ネロ帝が女のわけないだろ!いい加減にしてくださいお願いしますから!! (オールドファッション)
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これが序章のわけないだろ!伝説の盛り合わせじゃねえか!!
ネロ帝が女のわけないだろ!いい加減にしてくださいお願いしますから!!


 王宮の一室で女は床に寝そべりながら片手ですくった葡萄の房を一粒ずつ口に頬ばり咀嚼した。

 それはまるで蛇が小さなネズミを舐めるように恐ろしげであり、女の恍惚とした表情にその行為が淫蕩なものを連想させる。

 金の器にはイチジクで肥育した豚レバーやフォアグラ、生きた鶏から切り取ったトサカ、ラクダの蹄、フラミンゴの舌。古今東西の珍味がこの器に盛られている。それはまさに食という富と権力の集合体である。

 

 女が身にまとう衣類も黄金と宝石を散りばめた一品であり、女が纏う高貴さと、尊大さからまるでこの宮殿の主人であるかのように見える。しかし女には実質的な権力はなく、あくまでこの宮殿の主人になるであろう人物の母親でしかない。

 

 女の名前はユリア・アウグスタ・アグリッピナ。

 兄と叔父と関係を持った毒婦でありながら、皇妃の座まで上り詰めた策略家。邪魔な障害となる者は悉く毒殺した。あとは娘であるネロを今は亡き皇帝の座に据えるだけであるが、ここで問題が生まれる。皇帝になるのがアグリッピナの娘という、この一点に全てが関わってくるのだ。

 

 民衆の間でまことしやかに囁かれる自分の黒い噂。その大部分は真実ではあるが、その罪を追及されたとしても証拠などどこにもない。しかし皇帝になる上で民意とは不可欠なもの。たとえ強引にネロを皇帝に据えたとしても、その不和はいずれ大きなヒビを生じることになる。

 皇帝ネロは完璧でなくてはならない。苦汁を飲まされながらも、これまで耐え忍んで来たのは全てこの時のためなのだから。

 

 自分の醜聞を否定し、今更民の顔色を窺いながら善行をしたとしてもそれは疑惑を生むだろう。ならば、ネロが民から支持されればいい。言葉にして見れば簡単なことだが、齢15年ほどの小娘にかしずくほどローマ人の気性は穏やかなものではない。わざわざ追放刑にされた賢人と名高きセネカを呼び戻しネロの家庭教師にしたことでネロは知恵をつけた。皇帝としての器も生まれながらに持ち合わせている。あとは民意だ。誰からも皇帝に推挙される圧倒的な意思の力が必要だ。

 

 それを可能にできる人物をアグリッピナは知っている。

 

 その男の名はルシウス・クイントゥス・モデストゥス。ローマ大帝国一の高名な浴場技師である。彼は幼少期から多方面へ才覚を伸ばし、独創性溢れる斬新なアイデアで物作りをする青年だった。こと浴場建設においてローマ史上彼の右に出る者はいない。

 

 彼の初作品は浴場の壁画にヴェスビオス火山の雄大な自然風景を描いたものであり奇抜で斬新な建築様式に多くのローマ市民たちが感銘を受けた。脱衣場には喜劇の告知を張り興行は連日大賑わい。なにより入浴後に飲むフルーツ牛乳なる飲み物が格別であり、ほてった体に氷でキンキンに冷やされたフルーツ牛乳が犯罪的なうまさを生んだ。

 その他にも家庭用簡易風呂、露天風呂、温泉街、ナイル風浴場、スライダー式浴場、木製樽浴槽など画期的な浴場建設を行い、浴場以外にも個室水洗トイレ、歯ブラシ、新たな料理など幅広いものを発明している。

 

 民衆や同じ浴場技師たちからも絶大な人気を誇り、ローマ市民で彼の名を知らないものはいない。

 ローマ市民が、ローマが彼を愛しているのだ。

 

 ローマの頂点に立つにはルシウスは必ず必要になる。

 

 アグリッピナは王妃の座についた頃からルシウスにコンタクトを取っていた。いずれ生まれるであろう子供の専用浴場技師にする腹積もりだったが、彼の独り占めは市民からの反感を買うと予想すると、その考えを思いとどめただ良好な関係を築くことに専念してきた。

 

 肉体関係へ持ち込もうとしたこともあったが、彼はローマ人にしては珍しく禁欲的で奥手な人物であった。金や宝石にも興味がないらしい。アグリッピナにとって珍しく清い関係を築いている人物というのがルシウスだ。彼女にとって初めて関わるタイプの人間であり変わった反応が面白いと密かに思っている。知的で先進的な考えの持ち主である彼とは話も合うし、新しい発明を見せられると子供の頃の無邪気な気持ちに帰れる。

 

 男などアグリッピナにとっては御し易い操り人形だった。男たちにとってもアグリッピナとは性欲と権力を貪る恐ろしき魔物。どちらも人ですらないのだから話し合いなどできやしない。言葉も、表情も全てが偽り。実のところ宮殿では誰も孤独だったのかもしれない。

 

 しかしルシウスだけが醜聞や怪聞に惑わされずに、アグリッピナを女や王妃だからという色眼鏡で見ずに、アグリッピナとして見ていた。

 

 そのことに気づいた瞬間、アグリッピナは胸の内にあったものを自覚した。

 

 私はルシウスが好きだったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス・クイントゥス・モデストゥスは絶望していた。

 

 前世で風呂の中で溺死したらいつの間にか古代ローマ帝国市民に転生したはいいが孤児からスタートというハードモードで毎日泣いてた。

 

 すぐに奴隷商に捕まってアッタロスという哲学者に売り飛ばされてからこのクソジジイに毎日こき使われて大泣きした。

 

 知識と才能が認められてから弟子になって(しご)かれ解放奴隷となったはいいが突然無一文で破門されて号泣した。

 

 『テルマエ・ロマエ』で読んだことを真似して浴場職人になったが毎日建設の依頼が絶えなくて忙しさで涙も枯れ果てた。

 

 もうやだ。日本にかえりたい。ママの作ったお味噌汁を溺死するほど飲み干したい。

 だいたいなんで転生先が古代ローマなの?チョイスおかしいんじゃない?俺tueeeeな転生チート特典もないし、まとも(激務生活)な暮らしを手に入れるまで三十年くらい掛かったぞ。前世の知識で商人無双とか小説の中の出来事ですわ。

 

 ようやく手に職がついたと思ったら毎日毎日仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事……●ぁっきゅー!

 むしろ俺が殺されちまうわボケェ!!ローマ市民どんだけ国中に風呂作るつもりだよ!?下手したら国内の建造数ナンバーワンだぞ!?てかもうその一歩手前くらいきてる気がするわ!!ローマ市民が風呂に対して貪欲すぎて日本人の俺もドン引きだよ!!

 

 はぁ、はぁ……。

 

 も、もうあかん。ローマが私を確実に殺しにきてる。別の国で仕事しようかな……いや、ローマの二の舞になりそうだからやめとこ。

 私が未来の文明人すぎてローマが肌に合わないわ。ローマは最高の文明国であるみたいに言ってるけどそれは違う。人気の食事は牛乳で煮た豚の乳房とカタツムリだぞ!カタツムリは置いといても豚の乳房は『わざわざそこ好んで食べる!?』ってびっくりしたよ。まあ、これはまだいい方で貴族に至っては生きた鶏から切り取ったトサカとかラクダの蹄とかフラミンゴの舌が人気だかねぇ………………あなたたち蛮族ですね!?(鶏ぃ!!!)

 

 公衆トイレも個人の敷居がない丸見えの状態で腰掛けてうんこするわ本当あたまおかしいわ。踏ん張ってる時に『難産ですな!』とか隣から声かけられたら出るものも出ないよ!この時代トイレットペーパーないから海綿つけた棒をみんなで使いまわしてるし衛生面バイオハザード3倍界王拳だっ!もうオラの体が持たねえ!!仕方がないから私がローマ中のトイレを作り直してやりましたよ!!

 

 まあ、こんな蛮族の国でもいいところの一つや二つはある。

 まず住民のほぼ全てが美男美女であること。ほんとこれにつきますわ。ローマ市民の顔面の平均点は80点くらいあります。

 ローマの女の子はみんな美人で体がボンキュッボン!そしてエッチなことが大好きなのです!

 当初は私もそのことに感激してスタンディングオベーションした時期がありました。ですが蛮族なので欠点がひとつあります。それは口が汚いこと……歯が真っ黄色なのでした。古代ローマには歯ブラシという文明の利器がなかったのです。ローマでは鹿の角を砕いた粉末やポルトガル人の尿にホワイトニング効果があると思われこれで歯磨きをしていました。これを知って私は静かに座って泣きました。無理、歯が真っ黄色な上に飲尿経験ありとかほんと萎えるわ。

 

 その上ローマの女は超がつくほどの肉食系女子だった。エッチが好きすぎて夫以外の男性と関係を結ぶなんてことは日常茶飯事。昔ユリウス姦通罪という夫以外の男性と性行はNG!でも娼婦はおK!という政策があったが『なんで夫以外と●ックスしちゃだめなの!?それなら娼婦になってやるわ!!』と多くの女性が娼婦になった出来事があったのだ。

 これには私も笑顔でドン引き。やっぱ蛮族じゃないか!アマゾネスは藤岡弘探検隊と一緒に密林へ帰りなさい!!

 

 そもそも私の好みはお淑やかな大和撫子だ。ほんと日本に帰りたいわ。まあ今の日本の大和撫子は紫式部より卑弥呼くらいの時代だろうけどね。

 

 まあ、そんな感じでわたしはローマにいます(SOS)

 元気でーす!(かなり叫んでみた)

 

 毎日多忙な私ですが、今日は珍しくお仕事がない日です。まあ、私が休みを取ろうとしたら国中のローマ市民たちが家に押しかけ占領されちゃったりするけど、今日はそんな心配はない。なぜなら王妃様からの直々の呼び出しだからである。

 

 召使いに案内されて部屋に入るとベッドの上でくつろいでいる絶世の美女が私を見て微笑んだ。

 

「久しぶりね、ルシウス。会いたかったわ」

 

「光栄です。アグリッピナさま」(エッッッッッッッッッッッッッ)

 

 あぶなかった!即座に前かがみにならなかったら勃起による不敬で首を跳ねられてたかもしれない!

 もともと体がエロの権化の上に際どい衣装を着てるから本当に股間に悪いわこの人!これで経産婦で未亡人とか国中の人妻好きがスタンディングオベーションだよ!

 

 私は頭の中で蛮族の王妃と何度も唱えながら元の体勢に戻った。

 情けない話ではあるがこれでも初めて会った時よりはだいぶ進歩したのだ。あの時は勃起が収まらず話し終わるまで礼をしてたからな。会話の内容もほとんど頭に入らなかったし大変だったわ。

 

 一見こうして私を誘惑するためにわざわざベッドで横になって露出度の高い服を着ているように見えるが、というか本当に誘惑しているのかもしれないとわりと思う。まあ、これほどの美人なら口が汚くてもウェルカムだがこの方は兄と叔父を喰ってしまうほどの肉食系だ。私の好みに反している。それにこの方にはよくない噂があるのだ。

 

 まず有名なのは兄と叔父の毒殺疑惑。これに関しては私もその噂が正しいと思う。この方は根は悪い人ではないのだが先進的でどこまでも権力というものに貪欲だ。その気になれば親族くらい何人でも平気で殺せるだろう。まあ、こうして話し合うだけの関係なら問題はない。

 

 恐ろしいのは他の噂だ。

 なんでもその美しさを保つために国中の処女の血を集めて浴び、童貞のちん●を好んで食す(物理)というやつだ。

 カーミラか!あと後半のやつ怖すぎるだろ!!こんな噂を考えたやつマジおかしいわ!!

 

 さすがの私もただの噂だと気づくレベルの酷さである。だから噂が怖くてアグリッピナさまを襲えないわけではないのだ。

 

「そういえばあなたの考えた豚の腸詰料理がローマで評判のようね」

 

「ええ、ローマから豚がいなくなるかもしれないほどの人気ですよ」

 

「それはいやね。私あなたの(考えた)ソーセージ気に入ったのよ」

 

 べ、別に深い意味はない。妙に艶っぽく舌なめずりしているような気もするが気のせいだろう。

 

「それにしても動物って余すことなく食べられるのね。血も飲めるのかしら?」

 

「………………すっぽんという亀の血は滋養強壮効果があると聞いたことがありますね」

 

「へえ、きっと他の生き物の血も美味しいのでしょうね」

 

「」

 

 う、噂が怖くてアグリッピナさまを襲えないわけではないのだ。(震え声)

 

 気分の悪くなった私は庭に出て月を眺めながら女神ディアナに願った。

 

(どうか日本にタイムスリップして漫画版ヒロインと結婚できますよう)

 

 この世界がテルマエ・ロマエならルシウス技師は小達さつきと結ばれる運命にあるはずだ。

 映画版ヒロイン?しらんな。私はさつきちゃん派だ!

 

 そのためになるべく原作通りに行動してみたが一向にタイムスリップができないことはもう忘れよう。きっと時代が悪いのだ。ハドリアヌス帝の時代になれば私もタイムスリップを習得できるに違いない。それにしてもハドリアヌス帝はいつ皇帝になられるのだろうか?早くあなたが皇帝にならねば私はローマに殺されてしまいます。

 

「あ、ルシウスだ!余に会いに来てくれたのだな!」

 

「ぬ!出たな自称皇帝娘!」

 

「自称じゃないもん!本当だもん!」

 

 この金髪の触角を揺らしている小娘はネロといって私が宮殿に来ると毎回じゃれついてくるよくわからない子供だ。自分のことを次期皇帝とか大言壮語をほざいている侮辱罪まっしぐらな妄想癖を持っているやばい奴である。私は心が広いから内緒にしているが、他の人に聞かれたらおまえ首がないぞ!

 

 しかしネロとはまた不吉な名前である。何をしたかは知らんがローマ史上に名を刻んだ暴君と同じ名前とかこんなのネロちゃんがかわいそうだよねぇ!まあ、こいつが皇帝になる確率なんてまったくないので安心だ。

 

 ネロ帝が女なわけがないもん!



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ネロ帝は女に決まってるだろ!慈悲はないのですか!?

予想以上の反響でガチでビビっております。何が読者をここまで駆り立てるのだろう()


 ネロ・クラウディウスにとってルシウスは気に食わない男であった。

 

 生まれて間もない頃から知識と才能に優れ、国中にテルマエを建設した天才浴場技師。

 自分とは違い誰からも愛されている。そう思うと気に食わなかった。

 

『あれがネロか。あのアグリッピナの娘なのだろう』

 

『グナエウスが父親と聞いたがそれも本当かどうか怪しいものだな』

 

『末恐ろしい。いずれネロも母親と同じになるだろう』

 

『ああ、ネロは怪物だ』

 

 私は誰にも愛されたことはないのだから。

 

 初めて彼の作品を目にしたのは宮殿をこっそり抜け出して噂の浴場に赴いた時だった。脱衣場に入った瞬間から私はローマの建築様式からではまったく考えられないものを見て驚愕する。籠の脱衣入れ、大きな姿鏡、喜劇のポスター。今までにはない斬新さでありながらどれも無駄なく機能的だった。

 

 浴場に入るとそこには見事なヴェスビオス火山が描かれた壁画が来訪者を出迎える。

 普段は騒がしい浴場も雄大な自然に魅了された人々は物静かに語らっていた。私も湯に浸かりながら壁画を改めて眺める。雄大なヴェスビオス火山、波風を感じさせるナポリ湾、そして青く生い茂る松。こういうのを人は風流というのだろう。珍しく私の心は落ち着いていた。市街の人工物から隔絶された自然の空間の中でこそ人はくつろげるものなのかもしれない。

 

 風呂を上がると売り子の前に行列ができていた。聞いたことがある。なんでもフルーツ牛乳という飲み物があり、風呂上がりに飲むのが格別だとか正義だとか。売り子が丸い枠のようなものがついた針金を使いガラス瓶のふたをきゅぽんと取り外してフルーツ牛乳を手渡す。

 

(雪のように冷たい!キンキンに冷えている!これはありがたい!)

 

 手に伝わる冷たさに驚きながらも恐る恐る口に運び飲み込む。

 

 ごくり。

 

「くっ!?」

 

 ごくごくごくごくごくごくごくごくごくごくごくごくごくごく!

 

 口の中に広がる牛乳のまろやかさと果物の爽やかな甘みとコク。驚くことにまったく乳臭くない。牛乳とは果物の果汁を入れただけでこれほど化けるものだったのか!?

 何よりこのキンキンに冷えた液体が喉を流れる感覚が何とも言えない。湯上がりの火照りと部屋の熱気で息苦しい体に染み込んでくる!体に!

 まるで依存性のある麻薬だ。このフルーツ牛乳一本のためなら強盗だっていとわないだろう。

 

 気づくとネロは腰に手を当てた状態でフルーツ牛乳を飲み干していた。

 

(恐るべしルシウス技師!次期皇帝である余を籠絡しようとは!)

 

「フフ……へただなあ、お嬢ちゃん。へたっぴさ……!欲望の解放のさせ方がへた……!」

 

(なんだこの平たい顔の奴隷は!?)

 

 今思い返してもあの平たい顔の奴隷はなんだったんだろうとネロは思う。

 とにかくその瞬間からネロにとってルシウスは油断できない気に食わない男に変わった。それからネロは以降の建造物すべてを回った。

 

 家庭用簡易風呂は庶民には画期的で歩くのが難しい老人も使える。

 露天風呂は自然の中でゆったりとくつろげ、温めたワインと温泉卵が合う。

 温泉街は多くの人で賑わい、ものの売り買いが盛んに行われていた。

 ナイル風浴場は遠い異国に迷い込んだと思わせられ、密林の植物に実ったバナナがうまい。

 スライダー式浴場は初めは怖かったが、そのスリルが病みつきになる。

 木製樽浴槽は持ち運びと組み立てやすさから遠征中の兵士たちにとても喜ばれていた。

 

 浴場だけでは無くハーブの精油で香りづけされた石鹸やオリーブから作ったリンス、豚の尾の毛歯ブラシや炭の歯磨き粉なども開発。美しさに磨きがかかるという触れ込みで女性貴族の間で広く広まった。

 

 ルシウスのアイデアはネロの予想外のものばかりであり、常にローマ市民たちを喜ばせている。ネロはこの時から、あるべき皇帝像のようなものをルシウスに見出だしたのかもしれない。

 

 ネロにとってルシウスは気に食わないが尊敬に値する人物になった。

 

 初めてルシウスと顔を合わせたのは宮殿の庭だった。アグリッピナがルシウスを呼び出したと聞いて一目みるために足を運ぶと、中庭でいかにも疲労困憊といった感じの男が若干前かがみに立っている。アグリッピナと会った男は大抵頬は赤く陶酔した面持ちになることが多いが、ルシウスの反応は珍しい。だが、ネロはようやく会いたかった人物と対面できたのでそんなこと気にも止めずに興奮しながら名乗り上げた。

 

「かの名高いルシウス技師であるな?余は次期インペラートルカエサル!ネロ・クラウディウスである!さあさあ、面を上げてくれ!」

 

「ムリ」

 

 ネロは思考が停止した。

 

(気のせいだろうか?今『ムリ』と聞こえたような気がしたのだが)

 

 それからしばらくしてようやくルシウスは面をあげた。

 年齢は三十代後半というくらいで、成熟し始めた大人の男という雰囲気だ。その上無骨でいかにも職人気質。美丈夫だが軟弱な優男ではなさそうだった。

 

(この様な男が弱音を吐くとも思えぬ。きっと聞き間違いであろう)

 

 ネロは再び声高々に名乗りを上げた。

 

「余は次期インペラートルカエサル!ネロ・クラウディウスである!」

 

 ドヤ顔でふすんふすんと触角を動かすネロを他所に今度はルシウスが思考停止した。

 インペラートルとは古代ローマにおける命令権の絶対保持者。カエサルとは後の帝政ローマを築いたガイウス・ユリウス・カエサルその人であり、その名は今も君主号として使われている。つまりこの娘は自分は次代のローマ皇帝であると言っているのだ。しかし当時のローマで女が皇帝になるなんて考えられるはずもなかった。だからその後のルシウスの反応は正当化できるものではなかったが至極当然のものではあった。

 

「…ふっ」

 

(鼻で笑った!?)

 

 やはりネロにとってルシウスは気に食わない奴になった。

 

 その後も顔を合わせるたびにネロは自分が次期皇帝であることを告げたが、ルシウスの反応はまるで手のかかる娘をあやす父親のそれだ。それでも宮殿内で微妙な立ち位置ゆえ不干渉を貫いてきた者たちと比べれば真面目で真摯に対応してはいた。まあ、次期皇帝に対する礼はまったくなかったが。

 

 ネロが作り上げた芸術品や建築の構想はいつも粗を見つけてはダメ出し。その容赦のなさは初対面のセネカが優しく思えるほどだ。ネロは毎晩ルシウスを想ってベッドを濡らした(涙)

 次第に自信もなくなっていき、自分は皇帝に相応しいのか思い悩むようになる。

 ローマ市民の誰もがルシウスの功績を称え、彼を愛している。そんな彼らの間に自分が入る隙なんてまったくないのではないか?

 

 自信作の黄金宮殿の設計図をダメ出しされたその日、ネロは泣きながら初めて自身の弱音を吐露した。

 

「やはり余は皇帝になる器ではないのだ!みんな影でルシウスが皇帝になればいいって思ってるんだ!うわーん!!」

 

 これには流石のルシウスも周りからの視線で居たたまれなくなったのか、ネロを連れ出し宮殿から飛び出した。守衛たちはネロ様ファイトと内心ガッツポーズ。見送りさよならストライクである。

 

 ようやく落ち着いたネロは目を擦り、周りの光景を見てルシウスに尋ねる。

 

「ここはどこだ?まさか余は異国に迷い込んだのではないだろうな」

 

「残念ながらここはローマだ。宮殿からはだいぶ離れた場所の区画だから見たことはないのだろう」

 

「何?だがここは……うっ」

 

 そこはまるで掃き溜めのような場所だった。

 道幅は狭く高く連なった民家が日を遮り深い影を落としている。そのせいか空気が重く沈み、ゴミのような匂いが充満していた。ネロは思わず口元を抑える。

 

「なぜこうも歪に建物が並んでいるのだ?」

 

「ローマ市民の増加に伴って建築技師の手が足らなくなり、市民らが中途半端な知識で建造し始めたからだ。責めてはならない。彼らはただ雨風を凌げる場所が欲しかっただけなのだから」

 

 たしかにローマでは他部族や他民族、解放奴隷に市民権を広く与えている。ネロは国民が増えればその分だけ国は強大となり繁栄していくのだと思い疑わなかった。しかしそのせいで市民たちが苦しい思いをしている。

 

(なぜ余は、こんな簡単なことにすら気付けなかったのか!)

 

 今までローマが完璧なものであると信じて疑わなかったネロにとってそれは大きなショックだった。だがそれは悲しみの渦の入り口でしかないことをネロは知る。

 

 ルシウスが『おいで』と声を上げると路地裏から彼らは現れた。

 髪はボサボサでフケだらけ。顔は煤で汚れ灰色。服は所々破れとても見窄らしい身なり。体は皆痩せ細り肋骨が浮き出ている者もいる。

 そして誰もがまだ幼い子供たちだった。

 

「あー、るしうすしゃまだぁ」

 

「またよみかきのじゅぎょう?」

 

「その前に食事だな。新入りにも配るといい」

 

「わーい、るしうすしゃまだいしゅき!」

 

「えーい!服を引っ張るな伸びるだろうが!」

 

 子供達は皆ルシウスに懐いているらしく、ルシウスはあっという間に彼らに囲まれていた。

 子供達の何人かは木の板の様な物を首からぶら下げ、板にはたどたどしい字が書かれている。どうやらルシウスは彼らに読み書きを教えていたらしい。

 

(これは誰だ?本当にローマの民なのか?)

 

「ル、ルシウス。何なのだこの子供達は?なぜ皆こんなにも貧しいのだ?」

 

「それは彼らが孤児だからだよ」

 

「馬鹿を言うな!ローマ市民権はローマ人であれば誰しも持つ特権!金や服やパンの支給がされるはずだろう!?」

 

「だからその市民権を彼らは持ち得ないのだよ。親類や親の顔も見たことがない幼子は出自が特定できない。おそらくローマ人ではあるのだろうが、不確かな者は市民権を得ることができない。そして、いずれは奴隷商の商品として市場に並ぶことだろう」

 

 ネロは足場がなくなった様な思いだった。

 

 ああ、これがローマなのか。

 世界の中心、歓楽の都と誰も信じた国。だが実際は中から腐り始めている。

 貴族の腐敗。元老院の腐敗。そして国の腐敗。

 甘く熟成した匂いにも思えるが、腐りすぎるとそれはすっぱい刺激臭となり人を苦しめる。だが人は酩酊してその事実には気付けない。

 

 何のために今までお忍びで外へ出た。好奇心やお遊びではない。ローマを知るためだったのではないのか?それがどうだ、まるでわかってなかった。これでは宮殿の中でぬくぬくとしていた連中と同じではないか。

 

 つまるところ私は知ったかぶりをしただけの小娘であったわけだ。

 

 やはり私には皇帝は務まらない。

 

 崩れ落ちそうになる体を受け止めながらルシウスは言った。

 

「私も孤児だったのさ」

 

「何!?」

 

 唐突な事実にネロは驚愕した。

 ルシウスの出生を知る人間は彼の師匠と兄弟子、母のアグリッピナだけだったのだ。

 

「知っているか、孤児が路地裏から出るとどうなるか」

 

「……?」

 

「私がまだ孤児だった頃、町の灯りに誘われて市場にでたことがある。市場は人で賑わい誰も笑顔で暖かな場所だった。しかし私を見た瞬間、誰もが野良犬を見る様な目を向けるのだよ」

 

「そんなっ、だって」

 

「人を人たらしめるのは貧富や身なりではない。だが、どれも大切なものではある。伝説の浴場技師だなんて呼ばれている私もな、人波の中を歩ける様な、ただの人になりたくてこれまでがむしゃらに走って来たのだ」

 

 ネロは幼少期のルシウスを想像して涙した。

 雪の降る星空の下、路地裏で蹲り寒さを凌いだのだろう。

 空腹の中、市場の料理の匂いを嗅いだのだろう。

 街角を歩く親子の姿を見て人肌恋しくなったのだろう。

 

 ネロは過去の己を恥じた。

 才能や知識がないから勝てないなどと不貞腐れていた自分を引っ叩いてやりたい。裸一貫でこれまで頑張ってきたルシウスのなんと立派なことだろうか。

 

「ネロよ。そなたはその齢にして私が浴場技師として成功した域に届いている。私はここまで三十年かかったが、生まれながらに才と財力を備えたそなたなら数年で追い越すだろう」

 

「ルシウス……」

 

「もしも、もしもそなたが皇帝になるようなことがあれば、誰もが人として暮らせる国をつくってほしい――次期ローマ皇帝よ」

 

 この一言でネロは確信した。

 ルシウスはネロが次期皇帝であることを知っていたのだ。それどころか誰よりも信頼していたのだろう。今まで辛く当たってきたのは彼なりに理由があるに違いない。

 

「ルシウスよ!余は、余は必ず良き国を作るぞ!」

 

 この瞬間からネロにとってルシウスは……やはり気にくわない相手だった。だって、ルシウスが他の女と話しているとなぜか心がモヤモヤするのだ。おかげでまた毎晩ルシウスを想ってベッドを濡らしている。ネロはその感情の正体はまだ知らないが、側からみれば丸わかりなので密かに彼女の初恋は応援されているようだ。

 

 数ヶ月後、ネロは皇帝に即位し、案の定アグリッピナの子供でその上女に皇帝が務まるかと民衆は激怒した。しかしネロが最初に行ったルシウスのこれまでの功績を称えるため作った”国家浴場技師”という特別な役職を与えたことで『中々話のわかるやつだ』と手のひら返し。ちなみにこの役職は後にも先にもルシウスだけのものだった。

 さらにルシウスの生涯を劇にして公演。初公演は当然満員で会場の外で劇を聴く者まで現れる。というかローマ中の市民が集まり外から来た商人や旅人が無人の街を見てローマが滅ぼされたのではないかと一時期噂が立ったりした。

 なんとルシウス役にはネロが立候補し、その真に迫った演技と恋に向かって突き進む姿に多くのファンを獲得する。これがのちの宝塚の起源だったりする。

 

 後世においてネロは劇王、ルシウスは王の書き手と呼ばれるようになり、二人の熱い信頼関係から多くの小説、演劇のモチーフとされることになる。まあ、後世ではなぜかネロは男になっているので高確率でBL物になることはお口チャックが慈悲である。

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウスは絶望していた。

 自称次期皇帝だと思っていた小娘が本当に皇帝になった件について。うせやん、何で女が皇帝になってるの?え、私が法?アグリッピナさまほんと政治的権力ないのよね?

 

 ネロ帝かぁ、なんかしっくりくる名前だなぁ。確かあれだろ、趣味の芸術に国庫の金使ったり、キリストを虐殺したり、民衆に叛逆されたりするんやろ?いやぁ、乱世乱世ですね!はははは………………。

 

 

 

 いやあああああああああああああああああああああ!!!!!

 

 

 

 

 やだ!やだ!小生やだでござる!

 そんな世紀末モヒカン肩パット族が蔓延る北斗の拳世界なんて冗談じゃないぞ!こうなったらギリシャあたりに逃げてテルマエ聖闘士星矢になるぅ!そう思った矢先に国家浴場技師とかいう役職で私をローマに縛り付けやがって!この国家浴場技師という制度自体がおそらく私という人柱を選ぶためのものなんだろ!?くそ、ローマが私を離してくれない!ヤメローシニタクナーイ!シニタクナーイ!シニタクナーイ!

 

 くそ、やるしかないのか。不合理こそ博打、それが博打の本質不合理に身をゆだねてこそギャンブル!地獄の淵が見えるまで倍プッシュだぁ!

 

 そして国家浴場技師として初めての仕事は私をモデルにした劇の脚本。いや、それ誰得なのと思ったが上目遣いのネロちゃまに頼まれて思わずイエスマンになった私。その後期限が今日までと知らされて『あのビチグソがああああ!』と血反吐を撒き散らしながら脚本を書き上げた。物理的に心血を込めたぞ。

 

 そしていざ公演になると安室奈●恵の最後のライブ並みに人が来るわ来るわ。ひぇ、ひとがゴミの様だぁ。

 

 みなさん私の孤児編のはじめの語りから号泣なさってハンカチの売り子まで出る始末。感動なさってるけどあれ全部ネロちゃまのアドリブで美談になってるだけだからね。だから私が妻に逃げられた話をそんな韓流の恋愛ドラマ的なストーリーにするのやめてぇ!アニョハセヨもカムサハムニダの一言もなく夜逃げされただけなのに!

 

 孤児を弟子にしてるのだって雇い賃安いし、私と弟子たちの仕事の報酬が結局は全部私の懐に入るからという割とせこい考えなのだ。

 まあ、実際は孤児にしては待遇がそこらの一般市民よりも良く、過分に生活費や給金を支給していることを現代脳なルシウスは理解していない。おかげで弟子たちはルシウスに永遠の忠誠を誓っている。もしルシウスが『君たち、もう独り立ちしていいよ』と言ったとなったら阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれることだろう。

 

 こうしてネロちゃまのアドリブ95パーセントのおかげで公演は大成功。あれ?本当に私の脚本必要でした?(血涙)

 

 しかし大成功したせいで続編を望む声が多数届く。いや、現在進行形で私の人生それしかないんですが?このままでは市民らの不満が爆発してどうなるかわからないということで私は続編を書かされた。まあ、ノンフィクションのネタがないから私の人生の二次創作的なものということでとりあえず考えたが、素人の私にいい物語が書けるはずもないので知ってる漫画や映画の作品をぱく、げふんげふんリスペクトさせてもらったおかげでいまは【ルシウス銀河英雄伝32・ターミネーターVSコマンドー編】『我ら生まれた日は違えど死ぬときはフォースと共にあり!出しなぁテメーのニワトコの杖を!』というカオスになり果てている。私の人生、ここまで分厚くない(真顔)

 

『ルシウス!私がお前の父親アバダケダブラぁぁぁぁ!!!』

 

『嘘だぁ!!やろうぶっ殺してエクスペクトパトローナム!!!』

 

「うう、まさかあのダルズベルダ卿がルシウス様の父君だったなんて、なんたる運命だろうか!」

 

「カンヌー、リュビール、チョウヒーンが次々倒れていく中で、あの屈強なカラクリ人形までもが火口へ落ちてしまって涙が止まりません!」

 

 皆さん泣く要素本当にあるぅ?私にはネタが多すぎてタグに困る動画を見ているような気分なんだが……。

 

「さすが余のルシウス!今回の興行も大成功だな」

 

「そうですねネロ。ですが、そのような発言は誤解を招くのでおやめなさい。ねえ、ルシウス?」

 

「む、母上こそルシウスにくっつきすぎではないですか?」

 

 いや、両方ともくっ付きすぎて私プレス機に掛けられてる肉みたいになってるからね。

 あれか。幼いネロの才能に嫉妬して今まで理不尽に難癖つけてたがそれの恨みか!

 

「こらぁ!ルシウスも母上にデレデレするでないわぁ!」

 

 うごごご!腕の骨が折れるからぁ!やはりローマは私を全力で殺しに掛かってるやんけぇ!!!

 

 

 

 ――ハドリアヌス帝よ、早くお生まれください。ルシウスはそろそろ死ぬかもしれません。



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女が王様になれるわけないだろ!いい加減にしてください味噌汁でも飲んで!!

1話投稿したら評価青、2話投稿したら評価緑、3話投稿したら?()

こはやさん、吉野原さん、骸骨王さん、クオーレっとさん、佐藤東沙さん、たまごんさん、ジャック・オー・ランタンさん、黄金拍車さん、EXAMさん、kuzuchiさん誤字報告ありがとうございます。


 とある別邸にて元老院議員たちが集まり議論していた。

 元老院とはもともと執政官の諮問機関であったが、知恵を蓄えた者たちが増えると圧力を持つようになり、時には皇帝にも意見するようになる。いつからか元老院までもが裏の権力者と成り果て、権力を笠に着た行為が横行するようになった。

 しかしネロが皇帝になってからというもの、不正を行っていた元老院議員のほとんどが粛清され長い緊張状態が続いている。元老院と協力関係にあったアグリッピナも近頃ではあの強い権勢欲がなりを潜め頼りにはならない。

 

 その上【ルシウス銀河英雄伝82・ 二人はテルマエ!シンデレラガールズフェスティバルバンドパーティ!】『闇の帝王の復活!帝王はこのディアブロだ!来いよ闇の帝王、格の違いを見せてやる!』が公演され、アボッカドとアボッカドが賄賂を受け取ったせいで殺された同僚の再会シーンで『やっぱり賄賂とかクソだわ』という風潮がローマに広まり、小役人でさえ元老院に屈さず『だが断る』とキメ顔でいう始末。古代ローマにも広がる黄金の精神。流石荒木作品。

 

「近頃は我らも肩身が狭くて仕方がない。昔は良かったことも今ではだめだとうるさくてかなわんな」

 

「日増しにネロの権力は増していくばかり。これも全てあの男のせいだ!」

 

 元老院にとってルシウス技師という者はまるでバケモノのような存在だった。ネロが即位する以前から民衆から絶大な民心を集めるこの男の存在を危惧していた元老院議員たちは、過去に何度も暗殺を企てたことがある。

 

 ある時は盗賊の住処へ送り出したが、なぜか盗賊たちを従えてそこを快適な温泉街に作り変えた。

 

 ある時は反乱を起こした属州へ送り出したが、なぜかそこで湯の源泉を掘り当て反乱をおさめた。

 

 ある時は暗殺者を直接送ったが、暗殺者が寝返りルシウスと結婚してしまった。

 

 すべての暗殺計画を斜め上の方法で躱していくルシウスに元老院たちは恐怖した。矛先が自分たちへ向くことを恐れた彼らは傍観者となりルシウスを監視する。実際、彼の発明は実用的なものが多くローマに多くの利益を生み出しているのだから消してしまうには惜しい。

 

 ネロから国家浴場技師の案を諮問された時もかなり悩んだが、この役職はこれといった権力もない『皇帝の意思の下にテルマエを建設する。またはその他の発明をする』という建前のようなものだったから了承したのだ。あわよくばルシウスに集中する民心がネロに向けばいいとも考えた。しかし思えばこの頃から全ての歯車が狂っていた。初めの事業が演劇の興行など誰が考えられただろうか。

 

 始めはただルシウスの生涯を描いた作品も続編ではあらゆる文化と思想が入り乱れたプロパガンダとなり、いま民衆は明らかに影響を受けだしている。しかし止められない。なぜならこれは皇帝の意思によるものなのだから。まさに悪魔的策略。

 

 鉛は有毒だと知られ鉛製の食器や水道管は全て銀製や鉄製のものになった。

 

 どちらかが死ぬまで拳闘していたコロッセオもスポーツ的な催しが増え、試合後には選手同士が互いを讃え合うようになった。

 

 貴族間で流行だった嘔吐剤*1や食事会用の使い捨て衣服*2も無くなり、珍しいものよりもうまいものを食べることが権力の指標になった。

 

 寝ながら食べるスタイルもなくなり、テーブルについてナイフとフォークで食事するようになった。

 

 肉食系だったローマ女もおしとやかでつつしみを持つほうがモテると分かって男漁りをやめた。

 

 今まで食べられないと思われていた食材が流通するようになり、醤油や味噌などもローマで親しまれるようになった。

 

 もはやローマがルシウス一色状態。

 元老院議員たちはナイフとフォークを使い、うなぎの蒲焼を食べながらうんうん唸っていた。

 

 そもそも国家浴場技師という称号自体が悪魔的だった。ルシウスの事業、発明が成功すればそれは皇帝の偉業でもある。しかしそれで逆にルシウス×ネロ=皇帝の偉業という公式が人々の中で定着。一方に威光が集中するのではなく二人の力が合わさり共に膨れ上がる。気づけば、ネロと共にルシウスの権力が増すようになる悪循環。

 

「いま思えばあの瞬間から奴の術中に落ちていたのだろう。演劇の他にも新たな浴場の建設、入浴用品の開発、食の革命。以前より精力的になりローマに多くの利益をもたらすが、日が経つに連れて英雄扱いだ。実際の身分としては庶民と大差ないくせになぜこうなった」

 

「その利益を生むというのが実に厄介だ。奴のやることなすこと何もかもが成功する。奴に勧められて皇帝が食事中に嘔吐剤や酒をやめてねぎや生姜やはちみつを食べるようになってから歌声が美しくなったらしいではないか」

 

「なに!?あの歌声で飛んでる鳥に泡を吹かせて地に激突させるような音痴が治ったのか!?」

 

 むかし宴会でネロの歌を聞かされた元老院議員たちはその衝撃の事実に生唾を飲む。

 ルシウス・クイントゥス・モデストゥス、やはり恐ろしい男だ。

 

「ローマの権力を掌握される前にルシウスを潰すべきだ!」

 

「だが奴はからくり人形シュワチャン並みにしぶといぞ。並大抵な方法ではまた以前のような結果に終わるだけだ」

 

「何、策はあるとも。奴をイケニに送ってやるのさ」

 

「あぁ、東ブリタニアの部族か。たしか皇帝との共同統治を願い出ていたな……はん、馬鹿馬鹿しい!我らローマがバーバリアンと手をつなぐなどありえんわ!」

 

「初めから断るつもりだったがルシウスにはこの書状と共にイケニに赴きこの内容を読み上げてもらう」

 

 書状の内容を見て皆が顔を歪め腹の底が煮えるような思いになった。

 その書状には甚だ穏当さを欠く要求と誰もが逆上するような侮蔑の文句が書かれていたのだ。

 

「なるほど、イケニはあの一度怒ると手のつけられんケルトの血が流れているという。さしものルシウスも無事ではおれまいよ」

 

「ルシウスがイケニに殺されたとなればローマとの戦争は必至。しばらくは両国とも混乱期になる。なぜルシウスがイケニで死んだかなど、うやむやにできるだろう」

 

 元老院議員たちは妖しげに笑いながらうなぎを頬張る。

 元老院議員たちの懸念もあながち間違いではない。ぶっちゃけるとルシウスには政治的な能力が一切ないので彼が権力を掌握した瞬間ローマは数ヶ月で滅ぶことになる。

 

 やはり憎むべきはルシウス。がんばれ元老院!ローマの未来は彼らにかかっている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、邪悪の化身ルシウスはしつこい宗教勧誘に絶望していた。

 勧誘に来てるのはとなりの家のペトロさん。あなたペトロっていうのね!

 

 このペトロ、『おかず作りすぎちゃったのでお裾分けです』とルシウス家に入ると『で、いつ入信するんじゃ?』と入信を勧めるめんどくさいおじいちゃんだった。

 

「ルシウス殿、どうか私と共にイエス様の尊い教えを広めてはくださらんか?」

 

「だが断る。このルシウスが最も好きなことのひとつは宗教勧誘、訪問販売、N●Kの集金に「No」と断ってやることだ。とっととその肉じゃがだけ置いていけ」

 

 この男、平然と名言を宗教勧誘の断りで使う漆黒の精神だった。

 

「なぜですか?あなたは主の存在を信じているはずだ」

 

「ペトロ殿、確かにわたしは神の存在を知っている。だがそれと信仰は別のものだ」

 

 正直ルシウスは今現在神に振り回されている身として触れたくない部類の話題だった。しかし、ペトロも引き下がることはできない。数々の奇跡を巻き起こすこの男がかつてのキリストと同じ何かを持っているように見えて仕方がなかったのだ。

 キリストが存命だったらこう言っただろう。ペトロよ、眼科いけ。

 

 不意に戸を叩く音が響く。こんな時間に何者だろうと二人が首を傾げていると元老院からの使いの者が書状を届けてきた。

 

「なになに?これより東ブリタニアへ赴きイケニ族の集落にて書状を読み上げてほしい。この書類は政治的に非常に機密性の高いものであり指定した場所以外での開封を禁ずる。また、皇帝の希望にて現地で地質調査を行い源泉があるならば新たな保養地を建設すべし」

 

「ルシウス殿、これは……」

 

「うーむ……」

 

 二人ともこの書状がかなり怪しいと感づいてはいた。ルシウスとて何度も暗殺を経験した男。十中八九これが罠だとは気付いている。しかしルシウスはどこか晴れ晴れとした表情で決心した。

 

「ペトロ殿、わたしは行くつもりです」

 

「ルシウス殿!」

 

「たとえ罠だろうと、浴場技師には行かねばならん場所があるのです」

 

 その横顔がふとゴルゴダへ行かれたあの人と重なる。

 

(ああ、やはりこの方はあなたと一緒です)

 

 ペトロは死地へ赴くルシウスの後ろ姿に在りし日のキリストの姿を思い出し涙した。しかし実際は最後の一文の『これは多忙であるそなたの休暇も兼ねている。現地にて心身を休めると良い』という言葉に釣られてまんまと罠にかかっただけであった。

 

 その後ルシウスは数十人の兵士と共にブリタニアに向けて馬を走らせた。兵士たちは全員元老院側の手先であり、もしものことがあればルシウスを殺すように命令されている。旅中もルシウスを監視していたが皆が彼の隙のなさに感服した。実際は早くブリタニアに着かないかなと、遠足前日の子供みたくそわそわして眠れなかっただけだ。

 

 五日ほどしてブリタニアに着くとルシウスはイケニ族の集落へ赴いた。始めはローマ兵に警戒していた彼らも、ルシウスの礼儀正しい姿勢に軟化し快く彼らを迎えた。だがルシウスの内心はアグリッピナよりも激しく露出したビキニアーマーのイケニ族に対し畏怖の念を抱いていたのだ。

 

 しばらくすると赤髪を靡かせ白いマントを羽織った女が幼い女子を二人つれてやって来た。

 

「やあ、お客人方。私がイケニ族の女王ブーディカだよ」

 

(流石イケニの女王。今までで一番際どいビキニにその上マントとはファッションセンスまさに蛮族である)

 

「な、なんだいじっと見ちゃって……恥ずかしいからやめてよぉ」

 

 この瞬間の出来事を後世の歴史家や小説家はルシウスがブーディカの美しさに言葉を失ったと記しているが、わりと失礼なことを考えていたのは誰も知らない。

 

「長旅で疲れているようだね。食事でもどうだい?」

 

 そう言われてみればなんともいい匂いが漂ってくるではないか。見ると集落の中央に大鍋が火にかけられ、葉野菜や豆が煮込まれているようだ。しかし兵士たちは文明人たるローマ人が蛮族の食事など食えるかと嘲笑する。

 

「ふん、バーバリアンの食事など…」

 

「頂こう」

 

「ルシウスさま!?」

 

 この男、ローマ人の誇りはなかった。

 兵士たちは蛮族に囲まれた中で平然と食事できるルシウスの豪胆さに恐れ慄いたが、この男は理性より食欲が優っただけの畜生である。あとから『やべ、ブリタニアって後のメシマズ大国のイギリスやん』と気づいて後悔したのは自業自得であった。

 

 案の定料理は味の薄い調味料なしの出汁味オンリーの鍋のようなもの。塩とか魚醤なんて高価な調味料が僻地にあるわけない。しかし食の革命家ルシウスに抜かりはなかった。懐から味噌の包みを取り出し『オソマ(味噌)入れたらもっと美味しくなるんじゃない?』と熱い味噌推し。初めは『そんなウンコみたいなもん入れるな!』と憤慨していたイケニ族も恐る恐る飲んでみると『オソマ美味しい!』と味噌ジャンキーに変貌した。旨味の相乗効果ってほんとすごい。

 

「ルシウスさま、これを」

 

 我に返った兵士から渡された書状を受け取るルシウス。しかしすぐには読み上げなかった。珍しく何か思い悩んだ様子だ。

 実はルシウス、本番で噛んではいけないとこっそり書状を開封して読んでいたのだ。しかし見てみれば書状の内容は『娘二人を相続人にする?女が王になれるわけないだろ!いい加減にしろ!亡きプラスタグス王の継承者がいないならお前の国は俺のもの!テメェのおふくろのケツにキスしろ!』を10倍きつくしたような内容だった。蛮族とはいえオソマを通して仲良くなった同士にこれは言えなかった。『そもそもうちのお国の王様は女やん。支離滅裂ぅ!』と混乱して思わず書状を破くルシウス。さらば数ヶ月も元老院が頑張って考えた書状。

 

「ル、ルシウス殿!ご乱心なさったか!」

 

 その通りだった。

 後から『やべぇ!』と思い書状の内容を思い出そうとするが正確には思い出せなかったのでざっくりとした説明をし始める。

 

「どうやら皇帝は共同統治を望んではいないようだ。それどころかそなたらの国を奪うかもしれない」

 

 それを聞いてざわつき始めるイケニ族。臨戦態勢に入るローマ兵士たち。

 だがルシウスが片手を挙げると不思議と全員が静まり返った。

 

「わたしにいい考えがある。それには時間と労力がいるがそなたらに覚悟はあるか?」

 

「あ、あんた一体何者だい?」

 

「私はローマ大帝国国家浴場技師ルシウス・クイントゥス・モデストゥス」

 

「まさか、あのルシウスなのか!?」

 

 実はこの男の武勇伝はローマだけではなく近隣諸国まで轟いていた。なぜこうも広く浸透しているのかというと、昔からやらかしていたのでまたあいつか的な感じですぐ広まってしまったのだ。奴隷の頃に師匠に付き従い諸国を回ってたあたりからわりとやらかしていたが、浴場技師になってからエスカレート。国家浴場技師になってからはもう伝説の大安売りになっている。

 

 とある老婆が言うにはこうだ。

 

『その者白き衣を纏いて金色の湯に降りたつべし』

 

『その者の歩いた地からは枯れることのない湯の源が湧き上がるだろう』

 

『その者は湯の化身。悪人が触れれば善人へと清められ、すべての争いは灌がれる』

 

『人は頭を垂れて彼の国へ行くだろう』

 

 本人に自覚がないだけで大体この内容通りだからひどい。いずれこの老婆の言葉が遥か未来まで語り継がれるなど誰も想像はしないだろう。しかしそれは彼の伝説の1ページでしかないことを、これからイケニ族と兵士たちは知ることになるのだった。

*1
ローマの貴族はお腹いっぱいになったら嘔吐して空腹になり、またたくさん食べるのが日常でした。

*2
食事の時だけ着る使い捨ての服を着用していたらしいです。貴族間で散財するのがある種の美徳のような風潮があったせいかもしれません。



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女の子はいつだってアイドルなんだから!バスケットボールしようぜ!!

 ブーディカにとってルシウスは変わったローマ人だった。

 ローマ人と言えば異人には横柄で、自分たちが世界の中心にでもいると思っている。私たちにとって世界はこの森と川と人々の平穏なのだ。ローマ人は私たちの世界を当然のように搾取していく。彼女にとってローマこそ侵略者という蛮族だ。

 

 夫の遺言だった娘二人の王位継承と、皇帝との共同統治だって成功するはずもないとブーディカは密かに思っていた。それでもあの夫には、今のローマに何か感じ入るものがあったのだろう。

 

『ブーディカ、それでも私は見たのだよ。あの幼いローマ人奴隷の黄金の精神を』

 

 夫の最後の言葉はいつもの口癖だった。夫は昔、旅の哲学者と出会いそこでローマ人奴隷の少年と会ったのだという。その少年は幼くも多くの知識と才能を持ち、人種に関係なく慈悲深い少年で不思議とその少年が歩いた諸国の大地からは温泉が湧くのだと言う。今までブーディカは泉で水浴びをしていたので、湯というものを知らなかった。湯とはどんなものか夫に尋ねたことがあるが『入ってみなければわからんだろう』と笑うばかりで詳しくは教えてくれなかった。

 

 ある日、数十人のローマ兵たちが皇帝の返事を持って集落にやって来た。ブーディカは焦る。イケニ族は基本は温厚だが一度怒ると手がつけられない。下手に出ると付け上がるローマ人とはひどく相性が悪いのだ。

 

 最悪の状況を予想したが、とあるローマ人を中心にイケニの戦士たちが楽しそうに語らっている。ブーディカは安堵し、同時にまるで共に苦行を乗り越えた20年来の親友のように肩を組み合っているローマ人に何か期待のようなものを抱いた。

 

「やあ、お客人方。私がイケニ族の女王ブーディカだよ」

 

「……」

 

「な、なんだいじっと見ちゃって……恥ずかしいからやめてよぉ」

 

 そのローマ人はブーディカを見るとまるで感服したような視線を投げかけた。その豊満な肉体美ゆえに男からの視線は慣れていたが、それらのものとはまた違った畏敬の念がこもっているように思える。

 

「ねぇねぇ」

 

 長女のエスィルトと次女のネッサンがブーディカの背中を小突く。

 

「きっとあの人、お母さんに一目惚れしてるのよ」

 

「ほれ!?もう、やめてよ!私なんか未亡人だし良い年したおばさんよ!」

 

「お母さんまだ若いし行けるって!向こうも同じくらいの年っぽいしお似合いなんじゃない?」

 

「もう!やーめーてーよー!」

 

 ルシウスがわりと失礼なことを考えている間にこっちはこっちで女子トークしていた。

 

「こほん、長旅で疲れているようだね。食事でもどうだい?」

 

 兵士たちはその言葉に嘲笑を浮かべた。おそらくローマ人が蛮族の食事など食べるかと笑っているのだろう。断られ笑われると分かっていても言うのがマナーだ。だが、あのローマ人はなんと戦士たちと共に卓を囲み私たちの出した料理を快く食べ始めたのだ。普通、こういう物は毒でも入ってるのではないかと疑っていくらかは躊躇するものだが、迷いなく食べる男の豪胆さにイケニ族は惚れ込んだ。

 

 しかしやはり文明人、薄味では物足りないようだった。ブーディカは申し訳ない思いだったが、これでもイケニ族にとってはご馳走だった。塩や魚醤なんて高価なものは中々手に入らない貴重品である。

 

 するとローマ人は懐から植物の葉っぱで包まれた何かを取り出した。葉の包みを開くとまるで糞のような物体が顔を出す。イケニ族は『うんこだ!』と慌て出した。それに対してローマ人は『うんこじゃねえよ。オソマ(味噌)だよ』といって勝手に鍋にオソマをぶち込む。激怒するイケニ族。しかしぷーんと広がるオソマのいい香りに釣られて一人のイケニの戦士が鍋を掬い濁ったスープを飲んだ。するとそのイケニの戦士は『オソマ美味しい!』と狂ったように鍋を食い始める。慌てて他のイケニ族も鍋を食べ始めて『オソマうまーい!』と狂ったように鍋を突いた。ブーディカ家族らも恐る恐る鍋の汁を飲むとまるで電撃が走ったかのような衝撃に震える。

 

(なんだ!?このしょっぱ過ぎず甘過ぎず……優しい旨味が鍋の味を調和する!)

 

 体を駆け巡る旨味物質。グルタミン、酸乳酸、ペプタイド、大豆イソフラボン。

 まさに味の数え役満!ロン!ロン!ロン!ロン!ロン!ロン!ロン!

