二葉あおいは懊悩する【完結】 (草陰)
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1話 見方を変えればドラマチック

 

 

 

 

 

<--------キリトリセン--------->

 

 アローン襲来。

 示現エンジンを破壊せんと向かってくる正体不明の巨大敵生態に立ち向かうは、人類が誇る空海戦力。掛け値なしに世界最強の練度を誇る最新鋭の近代兵装で固めた部隊が束になっても、しかしアローンには歯がたたない。このまま示現エンジン終了まったなしかと思われたその時、ふたつの影がアローンの前に立ちふさがる。一色健次郎博士が作った対アローン用兵装「パレットスーツ」を着た、一色博士の孫とその友人であった。「パレットスーツ」を着たふたりは、ミサイルですらびくともしないアローンをゴミのように叩き落としていく。勝利は間近かと思われたその時、ふたりに一色健次郎博士からの連絡が入る。

 

<---------キリトリセン---------->

 

 

 

 モニター越しに一色健次郎博士は大声をあげる。

 どうみてもカワウソにしかみえないが、なんか色々あったのだろう。

 戦艦のミサイルが直撃しても平然としているような敵。

 そんなのとつい最近まで病気療養していた自分がほぼ徒手空拳で戦えているのだ。

 この時点で二葉あおいは半ば思考を放棄していた。こまけぇこたあいいんだよ。

 しかし次なる言葉は聞き捨てならなかった。ドッキング。その方法。

 

「チューするんじゃ!」

 

 チュー。接吻いわゆるキス――なにをいってるんだこのジジイは。

 二葉あおいの脳は高速回転していく。チュー。

 ドッキングってあれか、つまりはそういうことだったのか。

 この空でみんなに見られながらやれと。目の前には女の子みたいな顔をした想い人の姿。

 

 一色あかね"くん"と、チュー。

 

 もう一度いう。なにをいってるんだこのジジイは。

 そもそも服装の段階でおかしいと思うべきだったのだ、鼓笛隊が着るような服にスパッツって。これもしかしてあの博士の趣味か? 初恋の人の祖父は変態なのか。

 男の孫に女装させてる時点でちょっと変だなと思っていたが、本物だったのか。

 祖父が世界的な科学者だから、結婚するときに父親を説得しやすいとか思ってたけど。

 こんな変態と親族になるのは嫌だ。いやしかし使えるものは親でも使えというし。

 あおいは頭を抱えてもだえはじめる。変態の声が聞こえてきた。

 

「あおいちゃんはどうしたんじゃ?」

「そりゃあ、女の子にいきなり"チューしろ"はキツイよ爺ちゃん……。ほかに方法はないの?」

 

 呆れた声で祖父に問いかけるあかね君。

 あかね君のやさしさにあおいは涙がちょちょぎれそうになる。

 しかし変態の声はにべもない。

 

「ないのう」

「そうか、じゃあしかたないか……」

 

 あきらめるの早いよあかね君。

 今度はちがう意味であおいは涙がちょちょぎれそうになる。

 申し訳なさそうな顔をして、あかねはあおいにいう。

 

「ごめんあおいちゃん。そんなわけだから、オレとチューしてもらえないかな?」

「で、でも、その……わたし、ふぁ、ファーストキスだし……」

 

 もじもじとあおい。このタイミングでなんでこんなカミングアウトをしなけりゃならないのか。

 こういうやりとりは、せめてもっとムードのあるところでやりたかった。

 たとえばホテルの一室。夜景広がる窓の前のベッドに並んで腰掛けるふたり。

 あおいは緊張と期待に心を震わせながら、瞳をうるわせ、上目遣いであかねにいうのだ。

 

『あかねくん、わたし初めてなの……』

『僕もさ。だから緊張しないで、あおいちゃん。全部ぼくにまかせて……』

『あかねくん……ぁ……」

 

 重なりあうふたつの影。そうしてふたりは結ばれるのだ。

 しかし現実はといえばミサイル飛び交う戦場。

 あかねはあおいの両手を掴む。真剣な眼差し。ドキリと跳ねるあおいの心臓。

 

「オレに、あおいちゃんのファーストキスをくれ」

「あ、あかねきゅん……!」

 

 あかねの男らしい言葉に、あおいの瞳は潤む。

 今さら書くまでもないだろうが、二葉あおいは一色あかね(♂)に恋している。

 身体の方はキスどころかその先の準備もOKって感じだったが、二葉あおいの心はどこまでも乙女だった。勢いに任せてだなんていやだった。愛するからこそムードをなんて思ってしまうのだ。

 

「あの、だって、その……き、きたないよ!」

 

 あおいは自分で口にしてなにをいってるのかと思った。

 いざというときにそなえて出かけてくる前にいつもより入念に歯を磨いてきたのに。舌の上まで丹念に磨いてきたくらいだ。ゴシゴシ。っていうか客観的に考えるとマジでなにやってるんだろうかと自分で自分に疑問を抱くあおい。

 

「あおいちゃんにきたないところなんてないよ!」

 

 あかねの力強い言葉。すぐ側でドカーンなんて音を立てながら戦闘機が落ちていく。

 米国の最新鋭戦闘機で一機たしか250億円。運用できるパイロット育成費用が6億円。彼らが死ねば2階級特進で国からの年金は多めに出るだろう。

 そんなあらゆる意味で税金の塊がバンバン落ちている。すぐ横でバンバン。

 このままでは借金大国日本がますます借金をこさえてしまうではないか――と、そこまで考えてからようやく"人命"の二文字が脳裏に浮かんだ。

 あおいは強烈な自己嫌悪に陥る。命の価値すら即座に金勘定してしまう自分が嫌だった。

 

(そうだ、わたしが悩んでるあいだにもたくさんの人が死んでいくんだ。ちゅ、チューくらい!)

 

 あおいは覚悟を決める。やるしかないのだ。

 

「あかねくん! きて!」

 

 両手を下げて、あかねを受け入れる姿勢をとる。覚悟完了。

 あかねがあおいの両肩に手を添える。瞳を閉じて、あおいは顔をくいっと上に持ち上げた。早鐘を打つ心臓。これから世界のために唇を重ねて舌をからめあって歯列をなぞりあいつつ唾液を交換しながら公開ドッキングするのだ。世界のためだからしかたない。世界のためだから。

 

「いくよ、あおいちゃん」

「うん……」

 

 ゆっくりとあかねが近づいてくる気配がして、そして――

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 結論からいえば、ドッキングは成功し、アローンは撃破された。

 あかねとあおいの唇が重なりかけたそのとき、健次郎博士はいったのだ。

 

「チューするのはおでこじゃぞ!」

「あ、そうなの? 爺ちゃん」

 

 てなわけで、あかねはあっさりとあおいの額にチューした。

 その後の戦闘は当然のように勝ったのだが。

 あおいは恥ずかしかった。自分の勘違いがひたすらに恥ずかしかった。

 変態扱いしてごめんなさい健次郎博士。

 ただセンスがちょっとおかしいだけだったんですね。

 よくよく考えれば女装してるあかね君の格好はすごくありだと思います。

 戦闘終了直後、目の前には当の女装したあかねが浮いている。

 なぜだか、こころなし浮かない表情だった。

 

「あおいちゃん」

「な、なに?」

 

 うつむきがちにあおいをみるあかね。少しためらいがちだった。

 そういえば、と思いだす。ドッキングではたがいの思考を交換し合ったのだ。

 あおいは上手いことあかねの入浴シーンの映像を取り出して「ぐへへ」なんて思っていたが。

 あかねはいったい自分のなにをみたのか。まさか――瞬間、"失恋"の二文字が脳裏に浮かんだ。

 やだ、聞きたくない。耳をふさいでしまいたい。

 だけど現実から逃げることは出来ないのだ。

 あかねにだって異性の好みはあるだろう。

 自分が選ばれない可能性はあって当然だし、覚悟もしていた。

 でもそれは、ちゃんと告白して、その上で断られるつもりの話であって。

 こんないきなり頭のなかを覗かれて一方的に断られるなんて、そんなの残酷すぎる。

 軽い気もちでドッキングなんてするんじゃなかった。

 「貞操は大事にしなさい」といった父の言葉は正しかったのだ。あおいの視界がにじむ。

 

「あおいちゃんって……実はトマトがすっごく嫌いだったんだね」

「……え?」

「いってくれればよかったのにー」

 

 あっけらかんと笑うあかねに、あおいはポカンとする。

 浮かない表情に見えたが、それはただ言いよどんでいただけだったのだとわかった。

 いや、しかし。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 あやまるあおい。今度はあかねがポカーンとした表情を浮かべる。

 

「え? なんであやまるの?」

「だって……」

 

 あかねのトマト好きは知ってる。

 だというのに。あおいはぽつぽつと口を開く。

 

「あかね君とお友だちになりたいからって、トマトが好きだなんてうそついて……」

「んー、本当のこというとね。トマトのことは前からなんとなくわかってたんだ」

「え?」

「だってさ、給食の時間とかトマトみて固まってたりしたじゃないか。バレバレだよ」

「そ、そうだったんだ……」

 

 そんなにわかりやすかったのか自分。あおいは凹む。

 

「でも、そこまでしてオレと友だちになりたかったんだなって。その、なんていうか……うれしかったな」

 

 頬をかきかき、照れた笑顔でそういうあかねの姿に――あおいはズキューンと胸を打たれた。

 

「は、反則だよあかねきゅん……」

 

 そんなことを呟きながら、胸を押さえてハァハァとあえぐあおい。

 

「それより、オレの方こそごめん。そんなにトマトが嫌いなのに、いじわるして」

「ううん。いいの、うれしかったから!」

「う、うれしかった?」

「うん。あかねくんがわたしにいじわるしてくれて、うれしかったの!」

 

 怪訝な表情をうかべるあかね。あおいの言葉の意味がわからないようだった。

 正直にいって、あかねからいじわるをされたおぼえはない。

 ただ思い返せば、あれがそうだったのかなという場面は幾度かあった。

 しかし、それであおいが涙目になったりすると急にオロオロし始めるのだ。

 その姿が、あおいにはもう愛しく愛しくてしょうがなかった。

 まして、あれはいじわるだったというのだ! やさしくてかわいいあかねきゅんが、自分にいじわるをしたのだ! 小さい男の子というのは好きな女の子にいじわるしてしまうものらしい。あおいの身体は興奮でぞくぞくしてきた。

 未だに怪訝な表情を浮かべるあかねに、あおいはにこりと笑いかける。

 それだけで安心した表情になる単純さも愛しい。あかねは笑顔を浮かべていう。

 

「あおいちゃん」

「なに?」

「これからもずっと仲のいい友だちでいようね!」

「うん! ……うん?」

 

 あかねの言葉に力強く頷いて、あおいはハッとする。

 

「ず、ずっと友だちって……」

「……え、いやだった?」

「そんなことない! そんなことないけど……」

 

 今のところ自分はあかねにとってそういう対象ではないどころか。

 

(眼中に……ない)

 

 ぶっちゃけあおいは自らの容姿に自信があった。

 付き合いだって長いし仲もいい。

 額とはいえチューまでしたのだから、多少は意識されただろうと思っていたのに。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 顔を右手でかくして、ルルーシュがごとく笑い始めるあおい。

 お笑い種である。失恋以前にスタートラインにすら立っていなかったのだ。

 あかねはぎょっとした顔をする。心配そうに両手を伸ばしている。

 

「ど、どうしたのあおいちゃん?」

 

 あおいは首を左右に振る。

 

「ううん、なんでもない――あしたからの学校が楽しみだね!」

「え? あ、うん、そうだね!」 

 

 あおいの笑顔に、困惑しつつもあかねは笑顔を返す。

 ああ、本当に楽しみだった。

 

(明日から学校で――わたしの本気の身体をあかねくんに見せつける!)

 

 こうなればムードもクソもない。

 まずは意識させなければならぬと二葉あおいは決意するのであった。

 

 そして翌日!

 

 

 

 

 

 学校がなくなってた。物理的な意味で。

 

 



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2話 手負い猪には気をつけろ

 

 

 

 

 いろいろあって二葉あおいは転校することになった。

 もちろん一色あかね♂もいっしょである。

 軍の要請がどうとか、たしかそんな理由で転校することになったはずだ。

 あとこれまで通っていた学校が文字通り潰れてしまった気がする

 戦闘の余波で潰れてしまったそうだが、まったくもって運の悪い話だと思う。

 正直あかねがいるなら学校なんてどこでもいいというのが、あおいの本音だった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

(一体なんなんだこの女は)

 

 それが二葉あおいの、三枝わかばに対する第一印象であった。

 転校初日。久々にあかねと昼食をとれてうきうき気分だったところに、わかばが「今朝の決着をつける!」などと乱入してきて台無しにされた。

 転校二日目。せっかく久々にいっしょに登校できたのに、あかねは元気がない。今日もわかばに追い掛け回されるのかなと、不安そうにぼやいている。

 

(あかねくんに迷惑かけて……!)

 

 この時点であおいのわかばに対する好感度はマイナスだった。

 あかねの喜びはあおいの喜びであり、あかねが迷惑しているということはあおいにとっても迷惑なのである。それも貴重なふたりの時間を妨害されているとなれば、余計にだった。

 

(よし、殺そう)

 

 あおいはそう決意すると、どうにかして方法を考える。

 昼食が給食であればこっそり毒薬を混ぜておしまいなのだが、お弁当というのが厄介だった。かといって夜道で背後から襲いかかっても返り討ちにあうのが関の山だろう。

 人一人殺すことの困難さをあおいが噛み締めていると、ふいにあかねが声を上げた。下駄箱の中をみて怪訝な表情をうかべている。

 

「なんだろう、これ」

「どうしたの?」

 

 横からあおいは覗きこんで、そのまま固まった。手紙。下駄箱。これは。

 固まっているあおいに気づかず、あかねはその手紙を取り出すとつぶやく。

 

「これは……ラブレター?」

 

 あおいの心臓が止まりかけた刹那、ももが乱入してきたことでなんとか踏みとどまることができた。どうにかして差出人を突きとめて抹殺しようとあおいが考えている横で、あかねは手紙を裏返す。そこには「果たし状」と書かれていた。突き止める必要もなかった。こんな前時代的なことをやるのはひとりしかいない。

 つぶやくあおい。自分でもおどろくほどげんなりした声が出た。

 

「三枝わかば……さん」

「……とりあえず中身をみてみようか」

 

 そういって手紙を開封するあかね。差出人は案の定で、中身はいうに及ばずだ。

 この段階で、あおいはもうわかばのことを同じ人類なのかとすら疑っていた。

 

「今朝の決着をつける!」

 

 と、あかねのことを追いかけまわしただけでも相当キテいると思ったが。

 ももを経由して理由を聞いてますます理解不能になった。

 素人から返り討ちにあって、己の未熟さを悔やむ気持ちは理解できなくもない。

 で、そこからなんで「決闘しよう」という結論になるのか。

 朝の出来事が正真正銘単なる勘違いにすぎなかったと、あかねが武道の心得なんかない素人だと、ももから説明は受けたはずだろうに。

 素人に喧嘩売るより、まずは己の未熟さと向き合って鍛え直すのが筋じゃないのか。

 看板を守るためにしたって、たとえばあかねが「三枝わかばに勝った」と吹聴してそれを誰が信じる? 誰かの目の前で負けたわけでもないのに。わけがわからない。なんのために戦うのか。自己満足か。自己満足で素人を竹刀か木刀で打ちのめそうとしてるのか。

 ああわかった、こいつキ○ガイだわ。あおいは確信した。

 

 チラとももの顔をみてみると、げんなりしていた。

 ――こんなキ○ガイに「あかねくん」「お兄ちゃん」を関わらせてはいけない。

 ふたりはうなずき合うと、あおいは毅然とあかねに声をかける。

 

「あかねくん」

「あおいちゃん、ぜったい勝つから応援しててね!」

「うん!」

 

 ダメだった。

 いやだってあんなキラキラした目を向けられたらしかたないじゃない。

 だからももちゃん、そんな冷たい目でわたしを見ないで欲しいとあおいは思う。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「楽しいね、わかばちゃん!」

 

 そういって笑顔を浮かべるあかねに、わかばも笑顔を返す。

 ――わけがわからない。それがあおいの嘘偽りのない本音だった。

 え、なんで仲良くなってんの? わけがわからない。

 海岸。あたり前のように決闘が始まってヒヤヒヤしていたら、あかねが予想以上に善戦。

 それどころか優勢といってもいいくらいだった。

 いつしか不安も心配も消えさり、あかねの華麗な動きに見惚れていたら。

 本当に、本当にいつの間にかいい感じになっていたのだ。

 

「……なんで、どうして?」

 

 防風林からふたりの決闘を覗いているあおいともも。

 困惑と共にあおいが吐き出した言葉に、ももが答える。

 

「……お兄ちゃんも男の子だった、ってことじゃないでしょうか」

「ど、どういうこと?」

「たたかいのあとには友情が芽生える……。王道といえば王道じゃないですか?」

「いやでも、そんなの漫画の世界の話でしょう?」

 

 あおいの言葉に、どこか遠くをみつめるもも。

 

「……男の子は、ときに漫画の世界で生きていたりしますから」

 

 よくわからないが、ももの言葉には謎の説得力があった。

 なんにせよ、目の前の光景に、あおいは胸の奥で昏い嫉妬の炎を燻らせる。

 そこにちょうどアローンの影が見えた――飛んで火に入る夏の虫とはこのことか。

 今ならドッキングなしでもアローン一体くらい倒せる気がした。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 気がしただけだった。

 しかもドッキングしてやっつけたのはあかねとあおいではなく、あかねとわかばだ。

 いきなりわかばが「わたしも戦いたい!」なんて言い出した時は正気を疑ったが。

 ためらいなくわかばに鍵をわたしたあかねには、もっとおどろいた。

 そんな軽い感覚でわたしていいの? 人類の命運がかかってるんだよ? いや、あの短時間で鍵をわたすに値する人物だと思えるくらい心通い合えたってこと? 混乱するあおい。

 あかねとわかばが一切躊躇なくドッキングしたときには、もう開いた口が開きっぱなしだ。夕陽照らす海岸。アローンを倒して、改めて自己紹介をしたあおいたち。

 あかねが笑顔とともにわかばに声をかける。

 

「これからがんばろうね!」

「ええ! これから……」

 

 カーッと、わかばの顔が急に赤くなったと思うと。

 

「わひゃあ!」

 

 わかばは悲鳴とともに後ろを向いてしゃがんでしまった。両手は顔に当てている。

 瞬間、あおいは背筋に冷たいものが走るのを感じた。女の勘。嫌な予感しかしねえ。

 

「ど、どうしたのわかばちゃん?」

 

 困惑するあかね。

 おずおずと振り向いたわかばの顔には、ついさっきまでの勝ち気さはなかった。

 赤い頬を両手でおさえて、恥ずかしそうに。

 

「だ、だって、ちゅー……」

「ちゅー?」

「わー!」

 

 ふたたび顔を両手で隠して後ろを向くわかば。

 どうやら、今になって自分がなにをしたのか気がついたらしい。

 なるほど熱中したら前が見えなくなるタイプか。

 まあわかってたけど。

 

「お、男の子とちゅー……。ちゅーしちゃったよぉ……」

「いや、でもおでこだし、気にしなくても」

 

 頬をかきながらそういうあかねに、わかばは振り向いて叫ぶ。

 

「男女七歳にして同衾せず!」

 

 ――面倒くせえ。あおいはげんなりしていた。

 正直にいってこいつと肩を並べて戦うのはいやだが、鍵を渡された以上は活躍してもらわねばならない。あかねと添い遂げるまであおいは死ぬわけにはいかないのだから。使える戦力は多いにこしたことはない。たとえ素人のあかねと互角程度の実力しかない有段者さまであっても、だ。こそりとため息をついて、あおいは笑顔を浮かべると、わかばに困ってるあかねに声をかける。

 

「あかねくん」

「え、なにかなあおいちゃん?」

「ちょっとしゃがんでくれるかな?」

「? いいけど……」

「ありがとう、あかねくん。……ねえ、わかばちゃん」

 

 あおいの言葉に、ゆっくりと振り向くわかば。

 

「……ちゅっ」

「!?」

 

 同時に、あおいはあかねの額にチューする。

 口をパクパクさせるわかばに、あおいは挑発的な笑みを飛ばす。

 言外のメッセージ――お前なんかいなくても問題ない。

 

「~~~~~!!」

 

 そのメッセージはしっかり伝わったのだろう。

 わかばの顔はさっきまでとちがう意味で真っ赤になる。

 ちょっと負けたくらいで果たし状を出すような女だ。

 実は結構プライドが高いのだろうとあおいは踏んでいた。

 ちょっと煽れば簡単に発奮してくれるだろう。

 そして、その読みは当たったようだ。単純なわかばを内心あざ笑うあおい。

 

「あ、あおいちゃん?」

「ちょっとちゅーしたくなっちゃったの。ごめんね、あかねくん」

 

 困惑しているあかねにあおいは笑顔を返す。

 今度はまじりっけなしの笑顔だ。

 すこし照れた様子のあかねをみて、これだけでご飯3杯はいけると思った。

 

「いや、いいけど……」

「わ、わたしだって!」

 

 大声と共に立ち上がるわかば。どうやら挑発は効いたようだった。

 振り向いて、そのまま突進してくる。

 

「ちゅ、ちゅーくらい!」

 

 え、そっち? とあおいが思った時には遅かった。

 おどろくあかね。

 

「わかばちゃ……!?」

 

 猪突猛進してきたわかばは、そのままあかねを押し倒して――え?

 ドサリと音が鳴った。あかねが下で、わかばが上。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 ザザーンと、波の音だけが大きく響いた。

 あかねとわかばの唇が、唇が――

 あおいが意識を失うのと同時に、わかばの悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 その後のわかばは、文武両道を絵に書いたような人物だった。

 面倒見もよく、転校してきて勝手のわからないあおい達にとてもよくしてくれたと思う。

 ともに戦う仲間だからというのを抜きにしても、"いい人"なのだろう。

 初回のあれはただ出会い方が悪かった。それだけのことだったと今なら分かる。

 しかし。

 

「あ、あの、あかねくん」

「な、なにかな? わかばちゃん」

「その、日直の仕事なんだけど……」

「えーっと、な、なにをやればいいのかな?」

 

 あかねとわかばの様子はしばらくぎこちなかった。

 そしてそれはクラスメイトの邪推をかき立てるに十分すぎるくらいで。

 なにより、当のわかばは邪推されていることが満更でもないように見えて。

 

「……はぁ」

 

 その様子を自分の席からみつめるあおいは、こそっと痛む頭をおさえるのだった。

 じっと、あかねとわかばの姿を見つめているカメラに気づかず。

 

 

 

 

 



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3話 水をかけたつもりが油だった

 

 

 

 

 

 

 あかねの豪快なホームランボールが教室に飛び込みカメラに命中。大破。

 教室にて罪悪感にうなだれるあかねを囲む、あおいとわかば。

 なんでも不登校の娘がそのカメラを経由して授業を受けていたらしい。

 

「健次郎博士になおしてもらって、カメラ経由であやまればいいんじゃないかな?」

 

 とあおいは提案したが。そういうわけにはいかないとあかねはいう。

 

「いくらなんでも不誠実だよ。こういうことは、ちゃんと顔を合わせてあやまらないと」

 

 そういって不登校娘の家までおもむく律儀なあかねも好きだった。結婚して欲しい。

 てなわけで放課後、あおいたちは学校からそのまま不登校娘の家まで行くことになった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 不登校娘こと、四宮ひまわりの住むマンションに到着。

 どんな出不精が出てくるかと思いきや、わりと身なりには気を使っている様子だった。

 あおいは、ドアの向こうにいるひまわりの身体に素早く視線を走らせて吟味する。

 

(お風呂には入ってるみたいだし、髪の毛の手入れもまあ、ちゃんとやってる方かな)

 

 カメラといい、復学に対する意欲は強いのかなとあおいは感じた。

 とはいえ。

 

(これなら心配しなくてもだいじょうぶそう)

 

 気付かれぬよう、ほっと胸を撫で下ろすあおい。

 あやまりにいく相手が女子と聞いて、正直あおいはいくらか警戒していた。

 これ以上、厄介なライバルを増やすわけにはいかなかったからだ。

 わかばのそれが恋心なのかまではわからないが、あかねに対して強い好意を抱いていることはまちがいない。

 当然負ける気はないが、あかねを巡るライバルの存在は正直にいって目ざわりだった。

 

 しかし――この垢抜けない女なら問題ないだろう。

 仮にこの女があかねに惚れたところで、脅威になるとはとても思えない。

 部屋へ上げられるにいたって、それは確信になった。こたつを囲んで座るあおいたち。

 まるで洞窟のように暗くて寒く、そこかしこに情報機器が転がり雑然と物が積み重なった、女っ気の欠片もない部屋。

 仮に自分の恋人がこんな部屋だったら、百年の恋も冷めるというものだ。

 まして興味のない異性であれば、第一印象はかぎりなく最悪だろう。

 

 あとはテキトーに謝罪して帰ればいい。

 もしゴネるようなら金でも握らせて黙らせればいいだろう。今こそ二葉家の財力の出番だ。

 むしろそうなってくれた方がありがたいかもしれない。あかねに恩も売れるし。

 途端ひまわりがゴネてくれることを祈り始めるあおい。

 カメラを手に持ったあかねが、ひまわりに謝罪をはじめる。

 

「ごめんね四宮さん、カメラ壊しちゃって。いちおうカメラ周りはなおしてきたんだけど……」

「え?」

 

 意外そうな表情を浮かべるひまわり。つぶやくようにいう。

 

「なおした……?」

「うん、家にあるパーツを使って、なんとか」

 

 これにはひまわりのみならず、あおいもびっくりだ。

 

「あかねくんって、機械つよかったんだ……」

「男なら機械くらいなおせるようになれって、爺ちゃんがさ」

 

 頬をかいてるあかねの横で、ひまわりは受け取ったカメラを眺めている。

 

「……ふーん」

「ただ、通信周りの部品だけ手に入らなくて……。バイト代が入ったらすぐに買って直すから。四宮さん、本当にごめん!」

 

 両手を合わせてあやまるあかね。

 ひまわりは一瞬なにかをいおうとして、許す代わりにと交換条件を出してきた。

 

「……あなたの持ってる、ぬいぐるみをみせて」

「ぬいぐるみ?」

 

 きょとんとするあかね。

 が、すぐにそれが健次郎博士のことだと気づいたらしい。

 あかねは逡巡したものの、おずおずと取り出してひまわりに差し出す。

 ぐにゃぐにゃと大胆にいじりだすひまわりにあせるあかね。

 

「ちょ、あんまり雑にあつかわないでくれないかな?」

「だいじょうぶ、壊したりしないから」

 

 ひまわりの言葉に「うっ」と詰まるあかね。

 イヤミのつもりかとあおいはいぶかしんだが、様子を見るかぎりひまわりに他意はないようだ。

 あかねは「うーん」と少し考えてから「そうだ」と口を開く。

 

「お、お友だちなんだ!」

「……友だち?」

「そう! その人形とはお友だちなんだ! だからあんまりいじめないでやってくれないかな?」

「友だち……」

「うん!」

 

 そういって、ぎこちない笑みを浮かべるあかね。

 いくらなんでもその言い訳はないだろう。

 中学生の男子がお人形をお友だちだなんてそんな――かわいいよあかねきゅん!

 あおいがそんなことを考えている横で、ひまわりは急にうつむいた。ぽつり。

 

「友だちなんか、いらない」

 

 「そうですか。それじゃあ帰ろっかあかねくん。マックよろうよ!」とあおいが提案しかけた刹那。あかねが部屋に貼ってある整流プラントのポスターを指摘。ひまわりが整流プラントを好きだと口にした直後、あかねはいう。

 

「じゃあ、これから整流プラントをみにいこうよ!」

「ちょ、ちょっとまって」

 

 あおいはあかねを止めようとする。

 なにが悲しくてあんなエネルギー施設を見に行かなけりゃならんのか。

 思春期真っ盛りの中学生が、それも男女でいくような場所ではない。

 それよりもホテルに行って子どもの作り方をいっしょに学んだ方がいいと思う。

 とくべつに実技も許してあげるから。準備はできてる、さあ。

 

「あおいちゃんも行きたいよね?」

「うん!」

 

 いやだってここで「やだ!」なんていえるわけないじゃんっていうか。

 あかねくんの目がまぶしかったから。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 そのまま整流プラントまで外出かと思いきや、「外に行く服がない」とひまわりが抵抗。

 「よしいいぞ、これで帰れる」とあおいが内心喜んだのもつかの間。

 わかばがカバンから私服を取り出したことで、状況は一変してしまった。

 

「わたしの目に狂いはなかったわ!」

 

 持ってきた服に着替えたひまわりをみて、よろこぶわかば。

 なんで私服なんか持ち歩いてるんだこいつはと内心毒づくあおい。

 それもわかばのキャラとは似ても似つかない少女趣味の服ときたもんだ。まさかあかねに着せるつもりだったのか? あかねきゅんに女装させるつもりだったのか? ふざけるな! そんなあかねの姿をみていいのは自分だけだ! やはりこの女、殺すしかないのかもしれない。

 暴走するあおいの思考にストップをかけたのは、これまたわかばの言葉だった。

 

「ねえ、あおいちゃん。四宮さんの髪、セットしてあげてくれる?」

「え? あ、うん、いいよ」

 

 反射的に返事をしてしまってから後悔する。

 なんでそんな面倒なことをしなけりゃならんのか。

 とはいえ、いちど請け負ったことを放棄出来ない程度には、あおいは真面目だった。

 あかねとわかばを退出させて、あおいとひまわりはふたりきりで部屋にいる。

 ひまわりを椅子に座らせ、あおいは背後から髪の毛を梳かしてやっていた。

 ふいに、あおいはひまわりに話しかける。

 

「ねえ、四宮さん」

「……なに?」

「学校に、未練があるんじゃない?」

「……」

 

 答えないが、あおいは続ける。

 

「髪の毛だってちゃんとお手入れされてるし、お風呂にもしっかり入ってる」

「……そんなことない」

「カメラだってそう。ほんとうに未練がなければ、あんなの設置しないんじゃないかな」

「内申が」

「ちゃんと出席してなければ意味ないんじゃないかな。先生だってそんなに甘くないでしょう?」

 

 ここへ来るまでに、わかば経由でいくらかひまわりの情報は得ていた。

 学校側の温情で出席はとってもらえたが、定期テストは受けさせてもらえないそうだ。体育や課外授業にも参加できないし、内申という観点でみるのであれば、どのみちマイナス評価であることに変わらない。

 険のあるひまわりの声。

 

「……なにがいいたいの?」

「イヤミかな」

 

 おだやかなあおいの物言いに、一瞬だけひまわりが固まった。

 

「……え?」

「聞こえなかった? イヤミだよ。はたからみれば学校に未練たらたらで、みっともないくらい」

 

 絶句するひまわりに、あおいは畳み掛ける。

 

「もしかして、誰かが手を差し伸べてくれるとでも期待しちゃってたのかな?」

 

 ぴくりと、ひまわりの身体がかすかに震える。

 あおいがいきなりこんなことをいいだしたのは、牽制のためだった。

 実際にあかねはひまわりに手を差し伸べようとするだろう。

 今さっき整流プラントへ誘ったのだって、あきらかにおせっかいからだ。

 それはあかねの美点であり、だからこそあおいはあかねが好きなのだが、こればかりは黙って看過するわけにもいかなかった。

 なぜなら――四宮ひまわりはかわいかった。ほんのちょっと手をかけただけであっという間に化けたのをみて、あおいは自分の認識の甘さを歯噛みしていたのだ。

 これ以上、厄介なライバルはいらない。或いはあかねに好意を抱いてしまうよりも先に、自分という面倒な女がいることを、この女の頭に叩き込んでおく必要があると思った。

 

「とっとと学校にいってくれないかな? ハッキリいって迷惑だから」

「……あたしが学校にいかないことが、どうしてあなたの迷惑になるの?」

 

 意外と、ひまわりは向こう気が強いらしい。

 多少の動揺を浮かべつつも、その声はしっかりとしていた。

 あおいは続ける。

 

「あかねくんはやさしいの。だから、きっとあなたが学校にいけるようにいろいろすると思うから」

 

 あかねのことだから、これを機にまずまちがいなくひまわりへ関与し始めるだろう。なにしろ底なしの善人だ。ひまわりがどうにかして学校へ戻ってこられるように、なにかと奔走しだすかもしれない。そうなればあおいとの時間はますます減っていくことになるだろう。ただでさえわかばやアローンのせいでふたりだけの時間は減る一方だというのに、これ以上は耐え難かった。

 ひまわりは反論する。

 

「そんなのおせっかい」

「わたしもそうおもうよ? でもね、それがあかねくんなの」

「だとしても、それとあなたになんの関係が……っ」

 

 声を詰まらせるひまわり、あおいが左手でひまわりの髪の毛を掴んで引っ張ったのだ。痛みと緊張感からか、こわばるひまわりの身体。あおいはそのまま右手に持っている櫛をひまわりの喉元に当てると、耳元に唇をよせてささやく。

 

「わたしはね、あかねくんのことが好きなの。大好き。愛してる。だから――迷惑かけたら絶対にゆるさないから」

 

 口にしたあおい自身、おどろくほどに冷たい声が出た。

 決して単なる脅しではない。あかねに手間をかけさせたら絶対にゆるさない。

 かすかにひまわりの身体が震えていることに気がついて、あおいは髪を掴んでいた手を離す。それから崩れてしまった髪に櫛を入れた。

 びくりと跳ねたひまわりの身体を無視して、髪を梳かし始める。あかねの前で髪をセットすることを請け負った以上、そこは決して手を抜くわけにいかなかった。

 

「……はい、できたよ四宮さん」

 

 「うん、かわいい」と、あおいは笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 アローン襲来。

 プラントの暴走を止めるべく奮闘したひまわりを迎えに行ったあかね。

 戻ってきたふたりはパレットスーツを着ていたが、あおいがそのことに疑問を挟むまもなく、戦闘は展開していく。

 博士からの無線。例によってドッキングを始めるふたり。ただこれまでとちがうのは、博士が驚愕の声をあげたことだ。

 なにか問題でも起こったのかと、咄嗟に博士の声に耳を傾けるあおい。

 

「システムを理解するだけでなく、書き換えたじゃと? これは……」

 

 直後の事だった、ひまわりがあかねの唇を奪ったのは。

 そのままふたりはドッキングし、圧倒的な火力でアローンを撃破した。

 

「ひたいではなく、唇でのちゅーでもドッキングできるようにシステムを書き換えるとは。……やりおるわい」

 

 唖然とするあおいとわかばの横で、健次郎はなんども「やりおるわい」と唸ると、ふいにつぶやく。

 

「しかし、なんでわざわざ書き換えたんじゃろうか」

 

 その疑問について、あおいはすでに答えを出していた。

 しかし。あおいもまたつぶやく。

 

「……たしかめなきゃ」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 夕陽に照らされたプラントを望む通路にて、あおいとひまわりは対峙していた。

 あれから一度解散した後、どちらともなく戻ってきたのだ。

 戦闘前まではあった、どことなくあおいを恐れている様子はひまわりからすでに消えている。あおいの敵意が篭った視線に臆することなく、ひまわりは見返してきた。肚をくくった目。

 

「どういうつもりなの」

 

 あおいの問いかけ。あのキスはどういうつもりだったのか。

 もしも髪をセットしていたときの復讐であったのなら、そんなことであかねの唇を奪ったというのなら、絶対に許す気はなかった。

 言外にそんな意味を込め、あおいは睨みつける。しかしひまわりは答えない。

 じれて、ふたたびあおいが問いかけようとしたところで、ひまわりが口を開く。

 

「ずっとみてた」

 

 主語のない言葉に、あおいは眉をひそめる。

 なんのことかと問いかけるより早く、ひまわりは続ける。

 

「あかねのこと、あたしもずっとみてた」

 

 それが"カメラごしに"という意味だと、あおいはすぐに気がついた。

 つまり、四宮ひまわりはずっと前から一色あかねに好意を抱いていたということか。

 あおいは問いかける。

 

「どうして」

「それをせつめいする義務なんてない」

 

 ピシャリとひまわりの返答に、あおいはおもわず納得してしまった。

 そのとおりだ。恋の馴れ初めを他人に――ましてやライバルに教える義務も必要もない。だがこれでハッキリした。目の前で接吻を交わしたあれは、事実上の宣戦布告だったのだと。

 睨みつけるあおいに、ひまわりもまた睨み返してくる。力強い言葉。

 

「あんたにだけは絶対負けない。それだけいいたかった」

 

 そういって、ひまわりは背を向ける。

 去っていく背中を見送りながら、あおいはつぶやく。

 

「――のぞむところだよ」

 

 

 

 

 



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4話 敵は本能寺にあらず

 

 

 

 

 

 授業中の教室。

 教卓から担任のみずはが、今度のサマースクールについて説明している。

 あおいは卓上モニターに表示された資料を見つめながら、それを聞いていた。

 

「えー、今度のサマースクールは男女別々――」

 

 よし休もう。あおいは決心した。

 あかねのいない学校になぞ用はないのだ。

 だいたい男女で行き先が別々って時点でおかしいだろうと、あおいは心底憤る。

 サマースクールという名称だが、実態は修学旅行に過ぎなかった。であるならば、決して欠かしてはいけない重要なイベントがあるはずだ。男女混合のフォークダンスが!

