黒崎君は助けてくれない。 続 (たけぽん)
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1. 黒崎君の憂鬱

 

 

青春とは、あっという間に過ぎ去ってしまう。さながら道を吹き抜ける風の様に。だから人は、限られた青春という時間を全力で生きる。結果失敗しようと黒歴史になっても、いつか大人になった時、心の中のアルバムを開いて感傷に浸るのだろう。

それだけ時間は有限であり残酷である。いくら充実していても、終わりが来てしまうのだ。だから、それに対して愚痴や文句を言う権利は誰にだってある。

つまり何が言いたいかと言うと、

 

「夏休み、短すぎるだろ……」

 

の一言に尽きるということだ。8月の暑さもだんだんと落ち着きを見せ、寒くもなく暑くもないちょうどいい気温になり、道を歩く赤羽高校の生徒たちも半そで半分、長袖半分と見事にハーフ&ハーフな今日この頃。

俺、黒崎裕太郎はというと長袖のワイシャツに薄いジャンパーを被せるという季節の境目らしい格好で通学路を思い足取りで進む。

おかしい。俺の記憶が正しければ夏休みにはいったのはついこないだで、最後にカレンダーを見た時は2学期まで2週間以上あったはずなのに、何故俺は学校に向かっているのだろうか。

 

だが、現実は非常であり、夏休みは既に過去の出来事となっていた。

 

通学路をぞろぞろと歩く生徒の集団の中、俺はポケットから携帯を取り出し今日のニュースや天気予報を検索する。別にニュースや天気予報に意味があるのではなく、俺含め最近の若者は何となしに携帯を見ることが多いのだ。ゲームは一日一時間と言っていた母の言葉は正しかったわけである。

 

それにしても今日は晴天だな。2学期の初めの日が晴れだと、なんとなく気分が上がる。1.3倍くらいには。

これだけ清々しい朝だとうっかり曲がり角でパンを加えた女子とぶつかりそうなもんだ。

 

「無いか。無いよな」

 

そんな少女漫画の様なテンプレ、今も昔も二次元の話だ。そう思い曲がり角を右に曲がる。

 

 

「きゃああああ!ど、どいてえええええ!」

「え?……へぐふっ!」

 

ありのままの事を言うが、俺は歩いていたはずがいつの間にか真っ青な空を見上げていた。どういう……ことだ。落ち着け、情報を整理だ。我、歩く。ゆえに我ぶつかる。

いや、全然わからんわ。取りあえず何かがぶつかって俺はそのまま地面に倒れている事しかわからん。

 

「いてて……」

 

ずっと地面に寝転がっているわけにもいかず、俺は上半身を起こす。

 

「いてて……」

 

それと同時に前方から俺と同じ言葉が聞こえてきた。それに目を向けた俺の視界に真っ先に飛び込んできたのは、白い布だった。

一瞬理解が及ばなかったが、すぐにそれが下着であることに気付き、あわてて上に眼をそらすと、次に視界に入ったのは、一人の女子だった。

 

肩にかかるくらいの黒髪に、幼げな顔、そしてその身にまとっているのは赤羽高校の制服だった。リボンの色を見るに1年生の様だが、どこかで見覚えがあるような……。

 

「あ、あのー聞いてます?」

「え?」

 

その女子が呆れたような眼で俺を見ている。

 

「あ、ああ。ごめん、聞いてなかった」

「そこでどうどうと聞いてないって言えるのは凄いですね……」

「褒めてんのかそれは……?ま、まあ取りあえずぶつかってごめん。不注意だった」

「それと全く同じことを今言ったんですけどね」

「まじか、全然聞いてなかった」

 

とにもかくにも、このまま地面に座ってると遅刻の危険性もある。俺はゆっくりと立ち上がり、ズボンについた砂利を掃う。女子生徒も同じように立ちあがり、傍らに落ちていた鞄を拾い上げる。

 

「取りあえず、今回の責任は両者にあるってことでここまでにして、学校に向かいませんか?」

「そうだな。新学期早々遅刻は目立ってしょうがない」

 

そのまま俺たちは横に並び学校へと歩き出す。

 

「先輩、あの黒崎裕太郎先輩ですよね?」

 

20メートルくらい歩いたところで女子生徒が藪から棒に口を開く。

 

「どの黒崎裕太郎か知らんが、確かに俺も黒崎裕太郎って名前だ」

「私がこの場で言ってる黒崎裕太郎は中学校で黒歴史を製造しまくり、先日の体育祭実行委員会でひと悶着起こした黒崎裕太郎です」

「ああ、それなら俺だ」

「今の言葉で認めるんですか……。普通、『そんな人は知らない』って誤魔化すところじゃないですか?」

「誤魔化そうが何しようが、その情報多分大多数が知ってるから今さらだろ」

「噂通り、歪んでますね」

「よく言われる」

「ふふ、そうですか」

 

女子生徒はクスリと笑う。

 

「それで?その問題児黒崎君に何の用だ?」

「まだ、用事があるなんて言ってませんよ?」

「用事がない奴がわざわざ曲がり角でスタンバイしてるわけがないだろ」

 

俺の言葉に女子生徒は眼を丸くする。

 

「なんでわかったんですか?」

「通学してる俺が進む方向から逆走してる時点で忘れものか、誰かに用事があって待っていたのどちらかに選択肢は絞られる。それに用事がない奴が俺みたいな奴に話しかけてくる用事がない」

 

 

俺の言葉にしばらくぶつぶつと独り言を言っている彼女だったが、じきにこっちの世界へと戻ってきたらしく、再び発言する。

 

「やっぱり、噂どおりですね。黒崎先輩」

「噂……?」

 

そこで今度は俺が自分の世界に入る。噂とはなんだ?たしかに実行委員会の一件は赤羽の生徒には噂として広がっている。だが、彼女が言っている噂とはそれとは違う意味を孕んでいる気がする。

ということは彼女は俺を知っているのか?さっき見覚えがあると感じたのは以前どこかで出会ったからか?記憶をたどってみるがそんな出会いは見つからない。

 

「ちなみに、私と先輩は初対面ですよ」

「なん……だと」

 

ますます謎が深まった。初対面で俺の本質に迫るような噂を知っている人物……。そもそも『初対面』と『知っている』はほぼ対義語の様なものだ。

 

いや、ある。一つだけこの条件を満たすことのできる人間関係が。

 

「もしかして、お前――」

「あ、学校着きましたね」

 

俺の言葉を遮るかのように女子生徒は校門へと早歩きで進む。

 

「お、おい」

「私の名前は神崎 亜美(かんざき あみ)。ご縁があったらまた会いましょう。黒崎先輩♪」

 

そう言い残すと神埼亜美は生徒の集団に紛れて行き、すぐに見えなくなってしまった。

 

「神埼……亜美……」

 

いくら探しても、その名前は俺の記憶には無かった。

 

 

***

 

神崎亜美との出会いから2時間。俺は特に彼女の事を探すわけでもなく普通に始業式に参加し、普通にホームルームに参加し、気付いたら机に突っ伏していた。

 

神崎亜美は言った。『ご縁があったらまた会いましょう』と。その発言は要するに縁がなければわざわざ会うつもりは無いと言う事だ。それなのにこっちから躍起になって探すのははっきり言って無駄だ。

彼女が得た2つの噂も、誰かにいいふらしたところで何の恩恵もない情報な訳で、もはや俺にもダメージはない。

そんな事を考えているうちにだんだんと眠気がやってきて、いつの間にか俺は夢の世界へと旅立っていた。

 

「旅立ちなら後にしろ、黒崎」

「え?どわあ!」

 

不意に名前を呼ばれ、俺は椅子から転げ落ちる。同時に教室内にくすくすと笑い声が聞こえだす。あれだよね、こういう笑われ方が一番傷つくよね。どうせならもっとゲラゲラ笑ってくれた方が気が楽だ。

 

「何をしている黒崎。はやく着席しろ」

 

教壇から俺に冷ややかな声をかけるのは、確か健康診断に引っかかり入院中の担任に変わり今学期から臨時でこのクラスの担任になった結城 愛梨(ゆうき あいり)という女教師。

なんというか、目つきといい口調といい女教師という言葉がぴったりな感じだ。

 

「それでは、ホームルームを続ける」

 

俺が席に戻ると同時に結城先生は話を続ける。

 

「知っての通り、10月には赤羽と緑川で合同体育祭が行われる。だが、それと同時に11月には文化祭も控えている。こちらは体育祭と違って生徒会や委員会とは関係なく有志で実行委員会を形成する。締め切りは今月中、希望者は私に伝えるように」

 

文化祭という単語に生徒たちの眼の色が変わる。体育祭とほぼ同時並行で文化祭の準備をするのは一見愚策に思えるが、実際に企業で働いたりすれば、いくつものプロジェクトが並行して行われるのはよくあることだし、有志という形態は生徒たちにとってかなり魅力的であり、生徒会や委員会に属さない者も気軽に参加できる。

 

「また、それとは違う話だが、来月からは進路調査、それに基づく2者、3者面談も行う。後で配る用紙に必要事項を記入して私に提出するように」

 

進路、か。正直何も考えていない。やりたいこともないし、これが得意だというものもない。ならば無難に進学だろうか。うちの両親も進学したいと言えば首を横には振らないだろう。

 

「そして最後に、部活動に関する連絡だ。近年の少子化によってわが校の生徒は以前より少なくなっている。それに対し部活動の数が多すぎるため、学校側としては人数の少ない部活動の合併や廃部を検討中だ。詳しくは顧問から話があると思うが、一応言っておく」

 

 

部活動の縮小か。ふと雪里の属する漫研のことが心配になったが、あそこは結構部員もいるし特に問題ないな。

となるとこのホームルーム、俺に役立つ情報ほぼゼロなんだが。

 

「ではこれでホームルームを終わる。……とはいえ、今日は授業は無いからこれで全日程終了だ。日直」

「起立!礼!」

 

一同が礼をしたところでチャイムが鳴る。それと同時に各々が活動を開始する。この後どこかへ遊びに行く予定を立てる者、部活動へ向かう者、ただ何となく教室で雑談する者。

俺はどれにも属さないため、帰って寝ることにしよう。

 

「黒崎君!」

 

そんな俺の予定はしょっぱなから崩壊した。それはいつも通り、安城奏が俺を呼ぶからだ。

 

「なんだよ安城」

 

だが、俺も以前ほど難色を示さずにそれに応じる。

 

「実は、手伝ってもらいたいことがあって」

「だろうな。で、内容はなんだ?というか新学期早々生徒会は仕事があるのか?」

「あるよ!ほらこれ!」

 

安城の言葉と同時に俺の机にホチキス止めされたであろうプリントの山が置かれる。適当に一束取ってぱらぱらとめくってみると、そこには赤羽高校剣道部の情報が記載されていた。

 

「えっと、なにこれ。剣道部のフリーペーパーでも作るのか?」

「違うよ!さっき結城先生も言ってたでしょ、部活動の縮小があるって!」

「おい、まさかとは思うがこれって……」

「そのまさか!これは部活動縮小にあたっての各部の資料だよ。ちなみにこれでも全体の半分!」

 

その言葉にげんなりしながらも俺はプリントの表紙をいくつかみてみる。剣道部、柔道部、手芸部、そば打ち部、ワンダーフォーゲル部、エトセトラ……。たしかにこれら全ては各部活動の資料らしい。

 

「これ、何部あるんだよ?」

「えーっとね、研究会とか同好会をふくめて43部かな」

 

これが半分と言っていたから全部合わせて86部以上……。本当にそんなに稼働している部活があるのか?いや、それがわからないから生徒会で精査するってことか。

 

「まあ、そりゃこれを一人でやるのは無理だよな……」

「一応、もう半分は仲谷会長と光定副会長がやってくれることになってるけど」

「それはそれで不安だな」

 

まあ、光定がちゃんと自己主張できればなんとかなりそうではあるが。

 

「ま、取りあえず用件は分かった。この資料の精査を手伝えばいいんだろ?」

「うん。あ、でも忙しいとかだったら断ってくれても」

「残念なことに俺の予定はガラ空きだ」

「そっか。それじゃあよろしくね!」

 

にっこりと笑う安城は俺の机の向かいに椅子を持ってきて座る。

 

「えっと、取りあえずどこから手をつけよっか」

「とりあえずは運動系と文科系で資料をわけて、その後規模や形態別に仕分けするところからだな」

「なるほど!よーし頑張ろう!」

 

そこから作業がスタートした。安城が持ってきたプリントの山を半分に分け、文科系と運動系で二つの束に分けて行く。この作業自体は部活動の名前を見て分ければ事足りるのだが、やっていく中で文科系なのか運動系なのか、そもそも趣旨が不明なものも出現したので、それらをその他としてもう一つ束を作る。『世界一周部』とか『宇宙探検部』とかあったが、一体誰がこんな部活を作ったんだ。というか何故学校は認可してんだよ……。

 

 

内心ツッコミを入れながらも仕分け作業を続けること1時間弱。ようやく全ての資料が3つの束に収まった。

 

「ぁあ~。疲れた~」

 

大きく伸びをする安城、それにつられ俺も何となく腕を伸ばす。

 

「ちょっと休憩にするか。今日って下校時間何時だっけ?」

「えーっと、午前日程だから1時?だったかな」

 

腕時計を見ると、11時ちょうどを指している。あと2時間か。

 

「まあ、30分くらい休憩しても罰は当たらないだろ。この仕事、期限はいつまでだ?」

「来週の頭には先生たちに提出する予定だよ」

 

今回は切羽詰まった仕事じゃないらしい。それならば、今日終わらなくてもあす以降やれば終わるだろう。

 

「よし、それじゃあ休憩するか」

「うん!ひとまずお疲れ様!」

「俺、一階の自販で飲み物買ってくるけど、なんか飲みたいものあるか?」

「え?い、いいよいいよ!せっかく手伝ってもらってるのにこれ以上贅沢言えないって」

「そうか。じゃあ俺が勝手に選んどくわ」

「いや、そういう意味じゃないし!」

 

異議を唱える安城は置いといて、俺は教室を後にした。

 

 

東階段を下り、一階昇降口付近の自販へとたどり着く。財布から小銭を取り出そうとしたが、生憎小銭は切れており、千円札を自販機へと入れる。全てのボタンが青く光ったのを見て、まずは迷わずに綾鷹のボタンを押す。すぐにガコンという音と共に綾鷹が落ちてくる。

次は安城の分だが、何にしようか。よくよく考えると安城の好みなんて全く知らない。まあ、知り合って半年で好み全部網羅してたら流石に気持ち悪いが。

どうしようか。無難に水かお茶。もしくは紅茶系か、はたまたコーヒー系か。

しばらく悩んでいると後ろから肩を叩かれた。自販機の客だろうか。

 

「あ、すみません。今どけま――」

 

振り向いた俺の頬にはその相手の人差し指がぶつかる。

今どきそんな古臭いコミュニケーション方法をとる人がいるとは思わなかったが、問題はそこでは無く、その相手だった。

 

「随分と、早い再会だな」

「そうですね、黒崎先輩♪」

 

にっこりと笑う神崎亜美に俺は苦笑いを浮かべる。まさか本当にご縁があるなんて、微塵も思っていなかった。

 

「それで、何か用か?自販機ならもう少し待ってくれ」

「別に用は無いんですけど、先輩が自販機の前で難しい顔をしてるのを見かけたので、ちょっと声をかけただけです」

 

なにその極振りコミュニケーション力。

 

「別に、ただどの飲み物を買おうか迷ってるだけだよ」

「当ててあげます。その飲み物を渡すのは女子ですね?」

「何お前、エスパーなの?」

「そしてそれは黒崎先輩にとって特別な人である」

「……」

「そこで黙ると図星だって丸わかりですよ?」

「別に、そういうんじゃない」

「でも、あの黒崎裕太郎先輩が何を渡すか熟考するような相手は限られてますよね?」

 

