決定し、関連書籍も多数出る中、本人は一切公の場には出てこない。

賞をとっても表彰式は必ず欠席するし、どこに招待されても絶対に姿を現すことはない。

事情を知るごく少数の人間からすれば当たり前のことだが、それがさらに謎を深めて人気が過熱している面もあった。

オーベルシュタインはそんなことは気にせず、普段通りの生活をしていた。

時々軍内で漏れ聞こえる感想だけで満足だったからだ。

ロイエンタールは相変わらず猫のようにふらっとやってきて本、酒、飯を楽しんでいる。

たまに彼が以前捨てた女性が近くに現れることもあるが、軍務尚書の屋敷とわかると即座にいなくなるため何も起きていない。

読書を楽しむようになってから漁色も凪いだようなのでなお平和である。

しかしながら平和とは次の戦争のための準備期間だ。

 ある日屋敷にやってきたロイエンタールは、聖者の如く意味深な笑みを浮かべて二枚の紙を見せてきた。

一枚目は『フィリーネ・オルフファンクラブ』なる組織の発足と会員募集の案内。

二枚目は『フィリーネ・オルフ握手サイン会』なる行事の参加応募書類。

オーベルシュタインは生まれて初めて人に掴みかかった。

 



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3話

この話に同性愛の要素は存在しないですが、作者が20年以上腐女子をやっているので、それっぽい描写ととれるものが混入しているおそれがあります。
ですが、この話は健全です。
至って健全です。



 

 

 『女』の顔を正面から見た時、ロイエンタールは素直に驚き、感心した。

美人は見慣れていたが、素直に美しいと思える。

薄い唇に多少特殊メイクをしてボリュームを足していたが、他は普通に化粧を施しただけだ。

おそらく元々下地が良かったのだろう。

涼し気な目元が印象的な美貌に仕上がっている。

大体の人間が背の高い『美女』と評するだろう『女』が、装飾が少ない古風なドレスを着て立っていた。

「さすが俺の見立てだな。どこからどう見ても女だ。卿の貧相な体ならば女物のドレスも入ると思っていた」

「・・・卿も悪趣味なことだ。私を着せ替え人形にしても面白くなかろう」

無遠慮に自身を見てくる美丈夫に、『美女』は多くの人々に恐れられる軍務尚書の声で咎めるように呟いた。

 

 

 

 フィリーネ・オルフ公式(公認は事後承諾)ファンクラブ会長=ロイエンタールによって勝手に企画宣伝された握手サイン会は凄まじい騒動を生んだ。

今まで一度もメディアに露出していない謎多き文豪が遂に姿を現すというのだ。

まず新聞社やら放送局やらからの取材申し込みが殺到して大変なことになった。

銀河で億存在するファン達も黙ってはいない。

我先にとファンクラブに入会し、握手サイン会に応募した。

これだけ聞くとただ混乱しただけのように聞こえる。

しかしそのあたりはさすがと言うべきか、ファンクラブ会長は事務処理を担当する人間をすでに大量に雇い入れており、ファンクラブ入会申し込みや、握手会参加応募の集計抽選、場所の手配まで滞りなく処理していった。

 別にロイエンタールはその場の思いつきや嫌がらせのために握手サイン会を企画したわけではない。

フィリーネ・オルフは自分が初めて熱狂した作家だ。

しかしその当人は「読んでもらえただけで満足」と引退すら考えていた。

栄誉や称賛が裏返ることを恐がり、直接ファンの声を聴きたがらない(こっそり聞いて喜んでいるだけだ)。

ようやく認めてもらえた部分を健気に守らんとする様は奥ゆかしくて可愛いと言えなくもないが、やはりもったいない。

正体は隠していても、文を書いたのは間違いなくオーベルシュタインなのだから、その点に関しては胸を張って良い。

一度くらい『フィリーネ・オルフ』一般ファンの声を真正面から聞いてみるべきだ。

ロイエンタールが褒めるだけで赤くなるので、一般ファンが褒めたらどうなるか気になる。

仄暗く辛気臭い表情や正論ばかりで面白味がない言動も多少はましになるかもしれないし、普段の会議のストレスが軽減される可能性もあった。

そんな悪意ではないが、善意とも言い難い思惑から、この握手サイン会は催されることになったのだ。

 オーベルシュタインに伝える直前に大々的に告知し、すぐに通いなれた隠れ家的他人の家に向かったのだが、もちろんひと悶着があった。

元々予想していた通り、『フィリーネ・オルフ』が猛反対したのだ。

野良猫のような僚友の不意打ちにすっかり機嫌を損ねてしまった『彼女』は、自邸への出入り禁止を言い渡してきた。

握手サイン会の中止処理は企画者だけでやれと大変立腹だ。

ロイエンタールは珍しく本気で慌てて説得にかかる。

なんだかんだでオーベルシュタインの屋敷をとても気に入っていたし、多少は悪いことをした自覚があったからだ。

「おい。そんなに怒るな。確かに何も言わずに勝手に決めたのは悪かった。だが、一度くらい姿を現してもいいだろう。むしろ現すべきだ。卿も最近の報道加熱は知っているだろう?」

本来の目的はあえて伏せてそう尋ねた。

姿を現さない謎多き女流小説家に対する憶測記事は最近かなり頻繁に紙面を賑わせている。

中身がオーベルシュタインであるがゆえに、しっぽを掴ませるようなことはしていないが、正直ただの流行では済ませられない社会現象と言って良かった。

いずれは特ダネ欲しさに強引な手段に出てくる輩も出るだろう。

しかしフィリーネ・オルフが姿を現せば、ある程度鎮火するに違いない。

謎は謎であるからこそ魅力的だが、わかってしまうと落ち着いてしまうものだ。

そうなれば正体が露見する危険性はさらに減る。

本当はそれだけが理由ではないが、ロイエンタールはそのように説明した。

オーベルシュタインは普段青白い顔を紅潮させて声を張る。

「良いはずなかろう!フィリーネ・オルフは女で私は男だ!立場上顔も知られている!影武者をたてるにしてもリスクが高すぎる!」

フィリーネ・オルフは『女』でなければいけない。

オーベルシュタインはそう考えていた。

帝国は今も昔も男社会で、女性は従属を求められる。

しかし長い戦争のせいで現在の人口比は帝国も同盟もかなりの女余りだ。

オーベルシュタインは性別など関係なく、実力があるものが国を動かすべきだと考えている。

彼女たちの能力を死蔵するなど馬鹿げていた。

だからフィリーネ・オルフは女でなければならない。

ゴールデンバウム王朝の終焉を示すため、悪しき風潮を打ち消す一助であるために女であるべきだ。

一番最初に名前を決めた時は、出来るだけ自分とかけ離れた名前にしようとしただけだったが、今は違う。

フィリーネ・オルフは女であるべき存在だ。

影武者をたてれば、情報漏えいのリスクが高まる。

報道加熱のことは当然知っていたし、いずれは何らかの形で沈静化を図る必要を感じていたが、僚友の案は納得しかねるものがあった。

 細い眉を吊り上げて、明確に怒りを示すオーベルシュタインに新鮮さを感じながら、ロイエンタールは苦笑する。

「つまり卿は人前に出る必要性は認めるということだな?今回のことも正体がばれなければ問題ないということで良いな?」

「・・・・・・」

軍務尚書は薄い唇を結ぶ。

是ということらしい。

美丈夫はオーベルシュタインを頭の頂点から足先までじっくりと見据えた。

「影武者を作る必要はない。卿は背こそ高いが肩幅は狭いし、全体的に細い。それにおそらく母君似だろう?」

「・・・・・女装しろと?」

帝国一の頭脳は即座に相手の言わんとしていることを察して唸る。

確かに第二次性徴を迎えるまでは、かなり頻繁に女だと間違えられた。

合理主義であるオーベルシュタインは必要性を感じれば女装だろうと、軽装だろうと迷いなく身に着ける。

確かにこの場合自ら女性に扮するのが一番簡単な手段だろう。

適当な人材を雇い入れて教育したり口止めしたりするより早くて確実である。

しかし現在オーベルシュタインは40近くだ。

女性の服が入ったとしても、無理があるだろう。

そもそも軍務尚書という立場上顔を知られ過ぎている。

現実的でない案だと切って捨てようとしたが、ロイエンタールの自信に満ちた表情に踏みとどまった。

「ふふ。卿はこの俺がなんの策もなく、こんな案を出すと思っているのか?」

「私を嫌う卿ならばありえると思っているが」

「確かに卿は嫌いだが、フロイライン・オルフのことは好きだ。安心しろ。化粧で人間の顔はかなり変わる。そろそろ来るはずだ」

「来る?」

オーベルシュタインが訝し気に目を細めると、執事のラーベナルトが客が来たと入室許可を求めてきた。

許可をすると

「閣下!アントン・フェルナーです!!」

と良い笑顔の部下が立っていたため、オーベルシュタインは彼が入ってくる前に扉を閉めた。

 

 

 

 ロイエンタールは握手サイン会を主催するにあたり、軍内に共犯を作った。

オーベルシュタインの説得は論理的に説明すれば向こうが折れるので問題ないが、あの男をきちんと女装させるための人員調達が急務だったからだ。

そこで目を付けたのが軍務尚書の副官であるアントン・フェルナー准将である。

彼は諜報や密偵などに明るく、さらにオーベルシュタインの信奉者のひとりでフィリーネ・オルフのファンだ。

情報漏えいの心配はないし、断られる理由が思いつかない。

ひとまず人気のないところに呼び出してフィリーネ・オルフの正体や握手サイン会の話をすると

『急にこんな場所に呼び出されたので、暗殺でもされるかと思ってましたよ』

と物騒なことを言いながら二つ返事で了承してきた。

話を持ち掛けたロイエンタールの方が驚くほど、あっさりオーベルシュタイン=フィリーネ・オルフを受け入れたのである。

『軍務尚書閣下の強さの理由が少しわかった気がします。表に出すことが出来ない感情を文字に注ぐことで心を守っていらしたのですね』

当時アントン・フェルナー准将はそのように笑っていたという。

ちなみに協力の報酬としてファンクラブ会員ナンバー2を要求されたが許容の範囲だった。

 そして現在フェルナーは必要な道具を持参して、オーベルシュタイン邸にやってきたというわけである。

「閣下酷いです!!閣下をお助けするためにやってきた小官を追い出そうとするなんて!!」

なんとか室内に入れてもらった銀髪の副官は大袈裟に嘆いて抗議してきた。

オーベルシュタインはそれを無視していつもどおり人形めいた無表情で、淡々と語る。

「・・・卿はなんとも思わんのか?」

普通上司が憧れの女流作家と同一人物では混乱すると思うのだが、フェルナーはにっこりと笑って頷いてみせる。

「むしろ役得だと思っております。憧れの上司と小説家が同一人物なんて凄い素敵なことですよ。ロイエンタール元帥は正しい人選をなさったと思います」

「わかってはいたが、その肝の据わり方は見ていて腹立たしいな」

ロイエンタールは軍内では下位に当たる男の発言に、皮肉気に唇の端を持ち上げる。

図太い官房長はあっさりと嫌味を受け流し、

「軍務尚書閣下はお綺麗な顔をしておられますし、すらっとした体つきをされているので、女装はわりと簡単だと思います」

言いながらうきうきした様子で化粧道具やら、体型補整のボディースーツやらを広げた。

彼は陸戦部隊出身だが、潜入や裏工作もこなす器用な男だ。

オーベルシュタイン自身も彼にこの手の仕事を任せたことがあるので、彼が変装道具や技術を持っていることは知っていた。

まさか自分にその技術が使われることは予想していなかったが。

「・・・・フェルナー准将」

「あ、これは私物でございますのでご安心を」

別に軍のものを持ち出したのではないかと心配したわけではない。

いつもの無表情ながらも明らかに不満そうな、疲れた空気をかもすオーベルシュタインにロイエンタールは小さく吹き出した。

軍務尚書が不満を示しながらも抵抗しようとしないのは、これが必要だと理解しているからだ。

ぶれない真面目さが会議中は憎らしいが、今は存外可愛げがある。

帝国一の色男はそのままじっくり変身風景を眺めているつもりでいたが、すぐにフェルナーに追い出された。

『女性』の化粧を覗くものではないと言うのだ。

本当はどう変わっていくのか興味があったが、ごねるのもどうかと思い素直に部屋を出て、親の買い物が終わるのを待つ子供のように暇をつぶしていた。

そして話は冒頭に戻る。

 完璧な女装をしたオーベルシュタインが、ロイエンタールのところに歩いてきたのだ。

「いやぁ。ここまでやることが少ない変装も珍しいですよ。やったのは唇や体の膨らみ足したことと化粧だけです。あ、義眼は粘膜コーティングのものに交換させていただきました。これなら義眼だと わからないと思います。凄いお綺麗です、閣下」

『美女』の背後から現れたフェルナーは、相変わらず楽しんでいる様子でそう語る。

彼の自信作は実際素晴らしく、誰がどう見ても女にしか見えない。

どこを歩いてもおそらく冷徹と謳われる軍務尚書と看破出来る人間は皆無だろう。

ロイエンタールは少し下がって全体像を確認する。

「もう少し華があるドレスにした方が良いな。鮮色をメインにしたやつが良い。あと、この髪は付け毛か?」

オーベルシュタインの髪は現在結い上げられており、後れ毛がなかなか艶っぽい。

フェルナーは愛想よく頷いた。

「ええ。閣下は髪もお綺麗なので、髪は染めて地毛を活かして足しました。サイズがわかりましたからドレスはこれから調達しましょう。フルオーダーで作っている暇はないので、パターンオーダーでいきますか」

「平民設定だからそれで良いだろう。胸は・・・まあこれくらいで良いか」

確かにドレスの上からわかる体型は女性的な丸みが加わっており、ちゃんと胸もあった。

触れてみるとちゃんと胸の感触だ。

『初対面』の女性の胸を揉むという暴挙に出たロイエンタールに、オーベルシュタインは無言でチョップをかました。

こうして女装(フェルナー作。ロイエンタール監修)で乗り切れると判断されたため、フィリーネ・オルフ公式ファンクラブ主催の握手サイン会は行われることが決定したのである。 

 

 

 遂に握手サイン会の日がやってきた。

場所は首都一の規模を誇る書店だ。

参加出来るのは100万以上の応募者の中から抽選で選ばれたファンで、その数は200人。

さらにその周囲を報道陣と、抽選にあぶれたファン達が囲む形になっており、店内は恐ろしい熱気だ。

皆が小説界に旋風を巻き起こし続ける『女王』の登場を今か今かと待っている。

 握手サイン会とは言っても演目はその後付け足されており、最初に軽い記者達からのインタビューが設けられることになった。

取材陣にも多少は何かを答えないと、報道の沈静化が図れない可能性が高いためだ。

当たり前だが、申し込んできた記者全員の相手をするわけにはいかないので、会場の席分抽選で選ばれている。

「・・・・・」

フィリーネ=オーベルシュタインはその様子を監視カメラの映像で冷静に観察し、眼光を鋭くする。

容姿は完璧に女性であるにもかかわらず、身にまとう気配は普段のままだ。

「閣下ー。その格好でそんな目をなさるとセクシーで興奮しますが、一般の方には刺激が強すぎるかと思います」

フェルナーが冗談交じりにそう指摘するが、フィリーネの空気は変わらない。

新調した鮮やかな色のドレスに身を包んだ『彼女』は、明瞭な知性と清廉な色香が同居する女性となっていた。

義眼も見た目を生身の目に限りなく近づけたものに換えてあるため、作り物であることが見抜かれる可能性は低いだろう。

書店の責任者との最終確認を終えて戻って来たロイエンタールが、フィリーネの様子に気付いて尋ねた。

「なんだ。フィリーネ。今から敵に挑むような顔をして。相手はファンだぞ?愛想を振りまけとは言わないが、睨むのはやめておけ」

「ビッテンフェルト提督がいる」

「「!?」」

フィリーネの重々しい物言い(口内設置型の変声器を通しているため女声)に促され、共犯者ふたりは驚いてリアルタイムカメラ映像を覗き込んだ。

見覚えのあるオレンジ頭のがっしりした男がそわそわしているのが見える。

握手サイン会の列に並んでいるところを見ると、彼は当選していたらしい。

「うわっ。凄い豪運ですね。応募者100万以上いたんですよね?」

「・・・・何かはしゃいでいる様子だったが、このことで喜んでいたのか」

ビッテンフェルトが周りに言って回らなかった理由は察することが出来る。

皇帝夫妻もこの握手サイン会に行きたいと熱望し、オーベルシュタイン(本人)に窘められたからだ。

その代わりファンクラブ会長のロイエンタールがフィリーネのサインをもらってくる手筈になっていた。

主君を差し置いてという気持ちがあっても、結局譲ることが出来ずに現在に至ったというところか。

「・・・・・」

フィリーネは小さくため息をついて立ち上がる。

そろそろ開始時間だったためだ。

知己がいるのは多少気になるが、元々徹底的に『フィリーネ』を演じ切る覚悟である。

やるからには絶対に手を抜かない。

今日までラーベナルト夫人の指導を受けた成果を発揮するだけである。

「行きましょう」

女流作家は背筋を伸ばして優雅に皆の前に姿を現す。

爆発でも起きたかのような歓声が上がり、視界が利かなくなるほどフラッシュが降り注いだ。

『フィリーネ』は優雅に一礼し、柔らかに微笑む。

後の世に『小説の女王』と称えられる女流作家が初めて公衆の面前に登場した瞬間だった。

 

 

 

 



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4話

帝国って警備がすげぇがばがばなイメージがあります。
キルヒアイスの一件とか。


 

 

 会場に集まった報道陣はまるで全宇宙から集まったようだった。

ここは書店のイベントスペースでかなり広い場所であるにもかかわらず、凄まじい人数が詰めかけたせいで、書店側も対応に大わらわ。

交通整理と万一の場合に備えて憲兵隊すらも出動する大騒動となっていた。

 ロイエンタールは舞台袖から、席についた主役と集まったギャラリーを見比べつつ、内心でため息をつく。

報道加熱も話題性も知っていたが、目の前で実状を目の当たりにするとあまりいい気分にはならない。

全宇宙に聴衆がいても怯まないオーベルシュタインがフィリーネの中身でなければ、ただの晒し者だっただろう。

現に集まった観客は謎に包まれた大作家の堂々とした立ち居振る舞いに驚いているようだ。

 綿密に話し合いフィリーネ・オルフの経歴やらを偽造してオーベルシュタイン自身もそれを完璧に暗記しているが、念のために彼女の身の上などへの質問は禁止にしてあった。

『彼女は自分の周囲が騒がしくなることを酷く嫌がっていて、この握手サイン会も必死になって説得してようやく実現した。これで心無い誰かが約束を破ると引退しかねない。私は一ファンとしてそれは絶対に避けたい』