 もうこれがない時点でお話にならない。そう、これさえあれば――

 

 ――広場の中央に設置されたキャンプファイヤー。

 その炎に照らされながら、周囲を音楽に合わせて踊る男女の姿。

 あかねもまた、ペアを次々と入れ替え踊っていた。

 作法にさえ則れば、相手の顔を見る必要すらないのだ。

 手元に差し出された手を取り、ただただ淡々と、事務的に、回数だけをこなす。

 今回もまた手をとったところで、ふいに名前を呼ばれて顔をあげる。

 

『あかねくん』

『……あおいちゃん』

『よろしくね、あかねくん』ニコッ

 

 あおいがほほ笑むと同時に、あかねの胸が跳ねる。

 炎に照らされたあおいの顔は、どこかいつもとちがってみえたのだ。

 遅れて、あおいが手を差し出していたことに気がついてあかねは手に取る。

 作法に則って踊り始めるあかね。ついさっきまで流れるように行っていた動作が、ひどくぎこちなかった。炎に照らされたあおいの横顔をみて、ますますあかねの動きは硬くなっていく。あおいの顔から目が離せない。

 

『どうしたの、あかねくん? わたしの顔になにかついてた?』キラキラ

『そ、そんなことないよあおいちゃん。ただ、その』

『その?』キラキラ

『きれいだな、って……』

『あかねきゅん……』キラキラ

『あおいちゃん……』

 

 見つめ合うふたり。キャンプファイヤーから伸びるふたつの影は重なりあい――とまで妄想してから、あおいははたと気がついた。

 でも、そうなるとあかねくん以外の男子とも手をつなぐハメになってしまう。

 あおいは自他ともに認める貞淑な乙女なのである。知らない男子と手をつなぐだなんてもってのほかだ。どうしたものかと悩む。

 みずはは教卓から続ける。

 

「――になる予定でしたが、今回は男女混合ということになりました。行き先は女子と同じで……」

 

 やっぱ学校は休んじゃいけないよね!

 フォークダンスはあかねくん以外の男子を拒否すればいいだろう。夜這いだって女性の同意が必要だったのだ。ならこちらを拒否できない道理はないはずだ。

 行き先が女子と同じってことは、つまり水着が必要ってことだ。いっそあかねといっしょに水着を買いに行ってもいいかもしれない。

 あおいは来るべきサマースクールが楽しみでしかたなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 昼食。屋上にてシートを敷いてお弁当を広げるあおいたち。

 それぞれ小ぶりの弁当箱を取り出す中、ひまわりはバカでかい重箱を取り出してきて、ぎょっとするあおい。まさかひとりでそれ全部たべるのか。

 胸が大きい理由はそれか、と思いきや。娘が脱ひきこもりした上に友だちまで出来たと知り、よろこんだ母親が発奮した結果だそうだ。

 

「みんなで食べなさいって……」

 

 ひまわりの言葉に目を輝かせたのはあかねだった。

 

「ほんとう?」

「うん」

 

 重箱の中に並んでいる料理はたしかにごちそうだった。

 お嬢さまとして生きてきたあおいにしてみれば、「なにをこれくらい」という感じではあるが。母親の手料理という一点においてはちょっとうらやましかったりなんてことはない。思えば母親の手料理なんてあおいは食べた記憶がなかったが、どうでもいい。

 なんてらちのないことを考えていると、ひまわりは重箱から箸でタマゴ焼きを取り出し、あかねに差し出した。

 

「あ、あーん」

「え?」

 

 ぽかんとした表情をうかべるあかね。

 ひまわりはうつむき気味に、箸で掴んだたまご焼きを差し出している。

 

「だ、だから、あ、あーん」

「……もしかして、食べさせてくれるの?」

 

 あかねの言葉にカーっと頬を赤く染めるひまわり。

 自分の行動を客観化され、一気に恥ずかしくなったのかもしれない。

 ごまかすように大声を上げる。キャラに似合わぬ大声だ。

 

「そう! で、食べるの? 食べないの!?」

「い、いただきます。あ、あーん」

 

 あかねはたまご焼きを口にすると、咀嚼し始める。

 ドキドキした様子でそれをみつめるひまわり。

 やがてあかねは嚥下し終えると、そこには笑顔があった。

 

「おいしいよひまわりちゃん! ほんのり甘くて、ダシも効いてる! ひまわりちゃんのお母さんって、お料理じょうずなんだね!」

「ほ、ほめすぎ……」

「そんなことないよ!」

 

 力強く断言するあかねに、とうとうひまわりはぷいっと顔をそむけてしまった。

 恥ずかしそうな様子。

 

「ま、まあまあだよ。まあまあ……」

 

 はい、ひまわりちゃんの「まあまあ」いただきましたー。じゃない!

 あおいはようやくハッとする。あまりにもベタベタに甘酸っぱい光景を前にして、思考が停止していた。出会って間もないふたりの距離感だからこそ成立する、ほんのちょっと甘酸っぱいその光景。「あーん」。ぶっちゃけあおいだってまだやったことないのに。まさかぽっと出の女に先んじられてしまうだなんて。口惜しや。

 

「うぐぐ……」

 

 おもわずいつもかぶっているおだやかな表情の仮面が剥がれかけて、ふいにひまわりが自分をみていることに気がつく。ニヤリと口元に笑み。あおいはあわてて仮面をかぶりなおすが、ひまわりから漂う優越感は消えない。それどころか、弁当を勧めてくる始末だ。

 

「よかったら、あおいも食べて」

「……うん、ありがとうひまわりちゃん」

 

 ハッキリいって食べたくはなかったが。

 ここで箸を伸ばさなければ、それこそ負けたような気分になるだろう。

 昆布巻きを箸で掴むと、口に運ぶ。反射的にあおいはつぶやく。

 

「……おいしい」

 

 ひまわりの母親の料理は、おいしかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「それでさ、実は今日、みんなに提案があるんだけど」

 

 おずおずと切り出すあかねに、あおいはおだやかに問いかける。

 

「なに? あかねくん」

「ビビッドチームも晴れて4人になったわけで、その」

 

 もじもじしてるあかねにムラムラするあおい。

 このままでは自分を抑えきれる自信がないので、やさしくうながす。

 

「その?」

「……かけごえみたいなの作りたいな、って」

「かけごえ?」

 

 あおいはおもわずぽかんとした。

 なんでも、運動部のああいったノリにあこがれていたそうだ。

 あかねが実は運動部に入りたがっていることを、あおいは知っていた。

 これまで通っていた学校は小さすぎて運動部はなかったし。

 せっかく大きな学校に転校してきても、今度はアローンとの戦いで部活どころではない。

 天性の運動神経をもてあましているところはあった。あかねはうかがうように続ける。

 

「ダメかな?」

「いいね! 一体感もたかまると思うし、ナイスな発想だとおもうよ!」

 

 あかねの提案にわかばはノリノリだった。さすが体育会系。

 正直にいってあおいの好きなノリではないが、あかねがやるというならやるだけだ。

 ましてあかねがわがままをいうのは珍しい。できる限り叶えてあげたい。

 ひまわりもあおいと同じようなものだったみたいで、しぶしぶ応じる。

 

「いいんじゃないかな」

「……やるならやる」

 

 あかねは笑顔を浮かべる。

 

「それじゃあ、はい」

 

 そういって右手を差し出すあかね。

 一瞬、あおいが意図をはかりかねたところで、わかばがその上に右手を重ねた。

 「あ!」と理解したころにはもう遅い。

 

「……どうしたのふたりとも?」

 

 わかばの声。ちらとひまわりの顔をみれば、こころなし悔しげな表情をうかべている。

 ヒキコモリだったが故に、ひまわりは感情が表に出やすかった。

 あおいも内心では同じような表情をしていることだろう。

 なにせ。視線を落とせば重なりあうあかねとわかばの手が見えた。うぐぐ。

 とはいえ、いつまでも悔しがっていればあかねを不審がらせてしまう。

 

「なんでもないよ」

 

 ほほ笑みをうかべ、あおいはおだやかにそういうと、重ねられた手の上に自分の右手を重ねる。その上にひまわりが手を重ねると、あかねはひとりひとりの顔を確認して、楽しそうに口を開く。

 

「ビビッドチーム、ファイッオー!」

「おー!」

「おー」

「おー……」

 

 上からあかね、わかば、あおい、ひまわりの順だ。

 これから戦いのたびにこれやるのかな、そう考えるとあおいはちょっとだけ憂鬱だった。

 あ、でもあかねと手を重ねられるのはいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 それから談笑しつつ牽制(あおいとひまわりが)し合いつつ続ける昼食。

 わかばが「そうそう」と口を開く。相槌をうつあおい。

 

「サマースクールだけど、どうして今年は男女混合になったか知ってる?」

「さあ、どうして?」

「みずは先生がこっそりおしえてくれたんだけどね」

 

 そういってわかばは話し始める。

 要は軍事的な判断だという。

 ビビッドチームを分断することによるデメリットと、教育カリキュラムを天秤にかけた結果、前者が上回ったそうだ。ひとまとめにしておいた方がいざという時に動かしやすいし、護衛もしやすいということらしい。

 

「……物みたいにあつかわれてて、なんかちょっとやだな」

「見方を変えれば、それだけ大切にされてるってことじゃないかな?」

 

 ひまわりのネガティブな言葉に、わかばは明るく返す。

 あかねが続く。こころなしか感心した風だ。

 

「わかばちゃんはポジティブだね」

「まあ、いまのところは自由が束縛されてたりするわけじゃないからね。そうなったらわたしだってどう思うかわからないよ」

 

 そういいつつも、爽やかに笑うわかば。

 あかねはほほ笑みをうかべて、さらりという。

 

「わかばちゃんのそういうところ、好きだな」

「うぇ!?」

 

 頬を染めてあわあわとするわかば。

 どう返事をすればいいのかわからないらしく、視線を泳がせる。

 やがて「え、えと」とテンパった様子で口を開く。

 

「わたしも、その、あかねくんのことが……す」

「わ、わかば! これもおいしいよ! はい、あーん」

「え? ひまわりちゃ……んぐ」

「おいしいでしょ? ね?」

「う、うん……!」

 

 なにやら口走りかけたわかばの口に、ひまわりは強引に食べ物を押し込んだ。

 はっとした様子で咀嚼するわかば。その頬はまだ赤い。こうなれば委員長さまもひとりの女だった。あかねくんって天然でこういうことやるんだもんなあと、あおいはなんかもう感心するしかない。そこに、あかねがあおいに声をかけてくる。

 

「それで、もうひとつお願いがあるんだけど」

「なにかな?」

 

 そういってあかねからお願いされたのは、ある女子をサマースクールの班に入れて欲しいということだった。おもわず固まるあおいだったが、無論、断るという選択肢は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 あかねから女子に声をかけるのはなにげに珍しい。

 屋上。にわかに警戒するものの――相手をみて少しだけホッとする。

 黒騎れい。同級生だがクラスでも孤立してる女子だった。

 いつものおせっかいだろうとあたりをつけるあおい。あかねは昔から、ひとりでいる子をみると輪に引き入れようとするのだ。大島北ノ山小中学校。年上の男子が他にいなかったので、リーダー役を任せられることが多かった故の習性だった。

 

「ねえ、黒騎さん」

「……なに?」

「サマースクールの班、決まった?」

「……いいえ」

「じゃあ、いっしょに」

「わたしはひとりでいい」

 

 目の前であかねとれいは会話を繰り広げているが、なるほどこりゃ友だちもいないわという感じである。よくもまあここまでそっけない返事ができるものだ。容姿だけはいいからちょっと警戒したが、これは心配するまでもなくあかねに惚れる芽はないだろう。

 わかば曰く「どうにかしたいけど、自分から壁をつくってるんだよね」ということだから、今回もあかねを突き放してくれることを期待していたが。予想以上にいい仕事をしてくれそうだ。

 突き放されて傷ついたあかねは自分が慰めれば問題ない。というか慰めたいからもっと突き放せ。あおいはれいに念を送る。

 それが通じたわけかしらないが、れいは一際冷たい目をあかねに向けた。開かれる唇。

 

「わるいけど、一色ハーレムに入るつもりはないから」

「ちょっと待って」

 

 あおいはれいを止める。

 とんでもないことをさらりといわれた気がする。

 突き放せとは思ったがこの言葉は予想外だ。さすがのあおいも困惑を隠せない。

 あかねもまた困惑した様子で、れいに問いかけた。

 

「えっと、一色ハーレムってなに、かな?」

「しらじらしい……」

 

 眉をひそめるれい。何気に初めて表情が動いた瞬間である。

 

「とにかくそういうことだから、ちかよらないで」

 

 取り付く島もないとはこのことか。れいはそのままとっとこと去って行く。

 去ってくれたのはありがたいが、それはそれとして謎を残していった。

 こういうときはやはり、クラスのことにくわしい委員長さまの出番だろう。

 あおいはわかばに声をかける。

 

「ねえ、わかばちゃん。一色ハーレムってなに?」

「わたしも、その、ちょっと小耳に挟んでたくらいなんだけど……」

 

 やはり知っていたか。

 何故このことを自分たちに伝えなかったのかは置いといて、続きを促す。

 

「それで、どんな内容なの?」

「一色あかねが、入学してすぐに女子をはべらせてハーレムを作ろうとしてる、って……。幼なじみに委員長、不登校だった娘がすでに攻略済みだって……」

 

 頬を染めるわかば。なんだその満更でもないような反応は、そんなんだからお前うわさが広がるとは思わないのか。反省しろ。

 しかし不名誉な話だった。あおいは嘆く。まるであかねがジゴロ扱いではないか。

 

「それもこれも……」

 

 こいつらのせいだと、ひまわりとわかばに一瞥をおくる。

 わかばは気づいているのか気づいていないのか苦笑しているが。

 ひまわりは即座に睨み返してきた。

 

「……なに?」

「なんでもないよ」

 

 にこりと笑顔を返したら、ひまわりはわかばの後ろに隠れた。ふん、ヘタレめ。

 あかねという極上の蜜に誘われてしまうのは女の本能として仕方ないというか当然というか必然だと思うし。むしろこの程度ですんでるだけでも僥倖なのかもしれないが。こいつらにはいい加減に消えてほしい。ほしいのだが、仮にもビビッドチームとして戦ってる以上、安易な手段(毒殺etc)はとれなかった。戦力が減ることによって自分の身が危うくなることはもちろん、何よりもあかねの身が危うくなってしまうことはあおいの望むところではないからだ。

 

 なんにせよ、正妻としては夫の不名誉はどうにかそそがねばならない。あおいは決意する。あとで誰が噂を流してるか突きとめて、しかるべき制裁を加えよう。正妻だけに。正妻だけに。

 その前に、さっきからうなだれているあかねきゅんを慰めなければ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 自室。ベッドで仰向けになり、あおいはなにをするでもなく天蓋を眺めている。

 アローンとの戦闘は何度かあったが、ドッキングは久しぶりのことだった。

 どれだけあかねが性徴したかわくわくしていたのに、その際いくらか流れ込んできた他の思考で、今のあおいの頭の中はいっぱいだった。

 港で鳥に囲まれていたれいを見たとき。れいが落ちてきた鉄骨から小さい子を助けたとき。路上に倒れていたれいを抱きかかえたとき。あかねくんの中に一瞬芽生えたあの感情は。ほんの仄かなものだけど、自分があかねに抱いているものと同じ性質の――ぽつりと、あおいはつぶやく。

 

「だいじょうぶ。だとしても、わたしは負けない」

 

 そう、負けない。負けなければいいのだ。

 だというのにどうして――こんなに胸がざわめくのだろうか。

 

 

 

 



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5話 夏があなたを刺激する

 

 

 

 

 

 一色家の玄関にて。

 サマースクールに出かけようとしてるあかねを見送る、健次郎(カワウソ)ともも。

 

「それじゃあふたりとも、行ってくるね」

 

 そういって笑顔を浮かべるあかね。

 同じく笑顔を浮かべたももと、ももの頭の上に乗った健次郎は手を振って見送る。

 

「いってらっしゃい、お兄ちゃん」

「うむ、気をつけるんじゃぞ。あかね」

 

 戸の閉まる音。あかねが出かけていくと同時に、健次郎の目に火が灯った。

 一色健次郎は燃えていた。今度のサマースクールこそビビッドチームを鍛える絶好の機会。そのために以前より入念に仕込んでいた計画をいよいよ発動させる日が来たのだ! 健次郎は意気揚々とサングラスをかけると、ももに声をかける。

 

「では、わしらも作戦開始といこうかの! いくぞ、ももよ!」

「え、やだよ」

 

 が、返ってきた言葉にべもなかった。

 ずっこける健次郎。ももの頭から玄関に落下すると、顔を上げて叫ぶ。

 

「な、なんでじゃ!?」

「だって、ほかにやることあるし……」

 

 無論。健次郎ひとりでも作戦は決行できるが、いざという時のために助手が欲しかった。こんな身体になってしまった以上は、信頼できる人間もかぎられている。

 ももを必死に説得する健次郎。

 

「あ、あかねのそばにいたくないのか?」

 

 このカードは出来れば切りたくなかったが、やむをえなかった。

 目の前の孫娘にブラコンの気があることを一色健次郎は知っている。

 もちろん祖父として思うところは山ほどあるのだが、家事の一切をももに押し付けている以上、あまり強いことはいえなかった。

 だから、あかねのすぐそばにいけるとなれば1も2もなく飛びつくと思っていたのだが。

 この言葉には揺れたようだが、それでもしぶるもも。

 

「わたしだってお兄ちゃんのそばにいたいよ? でも」

「ならば!」

「たまったお洗濯物とか、おうちの掃除とか、いろいろ休日のあいだにかたづけちゃいたいんだもん」

 

 実に所帯じみた理由かと思いきや。「それに」とももは続ける。

 

「お兄ちゃんがきもちよくかえってこられる家にしておきたいし……」

 

 ほんのり頬を染めて、毛先を指先でくるくるさせながらそういうもも。

 あきらかにこちらが本音だった。

 

「およめさんは、だんなさまの帰ってくる家をまもらなくちゃ……」

 

 うっとりと夢見るような目をするもも。健次郎は思わず喉の奥で悲鳴をあげる。

 いかん、もも、いかんぞそっちに行っては。

 健次郎が声を出すより先に、ももはいつものおだやかな眼差しを向けてきた。

 そのまま口を開くもも。完全に機先を制された形。

 

「お祖父ちゃんが全自動お掃除ロボットとか作ってくれてたら、そんなことしなくてもいいんだけど……」

 

 どころか、さらりとイヤミまでいわれてしまった。なにもいえない健次郎。

 世界のためといえば聞こえはいいが、健次郎のやっていることは結果的にふたりの孫に負担を強いていることくらい自覚していた。

 ももは膝を曲げ、できる限り健次郎の目線に合わせると、人差し指を立て、まるで子どもにいい聞かせるようにいう。

 

「あ、くれぐれもお兄ちゃんたちに迷惑かけちゃダメだよ? 迷惑かけたら――」

 

 ひときわ深い笑みを浮かべる。もも。

 後光がさしてみえるほどの慈悲深い笑みであった。

 

「――ミキサーに放り込んじゃうからね?」

 

 そういって開かれたももの目だけは、欠片も笑っていなかった。 

 本気だ。本気でこの娘はわしのことをミキサーに放り込むつもりだ。

 どうしてこんな猟奇的な孫娘に育ってしまったのだろう。

 健次郎にできることは、ただ震えながらうなずくことだけだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 入江。青い空の下、サマースクールの生徒たちで海岸は賑わっている。

 その一角に、水着姿のあおい、あかね、ひまわりが立っている。わかばはまだ着替え中だ。あおいはいつになく機嫌がよかった。

 これまでは入退院を繰り返すほどに身体が弱く、こういった特別授業のたぐいはことごとくパスしてきただけに、初めてのサマースクールにあおいのテンションはうなぎのぼりだ。そしてなにより――目の前には水着姿のあかねきゅん。

 シンプルなサーフパンツだが、むき出しの上半身は細身ながらも日々のバイトや自主トレで鍛えられているのが見て取れる。想い人の意外とたくましい肉体に心不全を起こさんばかりに胸を高鳴らせているあおいの前で、あかねはひまわりに声をかけた。

 

「その水着かわいいね、ひまわりちゃん」

 

 あかねの言葉はド直球だった。頬を染めてうつむくひまわり。

 

「ま、まあまあだよ」

 

 照れ隠しのひまわりの言葉。

 あかねもそれは理解しているから、ほほ笑みを浮かべながら見つめている。ますます赤くなるひまわり。ただでさえ暑さに弱いらしいのに、このままではぶっ倒れてしまうのではないか。そしてあかねに看病されるのだうらやましい! そういうイベントこそ病弱キャラであるわたしの面目躍如ではないのか。ってなわけで倒れろわたし! と念じるあおいは今日も元気ハツラツだった。

 そこにおくれてやってきたわかばが似合わぬ嬌声をあげる。

 

「わー! やっぱり似合ってる!」

「やっぱり?」

 

 ひまわりの姿をみてよろこぶわかばに、あおいは疑問を浮かべる。

 なんでも休日にひまわりとふたりで水着を買いに出かけたらしい。

 そこでわかばが自分の水着を選んでくれたのだと、ひまわり。

 「ふーん」とつぶやくあおい。そういやあおいもなんか誘われた気がした。

 その日は用事があったから断ったのだ。そう。満面の笑みを浮かべる。

 

「ふふふ。わたしの水着はね、あかねくんに選んでもらったんだよ!」

「え、そうなの?」

 

 わかばのおどろいた声に、あかねは答える。

 

「この前の休日にね。ももとあおいちゃんと、3人でスポーツショップに行ってきたんだ」

「あ、ももちゃんもいっしょだったんだ」

 

 わかばの相づち。すぐ横のひまわりが、こころなしホッとした表情を浮かべたのは気のせいじゃないはずだ。それを内心あざ笑うあおい。このふたりは何もわかっていない。家族同伴で買い物。こういった積み重ねこそが外堀を埋めることになるのに。おそらくは、水着を選ぶのに"男子を誘う"という発想すら、このふたりには存在しなかったのだろう。これはつまり2年前からあかねとの結婚を視野に入れて行動していたあおいと、ぽっと出のふたりとの差であった。

 内心の優越感を笑顔に変えて、あおいはいう。

 

「かわいい水着でしょ?」

「うん、そうだね。青っていうのもあおいちゃんにぴったりだと思うし。胸元のリボンがアクセントになってて、この腰回りのふわふわなんかなかなか……うん、いい。すごくいいと思う……」

 

 わかばはうなずきながらそういう。

 本気で褒めてくれているのはわかるのだが、なんか妙に細かいし、ねっとりと全身を舐め回すような視線は正直にいえばキモかった。

 ひまわりもこころなしげんなりした表情を浮かべている。

 どうやら、ひまわりの水着を選んでいたときもこんなんだったようだ。

 

「……ね、ね? あかねくんのセンスいいでしょ?」

「うん。そうだね!」

 

 めずらしく引き気味なあおいに、わかばは気づいた様子もなく力強く答える。

 あかねは頬をかきながら謙遜した様子でいう。

 

「選んだといっても、ふたりがもってきた3つの候補の中から1つ選んだだけだからね。ほんとうにセンスがいいのはあおいちゃんだよ」

「そんなことないよ! あかねくんが選ばなかったら、いつまでもあの3つの中から決められないで、あやうくスク水を着るところだったよ! スク水なんてありえないよ!」

「あおいちゃんはおおげさだなあ」

 

 ははは、と爽やかに笑うあかねだが、あおい本人にすればわりと本気だったりする。

 あおいにしろももにしろ、決断力に欠けるところがあるのだ。

 その点あかねは即断即決だ。本人曰く「人生は決断の連続じゃ!」と、物心つく前から祖父にすり込まれてきた影響らしい。長男ということで、あの祖父はとにかくあかねに自らの人生哲学を叩き込みまくろうとしているフシがあった。それもどうも古臭い感じの。

 だから、あかねはここぞという場面では自分の感情すらねじ伏せて行動する。

 たとえば高所恐怖症だったのに、あおいのピンチを前にしたら身を捨てて助けに走ったりしたのは最たる例だろう。もちろんあおいはうれしかった。うれしかったが、もっと自分の身体を大事にして欲しいとも思う。自分のためにあかねが死ぬなんてまっぴらごめんだった。閑話休題。

 あおいはもじもじとあかねに声をかける。

 

「それで、ね? あかねくん。水着、似合ってるかな?」

 

 実際に水着を着たところをみせるのはこれが初めてだった。

 あかねは笑みをうかべていう。

 

「うん、似合ってる。かわいいよあおいちゃん」

「そうかな? うへへへ……」

 

 あかねきゅんから「かわいい」といわれてしまった。

 おもわず変な笑い声が出てしまうあおい。

 もうこのまま死んでもよかった。いやダメだ。結婚して子を成すまでは死ねない。脳内で繰り広げられる人生劇場。幸せな結婚生活。ステキな旦那様。かわいい子どもたち。あかねと共に爆弾を抱えながら太陽に突入したところではっとする。

 あおいがスペクタクルなトリップからもどると、わかばとあかねが会話をしていた。

 

「……でね、最初はひまわりちゃんにわたしの水着を貸すつもりだったんだけど、サイズがあわなくて」

「ああ……、なるほど」

 

 あかねの目線が一瞬わかばの胸元を見たことを、あおいは目ざとく察した。

 わかばもまたそうだったのだろう、ジト目であかねをみる。

 

「……ねえあかねくん、今なにかしつれいなこと考えなかったかな?」

「え? あ、ははははは……。あ、く、黒騎さんだ! ちょっと声かけてくるね! 黒騎さーん!」

 

 海岸をひとりで歩いていたれいに駆け寄っていくあかね。

 わかばは腕を組んでプンスカしている。

 

「もう! あかねくんじゃなかったらセクハラだよ!」

「ごまかすのヘタだね。あかね」

 

 ぽつりとつぶやくひまわりだったが、どちらの言葉もあおいの耳には入っていなかった。

 れいに声をかけるあかね。いつも自分に向けてくれるほほ笑みなのに、れいに向けるそれはまた特別なものに見えた。直後あっさりと突き放されてしょんぼりするあかねをみて、黒い喜びが胸の内に広がっていく。同時に、あかねにあんな顔をさせたれいに対して湧き上がる怒りと嫉妬心。胸の中がぞわぞわする。制御できない感情。あおいは胸元で右手をぎゅっと握った。

 

「……あおい?」

 

 ひまわりの声。ハッとするあおい。

 視線を横に向けると、ひまわりが眉をひそめていた。

 あおいは頭をふって黒い感情を振り払う。

 

「……なんでもないよ、ひまわりちゃん」

 

 だいじょうぶだ、と自分にいい聞かせる。

 自分は決して、黒騎れいには負けない。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 それはアローンを名乗る相手からの挑戦状だった。

 黒騎れいを捕まえた、助けたくばそこに停泊しているボートに乗って所定の島まで来い――空中モニター越しに流されたそんな情報をひと通り聞いたところで、わかばとひまわりはぽつりとつぶやいた。苦虫を噛み潰したような、いやなものをみてしまったような。そんな表情。

 

「……ねえ」

「……うん」

 

 冒頭とはちがう入江。あかねを除く3人からは白けたムードがただよう。

 やっすい合成丸出しのモニター映像。子どもですら失笑するだろう三文芝居。

 そしてなにより、あの声は。ドサッとあかねが膝から崩れ落ちた。

 

「なにやってんだよ爺ちゃん……! 人さまにまで迷惑かけて……もう……!」

 

 両手で頭を押さえてもだえるあかねの気持ちは、あおいにも痛いほどわかった。

 仮に自分の父親がこんなトチ狂ったことをやったら切腹ものだ。

 身内の恥に苦しむあかねの姿は、あおいにとっても見ていてつらかった。

 

「みんな」

 

 あおいはひまわりとわかばの顔をみる。

 決意を込めたあおいの目に、ふたりの顔も引き締まった。

 

「黒騎さんを救出して……一色健次郎を殺そうよ!」

 

 あかねきゅんを苦しめる人間は、たとえそれが身内であろうと許さない。

 あおいの決意の言葉に、わかばは引きつった顔で答える。

 

「い、いや、黒騎さんを救出するだけでいいんじゃないの?」

「っていうか、そもそも助けにいく必要あるの?」

 

 ひまわりの淡々としたツッコミ。

 わかばははっとした様子で顎に手を当てる。

 

「そっか。さすがにわたしたちが来なかったら解放する、よね?」

「するでしょ。そこまでひじょうしきな人じゃないとおもう」

 

 相変わらず淡々としたひまわり。さすがに今回の件ではすこし引いていたが、一色博士に対する尊敬の念は残っているらしい。弟子入りしたそうだし。

 しかし、あおいは考える。博士に常識があるかどうかは別として、このまま黒騎れいを放置するというのは魅力的な提案だ。できれば極力あかねに近づけたくはない。ひまわりの意見を後押ししようと、あおいが動き出したその時、背後からあかねの声。

 

「……ねえ、みんな」

 

 ふりかえってあおいは絶句した。憔悴しきった表情。たった数分で人はここまで老けこむものなのか。誰もなにもいえなかった。

 このぶんでは三人の会話なども聞こえていなかったにちがいない。

 

「みんなはサマースクールを楽しんでてくれ。黒騎さんはオレ一人で助けにいくからさ……身内の尻ぬぐいは、家族がしないとね」

 

 そういって力なく笑うあかねの姿は、見ていられないほど痛々しかった。

 

「……あおいちゃん」

「……あおい」

「……うん」

 

 うなずきあう三人娘。

 もはや言葉にする必要はなかった。

 あおいは代表して宣言する。

 

「一色健次郎を殺そう!」

「いや、さすがにそこまではしないからね?」

「……黒騎さんを助けるだけだから」

 

 そういうことになった。

 あおいは青いパーカーを羽織ると、ボートに飛び乗ったのだ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「うらあ!」

「てやあ!」

 

 無人島(?)の森林の中に一組の男女の声が響き渡る。水着姿の一色あかねと三枝わかば。

 ふたりは健次郎博士が用意した、クマ型のロボットと徒手空拳で戦闘を繰り広げていた。

 ガキーンゴキーンなんていう、木刀を使っているわかばはともかく、肉弾のあかねからはどう考えてもおかしい音が鳴り響いている。

 敵の攻撃をかいくぐりながら、わかばは弾んだ声を出す。

 

「やるね、あかねくん! やっぱりなにか武道の心得でもあるんじゃないの?」

「まさか! 前の学校でダンスをちょっとかじったくらいだよ!」

「なるほど! どおりで!」

 

 いろいろとひまわりはツッコミたかったが、面倒だからやめた。

 ひまわりはその光景を眺めながら、ぽつりとつぶやく。

 

「……あつい」

 

 ひまわりは木陰に入り、実っていたフルーツで水分補給をしつつ、あかねとわかばの戦闘を見守っている。ただ座っているだけでダラダラ流れ落ちていく汗。身体は強い日差しにすっかり参っていた。長年のヒキコモリ生活で、すっかり暑さへの耐性がなくなってしまったらしい。

 あおいはいつの間にか行方をくらましていた。もちろん探す気力はない。

 

「……あつい」

 

 せめてタオルを持ってくればよかった。

 ムダに大きい胸の谷間もこうなれば厄介なだけだ。このままでは汗疹になってしまう。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ずるずると音がする。

 あおいは両手でそれを重そうに引きずりながら、森の中を歩いていた。

 ふと立ち止まるあおい。視線の先。自分に向かって転がってくる岩の姿。

 しかしあおいは避ける素振りもみせず、尖った石を拾って投げつける。

 パーンという音と共に弾ける岩――さすがに舐めすぎだろうと、あおいは思った。

 あんな重量感のない岩があってたまるか。まったく。

 

「で、あなたはなにやってるのかな?」

 

 ちらと視線を右上に向けると、木の枝に立ってポカーンとした様子の。

 あおいは眉をひそめる。

 

「……ほんとうに、なにやってるの?」

 

 なぜか顔にマフラーをぐるぐる巻きにしている黒騎れいの姿があった。

 この暑い中、なにをやってるのだろうかあの娘は。

 

「くろきさ」

「わたしは断じて黒騎れいではないわ」

「いや、どうみても」

「ちがうから」

「……」

「……」

 

 この真夏にそんなマフラー巻いてるような女はお前くらいだよ。なんてツッコミをよっぽど入れてやろうと思ったが、それよりもあおいにはやることがあった。

 

「まあ、なんでもいいや。あかねくんたちが向こうのほうで戦ってるから、行ってきてくれないかな?」

「……戦ってる?」

「うん。黒騎さんを助けるために戦ってるから。元気な姿でもみせて安心させてあげて?」

「わたしを助けるために……?」

 

 目に見えて困惑しているれいだが、伝えることは伝えたので放置する。

 「じゃあ、わたし行くから」と、足元にある容器の取っ手を両手でつかみ、ずるずると引きずっていく。満杯でこそないものの、20リットル容器はなかなかに重たい。

 れいは不思議そうな目であおいをみつめる。

 

「……あなたはどうするの?」

「ちょっとこれから、黒幕に天誅を下そうと思って」

「て、天誅……?」

 

 なぜだか困惑の色を深めるれいをみて。

 なにか変なことをいっただろうかと、あおいは首をかしげた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 日差しの強さに辟易する。

 ダラダラと流れる汗をパーカーの袖でぬぐいながら、容器を引っ張って前進していく。

 本来ならゴミ拾いをしつつ水遊びを楽しんでいたはずだろうに。

 それがどうしてこんなジャングルを行軍するような真似をしているのだろうか。

 それもこれもあの一色健次郎が悪い。許すまじ健次郎。あおいは今や一匹の鬼だった。

 というか、れいと遭遇した時点であかねくんたちの前に連れていけばそのまま帰れたんじゃ――考えて、あおいは思考を放棄する。やらねばならぬ。理屈ではない。断乎やらねばならぬのだ。

 

「やらねば……やらねば……」

「……二葉さん?」

「え? どうかしたかな?」

「いえ……」

 

 とっさに仮面を被り、あおいはにこりと背後のれいに笑顔を送る。

 なぜだか目を伏せるれい。怯えがみえたのは気のせいだろう。用がないなら声なんかかけないで欲しい。舌打ちしたい衝動をなんとかこらえるあおい。今は体力が惜しい。

 ――黒騎れいは、あのままあおいのうしろをついてきていた。

 正直にいえば近くをうろちょろされるだけでも目ざわりなのだが、ここで喧嘩を売っても事態がこじれるだけだろう。短絡的な挑発はむしろ厄介事を招く。やるならもっと決定的なタイミングで釘を差せ。わかばとひまわりの件であおいが学んだことだった。

 ときおり姿を消すのは気になったが、すれ違いざまに転がっている壊れた監視カメラが答えだろう。露払いのつもりか。キザな女だ。ますますいけすかない。

 いけすかないといえば。あおいは背中越しにれいに声をかける。

 

「ねえ、黒騎さん」

「……わたしは黒騎じゃ」

 

 まだいってるのかとあきれるあおい。無視して続ける。

 

「その顔に巻いてるマフラー、とったら?」

 

 ちらと振り返って顔をみると、なぜかれいの肩が跳ねた。

 ハッキリいって見てるだけで暑苦しい。しかし、れいはしぶる。

 

「……でも」

「それとも――わたしには顔も見せたくないってことかな? ん?」

「と、とるわ!」

 

 急にあわてて顔のマフラーをほどくれい。そのまま首に巻き直す。

 やはり暑かったらしく、汗ばみ上気した顔はやたらと艶やかだった。

 本音をいえば首に巻くのも暑苦しいからやめてほしいのだが。

 

「な、なに?」

 

 何故かびくびくした様子でこちらをみるれい。

 

「なんでもないよ」

 

 笑顔を送ると、あおいは前を向き直す。

 ま、そこまではいいだろう。他人のこだわりに口出しするほど野暮でもない。

 それよりと、あおいは声を上げる。

 

「あ、みえてきたよ」

 

 視線の先にはアローン研究所なる建物。鉄骨の送電線みたいな建造物だった。どっから入るのか一瞬迷ったが、目ざとくみつけたれいが先行して入っていった。あわててついていくあおい。内部には机と棚が整然と並んでいる。一見すれば事務所といったところか。埃臭さにあおいは眉をしかめる。掃除の手は行き届いていないようだ。先に入っていたれいはつぶやく。

 

「……人の気配がしない」

 

 あおいはふむと考える。

 どこまでれいの言葉を信じていいのかわからないが。

 全面的に信じるならば、この建物に健次郎以外の人はいないということだ。

 であるならば、あおいはこれからやる行動に一片の躊躇もなかった。

 れいから見えないように、こそとスマホを覗き見るあおい。

 ここへ来る前に、パーカーをひっかけてきたのはスマホを隠し持つためだった。

 周辺の簡易マップ。その中心には光点――健次郎のいるポイントが表示されている。

 ももがこっそり健次郎の中に仕込んでおいてくれた発信機の反応。

 光点は建物の中を示しているが、建物の上階には誰もいない。となれば、地下か。

 読みが当たったようだとあおいは笑いかけて、口元を引き締める。

 

 さっそく地下へと続く階段を探し始めるが、どこにもない。

 となれば、どこかに隠し階段があるのだろう。

 建物の構造から考えてみれば、おそらくは――このあたりか。

 あおいは部屋の隅にあった本棚に手をかけると、横に引いていく。

 

「よいしょ……っと」

「……なにやってるの?」

 

 れいの怪訝な声。

 あおいは本棚をすこしずつ動かしながら返事をする。舞い散る埃。

 

「たぶんっ……ここにっ……隠し階段が……あった!」

 

 本棚の後ろには扉があり、それを開くと階段がでてきた。

 あおいは顔だけ振り向いて、背後のれいに声をかける。

 

「黒騎さん、ちょっとここでまっててくれるかな?」

「え?」

「わたしはこれから下を見てくるから、ちょっと容器を見張っててほしいんだ」

「下にいくのなら、わたしが」

「いいから」

 

