ちょっとおまけで満足できない。【完結】 (イーベル)
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塚原ひびき LEVEL1 デアイ編
SELECT 1
僕はその日、もう自分が感じることはないと思っていた胸の高鳴りを思い出した気がした。
思い出したくない記憶の夢。それによる憂鬱な気分。
スッと鋭い目つき。後頭部で纏められて揺れる艶やかな黒髪。時折見せる柔らかな笑顔。その全てが僕の理想と言ってしまってもいい気がした。
「おい
「え? ああ、ごめん」
隣にいる同級生、梅原の言葉で精神が現実に戻って来る。確かに森島先輩も素晴らしいけれど、僕が魅入っていたのはその隣の……。なんて名前の人なんだろう。気になる。
「絵になる人だよなぁ……本当。俺たちのお宝がかすんじまう」
「そうだね。三年生は今年で卒業だし、そう思うとより一層、輝きを増している気がするよ」
「だな。そういえば聞いたか? B組のカズ。森島先輩に振られたらしいぜ」
「へぇ、告白したんだ。チャレンジャーだね」
「ああ、あの時の奴は紛れもなく勇者だったさ。無謀だとしても、気持ちは分からなくはないけどな。もうじきクリスマスだし」
「クリスマス、ねぇ……」
僕の脳内に今朝の夢がチラついて、顔をしかめた。それを察知した梅原は申し訳なさそうな顔をする。気を遣わせてしまった。
「おっと悪い。お前、この手の話は駄目だったな」
「いや、いいよ。気にしてない。いつまでも引きずっている訳にもいかないよ。今年は頑張ってみてもいいかなって、今は思うんだ」
自分に言い聞かせるように梅原に言葉を返す。現金だけど、あの人を見てしまった以上余計にそう思う。このままでは先輩(と思われる人)も卒業してしまうし、僕だっていつまでもこの暗い気持ちを引きずりたくはない。
そんな僕を梅原はニヤ付きながら見る。
「へぇ、あの『動かざる事山の如し』の橘がねぇ……」
「なんだよ。言いたい事があるなら言えって」
「実は俺もそうなんだ。今年こそ頑張ってみようと思ってさ」
「え、梅原もなのか?」
「ああ、俺にも思う所があってな。去年は野郎どもで集まったけどよ、今年こそは……ってな」
「梅原……」
「お互い頑張って、胸を張れるようなクリスマスにしていこうぜ!」
「そうだな」
僕たちは静かにそう誓い合って、校門をくぐった。
・
・
・
……のは良いんだけどさ。なんで僕は森島先輩に振られているんだろう。
屋上にて一人、精神的ダメージを負った僕は手すりに寄りかかる。手元にお宝ビデオを所持してたのがマズかったのか? よりにもよってお姉さんものだったしなぁ。
いや、ふざけてないで落ちついて考えよう。森島先輩は「情熱的な手紙で~」とか言ってたじゃないか。そもそも僕は森島先輩に手紙を出してない。だから、そんな事を言われる覚えはない。
「おーい、橘。悪いな、待たしちまって。
「……うん。それは災難だったね」
そう言いつつ、さっき自分に降りかかった災難を越えるものがあるものかと思う。告白してもいない先輩から振られるなんて……。
隣に来た梅原に森島先輩から隠し通した(はず)のお宝を慣れた手つきで交換する。
「それで、どうだったよ?」
「……どうって?」
「感想だよ。感想。お前の、胸に響くやつだったか? って話だ」
「来たよ。……ズッガーーーン、って」
「だよな。俺と兄貴合同のコレクションの中でも自慢の一本だしな」
つらつらと話したそうな梅原だったが、鐘が鳴りそれを中断する。
「……っとその話はまた今度だな。鐘鳴ったし、教室に戻らねぇとな」
「……うん」
もやもやとした気持ちのまま僕は屋上を後にした。さっきの出来事は一体何だったんだろう。
始業五分前のチャイムが鳴って、屋上を去ってからも僕の頭の中には森島先輩との遭遇が頭に残っている。それが気になっていまいち授業にも集中できず。そのまま昼休みを迎えた。
「どうしたんだよ橘。屋上から戻って来てから表情がずっとそのまんまだぜ。そんなに俺が貸したお宝ビデオのこと気に入ったのか?」
「屋上……なあ梅原、梅原は僕の代わりに手紙を出したりしないよな」
「ん? なんだ大将。その何のためだか分からないこと」
「いいから。やったか、やってないかだけ答えてよ」
「やってねーよ。悪戯でもやって良い事と悪い事があるだろ。そもそも、そういうのは自分でやるから意味があるんだよ」
梅原は決め顔でそう言った。うん、いいこと言ってるな。たぶん嘘はついていないだろう。
「……だよね。悪い。忘れてよ」
頬杖を突いてため息を付く。じゃあ、あの時の先輩の言葉はいったい何だったんだろう。他に僕に悪戯する様な人なんて考えられないし……
先輩の言葉の意図をくみ取ろうと思考を巡らせても答えは出ない。結局のところ、今持っている情報ではどうしても詰まってしまう。
「おい橘。何があったか知らないけどよ、落ち込んでる場合じゃないって。いいからこっちに来い!」
ぼんやりと纏まらない思考。そこに水を差す様に梅原が僕の手を取った。逆らう気力もなかった僕はそれに従うと、廊下に出た。
そこには梅原のハイテンションの原因と思わる森島先輩、そして──
「ねぇ、そこの君。ちょっといいかな」
「……は、はい」
その顔を忘れるはずもない。今朝見たばかりの憧れが僕のすぐ近くにあって、自分という存在を認知している。そう思うだけで、声が震えた。
「君はこの大間抜けに、屋上で突然話しかけられた事はないかな?」
「屋上……?」
梅原がこちらに目配せをする。「お前は知ってるか?」という感じだった。身に覚えしかない僕はつい目をそらしてしまう。
「えっと、先輩……でいいんですよね? 一体何事なんですか?」
「あ、挨拶もしないでごめんね。私は三年の
梅原の問い。それに対して彼はさらりと名乗る。三年生、やはり先輩だったのか。初対面のはずなんだけど、初めて聞いた気がしなかった。
「ちょっと、ひびき。保護者って、子供扱いしないで」
「似たようなものじゃない。こっちは部のミーティングを蹴ってこっちに来てるんだから……」
塚原先輩は額に手を添えてため息を吐く。
「ちょっと事情があって、はるかと屋上で話したと思われる下級生を探してるの。君はどう? 心当たりある?」
塚原先輩と目が合う。いつの間にか自分を除外して会話を眺めていたから、そのフリに僕は戸惑ってしまった。
そこを梅原の肘が襲う。わき腹にクリーンヒットして変な声が出てしまった。
「お前、テンパリ過ぎ。どうだ、大将。心当たりはあるか?」
どうにか平常心に戻った。心当たりはある。ここでちゃんと話せば、塚原先輩と知り合いになれるかもしれない。僕は覚悟を決めて口を開いた。
「……もしかして、ズッガーーーンですか?」
「ズッガーーーン?」
きょとんと首を傾げる塚原先輩。それとは対照的にハッとした森島先輩が僕を指差した。
「あっ! 君だ! 君だよ! そうそう! ズッガーーーンだね」
「どういうことだ? 大将」
「そうか、君なんだね」
「はい。そうだと思います」
「ちょっと場所を移そうか。ここでする話でもないと思うしね」
塚原先輩の言葉に僕は頷く。
「そういう事なら俺も……」
「ごめん、君は遠慮して」
「うい~っす……」
あからさまにシュンとした態度を見せる梅原の目線を受けつつ、僕は先輩たちの背中を追った。
・
・
・
再び屋上に僕らは出そろった。いや、追加メンバーがいるから正確ではないが、似たようなものであるのは確かだ。
まあそれはさておき、僕はあの時の事情説明を受けた。自分の受けた仕打ちを、自分以外の目線から聞いた。それを受けての感想は「ああ、やっぱり」である。
「つまり、僕は人違いで振られたんですね」
確認を取るために問うと二人は頷いた。
「うん。ごめんね。屋上でこそこそしてたから、確認もせずに話しかけちゃったの」
「はぁ……。成程」
「本当にごめんね。えっと……何君だっけ?」
「あ、二年の橘純一です」
「ごめんね橘君。嫌な思いさせちゃって」
目の前にいる森島先輩が手を合わせてそう謝罪する。
「別に大丈夫ですよ。ちょっと、ビックリしましたけど」
本心を告げると、ホッとしたような表情を見せる。隣の塚原先輩は拍子抜けだったのか、不思議そうな顔をしていた。
「……橘君、部外者の私が言うのもなんだけど、怒ってもいい場面だよ」
「いえ、僕としてはよく分からない状況がスッキリしただけでも十分ですよ。あのまま放置されていたらと思うと……」
「そうね。この子ったら私が言うまでそれに気が付かなかったから」
「あ、ひびき~。それは言わないでって、言ったじゃない!」
「も~」と頬を膨らませて拗ねる森島先輩。塚原先輩は口元に手を添えてそれを笑って見ている。
「そういえば、どうして塚原先輩も一緒に来たんですか?」
「ん? ああ、それは……。はるかってほら、こういう子だから誤解を招くことも多いのよ」
「こういう子って何よ。ひびき!」
「ああ、成程」
「橘君も納得しないで!」
「みんながみんな、君みたいに優しい人だったらいいんだけど、そうはいかないでしょ?」
「そうですね」
「もうっ! 二人だけで楽しそうにしないで!」
妙に合う会話と拗ねながら突っかかって来る森島先輩が心地よくて、僕はつい笑ってしまう。それは塚原先輩も同じようだ。
チャイムが鳴ったことに気が付いて、僕らは会話を止める。
「おっと、いけない。そろそろ行かないと」
「そうね。そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
僕は頷く。先輩たちは入口に歩いていって、僕に手を振る。
「じゃあねっ! 橘君」
「はい。失礼します」
僕は頭を下げて先輩たちを見送る。でもその途中、塚原先輩が足を止めた。
「ねぇ、橘君って……」
じっと僕を見る。細い目をより細め、顔をじっくり。えっと……ちょっと待って先輩。そんなにまじまじと見られるとドキドキしてしまう。
「ひびき~、早く行くよ!」
「あ、ごめんなさい。話はまた今度」
塚原先輩は小走りで森島先輩を追いかけていった。
遅れて僕も屋上の階段を下っていく。疑問はスッキリとした。今朝起こった訳の分からない状況を、解消することができた。
でも──
・SELECT↑↓
●森島先輩って……
●塚原先輩って……
「塚原先輩って……どこかで名前を聞いた気がするんだよなぁ……」
一人呟く。名前を聞いた時も覚えた感覚だ。
森島先輩に関してはもう知っている。彼女は僕が落ち込んだ時に公園で話しかけて来てくれた人だ。それ故に少し憧れを持っている。
では、塚原先輩は?
この憧れは? この既視感は? 一体どこから湧き出てくるのだろうか。
その正体を確かめるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
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SELECT 2
「おーい、七咲。一人で何やってるんだ?」
食堂でA定食を注文した僕が席を探していると外で一人、席に座っている七咲を発見した。弁当を持っている訳でも無ければ、僕みたいに食堂のトレーを持っている訳でもない。だから気になって声をかけたのだ。
まあ欲を言えば席を確保したいというのもあったけど……それは置いておこう。
「あ、橘先輩。こんにちは。私は席取りですよ」
「席取り……ってことは他に人がいるのか。相席をお願いしようと思ったんだけど、僕は遠慮した方が良さそうだね」
「いえ、構いませんよ。丁度あと一人分空いてましたし」
「ほんと? 助かるよ」
「まあ、残り二人の了承を得られればの話ですが」
「それは、そうだね。ちなみに残りの二人って?」
「一人は、美也ちゃんで、もう一人は部活の先輩なんですが……。あ、丁度来ましたよ」
七咲が僕の後ろに視線を送った。それを見てゆっくりと後ろを振り返った。そこには七咲の言葉通り、見慣れた妹の姿。そしてトレーを二つ持った塚原先輩だった。
「お待たせ、七咲。A定食で……って橘君?」
「塚原先輩? 何でここに」
二人は七咲が陣取っていた席にトレーを置いてから再び僕を見る。予想外だった。先輩って……確かに先輩だけどそれがまさか塚原先輩だとは思わないだろう。
突発的な緊張をほぐす為に深く呼吸をする。
「それはこっちの台詞だよ。なんでにぃにがここにいるの?」
「食べる所が無くてさ。七咲に相席を頼んでたんだ」
「みゃーはいいけど……塚原先輩はいいですか?」
「ええ、構わないわ」
了承は得られたようなので、ひとまず僕はトレーを置いて、空いた椅子に腰を下ろした。結果的に塚原先輩と正面に向き合う形になる。緊張がまた高まった。
「というか、美也と七咲って、塚原先輩と知り合いだったのか。どういう繋がりなの?」
「水泳部の主将なんですよ~塚原先輩は。お兄ちゃん知らなかったの?」
「知らなかったよ」
「あれ? この間会ったときに言わなかったっけ?」
塚原先輩が首を傾げたので僕は肯定する。
「はい。この間『部活のミーティングを蹴って』って言ってたので、どこかに所属していることは知ってましたけど」
この間、森島先輩と一緒に会ったときのことを思い出しつつそう言った。「そうだったかな……」と塚原先輩は考える仕草をした。それを受けて美也が補足する。
「みゃー達は部活仲間って感じだね。同じ水泳部の先輩後輩」
七咲が美也の言葉に頷いた。
全くもって接点が無いように思えた面々だったが、そんな関係性だったのか。僕が思っている以上に世の中って狭いんだなと思う。
塚原先輩が割り箸を割って手を合わせる。手を合わせる塚原先輩を追って、僕たちも手を合わせて食事を始める。
「いただきます」
「あ、いただきます」
「いただきま~す」
A定食の味に舌鼓を打ちつつ、中々切り出す話題が思いつかない。言うに事欠いた僕はその場にいる二人について塚原先輩に聞くことにした。
「ところで、塚原先輩」
「ん? どうしたの?」
「美也と七咲は部活でどんな感じですか?」
「先輩、美也ちゃんはともかく、どうして私の様子まで聞くんですか!?」
「いや、なんとなく気になって」
「そうね……。二人ともよくやってくれてるわ。一年生の私に見習わせたいぐらいには優秀よ」
「へぇ、七咲はともかく美也は意外だな」
チラリと対面に座る美也に目線を向けた。彼女も七咲同様に不満そうな目している。
「なに、その言い方。だいたい、お兄ちゃんにちゃんとしているとか、してないとか言われたくないよ」
「何だよそれ。僕はいつだってちゃんとしてるぞ」
「家だったら無限にだらけてるし、外ではちょっとマシだけど、こないだだって梅ちゃんと……」
「美也、ストップだ。帰り道にまんま肉まんで手を打とう」
「じゃーしょうがない」
「それでいいの、美也ちゃん……」
七咲が呆れた顔で美也を見ていた。七咲の気持ちもわかる。だが、美也にとってこの時期のまんま肉まんはそれだけの価値があるのだ。理由は僕には分からないけれど、美也はそういう生き物と言う事で納得して欲しい。
「ふふっ、でも橘君の名誉の為に補足しておくけれど、しっかりしてるときはしっかりしてるよ。この間会ったときも落ち着いて対応してたし」
「塚原先輩……」
まさか僕がそのような評価をされているとは思わなかった。自分で言うのもなんだけど、結構だらしがないと思うのに。なんか意外だ。それに他ならぬ塚原先輩にそのような事を言って貰えるのが嬉しかった。
「……お兄ちゃん」
「何だよ美也」
「塚原先輩に何したの」
「私も気になりますね。橘先輩は塚原先輩に何をしたのか」
「七咲まで! 僕は何もしてない! 何かする度胸もないよ。お前達にだって僕は紳士的な対応を心掛けているんだぞ!」
『紳士的、ねぇ……』
二人の声が被る。そんな目で僕を見るなよ。何だか申し訳なくなって来るだろう。否定できないのも辛いところだ。ここは分が悪い。無理矢理にでも話題を変えてしまおう。
「……そういえば塚原先輩。この間、僕に何か聞きたい事があったみたいですけど、なんですか? 中途半端で止められて、僕ちょっと気になってるんですけど」
塚原先輩に目配せをして問いかける。それを受けて彼女は「ああ」と思い出したように相槌を打った。
「それに関してはたった今、私の方で解決したんだけど……まあいいか。話すよ」
塚原先輩は箸をおいてからこちらを向く。
「橘……って、これだと分かりづらいね。美也と兄弟なのかって聞きたかったの。何となく雰囲気が似てたし、そうじゃないかと思って」
「……ああ、成程」
「お兄さんが同じ学校にいることは聞いていたからね。いろいろ話もしてくれたから気にはなっていたの」
「いろいろ……美也、変な事話してないよな?」
「ん~どうだったかな」
「そこでお茶を濁すなよ……」
不安になっちゃうじゃないか。
そんな僕を見た塚原先輩はその不安を和らげようとしてくれているのか微笑み、こちらを見る。誤解されやすいだけでやっぱり優しい人なんじゃないかなと僕は思う。
「まあ、ほとんど部活でしか話さないから、細かいことは聞いてないよ。けれど、面白いのを取り上げるとすれば……そうだね、君が『にぃに』だって分かったのは大きな収穫だったかな」
とんでもない一言をぶち込んできた。さっきの優しそうな笑みは何だったのだろうか。そのギャップが僕の精神を襲う。
「あ、塚原先輩! それはナイショだって!!」
「おっと、そうだったね。ごめんなさい。失言だった。七咲、今のは忘れて」
「は、はぁ……」
控えめに笑う塚原先輩の表情からして絶対わざとだと言う事は分かる。でもこの場で年長者である彼女にブレーキをかけられる人材は存在しなかった。
森島先輩がいれば話が違うのだろうけれど、後の祭りだろう。
混乱する後輩たちを気にせずに塚原先輩が食事を終える。そして近くの時計をチラリとみた。
「ごちそうさま。私はそろそろ行くよ」
「え? 早くないですか」
「このあと移動教室なの。早めに移動しないと間に合わないんだ」
「そうですか、じゃあしょうがないですよね」
「うん。また今度会いましょう。二人はまた部活で」
手を振る塚原先輩に僕らは「失礼します」と声をかけて見送った。その背中をしばらく眺めていると、美也が拗ねた顔でこちらを見ていることに気が付く。
「……なんだよ」
「お兄ちゃん、ニヤニヤし過ぎ」
「え? そうかな。どう思う七咲」
「そうですね……。少なくとも、表情をコロコロ変えてたのは確かです」
「そんな風に見えるのか。僕……気を付けないとな」
「でもまあ、いいんじゃないですか。塚原先輩は悪く思ってないみたいですし」
「え~逢ちゃんは甘すぎだよ」
二人が話している所を見てようやく、僕は塚原先輩への妙な既視感の原因に思い至った。
おそらく二人から塚原先輩の話を間接的に聞いていたからに違いない。だから僕は塚原先輩の名前を聞いた時に初めて聞いた気がしなかったのだと思う。
それにしても、塚原先輩に弄られるのも案外悪くなかったな……。今度あったらあえて隙を見せてみるのもいいかもしれない。なんて密かに思いつつ、僕は後輩組と食事を続けた。
次の体育の授業に向けて僕は着替えた後、グラウンドへと繰り出していた。早めに来てしまったのもあって、まだ直前にマラソンを行っていたと思われる生徒たちが残っている。
疲れが残り、項垂れる生徒が多い中で元気を失っていない生徒がこちらに手を振っていることに気が付く。
豊満なバストをはじめとして、様々な魅力を兼ね備えたスタイル。毛先がクルクルと巻いてある彼女はそのままこちらに向かって歩いて来た。
「やっほー橘君。橘君は次体育?」
「はい。森島先輩は丁度終わった所だったみたいですね。お疲れ様です」
「本当にね。この時期のマラソンは結構しんどいよ。まあ、この時期じゃなくてもしんどいけど……」
いつもウキウキと高いテンションを維持している森島先輩にしては珍しく、表情が歪む。なんでも楽しくこなしてしまいそうに見えるけれど、どうやらそうではないらしい。
「そうですね。僕もそう思います。進んで自分からやりたいとは思いませんよ」
「だよね~」
ぐでっと背中を丸めて気怠そうに森島先輩。その背後からゆらりと近づく人影が一つ。ポニーテイルを携えたその人物は、ばれない様に森島先輩のわき腹を突いた。「ひゃうっ!」と可愛らしい声と共に森島先輩の体が跳ねる。
「はるか、だらしないわよ。せめて教室に行ってからにしなさい」
「あ、塚原先輩」
「あら、橘君。君は次の体育?」
「ええ。まあ」
塚原先輩の言葉に頷く。
息を切らす様子もなく。肩にかけたタオルで肌を労わる様になぞる塚原先輩。普段から感じられる活発さが際立って、僕の心臓がバクバクと脈を打っているのが分かるぐらいに早まった。
「塚原先輩、結構余裕そうですね」
「普段から部活でも走っているから、これぐらいなら余裕をもって走り切れるよ。それぐらいじゃないと大会じゃ勝ち抜けないからね」
塚原先輩はそう淡々と告げた。さっきの攻撃が効いたのか背筋を伸ばした森島先輩が塚原先輩を不満げに見る。きっとさっきの仕打ちが気に食わなかったんだろう。
「ちょっとひびき~。不意打ちは卑怯よ」
「気を抜いてるのが悪い。後輩にだらしない所を見せないの」
「……はーい」
渋々と森島先輩は頷く。僕としてはちょっとだらしがない森島先輩を見られるのは悪い気がしなかったけれど、先輩には先輩の面子があるのだろう。たぶん。
「それにしても流石ね~。ぶっちぎりの一位でゴールしてたし。こういう持久力系ならこの学校なら敵無しなんじゃないの?」
「それはいい過ぎ。私より上なんていくらでもいるって」
「そうかな? 一年の時から一緒だけど、ひびきが負けた所見た事無いんだけど……例えば誰がいるの」
「……少なくとも男子には敵わないかな」
男子以外には勝てる算段があるみたいな、含みのある言い方をするなぁ。意外と負けず嫌いなのかもしれない。
それにしても……
「一年の時の塚原先輩か……いまいちイメージが付かないですね」
「まあ、あんまり変わってないからね~ひびきは。昔から表情硬いから、とっつきにくさは相変わらずかな」
「そうね……頑張ってはいるんだけど、なかなかね」
「……あ、でも前よりかは言葉が柔らかくなってマシになったんじゃない?」
「そうかな? それでも、後輩には怖がられたりしてるから。あんまり感じないかな」
塚原先輩はそう言ってちょっと、ため息を付いてから話を切り返す。
「そう言うはるかもあんまり変わんないよね。昔から男子にもてて、忘れっぽくて」
「ああ、確かに。この間も僕の顔を覚えてませんでしたしね」
「いや、あれは橘君がちょっと俯いてて顔が見づらかっただけっ!」
「え~ほんとかな?」
「ひびき~ここぞとばかりに弄らないのっ!」
こうして先輩たちの話を聞いた。塚原先輩の知らない魅力をいろいろと知れた気がする。それは嬉しい。けれど……塚原先輩って自分の顔をあまりよく思ってないのかな?