何だこいつ。なんでこんなに俺に絡んでくるんだ。俺が誰に何を渡そうと神崎には何も関係ないはずなのに。

 

「ちなみに、私のお勧めは2段目のバナナオレです」

「……そうかい」

 

俺はそう答えながらバナナオレのボタンを2回押す。当然、バナナオレも二つ出てくる。俺はその二つを取り出し、一つを神崎に渡す。

 

「なんですか?」

「情報料」

「口止め料の間違いじゃないですか?」

「なんでもいいよ。それじゃあな」

 

 

そのまま神崎に背を向け、俺は教室へと歩を進める。

 

右手に持ったバナナオレのパックは、既に俺の手の熱でほんのり温かくなっていた。

 

 



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2. 神崎亜美の秘密

翌日の放課後も、俺と安城は教室で部活動縮小についての資料の仕分け作業を行っていた。昨日の時点で、種別、規模別に区分けしていたので、今日は内容の精査が主である。

 

「……それにしたって稼働して無い部活多すぎだろ」

 

バインダーに挟まれた名簿には既に部員もおらず、名前だけの部活動がかれこれ17個もバツ印がつけられている。

 

「まあ、発足したはいいけど具体的な活動内容がなくて、いつのまにか忘れられてたってケースだよね」

「学校側も、当時は生徒数が余りに多くて把握しきれてなかったってことか」

 

恨むぞ、歴代の赤羽高校卒業生……。

 

「まあ、取りあえず実質廃部になってた部活はこれで全部だな。あとのやつは一応現在も部員がいて、活動も定期的に行われているみたいだし」

「ここから規模縮小、もしくは廃部になる部活を選ぶんだよね……。責任重大かも」

「とはいっても、あくまで最終的に決断を下すのは学校側だ。俺たちはその前座な訳だし、そんなにプレッシャー感じなくてもいいだろ」

 

運動部の束の一番上の資料を何の気なしにぱらぱらとめくりながら答える。

 

「よし、ここからはこれらの詳しい活動内容、学校への貢献度、部員数、今後の見込みって観点から分けて行こう。活動内容が似通っていたり、属するジャンルが共通のものは合併するって選択肢もあるし」

「そうだね。部活自体が無くなるくらいなら合併した方がましって考えてる部もあるだろうし」

 

安城は俺の目の前においてある運動部の束を自分の方に寄せ、俺に文化部の束を寄せてくる。

 

「……?」

 

それに何か違和感を感じたが、運動部のほうが量が多いし、手伝ってくれてることへの安城なりのお礼なのだろう。

だから、俺は特に何も言わず資料に目を通す。

まずは『アニメ研究部』。部員内訳は3年生が7人、2年生が6人1年生が12人。活動内容はアニメの観賞、それらのプレゼン資料の作成、自主制作アニメ、か。

1年生が12人いるのなら、仮に卒業までに半分消えても6人以上は居るし、2年生の人数的にも部として継続できる見込みは十分ある。そして、この自主制作アニメは重要だ。確かにコストはかかるが、これがあるだけで『面白そうだし、取りあえず入部してみよ~♪』みたいな感じで一定数部員は集まるだろう。

さらには『アニメ研究部』という名前。アニメに関連する活動内容の部活との合併成功率はかなり高い。

うん、アニメ部は存続して問題なさそうだな。

次は、漫研か。雪里が部長を務める部活だが、変にひいきとかは無しに吟味するか。

えーっと……。

 

そこから30分くらい仕事を続け、俺たちは昨日と同様に休憩をとることにした。

 

「ふう……」

 

椅子の背もたれに体重をかけ、ぐらぐらと前後に動かしながら教室内を見渡す。放課後だけあって、教室に残っているのはごくわずかな生徒だけ。とはいえ俺にクラス内での深いつながりは無いし、安城も飲み物を買いに行ってしまったので実質一人と同じだ。

だが、さっきから時折視線を感じる。とくに男子から。彼らとしてはあくまで何となく教室に残って何となく雑談していることを装っているのだろが、こういう時、みられる方は結構敏感なものである。

 

「なあ、やっぱり安城さんと黒崎って付き合ってるのかな?」

「おい、やめろよ。俺安城さん結構いいなって思ってんだからさー」

「いや、安城と黒崎のあの距離感、俺のデータでは82パーセントの確率で付き合っている」

 

うん。君たち、会話全部聞こえてるからね。最初は本当に雑談だったけど安城が席外してから露骨に会話内容変わってるからね。

 

「あーあ。いいなー安城さんって結構スタイルいいし、可愛いし、それに元気はつらつ系だし、もう完ぺきだよなー」

「黒崎の奴、もうやることやってるのかねー」

「俺のデータでは84パーセントの確率でそういう類のことはしている」

 

どういう統計のデータか知らないが、その言葉に俺は夏休みの夜の学校での一件を思い出してしまう。あのときはとっさに眼をそらしたが、それでも安城の健康的な肌の色は記憶に焼き付いているし、なんなら掃除用具箱での件はそれ以上に刺激が強かった。

 

い、いかん。あれは事故だ。安城だって俺なんかにいつまでも憶えられているのは嫌だろうし、さっさと忘れてしまおう。

 

「黒崎君?」

「へぐしっ!?」

 

いつの間にか教室にもどってきていた安城の言葉に不意をつかれた俺は椅子ごと後ろへとひっくり返る。

 

「ちょ、ちょっと、黒崎君!大丈夫!?」

「い、いてえ……」

「もー、なにやってんのさー」

 

そう言って安城が手を差し伸べてくる。

 

「だ、大丈夫だ。因果応報ってやつだから」

「どういうこと?」

「そういうことだよ」

「黒崎君って、たまに訳わかんないこと言うよね」

「こういう時は訳の分からないこと言うんだよ。訳のわかること言ってどうする」

「ん~。今のも訳わかんないけど……」

 

困惑する安城の手を掴もうとしたが、周囲から刺さるような視線を感じたので自力で立ち上がり、椅子を戻すことにした。

 

「あ、これ。昨日のお返し」

 

再び席についた俺の目の前に差し出されたのは昨日神崎に勧められたバナナオレだった。さらに言うと、安城も同じバナナオレのパックにストローをさしている。

 

「二日連続で飲むほど気に入ったのか?」

「うん。私バナナオレ好きだから。これ、夏休み前は自販に無かったのに、業者さんに感謝だよ」

 

なるほど、神崎の勘も案外侮れないな。

俺もパックにストローをさしバナナオレを飲んでみる。

 

「お、まじだ。これ美味い」

「ふふ、黒崎君甘いもの好きだもんね」

「そうだな。甘いジャムを挟んだサンドイッチなら尚好きだ」

「あー、黒崎君お昼いっつもサンドイッチだもんね!」

「え、なんでお前そんなことまで知ってるの?」

 

その問いに安城は何故かあたふたとする。

 

「い、いや、ほら!たまに見かけたからさ、本当にたまにだけど!」

「お、おう。たまにな、たまに」

「う、うん……」

「さ、さて、休憩取ったし再開するか」

 

俺はわざとらしい口調で資料をめくる。

駄目だ、夏休みの一件以来、以前より安城とコミュニケーションをとるのが難しくなっている。

別に喧嘩したわけじゃないし、関係性が変わったわけでもない。俺たちの関係はよくて友達、悪くて依頼者と助っ人のままのはずなのに。それなのに、何気なくかわす一言一言にいちいち気を使って、相手の反応に一喜一憂して、朝下駄箱で会ったり、帰りに挨拶したり、こうやって一緒に仕事に取り組んだりする中で気持ちが大きく揺れて、それでいてその揺れが気持ちよくて。

以前木場は言っていた。俺は恋愛ごとにおいては小学生以下だと。小学生がどのラインなのか知らないが、なんにせよ、これから安城のサポートをしていくのならどこかでこの感情をはっきりさせなくてはいつか俺は崩壊する。

以前の俺なら、さっさと伝えていただろう。結果がどうであろうとそのほうが自分にとっても相手にとっても効率的だと、そんな詭弁で自分を欺き、無理やり納得させていた。

だが、安城奏と関わりを持ってしまった今となっては、そんな屁理屈は自分で棄却してしまうだろう。

どちらにしても俺の選択肢は2つ。伝えるか、伝えないかだ。だが、伝えてその先どうなるんだ?安城がどう返事しようと高校生の恋愛なんて進路選択だの卒業だのでいつのまにか消滅しているものだ。それで俺は納得するのか?今の関係を続けた方がいいんじゃないか?

 

「ちょっと、黒崎君!聞いてる!?」

 

その言葉に、俺は現実へと引き戻される。机の向かいで安城が頬を膨らませていた。

 

「わ、わるい。聞いてなかった」

「そこはもう少し取り繕ってよ……」

 

なんだかデジャヴを感じるが気のせいだろう。

 

「そ、それで?なんだっけか」

「あ、うん。私大体精査したけど、黒崎君の方は?」

「あ、ああ大体終わってる」

「それじゃあ、これ、生徒会室に持っていこっか」

 

安城は椅子から立ち上がり、仕分けしたプリントの何箇所かに付箋を貼り、それらの隅を揃え、抱えこむ。俺もそれに倣い付箋を貼り、抱える。

 

***

 

生徒会室の位置は、入学した時に渡された案内図に記されていたので知ってはいた。だが、俺は入学してから一度もそこを訪れたことは無い。まあ、生徒会室を訪れる用事がある生徒なんてのもそうはいないだろうけど。

 

教室のある2階から3年生の教室のある3階を通り越し、4階へとたどり着く。この階層にあるのは生徒会室、図書室、技術室、美術室、そして空き教室がちらほらと。

生徒会室は優遇されているのか階段を昇り切ってすぐのところに位置していた。

 

「失礼しまーす。会長、いますかー?」

「どうぞー」

 

 

安城が扉をノックすると、すぐに向こうから生徒会長の仲谷の声が聞こえる。

 

「俺、外で待ってるわ」

 

仲谷とは体育祭実行委員会の一件以来顔を合わせづらくなっている。あの後、安城が俺の作った予算案の事を説明してくれたことで表面上は和解という形にはなっているが、一度できた溝というのはそう簡単には埋まらない。

まあ、仲谷は今年で卒業だから埋める間もなくお別れだろうけど。

 

「……わかった。それじゃあプリント頂戴」

「ほいっ……と」

 

安城は俺から文化系の資料を受け取ると生徒会室へと入っていった。

用件が終わるのを待つために、俺は壁に寄りかかり、携帯を取り出し適当にネットを漁る。

だが、俺がめぼしいニュースを見つける前に、こちらへ歩いてくる足音が聞こえた。

 

「……どうも。結城先生」

「黒崎か。今日も安城の手伝いか?」

「え?」

「ああ、説明不足だったな。安城から君の話は聞いている」

「いや、今の説明も説明不足なんですけど」

「ああ、すまない。ちゃんと説明しよう」

「いや、別に興味ないです」

 

だが、結城先生は俺の言葉を敢えて無視したのか、俺のと同じく壁に寄りかかり、右手に持っていた缶コーヒーのタブを開ける。

 

「私は基本的にはどこかのクラスの担任はしない。立場上できない、と言うのが正しいか」

「……」

「そこは、理由を問いかけるところだろう」

「俺、回りくどいの嫌いなんすよ。特撮ヒーローの名乗り口上を二回目以降早送りで飛ばすくらいには」

「それは大分損している気がするが、まあいいだろう。では、さっさと結論から言ってしまおう」

「おなしゃーす」

「私は生徒会の顧問なんだ」

 

結城先生は俺が入学した時からこの学校に居るのは知っていたが、その肩書きまでは知らなかった。

そして少しの沈黙。だが、何故沈黙したか俺には分からなかった。だから、俺は会話を再開させる。

 

「なるほど、そりゃたしかにどっかのクラスの担任になったらそこに肩入れしちゃって不公平な結果になるかもしれませんね」

「そのとおり。そして、生徒会の会議の中で安城の口から君の名前がよく出てな」

「へえ」

「私は参加していないが体育祭実行委員の時も、君の名前は関係者から頻繁に聞いていた」

「まあ、一波乱起こしましたからね」

 

要するに、生徒会の顧問だから、生徒会の一員である安城の手助けをしている俺の事も知っていると、そういうことらしい。

 

「それで、君に興味が湧いてな。校長に頼んで臨時担任にしてもらった」

「なんすかそれ、禁断の恋ってやつですか?」

「大人をからかうな。……それにしても、周囲の人物から聞いていた情報と今の君は何と言うか……ずれてるな」

「他人の評価ってのは良くも悪くも先入観とかでフィルター掛かってますからね」

 

俺は自嘲気味に笑うと、何となく足元を見る。すると、そこにはプリントが一束落ちていた。拾ってみると、それは俺たちが仕分けていた部活の資料の一つだった。安城の奴、落して行ったのか?

だが、そのプリントに張ってある付箋を見て一つの仮説が立った。

 

「はあ……。また回りくどいことを……」

「どういうことだ?そのプリントがどうかしたのか?」

「まあ、多分。もうそろ安城がでてくるでしょうし、その時確認します」

 

俺の言葉の通り、1分もしないで安城は生徒会室から出てきた。

 

「お待たせ―!黒崎君!……と、結城先生?」

「お疲れさん」

「ご苦労だったな、安城」

「え、なんでそんな眉間にしわ寄せてるの二人とも?」

「白々しい事言うなよ。ほらこれ」

 

俺はさっき拾ったプリントを安城に手渡す。

 

「おかしいと思ったんだよ。お前がわざわざ机の上の文化系の資料と運動系の資料の場所を入れ替えた時から」

「あ、あははは……」

「このプリントに乗ってる部活動、『ゲーム部』は部員数もわずか、そしてここ最近の活動実績もない。おまけにお前はこのプリントの付箋に『廃部検討』って書いて、しかも今さっき俺の足元にわざと落として行った」

 

正直、安城がこんな回りくどい事をしている理由も大体分かる。だが、やはりはっきりと言語化するべきだろう。

 

「お前は俺になんども『ゲーム部』の資料を見る機会を与えた。つまり、お前はこの部活動に関して、俺になにか頼みたいことがあるんだろ?」

「うう、やっぱりばれたか~」

「というか、ばれること前提だろ、それ」

 

俺の言葉に安城は咳払いをしてから答える。

 

「単刀直入に言うと、私はこの部活を廃部させたくないの」

「そりゃまたなんで?」

「それは……私的な理由で」

「はい?」

「とにかく!私はこの部活を廃部させたくない、でも私は生徒会の書記でしょ?だから、その……」

「立場上変に肩入れもできないってことか?」

「そう!流石黒崎君!それじゃあ……」

「断る」

「即答!?」

「あのな安城。部活動の縮小に関しては学校側も意地悪で言ってるわけじゃない。本当に予算的人員的に厳しいからやむをえずとった策なんだ。仮に無理やり一つの部活の廃部を阻止したらどこかの部にしわ寄せが行くだろ」

 

それは中学の時、漫研の廃部を阻止した俺だから言えることだ。もしかしたら、あの手この手を尽くせば廃部の阻止は出来るかもしれない。だが、結局それは誰かの犠牲の上に成り立つことだ。それを阻止しようとすればまた別の犠牲が出る。要するにいたちごっこなのだ。

 

「で、でも……」

 

安城は尚も食い下がる。

 

「そうだな。私も反対だ」

 

唐突に今まで黙っていた結城先生が口を挟んできた。

 

「学校側としても生徒会顧問としても、その役員に私的な理由での擁護をされるのは困る。一つ特例を認めたらもう言い訳ができなくなるからな。ただ……」

「ただ?」

「ただ、生徒会にも学校側にも関係ない『部外者』がやったことまでとやかく言って責任を取らせるつもりは無い」

「それって、俺に安城の用件を飲めって言ってるんですか?」

「そうはいってない。ただ事実を述べただけさ……っと。もうこんな時間か。私は職員会議があるからここで失礼させてもらうよ」

「お、おい!」

 

俺の制止も虚しく結城先生はひらひらと手を振り階段を降りて行ってしまった。

 

「えっと……」

 

脱力しながら俺は安城の方へと視線を戻す。

 

「く、黒崎君……。お願い!」

「うぐっ……」

 

その時、俺の中で二つのマインドが戦いだした。『安城を助けよう』というマインドAと、『流石にそこまでやる義理は無いだろ』というマインドBだ。俯瞰して見ればBの意見を聞くべきだろう。だが、俺はなぜかAよりの思考に手を伸ばそうとしていた。

 

――いや、まて、落ち着け。

 

――いいや、もうまてない、押すぞ!

