織田信奈の野望~飛将伝~ (Mk-Ⅳ)
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プロローグ

始めましての方は始めまして、Mk-Ⅳと申します。
他の作品で知っている方は、本作も目を通して頂きありがとうございます。

他の作品を楽しみにされていて「ただでさえ投降が遅いのに、何作品増やしてるんだ!」と思われる方がいましたら申し訳ございません。
昔ハマッていた戦国関連の漫画を読んだりしている内に、どうしても書きたくなってしまいました。

この作品は完全に息抜き目的で始めたため、序盤以降は他の作品を優先して書きますので、更新は他よりも遅くなると思います。
その点を了承頂き、読んで下さると幸いです。


尾張と三河の国境にある地にて数千の群衆が二手に分かれて対峙していた。

片方は尾張を治める織田家の家紋が描かれた旗を掲げ、もう片方は駿河・近江・三河を治める今川家の家紋が描かれた旗を掲げている。

両者は木盾を前面に立て、それ隠れながら矢を射かけあっていた。また、近年導入され始めた鉄砲の轟音も時折響く。

だが、数で劣る織田軍が徐々に押されていき後退を始めていく。

これを好機と見た今川側は追撃を開始し前進していくのであった。

 

 

 

 

「姫様。各諸将予定通り後退を始めました」

 

織田軍後方の小高い丘にある本陣にて、甲冑を身に纏った男衆の1人が跪きながら中心にいる少女に声をかける。

芸術品のような美しさを持つ腰まで届く茶髪をお団子状に結っている少女は、男衆と動揺に甲冑を身に纏っているも、年は17、8程だが。その身に纏う雰囲気は男衆を平伏させるに十分な覇気を持っていた。

 

「デ、アルカ。犬千代、あいつ(・・・)に合図を出しなさい」

 

戦場を見下ろしていた少女は満足そうに頷くと、隣に控えていた自分よりも更に年下の藍色の髪をした、槍持ちの少女に指示を出す。

 

「わかった、姫様」

 

指示された藍色の髪は少女は迷うことなく頷くと槍を軽く振るう。すると、陣太鼓が盛大にならされ始める。

その音を聞きながら茶髪の少女は、これから起きることに期待を隠せないように笑みを浮かべる。

茶髪の少女の名は織田信奈――尾張の国を治める大名である。

 

 

 

 

戦場から少し離れた森の中。織田家の旗を掲げる30人程の甲冑姿で馬に跨る男達がいた。

 

「そろそろだな兄弟」

 

その中の25歳程で、両側頭部から髪を後頭部で縦線状に合わせた『りーぜんと』と呼ばれる独特の髪型をした男が、後退する織田軍を見て先頭にいた男に声をかける。

その男はりーぜんと男と同年齢で黒髪の短髪をしており。手には馬上弓を持ち、背には『方天画戟』と呼ばれる穂先の根元に三日月形の刃が片側だけにつけられた槍を背負っていた。また、乗る馬は真紅の毛並みをしており、他の馬より一回り大きな体躯をしている。

男な名は翔翼(しょうよく)、この部隊の指揮官である。

 

「ああ、いいかお前達。やることはいつも通りだ、嫌がらせをして逃げる。深入りはするな」

「ま、お前の場合嫌がらせで済まないけどな」

 

りーぜんと男の言葉に、他の男たちがハハハッ、と笑い声を上げる。

そんな中、織田本陣から陣太鼓が聞こえてくる。

 

「合図だ。では、往くぞ小六(ころく)、皆」

 

翔翼の言葉に、男たちが力強く答える。

 

五右衛門(ごえもん)も背中は任せる」

 

闘牙が再び声をかけるも、返事が帰って来ることはない。それでも、闘牙は満足そうな様子で手綱を引く。

 

「駆けろ、赤兎(せきと)!!」

 

愛馬を走らせた翔翼は、眼前にいる今川軍最左翼の集団目がけて突撃していく。

翔翼に続いて小六らも続くが、赤兎は瞬く間に加速していき差が広がっていく。

 

 

「な…!?て、敵襲!!」

 

翔翼らの存在に、今川の兵らが気がつき動揺が走る。

足軽組頭が慌てて迎撃させようとするも、最早間に合わない距離まで翔翼は詰めていた。

翔翼は弦に矢をに番えると、限界まで引き絞る。

 

「ッ…!!」

 

弦を離すと、加速された矢が敵兵に目がけて飛んでいく。

矢は対処が間に合わなかった敵兵の喉に突き刺さった。翔翼はすぐさま別の敵兵に弓を放つと、今度も敵兵の喉元を貫く。更に放った矢は今度は額に突き刺さる。

 

「ヒィっ!?」

 

その光景を目の当たりにした兵らに更なる動揺が走る。その間に翔翼は弓から戟に持ち帰ると敵部隊に突進した。

前面にいた兵の脳天を赤兎が蹄で砕き、翔翼が戟を突き出すと穂先が敵兵の喉元を貫通する。戟を素早く引き抜き振り上げると、別の敵兵の脳天に三日月の刃を叩きつけて股下まで鎧ごと両断した。そこから更に横薙ぎ振るい数人の首を纏めて刎ね飛ばす。

味方が次々に打ち倒されたことで、恐怖に震える今川兵らを尻目に、翔翼は深入りせず赤兎を操ると離脱していく。

 

「ええい、何をしておる矢で射殺せ!」

 

怒り心頭な足軽組頭の激によって、どうにか立ち直った兵らが矢を射かけるも赤兎の速度に対応できず全て外れる。

 

「こっちもいるぜぇ!」

「うぎゃぁ!?」

 

完全に翔翼に意識を向けられていた敵部隊は、後続の小六らの突撃を受けて陣形が大きく乱される。

 

「よし、次だ!!」

 

その部隊に目もくれず新たな敵部隊に向かっていく翔翼に、小六らも続いていく。

翔翼の部隊は、今川軍左翼の後方にいる部隊を同様の方法で攻撃していき混乱させていく。

 

「何事かァ!!」

「き、奇襲です!織田軍の騎馬隊が!」

「何ィ!?」

 

異変に気が付いた左翼指揮官が、駆け抜けていく翔翼らを忌々しそうに睨みつける。

 

「たかが少数だ!さっさと追い払え!」

 

指揮官が激を飛ばすも、今川兵の放つ矢や銃弾は、先頭を走る赤兎の速度に翻弄されて掠りもせず。長槍の槍衾で抑えようとするも、翔翼は弱点である左側に回り込みながら矢の3本射ちで端にいる兵を倒すと、加速の乗った赤兎の突撃と持ち替えた戟による一撃で粉砕する。

 

「貰ったァ!」

 

翔翼の背後から迫った敵兵が背中に槍を突き立てようとすると、その額に棒状の手裏剣が突き刺さり崩れ落ちる。

敵兵が絶命する前に見たのは、翔翼を守るように背後に立った忍者装束を身に纏った10歳程の銀髪の少女であった。

 

「ヒィッ!化け物だ!?」

「敵わねぇ、逃げろォ!」

 

翔翼の圧倒的な武力に慄いた兵が逃げ出し始め、辛うじて踏ん張ろうとする者は、後続の小六らによる追撃を受けて蹴散らされる。

逃げていく後方の部隊を見た他の部隊にも動揺が走り、陣形に乱れが広がっていく。

 

「ええい、何をやっておるか!」

「せ、関口様!逃げていた織田軍が向かってきます!」

 

指揮官が苛立っていると、側近が慌てた様に叫ぶ。後退していた織田軍が、期を狙ったように反転して突撃してきていたのだ。

 

「いかん、陣形を立て直せ!!」

「だ、駄目です間に合いません!!」

 

陣形を崩された今川左翼は、碌な抵抗もできず織田軍の突撃を受けて瓦解していき。多数の兵が討ち取られ、指揮官は命からがらに逃げることとなったのであった。

これにより今川軍の戦線は崩壊し、総退却を余儀なくされ、戦は織田軍の勝利で幕を閉じた。



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第一話

尾張清洲――織田家の本拠である地に、戦を終えた織田軍は帰陣していた。

城下には庶民や商人等が集まり出迎えていた。勝利の報が既に届いていたためか歓声と共に賑わいを見せている。

 

「今回も今川に勝利したってな」

「流石信奈様じゃ。『うつけ』と呼ばれていたのが嘘のようだの」

「なんでもそれは、敵を油断させるために演じていたって話だぜ」

 

男らが当主である信奈を褒めたたえていると、織田軍の先陣が見えると群衆から黄色い歓声が上がる。

歓声を浴びるのは、鉢巻を頭に巻き無精ひげを生やしている25歳程の美男子である。

 

「森長可様じゃ。相変わらず女子に人気じゃのう」

「『攻めの三左』と呼ばれる槍の達人で常に先鋒を任される勇将。おまけに美男子ときたもんだ。世の中不公平だぜ」

 

歓声を上げる女性らに、長可がにこやかに笑いながら手を振ると、更なる歓声が上がる。

 

「ま、でも本人は妻であるえい様一筋だけどな」

 

その人気に世の男性からは嫉妬されることもあるが、長可が人柄がよく愛妻家であるためか、何だかんだで慕われている。

そして次は肩にかかるくらいの髪を、馬の尻尾のように纏めた信奈と同い年の女武将に注目が集まる。

 

「お、次は『鬼柴田』こと柴田勝家様じゃ」

「織田家1、2を争う武勇を持ち、長可と共に先鋒を任され筆頭家老も務められる方だな」

「そして、何より」

「うむ」

「ああ」

「「「胸がデカい」」」

 

男性の視線が、勝家の鎧越しでもハッキリと分かる豊満な胸に集中する。

すると、視線を避けようとしてか、勝家は顔を赤くして胸を両腕で隠しながら身を屈めてしまった。…最もその仕草によけいに男どもの視線を集めてしまっているが。

そんな中、軍の中心にいる信奈の姿が見えると、人々から一際大きな歓声が上がる。

 

「おお、信奈様じゃ。相変わらず凛々しくて美しいのぉ」

「当主になった頃はどうなるかと思ったが。数年で父君にも果たせなかった尾張統一を成し遂げ、度重なる今川の侵攻を退けられご立派だ」

(まつりごと)でも関所の廃止や、楽市・楽座等を行われ尾張を日ノ本有数の商業地と発展されたのも大したもんだ」

 

信奈はかつてはその素行から『うつけ』と呼ばれ当主として疑問視されていたが、革新的な政策で尾張を発展させ、今では領民に愛される大名となっていた。

続いて話題は、信奈の隣にいる腰まで届く藍色の髪の20代の女武将へ移った。

 

「信奈様の隣に控える丹羽長秀様も美しいのぉ」

「でも何かと点数をつけたがる細かい性格のせいで、あの歳になっても嫁の貰い手がいないとか…」

 

そんな話をしていると、まるで聞こえたかのように、笑みを浮かべている長秀の持っていた扇子に亀裂が入り死期を感じさせる気配が放たれ始めたので、話題を変えることにした。

 

「滝川一益様は幼くて愛らしいのぉ」

 

鉄砲隊を率いている10歳程で、黒髪を禿(かむろ)にした巫女装束の女武将に男らは視線を向ける。

 

「鉄砲に詳しく、あのお歳で鉄砲衆を任されるのだからご立派じゃ」

「それに甲賀出身で忍術にも精通しているとか」

「にしてもホンに愛らしいわい。妹に欲しいくらいだ」

「俺は娘に欲しいな」

「ワシは孫に欲しい」

 

そんなしょうもない話をしていると、再び黄色い歓声が上がる。

 

「あれは?」

「お前さんは初めて見るかの。あれは大空(たいくう)翔翼様。信奈様直臣の侍大将よ。武において勝家様と女子の人気では長可様と争う強者よ」

「へぇ、乗ってる馬は他よりデカいし毛が赤いな」

「あれは赤兎馬と言って、大陸から来た商人が信奈様に献上したものでな。一日に千里走ると言われる名馬だが、あの方以外乗りこなせる者がおらんそうじゃ」

 

老人が説明している間にも、翔翼は黄色い歓声を浴びるが、長可のように応えようとはしない。

 

「なんか、不愛想だな」

「まあ、そういうところはあって誤解されることがあるが、困っている者は誰であろうと見逃せない心優しい方なんじゃよ。ワシもこの前、往来で腰を痛めて動けないでいたところを、おぶって家まで送って下さってな」

「人は見かけによらねぇってか。後はどんなお人はいるんだ

「そうじゃのう。ああ!後は、『退き佐久間』こと佐久間信盛様じゃな」

 

思い出したように名が出たのは、翔翼と長可と同年代の武将であった。

甲冑こそ見事だが、どこにでもいるような外見の優男で、甲冑を纏い馬に乗っていなければ足軽と間違えられそうであった。

 

「あの方は何と言うか…特徴がないのが特徴って感じだよな」

「あれでも勝家様と同じ筆頭家老なんじゃよなぁ、地味だけど」

「あれ?泣き出しだぞ?」

 

そんな話をしていると、まるで聞こえたかのように、涙を流し始めてしまう信盛であった。

 

 

 

 

清州城に帰還した織田軍は解散となり、翔翼は主人である信奈に一言挨拶に向かったのだが困った事態となっていた。

 

「……」

「おい、信奈。何故ヘソを曲げている?」

 

そう、その信奈が不機嫌全開といった様子でそっぽを向いて話しを聞いてくれないのである。というか出陣して戻る度のこうなるのだ。

 

「別に曲げてないわよ。さっさと、さっきアンタのことを呼んでた娘達の所にでも行きなさいよ」

 

つーん、とした様子で突き放すように言う信奈だが。翔翼は頭に疑問符を浮かべて首を傾げている。

そんな彼の袖を藍色の髪をした少女、信奈の護衛や伝令を行う馬廻りの1人である前田利家――通称犬千代が軽く引っ張る。

 

「姫様はさっき往来で、(しょう)が女の子にモテてたのが気に入らない。犬千代もそう」

「な!?ち、違うから!そんなんじゃないから!」

 

利家の指摘に信奈は顔を真っ赤にして否定する。ちなみに翔とは翔翼の通称である。

 

「…む、あれは俺に向けてだったのか?長可にではなかったのか…」

 

ようやく理解した様子の翔翼にその場にいた者達は、体を傾けるか思いっきりズッコケた。

 

「いや、今頃気がついたんかィ!!」

「ああ、この後の夕餉(ゆうげ)について考えていた」

 

あっけからん言う翔翼に、部下である蜂須賀小六が全力でツッコミを入れる。

 

「はぁ、もういいわ。さっさと帰んなさいよ…」

「ん、ねねが待っているからな。その前に信奈」

「何よ?」

「何故、俺が女の子にモテると機嫌が悪くなるのだ?」

「うっさい!出てけこのアンポンタンがアアアアアア!!!」

 

不思議そうに問いかけてくる阿呆(翔翼)の腹に、信奈は全力の跳び蹴りを炸裂させ、吹っ飛んでいく阿呆を見て利家はヤレヤレといった様子で息を吐くのであった。

 

 

 

 

信奈に城を蹴り出された後、翔翼は此度の戦で戦功第一として賜った褒賞を部下にあらかた与えて別れると、兄弟分である小六と共に帰路に着いていた。

 

「全く信奈の奴め。もう少しおしとやかさを身に着けても、罰は当たらんと思うが」

「いや、あれはオメェが十割ワリィよ」

 

ヤレヤレといった様子で息を吐く翔翼に、小六のツッコミが入る。

 

「女心ってのを理解しろってんだよ」

「だから聞いたというのに憤慨されたのだが…」

「直線過ぎんだよ!!」

 

まるで分かっていない兄弟分に、頭を抱えそうになる小六。この一点だけ非常に鈍いのがこの男の唯一の欠点とも言えた。

そうこうしている内に、彼らの住まう足軽用の長屋が見えてくる。

馬小屋に赤兎を入れ、労いの言葉と共に撫でると赤兎は喜びを表すように鳴く。

 

「今日はご苦労だったな小六。ではな」

「おう、お疲れ」

 

小六と別れると、翔翼は自分の住居の戸を開ける。

 

「たたいま戻った」

 

室内に入ると、中からドタドタと足音が聞こえてくる。

 

「お帰りなさいませ(にい)様!」

 

利家より更に幼い少女が翔翼に飛びつく。彼女の名はねね、翔翼らが住む長屋の長老格の孫であり、世話係として共に暮らしているのである。また、翔翼と血の繋がりは無いが兄として慕ってくれており、翔翼も妹として可愛がっていた。

 

「留守番ご苦労だったな。今回は戦功第一で褒賞を貰ったぞ」

「それも嬉しいですが、無事に戻ってきて下さったことがねねにとって一番です…」

 

腰に腕を回すとギュッと抱き着くねね。彼女は生まれた時から長屋で暮らしており、父や兄のように親しくしてくれた者を幾人も戦で失っており、この歳にして大切な者を失う辛さが身に染みているのだ。

 

「…そうだな、いつも心配をかけてすまない。だが、俺は戦では死なん、必ずお前の元に戻って来ると約束しているからな」

 

翔翼はねねの頭を優しく撫でると、彼女は嬉しそうに目を細める。

 

「はい!噓をついたら針を5本飲んでもらいますからね!」

「…今思えば、やけに具体的な数字だな」

 

本来は千本なのだが、それよりも恐ろしく感じる翔翼。

そんなことを考えていると腹の虫が鳴った。

 

「腹が減った…」

「ふふ、もう兄様ったら。もう少しで夕餉ができますから、待っていて下さいね!」

 

速足で調理に戻る妹の背を、翔翼は腹の虫が鳴らしながらテクテクと着いて行くのであった。




前話で忘れていた捕捉
・騎馬突撃について
最近の研究で、当時の日本では体格の小さい馬しかおらず突撃に不向きであり。また、維持費がかかるため(馬は人の10倍は食べるため)大量に揃えるのが難しいので、
ドラマや漫画のような騎馬隊は存在していなかったという見方がされているそうです。
そのため馬は身分の高いものや一部の者が移動用にしか使わず、戦う際は下馬していたそうです。
有名な武田騎馬軍団も後の世の創作なんだそうな。まあ、この作品ではそこら辺は無視しています。理由は単にカッコいいからです。

今話の捕捉
・森長可と佐久間信盛
森長可は『信長の忍び』と呼ばれる作品のキャラと容姿を採用しています。というか大半の主要じゃない登場人物はこの作品のになると思います。
ちなみに、佐久間信盛は本作の完全なオリジナルになります。なんとなくその方が面白くなりそうなので。


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第二話

早朝、布団の中で目を覚ました翔翼。隣で腕に抱き着いて寝ているねねを、起こさないように離しながら起き上がる。

 

「ん~兄様…」

 

寂しそうにするねねの頭を撫でると、穏やかな寝息になっていく。

住居を出ると、眠そうに目を擦っている利家と出くわす。

 

「おはよう犬千代」

「おはよう翔…」

 

利家はテクテクと近づいてくと、腰に抱き着いて顔を犬のように擦りつける。その愛らしさに頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。

その後、眠気が取れずふらつく足取りの利家を脇に抱えて馬小屋に移動する。

 

「おはよう赤兎」

『――』

 

翔翼が声をかけながら撫でると、赤兎は喜びを表すように尻尾を振りながら鳴く。

愛馬の手入れや餌やりをすると、翔翼と利家は互いに鍛錬用の棒を手にすると一定の距離を取って向き合う。

 

「では、往くぞ」

「ん」

 

互いに駆け出すと突き出した棒がぶつかり合う。

 

「ぬんッ!」

 

翔翼が力を込めると、小柄な利家は軽々と押し出されるも。すぐに体制を立て直した利家は駆け出しながら棒を地面に立ててそれを支点にして跳ぶと、落下の勢いを乗せて棒を振り下ろす。

 

「てい」

「ムッ」

 

翔翼が棒を水平に持ち受け止めると、利家は勢いそのままに頭上を越えて背後に回り込み、棒を突き出す。

翔翼は振り返ることもなく上半身を僅かに反らし、左の脇を広げて棒を通すと挟んで抑えると、右手に持つ棒の石突を犬千代の喉元に添える。

 

「惜しかったな」

「むぅ…」

 

翔翼が僅かに口角を吊り上げると、利家は悔しそうに頬を膨らませる。

 

「兄様、犬千代様!朝餉の用意ができましたぞ!」

「ああ、今行く」

 

ねねの呼び声に答えると、翔翼は利家を連れて長屋に戻る。

翔翼の住居には、ねねの他に銀髪の忍び装束を着たねねや利家と同年代の少女がおり、翔翼を出迎えるように跪いていた。

彼女の名は蜂須賀五右衛門、翔翼に仕える忍びである。

 

「戻ったか五右衛門。首尾はどうだ?」

「はっ。大空(うじ)のご推察通り、この清洲城下に今川の間者が多数忍び込んでごじゃる。幾人始末致しましたが…」

 

翔翼の問いに、五右衛門は淡々と報告する。彼女は幼いながらも、忍びとして優れた手腕を持っている。ただし、長台詞は苦手であるが。

 

「そうか…」

「大空氏、やはり今川は…」

「その辺りは、この後信奈達と考えるさ。とにかくご苦労だった、まずは朝餉にしよう。冷めてしまうからな」

「犬千代もお腹空いた…」

利家がお腹に手を当てると、腹の虫が鳴った。

ふらつく彼女を支えながら席に座ると、ねねが朝餉を運んでくれる。

 

「「「「いただきます」」」」

 

食卓を囲んで料理に料理に舌鼓(したづつみ)ながら。ねねの世間話に翔翼が興味深く反応し、利家は掻っ食らいながらも適度に会話に混ざり、五右衛門は黙々と箸を動かす。そんないつもの大空家の日常が彩られるのだった。

 

 

 

 

朝餉後、出仕するため翔翼と利家は清州城へと向かっていた。

 

「お、翔に犬千代。おはようさん」

「うむ、可成おはよう」

「おはよう」

 

門前で同じく出仕してきた可成と挨拶を交わすと、共に城内に入っていく。

 

「あー胃が痛い…」

 

入り口の端で、信盛が袋に入った粉薬を飲んでいた。

 

「よお、信盛おはよう」

「おはようございます皆さん」

 

筆頭家老相手にも気軽に挨拶する翔翼。他の2人もそれぞれ同様に挨拶をする。対する信盛も気にした様子もなく対応していた。当主である信奈が奔放なこともあり、彼ら若い世代は比較的身分を気にせず接するようになっているのだ。

 

「今日も好調だな」

「ええ、もう帰りたいです」

 

朝っぱらからお腹を押さえて顔色を青くしている信盛に、冗談めかして話す翔翼。彼はかなり気弱であり、地位からくる重圧等に耐え切れず、常に胃痛に悩まされているのである。

 

「相変わらずだなお前は…」

「へなちょこ」

 

そんな頼りない筆頭家老に、可成と利家がやれやれ、と言いたそうな目を向ける。

言ってしまうと彼が筆頭家老なのは、佐久間家が長年織田家に仕えているからであり。当人は退却戦が得意なこと以外は至って平凡であった。

 

「隙ありじゃ」

「む」

 

いつものやり取りをしていると、不意に天井から降ってきた一益が翔翼の肩に乗る。

 

「おはよう一益。そして、降りなさい」

「おはよう翔(にい)に皆の衆も。そして嫌じゃ、姫は疲れたからもう歩きたくないのじゃ」

「朝っぱらから信盛みたいなことを言いおって…」

 

頭に顎を乗せてぐでー、と寛ぎだす一益に、呆れた様子を見せる翔翼。

 

「ちょっとお待ちを。僕はお腹が痛いから働きたくないだけなので、怠け者扱いは止めて下さい」

「対して変わらねぇだろ…」

 

しょうもない弁明をする信盛に、可成が呆れながらツッコミを入れる。

 

「おはよう皆。何の話をしているんだ?」

「おはよう勝家。信盛が胃を痛め過ぎて今際の際(いまわのきわ)なので、最後の言葉を聞いていたのだ」

 

遅れて姿を現した勝家にそれぞれ挨拶している中、翔翼がとんでもないことを言い放つ。

 

「あれ!?僕死ぬことになってる!」

「え!?そんな、地味だけどいい奴だったのに!」

「いや、信じないでもらえます!?後、地味は言わなくてもいいですよね!?」

 

疑う様子もない勝家に、全力でツッコム信盛。

 

「ホントに勝家ちゃんは純真じゃのう」

「将来悪い男に引っかからないか心配だよな」

「ある意味手遅れ」

「そこで何故俺を見る犬千代よ?」

 

ジト目で見てくる利家に、困惑する翔翼。

 

「こんな所で皆揃っていつまで話しているのですか。もう評定が始まりますよ、信盛と勝家は筆頭家老なのですから遅れたら他の者に示しがつきません。そんなことになったら大幅減点です」

 

評定場の方から長秀が、やれやれといった様子でやってきた。

 

「ん、もうこんな刻限か。信奈に鉄砲をぶっ放されてもかなわんし行くか」

「兄様の場合殆ど照れ隠しじゃがの」

「そうか?苛立ちの発散がしたいだけだろう」

 

翔翼が肩を竦めると、その場にいる者達に呆れた様に息を吐かれるのであった。

 

 

 

 

評定で議題に出たのは、暫し前から上洛の動きを見せる今川への対処であった。

今川が京へ進出するためには、地理的に尾張は避けて通ることができず。昨年より織田家に臣従を迫ってきていたが、信奈はこれを拒否した。それからというもの、こちらを威嚇するように小競り合いを繰り返すようになり。また、織田領内への間者の数が増えていることと、武具兵糧を買い込んでいることから、そう遠くない内に武力行使してくるのは時間の問題であるとの見方が織田家内で強くなっていた。

今川は隣国である武田、北条と同盟を結んだことで後顧の憂いがなくなったため、全戦力を投入可能であり、織田家との戦力差は5倍はあると見られていた。

 

「今川と真正面から戦っても勝ち目はない!ここは籠城すべきだ!」

「だが、援軍の見通しがない以上、立て籠もったところでどうにもならん!ならば、一か八か打って出るべきだ!」

 

家臣内では野戦か籠城かで意見が二分されており、一向に纏まる様子はない。

織田家は現在、隣国である美濃を治める斎藤家と同盟を結んでいるも。現当主である斎藤道三の長男が不穏な動きを見せており、他国に十分な援軍を送る余裕がなく。最悪、織田家単独で今川と対峙する必要があった。

 

「まあ、打って出るより籠城して敵の兵糧切れを狙うのが安全でしょうかねぇ」

「待て、それでは領内が荒らされ放題になってしまう!民を守るためにも野戦で迎え撃つべきだ!」

 

更に、筆頭家老である信盛と勝家の意見が真っ向から対立していることも、この事態を招いてしまっていた。

本来であれば、当主である信奈が早々に方針を纏めるべきなのだが――

 

「くぁ…」

 

湯帷子(ゆかたびら)を肩脱ぎにし、腰と足を覆う袴の上に虎の皮を腰巻のように巻いた『うつけ』と言われる所以となっている大名らしからぬ恰好をした信奈は、上座で胡坐をかきながら退屈そうに欠伸をしていたた。

 

「もういいわよ、あんた達帰っていいから」

「信奈様!?」

 

立ち上がると右手で頭を掻きながら、左手で追い払うように手を振ると、信奈は城主の間から去ってしまった。

長秀ら付き合いの長い者達以外の家臣がざわつく中で、翔翼は席を立つと信奈の後を追うのであった。

 

 

 

 

「情報が漏れるのを防ぐためとはいえ、少しは安心させることでも言ってやったらどうだ」

 

清州城本丸にある信奈の部屋にて。翔翼は縁側にある柱に寄りかかりながら座ると、上座で胡坐をかく信奈に話しかける。

部屋には南蛮商人から買った地球儀の他に、象やパンダと呼ばれる動物の牙や毛皮があり、室内の構造こそ日ノ本式だが、置かれている家具等は異国のものが大半という独特な雰囲気を醸し出していた。

 

「私は『うつけ』よ?あれくらいでいいのよ、どうせ勝てるって言っても信じないでしょ」

 

南蛮商人から買った地球儀を手で回しながら、フンっ、と鼻を鳴らす信奈。

彼女がまともに評定をしないのは、やる気がないのではなく既に今川に勝つ算段が整っているからなのだ。

そのことを悟りなおかつ疑うことなく信じているのは翔翼のみであり、長秀ら側近辺りは感づいてはいるだろうが半信半疑といったところだろう。

ならば敵方に悟らせないために、敢えてやる気のないように装うべきと彼女は判断したのだ。

 

「(才があるというのも考えものだな)」

 

寂しさを漂わせながら地球儀を回す信奈を見て、そんなことを考える翔翼。

これまでのつき合いで、信奈には日ノ本を変えられるだけの才能があることを彼は感じ取っていた。伝統や常識といったものに縛られず、効率性を求める柔軟性。南蛮の商人を通じて海の向こうにある国々が、遠くない将来に日ノ本を支配しようとしていることを感じとれる先見性。いずれもどの大名には持ちえないものだろう。

だが、余りにも優れたその才は人々に理解されることはなく『うつけ』としか見られなかった。

本人は敵を油断させるためにそのことを利用しているが、内心では寂しさを感じているのだ。

 

「…お前のことを理解してくれる奴が、織田家にいてくれれないいんだがな」

 

開け放たれた戸から広がる青空を見ながら、思わず呟いてしまった。

翔翼含め、家臣達は信奈を慕ってはいるものの、その大志を十全に理解できているものはいないのだ。

彼女と同じような思考をできるものが1人でもいれば、孤独を感じることもないだろうに。

 

「…いい」

「む?」

 

掠れるように呟かれた言葉に視線を戻すと、地球儀を回す手を止めた信奈が、顔を赤くしながら俯いていた。

 

「あんたがいるから、別にいいわよ」

「俺はお前なら、戦のない世を作れると信じてついて行っているだけだぞ」

「私の話を聞いた奴は、笑って馬鹿にしたり変な目で見るか、よく分からないって顔をするわ。でも、あんただけは本気で信じて理解しようとしてくれる。だから、あんたがいれば私には十分なのよ」

 

最後の方はかなりボソボソと話していたので、余り聞き取れなかったが。しおらしい今の彼女は年相応で、翔翼は自然と口元に笑みが浮かんでいた。

 

「まあ、俺よりも光秀の方が話が合うだろうがな」

 

そういえば最近彼女の料理食べてないなぁ、と天井を見ながら漏らす翔翼。

光秀とは、明智光秀という斎藤家に仕える女武将である。

信奈と同い歳だが、当主である道三に才能を見込まれ側近として用いられており。特に鉄砲の扱いについては斎藤家はおろか、近隣諸国で最も重視している織田家にも並ぶものはいない程である。

信奈に負けず先見の明があり、彼女の思想に誰よりも理解を示してくれる人物でもあった。

また、家事等も得意であり。斎藤家と同盟を結ぶ場で知り合ってからは、時折翔翼の家を訪ねてきて料理を振舞ってくれることがあるのだ。

加えて容姿は信奈に負けず劣らず美人であり、彼女と違って粗暴な言動もない淑女の見本と言えるのだが、何故か未だに嫁の貰い手がおらず、翔翼は世の中不思議なことがあるものだと思っていた。

 

「ってなんで鉄砲を手にする!?」

 

大人しくなった信奈に不審に思い視線を向けると、何故か鉄砲に弾込めを行っているではないか。

 

「あんたねぇ。なんでこの流れで光秀の名前が出るのよ!!」

「何故怒る!?というか、銃口をこっちに向けるな!危ないだろうが!?」

「うっさい!あんたなんか、一変死になさい!このアンポンタンッッッ!!」

「おぉおおう!?」

 

信奈が引き金を引くと、轟音と共に弾丸が発射される。翔翼は彼女の視線と引き金を引く指の動きから、弾道と発射のタイミングを見極め、発射される前に顔を横に逸らす。弾丸は彼の顔面があった空間を通過していった。

 

「せめて、急所は止めろと言っているだろうが!」

「どうせ避けるからいいでしょうが!」

「良くないわ!」

 

いつの間にか信奈の側に控えていた小姓が弾込めした鉄砲を彼女に渡し、再び翔翼へと銃口が向けられ発射される。

それを先程と同様に回避する翔翼。それを信奈の気が済むまで繰り返されるのであった。

ちなみに他の家臣らは、連続で響く鉄砲の音を、いつもことかと慣れた様子で聞いていたのであった。




先にお伝えしておくと、光秀は原作通りでなく戦極姫(初代版)という作品の容姿やキャラになっております。個人的にそちら方が好きなので。
なので、原作好きの方はお許し下さいませ。


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第三話

昼下がりの頃。翔翼の住居の前に、女性物の着物を身に纏い、笠を被った1人の人物が立っていた。

 

「(変な所はないですよね)」

 

その者は手鏡と呼ばれる、持ち運びが可能な大きさの鏡で自身の身だしなみを気にしている。

一通り確認すると、手鏡を懐にしまい。深呼吸すると、戸をトントン、と叩く。だが、室内からはシン、としたまま応答がない。

 

「(留守、でしょうか?)」

 

馬小屋の方を覗いてみるが、尋ね人の愛馬である赤兎はいるも、当人の姿はなかった。

突然訪問することになったため、事前に伝達できなかったので無理もないことではあるが、落ち込んだ様子の訪問者。

 

「仕方ないですね。お戻りになるまで待ちましょう」

 

誰にともいう訳ではないが、訪問者は思わず独り言を零してしまう。

 

「今戻ったが」

「ひゃぁ!?」

 

いつの間にか背後に立っていた翔翼の言葉に、訪問者はビクリ、と体を震わせながら慌てて振り返ると、その拍子に被っていた笠を落としてしまう。

晒されたのは、肩に触れる程に切り揃えられた黒髪をした、信奈らと同年代の少女の顔であった。

 

「しょ、翔翼殿!?」

「ム。ああ、すまない。驚かせるつもりはなかったのだが…」

 

申し訳なさそうに頭を掻きながら、落ちた笠を拾い少女に渡す。

 

「い、いえ。翔翼殿は何も悪くないのでお気になさらずに」

 

笠を受け取った少女は緊張した様子で話しており、その頬は僅かに赤らいでいる。

 

「そうか?ならば良いが…。久しいな光秀、元気そうで何よりだ」

「お久しぶりです翔翼殿。そちらもご健壮で何よりです」

 

礼儀正しく腰を曲げる少女――明智光秀に、翔翼は嬉しそうに住居に迎え入れるのだった。

 

 

 

 

「そうか、道三のオッサンも元気か」

「はい、道三様も翔翼殿や信奈様に会いたがっていました」

 

住居内で座布団に腰かけて向き合いながら、互いの近況を伝う会う翔翼と光秀。

斎藤家当主である斎藤道三は、同盟の場で初めて顔を合わせた際に、信奈の才覚や人柄を気に入り。以来娘のように可愛がっており、自身の死後に美濃を譲り渡すとの誓約をする程であった。

また、翔翼のことも何かと気にかけてくれくれているのだ。

 

「…で、そっちの内部のゴタつきは抑えられんか」

「……」

 

和やかな雰囲気から一転し、射抜くような翔翼の視線に、光秀は押し黙ってしまう。

 

「今ままでこっちに遊びに来る時は、必ず連絡を寄越していたお前がいきなり訪ねて来るってことは、それだけ余裕がないってことだろ。下手に情報が漏れるとお前に危害及ぶ程にな」

「…仰る通りです。道三様のご嫡男義龍様が謀反の動きを見せております。美濃三人衆を始め重鎮らにも義龍様に同調する者が多く、日増しに勢力を増しているのです」

「まあ、信奈に――他国の人間に国を渡すなんて言われれば無理もないか」

 

翔翼は以前、美濃譲り渡しの件について道三本人に『跡継ぎや家臣の反発を招く』と苦言を呈したことがあったのだが。己の子は国を守る才覚がないと言い、それなら将来性のある信奈に託した方が良いと、笑いながら聞き入れられなかった。

 

「今はまだ抑えることができていますが、近い内に…。道三様はその前に、翔翼殿や信奈様にお会いするようにとお暇を下さったのです」

「そして、そのまま織田家に身を寄せろってところか」

「言葉にはされませんでしたが。『(まむし)』等と言われますが、とてもお優しいお方ですから」

 

そう語る光秀の顔は憂いを帯びていた。道三は元は京の油商人であったが、智謀策謀を駆使し下克上にて美濃国を治める地位を手にしたのである。

そのことから『美濃の蝮』と呼ばれ非情の人物と見られているが。実際は家臣や領民を大事にしたり、幼くして父を亡くした光秀を娘同然に面倒を見る等人間味溢れる人物なのだ。

だが、その優しさのため、息子である義龍の謀反の疑いが出ても、強硬な手段ではなく穏便に解決しようとした結果、完全に後手に回ることとなってしまったのである。

 

「今川が本格的に侵攻の構えを見せている以上、織田家の援軍は期待できん。勝ち目がないならせめてお前だけでも生かそうとしたか。だが、従う気はないのだろう?」

「はい、危なっかしい人なので放っておけませんから。それでは、これで失礼致します」

 

そう言ってお辞儀すると、光秀は立ち上がり出口へ向かう。

 

「(さようなら翔翼殿。最後にあなたの顔を見れて良かったです)」

 

戻れば、もう生きて会うことはできないと光秀は確信していた。主君の意を汲めば彼の側にいることができるが、武人としての彼女がそれを許せなかった。仮にこのまま生き残ったとして、忠義を誓った者を見捨てては彼の側にいる資格を失うだろう。たとえ死ぬとしても、彼への想いを抱いたまま死ねるなら本望であった。

 

「光秀」

 

翔翼は戸を開けようとする光秀を歩み寄りながら呼び止めると、後ろから彼女をそっと抱寄せる。

 

「翔翼、殿?」

「また、遊びに来い。ねねや五右衛門も喜ぶ。…それに、お前がいないと寂しい」

 

突然のことにキョトン、としている光秀。そんな彼女を離さないように抱きしめる翔翼。

 

「…はい」

 

言葉の意味を理解した光秀は、微笑みながら力を抜いて体を預ける。

背中から伝わる温もりが、不安を和らげ勇気をくれた。友である信奈に申し訳なく思うも、今だけはこの暖かさを独り占めしたかった。

いや、今思えば。ここに来る前に会った信奈が自分との触れ合いは程々にして、早く翔翼に会うよう促したのは、少しでもこうした瞬間を大切にしてほしかったからと思うのは考え過ぎだろうか。

 

「……」

「……」

 

無言のまま互いの温もりを感じていたが。暫しすると、どちらともなく離れる。

 

「それでは、またお邪魔させて頂きます」

「ああ、またな」

 

今度こそ出ていく光秀を、翔翼は姿がが見えなくなるまで見送るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一月後。美濃にて斎藤義龍挙兵すとの報と共に、今川義元が大軍を率いて織田領へ侵攻を開始したとの報が翔翼らの元へと届いた。



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第四話

書いていて主人公の階級が低いなと思ったので、侍大将に変更しています。


美濃にある斎藤家の本拠である稲葉山。その城にて、当主である道三は息子である義龍が謀反を起こしたとの報を受けた。

道三は評定を開くこともなく出陣を決意したのだった。

 

「道三様!敵は優に2万を超えます!対する我が方は3千程、ここは籠城すべきです!この稲葉山城は難攻不落の堅城、そう簡単には落ちません!!」

「ならん、ここは打って出る」

 

取り巻く者達の中心にいる剃髪した頭の老齢の男――斎藤道三は家臣らの提案を一蹴し鎧具足を身に纏い、城の外へと出る。

 

「道三様」

「光秀か」

 

同じように鎧具足を身に纏った光秀が道三に歩み寄る。

 

「籠城しないのは信奈様のことを想ってのことなのですね。仮に籠城すれば、道三様をお慕いしている信奈様が援軍を送ってしまう可能性がある。そうなれば、無防備な尾張は今川に蹂躙されてしまう。だから…」

「…そんなことではない。ただ、裏切り者である義龍をこの手で討ち取りたいだけよ。光秀お前は城を守っていろ」

「!?そんな…。私もお供します!」

 

告げられた内容が納得できず食い下がる光秀。

 

「ならん。これは命令だ」

「そのような命は聞けません!私は…」

「ならば、失せよ。言うことを聞けぬ者等いらん。部下共々どこへなりとも行くがよい」

 

そう言い放ち騎乗すると、道三は光秀を置いて他の部下の元へ行こうとする。

 

「道三様!」

「…お前は生きよ、その才はこんなところで朽ちて良いものではないわ」

 

駆け寄ろうとする光秀に。道三は振り返えらずに、言い放つ。だが、その声音は彼女を想いやる優しさを帯びていた。

そんな『父』に、光秀は思わず涙を零しそうになる。

 

「出陣!」

 

道三が号令と同時に馬を走らせると、部下らがそれに続いて城から出ていく。それを光秀はただ見ていることしかできなかった。

 

「光秀様…」

「ああ、分かっている」

 

光秀は涙を拭うと、部下が連れてきた愛馬に跨る。

 

「尾張へ向かう。まだ、諦めるには早い」

 

下知を飛ばすと、馬を走らせる光秀。絶望を覆すため、最後まで足掻くために。

 

 

 

 

清州城城主の間。斎藤家で起きた謀反と今川侵攻の報を受け、当主である信奈以下重臣らが集結していた。

 

「信奈様。お分かりかと思いますが」

「ええ。美濃に援軍を送る余力がない以上、蝮は見捨てるしかないわ」

 

信盛の言葉に、信奈は至って平然と答える。――が親しい者達には分かっていた。父親のように慕っていた道三、それに自分の理解者であり友である光秀を見捨てることに、彼女が心を痛めていないことを。ただ、当主として感情を殺し己の責務を果たそうとしているのだ。それは、信盛も理解していたが、筆頭家老という立場上自国を最優先で行動しなければならないのだ。

勝家や利家は、縋るように信奈の側に控えている翔翼に視線を向ける。

これまでも似たような事態があり、その度信奈は当主として非情になろうとしたが、全て彼の機転で最悪の事態は避けられたのだ。今回も彼なら信奈を救えるのではないかと、期待を寄せていた。

 

「……」

 

だが、翔翼は評定が始まってからというもの、腕を組んで目を伏せ沈黙したままであった。

そんな中、城番の者が慌てた様子で入ってきた。

 

「申し上げます!斎藤家より使者が参りました!」

「通しなさい」

 

信奈がそう告げると、城番が下がり。暫しして光秀が姿を現した。友である彼女の無事な姿を見た信長が、一瞬表情を綻ばすも、すぐに引き締め直す。

翔翼以外の織田家臣の視線を浴びながら、彼女は信奈の元まで歩み寄る。美濃から休むことなく馬を走らせたのだろう、疲労を隠しきれていないも、その足取りは強い決意を感じさせた。

光秀は信奈の前まで進むと、伏して一礼する。対する信奈の視線は冷徹さを帯びていた。

 

「来てもらって悪いけど、今川が本気で攻めてきた以上援軍は出せないわよ」

「無理難題であることは承知しております。ですが…」

 

伏したままの光秀の体が僅かにだが震えていく。

 

「お願いします。道三様を、お父さん(・・・・)を助けて下さい…」

 

頭を畳に擦りつけながら願い出る光秀。その声は徐々に掠れていき、流れ出た涙が畳を濡らす。

 

「――!」

 

そんな光秀の姿に、信奈は抑えていた感情があふれ出そうになる。それでも彼女は歯を食いしばり抑え込もうとする。自分は織田家の当主、守るべきは己の家臣と領民、そう言い聞かせるが。同時に父のように慕う道三と、親友である光秀を救いたいという少女としての織田信奈が助けに行くべきと叫んでいた。

相反する二つの感情に飲まれそうになり、目の前が真っ暗に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「諦めるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静まり返っていた室内に、その声は透き通るように響いた。

まるで引き戻されるように、意識がハッキリとした信奈が声の元へ視線を送ると。今まで沈黙していた翔翼が伏せていた目を開けて彼女を見ていた。

 

「翔?」

 

ポカンとした信奈が無意識に声を漏らす。そんな彼女を見て、翔翼は珍しいものを見たと言いたそうな顔をしていた。

 

「大空氏」

 

その場にいる者達の視線が翔翼に集中している中。どこからともなく、五右衛門が彼の後ろに跪きながら姿を現した。

 

「首尾は?」

「すべてご指示通りに」

 

振り返りながら立ち上がった翔翼に、五右衛門は懐から取り出した書状を差し出す。

それに目を通した翔翼は、口元を僅かに吊り上げると信奈に向き直る。

 

「信奈、お前は道三のオッサンを助けに行ってこい。その間今川は俺が抑える」

 

告げられた内容に理解が追い付かず、信奈は思わずは?と間抜けな声を出してしまった。五右衛門を除く他の者達も唖然としてしまっていた。

 

「待ちなさい翔翼。あなたの手勢は五十程度。前線の兵を合わせても千足らずなのですよ!?」

 

いち早く理解した長秀が、声を荒げながら翔翼に詰め寄る。

 

「まともに相手なんぞするか。小細工で時間を稼ぐだけだ」

「小細工?あなた何を「それは僕さ!!!」」

 

長秀の言葉を遮るように襖がパァン!と豪快に開かれると、信奈によく似た顔立ちの少年が姿を現した。

 

「信澄!?」

 

その少年を見た信長驚愕の声を上げる。現れたのは津田信澄。信奈の実の弟であり、かつては織田信勝と名乗っていたが。尾張を統一前の頃に、信奈に反発した者達に担ぎ出されて謀反を起こした過去があり。敗北した彼は打ち首にされかけるも、翔翼の機転で織田家の分家である津田家に身を移し、ついでに名も変えることで許されたのである。

信奈としては軍事の才がない弟を戦に出す気がなかったので、この場に呼んでいなかったのである。

 

「あんた信澄に何やらせる気よ!?」

 

溺愛する弟を戦に巻き込もうとする翔翼に、信奈が興奮した様子で詰め寄る。

 

「時が来たら、今川に寝返ると偽りの書状を書いてもらっただけだ」

「ええ!?今度信奈様に逆らったら、打ち首になるって言ったじゃないですか信澄様!!」

「偽りって言ってたよね!話聞いてた!?」

 

両肩を掴んで激しく揺さぶる勝家に、全力でツッコミを入れる信澄。

 

「それを今川義元の側近に送ってな、今返事が届いたのだ。どうやら向こうは信じてくれたらしい」

 

信奈は渡された書状に目を通す。確かに寝返りが上手くいった際は、相応の報酬を与える旨書かれていた。

 

「信奈様に相談も無しに、それだけのことをしたのですか?」

「すまんと思ったが、言っても反対されそうだったんでな。悠長にやっている刻がなかったのだ、流石にもうやらんよ」

 

咎めるような長秀の視線に、両手を上げて反省の色を示す翔翼。

 

「それで、どうなるの?」

「寝返りの内容は、頃合いを見てここ清州城を乗っ取り今川に差し出すってな。本拠であるこの城を無傷同然で手に入るのだ。――つまり、向こうはこの戦は勝ったも同然と考えて、可能な限り損害を出さないよう慎重に動くだろう」

 

疑問符を浮かべている利家に、翔翼が己の策を説明する。

 

「確かに進軍速度は多少は落ちるだろうが、それでも焼け石に水だろ」

「狙いはそこではない可成。この策の鍵は敵先鋒の松平家だ」

 

松平家とは織田領の尾張と、今川領の遠江の間にある三河を治める大名家である。現在は今川家に従属しており今回の尾張侵攻では先鋒の一翼を担っていた。

 

「松平家を味方につけると?それは流石に…」

「無理だろうな。当主の元康は危ない橋は渡らないからな。要は敵でなければいいのだ」

「中立、ですか。確か君と信奈様は元康殿は親交があるのでしたね」

 

思い出したように言う信盛に頷く翔翼。

 

「ああ、彼女が織田家に人質としていた時にな。俺のことを覚えてくれていたら、話くらいは聞いてくれるかもしれん。とは言っても、一度くらいは矛を交わらせる必要はあるが、それくらいなら耐えられるさ。それで松平家が足踏みしてくれれば、今川家も足を止めざるを得まい」

「松平家を無視して進むんじゃないか?」

「それはないだろうな」

「何でさ?」

 

断言する翔翼に、勝家は首を傾げる。

 

「今川が松平を従属させているのは、三河兵は精強であり家臣団の団結が強いからだ、力づくで支配しようとすると痛手を被るからな。だから松平家を矢面に立たせることで消耗させ、三河を併合できれば良し、そうでなくとも今まで以上に縛りつけやすくなる。今川としてはいいこと尽くしという訳だ。元康もそのことは気づいているだろうから、こちらの誘いに乗る可能性は低くはなかろう」

「それは我々に勝算があれば、の話でしょう。信奈様、この際なのでお聞きしたいのですが、どうなのでしょうか?」

 

半信半疑といった様子で聞いていた信盛が、信奈に問いかける。すると、翔翼以外の者達の視線が彼女に集まる。それこそが、誰もが知りたがっていることなのだ。

 

「ええ、私に従えば必ず今川に勝てるわ」

 

その視線を前に信奈は、迷うことなく言い放った。

 

「分かりました。ならば、もう僕から言うことはありません。全てをあなた達に賭けましょう。勝家もそれでよろしいですか?」

「ああ、あたしは元からそのつもりだ」

 

信盛の問いに、勝家は力強く頷いた。筆頭家老の2人が従う以上、他の者達も反論する気はないようであった。

 

「さて、後はお前次第だ信奈。俺に賭けてみるか、損はさせんぞ」

 

自信満々に言い放つ翔翼に、信奈は思わず笑みを零す。

 

「いいわ、あんたに全賭けしてあげる。出陣よ!蝮を助けにいくわ!!」

 

ハッ!と応じると家臣らが慌ただしく動き始める。

 

「zzz」

「って一益目を開けたまま寝てるぞ!?」

「どうりで静かだと思ったら…」

「俺が話し始めたくらいから寝始めてたぞ」

「起こせ!起こせ!」

 

別の意味で慌ただしくなる勝家らを愉快そうに見ると、翔翼は光秀に声をかける。

 

「お前は休んでいろ。後は俺達でどうにかする」

「いえ、私にもお手伝いさせて下さい。私の隊は鉄砲の扱いに長けています、必ずお役に立ちますから」

「だそうだが信奈」

「いいわ。なら、翔に着いて行きなさい」

 

どうする?という視線を投げかけると、信奈は悩むことなく答える。

 

「いいのか?」

「蝮を助け出すくらい私達で十分よ。それよりあんたの方が人手がいるでしょ」

「まあ、鉄砲を使える奴が増えるのはありがたいが」

「じゃあ決まりね。光秀も翔と一緒の方がいいでしょう?」

「ふぇ!?そ、そんなことは…!」

 

予想外の言葉に顔を赤くしあたふたしだす友に、満足そうな笑みを浮かべる信奈。

 

「じゃあ、行くわ。2人とも死ぬんじゃないわよ」

「ああ、また後でな」

 

互いに笑みを浮かべると、信奈は評定場を後にしようとする。

 

「…ありがとう」

 

翔翼とすれ違う際に、彼だけに聞こえる大きさで照れくさそうに告げると、そのまま出ていく信奈。

素直じゃない主君の言葉に、満足そうな様子の翔翼。

 

「では、俺達も行くとしようか」

「はい!」

 

どこか嬉しそうに後を着いてくる光秀を連れて、翔翼も評定場を後にするのであった。



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第五話

対今川の最前線にある丸根砦に翔翼と光秀はいた。この砦は丘を1列の柵と堀で囲ったものだったが、翔翼の指示で先行していた小六らによって、柵を3列に拡張されていた。

先頭に立つ翔翼の眼前に広がる平原には、松平家の旗を掲げた一千程の規模の軍勢が陣を敷いている。

対する丸根砦は、翔翼と光秀の直臣を加えても二百足らず。傍から見れば勝ち目の無い状態と言えよう。

 

「良いか!この日一日を耐えられれば、我らの勝ちだ!織田の意地を見せよ!!」

 

背後に振り返り、眼前にいる配下の者達に激を飛ばすと、オオー!と気勢が上がる。

この戦の目的は敵の撃退ではなく。こちらの力を松平勢――ひいては当主である元康に見せることで、このまま織田家を攻めても損をするだけであることを教え、交渉の場に着かせることであった。

 

「光秀!鉄砲隊はお前に任せる、好きに使え!」

「承知!」

 

少し離れた位置にいる光秀に伝えると、側で敵を監視していた兵が声を上げる。

 

「翔翼様、敵に動きが!」

 

