The Elder Scrolls:Souls Wind (まむかい)
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序章
ドラゴンの突破


 ──曰く、はじめ世界は分かたれず、灰色の岩に大樹、朽ちぬ古竜ばかりが佇んでいた。

 

 ──曰く、いつしかそこに火が生まれ、生と死を代表とする差が生まれた。

 

 ──曰く、火を制した偉大なる神王は古竜に戦いを挑み、勝利の末に世界を統治した。

 

 ──曰く、神なき世界の火は陰り、薪となるべく不死性を与えられた者達がその身を薪と焦がし、世界を延命させた。

 

 ──曰く、最後の『薪の王』により火は消し止められ、神秘に満ちた世界は終わりを告げた。

 

 ──曰く、最後の王はその身を火の無い灰の中にうずめ、この世、つまるところのムンダスから去るのだった。

 

「────ドラゴンはおろか神すら殺し、その魂を吸収する不死のひと。それが『薪の王』の伝承だ。この人物について書き記されていない資料も多いが、一説には竜の血脈(ドラゴンボーン)の始祖ともされている、神々の時代の英雄らしい」

 

「そう。ええ、かなり眉唾ものね」

 

 知る人すら片手で数えるほどのマイナーな伝承を軽々と諳んじたのは、ホワイトランの宮廷魔術師にして古代竜戦争時代を専門とする歴史研究者、ファレンガーだ。

 どこか熱の入った語り口で上質なローブをはためかせる彼に鼻白みつつ一言で切り捨てたのは、女だてらに歴戦の風格を持ち、腰には異大陸アカヴィリの意匠が施された刀を持つ妙齢の女性、デルフィンだ。

 

「眉唾だと!? ……まぁ、確かにそうとも取れる。実際に世界は終わっておらず、太陽も未だ赤く、アルケインの蒼炎は魔法として今日まで伝えられている訳だからな。

 ……しかし、否定するほどの証拠があるわけでもまた、無いのだ。

 なにせ竜のいた時代など我々にとっては全て眉唾もので、竜の墓や強力な司祭たちの影響はこのスカイリムの大地にあれど、いまこの時に、かのドラゴンたちはここに居る訳ではないのだからな。

 ────だからこそ、君のような注意深い友人が、未曾有の危機にもよく備えるべく私の助けを求めたのだろう? 」

 

「……良く舌が回るものね」

 

 デルフィンは語る口の減らぬ友人に少し辟易としながら、言葉を返す。

 

「あなたの言う通り、頭ごなしに否定するべきでもないわね。でも、呼吸するだけで炎が放たれ、世界を恐怖で支配した竜たち。はるか古代で竜に打ち勝った神々。そして、不死身の竜殺し、もしくは神殺し。信憑性で言えばどれも変わりないように見えるわ」

 

 デルフィンの口からは雲を掴むかのような研究の現状への苛立ちからか皮肉が飛ぶが、ファレンガーはそれを、さして気にした風もなく話を続ける。

 

「ぜひ会ってみたいものだ。(ドラゴン)にも、竜の血脈(ドラゴンボーン)にも、薪の王(そのはじまり)にも! 」

 

「……でも、その3つのおとぎ話のうち、少なくともドラゴンは確実に存在するわ。……見て。竜の墓の所在が描かれた地図があるという場所を突き止めたの」

 

 デルフィンは地図を取り出すと、地図に木炭でつけられたバツ印を指で差した。

 

 

 

 

 時代は過去へとさかのぼり、竜戦争の終着点、世界のノド。

 タムリエル大陸最大の霊峰の頂で、人と竜の存亡をかけた最終決戦が繰り広げられていた。

 

ヨル()……トール(猛火)シュル(太陽)!! 』

 

 耳をつんざくような力任せの叫び(シャウト)と共に、禍々しき黒竜の口から炎の奔流が吹き荒れる。

 それはスカイリムの雪景色を溶かすに飽き足らず、土すら灰燼に変える高温で、マグマの如きドロリと熱された大地を作り上げていく。

 だが、人智を超えた黒竜に怯むことなく対峙する三人の英雄は、この時を待っていたとばかりに、互いの勇気を確かめるように三人の拳を軽くぶつけ合ったのち、それぞれの武器を取る。

 

 一番槍は男どころか人類でも類を見ない勇猛さを持つ女性、黄金の柄のゴルムレイスだ。

 彼女の持つ盾に施された竜の紋章が輝き、黒竜から放たれる炎の猛威を遮る。

 

 盾に任せて吶喊する彼女は、その半ばほどで炎の出所である口、あるいは顔そのものに向かって盾を放り投げると、オオカミの如き低姿勢から一回転するような独特の跳躍で空を駆け、上空の黒竜へ肉薄する。

 ゴルムレイスは利き手である左手に持った剣に、盾を投げることで空いた右手で取り出した薬包をぶつけて中身を剣にまぶした。

 すると、彼女の鋼鉄の剣がバチバチと激しく帯電し、ついには剣そのものが雷に包まれる。

 

「アルドゥイン! わたしの剣を受けてみろ!! 」

 

 力と技術の融合した、猛々しさと裏腹に確かな研鑽の日々を想起させる鬼撃は回転の遠心力すらも味方につけ、裂帛の気合とともに放たれる。

 それに対する黒竜──アルドゥインは、盾に遮られた視界が晴れたその時、既に迫っていたそれを防御する間もなく、同族(竜族)ならばともかく、よりにもよって人間に、屈辱の初撃を許すことになった。

 

「ゴッ……! 」

 

 アルドゥインの呻きは脳天からの一撃で強制的に顎を縫いとめられた事によって短く吐き出され、かわりに鋼の雷剣がアルドゥインの顔を覆う鱗を裂いた奥にある頭蓋骨に剣を届かせたときの、およそ生物から出るとは思えない剣の打ち合いのように甲高い鉄の音だけがそこに響いた。

 

 ──一瞬の静寂。

 

 それは、これまで眼前の人間を、どうせ吹けば飛ぶ塵芥と驕っていたアルドゥインが、蓋を開けてみれば実際のところは先手を取られてしまっていた、という状況に置かれた彼の屈辱が生んだものでもあり、そして、全霊の剣を規格外の竜骨によって止められたゴルムレイスが、自身の生涯を掛けた誇りの一撃すらも囮にして出す必勝の一手のために、大きく息を吸い込んでいたからでもあった。

 

 ──息とともに、ドラゴンのみが使用できるはずだった、今は女神カイネの導きにより人が使用できる竜言語の魔法、声秘術(スゥーム)が放たれる。

 

『────ジョール(定命)ッ!! 』

 

 アルドゥインは、世界を喰らう者としてあらゆる竜言語魔法(シャウト)を修めた誇り高き竜族の長は、間違いなく竜の言葉で放たれたそれを全く理解できなかった。

 

 竜が生まれ持つ不滅の魂は、ジョール(定命)の短く尊き生の輝きを知らなかったが故に。

 

 アルドゥインへ、彼にとって未知の圧力が掛かり、彼の翼の動きを著しく鈍らせ、その身体を地へと墜とす。

 ゴルムレイスはそれを見下ろすと、ニヤリと口を歪めた。

 

『────フ、ォ(冷気)────』

 

 しかし。

 アルドゥインの首がぐるりと回り、跳躍の勢いのままに滞空するゴルムレイスを捉えると、その口元には極寒のスカイリムにおいてもなお冷たい、輝く結晶を細かく散らすほどの冷気を湛えていた。

 

コラー(寒気)……ディーン(凍結)ッ!! 』

 

 雷鳴のような叫び(シャウト)が天を震わせ、放たれる無慈悲な吹雪がゴルムレイスを襲う。

 とっさに構えた雷剣による防御は、もともと潰えかけていたのも手伝って一時しのぎにもならず軽く吹き消され、冷気に強い筈のノルドである彼女の身体すらも容易く凍りつかせ、次第に結晶の氷塊へと変じさせてゆく。

 

 アルドゥインが地に墜ち切る頃には、現世において最も勇敢な女性ゴルムレイスの肉体はとっさに構えた受けの姿勢のまま完全に結晶と化し、先の炎によって熱され黒く固まった地面の上へとしたたかに打ち付けられ、硝子の砕け散るような音を立てて全身を四散させた。

 

 そして、かの女傑の死を悼むように、一人の男がアルドゥインに立ちはだかった。

 

「──恐れを知らず生き、恐れを知らず逝った」

 

「……今度は、私がソブンガルデに向かう番だ! 」

 

 アルドゥインが地上の人間に顔を向けた時に彼の目が捉えたのは、巨大な両手斧を片手で肩に担ぎ吶喊する眼帯の偉丈夫、隻眼のハコンの姿だった。

 ハコンの持つ斧は生物的な要素を多く残す、骨から削り出したかのような意匠の大斧。だが、アルドゥインは粗野な見た目のそれに秘められた力を見抜くと、警戒も顕に、自身の最も強力な肉体の武器である牙を使うべく、開けば人間程度なら軽々と飲み込めるであろう大きな顎で以って、振り抜かれる大斧を噛み砕くようにして彼を迎え撃った。

 

 アルドゥインの警戒は結果的に功を奏した。凡百の武器など取るに足らず割り砕く竜の牙を持ってしても、その斧にとっては(ひび)を入れるに留まったからだ。

 先の女のように鱗に任せていればその骨ごと折られていただろうと、尊大な彼が同時に併せ持つ深い知性の光が冷静に判断を下していた。

 人間の武器にしては驚異的に過ぎる耐久力。それにより、この大斧が竜の骨で作られた武器、ドラゴンウェポンであると確信するに至る。まともに受ければ、いかなアルドゥインと言えど負傷は免れないものであり、同族の力を取り込んだその武器は、ふだん人間を歯牙にもかけないアルドゥインが唯一、彼ら人間について警戒していた要素だった。

 

 しかし、同時に彼にとって、そのような些事はどうでも良かった。

 ドラゴンウェポン、良いだろう。

 だが、同族の力を引き出した程度で自分に勝てるという思い上がりに、魂から怒りの炎が噴き上がる。

 

 アルドゥインの気迫が、塵芥に対する者から『敵』へと変わった。

 すると、竜骨の大斧の罅が広がり、一方的に怪音を奏で始める。

 

 アルドゥインは顎に込める力を強めた。

 先ほどまでの力で罅が入ったということは、つまるところこのまま顎に力を込め続けるだけでこの武器を、ひいてはこの人間を無力に、無惨に半ばから喰い千切る事ができていたということに他ならない。

 しかし、それではどうにも、我慢がならない。

 

 自身に、この世界を喰らう者(アルドゥイン)に人間如きが拮抗できるという幻想を目の前の人間に抱かせ、自身を貶める外敵の愉悦を許してしまうことは、その人間たちに初撃の屈辱を受けたアルドゥインであるからこそ、殊更に耐え難いものだった。

 

 アルドゥインの力が強まったことで、先ほどまでは巨大な顎の咬合力とも遜色なく渡り合っていたハコンの剛力もこうなっては空しく、仕切り直しに大斧を引き抜くことすらも難しくなる。

 そのため、ハコンはとっさに片刃故に存在する石突に、勢いをつけた頭突きを見舞う。

 この機転によって、そのまま続けば武器どころか半身をも裂いていたであろう牙の猛威から斧と身体を脱することに間一髪ながら成功した。

 

 しかし、難局をひとつ切り抜けた程度で、竜との戦いは終わらない。

 

ヨル()────』

 

 アルドゥインが声に力を乗せる。

 炎を意味する竜の魔法。

 対象は目の前の人間、そして燃やすのは肉体だけでなく、魂まで。吹き荒れる炎が球状に集められ、その熱量を高めていく。

 世界を焼き尽くすと予言された炎を、たった一人の人間のために凝縮して放たれるその一撃は、もはや炎の域を超え────

 

トール(猛火)シュル(太陽)!! 』

 

 原初に連なる溶鉄の炎────混沌の大火球となって、ハコンを襲った。

 

 対するハコンは、罅の入った竜骨の大斧を両手に持ち替えると、息を大きく吸い、大上段に構え、炎を厭わずに力強く踏み込んだ。

 甘んじて受けた混沌の炎は当然のように、彼を焼いた。しかし、敢えて避けず踏み込むことにより、アルドゥインの頭蓋の真上に、竜骨の大斧が構えられた。

 

 混沌の炎の熱は焦げるなどという生易しい表現では足りず、ノルドの誇りである鋼鉄の鎧をドロドロに溶かし、中の肉体を、そのさらに奥の内臓を焼滅させ、ともすれば魂そのものまでも瞬きのうちに焼き尽くしてしまうだろう。

 

 だが、彼のノルドの戦士としての誇りが、立ち止まることを許さない。

 一度踏み込んだ一撃を止めることを、ノルドの男は良しとしない。

 

竜王の大斧(アカトシュの牙)よッ!! 」

 

 ハコンは全霊を込めた一撃を見舞うべく、あと数瞬後には崩れ落ちるであろう肉体を天才的な平衡感覚に裏打ちされた足運びで少しでも永らえさせ、溶けた骨を鍛え上げた筋肉を収縮させることで無理やり補強し、捻り出したその一瞬の間隙でもって、大技を繰り出したことで硬直したアルドゥインの頭蓋に、自らの人生において最高の一撃を炸裂させる。

 

 それは偶然か、必然か。

 その一撃は奇しくも、ゴルムレイスが雷剣でもって斬り裂いた場所へと放たれていた。

 

 ゴルムレイスが裂いた竜鱗に向かって打ち込み、彼女の鋼の炎剣すら受けきった竜骨と、竜王の大斧が衝突する。

 骨同士の轟音とともに、竜王の大斧が砕け散る。

 

 が、しかし。

 

 ハコンの想いに応えるかのように、斧に秘められた力が解放された。

 アルドゥインの外殻に蜘蛛の巣状の罅が現れる。

 それは大斧の衝突痕から発せられ、次第に彼の頭、胴体、翼、尻尾に至るまでのすべてに罅が波及していき、アルドゥインは予想を超えた一撃の威力に耐えることも出来ず、耳をつんざく絶叫を上げた。

 その結果にハコンはどこか満足したような顔を浮かべると、九割以上が燃え落ちた肺に残った僅かな空気を使い、自身の生涯を表し締めくくる、最後の言葉(スゥーム)を宿敵に放った。

 

『────ザハ(有限)

 

 ────命は『有限』である。今持っているすべてを使って、時には自分の命すらも擲って戦う人間の誇りを表す言葉は、またしてもアルドゥインら竜族には理解できぬものだった。

 

 混沌の大火球がマグマのようにボトリと地へ染み込んでいく時には、竜王の大斧はおろか、ハコンの姿もなく。

 ただ、一世一代の大勝負に賭けた二人の英雄の存在を、人間に二度も出し抜かれ、鎖のごとく自身を縛りつける由来不明の叫び(シャウト)に不滅の魂から来る無尽の再生能力すらも阻害され、悠久の時の中で初めての負傷らしい負傷を受けて悶え苦しむアルドゥインのみが証明していた。

 

 そして、最後の英雄がその準備を終えて矢面に立つ。

 それは先のふたりに比べて老いた印象の白髪と蓄えられた灰髭が特徴的なローブ姿の老人、古きフェルディルだった。

 

 彼は大きく息を吸い込むものの、背負った両手剣を抜き放つことはない。

 その鋭い目は体勢を整えつつあるアルドゥインに向けられ、自身のすべてをアルドゥインの一挙一動へと集中する。

 

 勝機は逃さない。

 そう思えば、口は勝手に動いていく。

 

『──ジョール(定命)──ザハ(有限)──』

 

 ただ、ふたりの英雄に万感の想いを伝えるように。

 血路を開いたその先の、必勝の一手を。

 

 フェルディルはその手に持っていた、身の丈と同じ大きさの、この世の時間の全てを記すとされる偉大なる巻物『星霜の書(せいそうのしょ)』を開いた。

 

 ────星霜の書が、輝く。

 

『──フルル(一時的)

 

 最後の言葉は、『一時的』。

 

 彼ら人間の言葉での、『永遠』と対になる言葉だ。

 その場限りという意味の言葉は、不滅を約束された竜族にとってはつまるところ、『永遠』に解けない謎のひとつ。

 

 それを理解できるようになり、竜としての傲慢さを捨て去るか、込めた意味の都合上、あくまで一時的に過ぎない封印に綻びができるまでの、それでも悠久に近い時の流れの先にまで、アルドゥインの齎す筈だった滅びを、この星霜の書の中に遠ざけるのだ。

 

 世界を喰らう者と位置づけられた暴虐なる竜の長に、今の人間が対抗する上での完璧に近い答えを叩き出したフェルディルが掲げる星霜の書に、アルドゥインが引きずり込まれていく。

 そうはさせまいと踏ん張りを利かせた足が罅割れ、次いで羽ばたけば翼が折れた。

 尻尾は千切れ、首が拉げ、いかなアルドゥインと言えど成す術なく、星霜の書の中に吸い込まれていく。

 

 しかし。

 アルドゥインは封印の成立する間際、首をフェルディルに向けると、彼を射殺さんばかりに睨みながら最後の言葉を紡ぐ。

 

『ウンスラード──クロシス──サラーン』

 

 アルドゥインが星霜の書に完全に吸い込まれ、星霜の書は輝きを無くしてフェルディルの腕にコトリと落ちる。

 

「……終わりなき悲劇を遅らせたに過ぎない(ウンスラード、クロシス、サラーン)……か。あるいは、そうなのかも知れん」

 

「が、しかし────」

 

「────勝ったぞ、ハコン、ゴルムレイス────」

 

 フェルディルは星霜の書を握って、勝ちを誇るように、グッと前に突き出した。

 

「勇敢にソブンガルデへ逝ったお前たちを、誇りに思う」

 

「だがな────」

 

「────この喜びを分かち合う者がもう居ない事に、この老体は耐えられんよ」

 

 突き出した拳を軽くぶつけ合う、三人で決めた戦いの始まりと終わりの合図。

 いまはただ冬山の寒風だけが、フェルディルの拳を空しく撫でるのみだった。

 

 

 

 

 この時。

 星霜の書は前例のない使い方によって誰も予想し得なかった作用を起こし、書に刻まれた時の狭間を彷徨うはずだったアルドゥインは、とある世界へ流れ着く。

 

 そこに居たのは、不滅でありながら有限を知る『不死人』が存在する、アルドゥインが知るものと全く違う歴史を辿っていた世界。その不死人たちは皆、人でありながら、竜のように倒した者の魂を吸収できる性質を持っていた。

 

 そして、自身が封印された時間と全く同じタイミングで不死人となった男と、アルドゥインの魂は一体化した。

 主人格であり、事情のわからぬまま困惑する彼に力を貸しながら、世界を喰らう者は世界を巡る。

 

 

 

 

【誰だ】

 

【定命の者よ。貴様こそ、我に……サラーン……待て、貴様……もしや、定命ではないのか】

 

【不死人。卑俗で矮小な世界の敵だ。聞いたことくらいはあるだろう】

 

 

 

 

 アルドゥインは、文字通り魂で繋がれた『彼』と火継ぎの旅を終え、定命の世界に光を取り戻し、魂を同じくするからか存外に馬の合う彼との旅を、薪となった彼を内側から観察しつつ、世界を喰らう者が世界を救うという矛盾に、悠久の時の中で不変であった自身のあり方の変化に、それも悪くはないと自嘲を含んだ笑みを浮かべ、彼と共に眠りについた。

 

 ──それでも、次の目覚めは来るもので。

 

 再び闇の深まった世界でアルドゥインと彼は旅を続け、渇望に苛まれた女王や、神出鬼没に現れる原罪の探究者と、火継ぎの答えを巡って戦い抜いた。

 その旅の中で、『人の像』と呼ばれる道具により、人の器に竜の魂という歪さながら、アルドゥインは物質的な肉体を取り戻した。……なぜか、人間の女性の姿で。

 

 それから魂の中で語り合うだけだった不死人との関係は、大きく変化した。

 それは女性になったからという訳ではなく、『竜』の魂のみで存在していたアルドゥインが、此度の奇妙な巡り合わせによって、部分的ながら『人』を受け入れたからだった、ということが大きかった。

 