確かに塚原先輩は強面って言うか、表情が硬い時もある。けど、だからこそ時折見せる笑顔にドキッとするのに……。それを認識してないのが残念な気がする。
何とかこの魅力を本人にも知ってもらえないだろうか。そんな事を考えつつ、僕はじゃれ合う二人を眺めていた。
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SELECT 3
このイベントは強制イベントを起点として発生します。
このイベント内部では会話イベントが待ち受けています。5回目の会話で『行動』を選択し、☆獲得イベントへ進めましょう。
この時ゲージを全開放しているとアタックを選択することができますが、この場合CG回収のみ。今後☆は回収できません。罠です。間違えずに『行動』を選択しましょう。
夕日に染まる教室。そこで僕は荷支度を終えて、同じ色のグラウンドを眺める。これ以上ここにいてもしょうがないし、元よりさっさと帰るつもりだったけれど、一つ加えてこの場を去る理由ができた。
それはポツンと一人で歩く人影であり、僕がここ数日追いかけていた人でもある。
「やっぱり、あれ塚原先輩だよな」
言葉にして確かめる。口を動かすよりも目を細めた方が良いとは思うけれど自然にそう動いたのだから仕方がない。
部活帰りなんだろうけど、一人なのか? 他の部員はどうしたんだろうか。まあいいや。一人だったら丁度いい。ここで声をかけて一緒に帰るか誘ってみよう。
そうと決まれば善は急げだ。荷物を担いで、人のいない廊下を走り、息を弾ませながら移動。追いついた背中に僕は声を投げかけた。
「塚原先輩っ!」
「…………あら、橘君。どうしたの? そんなに急いで」
ちょっと反応にラグがあったものの、彼女は振り返って僕を見る。振れるポニーテイル。校内では付けていない手袋が印象的だった。
「帰ろうと思ったら、塚原先輩が見えたので。良かったら帰りませんか?」
「え、私?」
「他に誰がいるんですか」
「いないけど……私で良いの? 橘君って変わってるね」
「そうですかね?」
「うん。私を誘う時点で変わってる」
塚原先輩はそう言って笑う。そうだろうか。この前もそうだったけど、彼女は若干自虐的な所がある。こうも下向きなのを前向きに出されるのは何と言うか……もったいない。せっかく美人なのに。
彼女はふっと笑うと言葉を続けた。
「じゃあ、帰ろうか。せっかく誘ってくれたし」
「はい。ありがとうございます」
よし。これでなんとか『会話』に持ち込める。まずは何から話そうか。いきなり踏み込んだ話題というのもどうかと思うし、手堅く『世間話』から入ってみよう。
「塚原先輩は丁度部活が終わった所だったんですか?」
「いや、ちょっと残って練習してたの。髪とか乾かしてたらこんな時間になっちゃって」
「やっぱり、乾かすのって時間かかるんですね。塚原先輩は纏めてますけど、
「肩甲骨ぐらいまでかな」
「結構長いですね。それは乾かすのに時間がかかりそうですね」
「うん。だから短くしようかなぁ、とか思ったりもするけどね。はるかがもったいないって」
「ええ、もったいないですよ。せっかく似合ってるんですから」
「ふふ、ありがとう」
良し! 悪くないぞ。この調子だ。次の話題はどうしようか。塚原先輩は運動部だし、話に事欠かないであろう『運動』にしてみよう。
「塚原先輩って、よく走ってるんですか?」
「走ってるけど、どうしてそう思うの?」
「この前の体育で森島先輩がぶっちぎりの一位って言ってましたから」
「ああ、それで」
塚原先輩は納得がいった様に頷いた。
「逆に橘君は走らないの?」
「僕ですか? 僕は……あまり。たまに思い至ったときぐらいですかね」
「そっか」
それからも僕たちは話をした。勉強の事とか、食べ物の事とか。そのたびに塚原先輩は優しく頷いて、自分の考えを話してくれる。
この間以上に彼女を深く知れて、その事に充実感を覚えた。でも、一歩踏み出すたびに、確実にこの時間が消耗されているのが分かって、それがとても、残念でならなかった。
塚原先輩もそう思ってくれたらいいのにと、思う。
でも彼女にとって、僕はどこにでもいる普通の後輩で、ありふれた知り合いの内の一人でしかない。それがたまらなく、悔しかった。
「……塚原先輩」
「ん? なに?」
「ちょっと、寄り道しませんか」
気が付けばそう『行動』を起こしている自分がいた。言い終わってからハッと目をそらす。塚原先輩は僕の提案に乗ってくれるほど仲がいい訳ではない。なんて無謀な賭けをしているんだと自分を責めたくなる。
恐る恐るもう一度彼女を見ると、困った顔をして頬をかいていた。ああ、やっぱり駄目だったかなと、うつむく。
後悔が押し寄せて来る。自分の心臓が握りつぶされそうな気分だった。この瞬間が早く終わって欲しいと願うほど、一秒が引き伸ばされていく。
そんな心持ちで僕は彼女の次の言葉を聞いた。
「そうだね。たまにならいいかな」
慌てて顔を上げた。想定外の言葉だったからだ。
「何? そんな驚いた顔して。誘って来たのは橘君でしょ?」
「そうですけど……来てくれるとは思わなかったので。正直、意外でした」
「そうかな? 私だって、誘われたら遊びにだって行くよ。丁度、気分転換したかったしね。橘君は普段どこに遊びに行くの?」
「そうですね。僕はよく──」
・SELECT ↑↓
●ゲームセンターに行きますよ。
●ファミレスで友達をからかいます。
●ダーツを本気で練習します。
「ゲームセンターに行きますよ。友達と一緒に格闘ゲームをしたりします」
「なんかイメージ通りだね。男の子って感じ」
「逆に塚原先輩はどこに行くんですか?」
「私はショッピングモールかな。はるかと一緒にウィンドウショッピングをするの」
「へぇ、それはすごい女の子らしいですね」
「……橘君、それは私が普段女の子らしくないってこと?」
「あっ、いや、そういうつもりで言った訳じゃないですよ! 塚原先輩の可愛らしい所をもっと見たいな……って思ってました。なんなら今から行きましょう!」
つい早口で僕はそう述べてしまう。それを見た塚原先輩はくすりと笑った。
「ふふっ、ごめんなさい。嫌な言い方したね。大丈夫、ちゃんと分かってるから。でも、この間必要なものを買ったばかりだし……今日はゲームセンターに行こうか」
・
・
・
学校から最寄りのゲームセンター。僕と梅原のホームと言ってしまっていい程に通い慣れた場所を塚原先輩と歩く。彼女はキョロキョロとあたりを見渡している。
「塚原先輩はゲームセンターで何しますか?」
「私は……はるかと来ることが多いのもあってUFOキャッチャーとかかな。あの子、ぬいぐるみとか好きだから……」
「なんか想像しやすいですね」
「でしょ。あの子、可愛いものには目が無いのよ」
「じゃあ、今回は普段行ってなさそうなアーケードゲームとか行ってみましょう。格闘ゲーム以外にも色々ありますから」
「そうしようか」
僕らはそうしてアーケードのゲームを眺めて回る。その中で塚原先輩が立ち止まったものが一つあった。
「麻雀もこういう風にゲームになってるのね」
「塚原先輩、麻雀できるんですか?」
「ええ。私に限らず
「まあ、この近辺だと麻雀牌が出土する*1ぐらいですからね……ちょっとやってみましょうか」
僕はあらかじめ両替してポケットにストックしていた百円玉を一枚放り込むと席を塚原先輩に譲った。
「橘君、どこ行くの?」
「隣の反対側の席です。このゲーム対戦できるんですよ。せっかくなので勝負しましょう。負けた方がジュース奢るとかでどうですか」
「良いね。面白いね。のったよ」
ほぼノータイムで塚原先輩が了承したのを確認して僕は反対側の席に座って同じように百円を入れた。
対戦モードを選択するとサイコロが回って手牌が配られる。
親の塚原先輩の第一ツモ。最初に切った牌は不思議なことに横を向いていて、それに違和感を覚える間もなく箱体が冷たく『リーチ』と宣言していた。
・
・
・
『ロン!』
南家 ツカハラ の和了
立直 1翻 ドラ{南北}
一盃口 1翻
平和 1翻
断幺九 1翻
画面上で塚原先輩の手配が表示され、僕の点数が引かれていく。試合はもう最終局面で、この和了が決定打となり、塚原先輩の勝利が確定した。
立ち上がって箱体越しに塚原先輩を上から見ると、それに気が付いた彼女が僕を見上げながらピースサインをした。
「私の勝ちね」
「……完敗です」
敗者らしく席を立って、自販機でパンダココアを二つ購入。片方を塚原先輩に渡して外に出た。冷たい空気が肌を撫でて、思わず体を震わせた。
「塚原先輩、麻雀強いんですね」
「ううん。運が良かっただけ。普段は負ける方が多いぐらいよ」
「そうなんですか?」
その割には打ち回し方が手慣れてた気がする。あれで負け越すとなると、その卓についている人物は相当な打ち手なのではなかろうか。でもそんなことを考えても仕方がない。そう思考を切り替えて隣を見る。
彼女はチビっと缶に口をつけて、ホッと息を吐いていた。
「ごめんね。今日は私の気分転換に付き合って貰っちゃって」
「ごめんねって……誘ったのは僕ですよ?」
「そうだったかな」
「そうですよ。今日だって僕がお礼を言いたい所なんですから」
「ありがとう。でも気を遣ってくれなくてもいいよ。……君だって、はるかや七咲と遊べた方が嬉しいでしょ?」
まただ。彼女は時折こういう事を言う。自虐的に自分を貶める。理由は分からない。けど、それがどうにも好きになれなくて、不満だった。
我慢できなくなった僕は、感情的に言葉を紡ぐ。
「……確かに、七咲や森島先輩と遊ぶのは楽しいですよ。気兼ねなく過ごせますから」
「……うん」
「でも、そうじゃ無いんです」
そうだ。違う。僕は女の子と遊びたいって理由でここにいるんじゃない。そんな気持ちで誘った訳じゃないんだ。僕は、僕は────
「僕は塚原先輩が良かったんです。塚原先輩と一緒に遊びたかった。他の誰かじゃ……ないんです」
塚原先輩が目を見開いてこっちを見てる。冷えていた体の中に炉ができたのかと錯覚するぐらいに体がかっと熱くなる。
今、僕はなんて? すごいことを口走った気がする。
時間が経つほどに外気で僕は冷静さを取り戻して、悶えたくなるような羞恥心がこみ上げて来た。
「すいません! 僕家こっちなんで!」
曲がり角でそう強引に告げて駆けだした。呼び止める声が後ろから聞こえた気がしたけど、振り返れなかった。こんなことを言って、僕はどんな顔をして塚原先輩に会えばいいのだろう。
……今日は上手く寝付けなそうだった。
……一方その頃
『僕は塚原先輩が良かったんです。塚原先輩と一緒に遊びたかった。他の誰かじゃ……ないんです』
彼の言葉が頭の中で繰り返される。帰って来てからの食事やお風呂でも、今こうしてベッドで横になっている瞬間もだ。
まさかあんなことを自分が言われるとは思わなかった。それ故に私はあの瞬間から浮足立ってしまっている。
橘君は優しい人だ。
それは妹の美也からも、彼のシリアイで後輩の七咲からも感じ取れる。面白そうに話す二人から、興味を持っていたのだけれど……まさかあんな言葉を投げ掛けてくるとは思っていなかった。
はるかや七咲じゃなくて、私がいい。
そんな事を言われたのは初めてで、びっくりして、どう答える事もできなかった。彼がすぐに逃げ出しちゃったのもある。けれど、それに関しては引き留められなかった私にも、非はあるだろう。
今となってはあの言葉の真意を確かめることはできない。
あれは彼の優しさから出た言葉なのかもしれないけど、もし、もし仮に……彼が本当にそう思ってくれているなら……。
「思ってくれたら、いいのにな」
期待が口からこぼれる。そうすると何だか恥ずかしくなって、思わず顔を覆った。足をじたばたさせてもこの気持ちは収まらない。
「はぁ……明日、どうやって声をかけよう」
結局私は自分の気持ちに折り合いをつける事ができないまま、意識を手放した。
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塚原ひびき LEVEL2 アコガレ編
SELECT 4
塚原先輩と帰り道を共にしてから数日。あれから顔を合わせる機会も無く、自分の心の内を整理することができないまま、時間だけが過ぎていった。
学校にだけは来ているけれど、それで何かが変わる事もない。
代わり映えのない教室にいると息が詰まりそうで、変化を求めた僕は休み時間屋上へ出向く。屋上の空気は締め切った教室よりもヒンヤリとして、尚且つ澄んでいた。
手すりに寄りかかって遠くを見て、呼吸をしていると、自分の中のどんよりとしたものが入れ替わっていっていく。そんな気がした。
「橘君?」
背後からの声。一瞬、塚原先輩がよぎったけれど、そんなことはない。振り返って捉えた姿は特徴的な巻き髪がトレードマークの森島先輩だ。
それに少しほっと安堵する。こんな気持ちで塚原先輩に会ってどうすればいいのか分からなかったからだ。
「あ、森島先輩。こんにちは」
「こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇だね。隣、いいかな?」
「ええ、構いませんよ」
僕が了承するとトテトテと歩いて、隣に立つ。緩やかな風が吹いて彼女の髪を揺らした。
「橘君はこんなところで何をしてるの?」
「ちょっと、気分転換に。ずっと教室にいると眠くなっちゃうので」
「ああ、わかる。わかる。この時期の教室、温かいものね。体育の後なんか特に眠くなっちゃうの」
「そうなんですよ。だから、ここでちょっとでも目が冴えればと思って」
森島先輩はふんふんと頷く。
「橘君は真面目だねぇ……。人にもよるだろうけど、そんな気分だったらサボる人もいるでしょ?」
「それは……」
確かに授業を抜け出すなんてのも悪くない。薫を誘って外に出ることも考えた。けれど今、それをする気になれなかった。
きっと塚原先輩なら、そんな事はしない。そんな発想が頭をよぎったからだ。
「それは、良くないでしょう」
「そうだね。ひびきがここ居たら私怒られてたかも」
「そうですね」と僕は森島先輩の言葉を肯定する。
「ところで橘君。少し聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「聞きたい事? まあ、いいですけど。何ですか」
「単刀直入に聞くけれど、最近ひびきと何かあった?」
ど真ん中直球。森島先輩は臆することなく切り込んできた。それに僕は麺を喰らって、たじろいでしまう。
「ど、どうしてそんな事を聞くんですか」
「どうしてって……最近二人が話してるところを見ないなーって思ったからだけど」
「そうですかね?」
「うん。最近はめっきり減ったなーって。実際の所どうなの?」
白を切る事もできた。でもなぜだかそれをする気にはなれなかった。
普段から森島先輩は邪気というものを含んでいる気がしない。それを汚すのが嫌で。純白のままであって欲しかった。
それ故に僕は偽らずにありのままを彼女に打ち明けてしまう。
塚原先輩と一緒に帰ったこと。
そこで告げた言葉。
自分の抱いてる感情は伏せておいたけれど、殆ど伝わってしまっているかもしれない。
全てを聞き終えた森島先輩は自分の指を組んだりして、頭の中を整理しているみたいだった。
「……へ~橘君大胆だね。ひびきにそんなこと言うなんて。でも、そんな面白いことしてるんなら早く言ってよ。いいなー橘君。私もひびきとゲームセンター行きたかった~」
「……今度は一緒に誘いますよ」
「やった。約束だからね!」
森島先輩は飛び跳ねそうな勢いでそう言って見せる。
……実はばれてないんじゃないか? そう思ってしまうほどに森島先輩はあっけらかんとしている。鈍いのか鋭いのかよく分からない。
「森島先輩、僕からも聞きたいんですけど」
「ん? いいよ。なになに?」
「他に塚原先輩に変わった事ってありませんでしたか?」
「んーそうさね~」
森島先輩は少し考えるように視線を空にやってからもう一度こちらを見た。
「特に目に付くところは無かったかな。橘君と会う回数が減った以外は、いつも通りのひびきだったよ?」
「そうですか」
結構勇気を振り絞った言葉だったんだけど、全く響いてないのか。意識的なアプローチじゃ無かったけれど、こっちが身を切った分期待していたんだけどな……。
僕は押し付ける様に言って、あの場を去ってしまった。もし羞恥心に打ち勝ってあの場にとどまっていたら……。どうなっていたんだろう。悔やんだって仕方ないことは分かっているんだけど、どうしても考えてしまう。
……次の事を考えよう。せっかく塚原先輩と仲のいい森島先輩がいるんだ。少しでも情報を聞いておきたい。
「そういえば森島先輩。塚原先輩の好みのタイプとかって聞いた事ありますか?」
「ひびきのタイプ? ん~それも聞いた事無いかな。でもどうしてそんな事聞くの?」
「ちょっと気になるじゃないですか。塚原先輩からそういう話聞いたことありませんから」
「こういうのは本人から聞くのが一番なんだけど……。ひびき、素直に話してくれなさそう」
「確かに」
うーん。じゃあ他にどのような事を聞けばいいんだろうか。僕は頭をひねる僕を見て森島先輩は閃いたようで人差し指を立てた。
「じゃあひびきのタイプを予測してみましょう! そのあと、私が頑張って聞いてみるから」
渡りに船の提案だ。ここで予測して、後日森島先輩に聞けば確実にタイプが分かる。時間はかかるが確実性のある、僕にとっては殆どメリットしかない。
「いいですよ。じゃあちょっと考えてみましょうか」
「うん。考えてみて。私もちょっと考えてみるから」
塚原先輩は知的な人だ。だから、会話も高いレベルの人の方が噛み合うだろうし、楽しいはずだ。だから、頭の良い人がタイプかもしれない。
「賢い人、ですかね」
「んー悪く無さそうね。でも、橘君。それは安直じゃない? ひびきは私をからかうのが趣味なんだから。実は頭がいいことよりもちょっと抜けてた方がいいかも」
「成程……それは予想から外れてましたね。じゃあそれを踏まえて──」
それから僕と森島先輩の塚原先輩の好み予想は続き、時間いっぱいまでかかってしまった。途中からヒートアップしつつも楽しい時間だった。
ついでに僕の知らない塚原先輩の事も知れたし、ダラダラしてたら時間がもったいない。心を入れ替えて頑張ってみるとするか!