視線を敵方に向けると同時に、法螺貝の音が響き渡ると、前衛の部隊が早足で迫って来る。

 

「備えよ!」

 

翔翼の号令と共に、各将兵が持ち場に着いて行く。

 

「鉄砲隊は、私の下知あるまでは決して放つな!」

 

自らも鉄砲を持つ光秀が念を押していると、敵方から発砲音が鳴り響く。

弾丸が並べ立てている木盾等に当たるも、かなりの距離から放たれたので、貫通することなく弾かれる。だが、先に撃たれたというのは配下に少なからず動揺を与えた。

 

「怯むな、ただの脅しだ」

 

翔翼が冷静に言い放つと、すぐに動揺は収まる。

次に、距離をある程度詰めた敵勢から鐘の音がなると、駆け足となり一気に迫って来る。

 

「鉄砲構え!」

 

光秀が声を張り上げ射撃体勢に入ると、他の者も続いていく。

鉄砲も既に有効射程圏内であり、当たれば致命傷となり、更に矢も放たれるようになる。矢や弾丸が掠れるスレスレを飛んでいくこともあるが、光秀は一切動じることなく敵を見据えていた。

 

「放てぇ!!」

 

最大限に威力が発揮さる距離まで敵勢が迫った瞬間。光秀の号令の元、一斉射が行われる。

放たれた弾丸は、敵勢の前衛に殺到し次々と仕留めていく。

光秀は撃ち終えた鉄砲を背後にいる手渡し役に渡し、弾込めされた別の鉄砲を新たに受け取ると、敵兵へ放つ。渡し役は更に背後にいる装填役へ渡し、装填役は渡された鉄砲に弾込めをし渡し手に渡す。

『火縄銃交換型連続射撃』と呼ばれる、鉄砲の最大の欠点である装填時間を克服するために、織田家が編み出した戦法である。

これにより、連続した銃撃が敵勢に襲い掛かっていく。

 

「弓隊、投石隊放て!」

 

更に弓矢による射撃と投石も加わり、次々と敵兵が倒れていく。

だが、精強で知られる三河兵は怯むことなく反撃を行い、砦側にも被害が出始める。数で勝る敵勢は味方の屍を踏み越えて迫り、堀を超えた敵兵が柵を破ろうとしてくる。

 

「寄せるな!叩き返せ!」

 

翔翼が指示を飛ばすと、敵兵に戟を突き刺していく。

 

「小六!」

「おうよ!」

 

他の場所から押し寄せてくる敵勢を、小六と配下が迎え撃つ。

 

「焙烙玉だぁ!!」

 

配下の1人が敵勢を指さして叫ぶ。その方を見ると、敵勢の一部が蹴鞠程の大きさがある球体状の物体を砦内に投げ入れてくる。

地面を転がる物体には、導火線がついており。火が本体に達すると爆発を起こし、周囲にいた複数の兵が吹き飛ばされる。

焙烙玉は次々と投げ込まれ爆発を起こし、小六らのいる場所にも落ちてきた。

 

「ヤベェ、逃げろ!」

 

小六らは急いで逃げると、背後から爆発音が響いた。視線を向けると立っていた場所の地面は抉れ、柵は跡形も無く砕け散っており、後少し逃げ遅れていたらと思うとゾッとした。

そして、柵の無くなった場所から敵勢が雪崩れ込んでくる。

 

「我一番乗り!雑兵では相手にならん!誰かおらんか!!」

 

母衣を背負った武将と見られる者が、槍を構え威嚇してくる。

 

「俺が相手だ!」

 

翔翼が戟を構え駆け出すと。敵将は槍を突き出してくるが、軽々と受け流すと距離を詰め戟を横薙ぎに振るうと、三日月状の刃が敵将の胴体を鎧ごと綺麗に両断した。

 

「恐れるなぁ!押し包んで仕留めよ!」

 

翔翼が激を飛ばすと、小六らが乗り込んできた者達を迅速に囲んで仕留めていく。

その間、光秀は焙烙玉を投げようとする敵兵を狙撃する。放たれた弾丸は眉間を貫通し、その衝撃で敵兵は焙烙玉を落とし足元で爆発すると、他の焙烙玉にも引火し次々と多くの敵勢を巻き込んで爆発が起きるのだった。

 

 

 

 

「敵の抵抗。想像以上に激しいですな」

 

松平軍の本陣にある陣幕にて、筆頭家老である酒井忠次が前線の様子を見ながら顎を撫でる。

 

「やはり鉄砲は城攻めにおいて、厄介ですな。欠点である弾込めの間を狙おうにも、障害物で足止めされてしまう」

 

家臣の1人が砦から鳴り響く発砲音に、眉を潜ませる。

 

「それにしてはやけに発射の間隔が短いが…」

「恐らく、数丁を撃ち役と弾込め役とを分担させて運用しているのでしょう。流石信奈殿です、今川家ですらようやく導入され始めた鉄砲の欠点を補う戦法も既に編み出しているとは」

 

忠次の疑問に、陣幕の中心にいる。肩にかかる長さの緑髪に眼鏡をかけており、たぬき耳と尻尾をつけた10代前半の少女――松平元康が己の見解を述べる。

 

「動きも良い。敵将も優秀なようで」

「翔翼殿ですからね。当然でしょう」

 

砦に掲げられた鷹の羽が描かれた旗を見ながら、元康はどこか懐かしむように語る。

 

「…確か織田家に人質としていらっしゃった頃に、親交があった者でしたか」

「ええ、信奈殿の懐刀にして、織田家で最も警戒しなければならない相手です。常識が通用しませんから、どんな手を使ってくるか読めません。ですから忠次、忠勝を前進させて下さい」

「はッ」

 

伝令を走らせるため側から離れる忠次。それを見送ると、砦に視線を移す元康。

 

「これも戦国の習い。あなたといえど、松平家の脅威となるのなら、全力で排除させて頂きますよ翔翼殿」

 

指で眼鏡の位置を直す元康。日光が眼鏡の鏡面に反射されて目元が隠され、その表情を伺い知ることができなかった。

 

 

 

 

「三の柵へ後退せよ!」

 

奮戦する織田勢だが。兵力の差は如何ともしがたく、2列目の柵が破られてしまう。

翔翼は殿を小六の隊に任せ、残りの兵を纏め上げ最後の柵へ後退していく。

 

「小六様、敵の新手です!」

 

敵勢の中から飛び出してきた部隊は、鹿の角をあしらった兜を被った者に率いられ。装備がこれまでの者達よりも新しく。放つ気配も只ならぬものであった。恐らく敵の中核をなす部隊であろうと小六は見た。

 

「怯むな、槍衾用意!小六隊の力を見せてやれ!」

 

手にしている槍を敵に突きつけながら下知を飛ばすと、配下が気勢を上げながら新手の部隊へ向けて槍衾を形成していく。対する敵部隊も槍衾を形成して互いに、槍を叩きつけ合う。

最初こそ互角であったが、次第に小六隊の方が押されていき隊列が乱れていく。

 

「敵は崩れた、押しだせィッ!!」

 

敵武将の号令に合わせ敵部隊が押し込んでくると、耐え切れず小六隊の隊列が崩壊し敗走する者が出始めてしまう。

そこから敵部隊の追撃が入り。槍に殴られるか突き刺されて地面に倒れ伏したり、組み伏せられて刀か脇差で首を取られていく小六隊。そして、小六自身にも敵兵が襲い掛かる。

 

「逃げるな、押し返せ!!」

 

小六は激を飛ばしながら、敵兵を槍で打ち倒していくも。部隊は完全に壊走状態となっており、立て直しは不可能となってしまっていた。

味方の後退が完了していない以上、後退は許されない。殿である自分達が逃げてしえば、他の部隊が背後を突かれ、戦線そのものが崩壊してしまうからだ。

そのため、小六は残った僅かな者達を自身の周囲に集め敵を迎え撃つ。

押し寄せる敵勢を倒していくも、残った配下も次々と倒されていき、小六自身も傷だらけになっていく。それでも彼の闘志は衰えることはなかった。

 

「オラオラオラァ!この蜂須賀小六の首、欲しい奴はいないのかァ!!」

 

小六は槍を握り直すと、振り回して吼える。彼の周りには討ち取った者達が転がっており、仲間らの死体を見た心理的衝撃も加わって、敵勢の勢いが削がれ浮足立つ。

 

「その威勢や良し!俺がお相手仕る!」

 

後方で指揮に専念していた敵武将が前へ歩みだす。

 

「忠勝様!?お下がりを!」

「良い。これ以上の犠牲を、我が姫も望んでおらん」

 

配下が止めに入ろうとするも、敵武将は手で制すると、小六と対峙する。

 

「俺の名は本多忠勝!いざ尋常に勝負!!」

 

手にしている槍を振り回すと、穂先を小六に突きつける忠勝。その構えは隙が見えず、全身から漂う闘志に、思わず後ずさりしてしまいそうな程の威圧感があった。

また、手にしている槍は小六の持つ、武将が一般的に用いる物よりも一回り近い長さをもち。日光に照らされた刃は、いかなるものをも絶つことができるのではないかと思える程の鋭い輝きを放っている。

 

「上等!かかってこいやぁ!」

 

気圧された己を鼓舞する意味も込めて吼えると、忠勝目がけて駆けだす小六。気迫と共に槍を喉元へ突き出した。

その一撃を忠勝は軽々と槍で受け流し、その勢いを利用して槍を頭上で振り回すと、小六の脳天へと振り下ろす。小六は慌てて槍を引き戻して受け止めるも、勢いを止めることができず槍がへし折れてしまう。忠勝の槍はそのまま小六の脳天へ――

 

「ハァ!」

 

叩きつけられようとした瞬間、間に割って入った翔翼が戟で槍を弾いた。

 

「ムッ!」

「兄弟!?」

「部隊を連れて下がれ小六。こいつは俺が相手をする」

 

横やりを受けて一旦後退する忠勝から視線を逸らさず、小六に下知を飛ばす翔翼。

小六は、大将である彼を残していくことに躊躇いを見せるも、自分がいても足手纏いにしかならないと考え、生き残りを連れて最後の柵まで後退していく。

 

「忠勝様!こやつ敵の総大将ですぞ!」

「うむ。だが、お前達は手を出すな。犠牲が増えるだけだ」

 

翔翼を囲もうとする配下を止める忠勝。主君から話には聞いていたが、こうして対峙してみると、彼女が最大限に警戒していることにも納得ができた。この者を数で押しつぶそうとすれば、数多の屍を積み重ねることとなるだろう。被害を抑えるためにも、自分を当てた彼女の判断は正しかった。

 

「本多忠勝。姫の命により貴殿の首、貰い受ける!」

「大空翔翼。受けて立つ!」

 

同時に駆け出すと、突き出された戟と槍が交差するのであった。




捕捉
今作の本多忠勝は、信長の忍びのものと入れ替えさせて頂いています。
又、史実だと彼は桶狭間の戦いが初陣なのですが、この時点で歴戦の猛将になっています。


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第六話

今川義元大軍を率いて侵攻す。その報は瞬く間に尾張中を駆け巡り、ある者は織田家の終わりを嘆き、ある者は今川に取り入る算段を立てる等、民は右往左往する混迷を極めていた。清州城城下も例外でなく往来は戦火を逃れようとする町民で溢れていた。

 

「そんなデカい家財なんか置いてっちまえ、邪魔になるだけとよ」

「でも、これは亡くなったおっ母が残してくれた物で…」

 

翔翼らが暮らす長屋付近の者達も、避難に追われていた。

その中で、ねねは自分と同い年の子らを纏め先導している。

 

「ねねお姉ちゃん、翔お兄ちゃん大丈夫かな…」

 

手を引いていた女の子が、不安を隠せない様子で問いかけてくる。翔翼が信奈率いる本隊が、道三を救出し美濃から帰還するまでの間、今川勢を僅かな手勢で足止めするという危険極まりない任に着いたのを、出陣前に寄った彼から直接聞かされたのだ。

翔翼は不愛想だが子供好きであり、暇があればねねを含む子供らの遊び相手をしているので、彼らから兄として慕われているのだ。

 

「お付きの小六様らだけで向かわれたとのことだが、今川は二万とも三万とも言うが」

「あの方がいなくなってしまったら、私らは誰を頼ればいいのか。無事に戻られると良いが…」

 

大人達も口々に翔翼の身を案じている。子供らだけでなく誰彼構わず世話を焼きたがるので、誰からも愛される男なのだ。

 

「大丈夫です!兄様はとってもお強いのです!今川などけちょんけちょんにして帰って来られますぞ!」

 

皆の不安を吹き飛ばすように、ねねは笑顔で声を張り上げる。

本音を言えば、彼女自身が最も不安を抱いていたが。翔翼から留守を頼まれている彼女は、彼なら必ず無事に帰ってくると信じ、帰る場所を守ろうと気丈に振る舞っていた。

周りの者達もそのことを感じ取っていたので、それ以上不安を口にすることはなかった。

 

「(兄様、どうかご無事で)」

 

翔翼のいる方角の空を見上げながら、彼に届くようにねねは願うのであった。

 

 

 

 

「セェィ!」

「オォ!」

 

丸根砦にて、翔翼と忠勝が振るった戟と槍がぶつかり合う。既に数十合撃ち合っているも、互いに手傷一つ負うことなく終わりの見えない死闘は続いていく。

 

「光秀様、我らで援護すべきでは?」

 

鉄砲を手にしている配下の進言に、光秀は首を横に振った。

 

「下手に手を出しても邪魔になるだけだ。我らは他の敵を牽制する」

 

苛烈さを増す両者の攻防は、最早常人が踏み入れて良い領域を逸脱してしまっていた。軽々しく飛び込めば火傷では済まないだろう。

気がつけば、敵味方問わずその場にいる者全てが彼らの戦いに見入っており、ただ静かに勝敗の行方を見守っていた。

 

「八ッ!」

 

翔翼が戟を突き出すと、忠勝は槍で受け流し、その勢いのまま側頭部目がけて振るう。

屈んで避けると、翔翼は足払いしようと戟を横薙ぎに振るい、忠勝は跳んで躱す。

着地の瞬間を狙い翔翼が蹴りを放つと、忠勝は脚で受け止めると、衝撃を利用し距離を取る。

 

「「ッ!」」

 

息を軽く整えると、同時に駆け出し振るった戟と槍の刃がぶつかり、合い火花を散らす。

 

「良き武器だ。この『蜻蛉切』とこれ程切り結んで、刃こぼれ1つしないとはな」

 

獲物をぶつけ合い押し合っていると、忠勝が感嘆の声を漏らす。彼の用いる槍は、立てていたところに飛んできた蜻蛉が当たってだけで、綺麗に真っ二つに切れる程の切れ味を持つのである。

対する翔翼の方天画戟は既に幾度となく刃を交えているも、傷らしい傷はついていなかった。

この武器は赤兎を献上した商人が、赤兎を乗りこなした彼に相応しいと譲ってくれた物であった。

その商人が、この戟はかつて大陸で最強と呼ばれた男が用いていた物である等と話していたのを、翔翼は思い出した。正直扱いやすいから使っているだけで、曰くやらに興味はないので半分聞き流していたが。

 

「フッ、興味がなさそうだな」

 

翔翼の反応から心情を読み取ったのか、それも良しと言いたそうに笑みを浮かべる忠勝。

 

「武器は武器だ。敵を倒せればそれでいい」

「ハハハ、最もだ!だが、先代当主様より賜ったこの槍は我が誇りよ!故に負ける訳にはゆかん!」

 

翔翼の言葉に愉快そうに笑うと、忠勝は力を込めて押し出す。

 

「もう日が落ちる。そろそろ決着としよう」

 

後ろに跳んで態勢を立て直した翔翼に、槍を軽く振るうと構える忠勝。

日は傾き始め、もうじき夜が訪れようとしていた。そうなれば戦の継続は困難となり、攻撃側である松平勢は後退しなければならない。だが、圧倒的兵力差があるにも関わらず、小規模の砦に手こずったのでは、松平家の威信に関わる。忠勝としてはこの日の内に陥落させたかった。故に刺し違えてでも大将である翔翼を討ち取りたいのだ。

 

「そうだな。これで終わりにしよう」

 

そんな忠勝の覚悟に応えるように戟を構える翔翼。守備側としては危険を冒す必要はなく、刻を稼ぐことに専念すればいいのだが、主君の目指す道のためにも、ここで逃げに徹するべきでないと翔翼は考えた。

 

「翔翼殿…」

 

死闘の終わりが近いことを悟った光秀は、無意識に握った手を祈るように胸に当てる。出来ることなら逃げて欲しい、そう叫びたくなるのを懸命に堪える。

 

「大丈夫だ光秀殿。兄弟は――翔はこんな所で死ぬ男じゃねぇ」

「小六殿…」

 

そんな彼女に、小六が安心させるように言う。その顔には翔翼に対する絶対の信頼があった。…自慢の前髪が、先の忠勝との戦いで無残なことになってしまっているが。黙っていた方が良さそうなので、光秀は触れないでおくことにした。

他の直臣らも不安の色は見えず、大将に対する信頼が見えた。

死線を共にしている彼らが静かに見守っている以上、自分も信じて見守ろうと光秀は覚悟を決める。

 

「……」

「……」

 

仕掛ける間を見計らい、睨み合おう両者。永遠に続くかのような沈黙の中、それを破るように破損していた柵の一部が地面に落ち、合図を告げるように音を鳴らした。

 

「参るッ!!」

「ッ!」

 

互いに駆け出すと瞬く間に距離を縮める。間合いに入ると同時に、先に仕掛けたのは忠勝であった。渾身の突きが胴体目がけて放たれる。

翔翼は体を左に逸らして避けようとするも、穂先が脇腹に触れ鎧ごと斬られてしまう。

 

「…ッ!」

 

走る激痛に歯を食いしばりながら、翔翼は槍を脇に挟んで固定する。

 

「オォオオ!!!」

 

咆哮と共に、力を込めると槍を半ばでへし折る。そして、戟を忠勝の脳天へ振り下ろそうとする。

 

「まだだぁ!」

 

忠勝は更に踏み込むと、翔翼の頭部に頭突きをかました。互いの兜がぶつかり合い、翔翼の額が切れて血が流れ出す。

 

「ぐぅッ!?」

 

衝撃で戟を手放してしまう翔翼。それでも、拳を握り締めて忠勝の顔面目掛けて振るおうとする。それに応えるかのように、忠勝も殴ろうとしてくる。

 

「ハアァァァァアア!!」

「ヌォォォォォオオ!!」

 

互いの拳が同時に、顔面に叩きこまれ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ――!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようとした時、松平勢の陣から法螺貝が鳴り響いき、互いの動きが止まった。

 

「…これまでだな」

「そのようだな」

 

忠勝は名残惜しそうに、翔翼は淡々とした様子で拳を引く。

 

「今日はこれまで!退けィ!」

 

落とした槍を拾うと、号令を下す忠勝。

警戒しながら後退していく松平勢を、翔翼は戟を拾うと見送る。

 

「今日はこれまで!皆よく戦った、一先ず休めィ!」

 

敵勢が柵の外まで出たのを確認すると、翔翼は号令を下す。それと同時に味方勢から安堵の声が漏れ聞こえる。

 

「む?」

 

皆の元へ戻ろうとするも、足元がふらついてしまう。

倒れそうになるが、駆け付けてきた光秀に支えられて座らされる。

 

「光秀か。済まない助かった」

「助かったではありません!傷がッ!」

 

礼を述べたら光秀に物凄い剣幕で怒鳴られる。本人は平然としているが、斬られた脇腹からは止めどなく血が流れ出ており、かなり危険な状態であった。

初めて見る彼女一面に困惑している翔翼をよそに、光秀は布で傷口を抑えようとしている。

 

「運べぇえええ!砦の中に運べぇえええ!」

 

小六らが持ってきた担架に乗せられる翔翼。薄れていく意識の中であることが気になった。

 

「小六…」

「喋んな!大人しくしていろ!」

「お前…髪が面白いことになっているな…」

 

んなこと言ってる場合かァァァァアアアア!!!と小六の絶叫が響くなか、翔翼は意識を手放すのであった。



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第七話

夜が深まった刻の中。闇夜に紛れて丸根砦へ近づく複数の影があった。服部党――松平家が有する忍び衆である。力攻めでは陥落は困難と考えた元康は、彼らを使う搦め手を選んだのだ。

熟練された忍びらは、砦の警戒網を難なく潜り抜け、内部に侵入。分散し兵糧庫や物資の集積所へ向かう。

倉へ辿り着いた忍びらは火打石を懐から取り出し、火をつけようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来た。松平家の忍び諸君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如響き渡った声と同時に、周囲に明かりが灯り忍び達の姿が浮き彫りにされ、櫓や建物の屋上から光秀率いる鉄砲隊が囲むように現れ、銃口を向ける。

包囲されたことに頭目である男以外動揺する忍びらの前に、灯りを背に姿を現したのは翔翼であり、彼は武器はおろか鎧すら身に纏っていなかった。

 

「俺は大空翔翼。この砦を預かる者だ」

「…!」

 

翔翼が名乗ると、忍び衆の頭目である男は忍者刀を手にし、目にも止まらぬ速さで接近すると斬りかかる。

光秀が狙撃しようと引き金に指をかける。

 

「撃つな!」

 

が、翔翼が止められてしまう。

そうしている間にも、頭目の男が迫るも。対する翔翼は反応できているにも関わらず、身動き一つする様子はなかった。

 

「ッ!」

 

頭目の男は殺気を感じ忍者刀を構えると、間に割って入るように姿を現した五右衛門が振るった忍者刀とぶつかり合い火花が散った。

 

「シッ!」

 

五右衛門は体格の小さい体を最大限に生かし、縦横無尽に飛び回りながら連続で斬りつけるも、頭目の男は冷静に捌きながら蹴りを放つ。

五右衛門は脚で受け止めると、衝撃を利用し距離を取る。

 

「手間をかけたな」

「だから、丸腰は止めなされと言ったでござろう!」

 

側までも戻ってきた五右衛門に翔翼が礼を述べると、頭目の男から目を離さないまま怒鳴る五右衛門。

 

「敵対している者に信頼してもらうには、これくらいせねばな」

「もしものことがあったら、どうするつもりか…」

「ならなかっただろ?」

 

苦言を零す五右衛門に、翔翼は信頼を寄せた目を向ける。完全に自分を信じ切っている主に、呆れ顔をする五右衛門だが、無意識に口元に笑みが浮かんでいた。

そんな彼女に、満足そうな様子を見せるた翔翼が手で合図を送ると、鉄砲隊は構えを解いた。不自然な行動に忍び達が怪訝そうな顔する。

 

「さて、貴殿は松平家忍び衆頭目の服部半蔵殿とお見受けするが」

 

翔翼は頭目の男――服部半蔵に声をかけるも。相手は答えることなく、警戒したまま翔翼を動きを注視していた。

 

「こちらに争う気はない、ただ元康公に言伝を頼みたいのだ。日が昇る時、この砦の近くにある森林でお会いして話たいことがあると」

「……」

 

半蔵は翔翼の真意を探ろうとしているのか、無言のまま見つめてくる。

 

「このまま今川に従っていても松平家に未来はない、だから打開策を元康殿は求めているのではないかね?俺ならそれを示すことができる」

「……………………………いいだろう。確かに承った」

 

翔翼の言葉に、半蔵は暫し考え込んでいたが。結論が出たのか警戒を解くと、了承の意を示した。

そのことに満足気に頷いた翔翼が、再び手で合図を送ると、灯りが消され周囲が暗闇に包まれる。それと同時に、半蔵らの気配が消えていった。

 

「…上手くいくでしょうか?」

「いくさ。元康とて今の世を生きる大名なのだからな」

 

側に歩み寄ってきた光秀が不安そうに問いかけると、翔翼は自信をもって答えるのであった。

 

 

 

 

明け方の丸根砦の近くにある森林にて、翔翼は目を伏せて立ったまま佇んでいた。側には赤兎がおり主に寄り添うように大人しくしている。

静寂の中、赤兎が耳をピクリと動かし、正面の空間に視線を向けたると、翔翼は目を開く。

微かに蹄が地を蹴る音が耳に届くようになり、その音は徐々に大きくなっていき、騎乗した人影が見えてくる。

ゆったりとした歩みで馬を進ませる影は、日の光に照らせれていくと輪郭を帯びていき、狸を模した耳と尻尾を着けた少女――松平家当主、松平元康が姿を現す。

彼女はある程度翔翼近づくと、馬から降り向き合あう。

 

「お久しぶりです元康公。ぶしつけなお誘いに謝罪を、そして応じて下さったことに感謝を」

「お気になさらずに。こちらとしても、あなたにお会いすることはやぶさかではないので」

 

深々と頭を頭を垂れる翔翼に、元康は会えたことを喜んでいるように笑みを浮かべた。

 

「…正直に言えば。私のことは覚えていらっしゃらないかと、覚悟していましたが」

「まさか。織田家であなたと信奈様と過ごした日々は、私にとって大切な思い出です。あなた達と共にいる間は、私は人質としての、松平家の嫡子としての立場を忘れられましたから」

 

そういって、目を閉じて胸の前で両手を重ねて握る元康。まるで大切な宝を包むようであった。

 

「そういって頂けると、信奈様もお喜びになるでしょう」

「…信奈殿一番のところも相変わらずですね」

 

昔と変わっていない幼馴染を見て、元康は小声で漏らす。

 

「それと私達の仲です。こういった場では、堅苦しいことは抜きにしませんか?」

「親しき仲にも礼儀という言葉もありますれば」

「では、友人としてのお願いとしては聞いていただけませんか?」

「…お前がそう望むのなら、そうさせてもらおう」

 

両手の平を合わせながら懇願するように話す元康に、翔翼は折れるように口調を変えた。そんな彼に元康は嬉しそうに目を細める。

 

「それでお話というのは?」

「刻がないので単刀直入にいうが。今川との縁を切ってもらいたい」

「…そして、織田家に味方しろ、と?」

「いや、それはこの戦が終わった後にしてもらえると助かる。今は中立になってくれれば十分だ」

 

翔翼の言葉に、元康はピクリと反応する。どうやら彼の考えが見えてきたらしい。

 

「信奈殿が美濃から戻るまでの時間稼ぎに、我が松平家を使いたいと」

「ああ、今川は松平家を矢面に立たせて消耗させたがっている。お前も気づいていよう。そして、どれを良しとしていない筈だ」

「…確かにその通りです。ですが、今川家に従っているのは、それが一番お家のためになるからです。あなたの提案に乗って今川家を裏切ることにそれ以上の益があると?」

「ああ、この戦織田が勝つ。今川義元の首を取ってな」

 

翔翼が自信満々に言い放つと。元康は一瞬唖然とした顔になり眼鏡が僅かにズレるも、すぐに気を取り直してズレを直す。

 

「五倍はある戦力差を相手に勝つことさえ難しいのに、あまつさえ義元様の首を取る?無謀と言わざるを得ません」

「別に兵が多いから必ず勝つ訳ではなかろう。少数の方が勝つことだって珍しくはない」

「…具体的にどうされるおつもりで?」

「それは流石に言えんな。万が一にも今川方に知られれば、勝ち目がなくなるのでな。だが、お前が提案を飲んでくれれば勝算は十分にある。義元さえ討てば今川家は崩壊する、そうなれば松平家が独立することも夢ではなかろうよ」

 

顎に手を添えて沈黙する元康。どうやら今川と織田、どちらに命運を託すか天秤にかけているようだ。

 

「勝てるという根拠は?」

「信奈が勝てると言ったからだ。あいつは負ける戦はせん」

 

理屈ですらないことを、当然のように言い放つ翔翼。それだけで織田家の命運を分ける交渉に望んだ、主への微塵の揺るぎない信頼に、元康は思わず笑ってしまった。

 

「ふふ。あなたという人は、本当に昔と変わっていませんね。清々しいまでにあの方に一途ですね」

「あいつに『全て』を貰ったからな、どこまでも着いて行きたいのさ。どうだ、あいつの目指す先お前も一緒見てみないか?」

 

歩み寄ると、元康へと手を差し出す翔翼。

 

「…それも悪くないかもしれませんね。分かりました松平家の命運、あなたにお預けします」

 

にこやかな笑みを浮かべながら、元康はその手を取るのであった。



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第八話

「む?」

 

翔翼が目を覚ますと、青空が視界に広がる。背中から伝わる感触と振動から、自分が荷車に横たわっているのだと把握する。

 

「お目覚めですか?」

 

聞き覚えのある声に視線を向けると、騎乗した光秀が安堵したような顔で見下ろしていた。

 

「どれくらい眠っていた?」

 

体を起こそうとするも、強い倦怠感のため動けないので、横たわったまま問いかける翔翼。

元康との交渉を終えて砦に戻るのと同時に、翔翼は光秀らに休まされ。忠勝との一騎打ちで深手を負った状態で無理に動き続けたせいか、そのまま意識を手放してしまったのだ。

 

「休まれてからおよそ1日です。現在はお休み前に頂いたご指示通り、信奈殿との合流地点へ移動中です」

「そうか…」

 

光秀の言葉に、翔翼は安堵したように息を吐いた。目的を達した以上、丸根砦に拘る理由はなくなったため、砦を放棄し撤退を指示したのだ。その際今川の目を誤魔化すため、旗を多量に並べて置く工夫もさせておいた。

 

「一先ず予定通りか」

「!動いてはいけません!辛うじて傷が塞がっているだけなのですから!」

 

ゆっくりとだが体を起こす翔翼に、光秀が止めに入ろうと慌てて下馬しようとする。そんな彼女を翔翼は手で制する。

 

「1日も休めば十分だ。それより損害は?」

「…半数が討ち死に、残った者で戦えるのは三十人程です。特に殿を務めた蜂須賀隊は壊滅状態です」

「…そうか。散った者達は俺を怨んでいるだろうな」

 

伝えられた人数に翔翼は目を伏せ、死者に哀悼の意を表する。それと同時に、無謀な策に力を貸してくれた彼らに感謝の念と、残された親しい者達も含め怨嗟の声を受ける覚悟も決めていた。

 

「そんなことはねぇだよ大将」

 

そんな翔翼に、側にいた足軽の1人が声をかけた。

 

「信奈の姫様のおかげでオラ達の暮らしはずっと良くなっただ。だから姫様のために戦って死ねるなら皆本望だよ」

 

その言葉に他の足軽達も同意する声を上げる。

信奈は当主になる以前から、頻繁に民と触れ合い暮らしを知り、声に耳を貸し。当主になってからは、寝る間も惜しんで彼らの暮らしを良くしようと政に励んでいた。その努力が、こうして彼女を助けているのだと実感できた。

 

「そうか、そういってくれるのなら、あいつの頑張りは無駄ではないのだな」

 

安堵するように荷車に背中を預ける翔翼。暫し荷車の揺れに身を預けていると、合流地点である中島砦が見えてきた。

旗の多さや喧騒から、既に信奈らは到着しているようである。

開かれた門を潜り砦内に入ると、荷車から降りる翔翼。だが、足取りがおぼつかず上手く立てない。

 

「無理なさえらず、肩を」

 

下馬して駆け寄って来た光秀は肩を貸してくれる。

 

「すまないな。赤兎もありがとうな」

 

負担が減るよう荷車を引いてくれていた赤兎に、感謝の念を込めて撫でると、嬉しそうに目を細めて鳴いた。

赤兎を荷車から離すよう他の者に伝え、部隊を小六に預けると、中心部へ向かう翔翼と光秀。

館の前には信奈始め、見慣れた顔が揃っていた。

 

「あ…」

 

その中にいた道三の姿をみた瞬間、光秀は思わず歓喜の声が漏れると同時に、涙が滲み出る。

翔翼は光秀から離れると、彼女の背中を押す。すると弾かれるように光秀は道三へ駆け寄ると、胸に飛びつく。

 

「お父さん…ッ!」

「全く、聞き分けのない娘に育ったものだ、馬鹿者め…」

 

顔をうずめて嗚咽を漏らす光秀の頭を撫でる道三。言葉と裏腹に、その顔は慈しみに溢れていた。

支えを失いふらつく翔翼だが、利家が代わりに支えて、信盛が持ってきた腰かけに座らせてくれる。

 

「大丈夫?」

「ああ、ありがとうな」

 

不安そうな利家の頭を撫でる翔翼。

 

「翔翼、お主には大きな借りができたな」

「別に、信奈が望んだことだ気にするな。にしても、随分腑抜けた顔してんな爺さん。どうした死にかけて悟りでも開いたか?」

 

国を追われ、美濃の蝮ではなくなったせいか。覇気が抜けた様子の道三に、翔翼は茶化すように言う。

 

「抜かせ。相変わらず口が減らん奴だ」

 

フンッと鼻息を荒くする道三。蝮らしさが戻ったと満足そうな笑みを浮かべる翔翼。

そんなやり取りをしていると、信奈が翔翼に歩み寄る。彼女は、翔翼の体に巻かれている包帯を見て眉を潜めた、

 

「…それよりあんたの傷は?」

「脇を斬られたが、大したことはない」

「死んでもおかしくないような深手です」

 

なんてことないように言う翔翼の言葉を、光秀が補足する。その口調は立腹しているようであった。

 

「あんたねぇ…」

「生きているからいいだろう。それより刻がないんだ次の手に移るべきだろ」

 

小言が続きそうなので、話題を強引に返る翔翼。それと同時に五右衛門がどこからともなく彼の側に現れる。

それを見た信奈は何か言いたそうであったが、その通りでもあるので。後で覚悟しておけと言いたそうな目を向けながら息を吐いた。

 

「見つけた?」

「ハッ、今川本隊は現在熱田方面へ進軍中でござる。いま追えばおけはちゃまでほちょくできりゅかちょ」

「…桶狭間?」

 

信奈の問いに、格好つけながら報告するも。重要な部分で噛んだ五右衛門に、翔翼が問い直すと、彼女は顔を赤くしながらも頷いた。

 

「…(りく)小鼓(こづつみ)を打ちなさい!」

 

信奈が勝家を通称で呼ぶと、彼女は即座に小鼓を取って敦盛のリズムを取り始める。

それに合わせて信奈は鎧も脱がずに舞を舞い始めた。

 

「人間、二十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」

 

決戦を前に、自らの死すらも覚悟するように舞う信奈を、誰もが静かに目に焼き付けていた。

 

彼女の覚悟が伝播するように、この場に集った末端の足軽に至るまで熱を帯びる。

 

「信盛。あんたにこの砦は任せるわ」

「ハッ、背後はお任せを」

「他の者はあたしと出陣よ!これより今川本隊を叩く!本隊だけなら充分勝機はあるわ!!」

 

信奈の号令に、ウオオッ!と雄たけびを上げると。一斉に動き始める織田軍。それと、同時に曇りとなっていた空からポツポツと雨が降り始め、瞬く間に叩きつけるような豪雨となった。

 

「道三様…」

「行くが良い、お前はもう織田の人間だ」

 

光秀が懇願するようね目を向けると、背中を押す道三。

 

「構わんだろう信奈ちゃん」

「ええ、頼りにさせてもらうわ光秀」

「はい!」

 

信奈の言葉に力強く頷くと、輪に入ってく光秀。

翔翼も後に続こうとするも、気配を隠して忍び寄った一益に、縄で雁字搦めされてて地面に転がされてしまった。

 

「どういうつもりだ一益!?」

「どうもこうも翔兄こそ、何混ざろうとしておるんじゃ。怪我人は大人しくお留守番しておれ」

 

予想外の事態に困惑しながらも翔翼は一益を睨みつけると、呆れ果てた目を彼女から向けられた。

 

「なん、だと」

「いや、何で驚いているんですか?」

 

馬鹿な!と言いたそうな様子の翔翼に、信盛がツッコミを入れる。

 

「少しは自分の身も案じなさい。0点です」

「ま、後は俺達に任せてゆっくり休みな」

 

長秀と可成が諭そうとするも。納得する気がないのか、縄をほどこうともがく翔翼。

 

「小六、手を貸せ!というか助けてくれ!」

「寝てろ。おーし、大空隊行くぞ~」

 

腹心に助けを求めるも、あっさりと切り捨てられた。

 

「よいしょ」

「もがご!?」

 

遂には半身(五右衛門)に猿轡までされてしまう翔翼。

 

「翔」

 

信奈が膝を着くと、翔翼の頭をそっと撫でる。

 

「もう大丈夫だから。後は1人で頑張れるから」

 

微笑みながら優しく語りかけると、ようやく大人しくなる翔翼。

そんな彼の頭をもう一度撫でると、騎乗する信奈。

 

「開門!!」

 

下知に城門が開かれると、信奈が先頭を駆けだし。その彼女の後を家臣らが熱気と共に続いていく。

 

「…さて、周囲を警戒を厳に、些細なことでも報告を。それと、このお馬鹿さんを館に」

 

出陣を見送った信盛が、配下に指示を飛ばすと。翔翼は拘束されたまま館に運ばれていくのであった。



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第九話

熱田へ進軍中であった今川本隊であったが、突如降り始めた豪雨によって足止めされ、桶狭間にて陣を張り過ぎ去るのを待っていた。

 

「寄親・寄子の制、未だ盤石!下々まで気の緩みございませぬ!」

「よろしい。引き続き陣の構築を急がせい」

 

義元がいる天幕前にて、馬廻筆頭の岡部守信(おかべもりのぶ)が配下に指示を飛ばす。

義元が導入した制度によって高められた団結力は、突然の事態にも乱れを生じさせず、規律を維持していた。

主君の手腕に感嘆の念を抱きながら、守正は天幕へと戻っていく。

 

「義元様、隊の統制に支障はございません。安心してお寛ぎを」

「そう、ご苦労様爺」

 

跪く守正の前には、十二単(じゅうにひとえ)を着た、黒髪を腰まで伸ばした信奈と同年代の女性――今川家当主である今川義元が腰かけに腰を落ち着けていた。

彼女が用いている腰かけ始め、天幕内にある物はどれも銭にものをいわせた高級品ばかりであり。名門今川家の名に恥じない豪華さを感じさせた。

 

「それにしても、この雨はいつまで続くのかしら。妾ジメジメしたのは嫌なんだけど」

「それ程長くないかと。ですが、晴れた後は周囲の安全が確認できるまでは、暫しこの地に留まります」

「そこまで神経質になることもないじゃない。織田信奈の弟がこちらに寝返るそうだし、織田程度このまま押しつぶしてしまえば良いのに」

「織田を――いえ、織田信奈を侮ることなかれ。亡き友の言葉をお忘れで?」

 

師である大原雪斎の言葉を思い出したのか、むぅ、と押し黙る義元。軍師として彼女を支えた彼は、守信と共に教育係として義元に仕え、他の兄弟らにかまける父に代わり、親のように愛情を注いでいた。

雪斎は、うつけと呼ばれていた信奈の才を早い段階で見抜き。晩年は自分亡き後は今川家存続のみを考え、織田家と構えることは避けるよう義元に言い聞かせていたのだ。

それに信奈の弟である津田信澄の寝返りについては、事前の調査で最早彼の者に反意は見られず、守信はこちらを偽るための偽計だと疑っていた。また、傘下である松平家に怪しい動きが見られており、織田家が何らかの工作をしかけていると警戒していた。

 

「この戦、万が一にも敗北は許されません。それは今川家の滅亡を意味するのですから」

 

懸念を隠せない様子の守信。継承順位として、本来義元が家督を継ぐことはできなかったが。後継者となるべき兄らが病や戦で亡くなっていき、遂には義元が当主にならねばならない状況へとなってしまったのだ。

だが、当主としての教育を受けていなかった義元を、家臣らは認めようとせず、隙あらば彼女の地位を奪おうとしていた。

今までは雪斎や守信がそういった輩を抑えていたが、雪斎の死によりそれも難しくなっていった。

三国同盟により、後顧の憂いがなくなった隣国の武田と北条が領土を拡大させる中。領土への野心を持たない義元に家内での反発が強くなり、その者達への対策として尾張への侵攻が意図されたのだ。

そのため、もしもこの戦に敗れるようなことになれば。義元への不満は爆発し家臣らは彼女を廃して、我こそは当主になろうと内部抗争が起き、今川家は内側から崩壊しかねなかった。

 

「ご不満でしょうが、どうかご辛抱を」

「子細は爺に任せるが、できるだけ早く戦を終わらせて頂戴。長引くと足軽衆が狼藉を働いてしまうから」

 

手にしている扇子をはためかせながら告げる義元。彼女は戦の前に全軍に略奪を禁じ、破った者は打ち首とする旨下知していたのだ。彼女は尊大で気位高い振舞いをしているも、それは今川家当主であることを見せるためであり、その心は民を愛し戦を嫌う優しさを持っているのだ。

それは政にも表れており、先代が編み出した名法度と名高い『今川仮名目録』に追加法を制定させ、領民の暮らしを安定させる等、類まれなる才を発揮していた。

豪勢な暮らしをしているも、民に負担を与えておらず。配慮しているとはいえ、国が栄えている証左であった。

また、噂になっている上洛というのは。血気はやる一部の者達が叫んでいるだけであり、義元自身にそのつもりは微塵も持っていなかった。

 

 

「(世が太平の世であるなら、姫は間違いなく名君と呼ばれていただろう――だが、今は乱世だ…)」

 

政にいくら才があろうとも、いざという時武力を示せなければ大名として認められることはない、それが乱世なのだ。

生まれる時代を間違えた――守信は敬愛する主の不運を内心嘆いていた。それと同時に、立場に縛られず年相応の女性としての幸せを得てもらいたいとも考え。そのためなら、この老い先短い命いかようにも捧げる覚悟を持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ッ!――――ッ!――――ッ!――――ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むっ?」

 

天幕の外から聞こえてきた喧騒に、眉を顰める守信。

 

「何事じゃ?」

「お待ちを、確認して参ります」

 

義元に告げると、天幕から出る守信。よもや、足軽が規律を破り略奪に走ったのかと危惧する。

 

「も、申し上げます!」

「落ち着け、何があった?」

 

息を切らせる程慌てた様子の配下に、守信の頭に最悪の展開がよぎる。

 

「て、敵襲です!織田軍がこの本陣に押し寄せてございますッッッ!!」

 

そして、それは現実となってしまった。

 

 

 

 

刻を遡り。(ひょう)すら混じり、碌に前さえ見えない豪雨の中、織田軍はひたすらに前進していた。

 

「ひょえ~!こんなんじゃ鉄砲が使えんのじゃ、姫の隊役に立たんぞ!?」

「槍があんだろ!とにかく突き進めばいいさ、そうだろ姫さん!」

「ええ、今川義元だけを目指しなさい!他に構うことはないわ!!義元の首さえ取れば、皆に好きなだけ褒美をあげる!!」

 

え~泥臭いのは嫌じゃ、と一益は不満げだが、他の者達は歓声を上げる。

 

「光秀!」

「ご心配なく!このような事態も想定して鍛えていますので!」

 

信奈は一益隊と同じく鉄砲主体の光秀を気にかけるも、彼女は心配無用と言わんばかりに笑みを浮かべた。そのことに、信奈も満足げに笑みを浮かべる。

 

「姫様あれを!」

 

そんなやり取りをしていると、雨が晴れていき。先頭を走る勝家が何かに気づき停止するのに合わせ、全軍が足を止める。彼女が指さす先には山があり、そこには3列からなる陣が築かれ今川の家紋が刻まれた旗が並べられていた。

 

「見つけたわ、あれこそ今川本陣!行くわよ、織田家の存亡この一戦にあり!皆の命、私に頂戴!!突撃ィ!!!」

 

信奈が刀を抜き切っ先を今川本陣に突きつけると。織田軍は気勢と共に、陣へと突撃していく。

豪雨のため織田勢の動きを見失っていた今側方は、完全に虚を突かれる形となった。

 

「どッけェェェェェェェェ!!」

 

先陣の勝家が戟を頭上で振り回し、その勢いを乗せて横薙ぎに振るうと、柵ごと敵を纏めて薙ぎ払った。

勝家が切り開いた場所から雪崩れ込み、柵際を守っていた部隊を瞬く間に蹴散らした織田勢は、内部へと進んでいく。

 

「寄子衆、持ちこたえいィ!!すぐに他の味方が駆け付ける!!我らの有利は変わらんッッ!!!」

 

だが、寄親・寄子の制により、強固な統制を誇る今川勢は、すぐさま体制を立て直すと反撃に出る。

互いに泥に塗れながら乱戦となり、敵味方の認識すら困難となってしまう。

 

「可成様!誰が敵か味方か分かりやせん!!」

「んなもん、イカレテいやがんのが味方だァ!!」

 

叫びながら、十文字槍で敵を打ち倒していく可成。

 

「退けェ!二陣まで退けェ!!」

 

決死の織田勢の勢いに押され、第一陣にいた今川勢が二陣まで後退を始めていく。

 

「我らに退路はなし!!進め!進めェ!!」

 

この時点で戦果として十分であり。これ以上進軍すれば、仮に義元の首を取れても他の隊に包囲される可能性が高く、生還は絶望的になるも。信奈に退却の文字はなかった。

自ら先陣を切った信奈に続いた織田勢は、第二陣を守る今川勢と激突した。

 

 

 

 

留守番させられた翔翼は。丸根砦内の館にて、拘束されたままジッとしたまま眠っていた。

彼しかいない室内に天井から人影が降りてくる。松平家忍び衆頭目の服部半蔵であった。

半蔵は翔翼に近づくと忍び刀を抜き放ち、彼を縛る縄を切断していく。

 

「ん、助かりましたぞ半蔵殿」

 

それを待っていかのように目を開けた翔翼は、起き上がりながら礼の言葉を述べる。

 

「別に貴様のためではない。姫が貴様を信じて織田家に賭けた以上、全身全霊をかけてその信に応える責務が貴様にはある」

「無論、そのつもりですよ」

 

体を軽く動かしながら具合を確かめる翔翼。忠勝に斬られた脇腹に違和感があるも、問題ないと判断する。

 

「覚えておけ。姫の信に背いたらならば、この戦生き残ろうとも俺が貴様の首を取る」

 

殺意を滲ませた言葉を残し、死角に回ると半蔵は姿を消した。

本多忠勝共々良い配下を持ったな、と幼馴染が人材に恵まれていることに安堵すると、館の外へと出る翔翼。

入り口で待ってくれていた赤兎に乗ると、城門へと向かう。

 

「なんでこう、君に都合のいいことが起きるんですかねぇ」

 

城門前には腰に両手に当てた信盛が、呆れ果てた顔で待ち構えていた。

 

「日頃の行いが良いからだろう?」

「ほ~」

 

翔翼の言い分に、信盛はかなり不審な目を向けている。

 

「戦えるので?」

「赤兎に乗っていれば問題ない。門を開けてくれ」

「いや、それ問題あるでしょう。って言っても勝手に出ていくんだよなぁ」

 

やれやれと息を吐く信盛。

 

「大人しく寝ててくれるとありがたいんですがね」

「信奈が命を張っている以上、休んでいられんよ」

 

迷いなく言い放つ翔翼に。信盛は観念したように、配下に持たせていた方天画戟と弓に矢筒を渡してくれる。

 

「皆を頼みます。それと、生きて帰ってくること。いいですね?」

「ああ。世話をかけるな、この戦が終わったら奢るから飲み明かそう」

「君下戸じゃないですか…」

 

なのに酒好きなんだよなぁ…、と不思議そうに首を傾げている信盛に。別にいいだろう好きなのだから、と不満そうに言う翔翼。

 

「まあ、いいですけどね。良し、開門せよ!」

 

信盛が合図すると、城門が開かれていく。

 

「武運を」

「そちらもな。背中は頼むぞ」

 

赤兎を走らせると、瞬く間に加速していき翔翼の姿が遠のいていく。

 

「さて、医者の手配しておきますかねぇ。あ~後で信奈様に怒られるかなぁ…」

 

後々のことを想像すると、胃が痛みだしたので胃薬を飲む信盛であった。




捕捉
・岡部守信
今エピソードのラスボス的立ち位置のキャラとして用意したオリジナルキャラ。名前の元ネタは今川家で一番好きな岡部元信から。


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第十話

第二陣へと突撃した織田勢。対する今川方は一糸乱れぬ動きで頑強に対抗していた。

山上に布陣していることを活かし、斜面を上がろうとする織田勢に矢を浴びせていく。

 

「何て堅固な、まるで隙がない!」

「だったら作ればいいだけよ」

 

今川の統率力に驚嘆する光秀に、信奈は落ち着き払った様子で話す。なお、射程圏内に立つ彼女にも矢が飛んでくることがあるも、利家が槍で叩き落としていた。

 

「どのように?」

「いいから見てなさい。私が作った軍団の力を」

 

そう語る信奈の目には、家臣らへの絶対の信頼があった。

 

「盾をしっかりと構えろ!敵を引きつけるんだ!!」

「俺達は右に回り込む!着いてこい!」

「それじゃ、姫らは左に行こうかのぉ」

 

勝家率いる部隊が矢面に立ち敵を引きつけている間に、可成の隊と一益の隊が左右に別れて敵の死角に回り込んで接近していく。

足軽の1人に至るまで一つの生物が如く統制され、将の命に忠実に動く今川勢は、軍団として完成された芸術品と言っても過言ではなく。逆に織田勢は各将が個々に判断し独自に動き、まるで統制が取れていない粗悪品のようであった。

『織田に勝ち目などない』この光景を見た殆どの者は、そう思うだろう。実際に対峙している今川勢もそう考えていた――が。

 

「さ、左右から敵が!?」

「ご指示を!ご指示を――ガァッ!?」

 

左右から雪崩れ込まれた今川勢は、想定外の事態に個々で判断して行動できないため対応が追い付かないでいた。

 

「敵が崩れた!正面突き破れェ!」

「我らも前進せよ、柴田隊に続け!!」

 

勝家の前進に合わせ、後陣を担当していた長秀の隊が続き。今川勢の戦線が大きく押し出されていく。

 

「逃げるなァ!!間もなく援軍が来るッそれまで耐えれば我らの勝ちグァッ!!」

「大将がやられちまった!」

「もう駄目だ、逃げろォ!!」

 

将の命令に忠実であるために、その将が討ち取られた途端態勢を立て直す暇もなく壊走が始まってしまっていた。

 

「凄いッ!」

 

敵を圧倒していく織田勢の戦いに光秀は感嘆の声を漏らす。

一見烏合の衆のような動きであるが、各自は信奈の掲げる目標に向けて独自に動くことで、柔軟かつ強固な連携を可能としているのだ。

 

「敵陣に穴が開いたわ!馬廻最後の陣まで突撃よッ!」

 

他の隊が敵を左右に分断したことで、第三陣までの道が開いたのを見逃さず。号令と共に下馬した信奈は、槍を手に自ら戦闘に参加していく。

 

「俺らはどうする嬢ちゃん!」

 

翔翼が不在のため、小六と五右衛門ら大空隊は一時的に光秀の指揮下に入っていた。

 

「信奈様を援護します、行きましょう!」

 

敵の血に塗れながら進んでいく彼女を、利家ら馬廻と光秀の隊が追従していくのであった。

 

 

 

 

「お味方の将多数お討ち死に、第二陣も間もなく突破されますッ!!」

 

義元のいる第三陣にて、その報は悪夢であった。

三陣にいるのは馬廻のみであり、それ以外の戦力は既に前線に投入しており。兵数では優位であるにも関わらず、追い詰められているのは自分達である等認めがたいことであった。

 

「狼狽えるなァ!!!」

 

同様する配下に守信が喝を入れた。

 

「城に篭っていればいいものを、織田信奈は自ら首を差し出しに来たのだ!これは好機である!この地を奴らの墓場にしてやれィ!!」

 

オオッ!!と、士気を上げる配下に満足すると。守信は天幕に入り中で怯えた様子の義元の前に跪く。

 

「じ、爺。戦の音が近くなっているがどうなっていますの?」

「…第二陣も陥落寸前。間もなくこの陣まで敵が迫ってまいります」

 

包み隠さず現状を伝えると、義元はそんな、と弱弱しく声を漏らす。

雨の影響で辺り一帯が泥沼となり、最早逃げることも叶わなくなっており。生き残るには敵を倒す以外に道はなかった。

 

「ですが、ご安心を。我ら馬廻衆命にかけても御身をお守り致します」

「そ、そうね。爺らが負けるなんてことありえないものね」

 

安堵したように胸を撫で降ろす義元に、それではと、告げると立ち上がり出ていこうとする守信。

 

「爺ッ!」

「はい」

「死んではなりません。死んでは…妾を1人にしないで…」

 