 彼との関係は不思議なもので、同じ魂を持つよしみによって、あまり多くを語りたがらない彼の過去を、あり余る程の長い時間を掛けて聞いていった。

 曰く、『アストラ』なる騎士の国の貴族生まれの長男で、演劇や冗談話が好きで、長兄として期待されていた政治や芸術の才能がてんで無かったが、武器の取り扱いと魔術・奇跡・呪術の魔法三系統などいわゆる戦における才があることが不死人になってから発覚したと苦笑していたり。

 

 行く先々で見られる陰惨ながら美しい景色に、お互いに有り余る悠久の時に飽かせて足を止めたり。

 深淵に堕してなお国に仕える騎士の忠義とそれを慕う大狼の覚悟に珍しく熱を上げる彼の語り口に、改めてかつての旅に想いを馳せたり。

 

 ──星霜の書に朧気ながら提示された封印解除の条件……『有限』を知ること。

 はじめは理解できなかったそれも、人として生きる時間の中で旅を続けるごとに、少しずつ、少しずつ理解していった。

 

 ──そして、奇縁で繋がれた不死人と歩むこと三度目。

 

 陰りゆく太陽の中で、火継ぎを彼とともに終わらせたことで。

 (アルドゥイン)は『有限』を────その儚さ、尊さと、眩いばかりの美しさを理解した。

 

 

 

 

 様変わりした──もしくは、していないとも言える──初めて訪れた時よりもうず高く積もる灰の量だけが増えていた最初の火の炉。

 旅の終わりを意味するここに再び足を踏み入れた彼とアルドゥイン、そして今代の火防女は、歴代の薪の王の残滓、見方を変えれば王の化身とも言える過去の自分たちを含めた薪の王たちの魂を煮詰めた亡霊を見事下し、三度目の旅の終着点、消えゆく篝火と閉ざされていく闇の中で語り合う。

 

【すべては闇に閉ざされ、世界は終焉を迎える。────ずいぶんと呆気ないものね、世界の終わりって】

 

 アルドゥインが、この長い旅の中で大きく変わった女性的な口調で誰ともなく話し、かつての鱗のように流麗な長い黒髪を手遊びに整え、戦いの内に付いた灰を揺り落とす。

 

【『世界を喰らう者』の発言とは思えないな】

 

 アルドゥインの隣で、積もる灰に腰を下ろしていた不死人が、アルドゥインの言葉を受けて、兜の中でくつくつと笑いを噛み殺す。

 その様子が不服だったのか、アルドゥインは旅を重ねた今も変わらぬ竜の長兄としての気迫を以って彼を睨みつけた。

 

【……あのねぇ。あんたがそうしたんでしょ? それに、人の像で顕現した体が女の子だからって、急に女の子らしくしなさいとか言っちゃってさ】

 

【ああ、そうだったな】

 

 冗談めかした賛同をしながらもくつくつと漏らす声を押し止めることのない彼に、もうひとつ睨みを強めることで対処したアルドゥインだったが、彼もひとしきり笑いを噛み殺すと、暗闇に閉ざされていく視界の中でまっすぐに自分を見つめるアルドゥインの姿を認めた。彼が兜の面を外し、瞳に真剣な光を灯すと、アルドゥインは一拍の後に、小さく呟く。

 

【……でも。……あんたと過ごした旅も……つまらなくは無かったわ】

 

 言い切ったのち、プイとそっぽを向いてみせる彼女に不器用な素直さを感じた彼と火防女は、ふふ、と小さく笑い合った。

 

 ……しかし。

 

 最後の時を待つ最中に、彼は少しだけ明るかった横顔に影を落とした。

 

【そうか。……最後だ。最後の時になって……僕は君に、別れを教えてしまうのか】

 

 別れ。

 尽くした筈の国から受けた地獄の責め苦によって自身の名前を漂白され、只人としては『死んだ』彼の人生。

 世界の終わりまで牢を出ない筈だった彼が不死人として歩んだ第二の過酷な旅路(じんせい)において、いつも側に居たのは、自分を世界を喰らう者であり最強の竜と呼んで憚らない、目の前の黒い少女だった。

 

 彼女は自分と違って、呪いによる不死ではないらしい。

 だから、このまま世界が終われば、彼女の封印が解けなければ。

 

 ────彼女はこの闇の中で、ずっと一人になるのだろう。

 

 彼女と決めていたはずの旅の終わり。

 それが不死の真の使命を全うすることで得られる、すべての先人たちの望む安息の結末でも。

 

 永遠を望むには矮小すぎる、この身であっても。

 

 今更になって。

 『終わりたくない』、と。

 そう思ったのだ。

 

【不死人の使命は終わり、アストラの貴族であった定命の者は、その骨を灰に埋めた。……それでいいのよ。あんたは、もともと人間なんだから】

 

【……私の使命だって、ここで終わり。あんたのお節介の甲斐あって私は『有限』を理解し、星霜の書に呼び戻される時が来たの。……むしろ、あんたが終わらなかったら、あんただけがここに残ることになっちゃうんだからね。こんな時にもなって余計な心配掛けないでよ? 】

 

 対する本人はあっけらかんとしたもので。

 そこにはやはり、時や別れ、その他さまざまな感覚が人とは違う、竜族らしさがあるとも言えるだろう。

 

 だが、アルドゥインはそれでも物憂げに目を伏せる彼に嘆息すると、得意げに微笑んで、指をひとつ立てた。 

 

【あんたに『クァーナーリン』の名をあげる】

 

【なんだ、それは】

 

【征服者、という意味の言葉よ。ドヴ……竜族において、仲間を打ち倒し、その魂を吸収した者のことを表してるの】

 

【僕は竜じゃないぞ】

 

【それこそ、今更よ。竜である私と同一の魂を持っていて、この旅の中で数え切れないほどの不死人や魔物、竜族、神の魂を吸収したのがあんたって人間。そんなあんたは、竜の一員としてこの名を名乗る資格があるの】

 

 彼はうーむ、と知己の独特な鎧を着たカタリナ騎士のようにしばらく思案し、

 

【だが……、名前か。それは、本当に必要なんだろうか。僕はこれまで、無いままにやって来たからな】

 

 彼の本当に解っていなさそうな表情にしびれを切らしたアルドゥインの、

 

【いつまでも『あんた』だけじゃこっちが呼びづらいっての! しかも、私の名付けなんて栄誉を、なんで悩む事があるってのよー! 】

 

 という言葉で我に返った。

 

【確かに……しかし、ファーストネームには長いな】

 

【……なら、これはファミリーネームね】

 

 はぁ、とうなだれるアルドゥイン。

 だが、少し逡巡し、彼に新たな名前を告げた。

 

【『リク』】

 

【風を意味する竜の言葉よ。あなたは今日から、『リク・クァーナーリン』。……これで良いかしら? 】

 

【もちろんだ】

 

 彼……リク・クァーナーリンは、鷹揚に頷いた。

 

 ────名前は、竜にとって特別なもの。

 

 時には在り方そのものを縛る、他の生物よりもよっぽど縁の深いものだ。そんな名前に込めた密かな想いは、竜の言葉を知る自分以外には知られることがないだろう。

 

 ────風とは、空を往く竜と常に共に在り続ける最高の相棒だ、と。

 

 だけど。

 少しだけでも気づいて欲しい、なんて。

 竜だった頃では想像もつかないような、生娘のように淡い想いもやがて、闇の中へと溶けていく。

 

 火防女が祈りを捧げ、側のふたりに言葉を紡いだ。

 

【灰の方────リク・クァーナーリンさま。ありがとう、ございました】

 

 世界が終わる。

 

 同時に、闇の世界に似つかわしくない、アルドゥインだけに見える星霜の書の輝きが彼女を吸い上げ、ムンダスへと魂を引き戻していく。

 

【世界を喰らう者────アルドゥインさま。どうか、お元気で】

 

 火防女はその時初めて見せる、慈しむような微笑みで。

 

【もう君に会うことは、無いんだろう】

 

 兜から伺えるリクの顔は、魂すらも同じくした半身を引き裂かれる想いを隠し切れない、笑顔とも言えない笑顔で。

 

【アルドゥイン】

 

【リク・クァーナーリン】

 

 ただ名前を呼びあった。

 別れは、告げることなど出来なかった。

 別れを告げれば、終わると解ってしまうから。

 

 だが────それこそが、『有限』を知るからこそ込み上がる、尊き星の瞬きに他ならなかった。

 

【さようなら】

 

 時の止まったような静寂を破り、どちらともなく別れを告げる。

 そうすればもう、闇の中にアルドゥインの姿は失くなっていた。

 

 ────アルドゥインが帰還する。

 

 太古の昔に人々を支配し虐げたムンダスの悪夢の再来は、きっと現代に生きる人々にとっては意外な形となるだろう。

 『有限』を知った竜────アルドゥインは、文字通りに生まれ変わったのだから。

 

 

 

 

 時を同じくして、星霜の書の輝きを見ていた人物はもうひとり。

 兜の面を掛け直して篝火を見れば、その中空に光の裂け目があった。

 

【おや────これは、見たことのない光だ】

 

 (アルドゥイン)と同一の魂を持つ不死人。倒したものの魂を吸収し成長する、世界の歴史の元を辿れば神性の人間。ムンダスに倣えば竜の血脈(ドラゴンボーン)とも言える彼。

 リクと名付けられた不死人は、かつて触れた冷たい絵画の世界、またはウーラシールの闇の狭間のように何気なく手を触れ────何者かの見えざる手によって、星霜の書の中へと吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 

 ドラゴンの突破、という言葉がある。

 要は、矛盾したふたつ、または複数の事象が同時に起こることを指す。

 

 今回の事例の最たるものは、

 

『世界を喰らう者が帰還した』

 

 という事実を軸に、実に様々な事象が奇妙な重なりを見せたことと言える。

 

 暴虐な竜の長である、世界を喰らう者。

 『有限』を知った竜族と自称する黒い少女、アルドゥイン。

 そして、竜を滅するドラゴンボーンにして黒い少女を知る者、リク。

 

 我らはドラゴンボーンを補佐する役割にあるが、同時に、ドラゴンスレイヤーとしての根幹を大きく揺さぶられる事態にも直面している。

 デルフィンにも秘してあるこの考察は、私がこの未曾有の事態の顛末を体験するにあたって、きわめて重要な意味を持つことだろう。

 

 

      ────エズバーン、薪木の月29日の日記にて





序章のご読了ありがとうございます。
この小説は、ドラゴンの突破(Dragon Break)というマルチエンディングの解答とも言える設定を軸に、ダークソウル世界とTES世界が歴史レベルでゆるくクロスした世界観で描く物語です。

この序章では、この物語がなぜ始まったかという、本編の前に起きた出来事をざっくりとお届けしました。本編にあたる新たな世界ムンダス(TES原作世界)での物語は次のお話、第一章からになります。
実は既にダークソウル由来の武器や道具などが複数登場していたりするので、探してニヤリとして頂ければ幸いです。もう見つけたよ、という方はそのままニヤリとしていて頂けると幸いです。

また、アルドゥイン(ソブンガルデ立て篭もりつよつよ長男ドラゴン)がアルドゥインちゃん(気の強い系不器用ツンデレ黒髪美少女)になるのは口調変更を含めて今後の展開に密接に関わってくるので、決して私欲ではございません。
まぁ、でも……ツンデレ黒竜かわいい……かわいくないですか? (私欲もあります)

お気に入り・評価・感想はどんと来いです。お書き下さるのをお待ちしていますね。


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第一章
降り立つは風のように


 タムリエル大陸最高峰の霊山、世界のノド。

 そこへ遥かなる時代に三人の英雄が手にした星霜の書によって刻まれた『時の傷跡』。

 空間の裂けたような歪みとして今もなお目に見える形を残すそれが、数千年をゆうに跨いだ果てに、大きく揺らめいていた。

 

 異変にいち早く気付いたのは、世界のノドの頂上にて深い瞑想に心を沈み込ませていた一匹の老竜だった。

 老竜は黄緑がかった体躯を震わせ、閉じていた口をおもむろに開くと、焼け付くような感嘆の含まれる吐息を漏らした。

 

『オォ────』

 

世界を喰らうものが帰還した(アルドゥイン、ダール)

この次元に終焉を導きに(ディノク、ドログ)

 

 時の竜神の直系であることから、時間に親しい特性を持つ竜族の眼で時の傷跡を眺める彼は、揺らめいた曖昧な時の流れを読むことで、遠くないうちに起こるであろう出来事への知見を得る。

 時の狭間に封印された自身の兄が、悠久とも言える時間を掛けて僅かに綻んだ封印を抜けて、ムンダスへと降り立つ、という未来の知見を。

 

 名をパーサーナックスというこの老竜は、世界を喰らう者(アルドゥイン)の弟に当たる。

 残酷な大君主(パーサーナックス)の意味を持つその名が与える破壊衝動を瞑想によって抑え続けるという、並外れて理性的な心を持つ竜でもある彼にとって、兄の帰還は正直に言って素直に喜べる類いの物ではなかった。

 それは兄の帰還、すなわち世界の終わりを意味するこの時まで来ても理解し合えなかった自身と兄の関係や、この土壇場と言える時になってまで、理性は持てどついに悟りを得る事はなかった自分という存在の是非について、少し思うところがあるからだった。

 

『……』

 

 久方ぶりに沈んでしまった心を持て余しながら時の傷跡を眺めるパーサーナックスは、直後、眼を大きく見開いた。

 

『……誰か……遅れてやってくる者も居るようだ(サラーン、ヴァンミンドラーン)

 

 自身の眼が映しているのは、自身の兄であるアルドゥインの帰還であったはず。

 自身の予言とも言える知見が外れたことのないパーサーナックスであったが故に、この結果はとてもではないが、信じられなかった。

 

これは……竜の血脈か? (メイズ……ドヴァーキン? )

いや……もしや……兄者、なのか? (ニー……エール……アルドゥイン? )

 

 そこに映るのは、自身の知る暴虐な竜の長兄としての『世界を喰らう者(アルドゥイン)』の他に、竜族(ドヴ)の魂を人の器に嵌め込んだような、竜にとっては異形と言える黒い髪の少女と、その傍らに佇む、色あせた鎧を着込んだ騎士の二人組が星霜の書を通じてこの世界へと来訪する様子が映っていた。

 

 パーサーナックスは直感する。

 眼前へ同時に映ってゆくのは、懐かしき竜の長兄、黒い少女、灰の騎士。

 彼らのすべてが、兄者(アルドゥイン)に違いないのだ、と。

 

 一体、どのような因果があればこの様になるのか。

 長兄が突然三()に増えたらしいパーサーナックスは驚きのままに眼を瞠り、しばらく放心する。

 

 そして、近い未来で起こる現実について一旦整理する為か、考えに一旦区切りをつける為か。

 彼は暫しの間、深い瞑想に入ることにしたのだった。

 

 

 

 

 篝火は、不死に故郷を思わせる。

 彼にとっての故郷は、兄弟と何ひとつの気兼ねもなく話せていた子供の時分に静かに寄り添っていた、暖炉の薪を燃やす黄金(こがね)色の炎だった。

 それはあまりに遠い昔で、兄弟だったはずの彼らの名前も、いまや思い出す事はできない。

 だが、心の折れそうな時にはいつも、篝火に座り込んではそれを思い出し、耐え凌いで来た。

 

 陰る記憶の炎が灰と消えぬように、これだけは、この不死の使命に奪わせないと主張するように。

 

 しかし、いつの日か。

 螺旋の剣が人であった頃の記憶を霞ませ、不死人として生きる、新たな記憶の蝋で暖かな記憶は上塗られていった。

 

 篝火は、不死に故郷を思わせる。

 それはいつも、忘れ難い思い出を薪に煌々と炎を揺らめかせていた。

 

 ────だからこそ。

 

 不死人は過去を火に焚べて、もう一度だけと旅に出る。

 火の消えかかる世界ならば、どこへでも。

 未知の暗闇に道を見つけ、通った道を明るく照らす。

 闇を知る彼らは、闇は暗く恐ろしいものであることを誰よりも知っていたから。

 後に続く者たちに、暗い道で怯えて欲しくなかったから。

 

 それは闇のソウルを見出した、原初の小人の時代からも同じことで。

 つまるところ、自分(人間)たちはいつの時代も『そういうもの』だったらしい。

 

 

 

 

 ────そう使命を語る不死人に、原罪の探究者は答えた。

 

 否、と。

 

 

 

 

 光を抜けると、そこは雪景色だった。

 ……と、言うよりも、雪に身体が埋まっていた。

 

 彼、リクと名を改めた不死人は、前回である三度目の旅の始まりを思い出し、雪から這い出るようにして身体を起こし、雪を軽く払う。

 

 まずは装備を確認すると、例によって集めていた数々の武具はどこぞの者に盗られてどこにもある気配がない。

 着ていた甲冑まで剥ぐのは心苦しかったか、単に着古して褪せた灰色のこれが見窄らしく金に代えられそうになかったからか、アストラの上級騎士にのみ下賜される、着慣れた騎士甲冑のみが無事であったが、底なしの木箱すらも見当たらず、これらを盗った賊はさぞ楽に持ち運べたことだろうなと、剣や盾もろくにない現状にただ苦笑するしかなかった。

 

「……だが、これがある」

 

 気を取り直したリクは、深い呼吸により集中力を整えながら、炎への畏敬を意識し、手のひらに僅かな力を込める。

 すると、彼の手のひらの中には小さな火種が現れ、パチパチと小さな破裂音を立てていた。

 

『呪術の火』

 

 それはリクにとって、どの旅においても頼りになる相棒だった。

 毎度のごとく根こそぎに剥がれる武具の数々とは違い、古い友人である大沼のラレンティウスから受け取った呪術の火のみはいつも、自分の中に息づいた技術そのもので、盗まれることは決してない。

 もちろん、長い眠りに伴って全盛期には程遠い水準まで火の勢いは落ち込んでいるのが常なのだが、これがあるだけで、全くの無手よりも段違いに出来ることは多くなるのは間違いなかった。

 

 自分についての現状確認が終われば、次は周囲の現状確認が待っている。

 リクが辺りを見回すと、そこは疎らな木々の中に雪除けの施された山道で、近くには何か国境などを隔てているのだろう、それなりにしっかりとした門を構えた関所があった。

 これまでに学んだ旅の心得に従い、とりあえずは人の居そうな場所で情報を得ようと関所に寄ることにしたリクは、いざ往かんと歩みを進めようとした矢先、おい、という巨人の上背のように高い見張り台から聞こえる男の声に呼び止められた。

 

 それに答える間もなく、瞬きの間には既に、揃った足並みに揃いの武具で武装した数人の兵士たちがリクを油断なく取り囲んでしまっていた。

 

「首長の命により、止まれ! ここは現在、公務により封鎖中だ」

 

 兵士のひとりが威圧的な口調でリクへと声を掛けてくる。

 もともとアストラの貴族の出であったリクは、その言葉から『首長』なるこの地の領主の存在を認め、事情説明の前に敵対されても厄介だと観念し、その両手を上げた。

 

 兵士たちが警戒しつつ、まじまじとリクを見つめる。

 

「見たところ、ヘルゲンの出じゃないな? 」

 

「アストラ。騎士が有名だ」

 

 出身を尋ねる意図の兵士の問いかけに、リクは何の気なしに答える。

 それを聞いた兵士たちは小さく彼らで目配せし、眉を顰めた。

 

「アストラ? ……そんな国も街もない。話したくない事があるのなら、せめてもう少しマシな嘘を吐くんだな」

 

「……いや、そんな筈はない……筈だ」

 

 リクは高名な騎士を数多く生み出した英華の国の名の通りの悪さに驚き、冗談を言っているような雰囲気でもない彼らに、四度目にして彼の国もついに滅び、名前すらも忘れ去られたのかと、いまは失われたのであろう自身の故郷を内心で小さく悼んだ。

 

「それに……その鎧は何だ、よそ者」

 

 埒のあかない質問に時間は割けないと、兵士たちの興味はリクの装備していた鎧へと移される。

 リクの愛用する鎧は、前述したようにアストラの上級騎士にのみ与えられる、洒落た装飾が施された一級品の鋼鉄の鎧だ。それは使い古しによるものか灰色に褪せた様子ではあるが、このような関所で右往左往するような浮浪者まがいの男が持つには、それでもなお豪奢に過ぎていた。

 兜で隠した顔からは身分や種族なども伺えず、先ほどの問答に対応した際の怪しさも相まって、兵士はリクを、この鎧を持っていたのであろうどこぞの貴族を襲った追い剥ぎの類いと断じて身柄を確保する事にし、それにしては抵抗の意思を感じさせない彼をいささか奇妙に思いながら武装を解かせ、手枷を嵌めていった。

 

 ──事実、彼の鎧も元々は同郷アストラの上級騎士オスカーのものであり、彼から直接譲り受けたとは言え、厳密には他人の物には違いないので、彼ら兵士たちの認識もあまり間違ったものではないのだが。

 

 

 武装解除の際にリクが兜を外すと、黒から脱色をしたようなグラデーション気味の灰白色の髪を持つ、顔の特徴から種族を判別しづらい顔立ちの青年が現れると、兵士は怪訝そうな顔を隠さず、

 

「ノルドか……いや、ブレトンか? 」

 

「若いが、生まれつき髪の白みがかったインペリアルだろう」

 

 などと、種族に関して小さく話し込む一幕もあった。

 

 そして、武装解除が済み丸腰となったリクは、その最中に通りがかった、甲冑を着込んだ騎兵を連れた物々しい雰囲気の馬車に押収品扱いとなった自身の鎧とともに乱雑に載せられた。どうやら、近場のヘルゲンという場所でこの馬車やそれに連なった数組の馬車たちに載っている人物らの処刑が行われるので、居合わせた不届き者もついでに執行してしまおう、という事のようだった。

 

 しかし、その会話の中でリクにとって気になる言葉が一つあった。

 

 処刑、もしくは死刑。

 罪に対して死を以て償いとする罰のことだ。不死人となったおかげでとんと出会う機会のなかったそれと思わぬ再会を果たしたことに、リクは今回の旅の異質さを感じ取る。

 

 死そのものが刑として存在するということは、要するに、死が償いとなるほど重い価値を持つ文化があるという事になる。

 

 それは一般的には当然のように思える荒唐無稽な結論だが、不死人の旅においては死など一切の価値はないのが通例で、後生の頼みという言葉も不死人の間では定番の冗談として楽しまれていたし、旅の途中で不意に死のうとショックはなく、篝火によって蘇るまでの間に今回の死の原因について即座に究明を始める程度には、不死人は死ぬ事に慣れきっていた。

 だからこそ、不死人である自分が旅をする土地に死刑制度があるという事実は、リクにとってカルチャーショックとも言うべき現象だったのだ。

 

 しかし、だからこそ。

 自分が途方もなく長い時間をかけて達成した不死人の使命の終わりも、よく実感できるというものだった。

 なぜなら、この旅の始まりには不死でない人間が居て、篝火も火防女も、いっさい絡んでいない。

 

 つまり、不死人は今、この世界に存在しないと言うことができるかもしれないのだ。

 探せば居るのかもしれないが、おそらく自分のような、篝火と使命に囚われるような形ではないだろう。

 

 ……だが。

 そうなると一つ、疑問として浮かぶ事があった。

 

 今の自分は、不死人か否か。

 

 ──次に死ねば、生き返る保証はどこにある?