チャイムが鳴って、ぐいっと背筋を伸ばす。決意を新たに、まずは授業に向かった。
・
・
・
あれははるか……と橘君!?
屋上の扉の陰に思わず隠れてしまった。聞き耳を立てつつ、隙間から二人の様子を覗き見る。ここからだと声は聞こえないみたい。
彼とはあれから顔を合わせていなかった。あんなことを言われた後だから、どうにも恥ずかしくて、見かける度に身を隠してしまう。
いい加減にしないと、とは思っているんだけど……。
一度ため息を付いてから視線を二人に戻す。それにしても楽しそうに話すな……。この間は確かにはるかには気を遣わずにいれるって言っていたけど、その言葉に嘘は無かったらしい。
でも、こっちが悩みに悩んでいる時にあれだけ楽しそうに話されていると、この間の言葉に疑いをかけてしまいそうになる。
相手ははるかだし、気が付いたら虜にしている、なんてあり得ない話じゃない。
だから、こんな事をしてる場合じゃない。こんな事をしてる場合じゃない?
……どうして、私はそう思ってるの?
前髪をかき分けて額に手を当てて自問自答する。
はるかに取られそうだから?
取られるってなによ。そもそも橘君は私の物でも、他の誰の物でもないでしょう。
だったら、この胸の中が熱くなっていくような苛立ちは……どうやって説明すればいいのだろう。
結局それが何なのか分からなくて、ひとまず原因から距離を置くことにする。
階段を下りながら私はまた、ため息を付いた。
私はどうしたいんだろう……。
「橘先輩。何してるんですか?」
校舎裏に向かった所で呼び止められた。目の前に立つ短髪の後輩、七咲はきょとんと不思議そうな表情をしていた。
「いや、ちょっと塚原先輩を探しててさ」
「ああ、それでこっちに。私はてっきり覗きにでも来たのかと……」
「違うよ! 僕がそんな奴に見えるのか?」
「ふふっ、冗談ですよ」
七咲は口元に手を添えて笑った。
「それにしても、橘先輩って塚原先輩と仲が良かったんですか?」
「うーん。仲がいいかどうかは分からないけど、最近はよく話すよ」
「へぇ、そうなんですか。なんか珍しいです。塚原先輩って森島先輩とはよく話している所を見るんですけど、それ以外の人ってそれこそ部員ぐらいなので」
「そうなんだ」
塚原先輩って結構面倒見がいいから、いろいろな人と話しているのかと思ったけれど、そうではないらしい。
「あ、でも塚原先輩この時間は部室にいませんよ」
「え? それはまたどうして?」
「部活が始まる直前まで、食堂のテラスにいるんですよ。なんでも、いい感じにリラックスできるんだとか」
「そっか、じゃあ塚原先輩に会うにはテラスに行った方がいいのか」
「ええ、そういうことです」
七咲が頷いて、僕はそこで足を止めた。
「じゃあ早速だけど、僕はテラスに行ってみるよ。教えてくれてありがとう、七咲」
「いえ、これぐらいは。あ、橘先輩。塚原先輩に会ったらついでに伝言をお願いできますか?」
「それぐらいは良いけど、何?」
「風が気持ちいいからって昼寝はしない様に、とだけ」
「ん? よく分からないけど、分かったよ。伝えておく」
「はい。お願いします。塚原先輩に言えばわかると思うので」
微笑む七咲に軽く手を振った僕は、踵を返して校庭のテラスへ。冬場ともなるとこの寒空の下で過ごす人は昼ぐらいで、それ以外は殆ど人が寄り付かなくなる。
だから塚原先輩の姿は思っていた以上に簡単に見つけることができた。助言が無かったら後回しにしていただろうし、七咲に感謝しなきゃ。
さて、部活まで時間も少ないだろうしさっさと話しかけよう。
「こんにちは、塚原先輩」
「……橘君。どうしたの? こんなところで」
「それは僕の台詞ですよ。塚原先輩はこんな所で何をしてるんですか?」
「私は、部活前にちょっとぼーとする時間が欲しくて」
「塚原先輩でもそんなときがあるんですね」
「うん。割としょっちゅう。それで橘君は?」
「僕は、ちょっと先輩と話そうと思って。七咲に聞いたらここにいるって言っていたので」
「そ、そうなんだ……」
塚原先輩は目線をそらす。迷惑だったかな。でも、ここで引いたら駄目だ。押し付けるぐらいの気持ちでいかないと。
森島先輩も推しが強い人とか悪くなさそうだって言ってた。それを信じることにした。勇気を出して語り掛ける。
「先輩さえ良ければ、なんですけど。少しお話しませんか?」
言い終わった後、自然と体が熱くなった。落ち着かなくて手を何度も握り直す。
「いいよ。部活が始まるちょっと前までだけど。それでもいい?」
「は、はい! ありがとうございます」
やった! 久々に塚原先輩と話せる。思わず机に隠しながら小さくガッツポーズ。それから塚原先輩の正面に座った。
世間話や勉強の話なんかをして時間を過ごす。その途中で一つ思い出したことがあった。
「そういえば、七咲から伝言を頼まれてました」
「え、それ早く言って欲しかったな……。それで、七咲はなんて?」
「えっと、たしか……『風が気持ちいいからって昼寝はしないように』って」
それを聞くと塚原先輩は呆れたようにため息を付いた。
「僕はよく分からなかったんですけど、何かの暗号ですか? 急ぐようだったら僕のことは気にしないで先に──」
「ううん。違うの。急ぎのようでも何でもないよ。からかっているだけ」
どこから話したものかな、と塚原先輩は呟いて、間を開けた。
「ちょっと、昔の話。一年生の時なんだけどね。こんな風に部活前にゆっくりしてたら、疲れてたみたいで気が付いてたら寝ちゃってたのよ」
「塚原先輩でもそんな事あるんですね」
「まあ、そのときは一年で、今と比べると体力もなかったから……。それで、ジョギングに来た部員に起こされて、顔を上げたらこの机のあとがくっきりと額に付いちゃって」
「この机、柄が入ってますからね」
今自分たちが挟んでいる机を改めてみる。白のレースをイメージさせる柄は顔にあと付いたら普通の机よりも印象に残るだろう。
「そう、それで滅茶苦茶に笑われた挙句、先輩に怒こられて……。以来、水泳部ではちょっとした弄りネタなの」
「成程、それで。あ、でもそれぐらいなら大丈夫ですよ。僕も結構ドジ踏んでるので。この間も美也に顔にマジックで落書きされたのに気が付かなくてですね……」
「ふふふ、ありがと。やっぱり橘君は優しいね」
なんか得をした気分だった。水泳部の人間しか知らないであろう情報。それも塚原先輩が話したがらない物をじぶんだから話してもいいと思ってくれていることも嬉しい。
その喜びを噛みしめていると塚原先輩が「ところで」と新たに会話を切り出した。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな」
「何ですか?」
「休み時間はるかと話してたみたいだけど、何を話してたの?」
突然の問い。その突拍子のなさに僕の思考回路は一瞬凍結した。
何で塚原先輩がそれを知ってるのか。それが疑問だった。加えて内容が内容だ。話していいものかどうか悩んでしまう。
「どうしたの? やっぱり話したくない?」
「えっとその……何でその事を知ってるんですか?」
「屋上でたまたま見かけたの。でもあんまりにも楽しそうだったから、話しかけるのをためらっちゃって」
「そう、ですか……」
塚原先輩は笑っているけど、目がなんだか笑っていない。元から目つきは鋭いんだけど、より鋭い。差筋に刃物を当てられている様な気分だった。
どうする? 僕は……
・SELECT↑↓
●本人の前では言わない。
●開き直って打ち明ける!
「実は、塚原先輩の好みのタイプを聞いていたんですよ」
素直にそう返した。塚原先輩は時間が止まったみたいに固まる。予想外の答えだったらしい。でもこれが事実だし、他に言いようがない。
「えっと、橘君。冗談よね?」
「いえ、事実ですよ。明日森島先輩に聞いてみてください」
「そ、そう……」
さっきまでの不敵な笑みはどこへやら。しおらしくなった塚原先輩は視線をあちこちに移動させていて、何だか面白かった。
「森島先輩に聞いても分からなかったので、予想を色々立ててみたんですけど中々しっくりこなくて。森島先輩は明日答え合わせをしてくるって言ってました」
「そんなの、私に直接聞けばいいのに……」
塚原先輩が呆れたように小さく呟いて立ち上がる。どうやら時間が来てしまったらしい。
「ごめんなさい。私、もう行くね」
「はい、部活頑張ってくださいね」
「ありがと」
塚原先輩が立ち去ろうとする寸前。振り向く。
「橘君、ちなみに私の好みは『誠実な人』だから。よろしくね」
塚原先輩は笑顔でそう告げた。そしてコンクリートを一定のリズムで踏みながら部室へと向かって行った。
誠実な人か……今度からちょっと意識してみよう。
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SELECT 5
梅原の情報によるとこの辺のはずなんだけど、見当たらないな。もう既に借りられてしまった後なのか? もっと早く来ていれば「美術基礎~ヌードから学ぶ絵画論~」は僕の手の中にあったはずだったのに、くそっ……悔やまれるな。
本棚を隅から隅まで見渡してから拳を自分の太ももに叩きつけた。ちょっと痛い。
落ち着け純一。学校の備品なんだ。待てば戻って来る……! 慌てずそのときを待てばいい。次こそは逃さない様にして置くのだ。
とはいえ、胸をときめかせて来たのもあって、空振りに終わったのはかなりテンションが下がる。ああ、今日はなんて日だ……。
ため息を付いて、本棚から離れる。目的の物がない以上ここにいる意味はない。さっさと教室に戻ろう。
読書スペースとして解放されている机の横を通り過ぎようとしたときだった。目の端に写る見覚えのあるシルエット。足を止めて、よく見る。
シャープペンシルを片手に頬杖を付く人物。彼女は鋭い目つきで手元を見つめている。まごう事無き塚原先輩だった。
そう認知してから数秒後。彼女はペンを置き、縦に伸びるストレッチ。その直後弓の様に上体を後ろに倒していく。
おおっ! あれは! なんてことだ! 塚原先輩の胸が! 胸が前に押し出されるようにして存在を強調している……!!!!
あんなことを淑女がしていいのか……! いい訳無い。そうじゃ無きゃ僕がこんなに興奮するわけないじゃないか! 早く止めに行かないと。
いや……でも、他に誰も見てないみたいだぞ。その証拠に他の人は興奮していない。だったら、もう少し見てても……。
だが、そんなゲスな思考は中断された。塚原先輩がこっちに気が付いたのだ。彼女はストレッチを止めると、小さく、控えめに手を振る。
ちょっと恥ずかしそうにしている所が余計に、男心をくすぐって、僕も手を振り返す。……何というか、浄化される。僕は何でこんな素敵な人に……考えるのは止めよう。紳士タイムはいつだって突然なのだ。変化は秋の空よりも激しい。それにあらがう事は難しい。とってもね。
そう思考に決着をつけて、彼女に近づいて声をかけた。
「こんにちは、塚原先輩。受験勉強ですか」
「うん、そう。丁度キリの良い所で終わったの。そしたら、橘君と目が合ったからさ、ちょっとびっくりしちゃった。いつから見てたの?」
「本当についさっきですよ。伸びを始めたぐらいから」
「そっか」
彼女はそう言ってほほ笑む。
「ところで今は時間大丈夫かな。良かったら休憩がてらお話をしたいんだけど……」
「大丈夫ですよ。僕も丁度、探し物が終わった所だったんです。空振りでしたけど」
「そうなんだ、残念だったね」
僕の探し物が空振りで良かった、なんて言って来そうな意地悪な顔だ。でも、微笑ましくもある。彼女が殆ど見せない顔を引き出せたことが嬉しかったのだ。自然と表情が緩む。
「隣、座ったら? 丁度空いてるし」
「あ、はい。じゃあ失礼しますね」
塚原先輩が自分の横の椅子を叩き、僕はそれに逆らうこと無く椅子を引く。でも流石にすぐ隣は恥ずかしかったから、ちょっとだけ距離を開けた。
ふと自然に置いてあったノートが目に入る。意外な事に自分が見た覚えのある公式が目に映った。
「あ、これ、丁度この間授業でやりました。復習ですか?」
「うん。たまにするようにしてるの。数学は特にはるか前にやった公式が、突然もう一度出てきたりするでしょ? それで」
「そういう時がありますよね、数学って。知らなくても解けないことはないけれど、知ってた方が格段に早く解けたりもして」
「そうそう。もしかして橘君は、数学得意?」
「他の教科に比べれば得意な部類ですよ。成績がいい方ではないんですけど、その中で数学だけはマシなんです」
「そうなんだ。なんか……意外だね」
「信用ならない、みたいな顔で見ないで下さいよ。僕にだって取り柄はあります」
「ふふっ、ごめんなさい」
彼女はそんな思ってもいないと分かるような謝罪を述べて見せた。でもそれで不快な感じはしない。これが美也だったら、怒鳴りつけてしまうかもしれない。なんだか不思議だった。
「それにしても、塚原先輩はすごいですね。部活に加えてこうやってちゃんと勉強もして、僕にはこなせる自信がありませんよ」
「そうかな? 部活はともかく、受験勉強は来年嫌でもやるようになるよ」
「そういうものですかね?」
「そういうものよ」
僕の言葉に先輩はそう相槌を打った。来年、か。僕も受験まで一年を切りそうになってきた。進路なんてまだこれと言って整理がついていない。来年の僕はどうしているんだろうか……。
そんな疑問に思考を巡らせ、答えが出ないまま、もう一つ疑問が浮かび上がった。
「そういえば、塚原先輩って進路はどうするんですか? 聞いた事、無かったですよね」
「私の進路? ……言ってなかったかな?」
「言われた覚えがないです」
「そうだったっけ。まあ、君ならいいかな」
彼女はそう前置きする。
「私、国立の医大目指してるの」
「え? じゃあ、お医者さんになるんですか?」
「そうだね。最終的にはそうなれたらいいなって思ってるよ」
「……すごいですね、塚原先輩は」
自分の中で再確認するように僕は言う。僕にしてはやけにか細い声だった
塚原先輩とは元から距離がある。彼女は水泳部の部長で、成績もよくて、好みはあるだろうけれど、僕からしたら間違いなく美人で……優れたところを挙げればきりがない。それに加えて、将来はお医者さん志望ときた。
最近は縮んできたと思っていた距離感がまた開いていってる。彼女を知る度にその感覚が強くなっていた。
塚原先輩が遠くに行ってしまうのが嫌だ。
願わくは自分の近くにいて欲しい。
そう思うけれど、それが許されるほど僕は優れた人間ではない。……どうしても身の程が違うと、感じてしまう。
「どうかしたの?」
「いえ、すいません。ちょっと、考え事をしてたんです」
「そっか。随分と考え込んでいたみたいだし……何か悩み事?」
「まあ、そう……ですね。ちょっと悩んでます」
そう言葉を返すと、塚原先輩はじっと僕の顔を見たあと、話を切り出して来た。
「良かったら話してみない? 話すことでいろいろと楽になったり、整理できたりするのよ」
「そんなに都合よくいきますかね」
「いくよ。ラバーダッキングって言ってね。物事が行き詰ったときに人形なんかにそのことを話してみたりすると、頭の中が整理されて、解決に導きやすくなるのよ。もともとは──」
塚原先輩はちょっとした雑学を述べていく。でもすぐにハッとしてそれを中断した。
「あ、ごめんなさい。無駄に話が長くなっちゃった。悪い癖だね。ともかく、自分の中の物を整理する意味でも、誰かに話すって行為は結構効果的なんだよ」
「そう、ですかね」
「うん。でっち上げていないから安心していいよ」
塚原先輩は僕へ微笑みかける。本当に気遣いができる人なんだよなぁ、としみじみ思う。こういう所が水泳部の部長を務めるにあたって評価されたのかもしれない。
後輩である美也や七咲が慕うのも納得がいく。
ただ一つ問題がある。それは内容が塚原本人も関わる内容だということだ。
「……気持ちはありがたいんですけど、勉強の邪魔になってしまうかもしれないですよ?」
「今は休憩中。構わないってこのぐらい。私としては君にそんな顔をさせたままおしゃべりをしたくない。……というのが本音なんだけど」
それを言われてしまうと弱い。どんな表情をしてるのか自分では分からないけれど、少なくとも笑顔にはなれていない。だから僕は、
「そう、ですね。じゃあ思い切って相談させて貰おうと思います」
話すことを選択してしまう。
でも正直に話すことはどうやってもできそうにない。さっきも言った通り彼女にも関連のある話なのだ。
だから、せめてもの抵抗として内容を濁しながら話すことにした。
「僕には、どうしても欲しいものがあります」
「それは、どんな?」
「ちょっとここでは、言いづらいです」
「そっか、ごめん。続けて」
そう促され、僕は話を続ける。
「でも、それを知れば知るほど、どうにも自分に似合ってないとか、相応しくないんじゃないかって思えてきちゃうんです」
「うん」
塚原先輩は頷く。彼女は事態の把握に神経を注いでいるようで、先輩自身の意見は含まれていない。そのことに気が付いてしまう。
もしかしたらさっき言っていたラバー……ラバー何だっけ? まあ、いいや。ラバー何とかを意識しているかもしれない。あれはぬいぐるみに話かけてる。どこまで言っても自己解決。それ故に先輩の意見を混ぜる事をしない。……のかもしれない。
確かめるために先輩に話を振ってみることにした。
「……そういう時、先輩だったらどうしますか」
「え、私? それを聞いたら私の意見になっちゃうじゃない。変なミスしても責任取れないよ?」
やっぱりそうだった。
その事に不満があった訳じゃない。塚原先輩が僕の事に真剣になってくれた結果だと言うことは理解しているから、それだけは絶対にあり得ない。
でもやっぱり──
・SELECT↑↓
●塚原先輩の意見も聞きたい。
●いや、自分で答えを出すべきだ。
塚原先輩の意見も聞きたい。自分だけで考えるのはもう限界だった。自己解決できる領域はとっくに通り過ぎている。そうでなかったならもっと楽しい気分であるはずなのだ。
「参考にまでに留めておくので教えてくださいよ。塚原先輩の考え」
「そうね……」
顎に手を添えて塚原先輩は考える。断られるかと思ったんだけど、こんなにすんなりと話してくれるとは思わなかった。意外だ。
そんな事を考えつつ彼女の言葉を待つ。
「私は基本的には背伸びはしない