背後からかけられた掠れながらの言葉に。フッと微笑むと守信は振り返り深々と頭を垂れると、天幕から出ていく。

 

「(これが儂の最後の戦となろう…)」

 

長年戦場で培ってきた感と言えるものが、自分は生きて帰れないと告げていた。新しき(織田)古き(今川)を倒す。この戦は新たなる時代の到来を告げるものとなるのかもしれない。

 

「(だが、それでも。譲れぬ意地があるのだ!この命にかえても、義元様はやらせはせん!!)」

 

配下らの元へ戻ると、戦闘音はもう間近まで迫っていた。

 

「旗を掲げよッ!!!我ら今川馬廻の力、見せてやれィッッッ!!!」

 

配下らが気勢を上げながら旗を高く掲げると同時に、二陣へと打って出ると信奈率いる馬廻と光秀の隊と槍を交えるのであった。

 

 

 

 

織田家馬廻は、信奈の代では武家や土豪の家を継げない次男以下の者達を中心に構成されていた。理由として家の運営に関わることが少ないので訓練に専念できること。

 

「進めェ!!この戦勝てば出世は思いのままだァァァ!!」

 

また、長男がいる限り日陰者である彼らは手柄を上げるために、死を恐れず戦えることを挙げられる。そして――

 

「姫様のために道を開けろォ!御恩に報いるぞォ!!」

 

腐るだけだった自分達に、進むべき()を見せてくれた信奈を想う心も合わさり力となっていた。

 

「一歩も退がるなァ!!姫様に救われた命、今こそお返しせよォ!!」

「姫様のためにィ!!」

 

対する今川馬廻は戦乱や飢饉で住む場所を失い、義元の治世に救いを求め生き永らえた者達が大半であった。義元は難民を積極的に受け入れ、彼らに住みかと職を与え保護したのだ。

そのため、今川馬廻もまた主君への忠義は負けておらず。訓練力こそ劣るも、元より尾張勢は他国よりも身体面で劣っていることもあり、互いに一歩も引かぬ激戦が展開される。

 

「ッ…!」

 

膠着し始めた戦況に焦燥感が募る信奈。いつ敵の援軍は現れてもおかしくない以上、早急に決着をつけなければならないが、打開するべき手札が不足してしまったのだ。

 

「織田信奈ッ覚悟!!」

 

信奈目がけ2人の鎧武者が迫ってくる。繰り出された槍を手にしている槍で弾き、返す刀で鎧武者の1人に突き返す。

 

「グッ!オオオォォォオオオ!!!」

 

槍は胴体に突き刺さるも、鎧武者は刺さった槍を掴んで抑えてくる。そして残った1人が再び槍を繰り出す。

信奈は槍を手放し刀で応戦する。すると、刺された鎧武者が槍を引き抜き、信奈を羽交い絞めにしてしまう。

 

「しまッ――」

「共に死ねェ織田信奈ァァァ!!!」

 

羽交い絞めした鎧武者が叫ぶと、もう1人が諸共串刺しにしようと槍を構え迫ってくる。

 

「姫様!!」

「信奈殿!!」

 

利家らは他の敵の相手で手一杯であり、どうすることもできず。自力で脱することもできない信奈。それでも彼女は諦めずもがく。

槍が突き出されようとしたその時、飛来した矢が鎧武者の喉元を貫いた。

 

「なァ…!?」

 

射抜かれた鎧武者は無念と言う形相で、槍を手放し崩れ落ちる。

 

「信奈ァァァアアア!!!」

 

咆哮と共に赤兎を駆る翔翼が、戟で信奈を羽交い絞めにしていた鎧武者を斬り倒した。

 

「無事か!」

「ええ、ありがとう…じゃなくて、何しに来たのよあんた!?」

 

当たり前のように命令違反を犯している翔翼に、思わずツッコミを入れてしまう信奈。

 

「何って、加勢に来たんだろうが。ほら行くぞ!!」

「あ、ちょ!」

 

信奈の静止を聞かず、赤兎を走らせると敵勢に突撃していく翔翼。

 

「なんだあいつは!こんな不安定な足場で、何故ああも馬を操れる!?」

 

泥濘で滑りやすくなっているにも関わらず、翔翼と赤兎はまるで何事もないかのように駆けており。立ちはだかる敵を蹴散らしながら進撃していく。

そんな翔翼の背中に、利家が飛び乗ってきた。

 

「お前馬廻だろうが、信奈の側にいろ!」

「姫様には皆がいる。翔を守ることは姫様を守ることになるから、犬千代は翔を守る」

 

左側から迫る敵を槍で払う利家。脇に負った傷のせいで、左側への対応が遅れていることを見抜いたようである。

頑なな口調から、説得は難しそうであり。信奈の周りには勝家らも集まりだしていることと、敵に囲まれた中では降ろしている余裕もないため、このまま進むことを選らぶ翔翼。赤兎が主以外を乗せることに不満の色を見せるも、我慢してもらうよう宥める。

囲みを突破し柵を跳び超えて三陣に突入すると、中心にある天幕が目につく。そこに義元がいると見た翔翼は天幕へと赤兎を走らせる。

 

「ッ!」

 

天幕のい前にいた鎧武者が放った矢を翔翼は戟で払うと、その矢に隠すように放たれていた第二射が頭部に命中し、落馬してしまう。

 

「翔ッ!?」

 

利家が慌てて赤兎から飛び降り駆け寄ろうとする。

 

「オォォオオオ!!」

「!」

 

瞬く間に距離を詰めてきた鎧武者が繰り出してきた槍を、跳んで躱す利家。

着地と同時に利家は槍を横薙ぎに振るうも、槍で軽々とで受け流され態勢を崩される。

 

「ぬん!」

「うッ!?」

 

頭部目がけて振り下ろされた槍を利家は受け止めるも、老齢とは思えぬ剛力に槍に亀裂が入る。

 

「やらせはせん。これ以上は、この岡部守信がやらせはせんぞォ!!!」

 

魂の咆哮ともいえる気迫と共に放たれた蹴りが、胴体に炸裂し利家は吹き飛ばされるのであった。



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第十一話

助骨が折れる感覚を受けながら蹴り飛ばされる利家は、受け身も取れず地面を転がっていく。

起き上がろうとするも痛手のため体が動かない利家。そんな彼女に止めを刺そうと、警戒しながら歩み寄っていく守信。

 

「ぬうッ!」

 

殺気を感じた守信は槍を横向きに構えると、翔翼が振り下ろした戟とぶつかり合い、その衝撃で押し出される守信。

対する翔翼は頭部から血を流しふらつきながらも、利家を庇うように背にして守信に戟を向ける。兜で矢を逸らすも、衝撃で脳震盪を起こしているのだ。

 

「翔…動いちゃ、駄目…死んじゃう…!」

 

更に落馬した衝撃で、脇腹の傷口が開いて血が流れ出てしまっており。これ以上無理に戦えば例えこの戦に勝とうとも命を落とすことになりかねない、そう感じた利家は彼を止めようとする。そんな彼女に、翔翼は顔だけ向け口元に笑みを浮かべる

 

「死なんさ。まだ、あいつが見る景色の一端しか見ていないのだからな。――大空翔翼、いざ参るッ!!」

 

警戒して様子を見ていた守信へ駆け出し、戟を突き出す翔翼。

守信は槍で逸らすと、喉元目がけ槍を突き出し。それを翔翼は首を逸らして避ける。

 

「セィッ!」

 

守信は腰を捻りながら横薙ぎに派生させ、側頭部へ叩きつけようとすると。翔翼は腰を下ろし避けるも、続いて放たれた蹴りが胴体に叩きこまれる。

 

「グッ…!」

 

脇腹からの痛みが増し膝を着きそうになるも、翔翼は歯を食いしばり耐えると肩から体当たりし、態勢を僅かに崩した守信に戟の刃で下段から斬り上げようとする。

守信は足で戟を払うと翔翼を殴り飛ばす。踏みとどまれず数歩後ずさるも、すぐに態勢を立て直すと踏み込んで激を繰り出していく翔翼。

 

「(何故、倒れん!?)」

 

次々と捌きながら守信は内心驚愕する。出血量からしてとうに力尽きてもおかしくないにも関わらず、未だに闘志が衰えるどころか激しく燃え上がっているではないか。

 

「何故、そうまでして戦える!?お前程の者が命をかける価値が、織田信奈にあるのか!」

 

獲物を打ち合わせながら思わず守信は叫んでいた。信奈の才を認めてはいるが、目の前の男をここまで奮い立たせるだけのものがあるとは思えなかったからである。

 

「あいつは、言ったのだ。『乱世なんか終わらせて、戦に怯えず誰もが笑顔で暮らせる世を作ってみせる』とな…。決して口だけじゃない…あいつは、本気でそんな…未来を目指している…。俺は、そんなあいつの『翼』になると誓ったのだァ!!!」

 

気迫と共に押しのけると、翔翼は頭上で戟を回転させ信盛の脳天目がけ振り下ろす。

 

「ッ!」

 

守信は体を逸らしながら槍で受け流し、無防備となった胴体へ突きを放とうとする。

翔翼は対処しようとするも、消耗し過ぎたため反応が遅れてしまう。そんな彼に守信は勝利を確信し、槍を突き出そうとし――

 

「アアアアア!!!」

 

咆哮を上げた突き出された利家の槍に阻まれる。

 

「翔は…犬千代が、守るッ…!」

 

骨折している胸部からの激痛に、歯を食いしばりながら槍を繰り出していく利家。

 

「(こんな痛み、翔のに比べたら…!)」

 

翔翼はどれだけ傷ついても、大切な人達を守るために困難に立ち向かってきた。利家はそんな彼の背中に、憧れ肩を並べて戦場に立てるよう努力してきた。強引に着いてきたのも、彼の力になりたい一心であった。

 

「翔は、死なせなィ…!!」

 

気迫と共に槍を突き出すが、受け止められた槍に巻き上げられて弾き飛ばされてしまう。

 

「その覚悟は良しッ!だが、甘いわッッ!!」

 

無防備となった利家に、槍を突き刺そうとする守信。

 

「させるかァ!!」

 

翔翼が利家を突き飛ばすと、彼女の喉元へ放たれた槍が右大腿部へと突き刺さる。

 

「翔ッ!?」

 

庇われた利家が悲痛な声を上げる。ただでさえ瀕死であるのに、これ以上の手傷は耐えきれるものではなく。まして、大腿部は出血しやすく今の翔翼には致命傷になりえた。

 

「オオオォォォォォオオオ!!!」

 

翔翼は怯むことなく、槍を左手で掴むと力づくでへし折った。

 

「なんとぉ!?」

「ハァァァアアア!!」

 

翔翼は、無防備となった守信の脇腹を戟で殴り飛ばす。

 

「グァッ!」

 

受け身も取れず地面を転がり倒れ伏す守信。起き上がろうとするも、体が思うように動かせず再び伏せてしまう。受けた傷が大きいのもあるが、何より――

 

「(老いた肉体を、これ程恨めしく思ったことはないわッ!!)」

 

歯ぎしりしながら地面を掴んで握り締める守信。高齢となった体では、最早体力が追いつかなくなってしまったのだ。

 

「翔…」

「…行くぞ。義元はあの天幕の中だろう」

 

もう守信は障害にならないと判断した翔翼は、利家に支えられながら天幕へ向かおうとする。

 

「どこへ行くッ。儂はまだ生きているぞッ!!!」

 

ふらつきながらも起き上がると、気迫と共に刀を抜き構える守信。

 

「もう勝負はついた爺さん。老い先短い命を粗末にするな」

「舐めるな若造!主君に命を懸けているのは、貴様だけではないわッ!!!」

 

足取りはおぼつかず、構える刀は満足に握れず震えていた。にも関わらず、背後にある天幕に近づかせまいと闘志を漲らせていた。

守信の覚悟を感じた翔翼は利家から離れると、戟を軽く振り回し構えた。

 

「ならば、勝負ッ!!」

「来い、若造ッ!!」

 

同時に駆け出した両者。獲物の長さで優る翔翼が、先手を取り戟を振り下ろそうとする。その瞬間、守信は腰に差していた鞘を抜き翔翼の顔目がけて投げつけた。

視界を塞ぎ反応を遅らせ、鞘を払おうとしている間に間合いを詰めようとする守信。

 

「オオオォォォオオオ!!!」

 

だが、翔翼は動揺を見せないどころか、鞘が顔に当たろうとも構わず踏み込んで戟を振り下ろした。

 

「何ッ!?」

 

予想外の動きに驚愕しながらも、刀で受け止めるが耐え切れずにへし折られ。刃が守信の右肩口から左斜め下に斬りつけた。

 

「グっォオ!」

 

傷口から血を流しながら膝を着く守信。

 

「まだだ、まだ…!」

 

それでも再び立ち上がろうとする守信。武器を失おうとも素手で戦おうとしていた。

 

「その信念と覚悟、見事。なれば、俺はあんたを超えて先に進もう」

 

そんな守信に敬意を払うと、戟で首を撥ねようとする翔翼。

 

「覚悟ッ!」

 

戟が振るわれ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ちなさいッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようとして、天幕から響いた声に翔翼は動きを止める。

 

「義元、様…!」

 

声の主を見た守信が驚愕の声を漏らす。天幕から姿を現したのは主君である今川義元であった。

義元は必死の形相で駆け出すと間に割って入り、守信を庇うように立つと、震えた手で刀を持ちながら翔翼を睨みつける。そんな彼女の気迫を警戒し、数歩退がる翔翼。

 

「姫危のうございます、お下がりを!」

「嫌ですわ!じ、爺は殺させません。わ、妾が相手になります!!」

「お止め下さい!姫が敵う相手ではありません!!」

 

今にも斬りかからんとする義元を、後ろから抱き着いて必死に止める守信。対する翔翼と利家は反応に困っている様子であった。

ハッキリと言って、義元の動きは武芸を習っているとは思えない程に杜撰であり、恐怖の余り体が小刻みに震えており斬ろうと思えば容易くできるだろう。だが、守信を懸命に守ろうとする彼女の健気さに、気が引けてしまっていた。

 

「どうしよう翔?」

「…義元公にはここで死んでもらうしかあるまいよ」

 

困惑する利家の問いに、暫し逡巡した翔翼は戟を足元に突き立てると、殺気を込めて刀を抜きながら歩み出る。

 

「ヒッ!?」

 

殺気に当てられた義元は、委縮して刀を落とし座り込んでしまう。そんな彼女を守信が庇うようにして抱きしめる。

 

「もう、嫌…どうして妾らがこんな目に…」

「義元様…申し訳ござらん。この老骨めの力が足りぬばかりに。ですが、お1人には致しません、来世では雪斎と共に静かに暮らしましょうぞ…」

 

遂には泣き出してしまった義元の頭を撫でながら、死を覚悟する守信。せめて次の世では平穏に暮らせることを切に願う。

 

「当主の座なんていらなかった。ただ、大切な者達と平穏に過ごしたかっただけなのに…。乱世等もう嫌ッッッ!!!」

 

悲痛な叫びを上げて泣きじゃくる義元へ、翔翼は静かに刀を振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今川義元桶狭間にて討ち死にす――この報を受けた今川勢は総退却し、後に『桶狭間の戦い』と呼ばれることになる一連の戦いは織田家の勝利にて幕を閉じるのであった。



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第十二話

書いている内に、義元の性格が原作とかけ離れてしまいましたが。本作ではこのままいかせてもらいます。


清洲城下にて、ねねは井戸から水を汲み上げていた。

桶狭間にて当主である義元を討たれた今川勢は撤退し、尾張には平穏が訪れていた。

だが、ねねの元に戻ってきた翔翼は度重なる無理がたたり、昏睡状態となっていた。

手当した医師曰く、生きているのが不思議な状態であるとのことだったが。懸命な処置の結果、どうにか峠を越えたものの、目が覚めぬまま数日が過ぎていた。

 

「よいしょ」

 

水の溜まった桶を引き上げると、ねねは我が家へと運んでいく。これだけでも幼い彼女には重労働であり、足元がふらついていた。

普段は小六ら翔翼隊の面々や、近所の人々が手伝ってくれるも。今は戦後処理や仕事等で誰もおらず自身で運ぶしかなかった。

 

「あっ!」

 

小石に躓き態勢を崩してしまい、前のめりに倒れそうになるねね。そんな彼女を受け止める者がいた。

 

「大丈夫かねね?」

「兄、様?」

 

受け止めたのは眠っている筈の翔翼であり。最初は事態が呑み込めずキョトンをしているも、彼に抱きかかえられている意味を理解し、ねねはギュッと抱き着く。

 

「兄様!兄様!!兄様!!!」

 

ポロポロと涙を流すねねに、戸惑いながらも頭を優しく撫でる翔翼。

 

「良かった、です…!もう、目を覚まして…くれないんじゃないかって、怖くって…!」

「心配させてしまったな、すまない。もう大丈夫だからな…」

 

翔翼は、泣きじゃくる妹を安心させようと抱きしめながら撫で続ける。そんな折、そうだと、何かを思い出す。

 

「ただいま、ねね」

「おかえりなさいませ、兄様!!」

 

微笑みを浮かべた翔翼の言葉に。袖で涙を拭うと、満面の笑みで答えてくれるねね。兄妹の日常が戻ってきた瞬間であった。

 

 

 

 

暫しの日が経ち、1人で外を歩けられるようになった翔翼は。久々に出仕しとにかく皆から休め、と言われ、知らせてもらえなかった現在の情勢を確認していた。

 

「今川家は内部分裂に陥ったか」

「ええ、最早かつての栄光はどこへやらですね」

 

清州城の一室にて、信盛が収集された情報を纏めた書状に目を通す翔翼。

義元を失った今川家は、後継者争いが勃発し内部抗争へ突入し、その力を大きく削ぎ落としていた。

そして、その間に三河の松平家は独立して織田家との同盟を申し出。信奈はこれを快諾し、近い内にこの清洲城にて両当主が対面して正式に締結されることとなる。

 

「斎藤家については?」

「徹底的にこちらとやり合う気ですね。準備が出来次第戦となるでしょう」

 

新たな当主となった斎藤家は完全に織田家を敵視しており、今後信奈は道三が用意した国譲り状を大義名分として美濃攻略に乗り出す方針と取っていた。

 

「伊勢方面はどうだ。味方にすることはできんか?」

「無理でしょうね。先に今川に勝てたのは、ただ運が良かっただけとどこの国も見ていて――まあ、事実なんですが、未だに信奈様の評価は『うつけ』ですから。下に見ている相手に与する理由がありませんから。精々中立が限界でしょう。こちらが不利になれば襲い掛かってくるかもしれませんが」

「ま、明確に敵対されるよりはマシか」

 

畳の上に広げられた地図と睨めっこしながら、今後の戦略について語る両者。

 

「それで、我々の内部で変わったことはあるか?」

「ああ、そういえば利家君が出奔しました」

「…………は?」

 

何気なく告げられた内容が理解できず、間の抜けた言葉を漏らす翔翼。

 

「待て待て待て!!どういうことだ!?出奔、犬千代がか!?」

 

今までにないほどに取り乱しながら、信盛に詰め寄る翔翼。

利家は信奈の馬廻に選ばれる程の忠節心を持ち、自身の待遇に不満も持たず出奔する理由が思い当たらなかったからだ。

 

「当人曰く『護る筈だった犬千代が逆に護られた。一度自分を鍛え直したい』だそうですよ。姫様も僕らも止めたんですがね、決意が固くて無理でした」

「そんなことを気にしていたのかあいつ…。馬鹿なことを考えおって…」

「彼女君に追いつこうと頑張っていましたからね。まあ、一時的なものですから遠くない内に戻ってきますよ。可愛い子には旅をさせよって言葉もありますし」

 

額に手を当てて困惑している翔翼に、お茶を啜りながら言う信盛。

 

「ま、今は間近に控えている松平家との同盟締結に専念しましょう」

「そう、だな」

 

釈然としないが、この件に関してできることはない以上、納得するしかない翔翼であった。

 

 

 

清州城を後にした翔翼は赤兎に乗り、ある寺を訪れていた。

下馬して寺院内に入ると、1人の僧が出迎えてくれた。

 

「よく参られた翔翼殿。無事回復されて何より」

「お久しぶりです我が師沢彦(たくげん)。ご健壮で何よりです」

 

にこやかな笑みを浮かべる沢彦に深々と頭を下げる翔翼。

彼はかつて信奈の教育係を務めており。下克上や楽市・楽座など軍事、政治、経済様々なことを教え大名としての彼女を形作った人物なのだ。そのため信奈からの信頼厚く、何かあれば相談に乗ったりと現在でも頼られることが多かった。

また、仕官したばかりの頃の翔翼を教育し、武士として育てた恩人でもあった。

 

「それで、彼女(・・)は?」

「ええ、良く働いてくれていますよ。楽しそうにね。(さだ)お客人ですよ!」

 

室内に招き入れた沢彦が呼ぶと、着物姿の女性が姿を現す。

 

「お待たせしました。!あなたは…」

「元気そうだな。今は定と名乗っているのだな」

 

現れたのは桶狭間で討ち死にした筈の今川義元(・・・・)であった。腰まであった髪は肩にかかるくらいになっており、身に纏っている着物は一般的に着られている安物となっており。知らぬ者が見れば、今の彼女が名門今川家の当主であるなど思いもしないであろう。

 

「ここでの生活はどうだ?不慣れのことが多いだろう」

「はい。ですが、沢彦和尚にはとても良くしてもらっていますし。毎日が新しいことばかりで楽しいですわ」

「そうか、ならば良かった」

 

今までとは真逆の生活に押し込めたことに、後ろめたさを感じていたが。微笑みながら話す淀に、安堵した様子の翔翼。

そのせいか、腹から空腹を告げる音が鳴った。

 

「おや、そういえば昼餉の刻ですね。良ければこちらで召し上がりますかな?」

「ええ、そうさせてもらおうかと」

「では、定用意を」

 

はい、と応えると、淀が席を外し。暫しすると、膳に乗せた料理を運んできてくれる。

いただきます、と手を合わせると、箸を手に取り口に運んでいく翔翼。

 

「味はどうです?」

「旨いですが」

「だそうですよ淀」

 

沢彦が控えていた淀に言うと、彼女は恥ずかしそうに袖で顔を隠した。

 

「む、これは君が作ったのか?」

「はい、その…こちらでお世話になってから始めたので、お口に合うか…」

「いや、普通に旨いが?」

 

この寺に来てからということは、そこまでの期間は経っていないことになるが、それでこの腕前なら素質があったということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうね。旨いわねこれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に聞こえてきた、今一番聞いてはならない声に、翔翼は固まった体を無理やり動かすようにゆっくりと視線を向けると。うつけ姿の信奈が胡坐をかきながら、翔翼の分の食事を摘まんで食べていた。

 

「……」

 

定の件は翔翼の独断で行ったことであり、織田家中で知っているのは五右衛門と出奔した利家のみのため。彼女らから洩れたことになるが…。

 

「犬千代も五右衛門も話してないわよ」

 

考えを読まれたように話す信奈の言葉に、残された候補である沢彦へ翔翼は問い詰めるような視線を向けた。

 

「やだなぁ~あなたが信奈様の考えを読めるんだから、逆くらい当たり前じゃないですか~」

 

にこにこと話す沢彦に、反論できず沈黙してしまう翔翼。

 

「さ、なんで今川義元が生きてんのか話してよね♪」

 

満面の笑みを浮かべ、媚びるような甘ったるい声で問い詰めてくる信奈に、翔翼は底知れぬ恐怖を抱きながら素直に話すしかなかった。

 

 

 

 

刀を手に義元へと歩み寄る翔翼に。義元は恐怖の余り、守信に抱きつきながら目をつむる。

義元の首目がけ刀が振り下ろされ――彼女の後ろ髪が斬り落とされた。

 

「え?」

 

予想外の展開に、思わず間の抜けた声を漏らす義元。そんな彼女をよそに、翔翼がは刀を鞘に納める。

 

「利家、義元が討ち死にしたと宣言してこい。それで、この戦は終わる…」

「でも…」

「いいから行けェ!!」

 

翔翼のしようとしていることに利家は躊躇うも、気迫に押されて未だ戦闘が続く第二陣へ駆け出した。

 

「五右衛門!!」

 

次に半身を呼ぶと、彼女はすぐさま駆け付けてきた。

 

「大空氏ご無事で――こ、この状況は?」

 

主の無事を安堵するも、状況が呑み込めず困惑する五右衛門。

 

「説明している余裕がない。あの天幕を燃やせるか?」

「申し訳ござらんが、晴れたばかりで油でもにゃいと…」

 

天幕は豪雨のせいで湿気を帯びており、ただ火を点けただけでは燃え広がない状態となてしまっていた。

 

「ッ――!」

 

打開策を考えようとするも、出血が続いたため意識が朦朧としだし、まともに思考できなくなっていた。

 

「ならば、これを使え大空翔翼」

 

突如姿を現した半蔵は、配下に背負わせていた壺を降ろし蓋を開けさせる。

 

「油か、だがなぜ貴殿らが?」

 

壺の中身は油であり、都合よく彼らが用意していたことに、翔翼は思わず疑問を漏らした。

 

「姫様からの命だ。貴様のなすことを手助けしろとな、こうなることを予測されておられたのだろう」

「元康が…」

 

幼馴染の配慮に嬉しさもあるが、自身の立場を危うくしてまで、ここまで協力してくれることに疑問もあった。

 

「…貴様にはそれだけの価値があるということだ」

 

半蔵がどこか意味深に話すも、今の翔翼には気にかけていいる余裕はなかった。

 

「五右衛門」

「御意」

 

五右衛門が油を使い天幕を燃やしている間に、翔翼は少女一人が入れる大きさの葛籠(つづら)を義元の元へ運ぶ。

 

「義元公はこの中へ、岡部殿は彼女ともに尾張へ逃れられよ」

「尾張へ?」

「妙心寺の沢彦和尚に事情を話せば匿ってくれる筈です。そこで名を変えて新しい人生を…」

「何故、我らのためにそこまで?」

 

守信の疑問も最もだろう。織田家の人間である翔翼にとって、宿敵とさえ言える今川家の当主を助ける必要等ないのだ。こんなことをしても得るものはなく、寧ろ自分の首が飛びかねないことになるだろう。

 

「勝手な、自己満足さ。さあ、早く…ッ!」

 

体に力が入らなくなり膝を着く翔翼。そんな彼を、戻ってきた五右衛門が支え座らせる。

 

「大空氏!」

 

翔翼の体からは未だに血が流れており、顔からは血の気が失せ息も絶え絶えで、今まで動けていたのが不思議な状態であった。

五右衛門が手当てするも、衰弱が酷く焼け石に水としか言えなかった。

 

「俺のことはいい、それより…今川義元は、首を取られないよう、自ら炎に…焼かれたと、噂を広めて、くれ…」

「しかし…!」

 

命令に忠実な五右衛門だが、ここまで弱りきった主を見捨てることだけはできなかった。

 

「それは我らがやろう大空の忍よ。義元公と守信殿の尾張までの護衛もな」

「半蔵殿、かたじけない!」

 

五右衛門が礼を述べると、半蔵は配下に流言を広めさせるために散開させる。

 

「あの、ありがとう…!」

 

守信の手を借り葛籠へ入った義元が、蓋をされる直前に気遣うように礼を述べると、翔翼は彼女を安心させようと笑みを浮かべる。

 

「これからは、生きたいように…生きろ…」

 

振り絞るように語ると、蓋がされ義元の姿は見えなくなる。

 

「それと、これを使え」

 

半蔵は懐から入れ物を取り出すと五右衛門に投げ渡す。

 

「これは?」

「姫様が調合された傷薬と滋養強壮薬だ。そこらの医者の物より効果があろう。後はその男次第だ」

「何から何まで感謝致す」

 

深々と頭を下げる五右衛門に、気にするな、と半蔵は素っ気なく告げると。葛籠を背負った守信を連れて去っていくのであった。

 

 

 

 

「…というのが事の顛末だ」

「なる程ね。やっぱあんた馬鹿よね」

 

語り終えた翔翼に、信奈は辛辣な言葉を浴せる。ちなみに話している間に、信奈は翔翼から箸を奪い食事を勝手に平らげていた。

口元に着いた米粒を指で拭いながら、じとーとした目で淀を見る信奈。対する彼女は覚悟を決めた様に堂々とその視線を受け止めていた。

 

「お待ちくだされェェェェ!!!」

 

バァン!と襖が開かれると、淀と共に匿われていた岡部守信が飛び込むようにしながら信奈に土下座してきた。

 

「義元様には今川家のために生きる気はもうなく。仮に家に戻ったとしても、邪魔者として命を狙われるでしょう!私の首を捧げますので、どうかどうかこのまま定として、静かな余生を過ごさせて頂けないでしょうか!!」

「およしなさい守信見苦しい、こうなっては覚悟を決めるまで。僅かとはいえ、こうしてあなたと親子のように暮らせただけでも満足です」

 

頭を何度も畳に打ちつけながら懇願する守信を窘める定。そんな2人を、信奈はどうでもよさそうな顔で爪楊枝で歯に詰まった食べかすを取っていた。

 

「別にあんた達をどうこうしないわよ。今更生きてましたとか騒いでも、面倒臭なことにしかならないし」

「いいのか?」

 

あっさりと見逃すことを了承した信奈に、思わず確認してしまう翔翼。

 

「あたしの邪魔さえしなければそれでいいわ。今回の戦への褒美ってことにして上げる。あんた家宝とか銭だと喜ばないで子飼いにあげちゃうし」

 

与える方の身にもなりなさいよ、と愚痴る信奈にとりあえずすまん、と謝る翔翼。

 

「それに、ただ可哀そうだからとかで助けた訳じゃないんでしょう?」

「うむ、彼女が制定した今川仮名目録追加21条は知っていよう」

「ええ、悔しいけどあれは名法ね。ああ、そういうこと」

 

翔翼の意図を読めた信奈はなる程といった顔になる。

 

「そうだ。今後領地が増えれば、お前だけでは運営が難しくなるだろう。だから政治に秀でた人材を確保しておきたくてな。相談できる相手が多いほうがよかろう」

「…まあ、そうね」

 

翔翼の言い分に、何やら複雑そうな顔をしながらも頷く信奈。

 

「そういう訳で、可能な限りでいいので協力してもらいたのだが…」

「分かりました、あなた様(・・・)の頼みでは断れませんわね。必要とあればお力をお貸ししましょう」

 

そういうと、何故か翔翼の側に寄ると腕に抱き着く定。布越しに、勝家に劣らぬふくよかな胸が押し当てられん?と困惑した様子の翔翼。

 

「…やっぱり、首飛ばそうかしらこいつ?」

「それだけはぁ!それだけは何卒ご勘弁をォォォォォォォォォ!!」

 

挑発的な目を向けてくる定に。信奈が額に青筋を受かべながらこめかみをひくつかせると、再び土下座しだす守信。

 

「???」

 

そして、事態が呑み込めず首を傾げる阿呆(翔翼)

 

「いやぁ、やっぱりあなた達二人を見ていると飽きませんねぇ」

 

そんな喧騒を、沢彦はお茶を啜りながら愉快そうに眺めているのであった。




捕捉

・定の元ネタは今川義元の正妻から。


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第十三話

三河を治める松平家はかつては勇猛な家臣団を従え名をはせるも、現当主松平元康の祖父松平清康が家臣に暗殺されて以降弱体化し、今川家の庇護下に置かれた。

しかし庇護とは名ばかりで、実際は、松平家は家臣同然の扱いを受けることとなり、長らく辛酸を嘗めさせられることとなる。

そんな松平家に転機が訪れる。桶狭間での戦いで敗北後、当主を失った今川家が内部分裂を起こしたのである。

現当主元康は、最早今川に自分達を守護する力は無しと判断し関係を断絶し。織田家との同盟を結ぶことで生き残る道を選んだのだ。

この松平家の動きに信奈は喜んで同調した。松平家と同盟を結べば背後の守りが盤石となり、かねてから描いていた京への上洛へ専念することができるようになるからである。

そして、翔翼が復帰してから暫く経ったこの日。清州城にて、両国の当主が対面し正式に締結するための場が設けられた。

 

「久しぶりね竹千代!」

 

大広間にて、織田家臣団と元康が連れてきた松平家臣団が並び座る中。上座に座る正装姿の信奈がご機嫌な様子で出迎える。

うつけ姿と違い、髪は降ろしており最高級の着物を纏ったその姿は、正しく大名と呼ぶに相応しいものであった。

そんな信奈の姿を見た家臣団は、勝家のように姫様お美しい…、と見とれたり、普段からそうしてもらえませんかねぇ、と愚痴る信盛に同意したりといった反応を見せる中。翔翼は信奈は信奈だろ、といつも通りに見ておりそんな彼に信奈はどこか不満そうであった。

 

「はい~、信奈殿もご健壮でなによりです~。あ、それと今は名を家康へと改めましたので~」

「へえ、今川との手切れの証明って訳ね」

 

対する正装した元康も嬉しそうに応じる。ちなみに竹千代とは元康の幼名である。

そして、元康の元とは今川家から賜ったものであり、それを変えるということは今川への宣戦布告にも等しいことなのである。

 

「その通りです~。これからは織田家と共に歩ませて頂ければと…」

「固っ苦しくしなくていいわよ。今川と違ってあたし達は対等なんだから」

「そう言って頂けると幸いです~」

 

にこやかに話す信奈に深々と頭を下げる家康。家康としては、国力で劣る自分達は一歩後ろを歩くべきと考えたのだろう。それと本人の性格からして、姉ののように慕う信奈に遠慮してしまっているのかもしれない。

そんな幼馴染に相変わらずねぇと微笑むと、誓書をしたためていく。

 

「そうだ。ねえ、竹千代この誓書を灰にして酒に混ぜて飲むってのはどう?」

「名案ですねぇ~、この同盟が永遠に違えることのない証になるでしょう~」

 

信奈の提案を家康は快諾し、灰とした誓書が混ざった酒で盃が交された。ここに『清州同盟』と呼ばれることになる織田・松平家の同盟がなされるのであった。

 

 

 

締結式を終えた後、信奈は家康と翔翼を連れて津島の町へと繰り出していた。ちなみに、目立たぬようそれぞれ一般的な服装に着替え笠を被っている。

 

「ん~いい天気ねぇ」

 

空を仰ぎ見ながら体を伸ばす信奈の言葉通り、空には雲一つない快晴であり。まるで、両国が手を取り合うことを祝福しているようにも見えた。

 

「それにしても、津島は昔に比べて益々発展していますね~。いえ、ここだけでなく尾張全体がと言うべきですか~」

 

街並みを見回しながら感嘆の声を漏らす家康。

彼女は織田家で人質となっていた頃、信奈に連れられ良くここらに遊びに来ており。その頃から貿易の拠点であったこの津島は、三河はおろか今川の本拠である駿河よりも栄えていたのだ。

数年の月日が経ち、再び訪れた街並みは更に発展しており。三河から清洲までの道中に見た土地も乱世でありながら十分に栄えており、織田家が小国でありながら、鉄砲を始め最新の武具を取り揃えられるだけの経済力の証左となっていた。

 

「関所を撤廃して人の出入りを自由にしたり。楽市・楽座とかってやつで、商人が自由に商売できるようになったから競い合うように発展していったのさ」

「なる程…当家でもやってみましょうか…」

「まあ、代わりに商人同士のいざこざの仲裁が多かったり、間者が入りやすくなるから情報の取り扱いが難しくなるけどな」

 

ムムム、と思案している家康に、翔翼が制度の欠点を述べていく。彼自身仲裁役をしたり、間者対策に五右衛門を駆り出されたりと苦労しているのだ。

 

「そこは当主の腕次第よ、竹千代なら上手くやれるわ。なんなら色々必要なこととか教えて上げるわよ?」

「そうして頂けるとありがたいです~」

 

本当の姉妹のように和やかに話す2人を見て、再び同じ時間を過ごせることに、翔翼は自然と笑みを浮かべていた。

親兄弟でさえ殺し合うのが珍しくない今の世で。家康が今川家へ送られることとなった時に、もう同じ道を歩むことはできないと覚悟していただけに、その喜びは一際大きかったのだ。

 

「…ところで、やけにういろう屋が多い気がするのですが?」

 

家康の言う通り目につく所にういろう屋があり、どれだけ歩いても見切れる気配がなかった。

ういろうとは、米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作る尾張を代表する菓子である。

 

「ああ、信勝――信澄の奴が『ういろう大臣になって、日ノ本中にういろうを広めるのだぁ~』とか言って張り切っててな」

「ういろうお好きでしたからね、あの方…」

 

やれやれと言いたそうに息を吐く翔翼。

人質時代に出会った頃から、信澄に関する記憶といえばういろうを食べている姿しか思い浮かべられず、家康は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 

「信奈が止めんから調子に乗って、この有様よ」

「ちゃんと利益出てるんだからいいじゃない。それに、ういろうが広まれば尾張――ひいては織田家の名も広がるし一石二鳥よ」

「そうやって甘やかすからだなぁ――」

 

往来でギャーギャーと口論を始めてしまう二人に、昔の姿がそのまま重なり、家康は楽しかった日々が戻ってきたのだと実感できた。

 

「お二人とも往来の邪魔になってしまいますからその辺で…」

 

そして、そんな二人の仲裁に入るのが自分の役目であるのだ。

家康に言われ、それもそうかと口論を止める二人。懐かしいやり取りに気づけば三人で笑い合っていた。

 

「あら、あなたもしかして竹千代ちゃん?」

 

不意に、近くにあったういろう店の女将に話しかけられた。

この店は古くから営業しており、人質時代に良く利用していた店であった。

 

「覚えていていて下さったんですか?」

「そりゃあんなにおいしそうに食べてくれていたからねぇ。って失礼今は大名でしたね、申し訳ありません」

「いえ、今はお忍び中なのでお気になさらず~。女将さんがお元気そうで良かったです~」

 

女将の手を取って再会を喜ぶ家康。彼女は人当たりが良く、子供には何かとおまけをしてくれたりと可愛がってくれるので人気があり、彼女らが良くこの店を利用していた理由でもあった。

 

「あなたも大きくなって、それにこんな美人さんになって良かったわねぇ翔ちゃん」

「いい加減ちゃんは止めてもらいたいし、何が良いのか分からんが。美人になったのには同意する」

「ふぇ!?」

 

予想外の言葉に、顔を赤くして激しく狼狽する家康。

 

「わわわわぁっわわわわ私なんてそんな…」

「そうか?つぶらな瞳やあどけない感じの顔がいいと思うが」

「はわわ…!」

 

家康の顔が、まるで梅干しのように真っ赤になっていき、隠している耳がピョコピョコと動いている。

ちなみに彼女の家系は、たぬきを始祖と崇め女性には狸を模した耳と尻尾をつける慣習があるのだ。

 

「……」

「ッテェ!?」

 

そんなやり取りを見ていた信奈が、無言で翔翼の足を思いっきり踏みつけた。

 

「何をする!」

「フンッ」

 

翔翼が抗議するも、信奈は頬を膨らませながらそっぽを向いてしまう。

 

「わ、私何かよりも信奈さんの方がずっと綺麗になられてますよね!」

「ん?まあ、こいつはいつでも綺麗だからな」

「ッ!」

 

家康が出した助け舟に、翔翼は言うまでもないかのように言い放ち。今度は信奈の顔が赤くなっていく。

 

「ああ、でも先の戦で舞を踊った時は特に綺麗だったな」

 

顎に手を当ててしみじみとしている翔翼。対する信奈は、家康以上に顔を赤くし俯いている。

 

「む、どうした信奈?体調でも悪いのか?」

「あ、あ、あ、あんたは、どうしてそういうことを平然と言うのよぉぉぉぉおおおお!!!」

 

顔を覗き込もうとしてくる翔翼から逃げるように、全速力で走り出す信奈。

 

「オイこら、勝手に行くな!危ないだろうがァ!!」

「わわわ、待って下さい~!私そんなに早く走れないです~!」

 

護衛を置いていった主君を急いで追いかける翔翼。そんな二人をなけなしの大量を振り絞って着いて行こうとする家康。

 

「あらあら、青春ね~」

 

慌ただしく去っていく若者らを、女将は微笑ましく見送るのであった。



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第十四話

松平家との同盟を締結した織田家は、軍備を整えると美濃攻略へと乗り出した。

桶狭間の戦いの勝利による勢いもあり、織田勢の士気は高く。当主が変わったばかりで不安定な斎藤勢に有利に戦は進むと思われたが――。

 

 

 

 

「かかれィ!!」

 

美濃国内の山間部に潜んでいた大空隊は。翔翼の合図の元、斎藤勢の補給部隊に襲いかかった。

補給部隊は瞬く間に追い散らせ、翔翼らは物資を強奪することに成功した。

 

「深追いはするな!新手が来る前にずらかるぞ!!」

 

兵糧や武具等が乗った荷台を配下に運ばせる翔翼。そんな彼に、木の枝の上に乗った五右衛門が話しかける。

 

「他のお味方は手こずっているご様子で」

「思いのほか敵の動きが良いからな。竹中半兵衛、厄介だな」

 

斎藤勢の指揮を取る竹中半兵衛なる者によって、織田勢はことごとく先手を打たれ何度も撤退に追いやられていた。

まるで神のようにこちらの動きを読み、策謀を巡らしてくる半兵衛を恐れ、足軽らの士気は激減し最早まともに戦うことができない状態となってしまう。

本来であれば一度兵を引き時期を見計らうべきだが、信奈は手を引こうとせず此度の出兵では気を伺うためと陣を張り続けた。

対する斎藤勢は攻められた場合のみ応戦し、自ら攻めてくることはないため戦線は膠着状態に陥った。

この状況を打開しようと、信奈は敵の補給線を抑えようと部隊を動かし、小競り合いが続いていた。

 

「他の部隊は補給路を抑えるどころか、物資を奪うことさせできず。げんちょうわがたいちゃいのみぶっちをうみゃうことにゃ――」

「一旦仕切り直した方がいいぞ」

「…現状我が隊のみ物資を奪うのが精一杯。この度ののぶにゃとのらしくありまちぇんにゃ」

 

補給線への防御は固く、織田家で最も機動性の高い翔翼の部隊しか、敵の防衛線を潜り抜けられていなかった。

 

「意固地になっているのさ、根は素直だからなあいつ」

「蝮殿とのことですかな?」

 

やれやれと言いたそうに話す翔翼に、思い当たることがある様子の五右衛門。そんな彼らの耳に、四方から喧騒が聞こえてくる。

 

「大将あちこちから敵が迫って来てやす!」

「引くぞ!物資は燃やせ、敵に渡すな!」

「もったいないですぜ!」

「死ぬよりは安いわ!早くしろ!!」

 

渋る配下に怒鳴りながら隊を纏めていく翔翼。

 

「大空氏、こちらが手薄でござる!」

「一番厚いのは!」

「あちらで!」

「では、厚い方を破る!」

 

翔翼の言葉に配下がざわめき立つ。

 

「わ、わざわざ敵の多い方にですか!?」

「手薄な方はきな臭い、その方が安全だ」

「野郎共、兄弟の勘を信じろ!そうやって今まで生きて来れただろうがァ!!」

 

小六が発破をかけると、配下から迷いが消えて雄たけびが上がる。

 

「良し、では逃げるぞ野郎共!!」

 

先頭を走る翔翼に続き、部隊は包囲を破ると命からがらに撤退するのであった。

 

 

 

 

「逃げられただと?」

 

斎藤勢の本陣にある陣幕にて、翔翼と同年代の鎧姿の男が伝令からの報告に眉を潜ませる。

こちらの防衛線を軽々と破って、補給路を脅かしてくる翔翼の隊を殲滅すべく策を巡らすも、破られてしまったのだ。

 

「第二陣は何をしていたか」

「はっそれが、敵は包囲の最も厚い箇所へ突撃をかけ脱出致しました」

 

問い詰めるような男の言葉に、伝令は信じられないと言いたそうに答える。

この策では敢えて包囲に薄い箇所を作り、そこを突破させ油断した敵を、別に伏せていた部隊で包囲し殲滅するものであったのだ。

だが、敵は最も厚い箇所――即ち安全な箇所から脱出したのである。

包囲されたという心理的に圧迫された状況から、目に見えて危険な方へ進むのは並外れた精神力では不可能であろう。

 

「大空翔翼、織田信奈の懐刀と呼ばれるだけのことはあるか。できればこの場で討ち取っておきたかったが…」

 

そういって、男――竹中半兵衛は無念そうに空を仰ぎ見るのであった。

 

 

 

 

織田本陣――その陣幕の中では、信奈始め家臣団が集まっていた。誰もが意気消沈した様子をしており、それを纏めるべき信奈は苛立った様子で親指の爪を噛んでいた。

 

「戻ったぞ」

 

そんな空気を、どこ吹く風と言わんばかりに入ってくる翔翼。

 

「あ、戻ったのか翔――って大丈夫なのか!?」

 

返り血に塗れている翔翼を見た勝家が驚愕する。

 

「包囲殲滅されかけただけだ問題ない」

「いや、あるだろ」

 

何事もないかのように話す翔翼に、可成のツッコミが入った。

 

「信奈限界だ。軍を引け」

 

信奈の前に立った翔翼は、立ったまま――臣下の礼を取ることなく言い放つ。

 

「まだよ。まだ戦えるわ」

「こいつらの顔を見てもか?」

 

家臣らの顔を見るよう促す翔翼。誰もが沈んだ顔をしており、彼の考えに賛同しているようであった。

 

「それに兵糧も持たない、そうだな信盛?」

「ええ、敵から奪って持たせていましたが、それも無理となるとどうにもなりませんね」

 

翔翼の言葉に、信盛がお手上げと言いたそうに両手を上げる。

 

「お前が取れるのは、このまま全員揃って仲良く死ぬか、惨めに逃げ帰るか。どちらかだけだ」

「……」

 

敗北を受け入れられないのか、両手を握り締めて俯き歯を食いしばる信奈。

そんな彼女の頬を両手で挟み顔を上げさせ、無理やり目線を合わせさせる翔翼。

 

「このまま終わるか、この経験を次に生かすか。どちらだ織田信奈!!」

「…撤退するわ!陣引けィ!!」

 

信奈が立ち上がりながら号令を発すると、ハッ!と応じた諸将が行動に移っていくのであった。

 

 

 

 

敵に追撃されることもなく、清洲へと帰還した信奈らは評定場へと集っていた。

 

「ハッハッハッ!此度も見事に半兵衛めにしてやられたな信奈殿」

 

そんな彼女らを満面の笑みで出迎えたのは、美濃の蝮こと斎藤道三であった。織田家に保護された彼はそのまま客将として身を置くこととなった。

だが、信奈の父である前当主信秀の代には幾度となく織田家と争っていた身であり、自分が手を貸すといらぬ事態を起こしかねないと隠居したのだ。

道三の言葉に、不満全開といった様子で不貞腐れている信奈。

 

「そんな言い方しなくてもいいだろ爺さん!信奈様はあんたのために頑張ってんだぞ!」

 

勝家が畳を叩きながら抗議の声を上げた。

道三は高齢であり、いつ『もしも』が起きてもおかしくはなく。信奈は彼が生きている内に再び美濃の地を踏ませてあげたい、生涯を捧げた地で眠らせてあげたいと躍起になっていたのだ。

そんな彼女の心意気が伝わるだけに、家臣団は強く進言できず苦戦する要因となっていた。…一人だけ、だからどうしたと遠慮しない男はいるが。最も、そのおかげで最悪の事態は免れていたりする。

 

「だからよ。こんな老いぼれをのために戦っているのでは、いつまで経っても天下は取れんぞ信奈ちゃん」

 

娘に語り掛けるように優しく話す道三。彼にとって、信奈は光秀と同じくらい大切な存在なのだ。

 

「これ以上そなたの足を引っ張るのであれば、儂は腹を切ることも辞さん」

「そんなの駄目よ!」

 

道三の言葉に、信奈は慌てながら立ち上がる。

 

「せっかく拾って上げたんだから、あたしの許可なく勝手に死ぬなんて許さないからね!」

「ならば己の為すべきことに専念せよ。こんな所で躓いている余裕はないのだからな」

「…分かったわよ」

 

渋々と言った様子だが頷くと座り直す信奈。

 

「まあ、爺さんのことがなくても竹中半兵衛には勝てんがな」

 

翔翼が遠慮なく言い放った言葉に、場の空気が重くなった。

 

「実際このまま正面から相対するのは0点です。何か手を打つ必要はあるかと」

「暗殺でもするかの?なんなら姫自ら行くが?」

 

長秀が話していると、伊勢方面の守備を担当していてこの場にいない筈の一益が、翔翼の膝の上に座っていた。

 

「よう、そっちはどうだ?」

「なーんもなくて、一日中寝ていられるくらい平和じゃ」

「仕事しろ、尻叩くぞ」

 

翔翼の言葉に、にゃー!それは嫌じゃ~!と天井に張り付いて逃げる一益。

 

「暗殺何て論外よ。それじゃあたしが半兵衛に勝てないって認めるもんじゃない」

「なら引き抜きであればどうだ?」

 

不服そうな信奈に、翔翼提示した内容にその場にいる一同の視線が集まる。

 

「それならば信奈の名は傷つかなないし、兵を失わず戦力の強化になるだろ」

「そりゃそうだが。それができれば苦労はしないだろ」

 

翔翼の提案に消極的な様子の可成。引き抜き工作は確かに強力な手ではあるが、それ故に成功させるのは至難であった。

 

「俺に考えがある。ここは任せてもらいたい」

「そこまで言うならあんたに任せるわ。必要なものはある?」

「できれば光秀に来てもらいたいが」

「私で良ければ喜んで」

 

翔翼に声をかけられた光秀は快諾の意を示す。彼女は桶狭間での戦い後、正式に織田家に仕えていた。

こうして、翔翼の一世一代の大勝負が始まるのであった。



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第十五話

光秀と護衛の五右衛門を連れた翔翼は美濃へと入ると、道中にある村々を回りながら斎藤家の本拠である稲葉山城下へと辿り着いた。

 

「ここも活気がない…」

 

城下を一通り見て回った光秀が、寂しそうに呟いた。

町民から活気がなく、商店に並ぶ品物は少なくどれも高価である等、道三が納めていた頃に比べると寂れてしまっていた。

道中に寄った村々も重い税によって苦しんでおり、笑顔で溢れていた頃を知る光秀にとって受けた衝撃は大きかった。

 

「戦が長引いていることが、かなり響いているにょうにごじゃるな」

「海上貿易ができる織田と違って、陸路しかない斎藤家は物流が多い訳じゃないからな。織田と同盟していた頃は物の入りも良かったが、それを切ってしまったのも大きかろう」

 

光秀同様に着物姿の五右衛門の言葉に、翔翼が説明を加える。

 

「どうだい旦那、最近の商売は?」

 

翔翼が通りかがった商店の店主に話しかけると、商人はうんざりといった顔をする。

 

「織田との戦がいつまでも終わらないから、税の取り立てが厳しくなる一方で誰も買ってくれなくなっちまったよ。それに…」

 

一度言葉を区切ると、店主は周囲を注意深く見回し顔を近づけてきた。

 

「新しくなった当主の悪口言ったりした奴は、誰彼構わずしょっ引かれちまって下手すりゃ晒し首にされるから、皆ビクビクしながら暮らしてるのさ」

 

小声で話す店主。彼からは統治者への不満がありありと感じ取れた。

 

「だから、あんまり長居しない方が身のためだよあんちゃん達」

「心遣い感謝する」

 

それぞれ礼を述べると、店主と別れる翔翼達。

 

「義龍殿…」

 

憂いを帯びた顔で、義龍がいるであろう稲葉山城を見上げる光秀。

彼女の知る義龍は粗暴な面こそあれど、ここまで圧政を敷く人物ではなかった。敵対したとはいえ、兄のように慕っていた人が別人のように変わってしまったことに、言いようのない悲しみが胸中から湧き上がった。

 

「…大丈夫か?」

 

そんな彼女を慰めようとしてか、頭を撫でる翔翼。

 

「はい、ありがとうございます」

 

笑みが戻った光秀を見て、手を離す翔翼。

 

「あ…」

「どうした?」

「い、いえ、何でもありません」

「ならいいが…」

 

どこか名残惜しそうな光秀を不思議そうに見る翔翼。

そんな二人に聞こえるように、蚊帳の外に置かれていた五右衛門がわざとらしく咳払いをした。

 

「お二人方、此度の目的をお忘れなきよう」

「す、すみません」

「なんで不機嫌なんだお前は…」

「なってござらん!」

 

