『琴葉茜』とマイクラ世界 (糸内豆)
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プロローグ 半年くらい経ったある日のこと

「お、生ってる生ってる」

 

 家の裏手にはこの間収穫したはずのリンゴが再び実っていた。

 四角い幹から広がる枝にたくさんぶら下がっていて、これならすぐに使い切ることはないだろう。

 前の分は村人との交易で使い切ってしまったからな。他にも食料はあるとはいえ、リンゴは使いやすいしそこそこ長持ちするから便利だ。

 試しに1つをもいでみる。リンゴはやはり日光に当てたりとか袋を被せたりとかいった世話なんてしてないのに鮮やかな赤色をしている。

 そのまま囓ると小気味よい音が鳴って、口の中に僅かな酸味を含んだ瑞々しい甘さが広がっていき、芳醇な香りが鼻腔を通り抜けていく。

 こんな出来の良いのがろくに手間をかけず短期間で収穫出来るなんて、本職のリンゴ農家が見たら商売上がったりだと思うだろうか。それともこんなのあり得ないと仰天するか。

 

「ちょっと、お姉ちゃん! またそのまま食べてる!」

 

 そんなことを思いながらリンゴを頬張っていたら、後ろから声が飛んできた。

 振り返ると葵が家の裏口から出てくるところだった。手には木の籠を持っている。どうやら収穫の手伝いに来てくれたようだった。

 

「まあまあ、そん……そないに衛生なんて気にせんでも平気やろ。農薬も使てへんのやし」

 

 しかめっ面をした葵にそう言ってみるが、彼女の眉間の皺は消えることはない。

 

「そんなこと言って、この前ジビエとか言って生の鶏肉に中ってたよね?」

「あ、あれはたまたまやし」

 

 痛いところを突かれ、声が上擦る。

 この間野宿した時のことだ。安全地帯を確保し、さあ夕食を食べてさっさと寝ようというところでふと生の鶏肉はどんな味かと気になったのだった。

 もちろん食中毒の可能性があることは分かっていた。それでもゲームの頃は食中毒になる確率は30%だったし、いざとなれば牛乳飲めば解毒出来るだろうということで試してみたのだが……。

 その結果は、お察しの通りである。命の危険がない程度に腹痛に悶え苦しんだのであった。

 

「そ、それにリンゴなら大丈夫やろ。リンゴで食中毒なんて聞いたことないで」

「それは日本だとあまりないだけで、大腸菌に感染した例はあるんだよ? ただでさえここは元の世界と環境が違うんだから用心するに越したことはないよね」

 

 ぐうの音も出ないとはまさにこのことか。

 全くの正論に何も言い返すことが出来ず、こうなったら葵は殊の外頑固だ。

 早々に降参することにした。

 

「分かった分かった、これからは気ぃつけるから」

 

 とは言いつつもそのまま負けを認めるのは何だか癪だ。

 さりげない動作で最後の一欠片を口に放り込む。案の定、葵は憤慨した様子を見せた。

 

「言った傍からまた!」

「油断大敵や。こういうのは食べたモン勝ちやで葵」

「むっ!」

 

 してやられたといった葵の様子にちょっと優越感がこみ上げてくる。

 そして、よせばいいのに分かりきった死亡フラグを立ててしまった。

 

「それとも実は葵も食べてみたかっただ、け――」

 

 調子に乗って続けようとした言葉を最後まで言い切ることなく、脱兎のごとく逃げ出す。

 何故かと言えば、憤怒の形相を浮かべた葵が籠を放ってこちらに全力疾走してきたからだ。

 

「逃げないでお姉ちゃん!」

「逃げるに決まっとるやろ!」

 

 やばい、あれはやばい。エンダーマンと目が合った時の戦慄感によく似ている。お前しばくぞ、ってかしばくと雰囲気が物語っている。さすがに物理的に半殺しにされることはないだろうが、捕まったら説教地獄は免れまい。

 自業自得とはいえ、もちろんそんなのは御免だ。こうなったら葵の気が落ち着くまで逃げ回るしかない。

 何、これでも日頃からモンスター相手に切った張ったしているのだ。後方支援がメインの葵相手に早々遅れは取らな――

 

「あ゛っ」

 

 気がついた時には草に足を取られ、思いっきり地面に倒れ込んでいた。

 咄嗟に手をついて頭をぶつけるのは回避したが、体のところどころをぶつけてしまい衝撃が走る。

 でもこの程度のダメージに構っている余裕はない。

 

「ええい、何やってるんやウチ! 早く起き上がらないと後ろから恐ろしい青鬼が――」

「大丈夫、お姉ちゃん?」

 

 ポンと肩に手を置かれる。

 それだけで自分の体は硬直し、ピクリとも動かなく――いや、動けなくなってしまった。

 さながら蛇に睨まれた蛙のようだった。

 

「あ、葵」

 

 辛うじて絞り出した自分の声が実に情けなくか細い。

 さっきの様子が嘘のような優しい声色。なのに。

 

「ほら、起き上がれる? 家で手当しよ?」

「せ、せやな……」

 

 恐る恐る、油の切れた機械のようにぎこちなく後ろを振り返ってみる。

 

 

 

「つ か ま え た」

「ひっ」

 

 葵は、それはそれは実に『いい笑顔』を浮かべていた。

 

 

 

 

 お姉ちゃんはいつも向こう見ずなんだから、物を整理しないでどこにしまったか忘れるし、改築だって寸法間違えてた、誰がブルーベリー色をした全裸の巨人だ、いやそこまで言ってないやろ等々。

 あれから治療をしつつあれやこれやと説教されたりリンゴの収穫を再開したりするうちにすっかり夜になった。今は夕食を終えて、そのまま食堂で葵が風呂から上がるのを待っているところである。

 今頃、外ではモンスターが宛てもなくウロウロしていることだろう。暇とはいえ戦う必要も素材を集める必要もないのに出て行く気も無いが。

 ぼんやりとお茶を飲みながら視線を動かしていたら天井の電灯が目に入った。あれ、電灯のくせに電気要らずなんだよな。つくづく動力がどうなっているのか謎だ。

 

「ふぅ……」

 

 コップから口を離し、人心地つく。

 この世界に来て、もう半年程だろうか。

 初めの頃がもうずいぶん昔のことのように感じられる。

 色んなことに驚いて、出会いがあって、作って、冒険して……今ではすっかり落ち着いた日々を送ることが出来ている。

 もちろんまだまだやること、やりたいことはあるけれど、それでも明日がどうなるか分からないという状況は脱した。幸いなことにこの世界には尋常じゃない強さのモンスターがいるとか滅亡しかねない現象が起きるとかは無さそうだし。その気になれば定住して生きていくことは出来るだろう。下手に元の世界に戻るより、ずっと生きやすいかもしれない。

 

「でも」

 

 思わず声が零れた。

 そう、でもそれじゃ駄目だ。

 結局この世界は異郷でしかないから。

 どうしようもないくらい嫌というわけではないが、それでも骨を埋めると決断するには早すぎる。

 何より――葵はあの時『帰りたい』と言ってたから。

 

「さしあたってはこれを見つけなきゃな」

 

 机の上に置いていた、村を訪れた行商人から貰った本を捲ってみる。

 遠くの町で仕入れたという、観光誌のような、文化誌のような、素人のお手製といった感が強い本。だが、これに書かれている情報は決して無視出来るものではなかった。

 ――世界を渡る力を秘めた『時代の書』。

 この半年の経験や得た情報からして、おそらくMystCraftで追加されるものそのままではあるまい。希望的観測ではあるが、原作のMYSTに近い能力である可能性もある。レシピブックには載っていなかったが、世界を渡るのに『時代の書』という名前が出てくる辺り、少なくとも過去にこの世界に存在したのは間違いないだろう。

 今も未使用の『時代の書』が残っているかは分からないが、これに関しては調べてみる以外無いだろう。この本を見つけたという町は幸いにも十分辿り着ける距離のようで、ヘリを使えば長引いても一月程度で帰ってこれるだろう。留守の間メイドさんが用意した食事をつまみ食いした挙げ句、ストライキを起こさないかはちょっと心配だが、まあそこはさすがに自制してくれると思いたい。

 まあ、元の世界に帰るというのはいい。確実ではないが、それでも筋道はありそうだから。希望の芽があるのだ。

 だから問題は――

 

「――どうやって茜ちゃんに体を返すかだな」

 

 問題は、『琴葉茜』こと俺はどうすれば本当の琴葉茜に体を返すことが出来るのかということだった。こちらは全く目途が立たない。他人と肉体が入れ替わるような要素を追加するMODなんて知らないし、たぶん存在しないだろう。おそらく俺が琴葉茜の体に入っているのはMOD含めたマインクラフトの法則とはまた別の要因によるものなのではないだろうか。

 それに元の世界に帰るのとは違って、葵に知られて余計な不安や心配をかけるわけにもいかない。たまにボロを出してしまってはいるが、それでも一応本物の茜として振る舞っているのだ。

 時折、今の生活が続けばいいと思ってしまうことはある。しかし、やはり葵には本当の姉を返さなければならない。図々しく姉妹の絆に割り込んで本人面なんて、そんなのは到底許されることではないのだ。何より、俺自身がそれを認められない。

 俺は、成し遂げねばならない。

 琴葉姉妹を、元の世界に返すという目的を。

 

「お姉ちゃん、お風呂空いたよ」

 

 パジャマ姿になった葵が少し火照った様子でやってきた。

 俺は直前までの意識を『茜』に切り替える。

 

「――ああ、分かったで葵」

 

 茜の体を勝手に使ってしまっている罪悪感やそれを詫びてしまいたい気持ち。

 打ち明けられないのは自分が臆病なだけなのではないかという自嘲。

 諸々を胸のうちにしまい込みながら、俺はいつものように返事をするのだった。




2022/07/24 後の展開と矛盾する部分を修正


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第1話 『琴葉茜』の目覚め

「あー……よく寝た気がする……」

 

 とても清々しい目覚めだった。体は軽く活力に満ちていて、泥濘のようにまとわりつく眠気もない。いつもは重い瞼がいとも簡単に開き、視界が暗闇から色鮮やかなものへと変化する。

 仰向けの状態から体を起こしながら、ぐっと体を伸ばす。それから脱力すると筋肉がほぐれる心地よい感覚が走り、軽く声が漏れる。

 こんな快適に目を覚ましたのなんて何年ぶりだろう。子供の頃は朝になるとすぐに目が覚めたのに、いつの間にかすっかり起きられなくなってしまった。たぶん疲れを回復し切れなくなってきたんだろう。

 でもこんな風に起きられるなら自分はまだまだ若い。なんて、年寄りぶったことを思ってみる。本当のお年寄りが聞いたら苦笑しそうだ。

 ……さて。

 つらつらと益体もないことを考えていたが、そろそろ現実と向き合わねばなるまい。正直なところ、気持ちよい目覚めだとか少年老いやすくだとか、そんなことを考えている余裕など無いのだ。

 

 だって――

 

「ここどこ?」

 

 こんな草原の真っ只中で無防備に寝ていたなんて、どう考えても異常事態だろう。

 思わずこぼれた問い。もちろん答える者がいるはずもなく、そのまま青い空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 遭難した時は無闇に動き回ってはいけないらしい。

 だからというわけでもないが、ひとまず大自然のベッドに再び身を横たえることにした。

 こういう時にすべきことと言ったら、状態や状況の確認が定番だろうか。

 

「とは言っても、全然思い出せないんだよなぁ」

 

 だが、今の自分にとってはそんな初歩的なことさえもかなりの難題だった。

 まず分かったのは以前の記憶がろくに思い出せないことだ。

 どんな感じかというと……。

 

 ――自分は日本人である。以上。

 

 まともに思い出す気が無いとかではなく、本当にこれだけしか確信が持てないのだ。

 住んでいた場所、人間関係、どのように生活していたのかなどを思い出そうとすると、途端に思考は濃霧に包まれたようになってしまい、確かなことを1つも拾い上げられなくなってしまう。

 正確に言えば濃霧に包まれたと表現するのも違うのだが……まあ、今はそんなことはいい。もっと重要なことがある。

 

「あ、あ、あ――やっぱり」

 

 狙ったわけではないが独り言を口に出していたおかげで違和感に気がつけた。

 喉をさすりながら、マイクチェックをするかのように特に意味の無い音を発してみて確信する。

 最初は調子が悪いだけなのかとも思ったが、どうにもその程度ではない。

 というか。

 

「どう考えても他人の、それも女の子の声だよな……あ、俺男だったのか?」

 

 期せずして自分の性別を思い出し? ながら、そんなことを独り言ちる。

 少なくとも俺の声は、こんな可愛らしい感じではなかったはずだ。もっとこう、なんと言おうか。パッとしないというか、そんな声の人よくいるよねというか、とにかく地味でこんな個性的ではなかったはずだ。

 ああ、そうだ。性別のことが分かったついでに確かめてみるか。

 

「うん、ついてない」

 

 声同様にこれまた個性的な服着てるなぁ。それに視界の端に映る髪がピンク色で派手だ。

 そんなことを思いながらさっさと上体を起こし、見える範囲で体を眺めてみたり、某野菜人が幼少期にやっていた方法でチェックしてみたりして確信する。

 今の俺、女だ。

 ……うん、分かりきってるのは分かっている。わざわざそんな念入りに確かめなくても肉体が女性のそれであるということくらい分かるだろうと。全く間抜けなことをした。

 ただ解せないことが一つ。

 

「なんか……聞き覚えあるような」

 

 人間関係を思い出せないのに覚えがある声とはどういうことだろう。無意識にでも覚えていそうとなると、親しい誰かの声か。それが肉親なのか、愛を誓った相手なのか、友人なのかは分からないが。

 もしそうなら自分の体は今その相手の体だということになる。……急に申し訳ないというか、居たたまれないというか、何とも言えない気分になってきた。

 

「うん? でも、もしそうならそれはそれで結構なヒントになるんじゃないか?」

 

 もし思い出せないだけで本当は見知っている誰かの体だというのなら、その顔は当人のものであるはずだ。鏡か何かでそれを認識すれば記憶が蘇るかもしれない。

 

「問題は、鏡なんてこの辺りには無さそうなところか」

 

 今時、こんな大自然なんて日本じゃ北海道にあるかどうかというぐらいの草原だ。見渡せる範囲では民家どころか人工物すらも無い。見えるものと言えば遠くに森が広がっているくらいだ。

 ……改めて考えると、だいぶまずい状況じゃないかこれ?

 さっきのボディチェックの時に分かったが、今の自分はまさしく着の身着のままだ。

 服にはポケットがついていないし、何かしらの手荷物が周囲に転がっているとかもない。ましてや服の下に何かを隠し持っているとかでもない。

 となれば携帯電話という文明の利器を持っているはずもなく、ちょっと誰かに連絡して助けてもらうとか現在地を調べてみるとかも出来ない。

 要するに、今の俺は死にたくなければサバイバルをしなければならない。鏡どころの話ではなかった。

 

「冗談じゃない……!」

 

 どこか楽観的に構えていた意識が血の気と共に引いていくのが分かる。

 このまま訳の分からないまま飢えたり渇いたりして死ぬなんてごめんだ。

 居ても立ってもいられなくなり、俺は立ち上がると草むらをかき分けながら、あてもなく歩き出した。

 

 そして、10秒後には勢いよく大きな水溜まりに落下した。

 

「えっ、ちょ、うわ――」

 

 草で隠れていて見えなかったが、どうやら地面に穴が空いていたらしい。

 地面にそのままぶつかるよりはマシだった、なんてこと考える余裕もなく俺は溺れかけた。

 幸いにも底に足がついたのでげほげほと咳き込みながら、何とか立つ。

 

「全く、こんな時に……さっさと上がらないと――」

 

 見上げて言葉を失った。

 高い。崖という程ではないがそれでも登るにはキツい土の壁がそこには立ちはだかっていた。

 道具か何かがあれば登れるかもしれないが、あいにくと素手だ。

 それにフリークライミングに初挑戦といこうにも、人工で造成したのではないかと思うくらいでっぱりがない。絶壁だった。

 ここで終わりなのか。この水牢みたいな穴の中で死ぬのか。

 

「――ふざけるなっ!」

 

 気がつけば俯きながら、目の前の土壁に拳を何度も何度も打ち付けていた。

 完全に八つ当たりだった。

 起きた時はあんなに快適な目覚めだったのに、それが1時間もしないうちに命の危機だ。

 焦り、怒り、不安。そういった諸々の感情がまぜこぜになって、抑えようがなかった。

 

 

 なかったのだが、その感情は瞬く間に驚愕に取って代わられることとなる。

 

「ふざけ――え」

 

 急に壁を叩く感触が消えた。

 それまでの怒りが拍子抜けするように消えて、思わず間抜けな声を出してしまう。

 顔を上げると、そこには空間があった。土があったはずのその場所はちょうど1メートルくらいの立方体に切り取られたようになっていたのである。

 どういうことかと困惑して、ふといつの間にか右手に何か持っていることに気づく。

 それはちょうど四角く切り取られた手のひらサイズの土に見えた。

 

「…………」

 

 ふと1つ思いついた。

 そんな馬鹿な、という思考が湧き起こるのを感じつつも右手の土の直方体をその空間に置くように意識する。

 ――次の瞬間、そこには先ほどと同じような土壁があった。

 

「あっマインクラフトだこれ」

 

 自分のものでないはずの声で出たその言葉は、しかし確かに自分の口調だった。

 そのまま無言で、今度は先ほどよりも静かにトントンと壁を叩く。土がサイコロ状に消滅し、手元に手のひらサイズで現われる。

 今度は頭上の若干手の届かない、浮いている土に叩く動作をしてみる。消滅して手元の土が増えた。

 そんなことを繰り返すうちに地形が階段のように削れたので、半ば放心状態で水から上がり、ぺたりと座り込む。

 訳が分からなかった。分からないが、とにかくちょっと落ち着いたら喉が渇いた。

 そういえばちょうど水があるな。さっき落ちたばかりだし、生水だが、まあマインクラフトなら大丈夫だな。良かった、とりあえず水問題は解決だ。

 支離滅裂な思考になっているのをどこかで自覚しながら、とりあえず水を手に汲もうと水溜まりに身を乗り出す。

 

 

 水面に、自分の姿が映った。

 

 

「――琴葉、茜」

 

 

 思わずその名を呼んだ。

 別に『本物』に出会ったことがあるわけではない。

 それでも水鏡に映し出された姿は、紛れもなく彼女だった。

 

「嘘だろ」

 

 感情の抜け落ちた顔で『彼女』の唇は俺が発したのと同じ言葉を紡いだ。



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第2話 『琴葉茜』はこれが夢でないと知る

 琴葉茜とは音声読み上げソフトVOICEROIDシリーズの製品の1つであり、またそのイメージキャラクターである。セットになっている妹の琴葉葵曰く「少し天然」、関西に住んでいた影響で関西弁風の喋り方をする。ピンクの髪に黒い服装、赤い髪留めが妹と対になっている。

 その彼女が、目の前にいる。いや、正確には水面に映っている。そして映っているのは俺自身だ。

 

「……ああ、そうか」

 

 呆けたままそれを眺めていた俺だったが、あることに気がつく。

 そうだ、なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。

 あり得ない出来事の連続、記憶の断絶。そういったことが起きる状況なんて決まっているじゃないか。

 これ、夢か。俺は頬に手をやり、勢いよくつねった。

 

「痛い痛い痛い!」

 

 激痛が走った。痛い。ものすごく痛い。

 万力のような、とは言い過ぎだがそれでも結構本気で力を入れたのだ。

 さすがに水面だと分からないけど、たぶんちょっと赤くなってるだろう。

 

「夢じゃ、ない」

 

 だが、おかげで少し頭は冷えたように思う。よし、今一度冷静になって考えてみよう。

 ここまでの出来事で何が分かった?

 

「まず、ここではマインクラフトのように物を壊したり置いたり出来る」

 

 サンドボックスゲームの金字塔マインクラフト。このゲームは大雑把に説明すれば、世界を構成する様々な種類のブロックを壊したり設置したりして思い思いの建築を楽しむという内容のゲームだ。モンスターと戦ったり作物や動物を繁殖させたりといった要素もあるが、今はそれは置いておこう。

 俺はそのゲームと同じようなことが出来るようだ。土や木を何度か叩くとその部分がブロックごと消え、アイテムとして得られる。さっきの感じだとゲーム同様、2~3人くらい離れていても届く。

 この世界の法則なのかもしれないが、ともかく今は俺にはそれが出来るということが重要だ。とはいってもまだ土で試してみただけだ。木でも出来るか確かめてみないと。

 何もかもがゲーム通りというわけではないようだしな。

 空を見上げる。太陽の位置はさっきとほとんど一緒で昼下がりくらいだろうか。もしもこれがゲームだったら10分くらいで陽が沈む。ゲームだから気にならなかったけど、あれが現実だったら時間感覚がとんでもないことになるだろう。

 もっとも地形が四角かったり土が宙に浮いたりしているのを見るに、ゲームの法則と現実的な物理法則とがごっちゃになっているのかもしれない。今の段階では何もかも推測にしかならないが。

 

「次に、俺は今琴葉茜の姿になっている」

 

 そして、個人的にはそれ以上に衝撃だったのがこれだ。

 絵で見るのと比べればもちろん違いはあるが、それでもこの姿はまさしく琴葉茜だ。

 ピンク色の長髪、特徴的な髪飾り、黒を基調としたワンピース、妹と同じ赤い瞳。髪飾りやワンピースはともかく、髪や瞳の感じはウィッグやカラーコンタクトでは再現出来ないだろう。それだけの説得力があった。

 しかし、琴葉茜か。

 記憶が曖昧なのに不思議な話ではあるが、俺は別に彼女のことが嫌いなわけではない。むしろとても好みのキャラクターだ。公式設定は先ほど思い出した程度のものしかないから、彼女が出てくるストーリーなんてのは基本的に二次創作しかないが、それでも妹の葵共々大好きだった。

 男だったはずなのに女になっているとか、架空の人物になっているとかに思うことはあるが、大好きなキャラになっているのだ。別に悪い気はしない。

 しかし、そうなるとこれは異世界転生か何かだろうか?

 現代社会の人間が何かしらの理由によって死んでしまい、別の世界に生まれ変わって大活躍する。別の世界は主にRPGのようなファンタジーのことが多いが、異なる歴史を辿った現代社会だったりSFチックだったりすることもある。でも俺は既存のキャラクターの姿で既存のゲームの世界だからな。さしずめ二次創作か。

 ……ふと、自分は今さっき誕生したばかりなのではないかという思いが脳裏を掠めた。つまり俺は転生どころか前世すらない、本当は存在しない人間なんじゃないかと。

 まあ、考えても仕方ないことなのだが。

 そんなのは卵が先か、鶏が先かと問うようなものだ。それに第四の壁の超越も証明も土台不可能な話である。

 堂々巡りになってキリがない。思考を早々に打ち切ることにする。

 

「こんなところか」

 

 完全ではないが、自分の状態と今置かれている状況は把握出来た。

 となれば早速試すことがある。

 俺は立ち上がると、先ほど削った地面を登ることにした。

 

「おっ、すごい」

 

 登りやすくなったとはいえ、土は1メートルぐらいの高さがある。

 しかし、俺はそれを難なくすいすいと登っていくことが出来た。間違いなく身体能力が上がっている。常人の、それも女性の体でこんなことをやろうとしたらそれなりに負担がかかるはずだ。

 考えてみれば先ほど穴に落ちた時だって、水があったとはいえさほどの衝撃が無かった。

パニックで溺れかけたし、ゲームみたいに1マスの水なら心配ないというわけにもいかないが。

 それでも間違いなくこれは朗報だった。

 

「家を建てる時は天井の高さに気をつけなくちゃな」

 

 ちょっとジャンプしてみると案の定腰より高いところまで跳び上がった。ゲームみたいに意味も無くぴょんぴょん跳ねるつもりはないが、それでも閉所では気をつける必要があるだろう。天井に頭をぶつけて痛い思いを、なんてしたくない。

 さて、穴から出た俺は今度は遠くに見える森の方へと向かう。今度は落下しないように足下に気をつけながらだ。ついでに途中で草むらを殴る動作をしたら一瞬で草が飛び散り、いくつかの種も手に入っていた。成長速度がどんなものかは分からないが、農耕は出来そうだ。

 それなりに距離があったが何事も無く、やがて森の端っこに辿り着いた。とりあえず手近なオークの木に近づき、土の時と同じように軽く何度か殴ってみる。

 

「まずは、よし」

 

 木がアイテムとして手元に収まっているのを見て安心する。

 しかし、これはあくまで第一段階だ。もしもこの世界がマインクラフトに準じているというのなら、必須の要素がある。

 俺は手元の木をじっと眺める。そしてそれが加工されるのを意識した。

 すると脳裏に4つの枠と、そのうちの1つに手元の原木が置かれるイメージが出てきた。俺はその状態をさらに進めるイメージを持った。

 

「よし、よしっ!」

 

 手元の原木が4つの木ブロックとなったのを見て喝采を上げる。クラフト機能はしっかり存在するようだ。ゲームだと完全に前提の能力だからな。もしこれが出来ないとなると、生存難易度が跳ね上がるところだった。

 俺はそのまま出来上がった4つの木ブロックを、再び4つの枠に当てはめるイメージをする。すると今度は上面に格子状の模様、そして側面に道具類が吊り下げられたブロックが手元に現われた。

 作業台だ。マインクラフトのアイテムの大半はこの作業台を通して作成される。これが無くなったらほとんどのものが作れない。作成難易度は低いがクラフター……マインクラフトのプレイヤーにとっては必需品だ。

 早速作業台をその辺に設置する。その後、さっきの木の残った部分も回収してしまうとまずは全てを木ブロックに、その後一部を木の棒へと加工し、木の斧を作成した。

 斧はそこそこの重さがあったが、十分振るうことが出来そうだ。たださすがにゲームみたいに振り回すのは無理だった。

 ついでにアイテム化したものをインベントリに格納出来るのも確認する。限度がどのくらいかは分からない。普段画面の下に表示される種類ぐらいは持てるといいのだが。

 

「さて、斧だとどのくらい早くなるかな」

 

 斧を使った経験などないが、マインクラフト通りだったら倒木や正しい打ち込み方の心配も無いだろう。足に落っことしたり自分にぶつけたりについては気をつける必要があるだろうが、まあそれは現実世界通りだ。

 ゲームとは違っていかにも木に打ち込んでいるという音が響く。それが何度目かに達した瞬間、手応えが変わった。

 

「やっぱり素手より早いんだ、なっ!?」

 

 俺は目を瞠った。

 素手より早いのはいい。想定内だし、そうじゃないと斧を作った甲斐がない。

 問題は木の消え方だった。本来マインクラフトにおいては素手による回収でも各種ツールを使った回収でも、目標の1ブロックだけが対象となるはずだ。

 ところが今のは……。

 

「一括破壊……」

 

 PCゲームにおいては、しばしばMODの存在が挙げられる。一口に言ってしまえば、MODとは有志のプレイヤーがゲームの要素を改変、あるいは拡張するために開発したプログラムのことである。

 MODは単なるバグ取りからゲーム性が変わってしまうものまで多種多様だ。世界的な人気を誇るマインクラフトにも当然MODは多数存在する。

 その中でも有名なのが一括破壊系MOD。本来は1つ1つ破壊する必要のあるブロックを、1カ所を破壊するだけで指定した範囲内の同じブロックをまるごと破壊出来るのだ。

 大きな時間短縮になるので重宝される一方、醍醐味が無くなるという声もあるくらい便利なMODだ。

 しかし、MODがこの世界に適用されているとなるとある心配が浮かび上がってくる。

 

「世界崩壊系とかインフレした強さの敵追加とかないだろうな……死ぬなんて試せないぞ」

 

 一括破壊は、まあこの状況下においてはとても役立つし問題ない。試しに一括破壊しないのを意識してみれば、ちゃんと1カ所だけ破壊することも出来た。

 問題は一括破壊系MOD以外にどんなMODがこの世界に適用されているかということだ。便利な機能やアイテムが追加されるくらいならいい。むしろ大歓迎だ。

 しかし、MODの中にはまともにプレイするのが厳しくなるような強力な縛りや敵を追加するようなものもある。それこそ死ぬのを前提にしたものも。ゲームだったら問題無かった。何度でもリスポーンして攻略するなり最悪詰んでもバックアップや別のワールドでやり直したりも出来たからだ。

 だが、ここはマインクラフトと酷似した世界であって、決してゲームではない。もちろん仮想空間でも、遊びでもないだろう。ここにおけるクラフターの能力にはたして生き返りが含まれているのか。とても試す気にはなれなかった。

 ……そんなことを考え込んでいたら、ふと顔に木の影が差す。見上げてみれば陽が沈みつつある。日暮れだ。昼の青が僅かに残ってはいるものの、空は茜色に移り変わりつつある。

そう遠くないうちに日没になるだろう。

 

 ん? 日没?

 

「……まずいっ!」

 

 直前までの思考をかなぐり捨てて、俺は斧を片手に次の木へと向かった。

 夜になればモンスターが出現する。

 正しくは一定以下の明るさになるとモンスターが発生する可能性が出てくるのであって、昼でも出る時は出る。それでも基本的に野外では夜になるとモンスターが出てくるのだと認識していいだろう。

 ゲームならベッドで寝てしまえば一瞬で朝になったし、そうでなくとも土なり崖なりに穴を掘って隠れたりといった手もあった。

 しかし、今の俺はベッドなんて持ってないし、時間の法則が現実通りになっているこの世界で一瞬で朝になるとは思えなかった。そして俺は今、ちゃんと呼吸をしている。水中でだけ酸素ゲージが出るというわけではないのだ。

 だから即刻簡易的なセーフハウスを建てる必要があり、俺はその建材として木を集めるのに奔走するのであった。

 

 ……後から考えれば、ここでシャベルを作り地面に広めの穴を掘って隠れるのでもよかったと思う。というかその方が時間もかからなかった。

 しかし、なんだかんだでこの時の俺はとても疲れて混乱していたし、宙に浮いた土がゲーム通り落ちてこないということも信じ切れていなかったのだった。それに分かりやすく壁に囲まれていた方が安心出来るというのもあっただろう。

 かくして、俺はヘトヘトになりながらも簡単な家1軒分の木ブロックを入手したのであった。



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第3話 『琴葉茜』と夜の闇

 マインクラフトにおける拠点の意味とは何か。

 実用性を重視した各種設備や物資の集積地か、あるいはロールプレイを意識した見栄えや居心地のよい家か。あるいはその両方か。

 それはクラフターによって異なるが、やはり拠点というからには1つ外せない要素がある。

 ――安全の確保。

 特に何をせずとも物資が手に入るような完全に自動化された工場だろうと、まさしくファンタジーといった感じの豪奢な巨大建築だろうと、もしそこにモンスターが湧いたり簡単に外から襲撃されたりするようでは拠点とは呼べまい。

 逆に言えば安全が確保されてさえいるのであれば、それは充分に拠点たり得る。極端な話、雨晒しだろうと地面が土ブロックのままだろうとダサすぎる装飾が施されていようとだ。

 

「だから、これは完全に立派な拠点だ。マイハウスだ」

 

 せっせと走り回って集めた木ブロックを積み上げて出来た家を見渡しながら、俺は誰に言うとでもなくそう呟いた。

 まるで木ブロックそのものを巨大にしたような外見。実にコンパクトで、その気になれば縦にも横にも拡張の余地がある。木ブロック以外で唯一ついているドアがアクセントだ。

 ……紛う事なき豆腐ハウスだった。

 いやだって、仕方ないじゃないか。手間暇かける時間はないし、セーフハウスに遊び心出す必要なんてないし、何より素材がないし。建築センス? 俺は建築デザイナーじゃないんだ。

 おっと、そんなことを考えている場合ではない。

 空の色はもうすっかり暗くなってきている。まだ西の方には明るさが残っているが、後はすっかり濃紺に染まっており、もうお月様やお星様がこんばんはと顔を出している。夜だ。

 俺はドアを開き、今建てたばかりの初めての家に入った。

 

「……何も見えん。しかも天井が低い」

 

 家の中は真っ暗だった。当然である。窓もなければ光源になるものも置いていない。素材が木ブロックだけなのに何故かガラス付きのドアから星空が見えて、それで僅かに方向の判別がつくくらいだ。

 そして、身体能力を確かめた時のことを忘れて3ブロックの高さで天井を張ったから圧迫感がすごい。琴葉茜の身長158cmくらいでも腕を伸ばせば手が届く。ジャンプすれば激突待ったなし。おまけに床は地面のまま。一段掘り下げてみようか、いや真っ暗で見えんし無理だ。

 これ、ゲームだったらモンスター湧くよなぁ。朝になったら天井は取っ払わないと。というか、一旦全部解体するか。

 俺はひとまず入り口近くの壁を背にして座り込み、ようやく一息ついた。

 

「しかし、こんなの建てるだけでもここまで疲れるとは……」

 

 さて、家がこんな悲惨なものになったのは先ほどの理由の他に、伐採や建築が予想以上に体力を使うものだったということが挙げられる。

 伐採や建築なのだから力仕事なのは当然ではないかと思うかもしれないが、マインクラフトの常識においては伐採や採掘、つまりブロックを壊すよりも走る方が満腹度……MODを入れないマインクラフトにおける実質的な疲労度を消耗するし、ブロックを設置するのに至っては全く変動しないのだ。

 だが、この世界ではどうやらそうもいかないらしい。一本切り倒すだけで結構腕に来た。家を建てる時もブロックの設置はまだしも、積み上げたり位置を修正したりで跳ねていたらすっかり息が上がってしまった。

 これでも一括破壊含めたクラフターの能力のおかげで、かなりマシになっていると思うのだが。ゲーム通りだったらとっくに終わっていて石を掘ってくる余裕まであっただろうが、現実通りの身体能力だったらそもそも出来なかっただろうし。

 くぅ、とお腹が鳴った。

 

「はあ……」

 

 何本か木を伐ったもののリンゴは1つも出なかったから、今夜は空きっ腹を抱えることになる。

 ゲームみたいに飢餓状態になってダメージが入って、なんてことはないと思うがそれでもひもじいものはひもじい。

 うう、ごめんよ体の茜ちゃん。女の子をこんな家とも呼べないような家に住まわせて飯も出せないなんて男失格だ。俺が琴葉茜だし、女の子になっちゃったけど。

 起きてても仕方ないし朝まで寝るか。暗くて開けてても開けてなくてもあまり変わらないけど。そう思いつつ目を瞑ると、代わりに聴覚が研ぎ澄まされるのを感じる。

 

 

 そこで気がついた。

 

「……うん?」

 

 遠くの方から何かが聞こえる。

 いったい何の音だろう。立ち上がってオークのドアからそっと外の様子を窺う。

 外は真っ暗でほとんど何も見えない。それでも月明かりのおかげで見つけることが出来た。

 さっきまで何もいなかったはずの草原にいくつかの影が見える。

 人影のようだったが、両手を前に突き出しながらフラフラとしている様子からそれが何なのかが分かった。

 

「ゾンビ」

 

 聞こえてきたのはどうやらゾンビの呻き声のようだった。

 マインクラフトでは定番の敵モンスター。1体だけなら素手でも倒せる程度で大して強くはないものの、数で攻めてこられたり足の速い子供ゾンビが居たりすると面倒な相手だ。他にも40マス離れた位置の標的を感知し、難易度にもよるが倒した村人をゾンビ化させてしまったり木のドアを破壊したりする。

 それが外にいる。幸いにもだいぶ距離があるし気づかれてはいなさそうだ。ともかくこの世界にモンスターがいることは分かったし、後はやりすごそう。

 とは思いつつも見える範囲に敵がいるという状況で目を離すことも出来ず、ずっと外の様子を窺っていたのだが。

 

「……なんかこっち来てないか」

 

 どうにも右にフラフラ、左にフラフラしながらも近づいてきている。

 偶然だろうとは思う。もしもゾンビがこちらを見つけていたら、まっすぐにこっちに来るはずだ。

 それでもその動きがこちらの存在に気づいているように思えてならず、俺は外を覗くのをやめて再び壁へと身を預けることにした。

 ……少し、呼吸が荒くなっているのが分かる。寒くもないのに体が小刻みに震えている。さっきまで感じていた空腹なんて気にならないぐらい意識が外に向いているのが自覚出来る。

 怖い。暗くてはっきり姿が見えたわけではない、いやモンスターとはいえゾンビなんて直視したいわけではないが。命を脅かす存在が外をうろうろしているというのが恐ろしい。

 暗闇の中で自分の息遣いと心音がはっきり聞こえる。こんなのを聞かれたらバレてしまうに違いない。そう思って必死に息を潜めようとすればするほど、どうしようもなく鼓動は脈打ち、より多くの酸素を求めて呼吸してしまう。何も見えず、何もいるはずもないのに、暗闇のあちこちに視線が動く。

 それがどれくらい続いたか分からなくなった時、家のすぐ傍でガサリと草をかき分ける音がして――

 

 

 

「う゛ぁ゛」

 

 低い、呻き声が聞こえた。

 

「――!?」

 

 悲鳴が漏れそうになり、咄嗟に口を押さえた。心臓が跳ね上がり、早鐘は最高潮に達する。息苦しい。急に少女になった自分の体の華奢さが不安になった。

 襲われたら、いったいどうなる。食われるのか、村人みたいにゾンビにされてしまうのか、もっと恐ろしい目に遭うのか。戦う? 違う、現実で素手で倒せるとは思えない。せめて武器を、ああ木の剣でも作っておけば。だから隠れなきゃ、でも隠れてるのは怖くて。

だから、だから。

 死の恐怖が全身を駆け巡り、緊張が脳天を突き抜けて。

 気がつけば俺は、意識を失っていた。

 

 

 

 

 ひんやりとした地面の温度で目が覚めた。

 寝ぼけ眼で体を起こす。薄暗いが家の中の様子は見える。昨日と変わらず、木の壁と天井、そして地面だけの殺風景なままだ。ドアのガラスから差し込む外の光だけが、模様のように地面を照らし、唯一のアクセントとなっている。

 どうやら夜は明けたようだった。もうゾンビの声はしなかったが、おそるおそる外の様子を確かめてみる。草原は静かで何かが動いている様子もない。

 そっとドアを開けて外に出てみると、暗がりから急に出たせいで目が眩んだ。それでも身を包む太陽の光は暖かくて、自分が生きているのだということを実感させてくれた。

 

「は、はは」

 

 自然と変な笑いがこみ上げてきた。喜びとも安堵ともつかない妙な感覚だった。

 

「生きてる。俺、生きてる」

 

 そうしたら急に空腹だったことを思い出す。

 そうだ、まずは腹拵えだ。今日こそは何か口にしないと。リンゴより動物探して狩った方がいいかな。屠殺したことはないけど、まあ多分何とかなるだろう。石も掘ってかまどや木炭辺り用意しないと。それからはあの不出来な豆腐を解体してしまって、今度はもうちょっとマシなものを作ろう。もちろん天井高くして、外壁に上り下り用の階段をつけて……。

 今日の予定が次々と頭に浮かんでくる。心はすっかり解放感に満ちていて、もうすっかり昨夜の恐怖はどこにも残っていないようだった。

 

 

 

 でも、実のところあの緊迫感は体に残っていたらしい。

 

 

 カサリ、と背後から草を踏みしめるのが聞こえた。

 瞬間、俺は自分でも訳も分からぬまま全力で前に跳んでいた。

 そこでようやく微かに振り向いた視界に映ったのは緑色の何かが、空気の抜けるような音と共に膨張する光景。

 それがマインクラフトの解体の匠、クリーパーであるということを理解した時にはもう遅く、俺は爆風に吹き飛ばされていた。



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第4話 『琴葉茜』の初めての狩り

 地面に投げ出された衝撃で、ようやく自分が爆発に巻き込まれたことを理解した。

 耳鳴りで周囲の音が聞こえず、視界が半ば砂嵐に覆われたようになっている。一時麻痺していた痛覚が次第に戻ってきて体のあちこちの痛みを訴え始めるし、擦り傷で手や腕のところどころが赤く滲んでいる。

 どうにか肘を立てて体を起こしながら、周囲にもう敵がいないのを確認する。

 最初に衝いて出た言葉は悪態だった。

 

「あっ、あの、豚の出来損ないが……!」

 

 クリーパーは他のモンスターと違って足音と導火線に火がつくような音以外ではほぼ無音で、アンデッド系モンスターのように日光で燃えることもクモのように明るい場所では中立状態になることもない。緑色をしていて草原では擬態色になるというのも、その隠密性を高めている。

 今の俺みたいに日中で油断しているクラフターの背後に忍び寄って周囲ごとその命をこの世から解放するのは、ゲームではもはや風物詩も同然だった。何人のクラフターがアイテムをぶちまけたり建てたばかりの家に穴を空けられたりしたことか。

 ちなみにクリーパーが元々は豚の3Dモデルの失敗作ということはクラフターの間では有名なトリビアである。

 さて、今のでいったいどれほどの傷を負ったのだろうか。軋むような腕を恐る恐る背中に回してみる。

 

「痛っ……でも、思ったより大したことないな?」

 

 ジンジンと、脈打つように深く染みるような痛みこそある。

 しかし、手から伝わってくる感触はあれほどの近距離で爆発に巻き込まれたとは思えない程度のものだった。そもそも服すら破れていないようだ。プールに飛び込む時に腹打ちしたよりはきついくらいで、むしろ地面で擦った傷の方が具合が悪そうである。

 これは、どういうことなのだろう。不思議に思いつつも立ち上がってみる。

 

「う、あっ……」

 

 酷い目眩と脱力感とで、倒れそうになり踏み止まった。空腹なのもあるかもしれないが、

それとはまた違うような気がする。思考も少しぼんやりとする中、マインクラフトの知識に照らし合わせて考えてみる。

 ……一番ありそうなのは、体力だろうか。世にある多くのゲーム同様、たとえ残りの体力が僅かでもプレイヤーは精神的な焦りを除けば何の支障もなく動ける。そのゲーム的な仕様と現実の傷ついたらその分動けなくなるというのが混ざり合ったらこうなるだろうか。

 空腹感の方は現実とさほど変わらないしそれでダメージを受けるという感じもないが、怪我の度合いと今の感覚からするにたぶんその辺りが曖昧というか、認識と実際の状態とで差があるのだろう。

 弱ったらそれまでというのはゲームと比べて大きく弱体化したように思えるが、こうなってみて自覚症状があるのは重要だと実感する。痛覚は生物が生き延びるための重要な機能だ。本当は死にかけなのに気づかず、大したことのないダメージで体力が尽きて死亡なんてなったら笑い話にもならない。

 自分の状態に結論が出たところで深呼吸をして、一旦落ち着く。それから振り返った。

 

「うわぁ……」

 

 石ブロックの層が露出するほどの穴が地面に空いている。深さ3メートルで直径5メートル。真四角なブロックに沿って十字を描くのではなく、もうちょっとだけリアル寄りに丸い。ゲームなら埋め直すのが面倒くらいの感覚だったが、実際に見てみるとその大きさに絶句するしかなかった。直撃してたら死んでたなこれ。

 だが、一度転んでもただでは起き上がらないのがクラフターだ。

 昨日から屋外に設置したままだった作業台で手持ちにある残りの木ブロックを使いシャベル、ツルハシに加工する。それから爆破で空いた穴の辺りを階段状に整えつつ、必要な分だけ石も回収した。一括破壊がある分、やはり早い。そのうちここは地下採掘場の入口にしよう。

 

「どうだクリーパー、お前の爆発を利用してやったぞ」

 

 ふはは、と続けようとして虚しくなってやめた。単純に格好つかないし、茜の声だとなんかギャグっぽくしか聞こえなかった。別に琴葉茜はギャグキャラ担当でもなんでもないのだが。

 

 

 

 今しがた採掘したばかりの石を作業台に持っていき、引き続きクラフトする。まずはツルハシ、シャベル、斧をアップグレード。斧はともかくさっき作ったばかりの2つはもうこれでお役御免だ。

 ここで木の棒が足りなくなったので、豆腐ハウスの天井を回収して素材にする。それから石の剣を作った。

 試しに振ってみる。斧の時と同様に大して重い物を持っている感じはしないというか、全く重さが変わらない気がする。さすがに同じ重さということはないだろうから、これもまたクラフターとしての能力なんだろう。

 ともかく、これでゾンビの1体くらいなら倒せるとは思う。

 

「……戦う、か」

 

 考えてみると昨夜は無意識に戦うという選択肢を除外していたな。

 間違いだったとは思わないけど、それにしたって一方的にやられることばかりが浮かべていた。実際に襲われたら、反撃くらいは出来ると思うのだが。自覚は無かったが、それだけ混乱していたか。

 それか、思考が体に引っ張られているとか。精神は身体的な変調の影響を大きく受けるからな。年齢不詳ではあるが、茜ちゃんは外見からして10代半ばくらいだ。この体もおそらくそれくらいだろう。そんな少女が怪物に襲われそうになったら怯えて当然である。

 まあでも、単に俺がビビっていただけかな。そもそもモンスターが出てきた、じゃあ戦ってやっつけようという人間の方が少ないんじゃないか。外国だったら武器を手に取ってと考えるのかもしれないが、俺は日本人だし。

 次に敵と出会った時、ちゃんと戦えるのか。いや今は残り体力少ないから無理か。

 そんなことを思いつつ、最後にかまどを作成する。作業台同様にその辺に設置し、どんな感じになるかテストがてら残り少ない手持ちの原木をセット、燃料として木ブロックを突っ込んでみる。

 火種も何もないのに勝手に燃焼が始まるって、何かシュールだな。それに結構勢いよく燃えているのに近づいてみても、少し暖かい程度で全然熱くない。これならゲーム同様に家の中に設置しても大丈夫そうだ。本当に不思議な光景だけど。

 やがて火が収まると木炭が出来ていた。いくつかを木の棒と組み合わせて松明を作る。残りは取っておこう。石炭が手に入ったらもうわざわざ作らないとは思うけど、まだまだ素材不足だからな。何より調達するのも結構手間がかかるし。

 ……さて。ここまで我慢してきたがいよいよ空腹がキツくなってきた。いい加減何か口にしないと保たない。

 現実寄りになっているのなら、木に直接生っているのではないかと思いリンゴを探そうと森の方へと目を向ける。すると木々の間で何やら白い物体が動いているのに気がついた。

 

「なんだ?」

 

 石の剣を構えて、慎重にそっと近づいていく。

 数分かけて辿り着いた俺が見たのは、ニワトリだった。何羽かいる。太っているというか、どことなく角張っている感じなのがまさしくマインクラフトのニワトリといった様相を呈している。

 コッコ、と鳴き声を発しながら歩いており、俺が近寄っていっても無警戒のままで全く気にならないようだ。のんびりとした様子で、石を飲み込んでいるのか何なのか地面を嘴でつついている。そういえば虫は全然見ないな。マインクラフト同様、この世界にはいないのだろうか。

 

「ちょうど、いいか」

 

 屠殺の経験なんてないし、少し躊躇いが湧き上がってくる。

 が、背に腹は代えられない。俺は意を決して手近にいたニワトリに剣を振り下ろした。

 

 

 返り血が、顔に跳ねた。

 肉を裂き、骨を砕く鈍い感触が手に伝わってくる。

 ニワトリの甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。

 

「あ――」

 

 他のニワトリ達はここに至って命の危機を感じたのか、慌ててどこかへと逃げ出していく。

 後には俺と、ざっくりと剣で斬られて転がった一羽が残される。

 ニワトリはまだ生きているが酷く出血し、苦痛もあるようだ。

 それでももがくようにしながら、生き延びようとじたばたと足を動かしている。

 ――ひと思いに、楽にしてやった方がいい。

 そんなことを思いながら、半ば放心状態で俺は再び石の剣を振り抜いた。

 今度こそニワトリは事切れ、動かなくなる。

 

「血、出るんだ」

 

 当たり前のことを、ぼんやりとそう呟いた。

 ニワトリの死体は消えることなく転がったままで、経験値オーブとアイテムを落としてそのまま消滅とはいかないようだった。

 見た目が見た目だから、ゲームの仕様がだいぶ反映されていると思ったのだが。

 ニワトリでこれなのだ。他のウシやヒツジを狩る時なんてどうなるのだろう。あまり考えたくないが革や羊毛を手に入れるには避けては通れないし、ステーキはゲームにおいては主食と呼んでいい程の効率がいい食料だった。ずっとリンゴやパンを食べて生活というのも飽きが来るだろうし、不健康だろう。栄養失調がこの世界でも適用されるかは分からないが。

 ……ともかく命を奪った以上は有効利用しなければなるまい。

 おっかなびっくり俺はニワトリの死体を掴むと、とりあえず斬ったところから皮と肉の間に剣を差し込んでみた。これで合っているのだろうか? ひとまず食べられる部分が取れればいいのだが。おっと血抜きとかあるんだっけ、どうやるんだろう。

 

 なんて思っていたら。あっさり羽毛部分と肉とに分かれた。

 驚いている間にアイテムとしてインベントリに格納され、ニワトリの死体も消滅する。

 後には血痕が残るばかりとなった。

 

「へ?」

 

 手元に出して確認してみる。羽1つ、肉1つだ。何度確認しても変わらない。

 経験が無いとはいえ、いくらなんでもこんな簡単に解体出来ないことくらいは分かる。

 というか死体がまるごと消えたが、骨はどこへ行ったんだ。まさかこの世界のニワトリは元から骨無しチキンなのか? じゃあさっきの感触はいったい。

 どこまでがゲーム通りで現実寄りなのか、もうさっぱり分からない。

 

「昨日から、なんだかこの世界に振り回されてばっかりだな……」

 

 拍子抜けしたような、狐につままれたような、そんな神妙な気持ちになる。

 その後食べた焼き鶏はサイズの割にボリュームがあり、空腹という最高のスパイスもあってとてもおいしかった。 



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第5話 『琴葉茜』の初改築と小探索

 朝っぱらからクリーパーに爆破されたり意を決してニワトリを捌こうとしたらアイテム化したりと何が何だか分からない目に遭ってきたわけだが。

 焼き鶏を食べて無事腹拵えも出来たので、そろそろ当初の予定に戻ろうと思う。いや、本当にボリュームがあった。ニワトリ一羽分丸々と考えれば不思議でもないのかもしれないが、見た目は手で持てるサイズだったからな。

 

「まあ、1個食べるだけで空腹度の3分の1弱が回復するくらいだからなぁ」

 

 ただ食べ始めた瞬間、アイテム化が解けたのか急に手が油まみれになったのには焦った。慌てて服で拭いそうになり、着ているのが茜ちゃんのお洒落ないつもの服ということを思い出して踏み止まった。とりあえず近くの水源で手を洗ってから乾くがままに任せたが、こんなのを繰り返してたら肌が荒れそうだ。

 今は無理でも食器とかタオルとか生活用品も用意しないと駄目だな。そこら辺のアイテムを追加するMODが適用されていればいいんだけど。それともベッドとかいい感じに引っぺがして布として使えないかな。

 おっと脱線した。さしあたって今から行なうのは豆腐ハウスの改築だ。どのようにするかというと、一番下の地面を丸石にして、その上に木の床を張る。

 それから3ブロックの高さで天井を張って空間を確保。ただし、部屋の一部はハーフブロックを張って2.5ブロックくらいにする。これは目が合うと全力で殺しにかかってくるエンダーマン対策の待避空間だ。うっかり目が合って、家の中にワープして来たら今のままじゃ普通に殴り合っても勝ち目無いし。正面戦闘は鉄装備くらいは揃えてからじゃないとやりたくない。

 入り口部分は階段ブロックを使って簡単に玄関を設けよう。壁は昨日のを使い、奥行きや横幅はそのまま。まだそんなに広くなくていいだろう。積み直すのも大変だし。

 内装は作業台とかまど、それから松明とチェストを設置するくらいだ。別に床で寝られないことはないが肌寒いし堅くて凝るからやはりベッドも欲しい。他に家具の類も置きたいところだが、MODのレシピを知らないから実装されていても試せない。既に作れるのもあるとは思うんだが。

 それから今度は窓も用意しないと。さっきは油断もあったが、家の陰が死角になっていたのもクリーパーに気がつかなかった要因の1つだ。そうでなくとも外の様子を確認出来る構造は必要だろう。でもさすがにモンスターもガラス越しに視認するくらい出来るよな? 出来るだろうな。カーテンが欲しい。そうなるとやっぱり羊毛が必要になるわけで。最初は狩って剥ぎ取るしかないだろうけど、やっぱり気分的にも効率的にも鋏用意した方がいいよな。となると鉄を用意して……鉄も色々なのに使うな。

 ああ、やっぱり全然素材が足りない。マインクラフトに限らず、こういった徐々に環境を整えていく時が一番楽しいって人もいるだろうけど、俺としては歯痒いばかりだ。エアコンとか冷蔵庫とか文明の利器が恋しい。記憶無いけど。

 ふと思いついて呟いてみる。

 

「うちは今をときめくピチピチの文明人ウーマンやからな」

 

 ……いかん、今すごく残念な感じになった気がする。文明人ウーマンって、頭痛が痛いみたいな。いや、そうじゃないだろう。ピチピチっていうのも何だかオッサン臭い。違う、そうでもなくて。

 ああっ、やめだやめ。今は先のことなんて考えても仕方ない。あるものでどうにかこうにかやりくりするしかないんだ。とにかく手を動かそう、手を。時は金なり。実際、マインクラフトで最終的に物を言うのはプレイ時間だ。

 それからは黙々と改築作業に取りかかった。とは言っても石を敷いて木ブロックを置くだけだから大した時間もかからずに終わった。完成したのはちょっと玄関で出っ張りがある豆腐。もはや何も言うまい。柱部分を原木にするなんて贅沢は必要ない。中も先の通り、作業台やかまど等が置いてあるだけだ。

 他に特筆することがあるとすれば松明の炎が触っても全然熱くないし、何も燃やさないのを確認したのと外壁に屋根に登る用の梯子をつけたくらいか。最初は階段をつけようかとも思ったが、後々窓ガラスを張ることを考えると死角を作りたくなかった。松明の謎? ニワトリショックに比べれば、もう大したことじゃない。あれを上回る衝撃なんて早々無いだろう。

 さて、一仕事終えたらちょっと喉が渇いたな。

 

「ああ、そうだ。水場も必要か」

 

 今は無理だがバケツを作ったら無限水源も用意しないとな。いちいち外に出て行くのも面倒だし、夜なんかは危ないから家の中に作ることになるか。

 というかここまでマインクラフトでの家作りに沿って進めてきたわけだが、この世界はある程度現実的な法則にも則っている。体感としてもゲームの機能性だけ詰め込んだ家で住むのはキツい。であれば他に何が必要だろうか。

 

「家と言えばやっぱりキッチンがあって、リビングがあって、寝室があるだろ。あと風呂があって、それから……」

 

 気がついてしまった。

 

「……トイレ」

 

 ク、クラフターの能力として飲み食いしたものはどこかの国民的ロボットみたいに全部分解されて出す必要が無いとか……ないだろうな。血は出るし、今まで気にしていなかったが汗も出る。

 今のところは食べたのがあの焼き鶏だけだし、後は水を飲んだだけだ。特に不調は感じないが、これは死活問題だ。肉体的にも精神的にも、もちろん乙女になった身としてもだ。当面は登山やキャンプみたいな野外活動の時みたいにするしかないだろうけど。

 

「バニラの時みたいにそれっぽい見た目の作ったって駄目だよな……」

 

 家具系MODでは確かトイレが作れたはず。ゲームだとネタにしかならなかったが、こうなると希望だ。実際に生活すると家具の重要性が身に迫ってくる。ほんと、導入されててくれよ。

 

 

 

 水を飲んだり木の床で軽く横になったりで小休憩を挟んだ。

 太陽の位置はまだ高い。昨日目覚めた時とそう変わらないくらいの時間だと思う。

 

「まずは軽く畑作ってみて、と」

 

 インベントリからチェストにアイテムを移している時、昨日移動がてら刈った草から入手していた種の存在を思い出した。全然数が足りないし、やはり畑を作るにもバケツが欲しいからお試しみたいなものだが。

 木の鍬を作り、昨日からお世話になっている水源の隣を耕してみる。1カ所耕しただけで周囲ごと表面の土がひっくり返るのは予想通りで驚くこともない。手持ちの種をテキトーにばら蒔くと、隣に目印と夜間の明かりも兼ねて松明を1本設置しておく。

 収穫は早くても明後日ぐらいになるだろう。無論、現実のそれと比べれば異常な早さではあるのだが、この規模では作れるのはせいぜいパン1個だ。とても食事を賄うには至らない。

 当面は狩猟採集生活だな。

 

「それじゃあ行くか」

 

 石の剣を片手に持って家の周囲を探索してみる。

 迷って戻れなくなっても困るから土地勘を掴むのが優先だが、めぼしい資源が見つかれば持って帰るつもりだ。石炭辺りが露出してないだろうか。

 ひとまず森の外縁部に沿って歩いて行った。

 

「お、川だ。サトウキビもある」

 

 早速、川を見つける。これならばと見渡してみてると案の定砂もあったので回収する。ガラスの材料だ。帰ったらかまどで精錬して壁の一部を交換するか。シルクタッチ付きの道具が無いから壊したら回収出来ないので気をつけないと。

 後はサトウキビも川岸に生えていた。一束回収しクラフトするとゲーム通り、白砂糖になった。黒砂糖じゃないんだよな。試しにそれを舐めてみる。

 

「甘い」

 

 ちょっと体が元気になったような気がする。さすが女の子、砂糖で出来ているというのは本当だったか。いや、あの元の詩ではスパイスもあったからそれじゃ片手落ちだな。

 それに砂糖を食べてお腹を膨らませるというのもちょっとな。やっぱりお腹にたまるものじゃないと食べた感じがしない。サトウキビは紙の素材でもあるし、砂糖ばかりに使うわけにもいかない。

 とりあえずサトウキビは上の部分だけを回収しておいて、後はそのままにしておこう。そのうちまた伸びるはずだ。

 向こう岸にもあったが、それには手をつけずに引き返す。あまり範囲広げたくないし、ゲームと違って濡れるからな。そのうち橋をかけるか。

 川を離れて、今度は森の中を歩いてみる。もちろん位置が分からなくならない程度にだ。

物陰にクリーパーやスケルトンがいないかを警戒し、慎重に進んでいく。ついでに木にリンゴが生っていないかを眺めてみるが、見当たらない。葉で隠れているだけなのかもしれないが、そもそもオークの木からリンゴが採れるというのも変な話だからな。出なくなっているのかもしれない。

 そんなこんなで歩いていると、やがて先ほども聞いた鳴き声がした。

 

「……ニワトリか」

 

 そこそこの数が群れでいるようだ。これだけいれば何日かは食いつなげるだろう。

 そう思って剣を構えようとしたところで、ふと思いつく。

 

「そういえば繁殖はさせられるんだろうか」

 

 農場を作って動物を繁殖させ、食料や素材として確保するのはゲームでは当たり前のことだった。動物もまたモンスター同様にスポーンするとはいえ、毎回出かけていって狩るのは効率が悪いし、何より面倒だからだ。

 周囲を見渡す。草が生い茂っているのはいつも通りだ。種も充分に出るだろう。

 ふむ、試してみるか。



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第6話 『琴葉茜』とニワトリ

 第1次ニワトリ繁殖作戦は、大失敗に終わった。

 

「ひえぇぇぇ!?」

 

 素っ頓狂な悲鳴を上げてしまったのは決して俺がニワトリ嫌いな訳でも、先のニワトリショックのせいでも無い。

 ゲームみたいにちょこちょこと寄ってくる感じを想定していたのが間違いだった。それはもう奈良公園の鹿もかくやという勢いだ。

 あっ、と思った時には既に一斉に群がられていた。

 

「ちょっ、こら、やめ、痛っ!」

 

 バサバサと翼で叩かれるわ、爪で引っかかれるわ、嘴で種を持ってる手を突っつかれるわ。視界を覆い尽くすニワトリは、ものすごい迫力だった。

 端から見れば、鳥葬か何かかと思われるに違いなかった。少なくとも女の子が小鳥を手や肩や頭に乗せて微笑むといった風の素敵な絵面とは程遠い。別にそこまで幻想的なのを期待していたわけではなかったが、せいぜい牧場の楽しい餌やり体験くらいかと思ったらこれだ。

 集めたばかりの種が手元から無くなる頃には、俺はすっかりボロボロになっていた。ダメージは受けていないが髪は乱れてしまい、腕や手にかすり傷や突かれた跡がついている。

 そして肝心のニワトリ達はお目当てのものが無くなると見るや否や、さっさと解散して再び付近をうろつき始めた。全く何事も無かったかのように、のんびりとしている。中には卵を排出するようにポンと産んでいるのもいる。3歩歩けば物事忘れる鳥頭ということか、もはやこちらに興味を寄せる様子は全くない。

 

 頭の中のどこかで何かが切れる音がした。

 

 

 

 拠点に戻った俺はニワトリを囲っておくための柵を設置したり誘導するための種を入手がてら草刈りしたり、後は足りなくなった木ブロックの補充に伐採をしたりなどした。

 今は家で休憩中だ。

 

「少しずつじゃないと駄目だな、あの感じ」

 

 せっせと生の鶏肉をかまどに放り込んでは焼き上がった端から口に運ぶ。いやあ大猟だった。数日は困らないだろう。インベントリ内なら腐らないだろうし、余った分は取っておくか。食べ飽きるかもしれないが、この際そんな贅沢は言ってられない。とにかく栄養になればそれでいい。食卓の充実は落ち着いてからの課題の1つだな。

 さて、さっきの反省は制御出来ない数を一気に引き寄せようとしたこと、挙動を見誤っていたことか。まさかあそこまで激しく反応するとは思わなかった。まだニワトリで良かったのかもしれない。これが牛や豚だったら重さで潰されていたかもしれない。せめてもの成果、怪我の功名と言ったところか。

 それに連れてきても留めておくための場所が無かったのも問題だ。家の中に放し飼いなんてしたら、やかましい荒らされる臭いがつくの三重苦は免れないだろうし。ニワトリ用の柵も家からは少し離れたところに仮設置した。そのうち他の動物も飼いたい。配置をちゃんと考えないといけないな。

 それじゃあもう1回やってみるとしよう。休憩を終えた俺は再び森の中へと分け入っていった。

 

「よし、発見」

 

 ニワトリの群れを見つける。さっきと比べて規模は小さく、手頃な感じだ。

 そういえばこの森ではニワトリばかり見つけて牛や豚は見かけないな? ゲームだったらこの辺りはニワトリのスポーン範囲って感じなんだろうけど。いやでも、確かスポーンする生物やモンスターはランダムで、動物の発生頻度は少なかったような。単に群生地ってことなのか? あの草原で全然動物見かけないのも不思議な話だよな。水飲み場もあってなだらかでたくさん草も生い茂っているのにな。

 もっとも今はニワトリの誘導が先だ。手元に再度集め直した種を出してニワトリ達の前にちらつかせる。こちらへ寄ってきたニワトリと来たらどいつもこいつも種にしか目が向いていない。どれだけ種に執着があるんだ。

 

「ちょっとずつ来いよー」

 

 相変わらず一心不乱に寄ってくるが数が少ないし、こちらも合わせて下がっているからさっきのように群がられて動けなくなるということもない。転んだり木にぶつかったりしないように気をつけながら誘導を続ける。

 そうしていると特に苦労することもなく、最初は何だったのかというくらいあっけなくニワトリ達を連れてくることが出来た。途中で何匹か誘導が外れたり柵の辺りでつっかえたりかくらいはすると思ったのだが。

 ちょっと釈然としないが、上手くいったものは良しとしよう。

 

「じゃあ、試してみるか」

 

 ニワトリを柵の中へ誘導した俺は、一旦種を手元から外す。そしてニワトリが興味を失っている間に柵を出ると、今度は外側から種を見せた。ニワトリが寄ってきたのでそのうちの2羽に種を与えてみる。

 ……特に変化はない。ニワトリは種を飲み込んだっきりで求愛状態になった感じでも無さそうだし、動きが変化する様子もない。他のニワトリで試してみても一緒だった。

 これは宛てが外れたか。さすがにゲームみたいにその場で子供を産みはしないか。そもそもニワトリなのに卵無しで出産したり卵を放り投げてたら確率で産まれたり、ニワトリの子供なのにヒヨコじゃなかったりとか不思議なところは色々あったが。

 気がつけば少し暗くなってきている。まだ陽は昇っているが、あと少しで夕方といったところだろう。今日はもう外をうろつかない方がいいな。

 家に戻り、川辺で採取した砂をかまどで精錬する。これでガラスが出来た。それを6個組み合わせてクラフトし、窓ガラスを作成する。家の壁の一部を撤去してはめ込んでみる。

部屋の広さ自体は変わらないが、心持ち狭苦しいのが和らいだように思う。

 

「おお」

 

 外の様子がよく見える。これで今朝みたいに不意打ちを食らうこともないだろう。

 もっともカーテンも覆いも無い今は外からも中が見えることになる。ひとまず夜中は松明を外しておくか。モンスターが明かりに反応するかどうかは分からないが、気づかれる可能性はなるべく排除しておきたい。

 早いけどそろそろ寝てしまおうか。やれることがないし、起きていたって退屈凌ぎになるものなんて無いし。元の世界だったらゲームでもネットでも、それ以外にも本を読むなり何なり色々あったんだけどなぁ。娯楽はあって当たり前のもので、事欠かなかった。

 

「おやすみ」

 

 誰に言うとでもなく、俺はそう呟くと横になった。

 気がつけば体のダメージも回復してる気がする。ニワトリ様々だな……。

 そんなことを思いながら。

 

 

 

 翌朝、コケコッコーというけたたましいニワトリの鳴き声で俺は叩き起こされた。

 

「うひゃあ!?」

 

 我ながら可愛い悲鳴だった。他人の体だけど、これって自画自賛に入るのだろうか?