ファンクラブ会長自ら参加する記者達にそう説明した。

帝国に三人しかいない元帥のひとりがこうまで言うのだから、率先して智将と名高い男の敵になりたがる人間はいないだろうが、どこの世界にも馬鹿はいる。

フィリーネ・オルフがパウル・フォン・オーベルシュタインに戻るまで安心出来なかった。

 物静かに、しかし何故かよく通る声で『フィリーネ』が挨拶をしている。

その口許には作られたものではない優し気な笑みがあった。

もし他に彼女が絶対零度の剃刀と知る人間がいたら目を疑う光景である。

「・・・奴は普段どれだけ表情筋をサボらせているのだ。ちゃんと笑えるではないか」

「皆さんが酷い事ばかり言うからじゃないですか?罵っておいて笑えとか無茶をおっしゃる」

呟かれた小声の感想に、フェルナーが呆れたようにこちらも小声で返す。

悪戯っぽく緑瞳を細めながら、すぐ横にいる統帥本部総長に自慢するように言った。

「私は笑ってるところ拝見したことありますよ。いやぁ、あの姿で微笑まれるとまた違った趣があって良いですね。ますますファンになりました」

「卿は本当に変わった趣味をしている」

うっとりと語る准将に、ロイエンタールは呆れ顔で囁くが、癖が強いと自他が認める官房長は気にする気配はない。

むしろ仕返しとばかりに笑みを深めた。

「おや。常々あの方を嫌いと公言している癖にファンクラブ会長になった方ほどではありませんよ」

「・・・卿は本当に生意気だな」

「そんなに褒めないでください。照れるじゃないですか」

ワイヤーロープの神経と評される男は、相手が元帥でも怯む様子はない。

これくらいでないと、あの癖が強すぎる軍務尚書の副官など務まらないのだろう。

 ロイエンタールは本気で苦笑しながら、再度舞台に視線をやる。

『フィリーネ』はしとやかに記者からの質問に淀みなく答えていた。

実はいつものような正論ばかりなのだが、物言いや表情でこれほど印象が違うものらしい。

記者のひとりが手を上げて質問した。

「ファンクラブ会長のロイエンタール元帥とのご関係を伺ってもよろしいですか?」

女流作家は柔らかく笑みを深める。

「彼は私の一番最初の読者です。一番最初にファンになってくれた人でもあります」

嘘ではない。

実際はデビュー後に読んだのだが、フィリーネ=オーベルシュタインと知った上で初めて面白いと言った読者だ。

もちろんそんな詳細は説明しない。

記者からの質問が続く。

「一部では恋人との噂もありますが?」

「全く違います。私と彼はそのような関係ではありません。彼は私を女として見ていませんし、私も彼を恋愛対象として見ていません」

きっぱりと断言する。

実際女ではないわけだが、記者達が知る由もない。

記者達の視線が一斉にロイエンタールに向いたため、苦笑を噛み殺す。

ファンクラブを立ち上げた時の、周囲の反応を思い出したからだ。

 今までフィリーネ・オルフの小説を一冊も読んだことがなかったはずの男がいきなり公式ファンクラブを立ち上げて会長に就任した。

仕事場に宣伝ポスターを貼らせたため、その情報は凄まじい勢いで伝播した。

そして真っ先に出た噂は

『ロイエンタール元帥はフィリーネ・オルフに手を出したのではないか?』

というある意味当然のものだった。

漁色家として名高い彼の魔の手がオルフ女史に伸びたのではないか。

交際相手が趣味に影響することなどよくある話である。

噂を真に受けたわけではないが、一番可能性が高いことは間違いなく、ロイエンタールを知る人間は大体皆同じことを考えた。

親友であるミッターマイヤー元帥も例にもれず、自身と妻の分のファンクラブ入会書類を渡しながら非常に心配そうな顔で言ったものである。

『・・・・・・・なあ、ロイエンタール。頼むからオルフ女史を酷く振るのだけはやめてくれ』

そもそも付き合っていない、とどれだけ説明しても日ごろの行いからなかなか信じてもらえず、しまいには皇帝夫妻から直々に心配の言葉をもらってしまった。

『もし付き合っていたらファンクラブなどという組織を作って長を務めるようなことはしない』

と周囲に言い広めてもらってようやく沈静化したが、あれには参ったものだ。

 ロイエンタールが物思いにふけっている間も記者会見は続いている。

「では彼とは御友人で?」

「友人でもありません。彼は私の書く小説のファンです。作者である私のことは嫌いですよ」

この答えには会場がどよめいた。

『フィリーネ』は背が高すぎることに目をつむればかなりの美人だ。

ロイエンタールが今まで付き合って来た花達に勝るとも劣らないだろうし、何より多くが認めるほどの知性の持ち主である。

「『女』としてではなく作品を純粋に評価しているのね」

と誰かが呟き、それを聞いた人々は恐ろしい具合に納得したようだった。

しかし、作品が好きなら作者も無条件に愛せとは言わないが、ファンクラブ会長までやっておいて本人にわかるほどあからさまに嫌いなのかと、批判的な視線が向けられる。

美丈夫はやや不満に感じた。

確かに嫌いだが、『フィリーネ』の格好で言われるとなんだか腹立たしい。

頭ではあの美女の中身は軍務尚書だとわかっていても、なんだかフラれたようで嫌なのだ。

すぐ横でフェルナーがくすくすと稚気を見せて笑っている。

「もういっそお友達になれば良いじゃありませんか。いや、もうなっていますね。あの方のためにこんな企画をするくらいですから」

「少し黙っていろ、副会長」

「はいはい、仰せのままに」

言いながらもフェルナーは笑みを消さなかった。

 その後は当たり障りのない質問が続き、記者会見が終盤に差し掛かると、あるひとりのフリージャーナリストが手を上げた。

「フロイライン・オルフ。どうしてもお聞きしたいことがあります」

「はい、なんでしょう?」

そのジャーナリストが評判が悪いことを知っていたオーベルシュタインだが、今はフィリーネなので愛想よく応じた。

男はいやらしい笑みを浮かべて問いかける。

「貴女は本当に今までの43作の小説の作者なのですか?」

再び会場がどよめいた。

記者の質問があまりにも無礼だったからだ。

確かに有名人の著書などがゴーストライターに書かれることなど珍しくもないが、それをこんな公の場で尋ねる人間などまずいない。

おそらくあれほど緻密で豊かな知識に裏打ちされた文章を、おそらく30前後と思しき女に書けるはずはないと遠回しに言っているのだろう。

あからさまな賛同者はいないようだが、疑念の種が撒かれたのだ。

袖で見ていたロイエンタールとフェルナーの顔が険しくなった。

すぐにふたりの頭脳はいかに穏便にあの無礼な記者を摘まみ出すかを考えていたが、その前に問われた側が反応した。

すっとフィリーネの双眸が鋭くなったのだ。

瞬間、観衆のほとんどが怒鳴られたようにびくりと体を跳ねさせる。

室温が急激に下がったように思われた。

「もちろん私が書きました。・・・・・・そうですね。では証明のためにこの場で何か書いてみましょうか」

何故聞こえるのか不思議なほどの声量で、さらりと爆弾が投げられた。

女王の言葉の意味を理解した人々がざわめく。

「自分が自分であることを示すというのは誰でもなかなか難しいものです。私の場合は文章を書くことが私を示すもの。ならば今ここで書きましょう。何を書きましょうか?」

言葉こそ静かで平坦なものだったが、空気が軋むほどの威圧感があった。

当然である。

フィリーネは最近まで無名だった女流作家とされているが、中身は建国の功臣であり、今まで海千山千の猛者と渡り合って来たオーベルシュタイン軍務尚書だ。

ゴシップ記事ばかり書いている記者如きでは怯ませるどころか、相手にならない。

問われた記者は一瞬呆然としたようだが、周囲からの怒り、羨望や嫉妬を通り越して殺意に近い視線を受けて正気に戻り、先程とは比べ物にならないほど小さな声をなんとか絞り出した。

「・・・・では・・・・その・・・・・・ミステリーを」

「わかりました」

女王はひとつ頷くと、フェルナーが走ってきて目の前に文章がかけるキーボード付き端末を置く。

どうやら大急ぎでとってきたらしく息も上がっているが、さらに慌ただしく駆けて行ったところを見ると印刷機も持ってくるつもりらしい。

フィリーネは細い手を何度か結んで開くと鋭く問うた。

「会長。会見終了予定時刻まであと何分です?」

「延長出来てせいぜい15分だろうな」

ロイエンタールの言葉が言い終わるが早いか、細い指が凄まじい速度でキーボードの上を踊った。

おそらく隣に置かれた文面をそのまま打ち込むだけでもここまで速くないだろう。

手に別な何かが乗り移ったが如く文字が猛烈な勢いで生み出されていく。

印刷機を押して走って来たフェルナーが、今度はフィリーネの手元の端末に無線機を取り付けると店内に設置されたモニターにリアルタイムで表示された。

改行などはきちんとされているようだが、書き直すということは一切していない。

まるで元々決められていた動作を行っているかのように迷いがない動きだった。

誰もが言葉を忘れて見守ることきっかり15分後。

フィリーネはぴたりと手を止めて息を大きく吐く。

フェルナーが待ってましたとばかりに、出来立ての作品の印刷を始めた。

出来たのはおそらく200ページ程度の短編だ。

そしてさっそく刷り上がった一冊を件の記者に渡す。

渡された方は爆発物でも押し付けられたかのごとく震えていた。

「これが私が私であることの証明です。これで信じていただけないならばもうお好きにお考えくださいな」

女流作家は笑う。

示された女王の実力を、一同は惜しみない拍手と歓声で讃えた。

 

 

 

 その後すぐに始まった握手サイン会は比較的平和だった。

ファンクラブ会長と副会長が現職軍人でなおかつ元帥と准将であり、さらにはファンクラブの有志(ロイエンタールが声をかけた部下)がハガシや警備をやっているため通常の著名人よりもかなり厳重体制である。

たとえ邪心を抱いている人間がいたとしても、何かやろうものなら殺されかねない勢いだ。

さらに公然で堂々と小説を仕上げてみせたフィリーネを疑うものはもうおらず、サインと握手にプラスして正真正銘の最新作をもらえたファン達はほくほく顔である。

「貴女の大ファンです!これからも応援しています!」

「貴女は私の憧れです!」

「ますます好きになりました!!」

これほどの人々に褒められたことがないオーベルシュタインは純粋に嬉しくて、心から笑って握手をし、サインを書いた。

あまりに熱心過ぎてなかなか手を離してくれないファンがいたくらいで、他は特に問題はなくどんどん当選した200人のファンは減っていく。

7割ほど握手を終えたあたりで、『フィリーネ』は表情に出さないながらも緊張した。

見慣れたオレンジ頭がすぐそこにいたのである。

彼はもちろん私服だったし、おそらく変装とおぼしき縁が太い眼鏡をかけて髪型も変えていたが他は何も手を加えていない。

記者達の大体は正体に気付いていたようだが、そもそも会長が元帥であるため上級大将が握手しにきてもおかしくないと思ったのだろう。

特に絡まれることなく放置されていた。

 遂にビッテンフェルトの番がやってきた。

彼は緊張した様子で持ってきたフィリーネの著書を出す。

『赤き雷光』

異能を持つ傭兵が他人とどうあがいても違う自分に苦しみながらも戦い、運命を切り開いていく物語だ。

猪と評される男は何やら目の前の女性を食いいるように見つめていたが、彼女が微笑みかけると視線を逸らす。

「この話の主人公は貴方をイメージして書きました」

「ふぇ!?」

サインを書きながら呟かれた言葉に、ビッテンフェルトの顔が驚きで固まった。

そしてサインの上には『ビッテンフェルト提督へ ありがとう』と書かれている。

帝国一の猛将の顔が驚きと興奮で紅潮するのを見届けると、本を渡し、握手をするとさりげなく帰りを促した。

どこか混乱している気配がある背中を見送り、次のファンに微笑みかける。

 ビッテンフェルトが『赤き雷光』の主人公のモデルと言ったのは嘘ではない。

実際彼の容姿をイメージして書いた。

性格などもおそらく大きくは間違っていないだろう。

誰にも言っていないが、自身の小説の登場人物のモデルは近場にいることが多い。

彼がモデルであることを明かしたのは目くらましもあるが、ビッテンフェルトならばテレビや新聞にもそれなりに出るため一般人女性が知っていてもおかしくないからだ。

インスピレーションを与えてくれた礼もしたかったし、当人も喜んでいるので良いだろう。

 最大の難関を通過した共犯者三人は密かに胸をなでおろす。

このまま順調に終われば、夕食はラーベナルト夫人が用意した御馳走にありつける。

三人とも明日は普通に仕事であるため、余計な問題は起きてほしくなかった。

しかし数十秒後、願いは儚く崩れ去る。

 このイベント会場には窓がない。

つまり光は照明頼りだ。

その照明がいきなり全て落ちたのである。

暗いところから明るいところに出た時、目が慣れるまではおよそ1分。

逆に明るいところから暗いところに入った場合目が慣れるまでは30分から1時間ほどもかかる。

つまり電気が消えた直後、ほとんど誰もが状況を理解できなかった。

おそらく唯一の例外がフィリーネ=オーベルシュタインである。

彼の目は義眼であり、かなり短時間だが暗視機能を使えたのだ。

そして見た。

自分めがけて走ってくる男を。

もちろん大人しく待つ理由がないので、オーベルシュタインはさっさと立ち上がりフェルナーやロイエンタールに声をかけようとした。

だが直後室内で複数の爆音が鳴り響いた。

プロの軍人ならまだしも、一般人がこんな状況で冷静でいられるはずはない。

会場内はパニックに陥った。

飛び交う悲鳴と怒号の中、オーベルシュタインはもみくちゃくされてしまう。

そんな中おそらくこの騒ぎの元凶であろう男は『フィリーネ』を無理矢理抱えて周囲をなぎ倒して出口に向かっていく。

「きゃーーーー!!」

絶対届かないだろうと思いつつひとまず悲鳴をあげてみた。

一応暴れてもみるが、このまま横転したら動きづらいドレスなこともあって皆に踏まれて死にそうだ。

この場で殺さないということは攫うのが目的だろうし、ならば何故攫いたかったのかを確かめたかった。

「フィリーネ!!」

少し離れたところから聞こえた大きな声はビッテンフェルトだ。

悲鳴が届いたらしい。

彼の声はフェルナーとロイエンタールに聞こえたらしく、慌てた二人の声が聞こえてきた。

しかし呼びかけに答えるよりも早く、部屋の外に連れ出される。

 喧噪が遠ざかっていくのを感じながら、オーベルシュタインは考えた。

いつまで大人しくしていようかと。

 



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最終話?

「ようやくふたりきりになれたね。フィリーネ」

「・・・・・・・・」

フィリーネ=オーベルシュタインは、現在初対面の男に馴れ馴れしく手を握られている最中だった。

男はおそらく30前後だろう。

一応フィリーネを抱えて走れるくらいの力はあるが、ロイエンタールやビッテンフェルトのような鍛え上げられた体躯ではない。

無駄に華美な衣服の上からでも体の緩みがわかり、嫌でも鼻につく体臭は脂と埃が混じっている。

 無理矢理地上車に詰め込まれて連れてこられた屋敷は、首都の郊外にあった。

おそらく元はフェザーンの金持ちの屋敷だったのだろう。

以前は豪勢でも品が良かったと思しき内装や家具は、買い足されたらしい調和を乱す成金趣味に台無しにされてしまっている。

10歳前後の夢見る少女ならば喜びそうなふりふりレースの装飾が施されたベッドに、フィリーネは座らされていた。

細い足首には鍵なしで取り除くには重機が必要になりそうなほど物々しい足かせが嵌められている。

枷には長く太い鎖がつながっていて、壁に固定されていた。

下手に暴れて、服を脱がされるなどしても困るのでされるがままにされた。

特に痛みはないが、つけられて楽しいものではない。

ちらりとそちらに視線をやると、男は大仰に悲しそうな顔をしてみせた。

「ああ、ごめんよ。フィリーネ。本当は君の綺麗な脚にこんなものをつけたくない。でもこうしないと恥ずかしがり屋な君はどこかへ行ってしまうだろう?もう無理をしなくて良いんだ。これからは君はずっとここで今までどおりに僕のことを描いてくれれば良いんだよ」

「・・・・・・・・」

なんと返せば良いかわからず、フィリーネは僅かに唇を結ぶだけに止めた。

道中でよくわかったが、この男には話が通じないからである。

 最初は営利目的の拉致だと思った。

これだけ売れている作家だ。

しかもファンクラブ会長は帝国に3人しかいない元帥のひとりである(攫ったのも元帥だが)。

成功するかは別として、高額な身代金を要求してもおかしくはない。

単純な性的暴行目的という線は考えられなかった。

姿を現したのは今日が初だし、停電のことを考えると思いつきでの犯行はありえない。

フィリーネがオーベルシュタインと知っていて、見せしめか私怨で殺そうとしていることも考えづらかった。

ならばわざわざ攫う理由がない。

普通に暗闇で殺す方が楽だろう。

殺した後に適当に声明文でも置いておけばいい。

 だが車内で聞いてもいないのに勝手に語られた内容は、帝国の頭脳の予想を逸脱していた。

『君がずっと僕のことをモデルに小説を書いてくれていたことは知っていたよ。文字に込められた僕への愛も確かに受け取った。待たせてごめんね。僕も愛しているよ、フィリーネ』

・・・・・こいつは何を言っているのだろう。

オーベルシュタインは素でそう思った。

ツッコミどころしかない話だった。

軍務尚書の膨大なデータベースの中にはこの男の顔はなかったし、大体フィリーネは架空の女である。

仕事柄、頭のおかしい連中とやりあったことは数えるのも面倒なほどあったが、ここまで会話が成立しないタイプは珍しい。

なかなか苦痛ではあったが、話を熱心に聞いているふりをしてしゃべらせておくと相手側から勝手に情報を提供してくれた。

 男の主張によると、自分は熱心なファンで、読んでいるうちに全ての著作は自分をモデルとしており、遠回しなラブレターだと気付いた。

控え目な君は自分への想いを文章に乗せて綴るだけで満足しているようだが、自分も君を愛している。

愛し合うふたりが離れている必要などない。

だから君を連れ出した、とのことだ。

眩暈がするような供述である。

これはあれだ。

ストーカーという奴だ。

確かにファンレターの中には明らかに『フィリーネ』へ恋愛感情を抱いているものもあったと聞くが、出版社側が分別してくれているため手元に届くことはなかった。

中身がオーベルシュタインだったから今まで何も起きなかったが、これが本当に一般女性なら大変なことになっただろう。

帰ったら、今まで後に回されていた女性の犯罪被害に関する刑罰を早く成立させよう。

出来れば見せしめの意味も込めて銃殺が望ましい。

これから自分の後に続く物語の書き手達がこんな目にあっていたのでは、文化が発展しなくなってしまう。

密かにそう固く誓うと、すり寄ってくる男を適当にいなし、ちらちらこちらを見てくる雇われ運転手に内心舌打ちしつつ、ひとまず大人しく相手の本拠地までやってきたのである。

「もうあんな記者どものご機嫌取りなんてする必要はないんだよ。君の物語はもうふたりだけのものだ」

「・・・・ええ」

 オーベルシュタインは敵地に一人という状況だがわりと余裕があった。

なんかまだ言っている男を無視しない程度に流し、こっそりあるものに視線をやる。

そこにはおそらく前住人のものと思しき刺突剣が飾られていた。

美麗な装飾こそされているがきちんと実用品らしい。

室内には男が人払いしたため、ふたりきりだ。

さらには部屋を追い出された男達は長年仕えていたわけではなく、間に合わせで雇った軍人崩れのようだった。

どうやら金はあるらしいが色々駄目な馬鹿に対して忠誠心があるとは思えない。

ならばどうにでも立ち回ることが出来る。

オーベルシュタインは飛びぬけて優秀な戦闘力はないが、それを補うだけの頭脳はある。

ひとまずはフェルナーが助けに来るまで服を脱がされないように粘らなければならない。

今更貞操だなんだと騒ぐつもりはないが、性別は絶対にばらしたくないし、ばれて逆ギレされたらさらに面倒になる。

もう少し言うならば仕事でもないのにこんな男と寝るのはごめんである。

 オーベルシュタインは男の言葉に感動しているふりをしながら時を待つ。

そして外が騒がしくなった時、枷をつけられている方の脚で、金属部分が跪いている男の顎に直撃するように狙って蹴りを入れた。

 

 

 

 フィリーネ=オーベルシュタインが攫われたのは、ロイエンタール達の怠慢が原因ではない。

むしろ帝国内で地位が低い平民女性かつ小説家という職の人間には過剰と思えるほどの警備だった。

もちろんテロ対策なども行っていたのだが、軍務尚書拉致をやらかした相手の行動は予想外の規模だったのだ。

書店の電源供給を断ったのではなく、この地域全体に電力供給している発電所を爆破したのだ。

爆破と言っても全てが消し飛ぶような規模ではなく、一時停電する程度のもので実行犯もその場で逮捕されたが十分だった。

実際『彼女』は攫われてしまったのである。

 共犯者ふたりは起きてしまったことをごちゃごちゃ言うことはなかった。

即座に混乱の収拾などは運営委員(ベルゲングリューン他)に委任し、即座に攫われた小説家を地上車で追いかける。

わざわざ攫った以上、すぐに殺される可能性は低いが楽観は出来なかった。

攫った目的はわからなくとも、フィリーネの正体がばれたら非常に面倒なことになるのは確かだし、奪還されるリスクを考えてすぐに殺されるケースもあるからだ。

可及的速やかに救出する必要がある。

 道中ビッテンフェルトが合流したため、一緒に行くこととなった。

当たり前だがロイエンタールやフェルナーが誘ったわけではない。

地上車に乗り込むために走るふたりを追い抜かさんばかりについてきたのである。

『戦力は多いにこしたことはあるまい』

とのことだ。

弁明するならば、ふたりは最初断った。

憲兵隊に連絡はしてあるため戦力は十分だし、何も無駄に夢を壊す必要はない。

妙齢の美女小説家だと思っていた方がこの男にとっては幸せだ。

しかし本人の意思が非常に固く、説得している時間もないため、

『事情は後で説明するし、質問にも答えるから絶対にこれから起こることに口を挟まない』

と誓わせて同行させた。

 元々いざという時のためにオーベルシュタインには複数の発信機を身に着けさせている。

特にそれが取り除かれた様子もないため、1時間もしないうちに陸戦の名手三人はフィリーネの監禁先と思しき屋敷の扉を蹴破っていた。

首都郊外にあり、それなりの古さと広さがある屋敷だが、使用人は見当たらない上に掃除があまりされていない。

おそらく元々は華やかな屋敷だったのだろうが、今はただ全体的にくすんだ印象しか受けなかった。

雇われたらしいごろつきはいたが、基本的に三人の誰かに一発殴られただけで(ブラスタで撃っても良かったが弱かった)床に沈んだため、フィリーネがいる部屋まではすぐに到達出来た。