不貞腐れてそっぽを向く半身に、翔翼が困惑していると。往来が騒がしくなる。

 

「稲葉様方がお通りになられるぞ!」

 

翔翼達は、端へ寄って道を開けていく町民へと紛れる。

人々の視線を集めながら、騎乗した三人の武士が往来の中心を進んでいく。

 

「『美濃三人衆』か」

 

顔見知りである光秀を陰に隠しながら、武士らを観察する翔翼。

美濃三人衆は稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就ら斎藤家重鎮の総称である。

戦場で何度か相対したことがあり、その隙のない連携は賞賛したくなるほど見事なものであった。

 

「1人ならば首を取れますぞ?」

「お前の首を対価にしたくはないな。それに事を荒げたくない」

 

暗殺を示唆する五右衛門を制する翔翼。殺気に気づかれたかと危惧するも、運良く三人衆はそのまま去っていってくれたのであった。

 

 

 

 

城下を出た翔翼達は、人里離れた森を目指していた。

 

「…本当に、このような所に竹中半兵衛の住まいがあるので?」

「そのように聞いているのですが…」

 

訝しんだ様子で問いかけてくる五右衛門に、余り自信が持てないように答える光秀。彼女自身訪れたことは無く、人づてに聞いただけであるからだ。

 

「行けば分かるさ――む?」

 

気楽な様子で歩く翔翼の耳に、何か聞こえてきた。

 

「野良犬か」

 

進路上に一匹の犬がおり、何かに吼えているようであった。

 

「翔翼殿、女の子が!」

 

光秀の指さす先には、犬の前で怯えた様に蹲る少女がいるではないか。

 

「うむ」

 

翔翼は目にも止まらぬ早さで少女に駆け寄ると、守るように立ちながら犬と対峙する。

犬は新たに現れた翔翼に威嚇するように唸るが、翔翼はただ犬に視線を向けるだけであった。

 

『グゥゥゥウウウ!』

「……」

 

暫くすると、犬が怯えた様に後ずさると逃げ出していった。

 

「大丈夫かねお嬢さん」

「あ、ありがとうございます…くすんくすん」

 

翔翼が屈みながら手を差し出し、少女がその手を取ると立たせる。

少女は五右衛門より少し年上程の年齢と見られ。長い銀色の髪を左右の中央で纏め、両肩に掛かる長さまで垂らした髪型をし、木綿筒服を身に纏っていた。

余程怖かったのか泣きべそをかいてしまっており、どうにも放っておけない雰囲気があった。

 

「よしよし怖かったな。もう大丈夫だからな」

 

そんな少女をあやすように頭を撫でる翔翼。その姿はやけに生き生きとしていた。

 

「ああ、露璃魂(ろりこん)癖が…」

 

手で額を抑えて嘆きだす五右衛門。

 

「ろ、露璃魂?」

 

初めて聞く単語にキョトンとする光秀。

 

「幼子特に女性を愛でる心を拗らせる病にごにゃる。ほんにゃいはひちょにしりゃれないにょうにすにゅにょでしゅが、たいきゅううちはこうちぇんとしゃらしゃれちぇいにゅちゅうぴょうちゃにこしゃる」

「すみません、私にはちょっと解読が…」

「本来は人に知られないようにする、のですが、大空氏は、公然と、晒されている、重病人、にござる」

「ありがとうございます。…そういえば翔翼殿は五右衛門殿や、ねねさんと触れ合っていると本当に楽しそうにされていましたね」

 

拙者を幼子扱いしないで頂きちゃい!と抗議してくる五右衛門を宥めながら翔翼を見る。

 

「い、いじめなさいですか?」

「しないさ。水飴食べるか?」

「あ、ありがとうございます」

 

懐から手の平に収まる大きさの壺を少女に手渡す翔翼。その姿はやはり生き生きとしていた。

 

「(本当に幼子がお好きなんだ。きっと将来は素敵な父親になられるんでしょうね)」

 

ふと思い描いたのは、我が子を抱きかかえて幸せそうにしている翔翼――そして側には共に幸せそうな自分が――

 

「(って何考えてるんですか私は!?そこは信奈様じゃないと!!)」

 

顔を真っ赤にして首を激しく左右に振る光秀。そんな彼女を、五右衛門は同情するような目で見ていた。

 

「ほう薬草を取りに」

「はい、お友達が…怪我を、していて…」

 

おずおずと話す少女が持つ籠には、薬草が僅かに入っていた。

 

「家の近くにあるのは、取りつくしてしまって…だから…」

「離れた場所まで取りに来たという訳か」

 

翔翼の言葉に頷く少女。すると翔翼は何やら考え込む。

 

「よし、ならば俺も手伝おう」

「大空氏、それでは我らの目的が…」

「それほど急ぐものでもあるまい。この子を一人にして、また先程のようなことがあったら後味悪かろう」

 

翔翼の言い分に反論できず五右衛門はむぅ…と押し黙る。

 

「お前達は宿に戻っていてくれ、日が沈むまでには戻る」

「いえ、私もお手伝いします」

「…氏を置いていく訳にはいかぬ。拙者もお手伝い致す」

「悪いな」

 

そんな話をしていると、少女は申し訳なさそうにオロオロとしている。

 

「あ、あの…私のことは、気になさらなくて、大丈夫なので…」

「遠慮しなくていい。必要な時に甘えるのは子供の特権だ、そして大人は迷わず手を差し伸べる。これこそが子供の健全な成長をもたらすのだ」

 

遠慮している少女に、拳を握り締めて力強く主張する翔翼。そんな主を、五右衛門はやれやれと言いたげに見ていた。

 

「えっと、ではお願いします」

「うむ、任された」

 

ぺこりと頭を下げる少女に、胸を張って応える翔翼であった。

 

 

 

 

「うむ、こんなものかな」

 

日が傾きかけた刻に。籠に大量に納められた薬草を見て、満足そうに翔翼は頷いた。

 

「ありがとうございました。こんなに手伝ってもらって」

「構わんさ、こちらも良い息抜きになったからな」

 

な?と翔翼が話題を振ると、同意する光秀と明確に肯定こそしないも、否定はしない五右衛門。

 

「それでは、私はこれで失礼します」

「良ければ家まで送るが?」

「いえ、大丈夫です。今日は本当にありがとうございました」

 

頭を下げると歩き去っていく少女。翔翼らは、その背中が見えなくなるまで見送る。

 

「…そういえば、あの娘どこから来たのでござろうか?ここらには人里はない筈でござるが」

「そういえば…」

「知られていない集落でもあるのだろうよ」

 

ふと湧いた疑問に、一同は首を傾げるしかなかったのだった。



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第十六話

稲葉山城下の宿場で一晩過ごした翔翼らは、再び竹中半兵衛に会いに向かっていた。

 

「む?」

 

城下町を歩いていると、どこか聞き覚えのある声が翔翼の耳に響いた。

不意に足を止めた翔翼に光秀が声をかける。

 

「どうされました翔翼殿?」

「いや、まさかな…」

 

声した方へ向かうと。あるういろう屋の前で、両手を膝を地面につけてむせび泣いている男がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやくようやく美濃に来たのに、潰れているなんてあんまりじゃないかぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むせび泣く男――信澄があらん限りの声で叫んでいた。

 

「の、信澄殿、そんなに落ち込まないで…」

 

そんな彼を見慣れない男性が必死に宥めている。

そして翔翼は信澄の首根っこを掴むと、その男性も連れてその場から全速力で離れるのであった。

 

 

 

 

「義龍様、これ以上織田家と争うのは国のためになりませぬ。どうかこちらから和議を結ばれませ」

 

稲葉山城にある城主の間にて、美濃三人衆筆頭である稲葉一鉄は、当主である斎藤義龍に平伏しながら進言していた。

 

「和議だと?ふざけるな!何故負けてもいないこちらから、そんなことをせねばならんのだ!!」

 

巨漢と呼ぶに相応しい威容を誇る義龍は、一鉄の言を手にしていた杯を床へ叩きつけながら一蹴する。

 

「確かに負けてはおりませぬ、しかし勝てている訳でもないのです。戦が長引いているために国内は既に疲弊しきっております。このままで遠くない内に民心は完全に離れてしまうでしょう。一時でも良いのです戦を止め国内を立て直すべきです!」

「くどい!!」

 

なおも食い下がろうとする一鉄に、激昂したした義龍は立ち上がると、背後の刀掛けから刀を手にすると柄に手をかける。

 

「一鉄よもや貴様、織田に内通しているのではあるまいな!?」

「滅相もない!ただ私は国のためを思って…!」

「ならば大人しく俺に従っておれば良いのだ!」

 

本当に斬りかからんとする義龍に、一鉄やむなくといった様子で引き下がる。

そんな彼に義龍は不快そうに鼻を鳴らすと、共に諫言来ていた安藤守就へ視線を向けた。

 

「安藤!貴様や半兵衛に関する噂誠なのか!?」

「いえ、決してそのようなことはございませね!事実無根でございます!」

 

義龍の問いに、守就は額を床に擦りつける程平伏して答える。

噂とは竹中半兵衛は実は少女であり、義龍に手籠めにされることを恐れ男の影武者を立てており。更に織田家と内通し、敢えて戦を長引かせて国を疲弊させているいるというものであった。

守就は半兵衛の叔父であり、彼も半兵衛と共に疑惑の目を向けられているのだ。

 

「ならば何故半兵衛は俺の前に姿を現さぬ!すぐにでも出仕し釈明するのが筋であろう!!」

「恐れながら、半兵衛はただいま病を患っており、出仕すること能わず…」

「ええい、もう良い下がれィ!!」

 

怒りが収まらない様子で、追い払うように手を振る義龍。その姿からはどこか焦りのようなものが伺えた。

 

「…駄目でしたか」

 

外で待機していた氏家卜全が、部屋から出てきた一鉄らの様子から説得の失敗を悟る。

 

「ああ、義龍様は織田信奈への対抗心で冷静さを失ってしまっておられる」

 

元々義龍は血気盛んな面はあったものの、今のような横暴な人物ではなかった。

だが、道三が信奈に美濃を譲り渡すと決めたこと――即ち自身の後継者と選んだ日から彼は変わっていった。うつけと呼ばれていた信奈より、自身が劣ると父に見なされたことは、父に裏切られたとして心に深い傷を残すこととなる。

その傷は深い憎しみとなり、裏切った父へ復讐するために謀反を起こすこととなり。織田の介入で道三を討つことはできなかったが、下剋上にて国を乗っ取るという父と同じ手法で大名となり。今度は信奈を倒すことで己の力を証明しようと躍起になっているのだ。

その結果として民衆を顧みぬ政策を続けており、国は疲弊しきることとなってしまった。更に家臣団には彼の素質に疑問を抱き、道三が認めた信奈に従うべきはという考えを持つ者が出始めていた。

 

「道三様の見立ては正しかったのでしょうか…」

「まだそうと決まった訳ではない。我らは義龍様を信じ主と仰いだ以上、最後まで忠を尽くすのみよ。それより守就、半兵衛殿ことだが…」

「分かっている。そちらは儂に任せてもらいたい」

「頼むぞ、今家中で争っている余裕はないのだからな」

 

館を出ると半兵衛の元へ向かうため2人と別れる守就。

 

「(一鉄、氏家許せ。儂にはあの子(・・・)を見捨てることはできんのだ)」

 

守就は悲痛な面持ちで、友らの背中に心の中で詫びるのであった。

 

 

 

 

「敵地で何をしているんだお前は」

「少しでも姉上や皆の役に立とうと敵情視察さ!」

 

路地裏にて呆れた様子で問い詰める翔翼に、信澄はキリっとした顔で答えた。

 

「ほう、ういろう屋のか?」

「い、いや~せっかくだから競争相手の視察もしておこうかなぁって思ったけど、まさか潰れてるとはねぇ」

 

翔翼にジトーとした目を向けられると、冷や汗を流しながら頭を掻く信澄。

 

「とりあえずそこら辺は置いておいてやる。というか良くここまで1人で来れたな…」

「いやぁそれが賊に襲われたんだけど、彼に助けて貰ってね」

 

そういうと信澄は共いた男性を手で示す。

青年と呼べる年代で、衣服こそ翔翼らと同じ旅人姿であるが。長く伸ばした黒髪を勝家と同じく根本で纏めており、実に良く整った顔立ちをした色白の少年であった。

立ち振る舞いからしても、恐らくどこかの武家の出なのだろう。気配からして腕が立つことも感じ取れた。

 

「なる程な。友が世話になりました、礼を申し上げる」

「いえ、偶然通りかかっただけですのでお気になさらず。織田家の大空翔翼殿」

 

初対面であるのに名前を知ってい青年に、翔翼らの警戒心が上がる。五右衛門に至っては、懐に忍ばせている武器に手をかけている。

 

「そう警戒なさるな。あなた達のことは信澄殿から聞いているのです」

「…信澄」

「何だい翔兄?」

 

事態の重さを理解していないで、のほほんとしている阿呆(信澄)の頬を翔翼は全力で抓り上げる。

 

「ふぎゃ~!?」

「敵地に潜入しようとしているのに、自分のことを――あまつさえ潜入しちえる味方のことを馬鹿正直に話す奴があるかぁッ!!他国の間者だったらどうする!!」

ほめんなさ~い(ごめんなさ~い)!!」

 

信澄は痛みの余りに手足をばたつかせるが、容赦なく頬を引っ張っる翔翼。

 

「ご心配なく私は間者ではないので。それに、こうして織田家の者と知り合えたのは幸運でしたから」

「…失礼ながら、あなたは一体何者ですか?」

 

光秀は不信感を拭えない様子で青年に問いかける。

纏う雰囲気や所作から確かに彼は間者ではないのだろうが、只者でないのは変わりないことであった。

 

「申し遅れた私は浅井家当主(・・・・・)浅井長政と申す、以後お見知りおきを」

 

青年から放たれた言葉に、翔翼以外が驚愕で固まる。浅井家と言えば、美濃の隣国近江の北半分を統治する大名家であり、その当主がこうして目の前にいればと当然の反応と言えたが。

そんな彼らの反応に、長政は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべている。

 

「確かに噂に聞く風貌通りですな。知らぬとはいえとんだご無礼を」

「いえ、こちらも身分を隠していた身故気になされるな。それにしても、貴殿はさして驚かれていないのだな?」

 

平然としている翔翼の反応に、長政は少し面白くなさそうであった。

 

「当家の当主は、お忍びであちこち頻繁に遊びに行っているもので、自然と慣れてしまいまして」

「ははは。なる程、噂通り自由な御仁らしい織田信奈殿は」

 

やれやれと言いたそうな様子の翔翼を見て、愉快そうに笑う長政。その目にはどこか羨望の色が見えた。

 

「…つかぬことを伺いますが、お供の者は?」

「いや、いない。当主というのも、たまには1人だけになりたいことがあるもので」

 

そう言って苦笑する長政。本人は隠そうとしているようだが、その顔からは疲労の色が滲み出ていた。

 

「少し風に当たりたくなったということですか」

「その通りで、それでせっかくなので美濃や尾張を見て見たくなりましてな」

「尾張を?」

「…実は、我が浅井家は最近ある問題を抱えましてな」

「問題――南近江を治める六角家ですかな?」

 

心当たりがあると言った様子の翔翼の言葉に、長政はええ、と頷く。

 

「当主が変わった斎藤家は、我らの宿敵である六角家と関係を深めていましてな。恐らく近い内に同盟を結ぶのでしょう。そうなるとこちらとしては都合が悪い、故に今後の美濃の情勢は当家にも無関係ではないのです。家中では先に我らが斎藤家と手を組むべきという考えも出ているのですが…正直今の斎藤家は信頼できる相手か疑わしかったので」

「それで、ご自身で確かめようと?」

「そうです、ですが民草の様子を見るに現当主の斎藤義龍殿は信頼に値しないようだ」

 

活気の無い城下の人々に目を向けながら、失望の混じった声音で話す長政。

 

「斎藤家と手を組めない以上、その斎藤家と敵対している織田家と手を組むべきと考え、尾張へ向かい――」

「賊に襲われていた信澄に遭遇したと」

「ええ、それでこのままお一人にしておくのも気が引けてしまい、ここまでお供させて頂いた」

「…それは、ご迷惑をおかけしました」

 

陽気一辺倒の信澄も、流石に申し訳なさそうにしていた。

 

「いや、お陰で良い気分転換になっているのでお気になさらず。それに貴殿から伺った話から織田信奈殿は信頼できる御仁と知れたのは幸いでしたよ」

「身内の評価を余り信用すべきではないと思いますが…」

「あれ程嬉しそうに語っているのを見るとね」

 

いやぁ、と照れくさそうに頭を掻いている信澄に、翔翼は示守魂(しすこん)めが、と呆れた目を向けていると。従者に同じような目を向けられていた。

 

「というか信澄よ、何でこんな危なっかしいことをする気になったんだ?信奈が心配するだろうが」

「それだよ!」

 

信澄は的を射たとでもいたいように指を突きつけた。

 

「僕だって織田家のために役に立ちたいのに、姉上は危険な役目をやらせてくれない!この前に桶狭間での戦だって戦場に出してくれなかったし、今回の斎藤家との戦でも何もさせてくれない!僕も『尾張の虎』と呼ばれた織田信秀の血を引いているんだ!いつまでも軟弱な男じゃないことを姉上に見せてやりたいんだ!!」

「それで、勝手に飛び出して来た、と」

 

溜まっていた鬱憤を吐き出すように話す信澄。今まで見たことのない気迫に翔翼はほう、と感心した様子を見せる。

 

「確かにお前への過保護は行き過ぎていると考えていたが、お前がそう考えているならいい機会かもしれんな。まあ、いいだろう、なら俺の仕事を手伝え。まずは小さなことでもいいから、実績を積み重ねることから始めてみろ」

「やったね!流石翔兄、話が分かるぅ!」

「喜ぶのはいいが、敵地なんで余り騒がんでくれよ」

 

余程嬉しいのか人目を気にせずはしゃぐ信澄。

そんな彼に聞こえないよう、光秀が翔翼に話しかける。

 

「よろしいので?ここは無理にでもお戻りになって頂くべきでは…」

「どうせ言っても聞かんし、男を見せたいと意気込む奴を止めるのもな」

 

どこか嬉しそうな様子で信澄を見る翔翼。その姿は、まるで弟の成長を喜んでいる兄のようであった。

 

「足手纏いにならければよいのでちゅが」

「大人なら、若者の成長を手助すべきだと思うがなぁ?」

「ムム」

 

やれやれと言いたそうに息を吐く五右衛門に、翔翼が意地悪そうに言うと。反論できずしてやられたといった顔をする彼女へ、まだまだだな青いなと言いたそうに主が笑みを浮かべると、拗ねた様に頬を膨らませた。

 

「長政殿もよければご一緒にいかがでしょうか?」

「ありがたいことだが、よろしいのか?何かと織田家の内情に関わる案件でしょうに」

「こちらとしても、浅井家と関係を深めることは益がありますので」

「そうですよ、一緒に行きましょう長政殿!」

 

懐いた子犬のような目で手を引いてくる信澄に、長政はどこか恥じらいを見せながら引かれていく長政。

そんな彼の背中を、翔翼は何か感じ取ったのか顎に手を添えて思案顔になる。

 

「どうかされましたか翔翼殿?」

「いや、何でもない。行こうか」

 

先に歩き出していた光秀が声をかけると、翔翼は思案を止めて後を追うのであった。



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第十七話

信澄と長政を加えた一行は、竹中半兵衛の暮らしている森の中を歩いていた。

 

「む、あれは…」

 

森を進んでいると、昨日出会った少女が子猫を両腕で抱えているのが見えてくる。

 

「やあ、こんにちは」

「あ、お兄さん。皆さんもこんにちは」

 

翔翼が声をかけると、彼らに気づいた少女がぺこりと頭を下げる。

 

「そちらのお二人は?」

「友人だよさっき会ってね、せっかくだから一緒に行こうってことになったんだ」

「そうなんですか、お友達さんがいっぱいなんですね。羨ましいです…」

 

翔翼のことを羨望目で見ている少女、に翔翼はあることに気づく。

 

「昨日君が言っていた友達とはその子のことかな?」

 

少女の抱えている子猫には包帯が巻かれており、昨日共に採った薬草が必要な相手であることを推察する翔翼。

 

「はい、鴉さんにいじめられていたんです。可愛そうです、くすんくすん」

 

その時のことを思い出したのか、涙ぐむ少女の頭を撫でる翔翼。

 

「自然の摂理だからな、仕方ないこともあるさ」

「それは、そうですけど…。でも、可愛そうです、くすんくすん」

「優しんだな君は」

 

慈愛の目を向けながらしゃがんで目線を合わせると、よしよしと少女の頭を撫でる翔翼。

 

「…何やら性格が変わっていないだろうか彼?」

「生粋の露璃魂だからね翔兄は!」

 

翔翼の変化に長政が唖然とするも、信澄の説明にああ、と納得する。

そんな折、何かが駆けてくる音が聞こえてくる。

 

「その子から離れろォ!!」

「ッ!?」

 

翔翼と同年代の男が振り下ろしてきた刀を、翔翼は横に跳んで避ける。

 

「兄上!?」

「下がっていろ!!」

 

男は少女を背に庇うように立つと、翔翼らを威嚇する。どうやら少女の兄らしい。

 

「大空氏、もしやあの男竹中半兵衛では?」

「どうやらそのようだな」

 

男の外見噂に聞いている半兵衛と一致していた。彼が暮らしているとされる場所から近いこともあり、彼が竹中半兵衛なのであろう。

 

「待たれよ半兵衛殿。私は織田家家臣大空翔翼、そなたと争う気は…」

「!織田の手の者か!この子に害をなしに来たか!!」

「いや、話を…!」

「問答無用ッ!」

 

話し合いに持ち込もうとするも、明らかな敵意を向けてくる半兵衛は聞く耳を持たず翔翼に斬りかかって来た。

やむなく翔翼は刀を抜き防御すると、押し合う形になる。

 

「落ち着かれよ!露璃魂道に誓って、彼女に害を加えることなどせん!!」

「露璃魂だと!?尚更信用できるかこの変質者め!!」

 

半兵衛の言葉に、カチンときた翔翼。

 

「誰が変質者だゴラァ!!露璃魂は幼子の成長を温かく見守る礼儀正しい存在じゃボケェェェエエエ!!!」

 

気迫と共に押し出すと蹴りを放る翔翼、男はそれを腕で防ぐと勢いを利用して一旦距離を取る。

そんな彼に翔翼は素早く距離を詰めると、本気で斬りかかった。

 

「しょ、翔翼殿!?本気は不味いですよ!?」

「いかん!寛容の塊である大空氏だが、露璃魂のことを侮辱されりゅちょほんにゅへひれりゅてこちゃる!!」

「最後が噛み過ぎて分からんのだが!?」

「露璃魂のことを罪人扱いされると、本気で怒っちゃうんだよ翔兄は!ああなったら姉上でないと簡単に止められないんだ!!」

 

信澄の説明にええ…と困惑する長政。そうこうしている間にも、両者の争いは過熱していっていた。

 

「うおらぁぁぁあああ!!」

「はぁぁぁあああ!!」

 

互いに渾身の一撃を放とうと踏み込み――

 

「止めて下さいッ!!!」

「うおッ!?」

「半兵衛ッ!?」

 

少女両者の間に割って制止すると、慌てて動きを止める両者。

 

「半兵衛、だと?」

 

少女が割って入ってきたことに驚きもあるが、それ以上に半兵衛が漏らした言葉への衝撃が大きかった。

半兵衛はしまった、といった様子で眉を顰め。少女は戸惑うように俯くも、意を決したように顔を上げると翔翼を見据えた。

 

「そうです――竹中半兵衛、それが私の名前です」

「君が…?」

 

少女の告げた言葉に、思わずといった感じで言葉を漏らす翔翼であった。

 

 

 

 

「確認させてもらうが、君が斎藤家軍師竹中半兵衛なのだな」

「はい、その通りです。こちらは影武者を演じてくれていた兄の竹中 重矩(たけなか しげのり)です」

 

森の奥にある半兵衛の住まいである質素な造りの屋敷にて、翔翼の問いに自らを半兵衛と名乗った少女が答える。

 

「すまぬ半兵衛、私の失態だ」

「いえ、私を守ろうとしてくれたことですから。でも、お兄さんを斬ろうとしたのはやり過ぎです」

「野盗に襲われていると思ってしまってな…」

「悪かったな!賊の方が似合う顔つきで!!」

 

半兵衛を名乗っていた男――重矩の言い分に翔翼が拗ねた様に怒鳴った。

 

「兄上、お兄さんに謝って下さい」

「だが…」

「謝って下さい」

「…すまなかった大空殿」

 

妹の言い知れぬ圧に屈したように、部屋の隅に移り壁に向かって両脚の膝を立てて踵を揃え、両腕で両膝を抱え込んでいじけている翔翼に渋々といった様子で頭を下げる重矩。

 

「仕方ない、妹殿に免じて許してやろうではないか」

 

あくまで半兵衛が言ったからと言いたそうに、フンッ、と鼻を鳴らしながら元の位置に戻る翔翼。

 

「…意外と子供っぽいのだな彼は」

「結構負けず嫌いなんだよね~翔兄って」

 

そんな翔翼の様子を意外そうに見ている長政に、信澄がにゃはは、と笑いながら話す。

 

「半兵衛殿が本当は少女であるという噂は確かにありましたが…」

「火のない所に煙は立たないというやつですな」

「すみません。私人見知りなので、人前に出るのが怖くて…騙してしまってごめんなさい、いじめないで下さいくすんくすん」

 

光秀や五右衛門の言葉に、半兵衛は涙を浮かべながらペコペコと頭を下げ始める。

 

「別に怒っている訳ではないから謝る必要はないさ」

 

半兵衛の頭を優しく撫でる翔翼、その手を重矩がバシンッと弾いた。

 

「気安く妹に触るな露璃魂め」

「んだとゴラァ」

 

額を突き合わせながら睨み合う翔翼と重矩。

 

「あ、あの!翔翼殿は人に害を与えるような悪い露璃魂ではありません!」

「違うな光秀」

 

必死に助け船を出そうとする光秀を、翔翼は首を横に振りながら否定した。

 

「露璃魂とは幼子の成長を温かく見守る者だ!危害を加える輩は露璃魂ではない、それはただの罪人だッ!!一緒にされるのは甚だ遺憾である!!分かったか竹中重矩ィ!!!」

 

立ち上がり拳を握り締めながら熱弁し、特に言い聞かせように重矩にビシッ、と指を突きつける翔翼。

 

「…取り敢えず理解はせんでもないが、やはり貴様は妹に近づくな」

「何故だッ!?何故、露璃魂の崇高な使命を理解できんのだ貴様ァァァ!!」

「いや、無理もないと思うが…」

 

今にも重矩に掴みかからんとする翔翼に、長政が思わずツッコミを入れてしまう。

 

「く、何故誰も理解してくれない、やはり乱世は人の心を荒ませるのか…!」

「いや、これは乱世関係ないと思うよ翔兄?」

 

両手を床に着き項垂れる翔翼に、今度は信澄のツッコミが入った。

そんなこんな騒いでいると、屋敷の戸が叩かれる。

 

「重矩、半兵衛おるか?守就じゃ」

「む、叔父上か」

「み、皆さんこちらに隠れて下さい!」

 

翔翼らは慌てた半兵衛に促されるまま押し入れに隠れる。ちなみに五右衛門は早々に天井裏に退避していた。

その間に重矩が応対に向かい、半兵衛は急いで翔翼らの分の湯飲みを片づけて痕跡を消そうとする。

 

「…流石に狭いな。大丈夫か光秀?」

「は、はい」

 

元々物が入っている空間に4人も入るのは際どく、翔翼と光秀、信澄と長政で抱き合う形になってしまっていた。

偶然とはいえ意中の相手を抱き合っている状態に、光秀の顔は火を吹きそうな程真っ赤になっていた。

 

「いやぁ、こういう時は背が小さくて良かったなぁ。…男としては複雑だけど」

 

一般的な同年代より大柄な翔翼と対照的に、小柄な信澄は幾ばくかの余裕があった。

 

「~~」

 

そんな彼と抱き合っている長政は、何故か光秀に負けないくらい顔を赤くしていた。

 

「邪魔するぞ半兵衛――む、息が荒いがどうした?」

 

重矩に連れられた守就が、普段と違う様子の半兵衛を気に掛ける。

 

「え、えっと少しは体を動かして体力をつけようかと」

「そうか、それは良いことだが、余り無理はするなよ。ただでさえお主は病弱なのだからの」

「き、気をつけます」

「それで叔父上、この度は何用ですかな?」

 

嘘をつき慣れていないのか不自然さを消せていない半兵衛に、重矩が助け船を出す。

 

「うむ、今日訪ねたのは最近流れている半兵衛の噂についてよ」

「…私が影武者であり、半兵衛が織田家に内通しているというやつですか。もしや義龍様が鵜呑みにされていると?」

「そうじゃ、織田との戦が長引いているせいで噂に信憑性が高まってな。家中で不穏な気配が広まっているせいで義龍様は疑心暗鬼に陥っておる。もう儂がいくら否定しても聞き入れまい」

「なら、私が直接お目通りし無実を訴えれば…」

 

半兵衛の言葉に守就は首を横に振った。

 

「問題はそれだけではない、そなたの活躍を疎ましく思っている側近衆が、これ幸いと義龍様にあることないこと吹きこんでおる。そなたが赴いたのを機に、謀反人に仕立て上げられ処罰されるだけじゃ。こうなった以上、このまま斎藤家を去るかあるいは…」

「そ、それはできません…。黙って主の元を去るなんて…不義です。まして謀反なんて絶対に駄目です…」

「しかし半兵衛、このままではお前の命が危うくなるかもしれんのだぞ」

「それでも…不義はいけません…」

 

そう言って涙を浮かべながら俯いてしまう半兵衛。守就も重矩もどうしたものかと困り顔になる。

そんな折、翔翼は押し入れの戸を開けて自ら姿を晒した。

 

「あ、お兄さん今出ては…!」

「構わんさ。とっくに気づかれていたからな」

 

半兵衛の制止を気にせず歩み寄ると腰を下ろす翔翼。

守就は彼の出現に、驚くでもなく淡々と茶を啜っていた。

 

「ハッハッハッ半兵衛の様子がおかし過ぎたからの。それに、上にも一人おるかな?」

 

守就が天井に視線を向けると、観念したよう五右衛門が降りてきた。

 

「だが必死に庇っておったものでな。戦場では何度か顔を合わせているが斎藤家家臣安藤守就だ、こうして会えたのも何かの縁かな大空翔翼殿」

「私のような若輩者を覚えて頂けるとは光栄です」

「謙遜せんでいいさ、桶狭間での活躍は聞き及んでおるよ。それにこれまでの戦では散々に煮え湯を飲ませてもらったからの」

 

苦い思い出の筈なのに愉快そうに笑う守就。彼からは完全に敵対心を感じることができなかった。

 

「光秀殿も壮健そうで何よりじゃ。といっても裏切り者に言う資格はないのう…」

「いえ、守就殿ら皆様の判断も当然のことかと。道三様も怨まれてはおりません」

 

光秀の言葉に、守就はそうか…、と裏切ってしまった主君へ思いを馳せる。

 

「…守就殿は義龍殿に加担したことを後悔されているので?」

「後悔か。そうじゃな…今思えばあの時は短絡的だったと思うようになってきたわい。そのせいでこの子を危険に晒してしまったのだからの」

 

そう言って憂いを帯びた目で半兵衛を見る守就。

 

「大空殿、そなたらは半兵衛を調略しに参ったのだろう。いい機会だ半兵衛、織田家に――いや、大空殿に仕えるといい。彼ならお前の才を十分に生かしてくれよう」

「叔父上何を…!?よりによってこんな奴に!それにそんなことをすれば叔父上の立場が…!」

「良い重矩、儂のことは気にするな。老い先短い命だ、先のある若者の邪魔はしたくない」

「でしたら、守就殿も共に織田家へ参られては?」

 

光秀から出された提案に、守就は首を横に振った。

 

「主君の意も汲めず反逆する者等信奈殿の役には立たんよ。何より今更道三様に合わせる顔がないわ」

「そんなことは…!」

 

達観したように笑う守就に、諦めきれない光秀を翔翼が制止した。

 

「お前の気持ちも分からんでもないが。ここは彼の彼の意思を尊重すべきだろう」

「…はい」

「すまないな。それで半兵衛、お前はどうする?」

「叔父様先も言いましたが、不義はいけません。己の都合で主を変えるなど許されません」

 

涙を浮かべながら俯き、正座していた膝の上に置いていた手を握り締める。

 

「半兵衛殿。その忠義心は見事だが、忠義とは信頼の元成り立つものだ。君が無断で影武者を用いていたとしても、これまで国を守ってきた君をないがしろにしようとする者達を信じる者に、忠を尽くす必要はないと思うが?」

「…それでも、それでも…一度忠を誓った相手を、裏切ることは…できません…」

 

翔翼の言葉に。半兵衛は声を掠れながらも、強い意志を感じさせる目で見据えながら反論した。

 

「…そうか、ならばこれ以上言うことではないな。そろそろお暇するとしよう」

 

そう言うと、翔翼は守就へ一度頭を下げると立ち上がり、屋敷から退出していってしまう。

 

「いいのかい翔兄?せっかくここまで来たのに…」

 

他の者達が慌てて追いかけ、追いついた信澄が話かける。

 

「仕方なかろう。あれだけ決意が固いとな」

 

翔翼は肩を竦めながら、無念さを感じさせない様子を見せる。

 

「今後は如何なさるので?」

「そうさな…」

「少しいいかね?」

 

五右衛門の問いに思案顔になる翔翼へ、後を追うように館から出てきた守就が声をかけた。

 

「何でしょうか安藤殿?」

「半兵衛だがな、明日にでも出仕して義龍様に弁明すると聞かなくてな。そこでそなたらに頼みたいことがあるのだが…」

「…一先ず話だけでもお聞きしましょう」

 

今まで穏やかな雰囲気とは一転して、武士としての鋭さを帯びる守就に。翔翼はやはり来たかと言った様子で答えるのであった。




捕捉

・竹中重矩は正史における半兵衛の弟ですが。本作では陰陽師要素がないため、外見は前鬼で名前を借りた、中身はほぼオリジナルのキャラとして登場させました。


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第十八話

翔翼らが半兵衛と出会った翌日。兄重矩始め十数人の家臣を連れた半兵衛は稲葉山城へ出仕すべく山道を進んでいた。

稲葉山城――巨大な山そのものを天然の要塞として改造した山城である。

すぐ北には長良川が流れ、東には恵那山(えなさん)と木曽御岳山。更に西には伊吹山・養老(ようろう)鈴鹿(すずか)といった山々。城下町の井ノ口から南へ下ると急流・木曽川が尾張勢の進軍を阻む天然の堀として機能している。

これらに半兵衛の知略に、美濃三人衆ら名将が合わさり。織田軍に立ちはだかる強固な防壁と化していた。

城門を潜ると半兵衛は義龍の側近に城主の間にに連れられ、重矩ら家臣は城内で待機させられた。

 

「…では、各自手はず通りに」

 

重矩の言葉に家臣らは、運び込んだ葛籠から武具を取り出すと装備していく。

葛籠の中から現れた翔翼らは、彼らに交じり武装していく。

 

何故彼らがこの場にいるのかと言うと、話は昨日に遡る――

 

 

 

 

「それで、安藤殿頼みたいこととは?」

 

半兵衛の屋敷から離れた森の中で、翔翼は守就へ問いかける。

 

「その前に、国内では義龍様への不満が日に日に高まっておるのは、そなたらも感じておろう」

「国内の様子を見るに無理もないでしょうな」

「そのことで儂ら三人衆始め家中の者達が諫めようとするも、義龍様は自分に都合の良い御託を並べる者の言にしか耳を貸そうとせん。そのことに血気に逸る若い者らを中心に、実力行使も厭わんと言う声が出始めてのう」

「謀反、ですか?」

 

光秀の言葉に、守就は然りと頷く。

 

「止めることはできないのですか守就殿?」

「最早止めることは不可能だ。できることと言えば、流れる血を少しでも多く減らすことだけよ」

 

無念そうに首を横に振る守就に、光秀は悲しそうに顔を伏せる。元は仕えていた家だけに、見知った顔が多くその者達が血を流し合うことに心を痛めているのだろう。

 

「実はな、半兵衛に旗頭に立ってもらうよう、儂に説得してもらいとの話が合ったのだが。見ての通りの頑固者でな首を縦に振らなんだ。だが、そうも言っていられない状況となってしもうた。」

「義龍が半兵衛殿を、裏切り者として処断しようとしていることですか」

「ああ、儂はあの子らの両親が早くに亡くなってから、我が子同然に育ててきた。だからあの子を護るために、明日の出仕に合わせ同志と共に義龍様に弓を引くことにした。頼みと言うのはそれに協力してもらいたいのじゃ」

 

守就の告げた内容に、翔翼以外の者達が息を呑んだ。重鎮が謀反を宣言したのだ無理もないだろう。

 

「…ですが、そのようなことは彼女は望まないのでは?」

「確かに、それならば自ら処断されることを望むじゃろうな。それでも儂はあの子に生きてもらいたいのじゃ、例え怨まれることになろうともな」

「……」

「無理難題を押しつけているのは理解しており申す。どうか、どうか明日ある若者のためにお力添えを頂きたい」

 

そう言って守就は、地に膝を着け深々と頭を下げるのであった。

 

 

 

 

翔翼らは話合った結果。本人は希望していたが、立場上問題の多い長政以外は、守就への協力を決めこの場に参加することとなったのだ。

 

「……」

「言いたいことがあるならハッキリと言え、今更遠慮する必要などなかろうが」

 

何か言いたいのを躊躇っている重矩に、フッと笑みを浮かべる翔翼。

 

「貴様の思い通りに(・・・・・)なっていることが腹立たしくてかなわん。先の戦で我が策で貴様を討てなかったのが我が生涯最大の不覚よ」

「どうりで殺気に満ち満ちていると思ったが、あの質の悪い包囲陣を考えたのはやはり貴様か!!」

 

明かされた事実に翔翼が詰め寄るが、重矩は何喰わぬ顔で話を続けた。

 

「それで、何故我らに力を貸す?半兵衛に恩を売りたいか」

「…竹中半兵衛がお前だったならしなかったがな。あんな無垢な子の危機を放ってはおけんだけよ」

「貴様には礼は言わんぞ」

「無論だ。言われても困る」

 

話を終えると準備に戻る翔翼。そんな彼に今度は光秀が声をかけた。

 

「翔翼殿、本当に防具はそれだけでよろしいので?」

「ああ、将として動く必要がないからな、これで十分だ」

 

翔翼は籠手や膝当てといった、防具は関節部だけを守れる程度しか用意しておらず、代わりに刀を数本携さえていた。

 

「『賊狩り』の頃に戻られるので?」

「賊狩り?」

 

五右衛門の発した聞き慣れない単語に、光秀は首を傾げる。

 

「五右衛門」

「ハッ失礼」

 

それ以上は語らせないよう止める翔翼。まるで、光秀に知られることを恐れているようだった。

 

「覚悟はいいな信澄、もう後戻りはできんぞ」

「ぼ、僕だって織田家の男だやってみせるよ」

 

翔翼は緊張した趣きの信澄に声をかける。母や姉に大切に育ててこられた彼は、戦場に立つことはおろか刀さえ碌に持ったことがないのだ。

 

「気負い過ぎるな、とにかく生き残ることを考えろ。そうすれば結果は後から着いてくる」

「う、うん」

 

そんな彼の肩に手を置きながら助言を与える翔翼。そうしていると、ピィィィィィィィィ!!!と指笛の音が鳴り響いた。

 

「合図だ始めよう!」

 

重矩が告げると、配下の者達が気勢を上げながら討ち入りを敢行していく。

 

「俺達も往こう、背中は任せるぞ」

 

光秀と信澄がそれぞれ応じると、翔翼は重矩らに続いていくのであった。

 

 

 

 

「竹中半兵衛、命によりただいま参上致しました」

 

城主の間に連れられた半兵衛は、主君である義龍の前で平伏する。

 

「顔を上げよ。お主が本物の半兵衛、か。影武者を用いていた噂は誠であったか」

「はっ体が弱く人見知りしてしまうため。勝手ながら兄に代役を務めてもらい、私の授けた策を実行してもらっておりました」

 

半兵衛の弁に、周りにいる側近らが嫌味を込めながら苦言を呈すが、義龍がそれを止める。

 

「事情は分かった、大方安藤がお主を案じてのことだろう。これまでの働きを見れば、寧ろ戦場に立たずあれ程の采配を取っていたことを賞賛すべきであろう」

 

義龍の言葉に、側近らも渋々といった様子だが同意を示す。これまで半兵衛を演じていた重矩が見せていた策は戦前に半兵衛から与えられたものであり、即ち彼女は戦場を見ることなく敵の動きを見抜いていたのである。紛れもない天才と呼ぶに相応しいものであった。

 

「故に影武者の件は責めん。だが、もう一つの噂についてはそうはいかん」

 

鋭く半兵衛を睨む義龍。もう一つの噂とは織田家への内通の嫌疑であり、ここからが本題と言えよう。

 

「この半兵衛二心等ございません。あるのは斎藤家――義龍様への忠義のみです」

「ならば問う。何故幾度となく敵を追い詰めながらも、その度見逃してきた?」

「恐れながら孫氏には『百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』とあります。敵を打ち倒せばそれだけ憎しみは連鎖し、敵味方関係なく多くの血が流れます。戦わずして勝利することで敵の戦意を挫き、戦を終わらせることが肝要かと」

「ならば城下を見てみよ、その結果がこれか!敵勝つどころか、戦を無駄に長引かせ国を疲弊させているだけではないか!!」

 

激昂して立ち上がると詰め寄ってくる義龍。そんな彼に半兵衛は再び平伏した。

 

「恐れながらこちらから歩み寄る意思を見せれば、織田家と和睦する道はございます」

「ええい、貴様もこの状況を招いたのは、儂がつまらぬ意地を張っているからと申すかッ!」

 

憤慨した様子で刀に手をかける義龍。対する半兵衛は臆することなく言葉を続ける。

 

「民を想うのなら、どうか目先のことだけに囚われず大望を抱くべきです。織田信奈殿は先見の明溢れるお方、争い合うより共に手を取り合えばより国は潤い民には安寧が訪れます」

「尾張に逃げた蝮がそのようなこと許すものか!尾張のうつけを利用して儂から当主の座を取り戻そうと狙っているに違いない!」

「先代様が望まれるのは民の平穏です!義龍様が当主としての責務を果たされるのなら、そのようなことはなさいません!」

「そうやって儂を謀って織田に売る気か貴様ァ!!」

 

我慢の限界を迎えた義龍は、刀を抜き振り上げた。

向けられた刃に、半兵衛は抗う様子もなく受け入れるように目を閉じる。

振り下ろされた刀は、天井から降りてきた影が振るった忍び刀に弾かれた。

 

「五右衛門さん!?」

「御免!」

 

突然の事態に困惑する半兵衛を、五右衛門は片手で抱えて義龍から距離を取ると指笛を鳴らす。

 

「忍びだと!?」

「織田の手の者か!やはり通じておったか!」

「曲者だ!出会え出会えィ!」

 

側近らが騒ぎ立てると同時に、城全体から喧騒が響き始めた。

すると、1人の家臣が慌てた様子で室内に飛び込んでくる。

 

「と、殿一大事でございます!!」

「何事かッ!!」

「む、謀反です!竹中半兵衛の家臣が武装してこちらに迫っておりますッ!!」

 

家臣の放った言葉に、半兵衛の顔が驚愕に染まる。以前義龍を諫めるための計画を告げられ、彼女は義に反すると否定したが、兄は今回自分を守るためにその計画を利用したのだと気づいたからだ。

 

「ぐぁアアアア!!」

 

喧騒が間近まで迫ると、血を流した守衛が倒れ込んでくる。その拍子に飛び散った血が半兵衛の顔につき思わずヒッ!と怯えた声を漏らす。

 

「よお、邪魔するぜ斎藤家の皆さんよぉ」

 

両手に血の滴る刀を持ち、全身が血に塗れた翔翼が部屋に足を踏み入れてきた。

その目は普段の温厚さはなく、獣のような凄みを帯びており。様相と合わさり、まるで別人のような印象さえ与えていた。

翔翼は室内を一瞥し、義龍の姿を捉えると右手に持つ刀の切っ先を向ける。

 

「お前が義龍か、随分と暴れたそうだなぁオイ。どうだい俺が相手してやるよ」

 

挑発的な笑みを浮かべながら翔翼は、左手の平を上にすると手招きるような動作をするのであった。



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第十九話

「どけィ!無駄に命を散らせるなッ!」

 

半兵衛のいる城主の間を目指す翔翼は、立ち塞がる斎藤兵を斬り伏せながら突き進んでいく。

 

「ヒッ!な、なんだこいつは!?化け物か!?」

「強すぎる…!」

 

翔翼の通った道には彼に倒された者達が転がっており、その数は十数人になろうかというものであった。

刀が折れるか切れ味が落ちるとそれを捨て、携えた刀を抜くか敵の持つものを奪い剣戟を繰り広げていくその姿は、悪鬼羅刹のように斎藤兵に映った。

 

「や、やぁぁああ!」

「ぐぁ!」

 

翔翼の背中を守る信澄が、彼の背後を狙おうとする斎藤兵を斬り倒す。

 

「ハァハァ」

 

息を乱しながら額を流れる汗を拭う信澄。初めて戦場に立ち、そして人を斬ったことに手が震えてしまう。

 

「おのれェ!」

「うわッ!」

 

自分に振るわれた刀を受け止めるも、床に流れる血に滑り転倒してしまう信澄。無論敵がその隙を見逃す筈もなく刃を突き立てようとする。

そこに光秀が助けに入り敵を斬り伏せる。

 

「ご無事ですか信澄様!?」

「あ、ああ。ありがとう光秀」

 

光秀の手を借りて起き上がる信澄。無理を言ってまで参加させてもらった言うのに、足を引っ張てしまっていることに情けなさを感じてしまう。

 

「ハァァァアアア!」

 

その間にも、屍の山を築いていく翔翼。圧倒的なまでの力を見せる彼に斎藤兵が浮足立つ。

 

「お前達は退がれ!奴は儂が相手をする!」

「一鉄様、卜全様!」

 

駆け付けてき稲葉一鉄と氏家卜全に斎藤方が湧き立つ。

 

「!貴様は織田家の、何故ここに…!」

 

一鉄は戦場で見覚えのある顔がいることに眉を顰める。

 

「それに光秀殿も…。まさか、かの噂は誠であったのか!?」

 

謀反を起こした集団の中に、織田家の者がいることに困惑する卜全。

 

「美濃三人衆の2人か、面倒なのが出てきたな」

「ここは私にお任せを、翔翼殿は先に行って下さい」

 

光秀の提案に思案する翔翼。斎藤家の猛者らを相手に、彼女を残すことには不安があった。

 

「足止めをするだけでのでご心配なく。あなたは早く半兵衛殿の元へ」

「…分かった頼む。信澄、煙幕張れィ!」

「う、うん!えっと、こうして――よいしょ!」

 

五右衛門が用意していた煙幕を、たどたどしい手つきながらも点火し床に投げると。発せられた煙によって周囲の視界が塞がれる。

その間に翔翼は一鉄ら目がけて駆けだすと、跳んで彼らの頭上を超えて行く。

 

「!しまったッ!」

 

それに気がついた一鉄らが追いかけようとすると、城外から法螺貝や太鼓の音と気勢の声が響き始める。

 

「な、これは…!」

「あれは、守就の手勢か!?」

 

城の外へ視線を向けると、同じ三人衆であり友でもある守就の軍勢が城下に押し寄せていた。これを見た城内の混乱は増し逃げ出す者まで出始めていた。

 

「まさか、守就殿も謀反を!?馬鹿な、何故…!」

「半兵衛殿を守るため、そしてこの国の明日のためです」

 

卜全の困惑に光秀が答える。

 

「あなた方も気がついている筈です。今の義龍殿のままでは、この国に待っているのは悲劇だけだと。だから…!」

「…それでも、我らは主を裏切りあの方を新たな主と仰いだのだ!今更…!」

 

慟哭のような叫びと共に振るわれた一鉄の刃を、刀で受け止める光秀。

 

「道三様はあなた方を怨んではいません!過ぎたことに縛られず、明日のために生きて下さいッ!!」

 

力の限り叫ぶと、光秀は一鉄を押し返すのであった。

 

 

 

 

「ぬぅぅ。何奴名を名乗れィ!」

「織田家家臣大空翔翼だ」

 

義龍が威嚇するように叫ぶも、翔翼は気にした様子もなく淡々と名乗る。すると、室内にいる義龍の家臣らがざわつく。

 

「大空翔翼とな!?』

「桶狭間で今川義元を討ち取ったという…」

「半兵衛が織田家と通じているのは誠であったか!」

「…今回件は俺が勝手にやっていることだけどな。ま、信じろってのが無理な話だが」

 

翔翼はとりあえず言っておくといった様子で話す。聞き入れられるとは思っていないが、可能な限り半兵衛が非難されることは避けたかった。

そして、やはり義龍らは聞く耳も持たず刀を向けてきた。

 

「これ以上こちらに争う気はない。半兵衛を見逃してくれるのなら、こちらも手は出さない」

「戯けたことを!構わん斬れェッ!』

 

義龍の号令に護衛役の2人が襲いかかると。翔翼は連携を取られる前に、1人に片手の刀を投げつけながら接近し身を逸らして回避した隙にもう片手の刀で斬り伏せ。敢えて晒した背に斬りかかってきた者の片手を斬り落とし、苦痛に悶えている間に首を斬り落とした。

 

「これで分かっただろう。これ以上は城をお前達の血で染めるだけだぞ」

 

選び抜かれた精鋭である主君の護衛役が、瞬く間に倒されたことで側近に動揺が走る。そんな中義龍は冷静さを保ったまま翔翼を見据えていた。

 

「五右衛門、半兵衛を連れて先に行け」

「御意」

 

五右衛門は半兵衛の手を取るも、半兵衛はその場から動こうとしない。

 

「待って下さい!私は…!」

「御免!」

 

五右衛門は半兵衛の鳩尾に拳を打ち込み気絶させると、彼女を肩に担ぎ走り去っていく。

側近らが慌てて追いかけようとするも、翔翼が睨みつけるとその圧に押されて怯む。

 

「…貴様らは退がっておれ。こやつは儂が始末する」

 

義龍が刀を抜くと翔翼と対峙する。

すると翔翼は、携えていた刀の内から最後に残っていた1本を新たに抜き取り構える。

 

「斎藤義龍。テメェが目指す国ってのは何だ?」

「何?」

 

翔翼の突然の問いに、眉を潜ませる義龍。

 

「道三の爺さんを追い落としてまで、テメェは何を成し遂げたいんだって聞いてんだよ」

「知れたこと。儂が織田信奈よりも優れていると、蝮の考えがいかに愚かだったかを証明するためよ!!」

 

咆哮と共に振るわれた刃を、体を捻りながら片方の刀で受けながすと、翔翼はその勢いを利用して背後に回りながら背中へともう片方の刀を振るおうとする。

義龍は巨体ながら素早く反応すると、翔翼を蹴り飛ばす。

 

「ッ!」

 

床を転がりながら素早く起き上がるも、蹴られた腹部に激痛が走り僅かだが顔を顰める翔翼。

 

「(やっぱ一撃が重いな。受け流した手も痺れが残ってやがる…)」

 

「ぬぅぅん!」

 

追撃してきた義龍が次々と繰り出す斬撃を、翔翼は後退しながら避けるも。すぐに壁際に追い詰められてしまう。

 

「終わりだァ!」

 

確実に仕留めるべく、渾身を力を込めて刀を振り下ろそうとする義龍。

 

「(刀で受ける――いや纏めて斬られる、なら!)」

 

まともな手段では防げないと判断した翔翼は。両手の刀を捨て両手を突き出すと、振るわれようとする刀を両掌に挟んで抑えた。

 

「なんと!?」

 

予想外の展開に驚愕する義龍。その隙を逃さず、翔翼は刀を奪い取ると義龍を蹴り飛ばす。

 

「やっぱ、小せぇな」

「何だと!?」

「自分が誰より優れてるだなんだ、んなもんテメェだけでやりやがれ。他人を苦しめてまでやることじゃねぇだろうが。そんなことで大名やってる奴ばっかいるから、いつまで経っても争いが続くんだよォ!!」

