ストライクウィッチーズ カザフ戦記 (mix_cat)
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カザフ戦記 プロローグ

 この物語はシリーズの外伝的なお話で、ずっと以前に書いた「欧州戦記」に続く時期の1947年の物語です。新人ウィッチたちの実践的な訓練を目的として、宮藤芳佳少尉を隊長として編成され、欧州に派遣された扶桑皇国海軍横須賀航空隊欧州分遣隊は、当初の目的とは相違してカールスラント奪還作戦に巻き込まれ、苦難の末にベルリンの巣を破壊してカールスラント主要部の解放に成功したというのが「欧州戦記」のストーリーでした。無事任務を完了した欧州分遣隊は解散となり、隊員たちは名残を惜しみながらそれぞれ次の任地へと旅立っていきます。その中で、清末晴江曹長と児玉佳美曹長は引き続き欧州の戦場で戦い続けることを希望し、オラーシャ帝国南部のカスピ海北岸の町、アティラウの基地に派遣されることとなりました。その二人を描いて行こうというのがこのお話で、何年も前に、「黒海強襲作戦」のあとがきに設定の概要を書いていたものですが、長い年月を経て、ようやく作品化しようというものです。外伝的なお話ということで、基本的にはこの二人を初めとしたオリジナルウィッチしか出てこないお話となりますが、よろしければお付き合い下さい。

 ところで、今回の舞台になるアティラウという町、現在のカザフスタン共和国の西の端にあるアティラウ州の州都で、カスピ海に面する港町です。この町の名前、今はアティラウですが、1991年まではグリエフと言ったということで、本来なら1947年が舞台のこのお話では、旧名のグリエフでなければなりません。でも以前の作品にアティラウという名前を出してしまっていて、いまさら変えられないのでアティラウで行きます。ご了承ください。
 


 ふと開いた目の前には、白い天井が広がっている。どこかの部屋の中で今まで眠っていたようだ。ちゃんとベッドの上で、布団にくるまれて寝ている。荒野ではなく、岩陰でもなく、洞窟でも木陰でもないところを見ると、無事救出されて病院に収容されたのだろう。

「よいしょっと。」

 ベッドから起きて立ち上がってみると、ニュルンベルクのネウロイの巣に向かって烈風斬を放って魔法力を使い切ったダメージがまだ十分に回復していないようで、体に力が入らず、ちょっとふらつく。

 それでも壁を伝って廊下に出てみる。きれいに整備された清潔な廊下は、大きな窓から光をいっぱいに取り込んでとても明るい。野戦病院ではないのはもちろんだが、清潔でどこも破損していないところを見ると、前線に近い場所ではなさそうで、だいぶ後方の病院まで送還されてきたようだ。

 

「宮藤。」

 声をかけられて振り返ると坂本がいた。少し心配そうな表情だ。

「もう歩き回って大丈夫なのか?」

「はい・・・、いいえ、まだちょっとふらふらします。でも大丈夫です。」

 これでは何が大丈夫かわからない。それでも心配をかけまいとしているのだろう宮藤の気遣いがいじらしい。そんな、相変わらず自分のことをあまり考えない宮藤に、坂本はしょうがない奴だと思ってちょっと眉根を寄せるが、それでもその心意気を嬉しく感じて自然に笑顔が浮かぶ。

「無理はしなくていいぞ。ネウロイの巣は破壊したんだし、ここはネウロイの襲撃の心配はないからな。」

「ええと、ここはどこなんでしょう?」

「お前たち欧州分遣隊が、ベルリンの巣を破壊した後で引き揚げてきたベルギカのリエージュ基地だ。」

「ああ、だから建物がきれいなんですね。」

 この1年近く、最前線の激戦地を渡り歩いてきた宮藤ならではの感想だろう。建物がきれいなことに新鮮な驚きを感じるとは、これまでの過酷な任務がしのばれる。何しろこれまでは最前線の奪還したばかりの基地を急速整備して使っていたから、破壊された建物を応急修理して使うか、バラックなどの仮設の施設を使うしかなかったのだから。

「お前たちの任務は終わったんだ。しばらくは安全な後方でゆっくりすると良い。」

「はい。」

 はいと答えながらも、若干の戸惑いを見せているあたり、連日の激戦が習い性になっているようで不憫だ。

 

「他のみんなはどうしているんですか?」

「リーネも千早も赤松も、そんなにひどい傷を負っているわけではないが、大事を取って入院している。もう普通に歩き回れるくらいには元気になっているぞ。」

「良かった、安心しました。」

「お前らしいが、人の心配をしている場合か。ゆっくり休んで早く回復しろ。」

「はぁい。」

 坂本にくぎを刺されてばつが悪そうにする宮藤だったが、言っているそばからまた仲間の心配をする。

「多香子ちゃんと明希ちゃんはこの後どうするんですか?」

「ああ、お前が寝ているうちに希望は聞いておいたぞ。二人とも士官を目指したいということだから、扶桑に帰して士官教育を受けるように手配しておいた。」

「そうなんですね。前に帰国した賢子ちゃんと富美香ちゃんも士官になるって言ってましたよね。」

「そうだな、小宮山と亀井も士官教育だな。佐藤と牧野はウィッチ訓練学校の教員を希望していたな。この二人は少し年齢が上でウィッチとして活動できる期間が限られているから、士官教育に時間を取られるより、若手の教育に時間を費やしたいということだったな。」

「晴江ちゃんと佳美ちゃんは欧州で戦いたいって言ってましたよね。」

「そうだな。清末と児玉は一旦帰国して舞鶴航空隊に配属になった後、欧州に派遣される予定だ。」

「大丈夫でしょうか。心配だなぁ。」

「なに、心配することもない。欧州に派遣といっても、お前たちが経験したような激戦に巻き込まれることはないはずだ。聞くところによれば、オラーシャの比較的平穏な地域で防衛任務に就くらしいぞ。」

「そうなんですね。それなら安心です。」

 そう答えながらも一抹の不安は拭えず、宮藤は心配そうな表情を浮かべて窓の外、はるか遠くの空を見つめている。これまでの様に一緒の部隊にいれば、いざというときには助けることもできるが、この後扶桑に帰国する予定の宮藤には、戦場に赴く二人をもう助けてあげることはできない。宮藤にできることは、二人の無事と活躍を遠い空の下から祈ることだけだ。

 




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

宮藤芳佳(みやふじよしか)
扶桑海軍大尉(1929年8月18日生)17歳
横須賀航空隊欧州分遣隊長(ベルギカ・リエージュ)
 新人の実践的訓練を行うために創設された横須賀航空隊欧州分遣隊の隊長として欧州に派遣され、新人たちに実戦を交えた訓練を行ううち、連合軍のカールスラント奪還作戦に支援のために参加するが、いつしか最前線に出て激戦に次ぐ激戦を繰り返すこととなり、ついにベルリンの巣を破壊してカールスラント主要部を解放するまで戦い抜いた。さらに、一部隊員とともにニュルンベルク奪還作戦に参加、烈風斬を放って魔法力を使い果たすものの、ニュルンベルクの解放に成功した。現在は入院中だが、回復したら扶桑に帰って、軍医科に転科した上で、横須賀海軍病院に軍医として勤務する予定。


坂本美緒(さかもとみお)
扶桑海軍少佐(1924年8月26日生)22歳
横須賀航空隊副長
 魔法力が衰えてからは横須賀航空隊副長として、横須賀航空隊のウィッチ隊の統括と、ウィッチの教育訓練に努めている。横須賀航空隊欧州分遣隊の解散に伴う業務のために欧州に出張してきているところ。残務処理が終わったら扶桑に帰国して、再びウィッチの教育訓練を中心とした任務に就く予定。
 


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第一話 アティラウへ

 オラーシャ南部のカスピ海上空を、1機の零式輸送機が北を目指して飛行している。カスピ海の南にあるペルシアのテヘランを発って、北岸にあるオラーシャのアティラウに軍需物資を輸送している途中だ。カスピ海は南北1,200キロもあるので、飛行機でも相当の時間がかかる。この飛行機には乗員5名と、輸送する物資に付き添う主計科下士官が搭乗している他、便乗者が2名乗っている。便乗者はいずれもまだ幼さの残る少女だ。セーラー服に身を包んで、長旅にいささか飽きが来ている様子で、でも幾分かの緊張感を漂わせながら、機内の座席にちょこんと座っている。軍の輸送機に便乗しているのだから、もちろんただの少女ではない。アティラウに開設された扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊に配属が決まり、着任のために移動中のウィッチだ。一人は清末晴江上等飛行兵曹、15歳、もう一人は児玉佳美上等飛行兵曹、13歳で、二人とも先日まで横須賀航空隊欧州分遣隊の一員として、カールスラント解放戦に参加しており、ベルリン解放に伴って欧州分遣隊の解散が決まり、新たな任地に向かっているところだ。

 

「あーあ。」

 児玉が大きく伸びをした。狭い機内だが、小柄な児玉の事だから、伸ばした腕がどこかにぶつかる気遣いは特にない。ただ、操縦に忙しく便乗者を見ている暇のない操縦関係の人たちはともかく、物資輸送の主計科下士官の目があることに気付き、あわてて腕をひっこめ、姿勢を正して座りなおす。便乗して移動しているだけだといっても、軍務の最中なのだからあまりだらけた姿を見せるわけにはいかない。そんな児玉を見て清末がくすくす笑う。

「児玉、別に伸びくらいしてもいいんじゃないの?」

「いやだって、主計科の人が見てるから。だらけてると叱られちゃうよ。」

「えぇ? 伸びくらいで叱られないよ。訓練中ならともかく。ねえ、そうですよね?」

 清末が主計科下士官に振ると、ちょっと困ったような表情を浮かべながら答える。

「あのー、二人は上飛曹ですよね。俺は一主曹だから、年はとってても二人の方が上官ですよ。上官を叱ったりはできないなぁ。」

「あっ、そうなんだ。でも上官って言われてもねえ。」

 親子ほども年の違う主計科下士官に上官といわれても実感が湧かない二人は、顔を見合わせてくすくす笑う。あどけないその姿に、主計科下士官もふと和む。しかし、この二人はこれから最前線に行って命をかけて戦うのだ。それを思うと胸が詰まるが、主計科の身としては一緒に戦うこともできない。せめて、この子たちが不自由することのないように、前線への物資補給に努めるしかない。

 

 輸送機はカスピ海の真ん中を飛んでいる。小さな窓から地上を見下ろすと、カスピ海の広さもさることながら、東側と西側の風景の違いに驚かされる。東側は平坦で薄茶色の乾燥した大地が広がっているが、西側は険しい山脈が延びていて緑に覆われている。

「西側から半島が突き出てるよね。あれってどこなんだろう? 一主曹さんは知ってますか?」

 小首をかしげて尋ねる清末の姿が愛らしい。主計科下士官は、上官でもあることから可愛いと思ったことを表に出すわけにもいかず、ちょっとどぎまぎしながら答える。

「ええ、あれはアブシェロン半島です。このあたりの中心都市のバクーがあって、周囲には油田が広がっているので石油の生産で栄えています。」

 物資輸送のために数えきれないほど行き来している主計科下士官はこのあたりに詳しい。一方の清末は、このあたりに来るのは初めてで何も知らないから、感心してうなずく。

「ふうん、そうなんだ。」

 

 感心する清末に気を良くしたのか、主計科下士官が説明を追加する。

「近くには第505統合戦闘航空団が基地を置いていて、扶桑陸軍の支援のもとで、ネウロイの侵攻を防いでいるんですよ。」

「統合戦闘航空団かぁ。すごいなあ。わたしたちなんかとはレベルが違うんだろうなぁ。」

「でもでも、わたしたちだって第501統合戦闘航空団にいた宮藤さんに指導されてたんだから、そんなにひどく劣るわけでもないんじゃない?」

「児玉、あのね、考えてみなさいよ。統合戦闘航空団ってことは、宮藤さんみたいな人がいっぱいいるんだよ。」

「宮藤さんがいっぱい・・・、うっ、それは怖いね。」

 宮藤から受けた厳しい訓練の数々を思い出し、児玉は表情をひきつらせる。

「それか、坂本さんがいっぱい・・・。」

「うっ、それも怖いね。」

 坂本の、過酷な指示を出しながら高笑いする、その笑い声が耳に蘇ってくる気がする。

 

 二人の内輪話には加われない主計科下士官は、二人の話が途切れたところで説明を続ける。

「アブシェロン半島のあたりから向こうに向かって伸びているのがコーカサス山脈です。最高峰のエルブルス山は5,600メートルもあって、欧州最高峰なんです。」

「5,600メートル! すごいね。ええと、扶桑最高峰の新高山は何メートルだったっけ?」

「えっ、そんなこと覚えてないよ。」

 清末から振られても、小学校を出る前にウィッチ訓練学校に入った児玉は、一般教科の勉強はあまりしていないので、もちろん答えられない。それを、主計科下士官が引き取る。

「新高山は3,900メートルですよ。」

「そうか、じゃあ扶桑の山よりずっと高いんだね。」

「そりゃあそうです。こっちは大陸ですから、何もかもスケールが大きいです。」

 二人も、この1年ベルギカやカールスラントにいて同じようなことを感じていたので、うんうんとうなずく。

 

「このコーカサス山脈が欧州と亜細亜の境になっていて、北コーカサスは欧州、南コーカサスは亜細亜に入ります。北コーカサスは未だネウロイの支配下にあって、コーカサス山脈の天険に依ってネウロイの南への侵攻を防いでいる状況です。」

 上空から見下ろす分には、北コーカサスも南コーカサスもさしたる違いはないように見えるが、地上の状況は大違いということだ。

「あと、カスピ海を境に東側が亜細亜ですけれど、カスピ海が天然の要害になってネウロイの亜細亜への侵攻を防いでいます。カスピ海の北側は、今はボルガ川の線で対峙していますね。」

 二人はうんうんとうなずく。もっとも、カスピ海は見ればわかるが、ボルガ川がどこにあるのかは知らない。

「今向かっているアティラウはウラル川の河口に開けた港湾都市です。近くで石油が産出するので、石油生産も盛んです。あと、カスピ海は漁業も盛んで、チョウザメの卵、キャビアはカスピ海産が最も良いと言われているんです。」

 二人はにこにこして聞いているが、キャビアなど食べたことがないのはもちろん、見たこともない。北海道の天塩川にはチョウザメが遡上するというから、扶桑国内でお目にかかる可能性がないわけではないが、普通は見たこともない。アティラウに着任したら食べられるのかしら、等と思ってみる。

「カスピ海の北側はウラル川が欧州と亜細亜の境になっています。アティラウの町はウラル川の両側に広がっていますから、欧州と亜細亜にまたがる街なんです。」

 すると、欧州と亜細亜を歩いて行き来できるのだろうかと、ちょっと不思議な感覚だ。もっとも、川などのはっきりした境界で区切られていない場所もあるから、それほど珍しいことでもない。

 

「アティラウは、オラーシャの中でもカザフスタンと呼ばれる地域の中にあります。カザフスタンとはカザフの国という意味で、カザフ人と呼ばれる亜細亜系の人たちが、古くから草原で遊牧をして暮らしていた地域で、カザフというのは突厥語で放浪者とか冒険者という意味なんだそうです。カザフ人は亜細亜系の人たちなので、見た目は扶桑人とよく似た人たちも多いんですよ。」

 なるほど、見た目が近いと何となく親しみやすいかもしれない。遊牧民がどんな人たちなのかは知らないけれど、これまでいたベルギカやカールスラントといった国とは、また印象が違ってきそうだ。

 

 北上するにつれ、カスピ海の東岸が大きく張り出してくる。マンギシュラク半島だ。ここには港湾都市のアクタウがあって、冬でも凍りつかないことから海上交通の要衝になっている。マンギシュラク半島を過ぎると再びカスピ海は幅を広げ、やがて北岸が見えてくる。目的地のアティラウが近付いてくる。長い旅路だったが、同乗していた主計科下士官がいろいろ説明してくれたおかげで、それほど退屈もしないで済んだ。アティラウはどんな所で、どんな人たちがいて、そしてどんな戦いが待っているのだろうか。二人は若干の不安を抱えつつも、新しい世界への期待に胸をワクワクさせながら、近付いてくるアティラウの町を見つめている。

 




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

清末晴江(きよすえはるえ)
扶桑海軍上等飛行兵曹(曹長)(1932年2月7日生、15歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
 新人の実戦教育のために設置された横須賀航空隊欧州分遣隊に配属され、欧州に赴く。ベルリン奪還作戦の支援を行ううち第一線での戦闘に巻き込まれ、ベルリン解放までの激戦を戦い抜いた。欧州での戦いを終えて帰国した後は、舞鶴航空隊に配属。欧州の戦場への派遣を希望し、カスピ海沿岸のアティラウに派遣され、防衛任務に就く。

児玉佳美(こだまよしみ)
扶桑海軍上等飛行兵曹(曹長)(1933年6月6日生、13歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
 新人の実戦教育のために設置された横須賀航空隊欧州分遣隊に配属され、欧州に赴く。ベルリン奪還作戦の支援を行ううち第一線での戦闘に巻き込まれ、ベルリン解放までの激戦を戦い抜いた。欧州での戦いを終えて帰国した後は、舞鶴航空隊に配属。欧州の戦場への派遣を希望し、カスピ海沿岸のアティラウに派遣され、防衛任務に就く。
 


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第二話 アティラウ派遣隊着任

 零式輸送機はアティラウの航空基地に向けて降下している。滑走路は土埃の多そうな薄茶色の土を固めただけの簡易なものだ。アティラウのあるカスピ海北岸は、砂漠や乾燥した草原が果てもなく広がっていて、遊牧民が家畜を連れて行き来していた地域で、必然的に土埃の多い土地柄になっている。接地すると同時に、車輪の下からもうもうと土煙が立って、たちまち周囲がかすむ。土埃にまみれて外が良く見えなくなった窓から基地の様子をうかがいながら、必ずしも過ごしやすそうでもない様子に児玉はちょっとがっかりしている。

「晴江、なんだか埃っぽい基地だね。」

「うん、洗濯が大変そう。洗濯物を外に干しておいたら、乾く前に埃まみれになってもう一度洗濯しなくちゃならなくなるかも。」

 とりあえず洗濯物の心配をするあたり、ちょっとずれたところのある宮藤の教育が行き届いている。

 

 輸送機を降りると、さっと吹き付ける砂交じりの乾燥した風が肌を刺し、思わずぶるっと震えが来る。夏場は30度を超えるアティラウも、4月の平均気温は10度に過ぎず、まだ肌寒い。月に2~3日しか雨が降らないこの町は、雨量が少ないこともあって乾燥し切っている。

「お気を付けて。」

 そう言って手を振る主計科下士官とはここでお別れだ。まあ、物資の補給でまたここに来ることもあるだろうから、永の別れというほどでもない。二人はぺこりと頭を下げて、道中の無聊を慰めてくれたことを感謝する。もっとも、本当は軍人同士なのだから、敬礼するのが本来だろう。

 

「アティラウ派遣隊って何人くらいいるのかな?」

「どうだろう。欧州分遣隊と同じくらいかな?」

「舞鶴航空隊の精鋭を派遣するって聞いたけど、厳しい人とか怖い人とかいるのかな?」

「そうねぇ、宮藤さんみたいに優しい隊長さんだったらいいな。」

 清末と児玉は、若干の不安を紛らわすようにしゃべりながら隊長室に向かって歩いている。しかし隊長に会って話を聞けばすぐにはっきりすることで、不安がるほどの事でもない。そして隊長室に着いた。年長の清末が代表してノックする。

「失礼します。」

 二人は隊長室に入ると姿勢を正す。

「清末晴江上等飛行兵曹です。舞鶴航空隊アティラウ派遣隊配属の命により、ただいま着任しました。」

「同じく児玉佳美上等飛行兵曹です。」

 隊長は立ち上がって答礼する。隊長の第一印象は温和な印象だ。背はやや高く160センチくらいか。少しふくよかな感じで、血色の良い瑞々しさを感じさせる肌だ。髪は肩にかかるくらいに伸ばしていて、戦場にあっても女性らしさを忘れないようにしているようだ。

「始めまして、隊長の安藤昌子海軍大尉です。清末さん、児玉さん、アティラウ派遣隊へようこそ。歓迎します。」

 物腰柔らかで話し方も優しそうだ。どうやら恐れるような人ではなかったと、二人はほっと胸をなでおろす。もっとも、普段は穏やかなのに、何かのきっかけで豹変する人もいるから、安心するのはまだ早い。

 

「じゃあ、清末さん、児玉さん、そこに座って。アティラウ派遣隊について簡単に説明するわ。」

「はい、失礼します。」

 清末と児玉は、安藤大尉の指示に従って、腰を下ろす。いよいよ自分たちのここでの任務が明らかになる。欧州分遣隊で経験したような過酷な戦いになることはないだろうけれど、それでもやはり緊張する。

「まず任務だけど、簡単に言うとカスピ海北部地域の防衛よ。」

 カスピ海北岸に基地を設けているのだから、それはそうだろうと思う。

「まず周辺の状況だけれど、西から侵攻してきているネウロイに対して、人類はコーカサス山脈、カスピ海、ボルガ川の線で対峙しているわ。知っての通り、ネウロイは山脈や大河を苦手としているから、それらの地形に拠って防衛線を敷いているのね。」

 ネウロイの特性は、これまで嫌というほど叩き込まれてきたから良くわかっている。二人は小さくうなずきながら続きを聞く。

「人類側の主要拠点はバクーです。もっとも長い退却戦を戦ったウィッチたちが拠点を置いて、第505統合戦闘航空団を組織して以来、このあたりの中心拠点になっています。ここで北コーカサスからのネウロイの攻撃を防ぎつつ、反攻の機会をうかがっているわ。他には、カスピ海東岸のアクタウにオラーシャ空軍の小規模なウィッチ部隊が配置されています。」

 壁に張り出された大きなオラーシャの地図を指しながら説明してくれるので大体の位置関係はわかるが、ざっと見たところアティラウからバクーまでは700キロ以上、アクタウまでも400キロ近く離れている。作戦範囲の広大さに目を見張る思いだ。

「北側の主要拠点はツァリーツィンね。ボルガ河畔の町で、ボルゴグラードとも呼ばれているわ。ここは一度はネウロイに占領されたんだけれど、1941年のタイフーン作戦で奪還して、今は最前線の拠点になっているわ。ツァリーツィンから北東にボルガ川をさかのぼった所にあるのがサマーラで、第503統合戦闘航空団の前進基地になっているのよ。あ、第503統合戦闘航空団の本拠地はずっと東のチェリャビンスクね。」

 壁の地図を追うと説明に出てきた範囲はますます広い。ツァリーツィンまでは600キロ近く、サマーラまでは700キロ近く、チェリャビンスクに至っては1,000キロを超えている。その広大な領域で作戦するとしたら、相当大変なことになりそうだ。

 

「問題はこれらの拠点の間がものすごく離れているってことなのよ。バクーとツァリーツィンの間は1,000キロあるんだけれど、その間に有力な拠点がないのよ。何しろ広大過ぎるから、ボルガ川に沿って防衛拠点を連ねるというわけにもいかないのよ。余りネウロイが出現しないからいいけれど、知らないうちに奥深くまで侵入されていたこともあるわ。そこでこの地域の哨戒と、ネウロイ侵入を防ぐために設立されたのが、わたしたち扶桑皇国舞鶴海軍航空隊アティラウ派遣隊なのよ。」

「なるほどそういうことだったんですね。」

「もともとアクタウのオラーシャのウィッチ隊がその役割を担っていたんだけれど、人数が少ない上にカスピ海上を往来する船舶の護衛もしなきゃいけなくて、全然手が回っていなかったのね。それで、わたしたちが派遣されることになったの。」

「はい、わかりました。でもそうすると、あまり激しい戦いにはならないということですか?」

「そうね。具体的な任務としては、カスピ海の北からツァリーツィンまでの範囲で、ボルガ川より東側の地域を担任区域として、侵入してきたネウロイを発見して撃破することね。まあこれまで碌な守備隊も配置していなかったんだけれど、それでもたいして問題にならなかったのは、ボルガ川が天然の要害になっていて、ネウロイがあまり侵入してこないからなのよね。つまり、ネウロイの発見も戦闘も、その程度ね。」

 大体の状況と任務はわかったが、逆に思ったよりはるかに平穏そうだ。引き続き欧州の戦場勤務を希望したのだが、拍子抜けするほど戦いの少ない任務になるのかもしれない。まあ拍子抜けではあっても、欧州分遣隊の時の、いつ誰が死んでもおかしくないような激戦に身を置くのはさすがにもう勘弁なので、平穏に越したことはないが。

 

 任務がわかったら次は部隊の事だ。清末が尋ねる。

「それで、アティラウ派遣隊のメンバーはどうなっていますか?」

 特に難しい質問でもないと思うのだが、安藤大尉は言い淀む。

「うん、メンバーね・・・。その・・・、これで全部なのよ。」

「はい?」

「だからここにいる3人で全部なの。」

「え? えぇ? だって、舞鶴航空隊の精鋭が派遣されるって聞きましたけど。」

「うん、それに間違いはないわ。まだ来ていないだけで、いずれ舞鶴から他のメンバーが来るはずよ。ただ、今の所はこの3人だけなのよ。」

「はあ。では他のメンバーはいつごろ来るんですか?」

「さあ、いつになるのかしらね。あんまりはっきりしないのよ。」

「そ、そうなんですか。」

 これはまたずいぶんのんびりした話だ。まあ、それほどこのあたりは平和だということなのだろう。思っていたのとずいぶん違うなぁ、といろいろ拍子抜けする清末だった。




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

安藤昌子(あんどうまさこ)
扶桑海軍大尉(1929年6月1日生、17歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊長
 海軍兵学校を卒業し、士官ウィッチとして扶桑国内の部隊で指揮官としての経験を重ねた。中尉昇進後欧州に派遣され、主に哨戒任務と地上戦闘の支援任務を重ねた。アティラウ派遣隊編成に当たって、大尉昇進の上隊長に就任した。指揮官経験は豊富で実戦経験も少なくないが、空戦経験は多くはない。


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第三話 派遣隊での任務が始まる

 扶桑海軍は5分前行動が基本だ。だから朝は総員起こし5分前に号令がかかり、総員起こしの号令がかかるまでの5分間はじっと寝床の中で待機して、号令がかかると同時に跳び起きて、素早く寝床の片づけや着替えを済まさなければならない。もし事前に準備が必要な場合は、5分前までに全て済ませて、5分前になったら寝床に入って待機しなければならない決まりだ。はるかオラーシャのアティラウ派遣隊といえども、扶桑海軍の基地である限りこの原則に変わりはない。

 

 ところが、この基地にはウィッチが3人しかおらず、支援部隊にも女子の配属がないので、ウィッチの宿舎は文字通り3人だけしかいない。その結果、自分でやらなければ5分前の号令をかける人がいないのだ。児玉がつぶやく。

「総員起こし5分前の号令ないね。」

「そりゃそうよ。号令する人がいないもの。あんたがやればいいじゃない。」

「総員起こし5分前。」

 寝具にくるまったまま、呟くように号令をかける児玉に、清末がくすくす笑う。

「児玉、それでいいの? やり直し、とか言われちゃうよ。」

「大丈夫。宮藤さんはそんなことには厳しくないから。」

「いや、もう隊長は宮藤さんじゃないから。」

「ああそうか。でも安藤大尉も優しそうだったから大丈夫だよ。」

「まあそうだね。」

 もし号令をきちんとかけるべきだと考えていたら、交替で号令をかけるように指示があっただろう。それがなかったということは、安藤大尉もそんなに杓子定規には考えていないということだろう。

 

 起床喇叭が鳴った。

 ぱっと跳び起きるとさっと軍服に着替え、素早く、しかし丁寧に毛布をたたむ。ウィッチ訓練学校にいたときは、寝具をきっちりとたたんでいないと全部ひっくり返された上でやり直しを命じられたものだ。今は点検に来る人はいないが、過去の訓練の成果できれいに畳む習慣が身についている。ざっと顔を洗うと、前庭に駆け出す。他の兵舎からもばらばらと兵士たちが駆け出してくる。部隊ごとに整列すると、恒例の海軍体操だ。こんな辺境の砂塵舞う基地でも、腕を振り、足を上げ、一糸乱れぬ体操が行われている。基地はオラーシャ軍の基地の一部を借りて使っているから、同じ敷地内にオラーシャ軍の兵士もいる。オラーシャ軍では朝の体操はしないのだろう、ちょっと珍しいものを見るような目で、遠巻きにして見ている。体操をしながらちらっと見てみると、オラーシャの中でもカザフ人が多く住むこの土地では、欧州分遣隊の時に出会ったオラーシャの人たちとは、肌の色が肌色っぽかったり、顔の彫りが浅かったりと、見た目が違うようだ。

 

 朝食を済ませて、姿勢を正して軍艦旗掲揚に臨めば、今日の課業開始だ。隊長室へ行くと安藤大尉からの説明がある。

「昨日も話した通り、ネウロイとはボルガ川の線で対峙していて、わたしたちの任務はボルガ川を越えて侵入してきたネウロイを撃破することです。ボルガ川がカスピ海に流れ込むあたりに開けているのがアストラハンの町で、ネウロイと対峙する前線基地になっています。ただ、町は度重なるネウロイの襲撃でほぼ廃墟になっていて、オラーシャ軍の前線基地があるだけです。なお周辺には他にこれといって有力な拠点はありませんから、くれぐれも不時着するようなことのないように気を付けてください。不時着した場合、これといって目印になるようなものがない上、近くに拠点があることは期待できないから、救援はまず来ないと思ってください。」