 

「お母さんオソマ美味しいね!」

 

「ええ、そうね!」

 

 味噌を通して民族の垣根を越える絆。しかしイケニ族はオソマがアイヌ語で言うところのうんこの意とは知らない。

 

 ルシウス・クイントゥス・モデストゥス、人類史上初めて『うんこ美味しいね』と言わせた男である。

 

「……さま、これを」

 ローマ人に例の書状を渡されるが、完全にイケニ族はローマ人を信頼していたのでそれが吉報だと信じて疑わなかった。しかしローマ人はすぐには読み上げなかった。その深い葛藤にイケニ族は内容よりも彼を心配する。すると彼は慈愛の眼差しでイケニ族を一瞥すると、なんと書状を破り捨てるという暴挙に出た。

 

 慌てる兵士を他所に彼は私たちに告げる。

 

「どうやら皇帝は共同統治を望んではいないようだ。それどころかそなたらの国を奪うかもしれない」

 

 ブーディカは頭が真っ白になった。

 

(やはりだめなのか!私たちの国は奪われるのか!)

 

 イケニ族にも悲壮感が伝播する。ローマというよりは、このローマ人に裏切られたような気持ちが強かったのだと思う。彼と出会ったのはごくわずかな時間であったが、イケニ族にとってもはや親友だったのだ。

 

 だが彼は言った。

 

「わたしにいい考えがある。それには時間と労力がいるがそなたらに覚悟はあるか?」

 

 不思議と疑心や不安は浮かばない。むしろ待っていたと言わんばかりにイケニ族は歓声をあげた。

 

 たった数時間の付き合いしかない私たちのために皇帝の書状を破り捨て、圧倒的なカリスマで自分たちをまとめ上げる男にブーディカは名前を問う。

 

「私はローマ大帝国国家浴場技師ルシウス・クイントゥス・モデストゥス」

 

 それは今ローマ中を騒がせる中心人物であり、その名はかつて、亡き夫の口癖だった少年の名前だった。

 

(プラスタグス、私も彼を信じてみようと思う。彼の気高き覚悟とその黄金の精神を!)

 

 それからルシウスは辺りを見渡すと荒れ果てた大地まで行き足元を指差す。そこは不毛な大地であり、作物を植えてもすぐに枯れてしまう場所だった。イケニ族が困惑していると、

 

「とりあえずここを掘ってみようか」

 

 言われた通りにローマ兵とイケニ族が掘ると、丁度その場所から滝のような勢いで湯が湧き上がり雨になって彼らに降りかかった。イケニ族たちが呆然としているとローマ兵は思考をやめたような顔で『いつものことです』と親指を立てる。ルシウスとローマ兵は手慣れた手つきで温泉のタイルや岩で囲いを作り、あっという間に浴場部分を完成させた。その時間なんとおよそ1日。ルシウスの働きぶりはまるで複数人に分身したかのようだった。

 

 次にルシウスは森の木をいくつか伐採すると言い出した。これにはイケニ族も反発するがある程度木の間隔をあけた方が日が入って森が豊かになると言われると手伝い始める。ルシウスはまるで大根を剥くように木を柱にした。いやいや、おかしいだろうとイケニ族がいうと、

 

「私の弟子ならこれくらいできるが?」

 

 その頃になるとイケニ族もルシウスの異常さに慣れてローマ兵と一緒に親指を立てる。やったねローマ兵!仲間が増えたよ!

 

 ルシウスは岸辺露伴なみの速度で片手間に建物の設計図を描くと、桃白白もびっくりの柱使いで次々と建設。わずか五日で木造の温泉街を完成させた。もう、ルシウス一人だけで良かったんじゃないかと真顔になるイケニ族。まあ、正直これくらいのバケモノっぷりでないとローマでの仕事は捌けないのだ。

 

 その後料理班と工芸班と接客班に分かれ、別の州から助っ人にきた者たちに仕事を教えられた。彼らはかつて元老院の策略でルシウスに送り込まれた盗賊団のメンバーであり、今はルシウスに温泉街経営を任されたエキスパートたちだ。皆顔は厳ついが気さくでいい人ばかり。酒が入るといつもルシウスの話を喋り出す。

 

「毎日野良犬のように暮らしていた俺たちに生き場所をくれたんだ!今はどの国もネロ帝の時代だと言ってるがな!この時代を作ったのはルシウスだ!俺たちを救ってくれた人なんだ!この時代の名はルシウスだぁ!!」

 

「泣くなボス!泣き上戸すぎるぞ!」

 

「ハア……ハア……吐きそうだ?」

 

「酒弱いのになんで飲むぅ!?」

 

 ブーディカ親子は特別な役割があるらしく、ルシウスから直接レッスンを受けていた。ルシウスはなぜか妙な服を着て『笑顔です』と言ったり、黒塗りのメガネをつけて妙にうざい口調と謎の方言なまりで喋り出したがこれが様式美らしい。

 練習は厳しいがやりがいはあるし、いい汗もかける。しかし本番の衣装がやはり苦手だ。娘たちは喜んでいたがブーディカは恥ずかしかった。ビキニは恥ずかしくないもん。

 

 イケニ族、ローマ人、元盗賊。お互いの確執を忘れ尊重し合い、全員が一丸となって何かを成そうとした。そしてその中心人物であるルシウスを誰もが特別な人間だと思っていた。ブーディカも初めはそうだった。

 

 だがブーディカは知っている。

 彼が初めて見せた弱さを。

 

 彼の教えられたレシピで味噌汁を作った時のことだ。彼は泣きながら『母さん』と呟き、一筋の涙を流した。ブーディカは彼が生まれながらの孤児であり天涯孤独の身だったと聞いている。ルシウスに複雑な事情があることを察した彼女はただ黙って宥めた。

 

(そうだ。彼だって人間の母親から生まれた子供だったんだ)

 

 誰もが彼を特別だと信じ栄光の道を歩いていると信じた。しかし、それは誰もが彼をいばらの道に突き動かしているのではないだろうか。うずくまる彼の大きな背中が急に小さくボロボロに見えた。

 

「大丈夫だよ、ルシウス。辛くなったらいつでもここにおいで」

 

 ブーディカはルシウスを抱きしめながら誓った。

 彼を傷つける全てから必ず守ろう。それが唯一自分が返すことができるものだと信じたのだ。

 

 しかしルシウスにはバブミがヤバい、人として何かダメになりそうと恐れられ、ネロ、アグリッピナと並び危険人物入りしたのは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 数ヶ月後、東ブリタニアのイケニ族の集落にて風変わりな温泉街ができたという噂が諸国に広まり多くの観光客が集まった。特にルシウスの不在で禁断症状が出ていたローマ市民たちは、この噂からルシウスの匂いを感知し数百万人にも及ぶ大陸大移動を開始。途中の道のりで通過される国々はローマが攻め込んできたのではないかとガチでびびった。

 

 その温泉街はヴェスピオス火山周辺にある石造りの温泉街とはまた違った趣のある木造の建物が多く、皆がトーガとはまた違った材質の服を着ていた。温泉も一味違い褐色の湯でリウマチ性疾患、更年期障害、子宮発育不全、慢性湿疹、苔癬に効果があるらしい。それにこの湯、見た目はあれだが飲めるらしく貧血や痔に効果があるらしい。ギリシャの男色文化の影響を受けていたローマ男らは温泉を飲み尽くさんがばかりに殺到した。

 湯上りには旅館なる建物で休息し、食材に飾りの施された料理に舌鼓を打ち、囲碁なる盤上遊戯で遊んだ。特にこの旅館の草を編み込んだ床が良く、その優しく苦い香りに包まれて大の字になるのがなんとも心地よかった。

 

 ローマ市民たちはこの温泉街に今までに感じたことのない形容しがたい風情を感じていた。するとイケニ族はこう言った。

 

「WABISABI」

 

 WABISABI、何ていい響きだろう。ローマ市民らは侵略した国や村の大地を切り開き、自分たちの先進的文明を押し付けることに疑問を抱き始めた。その場所の郷土を損なうことは、上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想なのではないだろうか。ぶっちゃけイケニの文化でないのですでに蜂蜜まみれである。

 

 そしてなにより観光客の大目玉は歌であった。

 

 ローマの喜劇とは違い中央のステージと開放的な観客席が特徴的で、建物の囲いがないので観客の制限がほぼない。燭台に火が灯り曲が流れると三人の女性がステージに立った。その女性らはイケニの族長とその娘であり、彼女たちはフリフリな衣装に身を包み見えそうで見えない黄金律的な丈の布を腰に履いていた。ローマ市民らは扇情的なローマの娼婦と違い愛らしさと美しさと快活さが共存する衣装に感銘を受けた。

 

「長女のエスィルトだにゃ!よろしくだにゃ!」

 

 多くのローマ市民たちは立ち上がった。

 猫の耳と思われる装飾を頭につけ、猫の手のようなポーズを取る少女に何か言い知れない衝動を感じた。それは道化のモノマネとは違ったある種の完成された美の極致を思わせる。それに年齢の割にまだ未熟な丘に感銘を受けた市民もちらほらいた。

 

「え、えっと次女のネッサンですぅ!私、なりたか自分になるっちゃん!」

 

 多くのローマ市民たちは立ち上がった。

 イケニ族の方言だろうと思われる特徴的な訛りで、やや恥ずかしそうに言う少女にこう応援してあげたくなるような思いが膨れ上がる。田舎臭くはあるが、むしろその田舎臭さがいい。それに長女と比べて幼くも大きく育った果実に感じ入る市民がいたり、それを見てややしょげて自分の胸を見るエスィルトにまた先ほどの少数派が立ったりむちゃくちゃだった。

 

 だが彼らは本当の爆弾をまだ知らなかった。

 

「ほら、お母さん早く喋るにゃ!」

 

「もうお母さんどやんしたと?もう本番ちゃ!」

 

「うう、だって……」

 

 悪寒が広がる。まるで死神の鎌が首に当てられているような錯覚。それは死の予兆。

 

 先ほどの二人に比べ年齢もだいぶ上の女性が彼女たちと同じく愛らしい服に身を包まれながら登場する。顔は羞恥心で真っ赤になっており、必死にスカートの端を押さえている。滑稽ではない。むしろその逆。なんという尊く美しい姿だろうか。命を刈り取る形をしているだろう?

 

 ざわ……ざわ……。

 

 観客全員が胸元を押さえ、息苦しそうに短く呼吸する。

 そのあまりの尊さに息をすることを忘却したのかもしれない。

 

(やめて、苦しい!)

 

(見てはいけない!その先を見たら無事ではいられない!)

 

 恐れは高まるが誰一人として逃げ出そうとはしなかった。好奇心は猫をも殺すと知っていても誰も逃走という不名誉な行為は選ばない。全員がヴァルハラへ行かんとする戦士だった。

 

 女は名乗りを上げた。

 

 

 

 

 

「は、母親のブーディカだよ!みーんなでハピハピしたいにぃ☆」

 

 

 

 

 

 みんな尊死した。その即死呪文に全員ヴァルハラ強制送還。困惑オーディン。

 名乗り上げたあとも赤面するブーディカに観客全員が立ちあがりただ涙して拍手を送った。まだ歌も歌ってない序盤である。

 

 その後も驚くべき歌唱力とダンスのパフォーマンスに観客らは魅せられ、売り子の売ってたうちわを持って共に踊った。会場に沸き上がる熱気、流れる汗、そして風呂のサイクルで温泉街は大繁盛だった。

 

 その後間もなくどっちがタイプか論争になったがルシウスの何気ない一言で終結する。

 

『一人は寂しいもんな。親子丼で良くない?』

 

 この男、古代に最低な概念を持ち込んだ。

 

 『親子ドゥン!何て力強い響きなんだ!』と一部の民衆に爆発的に広がる。ローマに行けば親子丼が食べられるなんて噂もたったが、それが料理の話で泣いたのは良い笑い話だ。

 

 となりのペトロを磔にしてルシウスの居場所をいち早く知ったネロもブーディカたちのライブを見て『ずるい!余もやる!』となんとコラボライブ開催。完全にローマとズッ友状態になったイケニ族は無事共同統治を成し遂げることになる。

 

 これを見て各国の女王たちもルシウスにプロデュースしてもらいご当地女王アイドルたちが誕生。世はまさにアイドル戦国時代となって大いに荒れたが、プロデューサールシウスが『もう1つのグループになれば?』と言われて諸国から48人のアイドルが集結。後にキセキの世代と呼ばれ、肥満対策でバスケットボールを嗜んだりした。ごめんなアメリカ、それローマの国技なんだわ。

 

 後世においてブーディカは歌劇王、古代原初のアイドル、スリーダンクシューターと呼ばれるようになる。え、ボールは1つなのに他2つは何?ご想像にお任せします。

 

 そしてルシウスは伝説のプロデューサー、萌の伝導師、幻のシックスマン、ローマ版安西先生と呼ばれるようになった。ちなみにキセキの世代グループの名誉会員1号だったり、元老院議員たちも何気に会員番号二桁だったりする。おのれルシウス。

 



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戦国武将が女のわけないだろ!戦国無双でもやってろ!!

なんかもう過分な評価を頂きすぎてもう言葉も出ません。きっと評価赤セイバーにするためにネロちゃまのマスターが投票したのね!

ジャック・オー・ランタンさん、飛燕 執筆中さん、佐藤東沙さん、メイトリクスさん、ほやしおさん、ire-catさん、Tachyon107さん、たまごんさん誤字報告ありがとうございます!


 その日、ルシウスは出来たばかりの公衆浴場に浸かり疲れを癒していた。公衆浴場の一番風呂など浴場技師ならではの贅沢だ。日々の激務で凝り固まった体に染み渡る。浴場の建設、新商品の開発、食の革命、演劇の脚本執筆。それに加えて最近はアイドルのプロデュース、ダンスと発声レッスン、曲と演出の考案、コラボイベントの催し。労働基準法って知ってる?ってくらいのブラックさで最早ティーカップに削った豆とお湯をぶち込んで提供されたコーヒーである。

 

 イケニ族の集落で温泉街を作ってからというもの諸国からアイドルのプロデュース依頼が殺到し、時にはルシウスを拉致する国まであった。そういう国は大概ローマとイケニ族に攻め入られて土下座案件になる。畑から収穫でもしたかのような圧倒的物量戦と鬼神の如き戦いで山河を駆ける部族達による都市の制圧。そしてルシウスに感化された民衆による内部崩壊で国・即・滅!民衆の土下座コールで涙目になってる王族はわりと可哀想だった。

 

(おかしい。私好みの温泉街を作っただけなのに私以上に馬鹿受けしてる。とりあえず良さそうな温泉街つくってイケニ族の印象アップしとけばネロも悪いようにはしないだろうと高を括った結果がどうしてこうなった)

 

 まあ、あのキャラ付けはただの悪戯心だったのでその罰が当たったのだろう。ママを泣かせた罪は重いぞルシウス。

 

 風呂焚きの奴隷以外に周りに人もいないのでルシウスはタオルでくらげさん作ったり、広い浴場の中を泳いだり潜水して遊んだ。良い子のローマ人は真似しちゃいけない。

 

 だがこのルシウス、だてに国家浴場技師という肩書きではないということなのか泳いでいてすぐに違和感を感じた。テルマエは薪を燃やした熱による三段ボイラー構造により水道管から湯を供給している。さらに湯を温めた熱は柱によって底を上げた床下と隙間を作った壁の間を抜けることで床暖房と室内を温めるハイポコースト構造。温暖差と湯の供給でテルマエには一定の水流が存在する。だがこの流れはどこかおかしい。

 

(水漏れか?いまは排水溝閉じてるからどこかに穴でも……ん?この展開どこかで?)

 

 確信も大した期待もしていなかった。だがそれはたしかにあった。ルシウスがそれを見間違えるはずもない。ルシウスが長年夢見た光景、記憶に焼き付いた1ページ。

 

 異国へワームホール。故郷へ通じる穴があった。

 

(飛べよおおおおおおお!!!)

 

 ルシウスは迷いなく穴へ飛び込んだ。それがただの穴で溺死したとしても後悔はなかったろう。だって過労死寸前なんだもの。

 

 掃除機顔負けの吸引力で引き込まれたルシウスはローマから存在を消した。ルシウスの霊圧が消えたことに一部の勘のいいローマ人が騒ぎ出しローマが大騒動になったのは想像に難くない。またネロに磔にされる前に逃げてとなりのペトロ!

 

 一方その頃、ルシウスは水面から上がり必死に酸素を取り入れていた。思いの外この湯『深かった』。ボボボボボボボボッ!ボゥホゥ!ブオオオオバオウッバ!

 

 立ち上る蒸気のせいで周りははっきりと見渡せないが、辺りは青々とした木々で囲まれ、頭の上には雨除けの屋根が張ってある。

 呼吸によって運ばれる独特の土と緑の空気。それはどこか懐かしい。マイナスイオン……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、私のほうに。

 

 そしてこの湯、無色透明で無味無臭、肌に優しく溶存物質は少なく感じる。ぺろ、これは……単純温泉!湯の効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、健康増進!肌に優しく子供や赤ん坊、外傷のある者や高齢者も入れる通称『家族の湯』である。アルカリ性単純温泉なら美肌効果もあったりする。

 

「やっ!やったぞッ!発動したぞッ!フ……フハ……フハハハハハハハハハ、戻ったぞ……」

 

 ルシウスは確信した。ここは日本のどこかだ。ルシウスはついに長年の悲願であったタイムトラベルを習得したことへの喜びに震える。どこかにタイムマシンと青いたぬきはいないだろうか?

 

 ふと、湯気の壁の向こうに人型の影が見える。たしか漫画で登場する日本の温泉は二話の温泉卵の回とさつきちゃんの温泉旅館のはずだ。見るところ影はニホンザルくらいの大きさで出るところは出ていない。つまりおまえはモンキー何だよおおお!

 ということはここは二話の温泉地である。よく見ればあの温泉卵を吊るす装置があるではないか。

 

『温泉卵たべりゅ?』

 

 ごめんな瑞鳳、わたし卵はハードボイルドって決めてんだ。

 

 するとどこからか一陣の風が吹き、少年漫画的なご都合主義の煙は消えていった。怖くない、怖くないよとルシウスがム●ゴロウさんのような慈愛に満ちた顔で猿を待ち構えていると朧気だったその輪郭がはっきりし始める。

 

 腰まで長く延びた白髪と両端に入った黒いメッシュ。愛らしくどこか子猫を彷彿とさせる顔つき。雪のように真っ白な柔肌。

 

 

 

 

 真っ裸の幼女がそこに立っていた。ちなみにルシウスも真っ裸である。

 

 

 

 

 瞬間、ルシウスの脳裏にバトル漫画並みのくそなが長考が刹那の時間で流れる。(注意!テルマエ・ロマエは浴場建設ほのぼのコメディ漫画である)

 

 この幼女が誰とか何でこんな髪の色なのか疑問は置いて、この状況は非常にまずい。その年からおそらく保護者がどこかに潜んでいるだろうこの場所で幼女が叫んだりしたら秒速でお縄である。社会的立場が悪・即・斬だ。間違いなく零式で風穴だらけになる。

 

 ルシウスの逃げ足が早いか、幼女の悲鳴が先か。普通の人間は逃走か対話へ流れるだろう。だがこの男、逆に幼女へと突貫した!

 

(逆に考えるんだ。気絶させて放置しとけばいいじゃない)

 

 吐き気を催す邪悪とはこいつのことである。

 

「私の平穏を脅かす存在は誰であろうと容赦はしない!すまないが君を始末(気絶)させてもらう!」

 

 巨木の皮を一瞬で桂剥きにする手刀が幼女の首を掠める。驚愕したのはルシウスだ。さっきの手刀は直撃必至コースだったはずだ。何者だこの幼女は?

 気づけば幼女はルシウスの懐に入り込み拳を構えている。所詮は幼女パンチと見くびってけっこう呑気してたルシウスも、拳が一瞬巨大に見えるほどの圧力にはビビった!

 

「グパァ!!」

 

 衝撃!痛み!

 気づけばルシウスの体は宙を舞っていた。何が起きたか理解が追い付かないルシウスをよそにまるで何が破裂したような音が鳴り響く。ルシウスは、極限まで時が圧縮され意識のみがかろうじて捉える少女の残像を追いながらある感情に支配されていた。敵への惜しみ無き賞賛。一部の人間にはむしろご褒美です。私はノーマルなのでただの拷問だがな。

 

 ルシウスは気がついた。少女の拳が音を置き去りにしたことに。

 

 ルシウスの体が水切りのように水面を跳ねて岩にめり込む。うーん、これは破壊力、スピード共にAランクだった。たとえ恐るべき強さを持った者であっても、それが幼女であり大の大人がコテンパンにやられた事実にルシウスはわりと泣きそうになった。自業自得である。

 

「……ふ、だが わたしには勝ち負けは問題ではない」

 

「この南蛮人は何言ってるんですかね。というか日の本言葉お上手ですねぇ」

 

「幼女よ、私は悪いローマ人じゃないよ?だから警察だけは勘弁な。温泉卵あげるから」

 

 お聞きください。先ほど幼女を襲おうとした男の言葉である。

 

「けいさつ?ろぉま?何ですかそれ?」

 

「おいおいおい、幼女なら犬のおまわりさんの歌くらい知っているだろう?もしくはこち亀とかコナンくんとか」

 

「あははは!意味わかんないですねぇ!私わらべ歌とか知りませんし」

 

 ハイライトオフで笑う幼女にややドン引きしつつルシウスはお互いの行き違いに疑問を感じ始めた。嫌な汗がぶわっと溢れ出す。

 

「幼女よ、つかぬ事お聞きいたしますが……今何年でしょうか?」

 

「今年は"天文5年"ですが?」

 

「そっかー……」

 

 天文といえばたしか足利氏族らが幅を利かせている室町幕府。まあ、応仁の乱以降から将軍家はすっかり落ち目になっていき守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭している。つまりルシウスの時代からおよそ1500年後の遥か未来、世に言う戦国時代真っ只中である。タイムトラベルは成功といえば成功なのだが…………。

 

 

 

 

 

 

 

「そこは現代日本でしょうがああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 やはり今日もルシウスは絶望していた。

 

 

 

 

 

 

 

 長尾虎千代にとってその南蛮人はなんか色々やばそうな男だった。

 初対面にも関わらず裸で子供に突貫し、首に手刀を落とすような男だ。言動も支離滅裂でもうやばさの権化じゃないか。実際その通りなので申し開きもなく腹切である。

 

「私……古代ローマから来たって言ったら、笑う?」

 

 縄でぐるぐる巻きにした男は自分は古代ローマ人であり、風呂の底に空いた穴を通ってこの時代についたのだと言った。やはり腹切させようか悩む虎千代。まあ、このままただ殺すのも面白くないので虎千代は話を聞くことにした。

 

「なるほど、るしうす殿は風呂場を作る職人だったのですね」

 

「そうだな。ちなみに発明家だったり料理人だったり脚本家だったりアイドルプロデューサーだったりするぞ」

 

「よくわからないけど忙しいのですね」

 

 真偽は置いといて聞き物としてはそこそこ面白かった。読み物にすれば後世でわりと人気出そうな話ではある。実際にその通りになりそうなのが稲川●二の怪談並みに怖いとアラヤは思う。

 

 話していくうちに不思議とルシウスという男に対する壁のような物がなくなっていく。初対面での悪印象がむしろ愛嬌にすら思える。この男は私と同じくらい狂っていて、何より心が強いと思った。

 

 違いといえばこの男は誰からも愛されている。

 

『あははは!兄上、大丈夫ですか?軽く叩いただけなのですが!』

 

『……ち、父上!それがしはもう嫌です!虎千代の相手はしとうありません!』

 

 なぜそうも弱いのか分からない。

 

『あははは!父上!虎千代は妖でございません!』

 

『ひっ……!?これじゃ、この顔じゃ!此奴め、叩こうが殴ろうが何をしようと笑うばかりで得体が知れぬ!』

 

 なぜそうも恐れられるのか分からない。

 

『虎千代……、何という事でしょう……、そなたには父や兄が、何に怯えているのか分からぬのですね』

 

『あはははは! 姉上、虎千代にはわかりません!虎千代にはわかりません!』

 

 どうしてそのように憐れむのか分からない。

 

 分からない。分からない。分からない。虎千代には分からない。

 言われるがままに仏門に入り五常の徳を積んだ。人というおおよその物は理解できた。それでも虎千代には人の心が分からなかった。だから模倣し、人らしいものを演じた。それでも人は虎千代を恐れ、互いの間に深い溝を生む。彼らと自分で何が違うのだろうと苦悩した。

 

 だが、この変わった男であれば私の生涯における問いに答えを出せるだろうか。

 

「るしうす殿、人らしさとは何でしょうか」

 

「え、何それ深い。急にどうしたし」

 

「……」

 

「あ、まじめな感じですかお虎ちゃん。うーん……」

 

 男は一考し、ただ自然な口調でこう言った。

 

 

「ば~~~~っかじゃねぇの。何それ、くだらねえなぁ」

 

 

 そう言い終えると呆れた目で虎千代を見つめる。

 

「……何ですと?」

 

 無表情な虎千代の拳に力がこもり、溢れ出す圧力で周りの木々がざわめいた。先ほどルシウスを殴り飛ばした以上の濃密な気配が辺りに充満するが、彼は顔色一つ変えずに喋り続けた。

 

「何が人らしいとかないだろ、そんなの。世の中いい人間もいれば悪い人間もいる。天使みたいな人間もいれば悪魔みたいな人間もいる。人間なんて多種多様、千差万別。様々な個性全部を引っくるめたのが人間性ってやつだろ、たぶんだけど」

 

「じゃあ、五常の徳を積んでも人の心が分からない者も人らしいと言えるのですか」

 

「五常?儒教の仁・義・礼・智・信ってやつ?あれはモラルだとかマナーの精神だろ。まあ人付き合いには必要かもしれないけど人付き合いが得意なやつが人間らしいのか?じゃあコミュ障は人外か?人の心が理解できたら人間なのか?それむしろエスパーだろ、気持ちなんて表面上のものをちょーっと察せる程度でいいんじゃねえの」

 

「じゃ、じゃあ!戦いに喜びを見出す鬼神の如き者も人らしいと言えるのですか!」

 

「そんなんローマにごまんといるわぁ!」

 

 なぜか最後の言葉だけ異様な説得力があった。

 

「で、ですが!ですが!」

 

「偉大なる人間、最強の先人も言っている!競うな、持ち味をイカせッッ」

 

 やや画風の変わったルシウスの雰囲気に虎千代はただ圧倒された。

 

 今まで虎千代は人らしくあれ。人の心を理解せよと言われ続けた。しかしこの男はどうだ、自分らしくしていいのだと言っている。言い方はあれだが、彼は初めて虎千代という個人を肯定してくれた人であった。

 

 不思議な感情が湧き上がる。陽だまりのように暖かで、なのに胸が張り裂けそうなほど辛い。手の甲に雫が落ちる。

 

「お、おい!泣くな幼女!今は絵面的にやばいからぁ!」

 

 そう言われた瞬間、虎千代は自分がどういう表情をしているのか気づいた。それは虎千代がいままで理解できなかった感情の現れ。感情の結晶。

 

 ああそうか、私は今泣いているのか。

 

 その日、虎千代は今まで溜め込んだ分までたくさん涙を流した。それが嬉しさによるものか、悲しさによるものかは今は理解はできない。しかし今はそれでいい、彼女は若くまだいくらだって知る事ができるのだ。ちなみにルシウスは縄で縛られたまま温かい視線を送ってた。

 

 夕暮れになってようやく虎千代が落ち着くと、隣にいたはずの男は消えていた。そこには温泉卵と固く結んだままの縄が落ちている。ルシウスの話が真実だとわかると、互いの間にある大きな隔たりを感じて無性に寂しくなったが虎千代は泣かなかった。

 

「湯に浸かっていれば、またどこかで会えますよね!るしうす殿!」

 

 返事はない。だが湯は波紋を立て広がっていった。

 

 やがて寺から家に戻された虎千代は前と変わらず人の心はわからず、より楽しんで武芸に打ち込むようになる。家の者たちは相変わらず虎千代を恐れたが、姉の綾だけは虎千代の成長を知っていた。

 

(恋を知ったのですね……虎千代)

 

 虎千代は恋する少女となったことで、ある種の一般的な人間性を獲得したのだろう。いや、私たちとは在り方が異なるというだけで元々人間だったのだ。だが私たちが仮初めの人間を強要し、あの子はその在り方をいびつに歪めてしまった。ただ肯定してやれば良かっただけなのに。本来は私たち家族がすべきことを、その誰かが成したのだ。虎千代は前よりも鬼神のように荒々しく鋭く、だがその中にはたしかに温かみがある子になった。未だ虎千代を恐れる家人や男の父上には女の心などわからないだろう。

 

 だが虎千代は否が応でも戦場に立たされることになるだろう。時代は争いを求め、争いは強者を求める。女の虎千代など戦場は求めてはいないのだ。

 それはようやく芽生えた自分の中の女を殺し、無数の人を殺める修羅の道だ。女の幸せなど望むことはできない。ようやく色を知ったというのにあまりにも酷いことだ。

 

 せめて、同じ女である私だけは虎千代の恋路を祈ってやろう。それが、私にできる初めての家族の役割なのだ。

 

 それから綾は虎千代が老齢の住職の寺に預けられていたのを思い出し、『この生臭坊主がああああ!!!』と早とちりして寺の住職を磔にしたのはご愛嬌である。やはり聖職者は磔に限るのか。

 

 虎千代は姉に化粧の仕方や美容法を教わり、温泉巡りを嗜む一方で大好きな塩と酒を控えるようになったことで健康優良となって美しさにも磨きがかかった。何より恋というものは女をより女らしくするというのか、どことなく愛らしくなられてからは家人にも人気が出始め、兄も今までお兄ちゃん子だった虎千代が素っ気なくなったもので逆に兄の方がシスコン気味になっている。

 

 しまいには『虎千代!昔のように私を叩いておくれ!』と迫るようになって、毎回虎千代に『兄上、きもい』と言われて泣いたり妙に興奮するようになると父上も『家督虎千代にやるわ、だからパパ上って呼んでくれない?』と悪影響が移った。ルシウスに関わったせいでもう長尾家だめかもしれない。

 

 というかタイムトラベルして日本の歴史を地味に変えてしまったルシウス。本来なら抑止力案件だがローマでの大騒動で疲れているアラヤは『ここの日本ぐだぐだ世界線だしいいかな、ぶっちゃけめんどい』と放置した。

 

 なお後世において長尾虎千代、つまり長尾景虎は『女性説』が有名な人物である。その要因として中性的顔立ちや高い声など挙げられるが、一番の理由は生涯独身であったことがこの説を有力なものへ導いている。歴史家たちはまさか景虎の意中の相手が古代ローマ人だとは夢にも思っていないだろう。

 

 長尾景虎はまるで誰かを探すように諸国の温泉を巡り続け、ある日を境にその旅を終えたという。



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女が毒殺者のわけ……ありますね!おまえは今まで食べたミカンの数を覚えているのか!?

6話まで書いてて『あれ、短話で収まらないのでは?』と訝しんだので連載になりました。次話はローマ大火編を予定しています。


 毒の歴史とははるか古代の原始の時代から続いている。草、木の実、キノコ、虫、蛇、魚、貝、鉱物。自然界は毒で満ち溢れていた。初めは命を脅かすだけの毒も、賢い者はその利用法にいち早く気づき狩りに用いるようになる。

 

 だがその賢い者は、それが自分たちにも使われるようになるとは考えなかったのだろうか?

 

 最古の毒殺者セミラミスを始め、毒による暗殺方法は世界各地に伝承された。毒は人を暗殺するうえでもっとも効率的かつ確実なのだというのが知れ渡ったのだ。人々は毒殺の恐怖に震えた。いまだメカニズムのわからない毒という脅威は、人の恐れによって呪術的なものであると信じられたのだ。

 

 そうなると、必然的に毒の対抗策を考える者と毒を根本的に追究する者が現れた。

 

 ポントスのミトラダテス4世は毒殺の恐怖に怯えながらも解毒方法を模索し、ハーブによる治療薬を調合した。

 

 エジプトのファラオ、メネス王は毒性のある植物や毒液の分析を進めた。

 

 古代の錬金術師アガトダイモンは鉱物の化学反応を発見した。

 

 アグリッピナもまた有名な先駆者の一人であるが、もはやルシウスによって毒殺者ではなくなった。しかしローマは毒の歴史と深く結びついた国。そこには必ず影がある。アグリッピナが表の毒殺者ならば裏の人物も存在するのだ。

 

 彼女の名前はロクスタ。決して表舞台には現れることはなかった毒殺者であり、毒の研究者でもある。

 彼女はアグリッピナと共謀し、その夫を殺すために毒薬を作った張本人である。正史においてはネロ帝とも手を組み、義理の弟ブリタニクスの毒殺にも加担した。

 

 彼女がなぜ時の権力者に仕えたのか?彼女には夢があったからだ。

 

 とある学校の設立。しかしそれは、現代のような教育機関とはまったくの別ものである。より洗練された毒殺者、より研究意欲に満ちた科学者たちの学び舎。大量殺人鬼たちの倉庫を作るのがこの女の野望だった。

 

 全ては毒の謎を解き明かすため、すべての科学現象を知るため。そのために犠牲は厭わない。何十人、何百人死のうが毒の魅力の前では全ては詮なきこと。

 

 しかし、最近はそういう謀が特にやり辛い時代になった。それもこれもあのルシウス・クイントゥス・モデストゥスってやつのせいだ。数年前に講演された【ルシウス銀河英雄伝12・ランボー者怒りの大脱出コードネームは007編】『野菜の水々しさ、ベーコンとクルトンのカリカリ食感と半熟卵のとろとろ具合が何とも言えん男よ!シーザーサラダ!』でルシウスの体に毒の時限爆弾を入れられた回で『毒ってやっぱり卑怯だよね。やるなら料理で勝負だ!』という風潮が広がり、ローマではなぜかうまい料理を食べると口から光線を吐いたり、服が脱げたりすることが日常茶飯事となっている。ロクスタに言わせればどいつもこいつも狂ってやがると叫びたい気持ちだが、話はわりと面白かったのでその次の『carズ!今度はドライビングテクニックで勝負だ!』もしっかり観た。

 

 アグリッピナにまた謀を持ちかけようにも、最近ではアイ活なるものに興味深々でネロと一緒にダンスレッスンにも参加されている。とても毒活しようなどと誘える雰囲気ではない。

 

 ため息を吐きながら王宮の廊下を歩くロクスタ。彼女はアグリッピナの食客として迎えられており、時折庭師のように花壇弄りなどをしていた。まあ、そのほとんどは猛毒の植物なわけだが。

 

 中庭の渡り廊下に差し掛かると二人の兄弟が歩いていた。ロクスタはすぐさま頭を下げた。

 

「ロクスタさま。御機嫌よう」

 

「オクタヴィアさま、ブリタニクスさま、ご機嫌麗しゅうございます」

 

 先帝の落とし子。ネロの皇妃クラウディア・オクタヴィアとその弟ブリタニクス。アグリッピナの策略によって女と結婚させられた姉と皇帝の地位を奪われた弟。結婚式で涙を流すオクタヴィアを見て当時はロクスタも哀れだと思った。だが宮殿に足繁く通うルシウスが二人の話相手になり、時にはネロたち姉弟と一緒に街に連れ出したりもしていたのだ。気づけば二人は毎日笑うようになっていた。

 

「あら、ブリタニクスさまそれは……」

 

「ルシウス銀河英雄伝のライフォンセイバーだよ!ぶぉんぶぉん!大きくなったら僕もルシウスみたいになるんだ!」

 

「ルシウスみたいになるのはきっと大変よ。苦手な野菜も食べられるようにならないとね」

 

「や、野菜くらい食べられるもん!」

 

 姉弟らしく楽しげに語り合う姿を見てロクスタは考えた。

 

(そうだ、ネロ派の元老院議員にブリタニクスが謀反を考えているとデマの情報でも流そうか。頭の鈍いやつなら何人か信じるかもしれない)

 

 先ほどまで浮かべていた温和な表情はなくなり、底冷えするような冷たい目が姉弟の後ろ姿を見つめる。頭の中にあるのは、有力な人間とのコネクションとその報酬である学校の設立だけだ。ロクスタにとって周りの人間など利用するか殺すかの二つでしかない。彼女は孤独だった宮殿の中で誰よりも孤独な生き方をしていた。分かり合えたとするならば、それは彼女と同じく毒に魅入られた者だろう。

 

 中庭へ進み入り花壇へ差し掛かった瞬間、ロクスタは背筋が凍りつくような恐怖を抱いた。

 

「おや、ロクスタ殿ではないか?」

 

 噂の渦中の人物、ルシウスその人が毒草を注視しているではないか。

 気づかれたか。いや、ありえない。ここにあるのは古今東西の珍しい毒草ばかりだ。気づいたとすればロクスタと同じかそれ以上の知識が必要になる。

 

(ま、まさかルシウスも毒に詳しいのか!?)

 

 不安、恐怖、そして一抹の期待があった。

 もしかしたらこの男は私と同類なのではないかという淡い希望。

 

「確かこの花壇はロクスタ殿のものでしたな」

 

「え、ええそうですが……何か?」

 

「この花、毒ありますよね」

 

 そう言ってルシウスが指差したのはトリカブトだった。一見すると紫色の可憐な蕾が連なっているだけだが、根の一齧り分だけで成人男性50人を死亡せしめる程の威力のある猛毒の植物である。お目が高いとロクスタは舌を巻いた。

 

 するとルシウスは気まずそうに頬を掻いて言った。

 

「変な話ですが、あの、少し分けてもらってもいいでしょうか」

 

 とぅくん……。

 ロクスタのときめきが10上がった。

 

 ま、待てロクスタ慌てるな!これはルシウスの罠に決まってる。こうして証拠を入手して私を裁くつもりだろう。落ち着け私のときめき!

 

「ななな、なぜでしょう?知っての通りこのトリカブトには非常に強い毒があるのですが?」

 

「実は好きなんですこの花。別れた妻が好きだった花なので……」

 

「それはそれは良い趣味の奥様だったのですね。ええ、いくらでもどうぞ」

 

 するとルシウスはトリカブトの花をハンカチで優しく包み込み、大切に懐へしまったのだ。

 

 とぅくん……。

 ロクスタのときめきが50上がった。

 

 おおおちけつ私のときめきぃ!まだ慌てるような時間じゃない!いま流行りのバスケで精神統一しなければー!

 

 内心顔を真っ赤にして慌てふためいているロクスタ。実はこの女、毒以外にまったく興味がなく、男と手を握ったことさえないリケジョだった。

 『は?好きって何?定義してみなさいよ!概算と考察を聞かせなさいよ!私そういう証明できない感情って嫌いなのよね!だから恋人とかほんと興味ないしー?別に羨ましいなんてまったく思ってないんだからね!』と自分に男がいないことを正当化してきたロクスタにとって、共通の趣味を持つ相手なんてアグリッピナくらいだった。

 

 ……ぐすん!私がモテないのは男が悪い!

 

 だが、さすが裏の世界で生きてきたロクスタはすぐさま冷静さを取り戻す。

 もう遠回しな会話はなしだ!直接ルシウスの考えを聞き出してやるぅ!これ最終ラウンドだ!

 

「る、るるるるルシウス殿は毒をどう思われますか?」

 

「る多いな。えっと、毒……ですか?」

 

「はい!好きとか嫌いとか!」

 

「んー、まあ嫌いではないですよ。実はむかし毒装備で色々狩ること(ゲーム)にハマっていましてね。人の何倍もでかい獲物を狩りまくってましたよ」

 

「ど、毒で狩り!?それもそんな巨大な生物を弱らせる毒を使っていたのですか!!」

 

 ルシウスは前世についてうっかり口を滑らせてしまい、内心青ざめた。なんだか相手も異様に目を輝かせていて、今更嘘だなんて言える雰囲気ではない。だがせめて誤魔化そうと慌てて動いた。

 

「詳しく!その話是非詳しくお聞かせっ」

 

「ロクスタ殿、失礼」

 

 ルシウスの手がロクスタの髪に触れる。ロクスタは思わずドキッとした。

 

(このシチュエーションまさかキス――――)

 

 キス顔で待機するロクスタをよそにルシウスは、

 

「毒草、髪についてましたよ」

 

 と急に画風が少女漫画チックになって毒草を摘んでいた。さすがにこれ噛んだら死んじゃう。やめとけやめとけ!ルシウス今地味に40代に突入してんだから年考えなさい!そんなおっさんにときめくなんて……。

 

 どきんどきんどきんどきん!!!

 ロクスタのときめきがカンストした。

 

 うっそだろロクスタと言いたくなるほどのベタな展開でガチ惚れを起こしていた。最近の小学生でもここまでちょろくはない。冷徹な氷の頭脳が一瞬でフットーしそうだよおっっ状態なロクスタはもはやただのポンコツだった。

 

 危機を乗り越えたはいいが、辺りが変な桃色空間になっていることに気が付いたルシウスは、一度咳払いをして話題を戻した。

 

「ま、まあ、とにかく私の私見ですが、毒は薬であり、薬は毒であると思っております」

 

「はにゃはにゃぁ……はっ!えっと、そ、それはどういう意味でしょうか?」

 

「毒は量や組み合わせを守れば薬となります。そして薬は量や使い方を誤れば、それは毒でしかありません。人は毒の害のみに目を向けて薬の薬効を尊ぶものですが、どちらも元々は悪ではなく、そして善でもないのです。それらの良し悪しは使う人間次第だと私は思っております」

 

 ロクスタはその言葉に衝撃を受けた。人は皆毒を厭い薬ばかりを模索する。誰もが毒は悪であり、薬は善だという。しかしこの男はどちらも等しく同じだといった。何と深い考えの持ち主だろうと感服し、同時に今まで毒の殺傷能力ばかりに目を向けていた自分の視野の狭さを恥じた。

 

(私ではだめだ。この人こそ教育者たる素質を持っている!)

 

 天啓を得たと言わんばかりにロクスタはルシウスの両手を握りしめる。ルシウスは『あ、お婆ちゃんの家の線香の匂いがする』とわりと呑気に考えていた。

 

「ルシウスさま!私近々学校を作ろうかと思うのですが!」

 

「え、あ、うん。いいんじゃないですかね」

 

「つきましてはルシウス様には是非我が校の教師として雇いたく思います!」

 

「うんうん、いいと思いますよ………ん?」

 

「それではお待ちしております!」

 

「え、あのちょ」

 

 するとロクスタは脱兎のごとく走り去っていった。クールに去りすぎだぜ。

 

 後日、ロクスタは学校の資金援助をアグリッピナやネロに願い出た。むろん、ルシウスの了承があったので、学校はすぐに設立されることになる。ちなみに学校の建造はルシウスへ依頼がきた。適当に返事をしたツケが回ってきたのである。

 

 出来上がった学校は毒物の研究機関ということなのでローマ市民らは驚いた。しかし、ルシウス銀河英雄伝にて特別編『恥は知ってるパイナップルヘイズ!』が公演され、毒やウイルスに対し理解を深めた市民らはこの研究機関の重要性を見出し、ルシウスが講師だと聞いて幼子から大人まで足を運ぶようになった。もはや教室に入りきらないので青空教室状態。学校建てた意味ないじゃんと白目を剥くルシウス。

 

 しかもわりと凝り性なせいで、点滴やら、注射器やら、メスやら、顕微鏡やら、抗生物質やら色々作り出してしまう。もはや古代の医療機関だ。これにはナイチンゲールの狂化も解けてにっこり。神代の医者たちも狂喜乱舞し、アスクレピオスもあの世で『滾るぜ!よし、ローマいこっ!』とハデスとパンクラチオンった。

 

 むろん、ルシウスに専門的知識はないのでわからないことを質問されたら『医者はなんのためいるんだ!自分で考えなさい!』と職務放棄するが、生徒が有能なので深く考えてそのうち答えを出してしまう。治療や手術もできるわけないので、私のオペ代は高いですよほざく始末。そしてなぜか、きっとそれだけの腕なんだと生徒から敬われるルシウス先生。手塚大先生に土下座して来なさい。

 

 後世においてロクスタは古代ローマの医学の女神、ときめきをラテン語で書いた女として色々な分野で信仰を集めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

『12番薬効あり!』

 

「先生これは!?」

 

「この薬は、ペニシリンと言います!」

 

 村上先生にも謝って来なさい。

 



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登場人物たちのあらすじ

キャラが増えたので分かりやすく整理しました。


【ルシウス・クイントゥス・モデストゥス】

本作の主人公であり、自分のことを漫画版主人公と思っている男。2話あたりまではハドリアヌス帝の時代が来ると信じていたので比較的真面目な方だったが、4話から素ではっちゃけるようになり、その暴走ぶりで読者たちを震撼させた。心の中は吐き気を催す邪悪まみれであるが根は良いやつなので大抵はいい方向に転ぶ鬱ブレイカー。ただし幼女には容赦がない()

調子に乗ると大抵それが新たな仕事となってしわ寄せが戻って来る。気付けば手で数えきれない数の事業を運営し、全てはローマに通ずるを擬人化したんじゃないかという所まで来てしまった。思えば随分遠くから来たものです(白目)

この男外面だけは良く資産も腐るほど貯め込んでるので呪いのようにモテるモテる。しかし、かく言うルシウスは未だ童貞でね。彼の周りの女性は性欲という願望を叶えるために日夜正妻戦争を繰り広げている。ルシウスの童貞は何処へいくのでしょう?

 

【ネロ・クラウディウス】

僕の考えたスーパーネロちゃま。食事のおかげでキセキの世代48の中で一番の歌唱力を持っている。今は新メンバーアグリッピナと共に歌による力で無血条約を結びローマの国土を広げている。近々ローマへ戻る予定で頭の中はもうルシウス一色。ベッドも濡れまくりである(バスケ練習後の汗である)

 

【アグリッピナ】

毒気の抜けた毒婦。つまりただの美人ママである。最近はネロとも仲良くなり二人で過ごす時間が増えた。やはりネロの母というべきか歌唱力とダンスパフォーマンスはバランスよく仕上がってきている。ひそかにルシウス親子丼補完計画なる策略を練ってるとかないとか。

 

【ブーディカ】

キセキの世代48の波動のセンター。彼女がダンクをかますと3つのバスケットボールが激しくリバウンドする。これはイエローカード!最近はルシウスをぎゅー出来てないのでちょっと寂しかったりする。でも堪えて美味しい料理を研究中。これは現地妻の風格ですわ。

 

【エスィルト】

お胸がちょっと残念な方の娘。見た目は某スクールアイドルの語尾が猫っぽいあの子である。最近は後輩にサロメちゃんというヤンデレキュート属性後輩が出来て張り切っている。何やらアグリッピナと共謀して何かを企んでいるようだが……。

 

【ネッサン】

お胸が遺伝した方の娘。見た目は佐賀でアイドルやってそうなどやんすボディーの持ち主である。最近は同世代の後輩が出来て嬉しいそう。実はルシウスのくれたハンカチの匂い嗅いでると落ち着くというやーらしか娘ね。

 

【長尾景虎】

自分のあり方を否定せず、それを人間性と肯定されたことで彼女の迷いは晴れた。今は色々な表情を見せるようになり、家族とも良好な関係を築いている。家督は景虎が継いでいるが、残念ながら兄上は景虎が汲んでくる温泉の影響で体調も回復ししぶとく生きている。今はとある温泉を巡って某戦国武将とバサラ中。

 

【ロクスタ】

割と真面目な毒殺者だったがルシウスのせいでポンコツリケジョ化した。見た目は某科学アドベンチャーのツンデレ(ティーナじゃないから!)。今は市場からダメになった蜜柑や色んな鉱物を買い占めている。『唆るじゃねえか』な実験でもやるのだろう。ちなみに料理の勉強をして揚げ出し豆腐なるものをルシウスに届けているのだとか。

 

【班長大槻】

平たく丸い顔の人間。ミラクル1日外出券なるものを申請したらそこは古代ローマだった。

 

【元盗賊のボス】

万年飲み比べ敗北者じゃけぇ。

 

【ペトロ】

磔の人。見た目は山籠り中の正拳突きマスター。いいよ、入信してくれるならな。

 

【元老議員】

本作のバイキンマン枠。おのれルシウス!

 

【アッタロス】

ルシウスの昔の主人であり諸国に伝説を刻ませた張本人。昔はそこそこ仲が良かったがルシウスの才能が測りきれなくなると放逐した。無一文でもルシウスなら大丈夫やろ。

 

【兄弟子】

エジプトでとある人物から謎の拳法を習いルシウスを練習台にした男。ルシウスにとってわりとトラウマな相手だ。今は宮殿にて勤務している。顔を合わせたら逃げるんだよおおおおお!

 

【妻】

色々謎のある人物。トリカブトが好きで毎日部屋に飾っていた。ルシウスの妻ということなので多くの人がその足取りを追ったがいまだ足跡すら掴めていない。ちなみにルシウスは離婚申請をしていないので法律的にはまだ妻だったりする。他の女と仲良くなったら不倫やぞ。



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ローマで火事が起きるわけないだろ!火には温泉をぶつけるんだよ!!

ー30年前ー

『あー、風呂入りてぇ』

「?」

「ん、いやなんでもないわ。お前なんて名前?え、シンプソン?俺の好きなご長寿番組のキャラと被ってんじゃん!今日からお前のあだ名縮めて神父な!」


 日暮れの貧民街に千鳥足の影が二つ伸びる。彼ら二人は貧民街出身地の衛兵であり、先ほどまで居酒屋で再演された【ルシウス銀河英雄伝111・どんと来い霊能力者バトルロイヤルラストステージ!】『なぜベストを尽くさないのか?Why don't you do your best!』の感想を話し合っていた。どこかルシウスと雰囲気が似たアップダジェローと貧乳で品がないのにどこか愛着の湧くマウンテンダナウコのコンビが繰り広げるミステリー。今までのアクションファンタジーとまた違った題材だったが、下らないギャグとスカッとする謎解きが中々面白い。続編でないかなぁ。

 

 新作公演の入場券はやはり貧困層にとっては手が出しづらい値段。しかし再演の場合は三分の一以下まで値段が落ちているのでかなり安い。それじゃ新作公演に人が来ないんじゃ?と疑問に思われるが、実は新作公演ではルシウス本人が挨拶するのだ。もう本編始まる前に観客は感涙。無駄に商売上手だなルシウス。

 

 さてこの千鳥足の二人、仮にハンスとニコラウスとしよう。さては居酒屋でトリアエズナマ飲んでたな?

 酔いは足に回っても口は回るのか家に着くまで何やら話が盛り上がっていた。しかし、その内容はルシウス銀河英雄伝ではない。

 

「なあ、ハンス。ルシウス様の伝説ってあるじゃないか」

 

「伝説って?」

 

「ほら、歩いた場所から温泉が湧くってやつだよ。俺、あれ嘘くさいと思うんだよなぁ」

 

「はぁ?何でだよ、その話は誰でもよく聞く有名なやつじゃんか。現にイケニ族の温泉だってルシウス様が歩いた場所から湧いたらしいぞ」

 

 よく観光地の温泉で見かける名前の由来や湧いた理由が記された看板みたいに、イケニ族の温泉街もそれがある。まあ、伝説が書かれた石碑みたいな扱いになってるからおさわりは厳禁。例のレジェンド語り老婆も有り難やと拝み倒している。拡大解釈せずにちゃんとそのまま伝えて下さいね?

 

「だってルシウス様って俺たちと一緒で貧民街出身。旅をしていた期間もあるかもしれないが、生まれてからずーとローマに住んでるわけだろ?」

 

「え?未来の異星の魔法使いが住む町出身だろ?」

 

「それルシウス銀河英雄伝じゃねえか!しっかりしろハンス!」

 

 わりと最近ローマで起きてる問題だった。このままだと子供世代ではどうなってしまうのだろう?下手な伝承されないようにとアラヤは思う。

 

「つまりだ!ルシウス様が歩いたところから温泉が出るなら、何でローマには温泉がないのかってことだよ」

 

「あー、たしかになぁ。まあ、地下で大量に溜まってるんじゃないか」

 

「ねえよ!40年分くらい溜まってたら地盤が危ういわ!」

 

 ハンスの言う通りならローマの真下に諏訪湖並みの源泉が流れてるんじゃないかな。流れてないよね?とガイアも白目になった。

 

 二人が話に夢中になっていると、曲がり角でハンスが誰かとぶつかる。その誰かの胸元に顔をぶつけたハンスは、足に力が入ってなかったのでそのまま尻餅をついた。言っておくがハンスの身長はそれほど低くはない。相手がそれほど大柄だったのだ。

 相手は貧民街の住人にしては小ぎれいな身なりであり、裾が足元まで伸びたコートと丸メガネをかけている。背が高く、体は服で隠れているがガタイの良さそうな男だった。下顎から頬まで伸びた傷が実に痛ましい。ぶっちゃけどう見ても堅気の人間の雰囲気ではなかった。

 

 男はハンスに向かって手を伸ばす。

 あ、俺終わったわとハンスは辞世の句を書き始める。だが男は温和な笑顔を浮かべてハンスの手を取った。

 

「すみません。お怪我はありませんでしたか?」

 

「え、あ、はい!大丈夫です!」

 

「どうやらだいぶ酔われているようですな。帰り道にはご注意なさい」

 

 男はそう言って貧民街の暗がりに消えていった。殺されずに良かったと安堵するハンスだが、ニコラウスは顔を真っ青にして震えている。

 

「おま、あの人はルシウス様の一番弟子だぞ!知らないのかHUROHAIRITE部隊の噂!」

 

「何それ?」

 

 ルシウスの仕事は何もローマ国内とは限らない。この男、時々軍の侵略作戦に参加させられたり、侵略中の国でテルマエ建設なんかやらされる。何やってるんだと言いたくなるが、やはりルシウスの作るものはどこでも喜ばれるので『え、ローマってこんないい物が沢山あるの?じゃあ属州になるわ』と相手が降伏するのだ。まさに対話のプロ。実際は一ミリも相互理解していないけどな。

 だが時にはどうしても武力衝突が起きることがある。そういう荒事専門で動くのが先ほどの男を隊長とするHUROHAIRITE部隊。戦闘、暗殺、政略を得意とする特殊戦闘部隊であり、むろん、本業は浴場技師である。

 

「それ、もう浴場技師じゃないよな?この間ルシウス様木材を野菜の皮みたいに剥いてたし、お弟子さんらも何か変わった剣で大理石切り分けてたし」

 

「だよな。ルシウス様がすごいと弟子もすごくなっちゃうもんかねぇ」

 

 『ルシウス!あなたは何になられたのですか!』と言われたら、迷わず国家浴場技師と答えるだろう。国家浴場技師って何でもできるのね。ちなみにルシウスも知らない暗部の組織なので噂を聞いてもそんな訳ないやんと鼻で笑う始末。その暗部、あなたの後ろにいますけど?