 

義龍を睨みつけながら吼える翔翼。普段は感情を余り見せないその顔には、明確なまでの怒りが浮かんでいた。

 

「貴様に何が分かる!蝮に、父に否定されたこの俺の惨めさがッ!あんなうつけに負けた俺の悲しみがァ!!!」

 

あらん限りの声で叫びながら、握り締めた拳を震わせる義龍。

 

「テメェこそ信奈の何を知っている!あいつは本気でこの国を変えようとしてんだ!そこに生きる奴らが戦や賊に怯えることなく、笑って暮らせる世の中にしようと自分を犠牲にしてまで戦ってんだよ!自分のことしか考えてねぇ奴に負けるわきゃねぇだろォ!!」

 

負けじと言わんばかりに叫びながら、拳を握り締めながら振りかぶり踏み込む翔翼。それに応えるように義龍も同じ態勢になる。

 

「「うぉぉぉらアアアア!!!」」

 

互いに渾身の力を込めて振るった拳が頬に叩きこまれ、衝撃が全身を駆け巡る。どちらもその状態のまま暫く固まっているも、やがて義龍の巨体が揺れると膝から崩れ落ちた。

 

「……」

『ヒッ!?』

 

互いの圧力に沈黙していた側近らに翔翼が視線を向けると、怯えた様子で情けない声が漏れる。

 

「こいつを連れてこの城からさっさと失せろ。そんでもって、テメェの生きかたってのをもう一度考えてみろって目が覚めたら伝えな」

『は、はィィィイイイ!!!』

 

数人がかりで慌てて義龍の抱え上げると、猛烈な速さで去っていく側近ら。

 

「…ッテェな、いい拳打ちやがって」

 

殴られた頬から走る激痛に翔翼は顔を顰めると、口腔内に溜まった血を吐き出し光秀らと合流しに向かうのだった。

 

 

 

 

稲葉山城本丸にある広間にて、城を占拠した重矩らが城内から亡骸となった者を運び出したりと後始末が行われていた。

それを眺めている翔翼らの傍らには、半兵衛が地面に蹲って顔を伏せていた。

 

「一応言っとくがよ、安藤殿や竹中重矩らはお前に生きてほしいかったから行動したんだ。例え汚名を被ることになっても、な」

「…それは理解できます。でも、そのせいで多くの人が亡くなりました、皆さん帰りを待つ大切な人がいたのに」

 

翔翼の言葉に、そのままの姿勢で答える半兵衛。その言葉はどこまでも沈み込んでいた。

 

「なら忠義者としてあのまま死ねば良かったってか。甘えんのもいい加減にしろや」

「ッ!」

「翔翼殿!?」

 

苛立ったように低く威圧感のある声に、怯えた様に体を震わせる半兵衛。厳しく当たりだした翔翼に、光秀が咎めるような声を上げる。だが、彼は気にした様子もなく言葉を続ける。

 

「なあ半兵衛、忠義ってのはただ従うことじゃなくてよ。その相手が過ちを犯してんなら、例え命をかけてでも止めてやることなんじゃねぇのか?」

「!」

「それで誰かが傷つき血を流すことになってもよ、背中を支えてこそ家臣ってもんだと俺は平手のおっさんに教わったよ」

「平手のおっさん、さんですか?」

「平手政秀って人で、信奈の教育係をしていた人さ。その人の息子らが信奈を裏切ろうとしたことがあってな、それを止めるために自分の腹を切って責任を取ったのさ。だから、信奈も息子らを許しそいつらも忠誠を誓ってくれたんだ」

 

顔を上げた半兵衛に、寂し気に語る翔翼。沢彦同様彼も恩師と言える人物であり、その死に深い悲しみを抱いていた。

 

「言わせてもらうがな。何も変えようとしねぇで、ただ忠義だなんだ言って死にゃいいってのは自己満足に酔ってるだけにしか見えねぇよ」

「……」

 

翔翼の言葉を噛みしめるように聞いていた半兵衛は、立ち上がると広場に運ばれていた亡骸となった者らの元へと歩み寄る。

 

「…私が間違えなければもっと強かったら、この方々は死なずに済んだでしょうか?」

「かもな」

 

膝を折って許しを請うように手を合わせる半兵衛。

 

「私はどうしたらいいでしょうか?どうすればこの方々に報いることができるのでしょう…」

「そんなこたぁ自分で考えろ。己の生き方なんざ、テメェにしか決められねぇもんだろ」

「…そうですね。私は今まで叔父上や兄上に甘えていました。これからは自分にできることを探してみます」

 

立ち上がって振り返った半兵衛は、今までよりもどこか力強さを感じさせる目をしていたのだった。

 

「…あの翔翼殿」

「ん?どうしたよ光秀?」

 

話がひと段落すると、光秀がどこか遠慮がちに話しかける。

 

「いえ、その…」

「なんだよ、何遠慮してんだ」

 

彼女にしては歯切れの悪い様子に、翔翼は首を傾げる。

 

「…口調が戻っておりませんぞ大空氏」

 

やれやれといった様子で五右衛門が話すと、ハッとした顔になる翔翼。

気まずそうな様子で冷や汗を流し、拳を握り締めると自分の顔面を思いっきり殴った。

 

「しょ、翔翼殿!?大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ。気にするな光秀」

「いえ、鼻から血が出てますからね!?」

 

顔を逸らそうとする翔翼の顔を掴んで、光秀は無理やり自分の方に向かせると取り出した布で鼻を抑える。

 

「これくらい問題ない、気にするな」

「いいからジッとしてて下さいッ!」

「ア、ハイ…」

 

遠慮しようとする翔翼だが、光秀の気迫に押されてい大人しくなる。

そんな主を、五右衛門は呆れた様な、どこか冷ややかな目を向けているのであった。

この後、半兵衛は義龍に城を返すと重矩と共に野に降ることで斎藤家を去り。謀反に加担した守就は隠居し一線から身を引く引くこととなる。

この一連の出来事は。半兵衛含め謀反側は真実を語ることはなく、義龍側も真実が漏れることを良しとしなかったため。どこからか流れた『竹中半兵衛が、主君である斎藤義龍を戒めるべく謀反を起こした』という噂が真実として語られるようになり、稲葉山城を僅か十数名で乗っ取るという偉業として近隣諸国を驚かせることとなるのであった。

そして、翔翼ら織田家の者がこの件に関わったことは隠されることとなり、後の世に語られることはなかったのであった。



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第二十話

稲葉山城での一件から数日が経った美濃と近江の国境にて。翔翼らは、国に戻ることにした長政と、彼の勧めで北近江に隠棲することとなった半兵衛と重矩を見送るべく訪れていた。

 

「それでは皆さん私達はこれで。皆さんから頂いた御恩は一生忘れません」

「俺に関しては忘れて構わんぞ。そんな資格はないからな」

「…私が打ち首に処されかけたのは、ご自身に原因があるとお考えだからですか?」

「ああ、そうだ」

 

半兵衛の言葉に頷く翔翼。

 

「私が戦を長期化させることで、両国を疲弊させ講和させようとすることを利用し。補給部隊を積極的に襲撃することで美濃をより疲弊させて、民の不満を高めることで義龍殿に私への疑念を抱かせ、更に織田家との内通の噂を流し仲違いさせようとしていたのですよね?」

「それ以外の手段が思いつかなかったからな。まあ、まさか竹中半兵衛がそこの不愛想男ではなく、お前さんだったのは予想外だったがな」

 

お見通しかと言いたそうに肩を竦める翔翼。

さらりと悪口を言われた重矩は、お前だけには言われたくないと吐き捨てるように言い。あん?と翔翼が詰め寄ると睨み合い、光秀と半兵衛がそれぞれまあまあ、と間に入る。

 

「…ごほん。流石に、あのまま処罰されるのは目覚めが悪くなるのでな。だから安藤殿の誘いに乗らせてもらった」

「え、そうだったの翔兄?」

「そうだよ。まさか信澄、お前俺がただのお人好しで助けたと思っていたのか?」

「うん」

「うん、じゃない。俺がそんな人間な訳ないだろうが」

 

呆れた様に言う翔翼に、その場にいる一同がえ?やは?といった反応を見せる。

 

「何だ、その信じられないといった顔は…」

「いや、翔兄がお人好しじゃなければ、誰のことを言えばいいのかと」

 

信澄の言葉に光秀はうんうんと頷き、五右衛門は桶狭間…、とわざとらしく呟く。

 

「お前らな…」

 

当人にとっては予想外の反応を見せる仲間らに、不機嫌そうにこめかみをひくつかせる翔翼。

そんな彼の手を半兵衛はそっと握ると両手で優しく包む。

 

「理由はどうであれ、あなたに助けられたのは事実です。だからいつか恩返しをさせて下さい」

「…好きにしろ」

 

微笑む彼女に、やれやれと言いたそうに頭を掻く翔翼。

 

「それでは、半兵衛殿と重矩殿のことは、私が責任を持って面倒を見よう」

「ご迷惑をお掛け致す長政殿」

「いや、あの件ではただ遠くから見ていることしかできなかったからな。これくらいはさせてほしい」

 

深々と頭を下げる重矩に、おおらかに笑う長政。

 

「それでは我らはこれで。そろそろ帰らないと、主君に何をされるのか分からないので」

「ああ、気をつけてな。信奈殿に同盟の件よろしく伝えてくれ」

「承知しました、必ず」

 

翔翼の返答に満足気に頷くと、長政は信澄へと歩み寄る。

 

「信澄殿も達者で。早く傷が治るよう願っている」

「いやぁこんなの大したことないんで。意気込んだわりには結局役に立てなっかったし…」

 

あはは、と苦笑しながら頬を掻く信澄。彼の体には至る所に包帯が巻かれていた。

 

「そんなことはなかろう。俺には十分織田家の男らしくなったとと思うがね」

「そ、そうかな?」

「そうとも、そなたは立派に戦われた。その傷は己を卑下するものでなく、誇りにすべきだ」

 

手を取りながら微笑む長政に、照れくさそうに頭を掻く信澄。

 

「短い間だったが、そなたといられて心から安らげた感謝する。縁があればまた会おう」

 

別れを惜しみながら長政らは近江へ向けて歩き出し、翔翼らも尾張へ向けて歩き出す。

 

「大空翔翼」

「何だ竹中重矩?」

 

不意に呼び止めた重矩に、振り返ることなく顔だけ向ける翔翼。

 

「…妹のために命をかけてくれたこと、礼は言わんが感謝はしている」

「そうかい。まあ、あの子と仲良く暮らせよ。じゃあな」

 

そのまま軽く手を振って去っていく翔翼に、フッ、と笑みを浮かべると重矩は自分を呼ぶ妹の後を追うのであった。

 

 

 

 

清州城下へと戻ってきた翔翼は、違和感を感じむ?と眉を顰める。

 

「翔翼殿、城の方がやけに静かですね」

「ああ、城に人の気配が殆ど無いな」

 

光秀も同じものを感じたようで、何かしら騒がしい清州城が嘘のように静まり返っていた。

 

「おお、皆様方お戻りになられましたか」

 

一向に気がついた町人らが次々と話しかけてきた。

 

「ただいま戻った。ところで城の方がやたら静かだが戦でも起きたのか?」

「いえ、美濃の方で謀反があったとか噂が流れてきたら、信奈様が小牧山の方に居城を移すといって数日前に留守役以外の家臣の皆様を連れて行ってしまわれました」

「そんなあっさりと本拠を移されるとは、流石は信奈様ですね…」

「珍しいことなのか?」

「武家と言うのは伝統や慣習を重んじますので、よほどのことが無い限り大名が居城を変えることはしないのです」

 

光秀の説明に、ほう、と興味深そうに顎を撫でる翔翼。確信的な政策を執る信奈や道三しかしらない彼からすれば、保守的な旧来の大名の方が珍しいのである。

 

「あ~~~~~!!!」

 

そんな話をしていると、聞き慣れた声が響いてきた。

 

「この無駄にデカい声は勝家か、何で残っているんだあいつ?」

 

声のした方を向くと、ものすごい速度で駆けてくる勝家が見えた。筆頭家老である彼女も信奈に着いて行ったを思っていたために意外そうな様子の翔翼。

駆け寄ってきた勝家は翔翼の襟を掴むと、激しく揺さぶってきた。

 

「竹中半兵衛が謀反を起こしたってだけでもビックリしたのに、何で引き抜きにいったお前が混ざってんだよ!」

「知らん、人、違いだ。てか、離せ、吐く」

 

織田家一の剛腕持ちである勝家に容赦なく揺さぶられ、翔翼の顔色が青くなっていく。

 

「勝家、いくら翔兄でもそれ以上はヤバいから放してあげなよ…」

「ああ、信澄お帰りなさいませって、わぁぁぁあああ!包帯だらけじゃないですか!?ホントに何してきたんだよ翔!!」

「引き抜き工作だ、謀反に、など加わって、ない」

 

両手と膝を着いて吐き気をこらえる翔翼、そんな彼の背中を光秀が擦る。

 

「鬼みたいに暴れる野盗顔した奴なんてお前以外にいないだろッ!!」

「宣戦布告か、上等だゴラァッ」

「どうどう、どうどう」

 

気にしている部分を踏み抜かれキレる主を、慣れた手つきで宥める五右衛門。

 

「…それで、お前はここで何をしているんだ?信奈は小牧山に行ったのだろう?」

「信盛がお前達の連絡役に残ってくれって」

「…そうか、ありがとうな」

「え、何でそんな可哀そうな奴を見る目で見てくるんだよ!?」

 

軍事以外は正直大して役に立たないので、厄介払い同然の扱いをされていることに微塵も気がついていない勝家に。思わず暖かい視線を向けてしまう翔翼。

 

「何だよ、どうせ待ってたのがあたしでがっかりしてんだろ。ふ~んだ、どうせあたしなんか可愛くないもんな!」

 

拗ねた様に頬を膨らませてそっぽを向いてしまう勝家。そんな彼女を翔翼はん?と不思議そうに見る。

 

「そんなことはなかろう。十分可愛いと思うがな」

「だ、だってあたし他の皆みたいに頭良くないし、腕っぷししか取り柄ないもん…」

「人間そんなもんだろ。百人いればそれぞれ違ってくるもんだと思うがね。お前にはお前の良さってのがあるんだから気にするな」

「…例えばどこら辺が?」

「素直なところとか、ご飯をいっぱい食べるとこなんか俺は可愛いと思うがね」

 

上目遣いでおずおずと問いかけてくる勝家に、翔翼は迷わず答える。

 

「で、でも食べ過ぎる女の子って男は嫌がるって聞いたし…」

「少なくとも俺は悪いとは思わん。幸せそうにしているお前を見るのは好きだな」

「~~!!」

 

あっけらかんと言い放つと、勝家の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 

「それと可愛いってのとは違うが、戦場では敵を引き付けてくれるから俺も動きやすくて頼りになるし――「わー!わー!もういいからァ!!」むがっ!?」

 

なおも誉めようとする翔翼の口を、慌てて両手で塞ぐ勝家。すると密着することになり、彼女の豊満な胸が押し当てられる。

 

「(この馬鹿何やってんだ!ええい、引き剥がせん!)」

 

ふくよかな感触に困惑しながら引き剥がそうとするも、相手の方が腕力が強くどうにもならない。

 

「胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要胸など忍びに不要…」

「(…やっぱり、大きい方がいいんでしょうか?)」

 

他の仲間に視線で助けを求めるも、五右衛門は虚ろな目で同じことを呟いており、光秀は程よい大きさの自分の胸に手を当てて何か考え込んでいた。

 

「わぁ流石翔兄、尾張一のたらしだね~」

 

呑気そうに言う信澄に。翔翼は失礼な、と抗議したかったが、口を塞がれていてくぐもった声しか出なかったのだった。

 

 

 

 

尾張の北部にある小牧山では、美濃攻めの新たなる拠点の建築が急速に進められていた。

勝家を加え、小牧山に到着した一同を、もう1人の筆頭家老である信盛が迎え入れた。

 

「どうもどうも皆さんお帰りなさいませ。美濃では色々とおありだったようで大変だったでしょう。信奈様もとても心配なされていましたので、早く顔をみせてあげて下さいね」

「そうか、ならこの縄を解いてもらいたいのだが?」

 

にこやかに語る信盛に。到着して早々に信盛の手によってお縄にされ、三角形の木を並べた台の上に裾を捲られて正座の状態で、柱に括り付けられた翔翼が抗議の声を上げる。すると、信盛ははてさてはて?とわざとらしく首を傾げる。

 

「君は何か申し開きすることがある筈ですけどね~???」

「竹中半兵衛の調略に失敗したすまん」

「他にもありますよね~稲葉山城で起きたこととか、ねぇ?色々と情報を集めたりとかねぇ、嘘の噂を撒いてあげたりとか、ねぇ。この普請でただでさえクソ忙しいのにのによぉ」

「さて、知らんな」

「そうですかそうですか。では、こちらも然るべき処置を取らなければいけませんね~」

 

信盛が指を鳴らすと、配下が側に置いてあった四角形の石を翔翼の太ももの上に投げ落とすように載せた。

石の重みで脛の部分に三角木材の稜線が食い込み、激痛にぐぉ…ッ!と苦悶の声を漏らす。

 

「僕も親友にこんなことはしたくないんですよ~。早く楽になりましょうよぉ」

「(楽しんでいるようにしか見えないんですが…)」

 

嘆くような素振りを見せる信盛だが。その光景を見ている光秀には、とてもそうは見えなかった。

 

「さあ、光秀殿らはお先に信奈様の元へどうぞ。彼は僕とじっくりとお話したいそうなので」

「この、鬼、めぐぁ…ッ」

 

非難の目を向ける翔翼の言葉を遮るように、指を鳴らし石を追加で乗せさせる信盛。

 

「行こう光秀。キレた信盛には逆らわない方がいい…」

 

光秀の袖を引きながら顔を青ざめている信澄。五右衛門ですら怯えた様に主に向けて合掌して念仏を唱えていた。

取り敢えず従った方がいいだろうと判断した光秀は、翔翼に向けて手を合わせるとその場を去ることとした。

 

 

 

 

「…信澄が勝手に飛び出して行ったと思ったら、包帯だらけで戻って来るし。あんた達一体何してきたのよ?」

 

仮設ではあるが城主の間にて、上座に座るうつけ姿の信奈は愛用の地球儀を指で回しながら呆れた目をしていた。

 

「ご迷惑をおかけしました、ごめんなさい」

 

下座に座り平伏する信澄。対する信奈はバツが悪そうに頭を掻く。

 

「…まあ、あんたをいつまでも手元の置いておこうとしたあたしも悪かったわ。信盛に『こればかりは信澄様を幼子の頃のままと見ていた姫様にも責任はあるでしょう。人間いつまでも子供扱いされるのは嫌なものですよ、男なら特にでしょうね』って言われたし。だから、ごめんなさい」

「姉上…」

 

深々と頭を下げる姉に、込み上げる想いで目頭が熱くなる。

 

「…で、光秀はいつまでそうしてる気よ?悪いのは全部あの馬鹿(翔翼)なんだから」

 

続いて信奈は、部屋に入ってからというものの、平伏したまま動かない光秀に視線を向ける。

 

「ですが…」

「結果は出したんだし生きて帰って来たんだから、怒ったりなんかしないわよだからこの話は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グァァァァァァアアアアアア!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでおしまいよ」

「今翔翼殿の出すことがないだろう悲鳴が聞こえましたよ!?」

 

何事もなかったかのように話を進める信奈に、思わずツッコミを入れる光秀。

 

「よくあることだから気にしなくていいのよ。ウチでやってくならこういったことに慣れなさい」

「は、はぁ…」

 

あっけからんと言い放つ信奈に、光秀はそういうものなのか、とどうにか己に言い聞かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こ、殺せェ!いっそ殺せぇい!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの人が絶対言わないだろうことを叫んでましたけど、本当に大丈夫なんですか!?!?!?」

「あーじゃあ、そろそろ終わりね~」

 

光秀は有り得ない事象に、本気で心配になるも。まるで刻を確かめるように軽く言う信奈に、もう何も言う気が起きなくなるのであった。

 

 

 

 

光秀らを下がらせた後、信奈は戸口まで行くと。地面に転がされて放置されている翔翼がいた。

 

「いつまで寝てんのよ、さっさと起きなさいよ」

「鬼かお前は?」

 

軽く蹴りを入れてくる主君に、翔翼は悪態をつくも生まれたての小鹿のようにして起きる。

そんなことことはお構いなく、信奈は彼を連れて自分の部屋へと戻る。

 

「さてと、あんたには罰が必要よね」

「人間には情けが必要だと思うぞ?」

 

当たり前のように言う信奈に、本気で抗議する翔翼。冗談抜きで虐め抜かれたばかりで、これ以上は流石に冗談で済ませられなかった。

 

「ほら、そこ座んなさい」

「自業自得とはいえ、優しさが欲しい」

 

翔翼の愚痴を無視し縁側へ歩いていくと、柱の隣を指さす信奈。

 

「…ほらよ」

 

観念したように翔翼が指定された場所に座ると、脚の間に信奈が座り込む。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……?」

「何よ?」

「いや、罰は?」

 

何もしてこない信奈に、困惑する翔翼。鉄砲でもぶっ放されると思っていただけに人一倍であった。

 

「いいから、ジッとしてればいいのよ」

「…おう」

 

強めの口調で言いながら背中を預けてくる信奈。表情は見えないも、赤かく染まっている耳や声音が固いことから緊張していることは伝わってくる。

 

「(恥ずかしいならするなよ…)」

 

口にすると面倒なことになるだろうから、黙っておくことにする翔翼。それに悪い気分でもなく、寧ろ心地よいとさえ感じられるのだから。

 

「(そういや、昔はよくやってたな)」

 

仕官したばかりの頃は、当主となる前の彼女と暇があれば城を抜け出して、見晴らしのいい丘の上でこうして2人で尾張の景色を見ていたものだ。

最近は彼女は当然のことながら自分も多忙となり、こうして寛ぐ時間は殆どなくなってしまっていた。

 

「…信奈」

「ん~?」

 

伝えたいことがあるので翔翼が話しかけると、昔の感覚が戻り楽になったのか、気楽に答える信奈。

 

「すまなかった。身勝手な理由でもしかしたら、お前の名を傷つけてしまっていたかもしれなかった」

 

公算が高かったとはいえ、稲葉山での事件でもしも翔翼らの関与が公になっていれば、最悪信奈に卑怯者の烙印が押される可能性は十分にあったのだ。軽薄な行動であったと避難されても否定できず、信盛があれ程怒るのも当然と言えよう。

 

「…それでも助けたかった人がいたんでしょ?」

「…ああ」

 

見上げてくる目は全てを見通しているように澄んでおり、揺るぎなき信頼が向けられていた。

 

「ふ~んそっか」

「すまん」

 

興味深そうに相槌を打つ信奈。どこか寂しさも匂わせる彼女に、申し訳なさを感じ謝る翔翼。

 

「謝らなくいいわよ。あんたの『ここ』は広すぎて、あたしだけじゃ収まりきらないんだから」

 

そういって信奈は振り返ると、翔翼の心臓がある部分の指で軽く押す。

 

「?どういう意味だよ?」

「♪~」

 

言葉の意味が解らず問いかけるも、信奈は再び背を預けてくると上機嫌に鼻歌を歌うだけで答えようとしない。

 

「(まあ、いいか)」

 

悪いことを言われているようでもないみたいなので、無理に聞き出すことでもないかと思い。久々の触れ合いを楽しむことにしする翔翼、昔のようにそっと信奈を抱きしめると。ビクッ!と体を震わせるも、嫌がる素振りを見せないので匂いも嗅ぐ。

 

「ちょ、嗅ぐな!汗臭いからッ!」

「そうだな、一番好きな匂いだ」

「~~~~~!!!」

 

翔翼が囁くように言うと、耳どころかうなじ辺りまで真っ赤になり縮こまる信奈。そんな彼女の反応に愛らしさを感じ頭を撫でる。

 

「可愛いなぁ信奈は」

「ッッッッ!!!」

 

もう一度囁くように言うと、頭から煙を吹き始める信奈。そんな彼女に、翔翼は思わず口角を吊り上げると頭を撫で続けるのであった。



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第二十一話

稲葉山での騒動から暫く経ち。斎藤家内では当主義龍の器に疑問を持つ者が続出していた。

そのことを察知した信奈は斎藤勢の勢力を取り込むべく。稲葉山城のある西美濃を一息に攻略する短期決戦から、東美濃方面を制圧し敵の戦意を挫く長期戦略へ方針を転換。今までの戦力の中核であった天才軍師半兵衛と美濃三人衆の一角である安藤守就を失い。更に残る稲葉一鉄と氏家卜全が自身の城に引き籠ってしまったことで、家中の不和と合わさり大幅に弱体化した斎藤勢は後手に回り続け、東美濃の大半が織田家の勢力下となり。家臣や国人衆が次々と織田家へと寝返っていたのであった。

そして次なる一手として、西美濃にある墨俣と言われる地に城を築くことであったが…。

 

「も、申し訳ございません姫様!当初は順調だったのですが…途中で敵の奇襲を受け、現場は大混乱に陥り人足が逃散してしまいました!!」

 

新たに築かれた小牧山城の城主の間にて、勝家が上座に座る信奈へ涙目になりながら平伏していた。

墨俣は稲葉山城の目と鼻の先にあるため、どれだけ迅速に普請しようとしてもすぐに敵に発見され妨害を受けてしまうのである。

本来拠点づくりは安全が確保された上で行われるものであり、敵地での築城はかなりの危険が伴った。逆に言えば、成功させればこの上ない威圧となり形成は完全に織田家へと傾くこととなる。

 

「敵に見られながら城を作れって言ってるのだから、簡単にできるとは思ってないわ。最小限の被害で抑えられただけで上出来よ」

 

胡坐をかいて拳に顎を載せた信奈は、さして落胆した様子もなく告げる。無理難題を言っていることは百も承知であり、失敗しようとも特に処罰するつもりは元よりなかった。

とはいえ、彼女の描く戦略にかの地への築城は不可欠であり、どうにか打開したいことであった。

 

「…誰か他に名乗り出る者はいるかしら?」

 

そういって視線を間に集まる家臣らに向けるも、大半が渋い顔をして静まり返る。我こそはという者は既に失敗しており、筆頭家老である勝家でさえ失敗したことに、最早自ら志願しようとする者が出ないのも無理もないことであろう。

 

「信盛」

 

そんな中、平然とお茶を啜っている信盛に声をかける信奈。()いる者の中で成し遂げられる可能性があるとしたらこの男しかしないだろうと見たからだ。

 

「いや~無理ですね。こんな無茶な任務まともな方法(・・・・・・)じゃどうにもならないでしょう」

 

はっはっはっと笑いながらも、その目はもう『切り札』を切るしかないと語っていた。

 

「…翔は?」

 

空席となっている空間に視線を向ける信奈。そこにいる筈の野盗面した常識外れ男の姿はどこにもなかった。

 

「『俺の出る幕はない』って言ってサボってますぜ姫様」

 

やれやれ、と言いたそうに肩を竦める可成。墨俣への築城が決まってからというものの、翔翼は軍議にも参加せず、かと言って何かをするわけでもなく悠々自適な生活を送っているのであった。

 

 

 

 

小牧山城周辺にある川辺を訪れた長秀は、馬を駆りながら目的の人物を探す。子供らの遊ぶ声の方に向かうと程なく草原の上に寝ころんでいる翔翼が見つかった。その側では赤兎が彼を守るようにしながらも寛いでおり、長秀が近づくと警戒するように顔を上げるが、彼女の顔を見ると問題ないといった風に再び寛ぎだした。

 

「見つけましたよおさぼりさん。軍議をほっぽり出すなんて家臣として零点です」

 

馬から降りしゃがみ込んで頭側から顔を覗き込むと、閉じていた目を片方だけ開けて長秀の顔を確認した翔翼は、再び目を閉じてしまう。

 

「出る必要のないものに出て刻を無駄にするより、有意義なことに費やした方がいいだろ」

「ただ遊んでいるだけじゃないですか」

「失敬な、幼子が安全に遊べるよう見守ることは大事だろうが!」

 

カッ、と目を見開き力説する翔翼に、そうですね、と一応は同調しておく。川に入って遊んでいる子もおり、溺れたりしたら確かに大変である。…まあ、正直な話、この手の話をさせると長くなるので、早めに話題を変えたかったというのもあるが。

 

「信奈様がお呼びです。墨俣への築城、あなたに任せるそうですよ」

「…他の者達はしくじったか」

 

どこか気怠そうな様子で動こうとしない翔翼。任務に乗り気でないようである。

 

「…珍らしいですね。いつもなら、この手のことには勝手に動こうとさえするのに」

「別にすぐにどうこうなることでもないだろ。他の者に任せればそのうち上手くいくさ」

「そうもいかなくなりました。一益殿から北畠家ら伊勢方面が怪しい動きを見せているそうです」

 

隣に腰かけた長秀の言葉に、片目だけ開ける翔翼。

 

「織田が美濃を取り巨大になれば、自分達の身が危険に晒されると踏んだか。出る杭は打たれるってやつか」

「それが戦国の習わしなのでしょうね。己を守るためには、それが最善ですから」

「…それえを跳ね除けてこそ天下を狙える、か」

 

ようやく体を起こす翔翼。それでも乗り気ではないのか変わらないようだが。

 

「策は考えてあるのでしょう?」

「ある、が上手くいく保障はないなぁ」

 

半目で頭を掻きながら、覇気のない声で話す翔翼。根拠のないことでも、自信を持って事に当たる彼にしては珍しい姿であった。

 

「あなたなら必ず成功させられると、姫様だけでなく皆信頼していますよ」

「それだ」

 

ズイッ、っと不満げな顔を寄せてくる翔翼。

 

「はい?」

「そうやって何でもかんでも俺に任せればいいって考え方は気にいらん。俺がいない時はどうする気だってんだ」

 

近いです、と両手で顔を押し返しながら、彼が今回の任務に乗り気でない理由に検討がつく長秀。

 

「家中があなたに甘えている現状は良くないと?」

「おう、これから美濃だけでなく領土が広がっていくんだ。そうなったら何でもかんでも対応できるようにはならん、俺は分身できる訳じゃないんだぞ?」

 

そういって腕を組み眉を潜ませる翔翼。

 

「まして俺ァ神様なんかじゃないんだぞ?できることなんか限られるってのに、困ったら俺に任せようなんて当たり前みたいに考えられても困る。いざって時は自分の力でどうにかしようって気概がないと、この先やっていけんだろうよ」

 

なあ、と訴えてくる翔翼の主張に、確かに、と同意する長秀。同時に、家中の期待を一身に背負うことへの不安もあるのだと感じ取っていた。

 

「あなたの言うことは最もです。でも桶狭間でのような功績を上げれば、期待されて当然でしょう。今やあなたは織田家の英雄なのですから」

「英雄ってなぁ。俺はただ自分にできることをしてるだけなんだが…」

「あなたにとってはできて当然なことであっても、私達にとっては『奇跡』を見せられているようなものですからね。皆頼りたくなるのも無理もないことでしょう。だから、あなたはもっと自分の立場を自覚すべきです。これから大空翔翼という名は天下に知れ渡り、より多くの人々の期待を背負うことになるのですから」

「…過大評価し過ぎではないか?」

「客観的に分析した結果です」

 

そりゃどうも、と翔翼は辟易しながら愚痴る。

 

「さて、そろそろ行くとするか。悪かったなこんな話に付き合わせて」

 

立ち上がりながら臀部の土等を払う翔翼。

 

「あなたの可愛げのあるところが見れて、満足度満点なのでお気になさらず」

 

おおらかに微笑む長秀に、敵わんよお前さんには、と白旗を上げながら赤兎に乗る翔翼。

 

「…このことは誰にも言わんでくれよ。何か恥ずかしんでな」

「ええ、2人だけの秘密にしておきます」

 

口に人差し指を添え、どこか子供っぽい笑みを浮かべる長秀。その姿はどこまでも楽しそうであったのだった。

 

 

 

墨俣への築城の任を負った翔翼は、すぐさま墨俣に向かう――ことなく。そのすぐ側を流れる木曽川、その上流に配下の者達と共にいた。

次々と木を切り倒し、その場で(・・・・)城壁や櫓といった部品を作り上げ、それらを筏に載せていく。

今回翔翼が立てた策は。材料を運び現地で一から築城していては刻がかかり敵に発見される確率が高まるため、敵の目の届かない地であらかじめ組み立てを行い、現地へ迅速に輸送し一息に城を完成させてしまおうというものであった。

翔翼の配下である小六らは、元は尾張の野武士や川賊のため。正規の部隊よりも、敵の目を掻い潜り行動することが得意であり、隊としてでなく個別に美濃に潜入し現地で合流することができた。

そして材料は現地で調達し、輸送は川を利用することで迅速に行動することが可能となるのだ。これは従来の常識に縛られない彼だからこその策と言えるだろう。

 

「積み込み終わったぜ兄弟、後は運ぶだけだ」

「うむ、分かった」

 

作業に混ざっていた翔翼は、副将である小六の報告に満足気に頷くと、先頭にある筏に相棒である五右衛門と共に乗り込む。

筏を留めていた縄が切られると、川の流れに沿って筏は進みだしていく。

木曽川は流れが急なため、流される筏は激しく揺さぶられるも。忍びである五右衛門は元より、翔翼も何事もないかのように堂々とした佇まいでどっしりと構えている。

 

「おい!妹のことしっかり頼むぜ(・・・・・・・)兄弟!」

 

別の筏に乗り込んだ小六が、濁流の音に負けじとはいえ、やけに大声で叫んできた。

 

「あ、兄上っ!!」

 

顔を赤く染めた五右衛門が、何故か慌てたようにして叫び出す。

実は小六と五右衛門は血の繋がりこそないが兄妹であり。五右衛門の今は亡き父が尾張に流れ着いた際に、野武士であった小六の父となったことで契りを交わしたのだ。その後蜂須賀党を結成した彼らの父は尾張内の野武士らや川賊の川並衆らを纏め上げ独立勢力と言える規模の集団を作り上げることとなる。そして、織田家に仕官して間もない翔翼に仲間となるべく乞われ、その人柄に惚れ込んだ彼は我が子らを託したのであった。

 

「分かっている!川に落ちるようなことはさせんよ!」

 

翔翼が五右衛門を抱き寄せると、うにゅ!?と彼女の顔が赤く染まっていき、なんてことを!と言いたそうに兄を睨む。

そんな妹に小六はいい笑顔で手の親指を立てる。ちなみに、彼らの父は今際の際『ふつつかな娘ですが、どうか末永くよろしくお頼み申す』と翔翼に五右衛門を託していたりする。…その意味は十分に伝えわっていないようではあるが。

 

「親分もっと寄って!」

「攻めれるときに攻めないと!」

「親分のうにゅキター!」

 

背後から子分である川並衆が声援を送ったりと湧き上がるが、全力で無視する五右衛門。

そうこうしている内に墨俣に到着した一行は、すぐさま築城に取り掛かる。

 

「頼むぞ川並衆!ここからは速さが勝負だ!」

「任せてくんな大将!どこよりも立派な城にしてみせますぜ!」

「今こそ親分への愛が試される時!」

「矢だろうが鉄砲だろうが飛んでこようが、成し遂げるぜ!」

「「「「「そう、『大将と親分の愛の巣城をぎゃあああああああああ!!!」」」」」

 

顔を真っ赤にした五右衛門の手裏剣が、意気込む子分ら目がけ乱れ飛んだ。

 

「敵に見つかるから余り騒がんでくれ。それと、その名称は信奈がぶちキレれそうだから止めてくれ」

 

らしくなく暴れまわる相棒と、喜びながらしばかれるその子分らにやんわりと窘める(たしな)翔翼であった。



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第二十二話

尾張にある妙心寺にて、美濃の蝮こと斎藤道三と、元今川義元馬廻衆筆頭の岡部守信が縁側で囲碁に興じていた。

 

「墨俣への築城、道三殿は上手くいくと思いますかな?」

「やれんこともないが、支払う代償の方が高かろうな。本来であれば、だが」

 

碁を打ちながら会話をする両者。話題は織田家が取りかかっている墨俣への築城であった。

 

「翔翼殿であれば、その常識を打ち破れると?」

「儂がこうして生きている、それが何よりの証拠であろう。義龍が儂に刃を向けた時、この首は落ちていた筈だからな。それに…」

 

道三が本堂へ視線を向けると守信も続く、その先には本尊仏へ祈祷をしている定がいた。翔翼が出陣している間はこうして彼の無事を祈っているのだ。

 

「彼女もああして生きている。あやつは自分を過少に評価するきらいが、奴は間違いなく天下に通じる器を持っておる。信奈ちゃんと同じくな。そうでしょう?沢彦和尚」

 

そういって道三が、庭で箒で掃除をしている沢彦へ問いかけると。彼はははは、とおおらかに笑う。

 

「そうですね。あの2人を評するとするなら『未知数』でしょうか」

「未知数、ですか?」

「さよう。飽くなき好奇心と、何があろうと決して諦めることのない強き心。それらを併せ持つ彼女らは、我々が思いもよらない遥かな高みへ昇っていくでしょう」

 

そういって空に爛々(らんらん)と輝く陽を見上げる沢彦。その顔は、どこまでも楽しみだと言わんばかりに期待に彩られていた。

 

「ですが、『両雄並び立たず』という言葉もあります。信奈殿と翔翼殿が互いに天下の器を持つのなら、お二方が共に歩み続けることは叶うのでしょうか?」

 

二人の将来を危惧するように話す守信に、沢彦と道三は互いに顔を見合わすと、愉快そうに笑いだす。

 

「それは問題ないでしょうな」

「ああ、なんせあの小僧、信奈ちゃんに――」

 

 

 

 

西美濃にある美濃三人衆筆頭である稲葉一鉄の居城にて、城主一鉄は自室にて瞑想に耽ていた。

 

「(儂らは、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだろうか…?)」

 

自分が死ねば、美濃を実子義龍ではなく、縁のない他国の者――それもうつけと名高い信奈に譲るという前例のない相続を行おうとした主君に着いていけなくなり。これまでの習わしを守り、勇壮な義龍を新たな主君と奉じ彼の下克上を手助けしたが。そのうつけの信奈は道三を救うのと同時に、東海一と呼ばれた今川家を打ち破るという快挙を成し遂げ、逆に義龍はその彼女への対抗心に囚われ民を顧みない悪政を行うようになってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あなた方も気がついている筈です。今の義龍殿のままでは、この国に待っているのは悲劇だけだと。だから…!

 

――過ぎたことに縛られず、明日のために生きて下さいッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

処刑されようとしていた半兵衛を救うべく、同志であった守就らが起こした謀反の中。再会した光秀にかけられた言葉が一鉄の心に響く。

 

「(織田信奈に美濃を民を託すことこそ、我らが選ぶ道であったというのか?)」

 

あの事件以来、義龍を信ずることに明確な疑問を持ってしまったため。参集の呼びかけに応えることもできず、こうして自分の城に篭ることしかできなくなっていた。それは卜全も同様なようであり、彼も自分の城から動こうとしなかった。

 

「(大空翔翼…。あれ程の男を従える彼女には、この乱世に変革をもたらすべく天が遣わせた存在なのか…)」

 

敵である半兵衛を、身命を賭して救い出した翔翼。その器の大きさに、一鉄は深い敬意さえ覚えていた。それと同時に、そんな男が忠を尽くす織田信奈という存在に心惹かれ始めている自分がいたのだった。

 

「迷っておるな一鉄」

「お前は――」

 

不意に襖が開けられると。姿を現した人物に、一鉄は意表を突かれたような顔をするのであった。

 

 

 

 

墨俣での築城を開始し2日が経つ頃には、完成まであと一息と言える段階まで到達していた。

 

「……」

 

櫓から稲葉山城を見据える翔翼。今のところ敵に気取られた様子はなく、予定通りに計画は進行しているのであった。

 

「大将!客人ですぜ!」

「客人?」

 

部下からの報告に、翔翼は訝しみながら梯子を滑りならがら降り、半ばで飛び降りる。

自分がこの墨俣にいることを知っているのは織田家の重臣のみであり、その誰もが訪ねてくる余裕などなく、思い当たる人物がいなかった。

 

「へえ、それが竹中半兵衛と名乗る女の子が郎党を引き連れて来てまして」

「何、半兵衛だと?」

 

出てきた名前に眉を潜ませる翔翼。彼女が訪ねてきた理由に当たりをつけると、顎に手を添え会うべきか思案する。

 

「どうしやす?追い返しますか?」

「いや、会おう。連れて来てくれ」

 

その様子から意を組んで提案してくれる配下に、敢えて反する指示を出す翔翼。仮に門前払いにしても、彼女の性格からしてそのまま居座るだろうと判断したからだ。

へい、と配下が離れるて暫くすると、半兵衛を連れて戻って来る。彼女の後に続くように、兄である重矩を始め稲葉山城乗っ取りに参加していた者らを含む数十人が付き従っていた。

 

「お久しぶりです翔翼さん」

「ああ、元気そうだな。良く俺がここにいることが分かったな」

「ここ最近の織田家の動きから、この地に城を築くだろうと予測しました。そして、あなたならこの時期に動くだろうと」

「…流石道三の爺さんも認めるだけあって、見事な洞察眼だな。俺達が束になっても勝てない訳だ」

 

見事なまでにこちらの動きを把握している半兵衛に、舌を巻きながら頭を掻く翔翼。

かつて、大陸でその名を轟かせた天才軍師の再来として『今孔明』とも呼ばれる才覚を再び目の当たりにしたのだった。

 

「それでどうしたんだ、こんな戦地まで」

「あなたから受けた御恩をお返ししたく、参陣することをお許し頂きたいのです」

 

そういって半兵衛は片膝を突き頭を垂れると、重矩以外の従者らもそれに続く。

 

「……」

 

そんな彼女らを、翔翼は複雑そうな様子で見ており。どうすべきか逡巡している様であった。

 

「恐らく、明日にでも稲葉山の斎藤勢に気づかれるでしょう。翔翼さんがここにいることを義龍殿が知れば、討ち取ろうと躍起になって攻めてきます。そうなればここにいる手勢だけでは守り切れません」

「問題ない。ここに来る前に、信奈に明日中に全軍を率いて来いと言っておいたからな。それまではどうとでもなる」

「ですが、戦場では不測の事態が起こりえます。このまま帰ったとして、あなたにもしものことがあれば私は自分を永遠に許せなくなります。ですから此度だけで構いません、どうかあなたのお側でお守りさせて下さい!」

 

深々と頭を下げて懇願してくる半兵衛。それでも翔翼は首を縦に振ろうとうはしなかった。

 

「いいじゃねぇか、せっかく手を貸してくれるって言ってんだから甘えちまえよ。こっちだって余裕がある訳じゃないんだからよ。万が一にもしくじりたくないだろ?」

「……」

 

そんな翔翼に肩を組みながら、小六が半兵衛へ助け船を出した。

 

「この子を心配する気持ちは分かるがよ。こんだけ慕ってくれる女の想いを無下にするような男は、俺が惚れ込んだ大空翔翼じゃねぇな。もしもこの子を泣かせて帰すってんなら、お前との兄弟の契りを切るぜ」

「…分かったよ」

 

観念したように歩み寄ると、片膝を突き半兵衛の肩に手を置く翔翼。

 

「本当にいいんだな半兵衛?戦場に立つということは、人が死んでいくことを目の当たりにするということだ。今までのように、叔父や兄に守られていたようにはいかないんだぞ?」

「はい、覚悟はできています。もう自分の弱さから逃げません、私のために散っていった方達のためにも悔いのないよう精一杯生きたいんです!」

 

顔を上げて力強く見据えてくる半兵衛に、翔翼も覚悟を決めた様に頷いた。

 

「そうか、ならお前のお前達の力を貸してもらうぞ」

 

翔翼の言葉に、半兵衛と重矩以外の従者がはいっ!と力強く応える。

 

「言っておくが、俺は半兵衛を守るためにここにいる。お前のために戦う気はないぞ」

「それでいいさ。お前は自分の守りたい者のために戦え」

 

念のためといった様子で言ってくる重矩に、翔翼は文句はないというように頷く。

 

「大将!信奈の姫さんから書状ですぜ!」

 

差し出された書状を広げると。労いの言葉や信奈側も予定通り行動していること、そして『大将と親分の愛の巣城』の名前を即刻・直ちに・適切に・適宜に変更するようと、ここだけやたら達筆にしたためられていた。

 

「おい、これどう転んでも俺死ぬんじゃないか?」

「何故あのふざけた名前をちゅちゃえにゃあああああ!!!」

「「「「「あああああ!!激おこ親分も可愛いいいいいいい!!!」」」」」

 

渡された書状を見た五右衛門は。憤怒の形相で忍び刀を振り回しながら、子分らを追い回し始めるのであった。



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第二十三話

「つい数日前まで墨俣には何もなかったというのに!織田の奴らめ、一体どのような妖術を使ったというのだ…!」

「義龍様!すぐに手を打たねば、織田になびく者が更に増えましょうぞ!」

 

稲葉山城城主の間にて、墨俣に突然現れた城郭を見た側近らが慌てふためく中。主である義龍は瞑想するかのように落ち着き払っていた。

 

「…それで、墨俣で指揮を執っているのは誰か?」

「はっ、それが…」

 

義龍が物見に問いかけると、何やら言い淀む。

 

「どうした?早く言わんか」

「はっ、その…敵の指揮官は大空翔翼でございます」

『ッ!?』

 

側近にせかされた物見は、恐る恐るといった様子で告げ。その名を聞いた側近らは思わず息を吞んだ。

先に起きた事件では単独で数十人以上を斬り殺し、あまつさえ義龍を殴り倒した男であり。斎藤家内では翔翼の名は畏怖と共に刻まれていた。

 

「そうか、あ奴か…」

 

まるで待ちわびていたかのように笑みを浮かべる義龍。てっきり激昂して討ち取りに行こうとすると思っていた側近らは、心乱れることなく冷静な姿に戸惑いの色さえ見せていた。

 

「出陣する各城にも伝令を走らせい」

「はっ、しかし稲葉殿らは…」

「出て来んのならそれで構わん。その気がある者だけ着いて来い」

 

そういって立ち上がると、側近らを置いて部屋から出て行く義龍。

あの事件以降。隠居して責任を取ろうとする守就を赦し、出仕を拒むようになった一鉄らを責めることもなく。果ては織田へ寝返っていく者らに恨み言を吐こうともせず人質を解放し『全ては己の不徳が招いたこと、これ以上儂に従えん者は好きに離れるが良い』と、以前なら口にすることさえなかった寛容さを見せるようになっていた。

いや、道三と違える前の器量と勇壮を兼ね備えた。主だった道三を裏切ってでも、新たな主と仰ぐべきと信じた男の姿がそこにはあった。

気づけばその場にいた誰もが、義龍の後を追いかけていたのだった。

 

 

 

 

「稲葉山城に動きあり!こっちに向かって来るぞォ!!」

 

見張りが鐘を鳴らすと、墨俣城にいる翔翼隊の面々は戦闘配置についていく。

 

「数は!」

「五千程です!」

「周囲の城からも来る筈だ!目の前の敵だけに捉われるな!」

 

武具を身に纏いながら指示を飛ばしていく翔翼。城壁に上ると、城の北側にある川の対岸では斎藤勢が陣を構え攻撃態勢に入っていた。その中央には、義龍がいることを示す軍旗が掲げられており。大名自らの出陣に敵の士気は昂っているようであった。

対する織田勢は数で言えば互角だが、その半数近くは戦闘力を持たない人足であり。更に周囲の城から駆け付ける援軍も含めれば、敵の兵力は倍近くに膨れ上がることになる。

 

「遅くなりました!!」

 

慌てた様子で半兵衛が重矩を連れて駆け寄って来る。全力疾走したため、息を切らしている彼女の背中をそっと擦る翔翼。

 

「問題ない。敵は慎重に攻めてくれるようだ」

 

義龍が出張っているのなら、怒りに任せて攻撃を仕掛けてくる可能性もあったが。敵は足軽を前面に立て、その背後には城門破壊用の丸太や梯子を持った部隊を並べ。それを援護すべく騎兵が両翼を展開させた、城攻めの定石通りとも言える陣容で攻勢の合図待っていた。

 

「さて、半兵衛。この城を攻めるとして、敵はどのように攻めてくると思う?」

「孫子曰く、()を以って直となし、患を以って利となすにあり――軍略の基本です。恐らく軍を二つに分け挟撃を仕掛けてくるかと。対岸に布陣している義龍殿自らを囮とし、川を利用してこちらの防備の薄い箇所を攻めてくる筈です。敵より兵力で勝さる場合、正攻法で攻めることが最善に見えますが。計を巡らせ、敵の虚を突くことの方がより利を得られるのこともあるのです」

「ふむ、信盛をただからかうより、色々仕込んでからの方がより面白いからな」

「ま、まあそんな感じです…」

 

反応に困る例を挙げてくる翔翼に、半兵衛は思わず苦笑いを浮かべてしまうが、すぐに表情を引き締める。

 

「それならば、どこを突いてくる?」

「西側です。そこが最も川に近くこちらからの見晴らしが悪いですから」

「よし、鉄砲隊を西側に可能な限り集めて伏せさせろ。小六指揮はお前に任せる。それと狼煙をあげろ」

 

迷うことなく断言する半兵衛に、疑う素振りも見せず翔翼が指示を出すと。小六らがおう!とすぐに行動に移っていく。

 

「では俺も行く、ここは任せるぞ」

「はい、お気をつけて」

 

騎馬隊を指揮するため城壁から降りると、赤兎馬に跨る翔翼。

そして、準備を整えたと見られる斎藤勢から、遂に陣太鼓の音が響き渡り始め。足軽隊が先陣を切り渡河を開始する。

 

「まだ撃つな!ある程度は渡らせよ!」

 

緊張した趣きで、鉄砲や弓を構える配下らに。半兵衛は逸らないよう念を押しながら敵軍を見据える。敵の半数近くが渡河を終えると、息を大きく吸い込んだ。

 

「放てェいッ!!!」

 

手にしている白い羽扇を突き出しながら、発せられた号令と共に。鉄砲が火を噴き敵の先頭が次々と倒れ、続いて防ぎ矢として放たれた矢が追撃をかける。

織田家得意の交換式弾込め術により、止めどなく放たれる弾丸が足軽隊に襲い掛かり屍の山を築いていく。

 

「足軽隊を援護する渡河急げィ!!」

「!殿、あれを!」

 

敵左翼に展開している騎馬隊が急いで渡河しようとしていると、異変に気づいた配下が上流を指さす。

 

「なッ!?」

 

上流に視線を向けた敵将は、その光景に目を見開く。なんと、上流から無数の丸太が自分達目がけて流れてきているではないか。

先程の狼煙は、上流に残しておいた者達へ丸太を流させる合図であった。

 

「た、退避――ッ!!」

 

敵将が悲鳴のような声で叫ぶも、敵将含む左翼騎馬隊の中核は丸太に押しつぶされていき。更に丸太は渡河中の足軽隊をも巻き込み大混乱を引き起こす。

 

「開門せよ!」

 

頃合いを見た翔翼は、騎馬隊と共に出撃し。それに反応した敵右翼の騎馬隊が迎撃に向かってくる。

 

「ッ!」

 

弓を構え矢を番えた翔翼は、敵先頭目がけて放ち首元に命中させて落馬させる。更に数本放ち次々と仕留めると、戟に持ち替え斬り込んで薙ぎ払っていき、敵将の元にまで突き進んでいく。

 

「ハァッ!」

 

勢いに押されて浮足立っていた敵将を突き上げて掲げる。

 

「敵将、討ち取ったァ!!」

 

高らかに叫ぶと味方からは歓声が上がり、敵からはどよめきが広がっていく。

 

「次、攻城部隊を叩く!」

 

後退していく騎馬隊を適度に追撃すると、翔翼隊は次なる目標へ襲かかり。未だ混乱している足軽隊に突撃し、攻城用の装備を持った部隊を叩いていく。

 

「ひい、こっちに来たァ!?」

「敵わねェ!逃げろォ!!」

 

壊走を始めた足軽が、新たに渡河を終えた部隊と衝突して混乱の波紋が広がっていき、機能不全に陥る斎藤勢。

 

「義龍様!お味方は総崩れでございます!ここは一度退却すべきです!」

「…馬を引けい」

 