「そ、そうですか……」
「あ、でも結局物にもよるかな」
「もの、ですか」
「うん。洋服とかだったら、自分にサイズが合わないとか、値段がちょっと手を出しにくいものだったとするでしょう。でも、季節が変わったらお店の物が変る。そうなったらもう二度と手にする機会がないかもしれないし……後悔するかも」
意見が行ったり来たりしてまとまっていない。その一感性のなさに僕はつい笑ってしまう。きっちりかっちりしてそうな塚原先輩がそんな風に言うギャップがちょっと、面白かったのだ。
「ちょっと、笑わないでよ」
「すいません。こらえきれなくて」
「もう、そんなこと言ってると相談に乗らないからね」
塚原先輩は不満有り気なため息を付く。本気で怒っている訳ではないんだろうけど、こういう風にムスッとしている先輩も悪くない。
大人びている先輩だからこそ、幼さを垣間見ると、可愛らしく感じてしまう。
「それは、困っちゃいますね。すいません」
「分かってくれるなら良いけど……」
「話を戻すけれど」と先輩が言葉を区切った。
「どうしても諦められないなら、それが似合うような、相応しい自分になれるように頑張るんじゃないかな」
相応しい自分になれるように頑張る。その言葉がやけにスッと胸の中に入ってきた。足りないものは、ある。だからこそ足していく。
これからの自分に必要な物がその言葉にはあったように思えた。
「ありがとうございます。参考になりました」
僕は立ち上がる。自分の中で一通り区切りがついたから、更に言えばこれ以上先輩から時間を奪いたくなかった。
「……もう行っちゃうの?」
「はい。用事も済みましたし、塚原先輩のおかげでいろいろとすっきりしたので」
「それは良かった。じゃあ、また今度だね」
「はい、また」
僕は軽く手を振って、図書室から去る。
先輩が名残惜しそうに、僕を見送ったのが何だか嬉しいかった。距離は縮まっている。見えなかったものが見える様になっただけだ。
塚原先輩のように、自分を高めていけばいつかは──
そうなれるように頑張ってみよう。
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SELECT 6
よし、今日は自分磨きをしてみよう。目指すは塚原先輩と釣り合うような自分! と、意気込むのは良いんだけれど、どうしたらいいんだろう。
悩んだけれど、明確な答えが出なかったので、ひとまずは塚原先輩が好きそうなことができるようにすることにした。
先輩が好きそうなこと……『おしゃれ』これはハズレでは無いだろう。森島先輩とショッピングに行くぐらいだ。趣味と言ってもいい。
次に『食べもの』。心を掴むにはまずは胃袋からつかめとも言うし、中でもお菓子が嫌いな女の子はいないはずだ。
そして『運動』。塚原先輩は運動部。同じ運動ができる男子というのも悪くない。
パッと思いつくのはこれぐらいだろうか。とはいえ、がむしゃらに頑張っても効果が出ないんじゃ意味がない。頑張りましたで評価されるのは小学生までだ。確実に効果が出るようにするには、やはり専門家の指導を仰ぐべきだろう。
専門家……専門家か──
・SELECT↑↓
●薫にファッションについて指南してもらう。
●梨穂子にお菓子作りを指導してもらう。
●美也と七咲に体を鍛えてもらう。
この中だったらやっぱり運動かな。今でも不得意が無い程度には動けるし、ゲームでも得意分野を伸ばすのは鉄則だ。
指導してもらう運動部のあてには、梅原もいるけど……梅原は幽霊部員だし、こういう時に頼るのはちょっと違う気がする。そうなると頼るべきは美也と七咲だろう。
そうと決まれば善は急げだ。早速一年生の教室に行くとするか。
・
・
・
「おーい美也。七咲~。いるかー? お兄ちゃんが来たぞ~」
一年生の教室にだどり着くと勢いを失わない様に声をかけた。ギョッと驚いた二人は素早く教室から飛び出すと、美也は肘を容赦なく腹部に。七咲はそのフォローをするように後ろから羽交い締め。流れるような連携になすすべなく黙らされてしまう。
「お兄ちゃん! そういうの止めてよ。恥ずかしいじゃん」
「そうですよ先輩。私も巻き込まないでください」
「悪かったから、肘をもう一度打ち込むのは勘弁してくれ」
両手を上げて降参のポーズをとると拘束と脅しから解放される。美也はともかく七咲にまで容赦されなくなってきたのは喜べばいいやら、悲しめばいいのやら……。
「それで、お兄ちゃんは何の用なの? みゃーだけならともかく、逢ちゃんまでセットで呼び出すなんて」
「そうですよ。本当にびっくりしたんですから」
「実は二人に頼みたい事があって……」
「頼みたい事……ですか?」
七咲が首を傾げる。まあ突然のことだし、無理もない。だけど、休み時間もそう多くはないので、説明している暇も無かった。端折って僕は頭を下げて二人に頼み込む。
「僕の師匠になってくれ! この通りだ!」
「え? ちょっと先輩!? 何を言い出すんですか。それもこんな所で……」
「……お兄ちゃん。流石の美也にも訳が分からないよ」
……上手くいかなかったらしい。二人なら僕の意思を組んでくれると思ったのに……仕方がない。
しっかりと二人に運動ができるようになりたいと言うことを話した。
「成程、それで師匠ですか」
「お兄ちゃんのやりたい事は分かったけどさ……。何? 頭でも打ったの?」
「美也ちゃんそんなこと言っちゃダメだって。熱があるのかもしれないでしょ?」
「二人とも、そういうフォローの仕方は要らないから」
僕のイメージが二人の仲でどのような形成のされ方をされているのか疑問が生じたが、今はそれどころでは無い。置いておこう。追及したら悲しい気分になりそうだし。
「一応聞いておくけどさ、お兄ちゃんはどうして運動ができるようになりたいの?」
「それはほら、運動ができる男子ってかっこいいじゃないか。間違いなくモテる。僕もそれを目指そうと思ってさ」
「あ、良かった。いつも通りのお兄ちゃんだ」
そう聞くと七咲は渋そうな顔をする。
「何だよ、七咲」
「いえ、そういう人って部活だと二週間ぐらいで自然消滅していくので……。ね? 美也ちゃん」
七咲が隣の美也にそう相槌を求めると、美也も「そうだね」と頷いた。二人とも運動部でそれなりに真面目に取り組んでいる。だから、そういう人間に苦手意識があるのかもしれない。僕は違うと思うけれど。
「そんなことはない。僕は本気だ。信じてくれよ」
「本当かな~?」
「…………」
ぎこちない笑みを浮かべるな、七咲。そんな風にみられると僕も心苦しいじゃないか。
「勿論タダでとは言わないぞ。僕ができる範囲で何でも言う事を一つ聞こう!」
「お兄ちゃんに言う事を聞かせられる、か……」
「先輩に……」
二人はそういって何やら考えるそぶりを見せる。
『別にいいかな(ですかね)』
「なっ、二人ともなんだよその言い草は! そんなに僕が頼りないって言うのか!?」
「別にそれほど今は困ってないですし。先輩にできる範囲ってそんなに……」
「あ、逢ちゃんそれぐらいにしてあげて。流石のお兄ちゃんでもかわいそうになるから」
「あ、そうだね。ごめんなさい、先輩。さっきのは失言でした」
七咲は頭を下げる。
「そんな気を遣ったみたいな矛の収め方は止めてくれよ。虚しくなる。七咲頼む、お前だけが頼りなんだ」
僕は両手で七咲の肩を
「……止めて下さい先輩。分かりました! 分かりましたから!」
「本当か!」
「不本意ながら、ですけど……。まあ引き受けましょう。ここでいつまでも居座り続けられるのも困りますし」
「え? 良いの? 逢ちゃん」
「うん。大丈夫。……それに口だけならすぐに脱落するから」
え? なんかボソッと物騒な言葉が聞こえた気がするんだけど。気のせいだよね。
「それならみゃーも参加するよ。逢ちゃんと二人きりにすると何するか分かんないし」
「ありがとう美也ちゃん」
「そんなに僕って信頼無いの?」
何かちょっと自信を無くしそうだ。
「そういう訳で先輩。早速今日から始めましょう。放課後は部活があるので昼休み、着替えてグラウンドで待っていて下さい」
「みゃーと逢ちゃんに感謝するのだ」
「ああ、七咲には感謝するよ」
「みゃーにも感謝するの! バカにぃに!」
こうして昼休みに二人に鍛えて貰うことになった。七咲が何か言っていたのが気になるけど、まずは了承してくれたことを感謝しなきゃ。よーし頑張るぞ。
言われた通りにグラウンドに来たぞ。七咲と美也は……あそこか。
「おーい、美也、七咲~」
「あ、先輩やっと来ましたね」
「お兄ちゃんおそーい」
美也が不満げにそう言う。
「そんなに待たせたか?」
「いえ、それほどでは。ところで先輩、お昼は食べてきましたか?」
「まあ、軽くだけど。これから運動するんだったら、食べ過ぎは良くないだろ」
「分かっているなら大丈夫そうですね」
「では」と七咲は両手を合せて場を仕切る。
「早速始めましょう。時間もないことですし」
「始めるのは良いんだけど、今日は何をするんだ?」
「今日はランニングです」
「えーランニング?」
何というか専門家ならではの意見が聞けると思っていただけに、そう口に出してしまう。
「えー、とは何ですか。いいですか、先輩。何をするにもまずは体力です。ランニングを侮ってはいけません。どんな運動部でも走り込みは重要なんですから」
「それは、そうだけどさ」
「取りあえず校庭のトラック十周してみましょうか。丁度空いてますし」
「十周? 一周が確か二百メートルだから……二千で、二キロ!? そんなに走るのか?」
「あ、これはふるい落としも兼ねてます。先輩が本気で運動ができるようになりたいなら、この程度軽々とこなして欲しいものですね」
「くっ……」
そこまで言われてしまっては引き下がれない。僕だって本気なのだ。
「やってやるさ! 僕の本気を見せてやる! うおぉぉ────!!」
僕はトラックに向けて駆け出した。何とか時間以内に終わらせたものの、体力はギリギリ。午後の授業はすっかり寝てしまった。
初日からこれとなると、これから自分はどのような事をこれからやるのか不安だけど、全ては塚原先輩に振り向いてもらうため。頑張っていくぞ!
・
・
・
「あ、見て見てひびき! あれ橘君じゃない?」
「本当だ。何やってるんだろうね」
はるかに言われてグラウンドを見ると、橘君の様な人影を発見して眺める。そばには七咲や橘……ああ、分かりづらいな。美也らしい人影もいるから殆ど間違いないだろう。
彼は叫び声を上げたかと思うと突然グラウンドを走り始める。
「あ、走り始めた。本当に何をやってるのかよく分からない子だよね」
「はるかも人のこと言えないと思うけど……」
「そんなことないわよ。橘君と私は違いますっ!」
心外っ! と言わんばかりにボディランゲージで示す。知らぬは本人ばかり。私からすれば二人はとても似た者同士だ。
さっきも言ったみたいに突拍子のないことするし、ぱっと見ではしっかりしてるけど、割と手がかかるし……。うん、やっぱり似てる。
「そうかな?」
「そう! ひびきちゃんったら失礼しちゃう! 私はあんなふうにわんちゃんみたいな可愛い振る舞いはできないよ!」
「そこなんだ」
気にするとことがちょっとズレている。そこもまたはるからしいとは思う。……というか可愛い、かな? 彼って。そんな印象は薄いと思うけれど。
「じゃあはるかは橘君のこと気に入ってるんだ?」
「そうでさあねぇ。割と気に入ってるかも。あまりいなかったタイプだし、話してて面白いし……ひびきちゃんがお熱みたいだし?」
「な、何を言い出すの」
不意を突かれて、たじろいでしまう。いつもの仕返しのつもりなのかもしれない。ふーんと含みのある笑みを浮かべつつ、はるかの攻撃は続いた。
「結構気にかけてるし、結構ひびきちゃんのタイプだったりするのかなぁって思ってみたりして」
「タイプって、橘君はその、そういうのじゃ……」
「またまた~。最近頻繁に話してるところ見るし、この間だって、二人でゲームセンターに行ったって聞いたよ」
はるかが「えいえい」と肘で私の体を小突く。どこからその情報が漏れたのかな……って一人しかいないか。
「あれは……その、たまたまよ。時間が合ったから、付き添っただけよ」
「そんな事言っちゃって! まんざらでもないくせに」
「……あんまりからかわないで」
「ごめん、ごめん。つい張り切っちゃった」
「もう、調子に乗り過ぎよ」
まったく……。ため息をつく。油断も隙もあったものではない。
まあ確かに、彼とは馬が合う。こんなにも一緒にいて気が楽なのははるか以来だし、男性では初めてだ。だけど、そんな簡単に好みのタイプという枠に収めてしまっていいものか分からない。それ故に自分の気持ちをどこにおいておけばいいのか、結論を出せないでいる。
「でもね、ひびきちゃん。いつまでもそうしてる訳にはいかないよ」
「珍しいわね。はるかがそんなこと言うなんて」
「最近断った子が、そんな事言ってたなぁ……って思ったの。実際この学校にいるのもあと数ヵ月だから」
「それはそうだけど。でもそんな事ばかりにかまけてる場合でもないでしょ? 部活だってあるし、受験だって終わってない」
「固いなぁ……ひびきちゃんは」
「はるかが適当過ぎるの」
「あら? 痛いところをつかれちゃった」
「ちゃった、じゃ無いの! ……もう。大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。ひびきちゃんには心配かけないから」
「本当?」
「本当だって。だからひびきちゃんは自分の心配を……いや、それよりも橘君の心配をした方がいいかも。気が付くと女の子と一緒にいる気がするし……うかうかしてると取られちゃうんだから」
はるかはそう言った。
橘君が? そんな事……いや、確かに良く女の子と一緒にいる。今回だって二人一緒にグラウンドに来ていた。まあ、片方は妹なんだけど、私が見ていないだけで他にもいろんな子と……。
思考に集中している所にチャイムが鳴って、はっと現実に思考を戻す。
「あ、いけない。行きましょ、ひびきちゃん」
「……ええ。そうね」
呼びかけに答えて、私たちは屋上を後にする。その直前。チラリとグラウンドを見たけれど、橘君たちの姿はもうなかった。
・
・
・
l→ _★
──→ l→ _★ ──→ | _ | |||
スキ | ||||
l→ _★ ──→ | _ | |||
アコガレ ひびき | ナカヨシ | |||
あい | ||||
デアイ | シリアイ | ソエン | ||
LEVEL 1 LEVEL 2 LEVEL 3 | ||||
テキタイ |
「ちょっとは女の子と仲良くなった?」
「何だよ美也。帰って来ていきなり」
「いや、なんとなく聞きたくなって。そろそろご飯だからね」
「わかった。じゃあ荷物置いてくるよ」
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SELECT 7
また、塚原先輩√は 「LEVEL 2」の☆獲得イベントは二種類あり、他の☆を取っているかどうかで分岐します。今回は七咲の☆を取っているので、そちらのイベントです。
※今回の話では特殊タグの調整が難しく、スマホ版では上手く見れない場合があります。
試した所、テキストサイズを縦持ちで60%、横持ちで130%である程度改善されます。
●休2
「ごめんね、絢辻さん。片付け手伝って貰っちゃって」
「ううん。あたしだって使ったし、橘君一人に片付けさせるわけにはいかなかったから」
絢辻さんはそう微笑む。移動教室で一人、実験で使ったものを片付けていると、彼女が声をかけてくれたのだ。
「絢辻さんは優しいね。ありがとう」
「橘君だって……いや、これ以上言うのは堂々巡りになりそうだから止めときましょう。時間は有効に使わなきゃ」
「それもそうだね。じゃあ教室に戻ろうか」
「ええ」
絢辻さんは僕の言葉に頷いて、一足先に教室を出る。自分達の教室へ向かおうとする途中だった。
曲がり角、すれ違う直前で足を止めた。声の主を確認すると、ポニーテイルに馴染みのある強気な目付き。予想通りの人がそこに立っている。
「あ、橘君。どうしたのこんな所で」
「塚原先輩。僕は授業の帰りですけど、先輩は何をしてるんですか?」
「私はこれから移動。丁度、入れ違いみたいね」
塚原先輩は脇に抱えていた教科書を見せると、隣に立っていた綾辻さんへ視線を向けた。
「絢辻さんも一緒? 意外な組み合わせだね」
「はい。橘君とは同じクラスで」
絢辻さんはすんなりと会話に入って来る。あまりの自然さに僕は違和感を覚えた。
「あれ? 絢辻さんは塚原先輩と知り合いなの?」
「ええ、塚原さんは去年の実行委員長だったから。いろいろと話を聞かせて貰ってるのよ」
「そういうこと」
絢辻さんと塚原先輩が当然の様にそう言う。僕はしばらく考えて、それでも思考が上手く結び付かない。
「……え? 塚原先輩って去年の実行委員長だったんですか!?」
「うん。前に出て挨拶もしたから、知っているものだと思ってたけど」
「去年の創設祭は参加しなかったので……」
「そっか。じゃあ知らなくても当然か」
全然知らなかった。塚原先輩の凄みにますます磨きがかかってしまう。僕が気付いていないだけで、もともと箔は付いていたのだけれど、よりハードルが高くなってしまった気がした。七咲との特訓だけで届くのだろうかと不安になる。
「橘君、もったいないことをしたわね。塚原さんの挨拶見事だったのよ」
「綾辻さん、そこまで持ちあげないで……。恥ずかしいんだから」
塚原先輩は目をそらしつつ頬をかく。それがまた彼女の愛らしさを際立てる。いつまでも見ていたい様な気分だった。
「ところで、」
気まずくなったのか、塚原先輩が話題を変える。
「橘君ってクラスだとどんな感じなの?」
「橘君ですか? そう、ですね。……まあいい人ですよ」
「絢辻さん、そんな褒める所がない人を無理やり褒めた、みたいな典型的な感じ止めて」
「ごめんなさい。別にそんなつもりはなかったんだけど、そんな風に聞こえちゃったかな?」
絢辻さんは両手を合せつつ、そんな事を言う。
「そうだね。橘君は良い人だよね」
「塚原先輩も乗らないで下さいよ」
「ごめんごめん」
塚原先輩も絢辻さんみたいなことを言ってくる。僕の周りの女性はやたらと攻撃的な気がする。絢辻さんといい、塚原先輩といい、七咲といい……。癒しはどこにあるのだろうか。