何やら争っている気配を感じて、急いで扉を銃を構えながらぶち破ると、そこには予想斜め上をいく光景が広がっている。

「ああ、卿らか」

フィリーネは淡々と呟き、視線だけを救出チームに向ける。

そのフェルナーが気合を入れてエステを施した手には、刺突剣が握られており、剣先は目の前の大柄な男の喉に迷いなく突きつけていた。

細い脚には足枷があったが、鎖がかなり長かったため、特に動きを阻害しなかったようだ。

「思ったより遅かったな」

『フィリーネ』は細い肩を僅かに竦めて呟く。

ロイエンタールは希代の美貌に悪戯っぽい笑みを刻んで言った。

「・・・あっさり攫われたわりには余裕そうだな。しかも卿は剣が使えたのか。もっとゆっくり来るべきだったかな?」

「いや、ちょうどいいタイミングだった。・・・卿が来ると思わなかった。フェルナーはともかく、卿のことだから先に帰って夕食を食べていると思っていた」

相変わらず温度がない言葉に、美丈夫はむっと整った眉を寄せた。

「おい。卿の中で俺はどれだけ人格破綻者なのだ。俺が無理矢理担ぎ出したのだから、これくらいの責任はとる。それに何度も言わせるな。フィリーネのことは好きだ」

「・・そうか」

特に感銘を受けた様子もなく小さく頷いた。

「オルフ女史。もう剣下ろして良いですよ。動いたら小官がそいつ撃ち殺します」

「わかった」

実際に銃口を向けながら物騒なことを言う銀髪の青年に、女流作家はひとつ頷くと言葉に従い、自身を拉致してきた男の存在を忘れたように三人に近づく。

鎖がじゃらじゃら鳴っているが危なげない足取りである。

その段階でようやくビッテンフェルトを気に掛けることができたらしく、後ろの方で驚き固まる彼を一瞥した後ロイエンタールを睨んだ。

睨まれた方はやや不満そうにしている。

「そんなに睨むな。変な気分になる」

「馬鹿なことを言っていないで、枷の鍵をくれ。その男が持っている」

「フィリーネ!!」

ここでようやく事態が飲み込めたのか誘拐犯が、まるで恋人の裏切りにでもあったかのような悲痛な声をあげた。

「行かないでくれ!君は騙されているんだ!!そんな野蛮な男どもに君を幸せに出来るはずはない!!」

「誘拐犯が何を言っておるか、うつけ者!!!」

銃を突き付けられていることを忘れて追いすがろうとする男に、ビッテンフェルトのドロップキックが炸裂した。

筋骨隆々の彼の全体重が乗った一撃だ。

まともに喰らえば病院直行どころか下手をすれば即死である。

予想違わず、見事に骨を破砕されて蹴り飛ばされた男は少女趣味のベッドに突っ込み、動かなくなった。

それを確認した外三人は、ため息を小さくついて警戒を解いた。

「少なくとも彼らの方が貴様の兆倍良い男だ。誇りに思っている」

静かに呟かれた言葉は、直後やってきた憲兵隊達の声に消される前に三人に届いた。

 

 

 

「ん゛~~~」

「泣くな、ビッテンフェルト提督。私の鹿肉をやろう」

「俺のも持って行け」

「ん゛~~~~~」

帝国の猛将は美味しい料理をもぐもぐ食べながら泣いていた。

ちなみにあまりの美味しさに泣いているわけではない。

ある意味失恋したため、泣いているのだ。

 事件後、一行は事後処理を憲兵隊に任せ、事情聴取を終わらせてからオーベルシュタイン邸に戻った。

報告によると、握手サイン会会場にいたファンや記者達は怪我人は出たものの、死者はいなかったそうである。

彼らの医療費は全額ロイエンタールが持つことになった。

本当はオーベルシュタインが出すつもりだったのだが、ロイエンタールが譲らなかったのだ。

一応この男も怪我人が出た上に『フィリーネ』が攫われたことを気にしているらしい。

握手出来なかったファン達には後日サイン入りの非売品短編を贈ることになった。

 犯人の動機を聞いた共犯者ふたりは呆れ、ビッテンフェルトは怒った。

ちなみにストーカーは死んではいなかったものの、重体である。

事件を知ったラインハルト外熱狂的なファン達が怒り狂っていることもあり、オーベルシュタインが裏で手を回さなくても死刑に持ち込めそうだ。

 そして何故オーベルシュタイン邸に連れてこられたのか訝しがるビッテンフェルトにフィリーネ・オルフの正体他を詳らかにしたのだが、その結果がこれである。

やはり大嫌いな軍務尚書が憧れの女流作家と同一人物だという衝撃は、勇猛果敢な手練れであるビッテンフェルトの心にダメージを与えたらしい。

まるでナイーブな少年のように、ずっとこの調子である。

幸いなことに食欲はあるらしく、用意された食事をナイフとフォークで元気に襲撃して口に運んでいた。

「ちょっと、ビッテンフェルト提督。そんな乱暴な食べ方をしたら料理が可哀想ですよ。せっかくラーベナルト夫人が腕によりをかけて作ってくださったのに」

一緒に卓を囲んでいたフェルナーがそうして窘めると、ようやくその考えに至ったのか、一旦きちんとナプキンで涙を拭ってからゆっくりと食べ始めた。

「うう。オーベルシュタインなんぞにときめいた自分が情けない」

「軍務尚書閣下はお綺麗ですもの。恥じることなどございませんよ」

フェルナーは馬鹿にするでもなく、しかし得意げににこにこ笑っている。

彼としてはいつも書類提出が遅いくせに、頻繁に絡んでくる猪を騙せて溜飲が下がったのだろう。

心から食事を楽しんでいる様子で、皿の上を綺麗にしていっている。

「確かに見事な出来だったな。そしてどれだけ卿が普段顔の筋肉を怠けさせているかよくわかった」

ロイエンタールはまじまじとオーベルシュタインを見て言った。

『フィリーネ』の時のオーベルシュタインは正体を知っているロイエンタールでも驚くほど別人のようだった。

喜怒哀楽がしっかりとあり、どれも一見の価値があるほど美しかった。

とてもこの仮面めいた顔の中年男と同一人物に見えない。

「普段からああしていれば良いだろう。そうすれば会議が大分楽に進行する」

「そうだな、やってみるか。陛下やミッターマイヤー元帥あたりが良い反応をしてくれそうだ」

「待て、悪かった。謝るから怒るな」

皆が動揺して滞る会議の様子を思い描き、ロイエンタールは即座に謝った。

どうやらそのあたりのポリシーは曲げるつもりはないようだ。

この人形のような男は、表面に出さず判断に影響させないだけで案外激情家であることはわかっているし、怒るとシャレにならないことを言い出すこともわかっているが、どうしても揶揄いたくなる。

記者の挑発に見事実力を示したことを褒めると、赤くなって視線を逸らした。

面白い。

それをビッテンフェルトが超常現象を見たかのような顔で凝視している。

「・・・・卿らは仲が良いのだな」

いつのまにか泣き止んだ猪はぽつりと呟いた。

その指摘にふたりの元帥は程度は違えど揃って驚いた顔をする。

「・・・卿にはそう見えるのか?」

「泣きすぎだ、ビッテンフェルト。目を冷やせ」

「いや、こうして一緒に食事をしたり秘密を共有している時点でかなり仲が良いだろう」

猛将は呆れた様子で少し笑う。

ようやくいつもの調子が戻って来たらしい。

オーベルシュタインはゆっくりと首を振る。

「私の読みの甘さのせいで、弱みを握られてな。成り行きだ」

「案外ここは居心地が良い屋敷でな。前の女が執事と押し問答することもなく平和だ」

「自分の不始末の処理を私に押し付けるな。素直に刺されてくると良い」

「駄目ですよ、閣下。人数多すぎてロイエンタール元帥原型なくなっちゃいますよ」

「卿ら」

シャレにならないことを言いだす軍務尚書と官房長に、ロイエンタールの秀でた額に青筋が浮かぶ。

ビッテンフェルトは今度こそいつも通りに剛毅に笑う。

「やはり仲が良いではないか」

「「どこがだ」」

「そこがだ」

こうして共犯者は二名から三名に増員されることとなった。

 

 

 翌日の新聞の一面はフィリーネの写真と『女王の貫録』もしくは『女王 無礼者を成敗』の文字だった。

 

 

 

 

 

 

ende?

 

 

 

 

 

 




これでフィリーネ・オルフのシリーズはひとまず完です。
お読みくださいましてありがとうございます!


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フィリーネ・オルフの挑戦1

せっかくなので続きをば。



 

 オーベルシュタインが最近こそこそしている。

ロイエンタールは密かにそう思っていた。

奴は元々社交的とは言い難いし、かなりの秘密主義だ。

現に今だって嫌われ者の軍務尚書の姿の裏で、宇宙に名を轟かす人気作家をやっている。

正直これ以上の秘密などない気がするが、どうやらまだあるらしい。

夜中に書斎の電気が点いていて、気になって勝手に入ると端末の画面電源を落としてしまう。

何をしていたのかと聞いても、『仕事』と端的に答えるだけだ。

実際仕事ならべらべら話す内容ではないのはわかるが、本当は違うと戦場で培われた勘は主張していた。

何やら悩んでいるようだし、普段から青白い肌もさらに悪化しているように感じられる。

軍務尚書としてのオーベルシュタインのことは嫌いだが、私人の更に言うなら作家としてのオーベルシュタインのことは嫌いではない。

休みの日はほぼ間違いなく入り浸り、三食食べて泊まることが結構楽しいくらいの好意はある。

何か困っていることがあるなら共犯者のよしみで協力してやっても良いと考えていた。

だが、オーベルシュタインは頑なで何も言わない。

いつも厳しい顔でどこかを睨んでいる。

「・・・・閣下。何かお悩みがあるのでしたらおっしゃってください。それとも私ではお力になれないことですか?」

最近すっかり恒例となっている共犯者の会(四人)での夕食の時、フェルナー准将がそう尋ねる。

やはり官房長の彼も気付いて気になっていたらしい。

「・・・いや、特に何もない」

「何もないはずあるまい。辛気臭さが倍になっているぞ」

ビッテンフェルトが唸った。

ロイエンタールも同調する。

「顔色の明度も悪化しかしていない。なんだ。スランプとか言いだすんじゃないだろうな?確かに最近執筆のペースは落ちているが元が異常だっただけだ。むしろ今も異常だぞ?あのペースが標準ならば卿以外誰も作家を名乗れまい」

フィリーネの本は現在月に数冊ペースで発売されている。

これでまだまだ書き貯めがあるのだから、文才もそうだが速筆の才能は銀河一ではあるまいか。

 オーベルシュタインはロイエンタールの言葉にちらりと何か考えるような素振りが見えた。

どうやら悩みは小説のことに関してで当たりらしい。

「なんだ。書きたい話が煮詰まっているのか?言ってみろ。この面子で今更何を隠す?」

「・・なんでもない。卿らの気にすることではない」

切り捨てるようにそう言い放つと、それ以上周囲がどれほど追究しようと何も話すことはなく、その夜の夕食は終わった。

 

 

 ウルリッヒ・ケスラー憲兵総監はフィリーネ・オルフが嫌いだった。

話はとても面白いと思う。

発想力も文才も豊かで、大人気なのも頷ける。

だが、自身の影響力に無頓着なのはいただけない。

彼女が何かを書くたびに、話に登場した物が売り切れになり、犯罪をテーマにしているものだと模倣犯が爆発的に増える。

さらに問題なのは、話に出てくる手口が実際実行可能なほどにリアルに描かれていることだ。

実在する場所が登場した場合、彼女はかなり入念に調べているらしく、実行に移した犯人に逃走を許してしまうケースが多発した。

事態を重く見て正式に抗議をしたところ、故意に作られたトリックの穴を示された。

確かにしっかりと憲兵側が職務を果たしていれば全て未遂に終わるはずだ。

現にオルフ女史の愛読者である憲兵が、犯人の手口と小説の類似に気付いて取り押さえたケースも多数あった。

しかし、それはあくまでも結果論だ。

実際仕事は増えるし、むやみに犯罪を煽るような小説を出版するのはやめてほしい。

電文にそのように書いたところ、

『私は愛や人同士の絆をテーマにした話もたくさん書いていますが、それで治安は向上しましたか?』

彼女からの返信にはそう書いてあった。

 フィリーネ・オルフは相当頭が良い女性らしく、何を言っても非の打ち所がない正論が返ってくる。

さらに度胸もあるようで、公的機関からの抗議にもまったく臆した様子がない。

再三の忠告を無視して、今まで禁忌とされていたテーマでも小説を書き続ける。

出版社にも差し止めを依頼したが梨のつぶてだ。

確かに銀河で億単位のファンを持つ作家に意見など出来ないだろう(出版社を変えられるだけだ)が、ゴールデンバウム王朝時代からの公権力への反感もあるに違いない。

現在は強制的に発禁にすることが出来ないため、しつこいナンパ程度の効力しかないのだ。

出版社側も利益を捨てるようなことは行うはずはない。

 フィリーネはその社会への影響力だけでもかなり危険人物に思えるが、さらなる問題は皇帝も皇妃も彼女のファンであることだ。

もちろんラインハルトは小説に影響されて政策を決めたりしないが、知識を得たり興味を刺激されたりすることはよくあるらしく、個人的に登場した事柄を調べるように命じたりはしているらしい。

このままではいずれ国政に影響が出るのも時間の問題ではないか。

「考え過ぎじゃないか?」

休憩時間に憲兵総監の愚痴を聞いていたルッツは、苦笑気味にそう呟く。

隣でワーレンも同じような顔をしていた。

 たまたま行き会って流れで昼食を一緒にとることになったのだが、つまらない話ばかりしてしまっている自覚はある。

せっかくの休み時間に申し訳ないと思う反面、ケスラーは誰かにどうしても聞いてほしかったのだ。

 フィリーネは謎だらけの作家だ。

わかっているのは名前と顔くらいで、ほとんどのプロフィールが伏せられている。

元帥であるロイエンタールがファンクラブ会長をしていたり、名誉役員があのビッテンフェルトであるため多くの人間はわかっていないようだが、彼らが騙されていないと誰が保証出来るのだ。

「たかが創作物だろう?確かに今は流行りで盛り上がっているが、そのうち落ち着くさ」

ワーレンはフィリーネの小説を読んでいないらしく、騒ぎを俯瞰して見ている。

ルッツも深刻な顔をする生真面目な僚友を慰めるように笑った。

「俺も彼女の『マイスター・ベルツ』シリーズが好きだが、軍を辞めて探偵をやろうとは思わない。いつの時代も影響されやすい奴はいるだろう。だが少なくとも陛下は違う」

「・・・・・ああ」

「それに考えてみろ。卿が危惧するような危険人物ならばあの軍務尚書が静観するはずはない。ファンクラブの副会長は官房長だそうだからな」

確かにそうである。

ケスラーはルッツの言葉に得心した。

自分が危惧するような人物ならば、あの冷徹の代名詞は真っ先に排除に動くだろう。

「・・・・それもそうだな」

オーベルシュタインの顔を思い出して安心する時がくるとは思わなかった。

ワーレンが軽く笑う。

「お、ようやく明るい顔をしたな。暗い顔していると可愛い奥さんが心配するぞ」

「・・・・妻もフィリーネのファンで」

「・・元気出せ」

 両提督に優しく肩を叩かれていると、ふと窓の外に妙な物が見えた。

この休憩所は一階にあるのだが、窓の向こうは中庭になっている。

豊かな木々や手入れされた花壇が魅力の場所なのだが、そこを突っ切るように灰色のケープが移動していた。

「・・・あれはなんだ?」

ケスラーに指摘されて他のふたりも中庭に目をやる。

オーベルシュタインだった。

何かから逃げているようで、ばたばたと動き回っている。

そのすぐ後を青いケープとオレンジ色の髪が追いかけ、数分もしないうちにオーベルシュタインは捕獲されて上半身と下半身を各々分担で拘束され、運ばれていく。

細い体をよじって抵抗しているようだが、屈強な元帥と上級大将相手では完全に無意味だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

状況を飲み込むのに数拍の時間がかかった。

三人が中庭の倉庫へ入っていったのを確認した時、室内の三人が正気に戻る。

そして一斉に窓から中庭に出た。

『ヤバい。遂に殺る気だ』

この時は本当にそう思ったと、後に彼らは日記に記している。

 

 



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Ich bin in dich verliebt.(こぼれ話)

『フィリーネ・オルフの挑戦』の少し前の話。


 

 

 

「ああ!!腹立たしい!!」

帝国一の色男はこれ以上ないほど不機嫌に吼えた。

その手には酒杯があり、さっきから空になるたびに注ぎ足されている。

ここは銀河帝国軍務尚書オーベルシュタイン邸。

以前は来客がほぼ皆無だったが、最近になって特定の人物が頻繁に通ってくるようになった。

ロイエンタール元帥、ビッテンフェルト上級大将、フェルナー准将である。

彼らは冷徹と名高い軍務尚書宅を子供の秘密基地か、たまり場のように利用しており、泊まることも珍しくなかった。

別に通っていることを言い広めることはないが、それ自体は嘘をついてまで秘匿することでもない。

実際ロイエンタールはミッターマイヤーに居場所を問い詰められて、正直にオーベルシュタイン邸にいることを教えている。

何故あんな奴の家にいるのか、と当然の疑問を示され、

『奴自身は不快だが、その不快さの棘のおかげで面倒な輩も遠ざけて、屋敷自体は静かで快適に過ごせるし、出てくる酒や料理が美味い』

と嘘ではないが、全てではない答えを返した。

一番の理由=自身がファンクラブ会長を務める作家の自宅で、新作が読み放題だからという理由は伏せてあった。

ミッターマイヤーは信頼出来る男なので明かしても機密上の問題はないが、自分が熱狂している作家が憎き軍務尚書だとわかればショックを受けるだろうと気遣っての判断だ。

すでにショックを受けた上級大将は元々のくよくよしない性分のおかげですでに状況を受け入れているが、それをかの愛妻家に強制するわけにはいかない。

ちなみにロイエンタールが現在怒っているのはそれとは別件である。

「・・・・・そ、そんなに怒ることか?」

美丈夫がずっと整い過ぎた顔を引き攣らせて怒り狂っているのが腑に落ちないらしく、ビッテンフェルトが不思議そうに太い首を傾ぐ。

彼は下戸なので、ジュースをちびちび飲みながら元気に肉を食べていた。

その横ではフェルナーもロイエンタールを気にした様子もなく夕食を楽しんでいる。

最近は珍しくもなくなった家主と一緒の食事である。

ビッテンフェルトの発言を受けて、異なる色合いの双眸がきっと吊り上がった。

「当たり前だ!むしろ何故卿らが怒りを覚えないのか理解出来ん。奴は死ぬべきだった!!」

「そ、そうか?俺は生きていてくれて嬉しいが」

あまりの剣幕に若干引き気味になりながら、猛将は彼にしてはかなり控え目に主張する。

フェルナーもビッテンフェルトの意見に同調した。

「そうですよ。むしろ彼の生は皆が望んだ結果です。貴方も別に彼のことがお嫌いではなかったでしょう?」

「好き嫌いの問題ではない!奴の死は必要だった!それを安易に生かすなど!!」

「まあまあ」

官房長が宥めるが、美丈夫の怒りはまだ治まらない。

自身で持ち込んだ酒をどんどんひとりで空けていくファンクラブ会長に、今まで無言だったフィリーネ=オーベルシュタインは溜息をつきつつナプキンで口を拭う。

「卿のこだわりは良く分かった。だが、いい加減機嫌を直してくれ。卿にそのように乱暴に干される酒が可哀想だ」

「・・・・・・・・・・」

むうっと秀麗な眉が欲しいものを買ってもらえない子供のように寄せられる。

オーベルシュタインはますます溜息をついて、こう続けた。

「劇の脚本演出が不満であったことは良く分かった。だからいい加減自棄酒はやめたまえ」

 

 

 

 

 ロイエンタールはフィリーネ・オルフの小説の舞台に招待された。

超人気作であるオルフ作品はかなり頻繁に舞台上演許可の申請がくる。

オーベルシュタインはそれに対してフィリーネ・オルフの作品であるということをちゃんと表記すれば特に制限を設けることなく、脚本を確認することもなく許可を出した。

作品使用料をとり、その金は孤児や障害者の支援機構の財源とするためだ。

金儲けだなんだと言われようが、それで助かる命があるならば無駄にする必要はない。

簡単に許可がとれるため舞台の上演が大乱立し、オーベルシュタインやロイエンタールへの招待状は珍しくないどころか凄まじい数が届けられた。

元々行くつもりがない作者もそうだが、平和になって余裕が出来たとは言えファンクラブ会長や副会長、名誉役員(ビッテンフェルト)も簡単に足を向けることは出来ない。

首都で行われるものだけでもかなりの数に上るため、全てを観ることは不可能だからだ。

しかし今回の舞台はオルフ作品の中でも特に人気の『英雄の烙印』で、さらに非常に評判が良い脚本家などが揃っていて、なおかつうまく四人の休みを重ねることが出来たので全員で観に行った。

