ーーーいいかい、〇〇さん。
思い出した。
ーーー難しい話だけど、君は一人の人間だ。
小学生だった時の私に、そう言ったのは。
ーーー人間誰しも、悩んだり泣いたり、笑ったり嬉しくなったり。
夕日が沈む姿を背景に、秘密の丘の上でそう言ったんだ。
ーーー感情というものがね、大人になるに連れてハッキリしてくるんだよ。
記憶には無い、誰かから私に向けられたにこやかな顔。
ーーー子供のうちって言うのは、感情って言うものが分からないから、ついついその時の流れに流されたり、自我を思うようにコントロール出来ない。
温かく、いつも私の味方をしてくれた彼の微笑んだ顔。
ーーー子供は面白いと思った事は、不思議と周りの子供達に写ってしまう。
ーーーそれが悪いことに繋がってしまうとも知らないままね。
そっと、頭を優しく撫でる。
ーーーこうなってしまったのも、全部教育が出来なかった先生達、大人が悪いんだ。
ゴツゴツした、大人の男の人だと分かる硬い掌が少し心地いい。
ーーーどれだけ謝っても、どれだけ尽くそうとも、多分君は一生身体と心に受けた傷を背負っていかなくてはならない。
多分、この時からこの人の事を信じられたのかもしれない。
ーーー無責任だと、巫山戯るなと、いくらでも怒ってくれて構わない。
いや、それ以前からこの人の事を心の片隅で信じていたのかもしれない。
ーーー俺も一人の人間だ。そして、教育者でもある。
父親の代わりのような人であり、一人の教師。
ーーー子供を大人に導くのが教師の、教育者としての役目だ。
今なら言える、私の尊敬出来て頼りになる、大好きだった人。
ーーー〇〇さんの傷ついた姿を見ると俺はとても辛い。無論、君だけという訳では無いが、君も例外じゃないんだ。
ーーー辛い時は俺に言ってくれ。一緒に解決しよう。
ーーー悲しい時は言ってくれ。その悲しみを和らげるから。
ーーー楽しいと思ったことを教えてくれ。俺も君と一緒に楽しくなりたい。
ーーー頼ってくれ。そのために、俺は君の近くで成長を見届けるんだから。
ーーーだから〇〇さん。
ーーー『ーーーーーー。』
初めて思う、ずっと一緒に居たいと思った人なんだと。
思えばあの夏の日。あの日さえ無ければ私はあの人と別れる事なんてなかったはずだったのに。
どうしようもなく、それが脳裏を駆け巡る。
勇者に選ばれた瞬間思ってしまったどうしようもない感情。
何故、あの人が
あの白い化け物を見るといつも最初に浮かぶ感情。
あの化け物達を根絶やしにしたいと思う反面、今まで助けて貰った、救ってもらった筈の恩を返せないまま、最後まで私を助けてくれたあの人に何も出来なかった無力な私を殺したいと思ってしまう。
あの人は私に生きろと言ってくれた。最後まで諦めるなと言ってくれた。
………幸せに、なれと言ってくれた。
瞼を閉じると鮮明に声が聞こえる。それがとても苦しくて、悲しくて、涙が止まらなくなる。
私にとってどれだけあの人が大きな存在なのか、自分自身で一番理解出来る。
でも、私はもう足踏みしてはいられない。
あの人が残した思いを、私に向けて言った願いを叶える為に。
私は、勇者として歩んで行くのだ。
ーーーこれは、町の人々から蔑まれた少女と、最後まで少女の味方で有り続けた一人の教師の物語である。
大人として、子供を導く。
至極当たり前の事だが、それが出来ていないのがこの街の現状。
1人の教師は少女の味方をしつつ、教育者としての姿を示す為に、子供達を導いていく。
そんな物語である。
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新たな先生
目指せほのぼの
今日も鬱な一日が始まる。
目が自然と覚め、少し怠い身体をゆっくりと起こし、ふと
丁度7時を指した針にため息を吐き、もう一度ゴロンと布団に寝転がる。
今日は新学期初日。5年生に上がり、新たな小学生生活が始まる。
前日が春休みだった事もあり、もっと休みたいと憂鬱になりながらも自然と身に染みた生活リズムが憎たらしく、もっと寝たいという欲求が悶々と頭を過る。
が、彼女はそれ以上に嫌になる事があった。
普通、新たな学年に上がる子供達はワクワクとドキドキでいっぱいだ。友達と一緒のクラスになれるのか、好きなあの子はどのクラスなのか、どんな先生なのか。真新しい事がやって来ることに楽しみで仕方がない。
しかし彼女は違う。
彼女は、一言で言えばいじめを受けていた。母親の不倫から始まった事件が、身内内から一気に広がり、町中に広がってしまった。