 

 そう考えてしまうと、また篝火に戻るだけだと遠い出来事のようにどこか楽観視していた『処刑』の二文字への実感が、リクの胸中にじわじわと込み上げていく。

 

 死への楽観は死を招く。

 やや不当に思える処刑の憂き目から逃れるため、馬車の中でリクは考えに没頭するのだった。

 



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素性問答

 ガラガラと路上の小石を弾きながら揺れる馬車の上。

 

「新入りか、歓迎するよ。ソブンガルデには大勢で乗り込んでやった方が楽しく逝ける」

 

 同乗してきたリクに、手枷を嵌められていながらも快活に笑い飛ばす豪傑の名はレイロフ。

 ヘルゲンへの道すがら聞けば、彼はストームクロークという、故郷を取り戻すための反乱軍といった風情の私設軍隊に所属しているようで、聞けば自分の横にいる口枷を嵌められた男がその反乱軍を率いていた指導者、ウルフリック・ストームクロークその人であるらしい。

 

 口枷の彼、ウルフリックは反乱軍の求心力向上や帝国への見せしめ、ノルドとしての気風など様々な観点から、このタムリエル大陸は北方、スカイリム地方の首都、ソリチュードの王宮へ押し入ると、『シャウト』と呼ばれる声の秘術によって、親帝国派の上級王トリグという、事情は複雑なものの有り体に言えばウルフリックから見て敵方となる王を殺してしまったそうだった。

 

 かなりの量の固有名詞が出るものの、不死人の秘儀であるソウルの業によって記憶力を強化していたリクは余さず重要な情報を記憶し、自分の中でまとめながら頷き、

 

 ────そりゃ、処刑されるだろうな。

 

 と、心中で独りごちた。

 異なる文化間の諍いというのは世の常であり、どちらも譲れぬ場合も多くあるものの、ひとたび死が関われば大体の場合、良い事がある方が少ないものだからだ。

 

 もちろんこの暴挙に帝国(シロディール)の心中も穏やかではなかったようで、これらを踏まえつつ改めて観察すれば、馬車を警戒する兵士はみな帝国軍所属であり、ときおりウルフリックに対して極端に敵愾心を顕にした眼差しを向けている理由も同時に理解することができていた。

 

 ひとしきり話せば、自然と話題はレイロフとウルフリックらから他の同乗者へと移る。

 レイロフの横にいた、襤褸を着た怯える小男はロキールと言い、馬泥棒で捕まったまま通りすがったこの馬車に連れられることになったらしく、つまりはこちらとよく似た境遇の、所謂『ついで』の犯罪者のようだった。

 

 ロキールはリクやレイロフと話す中で極限の状況における連帯感のようなものによって少しだけ打ち解けると、奇妙な同乗者、リクについて気になっていたことを彼にぶつけた。

 

「そういや、あんたの故郷は何だ? 見たところ、ノルドに近いが……直毛で色白、そして黒から灰になったような髪色なら、そうだな……ブレトンか、インペリアルか? 」

 

「そんなところだ」

 

「おい、その曖昧な態度はやめておけ。このスカイリムの極寒の地は、よそ者に冷たい風を当てるぞ」

 

 歯切れの悪い返答に、レイロフが横から眉をひそめながら諌める。

 リクはふむ、と頷き、先ほど聞かされた種族……人種や民族とも言い換えられるこの地の一般常識においての自分はどこに属するべきか、思い切ってレイロフに尋ねてみることにした。

 

「そうだな……実際の所、わからないんだ。なにぶん混ざりものでな。この……スカイリムでは、どう立ち回れば都合が良さそうだろうか」

 

「なるほど、事情ありか。いいさ、どうせ処刑者名簿の記帳までしか名乗らないんだ。ここでは、そうだな……ブレトンだ、と言っておけばいい。主にハイロックに住んでいる、エルフどもとの混血が先祖の怪しい薬屋や魔術師の種族だと思われているから、お前くらいの怪しさはむしろブレトンらしいと許容されるだろう。……あとは、魔法は魔法でも回復魔法があれば、大抵の場所でお前は敬意を持って受け入れられるだろうな」

 

 レイロフは処刑までと言いつつ、今後の展望にまで軽く言及する。

 それは生来の優しさや兄貴肌ゆえだったが、処刑の前という状況にあってはむしろ、一種の皮肉にもなっていた。

 

「回復魔法は使える。……そうだ、傷ついた兵士を癒やして助命を頼んだりなんて、」

 

「臆するな。いい加減に覚悟を決めておけ」

 

「そうか」

 

 リクの発言を弱腰と捉えたのか、ふんと鼻を鳴らしては古巣であるヘルゲンの町並みに思いを馳せる事にしたらしいレイロフにリクは言葉を続けず、ぼんやりと空を見た。

 太陽は陰りなく。これから起こる血なまぐさい処刑も知らずに、鳥が悠々と飛んでいる。

 

 この世界は不死人が居ない。

 そんな状況で自分がまだ不死人のままなのではないか、という楽観はそろそろ捨てたほうが良いのだろう。

 

 このままでは確実に死ぬ。

 

 だが、ここでただ殺されてしまうのであれば。

 それはあまりに、甲斐のない人生じゃないか。

 

 ────自分はまだ、生きていたい。

 

 生物として当然の、不死人としては無駄に過ぎて切られていた本能の火が静かに灯ると、人として早すぎる死を迎えないために、リクは方策を考える。

 

 武装解除をされた今も、その手に直接宿る呪術の火を使えば今すぐ逃げることも出来なくはない。

 だが、強硬手段に出るにはまだ早いと感じていた。

 なにしろ、逃げたところで知っている場所など、自分にはまるで無いのだから。

 

(処刑の直前に鉄の身体を使う……刃は通らないが、自由に動けなくなるから却下だ。惜別の涙……は触媒もないし、どのみち念入りに処刑されるのがオチだ)

 

 判断しようにも少なすぎる情報量に、思考が堂々巡りになっていた頃。

 レイロフがこちらを見ていることに気づくと、リクは気のない返事を返した。

 

「新入り、お前はどうだ? 」

 

「何のことだ」

 

「お前の名前と、故郷だよ。聞いていなかったからな」

 

 レイロフはそう言うと、ゆったりとこちらの答えを待っていた。

 

 名前と、故郷。

 

 ────故郷(アストラ)は亡くとも、名前ならば、ある。

 

 愛すべき友人から贈られたその名前を、初めて人に向けて口にした。

 

「リク・クァーナーリン」

 

 その名を声に乗せて口にすると、はじめからそうであったかのように、名前が身体に、魂に馴染んでいくように感じる。自分に名乗る名があるという久しくも懐かしい感覚は、存外に悪くない心地だった。

 

「故郷は……ハイロックだ。ブレトンだからな」

 

「ハイロックはたったいま俺が教えた場所だろう。……だが、リク、か。いい名前だな、友よ」

 

 この時、レイロフの何気ない一言と小さく漏らした笑みが、この四度目の旅において初めて、ゆっくりとリクの心を動かした。

 

 ────そう言えば、名前を褒められたのは初めてだ。

 

 故郷で自身にまつわるすべてを漂白するための拷問を受け、記憶から強引に消された自身の名前。

 その代わりにと三度目の旅の終わりに授けられた、愛すべき尊大な友人からの贈り物。

 

 そんな自分の名前を褒められることは、存外に悪い気はしないもので。

 その名を呼ばれる度に、今は何処ともしれぬ元の世界へと戻ったらしい友人の気配を、リクはこの四度目の世界の何処かに感じる気がしたのだった。

 

「────さぁ、着いたぞ」

 

 聞き逃していたレイロフやウルフリック、ロキールの故郷について聞いていたら、馬車が砦の中で横並びに停まった。

 

「なんだよ、なんで停まるんだよぉ!! 」

 

「どう思う? ……一巻の終わりだ。最期くらい覚悟を決めたらどうだ? こそ泥」

 

 憔悴するロキールと落ち着き払ったレイロフ。

 対照的なふたりをよそに、リクは口枷を付けたウルフリックと同じように、言葉少なに馬車を降りていくのだった。

 



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災禍

「ウィンドヘルム首長、ウルフリック・ストームクローク」

 

「リバーウッドのレイロフ」

 

「ロリクステッドのロキール」

 

「俺たちは反乱軍じゃない、止めてくれぇッ! ────!? 」

 

 羽ペンと処刑者名簿を携えた軍人の男に名を呼ばれたロキールが青ざめた顔と震える足取りで逃走を図り、足が縺れた一瞬に合わせて背後から急所に弓矢を射掛けられ、小さな呻き声を残して絶命した。

 

 あまりにも呆気ない最期の瞬間を迎えたロキールから人間性の混ざった黒いソウルが霧散し、空へと溶けていった。

 

 ソウルの放出が先程まで言葉を交わしていた人間の死を無慈悲に確定させる。

 不死人であるリクをして、突き付けられるようなそれには未だ応えるものがあった。

 

「他に逃げたい者は? ……では、続けましょう」

 

 囚人たちが眉を顰める中、将校らしき女性は囚人たちを一瞥すると、軍人の男に作業を続けさせた。

 そして、いくつかの人間を呼び、リクの番になった時、男は確認の手を止めた。

 

「待て、お前は……リストにないな」

 

 男がリクを見つめると、将校の女の催促に流されて名簿に何やら書き足し、憐憫を含んだ視線をリクへと向けた。

 

「すまないが、お前の故郷が俺には判断できなかった。しかし、こちらで最大限の手を尽くして故郷へ遺体を送り届けることを皇帝に誓うよ」

 

「……助かる、とは言えないな」

 

 リクは男に会釈すると、空いていたレイロフらの隣へと静かに並んだ。

 

 しばらくして、処刑台の前にずらりと人が立ち並ぶ。

 単調な旋律で行われる僧侶(アーケイという神に仕えているようだ)の祝詞が斧で首を断つ際の鈍い音で断続的に掻き消されながら、処刑は進む。

 

 リクは焦りを覚えていた。

 文字通り死んで覚えた経験の蓄積によって保たれ続けるようになった平静さとは裏腹に、リクの心臓はドクドクと早鐘を刻んでいる。

 

 生きていたい、とここまで強く思ったのは、リクが不死人になってからの長い旅路において、初めてのことだった。

 

 だが、それは死そのものへの恐怖というよりはむしろ、死ねばこの先に待つ何かに出会えなくなる、という一種の直感に近いものに基づいていたという事は、今のリクには知る由もなく。

 

 今はただ、自分に死への恐怖というものが残っていた事に静かに驚くとともに、強硬手段以外の解決策を見出せない自分の脳足りぬ有様に大きな諦念を抱えるのみだった。

 

「次の囚人、前へ! 」

 

 将校の女がリクを指して処刑台へと来るよう促す。

 

 ──オォ────。

 

 ほぼ同時に、大きな咆哮が響き渡り、みな一様に空を見上げる。

 

 やけに聞き覚えのあるその声は、長い旅路の中で度々対峙した竜たち、そして、『彼女』を想起させた。

 

「次の囚人と言った筈よ! 」

 

「ああ、わかってるさ」

 

 この世界にも竜は居るのだろうか。

 

 そんな考察に耽る間もなく、将校に呼ばれたリクは処刑台へと向かい、ゆっくりと頭を垂れた。

 頭と胴体の分かれた兵士たちの遺体が彼らの血の池に浸された、死を扱う冷たい台に横たえさせられたリクは、死亡による経験則と戦闘による問題解決能力が何より必要とされた旅路において、ともすれば只人よりも磨かれず錆びついてしまったのかも知れない自身の危機回避能力に辟易した。

 

 そして、この場を去るには最善手であり今後を鑑みれば最悪手となるであろう強硬手段による脱出をせざるを得ないと判断し、せめて被害は最小限にと手のひらに呪術の火を燻ぶらせ、気づかれぬよう内側から荒縄の手枷に火をなぞらせてゆく。

 

 ──オォ────。

 

 心なしか、先程よりも近づいた咆哮が聞こえる。

 機械的な処刑人の斧が振り上げられる直前、手枷がボロボロと焼け落ち、

 

 その、直後。

 

『────ア、ァ───ッ!! 』

 

 ヘルゲン中を揺らすほどの衝撃が、処刑人の構えを大きく崩す。

 時を同じくして手枷を焼き切ったリクは台から跳び退き、間一髪で処刑を免れた。

 しかし、衝撃は一度だけに留まらず、二度、三度と雷鳴のような咆哮が轟く。

 

「いったい、何が起こったんだ……! 」

 

 誰からともなく発されたその声が、この場の総意を代弁していた。

 

 誰も、何も理解できぬまま。

 咆哮とともに繰り出された衝撃波によって、リクを含めた人々は為す術もなく吹き飛ばされていった。

 

 リクの全身に鈍い痛みが走る。

 明滅している視界が幻のような赤を所々に映す。

 いやに耳が遠くなり、自分の周囲の空間がきっちり片半分ほど削り取られたように感じる。

 

 リクの意識は、いますぐ気絶しそうな程にぐらぐらと揺れていた。

 

 

 

 

「……い、おい、リク! 」

 

 一体、どれだけの時間が経ったのか。

 誰かに頰を叩かれ、僅かに意識の戻ったリクが痛みに耐えながら身を起こすと、そこにはレイロフの姿があった。

 

「目が覚めたか」

 

 リクを慮るように眉根を下げて声をかけていたレイロフは、次いでリクの肩を担ぎ、体を起こさせた。

 

「歩けるか? 」

 

「ああ」

 

「良かった。こんな所にいる場合じゃない、まずは建物の中に入るぞ」

 

 レイロフはちらと空を見上げると、リクを先導するように駆け歩く。

 朦朧としていた意識とぼやけた視界がある程度まで戻ったリクはレイロフに追従しながら周囲を見渡す。

 リクが意識を失っていた間に、ヘルゲンは先程までと全く異なる様相を呈していた。

 

 赤黒く染まった空から隕石が降り注ぎ、ヘルゲンの砦を容赦なく破壊していく。

 唐突に災禍へ投げ出され逃げ惑う無辜の市民、混沌とした状況の中で指揮を執る帝国軍の兵士、これ幸いと脱出を図る囚人たち、修羅場に遺された金銭を嗅ぎ付けて現れた山賊たち。

 

 そして、最たるものと言えば。

 この混沌とした戦場を作り上げたであろう存在が今も空中にて咆哮を上げ、口から炎を断続的に噴き出しながら飛翔しているということだった。

 

 竜。

 腕を翼とするその姿から、特に飛竜と形容すべき異形。

 

 世界最古の生命である古竜の子孫にして、どの生物より神秘を秘めた生ける災害のような彼らなら、なるほどこの地獄を作り出すことも容易なのだろう。

 

 対峙してきた竜の中でも、特にカラミットを思わせる黒竜は、次の目標を定めたのかリクたちの側から別の兵士たちの集団に飛び去っていく。

 その光景を尻目に、リクはレイロフの示したストームクロークの緊急の拠点、まだ破壊されていない監視塔へと駆け出していくのだった。

 



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嵐衣の熊

 

 避難した塔には、馬車に捕らえられていた十数人のいずれ劣らぬストームクロークの精鋭兵士と、その長ウルフリックの姿があった。

 レイロフに連れられてやって来た、この場においては唯一の部外者であるリクの姿はやはり見咎められる事となったが、そのような些事よりも余程逼迫している現状について話すために、彼らストームクロークは疑念を話題の端に追いやっていた。

 

「首長、あれは恐らく、伝説の……」

 

 レイロフはウルフリックに一礼して進言する。

 しかし、ウルフリックは言葉を遮るようにして、

 

「伝説は村々を焼き払ったりはしない」

 

 と、これは現実に起こった惨事であると言外に告げる。

 

 ウルフリックは突如起こった未曾有の事態を正しく受け止め、現状において最善の手を掴むべく、既にその優れた頭脳を働かせ始めていた。

 そして、簡易的な作戦を即座に打ち立てては伝達したのち、獅子のように鋭い視線をリクへ向け、彼を見定めるように言葉を投げた。

 

「リクと言ったな。お前は何が出来る」

 

 作戦内容について大きな引っかかりも覚えず、部外者であるために無用な衝突を避けて押し黙っていたリクだったが、ここでやっと口を開くことを許され、ウルフリックを含む多数の観察の目に気負うこともなく答えた。

 

「武器があれば戦士を。触媒があれば魔術師を」

 

 リクの言はかなりの大言壮語ではあったが、それが事実であるとばかりに言い切った彼の胆力に免じて、ストームクロークらは一応の合意を示した。

 そして、リクに対して自身が抱いた直感を信じる事にしたウルフリックは、この修羅場にて必要になるかもしれないと馬車から持ち去っていた上級騎士の甲冑一式と、自身の予備であった、現代において最高の鍛冶場であるスカイフォージにて鍛えられた鋼鉄の剣と盾、さらにスタンダードな木製のロングボウと鉄の矢束をリクに渡した。

 

「ならば戦士だ。ノルドは偉大な戦士にこそ敬意を払うものだからな」

 

 戦士が戦士に武器を渡す。

 ノルドたちはその行為をとりわけ重要視していることを先程の馬車の中の会話にて察していたリクは、無言で頷き、素早く装備を整えていく。

 その順序は手慣れており、それは自然と、彼が先程の言の通りにかなり場馴れした人物であるという事の証明にもなっており、予備であるものの、武具を下賜する事に決めたウルフリックの直感にさらなる説得力を与え、これなら使える兵の数に加えられるだろう、と概ねの兵士たちに改めて判断されるに至った。

 

 しかし、「おい」というウルフリックの声に対して装備を整え終えたリクが振り向くと、ウルフリックはリクへ質問をひとつ投げ掛けた。

 