 じっとれいの顔を見つめると、ビクリと肩を震わせてがくがくと頭を前後に振った。

 了解を取り付けたということで、引きずってきた容器をその場に置いて動き出すあおい。ちらと眼下の階段を見てみると、少し下がったところに小さな踊り場が見えた。気配を殺してそそくさと降りて行くと、折れた先に扉。隙間からはピカッピカッと光が漏れている。静かに開くと、奥の方に無数のモニターが見えた。あれが光の正体か。イスに座って(立って?)キーボードを叩いているカワウソこと一色健次郎博士の後ろ姿。なにやら興奮しており、上の階の様子にはみじんも気がついていない様子だった。軽く視線を走らせてみるが、室内には博士ひとりきり。

 あおいは自らの読みが当たったことをつかの間よろこぶと、すぐさま階段を駆け上がり、扉のすぐ側に立っているれいにお礼をいう。

 

「ありがとう、黒騎さん」

「え、ええ……。それで……」

「うん、いたよ黒幕」

 

 おどろいた表情をみせるれい。おずおずと問いかけてくる。

 

「それって……、人?」

 

 あおいは質問の意味がわからなかった。

 答えようとして、はたと考える。今の博士は人間といえるのか。

 寝ている間に、ももがハサミで背中を切り開いて発信機を仕込んで裁縫道具の針を刺してもぴくりとも起きなかったらしい今の博士は。ついでに裁縫を少しミスって綿が少しこぼれているのに平然としている今の健次郎は、果たして。

 考えると頭痛がしてきたので、あおいはとりあえず事実だけを伝えることにした。

 

「うん、そうだよ」

 

 すくなくとも中身は人間だからまちがってないだろう。

 あおいは何やら固まっているれいに背をむけると、引きずってきた容器の封を開ける。

 立ち込める刺激臭。背後のれいがめずらしく自分から問いかけてきた。

 

「……ねえ、それって」

「ボートの燃料だね」

「え?」

「いがいと残ってるものなんだね。こういう液体燃料でうごく乗り物って」

 

 両手で容器を傾けると、液体が階段を伝って地下へと流れていく。

 示現エネルギーの普及から向こう、こういった液体燃料で動く乗り物は絶滅したといっても過言ではなかった。その端緒となった示現エンジンの開発者である博士が、どうしてこんな骨董品を持っているのか不思議だったが、今はどうでもいい。

 ボートからごっそり燃料を抜いてしまったが、予備のボートくらいあるだろ、たぶん。仮になかったところでたいした距離じゃないし、最悪手漕ぎでどうにかなると見越してもいた。

 れいの困惑した声。

 

「それで、その燃料を流し込んで、なにをするつもりなの……?」

「なにをって、そんなの決まってるでしょ?」

 

 あおいはふりかえって、きょとんとした表情をうかべる。

 あわててるれいに、淡々という。

 

「火をつけて、焼き殺すんだよ?」

 

 黒騎れいの顔が一瞬にしてこわばる。切れ長の瞳が大きく見開かれた。

 あおいは空になった容器の蓋を閉めて脇に置く。れいの震えた声。

 

「なんで……」

「なんでって、そんなのあかねくんに迷惑かけたからに決まってるじゃない」

「……迷惑?」

「うん、迷惑かけたの。だからね、そんな邪魔者には死んでもらうにかぎるでしょう?」

 

 もっとも本気で殺す気はなかった。そりゃあかねが泣き崩れた時は本気で殺意を抱いたが、それで本当に殺るほどぶっ飛んではいない。

 そもそも博士のボディは耐火使用だ。あおいは先日のことを思い出す。防衛軍の演習場。あおいたちの目の前で、やおらガソリンを頭からかぶって己に火をつけたカワウソの姿。激しく炎上しながら『わしのボディは耐火仕様じゃ!』と豪語する博士。ドン引きするあおいたち。今も目を閉じればありありと思い出せる。

 だからあおいがやろうとしていることなんて、嫌がらせ以上の効果はないだろう。

 おまけに天井には消火装置がついていたし、火だってすぐに消えるはずだ。

 

 しかし、あおいはあえてそれを誇張してれいに伝えた。

 つまりは、れいに対する警告だ。あかねには自分という厄介な女がいるという警告。

 いっそ狂人あつかいされればこれに勝ることはない。

 そして、あおいの読みどおり、れいは動揺を隠せないでいる。

 

「そんなことして、一色さんがよろこぶわけ」

「うん、よろこばないだろうね。だから、あかねくんにはないしょだよ? 悲しむと思うから」

 

 いくらあんなのでも身内は身内である。

 悲しんでるあかねを思うと、胸が引き裂かれそうな気分だ。

 

「どうして、そんな身勝手なことが」

「身勝手?」

「目的のために、人を殺そうだなんて、そんな、そんなの」

 

 一顧だにする価値すらない青臭い言葉だった。

 もっともクソ真面目に説教してやる義理もないので切って捨てる。

 

「目的のためなら手段をえらばない、人間ならとうぜんのことでしょう?」

 

 弱肉強食なんて陳腐な言葉かもしれないが。ゆるがぬ真理だった。

 そして強者とは何か。なりふり構わず邁進できる人間のことだ。

 目的のためであれば、努力を怠らない。手段を選ばない。ためらわない。

 だからわたしはためらわない。あかねくんの幸福のためならなんでもやってみせる。

 さようなら博士。あっちでわたしたちの幸せを見守っててください。

 金属ライターの蓋をカチンと開けて、シュボッと火をつける。

 あとはこれを地下へ続く液体の上に放り込めばいい。

 

「ちがう!」

 

 いきなり大声をあげたれいに、あおいは目をまんまるさせる。

 

「黒騎さん?」

「ちがう! ちがう! そんなことない!」

 

 いきなり取り乱したれいを怪訝な目でみつめるあおい。

 両手で頭を抱えて左右に振っている。「ちがう」と狂ったように繰り返す。

 なんだこいつ、実はやばい人だったのか。あおいの背に冷たいものが流れ落ちる。

 

「こんなもの!」

「あ、あぶないよ黒騎さん!?」

 

 あおいの手から、火のついたジッポを強引に奪い取ろうとするれい。

 火傷するのも嫌だしさせるわけにもいかないので、とっさに放り投げるあおい。

 或いは、れいからみたら自分がちょっかいをだしたせいで落ちたように見えたかもしれない。

 

「……あ」

 

 直後、ボワッと火が地下に向かって駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 晴天。あおいとれいは屋外に移動していた。

 茫然自失していたれいをどうしようか一瞬迷って、手を引っ張ってここまできたのだ。

 そのままふたりでボケーッと煙が立ち上る建物を見つめていたが、間もなく消火装置が起動。おくれて、消化液でびしょぬれになった博士(カワウソ)が飛び出してきた。そこにタイミングよくあかねたちもやってきた。叫ぶ博士。

 

「殺す気か!」

「ちっ」

「だ、誰じゃいま舌打ちしたのは!?」

 

 もちろんあおいだが、素知らぬ顔を浮かべている。

 こそりと、ひまわりが背後から耳打ちしてきた。

 

「……パフォーマンス乙」

 

 どうも消化液でびしょぬれの博士をみて、一瞬で状況を理解したらしい。

 にしても、そこまで看破するとは思わなかった。

 

「あれ、わかっちゃった?」

 

 思わず感心したあおいの言葉に、わかばが苦笑と共に入り込んでくる。

 

「そりゃあ、『この身体は耐火仕様じゃ』って、この前博士がみんなに自慢してたばかりだしね」

 

 どうもわかばも一瞬で状況を理解したらしい。

 そろいもそろってムダに優秀すぎやしないかビビッドチーム。

 なんにせよ、チームの連中にはあっさりバレてしまった。

 れいへの警告は、わかばとひまわりへの警告でもあったのだが、これでは意味がない。

 重たい容器を引きずってきたのは、あまり実りのない労働だったようだ。

 ふいに、あかねが前にでた。博士のそばによろよろと向かう足取りには力ない。

 

「爺ちゃん! オレは……オレは恥ずかしい!」

 

 そして博士の眼前で崩れ落ちるあかね。号泣だった。

 博士は両手をふりあげて怒る。

 

「泣くとはなにごとじゃあかね! 一色家の男は人前で涙をみせるなといったじゃろう!」

「誰のせいで泣いてると思ってんだよ……。こんな、こんなアホなことに人さまを巻き込むなんて……。オレは情けない……!」

「あ、アホなこととはなんじゃ! これもお前たちのためを思ってだな……」

 

 祖父と孫がそんな会話を繰り広げている中。あおいはスマホで電話をかけていた。

 何度か相手と言葉を交わすと、あおいはスマホを通話状態にしたまま博士へ声をかける。

 

「博士」

「なんじゃ?」

 

 憮然と答える博士に、にこりとほほ笑むあおい。

 

「ももちゃんが代わってほしいそうですよ」

「え」

 

 あおいからスマホをおそるおそる受け取る健次郎。

 ぬいぐるみの大きさでは耳に当てて会話するのは困難ということで、スピーカーモードだ。

 

「も」

「ミキサー、用意してまってるね」

 

 固まる健次郎。

 ももの言葉の意味はさっぱりわからないが、健次郎の表情からそれが絶望的な意味を持つということだけはわかった。

 ももはスピーカー越しに祖父の不明を詫びると、そのまま通話を切った。ツーツーと響く音。

 ようやくフリーズから解放された健次郎は、叫び声をあげる。

 

「も、ももおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 絶叫するカワウソのぬいぐるみ。その前で男泣きをするあかね。

 男泣きしているあかねの姿にわけもなくドキドキするあおい。

 いますぐ慰めてあげたいのに、いつまでも泣いている姿をみつめていたいような。そんな倒錯した感情があおいの胸中を駆け巡っていた。

 もうちょっとしたら慰めてあげようとあおいが決めたところで、ふいに隣から声。そちらへ視線を向けると、れいが唖然とした表情を浮かべている。

 

「お祖父さん? あのぬいぐるみが? え……?」

「あー、細かいことは気にしないで、黒騎さん」

 

 フォローを入れるわかば。しかしれいは納得しない。

 

「で、でも」

「ところで、ここに来るまでに壊れた監視カメラとかが転がってたんだけど。あれは黒騎さんが?」

「え? え、ええ……」

「そうなんだ! ありがとう黒騎さん。助かったよ!」

 

 ほほ笑むわかば。ひまわりも横からほほ笑みながられいにいう。

 

「いいところあるじゃん」

 

 立て続けに褒められ、目に見えて動揺しているれい。

 どうも褒められなれてないようだったが、ちょっと動揺しすぎじゃないかとあおいは思う。

 ポーカーフェイスかと思ったが、わりと感情が表に出やすいタイプでもあるようだ。

 

「……なんとかごまかせそうだね」

「……うん」

 

 わかばとひまわりが、目の前でひっそりそんな会話をしていることにも気づいていないらしい。そこにふらりと影。声をかけられ、れいはふりむく。

 

「黒騎さん」

「え?」

 

 よろよろとあかねはれいの前に立つと――土下座した。

 地に頭をこすりつけて謝罪するあかねに、れいはますます取り乱す。

 

「い、一色さん?!」

「うちのクソジジイが迷惑かけてごめんなさい!」

「……べ、べつに、気にしてないから」

「でも!」

「~~~! 聞こえなかった? わたしは気にしてないといったの!」

 

 大声を出してからハッとするれい。こころなしバツの悪そうな表情を浮かべる。

 誠意を見せたあかねにこの仕打ちときたもんだ。

 あおいのれいに対する好感度はすでに地殻を突き抜けてマントル周辺にまで落ち込んでいた。

 しかし顔を上げたあかねは気にした様子もなく、それどころか何をどう解釈したのか、ほほ笑みすら浮かべている。

 

「やさしいんだね、黒騎さんは」

「ち……ちがうから!」

 

 とうとう耐え切れなくなったらしい、そういってその場から走って逃げ去るれい。

 ひまわりはつぶやく。

 

「……ボートなしで、どうやって帰るつもりなんだろう」

 

 あおいの知ったこっちゃなかった。

 そのまま何処なりと消え去ってしまえ。心の底から念じる。

 

 

 

 



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6話 サマースクール、サマーナイト

 

 

 

 

 一色あかねが、それを天城みずはから言い渡されたのは、旅館に入ってすぐのことだった。

 ロビー。集結した生徒たちに部屋割りの書かれたプリントが配られていく。その中になぜか自分の名前がないことをいぶかしんでいると、声をかけられたのだ。

 

「一人部屋、ですか」

 

 困惑した表情をうかべるあかねに、みずははうなずく。

 元来サマースクールは男女別々である。

 それを無理やり混合にした結果生じたのが、泊まる旅館の部屋数の問題だった。

 かろうじて生徒を押しこむことには成功したものの、それでも位置的に一人だけあぶれてしまうことになる。基本、班分けのメンバーがそのままルームメイトになるのだが、部屋割りの関係で足し引きされてぐちゃぐちゃになっていた。

 まして、あかねの場合は男女混合の班で一人だけ男子だったために、申し訳ないがババを引いてもらうことになったという。

 いいにくそうにみずはからそういわれて、ただ一言。

 

「なら、しかたないですね」

 

 とだけいった。

 

「元気だせよ一色」

「ほら、唐揚げやるからよ……」

 

 夕食時、クラスメイトが一堂に会する宴会場であかねを慰める男子たち。

 これについてはさすがに男子たちも同情的だった。一色ハーレムだなんだと、ふだん嫉妬から陰口を叩いてる男子ですら慰めに回ったほどだ。

 なにせサマースクールの夜といえば、枕投げetcと楽しいことが目白押しなのに。

 それらの何一つとしてあかねは楽しめない。同情だってしようものだった。

 

「うん、ありがとう……」

 

 そういったあかねがあまりにも弱々しい笑みを浮かべたものだから、クラスメイトの同情はますます加速した。

 

「就寝前の自由時間だけ、一色くんを男子部屋へ遊びにいけるようにしてくれませんか?」

 

 親切なクラスメイトが連名でみずはに対してそう提案してくれたものの、あっさりNOを言い渡された。

 理由は部屋の配置だ。3階が男子部屋。2階が女子部屋。あかねの部屋は1階の隅っこ。あかねが男子部屋へ行く場合、どうしても女子部屋のある階を経由する必要がある。これが問題だという。

 たとえあかねに女子部屋へ行く意思がなくても、ひとり特例が許されたということで弛緩した空気がただよい。どさくさに紛れて女子部屋へ入り込む輩が、続々出てくる可能性を危惧したというのが理由だった。

 もちろんクラスメイトたちもそれで引き下がりはしなかったが。

 

「もういいよ、みんなありがとう」

 

 なんて当のあかねにいわれてしまえば、振り上げた拳を下ろすしかない。

 かくして一色あかねは、楽しい楽しい特別授業の宿泊イベントを、ひとりテレビを眺めて過ごすことになった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 そして当然ながら二葉あおいがそんな状況を看過するわけなかった。

 夕食を終え、部屋(2人部屋に3人でぶち込まれていた)に戻り、しばらくだらだらしてからやおら宣言する。

 

「ちょっとトイレいってくるね!」

 

 堂々とトイレをスルーして玄関へ向かうあおい。ちなみに浴衣姿。

 もちろんあかねの部屋へ直行するためだ。ひとりでさびしい思いをしているだろうあかねきゅんに人の暖かさを伝えにいかねばならない。そんな使命感にすら燃えていた。だが。

 

「あおいちゃん」

「わ!?」

 

 何者かに右手を掴まれ、バランスを崩すあおい。

 そのままポスンと背中から抱きとめられる。

 ほんのりとただよってくる、大浴場でつかった石鹸の香り。

 

「このあまりやわらかくない胸板は……わかばちゃん?」

「……いくらあおいちゃんでも怒るよ?」

 

 あおいが顔を上げると、そこには眉間にしわをよせるわかばの顔。

 至近距離でみると、スッと目鼻立ちの整った顔はなかなかに男前だった。

 同性の女子からラブレターをもらうという話を思い出して、さもありなんと納得。

 わかばはすぐにいつもの笑みを口元に浮かべると、あおいに提案する。

 

「それより、トランプもっていこうよ」

「……え?」

「やっぱりみんなで遊ぶとなったらトランプでしょ」

 

 そういって爽やかな笑みを浮かべるわかば。

 あおいはその言葉の意味を咀嚼すると、問いかける。

 

「えーっと……みんなも、あかねくんの部屋に?」

「もちろん行くよ!」

「……とうぜん」

 

 わかばの後ろから、ひょこっとひまわりが顔を見せた。

 あまりやわらかくない胸板に背をあずけたまま、あおいはきっと憮然とした表情を浮かべていたのだろう。出し抜いてふたりきりになるつもりだったのに。

 ちなみにフォークダンスはなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 旅館の一階。

 あかねの泊まっている部屋とは中庭を挟んで向かいの和室。

 天城みずははテーブルの前に座って暗い声を上げる。

 

「ひとりくらい、無理やりにでもねじ込んであげられたのですが……」

 

 そういって気の毒そうな顔をする天城みずは。口にしたのはもちろん一色あかねのことだった。

 現時点で2人部屋に4人ぶっこむなんて無茶をあたり前のようにやっているのだ。似たような無茶をまたやればいいだけのこと。

 こうした特別学習のお泊り会は一生の思い出になる。できることなら経験させてやりたかったが。

 

「しかたあるまい。それよりも世界のためじゃ」

 

 そういい切るのは、カワウソこと一色健次郎博士である。

 テーブルの向こう側。山ほど重ねた座布団の上に座って遅れた食事をとっていた。

 ついさっきまでガクブル震えていたのに、今ではいつもどおり偉そうなカワウソに戻っている。

 正直なところ、みずはは目の前のカワウソが苦手だ。

 あまりにも破天荒すぎてついていけないところがあるし、いささか独善的すぎやしないかと思う。形はどうであれ、世界のためになにもかも投げ打って戦う博士に少なからず尊敬の念を抱いていることは事実だ。一方で、そのためならば、平然と子どもたちの青春を犠牲にする姿に疑念を抱いてしまうのも事実だった。

 今回にしてもそうだ。要するに、と。博士は口を開く。

 

「あかねとあおいちゃん達を、だれにも知らせず同衾させるには、こうするしかなかったんじゃからな」

 

 ドッキングとは、親しくなればなるほどにその威力を増す。

 友情。愛情。想いの純度が高ければ高いほど強くなる。

 つまりはより純粋な――若い少年少女であればあるほどに強くなるのだ。

 人間関係が打算であることを受け入れた大人では決して行使することの出来ない力。

 だからこそ、こうした特別な機会を活かさぬ手はなかった。

 理屈としてはわかる。わかるのだが、大人の打算で子どもたちの純粋さを弄んでしまうことに、みずはは後ろめたさを感じてしまう。

 青臭いとは自分でも思う。しかし感情のかぎりなくプリミティブな部分を刺激されたが故に、彼女はいつになく饒舌だった。

 

「もし、まちがいでも起こったら」

「大丈夫じゃろ」

 

 断言するカワウソ。

 どこから自信が湧いてくるのか不思議でならなかった。

 

「根拠は」

「あかねにそんな甲斐性はない」

 

 実の孫をバッサリと切り捨てるカワウソ。

 たしかにあかねは鈍感といえなくもないが、色気づいてない中学生男子ならあんなものだろうとも思う。

 しかし問題はあの3人娘だ。すでに色気づいているし、サマースクールで開放的になっている今、どんな強行手段にでるかわからない。

 みずはは言い募る。

 

「ですが、あの3人は」

「あの娘たちはちゃんとわきまえておるよ。やすきには流れんさ」

 

 箸で黒豆をつまむカワウソ。

 なぜそこまで自信満々なのだろうか、みずはにはわからない。

 あの手でどうやって箸を使っているのかも、みずはにはわからない。

 

「せっかく同じ屋根の下で一晩を過ごすのじゃ。すこしでも絆を深めてもらわなければのう」

「ですが……友だちを作る貴重な機会でもありますし……」

 

 同性の友人をつくるということも、この年代の子には大切なことだとみずはは思う。

 しかしカワウソはにべもない。

 

「なに、高校でも似たようなイベントはあるじゃろ」

「それは、そうですが……」

 

 みずははうつむいて、顔を上げ、なおも抗弁する。

 

「そもそも! ……二葉さんたちが一色さん……あかねくんの部屋に、かならずしも遊びに行くとはかぎらないのでは」

「ほんとうにそう思っておるのか?」

「……いいえ」

 

 みずははカワウソから目をそらす。んなわけない。

 むしろあかねが一人部屋と知った以上は嬉々として忍び込もうとするだろう。

 だいたい、初っ端からまちがいが起こる可能性に言及したのは当のみずはである。

 さすがにこれ以上、みずはからいえる言葉はなかった。

 カワウソが静かに言葉を発する。

 

「世界を救うということは、あの子たちの未来を守るということじゃ」

 

 いつになく厳かな声におもわず顔を上げるみずは。

 

「打てる手があるのに打たず、みすみすあの子たちを死なせるわけにいかん。あの子たちの今を奪ってしまった以上、せめて未来だけは守ってやらなければならんのじゃ。わしはそう思っとる」

 

 そういって遠い目をするカワウソをみて、みずはは虚を衝かれた気分だった。

 ノリノリで子どもたちを戦わせているようにみえて、博士には博士なりの葛藤があったと理解するには十分で。

 この会話によって、天城みずはは博士に少しずつ心を許すようになっていくのだが――本編には関係ないので置いておく。

 

「それよりも、あの娘たちが眠ったら部屋に運んでやってくれよ。朝帰りなんかさせて、他の生徒にうわさでもされたら気の毒じゃからのう」

「……はい」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 あかねとわかばほどギャンブルをやらせちゃいけない人間はいないだろうと、あおい思う。

 

「よーし……っ! またジョーカーか」

 

 なにをやらせても顔に出るもんだからチョロいってレベルじゃない。

 

「これだ! ……ってあれ、ジョーカー!?」

 

 このメンバーであれば、ポーカーフェイスと鋭い読みを持つひまわりはなかなかの強敵だが、それでも肝心の勝負勘が欠けてる。だからあおいが負けることはない。

 

「……ジョーカーか」

 

 というわけで、あおいとひまわりが順番に抜けて、あかねとわかばがババ抜きで一騎打ちをしている現状は当然の帰結であった。

 

「あ! またジョーカーが……!」

 

 わかばの声。ジョーカーを抜かれそうになった途端、あかねが不敵な笑みを浮かべたことには気が付かなかったらしい。

 さっきからこんな感じでジョーカーの交換合戦になっている。畳の上に座って互いの手札を睨み合うふたり。

 まだしばらく終わりそうにない一騎打ちを横目に、あおいはあかねの部屋へ入った直後のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 予想に反して誰も監視していなかった階段を下りて、あかねの部屋の扉を意気揚々と開いたあおい。元気よく声をあげて、絶句した。

 

「あかねく――」

 

 ――あかねの部屋は狭かった。

 扉を開けたら小さな玄関があって、すぐ脇に申し訳程度の台所とトイレ、その先には布団を3つも並べればいっぱいになるだろう和室。あおいたち3人が詰め込まれた2人部屋より狭い。照明も薄暗くヘタしたら廊下より暗いかもしれない。そんな部屋で胡座をかきながら、ひとりテレビをみている浴衣姿のあかねをみて、あおいは思わず泣きそうになってしまった。なんの不平不満もいわず、ただ現状を受け入れるあかねの姿が、たまらなく悲しくて、愛しくて。

 

「……あおいちゃん?」

 

 声。テレビをみていたあかねが、こちらをみてポカーンとしていた。

 まさか人が来るなんて夢にも思っていなかったのだろう。

 あおいは涙をこらえて、笑顔を見せる。

 

「あそびにきたよ! あかねくん!」

 

 それをみて、あかねもまた笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「……ねえ、あおい」

 

 背後から声が聞こえた。振り向くとひまわりが手招きしている。

 ちらとあかねたちをみて、まだまだ一騎打ちは続きそうだと判断して、そそくさとひまわりの元へ行く。

 ひまわりはちょこんとしゃがんで、玄関脇に設置された小さな冷蔵庫を覗いている。

 

「どうしたの、ひまわりちゃん?」

「これ、みて」

 

 あおいも横から冷蔵庫の中を覗きこむと、そこに並んでいたのはビール瓶。

 

「これって」

「たぶん、急にあかねだけこの部屋になったから、撤去するのわすれたんだとおもう」

 

 ひまわりの推測に、あおいもたぶんそうなのだろうと思う。

 酒瓶を一つ手に取り、ひまわりは口を開く。

 

「のもう」

「いいよ」

 

 なぜか、ひまわりの目が細められた気がした。

 はて、自分はおかしなことをいっただろうかとあおいは首を傾げる。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「うん、いいよ!」

 

 わかばがあっさり乗ったのは、あおいにとって意外だった。

 てっきり「お酒なんて~」と怒られるかと思っていたのだが。

 ドッキングで毒されてしまったのかもしれない。主にひまわりの思考に。

 いたましいものをみる目でわかばをみつめていると、わかばはあっけらかんと言い放つ。

 

「部活の合宿とか道場の合宿で、よく先輩にお酒をのまされるんだよね。だからけっこういける口なんだ」

 

 さり気なくトンでもない話を聞かされた気がした。

 わかばも口にしてから気がついたらしく、苦笑を浮かべると両手を合わせて懇願する。

 

「ごめん! 他の人にはないしょにしといてくれる? わたしはいいけど、部員のみんなにめいわくかけちゃうから……」

 

 たしかに飲酒ごときで大会出場停止なんてアホらしいだろう。

 あおいとひまわりはうなずくと、力強く宣言する。

 

「うん、そこは安心してわかばちゃん。わたし、このメンバー以外で学校に友だちいないし!」

「あたしも」

 

 なぜだか複雑な表情をうかべるわかば。あおいとひまわりは顔を見合わせる。

 「なにか変なこといったかな?」「さあ」。目と目の会話。

 さておき、最大の障害になるとおもわれたわかばは、あっさりどころかノリノリだ。

 一杯くいっといきたいところだったが、ここで意外な人物がしぶった。

 

「お酒はちょっと……」

 

 頬をかきかきそういうあかねが、あおいは意外だった。

 笑いながらも「ちょっとだけだよ?」といってくれると思っていたのに。

 

「昔ジイちゃんにちょっとのませられたら、そのまま意識が飛んじゃってさ。あ、でもみんなはのんでくれれば……」

「じゃあ、あかねくんものもう!」

「話きいてたかな……?」

 

 めずらしく眉をしかめるあかね。

 しかしあおいは聞いちゃいなかった。意識が飛ぶ! なんて甘美な響きだろうか。

 ぜひともあかねのあられもない姿をみせてほしかった。

 

「じゃあ、用意してくるね!」

 

 いつになくノリノリのわかばが台所へ向かっていく。

 あかねはそれを制止しようと伸ばした右手を、所在なく宙に漂わせている。

 ふいに、ひまわりがあおいに問いかけてきた。

 

「あおいもいける口?」

「どうしてそうおもうの?」

「わたしが『のもう』っていったとき、ぜんぜん躊躇しなかったから」

 

 あおいは口元にあいまいな笑みを浮かべて答える。

 

「まあ、そこそこかな」

 

 実際はそこそこどころじゃなかった。

 ヨーロッパへ旅行したとき、目の前のビールより倍以上度数の強いワインを何杯も飲み干した経験がある。

 未成年の娘になに飲ませとんじゃという感じだが、せめて死ぬ前に酒の味を教えてやろうという親心だったらしい。

 すさまじい話だが、もっと幼いころのあおいはそれで納得できてしまうほどに身体が弱かった。

 そしてこれが重要なのだが――飲んでも飲んでもまったく酔わなかった。二葉家は代々めっちゃくちゃアルコールに強いそうだ。

 

「我が家がこれだけ繁栄したのは、この体質のおかげだ」

 

 なんて父親は冗談交じりにいっていたが、その目は本気だった。

 なんにせよ、あおいは今ほどこの体質に感謝したことはない。

 

(みんなが酔いつぶれたところで、あかねくんと……うへへ……)

 

 丁度、わかばがお盆に人数分のグラスと3本のビール瓶を乗せてやってきた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「でね、その植木屋さんが木から落っこちちゃったんだけど。あとからガラの悪い人がやってきて誠意見せろだなんてわめき始めてね。大変だったの」

「そうなんだ」

 

 あおいの言葉に相づちをうつわかば。

 和室でビール瓶の乗ったお盆を中心に円を組んで談笑していた。

 4人でいるには少し窮屈な部屋だと思っていたが、こうなるとたまり場みたいで楽しい。

 主に会話をしているのはあおいとわかばで、あかねは少しビールを口にした時点で壁に背をあずけてうつらうつらしている。

 

「あかねくん、起きてる?」

「……うん、だいじょうぶ。起きてるよ」

 

 あおいが水を向けると返事はするので、酩酊感に揺られているのだろう。

 ひまわりは両手に持ったグラスからちびちびと舐めている。ほんのり頬は赤く染まっている。いつにもまして無口だ。ダウナー系らしい。

 その点、目の前のわかばは自分から「いける口」というだけあって、さっぱり酔ってるようにはみえない。

 せいぜい、いつもよりちょっと饒舌なくらいか。わかばはいう。

 

「あれは去年の冬だったかな。部活で合宿した夜にね、顧問の先生がみんなに説教し始めたんだよ。で、だんだんヒートアップしてきてさ。『おまえらには気合が足りない!』なんて、そのままみんな船に乗せられて海にくりだしたんだ」

「え、部員全員?」

「うん。それで沖の方までいってからその顧問の先生、順番に部員たちを海に蹴り落としていったんだ」

「冬だよね? 夜の海だよね?」

「そう、冬の夜の海。わたしは蹴り落とされるなんてやだから、自分から飛び降りたけどね! もう水は冷たいし波は荒いし暗くて先はみえないし、あれはさすがに死ぬかと思ったよ」

 

 けらけらと笑うわかば。いつもよりちょっとはっちゃけてるかもしれない。

 しかし自分が知らないだけで運動部はみんなこんなものなのだろうか。おそろしい世界だとあおいは震える。

 煮詰まっていく宴。それぞれの手元にはグラスがあるものの、みんなすっかり飲み干している。ビール瓶もすでに空だった。

 ひまわりはグラスを足元に置くと、やおら立ち上がり、胡座をかいていたあかねの前に立つ。

 「?」を浮かべるあかねに背を向けると、そのまま膝の上にストンと腰をおろした。

 

「ひ、ひまわりちゃん?」

 

 裏返った声をあげるあかねに、ひまわりはかぶせるようにいう。

 

「ひまわりって呼んで」

 

 きょとんとした表情を浮かべるあかねに、ひまわりは続ける。

 

「あたしはあかねって呼んでるのに、あかねはちゃん付けなのはおかしい」

「いや、でもそれいったらあおいちゃんたちだって」

「いいから、ひまわりって呼んで」

 

 顔だけ振り向いて、そういうひまわり。

 目と鼻の先で交差するふたりの視線。

 至近距離からひまわりにじっと見つめられて、あかねは根負けしたようだ。

 

「……ひまわり」

「うん」

 

 ひまわりはかすかなほほ笑みを浮かべると、そのまま前を向き直す。

 どうやらあかねの膝の上から下りる気はないようだ。ふいにつぶやく。

 

「……あつい」

 

 「え」とあかねが口にするより先に、ひまわりは浴衣の襟に手をかけた。

 あらわになるひまわりの胸元。あわてるあかね。

 

「だ、だめだよひまわりちゃ」

「ひまわり」

「……ひまわり、風邪ひいちゃうよ!」

「じゃあ、ぬがせて」

「え」

「あついから、ぬがせて」

 

 なにが「じゃあ」なのかさっぱりわからない。

 あまりにもトントン拍子に展開するもんであおいはあっけにとられていたのだ。

 絡み酒の上に脱ぎ上戸だったのか、ひまわりちゃん。

 だがあかねはそれどころじゃない様子だ。

 ひまわりは両手をだらんと下げてあかねに身体を差し出す。

 

「あかねならいい。ぬがせて」

「で、でも」

「はやく」

 

 ごくりと唾を飲み込むあかね。

 おそるおそると、あかねの両手がひまわりの襟に伸びかけて。

 さすがにあおいも動き出そうとした刹那。

 

「あてみ!」

 

 颯爽とわかばがひまわりの首筋に当て身をした。

 あっさり意識を刈り取られるひまわり。

 身体を弛緩させ、あかねに背を預けるひまわりに、わかばは得意気にいう。

 

「ふふふ、天然理心流をなめないほうがいいよ」

 

 さすが宗家――ん? あおいはなにか違和感を覚えた。

 たしか天"元"理心流の宗家だったはず。

 いい間違え? いや、この手のいい間違いはむしろわかばが一番きらいそうな。

 あおいはあかねの様子に気がついた、目をつむっている。あおいの声。

 

「……あかねくん?」

 

 うーんうーんと、呻いているあかね。

 寄りかかっているひまわりが重いのかと思ったが、単に酒でうなされているといった塩梅か。

 今さっきのやりとりで一気にアルコールが回ってしまったのかしれない。

 なんにせよ。わかばは申し訳なさそうにいう。

 

「ごめんねひまわりちゃん。ちょっと手荒になるけど、どかすね」

 

 よいしょ、とひまわりをあかねの上からどかすわかば。

 畳の上にひっくり返ったひまわりはブラが丸見えだ。こそっと襟元をただしてあげるあおい。

 

「お酒をのむとだめになる人も多いってきいたけど。あかねくんはちがったみたいだね」

 

 え? とわかばの視線を追いかけると膨らんで――

 

「――ひゃあ!?」

 

 両手で思わず目を隠すあおい。しかし、こそっと目の隙間から見つめる。

 

「な、なんで」

「ひまわりちゃんの胸でもみて反応しちゃったんだろうね」

 

 さらりといってのけるわかばだが。

 それよりもあおいはあかねくんのあかねくんに釘付けだった。

 あれは大きいのか小さいのか。あおいには判断しかねるところだが。

 

「でもよかったね、あおいちゃん」

「な、なにが?」

「あかねくんってどっか超然としたところがあったから心配だったけど、ちゃんと"使える"みたいで」

「使える……」

「これで世継ぎの心配はしなくてすむって、お父さんにいえるよ!」

 

 なにをいってるんだこの女は。あおいはわかばにドン引きである。

 ふいにわかばが思案顔になった。なんだ、今度はなにをいい出すつもりだ。

 

「やっぱり"機能"のほうもかくにんしておかないとまずいかな。しからば……」

「って、わかばちゃんなにやってるの!?」

 

 中腰であかねに近づき、浴衣の裾をめくろうとしているわかばをみて叫ぶあおい。

 振り向いて、わかばはケロッという。

 

「え、そりゃあ……ナニをしようと」

「ほんとうになにいってるの!?」

 

 ナニをいってるんだ。

 ここに至って、あおいはわかばが酔っ払っていることに気がついた。

 ウインクしてサムズアップするわかば。

 

「だいじょうぶ! みたこともさわったこともないけど、棒のあつかいにはなれてるから!」

 

 なにひとつとしてだいじょうぶじゃなかった。

 おまけに悪酔いするタイプだこいつ。頭を抱えたくなるあおい。ふたたびあかねの方を向くわかば。というか、このままではあかねくんの貞操が奪われてしまう!

 あおいは転がっていたお盆を拾うと、ためらうことなく振り上げて背後からわかばに殴りかかる。シラフのわかば相手には通用しない手だが、酔っ払ってる今ならば――

 

「――あまいよ、あおいちゃん」

「え?」

 

 なにが起こったのかもわからぬまま、手からお盆が消えていた。

 次の瞬間、天地がひっくり返ってすぐ目の前にわかばの顔。おくれて頭上の畳にお盆が落ちてくる。あまりにも鮮やかなわかばの動き。押し倒されたと気がついたのはこれまたワンテンポ遅れてからだった。

 

「男の子はしらないけど――女の子のほうはよくしってるんだよね」

 

 そういうわかばの瞳は艶やかに濡れていた。

 なめ回すような、ねっとりとした視線。あおいはぞくりと身体を震わせる。

 あおいは確信する。この女――バイだったのか!