それによって大人達からは蔑まれ、子供達からはいじめの対象として認識され、辛い思いを日々していた。
無論、子供達は楽しいからしているという、子供の頃特有の感情によるもので決して悪気があってやっている訳では無い。ただ単純に楽しいからやっているだけ。
それ故に彼女は心に傷を負う出来事になっている。
「…………」
まるで
友達のいない彼女にとっては、それが唯一の娯楽である。
登校時間までの時間、
それが彼女、
5年2組。それが今年の彼女の教室であった。
既に他の子供達は新しい教室に入り、そこで見つけた新しい同級生達と話をしたり、手遊びなどで距離を縮めていた。
千景は登校時間ギリギリに登校。
無論その輪のどれかに入る事など出来るはずもなく、廊下に張り出してあった席に音もなく座る。
その姿は教室の誰もが目にし、馬鹿にしたような目で、蔑むかのような目で千景を見つめ、小さく、それでいて本人にも聞こえるかのような声でボソボソと話し始める。
「また『いんらん娘』は1人だぜ」
「クハハッ、腹痛てぇよ」
「なんであの子と一緒のクラスなのよ……」
「あーあ、あの女と一緒かよぉー」
耳に入れたくなくても入ってくる嫌味の数々。
耳を塞ぎたいが、それだと何をされるか分かったものでは無い。目を瞑ろうにも、前に石を投げられた事もあって目も瞑らない。
ただひたすらじっとするだけ。何も言い返す事もせず、何もしない。
早く放課後になれと、心の中でずっと呟く。
ボロボロになった上履き。鋭利な刃物で傷つけられた赤色のランドセル。洗濯する人がいないので自分で洗濯したしわくちゃの服。
これを見るだけでも、彼女はどれだけ周りから被害を受けているのかは明白である。
しかし、誰も味方しない。全てが敵である。
今年も憂鬱な1年が始まるのだと、千景は諦めを込めて脱力した。
8時15分。先生がやってくる時間だ。
春休み前の終業式で転任する先生とその入れ替わりで入ってくる先生達の紹介を受けていたが、どの先生がやってくるかは分からない為、千景を抜いたクラスのメンバーはワクワクでいっぱいであった。
千景がその一人でないのは、先生達自体イジメに対して何もしない体。見て見ぬ振りをし、まるで居ないかのように扱う始末。
何故そんなにも酷い扱いが出来るかは神のみぞ知るが、千景にとっては物凄く迷惑極まりないのである。
自然と席に座る子供もチラホラ出てき始め、話題は全て新しい先生の話。千景に対する話題でないことが、千景にとってはとても有難いことである。
ーーーガラガラッ
不意に今日の扉が開く。子供達の視線は扉に向けられた。
「ーーーよーし、みんな席に着いて!!」
入って来たのは男の先生。少し黄色がかった長い茶髪後ろに纏めたオールバック風の髪型。少し焼けた肌にがっちりとした体格。春先で少し肌寒さも感じる中で、半袖半ズボンというラフな服装。完全に体育会系の先生だと分かる見た目の先生であった。
顔立ちも中々にいいと思う。クラスの女子達が頬を赤める程にはいい顔をしているのだろう。
しかし千景にとってはとても嫌な相手であった。
この手の先生は千景だけに生き恥をかかせることが多い。体力が無い千景は、体育でビリだと他の子と比較される事が前に何回かあったのを思い出す。
それがどれだけ辛かったのかは本人しか知らないが、千景にとっては嫌な先生である。
壇上に立った先生は、教卓にクラス名簿をおき、チョークを手に取って黒板に板書し始める。
「えー、先生の事を見たのは多分春休み前の終業式だと思うけど、覚えてるかな?」
板書しながら話す先生。書く文字はとても大きく男らしい。
「まぁ改めて自己紹介するから思い出さなくてもいいんだけどね」
最後の一画をしっかりとした払いと共に、チョークを置いた先生はにこやかな笑顔で振り向く。
「今日から1年間、このクラスで教鞭する事になった
ぱちぱちとクラス中から拍手が巻き起こる。無論千景も小さくだが拍手をする。
だが千景の予想通り体育を教鞭すると来た。千景にとって宜しくされたくないのが若干の本音である。
「じゃあ何か質問あるかな?あったら手を上げて、当たったら名前をフルネームで言ってから質問してください」
瞬間にバッと手が多く上がる。何度もハイハイッと手を上げたり、立ち上がってアピールする子もいる。
まるで幼稚だと千景は呆れ、机に突っ伏した。
「じゃあそこの元気のいい君にしようかな」
「うっしゃーっ。えーと、すずきしょうたです!!サッカー好きですか?」