「はい。」

 答えながら清末は思う。不時着したら救援はほぼ見込めないという意味では大変だが、少なくともネウロイ支配地域ではないのだから、そういう意味では安全だ。思えば、欧州分遣隊にいたときは、ネウロイ支配地域に深く進攻を繰り返していたから、もし不時着したらすぐにネウロイが襲ってきて、まず生きては帰れないような状況で、ずいぶん過酷な環境で戦っていたものだ。それに比べれば、こんな環境でもずっとましというものだ。

 

「アストラハンまでの距離は350キロで、その間は概ね砂漠地帯です。北側は半砂漠地帯で、乾燥した大地にわずかな植物がみられる程度の状況です。だから、上空からでもネウロイの発見は比較的容易ですが、岩陰に潜んでいたり、砂をかぶって偽装していたりすることもあるので、注意深く哨戒する必要があります。ネウロイを発見したら確実に撃破してください。」

 安藤大尉の説明に、児玉が、はいはい、と手を上げて質問する。

「出現するのは地上型ネウロイだけですか? 飛行型ネウロイは出現しないんですか?」

 児玉の質問に、安藤大尉は曖昧に微笑んで答える。

「うーん、それはね、わたしも着任して日が浅いから良くわからないんだけど、オラーシャ軍からの情報では飛行型ネウロイは殆ど出現しないってことよ。」

 だが、その情報は清末には疑問だ。監視所が少なくて、飛行型ネウロイが侵入してきても気付いていないだけなのではないか。

「アストラハンは繰り返し襲撃されて廃墟になっているってことですけど、地上型が繰り返し襲撃してきて廃墟になったのなら、とっくに占領されてるんじゃないですか? 飛行型の襲撃だから廃墟になったけどまだ占領されていない気がするんですけれど。」

 清末の意見に安藤大尉もうなずく。

「それもそうね。飛行型ネウロイも警戒するべきでしょうね。そうすると、哨戒に行くときはみんな機銃も持って行った方がいいわね。」

 

 安藤大尉の答えに、清末は違和感を覚える。

「あの、機銃を持って行った方がいいって、機銃を持って行かないことなんてあるんですか?」

「ええ、地上型ネウロイを攻撃するには爆弾を使うから、機銃は持って行かなくていいのよ。」

 事もなげに答えた安藤大尉に、清末は驚きを隠せない。

「えっ? 爆弾ですか? わたしたち爆弾って使ったことないんですけれど・・・。」

「あら、爆撃をしたことないの? じゃあ訓練が必要ね。」

「は、はい。」

 欧州分遣隊の時は、地上型ネウロイも銃撃で撃破していた。だから爆撃はやったことがない。ウィッチが爆撃をするのを見たことはあるが、それは爆撃専門のウィッチだった。機銃なら地上型相手でも飛行型相手でも使えるから機銃の方がいいのにと思うが、隊長の指示とあっては従うしかない。

 

 そこで早速爆撃訓練となる。格納庫内のストライカーユニットの脇には爆弾が並べられている。清末と児玉は爆弾を間近に見るのは初めてなので、まじまじと見つめる。黒光りする爆弾は、大きいものと小さいものがある。

「こんな大きいの抱えて飛べるのかな?」

 児玉が不安げに呟くが、安藤大尉は慣れているのか何の不安もないようだ。

「大きい方が60キロ通常爆弾、小さい方が演習用爆弾よ。地上型ネウロイは堅固な装甲で覆われているけれど、60キロ爆弾で十分破壊できるわ。」

「ええと、地上攻撃ウィッチはもっと大きい爆弾を使っていたような気がするんですけれど。」

「そうね。地上攻撃ウィッチなら250キロ爆弾を装備できるわね。でも私たちの零式艦上戦闘脚では250キロ爆弾を装備するのは、搭載量の重量制限の関係でちょっと難しいのよ。それに、60キロ爆弾でも十分強力なのよ。地面なら深さ2メートル程度の弾痕ができるし、鉄筋コンクリートの建物なら3層を貫通する威力があるのよ。普通のネウロイなら一発で粉砕できるわ。」

 なるほど、機銃とは比較にならない威力で、地上型ネウロイに対しては効果抜群というわけだ。しかし自分たちがそれをやるとなると話は別だ。果たして自分たちに爆撃などできるのだろうか。もちろん爆弾を持って行って落とすだけならできそうだが、正確に狙って命中させるとなるとまた別だ。不安を感じた清末が、隣の児玉の方を見やると、やはり不安そうな表情を浮かべていた。



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第四話 初めての爆撃訓練

「爆弾を装着して。」

 安藤大尉の指示で整備員たちが集まってきて、ストライカーユニットに取り付けられた爆弾投下器に演習用爆弾を装着する。

「発進!」

 安藤大尉は号令をかけると先頭に立って飛び出していく。滑走路を走りながら増速すると、滑らかに上昇して行く。自信はないが後に続くしかない。清末は覚悟を決めた。

「児玉、わたしが先に行くよ。」

「うん。」

 いつもの様に滑走するが、やはり演習用爆弾といえどもかなりの重量感だ。そのせいか、いつもより加速が鈍い。いつもより長めに滑走して速度を付けると、ぐっと引き起こす。特に問題なく離陸したが、やはり爆弾の重量のせいで上昇が鈍い。空気抵抗も大きいのだろう。これは、あまり急上昇しようとすると失速するかもしれない。慎重に上昇して行った方が良さそうだ。

 

 児玉はと振り返ってみると、思い切り良く飛び出してきている。勢いよく上昇してきてはいるが、やはりなかなか速度が上がらなくて苦労しているようだ。

「児玉、調子はどう?」

「やっぱり重いよ。」

 まあそうだろうという感想だ。しかし、飛ぶ前には不安そうな表情を浮かべていたが、ひとたび飛び出してしまえば不安そうな様子は見せていない。この思い切りの良さが児玉の身上だ。それでこれまでの困難な戦いも切り抜けてきたものだ。

「わたしも負けていられないね。」

 清末も力を込めて、上昇の勢いを増していく。もっとも考えてみると、離陸や飛行だけなら増槽を積んで飛ぶのと大して変わりはないから、それほど緊張するものでもない。

 

 所定の高度で水平飛行に移ると、町を出外れたところで眼下に爆撃訓練場が見えてくる。爆撃訓練場といっても、砂漠の一角を広く囲って、地面に目標が描かれているだけのものだ。安藤大尉が指示する。

「あの目標に向かって爆撃します。降下して爆弾を投下したら一旦上昇して、再度降下して2発目を投下します。降下角度は30度程度です。余り急な角度で降下すると速度が出過ぎて引き起こせなくなる恐れがあります。急降下爆撃専用のユニットにはダイブブレーキが付いていて過速の防止が図られていますけれど、わたしたちの零式艦上戦闘脚にはダイブブレーキはないので、降下速度の出過ぎには注意してください。」

「ええと、空中戦では垂直降下して引き起こしとか普通にやっていたんですけれど・・・。」

「それはね、今回の演習用爆弾なら軽いからそれほどでもないけど、60キロを2発積んだらすごい重量なのよ。垂直降下なんかしたら、とっても引き起こしなんかできないわよ。」

 言われてみればそうだ。清末はこの時代の15歳女子としては平均的な身長150センチ、体重45キロだ。児玉に至ってはまだ13歳なので、体重は40キロに届かない。60キロ爆弾2発でほとんど3人分の重量増になるから、その影響は甚大だ。爆弾を抱えて垂直降下などしたら、地面まで一直線ということになりかねない。

 

 まずは安藤大尉が見本を見せる。

「見ていてね。」

 そう言うと安藤大尉は降下に入る。降下角は説明にあった通り30度程度、降下速度は急降下爆撃と同程度の500キロ程度に抑えている。緩降下爆撃は急降下爆撃より速度を上げることができるので爆弾の貫徹力を増すことができるのがメリットだとも言うが、それより爆撃の正確性を重視して速度を抑えているのだろう。高度600程で爆弾を投下した。爆弾は見事に目標に着弾して煙を上げる。安藤大尉は引き起こしに入っているのだろうけれど、目に見えた変化もなくどんどん高度を下げていく。このままでは地面に激突するのでないかと心配するが、徐々に降下速度を落として、地面すれすれで水平飛行に移る。いや、上から見ていると地面すれすれに見えるが、実際には100メートル程度の高度は保っているのだろう。やがて緩やかな上昇に移る。降下爆撃の場合、爆弾投下後反転上昇しようとすると敵直上で大きく減速することになり危険なので、速度を落とさず水平飛行で敵上空を離脱するのが原則だ。なるほど、こうやるのかと、初心者二人は得心する。

 

「清末行きます。」

 続いて清末が降下に入る。爆弾の空気抵抗もものかわ、どんどん速度を上げる。

「あ、まずい。速度が出過ぎだ。」

 つい飛行型ネウロイを攻撃する時の癖で、思い切りよく増速してしまう。飛行型ネウロイが目標の場合は、相手を逃がさないためにも、反撃する隙を与えないためにも、速度は出せるだけ出した方が良い。よほど低空で戦っていない限り、突っ込み過ぎて地面に激突する気遣いはない。しかし地上型ネウロイの場合は、上空への反撃はほとんどないし、狙いを正確にするためにも速度は上げ過ぎない方が良い。それはわかっているのだが、つい速度が出てしまう。速度を気にしている間に、どんどん標的が迫って来た。

「投下!」

 投下索を引くと、ぱっと爆弾が落ちた。すぐに引き起こしに入る。ところが、右の爆弾だけを投下したので、左の爆弾の空気抵抗と重量で左右のバランスが悪い。うかうかしていると振り回されてしまいそうだ。それに気を取られている内に、どんどん沈み込んで地面が迫ってくる。

「えいやっ!」

 思い切りストライカーユニットを吹かして引き起こす。地面をこするかと思ったが、何とかかわすことができてほっとする。爆弾はと見ると、速度が速かったせいだろうか、標的よりだいぶ前方に落ちていた。

 

 続いて児玉が降下してくる。児玉の降下は一段と勢いが良い。いくらなんでも速度を出し過ぎだ。

「児玉、もっと速度を絞って。」

 しかし児玉は平気の態だ。

「うん、大丈夫だよ。」

「大丈夫って、思ったより引き起こしが遅れるよ。」

「晴江は心配性だなあ。大丈夫だよ、思い切り引き起こすから。」

 そうこうするうちに、投下高度までさしかかる。

「投下!」

 ぱっと放たれた演習用爆弾が一直線に地面を目指す。児玉が思い切り良く速度を上げていたせいか、あっという間に標的を飛び越えて、はるか前方に飛んでいく。

 

 児玉はと見ると、左右の足を巧みに動かしてバランスを取りながら、ストライカーユニットの出力を全開にして引き起こしにかかっている。しかしいかんせん速度が出過ぎている。

「児玉! 引き起こして!」

「やってるよぉ!」

 徐々に引き起こしが効いてきているが、もう高度がない。

「あっ!」

 地面に突っ込んだと見えた瞬間、猛烈な土煙が上がる。土煙はすごい勢いで前方に伸びて行く。まさか地面を転がっているのか、と思った瞬間土煙の中から児玉が飛び出した。

「ふう、もう地面すれすれ。少しこすっちゃったよ。」

 児玉はぶつぶつ言っているが、地面に激突はしなかったようでほっと一安心だ。しかし、肝心の爆撃は、二人ともまるで駄目だ。

 

 上昇して安藤大尉の所に行くと、安藤大尉は笑っている。

「二人とも、実戦経験豊富なベテランって聞いてたけど、爆撃はからっきしなのね。」

 爆撃専門のウィッチを除いて、本来は爆撃などするものではないと思っているから、清末としては結構不満だ。確かに爆撃なら強固な装甲を持つネウロイでも一撃で破壊できるのかもしれないが、せいぜい2発しか携行できない爆弾は外したらそれまでだし、飛行型ネウロイに対しては何の役にも立たない。それくらいだったら、多少破壊するのに時間がかかっても、機銃で攻撃する方が有効性も汎用性も高いと思う。そうは思っても、上官に逆らって爆撃訓練なんかしないというわけにはいかない。しかたないから曖昧に笑ってやり過ごす。

「いや~、爆撃は初めてですから。」

 安藤大尉は地上型ネウロイには爆撃という先入観があるようで、清末の複雑な気持ちには気付かない様子だ。

「じゃあ、訓練を繰り返して、早く慣れてね。」

 そう言って微笑む。もちろん、部隊ごとにやり方が違うのは当然だし、配属された以上その部隊のやり方に合わせなければならない。それに、そうやってできることの幅を広げることは悪いことじゃない。でも、過酷に過ぎた欧州分遣隊を、ふと懐かしく思う清末だった。

 



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第五話 哨戒飛行に出撃

 最初はどうなることかと思った爆撃訓練だが、何度か繰り返すうち、ほぼ標的付近に投下することができるようになった。清末も児玉も、伊達にこの1年多くの戦いを経験してきたわけではない。厳しい訓練や様々な戦闘の場面を経験してきたことで、飛行のコントロールが巧みになって、新しい技術の飲み込みが早くなっていた。実戦経験豊富なベテランとしての面目躍如といった所か。

 

 安定した爆撃ができるようになったところで、いよいよ実戦に出撃だ。もっとも、実戦といってもやることは哨戒飛行で、たまたまネウロイが出現したのにあたらなければ本当の意味での実戦はない。

「今日は実際に哨戒任務につきますから、実弾を搭載します。」

 安藤大尉の言う通り、ストライカーユニットの横には60キロ爆弾が用意されている。整備員が爆弾架にそれを装着すると、ずっしりと重みを感じる。

「晴江、重いよ。こんなので飛べるのかな?」

 ちょっと情けない感じで声をかけてくる児玉に同意したいところだが、実際はストライカーユニットのパワーは十分飛びたてるだけのものがあるだろう。それにふと思い出したことがある。

「児玉、あのね。」

「うん、なに?」

「普通の女性でも米俵5俵は担げるらしいよ。」

「えっ? 5俵って言ったら300キロだよね?」

「うん、担いで歩くのは無理だったみたいだけど、担ぐだけならできたらしいよ。写真も残ってるって。」

「えっ? ほんとなの。」

 生身の女性が300キロ担げるのなら、魔法力で身体強化されているウィッチが120キロくらい持つのはどうということもないはずだ。それに5俵とはいかなくても、米2俵、120キロを担いで行商する人なら結構いるというし、多い人は3俵半、200キロを担いで行商するという。そう思うと60キロ爆弾2個程度、別にどってことないような気がしてきた。

 

「発進!」

 60キロ爆弾2発を左右のストライカーユニットに搭載し、清末は滑走路に滑り出す。どってことないと思っても、やっぱり重いものは重く、加速が鈍い。重量のことを考えると、普段より十分に速度を上げてから離陸しないと失速の恐れがある。実戦で緊急出撃となったら強引に引っ張り上げることも必要だが、今日はそんなに緊急事態ではないので、十分に加速してから慎重に引き起こす。確かに重く、上昇も鈍いが、ストライカーユニットのパワーには十分余裕があり、慣れれば結構思い切った離陸もできそうだと思う。振り返ってみれば、後に続いて児玉が離陸しようとしている。

「児玉、爆弾持っても案外普通に飛びたてるよ。」

「そう? じゃあ思い切りよくやってみようかな。」

 そう返した児玉が滑走を始める。滑走路を一杯に使って加速すると、地面を蹴って飛び上がる。飛び立った児玉はぐんぐん上昇角度を上げていく。

「ちょっと、児玉、上げ過ぎじゃないの?」

「まだまだ、もっと行くよ。」

 児玉は力を振り絞ってさらに上昇角度を上げる。垂直上昇に近くなると、さすがに厳しそうだが、それでも上昇を続けていて、ストライカーユニットのパワーも大したものだ。しかし、このまま上昇して行っても仕方がない。

「児玉、どこまで上昇するつもり?」

「ああそうだね。哨戒飛行に出るんだった。」

 児玉は上昇を止めると水平飛行に移り、巡航高度につけると、先行していた安藤大尉を追いかけて、編隊を組む。児玉の行動には、うるさい指揮官だと小言があってもおかしくないところだが、安藤大尉はそこまで細かいことは気にしないようだ。

 

 アティラウの航空基地は町の西の外れにあるので、西に向かって飛び立てば、眼下にはただ乾燥した大地が広がっているばかりだ。川の縁や、カスピ海の沿岸部には薄く緑が延びているが、それ以外は、言ってしまえば不毛の台地が広がっている。町らしい町も見当たらず、東西をつなぐ道がある他は何もないと言っていい。率直な所、このような何もない土地を防衛してもあまり意味はないような気もするが、どこかに防衛線を敷かなければネウロイに際限なく進攻されてしまうので、一見役に立たなそうに思えても、この地域を防衛することには重要な意味がある。逆に何もないがゆえにネウロイもあまり侵攻してこないので、少ない戦力で広大な地域を防衛できるとも言える。

 

 やがて眼下の光景は一変し、広大な緑の大地が広がってくる。ボルガ川が数多くの支流に分かれてカスピ海へと流れ下る三角州だ。アストラハンの町もこの三角州の中にあり、カスピ海からボルガ川へと続く水上交通の要衝として栄えてきた。アストラハンの市街の中心から10キロほど南に飛行場があるが、ネウロイの襲撃で破壊されたまま放置されている。ただし、この飛行場はボルガ川のすぐ近くにあるため、仮に復旧してもすぐにまた襲撃を受けることが予想され、防衛のための拠点としては役に立たないだろう。アストラハンの町はボルガ川の両岸に広がっているが、西側は放棄されてボルガ川の東側に沿って防衛陣地が構築されている。最前線なので一般市民の帰還は認められておらず、破壊された市街地は廃墟のまま放置されている。

 

 北上すると再び乾燥した大地が広がってくる。南寄りの砂漠地帯よりは若干乾燥の程度が軽く、丈の短い草が生え、まばらに低木が見られる。遊牧が行われている地域で、稀にヤギやヒツジの群れが草を食んでいるとろや、隊商が移動しているところに出会うこともある。しかしこの地域で遊牧をしている人々は、基本的に定住することはない人々なので、町らしい町はない。

 

「安藤大尉、巡航高度で哨戒していますけれど、これでネウロイを発見できるんですか?」

 地形の変化は比較的少なく、灌木なども少ないことから、地上が見えやすいのは確かだ。しかし、地上型ネウロイはそれほど大きくない。海軍機が哨戒飛行で捜索するのは艦船が主だが、比較的小型の駆逐艦でも全長は120メートル程度もあり、また白い航跡が長く伸びているから巡航高度で問題なく発見できる。一方の地上型ネウロイは、普通のタイプで10メートル程度に過ぎず、巡航高度の3,000メートルから見れば、見かけの大きさは3ミリ程度に過ぎない。前後左右に離れればもっと小さくなる。だからもっと低い高度で哨戒しなければならないのではないかと、清末は思ったのだ。

「うん、確かにこの高度だと小さくて発見しにくいわよね。」

 安藤大尉も同意してくれたと思ったが、そうはいかない。

「でもネウロイって独特な黒光りをするから、薄茶色の砂ばかりの大地の中では結構目立つのよ。それに、歩いていれば砂煙が立つしね。」

「・・・。」

 清末は思わず無言になってしまう。確かにジャングルの中で木の下に潜んでいる地上型ネウロイを発見するのに比べれば発見しやすいかもしれないが、そうそう見つかるものだろうか。だいいち、砂煙なんか風が吹いて舞い立ったものと見分けがつかないだろう。清末は気を取り直してもうひと押しする。

「黒光りするって言っても、砂をかぶっていたらわかりませんよね? ここはもう少し高度を落として哨戒した方がいいんじゃないんですか?」

「うん、高度を落とせば発見しやすくなるのは確かだけれど、見渡せる範囲が狭くなるわよね。これだけ広大な範囲を哨戒するんだから、あまり細かくは見ていられないわ。」

「それもそうですけれど・・・。」

「それにね、穴を掘って潜っていたらどの道見付けられないわ。それで仮に見落としたとしても、地上型ネウロイ1機程度ならそれほどの脅威でもないわ。」

「それは確かに・・・。」

 隊長がそういう方針なのなら仕方がない。それに、人数は限られているのに担当範囲は広大だから、ある程度粗ができるのは仕方がないとも言える。

 

「あ、何か見えた。」

 児玉がそう言うと、左にバンクして降下を始める。

「援護します。」

 そう言って清末も後に続く。肩に掛けていた機銃を素早く構えると、周囲に視線を巡らせる。目標に向かって降下している時に、不意に上空などから攻撃されると危険だ。これまでに重ねてきた実戦経験で、反射的にこういった対応ができるのが経験者の強みだ。しかし、60キロ爆弾の負荷はかなりのもので、これで格闘戦に巻き込まれたら相当苦しいことになる。清末は児玉の後ろにぴたりと付けて降下しながら、手のひらにじっとりと汗がにじむのを感じる。

 

 児玉は、清末のカバーを信頼しきっているようで、わき目も振らずに降下して行く。そして降下した先には・・・。

「地上型ネウロイです。攻撃します。」

 児玉は安藤大尉の指示を待つことなく、爆撃体勢に入る。左右の手でそれぞれの投下索を握り締めて、地上型ネウロイめがけて一直線に突入して行く。ネウロイからの反撃はない。普通サイズの地上型ネウロイは、多くの場合上空に向かって攻撃する能力を持たない。だから直接対峙する地上部隊にとっては脅威でも、空を飛ぶウィッチの敵ではない。

「投下!」

 児玉がわずかのタイミング差をつけて、左右の投下索を引いた。放たれた爆弾が、地上に向かってみるみる加速する。一発目は・・・、わずかに手前に着弾して火柱を上げた。続いて2発目は・・・、みごとネウロイの上部装甲を直撃し、装甲を叩き割って貫通すると炸裂する。次の瞬間、ネウロイはきらきら輝く光の粒となって四散した。

 

「命中!」

 児玉の声が弾む。

「お見事ね。これからもこの調子でお願いね。」

 安藤大尉からはお褒めの言葉だ。

「児玉、やるじゃない。」

 清末も心から称賛する。発見できるか危ぶんできたネウロイを発見したことも、慣れない爆撃を見事に成功させたことも、たいしたものだと思う。そもそも、爆撃訓練はもっぱら演習用爆弾で、実弾を使った訓練は殆どやっていないのに、一発で成功させる児玉のセンスには舌を巻く。自分も負けていられないと、清末は密かに闘志を燃やす。

 



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第六話 新隊員着任

 朝の打ち合わせの際に、安藤大尉が告げる。

「明日、新たな隊員が着任する予定です。士官1名と下士官2名の合計3名です。受け入れ準備をしておいてください。」

 いつ着任するかわからないと言われていたところからの急転に、児玉が驚きの声を上げる。

「えっ、えっ、どんな人なんですか。」

 清末もやや興奮気味だ。

「それって、うわさに聞いていた舞鶴航空隊の精鋭ですよね。どんなにすごい人なんだろう。わたしもついて行けるように頑張らなくっちゃ。」

 興奮する2人に、安藤大尉はやや苦笑しながらたしなめる。

「ほらほら、そんなに騒がないの。着任すればわかることなんだから。そんなことより、これから長く一緒にやっていくんだから、仲良くしてね。」

 2人は顔を見合わせると、弾けるように笑う。

「隊長、わたしたち、人の事悪く言ったり、仲違いしたりなんてしたことないですよ。」

「そうですよ、前の部隊でも一度も喧嘩なんてしなかったですよ。」

「そう? そうならいいけど。」

 そう言いながらも、何か心配事でもあるのか、安藤大尉の表情はすっきりしない。

 

 受け入れ準備に必要なのは、まずは部屋の整備だ。士官用1室、下士官用1室を使えるようにしなければならない。

「おそうじ、おそうじ。」

 歌うように口ずさみながら、掃除用具を抱えて弾む足取りで清末と児玉は部屋に向かう。元々扶桑海軍では毎日の甲板掃除は厳しく仕込まれているが、前に所属していた部隊の隊長だった宮藤大尉は殊更に掃除に熱心だったので、その下で仕込まれた二人も掃除には熱心だ。単に熱心なだけでなく、掃除に楽しみを感じており、早速鼻歌交じりにはたきをかけ、床に溜まった砂埃を掃き出し、艦船の甲板掃除の要領で床を磨き上げる。扶桑海軍では陸上の施設でも教育施設を中心に寝具に吊り床を使っている施設も多いが、ここはオラーシャなのでさすがに吊り床ではなく、ベッドが用意されている。ベッドの埃を落とし、磨き上げ、敷布を広げて畳んだ毛布を用意する。新兵の入営なら衣類等一式も準備しなければならないが、今回着任の3人は自分の分は衣嚢に詰めて担いでくるはずだから、準備の必要はない。武装一式は一緒に運ばれてくるはずだから、慰安や娯楽に縁のない前線基地なので、他に用意するものはない。何の飾り気もない殺風景な部屋が用意されただけだが、場所によってはそれさえも御の字だ。清末と児玉だって、隙間風吹き込む損壊した建物で、毛布に包まって床にごろ寝したことだってある。まあ、年頃の女の子としては、そんな前線基地でも、ささやかな華やぎが欲しいと思うのだけれど。

 

「部屋の準備はできたかしら?」

 安藤大尉が様子を見に来て声をかける。

「はい、ばっちりです。」

 にこにこしながら二人が示す部屋はきれいに片付いて、ついさっきまで、どこからともなく入り込んできていた砂が吹き溜まって、まるで砂漠の様になっていた部屋だとは思えない。

「へえ、飛行が上手なだけでなくて、お掃除の手際も良いのね。」

 安藤大尉に褒められて、清末と児玉はちょっと自慢げに胸を張る。正直な所、あまり激戦が予定されていないこの基地では、戦闘技術が高い人より、日常作業に長けた人の方が重宝する。そういう意味でもこの二人は当たりだったなと、安藤大尉は思う。二人が前に所属していた部隊は、少ない人数で強大なネウロイを相手に獅子奮迅の戦いをしてきたと聞いていたので、あまり粗暴な人だったらやりにくいと思っていただけに、それが杞憂に終わってほっとしている。

「じゃあ、明日はお昼頃に輸送機が着く予定だからよろしくね。」

「はいっ!」

 褒められてご機嫌な二人は、にこにこしながら元気よく返事をした。

 

 翌日、朝からそわそわしながら到着を待つ。些細なことかもしれないが、大規模な戦闘でもない限り大きな変化のない辺境の基地では、新たな隊員が着任するというのは結構な大事件だ。そしてやがて到着予定時刻が近付く。皆で滑走路脇に出て、到着を待ちうける。

「ねえ、晴江、今度来る人、あんまりきちきちした人じゃないといいな。」

「そうだねぇ、宮藤さんは訓練や任務には厳しい人だったけど、それ以外はゆるゆるだったからね。」

「あんまり規則とか言われたら、わたしついて行けないかも。」

「そうだねぇ。軍規とか言われても良くわかんないし。」

「軍規って何だっけ?」

「あれ、訓練学校で習わなかったっけ。」

「うん、覚えてない。」

 児玉は断言するとけらけら笑う。実力を発揮してもらうためになるべく自由にさせて余り締め付けたくないので、少々おかしなことを言っても聞き咎めないようにしていた安藤大尉が、さすがに渋い顔をしている。

 

 程なく壮大な砂塵を巻き上げて、零式輸送機が着陸してくる。着陸した輸送機のドアが開いて、便乗の新規配属隊員が降りてくる。先頭に立って降りてきた人は紺色の士官服を身にまとっている。背はやや高めで髪を短めに切り揃えて、幼さをまだ残した生真面目そうな顔を緊張感からかやや硬くしている。二人目はセーラー服に長身の身を包み、肩までかかる髪を後ろに束ねている。整った顔立ちに柔和な表情を浮かべて、子供っぽさは隠せないものの落ち着いた雰囲気を醸し出している。三人目は小さな体躯をセーラー服に包み、元気の良さそうな足取りでタラップを降りてくる。新しい任地に興味深々といった風に、くりくりした目をきょろきょろと回している。おかっぱ頭も相俟って、だいぶ子供っぽい雰囲気だ。士官の子を一歩前にして並ぶと三人は姿勢を正し、士官の子が手を額に上げて敬礼する。清末と児玉も姿勢を正す。

 

「舞鶴航空隊からアティラウに派遣されてまいりました栗田鈴江です。階級は少尉です。ただいま着任いたしました。」

 後ろの二人が続く。

「同じく、佐々木津祢子一等飛行兵曹です。」

「同じく、中野迪子一等飛行兵曹です。」

 安藤大尉が答礼する。

「アティラウ派遣隊隊長の安藤です。活躍を期待します。」

 

 型通りの着任挨拶だが、清末はちょっと予想外のメンバーだったと感じている。舞鶴航空隊から精鋭が派遣されると聞いていた割には、3人とも見た目の印象や階級からすると案外年齢が低そうだ。ひょっとすると3人とも清末より年下かもしれない。栗田は少尉だというから、兵学校を出て、ウィッチ教育を受けて、その後たいして実務経験を経ずに派遣されてきたのではないか。佐々木と中野に至っては、ウィッチ訓練学校を出てそのまま派遣されてきたのではないか。だとすると、精鋭と聞いていたのはかなり大げさな話だったことになる。まあ、所詮噂話程度の域を出ない話だったから、文句を言っても仕方がないのだが、自分とは違った経験を重ねてきた人と一緒になれば、学べることも多いだろうと期待していただけに、ちょっとがっかりしたというのが偽りのない気持ちだ。しかし考えてみると、ここアティラウ戦線はネウロイがあまり出現しない地域のようなので、訓練を終えたばかりの新人に実践的な訓練を施すには、好適の場所なのかもしれず、そう考えると新人に毛の生えたようなこの3人は当然の人選と言える。そう、ちょうど清末たちがまだ新人だった頃に、横須賀航空隊欧州分遣隊に配属になり、ガリアのカンブレーに送られた時と同じように。