 ニワトリの爆音目覚ましは家のすぐ傍から鳴り響いた。ニワトリはもっと家から離れたところに集めたはずなのだが。おかしいな。

 それにしてもよく寝てたんだなぁ、俺。直に床で横になっている割にはぐっすり寝られている。自覚は無いが、それだけ疲れているのだろう。いかに身体能力が上がっているとはいえ、この茜ちゃんボディ自体は鍛えられてるって感じではないし。ここで生活していれば自然と体力もつくだろうけど。

 じゃ、話を戻そう。完全に目も覚めてしまったし、俺は家を出て様子を確かめることにした。もちろん昨日設置した窓から、モンスターがいないか窺うことは忘れない。今日は大丈夫そうだ。

 

「ああ、いたいた……?」

 

 案の定、家のすぐ傍にニワトリがいた。何羽かがうろついている。見渡すとまばらに散らばっているから、たまたま近寄ってきていたのが朝日に反応して啼いたんだろう。

 しかし、何だか変だ。ほとんどは昨日見た通りなのだが、明らかに小さい個体が混じっている。

 

「もしかして子供か?」

 

 マインクラフトにおいては、ニワトリの子供はヒヨコではなく小さい成体である。奇妙ではあるが、基本的に他の生物も子供は成体を小さくした見た目をしているから、そういう法則なのだろう。

 それはさておき、これはいったいどういうことだろうか。てっきりこの世界では現実同様に繁殖には時間がかかると思っていたのだが。ニワトリの柵へと足を運んでみると、そちらにも小さいのがチラホラといる。

 様子を眺めていると柵内の端にいたニワトリが飛び上がって、そのまま柵を乗り越えていった。どうやら家の周りにいたのはそうやって脱走したようだ。

 

「あー。まあ、そうなるか」

 

 ゲームの時と同じように柵で囲ったものの、高さが足りなかったようだ。ゲームだと上に何も設置しない場合、1.5ブロック分の高さとして扱われていた。しかし、この世界においては、別にそんなこともなく見た目通りの高さしかないようだ。

 ふむ、他の動物を飼う時は気をつけた方がいいな。それにウシが体当たりなんかしたら壊されそうだ。

 なんだかんだでニワトリ飼育がテストケースとして役立っているな。

 柵の高さをもう1マス分上げてから、外に散らばったニワトリ達を誘導して中へと戻した。入れる時が中のニワトリも集まってきてちょっと大変だったが、種を地面にばら蒔いたところそちらへ引き寄せられて何とかなった。

 結局、まだ繁殖についてはよく分からないが、ひとまずニワトリは一晩くらいで増えると考えておこう。クールタイムがあるのか、子供の成長速度はどのくらいかなども分からないし。経過を見るしかなさそうだ。

 



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第7話 『琴葉茜』の初戦闘

前話を加筆修正


 さて、ひとまずニワトリは一段落したので次のことをするとしよう。

 とはいえやることは朝食の焼き鶏を食べたら今日も探索をするくらいだが。物資不足だから、とにかく周囲を回ってめぼしい物を取ってこないといけない。

 石の剣を片手に森へと入っていく。今日は昨日とは少し違うルートを取ってみるか。

 歩いていると白いものが草木の間に見えた。またニワトリかとも思ったが、どうやら違うようだ。スケルトンじゃないよな、と思いつつ近寄って確認する。

 

「おっ、やった」

 

 ヒツジだった。3匹が草を食んでいる。どことなく間の抜けたような顔に見えるのはゲーム通りだが、ちゃんとモコモコしている。結構可愛い。

 まあ逃げられないように周囲を囲ってから容赦なく狩ったのだが。抵抗が無かった訳ではないし、ニワトリよりも来るものはあったが、かといって見逃すだけの余裕もなく。羊は羊毛と羊肉になった。これで今夜はベッドで寝られるな。悲しげな最期のメェーという鳴き声は記憶の外に押しやる。

 ……羊肉があるってことは、この世界はバージョン1.8以降なのだろうか? 今まで考えてなかったけど、マインクラフトってバージョンによって内容が結構変わるからな。ゲームならバージョンによってMODも適用出来たり出来なかったりするんだけど、この世界だとどうなんだろう。あまり当てにはならないだろうか。

 

「でも川を見た感じ、魚は泳いでなかったな」

 

 知識が正しければ近年のバージョンだと釣りでしか手に入らなかった魚がモブとして実装されていたはずだ。前までと比べてずいぶんと水中が賑やかになっていたのが印象的だったのだが、昨日見た川には一匹もいなかったな。

 ただ、だいぶ前のバージョンから実装されているイカもいなかったし、たまたまかもしれない。まだまだ結論づけるには情報不足だ。このことを考えるのも後回しだな。今は探索を続けよう。

 再び森の中を歩き続ける。途中から迷いそうになり、とりあえず手持ちの木ブロックを目印としてところどころに設置することにした。距離的にはさほどでもないと思うのだが、

背の高い草や木々に視界や道を塞がれていると思った以上に周りが見えないし移動に時間もかかる。一応草をいつもの殴る感じで軽く刈りながら進んではいるが、それでも道は悪い。

 

「ああもう、鬱陶しいな」

 

 服に引っかかった葉っぱを取り外しながら、ため息交じりに呟く。何かしらの力が働いて頑丈になっているとはいえこの服、野外活動には全く向いてないからな。これが町中だったら男を引っかける側になれるだろうに。

 ……あ、茜ちゃんはそんなことしないから。むしろ悪い男に引っかけられる側というか、被害者枠というか、いやいや何考えてるんだ自分。茜ちゃんに失礼だし、今は俺が琴葉茜じゃないか。被害者になんてなりたくないぞ。

 どうにも思考が変な方に行っている。もっと周囲の様子に注意を向けないと。

 そんなことを考えながら進んでいたら、やがて壁に突き当たった。小山のようでちょっとした崖になっている。

 

「おっ、石炭」

 

 崖は石の層が露出しており、その一部に黒い点が混ざっているところがあった。石炭鉱石だ。早速ツルハシに持ち替えて採掘を行なう。石炭はまとまっていることが多く、今回も結構な塊になっていた。一括破壊のおかげもあり、あっさり10個以上が溜まる。

 とは言ってもこの程度では早々に使い切ってしまうだろう。見つけやすい石炭ではあるが、主要な燃料で使用頻度も多いからな。

 さて、ここからはこの壁沿いに進んでみるか。同じように石炭があるかもしれないし、鉄鉱石が見つかる可能性もある。そう思っていたが、俺は別のものを見つけることとなった。

 

「洞窟か……」

 

 崖にぽっかりと空いた大きな穴。中は暗く奥がどうなっているかは窺い知れない。マインクラフトではお馴染みの洞窟だ。

 洞窟はマインクラフトの世界中に点在しており、ちょっとした小穴程度のものから別の入り口に繋がっているもの、地底や地下渓谷、はては廃坑や海の下にまで広がる巨大なものまで様々だ。

 洞窟では地上では手に入らない鉱石を見つけることが出来るが、危険も多い。落下やマグマなどの地形もそうだが、何よりも暗いのでモンスターが出現するのだ。松明のような光源を置くことで抑制出来るとはいえ、それは既に通った道に限られる。複雑に入り組んだ場所では思いがけないところから襲われたり、何とか撃退しても帰り道が分からなくなったりすることはしばしばだ。また必ずしも有益なものが見つかるとも限らない。苦労して進んだが結局行き止まりだったというのも珍しくないのだ。

 他にも色々とあるが、概ねはこんなところだろう。ゲームでも時間がかかり、また緊張感が求められる場所だ。現実のものとなったこの世界ではいっそう危険であることは想像に難くない。

 

「大人しく拠点周りでブランチマイニングした方がいいだろうな」

 

 ブランチマイニングとは地上から地下に掘っていって、目当ての鉱石が出る辺りで通路状に掘り進めていく手法だ。若干の手間はあるが、それでも自然に出来た洞窟に入るよりもずっと安全で効率が良い。途中で洞窟に当たってしまったりマグマが出てきたりということもあるが、注意していれば待避も容易だ。

 洞窟探検という言葉には少しばかり冒険心をかきたてられないでもないが、安全が第一だ。仮に洞窟に入らないといけないとしても、装備や物資を調えてからにするべきだろう。

 そう、思ったのだが。

 

「あっ、鉄鉱石」

 

 俺は洞窟の入り口辺りに鉄鉱石があるのを見つけた。鉄は羊毛同様にかなり欲しい材料だ。この世界だと性能が上位の装備を作るのに必要なダイヤよりも需要が多いかもしれない。

 まだ太陽は高く時間もある。入り口のものを採るくらいなら大丈夫だろうと思い、俺は足を踏み入れ、特に何事もなく鉄鉱石を採掘することに成功した。2つか。バケツを作るには1つ足りないな。

 

「ん? まだあるな」

 

 もうちょっと奥にも鉄鉱石があるようだ。大して離れてはいないし、それにどうやらもう突き当たりのようだった。これなら行けるか。

 俺は松明を洞窟の床に置きながら奥へと進んだ。そして鉄鉱石をツルハシで掘る。1つ、2つ、3つ、4――。

 

 

 

 その時、フッと風が吹いて金属音のような低い音が洞窟内に響き渡った。空洞音だ。

 それに混じったカランという微かな音に、俺は気づかなかった。

 

「か、はっ!?」

 

 背中に突然焼けるような痛みと衝撃が走った。息を吐き出すような悲鳴が漏れる。

 反射的に振り返る。そこには弓を構えた隙間だらけの人型、スケルトンがいた。

 続けざまに飛んできたもう1発が空を切って足に突き刺さる。俺は壁に寄りかかるようにして倒れ込んだ。

 

「いっ、ぎっ」

 

 足の痛みに出かけた悲鳴が、壁で折れ曲がりつつ背中をより深く抉った1射目で止められる。

 殺される。殺されてしまう。嫌だ、痛いのは嫌だ。死にたくない。死にたくない。一昨日の夜に感じた恐怖が急激に蘇ってきて脳裏を支配する。

 無我夢中で、俺はブロックを積み上げた。直後、反対側で矢の突き刺さる乾いた音がする。あと少し遅れていたら当たっていた。

 スケルトンが回り込もうと骨を鳴らしながら歩くのが聞こえたので、隣の空間にもブロックを積み上げる。俺は狭い、暗闇の空間に包まれた。

 苦痛から深く息を吸うことが出来ず、しゃくり上げるような短く浅い呼吸を繰り返す。どっと脂汗と涙が流れ出て頬を伝っていくのが分かる。そして矢の刺さった辺りに温いものが広がっていくのも。

 完全に油断していた。たとえ小さな洞窟でも敵が湧くことは知っていたはずなのに。目の前の鉱石に目が眩んで、索敵と警戒を怠った結果がこれだ。

 

「くぅ、ふぅ……」

 

 何とか息を落ち着ける。まだだ、まだこんなところで死んでいられない。死にたくない。大丈夫だ、俺。俺は、まだ生きてる。状況を整理しろ。とりあえず手持ちの焼き鶏を食べて空腹度の回復をはかる。味わう余裕もなく、痛みを誤魔化すように無理矢理飲み込んだ。

 まず、今の俺の体力はクリーパーに爆破された時はマシなはずだ。矢は突き刺さっているが、ゲーム通りならダメージ自体は2発で最大ハート6個分。たぶんあと1発だけなら耐えられる、かもしれない。出血がどうなるかは分からないが、今は処置していられないし出来ないから放置だ。

 次にスケルトンについてだ。スケルトンはアンデッド系モンスターで基本的に弓による射撃を行なう。その精度はかなり高く、今の距離ではまず回避は出来まい。またゾンビよりも知能が高く日光の下には出ないし、仮に出ても日陰や水中など燃えない場所に逃げようとする。

 強力な装備や体力に余裕があるならともかく、今の俺が正面から戦っても死ぬだけだろう。ならばどうするべきか。このまま反対の壁を掘って逃げるか、いやそっちにも空洞広がってたら終わりだ。回り込むように外に掘って逃げるか?

 松明でこの狭い待避空間を明かるくしてから、試しに壁を掘って進んでみる。そのまま壁を挟んで外に出ようとするが。

 

「くそっ」

 

 スケルトンの足音が明らかにこちらに反応して動いている。どうやら逃がす気はないようだし、見失ってもくれないようだ。

 もっと時間をかければスケルトンの反応出来ないところまで行けるかもしれないが、どこに出るか分からないのが難点だ。この洞窟の真ん前を通るわけにもいかないし、帰るのに時間がかかっても困る。

 なら、答えは決まっている。死中に活を見出すまでだ。

 とはいっても、先ほど考えたように正面から戦うのは無謀である。

 ここはクラフターらしく戦うとしよう。

 少し通路の中をウロウロして壁の向こうのスケルトンの大体の位置に目星をつける。それから俺は足下を掘り始めた。万が一にも一気に掘ってしまわないよう、一括破壊を無効にするのを意識する。

 

「……よし」

 

 やがて、ちょっとした小部屋が掘り上がった。2マスの高さでそのうちある方面の壁の上部1マスだけ穴が空いている。俺はツルハシを構えると、その1マスの空間の天井を掘った。

 軽い音がしてブロックが消失する。同時に――その上に立っていたスケルトンが落下してきた。

 

「こ、このぉ!」

 

 スケルトンの足が見えた瞬間、俺は石の剣を叩きつけるように振るっていた。骨の軋む音を立ててスケルトンは揺らぐが、狭い空間故に倒れることも出来ない。そして足下しか空いていない空間でこちらを弓で狙うことも出来ない。

 時折勢い余って壁を削りながらの一方的な斬撃は、そう長くは続かなかった。何度目かの攻撃でスケルトンから力が抜ける。断末魔のような破砕音と共にスケルトンは1本の骨を残して消滅した。

 

「ぜぇ、はぁ……」

 

 肩で息をしながら剣を下ろす。

 モンスターを倒した。勝った。

 だが、油断は出来ない。俺は気を落ち着けると壁を階段状に掘り、そっと洞窟内に戻った。どうやら敵はいないようで、ようやく安心する。

 改めて確認してみる。入り口からは死角になっていたが、どうやら横の方にも道が続いていたようだ。さっきのスケルトンはそこから来たのだろう。

 

「帰るか……」

 

 ひとまずブロックで横道を封鎖し、俺は洞窟の外へ出た。

 どっと疲れたし、痛いし、やる気も起こらない。

 いくらか素材も手に入ったことだし、今日はもう探索は切り上げるとしよう。



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第8話 『琴葉茜』と農業とベッド

 帰り道は相変わらず草木がいちいち当たって鬱陶しかった以外は特に何事も無かった。目印を置いておいたおかげで迷わなかったが、それでも改めて通ると真っ直ぐには進めていなかったことが分かる。そう極端なものではないといえ、平坦な土地ではなく迂回もしてたし。

 普段使う道とかが出来たら整備しないとな。だいぶ先のことになるとは思うけど。どんどんやることが山積みになっていくな。

 

「あー、やっぱり穴空いてる」

 

 さて、拠点に帰還した俺はまず傷の処置を行なった。とはいっても医薬品の類いは全くないから、せいぜい水で洗うことぐらいしか出来なかったが。案の定、水が染みて痛かったが、むしろだいぶ深々と矢が刺さったはずなのにその程度で済む辺り尋常ではない。

 体はそんな具合で治るから良かったが、服の方は完全に穴が空いてしまっていた。繕えないし、替えの服なんてないからこのまま着続けるしかないが。完全に着た切り雀だ。でもマインクラフトに服って基本的には存在しないからな。防具はあっても、普段着というのはキャラの見た目ごと変えるしかないのだ。この世界なら用意出来るとは思うけど。クモの糸とか羊毛とかをクラフトして作れないだろうか。

 

「下着姿で生活ってわけにもいかないしな」

 

 別に見た目とか恥じらいとかの問題だけじゃなくて、単純に肌寒いし傷だらけになるからだ。この服を着ていてさえ、露出している肩辺りは草で擦れまくったというのに、脱ぎなんかしたら目も当てられない。

脱ぐとしたらせいぜい洗濯する時くらいだろう。ああ、代わりの服が欲しい。衣食住は生活の基本だということが切実に感じられる。

 まあ服も課題の1つとして置いといて。死にそうになりながらも持ち帰ったものを試してみるとしよう。

 今日の本命、羊毛と鉄鉱石による新たなクラフトだ。あまり数は多くないからさほどのものは作れないが、使い道はもう決めてある。

 まずはベッドだ。作業台に羊毛3つと木ブロック3つを縦2列、横1列に並べる。羊毛が上で、木ブロックが下だ。完成形のイメージが浮かび上がったので、それを意識の中で手に取る。手元に白い布団の敷かれたベッドがミニチュアのように現われた。

 どうやらバージョン1.12のようにベッドには色が付くらしい。昔はどんな色の羊毛を組み合わせても赤色だったからな。ただ、カラフルになったのはいいが同じ色の羊毛じゃないと作れなくなったのは少し不便だったが。ヒツジは必ずしも同じ色同士で群れを成しているわけではないからな。なんで色違いが混ざっているのかは謎だ。実は染料になる花を食ってそれで色変わったとかか。おっと、それじゃあまるで黄昏の森MODの山羊だな。

 早速、家の中に設置してみる。ゲーム通りのシングルサイズだ。

 

「触った感じは悪くないな」

 

 相変わらず殺風景な部屋ではあるが生活感は増したように思う。物置から仮眠室くらいにはなったのではなかろうか。花でも飾ればもう少しマシになるか? 粘土を手に入れたら植木鉢を設置してみるか。

 続いて鉄鉱石だ。これはそのままでは使えないから、帰ってからかまどに突っ込んで精錬しておいた。燃料には石炭を使用した。現実だったら排煙で大変なことになるところだが、このかまどの煙は見た目だけで本当に出ているわけではないようだ。

 鉄鉱石を精錬して出来上がった鉄インゴットをVの字を描くように配置する。水や牛乳は分かるとして溶岩までをも汲むことが出来る、本当に鉄製なのか疑わしいバケツの完成だ。

 最優先でこれを作ったのは畑を作るためだ。これで思った通りの規模の畑が作れる。早く帰ってきた分、時間にも余裕があるし後で昨日植えた種がどうなってるかを確認しつつ広げるか。

 次に作ったのはハサミだ。主な用途は羊毛を刈ることだが、葉や草、クモの巣の破壊や回収にも使える。また、この世界なら日用的な使い方も出来るだろう。髪や爪を整えるのに使うこともあるかもしれない。マインクラフトのハサミは和鋏みたいな形、世界的にはギリシア式と呼ばれる昔ながらの形状だからちょっと馴染みないけど、使えないことはないだろう。

 順序が違ったらあのヒツジさん達を連れ帰ってたんだがしょうがない。別のヒツジを探して飼育することにしよう。そのためには小麦を用意しなければ。やはり農業を始める必要がある。

 こんなところか。あとは鉄インゴットが1個残っているが、これでは鉄のシャベルくらいしか作れない。火打ち石があれば打ち金をつけて火をつけられるようになるが、あれはネザーという別の世界に行くために使うくらいだろう。ゲームだと伐採で取り除くのが面倒になって森に放火したこともよくあったけどさすがに現実になった今、そんな真似はしない。結局余計に時間がかかるだけだったし。

 しかし、ネザーか。溶岩だらけで暑そうだな。まあ行くとしても当分先のことになるだろう。ネザーへのゲートを作るための黒曜石を用意出来ないし、そもそも今すぐ欲しいネザー産の素材はないし、何より行ったら十中八九死ぬだろうし。崖っぷちにゲートが出来て、入って数歩進んだらマグマダイブなんて洒落にならんぞ。

 

「じゃあ、小麦の様子を見に行くか」

 

 バケツとスコップ、それから集めた種と木のクワなどを持って昨日植えた場所に向かう。

 昨日の予想通り、芽が出始めたばかりでまだ時間がかかりそうだ。植えてから1日で芽が出てる辺り、植物も動物同様に繁殖力が凄まじいことになっているのに変わりはないのだが。詳しくはないが確か現実の小麦は種まきから半月ぐらいで芽が出て、どんな具合で育っていくかは分からないが最終的な収穫は半年強くらいはかかった気がする。もちろんその最中の世話も欠かさずにだ。本当、この世界の動植物は元の世界と似ていても品種改良どころじゃない生態の乖離があるな。

 さて、それでは畑作りだ。マインクラフトにおける畑は水源から縦横9マスの土を耕すことで出来る。それ以上離れるといくら耕しても湿らず、元の土ブロックに戻ってしまうのだ。また0.75ブロック以上の高さから着地しても駄目だ。これは故意にジャンプするのを除けば、水源に落ちてしまい上がる時や段差を降りようとした時になりやすい。これはハーフブロックを水源の上や段差に設置すれば避けることが出来る。

 よって俺が作った畑はハーフブロックを被せた1マスの水源、それを中心とした9×9の耕地だった。周囲は柵で囲み、野生動物やモンスターが踏み荒らすのを防ぐ。ついでに松明も柵に設置しておく。一定以上の明るさを確保することで夜間も成長するからだ。

 それから俺は1マス間隔で種を1列ずつ植えていった。これは同種の作物が隣接していると成長速度が低下するという仕様を避けるためだ。ただし、これは斜めに配置してもかえって遅くなる点は注意が必要である。

 一面金色の小麦畑というのも良いものだが、今はとにかく短期間で小麦を収穫したい。どうせ後々手直しや拡張をするだろうし、その時に改めて配置は考えればいい。

 

「そういやジャガイモとかニンジンとかどう手に入れるんだ?」

 

 ふと、小麦以外の作物の入手方法が気になった。マインクラフトの世界に生成される村には畑があり、必ずではないが大抵小麦以外の作物も育てている。ゲームでは村人の畑から頂戴することが多かったが、はたしてこの世界でそんなことをして大丈夫なのだろうか。ゲームだと村から何を略奪しようと村一つ解体してしまおうと、果てには殺害しても規模の大きい村に出現するゴーレムが敵対するだけで、村人自身は何事も無かったかのように取引に応じてくれたのだが。

 

「さすがに、それは無いだろうなぁ」

 

 ゲームだとフンフン唸っているばかりであまり知能の高くなさそうだった村人だが、この世界でもそうとは限るまい。むしろ家が建ってたり社会生活を営んでいたりする辺り、普通の人間と遜色あるまい。

 であれば作物の種が欲しければ取引することになるだろうから、何かしら交換出来そうな物品を用意しておかないといけないな。まだ村があるかも言葉が通じるかも分からないが。

 ひとまず畑は今のところこれで終わりだ。3日後くらいを楽しみにしておこう。

 それから俺はニワトリの様子を軽く見て、卵がいくつか落ちていたのを回収し家に戻った。現実に即しているならと、試しにかまどに卵を入れて焼いてみたところスクランブルエッグになった。目玉焼きではなく、溶いてもかき混ぜてもいないのにだ。どうやらこの世界には料理関係のMODも入っているらしいと確信する。朗報だ。ますます村への期待が高まる。調味料は入っていなかったが、俺は卵本来の風味を楽しんだ。焼き鶏しか食べていなかったからな。パンが作れるようになったら卵サンドと焼き鶏サンドがメインになりそうだな。

 

「さて、と」

 

 日が暮れてきたので家の中の松明を外し、俺はベッドに向かい合った。作ってから触った感じは良い感じだったが、実際の寝心地はどうだろう。床より悪いってことはないと思うが。

 そろりそろりと布団を捲って潜り込む。

 

「ふわぁ……」

 

 柔らかく肌触りがいい。羽毛布団と違って重くなくて、ふんわりと体を包まれるような感覚。あまりに気持ちがよくて、思わず声が漏れ出てしまった。たぶん、今まで使ったことのある中で一番良い布団だ。当たり前か、ウール100%だからな。

 明日はどうしようか寝る前に考えようと思っていたが、強烈な睡魔で意識がぼんやりする。森の中を歩いたり命の危機に遭ったり農作業したりしたんだから当たり前か。やっぱりクラフターとしての身体能力が裏目に出ている気がする。横になったらこれだけはっきりしてる疲労を物ともせず動けるとは。おかげで助かってはいるが、限度に気をつけた方がいいかもしれない。

 それで、何だったか。ああ、明日はどうしようかってことか。どのみち探索して、農業してくらいしかやることないけれども。しばらくは同じ感じだろうな。

 まあ、いいか。今は眠い。眠くてしょうがないから、明日のことは明日の俺に任せるとしよう。

 

「おやすみぃ……」

 

 いつの間にか、俺はすっかり微睡みの彼方へと旅立っていた。



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第9話 『琴葉茜』の2週間後

 ――このマインクラフトによく似た世界で目覚めてから2週間が経った。

 何故かVOICEROIDの琴葉茜の姿になっていたりマインクラフトの仕様と現実の法則が入り乱れたこの世界に振り回されたりもしたが、俺は何とか生活基盤を整えつつあった。

 

「こんなところか」

 

 目標の数の鉄鉱石が集まったところで、俺は今日の採掘を切り上げることにした。

 ここは地下採掘場だ。2日目にクリーパーに爆破されたところから階段状に地面を掘り進め、地上から5マス、実際の高さにして5メートルくらいの深さがある。前にも説明したブランチマイニングで、地下に碁盤のような通路を掘っている。

 本来のブランチマイニングは、マインクラフトの世界の底に広がる岩盤から11メートルの高さで行なうものだ。これはMODを入れないマインクラフトでは最高の素材であるダイヤモンド、色んなアイテムの作成に用いられる金、信号を送ることで自動で動作する仕組みを作るのに必須のレッドストーン、染色やバージョン1.8からはエンチャントに必要となったラピスラズリなどをまとめて見つけやすい高さだからである。

 何故そうしなかったのか。まだそこまで良い装備は必要ないから、複雑な装置を作っても使い道が無いから、エンチャント出来ないから等々。あれこれと理由をつけることは出来るが、一番の理由は至って簡単である。

 そこまで掘ってられない、これに尽きる。

 一括破壊があるとはいえ疲れるものは疲れるのだ。一見ただ道具を振るっているだけのブロックの破壊だが、実はかなり負担がかかっていることにこの2週間で気がついた。どう考えても道具を振り回す以上に疲れが溜まるからな。本来それだけの面積を掘ったり伐ったりするのに使う分の体力を消耗するといったところだろうか。身体能力の向上や実際の運動量が減っているだけ軽くなってはいるようだが、ゲームほどの無茶が利かないのは確かだ。

 あと、底から11メートルというのが実際に掘るとなるとかなり深いのもある。地上はゲーム通りならだいたい高さ60メートルくらいのはずだから、50メートル程を掘り進めなければいけないことになる。しかも行き来や安全を確保するために階段や明かりを確保しながらだ。他にも色々とやることがある以上、それにかかりきりになるわけにもいかない。

 そこでさしあたって必要な石炭や鉄の確保を優先して、この高さにしたのである。それに5メートルでもそれなりの深さではあるし。鉄や石炭があまり高さに関係なく生成される仕様で良かった。おかげで鉄製の装備や物品はいくつか揃ったし、燃料も足りている。まだ気兼ね無しに使える程ではないから、防具はともかく剣や道具はいつも石装備を使っているが。

 ひとまず一定量が採れるかある程度の時間が経ったら切り上げるようにしている。ずっと地下で活動するのも精神衛生上よくないし。

 

「畑は、まあこんなものか」

 

 採掘を切り上げた後に俺が向かったのは畑だった。黄金の穂を垂れた小麦が規則正しく並んでいる。いつも通りに収穫した後、小麦と一緒に取れる種を改めて植え直していく。

 畑の方はあれから拡張を行なった。前に作ったような間隔を空けて植えるものと、成長は遅くなるが一気にまとまった数の取れる密集させた畑を作った。新しい作物が入ったら後者も交互に植えることにしよう。現実と違っていちいち作物に合わせた土作りが必要ないから出来る真似だ。

 そうそう。小麦は植えてから3日後には無事収穫出来た。パンの味は、まあパンだった。特別な風味があるわけでも味がするわけでもなかったが、それでも主食の類いなだけあって食事をしたという感じが出る。。やっぱりお米や野菜も恋しくなるが、この世界にはたして導入されているだろうか。おそらく農業系の要素を追加するMODは入っていると思うのだが、いくら草刈りをしても小麦以外の種が出てこないからな。ゲームだったら出てきたと思うんだけど、植生の法則なんかが適用されてたらもう分からない。そこまで徹底的に現実の要素が混じっている感じはしないのだが。

 あと他にはサトウキビの育成も始めた。サトウキビ畑とは言うが、沖縄のあの青々と広がる感じとは全く違う。マインクラフトのサトウキビは水辺の隣でないと植えられないので水路を作ってその隣に植えていく形となる。それに見た目が竹そっくりだから、傍から見ると竹林だ。サトウキビは砂糖や紙の素材として使うからな。どっちもこの世界で生活していくには必要だ。砂糖は言うに及ばず、紙は村との交易で通貨代わりのエメラルドに交換してもらえるからだ。あと、日常生活でも使う。場面は、いろいろだが。

 畑はこんなところだ。次は飼育小屋に向かう。

 そう、飼育小屋だ。あれから考えた結果、柵で囲ったスペースに隣接して雨の日や夜間に待避出来る小屋を作ったのだ。外見はお馴染みの豆腐建築だが、自宅よりも大きく複数の種類の動物を入れられるようにしている。現在はニワトリとヒツジ、それからウシを飼育している。

 

「狭っ、もっと拡張しないと駄目か?」

 

 扉を開けた俺は、中でひしめくように動き回っているニワトリ達の喧噪を浴びることとなった。さほどの食料を必要とせず、卵からも産まれるニワトリは他の動物と比べて繁殖力が高く、間引いてもあっという間に増える。おかげで卵や鶏肉には困っていない。

 一方でヒツジやウシはそこまで簡単ではなかった。もちろん現実のそれと比べれば遙かに楽ではあるのだが、食料として小麦が必要というのが大きい。直接与えるのは大変なので小麦9個からなる干草の俵ブロックをクラフトして設置しているが、すぐに無くなってしまう。小麦をもっと大量に作れるようになればともかく、今の段階ではウシもヒツジも牛乳や羊毛を得るために何頭かを試験的に飼っているような状況だった。とても屠殺なんてしていられない。あんまり長く飼っていると情が移りそうで嫌なんだけどな。

 あ、牛肉自体は一回食べた。外を探索していた時に見つけ、連れ帰らなかったウシの何頭かを狩ったのだ。生の牛肉をかまどで焼いて出来上がるステーキはおいしかった。おいしかったのだが……。

 

「あんまり入らなかったな」

 

 どうやらこの茜ちゃんボディは元の俺よりもずっと小食なようだ。一応まだまだ学生くらいの年頃だとは思うのだが、それでも結構胃にもたれるというか残る感じだった。鶏肉といい、この世界の食べ物が見た目よりボリュームがあるのも一因だとは思うが。つくづく本当に女の子の体なんだなと感じる。

 そういう訳もあり今は牛肉よりも牛乳の方が重要で、それがウシをゲーム程多数飼わない理由の1つにもなっている。まあゲームでも食料としてステーキの効率が良いからウシを飼っているだけだしな。実際に食事するとしたらステーキばかりじゃ飽きるし栄養も偏るに決まってるし。『The Spice of Life』というMODが入っている状況に似ているかもしれない。食事に飽きる要素を追加するMODで、同じ物ばかり食べていると空腹度の回復量が低下するというものだった。別にこの世界では同じものを食べていてもお腹自体は膨れるのだが。

 さて、動物への餌やりと軽い掃除をした後、俺は家に戻る。家も初めと比べてずいぶん変わった。

 桃色のチューリップとヒスイランの植木鉢、桃色と空色の市松模様に配置したカーペット、適当に試してみたら出来たおそらく家具系MOD産のブラインドや机に椅子、さらに鉄装備をかけた防具立てや飲み水を蓄えた大釜等々、家の中がずいぶんと賑やかになったと感じる。最初と比べてだいぶ人の住んでいる雰囲気が出た代わりに若干手狭になってしまったのはご愛敬だ。ちなみに花やカーペットの色は琴葉姉妹をイメージした。いるのは茜ちゃんだけで、しかも中身は俺だけど。

 それと三角屋根をつけたりちょっと出っ張りをつけたり、柱を原木に変えたりしてみたことで豆腐建築ではなくなった! いや、そこまでする必要は無かったのだが何となく外見を良くしたい気分になったのだ。息抜きにはなったし、この世界の娯楽の1つと言えるかもしれない。作業が全部終わったら、ほんと暇だ。時間に追われる必要も無いから、そういう時は何もしないで過ごすことを楽しんではいるが。元の世界ではなかなか出来ないことかもしれない。時間が出来ても、それを埋めるように娯楽に耽る人の方が多いだろうから。

 

「さぁて、そろそろ遠出を試してみようかな」

 

 椅子に腰掛けて3時のおやつに作ったパンプキンパイを食べながら、俺は次の計画を考える。あ、カボチャも見つけたんだった。複数集まっていたので栽培用、被る用、食料用、光源になるジャック・オ・ランタン用でそれぞれ確保した。

 拠点もまだ初期段階とはいえそれなりに充実してきた今、俺がすべきなのは探索して行動範囲を広げることだと思う。まだまだ安定しないとはいえさしあたって必要な物資の生産は整ってきたし、生きていくだけならそれなりに出来る気はする。

 しかし、やはり欲しい素材やアイテムはまだまだあるし、何より退屈だ。この土地でじっとしてなんていられない。冒険心を持つこともまたクラフターの嗜みの1つである。もちろん可能な限り、装備を調えて安全性を高めることは忘れない。

 

「森の方面はそこそこ奥まで行っても抜けられなくて、川の向こう側は丘や山が続いている感じだったな。反対の方にも行ってみないと」

 

 1日数時間という関係上、警戒しながら進んでいることもあって周囲の探索はほとんど進んでいない。時折夜中に出てきてまだ残ってるモンスターがいることもあれば、見つけた洞窟の浅いところを軽く探索してモンスターの湧き防止も兼ねて封鎖ということもある。

 何とか2週間かけて今まで行った方向がおおよそどうなってるかは分かったので、今度は反対側に行ってみようと思う。

 はたして何が待っているのだろう。少し楽しみにする自分がいた。



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第10話 『琴葉茜』の初遠征

 遠出をするにあたり、まずは準備を整える。

 とは言っても、そう大がかりなものではない。

 鉄装備一式を着込み、剣や弓矢、斧、ツルハシ、シャベル、食料に松明、それから砂ブロックや土ブロックなどをインベントリに放り込むだけである。装備や道具、食料はともかく何故砂や土を持っていくのかというと主に移動用で後は簡易的な高台やシェルターを作るのにも使う。

 特に砂は移動目的では便利だ。マインクラフトにおけるブロックの大半は設置された場所に留まるが、砂や砂利は下に水や溶岩などを除くブロックが存在しない場合、落下する性質を持っている。登りだけなら土でも充分だが、下りとなると砂の方が便利である。それに破壊した直後の砂ブロックの下にタイミングよく松明を置くと落ちた端からアイテム化するので、撤去や回収が楽という小技もある。

 ちなみに落下する性質を利用して水抜きをするという手法もあるが、これはまあ今は関係ないからいいだろう。小さな池程度ならともかく海底神殿の水抜きみたいな真似なんかすることないだろうし。

 

「絶対大規模工事じゃどころ済まないだろうな、っていうか海のど真ん中を埋め立てるって改めて考えると国家事業もいいところだ」

 

 ああ、後は小麦と紙をそれぞれ30ずつ持つぐらいか。これはもし村を見つけた場合、村人と交易してエメラルドを入手するためである。とは言ってもゲーム通りのレートならせいぜい1~2個手に入るくらいだろうが。そもそも思った通りの取引内容が出ない可能性も、バージョンによっては有益なものが数える程しかない場合もある。とにかくこの世界の村人がどんな反応するのか未知数だから何とも言えない。話し合いで野菜の種を譲って貰えれば、それが一番いいのだが。

 持っていくものはこれでいいが、問題は拠点で飼育している家畜だ。一応餌を大量に置いていくが、動物達が節制なんてするはずないだろうしあっという間に無くなってしまうだろう。

 特にニワトリは数も多いし活発だから心配だ。よって遠出はせいぜい数日空ける程度が限界だろう。……野生で何を食ってるのか分からんし、案外そんなに食べなくても大丈夫なのかもしれないが。

 ともかく宛てもなく延々と出かけていても仕方がないので3日を区切りにしようと思う。ゲーム基準ではまだまだ序盤とはいえ、今更新天地で生活を始めるのも大変だし。マインクラフトで遠征をするのも素材目当てのことがほとんどだしな。

 身も蓋もない話ではあるが、単に生き延びたいだけなら食料とベッド、安全地帯さえ確保すればそれ以上は必要無いんだ。視聴者を圧倒するような大がかりな施設もインスタ映えしそうなお洒落な自宅も、もはや仮想敵が分からないぶっ壊れ性能のMODも何もかもだ。

 もっとも、そんな仙人みたいな生活で満足するクラフターは滅多にいないとは思うが。理想の建築と実際の手間の狭間でそこそこまとまったくらいの拠点に落ち着くことはあってもだ。

 さて、話が逸れたが、ともかく遠出の準備は大体こんなものだろう。極端な話、手ぶらで出て行っても何とか出来ないことは無い。インベントリという輸送の常識を破壊するお手軽かつ便利な収納もある。

 今回行く方向は平原が遠くまで続いていて向こう側に丘があり、その先がどうなってるかまでは分からない。もしもこれで海だったら即座にUターンだが、はたして。今いる大草原といい、森や山の感じといいゲームよりもだいぶ土地も広くなっているみたいだからな。ゲームと現実の1キロメートルには差があるというのもあるとは思うが、それにしたって広い。

でも川は高いところから流れているわけでも無さそうだ。というかマインクラフトの川って大体水路のような気がする。地形として以外に海との区別なんて無いし。あ、でもバージョン1.13のアプデで海のバイオームに追加入ってたから、最近はそうでもないか。さすがに淡水と海水の要素までは導入していなかったが。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 動物達の鳴き声が聞こえるばかりで誰一人としていない拠点に告げる。

 そして、俺は意気揚々新たな土地へと足を踏み出した。

 

 

 

「……重い!」

 

 ――そう歩かないうちに重苦しい鉄装備を外した。

 考えてみれば当たり前のことである。マインクラフトののっぺりした鎧一式がどれだけの重さかは知らないが、実際の西洋鎧は比較的新しい軽量化に成功したものでようやく20キログラム以内に収まるといった具合だ。基本的には数十キログラムと思っていい。動き回ることは充分可能だったらしいが、それはあくまで訓練を積んだ成人男性の話である。茜ちゃんボディに自分の体重に匹敵しかねない重しをつけての行軍はまさに荷が重かった。

 まあ今インベントリにしまった鎧には数十キロの重さはないとは思う。そもそも明らかにクラフトに使った鉄インゴットより質量が増えているし、何よりこの体にピッタリ合う時点でサイズの自動調整機能か何かがついているのは間違いない。ひょっとしなくてもクラフトで作る物って半ば概念が実体化した物なのかもしれないな。自分で言っててよく意味が分からないが。

 ともあれ、鎧を外してからの道程は快適であった。手ぶらで歩いているのだから当然である。初日のように地面に空いた穴に落ちないようには気をつけつつも、難なく平原を渡りきることが出来た。振り返ってみれば拠点が遠くにぽつんと見える。他に遮蔽物も人工物も無いせいで目立つな。モンスターに格好の標的とされなければいいのだが。

 丘はなだらかでそう苦労しなかったが、その先は森が広がっていた。白樺だ。拠点近くの方にあるのはオークの木がメインだから、ひとまず木材の種類が増えたな。白樺はマインクラフトに通常出てくる木の中では頻度が低め、らしい。個人的にはオークの木に混じって割と見かける印象なのだが。まあそんなことを言ったらジャングルもメサも初期スポーンの近くにあることもあるし運次第か。

 とりあえず斧を取り出して何本かを伐採する。白樺の原木に混じり、苗木も回収出来ているのを確認する。やはりリンゴは出ていない。この2週間で一回も見たことが無いから、たぶん何かしらのMODの影響があるのだろう。MODの内容にも変化がありそうだから、どれによるものかまでは分からないが。

 結局1日目の成果はそれくらいだった。それからさらに森の中を進んでいったが、時々野生のニワトリやヒツジを見かける以外は変化も無く、やはり平原と違って進むだけでも時間を多く取られる。やがて日が暮れてきたため、土を積み上げて待避する。視線を切るため壁をつけた結果、土で出来た箱のような形になった。

 ネズミ返しのようになっているので壁越しにこちらを感知してくるクモも平気だ。夜の間、ずっとうるさいのはどうしようもないが、黙らせようと下手に動いたら他のモンスターの相手もしなければならなくなる。どうせ向こうも攻撃出来ないし朝になったら大人しくなると自分に言い聞かせて、鎧を着込むとそのまま目を瞑って横になった。

 翌朝、壁の一部を壊して索敵した後、中立状態になったクモに先制攻撃し、反撃される前に倒す。ドロップするクモの目や糸が欲しかっただけである。別に腹いせではない。多分。

 

「我ながら最初に比べるとずいぶん手慣れたもんだな」

 

 この2週間でゾンビ、スケルトン、クリーパー、クモを何回か倒した。昔からいる馴染みの面子だ。基本的には1vs1だったり退路を確保したりという状況を作ってから戦っている。今のところ初戦のスケルトンが最も危なかったくらいで、後は何とかなった。ゾンビは難易度が高いと、攻撃を受けた際に一定確率で近くに他のゾンビをスポーンさせるという仕様はちょっと気になったが、今のところ確認出来ていない。この世界の難易度がハードでないことを祈るばかりだ。

 あと出会う可能性があるのはエンダーマンやウィッチ、それに子供ゾンビや子供ゾンビonニワトリなチキンジョッキー、スケルトンonクモなスパイダージョッキーくらいだが見かけなかった。どいつもこいつも面倒だから戦いたくないけど。スライムや他のバイオーム、構造物限定の連中はこんな平原に出やしないだろう。

 そのような調子で始まった2日目も最初のうちはほとんど移動するばかりだったが、やがて俺はあるものに気がついた。

 

「これって、もしかして道か?」

 

 それは舗装されているわけでも目印があるわけでもないが、確かに道だった。草が踏まれた獣道といった感じではなく、明らかにある程度草むらを切り開いた後が見て取れる。草の生長具合から新しい道ではないが、かといってだいぶ昔というわけでも無さそうだった。

 道を軽く行き来したり切り開かれた草の感じを眺めてみたりし、どちらから来たのだろうと推測してみようとしたが、そんな心得のない俺には無理だった。考えた末、まずその場に目印としてブロックを置いた後、俺は木ブロックをクラフト、木の棒を作った。

 もちろん、使い方は決まっている。棒を地面に立ててから手を離してみる。

 

「よし、こっちだ」

 

 棒がちょうど左に倒れたので俺はそちらに向かうことにした。

 考えてみればどうせ進行方向が分かったとして、そちらに何かがあると決まったわけでもない。予定では明日には切り上げるつもりなのだ。ちょっと片方に行ってみて何も無ければ、いずれもう片方に行ってみてもいいだろう。時間だけはたっぷりあるからな。

 などとテキトーな方法で進む先を決めたが、どうやら今回は運に恵まれていたらしい。それからしばらく歩いたところで森は途切れ、小高い丘がところどころにある草原に出た。

再度目印を置いてから見渡して、見つけた。

 

「あれは……!」

 

 

 

 ゲームの時よりしっかりしていたが、それは間違いなく村であった。



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第11話 『琴葉茜』のファーストコンタクト

 遠目ではあったが、それでも村の様子がゲームの時よりもずっと立派なものであることはすぐに見て取れた。

 まず目についたのは柵で囲われていることだ。細長い木の杭がずらりと並び、村全体を囲んでいる。高さは大体2メートルくらいか? 順当に考えて外敵、この世界ならモンスターから身を守るために立てているのだろう。他の村と戦争するかはMOD次第だな。

 次に印象的なのは櫓だ。民家と思しき他の建物群よりずっと高く建てられており、柱や梯子で構成されている。これも見張り用、防衛施設の1つだろう。村人らしき影が上部の構造物に見える。第一村人発見だ。ゾンビ村じゃなくて良かった。

 ……うん、これゲームみたいにただ鳴き声を発しては盛ってる感じじゃなさそうだな。例えるならゲームだと縄文時代だったのが、弥生時代くらいには文明が進歩している。さすがに吉野ヶ里遺跡ほど大規模ではないが。

 

「ゲームみたいな略奪なんか出来っこないな」

 

 この世界の村人が外敵を警戒し、それに備えるだけの知能や思考を持っているのは明白だ。ただ家に閉じこもって夜が明けるのを待ち、襲われても逃げ回るだけだったゲームとは違う。もしも横暴な振る舞いをしたのなら、それ相応の報いが待っていることだろう。

 これ、近づいていっても大丈夫か。余所者ということで警戒されるくらいならまだしも、近づく奴は皆敵みたいなことにならないよな。ともかく行ってみないと分からないか。

 意を決して俺は村へ向かうことにした。ここから眺めているだけじゃこれ以上のことは分からない。古人曰く、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。別に空き巣をするつもりなんて無いが。

 近づくにつれて村の様子がはっきりしてくる。柵の隙間から村内で人影が動いているのが見えるし、柵の一部は簡素な門になっているようで門番らしき村人もいる。門の柱によりかかり、村の方を眺めているようだ。ひとまずはあの人に声をかけてみるか。言葉が通じればいいのだが。フンフン言うだけじゃありませんように。

 草むらをかきわけていくうちに道に出たので、そこから村へと近づいていく。気配がしたのか、やがて村人はこちらに気がつき振り返った。

 村人の容姿は、まあその、バニラの村人をリアルにしたらこんな感じだろうなというものだった。禿げた頭部に大きい鼻。ただゲームと違って鎖帷子、クラフターが自身では作れないアイテムであるチェーン装備を着込み、剣を佩いている。そもそも門番なんてものがゲームだといないが。

 しかし、それにしても某文豪の小説にもなった昔話に出てくる鼻の長いお坊さんというか、あるいは漫画の神様の作品でよく居る大きい鼻の持ち主というか。なまじ現実の人間に似てるだけに余計に気になる。別にグロくはないのだが、いや奇妙って意味合いなら間違ってはいないが。

 そんなことを考えているうちに門番はこちらに話しかけてきた。男特有のおっさんらしい低い声だった。

 

「やあ、初めて会うメイドさん。この村に何用かな」

 

 よし、言葉は通じる。この世界初の会話はジェスチャー頼みにならずに済みそうだ。日本語として聞こえるのは奇妙なことだが、ゲームでも各言語に対応してたし仕様ということで流そう。後、どうやらこの世界にはリトルメイドがいるみたいだな。そして村に立ち寄ることもあると。

 さて、俺はメイドさんとして認識されているようだ。バニラ通りなら村人は傍目には服装以外は変わらないオッサンしかいないしな。それ以外でモンスターでも無さそうな存在と言ったらメイドになるか。まあ、ちゃんと誤解は解いておこう。別に正体を隠さなきゃいけない理由なんて無いだろうし。

 おっと、でも今の俺は一応女の子なんだし、ちゃんとそれっぽく振る舞ってはおくか。見た目のことも考えたら、茜ちゃんを演じればいいかな。二次創作で色んなタイプの琴葉茜がいるけど、とりあえず俺の思う標準的な茜ちゃんでいこう。もっとも関西弁なんて使ったこと無いから聞く人が聞いたらすぐ偽物って分かるだろう。まあこの世界に関西弁の区別がつく人はいまい。

 

「あーえっとなぁ、野菜の種を何かと交換してくれへんかなぁ思て来たんよ。あと、ぉ、ウチはメイドさんじゃないで」

 

 いかん、喋りにくい。声自体は独り言をよく喋ってたから出るけど、誰かと会話するのは久しぶりだし、演じながらなんてしたことないから余計にきついぞ。直前で変なこと考えたの誰だ。俺だ。

 

「む、メイドさんじゃないのか。それじゃあ一体何だって言うんだ?」

 

 幸いにも噛みそうになっているのは気づかなかったようだ。それよりもメイドではないということの方が気になるようである。不審に思っているのではなく、純粋に不思議なだけみたいだが。この様子なら知らない存在だからっていきなり襲ってくることは無さそうだな。

 

「実際のところはよう分からんけど、ウチはクラフターって考えとるで。クラフターの琴葉茜や」

「クラフター?」

 

 さて、どう出る。

 俺が名乗ると門番は一瞬ぽかんとした様子を見せ――やがて豪快に笑った。

 どういうことだ?

 

「ウチ、何かおかしいこと言ったか?」

「はっはっは、クラフターと言えば昔話に出てくる伝説の種族じゃないか。メイドさんも面白い冗談を言うな」

 

 なるほど、クラフターは過去にもこの世界にいた。種族ってことは1人じゃないんだろう。しかし、もはや伝説扱いされるくらいの出来事で今はいないと。

 何となく寂しさを感じるが、同時に安堵する。マインクラフトで一番予測がつかない存在がいるとしたら、それは同じクラフターだからな。

 それにしても昔話になるとは。どうやら過去にいたクラフター達は何かそれだけのことをしたようだ。それが善行なのか悪行なのかは知らないが、前者であることを祈ろう。

 

「うーん、本当にクラフターなんやけどなぁ。どうしたら信じてくれる?」

「それだったら何か物を置いてみてくれよ。クラフターってのは土や木の塊をぽんぽん置いては建物をどんどん建ててたらしいからな」

 

 やっぱりブロックの設置や撤去はクラフター特有の能力か。村人やメイドさんには出来ないらしい。バニラじゃエンダーマンがブロック持ち運ぶくらいだしな。

 ま、いいか。ちょうど手持ちに移動用に持ってきてた土や砂ブロックあるし、道の脇に置いてみるとしよう。クラフターとしては簡単な内容で良かった。

 

「もしも本当だったら何か1つ頼みを聞いても」

「えい」

「いい、ぜ――」

 

 陽気な笑みを浮かべたまま言葉を続けていた門番が止まった。

 見事なまでにピクリと固まり、目の前にいきなり出現した土の塊を凝視している。

 理解が目の前の出来事に全く追いついていないようだ。

 

「そりゃ」

 

 重ねて土ブロックを置いてみる。門番の視線が2段目に向いた。

 ちょっと面白くなったので足場代わりに砂ブロックを置きながら、どんどん積み重ねてみる。

 3段、4段、5段と門番の視線を上へと向いていき――あっ、見上げすぎて後ろに倒れた。

 

「ちょ、アンタ大丈夫か!?」

 

 慌ててブロックを撤去し、地上に降りる。

 そのまま声をかけて起こそうとしたところで、門番は勢いよく体を起こした。

 それはもうガバッと。ぶつかりそうになり、慌てて身を引く。

 

「ほっ、本当にクラフターなのか」

 

 起き上がった門番は痛みを見せる素振りもなく、あるいはそれどころではないのか。震える声で問いかけてきた。

 ……ううむ、クラフターの伝説ってどんなものなんだ? こうも怯えるような反応をされると不安になる。これはメイドだと思われたままの方が良かったか?

 誤魔化すべきかとも一瞬思ったが、既にクラフターとしての能力を見せた後だ。今更だと考え、肯定することにした。

 

「だから言うたやん」

 

 俺がそう返すと門番は押し黙り、何かを考えているようだった。

 暫し時間が過ぎて、やっとの様子で門番は口を開いた。

 

「すまんが、俺ではどうしたらいいか分からん。村長に会ってくれないか」

 

 最初の一言で入村を拒否されたかと思ったが、どうもそうではないようだ。

 何だかRPGの勇者みたいなイベントが起こっている気がするが、そんなにクラフターの存在はこの世界にとって重大なのか? のんびりとした生活は幕を閉じて、ここから実は使命が云々とか始まるのか?