「お前の鎧だが、逃げ傷が妙に多いのが気になった。……本当に戦えるのか? 」

 

 最後の確認。

 それは目の前の男が臆病風に苛まれた退役兵などである可能性を考えた物で、恐れなき前進を是とするストームクロークにこの場で一時的に数えるにあたって、最も重要な事項でもあった。

 リクはウルフリックの質問に間髪入れずに答える。

 

「戦えるさ。……それと、この逃げ傷だが────どちらかと言えば、死に傷だ」

 

 リクは得意げにそう言うが、これに対する、ストームクロークらの反応は芳しくなかった。

 と言うよりも、彼らを取り巻く雰囲気に、冷たい呆れが混ざっていくように感じられた。

 

「……おい、それはもしかして冗談か? 」

 

 リクは、不死人である事を生かしたジョークを放った。

 しかし、ストームクロークの兵士たちは不死ではないが故に、笑いどころが判然とせず、全く通じなかったのだ。

 

 彼らを代弁したレイロフに突っ込まれる事で滑りを自覚したリクだったが、既に兵士たちはリクに興味をなくし、既に作戦の準備に勤しんでいる者も現れていた。

 

「うーん……3点、と言った所だな」

 

 一人で先程のジョークに採点をしつつ頷くリクにレイロフは呆れの表情を隠せずにいた。

 

 だが、奇妙な冗談を飛ばす程度には余裕を持ち、精神的に安定しているのだろうと思考を切り替え、作戦に万全を期すべく、リクに武具の手入れについて声を掛けた。

 

 しかし。

 

 その場においてウルフリックのみは、その答えの端に表れた確かな戦場への自信を逃さず汲み取っていた。

 

 



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不死から最も遠い者達

 準備が整い、監視塔にて整列するストームクローク兵士の前に立ったウルフリックは、息を吸い込み、声を大きく張り上げる。

 

「俺について来るがいい!! 」

 

 声だけで人間を殺してみせたというのも納得するような、恐ろしく通りの良い声で号令を響かせたウルフリックは、監視塔の扉をその手に持った斧で打ち壊すと、彼らの旗印である熊にも劣らぬ勢いで、ストームクローク達がなだれ込んでゆく。

 

 リクが彼らに続いて扉をくぐると、そこは焦熱と断末魔の響く、地獄のような戦場が広がっていた。

 

 焼けた木材、鉄、肉の悪臭に黒煙。

 戦場の片隅には、蛇のごとく影響力を伸ばす炎の勢いに巻き取られたのであろう焼死体がいくつも転がっていた。

 

「民間人を避難させろ!! 帝国軍が邪魔をすれば殺せ!! ドラゴンには手を出すな!! 」

 

「応ッ!! 」

 

 ウルフリックの号令に、ストームクロークが揃った雄叫びを返す。

 ストームクロークの第一目標はここからの脱出だが、それを実行する前に、目的がもうひとつ存在していた。

 それは、ヘルゲンに取り残された生存者を救出し、ストームクロークの支持層に帝国領の人間からなる新たな層を取り込むことを狙う、というものだ。

 

 つまるところ、帝国軍がいずれ崩壊するであろう厳しい戦況を維持している間に、彼らの護る人々を先に救出してやろうという事だった。

 

 もちろん、帝国軍からしてみれば広義の火事場泥棒のような所業に等しい。

 しかし、それによって救けられる人々にとっては、帝国もストームクロークもない。

 少なくとも、命を救けられる人々の数が大きく増えることだけは確かだった。

 

 ウルフリックは軽装を活かした身のこなしで焼け落ちていない民家の屋根に飛び移り、出来るだけ視界を広く取る。

 戦場を俯瞰したことで彼はより的確な指示をストームクロークらに飛ばすと、リクとその側に付かせていたレイロフへ向けて、

 

「お前たちは遊撃だ、好きに暴れておけ! 」

 

 と、戦場の渦中を指で差した。

 そこには、鈍器で打たれたのか腫れ上がった足が折れ曲がり、痛みと恐怖に泣き叫ぶ子供と、いったい何処から現れたのか、火事場泥棒にやってきたのであろう山賊たちが民家を物色している様子が見えていた。

 

「俺たちも行こう、友よ」

 

「ああ」

 

 初めて手を組み、共闘する相手であるリクを励ますべく、レイロフは声を掛ける。

 しかし、リクは励ますには及ばず、既に臨戦の気合と共に、感覚を張り詰めさせていた。

 

 

 

 

 二人での共闘は円滑に進んでいった。

 

 崩落した民家や塀に阻まれ行き場を失った民間人のために道を空け、帝国軍の兵士と無闇にトラブルを起こさぬよう避けつつ脱出への道順を手引きするストームクローク兵に引き渡す。

 引き渡しが終われば次へ、また次へと繰り返す。

 時に、家族の死に耐えきれず暴徒と化した民間人や、火事場泥棒にやってきた山賊たちを息の合った連携によって迅速に鎮圧し、民間人は救助し、山賊はとりあえずの対処として、気絶させられる程度の者は気絶させて戦場の外へと放り出し、時には刃を交える中で彼らを殺すこともしばしばあった。

 

 戦いの中で殺しを行っているのはレイロフだった。

 ノルドらしい斧術は当てどころによっては致命傷で済まないことも多いためだ。

 

 しかし、斧よりも単純な威力が劣るとはいえ、同じ鋼鉄の塊である剣で斬っておきながら死者を出さず、むしろ、確実にとどめを刺せる場合においてもなお致命打を与えないリクにレイロフは若干の懐疑を覚えていた。

 

 レイロフの考えでは、修羅場に自ら望んで入った以上、自分だけは死なないと高を括って略奪を敢行した彼らに問題があったことは明白であると考えているし、リクも戦士として在る以上、互いの命を奪い合うことなど覚悟の上であろうと思っていた。

 

 だが、言葉に出さぬ迷いは、澱のように僅かずつリクの心へ積み重なっていった。

 

 ────重い鋼鉄の剣を事も無げに扱い、風を切りながら二人の剣を弾き、一方の首と肩を一気に袈裟斬りにする。

 咄嗟に盾を構えたもう一人を蹴り込んで体勢を崩し、皮製の鎧を細身から出るとは思えない筋力によって突き通し、腹部から脇腹にかけて斬り払うことで致命の一撃を与えた。

 

 見るも鮮やかな立ち回りを演じ、鮮血によって赤く染まる灰の騎士。

 レイロフは残りの一人を始末してからそれを観戦していたが、歴戦の勇士であるレイロフから見ても、その戦いぶりは相当な技量と経験を感じさせるもので。

 いまは兜に隠された、青年に差し掛かったばかりにも見える容姿にそぐわぬ熟達した立ち回りにレイロフは都度、舌を巻くばかりであった。

 

 だが、当の本人であるリク自身は、倒れ伏し、ピクピクと痙攣する山賊たちを見下ろしながら、静かに憂いを帯びていた。

 

「……人間同士、か」

 

 殺し切ることは難しく、命を奪い合うこと自体がある種不毛とも言える不死人の戦いとは勝手の違う、殺し殺される人間の戦い。

 その僅かな差に意識を掻き乱されるリクの背中を、レイロフが軽く叩き、流れるように肩を組んだ。

 

 戸惑うリクに、レイロフはまるで兄弟に話すように優しく、あえて冗談めかしたように励ましの言葉を掛けた。

 

「命は一つしか無い、使い方は俺たち次第だ。────それに、ドラゴンと正面切って戦うよりはマシだろう? 」

 

 レイロフがニヤリと口を歪め、親指で上空を差す。

 リクは手を組んだ男レイロフの、戦場における胆力と気負いのなさに感嘆する。

 こと人間同士の戦いにおいての覚悟は、レイロフの方が一枚上手のようだった。

 

 リクは浮ついていた意識を戦場に戻すと、深く頷く。

 

「ありがとう、レイロフ。この調子で、脅威に晒された人々を救けよう」

 

「そいつは良い。まるで子供の頃に婆さんから聞かされた騎士様のような清廉さだ」

 

 レイロフはからかうような口調でリクに言葉を返す。

 リクは、レイロフを先導するべく次の目標へと向かう道すがら、それに答えた。

 

「……僕は、人間を殺したり、死なせたりすることは苦手なんだ。怪物退治のほうが気楽でいい」

 

「そいつは良い。ドラゴンを撃退すれば、この戦場もいますぐ落ち着くだろうさ」

 

「だが、今は命を奪われかけている人々を救けるのが優先だ」

 

「同感だ、友よ。……さあ、次の不届き者がお出ましのようだな」

 

 レイロフがアイコンタクトのみで左の焼け落ちた家屋を指す。

 すると、ボロボロと屋根を崩しながら山賊の一団が奇襲を仕掛けて来る。

 

 だが、二人はその奇襲を示し合わせることなく躱すと、リクは鮮やかな剣撃、レイロフはノルドらしい片手斧の剛撃で返すことで、同時に二人の山賊たちを斬り伏せ、背中合わせに武器を構えるのだった。



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豪傑の戦

「──ウォオッッ!! 」

 

 奇襲を掛けた山賊達を迎え撃つべく、斧を構えたレイロフが力強く吼える。

 それは、ノルドの戦士、古くはアトモーラ大陸を故郷とする北の戦士たちの末裔たる彼らの、生まれ持った能力(パワー)を解放する合図だ。

 

 叫びによって自身を活性化させ、恐怖をも塗り潰す激情で自らを奮い立たせる戦技、ウォークライ。

 世代を超えて受け継がれていった、のちにシャウトおよびスゥームとして伝えられることになるこの種族的な能力(パワー)は、効果の内は動きや思考に精彩を欠く所があるものの、膂力が直接増加する、強力な特性を有している。

 つまるところ、比率で言えば二倍を超える人数の差を覆すには、まさにうってつけの物だった。

 

「さあ来い、意気地なしども! 」

 

 筋肉が隆起し、一回り大きくなった肉体から繰り出される、古代の斧術による独特の振り上げと振り下ろしの剛撃を以て、山賊のひとりの顎と脳天を斧で二度に渡って両断すると、山賊は歪な縦一文字に裂かれた頭部から脳漿と血液を噴き溢し、程なくして地面に崩れ落ちた。

 

「ハッハァ!! 」

 

 レイロフは勝利の酩酊に任せ、笑みとも、威嚇とも取れる獰猛な歓声を上げる。

 その声と敵の血に塗れたその凄惨な姿に、相対していた山賊たちは勝機を見出せず、尻込みせざるを得なかった。

 

 ────レイロフの豹変は、彼の使用した戦技、ウォークライに由来する。

 自身に眠るその血を呼び覚ますことで、ノルドであれば誰でも祖に抱く、遥か古代に在った北の戦士と同化し、その力や技巧のみならず、戦場に対する心構えすらも同じくするのが、ウォークライという戦技だ。

 これさえ使用すれば、ノルドの幼子も老爺も、等しく強靭な心と身体をもつ戦士の一人となり得る。

 

 だが、それは同時に欠点でもあった。

 北の戦士に共通した、戦を楽しむ狂人の気質をも取り込む事になるという事が、足かせとなる場合もなるのだ。

 ノルド以上に勇敢な戦士であれば、その変化を油断や慢心と名付け、正気でない怪物のように扱って勝機を見出す。

 また、北の戦士たちの仇敵、彼らの征伐を押し留めた古代の怪物たちや魔術に長けた古代のエルフたちなら、下等な種族が強化された程度で怖気づくことなど決して無い。

 

 ────だが、ここは現代で、相手は人ひとり。その欠点は事実上、ないに等しい物だった。

 

 火事場を襲うだけと高を括っていた一介の山賊が、その凄絶な猛威を一身に受けることに耐えられる道理は、まるでなかった。

 

「く、くそっ……この、化け物がぁっ!! 」

 

 山賊は勝機のないままに、半ば捨て鉢の思いで逃走を図る。

 残りの仲間を見捨てることに関して罪悪感はない。

 もとより気に入らない者たちばかりが集まっていたし、機を見て他の山賊と組めばいいだけであったからだ。

 それに、些細な出来事に気を取られれば、自分はあの“化け物”に殺されてしまうのだから仕方ない、囮となって後腐れなく死んでおいてくれと、利己的な結論すらも出していた。

 

 そうして、ただ目の前の猛威から遠ざかることだけを考えた山賊の行動は、しかし、すべてがレイロフの読み通りであった。

 

 レイロフは崩れ落ちた山賊をおもむろに担ぎ上げると、逃げた山賊に向かって、その豪腕を使って投げつけた。

 すると、山賊は自身と同等の質量を持ったそれの勢いに飲まれて呆気なく吹き飛び、直線上にあった焼けた家屋の壁に打ち付けられる。

 動物の毛皮を使用した簡素な鎧に火が燃え移り、背中や腕を容赦なく焦がされる痛みにもんどり打ちながら家屋から離れた山賊を、レイロフが止めとばかりに全体重をかけて腹を踏み抜くと、山賊はひゅう、という小さな呼吸音を残して気絶した。

 

「ふん、意気地なしめ。まともに戦ったこともなさそうだ」

 

 気絶した山賊を一瞥し、斧を一振りして血払いを済ませ────ウォークライの効果が切れ、心を支配する激情が醒めてゆく。

 そして、安全を確認したレイロフは血流の活性による頭痛からふらりと脱力し、その場で静かに座り込んだ。

 

 遠い先祖たる北の戦士の血を呼び覚ますウォークライは、強い力を得る代わりに、戦場において無視できないレベルの集中力を消耗し、また、肉体への負荷を過剰に掛ける性質上、その反動も大きい。

 

 かの父祖達ならいざ知らず、現代ノルドの勇士たるレイロフであれど、もう一度戦闘をこなすには少しの休息が必要だった。

 

 その為、レイロフは現状において戦力としては数えられない自身の安全を確保し、集中力を回復するべく呼吸を整えながら、背中を預けた友リクの戦いの様子を伺うことにしたのだった。

 



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貧者の戦

 人を殺したり死なせたりするのはどうも苦手だ、と。

 虫も殺せぬような、戦場に似つかわしくない言葉を吐いたとは到底思えない、というのがレイロフの所感だった。

 

 だが、次に続いていた言葉も同時に思い出す。

 

 怪物退治のほうが気楽でいい、と。

 

 その言葉と合わせれば、彼の人物像が、目の前で繰り広げられている戦いの骨子が見えてくる。

 

 戦い慣れている様子ながら、どうも勝手が違うとばかりに、バランスの悪い慎重さを含んだリクの戦い。それは少なくとも騎士のように清廉でもなく、司令者のように戦場を見れているようでもなく、はたまた、傭兵のように怪我や後への影響を懸念して消極的に洗練された物でもなかった。

 

 ただ、特筆することがあるとすれば────彼のその手のすべてが、あまりに的確かつ苛烈だという事だった。

 

 一手に込めるにはあまりに強い警戒を伴った牽制の刃。

 まるで、何度も同じ仕打ちによる苦い経験を得ているとでも言いたげなそれは、結果として相手の動きを裏の裏まで読み切ることに繋がっている。

 

 三人の山賊たちの全員の動きを阻害しながら、狙いを定めているであろう一人に対して当身を掛け、もう二人の武器を空振らせた瞬間。

 

 一。

 

 二。

 

 三、四、五、六、七、八。

 

 連続して八度。

 スカイフォージ製の最高品質の剣すら小枝のように折れてしまいそうな程の膂力を込めながらも、剣筋を捻じ曲げることで骨を避け、肉のみを断つ連撃が放たれた。

 多量の出血によるショックを誘発することで死には至らぬ状態での無力化を可能にし、更には骨を避けることで剣を必要以上に痛めない配慮も見られた。……手首への負荷のみが、尋常ではなさそうだったが。

 

 先程までの華麗な剣閃とは違う愚直な剣捌きは、むしろこちらの方が本来の彼らしい剣なのだろうとレイロフは感じた。

 

 普通なら明らかに死んでいる、が。

 噴いた泡の白さから、恐らくは生きているのだろう。

 このような地獄を見る山賊は、むしろ死んだほうがマシと考えるだろうが、敗者に自身の生死を決める権限はないと考えるレイロフは、リクのやり方にノルドの戦士としての違和こそあれど、一度吐露させた彼の想いや信条に基づいて行われた物事に対して口出しをするほど野暮な男ではなかった。

 

「……一人目」

 

 血飛沫を浴びたリクは、致命的な目に降りかかる物だけを防ぐと、鋼鉄の剣を握り直し、盾に胴体を隠すようにして油断なく構えた。

 しかし、山賊たちは怖気づくことなく、リクの構えを上から崩そうと自らの武器を振り上げていた。

 

 ────リクの戦いを見て、レイロフはひとつ思い至る。

 

 苛烈な戦いとは裏腹の、殺しへの忌避感。

 戦士とも騎士とも違う、されど隔絶した蓄積を経たような、ある種の“嗅覚”の強さ。

 それに反するような、無数の敗北の上に成り立つような臆病さを武器とした、傍目に無骨ながら最大効率の戦運び。

 

 先程まで見せていた童話や寓話の騎士のように華麗な物とは違う彼の戦いに、なるほどそれなら、と納得できるのだ。

 

 リクから見える矛盾した人物像が、点と点を繋ぐように浮かび上がっていく。

 

 自分以外のすべてが自分よりも格上だと心底から思っていなければ取れないような、臆病ながら苛烈な攻勢。

 攻撃を小さく纏めることなど考えず、見えた勝機に躊躇いなく喰らいつき勝利を貪り獲るように。

 

 匹夫の勇とも違うそれは、名付けるとすれば、貧者の戦。

 

 それこそが彼の真骨頂。

 つまるところは、そう。

 

“彼の戦いは、そもそも人を敵と想定したものではない”のだ。

 

 怪物退治のほうが得意とは、おそらく冗談などではないのだろう。

 

 格上を殺し切る為に力なき者が培った力こそ、彼の本質。

 

 その研鑽と蓄積の果てが彼という存在なのだ、と。

 



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なぜ、死んだ

 リクは、既に気絶させた血塗れの山賊をちらりと伺い、確実に戦闘不能であることを確認すると、残りの二人を見据える。

 

 ひとりは手練れに見える青いフードに二振りの曲刀(シミター)を持った、特有の褐色の肌を持つレッドガードの女。

 もうひとりは熊にも例えられそうな大男で、鈍い緑青の輝きを持った金属、オリハルコンによって鍛えられた両手斧を持ち、牛角の鋼鉄兜を野蛮な冠のごとく戴く山賊の長であった。

 

 山賊長の大男は強烈な踏み込みとともに横薙ぎに斧を振り抜く。

 リクは盾で受けきれないと見て、後ろに飛び退ることで回避を試みる。しかし、後退したリクに合わせるように、横合いから回り込んでいた女が曲刀を構える。

 女は二本の曲刀で足払いをするように、その場でぐるりと一回転した。

 

 レイロフは慌てて加勢しようとするが、それには及ばなかった。

 リクは回転を横跳びに避けると、受け身を取りつつ鋼鉄の剣を両手に持ち替えて立ち上がり、大振りによって隙を見せていた大男の篭手と鎧の隙間に、的確に剣を差し込んだ。

 

「がぁっ……! 」

 

 剣は深々と刺さり、山賊長の片腕が使い物にならないほどの手傷を与えた。

 そして、そのままでは容易には抜けないと判断したリクが、更なる一手のために剣を手放した。

 

 鋼鉄の重みによってさらに食い込み、血をとめどなく溢れさせてゆく剣に悶えながらも斧までは取り落とさなかった男は、無傷のもう一方の手に斧を持ち替え、追撃を嫌ってもう一度横薙ぎに斧を振るう。

 

 しかし、距離を取りたいだけの我武者羅な一撃は順当に空を切り、むしろ、二人の近くに寄っていた女に回避を強制させることで動きを大きく制限してしまう結果となった。

 

 そして、女が斧へわずかに気を取られて後退した時、呼吸を合わせるようにリクが至近に現れ、無手ゆえに首を狙った、迅速な鎮圧を目的とした致命の掌打が迫る。

 

 回避に合わせた返しの一手。

 決まった、とレイロフが感じたのもつかの間。

 

「甘いんだよッ! 」

 