「サッカーね。先生はサッカーよりも野球とかが好きかな。でも昼休みとかの時間にやるなら先生も誘ってくれると嬉しいかな。はい次」
入れ替わるように手が上がる。
先生は今度は教卓に近い女子を当てた。
「あの、櫻木亜子って言います。彼女さんとかいますか?」
「うわぁー、流石にそれは生徒の前では言えないなー。まぁ言っちゃう。彼女はいないよ」
少し笑いを交えた話に、クラスの子供達は自然と惹かれていっている。
冗談交じりに話す犬吠埼先生はとても親しみやすいんだろう。面白いことに惹かれる子供にとってはとてもいい先生だと思うが、千景は次第に膨れ上がる胸の痛さに顔を顰める。
これ以上クラスの中が1つになって行くと、余計に千景のいる場所がなくなっていく。無性に腹立たしく、それでいてとても辛い。
もどかしい感情が千景の心を強く苦しめる。
それから幾つか質問を受けた先生は笑いと冗談を交えて答えた後、時計を確認して質疑応答を打ち切った。
「じゃあそろそろ時間なのでここで終わります。次は学年集会だから体育館に移動するぞ。その後教科書とか配るからなー。今日は重たいランドセルを背負う事になるぞー」
ええーっと肩を落としたクラスの声。新学期初日はこれがあるから鬱になるのだ。
先生は生徒達の姿にまるで意地悪成功と言わんばかりの笑顔になる。
「じゃほら、廊下に並べ。先生がこのクラスになった以上、どのクラスよりも1番になるぞ」
『はーい』
子供達は次第に机の横にかかった体育館シューズを手に取り廊下に出始める。
千景もそれに習い、他の子達が居なくなり始めた頃に動き出したのであった。
多分次で先生と絡むかもしれん
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犬吠埼先生
あくまでこれは自己満だ。勇者となったちーちゃんに、他の思いを持たせて幸せを掴んで欲しいという妄想だ。
何度も言うが作者の自己満だから他の意見なんて知るかゴラァ!!(尚ガバガバ設定の模様
いじめする奴には慈悲はねぇ!!
あれから2日立った。
いつものように虐められる日々を送った千景は、今日も登校時間ギリギリに学校に向かう。
昨日に続き、ロクなものを殆ど食べてない千景は、少し身体のだるさを感じながらゆっくり歩く。
学校に着いてもそれは変わらない。それを面白がるようにトボトボと歩く千景を、周りの子供達はヒソヒソと陰でニヤついた笑みを浮かべながら話していた。
教室に入り、
「ーーーあら、郡さん。相変わらず汚い格好をしてるのね」
女子生徒が千景の前に、ニヤついた笑みを浮かべながらやってきた。
女子生徒、新田美優は千景を虐める1人であり、クラスの女子グループの中心人物である。そんな彼女を千景は表情には見せないが、心底毛嫌いしている。
「……好きでこんな格好してるわけじゃーー」
ーーーバチンッ
乾いた音が響く。同時に千景は頰を叩かれたと理解する。
「何喋ってるのよ。口を開かないで、汚れるわ」
美優の辛辣な言葉。初めてでは無い罵倒は千景の心と体に傷を負わせる。口元を三日月のように引き伸ばしたゲスの笑み。思わず涙が込み上げてくるがなんとかグッと堪える。
無論何か言うとまた叩かれるので千景は何も言い返さない。
「ほら、何か言ってみなさいよ。叩かないでって、やめてって、泣きじゃくりなさいよ」
蔑むような目。しかし決して目は合わせない千景。目を合わせると余計に突っかかってくるからだ。
ああ、自分が嫌になると、心底思う千景。
周りの光景が視界に入ってきた。どの子もせせら笑い、誰も彼女を非難する事なく千景だけを腫れ物のように見つめていた。
これだ。これが嫌だ。
自分だけ仲間外れのような感覚。これが怖い。どうしようもなく怖いと思ってしまう。
人間は群れる生き物だ。1人群れから外れれば生きていくことは困難になる。が、千景にそんなことが分かる事もなく、ただ1人だけ取り残されている事に恐怖している。
「つまらないわね。前まで泣きじゃくって面白かったのに。ならもう一度ーーー」
「ーーー皆、おはよう。さぁ出席取るから席に着いて」
振りかぶった手を動かす前に、大きな声で入って来たのは担任の犬吠埼先生だ。美優は舌打ちをしながらも自分の席に戻っていく。他の子達も既にこちらに目線は向けていない。
少しだけ、千景は先生に感謝した。
「出席取るぞ、安藤ーーー」
それから出席確認が終わり、先生がプリントを配布した。千景は窓側2列目の後ろから2列目。後ろにもう一人女子生徒がいるが、彼女はいじめをするような性格ではないと分かっているため、千景は心底安心している。