 ただ野菜の種が欲しかっただけなのに、どうしてこうなるのか。

 

「ええで」

「ありがとよ。それじゃ、ついてきてくれ」

 

 だが、それでもこの世界に関する情報を得る絶好の機会であることは確かだ。

 俺が今分かっていることは、この世界がマインクラフトと現実の法則とが入り交じった世界であるということだけ。この2週間で分かったことも、結局はゲーム知識を参考にした法則の摺り合わせや類推に過ぎない。

 この世界の歴史や文化については一切知らないが、俺のまだ気がついていないMODの要素やゲームからの変化点に関する情報だってあるかもしれない。今後どのように生きていくのだとしても、この世界についての知識は必要だ。

 村の中を門番の後ろについて歩いていく。村にどんな施設があるのか、村人がどのような活動をしているのか等を通りすがりに眺める。

 

「1つ、聞きたいことがある」

 

 ふと、門番が立ち止まり問いかけてきた。俺も合わせて足を止める。

 

「何や?」

「クラフターが――」

 

 こちらを振り返らないまま、門番は言いにくそうに口を閉ざした。

 が、そんなことされると余計に気になるのが人の性。

 

「クラフターが、何やて?」

 

 俺が尋ね返すと門番は躊躇したようだった。

 しかし、それも束の間。決心したようにこちらを振り返る。

 

 そして――

 

 

 

 

「クラフターが、俺達の子作りを眺めるのが趣味ってのは本当なのか?」

「――は?」

 

 門番はデカ鼻顔を赤らめて、そう言った。



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第12話 『琴葉茜』とクラフターの伝説

「ここが村長の家だ。話を通してくるから少し待っていてくれ」

 

 ある家に辿り着いたところで門番はそう言い、両開きの扉から中へ入っていった。

 なかなか立派な家だった。他の家がゲーム通りの豆腐建築にやや似た石積みだったり木造だったりするのに対し、ここだけはレンガ造りで屋根もしっかりしていてお洒落な感じだ。それに2階建てで一回り大きいから、一目で他の平屋とは格が違うというのが伝わってくる。まさしく権力者が住んでいますという感じだ。

 ちなみにさっきの門番の質問には知らんと答えておいた。門番はそうか、とほっとしたような少し残念そうな様子を見せていたが、こちらとしては一体過去のクラフターが何をしでかしたのかと冷や汗物である。ゲームでは良さげな取引をしてくれる村人を厳選する手法はあったが、まさかこの世界でしたのか。でもあれをそのままやったら悪行として残りそうなものなのだが。

 というか残念そうにするな門番。照れたような素振り見せられてどうしろというんだ。色々と気になるが、正直恐ろしくて聞けない。一旦さっきのことは忘れて村長との対面に意識を傾けることにしよう。俺の心の平穏のためにも。

 

「待たせたな、入ってくれ」

 

 やがて門番が戻ってきた。

 言葉に従い、玄関へと足を踏み入れる。

 

「お邪魔します」

 

 中は直接居間になっていた。壁には棚が掛けてあり、その上には日用品と思しき小物や花瓶が置いてある。足下にはカーペットが敷かれていて、また奥には上への階段や他の部屋に続いているのであろう扉があった。天井からは原理はよく分からないが光を放つランプが吊り下げられている。もしかしてグロウストーンか? この世界だとあんな風に加工出来るのか。

 居間の中央には大きなテーブルと肘掛け付きの椅子がいくつか置かれている。そしてこちらから反対側、その真ん中の席に村長は座っていた。見た目はやっぱり村人という感じだが、門番よりも幾分か老けていて服装も村内で見かけた他の村人達より上等な物だ。

 

「初めまして、クラフターの琴葉茜殿。儂がこの村の村長じゃ。どうぞおかけくだされ」

「琴葉茜です。それでは言葉に甘えて」

 

 挨拶を返して、席に着く。

 門番は村の入り口へと見張りをしに戻っていき、この場には俺と村長だけになった。

 村長が口を開く。

 

「早速じゃが、茜殿は野菜の種を求めているとか?」

「せや。最近、ご飯がパンやお肉ばかりで。ウチの持ってる何かと交換出来たらと思っとります」

 

 率直に用件を伝える。この世界について云々も気になるし重要だが、最初の目的はこっちだ。いきなり聞くようなことでも無いだろうし。

 村長はふむ、と頷いた。

 

「なるほど、それなら大丈夫じゃ。種ぐらいならお譲りしますぞ」

「ほんまか!」

「植えれば植えるだけ増えますからの。むしろ保管しきれなくていつも処分しているくらいですわい。好きに持っていってくだされ」

 

 あっさりと許可が出て思わず声が出る。拍子抜けするぐらい簡単に話が進んだが、とりあえずこれからは食卓が豊かになりそうだ。

 それは良いのだが、この話しぶりだと多分野菜の種が余ってることぐらいこの村の住人なら知っているよな。それだけのことを伝えるためだけに、わざわざ村長に会ってくれなんて言わないだろう。

 となれば、これはあくまで前置きか。案の定、本題があるようだった。

 

「さて、話は変わるのじゃが。茜殿はクラフターについてどの程度ご存じかな?」

 

 村長が探るような視線を向けてくる。

 さすが為政者といった感じだ。でも政治的な駆け引きしたくて村に来たわけじゃないし、そもそも出来ないし。もっと言えば村見つけたのも偶然だしな。

 ここは正直にいこう。

 

「色々と物を置いたり作ったり壊したり出来るっちゅうくらいやな。クラフターになったのもついこの間やし、自分がクラフターかもっていうのも何でか知らんけどそう分かってただけやねん」

 

 おかしいな。正直に喋っているはずなのに、どうにも詐欺師というか法螺話っぽいぞ。

 だが村長は怪しむ様子もなく、むしろ得心した様子だ。

 

「そうじゃったか。道理でこんな村に来てくれたはずじゃ。クラフターはこの世界では伝説の存在じゃからな。大きな町に行って下にも置かぬもてなしを受けていてもおかしくないですからの」

 

 おっと聞き逃せない情報が出てきたな。あるいはそういう風に誘導してるんだろうけど、乗っておこうか。

 

「村長、クラフターがこの世界の外からやってきたということを知っとるんか?」

「もちろんじゃ。もっとも、そういう風に言い伝えられているというだけじゃがの」

「そのことについて教えてもらってもええか」

 

 村長は鷹揚に頷き、クラフターの伝説について語り始めた。

 

 

 ――昔々、この世界は平原が広がるばかりであった。

   それを寂しく思った神様は色々な物を生み出した。

   地形であったり海であったり、人間であったりした。

   だが所詮自然は自然でしかなく、生み出されたばかりの人々は

   悩みも無ければ望みも無く、ただ頭や腕を振って跳ね回るだけ。

   神様は気がついた。

   自分が本当に欲しかったのは、創造の楽しみを分かち合える誰かであると。

   そこで神様はこの世界の外の住人達を招いて、創造の力を分け与え、

   一緒に楽しもうと考えた。

   この招かれた人々こそがクラフターである。

   クラフター達の自由の発想や願望、そして何よりも創造への果てなき欲求は

   世界に幾度もの変化をもたらし、新たな物を生み出していった。

 

 

「もっと色々と細かく、様々な逸話も他にあるんですがの。ひとまずクラフターという存在が元来はこの世界の外からやってきたというのは、このように伝説の冒頭で語られていることなんじゃ」

「せやったんか」

 

 村長の言葉に相槌を打ちながら俺は考える。

 ところどころ違っていたり抜けていたりしそうなところはあるが、今の話って開発版時代のことだよな。Cavegameという仮タイトルがつけられていた頃のことだ。そう時間が経たないうちにネット上でプレイ可能なクラシック版がリリースされて、1年足らずでベータ版、さらに1年で製品版になるんだからほんとすごい開発ペースだ。

 しかし、神様ねぇ。ゲームの話だったらマインクラフト生みの親であるNotch氏ってことになるんだろうが、まさか氏が本当にこの世界を作ったってわけじゃなかろうし。それに途中からは他の開発スタッフだっているんだ。

 

「その神様ってのはそれからどうしたんや?」

「この世界に何か大きな変化が起きた時は神の御業によるものと言われておるがの。伝説ではとんと姿を見せなくなってしまうのじゃ」

 

 ああ、日本神話の別天津神みたいな存在なのか。ほとんど名前だけで、実際の役割は登場人物というよりはもっと概念的なものというか。諸説あるけど今の説明だとあまり気にしなくて良さそうだ。本当に存在するというよりは天変地異の理由として使われる舞台装置のような扱いか。

 

「じゃがクラフターが過去にいたというのは事実じゃ。この世界の人々が持たない発想、物を作り出す力で多くの恵みを齎し、地獄のような世界を旅したり終焉を招く竜を封印したりしたとされておるよ。人々にとってはクラフターの方が神様のような存在かもしれないの」

 

 そう言って村長は冗談めかすように微笑んだ。

 

「ありがとうな村長。クラフターがこの世界でどんな存在っちゅうのかは大体分かった。それで――村長はどうしたいんや?」

「儂はな、茜殿とこの村とが仲の良い友人になれればいいと思っておるよ。野菜の種だけでなく色んな物のやりとりも出来るじゃろうて」

 

 村長に嘘をついている風は無かった。

 でもやっぱり何となく含みがある気はするな。まあいくらクラフターが恵みを齎す神様のような存在とは言っても、結局は千差万別だろう。詳しい話は知らないしあまり知りたくないが門番の例の話も残っているわけで。

 

「分かった。それならこれからはウチらは友達やな」

 

 俺がそう言うと村長はほっとしたようだった。

 どうやら友好関係を築けそうだ。

 

「とは言っても、色々と物を交換出来るようになるんはもっと後のことやと思うけど。ウチ、まだ全然素材も集められてないねん」

 

 もっとも、大した交易が出来そうにないというのが目下の問題か。

 だが俺の言葉に村長は意外そうな顔をした。

 

「ふむ、それなら心配無いと思いますぞ?」

 

 

 

「おおっ」

「これがクラフターの力か」

「伝説は本当だったんだなぁ」

 

 俺は最後のブロックを設置し終えると一息ついた。村人達の感嘆の声が聞こえる。

 長年の風雨により傷んでいた家々の屋根、でこぼことして歩きにくくなっていた道や坂、すっかり崩れてしまっていた畑の囲いその他諸々の問題。村中を直すには時間も人手も必要で、されど日頃の仕事もあり対処が後回しになってしまっていた。

 それらもクラフターにかかればこの通り。全部終わるのに何日かかるか分からない修復作業がたったの半日で……無理に決まっている。とりあえず作業には区切りをつけたが、全体の10分の1も終わっていない。

 常々感じていることではあるが、この世界におけるブロックの設置や解体などは移動も含めてゲーム時代よりずっと体力も時間も使う。村程度の規模とはいえ、こぢんまりとした小屋みたいな家を建てるのとは訳が違う。というよりこの世界に来た初日の豆腐建築でさえ十分な休みが必要な程に疲れたのだ。終わるはずもない。

 とはいえ遅いというのはゲーム時代と比べたらの話であって、現実で、しかも個人でと考えたら到底人間業ではない。それに半日で10分の1足らずなだけであって、全部終わるまでの期間は全く見通しが立たない程、遠くでもない。なるほど、クラフターが歓迎されるわけだ。しかもクラフターの能力は建設や解体だけじゃないしな。いわば最強の便利屋だ。

 さて、俺は村長の提案を受けて、村人達から様々な物をもらう代わりにクラフターの能力を活かせる依頼を引き受けることにした。考えてみれば物々交換も金銭によるやりとりも、要は両者がそれだけの価値があると認める物を引き換えにしているに過ぎないからな。

俺としても素材を集めて交換するよりはこちらの方がお手軽だし、村人も手元のちょっとしたものを渡す代わりに面倒な仕事が減る。Win-Winの関係になれたんじゃないだろうか。

 まだまだ続きは残っている。そういうわけで今後しばらくは時々村を訪れては修復を行ない、その対価に色々と貰うという話に落ち着いた。大体こんなものが欲しいと言って、村にあれば貰うという感じだ。

 さしあたっては今日の分を受け取るのだが、いったい何を貰えるのだろうか。これからは村での寝泊まりに使っていいと言われた空き家で俺は村人が来るのを待っていた。日も暮れて、時刻はすっかり夜になっていた。

 

「茜殿、お待たせした。こんなものはいかがだろうか?」

 

 やがて扉をノックされたので開けると、そこには白い服を着た村人、司書がいた。後ろには台車があって、色々と載っている。

 

「へぇ、ぎょうさんあるなぁ。この中から選ぶっちゅうことか」

「いいえ、これが今日お渡しする全部ですぞ?」

 

 どれを受け取ろうかと考え始めた矢先にそう言われてぎょっとする。

 これ、全部かい! いや見た目よりたくさん物を持てるって、インベントリの存在は教えたけども。

 

「皆感謝しておるのです。それにやはりクラフターに会えて少し奮発したのでしょう」

「あー、そんなら有り難く受け取っておくわ。ありがとうな」

 

 お祭りだと財布の紐が緩くなるとかそんな感じか。ちょっと信仰の対象がやってきたからお布施みたいな雰囲気もあるけど。まあ初回ということもあるのだろうし、次回からはもう少し落ち着くか。別にたくさん貰えるのが嫌なわけではないんだが。

 何があるか見てみる。おお、服だ。何着もあるし結構デザインもいい感じだ。ずっと最初に着てたのを洗って使い回してたから助かる。女物の下着もあるな、たぶんメイドさん向けのだな。まさか村人が着るわけがないだろう。無いよな? 他にも日用品が色々とある。この世界にやってきて日が浅く物が足りてないというのを考慮してくれたのだろう。すごく助かる。

 

「ん? レシピブック!」

「おっと、それは私からですな。クラフター殿になら役に立つかと思いまして」

 

 本が置いてあったので手に取ってみる。中身を覗いてみるとそれはレシピブックだった。

クラフトに必要なアイテムやその配置の一覧表である。バニラのマインクラフトでも最近は標準機能として追加されたが、それではなくMODで追加されるものだ。ゲームの時と同様に他のMODのレシピも記載されている。野菜の種とかその他諸々より、今回の一番の収穫かもしれない。後でじっくり読んでおこう。

 今回は大体そんなところだった。他に大きなものとしては素材として粘土の山があったり羊毛があったり洋式の便器があったり……。

 

 

「えっトイレ!?」

「この家のトイレは向こうですぞ?」

「いや、そうじゃなくて」

 

 びっくりして思わず声が出た。どう見てもこれトイレの便器だよな? いつもの備え付けるやつ。でもトイレは下水設備ないとあってもただの椅子にしかならないのでは。

 

「む? トイレとはそのまま流したものが消滅するものではないのですかな?」

 

 何それ怖い。

 しかし、その後司書が帰った後に彼の言葉が正しかったと分かるのであった。

 恐る恐る周囲を掘ってみたが、特に配管は無かったので流したものは本当に消滅しているのだろう。

 大きさ的に無いとはいえ、トイレに吸い込まれるのを想像して少し怖くなった俺であった。



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第13話 『琴葉茜』の情報整理

「お世話になりました、また次もよろしゅうお願いします」

「こちらこそ、気をつけて帰るんだぞ」

 

 翌朝、俺は門番に別れの挨拶をして村を発った。昨日あれだけ騒いでいた割には特に何事もない、あっさりとしたものだった。まあこれからはちょくちょく来る予定だしな。いくら伝説の存在とはいえ、常連同然になる相手にいちいち盛大な見送りや出迎えなんてしなくて当たり前か。

 もう1日くらい滞在したいところではあったが、3日くらいで拠点に一旦戻るというのが元からの予定だからな。家畜のことが気になるし、インベントリも村から貰った色んな物でだいぶ埋まっているから置きに戻らなければならない。ひとまず今回の交流はここで終わりだ。

 それにしても出発前には思ってもみなかった程の大成果だったな。レシピブックや野菜の種をはじめとした様々なアイテムもそうだが、何よりも情報が手に入ったのが大きい。それは何も村長から聞いた話だけではなかった。

 元来た道を戻りながら、村で得た情報を思い返す。

 

「しかし、見かけないと思ったらリンゴはちゃんとリンゴの木に生るものだったとは」

 

 昨日、村の修復作業を行なった合間に農民の村人から聞いた話である。曰く、この世界ではリンゴは野生ではあまり見かけないリンゴの木に生るものであり、基本は自分で植樹して育てて収穫するのだそうだ。そりゃあ見つからなかったわけだ。俺は半ば止むを得ず狩猟生活に移行したが、もしも野生動物を狩るのを躊躇ってリンゴに拘ってたら飢え死にしてたな。

 ちなみにリンゴの苗木は貰ったものの中にいくつかあったので、帰ったらまずはリンゴ畑を作ろうと思う。あ、でも待てよ。他にも色々と野菜の種や果物の苗木を貰ってるし、家財も増えたからな。家の増築をしなきゃいけないし、畑も現在の規模では小さすぎる。

 

「拠点周辺の開発計画を見直さないといけないか」

 

 クラフターの力があるとはいえ、ゲーム通りにはいかないこの世界では家や畑を軽く広げるだけでもそれなりの時間と手間を要する。だからと言って無計画に拡張していったら後で困るのは目に見えている。日頃の動物の世話や物資の集積も進めなきゃいけないし、区画を考えるのも含めてしばらくはかかりっきりだな。急ぐ必要が無いことが幸いだ。

 

「うん、雇いたいなメイドさん」

 

 今はまだいいが、そのうち1人じゃ手が回りきらなくなってくるだろう。今でさえそれなりに時間を持ってかれているのだ。俺が冒険に出ている間に留守番も兼ねて拠点周りのことに専念してくれる人員が欲しい。給料として砂糖さえちゃんと持たせておけばしっかり働いてくれるリトルメイドはうってつけの存在だ。

 ただし、村人によればリトルメイドに会えるかどうかは運次第らしい。リトルメイドは個人差はあるが当て所もなく旅をする自由気ままな存在で、雇いたければ路銀を稼ぎに立ち寄ったところで契約するのが基本だとか。契約が満了するとまたどこかへと旅立っていくという。

 一応大きな村、というか町まで行けば大抵は流れのメイドがいるので雇えるとも聞いたが、最寄りの場所でもだいぶかかるという話だった。荷物をインベントリにしまっておける分、足の早いクラフターでもそこそこの期間がかかると見積もっておいた方がいいだろう。そしてそれだけの間、拠点を留守にしておくわけにもいかないわけで。とりあえず町まで行くというのはお預けだな。もっとクラフターやこの世界に関する情報を集めたいから、一度は行ってみるつもりではあるが。

 あ、ちなみにリトルメイドとはLittleMaidMobというMODによって追加されるNPCである。ケーキで雇い、砂糖を支払って戦闘から農業までを手伝ってもらえるとても便利な存在だ。何より可愛くてゲームが賑やかになるので海外でも人気のMODだ。あ、だからといって何かを爆破してもらおうなどと思ってTNTを持たせると自爆して死んでしまうので気をつけよう。

 そしてMODと言えば、レシピブックも色々と情報を提供してくれた。

 

「やはり家具系MODは入っていると。村では知ってる人はいなかったけど、和風系のも入っている。農業系は果物や野菜が充実してることからも明白だな」

 

 今回手に入れたMOD産のレシピブックには、他のMODで追加されるアイテムのクラフトレシピが記載されていた。それによれば拠点で試しに配置したら作れた机や椅子とかで気づいてはいたけど家具MODの有名どころ、それから竹MODや和風MODのような和風系、多くの野菜の種や果物の苗木、料理を追加する農業系のMODなどがこの世界には適用されているらしい。

 レシピブックを読んでこれに気がついた時には思わず喝采を上げそうになった。村の中で夜中に近所迷惑だから抑えたけど。大げさかもしれないが、考えてみても欲しい。風呂に入れたり、松明じゃなくて電灯が設置出来たり、トイレがあったり。他にも洗濯機や冷蔵庫、テレビまである。三種の神器も揃って文明レベル爆上げ待ったなしだ。まあ洗濯機や冷蔵庫はともかくテレビは使えないだろうけど。ゲームでも数パターンの映像が流れるだけのインテリアだったし、まともには映らんだろうな。

 また和風系のMODが入っていることからご飯や大豆関連の食べ物もあるし、日本風の家具や建材も追加される。温泉にだって入れるようになる。惜しむらくは必要になる種籾や大豆、筍などが村には無かったことか。かなり遠方の地域にあるらしく、この辺りではわざわざ育てなくても他に十分食べ物があるため、ほとんど嗜好品のような扱いらしい。定期的に村に来る行商人が売っていることがあるというので、俺がいない時に見かけたら取っておいて欲しいと頼んでおいた。高くつきそうではあるが、日本人としても和風趣味の琴葉姉妹になった身としても見逃せない。一度手に入れば後は栽培も可能だろうし、初期投資だ初期投資。

 一方で工業や魔法の要素を追加するMODは、レシピブックを眺めてみた限りではないらしい。工業は環境が整うまで大変だし管理の手間も増えるからともかく、魔法が使えないのはちょっと残念だ。

 いや、工業に関してはそれっぽい感じのがあるにはあったが。

 

「まさかMCヘリがああなってるとは……」

 

 MCヘリコプターMODとは、その名の通りのヘリコプターや航空機、戦車や車両などを追加するMODだ。レシピブックに作り方が載っていたことから、どうやらこの世界には適用されているようだ。バージョン1.5.2から1.7.10までの対応ではあるが、エリトラのない当時のマインクラフト世界の空を飛び回れる楽しいMODの1つだった。実用面では基本的にヘリコプターがあれば十分であったが。高速の戦闘機があってもゲーム側の処理や描画が追いつかなかったり、戦車もマインクラフトの複雑な地形に対応しきれなくて移動不可能になったりしたからな。何より戦闘力があっても、ちょうどいい相手があんまりいないのもある。バニラの敵相手には強力過ぎて、MODの敵相手でも一方的に勝てるか逆に一方的にやられるかというのが俺の印象だった。そもそもマインクラフト自体が空中戦を想定しているわけでも、戦闘を主体としたゲームでもないから仕方がないのだが。本格的にバランス取ろうとすると面倒なのはゲームにMODを入れる際にはよくある話である。

 ちょっと話が脱線したが、そんなMCヘリの乗り物はゲームだったら基本的に鉄ブロックを中心としたバニラの素材があれば作れた。燃料も鉄と石炭で用意出来たし、利便性に対してかなりの低コストと言っていいだろう。それがこの世界では、工業系MODの上位アイテム並に中間素材を要求されるようになっており、そう簡単に手の届く感じではなかったのである。根気を入れて素材を収集すれば作れなくはないだろうが、そこまでして用意するべきかとなった時に必須ではないと切り捨てられるくらいには手間がかかる。

 もっとも手に入れたところでちゃんと操縦出来るかは怪しい。ここまでの感覚からして、現実よりはずっと簡単だがゲームより難易度が上がっている気がする。もちろん事故ったり墜落したりなんかしたら機体と共にあの世行きだろう。

 

「そう。あの世行き、なんだよな」

 

 ……昨日、村人との交流をする前に村長からクラフターについてさらに聞いたことがある。

それによれば、クラフターは神様のような創造の力こそ持っているもののあくまで生物であるとのことだった。

 昔々とある村をモンスターの襲撃から守って戦死し、以来ずっと称えられているクラフターがいたらしい。ある町を気に入って定住し、老衰で町の住人達に看取られたクラフターもいたそうだ。つまりは、そういうことなのだ。この世界では現実と同様、死は不可逆で絶対的なものとして横たわっている。クラフターも例外ではない。ゲームのようにリスポーンしてとかアイテムロストに嘆いてとか、そんな易しい話は無いのだ。

 

「ほんっと、警戒してて良かった」

 

 もしもこの世界でゲームと全く同じように振舞っていたら今頃俺は死んでいただろう。過去の俺に感謝だな。うっかり穴に落ちたり油断してクリーパーに吹っ飛ばされたり目先の鉄鉱石に目が眩んでスケルトンに射られまくったりした? そんな昔のことは覚えてないね。これからもドジを踏みまくりそう? そんな先のことは分からないね。

 さて、まだ細かい話はあるが概ねこのくらいだろうか。どれもこれも有益な情報ばかりであり、これからの生活に役立つことは間違いない。クラフターには使命があるとかそんなことは全くないらしいし、のんびりやっていくか。

 草をかき分けたり敵がいたりしないか気をつけながら歩いていたら、いつの間にか森を抜け、大平原の端っこに辿り着いていた。まだずっと向こうの方ではあるが拠点が見える。朝に村を出発して、今はたぶん夕方手前くらいか。行きと違って、道が分かっていて迷いのない分早いな。これから村と交流する時は3日くらいかかると思っておくか。行きで1日、村での作業に1日、帰りに1日。結構かかるな。

 馬を見つけたら飼おうかな。サドルをどこかで入手したいな。ゲームだったら線路を引いてトロッコに乗ったのだが、この世界では土地の問題も出てきそうだし、着工しても資源の関係もあって長期間かかるだろう。家具作るのにも鉄を大量に使う予定だし、やっぱりこの世界じゃダイヤより鉄の方が重要資源だな。拠点へと歩を進めながら俺は特に何を心配することもなく、そんなことを考えていた。

 

 

 

 ただ、気になることが残っているとすれば。

 

「結局、俺は何でこの世界に来て琴葉茜の姿になっているんだろうな?」

 

 一番の疑問に対する答えが全く分からないままだということか。



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第14話 『琴葉茜』の第2次建築

11/10 建築にかかった日にちを地味に変更


 拠点に帰還した翌日。いつも通りに畑と家畜の世話を終えた俺は、早速拠点の増築計画を考え始めた。

 

「うーん……」

 

 家の周囲をぐるぐる回って眺める。

 ついこの間、改築したばかりの家。内装もその時ある限りの素材で少しは凝っており、若干手狭ではあるが充分に生活出来るだけの空間はある。壁に一部穴を空けて部屋を立てて繋げてしまえば、ひとまずそれだけで機能は追加出来る。屋根や出っ張りをつけたとはいえ、主な構造は豆腐建築のまま。拡張性の高さは健在だからな。

 手っ取り早さで言えば、それが一番なのだが。

 少し考えた末に俺は結論を出した。

 

「とりあえず、まずは更地にするか」

 

 ああ、あと立て直ししてる最中の仮屋や倉庫も先に建てないとな。豆腐でいいか。

 俺はインベントリから建材を取り出した。

 

 

 何故改築してから間もない家を解体してしまうのか。

 一言で言えば、今の家自体が所詮急場凌ぎのものだからというのが答えとなる。

 元々今の家は初日に壁と天井だけのセーフハウスとして作ったものを、2週間にちょくちょく生活する空間として手直ししたものだ。

 だから寝室兼リビング兼キッチン兼作業場のワンルームという、機能が圧縮されたものとなっている。

 ゲームの時ならそれでも問題無かった。というかゲームの時の知識を元にして現在の状態になっているわけだが……実際に生活するとなると、これがだいぶ不便なのである。

 

「何よりも、やっぱり狭い」

 

 先ほど考えたように生活出来るだけの空間はある。あるのだが、どうしても窮屈な感じがするのも確かだった。

 村で一泊した家が寝室、リビング兼キッチン兼玄関、トイレに分かれていたのも一因かもしれない。ゲームのボックスホテルもかくやというワンルームハウスとは違って、ちゃんと家だったからな。まあゲームでも扉がついてなくて家と認識されていないのもあったけど。

 それにいずれはメイドさんを雇ってみたいと考えた時に、どのみち改築しなければならなくなるだろうからな。もう1軒建ててもいいかもしれないが、住む人が入るまでの管理が大変だ。そうなると部屋を増やすことになるのだが、さすがに今の家にそのまま部屋を増やすわけにはいかない。動線なんて考えていなければ、物もごちゃごちゃしててどかさないといけないし。内装も住むのが俺一人という前提の配置になっているのだ。

 

「それに、トイレや風呂まで同じ部屋に設置したくはないしな」

 

 そして今回の計画にあたって、村で入手したトイレ、それからレシピブックの情報を元にクラフトした風呂を増設するのは絶対だった。1人暮らしでも、さすがに同じ部屋に風呂とトイレがそのままどんと置かれているのには抵抗があった。それからユニットバスみたいな感じで部屋を増やすのも考えたが、複数人で生活するのであれば独立させるべきだろう。となると、その分スペースを要するわけで、それぞれの部屋に続く扉をつける場所も考慮しなければいけなくて。

 そういった諸問題を考えた末に出たのが、無理に広げるよりも今ある家を解体してしまった方がいいという結論だった。残そうとしても側だけになりそうだし、そこまでするほど愛着があるわけでもない。せいぜい最初に建てた家程度の感慨だろうか。

 

「よし、これで仮家は完成だ」

 

 そんなことを考えつつ作業しているうちに、豆腐建築な仮家が完成する。

 内装はベッドに作業台、かまどにチェストと防具立て。加えて壁で区切ってトイレを設置し、天井には吊り下げ式の電球もある。電力要らずでオンオフも出来る優れものだ。レシピを見るにグロウストーンのおかげのようだが、どうやって手に入れているんだろうな。

 そんなこの仮拠点は無駄の無い分、今の家よりも過ごしやすいかもしれない。一瞬このままこれを家にしてしまおうかという考えが脳裏を過ぎり、慌てて打ち消す。あくまでこれは仮家だ。物資が充実して家につけられる機能が増えれば、また手狭になって今の二の舞だ。

 それにどうせ住むなら豆腐よりもお洒落な家の方がいい。お洒落と言っても建築センスは俺だが。まあプレイ動画で見る感じとか現実の家の作りを思い出しながらやってみるとしよう。

 草の生えてない土ブロックを設置し、木の棒でテキトーな平面図を描き始める。

 

「出入りの楽さも考えて、まずは村の家みたいにリビングと玄関は一緒でいいか。トイレや風呂もすぐ入れるようにリビングの隣で。キッチンも間に扉を挟みたくないからな。よし、ちょっとした1LDKにしてしまおう。それから……」

 

 こういう時、まずはブレインストレーミング。だから夢いっぱい盛りにしてもいいよね。などとなんだかんだでウキウキと建築計画を考え始めた俺が、今の家の解体や中の物を倉庫に運ぶのを忘れていたのに気がついたのは実に日差しの弱まる時刻のことだった。

 

「あー……もう明日に回すしか無いな。今日中にこっちやるか」

 

 冷静になった頭で今しがたまで描いていた線のぶれている簡素な設計図を見返す。

 リビング兼食堂兼キッチンが1つ、トイレと風呂が独立して1つずつ、寝室兼自室が2部屋、加えて作業場兼小さめの倉庫が1部屋。ここまではいいだろう。

 が、何やら間取りがおかしい。家の形状が上から見るとかなりでこぼこしている。屋根を佩くつもりなのに、これじゃあ平らな屋根にするならともかく三角屋根をつけるには面倒なのは間違いない。というか俺の建築技術でこれに違和感のない屋根をつけられる気がしないぞ。

 それから他に問題は……エンチャント部屋は増設スペースだけ確保しておき、後から建てるのでもいいだろう。離れみたいな感じでもいいかもな。

 だが非常用の隠し通路は絶対にいらんだろう。地下からどっかに逃げる! と覚え書きがしてあるが、そのどっかとは一体どこなのだろうか。外にセーフハウスなんてないぞ。むしろこの隠し通路が敵の侵入経路になりそうだ。後、そこまで深く掘るのが面倒くさい。これだったらブランチマイニング場を深くした方が有意義である。

 時間がかかった割にいまいちな家が出来上がる未来しか見えないな。どうしたものか。

唸りながら、昔見た建築の解説動画を途切れ途切れに脳内再生する。そのうち、あることを思い出した。

 

「豆腐の組み合わせだったか? 先に柱で間取りを測ってたような?」

 

 そうだ。確かいきなり部屋の構造や配置を考えるんじゃなくて、先に大体の大きさを決めていた気がする。柱で豆腐というか、等間隔で同じ大きさのスペースをいくつも作ってから各部屋に割り振って間取りを決めるというか。

 そのやり方に当てはめて先ほど作った設計図を直してみる。

 ……うん、こっちの方が良さげだ。それに壁も一段目を石ブロックなんかにするとのっぺりした感じが減るんだったか。後はハーフブロック使って木材を節約するのもいいか。普通に上を歩く分には強度は変わらないんだし。

 さっきまでが嘘のようにすいすいと大まかな設計図が出来上がる。やがて外がすっかり暗くなったのに気がついて、夕食を取ると早々に寝る。

 次の日、やはりいつもの仕事を終わらせると俺は今度こそ改築作業に取りかかった。

 まずは元の家に置いたチェストの中身を仮拠点の簡易倉庫に運ぶ。内装もこの時に全部取っ払ってしまう。まだまだラージチェスト1個に収まっているからいいけど、これがだいぶ物資も充実してくるとこれだけでも結構時間がかかる。トラップタワーなんかで使い切れない程に、それこそ広い空間にずらりとラージチェストが並んでいるような状況になるとな。もっともそこまで行くと倉庫をあらかじめ分けてあるか、あるいは拠点を建て直さない人の方が多そうではあるが。

 それが終わったら次に家の解体に取りかかる。砂ブロックを積み上げて屋根に登り、上から下に向けて斧を振るっていく。疲れはするが、考えながら組み立てるのと違って大して時間もかからない。

 

「何かを生み出すより破壊する方が簡単、なんてな」

 

 軽口を叩いてみる。

 それが終わったらいよいよ建設開始だ。まずは建設場所に等間隔で柱を建てていく。

屋根を葺いた時に合流させることも考えて、上から見たときに凸凹はしていてもあまり段にならないように、また屋根の高さの調整が面倒になるので極端に非対称にならないように気をつける。手直しする前の設計図だとたぶん屋根の高さをうまく合わせられなくて、変になっていただろう。

 それが終わったら柱同士を梁でつなげて、そこから設計図の間取りに合わせて壁を張る。ここまで出来たらもう家の構造は半分出来たようなもので、後は床を張っていくだけだ。村への道中で手に入れた白樺を早速使ってみるか。オークの木より色が明るい素材だ。さほど数があるわけでもないのでハーフブロックにして量を節約するが、それでも足りなかった。仕方が無いのでリビングとキッチンの辺りだけに使用し、後はオークのハーフブロックにしよう。ゲームと違って足りないからちょっと取ってくるって出来ないし。ここの平原は広いからほとんど移動時間になってしまう。整地の手間がだいぶ省けているのはありがたいのだが。本当に建設にはお誂え向きの地形だ。

 床を張り終えたので、次は2階部分の作成にかかる。やることは1階と変わらない。ただ低めとはいえ高所なのでだいぶおっかなびっくりの作業になった。ゲームだと大したこと無かったけど実際の3メートルは高いぞ。それにゲームの時みたいに軽微だからとダメージを無視して飛び降りるなんてのもとても真似出来ない。ある程度は体力制のこの世界でも、もし頭から落ちて首でも折ったら即死しそうだ。用心に越したことは無い。

 そんなこんなで建築を進めていき、3日と経たないうちに屋根も張り終わる。そこから後は内装だけだ。まだ全部屋の内装をするわけでもないから必要なところだけササッとやって区切りにはするがしよう。それにしてもあらかじめ設計図が決まってると、こんなにも建築が早くなるものなのか。なんだかんだで数日でほとんど終わるとは。

 

「クラフターの力様々だな」

 

 内装といっても家具を設置する以外は松明を家の中に配置して明るくしたり自分の部屋のレイアウトをちょっと考えたりしたぐらいである。

 ひとまず今回の改築もとい建築は、これで完了だ。

 簡単にどうなったのかを説明すると、まず1階は玄関があり、そのまま台所兼食堂兼居間の空間、要するにLDKとなっている。奥の台所には裏口を設けており、右手側にはトイレと風呂に繋がる洗面所がある。左手側が廊下になっていて作業場兼簡易倉庫の大きめの部屋がある。廊下はL型になっていて突き当たりを右に曲がると階段があり、2階に繋がっている。

 そして2階に上がってからすぐ左に曲がると部屋が2つある。片方は俺の自室で、もう1つの部屋は今のところ空き部屋だ。一応いつかメイドさんを雇ったら住んでもらおうと考えている。廊下をさらにいくと右手側には玄関の天井が床になっている小さなベランダがあり、後はエンチャント部屋予定のスペースともう1つ部屋を用意出来そうな空間がある。用途は追々考えるとしよう。

 出来上がってから階段を家の中央に配置した方が移動距離が短くて済みそうだとか、構造上2階の床に原木の梁が見えているだとか、気になる部分も色々出てはきたが今のところは満足だ。一仕事終えた後の達成感もあるが、少なくとも今までの仮拠点よりはずっと家らしくて立派だからな。羊毛が集まったらカーペットを敷いたり家の周りに花壇を作ってみたりするのもいいかもしれない。

 しかし、広くなると少し落ち着かないな。村で交流したり家が自分以外の誰かが住むことを考えた作りにしたりしたせいかもしれない。

 

「誰か仲良く住める人が来てくれるとか……ないか」

 

 まあメイドさんが通りかかったら雇うぐらいしかないだろう。村人はわざわざ村の外に住もうとはしないだろうし、それに、そのなんだ。やっぱりちょっと見た目が気になるからな。そのうち慣れるだろうけど。

 後は仮拠点のチェストの中身を移し、仮拠点も解体するくらいだ。

 その後、バスタブやシャワーが使えることに感動したりキッチンの設備に食材を投入して出来た食事の味が可も無く不可も無くだったり、村から貰った服から寝間着を見繕ったりして。俺は出来たてほやほやの新築の自室で初めての床についたのだった。



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第15話 『琴葉茜』は雨に降られて

「ここは……あ、そうか。新しい部屋か」

 

 目が覚めた時、見慣れない部屋に困惑しそうになった。

 しかし、ここがつい昨日建ったばかりの新拠点ということを思い出す。

 こういう時はとりあえず知らない天井とでも言えば良かったか。何だかんだでもう古いネタだなこれも。それにそもそも天井の素材は今まで寝泊まりしていた部屋と同じオークの木材だし、この部屋を作ったのも俺自身だ。

 

「起きるか。っとと、着替えないと」

 

 ベッドから体を起こし、そのまま部屋を出ようとしたところで今の服装を思い出す。

 今の服は村で貰った寝間着だ。()の見た目に合わせてくれたのだろうか、ピンク色のゆったりとしたものだ。おそらく主な素材は羊毛のはずだが、それにしてはあまり布が厚くないしチクチクする感じもなく着心地は良い。この世界の動植物は元の世界とは似て非なる生物だし、素材の性質もまた変わっているのだろう。レシピブックを見たらクモの糸から羊毛を作るレシピもあったことだし。完成品に全く使用していないはずの素材が使われているのはゲームではよくあることだ。

 ドアから手を離し、部屋に設置したチェストから他の服を取り出す。服というか、正確には鎧かもしれないけど。

 

「布アーマーがこの世界だと残っているとは。便利だからいいけど」

 

 俺が取り出したのは、その名も布アーマーというド直球なネーミングの装備だった。これはPam’sModsというModによって追加されていたもので、先ほど触れたクモ糸から羊毛を作るレシピも入っている。バニラの素材をクラフト出来る代替レシピ自体は色んなModにあるが、クモ糸2つから織布という追加素材を経由して羊毛にするようだから恐らくPam’sModsのものだろうと思う。

 この布アーマーはその織布を素材とすることで作れた装備だ。性能はバニラの革の鎧と同様。要するにゲームにおいては最弱クラスの装備であり、防御力という観点からすれば既に持っている鉄鎧には遠く及ばない。無いよりはマシといったところだろうか。そんな微妙な存在だったためなのかModの更新に伴って削除され、織布は綿生地という別の素材に代わり、その綿生地から直接作れるのはバニラの革の鎧になった。

 ところがこの世界では若干の防御性能を持った外行きの服として、革の鎧共々昔から作られ続けているらしい。まあ気軽に着られて尚且つある程度の防具として役立つんだったら、モンスターのいるこの世界では便利だろうな。鉄やダイヤの鎧をずっと着込むのなんて辛いし。金鎧なんてゲームの時以上に趣味装備じゃないか?

 もっとも鉄鎧もPam’sModsで同じく追加されるハードレザーアーマーの存在で出番が無くなりそうだが。ハードレザーアーマーは蜜蜂の巣を圧搾して出来る蜜蝋、あるいはキャンドルベリーという非食用の作物から作れるワックスと革で製作出来る。手間はかかるがそれでも鉄を使わず、比較的低コストで同等の性能だからな。鉄を様々な用途に使う以上、鉄鎧の代替品があるならそれを使うに越したことはない。

 

「でも、その割には色々と抜けているんだよな……」

 

 ただし、少し気になることがある。それは布アーマーのような削除されたアイテムが残っている一方で、無限水源代わりになる井戸や自動で牛乳が溜まる瓶などといったアイテムがレシピブックには載っていなかったのだ。俺が気がついていないだけで他にも無いアイテムだってあるかもしれない。

 単に載っていないだけなのか、そもそもこの世界には存在しないのか。無限水源はこの世界でも作れるし、牛乳だって採り放題だからその辺りが引っかかるというわけではないと思うのだが。

 と、そんなことを考えていたらお腹が可愛い音を立てた。まるで茜ちゃんボディが腹減ったと抗議しているようだ。さっさと着替えて朝食にしよう。

 1階に降りた俺はそのままキッチンへと向かった。冷蔵庫から野菜を取り出してそれを包丁でカット、しない。CookingForBlockheadsというMODで追加される調理台に調理器具と共にセットするとクラフト可能なメニューが浮かび上がってきたので選択。するといつの間にか手元にはサラダやスープが。後はいつも通りのパンと焼き鶏を用意して朝食の完成だ。

 昨晩試した時にも思ったけど、文明レベルが今までとは段違いだな。むしろ一瞬で出来上がる分、元の世界よりも未来に生きているかもしれない。あれだ、SFでよく出てくるボタンを押すだけで完成品の料理が出てくるみたいな感じだ。レトルト食品や冷凍食品と違って食材の加工からやってるからな、これ。

 

「まあ、味はそれなりなんだけど」

 

 ただし、唯一欠点があるとすれば味か。別にまずいわけではないのだが、どうにも味気ない。村で振る舞って貰った料理は美味しかったのに、何でだろうな? 気分の問題とかではなく、本当に味が違うのだ。今までクラフトで出来る物の品質は一定だと思っていたのだが、そういうわけでは無いのだろうか。

 もぐもぐと朝食を食べ終えた俺はシンクでせっせと皿や調理器具を洗う。作るのは自動だけど洗うのまではさすがにやってくれないようだった。一応食器洗い機なら存在するようだが、現状わざわざ使う程でも無いしどのみちフライパンや包丁には使えないし。まあ作る手間が省けるだけありがたい。料理が趣味の人には逆の方がいいかもしれないが。

 それで、今日は何をするのかと言えば畑や家畜の世話以外にはチェストの中身を運んで、工事中の仮拠点を解体するくらいか。新しい作物を育てる畑を作るのもいいが、あまり気分じゃない。ここ一週間程は遠征して村まで行ったり家を建て直したりと動きっ放しだから残り時間はじっと休んでいてもいいのだが、現状出来る暇つぶしもレシピブック読み直すくらいだしな。

 よし、森の中を軽く散策してみようか。洒落た言い方をすれば森林浴という奴だ。まあ今まで森を歩いていて癒やされた感じは一度も無かったが。日陰にモンスターがいないとも限らないから警戒しないといけないし。まあせいぜい新しい発見が無いか探すこととしよう。……結局ただの探索になりそうだな。

 そんなこんなで俺は特筆することも無く日頃の作業やアイテム整理、仮拠点の解体を終わらせた後、探索用の装備を調えると森へと向かった。一応鉄装備はインベントリ内にあるが、服装は布アーマーのままにしている。どのみちクリーパーの爆発の直撃や高所からの落下だと前者はダイヤ装備、後者は落下耐性でも無ければ即死だしな。それよりは機動力を優先した形だ。ハードレザー一式が作れるようになればそっちを着るつもりだが。

 

 

 森に辿り着いた俺は、以前に調べたのとは別の方向に行くことにした。松明を目印として残しているのでもし夜中になっても迷うことはないだろう。

 どこまでも続くオークの森、たまに見かける野生動物。前に歩いてみた時と代わり映えしない景色だな。やはり軽く見て回るくらいで変化を見つけられる程、この森は小さくないか。正直、退屈である。

 などと思っていたのがいけなかったのだろうか。

 

「うん? ……げっ!」

 

 森の中とはいえ、それにしても暗い気がする。とぼんやり思ったのも束の間。

 急に湿った空気が辺りに漂った、そう感じた次の瞬間には軽快な音を立てて雨が降り出していた。

 あるいは気づいていなかっただけで雨雲が近づいてきていたのかもしれないが、とにかく今は雨から身を隠さなくてはいけない。慌てて近くの木に近寄るとインベントリから斧を取り出して一括伐採、手早くクラフトして木のブロックを用意すると柱を1本伸ばし、屋根のようにブロックを置く。いくらか濡れてしまったが、どうにか雨宿りは出来そうだ。

 

「ここに来て初めての雨とは……」

 

 まさか雨が降ってくるとは。困ったな。これは濡れながら帰るしかないだろうか。

 ゲームなら雨が降っていても大した問題にはならなかったが、この世界だとそうもいかない。現実に近づいたこの世界では濡れたままでいれば体力は消耗するし、風邪を引きやすくなる。そしてこの世界にはお手軽な薬なんか……牛乳が風邪に効くかは分からないが、無いだろうし、医者や病院だっていたとしても日本ほど簡単にかかれるものでもないだろう。

 幸いなのはモンスターは夜にならないと湧かないことか。雨天時の日光は通常より3段階暗くなるが、モンスターが発生するにはまだ明るい。とはいえ時間の変化は分かりづらくなるし、長居のリスクは大きい。雨宿りして少し弱まったら走るか。

 しかし、その考えとは裏腹に雨脚はますます強くなっていく。それどころか。

 

「うひゃあっ!?」

 

 閃光に視界を遮られて何事かと思う間もなく、体の芯まで響くような重低音と衝撃が走った。雷だ。何の心構えも無いところに大きな音をかまされて、思わず悲鳴を上げてしまう。

 まずい、この状況は非常にまずい。いつぞやのスケルトン以来の危機感が背中を這い上ってくる。雷雨は、ただの雨天よりさらに天候が悪化した状況だ。当たる確率はごく僅かだが雷が直撃したらダメージを受けるし、何よりも明るさレベルが大きく下がり昼間の間でもモンスターが発生するようになるのだ。見た目の明るさ自体はモンスターが湧かない程度のため勘違いしそうになるが、実際には夜間以上に危険な状況なのである。

 こうなったらもう籠城しかないだろうか。まるで初日に逆戻りしたような感覚を抱きながらも、今ある柱と屋根を基準にもはや相棒の如き豆腐建築を始めようとして、気がついた。

 

「あ、リンゴの木」

 

 ぼんやりと歩いていたから気づかなかったのだろうか。オークの木に混じってぽつんと1本立っていた。なんだ、こっちを探してれば見つかったんじゃないか。ここまで来てようやく1本見つかったという辺り、村人の自生しているのは珍しい話は本当のようだ。

 そんな場合ではないにもかかわらず、俺は一種の感動もあってしばしリンゴの木に視線を取られた。

 だから、分かったのだろう。

 

「なんか実が少ないし、周りの草も倒れているな?」

 

 そのリンゴの木は自生しているにしては不自然だった。いくつも生るはずの実が残り僅かで、その割には下に落ちた様子でもない。さらに木の周辺の草は伸びておらず横に倒れている。まるで、誰かが踏みしめたかのように。

 誰かがここに来た? しかも様子からしてつい最近のことだ。野生動物がリンゴに興味を示すことはないし、モンスターが食べるはずもない。村人は基本的に村からあまり出ないだろうから、消去法でメイドさん?

 暫し考え込みそうに、なったところで再び雷鳴が響いた。

 

「ひゃっ! ……いかんいかん、早く壁を張らないと」

 

 我に返った俺はセーフハウスを建築する作業に戻る。

 

 

 いや、戻ろうとした。

 

 

 

「――――」

 

 

 

 どうして土砂降りの中で、それを聞き取ることが出来たのだろうか。

 後でいくら考えてみても偶然としか理由をつけられなかった。

 だが、それでも俺はこのとき確かに聞いた。聞き取ることが、出来たのだった。

 

 

「……悲鳴?」

 

 聞き覚えの、あるような。



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第16話 そして『茜』は彼女と出会う

 入り口の部分だけを空けて手早くセーフハウスの壁を張る。それから忘れずに松明を壁につけ、俺は雨に濡れるのに構わず外へ飛び出した。

 辺りを見渡す。薄暗い森が広がるばかりで何も見えない。

 

「どこから聞こえた……!?」

 

 言い様のない焦燥感に駆られていた。

 急がなければ取り返しのつかないことになる。

 聞こえた悲鳴が本物なのか幻聴なのかも定かでないのに、無性にそう感じずにはいられなかった。

 激しい雑音を立てて降りしきる雨に打たれながら、俺は目を閉じた。

 雨粒が体を伝っていくのがよく分かる。濡れた布鎧がぴったりと肌に張り付き、靴はもう歩くたびに泡立つような音を鳴らすことだろう。

 だが、そんなことが気にならないくらいに意識を研ぎ澄ませる。自分自身の存在さえ忘れ、世界の空気に溶け込んでいくような錯覚さえ感じた、その時。

 

「――あっちだ!」

 

 雨の中、とある方向から何かが聞こえた。いや、聞こえたというより騒々しい気配がすると言った方が正しいだろう。弾かれたように俺の体は動き出していた。

 乱雑に松明を辺りに設置しながら走る、走る、走る。濡れた草や僅かな地面の起伏に足を取られそうになり、肺は酸素を求め、耳元で鳴っていそうな程心臓が脈打ち、喉元に血の味がこみ上げてきて、それでも走った。

 いつも警戒しながらゆっくり進んでいるのとは全く逆だった。目的地に辿り着くことしか考えておらず、それ以外に対する注意を一切払っていない。普段の俺ならば、まずしないことだった。

 自分が何故こうも焦っているのか理解出来ぬまま走り続ける。随分長く走った気がしたが実際には大した距離では無かっただろう。

 やがて俺は、前方に影が見えることに気がついた。

 モンスターだ。それも何体もいる。

 

(ゾンビ、スケルトン、クモがそれぞれ1か!)

 

 大雨の中とはいえ、水溜まりの広がる地面を力強く踏みながら走ってきた俺に奴らは気がついていないようだった。

 いや、気がつかないというよりは別の何かに気を取られている。

 それが何なのか――考えるまでもない。

 

 

「いやっ、来ないで!」

 

 

 そんなの、悲鳴の主に決まっている。

 今度ははっきり聞こえた。女の子の声だ。酷く怯えている。薄暗いせいか姿はよく見えないが、絶体絶命の危機に陥っているのは一目瞭然だ。

 敵の注意をこちらに引きつけると共に気合を入れるため、声を張り上げた。

 

「こんっのぉぉぉ!」

 

 松明を鉄の剣に切り替え、走ってきた勢いで跳びながら斬りかかる。目標はスケルトンだ。この中で最も脅威度が高く、何より弓を引き絞っているのが見えたからだ。こいつらを全滅させるにしても逃げるにしても、スケルトンは最初に倒しておかなければならない。

 

「せいっやぁ!」

 

 派手に乱入したことでモンスター達の標的が俺に映ったのを肌で感じる。攻撃を食らったスケルトンも若干吹き飛ばされつつもすぐさまこちらに弓を向けてきた。

 だが、その矢は放たせない。俺は着地するや否や、スキップをするかのように再び跳びはねてスケルトンを斬りつける。スケルトンは矢を放つことなく消滅した。

 この世界のモンスターの体力がゲームの時と同様なのは既に分かっている。だから鉄の剣の場合、初撃でクリティカルを当ててもスケルトンの体力は残り10、普通に斬りつけたのでは3撃目が必要になってしまう。

 だからもう1度クリティカルを狙った。かなり無茶な動きであり、試したのも初めてだ。ここまで全力疾走してきたせいもあって体中が重い。そのまま咳き込んで倒れ込んでしまいたい。

 しかし、敵はまだ残っているのだ。歯を食い縛りつつ、そのまま回転するように鉄の剣を背後に振り抜いた。ちょうど飛びかかってきていたクモにその斬撃は当たる。が、倒すには至らず、俺はそのまま体当たりを受けて押し倒された。クモの重量と衝撃で地面に勢いよくぶつかる。

 

「く、はっ」

 

 意識が遠のきそうになるも引き留めつつ、反撃に移る。クモの腹を剣で突き刺し、そこからさらに強引に斬り抜いた。2撃当てた扱いになってくれたようでクモが落ちる。

 これで後はゾンビだけ。疲弊しているとはいえ、1対1なら何とかなる相手だ。

 呻き声を上げながらこちらに寄ってくるゾンビを前によろめきながらも立つ。腕を伸ばしてきたのを一閃して押し返し、怯んだところにすかさずもう2撃を食らわせた。ゲームだったらクリック連打しているようなものだった。断末魔を残してゾンビは倒れ、そのまま消えていく。

 今のところ増援はいないようだ。

 

「ふぅー……」

 

 息を長く吐き、荒い呼吸を落ち着かせる。火照った体が雨で冷えていく。

 ここまで激しく動いたのはこの世界に来てから初めてだ。次点でクリーパーの爆破が直撃しそうになった時か。あの時は一瞬だったが、こっちは走ってきてからの戦闘だから運動量が違う。こういう時、アニメやゲームとかのド派手で激しい戦闘を行なっているキャラ達の体力はつくづく人間離れしていると思う。

 さて、だ。モンスターは倒したものの、肝心の悲鳴を上げた人はどうなっているのだろう。間に合ったとは思うが怪我してるかもしれないし、他のモンスターが寄ってくることも考えられる。手遅れになったらここまで頑張った甲斐がない。早く助けないと。

 そう思って辺りを見渡す。すぐに見つかった。近くの木の根元で座り込んでいる。

 俺は大丈夫か、と声をかけようとして――息を呑んだ。

 

「――え」

 

 初日に水面で自分の姿を見た時と同様の衝撃が走った。

 清涼感のある水色の髪と白を基調にした服を除けば琴葉茜によく似たその少女。

 ああ、そりゃあ聞き覚えがあるはずだ。

 琴葉茜のことを知っていて、彼女のことを知らないという人は居まい。

 

 ――琴葉葵。

 

 琴葉茜と対になる双子の妹。彼女が呆然とした様子でこちらを見ていた。

 

「あー……災難やったなぁ、大丈夫か?」

 

 とりあえず無難に安否を確認してみる。村人と話していた時の癖か、茜を真似た口調になる。一瞬驚いたものの、考えてみれば彼女はあくまで琴葉葵の姿をした『誰か』であろう。

 そもそもどうしてこの世界に来て今の姿になっているかは定かでないのだ。何も想像上の人物の姿になるのが俺だけとは限らない。別人の姿になっていたかは分からないが、クラフターだってこの世界には過去に何人もいたのだ。そういうことだってあるだろう。

 俺はそう推測し――

 

 

「……お姉、ちゃん」 

 

 

 直後に、それが大外れであることを確信した。

 この子、本物だ。『琴葉葵』じゃない、琴葉葵だ。

 理屈ではない。だが『茜』ではなく茜に向けられた親愛が、彼女の眼差しやたった一言から不思議と伝わってきた。徒に言葉を積み重ねずとも感情を乗せることは出来るということを、俺は初めて理解したような気がした。

 どういう、ことなのだろう。俺は今まで考えても仕方が無いこととして、自分が何者なのかについてはさほど気にしてこなかった。せいぜいいわゆる異世界転生か何かかと思ったくらいだ。

 だが、本物の琴葉葵がいるというのなら、それは本物の琴葉茜が居たっておかしくないということだ。現に目の前の彼女は俺を姉本人であると認識している。俺の今の体は琴葉茜本人のものということになるのか? つまりは俺は転生したのではなく、琴葉茜に憑依したのか。

 でも、もしもそうなのだとしたら。本物の茜は、琴葉茜は一体どこへ行ったんだ。俺の体が琴葉茜になっただけで本物は別に居るだとか、そもそも目の前の葵も本人じゃないだとか。都合の良い考えが脳裏に浮かんでは儚く消えていき、代わりに最悪の可能性がどんどん鎌首をもたげていく。

 まさか、もしかして。

 

 

 俺の人格が入ったせいで茜自身の人格が消えた、なんてことは。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 衝撃が走り、ハッと我に返った。

 葵だった。震えながら()に抱きついている。

 離したら消えてしまうのではないか。そう思っているかのように力強かった。

 

「怖かった! 不安だった! 寂しかった、う、うわあぁぁぁんっ!」

 

 泣きじゃくる葵に、俺はどうすればいいのか分からなかった。

 俺が本当の姉ではないとはとても言えず、かといって本物として振る舞うべきではないという思いもあり。

 それでも気がつけば彼女のことを抱き返し、あやしていた。

 

「そっかそっか、怖かったなぁ。不安だったなぁ。寂しかったなぁ」

 

 雨の降りしきる中、嗚咽を漏らす葵の背中をそっとさする。

 そうするうちにひとしきり泣いたことと安堵とで気が抜けたのか。急に静かになったと思ったら、彼女はすっかり寝てしまっていた。

 見れば服には擦り切れがあるし、手足にも傷がついている。どれくらいかは分からないが、気の休まることもなくずっと彷徨っていたのだろう。それだけ疲れていたのだろうが、この雨の中で寝れるってちょっとすごいと思ってしまった。

 それはさておき、そろそろ移動するか。いつモンスターが寄ってくるとも分からないし、セーフハウスに戻ろう。さすがに今の状態で葵を守りながら戦うのはキツい。

 寝ながらも相変わらず()を強く抱きしめている葵を抱えて立ち上がる。人一人分の重さはちゃんとあるが軽いな。琴葉姉妹の体重なんて知らないし、重いと思ってたわけでもないが。

 葵の温もりを感じながら、ここまでに置いてきた松明だけを頼りに雨降り荒ぶ薄闇の森を歩いていく。時折竜のような電光が雷雲に煌めき、轟いては空気を震わせていた。

 やがてセーフハウスに辿り着いた。ちらと中を覗いて敵がいないことを確認してからドアを取り付ける。屋根の下に入り、雷雨の音以外は物静かになる。

 さすがにここから拠点に戻るのは危険だろう。もう暗くなってきたし、今日はここで一晩過ごすか。

 

「う、ううん……」

 

 抱きかかえていた葵が身動ぎした。

 まだ寝てはいるが魘されているようで苦しそうな表情をしている。

 

「安心しぃ、ウチが傍に居たるから」

 

 そう言って頭を撫でる。心なしか彼女の顔が和らいだ気がした。

 ……何をしているんだろうな、俺は。

 もしかしたら茜を奪ってしまったかもしれない身で姉の真似事なんて。

 この雷雨がいつになったら止むのか、葵が目覚めたらどう状況を説明したものか。

 そんなことを考えつつも、自己嫌悪せずにはいられなかった。



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第17話 雷雨の夜が明けて

 警戒のために半分起きて、休息のために半分寝ているような。

 そんなうつらうつらした状態でいるうちに朝になっていた。

 扉のガラス窓からは明かりが射し込んでいて、あれほど降っていた雨の音もしない。

 幸いなことに襲撃はなく、天気も落ち着いてくれたようだった。

 

「ん……」

 

 途中からは膝枕していた葵が寝息を漏らした。

 昨晩に比べるといくらか顔色も良くなっているように思う。

 その可愛らしい寝顔を見ているといささか申し訳ない気もするが、このままずっとこうしているわけにもいかない。

 

「葵、朝やで」

 

 声をかけて軽く揺すると僅かに身動ぎした後、彼女はゆっくりと瞼を開いた。

 ぼんやりしており、まだ周囲の状況が頭に入っていかない様子だ。

 きょろきょろと視線を彷徨わせている。

 

「あれ、お姉ちゃん……?」

「ここにいるで」

 

 葵に声をかけるとこちらを向いた。

 しばし見つめ合う形となる。姉とお揃いの透き通った赤い瞳がとても綺麗だ。

 葵はやがて安心したように、再び俺の膝にぽすっと頭を乗せた。

 

「って、ああああ!」

 

 ものの、その直後には弾かれたように体を起こした。

 完全に目が覚めたみたいだ。

 

「おはようさん」

「え、あ、おはよう。ってそうじゃなくて!」

 

 俺が声をかけると一瞬我に返ったようになるが、すぐにまた慌て始めた。

 正直、見ていて楽しい。このまま眺めていたい気もする。が、それは可哀想だろう。

 落ち着かせなければなるまい。

 

「葵、こういう時はどうどう、ヒッヒッフーや」

「混ざってるよそれ! それに私は馬でも出産中の妊婦でも無いから!?」

「んー間違ったかなぁ?」

 

 とぼけてみたものの、内心キレの良いツッコミが返ってきて感動している。

 ふむ、葵ちゃんはツッコミ芸人の素質有りと。いや、彼女からしたら別にそんなことで評価されても嬉しくないだろうか。

 でも今の会話には気持ちを落ち着かせる効果があったらしい。

 

「すぅ、はぁ……えっと、お姉ちゃん」

 

 一旦深呼吸をした後、葵は話しかけてきた。

 

「今の状況がどうなってるかって分かる?」

「んー簡単に言えば遭難中やなぁ」

「そう、なんだ。……今のは違うからね!」

 

 顔を真っ赤にした葵に、自分でも分かるほど口角が上がる。

 定番ネタではあるが、やっぱり可愛い子がやると違うよな。

 見た目が相手への印象の大半を占めるというのは厳然たる事実だ。

 例えばもしもこれが俺の元の姿だったとしたら……うん、相変わらず全然思い出せないけど、まず無いだろうな。そんな気がする。

 

「ふふっ」

「あっ、笑った! もう、話進めるよ!」

 

 堪えきれずに笑い声が漏れ出た。

 葵はそれを咎めようとしたものの、言えば言う程ドツボに嵌まると思ったか。

 諦めて流すことにしたようだ。

 

「私たち、確か古本屋さんで何か面白そうなのがないか探してたよね? そうしたら急に景色がおかしくなって、いつの間にかこの森にいたのが一週間前」

「え? ウチ、1ヶ月くらい前にだだっ広い平原で寝てたんやけど」

「そうなの!?」

 

 葵はまず記憶を辿って状況を整理しようとしたようだが、既に食い違いが発生してしまった。

 もちろんそれは当たり前だ。俺は茜本人ではないのだから、共通する記憶なんてあるわけがない。

 

「それに、葵。1つ言っておかへんといかんことがあるんよ」

「え、何?」

 

 そして俺はそのことを言わなければならない。

 彼女は驚くだろう。悲しむかもしれない。あるいは姉を返せと怒るだろうか。

 本物の茜として振る舞うのは無理だ。全く知らない人物の真似なんかが出来るわけがない。絶対に齟齬が出てくる。

 初めから正直に話すべきだ。

 俺は、琴葉茜じゃなくて。本当は……。

 

「…………」

「……お姉ちゃん?」

 

 言葉が、出てこない。

 本当のことを言って、彼女に拒絶されるのではないか。その恐怖が鋭利なナイフのように喉元に突き刺さって、言葉を堰き止めている。

 葵は急に黙った()を訝しんでいるようだ。まずい、何か言わなければ。

 代わりに出てきたのは、まるっきりの出任せでも、さりとて全く正しいというわけでもない台詞だった。

 

「ウチ、ウチな。どうやら記憶喪失みたいなんや」

「え……ええっ!?」

 

 嘘は真実の中に混ぜ込む、あるいは嘘はつかないが全てを語らない。

 使い古され、よく語られる効果的な手法だ。

 俺が茜本人ではないこと、もしかしたら茜の人格を追い出してしまった可能性など、本当に重要なことを省きながら語る。

 ……ろくでなしだ。反吐が出る。

 

「日本で暮らしとったこととか、葵のお姉ちゃんだったこととかは覚えとるんよ。でもそれ以外の、色んなことが思い出せないんや。具体的にどう生活しとったかとか、葵以外の人のことも皆」

「そ、そんな……」

 

 案の定、葵はかなりショックを受けた様子だった。

 それはそうだろう。肉親が記憶喪失になったなんて、大切な思い出の数々が失われたことが悲しくないはずがない。

 しかも琴葉姉妹と言えば、大抵は相手がほぼ半身かのような絆の持ち主だ。例外もあるが、中には姉妹という一線を越えた創作だってたくさんあった。それは行き過ぎかもしれないが、公式設定において彼女達が仲の良い姉妹であるのは確かだ。

 目の前の彼女と本物の茜の関係性を俺は知らないが、少なくともいがみ合ったり希薄だったりする関係では無いだろう。むしろ一緒に出かけることもある、一緒に居ると安心出来る、物心ついた時からの家族。

 それを、俺は。

 

「ごめんな……」

「う、ううん!」

 

 申し訳無さと罪悪感とがこみ上げてきて、ぽつりと謝罪が出てくる。

 それを聞いた葵は思い直したように首を振った。

 

「確かにお姉ちゃんが記憶喪失っていうのは驚いたけど、それでもお姉ちゃんは昨日私を助けてくれたよ」

 

 そう言って彼女は俺の手を握り、努めて安心させるかのように微笑んだ。

 とても温かい手だった。

 

「だから私にとってお姉ちゃんはお姉ちゃんなの。そう気にしないで」

 

 目頭が熱くなり、涙が零れそうになる。

 それを誤魔化そうとどうにか笑みを作って、顔を見られないように葵を抱きしめた。

 

「ひゃっ!?」

「ふ、ふふ。葵は、ええ子やな。……ありがとうな」

 

 葵は何やらあたふたしているようだったが、俺はそれを気にするどころではなかった。

 ああ、まるっきり昨日の夜とは逆だな。昨日は茜が葵を受け止めて、今は葵が茜を受け止めている。

 ほんとに、ほんとに良い子だと思う。

 全く、俺も元はいい年した大人のはずなのになぁ。

 

「ど、どういたしまして」

 

 俺が離れると彼女はほっとしたようなそうでもないような、複雑な感じでそう言った。

 少し顔を赤らめて、また若干挙動不審になっている。

 あれ? こんな状況、ついこの間どこかで……ああ、村の門番! でもあの時とは大違いだな! そう思うと不思議と気分が落ち着く。ありがとう門番さん。

 2人して落ち着いたところで話を戻す。

 

「まあとにかく。経緯は分からないけど、私達が遭難中というのは確かなんだよね。それに信じがたいけど、夜になると出てくる怪物からしてここは日本じゃないどころか異世界である可能性が高い」

「せやな」

 

 俺が首肯すると葵は難しい表情をした。

 それから深いため息をついた。

 

「これからどうすればいいんだろうね。食べ物もリンゴくらいしか見かけないし、森も抜けられないし……」

 

 あのリンゴの木の様子は葵が採ったからだったのか。なるほどな。見つけにくいリンゴの木が近くにあるとは運がいい。いや、そもそもこんな事態に巻き込まれているのだからむしろ不運なのか? こういうのは不幸中の幸いと言うべきか。

 それはそうと葵はどうやらお腹が空いているらしい。当たり前か。食べるのがリンゴだけで、それをさらに節約しているんだろう。いくら小食だったとしても到底必要な食事量には足りない。

 

「お腹空いとるんか。なら、これ食うか?」

 

 俺はインベントリから焼き鶏を取り出すと葵に差し出した。

 持ち歩いてて良かった。ゲームの時と同様、インベントリには常にツールとか食料とかを入れているからな。

 いざ何か不測の事態が起きた時の備えが功を奏して良かった。

 

「あ、ありがとう。お姉ちゃ……」

「……ん? どうしたんや葵?」

 

 ところが葵は焼き鶏を受け取ろうとしたところで、突然ピタリと固まってしまった。

 手を伸ばしたまま、凝視している。

 虫か汚れでもついてたかと焼き鶏を見てみるが、特に異常は無い。

 

「葵ー?」

「今の、どこから取り出したの?」

 

 俺が声をかけると葵はわけが分からないという口調でそう言った。

 

「何って、そりゃあインベントリか、ら……」

 

 そこまで答えを返して、気がついた。

 もしかして、葵はクラフターの能力に気づいていない?

 村での話によれば、別の世界からこの世界に来た存在にはクラフターの力が与えられるはずなのだが。

 まあ俺が気がついたのも偶然だったしな。きっかけも無しに気づくのは難しいだろう。

 

「葵、ちょっと物をしまうイメージしてみ」

「え、え?」

 

 相変わらず固まったままの葵に焼き鶏を持たせながらそう言ってみる。

 葵は言われるがままに試してみたようで、焼き鶏が手から忽然と消える。

 無事格納されたようだ。でも葵はまだ理解が追いついていないようだった。

 

「葵、もう1つ教えんといかんことがあったわ」

 

 はたして琴葉姉妹の世界にあるかどうか分からないが、もしもあるというのならこれで通じるはずだ。知っていればだが。

 

「どうやらこの世界、マインクラフトに近いみたいなんよ」

「あの、ブロックを積み上げて家を作るゲーム?」

「ん」

 

 俺は頷いた。良かった、どうやらあるらしい。

 最初は混乱するだろうけど、だいぶ説明しやすくなる。

 そんなことを考えている俺を余所に葵はわなわなと震えていた。

 そして――

 

 

「……ええぇぇぇ!?」

 

 

 今朝、最大級の驚愕の声が上がったのだった。



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第18話 拠点に帰って

「わぁっわぁっ」

 

 どこかの人面草みたいな声を出しながら、葵が何度も手元のアイテムを入れ替えては戻している。

 ひとまず焼き鶏を食べてみた葵ではあったが、この世界にマインクラフトの仕様が適用されているということが信じられなかったらしい。そこで俺は簡単にクラフターの能力の使い方を教えると、インベントリにあったアイテムをいくつか渡して試してもらうことにした。

 それから彼女はずっとブロックを置いたり取ったり、アイテムを入れ替えたり使ったりしている。童心に返り目を輝かせているその様は、ちょっと大人びた雰囲気のあったさっきまでとは大違いだ。

 

「葵ーそろそろええかー?」

「……はっ! う、うん、確かにお姉ちゃんの言う通りみたいだね」

 

 俺が声をかけると葵は僅かに硬直した後、キリッとした表情になりそう言った。

 ちょっとだけ頬を染めているのは見ないふりをしてやろう。突っついたらまた話が脱線しそうだし。

 

「葵はどのくらいマインクラフトのことを知っとる?」

「うーん、悪いけどあんまり知らないんだよね。何回か動画を見たことがあるくらいかな。お洒落な建物とか風景とかのPVみたいな感じの」

 

 葵にマインクラフトに関してどのくらい知っているかを尋ねると、彼女は少し申し訳なさそうな様子でそう答えた。

 ふむ、葵はほとんど新規プレイヤーくらいの認識ってところか。

 

「なるほどなぁ、まあ問題ないで」

「そうなの?」

 

 俺が葵を安心させようと言うと、彼女は小首を傾げた。可愛い。

 見た目は()とそう変わらないのに所作でこうも女の子らしさに差が出てくるとは。

 やっぱり中身が違う。

 

「せや。マインクラフトは基本的に高度な知識や腕前を要求されるゲームやないからな。それにこの世界はあくまでマインクラフトに似ているだけや」

「ということは、ゲームとは色々と違うんだ」

 

 今まで散々体感してきたことだが、なまじゲームのことを知っていると現実らしくなってる部分で混乱したり痛い目に遭ったりするからな。

 ゲームの知識に引っ張られるより安全だろう。

 

「さっき葵が試していたことくらいが出来れば、とりあえずは問題ないと思うで。知ってないと多分出来ないことはウチが教えたるし。まあウチも全部分かっとるわけやないけど」

「ううん、とてもありがたいよ。ありがとう、お姉ちゃん」

 

 そう葵に微笑まれて、少しドキッとする。

 ……さっきからどうにもいちいち葵ちゃんが可愛くてしょうがないな。一挙手一投足に振り回されている感じだ。

 これも茜ちゃんボディに精神が引っ張られているのだろうか? いやいや、さすがにこれは俺の側の問題だろう。元の茜ちゃんがどうなのかは知らないけど、普通に考えたら彼女が葵に対して抱いているのは姉妹愛の範疇だろう、多分。だよな?