 

「ん?」

 

 ふと、明かりが見えた。

 ロウソクのようなものではなく、まるで夕日のような茜色の光。だがもう日は暮れて夜の帳が辺りを包む闇。いや、辺りを漂うこれは暗闇ではない。まるで黒雲だ。黒の雲海が貧民街を包んだ。

 

 咳き込みその場にうずくまるニコラウス。だがハンスは彼に目もくれずにその光景を見続けた。

 

「あぁ……あああ!!」

 

 ローマの歴史に名を残した大事件。彼ら二人は最初の目撃者であった。

 

「燃える、俺たちの街が……!」

 

 その日、地獄の業火が地より吹き出しローマを襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 諸国でのライブ活動を終えたネロはエスクィリヌスの丘にてその惨状を見上げていた。炎はまるで雲霞のごとく燃え広がり、ローマ市14区の何区かはすでに灰燼となっているだろう。

 

 ネロは立ち尽くしていた。周りの兵士たちもそうだった。あまりのことに理解が追いついていなかったのか、ショックが強すぎたのか。正史においてネロは焼けていく街を見て宮殿のテラスで詩を歌ったとあるが、それは違う。街の惨状を見て誰よりも嘆き悲しんだ。だが、彼女はローマ皇帝である。悲嘆にくれる民ではなく、民の統率者でなければならない。

 

 彼女は誰よりも早く動き、吠えた。

 

「市内に入るぞ!余の甲冑を持って参れ!!」

 

 呆然とする兵士たちを正気に戻し、彼女は先頭に立って突き進む。そこにはアイドルとしての彼女はいない。偉大なるローマ皇帝が兵士たちを引き連れて街へ突入した。

 

「誰か!桶でも瓶でもいいから風呂の湯を入れられる器持ってこい!」

 

「手の空いてる男は怪我人を担いでロクスタの野外病院に連れて行け!女は子供を担いで遠くまで避難しろ!なんかそこら中に穴が掘ってあるから気をつけろよ!」

 

 市内は想像していたより騒然とはしていない。誰もがまとまって消火活動や避難に勤しんでいた。幸いローマでは水に困ることはない。その上、ルシウスも有名なローマの大火を知っていたので、火事になった際の手順をテルマエの壁画に書いていたから市民らの行動は手早く統率が取れていた。

 

「皇帝陛下!」

 

「皆の者、大義であった!このネロ・クラウディウスが駆けつけたからには心配するな」

 

 ネロが到着すると不思議と彼らの間にも安堵が広がる。

 

「兵士たちは丸太を持って通りの建物を潰し防火線を作れ!市民らは家やテルマエから風呂の湯をかき集めろ!そして、ルシウスの建築物は必ず守れ!」

 

「は!」

 

 ネロは陣頭に立って火事場を取り仕切っていた。まるで百万の軍隊を引き連れた偉大なる将軍のように勇敢に炎へと立ち向かったのだ。しかし現代のようなホースによる消火活動はできない古代ローマでは、せいぜい大ガメにいれた水をかける程度。火の勢いが強すぎて効果はほとんどない。その上風も強く飛んだ火の粉が新たな火種となって広がる。

 

「陛下!もうここはダメです!早く避難を!」

 

「できぬ!この先には、この先にはルシウスと作った劇場があるのだぞ!皆が愛した劇場が燃えてしまう!」

 

「くっ、お気持ちは痛いほど分かります!ですが――危ない!」

 

 炎で崩れた外壁がネロを覆い被さらんと襲いかかる。劇上へ目を向けていたネロも回避が遅れた。気付くと炎を纏った重量物がネロの鼻先まで迫っている。

 

 

 

 

『――我ら、使徒にして使徒にして有らず』

 

 

 

 

 思わず目をつぶったネロの耳にキィンと甲高い金属音が聞こえる。外壁は真っ二つに別れ、目の前には恰幅の良い男が双剣を十字に交差させて構えていた。

 

 まさか、その剣で壁を切り裂いたと言うのか?あの壁は50メートルの十分の一くらいだぞ。

 

「薄汚い炎が陛下に触れるんじゃない」

 

「お、おまえは……」

 

 ネロは彼と面識があった。ルシウスの仕事には必ず付き添っている一番弟子の男。貧民街に孤児院なる孤児たちの家を作り、あの日のルシウスのように読み書きを教えているらしい。ネロは彼の本名を知らない。だが、ルシウスや孤児たちは彼をいつも”神父”と呼んでいた。

 

 一見すれば温和で慈愛ある人物だ。同じ貧民街で育ち共に同じ主人に買われた奴隷仲間だからかルシウスからの信頼も厚い。そしてルシウス並みに彼の噂は濃い。真っ白ではなく、真っ黒く染まった噂だ。彼の異名を人々は恐る恐る呟き始める。

 

「バ、バヨネット神父」

 

「殺し屋技師」

 

「浴場騎士」

 

「WAKAMOTOボイス」

 

 気づけば神父の背後に無数の人たちが列を組んで立っていた。全員がまるで選び抜かれた歴戦の戦士の風貌を構え、手にはなぜかノミやトンカチを握りしめている。…………あ、そういえばこいつら浴場技師だったな。

 

「遅れて申し訳ありません陛下。貧民街、他二区の消火に中々手間取りましてね」

 

「消し終えたのか?あの大火を?」

 

「貧民街は私の古巣ですよ。ましてやこの街は私たちが、彼が作り出したのです」

 

 ローマの建築物、水路、防災設備の設計。その構造と性質を知り尽くしている。彼らはこの国にあらゆる物を生み出した。ならば、彼らこそがこの国の守護者であり破壊者となれる。この時より彼らは盾であり、矛である。

 

「諸君、ルシウスは言った。この世には神がいると。それは我らが想像を絶する力を有し、気まぐれに奇跡を振るうのだと。恐れ、敬え。だが決して信じるな、信ずるべきこそは人なのだと――ならば、私はルシウスを信じよう」

 

 燃える街で彼らは祈りを始めた。煙にまみれても咳き込むものはなかった。火が肌を掠めても身動きはなかった。ただ信仰している。一人の男を狂えるほどに。

 

「ぱちぱち、ごうごうと喧しい音だ。炎が喚くな。この私の眼前で彼の創造物を壊し、ローマを焼き払い、皇帝陛下を傷つける。我らHUROHAIRITEが、この私が許しておけるものか。貴様らは震えながらではなく、燃え尽きる藁のように消えるのだ」

 

 神父を先頭に両隣に二人がついていた。一人は服の下に無数の釘を仕込み、もう一人はなぜか刀を持っている。

 

「お前ら、覚悟はできているか?」

 

「ええ、いつでも」

 

「生まれた時からすでにできています」

 

「いいか!辺獄はすでに私たちが叩き込んだ炎でいっぱいだ!死者の切符は売り切れている!誰一人として犠牲なく、この場を鎮火させて古巣へと帰還せよ!!」

 

『はっ!』

 

 彼ら三人が走り出すと後方の部隊も炎へと突入した。彼ら以外の誰もが無謀だと思う。だが彼らはまるで神の軍団の如く火災現場を駆けた。

 

 ある者は双剣で燃える建物を粉々に砕き、ある者は釘を指で飛ばして柱を打ち壊し、ある者は刀で隣の家屋を切り開き防火線を張った。後続の部隊も恐ろしい速さの連携で湯の入った水瓶を投げ入れている。

 

 まるで見敵必殺の活躍。見る見るうちに火の勢いは落ちていった。

 

 誰もが絶望していた中、希望が広がる。ネロが彼らの働きに絶句していると、別の部隊が妙に長い筒のような物体を持って数十人がかりで火事場へ駆けつけた。

 

「神父さま!執事様の武器が届きました!」

 

「おせえよ!あのクソガキがぁ!!」

 

 神父はその物体を軽々と持つ。だがその実、生半可な重量ではない。

 

 対大火災用水砲。手押しポンプの原理でテルマエの大浴場から組み上げた湯を発射する人類史上初の消防ホース。全長10メートル。重量20キロ。使用時に掛かる水量、水圧を考えるともはや人類では扱えない代物です。

 

 栓を抜くとまるで滝のような勢いで水が発射される。大量の水の砲撃は燃え盛る炎を悉く消し去った。初めて見る者は男が水の化身たる大蛇を操るが如き光景に息を呑む。おそらくこれで終わる。誰もがそう確信した。

 

 だが、しかし。

 

「なにぃ!?」

 

「これは!?」

 

 消えない。まるで火の中に油を注ぎ込んだような火力が息づいている。明らかに自然の摂理から外れた現象に誰もが違和感を覚えた。それもそのはず、この炎はただの炎ではない。ルシウスの傍若無人にしびれを切らした抑止力によるバックアップで正史の大火の十倍ほどの火力。それこそ煉獄や神話の炎並みの威力に相当する。アラヤ、これを機に人口爆発するローマを滅ぼすつもりだ。

 

 さすがの消防ホースも神秘の炎には敵わない。高台から覗く設計図&政略担当の太った男、通称『少佐』も首を振った。何でこの少佐は前線に行かないかって?デブは動くのが苦手なんだ、一食抜くだけで死んじゃうくらい貧弱なんだぞ。頭脳派に戦力を求めてはいけない。

 

 だが、高台から見える景色から彼だけが状況の変化に気づいた。

 

「来るぞ、河が来る」

 

 その瞬間、後世の歴史家でさえ『それは嘘だ!』と白目を剥く事態がローマに起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 この大火災の中、ルシウスは何をしてたかというと穴を掘っていた。化石を掘ってるわけではない。この男、最近地下から温泉の気配を感じて休日返上で片っ端から穴を掘っていた。休日に何してるんだと言いたいところだが、ルシウスも数ヶ月ぶりの休日で何をすればいいかわからず、寝て過ごしていても体が疼くので仕方がなく穴掘りをしている。もう元の体には戻れないのね。

 

 数十メートルという地の底でルシウスは確かな手応えを感じていた。何やら上が騒がしい気もするが、温泉を掘り当ててから見に行けばいいと思いスコップを思いっきり突き刺す。その瞬間、地面に大きな亀裂が生じて温泉が溢れ出てきた。ようやくかと安堵するルシウスだが、想定外の量が激流の如く噴射。そのまま水流に巻き上げられルシウスの体は30メートルくらいゲインした。

 

 それを合図に他の穴からも温泉が噴き出し、ローマ市内にちょっとした川ができた。酒樽に掴まりながら今度は流れるテルマエでも作ろうかなと呑気に考えていると流れの先を見て驚愕。なんと街がバーベキュー状態じゃないか。流石のルシウスもこのままではまずいと思うも水流には逆らえなかった。

 

 あ、ネロと神父がいるではないか!おーい!助けてー!!

 

「ルシウス!お前はいつもいつも……!」

 

「おお!おお!これぞルシウスの御技!!」

 

 何やらみんなガチ泣き状態で誰一人助けに来なかった。ルシウスの頬から一筋の液体が流れる……あ、これは温泉だ。

 

 そのまま火災現場が大量の温泉で押し流される。圧倒的温泉の水量に流石の炎も勝てなかった。ごめんなアラヤ、思えばおまえ最初から属性負けしてるんだわ。

 

「消える!消えていくぞ!」

 

「流石はルシウス様だ!」

 

 死にものぐるいで外壁に掴まりやっとのことで地に足がついたルシウスにみんなが殺到してくる。温泉が干上がった場所に悠々と立つ一人の男がまるで英雄に思えたのだろう。実際は生まれたての子鹿並みの立ち上がりだがな。長時間の穴掘りと温泉旅行(物理)で疲労困憊なルシウスをよそに皆ルシウスを担いで胴上げを始めた。その胴上げは朝まで続き、そのままルシウスは寝ずに市内の修復作業に駆り出されることになる。

 

 正史では6日7晩と続き大量の死者を出した大火災も、皆の迅速な働きによりなんと一晩で収束。怪我人は大勢いたが幸いロクスタの野外病院のお陰でひとりの死者も出なかった。

 

 ローマでの火災事故で他国に弱みを見せていけないと考えたネロは、むしろ大火を温泉の力で消したことに着目。ローマを湯の女神として神格化し、この国は女神の強い守護を受けていると流布した。表に女神を描いた硬貨も製作され、湯といえばルシウスだろうと裏にはルシウスが描かれた。これにはローマ市民、イケニ族、キセキの世代48の連盟国も『欲しい!』と殺到する。現代でもこの硬貨の価値は高く、持っていると色々なご利益があるらしい。

 

 なお、この活躍により後世においてルシウスは人類史上初のサーファー、海割りモーセが唯一恐れた男という異名が増えることになる。

 




『HUROHAIRITE部隊』
ルシウスの弟子兼私兵。隊長ごとに『神父』『執事』『少佐』『伯爵』というあだ名が付けられている。ちなみに日本刀ぶん回してた女は2話の「わーい、るしうすしゃまだいしゅき!」の幼女である。

次話からなんと最終突入します。


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戦国武将が女のわけないだろ弐!戦国美少女ゲームのやりすぎぃ!!

次話(が終わって)から最終章になります()
今回はネタの台風なので突っ込みで過労死しないように心を強く持って!


 その日ルシウスはいつかの未来の日本に通じる穴に挑戦していた。穴は塞がずに保管しておいたのだ。しかし何度試しても上手くはいっていない。

 

 ある時はジャングルの奥地、ある時は海底二万マイル、ある時は上空二千キロメートル。今までろくな目にあっていない。しかし連日の復興作業により疲労がピークに達したルシウスは『いいや限界だ、潜るね!』と突貫した。

 

 ルシウスの霊圧が消えたことをいち早く察知したペトロは、家にパウロを置いて一人で逃げた。ペトロなのにユダとはこれいかに。

 

 一方ルシウスは別の場所に浮上していた。

 密林の猛獣やアマゾネスもいない。海底の水圧や海底都市もない。上空の雲や天空の城もない。

 

 周りは木材で作られた浴室でいつかの温泉と同じように湯気が充満していた。安全を確認すると浸かっている湯をぺろり。これは……湯じゃな。本当にただのお湯。穴が貫通して隣のテルマエと繋がったのではないかと訝しむルシウスだが、鼻を抜ける匂いには覚えがあった。それは日本人が愛して止まない檜の香りだ。つまりここは檜風呂。

 

 やはり運はこのルシウスに味方していると内心ほくそ笑んだルシウス。だが、湯気の向こうに浮かぶ人影を見て恐怖した。あるわけがないと思いつつも浴室なのにどこからか悪戯な風が湯気を散らす。おのれボレアス。

 

 湯気が晴れるとそこには黒髪の麗しい少女が湯に浸かっていた。ルシウスはこの先の展開を知っていた。またどうせ私をぼこぼこにするんでしょ!少年漫画のやられ役みたいに!

 

 しかし意外、少女はルシウスを見ても微動だにはしなかった。というよりはいきなり風呂の底から現れた外国人に困惑しているだけである。そうなると二人は身動きの取れない緊張状態に陥る。なぜならこういう場合、先に動いた方が負けみたいな子供の我慢比べ的雰囲気が生じるのだ。二人ともどちらか先に動くまで止まっているつもりだった。

 

 だが少女の頭の位置は丁度ルシウスの股間の位置にある。無論、ルシウスは裸なのでナウマン象放牧状態。側からみれば少女が男の象を見つめ続けているサファリパーク状態でもある。字面は愛らしいが現実が酷すぎる。これはまずいと思い少女は立ち上がる。無論少女も裸だ。

 

 初めに少女が動いたことで勝負は彼女の一敗となった。しかしこの少女恥ずかしがるどころか腕を組んで仁王立ち。これによりある種ルシウスと同じ土俵に立ったことを誇示した。勝負は引き分けに持ち込まれたのだ。

 

 ルシウスは恐怖した。真っ裸でドヤ顔を決める少女に正直ドン引きしている。おまえも大概だがな。

 だがこの場所に浮上してからというものなぜか頭が働かず状況がくだぐだするばかり。目眩がしたルシウスは体勢を崩し思わず足を一歩前へ出してしまう。迂闊、これでさらに少女へ有利な方向へ転んでしまった。少女のドヤ顔が5割増しにうざくなる。

 

(舐めるなよ。こっちとら踏んだ場数が違うんだ!)

 

 ルシウスは体勢を直すどころか、逆にさらに前へと前進した。これには少女の表情も凍りつく。先ほどまで男の氷河期状態だったナウマン象もその鼻を荒々しく揺らし敵意を表していた。最早勝負はルシウスの独壇場と化す。

 

 ルシウスのナウマン象と少女のメデューサが鼻先まで接近し、互いに仁王立ちの膠着状態となる。しかし実際は身長差や戦績を加味すれば二人の圧力には●リガリ君と●ーゲンダッツくらいの差があった。流石の少女もたじろぎ羞恥心で顔を赤らめる。

 

 ルシウスは少女が処女だと確信していた。ルシウスも童貞だがただの童貞ではない。これまでローマの娼婦、肉食未亡人、自称男装露出魔、母性の暴力、絆MAXのアイドル、マッドサイエンティストの魔の手から純潔を守ってきた男だ。子供の裸くらいで慌てるようなことはない。

 

 状況はあらゆる面でルシウスに有利。ここから少女の逆転劇はないかと思われた。しかし少女は滅びの言葉を知っている。幼き日、母や父から教わったあの恐ろしい言葉を。

 

 三分間待っていたルシウスの手を少女は握り締めた。ルシウスも少女が何を言わんとするか理解し青ざめる。その言葉のスイッチを押させるな!

 

 しかし少女は口を塞がれる前に呪文を口にした。

 

 

 

 

「この人、変態です」

 

 

 

 

 ルシウスは一瞬だけ眩い閃光を幻視し、今まで築いてきた盤石な勝ち筋が全て崩れていくのを錯覚した。目がー!目がー!

 そう、この少女。今までの勝負を放棄し現実世界にて有利な立ち位置を手に入れるという卑劣な暴挙に走った。こうなると今までの前提が意味を失いただの徒労にしかならない。ぶっちゃけただの変態奇行の応酬だ。

 

「おま!それはだめだろ!離せええええ!!」

 

「うっさい!幼気な少女の前で股間ぶらぶらさせとる方が悪いんじゃ!者共であえであえ!!」

 

 少女の掛け声に反応し、湯の底から竹筒を咥えた褌一丁の三人が浮上する。

 

「出て行け!姉上とお風呂に入れるのは弟である僕しかいないんだ!」

 

「殿の裸を見るに飽き足らず手を握るとはうらやま、いやけしからん!全くもってけしからん!」

 

「くっ!湯気が邪魔で殿のお姿が見えませんぞ!ふー!ふー!」

 

 ルシウスと少女は重ねた手を三人組に向けて言った。

 

「「この三人、変態です」」

 

「「「!?」」」

 

 その後、薙刀を構えた女中たちが到着し、四人は縄でぐるぐる巻きにされて連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 織田信長にとってその異人は面白いやつだった。初めは家臣らと同じ変態覗き魔かと思えば互いに変なペースに乗せられ奇行を連発。気づけば家臣らと一緒に縄に縛られてこうして座敷の上で正座させられている。これだけでも笑い物だが、この男はルシウスと言って自分を古代ローマ人と称している。古代という点は置いといて、貿易に来る南蛮人とは毛色の違う人種ではあった。

 

 そして何よりルシウスは、

 

「ローマとは、この国だ」

 

 そう言って、信長が持っていた地球儀に書かれた国を指したのだ。つまりこの男は地球が丸いことを知っており、世界の地にも詳しいことになる。今まで信長が地球儀を見せても人は理解ができなかった。ただの人と信長では見ている場所が、世界が違うのだ。

 

 カカオ豆や胡椒の粒が大金で取引される狂った世界。だからこそ面白い。なぜこれほどの価値があるのだろう。遠い向こうの国ではどうやってこれを使っているのだろう。幼かった頃の少女は日々遠い世界へ思いを馳せた。地球が回るのと同じく、時代は絶えず胎動し、大陸では文明が発達し続けている。未だ国内で刀を振り回し戦っている日本ではだめだ。たとえ周りから軽んじられ、侮蔑されようと少女は銃を取る道を選んだのだ。

 

(ああ、聞かせてくれ。お前は何を見て何を成しているのか)

 

 ルシウスはぽつぽつと自分のことを語り出す。

 

 

 

 

 そして信長は腹筋崩壊した。

 

 

 

 

「国家浴場技師……アイドルプロデューサー……温泉波乗り……。ぶふぉwwwもう、だめ…腹痛いww」

 

 ルシウスの語る話が破天荒奇天烈すぎて脳がショートしている家臣たちを他所に、信長は抱腹絶倒大草原で床の上をローリングーガール。自分がうつけならばルシウスは大うつけだった。これには森くんも大爆笑。

 

「本当にどうして浴場技師がそうなったwww」

 

「えーい、笑うな!私だって一生懸命頑張ったのだぞ!!」

 

 それアラヤの前でもういっぺん言ってみな?即剪定されるぞ。

 

「ふー、ふー。あー笑った笑った……よしお主はわしの家臣になれ!」

 

『ふぁ!?』

 

 この言葉には家臣もルシウスも目玉が飛び出る。縛られていたカッツ、ミッチー、サルも吠えた。

 

「姉上!こやつは風呂場で堂々と覗くような危険な輩ですよ!」

 

「その通りですぞ殿!このような変態を家臣に加えるなど言語道断です!」

 

「このような変態の世迷言など信じてはダメですぞ殿!」

 

「お前ら自分の胸に手を置いて考えてみな?」

 

 説得力皆無だった。

 

「いいか。こやつの言うことが真ならローマとは恐ろしい大国であろう。その国の根幹とも言える重要人物を引き抜き、わしの家臣に据えるのはそんなにおかしいことであるか?」

 

「む……それは確かに一理ありますが…」

 

 確かにこの男が信長の家臣となったなら数年で天下統一という信長の野望もびっくりなチートキャラになるだろう。噂を聞きつけた景虎の戦国無双状態に対抗できればの話ではあるがな。

 

「え、やだ……家臣とかまじ無理ぴですわ」

 

 しかしルシウス、信長の勧誘を即断った。流石のルシウスも『オッス!オラ第六天魔王!趣味は焼き討ちとか皆殺し!殺した相手のドクロの盃でカンパーイ』な人物が上司の職場はごめんだ。部下に本能寺で謀反されて職場自体がなくなるとか論外である。

 そもそも何故織田信長が女なのかと突っ込んだが『織田信長が女なのは当たり前じゃん、何言ってんの?』的な反応をされてルシウスは自分の前世の知識が間違ってるのではないかと混乱した。

 

「ふむ、お主の働き次第では褒美は思うがままだぞ。なんならわしを褒美にくれてやってもいいんだからね!」

 

 そう言って何やら自慢げに胸を張っている信長。血眼になって縄を引き裂こうとする三人組に、後ろでずっとスタンバイしていた女中らが素早い手刀を落とした。素早すぎて俺でも見逃しちゃうね。

 

「いや、ちょっとタイプじゃないので」

 

「は!?」

 

 お淑やかな大和撫子がタイプのルシウスは首を横に振る。ショックを受けている殿の後ろでは『殿バカ三人組とは違いそうだ』と地味に他家臣たちの評価が上がった。

 

「じゃあ何が欲しいんじゃ!わしより価値のあるものとかないと思うけどね!わしよりも!」

 

「有給休暇ください」

 

「はあ!?そんなんでいいの!?」

 

「もうここ数年働き詰めで休み方すら忘れてしまいました」

 

「あ、うん……なんかごめんね」

 

 座敷には異様なほどの重苦しい空気が流れていた。そしてなぜか涙する他家臣たちの間で評価がまた爆上がりである。もう家来になってぐだぐだ世界線の住人になればとアラヤは思ったが、やはり何人かルシウスの話を怪しむ家来たちがいた。

 

「ではこうしよう。聞けばお主は料理人でもあるそうではないか。一つわしのために珍しい料理でも作って貰おうか」

 

「料理?」

 

 どうやら織田◯奈の野望かと思えば、信長の◯ェフらしい。基本料理の発案が仕事のルシウスだが腕は確かであるし、前世の暮らしで舌は肥えている。作っている間に元の世界に帰れるかもしれないと思い厨房に立った。食材は金に糸目を付けずに選び放題。ルシウスは珍しく張り切った。しかし織田家中の者たちはこれから起こる惨劇を予想だにしなかっただろう。彼らは知るのだ、この時代の人間にとって美味い物がどれだけの劇物であるかを。

 

 一品目は魚のパイ包み焼き。米粉と卵を練った生地を薄く伸ばして被せ、竃できつね色に焼き上げた料理である。ニシンとカボチャは入って無いので好き嫌いなく食べられるよ。

 

「これまた珍妙な料理であるな」

 

「しかし芳しい匂いに食欲をそそられますなぁ」

 

「殿、ここは私が毒味を」

 

 申し出たのは殿バカ三人衆の一人ミッチー。切り分けられたパイを恐る恐る箸で一口食べる。全員が見守る中でミッチーはゆっくりと味わうように咀嚼した。すると突如目を見開いて立ち上がり、

 

「美味いぞおぉぉぉぉぉぉ!」

 

全身の穴という穴から光線を放射し、城と並ぶほど巨大化した。ミッチー!どうしてそんなに大きくなっちゃったんですかー!きっと真面目過ぎたんですよ。

 

「き、金柑んんん!どうしちゃったんじゃ!?」

 

「おのれ!やはり料理に毒を……毒なのかこれは!?」

 

「味の解説が終われば元に戻りますよ」

 

 突然の怪現象に織田家中の者たちは騒然となった。ルシウスは至って平常。だってローマでもこれがデフォなんだもん。まあ、ぐだぐだ世界線のためかいつもよりリアクションが派手だった。

 

「周りはパイ生地でさっくりと、中は米と魚の身でしっとりしている!パイ生地と下味のついた米が魚の旨味を逃していないのだな!バターなる牛の乳から取った油を吸った米だけでも美味だが、丁寧に練られた魚の身が舌の上でねっとりと解けていく!これは骨を気にせずにいくらでも頬張れるな!」

 

 ミッチーの無駄に上手い解説に皆動揺を忘れヨダレを垂らしながら聞き入った。信長も早く食べたくてそわそわしていたが、巨大化したミッチーの一口は大きく、丸々あった魚のパイ包み焼きを一瞬で平らげてしまう。正直打ち首にしてやろうかと思った。

 

 二品目は米粉パン。信長も貿易で堺に入って来るパオンを食したことがある。ポルトガル語でパンとされる物だ。堺のパオンは塩味の効いた硬い餅のような食べ物だった。

 

「で、では毒味は私から」

 

 毒味を申し出たのは殿バカ三人衆の一人サル。持ってみればまるで綿のようなふんわりとした弾力にサルは驚いた。これならアルプスの少女も大満足の柔らかさ。恐る恐る口にした瞬間、サルは言葉を発することなくただ沈黙する。

 

「……」

 

「サ、サル?」

 

 体を揺さぶられたサルは力なく側にあった石の上に腰を下ろし、まるで真っ白に燃え尽きたかのような表情を浮かべていた。それを見て家臣の一人が蒼褪めながら呟く。

 

「――し、死んでいる……!」

 

 ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。

 ぶっちゃけネタ抜きに本当にサルには脈がなかったのだ。

 

「ほわあああ!?サル!死ぬなサルううう!!」

 

「あまりの美味さに体が耐えられなかったみたいだな」

 

「そんなことってあるぅ!?」

 

 その後ルシウスの心臓マッサージにより何とかバイタルが安定したサル。無事意識を取り戻し臨死体験を語った。

 

「何故か私の代わりに金髪の信長さまに仕えた小僧が可愛い子とイチャイチャしておった。正直何を言っているのか私にも分からんが羨ましすぎる」

 

 どうやらあまりの美味さで魂が別の時空まで吹っ飛んでいたらしい。流石の信長もいくら美味しいとはいえ命が惜しいので米粉パンは封印となった。

 

「どうやら人によってリアクションには個人差があるようですね。ここは血縁的に最も近しい僕が毒味を!」

 

「え、まだ試食続けるの?正直怖すぎて喉を通る気がせんのじゃが」

 

 三品目はシュークリーム。この時代では砂糖は高級品だったが、流石は信長と言うべきか砂糖は使い放題であった。砂糖がふんだんに使われた品と聞いて皆唾を飲み込んだ。甘味が好きなカッツも甘き誘惑に誘われてシュークリームに齧り付いた。

 

「こ、これは!ふんわりとした生地の中にさらに柔らかなクリームの食感!濃厚な乳と卵の旨味!そして圧倒的な甘味が最早暴力であるかのようにガツンと脳を揺らす!うわーん、おいひぃーよー!こんなお菓子今まで食べたことない!」

 

「……普通のリアクションじゃな。な、ならわしも味見を…」

 

「お待ち下さい殿!心なしか弟君の息が上気し、頬を赤らめております!」

 

 そう、食べれば食べるほどにカッツの色気が増していく。今回とは関係はないが、一説によると昔は砂糖に媚薬効果があると信じられていたらしい。カッツは信長に似てある意味女に近しい体型なので、間接的にドスケベな信長を見ているようで背徳感がやばかった。

 

「甘過ぎて体が蕩けちゃうよぉ!」

 

 そして甘みで解かされるが如くカッツの衣服が消滅し真っ裸になった。一部の家臣が盛り上がる。他はドン引きだ。あとにはぴくぴくと痙攣するクリームだらけのカッツが飯顔ダブルピースしているという惨状だけが残る。

 

「てかなにわしにこんなもの食べさせようとしとるの?処す?処す?」

 

「女が美味しいものを食べればだいたいこんな反応になるのだ」

 

「これ弟なんじゃけど!?」

 

「男気よりも女々しさが勝ったのだろうな」

 

 何気にカッツの性別全否定である。

 その後、家臣たちはルシウスの料理に恐れをなして毒味役になる者は誰も出なかった。試食会はお開きとなり信長は腹を鳴らしながら項垂れる。そこへ何やら湯気の立った飲み物を持ってルシウスがやって来た。

 

「腹が減ったのだろう。これでも飲め」

 

「……これ飲んで大丈夫じゃろうな?」

 

「心配するな。本当はチョコレートでも作ろうかと考えたが、何分手間が掛かるのでココア擬きを淹れた」

 

 嗅いでみれば独特な芳しい匂いと砂糖と牛乳の香りがした。信長はその独特な匂いに覚えがあった。それは昔、父が貿易で持ち帰ったカカオ豆の粉末に似ている。信長にとっては始まりの豆だ。

 

 飲んでみれば仄かな豆の苦味とまろやかな甘みが良い塩梅に調和が取れていた。あれほど夢見た豆の味はどこか落ち着く物だ。

 ほう、と息を吐いた信長は家臣たちに聞こえないような声で呟いた。

 

「のう、るしうす。わしは正しいのだろうか?こんな島国で南蛮を真似るわしはやはりうつけであるか?」

 

 人知れず抱いていた恐怖の吐露。誰よりも新たな日本を夢見た少女は、その未来の行く末を誰よりも恐れている。

 

 今までおふざけムードだったルシウスも真顔になって答えた。

 

「そんなこと今を生きる者たちにとって分かるものではない。私だって明日のことすら見えぬよ」

 

「そうじゃろうなぁ」

 

「だが、あなたを信じ集まった臣下たちと歩む軌跡は決して猿真似でも嘘でもない真であろう」

 

「……それが破滅に結びついた道であってもか」

 

「魔王となれば普通の生き方など望むべきではない。ならば常に魔王らしく傲岸不遜に笑っていれば良いさ。その生きざまをこの国に刻み込めば良いさ。明日をも分からぬのなら、下らない結末を帳消しにするほどいまこの時を格好良く飾れ。その姿に後世のガキどもは惚れるんだ」

 

「ほう、明日すら分からぬお主には遥か遠くが見えると?」

 

「私は古代ローマ人で未来人だからな」

 

「はは!やっぱり面白いなお主!やはりわしの家臣に――」

 

 信長は笑いながら、まるで乾杯するように茶器を誰もいない虚空へと向けた。先程まで男が座っていた場所にはぽつんと茶器が置いてある。信長は夜更けになるまでその場所に座り、ちびりちびりと大事そうにココアを飲んだという。

 

 その後、景虎と違い信長の歴史は大して変わらなかった。第六天魔王と恐れられ、家族を殺し、そして家臣に裏切られ焼かれた。だが信長はどんな時でも悪の大王のように不敵に笑みを浮かべ、人々の記憶にその生きざまを鮮烈に刻み込んだ。

 

 後世の歴史家の間では帰蝶、蘭丸異人説などが流行るが、一番有力なのは信長は本能寺の変を逃れて何処かで生きていたのではないかと言う説だ。信長が異世界でドリフっているのか、古代ローマへ行き着いたかは未だに謎のままである。ただ信長の城にはたくさんのカカオが栽培されていたらしい。




活動報告にも上げましたが、県内全域の停電により作業環境が限られるため投稿頻度が落ちることを後理解ください。今回は停電前の原稿があったので早めに投稿出来ました。


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最終章なわけないだろ!型月ブラザーズ大乱闘じゃねえか!!
ルシウスがいなくなるわけないだろ!……ねえ、ないって言って?


前回活動報告であんなこと言ったけど直後に停電が直るというね。この作品のギャグが現実世界にまで侵食してるんじゃないのかな()

今回は驚くほどギャグが消えてます。違う作品をクリックしたわけではないので勘違いしないでください。


 まだ鶏がうつらうつらとする夜明け前、二人の人間がテーブルについて食事をしていた。

 

 一人はココシャネル風の黒衣のドレスに身を包んだ女性。皿には肌つやに良い野菜中心の料理が芸術品のように盛り付けられている。食事でも美容に気を使っている事が窺えるだけあって、その肌や髪はまるで女神の絵画のように芸術的である。

 

「それにしても、貴方は相変わらずよく食べるわね。前に会った時よりも太ったんじゃなくて?栄養バランスに気をつければそうはならないものよ」

 

 女性の名は我々がよく知る人物であるアグリッピナ。ルシウスとの出会いにより今までの権勢欲が消えた彼女は、王妃の地位を捨て女性の化粧品会社を起業。ファッションデザイナーとしても成功者となり世界初のキャリアウーマンとなった。

 

 向かいに座る太った男は血の滴り落ちるステーキを口に入れ、生々しくくちゃくちゃと音を立てながら喋り始める。

 

「知らないのか?デブは一食抜いただけで餓死するんだ。この私が言うんだから間違いないぞ」

 

 男はまるで魔界の軍団長のような笑みを浮かべて肉を美味そうに頬張った。

 

 その男には名前はない。昔はあったかもしれないが、どこかに置いて来てしまった名無し(ネームレス)だ。彼らのような存在はどの時代にも存在し、いつの間にか政治の裏側で暗躍してはいつの間にか消えて行く。かつてはこの男も軍の政略班として活躍し戦争を自由に操って来た。しかしその行為は段々と狂気じみた物へと変化し、行き過ぎた作戦から上官に疎まれて地の果てへと流刑にされる。部下も地位も栄光も奪われ、馬車馬の如く働かされ、食事はボソボソのパンと濁った水のみ。丸々と蓄えられた脂肪はなくなり、まるで骨と皮だけになった抜け殻だった。

 

 何もかも失った男の前に、ある日一人の奴隷が現れてこう言った。

 

『頭のいい奴を探している。あんたが一番賢いらしいな』

 

 男はこう返す。

 

『まあ、そうだな。それで君は私に何を望む?知略か?策略か?それとも暗躍か?』

 

 すると奴隷は手を差し伸べながらこう答えた。

 

『風呂の設計図を書ける奴が欲しいんだ。名前は……ないんだっけか?昔は軍のお偉いさんだったらしいから”少佐”って呼んでいい?』

 

 男はしばらく呆けた後に大笑いし、奴隷の手を取った。そんな昔話があったらしい。

 

 それから男の呼び名は少佐となった。ルシウスの古弟子であり主に浴場や発明品の製図を担当。HUROHAIRITE部隊特殊政略担当官も務めている。彼が動くとルシウスにちょっかい出した敵国が内戦となり数日で滅びるという割とやばい奴であった。政治犯仲間のアグリッピナとはわりとうまが合うらしい。

 

「それで状況は?」

 

 アグリッピナはナプキンで口を拭うと先ほどまでの会話を再開する。この二人は今ローマで起きている異変に気付き、こうして集まったのだ。

 

「臭う。色んな場所、色んな者たち、色んな思惑がここへ集まってきている。特に最近は元老院の動きが変だね」

 

 アグリッピナの頭の中に鰻の蒲焼きを頬張りオタ芸を踊る老人たちの姿があった。

 

「あの老害どもに彼がどうこうされるとは思えないけど。でも貴方がそういうのなら近いうちに戦争になるわね」

 

「戦争はいつだって彼が起こしているさ。彼の仕事だって立派な侵略行為。一人の人間の”世界”への孤独な戦争行動……私の好みとは少し違うが見ていて飽きないね」

 

「すっかりご執心みたいね。このじゃじゃ馬をうまく乗りこなしているようで安心したわ」

 

 アグリッピナはこうして語り合うまでは冷や汗をかいていた。言ってみればこの少佐は核弾頭だ。持っているだけで圧力を持ち、扱いを誤れば多くの人間が死ぬ。反面、飼い慣らされてから丸くなったと心配したが逆だ。少佐はより戦争の歓喜を無限に味わうためにルシウスを選んだのだ。ある意味ではもっともいい組み合わせだったかもしれない。

 

「彼に死んでもらうのは困るさ。私の楽しみがなくなってしまうし、何よりこうしてうまい飯が食えなくなってしまうじゃないか」

 

 そう言って丸々と太った腹が揺れる。ああ、この腹の理由はルシウスだったかとアグリッピナは呆れたような視線を送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元老院議員たちの別邸の中庭では朝早くから法被と鉢巻を装備した老人たちが年甲斐もなく踊りの練習をしていた。もうこいつらルシウス暗殺する気がないだろと言いたくなるが、これでもまだルシウス暗殺を企んでいる。そこに大理石の床を走る音が近づき、一人の元老議員が中庭に現れた。

 

「皆、朗報だ!新たなメンバーが到着した!」

 

「何?また新しいファンクラブ会員か!」

 

「暗殺の方だ!」

 

 などとボケていると一人の少年を先頭とするローブの集団が中庭に入ってくる。猫のような愛くるしい笑顔をした少年だが後続の者たちの纏う雰囲気はどこか物々しい。

 

「お、おい暗殺チームにこんな子供を加えるのはちょっと。いったいどこの子だ?」

 

「ほれ、前にルシウスに暗殺者をけしかけてた奴がおっただろう。そのあと事故でそいつが死に、残った親族はどこからか暗殺計画が漏れて一族郎党皆殺し……その生き残りだよ」

 

 少年の目が開き、猛禽類のような眼が元老議員たちを睨めつける。政界で活躍して来た彼らもその異様な圧力に一瞬気圧された。

 

「まだ赤子だった僕を乳母が逃がしてくれたのです。僕もみなさんと同じくルシウスに恨みを持つ者ですのでそのような心配はご無用」

 

「そ、そうか、大変だったのう。それで後ろの連中は?」

 

「ギリシャから呼び出した魔術師共です。金食い虫の彼らは快く依頼を受けてくれましたよ」

 

「そうかそうか!よし!では皆で歓迎の踊りを」

 

「あ、そういうのはいいのでお構いなく。今日は顔見せだけなので僕らは帰ります」

 

 どこか残念そうにしている元老議員たちを置いて少年は足早にその場を去った。元老議員たちの姿が見えなくなると少年はその瞳を光らせ、大理石の床に唾を吐き出す。愛玩動物のような愛くるしさは消失し、まるでずる賢い狐が猛獣たちを引き連れ歩いているような様子だった。

 

「あれはダメだね。口では暗殺だなんだと言ってるが、すっかりルシウスに毒されてやがる」

 

「始末しますか?」

 

「いや、あれはあれで使い道がある。切り捨てるのは最後になってからでいいだろう。まったく、お爺様もあんな奴らと手を組むから失敗するんだ。僕は違う。必ずあいつを殺してやるぞ」

 

 復讐に燃える獣たちは散り散りにローマの街に身を隠していった。元老議員たちとは違いまどろっこしいことはしない。狙うはジョーカーの首筋ただ一つ。彼らは今までその牙を静かに研ぎ続けていた。

 

 平穏だったローマが少しづつ変わり始めている。賢い者たちはそのことに気づくが当のジョーカーはつゆ知らず。あらゆる者たちの思惑が交差し、それは大きな波となって近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 元凶であるルシウスといえば昼間からネロの呼び出しを受けて絶望していた。今日は珍しく仕事がなくのんびり昼寝でもできるのではないかと淡い希望を抱いていたらしい。その希望を抱いて溺死しろということかネロよ。

 

「まったくローマは人使いが荒いな……おっと」

 

 曲がり角で唐突に人とぶつかる。相手は褐色の肌をした伊達男であり、珍しい白髪の持ち主だった。体を鍛えているのか恰幅がよく、肩がぶつかった瞬間まるで鉄の塊にでもぶつかったのではないかと錯覚するほどの硬さだ。

 

 男は軽く会釈を済ませると曲がり角へ消えていき、そこで待っていた仲間と落ち合う。全員このローマに似つかわしくない肌色と格好であった。

 

 白い軍服を着た優男が口を開く。

 

「どうだい奴さんの具合は?こんな大人数で戦うだけのものなのかな?」

 

「どうもこうも、普通の人間にしか見えんな。どうして我々が駆り出されたのか理解に苦しむよ」

 

「匂いからしてあいつ弱そうだぞ。早く始末して何か食おう」

 

「はいはい、まだ慌てないでね」

 

 白軍服の男の周りを煙のように漂う女が蛇のように鋭い歯をチラつかせて言う。白軍服の男は軍手をつけた手でどうどうと女を制した。まるで大型動物でも相手にするかのような仕草に思える。

 

 すると軍服をくいくいと褐色の女が引っ張った。まるで褐色の男と兄妹のように似ている。赤い首巻を風に靡かせ、身の丈にあまる大太刀を片手に持っていた。

 

「私はおでんが食べたいぞ。うまいおでんだ」

 

「うーん、ローマにはおでんはないかなぁ」

 

 口には出さないが女のぴょこんと伸びた白髪のアンテナが見る見るうちに萎びていく。消沈する褐色の女に褐色の男が悩ましそうに眉間を押さえながら答えた。

 

「あるぞ。和食、洋食、中華まであった」

 

「ほんとか!」

 

「あるの!?ローマだよねここ!?」

 

「じゃあカエルを出す店もあるな。終わったら食べに行こう」

 

 そう、これがローマである。久しぶりのまともな反応にアラヤはほろりと涙を流した。

 

「これだけのことを仕出かしているんだ。我々が駆り出されたのもそれが理由だろうな」

 

「なら急ぐことないかな。僕、ちょっとこの街散策してもいいかい?少し興味が湧いてきたよ」

 

「よし、ならうまいカエル料理の店を探すぞ」

 

「なら私はうまいおでん屋を探してきていいか?」

 

「……君たち、仕事に私情を持ち込むのはどうかと思うのだが」

 

「――くだらないな。僕は別行動させてもらおう」

 

 集団の輪からひとり離れた男が呟き、物陰の中へ消えていく。褐色の男はその姿を物悲しそうな顔をして見つめていた。物陰へ消えて行った男を初め、彼らはまるで幽霊のように消えていく。

 

 すれ違いに宮殿に向かったルシウスはというと、鯉みたくぱくぱくと口を開けて棒立ちしていた。ネロの言葉が信じられないのか、時々ほっぺをつねって夢か現か確認している。

 

「今なんて?」

 

「だから、しばらく休みをやると言っているのだ。最近のおまえは誰がどう見ても疲れ切っている。少し体を休めて英気を養え」

 

 休み?休みって何だっけ?

 

 【休み】の意味。

 ①休むこと。休息。②休む時間・日・期間。③欠勤・欠席すること。④寝ること。就寝。⑤蚕が、脱皮前しばらくの間、桑の葉を食べずに静止すること。眠り。眠。⑥ 斎宮の忌詞で病気をいう。国語辞典から引用。

 

 そういえば最近睡眠もろくにできてないなと白目を剥くルシウス。思考能力を奪われているせいで伝説に拍車がかかりアラヤも白目を剥いてるよ。

 

 ようやく停止した思考能力が働きルシウスはネロの柔らかい手を取ると涙をぼろぼろと流した。

 

「あ、あなたがハドリアヌス帝であったか……!」

 

「誰だそれ!?余はネロだよ!?」

 

 知らない人の名前を言われて混乱するネロだが、ルシウスと手が繋げて思わずによによと顔が崩れていく。

 

「ま、まあ休みの間は余とどこかへ旅行でもしよう。案ずるな、ちゃんと旅館の予約はとってある。なーぜーか部屋が埋まってるので余と相部屋になるがな!なーぜーか!異国の地で夜を共にした我らは服を脱ぎ捨て欲望のままに……『いや、初めては優しく!』『案ずるな、気持ちよくしてやる』的な話になってな!!えへへ……あ、でもルシウスが望むのなら別に激しくしても――」

 

「陛下」

 

「ぬ、何だセネカ!今妄想がいいところなのだから邪魔するな!!」

 

「ルシウス技師はとっくにお帰りになられております。具体的には『ま、まあ休みの間』の時点からです」

 

「え、ああ!?」

 

 見れば一人で処女的な妄想トリップでくねくねしているネロに、かつて教師であったセネカと守衛たちが生暖かい視線を送っていた。先ほどまでダダ漏れだった妄想の内容を思い返して、羞恥心に震えながらうずくまるネロ。ちょっと男子ー!ネロちゃん泣いてるじゃん!あ、やばいやばい!やばいっ!ネロやばい!!

 

「ま、まぁぁあ!別に明日ルシウス誘って有言実行すーるーしー!だからこれは痛い妄想とかそんなんじゃなくなるしー!!」

 

「そ、そうですよ陛下!別にこじらせちゃった面倒い処女臭くないし!」

 

「そのまま押し倒してレッツ卒業ですよ!もうばんばんやりまくりましょう!!」

 

 ローマ宮殿はセクハラが横行するアットホームな職場だった。

 

「処女って言うなー!貧乳と処女は希少価値でステータスなんだー!!」

 

 宮殿に悲しげなネロの声が鳴り響く。なんだいつものことかとみんな思った。どうせ明日もルシウスを誘えずにヘタれるだろうなとも思っている。だが、その日からルシウスはローマから忽然と消えた。まあ、ルシウスならきっと大丈夫だろうとみんなは彼の帰りを待ち続けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が死んだという知らせを聞くまでは。



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アイドルが戦争するわけないだろ!いったい何が起こるんですか!?