「でも、橘君。この前も放課後、あたしに声をかけてくれたり、今回の片付けだったり、誰も気が付いてないような、細かいところに気が付くよね」
「そうかな?」
「そうよ。大抵の人は気が付かないし、気が付いても見て見ぬふりするのが大半だろうから、橘君のそう言う所、すごい所だと思うわ」
テコ入れなのか、それとも本音なのか、絢辻さんがそう言った。それを受けて塚原先輩が興味深そうに「ふーん」と僕の方を見る。
「そうなんだ。橘君はいろいろな所で色目を使ってるんだね」
「色目って、人聞きが悪いこと言わないで下さい」
「だって……いや、何でもないわ」
「そんな含みのある言い方しないで下さいよ……」
気になってどうにも不安になってしまう。僕なんかしちゃったかな? そんな事を考えていると、隣で咳払いが聞こえた。
「ところで橘君、次の英語の課題終わってる?」
「え、課題? あったっけ」
「忘れてたんだ……ダメでしょ」
絢辻さんが優しく注意してくる。自分が悪いことが分かっているため、どうにも分が悪い。
「課題か……ちなみに教科は?」
「英語です」
「二年生の英語だから……あの先生か。じゃあ課題はやらないとダメかもね。あの先生、減点結構厳しいから」
絢辻さんに確認を取った後、塚原先輩がそう補足した。これ以上僕の弱点が増えては困る。ただでさえ先輩とは不釣合いなのだから、少しでも足掻かなければならない。
「塚原先輩すいません、僕、先に行きます!」
「うん、頑張ってね」
ひらひらと揺れる指先。彼女の微笑みが印象に残った。
●昼
「あら、七咲」
私はグラウンドを見つめる後輩に声をかけた。この間屋上で見かけた光景が立った今、こうして再現されていて、その正体が気になったのだ。
七咲は私を見るとハッとして、頭を下げる。いきなり上級生に声かけられるとびっくりするよね。私も一年の時はそうだった気がする。ちょっと懐かしい。
「こんにちは、塚原先輩。お疲れ様です」
「うん、こんにちは。何してるの?」
「特訓、ですかね? 私のじゃなくて橘先輩のですけど」
七咲は考えながらそう口にする。
「特訓?」
「ええ。何でも運動ができるようになってモテたいんだそうですよ」
「そ、そうなんだ」
橘君、モテたいんだ。そんな事私の前では言ってなかったけど、まあ年頃の男子の悩みとしては理解できない訳じゃない。
「それで、今は体力作りって感じなの? 七咲、分かってるじゃない」
「塚原先輩に散々言われましたから。一学期の頃は夢に出てきましたよ」
「……そこまでしつこく言ったかしら」
「ごめんなさい。ちょっと話を盛りました」
彼女はそう冗談を訂正して微笑む。本当に可愛い。私には無いものを持っている。これだけ柔らかく表情を変える事ができたら部員の勧誘でも苦労しなかったんだろうな。そう思う。
「もう、先輩をからかうのもほどほどにしなさい。ところで、どうして橘君の特訓に七咲が付き合ってるの?」
「そう、ですね。まあ恩返しです。この間お世話になりましたから」
「お世話に?」
「はい。塚原先輩、私の弟、郁夫の話、しましたっけ?」
「うん。たまに聞いたよ。色々と手を焼いてるって」
「ええ、今回は郁夫にプレゼントをしようと思って。男の子のことって、あまりよくわからなかったのでそれで、橘先輩に話を聞いたんですよ」
「成程ね」
私は頷く。橘君は素直でいい子だし、悩んでいる七咲を放っておけなかったのだろう。面識のある後輩なら尚更だ。
「結局、上手くいかなかったんですけど……でも橘先輩、その後慰めてくれて……」
過去にあったこと。それをじっくりと味わうように七咲は口に出す。
そのときの表情は私には見せた事のない物。そうさせている人物が誰なのか、明らかなのだけれど、その事実が私の胸を締め付ける。
「……そっか」
「それで、橘先輩に恩返しをしようと思って。……あっ、本人には言わないでくださいね」
「分かってる、と言っておきたいけど、七咲には橘君に私の弱みを吹き込まれた事もあったから、どうしようかなぁ……」
「そ、それは……」
「ふふっ、冗談だよ。黙って置いてあげるって」
「あ、ありがとうございます」
ホッとした様に七咲は息を漏らす。白い息がゆらゆらと天に上った。
「じゃあ、七咲にとって橘君は頼りになる先輩なんだ?」
止しておけば良かった。聞かなければ、疑問は晴れないけど、これ以上傷つくことはないはずだった。
言ってから、そう気づく。
「そうですね。男性の先輩だったら、一番です」
七咲は両手を合わせてそう答える。その迷いのなさが私にまた傷をつける。
橘君がそんな頼りになる部分を私に見せたことは無い。
彼女の中でも、彼は特別である。
その二つの事実が火をつけ損ねた爆竹みたいに、自分の中で燻っている。
「あ、塚原先輩じゃないですか。どうしたんですか?」
「え?」
視界の外から声がして、自分の世界から解放される。視線を向けるとそこには彼が立っていて、七咲からタオルを受け取っていた。
「ああ、こんにちは。橘君。ちょっと君が何をしてるのか気になって、七咲に聞いていたのよ」
「そ、そうですか。見られちゃったか……」
「何? 橘君は私に見られるのは不満?」
「いえ、そういう訳じゃ……」
「橘先輩は塚原先輩にメニューを駄目出しされるのが怖いんですよね?」
「ふーん、そっか。じゃあ安心して。さっき七咲と対策を練っていた所だったから」
「ええ、楽しみにしておいてくださいね。橘先輩」
私のパスに上手く対応した七咲は、いたずらっ子の笑みを浮かべつつそう言った。
私はそれをずっと見ているのが嫌になって、もともといた方向へと足を向ける。
「じゃあ、私は行くね。特訓もいいけど、二人とも授業には遅刻しない様に」
「分かってますって」
「なら良いけど。じゃあね。頑張ってね、橘君」
「は、はいっ!」
手を振って、二人から距離を取る事に成功。安堵する。
この燻った感情のまま二人と話していたくなかった。自分が置いて行かれているかのような劣等感。身勝手だとは分かっている、
願望と実行されない故の不満。
それらが混ざり合っている。こんな感情を捨ててしまいたい。そんな事、出来ないとは分かっているのだけれど、願わずにはいられなかった。
テラスに塚原先輩がいる。でも、様子が……。
_ _ _ _ _ _ _ | 選択可能です | … … … … … … … … … … … ・ … … … … … … … … … … … | |||||||||
_ _ _ _ _ _ _ | 休1 休2 昼●放 | テラス | |||||||||
_ | |||||||||||
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! [ ★ ] !
09
38 ←L ■ ■ ■ ■ ■ ■ *1 R→ 塚原 ひびき
あそこにいるのは塚原先輩、だよな。
普段だったらそう疑問に抱くことはない。ノータイムで先輩のもとへ駆けつけている。でも、今日は二の足を踏んでしまった。それも普段と少し様子が違う気がしたからだ。
以前、塚原先輩とここであったときはのんびりと、リラックスしていた。部活をする前の小休止をしているはず。なのに、今日はピリピリとした雰囲気だ。いつも纏ってる余裕さが案じられない。
声をかけるべきか少し悩んだけれど、僕は一歩踏み出す。彼女が僕にしてくれたこと、その恩返しをしたかったのだ。彼女に大きく手を振る。
「こんにちは、塚原先輩。今日も休憩中ですか?」
「……橘君か。まあ、そんな所」
「なんか、元気ないですね。何かあったんですか?」
僕は塚原先輩に問う。彼女の雰囲気、その違和感の正体を知りたかった。でもしばらく待っても、彼女は言葉を返さない。
僕は対面の椅子を引いて腰を掛ける。
「……話して下さいよ。悩んでたりするなら、尚更。先輩だって言ってたじゃないですか。話すことで楽になる事もあるって。何でしたっけ、ラ、ラバー……」
「──ラバーダッキング。あれは自分の中で物事を整理するためのテクニック。相手に対して反応を求めないことが条件なの」
「僕だって理解してますよ。ぬいぐるみみたいに黙ってます」
「ううん。そうじゃ無くて。私が反応を求めずにはいられないと思うから」
塚原先輩は首を振ってそう答えた。反応を求める。それは本来の相談という形において悪いことだとは思えない。だから僕は彼女に問う。
「それは、駄目な事なんですか?」
「駄目だよ。きっと私は耐えられない」
「どうして?」
「満足いかない結果だって、分かってるから」
「なんで、そんなこと分かるんですか」
弱々しく言った彼女にそう返した。それから彼女の思い込みを砕くために自分の中の井戸からいっぱいいっぱいの言葉を汲む。
「僕は塚原先輩の好みを完全には理解してません。けれど、もし塚原先輩に何かプレゼントをするとしたら、精一杯悩みます。それを開けないで判断されるのは……嫌ですよ」
「まるで、シュレーディンガーの猫みたいだね。でも今回は言葉だって。世の中聞かない方がいい事だって山ほどあるでしょう?」
「それは、言葉でも変わらないですよ。大切な物はいつだってプレゼントみたいに包まれてます。開けなきゃいつまでも箱のままです」
「開けなきゃ分からないこともある、か」
僕は頷く。
プレゼント受け取られなければ、開封されなければ意味がない。それどころか、ずっと心にしこりを残してくる。あの時の、中学生だった僕が今でも、燻ってしまっている様に。
「ねぇ、橘君。これから聞くこと、嘘はつかないって約束してくれる?」
普段だったらふざけて、それに「嘘付かれて答えたらどうするんですか?」とか言っていたと思う。でも彼女の雰囲気がそれを許さなかった。
真剣で、切実で、思い悩んでいる。
その姿に僕も同じように応えたいと思った。彼女がしてくれたように役割を演じる。ぬいぐるみの代わりになる覚悟を決めた。
「……はい」
僕の返事を確認すると塚原先輩はゆっくりと目を閉じて、また僕を見る。
「橘君は……どうしてモテたいって思うの?」
「え? そんなに思いつめておいて聞く事それですか? というか、どこからその話を」
「七咲から橘君が特訓してるときに聞いたの。内緒って言われてたけど、以前話してた、欲しい物の話に繋がるのかなって」
恨むぞ七咲……。確かに他言無用とか言わなかったけどさ、選りにも選って塚原先輩に言わなくてもいいじゃないか。
「彼女、欲しいの?」
「いや、それはその……」
「橘君の周りってかわいい子多いよね。七咲とか、絢辻さんとか……はるかだって。誰が狙いなの?」
ズイズイと迫って来る塚原先輩。机に乗り出してくるほどの威圧的な態度に思わず身を引いてしまう。塚原先輩は勘違いしている。僕の目標の為にはその勘違いをそのままにしてはいけない。何とか訂正するために話を切り返す。
「違いますよ! モテたいって言ったのは方便というか、その、正直に言うのが恥かしかっただけで……」
「ふーん。そうなの? じゃあ橘君、本当は何が欲しいの?」
「塚原先輩ですよ。僕が欲しいのは」
そうだ。塚原先輩が欲しいんだ。僕の目標は変わらない。その事実を改めて確認して……ん? 今僕はなんて? とんでもないものがポロっとこぼれ出てしまった気がした。
チラリと塚原先輩を見ると、その態度で確信に変わる。
「え? いや、ちょっと、いきなり何を言い出すの!?」
油断した。気が緩んだ。彼女の言葉に素直に返す様に意識していた故の失態だ。
本来であればもっとこうっ……情熱的に……ってそんな事を考えている場合じゃないっ!
「いや、その……嘘は言ってませんからっ!」
「それは、その……ありがとう。すごく嬉しい」
恥じらいながら、言葉を噛みしめながら、彼女は言う。
ムードもへったくれもなかった告白だった。けれど、彼女の嬉しいという言葉に全てがどうでもよくなってしまう。
「じゃあっ!」
今度は僕が机に乗り出して塚原先輩に迫る。立場が逆転して今度は彼女がたじろいで押されていく。
「……ごめんなさい。私は君の気持ちに応えることは、今はちょっと難しい」
「そんな……」
「苦しそうな顔させてごめん。部活に受験、集中したい事がまだまだあるの」
「そう、ですよね」
急速に温まった鉄の様な心が水に突き落とされて、急激に冷めていく。
当たり前だ。僕が塚原先輩だったとしても、彼女の目標の進学、未だ並行して行っている部活動を考えると、今ですらキャパオーバー気味。これ以上心血注ぐものを増やすことは愚行としか言えない。
事実を自分の中で再確認して、どうしようもなく、ただただ俯いてしまう。
そんな僕の頬に何かが触れた。熱を帯びたそれは滑って額へ移動すると、僕の前髪をかき上げる。光量が増えて、思わず目を細めた。
その隙をついて、明らかに違う物が触れた。指とも爪とも違う、明らかに硬度の低い物体。異質な感触に目を見開いた。
視界を独占している肌色。それが何なのか、それを理解するのに数秒。それが彼女の、塚原先輩の首で、自分が額に口づけをされたと言う事実に遅れて到達する。
その状態から解放されて、塚原先輩にピントが合う。
「こんな事、ズルいことだって分かってる。だけど……ごめん。もう少しだけ待ってくれるかな? 君が許してくれるなら、そのときはちゃんと応えたいから」
彼女の唇から移った熱がじんわりと広がっていく。背中でお湯が沸かせるんじゃないかと思うほどに熱くなる。それが全身に回って、固まっていた僕はまた動き始めた。
「それって……」
「言った通り。二度は……言わないから」
塚原先輩はこれ以上語らず、プイっと顔を背けて、席を立った。僕はその前に「はいっ!」と精一杯の元気を込めた返事をする。
「そっか。ありがとう」
席を立った彼女は頬を染めてそう言うと、足早にこの場を去った。
感情ジェットコースターを乗り切った僕は、今起きたことが信じきれなくて、頬をつねる。立てていた爪が鋭い痛みをきっちりと伝えて来て、これが夢ではないことを確信させてくれた。
夢じゃない。
先延ばしにしたけど、間違いなく塚原先輩は……。
(よおっっっっし!!!!)
ジャンプしながら右拳を突き上げる。でもそれだけじゃこの喜びを抑えきれない! 衝動のまま、僕は夕日に向かって走った。
時間がかかった特殊タグランキング更新。頑張ったから誉めて……。
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塚原ひびき LEVEL3 スキ編
SELECT 8
塚原√EDまで一直線。涙イベントは心が痛くなるので見ません。従って裏で攻略していた七咲イベントもここからはスルーしていきます。
l→ _★
──→ l→ _★ ──→ | _ | |||
ひびき スキ | ||||
l→ _★ ──→ | _ | |||
アコガレ | あい ナカヨシ | |||
_ | ||||
デアイ | シリアイ | ソエン | ||
LEVEL 1 LEVEL 2 LEVEL 3 | ||||
テキタイ |
最近どうにも集中力を欠いていた。
理由は他人が見たら分からないだろうけど、自分からすれば明らかな物だ。
「橘、純一君……」
独りでに天井に向かって名前を呟く。彼への気持ちをどうすればいいのか、ここ最近の自分は答えを出せずにいた。従う気持ちを認識できていないのだから、当然どのように振る舞って良いのか、まるで分からない。
でも、それも今日までだ。
ようやく踏ん切りがついた。今日彼が漏らした本音。それに応えたいという自分。それはもう明確な答えと言ってしまってもいい。
私はどうしようもなく彼が好ましくて、自分の物にしてしまいたいと思っている。
そう自覚できただけで、名前もなかった気持ちの燻りが、知らない部分があると知る、あの焦燥感がスッと軽くなる。
あれはきっと嫉妬とか独占欲だったのだ。
未知の病は恐ろしいけど、正体と仕組み、治療法さえ理解できれば何とかなる。
今回の場合は彼の所に行って、ひたすら可愛がり、からかうことで完治するでしょう、なんて。馬鹿だな……頭の中がお花畑になってる。
でも、普段だったら嫌悪するこんな思考も自然と受け入れられた。恋って、結構不思議だ。
それにしてもと、今日の出来事を振り返る。
彼の漏らした本音。言うつもりで無かったであろう言葉。それがもたらす結果に怯える彼を放っておけなかった。自分がこれだけ幸福感に満ちているというのに、そんな事を許せるはずもない。だから私は……
「ああっ! もう! やり方は幾らでもあったのに……!」
何のために頭が付いているんだと、バタバタと足を跳ねさせて抗議する。
あんなこと自分はできない。やらない。そう思っていただけにびっくりだ。これでもう少女漫画を読んでも笑えなくなってしまった。
自分がどんどんダメになっていってる。そう自覚はしている。だからこそ私はあそこで踏みとどまったのだ。
これ以上はダメ。私には乗り越えなくてはならない壁が残っている。終わるまでは、彼にこの不誠実さを許容してもらいたかった。
一方その頃……
「お、おはよう。橘君」
声をかけられて僕は顔を上げる。靴を履き替えている途中だったのだ。前髪が瞳に刺さりそうになって首を振る。
「塚原先輩。おはようございます」
「うん。今日はいい天気だね」
「ええ、まあ。スッキリと晴れてていいですよね」
ありきたりの言葉に返事をしつつ、靴を履き替え終わって彼女に並ぶ。また前髪のポジションがずれて苛立ちを覚えながら触れた。
「前髪、気になるの?」
「ええ、ちょっと前髪が伸びすぎたみたいです。最近床屋に行くのサボってたんで、そろそろ切ろうかと」
「ふーん。じゃあ橘君は普段もうちょっと短いんだ」
「いちいち目にかかるのは鬱陶しいですから」
そう言ってふと塚原先輩の前髪を見た。彼女の髪だってそれなりに長さはある。女性の前髪って日常生活に支障をきたしそうだと思う。まあそれは彼女に限った事じゃないけど。
「塚原先輩って前髪が邪魔だって思うこと無いんですか?」
「そうね。無い訳じゃないよ。そういう時はカチューシャとか、ヘアゴムでどかしちゃうね。学校じゃあんまりやらないけど」
「へぇ……」
そう言われて僕は、塚原先輩の髪型を脳内で変換してみる。ポニーテイルを解いて、前髪だけヘアゴムで纏めて……。おお、これは意外とありなんじゃないか? しっかりカッチリと言った感じの塚原先輩が見せるちょっとだらしない感じ。たまらないな……!