 

 隊長室に移動して、清末と児玉と同じように、安藤大尉が基地や部隊の現況や、部隊の任務について説明する。清末と児玉は既に聞いた内容なので、お茶の支度をしながら新隊員3人の様子をうかがう。3人とも神妙に安藤大尉の説明を聞いている。

「お茶どうぞ。」

 清末が栗田にお茶を差し出すと、栗田は視線をちらりと清末に向け、小さくうなずくと小声で言う。

「ご苦労。」

 佐々木は微かに微笑んで、中野は恐縮の態で、いずれも無言で頭を下げる。配属されたばかりの新人の立場では、隊長からの説明中とあっては例えお礼の一言といえども、声を出すのははばかられるのだろう。清末はふと、訓練学校在籍中から宮藤とは顔見知りだったこともあって、自分たちは配属当初からこんな緊張感はなかったなと思う。

 

 清末が給湯室に戻ると、覗き見ていたのであろう児玉がしきりに憤慨している。

「晴江、何よ、あの鈴江の態度。新入りなのになんであんなに偉そうなの。」

 清末は苦笑しながら答える。

「児玉、新入りって言っても栗田は士官だよ。上官なんだから偉そうでも仕方ないじゃない。実際偉いんだから。」

「それにしたってさぁ、別にすごく偉いわけでもないんだから、もう少し新入りらしい態度があるでしょ。」

「まあね。でもやっぱり上官だからね。あんまり遠慮ない態度を取るもんじゃないよ。鈴江とか、名前で呼び捨ては止めようね。」

「うん、まあ、それはそうだけど。」

 とりあえず児玉のことはなだめた清末だが、栗田に対してはちょっと不安を感じる。士官だからといって、あまり偉そうに振る舞われると面倒くさい。ウィッチに限らず飛行機乗りはプライドが高く、ひとたび飛び上がれば階級なんか関係ないという下士官は少なくないので、実力を伴わずに居丈高に振る舞う士官は反感を買うことになる。清末はそこまでの気持ちはないけれど、前の部隊の隊長の宮藤が極めてフレンドリーだっただけに、面倒くさいのは嫌だなと思う。




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

栗田鈴江(くりたすずえ)
扶桑海軍少尉(1932年4月10日生、14歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
 海軍兵学校を卒業し、ウィッチとしての訓練を終えたところでアティラウ派遣隊に配属された。実戦経験はまだなく、実力は未知数。

佐々木津祢子(ささきつねこ)
扶桑海軍一等飛行兵曹(軍曹)(1934年9月17日生、12歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
 訓練学校を卒業したばかりの新人ウィッチ。実戦訓練を行うために、あまり戦闘がないと予想されるアティラウ派遣隊に配属された。

中野迪子(なかのみちこ)
扶桑海軍一等飛行兵曹(軍曹)(1934年10月14日生、12歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
 訓練学校を卒業したばかりの新人ウィッチ。実戦訓練を行うために、あまり戦闘がないと予想されるアティラウ派遣隊に配属された。


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第七話 新隊員は普通の新人

 安藤大尉からの説明が一通り終わると、清末と児玉も呼ばれて、改めて顔合わせが行われる。新規配属組の3人は、安藤大尉の醸し出す和やかな雰囲気にだいぶ緊張も解けたようで、表情や態度が和らいでいる。ただ、栗田少尉は士官としてこの部隊をしっかりと統制しなければならないとでも思っているのか、気負っているような印象がある。

 

 その、栗田少尉がまず口を開く。

「改めて、海軍少尉栗田鈴江だ。清末上飛曹、児玉上飛曹・・・。」

 しかし、栗田少尉の気負いをくじくように、安藤大尉が口を挟む。

「栗田さん、連合軍では混乱を避けるために、下士官の呼称は伍長、軍曹、曹長に統一することになっているのよ。だから欧州にいる間は、一飛曹は軍曹、上飛曹は曹長と呼ぶようにしてね。」

 そのタイミングで言うかと思わないでもないが、栗田少尉は生来生真面目なのだろう、いやそうな顔一つ見せずに続ける。

「は、はい、了解しました。では清末曹長、児玉曹長、二人は欧州での実戦経験が豊富だと聞くが、だからといって独断専行するようなことは慎むように。意見具申は認めるので、何かあれば必ず上官の許可を取るように。」

 

 清末は、最初の挨拶がそれ? と疑問を感じないでもない。でも、新任の士官として、精一杯士官らしさを出そうとしているのだろう。でも、まだまだ幼さの残る顔でそれを言われても、微笑ましさを感じるばかりだ。しかしまあ、ここは上官への敬意を示しておくべきだろう。姿勢を正して答える。

「はい、了解しました。」

 児玉もあわせて答えるが、その表情には不満な様子が見えてしまっている。そこは表情に出しちゃ駄目だよ、と清末は思うが、生憎児玉はそんなに器用ではない。栗田少尉が児玉の不満そうな様子を感じ取って気に障ることがないと良いのだが。

 

 栗田少尉が続ける。

「佐々木軍曹と中野軍曹は訓練学校を卒業したばかりの新人だ。1日も早く任務をこなせるレベルになるよう、厳しく鍛えて欲しい。」

 それに合わせて、佐々木と中野が頭を下げる。

「早くお役にたてるよう頑張りますので、ご指導よろしくお願いします。」

 あ、見た目通りやっぱり二人とも新人なんだと、清末は改めてがっかりする。まあ、こんなのんびりした戦域に、精鋭と呼ばれるようなベテランが配属されるわけがないことには気付いていた。それでもせめて、新人だけれど訓練学校の成績は優秀だった期待の新人くらいの触れ込みはあるかと思ったが、それもない普通の新人だった。でもそんなことでがっかりするのも失礼だ。自分たちだって1年前に欧州分遣隊に配属された時は、別にこれといった特徴のない普通の新人だったのだから。そう思いながら答える。

「佐々木さん、中野さん、曹長の清末と児玉です。訓練は厳しいけれど、必ず一人前のウィッチにしてあげるから、頑張ってね。」

 丁寧な言葉遣いで声をかけたが、さん付けで呼ぶのは顔合わせの今だけだ。宮藤さんが自分たちにやってくれたように、にこにこしながら厳しい訓練をしてあげよう。ところで今言ったセリフ、坂本さんの口癖だった。こうしてみると、無意識の内に教えてくれた人たちの影響を色濃く受けているんだと、清末は思う。

 

 

 さて、顔合わせの後は、持ってきた荷物を手早く片付けたら、早速訓練だ。滑走路脇に集合する。

「今から訓練に入るよ。まだストライカーユニットが準備できていないから、今日は基礎訓練で、基地の周りを走るよ。」

 清末が訓練メニューを説明する。佐々木と中野は歯切れよく応答する。

「はい!」

 いかにも訓練学校を出たばかりといった反応が好ましい。一緒にいた児玉は、ふと発令所の所に栗田少尉が立って、こちらを見ているのに気付いた。

「栗田少尉も一緒に走りませんか?」

 児玉が誘うが栗田少尉は乗ってこない。

「いや、私は他にやることもあるからいい。」

「はい、了解しました。」

 少しおどけた調子で敬礼する児玉を清末がつつく。

「児玉、何やってるの。士官が一緒に訓練するわけないでしょ。」

「え? だって、宮藤さんはいつも一緒に訓練してたじゃない。」

「宮藤さんは特別。それに、前の部隊は教員役をできるベテラン下士官がいなかったでしょ。」

「そうかぁ、宮藤さんは特別かぁ。」

 もっとも、その宮藤を教えた坂本もいつも一緒に訓練をしていたから、その教えが代々受け継がれているとも言える。

 

「発進!」

 いや、発進ではないのだが、とにかく号令とともに4人とも走り出す。佐々木と中野は部隊配属で張り切っているから、とにかく思い切り良く走る。清末と児玉は、これまで暇さえあれば訓練を心がけていたので、幾らでも走る。基地の周囲を一回りするだけでも、広大な基地のことだから相当の長距離を走ることになるが、この走り方はとても長距離を走る走り方ではない。案の定、佐々木が苦悶の表情を浮かべて、脇腹を抱えて遅れだす。

 

「佐々木、どうした?」

 清末が声をかけると、佐々木は苦しそうに答える。

「すみません。準備運動もなしに思い切り走ったから、おなかが痛くなりました。」

「しょうがないなぁ。中野はそのまま走って。」

「はいっ!」

 中野は一人で走っていく。小さな体躯がちょこちょこと走っていくが、その小柄な後ろ姿は折からの風に舞う砂埃にかき消されそうだ。

 

「さて・・・。」

 清末が佐々木に向き直ると、一歩早く児玉が発破をかける。

「津祢子、なに弱音はいてるの? おなかが痛くなったからって、ネウロイは待ってくれないよ。痛くても走る。」

 児玉は児玉で、初めて訓練担当になって張り切っているようで、ちょっと理不尽なしごきをやってみようと思っているようだ。でもまあ、面白そうだから少し見ていようと、清末は成り行きを見守る。一方の佐々木はなかなか良い根性をしているようだ。

「はいっ! 走ります!」

 気合を入れるように答えると、また走り出す。それを児玉が追いかけながら煽り立てる。

「ほらほら、もっと速く走らないとネウロイが追い付いちゃうよ。」

「はいっ!」

 佐々木は歯を食いしばって速度を上げる。

 

 清末がぱん、ぱん、と手を叩く。

「はいそこまで。佐々木は横で座って休んで。」

「は、はい。」

 佐々木は苦痛から解放されて、汗にまみれた顔に呆けたような表情を浮かべて、ふらふらと脇によるとばったりと倒れる。顔を濡らしているのは汗か、それとも涙混じりか。佐々木も部隊勤務の厳しさが身に染みたことだろう。

「もう少し頑張らせても良かったんじゃない?」

 児玉がちょっと悪戯っぽい表情を浮かべて、清末の顔を覗き込む。

「最初からやり過ぎだよ。」

 清末が軽く手を振って児玉を遮る。児玉ももちろんわかっているのだが、このまま続けても苦痛に耐える訓練にしかならない。基礎体力を育てるのが目的だから、痛む脇腹を抱えて走らせても意味がないのだ。

 

「じゃあ行くか。」

 清末と児玉は佐々木を残して、先行している中野を追いかける。中野は結構元気よく走って行ったので、どこまで行ったら追いつくかと思ったが、案外離されていなかったようで、基地を半周ほどしたところで追いついた。いや、最初勢いよく走り過ぎたようで、中野はもうばてばてで、だから案外早く追いついたようだ。児玉が気合を入れる。

「迪子、なにちんたら走ってるの。そんな愚図愚図してると、ネウロイが追いかけて来るよ。」

 中野はこんなに早く追い付かれるとは思っていなかったようで、飛び上がるほどびっくりする。

「ひゃっ。は、はい、頑張ります。」

 中野は慌ててピッチを上げるが、既にばてているので、顎が上がるばかりでたいしてピッチは上がらない。訓練学校の教官だった坂本を真似て竹刀を持ってきた清末が、竹刀の先で中野の背中をつつく。

「ほらほら、追いついたネウロイにつつかれるよ。」

「うひゃっ。」

 慌てて更にピッチを上げようとする中野だったが、もう足が動かない。たちまち足がもつれて盛大に転がった。涙目で見上げる中野を、清末は苦笑しながら見下ろす。

「もう、なにやってるの。しょうがないなぁ。訓練が足りないよ。明日から毎日走りなさい。」

「は、はい。」

 か細く答える中野も、訓練学校とは違う、前線部隊の厳しさが身に染みたことだろう。まあ、坂本、宮藤ラインで鍛えられた清末と児玉は、格別に訓練が厳しいという面がないではないのだが。



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第八話 一人前のウィッチになるために

 朝、起床した児玉が外を見ると、佐々木と中野が一緒に走っている。

「晴江、見て、見て。津祢子と迪子が走ってるよ。」

「あ、ほんとだ。ちゃんと言われたとおりに走ってるんだね。感心、感心。」

「ちょっと意地悪しちゃったのに、まじめだね。」

「あんなの意地悪の内に入らないよ。でもちゃんと自主的に走ってるのはいいことだね。」

 扶桑海軍では駆け足が体力や精神力を強化する基本と考えられているので、とにかくよく走らせられる。軍艦に乗って航海している時でも、時間が空けば甲板を走っているほどだから、訓練学校でも散々走らせられたはずだ。だから清末の言った『毎日走りなさい』には納得したのだろう。

 

 さて、今日の課業は飛行訓練だ。整備班が手早く整備してくれたので、今日はもうストライカーユニットが使える。格納庫には整備の終わったストライカーユニットが、飛び立つ時を今や遅しと待っている。佐々木と中野は魔法力を発動し、ストライカーユニットに足を通すと発進準備に取り掛かる。

「エナーシャ回せ!」

 掛け声を受けて整備員が慣性起動装置のハンドルをぐるぐる回す。この頃は電動で慣性起動装置の勢車を回すものも出てきていると聞くが、もちろん最前線のこんな小さな基地には配備されないので、人力だ。勢車が十分な回転数になった所で、前離れの声をかけて整備員は横に離れる。

「コンタック!」

 慣性起動装置と魔導エンジンの主軸を嵌合し、魔導エンジンを回転させる。

「メインスイッチオン!」

 すかさず魔導エンジンのスイッチを入れて起動する。轟音を立ててエンジンが回り始め、形成された呪符が勢い良く回転を始める。暖機運転を続けながら、各部の作動状況や、計器の状態を次々と確認して行く。そして、二人が顔を上げる。

「発進準備良し!」

 

 佐々木と中野の発進準備を見ていて、清末は何だか感慨を覚える。

「うーん、基本に忠実だねぇ。いかにも新人って感じで初々しいよね。」

 児玉も歳にも似ない感慨を覚えている。

「そうだね、たった1年前はわたしたちもこんな感じだったんだよね。」

「ここのところ、緊急発進とかで、途中全部飛ばして遮二無二飛び上がって、上昇しながらチェックやったりとか普通だったからねぇ。」

「津祢子や迪子もそのうち魔法力でエンジン起動して、暖機しないで飛び出したり始めるのかな。」

「そんなことが必要になるほど激戦にならないといいね。」

 そう言って清末はにこっと笑う。修羅場を潜り抜けてきた者の重みと言うか、清末の笑顔にはそんな激戦になっても平気だという余裕が見える。

 

 おもむろに児玉が中野に声をかける。

「迪子、発進するからついてきて。」

「はいっ!」

「児玉佳美、発進します!」

「中野迪子、発進します!」

 児玉と中野は魔導エンジンの出力を上げると、滑走路へと走り出す。二人はもうもうと砂煙を上げながら滑走すると、一段とエンジン音を高めて空へと舞い上がる。清末と佐々木が後に続く。

「ごほっ、なんなの、この砂埃。」

「ごほっ、確かにすごい砂埃ですね。」

「うーん、次からはもう少し離陸間隔を開けないとね。」

「はい、了解しました。」

 そんなことを言いながらも、清末と佐々木も飛び立った。

 

 今日はそれぞれのペアに分かれて飛行訓練を行う。まあ、訓練というよりは、どの程度動けるか、二人の新人の実力の程を見極めようというわけだ。高度を取って水平飛行に移った児玉が振り返ると、中野は左後方、一段高い位置にぴたりと付けている。編隊飛行の訓練はしっかりやってきたようだ。

「迪子、これから特殊飛行を一通りやるから、しっかりついてきて。」

「はい、了解しました。」

 中野の素直で、張りがあって、歯切れが良い返事を聞いて、児玉はちょっといい気分だ。一緒に欧州分遣隊に行った同期の中では年下だったし、少しあとから配属された二人は、ほとんど同期のようなもので後輩扱いしにくかった。だからこうやって後輩に指示するのは、なんだか自分がちょっと偉くなったような気がして気持ち良い。児玉は機嫌よく訓練に入る。

「行くよ!」

 言うが早いか特殊飛行に入る。垂直旋回や宙返りなどの基本特殊飛行。続いて急反転や宙返り反転などの応用特殊飛行を次々にこなしていく。ちらちらと振り返って見ると、中野はしっかりとついてきている。基本はしっかりできているようだ。

 

「じゃあ次。」

 一声かけると児玉は垂直旋回に入る。初歩の動作なので中野はもちろん難なくついてくるが、一回りしても止めないで旋回を続ける。連続して旋回を続ければ、Gがかかりっぱなしになるのでだんだん体がきつくなってくる。さて、いつまでぶれずについてこられるか。しっかりとついてきていた中野の顔がだんだん赤く染まって、表情が厳しくなってくる。もう一回り、もう一回りと重ねるが、それでも中野はついてくる。なかなか根性もあるようだ。と、中野の飛行コースが大きく膨らんだ。新人にしては頑張った方かなと思いつつ、水平飛行に移る。

「迪子、コースがぶれたね。」

 中野は、はあはあと息を弾ませながら答える。

「はい、ごめんなさい。」

「まあね、ネウロイとドッグファイトになることはまずないから、実戦ではこんなに旋回を続けることはないんだけどね。」

「そうなんですか? 模擬空戦では時々ありますよね。」

「1対1の模擬空戦ならあるけど、こういう形はあんまり良くないんだよね。実際には1対1ということはないんで、回ってる最中に横から攻撃されたら対応が難しいからね。」

「そうなんですね。」

「でも、きつい機動でも狙ったコースを正確に取るための基礎にはなるかな。だから練習しといて損はないよ。」

「あ、なるほど。わかりました、頑張ります。」

 中野は素直で前向きで、今後の伸びが期待できそうだ。

 

 中野が落ち着いてきたところで、次に移る。

「迪子、次は急降下するよ。ついてきて。」

「はいっ!」

 児玉はバンクすると一気に頭を突っ込んで急降下に入る。中野もすぐに後に続く。児玉は急角度でぐんぐん降下速度を上げていく。たちまち中野がこれまでの訓練で経験した速度を超えるが、児玉が降下を止める気配はない。中野は歯を食いしばってついて行く。強烈な風圧がかかり、風の音が轟々と響いて他の音が何も聞こえないほどだ。

「児玉曹長、どこまで加速するんですか?」

 この辺で止めてくれないかと若干の期待をしつつ問いかけてみるが、児玉の反応は素っ気ない。

「まだまだ。」

 未知の速度が恐ろしいのもあるが、こんなに加速して引き起こすときにはどれほどのGがかかるのかとの恐怖が迫ってくる。

 

 やがて、ストライカーユニットがみしみしと不気味な音を立て始めた。零式艦上戦闘脚は高速型のユニットではないので、あまり高速にするとユニットが耐え切れずに、最悪の場合空中分解する恐れがある。

「児玉曹長! ユニットがみしみし言ってます! 減速してください!」

 気が気ではなく、思わず訴えた中野だが、児玉の反応は変わらない。

「まだまだ。」

 そう言われては仕方がない。ここまでの高速降下になると、ちょっと気を抜けばすぐに引き離されそうだし、揚力が強くなって常に強く押さえ続けなければ浮き上がって降下角が緩くなってしまう。ついて行くだけでも必死だ。ユニットのきしむ音はだんだん強くなってくるし、なんだか嫌な振動も出てきた。もう中野は気が気ではない。

 

「引き起こして!」

 児玉の声で中野は我に返ると、ぐっと引き起こす。凄まじいGがかかって体が折れそうだ。ユニットが立てた音は、外板がへこんだ音か、それともどこか壊れたのか。ユニット破損の危機感で血の気が引くかと思いきや、その前にGで全身の血がどっと下がって目の前が暗くなる。薄暗い白黒になった視界に、児玉が上昇して行くのがかすんで見えた。いや、自分の方が降下し続けているのだ。でももう体に力が入らない。それでも何とかやや下降気味の水平飛行まで持ってきた。じわっと視界が戻ってくる。視界に児玉の姿はない。と思うと、児玉がすぐ脇にぴたりと着けた。

「迪子、意識はしっかりしてる?」

「は、はい、何とか・・・。でも児玉曹長は凄いですね。こんな急降下から反転上昇できるなんて。」

「ううん、慣れだよ。迪子も慣れればできるようになるよ。」

「はい。でもユニットが壊れるんじゃないかと、気が気じゃありませんでした。」

「でも壊れなかったでしょう? ユニットがどこまで無理掛けられるか、体感してぎりぎりの線を見極めておくのは大事だよ。実際の戦いになると、相当無理掛けなきゃいけなくなる時もあるからね。」

「あっ、単純にしごいてたわけじゃないんですね。」

 さすがベテラン、単に強烈な負荷に耐える訓練かと思ったら、もっと深い意味があった。しかし、そのことに感心するより、中野が強く感じたことはただ一つ。

「苦しかったー。」

 



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第九話 新人には過酷な訓練が続く

 今朝も基地に起床喇叭が鳴り響く。新人といえども訓練学校ですっかり習慣化されているので、佐々木と中野もぱっと跳び起きる。しかし、訓練学校時代とはレベルの違う厳しい訓練で、若い二人といえどもさすがに影響が残っており、体に感じる筋肉痛に中野はうっと顔をしかめる。

「痛た、筋肉痛が残ってるよ。一晩寝ても残ってるのは久しぶりだなぁ。」

 佐々木も同様に筋肉痛のようだ。

「うん、わたしも痛いよ。訓練学校に入ったばっかりの頃みたい。」

「あ、津祢子ちゃんもそうなんだ。はあ、実戦部隊の訓練って厳しいんだね。」

「訓練学校の教官から、部隊に配属になるともっと訓練が厳しくなるって聞いてたけど、その通りだね。」

「まだ出撃ないけど、出撃したら訓練より厳しい戦闘が待ってるのかな。」

「そうでもないみたいだよ。どんな戦闘になっても大丈夫なように、殊更に厳しい訓練をやるって聞いたよ。」

「ふうん、そうんなだ。」

 そこへ清末が通りかかる。

「ほら、無駄口叩いてないでさっさと集合して。」

「はい!」

 佐々木と中野は慌てて駆け出した。

 

 さて、今日の訓練は爆撃訓練だ。清末が佐々木と中野に尋ねる。

「今日は爆撃訓練をするけど、佐々木と中野は爆撃訓練をしたことあるの?」

「いえ、ありません。」

「そっかぁ、まあそうだよね。わたしも訓練学校では爆撃訓練はしなかったからなぁ。」

「あの、爆撃するんですか?」

「そうだよ。聞いてると思うけど、この基地の主な任務は侵入してきた地上型ネウロイを発見して、爆撃して破壊することだからね。」

「そうなんですね。」

「はい、じゃあ発進準備。」

「はい。」

 各員魔法力を解放してストライカーユニットを起動する。そして、型通りの発進前点検を済ますと、一斉に発進する。

 

 町の上空を出外れると、周囲はすぐに砂漠地帯なので訓練場まではすぐだ。清末が爆撃の要領を説明する。

「事前に説明した通り、降下角30度程度で標的に向かって降下して、高度600程度で爆弾投下。投下後は水平飛行で離脱するけど、離脱する高度は100くらいを目標にして。高目の高度で離脱すると、下から撃たれる危険が高くなるからね。」

「はい!」

「じゃあまず児玉が手本を見せるから。」

「えっ? 晴江がやるんじゃないの?」

 事前に打ち合わせていなかったようで、突然振られた児玉は目を丸くしている。

「説明はわたしがやってるでしょ。だから実演は児玉がやって。」

「なんだ、今日は見てるだけでいいと思ったのに。」

 さすがにそんな楽ができるはずはないだろう。児玉もわかっているから、ぶつぶつ言いながらももうやる気になっている。

 

「行くよ。」

 児玉はさっと身をひるがえしてダイブする。まるであらかじめ引かれた線をなぞるように、ただまっすぐに目標に向かって降下して行く。やがてぱっと爆弾を投下すると引き起こしに入る。演習用爆弾は目標に引き寄せられるように落下し、目標の中央に落ちると一筋の煙を立ち上らせた。

「凄い、どんぴしゃりじゃないですか。さすが児玉曹長です。」

 佐々木が感嘆の声を上げる。児玉からは特に応答はないが、こんなストレートな褒められ方をした経験があまりないので、照れて黙っているのに違いない。

 

「見てたよね。同じようにやればいいからね。じゃあ佐々木、行って。」

「はい。」

 清末からの指名を受けて、佐々木はごくりと生唾を飲み込むと、目標をひしと見据える。

「行きます。」

 佐々木はぐっと突っ込むと、目標に向かって降下する。降下角は悪くない。速度も適度に抑えが効いている。この分なら悪くない結果が見られそうだ。

 

 1500、1400、1300と高度を下げていく。そろそろ投下のタイミングが近い。そう思った時、佐々木はぱっと演習用爆弾を投下すると、引き起こしに入る。

「早い、早いよ。ちゃんと高度を見てよ。」

 清末の叱責に、佐々木がか細い声で応答する。

「すみませーん。地面がどんどん近付いてきたら、思わず投下しちゃいました。」

 これまでの訓練で低空まで降下する場面はあったはずだから降下に恐怖心を抱いたわけでもないだろうが、爆弾を投下することを意識すると、つい気が逸って投下索を引いてしまったのだろう。慣れないと得てしてそういうことが起こる。初めて実戦に臨んだ兵士が、まだ当たるはずのない遠距離から射撃を始めてしまうのと一緒だ。

 

「次、中野。」

「はい。」

 答える中野の表情は、初めての爆撃に緊張している様子がありありと浮かんでいる。そこへ戻ってきた児玉が一声かける。

「迪子、爆弾は外したってもう一発あるから、気楽にやってきなさい。」

「あっ、そうですね。」

 中野に笑顔が浮かんだ。これで幾分緊張も緩和されただろう。

「行きます。」

 中野が降下に入る。降下角は悪くないが、少し過速気味だ。やはり気が急いているのだろう。また、それだけではない。

「迪子、少し滑ってるね。」

 児玉の言う通り、清末にも中野が横滑りしているのが見て取れた。

「うん、少しだけど、あれだと当らないね。」

 横滑りをしながら降下すると、爆弾は滑っている方向に流れるから、目標には当たらない。どうやら本人はそのことに気付いていないようだ。中野が投下した爆弾は右の方にそれ、さらに過速気味だった分、前方にもそれた。

 

「迪子、降下する時横滑りしてたよ。すぐに上昇してもう一回。」

「はいっ。」

 児玉からの指示に、中野は慌てて急上昇する。急降下からの引き起こしで強烈なGを受けた直後なので、急上昇に転じる際のGが殊更に体に堪える。

「くっ、苦しい。」

 思わず弱音がこぼれるが、多分児玉は許してくれない。仕方がないので歯を食いしばって上昇を続ける。連続のGなので殊更に苦しいが、それでも急降下からの引き起こしの時よりは楽なはずだ。急降下爆撃からの引き起こしでは、6~7Gもの力がかかって、大抵はブラックアウトする。戦闘機なら空中分解するほどのGだ。だが今回はそこまで急角度で降下していないし、魔法力による身体強化があるから、ウィッチなら十分こなせるはずだ。こなせばさらに要求が高くなる。およそきりがないが、そこまで厳しく訓練しているからこそ実戦の切所でもうひと踏ん張りが効いて、敵に打ち勝つことができるようになるのだ。もっともその実感を中野が持つのはまだ先だ。

 

 上昇を終えた中野が再び目標めがけて降下を始める。既に爆弾を一発投下しているので、重量バランスは悪いし、空気抵抗のバランスも悪い。必然的にコース取りが不安定になって、多少ふらふらしながら目標に接近することになる。これだと一発目と同じ結果になりかねない。児玉がインカム越しに叫ぶ。

「迪子! コースをまっすぐ取って。ふらついてるよ。」

「はい!」

 ふらついていては命中は覚束ないので勢いよく返事はしたものの、そんなこと言われたってできないよと、文句の一つも言いたい気分だ。誰もふらつきたくてそうしているわけじゃない。そうこうするうちに高度が1000を切った。そこへまた児玉が叫ぶ。

「まだまだ。500まで粘って。」

 えっと思う。標準の投下高度は600だが、1秒に140~150メートルは降下するので、そのまま行けば4~5秒で地上に激突する高度だ。そこから更に1秒待って投下しろというのだ。もちろん降下すればするほど命中率は上がるが、その分だけ危険は大きくなる。引き起こしても慣性で350は沈むので、500からの引き起こしでは全く余裕はない。それでも上官の命令には従わなければならない。中野は投下索を握り締めたまま、ぐっとこらえて更に降下を続ける。地面が眼前に迫ってくる。

「投下!」

 投下索をぐっと引くと同時に、思い切り引き起こす。猛烈なGがかかって、全身の組織が引き剥がされて吹っ飛んで行きそうだ。それでも地面が急速に迫ってくるので、力を緩めるわけにはいかない。歯を食いしばって耐えていると、真っ暗になった視界がじわじわと戻ってきた。高度は100を切っていて、すぐ目の前をすごい勢いで地面が流れていく。

「いいよ、命中したよ。その感じを忘れないでね。」

 インカムから聞こえてきた児玉の声に、苦しい思いをした甲斐はあったと、中野はほっと息をつく。でも、この感じを忘れないでって、もう二度とやりたくないんですけど。新人には過酷過ぎる訓練はまだ続く。

 



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第十話 訓練、訓練、また訓練

「さあ、今日は模擬空戦だよ。」

 清末が明るく宣言する。でも佐々木と中野の気持ちは暗い。もちろん空を飛ぶことは好きだし、訓練するのは仕事の内なので否やはないのだが、要求される内容を十分にこなしきれないのは辛い。訓練学校では別に落ちこぼれたりもしなかったのだから、部隊に配属になっても十分やっていけると思ったのだが、そううまくは行かなかったというのが今の所の現実だ。それだけに訓練に臨むのは気が重い。