 

「あ、あかねく……」

 

 助けを求めるように視線を横に向けるが、あかねは隅っこのほうで眠りこけていた。

 意識が飛ぶって、文字どおり意識が飛んでしまうのか――! いや、それこそあおいの望むところでもあったのだが。この状況下にあってそれは孤立無援を意味する。食べるつもりが食べられてしまっただなんて笑えない話だ。

 どうにか抵抗しようとしたが、わかばに押さえつけられた両腕はぴくりとも動かない。

 

「前からあおいちゃんのこと、かわいいって思ってたんだ」

「そ、そうなんだ。ありがとう……」

 

 あおいの声は引きつっていたが、わかばは気にした様子もない。

 

「どういたしまして。でも、あかねくん一筋だからムリかなーっておもってたんだけど」

「む、ムリってなにがかな?」

「ははは、もうわかってるんでしょ?」

 

 わかりたくない。

 爽やかに笑うわかばだが、濡れた瞳には熱情が浮かび上がっている。

 あおいはこの日初めて知った。

 酔っぱらいの中でシラフの人間は割りを食うばかりなのだと。

 

「ま、犬にでも噛まれたとおもってさ。てんじょうみてればおわるから」

 

 そういってゆっくりと襟を下にずらされていく。

 あらわになるあおいの鎖骨と両肩。ブラジャーから覗く乳房。わかばの目が妖しく光る。狩人の目。やばい、あおいは必死に大声をあげる。

 

「ちょ、ちょっとまってわかばちゃ……」

「またない」

 

 わかばの唇があおいの首筋を這う。おぞけとともに背を反らすあおい。

 自分でも聞いたことのない、か細い声が喉から出た。

 

「ひゃん――!」

「お、初々しいはんのうだね。わたしがんばるから!」

 

 がんばらなくていいから。切に願うあおいであったが。願いむなしくわかばの動きは止まらない。まずい。このままでは本当にまずい。わかばの唇は順調に首元から下がっていく。わかばの動きは慣れきっていて、このままではほんとうに流されてしまいそうだった。

 抗うように右手を必死に動かすと指先に固いものが触れて――。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 みずはがあかねの部屋を訪ったのは、夜もだいぶ更けてからのことだ。

 ぼんやりとした橙色をした照明の向こう、部屋の中央に浮かぶ影。

 ようやく目が薄闇になれると同時に、みずはは目を見開く。

 畳の上に女座りをして、浴衣の片襟を落としたまま、ぼんやりしているあおいの姿。

 げっそりしていた。はらりと前髪が垂れ、うつろな瞳をうかべている。

 まさか、とみずははあかねを目で探したが、部屋の隅っこで丸まって寝ていた。

 着衣の乱れはない。いやしかし男ならちょっと前をずらすだけで事足りるし。

 

「……みずはさん」

「な、なに?」

 

 口元に笑みをうかべるあおい。

 年齢には不相応な、ぞっと色気を感じる笑みだった。

 或いは、修羅場を乗り越えた女の顔。

 

「……死守、しましたよ」

 

 ふいにみずはは気がついた。割れたビール瓶とその側にたおれている――。

 瞬間的にすべてを察したみずは。

 だれの、なにを、とはきかなかった。武士の情けである。

 

 

 

 



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7話 立てたフラグは回収しないとね

 

 

 

 

 一色家にて勉強会を開くことになった。

 あかねが小テストで赤点をとったことから、みんなで勉強を教えることになったのだ。

 もちろん、それだけではすまなかったりもしたのだが。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「じゃあね、みんな!」

 

 そういってエアバイクで去っていくあかね。

 放課後。校門にて3人娘はそれを見送ったところで、あおいはつぶやく。

 

「みずはさん、どこまでやってくれるかな」

 

 勉強の方は自分たちがどうにかするけど、それとは別にあかねへ給与を払ってくれとみずはに要求したのだ。苦笑するわかば。

 

「まさか中学生の身で賃金交渉やることになるとはおもわなかったよ」

「しかたないよ。このままじゃあかねくんが潰れちゃうもん」

 

 憮然とあおい。

 わかばとひまわりも神妙な様子であおいの言葉にうなずく。

 

「そうだね。それはわたしもおもうよ」

「うん」

 

 朝イチでバイトして、学校挟んでまた夜までバイト。それに加えてアローンとの戦闘である。いつかどこかで破綻する未来しかみえない。いくらあかね自身がそれを是としていても、来るべき破綻を黙って見過ごせるほどあおいたちは薄情ではないし、大人でもなかった。

 昼夜問わず月月火水木金金の勢いで戦わされているのだ、給与を要求する権利くらいあるはずだ。みずはも思うところはあったのだろう。「わたしの一存では決められないけれど、上に問い合わせてみるわ」と真摯に答えてくれた。

 

「あかねくんも、もうちょっと自己主張していいとおもうんだけど……」

 

 目を伏せるあおい。あおいたちのやりとりを当惑の面持ちでみていたあかねを思い出す。もっとも、アローンとの戦闘で給与をもらおうなんて考えもしなかったのだろうが。いつの世も実直な人間ほど割りを食ってしまうものなのかと悲しく思う。

 なんにせよ、あとはみずはをたよるしかない。うまいことやってくれることを祈るあおいであった。話が一段落したところで、わかばが口を開いた。こころなしか言いづらそうなようすだ。

 

「でさ、こんどの勉強会のことなんだけど……黒騎さんも誘わない?」

 

 ぽかんとするあおい。

 

「なんで?」

 

 マジでわけがわからなかった。

 文系科目はあおい。理系科目はひまわり。加えて校長が太鼓判を押すレベルの才媛であるわかばがいるのだ。あかねのバックアップとしてこれ以上の陣容はないだろう。わかばは続ける。

 

「ほら、サマースクールじゃめいわくかけちゃったからさ。おわびもかねて誘ってみよう、って」

「ことわられそうな気もするけど」

 

 言外に「ムダじゃない?」とほのめかすひまわり。むすっとした顔。できることなら関わりあいになりたくない。そんな意思を感じる。あれから何度かドッキングしたことで、ようやくれいが脅威だと気づいたようだった。

 わかばはどうなのかわからないが、さっきいいづらそうにしていただけに、あおいたちのれいに対する敵対心は敏感に感じ取っているのだろう。

 それでも根っこの部分では義理人情の人物だ(※ただし剣と酒が関わらなければ)。サマースクールの一件は博士の暴走で片付けることも可能だが。自分たちビビッドチームの強化が目的でもあり、そこに巻き込んでしまった責任を感じたことは想像に難しくない。

 

「まあ、それでも、ね? おねがい!」

 

 そういって苦笑と共に両手を重ねるわかば。

 わかばにしても断られる可能性は高いと思っているらしい。

 それでも誘おうというのは、責任感と、おせっかいもあるのだろうと思う。

 孤立しているクラスメイトに手を差し伸べようというおせっかい。

 こんなことに付き合ってやる義理もないのだが――きっと想い人も同じような行動を取るのだろうと思う。であるならば。あおいに選択肢はなかった。

 

「やるだけのことはやってみるけど……」

「わかばのおねがいなら……」

「ありがとう! あおいちゃん! ひまわりちゃん!」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 黒騎れいは学校の中庭にいた。

 なにやら植え込みに向かってしゃがんでいたが、あおいはとりあえず声をかける。

 

「黒騎さん」

「!?」

 

 背中から声をかけられたからか、びくりとれいの身体が跳ねた。

 おそるおそるといった様子で振り返るれい。

 

「な、なにかしら……」

 

 いつもの無表情だが、なんだか様子がおかしい。

 まるで必死に虚勢を張っているようなビクついた気配。

 はて、こんな小動物キャラだっただろうかと首をかしげるあおい。

 なんにせよ、やることをやるだけだと気を取り直して。開口一番。

 

「こないよね?」

「え?」

「こないよね? ね?」

「え、あ、ええ……」

「だよね! さすが黒騎さん! じゃあね!」

 

 しゃがんだまま呆然としているれいを横目に、あおいは手を振って去っていく。

 やるだけのことはやった。

 

(あとは明日の勉強会の準備しなきゃ! まっててねあかねくん!)

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 そして勉強会当日。

 畳の上に置かれた座卓を囲むあおいたち。そこには黒騎れいの姿。

 一色家での勉強会。れいはふつうにやってきた。

 どんなトリックを使ったのか、あおいは不思議で不思議でならない。

 隣りに座ったわかばにこそりと問いかければ、あっさりと。

 

「ふつうに誘っただけだよ?」

「ほんとうに?」

「ほんとうだよ。わたしだって、正直ちょっとおどろいてるくらいだもん」

 

 わかばの言葉にうそはなさそうだった。

 

「『土曜にあかねくんのおうちで勉強会をやるんだけど、あなたも来ない?』って訊いたら、『ええ……』なんて」

 

 そういってから、わかばはふとなにかに気がついたような表情をうかべる。

 

「ただ」

「ただ?」

「そのとき、なんかぼうっとしてたような」

 

 合点するあおい。

 ちょうど考え事でもしてて、反射的にわかばの誘いにうなずいただけだなこれは。

 黒騎れい。無愛想な女だが脇は甘いらしい。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 面倒なことになったな。あおいはそう思った。

 トイレに立ったれいを尾行してみたのだが、いきなり家探しを始めたのだ。

 それだけならあおいもたまにやるからとやかくいいはしなかったが。

 台所。冷蔵庫の中の一色博士をみられてしまったのはまごうことなき自分のミスだった。

 

(いや、だってまさかひとの家の冷蔵庫をかってにあけるなんておもわないし)

 

 心のなかで言い訳をするが、現実は容赦なく進行している。

 とりあえずは、悲鳴をあげようとしているれいをどうにかしなければならない。

 

「き……」

 

 ギシリと、あおいはわざとらしく足音を立てた。そのまま物陰から姿をあらわす。

 悲鳴を上げようと口を開いたまま、れいはあおいの姿をみて、目を見開いた。

 

「……!? ふ、ふたばさ」

「人のおうちの冷蔵庫をかってにあけるなんて、ちょっとどうかと思うよ?」

「そ、それは……」

 

 れいも思うところはあったのだろう、しどろもどろになる。

 その姿をみて、ちょっといじわるな気持ちになった。

 テキトーにいいくるめて終わりにするつもりだったが、こういう悪い娘はちょっとおどかしてやらねばならない。あおいは口を開く。

 

「にしても、バレちゃったかー」

「え……?」

「このことはだれにもひみつだったんだけどなー」

「ま、まさか……!」

 

 あおいの顔をおびえた顔でみつめるれい。ガクブルと身体を震わせている。

 

「みられちゃったからには」

 

 一歩、二歩、ゆっくりとあおいは踏み出す。れいは後ろに下がっていく。

 

「口止めしないとね――博士みたいに」

 

 にこり。あおいが笑うと同時にれいはたおれた。

 あおむけに、バターン。

 

「……これくらいで気絶するなんて」

 

 ちょっとおどかしたくらいで大げさな女だ。あおいはひとりごちる。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 台所にて気絶したれいを囲むあおいたち。

 

「すっごくうなされてる……」

「冷蔵庫をあけたらぱっと見死体があったんだもん、うなされもするでしょ」

「だよね」

 

 上からわかば、ひまわり、あおいである。

 あおいが発見した時点でれいは気絶していたとみんなには伝えていた。ひまわりだけは疑わしげな目であおいをみていたが、これといって追求はしてこなかった。

 3人娘の横で頭を抱えるあかね。

 

「うちのクソジジイが、また迷惑を……」

 

 あかねの中で祖父の評価は急落中のようだ。

 博士の抜け殻はとりあえず物置に移動させておいた。

 証拠隠滅も完了したところだし。

 

「じゃ、そろそろ起きてもらおうか。わかばちゃん、おねがい」

「りょうかい」

 

 れいの背に腕を回して上半身を抱き起こすわかば。

 そのまま両肩に手を置いて「はっ!」と喝を入れると同時に目覚めるれい。

 見事なお手並みだった。

 

「え、あ……」

 

 キョロキョロと視線をさまよわせてから、ぼんやりとれい。

 

「わたしは、いったい」

「台所でたおれてたんだけど、だいじょうぶ? 黒騎さん」

 

 実に白々しいわかばの言葉にれいは眉をひそめる。

 

「台所?」

「そう、台所」

「台所……」

 

 寝起きの頭にようやく言葉がしみわたったのかもしれない。

 ハッとした様子で、声を上げる。

 

「冷蔵庫のなかに……!」

「なかに?」

 

 にこにことあおいが笑みを向けると、サーッとれいの顔色が青ざめた。

 理由はまったくわからないが、人の顔をみてそのリアクションはないのではないか。

 あおいは内心の不快感を押し隠すように繰り返す。

 

「――なかに?」

「……なにもありませんでした。わたしのかんちがいだと思います……」

 

 うつむいてそういうれいはいつになく殊勝な様子だった。

 ところで、ひまわりちゃんはなんでわたしのことを呆れた目でみているのだろう。

 あおいは不思議だった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 アローン襲来。

 その情報がもたらされたのは、れいが帰宅してから10数分後のことだ。

 ミーティングでみた健次郎博士はひと回り小さくなっていた。

 昔お気に入りのぬいぐるみをお手伝いさんがまちがって乾燥機に入れてしまったとき、あんな感じに小さくなった気がする。

 なんでもミキサーを勘弁してもらった結果らしいが、あおいにはよくわからない。

 

 さておき――戦闘開始だ。

 

 オスプレイから夜のビル街へ飛び降りていく、パレットスーツを着たあおいたち。

 あおいが少し姿勢を崩したところを、先行していたあかねが空中で受け止めた。

 

「ありがとう、あかねくん!」

 

 つかの間の抱擁。お礼をいうあおい。胸板に顔を押し付けていろいろ堪能したかったが、それよりも先にあかねの方から離れていく。

 

「気にしないであおいちゃん! さあ、いこう!」

「う、うん!」

 

 離れていくあかねに名残惜しさを感じるものの、今はそれどころではない。

 まずは目の前のアローンを叩き潰す。ラブコメはそれからでいいだろう。

 あおいは両手に持ったハンマーをぎゅっと握り直すと、飛んで行くあかねに追従する。

 夜空を飛びながらおなか減ったなあ、とあかね。

 

「はやく帰って、ももの作った夕飯を食べたいよ」

「あかねくん、そういうフラグを立てるようなことは……」

 

 眉をひそめるあおいに、ひまわりも続く。

 

「……えんぎでもない」

「え? なにが? なんでふたりともそんな顔してるの?」

 

 よくわからないという顔をしているわかば。

 あかねは不敵な笑みをうかべる。

 

「なあに心配いらないさ。こっちには勝利の女神が3人もついてるんだからな」

 

 らしからぬキザなセリフ。

 れいの帰宅後、ももが料理を作っているあいだに見ていた洋画のセリフだった。

 その遊び心にあおいはくすりと笑う。

 

「正確には1人だよ、あかねくん」

 

 あかねのいうとおり、戦闘は終始こちらがわ優位で進んだ。

 ひまわりとドッキングしてあっさり撃破。

 たいしたことのない敵だったと、気を抜いたのがいけなかった。

 

「あぶない!」

「あ、あかねくん!?」

 

 たおしたと思ったアローンによる一撃。

 あおいを庇って、あかねはその赤い光に撃墜された。

 手足をだらりと投げ出してビル街に落ちていくあかねの姿。

 アローンはさらなる一撃を放つそぶりを見せたが、それよりも早く、大剣を振り上げたわかばが突貫した。いつにない怒りの表情。

 

「はあ!」

 

 咆哮一閃。しかしアローンの前方に展開されたバリアによって刃は通らない。それでもあきらめず追撃する。一撃必殺を信条とする本来のわかばであるならば決して行わないであろう怒りにまかせた荒々しい連撃。その怒りの矛先は敵か。己か。しかし刃は通らない。せいぜいアローンの再生をわずかに遅延させるだけだ。

 

「あおいちゃん!」

「う、うん!」

 

 わかばの叫び声に、あおいはハッと落ちていくあかねを追いかける。

 

「あかねくーん!」

 

 落ちていくあかねを捕まえようと――伸ばした右手は空を切った。

 

 

 

 

 

 



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ex 黒騎れいの肖像

 

 

 

 

 

 ログハウスで目覚めた黒騎れいは、まず海岸でみた不審な潜水艦の姿を思い出した。

 次に示現エンジンへの潜入に失敗したことを思い出し、ふたつの記憶を関連付ける。

 つまり自分をこうして拉致監禁したのは示現エンジン関係者にちがいないと結論を出す。

 今後についてさまざまな考えが脳裏に過ぎっていくが、なによりもまずこの場から逃げ出さなければならないと。れいは置かれていた食器で扉の鍵を開けてログハウスから脱出。

 警戒とは裏腹にまったく人の気配がしないことをいぶかしみながら、森を抜けようとして、二葉あおいをみつけた。なにやら容器を重たそうに引きずって歩いている姿。どうしてこんなところにいるのだろうかと疑問を抱く間もなく、そこに転がってくる岩。

 あぶない! おもわず助けようとして、しかし顔をみられたら面倒だとれいがマフラーを顔にまいたところで。それよりも先にあおいは落ちてた石を拾って投げつけた。着弾。弾ける岩。

 

「なっ……」

 

 絶句するれい。

 記憶のかぎり、二葉あおいはもっと気弱そうな少女だった。だというのに転がってくる岩を恐れもせず、それどころか冷静にあれが風船だと看破したのだ。

 

「で、あなたはなにやってるのかな?」

 

 声が聞こえて、あおいが自分のことを見ていることに気がついた。

 いつも教室でみる穏やかな表情。口元にはともすれば気弱そうなほほ笑みを浮かべているのに、その瞳の奥には怜悧な光。おもわず圧倒されるれい。

 自分でも苦しい言い訳をしたところで、あおいはどうでもよさそうな表情を浮かべる。

 

「まあ、なんでもいいや。あかねくんたちが向こうのほうで戦ってるから、行ってきてくれないかな?」

「……戦ってる?」

「うん。黒騎さんを助けるために戦ってるから。元気な姿でもみせて安心させてあげて?」

「わたしを助けるために……?」

 

 れいにはわけがわからなかった。

 あかねとは何度か会話したが、そのたびに冷たい言葉を浴びせて突き放した記憶しかない。だというのに、危険を冒してまで助けに来てくれた?

 困惑しているれいを尻目に、容器を掴んで先へ進もうとするあおい。

 

「……あなたはどうするの?」

「ちょっとこれから、黒幕に天誅を下そうと思って」

 

 そういってあおいが浮かべた笑顔を、れいは生涯忘れることはできないだろう。

 「やめなさい」というべき場面だったのだろうが、れいにはそれを口にする勇気はなかった。だからといってひとりで行かせるわけにもいかない。元はといえば自分が蒔いた種である。

 せめて後ろからついていくことにしたのだが、進めば進むほどにあおいの背中から発せられる"瘴気"は濃くなっていった。或いは殺気か。

 ビクつきながら敵の本拠地――元のログハウスがあった場所だった――にたどりついたところで、"それ"は起こった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 れいが"それ"を思い出したのは、自室の机で銃器をいじっている時のことだった。

 

『目的のためなら手段をえらばない、人間ならとうぜんのことでしょう?』

 

 そういって地下室へ嬉々として油を流し込む二葉あおい。

 目的のためなら人を殺すことすらいとわない、おぞましい女。

 一色あかねのためだとうそぶいて、己のために平然と他人を踏みつけるエゴイスト。

 しかし見方を変えれば、あれは自分の姿ではないのか。自分の世界を救うという目的のためだけに、不特定多数の人々を地獄へ突き落としている自分と何が変わらないのか。

 あの時れいが動揺したのは、つまりそういうことだった。

 

「……ちがう」

 

 ちがう。ちがう。ちがう。れいは今もまた必死にその考えを否定する。

 わたしが殺そうとしているのはそう、人じゃないのだ。

 自分とは異なる世界に生きる。自分とは別次元の存在で。つまりこれはゲームで。れいはハッとする。天啓を得た気分だった。

 

「……そう、これはゲーム」

 

 モニターの向こうでNPCを殺すことと同じであって、ちがうのだ。

 ゲームであるなら目的のためにNPCを殺して誰が咎めようか。

 そうだ、突き詰めて考えれば、自分は弓を射っているだけに過ぎない。

 コントローラーでキャラクターを動かしてNPCを殺すのと何が変わらないのか。

 ましてや、アローンを操作しているのは自分じゃないのだ。勝手に殺してるだけ。

 自分にとってこの世界の人間とは、要はその程度の存在でしかない。

 大切なモノを見誤るな、自分の居場所はここじゃないのだから。

 だからちがう。自分と二葉あおいはちがう。ちがう。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 不覚だった、れいはそう思う。

 あのおぞましい女――二葉あおいからいきなり声をかけられたからとテンパってしまった。要領を得ない問答に悩んでいるところに三枝わかばから声をかけられ、反射的に首肯してしまったのだ。おかげで今度の土曜日は一色あかねの家を訪うことになった。

 

「……どうして?」

 

 自宅。机で黒騎れいは思い悩む。

 なぜ彼女たちはそこまで自分にかかわろうとするのか。わからない。

 ふいに風のうわさを思い出す。一色ハーレム。

 そういえば三枝わかばと二葉あおいはその一員だったはずだ。ならば。

 

「……わたしのこともハーレム入りさせようとしている?」

 

 おそろしい未来を想像して震えるれい。

 たしかサマースクールの班に誘われた気がした。考えてみればあのときから目をつけられていたのだろうか。複数の女性に気を持たせてはべらせている時点で一色あかねを人としてどうかと思う。そんな男の毒牙にかかるなど冗談ではない。だが。

 

「……行くって約束しちゃった、のよね」

 

 机に突っ伏すれい。

 わざわざあんな悪漢の巣に自分から入り込むだなんて、冗談じゃなかった。

 

「……バックレよう」

 

 そうだバックレよう。端から悩む必要などなかったのだ。

 わたしにはやるべきことがあって、そちらを優先しなければならない。

 さしあたり、示現エンジンへの潜入方法をどうにかして模索する必要がある。

 れいはノートPCを広げて関連資料を漁っていく。

 

「示現エンジンの開発責任者は一色健次郎。……一色?」

 

 まさかと調べれば、案の定だった。

 

「一色あかねの祖父……」

 

 かくして勉強会に参加する必要が生じてしまった。

 人生というのは本当にままならない。れいは心底そう思う。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「お手洗い! ……お借りするわ」

 

 そういって一色家の居間から出て、れいは家探しを始めた。

 あまり時間をかけてしまえば、いぶかしがられるはずだ。

 時間との勝負だと気を引き締めるれい。

 

「いったいなにが……」

 

 母屋から出て、離れにある健次郎博士の研究室を覗いたが、中は荒れ果てていた。

 焼け焦げた研究機材。まるで実験に失敗して、そのまま放棄したような光景。

 中に入り込んで調べる? いや、これではすぐバレてしまうだろう。煤けた通路を歩けば足あとがつく。断念して母屋にもどる。台所を経由して居間にもどろうとして、ふいに冷蔵庫が目に入る。正確には右上に刻まれた文字。

 

「一色健次郎作……」

 

 冷蔵庫なんか調べても意味はないだろうと思うが、一応みてみることにした。

 両開きのドアを開くと、そこにはスイカを抱えた人が鎮座している。ベロンと舌を出しており、開けっ放しの瞳は黄色く濁っていた。どうみても死体ですありがとうございました。

 

「き――!」

 

 おくれてれいが悲鳴を上げかけたその時。ギシリと床板の鳴る音。とっさにそちらへ視線を向ければ、そこにはあのおぞましい女が静かなほほ笑みを湛えて立っていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 勉強会はつつがなく終わった。

 赤点をとった一色あかねのための勉強会と聞いていたが。

 実際に勉強を教えてみれば赤点をとったのが不思議なくらい柔軟に吸収していった。

 聞けば家計を助けるためのバイトが忙しくて勉強してる暇もなかったらしい。

 終わったところにちょうどあかねの妹が帰ってきて、みんなで昼食をとる流れになる。

 ついでに材料となる野菜を、庭の家庭菜園からみんなで採ることになった。

 

「これはまだちょっとはやいかな。あ、これなんかはいい感じに熟れてるね」

 

 トマトの苗木の前。

 しゃがんでいるれいの横で、あかねは中腰になってあれこれと説明している。

 れいが何もしらないと聞いて親切に教えてくれているのだ。

 すでに家探しをする気力はなかった。なんだかよくわからないがトンでもないものをみてしまったような気がするし。今も背中にあおいの視線を感じるし。ぶるりと震える。

 

「どうかした? 黒騎さん?」

「……なんでもないわ。一色さん」

「そう?」

 

 さながら蛇に睨まれた蛙だった。

 こうなればいつものように突き放すこともできない。

 

「黒騎さんは好きな野菜とかある?」

「考えたこともないわ」

「そうなんだ、じゃあトマトはどう?」

「食べられるわね」

「それじゃあこれ、採れたてのトマト。新鮮でおいしいよ! ガブリとどうぞ」

「がぶり」

「おいしい?」

「おいしいわ」

「それならよかった!」

 

 ――もうちょっとこう、なんとかならないのか。

 れいは自分で自分にあきれてしまう。

 決して突き放してるわけじゃなく、これがれいの全力コミュ力だった。

 考えてみれば半年くらい他人とまともに会話した記憶がないが。

 だからといって、まさかここまでひどいことになっているとは思わなかった。

 それだけに、だんだんと疑問がわいてくる。

 

「ねえ」

「ん? なにかな」

「どうしてわたしにかまうの?」

 

 ともすれば自意識過剰な発言だが、れいは気になってならなかった。

 ちゃんと向き合ってみれば、一色あかねはとても"いい人"だ。

 自分みたいな人間相手でもこうして根気強く明るく話しかけてくれるのだから。

 転校早々ハーレムを作ってるなんて風のうわさを耳にしたから警戒していたが、本人からはなんの邪気も感じない。あおいたちがあかねに惹かれたのは、あくまでも自然の成り行きだったのだろうと推察するには十分だった。

 以前、示現エンジンへの潜入に失敗して座礁したところを助けてもらったことがあった。その時はただただ警戒していたが、今から思えば申し訳ないことをしたと思う。たいせつな鍵まで探してもらったのに。

 だからこそ不思議だった。こんな無愛想な女にどうしてあかねはよくしてくれるのか。冷たい言葉だって投げつけた。突き放しもした。だというのにどうして。問いかけられたあかねは虚をつかれたような表情をうかべる。頬をかきかき、言葉を選ぶように口を開く。

 

「友だちになりたいから、じゃダメかな?」

「友だち」

「うん。もしかして迷惑……かな?」

 

 「迷惑だ」。そういえばいい。そういえばおしまいだ。

 自分には目的がある。そのためには余計な人間関係など邪魔なだけだ。

 だというのに、どうしてかそれを口にすることはできなかった。

 きっとそれは後ろで監視しているあおいのせいだと自分に言い聞かせながら答える。

 

「……そんなことないわ」

 

 「ならよかった」とほほ笑むあかねの顔を、れいはなぜか直視出来なかった。

 視界の端にカラスの姿が見えた。おつとめの時間。

 

「……ごめんなさい、用事があるから帰るわ」

「え?」

 

 れいは立ち上がると、あっけにとられた表情のあかねに背を向ける。

 少し進んだところで立ち止まって。

 

「……また学校で」

「うん! またね!」

 

 あかねのうれしそうな声を背に受けながら、れいは去っていく。

 どうしてあんなことをいってしまったのか自分でもわからなかった。

 これはゲームだ。小さくつぶやく。いい聞かせるように。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 落ちていく。

 夜の町。遠くで、赤い服を着た少女が落ちていく。

 極めて単純なことだった。

 矢を射って、それで強化されたアローンが撃ち落とした。

 ただそれだけ。それだけのこと。

 あれは異世界人で、自分とは関係なくて。

 死んだってそれは遠い世界の話で。これはゲームで。

 ビルの屋上をよろよろと歩いて、れいは膝から崩れ落ちた。

 こみ上げてきたそれをこらえきれずに吐き出す。

 

「……っ」

 

 屋上に胃の中身をぶちまける。

 

「かはっ……げほ……ぇ……」

 

 それでもこみ上げてくるものは止まらず胃液を吐き出す。

 あれは人だ。まちがいなく人だ。

 殺した。わたしは殺した。この手で。この弓で。

 家族がいて友人がいてこんな自分を気にかけてくれる。

 この世界に生きる、あかねと、自分と同じ人間を――殺したのだ。

 

 

 

 



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8話 その手をとって

 

 

 

 覚悟はできていた。

 だから、あかねが病院送りになったことについては何の動揺もない。

 生きてさえいる。であれば問題はない。ないのだ。

 集中治療室。窓越しにあかねの姿をみながら、あおいは右手をぎゅっと握った。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 防衛軍総司令部。暗闇に包まれたブリーフィングルーム。

 あおいたちの前方のモニターに映っているのは、スカイツリーに繭を張ったアローンの姿。接近する戦闘機を片っぱしから叩き落としていく映像を前に、健次郎博士があおい以下ビビッドチームに出した命令は「撤退」だった。

 一色あかねの不在。それはアローンに対する切り札"ドッキングシステム"が封じられたということだ。万に一つも勝算はない。そんな戦いにあおいたちを投入するわけにはいかない。

 それが健次郎博士の結論だった。

 

「ここから先は軍にまかせる。以上じゃ」

 

 そう締めくくられたブリーフィングの帰り道。

 総司令部内のエスカレーターに3人で乗りながら、あおいはひまわりに問いかけた。

 

「示現エンジンがこわされちゃったら、どうなるのかな」

「各国の社会インフラが軒並み停止して、円滑な経済活動が行えなくなった結果、世界大恐慌が引き起こされる」

 

 まるで教科書の文言をそのまま引用してきたかのようなひまわりの発言。というかこのまえ授業でやった内容だ。スケールが大きすぎるせいか、あおいには風が吹けば桶屋が儲かるレベルの内容にしかうけとれなかったが。つづけてひまわりは身近な例をならべはじめる。

 

「身近なところでいえば、通信機器はつかえなくなるし、家電製品なんかもつかえなくなる。それと……」

 

 すこしだけ言いづらそうにひまわりは続ける。

 

「……病院の機械がうごかなくなって、患者さん全滅」

「……そういうところって、予備電源とか用意してるものじゃないのかな?」

「すぐに代替エネルギーの準備ができればいいけど、間に合わなかったら」

 

 ひまわりは目を伏せる。間に合わなかったら――患者全滅。

 そしてそれは未だ目ざめないあかねのことでもあり。沈黙が落ちる。

 ふいに、わかばが声を上げた。

 

「あれって……、あかねくんの?」

「え?」

 

 反対側のエスカレーターを制服姿の職員が流れていく。目の前には台に乗せられたガラスケースがあり、中にはいつもあかねが戦闘で使っているブーメランが入っていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 パレットスーツとは形而上の概念によって構成される武装だという。

 この場合においてはつまり、使用者の"想い"によって構成された武装ということだ。

 本来であればパレットスーツが解かれると同時に武器も自然に消え去っていく。

 にもかかわらずあかねの武器が残留したということは。

 

「……ばかだよ、あかねは」

 

 武器庫に収容されたあかねのブーメランを前にして、ひまわりはぽつりとつぶやいた。

 なにかをこらえるようにうつむきながら。

 

「自分があんなことになってるのに、まだアローンのことなんか気にしてる」

 

 あおいもまたつぶやくようにいう。

 

「……きっと世界を守ろうとしてるんだろうね。いまも、まだ」

「ばかだよ。あかねは、ばかの100乗だよ。世界守って自分がいなくなったら、意味ないじゃん」

「……そうだね。ばかだ。あかねくんは」

 

 あの時だってそうだ。あおいは思う。自分のことなんか庇わなければよかったのだ。

 バカだ。あかねくんはバカだ。そしてそんなバカなあかねが、あおいは大好きだった。

 

「ふたりとも」

 

 わかばの声。つられて顔を見れば、強い意志のこもった目があった。

 もはや言葉はいらなかった。あおいはうなずく。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 あおいの眼下には、病院のベッドに横たわるあかねの姿があった。

 峠は越えた。集中治療室からは出されたが、しかし未だに目覚める気配はない。

 ねむるあかねの輪郭を、あおいは右手の指先でやさしくなぞっていく。

 

「世界を守るのがビビッドチームの役目だなんていうけれど」

 

 点滴を打つために毛布から出された右腕が目に入った。筋張った腕。

 中学生になってから、だいぶ男の子っぽい身体つきになったとおもっていたけど。

 今の学校で同年代の男子に囲まれたら、華奢な部類だとわかってしまった。

 

「あかねくんのいない世界に未練はないかな」

 

 こんな身体で一家の家計と世界を背負って戦っていたのだ。

 おまけに困っている人がいれば手を差し伸べて、なんでもかんでも引き受けて。

 不平不満もいわないで。いつだってだれかのために身を削ってきた。

 

「でも、あかねくんは生きてる」

 

 耳をすませば、おだやかな寝息がきこえてくる。

 まるでなにも心配していないかのように、あどけない寝顔をうかべていた。

 

「だからちょっと世界を守ってくるよ。目が覚めてひとりぼっちじゃ、さびしいもんね」

 

 あかねの唇に指で触れる。

 瞳を泳がせて、唇に触れた指を自分の唇に重ねる。いまはこれだけ。

 

「……いってくるよ」

 

 あおいは最後にあかねの頬を愛おしげになでると、踵を返して病室から出て行く。

 通路を抜けて階段を降りて、ロビーを抜けて玄関から外に出たところに影。

 

「……黒騎さん?」

「……二葉、さん」

 

 病院の門の側に、夕日に照らされた黒騎れいの姿。

 

「……こんなところで会うなんて、きぐうだね」

 

 ちかづいて黒騎れいの顔をみて、あおいは眉をひそめた。

 頬はこけ血色は悪い。瞳もにわかに充血している。

 たった数日で彼女になにがあったのかと考えて、どうでもいいと思考を切り替えた。

 

「黒騎さんは、どうしてここに?」

「それは……さんぽで」

 

 伏し目がちにそういうれいは、胡散臭いことこの上なかった。

 伊豆大島からここまでどれだけ距離があると思ってるんだ。

 とはいえ深くは追求しなかった。あおいにしたところで、あまりれいをとやかくいえる立場ではない。「そうなんだ、じゃあまた学校で」と軽く流してもよかったのだが。

 

「ちょっとお話しようか」

 

 にこりと、そう口を開いていた。

 れいの顔が一瞬こわばって見えたのは気のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 視線の先には、夕日を照り返す川が広がっていた。あおいは川に沿って設置された手すりの前に立って、おだやかに凪ぐ水面をみつめている。

 

「それで」

 

 声。すぐとなりに視線を向ければ、同じく手すりの前に立ったれいがあおいに視線を向けている。困惑した様子だが。しかしこの前まであったおびえはいくらかなくなっていた。

 

「話ってなにかしら、二葉さん」

「わたしね、いままでずっと病気してたんだ」

「……え?」

 

 眉をしかめるれい。かまわず続けるあおい。

 

「なんどもなんども入退院をくりかえしてね。両親はもちろんそんなわたしのことを大切にしてくれてたけど……人間って、慣れちゃうんだよね」

「……どういうこと?」

「わたしの入退院そのものが日常の延長線みたいになっちゃってね。ああ、またかって感じで、あんまりお見舞いにもこなくなっちゃったの。たまにきても、かけてくる言葉は事務的っていうか」

 

 しかたのないことだとは思う。

 両親共にその生活は多忙を極めている。その合間を縫ってお見舞いに来てくれるだけ、あおいはまちがいなく両親から大切にされていた。

 

「それにね、慣れたのは両親だけじゃなくて、わたしもそう」

 

 発作は苦しかった。けれどもトータルでみれば小康状態のほうが長いのだ。しかし動くことはゆるされない。ベッドの上で日がな一日ぼうっとしている毎日の繰り返し。まだ幼い少女にはあまりにも退屈な日々。

 

「でもね、わたしってなんていうか。自分でいうのもはずかしいけど、ものわかりのいい娘だったんだ」

 

 退屈をうけいれて、なにもせず、ぼうっと病院の天井を眺め続ける日々。

 たいていの病室にはテレビが備え付けられていたし、差し入れのDVDだって転がっている。絵本だって差し入れられていたけど、あおいはどれも決してみようとしなかった。ただただ、ぼうっと病院の天井を眺め続けるだけ。

 

「……どうしてみなかったの? いくらものわかりがよくても、退屈だったんでしょう?」

「いろいろ理由はあるよ? たとえばね、自分を、哀れんでいたりとか」

「……哀れんでいた?」

「ものごころついたころから、ずっと病院で寝たきり。そんな自分の不遇を哀れんでたんだろうね。いやな子どもだと思わない?」

 

 ほほ笑むあおいだったが、れいの表情は硬い。

 あおいは続ける。

 

「でもたぶん、いちばんの理由は……知ることがこわかったんじゃないかな」

「こわかった……?」

「うん、外の世界を知ってしまうことが、こわかったんだとおもう」

 

 外の世界を知ることで、自分の中にあこがれが生まれてしまうことをおそれていた。両親からすれば、外の世界にあこがれることで、すこしでも前向きになってほしかったかもしれないが。いつ治るともわからない病気と付き合っていくには、そのあこがれはあまりにも重かった。

 

「だからみなかったの。知ってしまったら、知るまえにはもどれないから」

「知るまえにはもどれない……」

 

 知らなければ悩むこともない。病室だけが世界のすべてだと思い込めば、なにも考える必要がないのだ。無意識にそれを理解していたのだから、つくづく小賢しい子どもだったとあおいは苦笑してしまう。情報をシャットダウンして、心を塞いで、目をそらして、すべてから逃避していた。それでも、小学校への進学が決まってしまえばいやでも外の世界と触れ合う必要があった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 あおいが最初にそれを経験したのは、小学校一年生のときだ。

 入学式で仲良くなった子がいて、それから何をするにも毎日いっしょだった。

 下校中、ランドセルを揺らして歩くふたり。

 

「ねえねえあおいちゃん」

「なに?」

「わたしたち、ずっとともだちだよ!」

「……うん!」

 

 だけど入院して、1ヶ月後に復学したら、その子はもう別の子と仲良くなっていた。

 あとはもう繰り返しだ。学年が上がって。学校が代わって。仲のいい友だちができて。入院して。疎遠になって。この繰り返し。

 伊豆大島への引っ越しが決まったころには、もう友だちを作ることはあきらめていた。

 引越し先の家へ向かう車の中。携帯電話で父と事務的な会話を済まし、外の空気を吸おうと車の窓を開けた時のことだ。視線の先にエアバイクが見えた。運転手である栗毛の少女は自分と同い年くらいだろうかと、ぼんやり眺めていた。山沿いの道を下りながら、栗毛の少女の手がエアバイクのカゴに伸びた。取り出したるは一通の新聞紙。なるほど新聞配達員だったのかとおもっていると、少女はそのままこちらに向かってきた。配達先が近くにあるのかなと思っていたら。

 

「……え?」

 

 新聞紙が飛んできた。栗毛の少女が投げつけたのだ。

 風切音。開いていた窓から車内に入り込み、すぐ目の前を通過していく新聞紙。

 驚きから上げたあおいの悲鳴に、運転手があわててブレーキを踏む。急停止する車。

 顔だけ向けて、あせり声であおいを案じる。

 

「だ、だいじょうぶですかお嬢さま?」

「ええ……」

 

 ぼうぜんと新聞の飛んでいった先を目で追うと、民家の軒先に設置されたポストに収まっている。まさかリアルで新聞を投げて投函する光景がみられるとは。あぶないだろうと思うよりも変に感心してしまった。ペーパーボーイならぬペーパーガールか。

 

「ごめん! だいじょうぶだった?」

 

 開いている窓の向こう。車に駆け寄ってきた栗毛の少女が、申し訳なさそうな顔でこちらをみている。ドキリと胸が跳ねて、いきなり声をかけられておどろいたのだろうと思った。

 

「は、はい……だいじょうぶ、です」

「ほんとう? よかったー」

 

 栗毛の少女はほっと胸をなでおろすと。

 ふたたび申し訳なさそうな顔でポケットに手を突っ込む。

 

「ほんとうにごめんね? おわびにこれを……」

「そんな、おわびなんて」

「いやいや、ご迷惑をおかけしてしまったわけだし……」

 

 そういってゴソゴソとポケットをあさる栗毛の少女。

 どうも見た目どおりの善人らしい。

 

「あれ、ないなあ……トマト」

「……トマト?」

「うん、いつもポケットに入れてるんだ。こばらがすいたときに食べてるんだけど……」

「いつももちあるいてるんだ……」

 

 コケたりしたらどうするんだろうか。

 弱冠の呆れがまじったあおいの声だったが、栗毛の少女は気がついた様子もなく。

 

「うん。うちでつくってるトマトなんだけどね? あまくておいしいんだよ!」

 

 まぶしい笑顔だった。なんとなく目をそらしてしまう。

 どうしてだろう頬が熱い。ごまかすようにあおいは相槌を打つ。

 

「そ、そうなんだ……」

「うん! きみ、こっちには観光できたの?」

「……ううん、おひっこし」

「そうなんだ! じゃあ学校で会えるだろうから、そのときにわたすよ!」

 

 学校。急に身体が冷えていくのを感じた。

 このあたりにはひとつしか学校がないということをあおいは思い出す。

 小さな学校だという。複数の学年がひとつの教室で授業を受けるとも聞いた。

 目の前の栗毛の少女とは高確率で同級生になるということだ。

 そこまで思い至ったところで、あおいの口は自然と開いていた。

 

「……わたし、ずっと入院してたの」

「え?」

「からだがよわくて、ここにおひっこししてきたのも病気を治すためで……」

「じゃあ、学校にはこれない?」

 

 しょんぼりする栗毛の少女をみて、発作的にフォローを入れた。

 

「いつかはいけるとおもうけど、いつになるかはわからないの」

 

 だから今度はいつ会えるかわからない。という旨を栗毛の少女に伝えた。

 半分本当で半分ウソ。

 大島に来てからすこぶる体調は良好だった。これなら明日からだって学校に出られるはずだ。でも、あおいは休むつもりだった。おそらく目の前の少女はあおいと同級生になるはずだから。今回の件をきっかけに近づいてくるだろう。ひょっとしたら仲良くなれるかもしれない。

 けどまた少し体調を崩して休めば、これまでどおり疎遠になるに決まってる。

 それならそうなる前に、距離をとってしまえばいい。

 あおいなりの自己防衛のつもりだった。だというのに。目の前の少女ときたら。

 

「おうちはどこにあるの?」

「え……?」

「こんどトマトをとどけにいくよ!」

 

 そういう顔があまりにも無邪気だったからか。

 あおいはおもわず場所を教えると、栗毛の少女はうなずく。

 

「あ、ここなんだ」

「……しってるの?」

「うん。おおきなお屋敷だからね。どんなひとが住んでるんだろーって、いつもおもってたよ」

 

 そういってから、なにやら思案顔になる少女。

 

「新聞の配達ルートからはちょっとずれるけど……あそこをあとまわしにしてうかいすれば……よし」

 

 どうやら配達ルートとの兼ね合いを考えているようだった。

 「またあしたねー」と立ち去りかけた栗毛の少女に、あおいはあわてて声をかける。

 

「ま、まって!」

「ん?」

「わたし、ふだんはほとんど寝たきりで……だから、その……、あなたにあえるかどうか……」

 

 栗毛の少女の口ぶりが、まるで明日あおいと会えるかのような口ぶりなのが気になった。別にそう思わせたままでもよかったが、それで変にうらまれたりしたら困る。「だから家政婦さんにわたしてくれれば」といいかけたところで、栗毛の少女はあっけらかんという。

 

「なら、毎日キミの家にいくよ。そうすればいつかは会えるでしょ?」

「え」

 

 あっけにとられるあおい。毎日? わたしの家にくる?