ちなみに乗り気でなかった作者を、ファンクラブ会長がかなり強引に連れて行った形である。

全員揃って赴いたら物凄く目立つため、ビッテンフェルトは特に隠さなかったが(挙動が目立つ)、事前に話し合った結果オーベルシュタインとフェルナーは変装(女装ではない)した。

幸い舞台の出来は評判違わず非常に良く、しっかりとした翻案がされていて名誉役員や副会長などは絶賛していたが、会長は違う。

主人公の親友=アルフレッドが助かったことに怒り露わにしたのだ。

アルフレッドは能力的にはあくまでも凡人で、際立った軍事的な才能は皆無と言っていい。

だが、どれほど親友の立場が変わろうと態度を変えることなく接し続けた稀有な人物だ。

英雄に祀り上げられ、環境と周囲の変化にすり減らされていった主人公にとってかけがえのない親友だった。

彼を自身の判断ミスで喪い、失意の中でそれでも立ち上がり戦う姿こそがこの物語一番の盛り上がりどころである。

それを安易に助けてしまっては流れが変わってしまう。

舞台ではアルフレッドを支えの一つとして戦い続けるというラストにまとめられていたが、原作のような胸を締め付ける感情が湧いてこなかった。

 作者に窘められたファンクラブ会長は子供じみた所作で不満を続ける。

「・・・・別に一から十まで小説を再現しろ、などと言うつもりはない。上映時間の関係で枠内へ入るように枝葉を多少切り落としたり表現を変えたりするのは当たり前だ。俺が文句を言いたいのはそこではない。名工の作った精密な機械仕掛けが重いからと安易に部品を抜き取った結果、大切な仕掛けが動かなくなっているから怒っているのだ」

「・・・・・・」

怒りで美貌を染めるロイエンタールとは違う理由で、オーベルシュタインの頬に血色が上った。

彼は本気で褒められることに未だ慣れない。

まるで初心な少女のような反応をする。

恥ずかしそうに視線を逸らし、細い体を居心地悪そうに縮めていた。

その様子を見ていつもの調子が多少戻ったのか、ロイエンタールがむっとした顔をする。

「褒めていないぞ?フィリーネの作品は好きだし、傑作だと思っているが、自身の作品が他者にどう扱われるか無関心過ぎる点は嫌いだ」

「今卿は自分で『名工』と評したではないか?それはオーベルシュタインを褒めているのと何が違うのだ?」

思う存分おかわりをして満腹になった猪は、悪意なくただただ不思議そうに太い首を傾ぐ。

美丈夫は無邪気な指摘にややむきになった様子で反論した。

「今言いたいことはそこではない!」

「・・・作者である私が良いと言っている、では駄目か?」

オーベルシュタインにしてみれば、ロイエンタールが何故そこまで怒るのかわからない。

原作を好きだと言ってくれるのは嬉しいが、解釈など人それぞれだし、安易なハッピーエンドを好む人間もいるだろう。

まあ、彼が言いたいのは他者がどう思うかではなく、自分がどう思っているかだ。

実際期待せずに口にした問いに返って来たのは否定だった。

「駄目に決まっているだろう。俺が舞台化に求めるものは作品の魅力が表現されているか否かだ。今回の舞台ではそれが削られ過ぎていた」

「ロイエンタール元帥がうちの閣下の小説が大好きということはとてもよくわかりました。いっそ、もう劇団のスポンサーになって堂々と口出ししたらいかがです」

「・・・・・・・・・・・」

その手があったか。

冗談めかした副会長からの意見に、はっきりとロイエンタールの顔にそう書いてあった。

ビッテンフェルトは作者の薄い頬が引き攣ったのを目撃したという。

 優秀な軍人であるロイエンタールの行動は早く大胆だった。

次の週には本当に劇団のスポンサーになり、脚本を書きなおさせ、数か月後には再演させたのである。

ロイエンタールプロデュースの舞台は大盛況となり、歴史的なロングラン公演となったと記録されている。

その後、この出来事について作者である『フィリーネ』は記者からの取材にこのようにコメントした。

『彼は本当に情熱的な人で、心から私の作品を愛してくれています。彼の思いの強さに驚かされたことは何度もありました。無茶を言われたことも何度もあります。ですが、彼の気持ちはいつでも純粋に嬉しいですね』

 

 

 



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フィリーネ・オルフの日常(こぼれ話)

またも挑戦よりも前の時間軸のこぼれ話です。


 

女流作家フィリーネ・オルフこと軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥は、今日も激務から帰宅後に小説を書いていた。

彼は大体の場合構想を完全に作った後に一気に書き上げる。

これはいつ死んでも未完にならないようにしているためだ。

発表するかしないかの問題ではない。

きちんと書き上げたいのである。

だから一度キーボードをたたき始めると、書きあがるまで止まらない。

例え背後に複数の気配がして鬱陶しくてもである。

「・・・・影になるから離れてほしいのだが」

「おい、言われているぞ、ビッテンフェルト提督」

「ロイエンタール提督、離れろだそうだ」

「両提督に言っているのだが」

きっぱりと言っても双方離れる様子はない。

背後にぴったりと貼りついて、増え続ける文字を凝視していた。

オーベルシュタインはため息をつきつつ、相変わらず指を止めることはない。

脳内で作られた世界を文字に起こす作業は続いている。

 このふたり、オーベルシュタインの屋敷に来た時はまるで構ってほしい犬猫のように家主の後ろからディスプレイを覗き込んでくるのだ。

出来たら印刷してやるから待てと言っても聞く様子はない。

熱心過ぎるファンだ。

素直に指示に従っているのは、今もソファで二ヤついているフェルナーのみである。

聞き分けがない両提督は動体視力が良いらしく、『フィリーネ』の高速タイピングにしっかりとついてきているようだ。

凄まじい速さで構築されていく物語に、何故かビッテンフェルトの顔が赤くなってきた。

「・・・おい、なんで男同士なのに濡れ場に突入しているのだ」

呻くように呟かれた言葉に、ロイエンタールが小馬鹿にしたようにくすりと笑う。

「刺激が強すぎたか、坊や?」

「違うわ!馬鹿にするな!」

「後ろで怒鳴らないでくれ。今回の話のテーマのひとつは同性愛だ。言っておくが卿の好みに合わせて書き直すつもりはないぞ」

筆者はロイエンタールが言うように刺激がかなり強いシーンを書いているにもかかわらず、恥じることなどない、と堂々としている。

 銀河帝国は建国以来同性愛は犯罪扱いされていたが、ラインハルトが帝位についてからは合法となった。

しかし、未だに同性愛者は差別されることが多く、大っぴらに周囲に言えないことがほとんどだ。

「今まで禁忌とされていたことをあえて文章にするのも『フィリーネ』だからな。誰から抗議がこようとこのスタイルは変えるつもりはない」

最初に小説を投稿した動機は単純に誰かに読んでほしかったからだし、今もそれは変わっていない。

多くの人間に読んでもらえただけで十二分に嬉しいという気持ちも嘘はない。

ただこれは復讐のひとつにもなると、密かにオーベルシュタインは思っていた。

自分が今まで憎んできて、これからも憎み続けるルドルフが作り出したものを破壊し、腐った社会の風通しを良くする一助。

そう考えるとなおいっそう文字を打つ力が強くなる。

 美丈夫がくつりと意味ありげな笑みを浮かべた。

「むしろ『美貌の女流作家』が書いたとなったらそれはそれで興奮する輩も多いだろうな。夜な夜な無駄撃ちに使われる感想は?『オルフ女史』」

「・・・・私が女性ならば卿をセクハラで訴えられたのに残念だ」

オーベルシュタインは心底嫌そうにため息をつく。

普段の無表情を崩せたのが楽しいのか、ロイエンタールの笑みは治まらない。

ビッテンフェルトがもの言いたげに太い眉を寄せた。

「・・・・・こうしていると、本当に卿は思っていたより人間だな」

揶揄われると不機嫌になったり、怒ったり、褒められると照れたり、私人のオーベルシュタインはいたって普通に人間だった。

確かに自分を含めた他の人間よりも表現が圧倒的に下手だと思うが、それでも驚くほど普通だ。

普段のオーベルシュタインは嫌いだが、私人で『フィリーネ』のオーベルシュタインは嫌いではなかった。

「それに色々なものを見て、考えて、感じているのだな。本当に感心する・・・・・・・・・っておわっ!?どうなるのだこれは!?」

「ビッテンフェルト提督、煩い。だから怒鳴らないでくれ」

「見ていればこれからわかるだろう」

「だって、こいつが自爆したらメンゲレの居場所がわからないではないか!?このままでは奴が死んでしまうぞ!?」

「だから黙って読んでくれ」

再びため息がもれる。

作者はそれでも騒がしい読者を無理矢理追い払おうとはしない。

なんだかんだ言っても、この熱心な読者達に感謝と好意を抱いているからだ。

「!?・・・まさかここまでが前座だったとは」

「ああああ!まさか!そんな!」

「・・やっぱりしばらく部屋を出ていてくれ」

オーベルシュタインは嘆息するが、それでも最後まで筆を止めることはなかったし、ふたりを追い出すこともなかった。

 



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フィリーネ・オルフの挑戦2

 

 

 

 薄暗い倉庫の中、オーベルシュタイン軍務尚書は業務用の砂利袋が積み重なった上にちょこんと座らされていた。

その正面には腕を組んで睨む共犯者二名がいる。

 近頃益々この華奢な男はおかしかった。

屋敷での口数はどんどん減っているし、密かに誰かと連絡をとっている。

こそこそ何かを書いては消し、それは絶対に見せようとしない。

別にオーベルシュタインが反乱を企てているとか疑っているわけではない。

もし本当にそんな不穏なことを考えているならば、もっとうまくやるだろう。

以前から察している通り、やはり何か小説に関することに違いない。

あの聴衆の前ですぐさま小説を書きあげてみせた『小説の女王』が懊悩している。

何に悩んでいるのかものすごく気になった。

 それでも最初は力ずくで聞き出して機嫌を損ねる必要もないし、そのうち自然と話すだろうと無理強いはしなかったのだ。

だが、帝国文学を凄まじい勢いで開墾している『才媛』の様子は加速度的に悪化していた。

ちゃんと眠れていないのか顔色はさらに白茶けるし、食も進んでいない。

オーベルシュタインの周囲の空気は今までが肌寒いが防寒していれば何でもない程度の気温だったとしたら、現在はカプチェランカレベルにまで到達している。

おかげで会議での言動自体はいつも通りなのだが、場の雰囲気がとんでもない。

今から戦争が始まるとしてももう少し和やかだろうというくらい張り詰めていた。

獅子と謳われる皇帝ですら顔が引き攣るほどで、何度も仔細を問いただすが何の答えも得られなかった。

他の上級大将達は『誰か何かやったのか』と密かにどよめいていたが、ロイエンタールとビッテンフェルトは違う。

『フィリーネ・オルフ』がおそらく初めて壁にぶち当たっていると察した。

ならば希代の天才小説家のファンとして、近場にいる以上このまま静観するのは無理だ。

放っておいたら勝手に自壊しそうである。

だが普通に問いただしても逃げられるだけで、最近ではオーベルシュタインの屋敷内ですら避けられている。

そのためローエングラム王朝を代表する提督ふたりは示し合わせ、昼休みに軍務尚書=フィリーネ・オルフ捕獲作戦を実行することとなったのだ。

作家当人が嫌がって逃げて暴れたため、強制連行したが、絶対逃がさないために必要な処置である。

 フェルナー准将に連絡してあるので、昼休みの時間は気にする必要はない。

徹底詰問会の始まりである。

「いい加減吐け、オーベルシュタイン軍務尚書。俺達に何を隠している」

「何故隠す。何を悩んでいる。言え」

「・・・・・・・・言いたくない」

「何故だ」

「私にだってプライベートくらいある」

言いながら視線を逸らせば、両サイドから薄い頬を挟んで正面を向かせた。

正面には不貞腐れた成人男子二名の顔がある。

「言い訳はもう聞かんぞ。お前の悩みは小説のことだろう。そうに決まっている」

「むしろそれ以外ないだろう。お前は仕事で悩むはずない。プライベートは小説か犬しかない」

「・・・・・・随分な言われようだ」

反論が弱い。

もしかしたらこの男なりに共犯者に黙っていることに抵抗があるのかもしれない。

この感触ならもう一押しすれば突き崩せる可能性がある。

なんだかんだでこの男は一度懐に入れると甘いところがあるのだ。

 オーベルシュタインはかなり悩んでいるようだった。

薄い口唇を何度ももごつかせ、何かを言いあぐねている。

仕事をしっかりと優秀な副官達に頼んできたふたりはさらなる長期戦にも対応する構えだった。

「・・・オーベルシュタイン。俺達は友達だろう?何故そんなに隠すのだ?」

ビッテンフェルトは思わずそう尋ねた。

全面的に好意を持っているかと言われると疑問だが、今の関係は少なくとも友情によって結ばれていると言って良いと思う。

オーベルシュタインは口ではあまり語らないが、文字では非常に多彩な表情や感情を見せた。

彼の描く物語は非常に緻密で重厚かつ情感豊かであるのに、するすると容易く飲み込め、内側をかっと熱くさせる良い酒のようだ。

良い文章を書くのが良い奴とは限らないが、少なくとも彼の書く小説は彼の心や記憶によって生み出されたもので、どれほど真剣に書かれたか知っている。

小説内に出てくるビッテンフェルトをモデルにしたキャラはカッコいいし、良く観察されていると感じた。

ファンレターを嬉しそうに(見慣れないと誤差の範囲だろうが)読んでいる姿を見ていると、本当はかなりシャイで内気な男なのではないかと思う。

相変わらず仕事に関しては色々気にくわないが、私人であるオーベルシュタインのことはなんだかんだで好感を持っているし、奴も同じなようなのでもう友と言っていいと感じていた。

「え?」

「え?」

猛将の言葉に他のふたりが声をあげる。

それが明らかに「何を言っているんだ」という声音だったため、ビッテンフェルトも驚くはめになった。

「おい、なんだその顔は!?俺達は友ではないというのか!?」

「え・・・・・・・・卿は友だと思っていたのか?」

「ほう。そうか。卿らは友達だったのか。知らなかった」

「はぁ!?」

純粋に驚いている様子のオーベルシュタインといつもの皮肉気な笑みを浮かべたロイエンタールを交互に見ながらビッテンフェルトは頬を紅潮させた。

こいつは友達だとも思っていない男達を頻繁に泊めていたのかとも思ったし、逆にロイエンタールは友達でもない男の家に高頻度で泊まっているのかとも思う。

友達だと思ったのは勘違いだったのかと、なんとも恥ずかしいやらやるせないやらの気持ちになり、撤回しようと口を開く。

すると、穏やかな声が猛将のそれを塞いだ。

「・・・・そうか、卿は私の友達なのか」

見ると、絶対零度の剃刀は、小春日和めいた空気を纏っている。

相変わらず表情がわかりづらいが、少なくとも嫌がっている様子はない。

「・・・・・・そうか・・・・・・そうだな・・・・・・・・・友ならば相談しても良いかもしれない」

しばし悩んだ後、ぼそりとそんなことを言いだしたので、それぞれ動物に例えられる提督は目を剥いた。

別にビッテンフェルトは嘘をついたつもりはないし、至って本気で言ったがあれほど頑なだったのに、こんなにあっさり受け入れて今まで秘匿していたことを明かして大丈夫なのか。

この男実はかなり騙されやすいのではないだろうかと心配になる。

美丈夫も同じ気持ちだったのか、やや不満そうに問うた。

「なんだ、それならさっさと言え。何に悩んでいる」

「?・・卿は友ではないからここでは言わないが」

当たり前だろうと言わんばかりの作家の言葉が、ロイエンタールの秀でた額にぴしりと青筋を浮かび上がらせた。

ビッテンフェルトは友達だから話す。

ロイエンタールは自ら友達ではないと遠回しに示したわけだから話さない。

理屈的には正しく矛盾はない。

だが、もっと言い方があるだろう。

妙なところで素直な軍務尚書に、オレンジ色の上級大将は内心で頭を抱えた。

その直後だった。

 いきなり倉庫の扉が吹っ飛ぶように、と言うより本当に吹き飛んだ。

同時に体格が良い男達が複数なだれ込んでくる。

入って来たのは三人。

全員ブラスターを構えている。

反射的にオーベルシュタインを突き飛ばして砂袋の裏に落し、ビッテンフェルトとロイエンタールもブラスターを抜くが、すぐに下ろした。

全員見知った顔だったからである。

「両提督!落ち着いてください!!」

「まずは卿が落ち着け、ケスラー。なんだいきなり。サプライズか?俺は今日誕生日じゃないぞ」

ロイエンタールがうっすらと状況を悟りつつも、表面上は冷静に優秀な頭脳を回転させる。

この中庭は死角が多く、近くにある休憩所も建物内で一番人気が無い場所だ。

だから目撃者が出る可能性がもっとも低いと見積もっていたが甘かったらしい。

しかも目撃したのがこの三人だとは。

内密な話だから黙っていろと言ったところで納得してもらえるとも思えない。

下手したら陛下にまで報告がいく。

「・・・・・痛い」

後ろの方でぼそりと、オーベルシュタインの抗議が聞こえた。

 

 

 

「ここで話すことは外部に一切漏らさず、墓の下まで持って行ってくれ。それがこの場で誓えないならば今日のことは忘れて帰ってくれ」

まるで死刑でも宣告するかのようにオーベルシュタインは重々しく語った。

ここにいるのはオーベルシュタイン、フェルナー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ケスラー、ルッツ、ワーレン。

全員が軍の要職についている普段の会議のような面子である。

だが現在いるのはオーベルシュタイン邸であり、その食堂だ。

普段から入り浸っているファンクラブ会員達はともかく、外三人が何故ここにいるのか。

ロイエンタールが勝手に話を進めて、オーベルシュタイン邸集合を告げたからだ。

オーベルシュタインはこれ以上共犯者を増やすことを嫌がり、かなり強引に話を終わらせようとしたが、美丈夫は引かなかった。

中途半端に疑われるくらいならば、さっさとばらして引き込んだ方が楽だし確実だと主張したのだ。

一応理にかなってはいるが、やや軽率とも言える提案だ。

確かに3人の提督は信頼がおける人物達だが、秘密は知る人間が増えるほど漏洩の危険は上がる。

オーベルシュタインは彼にしては珍しく過剰と言えるほど嫌がった。

帝国に3人しかいない元帥のうちふたりは、しばらく周囲を置いてけぼりにして言い争っていたが、最終的に非常に珍しく軍務尚書が折れた。

『あの時のロイエンタールは完全に仲間外れにされたことで拗ねた子供だった。オーベルシュタインが嫌がるとわかっていたからあんな提案をしたのだろう。俺だけに明かすと言っていた秘密もさらっと自分にも共有させるように仕向けていたし。もちろん目撃者があの3人でなければ真実を明かそうなどとしなかっただろうがな。まあ、我儘が言える相手が出来たことは良いことだったと思う。連中にとっては特に』

後に、ビッテンフェルトはそう語っている。

 そして忌むべき僚友の館へ一方的に呼び出された面々は、

『坊ちゃんの御友人がこんなにいらしてくださるなんて!』

と狂喜乱舞する使用人達から全力の歓待を受け、たらふくごちそうされた後現在に至っている。

ロイエンタールが他人の家に勝手に招いた客人達は、家主の言葉に顔を引き締めた。

何せ犬猿と有名な3人が持つ秘密である。

ここでやっぱりやめますと帰ったとしても、高確率で先程の料理が最後の晩餐になるに違いない。

だから新たな客人達は背筋を正し、残ることを示した。

 オーベルシュタインはため息をつき、床に置かれていたアタッシュケースをテーブルに載せて開く。

中には無数の書類が入っているようだった。

それらの一部を出席者に回し、行きわたらせる。

 紙に描かれていたのは、人型の大きなロボットだった。

おそらく地球時代中世の鎧などをモデルにしたのだろう。

かなりスタイリッシュでエッジが利いたデザインになっていて、子供が喜びそうな見た目だ。

どうやら腹部にコックピットがあるらしく、ハッチが開いている絵や人間とのサイズ比較の図などもある。

別紙にはかなり細かく仕様やら各部名称、搭載武器などが書かれていた。

「・・・・これは?」

ルッツが困惑気味に尋ねる。

この絵が何を意味するのかは、配った本人しか知らないことは皆の表情で察したからだ。

「・・・・これは『ナグルファル』。『共和宇宙連邦軍』の人型機動兵器だ」

オーベルシュタイン=フィリーネ・オルフはため息をつきながら長い脚を組む。

半白の髪をかき上げ、案外豊かな睫毛を伏せた。

「私=フィリーネ・オルフではなく変名の『ペトロネラ・エクスラー』のデビュー作になる予定の子供向けのSF戦記だ」

食堂は一瞬水を打ったように静まり返る。

だが、直後複数の野太い叫びが響き渡ったため、危うく使用人達が憲兵を呼びかけた。

 

 



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フィリーネ・オルフの挑戦3

オーベルシュタインがちょっと女々しいかもしれません。
ちなみにこのシリーズは腐っていないですが、同じラインで腐ったものを生産しています。
ご注意ください。


 