 

 しかし、模擬空戦自体は訓練学校でも散々経験しているので、別段苦手意識があるわけではない。指示に従って上空に集合すると、早速清末から確認と指示がある。

「模擬空戦は訓練学校でもやって来たよね。」

「はい。」

「じゃあ通常通り、お互いに対向してすれ違ったら訓練開始ね。」

「はい。」

「今日は、児玉と2対1で対戦ね。」

「あ、はい。2対1なんですね。」

 佐々木は、実力の程も確かめないでいきなり2対1とはずいぶん甘く見られたものだと思う。もちろん、模擬空戦に絶対の自信を持っているわけではないので、あるいは2対1くらいで丁度いいのかもしれないけれど。でもこっちだって訓練学校で模擬空戦の訓練は重ねてきたのだから、そういいようにやられたりはしたくないという意地もある。そんな憤懣を少し込めて答える。

「はい、了解しました。」

 

 ところがそこで児玉が口を挟む。

「ちょっと、晴江、わたしが2対1で対戦するなんて聞いてないよ。」

 清末はいたずらっぽく笑いながら答える。

「うん、言ってない。いま思いついた。でも児玉2対1でも平気でしょ?」

「えぇ? どうかなぁ。」

 一応疑問を呈しては見るがそれは謙遜で、児玉も今の佐々木と中野なら、一連の訓練の様子を見る限り、まあ2対1でも後れは取るまいと思っている。

「まあいいや。よし、やろう。」

 そしてお互いに離れて向かい合う。空戦準備OKだ。

 

「始め!」

 清末の号令とともに、佐々木、中野ペアと、児玉とはお互いに向かって飛行する。相手の出方を探るように、どちらもエンジンを全開にはせず、多少絞った状態で接近する。もっとも、零式艦上戦闘脚は高速域での舵の効きがあまり良くないので、巴戦に入るのなら加速し過ぎない方が良い。接近しながら、前を行く佐々木が中野に作戦を持ちかける。

「ねえ、2対1の有利を活かすために、二手に分かれて同時に攻撃しない?」

 佐々木の提案に中野も乗り気だ。

「うん、そうだね。児玉さんがどっちかに向かったら、すかさず後ろを取ればいいんだね。」

「うん、じゃあわたしが左下に旋回するから、迪子ちゃんは右上に旋回して。」

「そうだね、それで行こう。」

 この作戦ならいつもしごかれている児玉にも一矢報いられそうな気がする。

 

 多少絞っていると言っても、相対速度は1,000キロにも達するのだから、あれこれ考えている暇もなく、相手が迫ってくる。そして、瞬時にすれ違う。

「今よ!」

 そう叫んだ瞬間に、佐々木はぐっと突っ込んで旋回に入る。視界の端にちらっと反対側に向かって旋回を始めた中野の姿が見えた。少しでも早く旋回した方が優位な態勢を取れるから、佐々木は歯を食いしばって急激な旋回の負荷に耐える。魔導エンジンが唸りを上げ、ユニットのどこかがきしむ音がする。半周ほど旋回したところで、旋回を続けながら児玉の方をさっと見回す。こちらにまっすぐ向かってきてはいない。それなら中野に向かって上昇しているのかと、上方を見回してみてもやはりいない。一旦深く降下して、下から突き上げてこようとしているのかと、下の方を見回してみるがやはり見当たらない。一体どこにいるんだろうと、今自分が来た方を振り返って見ると、旋回する内側にほぼ平行して、やや下方から児玉がこちらに銃口を向けている。

「えっ? いつの間に?」

 児玉は、佐々木が旋回する間に素早く内側に回り込んできていたのだ。児玉は加速の速さも旋回の鋭さも、佐々木とは比べ物にならないほど上回っているからできる芸当だ。完全に負けたと佐々木が痛感した次の瞬間、児玉が引き金を引いて、ペイント弾が佐々木を襲う。

「あっ!」

 慌ててシールドを開いたが時すでに遅く、ペイント弾が佐々木に次々命中する。そして、ごつんと鈍い音を立てて一弾が額を直撃した。ペイント弾といえども至近距離から直撃すれば相当の衝撃だ。

「わっ!」

 一声残しただけで意識の飛んだ佐々木は、まっさかさまに落ちていく。

 

 旋回しながら児玉の姿を探していた中野は、児玉を見付けたと思ったら、佐々木の額でペイント弾が飛び散るのを見た。

「津祢子ちゃん!」

 中野の叫びも届かず、佐々木はぐらりと傾くと落ちて行く。

「中野、佐々木を救護して。」

 清末からの指示がインカムに入る。

「で、でも、まだ空戦中です。」

「空戦中でも戦場では仲間を助けるのが優先だよ。ウィッチは数が少ないんだから、仲間を守らないと後が続かないよ。」

「はい、了解しました。」

 中野は急降下して佐々木を追う。佐々木はほぼ自由落下しているだけなのだが、重力の力は侮りがたく、思いの外の加速で容易に追いつけない。下に向けて加速するのは過速に陥りやすくて怖いのだが、下手をしたら佐々木が地面に激突してしまうから、多少無理があっても追いつくのが先決だ。ほとんど垂直降下で追いすがると、中野は佐々木をしっかりと抱き止めて、無理なGをかけないようにゆっくりと引き起こす。やれやれ、どうやら無事に佐々木を救護できた。

 

「仲間を抱えているとね、回避するのが難しいんだよ。」

 インカムから響く児玉の声に、はっと顔を上げると児玉が射程距離内でこちらに機銃を向けている。

「えっ? えっ? わたし津祢子ちゃんを救護してるとこなんですけど・・・。」

「うん、それはわかってるよ。だけど、救護してるからってネウロイは見逃してくれないよ。」

 そう言うと児玉は無慈悲にも引き金を引き、ペイント弾がばらばらと飛んでくる。

「ひゃあっ!」

 悲鳴を上げながら中野はシールドを広げてペイント弾を防ぐ。佐々木を抱えてほとんど停止しているところから、急に回避することなど思いもよらない。シールドで防ぐだけが精一杯だ。このあとどうやったら回避できるんだろう。回避できなければ、もし実戦なら二人まとめて命がない。そんなことに気がそれた一瞬をついて、児玉が斜め後ろに回り込んでペイント弾を撃ち込んでくる。

「きゃっ!」

 悲鳴を上げる中野に次々ペイント弾が命中する。佐々木も含めてペイントまみれでべたべただ。

「いやーん。」

 ペイントまみれになっても飛べなくなるわけではないが、べたべたしたペイントが肌を伝って気持ち悪いことこの上ない。まるででっかいナメクジに這い回られているようだ。いかに訓練学校を出たばかりの新人と言っても、ここまで酷くペイントにまみれたのは初めてだ。2対1なら勝てるんじゃないかと、始める前は淡い期待を抱いたりもしたが、所詮実戦経験を重ねてきたベテラン相手ではまだまだ勝ち目はない。繰り返しペイントまみれになりながら学んでいくしかない。



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第十一話 時に落ち込むこともある

 夜の帳が降りた。町外れにある基地周辺には明かりはほとんどないので、周囲は真の闇に包まれて、その分満天の星空が鮮烈だ。そんな星空を佐々木と中野は見上げている。天空一杯に星が瞬く夜空を見つめていると、なんだか吸い込まれていくような気がする。それなりに開けた街で生まれ育った佐々木や中野には、見たこともない景色だ。そこで中野が大きくため息をついた。

 

「迪子ちゃん、ため息なんかついて、そんなに星空に感動した?」

 佐々木は深く感動していたので、その感動を共有できるものと思っての問いかけだったが、案に相違して中野はやや不服そうに応じる。

「そりゃあ星は綺麗だけど、今はそんな気分じゃないよ。」

「えっ?」

「はあ、わたしって駄目だな。折角みんなをネウロイから守るためにウィッチになったのに、そのために前線に配属されたのに、みんなを守るどころか、訓練もまともにできない。清末さんや児玉さんにも叱られてばっかり。」

 中野は星空を見上げながらも、思うように訓練について行けないことを悩んでいたのだ。中野が任務について真面目に悩んでいる時に、自分は星が綺麗とか考えていて恥ずかしいとやや赤面しつつも、まだ配属されて間がないのだから仕方ないと思って、佐々木は中野を慰める。

「それはわたしも同じだよ。清末さんや児玉さんの要求にぜんぜん応えられていないもの。でも配属されてしばらくはみんなそんなものじゃないのかな?」

 佐々木はそう言って小首を傾げるが、中野はそうは思えないようだ。

「そうかな。児玉さんなんか、わたしに特別に厳しいような気がする。きっとわたしがあんまりできないから殊更に厳しくしてるんだよ。」

「いやいや、そんなことないんじゃないかな。迪子ちゃんは組むことが少ないからわからないかもだけど、清末さんもすごく厳しいよ。訓練受けてて泣きそうになるもん。」

「ううん、厳しさが辛くて泣きそうになるのはあるけど、そうじゃなくて、なんて言ったらいいのかな、訓練学校では訓練が辛くてもこんな感じは受けなかったんだけど・・・。」

 中野はそう言ってうつむいた。

 

「うーん、よくわからないなぁ。」

 佐々木も配属になってからの訓練がきついのも、要求されていることがなかなか上手くできないのも中野と一緒だし、できない自分を不甲斐なく、残念に思っているのも多分一緒だ。訓練学校を卒業するまでに抱いた自信をすっかり打ち砕かれて、しょげる気持ちもある。でも、それは実戦部隊の厳しさを知らなかったことによる認識不足から来たもので、現在感じている厳しさも、ひょっとすると実戦に出るとまた覆されることになるかもしれない。だから、やはり配属されたばかりの内は、誰でもそんなものなのではないかと思う。

「うん、やっぱり配属されてすぐは、誰でもどこの部隊でもついて行けなくてもそれが普通だよ。頑張ってそのうちできるようになればいいんだよ。」

 そう言って佐々木は中野の肩をぽんぽんと軽く叩く。

「うん・・・。」

 中野は一応はうなずいたものの、どうにも佐々木ほど前向きになれないようだ。

 

 

 翌日の訓練はまた模擬空戦だ。訓練用のペイント銃をそれぞれに持つと上空へ舞い上がる。

「きょうはわたしがやるね。」

「うん、いいよ。」

 相変わらず割と適当な感のある清末と児玉だが、どうやら今日は清末が2対1の対戦相手になるようだ。対戦開始位置に移動しながら佐々木が言う。

「今日も昨日と同じようにやろう。清末さんがどう来るかわからないけど、昨日は旋回している最中に相手から目を離して、その隙に内側に回り込まれたから、旋回する間も清末さんから目を離さないで、動きをしっかり追っていけば昨日みたいにはならないと思うんだ。」

 中野も訓練となればいつまでも昨夜のもやもやした気持ちを引きずってはいられない。今度は勝ちたいという負けん気もある。

「うん、今日は勝とうね。」

 気持ちを込めて機銃をぎゅっと握りなおす。

 

 反転して清末と相対すると、魔導エンジンの出力を上げてぐっと加速する。見る見る接近する緊張の一瞬だ。今は訓練で相手が持っているのはペイント銃だということがわかっているが、もしこれが実戦で、相手がネウロイで実弾やビームを撃ってくるという状況だったらと考えると胃がきゅっと締め付けられるような感じがする。そんな状況なら、とてもまっすぐ向かっていくことなどできず、さっさと旋回して退避するか、当たりもしない距離で機銃を撃ち始めてしまうか、撃たれる前からシールドを広げてしまうか、いずれそんなことになってしまうのが落ちだろう。そういう意味では幾多の実践を潜り抜けてきた清末や児玉は凄いと思うし、とてもかなわないと思う。だが、今は訓練だ。訓練ならそのような実戦経験の差は必ずしも決定的な実力差につながらない。だから少なくとも訓練では勝ちたいと思う。そんなことを考えているのも一瞬だ。轟音と風圧を吹き付けて清末がすれ違う。

「今よ!」

 佐々木が叫ぶのと同時に、中野は一気に引き起こして急旋回に入った。

 

 旋回しつつも相手から目を離さない、これが案外難しい。すれ違って旋回を始めたときは、すれ違ったばかりなのだから相手はほぼ真後ろだ。思い切り振りかえると、体勢が崩れて狙ったような旋回ができない。でも首だけ回しても、真後ろの相手は視界に入らない。ある程度勘で相手の位置を想定するか、思い切り振りかえって視認した上でぶれた姿勢を素早く立て直すしかない。その点ウィッチは全身を使って飛ぶので、操縦桿がぶれなければ相当姿勢を変えても大丈夫な飛行機とは違う。もっとも、飛行機と違って死角がほぼないという大きな利点もある。

 

 多少ぶれるのを覚悟で思い切り振りかえると、清末は鋭く旋回しながら上昇してきている。上昇しているということは中野を最初の目標に選んだということだろう。さすがはベテランで、清末は鋭く素早い旋回で中野の旋回の内側に切り込んでくる。このまま行くと旋回の頂上で背面の姿勢になったあたりで、丁度背後を取られそうだ。そうなれば必敗だ。

「そうはさせない。」

 中野は旋回しながら体をひねって半回転させる。結果的にインメルマンターンのような動きになった。そして向き直って正対したところへ清末がえぐりこむように突っ込んでくる。

「あたれー!」

 中野は引き金を引き絞り、清末に向かってペイント弾を叩きつける。しかし、清末の巧みなライン取りで全然当たらない。まるでペイント弾が自ら避けるように見える。清末が機銃を構えた。佐々木がこっちに向かってきているが、まだ距離がある。前後左右に機動してみても、多分清末の射撃をかわすことはできないだろう。

「これでどうだっ!」

 中野は思い切り頭から突っ込んで、ほとんど直角に近い変針で真下に向かう。下から突き上げてくる清末との接近速度が急に高まって、あっという間に接近する。清末の驚いたような顔が急激に迫ってきて、一瞬ですれ違う。

 

「やった、かわした。」

 一瞬見えた清末の驚いた表情からすると、意表をついて攻撃をかわすことができたようだ。同時に、上昇してくる佐々木と急激に接近することになるから、2対1の態勢を取ることもできる。そう思った矢先、背中とお尻に鈍い衝撃を受ける。

「えっ?」

 振り返ると背後から清末が機銃を向けていた。衝撃を受けたあたりを見てみれば、背中から太ももにかけてべったりとペイントにまみれている。清末の意表をついたのも一瞬のことで、すぐに追撃されてしまったのだ。

「や、やられた。」

 がっくりする中野を尻目に清末はすぐに次の動作に移り、旋回する佐々木の頭を抑えにかかる。佐々木はかわす暇もなくペイント弾を浴びた。2対1の態勢を取る間もなく、各個撃破されてしまった。

 

 

「やっぱり駄目だよ、全然勝負にならないよ。」

 地上に降りた中野は佐々木に向かって悲嘆する。何もできずにペイント弾を浴びた佐々木も、今は中野を元気付ける気持ちになれない。

「はあー、やっぱり迪子ちゃんの言うようにわたしたちじゃ無理なのかなぁ。」

「うん、やっぱり諦めて国に帰るしかないのかな。」

 こんな時は配属が二人だけというのが恨まれる。同期がもっと大勢いれば、誰か彼か、根拠のないから元気でその場を盛り上げる人が出てきて、落ち込んだ気持ちが紛れたりもするのだが。その時背後で砂利を踏む音がする。振り返ると清末がいた。

 

「あんたたち、なに落ち込んでるの? 落ち込んでる暇があったら一回り走ってきなよ。思い切り走れば頭の中が空っぽになって、落ち込む気持なんかどこかに行っちゃうよ。」

 ずいぶん乱暴なことを言う。先輩相手とはいえ、さすがに中野も不服を覚えて、口を尖らせる。

「落ち込みますよ。模擬空戦では全然相手にならないし、他の訓練でも要求されたことが全然できないし、わたしウィッチに向いてないんじゃないんですか?」

 中野は口を尖らせて突っかかって来ながらもちょっと泣きそうだ。だが、清末は意外そうな顔をする。

「えっ? 向いてないって、何でそんなこと思うの?」

「えっ? えっ? だって・・・。」

 清末が本気で意外そうな表情をしているので、中野は戸惑ってしまう。全然できていないと思っていたのは勘違いなのだろうか。

「あのね、中野も佐々木も一所懸命やってるじゃない。その姿勢があればその内なんでもできるようになるよ。」

「で、でも、児玉さんにはいつも厳しく叱られているんですけど・・・。」

「そりゃあね、訓練は厳しくしないとね。でも児玉も言ってるよ、中野は見所があるって。」

「えっ? そうなんですか?」

「うん、意欲はあるし、真面目で熱心だし、何より根性があるから、将来が楽しみだって。」

「えっ? えっ? だって訓練ではいつもできないことばっかりで・・・。」

「そりゃそうだよ。だってできることばっかりやってても成長しないでしょ。できないことに挑戦して、頑張ってできるようにするから成長するんだよ。だから訓練でできないのは当たり前だよ。というか、できることよりちょっと難しいことをやらせてるんだから、いきなりできるわけないでしょ。」

 どうやら中野は勝手に思い違いをしていただけのようだ。目尻に溜まっていた涙がすっと引っ込むと、自然に笑顔が浮かんでくる。

「じゃあ、じゃあ、わたし一人前のウィッチになれますか?」

「そりゃあなれるよ。わたしも、中野も佐々木も見所があると思ってるよ。多分、二人とも成長は早い方だと思うよ。」

 さっきまで悩んだり、落ち込んだりしていたのが馬鹿みたいだ。隣で聞いていた佐々木も同じようで、なんだか表情が輝いて見える。中野は全身に力と意欲が漲ってくるのを感じる。今夜の夜空はきっと感動するほど綺麗に見えるだろう。

 



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第十二話 新人たちの初出撃

 定例の朝の打ち合わせで、安藤大尉が清末に尋ねる。

「どうかしら、佐々木さんと中野さんの仕上がり具合は?」

 それに対して清末は、胸を張るような調子で答える。

「大丈夫です。もういつでも出撃できます。」

 清末の答えに佐々木と中野は目を丸くする。確かに将来を期待されていることはわかったが、まだ訓練についていけていないことに変わりはない。しかし二人のそんな戸惑いには関係なく、事態は進んで行く。

「そう、それなら今日から哨戒のローテーションに二人も組み入れてね。」

 佐々木が慌てて話を遮る。

「待ってください。わたしたちまだ訓練メニューも満足にこなせていないのに、出撃なんて早過ぎます。足手まといになるだけです。」

 だが、安藤大尉はそんな佐々木の訴えを気にも留めない。

「あら、そんなに心配することないわよ。出撃って言っても哨戒に出るだけだから、訓練より簡単よ。」

「で、でも・・・。」

「まあ、習うより慣れろってところかしら。まずは一度行ってみて。」

「・・・。」

 そう言われても、佐々木には不安しかない。

 

 打合せが終わっていったん部屋に引き揚げると、案の定中野も不安でいっぱいいっぱいだ。

「津祢子ちゃんどうしよう。わたしたちも出撃することになっちゃった。」

 佐々木も、安藤大尉の前でこそ一応抑えた態度を取っていたが、同期の前では動揺を隠せない。

「わたしだってどうしたらいいかわかんないよ。隊長は心配することないって言ってたけど・・・。」

「う、う、ネウロイは待ってくれないって言ってたよね。ネウロイに襲われたらどうしたらいいかわかんないよ。」

「に、逃げるしかないんじゃない? でも逃げ切れるかな? あ、勝手に逃げたら敵前逃亡になるかな? 軍法会議にかけられて銃殺かな?」

「いやだよ、銃殺なんて。」

「でも逃げたら銃殺だし、逃げなかったらネウロイに撃たれて戦死だよ。」

「う、う、まだ死にたくないよ。」

 どうも佐々木が不必要に恐怖心をあおっているような気がしないでもない。

 

 しかし、幾ら不安でも、幾ら恐怖でも、出撃の時間は否応なくやってくる。整列した隊員たちを前に、安藤大尉がおもむろに指示を出す。

「今日は、私と、清末さんと、佐々木さんの3人で哨戒飛行を行います。」

 びくっと佐々木の体が反応する。外から見てもわかるほどはっきりと体を震わせた。しかしそれに気付いているのかいないのか、何事もなかったように安藤大尉は続ける。

「では、出撃準備。」

 ああ、わたしの人生もこれで最後か。わずか12年の短い生涯だったと嘆息する。しかし、それでも行かなければならないのがウィッチの使命だ。

「はい!」

 半分やけくそで大声で返事を返すと、佐々木は格納庫に向かって走る。

 

 いつもの様にユニットを始動しても、佐々木は頭がかっかして落ち着かない。うっかりと出発前点検の手順を間違えている。

「佐々木、気負い過ぎ。哨戒飛行って言っても普段の訓練と変わらないよ。落ち着いていつも通りにやりなよ。」

 清末がそう声をかけて、佐々木は少しは落ち着いただろうか。そんな佐々木の様を見ながら、清末はふと自分の初出撃の時はどうだったっけと思い返す。そういえば、訓練学校の卒業が近い頃、突然扶桑に出現したネウロイを撃退するために出撃したんだった。今回の哨戒飛行のような気楽な任務じゃなくて、いきなり大型ネウロイとの実戦だった。緊張の余り卒倒してもおかしくないような状況だったけれど、坂本さんの『ウィッチに不可能はない!』に乗せられて、無我夢中で戦ったんだった。二度目の出撃で撃ち落とされたけど。それに比べると今日のはとっても楽な初出撃だけど、佐々木にしてみれば緊張もするよね、と清末は胸の内で思う。ちょっと訓練で厳しくしすぎたかな? と思わないでもない。実戦の脅威と厳しさをあおり過ぎて、必要以上に緊張させる結果になったとしたら反省しなければならない。

 

 佐々木は相変わらず緊張と興奮で顔を真っ赤にしている。しかしそんなことにはお構いなく、出撃の時は来る。

「安藤昌子、発進します。」

 穏やかな声で通知すると安藤大尉がするすると滑り出す。さすが隊長、何の緊張も見せずに実に滑らかな滑走だ。

「清末晴江、発進します。」

 清末が後に続く。誘導路を素早く滑走して滑走路に出ると、くいっと向きを変えると同時に一気に加速する。相変わらず切れ味のいい離陸だ。そして佐々木の番が来る。

「佐々木津祢子、発進しますっ!!」

 叫ぶように通知すると、佐々木は滑り出す。滑走路に出て魔導エンジンを吹かすとぐんぐん加速する。ぱっと地を蹴って飛び立てば、いつも通りの大空だ。肌を撫でる風が心地良い。こうして普段通りに飛んでいると、初出撃だからといって緊張し過ぎだったかなと反省させられる。佐々木は緊張を振り切って上昇すると、3番機の位置に着いた。

 

 編隊を組んだ3人は西に向かって飛行する。左手にはカスピ海が広がり、右手に広がっているのはルィン砂漠だ。青い湖と茶色い砂漠、そしてその間を区切る緑の帯。鮮やかなコントラストが続いている。しかしそんな景色に見とれている暇はない。今は哨戒任務中だ。

「良く周囲を警戒してね。」

 清末から声をかけられて佐々木ははっと我に返る。そうだ、訓練飛行ではないのだから、景色に見とれている場合じゃない。佐々木は地上をぐるぐる見回して、潜んでいるかもしれないネウロイを探す。

「地上だけじゃなくて空も良く見てね。」

 清末はそう言うが、このあたりには飛行型ネウロイは出現しないのではないのか。

「あの、飛行型ネウロイは出ないんじゃないんですか?」

「うん、確かに滅多に出ないんだけれどね。だからといって今後も出ないとは限らないよね。ネウロイはどう来るかわからないから、案外これまで出なかったところに突然大挙して現れるかもしれないよ。撃たれてから後悔しても遅いからね。」

 安藤大尉も言葉を添える。

「そうよ。やっぱり戦場では最悪の事態を予想して備えておかないといけないのよ。」

 そこが訓練と実戦の違いなのだろう。佐々木は気を引き締めなおす。

「はい、了解しました。」

 

 やがてボルガ川に達すると北へ変針する。北上すると眼下に広がっているのは乾燥した大地ばかりで、それが地平線まで果てもなく広がっている。この中にいるかもしれない、それこそ芥子粒のような地上のネウロイを発見しなければならない。佐々木は目を皿のようにして周囲をぐるぐると見回す。岩と砂の台地が日光を反射してきて目が痛い。さらに周囲の空も見回さなければならない。周囲をぐるりと見回して、さらに上空も見回す。太陽がぎらぎらと輝いている。この太陽を背にして攻撃してくる敵が一番危険だ。しかし目を見開いて太陽を見るわけにもいかないので目を細めて、でもあんまり細めると良く見えないから加減が難しい。横須賀で模擬空戦の訓練をしたときにも太陽を背にしてくる敵に注意するように言われて、太陽を見たものだが、横須賀より乾燥しているせいなのだろうか、太陽の光が一段と強く目を刺すような気がする。もちろん太陽ばかり見ていては駄目だ。また地上へ、更に周囲の空へと絶えず目を移し続けなければならず、なかなか忙しい。

 

「基地に帰還します。」

 安藤大尉の声で佐々木は我に返った。忙しく周囲を見回している内に、いつの間にかアティラウの近くに戻ってきていた。緊張しまくった初出撃だったが、ただ一所懸命周囲を見回していただけで、何事も、本当に何事もないままに終わってしまったようだ。

「あの、ただ飛んできただけだったみたいですけど、これで終わりですか?」

 佐々木のやや戸惑いを滲ませた問いかけに、清末と安藤大尉が笑う。

「そりゃそうだよ。哨戒に飛ぶたびに何事かあったら、体がいくつあっても足りないよ。」

「そうね。何事もないことを確認することが、哨戒飛行の大事な役割なのよね。」

 清末と安藤大尉の言葉に、佐々木はどっと気が抜ける。それならあんなに緊張する必要なかったじゃない。先に言ってよ。そう思う佐々木だったが、ひょっとすると初出撃でネウロイに遭遇しないとも限らないのだから、そんな緊張感を無くすようなことを言うわけがない。まあしかし、佐々木のアティラウでの任務は始まったばかりだ。

 



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第十三話 哨戒任務は続く

 今日は中野の初出撃だ。朝から緊張の面持ちの中野に対し、もう初出撃を済ませた佐々木は実に気楽そうにしている。

「迪子ちゃん、出撃って言っても哨戒任務はただ一回り飛んでくるだけだから、気楽なものだよ。むしろ訓練より楽なくらいだよ。」

 そんな佐々木の気楽さに、中野はちょっと恨めし気に返す。

「そりゃあ津祢子ちゃんはもう初出撃は済んでるし、ネウロイと遭遇することもなかったからそうだろうけど、わたしは今日が初出撃なんだから緊張するよ。」

 しかし、佐々木はあくまでお気楽だ。

「まあそんなに緊張することないから。大丈夫だって。ほら、緊張ほぐして。」

 佐々木は中野の肩をもみほぐす。でもそんなことで中野の緊張が解けることはない。

「もう、津祢子ちゃんは無責任だなぁ。津祢子ちゃんだって昨日はあんなに緊張してたくせに。」

 しかし喉元過ぎれば熱さ忘れるを地で行くように、佐々木はにこにこしながら大丈夫を繰り返すだけで、自分が緊張しまくっていたことなどすっかり忘れてしまったかのようだ。ひょっとすると佐々木は鳥頭なんじゃないだろうか。あるいは、無事に初出撃を終えたことで、すさまじい緊張感から解放されてハイになっているのかもしれない。

 

 そんなことには関係なく、今日の出撃の時が近付く。

「今日の哨戒任務は、栗田さん、児玉さん、中野さんの3人で務めてもらいます。」

 そう言った安藤大尉は、中野に目を合わせてにっこりと笑いかける。

「中野さんは初出撃だから緊張するだろうけれど、栗田さんと児玉さんがついているから何も心配することはないわ。」

 なるほどさすがはベテランの隊長だ。ちゃんと初出撃する新人の気持ちを慮ってくれている。しかも、佐々木の多少適当な励ましと違って、本当に安心感を抱かせてくれるものがあり、多少なりとも緊張が緩むのを感じる。これならどうにか初出撃を無事にこなせそうだ。中野は元気良く答える。

「はい! 了解しました!」

 

 安藤大尉、清末、佐々木に見送られながら、栗田少尉、児玉、中野の3人は哨戒任務に出撃する。勇躍出撃、と言いたいところだが、目的は哨戒で、ネウロイ出現の可能性はあまりないとなればそれほどのこともない。ただ淡々と哨戒空域を回ってくるだけだ。それでも初出撃ということで緊張感を見せていた中野も、落ち着いてくるに従ってだんだん緊張感が弛緩してくる。眼下の風景は単調で、哨戒飛行も単調だ。これでいつネウロイが出てくるかわからないと言われれば否応もなく緊張するところだが、ネウロイの出現頻度は高くないと言うし、昨日の佐々木もネウロイには遭遇しなかったと言うし、最初の興奮が過ぎてしまえばあまり緊張する要素もなくなってくる。

「これはひょっとすると、津祢子ちゃんの言ってた訓練より楽っていうのが本当かもしれないわね。」

 中野は小さく呟いた。もちろん、上官2人には聞こえないように。

 

「迪子、ついてきて。」

 不意に児玉がそう言うと、軽くバンクして降下を始めた。それほどの急降下ではないので、緊急事態というわけでもなさそうだが、どうしたのだろうか。不得要領のまま中野は児玉を追いかける。

「児玉さん、どうしたんですか?」

「うん、地上で何か光った気がしたんだ。何かの見間違いかもしれないけど、一応確認しておこうと思ってね。」

 児玉にそう言われると中野はドキリとする。児玉が指さす方に目を凝らしても、中野には何も見付けられない。見間違いかもしれないけれど、見間違いじゃないかもしれない。もし見間違いじゃなかったら、いきなり戦闘に直面することになる。中野の全身を、ぶるっと震えが走った。