 それにしても確かに彼女が美少女ではあることは間違いないし好みのタイプであるとはいえ、俺の反応はまさしくモテない男のそれだ。というか、ぶっちゃけアレだよな。

 そう思うと途端に気分が沈んできて……。

 

「はぁ……ウチって本当に……」

「えぇっ!? なんでそんなに落ち込んでるの!?」

 

 いかん、溜息が出てしまった。

 慌てる葵を何でもないと落ち着かせてから話を進める。

 

「ともかくこの世界ではマインクラフトみたいなことが起きるってのは分かったと思う。それでこれからどうするかなんやけど、ひとまずウチの作った拠点に行かんか? ちょっと歩くことにはなるけど」

「拠点? ここは違うの?」

 

 俺は頷いた。

 

「せや。さっき平原で目が覚めたって言ったやろ? この森をあっちの方角に行くとその平原に出てな。そこに拠点建てたんよ」

「分かった、それじゃ早速行こう」

 

 葵はワンピースの裾を軽く払うと立ち上がった。

 水色の髪がふわりと揺れる。

 

「動いて大丈夫なん?」

「平気だよ。確かに昨日はちょっと転んじゃったけど、特に怪我になったわけでもないし」

 

 そう言う彼女からは確かに具合の悪そうな様子は見受けられなかった。

 実際には転んだ分のダメージは入ったんじゃないかと思うが、多分自然回復したんだろう。クラフターの身体能力様々である。

 

「ならええんやけど。ほな、行くか」

 

 2人で連れ立ってセーフハウスを出る。

 それから元来た道、拠点の方へと森を歩き始めた。

 敵を警戒していることもあって口数も少なかったが、ふと葵が言った。

 

「それにしてもお姉ちゃんはよくこの世界がマインクラフトに似ているってことに気がついたね」

「ま、まあな。これくらいお手のもんや」

 

 感心した風の葵に、俺は内心の汗を隠して胸を張った。

 虚勢? 何のことやら?

 初日に穴に落っこちてずぶ濡れになった挙げ句、半泣きで壁を叩いたらアイテム化したなんて話は、知らない。

 

 

「着いたで」

 

 森を抜けて無事に拠点に到着した。

 慣れ親しんだ、と言える程にはまだ住んでいないが家に帰ってくると少しほっとするな。やはり帰る場所があるっていうのは安心する。

 

「お、お邪魔します?」

「ただいま、っていうのも初回だと何か変やしなぁ」

 

 俺が玄関のドアを開けて入ると、葵もおっかなびっくりといった様子で続く。

 その様子に少し頬が緩むのを感じながら俺は葵に席を勧めた。

 

「待っててな、今飲み物出すわ」

「ありがとうお姉ちゃん。へぇ、冷蔵庫とかなんてあるんだ」

「元々のマインクラフトには無いんやけど、どうも色々追加されてるみたいでな」

 

 村でもらった茶葉を取り出している間、周りを見回した葵が呟いた。

 それじゃオーブンに茶葉を入れて、石炭をセットしてと。

 

「えっ」

 

 後ろで葵が何かに驚くような声を出した。ふむ、変な物なんて置いてあったかな?

 さほど待たずしてお茶が出来上がる。Pam’sModsでteaとして追加される飲み物で、外国におけるお茶ということもあってか中身は紅茶だ。緑茶も和風系のMODで導入されているようだが残念ながら今は素材が無くて作れない。

 

「淹れたで葵ー……葵?」

「なっなっ、なんでオーブンでお茶が!? それにカップも水もどこから出たの!?」

「さあなーウチにも分からへん」

 

 葵はどこからカップや水が出てきたのか理解に苦しんでいるようだった。

 ああ、そういうことか。

 もう全く気にしていなかったが、不思議と言われればその通りではある。

 

「もう、魔法同然だね」

「魔法自体はこの世界には無いみたいなんやけどね。ちなみに料理も一瞬で作れるで。せや、ついでやしお昼も食べよか。時間的にはブランチやけど」

 

 朝目覚めて森から帰ってきて、太陽の位置からして今の時刻は多分10時を回ったくらいだろう。

 すっかり数時間歩くくらいは何とも思わなくなったな。元の世界じゃ無かったことだ。

 

「ちょ、ちょっと試してみていい?」

「ええで」

 

 少し興味を持った様子の葵に頷く。実際に自分で試してみた方が実感が湧くだろう。

 見た目よりも収納出来る冷蔵庫にも驚きながら、葵は食材を取り出した。そのまま調理台でクラフトするとあっという間に料理が出来上がる。肉野菜炒めにスープだ。

 

「うーん、あっけないなぁ」

「葵は料理好きやったか。まあ、作ろうと思えば普通に作れるとは思うで」

 

 葵はどうもしっくりこないというか、残念そうにしている。

 そりゃあ料理を作るのが好きな人にとっては楽しみが減るだろうな。

 一応クラフトに頼らずとも調理道具はちゃんとあるし、その気になれば通常の調理も出来るだろう。

 

「まま、何はともあれ食べよか」

「そうだね。それじゃあいただきます」

 

 料理を机に置くと席に着いて、2人で手を合わせる。

 思えば、この世界に来てから初めて誰かと一緒にご飯を食べるんだなぁ。

 村では料理は宿代わりの家に持ってきてもらったし。

 それにクラフトで一瞬で出来上がったとはいえ、これって葵ちゃんの手料理ってことになるよな。

 葵ちゃんが作ってくれた手料理を一緒に食べる、か。

 なんて贅沢なシチュエーションだと内心の感動を隠しながら一口。

 とは言ってもクラフトで作る料理の味は……。

 

「う、美味すぎる!?」

 

 俺は思わずガタリと音をさせながら席を立った。急な俺の動きに葵がびっくりしている。

 一昨日の夜、そして昨日の朝に俺がクラフトしたのとは明らかに味が違った。塩加減に、風味に……いや、味だけじゃない。野菜のカットとか肉の焼け具合からして別物だ。材料に大きな差は無いだろうし、手順も一緒のはず。後は作った人が違うくらいのはずだが。

 あ、そうか。もしかして料理のクラフトって作成者の料理の腕前が反映されるのか?

 だとしたら村で振る舞ってもらった料理と俺の料理とで味が違ったのも納得だ。

 記憶は無いけど自分のことだ、何となく察しはつく。食えればいいやみたいな感じで適当に料理してたか、あるいは弁当や外食で済ませてたんだろう。そりゃあ微妙な味になるわけだ。

 それはそうと、1つ大事なことがある。

 

「く、口に合ったようで何よりだよ……えっ?」

 

 俺は困惑する葵を余所にその手を取った。

 真っ直ぐに彼女の目を見つめる。

 

「葵」

「な、何?」

 

 そして、葵を助けた時を除けば恐らくこの世界に来てから一番真剣な気持ちになり、彼女に頼み込んだ。

 

「これから毎日ウチに料理を作ってぇな!」

「う、うんいいけど……っ!?」

 

 俺の気持ちが伝わったのだろうか、葵は頷いてくれた。

 良かった。彼女の料理を食べた後だと俺の雑な料理では満足出来ないからな。

 ウキウキと喜んでいた俺だが、ふと葵の様子がおかしいのに気づく。

 まるで思いがけずとんでもないことを言ってしまった、そんな感じだった。

 

「おお、ありがとうな! ……ん、どうしたんや葵? もしかして本当は迷惑やったか?」

「な、何でもない。ほら、冷めちゃうよ」

 

 声をかけてみたものの、彼女はそれっきり黙々と食事を再開し何も言わなかった。

 勢いで言ってしまったが、本当は迷惑だっただろうか。

 気にはなるが分からない。それに本当に俺の勘違いだったのなら、考えても仕方ないしな。

 まあ本人が何でもないと言っているのだから、それでいいか。

 そんなことを考えつつも、俺は葵の手料理に舌鼓を打つ。

 葵がその様子を時折見ては、何やら悶々としていたのにはついぞ気づかなかった。



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第19話 今までの説明と拠点の説明

「ごちそうさん。ほな、お腹も膨れたところでもう1回最初から順を追って話そうか」

 

 ご飯を食べ終えて一息ついたところで話を戻す。

 森のセーフハウスではいきなり認識のズレが出てきて、そのまま()が記憶喪失であること、この世界がマインクラフトに酷似していることなどの説明になってしまったからな。

 

「うん。とは言っても私の方はさっき話したくらいかな」

 

 葵によれば、彼女と茜はこの世界に来る前、古本屋にいたらしい。休日にはよく2人で外出するらしく、その日は葵の希望で本屋に行こうということになった。初めは何度か行ったことのある大きな本屋を目指していたものの、その途中にある小さな古本屋に試しに入ってみたのだという。

 

「今までもお店の前を通ったことはあったんだけどね。入ったことは無かったのを思い出したらちょっと興味が湧いたんだ」

 

 その古本屋は見た目のくたびれた雰囲気とは裏腹に、中は意外としっかり手入れされており、本の状態も悪くない感じだった。比較的最近の本もあれば、ちょっと年代の古そうな文庫本や画集、さらには知らない言語で書かれた本までが並んでいたという。

 思いがけない穴場だったとウキウキしながら、ふと題の無い、まるで大きな日記帳のような古ぼけた本を2人は見つけた。どんな内容なのかと思い、封もされていなかったので軽く表紙を開いてみた。

 すると一瞬、目眩を起こしたかのように視界が暗転して……。

 

「それで気がついたら、もう森の中にいたんだよ」

 

 見覚えのない場所にいて、一緒にいたはずの茜も居らず。最初は白昼夢か何かとも思ったが、どうも現実であることが分かって彼女は途方に暮れた。幸いにもリンゴの木を見つけて飢えこそ凌いだものの状況を打破する方法は思いつかず、それどころか夜になれば怪物まで出てくる始末。

 1週間の間、当て処もなく森を彷徨い、夜は怯えながら物陰に隠れて過ごし。しかし、雷雨に驚いた拍子に怪物に見つかってしまい、いよいよ後が無くなった。

 

「それでもう駄目だって思ったところで助けられたんだ。改めてありがとうね、お姉ちゃん」

「ん、姉が妹を助けるなんて当たり前やろ。気にせんといて」

 

 微笑んで礼を言う葵が少し眩しく見える。

 若干頬が赤くなるのを自覚しつつ、それを誤魔化そうと素っ気なく返した。

 

「しかし、話聞く限りじゃどう考えてもその本が怪しいな」

「だよね。結局内容も確認出来てないから何の手がかりらしい手がかりも無いんだけど……」

「まあ、それはしゃあないやろ。しかし、世界を越える力を持った本なぁ」

 

 深い溜息をついた葵を慰めつつ、話を聞いた俺は引っかかる物を感じていた。

 古ぼけた本、世界を越える、マインクラフトにも関わりがある。この3つのキーワードが当てはまる物を俺は知っている。

 その様子を見て取ったのか、葵が尋ねてきた。

 

「お姉ちゃん、何か心当たりがあるの?」

「1つだけ。ウチの知ってる限りじゃ、多分MystCraftってMODが当てはまると思うんやけど」

 

 ――MystCraft。これは1993年に発売され、世界的な人気を博したアドベンチャーゲーム『MYST』をモチーフとしたMODである。

 このMODでは時代の書と呼ばれる本が追加され、この本を使用することで別の世界、すなわち別ディメンションを生成し、転移することが出来るようになる。基本的には通常世界が少し変化したようなディメンションを生成するだけだが、世界を構成する要素を決定するシンボルを収集し、記述した本を使用することである程度好みの世界を作ることが出来るのだ。自然な豊かな世界からサイケデリックな感じの世界まで、ネザーやジ・エンドに似た雰囲気の世界だって作れる。もっともネザーやジ・エンドそのままの世界を作ることは出来ないのだが。

 ただし不安定指数という要素があり、あまりに欲張った構成にすると生活どころか活動すら困難な世界が出来上がってしまうので注意が必要だ。極端な例ではあるがダイヤモンドや金がたくさん生成される世界を作ろうとするとこの不安定指数が急増して、隕石がたくさん降ってきたり突然空間が爆発したり、挙げ句の果てには崩壊因子というブロックが世界を侵食し始めるなどの危険もある。

 またそれとは別に元の世界に戻るための手段を準備しておかないと帰れなくなり、最悪詰みの状況に陥ることもある。そうなったらゲーム内でコマンドを入力するなり、何かしらのチートMODに頼る他にない。まあ仕様をしっかり理解して遊ぶ分には楽しいMODではあるのだが。

 

「それじゃあそのMODのアイテムがあれば……」

「そこが問題なんや。村で貰うたレシピブックに載ってなかったんよな」

 

 少し期待を見せる葵に、しかし俺は首を横に振った。

 俺は村で受け取ってから何回かレシピブックに目を通した。これにはバニラのアイテムだけでなく、他のMODのアイテムも載っている。そしてそれは通常のクラフトではなく、ブロックを設置したり専用のツールを使用したりするものも同様で、レシピは載っていなくてもアイテムだけは載っているのだ。

 実際、MCヘリコプターや家具系MOD、和風系MODなんかは仕様が変わっている部分もあったが、それでも必要なレシピやアイテム自体はちゃんと記述されていた。だからこの世界にMystCraftのアイテムがあれば載っていると思うのだが、無いということはこの世界には適用されていないということなのだろうか。

 

「それにゲームのままの仕様やと日本に帰るのには使えへん」

 

 もう1つ重要なのは、MystCraftの時代の書は新たに世界を生成して移動出来るようになる本であり、既に存在する世界に繋がるようには出来ていないということだ。未接続の接続書という本を使えば、使用した地点を記憶させることは出来るが、つまりそれは今回の場合、日本で使わなければいけないということになる。そしてそれが出来るのであれば、わざわざ用意する必要もないわけで。

 これがMystCraftではなく原作の『MYST』に出てくる記述書であれば多少話は違ったのだが。俺も『MYST』をプレイした記憶がないので曖昧な情報しかないが、MystCraftでは時代の書と呼ばれることの方が多い記述書は、原作においては無限に存在する並行世界から限りなく記述に近い世界に繋がるという代物らしい。もっとも原作の記述書は特殊な技術で作られており、独自の文字やインクで詳細に記述しなければならないらしく、どのみちハードルが高いのに変わりはない。

 

「まあ当面はここで何とか生きていけるようにして、それから色々探してみるしかないやろうな」

「そっか……」

 

 葵は肩を落として落胆したようだった。

 朗報を伝えられずに心苦しいが、期待を持たせるような嘘をつく方が裏切りになるだろう。

 今は考えても仕方がない。仕切り直すように俺は努めて口調を変えつつ、口を開いた。

 

「じゃあ、次のウチの番やな。ウチは1ヶ月くらい前にこの家が建ってる平原の、向こうの方で目が覚めて……」

 

 俺は今までのことを思い出しながら葵に話した。

 平原で目が覚めたこと、クラフターの能力に気がついたこと、探索をしたり拠点を作ったりしたこと、村を見つけて交流したこと等々。他にもこの世界で生活していて気がついたことも。ちなみに格好悪い部分は省いた。

 

「とまあこんなところやな」

「お姉ちゃん、結構逞しく冒険してたんだね」

「クラフターの能力のおかげやで、ほんま様々や」

 

 ふんふんと頷いていた葵の言葉にそう返す。

 実際、この能力が無かったら初日の段階で死んでいたことだろう。穴から出られずそのままか、よしんば這い上れたとしても夜になってからモンスターに襲われていたか。そう考えると葵が1週間生き残っていたのってすごいことだと思う。

 

「とりあえずここなら衣食住も確保出来とるし、夜も安全や。2階には空き部屋があるし、葵の部屋にしたらええんちゃうかと思うとるんやけど、どないする?」

 

 ともかく話が一段落したところで、俺は葵に提案する。

 元々はメイドさん用に用意していた空き部屋があるからな。もし今後メイドさん雇っても、もう1部屋なら増やせる空きスペースもあるし。

 彼女は頷いた。

 

「ありがとう。これからよろしくね、お姉ちゃん」

「ほな、ここに何があるか説明しよか」

 

 それから俺は葵と共にこの拠点を回って色々と説明することにした。

 とはいっても家のどこに何があるかとか、畑や牧場のことぐらいかな。

 

「えーっと、まず今いるこの場所がリビング兼ダイニングキッチンやな。それで後ろの扉が裏口で、そっちの扉2つがそれぞれトイレと洗面所にお風呂」

「お風呂!」

「がある、で」

 

 お風呂という言葉が出た瞬間、葵は食い気味にガタッと反応したものの、すぐ顔を赤くして大人しく座り直した。元気な様子にちょっと忘れてたけど、考えてみればここ1週間、ろくに落ち着けないサバイバル状態だったんだよな、葵。昨晩やっとぐっすり寝れた感じか? そりゃあ女の子じゃなくてもお風呂恋しくなるか。

 

「あー……先に風呂入るか? 着替えはウチのなら入るやろ。まだ貰うてから使ってないのあるし」

「う、うん。お願い」

 

 そんなわけで葵を風呂に案内すると、俺は2階の自室から着替えを持ってきた。こういう時、双子だと体格も一緒で便利だな。いやまあ、双子だからといって必ずしもそうなるとは限らないだろうけど。

 洗面所に着替えを置く時、お風呂からは葵の鼻歌が聞こえてきた。相当上機嫌な様子だったので、声をかけずにそっと置いてリビングに戻る。留まってお風呂模様を窺うなんてことはもちろんしない。ギャルゲーとか18禁とかの性欲持て余してる主人公じゃないんだから。

 というかせいぜい鼻歌歌ってて可愛いくらいにしか感じないな。体も特に反応しなかったし。いや、するようなものも今はついてないが。

 

「良いお湯だったよ」

 

 やがて少し火照った様子の葵が風呂から上がってきた。村で貰った普段着は何となく民族調だけど色は地味な感じだ。でも彼女が来ているとなかなか様になってお洒落に見える。

 

「おっなかなか、可愛いやん」

「そ、そうかな。って見た目だったらお姉ちゃんだって変わらないでしょ」

 

 そうだった。

 さて、葵がさっぱりしたところで拠点の説明に戻るとするか。

 

「こっちの廊下右手にあるのが作業場兼倉庫や。作業場言うても作業台あるくらいでほとんどはチェストしか置いてへんけど」

「うんうん」

 

 まずは家の中から説明しよう。そんな複雑な構造でもないからすぐに終わるけど。

 

「で、こっちが階段で2階に上がれる。曲がってすぐがウチの部屋で、こっちが葵の部屋になるな。後で色々置こうな。それからこっちがエンチャント部屋とか何か部屋を増築出来る空きスペースや」

「あっ、こっちはちょっとしたベランダになってるんだね。へぇ、ちょうど玄関の上なんだ」

 

 ベランダはとりあえずスペースが空いてたから作ってみただけの場所だ。

 あまり広くないから外を見渡すくらいの場所にしかならないけど。ああ、でも椅子と机くらいなら置けるか。外の風を感じながらゆったりする場所にするにはいいかもしれないな。

 

「それから外に出て、こっちが畑、あっちが牧場、ほんでこっちが採掘場の入り口やな」

 

 一旦1階に降り、外に出る。

 畑はまだ小麦が植えてあるくらいで野菜の栽培はまだ始めていない。多分葵に教えがてら植えることになるだろう。例によって水源と光さえあれば勝手にすくすくと育つ仕様だから大して教えることも無いのだが。

 

「牧場? どんな動物を飼ってるの?」

「ニワトリがほとんどで、後はウシとヒツジが何頭かいるくらいや。まあマインクラフト通りやね」

 

 そういえば今日はまだ餌遣りをしてないな。

 葵に教えるついでにやっておくか。

 

「せや葵、今のうちに教えとくけど餌を持っとる時は気ぃつけるんやで。奴らワーッて寄ってくるからな。柵があるから大丈夫やとは思うけど」

「そうなんだ」

 

 葵に小麦と種を渡しながら言うが、いまいちピンと来ない様子だ。

 まあすぐに意味が分かることだろう。

 俺は動物小屋の扉を開けた。案の定、ニワトリの鳴き声がうるさい。

 

「ほーら餌やでー」

 

 俺が種を放り込むとニワトリ共はまるで狂ったかのように殺到した。さながら1つの巨大な白い塊のようだ。

 羽やら砂やら辺りを舞う。すごくむず痒い。後ろでは葵がくしゅっとくしゃみをしている。

 

「と、まあこんな感じや。ヒツジやウシはもうちっと大人しいから安心してや。ほら、やってみ」

「う、うん」

 

 葵の表情が引き攣っている。まあ、そうなるだろうな。

 ウシを飼育しているスペースに行く。葵が手に持った小麦の束をおずおずと差し出すと、それに気がついたウシが寄ってくる。ウシが小麦を銜えた一瞬、少し肩の跳ねた葵だったがウシが大人しく食べ始めたので安堵したようだった。

 ……何だかウシの態度が俺の時よりも大人しい気がするのは気のせいだろうか。いつも俺が餌を遣る時はもうちょっとぞんざいというか、ふてぶてしい感じなのだが。

 腑に落ちない物を感じながらもヒツジの方には俺が餌を遣る。いつも通りひったくるように手から取ってムシャムシャしている。うん、まあ気のせいか。

 そう思っていたらヒツジが葵にも小麦をせがみに行った。葵が束を差し出すとひったくるように……!?

 

「…………」

 

 ヒツジは葵が持ったままの小麦を大人しく食べている。さもお利口な動物に早変わりしたかのようだ。

 何が違うんだ。見た目は色が違うくらいで大して変わらないだろうが。あれか、中身か。動物は人の心を見抜くってのは本当なのか。

 黙りこくってその様子を眺めていた俺に葵が訝しげに問いかけてくる。

 

「お姉ちゃん?」

「何でもないで」

 

 とりあえず、これからは牧場の餌遣りは葵にやってもらうか。

 

 

 

 その夜。

 

「よし、これでだいたいええやろ。また配置とか変えたくなったら好きにすればええ」

「ありがとうお姉ちゃん」

 

 拠点のことを一通り説明してからはクラフターの能力の使い方とか身体能力の説明とか、後は村で貰った本を読むなどしてゆっくりと過ごした。やがて夕飯や俺も風呂を済ませて寝る頃合いになる。

 そこで葵の部屋の準備を忘れていたことに気がつき、ベッドをはじめ家具をクラフトして葵の部屋に設置。アイテム化して持ち運べるため、模様替えもあっという間だ。

 まだまだ殺風景な感じはあるけど、そこは葵の部屋だし葵の好みに任せる。多分、俺の部屋と違ってすごく女の子らしい感じになる気がする。こういうのって人のセンスで差が出るからな。

 

「そんじゃ、おやすみ葵。また明日な」

「あっ……うん、おやすみお姉ちゃん」

 

 葵の部屋を出ると途端に静かになる。昨晩葵と出会ってからは基本的に一緒に居たし、お風呂の時とか除けば1人になるのは1日ぶりくらいか。大した時間でもないのに、ここのところ基本的には1人で活動していたのに、少しだけ物寂しい感じがするな。

 自室に戻ると部屋の照明を落として早々にベッドに潜り込む。何だかんだで疲れたな。昨日も一応は寝たけど、こうして落ち着いて横になったわけじゃないし、森をしばらく歩いて、色々会話して、説明してと結構活動したからな。当たり前か。

 目を閉じる。意識が広がっていくような、あるいは逆に深く沈んでいくような感覚がする。自分の息遣いだけが静かで暗い部屋の中に響くようだった。

 ……うん? 何か物音がする。小動物の鳴き声のような音を立てて扉を開閉するのが隣から聞こえた。それからとっとっという軽い音がこの部屋の前で止まり、控えめなノックが微かにした。

 

「……葵?」

 

 起き上がって扉を開けると、はたしてそこには寝間着姿の葵が枕を持って立っていた。

 暗い中でも、不思議と彼女の綺麗な空色の髪は映えて見える。

 姉とお揃いの色をした瞳がじっとこちらに向いていた。

 

「その……静かすぎて、眠れなくて」

 

 ぽつりと、あえて一番でない理由を告げたのであろう彼女はとても儚く、今にも消えてしまいそうだ。

 だから俺は、一言だけ言った。

 

 

「一緒に寝るか」

「……うん」

 

 はにかみながらも葵は頷き、そっと枕を抱きしめた。



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第20話 『茜』は悪夢を見る

 すぅすぅという寝息が隣から、というか耳元から聞こえてくる。

 葵だ。瞳を閉じ、安心しきった顔で寝ているが、その静かな寝顔とは裏腹に()を抱き枕にし、強く抱きついて全然離れそうにない。

 

「これならベッド持ってくる必要も無かったかなぁ」

 

 マインクラフトにおけるベッドは通常シングルサイズである。さすがに狭かったので彼女の部屋から持ってきて設置したのだ。

 最初はそれぞれのベッドで横になっていたが、そのうちもそもそとこっちに寄ってきたと思っていたらすっかりこうなっていた。

 一応声はかけてみたが特に反応は返ってこなかったから、多分完全に寝相というか無意識の行動なんだろうな。柔らかいし、良い匂いがするし、温かいし、役得なのはまあ、否定しないが。

 

「こっちも眠くなってきたな……」

 

 元々、もう少しで眠りそうというところだったのだ。

 葵の体温を感じていることもあってか、だんだんぽかぽかしてくる。意識が再び微睡み始め、いつしか俺も眠っていた。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、朝だよ!」

「へっ?」

「早く着替えてご飯食べないと! 学校に遅れるよ!」

 

 突然体を揺さぶられて目が覚めた。

 まず、こちらを覗き込んでいる葵の姿が視界に入る。ブレザー姿で髪もちゃんと結んでいる。とっくに準備が済んでいるようだった。

 それから白いクロスの貼られた、見慣れた自室の天井。若干色褪せているのは経年劣化によるものだ。物心ついた頃はまだ家も建って数年で白かったのだが、さすがに年季が入ってきた。特に困ってはいないけれど、そのうち気が向いたら変えようかな。貼り直すの面倒だけど。

 

「あーせやな……え? 学校?」

 

 そんなことを思いながら葵に返事をして、そこで何かが変だと思った。

 学校? おかしいな、学校なんてとっくの昔に卒業したはずなんだけど。

 いやいやそうじゃない。もっと根本的に、何かが間違っているような。

 

「何寝ぼけてるの、今日は思いっきり平日だよ!」

 

 葵はそう言いつつ容赦なく布団を捲ると、そのままカーテンも開け放った。

 途端に暖かい布団の中の空気が無くなって肌寒さを感じ、思わず身を縮める。

 部屋の中に朝日が射し込んできて、寝起きを容赦なく照らし出した。

 

「ううっ、ウチのお布団が~眩しい~」

「ほら、起きるの!」

 

 急かされて渋々起き上がり、ぐっと伸びをする。

 それからクローゼットに向かうと戸を開け、お気に入りの服と並んでかかっている制服一式を取り出した。

 姿見の前に立つと、眠たげな顔をしたパジャマ姿の自分が映った。可愛いな。これ大人になってからも、当分はお化粧無しのすっぴんでも充分行けるんじゃないか。

 

「茜ちゃん可愛い」

「いきなり何を自画自賛してるの……ナルシストにでもなった?」

 

 ぼんやりとした頭でそう呟くと、後ろから葵の呆れた声が聞こえてきた。

 

「私、先に下降りてご飯食べてるからね。……二度寝しないでよ?」

「分かっとるで~」

 

 部屋を出る前に釘を刺してきた彼女にそう返しながらパジャマを脱ぐ。

 衣擦れの音と外から雀の鳴き声だけが部屋の中に響く間もずっと違和感について考えていたが、どうにも答えは思い浮かばなかった。

 やがて着替え終わる。畳んだパジャマと机の上に置いてあった通学鞄を手に持つ。

 

「よし、それじゃあさっさと朝ご飯を食べて――」

 

 

『ちゃうやろ』

 

 

 1階に降りようと扉に手をかけたところで、自分以外誰もいないはずの部屋で声がした。

 ハッとして振り返る。特に人影はなく、せいぜいが姿見の中の自分が無表情にこちらを見ている、だけ。

 

「――え」

『ちゃうやろ』

 

 声の主は、姿見の中の自分だった。

 

「な、何が違うんや」

『何もかもがや。アンタは――琴葉茜やあらへん』

「あ――」

 

 まるで雷に打たれたかのような衝撃が走った。

 ああ、そうだ。なんで忘れていたんだろう。

 自分は、俺は琴葉茜じゃない。俺は、俺は――じゃあ、いったい?

 鏡の中の茜がぽつぽつと呟くように、だが冷たい口調で言葉を続ける。

 

『アンタは、葵の姉でもあらへん』

「うわっ!?」

 

 気がつけば、俺は姿見の前に立っていた。

 総毛立つような感覚に後ずさろうとし――足がちっとも動かないことに気がついた。

 

「な、なんで」

『返しぃや』

 

 必死にもがこうと無駄な努力をしている俺に、琴葉茜は幽鬼の如く手を伸ばしてくる。

 その腕は鏡がまるでただの窓であるかのように通り抜け、硬直したままの俺の右腕を掴んだ。

 とても冷たく、凍りついてしまいそうな手だった。

 

「ひっ、あっ」

『ウチの体も、葵も』

 

 ぐいっと引き寄せられ、眼前に彼女の無機質な顔が迫る。

 赤く透き通っていて綺麗な、しかし感情の抜けたビー玉のような瞳に射抜かれて心臓が早鐘を打つ。

 鏡はいつしか部屋を映しておらず、ただどこまでも続く暗闇の世界だけがあった。

 

『返しぃや』

「ひ、い、嫌、怖い! 許して!」

 

 ずりずりと引きずるかのように、体が鏡に吸い込まれ始めた。

 動く上半身で咄嗟に鏡の縁を必死に掴んで抵抗する。

 何が何だか分からないまま反射的に取った行動だった。

 しかし、それも空しく徐々に体は鏡の向こうへと引き込まれていく。

 

「お姉ちゃん! 二度寝してるんじゃないよね! 時間無くなる――え?」

 

 突如、扉の向こうから声が聞こえてきて、ドアノブがぐるりと回った。

 さっき下に降りていった葵だ。なかなか降りてこないから再度様子を見に来たのだろう。

 彼女は眉間に皺を寄せながら入ってきたものの、この突拍子の無い光景に思わず目を丸くしたようだった。

 

「葵! 助けて!」

「お、お姉ちゃん!?」

 

 俺が葵に助けを求めると、彼女は慌てた様子で駆け寄ってきた。

 微かな安堵が胸に広がるも、手が滑りそうになり視線を鏡の縁に向ける。

 そろそろ腕も限界が近い。助けて、早く――

 

「あ、葵!」

「お姉ちゃん――」

 

 

『嘘つき』

 

 

 言葉も無く、俺は葵の顔を見た。

 能面のような、一切の温かみを感じられないその表情は鏡の姉そっくりだった。

 

『嘘つき』

 

 葵がもう一度言った。

 怒りが、失望が、軽蔑が入り混ざったその声音を聞いた途端、絶望や諦念が頭を支配してフッと体から力が抜けかける。

 そのちょうどのタイミングで、葵は軽くトンと俺の体を押した。

 

「あ……」

 

 完全に、鏡の縁を掴んでいた手が離れた。

 どんどん鏡の奥へ、底へ。葵の姿が遠く、小さくなっていく。

 引きずり込まれているようでもあり、沈んでいくようでもあった。

 真っ白になった思考の中、耳元で茜が囁く。

 

『忘れてもうたん? せやったら思い出させたる』

 

 見えずとも彼女の口が弧を描いたのが分かった。

 いったい、何を言っているのだろう。

 それを問いただそうとしたところで、後ろから彼女に抱きすくめられ、て――

 

 

 

 ――アスファルトの上に投げ出されていた。

   体中が痛く、路面は冷たく固くざらざらとしていた。

 

 ――暗い部屋の中、PCのモニターの前で突っ伏していた。

   脇に置いてあったスマホが、机の下に落ちていった。

 

 ――薬品の臭いに囲まれて、力なくベッドの上に横たわっていた。

   イヤホンの音がだんだんと遠くなっていった。

 

 ――内臓の浮き上がるような浮遊感を覚えていた。

   地面が近くなっていった。

 

 ――物憂い人気の無い森の中でぶら下がった。

   一瞬息が詰まって、すぐに楽になった。

 

 ――振り下ろされた鈍い銀色が街灯に照らされるのを見た。

   冷たいはずなのに、熱く灼けるようだった。

 

 他にも、色んな景色の断片があった。

 そのどれもが見覚えがあり、同時に見覚えのない光景で。

 だが、ただ1つ確かだったことがある。

 どの景色の最後にも残ったもの、それは。

 

 

 

 ――アカネチャンカワイイヤッター……。

 

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

 目が覚めた。咄嗟に視線を動かして辺りの様子を窺う。

 寝る前と同じ、築3日の自宅の自室だった。部屋の中はカーテン越しの朝日ですっかり明るくなっている。

 特に、どこにも変わった様子はない。

 

「……ふぅ」

 

 長い溜息を吐く。

 それから起き上がろうとした辺りで体が重いことに気がついた。

 

「うん?」

 

 視線を下に向ける。

 葵だった。あどけない雰囲気さえする表情で、お腹の辺りに抱きついたままぐっすりと寝ている。

 それを見て、思わず苦笑する。同時に安心感が体を満たしていくのが分かった。

 

「ひっどい、夢だったなぁ」

 

 考えてみれば、この世界に来てから初めて見た夢だった。

 よもやそれがとんでもない悪夢になるとは思いもしなかったが、まあ色々あったせいだろう。

 夢は脳が起きている間の記憶を整理する過程で見るものだと言われている。それは必ずしも順序立てて整然と行なわれるものでもないので、だから支離滅裂だったり不条理だったりするのはよくある。見ている最中は何の違和感もなく、夢特有の謎法則を受け入れることも多いが。今回のも同じ口だろう。

 まあ、そのうち忘れるだろう。夢はあくまで一時的なもので、何なら実は寝るたびに見ているが大抵は忘れてしまっているくらいのものらしい。……しばらくは忘れられそうにないけど。

 

「お姉、ちゃん……?」

「おはようさん」

 

 くっついていた俺が動いたからだろう。

 どうやら葵も起きたみたいだ。

 

「おはよう……何だか変な感じだね」

「どしたん?」

 

 口元に手をやりながら小さく欠伸をする彼女は、何やら不思議そうにしている。

 尋ねてみると彼女はああ、と頷いた。

 

「ん、元の世界に居た時はいつも私がお姉ちゃんを起こしてたから。一回起こしても二度寝しちゃうこともあって大変だったんだよ?」

「せ、せやったんか。寝坊助さんやったんやなぁ、ウチ」

「全くだよ、ふふ」

 

 不意に夢の冒頭を思い出して動揺してしまう。

 それを隠そうとしながら相槌を打つ。幸い葵は気づかなかったようだ。

 葵はベッドから降りながら言う。

 

「それじゃあ、私部屋に戻って着替えたら朝ご飯用意するね」

「ん、よろしゅうな」

 

 葵が部屋を出て行く。

 昨晩と打って変わって、すっかり元気になった様子だった。良かった。

 ああ、そうだ。葵のベッドどうしようか。まあ寝る段になってまた聞けばいいか。

 動かす手間なんてあってないようなものだし。

 

「それじゃ、俺も起きるか……」

 

 ――返しぃや。

 

 ビクリと体が跳ね上がり部屋を見渡す。

 もちろん誰も居ない。そして、この部屋には姿見もない。

 洗面所や風呂場には一応、大きめの鏡は設置してあるが。

 ふと机の上の手鏡が目に入り、恐る恐る手に取って自分の顔を映してみる。

 強ばった表情の()が居るだけだった。

 

「……はぁ」

 

 止まっていた呼吸を再開する。ただの、幻聴だった。

 ベッドに身を投げ出して脱力する。どうにも夢が尾を引いているみたいだ。

 こんなにメンタル打たれ弱いとは、自分でも知らなかったな。震える右腕をさすりながら俺はそう思った。

 部屋の前を足音が通っていく。着替え終わった葵が下に降りていったのだろう。

 その気配にほっとして今度こそ俺も起き上がるとさっさと服を着替え、そのまま部屋を後にする。

 もう声が聞こえたりは、しなかった。



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第21話 『茜』と葵の畑拡張

 1階に降りた俺は葵が朝ご飯を作っているのを、食堂の椅子に腰掛けてぼんやりと見ていた。葵はチョコミントアイスを讃えてそうな感じの鼻歌を歌いながら上機嫌にしている。エイヤッ。

 やはり通常の手段で料理を作ること自体は出来るようで、葵がどうせなら普通に作りたいと言ったのだ。時間に追われている訳でも無いし、料理というのは出来上がるのを待つのもまた醍醐味である。俺は頷き、待つことにした。

 

「お待たせ、簡単なものだけど出来たよ」

「美味しそうやんか、おおきに」

 

 2人でいただきますと手を合わせる。

 テーブルに出てきたのはトーストに卵スープ、それからチキンサラダだった。

 確かに葵の言う通り簡素ではある。だがスープの卵は一塊になっていたりしないし、サラダも食べやすくカットされた野菜が丁寧に盛り付けられていたりと、もう見た目からして美味しそうだ。俺だったら食えてそこそこの味ならいいで、雑に済ませてしまうところまで行き届いている。葵ちゃんはきっと良いお嫁さんになることだろう。

 

「それで今日はどうするの?」

「畑広げようと思うとる。今は小麦しか育ててへんから、野菜使い切ったらパンと焼き鶏の生活になるで」

「パンと焼き鶏だけはきついなぁ。うん、分かった」

 

 さほど時間もかからず朝ご飯を食べ終えたところで葵が予定を聞いてくる。

 そこで俺はかねてから考えていた畑の拡張をしようと答えた。

 村で色々種や苗木を貰ったのに手つかずのままだからな。このままじゃ葵に言った通り、ある分を使い切ったら食の水準が逆戻りだ。一度上がった生活水準を下げるのはなかなかに厳しいものがある。急務と言えた。

 それに畑作りはクラフターの能力を試すのには手軽だし、葵にとってもいい練習になるだろう。そういえばこの世界では水流による回収とか出来るのだろうか。ゲームの頃は段々畑を作ってレッドストーン回路で水を流してとかが比較的手軽だったのだが。まだレッドストーン持ってないから回路は作れないが、そこら辺は後で試してみるか。

 外に出て畑の方に向かう。

 既存の畑を拡張することも考えたが、村で予想以上に色々と貰ったからな。

 新しく作ることにした。

 

「ほな、ここからあの辺りまでズビャビャっと作るで」

「うん。……うん?」

 

 葵にクワを渡しつつそう言うと、彼女は何か腑に落ちないような表情をしながら頷いた。

 それが少し気になったが、ともかく畑作りを開始だ。

 まずはいつも通り9×9の範囲に区切り、その真ん中に水源を設置する。

 それからざっと範囲内の土を耕して、というところで葵に止められた。

 

「お姉ちゃん、ストップ」

「ん? どうしたんや葵?」

 

 一体どうしたのだろう。

 首を傾げる俺に葵は眉を寄せて少し困り顔で言った。

 

「えっとね、多分お姉ちゃんってこの規模のをいくつか作る気なんだよね? どう植えるつもりなの?」

「んー1列ずつ別の種類のを植えてくつもりやけど」

 

 俺がそう答えると彼女は頬を掻いた。

 

「多分、1列に数種類でも充分足りるんじゃないかな。聞いた感じの成長速度だと育ったら必ず収穫する場合、ローテーションしてる間に備蓄分が溜まるでしょ? 消費が追いつかないんじゃないかなぁ」

「あー……せやなぁ」

 

 葵に指摘されて、言われてみればと思い直す。

 確かに1食で消費する量はたかが知れてるし、使い切れない程に備蓄したって倉庫が埋まって困るだけだ。それに今回植えるPam’sModの農作物はバニラの小麦やニンジン等とは違って、1回収穫しても成長段階が1つ前に戻るだけで植え直す必要がないものばかり。大人数が暮らしている村でも食料には余裕があるような状況だったから交換に使うのも無理だろう。

 この世界に不作なんて概念は無いだろうしな。全部が全部ではないが、マインクラフトの法則に沿っている以上、本来だったら懸念すべき事態のほとんどを想定しなくていいのだ。

 

「後は通り道を確保した方がいいと思う。収穫自体は離れていても出来るけど回収するには近づかなきゃいけないから」

「確かに小麦と違って分け入る訳にもいかんなぁ。言ってくれて助かったで葵。……む?」

 

 どうにもゲームの時の感覚で考えてしまいがちだと反省する。

 その間に、気がつけば手が伸びて葵の頭を撫でていた。

 

「ん、どういたしまして」

 

 自分の行動なのにも関わらず内心焦ったが、彼女の反応が嫌がる感じでもなかったので安堵する。

 

「ほな、ちょっと考え直そうか。葵はどんな野菜使うん?」

「んーそうだね」

 

 それからは使うことの多そうな作物を中心に、何を育てるのかを2人で話し合った。

 最終的には最初に考えていたよりはずっとこぢんまりとしていて、でも生活していくには充分な量が採れるくらいの規模に落ち着いた。

 

「えーっと、リンゴにバナナにサクランボにレモンに……モモもええかもな」

「いやいや、こっちもどれ育てるか選ぼうよ」

「こ、こっちは主に輸出用やから。村での需要が大きいねん」

 

 一方で果物の方は野菜畑よりも大きく、色んな種類をまとまった数育てることにした。

 それは実は村人が育てている農作物は基本的に野菜ばかりで、果物はそんなに多くないということを思い出したからである。

 果樹に生るという性質上、畑に植えて継続収穫出来る野菜より場所も時間も取られる果物は優先度が低く、ほとんど嗜好品のような形なのだそうだ。

 その点、ここの拠点は場所も余ってるしクラフターの能力で簡単に植え直しが出来るし、何ならスケルトンの骨から骨粉をクラフトして一気に育てることだって出来る。果物はクラフターの能力以外では村と交易する重要資源になりそうだ。

 

「べ、別にウチがいっぱい食べたいとかそういうわけやないんやから、勘違いせんといてよ!?」

「じー……」

 

 だというのに葵は半目でこちらを見つめてくるのだから困ったものだ。

 ……いや、本当だぞ。この世界じゃ珍しい甘味目当てだとか、そういうわけではないのだ。決して。そんなことはちょっとしか、いやいや全然思ってない。俺は食いしん坊の女の子とかじゃないから。そういうのは某後輩VOICEROIDの役目だし、俺の中身は男だから。

 

「つ、次や次! 次のこと教えるで!」

 

 ともかく農作については一段落したので、別のことを教えることにする。

 家畜については一応昨日教えたし、あまり広げる気も無いしな。よし、ブランチマイニングにしよう。

 

「何だか、採掘場って感じはしないね」

「まあ地上部分はそうやな」

 

 地下採掘場の入り口を見て葵がそう呟いた。

 そういえば採掘場の周りについてはあまり触れていなかった気がするな。

 石炭や鉄目当てで比較的浅いところでの採掘を行なっているのは前にも言った通りだが、

そんな採掘場の入り口はちょっとした小屋の中にある。

 これは地上に出た時にモンスターとバッタリ遭遇したり雨が流れ込んできたりするのを防ぐためであり、またちょっとした鉱石の保管倉庫としての役割を兼ねてもいる。それに中でモンスターが湧いても、ここまで逃げてきて扉を閉めれば一時凌ぎも出来るし。水中では息が出来ない割に、どんな地下深くでも呼吸は出来るマインクラフトだからこそだな。

 入り口の小屋に入ると、中には地下へと続く横3マスの階段がまず真ん中にある。この階段は左右が文字通りの階段で、真ん中はいずれトロッコを走らせるための空間となっている。

 それから階段の脇には鉱石やツール作成用の素材をしまってあるチェストや作業台が設置してある。実際にはそんなに根を詰めて採掘することも早々無いとは思うが、まあこの辺りはゲームの記憶の名残といったところだ。

 

「階段、急だから気ぃつけてな」

「う、うん」

 

 松明を設置しており明るいとはいえ、やはり地下というのは閉塞感のあるものだ。

 葵は少し尻込みした様子だったが、恐る恐る階段を降り始めた。

 浅めとはいえ、それでも高さ5メートル分の階段というのはやや長めだ。そのうちちゃんと金とかレッドストーンとか手に入れてトロッコ作らないと。……その設備整うまでの間、さらに長い階段の行き来や採掘があるのだが。

 

「ここが採掘場や。正直、見るべきところもそんな無いんやけど。黙々とひたすら掘るだけやで……」

「あ、あはは……」

 

 死んだ魚のような目でもしていたのだろう。採掘している時の心境を思い返して呟く俺に、葵は苦笑いをした。

 碁盤上に掘り進めたり時々一括破壊で回収したりで広げられた地下空間は殺風景もいいところだった。洞窟に当たることも無かったし、まだまだ規模としては小さめということもあるだろうが。物理法則を変化させるMODも入っていないようだから落盤もないしな。

 

「より深くを掘るようになったら、ここを倉庫にしてもいいかもね」

「おっ、せやな」

 

 採掘場を見渡した葵の言葉に頷く。

 そうか、別に地上にわざわざ倉庫を建てなくても、この空間を使うという手もあるか。

 ちょっと距離があるのはデメリットだが、新しく倉庫を建てるよりはずっと楽だし。

 どのみち素材がもっと有り余るようになってからにはなるだろうけど。

 

「ウチはあんまりそういうの考えんで作ろうとしてまうからなぁ。葵はほんま気が利く子やな」

「まるでお姉ちゃんが私のお母さんみたいな言い方だね」

 

 ゲームの先入観にとらわれがちな俺としては、別の角度から考察してくれる彼女は本当にありがたい。

 そう思って礼を告げてみたのだが、葵としてはあんまりしっくり来ないようだった。言い方が悪かったか。

 しかし、俺が葵ちゃんのお母さんか。中身の性別は男だし、恐らく年齢も年上とはいえ親子ほどには離れていないだろうけど。

 うーむ。

 

「ウチは別に葵のお母さんでも構わんで」

「却下。不安」

 

 有りかもしれない。

 そう思って葵に言ってみたが、無表情にバッサリ切り捨てられてしまう。

 

「そんなぁ」

 

 情けない声を出す俺に、葵は口角を上げて鼻を鳴らしたのであった。



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第22話 2人は探索を試みる

 最初の頃こそこの世界の『仕様』に戸惑っていた葵だったが、人とは慣れる生き物である。すっかり順応して、ちょっと目を離した隙にニワトリの数が増えていたり、俺が動物小屋の改築中に落っこちて頭から地面に突き刺さったりする程度では驚かなくなった。

 

「ちょ、お姉ちゃん何やってるの!?」

「湖ならちょうど映画みたいやったのに惜し、いやなんでもあらへんすんません」

 

 ……訂正、後者に関しては驚いてたし怒られた。

 ともかくそんなわけで、葵もある程度は1人でここでの生活をこなせるようになったと言えよう。元々大した作業も無く、むしろ暇を持て余すような状況なのだ。正直なところ、ただ生きていくだけなら葵だけでも何とかやっていけるだろう。

 そんなこんなで、気がついたら葵と一緒に生活するようになってから1週間が過ぎた日の朝のこと。

 

「ほな、探索行ってくるから留守番頼むで。じゃ」

「待った」

 

 そろそろ探索でもしてみようかなと家を出ようとしたところで葵に捕まった。

 これもまたすっかりお馴染みになってしまったジト目をこちらに向けている。

 

「どしたん?」

「いやいや、そんなコンビニ行ってくるみたいなノリで言うことじゃないでしょそれ」

 

 はぁ、と葵は溜息をつくと窘め始めた。

 

「考えてもみてよ。ここ1週間のお姉ちゃんを見てて安心して送り出せると思う?」

「うっ」

 

 痛いところを突かれ、思わず声が漏れた。

 先ほどの落下事件をはじめ、動物小屋を広げようとした際に寸法を間違えてニワトリが何羽か脱走したこと、一口のつもりが植えてた果物を数箇所食べ尽くしてしまい、満腹で動けなくなっているのを見つかったこと、家の屋根裏に松明を設置し忘れたせいで突然空洞音が響き、2人で驚いたこと等々が脳裏を過ぎる。

 いや、わざとじゃないんだ。決してちょっと良いところを見せようとして張り切りすぎたとか、ついつい手が伸びてしまったとかじゃないんだ。そんなつもりでは断じて無いのだ。無いったら無い!

 ……まあ屋根裏は、いずれ倉庫にでもしようかなと思いつつ忘れてしまったのだが。

 

「だ、大丈夫やで。葵と出会うまでは1人でやれてたんやし、探索中はちゃんと警戒するから。それにどのみち周辺の地理はちゃんと把握しとかな、今後の身の安全や生活に関わるねん」

「むう……」

 

 せめてものつもりで説得すると一理あるとは思ってくれたのか、葵は不服そうにはしながらも押し黙った。

 このまま行けるか? 俺がそう思った時、彼女は一旦閉じた口を開いた。

 

「分かった。でもそれなら私もついていくよ」

「おお、分かってくれたんか葵……へ?」

 

 俺は思いがけない一言に目を瞬かせる。

 

「まだ探索については教わってないし、だったらちょうど良い機会だと思うんだけど。そんなに遠くや危険なところにまで行く気じゃないんでしょ?」

「それは、そうかもしれんけど。でも別に葵が探索せんでも」

 

 ウチがそういうのは全部やる。

 そう言いかけた()の唇に葵は人差し指を当てて止めると言った。

 

「確かにこの世界のことに詳しいわけでもないけど、それでも私は妹とはいえお姉ちゃんとは双子なんだよ? ずっと守られてばかりいる気も無いんだからね」

 

 彼女の澄んだ瞳は、まるでこちらの心中を射抜くかのように俺を見据えていた。

 正直なところ、俺はこのまま葵には拠点周辺に専念してもらって探索のような危険の大きいことは俺だけでやればいいとすら思っている。もちろん俺も痛いのは嫌だし、この体(茜ちゃん)を傷つけたくはないから怪我をしないように気をつけるつもりだ。

 でも、それはかえって彼女のためにならないのだろうか。もし俺が本当の姉だったら、こういう時にどうすれば良いのか分かるものなのだろうか?

 

「……分かった。ほな、まずは葵もインベントリを探索用に整理せなな。ってかまずは鉄装備揃えなアカンな」

 

 上手い反論も思いつかず、俺が頷くと葵は少しホッとしたようだった。

 ともかく今日は葵と2人で探索することになった。

 インベントリの整理とは言っても大したことはない。各種鉄装備やツール、それから松明や食料、移動用の土や砂などを持っていき、後は空っぽにするだけだ。

 

「あれ? 装備は着ていかないの?」

「試しに着てみ」

 

 家を出る間際になっても服を替えないのを見て尋ねてきた葵にそう返す。

 不思議そうにしながらも一瞬で全身を鉄装備で固めた葵だったが、出発してから間もなく俺に倣って鎧を脱いだのであった。

 さて、今回行くのは前と同じく森である。というか平原方面は時間がかかりすぎるし日帰りするとなると、この辺りを歩くしかないんだよな。ほとんど手つかずの川向こうの丘や小山もあるけど、あそこはまず橋をかけたい。ゲームだったら気にせず泳ぐというか、ぷかぷかと浮きながら移動していたが、この世界じゃ当たり前に沈むし濡れるからな。

 今のままでは探索範囲にも限界があるし、どうするか考えないといけない。

 

「それで何か目標とかあるの?」

「あらへんよ? まあ今まで通ったことのないところ行って、何か見つけたり日が暮れそうになったりしたら帰るって塩梅やな」

 

 目印を置きつつ、葵と一緒に森の中を歩く。

 キョロキョロと周囲を見渡している葵の問いに答えつつ、脳内に簡単な地図を思い浮かべる。

 右も左も似たような景色の森とはいえ、浅いところならおおよその位置は判断がつく。今回は初めの頃、スケルトンと戦った辺りを通ってみるか。あの洞窟は入ってすぐのところは湧き潰ししてあるし、横道も封鎖してあるから敵が出てくることはないと思うが。

 

「お姉ちゃん」

 

 念のため少し警戒を強めながら通り過ぎるが、特に何事も無い。

 影になっていた横道の先は確認していなかったが、何となくあの洞窟に入るのは躊躇われる。

 

「ああ、あの洞窟は1回入ったけどちょっと鉄鉱石があったくらいで、もうめぼしいもんは無いで」

「ううん、そうじゃなくて」

 

 だから葵にはそう返したのだが、彼女が言いたかったことは違ったらしい。

 

「あれ」

「うん? ……おおっ!?」

 

 葵がある方向を指さしたので、それに従って視線を向ける。

 そこにはマインクラフトではお馴染みの地形の1つ、地面に入った大きな亀裂のような渓谷があった。

 そんなに向こう岸とは離れていないが、その幅の狭さが草木とも相まって若干隠れている。

 

「お姉ちゃん、どうする?」

「うーん、ちぃと覗いてみるか」

 

 そろりそろりと崖から2人で覗き込んでみる。

 どこかから川でも流れ込んでいるのか、水の溜まった底まで陽が届いているが数十メートルの高さはある。高所恐怖症でなくともゾッとする光景だ。

 前に来た時は手前の洞窟に気を取られて気がつかなかったが、もしあの時洞窟に入らずそのまま直進してたらここに落ちていたかもしれない。

 そう思うとにわかに背中を寒い物が走り抜けるような気がした。

 

「……おっ?」

 

 そんなことを思いつつ渓谷を眺めていた俺は、途中に何やら石や土とは違うブロックがあることに気がついた。

 

「どうしたの?」

「廃坑や」

 

 葵の問いに、俺は端的に答えた。

 マインクラフトにおける廃坑は、通常の世界に生成される構造物の一種である。基本的には地下に生成されるもので、石のトンネルとそれを支えるような木材の支柱、レールが敷かれているのが印象的である。もっともゲームの仕様上、この支柱もレールも、そもそも廃坑そのものが飾りでしかないのだが。

 この廃坑の大きな特徴は毒を持つ洞窟グモのスポーンブロックや少し珍しいアイテムの入っている可能性のあるチェストなどがあることだ。人によっては鉄ブロック節約のためにレールもまた戦利品となるが、多くのクラフターにとってはチェストこそが廃坑探索の一番の目当てとなるだろう。特にスイカの種なんかは手に入れる数少ない手段の1つである。他にもダイヤモンドやエンチャント本、金のリンゴなども入っていることがあり、まあ見かけたらとりあえず開けて損は無い。

 ゲームではそんな場所だった廃坑だが。

 

「どうや葵、何か面白いモンでもあるかもしれんで」

「いらないよそんなの。あるかも分からない上に、そもそもどうしてもスイカが必要なわけでもないし」

 

 説明のあと、冗談めかした俺の言葉を葵はにべもなく切り捨てた。

 うん、いらないよなぁ。スイカは食料以外では、金塊とクラフトとして出来るきらめくスイカが治癒のポーションの材料として使うが。確かに即時回復は魅力的なものの、それが必要なのは激しい戦闘が行なわれる場面だろう。基本夜は家に引っ込んでいて、洞窟にも深入りする気も無いのなら必要ない。それに醸造設備も金も持ってないし。

 スリルも冒険も無い無い尽くしだが、実際に命を大事にしようとしたらそんなものだろう。いくらでも生き返れるゲームのサバイバルと違って、死んだらそれまでのリアルハードコアなのだ。好奇心に殺される猫のような振る舞いは以ての外だと言えよう。

 安全第一である。もう目先の鉱石に釣られるような油断はしない。

 

「ま、しゃあないな。ほな、日もまだ高いしもう少し他見て回るか――ん?」

 

 などと考えていたのが仇になったのだろうか。

 ふと体が斜めにずれるような感覚に、俺は高いところに立ったせいで目眩でも起こしたかと思ったのだが。

 それは全くの的外れであった。

 

「おっ、お姉ちゃん! ここ危な――きゃあああ!?」

 

 それに気づいた葵が警告した時にはもう遅かった。

 この世界が全くのゲーム通りではないということを分かっているようで、それでもまだ俺はマインクラフトの法則に縛られていたのだった。

 何のことはない。俺達の立っていた辺りの地面が滑落したのである。

 元々もろかったのか、先週の雨のせいなのか。

 いずれにせよ、遠ざけようとしていた死が間近に迫ってきていることに代わりは無かった。

 

「う、嘘やっ……なんで、マインクラフトなのに!」

 

 ぐんぐん谷底が近づいてきている。

 実際には俺達の方が落ちて行っているというのに、そんな錯覚さえ感じた。

 咄嗟に伸ばした手も、何も掴むことは無かった。

 

 この浮遊感、どこか、で。

 

 

「そんなんアリかぁぁぁ!」

 

 

 自分自身の叫びすらが、遠く聞こえるようだった。

 ああ、俺が探索に出ようなんて言い出したばかりに。

 葵ちゃんに体の茜ちゃん、本当にゴメ――

 

 

 

 

 

 

 

「――お姉ちゃん!」



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第23話 『琴葉茜』の謝罪

 気がつくと目の前には心配そうにこちらを覗き込む葵の顔があった。

 後頭部には柔らかい感触。俺は彼女に膝枕されて介抱されているようだ。

 

「……あ、れ。生きて、る?」

「お姉ちゃん! 良かった、そうだよ生きてるんだよ!」

 

 ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。

 そこには石があるばかりだった。天井も、壁も、床も全部が石。強いて言えば光源として松明が1本壁に設置してあるくらい。どうやらここは地下で、ちょっとした小部屋のように掘った場所のようだ。

 

「えっと、これってどうなってるん? 確か、崖から落ちたと思ったんやけど」

「うん。順を追って話すね」

 

 俺が尋ねると、葵は頷いて話し始めた。

 彼女によれば俺達は崖から落ちたものの、どうやら谷底に広がっていた水溜まりに落ちたおかげで落下死せずに済んだらしい。それまでの落下速度が嘘のようにあっさりと着地したのだとか。

 

「ああ……何や体が重いと思たらそういうことか」

 

 見れば着ている服がぐっしょりと濡れているし、それ以外にも肌に触れる空気の感触が濡れた時のそれだ。試しに服を軽く片手で絞ってみると僅かに水が滴り落ちた。いくらか水は抜けているようだが、湿った感覚が気持ち悪い。正直葵の目が無かったらここで脱いでしまいたいところだ。替えの服さえあればインベントリから一瞬で早着替えだが、持ってきてないし。今後外に出る時は持ってきておくか。

 さて。水に落ちたおかげで助かった俺達ではあったが、落下の恐怖からか葵と違って頭から落ちたためなのか、俺は気絶してしまっていたらしい。窒息する前に慌てて俺を引き上げ、水を吐き出させた葵だったが、薄暗い渓谷の底ということもあってか周囲にはモンスターの気配。ブロックを積み上げたり階段を作ったりして上に戻ることも考えたものの、()を抱えながらのジャンプは無理だし、守りながら作業をするのも厳しいと考えてひとまず横穴を掘って待避したのだという。

 そのまま今に至る。詳しい時間は分からないが、だいぶ長いこと気絶していたということだった。多分もう夜らしい。

 

「そやったんか。すまんなぁ、手間かけさせて」

「ううん、気にしないで」

 

 しかし、本来マインクラフトだったら起こらない地面の滑落のせいで危機に陥って、1マスでも水は落下の衝撃を吸収しきるというマインクラフトの仕様に助けられるとは。何とも皮肉というか。乾いた笑いが出そうになった。

 

「すまんなぁ、ホントに、すまん」

「……お姉ちゃん?」

 

 そして、こみ上げる申し訳無さも。

 命が助かったと分かってホッとしたからだろうか。

 気がつけば目元が熱くなって、水とは違う温い滴が頬を伝っていた。

 

「こないに葵を危ない目に遭わせて、もっとウチがしっかりしとれば――」

「それは違うよお姉ちゃん」

 

 葵はそっと俺の両頬に手を添えた。

 それから母親が幼子を落ち着かせるような、ゆっくりとした口調で言う。

 

「ついていくって言い出したのは私だし、足下に不注意になってたのは私だって一緒だよ。それに言ったじゃない、私も守られるばかりじゃないって」

「せ、せやけど……」

 

 確かについてくると言い出したのは彼女だった。安全圏から出る以上、基本的には自分の身の安全は自分で確保すべきというのはその通りだろう。

 だが、それでも俺にはどうしても納得出来なかった。言い出しっぺであり、先導者である以上、俺には彼女の身を守る責任があるんじゃないか。ましてや予想外とはいえ、幸運に恵まれなければ転落死していたなんて、到底許されることではない。

 そんな俺の様子を見て取ったのだろうか。葵は()の唇に人差し指を当てた。

 

「それに、お姉ちゃんは1つ大事なことを忘れてるよ」

「大事な、こと?」

 

 一体、何なんだろう。出発前からここ1週間までの記憶を思い返してみるが、さっぱり出てこない。本来の茜ちゃんと葵の間で交わした約束か何かがあるのだろうか。

 不思議に思いつつ尋ね返す。彼女はおどけた表情で口を開いた。

 

「うん。それはね――思ってたより泣き虫なお姉ちゃんはうっかり屋さんで、しっかり者なのはやっぱり私の方なんだってこと」

「な、なんやと!」

 

 小馬鹿にした感じの口調に思わずムッとして、涙声のまま語勢を荒げる。

 だが、葵の浮かべたしてやったりという笑みに、わざとだと察してそれも薄れた。

 彼女は頬に当てていた手を動かし、()の髪を梳くように撫でる。優しい手つきが心地よい。

 

「ふふ、元気出た?」

「……ん」

 

 まんまと手玉に取られている気がする。さっきまでの沈んだ気持ちはどこへ行ったのやら、癪な感じがしてぶっきらぼうに答えたものの、それすらも見透かされているのだろう。くすくすと笑う彼女は実際の歳よりも幾分か大人びて見えた。助け出した時とか夜に一緒に寝た時とはまるで別人のようだ。

 でも――そう見えているのは彼女の方も同じかもしれないな。我ながら、おかしな言い方ではあるがどうにも人格がブレているような、そんな感覚がする。はたして自分はこんなにも打たれ弱い性格だっただろうか。

 スケルトンやクリーパーに奇襲を受けた時なんて、自分でも驚くくらい即座に対応していたのに。今回の落下だって水入りバケツを手にして、どうにかあがくくらいの芸当は出来たはずだ。責任を押しつけるつもりではないが、葵ちゃんと出会って以来どうにもこんな調子だ。一緒に暮らす相手が出来て気が緩んでいるのか。あの悪夢が今も尾を引いているのか。……彼女に隠し事をしているという後ろめたさがそうさせているのか。

 あるいはもっと単純に、無意識に葵ちゃんに良いところを見せようとして空回りしてるとかかもしれない。ああ、こっちの方がありそうだな。あれだ、普段人付き合いの少ない奴がすっかり舞い上がって大ポカしちゃうアレ……。

 

「あ、また何か落ち込んでる。でもこの分なら大丈夫そうかな」

 

 葵が何か独り言を呟いているが、それが気にも留まらないぐらいに気分が下降した。

 いかんいかん、悪い癖だ。昔の記憶なんて覚えてないのに、よくある失敗譚をまるで我が身の黒歴史のように感じて、勝手に落ち込んでしまう。いやまあ、あったのかもしれないが、いちいちダメージ食らってちゃキリがない。

 と、そんなことを考えていたらくぅ、とお腹の鳴る音が小部屋に響いた。

 音の出所は……。

 

「葵、腹の虫が鳴いとんふぇ!」

「お姉ちゃんのね」

 

 ちょっと気恥ずかしかったので、葵のお腹が鳴ったことにしよう。 

 そう思い素知らぬ顔で嘯こうとしたところ、葵に頬をぐにぐにと揉むように引っ張られた。

 

「ちょうどいいし、何か食べよっか。それに時間も時間だし改めて一休みした方が安全かもしれないね。……えいえい」

「いふまへやっほるんひゃ!」

 

 さて、葵の手を退けて体を起こした俺は早速インベントリから食料を出すことにした。

 さっきの葵の話からして夕食になるのだろうか。外の様子が分からないから何とも言えないけど、確かにもうちょっと休んでもいいかもしれない。どうにも体が休まった感じがしないし。

 ……あれ?