 今さっき会った人間のためにそこまでやるのか。

 聞けば配達ルートからはずれてるらしいじゃないか。

 罪悪感から? だとしても自分は無事で実質的にはなにもない。

 あおいが混乱している間に、栗毛の少女は「またねー」と去っていった。

 

「あいかわらず元気な子だなあ」

 

 のんびりとした声が運転席から聞こえてきた。

 運転手さん。そういえば地元の人だということを思い出して、あおいは問いかける。

 

「……あの子のこと、しってるんですか?」

「ええ、家計を助けるためにああしてバイトしてるんですよ。家族思いのいい子だって、ここらじゃ有名ですよ」

 

 翌日、少女はほんとうにやってきた。もちろんあおいは体調が悪いからと会わなかった。これをあと3回も繰り返せば来なくなるだろうと踏んでいた。

 もとより、誰かが傷ついたりしたわけではない。今はまだ罪悪感があるのかもしれないが、それもじきに薄れるだろう。そうなれば自然と足も遠のいていくはずだ。

 しかしそんなあおいの予想に反して、栗毛の少女は毎日やってきた。

 朝早くに来て、門のところで家政婦さんと二三言交わしてとぼとぼ去っていく日々を、すでに2週間。わけがわからなかった。どうしてそこまでやるのか。

 これまで友だちだと思ってた子たちは、入院して1週間も経たずにあおいから離れていったのに。車の窓ごしにほんの数分話しただけのあの少女は、どうしてここまでやるのだろう。

 ひょっとしたら、あの少女なら。そんな考えが脳裏によぎって、あおいは頭を振る。どうせいつもと同じだ。むしろこうして妙な期待を持たせるだけ、あの少女はもっとタチが悪い。

 ふいに、いじわるな気もちが首をもたげた。ならどこまでやれるかためしてやろう。そんないじわるな気もち。

 

「むねがくるしい」

 

 そういえば医療知識がない屋敷の人間はなにもいえなくなる。

 主治医の先生にしたところで「ま、ムリはしない方がいいからね」というだけだ。

 両親はあおいが学校にいかない状況には慣れきっている。

 だからいくらでも学校を休むことはできた。

 もっとも一度も出席していないだけに、いまいち休んでるという実感には欠けたが。

 そうして2週間は1ヶ月になり、1ヶ月半も過ぎようかというその日、栗毛の少女は来なかった。

 

「……こない」

 

 あおいは自室の窓から門を見てみるが、一向に来る気配はない。

 

「まあ、よくもったほうだよね……」

 

 そう自分にいい聞かせるようにつぶやいて、あおいはベッドに入る。

 2~3度寝返りをうつと、やおらベッドから起き上がった。

 無性に外の空気が吸いたくなったのだ。

 あおいは玄関から外に出た。庭を抜けて、門を開ける。

 何気なく左右に視線を走らせたが、朝の国道には人っ子一人いなかった。

 だからどうしたのだと、頭を振るあおい。わたしは外の空気を吸いに来ただけだ。

 すう、と深呼吸をしようとして、もぞりと、すぐ横で何かが動いた。

 

「……え?」

 

 視線を向ければ、門の脇に人間大のなにかが転がっている。

 新聞紙に包まれたそれが、ふたたびもぞもぞと音を立て始めた。

 不審者かと、恐怖に固まるあおいの身体。

 悲鳴をあげて屋敷の人を呼ばなければ、理性は叫ぶが、身体の方がいうことをきかない。

 やがて新聞紙から出てくる影。

 

「ふあーあ……。あれ、キミは……」

 

 出てきたのは、栗毛の少女だった。あくびをしつつ、目をこすりながら立ち上がる。唖然とするあおいを尻目に、「ちょっとまってね」と毛布代わりに使っていたらしい新聞紙を律儀に折りたたみ始めた。なんで、とか。どうして、とか。目の前の少女にいいたいことは山ほどあったが、それよりも先に声をかけられた。

 

「今日はちょうしいいんだね」

 

 そういって向けられたのは、なんの邪気もない目。

 どころか、本当に自分の身体を案じてくれていることが伝わってくる。

 あおいはうしろめたさから思わず目をそらしてしまった。

 

「……うん」

「よかった」

「それで、あなたはどうしてそんなところで」

 

 なんで門の脇で新聞紙に包まって眠っていたのか。

 栗毛の少女の手元にある、折りたたまれた新聞紙をちら見する。

 その視線をうけて、栗毛の少女はあおいのいわんとするところを察したようだ。

 

「えーっと、昨日バイトで夜おそくなっちゃってさ」

「それで、どうして」

「あした朝のバイトは休みだし、家にはだれもいないし」

「だれもいない?」

「もちろんいつもはいるよ? 昨日はたまたま、いろいろかさなってさ」

 

 苦笑する栗毛の少女。

 ただそれだけで複雑な家庭環境が見て取れた。

 ズキリと、罪悪感に胸が痛む。

 

「そんな時キミとの約束をおもいだしてね。じゃあもう家の前で野宿しちゃおうか、って」

 

 あおいにはまったくもって理解できない思考回路だった。

 要はあおいの家に移動する手間を省くためだろうが、だとしても大雑把にすぎないか。

 そもそも女の子が野宿なんてあぶないだろうといってやりたかったが。

 説教なんかする資格が果たして自分にあるのだろうかと、あおいは口をつぐんだ。

 

「だけど……」

 

 申し訳なさそうな表情をうかべる栗毛の少女。

 

「考えてみたら、これじゃあトマトもってこれないんだよね……ごめん!」

 

 ここにいたって、ようやくあおいは理解した。

 目の前の少女はただただ純粋に、トマトを渡すという約束を履行しようとしていたのだと。こんな純粋な少女を、自分はためすような真似をしていたのだ。

 少女が家族のためにバイトをしていることは知っていた。なのにこんな形で振り回して。くだらないいじわるをして。ほんとうに、なにをやっているんだ自分は。

 

「……ごめんなさい」

「え?」

「ずっと出なくて、ごめんなさい」

「それは具合が悪かったからでしょう? キミのせいじゃ」

「ちがうの」

 

 あおいの言葉に?マークをうかべる栗毛の少女。

 

「ほんとうはいつでも出られたのに、出なかったの」

「なんで」

「あなたに、その……」

 

 あおいは逡巡して、意を決する。

 

「……いじわるしてたの!」

「ふーん」

「ふーんって」

 

 どうでもよさそうな反応に、すじちがいだと理解しつつも少しだけむっとした。

 それが伝わったらしく、栗毛の少女はごまかすように苦笑する。

 

「いや、だってさ。今日はでてくれたじゃないか」

「え?」

 

 そういって腕時計をみせる栗毛の少女。

 表示されてる時間は、ちょうど栗毛の少女がいつも屋敷を訪う時間だった。

 

「むかえに出てきてくれたんでしょう?」

「それは……」

「なら、それでいいじゃないか」

 

 そういう栗毛の少女は爽やかに笑っていて、あいかわらずなんの悪意もなかった。

 

「終わりよければすべてよし……って、ちょっとちがうかな?」

 

 あおいはひたすら申し訳なくて、自分が情けなかった。

 おもえば、いつもそうだったのではないか。だれかに手を差し伸べてもらうことばかり考えて、自分からなにかしようとしたことがあっただろうか。

 その手を掴む努力もせず。離れていく友だちの背中をみつめるばかりで、どうにかして振り向かせようと努力したことがあっただろうか。

 今だってそうだ。期待だけしている。目の前の少女ならきっと友だちになってくれる。自分を見捨てないでくれる。でもそれは栗毛の少女の方から自分に歩み寄ってくれること前提で。

 幼いころを思い出す。病院の天井を眺め続ける日々。己を哀れみ、世界をおそれ、すべてから逃避し続けていたあの頃となにも変わってない――踏み出すべきだと思った。

 

「あの……」

 

 気がついたらあおいは口を開いていた。ワンピースの裾を両手で掴む。

 栗毛の少女はもう、充分すぎるくらいこんな自分に歩み寄ってくれたのだ。

 つぎは自分が勇気を出す番で――栗毛の少女は笑顔で答える。

 

「なに?」

「わたしと、友だちになってもらえますか……?」

 

 きょとんとした表情を浮かべる栗毛の少女。

 まるであたり前のように、口を開く。

 

「もう友だちでしょ?」

 

 そういって栗毛の少女がうかべた笑顔はどこまでもまぶしくて。

 あおいは泣き出してしまった。

 

「わ、ど、どうしたの!?」

 

 あわてる栗毛の少女には申し訳ないと思いつつも、ぽろぽろと涙が止まらなかった。目の前の少女は、歩み寄ってくれるどころか、とっくの昔に自分の手を掴んでくれていたのだ。ようやくあおいが落ち着いたところで、栗毛の少女は心配そうに話しかける。

 

「だいじょうぶ?」

「ごめんなさい……、いきなり泣いちゃって」

「いいよ、気にしないで」

 

 そういって栗毛の少女がうかべたほほ笑みをみて、あおいはまたドキリと胸が跳ねた。

 ふとなにかに気がついたような表情をうかべる栗毛の少女。

 

「そういえばまだなのってなかったね」

 

 栗毛の少女は自分の胸を指さしていう。

 ぱっちりとした瞳を輝かせながら、あおいに笑顔を向ける。

 

「一色あかねっていうんだ。あかねってよんでね。キミは?」

「……二葉あおいっていうの。わたしのことも、あおいでいいよ」

「よろしくね、あおいちゃん!」

 

 そういって差し出されるあかねの右手。

 あおいはおずおずとその手を握ると、ぎゅっと力強く握り返された。

 温かい手。安心感で胸がいっぱいになる。

 でも、今度はもう掴んでもらうだけじゃない。あおいもまたぎゅっと力強く握り返す。

 病み上がりの弱々しい力でも、精一杯力を込めて。精一杯の笑顔をうかべて。

 

「こちらこそよろしくね――あかねちゃん!」

「……」

「……あかねちゃん?」

 

 複雑な表情をうかべながら黙ってしまったあかねに、首をかしげるあおい。

 あかねはやがて、気まずそうに口を開いた。

 

「……オレ、男なんだよね」

「え?」

 

 ぽかんとした表情をうかべるあおい。

 あかねは頬をかきかき、困ったような、しかたがないような顔をしていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 視線の先。夕日に照らされた川。水面はおだやかに凪いでいる。

 しかしよく眺めてみれば、その流れは速い。

 

「それからね。何度か入院したんだけど、あかねくんはわたしのことを忘れないでいてくれた」

 

 いつだってあかねはやさしくて、情に厚い人だった。

 あのときもそうだ。久しぶりの再会。

 アローンの襲来で落ちかけたわたしを、自分の危険も省みず助けてくれた。

 隣のれいに話しかける。

 

「ちょろい女だとおもう?」

「え?」

「ようするに。さびしい思いをしてるところをやさしくされて、コロッといっちゃったわけでしょ? こうやって客観的に話してみたら、われながらちょろいかなぁ、って」

「……いいえ」

「ほんとうかな? ……まあ、どっちでもいっか」

 

 あかねくんはわたしの手をつかんでくれていた。

 

「だから今度は――」

 

 ――わたしがつかむ番だと、あおいは右手を握る。

 

「わたしは、あかねくんのことが好き」

「……そう」

「でも、あかねくんはあなたのことが好き」

「……え?」

 

 ぽかんとした表情を浮かべるれい。

 あおいは構わず続ける。

 

「だから、ちゃんと逃げてね。このあたりにも出てるでしょ、避難勧告」

「え、あ……、あの……!」

「じゃあね」

 

 返事を訊く気はなかった。

 れいに背を向けて、足早にその場を立ち去るあおい。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 早朝。あおいたち3人は防衛軍の滑走路前に立っていた。

 それぞれすでにパレットスーツを着装している。

 いくら勝算がかぎりなく0でも、アローンに対してパレットスーツが最も有効的な兵装である事実は変わらない。あおいの初陣を例に出すまでもなく、通常兵器がアローンに対して通用しないことは誰もが理解している。だからこそ、自分たちの飛び入り参戦を拒絶することはないだろうと確信していた。いざ行かんとあおいが踏み出しかけたとき、わかばの声。

 

「あおいちゃん。もし負けそうになったら、あなただけでも逃げて」

「……どういうこと?」

「あかねが目ざめて、ドッキング要員がいなかったらそれこそ手詰まりだから」

 

 ひまわりの言葉。それはたしかにそうなのだろうが。

 何の技能も持たない自分よりも、わかばかひまわりが生き残るべきだとあおいは主張する。しかしわかばは静かに首を左右にふった。

 

「ちがうよあおいちゃん。この場合、だれが生き残ってもおなじことなんだよ」

「おなじって」

「最悪ドッキングさえできればアローンには勝てる。つまりさ、この場合わたしたちはドッキングのための道具にすぎないってこと」

 

 そういうわかばはどこまでも冷静だった。皮肉も自嘲の響きもない。

 

「あおいちゃんだって、わかっているんでしょう?」

 

 あおいはなにもいえなかった。そう、結局はドッキング要員さえいればそれでいいのだ。個々の資質だとか能力だなんてのは極端な話どうだっていい。このような局面になれば、能力のある人間が盾となって無能な人間を逃す方が合理的だった。そしてその決断――己を捨て駒にする――を下せる三枝わかばは、まごうことなき才媛なのだろう。

 

「でもまあ、あれこれ考える必要もないんだよね」

「うん」

 

 わかばの言葉にうなずくひまわり。

 どういうことかとあおいが視線を向けると、わかばは不敵に笑う。

 

「ようはさ――ここで勝てばいいだけなんだから」

 

 「だから」とわかばとひまわりはあおいをみる。

 

「たよりにしてるよ、あおいちゃん」

 

 その信頼しきった目に胸を突かれるあおい。

 まいったな、と思う。どうも、思っていた以上の強敵らしい。

 あおいは口元に笑みを浮かべると、ふたりに向かっていう。

 

「ひまわりちゃん。わかばちゃん。負けないから」

「あたしもだよ」

「わたしだって」

 

 打てば響くような反応にますます笑みが深まる。

 

「だから、そのために勝とう」

 

 あおいは右手をすっと差し出す。

 わかばとひまわりが、その上に手を重ねていく。

 いつだったかあかねが考案したかけ声。

 結局いまのいままで使われたことがなかったけど。

 いまから思えば、あかねも恥ずかしかったのかもしれない。

 

「ビビッドチーム、ファイッオー!」

 

 あおいは声を張り上げる。

 大声なんてめったに出さないから少し裏返ってしまった。

 しかしふたりは気にした様子もなく繰り返す。

 

「おー!」

「おー!」

 

 あおいにはもうなんの不安もなかった。

 このふたりに比べたら――アローンなんてたいしたことない。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 作戦とも呼べぬ作戦行動は成功に終わった。

 要はSGE爆弾を抱えての特攻作戦。

 元々は戦闘機からのSGE爆弾による飽和攻撃を計画していたそうだが、まず確実に失敗しただろうなと思う。あおいたちにしたところで、ひまわりがいなければアローンのシールドは突破できなかったのだ。自分たちが参戦しなければ今ごろ示現エンジンはスクラップだろう。おそろしい。

 なんにせよあおいたちの活躍によって作戦は成功し、アローンは殲滅された。そして。

 

 病室の扉を開く。そこにはベッドの上で上半身を起こしたあかねの姿。

 胸の中で様々な感情が飽和していて、あおいはなにをいっていいのかわからなかった。

 でも、あかねが最初にいう言葉だけはハッキリわかっていた。

 いつものように困ったような笑顔を浮かべて、頬をかきかき口を開く。

 

「みんな、心配かけてごめんね?」

 

 死にそうな目にあったのは自分なのに、いつだって他人を優先する、バカで、愛しい人の声。

 ようやくあかねが生きているという実感が沸いて――気がついたら、あおいはあかねに抱きついていたのだった。幼子のように泣きじゃくるあおいの頭を、あかねはやさしく撫でていた。

 

 

 

 

 



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9話 かわいくてふわふわでおいしい

 

 

 

 休日のショッピングモール。

 その広場で、あおいはあかねと共に風船を配るバイトをしていた。

 

「おねえちゃん! ふうせんちょうだい!」

「はい、どうぞー」

「そっちのおねえちゃんも!」

「はいどうぞー、あとオレは男だよー」

 

 たくさんの子どもたちの笑顔に囲まれ、こちらも自然と笑顔が浮かぶ。

 バイトも、あかねと共に汗を流すことも非常に楽しいのだが。

 こそりとあかねに声をかけるあおい。

 

「……あついね、あかねくん」

「……うん、そうだね」

 

 今着ている郵便ポストみたいな妙ちくりんなキグルミはどうにかならないのだろうか。

 本当に暑いし。二の腕部分が自由に動かせないため顔の汗も拭えなくて不便だ。

 というかなにより顔出しさせる意味がわからなかった。

 顔出しするならキグルミいらないだろ。観光地の顔出しパネルじゃないんだから。

 担がれてんじゃないかとわりと本気でうたがう。

 あれか、もしかして社長令嬢に対するいやがらせか。あ? 熱でゆだったあおいの思考は剣呑なものになっていく。気のせいか周囲に子どもがいない。

 

「ねえ、あかねくん」

「なに? あおいちゃん」

「このバイトは初めて?」

 

 すこし考える素振りを見せてから、あかねは答える。

 

「三回目くらいかな」

「いつもこんな格好してるの?」

「うん。あ、でも」

「でも?」

「顔出しは今回初めてかな」

「そ、そうなんだ、初めてなんだ、顔出しは」

 

 わけもなく頬を染めるあおい。

 しかしあかねは気がついた様子もなくつづける。

 営業用の笑みに、いつもの笑みを混ぜて。

 

「いつもは変な仮面かぶってるんだけどね、あれ暑苦しいし息苦しいしでたいへんだったんだ。だから今日はすこし楽かな」

 

 いやがらせどころか変に気を使わせてしまったらしい。勘ぐってすいません。でもむしろ仮面はつけさせて欲しいです。こんな姿を知人に写メられピコリーンでもしたら。――ピコリーン?

 

「……ずいぶんとかわいらしい服着てるね、ひまわりちゃん」

「あおいこそ、ずいぶんと楽しそうなかっこうしてるね」

 

 眼前に立っているのは、スマホ片手にニヤニヤしているひまわり。

 その斜め後ろではわかばが苦笑していた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 バイトの中休み。

 あおいとあかねはひまわりたちと屋外フードコートにて合流した。

 テーブルを囲む4人。

 

「なんでこの暑いのに屋外なんて……」

 

 ぶーたれるひまわり。頭上では太陽が燦々と照りつけている。

 なだめるわかば。

 

「しかたないよ、屋内はいっぱいだったんだから」

「わかってるけど、せめて雲でもでてくれたら……」

 

 ひまわりの願いむなしく、雲ひとつない晴天だった。

 「うー」と呻くひまわりに、あおいは声をかける。

 

「にしても、めずらしいね。ひまわりちゃんが外出するなんて」

「……わかばに誘われて、それで」

「なるほど、デートだね!」

「だんじてちがうから」

 

 あおいの言葉を、ひまわりはきっぱり否定する。

 

「それだけはないから。マジで、ほんとうに、ぜったい」

 

 あんまりにも力強い否定っぷりに、わかばはにわかに頬をひきつらせる。

 

「そ、そんな力いっぱいひていしなくてもいいんじゃないかな……?」

「ちゃんと釘を差しておかないと、あぶないし」

 

 わかばにジト目を向けるひまわり。不信感に満ちている。

 これはいけない、わたしたちは世界を守るビビッドチームなのだ。

 おたがいに不信感を抱いたままでは戦闘に支障がでてしまう。

 あおいはひまわりを諭すべく、おだやかに口を開いた。

 

「そんな目でみたらしつれいだよひまわりちゃん。たしかにわかばちゃんは『ごめんね、あなたの想いには答えられないんだ。でも、あなたさえよければ思い出づくりを……』なんていって告白してきた後輩(♀)を片っぱしから食いまくってる鬼畜だけど。わりと大切系な仲間……のはず……なんだから」

「……そうだね。たしかにわかばは『こんなふうに甘えるの、先輩にだけですよ?』なんていって複数の先輩(♀)にまで手をだしてるド外道だけど。比較的大切な感じがする仲間……っぽい……だもんね。ごめん、わかば」

 

 そんなひまわりの真摯な謝罪が通じたのだろう、わかばは乾いた笑顔で許してくれた。

 

「あははー。あおいちゃんもひまわりちゃんも、わたしのことほんとうはきらいでしょ? そうなんでしょ?」

「そんなことないよ」

「きらうわけないじゃん」

 

 そっとわかばから目をそらすあおいとひまわり。

 

「ねえ、ふたりとも。どうしてわたしの目をみてくれないの? ねえ、ねえ? う……、うわーん!」

 

 わかばはそのまま駆け出していったがどうでもいい。

 サマースクールでの一件から、ドッキングを経由してわかばの記憶を参照したらもう出るわ出るわ爛れた記憶。

 こころなし距離をおきはじめたあおいとひまわりをみて、"見られた"と悟ったのだろう。

 わかばはふたりをわざわざ例の海岸に呼び出し、目を泳がせながら弁明するのだ。

 

「えっと、そのね。あれはね、性っていうか……。なんていうか、こう、ねえ? ほら、女の子ってかわいくてふわふわしたものが好きだし。そう、つまりわたしも女の子ってことなんだよ!」

 

 誰もが認める才媛とはおもえぬ、論理性の欠片もない発言であった。

 顔を見合わせるあおいとひまわりはげんなりしていた。なにをいってるんだこいつは。そんな浮気がバレた男の言い訳じゃねーんだから。ふたりの白けたムードをなにやら勘違いしたようで、わかばはあわてたようすでフォローを入れる。

 

「もちろんふたりもかわいいよ――食べちゃいたいくらい!」

 

 かくして、あおいとひまわりはわかばを全力で警戒するようになった。

 とまれ、ひまわりがこうしてふたりきりで遊びに出かけたように、なんだかんだでわかばのことは信頼しているのだが。

 たまにこうして釘を差しておかないと不安なのも事実だった。

 

「あ、わかばちゃん?!」

「だいじょうぶだよあかねくん」

「で、でも」

 

 わかばを追いかけようと、椅子から腰を浮かせたあかねを制するあおい。

 あかねのやさしさに胸キュンだが、わかばについては自業自得だから放っておけばいい。

 もちろん直截それを伝えるわけにもいかない。

 どういいくるめようかあおいが逡巡していると、ひまわりが先に口を開いた。

 

「わかばだって、いきなり走りだしたくなる時もある。だって青春だもん」

「そうだよ青春だもん。自由に走らせてあげようよ」

「青春と走ることになんのかんけいが……?」

 

 首をかしげるあかね。あおいにだってわからない。きっとひまわりにもわからない。

 というか今からわかばを追いかけてもしかたないだろう。

 もう背中だって見えない。100m走10秒台の健脚は伊達じゃないのだ。

 

「それにほら、わかばちゃんがひまわりちゃんを置いて帰るわけないし。ちょっと走って、あたまが冷えたらもどってくるんじゃないかな?」

「……たしかにそうだね」

 

 あおいのその言葉に納得したようで、うなずくあかね。

 基本的には理性的な人物である。わかばは剣と酒と女がかかわらなければ紛うことなき才媛だ。そろそろ豪傑と呼び変えた方がいいんじゃないかとあおいは思うが。

 あかねは浮かした腰をふたたび椅子に下ろすと、ふと思いついたようすで。

 

「……ところでさ。さっきの、わかばちゃんが後輩を食いまくってるってどういう意味」

「「あかね(くん)は知らなくていい(よ)」」

「う、うん」

 

 あおいとひまわりに、こころなし圧倒された様子でうなずくあかね。その意味を知るにはまだ早い。それより、あおいには気になっていることがあった。中休みに入ってからというもの、あかねに元気がないのだ。表向きはいつもどおりだが、あかね検定1級のあおいには誤魔化せなかった。もしかして。

 

「ねえ、あかねくん。さっき女の子にまちがわれたこと、気にしてるの?」

「……あおいちゃんにはバレバレか」

 

 あおいの言葉に苦笑するあかね。肯定だった。

 昔から女の子によくまちがわれて、そのたびにしょんぼりしていたのだ。

 

「声変わりしてから、まちがわれることは減ったんだけどさ……」

 

 ため息をつくあかねに、ひまわりが問いかける。

 

「減ったってことは、昔は」

「うん。しょっちゅうまちがわれたよ」

 

 本当にもうしょっちゅうまちがわれていた。

 あれは小学生のころだ。アイスキャンディーを移動販売しているオジサンがいて、あおいとあかねのふたりで一本ずつ買ったところ。「お嬢ちゃんふたりにサービスだ」なんてもう一本ずつもらって、複雑な顔をしていたあかねを思い出す。

 もっとも、それを逆手にとって、ももといっしょにスーパーや飲食店の女性限定セールを平然と利用するタフさもあったが。あかねは続ける。

 

「当時は声変わりもしてなかったし小柄だったからね。それにほら、名前がさ」

 

 あかね。たしかに女の人の名前というイメージはある。たとえば名簿を渡されて「一色あかね」という字面だけみれば、あおいも男子とはおもわないだろう。

 

「母さんがいうには、ぜったいに女の子が生まれるとおもってたんだって。だからほかに名前を用意してなかったとか」

「あかねくんのお母さんって豪快な人なんだね」

「いや、おおざっぱなだけだよ」

 

 あおいの相づちをやんわり否定するあかね。もも以外の身内に対しては存外シビアな側面があるのだ。

 話が一段落したところで、ひまわりが質問をしてきた。

 

「ところでさ、あかねはわかるけど……あおいはなんでバイトしてたの?」

「ほら、あかねくんって病み上がりでしょう? しんぱいだからそばにいようって」

 

 納得した様子でうなずくひまわり。すこしいじわるな様子であおいにいう。

 

「なるほど、あおいはお目付け役ってこと」

「そんな、世話やき女房だなんて……」テレテレ

「いや、だれもいってないから」

 

 ふたりの会話を横目に、あかねは頬をかきかき困ったような表情でいう。

 

「でも結構キツいバイトだったでしょ? 午後からは休んでてくれても……」

「あかねくんのためなら東奔西走なんのそのだよ!」

「ははは、ありがとうあおいちゃん」

 

 なんて会話をしているが、あかねのこととは別に休めない理由があったりもする。

 ぶっちゃけあおいは結構ムリいってバイトにねじこんでもらっていた。

 それこそ父親のコネなんかも全力活用したわけで。半端なところでやめたら自分だけでなく父親の顔にまで泥を塗りかねないため、あおいもわりと必死だった。

 もちろんあかねにそんなことを知らせる気もなければ、必要もない。

 病み上がりのあかねが心配だからとムリをして、それで余計な気を使わせてしまえばそれこそ本末転倒だろう。あおいがやるべきことはただひとつ。あかねの隣で楽しそうに今日最後までバイトをやり通すことだけだ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 翌日の教室。自席にすわるひまわりを囲む、あおいとあかね。

 あのあとひまわりはファッション誌の取材を受けたらしい。

 すわモデルデビューかとわきたつ(煽る)あおい。

 

「とおい世界にいっちゃうんだね、ひまわりちゃん」

 

 およよとわざとらしく泣き崩れるあおい。

 

「でもだいじょうぶ、あとのことはわたしにまかせて!」

 

 涙をぬぐってガッツポーズをとるあおい。そう、あかねのことはわたしにまかせて欲しい。アローン? ああ、がんばるがんばる。

 そんなあおいをみて、ふん、と鼻を鳴らすひまわり。

 

「あおいこそ、いますぐ役者になれるんじゃない?」

「わたしってほら、演じる側じゃなくて演じさせる側だし。あ、でもほめ言葉の部分だけはうけとっておくね」

「すっごいイヤミな発言なのに妙になっとくできるのがムカつく……」

 

 ひまわりはそういって机に突っ伏した。

 が、すぐに顔を上げる。

 

「っていうか、モデルなんてやる気ないから。あれもただ、わかばのために一回だけって話だし」

 

 専属モデルにならないかという誘いは断ったとひまわり。

 ひまわりの言葉に反応するあかね。

 

「えー、もったいないとおもうけどなあ」

「めんどうくさいし」

「せっかくかわいいのに」

「み、みせものじゃないし」

 

 あかねにかわいいといわれてちょっと揺れたようだが、ひまわりの決意は固い。

 ふと、あおいはあかねに問いかける。

 

「あかねくんって、モデルに興味あるの?」

「んー、ああいうのってたくさんCD買わなくちゃいけないんだよね? そういうお金ないからさ。興味をもつ以前のもんだいっていうか」

 

 頬をかきかき苦笑するあかね。

 どうもいろいろと誤解があるようだが、あかねにはこのままでいてもらいたいとあおいは思う。あかねが求めることならなんでも叶えてあげたいが、モデルになる気はなかった。

 

(だって、わたしのすべてはあかねくんのものだから!)