 

 そこに厳しい声で通信が入る。

「児玉曹長、どうして編隊を離れているの。すぐに定位置に戻りなさい。」

 児玉が黙って離れたので、栗田少尉はおかんむりだ。児玉が答える。

「えっと、ネウロイらしいものを見付けたので、確認してきます。」

 しかし、児玉の説明にも栗田少尉は納得しない。

「とにかく一度戻りなさい。何か発見したならしたで、報告して許可を取った上で確認に行きなさい。そんなこと訓練学校で教わってるでしょう?」

 確かに、原則を言えばそうだ。だが既に動き出しているのに、一度戻ってやり直せというのはいくら何でも無駄なんじゃないか。

「ええと、一度戻るのも無駄だと思いますから、このまま行かせてください。すぐに確認して戻ってきますから。」

 児玉の返信の声音にやや面倒くさそうな色を感じ取ったのか、栗田少尉は一段ときつい調子で通信を送ってくる。

「そういう問題じゃないでしょう。いいからさっさと戻ってきなさい。命令です。」

 年端のいかない少女ばかりといってもウィッチ隊も軍隊なのだから、命令と言われてしまっては、児玉も従うしかない。

「迪子、戻るよ。」

 一声かけて児玉は上昇に転じる。

 

 編隊に復帰した児玉は、改めて申告する。

「栗田少尉、左前方にネウロイらしき目標を視認しました。接近降下して確認します。」

 それに対して栗田少尉の反応はあっさりしたものだ。

「許可します。」

 なんだそれだけかと、児玉は拍子抜けだ。わざわざ呼び戻すから何があるのかと思ったが、士官が指示を出してそれに従って部下が動くという、言ってしまえば形式を整えるためだけだったのか。そりゃあ確かにそれが原則だし、今は原則を守れないほど危急存亡の時というわけではない。だから栗田少尉は正しいのだし、文句を言う筋合いなどないのだが、前の部隊では何かに気付くなり動き出して、動きながら報告するのが常で、それが習い性になっている児玉としては胸にもやもやしたものが残る。上官じゃなかったら、とろくさいこと言ってんじゃないよ、ぐらいのタンカは切りたいところだ。だが、上官と無意味な軋轢を起こして良いことなどないことくらい児玉にもわかる。児玉は文句を言いたいところをぐっとこらえる。

「了解しました。」

 児玉は改めてネウロイらしき目標の確認に向かう。中野は今度も後に従う。児玉は不満かもしれないが、中野にとってはきちんと上官の指示を仰がなければならないことを実体験できて、案外良い教育になったかもしれない。

 

「どう? わかる?」

 児玉の問いかけに、中野が目を見開いて探すと、なるほど荒野の一角に何やら黒い点のようなものが見える。最初は岩か、あるいは繁みかわからなかったが、近付くにつれてそれが紛うことなき地上型ネウロイであることがわかってくる。と言っても、中野はネウロイを見るのは初めてだ。漆黒の箱型の筐体から、左右に二本ずつ細長い脚が伸びていて、それを動かしながら進んで行っているのがわかり、これがネウロイというものだと知る。

「こ、これがネウロイですか?」

 中野の少し震える声に対して、児玉はさすがに豊富な経験に裏打ちされて落ち着き払っている。

「そう、でもこれは地上型だからね。わたしたちにとってはそれほどの脅威じゃないよ。」

「そうなんですか? じゃあ他にどんなのがいるんですか?」

「他はねぇ・・・、うーん、まあいろいろだよ。」

 細かく説明しだすときりがないので児玉はあいまいな返事を返す。でも、あまり詳しく説明するのもどうかという面はあるが、ここまで具体性がないと、あらぬ空想を呼んで新人たちに無用の混乱を招きそうだ。

 

「地上型ネウロイ1機を確認しました。攻撃します。」

 児玉の報告に、栗田少尉から簡素な応答が返ってくる。

「了解。攻撃を許可します。」

 あまり簡単な応答で、ぶっきらぼうとの感を抱かないでもないが、まだ実戦指揮の経験がほとんどない栗田少尉には、気の利いた言葉を加える術もない。そんなことは知らない児玉は、報告を要求しておいて注意喚起の一言もあるわけではない栗田少尉に、何とはなしに不満を覚える。しかしそんなことは些細なことだ。今は攻撃に集中しなければならない。

「迪子、爆撃するよ。」

「はい。」

「サポートするから迪子が攻撃して。」

「えっ? は、はい、了解しました。」

「大丈夫だよ、訓練通りにね。」

「はい。」

 

 いきなりのご指名に動揺した中野だが、訓練通りと言われて、訓練通り、訓練通りとつぶやきながら態勢を整える。投下索を握れば、手のひらにじっとりと汗がにじんでいるのを感じて、慌てて軍服の裾で手のひらをぬぐって、投下索を握り直す。

「行きます。」

 中野はネウロイめがけてぐっと降下角を深める。たちまち速度が乗ってきて、ネウロイの姿がどんどん大きくなってくる。ネウロイは4本の脚を蠢かせて前進しているようだが、高速で肉薄する中野から見れば止まっているのも同じだ。

「迪子、少し時間差をつけて2発とも投下して。」

「えっ? いいんですか?」

「実戦では余程のことがない限り確実に命中させることを優先するんだよ。」

「わかりました。でも・・・。」

「でも?」

「もし他にもいたらどうするんですか?」

「あはは、まあ正確に狙えば1発で破壊できるけどね。でも多分他にネウロイはいないから使っちゃっていいんだよ。それに万が一次のネウロイが出現したとしても、わたしも鈴江もまだ爆弾持ってるしね。」

「そ、そうですね。」

 一発必中を目指す訓練と実戦との違いに、中野は戸惑うことしきりだ。

 

 いよいよネウロイが迫ってきた。少し間隔をあけて児玉が続く。万万が一の飛行型ネウロイの出現への警戒と、もしも中野が外した時の2撃目に備えてのことだ。しかし、嫌という程訓練を繰り返した中野にはいささかの不安も感じさせないものがある。いよいよ投下高度だ。

「投下!」

 中野が投下索をぐっと引く。一瞬でネウロイ上空を越えて、ぐっと引き起こして水平飛行に移りながら退避する。教科書通りの見事な攻撃だが、中野本人は結構一杯一杯で、振り返って戦果を確認している余裕はない。

 

 目も眩むような閃光とともに強烈な爆発音が響く。飛び散る砂塵に立ち上る黒煙、甲高い音を立ててネウロイが砕け散ると、破片がきらきらと光を反射しながら広がった。

「ネウロイの破壊を確認。」

 児玉の冷静な通信が流れる。この落ち着きぶりからすると、中野が失敗するとは露ほども思っていなかったに違いない。

「了解。編隊に戻って。」

 栗田少尉のぶっきらぼうな応答が返ってくる。緩やかに上昇しながら振り返った中野の目に、きらきら輝くネウロイの破片が散っていくのが見えた。

「これが実戦かぁ。」

 なんだか全身がじんじんする。

「・・・、わたし、ネウロイを倒したんだ。」

 思いもかけずにあげた初戦果に、ぎゅっと握りしめた拳に力が籠る。だが、今回上手く行ったからと言ってネウロイとの戦いを甘く見たら大間違いだ。中野の前途には、まだまだ果てしない困難が待ち構えているはずだ。



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第十四話 前線の食事事情

 定期的に哨戒飛行に出撃し、任務がないときには訓練を重ねる日々が続く。慣れてしまえば滅多にネウロイに遭遇することはないのだから、哨戒飛行も気楽なものだ。訓練より楽という佐々木の最初の感想が実感になってくる。新人二人ももはや鼻歌交じりで出撃できるほどだ。もちろん、上官の目があるから本当に鼻歌を歌ったりはしないけれど。訓練は相変わらずきついけれど、それでも慣れるに従って最初の頃のように滅茶苦茶きついと感じることもなくなってきた。そうなってくると、前線勤務と言っても案外退屈なものになってくる。

 

 アティラウの町は防衛拠点であると同時に、物資輸送の重要拠点になっているので、物資輸送のための船や車両の出入りは多く、人の往来も多い。そのために民間人も多数住んでいるので大いに賑わってはいるのだが、前線の軍事拠点とあってはおよそ娯楽に類するものは見当たらない。市が立つわけでもなく、町に出てみてもこれと言って無聊を慰めてくれるものがあるわけではないので、最初の何回かはともかく、今となっては町に出るのも退屈なだけだ。

 

 そうなると楽しみと言えるのは食事だけになる。まだまだ食べ盛りの年頃なのだからなおさらだ。扶桑では一般に陸軍より海軍の方が食事が良いと言われる。差が大きいのは士官で、陸軍は兵と士官が同じものを食べていることも多いが、海軍では兵と士官では烹炊所から分けられていて、士官は上等なものを食べている。もっとも、士官の食事は自己負担なので、そのせいで良いものを食べている面もある。下士官兵の食事は官給だが、それでも一汁一菜が基本の陸軍より、海軍は手の込んだものが提供される場合が多い。しかしここアティラウ基地はオラーシャ軍の基地の一部を借りている関係で、基地の食事は原則としてオラーシャ軍から供給されており、必然的に馴染みのないオラーシャ食だ。既に欧州生活に慣れた安藤大尉、清末、児玉はまだしも、栗田少尉、佐々木、中野は洋食からしてほとんど経験がないのに、オラーシャのパンはライ麦で作った黒パンが主流だからますます馴染まない。扶桑では白パンはまだしも黒パンを口にする機会はほとんどなく、黒パンは白パンより固く、また酸味があったりするので、白パンよりさらに馴染みにくい。アティラウに派遣されているのは、整備隊や防衛隊を含めても500名ほどしかいない小部隊なので、扶桑から糧食を供給することもできそうに思えるが、何しろ扶桑からアティラウは遠い。直線でも7,000㎞以上離れているのだから、物資の輸送は困難を極める。武器、弾薬や予備部品などの輸送の優先度が高いものを供給するのが精一杯で、必然的に糧食にまでは手が回らない。だから食べにくくても、馴染めなくても、現地調達で賄うしかないのだ。

 

 だから本当は楽しみなはずの食事の時間になっても、佐々木や中野はあまり気持ちが弾まない。食卓に着いた佐々木は、今日はたまたま士官がいないのをいいことに、ぐちぐち言っている。

「あーあ、また黒パンかぁ。たまには白いご飯が食べたいなぁ。」

 中野も同調する。

「そうだよね。でも贅沢は言わないから、せめて麦飯、それが無理なら大根飯くらい食べられないかなぁ。」

 もちろんそんなことは夢のまた夢だ。清末がたしなめる。

「何贅沢言ってんのよ。ちゃんとご飯が提供されるだけでも御の字なんだよ。それにオラーシャはまだ戦場だから、食糧事情は悪いんだよ。贅沢言ったら罰が当たるよ。」

 

 そうなのだ。オラーシャは穀倉地帯のウクライナをネウロイに占領されているため、食糧事情は欧州の中でも厳しいのだ。だから、黒パンでも質の悪い、ひどいと雑草交じりのものが配給されたり、所定量が配給されないために空き腹を抱えて戦っている部隊だって少なくない。オラーシャ軍の食事は黒パン以外では肉の入った野菜スープが定番だが、材料不足で肉が入っていないのはもちろん、キャベツだけのスープが何日も続くことだってある。だから、たまたま材料が豊富で、ボルシチが出たりするとお祭り騒ぎだ。そんな中でも、ウィッチ隊はパイロット同様に卵、バター、チーズ、果汁エキス、ドライフルーツなどが追加で提供されるのだから、大変に恵まれている。

 

 ただ、贅沢だとたしなめた清末も、実はオラーシャ軍の給養には辟易している部分はある。前の部隊では激戦が続く最前線にいたこともあるから、もっと貧弱な食糧事情だった時期もあって、そのことを考えれば現状でも耐えられるのだが、やはりそこは扶桑人、お米が恋しくないわけではない。

「まあでもやっぱりたまにはお米が食べたいよね。」

 児玉もそこには同意だ。

「そうだよね。前にお米の補給があったときは嬉しかったなぁ。やっぱりご飯食べると力が出るよね。」

「うん、魔法力が高まった気がした。」

 別にご飯に魔法力を高める作用があるわけではないが、魔法力は気持ちの影響を強く受けるので、ご飯を食べて気持ちが盛り上がれば、実際に魔法力が高まることもあるのだ。

「でも、お米を補給してくださいとは言えないよね。」

「うん、そうだね。」

 清末や児玉も、アティラウへの補給の困難さはわかる。その状況下で、少なくとも栄養素やカロリーが不足しない程度の給養がある以上、武器、弾薬などの補給を押しのけてまで、お米を補給して欲しいとは言えない。

 

 そんな頃、零式輸送機がアティラウ基地に到着した。零式輸送機は、リベリオンの輸送機のダグラスDC-3の発動機を扶桑製のものに換装するなどの改修を加えて国産化したものだ。扶桑陸軍の主力輸送機である100式輸送機よりは貨物積載量が多いが、それでも5トン足らずしか積めないので、主に精密機器や予備部品、重要書類、人員などの輸送に使われている。降りてきた主計科下士官は清末と児玉が便乗したときと同じ人だ。清末が手を振る。

「こんにちは。またお会いしましたね。」

 主計科下士官も清末たちのことを覚えていた。

「ああ、着任するときに乗り合わせたウィッチのお嬢さんですね。元気そうで何よりです。」

「はい、元気に頑張ってます。ただ・・・。」

「何か問題があるんですか?」

「ご飯が食べられないんです。」

「ご飯が食べられないって、食糧の補給が途絶えているんですか? だとしたら一大事だ。」

 主計科下士官の勘違いに、清末は慌てて言い直す。もっとも、清末たちを見れば健康そのもので、飢餓状態にないことはわかりそうなものだが。

「い、いえ、そうじゃなくて、お米が食べられないんです。糧食はオラーシャ軍からの供給なのでもっぱら黒パンばかりで、カーシャっていうお米の入ったお粥が出ることはありますけど、普通に炊いたお米が食べられないんです。」

 さすがに食料の補給が途絶えるというのは不審に感じていたので、この説明で主計科下士官も合点がいく。

「ああ、なるほど、炊いたご飯が食べられないんですね。そりゃあ扶桑人としては一大事ですね。」

 主計科下士官はしきりにうなずいて、同情するような表情をしている。

 

 清末はふと、主計科だったらお米を調達して持って来ることもできるのではないかと気付く。もちろん正式な依頼を通そうとすれば却下されるので、こっそりお願いするのだ。ばれたら懲罰は避けられないだろうけれど、自分たちの境遇を理解して、同情してくれている様子なので、お願いすれば聞き届けてくれるかもしれない。この際だからと清末は思い切ってお願いしてみる。

「だから、今度来る時でいいので、お米持ってきてもらえませんか? 正規の補給申請でお願いするのは難しいので・・・。」

 清末のお願いに、主計科下士官ははたと考え込む。言う通り正規のルートで申請しても却下されるだけだろう。米の2、3俵融通することは難しくないし、輸送機はいつもぎりぎり一杯の荷物を搭載しているわけではないので、重量制限に引っかかることもないだろう。しかし、規則違反であることに間違いはない。悩ましいところだと言いたいところだが、主計科下士官の気持ちはお願いされた瞬間に決まっている。

「わかりました。何とかして米を調達して持ってきましょう。扶桑産の米を手に入れるのは難しいかもしれませんが、輸送拠点を置いているペルシアでも米はよく食べられているんですよ。あっそうか、ペルシアの米は長粒種だな。でも大丈夫。お隣のオストマンでは扶桑と同じ短粒種の米が食べられていますからね。」

 なんだか難しそうだが、それでもお米が手に入るらしい。清末は勢い良く頭を下げる。

「ありがとうございます! よろしくお願いします。」

 清末に感謝されて、実は主計科下士官は感激している。何しろウィッチはみんなの憧れの的だ。そんなウィッチに感謝されるなんて、男冥利に尽きるというものだ。そのためだったら規則なんかくそくらえだ。

「きっと持ってきますから、期待して待っていてくださいね。もっとも次いつ補給に来るかはわからないんですけれど。」

 

 食料、燃料、その他の消耗品や重量物などは、原則としてカスピ海を渡って船で定期的に運ばれてくる。輸送機が来るのは、特に飛行機輸送が必要な案件が生じたときだけで、だから不定期にしか来ることはない。例えお米が調達できたとしても、何らかの必要があって輸送機が飛ばない限り、持ってくることはできないのだ。でもそんな不確かなことでも、前線基地で単調な哨戒任務についているウィッチたちにとっては大きな希望だ。大きな希望を胸に抱いたウィッチたちは、心なしかこれまでより活気付いて任務に取り組んでいるように見えなくもない。果たして希望は叶うのだろうか。

 



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第十五話 お米が届いた!

 今度補給に来る時にお米を持ってきてくれるという約束を知っているのは、清末、児玉、佐々木、中野の下士官4人だ。正規の手続きを踏んでの依頼ではないので、士官2人には秘密だ。下士官4人は素知らぬ風を装いながら、密かに胸をわくわくさせながら日々の業務にいそしんでいる。しかし、待つとなるとなかなか機会は来ないものだ。多い時には連日飛来する輸送機が、ばったりと来なくなってしまった。膨らんだ期待を抱えていつ来るともわからない輸送機を待つのはなかなか辛い。最初わくわくしていた気持ちが、やがてじりじりした気持ちに変わり、やがて干天の慈雨を待ち焦がれるような気持に変わる。まるで周囲の乾燥した大地のようだ。

 

 そしてついに、待ち焦がれた輸送機飛来の連絡が入る。清末たちは、期待に胸を膨らませつつ滑走路脇に集まった。こっそり頼んでいるので士官には話していないため、士官2人は知らずにいる。程なく零式輸送機が停止して、貨物ドアが開いた。今回の輸送担当はあの主計科下士官だろうか。他の人だったらもちろんおあずけになるので、運命の一瞬だ。胸がきゅっと詰まる。そこへひょいと顔を見せたのは例の主計科下士官で、清末たちはみんな祈るような必死の表情でもしていたのか、一瞬驚いた顔をして、そのあとにこっと笑う。つまり、どうやら秘密の物資は無事調達できたらしい。

 

 わっと歓声を上げて4人は輸送機に駆け寄る。その目の前に、憧れの米俵が積まれていく。一つ、二つ、三つ、四つ・・・、それで終わりだった。でも4俵、240キロのお米が届いたのだ。大収穫だ。

「ありがとうございます。」

 ウィッチたちのこぼれんばかりの笑顔に、主計科下士官は照れて頭をポリポリと掻く。

「扶桑内地産の一等米というわけにはいきませんでしたけれど、まあそこそこのものが手に入りました。」

 ウィッチたちは目をきらきら輝かせて積み上げられた米俵を見つめながら、炊きあがったご飯から湯気の立ち上る様を思い描いてうっとりしている。まだ10代前半の少女たちといえども、やはり皆扶桑人らしくご飯に対する思い入れは強く深いのだ。

 

「お前たち、そこで何をしている。」

 突然の詰問調の声に、みんなびくっとして振り返る。すると、栗田少尉が幼い顔に精一杯の威厳を持たせて、小さな体で仁王立ちになっている。しまった、見つかった。軍の輸送機関をこっそり私的に流用したことになるのだから、どんな処罰が待っているのかわからない。ここはひとつ、何事もないかのように装うしかない。

「はい、お米の補給を持ってきてくれたんです。」

 清末が、さも当然のことのように、にっこりと微笑みながら答える。しかし生憎栗田少尉はごまかされてくれない。

「お米? そんなもの今日の補給品リストにないぞ。リストにないものは受領できないから持ち帰ってもらいたい。」

 栗田少尉は冷たく言い放つ。

 

 佐々木と中野は、新人の立場では口を挟むわけにはいかないし、そもそもこういう時にどうしたらいいのかもわからない。せっかく持ってきてくれたお米を送り返されてしまうのではないかとの恐怖におびえつつ、清末や児玉がどう切り抜けてくれるのか、固唾を飲んで見守るしかない。せめて心の中で応援する。清末さん、児玉さん、頑張って。

 

 さあどうするか、清末はネウロイと対峙した時以上の窮地を感じる。ここをうまく切り抜けないと恋焦がれた白いご飯が食べられなくなってしまう。しかし規程上は栗田少尉の言っていることが正しいのだから、これといって打開策が思い浮かばない。そこへ、米を持ってきた主計科下士官から助け舟が入る。

「少尉殿、これは我々主計科で用意したものです。最前線で重要な任務を担っているウィッチの皆さんが、扶桑人でありながら米の飯を口にすることができないと聞いて、少しでも皆さんのお力になればと考えて持ってきたものです。ですから書類にはありませんがぜひ受け取ってください。」

 主計科としても、せっかく持ってきたものを、持って帰れと言われて、はいそうですかというわけにはいかない。

 

 主計科からの申し出に、栗田少尉は戸惑いを隠せない。相手が下士官で階級が下位だとしても、直接の部下ではないのだから命令権はないし、別の部隊の人に対してあまり横柄な態度をとるのもよろしくない。そもそも栗田少尉は士官と言っても、ようやく15歳になったばかりの少女に過ぎない。自分より20歳も年上と見える下士官に対して、強い態度に出るのには気後れしてしまう。そもそも、自分より年上の清末や、年下と言ってもベテランの児玉に対しても、士官としての使命感や責任感でようやく指示をしているのだ。もういっそ、はいわかりました、と言って終わりにしてしまおうかとも思う。だが、栗田少尉の士官としての規律を守らなければならないという使命感が、弱気に勝った。

「ご厚意はありがたいのですが、受領の手続きなしに補給品を受け取ることはできません。すみませんが持ち帰ってください。」

 栗田少尉の丁寧な言葉遣いが戸惑いを感じさせる。この分ならもう一押しすれば受け取ってもらえるかもしれないと、主計科下士官は押し方を考える。米俵を見た時のウィッチたちの目の輝きを思えば、是非とも食べさせてあげたい。

「少尉殿、これは慰問の品です。慰問袋を受領するときに、内容を書面と照合したりはしないですよね。だからこれは書面で確認せずに受領していただいて結構です。」

 主計科は補給の専門家だ。その専門家に良いと言われると、栗田少尉はそれで良いのかなという気がしてくる。でも原則は、書面と照合して物資に間違いがないことを確認した上で、書面に署名して受領しなければならない。栗田少尉はますます迷う。しかし、士官の責任として、断、断固として断らなければならない。

 

「みんな、どうしたの?」

 声をかけられて一斉に振り向く。

「安藤大尉。」

「隊長!」

 騒ぎを聞きつけて安藤大尉も出てきたのだ。

「みんなで集まって、何かあったの?」

 安藤大尉が出てきたのなら後はお任せしてしまえば良いと、栗田少尉名は内心ほっとして、小首を傾げる安藤大尉に説明する。

「はい、実は主計科の方が慰問の品としてお米を持ってきて下さったのですが、受領の手続きなしに受け取るわけにもいかなくて困っていたところなんです。」

 それに対して、安藤大尉は拍子抜けするほどあっさりと答える。

「あら、折角のご厚意なんだから、ありがたく頂けばいいじゃないの。」

 清末たち下士官4人は躍り上がって歓声を上げたい気分だ。もうだめかと思ったが、安藤大尉が許可したのだからもう大丈夫だ。ただ、ここで下手に騒いでまた話が変わるのを恐れて、心の中だけで歓声を上げて、ぐっと堪える。

 

「折角のお米だから、基地の皆さんにも食べてもらいましょう。」

 安藤大尉にはみんなに分けると自分たちの取り分が減るなどというみみっちい考えはないようだ。扶桑からはるばる派遣されてきて、慣れない環境や食事などに苦しんでいるのはウィッチだけじゃない。しかし、主計科下士官が言う。

「大尉殿、今回お持ちした米は4俵だけです。とても基地の全員で分けるほどの量ではありません。」

 海軍の給食の定数は一人1日米6合だ。アティラウ基地には整備隊や警備隊を含めて全部で約500人の人員が派遣されているから、全員分を合計すると1日7俵半必要になる。今回運んできた量では、とても全員に行きわたらせるのは無理だ。実際、米の必要量というのは膨大で、航空母艦瑞鶴が出撃前に米81トン、1,350俵を搭載したという記録が残っている。それに比べて輸送機1機で運べる量など微々たるものだから、ウィッチ限定とするしかないのだ。

「ですから、今回運んできた米はウィッチの皆さんだけでお召し上がりください。」

「あらそうなの、みんなで食べられないのは残念ね。」

 残念がる安藤大尉だが、よく考えればついでに持ってきた程度の量で基地の全員に行き渡らせることができないことはすぐにわかる。ウィッチだけが白いご飯を食べるのは少々気が引けるが、まあ仕方がない。それにこれでウィッチたちの士気が上がれば、いざという時の戦闘力が上がるのは確かだ。隊員たちが嬉しさを噛み殺しているのも見て取れるし、ここはありがたく頂戴しておくことにしよう。今日の夕食は、いつもにも増して賑やかな食卓になるに違いない。



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第十六話 カザフのウィッチ

 カッ、カッと軽やかな蹄の音を響かせながら、砂塵を蹴立てて馬が一頭走ってくる。御するのはまだ10代と見られる少女だ。馬の扱いには相当慣れているようで、巧みな手綱さばきで馬との一体感を見せながら疾走する。馬上の少女は扶桑人を思わせる黄色っぽい肌に整った顔立ちで、黒っぽい髪を風になびかせている。

 

 丁度外で体操をしていた佐々木と中野が、基地に走り込んでくる馬を見付けた。

「ねえ迪子、馬が走っているよ。」

「うん、女の子が乗っているね。」

 扶桑では馬に乗る習慣がないので、騎兵隊でもなければ人が馬に乗っているのを見ることは滅多にない。まして少女が馬に乗っているのを見ることなどまずないから驚きの光景だ。その少女はどんどんこちらに向かって馬を走らせて来る。そして目の前まで来るとぐいっと手綱を引いて馬を止まらせると、ひらりと飛び降りる。あまりに見事な一連の動きに、佐々木と中野は目を奪われて、思わず黄色い歓声を上げる。そう、ウィッチとして最前線で命をかけた戦いをしていても、本来は中学生の歳なのだ。娯楽の少ない辺境の町で格好良く馬を乗りこなす女性を見れば、銀幕のスタアを見るような気持にもなろうというものだ。

 

「君たちは噂の扶桑から来たというウィッチかな?」

 その少女から問いかけられて、ちょっとどぎまぎしながら佐々木と中野は答える。

「はい、扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊所属、佐々木津祢子軍曹です。」

「同じく、中野迪子軍曹です。」

 二人の答えに笑顔を返すと、その少女も名乗る。

「私はオラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長のディリナズ・ドスパノワ上級中尉だ。」

 そしてパチッとウィンクする。なかなか様になったその仕草に、佐々木と中野は胸がキュッとなる。およそ扶桑では見たこともない。もっとも、扶桑人が真似してみても野暮ったいだけになるのがおちだ。さすが欧州の人は少女のうちから格好良い。

 

「時に、隊長の所へ案内してくれるかな?」

 浮かれ気味だった二人は、案内を請われてはっとする。そうだ、別に遊びに来ているわけじゃない。これも任務と思えば浮かれている暇はない。二人は慌てて気を引き締めて姿勢を正す。

「はい、ご案内します。」

 二人は浮かれた反動か、やや緊張気味にドスパノワ上級中尉を安藤大尉の元へと案内する。

 

 コンコンと隊長室の扉がノックされて、佐々木がまず入室してくる。

「失礼します。オラーシャ空軍の方がいらっしゃいましたのでお連れしました。」

 安藤大尉が立ち上がると、ドスパノワ上級中尉が入ってくる。ドスパノワ上級中尉を見た安藤大尉は、意外の念を抱いた。オラーシャ人と言えば、金髪で青い目というのが典型と思っていたところが、扶桑人と言っても通るほど、典型的な亜細亜人の容貌だったからだ。もっともこれは安藤大尉の認識違いで、オラーシャは広大で多種多様な民族がいるので、外見の多様性は相当に高い。アティラウは欧州と亜細亜の境目に位置するが、ここに多く住むカザフ人は元来は蒙古系の人々なので、外見は亜細亜人の特徴を示し、ヨーロッパロシアに多い典型的なオラーシャ人とは異なっているのだ。

「お初にお目にかかる。オラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長のディリナズ・ドスパノワ上級中尉だ。よろしく頼む。」

 ドスパノワ上級中尉の自己紹介に、安藤大尉も応える。

「扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊長の安藤昌子海軍大尉です。ドスパノワ上級中尉とは、これまで手紙や通信はたくさんやり取りしていたけれど、お会いするのは初めてね。こちらもよろしく。」

 

 挨拶を済ますと、安藤大尉はドスパノワ上級中尉に長椅子を勧め、佐々木達にお茶を淹れさせて一息ついてもらう。

「アクタウからここまで来るのは遠くて大変だったでしょう? ストライカーで飛んできたの?」

 ドスパノワ上級中尉が答えようとすると、さっき見た雄姿から強烈な印象を受けた佐々木が、我慢できずに口を挟む。

「ドスパノワ上級中尉は馬を走らせてきたんですよ。すごくかっこいいんです。安藤大尉も一度見せてもらってください。」

「えっ? 馬で? そんな無茶な・・・。」

 安藤大尉が驚くのも無理はない。アクタウとアティラウの間にはカスピ海が大きく張り出しているので、陸路では大きく回り込まなければならず、実に900㎞もあるのだ。馬を走らせて来られる距離ではない。ドスパノワ上級中尉が笑って答える。