プリントを配られる中、自分にプリントが回ってきた。が、1枚足りない。多分前の席の子が1枚多く持っているのだと思い、そのままプリントを後ろに回した。
そう、いつもと変わらない。昨日もそうだ。先生もどうせ気付くことは無い。気付いたとしても見て見ぬふりが普通だ。だから千景は全く気にしない。
「よっしゃ、後ろまで回った……ん?おいそこ、確か……郡さんだっけか?プリント無いじゃないか」
「……えっ」
「プリント無いなら言ってくれよ。おっかしいな……職員室で人数分に分けたと思ったんだが。すまんな郡さん、今度から気を付けるよ」
自然に、先生はプリントを千景の元まで持ってきた。差し出されたプリントを両手で受け取る。
何故か、この一連の先生の動きに嬉しくなった自分がいた。
「……あの、き、昨日と一昨日のプリントも無くて……」
「うぇっ、マジか。それはそうと早く言ってくれよ。取り敢えずそれはこの授業終わってから一緒に職員室行くぞ」
ついプリントが全て無いことを言ってしまった。
しかし先生は怒ることなく、困ったような顔だけして戻っていく。
再び千景は嬉しくなった。今度は理由がちゃんと分かった。誰かとお喋り出来た事に嬉しさを感じたのだ。
「じゃあ今配ったプリントを見てくれ。今配ったのは今年一年間の行事をまとめたものだ。去年は知らないが、今年は清掃活動が年3回あるぞー」
「せんせー、去年もしたよー」
「あれ?そうなの?じゃあ皆が楽しみなのは研修旅行か。今年はどこ行くかはまだ決まって無いようだし、本州にでも行くかもしれないな」
旅行、そう聞くと千景は顔を顰める。
去年は工場見学で香川県の饂飩製造会社を見学したが、千景はその見学には行かなかった。
理由は言わずもがな、言ったところで何をされるか分からないからだ。旅行になってもそれは変わらない。班行動を1人でさせられるのがオチだ。悔しい気持ちもあるが、自分を守る為にその日は休もうと決意する千景。
そんな千景を他所に、クラスでは話がどんどん進んでいく。
「いやー先生的には運動会が一番楽しみだな。やっぱ子供は元気に動き回らなきゃな。先生がこのクラスの担任になったからには、学年優勝目指すぞ!!」
プリントに書かれた枠内を見てみる。運動会は6月になっている。早速鬱な行事が来たものだと、千景は静かに息を吐く。
もういっその事学校をずっと休んでいたいと思うが、千景は何故かそれをしない。何度か傷付けられた体の手当で連続で休んだ事もあったが、それをするとどんな事を言われるがわかったものでは無いので、表面上は真面目に学校に行く。筆記用具や一昨日貰った教科書は持ってきても隠されるだけなので持ってこない。ランドセルの中はいつも空っぽなのだ。
「じゃあプリントしまってくれ。さぁ今日はクラスの係決めをするぞ。多分去年とあんま変わらないかな。あるとするなら、5年生になったことで委員会に入る子も出てくるから、その委員会の委員長副委員長を決めるための選挙管理委員ってのがあるぐらいかな」
どうせまた余り物に入れられるだけだ。しかも面倒なものに。正直嫌だが何か言おうものなら後で殴られるだけ。
千景は静かに授業の終わる鐘を待つだけであった。
「まずクラスのメンバーを引っ張る学級委員を決めたいんだが、誰か立候補はいないか?」
学級委員は余り人気がない。事ある事に視界をしたり、放課後残って先生と色々やる時があるからだ。多分男女1人ずつでやる学級委員は、男女共に人気は低い。
「あらら、誰もいないのか。じゃあ先生が指名しちゃってもいいのかなぁー?」
先生の独断で手早く事が進む。意地悪顔でクラス全員を挑発。子供達は顔を顰めるしかない。
「じゃあ勝手に決めまーす。……そうだな、じゃあ
「……っ、えっ」
思わず目を見開いた。それもそうだ。今までそんな事は1度たりともなかった。精々雑用係程度だったのに、今先生は学級委員を千景に指名したのだ。
「因みに係の数とクラスの人数の関係で学級委員は一人でやってもらうから。大丈夫大丈夫、難しい事はしないよ」
しかも一人でやる事になった。
そりゃ、誰かとやるよりかは一人の方が何もされないから心身的にはゆっくり出来るかもしれない。
だがよりによって学級委員とは……。
「それじゃあ郡さん、前に来てくれ」
先生に呼ばれ、体を硬くしながら前に歩き出す。
クラスメイトの間を通る間、聞こえるクスクスと小さな笑いを我慢しつつ先生の横に立つ。