「なに? じっと見て」
「え? いや、その塚原先輩が前髪をどかしたらどんな感じなのかなって。こうやって纏めるんですか?」
自分の前髪を一束に纏めて、塚原先輩に見せた。すると彼女は急に僕から目線を外す。あまりの不自然さについ気になってしまう。
「どうしたんですか、そっちに何かあるんですか?」
「……わざとやってる?」
「なんのことです?」
「もう。橘君は意地悪だね。私、先に行くから」
色づいた頬が一瞬見えた。その直後、声をかける間のなく彼女は歩くペースを上げた。そして曲がり角で視界から完全に姿を消してしまう。
意地悪? 僕が? 何でそんなことを言われたんだ……。
教室に向かいながら自問自答。自分の行動を昨日の夜まで遡った所でようやくその意図に思い当たった。
昨日は寝れなくて、塚原先輩がしてくれた『お預けのキス』を思い出しながら額を撫でていた。たぶん先輩もきっと意識してしまったのだ。無自覚だったとはいえ、確かに意地悪だったかもしれない。
前髪を元に戻して、ちょっと弾んだ心音を意識する。伝染した恥じらいは僕の足も速めた。
「キミたちももう受験まで一年切ってるからね~。そろそろ気を引き締めなよ」
授業中そう、言ってくる先生が何人目になるのか忘れてしまった。けれど、僕は以前よりもその言葉に重みを感じるようになったと思う。
塚原先輩が集中したい事の二大巨頭の一角がそれだったからだ。
身近な人が頑張っている姿を目にして、ようやくその物事を具体的に捉えられるようになったのである。
「やっぱり僕も今の内から頑張った方がいいんだろうな……」
休み時間の教室でそう呟く。
でも、今からやるとしたら地道にコツコツ勉強するのは当たり前だとして、あとは……。そう言えば今日は推薦入学者の発表があるんだっけ。参考になるかもしれないし、ちょっと見に行ってもいいか。
それに三年生が集まっているはずだから、塚原先輩にも会えるかもしれない。
そんな淡い期待、もとい下心を抱えて僕は教室を出た。
・
・
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掲示板の近くには思っていたよりも人がいて驚いたのだけれど、それ以上に本当に塚原先輩が森島先輩とセットでいることにはもっと驚いた。
自分の直感か、幸運のいずれかは、意外と高性能らしい。
「塚原先輩。森島先輩。こんにちは」
「あ、橘君。ちょうどいい所に!」
「はい、何でしょう?」
「お祝いのメッセージをどうぞ!」
お祝い。その言葉を受けて少し考えて、僕は一つの結論にたどり着く。
「森島先輩、おめでとうございます。推薦だったんですね」
「ん~ちょっとおしいね。受かったのは私じゃなくて、ひびきちゃんだよ。ちゃんと当てなきゃダメでしょ」
「いや、はるか。流石にこの状況でノーヒントじゃ分からないよ」
隣に立っていた塚原先輩が笑う。つまり、受かったのは塚原先輩か。でも塚原先輩って国立の医学部志望だったような……。
「
「うん。運良くね。おかげでちょっとだけ早く羽を伸ばせそうだよ」
肩の荷が下りた塚原先輩は、体をぐっと縦に伸ばした。
と言う事は塚原先輩の掲げていた目標の内の一つは消化されたということ。後は部活だけだ。僕の想いに応えてくれるまであと少しになった。
その唐突さに面を喰らったけど、すぐに平静を取り戻す。
めでたいな。塚原先輩にとっても、僕にとっても。取り戻した平静はすぐに興奮へと変わった。
「おめでとうございます! 塚原先輩!」
「うん、ありがとう」
「いいよね~これで卒業まで遊びたい放題じゃない?」
「もう、そんなに遊び惚けないって」
肘でつつく森島先輩とくすぐったそうにそれから逃げる塚原先輩。二人はじゃれ合いつつ喜びを噛みしめいるようだった。
こういう時心の底から喜びあえるような関係性は羨ましい。そんな事を考えていると森島先輩の視線がこちらを向いた。
「でもどうかな~。ひびきには橘君がいるし……」
「ちょっと、はるか。それどういう意味?」
「べっつにー。じゃあ私、ちょっと用事思い出しちゃったから行くね」
言いたい事を言うだけ言って、森島先輩は嵐の様に去っていく。もしこの世界がマンガだったら足がグルグルの渦巻きになっていそうな勢いだ。あのエネルギーはどうやったら出てくるんだろうなと不思議に思う。
「もう、はるかったら……」
ため息を付いた塚原先輩。彼女はこちらを向いて黙り込んでしまう。まだ朝の事を引きずってるみたいだった。何だかちょっと気まずい。この空気を壊す為に次の話題を提供しよう。
「やっぱりすごいですね。塚原先輩は」
「そんな事無いって」
「また謙遜を。謙遜も行き過ぎると卑屈になりますよ。今回ばっかりは自信もっていいと思います」
「そうかな?」
「そうですよ」
僕が肯定しても、まだ塚原先輩は受け止めきれないようで、そわそわとしている。うーん。前よりも自己否定気味じゃないけど、僕としてはもっと先輩に自信を持って欲しかった。
だから僕は直接的な行動に訴えることにする。
「とにかく、おめでとうございます。塚原先輩。部活も応援してます」
そう言って手を握ってみる。さらりとした絹の肌触りと、自分の手を同じ部分とは思えない程の柔らかさが感覚神経を襲った。
勢いで僕はとんでもない物を手にしてしまったのかもしれない。みるみると体が熱くなっていくのを感じる。それは彼女も同じようだった。
「ちょ、ちょっと橘君。こんなところで……。他の人も見てるから」
「え、あっごめんなさい」
「分かってくれればいいよ。私、もう行くね」
さっき森島先輩が向かった方向へ塚原先輩が駆けていく。朝と違ってはっきりとその赤く染まった頬を見ることができた。困った様に目線を伏せる彼女は愛らしい。
「照れてる先輩、可愛かったな……」
幸せをかみしめる様に呟く、それから僕も教室へ向かった。結果として参考には全くならなかったけど、成果は重畳。やっぱり塚原先輩は凄いや。
●放
「美也、今日はやけに上機嫌ね」
「え? そう見えますか?」
「うん。何か良いことでもあったの?」
迂闊が終わった後の更衣室で声をかける。鼻歌が飛び出す程度に上機嫌だった彼女はその事に気が付いていなかったらしい。
「実は、そろそろにぃ……お兄ちゃんの誕生日で。私もついでに美味しいものを食べれるな
ーって」
「そうなんだ。それはよか……、って橘君誕生日が近いの?」
「はい。12月14日なのであと少しです」
全然知らなかった。彼ったらそう言う所を開示してこないよね。人の事はガンガン聞いて来る癖に。
「……本当にあと少しね。もう少し早く知りたかったかな」
「知りたかったって、塚原先輩、お兄ちゃんに何かあげるんですか?」
「そうね。最近いろいろと話すし、仲の良い子だとは思っているから」
「へぇ。にぃにも隅に置けないな~」
にやにやと私を見る美也。何、別にいいでしょう。事実なんだから。
「美也ちゃんは何か買ったの? プレゼント」
「まだなんですけど、お兄ちゃん、私にはプレゼントをくれたので、何かあげないとな~って」
「そう」
そのとき天啓を得る。美也をこちらに引き込んでしまえば、このプレゼントには失敗しにくい。彼女なら兄が何を欲しがっているのかとか、好みとかも把握しているだろうし。
そうと決まれば行動は迅速に起こそう。
「ねえ、美也」
「何でしょう。塚原先輩」
「このあと、時間あるかしら?」
「私も、塚原先輩にそう聞こうと思ってました」
彼女は狙い通りと言わんばかりにニヤリと笑みを浮かべる。
「そう、なら大丈夫ね。ちょっと付き合って貰える?」
改めて言いますが、感想とか評価。嬉しかったです。ありがとうございました。これからも何とぞ……。
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SELECT 9
※また、例の如く、スマホ版の方は特殊タグをテキストサイズ、縦持ちで60%、横持ちで130%でお願いします。
「そろそろ帰るか」
放課後の校舎を一通りぶらついた後、教室へ向かう。今日は特別な日で、それ故にいろいろと期待をしてしまった。でも今日のオープニング、HR前の七咲の突撃以降は音沙汰なしだ。
まあ、僕としては女の子からプレゼントを貰えるだけで相当な快進撃。テンションが上がって然るべきなのだけれど、一つ誤算があった。
「正直、塚原先輩からも貰えると思っていたんだけどな……」
そう、塚原先輩。今日の放課後ダラダラと下校時刻までいた目的はそれだ。
いや、勿論僕の誕生日を彼女に伝えた覚えもないし、彼女が気付いていないのは仕方がないとは思う。でも、自分の誕生日がそろそろ近づいていることを恩着せがましく、当の本人が仲の良い人間に伝えるというのは、気が引ける。
だからこそ僕は彼女に自分の誕生日を伝えなかったのだけれど……こうして実際にスルーされてみると結構落ち込むな。
七咲がどこからともなく僕の誕生日に駆け付けたのもあって、今日一日妙に期待を持っていしまっていた。
でも、他の誰かから、女の子から誕生日を祝ってもらえるというだけで、僕は幸せ者なのだろう。
バッグを持って、通学路を抜け自宅にたどり着く。玄関に並んでいるはずの靴は僕の物以外には存在しなくて、この家にいるのは僕だけという事実が察せられた。
「誕生日なのに、僕一人か……」
この歳になると誕生日に今更特別感を持つことは無いのだけれど、それでも家族にくらい祝って貰いたかった気がする。
制服をハンガーにかけて楽な格好になる。特にすることもなく、物思いにふけるだけだった僕が取るべき行動はただ一つ。
「押し入れに籠るか」
自分が作り上げたリラックスできる空間。体を収めて締め切ると、蛍光ペンで彩られた星々が光を灯す。
ぼんやりとそれを眺めてしばらく経った後だった。チャイムが鳴った。今日に限って言えばこの家に他の人間がいないことが分かっている。だから、僕自身がこの呼びかけに答えなければならない。もし宅配便だったらスルーしたときの損害は計り知れないからだ。
重い腰を持ち上げて、階段を下る。その途中で「はーい」と返事をして、ドアノブに手をかけた。
部屋着には厳しい冷気が室内に吹き込んで、僕の体温を奪う。ちょっと億劫になったけれど、義務感で扉をこじ開けた。
「お待たせしました……と」
「良かった。家に帰ってて」
宅配便らしからぬ温かみのある声色が僕に向けられる。それに驚いて次の言葉を発することができなかった。
塚原先輩だ。僕が学校で待ちわびていた彼女が目の前にいる。
「突然ごめんね。今ちょっと時間あるかな」
「え? ああ、はい! 有り余ってます。何なら、ちょっと上がっていって貰っても良いですよ!」
「そこまではいいかな。そこまで時間をかける用事じゃないし」
戸惑いから抜け出した僕の言葉を彼女はすらりとかわして微笑む。それから肩にかけたスクールバッグに手を突っ込んでゴソゴソと漁る。
そして、細長くきらびやかに包装された箱が僕の眼のまえに提出された。
「誕生日おめでとう。橘君。これプレゼント」
「え!? いいんですか?」
「いいんですかって、いいに決まってるでしょ? 私が君の為に用意したんだから。もし橘君が受け取らなかったら私はこれを永遠に持て余しちゃうよ」
そう先輩はおどけてみせた。
「そうですよね。ありがとうございます。嬉しいです。早速開けても……」
「それはダメ。一人の時に開けて」
「え? 何でですか?」
断られるとは思っていなかったから反射的に問いかけてしまう。
「ちょっと恥ずかしいのよ」
「ちょっと恥ずかしい物が入ってるんですか!?」
「そうじゃない! もう……。ともかく、それは一人になってから開けて」
「分かりました」
「うん。物分かりが良い子は好きだよ」
彼女はそう言って呆れた表情を微笑みに戻す。「好き」その言葉が用法的に自分の求めている物ではないとは分かっているのだけれど、少しドキッとしてしまった。
「じゃあ、これで私は行くね。邪魔しちゃ悪いし」
「邪魔って、むしろ僕は先輩が来るまで暇を持て余していたんですけど」
「もう少ししたら美也も帰って来るでしょうし、ご両親もそろそろ……」
「そろそろ?」
「ううん、何でもない」
彼女はそう首を振って、自分の言葉をせき止めた。
「そういう中途半端な切り方をされると気になっちゃうんですけど」
「そのうち分かるから。私から聞かなくても大丈夫よ」
塚原先輩は背中を見せると、入り口の階段を下り切ると、僕を見た。
「じゃあね、橘君。また明日」
「はい。今日はありがとうございました」
頭を下げて、礼を言うと彼女は満足が行ったように歩き始める。僕はしばらくその背中を眺めてから扉を閉めた。
玄関の空気は外気温とほぼ同じ。仕方なく暖を取るために自分の部屋へと向かう。
机に塚原先輩から貰ったプレゼントをおいた。丁寧にテープをはがして、包装を解く。
これは……万年筆だ。
シャーペンとは桁違いの存在感と重み。ボディの艶がたまらない。輝くペン先がかっこいい……!
「すごいプレゼントを貰っちゃったな……。塚原先輩の誕生日をちゃんと聞いておかないと」
こんな物を貰って置いてお返しをしないのは恩知らずだろう。塚原先輩にもこんな喜びを味わって貰いたい。
そんな事を考えていったん視線を万年筆から外すと、まだ箱の中に何かが残っていることに気が付いた。ひっくり返してみてみると僕とは違う柔らかな筆跡が残されている。
Happy Birthday! 橘君へ 誕生日おめでとう。 今回のプレゼントは万年筆。ちょっと癖があって、慣れるまでは時間がかかる物です。 でも、最近の努力を続けるキミを見ていると、似合いそうな気がして選びました。 いつか「ここぞ」という所でかっこよく使うキミを楽しみに待ってます。
塚原ひびき | ||
おお、直筆のバースデイカードだ! こういうの貰うと嬉しくなっちゃうよ。よし、こうしちゃいられない。早速万年筆を使う練習をしよう!
僕は近くにあったメモ帳を手に取って、万年筆を握った。
その数十分後。塚原先輩の言葉通りに美也と僕の両親が帰って来た。僕の誕生日祝いの買い出しに行っていたことを告げられ、塚原先輩の言葉に納得がいく。
たぶん、美也の様子を見て、水泳部の面子には情報が駄々洩れだった。だから同じ水泳部の塚原先輩と七咲が祝ってくれたのだ。
普段だったらその情報管理の甘さに怒る所なのだけど、今回ばかりは感謝しなければならないらしい。
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塚原先輩だ。この前のお礼をちゃんとしなきゃ。
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02
36 ←L ■ ■ ■ ■ ■ ■ *1 R→ 塚原 ひびき
「塚原先輩」
僕はテラスで佇む彼女に声をかけた。頬杖を付いてぼんやりと遠くを眺めていた彼女はそれに気が付いて、背筋をスッと伸ばす。
その表情はこの間に比べるとはるかに晴れやかで、僕のこぼれてしまった言葉は結果として、上手く作用したのだと、改めて思う。
「あら、橘君。今帰り?」
「はい。先輩はこれから部活ですよね」
「うん。いつも通りね」
「なら丁度良かった。この間、プレゼントのお礼がまだだったので、ちょっと探してたんですよ。今日もお話しても良いですか?」
彼女はその問いに「いいよ」と優しく、柔らかな声で答える。羽毛で肌が撫でられたみたいで心地良かった。彼女の定位置の対面に座る。
「プレゼント、ありがとうございました。嬉しかったです。バースデイカードも、あんなの貰ったの初めてでしたから」
「フフッ、嘘。絶対貰ったことあるって」
「本当ですって」
「じゃあ、私が君の初めてだね」
初めて……事実を言っているだけなのになんか甘美な響きだ。それも塚原先輩が言うから余計に。せっかくだし、録音でもしておきたかったなと思う。
口に出すと引かれそうだから言わない。けれど、このままこの話題を続けていたらうっかり口走りそうだったので、話題を切り替えることにする。
「そういえば、塚原先輩。ずっと部活に出てますけど、大会っていつなんですか?」
「大会? どうしてそう思うの?」
「ずっと部活に出てるってことはそうなのかなって」
不思議そうな顔をする塚原先輩に僕はそう補足する。
「いや、橘君……。十二月よ。こんな真冬に水泳の大会なんて……やるわけないじゃない」
塚原先輩は笑いをこらえながらそう否定した。いや、確かに自分でも違和感を覚えていたけれど、そこまで笑わなくてもいいじゃないか。
「じゃ、じゃあ塚原先輩はどうして部活を続けているんですか?」
「うーん。まあこの時期まで部活を続けている人って限られてるんだけどね。大学のセレクション受けた人とか」
「セレクション?」
「まあ平たく言えば推薦入学試験。スポーツ入学する人ね。そう言う人はこの時期でも能力を落とさない様に参加してる。水泳部にも何人かいるのよ」
「でも、塚原先輩って、そういう関係じゃないですよね。スポーツで医学部って訳でもないですよね?」
「うん。勿論。逆にスポーツ一本の人がそう言う所に入れちゃったら問題でしょ? 他は──そうだね。まだ大会とかコンテストがある部活」
「でも、水泳部はもうないんですよね?」
「うん。だから結論を言うと、私は趣味でやってるってことになるのかな」
「趣味……僕には考えられないです」
「そうかな? ……まあ、でももうすぐ終わっちゃうんだけどね」
「え、趣味なのに……どうしてです?」
「いつまでも部活に上級生が入り浸ってちゃ、下級生が育たないでしょ? ……この言い分だったらもう少し早く引退すべきだったんだろうけど。ともかくいつまでもいれないってこと」
「そう、なんですか。いつになるんですか?」
「三年生は創設祭まで。それまでは部活に出て、出し物の準備とか手伝うことにしてる」
そう言う塚原先輩の表情は少し曇っている。この間ほど沈んでいる訳ではないけれど、その理由が知りたかった。
「どうかしたんですか」
「私がいなくなっても大丈夫なのかなぁ……って」
「心配なんですか?」
「うん。まあちょっと。あの子たちだってよくやってるし、子供じゃないって分かっているんだけどね。どうしても……」
「お節介焼きなんですね」
「そうなのかな? でも、君が言うなら……たぶんそうなんだろうな」
はー、と塚原先輩が息を吐いた。空気を曇らせる水蒸気が天へと昇っていく。
「思いつめ過ぎじゃないですか? 塚原先輩も言ってましたけど、僕ら二年も子供じゃないですし。塚原先輩の後輩なら大丈夫ですよ」
「そうかな?」
「そうですよ。それでも安心できないってことは気疲れしてます。気分転換とかちゃんとしてますか」
「それなりにしてるって」
「本当ですか? 塚原先輩の事だから、気分転換中でも水泳とか勉強の事とか考えてそうですけど」
「それは……ちょっと否定できないかも」
「やっぱり」
「やっぱりって何? 私ってそんなに入れ込んでいる様に見えるの?」
「見えるも何も、今まさに入れ込んでいる真っ最中じゃないですか」
「ああ……そうね」
バツが悪そうに塚原先輩は頬をかく。
「塚原先輩。そこでちょっと提案なんですけど」
「え? ……うん。なに?」
「今度の日曜日って水泳部オフでしたよね。まだ先輩の予定って空いてますか?」
「……空いてるけど、なんで知ってるの?」
「休みだーって、美也がはしゃいでたので」
「成程ね」
「それで、良かったらなんですけど。……僕と一緒に遊びに行きませんか?」
勇気を出してそう言った。時間の進みが急激に遅くなる。
彼女は僕の言葉をじっくりと確かめる様に目を閉じて、それからこう言った。
「いいよ。その代り、言ったからには私が他の事を考えられないぐらいに楽しませてね」
次回はお待ちかね。塚原先輩とデートです。
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SELECT 10
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反映されなかった方向けにあとがきに、反映された画像を載せておきます。見たい方はどうぞ。
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約束の三十分前か……結構早めについちゃったな。待ち合わせの商店街。そこにあった時計を見て、そう思う。
言い出したのは僕だったし、遅れてしまっては目も当てられない。逆に寝坊したりしなくて良かったと思う事にしよう。近くの自動販売機で温かい飲み物を買ったりして時間を潰すこと約十分。予想以上に早く目的の女性がこちらへと近づいていることに気が付く。
トレードマークのポニーテイル。ロングコートが彼女の歩みを追従するように靡いている。首元にはベージュのセーターが見えて、温かそうだった。
そんな彼女は僕を見て、足を速める。
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
「いえ、ついさっき着た所です。早かったですね。まだ約束の二十分前ですよ」
「でも、橘君はもっと早かったじゃない」
「待ちきれなかったんですよ。塚原先輩と遊ぶのが楽しみで」
「もう、調子がいいんだから……」
彼女は照れくさそうに目線をそらして、口元に手を当てる。
「じゃあ、早くそろったことですし。行きましょうか」
「そうね。そう言えば橘君。私、どこ行くか聞いてないんだけど」
「今日はですね。新しくできたポートタワーの水族館に行きます」
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・
・
「なんか久しぶりだな。水族館」
「僕もです。最後に行ったのは確か……中学一年生の時でしたかね。塚原先輩はいつ頃ですか?」
「私も中学生の時だったかな」
「じゃあ、だいたい同じぐらいですかね」
「そうね。でもここには来たことが無かったから。楽しみね」
「はいじゃあ早速入りましょうか」
買っていたチケットを使って中へと入る。
薄暗い室内に所々に水槽が配置され、キラキラと輝くそれらはさながら宝石の様──というには大げさなのかもしれない。言い直すとミラーボールに照らされた室内と言った感じだろうか。
最も、ここは盛り上がっていなくて、静かなんだけれど。
「結構好きなんだ、水族館。何だか落ち着く」
「確かに、静かで良い雰囲気ですよね」
「うん。なんで、こんなに落ち着くのかな?」
「僕はともかく塚原先輩の場合『プールみたいに水の中にいる感じがするから』とかだったりするかもしれませんね」
「ああ、それは確かに。光の加減とか、潜水している時みたい」
そう言って彼女は水槽をしたから見上げる。ゆらゆらと揺れる水面の光を愛おしそうに眺める彼女を見て、本当に水泳が好きなんだなと思う。
「あ、橘君。見て見て。イワシの群れ」
塚原先輩が指を刺した方面に目線を向ける。そこにはたくさんの、本当に数えきれないぐらいのイワシが群れを乱さず、見事に水槽を動き回っている。
「訓練されてるわけでもないのに見事な物だよね」
「なんでああなるんですかね。僕たちから見たら生き残りやすいとかいろいろメリットはありますけど『こう泳げ』とは教わるわけでは無いじゃないですか」
「そうだね。不思議だよね。私は専門じゃないから分からないけれど、まあ、本能なんじゃないかな」
塚原先輩は投げやりに言った。こういった適当さが彼女に見られるのは珍しい。
そう思いつつ、僕は話を切り替える。
「そういえば、塚原先輩は海の生き物で何が好きですか?」
「イルカかな。哺乳類の中からでもイルカが良いね」
「可愛いですからね」
「ええ、それにあんなに早く泳げて、賢くて、その上愛嬌もあるんだから。最高の生き物じゃない?」
塚原先輩は熱弁する。ここまで入れ込むのも珍しい。今日はやたらと彼女の新しい一面を見ている気がする。それが自分にしか映らない。そうと思うとより一瞬一瞬が輝きを増した気がした。
「でも、先輩も何となくイルカっぽいですよね」
「そうかな? でも、私はどちらかと言えばシャチかな。いろんな人から逃げられちゃうし」
シャチか……まあ確かに賢くてちょっとコワモテな所が近いかも。
「僕は好きですよ。賢くてかっこいい、海の王者って感じで」
「……ありがとう。ねぇ。あっちでイルカショーがやるみたいだから行ってもいい?」
「ええ。勿論」
・
・
・
「ん~楽しかった」
「うん。すっかり長居しちゃいましたね」
「そうだね。もう日も傾いて、空が赤くなってる。楽しい時間はアッという間に時間が経っちゃう。これ、どうにかならないかな……」
伸びをする彼女は残念そうにそう呟く。
「塚原先輩でも、そう思う事があるんですね」
「そりゃあね。体感時間を自在に操れたらいいのにって、思う事もあるよ。面倒な時間をスキップして、楽しい時間を引き延ばしたい」
「できたら、それは最高でしょうね」
塚原先輩は僕の言葉に頷いた。
お互いの気持ちが合致したことを理解して、僕は言う。
「じゃあ、この時間をもうちょっと引き伸ばしましょうか。このまま帰るのも何となく味気ないですし」
「どこかに行こうってこと?」
「はい。そこの砂浜でちょっと散歩でもしませんか」
彼女は僕の言葉に「いいよ」と返事をした。それから、砂浜へと足を向ける。
砂がまぶされたコンクリートの階段を下っているとジャリジャリと音が聞こえた。その音が柔らかなものに変わった所で、隣の彼女が言う。
「夕焼け、綺麗ね。遮蔽物が無いからのもあるんだろうけど」
「海辺で夕日を眺めるなんて、なかなかロマンティックで、素敵ですよね」
「そうだね」
波が騒めく音。ゆらゆらと揺れている水平線は赤く染まっていた。塚原先輩はそれに目を奪われていて、僕は先輩に目を奪われている。
「正直、自分がこんな風に遊ぶの想像もできなかったなぁ……」
「僕もですよ。塚原先輩と二人だなんて、余計に」
「……また来ましょう」
「はい」
それから僕たちは日が沈むまで海辺で話をして、帰路についた。
バスに乗って、集合場所だった商店街まで戻って、二人並んで歩く。会話は多くなかったけれど、彼女が隣にいるだけで自然と楽しい時間になっている。そう実感できた。
やがて別れ道に差し掛かった。そこで彼女は足を止めて僕の方を見る。
「橘君。今日は……ありがとう。すごく楽しかった」
「僕もです。先輩はちゃんと気分転換はできましたか?」
「おかげさまで。明日からはちゃんといろんなことに打ち込めそう」
塚原先輩はほほ笑む。それを見て僕は安堵する。
「それは良かったです」
「うん。……じゃあ、また」
「ええ、また」
お互いに手を振って別れる。一人の道は寂しくて、肌寒かった。さっきとは偉い違いだ。だから帰ってから、彼女の温もりを思い返す様に布団にくるまって、余韻に浸った。
塚原先輩と話をしよう!