 

「お姉ちゃん、どうかしたの?」

 

 食べ物を取り出さずにいるからだろう。

 パンと果物を手にした葵が怪訝そうに声をかけてきた。

 

「無い」

「えっ?」

 

 どうして俺が固まったか。簡単なことだ。インベントリ内に入れておいたはずの食料が見当たらなかったのである。

 

「い、いやいや、探し方が悪いだけかもしれんし!」

「そんな、インベントリは引き出しじゃないんだから」

 

 おかしいな。焼き鶏を入れたはずなのだが。出発前にちゃんと整理したはずだし。

 そんなことを思いつつ、脳裏にインベントリ内のアイテムを思い浮かべているとそれらしき影を見つけた。

 

「おっ、あった……」

「……焼き、鶏?」

 

 これだと思い俺はそれを引っ張り出したが、手に現われたのは白い脂身と鮮やかな赤身。要するにニワトリの生肉だった。

 ……えっ、まさかこれって。

 

「お姉ちゃん、ひょっとして焼き鶏と生肉間違えたんじゃ」

「そそそんなことはあらへん! ウチはベテランクラフターの茜ちゃんやで!」

 

 信じられない物を見るような目を向けてくる葵の視線が痛い。

 というか我ながらビックリである。生肉と焼き鶏間違えるなんてゲームの時でもしなかったぞ。

 いかん、このままでは株がだだ下がりする一方だ。どうにか理由を見出すんだ。

 ……そうだ!

 

「違うんや葵、これはな……」

「……これは?」

 

 

 

「……ジビエや! 一度食うてみたかったんよ!」

「……え?」

 

 意気揚々とそう宣言した俺に、葵は驚きを隠せない様子だった。

 うん、気持ちは分かる。だが最早止まれない。ここまで来たら押し通すしかない。

 

「分かる、分かるで葵。生肉食うなんて危ないんやないか、どうかしとるって思っとるんやろ」

「うん」

「そ、即答……ま、まあええわ。確かにニワトリの生肉食ったら食中毒になる可能性はある」

 

 意見を通す時は一旦相手に理解を示しているという態度を取ると良いと聞いた記憶が、無いけど知識の中にはある。無闇に主義主張を掲げるよりも当たりが柔らかくとか何とか。専門家でも何でもないから知らんけど。

 あ、ちなみにニワトリの生肉で食中毒になることはあってもブタやウシの生肉で食中毒になることはない。実に不思議な話ではあるが、ゲームの仕様でそうなっているのだから仕方ない。

 

「でもな、ここはマインクラフトの法則の適用された世界なんや。そんでもってマインクラフトでは食中毒はデバフとしてあったけど直接ダメージは受けへんかった。お腹が早く空くくらいのもんなんや」

「はぁ」

 

 そう、マインクラフトでは食中毒というデバフが存在する。これは毒とは違って直接に体力は減らないものの、満腹度の減りが早くなるというものだ。基本的に満腹度が0になればダメージを受け、難易度ハードなら餓死することもあるから全く放置しておいて平気というわけでも無いのだが。

 

「そして、その食中毒もな。なんと牛乳飲めば打ち消せるんやで。そしてその牛乳はちゃんと持ってきとる!」

 

 しかし、デバフということは牛乳による効果打ち消しが効くということでもある。マインクラフトにおける牛乳はステータス効果をプラスのものもマイナスのものも、装備によるもの以外の一切合切を解除する性質を持つ。

 つまり牛乳さえあれば、実質普通の食料を食べるのと大差無いということなのだ。これと同じ手がゾンビ肉や青くなったジャガイモを食べた時にも使える。……前者は現実となった今じゃ食いたくないし、後者に至ってはゲームの時ですら食わなかったけど。

 

「やからニワトリの生肉食ってそのまま満腹になればそれで良し、食中毒にかかっても牛乳飲めばすぐに回復。どうや、何の問題もあらへんやろ!」

「お姉ちゃん、私のパンと果物分けるからさ。それ仕舞おう?」

 

 だからニワトリの生肉を食べても大丈夫。

 そんな俺の力説に、葵は哀れみさえ感じさせる心優しい眼差しで以て応えた。

 

「思いがけない間違いなんて誰にだってあるんだから。だいたいジビエって別に生って意味じゃ……あっ!?」

「まずっ、やない。へ、へぇ、ジビエってこんな味……えっ?」

 

 こうなったら目の前で実践して大丈夫なことを示すのみ。

 そう思って生肉をパクッといったところで、思いがけない一言が葵から発せられた。

 

「ジビエって、生食やないの?」

「全然違うよ! 天然肉って意味合いのフランス語で普通はちゃんと加熱して食べるものだよ!?」

 

 そう、だったのか。

 つまりジビエっていうのは生でも何も無くて、そもそも今食ってる牧場産の肉はジビエの条件を全然満たしていないということなのか。

 今の今までとんだ勘違いをしていた衝撃のせいか、怖気のような震えが全身に広がる。

 

「せやったん、か。……げ、うえっ」

「お、お姉ちゃん!」

 

 あ、いやこれ怖気でも何でもないや。

 俺は虚脱感を伴った腹痛に襲われた。それと同時に急速に胃の中身が消化されていくような、餓鬼というのは常にこんな状態なのかというような感覚も。間違いない、食中毒である。

 

「だから言ったのに!」

「だ、大丈夫や葵。こんなもん牛乳飲めばあっさり解消や」

 

 心配と呆れとが入り交じった葵に対し、脂汗を流しながらも不敵に笑い返してインベントリから牛乳入りのバケツを取り出す。

 それをゴクリゴクリと、ゆっくり飲む。……いや、思ったより多いなこれ!? そりゃバケツサイズなんだから当たり前のことではあるが。次からは瓶に移すか。でも瓶入りの量でちゃんと効果発揮するんだろうか。

 

「ぶはっ、うべっ」

「ちょ、ホントに大丈夫なの!? というか零れまくってるんだけど!」

 

 というかバケツが重さと腹痛による手の震えとで上手く飲めない。飲めてはいるのだが、たまに傾けすぎて口の端から溢れて体や床に零れている。既にびしょ濡れだからそういう意味では服の濡れる心配はいらないのだが。

 ぎょっとした様子で距離を取った葵の非難も何のその。やがて全身を覆う寒気が無くなった辺りで俺はバケツを床に置いた。

 

「はぁっ、はぁっ……どうや葵、食中毒は治ったで!」

「…………」

 

 どうにか胸を張って主張する俺だが、葵は完全にドン引きした様子でこちらに冷たい視線を投げかけるばかりだ。

 俺にとって居たたまれない雰囲気が暫し続いた、その時だった。

 

「……う、げぇっ!?」

「お、お姉ちゃん?」

 

 お腹の辺りにまだ違和感がある。そう思った次の瞬間には、俺は再び激しい腹痛に見舞われていた。

 おかしい、そんな馬鹿な。先ほどのような猛烈な空腹感こそ無いものの、内臓を握られるような苦痛が続く。

 いったい何が、起こって。

 

「あの、お姉ちゃん。もしかしたらなんだけど、これって状態異常と痛みは別物ってことじゃない?」

「べ、別物?」

 

 俺はうずくまって痛みに耐えながら、何とか聞き返す。

 葵は言葉を続けた。

 

「急激な空腹自体はマインクラフトの仕様として治っても、食中毒そのものによる痛みまでは消えないんじゃないかってこと。現実の法則とどんな感じに混ざってるか分からないから、確かなことは分からないけど」

 

 ここに来て、またゲームの仕様とのせめぎ合いだというのか。

 

「クラフターの身体能力からして大事には至らないんじゃないかな。まあ原因の生肉が消化されるまでは痛むくらいに考えた方がいいと思うよ。現実通りなら、2時間くらい?」

「2時間も……!? 無理やって、こんなに痛いのに」

「私にはどうしようもないよ。というか、あんなに止めたのに食べちゃうお姉ちゃんが悪いんだからね」

 

 ぐうの音も出ない。全くの自業自得である。

 葵は言い切るとそのままこちらに背を向けて横になった。

 その今までにない冷淡な反応に、ふと思い至った。

 

「あ、葵? ……その、もしかしてめっちゃ怒っとる?」

「別に? 人の話を聞かず突っ走ったお姉ちゃんに怒ったりなんてしてないよ」

「怒っとるやん!?」

 

 かくして、これが俺が葵ちゃんを激怒させた初の出来事であった。

 散々忠告してたのに無視した挙げ句にドツボに嵌まってちゃ、それは怒っても当たり前だ。

 冷静に振り返れば当然のことであった。

 

 

 

「もう私は寝るから、おやすみ」

「あ、葵ー!」

 

 起きた直後の雰囲気はどこへやら。

 しばらくの間、腹痛に悶えながら俺は平謝りしたのであった。

 ……茜ちゃんボディが一番の被害者であったであろうことは言うまでもない。



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第24話 廃坑探索

 食中毒に悶え苦しむこと数時間、次第に腹痛が引いていきようやくまともに動けるようになった。

 実に長い数時間だった。苦しい時とか退屈な時はどうも体感時間が長くなる。

 

「お姉ちゃん、まだ休んでなくて大丈夫なの?」

「平気や、それに長居しすぎたしな。はよ戻らんと」

 

 あれから何とか機嫌を直してもらった葵が心配そうに問いかけてきたのにそう返す。

 最初に気絶していた時間を考えると半日ぐらいはここにいることになるだろう。

 拠点の動物達もまだ大丈夫だろうし特に時間制限があるわけでもないが、さすがに留まり過ぎである。どのみち今度こそ本当に食料も無いし、さっさと上に戻らなければ。

 

「ほな、まずは渓谷の様子を確かめるで。あーこっちの丸石の方か」

 

 周りの壁を見やると、ある一方だけが丸石で構成されている。

 横穴を掘った後に塞いだのだろう。

 ひとまずは渓谷に出ようと思い、ツルハシを手に持った。

 

「気をつけてね。まだモンスターがいるかも」

「ん、そか。じゃあちょいと覗いてみるで」

 

 葵の忠告を受けて1ブロックだけ掘ってみる。

 そこから渓谷の様子を窺ってみ――スケルトンと視線が合った。

 

「うひゃっ!?」

 

 跳ね上がった心臓に突き動かされるかのように、反射的に穴の前から退く。

 直後、眼前を風切り音と共に矢が通り過ぎていき、地面へと突き刺さった。

 慌てて穴を塞ぐ。

 

「だ、大丈夫!?」

「平気や。でも、こりゃ渓谷から出るのは無理そうやな……」

 

 息を落ち着かせながら、どうしようかと考える。

 今の出来事に反応したのか、壁の向こうからは呻き声やら足音やらが聞こえてくる。

 見るまでもなく、モンスターがうじゃうじゃといるようだ。

 足下を掘ってみて一方的に攻撃出来ないかとも考えてみたが、ゲームよりモンスターの動きが柔軟であることを思い出してやめた。たぶん、当たり前に身を屈めて入ってこようとするだろう。

 

「地道に掘っていくしかない?」

「せやな」

 

 葵の言葉に頷いた。

 ゲームの時も洞窟に迷った時なんかは上に向かって掘り進めて脱出することはあったし、マインクラフト的には常套手段である。

 が、そこはこの世界。ちょっと掘り進めていくだけで結構疲れるのに、それを数十メートル分だ。あんまりやりたくは無かったが……この際、四の五の言ってられないか。

 俺は先ほどとは別の方向の壁に向き合うと、再びツルハシを握る。それから階段状に掘り始めた、のだが。

 

「ん? なんや明るく――ほわあぁ熱い熱いあっづぅ!?」

「お、お姉ちゃん! って、うわっ!?」

 

 地中を掘っているはずなのに急に明るくなった。そう思った次の瞬間には今まで経験したことのない、想像を絶する極熱に晒されていた。

 掘っていた階段を転げ落ちても小部屋の床に叩きつけられる。それでもその痛みより体を溶かされるような熱さの方が強烈で、必死に逃れようと地面を転げ回った。

 

「ま、まずは塞いで、それから、え、えいやっ!」

「あづいあづっ、冷たっ!」

 

 意識が遠のきそうになる中、葵のかけ声が聞こえるや否やバシャリという音がした。

 かと思えば熱さが嘘のように消え、打って変わって冷たいものに身を包まれる。

 それが水だということに、ほどなくして気がついた。

 

「助かったで葵……まさかこんな高度で溶岩が出るとは……」

「ご、ご愁傷様……」

 

 冷静になった頭で今起きた出来事を振り返ってみる。

 マインクラフトで真下や真上を掘る際、気をつけないことがいくつかある。

 下が空洞になってはいないか、上に砂や砂利のような窒息の原因となるブロックが無いか。そして――溶岩が流れ込んでこないかだ。

 マインクラフトにおいて溶岩は液体ブロックの一種であり、触れるとダメージを受け、さらに耐性のないキャラクターを炎上状態にしたり近い位置にある可燃性のブロックを燃やしたりする性質を持つ。溶岩はかなり低い高度、地中どころか地底と呼んでいいようなところに生成されることが多い。かといってそれより高ければ安全かというとそんなこともなく、地表に溶岩の池があったり崖から滝のように流れていたりすることもある。

 そして溶岩は目視出来ない地中に埋まっていることもあり、迂闊に掘り進めたクラフターがその餌食になるというのもお約束の1つだ。ピンポイントで当てることになるとは思いもしなかったけど。

 

「あーもう、射られるわ燃えるわ、またビショビショにならなあかんくて散々やでホンマ」

「ちょっとお姉ちゃん、はしたないよ」

「仕方ないやろ、動きにくいし濡れたのが気持ち悪いんや」

 

 出だしで2度もこける羽目になってどうにも腹の虫の居所が悪い。その上、濡れた服が素肌に纏わりつく感覚がどうにも気持ち悪く、ぶつくさ言いながら脱いで絞る。実際だったら重度の火傷では服を脱いではいけないのだが。クラフターの頑丈さ様々である。

 しかし、それにしてもどうしたものか。渓谷は駄目。階段を掘っていくのも、まあ場所を変えればいけるのだろうが、ちょっと今のであまりやる気になれない。

 

「あーホンマどうしよっか」

「うーん……あ、そうだ」

 

 悩んでいると葵が何かを思いついたようだった。

 

「廃坑を通っていくのはどうかな?」

「廃坑を?」

「上から覗いてみた時、渓谷に出てた場所があったでしょ? あそこに辿り着けば崖沿いに上がれるんじゃないかな。谷底みたいにモンスターだらけってことも無いだろうし」

 

 廃坑か。毒グモが怖いけど、それ以外は曲がり角に注意すれば基本道は真っ直ぐでモンスターに出会い頭に襲われることも少ない。

 確かに下手に強行突破しようとするよりは安全かもしれない。

 

「でも、どうやって廃坑に出るん?」

「それはね。ああ、こっちこっち」

 

 葵に手招きされて、渓谷側とは反対の壁に寄ってみる。

 そのまま静かにして少し待つと、金属音にも似た不可思議な音が壁の向こうから響いてきた。空洞音だ。

 洞窟かもしれないが、だとしても位置的に廃坑に繋がっていることだろう。

 

「お姉ちゃんが最初に起きるまでの間、ちょくちょく響いてきてたの。わざわざ行くこともないかと思って言ってなかったんだけど」

「まあ渓谷から出れるならその方が良かったからな」

 

 ともあれ、廃坑を通っていくのならその準備だ。重くて着ていなかった防具を身につけ、さらに素早く切り替えられるようにアイテムをスロットに配置。安全な時は松明を、敵がいる時は剣を持てるようにする。

 

「空けるで」

 

 葵に後ろで剣を構えてもらいながら壁を掘る。

 果たして、そこには明らかに人の手によって整備された空間が広がっていた。

 間違いない、廃坑である。そっと顔を出して左右を確認する。モンスターはいない。

 右側は程なくして行き止まりになっていて、左はずっと続いている。ちょうど坑道の外れに出たらしい。

 

「ほな、進んでみよか。後ろは頼んだで」

「うん、分かった」

 

 警戒しつつ、松明を設置して進んでいく。大した距離では無いはずだが、閉塞感と相まってか1歩1歩が実際よりも長い印象を受ける。

 歩いて行くうちに元は通路に延ばされていたのであろうレールが中途半端に残っているのを見つけた。以前にも説明した通り、廃坑のレールは鉄ブロック節約にもなるのでゲームにおいても回収対象の1つだ。ついでだし回収していくこととする。

 さらに道の端っこにあるものを見つけた。

 

「おっ、宝箱や」

「チェストだよお姉ちゃん」

 

 宝箱、もといチェスト付きトロッコだ。廃坑探索のお目当てであり、お楽しみの1つでもある。こっちも箱ごといただいていくとしよう。その前にまずは中身を確認しておくか。

大概はレールとかパンとかが入っているばかりだが、さてはて。

 

「どれどれ、中には何が……マジか!」

「良い物でもあったの?」

 

 中を開いてみて思わず声を上げた。

 尋ねてきた葵にアイテムを渡す。

 

「えっ、これって」

「せや、ダイヤモンドや! こりゃ運が向いてきたで」

 

 それはバニラでは最高の素材、ダイヤモンドだった。1個だけだが、それでも嬉しいものは嬉しい。まだ地下深くのブランチマイニングはしてないからな。これがこの初ダイヤだ。

 

「せっかくやし葵が持っててや」

「いいの?」

「どうせ1個やし、うちが持っとるとどっか行ってまいそうやからな。まああれや、記念品みたいなもんと思えばええ」

「あ、あはは。うん、そういうことなら大事に持っておくよ。……えへへ」

 

 葵の手元からダイヤモンドが消える。どうやらインベントリにしまったようだ。

 それにしても若干機嫌が良くなったように見える。別にさっきの機嫌を直そうと思って渡したわけではないが、喜んでくれたのなら嬉しい。

 やっぱり彼女も女の子らしく宝石とかに興味があるのだろうか。と、それは少し偏見かな。

 あ、ちなみに他に入ってたアイテムは大した内容ではなかった。いつのか分からないけど未だに食べられるパン、設置予定だったのか撤去したものをしまったのかレール、それから松明が何本か。種とか特殊なレールとかが入ってたら嬉しかったんだけど、そこまで都合良くはいかないようだ。

 そして、都合良くいかないのは探索の方も同じらしい。

 

「――葵、ストップや」

「えっ?」

 

 そんなことを考えながら歩いているうちにやがて十字路に差し掛かった。

 それと同時に鳴き声も聞こえてくる。呻き声でもコウモリのものでもない、何かを吸っている時のような声を出すのはあれしかいない。

 

「早速お出ましか……葵、牛乳出せるようにしときや。あと剣とツルハシも」

 

 ――毒グモだ。



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第25話 洞窟グモと拠点に帰って

 毒グモは、公式には洞窟グモという名称である。名前からも分かる通り、普通のクモの亜種のようなモンスターであり、大量のクモの巣と共に廃坑に生成されるスポナーブロックから湧いて出てくる。

 この洞窟グモの大きな特徴はその体の小ささと毒を持っていることだろう。普通のクモなら引っかかる1マス分の空間にも入れるし、ノーマル以上の難易度では攻撃を受けたクラフターを毒状態にしてしまう。毒状態になると一定時間ごとにダメージを受け、やがては死ぬことはないもののその寸前まで体力を減らされてしまう。

 これだけでも厄介な存在なのだが先述の通り、基本的には狭い廃坑で無限に湧いて出てくる洞窟グモ複数匹を同時に相手にすることになる。つまるところ洞窟グモの攻略法とは、いかに長引かせず素早くスポナーを破壊出来るかにかかっていると言えよう。

 

「というわけでスポナーの真下まで掘ってくで」

 

 十字路の曲がり角からこっそり覗いてスポナーと洞窟グモを確認した後、俺はその通路を土ブロックでさっさと塞いだ。それから剣をしまうとツルハシに持ち替える。

 

「え? 戦わないの?」

「真っ正面からやるよりこっちのが手っ取り早くて安全やからな。残ったのは倒さんとあかんけど」

 

 キョトンとした様子ながらも同じくツルハシを手にした葵にそう返す。

 洞窟グモのスポナーはクモの巣に囲まれているから、それを破壊しなければ触ることはおろか辿り着くことも出来ない。ハサミや剣を使えば比較的早くクモの巣を破壊出来るとはいえ、それでも洞窟グモが出現する方が早いだろう。そうなってしまえばその対処に追われ、そうしているうちに次の個体が出てきての繰り返しだ。それでもゲームの頃なら多少はゴリ押しでも何とかなったが、ここではそうもいかない。こんな状況になっている時点で説得力はないかもしれないが、最優先は身の安全だ。何より葵ちゃんをこれ以上の危険に晒すわけにはいかない。

 そこで役に立つのがスポナーが床に直接設置されているという点であり、マインクラフトがクラフターの思うがままに地形を変化させられるゲームであるということだ。何のことはない。いつぞやのスケルトンの時と同様、こちらに有利な環境を作ってしまえばいい。スポナーの真下に穴を空けて、そこから破壊するのである。

 とはいえスポナーを破壊したとしても既に出てきたモンスターはそのまま残る。今回の場合、スポナーを破壊した後に洞窟グモが落ちてこないかだけが心配だが、そこは気をつけるしかないだろう。

 

「ほな掘ってくか」

 

 そこからは大してかからなかった。

 地道に床を掘っていき、スポナーを真下から破壊した後に穴を塞いでから元の十字路に戻る。それから封鎖した壁を1マスだけ空け、1体ずつやってくる洞窟グモを2人でペシペシと剣で叩いた。

 以上、毒グモの攻略終了だ。ついでに通路を塞いでいたクモの糸も破壊して回収していく。今のところ、積極的にモンスター狩りをしていないから倒さないと手に入らない素材は貴重だ。

 

「大した相手やなかったな」

「お姉ちゃんがスポナーの位置間違えかけた時はちょっとヒヤッとしたけどね」

「う、目測で見当つけるしかないから難しいんや。予測表示なんて出てこんし」

 

 さて、それからは特筆するようなことは何も無かった。しけた中身のチェストに再度のスポナー、1回だけゾンビが出てきたくらいか。階段になっているところを見つけて上の階層を歩いて回り、程なくして渓谷に出る通路に辿り着いた。

 

「ようやく外に出れるな。……あちゃ、雨や」

「まあそれでも頑張って帰るしかないよ」

 

 昼間に落ちて半日以上はここにいたからすっかり夜更けになっていた。

 その上、雨が降っている。食中毒に苦しんでいる数時間の間に天気が崩れてしまったのだろう。我ながらつくづく余計なことをしたと反省する。

 

「ウチが階段状に設置してくから、周りの警戒頼んだで」

「分かった。気をつけてね」

 

 渓谷に突き出た足場から崖に沿ってブロックを斜めに設置していく。

 暗いし雨も降っているから転落防止用に壁部分も作りながらだ。慎重に慎重を重ねている分、時間がかかるが、また落ちたら面倒だし今度こそ命は無いだろう。とっくに予定の時間を大幅に過ぎてしまっているからこそ、用心しての作業を心がける。

 

「よっしゃ、やっと上がってこれたな。モンスターも見える範囲にはおらんな」

「確かこっちの方から来たよね。……うん、目印の松明もあるし合ってるみたい」

 

 周囲の索敵と経路をしながら2人で森の中を歩いていく。代わり映えしない景色だが、それでも地下に比べれば息の詰まるよな圧迫感が無いから快適だ。開放感ってこんなにも重要なんだな。だからといってクリーパーはNGだが。あいつは呼んでもないのに出てくるからな。

 そうこう歩いて行くうちに森を抜け、拠点に辿り着く。動物小屋や畑がちょっと気になったが、1日は経っていないし大丈夫だろうと家に入った。

 そう、1日も経ってないんだよな。死にかけたせいもあってか、体感では1週間も2週間も、いやそれ以上に長いこと出ていたような気さえする。

 

「や、やっと帰って来れた……」

 

 安全な自宅に帰ってこられてようやく一息つけたのだろう。

 心底ホッとした様子でそう呟いた葵は玄関にぺたりと座り込んだ。

 俺も同感だ。

 

「荷物の整理は後にして今日はさっさと休むか……ああでもその前に風呂入らんとな。谷底と今帰ってくる時の雨で何度かびしょ濡れになってもうたし」

 

 落ち着いて気を配る余裕が出来たからだろう。急に肌に張りつく服や髪を滴る水が気になってきた。

 身も心も疲れてはいるが、こんな状態では休めるものも休めない。温かい風呂に入って着替えるのが先だ。

 

「先に入ってきいや。ウチはその間、お茶でも飲んどるから」

「え、えーっとねお姉ちゃん」

「ん? なんや?」

 

 ひとまずは初探索でなおさら疲れているであろう葵に先に入ってもらおう。

 そう思って提案するが、彼女はやや躊躇いがちに口を開いた。

 

 

 

「……お風呂、一緒に入ってもらっていい?」

「えっ」

 

 思いがけない一言に、俺は暫し固まった。

 それから初日に一緒に寝た時のことや今回危険な目に遭ったことなどから心細いのだろうかとも思ったが、そういうわけではないようだった。

 

「その、入ってる間に寝ちゃいそうで」

「ああ……」

 

 理由を言った葵は確かにとても眠たそうに見えた。

 というか、ふあっと口に手を当てて欠伸をしているし心なしか瞼も下がり気味だ。

 眠たいオーラが全身から発せられている。

 

「でも、それやったらウチが風呂場の前で待っとってもええんやない?」

「そんなの……悪いよ。お姉ちゃんだって私以上に疲れてて濡れてるんだし……」

 

 喋っているうちにも彼女は既に舟を漕ぎ始めた。放っておいたらこのまま寝息を立ててしまいそうだ。

 どうやら押し問答している余裕は無さそうである。俺は早々に折れることにした。

 

「あー分かった分かった。ならさっさと済ませてさっさと寝よか」

「うん……」

 

 そんなこんなで俺は葵と一緒に風呂に入ることになった。

 ……いや、実際には葵を風呂に入れたという方が正しいだろう。

 温かいお湯に眠気が促進されたのか、入って間もなく彼女は背中を洗っていた()にもたれかかるように寝てしまったからだ。

 いきなり倒れ込んできたから何事かとぎょっとしたものの、すぅすぅと音が聞こえてきたので寝落ちしただけと分かりホッとした。とりあえず夢うつつ状態ながらも彼女を起こし、さっさと風呂を上がってから服を着させて、それからベッドに放り込んだ。その頃には再び夢の世界へと旅立っていた。それだけ疲れていたということなのだろうが。

 そういうわけで風呂場で姉妹同士イチャイチャするだとか、俺がドギマギするだとかそんなことは一切起こらなかった。前者はいわずもがな。後者も、やはり今の俺の体が茜ちゃんだからなのだろう。感じたことと言えば、ああ、女の子だねといった程度のものだった。精神は肉体に引っ張られるものだからな。元の俺がどんな人間だったのかは知らないが、少なくとも今の俺はだいぶ女寄りになっているのだろう。

 自分の部屋のベッドで横になりながら考える。果たしてどうだったかも定かでない元の俺に戻った時、精神はどうなるのだろう。すんなり適応するだろうか、それとも今の茜ちゃんボディとのギャップに悩むことになるだろうか。

 でも、それよりもだ。

 

「この体も……」

 

 最初は転生か何かかと思ったが、実は俺が琴葉茜の体を乗っ取ってしまったのではないかという可能性。

 もしもそれが事実だとしたら。方法も手がかりも、全く分からないが。

 

 

 

「もしもそうだったら――ちゃんと、返さないとな」

 

 俺もだいぶ疲れていたのだろう。

 眠りにつくのにそう時間はかからなかった。 



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第26話 微かな違和感

「ん、ん~……よく寝た」

 

 翌朝、俺は爽やかな目覚めを迎えた。

 昨日の疲れがきれいさっぱり消えており、体中に力が漲っている感じがする。

 凄いな茜ちゃんボディ。まるでエネルギーの有り余ってる小学生みたいだ。

 ……なんて言い方をするとちょっと貶しているみたいだろうか。

 控えめとはいえちゃんと出てるところは出ているし。

 

「今日は……あー、荷物の整理と拠点の見回りか。まあ大丈夫だとは思うが」

 

 さすがに1日くらいであれば畑や動物達がどうこうなっていることも無いだろう。

 まあ畑はともかく動物の餌については可哀想なことをしたが。

 ……あの俺に対してはやたら態度のふてぶてしいことを思い出すと同情が薄れそうになるが。

 何にせよ、まずは朝ご飯だな。

 そう思い着替えを済ませて1階へ降りた俺だったが。

 

「ん?」

 

 いつもなら先に起きて朝ご飯を作っている葵の姿が無い。

 一瞬困惑したものの、だいぶ疲れた様子だったからまだ寝ているのだろうと気を取り直す。

 出会う前のことを除けば、あれが葵にとっては初探索だったはずだ。

 それが思いがけないハプニングに見舞われ、危うく命を落としそうになって……。

 ……ってよく考えなくても、これトラウマになっていてもおかしくないぞ! 

 

「……葵!?」

 

 内心で簡単なことにも気づかなかった自分を罵倒しつつ、慌てて2階に上がる。

 俺は葵の部屋の前に立ち、声をかけた。

 

「葵!」

「……あっ!? いけない!」

 

 呼びかけから僅かな間があり、一瞬肝が冷える。

 だが、それからガバリと布団をはね除ける音と葵の声が聞こえた。

 聞く限りでは慌ててはいても、憂鬱な感じは無い。

 

「んんっ、ごめん寝坊した! 今起きるから!」

「ええでーそんな急がんでも。……ふぅ」

 

 いつも通りの雰囲気に胸を撫で下ろす。

 待っていると程なくして扉が開き、葵が顔を出した。

 

「おはようさ、ん?」

「おはよう! ごめんね、今から朝ご飯作る……えっ?」

 

 俺は、挨拶もそこそこに階段を降りようとした葵を思わず引き留めた。

 自分でも何故そうしたのか理解出来ないまま、彼女の肩を掴んでじっと顔を見つめる。

 

「お、お姉ちゃん? 急にどうしたの……?」

「ん……いや、なんでもない。スマンスマン」

 

 戸惑う葵を暫し眺めた後、俺はそう詫びつつ葵を離した。

 

「もう、変なお姉ちゃん。じゃ、ちゃちゃっと作っちゃうから!」

「分かったでー」

 

 腑に落ちないといった様子ながらも朝食のことを思い出したのだろう。

 今度こそ葵は階下に降りていった。

 

「……何なんだったんだ、今の感覚?」

 

 一方で、どうにも腑に落ちないのは俺もだった。

 なんと言おうか。部屋から出てきた葵の表情を見た瞬間、違和感を覚えたのだ。

 別に葵が変な格好や寝癖をしていたわけでもないし、ましてや俺みたいに中身が別人になってるとかそういう風でも無い。初めて会話した時の、彼女が本物の琴葉葵であるという感覚は今でも確かにある。

 しかし、だとすれば何なのだろう。

 

「気のせい、か?」

 

 拭いがたいものが思考の隅に残るのを感じつつ、俺は食堂へと向かった。

 

 

 

「そういえば村には1回行ったきりやな」

「村? ああ、そういえば言ってたね。村があるって」

 

 葵の作ってくれた朝ご飯に舌鼓を打ちながら、ふと村に行っていないことを思い出した。

 呟きに反応した葵へと頷く。

 

「せや。村の整備と引き換えに色々貰うって約束したねん。別に何時とかは決まってないんやけど」

 

 村と交わした約束はかなり緩い。工期があるわけでもなく、定期的に行くというわけでもなく、時々村に寄ったらそうするといったくらいのものだ。もちろん間を置きすぎても良くはないだろうが、それでも前に話した時には都合の良い時で構わないと言っていた。

 そもそもこの世界にはあまり火急の用というものが無いらしい。人々はゆったりとした現状に満足していて、技術やら経済やらを発展させるという発想そのものが希薄のようだ。それは必死にならなくても充分に食べ物があり、生活圏から出ない分には命の危機に晒されることが少ないのもあるだろう。

 だがそれ以上に、どこか根本的に地球における生存競争の原理とはかけ離れたものがあるように感じられる。まさしく牧歌的な、マインクラフト世界といったところだ。まあプレイヤーがその気になれば、いくらでも殺伐としたゲームにはなるけれども。

 

「行商人が珍しいモン売ってたら取っておいてほしいとも頼んだし、また明日辺り行ってみてもええかもしれんなぁ」

「そうなんだ。それじゃあ、その時は私もついてくよ」

「それは構わんけど、葵大丈夫か?」

 

 先ほどのこともあって、事も無げについてくるという葵につい尋ねた。

 

「大丈夫って、何が?」

「ほら、昨日色々あったやん? 外に出るの怖くなったり、せえへん?」

 

 俺の言葉に葵は得心が行ったという表情をした。

 それから少し考え込んだ後、口を開いた。

 

「うーん、確かに外の危険性は身を以て体感した。けど」

「けど?」

 葵はきっぱりとした口調で言った。

 

「お姉ちゃんが一人出かけてるのを待ってる方が怖いかな」

「あー……スマン」

 

 ぐうの音も出ない。

 そんなことないと言い返すには心当たりがありすぎた。

 もっと言えば昨日増えたばかりだ。

 

「思ってたんだけど、お姉ちゃん時々向こう見ずになるから。気をつけてね?」

「善処するわ……」

 

 この頃、姉ムーブが出来てない気がする……茜ちゃんの代わりしないとあかんのに。

 これじゃあ全くどっちが姉で妹なのか。

 そんなことを思いながら、俺はただ頷くことしか出来ないのであった。



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第27話 新たな出会いと

 特に語ることもなく拠点周りの日課をこなし、次の日となった。

 今日は葵と一緒に村に行く。

 出発の段になり、改めて葵に荷物は大丈夫かと尋ねられた。

 

「装備持った?」

「持っとるでー」

 

 まずは戦闘用の鉄装備や作業用のツール一式。

 予備や耐久値にも余裕があるのを確認する。

 

「素材や建材は?」

「あるでー」

 

 それから何かあった時のクラフト用の素材や村での作業に必要な木ブロックや石ブロックといった建材も用意する。

 村周辺の環境を壊すわけにもいかないし、どのみちここの拠点で使い切れるものでもないからな。

 

「食べ物はー?」

「今度は大丈夫や、ちゃんとあるで」

 

 パンに果物、それに今度はちゃんと焼いた肉を、ついでにおまけもちゃんと持っている。

 もう食中毒なんてこりごりだ。

 しかし、未知の領域を探るのとは違って比較的安全な旅になるからか、準備していると何となくワクワクする。

 

「こうしてると、なんだか遠足前みたいやな。子供やないけど」

「えっ。あ、うん。そうかもね」

 

 ふとそんな風に思って口に出すと、葵はそう返した。……ちょっと引っかかる物言いなのは聞かなかったことにしよう。

 それより今度こそはクラフターの先達らしく、そして姉代わりとしてちゃんと振る舞わないと。

 ここしばらく良いところ無しだからな。というか、まともに活躍出来たのが初めて葵と出会った時くらいの気がする。

 気を引き締めていかなければならない。気合いを入れようと拳を握り締め、掲げながら掛け声を上げた。

 

「ほな出発やでー! おー!」

「お、おー?」

 

 この間で村までの道のりは把握したから、順調に行けば今日の夕暮れくらいには辿り着けるだろう。

 意気揚々と、家の裏手の大草原へ踏み出した。

 

 

 

 さて、そんな調子で出発したはいいものの移動というのは地味なものだ。

 これが日本だったら目についたお店のことでもテレビやネットで見聞きしたことでも会話するのだろうが、生憎とこの世界にはそんなものはない。

 

「…………」

「…………」

 

 互いの足音と風で草花が揺れる音がするばかりで、沈黙ばかりが続く。

 いや、常に会話していなければならないというわけではないのだが、何となく気まずいというか何というか。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「ん? なんや?」

 

 そんなことを考えていたら、ちょうど葵が話しかけてきた。

 

「前に村があるってことは聞いたけど、村人さん達のことは聞いてなかったなって思って。一体どんな人達なの?」

「あー、せやなぁ」

 

 尋ねられて思い返してみる。

 どんな感じだったかな。

 ちょうど森に辿り着き、草むらをかき分けながら答える。

 

「まあ基本的にはええ人達やと思うよ。陽気な昔話に出てくる農民っちゅーか、のんびりしとったな」

「へぇ」

 

 まだ1回行っただけではあるが、全体的な印象としてはステレオタイプな田舎の人達だったかな。もちろん良い意味でだ。ジメジメとした閉塞的な村社会とか、そういうのではなく。

 この世界があまり弱肉強食でないというのが大きいのだろう。適当に植えても作物はぐんぐん育つし、野外に出なければ比較的安全に生活出来るし。

 村人達は現状の生活に満足していて、競争心も然程強く無さそうだった。牧歌的という言葉がまさに相応しいだろう。

 ……あっ、でも。

 

「オッサン同士で盛り合ってるのはちょっとアレやったけど」

「えっ」

 

 前はあえて触れなかったけど、その、聞こえてきたんだよな。夜中に。ナニがとは言わないが。

 あくまで来訪者の身で村人達の生活に物申す気は無い。そもそも村人はそういう種族なんだし、地球でだってそういうのに対する理解は増えてたんだし。

 でも思い返せば日中から村人同士の距離もやたらと近かったような気が……。

 

「いや、ええ人達なんやで? 親切やし、色々くれたし」

「フォローしても今のインパクトは誤魔化せないよ、お姉ちゃん……はぁ」

 

 記憶を振り払うように言ったものの、後ろで葵が溜息をついたのが聞こえた。

 呆れられてしまったかと葵を見遣る。

 そこで気がついた。

 

「……ん? お姉ちゃん、どうかしたの?」

 

 葵の様子がおかしい。

 一見していつも通りなのだが、よくよく見れば微かに肩で息をしている。

 ここまで歩いてきて疲れている? それにしては変なような。

 

「あー、その、なんや。ちと早いけど休憩してお昼にしよか。お腹空いてもうた」

「ホント早いね?」

 

 葵がそれを自覚しているのかどうかは分からないが、ひとまず様子を窺おうと提案する。

 彼女は少し不思議そうにしながらも頷いた。

 オークのハーフブロックを用意し、椅子代わりとして向き合うように設置する。

 それから腰掛けつつ、食料を取り出した。

 

「やっぱり便利やなぁ、インベントリは」

「元の世界だったらお皿ごと持ち歩くわけにもいかないからね」

 

 取り出したのは葵の作ってくれたサンドイッチと野菜スープだ。ややヘルシーではあるけれども、女の子2人にはちょうど良い。

 

「せや、とっておきのデザートがあるんよ」

「デザート?」

 

 それにこっそりインベントリに忍ばせておいたおまけも入れれば、多分結構満腹になるだろう。

 俺はそれをドンと取り出した。

 

「これや!」

「うわっ、大きい! これ6人分はあるでしょ!」

 

 今回用意したのはケーキだ。バニラでも実装されている、あのどこからともなくイチゴがついてくるケーキだ。小麦3つ、砂糖2つ、卵1つ、牛乳入りバケツ3つでクラフト出来る。

 ゲームだとスタックも設置後の回収も出来ないし、何回かに分けて食べることになるなど、純粋に食料とするには不便で装飾向きだった。

 幸いなことにこの世界では回収出来るようになっている。でなければ俺は最初に試しで出した時、1人で一気食いする羽目になっていただろう。それはさすがにキツい。女の子だからといって、甘い物を無尽蔵に食べられるわけではないのだ。

 

「1回お外で食べてみたかったんや」

「ホント、インベントリ様々だね……」

 

 ツッコミを入れた葵にちらりと視線を向ける。

 彼女は何気ない風に苦笑している。

 だが……。

 

「なあ葵――」

 

 その時だった。

 突然、すぐ近くの草むらがガサリと揺れた。

 かと思えば、次の瞬間には1つの影が飛び出してきていた。

 

「きゃっ!?」

 

 葵が小さく悲鳴を上げる。

 昼間だからって油断した!

 

「葵!」

 

 反射的に席を立ち、ケーキを飛び越えて葵を庇うように抱きしめる。

 俊敏な動きからしてクモか? どのみち一撃食らう程度なら大丈夫のはずだ。

 そのまま襲いかかってくるのを予想し、俺は体を強ばらせた。

 

「……あれ?」

 

 ところが想像に反し、いつまで経ってもそれ以上何も起こらない。

 一体どうしたことかと、俺は恐る恐る振り向いた。

 

「へ?」

「…………」

 

 そこには1人の小柄な少女がいた。

 質素なエプロンドレス、ホワイトブリム。紛う事なきメイドさんだ。

 栗色のショートボブの髪型をしていて、何となくどこかの小学5年生を思い起こさせる。

 もちろん別人だろうけど。頭から包丁を生やしてないし、何も背負ってないし、そもそも本来あの子の髪型はツインテールだ。

 そんな彼女は真顔で、だが穴が空かんばかりに熱い眼差しをケーキに向けている。

 

「だ、誰?」

 

 抱きしめていた葵が俺の肩越しに尋ねると、メイドさんは表情を変えないままゆっくりとこちらに顔を向けた。

 そうして無言で人差し指を立てると、頭のホワイトブリムを指差した。

 

「……いや、メイドさんだってことは分かっとるから」

 

 俺がそう言えば彼女はコクリと頷き、再び視線をケーキに戻した。

 かと思えばチラチラとこちらに視線を送ってくる。

 ……もしかしなくても、これは。

 

「……一緒に食べる?」

 

 葵が若干呆れ声で誘う。

 メイドさんはさながらヘッドバンギングのように激しく頭を振った。

 そういうわけで3人でお昼ということになったのだが。

 

「え? もっと食べたいん? まあウチらは1人分で満足やからええけど……」

 

 メイドさんはどうやらかなり食欲旺盛のようだった。

 まずムシャムシャと持っていた砂糖をまぶしたパン、ジャムで和えたと思しきサラダを食べ終えるや否や、瞬く間に1人分に切り分けたケーキをも平らげてしまった。

 それから残っているケーキを見て、無表情ながらも実に切なそうな目をしていた。お預けを食らった犬のようだ。お預けどころか食べ終えたばかりなんだけど。

 気になってしょうがないので葵とアイコンタクトを取ってから、スッと残りのケーキを差し出せば、それはそれは分かりやすく喜んでいた。相変わらず何も喋らないし表情は変わらないけど、目は口ほどに物を言うというか。仕草が雄弁だ。

 なおこの間、俺と葵はまだケーキどころかサンドイッチもスープも食べ終えていない。

 

「んーメイドさんはどうしてこんなところに居るん? ウチらは向こうの村に行くつもりなんやけど」

 

 ひとまずは何か交流しようと思い、俺はメイドさんに尋ねてみた。

 前に聞いた話ではメイドは基本的に旅をしていて、たまに町で路銀稼ぎに働いていたり契約満了まで雇われていたりする存在だということだった。

 そして、この世界でも田舎に類するらしい、この辺りにまでやってくるということは滅多に無いとも。何か特別な事情でもあるのだろうか。

 俺の質問に対し、メイドさんはある方向を指差す。その方面を見ると、そこには周囲の木よりも高く積み上げられた土ブロックがある。

 って、あれはこの間俺が目印代わりに設置した……。

 

「えっ、もしかして、あれに釣られて? ……そんだけ?」

 

 思わず零れた言葉にメイドさんはどことなく自慢げに平らな胸を張った。勝った、って違う。

 

「ちょっと好奇心に素直すぎん? あかんで、好奇心猫を殺すって言うやろ?」

「それ、お姉ちゃんが言えたことじゃあ……」

 

 メイドさんが自分より小柄で子供っぽく見えるせいか、ついつい窘めるように言うと葵にそうツッコまれた。

 何をぅ、と自然に葵の方を見てハッとした。

 

「あ、葵?」

「お姉ちゃん……?」

 

 葵に寄って、困惑する彼女の額に手を当てた。

 メイドさんの登場で頭から抜けてたけど、やっぱり。

 

 

「葵、熱出とるやん!」

 

 

 いつの間にか、葵の頬は茹だったように赤くなっており、額は汗ばんでいた。

 明らかに発熱している。何かおかしいとは思っていたが、こんな急に症状が出るなんて。

 

「べ、別にこれくらい大したことないよ……」

「何言うとるんや! どう見ても辛そうやないか!」

 

 葵は平静を装っているようだが、どこかぼんやりしており声にも元気が無い。

 

「一旦帰るで、ほな荷物まとめて」

「大丈夫だから!」

 

 これでは村に行くどころではない。

 帰って葵を休ませないと。

 そう思いお昼を切り上げようとした俺を、葵は強い口調で遮った。

 

「あ、葵?」

「大丈夫だから、私は、大丈夫」

 

 葵は半ば自分に言い聞かせるかのように再び言った。

 こんな葵は出会ってから見たことが無い。

 困惑しているとクイクイと袖を引っ張られた。

 見ればメイドさんが何やらジェスチャーをしている。

 

「何々? 村まで行けば医者がいるって?」

 

 そういうことなら確かに村へ行く方がいいのかもしれない。

 今居る地点からは拠点の方が近いとはいえ、状態異常に効く牛乳だけで薬はない。

 その牛乳も状態異常自体には効くが、体の不調を完全に治してくれるわけでないことは身を以て体験済みだ。

 俺は葵を見遣る。今でこそ葵は自力で立っているが、そのうち倒れてしまいそうだ。

 帰るにしろ、村に向かうにしろ、すぐに決断しないといけないだろう。

 問答している余裕は無さそうだった。

 

「分かった」

 

 唇を噛み締めて、俺は頷いた。



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第28話 看病と慚悔

「うぅ……」

 

 あれから数時間が経った。

 初めのうちこそ自分の足で歩いていた葵だったが、程なくして立っているだけでもしんどいといった状態になるに至り、俺が彼女を背負っていくこととなった。

 拠点に戻るのは頑なに拒否した葵も、今度ばかりは素直に身を預けた。

 

「葵、もうちっとの辛抱やからな」

 

 背中から聞こえてきた呻き声に、俺は何度目かの言葉をかける。

 返事は無く、荒い吐息と平常のそれより熱い体温が伝わってくるばかりだ。

 剣を片手に持ったメイドさんの先導の元、時折瓶に移したバケツの水を葵に飲ませたり汗を拭ったりしながらも歩を進める。

 逸る気持ちを抑えながらも慎重に、そうして村にようやく辿り着いたのは日が落ち始める頃のことだった。

 

「おお、茜殿、それにメイドさんに……?」

 

 前回来た時と同じチェーン装備姿の門番が声をかけてくる。

 しかし、新顔である葵とこちらのただならぬ様子に気がついたのだろう。

 すぐさまデカ鼻顔をキリッとさせた。

 

「すまん、門番さん。この子が道中で体調崩してもうて」

「分かった。医者を呼んでくるから宿泊用の家で待っててくれ」

 

 判断が早いのはさすが戦いに身を置く役職だといったところだろうか。

 門番は俺達を村に入れると門を閉じ、それからどこかへと走って行く。

 それを見送りつつ、俺達は宿泊用の家に向かった。

 

「葵、下ろすで」

 

 メイドさんにドアを開けてもらって家の中に入り、俺は背負っていた葵をベッドに横たえた。

 茹で蛸のような顔色を見て、今の服装では暑いだろうとどうにかゆったりとした服装に着替えさせる。

 それから次から次へと額を流れる汗を拭ったり濡らしたお絞りを変えたりしているうちに玄関がノックされ、門番が呼んだ医者がやってきた。

 

「どないですか?」

「命に別状はありません。しばらくは安静にして、時々水を飲ませてあげたりしてください」

 

 医者は少しの間、熱を測ったり脈を取ったりしていたが、やがてそう言った。

 そして落ち着いたら飲ませるようにと熱冷ましだという薬を取り出し、どうぞお大事にと去って行った。

 礼を言って見送ってから、ようやくホッと一息つく。

 部屋に戻り、ベッド脇に置いた椅子に腰掛けた。

 

「葵……」

 

 苦しそうにしている葵を見ながら、内心で俺は自分を罵る。

 昨日の時点で何となく違和感は覚えていた。なのに、それを見逃してのんきにしていた結果がこれだ。

 いいや、もっと言うならばその前からか。。

 迂闊な探索で葵を命の危機に晒して、余計な真似をして心配をかけて。

 それで積み重なった疲れがここに来て吹き出てきたに違いないのだ。

 何が姉代わりになるだ、葵を守るだ。

 俺、何にも出来てないじゃないか。

 もしも、これで葵がどうにかなったりしたら俺は、俺は――。

 その時だった。スッと目の前にハーブティーが差し出されたのは。

 

「っ! メイド、さん?」

 

 見れば相変わらず無表情のままのメイドさんがこちらを見ている。

 ここまで手助けしてもらっていたのに、すっかり存在を忘れていた。

 知らず知らずのうちに固く握り締めていた手のひらを緩める。

 

「あ……ありがとう。すまんなぁ」

 

 受け取って一口つけた。温くはなく、かといって熱すぎるということもなくて飲みやすい。

 ふんわりとした優しい香り、砂糖が入っているのか仄かに広がっていく甘みに自然と気持ちが落ち着いていくのが分かった。

 どことなくフリーダムな感じはあるけど、さすがメイドさんといったところだろうか。

 

「ん、うまい。……せや、お礼っちゅーほどでも無いけど」

 

 ふと思いついてインベントリからマシュマロを取り出した。Pam’sModsで追加される食料の1つであり、おやつにでもと作っておいたものだ。

 ほれ、あーんとメイドさんの口に放り込めば、心なしか目が輝いている気がする。喜んでもらえたようである。

 そうだ、今は葵の看病をするべきだ。反省は葵の体調が回復してから改めてすればいい。

 

「色々と手伝ってもろうてほんま助かったわ。もう日も落ちてきたことだし、メイドさんも泊まるところあるなら行ってもらっても……」

 

 なし崩しに手助けしてもらったが、元々メイドさんはただの通りがかりだ。

 本当は別に用があったのかもしれないし、これ以上留めておくのも忍びない。

 そう思って声をかけたのだが、意外にもメイドさんは首を横に振った。

 それから何やらジェスチャーをし始めた。

 

「え? 何々……まだまだ付き合ってくれるん? ケーキのお礼? ウチは寝てていいって?」

 

 俺が尋ねるとメイドさんはコクリと頷いた。

 どうやら葵の看病も手伝ってくれるつもりのようだ。

 

「……分かった、ほんならお言葉に甘えさせてもらうわ。でも無理せんと、何かあったら起こしてな?」

 

 あまり頼っては悪いとも思ったが、確かに俺もいささか疲れているのもまた事実だ。

 何かあった時に万全の状態じゃなくて動けなくても困るし。

 俺は部屋の隅っこに寝転がると着替えを枕代わりにして目を閉じた。生憎とベッドもその材料も持ってないから仕方ない。

 時折葵の魘される声やメイドさんが看病している音が耳に入ってくる。

 思考が不安でいっぱいなのを自覚しながら、それでもやはり疲れていたからだろう。

 気がつけば俺は眠りに落ちていた。

 

 

 

 翌朝、体中が凝っているのを感じつつ目が覚めた。

 見やればまだ寝ている葵をメイドさんが看病している。

 結局、一晩中世話をしてくれていたようだ。

 

「ん、おはよう」

 

 俺が声をかけるとメイドさんはペコリと会釈をし、それから何やら手紙を差し出してきた。

 どうやらさっき村人がやってきて渡してくれたらしい。

 全く知らない言語なのに意味の分かる文章に目を通す。

 

「『村のことは急ぎじゃないから看病に専念してくれていい』、か……ほんま、頭が下がるなぁ」

 

 デカ鼻でややお盛んなところがあるのはちょっと気になるけど、それでもとっても親切な人達だ。落ち着いたらお礼をしなきゃな。

 簡単に朝食を済ませて、メイドさんに代わって看病を引き継ぐ。メイドさんは一休みするとジェスチャーして家を出て行った。おそらくメイドさん用の宿もあるのだろう。

 

「う、ううん……お姉、ちゃん」

 

 ベッドの脇に持ってきた椅子に座り、しばらく看病をするうちに葵が目を覚ました。

 

「どうや、調子は?」

「……頭重い、かも」

 

 昨日程では無さそうだが、横になったままの葵はまだ辛そうだ。

 それでも起き上がろうとする素振りを見せたので、俺は彼女を制した。

 

「無理に起きんでええで。村の人からも休んでていいって言われとるしな」

「村……あ、そうか。私、途中で……」

 

 俺の言葉に葵は状況を理解したようだった。

 申し訳無さそうに眉尻を下げる。

 

「ゴメンねお姉ちゃん、迷惑かけて」

「何を言うとるんや。ウチは葵のことを迷惑に思ったことなんかないで。ほら、お薬や」

 

 手を伸ばして葵の額に手をやれば、まだまだ火照っているのが分かる。

 再度濡らしたお絞りで顔を拭ってから、熱冷ましの薬と水を口元に持っていく。

 

「ん……」

「遠慮せんで休んどき」

 

 暫し起きていたものの、やがて葵は静かに寝息を立て始めた。

 熱が下がるまではあまり食欲も出ないだろうし、してやれることと言えばこうして傍で様子を見守るぐらいしかないだろう。

 そう思い、なるべく静かにしながら葵の世話をしたりレシピブックを捲ったりしているうちに、ふと声が聞こえてきた。

 

「……い」

 

 不思議に思って声のした方を見る。

 葵だった。どうやら寝言のようだ。

 寝言に返事をするのはあまり良くないんだったか。

 そんなことを思い出しながら聞いていた俺は、次の言葉に固まった。

 

 

「帰りたい……」

 

 

 それきり葵は特に何も言わず眠っていたが、俺は呆然としたまま動くことが出来なかった。

 衝撃を受けたような気分だった。なんで昨日、葵があんな頑なに村へ向かうと言って譲らなかったのか、分かった気がした。

 過去の記憶が曖昧ながらも知識は持っている俺にとって、この世界はとても住みやすい世界だ。確かにモンスターという危険はあるしゲームもアニメも無いけれども、それを差し引いても無理をしなければ生きていくのはそう難しいことではない。

 でも、葵は違う。平和な今までの日常からいきなり放り込まれて、森を彷徨ったりモンスターに襲われたりする羽目になり、世界の法則までもが未知だらけだ。しかも元々は大の男であったであろう俺とも違い、彼女はまだ少女なのだ。やりたいことはまだまだたくさんあるだろうし、元の生活が恋しくないわけがない。

 そんな中で元の世界に戻る手がかりが見つかるかもしれない、そう言われたらどう思うだろう。

 葵は少しでも早く元の世界へ帰りたいだけなのだ。この世界に留まり続けるなんて考えもしていないだろう。時間の流れがどうなっているのかは分からないが、元の世界に戻ったはいいが何十年も経っていたなんてこともあり得るかもしれない。

 俺は思っていなかったか?

 

 ――このままこの世界に住んでしまえばいい。

 

 酷い裏切りがあったものだ。

 期待を持たせるようなことを宣っておきながら、俺は葵の気持ちなんて全然考えていなかったんだ。

 おまけに確証はないものの、もしかしたら茜ちゃんの体を奪ってしまっているのかもしれないという始末。返し方なんて見当もつかない。

 はは、なんてことだ。だとしたら俺は何も出来ていないどころか、彼女の姉を、生活を、命を奪おうとしているってことに――。

 

「茜殿はおられるか!」

 

 玄関のドアが強く叩かれて、ハッと我に返った。

 気がつけば外はすっかり夕方になっている。

 ともかくただ事ならぬ様子だったので慌てて出れば、そこには門番とメイドさんがいた。

 門番は焦りを含んだ険しい顔をしており、メイドさんも表情は変わらないがどことなく張り詰めた雰囲気を醸し出している。

 

「何があったん?」

 

 端的にそう尋ねる。危急の用だろうと思ったからだ。

 案の定、門番は口早に事態を告げた。

 

 

 

「異常な数のモンスターが村の外に集まっている! どうか迎撃を手伝ってほしい!」

 

 その言葉に血の気が引いていくのが、自分でも分かった。



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第29話 『琴葉茜』の死闘

 葵のことをメイドさんに任せると、俺は門番に連れられて門へと急いだ。

 既に状況は村中に伝わっているらしく、通りすがる誰もが騒然とした様子で走り回っている。

 ようやく門へ辿り着くと、そこではクワを持った村人達が門を囲んでいた。

 

「まずいぞ! 門が破られる!」

 

 俺達に気がついた彼らのうちの1人がそう叫んだ。

 見れば閉じられた門、というかドアに亀裂が走っている。

 そう思ったのも束の間。

 

「ああっ!」

 

 とうとう殴打に耐えかねたドアが断末魔のような音を立てて破壊された。

 途端、外にいたモンスター達、というかゾンビの群れが雪崩れ込んでくる。

 ゾンビには村人に積極的に襲いかかり、倒した村人をゾンビ化させてしまうという性質がある。

 天敵といえるその存在の侵入に、村人達は顔を青くした。

 

「下がるんや!」

 

 俺は咄嗟にシャベルを手にすると一括破壊能力を意識しながら、門周辺の地面を数度掘り返す。

 途端にぽっかりと縦横3マスの穴が空き、今まさに入ってきたゾンビ共は起き上がる前に落ちていく。

 すかさず穴の周りにインベントリから取り出した土で壁を作り、さらに中で積み重なって突破されないように天井も設置する。

 ゲームだったら同じマスに重なったり、バージョン1.11.2からは窒息死するようになったりしたのだが、この世界ではそうはいくまい。

 さすがに下敷きになったゾンビは圧死するだろうが。

 

「おおっ」

「さすがクラフターの力だ!」

 

 村人達が感嘆の声を上げるのが聞こえる。

 だがそんなハーレム主人公がよく向けられていそうな言葉を余所に、俺は柵より高くブロックを積み上げて外の様子を窺い――絶句した。

 

「っ……!」

 

 完全に包囲されている。

 さすがに地平線を覆うとか海のような規模だとかではないが、それでも観客がたくさんいるスタジアムやラッシュ時の交差点と比較出来る数のモンスターが集まっている。

 ほとんどはゾンビだが、チラホラとスケルトンやクリーパーもいるようだ。クモの姿は見えない。小さいから隠れているのかもしれないが。

 気が遠くなりそうになるのを感じつつ、俺は足場を崩して降りた。

 改めて見れば柵の隙間はモンスターでいっぱいだし、たくさんの唸り声も聞こえてくる。

 

「茜殿……」

 

 何かこの状況を打開する術はないのか、どうすればいいのか。

 門番の縋るような目がそう語っている。

 

「ちぃと待ってな、今考えるから」

 

 そんなの、俺だって知りたい。

 そう言いたくなるのをぐっと堪え、どうにかそう返した。

 ゲームの時だったらどうにでもなった。

 柵の一部に穴を空けてそこから一方的に攻撃出来たし、ベッドで寝ればすぐに朝になってゾンビやスケルトンは炎上で勝手に消えたし、そもそもこんな数に囲まれるなんて普通はならない。

 俺は村を囲む柵に目を遣る。

 もしもゲームの通りなら大抵の敵に対する完全な防壁となっていたであろうそれも、半端に働いている物理法則のせいかギシギシと音を立てて軋んでいる。

 ゾンビに破壊されたドアよりは頑丈そうだが、突破されるのは時間の問題だろう。

 とても籠城戦は出来なさそうだ。

 もちろん、打って出て迎撃なんてのは論外である。

 こんなの無理ゲーだ。

 いっそ俺一人で逃げ出してしまおうか、そんな考えが頭を過ぎる。

 地下を掘り進めば包囲網の外に出られるだろう。

 モンスター達の注意も村に向いているだろうし、振り切るのはそう難しいことでは無さそうだ。

 村を見捨てたという後ろめたさは残るだろう。恨まれもするだろう。

 でも命あっての物種だって言うじゃないか。

 そうして俺は拠点に戻って、刺激は無いけど穏やかな生活を送るのだ。

 は、ははは、そうだ。それが良いに違いない……。

 

 

 

 ――帰りたい。

 

「……ぁ」

 

 瞬間、先程の葵の言葉が強烈な響きとなって脳裏に蘇った。

 俺は、今何を考えていた。

 葵のことはどうするんだ? あの子は今、とても動ける状態じゃないのに。

 見捨てる? あんな良い子のことを。見た目が琴葉茜だからとはいえ、俺を姉として慕ってくれているあの子のことを?