 

 他人にこの柔肌を晒す気はないのだ。

 

「あたり前のように自分がモデルになれるとおもってる、あおいのそのずうずうしいところはきらいじゃないよ」

「ほめ言葉としてうけとっておくね、ひまわりちゃん」

 

 というか今心読まなかったか。

 ドッキングのせいでどんどん以心伝心化してる気がする。

 しまいにはあおいたちの間に言葉は要らなくなるかもしれない。

 かんべんしてほしかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 教室を飛び出していったひまわりを、わかばが追いかけていった。

 勝手にモデルの仕事を入れられた上に、ふたりでいく予定だったプラント見学のことをわかばが忘れていたということで怒ったらしい。

 あおいはあかねに問いかける。

 

「ひまわりちゃん、これからどうするとおもう?」

「とりあえずは、なんだかんだでわかばちゃんのためにひと肌脱ぐんじゃないかな」

「だよね」

 

 見学については来週に延期だろう。プラントは逃げないのだから。

 あかねは少しさびしそうにいう。

 

「このままモデルデビューしちゃうのかな、ひまわりちゃん」

「しちゃいそうだね」

「そうなると、本当に遠いそんざいになっちゃうのか」

 

 さびしげな目をするあかね。

 どうやらあおいの冗談を本気で受け取ってしまっていたらしい。

 勘違いさせたままでもいいが、あかねにさびしそうな顔をさせるのは本意ではない。

 

「……雑誌モデルならそんなに心配しなくていいとおもうよ?」

 

 もちろん、そこからステップアップしていけば話は別になるが。

 さすがにこれ以上のことをひまわりが望むとも思えないし、そもそもステップアップできるともかぎらない。

 つまりは一般人と変わらないだろう。あおいの言葉にほっとした様子のあかね。

 

「そっか、じゃあこれからもひまわりちゃんとは友だちでいられるんだね」

「うん」

 

 あかねの手前ニコニコしているが、あおいは内心頭をかかえていた。

 なーんでわざわざ敵に塩を送るような真似をしてしまったのか。勘違いさせたままのほうがよかっただろうに。しかしあかねが悲しい顔をしてるのはいやだし。

 

「つぎの授業はなんだっけ、あおいちゃん」

「数学だよ、あかねくん」

 

 窓の向こうには、わたあめみたいにふわふわした雲が流れていた。

 

 

 

 



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10話 わたしにはなにもわかりません

 

 

 

 放課後。ひまわりの家。

 コタツに入ってパソコンをカタカタやっているひまわり。

 その背後にて、あおいはPSP(ひまわりの私物)をピコピコやっていた。クーラーをガンガン回している室内は寒いからと、ひまわりのちゃんちゃんこを借りて着ている。

 あかねはバイトでわかばは部活ということでふたりきり。暇を持てあましたあおいは、同じく暇人であるひまわりの家にこうしてよく遊びにきていたのだった。壁に背をあずけて座り、真剣にPSPのボタンを叩いているあおいに、ひまわりが声をかける。

 

「あおい、これみて」

「ちょっとまって、もうちょっとでドドンガから逃げられるから」

「え……!? それチュートリアルじゃん、この前もやってなかった?」

「こんどこそいけるから、ぜったい」

「いいから、みて」

「クリアしたらちゃんとみるから、まってて」

「……」

 

 パタ……ポン……パタ……ポンとボタンを押していくあおい。

 ふいに手元からPSPが取り上げられた。

 

「あ」

 

 ひまわりの手元。PSPからパタパタパタポンとリズミカルな音が響き渡る。

 「はい」とひまわりから返されたPSPの画面では花火が打ち上がっていた。ステージクリア。あんなに苦労したステージがあっさりクリアされてしまった。あおいは信じられない。

 

「え、え。なにこれ、うわさのチート?」

「ふつうに操作しただけ。それよりもほら、クリアしたんだから、みて」

 

 ひまわりにうながされ、しぶしぶながらその隣に座るあおい。

 ゲームで疲れた頭。しょぼしょぼする目で見つめたPCモニターには粗い画像が展開されていた。どうやら拡大画像らしい。中央に黄色く細長い何かがあって、右にある壁っぽい何かに向かって飛んでいることだけが、かろうじてわかる。

 

「……これは?」

「右がアローン。中央にあるのがたぶん、矢」

 

 ひまわりにいわれて、矢のような形をしていることに気がついた。

 

「ぼけぼけすぎてよくわかんないよ、ひまわりちゃん」

「あたしのPCじゃこれが限界だからがまんして」

 

 さっき博士にこの画像をメールで送ったから、あとでしっかり修正されたものをみせてくれるだろうとひまわりはいう。

 

「……それで、この矢がアローンに当たると、こうなる」

 

 マウスをクリックするひまわり。

 次の画像は鮮明で、なによりあおいにも見覚えがあった。ぽつりとつぶやく。

 

「形態変化」

「そう」

 

 戦闘の最中、アローンの形態が変化することを『形態変化』と呼んでいた。

 形態変化後は劇的に戦闘力が向上し、こうなればもうドッキング以外では太刀打ち出来ない。しかし形態変化しないアローンもいることから、形態変化するには条件があるのではないかと一色博士は考えた。その条件を解明すべく博士が研究を続けていたことはあおいも知っている。

 

「そっか、やったんだね、ひまわりちゃん!」

 

 あおいは弾んだ声をあげる。

 これがその条件であるならば、ひまわりが尊敬する博士の役に立ったということでもあった。さぞや喜んでいるだろうと思いきや、その表情はかんばしくない。

 眉をひそめるあおい。すこし逡巡した様子で、ひまわりは口を開いた。

 

「これがアローンの形態変化する条件だとしたら、矢を放つそんざいがいるってことになる」

 

 まあそうなのだろうとあおいはうなずく。

 だが逆にいえば、矢を放つ存在さえ潰してしまえば、戦闘は格段に楽なものになるだろう。ひまわりはまちがいなく誰からも賞賛されるような大発見をしたのだ。

 さておき、それがどうしたのかとあおいがうながすと、ひまわりは続ける。

 

「ボロボロになったアローンが、形態変化とともに肉体まで再生することはしってるよね」

「わたしが最初にたたかったアローンもそうだったよ」

「たおしたはずのアローンがいきなり復活したことがあったでしょ。……あの夜も、きっと」

 

 にわかに言葉をにごすひまわり。

 あの夜。指しているのは、あかねが撃墜された夜のことだろう。あおいはハッとする。

 

「この矢のせいで、あかねくんは……」

 

 瞬間的に頭がカッと沸騰してスッと冷めた。先鋭化する思考。

 あの夜の落とし前はすでにつけたと思っていた。あかねを落としたアローンを撃滅した時点でおわったと思っていた。しかし、まだおわっていなかったのだ。自分にはまだ倒すべき相手が、落とし前をつけさせるべき相手がいたのだ。

 

「あたしは矢を放ったやつのことをぜったいにゆるせない。あおいは」

「もちろん、ぜったいにゆるさないよ」

「でも」

 

 ひまわりはあおいと視線を交差させる。透き通るような目。

 

「あおいはあかねが危なくなるようなことはしない、そうでしょ?」

「もちろんだよ」

 

 そのとおりだった。

 矢を射った下手人への怒りはあるが、それに気を取られてアローンへの注意を怠るわけにはいかない。物事には優先順位がある。前線で戦う自分たちが優先すべき脅威はアローンだ。

 あの夜のように、油断したところをアローンに撃墜されるような事態は二度とあってはならなかった。現実的に考えれば下手人への対処は博士や軍に任せるしかないだろう。

 内心隔靴掻痒としているあおいに、ひまわりの声。どこか張り詰めたような声色だった。

 

「だから、あおいにおねがいがあるの」

「おねがい?」

「そう」

 

 うなずくひまわり。真剣な瞳。小さな唇が動く。

 

「もしあたしが暴走したら、見捨ててほしい」

「……え?」

「あかねをあんな目にあわせたやつのこと、あたしはゆるせないから」

 

 アローンが形態変化――強化形態になったら、カッとして下手人探しを始めてしまうかもしれない。ひまわりはそういった。

 たとえば矢が自分たちの真後ろから飛んできたら? アローンに背を向けて飛んで行くひまわり。それに気を取られるビビッドチーム一同。そこに強化されたアローンの攻撃が殺到して全滅だなんて、笑えない話だ。

 

「あたしのせいで、みんなにめいわくをかけるのはいやだから」

「それをどうしてわたしに」

「……わかばとあかねにこんなこと話したら、たぶんずっとあたしのこと気にして、戦いにならなくなるとおもう」

 

 さもありなん。あおいは納得する。ひまわりの懸念は妥当なところだろう。

 要はストッパー役をあおいに期待しているということだ。あかねとわかばのストッパー。そしてそれはあおいにしかできないという読みも間違ってはいない。なによりもあかねの身を案じるあおいであるが故に、ちゃんと自分を見捨ててくれると信頼しているのだろう。

 

「わかったよ、ひまわりちゃん」

 

 あおいはシリアスにうなずきつつ――ひまわりがトチ狂った瞬間、うしろからハンマーでぶん殴って止めてやろうと考えていた。

 

(だって、わたしが見捨ててもあかねくんとわかばちゃんが黙ってるわけないし)

 

 あおいがちょっと制止したくらいでどうにかなる程度のお人好しなら、苦労はないのだ。

 仮にその場はなんとかしのげても、ひまわりに万が一なにかあればあかねはずっと引きずるだろう。それこそあおいの望むところではない。だから強引にでもひまわりを叩きのめして止める。

 それがいちばん合理的な判断だとあおいは確信していた。

 断じてひまわりの身を案じたわけではないということをここに記しておく。ツンデレとかいうやつはハンマーでだるま落としの刑だからそのつもりで。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 結論からいえば、ひまわりの懸念はとりこし苦労だった。

 アローンの出現ポイントから、矢を放つことが出来るポイントを算出し、そこにドローンを展開することになったのだ。矢を放った下手人をドローンが足止めしている間、あおいたちはアローンを殲滅。しかるのち下手人を追討する。こうしてあおいたちで下手人を追いつめる段取りまで組まれれば、ひまわりだって無茶はしない。まして作戦責任者が一色博士であれば尚の事。

 

「ファイナルオペレーション!」

 

 夕方の山間部上空。あおいの眼前でビビッドグリーンの一撃がアローンに炸裂した。爆発。あおいは油断なくアローンのいた場所を見据えている。二度とあの夜を繰り返すわけにはいかないからだ。フラッシュバックする。赤い光。落ちていくあかね。助けようと必死に伸ばして空を切った自分の右手。爆炎が消え、そこに何の影も見当たらないと見て、ようやくあおいは肩の力を抜いた。ハンマーを握る両手は真っ白になっている。

 しかしすぐにまた気を入れなおす。隣に浮かぶひまわりに視線をやれば、あおいの目をみてこくりとうなずいた。険しい目。うなずき返すあおい。これから先は、自分たちを散々苦しめ、あかねをあんな目に合わせた下手人を――狩る時間だ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 あれから1時間が経った。

 ドローンからもたらされる下手人の位置情報はころころと変わっていく。

 山の中を縦横無尽に駆けて逃げているということだった。

 

『山猿かっての……』

 

 あおいの無線からひまわりの声。隠し切れないイラ立ちがこめられている。

 最初こそ慎重を期して2人1組で行動していたビビッドチームも、今やバラバラで捜索活動をしていた。ドローンからのデータを元に、先回りするようにそれぞれ散会して山の上空を飛び回っているのだ。しかしなかなか捕まらない。

 

「あれからドローンのみならず軍も展開しておる。この包囲網は完璧じゃ。万に一つも逃げられるなんてことはありえんよ」

 

 と博士は豪語していたし、実際に下手人が駆け回ることができているのは、今やドローンのみが入れるような地点。深い山中だ。それでもずっと捕捉され続けており、捕まるのは時間の問題だろうと思うが、それだけになかなか捕まらないことが歯がゆくもあった。

 そこに博士からデータが転送されてきた。あおいの眼前に展開される空間モニター。ドローンが撮ったという下手人の粗い画像。後ろ姿だったが、そのシルエットは。

 

「……人間?」

『あるいは、人型のアローンかもしれん』

 

 あおいのつぶやきを無線で拾った博士が応じる。

 たしかにアローンと考えたほうが妥当かもしれないとあおいは思う。

 山を駆け回る身体能力はあまりに人間離れしていた。

 しかし仮に人間だとしたら――あおいの思考を遮るように博士の声。

 

『ただ、ひとつだけわかったことはある』

『なんですか?』

 

 わかばの声。博士は答える。

 

『示現エンジンに忍び込もうとする輩があとをたたないことは以前話したと思うが』

『こいつも』

『うむ。そのひとりである可能性が高いと、警備部から連絡が入ったところじゃ』

 

 ――つまりアローンをけしかけるだけでは飽きたらず、直接の破壊まで試みていたということになる。その執念にゾクリとするあおい。いったいなにがこいつをそこまで駆り立てるというのか。示現エンジンが全世界のエネルギーの95%をまかなっている以上、好むと好まざるとにかかわらず共存していくしかないだろうに。こいつだって少なからず恩恵は受けているはずだ。そこまでして破壊して、こいつは何を得られるというのか。

 やっぱりあれだろうか。政治や宗教的なあれこれだろうか。可能性を考えるだけでもげんなりする。正直そういうゴタゴタに巻き込まれたくはない。下手人の正体はアローンであって欲しかった。切実に。いっそ宇宙人や異世界人でもかまわない。

 

『む! どうやらドローンがやっこさんを追い詰めたようじゃな。あかね。今のところお前がいちばんちかい。急げ!』

『わかったよジイちゃん』

「気をつけてね、あかねくん!」

『ありがとうあおいちゃん』

 

 あかねに注意を促しつつ、あおいはあかねの元へ急いだ。

 下手人の戦闘力は高くないだろう。なにせドローンにすら追い詰められるのだから、パレットスーツを着た自分たちにとっては物の数ではないはず。しかし窮鼠猫を噛むという言葉もあるし、あかねがまたひどい目にあわないとは限らない。

 途中ひまわりとわかばと合流し、あかねの元へと急ぐあおい。あかねの背が見えて、無事だったことにほっとしたその時だった。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 おもわず耳をふさぎたくなるような、悲痛な叫び声が山に響きわたった。

 声の主はあかねの先。景色を楽しめるよう山沿いに手すりがつけられ、展望広場のように整備された山の中腹。そこで糸が切れたようにうつぶせに倒れた。黒い長髪。首元に覗く季節外れのマフラー。まちがいない。まちがえるはずがない。悲痛な叫び声の主は。下手人の正体は。自分たちを苦しめ。あかねを撃ち落としたのは。

 

「――黒騎さん」

 

 そうつぶやいたのは誰だったか。あおいにはわからなかった。

 

 

 

 

  



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ex 黒騎れいの肖像2

 

 

 

 

 言い聞かせていた。

 わたしの世界は示現エンジンの暴走によって滅んだ。

 ならば、この世界の示現エンジンを破壊することはこの世界の人間のためでもある。

 たしかにその過程で人は死ぬかもしれない。百。千。万。

 どれだけ死ぬのかはわからないが、すくなくとも億はいかないだろう。

 たったそれだけの犠牲でふたつの世界は救われる。死んだ人間だって報われるはずだ。

 そう、自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 数日ぶりの登校。

 スカイツリーでの戦闘は敗北。千載一遇の好機を逃したことで、れいは失意の底にあった。あれから食事も満足に喉をとおらなくなり、今朝もシリアルをドロドロになるまで牛乳にひたしたものを流し込んできただけだ。

 とても学校になど来る気分ではないが、約束は守らなければならない。

 朝の学校。教室後方にある自分の席にれいは座る。まだ早い時間ということで生徒はまばらだ。いつものように本でも読んで時間を潰そうと、机の横にかけたカバンに手を伸ばしかけて、ふいに二葉あおいの席が目についた。

 

『でも、あかねくんはあなたのことが好き』

 

 夕日の記憶。都内の病院前で遭遇したあおいは、長々と過去話をぶった最後、その言葉を残して去っていったことを思い出す。

 あおいにそういわれたからというわけではないが、なんとなくあかねを目で探してしまう。まだ登校してないようだった。

 

(そういえば、いつもぎりぎりで登校してきてたような……)

 

 しかしいつまで経っても登校してこない。やがて朝のホームルームが始まり。そこで教師がいうには風邪で休みらしい。いつもいっしょにいるあおいたちまで休みというのが少し気になったが、あかねの看病のために休んでいるのかもしれない。彼女たちならそれくらいやりそうだった。

 なんにせよ、あかねは休み。ほっとしたような、ざんねんなような。

 

(……って、なに考えてるの?)

 

 自分の思考に困惑しながら、1限目が終わって休み時間になった。

 れいが次の授業の準備をしているところに、その声は聞こえてきた。

 

「一色、入院してるらしいぞ」

「ただの風邪で?」

「それがちがうみたいでさ」

 

 窓際に視線を遣ると、前後の席に座ったふたりの男子生徒が会話をしている。

 入院。もっと詳しいことを聞けないかと耳をすますが、周囲の喧騒に紛れてよく聞き取れない。じれたれいは席を立ってふたりに近づいていく。

 

「あの……」

 

 おずおずと男子生徒Aに声をかけるれい。

 れいから声をかけられ、驚いた表情をうかべる男子生徒ふたりをみて――いったいなにをやっているのかと、れいは内心で己を罵倒した。

 この世界への影響を少しでも小さくするため、クラスメイトとの会話は必要最低限に収めてきたのに。くだらない好奇心からその努力を無にしかねない行動を取ろうとしている。やめろと思いながら。それでも口の動きはとまらない。

 

「一色さんが入院したって」

「あ、ああ。例の事故に巻き込まれたとか、どうとか……」

 

 困惑しつつも答える男子生徒A。

 

「例の事故?」

「ほら、都心のほうで避難さわぎがあっただろ? そのきっかけになった事故。それに一色が巻き込まれたって」

「巻き込まれたって……」

 

 眉をひそめるれい。ここから都心までどれだけ離れていると思っているのか。

 男子生徒Aもれいのリアクションにうなずく。

 

「俺も『んなわけねーだろ』って思うんだけどさ。だって向こうからこっち、どれだけ離れてるんだよって話だよなあ。黒騎さんもそうおもうだろ?」

「……ええ」

「部活の朝練でさ、親父が軍人のやつがやたらもったいぶって話してたんだよ。一時はえーっと……IC……なんだっけ」

「ICU?」

「ああ、それそれ。ICUに入るくらい重症だったって。でもやっぱ嘘くせえよなあ……」

 

 男子生徒Aがいうとおり、眉唾な話だとれいも思う。

 しかし教えてもらった以上は礼を返さなければならない。れいだけに。

 まだなにやら喋っている男子生徒Aにれいは声をかける。

 

「その……」

「なに?」

「……おしえてくれてありがとう」

 

 ぎこちなくれいが感謝の言葉を述べると、男子生徒Aはなぜだか赤くなった。

 

「え? い、いやーべつにこれくらいおやすいごようだよ、いや本当。それで黒騎さん、もしよかったら今度……」

 

 あいかわらずなにやら喋っている男子生徒Aに背を向けて席に戻るれい。

 仮にあかねの入院が本当だとしたら。ICU入りするほどの重症だったというのが本当なら。この世界におけるエネルギーの95%は、示現エンジンによってまかなわれているという。もしあのとき示現エンジンが破壊されていれば――あかねは死んでいたかもしれない。そして機械につながれてかろうじて生をつないでいる、数多の人たちも。生々しい死のイメージ。落ちていく赤。

 気がつけば、れいは女子トイレに駆け込んで朝食を吐いていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 薄暗い自室。れいは壁を背にして体育座りをしていた。

 黒い羽。視線の先、テーブルの椅子にカラスが乗っている。

 れいは機先を制するように口を開く。

 

「あなたにいえることはなにもないはずよ」

 

 注意されたことはしっかり守っている。アローンの強化もしている。勝敗は己の責任ではない。つまりやるべきことはやっている。こいつにとやかくいえることなどありはしないのだ。

 

「――失せなさい」

 

 れいとカラスの視線が交差する。

 紋章を使って苦しませたければ好きにすればいい。

 しばしにらみ合い、やがてカラスは身を翻して去っていった。

 

「……ピースケにエサをあげないと」

 

 よろめきながら立ち上がるれい。

 教室であかねの話を訊いてからというもの、食事をとるたびに吐くようになった。

 胃の中は空っぽで、室内を移動するだけでも頭がくらくらする。

 ピースケのカゴからエサ箱を取り出すと、テーブルまで移動していく。

 

「……う」

 

 側に置かれた鳥のエサが入った袋を開けて、そのニオイだけで吐きそうになる。

 ほぼニオイのない穀類であってもこのザマか。れいは自分が情けなかった。

 このままエサ袋の封を閉じてしまいたい衝動に駆られるれい。

 ふいに鳥カゴへ視線をやれば、無垢な目で自分をみつめているピースケの姿。

 

「……あなたには関係ないものね」

 

 そう、すべて自分の都合にすぎないのだ。

 この子をカゴに閉じ込めているのも。エサのニオイだけで吐きそうになっている自分も。

 ならせめて、これくらいのことはやらなければいけない。

 れいは吐き気をこらえながらエサ箱にエサを入れると、カゴの中に入れた。

 

「しっかり食べるのよ。じゃないと、わたしみたいになっちゃうから」

 

 エサをついばむピースケに微笑みかけ、れいはそのままお風呂に入ろうと洗面所へ向かう。浴場横の洗面台の前で、れいは服を脱ぐ。裸になって、洗面台の鏡に映った自分の姿をみつめた。こけた頬に浮き出た肋骨。血の気が失せた青白い顔、だのに瞳だけは異様に鈍く光っている。

 まるで地獄の亡者のようだと気がついて、れいの口元が釣り上がった。

 本来とっくに死んでいるはずの人間が、過去にすがり、今を生きている人間を地獄に落とそうとしている。守られる保証だってない約束に、みっともなく追いすがって――。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 おかしな笑いがこみあげてきた。

 今さらだった。守られる保証がない。そんなことに今さら気がついたのだ。

 後戻りできない状況になって、今さら!

 

「……っ!」

 

 発作的に洗面台に置かれた石鹸や櫛入れを両手で落としていく。すきっ腹に急な動き。くらっときて、洗面台の縁を掴んだままずるずると膝から崩れ落ちる。

 

「うっ……うう……」

 

 洗面所に響くれいの嗚咽。足元には割れた陶器の櫛入れが転がっていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 散歩に出たのは気晴らしのつもりだった。

 ブルーアイランドから本島に出向いたのは、示現エンジンから少しでも離れたかったのだと思う。頭上には青空。強い日光を浴びることが意外に体力を使うと知ったのは最近のことだ。れいは住宅街をふらふらと歩いて行く。

 道ですれ違った数人の子どもたち。追いかけっこをしている。鬼ごっこでもやっているのだろう。大きな荷物を背負って歩く老婆。軒先で親しげに会話を交わす老人たち。平和な光景。

 だというのに、それから身を隠すようにれいはこそこそと移動していた。人が向かってくれば電柱や曲がり角に隠れ、隠れられないならうつむいて息を殺して歩く。

 自分が殺した人間の親類縁者がここにいるかもしれないと怯えて。けれど彼らだって自分と同じ立場になれば、きっと同じことをしたにちがいないはずだと言い訳しながら。だとしても、それでわたしが誰かの人生を奪っていい理屈にはならないこともわかってて。

 

(……なにをやってるの、わたしは)

 

 れいは頭を振る。最近はずっとこんな調子だった。

 人をみるたびに怯えて、内心で言い訳を繰り返すばかり。

 かといって家にいれば罪悪感にさいなまれて他のことが手につかない。

 それに比べれば、散歩している間はいくぶん気楽だった。

 要は人の姿さえ認めなければいいのだ。足を動かすことにのみ専念すれば、思考力はかぎりなく落ちる。だから必然的に人の気配がない道を選んで歩く。

 あまり速く歩けないので、ふらふらとゆっくり。

 

(これじゃあ、散歩じゃなくて徘徊か……)

 

 れいは口元に自嘲を浮かべて、すぐにひきしめる。

 こんなことをいつまでも続けているわけにはいかなかった。

 けじめは、つけなければならない。

 

「あれ、黒騎さん?」

 

 そんなときだった、聞き覚えのある声に呼び止められたのは。

 顔を上げると、そこには麦わら帽子をかぶってタオルを首に巻いたあかねの姿。

 

「一色さん……?」

「どうしたの? オレの家になにか用?」

 

 家。いわれて気がついた。左右に並ぶ苗木。

 いつの間にか一色家の家庭菜園に紛れ込んでしまっていたらしい。

 あどけない顔でこちらの言葉をまっているあかねに、れいは答える。

 

「……散歩してたら、一色さんのおうちが目に入って、その……ついでだからあいさつしていこうかな、って」

 

 我ながらあまりにもたどたどしく苦しい言い訳だった。

 あいさつ回りしてる営業マンかわたしは。頬に熱が集まるのを感じるれい。

 しかしあかねは気にした様子もなく、「そうなんだ」とうなずく。

 

「それで、一色さんはなにを」

「オレ? 庭いじりしてたんだ」

「なら、おじゃまだったかしら……?」

「いやぜんぜん。ちょうど一段落ついたところだよ」

 

 タオルで額の汗をぬぐいながら、あかねは笑顔を浮かべる。

 

「そういえば、こうして話すのはひさしぶりだね、黒騎さん」

「……そうかしら?」

「うん。最近は授業がおわったらどこかにいっちゃうでしょ?」

 

 男子生徒Aの言葉を信じたわけではないが、なんとなく顔を合わせづらかった。

 仮に自分のせいで死にかけたのであれば、どの面下げて会えというのか。

 休み時間のたびに廊下を歩きまわったり女子トイレに篭もったりして、れいはあかねを避けるようになっていた。

 しかし本当のことを口にするわけにもいかず、ごまかすようにれいはいう。

 

「ちょっと……用事があって」

「そうなんだ」

 

 うつむきがちにそういったれいに、あかねは深く追求してこなかった。

 それっきり気まずい沈黙がただよう。

 沈黙を破ったのは、やはりというべきか、あかねの方からだ。

 

「え、えーっと、それで……」

 

 右手の人差し指で頬をかきかき、あかねは口を開こうとして、すこし言いにくそうに。

 

「……やせたね。黒騎さん」

 

 どうして言いよどんだのか、すぐにわかった。

 一般的には、女性に対して体重の話はタブーだからだ。

 それでも思わず問いかけたくなるほど、今の自分は病的に見えるのかもしれない。

 通常なら「不躾なことをいうな」と怒っておく場面なのだろう。

 しかしあかねの瞳にはなんのいやみも下心もない。あるのはただ、真摯にこちらをおもんばかった色。何だか落ち着かなくなって、あかねの顔からつと目をそらし、れいは口を開いた。

 

「……ダイエットしてるの」

 

 れいの言葉に、あかねはきょとんとする。

 

「ダイエット?」

「ええ」

 

 こういってしまえば、あかねはもうなにもいえないと思った。

 あかねの真摯さから目を背けるようで申し訳ないが、ここはタブーを逆手にとることにしたのだ。

 しかし、あかねは少し考える素振りをみせてから、やおら口を開いた。

 

「そのダイエットって、どうやってるの?」

「え」

 

 言葉に詰まるれい。

 ただタブーを言い訳に使っただけであって、ダイエットなんか生まれてこの方したこともなければ考えたこともないのだ。

 当然その手の知識だってろくに持ち合わせちゃいなかった。記憶の中からどうにかそれっぽい言葉を引き出す。

 

「食事制限を……」

「それって品数を減らしてるってこと? それとも、食事そのものを抜いてる?」

「……食事そのものを抜いてるわ」

「ぐたいてきには」

「朝と、昼を」

 

 とはいえ実際は3食抜いてるようなものだった。なにせ食べる端から吐くのだ。

 朝と昼を抜いているのは口臭を気にしてのことだった。今のれいは吐き出すことなく胃に残ったわずかな夕食だけで生きている。これで学校に通っている。

 そんな生活をすでに半月。ふつうの人間であれば今ごろは病院送りだ。平行世界とはいえ異世界人の面目躍如といえよう。

 

「ダメだよ黒騎さん」

 

 なんて考えていたら、あかねにダメ出しされてしまった。

 めずらしく眉をしかめている。

 

「ダイエットっていうのはね、むしろちゃんと食事をとらないとダメなんだよ」

「……そうなの?」

「うん。一時的にはやせるかもしれないけど、そういうのってリバウンドしやすいんだ。だから食生活に気をつかってね、ゆっくりとやせていくのが結果的には効率的なんだよ」

 

 諭すようなあかねの言葉。どうしてそんなことを知っているのかとれいが疑問を挟む間もなく、「だから」とあかねは続ける。

 

「うちで夕飯たべていきなよ!」

 

 脈絡のない発言に困惑するれい。なにが「だから」なのか。さっぱりわからない。

 しかしあかねのやわらかな笑顔をみた瞬間、れいの心臓がトクンとはねた。わからない。なにもわからないまま、れいは気がついたらあかねの言葉にうなずいていたのだった。

 

「じゃあ、いこっか」

 

 そういって左手でれいの右手を掴むあかね。ぽつりとれい。

 

「……え?」

「……あ」

 

 手を掴んでから、あかねははっとした表情を浮かべる。

 次にこころなしかバツが悪そうな顔をして。

 

「ごめんね。いつものくせで……つい」

「いつも?」

「うん。あおいちゃんは、こうするとよろこんでくれるんだ」

 

 そういってあおいの名を出すあかねは本当に楽しそうで――れいは何故だかむっとした。

 「ほんとうにごめんね?」と離そうとしたあかねの手を、逆にぎゅっと握り返す。

 目をぱちくりさせるあかね。

 

「黒騎さん?」

「わたしも、このままでかまわないわ」

 

 いまさら自分のやったことに気が付いて恥ずかしくなるれい。

 内心の動揺を悟られぬようにうつむく。

 

「えーっと……じゃあ、いこっか黒騎さん?」

「……ええ」

 

 あかねに先導される形で、手をつないだまま母屋へと向かう。

 ドクンドクンと、胸の音がやたらにうるさかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 半ば流されるような形で、一色家の夕食にご相伴にあずかることとなった。

 和室の居間。れいとあかねが囲んでいる座卓の上に、ももが料理を並べていく。

 

「なるべくおなかにやさしい献立にしてみました」

 

 ほほ笑みを浮かべながらそういうもも。

 いわれてみれば、大根の煮付けや湯豆腐といった消化しやすい食べ物ばかりだ。

 れいに気を遣った献立ということは一目瞭然で、おもわず恐縮してしまう。

 

「いきなりおじゃましたうえに、手間をかけさせてしまってごめんなさい……」

「きにしないでください。じつをいうと今晩の献立にはなやんでたんです。むしろ黒騎さんのおかげでたすかっちゃいました」

 

 なんて、まったくいやみのない笑顔とともにいうのだ。本当にできた妹さんだとれいは思う。「でも」と、ももはかわいらしく眉をひそめていう。

 

「もうムリなダイエットなんかしちゃだめですよ?」

「はい……反省してます」

 

 しゅんと頭を垂れるれい。

 もちろんダイエットをしていたなんて嘘をついてしまった後ろめたさからだが。反省の意は伝わったようだ。ももは座卓につくと、あかねに声をかける。

 

「それじゃ、お兄ちゃん」

「うん」

 

 合掌するあかね。それに倣うれいともも。

 

「いただきます」

「「いただきます」」

 

 箸を手にとって、れいは大根の煮付けに手を付けた。

 また吐いてしまうのではないかという恐怖心はあったが、ここまで来たら食べるしかない。小さく割いた大根の切れ端を口に入れると、自然とれいの唇は動いた。

 

「……おいしい」

「ほんとうですか? よかったー」

 

 れいの言葉にほっとした様子のもも。

 口内に広がるやさしい味付け。舌の上で溶けてしまいそうなほど煮詰められた大根は、れいへの心配りに満ちていて。

 

「……ほんとうにおいしい」

 

 わけもなく涙が出そうになった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 食事をしても不思議と吐き気を催すことはなかった。

 他愛のない会話をしながらの夕食は、この世界に来てから初めて心から安らげる時間だったと思う。食事がおわり、座卓についたままふたりに頭を下げるれい。

 

「ふたりとも今日はほんとうにありがとう。お夕飯、おいしかったです」

 

 あわてるのはあかねとももの兄妹だ。

 

「そんな、お礼をいわれるようなことなんて。なあ、もも」

「そうですよ。ただ、お夕飯をふるまっただけで」

 

 わたわたとする一色兄妹をみて、れいは自然と口元に笑みが浮かぶのを感じた。

 

「こんなに楽しい夕食はひさしぶりだったわ。だから、ありがとう」

「いや、そんな……ははは……」

 

 照れたようすで頬をかきかき答えるあかね。

 瞬間、ももがはっとしたような表情を浮かべたのは気のせいだろうか。

 すぐにいつものほほ笑みを浮かべて、ももは口を開く。

 

「黒騎さん、もしよかったら泊まって行きませんか?」

 

 いいことを思いついたとばかりに、瞳を輝かせるもも。

 これに面食らったのはれいだ。

 

「けど、迷惑じゃ」

「そんなことありませんよ! ね、お兄ちゃん?」

「え? あ、ああ。迷惑なんかじゃないよ、黒騎さん」

 

 あかねもまたあっけに取られた様子だったが、妹から話を振られて即座に肯定の意を表す。両手を重ねてももは続ける。

 

「もう遅いですし、ね?」

 

 正直にいって、ももの提案は非常にありがたかった。

 なにせブルーアイランドに通じるモノレールは、今の時間帯だと2時間に1本しかないのだ。それも次は終電。もし間に合わなければ野宿だった。

 ピースケのエサと水はちゃんと入れてあるし、一日くらい家を開けてもだいじょうぶだろう。逡巡して、おずおずと返事をする。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 ゆらゆらと紐が揺れていた。

 室内照明から垂れ下がっているひも式スイッチが、開け放たれた窓から流れ込む風に揺れている。ももの部屋。れいとももは枕を並べて布団で横になっていた。

 ちなみにあかねは自室でひとり寝ている。あおむけになって天井をみつめているれい。窓から入り込む月の光が和室を照らしていた。

 

「なんだか、わくわくしちゃいますね。修学旅行みたい」

 

 声。隣に視線をやれば、毛布の中でももはほほ笑みを浮かべていた。

 どうやら考えることは一緒らしい。れいもまたほほ笑みを返す。

 

「そうね」

 

 れいはつかの間、郷愁の念に襲われた。滅んだ世界。修学旅行の記憶。

 ほんの1年前のことなのに、いまや遠い昔のことのように感じる。

 チリンと風鈴の鳴る音が聞こえた。窓から流れこむ生ぬるいそよ風が心地いい。

 

「わたし、小学校にはいったばかりのころいじめられてたんです」

「え?」

 

 そういうももの顔は、いつもどおりおだやかだった。

 まるで世間話をするような口ぶりとは裏腹の重たい話題。

 あっけにとられているれいを横に、ももは続ける。

 

「うちって、ちょっとふくざつな家庭環境なんです。それがなんていうか、目についたみたいで」

 

 一色家の家庭環境をあげつらって、上級生の男子3人がももをいじめてたという。

 上級生とはいえ相手もまた小学生だ。いまからすれば他愛ないものだったとももはいうが。いじめはいじめだとれいは思う。

 

「一色さんは、どうしてたの?」

「お兄ちゃんがいるときはやらないんです」

「……とんだ卑怯者たちね」

「くやしくてかなしくて。でも、お兄ちゃんはあのころからバイトをしてたから、負担をかけちゃいけないって」

 

 ももは黙って耐えていたが、ある日部屋の隅で泣いているところをあかねにみられてしまったのだ。理由を聞いて激高したあかねは家を飛び出し、上級生の男子たちに決闘を挑んだという。相手は上級生の男子で3人。これだけでも不利なのに、まして小柄なあかねが敵う道理はない。普通に考えれば。決闘の場にはいなかったので、伝え聞いた話になるとももは前置きして、続ける。

 

『ももにあやまれ!』

 

 蹴られ殴られ転がされ。それでも足にしがみついて噛み付いて玉を潰してマウント取ってぶんなぐり。文字どおりの大立ち回りを演じたのだという。決闘の末とうとう上級生から謝罪の言葉と、もう二度とももをいじめないという約束まで取り付け。ズタボロになって帰宅したあかねをみて、あの時は心臓が止まるかと思ったとももはいう。

 

「お兄ちゃんの血まみれの顔をみて、わたしのほうが泣いちゃって。ぎゃくになぐさめられちゃって……。なのにおじいちゃんは『よくやったあかね! 男子の本懐じゃ!』なんておおよろこびして……あのときがはじめてでしたね、おじいちゃんにほんきで怒ったのは」

 

 すっと目を細めるもも。剣呑な気配。れいの背中に冷たいものが走った。

 しかしすぐに目元はゆるめられ、いつものおだやかな気配にもどる。

 

「でも男の子ってふしぎで、それから仲よくなっちゃったんですよね。あれから下級生もお兄ちゃんをしたうようになって、まとめ役をまかされることもふえて……」

 

 そう語るももの口調は、ただただなつかしそうだった。

 れいもまたおだやかに応じる。

 

「やさしい、お兄さんなのね」

「はい、やさしすぎるくらいで……いつだって自分の身をかえりみないで……」

 

 ももの口調はどこかかなしげだった。

 かける言葉が思い浮かばなくて、れいはおもわず口をつぐむ。

 沈黙。破ったのはももだった。つぶやくように。

 

「ほっぺたを」

「え?」

「お兄ちゃんが人差し指でほっぺたをかきかきするの、しってます?」

「ええ……クセみたいね。それがどうかしたの?」

 

 ももは口元にあいまいな笑みをうかべる。

 その顔がさびしげにみえたことを不思議に思うより先に、ももは口を開いた。

 どこか懇願するような響き。

 

「どうか、お兄ちゃんとなかよくしてあげてください」

「……」

 

 ももの言葉に、れいはにわかに言いよどんだ。

 おそらく、ももの言葉にはそれ以上の意味はない。兄の交友関係にまでフォローを入れるももは、まちがいなく出来た子だと思う。軽く「ええ」と答えてあげればそれだけでいいはずなのに、その一言が出てこなかった。

 

(だって、わたしは……)

 

 次で最後の大バクチに臨むつもりだった。残った矢のすべてをアローンに撃ちこみ勝負をかける。成功しても失敗しても、そのとき自分はこの世界に存在しない。

 ならばここで約束をしたところでなんの意味があるのだろう。果たせぬ約束。逡巡し。言いよどんだ。それでも、この兄を思う妹の気持ちを無碍にするわけにはいかない。

 れいは意を決して答える。

 

「……もちろんよ」

 

 せめて目の前の少女の想いにだけは誠実でありたい。アローンをけしかけて、数多の人間の想いを踏みにじってきておいて、いまさら虫のいい話だと思う。それでも、この言葉はれいにとって心の底からの答えだった。

 

「ありがとうございます!」

 

 パァと笑顔を浮かべて感謝するももに、れいはあわてる。

 

「そんな、お礼をいわれるようなことじゃ……」

 

 そもそも、あかねにはお世話になってばかりで、感謝するのも、仲よくしてくれとお願いするのも自分のほうだろうと思う。なんだか後ろめたいような照れくさいような気分になって、れいは毛布を口元まで上げてももに背を向ける。

 

「もう寝るわ。おやすみなさい……ももちゃん」

「おやすみなさい、黒騎さん」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 夢をみた。

 青い空。どこまでも広がる草原。その中央に立つ大きな樹の下にみんないた。

 滅んだ世界の友だち達が、父と母が、ももが、あかねが、れいが。

 みんな笑ってた。わたしも笑ってた。楽しそうに。おだやかに。

 

「起きなさい、れい」

 

 天井。コンクリではなく木目がみえて、あかねの家にお泊りしたことを思い出す。

 れいは布団から上半身を起こすと、振り返って声の先をみる。開け放たれた窓の先、月光に照らされた庭先の物干し竿の上にカラスが乗っていた。無機質な瞳がれいに向けられている。れいもまた無感情な瞳を返す。飛び去っていくカラス。

 れいは布団を畳んで外に出ようとして、振り返って、ももの毛布をそっとかけ直した。

 もものあどけない寝顔につかの間ほほ笑むと、すぐに口元をひきしめ、小さくつぶやく。

 

「ありがとう……ごめんなさい」

 

 庭に降り立つれい。もう振り返ることはなかった。

 けじめは、つけなければならない。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ドローンの追跡は執拗だった。

 前日あかねの家で夕食をいただいていなければ、もっとあっさり捕まっていただろう。

 最後の大バクチに臨んだつもりが、アローンに矢を放つ間もなくドローンに追い立てられている。ちょっと考えれば、いつかはこうなるとわかったはずだ。しかしれいは考えなかった。己にとって都合の悪い可能性については、なるべく考えないようにしてきたのだ。もっと早くからこうなる可能性を考慮していれば、ここまで矢を温存することもなかったはずだろう。

 現実逃避。そのつけがこれか。

 

(なんてみじめ!)