 タムリエル大陸において白兵戦に長じる種族であるレッドガード、その中でも最優であるとされるアリクル砂漠の傭兵剣士であった過去を持つ女は、扱かれてきた鍛錬の日々の中で叩き込まれた、双剣使い対策「への」対策を最大限に活かし、リクの取った行動のすべてを、完全に読み切っていた。

 

「うぁアッ!」

 

 女は、彼らレッドガードに受け継がれた覇王の血脈を利用した能力(パワー)、魂の昂揚を発動する。

 深淵に堕ちた覇王の国の伝承から、闇の術を忌避し魂を神聖視する彼らは内なる大力を引き出して危機を脱することに特化した能力を生まれながらに発露できる。

 その効果を有り体に言うとするならば、自身の運動能力や敏捷性が段違いに向上する、この一点において右に出るものはない能力であるという事だった。

 

 魂の昂揚によって、躱せる筈のない着地の瞬間にすら行動を可能とし、着けた軸足を敢えてずらして体を沈み込ませながらリクへ足払いを仕掛け、間髪を入れる事なく、二本の曲刀を逆袈裟に斬り上げた。

 

 体勢を整えきれていない為に足払いは回避され、曲刀は容易く盾で受け止められたものの、相手に読み勝つことの重要さを知る女は、リクが少なからず焦りを感じ、攻めあぐねた一瞬を見逃さなかった。

 その有利を崩すまいと、魂の昂揚によって得る無尽蔵に近いスタミナに任せ、瞬きの一瞬よりも早く構え直すと、二振りの曲刀を振り上げ、盾の上から切り刻む為の流れるような剣舞を開始した。

 

 鋭利な曲刀が風を巻きながら踊り狂う。

 それらはリクの厚い鋼鉄の盾を直接貫けずとも、曲刀が奏でる絶え間ない金属の輪舞は、息をする暇すらも与えない。

 魂の昂揚によるスタミナの絶対的な差により、女の攻勢がリクの防戦を崩すまでは、まさに時間の問題であった。

 

 能力の発動とは大したもので、このような無呼吸の連撃をしていようと、目の前の血汚れた灰の騎士の動向について思考を張り巡らせる余裕が女にはあった。

 

 まず、剣を大男に刺したせいで失っている。武器のリーチの差というものは如何ともし難く、特に現状においては至近距離と言えど、吹き荒れる剣閃の嵐に素手が割り込む領域などありはしなかった。

 

 それに、横目で見た大男は、腕に突き刺さる剣を既に抜き去っており、戦闘に復帰できる状態となりつつある。

 

 こちらを伺うストームクロークの男も警戒すべきだが、目の前の薄汚れた灰色の騎士ほどの相手ではないと踏んでいた。

 

 不利を覆した瞬間から、状況は依然優勢だ。

 リクと女、兜とフードに隠された互いの視線が交錯する。

 

 そして。

 

 ここが燃え盛る戦場で、炎と雑音に溢れた状況であったせいか。

 或いは、自身が有利な状況である時、不利になる情報を無意識に見まいとしてしまう、人の性か。

 

 女は、盾に隠されたリクの片手が、パチパチと音を立て、火花を燻らせていたのを見落としていた。

 

 長く続いた女の剣舞において、しかし鍛錬の末に培ったがゆえに露見してしまう動作ごとの終わりと始まりの間隙に差し込まれたリクの行動で、状況は大きく変わった。

 

 どこにそのような力があったのか、戦士としてはやや細い線をした肉体から繰り出された埒外の筋力によって、リクは女の剣舞の初動を盾で強引に打ち払う。

 

 パリィと呼ばれるこの技術は、致命打の打ちにくさから往々にして消耗戦となる不死の戦いにおいて、高いリスクと引き換えに、成功した場合、勝負が決まると言っていいほどの致命の一撃を加える事ができるものだった。

 

 武器ごと押し払われ仰け反った女の腹に、リクは手を翳した。

 

 ────燻る火種は熱量を増し、掌に収束する。

 

『大発火』

 

 瞬間、爆音と共に人一人を飲み込むほどの豪炎が現れ、女の全身を容赦なく焼き焦がした。

 

「がッ────ァァアアアアア!!! 」

 

 自身の能力によって奇しくも引き延ばされた、実際には数秒に満たない悶絶から捻り出された獣のような断末魔を最後に、女は痛みに耐えかねて失神した。

 

「なに、死にはしない。僕は呪術師ではないし、見た目ほど熱くない」

 

 あっけらかんと言い放つリクだったが、一部始終を見ていたレイロフの目には、そのような生優しい火勢には全く見えなかった。

 

 リクの見解は彼の友である大沼のラレンティウスやメルヴィアのロザベナ、師であるイザリスのクラーナや大沼のコルニクスといった人物と比較してのことだ。

 

 だが、それは本場の大沼で学んだ者、欲しかった魔術の才の代わりに飛び抜けた呪術の才を持って生まれた者、果ては呪術の祖と言えるイザリスの混沌の娘など、そのことごとくが呪術師、より現代的に言えば火炎魔法使いとして規格外の者ばかりであったが為に行き着いた結論だ。

 

 実際のところ、この世界に彼がやってきた際に彼の火が衰えていなければ、目の前の女を確実に焼死させていただろうことは想像に難くない。

 

 自身の力を低く見積もる癖のある“馬鹿弟子”の気質は今も変わらず、その元を離れた師が聞けば、すぐさま額に手を当て、ため息をついたことだろう。

 

 閑話休題、リクは女が気絶したことを確認する為、警戒しつつ近づく。完全に起き上がることがないと分かると、剣の突き刺さったままの山賊長に意識を傾け────

 

「────隙ありだ! スカした騎士野郎がァッ! 」

 

 リクが振り向くと、山賊長の大男はいつの間にか斧の届く距離にまで近づいており、外に意識を割くばかりで、自分の現状確認を暫く怠っていたことを悟った。

 

 処刑台から吹き飛ばされた時、空間の半分が削り取られたように片耳が聞こえなくなっていた事がある。

 それは鼓膜の破裂というよりも、黒竜が放った咆哮による一時的な喪失で、既に復調した筈だった。

 と、そこまで考えたところで思い至る。

 

 大発火の爆音、そして山賊の女の絶叫。

 

 もう一度その不調が発露する条件は十分に整っていたのだと。

 

 男の容赦のない蹴り込みによって、地面に叩きつけられ、振り上げた斧が、処刑人を思わせる。

 起き上がれぬよう腹を踏みつけられ、このままいけば、おそらく頭蓋を割られるか、胸あたりを割り砕かれて死ぬだろう。

 もしくは、なんらかの愉しみにいたぶられる事も有り得る。

 

 なるほど、と。

 リクは、心中で納得した。

 

 次は、気をつけなければ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「────リクッ!! 」

 

 名前を呼ぶ声が、聞こえた。

 

 リクの意識は目覚め、死を受け入れようとしていた自分に気付く。

 

 戻ってゆく視界に映るのは、レイロフが自分と男の間に躍り出て、片手落ちの両手斧を、両手に持ち替えた片手斧でなんとか受け止めている光景だった。

 片腕であることを上から押しつぶす形でカバーし、武器と自身の重みで押し潰さんとする男に対し、未だ万全でないレイロフは、限界まで力を振り絞ることで、全霊を以てリクを庇っていた。

 

 そのような状況下でなお、レイロフはリクを叱咤する。

 それは、ただの怒りとも違う、彼の持つ誇りから来る激情だった。

 

「お前は今、なぜ『死んだ』ッ!!」

 

「あれ程の立ち回りを見せた男が、なぜ、今、諦めた!! 」

 

「……確かに、我らノルドは死を恐れない────だが、例えノルドでなくとも、人は最期の瞬間においてなお、死を受け入れる事など、絶対にあってはならない!! 」

 

 レイロフは叫び、ウォークライを発動する。

 それにより、体格に恵まれた、熊の如き男の大斧を正面から押し返し、その柄を折り砕く。

 

「それが、我ら人間の‼︎ ────たったひとつしかない命への誇りだからだッ!! 」

 

 レイロフは裂帛の気合を込めて、男の首を斬り払った。

 男の頭部は牛角の兜とともに力なく崩れ落ち、断面からは多量の血が噴出する。

 絶命した男のソウルが、空中で霧散した。

 

 レイロフは斧に付着した血を払うと肩に担ぎ、空いた手でリクに手を差し伸べた。

 無事で良かった、と一言添えて。

 

 リクは逡巡したのち、レイロフの手を取り、立ち上がった。

 

「……ありがとう、レイロフ」

 

「ああ。それにしても、死に傷が多いだけあって背中への警戒が薄いみたいだな、友よ」

 

「恥ずかしい限りだ」

 

「でも、俺たちも結構いい連携しているじゃないか」

 

「……僕も、何だか懐かしい気分だ」

 

 リクはレイロフの言葉によって、自分にとって大事なもの、大事だった筈の物を、いまこの時になって思い出した。

 

 アルドゥインに初めて教えたこと。

 

 それは、人が送る、有限の生の尊さだったことを。

 

 

 

 

 リクは不死となる前、哲学に凝った時期があった。

 それから程なくして、呪われた不死人となった後にも、それ自体に意味はあると考えずにはいられない時期があったのだ。

 

【『生』と『死』か……。それはただ、生きて、死ぬことの結果論に過ぎない。意味など、考えるまでもないだろう】

 

【それでも、僕と何度だって考えてみないか。同じ不死でも、生きることに意味付けしないなんて、勿体ない生き方だ】

 

【……この我をして、勿体ないと……? 良いだろう、その挑発に乗ってやる】

 

 いつからか不死の旅路に無用となったそれは、度重なる死に上塗られ、今の今まで、忘れていたことだった。

 

 

 

 

「本当に、ありがとう」

 

「折角助けた命だ、無駄にするな」

 

「あぁ──絶対に」

 

 諦めない誇り。

 人よりも遥かに永い時を不死人として生きていたリクは、この土壇場における友の言葉を受けて漸く、人としての誇りを取り戻したのだった。

 



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厭世(遠征)

現在、第一章は大きく改修を行なっており、話数に変更がなされている部分がございます。
6/19早朝以前にしおり機能を使用した方に関してのご案内を活動報告にてさせていただいておりますので、お困りの読者の皆様はそちらをご覧ください。
また、このメッセージは現在読み進めている最中の読者の皆様におかれましては改修に伴う内容の変化などはございませんので、そのままお楽しみいただけると幸いです。

では本編をどうぞ。



 ストームクローク達、とりわけ遊撃として領内を忙しく往復するリクとレイロフの手引きにより、いたずらに増えていく被害者の数は大いに減少し、ヘルゲン市民の避難は滞り無く進み、あと一歩のところまでやってきていた。

 

 しかし、竜を相手に戦況を無理やり拮抗させている兵士たちの旗色は、時間とともに悪くなる一方であった。

 

 広がり続ける炎により、燃えていない部分のほうが少なくなった戦場では、熱と煙によって、金属鎧を着ていた上級の兵士達から先に倒れていく為に、指揮官のいない小部隊が増え、独断で動き始めるものも多くなっていた。

 

 また、それらの影響は特に重装で固めていた帝国軍に顕著であり、指揮を失い砦を彷徨う彼らがストームクロークとぶつかれば、無用な戦闘が起こるのは必然であった。

 

 ストームクロークも燃え盛る火に紛れて、過激な思想を持つ部隊が帝国憎しの憤怒を顕に、救助をそっちのけで戦場に参加するようになっており、二つの陣営同士が互いを食い合うことで、対処がさらに遅れてしまう悪循環の坩堝だ。

 

 黒煙に混じる厭世の気配に、戦場がじわじわと苛まれていた。

 

 ────その中で、彼らだけが例外であるという事もまた、有り得ない。

 

 最後であろう生存者を未だ無事な砦の中に逃すことの出来たリクとレイロフは、脱出のため自分たちを待つストームクロークらのもとへ戻る際、あまりの劣勢に追い込まれ、撤退もままならぬ帝国軍の姿を見た時、ここに来て大きく衝突し、意見を違えるのだった。

 

 レイロフが胸ぐらの布地を掴み、リクを締め上げて憤怒の形相を顕にする。

 

「ここでお前は帝国の真の姿を見ただろう。ひどい誤解に基づいた罪でお前を捕らえ、処刑しようとしたんだぞ! 」

 

「……だが、見過ごせないんだ。これ以上の命を、ここで奪わせたくない」

 

 しかし、リクがその意思を曲げることはなかった。

 レイロフは掴んだ灰の前掛け、よく見れば凝った装飾の施されたそれに込める力を強め、暫く睨み合う。

 

 なおも真っ直ぐに自分を見据えるリクに、レイロフは掴んだその手を離す代わり、ここまで協調してきた戦友の無事を願うが為に、説得を続ける。

 

「助けた命を、無駄にするなと言ったはずだ。……それに、帝国軍を助ければ戦争は長引き、お前が救うより多くの血が流れるぞ」

 

「……すまない。ここで君を納得させられる答えは出そうにない」

 

「なら、ここで俺と砦に────」

 

 レイロフが合流予定の砦へとリクを再度引っ張ろうとした、その時。

 

「────だから、僕はあの竜を撃退してみせよう」

 

「……いま、なんて言った? 」

 

 レイロフの言葉を遮るように放たれたリクの言葉を、レイロフは一瞬、理解できなかった。

 

「今回に限り、勝利の条件は単純だ。あの竜が居なくなれば、この戦いは終わるのだろう? 」

 

「……また冗談か? そんなこと……無茶が過ぎる」

 

 出来るはずがない。

 人間、それも片耳の聞こえていない男が、竜に勝つなどありえないからだ。

 それこそ、伝説には伝説、竜を滅する人竜。

 

「お前が、伝説の竜の血脈(ドラゴンボーン)でもない限り」

 

「────ならば、僕は今から竜の血脈(ドラゴンボーン)で在ろう」

 

 レイロフは、リクの言葉を咀嚼することに、またも時間が掛かった。

 荒唐無稽な発言に気を取られた間に、リクは服を整え、やけに古めかしい無骨な一礼をしてみせた。

 

「……なに、竜退治には覚えがあるんだ。君に助けてもらった命だって無駄にはしない」

 

 そう言うと、リクは踵を返した。

 

 遠くなっていくリクの背中を呆然と眺めながら、レイロフの内側で、衝撃、呆れ、怒り、諦念、期待、それらの感情がない交ぜになる。

 

 実際、彼の放った大言壮語は恐らく冗談ではなかったのだろうことも、この短くも濃い死線を共に潜ることでレイロフはよく理解していた。

 

「あまりに無茶で、無謀な行いだ」

 

 だが。

 

 それ以上に、レイロフの心が大きく震えてゆく。

 強大な伝説の竜に、ただの人間がそのすべてを以て立ち向かう。そんな夢物語に、身を投じようという男に────

 

「……それが、たった一人であるならば」

 

 ────このような啖呵を切られて、奮い立たぬノルドは居ないのだ。

 

 レイロフは、戦場へ向かうリクを呼び止めた。

 

 そして、無闇な衝突を防ぎ、竜のみを狙うという覚悟を示す為。

 ストームクロークとしての鎧を一息に脱ぎ去り、そばに落ちていた、灼けた襤褸きれを外套のように纏った。

 

「この戦争を終らせる前に、世界が滅んでは困りものだ」

 

「────俺も戦おう、友よ! ソブンガルデへの手土産に、ヤツの首を持ち帰ろう!! 」

 

 そう言い切ったレイロフの顔は、軍人としての強張った表情ではなく、戦での栄光を尊ぶノルドらしい、覇気に満ちた笑みを湛えていた。



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考え直せ

 

 ヘルゲンを襲った災禍から引き起こされた一連の惨劇を収束させるべく、前代未聞の黒竜退治へと乗り出したリクは、改めて戦列に加わったレイロフと共に、一路黒竜を目指して歩みを進めていた。

 

 ────ストームクロークとして戦わないとは言えど、帰還を含めて一時間。本格的な脱出の開始までしか時間は掛けられない。

 

 自軍への忠義とリクへの信頼の両者を折半したレイロフから言い渡された前向きな妥協案とも言えるそれは、黒竜へ到達するまでの道程における、すべての無用な会敵を避ける事ができねばならない程度には逼迫したものであり、迅速な隠密行動のためには、時に燃え盛る家屋の中を通る必要すらあった。

 

 そうして、縦横無尽に暴れる黒竜へ対抗するべく、戦地を転々としながら立ち向かう帝国軍の編制へと最接近した時、現在における指揮系統の最上位であるテュリウス将軍の周囲を哨戒していた帝国兵、レイロフの旧知であるというその男に、二人の姿は不運にも見咎められたのだった。

 

 

 

 

「つまるところ、お前はあの“妄想屋”の竜狩り騎士団のお仲間になりたいってわけか。ええ、レイロフ? 」

 

 怪訝そうな顔を隠さないこの男はハドバルという。

 精悍な顔立ちとレイロフ同様に鍛え上げられた肉体が特徴的である彼はリクにも覚えのある顔で、処刑の際に名簿を片手に罪人リストを管理していたノルドの男のようであるらしかった。

 

 ハドバルもリクを覚えていたようで、既に逃げたものだと思っていたんだが、と罪人であるリクにすら無事であった事への安堵と心配を含んだ表情を浮かべる程度には心根の優しい人物でもある彼だったが、こと竜退治を行うとなると、こちらで手を打つ、任せておけという言の一点張りで、二人のこれ以上の行軍を頑として拒んでいた。

 

 それは、ストームクロークの陣営と言える二人に帝国軍の領分を侵されたくないという点も勿論含んだが、それ以上に、竜という理不尽極まりない災禍の中に飛び込む愚を、いずれ刃を交えるであろうとも、かつて友人であった男とその新たな友にして欲しくはないという、軍人としては感情的かつ、竜に挑もうなどと言う愚に逸った無謀な二人組に対してのみは正論とも言える意見であった。

 

「お前達のした市民の救助行為に関しては、むしろ大いに感謝している。それに免じてここでは見なかったことにしてやる。だから早く……」

 

「御託を並べている暇などない。行くぞ、リク」

 

 レイロフはハドバルの言葉を遮り、リクを先導するべく歩き出す。

 しかし、ハドバルは食い下がるように二人を呼び止めた。

 

「待て! それ以上進むなら、我ら帝国への明確な敵対と見做すぞ! 」

 

 帝国。

 その名前がハドバルの口から出たその瞬間、ぴたりとレイロフの足が止まる。

 勢いをつけて振り向いたレイロフの表情は、明らかに怒りの滲んだものへと変貌していた。

 

「帝国だと? はん、構うものか! もともと、お前達と意見が合うなどと端から思っていない」

 

「────それこそ、ストームクロークを志したあの日よりも前からな」

 

 そう吐き捨て、一方的に話を打ち切ったレイロフは、リクを待たずして苛立たしげに足を駆け始め、リクもそれに追従した。

 

 ハドバルは、二人の姿が見えなくなるまで歯を噛みしめながら睨み付けていたが、それでも、ついぞ剣を抜く事だけはしなかった。

 

 それが一体どういった意図を含んでいたのか、未だこの世界に疎く、何より彼と交わした言葉も多くないリクに分かるようなものではなく。

 

 ヤツとは同郷だった。

 俺達はお互い喧嘩っ早く、いつもいがみ合っていた。

 

 道すがら、振り向くことなくそう溢したレイロフの、言動に似合わぬ哀しげな調子からすべてを察した気になるのは、あまりに低俗で失礼極まりない事で。

 

 レイロフとハドバル。

 同郷の友でありながら袂を分かった二人の男達の間でしか、きっと理解し得ないものなのだろうとリクは感じた。

 

 今から行う竜退治はあくまで夢物語、現実に歓迎される所業などでは決してない。

 改めてそれを認識しながら、なおも二人は歩みを止めることなく、燃え盛る戦場を掻い潜り進んでゆくのだった。

 

 



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僭称者

 

 黒竜の位置を特定することは至極簡単だ。

 ただ雷鳴のような咆哮を頼りに、雷系統の魔法と矢の雨が空に向けて放たれている場所に向かえば良い。

 そして、戦死した兵の遺体が増えてくれば、誰であろうとその気配を強く感じることが出来るだろう。

 人間如き歯牙にすら掛けぬ、絶対者の存在を。

 

 そして。

 

 竜の領域を目前にしたそこには、たった一人、生き永らえた兵士がいた。

 未だ生きているとはいえ手酷くやられた事には違いないのか、壁に寄りかかり、息も絶え絶えな様子のそれは、兜や鎧の所々を貫くように結晶の生えた、歪な騎士だった。

 