 

せめぎ合う二つのマインド。激しい競り合いの結果、勝者は。

 

 

「取りあえず、話だけ聞かせてくれ」

 

まさかのマインドCだった。

 

***

 

「と、いうわけで」

「どういうわけだよ……」

 

そんなツッコミをいれつつも、俺と安城は部室棟の最上階の一番奥、今回の件の重要参考人、『ゲーム部』の部室の前へやってきた。

赤羽高校の最辺境の地ともいえるこの部室の扉には、木製のプレートに『ゲーム部』と簡潔に記されぶら下げられていた。

 

「よし」

 

なぜか気合いを入れている安城がドアをノックする。

 

「はーい、どうぞー」

 

その返事と同時に安城が扉をあけ、俺たちは部室内へと足を運ぶ。

部室の中は真っ暗。カーテンは全て閉められており、面積の半分は押しやったであろう机といすが無造作に積まれており、もう半分は薄い明りに照らされていた。その明りの発信源はと言うと、黒板の近くにおいてある机の上の薄型テレビだった。

 

「どういう……ことだ?」

 

なんだこの引きこもりの部屋みたいな部室は。はっきり言って情報がほとんどない。俺が戸惑っていると安城が部室前方の蛍光灯のスイッチを入れる。

すぐに室内が照らされ、視界がはっきりとする。

 

「もう、亜美ちゃん!私言ってるでしょ、ゲームをする時は部屋を明るくしてテレビから離れてやろうって!」

「うわっ、お姉ちゃん、何ですかその夕方6時の子供向けアニメのコピペみたいな説教。正直懐かしいです」

「そうそう、あのころはよかったよね、最近はあんまり夕方にアニメやらな……じゃなくて!」

「なんですか?お姉ちゃんもゲームしにきたんですか?」

「違うよ!言ったでしょ、助っ人を連れてくるって!」

 

そこでようやく俺が会話に入る余地ができた。正直いらなかったけど。

 

「……ほんとにご縁があるとはね」

「あ、黒崎先輩じゃないですか。昨日ぶりですね♪」

「え、二人とも面識あったの?」

「いや、ぜんぜ「はい!」

 

「……どっち?」

「黒崎先輩からしたら、私は昨日初めて会った可愛い後輩でしょうね」

 

なんか『後輩』の前にいらん付加情報がついてた気がするが気のせいだろう。

 

「てかお前……神崎もこの前俺と会うのは初めてみたいなこと言ってたろ」

「そうでしたっけ?まあ、先輩と喋ったのは昨日が初めてですけど」

「けど?」

「噂はお姉ちゃんから聞いてたので」

「え?」

「ちょっ!」

「お姉ちゃんったらいっつも先輩の事ばっかり話してくるんですよ~。『黒崎君が凄い』とか『黒崎君に助けてもらった』とか『黒崎君のお嫁さんになりたい』とか『黒崎君のご両親にはいつ挨拶すればいいんだろう』とか」

「言ってない!後半の2つは絶対言ってないから!」

「いや、ちょっと待て安城」

「く、黒崎君!ホントだから!言ってないから!」

「いや、そんなことより」

「そ、そんなこと!?」

「お前と神崎って……どういう関係なんだ?」

 

安城は神崎を『亜美ちゃん』と呼び神崎は安城を『お姉ちゃん』と呼んだ。確かに良く見るとこの二人の外見は似ている。だが、安城は『安城』奏で神崎は『神崎』亜美だ。

するとこれは凄く複雑な事情を抱えているのだろうか。

 

「あ、いえ。違います。私たちはただのいとこです」

「お前絶対エスパーだろ」

「エスパーなら脳に直接語りかけますよ」

「なるほど、それは確かに」

 

いとこ、ねえ……。なんだかだんだん状況がわかってきた気がする。

 

「安城、一応説明してもらっていいか?」

「え、ええと……」

 

そこから安城による説明が10分ほど行われた。実際には説明の内容自体は3分くらいで終わるものだったが、途中途中で神崎が訳の分からない茶々を入れてきたため、無駄に7分も消費した。

 

「要するに、安城はいとこが所属する部活を廃部にさせたくないから俺にそれを阻止してもらいたいってこと?」

「ま、まあね」

「あのなあ、そんなことなら……」

 

そこで俺は言葉に詰まってしまった。『そんなことならさっさと言え』と、そう言おうとしていたはずなのに。

 

「……そんなことなら、諦めろ」

「うわ~辛辣ですね先輩。大切な友達の頼みをそこまでバッサリと」

「そもそも大元はお前だろ神崎」

「さらに辛辣ですね」

「とにかく、俺はこの件については……」

「えー、助けて下さいよ~!ゲーム部が廃部になってもいいんですかあ~!」

「正直、どうでもいい」

 

俺は別に便利屋でも万屋でもない。誰かれ構わず助けたい訳じゃない。安城のいとこだとしても対して知りもしない人物を助ける理由は無い。

 

「なるほど。先輩の言い分はわかりました」

「俺殆ど言い分述べてないんだけど」

 

だが、神崎はそれには応じずにっこりと笑う。

 

「それじゃあ、私とデートしてください」

 



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3. 黒崎君の休日

それから2日後。今日は国が決めた立派な祝日であり、天気予報では気温も安定し、天気も一日中晴れだと禿げたリポーターが言っていた。その予報通り空は澄んでおり、母も洗濯物を意気揚々とベランダに吊るしていた。

そんな祝日、本来なら昼ごろに起き、のんびりと読書でもするところなのだが、俺は駅前の大きなショッピングモール『ジャスト』の入り口で佇んでいた。

その理由は言わずもがな、神崎の『デートしてほしい』という意味不明な言葉が発端であり、俺がここに佇んでいるのはその神崎を待っているからである。

まあ、デートというのは恋人がするような甘いものを指しているのではなくて、俺にゲーム部の話を聞かせるための誘い文句でしかない。当然俺は断る気満々でいたのだが、最初に安城に「話だけ聞く」と言ってしまったことと、その安城が必死に頭を下げてきたことが、俺から撤退の選択肢を消してしまったのだ。

 

「俺、将来は社畜になれそうだな……」

「先輩の性格だと残業めっちゃしそうですよね」

「そうそ……ってお前いつから後ろに居たんだよ。まじでビビったわ」

 

いきなり後ろから聞こえた声に振り向いた俺の言葉に神崎亜美はただにっこりと笑うだけだった。

 

「先輩、そんなに後ろが無防備だとうしろから女の子に抱きつかれちゃいますよ。あ、でもお姉ちゃんだったらむしろご褒美ですかね?」

「誰であろうと勝手に後ろから抱きついてきたら即通報だ」

「相変わらずノリ悪いですね。クラスでボッチなのも頷けます」

「何言ってんだお前、俺がクラスで一人なのはノリが良い悪いの問題じゃない。そもそも誰も話しかけてこないからだ」

「こんなに悲しい自慢、私初めて聞きましたよ」

 

これ以上この話題を続けても俺の祝日が無駄に削れるだけだ。そう思い俺は自動ドアの前に立つ。すぐにセンサーは俺を認識してくれたらしく、ドアが開かれる。センサー優しいな。クラスの奴らなんて都合のいい時しか認識してくれないのに。

 

「ほら、さっさと行くぞ。そして4時には帰る」

「待ち合わせてそうそう帰宅時刻の宣言って、先輩女の子と出かけたことないんですか?」

「今出かけてんだろ」

「うわー、屁理屈ですね」

「やかましい。ほら、行くぞ」

 

入口付近でうだうだしてても悪目立ちするだけなので俺はさっさと店内へと踏みいる。神崎もそれ以上は何も言わず隣をついてくる。

 

「そんで、どこ行くんだよ」

「丸投げですか、デートなのに」

「何もないんだな。じゃあ帰る」

「ちょっと待ってくださいよ!あります、行くところありますって!」

 

神崎は必死に俺の腕をつかみ引き留めようとする。それと同時に周囲の客もざわめきだす。もしかして男女の別れ話の最中だとでも思われたのだろうか。なんか売り場の店員もちらちら見てるし、出禁になる前に騒ぐのをやめるべきだろう。

 

「……はいはい。それじゃあ、どこ行くんだ?」

「こっちですこっち!」

 

神崎は俺の腕を掴んだままずんずんと進んで行く。こういう強引なところはたしかに安城のいとこだと言われれば納得できる部分だ。

そして、連れてこられたのはモールの2階にあるゲームコーナーだった。設置されているゲームの数はそれほど多くは無いが、それでも結構大きな音が混ざりあいいかにもゲームコーナーといった感じだ。祝日なだけあって親子連れや学生カップルも多いように見える。

 

「で、なんでゲームコーナー?」

「ゲーム部の事を知ってもらうにはゲームが一番じゃないですか」

「いや、別にゲームせんでも話だけしてくれればいいんだけど」

「おやおや?先輩逃げるんですか?」

「そんな挑発に乗るほど陽キャじゃなくてな」

「陽キャが短気、みたいな差別的発言に聞こえますけど、確かに黒崎先輩は乗らないですよね……」

「それじゃ、適当にフードコートにでも……」

「まった!それじゃあ先輩がゲームしてくれたらお姉ちゃんの可愛い写真をあげます!」

 

安城の可愛い写真?それは一体どういうものだろうか。何か特別な衣装を着ているのか、それとも今とは違う髪型だったりするのだろうか。

 

「あ、先輩揺れてますね?」

「そ、そんなことはない」

 

図星をつかれてつい言葉が詰まってしまった。

 

「いいのかな~。せっかく露出多めなのにな~」

 

正直にいって写真に興味がないわけではない。だが、ここで小一時間ゲームをしたところで神崎からゲーム部の話を聞くと言う今日の目的は何ら果たせない。

だが、向こうがゲームに対して対価を払うつもりがあると言う事は負ける気は無いと言う事だろう。それなら、ひとつ俺にもこの話しに乗る意味がある。

 

「わかった。付き合ってやる。その代わり、俺が勝ったら安城の話禁止な」

「あれ、写真じゃなくていいんですか?」

「お前にしつこく安城関連の話をされるよりましだ」

「写真に興味がない、とは言わないんですね」

「……」

「わかりましたよ。その条件でいいです。だからそんな怖い顔しないでくださいよ」

 

よし。後は勝負に勝てば神崎の俺に対する交渉の札を一枚減らせる。安城を盾に無理やりにでも俺をうなずかせようとされたらたまったもんじゃないからな。

 

「それで、何のゲームをするんだ?」

「あれです」

 

神崎の指し示す方にあったのは最近携帯版がリリースされた大人気ゲーム『ソード・エレメント』のゲーム台だった。俺の記憶が正しければ中学時代に矢作恭子とプレイしたゲームの中にこれもあったはずだ。その名の通り、属性の違うソードを3本選択し、キャラクターを選んでそれらを用いた勝ち抜き戦を行うゲーム。ソードの属性には相性があり、例えば炎属性のソードは水属性が弱点で攻撃を喰らうとHPが通常の2倍削られる。それゆえ相手の使うソードの属性を予想しながらソードを選び、上手く使い分けて行くことが重要となる。なんだかソードのゲシュタルトが崩壊してきたな。

 

「ほらほら、先輩はやく」

 

いつの間にかゲーム台の前の椅子に座り小銭を投入している神崎にせかされながら俺も向かいの台につく。

小銭入れから100円玉を取り出し台に投入、起動するまでの間感触を確かめるようにボタンを適当に押す。

 

「なんか、手なれてますね、先輩」

 

そういえば、こいつの知っている俺の情報は安城から聞いたものだ。それなら、中学時代の俺の情報はほとんどないと言える。つまり、恭子とゲーセンに入り浸っていた俺について、神崎にはデータがない。

 

「そう見えるか?」

 

だから、無駄に情報を与えないためにも当たり障りのない返答をする。

 

「まあ、私の気のせいかもしれないですね。じゃあ、ゲーム始めちゃいましょうか」

「あいよ」

 

ようやく起動したゲーム台を操作し、対戦モードに設定する。次に出てくるのはキャラ選択の画面。このゲームでは4種類のキャラが存在し、それぞれが得意とする属性のソードが異なる。俺は一通り使ったことがあるので、一番使いやすいバランス型のキャラクターである『ライア』を選択……しようとしたが、画面を見て手を止めた。

 

「なんだこいつ」

 

俺の記憶では確かに選択できるキャラは4種類だった。だが、画面にはキャラが5種類表示されている。どうやら俺の知らない間にアップデートが入ったらしく、『ジャーロン』という見たことも聞いたこともないキャラが表示されていた。

 

「先輩、決まりましたかー」

「あ、ああ。今決める」

 

取りあえず、ジャーロンは置いといて最初に選ぼうとしたライアを選択し、ソードの選択に移る。

このゲームのソード属性は5つ。炎、水、雷、土、風。俺の選択したライアはどのソードも苦手とせず、また得意ともしない。なのでこれまた使い慣れた炎、雷、風を選択する。

 

「決まったぞ」

「私も決まりました~」

 

神崎の応答を確認し、対戦開始のボタンを押す。

すぐに横スクロールの画面にキャラクターが表示される。俺の選んだライアは炎属性のソードを持って画面の右側に立っている。

そして、神崎のキャラは……

 

「ジャーロン」

「カッコイイでしょ。私の推しです」

 

そのジャーロンのソードの属性はどうやら雷らしい。この時点で属性相性による有利不利は無し。つまりはキャラの性能とプレイヤースキルによる戦いだ。

 

「それじゃあ、準備いいですか?」

「問題ない」

「それじゃあ、試合開始~」

 

神崎のゆるい掛け声と共に対戦がスタートする。このゲームのルールはターン制のコマンドバトル。両者がソードごとに振り分けられた技を選択し発動。先に相手のHPをゼロにすれば勝ちとなる。

 

「さて、どうするか……」

 

俺は1ターン目のライアの行動を考える。炎属性のソードの技の選択肢は4つ。そのうちの3つが攻撃技で、もう一つがサポート技だ。

まあ、定石通り初手から攻撃安定だろう。俺はコマンドを入力し、決定ボタンを押す。

すぐに神崎も入力したらしく、1ターン目が始まった。

 

『ライアのファイアジェットスラッシュ!』

 

俺の選択した技は8割の確率で先制攻撃の出来る技。威力は小さいがこのゲームにおいてダメージレースの先行は重要な要素だ。

 

『ジャーロンのエナジーチャージ!』

 

神崎のキャラは最初からサポート技を使用。たしかあれは自身の攻撃値を1、5倍にする技だ。しかもこの効果はソードを変えても引き継がれる。

とはいえ、その戦法は他のキャラでも出来ないことは無い。どうやらこのジャーロンと言うキャラも既存キャラと使える技は似たり寄ったりらしい。

 

『ライアのバーニングブレイド!』

 

2ターン目。俺の攻撃で既にジャーロンのHPは半分を下回る。

 

『ジャーロンのエナジーチャージ!』

 

2ターン続けてのエナジーチャージ!か……。攻撃値を最大にされる前に倒すのが無難だな。

 

『ライアのバーニングブレイド!』

『ジャーロンのエナジーチャージ!』

 

おい、なんだこいつ。受験期の学生のごとくエナジーチャージしてるんだが。もうHPはレッドゾーンだぞ。

 

『ライアのファイアジェットスラッシュ!』

『ジャーロンのソードは砕け散った!』

 

呆気なく一本目を先取。なんだこれ、恭子とやった時よりワンサイドなんだけど。

 

それから次に出てきたソードは土属性で、相性は普通。俺が攻撃を繰り出すのに対し神崎はエナジーチャージを繰り返し、2本目も俺の勝ち。

 

「おい、お前勝つ気あるのか?」

「もちろん!」

 

こいつ、ひょっとしてゲーム下手か?部室に他に誰もいなかったのはそのせいなのだろうか。

考えても仕方ない。次のソードを倒してさっさと終わらせてしまおう。

 

 

『ライアのバーニングブレイド!』

 

これでジャーロンのHPは風前の灯。後一撃で勝負は決まる。

 

「呆気なかったな……」

「ふ、ふふ……」

「ん?」

 

急に笑いをこぼす神崎。一体どうしたんだ?