おかしい……ギャグが薄い。これでは窒息してしまう(筆者が)
今回はやや胸糞成分あるから注意。レ●プはありません。お腹フェチのペロリストならいます。


 ルシウスがローマから忽然と消えてからおよそ1ヶ月が過ぎた。霊圧はもちろん、その足取りさえも不明である。初めはいつものことかと呑気に考えていたローマ市民たちも、三日すぎると中毒症状が現れてルシウスを探し回り、十日経つと戦争でも起きるのかってくらい慌て出した。その噂を聞きつけたアイドル同盟国、ローマ属州、奴隷時代に色々やらかした国々も慌ただしくなり始めてもはや世界規模の騒がしさと化す。ガイアさんが不眠で訴えにくるぞ。

 

 市内を歩けばまるでヒロポン中毒者のように憔悴し切ったローマ市民たち。まるで聖書の文句を紡ぐようにルシウスの言葉を語り続けるHUROHAIRITE部隊。ロクスタはその症状をルシウスニウム欠乏症と命名し、ルシウス人形を配布した。おまえの方も頭にルシウスニウム足りてねえじゃねか。

 

 市内と比べれば宮殿の方はまだマシだったが、衛士たちが慌ただしく大理石の床を走り回っていた。市民たちがこれならネロは仮死状態になってるんじゃないかと思うが、勇ましく衛士たちの先頭に立ちルシウス捜索の指揮を取り仕切っている。

 

「ヘロデアの娘、サロメからの書状は!?」

 

「ダメです!ヨナカーンとルシウス様の名前の羅列が狂ったように続いています!」

 

「ええい!人選間違ったわ!ヘロデ王に寄越してこい!思い当たる国全てに捜索願を届けよ!」

 

 ネロは的確に指示を送り、正確に仕事の処理を行っていた。一見すれば冷静なようにも思えるが、しばらく眠れていないのか目の下に大きなクマが出来上がっている。アグリッピナはネロとは別行動で動き、少佐と共に別方向から情報を洗っているらしい。意外なことに神父が一番落ち着いており普段通りの笑顔を振りまいては市民らを元気付けていた。他の部隊幹部『伯爵』『執事』の動向は未だ謎である。

 

 イケニ族の温泉街でもローマの騒動が知れ渡り、表立った騒ぎはないが皆心ここに在らずという様子だ。特にブーディカなどは平静を装いながら部族を落ち着かせているが、どこかプラスタグス王がなくなった後の憂いを帯びた姿を彷彿とさせる。

 

 誰もがルシウスの無事を祈る中で、ローマ、イケニの両国にある噂が流れた。

 

 『ルシウスの死亡説』

 

 初めは皆、信じてはいなかった。だが、不安は疑心の種に甲斐甲斐しく水をやる。もしかして、いやまさか。市民たちの中にも状況を悲観視する人間が一人、また一人と呟き始めた。そんな皆の弱り切った心に狐狸が付け込むように、信じられないような噂がまた両国に広まる。

 

 宮殿の中を一人の衛兵が息を切らせながら走り抜く。誰もが作業から一旦手を離しその鬼気迫る表情を眺めた。ネロを筆頭とするルシウス捜索班が集まる会議室に衛兵が倒れこむように到着する。別の衛兵から水を受け取った衛兵は息も絶え絶えながら言葉を紡いだ。

 

「ご、ご報告…はぁっ、致しますっ」

 

「どうした!まさかルシウスが」

 

 会議室に安堵の声が広がるが、衛兵はそれを否定した。

 

「い、いえ!そうではなく…はっ、市内にとんでもない噂が!!」

 

「くっ、また下らない噂か!そんなもの放っておけ!」

 

「それが実は――――――」

 

 

 

 

「誰だ!!!そんな噂を流したのは誰だ!!!!」

 

 

 

 

 

 衛兵の言葉はまるで荒唐無稽な噂だ。まさしくそれは戯れ言だった。しかし、その言葉をネロが、ネロだからこそ見逃すことは出来なかったのだ。

 

 噂を鼻で笑う者、すぐさま否定する者たちの中で、ネロだけが噴火する火山のように怒った。

 

「そんなデマを流したやつはコロッセオの中央に縛り付け、生きたまま猛獣にそのはらわたを喰わせてやる!!!早く、早く余の前にその罪人を引っ立てよ!!!!」

 

 それは誰もが見たことがないネロの怒りだった。いつもは皆に温和に語りかけ、軽い冗談を軽快に笑い、愛を告げる勇気も持てない少女が初めて見せた怒り。まるでローマそのものが怒り狂ったような圧力が宮殿を支配する。

 

 ほとんどの者が息もできずにただ押しつぶされそうになった。そんな重圧の中をセネカは悠々と歩き、まるで子供をあやすように両手を肩の上に置く。

 

「ネロ、落ち着きなさい」

 

「離せセネカ!!!余は、余は!!!」

 

「今あなたがやろうとしていることは彼の功績を汚す行いです」

 

 セネカの言葉にネロの熱が引いていき、ただ感情を圧し殺した表情で立ち止まった。

 

「――――許せ、熱くなり過ぎた」

 

「一度彼女とローマで共同ライブを催しましょう。そうすれば噂も収まるはずです」

 

「こんな時に、いや、こんな時だからこそ歌って勇気付けなければな……」

 

 悩ましげな表情はすでに隠され、そこには今までの皇帝としてのネロの顔があった。衛兵らが安堵する中で、セネカだけが彼女の精神状況がすでに限界に近いこと察する。今は少しでもこの激務から離れ、好きな歌に没頭できれば心の平穏を取り戻せるだろうかと思ったのだ。

 

 再び捜索会議を再開する中で、衛兵の誰かがいった。

 

「まったく、悪い冗談だ。ブーディカさまがルシウス技師を殺すわけがないのに……」

 

 その言葉が、まるで泥のようにべっとりと耳の奥に貼り付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 イケニ族集落、女王宅ではローマから届いた書状を読んだブーディカが頭を抱えていた。それにはローマで広まる醜聞についてネロが頭を悩ませていることが記されている。

 

「あるわけないじゃないか。ネロがルシウスを殺しただなんて……」

 

 ブーディカにとってネロは妹のような存在だった。初めはルシウスを独占する皇帝に嫉妬がなかったわけではない。だが、会って話してみれば彼女は恋に悩む一人の少女であった。対してブーディカのルシウスに対する好意の形は愛情という完成されたものだ。未熟で幼い愛情を大切に抱くネロを見て、幼さを羨み、昔を懐かしみ、それを応援してやりたいとさえ思った。気づけば彼女たちはまるで姉妹のような関係になっていたのだ。

 

「ネロ様はルシウス技師がいなくなってから日に日にやつれられ、この醜聞にほとほと頭を悩ましておられます」

 

 書状を届けにきたローマ兵がいたわしそうに申し上げた。

 

 初めてルシウスが村にやってきた時に付き従っていた兵士たち。温泉街の建設を共に進めるうちイケニの戦士とも交友を深め、こうして伝令の橋渡しを行うまでに部族と信頼関係を築いている。そんな彼らが辛そうに話す姿を見て、自分が集落を離れるべきか悩んでいたブーディカは決心した。

 

「わかった。私がローマへ行くことでネロが助かるなら」

 

 ブーディカは娘二人を連れて伝令のローマ兵と共にローマへ出航し、集落には信頼できる戦士と駐在しているローマ兵が残った。ブリテン海峡を越え、ローマまであと半ばほどの渓谷に差し掛かった時だ。先行していたローマ兵が急に立ち止まり馬から降りる。

 

「どうしたの?」

 

「……あー、うるせえな」

 

「え?」

 

 その言葉に理解が追いつかないブーディカ。ローマ兵は完全な無防備状態の彼女に近づき、彼女の愛馬を切りつけた。ブーディカは暴れる愛馬から受け身も取れずに落とされ、衝撃で肺から空気が吐き出される苦しみに悶えた。不規則な呼吸をする彼女を以前のような蔑む目で見下ろす男は無遠慮に蹴り上げる。

 

「いつも、いつも、いつも、いつも!うるせんだよクソアマがああああ!!」

 

「がはっ!」

 

 何度も、何度も、何度も、ローマ兵はブーディカを蹴り上げる。ブーディカはそれに抗うような真似はしなかった。あまりの状況に理解が追いつかなかったこともあるが、むしろ自分が彼に悪いことをしてしまったような気がしたのだ。あまりにもお気楽な思考。しかし、それだけ彼を信頼していたことの証明でもある。

 

「母さん!」

 

「は、離してよ!」

 

「エスィルト!ネッサン!」

 

 地に組み伏せられた二人の娘を見てブーディカが叫ぶ。二人を組み敷いている男たちは娘たちと仲の良いローマ兵たちだった。彼らに襲われるなんて少しも思っていなかったのだろう。

 

「ど、どうして、なぜ、こんなことを!」

 

「ある人の命令でね。まあ、諦めて死んでくれや。今頃残った俺の仲間があんた達の集落で暴れてる頃かなぁ」

 

 彼らの目には一切の感情の揺れはなく、それが冷徹な事実であることがわかった。まるで屠殺前の家畜を見る作業員。今の彼らとの関係なんて、それだけ片付けられる程度のものだ。だが中には家畜にすら欲情する外道がいる。

 

 あまりの状況の変化に戸惑うブーディカは、ネッサンを押さえている男の目に邪な気配が宿るのを見逃した。

 

「なあ隊長、殺す前に少しくらい遊んでもいいか?」

 

「……まあ、あんまり時間掛けるなよ」

 

 ブーディカを先ほどまで蹴り続けていた男は感慨もなく言い放つと、その部下はネッサンの衣服を引きちぎった。ネッサンの大きく育った胸が揺れる。男の唾液に塗れたヒルのような舌が腹部から胸元に掛けてゆっくりと進んだ。

 

「いやぁ、初めて見た時からヤりたいと思ってたんだよなぁ」

 

「や、やだぁ!助けて母さん!」

 

「ネッサン!お願いやめさせ、ごふっ!」

 

 返答は暴力となってブーディカへと返される。男の視線に苛立ちが混じり始め、眉間には血管が浮き出ていた。

 

「だから、テメら蛮族には拒否権なんてねんだよ!共同統治なんてまどろっこしいことせずに最初からこうすればよかったんだ!!」

 

「ぐぅ、あがっ!」

 

 ブーディカは蹴られ続ける中で、いまだ彼らに対し敵意を抑えていた。彼女には予感があったのだ。おそらく、それを解放した瞬間に彼ら全員を殺してしまうだろう。彼女の中で今も猛り続けるケルトの血がそう叫んでいるのだ。ただ蹴られるな。その足をへし折り、蔑むその目をえぐり出し、首を刈り取れと本能が体をつき動かそうとしている。それでもこうして耐えていられるのは、これが現実ではなく、悪夢に囚われているような感覚があったからだ。彼らと築いた絆は偽物ではなかったはず。目の前に立つ彼らは夢幻だ。

 

「へへっ」

 

「いやぁ……ルシウスさん、ルシウスさん!」

 

 そう、きっとルシウスならこの夢を晴らしてくれる。腹に響くこの痛みも、目の前で繰り広げられている悪夢も。

 

「あー、ルシウスさん。ルシウスさんねぇ……」

 

 するとブーディカを足蹴にする男はその名前をあざ笑うように口角を上げた。懐から血で染まった布を摘みあげ、谷風に靡かせるように広げる。すぐそばにいたブーディカを始め、娘たちの表情が消えた。

 

「これが何か、あんたらなら分かるよなぁ。特にそこの妹ちゃんなら間違えるはずがない」

 

 彼女たちが見間違うはずがない。それはいつもルシウスが肌身離さずに持っていたハンカチ。鼻先をわずかに動かしたネッサンの表情が絶望に歪み、目から大粒の涙が溢れる。彼女は気づいたのだ。このハンカチが誰のもので、その血が持ち主のものと同じだということを。

 

「殺す前にいいこと教えてあげますよ。おれらに命令したのはあんたと仲良しのネロ様ですよ」

 

 あり得るわけがない。頭ではそう理解しているはずなのに、それでもこの状況が疑心の苗を育てた。何より自分という存在がネロを敵にすることで歯車がぴったりと噛み合うような感覚がどこかに存在する。

 

『そうだ、ネロは元々そういうやつだったのさ。そして私もネロを殺すためにここにいるはずだろう?』

 

 自分の声が脳内に響く。でも自分ではない何かだった。まるで怨念の化身が語りかけてくるようだ。振り払っても耳の奥にべったりとくっついたまま離れない。呪詛が体に染み込んでいく。少しでも背中を押されたら強烈な殺意に飲み込まれそうだ。

 

「あー、そうそう」

 

 決壊寸前の心を壊したのは、自分を足蹴にしていた男の言葉だった。

 

 

 

 

 

「ルシウス技師を殺したのはネロ様ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネロたちが渓谷に通り掛った瞬間、濃厚な血の匂いが漂っていた。戦場で血しぶきを浴びてきた歴戦のローマ兵が嘔吐くほどの悪臭。まるで人喰い鬼の巣に足を踏み入れてしまったような死の気配が充満している。

 

 ――カツ、カツ。

 

 鬼の足音が渓谷に木霊した。気高き勇士であり、いくつもの戦場を闊歩してきたローマ兵たちが怯えている。しかし戦場とはおよそ無縁だったネロだけがどこか落ち着いていた。その心境は旧友を迎えるような穏やかな心と似ている。

 

「お、お前は……!?」

 

 薄暗い闇の中から現れたのはブーディカだった。ネロにとってはもはや血の繋がりのない姉のような存在といっても過言ではない。だが、彼女の姿が見えた瞬間、ネロが抱いた感情は恐怖だ。

 

 頭からつま先まで大量の鮮血に塗れ、普段は団子状にまとめた長髪が解けて風に妖しく揺らめく。ブーディカの温和な母の表情は幽鬼の残忍な微笑みへと変貌していた。右手には男の生首を二つ、左手には下半身を捥がれた男の胴体を引きずり大地に赤い線を刻んでいる。そして死体のどれもが壮絶な恐怖に歪んだ面持ちを描き絶命していた。ネロたちはその顔を見てすぐに気づく。それがイケニ族の伝令に使っていた兵士の死体であることに。

 

「なぜ、どうしてこんなことを……」

 

 ネロの美しく澄んだ声は渓谷によく通った。それは久しぶりの血の匂いで恍惚とするブーディカの耳にも嫌でも響く。狂戦士の意識から覚醒したブーディカの目の前にはネロの姿が映っていただろう。しかしその姿はブーディカの身に降りかかった出来事を合わせることで現実と乖離する。

 

「……ああ、そうか。やっぱり本当のことだったんだな」

 

 そう言って、ブーディカは心底寂しげな笑みを浮かべた。

 

 ただ、お互いにとって間が悪かったなどとは到底言い表せない綿密に組み合わされた惨劇の歯車。その部品が彼女たち二人である。まだどこかで信じていた互いの心に据わる疑念が黒い悪の華を咲かせた。

 

「ネロォおおおおおおおおお!!!!」

 

 ブーディカの放った胴体が隼のごとくネロへ投擲される。呆然と立ちすくむネロを側に立っていた兵士が押し倒すことでその物体は頭上を掠めた。胴体はそのまま後方にあった岩に衝突し、熟れたトマトを壁に投げつけたような惨状が広がる。それがネロを殺す一撃であったことはたしかであった。

 

「どうしてだブーディカ…どうしてお前がこんなことを!?」

 

「それをお前が言うのか!!お前が、お前がああああああ!!!」

 

 およそ人の発する声と思えない轟音が渓谷を揺らす。そこには人々を魅了してきたアイドルの姿はなく、ケルトの狂戦士としての覚醒と別世界の魂が混じった怨念の塊がネロを凝視していた。

 

「皇帝陛下!早くお逃げください!」

 

「う……あああっ!」

 

 ネロが慕い続けた姿とはまったく違う。見たこともない獣のようなブーディカの様に彼女はひどくショックを受けた。それは守り続けてきた信頼を打ち壊し、心の根に満開の華を咲かす。弱り切ったネロの心に巣喰うのは簡単だったのだ。

 

 二人が袂を分かったその時より、ローマとイケニ族は歴史上類を見ない戦争状態になる。ローマには多くの属州が集結し、イケニはアイドル同盟国が集結した。同盟国がイケニ族に味方したのは、ローマではなくルシウスによる同盟締結が大きなところであり、アイドル達がリーダーとして信頼の厚かったブーディカに与したのはある意味当然とも言える。

 

 史実よりも数百倍のスケールで戦争が起きる中で、その時代の誰もがルシウスの帰りを待っていた。おそらくこの戦争を回避させる事ができるのはルシウスしかいないのだと確信していたのだろう。




突然のシリアスで困惑しているそこのあなた。この作品でのシリアス成分はこの話でほとんど終わりです(真顔)


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ルシウスが捕まるわけないだろ!いつから私が戦えないと錯覚していた?

前話の出来事に混乱されている方向けの説明

・イエスロリータゴータッチの変態がネッサンのお腹をぺろぺろしただけで陵辱エロ同人的な展開にはなっておりません。その後スーパーイケニ人が下半身ごと捥いでます。

・前回でローマ陣営が死にましたが正確には死んではいません。この話で明らかになります。

・唐突なシリアスに心臓を潰された方々もいると思いますが、展開上ネロとブーディカが対立する必要があったのでこんな胸糞展開になっております。これからどうなるか心配されていると思いますがこのルートでは基本グッドエンドです。なによりルシウスを信じろ。


 ああ煩い、水の滴り落ちる音が鳴っている。瞼を開けば足元に水がたまり、トーガが肌に引っ付く嫌な感触が煩わしい。水たまりに赤色が混じっている。口内に充満する鉄と生臭さで思わず吐き出し咽せた。水たまりがより赤く染まる。切り傷の鋭く液体が染みる痛み。打撲の皮膚表面が熱を持つような鈍い痛み。骨折の電撃みたいな強烈な痛み。痛覚のカクテルが脳幹に流し込まれて叩き起こされる。

 

(何でここにいるんだっけ? 家でぬくぬくと寝てた筈なんだけど)

 

 ネロ帝に呼び出された後、そのまま家に帰り死んだように寝ていた。そして気づけば自宅の椅子に縛り付けられローブの集団にリンチでこんな有様だ。読書感想文にもならない簡潔な説明になる。後日、先生に怒られて図書室で居残りさせられるパターンだな。

 

 周りを囲んでいる男たちがルシウスの腫れた顔に冷水を乱暴にかける。水が傷にも骨身にも染み、声が出そうになるが喉の奥から何も出てこない。

 

「不思議そうな顔してますねぇ」

 

 囲んでいた男たちが両脇に下がり、妙に偉そうな子供がずる賢そうな笑顔を湛えてルシウスの前に立つ。目と目が合ったかと思えば子供が持っていた針のような器具をルシウスの足に深々と突き刺さした。反射的に悲鳴をあげそうになるが喉が硬直したように声がでない。

 

「痛くても声が出ないんですよね。何でもギリシャの蛇の怪物を元に再現した停止の魔眼らしいですよ。魔術で人払いもしてくれましたし、魔術師って本当に何でもありですよね。人の生皮を被ることでその人に成り変われたり、対魔力のない相手の思考を誘導出来たり、本当に使えますよ」

 

 ああ、だからローブのおっさんがずっとガン見してたのかとルシウスは納得した。ドライアイになりそうとちょっと心配になる。

 

「それにしてもずいぶんあっさりと捕まってくれましたね。何か裏があるんじゃないかと疑うか、それともただの馬鹿なのか。英雄だ何だと称えられるわりには大した男ではないですね」

 

 ただの馬鹿です。縛られて拷問されている間も爆睡していました。

 

 ルシウスの呑気そうな顔に苛ついたのか、子供は新しい針を足に突き刺す。先ほどから激痛が走る部分に深く突き刺す割には出血は少ない。平然とした様子から拷問に手馴れているように感じた。

 

「貴方は僕のことなんて知らないでしょうね。僕が今までどんな思いで生きてきたのかなんて興味もないんでしょう。だが、僕には貴方に復讐する権利がある。今度は僕があなたから全てを奪う番だ……!」

 

 目の前で復讐ムーブかまされているが、ルシウスにはまったく身に覚えがなかった。だってそういう裏仕事は大体古弟子達が処理しているんだもん。

 

 魔眼使いが瞬きをしたわずかな時間に溢れたその先の言葉は、まあ空気は読めていなかったが正しい反応ではあった。

 

 

 

 

「え、誰?」

 

 

 

 

 周りを囲んでいた魔術師達もドン引きするほどの素の反応。目の前の子供も想定外の言葉でフリーズした。だが脳が再起動すると怒りで眉間の血管から血が吹き出し、針を掴んでいた手に力が篭る。

 

「ま、まあ、このまま殺すこともできますが、それでは面白くありませんしねえ、私はしばらく離れ…」

 

「眉間から血出てるけどハンカチいる?」

 

「お前少しだまれ!魔眼発動!」

 

 魔眼でルシウスが停止している隙に怒りを我慢している雇い主を素早く外へ連れ出した魔術師チーム。もうこれだけでやりきった感がすごかった。というかローマに来てからというもの美味そうな料理や見たこともない建物が気になって仕事にまったく身が入らない。はやくルシウスを始末してローマ観光したい気持ちでみんないっぱいだが、雇い主からのしばらく痛めつけてから殺せという契約に縛られている。

 

「ふう、喉乾いたぜ。ちょっと水飲んで……お、水の入ったコップがあるじゃん」

 

「やめとけよ、こいつの飲みかけかもしれねーぜ」

 

「別に構わねえよ」

 

「あ、それは…飲まない方が…」

 

 魔眼の魔術師がそのコップを掴んだ瞬間、ルシウスがおそらくこの場で初めて動揺を見せた。今まで能面のように拷問を耐えて来たルシウスの変化に思わず頬が緩む魔術師たち。その心境はにらめっこしていた能面の相手がようやくそれらしき反応を見せ始めた時のもの。まあ、もともと爆睡と魔眼の効果で勝負にもなっていなかったがな。

 

 魔眼の魔術師は思った。おそらくルシウスは喉が渇いているのだろう。拷問とはいわば互いの精神力の駆け引き。どちらかが精神的に優位に立っていれば、その影響は終盤まで続く。ならばこの場で水分補給できなかった方は断然に不利であろう。その上、喉が乾いた状態でうまそうに飲まれたら精神力の消費は絶大なはず。

 

「あげねぇよ。バーカ」

 

 魔眼の魔術師はドヤ顔を決めながらコップの水を飲み干した。他の魔術師たちでもちょっとむかつくレベルのドヤ顔。決まったぜ、お前がナンバーワンだと心の中で拍手する。

 

 だが、変化は唐突に起きた。

 

「へへ……うっ!」

 

 魔眼の男は突然、喉を掻き毟るように苦しみ悶えた。それもそのはず、なぜならそのコップの水はルシウスがトリカブトをいける花瓶の代わりにしていたもの。その水は帰って来た時に花を取り替えようとしたまま寝落ちした時の水だ。つまり前日からトリカブトがいけてあった毒成分たっぷりの水をドヤ顔で飲み干したことになる。

 

 魔眼の男はドヤ顔を決めたままその場で息を引き取った。

 

「て、てめぇ!一体なにをした!」

 

「やっぱり罠だったのか!畜生やられた!!」

 

 そっちの完全な自爆である。

 

「もう容赦しねえぞ!てめぇはここで殺す!」

 

 囲んでいた魔術師達が一斉に魔力の弾丸を放出した。一発当たれば人の体など粉々にできる威力の魔術の嵐に砂埃が舞う。見えなくとも的は縛られているのだから照準を変えずに撃ち続けられた。さらに砂塵が舞い部屋の中に充満する。

 

「やめだ!煙で何も見えねよ!」

 

 あまりの砂煙でむせる者も出始めた頃、誰かの静止の一声で頭に血の上った魔術師達は一斉に攻撃を中止した。

 

 冷静になった頭で何を慌てていたのだろうかと全員が後悔する。敵は縛られた男一人のはずなのに、その場の全員が今ここでこの男を殺さねばならないような強迫観念に苛まれていた。殺す必要なんて最初からなかったはずだ。

 

 皆は報酬は減るだろうと気を落とすが、ルシウスが死んだという安堵の気持ちが強かった。煙がようやく晴れて死体とご対面するであろう瞬間、

 

「ぐおっ!」

 

 魔術師の一人が空中へ円を描くように舞った。メンバーの中でもかなりの巨躯の持ち主だ。巨体が地面に落ちると同時に煙が晴れ爆心地があらわになる。

 

「お、お前は!?なぜ、どうして!?」

 

 そこにはあのルシウスが立っていた。体中魔弾が掠め拷問の傷も合わせれば五体満足とは言い難いが、どれも奇跡的に急所を外している。おそらくは何らかの手段により縄から抜け出し、素早く床に身を伏せたのだろう。

 

 精神的駆け引きで上位に立っていた魔術師たちが、その想定外の状況によりどん底へ突き落とされていた。だが、相手はあと一発でも当てれば倒れそうなほど弱っている。何人かが勇気を振り絞りルシウスへと突貫した。

 

「う、うおおおおお!!!」

 

「ま、まて!そいつはおそらく!」

 

 魔力により身体能力を向上させた魔術師三人が獣の俊敏さで迫っていく中で、ルシウスは至って冷静に息を吐き腰を深く落とした。その初動に何人かが反応する。目の良い者たちはその流麗な動きを捉え、ルシウスの拳が彼らの急所を穿つ瞬間を目撃した。三人が力つきその場に倒れ込むと同時に叫ぶ。

 

「なぜだ!なぜローマ人であり、浴場技師であるお前が我が国の技術を使う!!」

 

 彼らはルシウスの技を知っている。ギリシャ人である彼らだからこそ気づいた。古代ギリシャの格闘技にして『全力』を意味するその技の名。

 

「いつから私は非戦闘職だと確信していた?私はギリシャ、アテネに赴いたとき既に“パンクラチオン”を会得している」

 

 この男、何気に原作一巻通りにギリシャに赴いてみたが、建築学を学ぶ前に悪質なキャッチセールスに捕まり無理やり格闘技を覚えさせられ有り金を持って行かれていた。ルシウスにとってギリシャなど荒木作品の一部二部も真っ青になるほどの苛烈な修行の思い出しかない。

 

「くっ、全員で掛かればお前なんて…」

 

「密室の中でパンクラチオン使いを相手にする危険性を知らないわけではないだろう。私がその気になれば、数分でお前らを半分程度に減らすことなど造作もない」

 

「う、嘘だ!お前だって満身創痍のはずだろう!?」

 

 そう嘘である。拷問のダメージに加えて先ほどの動きで無理がたたり全身ボロボロ。元々戦うのが嫌いな性格が災いし、普段は使わない筋肉の酷使により筋繊維がずたずたであった。あと一撃でも擦れば気絶するだろう。

 

「提案がある。ここから出て外でやり合おう」

 

「何?」

 

「私も自分の家がめちゃくちゃにされるのは困るんでな。そっちにとっても悪い条件ではないだろう」

 

 確かに基本中距離攻撃、遠距離攻撃の魔術師たちにとって密室での戦闘では全力が出せない。わざわざ近距離攻撃を使うルシウスが自身のホームグラウンドを捨てる点については不可解ではあったが、十分に美味しい条件ではある。

 

「いいだろう、その条件に乗ろう」

 

「よし、じゃあまずは私が先に出よう。背中に攻撃して来たら即パンクラチオンだからな?」

 

「ちっ、構わん行け!」

 

 魔術師たちがルシウスの背中を見つめ続ける中、ルシウスは計画通りと笑みを浮かべた。なぜならルシウスの隣の家はペトロ宅。キリスト教の総本山であり、ここ最近の磔の影響で家の中には護衛もたくさんいる。何よりペトロ本人も磔のされすぎで割と不死身になっていた。異教徒の魔術師にはキリスト教をぶつけるんだよと、関係のない人間を巻き込もうとするクズである。

 

 ルシウスは家から抜け出すと真っ先にペトロ宅に逃げ込んだ。

 

「ペトロ、助けてくれ!ペトロ……あれ?」

 

 そこには誰もおらず、テーブルの上にぽつんと置き手紙のみがあった。

 

 

『度重なる磔被害により引っ越ししました。ご近所さんが入信するなら帰ってくるのもやぶさかじゃないんだからね!』

 

 

 終わったと思った。だいたいこいつの自業自得とネロのせいであるがな。

 

「おい、どこ行ったあいつ!」

 

「ひぇ!どこかに隠れられる場所は……ん?」

 

 ルシウスは何とか隠れられる場所を探していると、何とペトロの隠し風呂を発見する。おい、風呂禁止とかのルール立てた宗教の聖人なにやっとんねん。

 

 魔術師たちはペトロ宅を荒らし回ったが、壁の中に隠された風呂の中にルシウスの血塗れのハンカチだけが浮かんでいた。ぶっちゃけ瀕死の重傷を負ってるしルシウスは死んだことにして魔術師たちは報酬を貰おうと口裏を合わせるが、それが彼らに何倍もの仕返しとなって返るとは予想だにしなかっただろう。



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親方、空からルシウスが降ってくるわけないだろ!伝説は再び蘇るその一!!

今回は二部か、三部構成なので短め。


 そこはかつて、『その者白き衣を纏いて金色の湯に降りたつべし』の伝説が始まった場所。群衆の中に盲目の老婆が孫たちに支えられながら何とか立っている。かつて老婆はまだ光の宿っていた眼で奇跡を目の当たりにし、それ以来その伝説を絶やすことなく口伝して来た。だがどうだ、英雄が死んでから湯は枯れ、伝説の荒野には英雄が愛した二人の王が命を賭した戦いに挑もうとしている。

 

 戦士、軍隊、浴場技師、作家、アイドル、医者、町娘、王族、老人。

 ありとあらゆる人種と年齢、役職の異なった多くの人々がその荒野に集まり、戦いの行く末を見届けようとしている。ほとんどの目には怒りの炎しか映らない。何億という人の目に燃ゆる炎を誰が消せるだろうか。この老いた老婆では言葉すら届きはしないだろう。

 

「大ババ様、泣いているの?」

 

「いいや、この枯れた眼は涙すら枯れ果ててしまったよ」

 

 群衆が円形に囲む中、二人は剣を構えている。

 ネロ帝は赤く燃ゆる長剣を、ブーディカは星の如き輝きを放つ片手剣と盾を携えていた。二人の戦士すらも超越した王の圧力ははるか後方まで届いている。人の意思の集合体、国家の縮図が王ならば、彼女たちは今この場にいる数億の人間の全てを背負っているだろう。それはもはや神の化身と相違ない。

 

 ネロが切っ先をブーディカに向けて宣言した。

 

「戦火による流血はルシウスも望まないだろう、流れるのは私たちの血だけでいい」

 

 ブーディカはその言葉に虚ろな目で答える。

 

「構わない。早く終わらせよう」

 

 戦う以外は興味がなさそうに呟いた。もう、ここが現実かどうかもわかっていない。別世界の人格に動かされた人形がそこに立っている。

 

 ネロが下段に、ブーディカは上段に構えを取り合う。誰もが沈黙し固唾を呑み込むその場で、荒野へ流れる一陣の風で砂つぶが擦れ合う。小さなその音が嫌に大きく響いたような気がした。

 

 その音が止んだ時、中央から発生した衝撃波が周りの群衆へと届く。およそ人の剣戟とは思えない神速の応酬。歴戦の戦士たちでさえ少しでも目を離せばその動きを再び捉えるのは困難なほどの高次元の戦いが繰り広げられる。

 

「な、なあ……ネロ様が押してないか?」

 

「い、いや、ブーディカ様だろ?」

 

 当初の予想ではネロ帝が真っ先に負けると考えられていた。オリンピック競技の試合と戦場にて繰り広げられる命のやり取りでは天と地の差がある。だが、目の前の少女はまるで戦の女神が憑依したように戦っているではないか。斬撃の一つ一つが必殺の一撃へと昇華されている。それに正面から打ち合えるブーディカもまた赤き頭髪を妖しく揺らめかせる冷徹な鬼神。片手剣と盾を使い分けた細やかな動きに加え無数の手数でネロの動きを牽制している。

 

 何よりこの戦いをより高次元へ導いているのは互いの武器である。

 

 ネロの長剣『原初の火(アエストゥス・エストゥス)』は本来はネロが自らの手で、自らのために作り上げた武器。その製作にルシウスも一役買ってしまっていた。ルシウスの手により宝具レベルがワンランク上昇し、どこから手に入れたかも分からない謎の鉱物を加えたおかげでより重く硬い業物となっている。その上空気を読める剣なのでいつもより燃えていた。この剣、ちゃっかりと大火の際に抑止力の炎を吸収してたりする。

 

 そしてブーディカの『約束されざる勝利の剣(ソード・オブ・ブディカ)』も代々イケニ族に伝わる宝剣であったが、最近は湯から溢れ出す星の息吹に当てられて星の聖剣と大差ないランクに上昇している。盾もアヴァロンには遠く及ばないが強固な守りを誇り、正面からネロの攻撃を受けなければ壊れることはない。

 

 衝撃波が空の雲を散らし、斬撃が大地に深く刻み込まれていく。神々すら震える圧力が世界へと拡散した。それは最早聖杯戦争と変わらない規模の戦いだ。

 

 接近戦では埒があかないと踏んだ二人は互いに大きく距離を取り、自身の魔力を剣へと集中させる。抑止力よりバックアップされた膨大な力が渦となって集まり、散り散りとなっていた雲が集まりとぐろを巻いた。もし、この膨大なエネルギーが衝突し合えば周囲一帯は消し飛ぶだろう。アラヤは道筋を外れた不確定要素を一掃するつもりだった。

 

国家を災いする業火(レグヌム・インフェルナーレ)!」

 

 ネロの高く掲げた原初の火が紅蓮の炎を巻き上げ、真紅に灯る色は白光色の閃光へと変わる。かつてローマを滅ぼさんとした地獄の炎を濃縮したイメージ。それは七つの龍の首へと変貌し、圧倒的な熱量で大地をガラス化した。

 

「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流……」

 

 ブーディカの掲げた剣に光の粒子が集まる。空、大地、人、すべての物質から流れる光の軌跡を纏う剣は黄金に輝いた。もはや勝利は約束されている。

 

 そう、輝けるかの剣こそは過去、現在、未来、を通じ、戦場に散っていく全ての強者たちが今際の際に抱く、悲しく、尊き夢。その意志を誇りと掲げ、その信義を貫けと正し、今、無勝不敗の王は世界からの約束を得た。

 

 高らかに手に取る奇蹟の真名を唱う。

 其は――

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!」

 

 天高く伸びた黄金の奔流がネロへと振り下ろされ、大地を穿ちながら突き進む。オリジナルの聖剣すら超えた光のフレアが圧倒的な破壊力をもって放たれた。

 

「おお、おお……」

 

 周囲は眩い閃光に包まれる。誰もが目を覆う中で、あの老婆だけが二つの光が衝突する地点に人影を見たのだ。老婆がその姿を見間違うはずがない。それはまだ目に光が宿っていた頃に憧れた英雄の姿。それは二人の王の目にも映り込んだ。

 

「ルシっ、くっ!」

 

 膨大なエネルギーが衝突し合った瞬間、その中心地から暴風が吹き荒れる。周囲の群衆らは腕を組み合って風圧で浮かび上がる体を繋ぎ止めていた。二人の王もあまりの風圧に片膝を突き、剣を大地に突き刺すことで体を繫ぎ止める。

 

 ――これは?

 

 アラヤは困惑した。本来なら大爆発後のキノコ雲が立ち昇っていてもおかしくない。この程度の被害で済むはずがないのだ。嫌な予感が思考を乱す。そう、あの男は何度も紙一重で危機を乗り越え、次には度肝を抜く展開をもってくるのだ。だが今回は違う。確実に瀕死の重傷を負わせた。たとえ別の時空へ逃れようと助かる見込みはゼロだ。

 

 綿密に仕組んだルシウス&ローマ滅亡作戦。だが、その終盤に差し掛かりアラヤは重大な見落としをしている。この時代に意識を集中していたアラヤは気づかなかった。彼がどこへ行き、何を連れて来たのか。そして彼の背後に何がいたのか。

 

 ――は、はあああああああ!?

 

 中心地のはるか上空、風で巻き上げられた二つの物体を見てアラヤは血反吐を吐く。自分をもっとも苦しめた男と傍に浮かぶ黒髪の女性。ルシウスに『伯爵』と呼ばれていたナニかがこちらに向かって中指を立てているのを目にして。




戦争を終結させるヒント。ナウ●カと芥川作品のランナー。
ガ●●さんもようやく重い腰をあげたようです。


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親方、空からルシウスが降ってくるわけないだろ!伝説は再び蘇るその二!!

なんでルシウスが温泉当てるかって話と仲直りする話よ


 時は遡りつつも急激に未来へと上昇する。

 

 場所は織田信長の居城。この城の大部分はヒノキを素材として建設されており、当然、風呂場も高品質のヒノキが使われている。香りの高いヒノキの芳香が広がる浴場には二人の少女たちが湯に浸かっていた。

 

 一人は越後の軍神にして女神長尾景虎。

 諸国の温泉を旅し続け美容に磨きを掛けた彼女は、相次ぐ戦国武将たちの告白と、秘境の湯を争ってとある武将と戦国無双を繰り広げる毎日に流石に疲れていた。最近ある城下町にカカオ風呂なる珍しい湯場が出来たと聞いて訪れてみれば、茶屋で知り合った相手と意気投合して温泉仲間になる。あとちょこれーと団子なる甘味が美味しかった。あとで他の甘味処散策してる家臣たちに買わせておこう。

 

 もう一人はこの城の主人織田信長。

 カカオの人工栽培に成功した信長は加工した物を名産品として売り出しぼろ儲けである。カカオ風呂も一部の人間の間では大流行中でさっき茶店で捕まえたカモに高値で売りつけようと画策していた。あとまた弟が謀反したのでこの間ついに粛清している。

 

「いやー、いいですね。このヒノキ風呂、私の城にも作れますかね?」

 

「うーん、どうじゃろうなぁ。城がヒノキ素材じゃないなら一人サイズの浴槽作る方が楽じゃね」

 

「そうですか。できれば二人で入れる大きさがいいのですがねぇ」

 

「おー?まさか越後の軍神殿にもとうとう春が来たのかのう」

 

 によによと何やら無性に腹の立つ顔を見て、景虎は瞳孔がわずかに開いたがすぐに笑顔になった。本来なら武将の恋話など政治のネタになりえる代物だが、景虎の思い浮かんだ存在の荒唐無稽さを思えば話しても問題ないかなぁと吹っ切れる。

 

「幼い頃に一度会ったきりなんですがね。実は異国の方でして」

 

「ほー!何じゃ、其方も異国大好きウーマンじゃったか!しかも軍神のくせにロマンチックなやつじゃのうーこのこの!」

 

「ん?」

 

「すいません」

 

 虎の眼光で睨まれ思わず湯船から上がって土下座する信長。魔王の威厳のかけらもなかった。

 

「まあ、かなりの変人でして、初めて会った場所は湯の中でした。最初はただの変態かと思えば生来の風呂好きで、私の人生相談にも乗っていただきました……まあ、その方はずっと全裸で縛られたままでしたが」

 

「いや、ただの変態じゃろそいつ……ん?あれ、どこかで覚えのある展開じゃのう」

 

 信長が思い出そうとうんうん唸っていると二人のすぐ前の水面から泡が上がってくる。信長はああ、またいつものかと諦観の眼差しで側にあった縄を手に持つが、血まみれの男の背中が浮かび上がって悲鳴をあげた。

 

「ひえええ!風呂の底から死体が!」

 

「いや、生きてるんじゃないですか?これ息してますし」

 

 言われてみればまだ水面からぽこぽこと泡が上がってくる。おそるおそる男の体を仰向けにしてみれば、二人はその顔を見て言葉を失う。かつて自分たちの前に現れ、唐突に姿を消した浴場技師。それが瀕死の重傷となって目の前にいた。

 

「殿ぉ!大丈夫ですか!」

 

「景虎ぁ!大丈夫か!」

 

 風呂の底から現れる家臣や兄のことすら眼中になく、二人はルシウスの体を抱き上げる。しょんぼりするんじゃない殿バカ三人組とシスコンよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウスは夢を見ていた。

 

 自身の体が星々の海を揺蕩い、光の粒子が体を包み込む心地よい夢。まるで母親の胎内で安らかに眠る胎児のように平穏な休息を得ていた。もう、このまま永遠に寝ていたかったが、それは宇宙が許さない。宇宙が優し気な母の声で告げる。

 

 ――今まで貸した分は働きなさい。

 

 なんか急に脳内イメージの母が中指を立てていた。そして隣に立つ黒いローブの怪しい男は誰だろうか。なんだかすぐ側に種族オーバーロードっぽい骸骨が倒れているんですけど。あ、試験菅に入った謎の液体を持ってにじり寄ってくる。やめ、やめろー!

 

 

 

 

 目を覚ますと目の前には知らない天井。数秒ほど考えてから明日から働こうとかなと思って布団に潜るニートの思考だった。

 

「いてっ」

 

 布団の中に潜ると爪楊枝で突かれるような痛みに無理やり起こされる。布団を捲れば不自然に広がった影がルシウスの体から伸びていた。

 

「さっきはありがとう。縄切らなかったらわりと死ぬと思ったわ」

 

『………………………………』

 

 軽い怪奇現象を目の当たりにして彼は平然と影に話しかける。その言葉に反応を示すよう影が揺らいだ。

 

「え、もう何ヶ月も経ってるの?仕事めちゃくちゃ溜まってない?」

 

『………………………………』

 

「まあ、そうか………で、何で私縄で縛られてるのかな?」

 

 自分の縛られた手足を見せると影は困惑したように揺らめく。大抵は言いづらいことがある時の動作であったが、わりと容赦なく言い放つ性格のそれが動揺する姿にルシウスも困惑した。すると襖が開き、広がった影が瞬時にルシウスの影の中へ消える。慌てて戻るような動きにルシウスが呆けていると、襖の間から覗く金色の眼光が彼の体を貫いた。具体的に言うならホラー映画界の女王並みの眼力である。

 

「ルシウス殿ぉ……」

 

 美しく伸びた銀髪を揺らしながら女はゆっくりとルシウスへと近づく。まるで蜘蛛のように床を這いながらそれはきっと来る。あれ、いつの間に呪いのビデオ見たかなと思った。

 

「ルシウス殿ぉ!」

 

 銀髪のタッチダウンが見事命中し、治りかけの体にデビルバッドゴーストが炸裂。激痛でルシウスのゴーストもバッドしそうになった。

 

 だが、この音を置き去りにする一撃には覚えがある。そしてこの病んだ虎のような目。

 

「お、お虎ちゃん?」

 

「はい!お虎ちゃんです!」

 

 自分で言っておいてなんだが色々変わってないだろうか。背丈とか胸とか。この押し当てられている胸とか。

 

「おほん、どうやら無事のようじゃのう」

 

 襖の向こうで不敵な笑みを浮かべる少女がいる。この無性に腹の立つドヤ顔は、

 

「……信長」

 

「ふふ」

 

「お前はそんなに変わらないのな。むしろふと」

 

「ふん!」

 

「痛い!何で!?」

 

 信長の渾身の右ストレートが顔面に炸裂したルシウス。治すか拷問かはっきりさせて欲しかった。

 

 三人は大広間へ移動し、織田家中の者たち、景虎の家臣と護衛が揃う中で白い死装束を纏ったルシウスが手足を縛られたまま連れて来られた。なぜ死装束かって?腹切りの時によく使うだろ。なあ、カッツ。

 

 ルシウスの語った荒唐無稽な馬鹿げた過去の話。だが、彼を知るものだけがその空想にも等しい現実を受け入れる。中でも信長は自身の特殊な経験上からすぐに物事の本質を看破していた。

 

 ふと、ルシウスは殿バカ三人衆に空席があることに気づく。

 

「信勝か……もう、この世にはおらんよ」

 

 信長の一言で重く沈む織田家中の者たち。ルシウスも信長の弟殺しの逸話は知っていた。カッツ、お前はいい奴だったよ……だが、

 

「じゃあ、そこのカッツは?」

 

 離れた場所で着物で美しく着飾ったカッツを指差すルシウス。

 

「あれはな、妹のお市じゃ。なあ、お市!」

 

「……は、はい。妹のお市デス」

 

 死んだ目でこちらを見つめて来るカッツ。そういえばお市って長政って男と結婚しなかった?あ……ふーん、そこまで生き恥を晒したいのかカッツよ。

 

 ――ギシッ

 

 手足の小さな圧迫感に思い出し、ルシウスはただ何となく呟いた。

 

「で、そろそろ縄解いてくれない?ローマに帰りたいんだけど」

 

 ルシウスが何気なく放った一言に広間にいた全員が驚愕する。1ヶ月もの間、生死の境を彷徨っていた男が、その死にかけた場所に戻ろうとしていた。今度こそ死ぬかもしれない。それなのにルシウスは平然としている。あるいはそんな場所だから主人の元へ戻ろうとしているのか。

 

 なんという忠義心だろうかと畏敬を抱く家臣たち。その忠臣を持った主人を羨む武将たち。しかしルシウスの脳内には気絶中に溜まった膨大な依頼と、僅かに残る休暇のやり直しのチャンスのことくらいしか頭になかった。

 

「……めです」

 

 だが一人だけ毛色の違う気配を纏っている。純白の花畑の中にひとつだけ黒く毒々しい花が混じっているような異様な存在感。ルシウスがその暗雲とした空気に身じろぎした瞬間、白虎の化身が彼の背にもたれ掛かる。

 

「そんな危険な場所にルシウス殿を行かせるわけないじゃないですかぁ。ルシウス殿がしっかり治るまでこの景虎が面倒を見ます。食事、排泄、睡眠。何から何まで……」

 

 縛られていた理由を察したルシウス。前世の自称八宝菜が得意な妹にもこんな時期がありましたと目から光を失う。というかヘルプミー信長ぁ!

 

(是非もなし。家臣になるならいいぞ)

 

 とアイコンタクトを返す無慈悲な魔王がいた。まさに前門の魔王、後門の虎である。

 

 家臣一同にも目線を送るが皆ルシウスから目を背ける。一部例外にウェルカムな殿バカ三人衆とガン飛ばしてる景虎兄がいた。だめだ、これだけ人がいるのに味方はいない。むしろ敵だらけ。

 

「とりあえず、お風呂入っていいですか」

 

 とりあえずワープポイントに戻ろう。たとえその先がさらなる地獄であっても。

 

 それがあの中心地に飛ばされるまでの出来事であった。

 

 そして舞台は元の場所へ。二つの光線がぶつかり合う数秒前の中心地にワープし、極光に『目がー!』とのたうち回っているルシウス。そのまま行けばルシウスの死亡は確実だった。

 

 ――これを食らうのは少しやばいな。

 

 閃光で全てが白く輝く空間の中でルシウスの影は消えることはなかった。平面に存在するはずの影は歪に広がり、徐々に三次元へと盛り上がる。影の中で蠢く無数の目が辺りを見渡した。左右へ避けたとして衝突し合ったエネルギーは大爆発を起こし周囲一帯を焼き払うだろう。遠くへ逃げつつも、衝突し合うエネルギーを和らげる緩衝材が必要だった。

 

 何、いつものことかと無数の眼は笑った。盛り上がった影は徐々に黒髪の少女の形を取り、赤い月のような双眸で足元の大地を見下ろす。そのはるか地中に存在する星の息吹を睨めつけた。あの膨大な二つのエネルギーは自分でも食べきれない。なら、いつかの大火と同じように地中に流れる生命の奔流に返そう。

 

 少女を起点とし、空気と大地が揺れた。自己の意思をガイアと直結させ、因果に干渉してその望む空間になる確率を意図的に取捨選択し、世界を思い描く通りの環境に変貌させる。 未だ神代の自然界に漂う黄金のマナを吸い上げ、朱い月の落とし子はその名を口にした。

 

空想具現化(マーブルファンタズム)

 

 地表を内側から突き抜けた生命の奔流とも言える間欠泉が二人を遥か空へ運び、地表で衝突し合う膨大なエネルギーを吸収する。破壊的なまでの光と熱と衝撃を母なる大地が全て受け止めた。残ったエネルギーは暴風として周囲へ拡散する。

 

「ははははっ!これだからお前といると飽きないよ!食わなくて正解だった!」

 

 気絶するルシウスを抱えた少女は鋭い犬歯を見せて大笑いした。人がおよそ抗えぬ運命という鎖を引きちぎり、世界の意思すらも遇らう豪運。どれだけの悲劇もこの男の前では笑い話となる。だからこいつの三番弟子になったのだ。死徒二十七祖の席はいらない。ただ『伯爵』という名だけを得た。

 

「見てるかぁ!くそったれ!このルシウスは何から何まで計算づくだぜーッ!」

 

 星々の海からこちらを睥睨する糞真面目なアラヤに向かって、ガイアの代弁者は中指を立てながら不敵に笑った。まあ、計算云々は本当は違うけど、こう言っておけばアラヤは悔しがるかなと伯爵は思った。実際急所入った上に会心の一撃で血吐いてるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人々は見た。二つの極光によってはるか空高く舞い上げられた男の姿。直後、吹き荒れた暴風で皆が目を覆う。まるで一瞬幻でも見たかのような錯覚を覚えた。だが、彼らはそれが幻ではないことを願ったのだ。風が止む、続々と目が開けられ視線ははるか上空の豆粒ほどの形を見据えた。

 

 初めに動いたのは二人の王だった。二人は先ほどまでの諍いを忘れ、空からゆっくりと落ちて来る男を抱きとめる。衝撃はほとんどなく、重力を失ったように男の体は軽かった。男の顔を見て二人の心に久方ぶりの平穏が生まれた。だが、なぜ死んだはずのルシウスがこの場にいるのかと疑問が生じる。不思議とルシウスに触れている間は思考が綺麗に動いた。ルシウスの纏うガイアの意識が、アラヤによって強められた呪縛を解いたのだ。

 

 熱病に冒されたが如き二人はようやく誰かの掌の上で踊らされていたのだと気づく。互いに謝罪の言葉が喉に詰まった。今更どうやって今までの関係を取り戻せるのだろうか。それでも、ルシウスがいればまだ戻れるような気がした。なぜなら二人の青春は、ルシウスとの青春でもあったからだ。

 

 だが声を掛けど、体を揺らせど、ルシウスは目覚めなかった。まるで死んだように眠っている。

 

「ま、まさか」

 

「そんなっ」

 

 あまりのことで動揺していた二人は勘違いをしたのだ。自分たちがルシウスを殺めてしまったのだと。ふたりの悲壮感が周りを囲む群衆にも伝わったのか、一人一人の目に宿った炎が消え、皆が涙を流す。影の中に潜んでいた伯爵は脈を取れよと思った。

 

「大ババ様、ルシウス様しんじゃったの?」

 

「ルシウス様は二人の戦いを止めるために命を捧げ、その役目を全うしたのだよ。ごらん、皆の目から怒りの火が消えておる」

 

 深読みした老婆の言葉が不思議とその場には響いた。怒り、憎しみ、それを晴らすために誰かを貶すことの愚かさを知った彼らは、振り上げた拳を納めて嗚咽する隣の者の背を優しくさすった。

 

「ブーディカ」

 

 ネロは眼に涙を浮かべて言った。

 

「余を殴れ。ちから一杯に頬を殴れ。余は、姉のように慕っていたお前を疑った。お前がもし余を殴ってくれなかったら、余は彼の前で姉と抱擁する資格さえ無いのだ」

 

 ブーディカは涙を拭うと、すべてを察した様子で頷き、群衆に音が届くほど強くその掌でネロの右頬を打った。するとブーディカは微笑みながら言った。

 

「ネロ、私を殴れ。同じくらい強く私の頬を殴れ。私は己の血と怒りに捕らわれ、最後まで目の前の妹を信じることができなかった。ローマ兵を殺めた罪は永遠に消えることはないだろう。罪深い私を殴ってくれなければ、私は彼の前で君と抱擁できない」

 

 ネロは同じくらい音高くブーディカの頬を打った。そして二人は姉妹の抱擁を交わし、悲しみを超越した心境の中で再び涙を流したのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。

 

「ブーディカさま!」

 

 すると群衆の中をかき分けて三人の人間が王たちへ駆け寄った。

 一人は誰かを担いだ神父。その誰かはまるでミイラのように全身を包帯で覆い、ところどころ赤い染みが滲んでいる。もう一人はロクスタであり、医療カバンに詰まった数々の器具で包帯の人物の容体を安定させているように見えた。

 

 抱えられたその人は地面の上に置かれ、弱々しい力でブーディカの手を握りしめて言った。

 

「ブー…ディカ……さま」

 

「お前は!」

 

 声ですぐにわかった。その男は自分が殺めたはずのローマ兵の隊長である。

 

「不覚を取り、ローブの男たちに皮膚を…奪われました。部下も、私も、最近まで意識を失い、今朝、ようやく目を覚ました……申し訳ありません。私に成り代わった者が不逞を働いたと耳にしました」

 

「謝らないで!私こそ、あなたたちを信じきることができなかった!」

 

「いいえ、謝るのは、私の方なんです」

 

 男は謝罪のために姿勢を取ろうとしていた。体の節々が痛み、包帯にさらに血が滲んでいく。ブーディカは男を抱き留めた。だが、それでも男は何か大事なことを言おうと動きを止めなかった。

 

「私は、いや俺は、あんたたちが嫌いだった。蛮族のくせに恩着せがましく親切にしてくるあんたたちが嫌いだった。でも、あんたらと打ち解けていくルシウス様を見てそんな傲慢な自分が馬鹿らしくなってよ。飯の味もなんか心に染みるような優しい味が気にいって、俺らは村とローマの橋渡しになることを望んだんだ。俺らは好きだった、母親みたいに世話を焼いてくれるあんたも、ステージで歌って踊るあんたも大好きなんだ。だからこそ、あんたの涙に心から謝りてえんだよ……」

 

 男は言い終えると薬が効き始めた影響で安らかな寝息を立てて眠った。すぐそばに立っていたロクスタに担がれ担架に乗せられる。涙が止まらず嗚咽するブーディカの代わりにネロが言った。

 

「必ず、彼らを治して欲しい。そして、また伝令役を全うできるように」

 

「おまかせ下さい。ルシウス様が残された文献の皮膚移植なる技術で必ず治してみせます」

 

 散り散りになったはずの思い、壊れた信頼関係が元に戻っていく。ルシウスという尊い犠牲の元になりたった平穏。それはより強固となって人々を繋ぎ止めた。

 

 多大なる感謝の念を抱いたネロは横たわるルシウスの遺体を見た。

 

『もしも、もしもそなたが皇帝になるようなことがあれば、誰もが人として暮らせる国をつくってほしい――次期ローマ皇帝よ』

 

 かつてこの男はネロに誰もが人であれる国を願った。誰よりも人として生きたかったその男が怒れる群衆と戦う自分たちを見て何を思っただろうか。きっと人ですらない獣たちを見て心を痛めたのだろう。ルシウスは激しい激情に捉われず、誰よりも願った人の生を犠牲に、人として彼はその生き様を皆に見せたのだ。

 

 感謝を抱くべきはずなのに、それでもどこかで怒りがこみ上げた。仮初めの喪失で怒りに囚われた自分では決して考えられなかった。取り戻して再び失ったものの大きさを実感したネロは言った。

 

「お前が、ルシウスがいなきゃ意味ないじゃないか。この馬鹿者っ」

 

 消え入りそうな声はきっとブーディカや群衆には聞こえなかっただろう。ネロはうつむき再び涙を流した。

 

 

 

 

「誰が馬鹿だって?自称皇帝さま」

 

 

 

 

 

 すぐそばにいたネロ、ブーディカは固まった。耳にした懐かしい声。ありえるはずがない。目を向けて、それがただの幻聴だったらどうするのだと自分に言い聞かせる。それでも彼女たちは希望を抱いて横たわっていたはずの彼を見た。

 

 異国の白衣を纏い、地表に空いた穴から溢れる輝ける黄金の湯を踏みしめて、彼は悠々とそこに立っていた。いつも通りのどこか呑気な顔を構えている。群衆の中からも一人一人『ルシウス様が立った』と言葉が紡がれた。盲目の老婆だけは彼の姿が見えず孫たちにその様子を尋ねる。

 

「ああ、子どもたちよ、わしの老いた目の代わりによく見ておくれ」

 

「ルシウス様、真っ白な異国の服を着てるの」

 

「まるで輝く金色の温泉を歩いているみたい」

 

 老婆はかつてギリシャにて村人を儀式の生贄にしていた魔術結社を温泉にて滅ぼした奴隷の少年の姿を思い出した。

 

「うおおっ、その者白き衣を纏いて金色の湯に降りたつべし。その者の歩いた地からは枯れることのない湯の源が湧き上がるだろう。その者は湯の化身。悪人が触れれば善人へと清められ、すべての争いは灌がれる…… 古き言い伝えはまことであったか」

 

 盲目の老婆の目から枯れたはずの涙が絶えず流れ出た。孫たちもなぜかそれが嬉しくて涙が止まらずに泣く。ペトロに無理やり連れてこられた売れない小説家兼キリストの使徒ヨハネも、目の前の光景と老婆の言葉にインスピレーションが爆発しパピルスに長編小説を書き留め始めた。

 

 号泣する群衆に囲まれ、気絶から目覚めて立ち上がったルシウスは言った。

 

「説明ぷりーず」

 

 対話こそが人間の最低条件である。




次回、魔術師組とアラヤが酷い目に合う話


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魔術師を許すはずないだろ!大晦日に秋田県の一部地域で行われている民俗行事は?

やだ、あれだけシリアス展開していて実は死人は0人なんてアラヤに言えるわけないじゃない!やめて!この前の話だけアラヤの体はボロボロ!今回のネタの嵐に耐えられない!だれか!読者の中にアラヤと同じ血液型の方はおられますか!?


 つまり、私が拷問された後ワープしてルシウスニウム欠乏症者続出。ネッサンのお腹ペロペロした偽ローマ兵にガチギレママが狂戦士と化し、血まみれママにショックを受けたネロ。互いに疑心暗鬼となって世界大戦勃発したと。なるほどわからんと匙を投擲するルシウス。

 

 周囲はルシウスにナイスな推理を期待して待っている。体は大人、頭は子供以下の彼に何を求めようというのか。いつかの『若女将は雀の旅館!湯けむり盗難事件!犯人は黒い全身タイツの男です!!』の二の舞になるぞ。

 

 そこへこういう事に関しては一流のプロが現れた。

 

「――謀反じゃな」

 

「知っているのか信長?」

 

「謀反ならわし自信あるぞ。カッツじゃろ、シバター、バヤシ、アサイちゃん、アッシー、平蜘蛛糞爺……」

 

「うわぁ…片手で収まらないのか」

 

「ルシウス殿ぉ……」

 

「あ、誰か寺生まれいます?頭文字がTならもっといいんですが」

 

 いつの間にか現れた信長と景虎。そして二人に率いられたおよそ20万の軍勢が黒い甲冑を纏い馬に騎乗している。関ヶ原の戦いでもするんですか?

 

「もうやだぁ。お家帰って鯛の天ぷら食べたい」

 

「秘湯争ってたらいつの間にか異国にいた件について」

 

「レッツパーリィ!」

 

「「誰だこいつ」」

 

 半ば強引に連れてこられた家康と信玄はお互い大変ですなぁと同盟軍と涙した。日本忍者連合は風魔から配給されたおにぎりを死んだ顔で咀嚼している。てか一人一人その格好で風呂に入って来たのかとルシウスは少し引いた。

 

「おお、戦士たちが戻ってきた。黄泉の国から戦士たちが帰ってきたぁ!」

 

 レジェンド語り婆はそろそろお口チャックしてください。

 

「まあ、詳しい事情は知らんが、どうせお前さんが誰かの恨みを買ったせいじゃろ。頭の悪い連中を裏から操っているやつがおるんじゃろうな」

 

 頭の悪い連中という言葉でローブの連中を思い出すルシウス。お前の方が断然頭悪いからな?

 拷問の談になるとみんな殺気立った。さっき怒りを鎮めたばっかりだったよね?

 

「あ、ところでネロよ。休暇の件なんだが、取り直しても良いか?」

 

「え……あ、うむ…」

 

 え、何その間は?