クラスメイトの視線が自分に向いている事に身体を縮こませ、思わずTシャツの裾をギュッと掴む。
「緊張し過ぎだよ。リラックスリラックス〜」
ポンッと肩を叩く先生。心做しか痛くはなかった事に驚きつつも、足元を見る目線は変えない。
「じゃあ学級委員は郡さんに決定。皆拍手ー」
パチパチパチと少ない音が聞こえるが、今の千景にそんな事を気にしている余裕は無い。
早く席に戻りたり。その一心で早足で戻ろうとする。
「おっと、待ってくれ郡さん。せっかくだ、早速初仕事と行こうか」
千景の肩を優しく掴んだ先生は、紙と鉛筆を差し出してくる。
「前でこの紙に誰がどの係になったか書いてくれよ。勿論、綺麗な文字でね」
そう言うと、教卓に紙と鉛筆を置いた先生は椅子を用意した。
ここに座れということらしい。どうせ席に戻っても視線は尽きないからあまり変わらないからと思う千景。
なるようになれと千景は椅子に座る。
すると先生は千景の前に立って話の続きを開始した。
思わずえっとなってしまうが、視線が少なくなった事に千景は少しだけ感謝しつつ、係を紙に書いていく。
何だか、初めての感覚で千景は無意識にワクワクしていた。
1時限目が終わり、先生の号令で挨拶を終えた後、千景は先生と職員室に向かっていた。
先生が前を歩き、その後ろに千景が歩く。
「いやー、さっきは突然指名しちゃって悪かったね。でも、変えるつもりはないから、そこんとこよろしく頼むよ」
「……あ、はい……。よ、よろしく、お願い…します」
先生はどの先生よりも優しい。授業中も、みんなを笑顔にするのが上手かったし、本人も楽しそうだった。
ふと先生の背中を見上げる。とても大きな背中だ。とてもじゃないが登れない。体を動かす事が好きだと言った先生は、まるで肉体がそれを語っているかのようだった。
「でも不思議に思うだろ?なんで郡さんを指名したのかって」
「……はい。私自身、そういうの……やった事ない、から」
不思議に思うのはやはり学級委員に指名されたことだ。
正直面倒だと思う。何故自分からクラスメイトに関わって行かなくてはならないのかと。これではより虐められる事が多くなるだけだ。
「まぁ理由は簡単だ。君はあまり前に出ることをしない。自分の殻に閉じこもってる。さっきのプリントが足りなかった事を自分で言えないのは流石にまずいと思ってさ。だったら学級委員をやる事で少しでも社交的になれればなぁーって思ったからさ」
その理由に、千景は落胆した。
多分先生は千景がいじめを受けていることをまだ知らない。だからそんなことが言えるのだ。純粋に教師として生徒を思いやる気持ちでそう考えてくれたのだろう。
が、千景にとってそれはありがた迷惑だ。何故いじめられるところに自ら進まなくてはならないのか。まるで肉食動物の前に肉を放り投げるのと大差無いではないか。
千景は、何処までも真っ直ぐな先生に感謝しながらも、余計な事をした先生に対して嫌気な感情を持った。
「まぁだからって言って、すぐどうにかなるとは思わないよ。郡さんがどれくらい自分を直したいかでこれからの成長は変わるからね」
「………そう、ですね。ありがとう……ございます」
「はははっ、素直でいい子だぞ。……しかし、この学校の職員室ってなんでこう遠いかな。いちいちグルグル回るのが面倒臭いな」
優しい先生だと思う。だが千景にとっては邪魔になりえる存在。
千景自身どう思ってるか全く不思議な所だ。
「ところで郡さんーーーっと」
「ーーーっ、キャッ」
突然曲がり角から女性の先生がやって来た。
先生は難なく避けるが、千景は間に合わず尻餅をつく形で倒れてしまう。
「あら、ごめんなさい先生」
「いえ、気にしてませんよ。しかし、郡さんがーーー」
「では失礼しますね」
何食わぬ顔で先生に謝った後立ち去る女性教師。
倒れた千景には何も言うこと無く立ち去った。慣れている千景でも、いつもいつもそうされるのは悲しくなる。
しかも現状を知らない犬吠埼先生の前でそうしたのだ。何だか悔しくて仕方が無い。
「……なんだあの先生。自分のせいで生徒が倒れたのに何もなしとか……クズ過ぎるだろ」
そう言うと、腰を屈めて千景の手を取った。思わず惚けてしまうが、初めての事故許して欲しい。
ゆっくりと立ち上がらせた先生は立ち去って行った女性教師の方を向いて、顔を歪ませていた。
「ーーーあの先生、マジ教師向いてないんじゃねぇのか……?」
その顔は、千景がいつも先生達から向けられているゴミを見るような表情。更に先生は青筋をたて、怒気の篭もった表情をしている。