 リク達は結晶と騎士甲冑の一体化したようなその男に駆け寄り、出血による過剰な寒気から肩を震わせ、息苦しそうに咳き込む彼に声を掛ける。

 大きな意味で人命を救ける為に行う竜退治の途中で、消えかかる命を見過ごす事など出来ない。

 少なくともこの場において、リクとレイロフの意見は概ね一致していた。

 

 だが、男は二人の助けを敢えて断った。

 自分はもう助かることはない、そう確信めいた言葉を添えて。

 

「私が死ぬ前に、一つ、身の上話を聞いてくれないか」

 

 結晶の騎士は、時折苦しげに呻いては自分を刺し貫く結晶から血を滲ませながらも、ぽつり、ぽつりと話し始める。

 

 

 

 

 ウィンドヘルムの灰色地区に住んでいたダンマー、人語で言えばダークエルフであった男は、そこで横行していた、ノルド達による苛烈な迫害に業を煮やしながら育った。

 時が経ち、青年となった男は彼らに対抗するべく単身ソリチュードに向かい、帝国軍へ兵卒として迎え入れられた。

 

 兵として学び、力をつけた男は、しかし更なる力を求めた。

 すべてはダンマーの安寧の為にと目標を掲げていたが、実のところ、英雄的行為や自己犠牲への大義名分を得た自分自身に酔っていたのだろうと今になって分かったと、男は自嘲した。

 

 そうして、鍛錬と戦役を繰り返す男が、自身に限界を感じた時。

 

 街を訪れた“識者”なるもの邪法に、己を差し出したのだ。

 

「それが大きな過ちだった。……いや、もしかしたら、随分前に間違っていたのかも知れんな」

 

 魂石という、その名の通りに魂を扱う、リクの知る所で例えるならソウルの業による強化を武具に行えるそれを、邪法により肉体に直接埋め込み、立ちはだかる敵対者の魂を吸収し消費する事で、無限の生命力と不死身の肉体を得るのだと識者は言い、事実、その通りの絶大な効果を男は得た。

 

 その力でもって最前線で敵を薙ぎ払い、数ヶ月の短い間に武功を上げ、それぞれが特殊な技能を持つ帝国の四騎士団がひとつ、『獅子』の騎士団にも選抜され、ついには今回の、ウルフリック・ストームクローク捕縛作戦にも参加し、これを成功させた。

 

 男はこれからも戦い続け、やがて英雄と語られるようになるだろう。

 その全てが、盤石である筈だった。

 

 ────だが、その物語は続くことはなく、今日を以て幕を閉じる事となったのだ。

 

 幻想から現れた破壊者が、男の幻想を打ち砕いた。

 自部隊の全滅と、自身にはとどめすら与えられず、ただあの竜の興が乗らなかったというだけで、路傍の石ころのように捨て置かれた自分の姿を以って、男は知った。

 

 男の夢見た『英雄』など、あれにとっては塵芥。

 信じて研鑽し、魂を売ってまで得た『英雄』は、正しく夢幻に過ぎなかったのだと。

 

「ただの泣き言だ。お前は捨て置かれたが、それでもまだ、生きている」

 

 結晶から溢れ続ける血を必死に押し止めるレイロフの、切り捨てるようでいて仁に溢れた言葉に、男は首を振った。

 

「私はもう、死んでいるのだ。どうしようもなくな。

 結晶は負けた私の命を食い潰そうとしている。私の深くに沈み込み、自分が損をしないように。

 これから得る筈だった魂のエネルギーを私から徴収する為にな」

 

 言葉の通り、結晶は次第に男の中に沈み込み、それに反して流血の量は減ってゆき、ダークエルフの黒々とした顔も、時間の経過に伴うように青白く染まっていった。

 

「なあ、お前達はあの竜に挑むんだろう? 」

 

 結晶の騎士は弱々しい手つきで腰蓑に手をやると、そこから緑に鈍く輝く、独特な形状の瓶をリク達に見せる。

 

「これは、その昔に知人のレヴィンから餞別に貰った、何も入らないガラクタの瓶だ。

 お守り代わりにと渡されたが……使えんものの、なにしろ綺麗な緑色でな。なにもかも置いてきた今じゃ、俺の一番大事なものになっていた」

 

 リクは、差し出されたその瓶のことを良く知っていた。

 

 エスト瓶。

 篝火の炎を溜め込み、肉体を瞬時に癒す不死の宝。

 

 篝火の存在しない今、真に力を発揮することのないそれを、男はリクへと手渡した。

 

「貰ってくれ、これを……。

 ついぞ私を守ってはくれなかったが、これをお前達が持っていけば……私は、お前達こそが竜を倒す英雄だと、希望を持って、死ねる」

 

 そう言って息も絶え絶えに微笑む男に、リクは酷い既視感を覚えた。

 遠い記憶、不死院の中で使命と共にこの瓶を託された、自分の運命を決定付けたあの時と、今が酷く似通っていたからだ。

 

 リクは、ただ静かに瓶を受け取った。

 

「それと、これも……」

 

 男が差し出したのは、雷の力を帯びた特大剣。

 細かな意匠は違えど、身の丈ほどもある厚く長い刃のそれは、ロスリック騎士の大剣そのものであった。

 

「見ての通りの逸品だが、私では体格が合わなかった。それを認めず使って、いつも振り回されていたよ」

 

「大剣か。大物は性に合わんが、リク、お前はどうだ」

 

「……頂こう。とても、心強い」

 

 リクは結晶の騎士から大剣を受け取り、両手で握りを確かめ、片手に持ち替えて三回ほど素振りをした。

 すると、火の粉に触れた刀身から黄金色の雷電が弾ける。

 

 雷を帯び、鋼鉄の剣よりも重みのあるこの武器であれば、竜族に共通する特徴である、硬く、雷以外を通さない岩の鱗にも高い効果を見込めるだろう。

 

 レイロフは、鉄塊と言って差し支えない大剣をも片手で軽々と使いこなした、これまでの付き合いで慣れた筈が未だ底知れぬものがある戦友に、内心で舌を巻いた。

 

「……お前達に……あの竜への、勝算は、あるのか……? 」

 

 結晶の騎士は弱々しく聞くと、リクとレイロフは、同じように頷いた。

 

「────ある。……僕が、竜の血脈(ドラゴンボーン)だからだ」

 

 リクが僭称したのは、今は嘯くばかりであろうと、そう在れと決めた英雄の称号。

 

「……ノルドの与太話、か。……最後に縋るにしては、なんとも頼りない、ものだな……」

 

 それを聞いた結晶の騎士は、皮肉げに顔を歪ませ、ひとつ、安堵したような溜め息を吐くのだった。

 



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災禍(再会)畏怖(if)

 

 空から落とされたのであろう砕け散った五体、元が人や家畜であったことだけは辛うじて分かる歪な焼け跡。

 

 この先にある苦難を克明に物語る無惨な亡骸を後目に、リクとレイロフの二人は雷鳴のような竜の咆哮へ向かい、その足を早めていく。

 

 そして、結晶の騎士のいた地点からそう遠くないうちに、門扉の崩落により半ば封鎖されていた砦へ辿り着く。

 

 うず高く折り重なる瓦礫を利用して塀をよじ登ると、そこは竜の領域だった。

 

 登りきった塀の高さは戦場の様子を確認するのに適しており、焦土の様相を呈した砦を燃え盛る火の手が包み込み、息すら灼けつくような熱気が二人に伝わる。

 

 地上を見れば、大弓を構える帝国兵が十数人と、リク等と同じく塀の上に陣取る、それなりに豪奢な異装を着込んだ巨漢の将校が、よく通る低い声で戦場の指揮を執っていた。

 

「限界まで引き絞れ、まだだ、引け、待て────今だ、逃すなァ!! 」

 

 将校の号令によって放たれる、十を超える大弓の揃った快音に合わせて放たれた大矢の目指す場所を見上げると、空を包む黒煙を掻き分けて、“それ”は姿を現した。

 

 既存のどの生物よりも大きな体躯。

 何物も通さず、傷すら見当たらぬ黒い外殻。

 大きく、硬く、鋭い爪牙。

 そして、特筆すべきは鳥たちをも優に超えた飛翔を可能とする、腕と一体化した巨大な翼。

 

 ドラゴン。

 

 その姿はまさに伝説に語られていた通りのもので。

 時の竜神アカトシュの直系にして遍く破壊と滅亡を司る黒竜は、瓦礫を含んだ黒霧を巻き上げながら地上を嘲笑うように低空を飛翔し、凶悪極まる鋭利な牙の生えた口から炎を燻らせる。

 

 その様子はまるで、災禍と畏怖に形を与えたかのようだった。

 

「あれが伝説の──」

 

 レイロフの言葉を遮るように、雷鳴にも似た“咆哮”が響く。

 

『────Yol()……Toor,Shul(猛火 、 太陽 !)! 』

 

 黒竜の口から火炎の吐息が吹き荒れる。

 弓兵たちに向けて放たれたそれにより矢の大多数が焼け落ち、鋭く届いた数射すらも、その硬い鱗を突き通すには至らない。

 

 にわかに信じがたい光景に、レイロフは臓腑の縮み上がる思いで眉をひそめた。

 

「あの強射でさえ、竜にはてんで通らないわけか」

 

「竜とは大抵そんなものだ」

 

「知ったような口ぶりだな? 」

 

「ああ。実は、竜には何かと縁深いんだ」

 

 兜越しに聞こえるリクの妙に得意げな言葉に、レイロフは怪訝そうに眉をひそめた。

 

 ……が、まあ、実際にそうなのだろう、と。

 

 会って間もないうちから身についた相方の荒唐無稽さについての慣れと許容から、意識はすぐに戦場へと戻っていく。

 

 地上に向けて放たれた豪炎を号令とともに陣形を崩すことなく躱していく兵たちを見ながら、レイロフは伝説の実在を改めて実感し、リクはかつて戦った竜との戦いを思い出しながら現状を改めていく。

 

 実力の不足した者から順当に脱落していくこの戦場では兵の数も相応に少なく、今は二十にも満たない人数の弓兵のみが辛うじて状況を維持、膠着させていた。

 

 飛翔する黒竜にとっては、ただ空を往けば簡単に突破されてしまう戦線であるが故に、機動力と射程に優れる弓兵を残して残りの兵を引き上げ、いずれ訪れる死の前に撤退作戦が整うまでの間、断続的に大弓を射つことで黒竜の注意をできる限りまで釘付けにする、というのが彼らの作戦の概要であった。

 

 そして、まともな兵なら無謀の一言で一笑に付すであろうこの作戦を進言し、あろうことか自ら殿を務める弓兵たちこそ、帝国軍の同胞にすら“妄想屋”と罵られる、竜狩り騎士たちであった。

 

 上空から降り注ぐ炎を一度でも浴びればそれで終わり。絶望的な戦力差を埋められず、たまたま吹き消されていない風前の灯。

 

 だが、そのような状況においても尚、彼らはまだ気力を失ってはいなかった。

 

 竜に挑むは騎士の誉れ。

 

 脅威を前にそう嘯く事のできる自信家と理想家で構成されたこの集団は、この場を預かる将校の号令とともに、疎らながら整った戦列がその形を崩すことなく流動していく。

 

 迅速さを念頭に置いたそれは、数瞬前には陣を置いていた場所を薙ぎ払う火炎の吐息すら余裕を持って躱し続けるほど的確で、ついにはその被害を地面のみに終わらせることに成功する。

 

 炎で焦がされ、溶かされた黒い土溜まりが埋め尽くす戦場に反し、無傷で掲げられた“鷹”の紋章旗こそが彼らの能力の高さを如実に物語っていた。

 

「よし」

 

 リクは小さく呟くと、傍らのレイロフの首肯を合図として、背にあつらえていたロスリック騎士の大剣の柄に手を掛けた。

 

 狙うは此度の元凶。

 残された時間は既に短く、雌雄を決するのであれば悠長に機を待っている暇はない。

 

 機を掴む為には、状況の維持と瓦解の遅延を旨とした異装の竜狩り騎士団の策とは別に、二人で独自の黒竜への対策を講じる必要があり、それについては既に、二人の脳裏には同じ結論が導き出されていた。

 

 最短の一手にして、致命の一撃。

 

 崩落した監視塔へあえて降り立ち、低空に甘んじる慢心しきった黒竜のその脳天へ剣を突き入れてやろう、と。

 



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竜退治の顛末

 

 リクとレイロフは砦の塀上にある幅広い渡りを駆ける。

 

 道中にて将校の男に姿を見咎められるものの、話している時間はないとばかりに、横取りや作戦妨害の非礼へ向けた詫びを簡易的に告げながら立ち去る。

 

 将校の男は何事かと首を傾げたが、状況の整理よりも自隊の戦況の安定を優先し、無謀な来客があろうと尚崩れぬ指揮を心がけ、再び兵らへと怒号を響かせた。

 

「リク、後ろだ! 」

 

「後ろだって? 」

 

 走り始めて一分と経たぬ内に響いたレイロフの声にリクが振り返ると、後方正面よりもやや右から迫る、黒竜の姿を耳目に捉えることが出来た。

 

 黒竜は翼をはためかせて加速しつつ、その高度を塀上の二人へと器用に合わせ始めており、どうやら追いつきざまに二人の身体を胴体から噛みちぎり、一息に両断する心算のようだった。

 

 二人は足を緩めることなく走るも黒竜との距離は縮まるばかりで、到底振り切ることは出来そうになかった。

 

 ならば、と。

 

 リクは不意にその足を止め、黒竜に向かい合うように体ごと振り向く。

 並走していたレイロフも、一拍遅れて足を止めた。

 

「まさか、ここで戦うんじゃないだろうな……」

 

 レイロフの当惑を含んだ問いかけに、リクは鋼鉄の剣を腰鞘から引き抜くことで答えた。

 

「やっぱりか、俺たち(ノルド)以上の恐れ知らずめ! 」

 

「時間がない。レイロフ、僕と合わせてくれ! 」

 

「くそ、無茶を言う! ……来たぞ! 」

 

 会話の間隙にもぐんぐんと距離を縮めていた黒竜は、最後にひとつ羽ばたくと、咆哮を上げる。

 

Wuld(旋風)! 』

 

「いかん、シャウトだ! 」

 

 シャウトと呼ばれたその“咆哮”の後、黒竜の巨体を中心に、リクら二人まで伸びる、この状況においてあり得ないような、黒竜にとってあまりに都合の良い風向きをした気流がその場に生み出された。

 

 黒竜は翼を畳んで気流に乗ると、まるで矢弾のように二人へと吶喊した。

 その速度は先ほどまでの比ではなく、二人に判断の猶予も残さないほどに。

 

 たまらずレイロフは斧を振り上げ、横目で見る余裕こそ無いものの、リクも同時に剣を構えていることを肌で感じ取り、

 

「右に振り抜けッ!! 」

 

 兜越しにくぐもりながらも届くリクの指示に合わせ、レイロフは両手に持ち変えた片手斧を、左から右にかけて黒竜の側頭部に振り抜いた。

 

 同時に放たれた剣と斧の挟み撃ちは正確に黒竜へと吸い込まれていった。

 

 ────が、しかし。

 

 黒竜はその挟撃に対し、顔色ひとつ変えることなく即応した。

 

 黒竜は顎を大きく開くことで挟み撃ちを空振らせて回避すると、振り抜かれた武器やその腕ごと噛み砕かんと顎を閉じ、凶悪極まる牙を打ち鳴らした。

 

 瞬間、レイロフの斧が。

 そして、リクの剣と左腕が。

 

 それぞれ全く同時に噛みちぎられ、砕けた鋼鉄が飛び散り、特に軽装であったレイロフの身体に強くえぐり込む。

 

 鋼鉄の飛礫を避ける中、シャウトによって生み出された勢いのある向かい風を追い討ちとして、ついにはその体勢を保てなくなり、二人はそれぞれ砦の渡りの左右から瓦礫を伴い転落した。

 

 ────見誤った。

 

 リクの脳裏に浮かぶのは、英雄を僭称しながら慣れない蛮勇を見せた挙げ句、果てに何も為せず友を巻き込んで墜ちた自分の無思慮と、それによって払った代償のこと。

 

 友と呼んでくれた男の誇りである斧を折らせてなお得たものはなく、無惨な敗北に寄り添うのは瓦礫と灰ばかり。

 

 腕を失うほどの負傷による失血と、意識の混濁。

 赤白い世界で、大きな鐘の音が響いている。

 

 ────竜退治は成らず、二人の妄想屋の顛末はハドバルの言の通り、呆気ない幕引きを迎えた。

 

 黒竜の咆哮が、心なしか勢いを増しているようだった。

 



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居る筈がない

 リクは意識を失っていた。

 それは数秒か、数分か。いずれにせよ、さほど時間が経っていないことは未だ戦火に見舞われるヘルゲンの様子から理解できた。

 

 リクの身体は同時に崩れた砦の瓦礫がクッションとなり、打ち身を除いて新たな負傷は見られない。

 

 しかし、左腕を丸々失ったがゆえの失血が酷く、意識は朦朧としたままで、未だ本調子ではなかった。

 

 左右に分かれて落ちたためかこの場にレイロフの姿もなく、その安否は不明。

 

 そして、戦場には竜狩りの弓兵たちと、彼らを蹂躙するように特大剣を振り回す、赤い霊体が現れていた。

 

「────赤い、霊体? 」

 

 闇霊(ダークレイス)

 古くは世界蛇カアスに唆された闇の王を目指す不死人の総称であり、はじまりの火の消えた今、火の簒奪者を目指した彼らも同時に姿を消したはずだった。

 

「なぜ、ここに」

 

 リクの口から、疑問が吐いて出る。

 

 リクは絶望に近い、ある種の脱力を感じていた。

 それは、唐突に現れた彼らの存在についてもそうだが、それ以上に。

 

 闇霊は戦いの最中、兵を1人殺すごとに、霧散するソウルを胸、より正確にいうならば心臓に当たる部分に嵌め込まれた魂石へと吸収しながら、その力を増していた。

 

「……まるで、」

 

 まるで────不死人だ。

 万物の源、ソウルを吸収し、蓄え、継承し、際限なくその力を増していく。

 

 その有り様は細部が異なれど、まさに不死人そのもので。

 

 終わらせたはずの不死の呪い。

 断ち切ったはずの因果が未だ存在することが、リクの当惑をいっそう強めていた。

 

 ────しかし、惚けている暇もまた、無かった。

 

 噛みちぎられた腕の疼痛がリクの意識を引き戻し、皮肉にもその痛みによって現状を正しく認識する機会を与えられる事となる。

 

 リクは、自身が無力感と悪しざまな郷愁に呑まれていたことを自覚すると、失った左腕に着いていた噛み跡のある肩当てを外し、戦場に点在する煤けたボロ切れを押し当てることで応急処置を施した。

 

 鼓動に合わせてドクドクと溢れる血は汚れた布切れから滲み出すほどであったが、リクにとってそれは些細な問題だった。

 

 不死人であった経験から、耐えると決めた痛みには滅法強い方であり、出血そのもので死に至らない限り、痛みそのものはある程度まで抑えられれば問題なく戦闘を続行することが可能だったからだ。

 

 外した肩当てを嵌め込んで処置を済ませる頃には何とか戦闘をこなせる程度には復調したリクは、黒竜を探すために辺りを見回した。

 

 結論から言えば、黒竜の姿はすぐに発見できた。

 しかし、その様子は極めて不可解であった。

 

 上空を覆う白い濃霧。

 

 その中にいるため影法師のようにしか姿を確認できない黒竜が、揺蕩うように浮遊し、赤ん坊のように蹲っていたからだ。

 

 それはあまりに不可解だった。

 

 空中に居ることで有利であるとはいえ、戦場であれほど明らかに隙を晒すのだ。

 暫くのちに何かが起こることは間違いがないだろうとリクは確信していた。

 

 ────しかし、と。

 

 数秒の逡巡の後に、リクは一時的に黒竜を思考の隅にやり、意識を戦場に戻すことにした。

 

 装備しているロングボウも腕を失った現在では扱えないために上空への攻撃手段を持たないリクは、現状において黒竜よりも直接的な影響の大きな存在である闇霊へとその狙いを定めた。

 

 リクは散漫な集中力を整えるべく、一拍の間のみ呼吸を整えると、未だ痛む失った左腕を庇いながら、背に提げた特大剣を引き抜くのだった。

 