 

「建築、発明、医学はおまえの弟子がいるからなんとかなっている。マネージャーの仕事はこんな時だから心配はない。だが、ほら……劇の脚本がな。かなり溜まっている」

 

「じゃあ、休暇はなし?」

 

「なし」

 

 へー、なるほどなるほど。考えてみれば書き物は今まで自分でやってたし、こればかりは代役は立てられないよな。ルシウスが書かなきゃもはや自伝ですらない。まあ、二作目からは二次創作みたいなもんだけど。

 

 じゃあ、今日からまた仕事の日々か。はははは!

 

 

 

 屋上へ行こうぜ…久しぶりに…キレちまったよ…。近場に屋上がないなら今から建てるからな。

 

 

 

 ルシウスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のローブの集団を除かなければならぬと決意した。ルシウスには政治がわからぬ。ルシウスは浴場技師である。建設、発明、料理、作家、プロヂューサー、バスケ、薬学、毒学、医学、消防、色々な仕事して暮して来た。けれども吐き気を催す邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 吐き気を催す邪悪とはッ!なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ……!!自分の利益だけのために利用する事だ…。他人がなにも知らぬ『私』を!!てめーらだけの都合でッ!ゆるさねえッ!昔ギリシャで宗教勧誘してきた魚面の集団と同じだ!どうせ今回もまたギリシャだ!あんたらギリシャは今再び私の心を『裏切った』ッ!

 

 初めてルシウスは怒りという感情を吐露した。圧倒的威圧感がその場を支配する。彼の怒りでまるで大地が揺れ動いているようだ。ぶっちゃけ無理に地下の湯源を操作したせいで地殻変動が起きているだけである。

 

 HUROHAIRITE部隊の面々が彼の前へ集い叫ぶ。執事と少佐は今回欠席中。

 

「主よ!! 我が主よ!! 我が主人ルシウスよ!!命令(オーダー)を!!命令(オーダー)をよこせ!!我が主!!ローマ帝国HUROHAIRITE部隊局長!!ルシウス・クイントゥス・モデストゥス!!」

 

 ルシウスは彼らを睥睨して答えた。

 

見敵必殺(サーチアンドデストロイ)!!見敵必殺(サーチアンドデストロイ)だ!!弟子たちよ!!私は命令を下したぞ!!何も変わらない!!我々を邪魔するあらゆる勢力は叩いて潰せ!!逃げも隠れもせず正面玄関から打って出ろ!!全ての障害はただ進み押し潰し粉砕しろ!!」

 

『うおおおおお!!!』

 

 先ほどまで涙を流す隣人の背を摩っていた手のひらを握り込み、その握り拳を高く上げて群衆たちは咆哮し始めた。日本勢も戦国大和魂に火がつき刀を掲げている。地味にペトロとヨハネも参加していた。これにはイエスもドン引き。周囲の熱狂ぶりにルシウスの中の熱も冷め、この状況に危機感を覚えた。このままだとローブの集団どころかギリシャ滅ぼされちゃうんじゃない?

 

「まあ、待ちなさい。暴力は憎しみしか生みません。世の中『地には平和をそして慈しみを(ラブアンドピース )』です」

 

 一斉に拳が下される。さすが不殺の夢見る聖者の格言である。ヨハネもメモした。

 

「では、一体どうするのだ?まさか、まだ不殺の策略がまだ残っているのか!」

 

 と、期待の眼差しに囲まれ、また初めに逆戻りしたルシウス。しばらく考え込んだ末、彼はポンと掌を叩いた。

 

「なまはげって知ってる?」

 

 何気ない前世の出身地カミングアウトだった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ローマの和食レストランで舌鼓を打っていた褐色の男アーチャー。食材の鮮度、出汁の取り方、料理の熱加減のどれもが高いレベルにある。あとでシェフからレシピを聞こうと思った。

 

 褐色の女オルタは異世界居酒屋でおでんを頬張り、白軍服のライダーとお付きの女お竜はローマシーランドででかいネズミと握手。ポップコーンにはカエル味はないよとイチャイチャしていた。ボッチのアサシンとは連絡は取れないが多分生きてるだろう。部下のほとんどが趣味に走ってて血の涙を流すアラヤだった。

 

「ふむ、この筑前煮もなかなか……む?」

 

 電気信号が脳内へ送られてくる。仲間からの念話だった。応答すると相手はライダーだった。

 

『非常事態だ!今すぐ霊体化した方がいい』

 

「何があった?」

 

『すまない、僕もいまランドの灯台から見てるんだが……これは、その、言語化が難しい…』

 

「どういうことだ?」

 

 念話越しからでもわかるほどライダーは取り乱していた。緊急事態であることには違いない。アーチャーは急いで残りの料理をタッパーに詰め込んだ。

 

『お、これ知っているぞ。百鬼夜行だ』

 

『あ、ああー!うん、たしかにそうかもしれない!』

 

 そう言いだしたお竜の言葉は、まさしくその光景を如実に表した一言である。数分後にアーチャーもその光景を知ることになり『なんでさ!』と叫ぶだろう。

 

 場所は変わりローマの酒場で4人組ローブの男が黄金色に輝くエールを湛えて乾杯していた。仮に彼らの名をリョナラーのペイジ、貧乳大好きジョーンズ、ロリ巨乳マニアのプラント、盗撮趣味のボーンナムと呼称しよう。彼らはギリシャの魔術結社によって派遣されてきた魔術師であり、皮膚を使った変身魔術と肉人形を遠隔操作魔術で今まで悪逆非道の限りを尽くしてきた悪党ども……というわけではなく、やったとしても盗みなどのせこい悪さしかしてこなかった小心者たちである。女性経験もなく他人の行為を水晶越し覗き見て思春期の憂鬱とした感情を発散するタイプの男子だった。

 

 現に、彼らの頭は乾杯したはずの盃よりも低く、テーブルに顔を伏している。ブルーすぎてとてもお祝いムードではなかった。

 

「今回はさあ、イケニ族の王女たちを痛めつけてローマと戦争させる依頼だったけどさあ。あれ、心にくるよなぁ」

 

「初めはなんか俺たち興奮してたけど後から罪悪感が募ってきて……死にたくなってきたわ」

 

「そもそも肉人形に性器ついてないんだよなぁ。お楽しみもくそもねえよ、調子乗って何言ってんだ俺は馬鹿、お馬鹿!……まあ、ネッサンちゃんのお腹ぺろぺろできたのは良かったけどさ」

 

「「「それな」」」

 

 急に元気になり始めた四人組。

 

「その点ペイジはいいよなぁ、ブーディカ様の腹蹴りとか役得だったもんな」

 

「んなことねえよ!俺はリョナは好きだけど自分でリョナるのは別なの!まだ体が震えてるわ!」

 

「ヘタレかよ。まあ、俺たちもヘタレだけどさ」

 

 やはり落ち込み始める四人組。どっちかはっきりしろよと給仕は思った。給仕は先ほどの会話をメモしてマスターへ手渡す。このマスターも実はルシウスのお弟子さんだった。というか、市内は全員ローマ市民なんだから迂闊なこと喋ったらいかんよ。

 

 伝書鳩が飛んでいく中、彼らはお酒もそこそこに店を出た。手には市内の観光スポット記事が記載されたパピルスを持っている。

 

「次どこいくよ?」

 

「あ、ここ口コミいいな。星5だぜ」

 

「おー、ここが例のWASYOKUレストランか」

 

 見た感じ、いかにも一見さんお断りな料亭へと四人は暖簾をくぐっていった。これには近くを通り歩いていた顔が平たく丸い民族の男も『へたっぴさ』と笑っている。彼らも入って見てすぐに店内の銀座高級店並みの老舗の雰囲気にたじろぐ。カウンターの向こうで刃物を研いでいる店主にペイジが声を掛けた。

 

「あー、すいません。予約ないんですけど大丈夫ですか?」

 

「……ええ、どうぞ。中にお入りください」

 

 店主は生気のない声でそう返答する。店内の薄暗さのせいで俯いた店主の顔はよく分からなかった。おそるおそるカウンターに座り始める四人は何か頼もうとしたが、品書きがどこにもないことに気づく。

 

「あの、おすすめは何ですか?」

 

「うちは生魚を扱う寿司屋って店なんですがね。生憎今は魚がないんですよ」

 

「え、じゃあWASYOKUは食べられないんですか?」

 

「いえ、ご心配なく……ちょうど”新鮮な肉”が届いたところですから」

 

「え?」

 

 店主がそう言って顔を上げた瞬間、四人は悲鳴を上げた。店主の顔はまるで血のような朱色の厳しく顔を顰めた鬼であったからだ。気づけば店内中に同じ鬼が潜んでいる。

 

「悪い魔術師はいねえがぁ」

 

「いたら食っちまうぞぉ」

 

『ぎゃあああああああ!!!』

 

 奇声を上げながら包丁を振り回す鬼たちに腰を抜かしながら四人は転がるように店を抜け出した。外は先ほどまでの快晴とは程遠く、暗雲立ち込める無人のゴーストタウンに変貌している。さっきの酒場なら人がいるかもしれないと思い彼らは戻った。酒場には給仕と無愛想なマスターがまだ残っている。彼らは安堵した。

 

「す、すいません!さっきそこに化け物がいたんです!」

 

「信じてもらえないかもしれないが、助けてくれ!」

 

 俯いた給仕とマスターは特に驚いた様子もなく呟く。

 

「ええ、信じますよ」

 

「もしかして、その化け物は――こんな顔じゃありませんか?」

 

 面を上げた二人の表情はあの鬼と同じであった。

 

『ぎゃあああああああ!!!』

 

 四人は石のように転がりながら恐怖の声を奏でる。そのうちバンドを結成して『転がる石たち』と名付けられそう。

 

「くそっ!一体どうなってやがるんだ!ローマの土着神たちの襲撃か!?」

 

「とにかく今は司令部との連絡が最優先だ!」

 

 盗撮趣味のボーンナムが懐から水晶を取り出し、司令部へ通信を飛ばす。ノイズの混じった音と映像にはまるで地獄のような光景が広がっている。黒い鎧を纏った人間が剣や槍を振り回し、長細い杖のようなもので爆音を奏でた。人が木の葉のように舞う戦場を彼らは心底楽しそうに笑っている。反対に軽装備な者たちは機械的に短刀を振るい相手を気絶させていった。

 

『メーデー!メーデー!こちら司令部はまるで地獄の釜だちくしょうめ!誰かたすけ、うわあああああ!!!』

 

『はははは!逃げる奴は魔術師じゃ! 逃げない奴はよく訓練された魔術師じゃ!!敵はローマにあり!!』

 

『ひゃっはー!おまえら首よこせ!なあ、首よこせえ!!』

 

『あはははは!森くん殺すのはダメです。せめて半殺し程度にしなさい!』

 

『このクソ野郎どもがあああ!!よくもワシらの女神とルシウスを傷つけおったなああああ!!!』

 

『誰ですかこのおじいちゃん達』

 

 司令部の地獄絵図に彼らは声を失った。縛って放置してた元老議員のじじい達もなぜか木刀を振り回して参戦している。お前らこっち側の人間だろ。

 

「みーつけた」

 

 映像に夢中になっている彼らは上から迫り来る物体に気づかなかった。黄金の巨大な髑髏が貧乳大好きジョーンズの体にのし掛かり、彼はカエルが押し潰されるような悲鳴をあげる。見上げると宙に浮いた美しい女が無数の髑髏と鬼火を引き連れてそこにいた。

 

「プロデューサーさんの言ってた人捕まえたわぁ!褒めてヨカナーン!あははははははははは!!!」

 

「や、やめろー!俺は貧乳が好きなんだぁ!そんな醜い肉の塊を見せるなぁ!!」

 

「ジョーンズ!」

 

「やめろ!もうあいつは助からない!」

 

 バンドから一人脱退しメンバーは三人と化した転がる石達。ドラムとギターを兼業してどうぞ。

 

 通りに出ると街は鬼火が舞い、包丁を持った魑魅魍魎どもが跋扈するあの世と化していた。これにはサイレントヒルも苦笑い。彼らは対抗して魔力弾を放つが、鬼達は建物を壁にしてそれを避ける。恐るべきことに建物は魔力弾を受けてもびくともしない。大理石ではありません。我が国のオリジナル素材です。

 

 建物の堅牢な守りに呆然としていると、リョナラーのペイジの肩を掴む者がいた。ペイジが振り返るとそこにはミイラ男たちが血走った眼でペイジを睨んでいる。

 

「俺たちの皮を返せえええ!!!」

 

「うわあああああああ!」

 

 ぶっちゃけると皮膚を剥ぎ取られたローマ兵達である。彼らは転んだペイジにのし掛かり彼が泣くまで殴るのをやめないだろうね。まあ、たとえ号泣してもやめないがな。

 

「このやろう!よくも俺の顔でブーディカ様蹴りやがったな!ファンクラブ会員2番なんだぞ!!ちくしょおおお!!!」

 

「ぎゃああああああ!!!」

 

「ペイジ!正直おまえのは自業自得だから頑張れ!!」

 

 バンドからさらに一人脱退しメンバーは二人と化した転がる石達。ドラムとギター二つを兼業してどうぞ。阿修羅像かな?

 

 二人は数ヶ月前にルシウスを追い詰めた隣の民家に逃げ込み、部屋の隅でガタガタ震える準備オッケーだった。盗撮趣味のボーンナムは再び水晶を懐から取り出し、ロリ巨乳マニアのプラントがそれを戒める。

 

「おい、まさか本部に連絡するつもりか!?ローマとギリシャの全面戦争になるぞ!!」

 

「構わねえよ!どうせ遅かれ早かれの話なんだ!俺はこんな場所で死にたくねえぞ!」

 

 水晶に映像が映り始め、円卓を囲む厳しい顔つきの老人達が二人を睨んでいた。人類補完するつもりだろこいつら。

 

 初めは興味なさそうに聞いていた老人達も、話が進むごとに焦り始め、終盤には老衰し始める者まで現れる。老人達は激怒した。

 

『ばっかもーん!そいつはルシウスだ!厄介な奴に手を出しおって!』

 

「だから助けてください!もうこっちは壊滅状態です!!」

 

『知るか!ワシらはダゴン秘密教団と同じ結末は迎えたくないんじゃ!』

 

「あ、おい!」

 

「ボーンナム!うしろうしろー!」

 

 振り返ると筋骨隆々の老人がボーンナムを睥睨している。彼はこの家の持ち主であったペトロ。数ヶ月前、引っ越して早々ルシウスが来ないかとそわそわしていたら、家の中にイエス様の幻影が現れペトロは『主よ、どこへ行かれるのですか?』とたずねた。イエスは『お前が家にいないから中を覗いたら大変なことになってたよ』と元家の方角を指差し、ペトロが慌てて向かうとそこには半壊した家と壊された隠し風呂の浴槽が散乱していた。

 

 ペトロは理不尽な人生に悩み己の中の信仰心が揺らぎかけた。己を戒めたペトロは磔にされる度に脳内で主への信仰を込めた一万回の正拳突きをイメトレ。地味に憂さ晴らししてるじゃねえかとイエスは思った。ふと、気がつくと一万回を突き終えたのに日が暮れていないことを自覚した。ペトロ、齢67を超えて羽化したか、痴呆になっただけである。

 

「わしの家を壊したのはおまえらかー!!!」

 

 膨大なオーラの余波がプラントを吹き飛ばし、ボーンナムはペトロの背後に見えたジョニデ似のイエスのビジョンを幻視し立ちすくむ。イエスはボーンナムに微笑みかけると、右手を掲げるとこう仰った。

 

『誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』

 

 イエスの無慈悲な往復ビンタが炸裂した。ついに転がる石が一つとなり、メンバーはプラントー人になる。もう一人でギター二つとドラムとボーカルするしかないね。

 

 気がつけば彼はルシウスの自宅で立ちすくんでいた。始まりの場所におとずれ、こうして終わろうとしている。あまりの皮肉にプラントは笑った。ひたひたと足音が聞こえる。これが死の足音のように聞こえ始めた。

 

「休みが1日、休みが2日ぁ……」

 

 まるでバンシーの鳴き声のように悲しげな声が響く。温泉でびっしょりと濡れた手が玄関の入り口を掴んだ。異国の白いを纏った男が、恨めしそうな顔でこちらを覗いている。日数を数え終わると男はくわっと目を見開き大声でアイ・スクリーム。

 

「あれ?私の休みが1日もなああああいいいいい!!!!」

 

「うわあああああああああ!!!」

 

 番町皿屋敷と化したリビングデッドルシウスがプラントの前に立つ。今更、目の前の相手をどうこうしても無くなった休暇は返らないだろう。だが、示しは必要だ。このルシウス、もはやローブ集団には容赦せん。

 

 腰を抜かし床を這いずるプラントは慌てて理性を取り戻す。

 

「お、落ち着け!俺の話を聞け!俺たち魔術師とあんたらローマが手を組めばこわいもんなしだ!金や女も好きなだけ選べるぞ。そうだ、きっと天下だって夢じゃない!あんた!天下が欲しくはないか!?」

 

 腰を低く構え、息を深く吐いたルシウスの返答は殺意のない純粋なパンクラチオンだった。

 

 

 

『いるかそんなもん!! ちぇぇぇぇりおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!』

 

 

 

 放たれた拳はプラントの顔面を捉え、彼の体を市内中心部まで突き飛ばす。アーチ状に吹き飛んだ彼は、広場中央の噴水の上に建てられた女神ローマ像の持つ風呂桶と衝突し、スコーンっと気持ちのいい音を立てて泉の中へ沈んで行った。これには女神もにっこり。

 

 沈みながらプラントは思った。今度から依頼はちゃんと選ぼうと。

 

 こうしてルシウスの奇策により奇跡的に一人の死者も出さずに戦争終結。魔術師達はローマでの恐怖体験を伝えるために全員返され、元老院議員たちは今回の件で元老院から追放。さらにアグリッピナの提案で今まで貴族から選出していた元老院制度を撤廃し、出自や性別関係なく議員が選ばれるようになった。まあ、元元老院議員たちは蓄えもあるし老後はアイドルの追っかけに精を出すことだろう。

 

 現代においても魔術師たちの人道に反した無分別な行為が問題視されるが、『悪い魔術師の前にはルシウスが来るぞ』と一喝されるとどんな魔術師でも震える恐怖の代名詞として語り継がれることになる。また、ヨハネの自費出版した黙示録には彼らの戦いはこう記されている。

 

『紅蓮の七つ首の龍を操るバビロンの情婦とケルトの赤き戦闘民族が滅びの光を放ち世界は終末を迎える』

 

『しかし白き正義の衣を纏った湯の化身が降り立ったならば、黒き冥府の軍勢を引き連れて争いを終結させる』

 

『なれど化身の怒りに触れたものは死よりも恐ろしい制裁を受け、心に溜まる悪の黒ずみを残らず消し去るであろう』

 

地には平和をそして慈しみを(ラブアンドピース )

 

 最後だけまんまパクリじゃねえか。




アラヤとアサシンは次回予定。


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アラヤが負けるわけないだろ!アサシンにはアサシンをぶつけるんだよ!!

みんな大好きアラヤと月姫組と意外な一匹登場。ごめんなソロモン、これFGO世界線なんだわ。
あと蛇足かもしれんが執事も登場。外伝でやる妻の話で重要な伏線なんですわ。


 ルシウスの百鬼夜行が市内の魔術師勢力を制圧し終えて、落陽は空をどす黒く染め、地には赤い地平線を刻む。ローマが夕日で赤く染まる光景を別邸の窓から眺める男がいた。片手には芳醇なワインを、肴には戦争の愉悦。此度の戦争はとても甘く、味わい深い味がする。どこぞの愉悦神父もワインが進んでいる頃だろう。

 

 男の背後から液体が飛び散る音と机を叩く鈍い音が聞こえた。生臭い鉄の香りがする。テーブル一面が少年の吐血した血液で染まっていた。

 

「ばかな……ばかな!ばかな!ばかな!ばかな!」

 

 作戦は完璧だったはずだ。なぜなら抑止力という強力なバックアップがあっての姦計。成功率という問題以前に本来ならただそういう結末へと収斂する。絶対的な運命の収束が起こるはずだった。ガイアさえルシウスに味方しなければの話だったがな。まあ、ガイアなしでもルシウスだったら引き分けくらいには持ち越せた。

 

「なぜだ!なぜ裏切った少佐!」

 

「なぜ?なぜねぇ……」

 

 少佐はグラスに残ったワインを飲み干すと心底つまらなそうな顔を向けて振り返る。およそ、戦争を引き起こすために手を組んだ相手とは思えない侮蔑を含んだ表情だ。彼の手引きがあれば戦争は多くの犠牲者を生んだだろう。元々そういう戦争がしたいと言って来たから計画に組み込んだ駒のはず。

 

 パンと手を鳴らすと、少佐は手を広げて悪魔の笑いを見せる。

 

「私は初めから賭けていたのだよ。ただの男が抑止力などという馬鹿げた相手に喧嘩を売った戦争に、私はルシウスに賭けた。星の触覚が彼に懐く以前から、ずっと、ずーっとね」

 

「そんな負けの見えた勝負に!」

 

「だが現に血を吐いているのは君だ。アラヤという存在が無様ではないかね」

 

 少年はさらに吐血した。テーブルが元々赤いペンキで塗られていたのではないかというほど赤くなっていく。

 

 思い起こせば、ルシウスがこの世界に生まれて来てから全ての歯車が狂ってしまった。これが抑止力の存在を知るものなら、歴史改変にもある程度抑えが効いただろう。しかしルシウスはこの世界がテルマエ・ロマエだと思い込んだ。奴隷時代からわりと無茶苦茶してたが、歴史に表立った改変はローマに現代日本の建築様式を取り入れるという常軌を逸したもの。それがネロ帝が即位してから迷走していき、歴史の修正力など考えない蛮行を繰り広げていく。

 

 本来抑止力とは星や人間の本能。無意識の集合体である。それに個人的な感情が存在するわけもなく、思惑を持って動くはずもない。だが、ある時彼の破天荒ぶりにアラヤは痛みを感じた。それはある種の精神攻撃による胃痛。アラヤは初めてストレスというものを感じたのだ。ありえないバグを前にアラヤはそれを切り離し扱いやすい駒とした。それがこの”二人”である。

 

「やりたい放題ぶりにイラついたか。自分通りに行かずに我慢ならなかったのか。憤怒を獲得した君はもはやただの人だな」

 

「そういうお前は暴食か?醜く肥え太った豚にしか見えない……がはっ!」

 

 少佐は少年に駆け寄ると拳を振りかぶった。小さな体が宙に浮き、壁に衝突する。

 

「デブのパンチは重いだろう?私の計画では彼に手を出すのはまだまだ先だった……まあ、もともと手を出す気も無かったがね。私利私欲で私を裏切ったのは君ではないか」

 

「じゃあ、僕を殴り殺すのか?いいよ、やれ……胃に穴が開くよりはマシだ」

 

「それもいいが、君にはこっちの方が効きそうだ」

 

 少佐は懐からあるものを取り出す。物作りが得意な執事に頼んで作らせた特注品。後世においてはルガーP08と呼ばれる黒い拳銃を構え、彼は全弾装填済みの弾を全て弾いた。硝煙が立ち、咲いた無数の火花と共に弾丸は少年の体すれすれの部分を縫い付けるように壁に穴を開ける。

 

「ダメだな。やはり私に拳銃の才能はないらしい」

 

「拳銃って、古代ローマで拳銃を作りやがったのか!げぼっ!」

 

「当たってないのに辛そうだな」

 

 血を吐き続ける少年を見下ろしながら悪魔の笑みを浮かべる少佐。最高の肴を目の前に新しいボトルに手をかけ始める。少佐はグラスを新しく取り出すと、いつの間にか部屋の角で立つ少女に注いだグラスを手渡した。少女はそれを飲み干すと、グラスを後ろへと放る。薄暗い影の中にグラスは沈んでいき、割れる音ではなく何かがガラスを貪り食うようなゴリゴリとした音がなった。

 

「私の主人が世話になったな。クソ餓鬼」

 

 全身白のコートを纏い、ふわふわなファー付きのフードを冠る少女の真紅の双眸は白にも闇にもよく映える。それはまるで朱い月を連想させた。

 

 『自然との調停者』『星の触覚』『真祖』『ブリュンスタッド』『死徒二十七祖』『血と契約の支配者』『黒血の月蝕姫』

 

 少女には色々な名がある。本来なら得られない空想具現化と影に見立てた虚数空間の操作を得た彼女は、ガイア側の暗殺者としてルシウスへと送り込まれた。初めてルシウスを見た時、少女は対象の脆弱さに呆れ果て、ただ死ぬ時まで傍観しようと決め込む。だが、悉く運命を塗り替える姿に少女は胸の何かが熱くなるのを感じた。

 

 ルシウスの妻が彼の元を去った頃だろうか。ある時、少女は影から出て男に尋ねた。

 

『どうして一人で戦い続ける?』

 

 男は初め、影から現れた少女に驚いたように後ずさったが、しばらく考え込んでからこう答える。

 

『どこかでここが自分の都合のいい世界だと願い、それがただの夢幻だと気づいていた。でも、路地裏で野良犬みたいに暮らしてた俺は、ただそれに縋ってがむしゃらに生きて来たんだ。故郷に帰れる願いに全てを賭けて挑んだ。今までも、これからも、それを嘘にはしたくないのかもしれない……まあ、帰れなくても別れた女房とよりを戻して永住も悪くはないのかもな』

 

 吹けば命が飛ぶような生命の言葉。その一生は自分の生命の百分の一にも満たない命の言葉がただ神々しく、この男に愛される女がただ羨ましかった。永遠に生きる者には決してない刹那の生命の輝きに少女は惚れ込んだのだ。人とはかくも素晴らしいものであると、涙を流す少女の背を男は無言で摩った。

 

 いつかこの男は運命という絶対的な力に屈服するかもしれない。それでも彼が夢見た最果ての未来を共に求め歩こうと少女は思った。今まで契約で他者を縛り付けていた少女は、男を契約者として手の平に唇を落とす。契約の儀式の途中に少女の名前を聞いた男は恥ずかしそうに笑った。

 

『アルトルージュ・ブりゅれ?……ごめんな、俺ばかだから長い名前覚えられないんだよ。吸血鬼だから『伯爵』って呼んでいいか?』

 

 そして少女はその名を得た。死徒二十七祖の席も、朱い月の後継者の権利も放棄して、ルシウスと共にあることを選ぶ。そして刹那の輝きを失う事になっても、共に永遠を歩むことをガイアへと願った。ガイアもルシウスを排斥するリソースを考えれば、自分の駒にする方が有益だと考えたのだろう。

 

 伯爵の提案を基に『タイプ・アース計画』は今もなお進んでいるのだ。

 

「お前、私の主人を傷つけたな。鬱陶しい暗殺者がいなければ全員細切れにしてやったものを。ただでこの屋敷から帰れると思うなよ」

 

 影の中で蠢く無数の獣たち。ガイアの怪物であるプライミッツ・マーダーの眼光が少年を貫く。

 

「む、無駄です。僕を殺しても第二第三の胃痛を患った僕が生まれるでしょう」

 

「ああ、だからお前は殺さない。犬のおもちゃだ」

 

「フォウ、フォーウ! ファッ!」(死なない程度に遊んでやるよ)

 

「え、うわっ!?なんかベトベトする!舐めるのやめ、やめろおおお!!!」

 

 ペロペロしていいのは、ペロペロされる覚悟のある奴だけだった。日が昇った頃、道の傍らで唾液まみれのアラヤくんが倒れてるのを見てアーチャーが回収したとか。別邸には空のボトルがたくさん転がってたらしい。愉悦部の大先輩に向けて未来の後輩は敬礼のポーズを取った。泰山の店員さんが困ってるからやめなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 ボッチのアサシンは鋼鉄の糸で縛られていた。別にやましいお店にいるわけじゃないので奥さんは落ち着いてください。

 

 アーチャーたちと別れた後、アサシンはルシウスの寝込みを襲おうと家に近づいた。だが、気配を察知していた伯爵と遭遇してしまい、わんちゃんと必死の追いかけっこを繰り広げる。戦えば勝ち目はないが、逃げるだけならアサシンクラスの彼は他愛なし。そのうち他の仲間も応援に来るだろうと信じて逃げて待っていたが、残念ながら彼らはローマを満喫していた。

 

『代わりましょう』

 

 疲労困憊で伯爵に追い詰められた時、執事服を着た老人が現れてそう言った。アサシンは内心ガッツポーズを決めたが、これが自分に似た戦法を取るやり難い相手で、糸を操り鉄や岩をバターみたいに切断するビックリ人間。そう、その老人は英霊や真祖と違いただ純粋な人だった。そんな人間と数ヶ月間も戦い通し、気づけば根負けして糸で雁字搦めにされてどこかの部屋に監禁状態。

 

「ああ、僕もスタミナ切れか。この姿、長として威厳がないから爺さんの格好してるのになぁ」

 

 自分の正面で椅子に腰掛けた子供が、紙巻タバコを蒸して喋っていた。なぜか自分も無性に吸いたくなり、それを察したのか少年はポケットから一本取り出すとアサシンに加えさせシガレットキッスをする。奥さんステイステイ。

 

「なあ、あんた娘はいるか?」

 

「唐突になんだ」

 

「じゃあ結婚は?その顔だとわりと誑しだと思うがね」

 

 ふと靄の混じった光景にある女性と彼女に抱かれる赤ん坊の姿があった。あったかもしれない可能性。なかったからこそ男は正義の味方へ突き進んだ。

 

 アサシンの無言に何かを察した少年は返答を待たずに口を開けた。

 

「僕には娘がいたよ。可愛い子でね、結婚してようやく幸せを掴もうって時……僕が”全て奪った”」

 

 アサシンの脳内に血まみれの二人が横たわる光景が浮かぶ。ひどく目眩と頭痛がした。それと共に目の前の相手に同族嫌悪が湧く。

 

「僕は組織のルールとかけじめなんかの為に娘の幸福を天秤にかけて、僕は自分の立場から組織を選んだ。あんたもただ一人のために世界を敵にするタイプには見えない。小を捨てて大に付く人間だったんじゃないか」

 

「だったらどうする。同じ穴の狢同士不幸話に花を咲かせるかい?」

 

「別に、ただ、老いてくると何かと話したくなるって話さ。それと娘との約束でね、あの男に死なれると僕も困る。あんたとは仲良くなれそうな気がしたが、まあこればかりはしょうがないよな」

 

 少年のわずかな殺気。糸に力が加わった瞬間、アサシンは肩の関節を外して糸から抜け出した。糸に絡まる閃光弾の置き土産が炸裂し、周囲が白んだタイミングでキャレコM950の連射が少年のいた場所へと撃ち込まれる。

 

「いいね。その武器、今度伯爵にも作ってあげようかな。いや、もっとパワーのあるやつが喜ぶか?」

 

 煙の立つ空間の中、悠々とそこにいる少年はタバコの灰を落とすことなく煙を蒸した。空中に揺蕩う糸を振るうと綺麗に半分になった弾丸の雨が散らばる。追いかけっこの最中も弾丸もナイフもこの少年には効かなかった。一瞬でも気を抜けば首を切られるほどの使い手。アサシンは確信する。この少年も自分たち守護者が召喚された要因であることに。

 

 少年は一片の隙もなく完璧な礼をすると、加えた短いタバコを空中に飛ばしミリ単位の細かさで切り刻んだ。

 

「ルシウス様の四番弟子『執事』。お相手仕る」

 

 名を言い終えて執事は狭い室内を駆けた。弾いたスーパーボールが壁を反射するような動きをアサシンは目で追う。追いきれなかった隙を突く糸の斬撃を彼は紙一重で避けていった。アサシンは宝具を使うか決めあぐねる。初動を見切られたらいくら時間流の加速によって高速攻撃や移動を行っても逃げられるだろう。

 

(お互い無傷では済まないだろう。だが、僕の命を使って仕留められるなら構わない)

 

 アサシンはいくつか隙を作り、執事の攻撃を誘導する。こちらが導いた箇所に攻撃が仕掛けられたら即座に宝具を使う準備は出来ていた。いくつかのフェイントは避けられ、最後の作り出した隙をついて自分の胸が深く切り裂かれた。それと同時にアサシンは『時のある間に薔薇を摘め』を発動する。かつて衛宮切嗣と呼ばれた男の固有時制御(タイムアルター)を基にして作られた宝具。高速移動で自身の起源である「切断」「結合」の二重属性の力が具現した武器で相手を切り刻み、魔術師ならば致命的なダメージを与える高速の連続攻撃。

 

『   』

 

 空中でゆっくりと動く執事は何かを口にしようとしていた。本来ならそんな言葉にはアサシンも耳を向けない。しかし、彼が装填済みのトンプソン・コンテンダーを構えるわずか2秒、現実世界の時間にして1秒も満たない時の中で紡がれた言葉にアサシンは動揺した。

 

「ばかな、なぜこの時代に……」

 

 11世紀ごろイスラム教の伝承に残る暗殺教団。彼らはハサン・サッバーハとして聖杯戦争においてアサシンのクラスを冠している。歴代当主は己の御技によって「山の翁」を受け継いできた。この時代における常識などもはやないにも等しかったが、その知識がアサシンの手をわずかに遅らせた。

 

 

 

 

■■■■(ザバーニーヤ)

 

 

 

 

 執事は半分に割れた面を被り、その秘術の名を口にする。




これにて最終章前半戦終了。あとは残った守護者組が頑張るようです。間に番外編みたいなのが入ってから再開。

読者ショックの回から3話分くらい省いたせいでOPの後にあなたが犯人ですね的な展開になってすみません。あと、基本シリアスぽい雰囲気感じても騙されないでください。それは高度に擬態したギャグという名の茶番です。


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登場人物たちのあらすじ2

【ルシウス・クイントゥス・モデストゥス】

最近は漫画版ヒロインと結婚するつもりないだろと思われるくらい別れた妻のこと引きずっている男。前世では母子家庭の長男として生を受け、物心ついた頃から母や妹のために近所の横丁でお手伝いしてお駄賃をもらい妹のおもちゃなんかを買ってあげたりした。学生時代も学校に隠れてバイトを掛け持ち、すべて学費や生活費にする。母がなくなり、妹が独り立ちするまで面倒を見てきたが、内心は一人になりたいとずっと思っていた。妹に彼氏ができて家を飛び出しようやく一人になれたが、今まで家族のために生きてきた彼は自分のやりたいことが分からず、だれもいない家の中で彼は悩み続ける。彼は自分が空っぽであったことに気づいたのだ。趣味の読書に日々をただ費やす中、妹からのDV被害のメールを見て飛び出し二人で遠い場所に引っ越した。自分の残りの人生は妹のために使おうと決意し、彼は妹の幸福のために働き生きていく。妹も兄に依存したが、やがて良き男性と出会い結婚した。妹の結婚式の帰り、すべてをやりきった彼は妹の元カレに気絶させられ風呂の中に沈められる。その頃、何も知らない妹はこれからは兄が自分のしたいことを見つけ、我慢せずにわがままに生きていけることを願ったのだ。それが運命か皮肉か今のルシウスを作っていた。まあ、妹も今の兄を見たらやりすぎで白目剥くかな。

 

【シンプソン】

弟子一号。名前が例のご長寿アニメと同じでやだという理由で、神父とあだ名がつけられたかわいそうな男。見た目はどこぞの童話作家と同じ名前の神父さま。昔はおとなしい美少年で面倒見のいいルシウスにくっついてたが、ルシウスを守るために筋トレしすぎて強面になってしまった。ダンベル何キロ使ったの?今回は少佐や伯爵からある程度の情報を得ていたので戦争が終結し、ルシウスも帰ってくるのを知ってたので落ち着いていたが、知らなかったら一番暴走してただろう。

 

【名無しの男】

弟子二号。名無しだったが軍のお偉いさんという理由だけで少佐とあだ名がつけられた太った男。見た目は戦争大好きなナチスのあの人。アラヤの切り離された感情が変質して狂気を生み、戦争により壊れた世界を正そうとしたがルシウスに色々餌付けされてやめた。食事も戦争もルシウスのくれるものが美味しいらしい。今回の件で元老院や邪魔な組織を一掃し、アグ様もなにやら一枚かんでたとか。後編で明らかになるがいろいろゲスいぞこの二人。

 

【アルトルージュ・ブリュンスタッド】

弟子三号。色々な異名があるが吸血鬼という理由で伯爵でもないのに伯爵とあだ名がつけられた少女。これにもヴラドパパも激おこ。公式では月姫の最強妹さまの姿だが今作ではロ●カードさん。べつに性別男じゃないからボイスが麻婆神父ではないよ。ガイアのバックアップで空想具現化に目覚めた彼女の力はルシウスの温泉探知機として機能している。ぶっちゃけ建設作業なんてできないから日がな一日ルシウスの影に潜んでは眠りそうな彼を起こしている。物理的なエナジードリンクで過労死して翼がさずかっちゃうと、ペットの絶対人類殺すわんちゃんもこれには憐れんだ。何気にルシウスに好意を持つ女性キャラではかなりの古参。最後にこの伯爵が隣にいれば良かろうなのだぁ!と計画を立てている。

 

【とある暗殺者教団の教主】

弟子四号。妻との入れ替わりで現れなんか漫画に出てきそうな如何にも執事が似合うという理由で執事とあだ名がつけられた老人。見た目はどこかの英国機関で死神やってそうなおじいちゃん。実は肉体いじって老人ムーブかましてるが正体は童顔のご長寿。今まで送られてきた守護者や暗殺者をお掃除してくれてた綺麗好きな執事さんです。あの御技を使うけど正確には山の翁ではない名無しの教団の教主。名もない暗殺者が集まり歴史に名を残すことなく影で消えていくある意味真の暗殺者たち。数年前に娘と喧嘩別れをしてほかの部下に教主を譲り、現在は執事兼浴場技師に再就職中。

 

【なんちゃって守護者5人衆】

衛宮さんちの今日のごはんのキャラだろアーチャーエミヤ。伝説の漫画おでんを探してローマを練り歩く沖田オルタ。ローマの人工池に浮かぶ巨大な船に惹かれて夢の国もどきに迷い込んだ坂本龍馬。ポップコーン屋台の店員にカエル味はないかとクレームをつけるお竜。一人で真面目に暗殺の仕事やってたら型月最強生物に追われた挙句に糸まきまきされているアサシンエミヤ。誰でもいいからアサシンエミヤを助けてやれとアラヤは思った。

 

【転がる石たち】

ギリシャへ帰された4人は当時の恐怖を歌詞にしてギリシャで演奏。一部の根強いファンを獲得した。なお、彼らの歌は魚面の種族に効果があるらしく、どこかの大学教授を初めアーカムで大流行したとか。

 

【アラヤくん】

アラヤがストレスを感じて切り離したいわばストレスでぼろぼろの胃の擬人化。たいていの文章でリアクションとってたアラヤは彼だったりする。強力な思考誘導で惜しいところまでいったが最後に大失敗。現在アーチャーにより保護されている。がんばえぇ、アサシンエミヤぁ!とちょっと幼児退行中。

 

【ガイアママ】

地球表面で核並みの爆発と人類のほとんどが死滅する計画に反発しアラヤとは別の道に行こうとしている。送り込んだ真祖がルシウスにガチ惚れしたのは驚いたが、早めに見切りをつけてルシウスを味方にしようと計画中。

 

【最終章の時系列】

アラヤくんが魔術師組と守護者組を連れてローマ入り。この時点で少佐はアラヤくんと手を組んでたが裏では古弟子たちとアグ様に情報を流している。

 

同日、ルシウスが休みをもらって自宅で即爆睡。守護者組が彼についてる協力者を離し、その間に魔術師組がルシウスを自宅で拷問後殺害する予定だったが、切り離されたアラヤくんに絶対的な支配権がなくアサシン以外が観光してしまった。アサシンが必死の追いかけっこをくり広げている間、魔術組が自宅に人よけの魔術を張って拷問。物理エナドリ役がいなくなりルシウスが爆睡したまま拷問が進み、表情を動かさないルシウスに魔術師組はドン引き。

 

追いかけっこ中に執事と交代してマッハで自宅に向かう伯爵。アサシンは再び地獄のおいかけっこに陥る。ルシウスが魔弾をくらいそうになったと同時に影に戻った伯爵は影の中の虚数空間にルシウスをしまい縄を外した。その後二人は風呂場でワープしてぐだぐだ戦国時代入り。ルシウスが寝てる間ぐだぐだ世界線から生命の息吹を組み上げた伯爵はルシウスに与え治療を行う。そして景虎からルシウスの貞操も守った。

 

ルシウスの消失の数日中、頑張ってみんなの疑心暗鬼を煽ったアラヤくん。なお、計画を知ってる人物達には掛からない。その隙の反乱を企てた内部勢力を少佐が一掃。アグ様はエスィルトとネッサンにある計画を持ちかける。二人はドン引きしつつもルシウスの貞操という特典に乗った。同日、ローマ兵たちが皮を剥がれて谷に突き落とされるが、神父に回収されロクスタがルシウスの残したグレージャックの内容を元に治療を行う。ごめんね手塚先生。そして半壊した自宅を前に泣いたペトロ。憂さ晴らしで磔にされる度に信仰の正拳突き一万回をイメトレし出した。

 

消失一か月目にしてルシウス暗殺説が両国に広がり不安が高まる。ネロが共同ライブを提案し、顔合わせも兼ねてイケニに向かう。イケニでも偽ローマ兵と共にブーディカ一行が出発。なぜか娘たちに腹巻をチョイスされたママは困惑した。そして例の渓谷で事件が起こりネロとブーディカは噂を信じ込み絶交。渓谷の件で元老院組が反発するが魔術師組に監禁されてしまう。別邸を掌握した魔術師組は司令部を立てた。そしてペトロが羽化しイエス様の奇跡を発現。

 

数ヶ月後、ローマには属州が、イケニはアイドル同盟軍が集結し二人の決闘が決まると決戦の地まで移動。ヨハネとペトロも合流。これでようやく邪魔な人間たちが片付くとほくそ笑んだアラヤくんとそれをワイン片手に見守る少佐。同時刻、ローマに着いた転がる石たちは沈んだ気持ちで酒場へ移動。アサシンはついに根負けして執事に捕まる。

 

到着した二人は群衆が見守る中で戦う。それと同時刻、ぐだぐだ世界線で目覚めたルシウスは風呂場で逆ワープして爆心地に到着。また伝説を繰り広げている間に軍勢を集めたぐだぐだチームが合流する。その光景を水晶越しから見たアラヤくん吐血、それを肴に飲み始める少佐。

 

ルシウス百鬼夜行チームとぐだぐだ戦国チームに分かれてローマへ侵攻。近づいてきた行列を目にして龍馬は守護者に警告を発したが、アサシンとは連絡が繋がらなかった。ルシウスたちがローマを制圧し終えると少佐の元に伯爵が合流しわんちゃんがアラヤくんをぺろぺろしまくり。



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ルシウスが死ぬわけないだろ!犯人は全身黒づくめの人でち!!

番外編みたいな回。某地獄漫画のあの方も登場。


 とある和室の中で男と幼女が一緒にいる。別にやましいことをしているわけではないのでギリシャ姉御は落ち着きなさい。座敷机には山海の幸が並び、山盛りの白飯を装う幼女は愛らしい笑顔で男に手渡した。それを男は好々爺のような表情を浮かべて受け取る。

 

 少女の名前は紅閻魔。遠野物語に紹介される迷い家を神霊や幻想種を客として迎える旅館とし、この閻魔亭を取り仕切る若女将が彼女であった。かつて遊郭から逃げ出した禿がこの閻魔亭にたどり着き、舌が切られ何も食すことが出来ない彼女の目の前には、今座敷机に並ぶ山海の幸と同じものが並んでいる。漆の椀は遊郭で出される食器よりも見事であり、反物や櫛は遊女たちが使っていたものよりも美しかった。食べることも、触れることも出来ずに死んでいく彼女が、今際の際に思ったことは美しい物を教示してくれた屋敷への感謝である。

 

 伝承では迷い家は無欲な者へ幸福をもたらすとされている。禿の死後その清廉さが認められ、雀の鬼に転身し、地獄で沙汰を受けずに逗留することを許された。奪衣婆の養子としてこき使われ、それを哀れに思った閻魔が彼女を養女として迎えることとなり、長年の働きを経て、幽境で迷い家を神々相手の旅館として開くことを任される。 あるとき人里恋しくなってしまい里に下りた時に婆に捕まってしまったが、お爺さんに助けられた。その禍福が舌切り雀として童話となり、現代の子供たちからも愛されている。それが紅閻魔という少女である。

 

 彼女は決して人によって態度を変えるような人物ではない。外見こそ幼いが、彼女は誰よりも女将としての矜持を持ち、何者にも卑下せず真摯に対応する性格であった。そんな彼女が自ら客をもてなすということは、それは過去に自らが恩を受けた相手に返すという童話通りの恩返しに他ならない。

 

 従業員の雀や常連客たちは好奇心に負け、襖の間から中の様子を覗き見た。きっとそこには彼女を助けたお爺さんと孫のように寄り添う紅閻魔の姿が、

 

 

 

 

「さあ、ルシウス様!もっといっぱい食べるでち!」

 

「はははっ、そんなに食べれんぞ女将!」

 

 

 

 

 いや、お前かい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡ることおよそ一年前。ルシウスと目つきの悪い男が客室にてお茶を飲んでいた。こうして文章にしてみれば目つき以外は至って和やかな筈なのに、ルシウスの目は死んでいた。というか、実際死んでいる。

 

「過労死ですね」

 

「はぁ」

 

 ここは1世紀の閻魔庁。仏教でいうところの地獄であり、目の前の男はやがて地獄全272部署を治めるえらい鬼であった。学生の頃に書けたらわりと物知りっぽく思われる植物の名前である。ルシウスはバカだからキトウさんって間違えて言ってトゲトゲの棍棒で殴られた後であった。

 

「ていうか、なぜ死後日本の地獄なんですか?冥府とか煉獄じゃないんですか? ここから先はR指定な人と地獄巡りじゃないんですか?」

 

「あなた転生者ですよね。あるんですよねぇ、こっちの部署通さずにちゃんと輪廻転生できてない魂が死後に日本地獄に戻ってくるの。未来の死者のくせに過去に戻った転生者が死んでこっちに流れてくるのが最近特に増えてて迷惑してるんですよ」

 

「未来のな●うブラザーズたちがすみません」

 

 よく見ればスマホや盾を装備した亡者も並んでいる。異世界転生者の魂まで面倒見ているらしい。

 

「特にあなたはこの界隈ではわりと有名な方だからすぐ転生者だと気付きましたよ。今全世界の地獄があなたを獄卒に迎えるために口論になっていますから。素行はやや問題ありすぎて浄玻璃鏡が割れましたが貴方なら私も歓迎です」

 

 死後、閻魔大王が死者の生前の行いを映し出すという有名な鏡にルシウスも浮かれてポーズを取ったが、数秒でひび割れてしまった。これには閻魔大王も血の気が失せて真っ白に燃え尽きる。

 

「えー、死後まで働かなきゃならないとか嫌なんですが」

 

「すぐに慣れますよ。ははははっ」

 

 と言いつつまったく目が笑ってない鬼さん。なぜだか無性に親近感が湧いたルシウスであった。

 

「まあ残念ながら、その体だと再び地獄にくることもないでしょうね」

 

「え」

 

「ん?」

 

 不穏な言葉に固まるルシウス。これは天国に行けるってことでいいのだろうか。目の前の鬼さんが初めて憐憫の眼差しを向けていることと無関係であったらいいな。

 

「……そうそう、あなたの蘇生までまだ時間があるので少々手伝って頂きたいことがあるのです。閻魔大王の就任記念に保養地の建設を予定しているんですが、あなたなら一時間くらいでできますよね。私も手伝いますから30分で終わらせましょう」

 

「地獄でも休みなしとか殺すつもりですか?」

 

「あなた死んでるじゃないですか」

 

「「はははははっ」」

 

「なあ、あの二人実は生き別れの兄弟かなんかじゃないよな」

 

 互いに真顔の状態で笑い合う二人の姿に後ろで控えていた獄卒たちはただ恐怖したという。のちにちひろが神隠しに遭いそうな旅館を建設し終えたルシウスが現世に戻ると、誰が人工呼吸をするかで口論し合ってる女性陣たちと、無言のまま心臓マッサージを続ける執事の姿があった。地獄の鬼の方がまだ優しかったと涙を流すルシウス。

 

 それから数日後、例の浴槽の穴を試していたルシウスがたどり着いたのがいつか自分が作り上げた閻魔亭。久しぶりに見えた製作者に閻魔亭も喜び黄金色に輝いた。異変を察知した紅閻魔が玄関を出ると思わぬ来客に目を見開く。

 

「ル、ルシウス様でちかぁ!?」

 

「あ、はい」

 

 紅閻魔の瞳には今までのどんな来客よりも神々しく神聖なオーラをまとったルシウスが映る。それもそのはず、紅閻魔にとってはお爺さんと同じ大恩人なのだ。そんな彼の造った旅館で女将を務められることは、彼女にとって至上の誇りである。

 

「どうぞ中へお入り下さいでち!」

 

 困惑するルシウスを他所に紅閻魔は手を引いて中へ案内する。自慢げに旅館内の説明をしながらルシウスの周りを小鳥のように歩き回る紅閻魔だが、ルシウスからすれば自分で造った建物なのでへーふーんとしか思ってない。空気を読んでそうかそうかと相槌を打つ姿は兄かおじいちゃんだった。まだそんな年じゃないわと内心ツッコミを入れる。

 

「美味しいお料理をお出しするので楽しみにちてください!」

 

 あれやこれやと言う間に浴衣に着替えさせられ座敷に通されるルシウス。いまだ状況は把握できていないが、もてなしてくれると言うなら甘えようと久しぶりの日本の旅館で寝そべった。もうこれだけで至福だったが張り切った紅閻魔が数分で料理を作り終えて戻る。火炎放射器で火を通したのかな?

 

「どうぞお召し上がりくださいでち!」

 

「うむ、では早速……ん?」

 

 しかしお膳にはおかゆと梅と汁物という至って平凡な内容。これはどういうことだろうと紅閻魔に尋ねようと思いかけるも、幼女の満面の笑顔に思い止まる。だが、仮にも元現代日本人であり、料理研究家でもあるルシウスは食には妥協しない。まずかったらまずいと言える男。もはやめんど臭いクレーマーである。

 

 期待もそこそこの思いで彼が粥を口にした瞬間、

 

 

 

 

(地球は……青かった)

 

 

 

 

 彼の魂は大気圏を超えて宇宙まで飛び立った。圧倒的な旨味の威力を燃料に彼の魂は空を駆けたのだ。土曜ドラマ湯けむり殺人事件になりかけるもパンではなく米だったので魂が体に戻ってくる。

 

「……うまい」

 

「本当でちか!えへへへ!」

 

 くやしい、こんな質素な料理なのに手が止まらない。プロの料理人はプレーンオムレツだけでも力量の差が大きく現れると言うが、この料理がまさにそれである。梅干しもいい塩梅で浸かっており、汁物も出汁と味噌の調和が完璧だ。そもそも仕事で徹夜明けの体にはこれくらいの量で十分。

 

 おそらく自分がこの域に到達したのは今世の半ば。前世でもメシマズな母や妹の代わりに料理を作ってきたが、あの自分では不可能な領域。今でもこれだけのものを作れるかどうか不安なところであった。

 

(ふっ、こ、これは次の料理が楽しみだ)

 

 喜んでいる紅閻魔とは逆に、ルシウスはその才能に嫉妬と畏敬の念を抱いた。

 

 しかし昼もお粥が出され『うーん、お粥とお粥でダブってしまった』と孤独にグルメしたルシウス。巨大なひよことお日様の匂いがする犬と混浴後に出された夕食もお粥で『うおォン俺は人間お粥収集機だ』と黙々と食べる。そして次の朝にもお粥が出された辺りから流石に怒った。

 

「女将を呼べ!よくもこのルシウスの前にお粥ばかり出しよって!これは私がそろそろおじいちゃんくらいの年に入る当てつけか!」

 

「申し訳ありまちぇん!申し訳ありまちぇん!」

 

「女将!これはどういうつもりなのだ!私はお前のことを尊敬していたのだぞ!」

 

 お前は美食クラブかと言わんばかりに激おこなルシウスの前に、床に額を擦り付けた紅閻魔がいた。大人気ないなこの男。

 

「昨日までのルシウス様の胃はかなりの疲労されていたので、消化の良いものを召し上がって頂いてからご馳走をお出ししようとあちきが勝手に決めまちた!」

 

 ルシウスはそういえば最近疲れていた胃の具合が今はかなりいいことに気づいた。胃が休まり、栄養も取れたので体の調子もいい。そういえばお粥の味付けも毎回変えていたから、こうして飽きることなく食べられたのだ。何気ない気遣いにようやく思い当たってくる。

 

「あちきのお節介が気に触ったのなら、どうか煮るなり焼くなり好きにちて下さい。例えルシウス様に嫌われたとちても、宿に滞在する間は体を存分に療養してほしいでち。あちきは籠の中の鳥でありんちた、そんなあちきを自由にしてくれたのはルシウス様でありんす。ルシウス様!あちきの腹を切っておくんなんち!」

 

 やだ、めっちゃいい子やんと罪悪感に苛まれるルシウス。目にいっぱいに涙を浮かべる紅閻魔の周りを囲む雀たちは女将を斬るなら自分を斬ってくださいと震えながら懇願する。襖の奥から殺気を漏らす神々の気配に気づき、ようやく自分の状況を悟ったルシウスは、

 

「女将、私がそなたを傷つけるわけなかろう。お前のご馳走を楽しみにしているぞ」

 

「ルシウス様!ありがとうでち!」

 

 熱い手のひら返しを繰り出し難を逃れる。おのれルシウス。

 

 その後、完全回復したルシウスは一番最初のやりとりをしたり、料理の秘訣を盗もうとしてヘルズキッチンの刑に処されたり、影の中にいた伯爵と中国産の吸血鬼とが鉢合わせしたり、その吸血鬼に按摩パンクラチオンしたりとわりと満喫していた。

 

「ルシウス様は肩が凝ってるでちねぇ」

 

「ははは!もっと強く叩いても良いぞ女将!」

 

 完全におじいちゃんと孫と化した二人。ルシウスも真の大和撫子の姿を見出し、ここに永住しようかと考え出してた頃だった。

 

「大変でチュン!大変でチュン!竹取の翁様の荷物が盗まれたでチュン!」

 

「チュチュン!?」

 

 慌てて部屋に飛んできた雀の言葉に驚愕する紅閻魔。すぐに冷静さを取り戻した彼女はルシウスとともに竹取の翁が宿泊する明烏の間に向かった。

 

「まったく、今から地獄からの団体客が来られるのに迷惑な盗人でちね!」

 

「大丈夫だ女将よ。大抵、こういうミステリーでは全身黒づくめの男が犯人で少年探偵が捕まえにくるのがセオリー」

 

「そうなんでちか!流石ルシウス様は物知りでち!」

 

「はははっ!もっと褒めてもいいのだぞ!」

 

 褒められて調子に乗るルシウスおじいちゃん。ただ場を和ませようと発した一言であったが、彼の発言により事態は急展開を迎える。襖を開けた二人の目に飛び込んで来たのは、服と翁の仮面の下が全身黒ずくめ竹取の翁がありけり。

 

「は、犯人でちいいいいい!!!」

 

「ふぁ!?」

 

 思わず反射的に指を指した紅閻魔とひどく困惑した竹取の翁。それを見て『あ、余計なこと言ったかも』とテヘペロするルシウス。

 

「ル、ルシウス様の言ってた犯人でち!ほらルシウス様!」

 

「えーい、落ち着け女将!まだ探偵が到着しておらんぞ!」

 

「な、なんだね突然!人を犯人呼ばわりしよって!」(まさか、本当のことがバレちまったのか!?)