「そりゃそうだよ。オラーシャ軍の基地まで飛んできて、そこで馬を借りたんだ。」

 それでもそこで車ではなく馬を選ぶあたりがすごいと思う。

「それでもやっぱり恰好いいです。わたしたちなんて馬に乗れないのはもちろん、人が馬に乗っているのを見たこともありません。」

 やたらと感心している佐々木だが、ドスパノワ上級中尉にすれば馬に乗ることは当たり前すぎて感心されるのも照れ臭い。

「私たちカザフ人は昔から遊牧生活を送っているんだ。だから家畜を追うのにも、移動するのにも、馬に乗るのは必須で、誰でも小さい頃から馬に乗っているんだ。だから、そんなに感心されても反応に困る。」

 

 まだ言い足りなそうな佐々木だったが、ドスパノワ上級中尉は安藤大尉に向き直って本題に入る。

「今日わざわざ訪ねてきたのは、作戦支援の依頼と、打ち合わせのためだ。」

 安藤大尉は、事前に一報入っているので黙ってうなずく。

「アティラウと北方のオラーシャ中心部を結ぶ街道で、軍需物資輸送のトラックがネウロイの襲撃を受けた。この輸送ルートが断たれると重大な支障が生じるので、速やかにネウロイを排除しなければならない。そのためにネウロイを探索し、撃破するための作戦を行う。その作戦を扶桑に支援してもらいたい。」

「あら、そんなことがあったなんて初耳だわ。北方は定期的に索敵をやっているのに見落としたのね。」

「いや、これだけ広大なんだから、侵入してきたネウロイをすべて発見するのは至難の業だ。扶桑隊が来るまでは、被害が出て初めて出動するような状況だったから、ずいぶん助かっているんだ。」

「そうなのね。それならいいけど・・・。」

 安藤大尉としては、自分たちが見落としたのなら責任重大だと感じたが、特に問題とはされていないようなので、胸を撫で下ろす。

 

「それで、私たちはどういう支援をすれば良いのかしら。」

「うん、うちの隊員をこの基地に派遣するから、ここを拠点に作戦するための支援をして欲しい。それから、可能だったら出撃するときは護衛をしてもらえると助かる。」

「そう? それだけでいいの? 私たちでネウロイへの攻撃をしても良いわよ。」

「いや、どうせネウロイの数は1機か2機だろうから、そんなに大勢で攻撃する必要はないだろう。うちの隊員が攻撃に専念できるように、もしもの飛行型ネウロイの攻撃に備えて、護衛してもらえればいい。」

「わかったわ。それで、アクタウ隊のウィッチは何人来るの?」

「一人だ。」

「一人? それだけ?」

「アクタウ隊は私を含めて全部で3人しかいないんだ。カスピ海上の船舶の上空直衛もしなければならないから、一人出すのがやっとなんだ。」

「あら、それならこっちで引き受けてもいいのに。」

「輸送路の防衛はこっちの任務だからね。全部任せるわけにはいかないよ。護衛してもらえるだけで御の字だ。護衛があると安心感が違うから、ネウロイの探索に集中出るんだ。」

「うん、わかった。じゃあ護衛は責任をもって引き受けるわ。」

 かくてネウロイ掃討作戦の協力体制が決まった。

 

 それから数日、アクタウ隊のウィッチが飛来する。迎えに出た佐々木と中野は、ちょっとがっかりしている。今回も格好良く騎走する姿が見られるかと期待していたのに、普通にストライカーユニットで飛んできたからだ。しかし、ちょっと考えればわかるが、前回は打合せだったから馬に乗ってきても良かったが、今回はアティラウ基地を起点にネウロイ掃討作戦を実行するのだから、ストライカーで来なければ意味がない。着陸するウィッチを見ると、ドスパノワ上級中尉と同じように、やはり亜細亜系の顔立ちだ。ただ、ドスパノワ上級中尉より幾分彫が深く、目鼻立ちがはっきりしている印象だ。あるいは、同じカザフ人でもコーカサス系の血が濃いのかもしれない。それより目を引くのは背負った長大な銃だ。明らかに身長より長く、2mはありそうだ。あの長大な銃を使ってどんな戦い方をするのだろうか。新人二人の興味は尽きない。




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

ディリナズ・ドスパノワ(Dilnaz Dospanova)
オラーシャ空軍上級中尉(1929年5月15日生、17歳)
オラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長
 カスピ海東岸の町アクタウに置かれた対地支援部隊の隊長で、小型爆弾を使った地上型ネウロイの破壊に熟達している。夜間視の能力があり夜間爆撃もこなす。使用するユニットのラヴロフ設計局 La-7は、1850 魔力の出力で、最高速度597 km/h、実用航続距離635 kmの戦闘脚で、200 kgまでの爆弾も搭載可能。


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第十七話 扶桑、オラーシャ共同作戦

「オラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊所属のナスチャ・モルダグロバです。階級は軍曹です。今回は私たちの作戦にご協力いただくということで、感謝します。」

 ナスチャ・モルダグロバと名乗ったその少女は、ドスパノワ上級中尉同様に亜細亜系の顔立ちだ。オラーシャ人の中でもカザフの出身なのだろう。そして、扶桑人と話をするのは初めてなのだろう、緊張している様子がうかがえる。

「モルダグロバさん、お疲れ様です。わたしがアティラウ派遣隊の隊長の安藤です。ドスパノワ上級中尉に約束した通り、できるだけの支援をしますから、何か要望があれば気軽に言ってくださいね。」

 安藤大尉はなるべくモルダグロバ軍曹の緊張を和らげようと、優しく語り掛ける。

「それから、ここは扶桑海軍の基地として使っていますけれど、元々はオラーシャ軍の基地なんだから、自分の基地だと思って遠慮しないで、気楽に過ごしてね。」

 一見それなりの年齢に見えるモルダグロバだが、ウィッチなのだからまだ軍曹ということは入隊して1年かそこらの若手のはずだ。そう思って見ると案外幼そうな顔をしている。そんな子が一人で他国軍の基地に派遣されてきているのだから、優しくしてあげなければと安藤大尉は思う。

 

 そこへおずおずと佐々木が手を挙げる。

「あの、質問してもいいですか?」

 手の挙げ方は遠慮がちだが、表情は興味津々といった様子だ。調子に乗って迷惑をかけないかと少し心配しつつ、多分年齢の近い佐々木達には仲良くなって欲しいと思い、安藤大尉は質問を許可する。

「質問を許可します。ただ、あまりしつこく聞かないようにしてね。」

 はい、と元気良く返事をした佐々木は、本当に安藤大尉の注意を聞いていたのか若干怪しい。早速モルダグロバに質問する。

「モルダグロバ軍曹、ずいぶん長い銃を持っていますけれど、それはどういう銃なんですか?」

 やはり長大な銃は気になるところだ。モルダグロバは、ちょっと遠慮がちに答える。

「これは、オラーシャの対装甲ライフルで、デグチャレフPTRD1941といいます。全長2m、重量16㎏で、14.5mmの銃弾を使って、一般的な地上型ネウロイなら当たりが良ければ1発で破壊できます。」

 

 それを聞いて安藤大尉が口を挟む。

「ということは、モルダグロバさんは、地上型ネウロイを破壊するのに爆撃はしないの?」

「はい、ええと、大型の地上型ネウロイを破壊するのには、爆弾を使わないと無理ですけれど、その・・・、あまり得意じゃありません。」

 モルダグロバのこの答えは、地上型ネウロイへの攻撃が得意なウィッチが来ると聞いて、爆撃仲間が増えると期待していた安藤大尉を軽く失望させる。せっかく爆撃談議に花を咲かせられると思っていたのに。新人たちはもとより対象外だし、清末と児玉のベテラン組も爆撃は素人で、話し相手になるような人がいないのだ。そんな安藤大尉に佐々木が尋ねる。

「そういえば、扶桑では対装甲ライフルを使う人って見かけないですね。」

「ええ、扶桑にはあまりいい対装甲ライフルがないからね。ブリタニアのボーイズを使っている人はいるけど。」

 扶桑の対装甲ライフルというと、陸軍の九七式自動砲があるが、全長2m、口径20㎜は良いとして、重量が59㎏もあって、ウィッチが使うには不向きだ。海軍としてはあえて陸軍の兵器を使いたいとは思わないということもある。だから必要な人はブリタニアのボーイズを使うことになる。ボーイズは欧州ではいくつもの国で使われている実績もある。

 

「つまり、モルダグロバさんは、トラックを襲撃したネウロイを探し出して、そのPTRD1941で狙撃して撃破するのが今回の任務なのね。」

「はい。」

「で、その間うちの隊員が護衛すればいいのね。」

「はい、お願いします。」

「うん、じゃあ明日は清末さんと佐々木さんで護衛してください。」

 ここまで他人事のようにぼおっと聞いていた清末は、突然自分に振られてあわてて姿勢を正す。

「了解しました!」

 佐々木もあわてて返事をする。

「はいっ!」

 もっとも護衛すると言っても、着任以来哨戒飛行中に襲われたことなどないから、ただ一緒に哨戒してくるだけになりそうだ。まあ、ネウロイを発見するための目は多い方が良い。

 

 

 そして翌日、モルダグロバと護衛の清末と佐々木は出撃する。まずはネウロイの襲撃があったという、アティラウの北方、ウラル川の西側に沿って北上する街道を160㎞ほど進んだ地点に行く。そしてその周囲にネウロイが潜んでいないか探索するのだ。しかし、茫漠と広がる大地に、これと言って手掛かりはなく、どこを探せばよいやら戸惑うばかりだ。清末が愚痴るように言う。

「でもさぁ、本当にこんな所までネウロイが来たのかなぁ。だって防衛線になっているボルガ川から400㎞はあるんだよ。それだけの距離を移動する間、一度も見つからないなんてことあるのかなぁ。何度も哨戒に出てるけど、わたし一度もネウロイ発見してないんだよね。佐々木は見たことある?」

「いえ、わたしも一度も見たことありません。」

 佐々木は清末と組んで哨戒した他、児玉や栗田少尉とも組んで飛んでいるが、いずれの時にもネウロイを発見していない。

 

「でも、迪子ちゃんは爆撃したって言ってましたよ。だから、ネウロイがいることは確かですよね。」

「うん、いるのは確かだけど、今回の話が本当にネウロイの襲撃かどうかはわからないよね。」

「まあ、それはそうですね。何かの見間違いかもしれないですね。」

「熊にぶつかったのかもしれないし、岩にぶつかって自爆したのかもしれないよ。」

「そ、それでネウロイの襲撃って報告しますか?」

 さすがに無理があるような気がする。割合寡黙なたちらしく黙って聞いていたモルダグロバも、ついにくすくす笑い出した。

「熊は乾燥地帯にはいないわ。もっと北の方に行かないと。」

「じゃあ駱駝。」

「カザフの人は駱駝は見慣れているから、ネウロイと見間違えたりしない。」

「そ、そうですよね。」

 いい加減なことを思いつくままに言っていただけなので、まじめに返されてしまって、清末はばつが悪い。

 

「岩や木の陰にいると、見付けられないことも多いから仕方ないけど、見つかっていないネウロイは必ずいると思う。」

 元々カザフ出身のモルダグロバがそう言うのだからそうなのだろう。しかし、いるのは確実だとしても、見付けられないのでは撃破できないではないか。

「うん、でもいたとしても、見付けられないんじゃあどうしようもなんじゃないの?」

 清末の当然の疑問だが、モルダグロバは落ち着き払って答える。

「大丈夫、見付けられるから。」

「見付けられるって、低空を這い回って探すの? でも3人で手分けして探しても、これだけ広いと探しきれないんじゃないの?」

 モルダグロバは大言壮語するようなたちには見えないが、大丈夫と言い切る理由がわからない。

「わたし、固有魔法でネウロイが見えるの。」

「見えるって?」

「物陰にいても、高高度からでも、ネウロイがいるのがわかるの。だからすぐ見つかる。」

「へえ、そんな便利な魔法があるんだ。」

 それが本当なら凄い。まるで隠れた地上型ネウロイを見付けるためにいるようなものではないか。恐ろしいほどの適材適所だ。

 

「あそこ。」

 モルダグロバが指さす。

「えっ? どこ?」

 指差す方を見回しても、清末には全く見付けられない。振り返って佐々木の顔を見ても、困ったような表情が返ってくるばかりだ。

「あそこに一叢の繁みがあるでしょう。あの中に隠れてる。」

 モルダグロバはそう言ってその繁みがあるという方向に向かって降りて行く。後について降下する清末は半信半疑だ。確かに繁みがあるのはわかったが、その中のネウロイなど見えやしない。そもそも、木の葉や枝に覆い隠されているのだから、すぐ近くに行ってもわからないかもしれない。しかし、モルダグロバは迷わず一直線に降下していく。

 

 モルダグロバはかなり低くまで降下してくると降下をやめ、中空に静止するとPTRD1941を構えて狙いをつける。モルダグロバの狙う繁みをよく見ると、風に揺れる枝葉の陰に、風が吹いても動かないものが確かに隠れている。

「あれがネウロイ?」

 岩があるだけだと言われたら信じてしまいそうだ。しかしモルダグロバがそこを狙っているということは、やはりそれはネウロイなのだろう。しかし、PTRD1941を構えた様は恐ろしくバランスが悪い。身長よりも長い2mもある銃を構えて、よくもまあぴたりと静止していられるものだ。

「そんな長い銃構えてよく狙えるね。」

 感心したように声をかける清末だったが、モルダグロバは射撃に集中しているようで返事はない。そして、モルダグロバが引き金を引いた。

 

 放たれた銃弾は複雑に絡み合う枝の間を抜けて、ネウロイの装甲を貫いた。次の瞬間、ネウロイは甲高い音を立てて砕け散ると、きらきらと陽光を反射して輝く無数の破片をまき散らす。まき散らされた破片は、繁みの外へと広がって、ネウロイを隠していた木々を包み込む。まるで木々の葉が一斉に輝き出したかのようだ。

「綺麗!」

 佐々木が感嘆の声を上げる。ネウロイの破片の散る様は、その凶悪さに反して美しい。

「佐々木はネウロイが砕け散るのを見るのは初めてだっけ?」

「はい! 凄く凄いです!」

「そうやって感動するのも最初の内だけだよ。そのうち見る気もなくなるから。」

「そ、そんなことないです。清末さんはどうしてそんな水を差すようなことを言うんですか。」

 佐々木の言葉に、清末は砕け散るネウロイに目を留める暇もなかった乱戦を思い出して遠い目をする。そんな二人を尻目に、既に次の目標を見付けていたらしいモルダグロバは動き出している。清末と佐々木はこれといった働きもしていないが、モルダグロバのおかげで周辺に潜んでいたネウロイは一掃されそうだ。




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

ナスチャ・モルダグロバ(Nastya Moldagulova)
オラーシャ空軍軍曹(1933年10月25日生、13歳)
オラーシャ空軍アクタウ小隊
 レーダーでは発見できない地上型ネウロイを上空から感知する能力を持ち、物陰や茂みに潜むネウロイを発見、対戦車ライフルで狙撃して撃破する。


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第十八話 アクタウ基地派遣任務

 モルダグロバが任務を終えて帰ってから少し経った頃、安藤大尉が集まった隊員たちに向かって言う。

「この間はオラーシャの人が来てくれたわけだから、次はお返しにわたしたちから誰かアクタウに行くべきだと思うのよ。」

 隊員たちは確かにそうだとうなずく。名目上はオラーシャ隊の作戦を扶桑隊が支援したことになっているけれど、実態としては扶桑隊の任務をオラーシャ隊が肩代わりしたようなものだ。だから、今度は本当の意味でオラーシャ隊を支援したいと思う。

 

 清末が安藤の考えに賛意を示す。

「良いと思います。お互いに交流して、必要な時に支援し合える関係を作っておくことは大事だと思います。特にこの辺りはウィッチの数が少ないんですから、少ない戦力を有効に活かせるようにしないといけないと思います。」

 清末に続いて、児玉も意見を述べる。

「それに、いつかアクタウに移動して作戦するときもあるかもしれないから、アクタウの下見にもなります。」

 

 新人の佐々木と中野は感心して聞いているばかりだ。自分たちも何か意見を言おうという意識も浮かばないほど、感心している。さすが、ベテランの人たちは違うと思う。その一方で、同じく意見を言えずに、だけれどそのことに焦燥を抱いているのは栗田少尉だ。こういう時こそ意見を出して、部隊を導くことが士官の役割ではなかったか。そのために部隊運用や作戦の勉強をしてきたのではなかったか。しかし、悲しいかな教科書で学んだ知識を実際の場面でどのように活かしていけば良いのか、実務経験の乏しい栗田少尉にはすぐには思い付かない。忸怩たる思いを胸に抱えて、ただ黙っていることしかできない。

 

「じゃあ、今回は児玉さんと中野さんお願いね。」

「はい、了解しました。」

 返事は良いが、二人にはちょっとひっかかる物がある。前回のオラーシャとの共同作戦には清末と佐々木が出たから、今度は児玉と中野だというのは一応は納得が行く。しかし、こちらの基地にやってきたオラーシャのウィッチと一緒に作戦するのと、向こうの基地に一定期間滞在して、その慣れない環境で共同作戦を実施するのとでは、大変さがずいぶん違うではないか。しかし、少女ばかりの組織とはいえ、ここはやはり軍隊だ。一度命令が下されたからには、返事はハイとYesの二択なのだ。もっとも、次に振られる任務はもっと大変かもしれず、むしろこの任務を振られてラッキーかもしれない。

 

 

 オラーシャのウィッチ隊が拠点を置いているアクタウはカスピ海の東岸にあるが、大きく張り出したマンギシュラク半島の先端にあるため、アティラウからは真南より少し西寄りになる。またアクタウはアティラウと異なり厳寒期でも港が凍結しないことから、物資輸送上の重要な拠点となっている。今回派遣を命じられた児玉と中野は、カスピ海を渡り、マンギシュラク半島を横切ってアクタウを目指す。アクタウの町は、港を中心に結構大きな市街地が広がっており、カスピ海に阻まれてネウロイの襲撃をあまり受けていないらしく、町に目立った被害は見られない。その町外れに小さな航空基地が設けられており、これがドスパノワ上級中尉達、アクタウ小隊の基地だ。児玉と中野は基地上空を大きく旋回すると、滑走路へと降りて行く。滑走路脇にオラーシャのウィッチたちが迎えに出ているのが見えた。

 

「扶桑海軍アティラウ派遣隊の児玉佳美曹長です。」

「同じく中野迪子軍曹です。」

 姿勢を正して礼を示す児玉達に、ドスパノワ上級中尉は、知らない仲ではないということもあってか、気楽な調子で応じる。

「やあ、遠路はるばるよく来てくれたね。私とナスチャは今更挨拶でもないから、別にいいな。ユーリアは初対面だったな。ユーリア、ちょっと挨拶してくれ。」

「はい。」

 答えて児玉達に向かい合った少女は、日差しを受けて金色にきらめく髪に、少し赤みが浮かんだ抜けるような白い肌、そしてきりりと引き締まった表情が得も言われず美しい。典型的なオラーシャ美人と言って良いのではないか。思わず目を奪われる児玉と中野に向かって、ユーリアは素敵な笑顔を向ける。

「ユーリア・シャーニナ上級軍曹です。狙撃手やってます。よろしく。」

 人懐こい笑顔でそんなことを言ってくる。欧州の人たちとの接点がまだ少ない中野は、こんな絵に描いたような女の子が本当にいるんだと、感激している。欧州慣れしている児玉でさえも目を奪われるような美人なのだから当然とも言える。

 

「ユーリアは狙撃手なの?」

 児玉が尋ねると、シャーニナは胸を張って答える。

「そう、対装甲ライフルを使って、飛行型ネウロイを遠距離から狙撃するのよ。」

「え? 飛行型ネウロイ?」

「そう、カスピ海上を航行している船舶を狙って、飛行型ネウロイが時々襲撃してくるの。わたしたちの一番重要な任務は、飛行型ネウロイから輸送船を守って、物資の供給を維持することなのよ。」

 この話には児玉はびっくりだ。アティラウでは派遣以来一度も飛行型ネウロイが出現したことはないし、過去には多く出現していたという話も聞いたことはない。だからこのあたり一帯には飛行型ネウロイは滅多に出現しないものだと思っていた。しかし、350㎞程南のここアクタウでは、ちょこちょこと出現しているようだ。となれば、アティラウだっていつ飛行型ネウロイの襲撃を受けるかわからない。今までも上空警戒を怠ってきたわけではないけれど、気を引き締めないといけないと思う。

 

「カスピ海の西岸は、コーカサス山脈から北側はネウロイの勢力圏なんだ。だからアクタウの対岸はネウロイの勢力圏でね、結構ちょこちょことネウロイがこちら側に出てくるんだよ。」

 ドスパノワ上級中尉が、シャーニナの話を補足する。

「ああ、なるほど、そういうことだったんですね。」

「そう。一方君たちの担当しているカスピ海の北側は、ネウロイの勢力圏との境界のボルガ川からアティラウまで350㎞もある上に、その間に目立った町もないから、ネウロイも襲撃する目標がないから滅多に出てこないというわけだ。」

 説明を聞いてアティラウとアクタウの違いがよく分かった。それならもっと積極的にアクタウの支援をした方が良いかなとも思う。

「そういうわけで、君たちにはカスピ海航路の上空援護を手伝ってもらいたいんだが、君たちは飛行型ネウロイと戦った経験はあるよね?」

 ドスパノワ上級中尉の問いかけに、児玉は力強くうなずく。児玉は、前のカールスラント奪還作戦で、それこそ嫌という程飛行型ネウロイと戦ってきたのだ。

「はい、迪子はまだ経験がありませんが、わたしはたくさん経験してますから大丈夫です。」

「うん、それなら大丈夫だね。期待しているよ。」

 ドスパノワ上級中尉は我が意を得たりといった様子でしきりにうなずいている。どうやら、派遣されてきただけの成果は残せそうだ。

 

 

 翌日、シャーニナと一緒に、児玉と中野はカスピ海航路の上空警戒に出撃する。これまでのアティラウ周辺の哨戒飛行と違って、実戦になる可能性も結構ありそうで緊張感が湧いてくる。しかし、身が引き締まるような、気持ちが高揚するような、心地よい緊張感だ。アクタウは港町なので、飛び立てばすぐに眼下には水面が広がる。ネウロイの襲撃を避けて、陸地のぎりぎりを航行して行く貨物船も見える。対岸のネウロイ支配地域までは270㎞ほどと近いので、気は抜けない。しきりに対岸の方を見回していると、シャーニナが少し笑いを含んで話しかけてくる。

「佳美、そんなににらみつけてなくても平気だよ。ネウロイは週に1回くらいのペースでしか現れないから。」

「あ、ああ、そうだね。」

 そんなに対岸ばかり見ていたかと思うが、空中戦もしばらくやっていないので、早く発見しようと少し焦っていたかもしれない。

 

「ユーリア、ネウロイが出るってことは、近くにネウロイの巣があるのかな?」

 ネウロイの巣が近くにあると厄介だ。近付き過ぎると大量のネウロイを放出して襲撃してくる。気付かずに襲われたら逃げることも難しい。

「ううん、そんなに近くにはないわ。わたしも見に行ったことがあるわけじゃないけど、一番近い巣はロストフにあって、アクタウからはおよそ1,000㎞離れているわ。」

「そうなんだ。でもそんなに離れているんなら、この辺までネウロイが飛んでくることなんて滅多にないんじゃないかな?」

「うん、だからもっと近くに、多分巣ではないけれど、何らかの策源地があるんだろうって言われているわ。あくまで予想だけど、コーカサス山脈の麓の「マルゴベク」あたりに策源地があるんじゃないかと言われているわ。」

「そうなんだ、ところでそのマルゴベクってどのあたり?」

「アクタウの西500㎞程度の所ね。カスピ海の西岸から250㎞位じゃないかな。」

 なるほど、その程度の距離ならちょくちょく侵攻してきても不思議はない。改めて西の方をぐるりと見回す。

 

「あれ?」

 中空で何か光った気がした。それ自身が発光しているような光ではなく、日の光を反射したような光だ。児玉は目を見開いて、辺りの中空を探す。すると、やはり何かいる。中空に小さな黒い点が浮かんでいる。

「ネウロイらしきもの発見! 方位265度、距離2万。」

 20㎞先で発見できれば上出来だ。相対速度600㎞/hとしてすれ違うまでおよそ2分の時間がある。

「目標は2機、高度は・・・、低いな、およそ1,000m下。」

 矢継ぎ早に報告すると、中野が話しかけてくる。

「児玉さん、見ただけでよくそんなにわかりますね。」

「慣れだよ、慣れ。たくさん見れば迪子だってぱっと見でわかるようになるよ。」

 答えながら振り返って中野を見ると、初めての飛行型ネウロイとの遭遇に相当緊張しているようで、表情が思い切り引きつっている。

「迪子、そんなに緊張することないよ・・・、って言っても初めてだから緊張するよね。大丈夫、何も考えないで訓練通りについてくればいいから。」

「はい。」

 返事が心なしか震えているように聞こえる。

 

 ネウロイは船舶を攻撃しようとして高度を下げているのだろうが、この高度差を活かさない手はない。

「ユーリア、わたしたちで攻撃するよ。」

「うん了解。わたしも狙撃するわ。」

 そう答えたシャーニナは背負っていた長大な銃を手に持ち替える。

「それって、ナスチャが使ってたのと同じやつ?」

「うん、ちょっと違うの。ナスチャが使ってるのはデグチャレフPTRD1941、わたしが使ってるのはシモノフPTRS1941。」

「どこか違うの?」

「ナスチャのは単発で、わたしのは連発なの。わたしは連発がいいけど、シモノフの方が重いのよ。」

 なるほど、それぞれ一長一短で、人それぞれに好みがあるということか。しかしあまり長話をしている余裕はない。児玉が話を切り上げてぱっと飛び出すと、中野も続く。

 

 ネウロイへの攻撃は、高度差を活かしつつ、相手の側面または背後に回り込んでの攻撃が基本だ。なるべく相手に気付かれる前に、相手が回避運動を取る前に襲撃するのが良い。巴戦になっても勝てる自信はあるが、巴戦になると時間もかかるし体力も使う。そう思って、少し迂回しながらネウロイの側面を目指す。背後では、シャーニナがホバリングで中空に静止しながら、その長大な対装甲ライフルを構えてネウロイに狙いをつけている。

 

 シャーニナの構えた銃口からぱっと火が出る。まだネウロイまではかなり距離があるが、あの距離から命中させる自信があるのだろう。ぎりぎりまで肉薄して機銃弾を浴びせかけるのをもっぱらにしている児玉達とは大違いなスタイルだ。そのナスチャは、狙撃するや否や槓桿を引いて排莢と次弾装填をしつつ、長大な銃身を素早く振って2機目のネウロイに狙いをつけると、ただちに引き金を引いた。

 ダン! ダン! と2発の銃声が響き渡る。発射された銃弾は空気を切り裂いて一息に飛翔すると、ネウロイの表面装甲を突き破って内部にめり込み、そしてコアに突き刺さる。次の瞬間、2機のネウロイは相次いで砕け散り、天空に光をまき散らした。

 

「あっ!」

 ネウロイに肉薄すべく降下を始めていた児玉は、目の前でネウロイが砕け散るのを見て、思わず声を上げた。振り仰いでシャーニナを見ると、シャーニナはにこっと微笑みを返してくる。まあ、ネウロイを無事撃破したのは良かったけれど、これでは自分たちがはるばる支援しに来た甲斐がないではないか。文句を言うようなことでもないから何も言えず、児玉としては何となくもやもやしたものを腹に溜め込むしかない。




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

ユーリア・シャーニナ(Julia Shanina)
オラーシャ空軍上級軍曹(1931年4月3日生、15歳)
オラーシャ空軍アクタウ小隊
 ボルトアクション式の対戦車ライフル、シモノフPTRS1941を使って地上型ネウロイを狙撃する能力に秀でている。素早い操作で続けざまに狙撃する技量を持ち、多数のネウロイを連続して撃破した。


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第十九話 風雲、コーカサス戦線

 アクタウ基地派遣任務は、初日こそ飛行型ネウロイが出現して緊張したが、その後は何事もなく推移している。今日もカスピ海航路の上空哨戒に出ている児玉達だったが、あまりの平穏に思わずあくびが出る。

「ふわ。」

 見とがめた中野が注意する。

「児玉さん、任務中ですよ。ちょっと気が緩んでるんじゃないですか。」

「ごめん、ごめん、あんまりのどかだったから思わずあくびが出ちゃった。」

 シャーニナもくすくす笑っている。

「ユーリア、こんなにのんびりした任務でいいの?」

 児玉が尋ねてみても、シャーニナは笑顔のままだ。

「そうね、こんなものかしら。わたしたちアクタウ隊は3人しかいないんだから、この程度ののんびり加減で丁度いいのよ。前に、ネウロイは出ても週1回程度だって言わなかったっけ?」

 そういえばそんなことを言っていたと思い出す。してみると、今回の派遣任務は1週間の予定だから、最初にネウロイに遭遇したので、今回の任務中にはもう遭遇することはないのだろうと思う。先日のネウロイはシャーニナが撃墜してしまったから、今回の派遣任務でも撃墜数はゼロのままだ。それじゃあ緊張感もなくなるなと児玉は思う。眼下の水面を、穏やかな航跡を曳いて貨物船がゆっくり通過して行く。

 