 

 内心己を罵倒するれいだったが、それよりも今は現実に目を向けなければならない。

 山中を駆けまわってドローンを撒くつもりが、それどころか山の周囲に展開する敵の気配は増えていく一方だった。夕闇に包まれた山中、木から木へと飛び移りながら、れいは必死に逃走経路を模索する。ふいにドローンの包囲網に穴があることに気がついた。あの方角にはたしか展望広場があったはず。れいがドローンに補足された場所でもある。

 

(……罠ね)

 

 考えるまでもなかった。

 あんな開けた場所に出るなんて、取り囲んで捕まえてくださいといっているようなものだろう。しかし、れいにはこの罠に飛び乗るしかないこともわかっていた。

 こうなればもはや無傷で逃げることは不可能だ。現実的に考えて逃げ場なんてどこにもない。敵の包囲網は完璧。どこかで勝負を仕掛ける必要がある。あえて隙を作ったというのならば、それを利用してやろうじゃないか。

 肚をくくるれい。意を決して包囲網の穴に飛び込んだ。木々を抜け、展望広場に出て。

 

「……え?」

 

 それはどちらの声だったのだろう。

 夕焼けの空。そこに浮かんでいる鼓笛隊のような服を身にまとった少女――否少年。

 目を見開いて、信じられないものをみたような表情を浮かべている。

 

「黒騎、さん?」

 

 声。聞き間違えるわけがなかった。顔。見間違えるわけがなかった。

 

「――あ」

 

 れいは両手で顔を覆う。いやいやと顔を左右に振る。これまで自分が戦ってきたのは。感情の制御ができない。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。『わたしは、あかねくんのことが好き』『一色、入院したんだってさ』『どうか、兄となかよくしてあげてください』『ICUに入るくらい重症だったって』『友だちになりたいから、じゃダメかな?』――落ちていく赤。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 音が聞こえる。それが自分の声だと気がついたとき、れいは意識を失った。

 

 

 

 

 

 



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11話 ままならないのが人生だ

 

 

 

 この世界のどこにも存在しない人間。それが黒騎れいの正体だった。

 示現エンジンの破壊を企てた最重要危険人物として、現在は防衛軍総司令部の最下層にある特殊隔離施設に幽閉されている。建前としてすべての人間に人権は存在するが、そんなもん嘘っぱちであることくらい誰だって知っていた。なんの後ろ盾もない異邦人の扱いなど、まして防衛軍総司令部という密室での扱いなど、推して知るべしだろう。

 みずははみなまでいわなかったが、今後れいに待ち受ける運命は――。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 いつもにこにこ人当たりのいい少年。それが一色あかねの客観的な評価だった。

 しかしその笑顔が内心を隠すための仮面であることを、あおいはよく知っている。

 

「……」

 

 あおいは隣を歩くあかねの横顔をちらと見る。

 今のあかねにはその仮面がない。おそらく本人は無自覚なのだろうが。

 思いつめた顔つきからは、その内心がだだもれだった。

 総司令部から外に出たところで、あかねはあおいたちに声をかける。

 

「みんな先に帰ってくれ、オレはちょっと……」

「黒騎さんのお家にいくんでしょう」

 

 機先を制するようにあおいは声をかけた。

 あかねは目を見開くと、少しだけうろたえた様子でうなずく。

 

「……うん」

 

 総司令部の指令室から出る直前、あかねが顔見知りのオペレーターに何か尋ねていた。

 もしやと思っていたが、どうやら本当にれいの家の住所を訊いていたようだ。

 

「じゃあ、わたしもいくよ」

 

 おだやかに、いつもどおりの声色で、しかし有無を言わせぬ語気であおいはいう。

 

「あたしもいく」

「もちろんわたしも」

 

 ひまわりとわかばもまた、あおいの言葉に追従する。

 今のあかねをひとりにしたら、なにをするかわからなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ブルーアイランドの一画にあるマンション。それが黒騎れいの潜伏先だった。

 れいの部屋へ続く扉の前には『KEEP OUT』のテープが貼られていたが、あおいたちは何食わぬ顔でくぐっていった。こういう時は堂々としているにかぎる。関係者には違いないし。扉には鍵がかかっておらず、そのまま入り込んでいくあおいたち。

 玄関を抜け、居間へ続く扉を開けばフローリングの部屋。

 室内には、机と鳥カゴ。それだけしかなかった。

 

「……なにもない、お部屋だね」

 

 おもわずつぶやくあおい。わかばが相槌を打つ。

 

「あっても、もっていかれたんじゃないかな? ほら、証拠物件として」

 

 さらにひまわりが答える。

 

「さっきこの部屋の搬出リストをみたけど、ノートPCと銃火器しかなかった」

 

 「"さっき"っていつ?」なんて野暮なことをあおいは聞かなかった。防衛軍総司令部の管理PCに、ひまわりがこっそりバックドアを仕込んでいることなんかあおいは知らない。移動中にスマホと睨めっこしていたのは、きっとそういうことなんだろうがなにも知らない。

 わかばは複雑な表情を浮かべる。

 

「……じゃあ」

「ほんとうになにもない部屋ってこと」

 

 ひまわりの言葉。沈黙が落ちる。

 あかねが無言で窓辺に移動していくのに、みんな所在なく倣う。

 肩を並べてみつめた窓の向こうには、示現エンジンの姿がみえた。

 こうやってターゲットを常に観察してたということか。

 

「……どんなきもちで、眺めてたんだろうね」

 

 わかばがぽつりとつぶやいた。

 いつも教室でひとりでいたのは、いざという時に足がつかないためだったのだろう。

 連行されていく、気絶したれいの姿を思い出す。痩せこけた身体。青い白い肌。歳相応の楽しみをすべて投げ打って、示現エンジンの破壊に身を捧げた青春。窓にうっすらと映っている殺風景な部屋。あおいはれいの胸中を想像して、寒々とした気持ちになっていく。

 れいに好意を抱いていないあおいですらこうなのだから、いわんやあかねの胸中たるや。

 

「あかね」

 

 ひまわりの声。窓の向こうを見つめながら、続ける。

 

「これから、黒騎さんを助けにいくつもりでしょ」

「それは」

 

 言いよどむあかねの姿が、なによりも雄弁に答えを語っていた。

 

「わたしは反対」

 

 そういってあかねに向けられたひまわりの目は、冷たい。

 バカなことはやめろと、目は口ほどにものをいう。

 

「あかねを殺そうとした女を助けようなんて、絶対反対」

「でも、オレは気にして」

「あかねは関係ない。あたしの気もちの問題」

 

 にべもない返答に、あかねは言葉に詰まる。

 ひまわりのムスッとした顔。不機嫌さを隠そうともしないまま、「だけど」と。

 

「あかねがそうするつもりなら、あたしはてつだう」

「……え?」

 

 あっけにとられるあかね。

 ひまわりは毅然と口にする。あかねの目をしっかり見据えて。

 

「あかねが望むことなら、あたしはいくらだって力になる。でも、それはあかねが好きだから。あの女のためなんかじゃない」

 

 ぶっちゃけひまわりはムカついているのだろう。

 社会を混乱に陥れ、己を殺そうとした女を気にかけるあかねのお人好しっぷりに。

 結局、そんなあかねを見捨てられない自分自身に。

 別に深い考えがあったわけでなく、いきおい感情をぶち撒けただけにすぎないはずだ。

 ぷいっと横を向くひまわり。

 

「あたしのいいたいことは、それだけ」

 

 まったくもって癪だった。

 これでは後追いみたいになってしまうではないか。

 しかし、この気持ちは決して誰かに代弁させていいことではない。

 あおいは手をうしろで組むと、口を開く。

 

「わたしも、ひまわりちゃんとおなじかな」

「……あおいちゃん?」

「黒騎さんをたすけるのは、反対」

 

 あおいの言葉に、あかねは"しかたがない"というような表情を浮かべる。

 示現エンジンを破壊しようとした黒騎れいのために動くということは――世界を敵に回すということだ。

 

「でも、あかねくんは行くんでしょう?」

「……うん」

「だから、てつだうよ」

 

 ハッキリいって冗談じゃない。

 なにが悲しくて、あんな女のために将来を棒に振るような真似をしなければならないのか。けれど、あかねが茨の道を歩もうとしているのをどうして看過できるだろう。こうなったあかねを止めることは不可能だと、あおいは痛いほど理解している。だから。

 

「黒騎さんのためじゃなくて、あかねくんのために」

 

 せめてそのことだけでも、あかねにしっかり伝えておかなければ気がすまなかった。

 見方を変えれば『お前のせいでわたしたちは地獄に落ちるんだ』と、半ばあてつけてるようなものだと理解しながらも。

 けれどあかねは素直に頭を下げた。ただ申し訳無さそうに。

 

「……ありがとう、ふたりとも」

 

 ――本当に癪だった。

 あかねに対してこんなことをいってしまう自分が。こんな精神状態に追い込んだれいが。

 うしろに組んだ手を、あおいはぎゅっと握る。

 

「わかばちゃんは、どうする?」

「え?」

 

 ぽかんとした様子でことの成り行きを見ていたわかばに、あおいは声をかける。

 わかばは腰に手をあてて笑顔を浮かべる。

 

「もちろん、わたしもてつだうよ」

「……いいの? 天元理心流の家とか、まもらなくても」

「それはお互いさまじゃないかな? あおいちゃんだって、二葉家のお嬢さまでしょ?」

「……そうだね」

 

 社会的な影響力を考えれば、ひょっとしたらあおいの方が遥かに深刻だろう。

 「わたしは」と、わかばは続ける。

 

「あかねくんも、あおいちゃんも、ひまわりちゃんも、みんなが好きだから手つだう……ダメかな?」

 

 ともすれば主体性のない言葉に聞こえるが、わかばの言葉が本気であることを、あおいはよくわかっていた。わかばの愛がビビッドチーム全員に対しておおむね平等であることは、そりゃもうよーくわかっていた。よーく。

 

「いいと思う。わかばがそれでやれるなら」

「あの、そういいつつわたしから距離をおくのはどうしてかな、ひまわりちゃん……?」

 

 そそっと後退るひまわりに、こわばった笑みをうかべるわかば。

 

「……あかねくん」

 

 あおいはあかねに水を向ける。それぞれ想いを口にした、最後はあかねの番だと。

 わたしたちの想いはドッキングで共有される。本当は言葉なんて必要ないのかもしれない。だからこそ言葉にすべきだとおもった。その想いを、これからすることを。

 そして大好きなあかねくんはきっと。ひまわりとわかばもじっとあかねを見つめている。目を閉じて、次に開いたあかねの瞳には確固たる意志が浮かんでいた。

 

「オレは、黒騎さんを助けたい」

「世界を敵に回しても?」

「うん」

 

 あおいの言葉に力強くうなずくあかね。

 あかねは決してバカじゃない。これからやろうとしていることの意味くらい理解している。

 この年で実質的に家族を背負っているのだ。

 或いは自分たちよりもずっとしっかり、重く受け止めているかもしれない。

 それでもやろうというのは。

 

「そっか」

 

 あおいはこみ上げてきたものを、必死にこらえる。

 気取られないように深呼吸をして、あおいは精一杯の笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ、ぜったいに助けないとね」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 深更。防衛軍総司令部。

 警告音が響き渡る通路を、パレットスーツに身を包んだあおいたちは隊伍を組んで飛んで行く。

 目指すは、れいが囚われている最下層の特殊隔離施設。

 

「はぁ!」

 

 すれ違いざまあかねのブーメランに両断されるドローン。爆音を背に飛び去っていくあおいたち。妨害しようと次々立ちふさがるドローンだったが、文字どおり鎧袖一触だった。出入口と最下層の中間地点に差し掛かったところで、ひまわりが声をあげる。

 

「あたしはここまで。あとは手はずどおりに」

「りょうかいだよ」

「気をつけてね、ひまわりちゃん……!」

「ふたりもね」

 

 あおいとあかねの言葉に返事をすると、ふたりに背を向けてその場に留まるひまわり。囮役兼、れい奪取後の退路を確保するために、各自指定のポイントで留まる手はずになっていた。

 わかばとは出入口付近で別れており、今ごろは弁慶のごとく周囲を睥睨していることだろう。

 ドッキングは使わない。冗談抜きで司令部が崩壊してしまうからだ。

 もう少しで最下層というところで、ふいにあおいは眉をしかめた。

 

「……なにかな、あれ」

 

 視線の先には、通路を埋め尽くさんばかりに大量のドローンが蠢いている。

 どうやら最下層付近の守りを集中的に固めていたようだ。

 直後あおいたちに殺到するドローン。迎撃するが、あっという間に乱戦の様相を呈した。

 

「まいったな……!」

 

 あかねの焦り声。ドローンの数が多すぎて先へ進めなかった。一機あたりは弱い。単純な戦闘能力なら自分たちが負けることはないだろうが、全部相手にしてたらこちらの体力が尽きてしまう。ふいにあおいは気がついた。

 

「……! 隔壁が」

 

 最下層へつながる通路の隔壁が閉じていく。こうなればもう猶予はない。あかねには当初の作戦を履行してもらわねばならない。本来あおいがここで留まる予定だった。おそらくあかねが戦っているのは、敵の数が多すぎてあおいを置いていけなかったからだろう。

 

「あかねくん!」

 

 「わたしのことはもういいから、先に行って!」そう叫ぼうとあおいが視線を向ければ、あかねはドローンに囲まれていた。逆にあおいを取り囲むドローンは少ない。

 

(いまなら――)

 

 あおいが飛び込むことは出来る。しかし――ここであえて行かなければどうなるだろう。隔壁は閉じ、ドローンはさらに増えていき、れいの元へ駆けつけることはなし崩し的に不可能となるのではないか。隔壁をぶち破って進撃することは可能だが、そうすればもれなく山ほどのドローンを引き連れて行くことになる。いずれにせよ救出どころではない。昏い思考があおいの脳裏に過ぎった。直後あかねがちらりと視線をよこす。あおいを信頼しきった瞳。

 

「~~!」

 

 あおいは閉じかけた隔壁の隙間に飛び込んで通り抜ける。

 結局、あおいに選択肢などありはしなかった。

 ひまわりたちの努力をムダにすることも、あかねの信頼を裏切ることもできない。

 そもそも、示現エンジンを破壊しようとした女を助けようとした時点で、世界に向けて中指を突き立てたようなものだ。捕まればただじゃすまないし、こうなればもう意地でもれいを確保して作戦目標を達する必要があった。

 イライラする。どうして。どうしてこんなことになってしまったのか。

 

「もう! もう! もう!」

 

 順次閉じていく隔壁を紙一重で通り抜けていくあおい。とうとう最下層というところで隔壁が閉まりかけて。

 

「じゃま!」

 

 ハンマーでぶち破る。もとよりこんな隔壁でパレットスーツを着た自分たちを止められはしなかった。ドローンという障害物がなければ、障子を蹴り破るよりたやすい。

 特殊隔離施設。椅子に座っているれいの姿を認めて、地面に降り立つあおい。そのまま近づこうとして、視線の先で照明の光が照り返された。れいを取り囲む透明な壁。どうやら、れいを連れ去るにはこれを打ち破る必要があるらしい。

 おそらくは強化ガラスかプラスチックか。いずれにせよこの手の強化ガラスは打撃にすこぶる強い。自分のハンマーとは相性最悪だろう。壊す苦労は隔壁の比でないはずだ。

 

「……めんどうくさいな」

 

 内心のイライラをますます加速させながら、その先、椅子に座っているれいの姿を認めて――あおいは眉をしかめた。うつむきがちな顔からは血の気が失せており、頬はこけ、落ち窪んだ瞳からは生気がまるで感じられない。

 痛々しい。それがあおいの黒騎れいに対する第一印象だった。夕焼けの山中でみたときよりも弱っているようにみえた。ガラス一枚隔てた先にあおいが立っているというのに、れいはまるで気がついていないようだ。

 あおいは静かに呼吸を整えると、れいに声をかける。

 

「黒騎さん」

「……二葉さん?」

 

 あおいが名前を呼んで、ようやく存在に気がついたようだ。

 顔を上げたれいは、まるで意思の感じられない目をあおいに向けた。

 今にも消えてしまいそうな、儚げな気配をまとっている。

 まるで殺されることを望んでいるような――あおいは唇を噛むと、れいに声をかける。

 

「イスからおりて、うしろにさがって」

「……え?」

「そのガラス、いまから壊すから」

「……どうして」

 

 れいの物分かりの悪さにイラ立つ。怒鳴りつけてやりたかったが、ぐっとこらえる。一度激したら自分を抑えきれる自信がなかった。

 あおいは気取られないように息を深く吸って。

 

「あなたを、助けにきたの」

 

 れいは目を見開いて、椅子から立ち上がる。

 さっきまであった儚げな気配は消え、おもしろいほどに取り乱し始めた。

 強化ガラスに駆け寄って、必死にあおいに話しかける。

 

「バカなことはやめて!」

「……バカなこと?」

「そうよ! わたしはっ……殺人犯なのよ! なんにんも殺した、凶悪な!」

「だから?」

「だからって……」

 

 絶句した様子のれい。あおいは冷たい目をむける。

 そんなこと、この女にいわれるまでもなかった。自分も、あかねくんも、みんなみんなバカだ。

 こんな人殺しの女を助けるために、なにもかも捨てたのだから。

 それでもバカなりにバカな覚悟を決めてここまできていて、その覚悟をこの女に否定されるいわれはない。不快な感情を押し隠して、あおいはいう。

 

「ここまできて、いまさら帰れるわけないでしょ。……あかねくんたちの覚悟をムダにするつもりなの?」

「……え?」

 

 ぽかんとするれい。まるで白痴のように呆けた表情をうかべる。

 

「……一色さんが、きてるの?」

「逆にきくけど、わたしがひとりであなたを助けにくるとおもう?」

「……」

 

 沈黙するれい、つまり肯定だった。

 今回の救出劇があかね主導であることを、なんとなく察したようだ。

 あおいは続ける。

 

「そういうわけだから、わたしはあなたを助ける。わかったら、うしろにさがって。あぶないから」

 

 しかしれいはガラスから離れないどころか、ふたたびあおいを止めようとする。

 あきらかにさっきよりも必死だった。

 

「いまならきっと許してもらえるわ! もどるのよ!」

「これだけ暴れたらムリだよ。いいからはやく、うしろにさがって」

「……! そうだわ! わたしに脅されてやったことにすればいい! そうすれば……!」

「……そんなの子どもだって信じないよ」

 

 呆れた声をだすあおい。しかしれいは気にもせず、依然あれこれと叫んで必死にあおいを止めようとしている。心の底からあおいたちの身を案じた様子で、ガラスを両手で叩いて必死に叫んでいる。やめなさい。やめて。おねがい。イライラする。うつむくあおい。なんでそんな。ドロドロとした感情が急速に広がっていく。れいの声。

 

「わたしなんかのために、人生を粗末にしちゃだめよ!」

「……るさい」

「それに……っ! わたしは一色さんを殺しかけたのよ!? 助けるかちなんて……!」

「うるさい!」

「きゃっ!?」

 

 轟音。うしろに下がるれい。

 あおいは感情のままハンマーを強化ガラスに打ち付けるも、あっさりと跳ね返された。それを無理やり軌道修正して、再度ハンマーを打ち付ける。悲鳴を上げる筋肉。パレットスーツを着てなお補正しきれない動きだった。ハンマーを打ち付けながら、あおいは叫ぶ。

 

「ずっと! ずっと! あなたのことが気にいらなかった!」

 

 あおいはもう冷静さを装う余裕がなかった。

 きっと憎々しげにれいを睨みつけているのだろう。だが、止まらない。

 

「おなじだったの!」

「……え?」

「ずっと天井だけながめてたころのわたしと、おなじ顔してた!」

 

 ハンマーを打ち付ける音が響く。ガンッガンッ。

 ガラスの向こう、困惑に揺れるれいの顔。

 

「かんがえることを放棄して! 自分を哀れんで! いいわけばかりして! そんな! 大嫌いだったわたしとおなじ顔してた!」

 

 あおいの言葉にうなだれるれい。

 

「だから、気に入らなかった! あなたなんかに! あかねくんが……っ!」

 

 視界がにじんでいた。遅れて自分が泣いていることに気がつく。

 ハンマーを右手に持ったまま下ろして、左手で涙をぬぐう。

 

「でも、いまはすこしだけマシな顔してる」

 

 夕日に照らされた川。あの時かられいの変化を感じとっていたのかもしれない。だからたぶん、しなくてもいい話をしたのだと思う。

 そうして今日。囚われの身になっていつ殺されてもおかしくない状況だというのに。本気であおいたちの身を案じて、必死に自分の救出をやめさせようとする姿をみて、誰よりもお人好しな想い人の姿を思い出してしまった。いっそいつまでも昔の自分そっくりでいてほしかった。そうすればこんな気持ちにならなかったのに。お前にはふさわしくない。そういってやれたのに。

 しゃくりあげそうになる自分を御すため、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「だから、ライバルとして認めてあげる」

 

 精一杯毅然とした表情を意識して、れいの顔を睨みつける。

 

「好きなんでしょう。あなたもあかねくんのことが」

 

 ガラスの向こうにいるれいが、つと視線を逸らす。

 

「そんな、こと」

「さっきいったよね。あなたは大嫌いだったわたしそっくりだって。なら――」

 

 あおいはふたたび両手でハンマーを振り上げる。

 

「――あかねくんのことが好きになるに決まってる!」

 

 ハンマーを叩きつける。ガンッ。ガンッ。ガンッ。響き渡る殴打音。

 身体ごとぶつかるように、体重を乗せて叩きつける。

 

「だから死なせない! 生きのこって! わたしと! ひまわりちゃんと! わかばちゃんと! 正々堂々とたたかえ!」

 

 ピシリと音が聞こえた。強化ガラスにヒビがはいる。ガンッ。ピシリ。ガンッ。ピシリ。

 

「あなたが死んだら! あかねくんはずっと引きずり続ける!」

 

 あおいはさらに力を入れて振り回す。ガンッ。ピシリ。ガンッ。ピシリ。ピシリ。

 

「死んであかねくんの胸にのこりつづけようだなんて! そんな勝ち逃げ!」

 

 視線の向こう。ひび割れ歪んだガラスの向こうにれいがみえた。

 ギリッと唇を噛むあおい。ハンマーを叩きつける。跳ね返されて踏み込む。陥没する床。筋肉の軋む音。腰を入れてもう一撃。

 

「――ぜったいゆるさないんだからぁ!」

 

 ひときわ大きな音が響いた。割れる音。

 身体ごとぶつかるようにハンマーを叩きつけていたあおいは、強化ガラスが割れると同時に前のめりに倒れていく。気が抜けたのだろう。あおいの両手からハンマーがすっぽぬけていく。そのまま床に倒れかけたところを、いつの間にか駆け出していたれいに抱きとめられた――と思いきや。れいはあおいを支えきれず、そのまま折り重なるようにたおれた。ドサリ。

 

「……なにやってるの?」

 

 折り重なった姿勢で、あおいはあきれた声を出す。れいの谷間に顔をうずめる形になっていたが、うれしくもなんともなかった。そっちの気はないし。わたしよりも小さいし。

 切れ長の瞳をそっと伏せ、バツが悪そうにれい。

 

「……ごめんなさい、だきとめようと思ったのだけど、力が入らなくて」

 

 あおいはため息をつくと、上半身を起こす。

 

「とにかく、ここから出ないと。まずはあかねくんたちと合流して……」

「……っ」

 

 あかねの名を出した瞬間れいの顔が曇ったことを、あおいは見逃さなかった。

 あおいが眉をしかめると、れいは焦った様子で否定する。

 

「……まさか、あかねくんと会うのがいやなの?」

「そんなことないわ……でも、その、どんな顔して一色さんとあえばいいのか……」

 

 眼下にみえるれいの顔は、近くでみると尚さら青白くみえた。さしずめ"あの夜"のことを気にしているのだろう。不安に揺れている瞳をみて、やおらあおいの唇が動く。

 

「……あやまれば、いいでしょ」

「え?」

「ほんとうに後悔してるなら……あやまりなよ、ちゃんと、じぶんの言葉で」

 

 あおいとれいの視線が交差する。やがてれいはコクリとうなずく。

 不安は滲んでいるが、とりあえずの覚悟は決めたようだった。

 

「……ええ、そうね」

 

 あおいはそれを見届けるとれいの上からどいた。あかねがとっくに許してることはおしえてやらなかった。どうしてわたしがそこまでサービスしてやる必要があるのか。

 せいぜいあかねくんが来るまで不安でいればいい。これで"あの夜"の落とし前をつけたということにしてやるのだから、むしろ感謝して欲しいくらいだ。

 

「はい」

「……え?」

 

 たおれているれいに右手を差し出すと、れいは困惑した表情を見せた。

 無言でさらに右手を突き出すと、ようやく察したらしく、れいはあおいの手を掴んだ。

 そのままぐいっとれいの上半身を引き起こす。ぎこちなくお礼をいうれい。

 

「あ、ありがとう……二葉さん」

「べつに、お礼をいわれるようなことじゃないから」

 

 上半身を起こしたれいを横目に、心のなかでべーと舌を出すあおい。

 

「あおいちゃん!」

「……あかねくん」

 

 その時、通路の向こうからあかねが飛んできた。うしろにはわかばとひまわりもいる。

 これでは作戦とちがうではないかと、あおいが疑問を抱くより先に、あかねが口を開いた。

 

「だいじょうぶだった! あおいちゃん!?」

「……わたしはだいじょうぶだよ」

 

 着地と同時にあおいの元へ駆け寄ってきたあかねは、胸をなでおろした様子だ。

 真っ先にわたしの身を案じてくれるあかねくん。いつもならうれしいのに、いまは苦々しさばかりが胸に広がっていく。

 あかねがはっとした表情を浮かべる。視線はあおいの隣。

 

「……黒騎さん」

「……一色さん」

 

 れいは一瞬だけうれしそうな顔をして、すぐに沈んだ表情でうなだれた。

 あかねもなにをいっていいのか、頬をかきかきしながらつぶやく。

 

「その……ぶじでよかった」

「……ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」

「そんな……」

 

 ペコリと頭を下げるれい。なにかいおうとして、あかねは口をつぐんだ。

 「気にしないで」と続けるつもりだったのだろうが、あおいたちを巻き込んでしまったという罪悪感が口を塞いだようだった。

 

「二葉さんたちも……ごめんなさい」

「あやまってもらうようなことじゃないから」

「あたしは、あかねのためにやっただけ」

 

 れいの言葉に、あおいとひまわりは憮然と返す。

 

「ははは……まあ、わたしたちが好きでやったことだからさ。気にしないでよ黒騎さん」

 

 苦笑しつつもフォローを入れるわかば。

 目を泳がせながら、れいはなにかをいおうと口を開く。

 

「それで、一色さん、その……」

 

 緊張がにじんだ気配。ひまわりたちも空気を察したらしく、じっと黙っている。

 "あの夜"のことを謝ろうとしているのだろうが、れいは踏ん切りがつかないらしい。

 それでも、ようやく勇気を出して口を開こうとして。

 

「あ……」

「さすがビビッドチームじゃ! わしの期待を裏切らん!」

 

 声。遅れて空気の抜ける音がした。視線を向けると、自動ドアから円盤に乗ったカワウソがふよふよと飛んできた。いつものように不敵な笑みを浮かべてなにやらまくし立てていたが、ようやくあおいたちの様子に気づいたらしく、困惑した表情をみせる。

 

「な、なんじゃ? みんなどうしたんじゃ?」

 

 しらーっとした空気が漂っていた。カワウソに向けるあおいたちの目は冷たい。

 カワウソが出てきたあの自動ドアは、モニタールームにつながっていたと考えるのが妥当だろう。つまりれいとのやりとりはずっとモニタリングされていたってことだ。ならこのタイミングで出てくることないだろ。ちらりとれいに視線をやれば、完全に萎縮してしまっている。

 ぽつりと、ひまわり。

 

「……くうきよめ」

「ひ、ひまわり!?」

 

 愛弟子の冷たい反応は、さすがのカワウソも堪えたらしい。

 うしろから出てきた管理局局長が、額を押さえているのが印象的だった。苦労してるんだろうなあ。ちなみにあかねたちがここまで来たのは、あおいから緊急信号が出ていたからだそうだ。もちろんあおいはそんなもん発信した覚えはない。カワウソがいじったようだ。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 黒騎れいは異世界人――平行世界の住人――だった。

 その世界は示現エネルギーの暴走によって滅んでしまい、れいだけが生き残ってしまったのだという。ひとり絶望するれい。するとそこに『彼ら』の『代弁者』だというカラスがあらわれ、あおいたちの世界の示現エンジンを破壊すれば、れいの世界を再生してやると提案した。

 うさん臭いことこの上ない話だが、藁にもすがる思いだったのだろう。れいはカラスに命ぜられるがままアローンを強化し、時に示現エンジンへの潜入を試みたという。

 そうして世界の敵になったれいを殺さずに退けることが、同時にあおいたちへ課されたテストだった。もしもれいを殺していれば、即座にテスト不合格で世界は滅亡していたらしい。

 隔離施設。『代弁者』を名乗るカラスはあおいたちにそう語った。れいが収容されていた設備の庇の上から、あおいたちを見下ろして偉そうに。

 

「ふん」

 

 鼻を鳴らすカワウソこと一色博士。

 移動用の円盤上で腕を組み、カラスに負けじと偉そうに応じる。

 

「ならば、わしらは合格したのじゃな。このテストとやらに」

「いいえ」

「……なに?」

 

 眉をしかめる健次郎。そして語り始めるカラス。

 要約するとこういうことだった。

 

『テストの点数は合格ラインだったけど、お前(人類)の存在が気に入らないから不合格な!』

 

 あっけにとられるあおいたち。なにをいってるんだこのカラスは。

 

「……ちょうどさ、ほしかったんだよね。庭に吊るすカラスよけ」

 

 そういうあかねの目は笑ってない。

 ブーメランを取り出すと、いつでも飛びかかれるように構える。

 

「い、一色さん……なにを……?」

 

 不安気な声をあげるれいに、あかねはにこりと笑顔を返す。

 

「あんなつかいっぱしりじゃ話にならないからね。叩きのめして上司をよんでもらうんだよ」

「そうじゃな。あれじゃ話にならんわ、とっととご退場願おうかの」

 

 物騒な孫と祖父だが、あおいも同意だった。

 聞けば上司である『彼ら』にお伺いを立てたわけでなく、カラスの独断にすぎない。

 こんなので世界滅ぼされてたまるか。ふん縛って上司を引きずり出してやる。

 

「てつだうよ、あかねくん」

 

 ハンマーを取り出すあおい。わかばとひまわりも各々の得物を取り出す。

 揃ってギラギラした瞳をカラスに向ける。

 カラスはやれやれと口を開く。

 

「まったく、ほんとうに人類というのは身勝手ですね。気に入らないから排除する――野蛮な本性があらわになったということでしょうか」

「「「「おまえにだけはいわれたくない!」」」」

 

 ビビッドチームの心が完全にひとつになった瞬間だった。

 いまなら全員でドッキングできるかもしれない。

 一斉に飛びかかろうとした瞬間、カラスが羽を振り上げた。

 

「……っ!?」

 

 その風圧だけで吹き飛ばされ、隔離施設の壁にたたきつけられるあおいたち。

 なんとか体勢を整えて、再度カラスに挑みかかろうしたあおいたちの眼前で――カラスがれいを丸呑みにした。直後弾けるカラス。黒い液体となって膨張し始め。遅れて叫ぶあかね。

 

「黒騎さん!?」

「いかん! みんな逃げるんじゃ! あかね! お前もじゃ!」

 

 取り乱したあかねに喝を入れつつ、あおいたちに避難をうながす一色博士。

 しかしあかねだけはカラス"だったもの"に向かって駆け出す。

 

「あかねくん!」

 

 あおいはあかねを正面から抱きかかえると、そのまま飛び上がる。防衛軍総司令部を飲み込まんばかりの勢いで膨張を続けていくカラス"だったもの"を背に、一直線に通路を飛んで行く。最下層を抜けて1階に出ると、最初に目に入った窓へためらうことなく突っ込んで外へ出る。

 脇目もふらず一心不乱に飛んで行く。ふいに後ろからわかばの声がした。

 

「……あれ!」

 

 おもわずふりむいて、あおいは絶句する。

 海上。管理局局長を抱きかかえたわかばに、一色博士を円盤ごと持ったひまわり。

 防衛軍総司令部の建屋を突き破って、黒く細長い何かがせり出していく。いまだかつてない禍々しい気配。おそらく、あれはカラスが。

 

「……アローンになった?」

 

 或いは、あれこそがカラスの正体だったのか。

 飲み込まれたれいはどうなったのか、あおいの脳裏にそんな言葉がよぎった刹那。

 抱きかかえているあかねが声を張り上げた。

 

「――黒騎さーん!」

 

 防衛軍総司令部の上空で、アローン――カラスが翼を広げた。ロングコートのように下へ広がったボディ。人間でいえば腕の部分に左右それぞれ4つの黒い翼が生えており、首の部分にぎょろりとそれは開く。なにもかも見下ろすような、大きな一つ目だった。

 

 

 

 

 

 



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12話 かさなり合う瞬間

 

 

 

 あのカラスは本質的にアローンに近い存在だったという。

 それが黒騎れいを取り込み、矢の力を得たことでパワーアップした、というのが一色博士の見解だった。カラスだったアローンは防衛軍総司令部の建屋から移動を始め、現在は示現エンジン上空にいる。示現エネルギーを吸収し、その巨体をさらに膨張させていく。4対の大きな翼を広げ、上部に鎮座する大きな一つ目で、この世のすべてを見下ろしていた。

 黒騎れいをその身に抱きながら。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 カラスだったアローンに対し、ビビッドチームの勝ち目はないと博士は断言した。

 それに対する防衛軍の反応は苛烈だった。ありとあらゆる空海戦力を投じ、さらにはSGE爆弾による飽和攻撃も決行。つまりはブルーアイランドもろともアローンを消滅させる作戦に打って出たのだ。当然あおいたちだって無事ではすまない。しかし攻撃は失敗。皮肉にもアローンのシールドによってあおいたちは守られ。SGE爆弾の炎は空を赤く焦がすにとどまったのだ。

 こうしてSGE爆弾による攻撃を平然と受けきったアローン。防衛軍が誇る空海戦力を羽から放ったレーザーでなぎ払うと、防衛軍総司令部の建屋から示現エンジンへ向けて移動を始めた。まるで人類の矮小な抵抗をあざ笑うように。悠々と。その身を誇示するかのように。

 

 総合司令部と海を挟んだ先。ブルーアイランドの砂浜海岸にあおいたちはいた。

 すぐうしろにはビル街が広がっており、夜勤明けの人々が不安そうな面持ちで周囲に立っている。早朝。カラスだったアローンから逃げ去るようにここまで来て、すでに2時間が経過していた。博士は円盤の上で腕を組んで目をつむっており。管理局局長は今もかろうじて使える無線機器で情報をかき集めている。

 

「あのカラスがいう『彼ら』って、よくわかんないけどすごい存在なんでしょ」

「そういってたね」

 

 ひまわりの言葉にうなずくあおい。

 ザザーンと、視線の先で波が寄せては返す。砂浜に肩を並べてすわっているあおいたち。みんなパレットスーツを着ていた。

 つづけるひまわりに、今度はわかばが答える。

 

「そんなすごい存在が、こうなることをよそうできないわけないじゃん」

「というと?」

「これは最後の試練ってこと。あのカラスをやっつけることで、『彼ら』がよういしたゲームはクリアです」

 

 「こんぐらっちゅれーしょん」と、やる気なさげにいうひまわり。

 海を挟んだ向こう、防衛軍総司令部から煙がもうもうと立ち込めているのが見えた。

 あおいとあかねが続ける。

 

「じゃあ、あのカラスはラスボスってことなんだね」

「ドラクエの竜王みたいな?」

「とらわれのお姫様もいるし、ぴったりだね」

 

 「えっと、ローラ姫だったよね?」というあおいに、わかばが「ちょっとまって」と口を挟む。

 

「ならあのカラスはドラゴンってことになっちゃうよ。せいぜい中ボスだよ?」

「いがいとくわしいんだね、わかばちゃん」

 

 あおいの言葉にわかばは「いやー」と照れくさそうに頭をかく。褒めてはいない。

 「さて」と、あかねが立ち上がった。パラパラとお尻についた砂を両手で払い落とすと、あおいたちの顔を見回して口を開く。

 

「いこうか、みんな」

 

 うなずくあおいたち。

 

「うん」

「わかった」

「そうだね」

 

 上からあおい。ひまわり。わかば。

 それぞれ立ち上がって、お尻についた砂を両手で払い落とす。

 あかねは一色博士に声をかける。

 

「ジイちゃん」

「……なんじゃ、あかねよ」

 

 重々しく答える博士。

 あかねは口を開く。まるでちょっとそこまで買い物にいくかのように。

 

「オレたち、ちょっと世界救ってくるよ」

 

 それこそ選択肢なんてありはしないのだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 カラスだったアローンへ向け、海上を飛んで行くあおいたち。

 わかばがふとなにかに気がついた様子でつぶやく。

 

「そういえばさ、わたしたち知り合ってまだ半年もたってないんだよね」

「え、そうだっけ?」

 

 おどろきの声をあげるあかね。わかばはうなずく。

 

「うん、だいたい4ヶ月くらいかな」

「そっか。わかばちゃんと知り合ってから、まだ4ヶ月しかたってないんだ」

 

 あおいはしみじみとつづける。

 

「初めて会ったときは、ぜったいあたまに『キ』のつく人だとおもってたよ……」

「うん、しみじみということじゃないよねそれ?」

「はははは……」

「あかねくんもなんで半笑いなのかな!? そ、そりゃあ、わたしだってあの時はどうかしてたとおもうけど……」

 

 唇を尖らせて、ぶつぶつというわかば。「でも、それなら」とひまわり。

 

「あたしだって、あおいの第一印象はさいあくだったよ」

「きぐうだね。わたしもだよ」

 

 ひまわりのジト目を、あおいはにこやかに返す。

 ため息をつくひまわり、「でも」と続ける。

 

「いまはそんなにきらいじゃないっていうか、その……友だちになれて、よかったとおもってる」

 

 ほのかに頬を赤く染めながら、ひまわりはそういった。あおいはほほ笑みを浮かべる。

 

「ねえ、ひまわりちゃん。そういうフラグ立てるようなマネはやめてくれないかな? 死にたいの?」

「……ほんっとうに。つくっづく。あおいはあおいだよね」

「ほめ言葉としてうけとっておくね! ……でも、わたしもひまわりちゃんとお友だちになれてよかったとおもってる」

「え? あ……え……い、いまさらおそいから!」

 

 ぷいっと顔をそむけるひまわりだったが、耳が赤かった。

 そこにわかばが声をあげる。

 

「あおいちゃん! ひまわりちゃん! わたしもふたりと友だちになれてよかったとおもってるよ!」

「あ、はい」

「そうですね」

「ふたりともなんで敬語なのかな……?」

 

 顔をひきつらせるわかば。こころなし涙目だった。

 そりゃまあ、あおいもわかばと友だちになれてよかったと思うし、ひまわりもそうだろう。

 でも警戒せざるを得ないっていうか。

 

「うう……。あ、もちろんあかねくんと友だちになれたことだって、よかったとおもってるよ!」

「ありがとう、わかばちゃん」

「あかね。あたしも」

「ありがとう、ひまわりちゃん」

 

 わかばとひまわりの言葉にほほ笑みを返すあかね。

 あおいがその光景を無言で見つめていると、ひまわりが眉をひそめる。

 