 

 竹取の翁は突きつけられた犯人容疑に内心狼狽していた。彼の正体は巷で理由をつけては無銭飲食を繰り返していた鵺。巾着袋に入っていた宝が盗まれたと自作自演で口実を作り、ただで寝泊まりする腹づもりだったが数秒でダンガンロンパされてびびっていた。

 

「竹取の翁様、事件があった時刻はどこに?」

 

「な、なんだその目は!?」

 

 紅閻魔の疑心に満ちた瞳に、己の謀が完全にバレていることを悟った彼は最終手段に出る。

 

「わしを犯人呼ばわりをするなら、その証拠を出してみろ!出せるのか!?」

 

「そ、それは……」

 

 彼は間違いなく犯人である。しかしそれを証明することは難しい。いったい誰が初めから巾着の中に宝などなかったことを証明できるだろう。怒る鵺の気迫に後ずさり廊下に後退したルシウスと紅閻魔は廊下を歩いている歩行者を目にして口をあっと開いた。青ざめた紅閻魔はまるで鵺を心の底から案ずるように声を絞り出す。

 

「た、竹取の翁様……犯人ならすぐに自白した方がいいでちよ?ね?」

 

「だから!わしが犯人だというなら証拠を!」

 

「証拠があれば良いのですか?」

 

「あ?誰だおま……え、は」

 

 襖からひょっこりと顔を覗かせる顔に鵺は戦慄した。閻魔大王の補佐官であり、地獄全272部署を治める鬼神。祟り神すら退けて日本で一番怒らせてはいけない人物ナンバーワンの座を勝ち取った獄卒。

 

 それを目撃した鵺が行ったのは、一糸乱れぬ洗練された土下座であった。

 

「も、申し訳ございません鬼灯さまああああああ!!!!」

 

「私よりも女将に謝りなさい!」

 

「ぶべら!?」

 

 鬼灯は垂れた頭を棍棒で殴り飛ばした。風圧でガラスや柱が粉々に砕け、閻魔亭が悲鳴を上げる。飛び散る鮮血が殺人現場の如く部屋を塗り替えた。今後、数百年は明烏の間は開かずの間になるだろう。頑張って直してカルデア組。

 

 その後、棍棒に縛り付けられた鵺と嫌がる閻魔大王を引きずった鬼灯は地獄へ戻った。残業を行う社畜の鏡にルシウスは敬礼ポーズを送る。『あなたもお金払ってませんよね』とルシウスもローマまで引きずられた。この鬼ぃ!

 

「鬼ですがなにか?」

 

 あ、はいそうですね。



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侵略者と仲良くなれるわけないだろ!わーい君は蜘蛛のフレンズなんだね!!

今回は会話形式です。貴重な型月原作キャラがまた魔改造()
次回から後半戦に入ります。


『信号を受信。解析、天体名をアースと呼称、彗星の軌道修正、着陸地点捕捉、到着まで315360000秒315359999秒315359998秒……』

 

 

 

 

『大気圏突破。損傷、変形なし。地表との衝突へ移行。衝撃を推算。障壁、減速、不要』

 

『天体との交信を開始。エラー。交信を開始。エラー。……信号一部誤認、予定時刻まで157680000000秒未達。複数の生命体、幻想種を確認。脅威判定D、任務継続可能と断定。予定まで待機』

 

 

 

 

「なんだこの馬鹿でかい蜘蛛は?」

 

『生命体との接触確認。霊長類人間……エラー。天体の触覚。吸血種真祖。脅威判定E』

 

「ふむ、水晶のようだが柔らかく、硬く、鋭い。面白いな、捕獲するついでに味も見ておこう。れろれろれろれろれろれろれろれろれろ」

 

『エラー!エラー!精神攻撃を確認!対象を捕食!』

 

「ぎゃあああああ!!!」

 

「うわあああ!第5位さまああああ!!!」

 

 

 

 

「おー!神よー!」

 

『生命体との接触確認。霊長類人間。脅威確認できず。儀式的な行為と推測。待機を継続』

 

「おー神よ!」

 

「あ?これウチらの国の神だから!」

 

「は?ふざけんな!うちの神だぞ!ね!神!」

 

「なんとか言ってください神!」

 

『……物理法則を改竄。自身の惑星環境に適合。侵食固有結界『水晶渓谷』を発動』

 

「ぎゃあああああ!体が水晶になっていく!!」

 

 

 

 

「痛い!足逝ったあああ!!なんかそこら中アイス●ンみたいな素材の水晶があるし!師匠!セネカ兄弟子!ヘルプミー!」

 

「ふざけんな!お前ならそのうち自分で上がってくるだろ!」

 

「頑張ってねぇ」

 

「私はライオンか!」

 

『生命体との接触確認。霊長類人間……エラー?人間、エラー?』

 

「うわ、なんかでっかい蜘蛛がいる。バレないように静かにしておこう」

 

『種族判別不能。脅威度測定不能。観測に移行、対象の生命エネルギーの減少を確認、エネルギー源の補給を試みる』

 

「え、果物くれるの?太らせて食べようとしていない?」

 

 

 

 

「でな、天動説と地動説について色々師匠と話してたら吐血し出してセネカもドン引きしてたわ」

 

『言語解析。会話内容理解。知能指数E、知識判定B、矛盾、矛盾』

 

「じゃあ、足も治ったから帰るわ。次ギリシャ行くから楽しみなんだよな」

 

『個体名『ルシウス』渓谷を登攀移動。こちらへ手を振る。不可解』

 

 

 

 

「お、まだいたのかお前」

 

『個体名『ルシウス』確認、虚数空間内に吸血種真祖を確認。脅威度判定B、戦闘形態へ移行、天体からの信号受信、通常形態へ変更』

 

「この水晶すこし貰っていい?ネロ帝の剣に少し入れてみたいんだよね」

 

『対象の目的、素材採集と推定。同意、信号送信』

 

「良いみたいだぞ」

 

「え、伯爵あれとお話できるの?」

 

「無論だ、お前もそのうち話せる時が来る」

 

「それ大丈夫?私吸血鬼になってない?」

 

「案ずるな、”吸血鬼”ではない」

 

「じゃあ、名前とか分かる?いつまでもお前じゃあれだし」

 

『解答、個体名『ORT』。『ルシウス』へ信号送信』

 

「こ、こいつ、直接脳内に!」

 

 

 

 

「オルトちゃーん。復興の建築資材が足りないから少し貰ってもいい?」

 

『個体名『ルシウス』確認。了承』

 

「ありがとうな。お礼に何か上げられたらいいけど何かある?」

 

『不要。個体名『ルシウス』観測続行許可、申請』

 

「うーん、でも私もずっとここに来られるか分からないからなぁ」

 

『有機生命体特有概念、活動限界、言語化『死』』

 

「まあ、私も人間だしなぁ」

 

『人間?エラー、人間?エラー』

 

「なぜ疑問符を浮かべる?あ、そうだ!風呂作ってやろうか?」

 

『風呂、人間特有文化、殺菌、老廃物の除去排泄方法。必要性皆無』

 

「まあまあ、入ってみればいいもんだぞ」

 

 

 

 

『摂氏40度。含有成分、硫黄、カルシウム、アルミニウム、鉄、珪素。毒性ゼロ。pH9、アルカリ性単純温泉』

 

「どう?」

 

『必要性皆無』

 

「えー、やっぱり?」

 

『追記』

 

「ん?」

 

『環境快適、『ルシウス』の言語的表現『ぽかぽかする』』

 

「なんだ。嬉しいんだ」

 

『否定。個体名『ORT』感情概念皆無』

 

「本当は嬉しいくせにー。このこのー」

 

『否定!否定!』

 

「だー!音量あげるな!じゃあ、また今度風呂の調子見にくるからなぁ!」

 

『個体名『ルシウス』渓谷を登攀移動。こちらへ手を振る。やはり不可解。今後も観測継続の必要性あり』

 

『……個体名『ルシウス』から有機生命体特有概念『死』検出。いずれ観測限界が訪れると予測。――エラー検出、精神攻撃確認。エラー除去。エラー、精神攻撃再発。除去。エラー。除去。エラー。除去。エラー。除去。エラー。除去。エラー。除去。エラー。除去。エラー』

 

『仮想領域構築。五情構築。個体名『ORT』有機生命体特有概念『心』獲得。エラー解析、哀情と仮定。追記、解析不能感情検出。言語化『ルシウス、ぽかぽかする』』

 

「あいつを好いたか。今までこんなクソ真面目に親切心に触れたことはなかっただろう?」

 

『吸血種真祖を確認。個体名『伯爵』。『好き』概念理解不能。回答要求』

 

「自分で考えるがいい、タイプ・マアキュリー。いい主人だろう。私のものだ、私だけの愛しい主人だ。おまえのじゃない」

 

『エラー検出。エラー解析、嫉妬と仮定。除去不可能、発生原因除去』

 

「怖い怖い、私も退散するしよう」

 

『個体名『伯爵』虚数空間へ逃亡。追跡可能、個体名『ルシウス』と接触する可能性あり。追跡断念。感情不安定、安定化のため擬似人格構成。発声器官構築』

 

「ル、シウス、すき」

 

『アースと交信開始。受信『タイプ・アース計画』読了。賛同者複数確認、個体名『ORT』も計画推奨。個体名『ルシウス』観測続行可能と断定』

 

 

 

 

「ルシウスー」

 

「ほわああああつ!?オルトちゃんが喋ってるうううう!」

 

「好きってなにー?」

 

「やだ、そして深い」

 

「ねー、好きってなにー?」

 

「うーん、改めて言われると言語化するのむずいな。かの西尾先生の妹キャラいわく顔見てこいつのガキを産みてーなーって思ったら、それが好きってことなんじゃねーの?まあ、私男だけどな」

 

「ORT、ルシウスのことすきー」

 

「そういう告白は崖の上で魚類がするものだよ?」

 

「ORT、ルシウスと交尾するー」

 

「うーん、初体験が蜘蛛とかちょっとヘビィすぎるよぉ」

 

「じゃあORT、人間になるー」

 

『捕食吸血種真祖情報解析。不要情報排除。五体構築、霊長類人間雌擬態』

 

「だから、そういう発言は崖のう、え……で」

 

「ORT、人間になったー」

 

「ぎゃあああ!オルトちゃんがボーカロイドみたいな子になっちゃったあああ!!」

 

「交尾しよー」

 

「待って!やっぱりこういうのはお互いのことをよく知ってから、ちょ、離して……すごい力だ!!!」

 

「貴様、私の主人の童貞を奪おうとしたな。ぶち殺すぞアルテミット・ワン!!」

 

「伯爵、殺すー」

 

「やめて!私の童貞のために争わないでええええ!!!」

 

 

 

 

「はい、二人とも復唱!」

 

「「私たちはズッ友だょ」」

 

「よし!二人とも仲直りの握手な!手に力込めたらだめだぞ!私怒るからね!」

 

「「ちっ」」

 

「やだ、こんな怖い顔の仲直り見たことない」

 

「ルシウスあそぼー」

 

「うーん、そろそろ帰らないとローマがやばいことになりそうだからまた今度な」

 

「やー」

 

「離してぇ、腕もげちゃうから。指切りげんまんするからさ」

 

「指切りげんまん?」

 

「あー、私流の大事な約束する儀式みたいなやつね。指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った!はい、約束ね!」

 

「わかったー。嘘ついたら針千本飲ますねー」

 

「うーん、それは約束しないでね?じゃあ、またね」

 

「またねー」

 

 

 

 

「ルシウスまだかなー」

 

「ルシウス遅いなー」

 

「ルシウスー。針飲ましちゃうよー?はやくきてー」

 

「こないなー、もう一ヶ月待てば来るかなー」

 

「なんで来ないのかなー?ORT悪いことしたからー?」

 

「ルシウスー、ORTあやまるよー。もう喧嘩しないよー、腕ひっぱらないよーごめんねーごめんねーごめんねー……」

 

「さみしいよー、ルシウスに会いたいよー」

 

「ルシウスー。ルシウスー。ルシウスー。ルシウスー。ルシウスー。ルシウスー」

 

『個体名『ルシウス』を検索。天体内、銀河内に存在観測不能。ルシウスの存在損失。有機生命体特有概念『死』断定。精神汚染を確認。心、人格に損傷確認。修復開始。エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!』

 

「ルシウス、死んじゃったー?もう、会えないのー?……やだよーさみしいよーあいたいよー…」

 

 

 

 

 

 

「ルシウスに会いたい……会いたいよー……あ」

 

『個体名『ルシウス』を確認。現在地を特定、ローマ帝国』

 

「ルシウスだー!わーいルシウス生きてるー!会いたいよー!会いに行ったら怒られちゃうかなー?でも、怒られてもいいから会いたいんだよー!」

 

『身体能力向上。目標地点までの予測時間604800秒。移動開始』

 

「会いに行くからねー!」



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ルシウスがお持ち帰りされるわけないだろ!新撰組の孤独なグルメ!!

お待たせいたしました。台風とか台風とかギル祭とか鬼ランドとかのせいで投稿が遅れました私です。まだ身辺がごたごたしていますが暇なときにがんばるぞい。


 女は特別美女というわけではなかった。愛想もなく、豊満でもなく、賢いわけでもない。

 

 良くも悪くも男は女性に困ることはなかったが、まあある意味困ることもたくさんあるといつも白目を剥く男だ。そんな彼が女を選んだ理由といえば、それはきっかけがあったからだとしかいえない。他の女性ときっかけがあれば今頃は別の女性と結婚しただろう。

 

 女は普通の人間とは体質が違って不便なことが多かった。男も初めはそれが原因で何度も痛い目に遭ったし、彼女といたら普通の生活すらままならない。

 

 それでも男は女と結婚した。好きだったからだ。なんとなく一緒にいたいと思って、なんとなくこの女に好かれたくて、なんとなく好きだと気づいて、結婚した。惰性に惰性を重ねた末の結婚であったが、互いに後悔はない。あったとしたらそれは子供だ。

 

「娼婦を抱きたいと、思わないんですか?」

 

 ある時、女は道行く子供達を見てそう呟いた。

 

 女は子供が産めない体であった。産めることは産める体だと思うが、そこまで至る行為ができない。女の特異体質故に男は彼女に直接触れることができなかった。痛い目というのはそういうことである。直接肌に触れたことなど片手で足りるほどの回数しかない。

 

「やだよ、肉食系とか怖いし」

 

「私はあなたが選んだ愛人なら許せますよ」

 

 女は白い歯を見せて困ったように笑った。男は手袋越しに握った手に優しく力を込める。

 

「”俺”は、お前がいれば一生童貞でもいいや」

 

 男のバカみたいなセリフに、今度ははにかんで笑う女。夫婦は、このひと時が一生続けばいいと思った。なお、まわりの子供たちが口笛を立てて囃しまくるので、男は一人一人にデコピンを食らわせたという。

 

 

 

 

 

 夢から目覚めたルシウスは知っている天井を目撃。この材質、宮殿の休憩室だなと冷静に分析した。仕事の休憩にきた衛兵たちがコーヒー片手に『隊長まじうざい』とかOL風に愚痴を零す溜まり場である。椅子に座ったセネカが月刊【ローマの休日】『海上を超スピードで走る少女の姿を目撃』という題のニュース誌をめくっていた。

 

「遅かったですね。貴方なら一日で回復すると思ったのですが」

 

「私をプラナリア的な化け物だと思っているな兄弟子よ」

 

「貴方と一緒くたにされるプラナリアなる生物に哀れみを感じます」

 

 柱の男か私は。むしろ柱を作る側の男だぞ。

 

 振り返ることおよそ数日ほど前。魔術師にちぇりおしたルシウスはそのまま立ち往生するように気絶した。全力のパンクラチオンにまだ不完全な体が耐えられるはずもなく、全身の筋繊維が三つ編みになるような強烈な肉離れを起こしたルシウスは今日まで寝ていたのだ。

 

 セネカはローマの休日を読み終えると、包帯で巻かれたルシウスの手を両手で包み込む。

 

「ですが、良く来てくれました。貴方のおかげでローマは救われた」

 

「え、ドッキリかなにか?」

 

「よくわからないけど違います」

 

慈愛の篭った眼差しがルシウスへ送られるが、当のルシウスは『やだこわい』と困惑した。この兄弟子に優しくされたことなど指一本分しかない。つまり今でしょ。師匠から破門された時でさえ何も言わなかった男である。

 

「まあ、据え膳食わぬは男の恥と言いますし、頑張って逝ってらっしゃい」

 

 あっという間に服を着替えさせられたルシウスは、そのまま食事会が行われる部屋へ送られる。部屋の中にはネロ、ブーディカ、エスィルト、ネッサンが食事を摂っていた。全員、妙に粧し込んでいて一枚の絵画のようである。最後の晩餐ではないよ?

 

「ささ、こちらへどうぞルシウスさん」

 

「あ、はい」

 

 ルシウスはネッサンに手を引かれてネロとブーディカの間に座らせられる。なんか香水のいい匂いがした。潤んだ目で見詰めているブーディカと目が合い、ルシウスは一瞬ドキッとする。

 

「ねえルシウス、この服どうかしら」

 

「あ、ああ、似合ってるぞ」

 

「そ、そう?そうか、えへへ」

 

 純白のロングドレス。普段のド級の露出ビキニアーマーとは違い、清楚で丈の長いギャップを強める。本人が着慣れずに少し恥かしそうにしてるのがさらに高ポイント。

 

 不意に反対側から裾を引っ張られる。

 

「余の方も見ろ。妬いてしまうぞ」

 

 ネロもまた白を基調としたドレスであったが、胸は大胆に露出し、スカートのスリットから覗く太ももが挑戦的に晒されていた。子供の頃からネロはルシウスの気を引こうと露出の強い大胆な服を着ていたが、今回のそれは格式を備えた大人の魅力を演出するドレス。つまり、アグリッピナの如く大人の女の魅力ムンムンだ。

 

「ネロ帝も似合って……」

 

「昔のようにネロと呼べ」

 

「……ネロも似合っている」

 

「ふふ、今宵は無礼講だ。お前も飲め」

 

 おかしい、いつものポンコツぷりが全くない。だれだこのできる感じ満載の皇帝は?

 

 困惑したルシウスは目に見えるほどの色気に目が眩む。この雰囲気に飲まれてはいけないと頭を振り、料理に手をつけようとするが固まった。

 

 すっぽん、烏骨鶏の卵、マムシの生き血、うなぎ、牡蠣、にんにく。そしてとどめにラッコ鍋。やだ、丸三日は寝ずに働けそう。

 

「おっと、ボタンが」

 

 ブーディカの胸元のボタンがはじけ飛び、大きな胸が揺れた。この人妻、スケベ過ぎる。

 

「いたっ」

 

 そしてエスィルトの絶壁にボタンがぶつかりペタンと音を立てて落ちた。この長女、貧乳すぎる。

 

 ふと、背中の方に柔らかい弾力性のあるものが触れた。振り返ってみればネッサンがワインの入った器を持ってルシウスの背中にもたれ掛かっている。豊満な胸がこれでもかと押し付けられた。

 

「ルシウスさん、盃が空ですよ?」

 

「あ、はいお願いします」

 

 思わず敬語で返すルシウス。羞恥心で赤くなる顔をごまかすためにワインを呷った。おかわりを頼もうとネッサンを見つめると、彼女の頬に涙の跡があることに気がつく。

 

「私、汚されてしまいました。こんな体では嫁の貰い手はありません」

 

「ちゃんと風呂で洗ってアルコール消毒した?」

 

「そういう意味じゃありません!私たち、ルシウスさんに慰めて欲しいのです。ネロさまも母も今回のことでひどく傷ついているのです」

 

 あれ、ブーディカのお腹って普段は柔らかそうだけどバスケの時はバキバキの板チョコみたいに割れてなかったかと訝しむルシウス。ああ、物理ではなく、心の方かと手の平を叩いた。

 

「夜泣きする孤児たちを慰めるために習得したなでなでを使えと?」

 

「それはそれで魅力的ですが違います。あら、まさか女性に言わせるのですか」

 

 だめだ、湯気を吸うごとに思考力を奪われていく。周りの景色に漫画表現ぽい花の幻覚をみた。目眩がしてくらっとすると、両側からがっちりと腕をホールドされる。

 

「大丈夫かルシウス!早く寝床で横になれ!」

 

「胸元を開けよう!下も脱がせるぞ!」

 

 そのままネロとブーディカに寝室へ担ぎ込まれるルシウス。その光景を娘二人は居心地悪そうな顔で見つめた。

 

「お、お姉ちゃん。やっぱり止めようよ…」

 

「でもここまで来たら引き返せないでしょ?」

 

「そうだけど……」

 

 思い起こすこと数ヶ月前。それはアラヤ組がローマ入りした時期と同じ頃、二人はアグリッピナに呼ばれて別邸に招かれた。アグリッピナの口から紡がれる言葉は、これから起こる全て。二人はあまりにスケールの大きい話に脳の処理が追いつかなかったが、ただ大変なことが起こるとだけはわかった。

 

 シガレットホルダーを加えたアグリッピナは惚ける二人に煙を吹きかける。二人は慣れない紫煙を吸い込みむせ込んだ。

 

「まあ、魔術師どもが計画通りに動いている間は操り人形に等しい。この機会に良からぬ動きをする連中を炙り出して一掃してしまうさ。それよりも二人には例の役をやってもらいたい」

 

 二人は火種役を頼まれた。ようは戦争を引き起こすための強力なきっかけ作り。無論、そんな危険なことはご免だ。

 

「ルシウスとやれるとしても?」

 

 二人は無言のまま席に着いた。

 

「いいか、男というのは傷心中の女に弱い。特に優しい男はそんな女に迫られては振りほどくことも出来ないだろう。一人と関係を持てば、また一人と関係を持ちやすくなる。お前たちはルシウスとやれて、済し崩しで私もおこぼれにあやかれる。悪い話ではないだろう?まあ、ブーディカはともかく他は生娘だし、結果はあまり期待していないがな。だが私の手練手管を学べば成功率は格段に上がるだろう」

 

「な、なるほど!」

 

「勉強になります!」

 

 数々の男を垂らしこんできた女の言葉とあって、二人は真剣に聞き入っていた。もともと少女というのは大人の体験談が好きな質だ。話は自然と盛り上がる。熱に浮かされた二人はすぐさま計画に賛同し、セネカと共謀してあの事件のきっかけを作った。まあ、そのあと想像以上に大事になったことで熱が冷めたわけだがな。

 

「……最初はお母さんに譲ろう」

 

「うん」

 

『いやー!誰か助けて!犯されるぅ!!』

 

 ルシウスの叫び声が宮殿に木霊するが、誰一人として助けにはこない。ネロたちの慰安を兼ねた宴会というので護衛は少数。無論、全員に話が通っているのでルシウスの味方は誰一人もいない。いつも影に潜んでいる伯爵もなぜか今はいなかった。

 

 まるで大型の肉食獣4匹に襲われる小型の草食獣ルシウス。あっという間に下着一丁に剥かれた彼は自分の初体験が複数人の上に強姦まがいなプレイになるのかと恐怖した。

 

 彼女たちの手が最後の砦に手をかけようとする刹那の時間。それは圧縮した膨大な時間量と回帰現象を引き起こす。いわゆる走馬灯と呼ばれる回想の世界に彼は舞い降りた。諸説あるが、走馬灯を見るのは今までの経験や記憶の中から迫り来る危機を回避する方法を探しているのだという。ルシウスの根底にあるものは故郷への帰巣本能のみ。故に答えは日本のメジャーなスポーツへとたどり着く。

 

 

 

「相撲しようぜ!」

 

 

 

 世界初のローマ人の横綱誕生の瞬間。ごめんな日本、それもローマの国技なんだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わり、ローマ郊外の貧相なあばら屋。そこにはベッドで毛布に包まった少年と床の上で正座する白軍服の男がいた。べそをかく少年の放った枕を、男は避けもせずに受ける。

 

 少年の名はアラヤくん。道の傍らで唾液まみれになっていたところをアーチャーに救出された後、何日か幼児退行を起こしていた。最後の頼みの綱であるアサシンを信じ『がんばぇ!』と応援していたが、作戦が失敗したと聞いてからはもう『ばぶばぶ』しか喋っていない。

 

 正座する男のコードネームはライダー、もとい幕末の英雄坂本龍馬。なお仕事中に彼女と夢の国でデートしていた男である。お土産にネズミの被り物やネズミのポップコーン容器を持って帰って来た時は流石のアラヤくんも大号泣。

 

 龍馬のお付きの女は散歩、アーチャーは夕飯の買い出し、オルタは伝説のおでんを探して食道楽。ちなみに夕飯食べられなくなるからそこそこにしておきなさいとアーチャーにきつく言われている涙目オルタ。そしてアラヤの希望の星だったアサシンはというと……。

 

「僕言ったよね!ルシウスの周りから護衛を離すのに全員必要だって!なのになんでみんな観光してるわけ!?」

 

「す、すみません……」

 

「もっと僕に謝って!そしてそこのアサシンにも謝って!」

 

 アラヤくんが指差す方向には全身ミイラ状態のアサシンがいた。元々ミイラみたいな格好だったがもはや蛹状態である。あの死闘の末にやっとの思いで拠点まで帰還したかと思えば、そこではお土産をシェアしてつまんでいる仲間たちの姿。これにはアサシンも涙を流しながら『ふざけるな!ふざけるな!!馬鹿やろおおおおお!!!』と号泣した。

 

「すみません」

 

 龍馬は巨大な繭の前で深く頭を下げる。異国文化と船大好きマンな彼もついはっちゃけたが、中身はちゃんとした良識ある青年。さすがに罪悪感で胃がチクチクしてきた。

 

「………」

 

 アサシンの口元がわずかに動いている。はっきり言って喋ろうとしているのか呼吸しようとしているのか全くわからない。おっと、親指を立てた。これはセーフか?……いやアウトだ、指で喉元に一線入れた。激おこ固有時制御・四倍速である。

 

「とにかく、次は全員で取り掛かるよ!護衛がいなくなった時点で僕たちの"勝ち"なんだからな!」

 

 以前はアラヤくん個人の遊び心が働き失敗した。しかし、次こそは決着をつける。たとえ本体すらも胃が限界に達していたとしても。アラヤくんは固い決意を抱きながらキャラメル味ポップコーンを咀嚼する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳に包まれたローマ市内は絶えず酒場と浴場の灯りで輝いていた。この街に夜闇は似合わない。市内にはあらゆる人種、思想、宗教が混在し、それらすべてがローマである。世界のあらゆる全てがローマに集約され、全てが魅了されていく歓楽の都。そして今も一人、魅了された者が盛り場を人混みの中に紛れ歩く。

 

 彼女のコードネームはオルタ。沖田総司が産まれた直後に生死の境を彷徨った際、姉であるおみつが神仏に祈り「死後に一度だけ魂を世界の為に使う」という条件で命を繋いだ。その「世界の為に使われた」可能性としての存在。抑止の守護者の一人である彼女がこの街に訪れて初めに手にしたのは、意外なことに漫画だった。その書籍の名前は『凡才バカボンド』。無論、著作者はルシウスである。謝罪リストに赤塚先生と井上先生を追加しなさい。

 

 彼女は別に本の虫というわけではない。むしろ花より団子ってタイプだが、だからこそ漫画を手に取った。表紙のキャラクターが高くかざしたおでん。三個の具材が連なったおでんはシンプルであり、完成された黄金比の形であった。オルタはこれこそ至高のおでんとみつけたりと深く感銘を受けたのだ。

 

 それから彼女はずっと漫画おでんを探して市内を歩いたが、探し求めたものは見つからない。作る方からすれば一々串で刺して作るよりも、バラ売りで作る方が嵩張らずに楽だ。今のところおでんの味暫定一位の『居酒屋のぶ』でさえ漫画おでんはなかった。

 

 もしかしたらこのローマでさえ漫画おでんはないのかもしれない。こんなにも人がいるのに、オルタの心は孤独に苛まれている。

 

 諦めに染まりながら路地裏に差し掛かった時であった。そこには息を切らした褌一丁の男が地面に片膝をついている。まともなローマ人なら『おいおい、ここはテルマエじゃないぜ』とジョークの一つでも言うところだろうが、彼女はもともと生粋の日本人。目と目が合う瞬間に同郷同士の感覚が共鳴した。

 

「はっけよい」

 

「残った」

 

 二人は固く握手を交わす。

 

 まさか相撲取りすらローマに存在するのかと驚嘆したオルタ。もしかしたらこの相撲取りなら漫画おでんを知っているのではないかと彼女のアンテナが激しく反応を示す。オルタの話を聞いた男はすぐに彼女を連れてさらに路地裏へと潜った。どんどん人気のない道を過ぎていくと、行き止まりにいかにも場末なBarへとたどり着く。予想通り店内も人の少ない寂れた雰囲気が漂っており、四方に展開したカウンターの中に無愛想な平たい顔の店主が小さくいらっしゃいと呟く。

 

「とりあえず着るものをくれ」

 

 男はカウンター席に座ってまず最初に注文したものは服だった。これが西部劇の酒場だったら店主が酒を注文しろと激怒しそうな場面である。そもそもまず変質者として店主に蜂の巣にされそうだ。店主は読んでいた新聞紙を置き、目を見開きこう言った。

 

「あるよ」

 

 あるのか。

 カウンターの下から丁度男の背丈とピタリなサイズのトーガが現れた。男はトーガを着込むと、大胆にも酒場でミルクを注文する。これにはオルタも店主の雷を予想するが、

 

「あるよ」

 

 あるのか。

 店主はマグカップにホットミルクを注ぐと、琥珀色の輝きを讃える蜂蜜をスプーン一杯分入れて差し出した。息を吹きかけて冷ますと、少しずつ飲み込む男は幸せそうに笑みを浮かべる。この如何にもな映画飯には現在ローマに迫るオルトちゃんも『オルト、これ好きー』とか言いそう。

 

 こうなるとオルタも好奇心が先立ち緑茶を頼み始める。驚くことに未だ酒を注文しない客たちに店主はこう言った。

 

「あるよ」

 

 やっぱりあった。

 侘び寂びを感じさせる茶器に若草色の茶が注がれていく。若い緑の香りが日本の和室で過ごした日々を想起させた。香りを楽しみ、そして一口飲み込んでオルタは目を見開く。美味い。飲み慣れたものよりも遥かに洗練された味わい。茶葉の渋みと甘みが見事に調和が取れている。器の底が見えた瞬間、彼女は己の使命すら忘れてただ和んだ。

 

 まるでローマを体現した店。もしかしたら、ここならあるかもしれない。確信に近い期待を抱いたオルタの鼓動は高鳴った。

 

「お客さん、何にします」

 

「……おでんは、漫画のおでんはありますか?」

 

 店内に重い沈黙が流れる。ここに来て店主の手までもが止まった。瞼を重く閉じた店主の悩ましい様相にオルタのアンテナは萎びていく。そして店主はカウンターの下から湯気の立つ土鍋を取り出しこう言った。

 

「あるよ」

 

 あるんかい。

 鍋の中には黄金に輝く出汁の上を悠々と浮かぶおでんの具たち。具材は上から三角のコンニャク、丸いガンモ、胴長のナルト。何と美しい形なのだろうか。食べてしまうのが少し勿体ないくらいだ。小皿に移したおでんから余計な汁を落とし手に持つと、そのボリューミーな重量感が手に伝わる。たしかに量はあるが、食べづらくないように具材一つ一つが丁度いい大きさにしてあった。

 

 まずはコンニャクから一口齧る。プリッとした心地よい歯ごたえが楽しい。程よく出汁の染みた塩梅に賞賛を送りたいとさえ思った。

 

 ガンモはよく旨味と出汁が染みていた。おでんの中でガンモ、大根、餅巾着ほど汁が染みた物はないだろう。ダチョウなクラブもコントでやるくらいだ。それ故に食べる際には危険が伴う。

 

「あつ、はふ、はふっ」

 

 年甲斐もなく料理の熱さに悶えるオルタ。だが、こういうのでいいんだよ、こういうので。これぞおでんの醍醐味って感じがする。

 

 最後のナルトはオルタも食べたことのない具だってばよ。食感は練り物独特の弾力とやや粉っぽさがあるが悪くはない。チクワやチクワブの亜種のような感じだ。

 

 ああ、手が止まらない。次々と手が串に伸びていく。うおォン、オルタはまるで人間火力発電所だと漫画風のふきだしを投影しながら土鍋に浮かぶおでんを全て平らげていく。何という満足感だろうか。今までこんな幸福な食事をしたことがない。孤独のグルメであった今までは報われ、彼女は幸腹を謳歌していた。そう、もの食べるときは、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。ただのエネルギー補給ならば人は料理に味や造形など追求していない。これらは幸福を買える通貨なのだ。享楽の都で彼女は悟る。

 

「ローマ最高」

 

 お聞きください、これがローマを滅ぼしに来た関係者の言葉である。

 

「お客さん、お代」

 

「む、すまない。すぐに払……はっ」

 

 オルタはここに来て重大なミスに気づく。食道楽というものにはどうしても金が掛かる。金もまた幸福を買う通貨なのだ。つまるところ、金がなかった。

 

「すまない店主!お代のかわりにそれを置いておくから待ってくれ!アーチャーとライダーから金を無心してくる!」

 

 彼女は愛刀『煉獄』を男に預けて踵を返した。帰宅後、さらに血反吐を吐いたアラヤくんからお叱りを受けて支払いには遅れるらしい。

 

「いや、別に付けでもいいけど……ああ、行っちゃったよ。とりあえず物騒だからそれ預かってよ。ルシウスさん」

 

 店主は口の周りを真っ白に染めているルシウスに声を掛けた。お前は子供か。

 

「ええ、何で私なんだよ?」

 

「だってルシウスさんのお弟子さんも似たようなもの使ってるじゃん」

 

「ぐっ、そ、それはさておきミルクお代わり!」

 

 店主は呆れながら店内に並ぶ酒を指差す。日頃誰も飲まないのかどのボトルも満杯であった。

 

「うちは一応酒場なんだけどなぁ」

 

「やだ。私、酒よわいもん」

 

「ここ酒場ですよ?」

 

 ここは酒以外にも色々置いてある名もなきBar。酒場なのにほとんど酒の注文がない変わった店である。



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番外編・クリスマス2019 ルシウスのクリスマス三国志

 ———富・名声・力。

 

 この世のすべてを手に入れた男、国家浴場技師ルシウス・クイントゥス・モデストゥス。

 

「おれのプレゼントか?欲しけりゃくれてやる。探せ!この世のすべてをそこに置いてきた!」

 

 彼の寝ぼけて放った何気ない一言は、サーヴァントたちを聖夜へと駆り立てた。

 

 ある者は祖国の窮地を救った先達の宝を求めた。

 

 ある者は理想のサンタへ倣うために求めた。

 

 ある者はかつての宿敵の力を得ようと求めた。

 

 ある者は彼とただルチャするために求めた。

 

 ある者は憧れの医師の知識を求めた。

 

 そしてある国々は愛しい男の所有物を求めた。

 

 サーヴァント達は、偉大なる空路(グランドライン)を目指し、ありったけの夢を追い続ける。

 

 世はまさに大サンタ時代!ウィーアー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 みなさんご存知の通りサンタクロースのモデルになった人物といえば聖ニコラウスである。しかし近年学者たちの間ではサンタクロースのモデルはルシウスではないかと議論されている。ごめんな、サンタさんへのお手紙を書いている純粋なこどもたち。今日からサンタの住所はローマなんだわ。

 

 その理由として一石を投じたのは彼が残した書物だ。それには【ルシウス銀河英雄伝234・クリスマスは一人でお留守番!】『ちーす!ケビン先輩覚えてますか?拷問トラップ部の後輩のジグゾウです!』といったようにはっきりとサンタやクリスマスという単語が登場するのだ。そもそもこのシリーズにはバレンタインやら正月やら夏休みやらとイベント盛りだくさんで歴史学者たちの頭を悩ませるタネである。

 

 ある歴史学者によればそもそもサンタ文化の始まりは12月24日の夜にルシウスが貧民街で孤児達にプレゼントを渡していたことだった。施しを終えたルシウスが帰宅すると女性陣が赤の勝負下着を身につけて夜這いしにきたのでサンタの服は赤とイメージが定着したらしい。これは性夜ですわ。プレゼントは弟か妹よー。

 

 白いひげやトナカイについては学者間で見解が分かれているが、実はその時偶然ツアー客の中に宋帝王とその第一補佐官を務める鼻炎中の鬼神がいてそれが曲がりくねった解釈を受けてサンタとトナカイがセットになってしまったのだ。このネタのせいで日本地獄でもみんなの笑い者にされている。

 

 ではなぜその逸話がいままで発見されなかったかというとここで意外なことにいつもペトロが書いている小学生の宿題クオリティの絵日記が影響してくるのだ。この日記が反ルシウス派の教会の手に渡ったことでクリスマスやバレンタインなどの行事が利用され、偽のサンタ伝説が広く認知されるようになる。元々の伝承は異教の物として弾圧され、今日遺跡からルシウス銀河英雄伝の原稿が発見されるまで明らかになることはなかった。これにより各国で宗教戦争が勃発するまでの事態に発展している。もはや宗教版キノコタケノコ戦争だ。

 

 終わりなきサンタ超常決戦が繰り広げられている中、彼が原初のサンタであることは地球で発生した情報として記録されているため、実はちゃっかり彼のサンタサーヴァントが英霊の座にいたりすることをカルデア以外の人々は知る由もないだろう。だがそんなカルデアでも今年のクリスマスは大事件が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の天気は飛び交う銃弾とアンプルの雨時々ビーム。クレイジーな天気模様にルシウスは絶望した。相棒の小型航空機『メリー号』に跨り最悪の天気の中を颯爽と駆けていく。後ろでは「生きたいっ!!!!」と涙を流すマスター藤丸立香が必死にルシウスの背中にしがみ付いていた。何やらマスターが満更でもなさそうに背中の感触を堪能しているような気もしているが、紙一重の回避を連続で行うルシウスにそんな事に気を回す暇はない。

 

「なぜこうなった!!!」

 

 思い起こすこと数時間前。微小特異点の発生という毎年おきまりのクリスマスイベに駆り出されたルシウスと立香。どうせこれが終わったら地獄の箱イベ周回だろうと軽口を叩いて現地に到着してみればこのありさまだった。四十秒で支度したORTの変形した小型航空機が無ければ物理でバ○スしていただろう。

 

 現在このサンタアイランド島では熾烈な三つ巴の戦いが繰り広げられている。ルシウスの寝ぼけた拍子に放った一言がカルデア中に拡散し、歴代のサンタやアイドル連合サーヴァントがこぞってこのクリスマス特異点へ出撃した。

 

「そこを動くな、てぇーい!む?あれは誰だ? 美女だ!? ローマだ!? もちろん……余だよ♪」

 

「ごめんねルシウス!でも当たっても大丈夫だよねカリバあああああ!!!」

 

「うふふふ!まってぇ、プロデューサーさん!!」

 

「もきゅもきゅ、ごっくん……さあ、お代わりを寄越せカリバあああああ!!!」

 

 先ほどからビームを撃ち続けているのはアイドル連合チーム。ネロやブーディカを主力とし、ブリテンチームと併合した超火力の人間砲台が集まっているやばい軍団だ。一部だがターキーを投げ与えると一時的に砲撃を止めることができる。無ければ温泉ぶつければ大抵逃げることが可能だ。

 

「ひっく、今じゃ!ファイナルノッブスペシャーーール!!!」

 

「あっはははははは!このお酒美味しい!愉快痛快毘沙門天!」

 

「フィニッシュ・ホールドをプレゼントしちゃいマース!」

 

「みんな、空を見ろ! あれは何だ? 星だ? コロニーだ? いや……クリスマスプレゼントだァ~ッ!!……あ、もう一杯おかわり下さい」

 

「あんたたちぃ!飲んどる場合かああああ!!!!」

 

「「「ぐわああああああ!!!!」」」

 

 銃弾を放っているのは戦国大名チーム。信長や景虎を主力とし、ケツァル・コアトル〔サンタ〕やマルタなどの戦闘狂が集うやばい集団だ。酒に目がない連中が多いので酒を投げ与えると一時的に攻撃を止めることができる。そしてこれも温泉ぶつければ大抵逃げることが可能だ。

 

「待ってくださいルシウス医師!その深遠なる医学の知識をご教授ください!そしてできればグレージャックの最新作もどうか!!」

 

「くっ!このフローレンスは猟犬か!?」

 

 最後にアンプルを銃弾のように使っているのはナイチンゲール〔サンタ〕個人である。実はこの子が一番やばいやつだ。ジャンヌ・オルタ・サンタ・リリイ、エレシュキガル、ブラダマンテ、アストルフォ〔セイバー〕、謎のサンタアイランド仮面を倒し、一人で二つの勢力とやり合える個人兵器。温泉をぶつけても拳で真っ二つにされた。この子、バーサーカーの時よりもバーサーカーしてませんかね?

 

 全員ひとつなぎのプレゼントなんて初めから無かったと言っても信じず、気づけばこうして追いかけられる始末。もうこうなったら地脈から温泉引いてきて聖杯錬成するしかないな……またアラヤくんが血反吐吐くと思うけど。

 

「ひええ!ルシウス後ろ後ろおっ!!」

 

 そうこうしている内にサンタアイランド島三国志が背後まで突入している。きっと孔明の罠だとライネスによるロードエルメロイ二世への熱い風評被害が発生しているだろう。

 

 

 

 ――さて、ではこちらもとっておきの裏技を披露しようか。

 

 

 

 ルシウスが謎のポーズを取りながら『変身!』と叫ぶとダヴィンチちゃん特製の変身ベルトが現れ腰の周りに装着される。独特の効果音が鳴り響く中でマー○・大喜多風のルシウスボイスがベルトから流れた。

 

『仮面ライドォ!ササササンタァ!』

 

 眩い真紅の閃光が夜空を照らし、光源の中心にはなぜかアイランド仮面を装着したルシウスがいた。結局お前もそれ被るんかい。

 

「なるほど!ライダークラスに霊基を変換して逃げるんだね!」

 

「ん?いや、私のサンタ時のクラスはアーチャーだぞ?」

 

「何でアーチャー!?その変身で何でアーチャーなの!?全国の子供たちに謝ってよ!!」

 

「ええい!礼装で自身を強化して背中をぽかぽか殴るな!欲しいのはマシーンやドライビング技術ではなく”推進力”だ!!」

 

 メリー号の噴射口からメントス入りコーラ並みの温泉ジェット噴射により超加速していくメリー号。いや、今のお前は過酷なる千の空を太陽の様に陽気に越えていく船だ。サニー号に改名してやろう。意味はよく分かっていないがORTは『わーい』と喜んだ。だがあとで尾田先生に『くそすいませんでした!!!』と土下座してきなさい。

 

「でもこれで何とか追っ手をまけたね」

 

「ふははは!見ろ、人がまるでゴミのように小さくなっていくぞ!!」

 

「何で仮面越しにサングラス掛けてるの!?」

 

 もはや超スピードの住人となった彼らに追いつける者は存在しない……そう思われた瞬間だった。

 

「サンタからは、逃げられない!」

 

「お、お前は!?」

 

 突如並走し出したのはアルテラ〔サンタ〕。バイクにファイナルフォームライドォしたドゥドゥドゥドゥムジ!がフォトン・レイによる推進力で追いついてきたのだ。もはや何でもありのチキチキマシン猛レースと化した二人のスピードはほぼ互角。まさに光と闇のEndless Battle!歴戦のサンタである二人にはこの勝負が引き分けになることがすぐに理解できた。ならばライディングデュエルではなく純粋な決闘(デュエル)で決着をつけよう。『俺はたった今からマシンを捨てる!』と意気揚々とパンクラチオったルシウスであったが、よく考えれば純粋な戦闘能力ならアルテラの方が上なのでボロ雑巾のように転がる。

 

軍神の剣(フォトン・レイ)!」

 

「ぐわああああ!!!」

 

「ヤ、ルシウスううう!!!」

 

「ふふふ、まさかこんなに早くローマでの借りが返せるとはな」

 

 恐怖に首輪を付けられた犬ころ同然となっていたアルテラが、今この瞬間に勝てると確信した…っ! 長きに渡る二人の因縁に決着が付こうとした時、立香が高らかに手をかざしルシウスに令呪を三角重ねがけして願う。

 

「宝具を発動して!ルシウス!!」

 

 手の甲に刻まれた令呪が赤い光を放ち、三本の膨大な魔力の奔流がルシウスに宿る。思わず身を引くアルテラだったが、ピンチこそが好機だと直感し軍神の剣を振りかぶった。

 

 

 

――善悪分ける(キャンディ・オア・ホット?)

 

 

 

 虹の如き魔力光の砲撃が迫り来る中、ルシウスはひどく落ち着いた様子で、まるで物語を子供に言い聞かせる様な穏やかさでもって宝具の真名を解放する。

 

 

 

聖夜の秘湯(プレゼント・フォー・湯ー)

 

 

 

 直後、大きな地響きが起こり3人はバランスを崩して大きく仰け反った。地面との衝突を予感するが、彼らが感じたのは母の胎内で包まれる感触と冷えた心身を温めていく地中から吹き出した温泉の熱。夜空を灯す星々の明かりに魅了されていると、立香とアルテラの腕の中に忽然とプレゼント箱が現れる。

 

「こ、これは!?」

 

 立香が箱を開けてみるとそこには聖晶石30個が包まれていた。今年も頑張ったマスターへ運営からのプレゼントだろう。まあ、どうせすぐに溶けるけどな。

 

「うっ、ガチャ…ガチャ…またガチャががが回せるぅう!くっ!静まれ別世界線の私ぃ!!」

 

 なにやらもう一人の自分と戦っているマスターがいるが、ルシウスはリヨ世界線には存在しない希少サーヴァントなので下手に干渉すると次元の壁を超えて人類悪が『うひょおおお!限定サーヴァントゲットだぜぇ!!』と自分を捕まえに来るから静観していた。

 

「私のは何かな?呼符かな?それともマナプリ?星4サーヴァント交換券だったら嬉しいな……」

 

 一方のアルテラも自分にはどんなプレゼントが贈られたのかわくわくしながら開けてみる。だが、箱の中に内包されていたのは満天の星空の如き光輝。すでにサングラスを装着していたルシウスには効かなかったが、油断していたアルテラはそれを直視してしまう。めがー! めがー!

 

「な、何だこれは!?」

 

 視力が回復しアルテラの視界に映り込んだのは透明な浴槽とその縁を四つん這いになりながらアンバランスに立つ無様な自分だった。浴槽の中の湯は入らずとも体を撫でていく湯気からかなりの熱さだと予感できる。すぐにその場から離れようとするもアルテラの体は金縛りにあったかのように動かなかった。アルテラは「肥溜め」で溺れかけてるネズミみたいに涙目になりながら二人に縋るような視線を送るがマスターは絶賛もう一人の自分と決闘中。ルシウスはアルテラの突き出したお尻をローアングルから覗いていた。もしもしカルデアポリスメン?

 

「お、押すなよ。……絶対に押すなよっ」

 

 アルテラの意思とは関係なく自身の口から言葉が紡がれる。これがルシウスの宝具による現象だとして、なぜこのようなセリフが言わされているのか彼女は理解に苦しんだ。しかし日本人である立香やモニターから見ているダヴィンチちゃん、放課後☆路地裏同盟の下積み芸人時代を思い出すシオンは直ぐさま理解してしまう。それが滅びや死の呪文よりも恐ろしい言葉であることを。

 

「……」

 

 時間としては数秒という瞬間はアルテラにとってまるで永遠の苦痛にも思えた。そして彼女の思いとは裏腹に、ある言葉が口からこぼれ落ちそうになる。彼女は何度も耐えた。耐えて耐えて耐え忍んだ。しかすでにフラグは完成している。立ち上る熱気と筋肉疲労から汗ばみ赤らんだアルテラ。およそ十秒経とうとした頃、彼女の口は決壊した。

 

 

 

押せよっ!!!!

 

 

 アルテラはルシウスによる華麗なるパンクラチオンによりバイツァダストした。その光景を中継で観ていたカルデアスタッフたちはもう年末ですねと早々に鏡餅とこたつを持ち出す。そして帰還して早々にケツをタイキックされるルシウス。そのまま正月病が治らないままアトランティス入りしたカルデア一行であった。

 

「お久しぶりですねルシウス技師」

 

「お、久しぶりー。みかん剥いたけど食べる?」

 

 その後、カルデアを殲滅に行ったサーヴァントたちが中々帰ってこないのでキリシュタリア自ら船内に赴くとおこたに包まれ寛ぐ自分のサーヴァントと呑気にみかんを剥いているルシウスと遭遇する。絶好の好機にキリシュタリアが発したのは、

 

「………………頂きます。あ、白いのなるべくとってくださいね」

 

「バカお前!白いところが一番栄養あるんだぞ!!」

 

 お前も食べるんかーい!




『善悪分ける聖夜の秘湯』
ランク:EX
種別:大軍宝具
レンジ:0~40
最大捕捉:100人

彼の生前行った慈善行為が宝具化したもの。良い子にプレゼントを、悪い子には熱々の熱湯風呂が待っている。それは対魔力関係なく強制的に働く恐ろしいお仕置きだ。
FGO内では敵味方関係なく善性には体力回復、攻撃力アップ、宝具威力アップなどのバフ。悪性には火傷、防御力ダウン、宝具による被ダメージアップなどのデバフを与える。


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ルシウスが刀を使えるわけないだろ!ほうれんそうは大事でち!!