 何事もなく基地に戻ると、何やら基地が騒がしい。着陸したシャーニナに整備員が駆け寄ってくる。

「シャーニナ上級軍曹、ドスパノワ隊長が戻ったらすぐに作戦室に来るよう伝えろとのことです。」

「あら? 何かあったの?」

「わかりません。ですが、整備と補給は至急でやるように言われています。」

「そう、わかったわ。」

 シャーニナも具体的には何もわかっていないのだが、何事か重大な事態が生じていることは感じ取れた。

「佳美さん、迪子さん、作戦室に行きましょう。」

 児玉と中野はもっとわからないが、何とはなしに緊張感だけは伝わっている。軽口を叩く暇もなく、作戦室に向かう。

 

「シャーニナ上級軍曹戻りました、異常ありません。」

 シャーニナからの報告を聞くのももどかし気に、ドスパノワ上級中尉が集合を命じる。いつも鷹揚として余裕を感じさせるドスパノワ上級中尉としては珍しく、いささか焦り気味だ。何事かあったことは間違いなさそうだ。

「諸君、バクー基地から支援要請が来た。ネウロイがカスピ海西岸に沿って南下中で、このまま進むと遠からずバクーが攻撃を受ける。そこで我々に支援要請が来た。南下中のネウロイを阻止して欲しいとのことだ。」

 モルダグロバ軍曹が手を挙げる。

「敵の戦力は?」

「地上型ネウロイ多数が侵攻してきていて、上空には飛行型ネウロイも伴っているという報告だ。」

 飛行型ネウロイを伴っているとなると難敵だ。シャーニナも手を挙げて尋ねる。

「バクーの第505統合戦闘航空団はどうしているんですか? 505が出れば私たちの支援なんていらないと思うんですけれど…。」

「コーカサス山脈北麓のブラジカフカスの前進拠点が襲撃を受けて、その救援に出動しているから、しばらくは戻ってこられないということだ。」

 これは大ピンチではないか。主力を誘い出しておいて、その隙に後方の本拠地に向けて突入してくるとは、ネウロイも味なことをする。つまり容易ならない敵だということだ。

 

「全機出撃!」

 ドスパノワ上級中尉の命令一下、全員一斉に走り出す。格納庫に駆け込んだ児玉は、さっとストライカーユニットに飛び込むと魔導エンジンを起動する。ふと見れば排気で薄汚れていたはずの排気口周辺が、いつの間にかぴかぴかに磨き上げられている。もちろん燃料も満タンだ。アクタウ基地の整備隊は中々仕事が早く丁寧なようだ。その整備員たちに見送られながら、児玉は力強く地を蹴って大空に舞い上がる。

 

 カスピ海を横切って西岸に向かうアクタウ隊に通信が入る。

「現在ネウロイの侵攻をマハチカラ前面で防いでいるところだが、飛行型ネウロイの攻撃があっていつまで戦線を維持できるか厳しい状況にある。」

 すぐさまドスパノワ上級中尉が応答する。

「了解した。速やかに救援に向かう。」

 マハチカラはカスピ海西岸の小さな町で、カスピ海を挟んでアクタウとはほぼ真向かいだ。速度を上げて向かえば対岸に煙が上がっているのが見える。どうやらあそこで戦闘中だ。カスピ海沿いに固まるマハチカラの町の北側で、曳光弾やビーム、爆発の光が激しく交錯し、硝煙が辺りを覆っているのが見える。ビームを放ちながら町に向かう地上型ネウロイの集団に、地上部隊が地物に拠りながら激しく抵抗している。しかしそこに飛行型ネウロイからの攻撃が降り注ぎ、地上部隊は明らかに非勢だ。早く支援しなければ戦線崩壊の危機だ。

「ユーリアとナスチャは地上型ネウロイを撃破しろ。佳美と迪子は飛行型ネウロイを排除してくれ。」

 ドスパノワ上級中尉の指示に、4人が声を揃える。

「了解!」

 

 カスピ海上で対装甲ライフルを構えて地上型ネウロイを狙うシャーニナとモルダグロバを残して児玉は中野を連れて前進する。

「迪子、しっかりついてきなよ。」

「はい!」

「とにかくまず離れずについてくること。余裕があったら周囲を見て、ネウロイの攻撃から身を守ること。もう少し余裕があったらわたしに合わせてネウロイを銃撃すること。いい?」

「はい!」

「じゃあ行くよ。」

 児玉は前方で地上部隊を襲撃している飛行型ネウロイめがけて突っ込んで行く。中野は夢中で後を追う。中野にとっては初めての空中戦だが、いきなり戦闘に突入してしまって緊張している暇もない。地上に向かってビームを発射しているネウロイが、見る見るうちに近付いてくる。児玉が機銃を発射した。そして次の瞬間には児玉は引き起こしながら右へ旋回する。中野は必死の形相で児玉の後を追う。中野は児玉に合わせて銃撃する余裕がないのはもちろん、周囲を見回して他の飛行型ネウロイの動きを見る暇もない。

 

 不意に目の前に飛行型ネウロイが現れた。もちろん不意に現れたのではなく、児玉がネウロイを捉えるべく動いているのだ。児玉の機銃が火を噴いた。中野も銃撃すべく機銃を向けるが、引き金を引く間もなく児玉が旋回に入る。児玉の指示は銃撃よりついて行くことが優先だ。中野は銃撃をあきらめて児玉を追って旋回する。

「迪子、下!」

 インカムから児玉の叫ぶような声が響く。はっと下を見ると地上のネウロイからビームが飛んでくる。地上型ネウロイの中には上空に向かってビームを撃ってくるものがあると聞いてはいたが、実感がなくて警戒していなかった。咄嗟に両足を開いてその間から両腕を突き出すとシールドを展開する。次の瞬間シールドに当たったビームがはじけ飛ぶ。まるで跳び箱を跳ぶような体勢だ。咄嗟に取った体勢とはいえ、これでは次の動きにすぐには移れない。続けてビームが飛んで来たらどうやってかわそう。そう思った瞬間、飛来した銃弾がビームを放ってきた地上型ネウロイを貫いて、ネウロイは四散する。アクタウ小隊の対装甲ライフルの狙撃に違いない。展開が目まぐるしすぎてとてもついて行けない。

 

 気付けば既に児玉はかなり先行している。中野は急いで追いつこうとして加速する。しかし、一羽離れた若鳥が猛禽にとって格好の獲物となるのと同じように、一人離れた新人はネウロイにとって格好の獲物だ。はっと気付くと右上空からネウロイが中野めがけて降下してくる。慌てて右腕を上げてシールドを展開する。もちろん腕を上げなくてもシールドは張れるが、実戦に慣れない中野にとっては、ビームに正対するようにシールドを開く位置決めのためにも、シールドにビームが当たった時の衝撃を受け止めるためにも、腕をネウロイの方に向けてシールドを展開する方が良い。

 

 ふと、児玉に繰り返し注意された、視点を一か所に固定せず、常に周囲を見回すことを思い出し、さっと周囲に視線を巡らす。すると、左からわき腹に抉り込むように突っ込んでくるもう1機の飛行型ネウロイが目に入った。

「しまった!」

 さっと血の気が引く。右上のネウロイは今しもビームを発射しようという距離に迫っている。しかし左から迫るネウロイも近く、右上のネウロイからのビームを防いでからシールドを回したのでは到底間に合いそうもない。だからといって、一方のビームをシールドで防ぎながらもう一方のビームをかわすような、そんな神業のようなことができるとも思えない。哀れ幼い命を異国の空に散らすしかない。

「せめて1機でも落としてから死にたかったな。」

 つぶやく中野にビームが迫る。

 

 ごうっと風が吹きつけたかと思うと、至近距離でビームが飛び散る。児玉だ。児玉が割り込んできてビームを防いでくれたのだ。

「あ・・・。」

 助けてくれてありがとうとも、ちゃんとついて行けなくてごめんなさいとも、言う暇も与えずに児玉が指示する。

「ついてきて。」

 さっと踵を返す児玉に、今度こそ遅れまいと中野は食いついて行く。

「あ、ありがとうございます。助けていただいて・・・。」

 中野は追いかけながらお礼を言うが、児玉の返しは厳しい。

「そんなことはどうでもいいの。今は目の前の戦いに集中して。」

 中野は背筋がぞくっとする。中野が漠然と思っていたより、実戦は遥かに厳しい世界だ。

 

 甲高い音が響いて周囲の飛行型ネウロイが次々に砕け散る。

「505部隊のストヤナ・ストヤノワです。到着が遅くなってごめんなさい。ここまで支えてくれてありがとう。」

「ヴァシリーサ・ヴァシリアデスだよ。後は私たちに任せて。」

 駆け付けた2人のウィッチは、散々暴れまわっていた飛行型ネウロイを片端から粉砕して行く。別に曲芸のような機動をするわけではなく、あっと驚くような固有魔法を使うわけでもなく、流れるように空を舞いながら、気付けば周囲のネウロイはあらかた砕け散っている。

「す、すごい。」

 息が詰まるような思いで見つめる中野に、児玉が語りかける。

「めったに見られないからよく見ておきな。これが統合戦闘航空団のスーパーエースの戦い方だよ。」

 正直なところ、技量が懸絶し過ぎていて、中野には凄いことはわかってもどこがどう優れているのかまではわからない。ただ大きく目を見開きながら思う。わたしもいつかこんな風にできるようになるのかな?




◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)

ストヤナ・ストヤノワ(Stoyana Stoyanova)
モエシア王立空軍大尉 (1925年3月12日生22歳)
第505統合戦闘航空団
モエシア空軍で最初のネウロイ撃墜を果たし、また最初にエースとなったウィッチ。ダキアの陥落でモエシアにネウロイが迫ると、民衆を撤退させる為に最後まで基地に残って戦闘を続けるが、満身創痍で弾薬切れの寸前にアルトラントから来たゴロプ少佐の部隊に救出された。負傷から回復の後ゴロプ少佐の部下として行動を共にし、「最も長い撤退戦」をくぐり抜け、第505統合戦闘航空団設立とともにメンバーとなった。個人としての戦闘技能の優秀さに加え指揮能力も高く、柔和な人柄から多くの人に好かれている。

ヴァシリーサ・M・ヴァシリアデス(Vasilissa M Vassiliades)
ギリシャ空軍准尉 (1930年3月25日生17歳)
第505統合戦闘航空団
ギリシャのキオス島で裕福な船主の子供として生まれる。ネウロイの襲撃を知ると退役ウィッチの推薦を受け直ちに空軍へと志願、学生身分のままオストマルク方面防衛派遣軍の一員として送り出された。ダキア陥落後は、部隊が南方のギリシャへ撤退を開始した際に連絡のため滞在していたアルトラントに取り残され、そのままゴロプ少佐の指揮下に入った。


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第二十話 草原の防衛も大事な任務

 一週間のアクタウ派遣任務が終わって、児玉と中野がアティラウ基地に帰ってきた。アティラウ基地はいつもの日常に戻る。カスピ海北側の乾燥した草原地帯の哨戒と、哨戒任務のない日は訓練をする日々の繰り返しだ。

 

 そんな中でも、アクタウ派遣で中野は危うく死にかけるほどの戦闘を経験したためか、少し顔つきが引き締まったようで、成長を感じさせる。一方、佐々木はアティラウでのモルダグロバとの共同作戦を経験したとはいえ実質的には見ていただけなので、代り映えのしない任務の連続に少々不満顔だ。そんな気持ちが食事への不満になって表れる。

「あーあ、この黒パンって何度食べても馴染めないなぁ。」

 そう言って佐々木はちぎった黒パンを野菜のスープに浸す。

「固いし酸っぱいし、スープに浸さないと食べられないよ。せめて小麦の白いパンならもう少し食べやすいのに。」

 佐々木の愚痴に中野も基本的に同意だが、前線に派遣されている以上仕方のないことだと思う。

「うん、でも黒パンは安くて日持ちが良くて腹持ちがいいから軍の食事には最適なんだって言ってたよ。」

 そんなことはわかっていると言いたげに、佐々木は口を尖らす。

「そんなこと言ったって、こんな最前線じゃあ食べることくらいしか楽しみがないんだから、せめて食事くらいもう少し考えて欲しいよ。」

 前に主計科が特別に持ってきてくれたお米も、残り少なくなってしまったから、もうたまにしか出してもらえない。

 

 佐々木の不満の矛先は中野にも向かう。

「迪子ちゃんはアクタウで実戦に参加してきたんでしょ。いいなぁ。わたしはずっと哨戒と訓練だけなのに。」

「そ、その、津祢子ちゃんも共同作戦に参加したじゃない。」

 一応言い訳めいたことを言ってみた中野だったが、これはむしろ佐々木の不満を増幅させる。

「あんなの実戦とは言えないよ。ただ一緒に飛んできただけじゃない。戦ったのはモルダグロバさんだけじゃない。あーあ、わたしもアクタウ派遣にならないかなぁ。」

 しかし、逆にこれは中野には聞き捨てならない。

「そんないいものじゃなかったよ。わたしなんて危うく死ぬところだったんだから。そんな目に遭っても、何の戦果も挙げられなかったんだから。ううん、一度も引き金を引くことすらできなかったんだから。」

 中野はあまり険悪にならない範囲で、精一杯の抗議の気持ちを込めて言ったのだが、やはり実際に経験したことのない佐々木にはピンとこないようだ。

「危ない目に遭うのはむしろ望むところだよ。そのためにウィッチになったんだから。不毛の草原を哨戒するだけじゃあウィッチになった甲斐がないよ。」

 いや、危ない目に遭うのはウィッチとして働いた結果であって、それが目的ではないだろう。どうせなら危ない目に遭うことなく任務を達成できた方が良い。

 

 そんな佐々木にも哨戒任務の当番は平等に回ってくる。佐々木は行きたくない気持ちはあるし、不貞腐れた態度でも取りたい気分でもあるが、もしそんなことをしたら次の訓練で滅茶苦茶しごかれるのは目に見えているから、そんな気分はおくびにも出さないで、淡々と出発前点検を進める。一緒に飛ぶのは清末だが、清末はこういう地味な任務が嫌になることはないのだろうかと思う。しかし、当たり前のような顔で発進準備を進める清末の表情からは、何も読み取れない。もっとも、清末がポーカーフェイスだからその心理を読み取れないのではなく、表情から人の心理を読み取るような知恵も知識も経験も、佐々木は持ち合わせていないというだけのことだ。

 

「発進!」

 清末が号令をかけて飛び出して行く。佐々木も遅れじと後に続く。飛び立った空は、折からの風に吹き上げられた砂ぼこりが舞い立って、視程があまり良くない。それでも哨戒に不自由するほどではないので、予定通り飛行して行く。乾燥した草原に延びている、埃っぽい道には砂ぼこりを立てる車両の一台も通らない、これと言って動きのない世界だ。もっとも、動きがない方がネウロイが動いていると目に付くので、発見しやすい面もあるから善し悪しだ。

 

 坦々と予定したコースを飛行して行く。これと言って目に付くものはなく、それどころか物資輸送のトラックを見かけることすら稀だ。佐々木は、この任務を清末はどう思っているのだろうと思い、任務が暇なことを良いことに、清末に話しかけてみる。

「清末さん、この哨戒任務って、ネウロイを発見することもほとんどありませんけれど、やってる意味ってあるんですか?」

 清末は、佐々木が不満を溜めていることには気付いていない様子で、当たり前のことといった調子で答える。

「まあネウロイはいつ、どこに現れるかわからないからね。ここしばらく現れないからって、油断は大敵だよ。予測のつかないネウロイの動きを捉えるためには、哨戒は重要だよね。」

「いえ、それはわかっているんですけれど、そういうことじゃなくって・・・。」

「うん、ただ飛んでるだけじゃつまらないってことでしょ? わかるよ。せっかく厳しい訓練に耐えてウィッチになったんだからね、自分の力を十分に発揮して、目に見える成果を出したいって気持ち、ウィッチになった人たちの大勢が持っているんじゃないかな。」

 さすがはベテランだけあって、気持ちをよくわかってくれていると、佐々木は嬉しくなる。わかってくれているなら、何か希望が叶うようなこともしてくれるんじゃあないだろうか。

 

 しかし、気持ちがわかるからと言って、その気持ちに添えるかどうかは別問題だ。そもそも気持ち自体が現実から上滑りしていることだってある。

「気持ちはわかるけどね、正直今の佐々木の実力じゃあ戦闘が頻々と起きるような所には危なっかしくてやれないね。中野から聞かなかった?」

「あ、はい、危うく死ぬところだったって言ってましたけど・・・。」

「そうでしょ? まあ死なせないけどね。ただ今回みたいに大したことないレベルの戦闘だったらわたしたちでカバーしてあげることもできるけど、本当に厳しい戦いになったらわたしや児玉じゃあ守ってあげられないよ。だから君たちが少なくとも自分で自分の身を守れるようになるまでは、激戦場へは出せない。仲間を絶対に死なせないっていうのは、前いた部隊の隊長から厳しく言われたからね。」

 ここまで言われると佐々木はぐうの音も出ない。こう厳しいことを言われてみると、中野の言っていた死ぬところだったという話を、話半分に聞いていた気がする。実際、ウィッチの任務は死と隣り合わせで、中野は本当に死にはぐれの目に遭ったのだろう。清末の言う通り、本当の戦場に出て戦果を挙げたいと思うのなら、もっと訓練を重ねて実力を付けなければならないのだろう。

 

「清末さんも最初は殆どネウロイの出ない所で訓練を積んだんですか?」

「そうだよ、最初に配属になった基地はガリアのカンブレーっていう所でね、ネウロイに遭遇するのはせいぜい週に1回程度で、近くに連合軍の有力な部隊がいたから、強い敵が現れたときは味方に任せて逃げろって言われていたなぁ。」

「そこで経験を積んで強くなったんですか?」

「うーん、わたしたちの場合はちょっと違ってね、本来は哨戒任務だったはずが、部隊ごと激戦に巻き込まれて、無理やり鍛えられたって感じかな。」

「え? それだとさっき言ってたみたいに危険なんじゃないんですか?」

「うん、危険だよ。でもわたしたちの場合は、たまたま隊長が圧倒的な攻撃力と驚異的な防御力を持っている上に、絶対仲間を死なせないっていう信念を持っていたから、それに守られて過酷な任務を全うすることができて、結果的に厳しく鍛えられたっていうね、まあちょっと特殊な経験をしているんだよ。」

「は、はぁ。」

 なんだかよくわからないけれど、どうやら清末と児玉は、普通のウィッチでは経験しないような特別な経験を積んできているらしいことはわかった。そのような特殊な環境にない佐々木は、やはり堅実に経験を重ねて実力を積み上げていくしかないようだ。

 

 そんな話をしているうちに、哨戒飛行は折り返しを過ぎて、ボルガ川を離れて内陸へと向かう。川から離れると、川沿いの緑地や、川に並行して走る道路も見えなくなって、一段と単調な景色が広がる。もっと訓練を積まないと本格的な戦闘が行われている地域には出られないことはわかったが、それでも景色が単調で、退屈な哨戒任務であることには変わりはない。

 

 ところが、単調なはずの景色の一角に、まるで胡麻塩をまき散らかしたように、小さな白い点々がびっしりと広がっていることに気付いた。

「清末さん、あれなんでしょう? ほら、あの白い点が一杯散らばってるの。」

 言われるまで気付かなかったらしい清末も、大概退屈して注意力が薄くなっていたのかもしれない。その清末も、カザフに着任してからの期間は佐々木とほとんど変わらないので、初めて見る景色のようだ。

「ほんとだ、見たことないな、何だろう。」

 わからないものを見付けた時は、降下して確認するにしくはない。

「佐々木、降下して確認して。」

「了解!」

 ちょっとでも変化があるのは楽しいものだ。佐々木は胸躍らせるような調子で、白い点々目指して降下を始める。

 

 降下するに従って、少しずつはっきりと見えてくる。どうやら白い点々の分布には粗密があって、決まった間隔で散っているわけではない。そればかりか、どうも白い点々には大きさに違いがあるようだ。大体は似たような大きさだが、中には一回りは小さいものがある。点々は真円ではなく、少し細長い形をしているようだ。さらに近付いてくると、白い点々はじっと止まっているわけではなく、ゆっくりと、時にもっと速く、動いていることがわかってくる。これは・・・。

「ヒツジだぁ。」

 佐々木が思わず声を上げた通り、上空からは白い点々にしか見えなかったのは、実はヒツジの群れだったのだ。草を求めてゆっくりと、あるいはもう少し早く移動している。集団で一つ方向に向かって動くと、草原に波が立ったようにも見える。一回り小さいのは子供だろう。一回り大きい、多分親だろうが、それに擦り寄るようにして歩いている。さらに一回り小さいのはイヌだ。土煙を蹴立てて走りながら、ヒツジが群れを離れるのを阻止して回っている。そして、もっと大きく土煙を立てているのは馬だ。馬に乗った人は巧みに手綱を捌きつつ、ヒツジの群れの周囲を回りながら群れを誘導している。

 

「ヒツジの放牧だね。」

「はい、初めて見ました。」

「わたしも。案外会えないものなんだね。そういえばこの頃はカザフの人たちも定住して農耕生活を送る人が増えてきて、遊牧生活をする人は減って来てるって聞いたから、そのせいで会えなくなってきているのかもね。」

「そうなんですね。」

 うなずきながら佐々木は気付く。単調で面白くない不毛の大地だと思っていた乾燥した草原は、ヒツジたちにとっては大事な餌場であり、遊牧する人たちにとっては生活の基盤なのだ。この草原地帯にネウロイが侵入してくれば、自由に遊牧することができなくなるし、遊牧するための広大な草原地帯がネウロイの手に落ちてしまえば、ここを生活の場にしている人たちはたちまち生活に困窮することだろう。守る必要があるか疑ったりした自分が恥ずかしい。退屈などと思ったのは大きな間違いで、この土地を守り、ここで生活する人や家畜を守り、そしてそこから生み出されるものを必要としている人たちを守るためにも、真剣に哨戒任務に励んで、少しでも早くネウロイを発見し、排除しなければならない。改めてそう思って草原を見渡すと、乾燥した草原も光り輝いているかのような気がした。



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第二十一話 佐々木軍曹の初戦果

大変長きに渡るご無沙汰でしたが、皆様新型コロナウィルスにも負けずにお変わりなくお過ごしでしょうか。
筆者はといえば、生活環境の変化から思うように執筆が進まず、これほど長い間隔が開く結果になってしまいました。まあ、ちょうど忙しい時期だったというのもあるのですが。
では、久しぶりではありますが、本編お楽しみください。
 


 今日の哨戒担当は栗田少尉と佐々木だ。栗田少尉と佐々木、中野はいずれも訓練学校を卒業してすぐにアティラウ派遣隊に配属されたために、実戦経験という意味では似たような立場だ。だからお互いに親しくなってもおかしくはないのだが、士官と下士官の立場の違いからあまり親しく話をする機会がない。ウィッチ部隊では一般にそれほど士官と下士官の別は厳しくなく、特に連合軍の混成部隊ではそうなのだが、ここは扶桑海軍単独の部隊ということもあって日常的な接点が少ない。栗田少尉が新任の少尉だから下士官との付き合い方がまだつかめていないということもある。だから佐々木はちょっと緊張気味に、栗田少尉の後に続いて離陸する。

 

 海軍では士官と下士官兵との区別はかなりはっきりしており、士官の役割は指揮、命令であり、下士官の役割は現場の実務だ。海軍の場合下士官兵は、砲術、水雷、航海、通信などそれぞれの専門技術者であり、下士官は特定の技術のスペシャリストとして養成されている。だから下士官から昇進した場合は通常の士官とは別の特務士官とされており、高度なスペシャリストとなっている。特務士官は実務のスペシャリストなので、士官と名前はついていても指揮命令権はない。だから特務大尉と少尉しかいなければ、少尉が指揮を執ることになる。逆に特務士官や下士官の職務である掌長に士官が就くことはないし、逆に就いたとしても現場の実務知識には疎いので役割を果たすことは難しい。だからとは必ずしも言えないが、士官と下士官兵とでは宿舎も別なら食事も別だ。狭い艦内でも居住区は明確に区分されている。

 

 一方の陸軍では、下士官から昇進した士官と士官学校出の士官との間に明確な区別はない。下士官上がりの中尉と士官学校出の少尉がいれば、指揮を執るのは中尉の方だ。陸軍でも士官と下士官兵との間で役割の区別や知識技能の違いはあるが、分隊長は下士官が務めるし、小隊長は士官が原則だが士官が欠ければ下士官が代行するなど、下士官も部隊指揮の経験をある程度積むことになるから、士官に昇進すれば士官学校出の新任士官よりむしろあてになったりする。さすがに宿舎が一緒ということにはならないが、戦場に出れば食事は兵から将官まで原則同じだったりもする。

 

 航空部隊の場合、特に戦闘機乗りの場合は、一度空に飛び上がってしまえば士官、下士官に関係なく腕の良し悪しが問われる面が大きいので、待遇に格差があると不満がたまりやすい。それはウィッチでも同様だ。殊にウィッチは数が少なく、年齢の差が小さいので、給与はともかく、士官と下士官にあまり差を付けずに、相互の連帯感を高めることが重要だ。もっとも、あまりなあなあになると肝心の時に指揮、統率が上手く行かなくなる恐れもあるので、加減が難しい。栗田少尉は新任なので、基本に忠実に馴れ合いにならないように下士官たちとは一定の距離感を保つよう心掛けている。もっとも、実戦経験豊富な清末や児玉と、どう接したら良いかわからなくて距離を置いているところもある。その点、今日は同じ新人の佐々木が一緒だから気が楽だ。佐々木が相手なら技量や経験に大差はなく、知識も階級も上なのだから自信をもって対応できる。

 

「栗田少尉、ネウロイいませんね。」

 佐々木はゆっくりと視線を周囲に配りながら、栗田少尉に声をかける。士官と下士官の違いはあっても、お互い新人同士だし、年もそう離れてはいないので、何となく気安く話しても許されそうな気がする。

「この辺りはまだ出ないでしょうね。」

 栗田少尉も気安く答える。佐々木相手なら緊張する要素はないし、まだアストラハンに向かう途上なのでネウロイが出没する可能性はほとんどない。この辺りにネウロイが出没するとしたら、アストラハンの防衛戦が突破されたということだから、発見したら一大事だ。もっとも一周回ってきてもネウロイを発見することは滅多にない。

 

 アストラハンを眼下に見ると、針路を北に変える。佐々木が嬉しそうに声を上げる。

「あっ、基地の人たちが手を振ってくれてますよ。おーい。」

 佐々木は上空を見上げて手を振っている基地の人たちに向かって、両腕を大きく振り返す。栗田少尉も一緒に手を振る。少し照れるが、基地の人たちにすればウィッチが定期的に見回りに来てくれるということは大きな安心感につながり、最前線で孤立している不安感を和らげてくれるのだから、私たちが見ているよということをアピールすることは重要だ。逆に、地上の人たちから手を振られると、自分たちが重要な任務を果たしているのだと、自分たちの自信にもつながるのだ。

 

 針路を北に変えると、ボルガ川が西へ離れて行き、それに伴って眼下には荒涼とした乾燥地帯が広がる。この先ほぼずっと同じような景色だ。それと同時にネウロイがいるかもしれない地域に入るので、眼下の哨戒は今まで以上に厳格に行わなければならない。だからと言って下ばかりを注視していてもいけない。派遣以来一度も出現していないとは言っても、飛行型ネウロイもいつ出現するかわからないので、周囲の空にも目を配らなければならない。神経質にならざるを得ない、緊張感の続く任務だ。

 

 やがて東に針路を変えても、同じような乾燥した大地が広がる。単調な景色の連続に、つい緊張感が切れそうになるが、両頬をぱちんと叩いて気合を入れ直す。ふと、前方遠く、砂煙が上がった気がした。佐々木は目を凝らす。背景に紛れそうな小さな点に過ぎないが、やはり何かいるように見える。この間見た家畜の群れとは違う。

「少尉、前方北側に何かいます。」

「えっ? どこ?」

 栗田少尉の声にも緊張感が漲る。

「接近して確認するよ。方向を指示して。」

「はい、もう少し北寄りです。」

 二人は加速してネウロイがいるかもしれない地点に向かう。見間違えでも構わない。ネウロイがいないことが確認できれば安心だ。しかし、ネウロイがいたのに見逃してしまったら最悪だ。

 

 近付くにつれ、また砂煙が上がったのが見えた。今度は確実で、何かいるのは間違いない。ネウロイに違いないと、栗田少尉は確信する。

「あれはネウロイだね。攻撃するよ。」

「はいっ!」

 いよいよ実戦だ。佐々木は緊張で頭がくらくらする。しかし緊張することはない。普段の訓練通りにやればいいのだと自分に言い聞かせる。

 

「隊長、栗田です。ネウロイらしきものを発見しました。接近して、確認でき次第攻撃します。」

「了解。気を付けてね。」

 栗田少尉が本部に報告している間にも、目標は次第に近付き、その姿がはっきり見えてくる。間違いなくネウロイだ。漆黒の脚が動くたびに、砂煙が小さく、時に大きく巻き上がる。

「攻撃する。」

「了解!」

 栗田少尉がネウロイめがけて降下に入る。佐々木も遅れてはならじと降下を始める。栗田少尉がネウロイにぐんぐん肉薄していく。ぐっと投下策を引いたのが見えて、爆弾がネウロイに向けて落ちて行くと、一呼吸おいて火柱が上がるとともに、ネウロイの破片がきらきらと光りながら飛び散った。

 

「やった!」

 しかし爆発煙が流れた後には、前部の脚の1本が砕け散ってつんのめるようにして動きを止めながらも、まだ健在なネウロイがいた。早くも脚の再生が始まっている。

「ネウロイ損傷、続けて攻撃します!」

 叫ぶように通信を送ると、佐々木は狙いすまして爆弾を投下する。ぐっと引き起こして地面をかすめるように退避する。背後から爆弾の炸裂する衝撃が伝わってくるが、振り返って命中したか確認する余裕はない。当たっていて欲しいと、佐々木は祈るような気持ちだ。