咄嗟に、千景は先生の手を両手で握る。
「……せ、先生!!先生が、そんな顔……しないで…」
千景にとっては見慣れたような表情だが、犬吠埼先生は別だ。
先生は本気で今怒っている。表情も千景に向けられるものだ。だがそれは、あくまで千景を腫れ物同然に思っている大人達がする表情だ。
千景を腫れ物と扱わず、1人の生徒として扱ってくれる先生に、そんな表情は似合わないと思う千景。
無意識のうちに、優しい先生である彼にそんな感情を持って欲しくないという我儘を持ったのだ。
「せ、先生は……いつも、優しい……から。わ、私は大丈夫だから……、いつもの笑顔に……なって、ください」
言ってて恥ずかしいと思う千景。
しかし、他人に対してここまで思い入れた事など初めてだ。
さっきの件で先生は千景の邪魔になりえると思ったが、それ抜きで千景は先生が笑顔でいてくれる事を願ったのだ。
それを無意識のうちに思ったからとどういう事でもないのだが、確実に千景の心は少しずつ変わっているのだと確認出来る。
「……あ、ああそうだな、ありがとう郡さん。だが、本当に大丈夫か?あの状態からの倒れ込みだと、無意識に手を着いて手首を痛めることが多いぞ」
確かに手首は痛いが、それは日常的に受ける心身の傷に比べればどうということは無い。
が、気にすれば気にし出すほど痛くなってきた。
「泣いてるじゃないか。ほら、保健室に行くぞ。湿布を張りに行こう」
職員室から進路変更し、保健室に向かおうとする先生。
その先生の姿に、何処か幸せを感じる千景であった。
ホノボノ目指すぞ!!
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先生の思い
そして伸びよこの小説!!
この学校に来て、少し違和感を覚えた。
別に何処も彼処も普通だ。唯一前の学校と違う点をあげるなら都会か田舎の違いによる生徒数だろうか。
緑豊かで空気も美味しいし、静かな所が意外と好きな俺にとってはありがたい学校であるのは確かだ。
しかし、どうにも解せないと思ってしまう。こう、喉元に引っかかって取れない感じがある。
クラスの雰囲気はいいと思う。が、どうにも違和感がある。
先生方も悪い先生では無いと思う。が、郡さんの一件からどうにも違和感を感じ始めた。
ただの思い過ごしだと思いたい。初めての土地で少し神経質になってしまったかもしれないな。
もう少し様子をみてみることにする。
この違和感をもう少し気にしていれば、俺は郡さんを傷付けずに済んだかもしれない。そう思った頃には、既に事は起きていた。
給食の時間になった。
千景にとってはあまり好きではない時間。
確かにお腹は減っている。しかし、今日のいじめを考えると何をされるか分からないのでとても怖い。
しかも今日は給食当番だ。「いんらん娘がよそったものなんて食えるか!!」「俺の食べ物に触れるな!!」。何度も言われたその言葉。先生は先生でそんな状況を見て見ぬふりをし、早く仕事をしなさいと行ってくる始末。
給食の時間、しかも給食当番と言うダブルコンボ。給食当番の子の給食は他の人がやってくれるのだが、千景の分は誰もやることは無いと千景自身が理解している。
故に千景は手袋をして配膳する。こうすれば何も言われない。笑われるだけだ。まだマシだと、千景は心の中でそう言い聞かせる。
が、何故か千景の予想の斜め上を行く発言を聞く。
「ーーーおっ、郡さんは偉いな。流石学級委員。クラスメイトの為を考えてバッチリ手袋をして食中毒予防とは。先生じゃ考えられんな」
無論そう呟いたのは犬吠埼先生だ。
千景の前にお盆を持って立つ先生は、うんうんと唸って感心している様子。
「汚れを目立たせる為の真っ白な白衣。唾が飛ばないようにする為のマスク。髪の毛が入らないようにする為の帽子。食中毒や異物混入をしない為の装備にまだ新しい装備があったとは……。そうだな、これからは給食当番は全員手袋着用を義務付けようか」
まさかの義務付けになった手袋着用。
千景は思う。何故この人は無意識に私を助けてくれるのかと。どれだけ自分を見ているのかと。嬉しさの反面恥ずかしさが込み上げてくる。
「えー、なんだよ先生。手袋なんてしなくていいだろー?」
「ふふふっ、甘いなお子ちゃま達よ。君たちの事だ、爪はあまり切っていないだろう?」
「えっ?そりゃー面倒だし……」
「爪には大量の菌がいるんだ。5ミリ単位でその量は何十倍となり、とても不衛生な部分になるんだぞ。もしその爪の菌が体の中に入ってみろ。お腹壊したり病気になるぞ〜」