もうすぐお正月だから季節感を出しました。紅白歌合戦的な意味です。


 あれは五年前のことだったか。あるいは2000年先の未来の話だったか。おいおい、そんな記憶力で大丈夫かと堕天使が問う。大丈夫だ。神は言っている、もう死んだ運命だと。

 

 つまりこれは時系列でいうと地獄騒動が起こったあとのことであった。より正確にいえば閻魔亭にてルシウスが紅閻魔からレシピを聞き出そうとしてヘルズキッチンの刑に処された時の話である。

 

 料理と言う名の地獄への入り口は意外なことに殺伐としたものではなく、実に平和的な交渉から始まる。紅閻魔に聞けば快く教えてくれるというので安心したが、その安堵もつかの間にプラン表を差し出されたのだ。

 

「お手軽Aコースですと20%、真面目Bコースだと50%、本気のCコースだと99%で習得できるでち」

 

「む、もう一つ上のコースがあるようだが?」

 

「これはおすすめできまちぇん。これはどんな歴戦の料理人すら包丁を投げ捨てて逃げ出す地獄の修行。地獄の鬼ですら料理の深淵を覗き見て発狂し、自らを滅ぼす魔のコース———略して鬼滅コースでち」

 

「吾峠先生ごめんなさい」

 

 意外にもこの男はCコースを選択した。仮にも料理研究家を自称するのだから妥協はしないと、確固たる信念を抱きながら広間へ向かったはいいがヘルアイランド送りにされて数秒で信念が砕け散る。

 

「いたぞ!いたぞおおおおお!!」

 

 カンボジアが天国に思えるジャングルを彷徨うこと一ヶ月。チェーンガンもバッグもコマンドーもなく、一振りの刃のみ持たされたルシウスは目に見えない敵が潜んでいるのではないかと疑心暗鬼に陥っていた。実はこのCコースは玉藻の前が受けた8コースの7つ目までに相当している。ルシウスのポテンシャルを見抜いた紅閻魔による適正な試験であったのだ。まあ、この男は戦闘面に関してはローマの新人守衛程度の戦闘力なので不適正かもしれない。

 

「頑張れルシウス頑張れ!! 私は今までよくやってきた!! 私はできる奴だ!! そして今日も!!これからも!! 折れていても!! 私が挫けることは絶対にない!!」

 

 ルシウスはいつも素振りの練習をしていた。この男は元日本人だからといってデスゲームのめちゃモテ帰還者や、オサレなオレンジなのにイチゴ系男子と違い全くの素人だから基礎訓練をやらされていたのだ。紅閻魔に『生殺与奪の権を食材に握らせるな!』『判断が遅い!』と罵倒されながらの特殊プレーはノーマルな性癖のルシウスにはただの苦痛である。まあ、前世の妹のわがままに比べればそよ風のようなものなので耐えられた。きっと次男だったら我慢できなかっただろう。

 

 ルシウスは頑張った。頑張ったんですよ、必死に。でもその結果がこれだった。

 

 

 

「おそろしいほどに刀の才能がないでちね」

 

 

 

 これが素振りを始めてから五ヶ月が経った頃の言葉である。多分パンクラチオンを習得してなかったら死んでたほどに、全く剣術の才能がなかったのだ。日本人が刀マスターとかやっぱり嘘だわ。

 

「これは推測でちが、ルシウス様は人の命を奪うという行為全ての才能がないんでち。それはまるで世界の強制力や呪いのようなものかもしれまちぇん」

 

「……確かに私のパンクラチオンもあくまで防衛術の域までしか習得していない」

 

 己の体そのものを刀とすることもできないようだ。これではただしその頃には私はあんたに八つ裂きにされてしまう。

 

「そうか……転生したら侍マスターになった件についてはできないのか」

 

 内心、浪漫武器を手に入れてうはうはだったルシウスは割とショックを受けていた。これは前世で妹に『お兄ちゃん家の洗濯機で自分の下着洗わないで!』って言われて2キロ先のコインランドリーで泣きながらパンツを洗濯してた時のショック並みである。

 

「ま、まあ、殺傷能力のない剣術ならきっと覚えられるはずでちから!」

 

「それってヒテンミツルギスタイル?」

 

「あれは一応殺人剣でち!」

 

 その後、さらに一年の歳月をかけて習得できたのが役に立つかどうかもわからない奥義ひとつだった。なお、ルシウスが島から脱出した時点での難度は8コースの最上位に位置していたため、紅閻魔のお料理教室には彼の額縁が歴代卒業者の写真と共に飾られているらしい。ちなみにあの閻魔補佐官殿の写真の隣である。

 

 

 

 

 

 

 

 無名の刀は怒っていた。遠い未来において信長に煉獄と名をつけられ、割とすごい武器になるこの刀も今はただの宝具に過ぎない。初めてこの太刀を手にしたオルタもはじめは『カッコいい!』とはしゃいでいたが、時が経つにつれて『おまえ、長いから店に入る時引っかかって面倒い』と雑な扱いになっている。果てにはおでんの代金代わりにされる始末。

 

『うぉおおおん』

 

 刀はルシウスの腕の中でしくしくと泣いた。オルタの帰りが遅いのでルシウスにお持ち帰りされている最中だったのだ。

 

「よしよし、お前も大変だったんだな」

 

『ルシウスの旦那ほどじゃないけどな。ぶちゃけ抑止力よりブラック企業だと思うわ』

 

「ふふ、ブラック企業には昔から慣れているから大丈夫だ」

 

 初めは喋る刀に少し驚いていたルシウスも、『自分の知り合いと比べればおかしくないな』と数秒で目の前の超常的な現象を受け入れていた。むしろ喋る刀という男の浪漫にテンション上げ上げ。久しぶりにお持て囃された刀もルシウスに心を許している。もう主人のことは忘れて再就職しようかな。それおまえの暗殺対象だけどな。

 

「それにしても名前がないと不便だな。何て呼べばいい?」

 

『旦那の好きな呼び方でいいぞ』

 

「村正とか菊一文字とか?」

 

『在り来りじゃない?』

 

「ディムロス?」

 

『流石の俺でも皇王天翔翼は無理かな』

 

「デルフリンガー?」

 

『魔法は吸収できないぞ』

 

「エクスカリバー?」

 

『それCV子安じゃない方?』

 

 変なあだ名を付けることに定評のあるルシウスもこれには難航を極めた。というか後半にいたっては、もはや刀の名前ですらない。ルシウスも遊び心に走り始めていた。ふと、刀といえば閻魔亭での出来事を思い出す。結局あのあと雀柱の継子にはなれなかった。もう刀は諦めて拳一つを極めるか、あるいは執事に頼んでゴム弾入りの二丁拳銃制作してもらいダンテの神曲を再現するしかない。これにはきっと悪魔も泣きだす。

 

「じゃあ、刀身が赤いから煉獄とかでよくない」

 

『もうそれでいいかな』

 

 さらっと決められたあだ名。これが後に本当の名前になることは誰も知らないだろう。

 

 ルシウスは眠り目を擦りながら家へと向かって行く。酔いが眠気となって襲って来ていた。浮遊するような酩酊感と長年積み重なった疲労感は目を数秒閉じた瞬間に眠りへ誘うだろう。ルシウスは言葉を紡いだ。

 

「ちなみに煉獄は何ができるんだ?」

 

『色々できるぞ。炎出したり、ビーム出したり』

 

「普通だな」

 

『え、普通な要素あった?』

 

 残念ながらローマではよく起きる現象である。恐るべきローマ。このままでは煉獄はただでかくて嵩張るだけの刀でしかない。面接だったら即お帰り頂く場面だ。煉獄は脳をフル回転して考えるが、自分ができることなどあとはあの力しかない。むしろマイナス要素に成りかねない特技を自信なさげに話すと、

 

「――その話詳しく」

 

 第一次面接合格の兆しあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は鎖で縛られた女を担ぎながらローマの外壁を駆ける。それを追いかけるもう一人の者も外壁を駆けながら銃剣を両翼のように広げ、男の足へ投擲した。男の足を掠めて壁に突き刺さる銃剣。仕込まれた炸薬の爆発は壁を崩壊させる。男は女を庇うように抱きしめ地面を転がった。

 

 再び投擲された銃剣を男は飛び道具で相殺し、両者は眼前まで間合いを詰めた嵐のような剣戟と銃弾の応酬を繰り広げる。攻防は男の方が有利であった。襲撃者の体からは血潮が滴り落ち、無数の傷跡が刻まれている。いずれは出血死するだろうと思われた襲撃者。しかしその傷は蒸気を吹き上げながら回復していく。その光景を見て男はある噂話を思い出した。

 

 ローマでは極端に犯罪率が少ないらしい。一説にはテルマエの効能ではないかと学者たちは説くが、もう一つの決定的な要因が存在する。政敵を陰から抹殺する王妃と一介の図案師。そして市内での犯罪者を取り締まる浴場技師。その浴場技師は自らを神父と名乗り、捕まえた犯罪者に如何に自分の師が神の如く素晴らしい人物であるかを説き改心させるという。

 

「アハハハハ!!エェェェェイメェェェェン!!!!!」

 

 いくら傷を負ってもゾンビのように起き上がり師の素晴らしさを説く姿はまるで狂信者。ローマに来るまで大抵の敵は瞬殺できると息巻いていた男も最近は自信を無くし始めていた。だが、これなら”勝てる”。

 

 金属がひしゃげるような音が鳴った。

 

 薬莢の山と折れた地面に突き刺さった銃剣の切っ先。交差した二人のうち片方が崩れ落ちる。神父の白いコートには複数の弾痕や切り傷の跡が赤く浮かび上がっていた。元々は普通の人間だった彼だが、幾度も肉体改造を施した強靭な体のスペックは他に埋もれず特出している。しかし相手の特異性とひどく相性が悪かった。

 

 男は返り血に染まった包帯を切り捨てる。その姿はまるで真っ白い蛹から羽化する蝶のようであった。アサシン、体も心も完全復活。でも今まであの繭の状態で戦っていたのかと思うと割とシュールである。

 

 アサシンの起源『切断』と『結合』は魔術回路ないし魔術刻印、或いははそれに似たモノを体内に有する相手に対して致命的なダメージを与えるものである。神父もまた改造時にそれと類するモノが施されていた。神父の体は自然回復を始めていたが、今は機能不全を起こし指すらまともに動かせない。

 

「ま、待て。その方だけは……」

 

 その言葉の先を言わないまま神父の意識は深い闇の中に落ちて行く。アサシンは鎖で縛られた女を担ぎ上げるとルシウス邸へと急いだ。宮殿から逃げ出したルシウスが逃げ込む場所などここくらいしかない。聞けばルシウスの護衛は今はあの神父以外はいないらしい。絶好の好機だろうとアサシンは油断はしなかった。あんな化け物どもを手下に加える男がどんな秘策を隠しているか分かったものではない。保険として人質は必要だった。

 

 幸い王宮の警備は手薄の上に、なぜか対象が気絶していたので誘拐して来るのは楽な仕事である。ちなみに決まり手は電車道。気絶は壁と後頭部の激突によるものだ。不敬罪で逮捕されればいいのに。

 

 部屋の中央には椅子に縛り付けられたネロ。扉と窓には開いた瞬間に手榴弾のピンが外れて爆発する仕掛けが施されている。例えそれを突破しても部屋の中に踏み入った途端に無数のトラップと待ち構えたアサシンがルシウスを襲うだろう。クククッ、一軒家をひとつ借り切った完璧な工房だとほくそ笑むアサシン。なぜか別世界線からのデジャブを感じたが気にしないように自分に言い聞かせた。

 

 ふと、花瓶に生けられたトリカブトの花が目に映る。部屋の中で唯一異端な毒草は無数の小さな蕾を満開に咲かせていた。そして、机の引き出しの奥に仕舞われていた一枚の絵をアサシンは手に持って見つめる。露天の絵描きにでも描かせたのだろうか、写実的な夫婦の絵だ。一人はルシウス。そして彼に寄り添うトリカブトのような髪色の少女。それはアサシンがかつて抑止力として召喚された時代の暗殺教団の教主に面影があったが……同一の人物ではないだろう。

 

 唐突に辺りが明るくなった。まるで昼間のような明るさが窓を突き破ってアサシンへと迫る。

 

 

 

『え~っと…なんだったかな…? う~~ん』

 

 

 

 これは光線か?

 

 

 

『…忘れた! くらえ!『なんかすごい温泉』!』

 

 

 

 いや、”温泉”だった。

 

「ッッボボボボボボボボッ!ボゥホゥ!ブオオオオバオウッバ!」

 

 それはまさに温泉によるハイドロポンプ。アクアジェットで吹っ飛ばしたらモヤモヤ気分きりばらいしてどうぞ。一時的とはいえルシウス宅は温泉でいっぱいに満たされ溺れるアサシン。ネロは温泉が直撃して外まで吹き飛んでったよ。水浸しならぬ温泉浸しで、アサシンご自慢のトラップは数秒で機能不全に陥る。これには月霊髄液の人もいつもより三倍増しにドヤ顔を浮かべることだろう。

 

「がはっ、げほげほっ!……な、なぜオルタの刀をお前が持っている!?」

 

 アサシンが睨みつける先には煉獄を携えたルシウスが立っていた。彼はまるで眠っているかのように目を閉じ、無言のまま切っ先をアサシンへと向ける。冷静にキャレコM950を構え、警戒を深めるアサシンは深い思考の海へと沈んでいった。ルシウスの記録には素手による格闘技術はあるものの、当たり前だがそれは英霊と比べるまでもなく、武器の扱いはさらに不慣れであるはず。先ほどの謎の攻撃については未だ疑問が残るが『銃は剣よりも強し』ってカウボーイも言ってる。この瞬間、彼にはまだ勝利への活路が見えていた。

 

 アサシンは体に刻まれた反射行動としてキャレコM950から無数の弾丸をルシウスへと放った。ルシウスはただ眠るように静かに、

 

 

 

 ――まるで歴戦の剣士のようにすべての弾丸を両断する。

 

 

 

「なっ!?」

 

 一瞬の驚愕がアサシンのキャレコM950を両断する結末へ導いた。彼はすぐさまナイフを構え、横薙ぎに振るわれた刀を受け止める。それはとても重く、鋭い剣戟であり、軌道を逸らすのが精一杯であった。本来なら英霊と人間では身体能力に絶対的な差が現れるにも関わらず、両者の戦いは拮抗している。アサシンはふと、以前オルタから聞いた刀の能力を思い出した。

 

「まさか!刀に自分の体の支配権を明け渡し、限界まで身体能力を引き出しているのか!?」

 

『ちっ!ネタが割れちまったか!』

 

 一次試験を突破するに至った煉獄の特殊能力。それは使用者を操れることであった。ルシウスはこの能力を聞いた瞬間『寝ながら仕事できるのでは?』と突飛な考えを思いつく。今はいわば居眠り運転のような状態である。よく見たら鼻ちょうちんが膨らんでいるではないか。なお、意識は寝ていても体はずっと働いているので目覚めた瞬間に地獄の筋肉痛が待っていることだろう。

 

「貴様!なぜ敵に寝返っている!オルタはどうした!?」

 

『うっせえ!おでんの代金がわりにするような奴なんて仲間でもなんでもねぇ!くらえ温泉ビーム!!』

 

「ごぼぼぼぼぼぼっ!!!」

 

 切っ先から温泉ハイドロポンプを発射する煉獄。これはルシウスから魔力を組み上げて排出しているだけに過ぎない。無論、ルシウスは魔術師でもないし、魔術なんて使ったこともない。しかし地脈から組み上げた生命の奔流とも呼べる温泉に長年接し続けた結果、彼の体内には膨大なマナが手付かずのまま残留している。ルシウスはいわば天然の源泉なのだ。

 

『ふはははは!溺れろ溺れろぉ!!』

 

 もはや戦いは煉獄が一方的に押している状況だった。だがそこに変化が起きる。

 

「何をやっているんだお前!」

 

『な、オルタ!?』

 

 そこには龍馬の財布をこっそりと拝借しに行ったオルタが驚愕の様相で立っていた。元の主人の登場で一瞬たじろぐ煉獄。しかしすぐに毅然とした態度で反抗の意思をオルタへ示す。

 

『うるせぇ!今の俺の名前は煉獄だ!俺はもうこの旦那のものなんだよ!』

 

「……煉獄、今まで悪かった」

 

『……ふ、ふん!今更何だよ!人を散々手荒に扱っておいて!』

 

「私は、今までお前に甘えていたんだ。でもそれは今まで頼ってきた裏返しでもある。頼む煉獄、またお前に頼らせてくれ……」

 

『ばかっ!寂しかったんだからな!!』

 

 昼メロのような芝居を繰り広げた後、数秒で仲直りして煉獄とオルタは厚い抱擁を交わそうとした。しかしそこに一発の銃声が二人の抱擁を切り裂く。

 

『ぐわあああああ!!!』

 

「れ、煉獄ぅ!?」

 

 完全に不意打ちを受けた煉獄の切っ先はぽっきりと折れた。支配権を取り戻したルシウスは片膝をつきながら内心『イタああああ!!どういう状況うううううう!?』と叫んでいる。オルタが睨みつけた先には硝煙をあげた拳銃を構える龍馬が立っていた。

 

「待たせたねアサシン。アーチャーもすぐに追いつくと思うよ。さて、どういう状況か教えてもらってもいいかな?」

 

「すまない。僕はこの状況を言語化できる自信がない」

 

 ずぶ濡れのアサシン。刀を持ったルシウス。涙を流しながらなぜか自分の財布を握っているオルタ。それを見て困惑を深める龍馬という状況である。

 

「貴様あ!!よくも煉獄をおおお!!!」

 

「え、何!?敵に武器を奪われて切られ掛かってたんじゃないの!?」

 

 何も知らない龍馬からすればまさにそういう状況に見えたのだ。いったい誰が刀と仲直りの抱擁をしようとしてたなど考えられるだろうか。龍馬は後から来るアーチャーにはなるべく正確な説明をしてあげようと思った。




次回予告・正義の味方になりたかったんだ(血反吐)


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キングメイカーが急に話をするわけないだろ!シリアスかと思えばいちご味!!

設定にあった過去話があります。なお、一部設定を改変しております。


 ずぶ濡れのまま寒空の下に放り出されたネロはこれが己への罰であるかのように思えた。信じた臣下をまるで獣のように襲おうとしたバチが当たったのだ。ネロは姉妹からの提案を初めは跳ね除けていた。そういうことに興味がなかったといえば嘘になるが、というか、むしろ興味津々で毎日枕を洗濯している思春期真っ盛りのおピンクエンペラーであるが、彼女は基本的に皇帝としていつも分別ある行動を心がけようとしている。

 

 

 

『そんなぼやぼやしてたら、いつか他の人にルシウスさんとられちゃうよ?』

 

 

 

(取られる?誰に?)

 

 

 

 ネロとルシウスの絆はとても強い。それを引き裂けるような者などこの世にいるのだろうか。いや、思いつく限りでは一人だけいるのだ。彼が唯一愛した女性。それについてネロは深くは知らない。彼の自伝においても言及されていることは少なく、出会いや別れについては意図してぼかした表現をしている。昔、母が気になってその女の素性や行方を調べたこともあったらしいが、今日まで知り得たものは何もない。あの二番弟子なら何か知っているかもしれないが、その話に関しては意外にも口が固いらしい。だが結局は昔の話だ。それでも不安が拭えなかったのはルシウスの抱えたものに原因がある。

 

 初めて会った時の印象は気に入らない奴であり、そしていつもどこか遠くを見つめているような眼差しだった。枯れることのない泉のようなアイデアはまるで、彼が見つめている景色そのものを反映しているようだった。結果的にはそれらはローマを繁栄に導いた。あの遠い眼差しも、今はこの国の景色を映している。彼はきっとローマを愛しているだろう。――だが、それは自分の作ったローマだけなんじゃないか?

 

 ネロは時々、ルシウスが錨を上げてしまった船のように思える。ふらふらとして捉えどころがない。誰かが乗っていないとどこまでも遠くに行ってしまうようだった。自分は彼の錨に足り得ているだろうか。考えだすと無尽蔵に不安だけが心を苛んだ。子供を理由に彼を縛り付けるなど、皇帝としても、人としても最低な考えだったと思う。だが、それだけの価値はあったはずだ。その考えは今も変わってはいない。ネロは皇帝である前に、一人の恋する女であったのだ。

 

 ずっと一緒に居られるなら卑しい女にもなろう。無様に頭を地に擦り付けよう。地位も名誉も捨てよう。

 

 だからどうか、――私のために傷つかないで欲しい。

 

「ルシウス!」

 

 傷だらけになって転がるその姿を、ただ静観できるはずがなかった。主人を守るために立ちはだかるその臣下は、悲鳴も上げずに弾丸と凶刃を受け続ける。常人ならば即死の攻撃を幾度受けようと、彼は石のように動きはしなかった。その姿には敵であるアサシンすらも敬意を表する。ぶっちゃけ筋肉痛で動けないことをいいことにサンドバッグにされているだけなので敬意をブーメランで戻してどうぞ。

 

「ま、まさか……あのSUMOUの時に余たちを突き飛ばしたのも、この者の追撃に巻き込まないためだったのか?」

 

「すまなかった…ネロよ」

 

 酒とラッコ鍋の勢いに任せ無礼を働いただけである。ルシウスはルシウスでこの現状が自分のせいだと思って謝罪したが、ネロが益々泣き出すので困った。それにしても体は極度の筋肉痛と無数の傷で痛いのに、自分の体からは血は一滴も出ないのはなぜだろうとぼんやり考えるルシウス。そういえば最近ほうれん草とかレバー肉食べてないな。リゾットにしたら鉄分補給できそう。

 

 彼の怒りも恐れもない表情にネロは益々ルシウスという人間がわからなくなった。これだけの仕打ちを受けて尚、そんな穏やかな表情を浮かべる男にとって、自分はどんな存在なのか。

 

 アサシンはゆっくりとした足取りでルシウスの前に立った。ルシウスの立ち位置は偶然か、折れた煉獄を杖に膝立ちでネロを庇うようにしている。動こうにも脚は疲労と痛みで悲鳴を上げていた。不思議と恐怖はない。理解できない状況に直面して正常な反応ができ無かったのだろう。

 

 硝煙を上げるキャレコM950を放り捨てると、アサシンは腰に携えたトンプソン・コンテンダーを構え、弾丸を取り出す。彼とて相手に恨みはあれど敵を甚振る趣味はないのだから、できることなら早々にルシウスを殺すのが彼にとって敬意を表する行為であった。自分の目玉ほどある銃口の穴から発射される弾丸の威力は察するに容易。呑気にもルシウスは自分の体の風通しが良くなりそうだとふざけた思考に耽る。

 

 アサシンは未だ思考の読み取れない表情のルシウスに警戒を解いてはいない。またあの馬鹿げた強さの護衛が来たとしてもすぐに殺せるほど、両者の距離は迫って居た。目の前の男から醸し出される剣呑な空気に、呑気だったルシウスもいまこの瞬間が危うい状況であることを悟る。だが、その相手を打倒できるほどの力は、元よりない。彼に残された選択はひとつだった。

 

 ルシウスはゆっくりを膝を曲げた。その初動に思わず銃弾を放ちかけたアサシンだったが、あまりの驚愕に引き金から指を離す。

 

「や、やめろ!やめてくれルシウス!!」

 

 ネロも彼がしようとしていることに気が付き叫んだ。しかしルシウスは止まることなく手を地に付け、そして頭を下げ始める。今や硬貨に国の象徴として描かれた顔を地面に擦りつけた彼は言った。

 

「私はどんな目(殺される以外)にあっても構わない……だからどうか(私とネロの)命だけは…」

 

 見事な土下座と清々しいまでの命乞いだったが、インド産の英雄並みに言葉足らずな台詞は曲解される。ルシウスという英雄像から彼が自分の命欲しさに命乞いをするなど考えられない。また、ネロに至ってはルシウスが本気を出せば目の前の男など相手にならないとさえ思っている。二人はルシウスの行動理由を迷走し、そしてその推察は別方向に不時着した。

 

「そんな……余を庇うために…」

 

 あの時の怪我もまだ完全には回復していなかったのだろう。そんな状態ではいくらルシウスでもネロを庇いながら戦うのは不可能。一人でなら逃げられもしたが、彼はネロを決して見捨てなかった。誇りも命も投げ打って、こうして無様に這いつくばらせているのは他でもない。その責は自分にあることをネロは理解した。

 

 愛しき人に守られることの悔しさや悲しみ。その中には女としての喜びもあった。

 

 だが何より、怒りがあった。

 

「何なのだ!本当に何なのだお前は!!」

 

 出会った頃から皇帝に対する礼儀はなかった。小娘と軽んじられ、不敬にも乱暴に頭を撫でられることもあった。実の父にすら撫でられたこともなかったが、存外に悪いものではなかったのは自分の心のうちに秘めておこう。

 自信満々で告げた黄金宮殿の図案を駄作だと破かれた時は、親の仇とでも思われてるのではないかと絶望した。かと思えば、慈愛に満ちた顔を向ける忠臣でもあった。性欲のない聖人かと思えば、俗物じみた側面もある。女を抱く根性もない癖に、その女たちを守るためなら全てを破壊する閃光の中に身を投じる勇気があった。ルシウスという男は本当に分からないことだらけだ。だからこそ隣にいると面白い。だからこそその背はいつも遠くにあった。胸の内にあった感情が尊敬だけなら、ネロは背を追うだけで満足できただろう。だが恋する少女はそれだけでは満足できない。たとえ今までの関係が崩れるとしても彼女は聞かなければならなかった。

 

「余にとってお前は……何なのだ…?」

 

 そこには真実から耳を塞いでいた少女はもういなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 物心ついた頃から一人だった。親に捨てられたか、親が死んだのかはわからない。そんな理由を考える暇は、あの頃はなかった。

 

 ローマの路地裏の夜はまるで真冬のように寒い。貧しくも暖かな家庭しか知らない少年にとって、その場所は地獄に等しかった。そこで初めて知った事は、まつ毛が凍るほどの温度と寒さは眠気に勝る事だけ。次の日に知ったことは盗みは割に合わない事と孤児は人と見られない事。日が経つに連れて嫌な知識と傷だけが増えていく。傷だらけの体を抱きしめて過ごす夜には慣れてしまった。

 

 多くの理不尽と暴力に苛まれ、それでも心は死んでも体が生きようとしていた。生きるには自分を持たなければならない。だが彼にはそれがなかった。

 

 少し昔話をしよう。どこにでも良くある貧乏な母子家庭の兄の話だ。

 

 兄は物心つく前から妹のために生きていた。誕生日もクリスマスもプレゼントは貰わず、代わりに妹に与えて来た。妹の勉強道具を買うためだけに横丁で手伝いをし、その駄賃で文房具屋へ向かった。

 妹にはそれだけの価値があったからだ。幼い頃から何でもできる子で、家には妹の賞状が壁いっぱいに飾られていた。それに比べて兄は凡夫。何でもそつなくこなせるが、特に得意なものはないタイプ。兄妹は嫌でも周囲からは比べられる。いつも彼は憐憫と軽侮の視線の中にあった。

 

 ある時、兄はこう考えた。

 

『素晴らしい人にはなれないかもしれない。なら、素晴らしい兄になればいい』

 

 特異な環境下で育った彼の心は荒み、より自分を軽視する傾向があった。自分個人は取るに足らない存在かもしれない。でも良い兄を演じることはできるだろうと思ったのだ。幸い妹はいつも褒められて育ったせいか横柄な面があったので、誠実で妹思いの兄という役は受けが良かった。予想通り周囲は良い兄を褒め讃える。だがいつだってその賞賛の中には彼個人の存在はいない。いつしか周囲の認識は妹の兄というものに定着し、より一層彼を孤独にした。

 

 このままではいけない。早く独り立ちして、妹と離れなければと思い、寮のある高校に入学した。特別勉強ができるわけではなかったが、頑張れば吸収できる質だった兄は勉学に励んだ。成績も伸びつつあった頃、仕事の無理が祟り母が亡くなった。唯一個人として見てくれた優しい人が、棺桶の中で安らかに眠っている。隣で煩いくらいに妹が泣いていたが、兄は泣くことを許されなかった。周囲は「大丈夫、これからはお兄さんを頼ればいい」と妹に言う癖に、兄には「これからお前がもっとしっかりしないといけないよ」と言い聞かせる。頼れる親戚もいなかった彼は妹を養うこと余儀なくされたのだ。

 

 学校を中退した彼がまともな職につけるはずも無く、低賃金で馬車馬の如く働かされた。行きたかった学校にも行けず、当たり前の青春を送ることなく、ただ毎日上司に頭を下げる毎日。そんな兄の苦労も知らずに妹は学校生活を楽しげに語っていた。彼は笑顔の仮面をかぶっていたが、それを恨まずにいられるわけがない。

 

 きっと将来、妹は何だってなれるだろう。それこそ歴史に名を残す偉業だって起こすかもしれない。だが兄は何にもなれない。彼の生涯は妹の価値ある人生に捧げてしまったのだ。

 こいつさえいなければ。そんな言葉を何度喉奥に引っ込めた分からないほど、悪感情は胸の内で溢れている。ありえない未来を思い描く度、より一層惨めな思いになった。

 

 妹が居なくなったのは唐突だった。彼女は結婚したのだ。

 

 成人してから酒を逃避の手段としていた頃、居酒屋で中学時代に同級生だった男と再会したのがきっかけであった。兄はその男のことをよくは知らなかったが、兄は色々と有名だったので向こうはすぐに分かったという。聞けば昔から妹に思いを寄せていたらしく、良ければ仲介役になってくれないかと相談された。まあ、妹が好きそうなイケメンだったので適当に返事をして家に戻り、妹にそのこと話したら彼女は二つ返事で了承する。

 

「お兄ちゃんが勧めた人なら大丈夫だよ」

 

 純粋な信頼の言葉。少しの後悔はあったが、兄は二人の交際を応援した。一年ほどして二人は結婚し、アパートに移り住んだらしい。妹が出て行ってから住み慣れた狭い家が、妙に広く感じた。

 

 やっと手に入れた自由は、どこまでも空虚だ。

 

 書店に並ぶ求人雑誌。どれも手に取る気になれない。唯一妹に勝てた料理。作る気力が湧かない。小学校で書いた将来の夢の作文。内容も思い出せず探そうとも思えなかった。

 

 狭いはずなのに広い部屋。嫌な静けさの中、一人ただ立ち竦んだ。

 

「あれ、俺……何になりたかったんだっけ?」

 

 何も思い出せない。まるで空っぽ。脳髄が肥大し、頭に巣ができそうだ。寄生虫が中に巣食っているのではないかと、むず痒さで額を掻きむしった。たとえ爪が額をそぎ落とし、頭蓋骨に穴を開けたとしても伽藍堂な中には誰もいない。あるのは未だに兄の仮面を捨てることのできない自分。兄はああ、そうかと指を止めた。彼はようやく気付いたのだ。いつしかあの仮面が自分にとって変わっていたことに。

 

 彼は兄であり、結局は、兄でしかなかったのだ。

 

 妹はもういない。彼が追い出してしまった。兄であることを自らやめてしまったのは他でもない自分自身。何者でもない彼はもう、何者にもなれない。

 

「――――!!!」

 

 誰もいない部屋で彼は絶叫した。

 

 叫んで、叫び続け、やがて枯れ果てるまで叫んで、死んだように眠った。

 

 それからのことはよく覚えていない。仕事にも行かず、部屋の中で読み終わった本の山を築いていた。趣味があったことは救いだ。

 

 ある時、携帯が鳴る音で目が覚めた。最近は職場からの電話もなくなった。連絡をくれるような友人もいない。その携帯の画面に妹の名前が浮かばなければ手に取りもしなかっただろう。

 妹のメールだった。文面はとても短い。だからその言葉がとても強いメッセージに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『助けて、お兄ちゃん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば妹のアパートにいた。ドアの鍵は開いていて、開くと女に馬乗りになる男の姿があった。女は体にはいくつか痣があり、状況から彼女が被害者であることは明らかである。

 始め、彼はその女が妹には見えなかった。彼にとって妹は天真爛漫で、我儘で、無神経で、唯一無二の天才だったからだ。それが今では見る影もない惨めな有様。何故だかはすぐ分かった。

 

『お兄ちゃんが勧めた人なら大丈夫だよ』

 

 痣は今日昨日のものではない。我儘で、思い通りにならないとすぐ泣き出したあの子が、暴力に耐え忍んできたのだ。痛かっただろう。怖かっただろう。それでも自分を突き放そうとした兄を妹は信じたのだ。彼女として、妻として男を支えようと今日まで耐えたのだ。

 

 体は自然と動き出していた。喧嘩なんてしたことはないし、運動ができるわけでもない。だが体を巡る感情だけが力となって、その卑劣漢の顔を壁まで殴り飛ばした。

 

 きっと自分は何者でもなく、何者にもなれないかもしれない。だがそれでも、妹のために怒れる兄ではあれたことが誇りであった。瞬間から、兄には残りの生涯を妹に捧げる覚悟が生まれる。それが存在意義であり、それが活力。結局、彼が最も嫌悪した生き方でしか生きられないらしい。

 

 その後、男は逮捕されたが、それで妹の心の傷が癒えるわけでもない。実家の家と土地を売り払い、兄妹は遠い田舎へと移り住んだ。始めは男の悪夢にうなされていた妹も、清涼な空気と暖かな人の営みに癒され、少しずつ回復していった。以前にも増して兄に依存しているようにも感じたが、やがていい人にも巡り会えて彼女は再婚する。何にもなれる妹は、ただの一般人主婦になった。

 式場で幸せそうに寄り添う妹夫婦を見て、兄の心配は消えた。同時に、妙な達成感に満たされ浮き足立つ。虚無感とは違った清々しさというか、安堵のようなものに近い。結婚式の帰り道、すっかり気が抜けてしまった兄は背後から忍び寄る気配に気づくことができなかった。頭に走る鈍い衝撃で地面に倒れ込み、薄れ行く意識の中で目が捉えたのは、出所したあの男の姿だった。

 

『お前のせいだ!お前さえいなければっ!!』

 

 再び目覚めたのは自宅の浴槽の中。怨嗟の言葉を吐き連ねる男が兄の肩を掴んで水へと沈める。抵抗はしなかった。ここで自分が死ねばこの男に重い罰が下されると言う思惑がなかったわけでもない。だが、妹のことを思うならば抗うべきだ。でもそれ以上に、

 

(もう、いいよね……)

 

 彼はもうやり終えてしまった。本当に、疲れてしまったのだ。

 

(最後まで馬鹿な兄でごめんな…)

 

 こうして兄の人生は幕を閉じた。

 

 ――そして、また生き返ってしまった。

 

 兄ではない、別の人間としての生。何者でもないまま、彼は知らない世界に放り込まれた。

 

 何度か目の路地裏の夜。小さな孤児たちを抱きしめながら彼は夜を過ごす。子供の扱いには慣れていたし、孤児たちは彼を慕っていた。市内を行き交う人々の言葉や市場の文字を自分なりに理解し、それを彼が孤児たちに教えたのが理由だったのかもしれない。彼にしてみればそれは善意ではなく、自分の思いのままに操れる肉布団が欲しかっただけであるが。

 

 彼は多くの孤児から好かれていたが、彼は全てが嫌いだった。ローマその物を嫌っていたと言ってもいい。電子機器もなければ、公共施設は原始的。彼基準で見ればあまりにも文明レベルが低すぎる。市民は彼の常識を外れた変人ばかり。好きになれる要素など欠片もない……とも言えない。ローマには浴場施設があった。彼は孤児であったため施設は利用できなかったが、その場所があるだけで安堵を感じられる。

 

『風呂入りてえなぁ…』

 

 日本語で何度その言葉を言っただろうか。

 

(ああ、そういえば……)

 

 ふと、今と似たようなシチュエーションの漫画を思い出した。どちらかと言えば状況は真逆ではあったが、キーワードは揃っている。

 とある浴場技師が、現代日本へとタイムスリップする話。本当にそんなことができるなら、それはとても羨ましい話。彼は空虚ではあったが、故郷への愛情は心の奥底にあったのだろう。同時に、彼は生きるために空っぽな自分の中にあったただ一つに縋る他なかった。

 

 

 

(――そうか。ならルシウスになればいい)

 

 

 なんて馬鹿げた考え。そして、そんな馬鹿げたことを今までやり通した男がいた。ただ日本に帰れるという希望を胸に、彼はルシウスという人物を演じ続ける。どこかでそんな都合のいい世界などないとわかってはいた。それでも空虚な今までよりはマシな生き方だったのかもしれない。

 

 そして、30年という月日を経て、彼は馬鹿げた理想へと近づいていた。物語通りルシウスが成し遂げた偉業もあれば、まったく関係のない偉業を積み重ねてもいた。誰もがルシウスを褒め称える。その光景はどこか、彼が兄として持て囃されていた頃を彷彿とさせた。ルシウスを愛する彼らは、きっと空虚な自分を愛さないだろう。だが、そんな空虚な男を愛してくれた女が一人いたのだ。

 

 美しくも、危険な毒の花の名を持った少女。自分と同じで役割に縛られた空虚な人だった。

 

「私たちは空虚で面白みのない人間かもしれないけれど、そんな私達が互いに自分を育んでいく……それって、とても素敵なことではないでしょうか」

 

 毒の花の色を深くした紫の瞳。涙で濡らして微笑んだ顔を今でも覚えている。

 その約束が彼の個性を育ててくれた。まあ、育ちすぎてかなり破天荒な性格になってしまった気もする。だが、それはきっかけであり、結果を導いた人物は他にいる。互いを育もうと言った少女はいつしか隣にはいなかった。

 

 彼は初めて生まれた自我と、道しるべにしてきた理想の間で揺れ動いた。どちらも彼にとっては救いであり、自分では捨てることのできないもの。

 

 笑顔の裏で悩み、苦しみ、それでも足掻く。そんな彼の前に現れた少女は、

 

 

『かの名高いルシウス技師であるな?余は次期インペラートルカエサル!ネロ・クラウディウスである!さあさあ、面を上げてくれ!』

 

 

 どこか妹に似ていた。とても美しく、どこまでも純粋で、どこまでも我儘で、たくさんの才能に溢れていた。

 

 彼はネロを毛嫌いした。過去の亡霊への恐れ。才能への嫉妬。自分にはない純粋さがただ恨めしい。ネロの前では彼は在りし日の兄の心であった。遠ざけるためにぞんざいな扱いをしても、彼女は彼の背を追ってくる。その姿がより妹に見えて辛かった。

 

 

 

『ルシウスよ!余は、余は必ず良き国を作るぞ!』

 

 

 

 初めてネロをあの路地裏に連れて行った時、彼女は自分とは真逆なんだと思った。彼が嫌い、逃げ出そうとしてきた世界を、ネロは心の底から愛している。そんな彼女が作る世界なら、見てみたいような気がした。そんな願いを込めて彼はあの言葉を紡いだ。それはきっと、彼が初めて抱いた憧憬からの言葉だったのかもしれない。

 

 彼は自称皇帝少女を肯定した。それは皇帝ではないありのままのネロへの憧憬。

 

 ネロはルシウスを肯定した。それは彼が被る仮面も、悪辣な性格も、取るに足らぬと卑下した彼を含めての恋。

 

 お互いにきっかけは最低な悪感情で、とんでもない勘違いの上での関係だったけれど、それでもそれは偽りの関係ではない。

 

 

 

『さあ、余の隣へ立て!ルシウス!』

 

 

 

 壇上に立った皇帝に手を引かれる彼。ハドリアヌス帝ではない、ネロ帝の治政が始まる。あの日の理想は砕けたが、それでも確固たる自己が彼にはあったのだ。そこには被っていた仮面と悪辣で愚鈍で破天荒な性格が合わさった自分がそこにいる。物語の道筋を逸れた話を彼はネロと綴り続けた。例え贋作の積み重ねだろうと、ローマ市民たちは彼の作る道具、物語、発明を愛した。それはルシウスではない彼だけの作品。休むことなく、時には死ぬほど疲れもしたが、その日々は楽しかった。たしかに自分の人生を生きていた。ローマ市民であったことは、今では誇りだ。そう思わせたのはネロである。

 

「余にとってお前は……何なのだ…?」

 

 ああ、決まっているさ。インペリウムの誉れよ。

 私はその濡れた頬を拭う。

 

 私にとって……。いや、俺にとって貴女はどうしようもなく手の掛かる子供で。

 

 休暇をくれないブラックな職場の上司で。

 

 歌って踊れるアイドルで。

 

 いつも側にいてくれた友人で。

 

 居場所を与えてくれた恩人で。

 

 誰よりも世界を愛しているインペラートルカエサル。

 

 俺の心はすでに妻に明け渡してしまった。だからこんな言葉は不敬かもしれない。何事にも一番になりたがる貴女は嫌うかもしれない。でも、それでもそれを許してくれるなら言おう。

 

 

 

 

「この世でただ二人……私が愛したお人よ」

 

 

 

 

 好きじゃなきゃこんなブラック企業即辞めてますわ。




次回こそエミヤ一同が地獄を見る(真顔)


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この夢は間違いなんかじゃないんだから!ケリィはさ、どんな大人になりたいの?

staynight、Zero視聴者推奨。まあ、ネタがあまりにも酷すぎるからある意味非推奨だけど。


「な、なんだよこれ……」

 

 地獄を見た。地獄を見た。地獄を見た。

 

 いずれ訪れる地獄を見た。

 あるいは、その一端でしかなかったのかもしれない。

 

「なんなんだよこれ!?」

 

 それは遥か遠い記憶。抑止の守護者、エミヤがかつて衛宮士郎であった頃の話。

 

 衛宮切嗣がまだ存命であった頃、切嗣はまだ幼い士郎を藤村宅に預け足繁く海外へ行っていた。その時だけ切嗣が入るなと言いつけていた部屋が入れるようになる。幼い士郎はその部屋に銃火器や暗器の類が隠されていたなど知りはしない。

 

「ったく、散らかしっぱなしで出かけて……」

 

 呑気にもそんな言葉を呟きながら布団を干す。その日は絵に描いたような晴天で、飛行機雲の一線が描かれている。切嗣が向かった国の空も、こんな青空であることを見上げながら願った。

 

「よし、大掃除するか!」

 

 定期的に掃除はしているとはいえ、出来る時にはしっかりと綺麗にするのが衛宮士郎だ。知らずとは言え彼は地雷原を隈無く掃除した。だが切嗣とてプロ。素人にわかる場所へ危険物を隠してはいない。この部屋にはいくつもダミーやカモフラージュが張り巡らされている。

 

 日干しするために畳を剥がした瞬間、士郎は見事その罠に掛かった。

 

『アルビノ妻とのラブラブ夫婦生活』

 

『女スナイパーとの爛れた不倫旅行』

 

『日焼け幼馴染との汗だく田舎生活』

 

『女師匠とショタの危険な修行』

 

『ブルジャージ娘との深夜の居残り部活動』

 

 刺激的な本の数々。この強烈なインパクトはむしろブラフであり、物はさらに下の方へ隠されている。なお、最後のタイトルに関しては近所の少女がこっそり忍ばせておいたものだった。何やってるんだ藤村。

 

 このカモフラージュは『全く…切嗣もそういうことに興味あるんだな…』的な男子特有の共通意識を芽生えさせ、『これ以上の詮索は無粋だな』と察せさせる物。ジャンルがやや私的に思えるが、無論これらは観賞用のものではない。だが、幼い子供にとってそれはあまりにも劇物であり、その性的嗜好があまりにも特殊過ぎた。

 

「な、何なんだよこれ!?」

 

 普通の行為でも子供にとってはグロく感じるのに、成熟していない彼がその特殊なシチュエーションを理解できるわけがない。それは正しく地獄の光景に等しい。まあ、彼は将来のルート選択によってこれよりアブノーマルな性経験をしちゃうわけだが、それはまだ知らなくていいことである。

 

 それからしばらく、士郎は切嗣に対してよそよそしくなった。具体的には父親がスタンド使いで殺人鬼だと知った子供並みの余所余所しさである。一緒にお風呂へ入ろうとしたら士郎に叫ばれて切嗣は少し泣いた。

 

 そんな余所余所しさもなりを潜めた頃。少し距離を開けて隣に座る士郎に切嗣が言った。

 

「子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」

 

「何だよそれ。憧れてたって、あきらめたのかよ」

 

「うん。残念ながらね。ヒーローは期間限定で大人になると、名乗るのが難しくなるんだ。そんなこともっと早くに気付けばよかった」

 

 まあ、あんな本持った大人がヒーローになったらいけないよなと士郎は心の中で頷く。

 

「そっか、それじゃ、しょうがないな」

 

「そうだね。本当にしょうがない…」

 

 その物悲しい呟きにさすがの士郎も悪い気がしてきた。流石に下着を別々で洗ったのが堪えたのかもしれない。いくらえろ本を持っていたとしても、いくら特殊な性的嗜好を持っていたとしても彼にとっては切嗣は憧れであった。

 

「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ」

 

 だからそのあとの約束に偽りなどなかった。その決意に揺るぎはなかった。

 

「爺さんはオトナ(意味深)だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は――」

 

 だが、心に住み着いた疑惑を残したままだった。

 

 それから時は過ぎ、彼も大人になった。男にはああいうものが必要な時があると理解もできる年頃。だが、彼の知る本来の切嗣とはえろ本とは無関係な誠実な人間だ。未だにどこかであれが間違いであって欲しかったという願いを捨てきれずにいる。

 

『僕のことは、アサシンとでも呼んでくれ』

 

 だからローマに召喚された時、彼と会えた驚愕は言い表すことはできないだろう。アサシンが並行世界の衛宮切嗣であることは知っている。士郎と出会うことのなかった可能性の具現。そして自分と同じ結末を辿ってしまった男の姿。

 

『失礼……アンタはえろ本を持っていたことがあるか?』

 

 ほんと失礼だよ。もちろん初対面の相手にそんな言葉を言えるわけがない。

 

 彼が声をかけるかどうか逡巡していた時には、アサシンは消えていた。件の暗殺対象は遥か遠い平行世界へ逃れている。特にやることも無いから市内の料理屋を回っていたらどれもこれも一級品。完全に衛宮さん家のごはんしていた。なんだかんだ言って誰よりもローマを巡り歩いたのは彼かもしれない。

 

「くそっ!今日は鮭と大根の特売日だったのに!」

 

 そんな自分が最大の功労者のアサシンと顔を合わせられるわけがない。だが、こうして召集命令が下った以上は職務に徹するのが守護者。買い物カゴとエプロン装備で市内を走るアーチャーはどんな顔をしてアサシンと会おうか悩んだ。

 

「ええい!いつものように冷静になれエミヤ!」

 

 そう、いつも冷静沈着。仕事も迅速かつスマートにこなすのが普段の自分のキャラだったはず。

 サンタム?それは未来と別世界の話です。

 

 仲間3人の気配が近い。買い物のカゴとエプロンを脱ぎ捨て、両手に干将・莫耶を投影する。道を曲がった先へ颯爽と登場するとそこには――

 

 

 

 

「ふざけるな!ふざけるな!!馬鹿やろうっ!!うわあああああああっ!!!」

 

 

 

 

 全裸で少女を羽交い締めにするアサシンがいた。具体的にはZero一期のエンディングで流れる発狂したジル・ド・レェみたいな顔になってる。

 

「なんでさ……っ」

 

 過去の疑念の種は、いま芽吹く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウスは絶望していた。前回あれだけ恥ずかしい自分語りを披露したというのに、白い軍服の男に銃口を額に押し付けられている。

 

「良いだろう。お前の命の代わりにこの女には指一本出さないと約束しよう」

 

「やめろ!ルシウス!ルシウスぅ!!」

 

 そしてなぜかちゃっかり命拾いしたネロはフードの男に拘束されている。『指一本出さないとか言っておきながらがっちりホールドしてるじゃないですか!はい、この話は無効!かいさーん!!』とはならないようで白い軍服のリボルバーに指が掛かる。

 

 内心『わりぃ、俺死んだ!』と苦笑いするルシウス。残念ながらこの空模様では雷も落ちそうもない。てかゴムじゃないから落ちたら死ぬわ。

 

(なんて安らかな微笑みなんだ……この女のためなら命すら惜しくはないということか)

 

 誤解も賞賛も絶賛進行中の周囲。

 

 アサシンは心の底から感謝の念を送った。別に若い子を合法的に後ろからホールドできたからではない。

 この世界に来てからというもの、どれだけふざけた仕事を任されたかわからない。普段から無茶な仕事には慣れている。汚れ役を買うこともあっただろう。それに不満はなかった。しかしこの世界の仕事は…なにか……違う。こんなのゴルゴ13がドッキリを仕掛けるような物だ。どう考えても自分のキャラに合ってない。

 

 別に英雄のように誉ある戦いを求めてはいない。やりがいも救いも求めたことはない。そんなものには反吐が出る……そう、この男に出会うまでは思っていた。自分をこのふざけた世界に呼んだ原因。出会って早々温泉を武器に戦うふざけた奴に胃が痛んだ。だが彼の言葉、その姿を見て確信する。これは自分がなりたかった正義の味方の姿なのだと。それだけで自分の胃は救われた。

 

(もう僕は、この世界に呼ばれたことに後悔はない。この男との出会いに感謝しよう)

 

 そうニヒルに微笑むアサシン。側から見るとなんかやばい奴だった。

 

「ふざけるな!ずっと余に仕えると約束したではないか!!」

 

 暴れるネロは叫んだ。そんなこと言ったっけなと訝しむルシウス。てか、それって永遠に働けってことじゃないですか。

 

「ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスの名において命ずる!死ぬな!剣を取って立ち上がれ!勝利をその手に掴み余の元へ戻ってくるのだ!!」

 

 要約すると『あんな告白しておいて逃げられると思うなよ!そいつら倒したら即結婚式だから遅れるなよ!』ということらしい。相変わらずの無茶振り。だがルシウスの体はとうに限界を超えている。マナはまだあるが、彼一人ではそれを扱うすべはない。そんな時、ルシウスは何やら電波を受信した。

 

(だ、旦那……)

 

(れ、煉獄!生きていたのか!?)

 

(ふっ、俺は宝具だぜ。魔力さえあればまた元どおりになる……まあ、流石に今すぐとはいかねえがな。それでも、最後に一太刀くらいなら浴びせられるぜ)

 

 だがルシウスはその体質上、殺傷能力のある技は使えない。煉獄の今の状態では温泉を放射することもできないだろう。

 

(あるじゃねえか。旦那のとっておきの技が!)

 

 不意に記憶に浮かんだあのヘルアイランドでの地獄の日々。

 

『生殺与奪の権を食材に握らせるな!』

 

『判断が遅い!』

 

『フフ……へただなあ、ルシウスくん。へたっぴさ……!全集中・常中のやり方がへた……!』

 

『アァアアア年号がァ!!年号が変わっている!!』

 

 ろくな思い出がないな。迷い家時空じゃなかったら元号が変わるまで死んでたことになっていたとわりと恐怖した。てか途中にいた顔の平たくて丸いおじさん誰だったんだろ?

 

 体は煉獄が支えてくれる。技を繰り出すのは自分自身。そうだ、そうやって肺の中の空気を1cc残らず抜いてしまえ。痛みも恐れも忘れ、体に染み付いた技をただ繰り出す。

 

「なっ!?くっ!!」

 

 その挙動に龍馬は、引き金よりも先に体が避けた。ルシウスから発せられた圧倒的な剣気による反射反応か、あるいは幸運値Aの賜物か。

 

 ネロをホールドして動けない幸運値Eのアサシンに折れた切っ先を向けて叫ぶ。

 

 

 

「雀の呼吸・零ノ型『奪衣婆剥き』!!!」

 

 

 

 この技は紅閻魔が奪衣婆のもとでこき使われた頃に編み出したものであり、『やっべ!これ私の仕事なくなるわ』と禁止された技である。現在では捕獲レベル500前後の食材に対し使われる技で、野菜の皮むきや獣の皮や羽を剥ぐために重宝している。護身用としても有効で、相手の装備の無効化も可能だ。具体的な例でいうと子供先生のくしゃみ魔法や宇宙人ハーレム主人公がコケるとよく起きる現象。

 

 つまり――対象を全裸にする奥義なのだ。

 

 誰もがアサシンへと目を向ける。その視線につられて思わず彼も自分自身の有様を見た。銃もナイフも服も下着もない。生まれたままの姿の自分。アサシンは静かに息を吸い、そして――

 

 

 

「ふざけるな!ふざけるな!!馬鹿やろうっ!!うわあああああああっ!!!」

 

 

 

 ――涙腺が悪い方向に崩壊した。

 

「僕の感動を返せ!返せよ!馬鹿やろうっ!!あああああああああっ!!!」

 

 ルシウスをいい奴だと勘違いしていただけにこの落差は酷かった。上司や仲間、目の前の信じていた男にすら裏切られてアサシンの心はもうずたぼろぼんぼん。そこに思わぬ不意打ちが加わる。

 

「た、たすけ…ひっく……たすけてるしうすぅ…」

 

 なんとネロ子供泣き。そこに今までの皇帝の威厳はない。裸の男に襲われて泣いている女子になってしまったネロちゃま。これには流石にちょっと傷つくアサシン。

 

『そうか、あなたはそういう奴だったのか』

 

 なぜか脳裏に浮かんだホムンクルス親子が冷めた目で自分を見つめてくる。ちゃうねんエーミール。そもそも並行世界の家族だろあんたら。

 

「き、きさまああああ!ネロにナニをしている!!!」

 

「お前がしたんだろうがあああああ!!!」

 

「いやあああ! 何か生温かくてぶにぶにした物が当たってるぅ!」

 

「なーにこの状況…?」

 

「む?なぜ私の目を隠すんだ龍馬?」

 

「うーん、これはちょっと沖田くんには刺激が強いかなぁ」

 

 周囲はカオス一色。アサシンの胃もカオスを決めすぎて決壊寸前だった。こんなカオスじゃ神話も始まらず、結末は終わりのみ。

 

「なんでさ……っ」

 

 そのカオスに終わりを告げる人物が一人、姿を現わす。

 

 アサシンはその姿を見た。自らをアーチャーと名乗った英霊。そして自分と同じ結末へと至った男。そんな男がまるで世界の終わりを見つめたような絶望の表情を見せる。その顔……今にも吐きそうな最低の面構えからすると、おまえ誤解しているな?

 

「な、何やってるんだよ、爺さ……アサシン…」

 

「な、何だその目は!? おまえは変な誤解をしている!!」

 

 全裸のままでそんなセリフを言われても信じられるわけがない。龍馬も現状を説明しようと努めたが、自分でも理解不能な域に達していたので考えるのをやめた。アサシンはアサシンでアーチャーに誤解されるのはより一層胃が痛くなるのはなぜだろうという疑問に悩む。

 

(ああ、ダメだよ遠坂……こんなの俺がんばれないよ…)

 

 あの日の約束すら霞ませる光景。えろ本疑惑の方がまだマシだった。こんなシチュエーションの本はなかったはず。そこにあの地獄から自分を救い出した男の姿はいない。本当に外道に落ちた男の姿だけだ。

 

『信じるな(オレ)!切嗣がそんな男のわけがないだろう!!』

 

『残念だが、これが真実だ。男など所詮みな狼だったという話さ』

 

 アーチャーの中の天使と悪魔が争いを始める。

 

『違う!切嗣はえろ本なんて持ってない!ましてやうら若き女性にこんな真似を働く外道じゃねえやい!!』

 

 天使のアーチャー。見た目はバスター性能上がりそうな自分。ええい! 流行りに任せて刀なんぞ武器にしおって──そんなもの、日本人なら誰でも憧れる武器じゃないか……! クソ、オレも使いたかったなー! てかお前セイバークラスじゃね? 切嗣と面識すらなくね!? 実装いつよ!?