 子供向けの話を書いてみてほしい。

出版社からそのような依頼をされたのは数ヶ月ほど前だった。

『フィリーネ』の小説は基本的にジャンル問わずに大人向けである。

別に明確に大人向けと銘打っているわけではないが、文章こそ非常に読みやすく書かれていても、見事な伏線やら仕掛けを駆使する多重構造の物語は子供には複雑過ぎるのだ。

だからフィリーネ=オーベルシュタインにとって子供向けと狙って書く作品は完全な未踏の地であり、最初は断った。

しかし、新しい担当編集から熱心に依頼され、その熱意に負ける形で引き受けたが、そこからが本当に大変だったのだ。

 話は比較的すぐ出来た。

主人公はメインひとりにサブ四人の十代半ば程度の子供で、各々生まれや育ちなどが異なる男女に設定し、彼らが懸命に抗い未来へ進む様を描いたのだ。

会心の出来だと思ったのだが、担当者に送ったところ、非常に婉曲な表現で『とても面白いが話が難し過ぎて子供向けではない』と言われた。

今まで何冊も本を出してきて、初めてのボツである。

ならばと話の解像度を下げて提出したが、やはり子供向けではないと指摘される。

何度も同じようなことが繰り返され、具体的に何が足りないのかと問うたところ、今度は直球に『子供の興味をひく何かが足りない』との返答がきた。

これは新しい担当者ではなく、信を置く編集長の指摘だったためオーベルシュタインはさらに悩んだ。

言われて見れば確かに彼女が言うように、子供を夢中にさせるには何かが足りないように思われる。

子供の興味を引くようなものとはなんだろう。

自身の子供時代を思い出したり、歴史の中で流行したものを調べもした。

悩みに悩んで食もあまり進まず、共犯者から散々心配されつつようやくたどり着いた結論が、西洋甲冑をモデルとした人型兵器である。

どう考えてもこの形状にする意味がなく、現実にあったならばこんな安全性他が無視された機体に人を乗せるわけもなく、そもそも自分なら絶対に開発予算を振り分けないどころか案を提出してきた奴を解雇することを検討する代物だが、そのあたりはビジュアルとインパクト重視だ。

兵器の名前は『ナグルファル』に決まった。

この現実ではどう考えても開発者の道楽としか考えられない兵器を話に組み込んで送ると、ようやくゴーサインが出た。

次にもめたのはこのナグルファルのデザインである。

子供達のために出来るだけ目を引くデザインでなくてはならない。

機械を得意とする挿絵画家を指名し、相手と音声通信でほとんど喧嘩をするように議論し合い、何度も改稿を重ねてようやく完成したのが現在のものなのだ。

個人的にはかなりカッコいいと思う。

 まだ発表していないので売れるかどうかは未知数だったが、自分が全力で描いた作品である。

たとえ興行的に失敗に終わったとしても、ナグルファルという作品も物語のキャラクターも皆オーベルシュタインの愛すべき子供達だ。

生み出せたことを誇りに思うし、愛着もある。

もちろん関係者の収入などのことを考えると売れるにこしたことはないし、オーベルシュタイン自身も多くに届いてほしいと願ってはいた。

 発表はあえて『フィリーネ・オルフ』ではなく、『ペトロネラ・エクスラー』という変名で発表することにしている。

フィリーネ・オルフの名前では今までのイメージが強すぎるだろうと考えたのだ。

このことは共犯者達には明かさなかった。

何故かと問われると説明が難しいが、有り体に言えば__恥ずかしかったのだ。

まだフィリーネ・オルフを引退するつもりはないが、新しいことをするとなるとこの名が邪魔になることもある。

大体共犯者は皆成人しているのだから、別に子供向け作品は見せなくて良いはずだ。

その言い訳を口にすれば絶対に非難が飛んでくることを確信しながら、オーベルシュタインはそう考えていた。

 

 

「おい。俺はそんなことを聞いていないぞ」

唸るように言ったのはやはりロイエンタールだった。

色合いの異なる目を鋭角に砥ぎ、やや不貞腐れたような物言いをする。

予想通り、変名を使って作品を発表することを黙っていたことにフィリーネ・オルフ公式ファンクラブ会長はお冠らしい。

「当たり前だ。言っていない」

オーベルシュタインはため息をついて、長い指を組み合わせるとその上に細い顎を乗せた。

「・・・本当はずっと言うつもりはなかったのだ。卿は勝手に話を広げるし、私のことを無視して進めるし」

現に今回だって勝手に三人も人を引き入れた。

最終的にオーベルシュタインも折れたが、納得したわけではない。

むうっと美貌が不機嫌の色に染まる。

「俺のせいだと言いたいのか」

「今までの所業に悪意がなかったのなら、私は卿の評価を改めねばなるまいよ」

もう秘密は明かしたのだから良いだろうと、オーベルシュタインはやや投げやりに告げると、部外者のひとり=ルッツが敬語すら忘れてぼそりと呟いた。

「じょ・・・・冗談・・・だよな?」

オーベルシュタインはハッとして、新たな三人の顔を見た。

三者三様の反応ではあったが、皆共通しているのは『信じ難い、信じたくない』というものである。

 不意に冷水を浴びせられたような気がした。

そうだ。

最初の共犯者は勝手に踏み込んできたし、他のふたりは彼が勝手に引き込んだ。

彼らが受け入れたのは偶々で、本来なら受け入れ難い事実である。

人の心を持たぬはずの軍務尚書が小説を書いているなど。

あのオーベルシュタインが。

嫌われ者のオーベルシュタインが。

何故そんな初歩的なことを今の今まで失念していたのか。

元々血の気が乏しかった顔がさらに蒼褪め、色のない唇が震えた。

それでも普段通りの無表情が保てたのは、長い間の鍛錬の成果だろう。

「お、おい」

様子がおかしいことに気付いて心配そうに声をかけたのはビッテンフェルトだったが、オーベルシュタインは反応出来なかった。

別に批判などどうでも良い。

相手がどう思おうとそれは相手の権利だ。

知ったことではない。

ただ自分がどう思われているのか、そんな当たり前のことを忘れていたことが、細い身の奥の奥を打ち据えた。

痛みがじわりと広がる。

もう慣れて感じなくなったはずの嫌な痛みだった。

芯がみしりと悲鳴をあげたように思えた。

自身がどんな人間だったのか思い出し、流れるように平坦な言葉が落ちる。

「もちろんだ。ルッツ提督。冗談に決まっている。私がフィリーネ・オルフのはずがないだろう。ロイエンタール元帥が仕込んだ冗談だ」

『!?』

共犯者三人が弾かれたように発言者を見たが、それを無視して続ける。

「くだらない冗談に付き合わせてすまなかった。車を手配しておく。ごきげんよう」

オーベルシュタインは立ち上がると、持ってきた書類もそのままに食堂を出ようとする。

「待て!一体どうした、オーベルシュタイン!」

「卿の私物は後で郵送する」

「!?」

あまりに衝撃的な出禁宣告にロイエンタールが固まったのを確認するより早く、オーベルシュタインは走る。

あの場から少しでも早く離れたかった。

ひとりになりたかった。

自身の勘違いをひとりで消し去りたかった。

 

 

 

 

 直後ロイエンタールは知った。

オーベルシュタインは案外足が速い。

そのため帝国の智将は、帝国の頭脳の書斎籠城を許すという失態を犯してしまうのである。

 

 

 



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フィリーネ・オルフの挑戦4

少々オベが弱いですが、これからまたツンツンしたオベに戻りますのでご了承ください。
明けましておめでとうございます。今年もじわじわと更新してまいります。


フィリーネ・オルフの挑戦4

 

 書いた話を面白いと言ってもらえて嬉しかった。

多くの人に読んでもらえて嬉しかった。

友達だと言ってもらえて嬉しかった。

でもそれらは自分ではなく、フィリーネ・オルフの功績だ。

オーベルシュタインは何が変わったわけでもない。

ずっとずっと変わっていない。

嫌われ者のオーベルシュタインのままだ。

変わりたいとは思っていない。

参謀として自身の在り方が間違っているとも思わない。

では何故こんなに苦しいのか。

何も予想外なことなど起きていないのに。

当たり前のことがあっただけなのに。

どうということはないはずなのに。

「・・・・・・・・・・・・」

機械的に地上車を手配し、書斎の机に突っ伏してぼんやりとする。

磨かれた黒檀はひんやりとして冷たく、痛いほどだった。

照明をつけない部屋は真っ暗だったが、そこに浮かぶのは初めて出来たと思った仲間の顔だ。

ひとりは友達だと言ってくれた。

あんなに嬉しかったのに、今は顔を見るのが怖い。

怖い?

そう怖い。

オーベルシュタインは公私をはっきりと分ける。

そして公を優先する。

国家のためならば、自身が生まれる前から仕えてくれている執事夫妻も自身すらも贄としてくべるだろう。

だがここ最近、その境界が揺らいでしまったように感じる。

たとえ必要があったとしても、自分を心配し食事を共にしてくれた彼らを殺す自信がないのだ。

以前なら躊躇なくサイン出来たことが出来なくなっているように思える。

 距離を置こう。

漠然とそう結論を出す。

今までが異常だったのだ。

こんなに人が近くにいてくれたことがなかったから、勘違いしてしまった。

きっと今ならまだ修正がきく。

彼らはオーベルシュタインの仮面に惹かれて集まっただけ。

自分が好かれたわけではないことを忘れるな。

ため息をついて顔をあげると、今まで気づかなかったが断続的に扉がノックされていた。

「おい、オーベルシュタイン開けろ。何がどうした?説明しろ」

ここ数ヶ月ですっかり聞き慣れた声が、何やら不機嫌そうに唸っている。

オーベルシュタインは無意識に息をひそめた。

かつて父から隠れたように、ぎゅっと身を固くする。

きっとすぐに諦めていなくなるに違いない。

心臓が耳にあるように拍動がうるさかった。

急に言い知れぬ不安に襲われ、電気もつけずにいつも使っている文章入力用端末を起動する。

頬を何か伝ったが、確かめようとは思わなかった。

 

 

 

 

 二時間後、ロイエンタールが食堂に戻って来た時、残っていたのはここで見慣れたふたりだけだった。

「・・・他は?」

「帰らせた。正直全く納得してなかったが」

「だろうな」

どこか疲れた様子のビッテンフェルトの言葉に、ロイエンタールはさらに疲れた様子でため息をつく。

ここまで長時間声を出し続けた経験は覚えがなく、思った以上に疲労していた。

「・・・奴としたことがよほど余裕がなかったと見える」

オーベルシュタインが放った繕い事は雑過ぎて誰も納得するはずはない。

もっと上手い言い方がいくらでもあっただろうに、平時ならば当然のことに気が回らないほど、オーベルシュタインは動揺していたのだろう。

たらふく御馳走を食べさせられただけで帰らされた面々は皆真実を察しているに違いない。

フィリーネ・オルフとオーベルシュタインは同一人物。

信じられなかろうがなんだろうがこれは事実である。

しかし大抵の人間が受け入れ難いことはわかっていた。

 上位階級ふたりにまったく臆さない准将は、軍人らしくがっしりした肩を竦めた。

「まあ彼らにバレたところで大した問題にはならないでしょう。閣下自ら口止めしましたし」

彼らとしてはとんでもない秘密を明かされて災難だったと思うが、口が堅いのは間違いないし、万が一彼らが大真面目に真実を広めたところで誰も信じないに違いない。

それほどまでにオーベルシュタインとフィリーネ・オルフは普通結びつかないものなのだ。

駄目押しに細君や子にプレゼントでも贈ればある程度納得してくれることだろう。

 フェルナーは上官の自邸にいるとは思えないほどリラックスしてあくびをする。

「さて、我々も眠りましょう。閣下も明日・・あ、もう今日ですね。仕事ですから朝食には部屋を出てこられるでしょうし、その時にゆっくり話を聞きましょうよ」

「・・・・・随分軽いな」

「そっとしておこう期間に突撃したら逆に悪化しますから」

「・・・・・そもそも奴はどうして逃げたのだ?」

ロイエンタールはそれがわからなかった。

ルッツの言葉で蒼褪めたのは見て取れたが、彼の言葉は特に暴言などではなかったし、もし暴言だったとしてもあの絶対零度の剃刀が刃こぼれするとは思えない。

どちらかがすでに揃えた書類を視界の端に置きながら、美丈夫は整った眉を寄せる。

オーベルシュタインの突然の行動に驚かされて今まで忘れていたが、変名で作品を発表することも解せない。

おそらくフィリーネ・オルフというブランドと関係なく世に出したかったからだろうが、いずれ絶対にバレただろう。

文体というのは絵のタッチと一緒で癖が出る。

フィリーネ・オルフの筆致は他人が真似しようとして出来るものでも、簡単に消せるものでもない。

まさかまた引退を考えているのか?

絶対に認めたりはしないが、そうだったとしても何故ファンクラブ会長である自分に明かさなかったのかと不満であるし、今になってもまだ隠し事をすることも納得いかない。

月も恥じらう美貌が明らかに不機嫌の色を浮かべるのを見て、ビッテンフェルトがおずおずと言葉を挟んだ。

「そりゃあ、ルッツ達の反応が悲しかったからだろう」

「は?何故だ?ただ驚いていただけだろう?」

「いや、なんというか『嫌だ』という顔をしていただろう。『オーベルシュタインがフィリーネだったら嫌だ』と。だからではないか?誰でもあからさまに嫌われては悲しいものだ」

「・・・・・・・・・・・・」

帝国の智将は鈍い男ではない。

むしろ非常に鋭い性質だ。

だからここまで言われてわからぬはずはない。

今まで散々オーベルシュタイン批判をしていた人間が言うことではないだろうと思いつつも理解する。

自身が以前指摘した通り、オーベルシュタインは何もかもを諦めていた。

期待することを恐れていた。

「・・・ああ、無意識に期待していたのか」

美丈夫は思わずそうひとりごちる。

皆に受け入れてもらえることを。

公のオーベルシュタインはそんなことを思わないどころか、思いつきもしないだろう。

だが、私人のオーベルシュタインはただの大人しい勉強家だ。

人並みに不機嫌になったり、非常に地味に喜んだりと見慣れればわかる程度に感情を表している。

要するに今回、鎧をまとっていないところを言葉で刺される形になったらしい。

「・・・また、恐くなって逃げることにしたのか。あの繊細者は」

「おや、それはあんまりなおっしゃりようです。うちの閣下はミッターマイヤー元帥ではないのですから、そのあたりは考えて接してくださいませんと」

「・・何故今ミッターマイヤーの名前が出る」

「え、だってミッターマイヤー元帥ならば貴方がどれだけ強引に話を進めても、事後承諾でも笑って許してくださるでしょう?」

「・・・・・・・・・・・」

ロイエンタールは咄嗟に言い返せなかった。

確かに今まで強引が過ぎたところもあるだろう。

サイン会のことにしても、ファンクラブのことにしても、なんとか説得して許可を取り付けた。

文句を言いつつ最終的に認めるところをみると、実はあまり嫌がっていないのではないかと考えていたことも認める。

しかしこの生意気な小僧に言われると腹が立つ。

 言葉にせずとも煽る気満々のフェルナーと、静かに不機嫌さを増すロイエンタールに気付いたビッテンフェルトが慌てた様子で割って入る。

「まあ、とにかくだ。少し時間を置くのは賛成だが、あまり時間を置きすぎるとさらに意固地になるだろう。もう少ししたら俺も行ってみよう」

「一晩程度なら大丈夫ではないですか?我々は出禁になってませんからロイエンタール元帥より時間的余裕はあるはずです」

「おい」

三人の声は真夜中まで途切れなかったと、後に起きてきたメイドが証言している。

 

 

 

 いつの間にか寝てしまったらしい。

キーボードの上に額を載せた状態で意識を取り戻した家主はぼんやりと顔を上げて、朝日に目を細める。

時刻は午前6時。

ベッドでなくとも長年の習慣は変わらず機能したようだ。

ぼんやりと入力端末を見れば、同じ文字がびっしりと続いている。

それらを削除すれば、しっかりと完結まで書かれた物語が姿を現した。

きちんと終わらせてから意識を落したのが幸いである。

素早く見直しをして文章を保存し、立ち上がり、固まった体を伸ばす。

まだ心の痛みは消えないが、それでも眠ったことで落ち着いたように感じた。

室内はとても静かで、微かに窓の外から鳥の声などが聞こえる程度だ。

かつては愛した静寂だったが、今はどこか悲しく寂しい。

騒々しい読書感想が響くことに慣れてしまっていたようだ。

仕方のないことだ。

また割り切るしかない。

ひとまずシャワーを浴びて、普段の自分に戻ろう。

そう考えながら書斎のドアを開けようとしたのだが、

「・・・・?」

開かない。

ドアノブは回るが、何か扉の前に重いものがあってつっかえているらしい。

閉じ込められたのだろうか?

出てこないならば閉じ込めてしまえと?

随分子供じみたことをする、発案者は誰だと呆れながら力を入れて扉を押すと、ようやくできた隙間からドアの中心よりも低い位置にオレンジ色の髪が見えた。

隙間から複数の寝息が聞こえる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

静かに扉を閉めた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

今自分がどんな顔をしているのかわからない。

ただひどくみっともないのは間違いないだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

取り出したハンカチで顔をごしごし拭い、大きく深呼吸をした後、思い切り扉を押す。

直後に驚いた声や苦情が聞こえて、少し笑った。

 



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フィリーネ・オルフの挑戦5

本当はケスラーとオーベルシュタインによる遠山の金さんが書きたかったがテンポ悪くなるからボツ。
謎時空であるためケスラーとかルッツ結婚してます。


 

 

 

「オーベルシュタイン。・・・・・・少し良いか?」

「・・何かね」

あの騒動から二週間が経過した。

時折顔を合わせるルッツやワーレンなどが非常に物言いたげな視線をよこす程度で、全ては平常通りだ。

一応口止め料として、ロイエンタールらと『プレゼント』を送ってある。

今まで何も言ってこなかったので、てっきりこのまま終わると思っていたがそうはいかなかったらしい。

オーベルシュタインの休憩時間をわざわざ狙い、こそこそため口で話しかけてきた士官学校同期は、困り顔で言った。

「・・・その・・・終業後が空いている日はないか?」

「用件を先に言え。それによって回答が変わる」

いつもの調子でそう返すと、真面目な憲兵総監は益々困った様子で言葉を選んだ。

「・・・この前・・・食事を馳走になっただろう?その礼に・・・妻が招待したいと・・・」

最後の方はもごもごして聞こえなかった。

ケスラーとしては、本当にどうすれば良いか悩む案件だったのだろう。

彼は結婚して日が浅く、妻とはかなり年の差がある。

若い細君は非常に無邪気で、子どころか大人を泣かせる軍務尚書に対して特に偏見もないらしい。

本当に他意なく『御馳走になったお礼をしよう』と思い立ったようだ。

「・・・別に気にせずとも良い。むしろ悪ふざけに付き合わせたのだから、それで相殺出来るだろう」

返事はいつもどおり平坦なものだった。

別にオーベルシュタインはケスラーを嫌ってはいないが、昔から面識があるだけで特に親しかったわけではないし、今も特に親しくない。

これから特に親しくなろうとも思っていない。

なら社交辞令的な御礼合戦など時間と金の無駄である。

自分が断れば細君への言い訳が出来て素直に退くだろう。

そう考えていたのだが、予想外にケスラーが粘った。

良い酒が手に入ったやら、相談したいことがあるやら、真面目な彼にしては珍しく言い訳めいた誘い文句を繰り出す。

最初は若い妻に弱いのかと考えていたが、どうやらむしろ妻のことの方が言い訳で、呼びたいのはケスラーの方だとわかってきた。

どうやらオーベルシュタイン邸で明かされた衝撃の事実の詳細を知りたがっているらしい。

ならば中途半端な対応をせず、ロイエンタール達と同じ情報を共有しておいた方が安全だ。

とりあえず『フィリーネ』誕生の経緯と現状を説明すれば、彼もある程度納得するだろう。

決断も早ければ決断してからの行動も早いオーベルシュタインは、都合の良い日時を告げ招待を受けた。

 彼らを遠巻きで見ていた人々は『憲兵総監が軍務尚書に必死に何か言っている。まさか憲兵隊で不正でも起きたのか?』と噂したが幸いふたりの耳には入らなかった。

 

 

 

 約束通りケスラー邸にやってきたオーベルシュタインはケスラー夫人に土産を渡し、夕食を共にした。

夫人=マリーカの料理は相変わらず非常に独創的で夫はあらゆる意味で心配していたのだが、意外なことにオーベルシュタインはそれを無事食べきり、夫人との雑談に応じているくらいだ。

もっともマリーカの話に客人は相槌を打っているだけで、自分からはほとんど話さない。

しかしそれが却っておしゃべり好きの妻には好印象だったらしく、手洗いに中座したオーベルシュタインのことを『聞き上手な大人しい人』と評し、何故皆彼をそこまで恐れ嫌っているのかわからないと言った。