翌日。僕がお宝本の整理に開かずの教室に出向いた。普段通り屋上から出入りしようとして、そこに見覚えのある人影を見つけた。
「塚原先輩」
「あら、橘君じゃない。どうしたのこんなところで」
彼女が振り返るとスカートが釣られるように揺れた。
「ええっと……まあ特に深い理由はないんです。時間を潰す為にぶらっとしていただけで」
とっさに嘘を付く。まあここで堂々と開かずの教室に貯蔵してあるお宝本を整理しに来たとは言いづらい。
「へぇ。じゃあ私と一緒だ」
「そうだったんですか。じゃあ良かったら話しませんか?」
「いいよ」
彼女は僕の提案を受け入れて、頷く。
「橘君、この間はありがとう」
「え? ああ、いえ。僕も楽しかったですから。気分転換の成果は出ましたか?」
「うん。いい感じ。いろいろと吹っ切れたと思う」
「それは良かった」
始った何気ない会話のラリー。部活、勉強、恋愛。辺り触りのない内容から、次第に踏み込んだ、熱のこもった話が展開されていく。その熱が体に収まり切らなかった僕は『行動』にでた。
隣り合っていた手の平に指を当てて、すっと滑らせる。彼女はそれを拒むことはしなかった。指が絡まり、手の平が触れ合う。
「塚原先輩の手、ちょっと冷たいです」
「ずっと外にいたからね。君のは、温かい」
「先輩の為にポケットで温めてましたから」
「もう、調子いい事言っちゃって」
クスクスと塚原先輩が笑う。
悪くない雰囲気だぞ。今だったら、もう少し踏み込んだことをしても行けそうな気がする。
「塚原先輩。知ってますか? ファーストキスって、レモンの味がするらしいんですよ」
それを聞いた先輩はきょとんと、目を丸くする。
「どうしたの? 急に」
「美也に借りたマンガにそんな事が書いてあったなって、思い出したので」
「そっか」
無言。それからしばらくは空白時間が流れていった。気まずいってレベルじゃない。手を繋いだままだから逃げられないし……。ああ、あんなこと、言わなければ良かった。
「橘君はしたことがあるの?」
「……いや、ないですよ」
「じゃあ、確かめてみようか」
「え?」
グイっと手が引かれる。重心が崩れて、膝が折れた。そこを狙っていた彼女の唇が僕のものに触れる。
その温かさも、弾力も、時折混ざる吐息も、自分とはまるで違う異質なものだ。ただ、触れただけのはずなのに、鼓動が早くなる。離れてからも感覚が残留している。こんなこと、生まれて初めてだった。
「なんで君がびっくりしてるの」
「いや、だって……」
「変なの。私はてっきり……遠回しに誘ってるんだと思った」
「どうだった?」
まだ、状況を飲み込み切れていない僕に、彼女は問いかける。
「……よく分からなかったです」
「私も」
顔を赤らめたままの、彼女はそう言った。その赤みはきっと僕にも移っているんだろうなと思う。
チャイムが鳴って、絡めていた手が離れる。伝わっていた熱が空気と混ざって、また冷えていく。
「じゃあ、そろそろ行くね。橘君もそろそろ戻らないと授業遅れちゃうよ」
「あっ、そう……ですね」
立ち去る塚原先輩の背中を追って、僕も階段を下る。まさか塚原先輩と……。思い返す様に自分の唇に触れて彼女の熱を思い返す。この後の授業は集中できそうにない。
僕は塚原先輩とクリスマスを過ごしたい。
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04
42 ←L ■ ■ ■ ■ ■ ■ *1 R→ 塚原 ひびき
いつまでも悩んでちゃいけない。そう教室で自分にはっぱをかける。
僕は間違いなく塚原先輩のことが好きなんだ。そうと決まればやる事は一つ。
決意を固めて、教室から出た。塚原先輩が良そうなところを僕は片っ端から、虱潰しに探すと、三年生の廊下に二人組の後姿を発見する。
「塚原先輩、森島先輩!」
そう呼びかけると二人は足を止めて、振り返る。
「あ、橘君」
「こんにちは、橘君」
「こんにちは、塚原先輩。森島先輩も」
軽く礼をする。
「聞いて、橘君。ひびきったら変なの!」
「私は変じゃない」
「いや~今回ばかりは変よ……あれ、どうかしたのかな。橘君」
「どうかしたの?」
「いえ、その……すいません。塚原先輩にどうしても聞きたい事があって」
僕がそう言うと森島先輩はチラリとこちらを見て塚原先輩と距離を開けた。
「大事なこと……みたいね。ひびきちゃん行っておいでよ。ここだと話しづらいだろうし」
「え? ……うん」
「すいません。森島先輩」
「ううん。いいよ。その代り今度パンダココアでも奢ってね」
「はい。それぐらいであればいくらでも」
僕は森島先輩に軽く礼をすると改めて塚原先輩に向き合った。
「じゃあ、行きましょうか」
僕がそう言うと塚原先輩は後ろについて来た。この時間で人があまりいない場所となると限られる。考えた末に僕は屋上に行くことにした。
階段を上り切って、二人きりであることを再確認する。
「ここなら、大丈夫そうですね」
「ええ、それで話って?」
口が乾く。舌が上顎に引っ付いて離れるのに時間がかかった。
たぶん、緊張をしてしまっている。そう意識した途端に心臓の音が聞こえ始めた。
でも、こんなところで立ち止まってはいられない。この緊張も、断られるかもしれない不安も乗り越えなければならない。そうじゃ無ければ僕はきっと、ずっと前に進めない。
僕はあのクリスマスを越えるのだ。そう覚悟を決めて、口を開いた。
「塚原先輩は、クリスマスイブ予定ありますか?」
「半分空いてるよ」
「半分?」
どういう事だろう。塚原先輩の言っていることが理解できない。そんな僕を見かねて彼女は補足する。
「水泳部の出し物があるから、完全にフリーって訳じゃ無いの。橘君には話したけれど、創設祭までは部長だし。先陣を切ってサボるわけにはいかないでしょ?」
「そう、ですね……ん?」
塚原先輩の言葉に納得しそうになって、踏みとどまる。
「でもそれって予定埋まってませんか? 何で半分なんですか」
「毎年恒例でね。三年生には後輩が“気をきかせて”自由時間をくれるの。予定が埋まるのは、準備と後片付けだけ」
「ああ、成程」
僕が頷くと、彼女は「だから」と言葉を区切る。
「外でデートって訳にはいかないけれど、一緒に創設祭を回るってことなら……いいよ。勿論、君が良いなら、だけど」
「良いに決まってるじゃないですか! よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそ。よろしくね」
「待ち合わせはどうしましょうか」
「近くの桜坂でどう?」
「分かりました。じゃあそこで」
「ええ。決まりね」
チャイムが鳴る。それを合図に塚原先輩は階段に向かって歩いていく。その途中で一度足を止めて、振り返った。
「……橘君。私、楽しみにしてるから」
「僕もです」
笑う彼女にそう答えた。なんだか照れくさい。その気持ちはきっと、僕だけではないはずだ。
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SELECT 11
……一方その頃
シャワーを浴びて、鏡の前で髪を乾かす。
明日は創設祭。その後片付けが終わったら引退。だから今日は実質、最後の部活動だった。
たぶん、ちょっと前の私だったらこの世の終わりみたいな顔をしてシャワーを浴びていたと思う。でも今はそんな事はない。明日に楽しみな事があると知っているからだ。
クリスマスイブ。
この日がこんなに待ち遠しくなるだなんて、去年は想像もしていなかった。これもきっと彼と約束をしてくれたからなのだと思う。
明日、最初に会ったらなんて言おう。
明日、彼はなんて言ってくれるだろう。
考えるだけで、気持ちが昂っていく。
「……私、こんな顔できたんだ」
自然に浮かんだ表情に自分で感心してしまう。始めからこんな風に笑えたらどれだけ楽だったのやら……。
「これも橘くんのおかげなのかな」
確かめるようにつぶやくと、体がどんどんと熱を帯びていく。紅く染まっていく。そういった変化を自覚するとそれがより一層際立っていく。
まいったな……こんな状態じゃちゃんと寝れるかわからないや。ひとまずコンセントを抜いて、鏡から離れることにした。この笑顔を彼の前でできますようにと祈りながら。
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学校に向かう桜坂。そこに向かうと一足先に塚原先輩が着いていた。いつもの制服姿に空色の手袋。肌に吹きかける息は白く色づいて天へと昇っていく。
僕は駆け足でそこへ向かった。
「すいません! 待たせちゃいました?」
「ううん。準備が思ったよりも早く片付いたから前倒しで来ただけ。気にしなくていいよ」
「そうは言っても……」
「そう言ってる時間がもったいないでしょ? 早く行くよ」
塚原先輩は足早にこの場から離れていって「待って下さいよ」と背中を追いかけた。
校門のアーチをくぐって、デコレートされた校内を二人で並んで歩く。
「こうやって見るとすごい綺麗ですね」
「うん。準備も大変だったけど、やったかいがあったかな」
運動部はこの時期いろんなところに駆り出されると、梅原も言っていた気がする。塚原先輩も例外では無いのだろう。だから余計にこの景色に充実感を覚えるのだと思う。
そんな事を考えていると、歓声がこちらまで聞こえてくる。
「盛り上がってますね。ステージの方ですかね」
「あ、開会式かな? 見に行かない?」
「そうですね」
ステージに付くと塚原先輩の言う通りに開会式が行われていて、丁度絢辻さんが登壇した所だった。
『皆様、本日は東日輝高校創設祭に──』
マイクの前に立った絢辻さんは、実行委員の挨拶を一つのほころびもなく遂行して見せた。大人顔負けのその立ち振る舞いは会場の拍手をかっさらう。
「やっぱり、こういう挨拶を聞くと始まったって感じがするね」
「そうですね。塚原先輩は毎年聞くんですか?」
「一年の時は聞いたよ。二年の時は自分が話す側だったから、ちょっと浮足立ってたな……懐かしい」
「塚原先輩でも、ああいう所は緊張するんですか?」
「するよ。私を何だと思ってるの?」
「才色兼備、学内に敵なしのウルトラ美人、とか?」
「調子いいこと言って。もう……」
塚原先輩が視線をそらして、頬をかく。その仕草にボクも釣られて、恥ずかしくなってしまった。勢いでとんでもないことを言ってしまったものだ。
その羞恥心を誤魔化すために僕は話を切り替えることにした。
「開会式も終わりましたし、どこから回りましょうか」
「そうね。いろいろ見て回りたいけれど、サンタコンテストを見たいの。だからそれまでには戻ってきたいんだけど、いいかな?」
「はい。僕も見たいので、大丈夫です。じゃあ間に合うように回りましょうか」
「ありがとう。じゃあ行きましょうか」
それから、茶道部の二人の先輩にからかわれたり、水泳部のおでんを買いに行って同級生の子からもからかわれたりした。その他にも紆余曲折あったけれど、最終的にもう一度ステージに戻って来る。
すると、手を大きく振って、ひときわ目立つ女性が僕たちの方に向かって来た。
「ひびき~。橘く~ん」
「あれ、はるか。はるかもコンテストを見に来たの?」
「もっちろん! 今年は参加しないけど、その分ばっちりと見させてもらうんだから!」
そう森島先輩は意気込む。観戦するだけだというのに気合十分だ。と言う事はサンタコンテストにはそれだけの美女が毎年集っていると言う事なんだろう。
これは楽しみになって来た。
『さて、それではいよいよコンテストスタートです』
「丁度、始める所みたいね」
「ええ、楽しみですね」
コンテストが始めると、一人一人呼ばれてセクシーなサンタ衣装を披露し始める。どの子もレベルが高い。高いが……。
「とびぬけてる人がいるわけではないですね」
「むむっ、橘君。冷静な分析ね」
「そうかな、十分かわいい子だと思うけれど」
「甘いわね、ひびきちゃん! いい? まず──」
塚原先輩に森島先輩が熱弁を振るい、隣で聞く僕も頷く。そうしている間にもコンテストは進んで、結果発表を迎えた。
『皆様! お待たせしました! いよいよ優勝者の発表になります!』
会場がより一層盛り上がって、発表を今か今かと急く気持ちをドラムロールが掻き立てる。
『栄えあるミス・サンタクロースに選ばれたのは……伊藤香苗さんですっ!!』
一瞬の静寂の後降り注ぐスポットライトが当たったのは、僕の知り合いでもある香苗さんで、その事に少し驚く。まあ確かにセクシーな衣装にキュートなルックスも人気だったからな……。
それは隣の先輩達も同じ意見みたいだった。
しばらく、インタビューに答える香苗さんを眺めていたのだけれど、その途中彼女はとんでもないことを言い出した。
『森島先輩に勝たなければミスサンタとは言えない!』
そう二連覇中の森島先輩が参加しない。その想いは確実に会場にシコリとしてあった。それがここにきて爆発したのである。
そして大発生する森島コール。その原因の本人は、かなり戸惑っていた。
「はるか、呼ばれてるなら行かなきゃ」
「え? ひびきちゃんったら困ったこと言って。面白そうだし、行きたいのはやまやまだけど、衣装だってないのよ」
まあ、それは確かに。だって急すぎるし。
「衣装なら……あるわ」
「え、あるんですか!?」
「ええ、私が作ったのがね。部室に置いてあるから、取りに行ける」
「でもひびきちゃん……いいの?」
「勿論。着られないで押し入れに行くより、晴れの舞台で来てもらった方が嬉しい」
「ひびきちゃん……」
「ただ、これを着るからには三連覇してきなさい」
その言葉を受けて森島先輩は覚悟を決めたようだった。大きく手を上げて名乗り出ると、塚原先輩と共に衣装準備の為に姿を消す。
待つこと数分。塚原先輩が手伝いを終えて戻って来た。
「お待たせ」
「いえ、それほどでは。森島先輩はもう行ったんですか?」
「うん。もう少ししたら出てくると思うよ」
キラキラと輝く景色を見つつ、唐突な事で聞き損ねた事を聞くことにした。自分だけが知らないことがあるなんて、嫌だったからだ。
「塚原先輩」
「ん? なに?」
「どうしてサンタ衣装なんて持ってたんですか?」
「私ね」そう彼女は語り始める。渋ることなく、懐かしむような声色だった。
「去年はサンタコンテストに出たかったのよ。衣装まで作って、気合入れてね」
「成程……あ、でも先輩って実行委員長だったから、やっぱり忙しかったんですか?」
「ううん。そんな事はないよ。まあ、確かに忙しかったけど、そこまでじゃない。建前としては使ったけどね」
塚原先輩は首を振りながらそう言う。
「じゃあ、どうして辞退したんですか?」
「……恥ずかしかったの。自分で作っておいてなんだけど、衣装も過激だったし。それを着て、ステージに立てる自信も無かった。この時期になって思い出してね。つい、持ってきちゃったのよ」
語り終えた彼女は愛おしそうに空になった紙袋を撫でる。
それを眺めている僕は一つだけ追加で問う。
「……塚原先輩は、後悔してますか?」
「してたんだろうけど、今は、そうでもない。自分はコンテストに出られなかったけど、はるかが衣装を着て出てくれる。それで充分」
「塚原先輩……」
「さっ、出て来たよ!」
塚原先輩がステージを見る様に促した。大歓声の中、森島先輩が姿を現す。その柔肌の上に映える赤色の衣装は、間違いなくこのコンテストでは最上の輝きを放っている。
その輝きは他の観客にも伝わったようで、森島先輩を前代未聞の三連覇へ導いた。
・
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激動のコンテストが終わりを告げた。森島先輩が木の裏で着替えていたことが発覚したり、温かいココアを差し入れたりと、いろいろあった。
その中で印象的だったのはやっぱり、コンテストが終わった後の塚原先輩だ。
周りに比べて、その喜びの表し方は控えめであった。けれど、他の誰よりも森島先輩の優勝を自分のことの様に噛みしめているのがはっきりとわかる。
だって、あの塚原先輩が思いっきり腕を振ってガッツポーズするなんて……僕には考えられなかった。
そして、今は立ち入り禁止の校舎に僕らはいる。着替えの為に特別に用務員さんに許可されたのだ。
空き教室で着替える森島先輩を待つことしばらく。ガラガラと引き戸が開いた。
「おっまたせ! はい。ひびきちゃん。ありがとね」
「確かに受け取ったわ。お疲れ様、はるか」
「ううん。私は楽しかったし、疲れてないけど……洗って返すって言ってるのに、良かったの?」
「良いの。これは私がやるから」
「……なら、いいけど。じゃあ、そろそろ私行くね。ひびきちゃんの邪魔をし過ぎちゃったし」
「邪魔だなんて、どうしたのはるか。急にしおらしくなっちゃって」
「そう言う所。空気読めないと嫌われちゃうぞ」
「それ、はるかに言われたくないんだけど」
「ふふっ、そうかもね」
ふらりと森島先輩が塚原先輩の前から退いて、僕を見た。寂しさと嬉しさが混ざり合ったみたいな笑みを浮かべ、彼女は僕の肩に手を当てる。耳元で小さく呟く。