 

「先輩今、『勝てる』と思いましたね?」

「は?」

「でも残念。この勝負は私の勝ちです!お楽しみはこれからですよ!」

「……?」

 

この状況で神崎が勝つには俺の1本目のソードを破壊し残る2本をノーダメージで破壊することが必須条件だ。いくらエナジーチャージしてるといってもそれは流石に無理なはず。

 

「見せてあげますよ!私の、『クリティカルソードスキル』を!」

「クリティカルソードスキル?」

「自分のソードが残り一本で、HPが半分以下の時、このスキルは発動できる!」

 

おい、なんだこのカードゲームアニメみたいな口上は。

 

『ジャーロンのクリティカルソードスキル、バニッシュブレード!』

 

「は?え?」

 

その一撃でライアのHPはぐんぐんと減っていく。そしてそのままゼロに。まあ、エナジーチャージ連打してたし、これくらいはあるか。

でも、次の俺のターンで……。

 

「次のターンなんてありませんよ!バニッシュブレードのエクストラエフェクト!この技で相手のソードを一撃で破壊した時、私はゲームに勝利する!」

「……はい?」

「ゲームに勝利する!」

「いや、ちょっと何言ってるか……」

 

『ライアは目の前が真っ白になった!』

 

俺が状況を理解する前に画面には敗北を告げる表示。そしてタイトル画面へと戻ってしまう。

 

「どういう……ことだ」

「だから、クリティカルソードスキルですって」

「なんだそれ」

「この間、携帯版がリリースされたじゃないですか。この技はその新要素です。ちなみに、今のところジャーロンしか使えません」

「なんだそれ、クソゲーじゃねえか……」

「先輩ったら自信満々だったのにライアを選択するから、正直笑いこらえるのに必死でしたよ」

 

なんだこいつ、めちゃくちゃうざい……。

 

「まあでも、情報アドの差があったとはいえ、先輩のプレイング自体は文句なしです」

「そりゃどうも」

「ここで先輩に一つ提案があります」

「提案?」

 

そこで、俺は猛烈なデジャヴを感じた。あれはたしか、今年の4月の出来事。こんな風に何かを成し遂げた後に続く言葉は……。

 

「ゲーム部に入りませんか?」

 

 

 

 

 

 

 



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4. 雪里茜の共感

貴重な祝日はまるで短距離走のように過ぎ去り、再び平日がやってくる。まあ、今日が金曜だから明日は土曜日、2連休まであと一歩だし、すこしテンションも上がる……はずだったが。

 

「あ、黒崎先輩!」

「……」

「昨日はありがとうございました~」

「……」

「私も久しぶりに本気出せたっていうか、まあ圧勝ではあったんですけど~」

「……」

「それでですね、よろしければ土曜日もゲームしませんか?」

「……」

「ちょっと、なんで無視するんですか!お姉ちゃんに言いつけますよ!」

 

午前7時半。通学路を進んでいた俺の隣には何故か神崎がまるでサッカー日本代表のディフェンダーのごとく張り付いている。

 

「お前、俺が敢えて無視してるのわからないのか?」

「敢えて無視って……可愛い後輩がせっかく声かけてるのにその反応はマイナス査定ですよ」

「別にお前にいくらマイナスを溜めても俺の知ったことじゃない」

 

まあ、こうなることは薄々気づいてましたとも。こいつが安城のいとこである以上、こいつもまたドッジボールの達人であり、しかも攻撃に極振りしているのは疑う余地もない真実である。

 

「まあ、それはそれとしてですね、ゲーム部に」

「断る」

「まだ最後まで言ってませんよ」

「別に俺を勧誘せんでも、部員はいるだろ」

 

確かあの資料にも部員は神崎のほかに6名くらい記載されていたはずだ。まあ、それでも廃部を逃れるには少し足りないが。

 

「だって、他の部員は3年生で、今年卒業ですし……」

「なおのことその3年生を使うべきだろ。そいつらだって自分の所属していた部活が消えるのは嫌だろうし。そこを突いて一緒に新入部員を探せばいいだろ」

「それは……まあ……」

 

何故かいい淀む神崎に疑問を感じながらも俺は歩を進める。

 

「それでも無理ならどっかとの合併だ。アニ研とかコンピュータ部なら少なくともお前が卒業するまでは残ってるはずだ」

「むう……」

「助言はしたぞ。後は自分で何とかしろ」

 

そもそも、昨日のデート(仮)でもゲーム部の内情一ミリも分からなかったし、俺に出来るのは何をどうやってもこれくらいしかない。

そうこうしてるうちに校門をくぐり、下駄箱で靴を履き替える。

 

「先輩、お願いします、ゲーム部に入ってください!」

「丁重にお断りします」

 

それだけ伝えて俺はさっさと階段を昇り、教室へと入る神崎も今回は諦めたようでついては来なかった。そもそも部活動縮小案の提出は来週頭だ。それまでに出来ることはやはり部員勧誘が関の山で、仮に俺が協力してもその短期間でどうにかできる保証もない。

 

「はあ……」

「どうしたんだい、ため息なんかついて」

 

そんなさわやかな言葉にさわやかな表情を重ねて話しかけてくるのはバスケ部キャプテンの越前和人だった。

 

「越前……。お前、いたの?」

 

よくよく考えると夏休みに入ってからこいつの存在を思い出す機会もなかったため、一瞬誰だか分からなかった。

 

「ひどいな……」

「俺がひどいのはもとからだ」

「体育祭実行委員の時のほとぼりも冷めつつあるし、みんなそんな気にしてないんじゃないかな」

「さあな、他に新しいおもちゃでも見つかったんじゃないのか」

「相変わらず卑屈だな……」

「それで、お前は何の用だ?」

「用って程じゃないけど、安城さんからゲーム部の事を聞いてさ」

「ばりばり用あるじゃねーか」

 

まあ、安城が越前に声をかけるのも理解できる。越前は学校でも人気者の部類だし、なにより生徒会とは一切かかわりがない。こいつの協力を得られれば取りあえず部員は集められるかもしれない。

 

「結構大変らしいね」

「それはゲーム部のことか?それとも俺のことか?」

「まあ、どっちもかな。今朝も安城さんのいとこの……神崎さんとひと悶着あったみたいだしさ」

 

そんなに目立ってたのか……。またしても俺の平穏ライフへの道が遠のいて行くな。

 

「ほんとそれな。まじで困ってんだ」

「直球だね……」

「てかもうお前変わってくれね?お前が一声かければ80人くらい集まるだろ」

「80人は大げさだとしても、その方法は多分通用しないだろね」

「は?なんでだよ」

「俺も安城さんに聞いて初めて知ったんだけど、ゲーム部は一度サークルクラッシュを起こしてるんだ」

 

サークルクラッシュ。ようするに部が内側から崩壊したということだろう。それはあの時、ゲーム部の薄暗い部室に神崎が一人でいたことが裏付けている。

 

「原因は……いや、なんでもない」

 

危ない。ついうっかりいつもの癖で聞き取りするところだった。俺はこの件について関わらないと決めてるんだ。初志貫徹でいこう。

 

「原因は、神崎さんと3年生部員の衝突だよ」

「いや、だから聞いてな――」

「もともと赤羽のゲーム部の方針は緩くゲームをプレイするというものだった。それでも一応、ゲームのレビューをブログに書いたり、動画投稿サイトにプレイ動画をアップしたりとそこそこの活動はしていたから学校側も活動を認めていたんだ」

「……」

「でも、今年の4月に神崎さんが入部した。女性部員という事もあって部員たちも歓迎したみたいだ。やっぱり女性目線のゲームについて知りたかったんだろうね」

「……」

「でも、神崎さんのゲーム観は他の部員とは違った。彼女は中学時代とあるゲームの全国大会でベスト4に入ったこともあるプレイヤーで、その理想は高かった」

「……本気で、『勝てる』部を求めてたってことか?」

「そうだね。俺もバスケをやってるから勝負で勝ちたいって気持ちは理解できる。でも、残念ながらゲーム部員たちは彼女の理想を満たせるほどの実力は無かった」

「だから、サークルクラッシュか」

「うん。本気で勝ちを目指す神崎さんと負けてもいいからみんなで楽しみたい部員たちが衝突して、部は崩壊した」

 

高すぎる理想ゆえに他者に理解されず、いつの間にか居場所を失った。それを聞いて俺が真っ先に思い出したのは、中学の時の俺だった。生徒会活動を完璧にやって、みんなの助けになりたいと、そんな理想を掲げて暴走し、結局周りに理解されなかった俺自身。

 

「さて、そろそろホームルームだね。俺は席に戻るよ。黒崎君、今の話を君にしたのはただ世間話がしたかったからじゃない。安城さんに頼まれたからだ」

「安城に?」

「だから、今の話を聞いて、そのうえでどうするか決めてほしいと、彼女は言ってたよ」

 

俺の返事も待たずに越前は自分の席へと戻り、いつものグループの会話を始めてしまった。取り残された俺は、鞄から文庫本を取り出し、ページをめくる。

別に本が読みたかったわけじゃない。ただ、何かしていないと、さっきの越前の話を、神崎についての話を考えてしまいそうだから。だから、ただひたすら文字列を眼で追いながらホームルームの開始を待つことしかできなかった。

 

 

 

 

 

***

 

そして午前の授業は終わり、昼休みがやってきた。いつもならコンビニか手作りのサンドイッチを食べるのだが、生憎今日はうっかり用意するのを忘れてしまっていたようだ。

仕方なく俺は教室を後にし、一階の購買へ向かう事にした。

 

「これ、お願いします」

「はいよ、コロッケパンね。2個で320円です」

 

購買のおばちゃんに400円を渡し、お釣りを80円もらってそそくさと購買の列から離脱し、いつもの空き教室へ行こうとしたが、なんとなく外の空気に当たりたかったため、階段をさらに昇り、屋上へとたどり着く。

赤羽高校は今時の学校としては珍しく、屋上を開放している。流石に冬は立ち入り禁止だが、それでも屋上はかなりの人気スポット……のはずなのだが。

 

「だれもいねえ……」

 

人気スポットのはずの屋上は閑古鳥が鳴いていた。まあ、俺は今日初めて訪れたからいつもこんな感じなのか、それとも今日が特別なのかはわからんが。

取りあえず屋上の出入り口のドアを閉め、設置されているベンチに腰掛けコロッケパンの包装をはがし一口かじる。

美味、とまではいかないがけしてまずいわけでは無く、もしかすると本当は美味い部類なのかもしれない。だが、今の俺にはその味の善し悪しを真面目に考えるほどの心の余裕は無かった。

神崎の抱える問題。その内情を聞いた今、俺は無意識にそれに干渉しようとしている。別にゲーム部が廃部になっても俺には関係ない。むしろ廃部予定の部活動を存続させたら安城達生徒会にとってもいい迷惑だ。だが、安城もそれを承知で俺に神崎の事を依頼してきた。俺が今まで安城を助けてきた理由は俺自身の居場所を守るためであり、その延長としてその居場所を作ってくれた安城に加担していた。だが今回は達成しても安城の仕事が増えるだけ。精神的には助けになっても実際のところ助けたことにはならない。今回の件はそもそも根底から矛盾しているのだ。

それなのに俺が揺れているのは結局のところ安城が越前を介して俺に伝えたゲーム部のサークルクラッシュの事実が原因だ。

おこがましいかもしれないが、俺はきっと神崎に当時の自分を重ね、同情しているのだろう。周りに理解されないだけじゃない、そもそも周りが見えていないところまで俺と彼女は似ているから。

とはいえ、結局のところ、俺に与えられた選択肢は2つ。協力するか、見捨てるか。こんな時に限ってマインドAもBも音沙汰なし。どうやら考えすぎて煮詰まっているらしい。

 

「……君。黒崎君」

「……!」

 

唐突に後ろから名前を呼ばれびっくりしたが、振り返ってその声の主を確認すると、俺はほっと息をつく。

 

「雪里……。お前、将来はアサシンにでもなるつもりか?」

「えっと……どういう……意味?」

 

雪里茜は首を横にかしげる。

 

「いや、なんでもない」

 

俺は自分が座っていたところを開け、雪里に席を譲る。雪里は軽く会釈してそこに座る。

 

「雪里も昼飯か?」

「ううん……。その……ここだと漫画の……アイデアが湧くから」

「その言い方だとやっぱりここっていつも人いないのか?」

「うん……。みんな……教室とか……部室で食べてるみたい」

 

どうやら屋上が人気というのはすでに過去の話らしい。まあ確かにわざわざ屋上まで階段を昇って食事を取る意味もないか。

 

 

「黒崎君は……何してるの……?」

「え?まあ、ちょっとな」

「私には……言えないこと?」

 

心なしか雪里の表情が若干不服そうに見える。

 

「言えないってわけじゃ……」

「じゃあ……教えて」

 

こうして見ると、やはり雪里も中学のころとは違う。相手は限定されても、しっかりと自分の意見を伝えることができている。それがなんだか嬉しいと感じるのは、俺がおせっかいなだけだろうか。

 

 

「実はさ……」

 

俺はこれまでの一連の出来事を雪里に伝える。雪里はその間口をはさまず、真っ直ぐに俺の目を見て聞いてくれた。

 

「ゲーム部……。初めて……聞いた」

「そんなに知名度が低いのか」

 

それは確かにガチガチな雰囲気でゲームをするほどの実力がないことも頷ける。

 

「それで……黒崎君は……どうするの?」

「どうって……。そりゃあ少しは同情もあるけど、ゲーム部だけに肩入れするのもなんだかな……」

 

ゲーム部の他にも廃部や縮小される部活はあるのに、俺の勝手な同情で動いてしまっていいものだろうか。

 

「なんだか……似てる」

「そうだよな。昔の俺もあんな感じで――」

「そうじゃ……なくて……」

「え?」

「私と……似てる」

 

その言葉に俺はすぐに返事ができなかった。確かに、中学時代の雪里と漫画研究会の状況と似ている個所はある。

 

「でも、あの時のことは雪里に非は無い。神崎の場合は本人にも問題ありって感じだし……」

「でも……人それぞれ、理想や目標はある……でしょ?私にも……黒崎君にも……」

「それもそうだけど、それを他人に押し付けるのは違うだろ」

「だから……神崎さんのそういうところも……助けてあげないと……」

「え?」

「黒崎君なら……できるよ。だって……私も黒崎君のおかげで……変われたから」

 

雪里の髪が風になびく。それと同時に彼女は空を見上げる。

 

「もし……迷ってるなら……理由がないなら……」

「……」

「私を……理由にして……ほしい」

「雪里を……?」

「うん……。あの時……助けてくれた黒崎君を助けたい私を……助けて」

 

それは何も知らずに聞いたら意味不明で支離滅裂で、理解しようともされない言葉だけど、きっと、一度居場所を失いかけた雪里と俺だから共有できる言葉で、そんな俺たちだからこそ神崎の置かれている状況を自身と置き換えて見ることができる。