色々言いたいことがあったが、ケスラー自身ここ二週間ほどであの愛想が死滅した軍務尚書の評価を改めたのは事実だ。

あのオーベルシュタインが天才作家のフィリーネ・オルフ。

帝国に三人しかいない元帥の一角にして軍務尚書と帝国に10桁に迫るファンを持つ文豪が同一人物。

これだけ聞けば荒唐無稽過ぎるが、納得する部分も多い。

何故あれだけ影響力があり、様々な知識や思想を振りまく危険人物を絶対零度の剃刀が放置していたのか。

あれだけオーベルシュタインを嫌っていたロイエンタールやビッテンフェルトが、今現在軍務尚書の自邸に頻繁に出入りしているのか。

前者はそもそも本人だからで、後者は自分達が贔屓にしている作家の家だからで説明がつく。

何よりこの冷徹と合理主義に手足が生えて歩いているような男が、わざわざ自邸に招いてフィリーネを自称するという荒唐無稽な冗談を言うはずがない。

当人はこのままロイエンタールが企画した面白くないドッキリでしたで押し切るつもりのようだが、ケスラー側は流せなかった。

やはり人並みに気になるし、見方も変わる。

正論のみを叩きだすと思っていた頭脳は、もっと多くのことを感じ考えていた。

人の気持ちがわからない冷血漢が、あんな見事で愛される作品を描けるはずがない。

当たり前のことだがオーベルシュタインも人間なのだと思った。

だからこれを機に忌避するのではなくきちんと向き合いたいと思ったのだ。

 ケスラーは皆がわかり合えるという幻想を信奉していない。

しかし同じ船に乗っている舵取り担当者同士、認め合うことは出来ると思っている。

今までだってオーベルシュタインの能力は認めてきたが、それだけではなくもう少し内側を知りたいと感じたのだ。

 現在ふたりは客間で、傍目にはゆったりと酒を飲んでいるわけだが、客はともかく家主はどこか緊張していた。

話題がないというわけではなく、単純に切り出せないでいるのだ。

視線を落ち着きなくうろつかせ、言葉を詰まらせている。

オーベルシュタインはそれがわかっているだろうに指摘せず、用意された良い酒を遠慮なく飲んでいる。

じわじわと大瓶の酒が消えていき、そろそろおかわりを要求するか帰宅を告げるかと家主の知らぬところで客が悩んでいたところ、ケスラーがようやく口を開いた。

「あのな、オーベルシュタイン。ずっと聞いてみたかったんだが」

「ああ」

「・・・士官学校時代に空き教室で何かやらされていたみたいだが・・・何をしていたんだ?」

「・・・・・・・・・は?」

予想外の問いにオーベルシュタインは細い首を傾げた。

いきなり大昔の話を持ち出すなどどうしたと言うのか。

それに対し家主はへどもどしながら言葉を続けた。

「い、いや。ずっと気になっていたのだ。一緒にいた連中に聞いても絶対に何も明かさなかったし」

ケスラーは当時のことを思いだしながら言葉を紡ぐ。

もちろんこれは本題ではないが、ついでなので聞いておこうと思ったのだ。

 学生時代のオーベルシュタインも座学の成績はトップだが、対人戦闘などの実技は非常に苦手で有名だった。

さらに人好きしない性格ゆえか、他の貴族の子息に常に絡まれていた印象がある。

だが、虐めにあっていたのは最初の方だけで、途中から空気が変わっていた。

きっかけが何かはわからない。

ただ義眼の少年は嫌がらせを受けることがなくなったようだ。

その代わりに虐めていた連中と頻繁に空き教室に集まり、何かをしていた。

遠目から見た限り、オーベルシュタインが何かを書き、周囲はそれを見ていただけのようだったが、もしや小説を書いていたのではないかと思い当たったのだ。

自分の推理は当たっているのかと、少しどきどきしていたのだが、問いも予想外ならば答えも予想外だった。

「別に大したことはしていない。ただのアルバイトだ」

「アルバイト?」

「ああ、少々手紙の代筆をな」

「手紙?」

妙な話である。

手紙の代筆は、文字が書けない人間の代わりである。

手を怪我しているなどならまだしも、士官学校に来れるような面々ならば、文字を知らない人間はさすがにいない。

確かにオーベルシュタインの文字は綺麗で読みやすいが、プライドが高い貴族の子息達がわざわざ頼むだろうか?

隠すことなく不思議がっていると、オーベルシュタインは近くに置かれていた万年筆と紙を取る。

そして何やらすらすらと文字を書き出し、ケスラーに見せた。

「!!??」

驚愕のあまり絶句した。

書かれていたのはケスラーのサインだ。

筆跡まで完璧に真似ている。

別な場所で見せられたら、自分はいつの間にこんなものを書いたのかと首を捻ったことだろう。

凄まじい精度である。

書いた本人は誇るでもなくいつもの調子だ。

「・・・昔からの特技だ。文章を考えることもな。だから彼らに代わって意中の相手に想いを綴ってやった」

「・・・恋文の代筆か」

思わず呻いてしまった。

何故彼らがオーベルシュタインに何もしなくなったのか、ようやく納得した。

この文才溢れるかつての少年は、彼らの恋愛事情などを全て掌握していたのである。

「私の努力のおかげで彼らは狙った相手と結ばれたわけだ。我ながら良いことをした」

「白々し過ぎるぞ。代筆だけで終わらせたはずはあるまい?」

「もちろん金は取った。無駄にプライドが高い連中は払いが良くて助かったものだ。親の金だったせいもあるだろうが」

論点がずらされたが、絶対にそれだけのはずはない。

場合によっては故意に天国から地獄に落した相手もいただろう。

同時に腑に落ちたこともある。

オーベルシュタインは散々悪辣と言われ続けたが、常に一線は越えないようにしているようだ。

彼の力ならば自分達のサインを偽造して陥れることも、その観察力や文才を使って操ることも容易いはずである。

しかしそんなことをしたとは誰からも聞いたことがない。

いや、上手く隠している可能性もあるが、今は考えないことにした。

思い返してみれば元々軍務尚書を慕っていたフェルナーはともかく、ロイエンタールやビッテンフェルトがその手の謀をするような男に手を貸すとは思えない。

彼らはおそらく単純に『彼女』の小説が好きだから、傍にいるのだろう。

なんてことはない。

今までケスラーはオーベルシュタインが秘密主義で人を遠ざけてばかりいると思ったが、順序が逆だったのだ。

皆がオーベルシュタインを避けて疑うから、彼も面倒になって説明しなくなったのだろう。

「・・・改めて謝罪をしたい。お前の『仕事』を冗談などと思って悪かった」

言って丁寧に頭を下げる。

結局これが言いたくて自宅に招いたのかもしれない。

「・・・別に謝罪の必要はない。ただ誰にも広めずにいてくれれば良い」

「・・・わかった。ありがとう」

相変わらず平坦な物言いだったが、言葉通り怒ってはいないらしい。

酒杯を持った細い手がおかわりを要求していたので注いでやる。

「乾杯しようか」

「今更何に?」

「あ~~。新たな分野に挑戦する文豪に」

「では、私は明るく元気な奥方をもらった僚友に」

「!・・・乾杯!」

「乾杯」

グラスが軽やかな音を立てて合わさった。

控え目ながらふたりは笑い合い、グラスを一息で空ける。

 その後ケスラーは天才作家の最新作の構想という豪華な肴で酒を飲み、次の日重い二日酔いで苦しむことになった。

対するオーベルシュタインは平然と仕事をしていたため、非常に不公平な話である。

こうして憲兵総監は共犯者予備軍に加わった。

非正規メンバーというやつである。

 

 

『ペトロネラ・エクスラーはフィリーネ・オルフの変名!!希代の天才女流作家が挑むSF戦記!!』

これはエンタメをメインとする大衆紙の大見出しである。

今回発表される『ナグルファル戦記』についての記事だ。

作品の内容はあらすじなどを公式ホームページなどで公開しているから良い。

問題は何故新人作家であるはずのペトロネラの正体がばれているのかだ。

ペトロネラとフィリーネが同一人物だとはほとんどの人間に伏せていた。

知っているのは全宇宙でほんの十人程度である。

記者が調べてわかるような秘匿の仕方はしていないので、自力で知ったとは考えづらい。

そうなれば、誰かが漏らした可能性が高いだろう。

 オーベルシュタインはじっとファンクラブ会長を見つめる。

見つめられた方も見つめ返す。

お互いに言いたいことはわかっていた。

ちなみにロイエンタールは変名を使うことに反対して、作家本人と口論になったという実績がある。

「会長。後任は副会長の小官にお任せを」

「俺じゃない!!」

フェルナーが真顔で言い放った言葉に思わずロイエンタールは怒鳴った。

 フィリーネ・オルフ公式ファンクラブ会長が自身の無実を証明するのに約三時間が費やされた。

 



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フィリーネ・オルフの挑戦6

大したことが起こってません。
多分遠い未来ならばアニメは今より早く出来るはず。
相変わらず謎時空です。


「う゛う゛う゛う゛う゛う゛」

「ビ・・・フリッツ。耳元で泣くのはやめてくれ。うるさい」

至近距離で号泣する初めての友人に、オーベルシュタインは呆れを隠さず苦情を言った。

名前で呼ぶように言われたので従っているが、やはりまだ慣れない。

 秘密の共有者を増やした夜から三月ほど。

ナグルファル戦記が発売されるまでもう少しだ。

今回はジャンル的に難しい子供向け小説ということで、まずは一冊で終わっても問題ないような話で書いている。

出版社側としてはフィリーネ・オルフの作品だから長編に出来るに違いないという慢心があるようだが、あいにく中身であるオーベルシュタインは現実主義者だ。

太古の昔からどんな名将や名君だって失策をしたのだから、自分だけが成功し続けるなどありえない。

人気が出ずに打ち切りも十分にありえる。

だが、実際出版出来るかと、書くかは完全に別な話だ。

そもそもオーベルシュタインは気まぐれに小説家になってはみたが、これまで30年近く自分以外誰も読まなくとも完結させてきた。

始めたからには終わるまでやりたい性分なのである。

だから今だって気にせず子供向けSFの続きを書き続けていた。

 ビッテンフェルトはそれをいつも通り背後から読んで勝手に泣いている。

オーベルシュタインは呆れた調子で言った。

「というより、何故卿はそんなに泣いているのだ?これは子供向けだぞ?」

対象年齢は12歳前後をターゲットにしており、可能な限りわかりやすく世界観や社会の仕組みを解説している。

モデルは現実社会であるが、エンターテインメントを足してあった。

手抜きなどは一切していないし、むしろ普段よりも気合が入っているくらいだが、30を過ぎた大人が見て泣くほどの話なのかは疑問だ。

現に今この場にはいないファンクラブ会長の反応は悪かった。

いや、あれは色々口論した後だったせいもあるかもしれないが。

「だって・・・だって可哀想だろう!この子達が何をしたというのだ!エイダンだってヴィクトリカだって良い子ではないか!ヴィクトリカなんて11歳で愛人などと!」

「事前に断っておくが大公妃殿下がモデルではないぞ。モデルとなった人物は現在誠実な夫と可愛い子供に囲まれて幸せに生きている」

モデルと言ってもかなり脚色したので原型はあまりない。

しかし読み手としては関係ない話だ。

物語に没入しているので、現実と違いがないのである。

「うう。お前達。大変だろうが頑張って幸せになるんだぞ!」

まるで我が子の身を案じるように豪快に涙をぬぐう『友人』にため息をつき、書き手はさらに物語を紡いでいく。

 ナグルファル戦記は『人』を描いた作品だ。

戦争の中での愛や絆、怒りや悲しみや理不尽さ、強さや弱さ。

子供達に知ってもらいたいことを読みやすさを追求した文章の中に出来る限り込めている。

ビッテンフェルトが言ったエイダンとヴィクトリカは物語の主人公だ。

この物語には主役がメイン1人にサブが4人いる。

メインがエイダン・ガードナー。

彼は共和宇宙連邦の研究都市=バイト・アルヒクマの兵器研究所所長の次男で、ナグルファルのメインパイロットだ。

他には、共和宇宙連邦の看護師志望アリス・オードリー、プロイツ帝国皇帝の三男エーレンフリート・フォン・プロイツ、帝国から連邦に亡命したヴィクトリカ・アンデルス、帝国で非合法メカニックをしているホープ・オルコットがいる。

皆10代の少年少女だ。

言わずもがなだがプロイツ帝国は銀河帝国がモデルであり、共和宇宙連邦は旧同盟をイメージしている。

違う点としては旧同盟と違い、共和宇宙連邦は元は帝国の流刑地であり、それゆえにおそらく旧同盟よりも帝国への恨みが深いことだろうか。

一番違う点は人型兵器というどう考えても予算の無駄が実用化されて前線に出ているところだ。

 物語は宇宙コロニーであるバイト・アルヒクマが帝国軍の特殊部隊に襲撃され、エイダンの父が死ぬ直前にナグルファルを息子に託すところから始まり、両国対立から帝国の皇位継承問題に巻き込まれることになる。

大人達の思惑に翻弄されながらも、立ち向かい、偶然出逢った彼らは自らの意思で進んでいく。

そこには苦難も多いが、喜びも成長もある。

戦いの果てで彼らは何を得るのか。

あらすじとして語るならばそんなところだ。

シナリオ自体はそこまで目新しいものではないと思うが、自分にしか書けないものにしていきたいと強く思っている。

フィリーネの名を歴史に残そうなどとは考えていないが、読んだ子供達の心には長く残ってほしいものだ。

 本当ならフィリーネ・オルフという名前を使わずに、別な風を起こしたかったが、何故かうまくいかなかった。

第一容疑者であるロイエンタールが白とわかった後、疑ったのは出版社の編集達だ。

おそらくあの中の誰かがフィリーネ・オルフの名前を使った方が売れると考えたのだろう。

一応個人的に調べてみたところ、はっきりと誰とは断定できないまでもこの線が濃厚だった。

ペトロネラ・エクスラーのデビュー作になるはずだったが、フィリーネ・オルフの数ある著作の一つになってしまったのは残念だ。

余計なことをと思ったが、すでにここまで大規模にばれてしまっている以上どうしようもない。

普段の仕事と違って、知っている人間を減らすという手段をとれないのだからもう開き直るだけだ。

 ビッテンフェルトは唸りながら、がたがたと作者が座る椅子の背もたれを揺らした。

「エーレンフリートも心配だが、ホープが一番危なっかしい。というか危ないぞ。明らかに他に居場所がないから無理しているだろう、こいつ」

「卿は先程から心配ばかりだな。架空の子供に親身になってどうするのだ」

「・・・心配にもなる。特にホープは最近出来た友達そっくりだからな」

「・・・」

思わずキーボードを打つ手が止まる。

彼が言う友人に心当たりがあったのだ。

さらに言うならばホープは確かにオーベルシュタイン自身をモデルとしている。

誰にも言っていなかったが、わかる人間にはわかるようだ。

少し嬉しいが、わざととぼけて尋ねる。

「・・・誰のことかは知らんが、その人物は飲んだくれの違法ジャンク屋の息子で、気が弱い臆病者なのか?」

「いや、平民ではなく貴族出身で、どんな誹謗中傷にも負けない強い男だ」

「・・・似てないではないか」

「そこだけ聞けば似ていないが、似ている。うまく言えないがそっくりなのだ。だから架空の人物でも心配だし幸せになってほしい。他の子もな」

「・・・そうか」

どんな顔をして良いのかがわからず、止まっていた指を動かす。

先程まで流れるように打ち込まれていた文字は、今はぽちぽちと緩やかに増えていた。

猛将はニマニマしながら突然話題を変える。

「そういえばロイエンタールはどうした?まさかまた喧嘩したのか?そんな頻繁によく喧嘩の元が湧いてくるものだ」

普段なら背後霊のひとりとなって執筆を妨害してくるファンクラブ会長はこの場にはいなかった。

オーベルシュタインは相変わらず平坦な声で告げる。

「冷戦中だったが、私が先制攻撃した。そろそろ怒鳴り込んでくるはずだ」

「・・・何をやったのだ、お前」

「何。大したことはしていない。むしろ感謝してもらいたいくらいだ」

本当に何をやったのだ。

ビッテンフェルトの疑問は口にされる前に、答えの方が書斎の扉を突き破らんばかりに入って来た。

「オーベルシュタイン!!!!」

「何かね騒々しい」

部屋の主はやや面倒そうにため息をついて、手を止めて文章を保存した。

希代の美貌を怒りで引き攣らせながら、ロイエンタールは刃先のように鋭い声を放つ。

「貴様何をした!?」

「何の話かね?」

「俺の名を使って手紙を出しただろう!?」

「私の名前で出しても仕方あるまい」

「手紙?」

怒る美丈夫の言葉に疑問符を挟んだのはビッテンフェルトだ。

話の流れからするとオーベルシュタインが行った報復の成果なのだろうが、ロイエンタールを偽って手紙を出して何をしたのか?

この軍務尚書はそこまで大事になるようなことはしないと思っていたが。

状況が把握出来ない猛将をよそに、手紙代筆のプロフェッショナルはぼそぼそ言った。

「卿の不利益になるような手紙ではないぞ」

「なる!現になっている!さっき会った女に『素敵な思い出をありがとう。手紙は一生の宝物にします』と言われたのだぞ!?」

「良かったではないか。綺麗に別れられて。頑張って書いた私も報われるというものだ」

どうやらオーベルシュタインはロイエンタールのストーカー気味な元交際相手に勝手に手紙を出したらしい。

書き手は知らない人間が見れば誤差の範囲に入るほど淡く笑い、どこか誇らしげだ。

「大体卿の交際は別に隠れていないし、人妻にも手を出していないだろう。手紙が残ったところで困るまい。恋文ならまだしも別れの手紙なのだから彼女達が後々結婚しても問題にはならんだろう」

「・・・・・・」

ロイエンタールはまだまだ言いたいことがあるようだが、一理あると思ったらしく美麗な口を噤んだ。

しかし不満であることはひしひしと伝わってくる。

それはそうだろう。

オーベルシュタインが勝手にやったこととは言え、勝手に自分の不始末の尻ふきをされていたなど不快極まる。

さらに腹が立つことに、手紙をもらったという女達は皆一様に感動して『私が間違っていた』だの『貴方には自由でいてほしい』だのと勝手なことを言ってきた。

確かにオーベルシュタイン邸の周囲で昔の女が渋滞するのは面倒だったが、非常に面白くないことには変わりはない。

しかし同時に興味も湧いている。

この男はどんな恋文を書いたのか。

見方を変えればフィリーネの作品のひとつでもあるわけである。

とても気になるので読みたい。

「・・・もう良い。今回は許してやる。写しはあるか?出した本人が内容把握していないのはまずかろう」

「これだ」

執務机の引き出しから厚い紙束が取り出され、ロイエンタールの手に渡った。

ビッテンフェルトも気になったのかうきうきと寄ってくる。

そしてほぼ同時に息を呑んで絶句した。

筆跡が完璧に真似られているのも十分に驚きだったが、問題は文面である。

非常に情熱的かつ、美しい名文だった。

心の棘を滑らかに溶かし、甘美な痛みを残して去って行く。

問題は絶対にロイエンタールが書かないような文であるということだけだ。

「俺の人格を捏造するな!!」

手紙を読んだ美丈夫は何かに変身しそうな勢いで怒っていたと、後にビッテンフェルトは日記に記している。

 後世オスカー・フォン・ロイエンタールという人物が、同盟のシェーンコップのようなプレイボーイだとかなり長期に渡って誤解されていた主な原因がこの手紙だ。

研究者の調べでオーベルシュタインの特技に筆跡の模写があるとわかったことや、事実を知る人間の日記がきっかけで発覚した。

この手紙の多くはフィリーネ・オルフ記念館に展示され、現在も一般公開されている。

 

 

 