前線の惨状に狼狽する側近らを無視し、槍を手にした義龍は、引かれてきた愛馬に跨り前線目がけて駆けだす。

 

「ああ!?と、殿ォ!?」

「お、追え!追えィィ!!」

 

側近らも慌てて馬に乗りその後を追いかけていく。

 

「儂が出る!道を開けいィ!!!」

 

咆哮のような雄叫びに、足軽らは川が割れるように翔翼までの道を開けて行き、義龍ははその道を駆け抜けていく。

 

「大空翔翼ッ!!」

「斎藤義龍かッ」

 

片手で槍を頭上で振り回しながら突撃してくる義龍に、翔翼は弓矢を構えて放つ。

 

「小賢しいわァ!」

 

軽々と槍で矢を払い落としながら、義龍は接近し槍を叩きつけようとし。翔翼は戟で受け流し反撃しようとすると、素早く振り上げられた槍が迫り、咄嗟に防御する。

それと同時に義龍の馬が赤兎に体当たりし、義龍は腕に力を込めて槍を振り上げ。赤兎ごと軽く宙に浮きながら翔翼は押し出される。

 

「チィッ!相変わらずの馬鹿力め!!」

 

すぐに態勢を立て直すが、腕から走る無視できない痺れに顔を顰める翔翼。

 

「大将!!」

 

付き従っていた配下らが翔翼を援護しようとするが、追いかけてきた側近らが割って入り斬り合いとなる。仮にも大名の側に仕えているだけに手強く、翔翼隊が押され始める。

 

「見よ!敵など百騎やそこらで大したことは無いわッ!!囲んで押しつぶせィ!!」

 

義龍に発破をかけられた斎藤勢は、勢いを盛り返して城へと進み始めていく。

 

「限界だな、退くぞ!!」

 

勢いを完全に喪失したことを感じ取った翔翼は、部隊を纏めて後退を始める。

対する義龍は自らは追撃しようとせず、悠然と構えたまま激を飛ばしていく。

そんな敵の姿に、翔翼は思わず僅かに口角を吊り上げる。

 

「いやはや参ったな、これは手強いぞ」

「は、はぁ…」

 

敵を躊躇いもせず称える翔翼。清々しさすら見せるその姿に、流石に困惑してしまう配下ら。

敵に追われる形となった翔翼隊を見て、半兵衛が動く。

 

「味方を後退を援護せよ!」

 

城門から鉄砲や矢が放たれ、翔翼隊を追撃しようとしていた斎藤勢の足を乱す。

城からの援護を受け無事帰還した翔翼は、下馬して半兵衛がの元へ向かう。

 

「ご無事ですか翔翼さん!?」

「ああ問題ない。にしても義龍の奴め、はやり一筋縄ではいかせてもらえんな」

「老いたとはいえ、かの美濃の蝮相手に下克上を成し遂げたのだから当然だな。これまでは自らその才を曇らせていたが、どこぞのお人好しが綺麗に晴らしてしまったらしい」

「どうせ倒すのなら、全力の相手の方が意議があろうよ」

 

時折半兵衛の方へ飛んでくる矢を槍で払い落としていた重矩が、皮肉を込めて言うと。翔翼は悠々とした様子で応える。

 

「大将!西側から五百くらいの新手が来やした!」

「よし、そのまま小六らに任せると伝えろ」

 

ハッ、と伝令が駆けて行くと、翔翼は正面に迫る敵に弓を構え矢を放つのであった。

 

 

 

 

「うっし、来やがったな。鉄砲隊はまだ出るなまずは矢で応戦しろ!」

 

筏を用い、西側に強襲を図ろうとする斎藤勢の別動隊。それを迎え撃つ小六は、主力の鉄砲隊を隠しながら機を見計らう。

意表を突いたと思い込んだ斎藤勢は、勢いに乗って押し寄せ、城壁に梯子をかけて侵入しようとしてくる。

 

「よっしゃぁ!鉄砲隊ぶっ放せェ!!」

 

小六の合図と共に鉄砲隊が一斉に構えると、五十丁近い鉄砲が火を噴き。火薬の爆ぜる音が重なり轟音となって大気を揺らし、硝煙が眼前を曇らせていく。

止めェ!!!との合図に撃つのを止めると、徐々に硝煙が晴れていき視界が広がていき、標的となった斎藤勢の姿が見えてくる。大半は屍となって地に転がるか、手傷を負って悶え苦しんでおり、奇跡的に無事だった者はその光景に断末魔を上げていた。

そんな敵に内心同情しながらも、自分達が生き残るため心を鬼にし、残敵掃討を指示する小六。役目を果たせてことに安堵していると、南側から火の手が上がり始めたではないか。

 

「何事だ!?」

「て、テェへんです!南からも敵が攻めて来やしたァ!!」

「んだとぉ!?!?!?」

 

もたらされた報告に動揺を隠せない小六。予想では敵が攻めてくるのは北と西側だけであり、それ以外は最低限の備えしかされていないのだ。

 

 

 

 

「くそ、どうなってんだ!?こっちには敵は来ないんじゃないのか!?」

「知るか!とにかく援軍がくるまで耐えぐァッ!?」

 

南側では突然現れた斎藤勢に、守備隊が懸命に応戦しているも。多勢に無勢であり、瞬く間に城壁に侵入を許してしまう。

 

「ふ、フフ。やった、やってやったぜ!」

 

斎藤勢を率いていた将は、城壁に足を踏み入れると、してやったりといった顔で拳を握り締めている。

 

「斎藤義龍の子である、この龍興が一番乗りだぜぇぇぇぇええええィ!!!」

 

十代半ば程の若き男は、己の為した快挙に歓喜の叫びを上げる。

彼の名は斎藤龍興。義龍の長子であり、いずれは後を継ぐべき男である。

だが、当の本人は勉学に励むことなく常に遊び惚けており。家臣はおろか父である義龍からも『織田信奈に劣らぬうつけ』と呼ばれていた。ただし、周囲を欺くために敢えてそう呼ばせていた信奈と違い、彼の場合そんなことを考えようともしない所謂『本物』であった。

そんな彼がこのような大任を任されたのは、国中を遊び回る中で地元民でも知ることのないような道を知っていたからである。

戦では何が起こるか分からない。それを体現したような男によって、戦局は一気に斎藤勢に傾くのであった。



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第二十四話

「やりおったか龍興!!」

 

馬上で指揮を執っていた義龍は、墨俣城から上がる黒煙を見て歓喜の声を上げる。

半兵衛が敵に加わっている可能性も考慮し、敢えて別動隊による奇襲を見抜かせ、彼女でさえ無意識に下に見ていた龍興を本命とすることで見事に裏をかくことに成功したのだ。

 

「総攻撃を始めよ!南へ援軍を送らせるな!!」

「ハッ!!」

 

下知を飛ばすと、側近らが陣太鼓を鳴らさせ攻勢を強めさせる。

 

「(親父も織田信奈も関係ない、儂は儂のままであれば良い。こんな簡単なことに気づかなんだ…。儂も大うつけであったわ…)」

 

稲葉山での事件後、義龍は己を見つめ直すようになり。己と他者を比べ優劣をつけること、ましてそれに固執することの愚かさを知るに至る。

 

「(感謝するぞ、大空翔翼)」

 

彼を変えるきっかけとなったのは、事件で翔翼で放った言葉であった。

父に刃を向けてまで下克上を為したのは、裏切られたことへの怒りもあったが、それと同時に美濃の民の行く末案じてのことでもあった。それが信奈が桶狭間での奇跡的な勝利を得たことで、周囲から彼女と比較され下に見られるようになり歪んでいってしまったのだ。

そのことに気づかせてくれた翔翼には恨みの念などなく、感謝の念さえ抱いていた。

それと同時に1人の男として、あの男に勝ちたい超えたいと想うようになり。彼が出陣してきたと聞いた際は、機械を与えてくれた神に思わず感謝してくなった程だ。

そして、全力で打ち倒すことが最大の返礼になるとして手を緩めることなく采配を振るうのであった。

 

 

 

 

「南門が攻撃されているだと?」

「ハッ斎藤龍興率いる隊とのことです!」

「確か義龍の子だったな」

「はい、後継者たる資格がないと冷遇されていた筈なのですが。まさかこのような用い方をするとは…」

 

翔翼からの問いに、想定外といった様子で答える半兵衛。

斎藤勢が移動できる範囲で、察知されずに南門に接近することは不可能だと考えていただけに、この奇襲は完全に意表を突かれることとなった。

 

「すみません翔翼さん。お力になりたいと無理を言ったのに、私…」

「気にするな、戦なんて全てを見切ることなんてできんさ。お前は良くやってくれている、責められるべきは敵を甘く見てしまった俺だ」

 

責任を感じて落ち込んでしまっている半兵衛の頭を、優しく撫でる翔翼。

 

「大将ッ敵の攻めが激しくなりやした!!」

 

迎撃していた配下が声を荒げて叫び、城下に視線を向けると、敵の攻勢が強まっており南門への援軍を阻もうという義龍の意図が読み取れた。

 

「翔翼さん、今ならまだ退くこともできます。包囲される前に脱出を…」

「いや、もうじき信奈の本隊が到着する筈だ。逃げるよりも耐えた方が生き残れるさ。南門には俺の隊だけで向かう、お前は引き続きここを守ってくれ」

「分かりました。必ず守り切ってみせます」

 

健気に付いて来ようとする少女の頭をもう一度撫でてから離れると、彼女に気づかれないように重矩を呼び寄せる。

 

「これ以上どうにもならないと判断したら、あの子を連れて脱出しろ」

「言われるまでもなくそのつもりだが、あの子に恨まれたくはないのでな。そうなる前にどうにかしてみせろ」

 

不敵に笑いながら重矩は前線まで歩き出し。梯子で城壁を超えようとしてきた敵を、槍で突き落すと梯子を蹴り飛ばす。

そんな彼に思わず口元に笑みを浮かべると、翔翼は手勢を引き連れて南門へ向かうのであった。

 

 

 

 

翔翼が現場に駆け付けた頃には、既に南門周囲は殆ど占拠されており、辛うじて城門を死守している状態であった。

 

「ッ!もう突破されているか!敵の頭を叩く!往くぞォ!!」

 

守りに入るより、攻めるべきと判断した翔翼は、龍興目がけて突撃していく。

 

「ぎゃあああああああああ!!親父を殴り倒した奴が来やがったぁ!?!?お、お前ら俺を守れェ!!」

 

自分に向かってくる翔翼に、完全に腰が引けている龍興は、悲鳴を上げながら配下の背後に隠れる。

 

「ウオォ!!」

 

立ち塞がる敵を戟で打ち倒しながら龍興まで迫る翔翼。血に塗れながら押し寄せるその姿に、龍興は涙と鼻水に塗れた顔で腰を抜かして座り込む。

 

「ハァッ!!」

「イヤァァァァアアアア!!」

 

突き出された戟を、龍興は横に跳んで躱し地を転がる。

 

「!」

 

躱されたことに驚きを感じるも、すぐに横薙ぎに派生させて追撃するが、龍興は四つん這いの状態から蛙のように跳んで躱す。

 

「!?!?」

 

必中を確信していた一撃を避けられ、流石に動揺を隠せない翔翼。それでも、体は反射的に戟を振り上げて更に追撃していた。

 

「うォォォォオオオオ、燃えろ俺の何かァア!!!」

 

死に物狂いの顔で刀を盾にして受け止める龍興。刀は粉々に砕けるも、衝撃で体は吹き飛ばされ地を転がっていく。

 

「(こいつはッ!?)」

 

一見すれば無様に逃げ回っているだけに見えるが、その実的確に耐え凌いでいる龍興に眠れる才能を感じ取る翔翼。そんな彼の左腕に衝撃は走った。

敵の放った鉄砲が貫通しており激痛と共に血が噴き出す。

 

「大将ォォオオ!!」

 

配下らが援護に向かおうとするも、押し寄せる敵に阻まれてしまう。

 

「よぉし良くやったァ!囲んで一気に仕留めろ!!」

 

最早まともな抵抗ができなくなったと見た龍興は、勝ち誇ったように激と飛ばすと。四方から斎藤勢が翔翼目がけて襲い掛かる。

 

「オォッ!!」

 

右手だけで戟を振るい。更にまともに動かなくなった左腕を強引に叩きつけてまで、迫りくる敵を薙ぎ払いながら、翔翼は龍興へと一歩ずつ進んでいく。追い詰めている筈なのに、逆に追い込まれている錯覚を覚えた龍興は思わずヒエっ!?情けない悲鳴を漏らして後ずさる。

 

「やらせんッ!」

 

歩みを止めない翔翼に、敵将の1人が意を決すした顔で駆け出すと、滑り込みながら刀を振るう。

 

「!」

 

それに反応した翔翼は、戟で股下から頭部まで両断するも、片脚を斬られ膝を突いてしまう。

 

「今だ止めを刺せェ!!」

 

他の敵将が号令すると、敵勢が翔翼一斉に襲い掛かってくる。

翔翼は諦めることなく頭突をかまし、喉元に噛みついてまで抵抗するも、遂に押し倒され刀を突き立てられそうになってしまう。

その瞬間。城壁にかけられていた梯子から人影が飛び出してくると、翔翼を囲んでいた斎藤勢を手にしていた朱槍を一閃して豪快に吹き飛ばし、彼を守るようにして降り立つ。

 

「犬千代!」

 

窮地に現れたのは、桶狭間での戦いの後に出奔していた前田利家であった。

だが、その姿は今までの甲冑姿と違い。軽装の南蛮風の甲冑の上に虎の毛皮を装飾し、背中にはマントと呼ばれる南蛮人が好む外套はためかせ、顔には赤い塗料でまるで歌舞伎役者のような隈取が施されており。優等生といった印象が完全に様変わりしているが。こちらに見せる横顔は、見間違うことのない戦友のものであった。

自分を鍛え直すべく山籠もりをしていた彼女は、長秀から翔翼が墨俣への築城を行うことを知らされると、それを手伝うよう頼まれ。墨俣へ向かっている途中で、龍興率いる奇襲部隊を偶然発見し、後を着けていると彼らが墨俣城へ襲い掛かるのを目撃した彼女は。城外に展開していた龍興隊を強襲し、立ちはだかる敵を蹴散らしながら駆け付けたのである。

 

「良かった間に合った。もう大丈夫、今度こそ翔は犬千代が守るッ!」

 

意気込むように声を張り上げると、突然の援軍に動揺している斎藤勢に突撃し。五右衛門には及ばないものの小柄さを活かし敵を撹乱し、勝家や翔翼にも並ぶ剛腕から繰り出される槍は、複数人を纏めて軽々と薙ぎ払い縦横無尽に暴れ回る。

これまでの力任せの粗さが残るものと違い、どこか野生動物のような荒々しく変化した動きに、敵は翻弄されていた。

 

「な、なんだあのちっこいのは!?早く何とかしろお前ら!」

「龍興様あれをッ!!」

 

ただ叫ぶだけで完全に人任せにしている龍興に、配下が城壁の外を指さしながら叫ぶ。

南側――織田領のある方角から無数の土煙が上がっており、徐々にこちらへと迫ってきていたのだ。

 

「ゲッ!?あれって織田の本隊かぁ!?!?」

 

その土煙を上げているのは信奈率いる織田軍の本隊であり、想定よりも速い到着に斎藤勢に動揺が走る。

そして、本隊の先陣切る武将には龍興も見覚えがあった。

 

「美濃三人衆筆頭稲葉一鉄、これより織田家にお味方致す!!者共翔翼隊を救い出せィ!!!」

「同じく三人衆氏家卜全も織田家に加勢致す!かかれィ!!かかれィ!!」

 

織田家の旗を掲げた稲葉・氏家隊は城外に展開していた龍興隊へと突撃していく。

味方の離反、それも中核であった両者から攻撃された龍興隊は大混乱に陥り次々と敗走していく。

 

「い、一鉄、卜全!お前らも親父を裏切るってのかよ!?」

「恥知らずは重々承知!しかし、それでも信奈殿こそ美濃を託すに相応しいと確信致した!最早我らに迷いなし!!」

 

龍興からの非難を一鉄は迷うことなく受け止める。そのうえで、自らの決意を声高らかに叫ぶのであった。

 

 

 

刻は遡り、墨俣へ急行している織田本隊。機動性を重視する信奈の方針もあり、従来の常識を覆す進軍速度を誇っていた。

 

「城自体は殆ど完成しているのね五右衛門!」

「ハッ!この速度なら十二分に間にゅあいまちょう!」

 

信奈からの問いに、噛みながら答える五右衛門。彼女は翔翼の命で本隊の誘導役として送られていたのだ。

 

「…流石あんた達の『愛の巣城』ってところかしらねぇ」

「※〇§×※〇§×!!」

 

冷めた目で皮肉ってくる信奈に、顔を真っ赤にして否定しようとするも、焦り過ぎてまともに喋れていない五右衛門。

そんなやり取りをしていると先陣の勝家と可成の軍が足を停めてしまう。

 

「何事か!?」

「それが、前方に敵軍が展開しており…」

 

配下が言い終わるよりも先に、信奈は先陣へと馬を走らせていた。

 

「六!敵はッ!」

「どうやら稲葉一鉄と氏家卜全の手勢のようです!」

 

勝家の報告に、信奈は何ですって?と眉を潜ませる。どちらとも最近は義龍の命に従わず、自分の城から動こうとせず。今回の戦にも参加しないだろうと見られていたからだ。

そうしていると、長秀ら側近も集ってくる。

 

「はてさて困りましたねぇこれは…」

「どうなってんだ信盛?あの2人は動かないんじゃないのか?」

「その筈だったんですがね。何か心変わりでも起きたのでしょう」

 

話が違うと言いたそうな可成に、顎に手を当て、怪奇そうな目で斎藤勢を見据えながら答える信盛。

 

「姫様!ここは強引にでも突破しましょう!このままだと翔が…!」

「お待ちください勝家殿」

 

今にも勝手に突撃してしまいそうな勝家に、光秀が待ったをかけた。

 

「なんだよ光秀!?」

「あのお二人は、戦いに来たのではないのかもしれません」

「どういうことさ?」

 

勝家の疑問に答える間もなく、相手を監視していた長秀が敵が動きました、と告げる。

軍事自体は動かないも、敵陣から将である一鉄と卜全のみが馬を進め織田勢と対峙する形となる。

 

「織田信奈に問う!多くの血を流してまで、そなたは何故美濃の地を手に入れんとする!?何がために戦っておるか!!」

 

突然の問いに、織田勢に動揺が走る中。信奈は迷うことなく単身で馬を走らせた。

 

「(守就。お前が耄碌しているかいなか。それを確かめさせてもらうぞ…!)」

 

臆することなく向かい合おうとしてくる新しい時代の風(信奈)を見据えながら、一鉄は友の言葉を思い浮かべていた。

 

 

 

 

己の城で瞑想に耽る一鉄の前に現れたのは、先の謀反の責任を取り隠居した安藤守就であった。

 

「…何をしに来た守就?」

「そう邪険にしてくれるな。お前に話しておきたいことがあってな」

「帰れ。義龍様に刃を向けた貴様とは話すことはない」

 

突然押しかけて来たにもかかわらず、何食わぬ顔で対面に座り込む守就に、一鉄は冷めた視線を向けるも。彼は気にした様子もなく、持参してきた扇子を広げて扇ぎ始める。。

 

「然り、今の儂には最早斎藤家への忠誠はない。故に織田家へ味方することに決めた」

 

その言葉が発せられると同時に、一鉄は守就の胸倉を掴んでいた。だが、守就は気にした様子もなく憤怒に燃える彼の目を見据える。

 

「貴様ッ…!」

「一鉄。例え主君に刃を向けようとも、儂に義の心がなくなった訳ではない。故に織田に着くのだ」

「何だと?」

 

凛とした声で話す守就の言葉に、訝しむ一鉄。

 

「半兵衛がな、今墨俣にいるそうだ」

「墨俣に?」

「うむ、あの子を救ってくれた大空翔翼が、墨俣で築城に当たっているそうだ。重矩が教えてくれたが、半兵衛はそれを手助けするために彼の元に向かうそうだ。儂には何もいわずにな、これ以上迷惑はかけたくないのだろう。そんなことを考えずとも良いのに」

 

どこか寂しそうに話す守就。実の娘同然に想っている彼女に、遠慮されたことを気にしているらしい。

 

「戦をあれ程嫌っていたあの子が、自分から駆け付ける程に想える相手にようやく巡り合えた。だから儂は彼を死なせたくないのだ。そのためなら如何なる汚名も被ろう」

 

確かな決意をそのめに宿す守就に、一鉄は最早止めることは不可能と判断し手を離す。

 

「…それで、わざわざ話に聞たということは、この儂にも織田に着けと言いたいのか?」

「如何にも、話が早くて助かる」

 

一鉄は暫し腕を組んで目を伏せ思案する。このまま義龍に仕え続けたとて国のためになるとはいえず、かといって織田信奈が託せうる誠の英傑であるという確証も持てず、それが彼の迷いの原因と言えた。

 

「踏ん切りがつかぬと言うのなら、実際に織田信奈に会ってみれば良かろう」

「簡単に言ってくれるが、どのようにだ?」

「実は翔翼殿からこのような書状が届いておってな」

 

懐から出された書状を受け取り目を通す一鉄。そこには、信奈の本隊をどの経路から墨俣へ誘導するかが記されていた。

 

「恐らく彼も、お前達を信奈殿に引き合わせたいのだろう。ここに来る前に既に卜全には話は着けてある。どうだ、この話乗ってみんか?」

 

まるで、悪戯小僧のようにな笑みで誘ってくる守就。そこまで根回しが済んでいるのなら一鉄としても断る理由はなくなっていた。

 

 

 

 

「姫様!?」

「待ちなさい勝家。ここは姫様にお任せしましょう」

 

慌てて後を追おうとする勝家を長秀が制止した。

信奈は一鉄らの元まで向かい対峙すると大きく息を吸い込む。。

 

「この織田信奈が目指すは日ノ本の平穏なり!同じ国に生まれた者同士が争うことなく、天下万民が笑顔で暮らせる世を作ること、それが私が戦う理由よッ!!」

 

この場にいる者全てに聞かせるように力強く語る信奈。威風堂々という言葉を体現したが如きその姿に、斎藤勢はおろか織田勢からも感嘆の声が漏れる。

 

「そして、そのためにはどうしても美濃の地が必要なの!稲葉一鉄、氏家卜全ッ!今度はこちらがに問うわ、あなた達は何がために戦うか!?」

「我らが願うは美濃に住まう者達の平穏なり!そのために我らは戦っておる!」

「ならば何故稲葉山城での変の後、何もせず己が城に閉じ籠るか!?戦いもせずかといって何者にも従おうとしない戦国武将などそれだけで罪であるぞ!!」

「「!!」」

 

その言葉に一鉄と卜全に衝撃が走る。そんな彼らに信奈は畳みかけるように言葉を続ける。

 

「美濃の民を想うなら、あなた達がとるべき道はただ一つ!この織田信奈に仕えなさい!さすれば、あなた達の守りたいもの全てを守ると誓うわ!!!」

 

大地を震わせるかの如き覇気を纏った声音に、一鉄と卜全は己の血が湧き立つのを感じる。彼女から発せられる気迫が、かつての主君(道三)の若き日の――当時まだ弱国であった美濃を盛り上げ、共に天下に覇を唱えようと誓い合った日の姿と重なって目に映るのであった。

気づけは2人は馬から降り、信奈の元まで歩み寄ると臣下の礼を取っているのであった。いや、彼らだけでなく、配下ら全員が同様に彼女を新たな主として仰ごうとしていた。

 

「承知いたしました。これより我ら一同あなた様を主君として仰ぎ、全身全霊をかけてお仕えすることを誓いましょう」

「デ、アルカ」

 

そんな彼らを満足げに見回した信奈は、号令を発する。

 

「これより墨俣にいる翔翼隊の救援に向かうわ。着いて来なさい!」

「ハッ!是非とも我らに先陣をお申しつけ頂きたい!」

「いいわ!存分に働きなさい!」

 

信奈からの下知を受けると、おおうッ!と湧きたつ配下を連れ、一鉄と卜全は若き日に戻ったように意気揚々と進軍していくのであった。



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第二十五話

本隊の来援により、南門における形勢は完全に逆転し龍興ら奇襲部隊は包囲される形となっていた。

 

「もう駄目だぁ…おしまいだぁ…」

「龍興様!?」

 

その光景を見た龍興は、早々に心が折れて両手と膝を突いて項垂れていた。

 

「諦めてはなりません!ここは血路を開いて脱出を…!」

「こんな状況でできるわきゃねぇだろうがああああ!!」

 

最後まで抵抗しようと提案する配下に、龍興は一部の隙もなく展開されている織田勢を指さしながら叫んだ。

 

「…分かりました。では、介錯致しますので腹を召されよッ…!」

「いやじゃぁぁぁぁアアアア!!痛いのは嫌だし、死ぬのはもっといやじゃァァァァアアアア!!!」

「えぇ…」

 

切腹は嫌だと泣き喚く主に、思いっきり引く配下。そうこうしていると、利家が護衛を突破して迫って来た。

 

「お命頂戴」

「ひェ!?こ、降参!降参します!だから、殺さないでええええ!!」

「龍興様ァ!?!?!?」

 

槍を突きつけてくる利家に、どこからともなく取り出した白旗を振る龍興。

余りの呆気なさに、思わず拍子抜けした顔になる利家。

 

「…切腹するなら見届けるけど?」

「死にたくねえ!オラ死にたくねえだ!運命の人と出会えてないし、侍女ら女衆(おなごしゅう)残していけるかよォ!!」

 

必死の形相で命乞いをしてくる姿は、清々しいまでの生への執着を感じさせ。ある意味で関心させられるものであった。

 

 

 

 

墨俣城を包囲すべく、東側に展開していた斎藤勢。そこに勝家率いる部隊が襲い掛かる。

 

「進めェ!蹴散らせェ!!」

 

戟で敵の脳天を叩き割りながら、激を飛ばす勝家。

想定よりも早い来援に、奇襲を受ける形となった斎藤勢は、陣形を乱し押し込まれていく。

 

「(翔!あんたはやっぱり凄いよ!あたしらができない、姫様だって無理だ諦めてしまおうって考えることをやり遂げるんだから!)

 

墨俣城を見上げながら、勝家は友が為したその偉業に最大限の敬意を払う。

 

「でもォ!」

 

戟を大振りに一閃すると、立ちはだかる敵を纏めて投げ飛ばし、他の敵に叩きつけて盛大に吹き飛ばす。

 

「あたしらだって、負けてられないんだァ!!」

 

彼に頼るだけでなく頼られるようになるべく、ひたすらに前へ進み続けるのであった。

 

 

 

 

西側では可成率いる部隊が対応しており、こちらも優位に戦を進めていた。

 

「どうしたどうしたァ!?この人間無骨の錆になりたい奴はいねぇのかい!」

 

片手で十文槍を振り回しながら、もう片手で挑発すると、敵は慄くようにして後ずさりしていく。

彼の周りには討ち取った者達の屍が散乱しており、二の舞となることを恐れているのだ。

 

「来ないのかい?なら、こっちから行くぜェ!!」

 

槍を突き出すと配下が一斉に敵に襲い掛かり、勢いに押されて後退していく斎藤勢。

 

「おのれェ!」

 

破れかぶれとなった敵が可成目がけて槍を繰り出すが軽々と躱し、反撃で振るった槍が袈裟懸けに敵の鎧を肉体をそして骨すらも紙のように断ち斬った。人間無骨とは人の骨すら難なく断つ切れ味を持つことが名の由来なのである。

 

「(俺達も一緒に行くぜ翔!あの日誓った『夢』のために天下目指してどこまでもよ!)

 

友との夢をかなえるため、立ち塞がる敵を打ち倒していくのであった。

 

 

 

 

龍興の早々な降伏により、然したる抵抗も受けずに南門の奪還に成功した本隊は、城内に入ると守備隊に合流する。

 

「よう、助かったよ」

 

利家に支えてもらいながら、信奈と対面する翔翼。傷だらけのその姿に信奈は悲痛な声を漏らしそうになるのを堪える。

 

「よくやってくれたわ翔。後は任せなさい」

「おいおい、ここまで来て仲間外れにするなよ。最後まで付き合わせろ」

 

そういって駆け付けてきた赤兎に乗る翔翼。

 

「いや、医師連れてきてやったからもう寝てろよ」

「何言ってんだ。まだ動けるぞ俺は」

 

呆れた顔でツッコミを入れる信盛に、ほれ、と右手だけで軽々と戟を振り回す翔翼。

 

「桶狭間でもそうやって死にかけてたやんけ。てか、僕が医師手配してなかったら死んでたからな?」

「感謝してるよ親友。お前がいてくれるから遠慮なく戦えるんだ。ありがとうな」

「爽やかな顔でクサいこと言うなぁ!僕には妻子らがいるんじゃあ!!」

 

傍から見れば口説いてるようにさえ見える翔翼に、顔を赤くして悶える信盛。

 

「……」

「おい犬千代、槍で突っつくな!?」

「翔は見境なく口説き過ぎ」

「全くです。いつか痛い目に会いますよ三点です」

 

不満そうに槍でツンツンしてくる利家に抗議すると、長秀にまで冷たい視線を向けられてしまった。

 

「…どうせ言っても聞かないし好きになさい。犬千代、この馬鹿お願いね」

「うん、任せて姫様」

 

呆れと諦観が入り混じった顔をしながら、渋々といった様子で命じると。利家は胸を叩きながら応じると、長秀に預けていた愛馬に乗る。

 

「いや、子供かよ俺は」

「はいはい、さっさと行きますよ~」

 

翔翼が扱いに不満を漏らすも、信盛始め全員に見事に無視されてしまう。

 

「さあ、この戦終わらせに往くわよ!!」

 

刀を天に掲げながら信奈が号令を発すると、ウォォォォオオオオ!!!と天地を揺るがさんばかりの咆哮が巻き起こる。

信奈を先頭に北門目がけて前進を始める本隊。元から属していた尾張者と新たに加わった一鉄ら美濃者、各々が発する熱気が纏まり、彼らをまるで一つの生物のように見せていた。

 

「!」

 

北門で指揮を執っている半兵衛は、その熱気を感じ取り振り返ると。こちらへ向かってくる本隊を視認すると同時に、即座に為すべきことを理解し言葉を発する。

 

「開門!急げッ!!」

 

門を守備していた者達が慌てて門を開くのと同時に、本隊が城外へと飛び出し門を攻撃していた斎藤勢を蹴散らしながら突き進んでいく。

 

「……」

「殿!西と東側へ派遣した部隊は敗走!打ち破った敵は、こちらの左右に回り込んで来ております!」

「龍興様は降伏し、稲葉、氏家の離反によって将も足軽も動揺して士気が地に落ちました!これ以上は被害が増すばかりです!ここは稲葉山城へ退却しましょう!」

「左様!かの堅城に籠城すれば、敵が勢いに乗じて攻めよとも十分に防ぐことができましょうぞ!」

 

こちらへと向かってくる信奈らを冷静に構える義龍に、側近らが退却を促す。

 

「……」

 

だが、当の義龍は何の反応も示すことなく。まるで何かを悟ったように織田勢を――それを率いる信奈を見据えていた。

 

「(織田信奈の速さは把握しているつもりであったが…)」

 

電光石火を誇る織田家の速さであっても、本隊が到着するよりも前に、墨俣城を落とせると踏んで義龍はこの戦に臨んでいた。

 

「(この進軍速度、落伍者が出ることも厭わず駆け付けてきたのだろう…。なのに、あの士気の高さは何だ!誰もが疲れを知らぬが如く戦っておるわ!!)」

 

義龍の見立て通り、信奈は速度のみを求め、脱落者が出ることも承知で軍を進めていたのだ。下手をすれば、戦場に到達する前に軍が瓦解しかねない用兵であるが。信奈が直々に長年かけて鍛えてきた馬廻は元より、勝家ら優秀な諸将が各々部隊を見事に鍛え纏め上げることで、最低限の損失で成し遂げたのである。

 

「殿!背後より軍勢がッ!」

「あれは、安藤守就の手勢か!?」

 

義龍の本隊の背後を塞ぐように、守就率いる軍勢が姿を現した。

 

「我、安藤守就も織田家にお味方いたすッ!義龍よこれ以上の抵抗は無意味ぞ!大人しく降伏せよッ!!」

 

守就によって退路を断たれた斎藤勢は、戦意を失った足軽が武器を捨てて逃げ出し、独断で降伏する将も出始めていた。

 

「ッ!こうなれば殿、背水の陣を敷き敵本隊に突貫をかけましょう!!織田信奈は自ら陣頭指揮を執っております、我ら一同玉砕の覚悟で挑めば、奴の首さえ取ることもできましょうぞ!!」

「…いや、そのようなことあの男がさせまいて」

 

どこか諦観したように語る義龍の視線の先には、最前線にいる信奈を護らんと口で手綱持ちながら、右手だけで戟を振るい敵を薙ぎ払う翔翼の姿があった。利家が援護しているとはいえ、片手が扱えない程の重傷を負っているとは思えない奮迅に、進路上にいる斎藤勢は蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行く。

 

「これまで、か…。楽隊戦闘停止の合図を出せィ!!」

「殿ッ!?」

「皆すまぬ。儂は織田信奈にの足元にも及ばなかったようだ」

 

諦観したように己を嗤う義龍。側近らは、主君にそのような顔をさせてしまう己の不甲斐なさに顔を伏せ涙を流す。

陣太鼓と法螺貝が鳴り響くと、斎藤勢は最初は意味が理解できず何事かと困惑の色を浮かべる。

 

「戦を止めよッ!!この戦我らの負けぞ!!これ以上争うことは無益なり!!武器を捨て投降するのだッ!!」

 

馬を進めながら叫ぶ義龍の声が伝播するように響き、斎藤勢は次々と武器を捨て、ある者は戦が終わること涙を流して安堵し、ある者は敗北を受け入れられず膝を折る。

その様子を見た信奈はすぐさま長秀に命じ、戦闘停止の合図を出させた。

戦闘による喧騒が止み戦場が静寂に包まれる中、義龍は信奈の元へ馬を進めて行き、その後を側近らも続こうとすると手で制止される。

だが、誰もがそれに従わず着いて行こうとし、そんな彼らに義龍は口元に笑みを浮かべ、馬鹿者共めらが…と漏らしながら共に馬を進める。

 

「織田信奈よ!儂の負けじゃッ!!美濃の民草や儂の配下らに無用な危害を加えないのなら、お主に降ろうッ!!!」

「受諾する!抵抗しないのであれば、家臣領民に危害を加えないことを誓うわ!!」

「相違ないか!!」

「この命にかけてッ!!」

 

胸に手を当て声高らかに宣言する信奈に、義龍はフッ、と満足そうな笑みを浮かべると、馬を降りて胡坐をかき、側近らもそれに続く。

 

「儂の力及ばず、皆の者すまぬッ!斎藤家はこれより織田家に降伏致すッ!!」

 

義龍は宣言を終えると、信奈に促すような視線を向け、その意を読み取った彼女は勝鬨を上げるよう号令を発し。織田勢からは歓声が沸き上がる。

こうして美濃の覇権をかけた織田家と斎藤家の戦いは、織田家の勝利で幕を閉じるのであった。



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第二十六話

墨俣における戦いにて、義龍が降伏したことを知った稲葉山城は無血開城し。信奈は織田家念願の城へと入城することとなる。

そしてすぐさま戦後処理に入り、城主の間に当主である義龍とその息子である龍興が引き連れられてくる。

 

「……」

「さて、斎藤義龍。何か言うことはあるかしら?」

「――儂はそなたと蝮に敗れた。約束を守ってくれるのならそれで良い」

「…命乞いするのなら命までは取らないわよ?」

「儂にも大名としての意地がある。かくなる上は潔く腹を切ろう」

 

正座したまま堂々と言い放つ義龍に、僅かに眉を顰める信奈。その様子はまるで、義龍の死を拒ばもうとしているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遠慮はいらん信奈殿。その男を生かせば後々の災いとなろう。始末なされよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に襖が明けられると、清洲にいる筈の道三が姿を現す。

 

「何よ蝮、呼んでなんかないわよ?」

「そなたのこと、儂にいらん気を回して義龍と龍興を生かそうとすると思い駆け付けて参った。才のない龍興はともかく、義龍は顔に似合わぬ知恵者。放逐などすれば天下統一の妨げとなるぞ!」

 

さらりと孫に酷いことを言いながら道三が睨みつけると、義龍は静かに口を開いた。

 

「戦国の世において、血の繋がりだけを見た我が眼は節穴であった。こうなったのも自業自得、これまで世話になった、親父殿」

 

そういって深々と道三に頭を下げる義龍。

 

「…義龍は斬らないわ。こんな男私の敵じゃないもの。何か間抜けな顔している龍興もついでに放逐しておいて」

「信奈殿ッ!!」

 

むっとしたままの顔で首を横に振る信奈に、思わず怒鳴り声を上げる道三。

 

「義龍の目を見よ。まるで屈服しておらん!今逃がせば、虎視眈々とそなたを狙うであろう!その甘さ、いずれ命とりになろうぞ!!」

 

道三は必死に説得しようとするも、信奈は頑として考えを変える様子はなく、険悪な雰囲気は室内に漂うも。そんなものどこ吹く風といった様子の翔翼が義龍を縛っていた縄を解いた。

 

「うっしと、これ以上面倒臭くなる前に早く行っちまいな」

「翔翼!」

「あんたの顔を立ててこいつを逃がすってのも、美濃の領民の受けが良くなっていいだろうさ。それに斬れって言うくらいなら、謀反される前に自分で始末すれば良かっただろ。親の情を捨てきれない奴に言われても説得力ないぞ?」

「ぬぅ!?」

 

痛い所を突かれどもる道三。そんな彼にしてやったりといった笑みを浮かべる翔翼。

義龍が謀反を企てていると知っても、騙し討ちすることもなく、信奈に我が夢を託したいと、どうか許してくれと、義龍に頭を下げて説得することしかしなかったのだ。

若き頃であれば己の手を血に染めることも厭わなかったが、老いた影響もあり、力ずくで我が子を排除することに無意識に躊躇いが生まれていたのだ。

 

「もしもまた刃を向けてくるのなら、へし折ればいいだけの話さ。そのための俺達なのだからな」

 

なあ、と翔翼が視線を向けると、その場にいる家臣一同笑みを浮かべたりと同意を示す。

 

「そういうことだから、さっさと行きなさいよ義龍」

「親父殿の言う通りだ。必ず後悔するぞ。往くぞ愚息」

 

フンッ、と鼻を鳴らしながら立ち上がると。連れてこられてからというものの、何を言うでもなく、ポカーンとした顔で信奈を見ていた息子に声をかける。

 

「……」

「どうした愚息?」

「う、美しい…」

「はぁ?」

 

不意に放たれた我が子の言葉に、思わず間の抜けた声が漏れる。

 

「まるで天女のような美しさに、爺ちゃんにも怖気つかないその気の強さ…。あんたこそ俺が求めていた運命の人だぁぁぁぁああああ!!」

「は?何言ってんのこいつ?」

 

突然感極まった顔で叫び出す龍興を、怪訝な目で見る信奈。

 

「あんたに惚れた!一目惚れだ!!俺の嫁さんになってくれぶェッ!?!?!?」

 

迫って来た龍興の顔に信奈の蹴りがめり込む。予想外の事態に、一部を除いたその場にいる者らは唖然としていた。

 

「ふっっっっっっっざっけてんじゃないわよ!誰があんたみたいななよなよした奴なんかとッ!あたしが嫁ぐとしたら、その…えっと…」

 

勢いに任せて口走るも気恥しくなったのか、口ごもりながらチラチラと翔翼を見る信奈。――当の朴念仁は何事もないかのように、成り行きを見ているが。

そんな信奈の様子に、龍興は察したように衝撃を受けて崩れ落ちる。

 

「そうか、そうなのか。これが俺のですてぃにーって奴なのか…」

「ねぇ、ホントに頭大丈夫なのこいつ???」

 

信奈が引きまくった顔で父と祖父に問いかけると、扇子で顔を隠した道三は末代までの恥よ、と嘆いておており、義龍はもう知らんと言いたいばかりに一人で出て行ってしまっていた。

 

「大空翔翼ッッッ!!!」

 

勢いよく立ち上がると、何かを決意したように翔翼に指を突きつける。

 

「何だ?」

「テメェには、テメェにはゼッタイ負けねぇかんなァァァァアアアア!!!」

 

一方的に宣言すると、俺は今日から生まれ変わるッ!と叫びながら走って去っていく龍興。対する翔翼は意味が通じず、疑問符を浮かべて首を傾げることしかできなかったのであった。

 

 

 

 

その後は、義龍の処分に納得がいかない道三が憤慨して出て行ってしまうも。

稲葉一鉄ら先の戦にて織田家に味方した一同、そして義龍と共に降伏してきた諸将らの処遇を取り決めると戦後処理は終わりとなり。そのまま、休むことなく今後の方針を検討するための評定が開かれ、信奈はまず初めに半兵衛を呼び出すのであった。

 

「あんたが本物の竹中半兵衛?へえ、女の子だって噂は本当だったのね」

「はっ。病弱な我が身に代わり、これまでは兄に代わりを務めて貰っていたのです。あ、あの虐めないで下さい…」

 

平伏しながら少し怯えた様子で体を震わせている半兵衛に、信奈はそんなことしないわよ、と胡坐をかき握りこぶしを頬に添えながら呆れ気味に言う。

 

「ま、そんなことはどうでもいいわ。大事なのは、あたしの天下取りに役立つ才があるかどうかなんだから。その点あんたなら文句ないわ、半兵衛参謀としてあたしに仕えなさい。さすれば臨むだけの報酬を与えるわよ」

 

瞳を爛々と輝かせながら、身を乗り出すようにしながら勧誘しする信奈。

彼女が家臣に求めるのは才能を第一とし、それさえあれば出自や経歴に関係なく任用・抜擢するのである。芸術とさえ言える用兵で自身を幾度も退け、腹心である翔翼が信頼を寄せている半兵衛は是が非でも欲しい人材であった。

 

「恐れながら、信奈様は参謀などに頼らずとも、万事を採決なされるだけの才をお持ちです。私ごときが出る幕はないでしょう」

 

先程と打って変わって凛々しさを持って拒絶の意思を見せる半兵衛に、一部を除く家臣らがどよめき立つ。信奈の出した提案はこれまででも破格であり、日の出の勢いを見せる当主にこれだけ求められて断ること等普通は考えないであろう。

しかし、信奈は予想通りといった様子で落胆するでも腹を立てるでもなく、それどころかデ、アルカと笑みさえ見せていた。

 

「だったら、そこの男ならどうかしら?」

 

ニッと笑いながら信奈が親指で翔翼を指さすと、当人は渋い顔をしている。

 

「おい、信奈」

「ちょと黙ってなさい、私は今半兵衛と話してるの」

 

翔翼が口を挟もうとするも、正論を言われむう、と引き下がる。

 

「翔翼殿は人徳に溢れ豪胆不敵で勇猛果敢ですが、己を顧みらず強引に物事を押し通そうとするきらいが見られます」

「そうなのよ、こいつ死ななきゃ何でもいいって人の話聞かないの。だから常々お目付け役が必要だと考えててね。あんたなら適任だと思うんだけど、どうやってみない?」

「私めでよろしければ。喜んで務めさせて頂きます」

「お願いね。ってな訳で翔この子今日からあんたの寄騎ね」

「…お前ら初対面なのに意気投合し過ぎていないか?」

 

とんとん拍子に話を進めた両者に、思わずツッコミを入れてしまう翔翼。

 

「いいじゃない、かの天才軍師が自分から配下になるって言ってんのよ。何か文句あるっての?」

「別に文句ではないが、本当にいいのか半兵衛?お前は優し過ぎる。才があるからと言って、戦場に立つ必要はないんだぞ?」

 

歩み寄ると片膝を突き肩に手を置きながら、思いとどまるように話す翔翼に、半兵衛は向き直りながら手の手を取り両手で優しく包む。

 

「それは、それはあなたにも言えることではないでしょうか?」

「俺にか?」

「はい、共に戦う中で感じました。あなたはお味方だけでなく、敵対する者の死さえ心を痛める人であると」

「……」

 

涙ぐみながら語る半兵衛の言葉に、翔翼は否定も肯定もしなかった。

 

「そんなあなただから、お側にお仕えしたいのです。共に戦いお守りしたいのです。どうかお許し頂けませんか?」

 

揺るぎない決意を宿した目で見つめてくる半兵衛に、翔翼も意を決した様子で空いている方の手で涙を拭うと頬をそっと撫でる。

 

「そうか、ならば俺という翼を羽ばたかせるための風となってくれ」

「はい!我が殿ッ!」

 

感極まったように、満面の笑みを浮かべる半兵衛。その姿は出会ってから最も輝いたものであり、自然と笑みを浮かべる翔翼。

 

「…何だか祝言あげてるみたい」

 

そんな二人を見ていた勝家が、無意識漏らした一言に場が凍りついた。

 

「あ、あくまで側に置くのは、寄騎としてだかんねッ!そういうつもりで言ったんじゃないわよッ!!」

 

と激昂して鉄砲をぶっ放し始める信奈。

 

「ふぇえ!?わ、わわわわわわ私はそんなつもりじゃー―きゅう…」

 

顔を真っ赤にし慌てふためくと気絶してしまう半兵衛。

 

「イダダダダダダ!?おい犬千代噛むなァッ!」

「翔はホントに見境なさ過ぎるッ」

 

ムスッとした顔で翔翼の頭に噛り付く利家。そして、天井から五右衛門が無言でズッコケ落ちてくる。

 

「あは、あハハハハハハハハハハ――」

 

光を失った目で、壊れた様に笑い始める光秀。

 

「これくらいのことで慌てふためいてどうするのですか皆さん。大幅減点です」

「…扇子逆だぜ長秀」

「……」

 

そんな面々に呆れ果てたようにしている長秀だが、可成にツッコまれると、何事もなかったのように扇子を持ち直す。

 

「おい、これ誰が収集つけるんだよ。え、僕?ですよねー」

 

信盛は現実逃避しようとするも、周りからの圧力から許されず。事態の収拾に奔走し胃に甚大な損害を受けるのであった。

 

 

 

 

それから暫しの刻が経ち。美濃の豪族・国衆を取り込み、民優先の政策を告知し、焼き討ちや略奪を固く禁じていたこともあって、民衆からの支持も得られたことで統治が軌道に乗ると。信奈は稲葉山を『岐阜』と改名することを宣告したのだった。

そんな中、道三は信奈と仲違いしたまま、一人稲葉山改め岐阜城の建つ金華山の山頂に佇んでいた。大名だった頃に、茶をたしなむために建てさせた草庵(そうあん)の縁側に腰かけ、城下町を眺めていた。

半生を賭けた夢、美濃を奪って京へのぼり、そして天下統一。

一度は灰燼に帰した夢を、義娘の信奈が今、再び現実のものにしようとしている。

しかし――義龍を逃がしてしまう甘さは、利点ではあるも実に危ういものであった。

 

「(翔翼はああ言っていたが。優し過ぎるあの子には、これから次々と苦難が襲い来るであろう。じゃが、儂の役目はもう終わったのかもしれん…このままどこか遠くの国へ消えるか)」

 

自分がいなければ、信奈は義龍の首を取ることもできただろう。自分の存在が、あの子にとって弱点になってしまっているのではないかと不安に襲われることがあった。

それに、近頃は妙な咳が出ることも増えた。老いたこの身で、後何年生きていられるか。死に目に立ち会わせることになれば、信奈を光秀を、娘達を悲しませるだけだろう。ならば、彼女らがあずかり知らぬ所で朽ち果てるべきではないだろうか?