そうだ。居場所を失う怖さや悲しさは俺たちにはよくわかる。それなら、神崎亜美を助ける理由として十分ではないのだろうか。

 

「ありがとな、雪里」

「決まった……?」

「いや、まだ少し迷ってる」

「そっか……」

「でも、雪里の言葉はしっかり伝わった。その言葉は、無駄にしない」

「それなら……よかった」

 

俺は残りのコロッケパンを口に放り込み、包装紙をベンチ横のゴミ箱に捨て、雪里に小さく手を振って屋上を後にした。

 

 



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5. 黒崎君の決断

屋上を後にした俺がやってきたのは1年生の教室。目的は当然神崎に会うためだ。越前から内情を聞きはしたが、やはり本人からしっかり話を聞くべきだろう。そのうえで答えを出す。

 

「すみませーん」

 

なるべく明るい口調で一年B組の教室の扉を開き、教室内を見渡す。

 

すぐに教室内の視線は俺に集まる。

 

「おい、あれって黒崎先輩だよな?」

「だれ?それ」

「ほら、体育祭実行委員会でひと悶着起こしたっていう」

「あーその黒崎先輩ね」

 

などという声もちらほら聞こえるが、それらは敢えて無視して俺はドアの一番近くに座っていた男子生徒に声をかける。

 

「神崎……さんいる?」

「神崎なら、さっき教室でてきましたよ」

「あ、そうなんだ。……行き先とか分かる?」

「さあ……」

「そっか。ありがとう。神崎が戻ってきたら俺が探してたって言っておいて」

「あ、はい」

 

男子生徒に軽く会釈し、教室を後にする。

さて、神崎を探すにはどうしたらいいのやら……。

 

 

 

「だから~、もう一回戻ってきてほしいんですよ~」

 

俺の歩く先、すなわち一階に下りる階段の方から聞こえるその声は紛れもなく神崎のものだった。少し小走り気味に階段へ向かうと、踊り場に神崎の姿はあった。

そして、その向かいには上履きの色からして3年生と思われる男子3人の姿があった。

 

「断る。僕たちはお前みたいなガチ厨と一緒にゲームは出来ない」

 

そのうちの一人、メガネをかけた生徒が神崎の言葉に拒絶を示す。

 

「で、でも、このままじゃゲーム部は廃部に……」

「知るかそんなこと。どの道僕たちは今年で卒業なんだ。もうゲーム部が無くなってもどうでもいいよ」

「そ、そんな……」

「そもそも被害者はこっちなんだ。お前のせいでゲームを嫌いになって引退した奴もいるんだぞ。それなのに今更戻ってこいだって?自分勝手にも程があるだろ!」

「それは……そうですけど……でも!」

「だいたい、お前みたいなやつならゲームする場所なんて他にいくらでもあるだろ!話は終わりだ、もう僕たちに関わらないでくれ!」

 

3年生たちはそう言い残すとそのまま階段を上がり俺の横を通り過ぎる。当然それを眼で追っていた神崎の視界には俺の姿が映っているだろう。だから、俺はゆっくりと階段を降り、神崎の向かいに立つ。一方の神崎は無言で俯いている。

 

「その、平気か?」

「あれだけ罵声浴びせられて、平気だと思いますか」

「そうだな、悪い。愚問だった」

「恥ずかしいところ見せちゃいましたね」

「さっきの奴らが、元ゲーム部のメンバーか?」

「一応、書類上は今もメンバーです」

「そうか」

「馬鹿みたいですよね、自分の勝手で人を傷つけて、それなのにその人たちにまたゲームやろうなんて」

「お前さ、なんでゲーム部にこだわるんだ?」

 

さっき男子生徒が言っていたように神崎の実力があれば他にいくらでも真剣勝負の場はある。それこそ大会にでるとか。

 

「私は……一人だったから」

「一人?」

「私は小学生の時、初めてゲームをやりました。普通ならそのゲームをやって友達と遊ぶんでしょうけど、私は違いました」

「……」

「周りが『楽しさ』を求める中私は『勝ち』を求めました。周囲の人が1カ月くらいかけてクリアするゲームを私は1日や2日でクリアしました。でも、それをほめてくれる人はいませんでした。私にとっては全てでも、他の人にとってみれば生活の中にある娯楽のうちの一つにすぎなかったから」

 

確かに、俺もゲーセンに入り浸りはしたがそれを人生のすべてだとは思わなかった。でも、神崎は違う。彼女にとってゲームは生きる意味で、だからこそ極め、全国大会でも通用するレベルに達した。でも、その過程で彼女は大切なものを失ってしまった。それは、ゲームを『楽しむ』こととそれを共有できる『友達』だ。ゲームというのは相手がいて初めて成立する。周囲の人間がそれを得ている間、神崎は既に『勝負』の世界で生きていた。当然、対する相手はみな『敵』だ。

それ故に彼女は一人になってしまった。もう周囲には彼女の器を満たせるほどの相手がいなかったのだ。

 

「でも、部活なら、私でも楽しくゲームができるかもって……。でも、やっぱり私には『勝つため』のゲームしか無くて、ついゲーム部の先輩方と口論になってしまって……」

「そっか」

「そっかって……真面目に聞いてくださいよ」

「聞いてるよ」

「嘘つかないでください……じゃあ、私はどうしたらいいと思いますか!聞いてたなら答えてくださいよ!」

 

俺や雪里は確かに居場所を失いかけた。それはとても辛くて、悲しかった。でも、神崎は最初から一人だった。失う居場所さえ彼女には無かったのだ。でも彼女は居場所を求めている。その点はあの時の俺たちと同じ。なら……。

 

「わかった。もういい」

「何が良いんですか……!」

「お前の依頼を受ける。ゲーム部を存続させる。そしてお前の居場所を作る」

「え……?」

「二度は言わないからな」

「黒崎先輩……」

「取りあえずあんまり悠長にはしてられない。部活動縮小案の提出は来週頭。生徒会側に根回ししてもせいぜい水曜に伸ばすのが限度だ。となると早急に対策を立てるべきだ。お前、今日の放課後空いてるか?」

「は、はい。空いてます!」

「よし、それじゃあ放課後正門の前で待ち合わせな。一応言っとくがあの3年生たちにはあまり干渉するな。どう転んでもお前の味方にはなりそうにないからな」

「わかりました……。それじゃあ、よろしくお願いします、黒崎先輩!」

 

 



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6. 黒崎君の腹案

そして放課後。正門前で神崎と合流した俺は駅前の裏路地にある飲食店、『ベアトリーチェ』へやってきていた。いつもどおりほとんど客のいないこの店ならうっかり情報が外に漏れることもないだろう。

 

 

「はいよ、マルゲリータ二枚と、ミルクティー、アイスコーヒー、メロンソーダ、キャラメルフラペチーノ、コーラな」

 

店主の響が注文の品をテーブルに置くのと同時に俺は再びこの場に居るメンツに声をかける。

 

「まずは集まってもらってありがとう。今回の議題はゲーム部存続のための方法についてだ」

「く、黒崎先輩、この人選は……?」

 

俺の隣でアイスコーヒーのカップを両手で持ち、少し委縮している神崎。

 

「まあ、アイスブレイクがてら自己紹介でもするか。俺から時計回りでいいな」

「うん。了解だよ」

「うん……わかった」

「まあ、はい」

 

全員の賛同も得られたので、俺から自己紹介が始まる。

 

「俺は黒崎裕太郎。好きな食べ物はサンドイッチ。嫌いな食べ物は梅干しだ」

 

ありきたりな自己紹介だが、もとよりこの自己紹介の目的はアイスブレイクなのでそんなに中身のあることを言う必要もない。テンポよく進行するのが一番だ。

 

「じゃあ、次俺だね。俺は越前和人。赤羽高校バスケ部のキャプテンをやってる。ここの店主の響さんもバスケットの知り合いなんだ」

 

そう告げると越前はメロンソーダで口を潤す。

 

「えっと……雪里茜……です。漫画研究会の部長を……してます」

 

雪里はしどろもどろになりながらもしっかり自己紹介をし、キャラメルフラペチーノのカップへ視線を落とす。

 

「えー、緑川高校の木場神威です……。というか僕なんで呼ばれたんですか?赤羽の部活動事情何も知らないんですけど?」

「はい次」

「ええ!?僕の疑問スル―ですか!?」

 

木場の台パンに彼の注文したコーラのカップが少し跳ねる。

 

「私は……神崎亜美です。今日は先輩方に来ていただき、とても心強いです。……よろしくお願いします!」

 

神崎が深々と頭を下げたところで自己紹介は一周したので、俺はミルクティーを一口飲み、マルゲリータをカットして自分のさらに盛りつけてから本題を切りだす。

 

「えー、冒頭に言った通り、赤羽高校ゲーム部は現在廃部の危機にある。大きな理由としては学校側の部活動縮小計画の選定基準に引っかかっていること。その他に部員のゲーム性の違いによるサークルクラッシュがある」

「なんですかその音楽性の違い、みたいなの。そんなジャズバンドみたいな口論じゃないんですけど」

 

神崎は不満そうに口をとがらせるが、いちいち反応していては時間がいくらあっても足りない。

 

「取りあえず、生徒会で使用したゲーム部の詳細資料のコピーを渡す。ひとまず全員、これに目を通してくれ」

 

俺は鞄から取り出した資料を各自に回す。

 

「黒崎君、これ、赤羽の生徒会には使用許可取ってるんですか?」

「いい質問だ木場。……残念ながらこの資料は無断でコピーした」

「ちょっ!そればれたら大問題じゃないですか!」

「だからこそ、この資料はこの場限りの物として扱ってくれ。つまり、この資料で得た情報等は外部に漏らさないこと。資料自体は後で俺が回収してシュレッダーしとく」

「いや、そういう問題じゃ……」

「木場、昔の偉い人はこう言った。『ばれなきゃ犯罪じゃない』と」

「そんな偉人いてたまるか!」

 

木場は尚も文句を言ってくる。まあ、緑川の生徒会で会計をやっている木場にはこの書類の重要性が人一倍分かっているだろうし当然の反応だ。

 

「まあ木場君。ここは黒崎君を信じようよ」

 

それを制止したのは越前。いつものイケメンスマイルに木場はもごもごしながら黙って資料に目を通しだす。やっぱりイケメンって凶器だよな、怖い怖い。

そこから10分ほどで全員が資料から目を離す。それを見計らって俺は話を再開する。

 

「取りあえず、状況は見てもらった通りだ。そうだな……木場、どう思う?」

「どうって……。取り合えず目下のところの問題としては『部員の少なさ』と『活動実績のなさ』の二つじゃないですか?」

 

流石、木場は俺の言ってほしい言葉を100パーセントで返してくれる。

 

「俺もそう思う。部員数は神崎と幽霊状態の3年生を合わせても7人。以前行っていたブログ更新や動画アップもサークルクラッシュのあった5月以降は途切れてしまっているからな」

「黒崎君、質問なんだけど、部員数はどれくらいで規定を満たせるんだい?」

「普通なら、10人もいれば満たせることにはなってる」

「普通なら?」

 

越前の疑問に対し俺は少々苦い顔で答える。

 

「残念なことにゲーム部の部員の中で来年以降も赤羽に在籍しているのは神崎だけだ。他は今年で卒業。つまり後3人集めて10人にしても来年度の見込みがないから、事実上規定を満たせない」

「なるほど、そういうことか」

 

越前は納得した様子で頷く。

 

「てか、素朴な疑問なんですけど、普通に勧誘すれば部員集まるんじゃないですか?ゲーム部自体の認知度が低いならサークルクラッシュの件も対して広まってないだろうし、ゲーム好きの生徒なら一定数いると思うんですけど」

 

木場の言っていることは正しい。だが、それでは駄目だ、駄目な理由がある。

 

「やっぱり、私のせい……ですよね」

「神崎……」

「私の独りよがりのせいで先輩方のだしてくれる意見も結局駄目になっちゃうんですよね……」

 

俯く神崎の頬には涙が伝う。確かに、事実だけを行ってしまえばゲーム部の存続を困難にしているのは依頼者である神崎自身の理想の高さ、レベルの高さだ。

 

「私が辞めれば……」

「違うよ!」

 

その声は木場でも越前でももちろん俺でもない声で、多分この中では俺しか聞いたことのない声。その力強い言葉と共に雪里茜は椅子から立ち上がる。

 

「違う……神崎さんは悪くないよ……だって……そこまで苦しむことができるのは、神崎さんがゲームが好きで……ゲーム部で自分を変えたいから……でしょ?」

「雪里……先輩」

「私も……中学の時……自分の部活が無くなりそうになって……すごくつらくて、苦しかった……それは……私がそれを大事にしてたから……どんな形でも、大事って思いはみんな一緒だよ……だから……その……」

「雪里の言うとおりだ。誰にでも自分の居場所を欲する権利がある。例え周囲がそれを醜いと言おうがあざ笑おうが、自分に嘘をつく方がよっぽど醜悪だと、俺は思う」

 

俺の言葉に面々は少し考えて、すぐに顔をあげた。

 

「そう……だね。まずは神崎さんの理想を満たせるゲーム部にする方向性でいいと思う」

 

越前は笑顔で頷く。

 

「状況はよく分からないですけど……黒崎君の言葉の意味は分かる気がします。君がそこまで言うなら、僕も協力します」

 

木場も賛同してくれる。

 

「そういうわけだ。神崎、少なくともここに居る俺たちはお前の味方だし、みんないい奴らだ。だから、ネガティブな考えはこれで終わりにしろ。俺たちはゲーム部を存続『させる』んだから」

「黒崎先輩……」

「それじゃあ、本格的に会議を始めるぞ。まずはさっき木場が言った二つの問題点を一つずつ別個にして考えてみよう。最初は『部員の少なさ』 についてだ」

「取りあえず、前提条件として縮小計画の規定を満たすために10人集めることになりますね」

 

10人。赤羽高校の全校生徒から見れば多い数字じゃない。ただ、無作為に集めてもそれは神崎の望む部にはならない。必要なのは『ゲームが好き』で『ある程度の実力』があり、神崎と共に活動しても『向上心』を失わない9人だ。俺はその3つをルーズリーフに書き、全員の見えるところに置く。

 

「実力に関しては取りあえず平均くらいあればいいか」

「でも、それだと神崎さんの理想には叶わないんじゃないのかい?」

「いや、この場合最も重要な要素は向上心だ。ゲームってのは最初は下手でも練習すれば実力を伸ばせる。だがそれには長い時間が必要になる。その時間をモチベーションを下げずに取り組める姿勢があればそれでいい」

「随分限定的になりましたね……」

 

木場が渋い顔でマルゲリータをかじる。

 

「それなら、イベントをするってのはどうだい?例えば神崎さんに挑戦する、みたいな概要で、そこに来たチャレンジャーの中から勧誘するとかさ」

 

イベント……。たしかに越前の言った通りのイベントを行えばゲーム部のアピールにもなる上に神崎と一緒にゲームがしたいと思う人物を発掘できるかもしれない。

 

「ただ、期限がな……」

 

部活動縮小案が学校に提出される来週までにイベントを行う事は不可能に近い。場所の確保も、参加者募集の告知も、細かいルール決めも、少なくとも3週間以上は準備期間が欲しいところだ。

 

「確かに……時間がないか。すまない、愚策だった」

「いや、方向性としては間違いじゃない。とりあえず今の越前みたいに思いついたらどんどん言ってくれ」

 

 

だが、そこで面々は沈黙してしまう。やはり、一番の問題は時間の無さだ。3日4日で縮小計画から逃れる手段なんてそうは思いつかない。

 

 

「よし、いったんこれは置いといて、『活動実績』について話して行こう」

「それなら、以前やっていたブログ更新や動画投稿を再開すればいいんじゃないかい?」

 

越前の提案に神崎は申し訳なさそうな表情をする。

 

 

「それが……その、ブログのアクセス権限も、動画サイトのアカウントや撮影機材なんかも、先輩方の物で……」

「でも、その3年生の方々には協力を仰げない状況なんですよね?」

 

再び沈黙。

駄目だ……。せめてさっき越前が提案したイベントを企画する時間さえあれば……。

なんとかならないかと俺は自分の記憶をたどる。

 

――なにか、ないか。学校側に了承を得たうえでイベントを行うための期間を設けられる手段は。部活動縮小案を回避する方法は。

 

―――回避?そういえば何故俺は回避することをここまで重要視する?