 フィリーネ・オルフの最新作である子供向けのSFは意外な結果になった。

最初は予想通り売り上げが伸び悩み、続編の刊行を危ぶまれたのだが、その後しばらくして爆発的に売れ出したのである。

理由はナグルファル戦記のアニメ化だ。

帝国は旧同盟に比べて子供向けの映像作品が非常に少ない。

それに目を付けた制作会社のひとつが、フィリーネに直接連絡をとり使用許可を取り付け、非常に完成度の高いアニメを作り出して発表したのである。

監督がフィリーネ・オルフの熱狂的なファンであるためか、原作を暗記するほど読みこんでおり、シナリオは原作の魅力を余すことなく表現していた。

スタイリッシュな音楽や見事な映像美、声を当てる俳優達の熱演も手伝って、記録媒体や再生機器は空前の売り上げを叩きだしている。

ナグルファルの機体の模型の売り上げも大変好調で、柔らかい素材の人形なども発売された。

意外だったのは、子供と一緒に見ていた親の方が夢中になるという事例が多発したことだ。

今生きている世代はほとんどがなんらかの形で戦争に関わり、実際に戦った人間も珍しくない。

彼らにとって画面の中にいる少年少女は他人ではなく、多くの共感や同情、応援を向けるべき相手だったのだ。

主人公達の人気も一人を除いて高く、人気投票なども行われ、スーパーなどでも食品メーカーとコラボした商品が売れているという。

物語はまだ完結しておらず、アニメも二期が現在制作中のため、このブームはまだしばらく終わらないだろう。

「ほんと、我らがオルフ嬢は大人気ですね。さっき行ったスーパーで面白い経験をしましたよ」

ソファの上で行儀悪く座り、ナグルファルとエイダンが袋に描かれた芋揚げ菓子をパリパリ食べながら、フェルナーは笑った。

オーベルシュタインが執筆を一旦止めて休憩に入った時である。

今までは全て一気に書き上げていた彼だが、最近はこうやって休憩を取ることが増えた。

あまりに最近出来た友人が煩いからもあるが、良い変化である。

ロイエンタールが色合いの異なる視線を銀髪の准将に向けた。

「どんなだ?副会長」

「それがですね、会長。4歳くらいの可愛らしいフロイラインがですね、小官に話しかけてきたんですよ。『お兄さん、軍人さん?』って」

「ほう」

興味深げに身を乗り出したのはビッテンフェルトだ。

さりげなくフェルナーの菓子を分けてもらいつつ、先を促す。

「小官がそうだと答えたところ、フロイラインは元気の良い声でこう言ってくれました。『私大きくなったらヴィッキーみたいなパイロットになって、お兄さん助けてあげる!』と」

この報告に、作者と役員は微笑ましそうな顔をしたが、ファンクラブ会長は苦い物でも食べさせられたような顔をした。

幼女の言うヴィッキーとは主人公のひとりであるヴィクトリカ・アンデルスのことだ。

彼女はパイロットとしては優秀だが、非常に気が強く短気で喧嘩っ早い。

大体の帝国男性が敬遠するタイプの少女だ。

だが、それは娘を貴族から守ろうと連邦に亡命を試みた母が、逃亡中の怪我が原因で死亡したことで自棄になっている側面も強い。

重労働である運送業務を請け負って、女手ひとつで自身を懸命に育ててくれた母の死を、未だに受け入れ切れていないのだ。

フェルナー准将は面白そうに言葉を続ける。

「いやぁ、良いじゃないですか。これからは旧同盟と同じく女性がばしばし活躍する時代ですから、未来の女傑の誕生を祝福しましょう。それにしても主人公全員人気ある作品って珍しいですよね」

「ホープは人気がないだろう。人気投票で19位だったぞ」

「俺はホープ好きだぞ、パウル!」

「何故私に言う」

温度差はあるものの、オーベルシュタイン邸の書斎はこの通りいつもの調子だった。

 この後ラインハルトがナグルファル戦記の模型を欲しがって皇妃と作者本人に窘められたり、ワーレンの子供に限定のナグルファルの模型をプレゼントして問題になったりしたが、全ては順調なように見えた。

ナグルファルのスピンオフ作家が殺害されるまでは。

 



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フィリーネ・オルフの挑戦7

お久しぶりです。コロナやら転職やらで大騒ぎでこんなに時間が空いてしまいました。



 

 今日の公務を終えたラインハルトは、ウキウキと大型映像端末の前にやってきた。

手にはと市販されているナグルファル戦記関連のジュースと菓子。

背筋を伸ばして座るのが難しいふかふかのソファに座り、時を待つ。

 最近整えたこの部屋はいわゆる娯楽室で、中には小説や漫画、映像作品の記録媒体などが収められ、あちこちに模型も飾られている。

皇妃と軍務尚書を全力で説得して手に入れたそれらの精巧すぎる玩具は、圧勝より辛勝の方が強い喜びを得られることを感じさせてくれた。

「・・・良いな」

ラインハルトは近くにある強化プラスチック製の模型をしげしげと眺めてひとりごちた。

これは主人公機ではなく、ヒロインのひとりのヴィクトリカの機体である。

中世の鎧のような重厚感と、スタイリッシュな鋭さがいい塩梅に融合したデザイン。

アニメの機体が細かな部分まで再現されている上に、きちんと関節部分は可動式だし、あれこれパーツを付け替えることも出来るのだ。

完成品も売っているが、試しにと自身で作るタイプの物を買い、以降ずっと同じシリーズを購入し続けている。

子供時代には外で遊んでばかりいたため、この手の細かい作業をするのは初めてだったが、手順書の通りに作ると多少苦戦しつつもきちんと完成させることが出来た。

自身で一生懸命作って出来たものというのは愛着が湧き、さらにこだわりも芽生えてくる。

塗装を変えてみたいだとか、他のオプションパーツが欲しいだとか、他の機体も欲しいだとか、背景もジオラマで作りたいだとかだ。

なるほど。

道理でなかなかパーツなどが手に入らないほど売れているわけである。

皆考えることは同じということなのだろう。

 そうこうしているともう放映の時間だ。

当然録画もされているが、やはり生で見たい。

慌てて端末の画面電源を入れると、すぐにオープニングが始まった。

アップテンポの曲に合わせてキャラクター達が現れる。

相変わらずナグルファル戦記のロゴがカッコいい。

男女が交互に歌う歌詞や曲調は、帝国の伝統的なものとは異なり、かなり旧同盟的に荒々しいものだ。

『大きく息を吸ったら♪後は全力で走るだけ♪』

サビと同時に人型兵器が激しい戦闘を繰り広げる。

実際には有り得ない光景とわかっているのに、何故こうも心が躍るのか。

自然と画面の中に自身がいるように、物語に没入していく。

 ラインハルトは多くのキャラクターを好いていたが、特に推しているのはエーレンフリート=エルとヴィクトリカ=ヴィッキーだ。

原作を読みだした当初はエルのことは門閥貴族を彷彿させる『傲慢で世間知らずなおぼっちゃん』だと思ったし、ヴィッキーのことは女とも思えない『粗暴で短気な奴』だと嫌っていたが、話が進むにつれて印象が大きく変わった。

エルは戦争の実情を直接目で見て知り、徐々に今までの自身の考えや行動を恥じて見つめなおし、国を変えてみせると真剣に努力を始めた。

当然まだまだ青いところも甘いところも多々あるが、彼の懸命に国を良くしようとする姿勢に賛同した人々が仲間に加わっていく様子が丁寧に描かれているので、見ているこちらも感情移入して全力で応援したくなってくる。

 ヴィッキーはラインハルトの実姉であるアンネローゼと同じように権力者の欲望のせいで家族と引き裂かれた過去があり、その傷がまだ癒えずに周囲を怖がっていることがわかってきた。

彼女が乱暴な物言いをするのは、怖いから吠えているに過ぎない。

慣れてくれば、言動の端々から彼女本来の優しさや、頭の回転の速さが伝わってくる。

普段は目のやり場に困るような短さのズボンを穿いているが、ドレスを着せると逆に大変に照れだすという可愛らしいところもある少女だ。

あと彼女がナグルファルを駆る描写がとてもかっこいい。

エイダンの操縦する描写も良いが、彼女の戦い方は華があると思う。

 今回のアニメ版ナグルファルは日常回というやつで、主人公達他の戦闘以外の姿が描かれていた。

皆でわいわい食事をしたり、カードゲームをしたりなど楽し気だ。

生まれも育ちも異なる面々で、当然ながら考え方や価値観なども異なるが、互いに違いを認め合って過ごしている。

アニメの描写が良いのも評価出来るが、原作者であるフィリーネは本当にキャラクターを魅力的に描くのが上手い。

他の作品にこんなにたくさんの登場人物がいれば、誰が誰だかわからなくなるだろうに、それがない。

ビッテンフェルトが『ナグルファルは最初の方でキャラの性格がすぐにわかるように書かれている』と言っていたがその通りだと思う。

どんなキャラクターもすぐに良さも悪さもわかり、記憶に残るのだ。

 例えば、今主人公達と話している先輩パイロットのトバルカイン。

歯に衣着せぬ物言いと確かな実力、そして面倒見の良さが特徴で、非常に男くさい野獣のような男だ。

自身は前衛で活躍しながらも、軽視されがちな後方の整備や補給担当達もとても大切にする、男女ともにモテるエースパイロットである。

未熟な主人公達を容赦なくしごき、彼らの才能を伸ばした師のポジションだ。

ちなみに彼に関しては、ロイエンタールが『この手のキャラは長生き出来ない』と発言したため、会議後の雑談が舌戦となったことがある。

その場にいたオーベルシュタインの冷気が増大したので戦いは強制終了となったが、ラインハルトはトバルカインは生き延びるとの見解を変えていない。

きっと彼は戦後も生き残って、引退後も教官として優秀なパイロットを輩出するだろう。

 まるでラインハルトの考えを読み取ったかのように、画面内の面々は近い未来くるはずの戦後について話していた。

微笑ましく見守っていると、珍しいことが起きた。

いつもはないはずのエピソード間の宣伝映像が流れたのだ。

実はオーベルシュタイン他が今までカットしていたのだが、そのことをラインハルトは知らなかった。

銀河帝国皇帝は幼少期以来久しぶりに見るそれに釘付けになる。

それはナグルファル戦記のファンイベントの宣伝だったのだ。

 

 

 

 

 オーベルシュタインは最近完全に共用娯楽室と化した書斎で、端末を使って電子書籍を読んでいた。

多種多様なジャンルの小説を書く『フィリーネ』は、知識の収集を常に行っている。

輪転機で流れてくるような速度でスクロールされる文章を追いながら、近くでごそごそやっている友人に文句を口にする。

「フリッツ。机の上に物を増やさないでくれ」

しかし、声の温度が冷たくないところをみると、そこまで本気で排除させたいわけではないらしい。

現に視線は端末から上げることはない。

「良いではないか。カッコいいぞ。お前がデザイン担当と必死に考えただけある」

「・・・」

きらきらとした鳶色の眼で語られた方は諦めたようなため息をついた。

ようやく顔を端末から上げ、机の上に並べられた模型の数々を眺める。

主人公機であるナグルファルと他味方機体、味方戦艦、敵量産型機体。

さらにはヒロインや主人公がポーズを取っているものもあった。

これらは全てフェルナーとビッテンフェルトが買ったり作ったりしたものである。

幸いなことに一番最初の共犯であるロイエンタールは特に参加していないため、この程度で済んでいると言えた。

あの凝り性がハマった日には、部屋が一つ埋まるだけでは終わらないだろう。

「いやあ、ナグルファル様様ですよ。国内での経済効果にどれだけ貢献したことか。歴史に残る作品になったのは間違いありますまい」

上司の家のソファに行儀悪く座る部下の言葉に、オーベルシュタインは興味なさげに呟く。

「後の世の評価は知らぬ。そもそも創作物は同じ時代に生きて読まねば味わいきることが出来ぬものだ」

価値観や常識は時代どころか世代ごとに移り変わる。

フィリーネの作品だって、ゴールデンバウム朝時代では出版すら出来なかった。

『彼女』の作品には戦う女性が多く登場する。

時には銃をとり、時には頭脳を絞り、男と遜色なく戦う。

旧同盟では珍しくない設定だろうが、帝国では以前まで『品がない』『とんでもない』と非難された内容だ。

だが今こうして多くの人間が熱狂している。

そして後の世では珍しくもなんともない、ありふれた内容となるだろう。

本来ならば作家として自分の作品が埋もれるのは寂しく感じるだろうが、フィリーネ=オーベルシュタインはそうは思わなかった。

現在の多くの人間に受け入れられたという事実への喜びと、見えない誰かに対する『ざまあみろ』という溜飲が下がる思いで充たされている。

だからこそ自分の物語を受け継いだ作家達の誕生を心から祝福出来た。

二次創作などをおおらかに許容出来る理由もそれだ。

しかし、作家本人はそうでも、一部の熱狂的なファンはそうではないらしい。

物語の解釈の違うファン同士の諍いで殺人が起きた例もそれなりにあると聞く。

この前のスピンオフ作家の殺害もそれの類だ。

 殺されたのはアウグスト・クレッチマー。

ナグルファル戦記のスピンオフ漫画を描いていた男だ。

内容としては女性キャラの服が脱げたりなんなりする、要するに男性向けである。

スピンオフ作品は無数にあるので、さほど注目はされていなかったが、内容が本編とかけ離れているため『ナグルファル戦記である必要がない』、『ナグルファル戦記の名前を利用しただけのエロ本』などとあまり評判が良くなかった。

オーベルシュタインとしてはきちんと使用料が払われれば頓着することでもないし、それも一種の表現であると納得もしていた。

彼の死因は背後から鈍器による撲殺。

それだけなら特にナグルファル戦記に結び付けられるものでもないが、金品に手が付けられていなかったことと、代わりに被害者作のスピンオフ作品が部屋から全て消えていたこと。

さらに遺体の横に『罰 エイダン・ガードナー』と書かれた紙があったことなどから、無関係とは言えなくなった。

エイダンはナグルファル戦記の主人公の名前だ。

どうやら作品のキャラクターが罰を与えたという見立て殺人らしい。

 オーベルシュタインが何気なくクレッチマー殺害についての話題を出すと、ファン代表ふたりは非常に渋い顔をした。

「・・・犯人もファンではないだろう。本当のファンならばキャラクターや作品を汚すような真似はすまい。大体エイダンは正義感が強いからそんなことしないだろう」

「もう一種の信仰かもしれませんよ?ほら、地球時代の宗教戦争でもよくあったそうじゃないですか。要するに自分が気に入らない相手を排除する理由付けにしてるわけですよ」

「どちらにしても胸糞悪い話だ」

ビッテンフェルトは内側に溜めておくと爆発してしまうとばかりに、大仰に息を吐いた。

そこではっと思いついたように厚い手を打つ。

「もしや、ファンではなく逆ではないか?フィリーネを嫌う奴がやったのかもしれんぞ」

「どれもありえる話だ。つまり実質全く絞り込めていないということだな」

「ぬう」

作者の現実的な言葉に、熱狂的なファンは言葉を詰まらせた。

 実際犯人がどこの誰でどういう動機だったとしても、直接的には関係はない。

品性がないメディアが騒ぎ立て、馬鹿がそれに乗っかるだろうがそれだけだ。

 フィリーネ・オルフは名実共に銀河帝国建国以来最上の文豪だろうが、ファンが多い分批判者も多い。

今回のナグルファル戦記にしても一部地域では『戦争を礼賛している』、『子供の教育に悪い』などと有害図書として発禁になっているほどだ。

作品をまともに見ていれば礼賛しているなどという頓珍漢な感想は出てこないはずだが、膏薬と理屈はどこにでもつくものである。

自分が気にくわないというだけの癖に、主語を大きくして批判し排除しようとする輩はいつの時代もいるものだ。

実際いくつかの団体に正式な抗議を入れた。

場合によっては法的手段に出る必要があるだろう。

相手の機嫌を伺って譲ってやるつもりはない。

むしろ、そんなことをすれば後に続いて筆をとった者達の大きな妨げになってしまう。

それ故に絶対に折れるわけにはいかないのだ。

あの手の連中はこちらが一歩譲ると百歩踏み込んでくるし、沈黙すれば非を認めたと囃し立てるものだ。

まあ、どう動いても騒ぐ生き物なので、臨機応変に大人しくさせるしかない。

普通の作家では批判に負けてしまったかもしれないが、フィリーネの中身は泣く子どころか大人も黙る『ドライアイスの剣』オーベルシュタイン軍務尚書である。

本職の方では忌み嫌われる彼の尋常でない打たれ強さは、こと創作活動においては後進達からの羨望の対象だった。

今回もその期待に添う予定である。

 オーベルシュタインは再度端末に目を落としつつ、終礼の鐘の如き声で言い放つ。

「幸い憲兵隊は優秀だ。いずれ犯人の首級があげられることだろう。直接かかわることのない我々が気をもんでも仕方あるまい」

「うむ」

「左様でございますね」

ふたりは納得して、各々好きに過ごしだす。

オーベルシュタインも時折、彼らから振られる話題に答えつつも知識の補給作業に戻った。

しばらく経った時、フェルナーがふと思い出したように話題を振る。

「・・・そういえばもうすぐかなり大きなナグルファル戦記のファンイベントがありますね。小官は行く予定ですが、皆さんはどうされるご予定ですか?」

「うーん。別に行かずとも良いのではないか?祭の類は好きだが、所詮小さな同好の集まりだろう?どうにも地位があると目立つしな」

「ふふふ。それがですね。かなり大規模でして

フェルナーがそんなことを言いかけた時、廊下から聞き慣れた足音が近づいてきた。

どうやらようやく彼の仕事が終わったようだ。

少し荒々しく扉を開けた人物は、予想違わぬ美丈夫である。

いつも冷静沈着な彼には珍しく、その美貌が引き攣っていた。

「・・・誰がどうした?」

部屋の主が端的に尋ねると、ロイエンタールは疲れた表情で言った。

「陛下にファンイベントの存在を知られた」

室内の面々は皆同じように頭を抱えた。

 



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フィリーネ・オルフの挑戦8

あけましておめでとうございます。
パソコンが死亡したり、副業始めて休みが消えたりしたためペースは保証出来ませんが、これからも書いていきます。
よろしくお願いいたします。


ラインハルトは機を窺っていた。

上層部が集まる定例会議。

予め決められた議題が終わり、そろそろ解散をいう段階。

オーベルシュタインが自分に解散を促す一瞬前に切り出す。

「・・・軍務尚書」

「はい」

「まだ会議は解散しない」

「はい」

「・・・えーとな」

「はい」

「・・・」

「はい」

「・・・ナグルファルオンリーイベントに行きたい」

いつも威風堂々たる皇帝の、恐る恐ると言った様子のぼそぼそとした願いが絞り出された。

この発言に会議室は騒然となる。

皇帝は退屈しのぎに芸術鑑賞をしたことがあったが、このように誰かに伺いを立てることはなかった。

これはつまり申告せずに決行しようとした場合間違いなく反対されるとの判断からだろう。

今までの暇つぶしと違い、今回は本当に心から行きたいと思っているらしい。

さもありなん。

最近この若き皇帝が子供向け(のわりには内容がハードだが)ロボット戦記に夢中なのは周知の事実だ。

ゴールデンバウムの歴代皇帝などと違い贅沢には興味がない彼だが、最近皇妃と一緒に読書を楽しみ始め、同じ作者の作品であるナグルファル戦記を知った。

あまり大きくはないが娯楽室を作り、仕事が終わると頻繁にそちらを訪れて、模型を作ったりアニメを見たり読書をしたりして過ごしているようだ。

芸術鑑賞と違い、無理に付き合わされる人間がいないため、諸将からは密かに評判がいい趣味である。

集めている模型なども子供の小遣いで買えるような値段なため、財政にもとても優しい。

夢中になりすぎて夫婦間の話題が偏ると少々困り気味なのは皇妃だけである。

 諸将は無言で視線を交わし、オーベルシュタインを見つめた。

皇帝は見ることがなかったが(故意にカットしていたのだが)、今回のイベントについては頻繁に宣伝が行われているため皆ある程度の内容は知っている。

プロアマ問わずの同人誌即売会。

企業協賛グッズ販売。

コラボカフェetc.

などが予定されており、場所もフェザーン最大級の会場を貸し切って行われ、混乱を避けるためにチケット制を採用していたはずだ。

それでも云十万単位の人間が参加する。

チケットは完売と出ていた気がするが、まあそのあたりはどうにかなるだろう。

問題になるのは警備である。

芸術鑑賞の場合、皇帝自身は基本的に決まった場所にいて、他の参加者は地位があるものが多い上に、せいぜい数百人程度。

誰が来ているかなどはもちろん把握出来るし、会場内の人の移動も時間がある程度決まっているため警備がしやすい。

だが、今回のオンリーイベントの場合、祭りなどと一緒で不特定多数の人間が常に移動している状態であり、参加人数の関係上人員やら手間の問題で荷物検査なども十分に行えない。

事前に皇帝が行くと触れ回ればテロが起きる可能性が高まるし、いきなり行けばパニックになるだろう。

これでは反対せざるを得ないのは当然だ。

「了解いたしました」

しかし予想外にドライアイスの剣はあっさりと首を縦に振った。

会議室内に激震が走る。

どうしたのだ。

絶対に『行けるわけないだろ、立場考えろ(意訳)』と切り捨てると思っていたのに、何か悪いものでも食べたのか?