「うぇー、病気なんかになりたくねぇ。今日の給食当番全員手袋しろよなぁー」
「はぁー?面倒だし嫌だよ。俺は昨日爪切ったから大丈夫だもんねー」
「でもお前手洗ってなかったじゃん!!」
「うわっ、きったねー」
一気に広がる手袋つけろ派とつけたくない派。
千景の予想だにしないことが何故か一人歩きで爆発した。
先生はこれを狙っていたのか。いや多分偶然だ。それこそ、まだ千景の現状を理解してない先生は、無意識で千景を褒めたのだろう。学級委員と言う立場を指し、千景を見習えとでも先生は言いたいのだろうか。どっちにしても、千景にとってはなんとも言えない気持ちが湧き上がる。
「取り敢えず配膳進めてくれない?郡さん、多めに頼むよ」
千景の今日の担当は副菜だ。1週間でローテーションして行う配膳。
副菜は1番子供が残すと言ってもいい。先生はそれを見越したのかそれともただ食べるのが好きなのか分からないが多めに注文する。
多分残るだろうと思った千景は山盛りに前菜を盛る。
「おっ、気前がいいな郡さんや。有難く食べさせてもらうよ」
そう言って先生は隣に移って行く。
その言葉がどうしようもなく千景の心をむず痒く刺激するのだった
配膳が終わった。
白衣等を脱ぎ、自分のロッカーに閉まった千景は自分席に着く。
案の定、机の上には
チラッと横目で周りを見る。殆どの子が隠れて笑っていた。
仕方のないことだ。慣れっこだ。だいたい給食当番の時はこうなる事が分かっていた。
だから何も言わない。何も言わない……が、千景の顔を伝う涙だけは抑えきれなかった。
先生に無意識にフォローされ、そんな自分の環境が変わっていることに嬉しさを感じたが、まるで谷底に突き落とされたような感覚。余計に淡い期待を持ってしまい、結果胸を苦しめるものとなってしまったのだと千景は思った。
どうしようもなく、悔しくて辛い、この現状に涙する千景。
無論近くの子達は手を指し伸ばしてくれることはない。
そう、
「ーーーんんん?おいおい。なんで郡さんは泣いているんだ?」
どうしようもない千景に声をかけたのは、誰でもない、犬吠埼先生だった。
食事中だった事もあり、少し今日のコロッケの匂いがするがそれは些細なこと。膝を着いて目線を合わせてくれる犬吠埼先生に、千景は更に涙を流すしか無かった。
「うぉっ、どど、どうしたんだ郡さん。何か悲しい事でもあったのか?って、おい。郡さんの給食が無いじゃないか。担当者誰だよ!」
千景の机の上に給食が無いことを知った犬吠埼先生は少し怒り気味に怒鳴る。しんと静まり返る教室内。そんな中、自分が担当だと名乗り上げる子などおらず、担当するはずだった子は口を瞑っている。
「えっと、郡さんの担当は……、小川ァ!!お前じゃねぇか!!」
「っ、はい!!ごめんなさい!!」
小川と呼ばれた子はビクッと身体を震わせた後、涙目になりながら声を枯らして返事をする。
「取り敢えずお前は放課後教室に残りなさい。幾つか聞かなきゃならないからな」
やらかした、誰もがそう思った瞬間だった。
あれほど優しく接してくれた先生が初めて見せた怒気の顔。
この先生を怒らせるのは間違いだと、多くの子供達が理解する。
「ほら、郡さん。涙を吹きな。先生と一緒によそおう」
ポケットからハンカチを取り出した犬吠埼先生は優しく涙を拭い、千景を立ち上がらせ、食缶の中を確認する。
「……全部殻かよ。仕方無いな、他のクラスから分けてもらおうか。行くぞ郡さん」
と、千景の手を握った犬吠埼先生はそのまま教室を出ていく。
残ったのは、今にも泣きそうな小川と呼ばれた少年と、静まり返った5年2組のメンバーだけであった。
それから全教室を周り、何とか一人分を用意犬吠埼先生と千景。
教室に戻ると、いつもとは違った活気のないクラスメイト達が俯きながら静かに給食を食べていた。
「さぁ郡さん。時間もあんまりないから早めに食べな」
「……はい。ありがとう…ございます…」
鼻をすすり、自分の席に着く千景。
ゆっくりだが食べ始めた千景を見た先生は、自分も給食を食べ始める。
その日は終始、一言も生徒は話さなかったという。
今日の授業が終わった。最後の担当の先生と入れ替わるように犬吠埼先生が入ってくる。が、その顔は少し不機嫌だと読み取れる表情をしていた。
生徒達もそれは十分理解していた。
給食での一件後、誰も彼もが借りた猫のように大人しくなった。