 

――それは当然回避しなければ部を存続できないからだ。

 

――逆に言えば回避さえできれば部は残る、ということだ。

 

 

「そうか……回避できればいいのか」

 

俺がぽつりと漏らした言葉に真っ先に反応したのは木場だった。どうやらこいつも俺と同じ結論に至ったらしく、すこし口角をあげている。

 

「えっと、黒崎君?何か思いついたのかい?」

 

取り残されている3人の疑問を越前が代表して問う。

 

「ああ。俺たちは焦りすぎていたんだ。最初に設置するべき目標はゲーム部の存続じゃない、縮小計画の網を回避することだったんだ」

「先輩何言ってるんですか?もう少し分かりやすく言ってくださいよ~」

「えっと……」

 

思いついたはいいが言語化するのが難しいな……。

 

「よし、取りあえずルーズリーフに図を描きながら説明するぞ」

 

俺はさっきのルーズリーフを裏返し、シャーペンを持って説明を始める。

 

「まず、俺たちの最終目的はゲーム部の存続だ」

 

用紙の一番上に存続と書いて丸で囲う。

 

「そしてこれを満たすために必要なのはさっき言った向上心を持つメンバーの発掘だ」

「そこまではさっき黒崎君が話した通りですね」

「だが、いきなりここを目指そうとするとほぼ不可能だ。それはさっき越前が出したアイデアが没になった最大の理由、時間がないからだ」

 

用紙に時間と書いて存続と矢印でつなぐ。

 

「だが、イベントを行う事ができれば部員獲得の見込みは大分上がる。つまり、存続の前にイベントの実施が目標になる」

 

存続の文字から3行くらい空けてイベント実施と書いて丸で囲う。

 

「でも……結局時間は……どうするの?」

「そう。結局どんなに考えても時間がないという事実は変わらない。なら、その前に時間を確保する事が目標になる」

「でもそれ先輩が無理だって言ったじゃないですか」

「だからこそ、最初に突破すべきは部活動縮小計画だ。この網から一時的に逃れられれば時間が確保できる」

「ええ……ちょっと私理解が追いつかないです……」

 

再び困惑する面々のなかで木場に続いて俺と同じ解にたどり着いたのは越前だった。俺に対し関心半分呆れ半分といった表情を向ける。

 

「なるほどな……つまり黒崎君が言いたいのは部活動縮小計画の網から一時的に逃れ、それにより出来た時間を利用してイベントを行い、部員を獲得、それによるゲーム部の存続。そのすべてを学校側が了承せざるを得ない形に持っていくってことだね」

「いや、でも越前先輩、そんなことどうやって……」

「そっか……!」

 

雪里が目を見開く。どうやら解にたどり着いてくれたらしい。

 

「え?ちょ、ちょっとなに先輩方だけで分かり合っちゃってるんですか。私にも教えてくださいよ~」

「要するに、俺と雪里、そして越前が一時的に部員になって、廃部を回避するってことだ」

「なるほど……って、ええええ!?」

「不可能な話しじゃない。雪里と越前は兼部、俺は新規って形をとれば来週の頭には完遂できる。縮小計画の決議にもギリギリ間に合う」

 

雪里と越前も無言で頷く。

 

「そ、それはありがたいですけど、それでも私と先輩方を合わせても4人。選定基準だと10人は必要なんじゃ……」

「何言ってんだ。いるだろ、後6人」

「え?どこに?」

「ゲーム部に」

「は?先輩考えすぎて算数できなくなったんですか?」

 

俺は小さくため息を吐く。

 

「だから、いるだろ、3年生が6人。渡した資料にも書いてあるだろ。というかお前が自分で書類上は部員のままだって言ってたろ」

「あ……。って黒崎先輩、昼休みにあの先輩方は味方にはなってくれないって……」

「味方にはならない。敵にもな。あの3年生はもうゲーム部に執着は無い。それは退部届を出さず、書類上部員のままになっていることから伺える。なら、名前だけ借りればいい」

「で、でもそれってモラル的に……」

「気にするな。3年生は今年で卒業、縮小計画をくぐりぬけるまでの間露呈しなければその後どうなろうと知ったこっちゃない。お前だって、あれだけ口論した奴らともう一度部活やりたいと本気で思ってないだろ?」

 

そこで神崎は沈黙する。

 

 

「でも、それだと根本的な解決にはなりませんね」

 

その沈黙を破ったのは木場だった。だがそれは単なる批判では無く、こいつだけは俺が口にしていない次なる策にもたどり着いているからこそ、俺からその言葉を引き出そうとしているのだ。

 

「そうだ。縮小計画を回避しても、そのうち3年生は卒業して部員不足は再び起きるし、穴埋めの俺たちだって神崎の求めるゲーム部のメンバーとしてやっていけるかは怪しいところだしな」

 

雪里も越前も他の部で部長をやっている以上、本格的な参加は出来ない。それでは結局のところ神崎の依頼は達成できない。

 

「それじゃあ、結局どうするんですか?」

 

神崎は尚も疑問を募らせる。

 

「言ったろ、俺たちの入部は廃部を免れること、すなわち策を弄する時間を確保するためだって。そのうえで、さっき言ったイベントに繋ぐ」

「でも、ただでさえ無理くりな感じなのに、イベントをやる場所も余裕も……」

「……文化祭」

 

雪里がぽつりと呟く。

 

 

「そう、文化祭だ。ゲーム部が縮小計画に引っかかっている事項の一つとして『人数不足』とそれによる『将来性の無さ』がある。だが、人数不足に関しては一端クリアしてる。なら、その次に必要なのは『活動実績』と『部の将来性』の確保だ。そのための活動をするって意志を明示して学校側にゲーム部の存続を認可させる。その活動の内容が『部員獲得のため』の『文化祭』で行う『イベント』だ」

 

要するに俺たちの取れる策は命乞いしかない。『今は人数もギリギリですが、文化祭まで待っていただければ今後も有意義に活動できる部に変えて見せます。だから命だけは!』と。

だが、それを実行するにはただ俺たちが入部届けを出すだけでは駄目だ。教師陣だって伊達に俺たちより長く生きてるわけじゃない。最初は欺けても、その場しのぎの策はいつか露呈する。だから、もう一つ、切り札を用意しなくてはいけない。それが文化祭でのイベントだ。確実にイベントを遂行すること、それこそが必須条件にして勝利条件だ。

俺はミルクティーを一気に飲み干すと、小さく息を吸って、面々に語りかける。

 

「と、言うわけで、今日はお開きだな」

「え……?」

「え?」

「は?」

 

俺の言葉に雪里、越前、神崎は疑問の声をあげる。

 

「ほら、もう外も暗くなってくるし、良い子は帰る時間だろ」

「いやいやいやいや!先輩何言ってるんですか!?まだ話し終わってないですよね?」

「そうだよ黒崎君。これから本題じゃないか」

「黒崎君……」

「そうはいっても、俺7時から見たいテレビがあるし」

 

俺はそう告げると手早く荷物を片付け、テーブルに1000円札を置く。

 

「今日のお会計、一人千円な。それじゃあ、お前らもさっさと帰れよ」

「ちょ、ちょっと先輩!」

 

引き留めようとする神崎はスル―して俺はベアトリーチェを後にする。

 



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7. 黒崎君と繋がり

 

時刻は8時を回った。俺は駅前の古本屋、「ジャンク堂」で有名とはほど遠いであろう推理小説を立ち読みしていた。有名ではないのはやはり理由があり、この作品、トリックも事件の解決法も強引過ぎるのだ。最後の10ページくらいなんて犯人と探偵のリアルファイトで埋まってるし。

まあ、別に面白い推理小説を探しに来たわけじゃない。ここに来たのはただ時間をつぶしたかったからなのだから。

 

「来たか……」

「どうも」

 

俺の隣に立ち、何となく本棚を眺めるのは、先ほどベアトリーチェで別れた木場だった。

 

「なんかおススメあります?」

「いや、残念ながらこの棚はハズレらしい」

「そうですか」

 

雑な会話をしながら木場は俺が読んでいた小説と同じ作者の小説を手に取り、ぱらぱらとめくりだす。

 

「あいつら、怒ってた?」

「そりゃまあ。とくに神崎さん……でしたっけ。彼女は駅前で別れるまでずっと文句言ってました」

「だろうな」

「雪里さんとかは君の考えに気付いてたかもしれないですけどね」

「そうか」

「いいんですか?彼女たちに言わなくて」

「言ったら問題だから言ってないんだよ」

「でしょうね」

 

そこで俺は本を閉じ、棚に戻す。木場も同様に。

 

「それじゃあ、場所を移して始めますか」

「悪いな、面倒事に巻き込んで」

「構いませんよ。黒崎君には体育祭実行委員会の時の借りがありますし、それに……」

 

木場は少し間をおいて再び口を開く。

 

「君と組むのも、結構楽しいですから」

「……そうか」

 

俺たちはジャンク堂を後にし、これまた駅前のネットカフェへと移動する。ここならパソコンもあるし、何より集中できる。その二つの条件さえそろっていれば一晩徹夜するくらいは訳ないだろう。

カウンターで個室の利用を告げて鍵をもらい、階段を昇り、狭い廊下を進んで部屋に入る。

部屋の中にあるのはデスクトップパソコンとタオルケットが数枚、そして飲み物などのメニュー表くらいだ。

 

「それじゃあ、始めるか」

「そうですね」

 

俺たちは腕まくりをして、パソコンを起動した。

 

 

***

 

そして金土日と時間は過ぎ去り、月曜日の授業もこれまたあっという間に過ぎ去り、放課後がやってきた。いつもなら真っ先に帰宅するところだが、今日の俺は違った。

放課後すぐに俺が向かったのは職員室の隣にある大会議室。普段なら職員会議に使われるこの部屋にはコの字に配置された長机と、その前方にホワイトボードが設置されている。そして今現在、長机には赤羽高校の教師陣が、ホワイトボードの前には俺が神妙な顔で着いている。

 

「まったく、なんで我々がこんな茶番に……」

「バスケ部キャプテンの越前君から大事な話があると聞いて来てみれば、誰だいあの生徒は?」

「私たちも仕事があるんですけどねえ」

 

まあ、当然のことながら教師陣は不満たらたらな様子だ。それでも、越前がなんとか作ってくれた場だ。無駄にするわけにはいかない。

俺の後ろにあるホワイトボードには持参したノートパソコンの画面がプロジェクターによって映し出されている。そのパワーポイントの1ページ目には明朝体で『赤羽高校ゲーム部 文化祭企画』と表示されており、教師陣はその画面を見たり、隣同士で雑談をしたりしている。

時計が4時半を指したところで俺は大きく息を吸い込む。

 

「それでは、これから赤羽高校ゲーム部、文化祭企画についてご提案させていただきます。まずは、本日は貴重なお時間を割いていただき心から感謝しています」

 

深々と頭を下げる俺に対し、教師陣は少し真面目な雰囲気になる。

 

「まずは、本企画のコンセプトからお話ししていきたいと思います。スライドをご覧ください」

 

俺はパワーポイントを次のページへ切り替え、ポインターで照らす。

 

「本企画のコンセプトといたしましては、2つあります。1つ目はゲーム部の規模の拡大及びPR、2つ目は赤羽高校文化祭での集客による本校の繁栄です」

 

俺は再びスライドを切りかえる。

 

「まずは、コンセプトその1からご説明します。お手元の資料をご覧いただけばお分かりいただけると思いますが、赤羽高校ゲーム部の部員は現在10人。先週先生方から提示された部活動縮小計画の選定基準をギリギリ満たす程度です」

 

ここであえてゲームにとってマイナスな情報を伝えるのは、それ自体がプレゼンの一番の障害になるからだ。ならば最初に伝えることで、こちらもそれを理解したうえで企画しているという意志を見せることに繋がる。

 

「ですが、小規模ながらも部員たちは日々部活動に意欲的に取り組んでおり、部員の中にはゲームの全国大会で上位入賞するほどの実力を持つ者もいます」

 

 

全国大会、と言う言葉に反応したのは一番奥に座る校長と教頭だった。『ほほう』と言いながら興味深そうに俺の言葉を待っている。

 

「しつこくなってしまいますが、ゲーム部が抱える一番の問題は部員の少なさです。本企画ではその解決が目的の一端となっています。また、昨今ではスマートフォンやパソコンの普及に伴い、ゲームというコンテンツがかなり身近な存在となっております。赤羽高校に限らず、現代の高校生の中にはゲームを好む生徒が一定数います」

 

そこで俺はスライドを切りかえる。表示されたのは一つの円グラフ。

 

「こちらのグラフは、とあるゲーム会社のサイトから引用したもので、全国から無作為に選ばれた高校生300人対して行われた『ゲームをやったことがあるか』という問いの統計です。御覧の通り役9割が『ゲームをやったことがある』と答えています」

「そりゃあ、やったことぐらいはあるだろうに」

「そのデータだけじゃなあ……」

 

教師陣からそんな声がちらほらと出る。よし、予想通りの反応だ。

 

「では次のグラフ。これも同じゲーム会社が同じ高校生にとった統計で、質問内容は『最近ゲームを買った、または課金等をしたことがあるか』というものです。これに対し、回答は8割が『買った、課金等をした』 と出ています。先ほどのグラフと比べてもその差は微々たるもので、ほとんどの解答者が現在もゲームをしていることがお分かりいただけると思います」

 

そこで再び教師陣はぶつぶつ言いだす。

 

「そして最後のグラフ。これは全国の小学生以上高校生以下の子どもがいる母親300人に対して行われた調査で質問内容は『子どもにゲームをやってほしいか』というものです。そして結果は7割強が『やってほしくない』 と回答しています」

「ほらやっぱり」

「ゲームが役に立つ場面もないですしね」

 

またもや否定的な発言が出る。

 

「この3つのグラフ、これらの結果を踏まえてみると、子どもたちは『ゲームをやりたい・やっている』。しかし親御さんたちは『ゲームをさせたくない』と思っていることがわかります。逆に言えば、2つ目のグラフの残り2割の中には『世間体』を気にしてゲームを避けている子どもがいると考えることができるのではないでしょうか」

 

俺は小さく息を吸い、言葉を続ける。

 

「つまり、両親、またはそれに近い周囲の大人達に遠慮して、やりたくてもゲームができていない子どもがいると考えることもできます。それは、活動内容的に本来なら人気が出るであろうゲーム部の部員が少ないことからも十分に考えられるのではないでしょうか」

「ちょっとまちたまえ、君は我々のせいで生徒がゲームをできていない、と言いたいのか?」

 

メガネをかけた中年教師が異議を唱えてくる。

 

「まあ、私個人といたしましては、そういった可能性も考えられるかと?」

「大人をからかうのはやめなさい!ゲームをしていないと答えた2割の高校生はただ真面目に勉強をしているだけだ!」

「そういう意味でも私はこの企画は有意義であると考えています」

「は、はあ!?」

 

俺は咳払いを一つして、再びスライドをいじる。

 

「それでは、今の話を踏まえてコンセプト2の説明をしていきたいと思います」

「2つ目は赤羽高校文化祭での集客による本校の繁栄、だったな」

 

俺の視界の隅の席に座る生徒会顧問の結城先生が独り言のように呟く。

 