皇帝を含む皆がどよめく中、一部(フィリーネ・オルフ公式ファンクラブ幹部と皇妃)だけは何かを察したような表情を浮かべていた。

「・・・よ、良いのか?」

「はい。具体的なスケジュールが決まりましたらご連絡いたします。憲兵総監。警備について話がある。この後を空けてくれ」

「はい。了解いたしました」

話がとんとん拍子に進みそうだ。

ラインハルトは一瞬嬉しそうにしたが、ふとある可能性に気付き、さっさと退席しようとするオーベルシュタインを引き留める。

「オーベルシュタイン」

「まだ何か?」

「・・・卿はどのようなスケジュールを想定しているのだ?」

驚いたのと浮かれたのとで流しそうになったが、軍務尚書は主君の細かな要望などを確認していない。

ちゃんとコラボカフェでの飲食も予定に入れてくれているかどうか確かめねば。

心配している唯一の主君に対し、オーベルシュタインは相変わらず仮面のような顔で返答する。

「具体的には今から憲兵総監と話し合います」

「いや、卿の中である程度は決まっているのだろう?ちなみに滞在時間はどれくらいを想定しているのだ?」

「・・・」

細面な顔がかくりと傾いだ。

「30分くらいが限度かと」

「30分!?」

いくらなんでも短すぎる。

思わず皇帝の口から大きな声が出た。

「30分では会場の端から端へ歩くだけでも足りんではないか!?」

「歩かれるご予定だったので?」

「当然だ!オンリーイベントというのは祭りだろう!?自分で見て歩いて、気ままに欲しいものを買って、混雑や行列に辟易しながらも熱気やら何やらその場の空気を味わうものだろう!?」

「商品などは適正価格で事前購入されれば良いでしょう。出店者はすでにリスト化されております。連絡先も調査済みです」

軍務尚書はやっぱり平常運転だった。

彼にしてみれば当然のことしか言っていないのだが、ぬか喜びさせられた方としては納得がいかない。

もしや最初に妥協して見せたのは作戦か。

うっかり騙されるところだった。

「商品が手に入れば良いというものではないのだ!!余はイベントを楽しみたいのだ!!」

「さようでございますか」

オーベルシュタインはここで言葉を切ると、皇妃をじっと見つめた。

本来感情を表さない義眼には『私が言っても平行線ですので、皇妃も説得をお願い致します』と書いてある。

その視線を追った皇帝も、『皇妃もなんとか言ってやってくれ!余はイベントに行きたい!』と目で主張している。

皇妃はもちろん夫を味方してやりたいが、現実的な正しさではオーベルシュタインに分があるのはわかっていた。

なんと言ったものかと困っていると、ラインハルトが縋るように訴えてくる。

「皇妃も・・・行きたいよな?主人公達が好きと言っていたではないか」

戦場では武神の如く見事な采配を振るう皇帝も、今回のことに関しては苦し紛れの道連れ作戦に出た。

実は皇妃はそこまでナグルファル戦記に熱心ではないことは知っていたのだが、こういう時くらい話を合わせてほしいという熱意だけはよく伝わってくる。

ヒルダは今度こそ苦笑し、何と答えるか真剣に考え始めた。

 彼女は別にナグルファル戦記が嫌いなわけではない。

ただ読んだり見たりするとあまりに感情移入し過ぎて疲弊してしまうのであまり見ないようにしているだけだ。

たとえば主人公のひとりのアリス・オードリー。

彼女は主人公達の中で唯一両親が健在だ。

連邦内の中流階級の上の方の家庭に生まれ、虐待もされていなければ学校でいじめなども受けていない。

ただ両親から全く理解されていなかった。

両親が悪人というわけではない。

彼らなりに娘を愛し、心配している。

だが驚くほど彼らは娘の心情を無視し続けていた。

看護の道へ進みたいという娘を心配して、別な道を強要する。

本人の希望を聞かずに勝手に誘いを断り、良かれと思って可能性を潰す。

万事がその調子だった。

アリスは芯が強い、勇気ある少女なのに、過剰なまでに庇護され続けたせいで逆に病みかけてしまっていた。

反対を押し切ってエイダン達と一緒に戦う道を選んだのは、彼女のせめてもの反抗だろう。

 たとえばホープ・オルコット。

彼の母は息子を産んだ直後に家を出て戻らず、大酒のみの父親に殴られながら育った。

幼い時から働かされて学校に行くことは出来なかったが、元々の知能が高かったので自力で知識や技術を学んだ努力家の技術者だ。

だがホープには居場所がなかった。

友達もおらず、大人から利用されるだけの生活に嫌気が差していたから、彼は戦場に飛び込んだのだ。

状況を考えれば、半分くらいは自殺のつもりだったのかもしれない。

彼にしてみればどこでも良いから、どこか楽になれる場所へ行きたかったのだ。

だから現在の誰も自分を迫害しない心地良い場所にかなり依存しており、非常に危うい。

居場所を提供してくれている初めて出来た仲間を守るためなら本当になんでもしてしまうのだ。

これは物語中でも度々指摘されていて、いずれ取り返しがつかなくなる予感がある。

 ヒルダはこのようなキャラクターの解釈がすぐに浮かぶ程度には愛着も好感もあるが、どうしても物語を楽しむより心配が勝ってしまう。

もし自分がこのような立場だったら。

おそらく誰もが一度は考える空想を、帝国文学界の女王は容赦なく読者の心に刻み付ける。

自分は幸いにも理解ある父に恵まれたが、そうでなければどうなっていただろうと深く考えてしまう。

今発売されている他のオルフ作品ではここまでではなかったのだが、やはり子供向けとして殊更丁寧に描かれているせいだろう。

現実には存在しない彼らの助けになれないのが辛いと感じるのである。

だからヒルダはナグルファル戦記が苦手で、それを隠せず、愛する夫の言葉になかなか頷けなかった。

 ヒルダが困り顔で思案している中、ビッテンフェルトはおろおろとロイエンタールとオーベルシュタインを見比べていた。

ラインハルトを尊崇し、ナグルファル戦記の大ファンでもある彼はなんとかして主君の願いを叶えたい。

自分は上手い作戦が思いつかないがお前らは何かないのか、という視線だ。

以前ならふたりの表情に隠れた奥の感情などわかりようもなかったが、今は一緒に騒ぎながら遊ぶ仲なためなんとなく色々わかる。

ふたりとも何か案があるようだが言うつもりはないという構えだ。

「陛下。・・・恐れながら今回は私も軍務尚書に賛成いたします。そのような治安の悪そうな場所へ玉体を長時間置くのはいかがなものかと」

水面下で各々の思惑が交錯する中、そう口にしたのは意外にもミッターマイヤー元帥だった。

基本的にオーベルシュタインを嫌う彼だが、嫌いだから意見に賛成しないなどという子供じみたことはしない。

言葉通り今回の件は軍務尚書に分があると判断し、諫めたのだ。

 ミッターマイヤーはオルフ作品ファンではあるが、親友のように全ての作品を読み込んでいるヘビーなファンではない。

発売されたらあらすじを確認して、自分の好みだと判断したら読むというライトなファンだ。

『子供向け』と売り出されているナグルファル戦記は読んでもいなければ、アニメも見ていなかった。

そのため、何故陛下を始めとする面々がこうまで熱心なのかいまいちピンと来ていない。

いくらオルフ作品でも大人が夢中になるようなものではないと思っているからだ。

忠臣からの意見に、ラインハルトの美々しい眉がきっと吊り上がる。

「治安が悪くなどない。調べたらきちんと運営が管理している場所だとのことだ」

「ですが、陛下。この作品のファン同士の諍いで殺人も起こっていると聞き及んでおります」

「人は常に何かで争っているものだ。ナグルファル戦記は有名だからマスメディアが面白がって誇張しているだけだ」

皇帝は一歩も退かぬつもりのようである。

しかしながら、諸将達はミッターマイヤーに続けと控えめながらイベント参加反対の意を唱える。

比例して神々しい麗貌がどんどん曇っていった。

形勢は非常に不利だ。

「・・・ロイエンタール。卿も同じ意見なのか?」

明らかに拗ねた口調で、しかしその双眸に期待を隠さず、美貌の提督を見つめる。

『さあ、なんか皆の意見を変えられる凄い案を出せ』と熱い視線が語っていた。

 ビッテンフェルトが睨んだ通り、確かにロイエンタールには案はある。

しかしそれを自ら言い出すと、下手したら本当にオーベルシュタイン邸出入り禁止になってしまいかねない。

「い、いえ」

言葉を濁しながら、じっと色の異なる双眸が、作者本人を見つめる。

相手も見返してきた。

何やら激しいアイコンタクトが行われ、最終的にはロイエンタールではなく、オーベルシュタインが発言をした。

「わかりました。陛下がそこまでおっしゃるなら、私に案がございます」

「ぬ!?」

かの永久凍土の石板が折れるなど珍しい。

どんな案なのかと皆が身構える。

軍務尚書は一拍置いて、こう言った。

「その場において陛下より目立つ人間を配置し、囮としましょう。フィリーネ・オルフ女史です」

会議室は阿鼻叫喚となった。

 

 

 

 



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フィリーネ・オルフの挑戦9

い、いつぶりの更新でしょうか(´;ω;`)
すみません。週七で働いてるもんでなかなか。
話進んでないです。
ちなみに見直してもいません。
整合性自信がない!!
変なところはこっそり直します。
相変わらずの謎時空。
次回こそ陛下コミケ編です!


戦時中並みに白熱した会議があったその日、裏事情を知る人々は終業後に誰も申し合わせることなくオーベルシュタイン邸を訪れた。

夕餉時には共犯者と共犯者予備軍は全員集合し、しっかりと食事をごちそうになると人払いをし、今度は家主の書斎で裏会議を始める。

「おめでとう。今年の自作自演女優賞は卿のものだ」

「そんないかがわしい賞などいらん」

妙に真面目腐ったファンクラブの会長の言葉に、『フィリーネ・オルフ』はぴしゃりと言い捨てる。

そのやりとりにフェルナーが噴き出し、ケスラーが頭を抱えていた。

 実際会議でのオーベルシュタインの演技は凄かった。

むしろ本領発揮とでも言えば良いのだろうか。

確かに今回開催されるイベント自体が彼女のファンの集いなのだから、彼女が現れれば最注目されることだろう。

史上最も美しい皇帝がうろついていても誰も気にしないかもしれない。

実際はその『女性』が自薦しただけで、ラインハルトがそのまま諦めることも狙っていただろうが、傍から見れば鬼畜の所業だ。

何せその女性は以前にも過激なファンに襲われて連れ去られた経験があるのである。

いくら無傷だったとしても心の傷はそう簡単には癒えないだろう(実際はノーダメージだったが)そうでなくとも一般女性の背後に隠れるなど卑怯である。

おでかけ会議(仮)の参加者の多くが反対(形だけも含む)した。

諸将の中で特に強く物申したのは誠実で優しいミュラー、文芸など芸術への愛情が強いメックリンガー、愛妻家のミッターマイヤーだ。

そして意外なことに一番強く反対したのがメックリンガーだった。

『無関係な女性を囮に使うこと自体も反対ですが、彼女の書いた作品の持つ力を軽視し過ぎです!今やフィリーネ・オルフ女史の影響力はそこらの権力者を遥かに凌ぐでしょう。ここフェザーンはもとより、オーディンや新領土にも彼女のファンは多い。彼女が作品を出すたびに大きな経済効果を生み出す。現在の戦後経済を支える一柱と言っても過言ではないでしょう。戦後の人々の傷を癒し、鼓舞し、未来への希望を抱かせる存在です。いくら陛下のためとは言えど、使い捨てて良い方ではございません』

もっともな意見である。ミュラーとミッターマイヤーもその言葉に深く頷き、強く芸術家提督の後押しをした。

さらには囮を提案されたラインハルト自身も

『卑怯だぞ、オーベルシュタイン!オルフ女史を人質に余に諦めろと言うのか!?』

と声を荒げたが、軍務尚書は相変わらずの無表情でそれをいなした。

『諦めろなどとは申しておりません。陛下の安全のために、目立つ存在を会場内に設置することを提案しているだけです。まるで殺害されることが前提になってしまっていますが、あくまでオルフ女史の役割は目くらましです。もちろん彼女には可能な限り護衛はつけましょう。お忘れですか?彼女のファンクラブの重鎮達は皆帝国屈指の武闘派です。前回もすぐに彼女を助け出した実績がございます』

言いながら、ロイエンタールとビッテンフェルトを見やる。

その鋭い眼光を真っ向から受け、ふたりは力強く請け負った。

裏事情を知るふたりからすれば、護衛対象はか弱い一般女性ではなく可愛くない中年軍人男性である。

本人も戦えるため、囮にすることに関しても不安は少ない。

何より本人がやると言っているのだ。

反対する理由は少ない。

この後もしばらくの間激しい議論が続いた。

しかしなんだかんだで、他に陛下を諦めさせることも、イベントに長居させて差し上げられるような妙案も浮かばず、最終的にはケスラーが『私が必ず陛下もオルフ女史もお守り致します』と口にしたためなんとかまとまった。

 オーベルシュタインもため息をついて細い顎に手をやった。

「予想通り陛下が諦めてくださらなかったからな。ならば少しでも安全に過ごしていただけるように配慮するのは当然だろう」

「そこで出たのが自らを使った囮作戦か。お前はそういうところがやたら思い切りが良いよな」

ビッテンフェルトが呆れたように笑う。

友人になる以前ならまた反応が違っただろうが、なった今では美点に見えた。

「しかし、少し大げさではないか?確かに陛下はどこにいらしても輝かんばかりの容姿をされているが、変装すれば目立たぬように出来るのではないか?」

「もちろん変装もしていただく。幸い今回は『イベント』だからな。多くの人間が仮装しているからやりやすい」

「ですよね!せっかくですから陛下も『コスプレ』していただきましょう。幸い取り巻きがいるのが自然なキャラがいますし!!いやあ、腕が鳴りますねぇ」

上司の言葉に反応したフェルナーがウキウキとそのようなことを言い出した。

この男は本当に神経が太い。

「・・・ところでずっと聞きたかったのだが、『イベント』とはどういったものなんだ?陛下は祭りとおっしゃっていたが」

盛り上がるナグルファルガチ勢と原作者に、そう疑問を口にしたのはルッツだった。

見ればワーレンもわかっていないらしく、同じように目で問うている。

CMで内容紹介はあったが、彼らからすれば専門用語を並べられても具体的なイメージが湧かなかったのだ。

わからないで聞いていたのかとも思うが、確かにあの場ではそんな根本的なことを質問しづらかっただろう。

この手の内輪の催しというのは外野からは意味不明なものである。

それを察した有識者達はちゃんと説明した。

『イベント』

この催しが出来たのは本当に最近だ。

最初はフィリーネの作品のファン達が酒場などで集まり、自身の感想を語ったり他の考察を聞いたりするような場だったらしい。

その後、ナグルファルが発表された辺りから、流れが変わってきた。

 ナグルファルは実際はともかく作者サイドとしては子供向けの作品だ。

そして子供というのは想像力豊かで、その想像を親など近しい人間に話す。

もしも作中の誰と誰が会っていたら、親しかったならば、ここでこうなっていればどうなったか。

すると聞かされた方も考え出す。

もしくは自分の想像を話す。

行動力がある人間などは、それらを文章にしたり絵にしたり表現を始めた。

ナグルファル二次創作同好の士が集まればグループが出来、互いの作品交換などを通してファン同士の交流も深まったそうだ。

そのうち作品を発表する専用の雑誌や電子掲示板などが乱立し、次第に自費で本を印刷し許可を取って販売する者も現れた。

ちなみに無許可で配っている人間もその数千倍いるらしい。

どんどんそうやってファンの創作活動が過熱していく中で、一部の金に余裕があるファンが他の多くファンを集めての作品発表会兼交流の場を企画運営しだした。

今回のイベントはその最大規模で、発案運営は帝国屈指の富豪達である。

「・・・つまり・・・なんだ?自分の考えたナグルファルのもしもの話を発表したいと考えている人間がそんなにたくさんいるということか?」

「読みたい人間はその数百倍はいる」

「えぇ」

オーベルシュタインの異様に理路整然とした説明に、特にファンではない共犯者予備軍達は引き気味だ。

彼らにしてみれば架空の話にそこまで金と時間と情熱を注ぎ込むことが理解の外なのだろう。

「・・・作者的にはどうなのだ?卿の作品に何か不満があるからそのようなことをするのだろう?」

「いや、それは違います。好きだからこそ考えるのです。面白いからこそ自分の手でどうこうしてみたいと考えるわけですよ」

フェルナーの妙に力が入った説明にも、やはりルッツ達はよくわかっていない様子だ。

だがとりあえず熱心なファンの集まりであるということは理解したらしい。

「・・・イベント自体を中止するというのは」

「それは愚かな提案だ、憲兵総監」

無理だろうと悟った口調だったが、一応という様子で発せられた言葉をドライアイスの剣が切り捨てる。

「このイベントだけでも軽く億単位の金が動く。経済効果は驚くほどの規模だ。周辺店舗も需要を見込んで仕入れを増やしたり、チェーン店では精鋭の店員を呼び寄せて当日に挑むそうだ。強権を発動して中止することは可能だが、下手すると廃業や失業者を増やすことになるぞ。さらに言うなら旧同盟領からわざわざ遠征してくる参加者も少なくない人数いるそうだ。強権で止めたりなどしてみろ。とんでもないことになるぞ」

安くない旅費と短いとは言えない時間をかけてわざわざやってくるような熱心なファン達だ。

下手したら暴力沙汰に発展しかねない。

大量の人間が動くということはその分大量の金も動くということだ。

現在は戦後だ。

経済活動は可能な限り活性化させる必要がある。

それをわざわざ潰すような愚行は出来ない。

「・・・となるとやはり卿を囮にして陛下にイベント参加していただくことになるのか」

ワーレンがため息交じりに呟けば、どこか呆れた答えが返った。

「そう決定しただろう。勇猛果敢と謳われる卿らがじたばたしてどうするのだ。当日は万全の警備で挑む。私は全力で目立つ。いい加減腹を括りたまえ」

声こそ平坦だが囮本人の言葉とは思えない台詞である。

そしてさらにとんでもないことを言い出した。

「・・・せっかくだから私も本を何冊か出そう。その方が主催者側に話が通しやすかろう。ちょうど没になったナグルファルの旧版も書き直ししたかったし、別視点から描いたものも書いてみたかった」

「い、今からか?」

驚きの声をあげたのはルッツだ。

すでにイベントまでは一ヶ月をきっている。

小説家の書くペースなど知らないが、そんなぽんぽん書けるものではないということくらいは予想がつく。

さらに言うならば軍務尚書は決して暇な役職ではない。

確かフィリーネ・オルフは速筆で有名な作家だが、それはおそらく大量に書き溜めてあるものを順番に発表しているのだろう。

今から書くとなれば、本業に支障が出るのではないか。

実情を知らない優秀な射手の危惧は、共犯者三名の笑顔で否定された。

「おお、それはファンとしてはものすごく楽しみですね。今からわくわくが止まりません」

「何冊書くつもりだ?」

「とりあえず十冊」

後世、異様なほど早い仕事ぶりを初めて見た人々の『マジかよ』とドン引きしている一次資料が大量に見つかり、歴史家達を困惑させる男はレベルが違った。

「ふっ。大きく出たな」

普通とりあえずで書ける量ではないのだが、ロイエンタールは驚くことなくシニカルに笑う。

同じく感覚が麻痺しているビッテンフェルトが大仰に頷いた。

「おお、凄いな。お前のことだから読み応えがある量を書くのだろう?警備の関係やらで忙しくなるだろうに、やはりお前は凄いな」

ある意味他人事で喜ぶ猪を、ドライアイスの義眼がすっと見据えた。

その意味深な視線に少したじろぐ。

「ん?どうした?」

「確かに忙しくなる。そしてまだ新刊は一切書いていない。書く時間を捻出する必要がある。だから通常業務の処理速度を上げる」

「え。お前普段どちらも早いだろ。間に合うのではないか?」

「余裕をもって印刷所に渡さねばなるまい。主催者と交渉もせねばならん。やることは多い。だから速度をあげる」

「お、おお?」

「他人事ではないぞ、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト。私の処理を上げるために卿の書類の締め切りも繰り上がる。まあ、卿以外もだが」

「なぬ!?」

思わぬ流れ弾に猛将は不意打ちを喰らった。

オーベルシュタインの指摘通り、自分は護衛くらいしか特別なことをしなくて良いと思っていたのである。

戦場では野性的に暴れまわる彼だが、書類飛び交う戦場ではウリ坊だ。

締め切りを破りそうになって笑顔のフェルナーが派遣されることはしょっちゅうだし、頻繁に訂正付箋だらけの書類返却をされている。

反射的に周囲を窺えば、皆生温かい半笑いでこちらを見ていた。

彼らの視線が語っている。

『頑張れ』と。

どうやらどうにもならないようである。

「安心したまえ、フリッツ。私達は友人だ。書類を早くあげるために協力しようではないか」

強敵に徒手空拳で挑む覚悟を決めようとした時、意外な助け舟があった。

まさかのオーベルシュタインである。

もしや何か手心を加えてくれるのだろうか?

いや、この男に限ってそれはないだろう。

むしろ友人だからこそ、そんなことをさせてしまっては駄目だ。

正直間に合うか非常に怪しいがやるだけやってみるしかあるまい。

ビッテンフェルトは考えたことをそのまま言葉にしようとしたが、それよりも先に軍務尚書は言った。

「別に不正はしない。卿から私までの過程を全カットするだけだ」

「え」

 

 

 次の日。

冷や汗をたらしながら書類作成するビッテンフェルト、の真横にオーベルシュタインが陣取って仕事をしていたという目撃情報が多数残っている。



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