 それだけじゃない。

 村人さん達だって親切にしてくれたし、メイドさんにも出会ったばかりなのにかなり助けてもらっている。

 そんな皆を置いて、逃げるだなんて。

 俺はピシャリと両手で自分の頬を打った。

 

「茜殿……?」

「ん、気合い入れただけや」

 

 自己嫌悪が膨れ上がりそうになるのを押さえつつ、訝しげに問いかけてきた門番にそう答えた。

 今は反省会なんて開いている余裕なんて無いんだ。

 そんなのはこの状況を乗り切ってからでいい。

 改めて状況を整理し、どうすれば乗り切れるかを考えよう。

 それには情報が必要だ。

 

「門番さん、いくつか聞きたいんやけど」

 

 そうしていくつかの疑問を門番に質問し、考えた末に出た答えは1つだった。

 

「明日の朝まで凌ぐしかないな」

 

 この数の敵を全滅させるのは実質不可能だ。

 多勢に無勢というのもあるが、何よりモンスターがこんなに湧いて出てきた原因が不明というのが一番の理由だ。

 門番が言うにはこんなことは前例が無く、昼頃まではいつも通りだったらしい。

 それがどうしたことなのか、やや陽が落ち始めた頃になって急にゾンビの姿がポツポツと現れ始め、あっという間に村を包囲するまでになったのだという。

 初めの頃は日光に当たってそのまま燃え尽きていたそうだから、ゾンビ自体は通常通りなのだろう。であれば明日の朝になれば自然と消滅するはずだ。天気が崩れなければ、だが。それはもう祈るしかない。

 ただし、だからといってこのままずっと村に籠もっていることも出来ないだろう。

 この様子だと夜半には柵が突破されてゾンビの群れに飲み込まれることになる。

 突破されるまでにより強固な壁を建てたり壕を作ったりすることも考えたが、資材が足りないので断念した。それに俺の体力も恐らく持たないだろう。この世界における一括破壊は手間を短縮してはくれるが、相応の疲労が一気にのしかかってくる。モンスターの侵攻を阻止するだけの陣地を作る前に疲れで死にかねない。また、死を覚悟したとしても、ゲームと違って一度に掘れる範囲に上限があるという感覚がある。実際にどれくらいかは分からないが、多分10マス前後が限度だ。

 せめて倒せずとも何かしらの手段でモンスターの気を引いて、村への攻撃を鈍らせる必要があるわけだが。

 

「持ってきましたぞ茜殿!」

「おおきに」

 

 ちょうどその時、頼んだものを村人の1人が持ってきてくれた。

 礼を言って受け取り、すかさずクラフトする。

 頼んだのは鉄インゴッドと火打ち石。この2つから作れるのは『火打ち石と石打ち金』。

 その名の通り、火を着けるための道具だ。使用回数が足りなくなるだろうから、それなりの数を作った。

 

「ほな早速連中をちぃと煽ってくるわ」

「ご武運を!」

 

 俺は地面に穴を空けると、そのまま地中を一心不乱に掘り進めた。

 目指すは村の外、モンスター共の背後だ。別に逃げるわけではない。

 通路の中にドンドンと音が響く。モンスターの足音が上からしているのだ。

 

「ああくそっ、やっぱり疲れる」

 

 それがようやく聞こえなくなってきた辺りで俺は掘るのを止めた。

 汗が頬を滑り落ちていくのが分かる。

 本番はこれからだというのに、これでは先が思いやられる。

 一旦深呼吸をして息を整えた。

 

「……よし、行くか」

 

 出た先にモンスターがいないことを祈りつつも階段状に地上への出口を作る。

 幸いにも敵はいなかった。そのまま上がり、村の方へと目を向ける。

 やはり、多い。足が竦みそうになる。それを覆い隠すように、俺は鉄装備を身につけた。

 集中攻撃を受ければそれまでとはいえ、防具を纏った安心感で少し気持ちが落ち着く。

 そして今出てきた穴を塞ぐと、俺は村に夢中のモンスター達の群れへ向かって歩き出した。

 ゾンビ、ゾンビ、スケルトン、ゾンビ……やはりほとんどがゾンビのようだ。

 その中に目標を見つける。すぐに見つかって良かった。

 後は俺の体力と運次第だ。

 ある程度群れに近づいたところで俺は走り出した。

 こちらに気がついたゾンビに攻撃される前に、どんどん間をすり抜けていく。

 目標はまるでゾンビの群れの中で途方に暮れているように立っていた。同じ緑色だと思ったら何か違った。そんな感じだった。

 もちろんそんなこと考えちゃいないだろうけど、何だか無性におかしくて思わず笑みが零れる。ああ、今自分はいわゆるハイになってるんだな。頭の中のどこか冷静な部分でそう思った。

 そして辿り着いた俺は。

 

「よう、リフォームの匠」

 

 くるりとこちらに向き直ろうとしたそいつ――クリーパーに火を着けた。

 

 

 この世界のモンスターはゲームの時よりも賢いらしく、障害物に延々と引っかかったりはしないし、ちょっと隠れた程度では諦めずこちらを狙ってくる。それに姿勢を変えるのに十分な空間があれば1マスぐらいの隙間なら這いずって通ってこようともする。1回それをやられた時は驚いた。さすがに0.5マスとなると入って来れなくて隙間から剣で斬って倒したが。

 さて、そんなモンスターはだいぶ音にも反応するようになっている。忍び寄らないと背後からの接近にも気がつくし、逆に物を投げればそっちの方向に気を取られもする。

 今回集まっているゾンビも村に夢中のようだが、それでも大きな音がすれば注意が向くはずだ。

 そう、例えば何かが爆発する音とか。

 

 

 導火線の音がしてクリーパーが膨張し始める。

 それを見届けることなく走り抜けると、背後で腹の底まで響き渡るような爆発が起きた。

 巻き込まれたゾンビの呻き声が聞こえ、騒ぎに反応した周辺のゾンビ達が一斉にこちらを向いた。

 

「よし、反応してくれるか」

 

 全身に敵意が突き刺さるのが分かった。

 でもここで足を止めれば、間違いなく助からない。

 意識を集中して、次のクリーパーを探す。

 いた。先程と同じように爆破した。

 

「はっ、はっ」

 

 まだ作戦は始まったばかりだというのに、もう息が上がり始めた。

 当然だ。いくらクラフターとして身体能力が上がっていても、全身鎧を身につけて全力疾走すれば疲れるに決まっている。

 これ以上は走れない。そう判断したところで、俺はゾンビに接近される前に四方に壁を設置した。それから地面を掘ってから上を塞ぐ。狭苦しく真っ暗な地中の中で、俺はぜぇぜぇと息を吐いた。落ち着いたら位置をズラしてまた地上に上がり、同じことを繰り返す。完全に俺への興味を失うにはしばらくかかるだろうし、時間稼ぎが目的の身としてはいっそ群れ全体がこちらをターゲットにしてくれればいいのだが。

 ……正直なところ、作戦とも呼べないしょうもない考えだと思っている。失敗する公算の方が高いだろうとも。半ばヤケクソもいいところだった。

 夜明けまでの半日を走りきれる訳がない。今のでこれなのだから長続きしないと考える方が妥当だ。ただ半日を起き続けるだけでも大変なのに、激しい運動と集中を要求されるのだ。熟練の兵士でも厳しいだろうそれを、一般人だったであろう俺、それに茜ちゃんボディで出来るとは思えない。

 さっきのは敵の反応を見るために外周で爆破したが、村の柵を守るにはより敵が密集している内側でやらなければならない。間を縫うだけの隙はあるだろうか。柵が壊れる前に敵の気を引ききれるかも分からないが、なるべく早く行なわなければならない。

 もっと確実で安全な方法があるかもしれない。あるいは逃げた方が本当に賢いのかもしれない。だけど俺にはこの状況で思いついたのがこれしか無かったし、皆を置いて逃げるのも御免だから。

 

「……行くか」

 

 一人呟いて動き始める。じっとしていても事態は好転しないのだから、とにかく行動するしかない。悪化したとしても、それは死ぬまでの時間が早まるだけのこと。葵と茜ちゃんボディには申し訳ないが。

 いくらか掘ったところで再び地上への出口を作る。なるべく外側に行くのを目指しはしたが、どうやら完全に方向を誤っていたらしい。

 

「うげ」

 

 そこは群れのど真ん中だった。ゾンビの足下を掘らなかったのが奇跡なくらいだ。

 しかし、当然周りの連中はこちらに気がついているわけで襲いかかってくる。

 

「ぐっ、この!」

 

 穴に待避する間もなく、俺は四方八方から寄ってくるゾンビをがむしゃらに突き飛ばして進んだ。

 もはやクリーパーを探している余裕も無い。途中、スケルトンに狙いをつけられているのに気がつき背筋が冷えたものの、ゾンビが間に入ったことで何とか当たらずに済んだ。不幸中の幸いだが、それだけゾンビの数が多いという証左でもあった。

 

「くそっ……」

 

 必死に体を動かすも限界はどんどん近づいてくる。

 腕が重い、足を引きずりそうになる、鎧の重みが伸し掛ってくる。

 内心で自分を叱咤するもそれでどうにかなれば苦労はしない。

 どんどん視界さえもが狭まってくる。掠れた自分の吐息がやけに耳に入ってくる。

 ここまで、か。死ぬ、死ぬのか。嫌だ、死にたくない。しにたくない。

 この世界に来て間もない頃に感じた、あの感覚がこみ上げてくる。

 だけどきっと、今度ばかりは、もう――。

 

 

 その時だった。ゾンビの群れの間に何やら光が見えたのは。

 

「――なんで、あれが」

 

 それは、ゾンビスポナーのようだった。

 この間落ちた洞窟で見たスポナーブロックのゾンビ版だ。

 なんであんなものがこんなところにだとか、何だか普通のものと様子が違うだとか。

 そんな印象を覚える間も無く――無我夢中で俺は走り出していた。

 

「く、う、あああああ!」

 

 最後の力を振り絞ってひたすらに走る。

 何が何でもあれを壊さなければならないと、そう直感が告げていた。

 ゾンビの攻撃が身を掠めるのも気にせず、俺は一気にスポナーに駆け寄るとツルハシを取り出して、全力で叩きつけた。

 次の瞬間、スポナーが激しい光を放って砕け散ると共に――周りにいたゾンビの群れは一斉に消滅した。

 そこでとうとう力が抜けて、俺はその場に倒れ込んだ。疲れとさっきの光とで明滅する視界、肺が痛む程に喘ぎながら、ぼんやりと考える。

 今のスポナーが何なのかは分からない。防衛戦を楽しめるMODは知っているが、それに出てくるようなブロックともまた違う。俺が知らないMODなのかもしれないが、もしかしたらこの世界特有のものであるのかもしれない。

 分からない。分からない、が。

 

「は、ははは」

 

 今回の襲撃があのスポナーのせいだというのなら、あれを壊してしまえば解決だ。

 危険極まりない戦いとはいえ、光明が見えた。

 無謀な作戦もこんなヒントを得られたのなら、無駄では無かった。

 寝転がったまま遠くを見る。

 まだまだ群れは残っているようだ。だが数を見るに後もう1個ぐらいか?

 体に鞭打って起き上がる。疲れてはいるが、二度あることは三度あるとも言うし、もう1回ぐらいなら上手くやってみせるさ。

 早く終わらせよう。それからゆっくり休ませてもらって――

 

 

 

 足に焼けるような熱が走った。

 

「――い、ぎっ!?」

 

 もう片方の足に力を込めて踏み止まる。

 これ、は――スケルトン! そうか、ゾンビはあの変なスポナー産でもこいつやクリーパーは自然発生したモンスターだったのか。だから数もかなり少ないし、スポナーを壊しても消えることはない。

 

「このっ」

 

 持っていたツルハシを投げつける。

 ちょうど尖った部分がスケルトンの頭部に命中し、一撃で消滅した。

 しかし、それを喜ぶ間もなく別の方向から足音がしたのを俺は聞き逃さなかった。

 もっとも足を射抜かれた状態ではろくに逃げられなかったのだが。

 

「あ――」

 

 クリーパーが、すぐ目の前に。

 反射的に両腕で顔を庇うのと爆発はほぼ同時。

 三度目の正直という言葉がぼんやりと頭に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 みみなりがひどい。

 

 ひどくて、まわりのおとがきこえない。

 

 なんだかあたまがふわふわする。

 

 おきあがれない。

 

 うでがみあたらない。

 

 

 

 とおくになにかみえる。

 

 ゾンビだ。

 

 ゾンビがたくさん、こっちにむかってきている。

 

 ああ、スポナーがこわれたときのひかりか。

 

 あれにはんのうしたんだな。

 

 にげなければ、にげないといけないのに。

 

 もうひとつこわさないといけないのに。

 

 うごけない。

 

 

 

 おれは、しぬのか。

 

 しぬのはいやだ。

 

 だって、あんなにいたい、くるしい。

 

 つめたくて、あつい。

 

 さびしくて、くらい。

 

 さいごのおもいもきえてしまう。

 

 

 

 だれかがないている。

 

 だれか、しっている。

 

 ぼくのすきなあのこ。

 

 わたしのあいしたあのこ。

 

 いろんなすがたがみたくて。

 

 でも、ひとつだけえらべ、というのなら。

 

 

 

 

 

「泣かんでええんや――笑って? 葵」

 

 温かい滴が、頬に落ちてきた。



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第30話 葵は姉の為ならば

「ん……お姉、ちゃん?」

 

 何だか外が騒がしい。

 不穏な雰囲気に目を覚ました葵が最初にしたのは、姉の姿を探すことだった。

 一体何が起きているのか、そう尋ねようと思ったのだ。

 しかし、昼間までは看病してくれていたはずの姉は居らず、代わりに椅子に腰掛けていたのは小柄な影。

 

「メイド、さん」

 

 昨日知り合ったばかりのメイドさんだった。

 実のところ出会って早々に熱で朦朧としてしまったため、葵はあまり彼女のことをよく分かっていない。

 何となく色々と手助けしてもらったのは覚えているが、それ以外には見た目の割にかなりの健啖家であるということぐらいだろうか。後はこれでもかという甘党であることも。

 目を覚ました葵に対し、メイドさんは無表情のままあれこれとジェスチャーをし始めた。

 どうして喋らないのかは疑問なものの、仕草だけで何を言いたいのかが伝わってくるから不思議だ。

 

「落ち着いて聞いてほしい? 村がモンスターの大群に囲まれてて……えっ、お姉ちゃんが倒しに向かった!?」

 

 じんわりとした頭痛もあり、途中までは大人しく聞いていた葵だったが、話の最後になり慌てて跳ね起きた。

 完全に眠気が吹き飛び、体の重さも忘れてベッドから起き上がろうとする。

 制そうとしたメイドさんに、葵は語勢を強めて言った。

 

「横になってたって休めないよ。それに村の危機なんでしょ? クラフターの力は喉から手が出るほど欲しい。違う?」

 

 半ば睨みつけるような葵に対し、メイドさんは僅かに思案したようだった。

 それからコクリと頷いてそっと退くと、玄関のドアを開ける。

 

「ん、ありがとう」

 

 葵は礼を言って、そのまま家を飛び出した。

 その後ろにメイドさんが続く。

 いくらか走り息が上がりそうになったところで門に着いた。

 クワやらシャベルやらを持った村人達が集まって不安そうに身を寄せている。

 

「む、あなたは茜殿の……」

「お姉ちゃんはどこですか!」

 

 話しかけてきた門番の言葉を遮って葵はそう叫んだ。

 門番は目を丸くしたものの、気を害するでもなく答えた。

 

「茜殿は、外だ。朝が来るまで陽動すると」

 

 門番の言葉を聞いた葵は階段ブロックを取り出すと、門を封鎖しているブロックに設置して即席の物見台にした。

 上がって村の周囲を見渡し、夥しい数のモンスターを見て呆然と呟く。

 

「無茶だよ……」

 

 その場凌ぎの作戦でどうにかなるような状況で無いことは一目瞭然であった。

 姉がどのように説明したかは知らない。もしかしたら何か考えがあるのかもしれない。

 けれども葵の勘は茜が無茶を承知で強行したのだろうと告げていた。

 ふと遠くの方で何やらモンスターの動きが乱れたのが見えた。

 暗いながらもじっと目を凝らせば爆発が起きているのが分かる。

 

「お姉ちゃん……」

 

 きっと茜が陽動しているのだろう。

 しかし、それに気を取られているのは全体のごく一部でしかない。

 村の柵が突破されるまでに注意を引けるとは思えなかった。

 

「っ!」

 

 足下で呻き声が聞こえた。

 咄嗟に目を向ければ、たまたま他のゾンビが踏み台のようになって、ブロックの縁に手が引っかかったゾンビが登ってこようとしている。

 葵は弓を取り出すと、近距離からゾンビの頭部を射抜いて阻止した。

 さらにブロックを設置してゾンビの手が届かないようにしながらも、葵は状況がいよいよ逼迫してきていることを感じざるを得なかった。

 

(とても持たない……!)

 

 その時だった。

 突然モンスターの群れの一角から強い光が放たれた。

 かと思えば、次の瞬間にはゾンビ達の動きがピタリと止まり――消滅した。

 

「な、なんだ?」

「これは……まだ反対側は残っているようだが」

 

 いつの間にか上がってきていた村人達が唖然とした声を出した。

 だがそれも束の間、一気に歓声が沸き上がる。

 

「きっと茜殿のおかげだ!」

 

 半数とはいえ、あれだけいたゾンビが消えたのである。

 場にいた面々の間に希望が芽生えた。

 

「あっ、お姉ちゃん……!?」

 

 光の放たれた辺りに葵は姉の姿を認め――絶句した。

 遠くから全体を見ている彼女には分かった。

 起き上がろうとしている茜を、残ったモンスターが狙っているのを。

 

「危ないっ!」

 

 葵の叫びも空しく、茜が矢で射抜かれるのが見えた。

 茜は即座に反撃してスケルトンを仕留めたものの、すぐ近くに寄ってきていたクリーパーへの対処は間に合わず――至近距離からの爆発を受けた。

 茜はボールのように吹き飛ばされ、そのまま転がってピクリとも動かなくなる。

 

「お姉ちゃん!? お姉ちゃぁぁぁん!」

 

 悲鳴を上げて駆け出そうとした葵を誰かが引き留める。

 メイドさんだった。振り払おうとする葵にしがみつき、首を横に振る。

 

「離して! お姉ちゃんが、お姉ちゃんがっ」

「見ろ! 反対側の連中が!」

 

 村人の誰かが叫んだ。

 皆が目を向ければ、反対側で村を襲撃していたゾンビ達が一斉に動きを変えている。

 ややゆったりとした歩みながらもその進行方向は明らかだった。

 ――先程光った場所。つまり茜の倒れている方だ。

 まるでトドメの追い打ちをかけようとしているかのようであった。

 

「嫌、嫌だよ! こんなの、嫌ぁ!」

 

 半狂乱になり、ますます暴れる葵をメイドさんは必死に止める。

 今行っても茜を回収して戻る頃にはゾンビの大群に囲まれるのは明らかだった。

 そうなれば助けるどころではない。

 どうにか葵を留めていたメイドさんは何か手は無いかとグルリと周りを見渡し――あるものに気がついた。

 

「離して、離し……え?」

 

 メイドさんが何かを訴えているのに葵は気がついた。

 そうしてメイドさんの指差す方向に目を遣る。

 残ったゾンビがいる方角。群れが動いて空白が出来たことで見えるようになったものがあった。

 

「あれは……スポナー? ……もしかして!」

 

 ついこの間、廃坑で見かけたのとそっくりのブロック。

 それに気がついた葵の頭に1つの考えが浮かぶ。

 先程の現象は、もしかして茜が同様のものを壊したからなのではないか?

 だとすれば、あれを破壊してしまいさえすれば。

 トントンと葵の肩をメイドさんが叩く。

 

「私がスポナーを壊して、お姉ちゃんはメイドさんに任せてって……でも」

 

 一度冷静になれば、無闇に村の外へ出ることがどれだけ危険なのかくらいは判断出来る。

 ツルハシを扱う以上、スポナーの破壊は葵にしか出来ない。だが取って返して茜を助ける余裕も無さそうだ。だから代わりにメイドさんが助けに行くというのは分かる。

 しかし、まばらとはいえモンスターは残っている。その中を小柄なメイドさん一人で茜を運ぶというのは厳しいように思われた。

 

「なら俺も行こう。茜殿を見捨てるわけにはいかんからな」

 

 門番が名乗り出た。彼なら茜を運ぶのは容易だろう。

 

「……はい、よろしくお願いします」

 

 葵はやや躊躇したが、その時間さえ惜しいことを思い出して頷いた。

 事態は一刻の猶予を争う。まさに今がその時だった。

 メイドさんと門番が行き帰り出来るようにブロックを積むと、葵は反対側へと走り出した。

 全ては葵があの元凶と思しきスポナーを破壊出来るかに懸かっている。

 失敗すれば、皆死ぬ。

 

「そんなこと、絶対にさせない……!」

 

 決意を固め、葵は柵の手前に足場を置いてそのまま飛び越えた。

 既に多くのゾンビが動いているが、まだまだ残っている。

 敵の真っ只中にいることに怯みそうになるも、今状況を打破出来るのは自分だけ。

 葵はその思いで自身を奮い立たせた。

 

「邪魔しないで!」

 

 進行方向を塞ぐ敵だけを排除したり回避したりしながら、必死に駆け抜ける。

 葵はスポナーが射程に入ると剣からツルハシに持ち替え、そして勢いのままに、渾身の力で以て叩きつけた。

 

「エイヤァァァ!」

 

 スポナーに亀裂が走るや否や、先程と同じように強烈な閃光を放って粉々となった。

 同時に茜のいる方向を目指していた残りのゾンビが動きを止め――消滅した。

 肩で大きく息を吸いながらも、葵は周りを見渡す。幸いにも近くに敵は居らず、村へは安全に帰れそうだった。

 案外呆気なく破壊は済んだものの、まだ安心するには早い。

 果たして姉は無事なのか、メイドさん達は上手くやれただろうか。

 居ても立ってもいられず、呼吸を整えて葵は早々に村へと戻る。

 

「どうなってますか!」

 

 門の辺りに人だかりが出来ていた。

 ひとまず村の危機は去ったはずだというのに、物々しい気配が漂っている。

 不安を覚えながらも走り寄った葵に村人の1人が悄然とした様子で声をかけた。

 

「葵殿。それが……」

 

 彼らが囲んでいる中央に、葵はその姿を見つけた。

 メイドさんに門番、それからうろ覚えだが確か医者。

 そして……。

 

「――え」

 

 

 

 葵には目の前の光景が理解出来なかった。

 いや、正確にはしたくなかったというべきだろう。

 抜けたお調子者で、本当は気弱なところがあって、でも寝相は悪くて。

 そんな彼女が行儀正しく静かに眠るはずが無いのだ。

 

「嘘、嘘だ」

 

 力ない足取りでよろよろと歩を進める。

 これは夢なんだ。そう必死に否定しようとして……でも頭のどこか冷静な部分が葵に囁く。

 ――残酷だけど、これは現実だ。

 ようやく理解が追いついたその瞬間、葵は悲鳴を上げていた。

 

「あ、ああ、あああああ!」

 

 酷いものだった。

 横たわる茜はまるで蝋人形のような顔色をしていた。身につけた鎧はすっかりひしゃげており、一部が残っているだけ。

 でもそれはまだマシな方だった。彼女の両肘から先に至っては完全に失せており、断面から赤色が垂れて地面に小さく溜まっている。今にも止まってしまいそうな程に弱々しく胸が上下して、それでまだ生きているのだということが分かるという有様だった。

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 

 葵は姉の傍らに座り込んで呼びかける。

 返事は戻ってこない。

 

「葵殿……残念だが、この傷では……」

 

 医者の言葉に対し、葵は嫌々と首を横に振る。

 それ以上聞きたくなかった。認めたくなかった。

 認めてしまった途端に茜が、姉がいなくなりそうな気がしたからだ。

 その時だった。

 

「これを使いなされ」

 

 声が聞こえ、目の前に紫色の液体の入った瓶が差し出される。

 葵が顔を上げるとそこには一人の老人がいた。

 

「遠い昔、村に滞在したクラフターが礼として残していったという癒やしの薬じゃ。さあ、茜殿に」

 

 葵は言われるがままに呆然と薬を受け取る。

 一見得体の知れない液体であったが、じっと目を凝らすうちに『治癒のポーション<Ⅱ>』という名前が脳裏に浮かぶ。

 確かに回復アイテムのようだった。

 

「えっと……」

 

 葵はこの薬を傷口にかければいいのかと悩んだが、この間姉との雑談でポーションの話題が出たことを思い出す。

 そのうちポーションも作ってみたい、味がどんなものなのか気になるという他愛の無い話であったが、話の脈絡から察するに服用する類のものなのだろうか。

 葵は瓶の飲み口を茜の口元に持っていく。しかし、茜は力なく横たわったままで何の反応も見せない。流し込もうにも零れてしまいそうだ。

 

「…………」

 

 ふと、ある案が葵の頭に思い浮かんだ。

 僅かに気恥ずかしさがこみ上げたものの、そんなものは姉を失う恐怖に比べれば些細なものだった。

 葵はじっと姉の顔を見つめる。自分と瓜二つだけど、自分よりも愛しいその顔を。

 意を決し、葵は飲み込んでしまわないようにポーションを口に含んだ。

 そして――茜に口づけた。

 

「ん……」

 

 咽せないように、少しずつゆっくりとポーションを口移しする。

 茜は相変わらず意識を失っているものの、喉に入ってきたことで自然と嚥下していく。

 優に何十秒か経ったところで、ようやくポーションを飲ませ終えた。

 

「……お姉ちゃん」

 

 果たしてポーションは間に合ったのか、効果を発揮してくれるだろうか。

 張り詰めた空気が場を覆い――やがて破られた。

 

 

 

「……く、う」

 

 

 

 これまで何の反応も見せなかった茜が、か細いながらも確かに声を漏らした。

 かと思えばピクリと体が震え、植物の生長を早回しで映しているかのように無くなった肘から先が再生していく。

 他にもすぅっと細かい傷が消えていき、ついには頬に赤みが戻った。

 

「お姉、ちゃん」

 

 葵の声に反応したのか。

 うっすらと茜が閉じたままだった瞼を開く。

 そして葵の顔を一目見ると、微笑んで言った。

 

「泣かんでええんや――笑って? 葵」

 

 ぽたぽたと滴が頬に流れ落ちていく。

 茜はしょうがないなぁという風に困った笑みを浮かべた。

 それから何事かを言おうとしたものの、また脱力して瞳を閉じてしまう。

 

「っ、お姉ちゃん!?」

「……大丈夫、眠っているだけです」

 

 慌てる葵に対し、冷静に茜の脈を取った医者がそう答えた。

 ようやく心から安心した葵は、ホッと一息つく。

 そうしたら急に力が抜けてきて、そういえば自分は病み上がりどころか熱を出している最中だったんだと思い出した。

 葵はそのまま姉に寄り添ってくたりと横になる。

 そして沈んでいく意識の中、生まれる前からいつも一緒の心地よい心音が耳朶を打つのを感じていたのだった。



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第31話 夜を越えて

 気がつけば俺は暗闇の中にいた。

 どこへ目を向けても何も見えず、いくら五感を研ぎ澄ませても何も感じられない。

 地面に立っているわけでも横になっているわけでも無さそうだ。

 確か俺はクリーパーの爆発を至近距離で食らって……それから先が思い出せない。

 ゲームの時においても、クリーパーの爆発は非常に強力だった。

 難易度や距離にも左右されるものの、基本的に鉄防具一式程度では即死。

 ダイヤ防具一式なら難易度ハードでも1度は耐えられるが、その後の落下ダメージで結局死亡なんてざらにあった。

 その例に倣えば今回は鉄装備の上に事前にダメージを受けていた状態だったのだ。

 まず助かるまい。

 俺は……死んだのか? ここは、死後の世界なのか。

 村は、どうなった? 葵は? 葵は無事なのか?

 そう考えた瞬間だった。

 突然遠くの方に光が見えたかと思えば、視界を埋め尽くすようにしてどんどん広がっていく。

 あまりに眩しくて反射的に瞼を閉じる。

 それから再び俺は目を開いて――息を呑んだ。

 それは村()()()

 柵がなぎ倒され、いくつかの家屋が炎上している中をゾンビがひしめいている。

 デカ鼻の元村人ゾンビも混じっており、最早生存者はどこにもいないようだった。

 そこでハッとした。冷水を浴びせられたような恐怖が全身を覆う。

 

「葵、葵ぃぃぃ!」

 

 名前を呼びながら、俺は走り出した。

 不思議とゾンビは1体としてこちらを見向きもせずにうろついている。

 そのことを気にかける余裕も無く、俺は家を目指した。

 どうか、どうか無事でいてくれ。それだけを祈り、何度ももつれそうになる足を叱咤する。

 やがて家に辿り着いた俺は乱暴にドアを開け放した。

 蝶番が抗議を上げるのを無視し、俺はベッドに目をやる。

 葵は背中を向けて横になっているようだ。ホッとしつつも駆け寄って肩に手をかける。

 

「葵、大変や! 早くここから逃げんと――」

 

 ――言葉を失った。

 無造作にこちらを向いた葵の瞳は、虚ろで何も見据えてはいなかった。

 腹部はごっそりと抉れ、あるべきはずの一切合切が無くなっている。

 投げ出された手足はダラリと弛緩しており、温もりの抜けた真っ白な色をしていた。

 それを認識した瞬間、俺は絶叫していた。

 

「ぁ、あぁ、あああぁぁぁ!」

 

 弾かれたように壁際まで後ずさり、そのままずりずりと座り込む。

 嘘だ、嘘だ。頭を抱えて、何度も叫ぶ。

 こんなのは何かの間違いだ。あの子が死ぬなんて、そんなのは間違っている。

 

『ほら、アンタのお望み通りやで』

「違うっ! 俺は、こんなの望んでなんか――」

 

 どこからか聞こえてきた声に俺はそう答えるも、声の主は軽く笑い声を上げる。

 見なくても嘲笑を浮かべているのが分かった。

 

『ハハッ、何言うとるんや、アンタは散々楽しんでたやないか』

「何を――」

 

 俺は言い返そうとした。

 だが、声の主はそれよりも早く口を開いた。

 

『ゲームの時、散々村を壊してたのはどこの誰やったっけ?』

 

 途端、かつてのプレイが思い起こされる。

 何の意味も無く村に火を放ってみたり、ゾンビの群れをけしかけてみたり、あるいはMODで追加した武器の的にしてみたり。いちいち数えることもなく、いくつもの村を壊滅させた。

 だけど、あれはゲームだったじゃないか。マインクラフトの世界が現実になった今、俺はそんなことをしようと思ったことは一度も無い。

 

「そ、それは、ゲーム、だったから」

『ほう、そかそか。じゃあ――これは何や?』

 

 弱々しくも答えた俺に、声の主は更に問いかけてきた。

 いったい何を――。

 

『ほら、こういうの好きなんやろ?』

 

 

 脳裏に映像が流れる。

 

 ――誰かを傷つけ、傷つけられる琴葉姉妹がいた。

 

 ――塗炭と呼ぶも生温い苦しみを味わわせられる琴葉姉妹がいた。

 

 ――希望が欠片も無い世界を彷徨う琴葉姉妹がいた。

 

 ――引き裂かれ、別離に涙を流す琴葉姉妹がいた。

 

『そしてアンタはそれを見て――』

 

 

 

『笑ってた』

 

 

 

「あ、あっ、ち、違う」

 

 ガクガクと手足が震える。

 喋ろうとして上手く口が動かせず、言葉にならなかった吐息が零れる。

 

『何が違うんや? 本当は見たかったんやろ? 葵が苦しむところ、葵が傷つくところ、葵が――死ぬところ』

「違う違う違うっ!」

 

 まともに考えることが出来ず、ただただ駄々を捏ねるかのように捲し立てる。

 だが声の主は容赦なく、冷たく言い放つ。

 

『姉を奪われて、姉だなんて嘘を吐かれて、守ってもらえず、帰りたいと言いながら死んでった葵。ホント、可哀想やなぁ』

 

 声の主は嘯く。

 

『あんなに良くしてくれた村人さん達も、あんな素直で良い子だった葵もアンタが殺したようなもんやで』

「そんなことっ」

 

 俺は誰かを殺してなんかいない。

 言おうとして視線を上げる。すぐ目の前に、見慣れた顔があった。

 ビー玉のような、瞳。

 

『そんな悪い奴がどうなるべきか、なんて。決まっとるよなぁ?』

 

 断末魔のような音を立ててドアが破壊された。

 思わず目を向ければ外を歩いていたゾンビの大群が、狭い室内を埋め尽くすように入り込んでくる。

 外聞も無く悲鳴を上げて、俺はベッドの辺りまで這って逃げる。

 あるはずも無い逃げ場を探して左右を見渡したところで、ガシリと肩に手をかけられた。

 

「――ぇ」

 

 振り向いた俺を、生気のない双眸で葵が見ていた。

 呆然としている間に、そのまま押し倒される。

 抵抗のための身動きも出来ない。

 入ってきたゾンビ達も加わって重さで潰されそうになり、くぐもった声が喉から漏れた。

 

 ――嘘つき。

 

 葵の唇が動いた。

 そして、そのまま鋭い牙を俺の喉へと突き立て――。

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 バクバクと心臓が早鐘を打っている。

 天井をじっと見つめ、やがて今のが夢であったことをようやく咀嚼すると生唾を飲み込んだ。

 

「生き、てる?」

 

 ふと、温かいものが体に触れていることに気がついた。

 目をやる。葵だ。葵が()に抱き着いて寝ている。

 この前もこんなことがあったな。そう思ったら急に力が抜けて、何だか目元が熱くなって。

 自然と葵を抱きしめ返していた。

 

「葵、葵ぃ……」

 

 胸の内で凝り固まった冷たい塊が溶けていき、代わりに心地よいものが体中に広がっていく。

 俺自身の感情なのか、茜ちゃんボディが感じ取っているものなのか。

 どちらかは分からないが、今はただその感覚にじっと身を委ねる。

 

「んぅ……」

 

 しばらくすると葵が身動ぎした。

 起きたらしい。じっとこちらを見つめてくる。

 

「おはようさん、葵」

「ん……」

 

 そして葵は起きる――ことなく()の胸元に顔を埋めた。

 ……あれ?

 

「朝みたいやで? 葵、起きんと」

「やだ」

 

 俺が声をかけるも、葵はしがみついたまま全く離れようとしない。

 剥がそうとしたものの、より一層力が強くなった。

 何だかだるくて力も出ないし、それに無理矢理引き離すのも憚られる。

 どうにか説得しないと。

 

「いや、ホント起きんと。お腹も空いてきたし」

「お姉ちゃんは私とご飯どっちが大事なの」

 

 なんだか別れる間際のカップルみたいなことを言い出した。

 よもやそんなセリフを言われる日が来ようとは、それも実際には違うとはいえ妹に。

 

「それは、葵の方が大事やけど」

「ならいいでしょ」

 

 葵は満足げにそう言うと、改めて()の胸元に顔を擦り付けた。

 可愛い。可愛いけど、このままじゃ一向に起きられる気がしない。

 それはさすがに困る。

 俺はどうしたものかと少し考え、それから口を開いた。

 

「葵の作ってくれたご飯、食べたいなぁ」

「……むぅ」

 

 葵はどうやら悩んでいる様子だ。

 あと一押し……そう思った俺は、あることに気がついた。

 多分、これならいけるな。

 

「それにな、葵」

「……何?」

 

 不機嫌そうな、ぶすっとした声色に思わず苦笑する。

 それから俺は言った。

 

「メイドさんが見てるで」

「……え?」

 

 油の切れたブリキ人形のように葵が硬直した。

 彼女がぎこちなく顔を向けた先、ベッド脇の椅子に腰掛けたメイドさんはそっとジェスチャーをした。

 

 ――お気になさらず、続きをどうぞ。

 

 

 

「――ぴゃああああ!?」

 

 元気な雛鳥のような叫びが響いた。



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第32話 ブランチタイム、そして村長の家へ

「結局どうなったんや? ウチ、途中から記憶が無いんやけど」

 

 朝食を摂りながら葵に尋ねた。朝食とは言っても、もうそこそこ日が昇っているみたいだからブランチという方が正しいかもしれない。

 今日は狐色のトーストに半熟でとろとろなスクランブルエッグ、バターの風味がよく効いたアスパラガスとコーンにベーコンの炒め物というシンプルな洋風といった感じのメニューだ。茜ちゃんボディにとっては十分お腹いっぱいな量なのもポイント。

 ちなみに俺が作るとトーストは端が焦げていて、スクランブルエッグが炒り卵と化し、炒め物はバターの香りが飛んで塩胡椒で味わうことになる。食べられないとまではいかないが、人に出すには憚られるといった具合だ。

 ほんと、記憶を失う前の俺は食に対してこだわりが無かったんだろうな。今ではもう葵の料理じゃないと満足出来ない。

 一緒に机を囲んでいるメイドさんも満足げだ。彼女だけは主食なのかデザートかは知らないが、相変わらず砂糖塗れのトーストもついてるけど。

 

「うん、えっとね」

 

 頬張っていたトーストを飲み込むと、葵は話してくれた。

 騒ぎに目を覚まして駆けつけたこと、スポナーを破壊したこと、()が死にかけたこと、村長の持ってきてくれたポーションで助かったこと。

 なるほど、そんなことになっていたのか。

 

「なるほどなぁ、後で村長さんにお礼を言わんと」

 

 ポーションを作るためにはネザーという別次元の世界の素材が必要となる。

 この世界においてネザーの存在がどうなっているかは分からないが、危険度はゲームの時の比ではないだろう。

 そんなところでしか採れない素材を用いて作られたポーションの価値は推して知るべし。

 惜しみなく渡してくれた村長には礼を言わねばなるまい。

 

「しかし、ウチ爆発食らってからずっと眠ってたんか。まあ五体満足で生きとるんやから贅沢は言えへんけど」

 

 正確な時間は分からないが、たぶん半日ぐらいか。

 死にかけたというのにそれで済む辺り、やはりポーションの効力の凄まじさを感じる。

 おそらくライフ全損だった状態から復活出来る時点で、間違いなくゲームの時より強力だ。

 しかし、葵は首を横に振った。

 

「お姉ちゃん、ポーションを飲んだ後ちょっとだけ起きたよ?」

「え、そうなん?」

 

 全く覚えが無い。

 クリーパーの爆発に巻き込まれてからは、ずっと意識を失っていたものと思っていた。

 

「まあ、すぐに意識を失っちゃったから。ね、メイドさん」

 

 葵の問いかけに、お茶に砂糖をどしどしと入れていたメイドさんがコクリと頷く。

 ……見ていて胃もたれするというか、こっちの口の中まで甘くなってきそうな光景だ。

 当の本人は気にした風もなく飲んでいるが。

 

「――お姉ちゃん」

 

 糖分をこれでもかと摂取するメイドさんに慄いていたところで、少し沈んだ声になった葵に呼ばれた。

 何事かと思って葵の方を見れば、にわかに俯いている。

 

「私、怖かったよ。お姉ちゃんが……いなくなっちゃうんじゃないかって」

「葵……」

 

 口に出せば本当になってしまうかもしれないとでも感じたのだろうか。

 葵は途中で少し言葉を詰まらせてから、絞り出すようにそう言った。

 

「お姉ちゃんが頑張ったのは分かってる。だけど……」

 

 どんどん重苦しい表情になっていく葵の姿に堪らず席を立つ。

 そのまま葵の傍に行き、彼女を抱きしめて頭を撫でる。

 

「お姉ちゃん。いなくなったり、しないよね」

「うん。……すまん、心配かけて」

「ホントだよ」

 

 されるがまま、葵は言った。

 しばらくそうしていると、ふとメイドさんが何やらジェスチャーをしているのに気がつく。

 両手の親指と人差し指でそれぞれ輪を作ってつんつんくっつけたり、何やら目を閉じて口を突き出したりしている。

 これはひどい。

 

「メイドさん……」

 

 あんまりな行動に呆れて、思わず声に出る。

 それで気がついたのだろう。

 葵もまたメイドさんの方に目をやって……。

 

「ふわぁ!?」

 

 素っ頓狂な叫びを上げるや否や、瞬く間に赤面した。

 ほんと純真な子だなぁ。

 ここは1つ、姉代わりとしてメイドさんに言っておかねばなるまい。

 

「メイドさん、乙女の唇は安くないんやで。勢いでチューなんて以ての外や、なあ葵?」

「そっ、そうだよ」

 

 ()の言葉に葵はあちらこちらに目を泳がせながらも同意した。

 何か妙なイメージでも思い浮かんだのだろうか。

 葵はかなり想像力豊かなのかもしれない。

 

「ふふ、葵ちゃんは可愛いなぁ」

「も、もう! ……えっ?」

 

 さて、そんな葵をメイドさんはじっと見ていたが……やがてヘッと小憎らしいニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 初めて彼女の表情が変わるのを見た瞬間だった。

 

「ん゛?」

 

 だが、それも葵がドスの利いた声を出すまでのこと。

 メイドさんはすぐいつもの無表情へ戻ったものの、冷や汗を隠し切れていない。

 葵は暫し氷のような視線をメイドさんに向けていたが、やがてプイッと他を向くと拗ねた声で言った。

 

「デザート出すのやーめた」

 

 メイドさんは即座に土下座した。

 

 

 

 それからしばらくして、朝食を終えた俺と葵は村長の家を訪れていた。

 先程の通り、ポーションの礼を言うためである。

 メイドさんは最終的に縋りつくように許しを請い始め、どうにかデザートにありついた後にそのまま寝ている。

 考えてみればずっと看病してもらっていたからなぁ。

 

「ごめんください」

「おお、お二方。ようこそおいでなさった」

 

 玄関の戸を叩くと、すぐに村長が顔を出した。

 そのまま家に上げてもらい、部屋中央にデンと置かれた大きなテーブルの席に着く。

 家の中の様子は前に来た時と一緒だった。

 天井からぶら下がっている照明、この世界の技術で作られたものかと思ったのだが、レシピブックに載っていた家具MODのアイテムに同様のものがあったんだよな。

 ポーションの件といい、実はこの村は思っていたよりクラフターとの関わりが深いのだろうか?

 

「昨晩お会いしましたが、改めて初めまして。琴葉葵です。昨晩はポーションをありがとうございました」

 

 まず口を開いたのは葵だった。

 村に来てからゴタゴタが続いて、何だかんだで挨拶しそびれていたからな。

 

「せや。葵から聞いたで、おかげで命拾いしたわ」

「お気になさるな、ずっとしまったままになっていた程度のものじゃて。きっとあの時の為にあったんじゃろう」

 

 大らかな様子で村長はそう言うと改まった態度になる。

 

「それより、こちらこそ茜殿と葵殿のおかげで村は助かり申した。村を代表してお礼を言わせてくだされ」

 

 村長は頭を深々と下げた。

 一時は見捨てることも考えた身としては気恥ずかしいものがあるが、それを告げるのも違うだろうしな。

 とりあえず軽く頷いておき、本題に入る。

 

「村長さん、結局昨日の襲撃は何だったのか知らんか? 前に聞いた感じでは普段は平和な感じやと思っとったんやけど」

 

 ゲームの頃にも襲撃イベント自体はいくつか存在した。

 1つ目はそれこそゾンビの襲撃である。バグによって発生しない時期があったものの、途中からは修正されている。プレイヤーが近くに居り、なおかつベッドが10以上、村人が20人以上いる村に対して深夜に判定を行ない、スポーン可能かどうか条件を満たすと大量のゾンビが出現するのである。ゾンビ自体は通常通りの強さだが、数は多いので難易度ハードだとドアを破られて村人が全滅……なんてこともあり得る。もっとも村を柵で囲うなり徹底的に周辺の湧き潰しをするなり、そもそもベッドで寝てしまえば判定そのものを防げるなど対策は色々とある。

 2つ目は確か比較的最近のバージョンで追加されたもので、邪悪な村人であるピリジャー、エヴォーカー、ヴィンディケーター等の敵MOBが略奪隊を組んで村を襲撃するというものである。第一波、第二波、第三波と段階的に集団で出現し、難易度次第では最終的に同時に10体以上が出現する。襲撃全体で見ればそれこそ数十体を倒さなければならない。ただこの襲撃は不吉な予感というステータス異常が付与されている時に発生するなので、牛乳を飲んでしまえば回避可能である。あるいは略奪隊のパトロールや前哨基地にいるキャプテンを倒さなければ付与されないので、あえて無視するという手もある。

 3つ目……というかそれ以外にある襲撃といえば、MODで追加されるものになるだろうか。InvasionModという襲撃からの防衛を主眼としたものもあれば、村の要素を強化するTekTopiaや建国が出来るようになるTaleOfKingdoms、色んな文明の村を追加するMillenaireなどのように追加要素の1つとして襲撃イベントが用意されていることもある。

 ただし、昨日の襲撃はこれらのどれにも当てはまらない、明らかに異常なものであった。壊すと出現した敵MOBが全滅する特殊なスポーンブロックが突然村の周囲に出てきたり、スポーン上限に引っかかるどころかゲーム自体が落ちかねない程に大量の敵が出てきたり。探せばあるのかもしれないが、少なくとも俺はそんなMODは知らないし、ましてやそんなのが仕様になることはまずないだろう。数だけならトラップタワーを使えば大量に集められはするが、あんなのは特殊例だ。まさかクリエイティブモードでスポーンエッグをばらまきまくったわけでもないだろう。

 よって、俺としてはこの世界独自の要素だと考えているのだが、気になるのは門番にも心当たりが無かったという点。確かにあんなのが定期的に起きるようであれば、とっくの昔に村は滅んでいるだろう。

 何より気がかりなのは、発生した原因が全く分からないというところだ。今回は何とかなったが、あれが今後も続くようなら命がいくつあっても足りない。だからこの世界について色々と知っていそうな村長をだいぶ当てにしているのだが……。

 

「ふうむ、すまんが儂にとってもあれは初めての出来事じゃった。だから確かなことは言えんのじゃ」

 

 村長はすまなさそうに首を横に振った。

 しかし、『確かなことは』という言葉が引っかかる。

 葵もそう思ったようだった。

 

「心当たり自体はあるということですか?」

「それらしい伝承を知っているというだけじゃ。そうじゃな、クラフターであるお二方であれば何か心当たりがあるやもしれん」

 

 村長は葵の問いかけに頷く。

 そうして重々しい様子で口を開いたのであった。

 

「まずは、この村の歴史を話さねばなりますまい。この村は――かつてクラフターによって開拓された村なのじゃ」



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第33話 村の成り立ちと災厄の伝承

「この村が、クラフターによって?」

「あくまで伝承ですがの」

 

 村長は話し始めた。

 

――かつて、1人のクラフターがこの地にやってきた。

  そのクラフターはとにかく地面を均すことが好きで、

  当時森と丘があったこの土地を見てたちまち夢中になってしまった。

  何日、何週間、何ヶ月とかけて、何本もシャベルやツルハシを使い倒して、

  ついには平野としか呼びようがないまでに土地を均した。

 

 筋金入りの整地厨やな、と言いそうになった。

 マインクラフトにおいて建築は醍醐味の1つだが、当然そのためのスペースが無ければ建築は出来ない。

 もちろん地形に合わせた建築をする手もあるが、やはり平らな土地で建てる方が基本的に楽である。

 そこで行なわれるのが整地である。やること自体は単純だ。読んで字の如く、地面を均すだけ。

 ただし、世の中にはこの整地そのものを目的とするクラフターが存在する。

 建築のためでもなく、素材のためでもなく、ただひたすら平らな地面を広げていくのである。

 極まった人になるとMODに頼ることもなく、何年もずっとひたすら掘り続けている。正直なところ俺には理解の追いつかない領域ではあるが、まあそういう遊び方もあるのだ。

 ……でも、今聞いている話のクラフターはこの世界でそれをやったんだよな。掘った分だけ、動いた分だけ疲れるこの世界で。

 

――広がる平野に満足したところで、クラフターは息抜きに何か建てようと考えた。

  凝り性だったのだろう。

  自分のための一軒家を建てたものの満足がいかず、さらにもう一軒、

  まだ何か違うとまたまた一軒が建ち、時には息抜きの息抜きに別の施設を建て。

  納得の行く家が完成した時には、立派な町が出来上がっていた。

 

 この世界での経験から察するに、この間にさらに何ヶ月も経っているな。

 設計を考えるのも含めると今の拠点を建てるのに4日くらいかかったからな。

 十分短いとは思うが、これはあくまで手持ちの素材で足りる範疇に収めたり、細部の装飾や仕掛けなどを施さないシンプルな設計にしたりした上での日程である。

 話を聞く限り、途中で足りない素材を集めてきたり建て直したりしたことだろう。工期が伸びに伸びていくパターンだ。

 

――クラフターは人気のない家が立ち並ぶのはさすがに物寂しいと感じ、

  余所から住人を連れてこようと考えた。

  そこでクラフターは連れてくる住人のために大きなトロッコ駅を築き上げると、

  交流のあった村から移住してもいいという村人達を町へ招待した。

  村人達は立派な家々の様子に喜び、そのまま互いに熱い眼差しを交わすと

  おもむろに大量にドアがついた家へと入っていき

 

「わあぁぁぁ!?」

「お姉ちゃん!?」

「ど、どうなされた茜殿!?」

 

 急に話の流れがとんでもない方向へ行きそうになり、思わず話を止めた。

 

「い、今話してるのは村の成り立ちについてやろ? なんで話がそっちに行くねん!?」

「あっ……そうでしたな。この辺りが好きでしてな、つい」

 

 俺のツッコミに対し、村長は顔を赤らめると恥ずかしそうに言う。

 

「ちなみに話に出てくるクラフターはこの光景を喜んで見ていたそうですぞ」

「いらんわ、そんな情報!」

「えっと、お姉ちゃん。さっきからどうしたの? 話の流れが見えないんだけど……」

 

 俺と村長がそんな応酬をしていると、蚊帳の外になっていた葵がおずおずと声を上げた。

 彼女は不思議そうにしている。

 

「村人さん達が家に入っていくのが、そんなに変?」

「え? あっ……」

 

 葵の様子に俺は気がついた。

 そうか、葵は知らないのか。村人がどうやって増えるのか。

 教えるべきか、でも何だか純粋なものを汚すような気がして憚られる。

 悩んだ挙げ句に俺は一言だけ言った。

 

「……アダムとアダムや」

「え? え?」

「すまん、話の腰を折ってしもた。とりあえず今のところを抜かして続けてくれん?」

 

 首を傾げる葵をあえてスルーし、村長に続きを促す。

 村長も気を取り直したようで、話を再開した。

 

――それからかれこれ何年かが過ぎた。

  町は人で賑わい、この地域でも有数の大きな都市と呼べる程になっていた。

  開拓者であるクラフターもまたこの地に根を下ろして活動するようになっていた。

  全てが何の憂いもなく進んでいた。

  災厄の日が訪れるまでは。

 

「災厄……」

 

 隣で葵が呟いた。

 いよいよ話の核心に入るのだろう。

 村長の語りにも熱が入る。

 

――ある日、突然大きな咆哮が響いた。

  驚いた人々は家を出て空を見上げると、瞬く間に日が落ちて世界は闇に包まれた。

  やがて暗い空の彼方から何かがやってきた。

  巨大な黒い竜だった。

  竜は町を睥睨すると飛び回っては炎を吐いたり、その巨体で家を吹き飛ばしたりと暴れ回った。

  そうしてひとしきり町を破壊すると、どこかへと飛び去っていった。

 

 エンダードラゴンか?

 でもあいつはクリエイティブモードで呼び出すかMODでも使用しない限り、通常はエンドの外には出てこないはずだし、村人を襲うことも無かったはずだ。

 疑問を抱きながらも続きを聞く。

 

――人々が混乱から立ち直る間もなく、

  今度はモンスターの群れが波のように町へ押し寄せてきた。

  大勢の人が犠牲となる中、クラフターは身近な住人を集めると

  頑丈な地下室を作ってそこへと避難した。

  町を築き上げたクラフターは、ただ破壊と暴虐が繰り広げられるのを

  歯噛みして耐えるしかなかった。

  ようやく静かになってから地上に顔を出した時、

  そこに町はなく、ただ平野だけが広がっていた。

 

「そんな……」

 

 葵が声を漏らした。

 クラフターにとって長い時間をかけて築き上げた建築物はまさしく宝である。

 ましてや町ほどの規模ともなれば、どれだけ無念だったことか。

 それにこの世界の住人は生きているのだ。

 

――その後、クラフターは生き残った住人と共に小さな村を築いた。

  それからしばらくはこの地で生活していたが、やがてどこかへと旅立っていった。

  「世界の歪みを正さなければならない」と言い残して……。

 

「世界の、歪み……」

「詳しい意味までは伝わっておらぬが、ともかくこれがこの村の始まりだと言われておる」

 

 話し終わった村長は一息ついたようだった。

 はたして今の話のどこまで真実なのかは分からない。

 なんでエンダードラゴンと思しき存在が現われて町を襲ったのか?

 どうしてモンスターの群れが突然出てきたのか?

 疑問は尽きないが、1つ言えることがあるとすれば……。

 

「そのクラフターには、心当たりがあったっちゅうことか」

 

 口ぶりからして、ただ築き上げた町が破壊された傷心から去ったわけではないだろう。

 そのクラフターには何かしら災厄が起きた原因に心当たりがあり、故に対処するために旅立っていったに違いない。

 だが……現に昨夜、ゾンビの異常な襲撃は起きた。

 クラフターは災厄を止めることに失敗してしまったのだろうか。

 

「うーん、今すぐどうこう出来る問題じゃ無さそうやな」

 

 世界の歪みというのがいったいどういう意味なのか、何を指すのかさえ分かれば、もうちょっと具体的に取るべき行動が分かるのだが。

 しかし、それが分からない以上はお手上げだ。

 村長も特に残念そうにすることもなく頷いた。

 

「そうですな。それにクラフターに関する話は他にも色々ありますからの。あのポーションを置いていったクラフターもまた別の人物らしいと伝わっておる」

「そんだけ大昔の話っちゅうわけか。まあ伝承やしな」

 

 それだけ長い年月を経ているのに同様の出来事が起きたのは昨日が初めてっていうのもなぁ。

 全くの別物では無さそうだが、かといって伝承の災厄そのものとも言えない。

 玉虫色の答えになってしまうが、現状はそう判断するしかないだろう。

 

「ありがとな、村長」

「いえいえ、こちらこそ久しぶりに話せて楽しかったですぞ。村人はもう皆が知っておって話し甲斐がありませぬからの」

 

 そう言って村長は朗らかに肩を揺らした。

 さて、俺と葵は村長の家を後にし、ひとまず村での自宅に戻ることにした。

 その途中で葵に問いかけられる。

 

「お姉ちゃん、これからどうしようか」

「うーん」

 

 村長の話を聞いて色々と思うことはある。

 それは葵も同じだろう。

 けれどもきっと、今は考えても仕方のないことだ。

 これから何をしようかと考え、あることに思い至った。

 

「せや、村の守りを固めんと」

「あぁ、そうだね」

 

 結局のところ、昨夜の襲撃であんなに追い詰められたのは防御が不十分だったからだ。

 何匹かたまに寄ってくるモンスターを防ぐ程度の想定で巡らされた柵。

 今まではそれでよかったのだろうが、ああなった以上はそうも言っていられない。

 昨日の襲撃で残った柵もダメージを受けているだろうし。

 門番に声をかけて、ひとまず村周辺の工事をするかな。

 元々、何かしらの手直しをするつもりで村に来たんだし。

 

「ただいまー……」

 

 自宅のドアを静かに開ける。

 メイドさんはまだベッドで寝ているようだった。

 すぅすぅと寝息を立てている。

 

「こうしてれば純粋に可愛いんやけどなぁ」

「あはは……」

 

 俺がそう言うと葵は苦笑した。

 でも、実際にはこっちの胃がもたれそうになるような甘党の健啖家で、しかも喋れないのかは知らないがジェスチャーで意思を示し、どうも悪戯好きな気配もある。

 色々と助けてもらってるし、優秀なメイドさんであるのは間違いないだろうが……。

 

「お茶でも飲んでから行こか」

「そうだね」



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第34話 防壁建設

 葵と軽くお茶をした後、俺達は門番のところへと足を運んだ。

 昨夜はあんな襲撃があったにも関わらず、村は普段と変わらない様子であった。

 ただ通りかかる度に葵共々、村人達から感謝の言葉を投げかけられるのは正直こそばゆい気持ちになる。

 別に悪い気分ではない。

 けれどもゲームだったら気軽に村を滅ぼしてたような身でいい気なものだ、そう冷ややかな視線を向ける自分がいるのも確かだった。

 

 「おーい、おっちゃーん」

 

 門番はいつも通りの場所にいた。

 違うのは門が無くなって、代わりにブロックが積み上げられていることか。

 やったのは俺だけど。

 

「茜殿、体の具合は大丈夫か?」

「バッチリや。昨日は運んでくれたんやろ? ありがとな」

「なんの、村を救ってもらったことに比べれば大したことじゃないさ」

 

 社交辞令というわけではないが、お決まりな感じの挨拶を交わして本題に入る。

 

「今回は村の防御固めようと思うねんけど」

 

 俺がそう言うと門番は頷いた。

 何でも昨夜の襲撃は前例のないことだけに、また起きるのではないかと不安に思っている村人は多いそうだ。

 まあ、そうだろうな。

 災害らしい災害の存在しない世界に突然降って湧いた大規模襲撃。

 元の世界だったら不安から騒動に発展して、二次災害が起きてもおかしくないところだ。

 

「お姉ちゃん、どうするの?」

「ひとまず柵を壁に変えるで。それから外側もちょっと掘り下げて石垣つける」

 

 要はお城の壕のようにするのである。

 さすがに大がかりなものには出来ないので簡易版といったところになるが、それでも現状の柵だけで囲うだけよりはずっと耐久度が増すはずだ。

 

「まあ今日だけじゃ時間が足りないから、まずは柵の再設置やな」

 

 柵も見た目からは考えられない強度があるのだが、昨日の襲撃ではそのうち限界を迎えそうになっていたからな。

 恐らく防具のように耐久度が減っていることだろう。

 試しに手近な柵に寄りかかってみる。

 

「おお~グラグラして、わぁっ!?」

「ちょっ、お姉ちゃん!?」

 

 そのまま倒れた。

 どうやら限界だったようだ。

 

「あ~びっくりした、ふへ?」

「お姉ちゃん?」

 

 打ったところを摩りながら起き上がると、不意に葵が頬に手を伸ばしてきた。

 何かと思う間もなくきゅっと抓られて、ぎゅうぅ~っと効果音でも鳴りそうな痛みが襲ってくる。

 

「危ないのは無しって言ったよね?」

「ひゅみまふぇん」

 

 まさか倒れるとは思っていなかった。

 なんて、据わった目つきになった葵に反論する度胸が湧くわけもなく、俺は平謝りした。

 ちなみに門番の野郎は素知らぬ顔で警備に戻っていった。

 

「えいえい」

「ウヒのほっぺへ遊ばんほいへ~!」

 

 途中からは何だか葵の目的が変わっていた気がしなくもない。 

 そんな締まらない感じながらも村の防壁作りが始まった。

 とはいえ、やること自体は単純なので特筆すべきこともない。ひとまず柵や門の辺りを直し、夕暮れまでに出来るところまで木材の壁に置き換える。

 途中からは起きたメイドさんがやってきて、無表情で興味深そうに作業を眺めていたり一緒にティータイムをしたりしたがそのぐらいだろうか。

 

「あれ? そういえば何か忘れてる気が……」

「ん~そんなんあったかいな?」

 

 たまにそんな会話を交わしつつも夜になったため就寝し、作業は翌日に持ち越しとなる。

 案の定、途中で木材が足りなくなったために近隣の森まで素材集めに出かけることになった。

 作ってる最中で材料が足りなくなるのはマインクラフトあるあるの1つだが、この世界だとその集める作業が一層手間だ。

 クラフターの能力やインベントリがある分、通常ではあり得ない速度で作業は進むのだが、それでも村と森を行き来するのは十分時間がかかる。

 ただトロッコがあればとも思ったが、そこまでの距離ではないんだよな。

 第一レールを敷設しないと使えないし、さらに言えば速度を稼ぐためのパワードレールも必要だ。

 そうなると金インゴットやレッドストーンダストを集めないといけなくて……ああ、そうだ。

 鉱石ついでに思い出したけど、拠点に戻ったら本格的にブランチマイニングを始めた方がいいだろうな。

 昨日みたいな出来事が起きるならダイヤモンド製の装備が欲しい。

 ゲームみたいに気軽に掘り進めるとはいかないだろうが、きっとそれだけの価値はある。

 なんせ命が懸かっているのだ。備えられそうなものは備えていかなければ。

 閑話休題。

 ともかく葵と2人でせっせと作業を進めること数日。

 

「これで……完成っと!」

 

 葵が最後のブロックを設置し、ようやく村を囲む防壁と壕が完成した。

 のんびり眺めていたメイドさんがぱちぱちと拍手をしている。

 

「お疲れさんやで」

 

 村を囲む塀は3ブロック程の高さがあり、外側にはクモが登ってくることを考慮して返しをつけている。さらに外側のすぐ脇は2ブロック程度掘り下げており、塀の真下は丸石にしておいた。土のままだと、そのままゾンビに掘られるのではないかという懸念があったためだ。門の辺りだけは普段の行き来のために橋を渡してあるが、いざという時は封鎖出来るようにトラップドアで作っている。さらに今までは木製のドアで出来ていた門を鉄製の物に変えた。鉄製のドアは直接開け閉めは出来ないため、隣に設置したレバーを使ってもらうことになる。手間にはなるが安全には代えられない。

 塀の素材は入手性を考慮し、近隣の森に生えているオークの木にした。原木1つから4つ作れるし、苗を植えればそのうち再び生えてくる。これが一番手軽だった。

 耐久性を考えるのなら全部丸石ブロックにした方が上なものの、ともかく数が足りない。ゲームだったら丸石製造機……溶岩流と水流が接すると丸石が生成される仕組みを使った装置で入手するなりブランチマイニングの副産物として手に入る丸石を使うなりしていたのだが。

 前者については1人で活動していた時に試してみて溶岩から発生する熱に耐えつつ、延々と採掘しなければならないということから、とてもではないがこの世界では出来ないと断念。

 後者については拠点にある分を使っても足りず、今から掘るのも時間がかかるのでやめた。それに拠点の防御を固めるために使いたいというのもある。普段はあっちで暮らしている以上、向こうでも防壁を建てないと不安だし。

 

「うーん……」

 

 出来上がった防壁を眺めながら葵が浮かない顔をする。

 

「苦労した割にはいまいち安心感が無いというか……」

「それはしゃあないなぁ、朝までの時間稼ぎが目的やし」

 

 柵だけだった時より防御力が上がっているのは確かなのだが、いかんせんあの大群に囲まれた経験の後だと頼りなく感じるのは分かる。1ブロックの厚みがあるとはいえ塀は木ブロックだし、壕にしたってあの数が押し寄せたらすぐに埋まる程度でしかない。ゾンビが重みで圧死したり足場が悪くなって少しでも塀への攻撃が弱まったり、期待出来るのはその程度だ。

 けれども現状用意出来る素材だとこのぐらいが精一杯だろう。元よりゾンビを撃退するようなことは考えていない。一晩籠城し、朝になって日光でゾンビが燃えて壊滅したところであのスポーンブロックを破壊する。そんな前提だ。

 村の住人が戦えるのならもうちょっと違う構造にもしたのだが、話を聞く限り何代にも亘って平和な生活を営んできた彼らにそれを求めるのは酷というものだろう。

 

「ほんまやったら黒曜石が一番ええねんけど」

 

 バニラのマインクラフトにおいて、プレイヤーが自由に使えるブロックで最も耐久力が高い黒曜石ブロック。ただし、溶岩源を水で覆う必要があって入手性はさほど高くないし、何よりダイヤモンド製のツルハシが必要になるので現状は使えない。ゲリラMODなどの頻繁に爆発が発生する環境下では拠点を守るために必須レベルとなったりもするが。どのみち現時点では縁の無い素材だ。

 

「黒曜石? 割れたりしないの?」

「葵、ツッコんだら負けや」

 

 そんなことを話していると門番がやってきた。

 何やら見慣れない村人を連れているが……まずは出来上がったことを伝えるか。

 

「おっちゃん、いいとこ来たなぁ。出来たでー」

「そうか! いやあ随分と立派になった、これで皆も安心するだろう」

 

 内心どんな反応が返ってくるかハラハラしていたが、良さげな感触だったので安堵する。

 ここの人達ならよほど変なのを作りでもしない限りはOKを出してくれる気もするけど、それはそれ、これはこれだ。

 作った以上は喜んでほしいのが人情というもの。

 

「おっとそうだ。茜殿に葵殿、実は紹介したい奴がいるんだ」

「そちらの方ですか?」

 

 葵が声をかけると門番と一緒にいた村人が頷いて一歩前に出た。

 いや、村人なのか?