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獅子の影法師

 その赤い霊体は、鐘の音と共に現れた。

 

 古くから闇霊(ダークレイス)と呼ばれるそれは、ここ現代ニルンの文化においては、不死人の常識とはやや異なった認識を持たれている。

 

 今は魂の収穫者アイディール・マスターの管理する、消費された魂の行き着く領域である『ソウル・ケルン』の亡霊として知られる彼らは、戦争や大災害、疫病など一定の範囲内に行き場のないソウルが留まり続ける時、鐘の音色を伴って現れるアンデッドの一種として言い伝えられている。

 

 確固たる姿を持たない闇霊は、なんらかの理由で魂を異界(ソウル・ケルン)に囚われた強力な死者の影法師を借りて現出する。

 そして、その場に存在する魂を持つ生物すべてを狩り尽くすまで暴れ続けるのだ。

 

 今回の闇霊が取った姿は、雷を帯びた身の丈ほどの特大剣を卓越した技量で重心を大胆に遷移させながら縦横無尽に振るう、全身に生えた結晶が特徴的なダークエルフの騎士であった。

 

 リクはその姿に一瞬だけ足を止めた。

 しかし、闇霊の持つ大剣が回避行動を取る弓兵らの身体を掠めたのを見ると、もう一度駆け出した。

 

 そして、その勢いを載せたまま、背中の大剣の柄を握り、素早く抜き放つ。片手落ちの特大剣を並外れた筋力によって制御し切ると、闇霊に向かって一息で跳び込んだ。

 

 大上段に構えた剣は重量に任せて闇霊に吸い込まれてゆき、その首筋から腰に掛けて両断するような、袈裟がけの斬り下ろしを見舞うことに成功した。

 

 霊体を斬った際に特有のぼんやりとしたおぼろげな感触の後、血の代わりとしてソウルが噴出する。

 

 だが、その傷口は予想よりもかなり浅く、身体に埋没するように生えていた結晶に阻まれ、その体を両断するには至らなかった。

 

「足りないか……」

 

 リクは呟きを漏らしながら即座に闇霊を蹴り、一瞬だけ体勢を崩させた。

 

 新手の登場に困惑する兵士らをよそにリクはバックステップで距離を取ると、攻撃を受けた警戒もあらわにこちらへ振り向いた闇霊と相対した。

 

 ────軋むような緊張感と、戦局の転回。

 戦場に立つ全員が、それらを明敏に感じ取っていた。

 

 

 リクは、闇霊を改めてまじまじと観察することで、さきほど脳裏をよぎった仮説通りの人物と、その姿は一致していることを確認する。

 同じロスリック騎士の大剣を持つ、結晶の生えたダークエルフ。より正確に表すならば、この剣の持ち主であった男。

 

 袖触れ合い、自身に託して死んだはずの彼が、なんの因果か、いまは闇霊としてこの場に現出していた。

 

 ──ロスリックより流れ着いたばかりであるリクは、前述したようなこの世界における闇霊の在り方を知らない。

 

 そのため、自身の固定観念や知識に関したある種の疑問、つまるところ『なぜ彼が/何のために/死んだはず/不死なのか?/いつ復活した?』といった、今は答えの出ようもないものが、いまは戦場に在るべきリクの心中を埋め尽くそうとしていた。

 

 しかし、目前の闇霊はその一切に構わず、リクの様子を隙と見て、大剣を構えて向かってくる。

 リクは逡巡を打ち切ると、闇霊を迎え撃つべく自身も大剣を構えるのだった。

 



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“獅子”の騎士長

 兜越しに見える闇霊は、身の丈ほどもある大剣を後ろ手に構えると、大地を抉るような踏み締めによってリクの懐へと一気に駆け出し、剣の間合いに届くが早いか、その勢いの乗った大質量を、前方に向かって無造作に突き出した。

 

 リクは闇霊の繰り出した神速の突きを見切ると、腕の無いぶん動きに余裕のある左側を使って体を反らすことにより、紙一重で回避した。

 そして、極めて大振りな一撃によって闇霊が硬直した一瞬を見逃さず、突き出された大剣の腹に右脚を合わせ、その脛でかち上げるように蹴りを見舞った。

 

 リクの剛力を存分に込めた蹴りによって闇霊は剣を取り落しかけたものの、両手で握りを保ちつつ構えを戻すと、かち上げられた体勢をそのまま利用して、大上段からの振り下ろしを敢行した。

 

 リクは、闇霊の強靭性に舌を巻きながら思考を加速させる。

 懐に潜られた今、闇霊の剣に同じように返すのでは上下の不利や腕を失っていることを含めて愚策と言って差し支えない。

 

 ……ならば、むしろ今は自分の剣が邪魔になる。

 

 リクは大剣の構えを解くと腰を落とし、闇霊の剣をギリギリまで惹きつけた。

 

 剛剣を体現した振り下ろしがリクに迫る。

 しかし、その一撃に完璧に合わせるように、剣の腹に、左脚が触れる。

 

 リクの放った回し蹴りが、闇霊の剛剣の軌跡を曲げた。

 大質量の剣から甲高い轟音が響き、頭から股まで断ち切らんばかりの一撃は地面へと振り下ろされ、その脅威を大きな砂埃を上げるのみに留まらせる

 更に、大きく体勢を崩した闇霊を蹴りつけて距離を空けると、リクは大剣の柄に手を掛けた。

 

 そして、闇霊が崩しきられた体勢をゆらりと整える間に、砦の上から怒号が響く。

 

「撃てェッ!!!!! 」

 

 怒号に合わせ、弓兵たちの引き絞られた大弓から無数の矢が闇霊に飛来した。

 容赦なく突き刺さるそれは体内外に点在する結晶に阻まれながら、その半数ほどが闇霊を貫くことに成功した。

 

 ────しかし。

 

 それほどの猛攻を受けてなお、闇霊は大剣を構えて立ち上がる。

 

「彼は不死身か……!? 」

 

 闇霊の壮絶な様子に、弓兵たちは大きくどよめいた。

 

 そして、リクと闇霊、両者が再び相対し、戦場に軋むような緊張が走る。

 先に動いたのは、闇霊だった。

 

 剣をまたも大上段に構え、振り下ろす。

 今回のそれは、前回よりも数段以上その速度を増していた。

 

 だが、速度はあるものの、腰の入っていない振り下ろしに過ぎないそれは、リクにとって問題となるほどではなかった。

 

 速度に対応し、難なく蹴りで打ち払う。

 対する闇霊も素早く構え直すと、もう一度同じように速度を求めた振り下ろしを行った。

 

 それを皮切りに、打ち合い、もしくは弾き合いと言える時間が続く。

 闇霊の振り下ろしは速くなり、リクも合わせてペースを上げ、打ち込む角度や逸らす位置を変えながら、まるで一種の演舞のようにすら感じられる見事な攻防へと遷移し、弓兵らの鍛えられた目は加速し続けているようにすら感じる二人の動きを十全に捉えることが出来ていたが、しかし、この体力と精神力を削り合う至近の攻防と同じことが出来るかと言えば、全員が否と言うであろうほどに凄まじいものとなっていった。

 

 ────永遠に続くように感じられた応酬は、しかし、リクが異変に気づいたことで終息へと向かっていくこととなる。

 

 闇霊の狙いは、その受けの姿勢をリクが選択することそのものであったが故に。

 

 ────打ち払ったはずの剣が、リクの身体に糸で結ばれているかのようにもう一度吸い付いてくる。

 

 もう一度、二度、三度、四度。

 

 払っても払ってもその速度は一切衰えず、むしろその速度を増していく。

 何度も、同じ箇所を、同じように。

 

 それにより、本来は怪我を防ぐ目的であり、武器として鍛えられている訳ではない足甲がだんだんと傷付き、その形を歪めていく。

 激しい攻防の中で異変に気付いた時には、すでに背中に火がついたように追い詰められているのだった。

 

 闇霊が狙っていたのは、機動力の喪失。

 片腕を落とされた中、敏捷性と筋力を武器に戦っていたリクがその敏捷性をも失えば、即ち敗北は免れないだろう。

 考えている間にも続いている猛攻に、足甲は甲高い悲鳴を上げていた。

 

「なら……! 」

 

 これ以上はラッシュを凌ぐことができない。

 それならばと、最大限の警戒と力を込めて、比較的大振りとなった闇霊の一撃に合わせ、心臓部の結晶に向かって強く蹴り込んだ。

 

 闇霊の剣よりも一歩分早く届く、衝撃を重視した押し出すような蹴り込みは、おぼろげな霊体を大きくのけぞらせることに成功した。

 が、しかし。

 その威力は片足を一歩後退させたのみで、距離を取るまでには至らない。

 

 だが、それを予見していたリクは、のけぞった隙を突いて後ろに跳躍することで、闇霊の間合いである至近から一度離れた。

 

 リクは数メートル先の闇霊を見やる。

 

 闇霊は体勢を立て直すと、ユラリと剣を右肩に担ぐようにしてリクを睨みつけ、臨戦の構えを崩さない。

 闇霊の強靭さ、耐久力は今まで戦ってきた不死人や怪物、神々たちと比べてもなお並外れているようで、まともに食らった矢弾を含め、攻撃が応えた様子はまるでないようだった。

 

 再び孤立した闇霊に弓兵たちの大矢が殺到するが、それらは大剣を回転させるように薙ぎ払うことで打ち落とされ、その一本たりとも彼に届くことはなかった。

 

「"獅子"の騎士長、よもやこれ程とは……! 」

 

「これが、獅子……」

 

 弓兵たちがどよめき、驚きの声を上げる。

 

「……獅子、か」

 

 リクは、こちらに向かって一息に距離を詰める闇霊に応じながら、本人やそれを模した鎧をも含めた都合4回に渡って鎬を削った、とある"獅子"とこの闇霊を密かに重ねていた。

 

 



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(獅子)”の騎士長

 

 闇霊の振り上げを上段に掲げた大剣で打ち下ろし、続くなぎ払いはわずかに後退して躱す。

 蹴りから大剣同士の打ち合いに変更して数分ほど。

 

 闇霊の攻撃にある程度対応することのできたリクは、その実、決定打を打つことができずにいる。

 理由は単純なもので、腕が一本ないために、一手先んじることが非常に難しいというものだ。

 

 大剣の重量と耐久性に任せて勢いをつけることで打ち合いに拮抗することだけは出来ているものの、戦いはすでに千日手の様相を呈していた。

 

 攻防の間隙に放たれる矢弾が闇霊の背中を貫かんと進むが、見切られた一矢はもはや僅かな動きで躱され、動きを多少制限する程度の効果しか得られない。

 

 闇霊との接触から時間にして十分にも満たない程ではあれど、これから戦いが長引くほど、砦を包む炎は勢いを増し、不穏な黒竜への対処はおろか、寒暖を感じる能があるのかも怪しい闇霊へと戦況は傾いていくだろう。

 

 ──だとするならば、と。

 

 いま、ここで戦況を変えうるべく、リクは大きな一手を打つことにした。

 

 リクは大地を蹴り、甲冑を物ともせずに大きく跳躍すると、近くの足場となりそうな瓦礫へと飛び乗った。

 鎧に加えて重量のある大剣を持つリクの重さに瓦礫が耐え得るのは十秒に満たない時間に過ぎなかったが、リクにとってそれは問題にならなかった。必要なのは、闇霊がこちらに来るまで保ってくれる足場だったからだ。

 

 直後、見計らったかのように砦上から号令が飛び、闇霊へ矢の雨が降り注ぐ。

 闇霊はそれらすべてを避け、走り、大剣で打ち落として躱しながら、リクの方へと向かってくる。

 

 弓兵らが行ってくれた足止めの隙をつき、大剣を素早く、やや緩く納めたリクは、炎への畏敬を込めて祈る。

 すると、手のひらからパチパチと火花が散り、呪術の火がその手に燻り始めた。

 

 闇霊がこちらの間合いに接敵し大剣を振り上げる一瞬の隙に、瓦礫を蹴り込むことで闇霊を越えるほどに跳躍する。

 そして、闇霊の頭部に勢いを付けた掌底をねじ込まんと、落下しながら迫っていった。

 

 闇霊はそれを察知し、最小限で躱すために身をよじろうとする。だが、その行動すらもリクは織り込み済みであった。

 

 この一撃で倒せるならば良し。

 そうでなければ本命の一手を打つだけだ、と。

 

 リクは掌底を納め、落下の勢いのままに背中の大剣を手に取った。

 やや緩めに納めていたその剣を剛力によって居合にも似た神速で抜き放ち、重力に従うままに刃を下にすると、そのまま地面に突き刺すように、自身ごと闇霊に向かって落下した。

 

 闇霊は至近距離に居たリクに大剣では対処することができず、為すがままに地面に縫い付けられる。

 そして、結晶すらも思いのままに砕くロスリックの大剣から雷電がほとばしり、

 

 ────闇霊の内側から、雷が炸裂する。

 

 ビクビクと痙攣する闇霊の姿はまさに、落ちた雷に打たれたようだった。

 

「……これで、終わりだ! 」

 

 呪術の火が、柄に伝播するほどに熱を帯びていく。

 リクが大剣を手放すと、柄には焦げついた手形が表れていた。

 

 そして、仰向けに貫かれ隙を晒した闇霊の、ソウル体故に境界の曖昧な鎧の隙間に腕を差し込んだ。

 

 『なぎ払う炎』

 

 蛇のように流れる炎の鞭が、体内に直接流し込むように放たれる。

 その火勢のひとつひとつは矮小だが、こういった状況で放つこの呪術は、ソウル体といえど致命傷は免れないだろうことは想像に難くなかった。

 

 ────しかし、この世界に来たばかりのリクには、これまでに知った情報のうちに入らなかったばかりに見落としていた、闇霊のある"特徴"があった。

 

 今回の闇霊の正体は、ダークエルフ。

 先祖の炎をその身に宿す、元来火に親しい種族であったことを、リクは見落としていたのだった。

 

「────ッ! 熱っぅ……!!! 」

 

 闇霊の全身から、炎が吹き荒れる。

 リクは、完全に予想の外であった反撃に、腕を焼かれながらもなんとか離脱することに成功するが、特に呪術を展開していた腕について、大きな火傷を負う結果となる。

 

 闇霊の方を見やると、炎は闇霊の胴体を貫く大剣を焦がし始めており、特に身体に近い刀身の半ばほどに至っては、すでに融解が始まっていた。

 

 闇霊は自身を縫い付けるその剣の柄を握り、まるで小枝のように折り取った。

 そして、ゆっくりと、操り人形が持ち上げられるかのように、足の力のみで悠然と立ち上がった。

 

 背中に突き刺さったままの幅広の刀身が炎に負け、ゴトリと地面に落ちる。

 もう一度放たれた弓兵の矢は炎に阻まれて鏃が意味を成さず、もはや避ける必要すらもなくなっていた。

 

 闇霊は大剣の切っ先をリクに向け、折れた大剣の柄を、その腕に十字に重ねるように構えた。

 

 ────それは、本来二刀流であるこの"獅子"の騎士長が得意とした戦術の最初の型であり、独特なその構えは同時に、リクのよく知る構えのひとつでもあった。

 

 その構えの名は『不死隊の戦礼』。

 ファランの不死隊における開戦の合図であり、大小異なるサイズの剣を使う彼らにとって最適の構えであった。

 

 リクは、炎の鎧を纏う戦士を前に、ひどい火傷を負った自身の腕がまだ辛うじて動くことを確認しながら、独りごちた。

 

「これじゃあ、"獅子"じゃなくて──」

 

「──"狼"だ」

 



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慟哭

 灰と狼、不死と霊。

 灰の騎士リクは砦を背に隻腕へ祈りを込め、その焦げ付いた腕に呪術の炎を宿す。対して故知れぬ狼騎士は祖先の炎を纏い、伝統の戦礼に倣い大小異なる幅広の雷剣を構える。

 兜に遮られた視線は互いを焼かんばかりに熱く交錯し、互いの間合いが届かない数メートル地点でのジリジリとした詰めの歩調を示し合わせたように取っていた。

 二人の騎士のみが介在できる間合いの削り合いを兼ねた僅かな膠着は、狼騎士の人間離れした一足飛びの跳躍を合図に再戦の火蓋が切って落とされた。

 

 砦上の弓兵は、リクの甲冑に覆われた後ろ姿が冷や汗を垂らしたように幻視した。

 端的に言えば状況は悪い。片腕を落とし武器も奪われ、頼みの呪術も炎を纏った狼騎士へは大した効果を期待できない。周囲を包む火の勢いも強まるばかりで、この場を脱するにしても目前の騎士を突破しないことにはままならず、火の手が進むほど不利になる現状では満足に時間すら掛けられない。いわゆる、八方塞がりというものだった。

 弓矢の支援も騎士の纏う炎には鏃すら溶けるこの強敵に弓兵らの為す術はなく、それは目下の灰騎士とて同じだろうという諦念が、リクのやや痩せぎすの背中に集まっていた。

 しかし、当の灰騎士は相対する狼騎士へその目を逸らすこと無く、自身の見据えた勝算へ向けて虎視眈々と手順を詰め始めていた。

 

 飛びかかる狼騎士に、リクは多量の汗を流した。それは冷や汗と言うには多く、分かりやすい部分では、布で覆った甲冑の関節部にすら濃く滲むほどにも大量に。それはリクの内心が過剰に表れた故のものではなく、ひとえに彼が記憶していた膨大な呪術のひとつ、『激しい発汗』によるものだった。

 狼騎士の跳躍は流麗で、その終着点はリクの首へと正確に合わせられている。しかし、リクら不死人の知る本来の闇霊であれば備えていたはずの、感情の機微を利用した戦術を取る気配のない機械じみた動きは、背格好は若年ながら、文字通りに死線を乗り越えてきた老獪さを持つリクからすればむしろ、危険な位置のみを狙うそれはひどく読みやすい軌道と言えた。

 最接近した彼の双大剣をリクは半身で躱し、回避してなお無傷であることを許さない炎の外套がリクを襲う。鎧を焦がし下布を煤にしたそれは激しい発汗により肉体に到達する直前でせき止められる。そして、大振りの隙を潰すため特大剣を振り上げ構え直そうとする一瞬の間隙へ向かって、リクの反撃が差し込まれる。

 弓兵が見たのは、灼熱に包まれ見えなくなる灰騎士の姿。続いて、焼けた鋼の香り。その1秒に満たない後に、鋼のひしゃげるような怪音と共に炎の中心が地面に向かって沈み込む。

 ゆらめく炎の隙間から見えたのは、その身体を重力に任せた狼騎士を満身創痍で見下ろす灰騎士の姿だった。

 

 特大剣が掠めただけで容易く溶解した兜が外れて地に落ち、灰騎士の顔があらわになる。弓兵を背に狼騎士だけを見据えるその灰色の眼光には、立ち昇るような炎があった。

 それはあらゆる感情や感性をも支配されたはずの闇霊をして手を伸ばしたくなるような熱のこもった誘蛾灯のようで、矮小な人の身ながらも『王』となった偉大な不死人だけが持つ、常に勝利をもぎり取らんと輝く不撓の眼光。

 勝ち目のない戦いなどいくつも潜り抜けてきた(いつも通り)。体の動く限り、自身を諦めない限り勝算はあるのだと不死人として戦い抜いてきたリクは確信している。彼はこの場の誰よりも、自身の勝利を渇望していたのだ。

 

「我慢比べはここからだ────この一撃で、終わらせる」

 

 鎧すら原型を留めることのできない炎熱の中心に、リクは手を伸ばす。闇霊の肉体は独特の感触でするりと彼の手を飲み込み、体の内外問わず燃え盛るその炎で腕を蝕んでいく。

 耐えながら狙うのはただ一点。始めからあからさまだった弱点、心臓部にある闇霊の核。拳大の黒い結晶であるそれをもう離すまいと今生の別れの後に再会した兄弟のごとく握りしめたリクは、横這いに薙ぎ払われた大剣を鎧と自らの肉体で受け止める。悶絶するような脇腹への炎雷に奥歯を噛み締めて耐え抜きながら、ただ一心に炎への畏敬を込めて静かに祈った。

『浄火』

 蛮族の業とも称されるそれは、敵の体内で炎を育て爆発させるという仕組みとしては至極単純な呪術だった。しかし、選択されたその業はこと今回の会敵においては紛れもなく最適なものだった。