 

「よう、こんなところで腐ってるのか爺さん。信奈達が今宴会やってるぞ」

「そうですぞ!皆様、美濃の先代国主をお待ちかねですぞ!」

 

肩に妹のねねを乗せた翔翼が、山を登って来ると道三の隣に腰かける。

 

「いや、儂はここでいいのじゃ」

「いつまで拗ねている気だよ?らしくないぞ」

 

信奈殿の甘さが苛立たしいのよ、と道三は思わず本音を漏らした。

 

「別に無条件で義龍を助けようとするほど、信奈も甘くはない。あんたが「義龍を斬るな」とでも言えば、あいつは迷わず斬っていたさ。それなら、あんたに息子殺しの罪を背負わせずに済んだからな」

 

無論道三は信奈にそのような悪名を負わせる筈がなく、彼女もそのことを理解していることから。元より義龍を斬るつもりなどなかったことになる。

 

「愚かな、儂は死に損ないの老いぼれ、それも”美濃の蝮”じゃ。今更どのような悪名を背負っても何とも思わぬ。甘すぎるわ」

「鑑見てみろ。尾張に来てから、あんた坊さんになれるくらい穏やかな顔しているぞ。だから信奈もこれ以上あんたを悪者にしたくなかったんだよ」

「…それでも儂という存在はあの子の枷となっているのも事実、内心では儂の存在を疎ましく想っておるやもしれん」

「はぁ?おいおい本当にもうろくしたか?この城と町の新しい名前を、声に出して読んでみな」

 

翔翼はおしっこしたくなってきましたぞ、を肩の上でもじもじしているねねを少し我慢してくれ、とあやしながらじゃあな、と山道を下り始める。

その後ろ姿を見送ると、道三は麓の城下町に視線を下ろした。すると闇の中、無数の松明が町のあちこちで灯り始めた。

最初はばらばらに灯っていたその松明の群れが、ゆっくりと、ひとつの形を作り始める。

やがて浮かび上がったのは、蛇であった。恐ろし気な蝮などではなく、『鳥獣戯画』にでも登場しそうな、滑稽な顔をしたかわいい蛇だった。

信奈に命じられた家臣や町民が、信盛の指揮の元松明で絵を描いているのだ。この山の山頂にでも佇まなければ、この大きな松明の蛇を見ることはできないだろう。

道三は、腹の底から込み上げてくる感情に狼狽えながら、新しい城と町のその名を、思わず、喉元から漏らしていた。

 

「ぎふのしろ、ぎふのまち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――義父の城、義父の町

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の他には誰もいない、山頂の草庵で。道三は震える手で懐から扇子を取り出すと、己の顔を伏せて隠した。

月が、見ていたのだ。




翔翼「ところで犬千代。その鎧と虎の皮はどうしたのだ?」
利家「皮は山で出会った虎を狩って剥いだ。それで、それを見ていた通りがかりの異国の商人が張飛とかって英雄を見た様だって鎧をくれた。後翔翼によろしく伝えてくれって言ってた」
翔翼「ああ、赤兎とかをくれたオッサンか。相変わらず元気そうだなぁ」
信盛「てか、その虎昔姫様が南蛮の商人から買ったはいいけど、逃げられたやつじゃないですか。あーあーあの刻は大金をはたいて苦労して手配したのにな~頑張ったのにな~」
信奈「♪~♪~(口笛吹いて誤魔化そうとしている)」


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第二十七話

織田家統治下となった美濃稲葉山改め岐阜城。

当主信奈は新たにこの地を本拠地とし、多くの家臣もそれに従い新たな地での生活を始めていた。

そんな一人である佐久間信盛の元に来客が訪れていた。

 

「それで、僕に尋ねたいことがあるそうで光秀さん?」

 

茶を啜りながら対面にいる来客――光秀に問いかける信盛。

 

「はい。信盛殿は『賊狩り』という言葉をご存じでしょうか?」

 

彼女の言葉に、ああ、と何か心当たりのある様子の信盛。

 

「ええ、知っていますが。どこでそれを?」

「子細は話せませんが、五右衛門殿が翔翼殿をそう呼ばれることがありまして。当人はそのことに触れて欲しくないご様子で…。信盛殿何かとお詳しいので、何か知っているのではと思い訪ねさせて頂きました」

 

お忙しい中申し訳ございません、と両手を床に着き深々と頭を下げる光秀に、信盛はそう畏まらなくてもいいですよ、とおおらかに笑う。

 

「なる程、事情はわかりました。賊狩りというのは、随分前に尾張で噂になったやつですよ。賊を皆殺しにして回る男がいて、余りに強くておっかないから、いつしか泣いている子供に『泣いていると賊狩りがやってきて喰べられてしまうぞ』ってな感じの怪談ができてましたねぇ」

「それが、翔翼殿だと?」

「本人は何も言ってませんが。賊狩りが現れなくなったのと同じ時期と、彼が織田家にやって来た時期と被るんですが。まあ、後は当人に聞いてもらうのが一番でしょう」

「え?」

 

そういって信盛が手で縁側を示すと、いかにも不機嫌といった様子の翔翼が立っていた。

 

「しょ、翔翼殿!?」

「…いい酒が手に入ったからと呼ばれたんだが、おい」

 

思いがけない登場に仰天している光秀に一言伝えると、元凶をギロリと睨みつける翔翼。

 

「いいじゃないですか、女々しく隠すほどのことでもないでしょう?今後のためにもスッキリさせておいた方がこっちも楽なので」

 

泣く子も黙るだろう迫力を前にしながらも、はっはっはっは、と悪びれた様子もなく笑う信盛。

 

「…外でいいか?」

「あ、はい」

 

言っていることは間違っていないため不満を押し殺しながら、翔翼は光秀を連れて屋敷を出ていくのであった。

 

 

 

 

岐阜城近くを流れる川のほとりにて、草原の上に寝ころんでいる翔翼とその隣に腰かける光秀。

 

「……」

「あの、話したくないであれば無理にお話頂かなくても大丈夫ですよ?私も今後このことには触れませんので」

 

どうにも尻込みしている様子の翔翼に、光秀は彼を気遣い話題から逸らそうとする。

 

「いや、癪だが信盛の言う通り隠していてもしょうもないことだしな。それでお前さんにしこりを残すのも悪いしな」

 

そういって上半身を起こすと、流れる川を見つめながら語りだす翔翼。

 

「俺が農民の出なのは前に話したな」

「はい」

「俺の家は猟師の家系でな。幼い頃は親を手伝いながら平和に暮らしていたよ。だが、ある日故郷の村が賊に襲われて俺を残して全滅したんだ」

「!」

「両親に守られて俺だけが生き残った。賊が去った後村に戻って見たのは物言わなくなった村の人々、そして両親の姿だった」

 

その時のことを思い出したのか、悲痛な趣を見せる翔翼に。今まで見たことのない姿に、光秀はどのように声をかけるべきか逡巡してしまう。

 

「すみません。辛いことを思い出させて…」

「いや、きにするな。今の世じゃ珍しいことではないしな」

 

そう、今は戦国乱世。戦によって生きる糧を失った者が、徒党を組み弱き者を殺め糧を奪う。あった筈の平穏が一瞬で崩れ去るのが日常となっているのだ。

 

「全てを失った俺はただ泣くことしかできなかった。そして、涙が枯れた後に残ったのは、ただ怒りと憎しみの感情だけだった」

「怒りと憎しみ、ですか?」

「そうだ。父と母を優しかった村の仲間を奪った者達への、な。それからの俺はその感情に囚われ『獣』に堕ちた」

「獣?」

 

言葉の意味がわからず思わず聞き返す光秀。

 

「ああ。俺は自分を理不尽な境遇に追いやった者達に復讐する道を選んだ。村を襲った者達を捜し出し、父から教わった狩り人としての技を駆使して皆殺しにしたんだ」

「それは仕方のないことなのでは?」

 

愛する人を奪われたのなら、その相手を憎く思うことは人として当然の感情であろう。

光秀も、もしも道三が義龍に討たれていたら、彼に憎しみの感情を持ち敵を討とうとしていただろう。

 

「そこまでだったならな。だが俺は敵を取った後も怒りと憎しみが晴れることはなく、やり場の無くなった感情を他の賊にぶつけることでしか生きれなくなったのさ。それに父は言っていた。『狩り人とは生きるためだけにその技を使い。手にかけた命に感謝の心を忘れるな』とあの刻、俺はその教えを一度捨てたんだ」」

 

吐き捨てるように話す翔翼。もしも過去に戻れるのなら、その時の自分をぶん殴ってやりたいと言いたそうであった。

 

「殺して殺して殺し続け。そうしている内に、いつしか賊狩りなんて呼ばれるようになってたよ。何のために生きているのかもわからなくなっていた刻に信奈と出会ったんだ。あいつは言ってくれたよ『あたしが天下を統一して乱世を終わらせて見せる。あんたのように涙を流しながら戦う者がいなくなるような、天下万民が笑い合える世を創ってみせる。だからあたしに仕えない、以後の生涯ずっと』とな。あいつは俺に生きる意味と居場所、大空翔翼(俺が俺である証)という名をくれたんだ」

 

青空を見上げながら、これまでと一転して晴れやかに話す翔翼。彼女との出会いが彼にとってかけがいのない思い出なのだろう。

 

「っとすまん。話が逸れたな…」

「いえ。翔翼殿が信奈様を忠義を尽くされる理由をお聞きできましたので、お気になさらず」

 

気まずそうに頭を掻く翔翼に、優しく微笑む光秀。

 

「ならいいんだが。さて、何か話してたら小腹が空いたな。奢るんでういろうでも食いにいくか。信澄の奴が新作考えたって言ってたしな」

 

そういって立ち上がると軽く体を伸ばす翔翼。

 

「そんな、悪いですよ」

「構わんよ。こういう刻くらいしか格好つけられんのだからな」

 

いつも死にかけで情けないところしか見せてないからな、と溜息をつく翔翼。

 

「…いつでも格好いいですよ、あなたは」

「ん?何か言ったか?」

「な、何でもないです!さあ、行きましょう!!」

「お、おう?」

 

恥ずかしさを誤魔化すように光秀は急いで立ち上がると、朴念仁(翔翼)の背中を押していくのであった。



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第二十八話

美濃の統治を安定させた織田家は、信奈が新たに掲げた『京へ上洛し天下統一の意思を世に示す』という方針に邁進していた。

そんな中、南近江を納める浅井家当主長政が信奈の元を訪ねてきたのであった。

 

「婚姻同盟、ね」

「左様。我が浅井家が織田家と盟を結ぶならそれしかないと父や家臣が譲らず…。私の力が及ばず申し訳ない」

「ま、同盟なんてそんなもんでしょう」

 

心の底から謝罪している様子の長政に、信奈は特に不満を感じている様子もなく話す。

乱世より以前から、同盟を結ぶ際の信頼の証として当主の親族同志を婚姻させる、所謂婚姻同盟は珍しいことではないのである。

ただ、美濃を取り勢いを増す織田家との同盟は、浅井家にとって有益ではあるものの。長政の父である先代当主久政を始め多くの家臣は野心的な信奈を危険視しており、何より浅井と長年同盟を結んでいる越前の朝倉家は織田家との関係が悪く、朝倉家の機嫌を損ねることを恐れ反対意見が多く出ていた。

そのため、長政は同盟の条件として織田―浅井間で婚姻関係を結ぶことでどうにか反対派を納得させたという背景もあったのである。

 

「別にこっちとしても願ってもない話よ。この話受けるわ」

 

即断する信奈に、翔翼を除く家臣団からどよめきが起こる。

現在の織田家と浅井家で婚姻同盟の条件をみたす者は、信奈と長政しかおらず。つまり、信奈は長政と夫婦になると宣言したのだから当然だろう。

 

「ええ、そんな!翔のことはいいんですか姫さあいたッ!?」

 

余計なことを言う勝家に信奈が扇子を投げると、見事にの額に命中した。

 

「あたしが嫁ぐなんて一言も言ってないでしょう。嫁がせるのはあたしの()よ」

「「「「「妹?」」」」」

 

信奈の発言に、翔翼を除くその場の者達が疑問符を浮かべた。

 

「失礼ながら信奈様。私の記憶が正しければ妹君らは今だ幼く、嫁がせるのは難しいのでは?」

 

信盛が困惑を隠せない顔で問いかける。

確かに信奈には妹が幾人かいるも、皆まだ余りに幼くとてもではないが嫁に出すのは不可能な年齢であった。長政もそのことを把握しており、故に自分と信奈が婚姻するしかないことに責任を感じていたのだ。

 

「大丈夫よちゃんと適任なのがいるから。てな訳でよろしくしてやってね長政」

 

長政は事態が呑み込めていないも、これまで沈黙している翔翼に視線を向けると。まるで自分を安心させようとするように、そして主君を信じて欲しいと目で訴えていた。

 

「…承知しました。よしなに」

 

長政彼を信じ、提案を吞むことにしたのであった。

 

 

 

 

「姉上」

「何?お市」

「信澄です。…僕はどうして花嫁衣装を着ているのでしょう?」

 

岐阜城城門前にて、花嫁衣装姿(・・・・・)の織田信澄は、隣に立っている姉に困惑を隠せない様子で問いかけていた。

朝起きて今日も新作ういろう作りに精を出そうと意気込んでいたら、いきなり姉が小姓らと共に部屋に乗り込んできたかと思えば、無理やりこのような恰好をさせられれば当然と言えよう。

 

「…信澄、今日からあなたはあたしの()お市としていきるのよ」

「すみません。流石に意味がわからないんですが」

 

両肩に手を置き、真面目な顔で意味不明なことを言ってくる姉に、思わず怪訝な目を向けてしまう信澄。

そんな彼を無視し、何かを合図するように手を振ると、どこからともなく現れた翔翼が信澄を抱え籠の中に放り込むと、籠は北近江へ向けて出発していった。

 

「いや、駄目だろこれは…」

「あ、あはは。大丈夫、ですよきっと」

 

とんでもない策を繰り出して来た主君に、可成は白目を剥きながら辛うじてといった様子でツッコミを入れてくる。

そんな彼を励まそうとするも、不安を隠せていない光秀。

 

「大丈夫かなぁ信澄様」

「信澄様の身も色々な意味でそうですが、こんなことすぐに露見して浅井家と戦になりますよ論外です」

 

勝家は純粋に信澄を心配し、長秀はこの先起きうることを想像して頭痛を堪えるように額を抑える。

 

「上手くいく?」

「あ、あのお二人ならきっと、上手くいくと思います」

 

ういろうをかじりながらの利家の問いに、何故か自信ありげに答える半兵衛。

 

「…本当に問題ないんでしょうねぇ、オイ」

「俺に聞くな。天にでも聞け」

「君が何か吹込まなきゃ、こういた話題で姫様がああも冷静なわけないだろうが」

「さて、知らんな」

 

凄んでくる信盛に、空を見上げながらしらばっくれる翔翼。

こうして後に、織田家の明暗を大きく分けることとなる同盟が結ばれるのであった。

 

 

 

 

浅井家との婚姻騒動から日が経ち。上洛への道筋を整えて行く織田家だが、とある問題に直面していた。

京への途上にある近江の北部を治める浅井家を味方に引き入れることには成功したものの、南部の六角家――そして京一帯を支配する三好家は織田と徹底抗戦する構えを見せており。戦は避けられぬ情勢となっていた。

 

「とはいえ、大儀名分がないのが辛いところだな」

「ん~まぁねぇ」

 

岐阜城下にある茶屋で、翔翼が茶を啜りながら愚痴を零すと、隣に座る信奈は団子を特に気にした様子もなく頬張っている。

 

兵を挙げ他国に攻め入るにはそれ相応の理由――大儀名分がなければ国内の賛同は得られず、特に最も負担を強いられる農民からの反発は免れないだろう。

それだけでなく、仮に領地を奪いとろうともその土地の者達から『不義の輩』といった敵意を抱かれ。流民となって他の地へ逃れられるか、一揆となって敵対され統治もままならなくなることだろう。

そして、周辺国からも批判を受け『野蛮の徒から自国を守るため』という大義名分を与え攻め込まれる恐れさえあるのである。

現状いくら天下泰平のためというお題目を掲げようとも、それを証明できるものが織田家にはなかった。

 

「光秀が朝倉家に身を寄せている『足利義昭』に親族を通じて働きかけてるから、それ次第ね」

「前将軍の弟君だったか。果たして織田家のような田舎大名の元に来るかどうか」

 

暫し前に足利幕府13代将軍であった足利義輝を、三好家が討ち取るという事件が起きていた。

これは幕府を傀儡にしようとしていた三好家に対し、義輝が強く反発し幕府の権威を復活させようと敵対していたことが発端であり。この事件は武家を統括すべき将軍が下克上されるという、乱世が混迷を極めていることを象徴するできごとであった。

 

「義輝公殺害後、三好家は公の従兄弟である義栄(よしひで)公を、次期将軍にしようと画策しているそうです。それに義昭公が『前将軍の弟である自分が後を継ぐべき』と反対し、各地の大名に味方になるようを要請しています。ただ…」

「どこも手を貸す気はないと、世も末だな」

 

もう隣に座る光秀の説明に、翔翼はどこか嘆くように団子を頬張る。

 

「一応、現当主が熱烈な親幕府である越後の上杉家は早々に協力を表明していますが。何分京まで遠すぎますし、宿敵とさえ言われている隣国の甲斐武田家に阻まれ動くに動けないようです。その甲斐武田家は既に幕府を見限っていて協力する気がなく、他の大名も似たような理由で消極的で、今身を寄せている朝倉家も義昭公のために動く気はない様子。ですから、京に近く桶狭間から勢いのある当家が支援を申し出れば、義昭公が頼りにしてくる可能性は低くないでしょう」

「といっても、朝倉家がそう簡単に手放すとは思えんが」

「当主である朝倉義景は優柔不断で臆病者であり、領土欲も持ち合わせず、上洛を促す義昭公を疎ましく思っているそうです。存外容易く事が運ぶかもしれませんね」

「上手くいくならそれにこしたことはないが。それはそれで、面倒なことになりそうだがな」

 

さらりと不吉なこと言う翔翼の肩を、信奈がちょっとやめてよ!と小突くのであった。

 

 

 

 

「早く早く将軍になりた~~い!!」

 

越前の国を治める朝倉家本拠である一乗谷城にて、一人の二、三十代の男性が年甲斐もなく駄々をこねていた。

そして、男は狐のような顔つきをした男性に詰め寄ていく。

 

「義景殿!!いつ余を将軍にしてくれるのだ!?」

「い、いつか必ず…」

 

物凄い剣幕の男に、狐のような顔つきをした男性――朝倉家当主の義景は困惑しながら応じる。

 

「いつかっていつなのだ!!何年何月何日何刻日ノ本が何周期を迎えた刻なのだ―――」

「(前将軍の弟だから匿ってるけど…。こいつうぜぇ…)」

 

この男と関わったことがある人間なら、誰もが感じることを一人愚痴る義景。

 

「義景殿ッ!!早くしないと、余の特製花押(サイン)を贈呈する期間が過ぎてしまうぞい!」

「(本ッ当にうぜぇ…)」

 

やたら達筆に『将軍義昭』と書かれた花押をドヤ顔で見せつけてくる男に、渦巻く負の感情を必死に押しとどめる義景。

そう、この碌でもなさそうな男こそ、前将軍足利義輝の実弟――足利義昭なのである。

この男が、後に織田家――ひいては天下に多大な影響を与えることになるとは、この刻は誰も思いもよらなかったのであった。



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第二十九話

岐阜城城主の間――その上座には主である信奈ではなく、どこか間の抜けた印象が拭えない男が胡坐をかいていた。

 

「信奈殿!良くぞ足利幕府再興へ名乗りを上げてくれた!そなたの忠義誠見事ぞ!」

「ありがたきお言葉。この織田信奈粉骨砕身義昭公をお支えいたします」

 

下座にて、信奈はやたら威張った態度を見せる男――先代将軍の実弟である足利義昭へと平伏する。

兄の死後、その跡を継ぐべく諸国へ身を寄せ全国の大名へ援助を求めていたが、どこも他家との戦に追われ余力がなく、あるいは既に足利家を見限っており芳しい成果は得られなかった。

そんな義昭へ信奈は、彼の幕府再興を手助けししたい旨の書状を送ったのだ。彼は京のある近畿に近くなおかつ破竹の勢いを見せる織田家の武力に着目したのである。

 

「うむ、期待しておるぞ!わしが将軍になった暁にはそちは管領じゃ!」

 

管領――将軍の側近を務める役職への大抜擢を受けるも、信奈はただ静かに首を横に振り辞退の意を示す。

 

「管領では不足か?ん~なら~ええい!奮発して副将軍でどうじゃ?」

 

義昭は更なる重役を勧めてくるも、信奈の反応は変わらずであった。

 

「何じゃ欲のない女よの~」

 

淡白な態度の信奈に、面白くなさそうに眉を顰める義昭。暫し考え込むような仕草をすると、何か閃いたように手にしていた閉じた扇子でもう片方の掌を軽く叩く。

 

「おのこか?(みやこ)にはよきおのこがた-んとおるぞ」

「義昭様!」

 

側に寄りながら下世話な話を始めた義昭を、側に控えていた側近の細川藤孝が制止すると、面白くなさそうな顔をしながら席に戻る義昭。それを見て藤孝は天井を気にしながら安堵したように息を吐く。

 

「大変失礼致した信奈殿。それで、上洛のための軍はいつ挙げられるおつもりですかな?」

「一月後には必ず」

 

信奈の言葉に、早くても数ヶ月はかかるだろうと見ていた義昭は一月とな!?と仰天し、藤孝も何と…と驚きを隠せないようであった。

 

 

 

 

その後、いくつかの事項を協議すると、満足した様子で退出していく義昭。

それから暫く先程の主君の非礼を何度も謝罪する藤孝の相手をした信奈は、縁側に立つと体の凝りをほぐすためにん~と伸びをする。

 

「で、あんたは何してんのよ?」

 

振り向きながら天井に向かって話しかけると、天井裏から翔翼がひょっこりと顔だけ出してきた。

 

「将軍家の人間がどういうものか気になってな。藤孝殿には気づかれてしまったが」

「そりゃあんな殺気出せばね」

「そんなつもりはなかったのだが…」

 

不思議そうに首を傾げている翔翼。義昭が下世話な話を始めた刻に、天井裏から漏れ出ていた殺気を思い出し呆れ気味な目を向ける信奈。

 

「たくっ藤孝殿絶対胃を痛めてたわよ。気をつけなさい」

「すまん」

「別に怒ってはないわよ」

 

シュンとした様子で謝る翔翼に笑みを見せる信奈。彼女としては、自分を心配してわざわざ天井裏に潜んでくれていたことは理解しているので寧ろ嬉しいとさえ思っていた。

 

「しかし、あんなのを将軍にしていいのか?」

「元々出家してたっていうんだからあんなもんでしょう。こっちで上手く手綱を握ればいいのよ」

「だといいがな」

 

何か危惧している様子の翔翼に、何よ、と訝し気な目を向ける信奈。

 

「そんな簡単な男には見えんだけだ。扱いを誤れば火傷では済まんかもしれん」

「なら間違わなければいいだけよ。落ちぶれているとはいえ、将軍家の『権威』――利用しない手はないわ」

「向こうも「信奈の「軍事力」とことん利用させてもらうのだ~」とか言ってそうだな」

「それでいいわ。俗物的な方がこっちも相手しやすいし」

「確かにな。まあ、そこはお前に任す。では、この後信盛と可成と飲む約束があるのでな帰る」

 

そういって再び天井裏に消えていった翔翼。

 

「…いや、普通に帰りなさいよ」

 

もう隠れる必要がないのに、わざわざ苦労する方を選ぶことに思わずツッコミを入れる信奈。

 

「こっちの方が楽しいからな」

「ああ、そう…」

 

再び顔だけ出し、せっかくなんでな、と言って消えていく20代に、子供か…と呆れながら再びツッコミが入るのであった。

 

 

 

 

「お、おーい翔!こっちだ!」

 

城を出ると、城門付近で待っていた可成が手を振って呼んでいる。その隣には信盛もいる。

 

「よう」

「どうだった前将軍の弟君ってのは?」

「小物の大物だな」

「うん。僕の苦労が増えることは良くわかった」

 

起きうる将来を予見してげんなりする信盛。

 

「働け筆頭家老」

「苦労しないお前に価値はねぇぞ」

「優しくして!もっと甘えさせてよぉ!」

 

容赦のない親友らに抗議するも、軽く流されながら城下町へ向かうと、可成の屋敷へと向かって行く。

 

「そういえば翔もようやく屋敷に住むようになったんですよね。住み心地はどうです」

「悪くはないが、別に足軽小屋のままでも良かったがな」

「立場的にそうもいかねぇだろ」

 

本人の性格的に、これまで出世しても住まいを変えてこなかった翔翼だが、岐阜に本拠を移転するに伴い相応の住まいを与えられたのだ。

 

「まあ、ねねも定も働き甲斐があるって喜んでいるからいいが」

 

住まいが広くなり、ねねだけでは手に余ると考え世話人を新しく雇おうとしたところ、どこから聞いてきたか定が押しかけ気味に名乗り出てくれたので、そのまま雇い入れることとしたのだった。

ちなみに、その話を聞いた信奈が実に面白くなさそうにしていたとか。

 

「さて、そろそろ可成の屋敷に着くか」

「ああ、『アレ』ですか」

 

不意に柔軟体操を始める翔翼に、信盛が何か面白げに笑みを浮かべている。

 

「ワリィな『あいつが』どうしてもお前を連れて来いって言って聞かなくてな」

「構わん。あのじゃりガキの相手は退屈せん」

 

申し訳なさそうな顔をする可成に、気にするなというように肩を叩く翔翼。

そうこうしている内に、可成の屋敷に到着した。

 

「お~い、え~い帰ったぞ~」

「おかえりなさいませ可成様」

 

戻ってきた亭主を妻であるえいが出迎えた。彼女は元は信奈に仕える侍女であり、可成が若き日の信奈の直臣になったおり知り合い。互いに元は美濃の出身であったこともあり意気投合し婚約したのである。

 

「信盛様、翔翼様よくぞお越しくださいました。大したおもてなしもできませんがごゆるりとお寛ぎくださいませ」

「いえいえお気遣いなく。あ、これ土産です」

「えい殿の手料理が喰えるだけで十分ご馳走になる」

 

来客二人が土産を渡したりしていると、翔翼の背後に植えられている松の木の陰から人影が飛び出して来た。

 

「うおォォォ!死ねェ翔翼ゥゥゥ!!」

 

人影は鍛錬用の棒を翔翼の脳天目がけ振り下ろしてくるも、翔翼は難なくそれを掴むと棒ごとぶん回す。

 

「おああああぁぁぁぁぁああああ!?!?!?」

「よっと」

 

勢いがついたのを見計らい棒を手放すと、その勢いで吹っ飛んだ人影は宙を舞い地面に叩きつけられた。

 

「うぐぐ…」

「殺気を出し過ぎだ馬鹿者め」

 

痛みを堪えて起き上がろうとする人影に、翔翼は呆れた様な目を向ける。

人影――まだ十代になろうかという幼い男児は、獰猛な獣のような目で棒を構えると再び翔翼に襲い掛かる。

 

「やめなさい、長可!!」

「気にされるなえい殿。食事前のちょうどいい運動になる」

 

えいが男児を止めようとすると、翔翼はそう語りながら楽し気に猛攻を躱していく。

 

「ああ、もう。あにうえはまたぶれいなことを…」

「おう、蘭丸。戻ったぞ」

 

屋敷から姿を見せた、長可と呼ばれた男児よりも更に幼い男児の頭を優しく撫でる可成。

 

「おかえりなさいませちちうえ。のぶもりさま、しょうよくさまもごぶさたしております」

 

蘭丸と呼ばれた可成によく似た男児は、来客らに礼儀正しく挨拶をする。

彼らは可成の子息であり、獣のように翔翼に襲い掛かっているのが嫡男である森長可。年齢以上に大人びた印象を与える程礼節をわきまえているのが次男の森蘭丸である。

長可は仕官したばかりの頃、翔翼が手合わせした父を負かしたことを知ると、彼を好敵手と見なし勝負を挑んで来るのである。――最も彼の場合、勝負というより首を取らんばかりに執拗に襲い掛かって来るのだが、それでも翔翼はそんな彼の相手を楽しんでいるようであった。

 

 

 

 

暫くして屋敷内で酒宴を始める翔翼ら。ちなみに園庭では古びた雑巾のように傷だらけになった長可が倒れ伏しており、それを蘭丸が介抱していた。

 

「ありがとうな翔。いつも長可の相手してくれてよ。もうウチじゃ俺以外相手できるのがいなくなっちまってな」

「構わん。いい暇つぶしになる」

「それにしても長可君も強くなりましたね~。性格アレですけど」

 

信盛の言葉にそうなんだよな~と困ったように頭を掻く可成。

長可は武術こそ成人顔負けの技量を持つが、鍛錬では必ず多数の負傷者を出すほど極めて凶暴で好戦的であるのが父としては悩みの種であった。

 

「問題なかろう。あいつはお前やえい殿、蘭丸ら弟を大切に想っている。家族を愛する心を持つやつは強くなる」

 

口元に笑みを浮かべながらおちょこでちびちびと酒を飲む翔翼。

 

「うぉぉぉおおお!!また負けたァ!!次こそはぶっ殺すッ!!!イテテ…!」

「そんなボロボロで素振り何て無理ですよ兄上ェ!!」

 

庭園から聞こえてくる兄弟の活発な声に、微笑みを浮かべる三人。

 

「何です昔の自分とでも重ねたんですかぁ」

「さてな。昔と言えばあったばかりの頃お前「天下統一なんて馬鹿馬鹿しい」とか「夢物語は見るだけ無駄」とか言ってたよな」

「わーこのつまみおいしーなー」

「あん刻のお前だいぶ擦れてたよなぁ」

 

とぼけながらつまみを箸でつつく信盛に、可成が温かい視線を向けてくる。

 

「やめろ!思い出したくないか過去を掘り起こすのはァ!!」

「zzz」

「この間で寝るな!起きろォ!」

「起きてマス。起きてマスヨ」

 

酔いが回り始めたようで目蓋が重くなり始める翔翼。ちなみに彼が飲んだ酒の量はおちょこ2、3杯程である。

 

「にしても尾張の一家臣でしかなかった姫さんが今や二国の大大名。ようやくここまで来たんだなぁ」

「仕え始めた頃は、尾張統一すらできるかも怪しかったですからねぇ。何度死にかけたことやら」

 

当時の苦労を思い出し苦笑いを浮かべる可成と信盛。当たり前のように寝返りが起き、誰が敵で味方か曖昧であった中成し遂げた尾張統一。下克上を体現したとさえ言える出来事の数々は今でも鮮明に思い起こされる。

 

「何やりきったって顔してやがる。まだ道半ばだろうが、これから軍を率いて上洛すんだぞ。その後だってやることは腐る程あんだからな」

 

先程まで酔いつぶれそうになっていたのが嘘のように、しっかりとした顔つきで語る翔翼。その目には尽きることのない炎が宿っているようであった。

 

「だな、先ずは都で俺達の名を轟かせるかッ!」

「まぁ、死なない程度で頑張りますけど」

「ん」

 

三人で盃とおちょこを掲げながら突き合わせ、誓いを立てるように注がれていた酒をそれぞれ一息に飲んでいく。すると、翔翼の体がぐらついていき、後ろに倒れていく。

 

「寝たな」

「寝ましたねぇ」

 

大の字になって寝息を立てている翔翼。

 

「お酒大好きな癖にすぐに酔いつぶれるんですよねぇ。つくづく非常識だなぁ」

「ま、だからこそ俺達もここまでこれたのかもな」

 

常識に囚われず、斬新な発想で織田家に立ちはだかる困難を打ち破ってきた翔翼。そんな彼は今では立場を超えて織田家の中心となり、なくてはならない存在となっていた。

 

「俺達も負けてられねぇよな」

「ですね。…で、どっちが彼を運びます?」

 

熟睡している翔翼を指さしながら話す信盛。

その後、じゃんけんで負けた信盛に荷車に載せられ、自分の屋敷に運送される翔翼なのであった。




どうでもいい捕捉

日本でじゃんけんが広まったのは明治頃とされているそうです。


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第三十話

上洛に備え各々準備に余念がない織田家。そんな中、翔翼は道三に呼び出され彼の屋敷を訪れていた。

同居人である光秀に出迎えられ。通された居間には既に道三がおり、対面に腰かけた翔翼は光秀が差し出してくれた茶の入った湯飲みを啜る。

 

「どうした爺さん。悪いが、今は嫁に叱られただなんだ愚痴を聞いてやる暇はないぞ?」

「違うわたわけ。今回はお前と光秀にとって重要なことだ。上洛が始まったら、今まで以上に忙しくなるからな」

「「重要なこと?」」

 

心当たりが無く首を傾げる翔翼に、道三の隣に腰かける光秀も何も聞かされていないのか同様の反応を見せる。そんな2人に道三は含みのある視線を送る。

 

「翔翼。お主二十歳を超えても一人も嫁を貰ったことがないそうだな」

「ん、そうだが」

「そなたも知っているだろうが、この光秀もこの歳になっても嫁の貰い手がなくてな。どうだよければ貰ってやってくれんか?そなたのことは息子のように思っておるし、人柄や器量申し分なく安心して任せられる」

 

突然の申し出に、茶を啜っていた光秀が顔を真っ赤にし盛大に噴き出した。

 

「――ぅ、ゲホ!ゴホッ…。な、ななななななな何を仰るのですかお父さん!?!?!?い、いきなりそんなことをッ」

「何を言うか!!親として当然のことよ!!いつまで経っても戦だ政だと言い訳しおってからに、もしもこのまま行き遅れにでもなろうものなら、儂は死んでも死にきれんわ!!」

「うぅ…」

 

この上ない程の正論に、光秀はあぅ…と言葉を詰まらせ、申し訳なさそうに俯いてしまう。

そんな彼女に助け船を出すべく、割って入るために口を開く翔翼。

 

「そう急かすなよ爺さん。こういうのは当人の気持ちが大事だと聞くぞ。無理に駆り立ても碌なことにならんぞ?」

「他人ごとにいうでない。お主も武士の端くれなら体裁も考えんか。今後織田家が――信奈ちゃんが天下の表舞台に出ていくということは、必然的に側近であるそなたも衆目に晒されるのだぞ。臣の身振り手振りも主の威信に繋がるのだからな」

 

同じように正論を受けむぅ…と打ち負かされる翔翼。そんな彼らをに全く最近の若いのは…と嘆く道三。

 

「良いか人というのは一人では生きていけん。確かにお主らには志を共にする者達がいるが、いざという刻に真に支えとなる者は限られるのだ。これから先、お主らには想像を絶する困難が待ち構えていることであろう、己だけでは超えられない壁に当たってからでは手遅れになるぞ」

「…あんたの言うことは至極最もだが…。悪いが、この話はどうかなかったことにしてもらいたい」

「何と?我が娘に不満でもあるとでも?」

 

深々と平伏して辞退を申し出る翔翼に、道三は怪訝に眉を顰めた。

 

「光秀に落ち度などない。品性公正、清廉潔白、博識多才であり、非の打ちどころのない女性だ。娶れる者はこれ以上ない果報者であろう」

「では何故断る?そこまでこの子を認めてくれながら。そなたの過去に何があったかはおおよそ察する、それが関係しておるのか?」

「…それもある。だが何より、知っての通り、俺はいつ死んでもおかしくないような生き方しかできん男だ。無論戦場で死ぬ気はないが、何が起きるかわからぬ乱世において、男として――夫として誰かを幸せにできる自信がない。故にこの縁談を受けることはできない、あんたの心遣いには心から感謝しているが、どうか許してほしい」

「翔翼殿…」

 

心の内を吐露する翔翼に、光秀は何かを決したようで、父に向き直り深々と平伏した。

 

「お父さん。気遣って下さり私も感謝しますが、このような形での婚姻は受け入れられません。私からも、どうかこの話はなかったことにして下さいませ」

 

娘からの懇願に、道三は思案するように目を閉じ間を置く。

 

「(幼くして愛する者を失った経験が、心に癒えぬ傷となってしまったか。…故に再び失うことを恐れ、愛した者に同じような苦しみを与えぬようにと、無意識に誰かを深く愛することや、光秀や信奈ちゃんらからの想いを拒んでしまっておるのか…)」

 

翔翼の恋心への鈍感さの根幹を知った道三は、今は時期尚早であると判断し目を開く。

 

「…………あいわかった。儂とてできることなら無理強いは好かん。だが、気が変わったのならいつでも式を挙げて構わんと、二人共これだけは覚えておけ。儂に遠慮はいらんからな。お前達が幸せになってくれのが一番だからな」

 

顔を上げさせ二人の手を取ると、主君すら蹴落とし悪逆をも厭わず美濃の蝮と呼ばれ恐れられた男は、一人の父として慈愛の笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

道三の屋敷の門の前にて、帰路に着こうとする翔翼を光秀が見送っていた。

 

「父がご迷惑をおかけしました翔翼殿。どうかお許し下さい」

「気にしていないさ。お前のことを想ってのことなのだから、責める理由がないさ」

 

頭を下げて謝罪してくる光秀に、気にするなと首を横に振る翔翼。

 

「「……」」

 

そこから、気まずい様子で沈黙してしまう両者。話の内容が内容だけに、何を話して良いのか分かないが、このまま別れてしまうのも違う気がして、刻だけが過ぎていく。

そんな中、光秀が躊躇いがちながらもあの、と口を語り掛けた。

 

「信奈様が天下を平定して、乱世が終わったら翔翼殿はどうされるのですか?」

「む?」

 

光秀からの問いに、腕を組んで考え込む翔翼。

 

「…わからないな。正直信奈に天下を取らせることしか考えてこなかったからな。目の前にことで一杯一杯だからな、その先のことなんて考える余裕もないしな」

「そう、ですよね。誰もが今を生きるのに精一杯ですものね。すみません変なことを聞いてしまって」

 

乱世なのだから当然ともいえる答えに、自分も答えられないのに、と後悔すら感じてしまう光秀。そんな彼女に、翔翼はだが…と言葉を紡ぐ。

 

「爺さんに言われたことはとても大切なことはわかる。だから、自分なりに考えてみようと思う」

「そう、ですね。私も自分のことについて、考えてみようと思います。父の想いを無駄にしないためにも」

「なら、互いに頑張ろう」

「はい!」

 

互いに笑みを浮かべると、翔翼は光秀と別れ帰路に着くのであった。。



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第三十一話

織田信奈上洛の軍を挙こす!!――この報は瞬く間に近隣諸国へ伝播し、各国がその動向を注視していた。

 

「では、行って来る。ねね、定留守は頼んだぞ」

「はい!!行ってらっしゃいませ兄様!!」

「お気をつけて翔様」

 

留守役であるねねと定に別れを告げると、翔翼は赤兎に乗り待機している配下の元に向かう。

 

「お前達用意はいいかッ!!いよいよ上洛だ!!俺達の名を天下に轟かせるぞッ!!!」

 

主からの掛け声に、天地を響かせんばかりの歓声あ湧き上がり、それぞれにこの上洛にかける意気込みを見せる小六ら。

 

「進軍ッ!!」

 

号令と共に、翔翼を先頭に移動を開始する大空隊。本隊と合流する道中、翔翼は側にいる半兵衛に声をかける。

 

「結局六角はこちらにはつかなかったか」

「六角家は、前将軍義輝公を暗殺した三好と手を組んでいますからね。義輝公の弟君である義昭公を奉じる信奈様とは相容れないのも仕方がないかと」

 

京と美濃を繋ぐ南近江を治める六角氏に、幾度も使者を送るも、当主六角承禎(じょうてい)は臣従も協力も拒否。ここに至り、信奈は武力による解決を決意したのである。

 

「それに鎌倉時代より続く名門だからな、田舎者に頭を下げるのは誇りが許せんのだろう」

「それもまた人というものか」

 

半兵衛の側に控える重矩も交えて話をしながら本隊と合流すると、織田家の家紋である織田木瓜以外に三つ葉葵――同盟国である徳川家を示す旗が掲げられていた。

上洛には織田家だけでなく、同盟国である徳川、浅井も参加する合同事業でもあり、信奈がいかに本気であるかを表していた。

総勢一万を超える兵を率い岐阜を発った信奈は、北近江の国境沿いまで兵を進め新たな同盟国となった浅井家と合流するのであった。

 

「お久しゅうございます義姉上。此度の上洛、我ら浅井家全力を持って支援させて頂きますぞ」

「ええ、頼りにさせてもらうわ長政」

 

和やかに挨拶を交わす信奈と長政。そんな様子に、翔翼を除く織田家の面々は密かに胸を撫で降ろしていた。

 

「はて、信澄様の正体がバレてキレられるかと思ってましたが、これは予想外ですねぇ」

「まだ男だと気づかれてないだけじゃないのか?」

「いや、輿入れしてからかなり経ってるんだぞ、それはねぇだろ」

「…男色家だったとか?」

 

あれやこれやとヒソヒソと話している信盛らの傍らで、翔翼はいつも通りの様子で二人のやり取りを見守っていた。

そんな彼に、長秀が得心がいったという様子で話しかける。

 

「…あなたが意味のないことをするとは思っていませんでしたが、なる程、そういうことでしたか」

「まあな。…悪かったな黙っていて」

「こればかりは仕方ありませんね。今回は減点しないであげましょう」

「そいつはありがたい。冗談抜きで俸禄に響くからなお前の採点は」

 

おどけた口調で話す長秀に、辟易したようにジト目を向ける翔翼。

実は織田家の俸給制度では、彼女の評価も反映されていたりするのである。

 

 

 

 

浅井軍も加え、倍増した兵力を持って南近江へと侵攻開始した上洛軍。これに地元の豪族らが次々と傘下に加わっていき、六角氏と対峙する頃には5万にものぼる規模にまで膨れ上がっていた。

対する六角軍は5千にも満たない程度であった。長きに渡る浅井家との戦に敗れてきたことが影響し、その勢力は既に弱りきっており、もはや名門としての権勢は見る影もなくなっていたのである。

それでも本拠である観音寺城は岐阜城に匹敵する堅城として名高く、六角軍は籠城して徹底抗戦の構えを見せていた。

 

「姉上。六角承禎が籠る観音寺城は難攻不落とも言われる名城、ここは支城を落としていき兵糧攻めにすべきかと」

 

軍議の場にて、六角家との戦の経験が豊富な長政が信奈に進言する。浅井家も織田家同様下克上で大名となった新興勢力であり、その過程で六角家と敵対し。以後幾度も刃を交えることとなったのである。

 

「それだと戦が長引くわ。六角と同盟している三好からの援軍が来ると面倒になる、だから速攻で片を付けるわ。信盛!」

「はっ」

「先陣を任せるわ、翔と長秀を連れて行きなさい」

「――恐れながらながら姫様、最前線である和田山城には相当数の兵が詰めており、恐らく甲賀忍軍も控えさせているかと。更なる戦力の投入が必要と愚考しますが?」

 

甲賀忍軍とは、南近江南端の甲賀に住む忍び集団であり、古来よりこの地を治める六角家に仕え。過去には『(まがり)の陣』と呼ばれる戦にて、六角征伐のため刻の将軍自ら率いた官軍を撃退すのに大いに貢献した伝説を持っていた。

ちなみに、伊勢攻略のため別行動中の滝川一益の出身地でもある。

 

「安心しなさい信盛。狙うのは和田山城じゃないわ」

 

懸念を示す家臣に。信奈はニヤリと得意気に笑みを浮かべると、机に広げられていた地図にある箇所を指さした。

 

「和田山城は無視して、その奥の箕作(みつくり)城よ」

 

彼女が示したのは、敵の本拠である観音寺城と支城郡を繋ぐ要所であった。

 

「敵の急所を刈り取り、動揺を誘い総攻撃で片づけるわ。あんた達、時勢に疎き六角の者共に、新たな時代の力見せてやりなさい!!!」

『『『『はッ!!!』』』』

 

主君からの激に、各々応じると行動に移っていくのであった。

 

 

 

満を持して攻勢を開始した織田軍。定石どおりに最前線の城から攻略してくと見ていた六角軍は、本拠である最前線で和田山城と本拠である観音寺城に兵力を集中させていた。

だが、信奈はこれらの城を無視し、手薄となっている後方の拠点を強襲させたのである。

 

「流石翔ですね。こうも簡単に防衛線を抜けられるとは、敵も思わないでしょうねぇ」

「向こうの動きが鈍かったからな。さして苦労もせんかった」

「ですが、油断は禁物です。援軍が来る前に迅速に攻略しましょう」

 

直感で敵の守りの隙を見極めた翔翼によって、難なく敵地に侵入した信盛、長秀ら三隊は箕作城へと攻めかかかかった。

だが、寡兵ながら箕作城を守る六角軍は奮戦し、苦戦を強いられてしまう。遂には日が暮れてしまい、一時後退を余儀なくされた。

今後の方針を決めるべく開かれた軍議の場にて、半兵衛が提案する。

 

「――想定外の奇襲を防いだ敵は、敵の出鼻を挫いたと安堵しているでしょう。今日の内に再度攻めてくるとは思っていない筈、ここは夜襲をしかけるべきです」

 

城内の大半が寝静まった夜半。見張りに立つ兵の一人が、気の抜けた様子であくびをかいていた。

半兵衛の予想通り、誰もが日が出るまでは敵襲はないと決めつけていた中。不意に、眼前の城下にぽつんと光が灯る。

 

「何だぁ?」

 

錯覚かと目を凝らしている間にも、光は点々と広がっていき。それが松明の火だと理解した頃には、光に照らされた無数の織田兵が暗闇から姿を現し列をなして押し寄せていた。

 

「て、敵しゅ――」

 

度肝を抜きながらも、味方に報せようと開いた口は背後に忍び寄っていた五右衛門の手によって塞がれた。

 

「――――!!!」

 

驚愕に目を見開き、くぐもった悲鳴を上げる見張りの喉元を、五右衛門は苦無で掻っ切った。

傷口から血を噴き出しながら膝から崩れ落ちていく見張り、彼が最後に見たのは自分と同じように自らの血の池に沈んでいる同僚らの姿であった。

 

「火を放て!!この城の陥落を敵味方に報せろッ!!」

 

城内に乗り込んだ大空隊によって、炎上していく箕作城。

その火の手を確認した織田軍は総攻撃を開始。想定外の事態に混乱の極みに陥った六角軍は総崩れとなり、前線の支城はさしたる抵抗もできず陥落するか降伏していく。

この事態に、総大将である六角承禎はなすすべなく観音寺城すら捨てて逃亡。こうして名門六角家はあっけなく滅亡と相成るのであった。

 

「あの六角をこうも容易く打ち倒すとは…」

 

三代にも渡って近江の実権を争い、先代の時代には臣従を強いられもした宿敵を赤子の手を捻るように蹴散らした織田家の、信奈の力に長政は感動さえ覚えていた。

 

「義姉上ならこの乱世もきっと…」

 

戦乱なき新たな世の到来を実感した彼は、その実現のために力を尽くそうと誓うのであった。

 

 

 

 

観音寺城へと入った信奈は、暫しの間だけ留まり戦後処理を終えると。再び京目指し進軍を再開し、以後の道中の豪族など地方勢力は全て傘下に加わっていき抵抗を受けることなく、遂に京の都へと到着するのであった。

 

「…尾張を統一した際に、幕府に信奈を新たな統治者に認めてもらうために来た頃と変わらない――いや、更に荒れているか」

「応仁の乱より百年近く戦火に晒されていますからね…」

 

町並みはを見た翔翼は悲哀の籠っった声を漏らし、光秀もそれに同調するように頷く。

花の都と呼ばれた面影は失われて久しく。見渡す限りに荒廃しており、この地で暮らす人々は戦火と略奪に生きる活力を奪われてしまっていた。

そんな彼らは、新たな統治者である織田家にも懐疑的な目を向けており。それに対し信奈は次なる布告を発するのだった。

 

・民らから一銭たりとも盗むなかれ

・乱暴狼藉を働くなかれ

・女子に手を出すなかれ

・これらを破る者は即座に処刑す

 

この布告に対し信奈直轄の本軍は厳格に守るも――

 

「へへ、流石都だいい女が揃ってやがるぜッ!」

「もうここはワシらのもんなんじゃ。ちょっとくらい良い思いしたって…」

 

上洛開始後に新たに傘下に加わった者達の中から、これを破ろうとするものが出てきてしまう。

 

「や、止めて下さい!!」

「恥ずかしがんな、顔だけでも見せいッ!」

 

二人の足軽が、通りすがりの女性にちょっかいをかけていると、その背後から馬に乗った信奈が姿を現す。

 

「の、信奈様!?」

「へ!?」

 

冷めた目で見下ろす信奈に、足軽らがたじろぎ後ずさる。そんな彼らに馬を降りた信奈は馬から降り刀を抜きながら近づいていく。

 

「お、お助け――ッ!!」

 

慈悲を請う間も与えず、信奈は首を刎ねていくのだった。

 

「迷惑をかけたわね」

「い、いえ。ありがとうございました」

 

ちょっかいをかけられていた女性に謝罪すると、刀に着いた血をふき取り鞘に収めると再び馬に跨る。

 

「長秀、こいつらの首は晒しなさい」

「はっ」

 

処刑された者達は見せしめに晒され、信奈自ら手を下したことは瞬く間に都中に広まり。織田軍には厳格な規律があり、略奪者などではなく、京の人々を守る治安維持軍であると宣伝されるのだった。

 

「なんでも信奈様は、前将軍様の弟君を新たな将軍に奉じるそうだが…」

「やっほー皆の衆!余が新将軍足利義昭なのだー!新将軍足利義昭をよろしくなのだ~!」

「義昭様ッしたないのでお止め下さいッ!!」

 

神輿から顔を出し、民衆に呑気に手を振っている義昭を、側近の細川藤孝が必死に窘めていた。

 

「…あれが…」

「新しい将軍様???」

 

一抹の不安を覚えながらも、新たな時代の到来を感じる京の人々なのであった。



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第三十二話

都入りを果たした信奈は、朝廷へ義昭を新たな将軍とすべく働きかけを行うのと同時に、京南東を支配する三好家掃討へと動き出す。

三好家は元は四国の阿波の守護代であったが。先代当主である長慶の優れた采配によって勢力を拡大させたことで、下克上を成し畿内に進出し遂には足利幕府を傀儡化することに成功し、天下に最も近いとさえ言われるまでの力を手にすることに成功する。

だが、その長慶が死去してからは、家内での権力争いによって内部分裂してしまい。今では見る影もないまでに弱体化してしまっていたのであった。

今回の織田家の上洛に対し徹底抗戦の構えを見せるも。防波堤として期待されていた六角家が早々に敗北したことで、十分な体制が整えることができず都のある中部を放棄し残る南東部での抵抗を試みていた。

各自が戦に出ている中、翔翼は朝廷のある都の防衛を任されていたのだった。

 

「(以前来た刻と変わらず、荒れ果てたままだな)」

 

着物姿で都を歩く翔翼は、1人眼前に広がる荒廃した都の町並に悲壮感を募らせていた。

信奈が尾張を統一を果たした折。その正当性を得るために刻の将軍足利義輝へ謁見すべく上京したことがあり。幾年経った現在も、その刻に見た光景と何一つ変わっていなかったのだ。

都でありながら野盗が当然のように出没し、それを取り締まるべき立場であった三好家の者達でさえ略奪が横行されたことで治安は悪化の一途を辿っており。早急な秩序の回復が必要と判断した信奈は、手口を熟知している蜂須賀党ら元野武士や野盗で構成された大空隊が取り締まりに最適とし、都の治安維持を司る所司代に翔翼を任命したのであった。

 

「む?」

 

今日は非番であるのだが、勝家ら家臣の殆どは三好との戦に出ており。都に残っている信奈や光秀は朝廷への工作のため多忙で、仮住まいの屋敷にいても暇なため出歩くことにした彼の耳に何やら喧騒が聞こえてくる。

 

「あれは…。南蛮の宣教師、か」

 

音のする方へ建物が密集して生まれた路地に入ると。キリスト教という南蛮で信仰されている教えを伝えるために、海を越えて訪れてくる伝道師の姿をした金髪碧眼の年若い女性と。10代になるかどうかという同じように金髪で左目を眼帯で隠している少女を数人の野盗らしき武装した者達が取り囲んでいた。

 

「何だ嬢ちゃん。俺達と遊びたいのかぁ?」

 

野盗らの頭目見られる男が宣教師の少女に下卑た目を向けながら嗤う。少女は日ノ本の人間である翔翼から見ても美しいと思える美貌を持ち、何より服の上からでも十二分に存在感を主張している胸部は男達の情欲を煽ってしまうのだろう。

大抵の女性なら嫌悪感を隠せないだろう視線に晒されながらも、女性は毅然と訴えかけるように男らに語り掛ける。

 

「どうか話を聞いて下さい。このような狼藉を働いても何も得るものはありません。清らか心を捨てず正しきことなさって下さい。さすれば主もあなたがたに祝福を与えて下さいます」

 

彼女らに後ろには、流民だろうか瘦せ細り薄汚れた着物を着た傷だらけの男性が、蹲って怯えた様子で体を震わせていた。

 

「ああ?そいつが肩をぶつけてきたのが悪いんだよ。俺達は何も悪くねえな」

「ち、違う。ぶつかってきたのはそいつで…」

「ああん!?」

「ひいっ!」

 

抗議しようとした男を野盗が凄んで黙らせると、少女が冷めた目を野盗らに向けるとフンッと鼻を鳴らす。

 

「無駄だフロイス。こいつらは話し合いでどうにかなる手合いではない。ここはこの梵天丸に任せろ!」

 

少女が刀を抜き野盗らに斬りかかろうとするのを、女性は制する。

 

「駄目です梵天丸ちゃん。暴力では争いを生むだけで何も解決はしません。皆さんで主に祈りを捧げましょう。さすれば主は祝福を与えて下さり苦しみから解放されるのです」

「でも…」

 

胸の高さで手を組み南蛮式の祈祷を捧げる女性を、野盗らは馬鹿にするように鼻で嗤う。

 

「祈りだぁ?そんなもんで腹が満たせるかよぉ!」

「そんなもんより、その体で救ってくれよ!」

 

頭目が女性に伸ばした手を、気配を消して近づいていた翔翼は掴むと、背中に回し捻る。

 

「いでででででで!?!?!?」

「そこまでにしておけ。これ以上は見過ごせんな」

「な、なんだテメェは!?」

 

突然現れた翔翼にその場に誰もが驚く中。翔翼は名乗りを上げる。

 

「織田家家臣大空翔翼だ。所司代としてこの一帯の治安を任されている」

「なっ…!?」

 

翔翼の名を聞いた途端、野盗らは狼狽した様子で後ずさる。

 

「た、大空翔翼っていやぁ、ガキの頃から人を殺し回ってて、桶狭間や墨俣でも1人で何百人って皆殺しにしたっていう化け物じゃねぇか!」

「ほ、本物かよッ」

「俺達以上のおっかない野盗ツラ、ま、間違いねェ!!」

 

野盗の何気ない言葉に翔翼の中で何かがキレると、捻っていた腕に込めていた力を強める。

 

「いぎゃあああああああ!?!?!?」

「お、お頭ァ!?放しやがれテメェ!」

 

野盗らが襲い掛かって来ると、捕まえていた男を投げ飛ばし数人巻き込んで地面に叩きつけられ。残りは繰り出される刀や槍を避けるか掴んでへし折り、顎を掌底でかち上げたり鳩尾に拳を叩き込み打ち倒していく。

 

「残るはお前だけだが、これ以上は無益だ。降伏しろ悪いようにはしない」

「……」

 

翔翼の言葉に残った男は答えず、刀を構えながら間合いをはかりつつ詰めていく。

 

「でぇイ!!」

 

必中を確信した間合いから、一息に踏み込み袈裟斬りに刀を振り下ろす。

それに対し、翔翼は防ぐでもなく、まして避けようともせず佇んでいるではないか!