千景をいじめる事も誰もしていない。千景はその事に安堵しつつ、先生が笑顔を見せない事にやるせない気持ちになっていた。
「……取り敢えず、今日1日お疲れ様。昼は怒鳴ってすまなかった。が、俺の謝罪とそれとは別だ。まず小川、後でしっかり話すがお前は何が悪かったのか理解しているか?」
「……はい、してます」
「ならいい。次にだが、小川が郡さんの給食を用意していなかったことに気付いたのはどれくらいいる?」
先生の問いに、誰も手を挙げなかった。無論、用意されていない事を知っていた千景でさえ。
「……分かった。ちょっと聞き方が悪かったな。全員、机に伏せて目を瞑れ」
先生はそう言うと紙を取り出して何かを書き始める。
生徒達はおずおずと言った感じで机に伏せ、目をつぶった。
「顔が上がらないように両手で頭を抑えろ。絶対に上げたり目を開けたりするなよ」
両手を後頭部辺りに置き、ギュッと目を瞑る生徒達。
一見体罰のように見えるが、目を瞑ったままこういった事をすると意見が流れやすくなるので、誰も見えない状態で手を上げさせる方がより自分の意見に正直になれる。また友達関係も壊れないしいじめられるリスクも減る傾向がある。
犬吠埼先生はそれを見越してそうさせたのだった。
「次は真剣に答えろ。ほんとに知っていたのか、知らなかったのか、自分の中で考えろ。先生以外誰も見ていないから安心してくれ。じゃあもう一度聞くぞ。郡さんの給食が用意されていない事を知っていた人は頭の上で手を上げろ。難しいなら少し上がっているだけでもカウントするから大丈夫だ」
物静かな教室に、服の擦れる音が聞こえる。これが先生の服なのか、他の子なのか分からないが、誰かが動いたのは誰もが分かった。
数秒、数十秒と、まるで本当に手を挙げている人を数えるかのように時間が置かれる。
普段の生徒達なら、誰が手を挙げたと気になるところだが、今の先生をこれ以上不機嫌にさせるのは不味いと誰もが理解していたため大人しくしている。
「よし静かに下ろせ。………次に知らなかった人は手を挙げろ」
再び服の擦れる音。誰が手を挙げたと生徒達は気になって仕方無かった。
先程の問と変わらず置かれる間。時計の針だけが鮮明に聞こえる。
「よし、静かに下ろせ」
再び聞こえた服の擦れる音。
そして数秒だった後、先生から顔を上げろという指示が出る。
「別に今のを公開するわけじゃないから安心してくれ。何故そっちに挙げたのかも聞かない。事情があるのは理解出来るし、ほんとに知らなかった人もいるかもしれない。だけど、だけどもだ。理不尽なことを言うから申し訳ないと思うが、何故そんな状態を作ってしまったんだ?俺はこのクラスは皆仲がいいと思ったのが第一印象だ。だが一週間経って見てどうだ?どうして仕事を全う出来ない。どうしてそれを教えてあげない。君たちはクラスメイトだろ?なんの為にこんな大人数がこの教室にいると思う?そりゃ気付けなかった先生にも非がある。そこは先生も反省するし、次はこんな事にならないようにしたい。郡さん、気付いてやれなくてゴメンな」
犬吠埼先生は千景は申し訳なさそうに頭を下げた。千景はどうしていいか分からずオロオロしてしまう。
数秒経って顔を上げた犬吠埼先生は再び思いの丈を語る。
「この教室はみんな仲間だ。先生はまだ君達と関わって一週間。でも皆はもう5年目になるんだ。初めて話した子もいるかもしれないが、先生よりも長くその子達と近くで生活して来たんだ。皆協力し合って、助け合わなきゃ。今回の事でそれをしっかり学んで欲しい」
先生は静かに教卓から移動し、プリントを配り始める。
回ってきたプリントは自分の分も含め、初めて
「兎も角だ。今一度、5年2組の絆を深めよう。次誰かが仕事を忘れたり、困っていたり泣いていたりした時は、皆で協力し合いなさい。それが、まずこの一学期の目標とします。小川はそのまま職員室に来い。以上」
言い終えた犬吠埼先生は早歩きで教室を出て行った。
最後の最後まで誰も何も言わなかった。千景も同様だ。本気で自分の事を考えてくれる先生に嬉しさを感じる一方で、そんな先生を悩ませる自分がとても嫌で嫌で仕方無かった。
しかし、誰も気付かなかった。誰も分からなかった。
これ以上に、先生がブチギレる出来事が何度も起こるとはーーー。
給食って響き懐かしい。
毎日牛乳5本とどこからともなくやって来るお残しの食べ物の山を完食してダイソンの掃除機と言われた思い出があります。
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