「はい。昨今ではゲームはエレクトロニックスポーツ、すなわちEスポーツという競技形式で世界規模で盛り上がりを見せています。スライドには載せていませんが、お手元の資料にはEスポーツの概要を載せていますので詳しくはそちらをご覧ください」

 

少し口が渇いてきたが、水分補給なんぞでテンポを崩されるのも癪なので俺は我慢して口を開く。

 

「コンセプト2はこのEスポーツという観点から、それを文化祭イベントという形で応用しようというものです」

 

そこで俺は一呼吸置く。ここからが重要なポイントだ。

 

「赤羽高校文化祭は毎年かなりの集客を得ていることは私も去年経験しました。そしてその中には当然中学生、もっと言えば進路に悩む中学生も含まれています。で、あるのなら、ゲーム部の存在をPRする本企画があれば、来年以降の本校を受験する生徒の数も飛躍的に増えることが見込まれます」

 

俺の提案に、教師陣がさっきとは違う雰囲気でざわめく。俺の言っていることは、要約してしまえば『新入生が増えればお前らも食いっぱぐれることは無いだろ?だから承諾しろ』という生意気すぎる内容だが、それっぽい話の組み立てと、さっきのグラフデータの流れが教師陣をほんの少し肯定的な方向へ向かわせている。

 

「だ、だが!今現在知名度も部員数もほぼない君たちが行うイベントがそれほどの集客効果を生むとは思えないね!」

「それが生めるんですよ。しかも、わが校のゲーム部ならではの集客効果が」

「な、なにい?」

「お手元の資料を今一度ご覧ください。8ページ目には先程いったゲームの全国大会についついて取り上げた中高生向けの雑誌の記事のコピーが載っています」

 

教師陣は急いでページをめくりだす。

 

 

「この大会は2年前の6月に東京で行われた『ファイヤー・ファイター』という対戦ゲームの全国大会です。当時このゲームは大流行していて、私もプレイしていました。そして、その大会のベスト4に名前が載っている神崎亜美は、赤羽高校1年B組の生徒で、ゲーム部の部員です」

 

 

教師陣はひたすら雑誌のコピー記事を目で追っている。

 

「しかもこの大会の実況動画は人気動画投稿サイトにアップされており、再生回数は20万を超えています。つまり、当時少しでもゲームをやっていた人たちにとっては神崎亜美はとてつもない知名度があります。そして、本企画はその神崎亜美にゲームで挑戦するという形を予定しています」

「なるほど、それは確かに人は集まるだろうな」

 

結城先生の言葉に、校長と教頭も顎を手のひらで撫でながら頷く。

 

「いいんじゃないですか。やっぱり生徒の自主性こそが赤羽のモットーですし」

「そうですねえ。確かにわれわれ年寄りはゲームと聞くとつい否定的に見てしまいますが、彼のプレゼンはそういった点も加味して組みたてられている。それに、文化祭もだんだんマンネリ化してますしねえ」

「ちょ、ちょっと待ってください校長、教頭!たしかに彼の言い分も少しは分かりますが、もしそれが失敗し、何の効果も生まなかったらどうするんですか!」

 

中年教師の言葉に再びざわめきが起きる。正直ここまでやって反応がどっちつかずだとは予想していなかった。校長教頭は肯定的ではあるが、さすがにあの二人だって他の教師に無理に承諾させる権利はないだろう。

一応、切り返すための文言はある。そのために伏線も張った。だが、それは否定の意志が全体にある場合にしか使えない。肯定と否定が入り混じったこの状況で言っても、微妙な反応になるだろう。

 

 

「そうだな、仮に失敗したとなれば我々教師陣としては面目丸つぶれだ」

 

そのざわめきの中、結城先生が口を開いた。

 

「校長たちは肯定的だが、私は甚だ疑問だよ。はたしてゲーム部の企画は成功するのかとね。正直5分5分ってところだが、我々も5分で了承するのはリスキーだ。それとも、失敗しても『何度も』やればいいと、そんな都合のいいことを考えているのか?」

「そ、そうですよ結城先生!失敗した上に何度もされたりしたら我々も責任が取れませんし!」

 

中年教師の言葉に、結城先生の口角が少し上がったように見えた。その意味を瞬時に理解するのは困難を極めたが、俺は大脳を必死に働かせ、その意図を読みとることに成功した。

 

「そうですね、何度もは出来ないでしょうね……ですが……」

「ですが?」

「『一回』やってみる意義はあると私は考えています」

 

俺の言葉の意味を理解できた者はこの場に何人いるだろうか、それでも、校長と教頭、そして結城先生だけは小さく笑みを浮かべていた。

 

「先ほどのお言葉通り、周囲の大人たちが子どものゲームの妨げになっていると言うのは私個人の考えでしかありません。ただ、そうじゃないと言い切れる材料も先生方には無い。なら、試してみるべきではないでしょうか?」

「試すとは、具体的にどういうことだ、黒崎」

「はい。先ほど出したグラフデータにもあったとおり、昨今の学生はゲームをプレイしている。それはもしかしたら勉強の妨げなのかもしれないし、もしかしたらEスポーツという分野への新たな可能性であり、赤羽に進学したいと思う中学生を増やせるキーなのかもしれない。なら、それをはっきりさせるいい機会なのではないかと私は思うんです」

「なるほどな、確かに今まで赤羽高校がそういった取り組みをしたことは無い。それを試してみるのは悪くない案だ。一回試して効果がなければ来年度からはやらなければいいのだから」

 

結城先生の言葉に他の教師たちも少しずつ賛同の声をあげる。

 

「い、いやしかし!一回やるにしてもそれに関する費用は我々が負担することに――」

「費用は要りません」

「な、何を言ってるんだ君は?費用も無しに君の言った文化祭企画の実行なんて不可能じゃないか!」

「まあ、これが飲食店をやる、とか演劇をやる、とかならそうでしょうけど。ゲーム部には既に有り余るほどのゲームが置いてあります。ゲーム機も同様に。必要なのはせいぜい私が今お借りしているプロジェクターぐらいですね」

「だが、場所はどうするんだ場所は!君が言うように相当の集客が見込めるとしたら教室一個程度では収まりきらないんじゃないか!?」

「場所なら、既に考えている場所があります」

「な、なにい!?」

「屋上ですよ。先日屋上に毎日訪れているという生徒に話を聞きましたが、赤羽高校の屋上はほとんど人気がなく、昼休みでさえ、わざわざ昇ってくる生徒はいない。仮に他の部やクラスが企画をやるとしても、物を運ぶ手間や、天候によっては準備そのものができなくなるリスクがある屋上を選ぶことは無いはず。ですが、ゲーム部は違う。機材の準備も、会場の設置も、そのすべてが前日の一日で完了します。なぜなら、準備するのはゲームだけだからです」

 

中年教師は尚も何か言いたげだ。だが、それよりも先に口を開いたのは校長だった。

 

「なるほど、確かに屋上を企画に使おうとする申し出は今現在出ていない。それに過去の文化祭でも屋上を使った団体もない。なにせわが校は屋上以外にも場所がたくさんありますからねえ」

「少子化社会ですからねえ、私たちとしても赤羽高校を志望する生徒が増えるのは喜ばしいことです」

 

教頭も校長の発言に頷く。

 

「ですがねえ、えっと……」

 

校長は俺に対し何か言おうとするが、どうやら俺の名前が出てこないらしい。

 

「黒崎です」

「ああ、黒崎君。部活動というのは本来余暇活動であり、それ自体が勉学の妨げになってはいけない。仮に運動部や芸術系の部活ならば教養や経験、それらが勉学の糧となる。では、ゲーム部の……というよりはゲームが勉学にもたらす恩恵とはなにかね?」

「それは……」

 

その問いに俺の言葉は詰まってしまう。そうだ、確かに部活は余暇活動であり、学生の本分は勉強だ。で、あるならば校長の疑問は最もだ。

大学生や社会人の団体であるならEスポーツだとか、帰属する集団の利益だとかで話は通るかもしれない。だが、校長が聞いているのは学業への恩恵。

正直なところを言えば、答えがないわけじゃない。だが、俺がいくら言葉を労しても、それらしい理論を並べても。それは詭弁としか思われない。なぜなら、俺自身がゲームというジャンルの本質を知らないから。

例えば、サッカーに全く興味のない人間に、『サッカーが○○に与える恩恵は何ですか』ときいても、帰ってくるのはありきたりな、誰にでも思いつくようなつまらない答えだ。なぜならその人はサッカーに本気じゃないから。それと同様に、ゲームに本気じゃない俺が出す言葉は誰が聞いても、薄っぺらい戯言にしか聞こえない。

 

「……」

 

俺の沈黙に先ほどの中年教師は勝ち誇った顔をしている。

 

――何か、ないか

 

――ねーよ、んなもん

 

――ゲームを本気でやってる人じゃないとそんなことわかるかよ

 

――ゲームを……本気で?

 

『私は……一人だったから』

 

記憶の隅にあったのは、神崎亜美のそんな言葉だった。一人だったからこそ彼女は自分の居場所がなくて、それ故に居場所を欲した。それはゲームに本気であるがゆえのジレンマ。

なら、俺の言葉が仮初めだとしたら、神崎のあの言葉はそれより遥かに真実だと言えるのではないか。

 

「一人じゃ……ない」

「……ん?なんですか?」

 

校長の問いに俺は大きく息を吸い込み、口を開く。

 

「多分、ゲーム自体が勉強にもたらす恩恵はほぼありません。ゲームをやっても公式は憶えられないし、足が速くなるわけでも、頭が良くなるわけでも、成績が上がるわけでもない。でも、あいつが……俺たちが求めるのはゲームを通じて生まれる繋がりです」

「繋がり?」

「はい。ゲームは一人ではできません。ゲームを作る人、売る人、そして買う人いることでゲーム事業は回り、そしてゲームを買う人には同じくゲームをするための仲間が必要です。人一人で出来ることなんてたかが知れてます。人はそれを自覚しているからこそ、仲間をもとめ、協力して目標を達成し、次へ向かう。それは人生の縮図ともいえるでしょう。

そして、それを可能にするのが、繋がりです。初めは細い糸で、一人繋がってるかさえ分からない。でもそれが、誰かとぶつかり合い、励まし合い、時にはつながりが切れることもあり、でも、それでも繋がっていたいと思う気持ちが、俺たちを繋げてくれる。その媒体がゲームなんです。たとえそれが知恵にはならなくとも、勉学に直接影響しなくても、つながろうとする心を教えてくれるのがゲームだと俺は思います」

 

その言葉に、一瞬全体が静まりかえる。が、その沈黙を破った人物がいた。それは、先ほど俺に助け船を出してくれた結城先生だった。

 

「なるほど。確かに最近はSNSの発達で誰かと意思疎通するのも電子化されていたり、他者の心ない言動によって心を病む者、それを見ても何もしない者、それを面白がるものさえいる。で、あるならば確かに生徒たちのモラルの向上という点でゲームは一つの手と言えるだろう」

「そう……ですね。黒崎君。君の言う繋がりは、確かに昨今ではあまり意識していないものだ。だが、社会というのは一人で生きるには余りに過酷だ。そのための仲間を作るために、君たちゲーム部は今回の企画をやりたい、と捉えていいのかな?」

「……はい」

「なら、私はもう君に聞くことは無い。後は先生方に聞いてみよう」

 

校長はにこやかな笑顔で周囲の教員を見渡す。教員たちはその視線に、少し委縮していたが、それぞれが自分の中で答えを出したらしく、俺の方へと視線を向けた。

 

 

 

「というわけで皆さん。このプレゼンを聞いてゲーム部の文化祭企画の実施に賛成の方は拍手をお願いいたします」

 

校長の言葉に、部屋の中に拍手が広がる。それは教師陣全員からの拍手だったが、けして盛大なものでは無かった。

 

 

***

 

大会議室でのプレゼンが終わってから2時間が経過した。俺は購買の横の休憩スペースの長椅子にどっしりと腰を下ろしている。

当然だが購買の営業時間はとっくに過ぎ去っており、そんな購買に用がある生徒もいなく、俺は薄暗いこの空間で一人寂しい時間を過ごしていた。

 

「あ~、まじで疲れた……」

 

ふだん使い慣れていない敬語を喋り続けるのも、周りの反応をいちいち気にしながら話すのも、ほとんどアウェーの環境でプレゼンするのも、ストレスにはなってもリフレッシュには絶対ならない。

取りあえず、目的は完遂した。それはつまり、ゲーム部の存続とイベントの実施について教師陣から了承を得られたこと。これでひとまず延命は出来た。後は文化祭でのイベントの実施とそれによる部員の確保ができれば神崎の依頼は半分クリアだ。もう半分は部員の質だが、それはやってみないことには分からない。

 

「いや、それでもまだ渋いな……」

「こんなところに居たのか」

 

そんな声をかけてきたのは今回の会議をとりつけてくれた越前だった。

 

 

「なんだ、お前か」

「ひどいなあ。せっかく先生たちに頭を下げて集めたって言うのに」

「まあ、その点に関しては感謝しかねえよ。ありがとな」

「初めてだな。君に直接礼を言われるのは」

「そうだったか?」

「そうだよ」

 

自嘲気味に笑いつつも、越前は俺の隣に座り、手に持っていたペットボトルを俺に渡してくる。

 

「綾鷹茶……」

「君はこれが好きだって、雪里さんに聞いてね」

「え、なにそれ。雪里がそんなこと言ったの?流石、イケメンは女子と打ち解けるの早いな」

「いや、雪里さんが話してくれたのは、君の事だからだと思うけど……」

「え?なんか言ったか?」

「……いや、何でもないよ」

 

越前は少し真剣な面持ちで虚空を見つめる。俺はそれを横目に綾鷹のキャップを開けてグビグビと飲み始める。

 

「正直、驚いたよ」

「……」

「君が繋がりなんて言い出した時にはさ」

「ふぐ……!げふ、げふ!」

 

俺は思わずむせてしまい、回復するのに10秒の時間を要した。

 

「お前、聞いてたのか?」

「そりゃあ、俺が先生たちを集めたんだから、いて当然だろ?」

「……あれは、別に、ただああいうハートフルな内容は教師受けいいと思ったんだよ」

「本当にそうかい?」

「は?」

「君の言った繋がりって言うのは、確かにゲーム部の事も加味してるのかもしれない。でも、本当は君自身が周囲との繋がりを大切だと再認識したから、だから、あの言葉が出たんじゃないかい?」

「……そうみえたか?」

「少なくとも、俺にはね」

 

越前はそこで話を切る。

 

「というか、お前こそよく協力してくれたよな。いくらお前が良い奴だとしてもゲーム部の存続云々なんてほとんど関係ない話なのに」

「そうかい?それは君にも言えることだろ?」

「なんだよそれ?」

「以前の君なら、ゲーム部の存続なんてそれこそどうでもいい話で、例え安城さんに頼まれていても無関係だと、そう貫いていたはずだよ」

「……貫いても結局手を貸しちまうんだよ」

「それは、どうしてだい?」

 

それは、俺が誰かを助ける『理由』を得たから。だから、それを言えばいいはずなのに、何故か違和感が働き、俺はそれを言えなかった。

 

「ってか、お前が手伝ってくれた理由、聞いてないんだけど」

「……俺は、君みたいになりたかったから、かな」

「は?お前何言って――」

「それじゃあ、俺は帰るよ。ゲーム部のイベントの事も、出来る限り手を貸すから」

「お、おい!」

 

越前は俺の言葉には足を止めず、そのまま去ってしまった。

 

 

「結局何の用だったんだ?あいつ……」

 

 

俺が疑問を募らせていると、再びこちらへやってくる足音が聞こえた。

 

「こんなところにいたのか」

 

やってきたのは、結城先生だった。

 

「……どうも」

「ああ、お疲れ。……よっと」

 

唐突にこちらに投げられた物体をなんとかキャッチして見ると、それはミルクココアのペットボトルだった。手に伝わる温かさからして、どこかの自販で買ったばかりの物らしい。