そのことに気づいた男は、刃が触れる前に刀を止める。

 

「何の真似だ!?」

「お前からは殺意を感じない。それどころか、死に急いでいるようにしか見えん。俺に討たれて果てる気か?」

「…ああ、そうだ。いずれの垂れ死ぬくらいなら、あんたみたいなの男に討たれる方がましだ」

「お前の仲間が言っていただろう。俺は多くの屍の築く怪物だぞ?」

「そんなのは尾ひれがついた風聞だ。目を見ればわかる。あんたは忠義に生きる高潔な男だと。だからあんたの手で死ねるなら本望だと思ったんだ」

 

どこか諦観した顔で刀を手放すと、男はその場に座り込んでしまう。

そんな男に翔翼は落とした刀を手にすると、細部を観察する。

 

「お前だけ彼女を邪な目で見ていなかったな。それに手入れにの届いた良い刀だ。そして先の筋の通た太刀筋、余程の鍛錬を重ねなければ成せんものだ。本心ではこんなことはしたくなかったのだろう?」

「…ああ、そうだよ。農民生まれでも戦で手柄を挙げて、いつかは大名になってやるって思ったけどよ。出世どころか、使い捨てみたいに扱われていつ死ぬかもしれねえ日々に疲れて逃げ出したんだよ。でも、もう行く当てもねえし食ってくにはこうするしかなかったんだよ…」

「…あなたも、この乱世の犠牲者なのですね」

 

項垂れながら話す男の境遇に。女性が憐憫の情を見せると、少女もそうだな、と共感するように頷く。

そんな中。翔翼は懐から金子の入った袋を取り出すと、男に歩み寄り方膝を突いて視線を合わせるとその手を取り握らせる。

 

「これは?」

「そう遠くない日に乱世は終わりを迎える。我が主織田信奈様によってな。その先――太平の世にはお前のような者が必要となる。だから生きることを諦めるな、これで真っ当な生き方をするんだ」

「あんた…」

 

予想外のことに唖然とする男に、翔翼は励ますように肩に手を置くのであった。

 

 

 

 

「あらためまして。助けていただき、ありがとうございますタイクウさま」

「うむ、大儀であったぞ翔翼!」

「いけませんよ梵天丸ちゃん。今は(・・)そのような言葉遣いは」

「お気になさらず。子供はそれくらい活発な方がよろしいですから」

 

茶屋にてははは、と翔翼が笑うと。ありがとうございます、と恭しく頭を下げる女性。

あの後打ち倒した野盗らを獄に繋ぎ、絡まれていた者を手当てを命じた翔翼は。助けた女性と少女に別れを告げようとするも。女性が何かお礼をさせてほしいと頑として譲らず、ならば茶を奢ってもらうことで恩を返したとすることしたのだ。

 

「わたしはドミヌス会に所属する宣教師で、名はルイズ・フロイスと申します」

「我はこの日ノ本の転覆をはかる破壊の大魔王、”黙示録のびぃすと”こと梵天丸である!此度は我が同胞フロイスの守護者として同道しておる!」

 

翔翼とフロイスの間でシャキーン!という音が聞こえてきそうな、やたら格好つけた姿勢を取る梵天丸に、おお、これも南蛮の風習か?とどこか感嘆とした声を漏らす翔翼。

彼女の恰好をよく見ると。首から銀色の十字架を下げているが、何故か向きが上下逆となっており全身を漆黒のかっぱと呼ばれる南蛮制の雨衣に包み。更に腰には鉄でできた縄くさりを複数つけ彼女の動きに合わせて揺れることで擦り合いジャラジャラと独特の音を奏で、足は動物の革を加工したぶーつと。日ノ本の人間から見ると奇抜な恰好の多い南蛮風の装いにの中でも異質さを感じさせるものであった。

フロイスと同じ髪の色をしていることから南蛮人に見えるが、刀を持っていることから武家の出のようであり、不思議な少女だと翔翼は思った。

 

「いえ。梵天丸ちゃんは”よはねの黙示録”という恐ろしい物語がお気に入りのようで、黙示録のびぃすとに夢中なのです」

「確か聖書の最後に配された聖典でしたか」

「そうです!タイクウ様は聖書を読んだことがおありで?」

「ええ、主君の影響で南蛮の文化に触れることが多いので」

 

以前信奈が南蛮の商人から取り寄せた物の中に、日ノ本の言語に直された聖書が含まれており。それを読んだ彼女はなんか胡散臭いわねぇ、と関係者がブチギレるだろうことを言って放置していたものを貰ったことがあったのだ。

 

「おお、翔翼も知っているのか!あれは良いぞ!聞いていると、血沸き肉躍る気分になれる!」

「あの部分は幼子なら怖がるところだと思うが?」

 

ねねにせがまれ聖書を読んだ際、よはねの黙示録で大泣きしてしまったことを思い出す。まあ、あの刻はわざと怪談風な声音で呼んだからでもあるのだが…。それから暫く口を利いてもらえず苦労していたりする。

 

「ふふふ。我をそこらのお子様と一緒にするでない!この六・六・六のびぃすとの化身たる梵天丸には寧ろ心地よきものよ!この証を見よ!」

 

自分の眼帯をビシッ!と指さす梵天丸。その表面には6・6・6と刻まれていた。

 

「なる程。ではこの日ノ本だけでなく、南蛮の国々もいずれお前に滅ぼされてしまうかもしれんな」

「むー信じておらんだろう!罰が当たるぞ翔翼!」

 

ははは、とからかい気味に笑う翔翼をポカポカと叩く梵天丸。そんなやり取りをフロイスはクスクス、と微笑ましく見ていた。

 

「それでフロイス殿は、いずこの国より参られたので?」

「私はポルトガル出身です。主の教えを海を越えた世界中の人々に知ってもらいたく国を出る決心をしたのです」

「フロイスが日ノ本に来たのはこの我――黙示録のびぃすとを探すためなのだククク」

「こうして梵天丸ちゃんやタイクウさまのような素晴らしい方々にお会いできたのも主のお導きなのでしょう」

 

どうにか悪役らしい笑みを浮かべようとしているが、根の純粋さが滲み出ており愛らしさ溢れている梵天丸の頭を優しく撫でるフロイス。

 

「わたしがジパングでの活動を志したのは、我が師フランシスコ・ザビエルさまからヤオヨロズの神々の国ジパングが誇る自然の美しさ、そしてヨーロッパの騎士よりもはるかに騎士的だというサムライについて手紙で聞かされてきたからです」

「ザビエル司祭とな?」

「ザビエルさまをご存知なのですか?」

「ああ。かなり昔だが尾張で布教をされていた刻に。彼からポルトガルを始め、信奈様と共に南蛮のことについて教えていただきました。

「よろしければ、その頃の師についてお聞かせ下さいませんか?」

 

フロイスの願いに、翔翼はかまいませんよ、と頷くとかつての記憶を思い出しながら語り聞かせる。それを彼女は目を輝かせながら、一言も聞き逃すまいと耳を傾けていた。共に聞いていた梵天丸も、ワクワクと胸を躍らせた様子であった、

 

「司祭と顔を合わせたのは短い時節でしたが、多くのことを学ぶことができました。信奈様が南蛮について強い興味を持つようになったのも、ザビエル司祭との出会いがあったからなのです」

「そうなのですね…。タイクウさまお教え下さり、ありがとうございました。あなた方にお会いできたことは、師にとってもとても喜ばしいことだったのだと思います」

「うむ。我もそのザビエル司祭と会ってみたいぞ!」

「…ごめんなさい梵天丸ちゃん。師は数年前に病で主の元へ召されてしまったから…」

「なんとっ。誠か?」

 

フロイスから語られた内容に、強い衝撃を受ける翔翼。出会った頃から病に侵され長くはないと聞いていたが。できることなら、彼ともう一度会いたいと願っていたからである。

 

「はい。大陸にある明という国で、教えを広めようとされていた途上で病にて…」

「そうか…。それは残念だ…」

 

心の底から落胆している翔翼を元気づけようと、梵天丸が彼の膝の上に乗って自分の分の団子を差し出す。

 

「元気を出せ翔翼。我に捧げられた供物を特別に分け与えてやる」

「ありがとうな梵天丸」

 

お礼代わりに頭を撫でてあげると、うにゅぅ、と心地よさそうに目を細める梵天丸。

だが、不意に彼女の表情が曇り、不安そうな瞳で見上げてくる。

 

「どうした?」

「お主は我が武家の者――すなわち日ノ本の血筋であることは気づいておろう。なのに南蛮人にしか見えない我のことが怖くないのか?」

「いや。どうにも俺は普通とはズレた見方しかできんようでな。外見だけで、フロイス殿を――友人や虐げられていた者を、身を挺して守ろうとしたお前さんを嫌う理由にはならんのさ」

 

その言葉に、驚嘆したように目を見開く梵天丸。暫く翔翼の目を見つめると、それが嘘、偽りでないと感じ取った彼女は。始めはくちごもりながらも、徐々に意を決したのか、自らの境遇を語りだす。

 

「…この梵天丸は 父上の実の子ではない。母者(ははじゃ)が、南蛮人の商人と密通した際にできた子だ。この黄金色の髪を見れば誰もがわかる公然の秘密。故に母者は密通の証である我を忌み嫌い、父上との間にもうけた子である弟ばかりを可愛がっている」

「…そうか。話してくれてありがとうな」

 

堪えようとしてはいるのだろうが、不安や寂しさで体を小刻みに震わせている梵天丸を、そっと抱きしめ頭を撫でる翔翼。

 

「不躾なことを聞くが。見えているのに片眼を隠しているのは、そういった事情故か?」

「うむ。父上以外、皆この呪われた目を気味悪がるのでな」

 

眼帯を外して露になった梵天丸の左眼は、茶色の右眼とは異なり南蛮酒である葡萄酒のような紅色(・・)であった。

 

「……」

「やはり変、であろう…」

 

何も言わずジッと見つめている翔翼に、拒絶されるのを恐れるように震える梵天丸。

 

「ああ、すまない。綺麗だっもので魅入ってしまっていた」

 

ハッとしたように、安心させようと、謝罪の意も込めて頭を撫でる翔翼。

 

「綺麗…。ほ、本当か?」

「無論だ。俺は仏やら主やらを信じられんので誓えんが」

「…フロイスの前で言うことではないぞ…」

 

堂々と言い放つ翔翼に、おいおい、と言いたげにツッコミを入れる梵天丸。当のフロイスも面と向かって言われると流石にあはは…、と困り気味に笑っていた。

 

「大丈夫ですよ、タイクウさま。信じるか否かを選ぶ自由も、主は愛されておりますから。教えを強要することこそ、主への最大の裏切りに他なりません」

「そういって頂けると助かります。ところでフロイス殿は何故都へ?確か今は都での布教は許可されていない筈ですが?」

 

日ノ本には、古来より続く仏教始め独自の宗教を既に確立させており。海の向こうより新たな宗教を持ち込んできたキリスト教を敵視し、いざこざに発展することも珍しくなかった。

日ノ本の中心地である都のある京では、当然ながら寺社勢力の影響が強く、公家を始めキリスト教を良く思わない風潮であったが。先代将軍である足利義輝はそういった流れに逆らい、南蛮文化に寛容な姿勢を見せ。一説ではそういった思想を危険視されたことが、暗殺事件へ繋がったとする見方もされていた。

 

「はい。先のショーグンさまであらせられた。ヨシテル公がお亡くなりになられてからは、都での活動が禁じられてしまい、今は堺に移っているのですが。新たに都を治められるオダノブナさまは、南蛮文化に寛容な方であらせられるとのことで、今一度都での布教をお許し頂きたく、お目通りを願いに参ったのです」

「なる程そうでしたか。ですが残念ながら、信奈様は義輝公の弟君の義昭公を新たな将軍に擁立すべく多忙なため、お会いできるようになるには暫しの刻がかかるかと。ですので、よろしければ私が取次いたしますので。それまで私の屋敷に滞在するのはいかがでしょう?」

「それは大変ありがたいのですが、よろしいのですか?タイクウさまも多忙な身なのでは?」

「ザビエル司祭のお弟子様を無下に扱ったとなれば、私が信奈様にお叱りを受けてしまいます。ですので、是非とも」

「それでしたら、お言葉に甘えたいのですが…」

「無論、梵天丸もよければどうだ?」

「うむ、世話になるぞ翔翼よ!そなたとは、語るべきことが悠久なる刻を費やしても足りない程あるからな!」

 

心の底からはしゃいでいる梵天丸に、翔翼もフロイスも妹を可愛がるように微笑みを浮かべながら頭を撫でるのであった。

 

 

 

翔翼はフロイスと梵天丸を連れ、仮住まいとしている屋敷へ戻ると。門番らが困惑した様子を見せていること気づく。

良く見れば門の前にて、平伏している男がいるではないか。それも先に出会った野盗にいた金子を恵んだ男であった。

 

「お前は…。どうした?金子が足りなかったか?」

「いえ。そんなことではございやせん。お願いしたきことがありやす」

「言ってみろ」

「はっ。どうか、どうかあなた様にお仕えさせて頂きたくございます」

 

地に額を擦りつけながら懇願してくる男に、翔翼はどうすべきか思案するように眉を顰める。

 

「何故俺に?俺は我が身を顧みない生き方しかできん。戦場では常に死地に赴くのを良ししとし、多くの者を死に追いやる碌でなしだ。お前が仕えるに相応しい者は他にいくらでもいる、織田家であ良ければ取次しようぞ」

「いえ。だからこそあなた様に仕えたいのです。あなた様こそあっしが求めていたお方。あなたこそこの日ノ本に必要なお方、だからお側でお守り致したいのでございやす」

 

認めてくれるまで梃子でも動かないといった様子の男に。翔翼は観念したように息を吐くと、片膝を突き男の肩に手を置く。

 

「お前の名は?」

「はい。彦蔵(ひこぞう)と申します」

「わかった。では、彦蔵お前の命預かろう。ただし、1つ条件がある」

「何でしょう?」

「死ぬために戦うな。お前が生きることが、きっと誰かの明日になる筈だ。だから、生きるために戦え」

「はっ、肝に銘じやす」

 

2人のやり取りを見ていたフロイスがやはり、タイクウさまは素晴らしい方です、と感服していると、隣にいる梵天丸は俯きながら体を震わせていた。

 

「見つけたぞ、フロイス」

「梵天丸ちゃん?」

「これだ。これこそ、我が探し求める上に立つ者(・・・・・)のあるべき姿だ!!」

 

拳を握り締め、がばっ!と顔を上げた梵天丸の目には、目標を見つけたと言わんばかりの輝きに満ちあふれていたのであった。




なんとなく捕捉
彦蔵の元ネタは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』からです。
20年近く前の作品ですが。クレヨンしんちゃんらしいコミカルさと、戦国の世の悲哀さが絶妙なバランスで組み合わさっていたり。合戦描写もとても良くできており、戦国時代好きでも十二分に楽しめるので、見て事の無い方は是非見てみてほしいと思える作品です。

今後について
上洛変が終わったら、翔翼と信奈らとの出会いと。信奈が尾張を統一するまでを題材とした外伝の『尾張統一編』をやりたいと思っています。
本編を待ち望まれている方々には申し訳ございませんが。織田家の面々が、どのように今の絆を育んできたかを描くのも大切だと思ったので、お付き合い頂けると幸いです。


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第三十三話

フロイスらとの出会いから暫しして。全ての手筈を整えた義昭の将軍就任が正式に決定。ここに室町幕府第十五代将軍に就任と相成ったのであった。

 

「うりょほほーい!!」

 

上座にて舞うように回転しながら、全身で喜びを表す義昭。『しょうぐん』という自筆のたすきをまで巻いておりかなりの有頂天になっていた。

そんな彼を窘めるように、細川藤孝がゴホンッと咳ばらいをする。

 

 

「義昭様、信奈殿の手前でございますぞ」

「おおっそうであったな!礼を言うぞ信奈殿、これも全てはそなたのおかげなのだーー!!」

「いえ。全ては義昭様の徳の賜物でございます」

「そんなーー。余をおだてたって――副将軍の位しかでないのだーー!!」

「(凄い適当に凄いもの出たーー!)」

 

手間賃代わりと言わんばかりに幕府第2位の地位を与えようとする義昭に、信奈の背後に控えていた光秀が心の中でツッコミを入れる。

 

「私を副将軍に…ですか?」

「そうだ!!管領でも良いぞ!!」

「お心遣いはありがたいのですが。どちらも辞退させて頂ければと」

「む?何故じゃ?そなたの働きにこれ以上の褒美はなかろうに、何が不満なのだ?」

「田舎者の私めには不相応な役目にございます。私めの望みはただ幕臣として義昭様をお助けし、天下の正道を正すことのみにございます故、平にご容赦を」

「そうか、そうか。そなたの忠義見事なり!これからもよろしく頼むぞ!」

「ははっ」

 

 

 

 

その後。今後についての話を纏めた信奈は、義昭のいる謁見の間を後にした。それに付き従う光秀が問いかけるように口を開く。

 

「よろしかったのですか信奈様?高位の官職を得られれば、今後何かと有利に動くこともできましたのに」

「構わないわ。私が義昭に求めるのは征夷代将軍という後盾だけよ。副将軍とかなんかに下手になったら『織田信奈はいずれ、将軍の位を簒奪しようとしている』なんて変な勘繰りされかねないわ」

「確かに野心ありと見なされれば、上杉ら親幕府勢力を敵に回しかねないですからね」

「(あるいはそれが狙いか…。あの馬鹿麻呂、思いのほか油断ならないわね…)」

 

納得した様子の光秀の声を背に聞きながら、信奈は今後を憂うように縁側から見える青空を見上げるのであった。

 

 

 

 

「ふーむ、信奈め。やはりそう簡単には飼いならせぬかぁ」

 

信奈が去った後、義昭は面白くなさそうに扇子をパタパタ、と仰ぎながらぼやいていた。

 

「義昭様。長年の苦労が実り、ようやく将軍の地位を手に入れたばかりなのですぞ。何卒、軽はずみな言動はお控え下さいませッ」

 

藤孝が平伏しながら諫言を呈すると、わかっておる、わかっておると、聞き飽きたと言った様子で眉を顰める義昭。

 

「まあ、良い。織田信奈の武力とことん利用させてもらうぞ」

 

ふははははッ!と、高らかに笑いながら、影のかかった笑みを浮かべる主君に、藤孝は冷や汗をかきながら不安を隠せないでいるのだった。

 

 

 

四国にある阿波国。三好家の本拠であるこの地に『三好三人称』と呼ばれる者達が集っていた。

先代当主三好長慶死後、その跡継が幼いため、後見役とし実質彼らが三好家取り纏めていたのであった。

 

「…織田家は強過ぎる。最早今の三好家ではとても太刀打ちできぬ…。一体どうしたものか…」

 

筆頭格である三好長逸が苦々しい顔で呻く。都を捨て摂津で抵抗を試みていた三好家だったが、内紛で弱体化しきっていた当家に、勢いに乗った織田家を止める力は既になく。瞬く間に畿内からの撤退を余儀なくされたのであった。

 

「阿波国が海を隔てた四国にあるため、追撃こそ逃れられたものの。最早我らだけで織田に対抗することは不可能であると、家内の誰もが諦めておる。最早、三好家もこれまでか…」

 

諦観した様子で項垂れる三好政康に、岩成友通も同意するように頷くことしかできないでいた。

そんな彼らの耳にフフフ…と、どこからともなく女性の声が響いてくる。

 

「…ありますわよ。三好家が生き残る術が」

「!その声、松永久秀かッ!」

 

彼らには聞き覚えのある声に、揃ってビクリッと、体を震わせ周囲を見回すと。夜間のため、灯された蠟燭以外の明かりがない室内の隅の暗闇から、一人の女性がゆらりと姿を現す。

 

「ぎゃああああああああ!!出たァァァァァァ!!」

「よ、妖魔めッ遂に我らの首を取りに来たか!?」

 

女性は褐色の肌に、銀色がかった短髪であり、唐風の出で立ちをしており、南蛮風の梵天丸とはまた違った異国人らしさを見せていた。

彼女を見た途端、三人衆は逃げるように反対側の隅まで這って固まると、抱き合って怯え切った様子でその身を震わせる。

彼女の名は松永久秀――三好長慶の寵愛を受け、その右腕として三好家最盛期を築いた功労者であり。彼女の死後は、その存在を危険視した三人衆らと対立し、幾度と刃を交えた宿敵と言える間柄となっていた。

織田家が上洛を始めてからは、静観の構えを見せ織田、三人衆どちらにも与していなかったが、織田に敗北したのを好機を見て討ち果たしに来たのだと三人衆は死を覚悟していた。

 

「落ち着きなされませ皆様方。申し上げたではありませんか、三好家が生き残る術があると。此度はあなた方にお味方するために馳せ参じたのでございます」

「そ、そんな話信じられん!裏切りこそ貴様の十八番ではないか!わ、我らの首を手土産に織田信奈に取り入るつもりであろう!」

 

友通が悲鳴じみた声で拒絶の意を示す。久秀は長慶存命の頃から暗殺、謀略といった陰の手を得意とし、反旗を翻した主君の弟らを暗殺したとも言われており、若かりし頃の道三と並ぶ梟雄と呼ばれ。果ては三人衆と共に義昭の兄義輝を襲撃し討ち取った事件も、主導したのは彼女であり、目的のために手段を選ばぬ冷徹非情の魔物として恐れられていた。

 

「確かにあなた方と争って参りましたが。それはそちらが一方的に私を除こうと戦を仕掛けてきたからであり、私めは三好家に弓引く気など毛頭ありませんわ。此度のことも全ては長慶様が愛した当家をお救いしたいが一心でございますのに…」

 

両手で顔を覆い、ううっ…と、すすり泣く久秀に。三人衆は顔を見合わせひそひそと話し合う。

 

「どう思う?」

「うーむ。確かに久秀がおっかないからと戦を始めたのは我らだしな…。奴の言い分も最もではあるが…」

「しかし、他にこの窮地を脱する手もない以上、毒を食らわば皿までくらいのことはせねばなりますまい」

 

良し、と頷き合った三人衆は久秀に向き合うと、纏め役である長逸が口を開く。

 

「あいわかった久秀よ。ここは、過去の遺恨を全て水で流し、共に力を合わせて三好家を守ろうぞ」

 

その言葉に、長秀は顔を覆いながら口元をにやり、と歪ませると。次の瞬間には真摯な趣で恭しく平伏していた。

 

「ありがとうございます。この久秀、改めて粉骨砕身三好家のために尽くすことお誓い致します」

「うむ。それで策あるとのことだが、いかにこの窮地を切る抜ける?」

「はっ。今織田家とまともに戦っても勝ち目はございません。ですので、まずはその力を削ぐべきですわ」

「そうしたいが、敵の守りは固い。朝廷は既に織田信奈を我らの後釜と認め、都の民衆も織田家を支持しておる」

 

扇動しようと間者を放ったが、あっけなく失敗したことを思い出し、苦虫を嚙み潰したような顔をする長逸。

 

「うむ。大空翔翼なる者が、あの荒れ果てた都を瞬く間に鎮撫してしまいおった。噂に聞く戦働きだけでなく、政の手並みも侮れん。付け入る隙が見当たらんぞ」

「実は、近く織田信奈は僅かな手勢を残し、岐阜に戻るとの情報を得てございます。その間隙を突くべきかと」

「なんとっ、それは誠か!?」

「京は元は三好の領地、我らに味方する者もおりますわ。その信頼できる筋から手にしたものです」

 

光明が見えてきたことに、おおっ、と歓声を漏らす三人衆。

 

「それで、どのようにして攻めるのだ久秀よ?」

「本國寺にいる新将軍足利義昭を襲撃すべきかと。上手く討ち取れれば織田信奈は後盾と、将軍を守れない無能者として天下の信を失いますわ。そして、京の防衛に当たるのは件の大空翔翼と明智光秀とのこと。この二人も討ち取れば、織田信奈から両腕を奪い取ったも同然…。そうなれば、再び畿内を取り戻すこともできましょう」

 

三人衆が、これならいけるぞ!流石久秀、見事よ!と褒め称える中。久秀は実は…、と言葉を続ける。

 

「この場に、三好家に加勢したいと申している者をお連れしておりまして」

「ほう、ならば会おう。通せ」

 

長逸が承諾すると、襖が明けられ大柄な男性が姿を現す。

威風堂々とした佇まいで三人衆らの元へ歩み寄ると、男性は平伏し臣下の礼を執る。

 

「そなたはから感じられる気風、さぞ名のある御仁と見受けられるが、何故我らに味方を

?」

「我はかつて美濃の蝮を継ぐべきでありながら、織田信奈に敗れし者。その雪辱を晴らすべく、三好家のお力をお借りしたく参上致した次第にござる」

 

そう告げて顔を上げた男の目には、激しく燃える闘志と執念の炎が宿っていたのであった。



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第三十四話

上洛後も織田家は快進撃を続け、都周辺を確保することに成功する。

新将軍擁立も含め大躍進を果たし。当初の目標を果たした信奈は、翔翼と光秀を都の守りに残し他の者達と共に一度本拠の岐阜へと帰還するのであった。

 

「すまないなフロイス。どうしても信奈の予定が取れなくてな」

「いえ、お気になさらず。ノブナ様はご多忙な身ですから。お取次ぎ頂けるだけでも感謝しかありません」

「そう言ってもらえると助かる。そう遠くない内に信奈は戻ってくる。そうしたら君に会う余裕もある筈だ」

 

屋敷にて。申し訳なさそうに頭を下げる翔翼に、気にした様子で微笑むフロイス。

滞在してから、数日待ちぼうけさせてしまったことを気に病んでいるのだが。直接的なつながりのないフロイスからすれば、門前払いされてもおかしくない身であり。直訴する機会を設けようとしてくれるだけでもありがたい話であった。

 

「んぐんぐ…。我も早く織田信奈に会いたいぞ翔!」

 

個人的に信奈に興味があるらしい梵天丸は、団子を頬張りながらじれったそうにしている。

食べながら話してはいけません、とフロイスに嗜められており。姉妹のようなやり取りにを微笑ましく見ている翔翼。

 

「ああ、信奈もお前達に会いたがっているから、もう少しだけ待ってくれ」

 

フロイスらのことを伝えると、敬愛しているザビエルの教え子と母との不仲という自分と似た境遇をそれぞれに持つ彼女らに会うことを信奈は快諾したのだった。

 

「では、俺は光秀と今後のことについて話さねばならんので、暫し出かけてくる」

「はい、お気をつけて」

「うむ、土産に期待しているぞ!」

 

 

 

 

朝廷との交渉の他、将軍の警護役にも任じられた光秀は、義昭と共に本拠が完成するまでの仮御所である本國寺(ほんこくじ)に滞在していた。

 

「あ、翔翼殿。お疲れ様です…」

 

久方ぶりに会った光秀は、いつもの凛として毅然としているも、激務による疲労の色を隠せないのか目に隈がうっすらと浮かんでいた。

 

「お疲れ。大変だな『アレ』の相手も」

波紋頭上蹴打(おーばへっどしゅーと)ォォ!!」

 

視線の先には将軍となった義昭が。幕臣に混ざりながら、華奢な見た目に似合わずとんぼ返りしながら蹴鞠を打ち込んでいた。

お目付け役でもある藤孝が、織田家本隊が抜けた京の南部の守備のため不在なせいか。いつも以上に好き勝手振舞っているらしい。

 

「ええ、まあ…。顔を合わせる度にやけに誇張した自慢話を聞かされまして…」

「手伝ってやりたいが、俺は公家のことはさっぱりでな。すまない」

「いえ、翔翼殿には都の治安維持を担っていただいておりますので。おかげさまで朝廷からの覚えも良く、それだけでもとても助かっていますから」

 

せめてもの労いにと、翔翼が頭を撫でると、照れくさそうにしながらも嬉しそうに受け入れる光秀。

そんなことをしていると。光秀の配下が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「も、申し上げます!!武装した軍勢が、この将軍御所目掛け押し寄せて来ております!!」

 

その報告に周囲がざわつく中。光秀はすぐに下知を下す。

 

「利三!ここで迎え撃ちます、総員を戦闘配置につかせなさい!それと、岐阜の信奈様や周辺の味方に援軍要請を!」

「御意に」

 

命を受けた女性武将――美濃統一後に配下となった斎藤利三が配下らに指示を出していく。

 

「み、光秀殿っ。この本國寺は堀で囲まれただけのただの寺ぞ!ここは逃げた方が良いのでは?」

「それこそ敵の狙いです!将軍様が矢でハリネズミになるのをご所望か!」

 

狼狽した幕臣を一蹴すると、自らも鉄砲を持ち武装していく。

その間にも、光秀隊の者達が屋敷の畳を剥がし縁側へ並べ、それを積み上げた俵で固定し即席の防壁として要塞化していく。

 

「良いお前達」

「将軍様!?」

「余は光秀を信じておる。ここはそなたに任せるぞ」

 

毅然としたした態度で言い放つ義昭に、幕臣らからおお…流石将軍様だッ、と感嘆の声が漏れる。

…当人の目からは『痛いのは嫌!自分が死ななきゃ何でもいい!』という意思がありありと翔翼には見えていたが…。

 

「五右衛門ッ。お前は勝龍寺城にいる細川殿の元へ向かえ!この状況を打開するには、彼の力が必要だ!」

「ハッ!」

 

共として連れて来ていた五右衛門を送り出すと、翔翼は利三の元に向かう。

 

「利三殿!すまないが刀以外の武具を持参して来ていない、貸してもらえるか!」

「はい、こちらをお使い下さい」

 

既に用意されていたようで、彼女の配下が防具を取り付けてくれる。取り付けが終わると同時に槍を受け取ると光秀の元に戻る。

 

「敵は三好の残党だろうな」

「ええ、彼らはここら一帯の地理を知り尽くしていますから。ですが、こうも早く反攻してくるとは…」

「もしかしたら、噂の三好の梟雄(きょうゆう)が絡んでいるかもしれんな」

「松永久秀がですか?しかし、彼女は織田家へ迎合する姿勢だった筈…」

「将軍の暗殺をするくらいだ、それくらいの騙しはするだろうさ。ともかく、岐阜の信奈が来るまで数日、細川殿や浅井家の援軍はすぐに到着する筈だ。それまで耐えれば勝ちだ」

「はい。義昭様は奥の間へ――って速ッ!?」

 

安全な場所に移そうとするよりも先に、もう退避している義昭であった。

奥の間から、頑張れー応援しておるぞ~と顔を覗かせてくる将軍に、ある意味関心するのであった。

 

 

 

 

「ええい、あんな防備の薄い寺、何故落とせぬ!」

「そ、それがっ。敵の鉄砲の数が多く、その威力にお味方が攻め込むのに二の足を踏んでしまっておりまして…」

 

本國寺を攻める三好本陣にいる総大将の三好長逸は、伝令からの報告に苛立ちを隠せず、馬上で拳を己の膝に打ちつける。

奇襲に成功したにも関わらず、予想に反して敵の守りは固く。敵陣から絶え間なく聞こえてくる発砲音が敵を絶対に近づけまいとする意志と共に、城壁の如く立ちはだかっているかのような錯覚さえ覚えそうになってしまう。

 

「明智隊は鉄砲の扱いに長けております。近畿でも右に出るのはかの雑貨衆くらいなものでしょう」

「関心しておる場合か久秀ッ!このままでは細川藤孝や浅井が来てしまうぞ!そうなれば、今度は我らが危うくなるのだぞ!!」

 

気楽な様子で並び立つ松永久秀に怒鳴り散らす長逸。やはりこの女狐と組んだのは間違いだったか!と内心後悔し始める彼を他所に。久秀は動じた様子もなく話す。

 

「落ち着きなさいませ長逸殿。総大将がそのように取り乱しては勝てる戦も勝てませんわよ?」

「わ、わかっておる!だが、このままでは埒が明かないぞ!」

あの方々(・・・・)にお任せすれば何も問題ありません。どうかご安心を」

「むぅ。だが、あんなよそ者を本当に信用して良いものかどうか…」

「確かに彼らは三好家とは縁こそありませんが、織田家打倒という点では我らにも劣らぬ情熱を持っておりますわ」

 

うふふ、とまるで遊びに興じるかのような笑みを浮かべる久秀。戦場に余りに不釣り合いなその姿に、長逸はじめ周りにいる者達は、味方である筈なのに敵以上に恐ろしく見えるのであった。

 

 

 

 

敵の追手を振り切りながら、五右衛門は勝龍寺城へと辿り着くと。すでに本國寺の異変を察知しているようで、出陣の準備に取り掛かっているようであった。

 

「間もなく軍備も整う故、安心されよ使者殿――といいたいのだが、一つ問題があってな」

 

甲冑に身を包んだ藤孝と謁見すると、彼はどこか困ったような顔をしていた。

 

「何か?」

「うむ。句がな…」

「は?」

「良い句が詠めんと私は力を発揮できんのだ…」

 

筆と短冊を手にうむむ、と唸っている藤孝。彼は武人としだけでなく、文化人としても名を馳せており何かにつけて句を詠みたがる習慣を持っているのだ。

そんな頼みの綱に、大丈夫かこの人?と不安を隠せない五右衛門であった。

 

 

 

本國寺では圧倒的寡兵にも関わらず、織田方は奮戦しており。一進一退の激戦が繰り広げられていた。

そんな中。三好方に混じって大柄な男と美男子の二人組が戦局を見定めていた。

 

「…親父、そろそろ往ってもいいだろ?」

「ああ。頃合いだ先陣はお前に任せる」

 

大柄の男の了承を得た美男子が、待ってました!と言わんばかり、意気揚々と前線へ駆け出すのであった。

 

 

 

 

「…敵の勢いが増したな」

 

翔翼が呟くと、眼前の敵方からの鬨の声が強まり。鉄砲に怯んでいた敵兵が次々と塀を超えて侵入してくるようになる。

 

「前に出る。ここは頼む」

「はい。お気をつけて」

 

翔翼は駆け出すと、敵の足軽を槍で次々と薙ぎ倒していく。

 

「怯むな!!押し返せィ!!」

 

味方を鼓舞していると、塀の上から声をかけられる。

 

「ふふふ。見つけたぞ大空翔翼、我が宿敵よ!!」

 

声の主は20代前半程の若者であり。武士の出で立ちでこそあるものの、公家といった方がしってくりする程の優男であった。

 

「?」

 

最もそんな男に翔翼は覚えが無く、思わず首を傾げる。会ったこともない者に宿敵などと言われても正直困るしかない。

 

「ふっ。この俺が誰だかわからないと言いたそうだな。無理もない、かつての俺は自堕落に染まった生き方しかしていなかったからな。だが、俺は生まれ変わった、そう愛を知ったことで――おわぁ!?」

 

やけに気取った振舞いをしている美男子を光秀が狙撃するも、上半身を大きく後ろに逸らして避けられる。

が、それにより塀から転げ落ちるも、見た目に似合わぬ身体能力で華麗に着地を決める美男子。

 

「チッ」

「うおおぃ危ねーだろ光秀!!人がせっかく場を盛り上げてやってるのによぉ!!」

 

外したことと、いやに鼻につく男の仕草に思わず舌打ちしてしまう光秀。

そんな彼女に抗議してくる美男子。何やら彼女のことも知っているようだが、当然ながら光秀にも見覚えはなかった。

そんなやり取りをしていると、幕臣の者達が美男子に斬りかかる。

 

「賊め!我ら若狭衆が将軍には手出しさせぬ――」

「ああ、その先は言わなくていいぜ。テメェらには興味がねぇから」

 

美男子は手にしている刀で、幕臣らを瞬く間に斬り伏せるのだった。

 

「若狭衆が一瞬でっ!?」

 

その光景を見た利三が信じられないといった様子で驚愕する。彼らは幕臣の中でも勇猛で知られる手練れであったからである。

予想外の強敵の登場で一同に緊張が走る。

 

「道は愚息が切り開いたッ。攻め込めえぇい!!」

 

そこに畳みかけるように、大柄の男が率いた集団が侵入してきた。

 

「あなたはッ!?」

「久しいな光秀。そして、大空翔翼よ。貴様と織田信奈に受けた雪辱を晴らしに来たぞ」

「よう斎藤義龍。元気そうだな」

 

斎藤義龍――

かつて父である道三に反旗を翻し美濃を奪い。信奈と彼の後継者の座をかけて戦うも、勝利に固執した結果、家臣の離反を招き。それを翔翼に突かれる形で敗北を喫した男である。

その後、斬首すべきという道三の意向を無視してまで、解き放った際に放った言葉通り。己の存在意義をかけて再び織田家の前に立ちはだかってきたのである。

 

「…ということは。そこの男は…」

 

そして、彼の放った『愚息』という言葉に、光秀はふと湧いた疑問に従い美男子に視線を向ける。

 

「ふふふ。そう、俺こそ斎藤義龍の嫡男にして、斎藤家に輝く希望の星こと斎藤龍興さッ!!!」

 

ババーンッ!!!という擬音でも聞こえそうな大袈裟な仕草で名乗った美男子――龍興に、光秀も利三も彼を知る者は、翔翼以外皆唖然とした顔で固まってしまう。

斎藤龍興と言えば。大名の子であることをいいことに、遊び惚けて父の義龍にすら半ば匙を投げられていた、はっきり言えば駄目男であった。

だが、今の彼は美濃にいた頃の肥え太った体は鍛え上げられた武士として理想的なものに。そして、脂の乗りきった顔つきは、男性すら振り向きかねないまでに整った美麗なものに変化していたのだった。

 

『『『『だ、誰えええええええエエエエエエエエェェェェェェェェ!?!?!?!?!?!?』』』』

 

その余りの変わりように、光秀らは悲鳴を上げるかのように叫ぶのであった。



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第三十五話

「あ、あれが斎藤龍興だとっ!?」

「そう言われると確かに面影が――いや、別人なまでに変わってるじゃねーか!!」

 

謎の美男子が龍興であると発覚すると。光秀ら彼を知る旧斎藤家の面々から途轍もない波紋が沸き起こった。

 

「ふふふ、驚くのも無理はねぇ。かつての俺は遊び惚け惰眠を貪るだけのろくでなしだった。だが、今は違う!あの日信奈ちゃんに出会って俺は生まれ変わったのよ!愛の力で戦う真・斎藤龍興へとなッ!!」

 

ババーンッッ!!とでも擬音が聞こえそうな勢いで、天に向かって叫ぶ龍興。余りの自信に、まるで後光がさしているような幻覚さえ見えてしまいそうであった。

 

「た、確かに見た目や武術は見違えたが。おつむのできまではそう変われるものでは…」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」

「知能も上がっている、だと!?」

 

フッ、と無駄に気取った顔で、美濃にいた頃なら絶対に言えなかった文言を放つ龍興に更なる波紋が沸き起こる。

 

「当然さ。俺には智将である祖父斎藤道三、そして猛将である父義龍の血が流れている!つまり名将となる器を持って生まれた逸材ッ!。信奈ちゃんへの愛が俺の中に眠る獅子を――いや大蛇を目覚めさせたのさ!!美濃の蝮の孫だけに!!!」

「最後のは別に言わなくてもいいだろ…」

 

何か若者特有の病的な感じの挙動を見せる龍興に、誰ともなくツッコミを入れる。

 

「……」

「どうした我が宿敵大空翔翼?真の力を開放した俺に言葉すら出ないか…」

 

これまで無言を貫いている翔翼に、勝ち誇ったように気取った構えを取る龍興。

 

「?……???」

「…おい、何だその困ったような感じは。まさか、こいつ誰だっけ?とか思ってねーだろーなぁ!?!?!?」

 

よく見ると。無言を貫いているというより、思い出そうとして思い出せないで悩んでいるといった様子であった。

 

「今までの話聞いてたか!?斎藤龍興だよ!斎藤道三の孫のッ!!」

「?????????」

「龍興って存在自体知らねぇって反応すんなよオオオオオオオオオ!?!?!?」

 

完全に存在を忘れ去られている反応に、両膝を突いて泣き叫びたくなるのをどうにか堪え、手にしていた刀を地面に投げつけて叫ぶ義龍。

宿敵とさえ呼んでいた相手に記憶すらされていなかった事実に。敵味方問わず憐憫の目が向けられていた。

 

「ほら、墨俣で奇襲部隊を率いていたこう、ね情けない――うん、まあ情けない男いたじゃん

、ね?」

「(必死過ぎる…!)」

 

 

さっきまでの威勢はどこへやら、己を蔑んでまで思い出してもらおうとしている龍興に、流石に可哀想になった光秀であった。

 

「!」

 

ようやく、ようやく思い出したのか。ああ、といった様子でポンッと握った右手で左手の平を打つ翔翼。

 

「あ、思い出してくれた?」

「義龍の子か。随分と見違えたな」

「反応うっすーい…。もうちょっと驚いてくれてもよくな――あだァ!?」

 

期待していたよりも遥かに冷めた対応に、項垂れながらツッコむ龍興の後頭部を、義龍が槍の柄で殴った。

 

「~~~~ってーなっ。何すんだ親父!!」

「いい加減にしろ。刻限が勝負だと言っただろうが、往くぞ!」

「わ、わーてるよ!」

 

尻を蹴るように喝を入れると、槍を構え翔翼へ突進してくる義龍。巨体から生み出される剛力を生かした突きを体を横に逸らし避け、続く横薙ぎを屈んで逃れると、反撃に出ようとした間隙を突いて龍興が刀を振り下ろしたきた。

 

「もらいィ!」

「!」

 

咄嗟に横に跳んで回避こそできるも、切断された左の肩口部分の鎧が地へと落ちた。後一歩反応が遅れれば肩ごと腕が地に落ちていたかも知れず。翔翼の表情が険しくなる。

 

「オォ!!」

 

そんな翔翼を義龍が追撃し、振り下ろされた一撃を槍の柄で滑らせるようにして逸らすが。普及品であるただの槍では重撃に耐えられず、受けた部分から亀裂が走った。

そのことを気にする間も与えん!と言わんばかりに義龍は暴風雨の如き猛攻を加えていき。翔翼は対応こそできるが、槍で受ける度に亀裂が広がってしまい、一旦間合いを取ろうとするが。そこに龍興が斬り込んできて妨害してくる。

 

「悪いな。できれば俺一人で勝ちたいんだが、はっきり言ってお前の方が遥かに強いんでね。これ以外の勝ち筋が見い出せないんだ。卑怯だって罵ってくれていいぜ?」

「?何故だ?貪欲に勝利を目指す、それが武士というものだろう?お前に恥ずべきことなど何一つなかろう」

 

斬り結びながら、己を卑下するように嗤う龍興に、不思議そうに首を傾げる翔翼。戦乱の世となって久しい今日では、『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』という言葉に象徴されるように、戦いにおいて卑怯の謗りを受けてでも戦いに勝つことこそが肝要とされていた。

故に己の弱さを認めた上で、手段を選ばす勝利をもぎ取ろうとする龍興に、翔翼は賞賛こそすれ罵る気など微塵も湧かなかった。

 

「へへ、そうかい。なら遠慮なく行くぜェェ!!」

 

照れくさそうに鼻を指で擦ると、気負うものがなくなったためか、繊細さの増した動きで龍興が翔翼を牽制し、義龍が一方的に攻撃を加えられる状況を作り追い込んでいく。

 

「翔翼殿っ!」

 

加勢したい光秀だが、次々と攻め寄せる三好勢の対応で手一杯であった。

 

「こっちはいい!!将軍を守れ光秀っ!!」

 

深手こそ負っていないも、義龍らの攻撃は徐々に彼を捉え始めており、次第に浅い生傷を増やしていく翔翼。

そんな彼を目の前にして、どうすることもできないことに光秀は歯噛みするしかできなかった。

 

「光秀様!!敵が次々と塀を登ってきております!!」

「焦るな!!しらみつぶしに討て!!門に近寄らせるな!!」

「光秀!!」

「ばか――将軍!?危険ですからお下がりを!!」

 

何を思ったのか防具も纏わず顔を出して来た義昭に、湧き上がる苛立ちを懸命に抑えながら対応する光秀。

 

「そう言うな!!良いことを思いついたぞ!!」

「なんと!?それは一体!?」

「塀を登られたんだって?へ~~」

「――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの刻アレを撃ち殺そうとした自分を良く抑えられたなと、あの頃の自分を褒め称えたいです。本当に辛かったです、人生で一、二を争うくらいに、はい。

――と後に彼女は語っていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!!」

「もらったァァ!!」

 

義龍の一撃を真正面から防いだ槍がへし折られてしまい、無防備となった翔翼に、龍興が上段の構えで斬り込んでくる。

即座に腰に差している刀を抜こうとするも、義龍の一撃から受けた衝撃で態勢を多く崩してしまったため、後手に回ってしまう。

渾身の力を込めた斬撃が迫る中、それでも足搔こうと動く翔翼。だが、無常にも刃は彼の身を斬り裂いて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梵天丸もかくありたいとにかくすごぉいそおおおおおど!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍興が斬りかかろうとするより前に。一つの人影が包囲している三好勢の頭を踏み台にしながら寺へと接近し、塀を登ろうとする者をも踏み台にして、塀に乗ると。勢いそのまま跳躍して斬られる寸前の翔翼を庇うように割って入り、手にしている刀で龍興の刀を弾いたのであった。

 

「ふげぇぇ!?!?」

 

予想外の一撃に盛大にすっころぶ龍興。それを尻目に、乱入してきた者は翔翼の側へ降り立たった。

 

「ふっふ…。危なかったな、わが友よ!」

「梵天丸…!?何故ここに!?」

 

翔翼を救ったのは、片目を眼帯で覆い漆黒のかっぱに身を包んだ南蛮かぶれの少女――梵天丸であった。



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第三十六話

「な、何だ!?どこから来やがったこのチビッ!?」

「誰がチビかッ!後数年もしたらフロイスみたいなぴちぴちンないすばでぃになるわ!」

「え~」

「何だその疑いの目はッ。たたっ斬るぞエセ二枚目!!」

「アアッ!?どこからどう見ても二枚目だろうがガキィッッ!!」

 

突然の乱入者に動転する龍興と、その発言にキレる梵天丸。

そのままギャーギャーと子供のような(片方は子供だが)言い合いを始める両者に、翔翼が割って入る。

 

「おい、梵天丸どうしてお前がここにいるんだっ」

「三好の連中がここらに現れたという話を聞いてな。戦になるかもとフロイスがお前のことを心配しているんで様子を見にきたのだ。戦場(いくさば)になるならここらだろうからな」

 

ふふん、と得意げに胸を張る梵天丸。三好の動きを読む先見の明と、包囲下にあるこの寺に乗り込む気概とそれを可能とする能力といい。やはりただならぬ才覚を宿している少女だと実感するのだった。

 

「この梵天丸が来たからには安心するが良い。黙示録のびぃすとの力を宿す我ならこのような奴らすぐにけちょんけちょんに――っとわぁ!?」

 

いつものように格好つけようとする梵天丸だったが。様子見をしていた義龍が間合いを詰めてくると、慌てて後ろから倒れ込むようにして体を逸らすと、首があった空間を刃が薙いだ。

すぐさま刀を翻して追撃しようとする義龍に、梵天丸は逸らした勢いを殺さず後ろに跳ぶと、逆立ちの姿勢で片手で地面を掴むとそれを支点にして足を地に着けて態勢を整える。

間一髪の回避に思わず冷や汗をかく彼女に、義龍は更に追おうとするのを翔翼が遮り刀を打ち合う。

 

「退がれッ、お前にはまだ無理だ!」

「む、むぅ…。確かに我が相手をするには役不足のようだ。ここはこのエセ二枚目で我慢してやるとしよう」

 

力量差を理解できたのか、素直に身を引く――ことはなく、代わりにと龍興に刀を向けて対峙しだした。

 

「だぁから誰がエセじゃあ、こぉのチビがァ!!」

「チビじゃない!せめて、りとるびぃすとと呼べこのエセがぁ!!」

 

罵り合いながら斬り合い始める梵天丸と龍興。その様を見て違う!と翔翼が叫んだ。

 

「そういうことじゃない!戦場に出るのはまだ早いと言っている!」

「ムッ翔まで子供扱いするな!この梵天丸、もう一人前であること見せてくれる!」

 

意固地になってしまったようで、退く気のない梵天丸に頭を悩ませる暇もなく。押し込んでくる義龍と斬り結ぶのだった。

 

そんな激戦が繰り広げられている一方で。此度の戦の中心と言える将軍義昭は、相変わらず吞気に光秀の周りをうろついているのであった。

 

「おおっ、寺に火矢が!水…水はないか!?」

 

――そんな彼の目の前で敵の攻撃で火災が起きるようとすると、消化すべく水を探すも見当たらないでいた。

 

「むぅ、ないのか…致し方ないここはこれで…」

 

キリっと何かを決意すると、義昭は袴に手をかけて下半身を露出しようとしだしたではないか。

 

「天下の将軍が、何をやっているんですかぁ!?!?!?」

 

そんな彼を、光秀は敵を撃ちながらも全力で止めに入るのであった…。

 

 

 

 

援軍を求め細川藤孝の元へ向かって五右衛門は、当の大将の不調はともかく。軍勢を整えた一向は、脇目も振らず翔翼らのいる本國寺へ進軍していた。

当然三好側も最寄りいる藤孝に備え、途上にある桂川に三人衆の2人である三好政康、岩成友通の両名を布陣させており、川を挟んで両軍が激突するのだった。

 

「むうっ…。来たぞ!!創作の神が!!」

「いやっ、来てるにょはてきでごじゃる!!」

 

飛んで来る矢、弾をものともせず句を書き綴る藤孝に、思いっきりツッコむ五右衛門。

そうこうしていると、没頭する藤孝目掛け数本の矢が飛来してくるではないか!

 

「!細川殿あぶにゃい!!」

 

咄嗟に五右衛門が助けに入ろうとするも、それよりも先に矢が藤孝へ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馳せ参ず… 主君の大事と 桂川 流るる水面に うつるは乱世

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――待たせたな…。さあ、戦を始めようか」

 

刺さる直前に、片手で全ての矢を掴むと握力を込めてへし折る藤孝。その姿は先程までの冴えない様相から一変し、名将と呼ぶに威圧感を放っていた。

 

「藤孝様は良い句ができると、真の力を発揮するのでやんす」

「何でござるかその能力!?というかどちら様で!?」

 

突然出てきた側近の解説に、五右衛門はもうツッコむことしかできないでいた。

――が、そんな彼女をよそに。大将に呼応するように、戦意を滾らせながら前進を開始する細川軍に、三好軍が蹴散らされるのにさほどの刻はかからなかったのだった…。

 

 

 

 

「申し上げます!!細川藤孝率いる軍が、政康様、友通様を破りこちらに迫っております!!」

「ええい、早い!!早過ぎるぞあやつら!!!」

 

伝令からの報告に、総大将である長逸は、苛立ちをぶつけるように軍配を地面に叩きつけた。

藤孝相手に勝てるとは思っていなかったが、せめて足止めくらいはできるだろうと踏んでいたのにこの体たらく…。味方の不甲斐なさに泣きたくなる彼に、更なる凶報が届く。

 

「申し上げます!!東より浅井の手勢がこちらに迫っております!!」

「チィッ今度は近江の若造かッッッ」

 

 

 

 

北近江から京へと続く街道にて。浅井勢の先鋒は封鎖している三好勢に向け、速度を一切緩めることなく猛進していく。

兵力にさして差がないとはいえ、敵など意に介さないかのような進軍に、相対する三好勢からすればある種の恐怖を与えていた。

そんな彼らに、軍勢の先頭に立つ逆立った頭髪が特徴的な男が吼える。

 

「我が名は浅井家が家臣磯野員昌ッ!!立ち塞がるもの一切合切粉砕する者なりィ!!死にたくなくば路を開けいィ!!」

 

突撃突破の磯野員昌と呼ばれる浅井家随一の勇将は、軍勢そのもをまるで弾丸をも超える質量を持つと言われる南蛮の新兵器『砲弾』が如き勢いで三好勢に突進し、文字通り粉砕するのであった。

 

 

 

 

「申し上げます!!浅井勢が封鎖を突破ッ、更に各地から幕府配下らの軍勢も迫ってきております!!」

「更に京と南近江の堺に、織田信奈率いる織田本隊も迫っているとのことッ!!」

 

次々に舞い込む悲報に、長逸は歯軋りしながら卓を殴りつける。

 

「~~馬鹿なッ動きが速すぎるぞ!?」

 

これほどまでの短期間で敵の援軍が現れるなど、完全に想定外であり襲撃を受けた直後に伝令を走らせていなければ不可能な芸当であった。

 

「(明智光秀…。単に朝廷への仲介役と見ていたが――ッ)」

 

彼女を仕えたばかりの新参者としか見ず、織田信奈の懐刀と呼ばれている大空翔翼にだけ警戒していたが。それが誤りと気づくには余りに手遅れというほかないことだろう。

 

「ん?久秀?久秀はどうした!?」

 

ふと、何か静かだと先程まで隣にいた者を探すが、その影も形もなかくなっているではないか。

周りにいた側近らもそのことにようやく気づいたようで、ざわめきが起きる。そして、最悪の事態が長逸の頭をよぎった。

 

「も、申し上げますッッッ。久秀様の軍が敵に降伏致しましたぁぁぁ!!!」

「~~あぁぁの女狐ぇぇぇ、やはり謀りおったなぁぁぁぁぁ!!!」

 

泣きつくように駆けこんできた配下の言葉に、長逸は額に浮き上がった血管がはちきれんばかりに絶叫するのだった。



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