 何となく異国情緒を感じさせるフード付きのローブ。

 大きい風呂敷包みを背負っていたり動物を連れていなかったりと違いはあるが、この人はもしかして……。

 

 

 

「初めましてあっしは村や町を渡り歩いておりますしがない行商人ですいやあ驚きましたよ前までは柵だけだったのにこんな立派な壁や壕がついてて一見知らない村かと思っちまいましたが門番は見知った顔だしはて何が起こったのかと思えば伝説のクラフターが来ていてしかも2人もいらっしゃるというじゃないですかこれは是非ともお声がけさせていただきましょうと思った次第でございまして」

「聞き取れんわ!」

 

 息継ぎも無ければ言葉を反芻する間もなく繰り出されるマシンガントークに、俺は思わずそうツッコんでいた。



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第35話 行商人との取引

「いやあお恥ずかしいあっし昔からついつい喋ると止まらないタチでして」

「まだ止まっとらんで」

 

 恥ずかしそうにポリポリと頭を掻く行商人に俺は言った。

 行商人はバージョン1.14で追加されたモブだ。村人に似た友好Mobであり、一定の周期ごとにラマを引き連れて低確率で出現する。村人と大きく違うのは名前の通り定住しておらず一定時間で消えること、支払いがエメラルドのみであること、また特定のバイオーム固有のアイテムを取り扱っていることなどだろうか。

 

「行商人さんということは遠くから来られたんですか?」

「ええ、昼歩いて夜は隠れてで1週間弱くらいになりやす。この村は主な交易路からちょっと外れてて時間がかかるんですわ。作物の質や量はダントツですがね」

 

 またカボチャやスイカの種を売っているし、オウムガイの殻というレア素材なんかが出ることもあるから人によっては重宝する存在だ。村人と同様に一部の敵に狙われるため、夜間は透明化のポーションで身を潜めるが、連れているラマは消えないのでプレイヤーからは場所が分かる。

 

「門番さん、そうなんですか?」

「普通だと思うが……」

「何言ってんですかい旦那、村の中で完結する場所なんて早々ありませんぜ」

 

 もちろん、これはゲームの時の話だ。ラマは連れていないようだし、色々と異なっているのだろう。デカ鼻なのは変わらないようだが。

 

「おおっと、そうだ。旦那が言うにはクラフターさん達が求めてるものがあるって話でしたが」

「あ、そうですそうです。ねえお姉ちゃん……お姉ちゃん?」

 

 それにしても、やはりこの世界は様々なバージョンの要素が入り交じっているようだ。何となく1.7.10がベースだとは思うのだが、どこまでがその通りなのやら。知らないMODが入っているかもしれないし、俺の知らないアップデートの影響があるかもしれないし、この世界特有の法則もあることだろう。ゲームなら未知の要素に胸が高鳴るところかもしれないが……。

 そんな風にずっと考え事に意識を取られていた俺は、葵の動きに気がつかなかった。

 

「えいや」

「ひゃあんっ! あ、葵か。なんや?」

 

 不意に脇腹を突かれ、思わず変な声が出た。

 何事かと尋ねれば、葵は眉を寄せながらも状況を説明してくれる。

 

「もう、話聞いてなかったでしょ。ほら、行商人さんに頼みたいものがあるって話してたよね」

「あ、ああ、せやったなぁ。スマンスマン」

 

 前に村へ来た時、遠方の地域では和風系のMODで追加される素材や作物が取れるという話を聞いた。だから行商人が扱っていたら取っておいてほしいと頼んだのだった。

 行商人にそのことを話すと彼は頷いた。

 

「おおそれでしたら」

 

 行商人はそういうと背負っていた風呂敷包みを地面に下ろすと結び目を解く。そして、中からいくつかのものを取り出した。

 途端、葵が歓声を上げる。

 

「大豆! 枝豆! それに……お米!」

「葵、落ち着きぃや」

 

 農業周りが落ち着いてからこの世界で食事に困ったことは無かったものの、和食が食べられないことには常々物足りなさを感じていた。

 それは葵も同様だったらしい。珍しく興奮した様子で身を乗り出している。気持ちは分かるが……。

 

「でもお高いんやろ?」

 

 問題は値段だ。

 こういうその地域では珍しい輸入物ってのは、その分色々とコストがかかって高くなるものだ。この世界の物価というか交換レートがどうなっているのかは分からないが。

 ところが行商人はきょとんとした様子で言った。

 

「いえ、これならお安くお譲りいたしやすが」

「そうなんか?」

 

 俺が尋ねると行商人は苦笑して理由を話してくれた。

 曰く、行商人はかつて和食を食べた際にこれは流行ると思い、その材料を大量に仕入れたことがあったのだという。ところが、この辺りでは馴染みが無かったためか売れ行きは芳しくなく、結局豆類やお米は珍品や嗜好品扱いに落ち着いてしまったのだとか。

 

「すっかり在庫の肥やしになっちまいやした。捌けるなら安くしてもいいと思ってたんですよ」

「なるほどなぁ。なんぼなん?」

 

 行商人には悪いが、それならこちらとしては好都合だ。

 価格を聞いてみると手持ちの素材でも支払えるようだった。エメラルドのみだったゲームとは違い、融通が利くらしい。

 ただかつて仕入れた残りは遠くの町に預けてあるらしく、手持ちはあまり無いようだ。まあ売れるか分からないものなんて、そう多く持ち運ぶものでもないしな。

 話し合った末に今は行商人の手持ちの分を全て買い、次に来た時にたくさん買い取ることになった。

 

「あ、せや。もう1つ聞きたいことがあったんや」

 

 話がまとまったところで思い出す。

 

「なんでしょうか?」

「ウチらは別の世界に渡る方法について探しとってな。そういうことについて何か知っとったら教えて欲しいんやけど」

 

 現状、この世界に関する情報は村で聞けることしか知らない。

 だから村の外から来た行商人なら他に何か知っているのではないかと期待したのだが。

 

「うーん、すいませんが不勉強なもので、ちょっと分かりませんなぁ」

「そか……」

 

 まあ、そうそう都合の良い話はないか。

 そう思い話を切り上げようとしたところで行商人は何か思い出したようだった。

 

「あっ、ちっと待ってください。あっしには分かりませんが、もしかしたら町の図書館なら何か情報があるかもしれません」

「図書館?」

 

 なるほど、図書館か。

 それならこの村では手に入らない情報もあるかもしれない。

 

「なんだったら次来るときにそれらしいのが見つかったら仕入れましょうか? 本だからちっと高くなっちまいやすが……」

「あっ、だったらこれで足りますか?」

 

 行商人が困ったような表情で言ったところで、話を聞いていた葵があるものを差し出した。

 ダイヤモンドだ。この間、崖から落ちた先で偶然見つけたものだ。

 

「ダイヤモンドですか! いやあ、久々にお目にかかりましたわ。それでしたらお釣りが出るくらいです」

「お願いします」

 

 行商人はダイヤモンドを受け取り、気合いを入れて探してくると請け負った。

 それから元々の商売をしに、門番共々村の方へと向かっていき、後には俺と葵、やりとりをずっと無言で眺めていたメイドさんの3人が残った。

 

「ごめんね、お姉ちゃん」

 

 出し抜けに葵が謝った。

 何事かと思って目を丸くしていると、彼女は言葉を続けた。

 

「ダイヤモンド使っちゃって。貴重なんでしょ?」

 

 申し訳無さそうにしている葵に合点が行った。

 そんな、気にしなくてもいいのに。

 

「なんだ、そんなら気にせんでええんやで。葵にあげたもんやし」

「でも……」

 

 そういえば大襲撃の翌日、これからはダイヤモンド装備の方がいいかもしれないと雑談の中で言った記憶がある。

 ()が死にそうになったのが印象に残っているのか。悪いことをした。

 

「大丈夫やて、1個だけじゃどうしようもないねん。会う機会の限られる行商人さんへの支払いに使った方が有意義や。地下堀してれば集まるやろうし」

 

 ゲームの時だって、珍しいとはいえブランチマイニングをしていれば必要数は集まるものだった。確かに時間はかかるだろうけど、それでも決して全く手に入らないという類のものではないのだ。

 

「どのみち、時間かけて地道にやってくしかないんや。気にせんとき」

「それは、分かってるけど……」

 

 まだ何か気になることがあるのだろうか。

 葵を見つめていると、やがて彼女は恥ずかしそうに口を開いた。

 

 

 

「お、お姉ちゃんに貰ったものだったから……」

 

 

 …………。

 

「わあっ!?」

「葵は可愛いなぁ!」

 

 この後、いい加減にしてと頬を抓られるまで俺は葵を抱きしめたのだった。



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第36話 拠点を目指すも

 気づけば時刻が昼過ぎになっていたということもあり、俺達は家へと戻った。

 今は葵が昼食を作っているのをメイドさんと一緒にぼんやり眺めている。メイドさんにも自分の宿泊場所があるはずなのだが、いつの間にかすっかりこの家に居着いている。葵のご飯とおやつが目当てであろうことは言うまでもない。

 しかし、メイドと言ったらむしろ家事をする側では……まあ細かいことはいいか。

 

「はい、おまたせ」

「おおきに」

 

 今日のお昼はナポリタンだった。茹でたスパゲティにレトルトソースをかけて完成といったものではなく、しっかりとソースをからめてあって具のウィンナーやピーマン等も食べ応えのある本格派だ。昭和チックな洋食店のイメージ。まあパスタの本場であるイタリアじゃナポリタンはないらしいが。

 

「さて、外壁も作ったことやし、そろそろ拠点に戻ろか?」

 

 舌鼓を打ちつつ今後のことを話す。

 葵の体調不良やら大襲撃やらあったものの、本来は行き来含めて3日くらいで帰る予定だったのだ。

 僥倖なことに行商人と会うことも出来たし、そろそろお暇しても良い頃合いだろう。

 

「そうだね、向こうも防御固めないといけないだろうし……あっ!」

 

 俺の言葉に頷いていた葵だったが、突然何かを思い出したのか大きな声を上げた。

 驚く俺に対し、葵は慌てた様子で言う。

 

「お姉ちゃん、動物さん!」

「……あっ!」

 

 一瞬遅れて葵の言っていることを理解し、頭の片隅にあった違和感が氷解する。

 そもそも数日で帰る予定を立てていた理由が、飼育している動物達の世話があるからだったのをすっかり忘れていた。

 

「どどどないしよう葵ー!」

「急いで帰るしかないよ!」

 

 そんな風に2人で慌てていると、不意にくいくいと袖を引っ張られる。

 見れば口の周りをソースで赤く染めたメイドさんだった。

 とりあえず手元のナプキンで拭いてあげた。

 

「何やメイドさん……えっ、平気やって?」

 

 フォークを片手に、いつも通りの器用なジェスチャーでメイドさんは動物について解説してくれた。

 曰く、この世界の動物は1週間やそこらなら別に餌を与えなくても生きていけるぐらいには食い溜めが利くそうだ。もちろん可能なら毎日餌をやった方がいいらしいが、たくさんの動物を飼育している農家の中には2~3日に1度たくさんやって済ませるところもあるとか。

 

「メイドさんも数日に1回で平気だったりしないん……いや、なんでもあらへん」

 

 ふとそんな軽口が出たが、メイドさんから殺気の籠もった視線が飛んできたのでやめた。メイドさん相手に食べ物を減らすような素振りをするのは止した方が良さそうだ。

 ともあれ葵と2人、胸を撫で下ろす。

 

「なんや、それなら良かったわ」

「でも、どっちみちそろそろ帰らないと1週間経っちゃうよ」

 

 そういうわけで翌日、拠点へ帰ることになった。

 門番に一声かけて村を出る。

 

「ほな、また」

「気をつけるんだぞ」

 

 帰り際にまた色々と持っていくか聞かれたが、今回はだいぶ助けてもらったこともあるので遠慮しておいた。今のところは野菜には困ってないし。今後は拠点で行商人から買った米や大豆等を重点的に作って、野菜は村から貰うようにしてもいいかもしれないな。人数少ないとたくさん作っても余るだけだし。

 それから、まあ予想はしていたが。

 

「はい、あーん」

 

 帰りの道中、葵にクッキーをもらってモシャモシャしているのはメイドさん。

 案の定というべきか、メイドさんは俺達が村を発つのにしれっとついてきたのである。あれか? 行きにケーキを食べたのが雇用した扱いにでもなったんだろうのか。食欲に忠実なだけな気もする。

 

「ちゃんと警戒するんやでー」

 

 一応剣を佩いてはいるがのどかに見えるメイドさんへそう言うと、彼女は涼しい顔でVサインを送ってきた。今まで一人旅をしてきたんだろうし大丈夫だとは思うが、ちょっと不安だ。

 そんなことを思いつつ、目印を頼りに来た道を戻る俺達だったが妙なことに気がついた。

 

「なんか静かな気がせぇへん?」

「んーそうかな?」

 

 今、俺達は森の中を通っている。

 この世界に来て探索を繰り返すうちに分かったことだが、森の中というのは様々な音がするものなのだ。都会の喧噪に比べればそりゃあ静かだけど、生き物が動いたり木々や茂みが揺れたりする音が意外に響く。

 それなのにどうしたことか、俺達3人以外の気配が感じられない。ひっそりと静まりかえっていて、まるで生き物のいないみたいだ。

 

「メイドさんはどう思う?」

 

 試しにメイドさんにも聞いてみるも首を捻るばかりだ。

 

「そか……まあウチの気のせいならそれでええんやけど」

 

 そして、苦笑しながら変なことを言ってすまなかったと言おうとした時だった。

 頭上からガサリと葉擦れが聞こえてきて――

 

「お姉ちゃん! 危ない!」

 

 顔色を変えた葵が咄嗟に()の腕を取って寄せた。

 何事かと驚く間もなく、即座に反応したメイドさんが抜剣して何かに斬りかかる。

 それは炭酸が抜けるような独特の断末魔を上げて消滅した。

 クモだったようだ。木陰で敵対状態になったのが奇襲してきたのか。

 

「た、助かったで葵、メイドさん」

「どういたしまして」

 

 ニコリと微笑む葵。

 対照的にメイドさんは剣をぶんぶん振りながらドヤ顔をしている。

 どうだ見たかと言わんばかりだ。

 

「早いとこ抜けてまうか」

 

 やはり昼間とはいえ、見通しの悪い森の中は危ない。

 そのことを再認識しつつ森の中を進んでいく。

 ゲームだったら通り道を舗装したり空中にトロッコの線路を敷いたりもしたのだが、そんな悠長なことはしていられないしな。

 もしもクラフターとしての能力がゲーム並みだったらもっと採掘も建築も捗るのだろうが。ただ料理とかは融通が利かなくなって物足りなくなりそうだ。あとリスポーンも可能になるのか? ハードコアの仕様だからまた別か。

 やがて前方が明るくなってきた。森の出口が近づいているのだ。

 

「よっしゃ、やっと出られ……」

 

 

 平原に抜けた俺は視線を遠くにやって、思わず声を失った。

 何かがおかしい。

 目を擦りながら確認するも景色は変わらない。

 

「葵、ウチ疲れてるんかなぁ。葵も顔色が青いでぇ」

「お姉ちゃん……下手な冗談言ってる場合じゃないよ」

 

 そう返す葵も困惑しているようだ。

 メイドさんはどうしたものかと思案顔をしている。

 

 

 

「拠点……なんかぶっ壊れとらん?」



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第37話 拠点の惨状

「と、とりあえずどうなってるか確認しようよ」

 

 葵の一言で、俺達3人は恐る恐る拠点へと近づいていった。

 見間違いであって欲しかったものの、やはり拠点はボロボロになっている。

 もちろんそれが経年劣化などではなく、襲撃によるものであることは明らかであった。

 家の裏にあった畑もすっかり荒らされてしまっている。

 

「おおう……」

 

 さらにもう1つ、嬉しくないニュースだ。

 拠点に近づくにつれて、次第にゾンビの声がし始めたのである。

 もちろん、その声は家の中から聞こえてきていて、結構な数がいるようだ。

 というかこの感じだとかなりの群れだ。

 この辺りで唯一日陰になる家の中に隠れているのだろう。

 

「お、お姉ちゃん……」

 

 葵が引きつった表情でとあるものを指差す。

 拠点から少し離れた平原の真っ只中、その宙に出発前には無かったものが浮いていた。

 中で火が燃えている檻籠のような物体――紛れもなくつい先日に村に現れたのと同様のスポーンブロックだった。

 幸いなのは昼間の野外でスポーンが抑制されていることか。

 日が落ちるまでは大丈夫だろうとはいえ、放置したら百害あって一利なし。

 一も二もなく駆け寄って即座にツルハシを叩きつければ、この前苦労したのとは打って変わって、スポナーは光を放ちあっけなく消滅した。

 拠点から聞こえてきていた呻き声も途端に止む。

 

「ふうぅ……」

 

 ともかくこれで一安心だ。

 一息ついていると、そっと葵が腕に触れてきた。

 

「なんや?」

「腕……震えてるよ」

 

 見やれば確かに腕が微かに震えている。

 それを認識すると同時に、俺は心臓がひどく脈打っているのに気がつく。

 全くの無意識であった。

 

「ツルハシ勢いよく振ったからやろ」

 

 内心の動揺を隠しつつ、葵にそう答える。

 彼女はやや不満そうな表情を見せたものの、それ以上は何も言わなかった。

 

「それよりどうなってるか確認せな」

 

 雰囲気を振り払うように言って、拠点へと戻る。

 いや、正確には元拠点と呼んだ方が正しいかもしれない。

 扉は跡形もなく消えており、窓は割れ壁にはところどころに穴が空いている。

 中にも大勢のゾンビが侵入した痕跡があり、床は土だらけで家具は転がり全く違う位置にある。

 メイドさんがアチャーと顔を覆ったのもやむを得なかった。

 チェストやその中身が無事だったのは不幸中の幸いといったところか。

 

「短い命やったな……」

 

 俺は半ば呆然と呟いた。

 色んなことがあったからかだいぶ時間が経ったようにも感じるが、その実俺がこの世界にやってきてからまだ1ヶ月とちょっとしか経っていない。

 葵と出会ったのも1週間ぐらい前でこの拠点を作ったのもその辺りだ。

 マインクラフトらしいといえばそうなのかもしれないが、愛着の湧く前に駄目になるとは思わなかった。

 

「掃除と修復すればまだ何とかなるとは思うけど……」

「あの規模の群れが襲ってくる可能性考えたら今の構造じゃアウトや」

 

 まだ使用出来るのではないかという葵の問いに対し、首を横に振る。

 バニラの仕様のままだったらそれでもよかったのだが、本格的な襲撃が起こるとなれば話は別だ。

 ゲリラMODのような黒曜石建築とまでは行かずとも、もっとモンスターの襲撃に備えた構造にしなければおちおち寝てもいられないだろう。

 

「そうだ、動物さん達は……?」

 

 次いで飼育小屋の方にも向かったが、案の定見るも無残に壊されていた。

 仕切りも何もあったものではなく、柱と屋根ばかりが残っているような状況だ。

 動物の姿も見当たらない。

 ゾンビに襲われてしまったのだろうか。

 

「ごめんね、ごめんね……」

 

 葵が涙ぐみながらそう呟く。

 

「しゃあないわ、ウチらにはどうしようもなかったんや」

 

 俺はそう言って葵を慰めようとする。

 その時だった。

 

「ん、何の音や?」

 

 遠くから地響きのような音が聞こえてくる。

 一瞬地鳴りかと思ったが、どうもそういうわけでも無さそうだ。

 というか間違いなくこっちに向かってきている。

 これは、まずいのでは。

 慌てて2人に注意を促そうとしたところで、メイドさんにくいくいと袖を引っ張られる。

 

「えっ、心配ない?」

 

 そのままメイドさんの指差す方向を見る。

 

「あっ!」

 

 葵が驚きの声を上げた。

 音は平原の向こうから聞こえてきていた。

 土埃を立てるような勢いで向かってくるのは……ウシやヒツジ、それからニワトリの群れだ!

 呆気にとられているとやがて動物達は俺達を……いや、正確には葵を取り囲んだ。

 

「み、皆! 無事だったんだ!」

 

 喜ぶ葵に動物達はすり寄っていき撫でられている。

 感動的な場面、なのだろうが。

 俺は忘れてないぞ。

 葵には愛想が良い癖に、俺に対してはやたらふてぶてしい態度だったこと。

 ジト目で動物達を眺める俺の肩をメイドさんがポンと叩く。

 

「分かってくれるのはメイドさんだけやで」

 

 俺はインベントリからお菓子を取り出して渡し、これからの相談をしようと葵を呼びに行く。

 背後でメイドさんがチョロいもんだぜという表情をしていることに気づくことはなかった。



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第38話 仮拠点建設

「ここをキャンプ地とする! ほな仮拠点をチャチャッと建ててまうでー!」

「お、おー?」

 

 ()がそう宣言すると共に天高く拳を突き上げ音頭を取ると、葵はぎこちない様子で小さく拳を上げた。

 あれから葵と話した結果、ひとまずは早急に仮拠点を建てることとなった。

 まだ日が高く昇っているとはいえ既に正午は過ぎており、損壊した拠点の撤去をしていては野宿する羽目になりかねないからだった。

 地面を掘って地中で一晩過ごすという手もあると言ってみたものの……。

 

「お姉ちゃん、それ生き埋めになったりしない?」

 

 という葵の一言であえなく没となった。

 大丈夫だとは思うのだが、崖が崩れた前例があるのを鑑みると断言出来ないのがこの世界の厳しいところだ。

 あと竪穴式住居でももうちょっと文化的な生活をしてると言われたのも地味に響いている。なんだかんだこの世界に来た初日から基本的には家屋で寝泊まりしていたわけで……ここに来て原始生活以前に水準が逆戻りというのも、うん。なんか負けた気がするな。クラフターとして、文明人として、一応今は女の子の身として。

 ともあれ、そんな具合で簡素ながらもちゃんと壁も床も天井もある家を建てることと相成った。

 ちなみにメイドさんには荒らされた畑を整えるように頼んである。

 動物達はモンスターに襲われることはないと思うが一応柵で囲っておいた。

 どちらかというとオオカミ対策になるかもしれない。

 でも、今のところ目撃したことはないのでこの付近には生息していないのだろうか。

 

「葵、大変や」

「えっ、どうしたの?」

「お腹空いた」

「何も言わないと思ったら忘れてたんだ……」

 

 開始早々にそんな一幕もあった。

 

「それでお姉ちゃん、どうするの?」

「せやなぁ、まあ仮住まいやし豆腐でええやろ」

 

 無事だったキッチンの設備で葵が作ってくれたサンドイッチを頬張りながら、仮拠点の計画を話す。

 ひとまずは当面雨風とモンスターが凌げればいいので豆腐建築でいいだろう。ゲームでは何となくダサいとか初心者っぽいと言われがちな四角そのものな豆腐建築だが、実用面においてはトップクラスだ。というか建築基準も無ければ倒壊の恐れもないマインクラフトにおいて、わざわざお洒落な家を作っても景観が良くなる以上の意味はない。攻略が目的であれば住みづらいということまである。

 この世界においても大きくは変わらないと思う。なまじ現実の物理法則が入り交じっているのを考えると、前衛芸術的な家に住むのはなかなか命知らずな行為になるのではなかろうか。

 

「あ、でも間取りについてはちゃんと決めななぁ」

 

 もっとも個別の部屋を作るとかお風呂やトイレはちゃんと区切るとか、そういった点はゲームじゃなくて現実世界に即すべきだろう。さすがにそこまで効率重視というか、精神面を度外視したような家には住みたくない。

 とはいえそうなると必要なスペースも大きくなるわけで。

 

「ダイニングキッチンやろ? お風呂とトイレやろ? それから3人の部屋か」

「私はお姉ちゃんと同じ部屋でもいいよ」

 

 豆腐とはいえ結構なサイズになりそうだ。

 そう思っていたところ、葵がある提案をしてきた。

 

「葵?」

「今日中に一通り建てるとなるとそう大きくは出来ないし、かといって仮拠点なのに広げてたら手間がかかっちゃうでしょ? なら、ちゃんと家が出来るまでは一緒でも良いんじゃないかと思って。……あっ」

 

 説明してから葵はハッとした顔になり、慌てて付け加えた。

 

「もちろん、お姉ちゃんが別々が良いっていうなら……」

 

 慌てる彼女の頭をそっと撫でる。

 途端に静かになった。

 

「村じゃ一緒に寝てたやん。ふふふ」

「そ、そうだけど……ってもう、笑わないでよ」

 

 どことなく照れた風の葵がおかしくて思わず笑ってしまい、拗ねた目で睨まれて軽く謝る。

 全く、そんな恥ずかしがることなんてないのにな。

 いつも助けてもらっているのはこっちなんだから、こういう時くらいお姉ちゃんらしいことさせてくれてもいいのに。

 まあ、所詮は真似事に過ぎないが……。

 

「お姉ちゃん?」

「ん、部屋割りも決まったことやし早速作業にかからんとな」

 

 ふと葵が不思議そうな顔をした。

 いけない、思考が表情に出てしまっていただろうか。

 内心焦りつつもなんてことのない風を装う。

 

「ほなサグラダ・ファミリアも驚くような仮拠点建設いくで!」

「それ完成まで何百年もかかっちゃうから!?」

 

 そんなこんなで意気揚々と始まった仮拠点作りは規模の小ささもあってか、特に何の問題もなく順調に進んだ。

 間取りさえちゃんと押さえておけば、後は壁や床、天井を張って内装を施すだけだからな。

 2人で作業していることもあって、夕方になる前にはおおよそ完成した。途中からは畑の整備を終えたメイドさんも、3時のおやつに勤しみながら眺めていたくらいだ。……なんか立場が逆転している気もする。いや、メイドさんにクラフターの能力はないんだから仕方ないんだけど。

 一仕事終えたという達成感と共に葵と並んで仮拠点を眺める。

 これは……分かりきっていたことではあるが。

 

「豆腐やな」

「豆腐だね」

 

 それはさておき、村から帰ってきての作業で疲れているということもあり、さすがに今日はもう休むことにした。

 玄関を開けると、そこはすぐにダイニングキッチンだ。入って左側の部屋角にL字のテーブルを設置してあって、3人が同時に食事を食べられるようになっている。壁にはカーテンをつけた窓を設け、出来るだけ閉塞感が無いようにしている。ファミレスの隅の席みたいな感じと言えば伝わるだろうか。

 右側にはそれぞれ()と葵の相部屋、メイドさんの部屋が2つあり、前者は12ブロック、後者は9ブロック程の広さがある。ベッドとチェストを置いてある以外は窓が1枠と蛍光灯があるだけだ。本当に、寝るための部屋といった具合だ。

 そして玄関から真っ直ぐに進んでいくと突き当たりで左右に分かれていて、左が風呂、右がトイレとなる。とはいえ風呂はシャワーを浴びるためぐらいのものでいささか物足りない。今まではちゃんと浴槽の外で洗って、お湯に浸かることが出来たのと比べれるとどうしても見劣りする。葵とももう少し大きくしようかと途中で再検討したぐらいだ。結局、明日拡張しようということになった。計画性が無いような気もするが、お風呂は譲れない。譲れないのだ。

 

「ダブルベッドやで葵ー!」

「いや、それツイン……」

 

 夕食も風呂も終えた頃にはすっかり外は暗くなっていた。

 つくづく思うが、この世界はとても静かだ。

 普段するのは風の音、木や草の葉擦れ、動物達の鳴き声ぐらいのもの。戦闘状態でない時は大人しいのか、不思議とモンスターの騒ぎ声は聞こえてこない。まあクリーパーみたいに爆発の寸前まで物静かな場合もあるが。

 

「明日からどんな拠点建てような、葵。やっぱりお風呂は広いのがええよな」

「ん、そうだねー……」

 

 疲れてはいるのに床に就いてからも何となく眠れず、葵に話しかける。

 

「花壇もあった方が華やかでええかな。女子力アップやで」

「ん、そだねー……」

 

 マインクラフトの花はインテリアでもあり、染料の素材でもある。その割に増やすには骨粉が必要とまとまった数が欲しい時にはちょっと面倒だ。スケルトンのトラップタワーさえ確保してしまえば然程ではないのだが、はたしてこの世界であれが再現出来るものなのか。

 そんな中で花壇作りはちょっと贅沢な使い方かもしれない。

 

「せっかくやしメインホールみたいのも作ってみよか。昔やったゲームにあったねん……あ、あれホラーやった」

「んー……」

 

 動画サイトで話題になっていたような大がかりな建築は無理だが、どうせならちょっと凝った家にしてみてもいいかもしれない。いつまでもこの世界にいるつもりはないが、それでも拠点というのは自然と思い入れの湧くものだ。それなりの家を建てるのも悪くはあるまい。……まあ前の拠点は思い入れが出来る前に壊されてしまったが。

 

「それからな、防御陣地も……葵?」

 

 返事が無く、隣を見やる。

 葵はすっかり寝息を立てていた。

 それを見ていたら、こちらも何だか急に眠たくなってきた。

 

「ふわぁ……まあ、今日はいっぱい動いて疲れたからなぁ」

 

 瞼を閉じれば、意識が広がるように薄まっていくのが分かる。

 葵の心地よい体温を感じながら、俺もまた速やかに眠りへと落ちていくのであった。

 

「おやすみ、葵ちゃん」



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第39話 拠点建設計画

 翌日、葵の作ってくれた朝食を食べ終えた俺達は、早速新しい拠点をどのようなものにするか話し合うことにした。

 

「ほな、拠点に必要なモンを挙げてこか」

 

 食器を片付けた後のテーブルに紙を広げ、イカスミと羽で作ったペンを手に持つ。

 ゲームにおいては書き込むと再編集不可能な本の一部に過ぎなかった羽ペンだが、この世界では個別のアイテムとして存在しているようだった。

 

「まずは生活に必要なところだよね。部屋に、トイレに、台所に、リビングに……」

 

 葵の言ったものを紙に記していく。

 拠点と言えば、まずは日常生活に必要なところからだろう。

 ゲームの頃なら現実で必要となる様々な設備を省略出来たが、ここではそうもいかない。

 特にトイレ。家具MODの影響かウォシュレットが使えるというのに、わざわざマグマに水流で流す不要物処理設備とかなんて使っていられない。

 一度文明の利器を味わってしまったからには必要もなく不便な生活には戻れないのだ。

 

「それから……お風呂!」

「でっかい風呂やな!」

 

 どこから取り出したのか、メイドさんがドンドンパフパフと小さな太鼓やラッパを鳴らす。

 風呂は英文風に言うならば、最も重要な設備のうちの1つ。五右衛門風呂も悪くはないけど、やはり足を伸ばせる広々としたものであればなおさら良い。

 

「作れるの?」

 

 ただし、家具MODで追加される風呂は1人用の割と小さめなものだ。

 疑問に思ったのか、葵が問いかけてくる。

 

「竹MODの温泉ユニットが使えるで。こないだ行商人さんからもらった竹でちょうど……」

「温泉!?」

「お、おう……」

 

 温泉ユニットは竹MODの……あれ、名前が変わったんだっけ?

 そうだ、竹MOD改め飯MODで追加されるピストンのような見た目のアイテムだ。

 オンにすると設置地点の真上1マスを中心として温泉がどんどん湧き出していき、一定時間漬かると回復が早まる。

 さらには染料を入れると三原色の法則に従って色が変化し、他のプラス効果を得られるという特徴もある。ただし結構な量の染料を要求する他、無闇に投入すると逆に毒状態になってしまうので注意が必要だ。後はちゃんと囲いを作っておかないと際限なく湯が広がっていってしまう点も気をつけねばならまい。下手すると地上が温泉に沈んでしまうからな。

 

「その気になれば露天風呂だっていけるでー、まあ檜はないから檜風呂とかは無理やけ……ど……」

 

 気がついたら両肩を力強く握られていた。

 目の前には据わった目の葵。

 

「つけよう、温泉。別に露天じゃなくていいけど」

「せ……せやな、雨の日とか困るしな……」

 

 葵の風呂への思いは俺の予想以上だったらしい。

 そういえばこの間だって疲れててもお風呂だけは入ったしな……。

 凄まじい眼力を前に、コクコクと頷くしかなかった。

 

「ほ、ほな生活に必要なモンは大体それくらいとして、次は他に欲しいのやな」

 

 自分の席に戻っていった葵にちょっと安堵しつつ、話を進めることにした。

 

「素材を溜めておく倉庫、ここにクラフト台も置いておけばいいのかな。それからいつか使うであろうエンチャント部屋を兼ねた図書室に……あとは塀、というよりは防壁だね」

 

 マインクラフトを長くやっているとどんどん大きくなっていくのが素材を保管しておく倉庫だ。おそらくブランチマイニングをする際に出てくる丸石や整地作業で掘った土や砂、砂利などが中身の大半を占めることになるとは思うが。木材や鉱石も装備や設備が整ったら建築でもしない限り溜まってはいくけど。やはり建築が一番消費が激しい。金属ブロックなんか1つ作るのに9個もインゴットを要求される。ゴーレムトラップで鉄の無限供給なんて、この世界じゃ無理だし。

 エンチャントも重要だ。アレがあるのと無いのとじゃ、全然効率が違う。最上位の効率上昇系のがつくと豆腐を崩すかの如く、一瞬で土や石が削れていく。武器に威力上昇がつけばそこらの雑魚モンスターなんて一撃で倒せるし、防具にダメージ軽減や耐性系のものがつけば殴られようと高所から落下しようと溶岩の海だろうとへっちゃらだ。……過信すると死ぬのには変わりないが。耐久力の強化もつけないと、あっさり壊れるし。

 防壁は言わずもがな、村での襲撃や新拠点を建てることになった原因を考えれば作らないという選択肢は無い。中世ヨーロッパの巨大な城壁みたいなレベルのはいらない、というか作ってられないけど、出来れば素材は頑丈な方がいいな。当分は石造りになるだろうけど、やっぱり一番良いのは黒曜石かな。

 黒曜石はMODや岩盤みたいな特殊なブロックを除けば、建材として最高の耐久性を持っている。ボスモンスターのエンダードラゴンやウィザーみたいにすり抜けたり問答無用で破壊してきたりする奴以外なら、クリーパーの爆破だろうと物ともしない。例によって集めるのが手間だけど。ダイヤモンドのツルハシの用意も、必要量の溶岩源を見つけるのも。……後者に関してはこの世界なら抜け道が無いでも無いけど。出来れば行きたくない。でもエンチャントのことも考えると、どのみち行かなくちゃいけないんだろうなぁ。

 

「せや、脱出用のトンネルとか用意しとくのはどうやろ」

 

 防壁があれば十分だとは思うが、それでもクリーパーの爆発辺りで穴が空いて突破される……など起きることも考えられる。考えすぎかもしれないけど、この間の襲撃でいったいどれだけの脅威があるのかが全く分からなくなってしまったのが悩みどころだ。幸い今のところは敵が強力なMODが適用されている気配は無いが、仮に出てきたらバニラ基準の防衛手段しかない現状ではお手上げだ。場合によっては逃げられるかも怪しい。

 とはいえ……。

 

「悪くないと思うけど、後回しかなぁ」

「せやなぁ」

 

 拠点部分だけでさえ相当時間がかかりそうなのに、避難経路やその先の整備までしている余裕はない。一通りのことが片付いてからになるだろう。バニラの敵しか出てこないのなら空中に逃れるって手もあるんだし。

 

「まあ拠点本体はこんなモンか。後は周りやな、畑と動物小屋、それに採掘場くらいやろうけど」

 

 動物は現状のままでもいいだろう。

 それになんだかんだで解体は一瞬だからともかく、屠殺はそんなに気持ちのいいものでもないし。慣れたけどさ。

 だとすれば悩ましいのは畑か。

 

「畑は何を植えようなぁ」

「よく使う食材は普段から育てて、たまに食べるくらいのは少量ずつ交代でとか? あ、村じゃ育ててないの優先的にやろうよ。和食に必要なのとか」

 

 2人でそんなことを言っていると、じっと話を聞いていたメイドさんが何やら主張を始めた。

 

「え? サトウキビ?」

「あー確かになぁ」

 

 サトウキビは紙や砂糖の材料として重要な作物だ。

 というか無いと困る。色々な、そう、色々な意味で。

 

「この辺一帯をサトウキビ畑に?」

「さすがにそれは多過ぎや」

 

 でもサトウキビバイオームを作ろうとするのはやりすぎだと思う。

 

 

 

「こんなところか」

 

 あれからも色々と話し合っているうちに、気がつけばお昼ぐらいになっていた。

 すぐに決まるものだと思っていたが、あれやこれやと脱線したり戻ったりを繰り返していたらすぐに時間が過ぎていた。

 

「うん、分かってはいたけど……」

 

 必要なもの、不要なもの、実現出来るもの、出来ないもの。

 様々に切り分けて出来上がった新拠点の計画だったが……。

 

「何にしても、資材やなぁ」

 

 案の定、必要なだけの資材が足りないという話になった。

 建材だけじゃない。それを行うために必要な道具の素材も含めてだ。

 具体的には鉄。本音を言えばダイヤが欲しいけど持ってないし、かと言って石や木のツールじゃ余計に時間を食うことになる。

 

「気長にやってくかぁ」

「そだねぇ」

 

 メイドさんがそこはかとなくお昼ご飯を要求し始めたので、ひとまずこれで話し合いは一段落つけることとなった。

 全く以てマインクラフトらしい結論であった。



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第40話 ブランチマイニング

「ほな楽しい楽しいブランチマイニングの時間やでー」

「お姉ちゃん、目が死んでるよ」

 

 お昼を食べ終えた俺達は地下採掘場の入り口に来ていた。

 この世界にやってきた翌朝、クリーパーに爆殺されそうになった時に出来たクレーターから作り始めた採掘場。まだ2ヶ月も経っていないのに何だかずいぶん前のことのように感じるのは、それだけ色々なことがあったということだろうか。

 葵との生活が始まって以後もちまちまと掘っていた採掘場ではあるが、さほど急ぐ必要も感じていなかったためにそれほど広がってはいない。地表から5マスくらいのところを掘っていただけだし、ゲームの基準だったらとてもブランチマイニングとは言えないだろう。

 

「掘る役と階段役はウチと葵とで交代しながら、メイドさんは松明頼むで」

 

 だが、これから始めるのはまさしくゲームの時通りのブランチマイニング。高さ11メートル前後、地表からおよそ50メートルの深さまで掘り下げた後、碁盤のように通路を広げていく。

 言葉にすれば簡単だし、やることも単純ではある。広大で真っ平らな土地を作り出す整地や岩盤までくり抜く人力クァーリーとはちょっと違うらしいが、クラフターの中にはこの手の作業こそが楽しいという者だっている。いるのだが。

 メイドさんに大量の松明を渡しながら、俺はため息をついた。

 

「あーめんどいなぁ、絶対疲れるよなぁ」

「始める前から言ってちゃ世話ないよお姉ちゃん」

 

 再三再四述べたことではあるが、この世界ではブロックを掘るにも設置するにも体力を使う。そして疲労というか満腹度周りの仕様がシビアになっているのか、上限が低くなったり消耗が増えたりしているのか。ちょっとした豆腐ハウスを作るだけで一仕事な状況からしたら、ブランチマイニングは大事業もいいところだった。

 まあ愚痴を言っていても仕方がない。こういうのはさっさとやるに限る。先延ばしにしたところで何の解決にもならないし、いつかはしなくてはならないのだ。

 気を取り直し、使い潰すことを考慮し何本も用意した石のツルハシをインベントリから取り出す。

 

「じゃ、行くでー」

 

 いつも通りの手応えのある空振りという奇妙な動作と共に、採掘が始まった。

 

 

 

 2時間経つ頃にはすっかり息が上がっていた。

 

「あー、しんどっ! 休憩や休憩!」

 

 ツルハシをポイと放り投げ、段差に腰掛ける。

 水入りバケツを取り出すとゴクゴク飲んで、それから頭から水を被った。

 

「ちょっとお姉ちゃん!」

「せやかて葵ぃ」

 

 眦を上げた葵にそう言われるも、当の俺はそれどころでは無かった。

 予想はしていたが、とにかく疲れる。その上、喉が渇くし何よりも……。

 

「暑いぃ~」

 

 普段着……というか今着ている布アーマーの素材は羊毛である。通気性が高いとはいえ、冬服にも用いられるような素材で出来た服装で重労働をすれば一体どうなるのか。

 

「汗が酷すぎるんや~!」

「ちょ、ちょっと、はしたないよ!」

 

 琴葉汗だく姉妹の完成である。当事者としては全然興奮しない。

 ぐっしょり濡れた上着を脱ぎ捨てた。葵の非難の声が上がるも我慢していられない。下着が茜ちゃんボディの玉のような肌に張り付いて気持ち悪いのなんの。

 考えてみれば、というか考えるまでもなく採掘なんて作業着でやるものだ。むしろ機械化が進む前なんて、ほとんど裸みたいな格好で従事していたくらいである。風通しの良い野外ならともかく、掘ったばかりでそんなに涼しくもない地下では暑くなるばかりだった。

 

「ってか葵かて汗塗れやん」

「そりゃそうだけど……」

 

 平気なのは松明を設置するメイドさんくらいである。

 試しに掘ってみる? とツルハシを掲げたところ、持っていた松明で×印を作られた。絶対にNOという強い意思を感じる。

 

「今どのくらいやろ……」

 

 パタパタと手で首元を仰ぎながら、どのくらい掘り進んだかを確認する。

 まだ深さ10マスか。採掘の速度もさることながら崩落止めを作らなくていい分、人力とは思えない程の効率で掘れてはいるものの、どうしてもゲーム時代と比較してしまう。

 通路はいずれトロッコを敷設するのを見越し、3×3マスずつ掘っている。それが2時間で5マスの深さ。つまり5×9の45マス掘ったわけだ。となると大体3分弱で1マス掘っていることになるから……あと40マス掘り下げるのに16時間程かかる計算になる。

 もちろん1マス掘るだけなら3分もかかっていないが、延々と腕を振るってもいられない。ちょっとした移動とかクールタイムとかを挟むとそのぐらいになるか。

 

「この調子やと着くのはもう何日か、かかるなぁ」

 

 それもあくまで目標の高度に到達するだけで、ブランチマイニングの本番はそこからだ。鉱石が集まるまでずっと坑道を延ばす作業が続く。しかもモンスターの湧く空洞や地中の溶岩に気をつけながらだ。地下渓谷に出てしまう可能性もある。

 

「あと数マス掘ったら今日はやめとくか」

「次からは別の服にしないとね」

 

 分かってはいたが、なかなか骨の折れる作業になりそうだ。

 かくして連日の作業が続いた。もちろん畑や動物の世話もしないといけないから、ずっと採掘ばかりしていたわけではない。

 幸いにも洞窟や溶岩に当たることもなく、高さ10メートルまで辿り着いたのはそれから5日後のことだった。3日目で筋肉痛になり丸一日休んだからだった。

 

「こんなんそのうちムキムキになってまうあだだだだ!」

「何やってるの……」

 

 力こぶを作ろうと力んだら痛みが走り、葵とメイドさんに呆れられる一幕もあったりした。

 さて、何はともあれ掘り下げは終わった。ここからは鉱石の集中している箇所まで広げていく作業になる。階段周辺を軽く広げてスペースを確保してから左右に掘り進んでいくことにした。

 

「ほな、ここからは手分けして掘り進むか。モンスターとか出たら呼ぶんやで」

「分かった」

 

 どの程度、鉱石が集まるかは運次第だ。何にも出てこないってことはないと思うけど、それでもダイヤは出てきたら儲け物ぐらいに考えておいた方が精神衛生上良いだろう。

 それにさすがにここまでの深さとなると地表より温度も低くなっているようだし、掘り始め程は暑くなるまい。溶岩が出てこなければ、だが。

 淡々と、無心で丸石や砂利、土を掘っていき、暗くなってきたら松明を設置する。日の光が入ってこないので、現在どの程度時間が経っているのか分からず、辺りには採掘の音が響くだけだ。

 

「――お姉ちゃん!」

 

 そんな静けさを打ち破ったのは葵の呼び声だった。

 半ば停止していた意識がハッと動き出し、慌てて掘ってきた道を引き返す。

 

「葵、どうしたん!」

 

 葵は階段の辺りにいた。

 特に怪我をしているようでは無かったが、何やら困惑した様子だ。

 

「お姉ちゃん、それが大きな空洞に出て……」

「空洞? 洞窟とか渓谷やなくて?」

 

 葵は頷く。

 

「うん、何だか人工的に作られた感じなの」

「マジかいな」

 

 地下に生成される人工物といえば廃坑やジ・エンドに繋がるポータルのある要塞が思い当たるが、いずれも空洞という程ではない。別ディメンションという形で地下世界を追加するMODもあるにはあるが、それとて通常世界が地下に収まったようなものだ。

 一体どういうことなのか見当もつかなかったが、ひとまず確認することにした。

 

「ほら、こっち」

 

 葵に連れられて通路を進む。

 やがて奥に辿り着いた俺はあっと息を呑んだ。

 

「うわっ、広っ!」

 

 それはまさしく大空洞と呼ぶにふさわしい空間であった。

 まるでそこら中にTNTを設置して連鎖発破させたような具合だ。

 しかし、その規模が尋常ではない。

 暗くて向こうが見渡せないぐらいだった。

 

「あ、お姉ちゃん、足下高いから気をつけて……」

「ぬわーっ!?」

 

 もっとよく見ようと体を乗り出した時だった。

 通路が空洞の壁面に空いているということに気がつかなかった俺はそのまま宙に足を踏み出し、葵の注意も虚しく落下していった。

 

「お、お姉ちゃーん!?」

「あいだっ!」

 

 思い切りドサリと体をぶつけたものの、幸いにも幸いにも大した高さではなかった。

 痛む体を起こしつつ、俺は松明を取り出して辺りを照らす。

 そして、信じられないものを見た。

 

「なっ、なんやこれ!?」

 

 

 

 大空洞の床や壁は『鉱物』ブロックで埋まっていた。



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第41話 目先の宝と油断大敵

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「ん、平気やで」

 

 階段状に足下を掘って降りてきた葵に答えながらも、俺は目の前の光景に戸惑わずにはいられなかった。

 鉱物ブロックとは、その名の通り鉱物で出来たブロックのことである。よくクラフターが採掘している鉱石ブロックではない。石炭やダイヤ、エメラルド、あるいは精錬済みの金属、すなわちインゴットを3×3に9個並べることで作成出来る。

 建材やらその他特殊な用途に用いることもあるが、集めた素材を圧縮してより多く保管するために作ることもある。鉱物ブロックは再び9個の素材に戻すことも可能だからだ。64個ずつスタックされた鉱物ブロックがラージチェストを埋め尽くす光景は圧巻の一言だ。さすがにバニラの環境下でダイヤやエメラルドをそこまで集めるのは相当骨が折れるだろうが、鉄インゴットであればゴーレムトラップによって比較的簡単に実現出来る。簡単とは言っても、相応の手間はかかるが。

 

「すごい数だね……ゲームの時もこんな風だったの?」

「いや、こんなん見たことない」

 

 さて、そんな鉱物ブロックは基本的にプレイヤーが作らなければ手に入らないものだ。最近のバージョンでは自然生成されるチェストや構造物から入手出来ることもあるが、この世界はおそらく1.7.10をベースとした古めのバージョンだ。

 それにたとえ俺の知らない新しいバージョン、あるいは過去のバージョンにおける仕様などがあったとしてもだ。いくらなんでもこんな素材の山みたいな状態で鉱物ブロックが自然に、しかも大量に配置されることなど、まずあり得ないだろう。素材集めもまた醍醐味のゲームでその過程をすっ飛ばすような要素を公式が追加するとは思えない。無制限に建築したいだけならアイテムも素材も使いたい放題のクリエイティブモードで済む話だ。

 だとすれば、この鉱物ブロックだらけの状況は意図的なもの。何者かが用意したものと考えるのが自然だろう。一体何のためにかは、分からないが。

 

「じゃあこのブロックはどうする?」

「もちろんもらってくで」

 

 とはいえ当分はまず困らないであろう量の鉱物ブロックは魅力的だ。これに匹敵する量を自分たちで集めるとなると、どれだけの時間になるか分かったものではない。

 

「あ、でもちょい待ち。罠があるかもしれへんし」

 

 だが、その時ふとあるものを思い出した。それはTheTwilightForest、和名黄昏の森と呼ばれるディメンションを追加するMODにあった罠だ。

 手頃な難易度や独特の雰囲気、高い完成度などで好評のこのMODにはある罠が出てくる。ダークタワーという高層ダンジョンに出てくるギミックブロックだ。これを動作させると金ブロックとダイヤブロックらしきものが生成される。が、手を出した途端にまるでバグったように見た目が変化していき最終的には爆発してしまう。つまりはダイヤブロックや金ブロックに釣られたクラフターを痛い目に遭わせる罠なのだ。

 あるいは同じく黄昏の森に登場するラビリンスにあるワイヤートラップとTNTの罠、もっと単純にバニラの感圧板とTNTを組み合わせたピラミッドのような罠とか。

 ……こうして考えると結構マイクラの罠って爆発オチだな。単に大ダメージを出せて、あまりスペースを取らないとなるとそうなるか。まあ個人的に一番クラフターを殺しにかかってくるのはさりげなく空いた穴や湧いている溶岩のような地形なのだが。

 

「葵、一旦通路に戻ってや。ちょっと掘って様子見てみるわ」

「無理に取ることはないんじゃない?」

 

 それはさておき、もしも先に述べたような罠がこの部屋に仕組まれているとしたら、このままブロックの回収を始めるのは危険だろう。

 

 

 葵に下がるよう促すと、彼女は心配そうに言った。

 

「放置しとけば平気なもんかも分からへんし、何事も無かったら大損やで」

 

 確かに何が起こるか分からないという不安はあるものの、かといって手出しせずに放っておけば大丈夫という保証だって無いのだ。どのみち調査する必要がある。

 それにもしも何事も無ければ、この膨大な素材の山が手に入るのだ。建材にでもしない限りは早々使い切れない程のたくさんのダイヤ、たくさんの金が……じゅるり。

 

「お姉ちゃん?」

「……はっ、なんでもない、なんでもないで」

 

 怪訝そうな葵の呼びかけに我に返る。

 いかんいかん、すっかり目の眩みそうな光景に煩悩塗れになってしまっていた。

 古今東西、目先の宝に釣られてろくな目に遭った者はいない。

 危うく死亡フラグを立ててしまうところだった。

 

「ほな下がっといてな」

 

 葵が通路に戻ったのを確認してから鉄のツルハシを取り出す。

 狙うのはすぐ足下のダイヤブロック。用心のため一括破壊はオフ、一気にブロックを壊して落下なんてのは勘弁だ。

 ツルハシでペシペシと叩けばみるみるうちにヒビが広がっていく。

 やがてそれが全体に広がると、小気味いい音を立ててダイヤブロックが砕けるように消滅した。

 ……何も起きない。インベントリにはダイヤブロックがそのまま入っている。何の変哲もない、ただのダイヤブロックのようだ。

 

「……大丈夫そうやな」

 

 ホッと一息つく。

 少なくとも今すぐにドカンと爆発するとか、そういうことは無さそうだ。

 通路の方へ振り返って葵に声をかける。

 

「葵ーなんとも無さそうや、あひぃん!」

「お姉ちゃん!? 後ろにスケルトンが!」

 

 その時だった。

 突然お尻に鋭い痛みと衝撃が走り、俺は思わず飛び上がる。

 スケルトンの放った矢だ。

 この空間のインパクトで失念していたが、この部屋は特に湧き潰しもしていない。

 どうやら隅っこの暗がりで出現したらしい。

 

「あ、あんにゃろ!」

 

 思わず頭に血が上るが、ここで突撃するとハリネズミみたいな死体にされてしまうのがオチ。エンチャント付きのダイヤ装備ならそれも許されるだろうが、今は革装備レベルの防御力しかないんだ。

 まずは敵の射線を遮らないと、攻撃されるばかりだ。咄嗟に土を取り出して目の前に防壁を作る。

 

「葵! 弓撃って下がって!」

「分かった!」

 

 頭上を葵の放った矢が飛んでいくとスケルトンに命中した音が聞こえてくる。

 通路の方が高い位置にある分、狙いやすいというのもあるだろう。

 僅かに防壁の脇から様子を見ると、スケルトンは攻撃してきた葵の方に気を取られている。

 ここだ。

 

「おりゃあ!」

 

 すかさず飛び出すとそのまま鉄の剣で斬りかかる。

 一閃は胴体に直撃したがまだ倒せていない。

 もう一撃だ、急げば2射目を放たれる前に仕留められるはず。

 

「チェストぉ!」

 

 斬るというよりはほとんど体当たりをする勢いで剣をぶつけた。

 ガシャンと破砕音を立ててスケルトンが床に伏し、骨1本を残して消滅する。

 何とか仕留め切れた。

 

「全く、ウチのお尻が割れるところやったで」

「何言ってるのお姉ちゃん」

 

 さっき矢が刺さった辺りを摩りブツクサと文句を言いながら、降りてきた葵と再びモンスターが湧かないように松明を部屋に設置して回る。今度こそは大丈夫だろう。

 

「ともかくこれでブランチマイニングはしなくて良さそうやな」

「そうだね」

 

 意気込みを出鼻で挫かれた気分ではあるが、正直なところ掘り下げるだけでも大変だったし手間を省けるのなら大歓迎だ。

 

「骨折った甲斐があったもんや、スケルトンだけに」

「私、先に戻ってるね」

「そんなぁ」



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第42話 ダイヤ装備と試運転

「ひぃ、ぜぇ……」

「無理にたくさん掘るからだよ……ほら水」

「ありがと……」

 

 葵の差し出した水入りの瓶を受け取って一気に飲み干した。疲れた時の水って本当に美味しい。

 俺達は湧き潰しをした後、早速ブロックを持って帰ろうということで掘ってみたのだが、それがまた凄かった。一括破壊で9ブロックずつガシガシと掘ってもまだ残っているのである。無限に広がっているということはさすがに無いだろうが、それでも普通に掘っていたらどれだけ時間がかかるかという量だ。選り取り見取りで、ついついたくさん回収してしまった。

 結果、掘りすぎて尋常じゃない疲労がのしかかってきたのである。そりゃ階段掘りだけであんなに疲れたんだから、当然の話ではあるが。

 そんなわけで一旦俺達は仮拠点に戻って休んでいた。地下採掘になると出番が無いため、地上で農作業していたメイドさんも皿に盛られたクッキーをムシャムシャ食べている。

 ちなみにメイドさんに金ブロックやダイヤブロックの山を見せても、大して反応を示さなかった。どうやらメイドさんは金銀財宝の類いにはあまり興味が無いようだ。食べ物の山だったらまた違ったのだろうが。

 

「しっかし、こんだけあれば色々出来るなぁ」

「新拠点の計画も色々とグレードアップ出来そうだね」

 

 先日計画を立てた時にはこんなに鉄とかダイヤとかが手に入るとは思っていなかったから、導入を断念したものが色々とあった。特にMODで追加されるアイテムは結構鉄を要求してくることが多い。手軽に入手出来る素材だから組み込みやすいのだろうか。MODを制作した記憶は無いので分からないが。

 ああ、そうだ。

 

「せや! 手に入ったんやし、早速作っとかなあかんもんがあるやん」

「作っておかないといけないもの?」

「ダイヤ装備や」

 

 葵の疑問に頷く。

 クラフターだったらダイヤ装備の重要性は言うまでもなく知っているだろう。

 各種ツールも剣も防具も全てが鉄よりワンランクの上の性能だ。特にツルハシはダイヤ製じゃないと黒曜石の採掘が出来ないので一番重要じゃないだろうか。防具も鉄装備一式だとダメージ6割軽減だが、ダイヤなら8割カットだから安心感が違う。仮にクリーパーの爆発を至近距離で食らったって生き残れる。……爆発で吹き飛ばされての落下や帯電? ご冗談を。

 

「そんなに違うんだ」

「なんたってバニラの最強装備……やからな?」

「えぇ、なんで疑問形なの……?」

 

 あれ、どうだったかな。

 なんか記憶の片隅にもっと上位の装備があったような気が……1.14で追加されたのは襲撃者関連だったよな。その前も水中生物の実装、建材の追加、戦闘仕様の変更などのはず。

 何か腑に落ちないな。でも、少なくとも1.7.10ではダイヤ装備がバニラで一番強力だった。それは間違いない。

 

「まあ性能が上がるならそれに越したことはないよね」

 

 葵もダイヤが一番かどうかよりは実用性の方に着目しているようだ。

 早速持って帰ってきたダイヤブロックを崩してダイヤ防具を作る。

 必要量自体は他の防具と変わらず全部で24個だ。ふと、ある疑問が浮かんだ。

 

「元の世界でこの一式売ったらどれくらいになるんやろなぁ」

「値段つかないと思うよ……高すぎて」

 

 宝石って確か品質や加工の具合で値段が決まるんだよな。

 となると純ダイヤで完璧に形成された全身鎧って……マイクラじゃ所詮消耗品に過ぎないけど。大体エメラルドで経済が成り立っているような世界で元の世界ほど宝石に価値があるとも思えない。

 いやでも、この間の行商人は久々に見たというダイヤ1個で本を買うとお釣りが出るくらいって言ってたな。さすがに現代ほど本は安くないと思うが、それでも史実の近代以前程は高くないといった感じか?