「……あおい?」

「え? う、うん。もちろんわたしだって!」

「ありがとう、あおいちゃん」

 

 あかねの笑顔にあおいもまた笑みを返す。あかねは目を細めていう。

 

「こんなこというと不謹慎かもしれないけどさ……ビビッドチームを組んでからずっと、たのしかったな」

 

 あかねは頬をかきかき、申し訳無さそうに、照れくさそうに続ける。

 

「もちろん苦しいことやたいへんなこともあったけど。みんなと友だちになって、ひとつの目標にむかってみんなで努力して、ほんとうにたのしかった」

「いわれてみれば部活動みたいだったね! ……いや、ほんとうに不謹慎だけど」

 

 わかばは笑顔で「部活動みたい」だといったあと、申し訳なさげに眉を下げる。

 しかし、あおいはなるほどと思った。犠牲となった人々には申し訳ないが、少なからずそういう感覚があったことは否定出来ない。なによりそういう感覚をどこかに残しておかなければ、とてもここまで戦ってこられなかっただろうと思う。

 活動内容は「アローンと戦って世界を救う」か。ひまわりはいう。

 

「なまえをつけるなら、ビビパン部?」

「……ビビはわかるけど、パンはどこからきたの?」

「わかんない。……なんでつけたんだろう」

 

 あおいの疑問に首をかしげるひまわり。

 わかばが声をあげる。ついさっきまでの和やかな声とは打って変わって、鋭い戦士の声。

 

「みえたよ、みんな」

 

 視線の先にはカラスだったアローン。

 れいを飲み込み。示現エネルギーを吸い取り。今なお巨大化を続けている。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 カラス――アローンの羽から放たれる禍々しいエネルギー。

 あかねたちの姿を認めると同時に、すぐさま攻撃態勢に入ったのだ。

 

「あかねくん! あおいちゃん!」

 

 わかばが叫ぶ。

 

「わたしとひまわりちゃんが道を切り開くから、ふたりは行って!」

「なにをいって!?」

 

 わかばの言葉におどろくあかね。それでは作戦と違うではないか。当初聞いていたのは、ファイナルオペレーションの連続攻撃による一か八かの攻撃作戦だった。それがどうして。あかねの言葉を遮るようにひまわりが続く。いつも通りダウナーで、いつにない焦りの乗った声。

 

「示現エンジンのエネルギーはすごい勢いであいつにすいとられてる。たぶん、ドッキングできるのは一回が限度。だから」

「敵の懐にはいりこんで、一撃必殺!」

 

 それは三枝わかばの信条でもあった。あるいは天元理心流の信条か。この局面に至るまで、みんなして真の狙いについてあかねに隠していたらしい。どうして。わかっている。あかねだって自分の性格は理解している。半端に揉めるよりもゴリ押しした方がいい局面だ。しかし。

 

「……あかねくん!」

「あおいちゃん……」

 

 あおいの決意が込められた瞳。あかねは決断する。

 

「……わかった。わかばちゃん、ひまわりちゃん、こっちはまかせてくれ!」

「即断即決! それでこそあかねくんだよ!」

 

 わかばは笑顔をうかべる。ひまわりはあかねに声をかけた。

 

「あかね。黒騎さんがいるのは胸の部分だよ」

 

 直後、羽からレーザーが放たれた。今まで見たことがないような弾幕だった。しかしそれに立ち向かうあかねたちの目に絶望の色はない。覚悟などとっくに決まっている――付け入る隙があるとすれば、それはやつの慢心にほかならない。羽から放たれるレーザー。あかね達を覆い隠さぬばかりに殺到する弾幕をみてやつは確信しただろう。これで勝負はついたと。だから気がつかない。ネイキッドコライダー。直後展開されたひまわりの能力によって、その弾幕のすべてが、あかね達に向かってくるよう仕向けられていたことに。

 

「ぐう……!」

 

 呻くひまわり。一発が複数の戦艦を一撃のもとに葬り去るだけのエネルギーを有したレーザー。まして何百発にも至るそれを、今や示現エンジンからのエネルギー供給がほぼ断たれた今のひまわりが制御するには、身体に大きな負荷がかかった。ひまわりの顔に苦悶の表情が浮かぶ。しかしその目は光を失わない。あかねたちの目と鼻の先。レーザーが束となったその刹那。

 

「わかばぁ!」

 

 ひまわりの叫び声。合図。わかばは咆哮と共に束となったレーザーへ突貫する。同時に力尽きて海へ落ちていくひまわり。両手で振り上げたネイキッドブレードが、束となったレーザーに触れた瞬間、わかばは吹き飛ばされかけた。なんとか持ちこたえたが、衝撃によってパレットスーツの一部が吹き飛びながらも、歯を食いしばって耐える。

 

「こん……のぉ……! 程度でぇ!」

 

 歯の隙間から漏れだすような声。眉間にしわをよせながら、わかばはふたたび咆哮する。

 

「わたしたちの想いをとめられるとおもうなっ!」

 

 振り切られたネイキッドブレード。切り裂かれ消失するレーザー。海に落ちていくわかばを横に、あかねはあおいの額に口吻を落とした。束となったレーザーの消失とはつまり――アローンとあかねたちの間に、隔てるものが何も存在しないということだ。数秒にも満たぬ空隙。それで充分。ふたりが命を賭けて開いた活路。決してムダにはしない。

 ドッキングオペレーション――ビビッドブルー。

 

「出し惜しみはなしだ!」

 

 示現エンジンに残ったエネルギーをありったけ引き出し、爆発的な推進力でもってあっという間にアローン――カラスに肉薄した。そのままビビッドブルーはハンマーをカラスに打ち付ける。狙うは上部にある目玉でありコア。轟音。だが、それはカラスの表面に張られたシールドに波紋を広げるだけで終わった。カラスの嘲笑。

 

「『彼ら』すら凌駕したいまのわたしに、傷をつけられる存在などいません」

 

 しかしビビッドブルーは動じない。

 

「まだだ」

 

 ガンッ! とシールドの1層目が破れる音。目を見開くカラス。

 けれど依然としてシールドは残っている。ふたたびカラスはあざ笑う。

 

「たかが1層やぶったくらいで……」

「まだだ、といっただろう」

 

 ガンッ! さらにもう1層が破れる。

 

「わかばちゃんとひまわりちゃんの想いが!」

 

 ガンッ! ガンッ! 音と共にシールドが破られていく。

 今度こそカラスの目に動揺の色が浮かぶ。

 

「オレとあおいちゃんの想いが!」

 

 6層。7層。8層。9層――次々に破れていくシールド。

 

「お前なんかの! うすっぺらいシールドで止められるとおもうな!」

 

 とうとうすべてのシールドが破れ、むき出しになるコア。あかねには確信があった。祖父の言葉。ビビッドシステムとは想いの力であると。ならば、自分たちの想いが、目の前のカラスごときに劣っているわけがない。

 

「バカなっ……!」

 

 絶句するカラス。ビビッドブルーの冷め切った視線の先には、目玉の形をしたコア。

 

「その目をみるたび、腸が煮えくり返りそうだったよ」

 

 ビビッドブルーの口元が静かに動く――ファイナルオペレーション。

 

「えらそうに見下ろしやがって、何様のつもりだ」

 

 変形していくハンマー。より相手を破壊することに特化した形状に。目の前のアローンを叩き潰すために。足元からエネルギーが吹き上がる。とうに臨界点を超えている示現エンジンはなおも壊れんばかりの勢いでエネルギーを供給する。あかねたちの怒りを、人々の怒りを、世界の怒りを代弁するかのように。ハンマーを振り上げた。

 

「これでやっと、見おさめだ」

 

 カラスは目をそらせない。目を閉じることもできない。圧倒的な現実の前に飲まれている。勢い良くハンマーが振り下ろされ、吸い込まれていくまでの様が、その目玉の潰れる瞬間まで克明に映っていた。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 

 カラスの絶叫。しかし致命打ではない。追撃しようとふたたびハンマーを振り上げたところで――ドッキングが解除された。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ドッキングオペレーション。流れこんでくる。頭のなかにあかねの思考が。

 れいへの想いが飽和していて。自分の付け入る隙なんてとても見つからなくて。

 気がついたら、あおいはどこともわからぬ場所に立っていた。

 薄紅色に流れていく雲の白が混ざった、ベルベットの空。

 水平線の向こうに視線をやれば、大地は合わせ鏡のように空を映し出していた。

 空と大地の境界線がわからない世界。始まりと終わりの狭間というのはきっと、こういう場所のことをいうのかもしれない。

 

「あおいちゃん」

「あかねくん」

 

 目の前にあかねが立っているのをみて、あおいはここがどこなのかなんとなくわかった。

 ドッキングの際に精神と精神とが交わり合う場所。いつもなら知覚する間もなく通り過ぎていく場所が、きっとここなのだろう。

 極限まで圧縮された戦闘が或いは精神にまで影響を与えたのかもしれない。

 あかねはおだやかに口を開く。

 

「あおいちゃんは、オレと初めてあったときのことおぼえてる?」

「もちろんだよ」

 

 大切な思い出で、同時にすこしだけうしろめたい気持ちになるあおい。

 しかしあかねは気づいた様子もなく、なつかしげに続ける。

 

「いまだからいうけど……ほんとうはね。あれ、あおいちゃんに会うためにやってたんじゃなくて、願掛けしてたんだ」

「願掛け……?」

 

 ぽかんとした表情を浮かべるあおいに、あかねは申し訳無さそうにいう。

 

「うん……願掛け。いいわけするとね」

 

 当時、あかねは精神的に追い詰められていたのだという。

 どうして他の子たちは両親がいて遊んでるのに、オレだけがバイトなんかやってるんだろう。

 まだ自分の人生と折り合いをつけることができなかったのだと、自嘲げに笑うあかね。

 とまれ。いつまでこんな日々が続くのか。出口の見えない毎日に、あかねの内心には鬱屈としたものがたまっていた。

 

「そんなとき、あおいちゃんと会った」

 

 最初はただ罪悪感からトマトを渡そうと考えていた。

 1日目にあえなかったのはたまたまだと思ってその日は退散したけれど、それから2日は1週間になり、1周間は1ヶ月半になった。そんなある日、いつまで経っても出てこないあおいの姿と、出口の見えない毎日が重なってみえはじめたのだという。

 

「それで、願掛けさ。あおいちゃんが出てくればきっとこんな毎日から抜け出せる。もちろん根拠なんてない。バカげた、子どもじみた妄想だよ……でも、切実だったんだ」

 

 あおいは言葉を失う。自分のくだらない意地悪に、あかねがそんな想いをこめていただなんて。

 

「ごめんね」

「え?」

「こんなくだらない願掛けにあおいちゃんを利用しちゃって」

 

 あおいは首を横にふる。そんなことはない。むしろ謝るのは自分のほうだ。くだらない意地悪をあかねにした、自分のほうだ。いいたいことはあるのに、あおいは胸が詰まって言葉が出なかったが、かろうじて口を開く。

 

「きにしないで、あかねくん。……それで、願掛けの結果は」

「うん。バイトについては……だけど。なにより大切なものが手に入ったよ」

「たいせつなもの?」

「あおいちゃん」

 

 そういって、にこりと笑うあかね。

 おもわず頬を赤くしてうつむくあおいに気がついているのか気がついていないのか。

 あかねは続ける。

 

「はじめてだったんだ。同学年の友だちができたのって」

 

 なにせ小中学生が同じ教室で勉強するような小さな学校に通っていたのだ。そんな環境だから学年間の壁はかぎりなく低かったが。それでもやはり、どうしたって壁は存在したという。

 

「だからね。あおいちゃんが転校してきて、オレと同学年だって知ったとき、ほんとうにうれしかった」

 

 なんの隔たりもなく対等につきあえるあおいの存在は、なによりもあかねにとって心の救いになった。

 

「あおいちゃんが来てから、毎日がたのしくてたのしくて。鬱屈とした気もちなんか、どっかいっちゃたんだ」

 

 それをいったらあおいだって同じだった。

 あかねと友だちになってからの日々は、どんなものよりもかけがえのない宝物だ。

 

「こんどのアローンとの戦いもね。あおいちゃんがいたから戦えたんだ」

「……え?」

 

 あおいの言葉に、あかねは遠くをみつめながら続ける。

 

「実はさ。今から思えばパレットスーツのこととか、ジイちゃんからそれとなく伝えられてたんだよ」

 

 幼いころから忍者の修行みたいなことをやらされ、その際にヘンテコリンなスーツを着せられていたらしい。あれがたぶん、パレットスーツの原型だったのではないかとあかねはいう。『これがお前の将来戦う敵じゃ!』なんて四足のロボットと一騎打ちさせられたりもしたそうだ。

 

「しまいには『お前は世界を救う鍵になるんじゃ!』なんていわれてさ。小さいころはまあヒーローごっこのノリで楽しめたけど……さすがに小学校に入ってからはキツかったなあ」

 

 頬をかきかき苦笑するあかね。

 小学校に入ってからもずっと博士の指導で訓練を積んでいたらしい。

 わかばと互角に戦えた理由はそれか。

 

「だからかな。アローンが来たときは、ぼんやりと『ああ、これのことだったのか』って」

 

 おどろくよりも先に感心してしまったそうだ。

 もっともいきなり祖父が死んだと思ったらカワウソになったりと、立て続けに衝撃的な出来事が起きて感覚が麻痺してしまったんだろうともいう。それでも"事故"の現場にいた経験から、示現エンジンが破壊されればヤバいということだけは直感的に理解していた。だから祖父に世界の危機だといわれるがまま家を飛び出したが、どこか現実感のない、ふわふわとした感覚だったらしい。

 

「あおいちゃんがピンチだとしった瞬間。一気に身体の芯が冷えて、現実にひきもどされたんだ」

 

 真剣な表情を浮かべるあかね。あとはあおいの知っての通りだった。

 落ちていくあおい。手を差し伸べたあかね。

 

「そうして落ちていったあおいちゃんを助けようとして、手を掴んだとき、わかったんだ」

「……なにが、わかったの?」

「オレが救う世界はこれなんだって。今この手に掴んでる、大切な人のことなんだって」

 

 あかねは右手を胸の高さにまであげると、手のひらを見つめてから、ぎゅっと握りこぶしを作る。真剣な表情。しばらくその姿勢のまま固まると、あかねはゆっくりと握りこぶしをほどき、あおいにほほ笑みを送る。少し照れくさそうに。

 

「あおいちゃんは気づいてたかな? ドッキング後の姿って、その……キスしてきた人の姿を大きく反映するんだ」

 

 ビビッドイエローにビビッドグリーン。

 たしかにひまわりとわかばの姿を色濃く反映していた。

 

「でも、あおいちゃんのときはオレの方からキスしてるのに、ドッキング後はあおいちゃんの姿を大きく反映してる。ずっとどうしてだろうって、不思議だった。ジイちゃんに訊いても、はぐらかされるばかりでさ」

 

 「でも」とあかね。

 

「いまなら、それがどうしてかわかる気がするんだ――あおいちゃんが、オレのことを、ずっと守ってくれてたんだって」

 

 それは、いくらなんでも。うつむくあおい。

 

「……わたしのことを買いかぶりすぎだよ、あかねくん」

「ううん。そんなことないよ」

 

 しかし、あかねはあおいの言葉をやんわりと否定する。

 あおいに向けられるあかねの目は、どこまでもやさしい色をたたえていた。

 

「いつもそうなんだ。さっきだって。その前だって。今だって」

 

 ゆっくりと、ベルベットの空が明けていく。

 

「オレがだめになりそうだってとき。迷ったとき。あおいちゃんはいつもオレの側にいてくれて、オレに力をくれた」

 

 地平線の向こう、朝焼けの光。

 

「あおいちゃんがいつだって笑顔でいてくれてたから、オレはどんなことだってがまんできたんだ」

 

 光はどんどん強くなり、やがて世界を白く染め上げていく。

 

「だから、ありがとう」

 

 何もかも覆い尽くすような光にも負けないような。

 

「大好きだよ、あおいちゃん」

 

 いつか屋敷の前で初めて見たのと同じ、輝くようなあかねの笑顔だった。

 

「……っ」

 

 卑怯だと、あおいはおもった。

 どうして今このタイミングでそんなことをいうんだろう。

 大好きだっていうのは友だちとしての好きで。わたしの好きとは違って。

 黒騎さんに対する好きとはちがって。もうあきらめようかと思って。

 それでもうれしくてうれしくて。胸がいっぱいで。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 

 耳ざわりな声。ドッキングが解除されて目の前にはあかねの姿。

 あおいは衝動のままあかねに抱きついて、唇を重ねた。

 唇を離して、唖然としているあかねに、あおいは笑顔を送る。好きだといってくれた笑顔。

 

「がんばって。あかねくんなら、絶対に、世界を――黒騎さんを救えるよ!」

「あおいちゃ……」

 

 抱きついていた手を離すあおい。背中から海へ落ちていく。

 ドッキングの際、形而上に動力機関を生み出す。

 博士はハッキリいわなかったが、あかねとドッキングした相手を動力機関にするということだ。それを臨界点を突破している示現エンジンから、さらに極限までエネルギーを吸い取るべく酷使させた。もはやあおいの身体は疲労からテコでも動かない。このまま海に落ちていくだけだろう。それでも。とっさにあかねがのばした右手を、あおいはすっと手を動かしてよけた。

 目を見開くあかねに、あおいはかすかに笑いかける。

 あかねはなにかをこらえるように目をつむって、アローンへ向かって突っ込んでいった。

 未だもだえ苦しむアローンの胸元をブーメランで切り刻み、その内部へ侵入していく。

 そう、それでいい。今ほんとうにあかねくんの手を求めてるのは自分じゃない。

 底なしのお人好しで。困ってる人がいたら放っておけなくて。そんなあなただからこそ。

 

「――愛してるよ、あかねくん」

 

 

 

 

 

 

 



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epilogue 今日よりも鮮やかに

 

 

 

 

 結論からいえば、あの戦いは本当に最後の試練だったようだ。

 あかねとれいのドッキングによって、ラスボスことカラスを撃破した結果。

 ご褒美とばかりになにもかもが元通りになった。

 そう、なにもかも。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 白い吐息が、灰色の空に溶けていく。

 ブルーアイランドの住宅街、学校へ続く道をあおいはひとりで歩いていた。

 制服は冬服になり、上にはダッフルコートを着て、首にはマフラーを巻いている。

 そこにうしろから声をかけられてふりむく。ダウナーな声。

 

「おはよ、あおい」

「おはよう、ひまわりちゃん。今朝ははやいんだね」

「なんか目がさえちゃって」

 

 ひまわりはあおいと同じく、冬服の上にダッフルコートを着ていた。

 首元に巻いているマフラーをみて、つとあおいは目をそらす。

 ふいに、ひまわりが不思議そうな声を出した。

 

「あおい。あかねはいっしょじゃないの?」

 

 いつもあおいといっしょに登校している、一色兄妹の不在に気がついたようだ。

 「なにかあったのか」と言外に問いかけるひまわりに、あおいは答える。

 

「バイトで遅刻するかもしれないから、先に行っててほしいって」

 

 朝。あおいのケータイに連絡が入ったのだ。

 母は退院し、祖父も研究者として復帰。もうバイトをしなくてもよくなったはずが、あかねは未だバイトを続けている。『ほかにやることもないしね』ということらしい。さすがに数は減らしたが、朝の配達は今も続けているバイトのひとつだった。ひまわりは眉をしかめる。

 

「めずらしい」

「そうだね」

 

 うなずくあおい。転校初日を除き、あかねがバイトで遅くなったことはなかった。ケータイ越しに聞いた声は元気だったので、事故や厄介なトラブルに巻き込まれたわけではないようだが。

 とあおいが話したところで、ひまわりはこころなしほっとした様子で続ける。

 

「ももは……そっか、修学旅行だっけ」

「うん、いまごろは飛行機で北海道にむかってるところじゃないかな?」

 

 2泊3日の修学旅行。小樽でスキーをやったりするそうだ。

 どちらともなく肩を並べて歩き出すふたり。

 

「きょうは冷えるね、ひまわりちゃん」

「こっちで暮らしてから、ダッフルコートなんてはじめて着た」

「ひまわりちゃんはちゃんちゃんこ派だもんね」

「いや、そういうことじゃないから……って、わかっていってるでしょ?」

 

 口元にそっと右手を当て、「うふふ」と品よくほほ笑むあおい。

 

「あらあら。ひまわりさんったら失礼ですわ。そんなことあるわけないでしょう? お嬢さまキャラはいつだって天然ですのよ」

 

 完璧なお嬢さまスマイルに、ひまわりはいつも通りダウナーな視線を向ける。

 

「あおいのいう天然って、総天然色だよね」

「その心は?」

「どちらも作りものでしょう」

「いまどきの女子中学生は総天然色なんて言葉しらないよ」

「あたしもあおいがわかるとは思わなかった」

 

 じゃれあいながら歩くふたりだが、いつもより口数はすくなかった。

 慣れない寒さがあおいたちの唇を重くしていたのだ。

 ひまわりが少しずり落ちたマフラーを口元まであげようとして、ふいにつぶやく。

 

「人間ってぜいたくだよね」

「なにが?」

「どんなにハッピーエンドでも、それでも『なんかちがう』っておもうの」

 

 どこか遠くをみつめるひまわり、あおいは目を伏せる。

 

「……そうだね」

 

 本当に、なにもかもが元通りになった。撃墜された戦闘機も。破壊された建造物も。死んでいった人々も。滅んだ世界も。みーんな元通り。これ以上ないってくらい文句なしにハッピーエンドで、誰も傷つかない最高の結末だというのに。だけど――なんかちがう。

 

「ほんとうにぜいたくだよね」

 

 あおいはつぶやく。

 なにもかも元通りになって――黒騎れいという目の上のたんこぶも消えたのに。

 どうしてか、それを喜べない自分がいた。

 

「ほんとうに……、ぜいたく」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 3ヶ月前。カラスとの戦いが終結した直後。

 示現エンジンの屋上で、あかねと合流したあおいたちは、れいと相対していた。

 れいのすぐ後ろには、元いた世界に通じているという扉がある。

 

「ごめんなさい、一色さん」

 

 そういってあかねに頭を下げるれい。

 ドッキングしたからだろうか、あかねはすぐに理由が思い当たったらしい。

 

「いいよ黒騎さん、あの夜のことなら気にしないで」

「でも……」

 

 うつむくれいに、あかねは「そうだ」となにか思いついた様子で口を開く。

 

「じゃあ、黒騎さんのことを下の名前でよんでいいかな?」

「……下の名前で?」

「うん」

「……そんなことでいいの?」

「それじゃあ、黒騎さんもオレを下の名前でよぶこと。これで手打ちってことで、ね?」

 

 逡巡して、れいはおずおずと口を開く。

 

「……あかね」

「なにかな、れいちゃん?」

 

 やさしげにほほ笑むあかね。頬を染めるれい。その様子をじーっとみつめるあおい。

 視線に気づいたのか、はっとした表情を浮かべるれい。

 こころなし気まずげに目を泳がせると、今度はあかねにお礼をいう。

 

「……いろいろありがとう、あかね」

 

 次はあおいたちに目を向ける。

 

「二葉さん、三枝さん、四宮さんも、その……」

「わたしも下の名前でいいよ、れいちゃん」

 

 にわかに目を見開くれい。

 あおいの言葉が意外だったようだが、あかねが下の名前で呼ばせたのならそれに倣うだけだ。わかばとひまわりも追従する。

 

「わたしもだよ! れいちゃん!」

「あたしも呼び捨てでいいから、れい」

「……あおい、わかば、ひまわり、みんなもいろいろありがとう」

 

 そういってから伏し目がちになるれい。やがて意を決した様子で顔を上げた。

 

「あおい」

 

 首に巻いていたマフラーを取ると、両手であおいに差し出す。

 

「その……。これを、うけとってほしいの」

「……なんで?」

「あのとき助けにきてくれて、ほんとうにうれしかった、だから」

 

 恩返しのつもりか。しかしそれは筋違いだとあおいは口を開く。

 

「……いったでしょ? あれは」

「それだけじゃない。あおいのおかげで謝ることができたの。だから、うけとって」

 

 なにが『だから』なのか、あおいにはわからなかった。

 そもそも好きでもない他人が使い古したマフラーなんか渡されても困る。

 あおいのそんな気持ちを察したのだろう、れいはそっと目を伏せた。

 

「めいわくだとはわかってるわ。でも、お礼がこれくらいしか思い浮かばなくて……」

 

 そんなものは自己満足もいいところだ。要らないものはいらない。

 断ろうとして。れいの切実な目。あおいは口を開く。

 

「……もらっても、つかわないとおもうよ?」

 

 あおいの言葉をうけ、顔をにわかに輝かせるれい。

 

「かまわないわ」

「……それなら、うけとるけど」

 

 マフラーを両手で受け取るあおい。

 れいはほっとした表情を浮かべると、あおいたちの顔を見回す。

 

「みんな、ほんとうにありがとう……さようなら」

 

 そういって最後に一礼すると、れいは扉を開こうとあおいたちに背を向ける。

 一瞬みえた横顔がさびしげに揺れていて、あおいは声をかけた。

 

「ちがうでしょ」

「え?」

 

 おもわずといった様子で振り返ったれいに、あおいは不機嫌そうに続ける。

 これでおわりだなんて冗談じゃなかった。劇的な勝利の末、別離。こんなドラマチックな幕引きじゃ、それこそあかねの心にいつまでも残り続けてしまうではないか。だから。

 

「またね、だよ」

 

 おわりになんかしてやらない。ひまわりもまた、むすっと続く。

 

「こんな中途半端なおわり方、ゆるさないから。またね」

 

 わかばも苦笑しながら、ふたりに続いた。

 

「ふたりとも素直じゃないっていうか、素直すぎるっていうか……まあ、そういうことだからさ。またね」

 

 そして最後にあかね。みんなを代表するように。

 

「またね、れいちゃん」

 

 口を開けてぽかんとしているれい。ぽろぽろと、両目から涙が流れ落ちるのがみえた。うつむいて両手でぬぐうが、ぬぐってもぬぐっても、れいの涙は止まる気配がない。それでも顔をあげて、涙でぐっしょり頬を濡らしながら、あおいたちに精一杯の笑顔をむける。

 

「またね、みんな……!」

 

 それっきり、れいは扉の向こうに消えていった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 左手でマフラーに触れていたことに気がついて、そっと手を離すあおい。

 その直後だった。

 

「ひまわりちゃーん!」ダキツキ

「ひゃあ!?」

 

 かわいらしい悲鳴。何事かと隣をみれば、緑髪の変質者が背後からひまわりに抱きついていた。ウェーブのかかった髪の毛に顔を押し付けながら、スンスンにおいを嗅いでいる。

 

「いいにおいだね……。シャンプーはなにをつかってるのかな?」スンスン

「や、やめ……」ゾワワ

 

 ひまわりは変質者から逃れるべく首を横に動かしたものの、そのまま首筋をスンスンされてもはや涙目だ。これはまずい! あおいは友を救うべく両手でカバンを振り上げる。

 

「ひまわりちゃんから離れて! この変質者!」

「え? あおいちゃん、わたし……」

「もんどうむよう!」

 

 あおいの一撃が、緑髪の変質者の顔にクリーンヒットした。

 

「ぐえっ!」

 

 バターンとあおむけにたおれる緑髪の変質者。

 あおいはすかさず、ひまわりをかばうように抱き寄せた。

 

「ひまわりちゃん!」

「あ、あおい……」

 

 胸元のひまわりは涙目で小動物のようにふるえていた。

 すがるようにあおいに抱きついている。

 

「『ひゃあ』って、ひまわりちゃんのあんな声、はじめて聞いたよ」

「あたしもあんな声、はじめて出したよ……」

 

 あおいはひまわりを背中に回すと、路上でひっくり返る緑髪の不審者を鋭く一瞥する。

 

「で、なにか釈明することはある? わかばちゃん」

「人はね、太陽がなければ生きていけないんだよ、あおいちゃん」

「……ごめんなさい。よくわからないんだけど」

「空に太陽がなければ、地上の太陽に惹かれてしまうのは必然だとおもわない?」

 

 スクッと立ち上がるわかば。その際やたら艶やかな流し目を送られ、背後のひまわりが喉の奥で「ひぃ」と小さく悲鳴をあげた。トラウマにならなければいいが。とまれ、ひまわりはわかばにとって太陽らしい。「もちろんあおいちゃんもだよ」とわかば。ひぃ。

 わかばは少し腫れた鼻をさすりさすり、ぶーたれる。

 

「でもひどいよふたりとも、単なるスキンシップだったのに」

「「わかば(ちゃん)だとシャレになってないの!」」

 

 ふたりのツッコミにてへぺろするわかば。こいつ――わかってやってやがる! あんまりにもあおいたちが警戒しすぎたせいか、どうも最近はいろいろ開き直って持ちネタ化していたりする。あおいはため息をつくと、わかばに問いかける。

 

「それで、今日はどうしたの? 朝練の時間じゃないの?」

「きょうは休みだったんだ。ほら、天気予報でさ」

「あ、そっか。あけがたから雪がふるって話だったね」

「うん、それで。でも、けっきょく今朝はふらなかったんだよね。雪」

 

 大島では十数年ぶりの大雪になると、ニュースで気象予報士がいっていたことをあおいは思い出す。もっとも、この寒さならいつ降りだしてもおかしくはないと思うが。ひとりだけ冬服の上に何も着ていないわかばは、両手を腰に当てて暑苦しく口を開く。

 

「もちろん休みのぶんは自主練でフォローしたけどね。いまもほら、家からここまで走ってきたばかりよ!」

 

 いわれてみればたしかに身体から湯気が立っている。朝っぱらからエネルギッシュなわかばに、あおいはこころなし圧倒される気分だった。いつのまにか隣に移動していたひまわりは露骨にげんなりしている。低血圧にこれはキツいだろう。いろんな意味で。

 

「じゃあ、いこっか!」

 

 わかばにうながされ、今度は3人で肩を並べて歩き出す。

 他愛のない会話をしつつ歩いていると、ふいにわかば。

 

「こうやって3人で登校するのって、そういえば初めてじゃない?」

「そうだね」

 

 相づちを打つあおい。たしかにめずらしい状況だった。わかばは朝練で、ひまわりは朝が苦手だからと、普段はそれぞれ別々に登校している。一方で、あおいといつも登校しているあかねとももは不在。さらには十数年ぶりの大雪。どこかいつもと様子がちがう朝。ぽつりとひまわり。

 

「こういうのって、漫画とかだとだいたいなにかが起こるフラグだよね」

「現実と漫画はちがうよ、ひまわりちゃん」

「ついさいきんまで、漫画より漫画みたいなことをやってきたのに?」

 

 それをいわれるとあおいはうなずくしかない。女子中学生が鼓笛隊みたいな服を着て怪獣と戦ってたなんて、客観的に考えれば相当に非現実的な話だ。元カワウソ曰く「アローンとの戦闘は最重要機密じゃ! 他言無用じゃぞ!」だそうだが、こんなこと話しても誰も信じないと思う。

 

「それじゃあ、たとえばなにが起こるとおもう?」

「たとえば――」

 

 わかばの問いかけ、ひまわりが口を開きかけたところに、「おーい」と背後から声。よくうしろから声をかけられる日だとふりむけば、エアバイクに乗ったあかねが手を振っていた。

 

「みんなー!」

 

 どうやら遅刻は免れたようだ。あおいもまた手を振って応じようと、右手を上げたところで固まった。あかねの後ろに人影。誰かと目を凝らしてみて、見開く。

 

「よっと」

 

 立ち尽くすあおいたちの手前で、エアバイクを停めるあかね。あかねに促されて、エアバイクから下りる影。黒の長髪。切れ長の瞳。あおいは呆然とその名を呼んだ。

 

「れい、ちゃん?」

 

 気まずげでいて、でもうれしそうな様子で、おずおずと声を上げるれい。 

 

「その……」

 

 なんでとか、どうしてとか、訊きたいことは山ほどあった。けれど、最初にあおいの口からついて出た言葉は。

 

「負けないから」

 

 あおいの言葉にぽかんとするれい。すぐに、あおいの首もとを見てはっとなる。なにかをこらえるようにうつむくと、目尻を両手で拭う。次に顔を上げると、綺麗な笑顔を浮かべていた。

 

「……わたしだって!」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 いつの間にか雪が降り始めていた。

 視線の先、あかねを挟んで火花を散らすどころか、あおいの眼力に押されっぱなしのれいの姿があった。それでも、れいは負けじと懸命に向き合っている。

 あかねたちから少し離れたところで、ひまわりは隣に立つわかばに声をかけた。

 

「たのしそうだね、あおい」

「そうだね。れいちゃんがいなくなって、ずっと塞ぎこんでたからよかったよ」

 

 「れいちゃんも楽しそうだし」と、わかば。いつもどことなくれいに漂っていた翳は、すっかり消え去っている。歳相応の笑顔。

 

「わかばは、気がついてた?」

「なにかな?」

「あかねが頬をかくのって、あおいがいるときだけなの」

「うん、しってる」

 

 苦笑しながらうなずくわかば。

 

「最初のころなんか、ドッキングするたびにあおいちゃんとの思い出ばかり流れこんできたっけ。どうしてあれで気づかないんだろうね、ふたりとも」

「あかねはまだおこちゃまなだけ。しかたない」

 

 色恋沙汰よりも、友だちと遊んでいるほうが今はまだ楽しいのだろう。この場合の友だちは自分たちであるというのが、ちょっとフクザツなところだが。

 仮に愛の告白をしたところで、『ごめんね。そういうの、まだよくわからないんだ』と、こちらが申し訳ない気持ちになるほど真摯に謝られるのが関の山だろう。

 

「じゃあ、あおいちゃんは?」

「ただのヘタレ」

 

 バッサリといい切るひまわりに、わかばは頬をひきつらせる。

 

「て、てきびしいね、ひまわりちゃん」

「事実だからしかたない」

 

 いつもあかねのことばかり考えてるくせに、いざとなると急に及び腰になるのだ。

 お昼休み。お弁当のおかずをあかねに「あーん」しようとして、やっぱり自分で食べてしまう姿を何度みたことか。そしてなにより、れいに気を使っていたのだろう。『もどってくるまで勝負はおあずけ』だなんて、バカ正直に考えていたにちがいない。或いは、言い訳か。

 

「まったくもってヘタレだよ、あおいも……あたしも」

 

 あおいが動かないのであれば、ひまわりからあかねにアプローチすればよかったのだ。しかしここ3ヶ月、いや思えばその前からひまわりはなにもしなかった。わかばは静かにいう。

 

「それをいったらわたしもだよ、ひまわりちゃん」

 

 結局、ひまわりもわかばも踏み出す勇気がなかった。文字通り心通わせた友人たちと過ごす、ぬるま湯のような日々が心地よくて、それを壊したくなかったのだ。けれど、それも今日でおしまい。"部外者"であるれいがもどってきた以上、自分たちの関係も変わらざるをえない。あおいはもうそのために踏み出している。わかばは、ひまわりに問いかける。

 

「あかねくんのこと、あきらめる気はないんだよね」

「もちろん」

 

 ふたりは視線を交差させ、口元に笑みを浮かべる。ならば、やることは一つだった。

 

「それじゃ、いこっか」

「うん」

 

 ひまわりとわかばは、3人に向かって駆けていく。

 

「あかね!」

「あかねくん!」

 

 そのままあかねの両腕に、左右それぞれ抱きついた。

 

「……え?」

「な……!?」

 

 ぽかんとするれい。唖然とするあおい。

 

「ひ、ひまわりちゃん? わかばちゃん?」

 

 いきなり腕に抱きついたふたりに、困惑するあかね。

 わかばは左腕に抱きついたまま、笑顔でいう。

 

「寒いからあったまろうかな、って。あかねくんもあったかいでしょ?」

「たしかにあったかいけど、その……」

 

 チラと右腕のひまわりに視線を向けるあかね。

 ひまわりはそ知らぬ顔で問いかける。

 

「……その?」

「む、むねが……」

「むねが?」

 

 ぐいっと、ひまわりはあかねの右腕に胸を押し付ける。厚着だから効果は薄いかなとおもったが、ほおを赤く染め、言葉に詰まるあかね。あまり自分の身体を武器にするようなマネはしたくないが、今回ばかりは手段を選ぶ気がなかった。なぜならば。

 

「ね、ねえ、あかねくん。わたしも押しつけてるんだけど」

「え、なにを?」

 

 固まってるわかばはさておき、なぜならば。

 

「な、な……」

 

 わなないているあおいと、きょとんとしているれいに対して、ひまわりはべえと舌を出す。あたしたちの存在を忘れるな、と。あおいは即座にその意を理解したようだった。深く息を吸い込むと、口元に引きつった笑みを浮かべる。

 

「上等だよ。ひまわりちゃんも。わかばちゃんも。れいちゃんも。みーんなまとめて、相手してあげるから!」

 

 望むところだった。つまるところ、決め手となるのはあかねの判断だ。タイムリミットはあかねが色気づくまで。おそらくはここ1~2年が勝負になるだろう。それまでに、あかねの心に自分という存在を根付かせてみせる。ひまわりはぎゅっとあかねの腕を抱きしめなおす。このぬくもりを手放す気はなかった。視線を向ければ。笑顔の仮面をかぶることも忘れ、歯噛みしているあおい。

 

「うぐぐ……」

 

 あおいの様子に気がついたらしく、心配そうに声をかけるあかね。

 

「あおいちゃん?」

「なんでもないよ、あかねくん!」

 

 にこりと満面の笑みを浮かべるあおい。安心したのかほほ笑むあかね。

 むむむと頬をふくらませるひまわり。固まっているわかば。困惑しつつも楽しそうなれい。

 かくして、その日がくるまで――二葉あおいは懊悩する。

 

 

 

 

 

 

 

 〆

 

 

 

 

 




 これにて完結です。ご愛読ありがとうございました。


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