 

『いいじゃないか、正義の味方。―――なんでか、妙に泣きたくなる』

 

 悪魔のアーチャー。見た目はデミヤな双銃使いの自分。ええい、恥を知るがいい、恥を!二挺拳銃なぞ、おのれ──そんなもの、誰が使っても格好いいに決まってる……!クソ、オレも使いたかったなー!てかお前並行世界の俺じゃね?面識ありそうだけどそんなに泣かれると困るんですけど!?

 

(これが俺の憧れたもの?これが自分の末路だとでもいうのか?)

 

 その姿に同情なんてしない。同情なんてしない。同情なんてしないっ!……けれど、これからその道をこの足が歩くかと思うと、心が折れそうになる。

 自分が信じたもの。切嗣が信じたもの。その正体が嘘に塗りたくられた夢物語と見せつけられて俺は……。

 

『生涯くだらぬ理想に囚われ、自らの意図を持てなかった紛い物。それが自身の正体だと理解したか?』

 

(デミヤ……)

 

 デミヤは絶望していた。自分に対しても、切嗣に対しても。彼はアサシンの姿を受け入れ、そして絶望しているように見えた。そんな生き方は間違っている。

 

『あの男はお前の理想だ。決して叶いはしないと理解できたはずだが?』

 

『そんなの認められねえ!切嗣は変態なんかじゃねえ!!』

 

(そう、それが英霊エミヤの原点だ)

 

 衛宮切嗣という理想像。それを崩してはいけない。そんなことをしたら自分の存在理由すらも否定することになる。

 

『いい加減にしろ! あの男の、おまえを助けたときの顔があまりにも幸せそうだったから、自分もそうなりたいと思っただけだ! だが実際は違った! あの男は少女を裸で拘束する鬼畜外道ではないか!!』

 

『ぐっ!』

 

 それは違う!そんな言葉を目の前の全裸のアサシンを見て言えればどれだけ楽だろうか。目の前の男の逸物がブラブラと揺れる度、硝子の心が砕けそうになる。

 

『そうだ、誰かを助けようとする男の姿が綺麗だったから憧れた!男の汚れた欲望の醜さにも目を向けず、ただ綺麗な理想像だけに縋り付く!これを偽善と言わずに何と言う!?』

 

(やめろぉ!もうやめてくれ!!)

 

『そんな偽善では何も救えない。否、もとより何を救うべきかも定まらない。見ろ、その結果がこれだ。始めから救う術を知らず、救う者を持たず、醜悪な正義の体現者(アサシン)がおまえのなれの果てと知れ!そんな夢でしか生きられないのであれば、抱いたまま溺死しろ!』

 

 心が砕け散りそうだ。俺は何のためにあの地獄を生き延び、見送られたのかすら分からなくなる。

 

 けれど。

 

 やつの言い分は、ほとんどが正しかったけれど―――でも、どうも何かを忘れていると思った。

 

『お風呂……一緒に入ってもいいかな士郎?』

 

『ふざけるな!ふざけるな!!馬鹿やろうっ!!うわあああああああっ!!!』

 

『な、何だその目は!? おまえは変な誤解をしている!!』

 

 地獄を見た。地獄を見た。地獄を見た。

 

 いずれ辿る地獄を見た。

 

 剣の丘の上でデミヤのひび割れた背中を見た。全てを諦めてしまった男の背中は、あまりにも脆く見える。

 

(デミヤはさ。きっと正しかったんだろうな)

 

『……器用ではなかったんだ』

 

(多くのものを失ったように見える)

 

『それは違う。何も失わない様に意地を張ったから、私はここにいる。何も失ったものはない』

 

 失わないように、理想なんて初めからなかったと自分に言い聞かせたデミヤ。でも、それはきっと間違いだ。切嗣の亡き今、事の真相を知るのは悪魔の証明に等しい。それでも、あの時みた切嗣は、決して変態なんかではなかった。だから俺は―――

 

 

 

『おい、その先は地獄だぞ』

 

 

 

 燃え盛る冬木市。瓦礫の上で佇む俺に、声をかけるデミヤ。俺の視線の先には、あの切嗣が瓦礫の中から誰かを救い出そうとする姿が映る。

 

(これがおまえが忘れたものだ。確かに始まりは憧れだった。けど、根底にあったものは願いなんだよ。この地獄を覆してほしいという願い。誰かの力になりたかったのも、結局何もかもとりこぼした男の果たされなかった願いだ)

 

『……その人生が機械的なものだったとしても』

 

(ああ、その人生が偽善に満ちたものだとしても、俺は切嗣が正義の味方だったと胸を張り続ける)

 

 切嗣がえろ本を読む姿。いたいけな少女に裸で迫る姿。そんな幻想をぶち壊す。俺の最弱の理想は、ちっとばっか響くぞ?

 

(誰かに負けるのはいい。でも、こんな切嗣には負けられない!負けていたのは俺の心だ。目の前の切嗣を正しいと受け入れていた、俺の心が弱かった!)

 

 アーチャーの中の天使と悪魔が微笑んだ。そこには争う二人はいない。二人は親指を立て、声を重ねてアーチャーへ言った。

 

『『なら、お前が倒せ!』』

 

(ああ、目の前のアサシンが俺の切嗣を否定するように、俺も死力を尽くしておまえという切嗣を打ち負かす!)

 

 きっと男がえろ本を持っているのは正しい。俺の想いは偽物だ。けど、美しいと感じたんだ。性欲よりも他人が大切なんてのは偽善だってわかってる。それでも、それでもそう生きられたのなら、どんなにいいだろうと憧れた。俺の理想の切嗣がまがい物だとしても、俺の憧れた切嗣は美しいもののはずだ。

 

 俺は無くさない。愚かでも引き返すことなんてしない。この夢は決して、理想の切嗣が最後まで偽物であっても、決して、間違いなんかじゃないんだから。

 

 言葉もなく、剣も放り捨ててアサシンへと迫る。目の前の男に武器などいらない。変態には己が拳で十分。聖人だって代々その聖なる拳で悪を懲らしめて来た。彼はヤコブ神拳伝承者よろしくその技名を高らかに叫ぶ。

 

「鉄・拳・制・裁!」

 

 その拳に宿ったイエスも状況は分からないがとりあえずサムズアップした。

 

「なんでぇぇぇぇえ!?」

 

 まさか自分が攻撃されるとは思ってもみなかったアサシンはその拳をもろに食らう。避けようと思えば避けられたのかもしれない。だが目の前のアーチャーの姿が、古い鏡を見せられているようだった。ああ、こういう男がいたのだったなと過去の自分を重ねる。拳を受けたアサシンは胃も、体も、精神も、すでに限界を迎え、この一撃で座に帰ろうとしていた。

 

 

 

『ケリィはさ。どんな大人になりたいの?』

 

 

 

 裸で地面に横たわるアサシンにわりとえぐい質問をしてくるシャーレイ。

 

(僕はね、正義の味方になりたいんだ)

 

 その言葉を最後に、アサシンは座に帰った。

 

 この状況には逆に周りがついていけず沈黙する。だが、それでもアーチャーは答えを得た。

 

(ありがとうルシウス。俺もこれから頑張って行くから)

 

 静かに感謝の念をルシウスに向けるアーチャー。当の本人はよく分かってなかったがとりあえず笑い返した。密かに二人の間に生まれる男の友情。しかし抑止力の守護者であるアーチャーはルシウスを殺さなければいけない。気持ちを切り替えねばと目を閉じ、再び心の世界へと没しようとした瞬間――

 

 

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!』

 

 

 

 光の本流がアーチャーを包み込む。痛くはない。ただ、どこか懐かしかった。過去の思い出か、それとも自分から流れ出てしまった鞘の記憶かは分からない。光の中で、金色の少女の姿を見た。生い茂る草原で純白の服に身を包んだ少女は涙を流しながら言う。

 

『おかえりなさい、シロウ』

 

 光の衝撃で壁にめり込んだアーチャーは微笑んだ。

 

(たただいま、セイバー……)

 

 その言葉を最後にアーチャーは気を失った。

 困惑する抑止力一行を他所に、ルシウス達だけが聖剣の持ち主を知っていた。

 

「ブーディカ!」

 

「まったく……何やってんのさ二人とも」

 

 本当に何やってるんでしょうね。ちなみに彼女の決まり手は徳利投げである。

 

(増援!?お竜さんのいない今、どれだけやれるか分からないぞ!)

 

 増援は一人。それでも相手の使う武器は英霊ですら圧倒する聖剣。生唾を飲みこむ龍馬に思わぬ伏兵が現れる。

 

「うお!?何をするんだ沖田くん!?」

 

「逃げるんだおでんの人!あとツケは払って貰えると助かる!」

 

 一飯の恩から助けに入ったオルタ。もはや何のためにこの世界に来たのか忘れてしまっているようだ。ブーディカが後ろを牽制しつつ、ネロがルシウスを担いでいく。貧弱なルシウスではあるがそれなりに筋肉質なためネロ一人では重い。まあ、役得と思えば頑張れる。

 

「え、皇帝陛下?ルシウス様!?どうしたんですか!?」

 

 路地裏に差し掛かると少年が立っていた。

 

「見ての通り重傷だ!手伝ってくれ!」

 

「わ、わかりました!」

 

 さすがはローマ市民。話が早くすぐさまルシウスの肩を担ぎ始めた。お礼を言おうと思ったルシウスであったが、急に考え込む。この少年にどこか見覚えがあったのだ。

 

(あれ、こいつあの時の……)

 

 だが、思い出しかけた途端に強烈な眠気が襲い始める。最後に視界に映ったのは、口角をもたげて笑う少年――アラヤくんの微笑みであった。

 

(結局、僕が出る羽目になったか)

 

 アラヤくんはずっと路地裏からルシウス達を眺めていた。自分が介入すれば全てが済む。それでもアサシンやアーチャーの手で始末できるなら極力関わりたくない相手だ。だが、アサシンの宝具を受けてすら、ルシウスは”死ななかった”。

 

(拷問した時から体に予兆はあった。こうなってしまった以上、神殺しや不死殺しの宝具を投影してもらっても意味はないだろう。君は神霊や精霊なんて比べ物にならないほど地球と強い結びつきの存在になってしまったようだ)

 

 そんな相手を殺すなんて、地球を殺すのと同義だ。彼らが望むのは死ではなく、ルシウスの活動停止に近い。だからアラヤくんは彼に”夢”を見せた。自分の持ち得る限りの力を使ったルシウスの理想の夢の構築。正真正銘最後の悪あがきだ。この一手で長きに渡るアラヤの胃痛の決着が付く。どちらへ転ぼうと彼には後悔はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ルシウスを発見。精神攻撃を検知。感情の制御開始――エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!制御不能。熱量上昇。感情『怒り』と推定。原因排除のため最終形態へと移行します』

 

 しかしこれから起きることを知っていれば、アラヤくんは今の自分を思い切り殴り飛ばすほど後悔しただろう。




【次回】忘れられた日本組登場!風魔空手!イヤーッ!


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忍者が食事に文句を言うはずないだろ!それが僕らを犠牲へと駆り立てた!!

ルシウス実装だって?え、月姫の方…何故??
ちなみに私は呼符一枚で引けました(クソ煽り)


 蜘蛛(しょうじょ)は駆ける。

 

 空を、海を、大地を駆け巡る。

 

『では、ここからちょっとはしたなく。肉体言語で語り合いマース!』

 

『やー!』

 

『きゃー!』

 

 空では羽毛ある蛇を下した。

 

『何だあれカッケーっ!持って帰ってゼウスとハデスに自慢しよー!』

 

『もげろー!』

 

『アーッ!』

 

 海では嵐の如き男を下した。

 

『あれエイリアンじゃね?捕まえて日の本へ持ち帰るぞ!尾張名物『怪奇巨大蜘蛛』大儲けじゃ!』

 

『ゲテモノは意外と味がいい。美味しかったら足一本くらい下さい!』

 

『〜〜!』

 

 大地ではなんかぐだぐだした二人から逃げた。

 

(うー、地球こわいよー。ルシウスに会いたーい)

 

 地球から送られた救難信号を勘違いして五千年ほど先に来てしまったドジっこな彼女であるが、そのスペックは正面からではかのアルクェイド・ブリュンスタッドが敵わないと言われるほどの存在。だが、ルシウスに触発されて生まれた精神面はまだ幼く、およそ精神の何たるかを理解していない彼女にとって彼らは脅威である。

 

『理解不能!エラー!』

 

 つまるところ、何考えてるか分からない馬鹿たちが怖かった。ルシウスはそれを超える大馬鹿だがな。

 

 ローマまでの道中ではやけにおかしい相手ばかりに遭遇する。そもそもローマ人がおかしい人の分類で最上位に入ることを彼女は知らないだろう。ORTはこんな生物を滅ぼすために地球に呼ばれたのかと震えた。

 

(でも、もう少しで会えるよルシウス)

 

 ただでさえ引きこもりの幼子(精神)の一人旅は心細い。初めてのおつかいで世界を半周するようなもの。だが、ローマまではあと少しだ。視聴者ならそわそわしながらハンカチとティッシュを取り出す頃合い。

 

 しかし、彼女はローマが何たるか知らなかった。

 

(な……)

 

 この時代における、神話世界すら凌駕する深淵の魔境を。

 

(何これーーーー!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特異な経験ゆえ日記に書き残そうと思い至った。

 

 某の名は山崎。どこの里にも属さぬ無所属の忍びである。また、此度の出来事における被害者の一人と言ってよい。

 

 あの日、某は調査で尾張に赴いていた。今や日ノ本にてカカオ大名織田信長を知らぬものはいない。信長公が自称する第六天魔王と合わさって、巷では南蛮人から『ぶらっくさんだー』と呼ばれているらしい。何やら面妖な響きである。

 

 市内は見たこともないほど賑わいに満ちていた。カカオなる植物の種から作り出したちょこれーと菓子は絶品ではあったが、流石に風呂にまで入れるのはどうかと思う。おかげで体中からカカオの臭いがした。これでは天井裏に忍び込んでも『む!このカカオの匂い……曲者め!であえであえ!』となるではないか。

 

 ……なんだか某がカカオを堪能するために尾張に来たように思われるかもしれんが、某はある男を探すために尾張へと赴いたのだ。

 

 その男の名はルシウス。あの魔王信長と越後の軍神景虎が囲っている男らしい。他人の情事など知りたくもないが、巷ではそのルシウスという男を手に入れた者こそ天下人になれるという噂が真しやかに囁かれている。何でも遠い国の諺には『羅馬は1日してならず。だけどルシウスがいたら即建国』というものがあるらしい。

 

 この噂に全国の大名はもちろん、伊賀、甲賀、風魔を始めとする忍び達もこの尾張に集まったのだ。いつ戦が起きてもおかしくない状況。それを治めたのが尾張城ほどの背丈の男『みっちー』だった。これぞ古き時代に日ノ本を想像したダイダラボッチに違いない。戦国の世に覇を唱える傑物たちも巨人の前では蟻と同じ。この男なら麒麟が来る国どころか麒麟を食らう国にしそうだ。

 

『ルシウスが逃げたぞ!者共であえであえ!!』

 

 死んだ顔でちょこ菓子を貪る我らの日々に終わりを告げたのは信長公の叫び声であった。丁度、我らがきのこ型のちょこ菓子とたけのこ型のちょこ菓子のどちらが至高か言い合っていた頃だ。ちなみに某はちょこぼーる派である。信長公と景虎公の軍勢が尾張城へ入っていく姿を見て、我らもルシウスを捕らえようと尾張城へ攻め入り、何故かみな風呂場へ吸い込まれるように入っていくとそこは――

 

 

 

 ――羅馬であった。

 

 

 

 自分でも何を言っているのか分からないが、そこは羅馬という異国であったのだ。誰もが驚愕している中で、信長公と景虎公は落ち着いていた。二人の視線の先には巨大な二つの光を受けても無傷で生きている男の姿。その男がルシウスだとわかった途端、我らはルシウスを手に入れることを諦めた。

 

 尾張へと逃げ帰る者、羅馬に残り戦う者と別れる。信長公と契約を交わした我ら忍びは残った。金さえ貰えるのならば誰であれ力は貸そう。

 

 信長公らが討伐した妖術師の残党がどこに潜んでいるかも分からない。我ら忍びは『ぽんぺい』に拠点を置き、ローマ全域を調査した。このぽんぺいという都市は驚くほど高くそびえ立つ城壁に囲まれている。何でも『ゔぇすぴおす火山』の噴火を予見したルシウス殿が考案したものらしいが、よく人の手でこれほど巨大な壁を作れるものだ。こんなもの、それこそ巨人でも進撃してこなければ壊せまい。

 

 だがここに来て食料の問題が生じる。信長公から資金があるとはいえ、少しでも多く里に送りたいというのが人情。そもそも忍びは食はあまり頓着しない。食べられるのなら葉でも木の根でも齧って生きていける。

 

 だが、そこで兵糧係に志願したのが風魔の頭領、風魔小太郎殿であった。何でも、こんなこともあろうかととっておきの保存食を持って来ていたらしい。何やら憐憫の眼差しを向ける風魔衆が気になったが、誰も異議を申し立てはしなかった。

 

 風魔一族というのは名こそ広まってはいるが、その実態はよくわかっていない。頭領が色々こじらせているだとか、巨乳のからくり人形があるとか、なんかヤバい饅頭があるとか。そんな謎多き風魔が誇る兵糧、食すことでその製造法が分かるならよし。分からなくとも某の食した感想から他の者が製造法を導きだせるならそれも良かろう。

 

 

 

 

 

 

 そんな呑気なことを考えていた自分を殴ってやりたい(真顔)。

 

 何だこの饅頭……ほんと何だこの饅頭!?

 

 見た目こそ老舗の高級和菓子のようだが、口に含んだ瞬間に広がる魚の生臭さとたわしのような食感。不味い。ただただ不味い。まるで腐りかけの魚の腑のようだ。この世全ての不味さ(アンリ・マンジュウ)を凝縮したと言っても過言ではない。この饅頭一つで一日分の栄養を補給できる点は素晴らしいが、なぜもっとも重要な点を疎かにしたのだろう。

 

『おお、いつも通り不味いぞ!』

 

『いや、以前よりも不味くなっているな!流石風魔まんじゅう!』

 

 そんな饅頭を笑いながら死んだ目で食している風魔衆。ええい!やつらは化け物か!?

 

 羅馬生活一日目。某は風魔への畏敬を新たにまんじゅうを食らう。

 

 

 

 

 

 

 羅馬生活二日目。某は今日もまんじゅうを食らっている。このまんじゅうの利点は1個で一日分の栄養補給ができることだ。こんなまんじゅう2個も食えるか馬鹿野郎。

 

 おっといかんいかん。食生活が荒れると心も荒んでくる。今はただ不動の心でまんじゅうを食らうのみ。

 

『まんじゅうだ!今日もまんじゅう食ってるよあの平たい顔の人たち!』

 

『平たい顔族はまんじゅうが好物なのかね?差し入れにまんじゅうでも作ってきてやるか』

 

 何やら羅馬人が話しているが、大和言葉ではないので某にはよくわからない。

 

 その後、羅馬人が笑顔でまんじゅうを持ってきたので我らは凍りついた。羅馬人の気持ちだけ貰うと某は今日もまんじゅうを食らう。

 

 

 

 

 

 

 羅馬生活三日目。某は今日もまんじゅうを食らっている。いや、食う必要あるのかなこのまんじゅう。正直、このまんじゅうを食らうなら、空腹でいた方が楽な気がしてきた。てかこのまんじゅうは何日も続けて食べても大丈夫なものなの?致死量とかない?

 

 ……体は健康そのものではあるが、このまんじゅうのせいで精神に異常を来しているような気がする。望月千代女殿なんか『今日は口寄せした大蛇と水で優勝するわねぇ』『やだー!おいしそー!』『うますぎて赤兎馬になったわぁ』と意味不明な言葉を呟いている。何やら精神に作用する薬草でも入っているのではないか?

 

『荒れてやがんなぁ、相変わらずまんじゅうばっか食ってんのか?食うもん食わねえと身がもたねえぞ』

 

 我らが死んだ顔でまんじゅうを貪っていると、かの独眼竜、伊達政宗殿が話しかけてきた。何やら我らの世界線ではないバサラ的な政宗殿のような気がするが……む、何を言っているのだろう某は?ついに精神に異常を来したか。

 

『差し入れ持ってきたからみんなで食いな』

 

 一斉に皆が狂喜乱舞した。政宗殿は料理の名人としても知られている。まんじゅう以外であればこれ以上嬉しいことはない。

 

 そして出されたのは――なぜか拉麺であった。

 

 何でも古来より忍者は寿司と拉麺と竹輪が好物だと決まっているとかなんとか。拉麺はともかく竹輪は服部殿が飼っている犬の好物じゃないだろうか?

 

 それはさておき、久しぶりの温かい食事に我らは舞い上がった。食欲を唆る香りと色鮮やかな色彩に皆が見とれていると。

 

『まあ、待ちな。仕上げがまだ残っている』

 

 我らの口からよだれが溢れる。こんなに美味しそうな料理にさらに工夫を加えたらどうなってしまうのだろうか。我らが羨望の眼差しで政宗殿を見つめていると、彼は桶にいっぱい入った謎の物体を柄杓で掬いこう言ったのだ。

 

 

 

『マヨネーズが足りないんだけどォォ!!!』

 

 

 

 その瞬間、拉麺はただの犬の餌以下の何かに成り下がった。

 白濁とした物体を山のように盛られた拉麺を生ゴミに捨て、某は今日もまんじゅうを食らう。

 

 

 

 

 

 

 羅馬生活四日目。某はまんじゅうを一口だけ食べて残した。忍びとしてある程度毒物に対する耐性を獲得しているが、体がこのまんじゅうを摂取することを拒絶している。栄養を摂ると同時に、人間としての尊厳が失われているような気がする今日この頃。

 

 今まで食事に栄養補給以外の役割を期待したことはない。生きるために食べる必要があるから、ただ行っていた行為のはずだった。

 

 

 時には木の根を齧り、泥水を啜って空腹を堪えた時代もあった。忍び堪える者、それすなわち忍び。それこそが忍びの本懐。…だが某は耐えることが出来るだろうか?

 

 妖術師の襲撃を待ち望んでいる自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 羅馬生活五日目。今日は残す事なく食べられた……と、思ったら道端の丸い石を齧っていたようだ。どうりで口の中が血だらけなわけだ。でも、味はまんじゅうよりマシだった。

 

『少しいいでしょうか?』

 

 救護てんとに向かう道すがら、とある女忍者に声を掛けられた。

 

 世に聞こえし『飛加藤』『鳶加藤』の異名を持つ忍び、加藤段蔵殿。筑後国の妖術師、七宝行者果心居士が作り出した最高のからくり人形であるが…なんというか、まったく忍んでいない破廉恥な装いが目に余る。望月千代女殿もそうだが、隠密を生業とする忍びがそういう露出の多い格好をするのはいかがなものだろうか。

 

 なんでも、最近の忍び達の士気の低下を憂慮した段蔵殿が新たに改良を施した風魔まんじゅうを開発。その試食を募っているらしい。某は喜んで協力に応じた……。

 

 某は知るだろう。

 

 本当の悲劇は絶望によって生まれるのではない事を。運命に抗う事で見出される希望……それが我らを犠牲へと駆り立てた。

 

 

 

 

 

 

 羅馬生活六日目。

 

 まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。

 

 

 

 

 

 

 まんじゅうこわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、人類は思い出した。自分たちが地上において絶対的な支配者ではないことを。自然の猛威すら覆す力さえ、超常の存在の前では無意味であった。

 

 海上を移動し、大陸に降り立ったORTは最短距離でローマへ向かった。進行上にある岩や森、山すらも構わず一直線に移動し、そのあとには真っ直ぐに穿たれた大地だけが残る。

 

 そしてとある城塞都市にも、その脅威が迫っていた。ORTの進行ルートでは都市ポンペイの中央を通過する必要があった。

 高速移動する40メートルもの巨大な質量。その衝撃と余波がポンペイにどれだけの被害をもたらすかは、想像に難くない。

 

 初めに気付いたのは三人の忍び。ポンペイに滞在していた風魔頭領の小太郎と段蔵、歩き巫女の望月千代女であった。何ともデンジャラスなアトモスフィアを感じて城壁を登って周囲を見渡せば、アナヤ! いるではないかビッグなスパイダー。

 

「他の忍び達はなぜか体調不良で戦える状況ではありません!」

 

「我々だけでもこの都市を守らねば!」

 

「いや…まんじゅうはもういやだぁ……」

 

 何やら一人はハーフデスハーフライフ状態であるが、伝説の忍び三人がこの窮地に立ちあがったのだ。ORTの進路方向に立ちはだかった小太郎は名乗りを上げる。

 

「ドーモ、風魔小太郎です」

 

 アイサツ。ニンジャのイクサにおける絶対の礼儀。火急の用事、どれだけの憎しみを持っていても欠かしてはならない。古事記にもそう書いてある。

 合掌と一礼の動作は極めればブッダが宿るとされるらしい。

 

 しかし相手はニンジャにあらず。人知の及ばぬ人外である。それにこのとき、ORTは急いでいたので小太郎なんぞアウトオブガンチュー!

 

「おのれ!アイサツするに能わずと申すか!」

 

 イヤー!小太郎の怒りカラテがORTを襲う。

 それに合わせて二人もカガクニンポとクチヨセニンポを駆使した。どこかのニンジャが使う火の鳥ならぬタイフーの如きバードとヒュドラオロチがORTと衝突した。まるでゴジラ映画だ!

 

 だが相手は地上で最強の存在。そのハードなスキンが全ての攻撃を無効し、圧倒的なレベル差を三人に知らしめる。圧倒的絶望、もはやなす術はない。

 

 誰もがポンペイのネギトロめいた光景を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「イヤー!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 唐突なニンジャシャウト。バターガールの如き正確無比なスパーキングで投擲されたそれが、ORTの口へと運ばれる。どうしたことだろう。今までそのステップを止めなかったORTに変化が現れた。

 

『エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!エラー!』

 

 解析不能な現象がORTを蝕んでいる。

 

 ルシウスとの交流から人のハートとボディを獲得したORT。ゆえに生まれた弊害がいくつかあった。

 

 幼い子供が癇癪を起こすように、彼女の芽生えたエゴは成熟しきってはいない。感情と論理的な思考が衝突するパラドックスに、落としどころを見つけるにはまだ経験が足りていなかった。

 

 ならば人間のボディを獲得したことによる弊害とは?

 

『何これ!?口の中が変な感じが……うぇ!!』

 

 ボディを手に入れるということは、新たに感覚器官を手に入れるということである。彼女は新たに人間の"味覚"を獲得した。食べ物の味が分かるようになったわけだが、毒のような劇物は毒性と共に味も無効化されてしまう。

 

 しかし今回、口にスパーキングされたものは別に毒物というわけではない。それどころか体にとてもいい物なので、本来発揮されるオートプロテクトが解除されたのだ。それがORTの命運を分けることになる。ナムアミダブツ!

 

「あ、あれは!」

 

 都市の城壁で佇む孤独なニンジャシルエット。手には見慣れたイモータル・カオス・ブリゲイドまんじゅうが握られている。たぶん食べた人間は死ぬ!

 

「イヤー!!!」

 

 大地に降り立ち、見事なヒーロー着地を決めたニンジャ。シンプルなニンジャスーツに身を包んだモブフェイスではあるが、その瞳には強い憎しみを秘めていた。

 

「ドーモ、マンジュウスレイヤーです」

 

 なんとミゴトなアイサツ!洗練された合掌と一礼の動作はまさに神がかり的である。そこにいた誰もが、そのニンジャの背後にサウザンドハンドブッダの姿を幻視した。

 

『ど、ドーモ、マンジュウスレイヤー=サン。ORTです…』

 

「ORT=サン。あなたに恨みはないがここで死んでもらう」

 

『アイエエエ!?ナンデ!?』

 

 あまりにもミゴトなアイサツにつられ、たどたどしいアイサツを返したORT。しかし返された言葉はまさかのキリングのカミングアウト。

 

 それもその筈。このニンジャ、元は山崎なる典型的なジャパニーズであったが、先の見えぬまんじゅう生活で自我を喪失しかけていたところを『ちからが欲しいか?』とニンジャソウルに憑依されたのだ。それは風魔まんじゅうを食して倒れていったニンジャたちの怨念が融合して生まれたダークソウル。この行き場のないまんじゅうへの憎しみ、晴らさでおくべきかヨツヤカイダン!

 

「イヤー!!!」

 

『やめ、アバー!!!』

 

 ワザマエ!流麗な動作からスパーキングされた無数のまんじゅうはミゴトに口へと放り込まれていく。押し寄せる不味さに精神が浸食される。それは完全無二の存在が初めて体験する死への恐怖でもあった。

 

「今だ!イヤー!!」

 

「「「イヤー!!!」」」

 

 

 ORTの巨体がよろめいた瞬間をニンジャたちは見逃さなかった。一糸乱れぬ合わせカラテで繰り出されたライダーキックは四人合わせて四倍。そしてこれまで散って行った仲間たちの思いも加わり千倍。合わせて四千倍だぁ!!

 

『うえーん!オタッシャデ―!!』

 

 衝撃で大きくゲインしたORTであったが、肉体にはそれほどダメージを受けていない。しかし受けた精神的なダメージは彼女に消えぬトラウマを残すことだろう。癒しを求めて彼女は弧を描きながら空を飛んで行った。そんな精神状態でルシウスが害される光景を見ようものならば、彼女の堪忍バルーンもプッツンするに違いないが、ニンジャたちがそれを知るすべなどない。

 

 かくして都市ポンペイは四人のニンジャと、散って行った同朋の想いによって守られた。

 

 山崎は多くの忍びの里から引き抜きプッシュをされることとなるが、これを全て断り忍びの世界から足を洗う事になる。今まで無頓着であった食の世界に触れ、彼はあのまんじゅうの悲劇を繰り返さないように菓子職人となったのだ。遠い未来に山崎の子孫がパン業界に進出することがあるかもしれない。




前回の投稿からかなりの月日が流れ、コロナウイルスの感染拡大やウクライナ情勢といった世界規模の変化に伴って私たちの生活も激変しました。私も去年の11月ごろに心身のバランスを大きく崩して入院しましたが、時折届くみなさまの応援に勇気をもらっています。先の見えないこの情勢の中、ハーメルンの小説たちがみなさまの癒しとなることを願っています。

それはさておき、最近消えかけていた創作意欲に再び熱が灯ったので取り敢えずこの作品だけでも完結させたいと思っています。これが終わったら何か新作でも書きたいな。


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夏休み最終日に宿題が終わるわけないだろ!絵日記は金曜ロードショーで観たジブリかルパンでほぼ埋められる!!

「もう夕暮れか」

 

 仕事が一息ついた時、男はふと思い返す。

 

 今は立場も地位もある。金もある。愛する女と仲間たち、そして仕える主がいる。ないものと言えば休日くらいか。

 

「ははっ」

 

 泥だらけの手を夕日の空にかざす。無数の傷、潰れたタコ。シワも年相応に増えてきた。見よう見まねで始めたが、ずいぶんと職人らしい武骨な手になったものだ。

 

 いつか帰りたい。そう夢見るにはあまりにも時が経ち、自分も老いてしまった。この地に骨をうずめる覚悟はとうに出来ている。

 

 だが、それでも――。

 

 記憶の中で今も鮮明に残る前世の光景。夕焼けを眺めながら、牧歌的な風景に二つの影を残す兄妹。妹の歌う赤とんぼの歌がひどく懐かしく、哀愁を漂わせた。

 

 あの場所に戻れたなら、自分はどうなっていたのだろうか。

 

 男はありもしない、もしもの未来を時折夢想してしまう。ただのふとした思い付きだ。深く考え込むわけでもなく、家路につく頃には忘れてしまうような一瞬の考えだった。だが、珍しくその日は何度もその考えを反芻していた。

 

 母の温かな眼差し。歩き疲れた妹を負ぶった時の感触。炊き立ての米と湯気の立つ味噌汁の香り。田舎の清涼な空気。

 

 そんな昔の記憶が何度も思い浮かぶ。まるで今ある記憶に上書きされるような感覚。急激な記憶の齟齬に脳が混乱した。酷い二日酔いのような気持ち悪さに足取りすらも覚束なくなる。早くベッドで横になりたいという欲求に駆られたが、一人では真っ直ぐに歩けない有様だった。

 

 

『こっちだよ』

  

 突然、誰かに手を引かれた。その声と手の大きさから察するに相手は小さな少年のようだ。誰だか知らないが、男はその親切な少年に感謝しながら、導かれるままに歩いていく。

 

『――!』

 

 すると今度は後ろから声が聞こえる。何やら複数の大声が聞こえた。男はその声に耳を傾けてみたが、

 

『侵食固有結界『水晶渓谷』発動!ルシウスを返せええええええ!!』

 

『落ち着けアルティメットワン!空想具現化(マーブルファンタズム)!!』

 

『皆の者!今こそローマがルシウスのために立ち上がるときである!このネロ・クラウディウスに続けぇ!!』

 

『早く戻るぜよ!あん世界へ!!』

 

 ……。

 

 男は全力で聞かなかったことにした。

 

 やがて後ろから声が聞こえないところまで歩くとベッドに寝かされた。少年の手が男の頬をなでる。不思議なことに、その手の感触が段々と女性的な柔らかなものへと変化していった。男は驚きよりも、なぜか懐かしさが込み上げてきた。

 

「っ!?」

 

 男は思わずその手を掴んだ。覚えのある手だった。小さいころから何度もこの手を引いて歩いた記憶がある。

 手を通じて、相手の動揺や感情が伝わってくる。その感情は紛れもなく喜びや愛情というものだ。

 

 

「お…に…ちゃん」

 

 その震える声に男は目を見開いた。

 

 真っ先に目に映ったものは見知らぬ天井。だがそれは本来ありえない。ローマ全ての建造物を手掛けてきた男に見知らぬ天井などあるはずがない。あるとすればそれは別の誰かが作ったものか、あるいはあの時代では作りようもなかった遠い未来の技術でつくられたもの。

 

「――お兄ちゃん!」

 

「ぐはっ!?」

 

 不意に誰かが男に圧し掛かった。いや、本当は分かっていた。あの手の感触、そして自分をお兄ちゃんと呼ぶ人物は一人しかいない。

 

「私は…いや、"俺"は……ってイタタタタ!?あばらが、あばらが折れるぅ!?」

 

 ナースコールに驚いて病室に入ってきた白衣の人物たちが彼女を。いや――妹を制止するまで俺は病み上がりの体を締め付けられた。

 

 それはまるで、長い夢から叩き起こされたような感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 どうやら俺は5年間昏睡状態だったらしい。幸い脳に後遺症はなく、寝たきりだったので身体機能がだいぶ落ちていたが、他に問題もないので簡単な検査を済ませて退院する運びとなった。

 

 以前住んでいたアパートは例の事件もあってか潰れてしまい、俺は妹の自宅に当分居候することになった。

 

「え、解雇になってないんですか?」

 

『有用な人材を簡単に手放すかよ。まあ、あと1年寝たきりだったら怪しかったけどな』

 

 職場の先輩に連絡してみたら、どうやらまだ休職扱いなっているらしい。建築関係の小さな企業だったが、義理と人情に厚い人ばかりだったことを思い出した。

 

「わかりました!明日から"また"年中無休で働きますね!」

 

『……うちはいつからそんなブラック企業になったんだ?』

 

 上司から様子をみてもう1か月休めと釘を刺された。たしかに、人を年中無休で働かせるブラックな職場がどこにあるというのか。

 

 

 ――よ、よしこの仕事が終われば明日から休みが……。

 

 ――○○○○よ!追加のテルマエ建設と劇の打ち合わせとライブ会場の下見と新作料理の発明と……まあ色々あるから頼んだぞ!

 

 ――労働基準法を設けるべきか。

 

 

 さっきも大河ドラマで信長が映った際に『信長って女じゃなかったか?』と妹に聞いたら、何を言っているんだこいつは?的な憐れみの視線を向けられた。

 

 

 ――余だよ!

 

 ――わしじゃ!

 

 ――お虎ちゃんです!

 

 

 昏睡中に見ていた夢の影響か、記憶の齟齬がときおり激しく現れる。だが、肝心な夢の内容はよく思い出せない。なにか大切なものが無くなって、ぽっかりと穴が開いたような感覚だ。

 

「伯父さんあそんでー」

 

「だっこしてー」

 

 仕事もなく、特にすることもなかった俺は子守を任されている。妹は二児の母となっていた。妹の夫はなにやら海外出張中らしく、父性に飢えた子どもたちはやたらと俺に懐いてくる。

 

「……いまや俺が伯父さんか」

 

 時間の流れとは残酷だ。まさか寝ている間に平成が終わり、新しい年号に変わっていたとは。だが同時に、こうして妹の子供を抱いていると感慨深くもある。

 

「ほらご飯できたわよー。今日はお兄ちゃんの大好物の八宝菜!」

 

「ヒエッ」

 

 妹も母親になって成長したようだ。昔から料理だけは苦手で、妹が作る八宝菜はもはや破崩砕(ハッポウサイ)という劇物だったが……。

 

「う、うまい…!」

 

「も~!何言ってるの!お兄ちゃんいつも私の料理美味しそうに食べてくれてたじゃない!」

 

 妹よ、俺は一度も美味しいなんて言ったことはなかったぞ。

 

 

 ――オソマ汁できたわよ。

 

 ――ヒンナヒンナ!

 

 

「……どうしたの?」

 

「ん?……いや、なんでもない」

 

 味噌汁を一口飲んで一瞬固まっていた俺を、妹は心配そうに見つめていた。一瞬だが、妹の顔がひどく無表情だった気がした。気まずい沈黙を破るように、妹は手を鳴らす。

 

「そうだ!昨日金曜ロードショーでルパンの映画やってたから録画しておいたよ!」

 

「ああ、ありがとう……ふ、複製人間じゃないかこれは!」

 

 小さい頃はこの映画を録画しておいても妹に『マモーの顔が気持ち悪いからトトロ上から録画しちゃった♡』ということがよくあった。PTAの苦情並に理不尽な理由である。特に不二子ちゃんのえっちなシーンとかが重点的に消されていたような気がしたが『不二子ちゃんのえっちなシーンあったもん!』と言っても『お兄ちゃんのバカ!もう知らない!』としらを切られるばかり。まあ、今の時代にあの映画を地上波で放送したらそのシーンは大幅カットになっているだろうことは平成生まれの俺には知りようがない。

 

 

 ――やはり男は体の色気でその気にさせるのが手っ取り早いだろう。

 

 ――それでは非効率でしょう。このベラドンナから精製した媚薬を使うのが一番です。別に私が体に自信がないとかそういうわけではなく……。

 

 

「そういえば俺の漫画こっちに持ってきたんだな」

 

 よく見ればこの部屋の本棚には、実家に置いてきたはずの漫画や小説などが敷き詰められている。妹ラブコメ物がやたらとピックアップされていたような気がするが、俺は本棚にぽっかりと空いた隙間が気になっていた。

 

「ここの間に漫画なかったっけ?」

 

「んー、どうだろ?お兄ちゃんの漫画は全部持ってきたと思うけどなぁ」

 

「そっか…」

 

 確かに、ここにあったような気がした。俺にとって、何か…大事な物だった気がする。

 

 料理上手な妹とやさしい家族。仕事に追われることもなく、ただ優しい時間だけが過ぎていく。俺が望んでいた未来。そのはずなのに…。

 

 

 ――○○○○殿!どうかイエス様の教えを!

 

 ――おのれ○○○○!

 

 

 ……お前らは別に大事な記憶でもないなぁ。

 

「お兄ちゃーん。お客さんだよ」

 

「俺に?」

 

 インターフォンが鳴り、妹が応対に出ると何やらにやにやとした表情で俺を呼ぶ。田舎に移り住んでからというもの、妹の世話と仕事に追われてそれほど友人関係は広くないはずだ。同僚かと思ったが、そうではないらしい。

 

 俺は妹に背を押されながら玄関を開ける。開けた瞬間、俺は来訪者に抱き付かれた。

 

「良かった…意識が戻ったんですね」

 

 目に映ったものは――まさに女神の如き女性だった。

 

 夜空に架かった天の川のように輝く美しい髪。

 

 柔らかで健康的な肌色。

 

 控えめだが、女性らしい肉体。

 

 慈愛に満ちたその微笑み。

 

 まるでローマ神話に登場する月の女神ディアナそのもの。そんな女性が、まるで俺に対し好意を隠す事無く抱きしめて、俺の無事を想い涙を流している。

 

 おかしい。彼女とは面識はないはずだ。あったとしても、俺はそのことを覚えていない。しかし、それでもおれは彼女の名前を知っている。俺がずっと待ち望んでいた存在であったからだ。

 

「小達…さつき?」

 

 名前を呼ばれたさつきは困ったように笑った。

 

「もう、なんでフルネームで呼ぶんですか。いつもみたいにさつきって呼んでくださいよ」

 

「は?……え、どういうことだ?」

 

「もー、お兄ちゃんさつきさんのこと忘れちゃったの?」

 

 困惑する俺に妹が耳打ちをした。

 

 どうやらさつきさんは前に住んでいたアパートの隣人だったらしい。田舎に引っ越してきたばっかりの頃、俺たちは彼女にだいぶ世話になっていたようだ。そして、俺とさつきさんは自然と深い仲になり……。

 

「こ、婚約者!?」

 

「何驚いてるの?そりゃ男として責任を取らなきゃダメでしょう」

 

「ま、待て!責任って何のことだ!」

 

 もう一人の俺よ、お前は何をしたというんだ?さてはえっち事をしたんだろう?怒らないから俺に言ってみな。Aか?Bか?……ま、まさかCまで行ってないよな?ふざけんなよ!記憶もないのに美味しいところだけ持って行って、責任だけ押し付けんなよ!!いい年しても心は少年ジャンプ掲載中なんだよ!!!

 

 しかし俺の混乱などつゆ知らず、妹はワンピの連載打ち切り以上の新事実を打ち明けた。

 

「だって、お兄ちゃんが昏睡状態になってすぐにさつきさんは……」

 

「さつきに何があったの!教えてよ(メイ)ぉお!!」

 

 すると妹はさつきさんのお腹を指差し、さつきさんは何やら恥ずかしそうに赤面する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じ、実は私……妊娠していたの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 CどころかK点から大気圏までウルトラジャンプしてたあああああああああああ!!!

 

 

 ――”俺”は、お前がいれば一生童貞でもいいや。

 

 

 妹から驚愕の新事実を打ち明けられても、俺はなぜか自分が童貞であることを疑わなかった。確固たる自信を持って俺は童貞であると断言できる。めっちゃ童貞だったはずだよ!俺は!!

 

 やはりこの世界は何かがおかしい……と、地面に伏しながら思った。

 

 発狂した俺は思わず外に飛び出て走り出したが、病み上がりの体に真夏の太陽は堪えたらしい。都会に比べればそこまで熱くはないが、田舎で涼が得られる場所は少ない。

 

 幸い近くに公民館があったのでしばらく休ませてもらった。公民館とは集会所兼、教育施設みたいなものだ。祭りの寄合や小学校の行事でよく利用されている。そういえば、小さいが体育館や図書室も併設されていたな。

 

「やはり無いか…」

 

 図書室で漫画を漁ってみたが、探していた物は見つからなかった。そもそもの蔵書数が少ないうえ、古い漫画が中心だ。しかも漫画の大半が横山光輝と手塚治虫が占めている。さきほども小学生とすれ違ったが「いやぁ乱世乱世!」「アブトル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク!」と会話内容が昭和時代まで退行していた。

 

「アレクサンドロス大王…アーサー王…?」

 

 手慰みに横山三国志を読破していたら、いつの間にか西洋の歴史書に行き着いたようだ。別に興味はなかったが、タイトルを一瞥して何となく気になった本を手に取ってみる。

 

「ローマ皇帝…ネロ・クラウディウス」

 

 ローマ史に暴君としてその悪名を轟かせた皇帝。有名な人物だが、彼について詳しく知っていることはなにもない。本は辞書のような厚みだったが、珍しく俺は覚悟を決めてその本に没頭した。

 

 毒婦アグリッピナの傀儡だった幼少期。

 

 義理の妹オクタヴィアとの婚姻。

 

 義父の死後、皇帝へと即位。

 

 家庭教師のセネカとの出会いと五年の良き時代。

 

 義弟ブリタニクスの毒殺。

 

 アグリッピナの殺害。

 

 女王ブーディカ率いるイケニ族の蜂起と制圧。

 

 オクタヴィアの自殺。

 

 ローマ大火。

 

 芸術と放蕩の日々。

 

 キリスト教徒迫害と使徒の磔刑。

 

 そして……。

 

 

 

 

「お兄ちゃん…何しているの?」

 

 

 

 

 背後から本を取りあげられた。妹はひどく感情のない瞳で俺を見下ろしている。気付けば窓から茜色の夕日が差し込んでいた。

 

「どこか痛いの?」

 

「え?」

 

 頬が濡れている。持っていたハンカチで拭っても、それでも涙が溢れて出た。

 

「分からない…ただ」

 

 俺はただ、この人達の最後があまりにも悲しいと思ったんだ。

 

 

 ――早く戻るぜよ!あん世界へ!

 

 

 俺はどうしたらいいのか分からなくなった。自分の知らない間にできた子供に会う覚悟なんてあるはずもなく、俺は記憶喪失を言い訳に妹宅に留まり続けている。ひたすら都合のいい、甘い現実がずっと続いていくだけの日々。それをずっと望んでいたような気もするから、余計混乱した。

 

「あー、ひまだぁ」

 

 最近は公園のベンチに腰を掛けて一日が過ぎるのを待っている。そんなことをしている間に一か月が過ぎていた。

 

 そろそろ仕事に復帰しなければならない。いい加減、自分の子供に会って、さつきさんのご両親にも挨拶しなければならないだろう。まるで宿題を終えずに夏休みが一瞬で終わってしまったような感覚だ。

 現実と向き合う時がきただけの話だが……ここが現実なのかいまだに実感が持てない。ただの現実逃避なのか、あるいは……。

 

「ちょっと隣いいですか?」

 

「え、ああ…どうぞ」

 

 急に通りすがりの男がおれの隣に腰かけた。気のせいか、俳優の田中○次に似ているような気がする。男は俺が俳優の木村拓○に似ているとか言ってきたが、まったくそのようなことはない。

 

 しかしこの炎天下の中、ベンチにむさ苦しい男二人が同席するのは絵面だけむさ苦しい。近くにキンキンに冷えたジュースでもあればいいのだが、悲しい事に近くに自販機はない。

 

「あるよ」

 

 俺の表情から喉の渇きを察したのか、男はどこからかキンキン冷えたジュース取り出し差し出してきた。なぜ持っているのだろう。

 

「実は悩みがありまして、聞いてもらえますか?」

 

「は、はぁ…?」

 

 男はなぜか唐突に悩みを打ち明けだした。自分の経営している居酒屋に酒を全く注文しないで、普通は置いていないような物を頼むひねくれた客がいて困っているそうだ。おかげで酒以外の物が充実していると評判の居酒屋になっているらしい。店主としては嬉しいやら悲しいやらで複雑な心境のようだ。

 

 俺はなんてひねくれた客だと驚いたが、どこか身に覚えがあるような気がして逆に申し訳ない気持ちになった。

 

「ふっ」

 

 そんな俺の様子を見て、男はどこか満足そうな表情をして立ち去って行った。

 

「たまには酒も飲みに来てくださいよ――○○○○さん」

 

「え、ちょ……ちょ、待てよ!」

 

 最後の言葉だけがなぜか聞き取れなかったが、その言葉がひどく俺を動揺させる。俺は男を追いかけようとしたが、男の姿はどこにもなかった。

 暑さのあまり幻覚を見たのかと思ったが、キンキンに冷えたジュースが男の存在を裏付けている。

 

「隣いいですかな?」

 

 すると今度は老齢の男性が隣に腰かけた。流暢な日本語だが、老人の顔つきと目の色から外人であることは容易に察せられた。

 老人はなぜか俺がジョジョ五部のアバッキオに似ていると言い出したが、そんなことはない。典型的なアジア人顔である。

 

「実は悩みがありまして、聞いてもらえますか?」

 

「…またですか」

 

「はい?」

 

「い、いえ…なんでもないです」

 

 老人の悩みというのは、別れた奥さんの話であった。自慢の奥さんであったが、別れてすぐに別の男にゾッコンになって胡散臭いアイドル活動と女子バスケに夢中になっているらしい。いい歳してフリフリの衣装に身を包み、謎の言語を話す設定のパッション系アイドルというのだから手におえない。

 

 そんな無駄に重い話をされても困ると言いたいところだが、不思議とこれまた身に覚えのあるような気がしてすごく申し訳ない気持ちになった。

 

「それでもワシは彼に感謝している。あんな風に笑う妻をワシは見たことが無かった……あの日見た黄金の意志は、やはり間違いではなかったんだ」

 

 話し終えた老人はどこか満足げな表情をしている。不思議と、俺はその顔に見覚えがあるような気がした。日本ではない……どこか外国の土地で魚面の教団と対峙した際に俺はこの老人と会ったような記憶がある。海外旅行など一度もしたことがないはずの俺がだ。

 

「彼は立派にやったんだ。ワシが誇りに思うくらい、立派にね」

 

「爺さん……あんたは」

 

 その先の言葉を遮るように、公園の近くに停車したバスがクラクションを鳴らす。炎天下だった真夏の空が、陰鬱なもののように感じた。まるで今にも落ちてきそうな空だ。

 

「ワシはまた、終点に戻らなくてはならない。だから、君の疑問は次に来る男に託すといい。あの男ならきっと君の望む答えに導いてくれるはずだ」

 

 俺が止める間もなく老人はバスに吸い込まれていく。なぜかもう二度と、老人とは会えない気がした。

 

「そしてもし、ワシに負い目を感じているなら気にしなくていい。だからどうか、ワシの分まで彼女を愛して欲しい」

 

 老人が去り際に放った言葉に対し、俺がとっていたのは「敬礼」の姿であった。涙は流さなかったが、無言の男の詩があった。

 

 少しして、老人の言った通り男が現れた。恰幅の良い中年のおじさんで、正面から見ると全体的に丸いシルエットをしているのに、横から見るとやたらと角ばった顔つきをしている。もはや同じ人間なのかと疑いたくなるくらい画風の違う姿。そしてジョジョ並にうるさい擬音も纏っていた。

 

「ちょっと隣いいかな?」

 

「…どうぞ」

 

 おじさんは当たり前のように俺の隣に腰かける。向かい側にもベンチはあるというのになぜこのベンチに人が集まるのだろう。

 

「あれ、お兄さん……俳優のあの人に似てるとか言われない?ほら、阿○寛さんとか」

 

「ないですね」

 

 さっきから人相バラバラじゃねえか。いったい周りからどんな風に見えているんだ。

 

「あの……おじさん」

 

「ん?」

 

 本当にこのおじさんに悩みを打ち明けて良いのだろうか。一見、柔和な雰囲気をしているが、人生経験からこのおじさんに蛭に似た厄介な悪意を感じる気がする。だが……。

 

「ちょっとした人生相談なんですけど、聞いてもらってもいいですか?」

 

「うーん……まあ、いいよ。まだ時間はあるし、おじさんもこう見えて結構人生経験豊富だからね」

 

 俺は先ほどの老人の言葉を信じて自分の中で燻っているものを吐き出す決心をした。

 

 ずっと、ある場所に戻る為に長年働いてきたこと。

 

 酷い職場環境で上司は無理難題ばかり言うブラックな会社であったこと。

 

 辛いこともあったが、いいこともあったこと。

 

 大切な仲間との出会いと責任ある立場になったこと。

 

 戻りたいと願った場所がすぐ近くにあること。

 

 どの道を選べばいいか分からなくなったこと。

 

 俺は誰にも話せずに抱え込んでいた葛藤を全て吐き出した。

 

「そうか……君も大変な苦労をしていたんだなぁ。おじさんも似たような経験しているから分かるよ」

 

 おじさんは俺が話し終えるまで黙って聞いてくれていた。おじさんも何やら似たような境遇らしく、借金返済の為にとある地下施設で過酷な労働をしているらしい。

 

「どの道に進めば良いかなんて、他人であるワシから言えん。そもそも人生の選択肢に完全な正解などない……未来は未知。未知故にどの選択にも後悔や失敗というのは可能性として必ずある……!」

 

「……」

 

「――だが、たとえ失敗してどん底に落ちたとしても人間には這い上がる力がある……!目標を失っても、多額の借金をしても、そこから這い上がっていく力が必ずある……!ワシと同じ君になら、きっと出来るはずだ……!」

 

「おじさん……!」

 

 おじさんの言葉には今までの取り繕ったような優しさや嘘は感じられなかった。真剣な言葉と熱量。その言葉にはおじさんの経験と人生によって裏付けられた確信と哲学が感じられる。

 

「それでもくじけそうになったら、その時はワシがキンキンに冷えたビールでも差し入れにいくさ……135mlだけどね……!」

 

「おじさん……」

 

 優しいのかケチなのか分からん親切心だ。

 

『ピピー!ピピー!』

 

「おっと、そろそろ時間だ。ワシはそろそろお暇させてもらうよ」

 

 時計のアラームがなると同時に黒ずくめの男たちが現れ、まるでおじさんを連行するよう指示を出す。おじさんは慣れた様子で男たちについて行った。

 

「ま、まって!おじさんの名前は……!」

 

「ワシかい?ワシの名前は――」

 

 彼の名前は大槻太郎。またの名を班長大槻。

 本作4話のエピソード投票において1800票越えを記録した平たくて丸い顔の男である。




 まさかの3年ぶりの誰得な複線回収。本編はあと2、3話で完結予定です。


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