 ううん、全然分からん。頭から煙が出そうだ。こういう時は葵に聞くに限る。

 

「葵ーこの世界の経済ってどうなってるん?」

「ええっ、この世界で元の世界みたいな経済なんて回ってないんじゃないかなぁ。というかメイドさんに聞いた方が早いんじゃない?」

 

 無茶ぶりながらも葵は少し考えてからそう答えた。

 ちょうど山盛りのクッキーを平らげたメイドさんに視線を向ける。

 今回のジェスチャーは……。

 

「お互いが納得してればヨシ! かぁ」

 

 まあ食うに困らず、特別贅沢したり生活圏を拡大したりするわけでもない世界ではそんなものかもしれない。無限に湧くモンスターという根絶出来ない脅威だってあるわけだし。

 

「それよりお姉ちゃん、装備は試さないの?」

「せやったせやった。おおっ?」

 

 話がずれた。

 ダイヤ防具を着てみて驚いた。思っていたよりも軽い。もちろん重みはちゃんとあるのだが、鉄装備一式に比べたらずっと快適に動ける。

 様子を見ていた葵が納得したように頷く。

 

「ああ、ダイヤだもんね。そりゃ鉄より軽いよ」

「なるほど」

 

 さらにダイヤの剣も作ってみたが、こちらも非常に軽い。多分1㎏も行ってないんじゃないか? 今更ではあるが、もはや宝石じゃなくて伝説の金属の類いではなかろうか。

 ちょちょいと葵とメイドさんの分の一式も作る。ひとまずはこれでバニラの雑魚モンスターと戦う分には早々やられないだろう。とはいえ状況次第では簡単にやられるので油断は禁物だが。決して無敵の装備というわけではないのだから。ダメージ軽減や各種耐性などのエンチャントだってついていないしな。

 

「それでどうする? 拠点作り始める?」

「んーもうすぐ日が暮れ始めるやろうし、今日はええんちゃうかな」

 

 何だかんだでそろそろ15時くらいだ。まだまだ日は昇っているけれど、中途半端なところで作業が終わってしまいそうだ。夕方くらいからポツポツとモンスターが湧き始めるのを考えるとそんなに長く作業していられないからな。

 日が沈んできたらさっさとご飯を食べてお風呂入って寝る。日が昇ったら起きる。昔の人々のように、そんな調子で生活している。昼夜問わず潰そうと思えばいくらでも娯楽で時間を潰せる現代って、ホント豊かだったんだなぁ。

 葵は傍にいなかったけど。

 

「あ、でも1つ試してみたいことがあったんや」

「試してみたいこと?」

 

 

 

「というわけで現在我々は空を飛んでおります」

「操縦手が実況なの?」

 

 パラパラと軽快な音を立てて回るローターと甲高いエンジンの音。

 そして、いつもより近い空と浮遊感。ヘリコプターである。

 俺と葵は機上の人となっていた。

 

「いやー空からの景色って新鮮やなぁ」

「それはそうだけど、ちゃんと操縦に集中してよ?」

「大丈夫やて、ホバリング中やから」

 

 滑空出来るようになるエリトラという装備が実装される以前、マインクラフトのサバイバルモードで空を飛ぶとなればMODの力に頼るしかなかった。

 その空を飛ぶという夢を叶えるMODの1つがMCヘリコプターMODである。もう少し詳しいことはずいぶん前に思い返したけど、実際に飛ばすと結構感動するものだ。飛行機に乗った経験なんて、もうずっと昔に1回あったかどうか……。

 

「お姉ちゃん? 何だか遠くを見つめてどうしたの?」

「はっ、な、なんでもないで」

 

 葵の声で我に返った。

 危ない危ない。自動で低空をホバリングさせているとはいえ、自分は今ヘリを飛ばしているんだ。意識を飛ばしてちゃ墜落してあの世行きだ。いくらパラシュートは用意したとはいえ、墜落なんてするべきじゃない。

 

「にしてもずいぶん高価な乗り物になったなぁ」

 

 Flan'sModという別の乗り物系MODがあるのだが、そちらでは機体を作るのに各パーツを作り上げる必要がある。この世界におけるMCヘリはそれに近しいようで、機体のフレームやローターのブレードなどを組み合わせて作るようだった。しかも中間素材が増えててやたら鉄やレッドストーンを食うようになっていた。こんなの鉱物ブロックの山を見つけていなかったら、到底作れなかったぞ。誰だ、こんなに面倒臭い仕様にしたのは。

 もう1点気になるのは明らかに本来出るであろうヘリの速度よりも遅いことか。操縦に慣れていないせいで左右にふらふらするせいもあるだろうけど、多分乗用車が一般道路を走る程度の速度しか出ていない。

 戦闘機だったらもっと速度が出るのかもしれないものの、それはそれで制御しきれるか不安は残る。離着陸のための滑走路も必要だし。ヘリはその点、スペースさえ確保しておけば垂直に離着陸可能だから楽だ。

 幸いだったのは操縦そのものは実機よりは簡単であろうことか。最初は離陸後の機体の傾きとかスイッチの配置とかで戸惑ったが、無茶な挙動さえしなければ結構直感的に動かせるようだった。さすがにゲームで出来た宙返りは絶対墜ちるだろうからしていないが。

 

「でも、これで遠出必要になった時の目途は立ちそうやな」

「そうだね、思ったより速度は出なさそうだけど歩いていくよりはずっと早いし」

 

 そういえば行商人さんは1週間弱くらい昼間歩いてきたと言っていたが、それは最寄りの集落からって意味だったのかな。すっかり聞くのを忘れていた。そうなると情報のありそうな大きな町はもっと遠いのだろう。ヘリで行くにしても結構かかることになりそうだ。

 

「と、そろそろ日が落ちそうだよ」

「分かった、着陸するでー」

 

 ゲームと違って描画限界もなく、ずうっと向こうまで見える大地を眺めながら、ふと思う。

 きっと自分達はゆっくりと、だけど着実に『前』へ進んでいるのだろう。

 でも、それもいつかは何かしらの形で終わりを迎えることになる。

 もちろん、そのために今活動の足がかりとなる拠点を作ろうとしたり情報を集めたりしているわけだけども。

 

 

 

 はたして、その結論に辿り着いた時、俺は――。

 

「お姉ちゃんちょっと速くない!? というか落ちてない!?」

 

 ハッと気がつけばぐんぐん高度が下がっている。

 このままでは地面とキスする羽目になるだろう。

 

「おわぁぁぁー!?」

 

 結局低空であまり勢いは無かったのと、全力でエンジンを回したおかげで着陸自体はギリギリ上手くいった。

 が、涙目の葵に叱られまくった挙げ句、今日の晩ご飯は抜きになった。

 メイドさんはしれっと俺の分まで食っていた。



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第43話 新拠点建築

 望外のダイヤツールを得た俺達は2日程、木材の調達も兼ねて大平原周囲の伐採を行なった。

 作業は思っていた以上に捗った。これは鉄の斧との性能差もさることながら、軽量になり負担が減ったのが大きい。伐採速度だけでなくインターバルが短くなったことで効率が向上したのだ。

 なお、気持ちいいぐらいに切れるので切りまくっていたらすぐバテたのは葵には内緒だ。

 

「すぐ調子に乗るんだから」

「なんでバレとるんやぁ」

「いや、明らかに速度がガクッと落ちてるし……」

 

 そして、バレるのもすぐだった。

 ともあれ必要な資材は揃い、いよいよ新拠点の建設に入ることとなる。

 たくさんの鉱石を手に入れてから3日目の朝、俺と葵は建設予定地に来ていた。

 

「まずは柱の位置だっけ」

 

 最初は前回の拠点と同じく定番に沿って、柱の位置に目印となるブロックを設置する。

 こうすることで間取りが分かりやすくなり、構想と出来上がりとの乖離を防ぐことが出来るのだ。

 まあマイクラの建築ってその間取りを考える部分が大変なんだけど。

 動線を考えないと不便で使わなくなるし、かといって豆腐にしちゃ味気ない。

 現実と違ってキッチンやトイレの水回りをまとめるとか、土地に合わせて設計する必要が無いのも一因かもしれない。仕様の範囲内ならどんな風にも建てられるからな。

 そういった意味では、この世界での建築は方針を決めやすいのかもしれない。

 

「せや、ダイヤブロックで目印つけたるで。ふははは」

 

 ふと思いついてダイヤブロックを目印として設置する。

 腐るほど余ってるという訳ではないが、これも結構な量があるから出来ること。

 こんな贅沢な真似をしたクラフターは……いるかもしれないけど、そう多くはあるまい。

 

「えいやっ」

「あっー!」

 

 そんな風に優越感に浸っていたら、葵がさっさとダイヤブロックを回収してしまった。

 思わず悲鳴を上げると、呆れたように彼女が言う。

 

「はい没収。成金みたいなことしないの」

「うぅ、葵が辛辣や」

 

 柱の位置さえ決まってしまえば、後は梁を繋げて床や壁を張っていくだけだ。

 おっと、その前に土台も敷いておかないと。これがあるとないとでは外見が変わってくる。

 

「おーよしよし、とりあえずおおよその見た目は出来たな」

 

 2人がかりだと建築も早い。

 以前の拠点を1人で作った時とは大違いだ。

 お昼になる頃には1階部分が完成し、2階や屋根も日暮れには終わった。

 まだ外見の装飾は残っているが、一応家としての形になっている。

 作業自体はただ決まった場所にブロックを積んでいくだけだからな。

 それに決まった形にしか置けないとはいえ、角度やら隙間やらを気にしないでいいし。

 

「明日は内装まで一気にやっちゃいたいね」

 

 内装については手つかずではあるものの、大まかなレイアウトは決まっているからささっと設置して終わりだろう。そこまでいけばひとまずは今の仮拠点から移ることが出来る。

 

「ほな、今日はこの辺りにしておこか」

「そうだね」

 

 仮拠点に戻るとメイドさんが食堂の椅子に座っていた。

 いつも通りの無表情だが、そこはかとなく夕食を要求する雰囲気を醸し出している。

 というか既にフォークとスプーンを手に持っている。

 いくらなんでも気が早い。

 

「はいはい、ちょっと待っててね」

 

 そうして葵が料理にとりかかっている間、腹ペコメイドはその背中をじぃーっと眺めていたのであった。

 やがて肉の焼ける音や香ばしい匂いが部屋中に広がりきった頃、今夜のご飯が出来上がる。

 葵がよそって食卓に置く。

 

「おおっ、牛丼や!」

「ふふ、久しぶりでしょ」

 

 竹MOD改め飯MODで追加される料理にあったのを思い出しながら、まず一口。

 うん、牛丼だ。

 牛肉とご飯を一緒に頬張ると、肉の脂やご飯の甘み、それらを包み込むような醤油とゴマのタレの風味が口いっぱいに広がる。

 それが若干ワンパターンになってきたら隣のお味噌汁をスッと飲み込んでリセット。

 

「うん、これやこれ」

 

 久々の牛丼に舌鼓を打っていると、ふとメイドさんが静かなことに気がついた。

 いや、喋っているのを聞いたことはないのだけれど。

 それにしたって妙に大人しい。

 

「メイドさん、どうかした? もしかして口に合わなかったかな」

 

 葵が心配そうに尋ねるも、メイドさんは首を横に振った。

 それから例によってジェスチャーを始める。

 何かを熱く語っているようだ。

 

「味に感動した? もっとお米を増やす? 何ならお米を通貨にすべき?」

「石高制か!」

 

 どうやら牛丼がいたくお気に召したようだ。

 そんなこんなで夜は更けていった。

 

 

 

 翌日も葵と2人で拠点制作だ。

 やはり作業自体はそう難しくもなく、それほど語ることもない。

 プレイ動画を見ていても雑談だったりコメント返しだったりで間を持たせたり、いっそ丸々カットされることも少なくなく、ブランチマイニング同様に単調になりやすい部分だ。

 建築のコツなんて1回語ったら終わりだろうし、後はその時作っているもののコンセプトについて話すぐらいか。

 そう考えるとマインクラフトというゲームは、実況するにはトーク力が必要なゲームなのかもしれないな。

 

「ほわぁぁぁ!?」

「お姉ちゃぁぁぁん!」

 

 屋根の階段ブロックで足を滑らせて1回落下した以外は特に事故もなく、無事に新拠点の基本的な構造が完成した。

 窓周辺の外観を整えたら、次は内装だ。

 個人的には建物の見た目以上にセンスが問われる箇所だと思っている。

 ただ物を置いただけではゴチャゴチャするだけだし、結局必要な設備以外はろくに設置しないって人もいるんじゃないだろうか。

 もっとも基本的に1つのマスにつき、1つのアイテムしか置くことが出来ないって仕様やバニラだと家具そのものはあまり存在しないって事情もあるかもしれない。階段ブロックを椅子に見立てたり柵と感圧板を机代わりにしたりするしかないからな。

 お洒落な家を作れる人はそれでも生活感のある雑然さとでもいうか、そういった雰囲気を演出するのが上手いからすごい。

 

「家具MOD様々やなぁ」

 

 家具MODはそういったバニラだと出来なかった内装の選択肢を大幅に拡張してくれる。 ついでに家具や家電に合わせた機能やギミックがついていることもあるから、本格的な建築をするにはほんともってこいだ。

 生活に必要なものを設置したり殺風景な通路にカーペットや絵画で飾り付けをしたりする。それに今回はスペースに余裕があるから色々置けそうだ。

 そうだ。俺は廊下の一角に棚を配置し、その上に花の植えてある鉢植えを置いた。

 

「ほれ、葵見てみ」

「あ、お花だ。可愛いね……って、これもしかして」

 

 葵に声をかけると、彼女は何かに気がついたようだった。

 俺は頷く。

 

「せや、ウチらや」

 

 寄り添うように植えられた桃色のチューリップと水色のヒスイラン。

 言うまでもなく琴葉姉妹がモチーフである。

 もしも写真が撮れたら写真立て辺りを置いても良かったけど、あいにくそんなものはないからな。

 この世界じゃ使えても分からないけどスクリーンショットなんて、バニラの標準機能でついているし。

 

「自分で言うのも何やけどなかなかやろ?」

「うん、いいと思うよ。でも……」

 

 葵にも好評なようだった。

 しかし、ふと葵は不思議そうな表情を浮かべた。

 

「この隣にあるのは?」

 

 彼女は鉢植えの隣を指差す。

 そこにはドンと大きな植物の実が置いてあった。

 

「カカオの実やで」

 

 ジャングルの原木に生るカカオの実である。

 廃坑のチェストかジャングルを見つけないとなかなか入手に困る素材だ。

 まあ使い道はクッキーを作るか茶色の染料として用いるぐらいであるが。

 

「なんでこんなところに?」

「メイドさんや。仲間外れじゃ可哀想やろ」

「えっ」

 

 何故か葵がポカンとした表情で固まる。

 ちょうどその時、メイドさんが様子を見にやってきた。

 良い機会なのでメイドさんにも教えることにする。

 

「おっ、ほらほらメイドさん。ウチ、葵、メイドさんやで」

 

 メイドさんはただ肩を竦めた。

 と、まあそんな一コマもあったが内装は順調に施されていく。

 そして、最後に外装や照明周りを調整し……新拠点は出来上がったのであった。



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第44話 新拠点完成

 新拠点の第一印象は小さな館といったところだろうか。

 1階、2階共に左右前後に並んだ窓が目立ち、どことなく明治や大正に建てられたような西洋館らしさがある。もっとも壁や柱に使われているのは木材系のブロックばかりで、他はガラスや土台の石レンガくらい。白漆喰や赤煉瓦などといったものは使っていない。 各窓にはカーテンの代わりにブラインドを設置している。

 葵が外壁をスリスリと撫でながら言う。

 

「窓の辺りは凹凸つけたけど、やっぱり壁はのっぺりしてるね」

「しゃあないな、表面の質感は高解像度のテクスチャでも入れんと限界や」

「手触りは本当に木なんだけどねぇ」

 

 なお、防御力を考えるならやはり黒曜石で作るのが一番である。以前にも軽く触れたが、クリーパーの爆発に巻き込まれても破壊されず、火がついても延焼しない。岩盤のような一部の例外を除けば基本的にこれ以上に強固なブロックはないと言ってもいい。爆発や炎上を多用する敵を追加するMODにおいても採用されるほどだ。

 ただし、黒曜石の数を揃えるのは結構な手間がかかる。黒曜石は材料となる溶岩源1ブロック分につき1つ。その溶岩源自体は地上から地下深くまで点在しており見つけるのは難しくないが、大きめの建築で壁も天井も床もカバー出来るだけ用意するとなると溶岩溜まりを積極的に探していく必要がある。

 

「せや、メイドさんにちょっくら溶岩源探しの旅に……」

 

 メイドさんは『実家に帰らせていただきます』と文をしたため始めた。

 そういうわけで黒曜石による拠点建築は断念した。今のところ、バニラ装備で太刀打ち出来ない敵が追加されている様子がなく、そこまでの防御性を求めなくても大丈夫なのではないかと見ていることもある。これでえげつない感じのが出てきたらMCヘリの兵器で対処するしかない。そうならないことを切に願っている。

 話を拠点に戻し、玄関ポーチの部分に注目すると階段を用いたステップになっており、柵を利用した細い柱が庇を支えるような見た目になっている。そして庇部分には家具MODで追加された吊り照明を設置しており、夜間でも玄関を照らせるようになっている。

 一方で出入りが楽になる感圧板による自動ドアは採用していない。確かに便利ではあるのだが、プレイヤー以外のモブも自由に出入り出来るようになってしまうというデメリットもあるからだ。さすがに気がついたら家の中にモンスターが入ってきていたなんてのは御免被るので大人しく手で開け閉めすることにした。

 

「セキュリティMODが入ってたら顔認証のドアとか監視カメラとか地雷とかつけられたんやけどなぁ」

「欲しかったような物騒なのが増えなくてホッとするべきなのか……」

 

 拠点は上から見ると漢字の「田」のような間取りとなっており、中の十字が廊下で外の国構えが外壁、4つの空間が部屋となっている。

 玄関を開けると真っ先に目に入るのは真っ直ぐに伸びた廊下と左手側にある2階へ続く階段。この階段を確保するためもあって、玄関に入ってすぐは2階の天井まで吹き抜けになっている。上がり框は設けていないので、カーペットを用いた玄関マットの辺りで靴を脱ぐ。廊下をまっすぐ行った突き当たりには裏口があるが、階段がなくて多少広いことと吹き抜けになっていないことはそう玄関と大差はない。

 1階の入ってすぐ左、「田」でいう左下の部分は倉庫だ。拠点に戻ってきた時、すぐに荷物をしまえるようにこの位置にした。ある程度素材の種類を分けて別々に収納してはいるが、まだまだ空いているチェストは多い。そりゃ単位がラージチェストになるような集め方をしたら不足するだろうが、その時は独立した倉庫を用意するまで。地下の鉱石も大部分は手つかずで残してあるから、倉庫の空きが無くなるとしても遙か先のことになるだろう。

 入って右、「田」の右下部分はリビングである。現代的なソファとかテーブルとか、そういった基本的な家具が置いてあるが、何よりも目を引くのはデンと置かれたテレビの存在だろう。そう、紛う事なきテレビだ。

 

「ガワだけで何も映らんけどな」

「そりゃそうでしょ」

 

 ただし、ただのインテリアだ。ゲームでもただの置物だったりせいぜい設定した画像を表示出来たりするだけで本当に番組を受信出来るってわけじゃなかったし、予想の範囲内だった。ワンチャン何か放送してたりしないかと思って作ってみたが、そんなことはなかった。

 続いて「田」の左上はというとトイレ、洗面所、お風呂になっている。ユニットバスのように一緒になっているわけではなく、トイレはトイレで個室になっており、洗面所を経由してお風呂に入る形だ。もちろんトイレは家具MODで追加される現代の洋式だ。洗面所にはちゃんと洗面台が用意してあるが、これを使用するために床下には4マスの無限水源を用意してある。こうしないと水が出てこないのだ。一方で排水溝に流れた水はどこかへ流れていって消滅している。

 

「さーて、ここの温泉は体力回復効用付きや。あ、あと染料を適量入れれば他にも効果がつくで」

「絵の具みたいになったりしない?」

「そこまで入れたら逆に毒の温泉になるな」

「怖っ!」

 

 お風呂は飯MODの温泉を利用し、2人が同時に体を伸ばしても余裕がある程度の浴槽、それからシャワーと鏡を設置した体を洗うスペースがある。いっそ露天風呂のような感じで拠点とは別に風呂を作ろうかと思ったが、いちいち行き来するのが大変になるため、あえなく没になった。なお、温泉には特に染料を投入しておらず、ポーション効果がつくことはない。ただ温泉自体が持っている4秒ごとに体力を微量回復する効果はあるはずなので、きっと良い感じに疲れが取れるだろう。まだ試していないから楽しみだ。

 

「メイドさん、最重要区画やで」

「何言ってるの……うわっ、メイドさんの頷きが早すぎてブレてる!?」

 

 1階最後、「田」の右上に当たる部分はダイニングキッチン。葵がやりやすいようにレイアウトを決めた台所と食卓があり、食材を収納するチェストもここに設置している。……うん、それぐらいしか言うことがない。せいぜい、こことリビングはLDKにしてしまってもよかったかもしれないことぐらいか。リビングと食堂の間にドアを2回挟んでいる形になるし。そのうち壁を取っ払って廊下を取り込む形でLDKになるかも。ただリビングは現状でもだいぶ広めなので、さらに広くなるな。現代日本だったらちょっと羨ましいかもしれないけど、クラフターだからな。普通だったら棚やら何やらで場所を取る分が空くのだ。

 とまあ、1階部分はそんな具合だ。

 後の2階は階段を上ってT字路になった廊下があり、4隅に1部屋ずつの合計4部屋がある。3部屋がそれぞれの私室で、空いた部屋はいずれエンチャント部屋にする予定である。私室と言っても、そう置く物もベッドや装備の他はインテリアぐらいしかないが。

 さて、拠点についてはざっとそんな具合である。ひとまず事前の計画通りに作った拠点は……。

 

「2階は1階よりも小さめに作ってよかったかも……」

「せやなぁ」

 

 作りやすいので1階と同様の大きさにしたものの、正直サイズを見誤った感が否めない。というか3人で住むような大きさの家じゃない。その気になったら10人ぐらいは住めそうな気がする。もっとも、さすがにそんな大勢で住むことは考えていない。ゲームのマルチでだって、そんな大人数でやるのは一部の配信者とかコミュニティを形成している人達とかぐらいではなかろうか。

 

「まあでも何か思ってたのと違うのはあるあるやで」

 

 無計画に建てた拠点が完成しないのはよくあること、では計画通りに拠点が建ったとしてそれがしっくり来るかというと、そうでもないのもまたよくあることなのだ。

 計画のコンセプト自体に間違いがあったり求めていた感じの雰囲気が出なかったりと理由は様々である。むしろ良い感じに出来上がっても、結局必要な部分しか使わないなんてのもザラだった。

 まあ大体は途中で作るのに飽きて、廃墟化させてたような気がしなくもない。

 

「せやけどこれからここを拠点に活動してくんや。妥協も必要やで」

「それもそうだね」

 

 とはいえ、さっさと生活環境を整えて探索とか情報収集とかを再開させたい身としては、そう何度も手直しなんてしていられない。まだまだ動物小屋や畑、拠点を囲む塀も作らないといけないのだ。拠点としては十分であることだし、ひとまずは満足すべきだろう。

 

「それより折角の新築や。祝いにご馳走でも食べへん?」

「あ、いいねそれ。作るの私だけど」

「お願いします葵先生!」

 

 メイドさんと一緒に拝むと、葵は呆れたように笑った。

 晩ご飯は分厚くて柔らかいハンバーグで、おまけにデザートとして舌触りのいいアイスが出てきた。

 冷やすのに時間がかかるからさすがにクラフトしたらしいが、それでも味には製作者の味が反映される。

 そろそろ葵の料理を崇拝し始めたらしいメイドさんが葵を讃えるためのモニュメントでも作るべきではないかと主張し始め、当の本人に恥ずかしいからやめてと全力で否定されていた。俺はそんな2人を眺めてニヤニヤしていた。

 何だかんだで良い拠点になりそうだ。ずっと3人で居たくなるくらいに。

 

 

 

 その夜。

 

「葵ぃー! 部屋が広くて寂しいでー!」

「子供か!」

 

 このところ葵と一緒に寝ていたせいか、広い部屋で一人落ち着かなくなった俺は葵の部屋に突撃し、無事自分の部屋に送り返されたのだった。

 葵ちゃん、ウチは寂しいでー。



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第45話 防壁と動物小屋

「ほな、ちゃっちゃと防壁完成させてまうか」

 

 新拠点は完成したものの、まだまだ建てないといけない設備はいくつもある。

 その中でも一番命に関わるものとして、まず防壁の建設を行なうことにした。

 

「これがないと安心して夜も寝られんわ」

「お姉ちゃんいつも爆睡してるでしょ……」

 

 今回作るのは、以前村で作ったものを強化したようなものである。

 拠点を正方形で囲むように鼠返し付きの壁を設置し、その外側を掘り下げるというシンプルな構造はそのままだが、壁の素材は石になっているし高さや厚さ、さらに堀の深さも増しているので、恐らく前と同じ規模のゾンビの襲撃を受けても一晩は保つだろう。クリーパーやスケルトンが群れで来たら、その時はさっさとヘリで逃げるしかないが。

 また防壁の内側には何カ所か階段を設置し、上に登れるようにする。ここから拠点の周辺の様子を確認したり、襲撃があった際はここからスポーンブロックまで足場を伸ばしたりする。また弓による狙撃も可能。ちょうど西欧の城壁のようなものだ。

 

「せや、堀に水入れたらプールみたいに泳げんかな。手間やけど」

 

 基本、この世界の水は埋め立てたり回収したりしなければ涸れはしないが、水源から無限に水が広がっていくわけでもない。そういうわけでなみなみと水が張ってある状態を作りたければ、その空間に1ブロックずつ水源がある状態にしないといけない。そうしないと空いた空間に水流が発生してしまうからだ。

 そういうわけで泳ぐための水場が欲しければ、手間を惜しまずちゃんと水を設置しないと水流で思ったように動けないということになるわけである。

 が、それとは別に葵は致命的な欠点を口にした。

 

「それ、ゾンビやスケルトンが朝になっても生き残ったりしない?」

「あ」

 

 ゾンビやスケルトンは太陽光を浴びると炎上し、最終的にはスリップダメージで倒れる。

 が、それはあくまで炎上によるものであり、決して太陽光で直接ダメージを受けているわけではない。

 そして炎上は水に触れると鎮火する。特に水の上にいるスケルトンなんかは昼間だろうと弓を持ってないクラフターを何人も射殺してきたものだ。

 

「あと、気がついたらお姉ちゃんが溺れてそう」

「…………」

 

 否定出来なかった。

 そんなわけで当初の予定通り、空堀を掘って防壁は1日で完成。

 前と違って、十分素材があったからその分早まった形だ。

 そして、次の日は……。

 

「なー、やっぱ今のままでよくないか?」

「駄目だよ! 動物さん達にもちゃんと住むところを用意しないと!」

 

 あの生意気な動物共の住処を用意しないといけない。

 現状、動物は柵で囲ってまとめているだけであり、屋根も壁もない吹き曝しの状態である。ゲームの時と変わらない環境だ。

 肉類や牛乳、羽などを安定して確保するためにもある程度は管理しないといけないのは分かっているが。

 

「どうにも癪やで」

 

 葵に対しては飢えた老人のために焚き火に自ら飛び込んだ兎の故事が如く、進んで食料になりそうなくらいやたらと懐いている動物達だが、何故か俺に対してはやたらとふてぶてしい態度ばかりを取る。

 確かに食料にするため飼っているのだから敵視されてもおかしくはないが、それにしたって態度が違いすぎないだろうか。

 そんなことを話しているとメイドさんがやってきた。

 ちょうどいいので動物小屋についての意見を募る。

 

「建物は欲しい? 雨の日の世話が面倒だから?」

 

 確かに放牧状態では世話する側も雨の日に濡れることになるか。動物のためではなく、世話する側のためというのがメイドさんらしいが。

 まあ現状、農作業を担当しているメイドさんがそう言うのでは仕方ない。飼っている頭数もさほど多くないので、1舎建てて柵で動物ごとに区切ればいいだろう。

 

「しゃあない、これもお肉のためや」

 

 コクコクと頷くメイドさんと俺を葵が呆れたように見ていた。

 そういった調子で動物小屋はさほど時間もかからず完成する。柱と壁と屋根、それから仕切りの柵があるくらいで後は内装もほとんどない。ウシやヒツジは草を食べることから、地面もそのままだ。一応換気を考えて所々に柵を使った窓を設けてはいる。

 

「んー思ったより早く終わったなぁ」

「慣れてきたのもあるかもね」

 

 後は動物達を誘導して終わりだ。

 

「ほわぁぁぁ!?」

 

 そして案の定、俺は手に持った種目当てのニワトリ共に追いかけられる羽目になった。

 葵はのんびりウシを誘導しており、メイドさんはビシバシとヒツジを追い立てていたというのに。

 なんで自分だけと思っていると、メイドさんがやってきてジェスチャーで理由を示した。

 

「えっ? ウチから舐められる感じのオーラが出てる? 実際チョロい、あっ、やべっ本音出た、やとぉ!? 待てやコラ! しばいたるわぁ!」

「ちょっと、喧嘩しないの!」

 

 口、もとい仕草を滑らせたメイドさんは脱兎の如く逃げ出し、俺はそれを追いかける。

 結局逃げ足の速いメイドさんを捕まえることは叶わず、最終的にはおやつ抜きの一言で固まったメイドさん共々葵に怒られることとなった。



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第46話 メイドさんと町の話

 騒ぎが落ち着いた頃には時刻も昼下がりになっており、後はのんびりすることにした。

 どうにか葵に機嫌を直してもらい、今日のおやつにありつけたメイドさんがもそもそと食べているのを見て、ふと尋ねそびれていることがあるのを思い出した。

 

「そういやメイドさんってどこから来たん?」

 

 この前村に行く途中で出会ったメイドさんだが、実のところ彼女についてはあまり知らない。葵が熱を出したり村が襲撃されたりと色々騒ぎがあって、ひょっこりついてきてそのままになっている。

 メイドさんはクッキーの最後の一欠片を切なそうに口に放り込む。それから自分の身の上について喋り……はせず、いつも通り無言のジェスチャーで説明を始めた。

 

「へぇ、この辺りに来る前は大きな町にいたんだ」

 

 メイドさん曰く、村からずっと北の方へ行くと大きな町があるのだという。この間の行商人もそこから来たと思われるらしい。その町は四方を大きな壁で囲っていて、いくつも大きな建物が建ち並び、何でもかつてクラフターによって建設されたと言われているらしい。

 ……あれ? そんな話を以前、村でも聞いたような。もしかしてクラフターが関わっている町や村ってのはそうそう珍しくないのか。

 そんなことを思っていたらメイドさんが補足をした。

 

「何々、そこそこ以上の規模がある集落はどれもクラフターが関わっているって言われとる? あの村の規模は上から数えた方が早いから一般的な村の参考にはならない?」

 

 そういえば行商人もあの村の食料自給率は他と段違いみたいなことを言っていた。

 それに村長の話によれば、あの村も本来は大きな町であり、詳細は分からないが一度滅亡の憂き目に遭って再建したんだったな。

 さすがにまた滅んではたまらないだろうし、何かしらテコ入れを行なったんだろう。農作物の生長を早める土地にしたとか。そういうことが出来るMODがあるのか、現実みたいに地道に土壌改良をしたとかなのかは分からないが。

 おっと、話がずれてきた。

 

「話が逸れてもうたな。それでその町ってどんなところなん?」

 

 メイドさんは説明を続ける。

 その町は大きいだけあって人の賑わいも盛んであり、多くの店もあるし富裕層の住む屋敷が並ぶ区画もあるらしい。そういうわけでリトルメイドの働き口も多く、メイドさんも色んなところで働いていたようだ。

 

「メイドさんがいっぱい」

 

 葵がのどかな町の情景でも思い浮かべたのか呟いた。

 俺もイメージしてみる。

 大規模建築の一種とも言える、家々が立ち並び、道が四方八方に張り巡らされた町。

 そこを行き交うデカ鼻の町人と砂糖好きのメイド達。

 辺りから聞こえるフゥン、ホイホーイ、ファ?、ゴシュジンサマーの大合唱。

 ガチャガチャとひっきりなしに開け閉めされるドアの音……。

 

「めっちゃ喧しそうやな」

「えっ?」

 

 げんなりとぼやいた俺を葵はきょとんとした目で見た。

 いやまあ、この世界だったらゲームみたいな鳴き声を出したり意味もなくドアの開閉を繰り返したりすることはないだろうが。

 ところがメイドさんはその通りと頷いた。

 

「実際うるさかった? 町人が夜中に集まって色んな家から声が聞こえてくる? メイドは耳栓して寝るのが習慣?」

「あっ……」

 

 察した。

 そういえば村人もそうだった。

 門番の思い出したくもない表情が脳裏をちらつき、頭を左右に振って払う。

 

「なんだろう、そういう風習とかあるのかな」

 

 葵は不思議そうにしている。

 そんな彼女に対し、メイドさんが教えようとしたので慌てて止めた。 

 

「説明せんでええ! そ、それより、その町って名所とかってあるんか?」

 

 話題を切り替える。

 メイドさんによれば、町の防壁に特徴的なものが備え付けられているらしい。

 何でも大昔の防衛設備で今は動かせないそうだが、そのままになっているという。

 

「防衛設備? えっと……投石器とか大きな矢を撃つ弓みたいなのとか?」

 

 葵が西洋の城壁を連想したのか、投石器やバリスタがあるのかと問うとメイドさんは首を横に振る。

 それから紙とイカ墨ペンを取り出すとさらさらと大まかな外見を描いて見せてくれた。 

 特徴を捉えながら手早く描いている辺り、上手だ。

 

「これは……えっ、機関銃?」

「機関砲やな、似たようなもんやけど」

 

 メイドさんが描いたそれは台座に据え付けられた機関砲に、目を引く円筒形の弾倉がついた兵器であった。

 ――正式名称をファランクス、古代の陣形から名前を取られたそれは現代の軍艦が搭載する対ミサイル迎撃用の機関砲。MCヘリで実装されている兵器の1つである。

 

「これもクラフターの遺物か」

 

 俺の言葉にメイドさんは頷いた。

 外壁にいくつも設置されているらしく、昔はこれを使って町に寄ってくるモンスターを倒していた記録が残っているそうだ。

 確かにこれならあのゾンビの大群だって一方的に処理出来るだろう。そう、処理である。ボスであるエンダードラゴンやウィザーだって瞬殺出来るくらいだ。これで倒せないバニラのモンスターは飛び道具の効かないエンダーマンくらいだろう。あいつの特性は飛び道具主体のMCヘリにとって天敵とも言える。まあ、戦車で轢いたりミサイルや大砲などの爆風に巻き込んだりすればその限りでもないが。

 しかし、クラフターが去ってからは弾薬の補充も本体そのものの修理も出来なくなってしまった。また、大きく重いので取り外して下ろすことも出来ず、風雨に晒されるまま、観光資源の1つと化しているのだという。

 

「まあ、この世界の文明水準じゃそうなるわな」

 

 クラフターの関わったところや生態系などを除けば、この世界は中世か良くて近代手前くらいの文明だ。産業革命以後、飛躍的に発展していった科学社会において誕生したこの兵器を運用するなんて不可能である。

 むしろ現存しているだけでも奇跡かもしれない。

 

「ところでメイドさんはどこで働いてたの?」

 

 話が変わり、ふと、葵が気になった様子で尋ねた。

 メイドさんは顎に手を当てて思い出すような仕草をしながら、指を折って数え始める。

 もちろん、正確には職業を表すジェスチャーをしながらだが。

 

「ほーん、お屋敷に農家にお菓子屋に仕立屋に給仕に配達に……って多いな!?」

 

 いくらマイクラのメイドが多種多様な仕事が出来るとはいえ、そんなに職を転々とするものなのだろうか。まさか食べ物の摘まみ食いでしょっちゅうクビになったとか、そういうんじゃないだろうな。

 などと考えていたのが顔に出ていたのか、メイドさんが心外そうな無表情で抗議した。

 

「うん? 私はそんじょそこらのメイドとは違う優秀なメイドやって?」

 

 説明によれば、通常のメイドは掃除なら掃除、料理なら料理、農業なら農業といったようにそれぞれの仕事に特化し、それ以外はそこそこといったことが多いらしい。ところがこのメイドさんは先に述べたように仕事を選ばず、さらに人並み以上にこなせるのだとか。

 だからそんな超優良メイドな自分がいることにもっと感謝すべき、あとお菓子も寄越すべきなどとメイドさんは偉そうに無い胸を張った。

 

「そーかそーか、なら試しにご主人様の肩揉んでみ」

「お姉ちゃん、悪趣味な成金みたいだよそれ」

 

 足を組みながら椅子の背もたれに寄りかかってそう言った俺に対し、葵が呆れたような声を出した。

 一方でメイドさんはいいだろうとばかりに頷く。

 そして、スッと席を立つと淀みの無い動作で背後に回り、肩を揉み始めた。

 

「あっ、上手。そうそうそこそこ」

 

 ただし葵の肩を、だが。

 

「なんでや!」

 

 抗議するもメイドさんは暖簾に腕押しとばかりに涼しい顔で受け流す。

 それから片方の手のひらを立てると左右に振った。

 ――ご飯作る人がご主人様。

 

「胃袋握られとるだけやないかい!」

 

 結局、メイドさんが俺をご主人様扱いすることは無かった。



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第47話 緩やかな時間はあっという間に過ぎるもの

「完成っと、これでようやく拠点作りも一段落やな」

 

 メイドさんにとってご主人様は葵であることが判明した翌日。

 後回しになっていた田畑の整備を終え、ようやく新拠点の設備が一通り出来上がった。

 これからここでは主に村で栽培していないもの……特に米や大豆などを育て、通常の野菜は村との取引で貰うつもりである。

 

「あ、そうだお姉ちゃん。これ植えていいかな」

 

 ふと葵がそう言って取り出したのは一本の苗木だった。

 

「ん、これは?」

「リンゴ。ほら、私がこの世界に来たばかりの時の」

 

 この世界に来て間もない頃、まだクラフターの能力に気づいていなかった葵は運良く近くに生えていたリンゴで食いつないでいた。

 その時、何かに使えないかととりあえず拾っていた枝がリンゴの苗木だったらしい。

 

「私、思ったの。今でこそ生活が安定してきたけど、あの時の心細くて大変だった感覚を忘れちゃいけないんじゃないかって」

「ほんでその証として植えようっちゅうわけか。葵は真面目やなぁ」

 

 初心忘るべからずということだろうか。

 確かに最近は余裕が出てきたせいか、色々と大雑把になっているところがあったかもしれない。

 最初の頃は食料の配分さえ気をつけてたのに、今じゃすっかり丼勘定で思っていたより食材が減っていたりする。いや、無理に切り詰める必要も無いのだけれど。

 

「ん? でもエンゲル係数が跳ね上がってる原因って……」

 

 メイドさんは我関せずとばかりにお茶を啜った。

 

「……まあええけど。ほな、植えるなら家の裏手とかええんちゃう? 空いてたやろ」

 

 早速裏口から外に出て、十分な広さのある場所にリンゴの木を植える。

 放っておいても一週間と経たず生長するとは思うが、記念的なものだ。

 折角なので骨粉で育ててみることにした。

 

「野菜とかは早回しみたいに育ったけど、どうなるのかな」

 

 骨粉をかけて2人で様子を見守る。

 しかし、植えた苗木は特に変化する様子もなく地面から生えたままだ。

 

「んー、もうちっとかけなあかんのかな」

 

 俺は追加で骨粉をかけようと苗木に近づいた。

 その時だ。

 

「おわああぁぁぁぁぁ!?」

「お、お姉ちゃーん!」

 

 リンゴの苗木がにわかにプルプルと震えたかと思うと、次の瞬間勢いよく巨大化した。

 俺を吹き飛ばしながら急激に生長したリンゴの木は四方八方に枝を伸ばし、青々とした葉でその身を包んでいく。

 最後に鮮やかな赤色をしたリンゴが実り、家の裏手に立派なリンゴの木が育った。

 

「葵が2人、葵が3人……」

「あちゃあ、完全に目を回してる」

 

 そういえばゲームでは木が生長する時に植えたブロックに立っていると、埋まってしまい窒息することがあるんだった。

 目を回した俺は葵に介抱されながら、そんなことを思い出す。

 初心忘るべからずだった。

 

 

 

 それから長いことのんびりとした日々が続いた。

 いつもの農作業をしたり、まとまった鉱石が手に入ったとはいえ一応鉱石集めに地下を掘り進んだり、気分転換と練習に乗り物を動かしてみたり、週に一度村へ行ったり。

 この間、一番大きかった出来事といえば地下にスライム狩り用の空間を作ったことだろうか。スライムが出現する条件は通常のモンスターと異なり、月が出ている晩の湿地帯か、あるいはスライムチャンクと呼ばれる範囲内の高さ39以下の床に限られる。

 そして、スライムの落とすスライムボールという素材は基本的に他の入手手段がない。ゲームだと行商人と交換出来たような気もするが、それとて支払いが割高だし確実性には欠ける。

 なんでそのスライムボールが欲しいかというと、スイッチやレバーなどで動作する仕掛けを作る時に便利な粘着ピストンというブロックを作ったり、まだまだ着手出来ていないが特殊効果を得られるポーションの素材であったりという理由があるが、長くなるのでそれはまた別の話。

 ともかく俺達は地下を掘って掘って掘りまくり、何とかスライムチャンクらしき場所を探り当てて安定して入手する手段を確保したのであった。湧き放題というわけでもなく、万が一のことを考えてすぐさま封鎖出来るよう小規模にしたので大量に手に入るという程でもないが。

 

「葵ー、作物に水を流しても収穫出来ないでー!」

「当たり前だよね?」

 

 もっとも目論んでいた水流式の収穫装置は、そもそも作物が水に触れてもアイテム化しなかったことで失敗に終わる。それに伴い、スライムボールの大半も倉庫の肥やしとなることが確定した。

 何週間もの苦労が水の泡と化したその日はふて寝したものである。

 そんなこんなで1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ……早いもので、気がつけばもうすぐこの世界に来てから半年が経とうとしていた。幸いにもモンスターの大量発生のような異変も起きていない。

 この世界にも一応季節はあるようで若干涼しくなったような気がする。ただそれでも過ごしやすい程度なので、この辺りの地域は年中ずっとそんな感じなのかもしれない。仮にこの世界に来た当初が春だったとして、日本の夏みたいに暑くなることはなかったし。

 何となくこのままずっとこの生活が続いていくんじゃないか……そんな感覚さえ抱き始めた頃のことである。

 

「あれ、犬……じゃない、オオカミの鳴き声?」

 

 ある日、いつものように拠点で生活していると防壁の外からオオカミの吠える声が聞こえてきた。

 野生のオオカミかとも思ったが、それにしてはずっと鳴いているようだ。

 不思議に思い、3人で様子を見に行く。

 

「あれ、スカーフしてる」

 

 そこに居たのは確かにオオカミであった。

 ただし、手紙の挟まった首輪をつけており、どこかで飼われている個体のようである。

 オオカミはこちらを見るとワンと鳴いた。

 特に危険は無さそうだが。

 

「おいでー」

 

 葵が骨を差し出すとオオカミは喜んでむしゃぶりついた。

 その間に手紙を抜き取り、中身を確認する。

 

「ええと……ああ、村の子みたいや」

 

 手紙にはこの手紙が村から送られてきたということ、オオカミはその使いであることが書かれていた。

 そういうことが出来るんだと感心したのも束の間、要件の部分を読み進めた俺はアッと声を上げる。

 不思議そうにこちらを見つめる葵とメイドさんだったが、俺は中身を伝えると息を呑む。

 

 

 

「行商人さんが来たって……ほんで手がかりになりそうな本、見つけたって」

 

 ――緩やかに進んでいた時間の流れが、急に早くなったような気がした。



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第48話 注文の品と頼み事

「留守番よろしゅうな」

「行ってきます」

 

 手紙を受け取ってから十数分後。

 メイドさんに留守番を頼み、()と葵は村へ向かうためヘリに乗り込んだ。

 手紙を送り届けてきたオオカミも一緒だ。葵の膝の上で大人しくしている。

 

「ほな、離陸するでー」

 

 風切り音を出しながらローターが回り始めヘリが浮き上がる。

 独特の浮遊感と共に地面が遠ざかっていき、拠点の屋根さえもが見下ろせる高さになった。

 ヘリを飛ばすこと数時間。大平原を過ぎ、木々の生い茂る森の上を難なく通過し、村に到着する。

 

「いやーホント便利やな。現代文明様々やで」

「中身は別物だけどね」

 

 いくら今乗っているヘリの速度が乗用車程度しか出ないとは言え、地上を進んでいくのに比べれば雲泥の差だ。安全面でも地形やモンスターを気にしなくてもいいし。

 バニラのままだったら村直通のトロッコを開通しなければならないところだった。もしそうなったら線路内にモンスターが入らないよう高架にする必要があるだろうな。金属資源に関しては大量入手したからいいとして、線路を延ばすのに結構時間がかかっただろう。野外を出歩いたり生活圏を広げたりすることはあんまりないようだから、土地の利用権で揉めるとかはないだろうけど。

 

「着陸っと」

 

 ゆっくりと慎重に高度を下げて、村の近くに着陸した。

 それから降りてヘリをペシッと叩けば、すぐアイテム化してインベントリに格納される。

 折り畳み自転車なんて目じゃない携帯性だ。

 

「これなら1家に1機、昭和の未来予想図みたいな自家用ヘリの時代が来るかもしれん」

「航空法とか墜落時の被害を考えると無理だと思うよ。この世界なら話は別かもしれないけど」

「駄目かぁ」

 

 もっとも葵の言う通り、インフラや法律、何より利用者が追いつかない限り実現しないだろう。

 つまり仮に元の世界でクラフターの能力が使えたとしても、ひょいと気軽に空を飛んでくのは無理ということだ。

 最近ではクリスマスのサンタさんも警察に注意喚起されてるくらいだからな。ジョークだけど。

 

「おっちゃーん、来たでー」

「おお、行商人が待ってましたぞ」

 

 村の方へと歩いていき、門番に声をかける。

 初めてヘリでやってきた時はそれはもう腰が抜ける程驚いていた……とかそういうのは無く、至っていつも通りの反応だった。

 曰く、変わったものを見かけたら大体クラフターの仕業か何かだというのがこの世界では常識らしい。まるでクラフターが変人奇人の集まりみたいな認識をするのはやめてほしいものだ。葵は何か納得したように頷いていたが、自分も今はクラフターだということを忘れちゃいないだろうか。

 オオカミを門番に預けたところで、行商人がやってきた。まあヘリでやってくれば村の中からでも目立つか。

 

「いやあ大変お待たせしやしたあっしももっと早く来るつもりだったんですが少々回り道せんといかんくなりやしてねおかげで余計に時間は取られるわ予定外の野宿する羽目になるわで困ったの何の」

「落ち着きぃや!」

 

 行商人は最初に会った時と同じく、マシンガントークを始めた。

 聞いていたら日が暮れそうな勢いだったので慌てて止めて本題に入る。

 

「まずはこの間言っていたお米や豆を持ってきやした」

「おおー!」

 

 葵が歓声を上げた。

 行商人が背負っていた包みを広げると、どっさりとお米や豆が姿を現す。在庫がたくさんあるとは言っていたが結構な量である。

 代金としてこの村では育ててない作物、加えて家の裏手で取ったリンゴを渡した。たくさんある金属資源を渡すという手もあったけど、考えなしに使っていたらさすがに在庫が無くなってしまうだろう。買い物はなるべく作物などの生産可能なもので支払うことにしている。

 ……さて、ここからだ。

 

「そんでこれが本命の品になりやす」

 

 行商人は別の包みを取り出した。

 それを広げると中からは紙で念入りに保護された一冊の古そうな本が出てくる。

 元の世界のしっかりとした装丁とは真逆の、良く言えば味のある、はっきり言えば乱雑に紙をまとめただけの粗末な感じの本だ。

 ゲームだったら中身が白紙の製本済みのものが出てきたけど、そういうわけでもないらしい。

 

「代金は前にもらいやしたから、そのまんまもらって下せえ」

「おおきに」

 

 受け取るとごわごわした感触が指先に伝わってくる。

 表紙には『クラフターを辿る旅路で得た知見』とだけ書かれている。

 日本語……じゃないけど読める。ゲームでエンチャントをする時みたいに、象形文字みたいな言葉に重ねて日本語が浮かび上がってくる感じだ。レシピブックの時は図があったから良かったけど。そうなったら翻訳を頼まないといけないところだった。言語を覚えるなんてやってたら何年かかることやら。

 

「あ、それともう一つ伝えとくことあるんでさ」

「ん、何や?」

 

 早速礼を言って本を持ち帰ろうとしたところで、行商人が口を開いた。

 

「それがですね、実はその本を手に入れる時にその町のお偉いさんに会ったんですが。どうもクラフターさんに頼みたいことがあるそうなんですわ」

「頼みたいこと?」

 

 葵が首を傾げる。

 頼み事……確かにクラフターじゃないと出来ないことは色々あるだろう。

 伝説扱いされる程度には長いこと姿を現していないらしいし。

 何かクラフターじゃないと作れないとか直せないとか、そういうものでもあるのだろうか。

 

「詳しくは会ってから話すそうですわ。都合の良い時に来てくれればいいとは言うとりましたが、何となく焦ってる感じもありやしたね」

 

 直接じゃないと話せないというからには、それだけ重要なことなのだろうか。

 正直きな臭い感じはするけど、もし真っ当に頼みがあるっていうんならそう悪い話でもないかもしれない。

 町の偉い人と伝手が出来たら色々と情報を集められそうだし。

 

「どうしやす? 急かすわけじゃありませんが、今週中に出発するならついでに案内しますぜ」

「どないする、葵? ウチは行ってもええんやないかと思うけど」

 

 ()が問いかけると葵は考える素振りを見せた。

 

「まずは本を読んでみてからでもいいですか? 内容と関わりのあることかもしれませんし」

「構いやせん、今週中はこの村にいますからまた声をかけてくだせぇ」

 

 葵の答えに行商人は頷いた。

 再び村の外に出て、ヘリに乗る。

 拠点に戻る最中、早速葵は本を読み始めた。

 

「これ、昔の紀行誌みたいだね。作者が旅をした時の出来事とか旅先で聞いた話とかをまとめたものみたい」

「ほーん」

 

 チラッと横目で本を見る。

 外見こそあまりページ数は多く無さそうだったが、文字が細かく結構な文量があるようだ。

 

「ギッシリあるなぁ。読むのは任せたで葵ー」

「ちょっと、お姉ちゃんもちゃんと確認してよ? 関係ありそうな情報かどうかはお姉ちゃんの方が詳しいん、だか、ら……」

 

 その時、急に葵が押し黙った。

 どうしたのかと思い、見やれば青い顔をしている。

 葵だけに。

 って、それどころではない!

 

「えっ、葵!? どないしたん!?」

 

 慌てて声をかけると葵は苦しそうに言った。

 本から目を離し、しんどそうにしている。

 

「酔った……」

「えっ?」

「揺られながら文字読むの、苦手なの忘れてた……」

 

 

 

 結局家に帰り着くまで、葵はぐったりしていたのであった。



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第49話 本を読む

「うわっ、めっちゃ細かいなぁ」

 

 無事、拠点まで戻ってきた()と葵は早速行商人から受け取った本を読むことにした。空路とはいえ村との往復でだいぶ日も傾いてきたし、今日はもう家で過ごすことにする。

 題名だけが書かれた簡素な表紙をめくると、目次も前書きもなくいきなり文章が始まっている。余白がもったいないとばかりにギッシリと書かれており、ページ数に対してそこそこのボリュームがありそうだった。

 葵の横から本の内容を覗き込む。

 

「ちょっと、お姉ちゃん」 

 

 装丁を知らない人が本を作ったらこうなるといった感じだ。これが原本か写本なのかも、誰によって、いつ、どういった経緯で著されて売りに出されたのかも分からないが……読んだらそのことについても書いてあるのだろうか。

 

「お姉ちゃんってば」

 

 マイクラ世界の謎文字を日本語として認識出来るとはいえ、文字が細かくて見辛いのまではどうにもならない。健康体な茜ちゃんボディの視力が下がってしまいそうだ。

 

「お姉ちゃん、近いよ!」

 

 そんな風に食い入るように本を眺めていたら、気がつくと葵にくっつくぐらい寄っていた。

 慌てて距離を開けると、葵が微かに頬を赤くして半目になっている。

 

「す、スマン」

「もう……渡すから読んでて。私、晩ご飯作るから」

 

 葵は本を押しつけるように渡してくる。

 そのまま声をかける間もなく、台所の方へと行ってしまった。

 

「あ~……どないしよメイドさん、葵怒らせてもうた~」

 

 瀟洒という言葉とは程遠い、ソファでゴロンと横になっているメイドさんに助けを求める。しかしメイドさんはやれやれだぜとでも言いたげに、手のひらを横にして上げるばかりだ。

 メイドさんは当てにならないし、かといって葵の後を追いかけるのも気まずい。

 葵の言ったように本を読んでおいて、後で謝るしかないか。

 気を取り直して本の内容に目を向ける。

 

「ふむふむ」

 

 文章はまず著者が訪れた土地の説明から始まっていた。

 どうやらこの時点でクラフターについて探る旅を始めてから何年か経っているようで、それ以前に赴いたことのある土地についても若干触れられている。紙の特産地だったようで、もしかしたらここで旅を記録しようと思い立ったのかもしれない。

 この辺りにはクラフターに関わる事柄は書いてなさそうだ。流し読みしてめぼしい情報が出てくるまでパラパラとページをめくっていく。

 

「これや」

 

 やがてそれらしき単語を見かけた辺りで捲るのを止め、じっくり読む。

 本には次のようなことが書かれていた。

 

 

 ――そもそもクラフターとは、どこからやってきた存在なのだろうか。

   私がそれを伝承をよく知る古老に尋ねると、老人は答えた。

   「外の世界――この世ではないところから」

   この世ではない? それはつまりあの世、ネザーから来た存在ということだろうか。

   私がそう問うと老人は首を横に振った。

   「それは全く理の異なる世界。我々の想像の及ばぬ世界。

    クラフターはそこからやってきたと語った」

   どのように?

   「門にして鍵であり、天地創造の力を持つ書によって。

    その書は記されたままの世界へ読み手を送る力を持つという。

    クラフターはそれを携え、やがて終わりの地へと姿を消した」

 

 

「ビンゴォ!」

 

 俺は思わず喝采を上げた。

 間違いない、『時代の書』だ。

 何やら宇宙的恐怖みたいに形容されているものの、『時代の書』そのものがゲートでもあり、使用する鍵でもあるという解釈はそう外れてはいない。

 ちょっと気になるのは天地創造の力を持つという点だ。

 以前村長から聞いた話によれば、この世界を作り上げたのは『神様』であってクラフターではないはずだ。しかし、これではまるでクラフターが『時代の書』を使って世界を作り上げたようにも見て取れる。

 もしも世界生成を行なうMystCraftの『時代の書』だった場合、元の世界へ戻る役には立たないことになる。

 

「それに終わりの地か……」

 

 マインクラフトで終わりを意味する土地と言えば、『ジ・エンド』だろう。

 エンド要塞という場所から転移する、ネザーとはまた別の世界であり、ある意味マインクラフトにおけるラストステージとも言える。

 そこへ行ったということは話に出てくるクラフターとはエンダードラゴンを倒しに行ったということだろうか。

 いずれ行くことになる可能性も考えてはいたが……。

 

「それも含めて、葵と話さんとな」



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第50話 遠出決定とメイドさんの要求

 葵の作ってくれた晩ご飯を食べ終え、食後のお茶を飲みながら本について話す。

 無表情のメイドさんは雰囲気だけ喜色満面でデザートを食べている。

 

「初めに言うておくと、本の内容と町の人の頼みってのは特に関係無さそうや」

「そうなの?」

 

 頷いてから本に書かれていることが何を意味するのかを詳しく説明する。

 クラフターそのものに関する記述は思ったより少なく、クラフターが関わったことで発展した土地についての話の方が多かったこと。

 その中の数少ないクラフターの出自に迫る記述によれば、『時代の書』が関わっていることはほぼ確定であろうこと。

 ただし、『時代の書』によって世界が創られたことを示唆するような文言も入っており、はたして『時代の書』が原作MYSTのものなのかMystCraftのものなのかまでは断定出来ないこと。

 

「手がかりとかは無さそう?」

「無いことは無さそうなんやけど……」

 

 そして恐らく今回一番重要な点について話す。

『時代の書』を持っていたというクラフターはどこへ行ったのか。

 

「その『時代の書』を持ったクラフターはな、最後に終わりの地へ姿を消したらしいんや」

「終わりの地?」

「『ジ・エンド』、長らくマインクラフトの最終到達地点だった場所や。手がかりもあるかもしれんけど……」

 

『ジ・エンド』について葵に話す。

 エンド要塞という、地下のどこかにある遺構から行ける世界であり、そこは大量のエンダーマン、そしてボスであるエンダードラゴンの住まう常夜の浮島であること。

 一旦入ったらエンダードラゴンを倒す以外に世界を出る方法はないこと。

 

「もしもクラフターがエンダードラゴンを倒して、復活させてなければエンダーマンくらいしか気をつける相手はおらんはずやけど」

「それを知る方法は片道切符で実際に行く以外に無いってことだよね……」

 

 葵は難しい表情で俯いた。

 無理もない。

 事によっては一度足を踏み入れれば生きるか死ぬかの2択の場所。

 巨大なドラゴンと相対するだけでも恐ろしいことなのに、退路が無いとなれば後込みして当然だ。

 

「ちょっと考えさせて……」

「分かったで。まあ他にも情報あるかもしれんし、今は置いとこうや」

 

 とはいえあくまで今回手に入れた本から考えるとそうなるというだけで、『ジ・エンド』に行けば全てが解決すると決まったわけでもない。まだまだ他にも情報を探せば見つかるかもしれない。

 今すぐ決めてしまうのは早計だろう。

 

「それより町に行くかどうか決めんと」

「それもそうだね」

 

 行商人が言うには町の偉い人が頼み事があるとのことだった。

 詳しい話は知らされていないが、焦りのようなものを感じたとも。

 

「とは言ってももう決まりみたいなものだよね」

「まぁ、なぁ」

 

 わざわざクラフターに頼みがあるってことは、恐らく村でやってるような防壁や道の整備だとか、自分達で出来るようなことを頼みたいわけではないだろう。

 クラフターでないと出来ない、あるいは分からない何かについて。

 焦っているにも関わらず、直接会って話したいというのは余人には然う然う教えられないこと。

 都合の良い時に来てくれればいいというのも、どこまで本当なのか。

 

「怪しいけど、行かん方が厄介なことになりそうやしなぁ」

 

 とはいえ今は少しでもクラフターや『時代の書』に関する情報を集めたいところ。

 手がかりを掴むきっかけさえなかなか得られない現状ではある程度のリスクを負ってでも踏み込めるところは踏み込んでいくしかないだろう。

 騙し討ちをしようだとかそういう悪巧みをしているわけでもないだろうし。

 今まで出会ったのが村の人や行商人、メイドさんだけだから判断材料としては弱いかもしれないが。

 

「となると留守番が必要なわけだけど……頼んでいいかな?」

 

 葵はそう言いながらちょうどデザートを平らげたメイドさんに目を向けた。

 メイドさんはサムズアップ。

 食い気が多く小生意気なところはあるけど、普段の行動はそつがないし大丈夫か。

 

「えっ、何々? その間のご飯はちゃんと用意してって? 砂糖生活で満足するようなぺーぺーなんかじゃないから?」

「まぁた偉そうにしよって」

 

 ただしそこはやはりメイドさんだった。

 出かけている間の料理を用意することを要求してきたのである。

 自分でも作れるだろうが葵手製の方がいいようだ。

 まあそれは分かる。

 

「出かけている日数分の朝昼晩の3食に加えて3時のおやつ、それにお腹が空いた時の夜食……ついでに小腹を満たす用のつまめるお菓子も?」

「いくらなんでも食い過ぎやろ! 太るで!」

 

 だが、いくらなんでも要求しすぎではないだろうか。

 大丈夫、私は太らないから。

 そう言いたげにドヤ顔をするメイドさんに対し、葵はぴしゃりと言った。

 

「食べ過ぎは駄目です、日数分3食とおやつまでね」

 

 メイドさんは天を仰いだ。



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第51話 出発と遭遇

 あれから遠出することを行商人さんに伝え、一週間後に町へ向けて旅立つこととなった。

 装備を調えたり野宿に備えて物資を集めたりもしたが、一番大変だったのはメイドさんのご飯だろう。

 かなり長引いた時のことを考えて1ヶ月分も用意したからな。

 今回ばかりは調理してたら時間がかかりすぎるということで、葵もクラフトに頼ったようだ。

 作り手の技量が反映されるので味に問題はないのだが、葵としては不満だったようである。

 まあ同じ料理を一ヶ月分とかならともかく、毎食メニューが違うとのことなので、仕方ないだろう。

 

「それじゃあ留守番をお願いね」

「摘まみ食いからのストライキとかせんでなー」

 

 そんなこんなで当日、俺達はメイドさんに留守番を任せてヘリで村へ飛び立った。

 今回使用するヘリは普段の小柄な機体とは違い、大型の機体となっている。

 いつも乗っているのは機長席と副操縦席しか座席がなく、後ろは基本床に座る感じとなる。町まで行商人さんが同行するのでもっとスペースに余裕のある機体にしようということでこうなった。

 

「にしても大きすぎない?」

 

 葵が座席から後ろを振り返ってそう言った。

 ゆうに10人以上は乗れる後部座席、バスか電車1両並に荷物を置いたり搭乗したりするだけの余裕はある。

 

「え、ええやん。大は小を兼ねるやで」

「全長3倍以上もあったら別物だよ」

 

 障害物のない上空を飛ぶから良いけど、もしこれが車だったらあっちこっちにぶつけてそうだ。

 とはいえ簡易化された操縦自体はほとんど変わらず、運用に問題は無い。むしろ機体が大型になった分、安定感はこちらの方が上なくらいだ。

 特に何事もなく快適な空の旅を過ごすこと数時間、村へと辿り着く。いつも通り村の外へ着陸した。

 普段通りに門番に一声かけて行商人さんの滞在している家へ行く。

 

「行商人さん、来たでー」

「お待ちしてやした」

 

 声をかけると程なくして戸が開き、行商人さんが姿を現した。

 この村で交換したのだろう、様々な作物の詰まった大きな風呂敷包みを背負っている。

 既に段取りは決めてあり、そのまま村を出てヘリへと戻る。

 

「今回はあの空飛ぶ乗り物に乗せていってもらえるということでほんと感激しておりやすいやあやっぱり人生一度は空を飛んでみたいと」

「相変わらず元気やなー」

「ハッチを開けますね」

 

 マシンガントークを受け流しつつ、操縦席から後部のハッチを開く。

 行商人さんが乗ったのを確認して離陸する。

 独特の浮遊感と共にどんどん地面が遠ざかっていくのを見て行商人さんが感嘆の声を上げた。

 

「ほおー空から見ると全然違って見えますなぁ」

「せやろー?」

 

 拠点と村を何度も行き来しているうちに慣れたが、それでも空の上から見る景色は格別である。ゲームだったらパソコンの性能やゲーム自体の仕様などで、どうしても描画の限界により遠くの地形が見えなくなってしまうのだが、この世界ならそんなこともない。

 大地が地平線まで広がり、地上のものがミニチュアのように感じられる。まさしく自分が雲の上の存在になったかのようだ。

 もっともあまり高高度は飛んでいないし、この世界の遙か上空がどうなってるかは分からない。一応は太陽や月、星は見えるものの、本当に宇宙があるのかどうかも不明だ。MODには宇宙のディメンションを追加するものもあったが、そうでなければブロックの設置限界を超えてどこまでも高く飛んでいけたからな。とはいえもし飛行不能だとか低酸素で生存出来ないだとかになっても困る。現状、スケルトンの弓矢が当たらない程度で十分安全なことだし。

 

「すいやせん、ちょっと用を足したいんですが」

「せやなぁ、お昼やしそろそろ休憩しよか」

 

 のんびりと安全な空の旅をすること数時間。そろそろ休憩しようということで、一旦着陸することにした。休むだけならホバリングで空中待機も出来るが、生理現象となるとそうもいかない。さすがに旅客機と違ってお手洗いなんてついていないし、機体内に設置することも出来なかった。用を足すには一旦降りる他ないのだ。

 着陸出来そうな場所を探すと、鬱蒼とした森の近くが開けているのを見つけた。うっかり木にぶつからないよう、慎重に位置取りをして徐々にエンジンの出力を弱めていく。接地で軽く機体が揺れたものの、ダメージは無し。着陸成功だ。

 

「ではちょいと失礼いたしやす」

「気いつけてな~」

 

 ポータブルトイレ……またの名を入れたアイテムが消滅する家具MODのゴミ箱を携えて森の中へ入っていった行商人さんを見送る。さすがにインベントリも無しにトイレを持ち歩くのは無理があるから次善の策である。

 そんな話の後にするのも何だが、この間に俺達は昼食にすることにした。インベントリから机や椅子、料理などを取り出す。

 

「なんか違和感あるなぁ」

「そりゃねえ」

 

 レジャー用の折り畳み机や椅子などではなく、がっしりとした家具が野外に置いてあるので全く景色に似合わない。想定されている使い方じゃないから当たり前の話ではあるが。

 

「今日のお昼はなんなんや?」

「ビーフバーガーとオニオンスープだよ」

「リッチやなぁ」

「ふふん、でしょー」

 

 ちょっと自慢げに葵が取り出したバーガーには手頃なサイズとはいえ、それなりに分厚い牛肉と野菜がぎっしりと挟まっていた。元の世界なら店で買ったら一食千円以上はするであろう贅沢なメニューである。なかなか食いでありそうで茜ちゃんボディなら結構これだけで満足じゃなかろうか。

 バーガーが重めなのを考えてか、スープの方はあっさりしている。けれどもコンソメが利いていて物足りない感じはしない。スッと胃に入ってくる。

 2人でのんびりと舌鼓を打っているうちに30分ほど過ぎただろうか。行商人さんはまだ帰ってくる気配はない。

 

「行商人さん、まだかな?」

「そんな具合が悪そうには見えんかったけどなぁ」

 

 森の方へと声をかけたものの、返事は戻ってこない。

 

「もしかしてモンスターに襲われたとか……?」

「そんならもう少し騒ぎになってそうな気ぃはするけど……様子は見に行った方がええな」

 

 家具をしまった後、念のためにダイヤ装備を身に着けて2人で森の中へと入っていく。

 拠点や村の周囲とは違って昼間でもかなり薄暗く、生えている木々の幹も太い。沈んだ色が特徴のダークオークであることもあって圧迫感がある。

 

「これやと場所によっては昼間でもモンスター湧きそうやな」

「行商人さんならそれぐらい知ってそうだけど……そんな遠くに行ったのかな」

 

 茂みを避け、索敵しながら行商人さんへの呼びかけを行ないつつ歩くこと数分。俺達はあるものを見つけた。

 

「ゴミ箱だ……」

 

 先程行商人さんが持っていったゴミ箱だった。

 周りを見渡すもそれ以上痕跡らしいものは見当たらない。

 

「どこ行ったんやろ……」

 

 

 

 その時だった。

 

「動くな!!」

 

 急に野太い声が辺りに響いた。

 ギョッとして目を向けるとガサガサと周囲の茂みが揺れて、いくつもの影が立ち上がった。

 

「えっ、何!?」

「嘘やろ……イリジャー!?」

 

 それはイリジャーだった。スペルは悪いとか邪悪なを意味する『ill』と村人を意味する『villager』を掛け合わせた『illager』で、日本語での呼び名は『邪悪な村人』、そのまんまである。

 と、悠長に解説している場合ではない。コイツらは要はモンスターと同様の敵対的Mobであり、全力でこちらの命を狙ってくる存在なのだ。慌てて剣を構える俺達だったが、大将格らしきピリジャー……今回は斧を持ったヴィンディケーターは不敵な笑いを見せた。

 

「おっと、コイツがどうなってもいいのか」

 

 ヴィンディケーターが背後に控えていた下っ端らしきクロスボウ持ちのピリジャー達に合図をする。

 ピリジャー達が連れてきた人物を見て、俺達は息を呑む。

 行商人さんだった。後ろ手に縄で縛られており、猿轡を噛まされている。

 ピリジャーのうちの一体が猿轡を外すと、行商人さんは申し訳無さそうに言った。

 

「すいやせん……捕まっちまいやした……」

「命が惜しければ俺らに従ってもらおう」

 

 人質を取られて、見殺しにするなど出来るはずもなく。

 こうして俺達は捕まってしまったのだった。



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