 

「ネウロイを破壊しました、作戦を終了します。」

 栗田少尉の通信が佐々木の耳に響く。

「栗田少尉! 当たったんですか!」

「ああ、命中したよ。見事破壊した。」

「やった! 初戦果! あっ、でも共同撃破ですよね。」

「いや、ネウロイは部分的に破壊してもすぐに再生するから戦果の内に入らない。佐々木軍曹の戦果だ。」

「はい、ありがとうございます。」

 中野は大分前に初戦果を記録していて、自分だけ取り残されている気がしていただけに喜びは大きい。佐々木は両手を握りしめて喜びを全身に感じた。

 

 帰還した栗田少尉は、報告のために安藤大尉の元を訪れる。

「失礼します。先に報告の通り、本日の哨戒中に地上型ネウロイ1機を発見、佐々木軍曹の爆撃で破壊しました。」

「はい、ご苦労さま。でも、栗田さんが上手に誘導してあげたから佐々木さんも爆弾を命中させられたんじゃないの?」

「いえ、佐々木軍曹の戦果です。日々訓練を重ねていますから、私の誘導がなくても命中させられたと思います。」

「はい、了解しました。じゃあ佐々木さんの戦果として記録しておくわね。」

 そう言う安藤大尉は、戦果を挙げたというのにちょっと愁いを含んでいるように見える。

「何か問題があったでしょうか?」

 少し心配そうに尋ねる栗田少尉に、安藤大尉は慌てて手を振る。

「ううん、栗田さんたちの今日の任務には何の問題もないわ。ただね・・・。」

「はい?」

「5日前にも地上型ネウロイを撃破したでしょう? ちょっとネウロイの出現間隔が近すぎるような気がして。何か大きな変化の兆しじゃないといいんだけれど・・・。」

 そう言って安藤大尉はどこか遠くを見るような眼をする。栗田少尉は何も答えることを思い付かず、ただ黙って立ち尽くすしかない。

 



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第二十二話 アクタウ派遣再び

「オラーシャ軍からアクタウ基地への応援要請が来ています。そこで再度アクタウ基地への派遣を行います。」

 そう説明する安藤大尉の視線が、清末と佐々木に向く。

「前回は児玉さんと中野さんに行ってもらいましたから、今回は清末さんと佐々木さんにお願いします。」

「了解しました。」

 佐々木は謹直そうな表情を作って答えるが、内心ではガッツポーズを固めている。先日初戦果を記録して以来、次の戦果を望む気持ちが大きく膨らんでいるのだ。中野の話ではアクタウ派遣の際には激しい戦いに巻き込まれたというから、戦果を挙げるチャンスには事欠かないだろう。しかし浮かれたところを見せたら清末にどやしつけられることは確実なので、重大な任務に緊張している風を装わなければならない。

 

「発進!」

 砂塵を蹴立てて滑走路を離れれば、すぐにカスピ海上空に出る。そういえばここに来てから、ずっと陸地上空ばかりを飛行していた。訓練では洋上飛行をみっちりとやらされていたことが思い出される。やはり海軍航空隊は洋上飛行が本業だ。水面に立つ波の様子から、風向、風力を読み取る訓練を繰り返した頃が懐かしい。今日のカスピ海は穏やかだ。南南西の風、風力2といったところか。

「佐々木、周囲の警戒を怠るなよ。」

 清末に言われてはっと気付く。南下すれば飛行型ネウロイの出没空域に入ってくる。これまで飛行型ネウロイはほぼ出現したことのない空域を飛んでいたので、ともすれば空への警戒がおざなりになっていなかったか。佐々木は気を引き締め直して、周囲の空に警戒の目を送る。

 

 幸いネウロイが出現することもなく、アクタウ基地の滑走路に滑り込んだ。ドスパノワ上級中尉がにこやかな表情で歩み寄ってくる。

「やあ、アクタウ基地にようこそ。歓迎するよ。長距離の飛行で疲れただろう。まずはゆっくりしてくれ。」

 そう言って二人を基地内に招じ入れる。

「わたしなんかでも歓迎してもらえるんですね。」

 佐々木は謙遜気味にそう言うが、人数の少ない小部隊としては当然だろう。

「そりゃそうだよ。ここは3人しかいないから、哨戒に出るのは1人が通常だし、ローテーション組むのも大変だからね。ほとんど休養日なんてないんじゃないかな。」

「あ、そうか。周囲を警戒する人が付いて来てくれるだけでも安心ですもんね。」

 まだまだ未熟な自分でも役に立つと思えば、佐々木も気分が良い。

 

「まずは腹ごしらえでもしてくれ。」

 ドスパノワ上級中尉は二人を食堂に案内する。二人が席に着くとすぐに料理が運ばれる。

「あ、ご飯だ。」

 嬉しそうに声を上げた佐々木の前には、赤く色付けされた肉や野菜の炒め物がご飯にかけられた料理が出されている。

「そう、扶桑人は米料理が好みと聞いたんでね。これはガンファンと言って、ピーマンや羊肉を炒めてトマト味に仕上げたものを米にかけたものだ。」

 ドスパノワ上級中尉の料理の説明に、清末が尋ねる。

「カザフではよくお米を食べるんですか?」

「いや、小麦が主だ。これも、小麦の麺に同じものをかけたラグマンという料理の方が一般的だな。でも米も普通に食べるぞ。代表的な米料理には肉やニンジンと油を入れた炊き込みご飯のプロフがある。」

 米料理が一般的とは親近感がわく。ガンファンという料理の名前が、なんとなく『ごはん』に似ているのも良い。それだけではなく、普通にお米を食べているのなら、お米を提供してもらうことも可能なのではないか。まあ、見たところお米とはいっても扶桑で一般的な単粒種ではないようなので、扶桑式に炊いて食べるのにはあまり向いていないかもしれないが。

 

 食事の後、一息ついたら明日からの打ち合わせで、ユーリアとナスチャも同席する。ユーリアとは清末と佐々木は初対面なのであいさつを交わす。中野から聞いてはいたが、はっとするほど綺麗な子だと、佐々木はつい見とれてしまう。しかし、見とれている場合ではない。

「我々の任務はカスピ海上空を哨戒して、カスピ海を航行する船舶を護衛することだ。扶桑隊には一緒に飛んで哨戒の手助けをしてもらうことと、狙撃中の隊員を護衛してもらうことをお願いしたい。」

 佐々木でも務まりそうな任務だ。一方であくまでオラーシャ隊の隊員が任務の中心で、扶桑隊はサポート役を担うことから、戦果を挙げることはあまり期待できない。

「明日はナスチャが出てくれ。」

「それじゃあこちらは佐々木軍曹を出しますね。」

 ドスパノワ上級中尉と清末との簡単な話し合いで明日のメンバーが決まっていく。いざ自分が指名されてみると、務まりそうな任務だとは思っていても、佐々木は緊張を禁じ得ない。

 

 

 そして翌日、ナスチャ・モルダグロバ軍曹と、佐々木津祢子軍曹の軍曹ペアの出撃だ。同じ階級同士でお互いに気が楽だ。しかもモルダグロバがアティラウに派遣されたとき、モルダグロバと佐々木は一緒に出撃したことがあるからなおさらだ。敵さえ出なければ、気楽な哨戒任務になることだろう。周囲を見回しながら、佐々木が尋ねる。

「モルダグロバさんは、隠れているネウロイも発見できるって、前にアティラウに来た時に言ってたけど、やっぱりその能力でネウロイを発見するの?」

「ううん、空には隠れる所がないから、特に役に立たないわ。そうね、雲の中にいるのが見えることがある程度かしら。」

「ああそうなんだ。でもそれって見逃しにくいってことだよね。」

「うん、まあそうなんだけど・・・。でも私は陸地の任務の方が良いな。」

「そう? なんかこう、空中戦ってスマートって言うか、格好いい感じがする。」

「そうかなあ、空中戦って外したり、逃がしたりしやすいから、あんまり好きじゃないわよ。地上型は確実に仕留められるから、そっちの方が良いよ。」

 戦いの難易度を意識するモルダグロバと、見た目の雰囲気にとらわれる佐々木。やっぱり佐々木はまだまだ勉強が必要だ。

 

「あっ、ネウロイ!」

 自信はないが、確かに空中を何かが動いている。こんなところに出現するのはネウロイに決まっている。そう思った佐々木にモルダグロバも同意する。

「うん、ネウロイだね。」

 モルダグロバは対装甲ライフルを構えつつ、ネウロイの方角に向かう。近付くにつれてネウロイの様子がよく見えてくる。凡そ前後に長い三角形のような形状だが、各辺が曲線を描く三角形だ。先の尖った爪のような形、といった例えが近いだろうか。それが海上を東に向かって飛んでくる。恐らく輸送船を狙っているのだろう。そうはさせられない。モルダグロバがガチャリと音を立てて槓桿を引いた。モルダグロバが射撃に意識を取られている今が一番危ないタイミングだと、佐々木は周囲をくまなく見回す。幸い他に敵は見当たらない。モルダグロバが引き金を引く。発砲音を響かせて飛び出した銃弾は、鋭く空間を切り裂いて飛翔すると、ネウロイの装甲を突き破って反対側まで貫通する。次の瞬間、甲高い音を立ててネウロイは砕け散り、きらきらと輝く小片を辺りにまき散らす。輝く小片は広がりながら海面に向かって尾を引くように落ちていく。なんだか柳の枝が風に揺れているようだ。

「ナスチャさん、お見事ですね。」

 嬉しさのあまり、無意識に名前呼びになっている。

「ううん、そんな自慢するほどのものじゃないわ。」

 モルダグロバは謙遜するが、佐々木からすれば眩しい思いだ。そして、仲間が撃墜するのを見ているのは、それはそれで心躍る思いのするものだ。その一方で、モルダグロバの撃墜シーンを見て、改めて思う、自分も早く撃墜したいと。果たしてそのチャンスは、そう遠くないうちに佐々木に巡ってくるのだろうか。



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第二十三話 コーカサス戦線再び

「行ってらっしゃい。」

 アクタウ基地の滑走路脇で佐々木が手を振る。今日の哨戒はユーリア・シャーニナ上級軍曹と清末曹長のペアだ。清末は小さく手を振り返すと滑走路を離れて舞い上がる。今日の空の雲は少なく、見通しは良く、哨戒日和と言って良いだろう。まあ、こういう哨戒には条件の良い日に限って空振りだったりするのだが。

 

 出撃を見送ればこれと言ってやることもない。部隊ごとに訓練などのやり方は違うから、手が空いているから基地に残っているモルダグロバと一緒に模擬空戦でもやろうか、というわけにはいかない。日々過酷な訓練が繰り返される普段のアティラウ基地勤務とは別世界で、なんだかのんびりしてくる。上の瞼がじんわりと重くなってきて・・・、いや、待機中だから居眠りをするのはまずい。

 

 突然甲高いサイレンが鳴り渡った。

「手の空いているウィッチは作戦室に集合!」

 叫ぶような調子で伝達しながら、伝令が足音も高らかに廊下を走っていく。これはただ事ではない。廊下に飛び出すとモルダグロバも出てきたところだ。

「ナスチャさん、一体何なんですか?」

 佐々木は問いかけるが、ナスチャも何が起きたのかはわからないようだ。

「わからない、とにかく急ごう。」

 二人は作戦室へと急ぐ。

 

 作戦室に飛び込むと、間髪入れずにドスパノワ上級中尉の命令が迎える。

「全機発進!」

「了解!」

 二人は踵を返すと、飛び込んだその足で格納庫へと飛び出して行く。ドスパノワ上級中尉が格納庫に向かいながら状況を説明する。

「ネウロイの襲撃だ。カスピ海対岸のマハチカラ付近にネウロイが襲撃を仕掛けてきている。505部隊は250㎞ほど西方のブラジカフカス付近に襲撃してきたネウロイの集団を迎撃中で、戻って来るのには時間がかかる。それまで我々が防ぐぞ。」

「はい! 了解しました!」

 ブラジカフカスは、コーカサス山脈を越える街道の、北の入り口を扼する重要な位置にある。一方マハチカラは、カスピ海沿いの低地を守る重要な拠点だ。その両方に同時に攻勢を仕掛けてきたのなら、これは乾坤一擲の大攻勢かもしれない。そんな思いを巡らすうちに、格納庫は目の前だ。次々と格納庫に駆け込んだ後には魔法力の淡い光が灯り、間髪を入れずに魔導エンジンがうなりを上げる。

「続け! 発進!」

 ドスパノワ上級中尉の雄々しい声が格納庫に反響すれば、ウィッチたちは矢のように飛び出して行く。上昇しながら緊密な編隊を組むと、2か国の合同部隊とは思えないような綺麗な隊形のまま西を目指す。

 

 哨戒を途中で打ち切ったシャーニナと清末が合流してくると、戦場は近い。前方に横たわる大陸の一角から黒煙が上がっているのが見える。

「地上部隊も良く防いでいるようだな。」

 ドスパノワ上級中尉がつぶやくように言う。防衛線が突破されてネウロイの侵攻を許せば、それだけ被害を受ける地域が広がって、炎上する町や施設が広範に及ぶことになるから、それだけ黒煙も広範に広がることになる。まだそうなっていないということは、地上部隊がネウロイの侵攻を許していないということだ。

 

「ユーリアとナスチャは地上型ネウロイを狙撃しろ。ハルエとツネコは飛行型ネウロイを撃退しろ。主力が到着するまで戦線を守り切れ。」

 ドスパノワ上級中尉は簡潔に命令すると、それぞれ攻撃態勢を取ろうとする部下たちを尻目に、さっとダイブに入る。飛行型ネウロイからのビームが交錯するが、それをものともせずに降下すると、左右のユニットに装着した爆弾を投下する。2発の爆弾は相次いで炸裂し、それぞれに地上型ネウロイを砕けさせる。ビームの隙間を縫うように戻ってきたドスパノワ上級中尉は、機銃を構えながら憎々しげに言葉を吐く。

「ちっ、これだけ数がいると爆弾じゃあはかがいかないな。」

 爆弾は威力があるので確実にネウロイを破壊できるが、携行できる数はせいぜい2発なので、今回のようにネウロイが多数出てきた場合にはすぐに使い果たしてしまう。後はユーリアとナスチャの狙撃に期待する他はない。

 

 続いて、ユーリアとナスチャが狙撃を始める。今しも陣地に襲い掛かろうとしていた地上型ネウロイが、狙撃に貫通されて片脚を振り上げたままで砕け散る。ビームを放とうとしていた地上型ネウロイが、コアを撃ち砕かれて四散する。脚を撃ち折られたネウロイが横転して盛大に土煙を上げる。ドスパノワ上級中尉の爆撃に続く狙撃の連射で、地上部隊の陣地を踏み破る直前で、地上型ネウロイの一団の侵攻を食い止めた。

 

「佐々木、私たちも行くよ。」

「はい!」

 ぐっと加速して飛び出した清末を追って、佐々木も加速する。

「佐々木。とにかくついてくることを第一優先にして。それから周囲の、特に後方の見張り、その次にわたしが撃ったら佐々木も撃つ。いいか、この優先順位を間違えないようにしろよ。」

「はい! 了解しました!」

 佐々木が答えるや否や、清末が急角度で右旋回に入る。佐々木が追いすがりながら旋回する先を見ると、1機の飛行型ネウロイが一直線に飛んでいる。向かう先は、地上型ネウロイを狙撃しているナスチャだ。これは是が非でも落とさなければならない。飛行型ネウロイにぐんぐん肉薄し、ネウロイを正面の捉えた、と思った瞬間清末の機銃が火を噴く。あっと思った次の瞬間、清末はぐっと体を傾けて左旋回に入る。佐々木は、落とすとか当てるとか以前に、引き金を引く暇もなかったことが衝撃だ。空中戦はまさに一瞬の勝負だ。後ろでネウロイの砕け散る、甲高い音が聞こえた。

 

 マハチカラ上空に至れば多数の飛行型ネウロイが縦横に乱舞している。佐々木は目標を定められずに目をきょろきょろさせているが、さすが清末は慣れたものだ。ネウロイの背後を取り、鼻先を押さえ、死角を捉えて次々とネウロイに銃撃を浴びせかける。後を追う佐々木は悔しいが引き金を引くタイミングをつかめない。個々の運動の狙いがつかめていないため、突然ネウロイが目の前に現れる形となり、狙う暇もなく次の機動へ移らなければならない。このままでは、周囲には目標が溢れているのに、結局戦果ゼロで終わることになりかねない。とにかく先を見て次の動作に備えなければと、佐々木は旋回しながら思い切り首をひねってその先を見る。

「しめた。」

 佐々木は小さく呟きながらほくそ笑む。首をひねって見た先には、ネウロイの2機編隊がいた。これなら、清末が1番気を落としている間に、2番気を攻撃することができる。このチャンスに是非とも戦果を記録したい。

 

 少しでも早くネウロイに照準を合わせられるよう、予め機銃を構えて照準器をのぞき込んでいた、その照準器にネウロイが入った。すかさず引き金を引くと、銃口から飛び出した曳光弾の光の軌跡が、ネウロイに向かって真っすぐに進んだかと思うとすっとそれる。引き金を引くのが早過ぎた。まだ旋回を終わらないうちに引き金を引いたから、機銃弾が流れるのだ。今度こそ、と念じて再び引き金を引く。曳光弾の軌跡がネウロイの上部装甲へと突き刺さる。ぱっ、ぱっ、と装甲の破片が飛び散るのが見える。当たれ! 当たれ! 砕け散れ! そう念じながら引き金を力一杯引き絞る。装甲が砕けた下からコアの赤い光が不気味に光ったかと思うと、続く機銃弾がコアに命中しネウロイは一息に砕け散った。

「やった、初撃墜だ!」

 きらきらと光を反射しながら広がる破片の中を、曳光弾の軌跡が貫いて行く。破壊した後で撃った分は完全に無駄弾だが、何しろ初撃墜なのだからそれは仕方がないだろう。次はもう少しうまくできれば良い。

 

「佐々木! 回避しろ!」

 突然インカムから清末の怒鳴り声が響く。ぎょっとして見回せば、指呼の間にネウロイが迫っている。咄嗟にシールドを展開すれば、直後に強い衝撃とともにビームがシールドを打つ。

「馬鹿、なんでついてこないんだ。」

 佐々木のなじる声が胸に刺さる。目の前のネウロイを撃墜することに夢中になって、清末の後を追うことも、周囲を監視することも、直線的な飛行は最小限に止めることも、全ておろそかになっていた。

 

 ガンッ、とハンマーで殴られたような衝撃を右足に受けて、足が弾き飛ばされた。足が折れるか、千切れるかという程の衝撃で、もう姿勢はめちゃくちゃだ。右のストライカーユニットに被弾したようだ。ぐるぐると振り回されながら落ちていく。火災は・・・、うまく装甲板に当たったようで、ストライカーユニットは火を噴いてはいない。だがもちろん、ユニットは大きくひしゃげて漏れた潤滑油が飛び散り、最早うんともすんとも言わずにただ落ちていくだけだ。高い高度から見れば緑の絨毯のように見えてふわりと受け止めてくれそうにも思えた地表も、落ちてみれば太い枝を広げた木々の連なりだ。バキバキと音を立てて折れる木の枝が次々に体を強打する。最後に一段と強い衝撃を受けて、佐々木は意識を失った。耳元で響いているはずのインカム越しの清末の叫び声が、はるか遠くで鳴っている音のように遠ざかっていく。



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第二十四話 孤立無援で絶体絶命

 ふと意識が戻った。ぼんやりと開いた眼には、立ち並ぶ木々が広げた枝々の間からのぞく空の青さが沁みてくる。白い雲がぽっかりと浮かんで、風に乗って流れていく。ぼおっとした頭で、なんだかのどかな景色だな、などと思ってみる。頭にかかった靄のようなものが徐々に晴れていくと、遠ざかっていた音が戻ってきた。空気を切り裂くような風切り音、連続する射撃音、断続する爆発音。

「まだ戦闘中だ!」

 ようやく意識がはっきりしてきた佐々木は、自分の置かれた状況を思い出してがばっと身を起こす。

 

「ううっ、痛い。」

 身を起こそうとすると体中のあちこちがひどく痛む。当たり前だ、あれだけ木の枝に叩かれた挙句、地面に落下したのだから。それにしてもまあ魔法力の身体強化の力はたいしたもので、あれだけの高さから墜落したのだから、途中で枝にぶつかって勢いが減殺されていたにしても、地面に激突した衝撃で即死していたっておかしくない。それが、全身に無数の打撲傷や擦過傷があるにしても、骨折もせずに五体満足でいられるのだから、魔法力の持つ力に心から感謝しなければならない。また、魔法繊維が編み込まれた軍服もたいしたもので、軍服で包まれた部分には打撲はあっても傷はない。

 

 全身至るところの痛みに耐えて、だましだまし身を起こして周囲を見回せば、周囲には大木が立ち並んでいて遠くまでは見通せない。目に入る人工物は足元に転がっているストライカーユニットくらいのものだ。そして右のユニットは、空中でちらっと見た通り、被弾した箇所で大きくゆがんでいて、どう見ても再び動かすのは無理だ。左のユニットは幾分ましだが、めくれ上がった外板の隙間に折れた木の枝が突き立っていて、とても応急修理で動かせそうにはない。耳に入っていたはずのインカムは、どこかへ飛んで行ってしまったようで見当たらない。どうやら最後まで握りしめていたようで、機銃には目に付くような損傷がないのがせめてもの慰めだが、飛ぶのはどう見ても無理なのだから、仲間たちがまだ戦闘中だといっても、戦闘に復帰するのはあきらめなければならない。

 

「さて、どうやって基地に帰ろう? っていうか、ここどこ?」

 アクタウ基地に派遣されたのが初めてなら、カスピ海を渡ってコーカサス地域に来たのも初めてで、土地勘が全くない。ここがどこで、どっちの方向に行けば味方の基地があるのか、見当もつかない。痛む体を抱えて、味方の基地をあてどなく探し回らなければならないのかと思うと絶望感しかない。

「ユニットは・・・、後で取りに来ればいいよね?」

 置いたままこの場を離れたら戻ってこられる気がしないが、ストライカーユニットはかなり重いのだ。生産数が少なくて貴重なことも、非常に高価なことも、本国から改めて取り寄せるとなると相当の期間が必要になることもわかってはいるが、ちょっと今の状態で担いで歩き回れる気がしない。無くしたことを報告した時の清末の怒る顔が目に浮かぶようだ。

 

 ずしん、と重々しい音がして、地面が揺れた気がした。

「えっ? なに?」

 きょろきょろと周囲を見回すと、再び地響きがして木の梢がぶるぶると震えた。そしてその向こう側から、黒く硬質の何かがぬっと姿を見せると、地響きを立てて地面に突き立てられる。

「あれはネウロイ!」

 木々の陰から姿を見せたものは、地上型ネウロイの脚部にそっくりだ。続いてめきめきと音を立てて太い木を押し倒しながら、地上型ネウロイの本体が姿を現した。

 

 タタタン、タタタンと反射的に機銃を連射する。機銃弾が命中するとネウロイの装甲が砕けて、破片が光を反射しながら散っていく。しかし、すぐに反撃のビームが来た。

「わっ!」

 佐々木は慌てて身を伏せる。ビームが近くの地面に命中して盛大に土砂を振りまいた。すぐに次のビームが来て、今度はもっと近くに着弾して頭から土砂を浴びせかけられた。一か所に留まっていては危ない。ぱっと地面を蹴ると、大木の根方に身を潜める。ビームが一撃で大木を薙ぎ払い、倒れた幹が地響きを立てる。

「これでもくらえ!」

 一方的にやられてばかりはいられない。佐々木は折られた木の陰から機銃をネウロイに向け、断続的に機銃弾を叩きこむ。即座に反撃のビームが来て、すぐ近くに着弾する。爆風で息が苦しい。やり返そうと構える間もなく、別の方角からもビームが来た。ネウロイは1体ではないらしく、それが集中して自分を狙ってきている。

「だめだ。銃撃すると位置が特定される。」

 撃てば撃つほどビームが自分の所へ集中してくる。これではとても戦いにならない。とにかくこの場を離れようと、佐々木は身を低くしてネウロイから離れる方向へ走って逃げる。と、正面の木々がめきめきと押し倒され、新手の地上型ネウロイがぬっと顔を出す。近い。佐々木は咄嗟に自分の体を地面に叩き付けるように身を伏せる。

「無理だ。走って逃げるのなんか無理だ。」

 素早く身を伏せたつもりだが、正面近くのネウロイは自分に気付いただろうか。少なくとも他に左やや後方と、ほぼ真後ろにネウロイがいて、自分を追ってきている。このまま囲まれてネウロイの餌食になるしかないのか。撃ち落されてもそんなに酷い怪我はせず運が良かったと思ったが、どうやらその幸運もここまでらしい。インカムはどこかに行ってしまったから、助けを呼ぶこともできない。森の中に落ちたから、上空からでは今いる場所を特定するのも難しかろう。孤立無援の中、ネウロイに囲まれてもはや逃れる術もなく、絶体絶命のピンチだ。地響きが近くなってきた気がする。

「お父さん・・・、お母さん・・・。」

 もう二度と両親にも会えない。両目から自然と涙があふれてくる。戦死の報を受けて、両親は何て言うだろう。せめて名誉の戦死と褒めてもらいたい。

 

 不意に甲高い破壊音が響き渡る。はっとして顔を上げれば、間近に迫っていたネウロイが今しも崩壊しているところだ。

「えっ? どうして?」

 目を丸くする佐々木の耳に無限軌道のきしむ音が響く。

「もう一丁!」

 掛け声と同時に砲声が響く。ネウロイが近くまで迫っていたので、発砲音の直後に着弾する。続けて砕け散ったネウロイの破片が佐々木の頭上に降り注ぐ。

「わっ、わっ。」

 破壊されたネウロイが近いせいで、降り注ぐ破片はまだ細かくならないうちに落ちてくる。もしも当たったらただでは済みそうにない。ストライカーユニットを穿いている時のように華麗に回避することもできず、ごろごろ転がって破片を避ける佐々木は泥まみれだ。

 

 そんな佐々木を尻目に、陸戦ユニットを穿いた一人のウィッチが、木々の間を縫うように走る。余程のベテランなのか、ちらりと振り返って佐々木を見た横顔には、これだけの数のネウロイを前にしていながら余裕が感じられる。陸戦ユニットの側面には太陽と月のマーク、扶桑の陸戦ウィッチだ。佐々木は海軍だから、陸戦ウィッチは初めて見た。地面を蹴立てて走る陸戦ウィッチは、速度は飛行するのに比べればずっと遅いはずなのだが、それを感じさせない機敏な動きでネウロイのビームを回避しながら見る見る肉薄して行く。また発砲、そしてネウロイが破壊される。あれよあれよと見守るうちに、視界内にネウロイは見当たらなくなった。

 

「やあ、大丈夫? でもこんなところに人がいたからびっくりしたよ。」

 戻ってきた陸戦ウィッチが声をかけてきた。佐々木は泥まみれのまま慌てて姿勢を正す。

「はいっ! 危ないところを助けていただきありがとうございました。」

「いやあ、別に君を助けに来たんじゃなくて、攻め込んでくるネウロイを撃退しに来たら、たまたま君がいただけんだけどね。」

「いえ、それでもありがとうございます。私は海軍なので、陸戦ウィッチの方は初めて見ました。わたしも戦ったんですけれど全然歯が立たなくて・・・。それをあっという間にやっつけちゃうなんて、凄いです!」

 興奮する佐々木に陸戦ウィッチはちょっと照れた風だ。

「まあ、経験は積んでるからね。でもわたし、陸軍だけど陸戦ウィッチじゃないよ。」

「え? というと・・・?」

「わたしは、原隊は扶桑皇国陸軍飛行第50戦隊で、連合軍第505統合戦闘航空団、ミラージュウィッチーズ所属の犬房由乃准尉だよ。もう21歳で飛ぶのがきつくなってきたから、今日は昔使ってた陸戦ユニットで出てきたんだ。」

「あっ、空でも陸でも戦えるんですね。凄いです。そうだ、わたし名乗っていませんでしたね。私は扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊所属の佐々木津祢子軍曹です。オラーシャ軍のアクタウ基地に応援に来ていて撃墜されました。」

「あはは、撃墜されちゃったんだ。でも大した怪我がなかったみたいで良かったね。でもどろどろだね。一度基地に帰った方がいいなぁ。」

「あ、はい、お世話になります。」

 

 ぴょこんと頭を下げた佐々木だったが、正直なところ、もう立っているのも難しいほどふらふらだ。絶体絶命と覚悟を固めた、その緊張が急激に解けてきて、安心のあまり意識が遠のく。しかし、犬房の次の言葉で意識を引き戻される。

「部隊にはもう報告した?」

「あっ、そうでした、インカムがどこかへ行ってしまったから、まだ報告できていないんでした。」

「そうなんだ。じゃあわたしが連絡してあげるよ。報告は大事だよ。前に撃墜されて報告が出来なかったとき、戦死扱いになってたことがあるからね。」

「ええっ? 戦死になるのは嫌です。お願いします。」

 勢いよく頭を下げた拍子に、背中がずきっと痛む。

「ううっ、痛い。」

「ああ、気を付けてね。しばらくは痛むと思うよ。」

 はい、と答えて頭を下げながら、佐々木は今日は随分色々なことがあったと思う。まるで1日で1年分の経験をしたような気がする。まあそれでも、こうして一応無事でいるのだから、やっぱり自分は運が良かったのだろう。



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