 ソウルは元来火に惹かれる。そして、魂石とはこの世界ムンダスにおけるソウルを吸収する用途を持っていた。それはつまり、膨大な量のソウルをつぎ込んだ理外の成長を意味していた。浄火は魂石の中身であるソウルをあらん限りに吸収し、その威力は増大し続けていく。

 

 炎はリクの握り込んだ手のひらで火勢を増す。続いて、悲鳴にも似た結晶の破砕音。さらに続いて、手のひらの火種が魂石の罅から漏れ出たソウルを吸収しながら育ち続ける。狼騎士の中で膨れ上がっていく炎はリクの予想を遥かに超える威力を予見させた。対して狼騎士は存在の核そのものへの直接攻撃に対し、炎がみるみる勢いを弱めていく。魂を燃やす先祖の炎すら、リクの火種に吸収されつつあったのだ。

 リクは狼騎士の僅かな硬直を見逃さず、手のひらから炎を切り離す。重く蹴りつけて腕を霊体から引き離すと、その場で身を後ろへ翻らせた。その頃には既に魂石からソウル、霊体から炎を吸収しきった火種は狼騎士の中で人の頭ほどもある爆弾のように膨れ上がり、爆ぜるその時を明滅しながら待つその姿はその位置もあいまって、鼓動する心臓のようにも見えた。

 程なくして、狼騎士からくぐもった爆発音。連鎖はなく、一度のみのそれは数々の追い風もあり、リクが本来想定するよりも遥かに強烈に、狼騎士を内部から破壊した。祖先の炎を逆手に取られれば、いかに炎に親しいダークエルフとて耐え切ることは難しい。

 爆風とともに巻き上げられた土煙が晴れた場所には、騎士の得物の中で唯一の実体であった溶融し半ばから折れたロスリックの大剣のみが残されていた。

 

 弓兵はひとしきり顔を見合わせると、歯をむき出して笑顔を作り、湧いた。灰の騎士──否、苦難を乗り越えた真のノルドたり得る英雄へ称賛の雄叫びを上げる。

 リクは折れた大剣を数秒の逡巡を交えて見つめたのちに鞘へ納めて弓兵へ振り向く。彼らの退路が指揮を行なっていた上官によってしっかりと確保されていることに安堵しながら、子供のように目を輝かせた弓兵たちへ観念したように片手を挙げ、彼らの称賛を受け取った。

 

 ……その時だった。

 

『オォ────』

 

 上空から、ビリビリと世界を揺らす『声』が漏れる。自ら発した霧に揺蕩うように空へ留まっていた黒竜が翼を広げ、その凶悪な牙を備えた口を開いたのだ。満身創痍で聴覚に異常をきたしていたリクすらも、魂に直接響くかのようなそれは十全に聞き取ることができていた。

 その場の注目はすべて、黒竜へと向けられる。英雄を歯牙にも掛けない災害を前に人々は立ち尽くして審判を待つしかないのだと、黒竜は語っているように感じられた。

 しかし、この緊張の中でも咄嗟に動ける剛胆の英傑がひとり、砦へと現れたことで状況は一変する。

 

「リクッ!」

 

 自身の名前を呼ぶ声に振り返ると、火の手から見て反対側からやってきたのは先の黒竜との会敵と敗北の折に別れてしまったはずの男、レイロフだった。彼はリクより少し早く目覚めたのち、ストームクロークの合流先で護衛を外れてリクの捜索を続けることの許しをウルフリックより賜ることで、双方への義理を果たすべくこの場に現れたのだった。

 

「早く、こっちへ!」

 

 レイロフの登場により、その場の緊張状態は一気に好転し、時を同じくして退却の準備の整った鷹の弓兵たちは号令とともに砦の中へと走りだす。あまりになす術もない黒竜という災禍の威容と、闇霊となった万夫不当の騎士長を片腕で退けた英雄への畏敬を胸に、彼らは退却した。

 

 そして、リクはその場へ立ち尽くしていた。それは恐怖で足がすくんでしまった訳ではなく、この世界で彼のみが抱いたであろう"違和感"ゆえのものだった。

 

「ああ……そうか。黒竜、世界を喰らう者。なんで気付かなかったんだ? ……お前は、いや……」

 

「何を言ってる! 早くこの場を離れろ!」

 

ヴェン(強風)ムル()────』

 

「おい、リク! ……リクゥゥッ!」

 

『君は────』

 

『────リク()

アルドゥイン(世界を喰らう者)!』

 

 この時、同時に二つの"叫び(シャウト)"がぶつかりあった。

 アルドゥインからは霧が溢れ、辺りを包む。一寸先も見えないほどの濃霧の中、リクは彼を中心として吹き荒れた暴風によって濃霧から逃れ、上空に佇む黒竜へと相対していた。

 

「君は、世界を喰らうことを辞めたんじゃなかったのか?」

 

 黒竜は答えない。

 

「僕との旅は、全くの無駄だったのか?」

 

 黒竜はなおも答えない。

 

「君が戻ってきたこの世界はそんなに────君にとって、許しがたいものだったのか?」

 

 黒竜は上空でひとつ羽ばたくと、シャウトを行うために大きく息を吸い込んだ。

 

「なぁ、答えろよ────アルドゥイン!」

 

『────クリィ(殺害)

 

 瞬間、リクの体は一切の生命活動を止めた。一瞬の神業にして、拒絶の一撃。その無慈悲な声の鎌は、リクの命をいとも容易く奪い去っていった。暗転する意識の中、リクは慣れ親しみ切った死の感覚と寂寥感を胸に、その場を去っていく黒竜を死を迎えるまでずっと見つめていた。

 

 

 

 

 それから数日が経ったある日。

 イーストマーチの首都ウィンドヘルム、スカイリム建国以前から存在する歴史ある建造物を利用して作られた雪深き玄関口に拠点を構える宿屋「キャンドルハース・ホール」の2階にて、実に奇妙なことが起こっていた。

 宿の名物、建国以前より消えていないキャンドルの火が大きく揺らめき、キャンドルのサイズからしてはありえない量の煙が噴き出すと、憩いの場であったロビーの一帯をすべて包んでしまったのだ。

 それだけであればまだ、その場にいた人々がゴホゴホと咳き込むだけで済んだ筈だったが、これはそれのみに収まらなかった。

 煙が晴れた時、宿の客や傭兵に吟遊詩人、作家すらも一斉に息を呑み、一点に視線を向けていた。

 その視線の先にあるのは、焼け落ちたようにボロボロの騎士甲冑を着た男が、キャンドルの目の前で倒れ伏している光景だ。青天の霹靂とはこのことだろうと、彼らは意見を一致させていた。

 

「……灰の、騎士」

 

 誰ともなしに呟かれたそれは、奇しくも彼の風貌にピタリと当てはまるものであった。




第一章ヘルゲン編、これにて終幕です。
次章以降も鋭意執筆中ですので、次回もどうぞお楽しみに。
感想や高評価など色々なアレもお待ちしていますので、気に入っていただけた方は良ければお願い致しますね。


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第二章
黒い少女


 

 

 

 灰の方、まだ私の声が聞こえますか?

 

 

 

 

 

 ────ただ、慟哭した。

 ヘルゲンに没したとある青年の無念の胸中から発せられた悲痛な叫びは戦火に消え、しかし星霜の書はそれを聴き届けた。

 それは彼方への呼びかけとなり、星霜の書を通じてとある少女のもとへと、確かに届いていたのだった。

 

 

 

 

「────へくちっ」

 

 タムリエル大陸はスカイリム地方、ペイル領の山間にあるディムホロウ墓地の静かな墓標にて、陰気な洞穴に似合わぬ可愛らしいくしゃみが響く。

 しかし、ごく小さなくしゃみのような"それ(シャウト)"はあり得ざる変貌を経て暴風の形を取り、周囲へ拡散する。

 その力は見えぬ破壊の奔流となり、放射状の進路にあったあらゆる障害物を割り砕き、またたく間に辺りを更地に変えていった。

 そして、たった今巻き起こされたまさに異様と言って差し支えのない破壊の中心点からゆっくりと起き上がるようにして、その少女は姿を現した。

 

「……んぅっ……ぅ……!」

 

 ガラガラと轟音を立てて崩れる華美だったであろう石造りの墓標を背景に、少女はあくびを噛み殺しながら伸びをすると、腰紐で緩く縛っていた黒金糸のローブから白磁の腕が覗いた。

 同時に目深なフードが外れ、万人が振り向く整った顔立ちが露となる。あくびに伴った小粒の涙を人差し指で軽く拭いながらルビーの瞳を胡乱げに瞬かせると、やがて意識も目覚めたのか、その勝気なつり目には泰然とした意志の輝きが宿っていた。

 

 少女の先ほどの破壊によってまとわり付いた砂ぼこりは黒金糸のローブをパタパタとはためかせることで取り除かれ、フードから後ろ手で掬うようにして腰の終わりほどもある艶めいた黒髪がふわりと流されると、その背中に薄絹の帳を降ろしていった。

 

「くしゃみなんて、どこかでウワサでもされたのかしら?」

 

 鼻を少しだけ赤らめながら冗談めかして独り言ちるその少女の名は、アルドゥイン。

 竜神アカトシュの直系にして竜の長兄。ここムンダスにおける終末論の象徴である世界を喰らう者として生まれ、当時の勇者や賢人たちによってあり得ざる奇妙な巡り合わせに身をやつし、悠久の時を巻き込んだ紆余曲折の後にこの黒い少女の姿を取ることとなった、竜族で唯一の不死人。

 

 有限を知り、星霜の書の誘った長い夢から目覚めた彼女は、自身の故郷であるこのムンダス次元へついに帰還を果たしていたのだった。

 

 ────果たしていたのだった、が。

 

「……ここ、どこ? ぜんぜん見覚えがないんだけど……」

 

 砂埃が落ち着いた頃、アルドゥインは鈴を転がすような声音もワントーン落とし、怪訝そうに目を細めていた。なぜなら、その瞳が映していたのは天然の洞窟を利用して作られた石造りの儀礼的な神殿の「だった」のであろう、崩落した何かの跡。

 すべてを察した彼女はその場で天を仰いだ。おそらく今置かれている状況を類推できそうな手がかりは、寝起きの自分がまとめて吹き飛ばしたのであろうことを悟ったからだ。

 

「うぅ、寝起きとはいえなんてミスを……」

 

 アルドゥインは頭を抱えて悶えた。

 だが、膠着しかけていた状況は背後の砂塵からゆらりと立ち上がる人影によって素早く崩されることとなる。

 

 奇妙にも足音のしないその人影はアルドゥインへ近づくと、上品さを含んだ落ち着いた声音を途方に暮れる彼女へと投げかけた。

 

「────ディムホロウ墓地。ここはかつて、そう呼ばれていましたわ」

 

「!」

 

 アルドゥインが警戒もあらわに振り向くと、そこには被った砂塵を煩わしげにはたきながらこちらを見据える女性が立っていた。その身長は背負っている大きな巻物を縦に提げようとヒールを要しないほどにすらりと高く、編み込みを施したセミロングの黒髪と高貴さを漂わせる仕立ての良い赤の礼服は、彼女の整った目鼻立ちをさらに際立たせていた。

 

 古めかしい貴族じみた一礼を行った彼女だったが、当のアルドゥインはなおも警戒を緩めることはなかった。

 なぜここにいるのかや明らかに場違いな絶世の美貌を持つ点を差し引いても、目の前の女性には奇妙な点がいくつかあったからだ。

 

 一つ、足音がしない。

 アルドゥインの聴覚は常人に比べて優れており、隙あらば奇襲をかけようと狡猾に隠れ潜む習性を持つ不死人たち(おもに、トゲだらけの鎧を着た因縁深い騎士)の不意討ちをことごとく返り討ちにしてきた彼女からすれば、自身の背後にまで接近されたことはまさに異例の事態であった。なぜなら、これが不死人同士であったなら自身は既に背中へ短剣を突き込まれて絶命していたことは想像に難くなく、このような失策を犯すことはそれこそ、これまでの旅路の中でも序盤のみの出来事、今では笑い話の失敗談に等しいものが自分の身に再来するも同然だからだ。

 それほど実力が離れているならば、警戒しない理由にはならない。もしくは、最低でもタネ(・・)を暴くまでは。

 

 二つ、体温がない。

 正確には体温がないと言うより、魂が冷たい。

 通常の視覚に加え、竜族固有の能力としてあらゆる魂の本質を色で見分ける視覚を持つ彼女は、目の前の女性が「青」く映し出されることに疑問を持った。

 青は魔術の色だ。儀式で操られるスケルトンや、石像に命を吹き込んだガーゴイルやゴーレムのような魔術由来のものであることを示唆するそれは、女性が人の形といえど尋常な生命ではないということをアルドゥインに確信させた。

 

 そして三つ、最後の違和感は見ればすぐに分かるものだ。

 女性の口から長く伸びた犬歯が覗き、その瞳は白目が黒く染まり、飢えた金の瞳が満月のように爛々と光っていた。

 

 言うなれば人の姿に近い人造の獣、裁縫糸で肉と魂を張り合わせたちぐはぐの生命体。アルドゥインはこちらを中立的に伺う目の前の女性の在り方を、内心でそう評した。

 ともかく、これまで目にしたこともない何か、というだけでひとまずの警戒に値する。アルドゥインは彼女をじろりと睥睨し、口を開いた。

 

「あんた、どうして『そう』なったの?」

 

「『そう』とは何を指しているのかしら……なんて、そういった誤魔化しは貴女には不要そうですわね」

 

 確信めいた響きを持つアルドゥインの声色に、女性は観念したように首を振ると、闇夜のごとく黒く染まった白目に輝く満月の瞳がアルドゥインをその中心に捉えた。

 

「────わたくし、吸血鬼ですのよ」

 

 女性の名乗りは、衝撃的だ。

 洞穴の空気が急激に冷え、人類の捕食者の名を告げられた少女は子鹿のように足を震わせて涙ながらに命乞いを──

 

「……ん? 吸血鬼? なにそれ」

 

 ──命乞いを、特にしなかった。

 

「……へ?」

 

 冷え切っていた気がした空気が一気に弛緩する。

 女性は目の前の少女の予想外のリアクションに、素っ頓狂な声を上げた。

 

 



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二人の不死者

「ふーん、吸血鬼……それで? あなたが結局何者なのか、その吸血鬼とやらについて聞かせてみなさいよ」

 

「結構いい度胸をしてますのね。無意味に子どもを震え上がらせる趣味はありませんが、それなら……」

 

 アルドゥインはセラーナと名乗ったその吸血鬼と、かろうじて原型を保っている適当な石段へ向かい合わせに座りながら、彼女の言う"吸血鬼"について話を聞いた。

 セラーナの明晰な解説にふむふむと頷きつつ幾度かその瞳を輝かせたのち、最後には気の抜ける感嘆の相槌を漏らした。

 

「へ~、吸血鬼ねぇ。そんなのが居るんだ、今のムンダスって」

 

「まさか、わたくし達について何一つ知らない者がいるとは思いもしませんでしたわ……。わたくし以上の箱入り娘とは、流石に予想もつきませんでしたわね」

 

「むぅ……知るわけないでしょ? 私の封印より後に生まれた種族なんて」

 

 セラーナは半ば呆れたように目の前の少女を見た。ぷらぷらと足を揺らして口を尖らせる彼女は、どうやら吸血鬼であるセラーナの危険性をしっかり理解した上でなお、まるで自然体を崩していないようで。

 

 しかし、目の前の少女の来歴も聞いた今はこの反応も無理からぬことだろうとセラーナはすでに納得をしていた。

 

「吸血鬼の歴史より長い封印なんて、壮大な話ですわね。眉唾ものの話ではありますけれど、もしそうだとしたら、この星霜の書から現れたのも頷けますわ」

 

 セラーナは背負っていた身の丈ほどの大きな巻物を後ろ手にコツンと叩いた。

 アルドゥインも吸血鬼を知らずとも、その巻物の存在はよく知っている。

 

 かつての忌々しい封印の要にして、今は彼の世界との別れの象徴。

 大きな麺棒のような見た目と裏腹に、世界で最も読解の難しく、最も博識な書物。

 それは今も昔も誰知らず『星霜の書(エルダースクロール)』と呼ばれている。

 

 その書物から自身が現れたと聞いたアルドゥインは興味深そうに目を丸くした。

 

「荒唐無稽な話ではありますが、わたくしの棺がその内側から破壊されたのは記憶に新しいことですから」

 

 セラーナは嘆息し、自身の立てた推測を目の前の少女につらつらと話し始める。

 

「貴女の名前はアルドゥイン。伝説に名高い『世界を喰らう者』と同名ですわね」

 

「本人よ」

 

「確かに、今更それを疑う意味も薄いですわね。あなたはかの竜そのものであることを前提として話を進めましょう。……まず、かの竜は遙か古代の竜戦争の折に星霜の書に封印されたと伝えられていますが、しかし彼はいつか封印を食い千切って必ず舞い戻り、その悠久の拘束の綻びこそ世界の終わりと同義であるとされる、というのがあなたにまつわる伝説の概要ですわ。……実際の所、あなたがわたくしの前に現れるまではよくある子供の寝物語か陳腐な終末論だと思っていましたのよ」

 

「でも、私はもう世界を滅ぼすつもりはないわよ。……約束もあるしね」

 

「そこに興味はありませんわ。わたくしは不死者となってむしろ滅びはいずれ来る必定なのだと言うことを強く感じていますから」

 

 不死者が滅びを受け入れるとは珍しいわね、とアルドゥインはセラーナの意見を心中で評した。

 荒廃しきったロスリックでさえ滅びを避けるべく動くものが大半だったことから考えて、火継ぎを拒否した兄弟王子のごとく超然とした価値観を持つ者は、実際に滅びの危機に瀕していないという条件を加えればどこの世界を探してもそうそう居ないだろう。

 

「……そこで、なのですが」

 

 含みを加え言葉を切ったセラーナの冷たい満月色の双眸は、アルドゥインのルビーの瞳を柔らかく覗き込むように向けられている。

 

「あなたは星霜の書から現れた世界を喰らう者、アルドゥイン。……ですが、わたくしは滅びを忌避しない。だから、あなたに恐怖を感じることはありません。そして、あなたも同じく吸血鬼たるわたくしに恐怖することもない。……そこでどうでしょう。同じ棺桶で寝たよしみで、まずはわたくしとお友達になってみるというのは」

 

 立ち上がり、アルドゥインへと歩み寄ったセラーナは彼女にそっと手を差し伸べていた。

 

 アルドゥインは意表を突かれたのか、きょとんと目を丸くする。

 世界を喰らう者を捕まえて友達になろうとは、不死者はやはりどこかズレているなと感じた矢先、いつのまにか、セラーナの姿に長く寄り添ったとある青年の影法師が重なり、いつの間にか口許が綻んでいた。

 

「……ふ、ふふ……ふふふ、あはははっ!」

 

「あら、笑っていただけて何より。ジョークのつもりはありませんでしたが」

 

「いえ、違うのよセラーナ。ただ、懐かしいなって思ってね」

 

 嬌笑に伴った涙を指で拭ったアルドゥインは、セラーナの妙に生真面目なその姿にすらもう一度彼の姿が重なり、さらにこみ上げる笑みを会話のために一旦留めた。

 

「懐かしいとは、竜か人のお友達が前にも?」

 

「……そうね。竜であり人でもある、変なヤツよ。ちょうど、今の私と同じようにね」

 

 アルドゥインは、セラーナを見ながら誰かを懐かしむように微笑んだ。先ほどよりわずかに潤んでいたルビーの瞳の真意は、埒外の怪物としておよそ尋常な生い立ちを経ていないセラーナには少し計りかねるものだった。

 

 そして、アルドゥインは石段から立ち上がると、差し伸べられていたセラーナの手を取り、いつかに彼と考えたお決まりの常套句(ジョーク)をその声に乗せる。

 

「よろしくね、セラーナ。

 

 ────世界が滅びるまでは一緒にいてあげる」

 

「どうぞよしなに、ミス・アルドゥイン。

 

 ────なら、ご機嫌伺いは不要かしら」

 

 アルドゥインとセラーナは互いの軽口に微笑みあった。

 こうして、竜人と吸血鬼という二人の不死者は邂逅し、互いに奇妙な縁を繋ぐ事となったのだった。

 



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