「橘君。ひびきちゃんをよろしくね」
「え……あ、はい」
「もうちょっと元気に返事をして欲しかったかなぁ……。まあ、それは今後の課題ね」
森島先輩は僕に返して、また塚原先輩を見た。
「ひびきちゃんってさ。他の人の時は鋭いのに、自分のことだと鈍くなるよね」
「え? それどういう意味?」
「ちゃんと空気を読んだ方が良いってこと。じゃあね!」
「あ、ちょっと待ちなさい。はるか!」
塚原先輩の制止を振り切って、森島先輩はものすごい勢いでこの場から去っていった。二人で残された僕らの間には、ちょっとした沈黙と気まずい空気が流れていた。
それに耐えきれなくて口を動かす。
「すごい勢いで行っちゃいましたね」
「そうね。言いたい事だけ言って……はぁ。全く」
口ぶりに比べて、塚原先輩の顔はちっとも嫌そうじゃ無い。僕がそんな表情が引き出せるようになるのにあと、何年もかかるのだろうなって思う。森島先輩が羨ましい。
「ねえ、橘君。ちょっと歩かない? 夜の学校ってなかなか入れないでしょ?」
「良いですよ。今なら──塚原先輩のクラスにも行き放題ですしね」
「何それ。別に普段から来てもいいのに」
塚原先輩が口元に手を添えて笑う。……良かった。ついうっかり露出とか口走らないで。気が付かないうちに崖っぷちにいるとは思わなかった。
「じゃあ、私のクラスに行ってみようか」
僕は「はい」と頷いて、二人で歩き始める。何気ない会話が廊下に染み込んでいく、非日常的な感覚。階段を叩く足音の調べが鼓膜を振るわせて、気持ちを昂らせた。
それが最高潮に達しようとしたとき、彼女の教室にたどり着く。
引き戸を開けて、僕が入る事の無かった空間に足を踏み入れる。
人のいない教室。窓ガラスと僕たちを遮るものは存在しなかった。
下の明かりがうっすらと届いて、その上をひらひらと白の粒が落ちていく。
「見て、橘君。雪が降り始めたよ」
「ええ。今日はクリスマスに雪って良いですよね」
「うん。ロマンチックだね」
「……はい」
二人で窓のそばに向かって歩く。届きそうで届かない雪を目の前で眺める。
クリスマスツリーにライトが灯って、二人して声が漏れた。
世界中に二人だけだと錯覚してしまうほどの雰囲気の中、彼女と目が合った。
「ねぇ、橘君。聞いて欲しいことがあるの」
「……はい。なんですか」
「ずっと、待たせてたでしょ。応えたいの。君の……気持ちに」
ずっと待っていた出来事が、今、始ろうとしていた。震える指先を取り繕って、僕は頷いた。
「私は……塚原ひびきは、橘、純一君のことが──好きです」
「やっと、ですね」
「意地悪言わないで。自分でだって、嫌なことしてるって分かってたんだから」
「はははっ、ごめんなさい。でも、一生に一回しか言えないって思ったら、言いたくなっちゃって」
「……もう、そんなこと言ってたら、愛想尽かしてどこか行っちゃうよ?」
「それは、勘弁してほしいです」
「素直な子は好きだよ。それに、やっとなんだから。こんな事で愛想を尽かしたりしない」
彼女は僕との距離を詰めて、僕に抱き着いた。
柔らかな肢体と、その熱が存在を主張する。僕は圧倒されつつ、恐る恐る身体に腕を回す。
「橘君、私のこと、好き?」
「この間言ったじゃないですか」
「もう一度聞きたいの。ダメ?」
眼と鼻の先の彼女が首を傾げた。潤んだ瞳が拒否を許さない。
「好きです。世界中の、誰よりも」
「……じゃあ、恋人関係成立ね」
「……はい」
「ねぇ。橘君。もっと、強く抱きしめて貰ってもいい?」
「勿論、いいですけど。痛くないんですか?」
「痛いぐらいがいいの」
塚原先輩が笑う。腕に込める力を強くする。彼女の存在が自分の中でより一層大きさを増していく。
「これからは、もっとこういう、恋人らしいことをしていきましょう。お互い、我慢してたと思うから」
「そうですね。いっぱいありますよ、先輩としたかったこと」
「そうなの? 例えば、どんな?」
彼女の問い。それに僕は間髪開けずに答える。どうしてもしたい事が、一つあった。
「ひびきって呼びたいです」
「いいよ。……純一」
頬が紅く染まる。その色は温かみがあって、見ていると愛おしさが増していく。
衝動を抑えきれなくなった僕らは、距離を近づけあって、二度目の口づけをした。
あれからもう一年が経とうとしている。
私は大学へ、彼は受験生へとステージが上がって、慌ただしい時間を過ごしている。忙しくて、会えない日も多いけれど、二人の時間は格別だ。
「これ、プレゼントなんだけど」
観覧車の中で彼から箱を受け取る。
「ありがとう。開けてもいいかな」
「勿論」
頷く彼を見て開封すると、可愛らしい、青色のリボンが姿を現す。
「わぁ……かわいいリボンね」
「はい。ひびきはヘアゴムが多かったので、たまにはこういうのもアリかなって」
「嬉しい。ありがとう。大事にする」
プレゼントを愛おしく、胸に抱えた所でまだ箱の中に何かが残っていることに気が付く。
「これは……?」
「あっ! それは帰ってからに……」
「だーめ。待ちきれないから」
一枚のメッセージカード。筆跡が普段と違う。たぶん、万年筆で書いている。彼の一生懸命さが紙から伝わって、心がじゅんと熱くなった。
「……もっと、大切な場面で使えば良かったのに」
「何言ってるんですか。今日以上に大事な日なんて思いつかないです。だから、自分の字でしっかり伝えたかったんですよ」
「……もう」
彼が隣に席を移動した。ゴンドラがゆらゆらと揺れて、ちょっと驚く。繋がれた手は温かくて、この日々がまだ続いていくことを感じさせてくれる。
「誕生日おめでとう。ひびき」
「ありがとう。純一」
強めに手を握り返すと彼も同じように力を強くする。ちょっと、痛かったけど、この痛みがあるから、これが現実だって確認できた。私は今、世界一幸せ者だろう。
『ちょっとおまけで満足できない。』 完
塚原先輩誕生日おめでとうございます!! (11/1は塚原先輩の誕生日)
あとがきは活動報告にて、読みたい人はどうぞ。茶番が見られます。
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田中恵子 LEVEL1 デアイ編
SECRET 1
座標(48-04)にて「出てもいいけど、僕は田中さんと出る!」を選択すると見ることができます。
それでも満足できないのならば、マイナス30日目に早起きして学校に行ってみてください。「恋文投函直前の田中さん」というイベントが発生し、プロローグに変化があるはずです。
では実際にプレイしていきましょう。
十月も二週目に差し掛かった頃、僕は珍しく早起きをした。布団から足を出すと普段よりも肌寒く感じたから、たぶんそのせいだと思う。耳を澄ますと一回からは物音が聞こえて、お母さんが朝食の支度をしているのが分かった。
二度寝をしようと思ったけれど、今布団に入ったところで眠りにつけるとは思えない。たまには下に降りて、お母さんの手伝いをすることに決めた。
それからいつもとは逆に美也を起こして、一足先に家を出る。人通りの少ない通学路と校庭は新鮮だった。焦ったり、眠気と戦っていない朝は心地良い。心なしか普段よりも視野が広い気がした。だから、下駄箱に差し掛かったとき、おろおろと右往左往する人影を捉えることができたのだと思う。
「……何をしてるんだ? こんな朝早くに」
そう呟いて、下駄箱へ歩いていくとその人影がより鮮明になっていく。肩にかからないぐらいの栗色の髪、おどおどとしてる様子はクラスで見た覚えがあった。
(田中さん……だよな。薫の友達の)
クラスメイトでもある彼女とはよく顔を合わせる。薫に振り回されるという点では僕と似た境遇で、勝手に親近感を覚えていた。扉を開けて校舎に入ると、物音に気が付いた田中さんと目が合う。
「おはよう、田中さん」
「た、橘くん!? お、おはよう! 今日は早いんだね」
「まあ、今日はたまたま早く目が覚めたから。でも、そんなに驚くところかな?」
「そういうことじゃないんだけど……」
田中さんは目を伏せて僕から視線を逸らす。別にはっきりと言ってくれても良いのに。僕は遅刻ギリギリになることだって多いんだから。でもまあ、僕と田中さんぐらいの仲だとそういったことも言いにくいか。
そう思いつつ田中さんを見ていると、僕は手元に目が行った。
かわいらしい便箋にハートのシール。それを見て田中さんがここにいる理由を理解した。
「田中さんそれ……」
「あっ、み、見ないで」
「ご、ごめん」
止しておけばいいのに僕は声に出してしまった。こういうところで気が回らないのが僕の悪い癖だと自覚しているのに中々直すことができていない。
息苦しい沈黙をどうやって立て直すか考えていると、僕よりも先に彼女が口を開いた。
「私がこんなことするって、変……だよね」
この重っ苦しい空気に従って、噛み締めるように田中さんが言う。彼女の瞳は揺れて、涙が滲んでいるように見えた。
そんな風に思ったわけじゃない。ただ単純に驚いただけだ。彼女の思い込みを正したくて、僕は首を横に振った。
「そんなことないよ。ビックリはしたけど」
「そ、そうなんだ。ビックリはするんだ」
「そりゃあ……田中さん可愛いし」
「かわっ……私が?」
「うん。だから田中さんからラブレターを貰える奴がうらやましいよ」
僕がそう言うと田中さんは照れくさそうに目線を逸らす。
「橘君はお世辞が上手いね」
「思ったことを言ってるだけだって」
「またまた~」
「本気だよ。ちなみに僕の下駄箱はここだから、いつでも入れてくれて大丈夫」
冗談交じりに自分の下駄箱を叩いて見せる。田中さんはきょとんと目を丸くして、それから優しく微笑んだ。彼女がこんなに可愛く笑うことを初めて知った。
「フフッ、残念だけどこれは橘くん宛てってわけじゃないんだ~」
「それは残念。じゃあ、誰に出すの?」
「__くん」
「下駄箱の場所は分かる?」
「大丈夫だよ。ただ、ちょっと勇気が出なかっただけ」
「そっか」
彼女につられて、僕も苦笑いをした。かつての自分を彼女に重ねてしまったからだと思う。クリスマスに勇気を出した、中学生の自分を。
あの苦い思い出を忘れることはできていない。
これからも忘れることはできないのだろう。
過ぎた出来事は取り返しがつかないけれど、せめて田中さんにはあんな想いを味わって欲しくない。そう祈ったってバチは当たらないだろう。
「上手くいくといいね」
「うん……ありがとう、橘くん。ちょっと元気出たよ」
田中さんは目的の扉を開けると、祈るように目を閉じて、便箋を入れる。
早朝の学校で見たその光景は、これまで見た何よりも神聖で、尊ぶべきもののように思えた。
・
・
「よう、大将! 元気してるか?」
登校中に後ろから声をかけられた。僕を大将だなんて呼ぶシリアイは一人だけ。振り返ることなく、正体を看破する。
「おはよう梅原。それなりに元気にはしているかな」
「おいおいなんだよ。朝っぱらからそのローテーションは。見てる気が滅入っちまうぜ。何か嫌なことでもあったのか?」
「いいや、ただ単に夜更かし気味でさ。あんまり寝てないんだ」
心配してくる梅原にそう返すと、彼はホッと白い息を吐いた。
「なるほど道理で、うっすらとクマが見えるわけだ。睡眠時間を削るほど熱中するなんて、いったいなにをやってたんだ?」
「……気になるか?」
「そりゃあ、もちろん! 橘の見る目は信用してるからな」
梅原がトンと自分の胸を叩く。期待を込めた眼差しに応えるべく、彼へ耳打ちをする。
「実は素晴らしいお宝ビデオを発掘してね。その名も『神風特攻隊!』だ」
「何!? タイトルだけで期待が膨らむぜ」
「だろ? 突風によるパンチラ風目線で体感する新感覚イメージビデオなんだ。主演の子、腰の曲線が芸術的で……っとこの先はネタバレになっちゃうな。まあ、そのうち貸すよ」
「流石我が心の友! 期待して待ってるぜ!」
「ああ、その代わり……分かってるよな?」
「もちろん。俺も厳選してその時を待つさ」
僕らは固く握手をして、まだ見ぬお宝に想いを馳せながら校舎を目指し歩く。その途中、何者かが僕ら二人の間を割って入り、強く背中を叩く。
突然の衝撃に僕らが顔を歪め、振り返ると、屈託もない笑みでひらひらと手を振る女生徒。癖の強くウェーブのかかった黒髪は僕らにとっては見慣れたものだった。
「ぐっもー。二人とも楽しそうに何を話してたわけ?」
「薫! いきなり叩くことないだろ?」
「誰かさんがまだ眠たそうだったから喝を入れてあげたんじゃない。むしろ感謝して欲しいぐらいね」
「なんだと」と食って掛かろうとした僕に梅原が肩に手を置いて宥める。それから薫に目を向ける。
「なあ棚町。俺は何で叩かれたんだ?」
「ついで」
「ひでぇな……おい」
うなだれる梅原には同情する。僕が背中を優しく撫でると、梅原は背中を丸めて腕で目を隠し芝居ががった声をだした。
「ありがとよ大将。俺に優しくしてくれるのはお前ぐらいだぜ」
「梅原ならそのうち優しい彼女が慰めてくれるようになるさ」
「おお、そうだな。まだ見ぬかわいい彼女が俺を待っている!」
「まだ見てないようじゃ先が思いやられるわね」
「ちょっと棚町、それを言うのは無しだぜ……」
僕が笑って二人の会話を聞いていると、後ろからトタトタと足音がした。走っているのだろうがお世辞にも早いとは言えないテンポだ。
僕が振り返ると、焦った表情の田中さんが追いかけてきたのだと分かった。
「ちょっと薫~置いていかないで~」
「あら恵子、遅かったわね」
「急に走り出したりしないでよ。追いかけるの大変だったんだから!」
「しょうがないでしょ。この二人にちょっかい出すの楽しそうだな~って思ったんだから」
「も~」
田中さんはムッと口を堅く結ぶ。怒っているのだろうけれど、可愛らしさがにじみ出ていて、怖さがない。何というか、威嚇する小動物みたいな微笑ましさみたいな物が彼女にはあった。
「苦労してるね。田中さん」
「まあ、それなりに。でも慣れちゃった。それを言ったら橘くんも苦労してるでしょ?」
「僕はまあ……付き合いも長いから」
薫とは中学からの悪友だ。巻き込まれたトラブルを数えればきりがない。当初は渋々だったけれど、慣れてしまった今では、退屈しないし悪くない。
「へ~いいな、そういう仲。ちょっと羨ましい」
「羨ましい?」
「うん。私、そういう人いないから……」
田中さんは儚げにそっぽを向いた。少し冷たい風が頬を撫でて、僕がどのように声をかけていいのか迷っていると薫が田中さんと強引に肩を組む。
「な~に言ってんのよ。別にこれからどうとでもなるでしょ!? 私たちがそうなればいいんだし」
「薫……」
「薫の言うとおりだね。たまには言うことを言うじゃないか」
「何が“たまには”よ!」
僕の言葉に激昂して薫が僕に襲い掛かる。取っ組み合いをしてる僕らを見て、梅原と田中さんは指を差して笑っていた。いや、笑ってないで助けてくれよ。
僕の心の声は当然二人には届かず、薫の癖っ毛が僕の首筋を撫でる。
「ねぇ、純一」
「なんだよ薫」
「アンタ放課後時間あるでしょ?」
「予定が空いていることが確定しているみたいな言い方は止めろよ」
「予定あるの?」
「ないけどさ……」
「ならいいじゃない。付き合いなさいよ。校内の男子代表として!」
「やけにスケールの大きな話だな」
どんな基準での選考なのか気になっちゃうじゃないか。僕が代表に選ばれるような種目って言うと……校内に隠し持っているお宝本の数とかかな? いや、それは薫に知られてたらマズイだろ!でも、他に心当たりもないんだよな……。困った、考えても答えが出ない。
「何を企んでるんだ?」
「別に? 悪いようにはしないから平気、平気~」
「それが信用ならないんだよ。この間だってそんなこと言って強引に二人乗りして、走ってるのに暴れて、坂で転んだじゃないか!」
おかげで二人して派手に擦りむいて、途中の公園で傷口洗ったんだっけ。あの痛みを思い出しただけで鳥肌が立ってきた。
「あれは……悪かったわよ」
「……? 薫が素直に謝るなんて熱があるんじゃないか?」
「アンタねぇ……人が下手に出てればどういうつもり?」
薫はぐっと拳を握って僕を睨みつける。そうそうこれこれ! 薫はこの感じじゃないと……ってこのままだと僕が殴られる流れだ!?
危機を察知した僕は右足を一歩下げて、迫り来る拳に備えた。けれどもいつまでたってもその拳が古れることはなく、薫は僕を見てため息を付いた。
薫の表情はいつになく真剣で、僕もふざけている場合ではないと悟った。
「……ごめん薫。それで、どこに行けばいいんだ?」
「放課後校舎裏に来て。大事な用事だからすっぽかさないでよ」
「わかった」
「ならよろしい。じゃ、放課後はよろしく」
薫は頷いて僕の隣から離れると田中さんの隣へ戻っていった。あんな顔をするなんて、いったい何があったんだろう? 気になるけど……放課後になれば分かる話だ。気長に待つことにしよう。
今日は4月1日! エイプリルフールだぜ!
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