 

「奢りだ、のめ」

「いや、俺今お茶飲んでるんですけど……」

「脳を使った後は糖分を摂取しろ糖分を」

 

ミルクココアを強制しながら、先生は俺の隣に座る。

 

「……」

「……」

「……なんか用ですか?」

「見事だった。わずか数日であのプレゼンの完成度。並みの高校生では出来ないだろうな」

「そりゃどうも」

「誰を使った?」

「……全部俺が勝手にやったことですよ」

「君の勝手でいきなりゲーム部の部員が3人も増えるか?」

「……偶然ですよ」

「これが偶然なら、もはやホラーの領域だな」

「……あいつらは、関係ないんで」

「あくまで自分一人に責任を向ける、ということか?」

「……」

「だがあのプレゼン資料や文言は、流石に君一人では用意できるものではない。少なくとも経験者1人以上の協力は必須だと思うがね」

 

俺はその話題を遮るようにミルクココアのふたを開けグビグビと飲む。

 

「まあ、君が言いたくないのならこれ以上の詮索はよそう」

「……」

「では、感触はどうだ?」

「辛くも勝利ってとこですかね。あの場に居た半分くらいの拍手は純粋な承諾じゃないでしょ」

 

あの拍手の理由は、俺のプレゼンに心を動かされたからじゃない。ただ単にゲーム部の今後をつぶすための手だ。

今回みたいな面倒事を何度もされてはいちいち対応するのは彼らにとっては時間の無駄で、俺が出した切り札に応じることで、企画が成功すれば儲け物、失敗したらゲーム部は廃部という形で終わらせることが最適解だと思ったのだろう。

とはいえ、校長と教頭は多少乗り気だったようだが。

 

「やはり君は他の生徒とは違うな。普通ならここまでこぎつけられればもっと喜ぶものだろうに」

「喜んでますよ。……先生が助け船を出してくれましたし」

「……」

「先生は、俺の味方なんですか?」

「教師という立場からすれば、君の味方ではない。だが、一個人としては君の味方をしてもいいかなと思っている」

「その自己矛盾、教師としては致命的ですね」

「ふっ、そうだな」

「開き直ったよこの人……」

「それで、今後はどうする?」

「どうするって、文化祭に向けてのイベント企画を……」

「安城が君に頼んだのはゲーム部の廃部の阻止、では無かったのか?」

「……どういう意味ですか?」

「君はいつの間にか目標を変えてしまっていないか、という事だ」

「それは……」

「君の役目は既に終わっているんじゃないのか?」

「いや、でもイベント企画提案したの俺ですよ?ここで投げるってクソ野郎じゃないですか」

「別に投げろとは言ってない」

 

そこで結城先生は立ち上がり、俺の方へ視線を向ける。

 

「黒崎、君が人を助けるのは君の自由だ、きっと相応の理由もあるんだろうし、助けを必要とする人もいる……だがな」

「……」

 

 

 

 

「君は、君に助けられただけの者の末路を考えたことはあるか?」

 

 



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8. 黒崎君と新たな試練

「黒崎君!黒崎君ってばあ!」

 

誰かに何度も名前を呼ばれ、俺の意識は覚醒する。

 

「ん……」

 

そんな俺の視界に最初に入ったのは茶色い板のような物体の一部。すぐにそれが机であることに気づき、教室の自分の席で寝落ちしていたという事実に気付いた。

 

「んん~~……」

 

大きく伸びをして時計を見ると、その針は12時半を指していた。

周囲を見渡すと、すでに各々が昼食をとったり雑談したりと、絶賛昼休み中だった。

 

「……俺、いつから寝てたんだ?」

 

確か2時間目の数学で、どこかで見たことがある中年教師が最近の生徒は礼儀知らずだみたいな話をしていたところまでは覚えているんだが……。

 

――そういえば、だれか俺のこと呼んでなかったか?

 

いや、だがせっかくの昼休みにわざわざ寝ているところを起こしてまで俺に用がある生徒もいないだろう。

 

「気のせいか……」

 

再び俺が夢の世界へ旅立とうとすると、その脳天に軽いチョップのような衝撃が走る。

 

「へあっ!?」

「もう、なんでわざわざ起こしたのにもう一度寝ようとするのさ!」

 

首をさすりながら再び顔を上げると俺の席の前に仁王立ちしている安城の姿があった。

 

「お、おう。安城か」

 

なぜだろう、安城とは先週も普通に喋っていたし、なんなら部活動縮小計画の資料の仕分けをしていたことだってしっかり記憶に残っているのに、なぜか安城と話すのがとても久しぶりに感じる。

 

「な、なに?私の顔になんかついてる?」

 

俺の視線が長時間向いていたせいか、安城は不思議そうに自分の顔をぺたぺたと触る。そんな動作でさえ、なんだか久しぶりで、それでいて安城から目が離せなくなる。

 

「え、な、なに?私なんか変?」

「あ、い、いや。別に」

 

少しドギマギしながら返した言葉は、やはりドギマギしてしまっていた。

 

「……で、なんか用だったか?」

「あ、そうだよ!用があるから話しかけたのに黒崎君熟睡してるんだもん」

「わ、悪い」

「……なにか睡眠不足になるようなことあった?」

 

安城のその問いに、思い当たる節はあった。それはあの時、結城先生が言ったあの言葉。

 

『君は、君に助けられただけの者の末路を考えたことはあるか?』

 

あれは一体どういう意味だったのだろうか。『助けられた者』ではなく『助けられただけの者』という言い回しだったが、俺は誰かに対し助ける以外のことはできないのだから『助けられただけ』も『助けられた』もほぼ同義語だ。

では、あの問いの真意はなんだ?

……なんてことをまじめに考えていたら昨日も結局あまり眠れなかったのだが、安城にそれを伝えても、こいつまでまじめに考えて不眠症になりそうだしやめておこう。

 

 

「……別に、なんもねえよ」

「……そっか。ならいいけどさ」

「それで、何の用だったんだ?」

「あーうん。それは……って本人が言えばいいか」

「本人?」

 

俺は首をかしげる。安城が俺を起こしたのに、用があるのは安城じゃない?どういうことだ?

 

「せーんぱい!」

 

と思っていたら耳元に唐突にそんな声が飛び込んでくる。その吐息がくすぐったくて、俺は体を小さく震わせる。

 

「はは、先輩なんですかその反応。小動物みたいですね~」

「……神崎か。お前いつからいた?全然気づかなかったんだけど」

「ずっといましたよ?まあ、気配は消してましたけど」

「ナチュラルに気配消してんじゃねえよ。びっくりしたわ。……いや、むしろそのやり方教えてくれよ」

「嫌です。先輩絶対悪用するじゃないですか」

「俺を見損なうな。法に触れることはしない。せいぜい授業中に寝ててもいいようにとかそれくらいだ」

「先輩、授業中は寝る時間じゃないですよ?」

「は?お前ゲーム脳のくせに授業真面目に受けてんの?すげえな」

「いえいえ。授業中はスマホで攻略サイトの編集とかで忙しいんですよ~」

「お前それ寝るより悪質だからな」

 

神崎とのやり取りを見ていた安城が何となくこちらに視線を向けているのに気づき、俺はそこで会話をストップする。

 

「えっと……二人ともいつの間にかすごく仲良くなったんだね」

「今のやり取りのどこに仲が良い要素があったんだよ……」

「ま、まあそれは置いといて、亜美ちゃんが黒崎君に話があるって……」

「あ!そうですよ!先輩、いったいどういうことなんですか!」

 

神崎はまくしたてながら俺の肩をゆする。

 

 

「お、落ち着け。お前の話に答える前に俺の肩の骨が再起不能になっちゃうだろ」

「そんなことはどうでもいいんですよ!なんかよくわからないうちにゲーム部のイベント企画をやっていいって学校側に言われたんですよ!先輩何したんですか!?」

 

やっぱりその話か。神崎の登場からすでに予想はできていたが。

 

「何って、別に何も……。ちょっと教師陣に頭下げただけだ」

「ウソだあ。そんな簡単に承諾してくれるなら金曜日の会議丸ごと要らなかったじゃないですか!」

「い、いや、それは……」

「会議って?」

 

困惑する俺にさらに質問をかぶせてきたのは安城だった。

 

「金曜日に先輩と一緒に駅前のさびれた店でゲーム部の今後について話し合ったんですよ」

「え?ふ、二人で?」

「いえ。他にも先輩のお友達が何人か」

「ちなみに、だれ?」

「えっとー、バスケ部の越前先輩と、あとなんか他校の男の人と、あと、漫画研究会の部長さんですね」

「へえ~。茜ちゃんも一緒だったんだ」

 

なぜか安城は不機嫌そうに俺を見る。

 

「い、いや。ほら、俺の少ない人脈から行くとそんなに人集めあられなくて、雪里は中学からの知り合いだからさ。そ、それに安城は立場的に関与しづらいだろうと思ってな」

 

あわてて弁解するも安城は機嫌を直してくれない。

 

「で、結局先輩はどうやって話を通したんですか?」

 

神崎はどうやっても俺から話を聞き出したいようだ。だが、それだと今回の事の責任が神崎や雪里にも向いてしまう。だからこそ俺は他校生の木場や教師からの信頼の厚い越前だけに協力を仰いだのだから。

 

「別に、いいだろそんなのなんでも。結果としてゲーム部の廃部を逃れ、文化祭への希望をつなげたんだから」

「で、でも――」

 

神崎が尚も何か言おうとしたところで、天井のスピーカーから音声が流れる。

 

『えー、2年b組黒崎裕太郎君。至急職員室まで来てください。繰り返します。2年b組黒崎裕太郎君。至急職員室まで来てください』

 

「と、いうわけだ。なんか呼ばれたから職員室行ってくるわ」

「あ、ちょ、ちょっと先輩!」

「黒崎君!」

 

後ろから俺を呼ぶ二人の声を振り切り、俺は教室を後にした。

 

***

 

職員室を尋ねた俺は何故か応接室まで通され、上座に座らされ、ついでにお茶までも出されるというVIP待遇の元、かれこれ10分程待たされていた。

応接室といってもそんなに大した作りではなく、向かい合うソファの真ん中に小さなテーブルが置かれているだけ。落ちついた雰囲気で話せるようにという設計者の心遣いともとれるので、俺は勝手にそう結論づけてまだ熱いお茶を小さくすする。

それと時を同じくして、応接室の扉が外側からノックされる。どうやら、ようやく呼ばれた理由が明らかになるらしい。

 

「どうぞー」

 

俺の返事と同時にドアが開く。

入ってきたのは結城先生だった。その手には何か書類の様なものを持っており、すぐに俺の向かいのソファに腰掛ける。

 

 

「昼休みに呼び出してすまないな」

「いえ、こっちとしてはナイスタイミングでした」

「……何の話だ?」

「あ、いえ、こっちの話です」

「そうか」

 

結城先生は全く興味が無さそうに手元の書類をぱらぱらとめくる。

 

「それで、俺を呼びだした理由は何ですか?進路調査にはまだ早い気がしますけど」

「先日、文化祭実行委員会が活動を開始した」

「は?」

「以前ホームルームで話した通り、文化祭は11月に行われ、実行委員会は委員会や部活動に関わらず有志の生徒で行われる。そして今年は34人集まった。まあ、中には日ごろの成績が悪くて参加を見送った生徒もいるがな」

 

なんで急に文化祭の話が始まってるんだ?

疑問を募らせる俺の表情など意に介せずに先生は俺に一束の書類を渡してくる。

 

「これは?」

「それは昨日の会議の議事録だ。取りあえず流し見程度でいいから見てくれ」

「いや、実行委員の議事録を部外者に見せて大丈夫なんですか?」

「問題ない。実行委員の担当教員にも許可は取ってある」

「はあ……?」

 

取りあえず、俺は言葉通り資料を流し見する。書いてあるのは昨日の日付と記録者の名前。そしてその会議で決まったであろう実行委員長とその他重役の名前。さらに今後の会議で話すべき議題として予算だのスローガンだの出店リストの厳選だのが箇条書きで記されている。

 

「それを見てどう思う?」

「特に問題ないんじゃないですか。議事録の書き方も丁寧だし、次の議題までしっかり書いてある。初回でこれだけ決められるのなら、今後も安心でしょ」

「確かに、今回集まったメンバーは中々に優秀で、昨日行われた初回の会議でもかなりのまとまりを見せていた」

「へえ」

「ただ一つ問題がある」

「問題?」

「優秀な生徒たちはもちろん会議の進行や案出しも積極的に行ってくれるが、中には彼らに遠慮して意見を言いだせない生徒もいるようでな」

「まあ、会議ってのは少なからずそういう一面もありますよね」

「だが、赤羽高校のモットーは生徒の自主性だ。今現在、自主性を発揮できない生徒がいることは一面の真実と言える」

「……何が言いたいんです?」

 

その問いに結城先生は少し口角をあげる。

 

「黒崎。君には文化祭実行委員会に参加してもらう」

「……は?」

「聞こえなかったか?文化祭実行委員会に参加してもらうと言ったんだ」

「いやいや、なんでそうなるんですか。会議順調なんでしょ?意見を出せない生徒だって、別に不満を言ってるわけでも無さそうだし」

「これは昨日の職員会議でも話しあったことだ。教師陣はみんな月曜日の君のプレゼンを評価し、君を実行委員会に加えることに賛成していた」

「……それって、俺に活躍を求めるための推薦じゃないですよね」

 

おそらく教師陣は月曜のプレゼンを聞いて、俺をマークしたのだろう。放っておくとまた何か面倒な行動を起こすんじゃないかと、ブラックリストに加えたのだ。

だからこそ、俺を文化祭実行委員会に推薦した。少なくとも文化祭の準備中は監視下に置くために。

 

「それはどうだろうな。もしかしたらそういう意図で推薦した教員もいるかもしれない。だが、私は違う」

「……先生はそれとは別に意図があるってことですか?」

「月曜日に言っただろ。『助けられただけの者の末路』について」

「……それって結局どういう意味なんですか?」

「さあな。教師というのははなから生徒に模範解答を与えることはできない。答えを考えるのも、答えを出すのも生徒の役割だからな」

 

そう言い終えると、結城先生はソファから腰を上げる。

 

「話は以上だ。実行委員会の会議は今日の放課後、4階の会議室で行われる。遅刻しないようにな」

「い、いや、まだ話は」

 

俺の言葉は、昼休み終了を告げるチャイムの音によって呆気なく消え去ってしまった。

 



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9. 姫宮美琴との出会い

そして慈悲もなく放課後はやってきてしまった。俺は鞄に荷物を仕舞うと、重い腰……というより重すぎる身体を動かし、椅子から立ち上がり教室を出る。

体育祭の次は文化祭言実行委員会への参加とか、労働基準法が校則としてあったら裁判沙汰になるほどのオーバーワークだ。これが結城先生が勝手にやれと言っているのならそんなものは無視して帰るところだが、どうやら俺の実行委員参加は教師陣の共通事項らしいし、それによってこの前のプレゼンで得たゲーム部のイベントがおしゃかになるのは骨折り損すぎるので、俺は実行委員に参加せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

とはいえ、結城先生が命じたのは実行委員会への『参加』のみ。そこで何か成し遂げろと言っているわけではないし、会議も順調に進んでいるらしいので、黙って座ってればそれで終わる。

 

「あれ?黒崎君?」

 

四階へ続く階段の途中で俺後ろから俺に声をかけてきたのは安城だった。

 

「お、おう。安城か」

「黒崎君、なんで4階に?帰らないの?」

 

昼休みに無理やり終わらせた話を蒸し返されるのかと危惧していたが、安城が告げた言葉はそれとは無関係なものだった。

 

「帰るに帰れない状況でな」

「え?何?どういう意味?」

「文化祭実行委員会に参加することになった」

「え?黒崎君も?」

 

俺『も』という言葉から察するに安城も文化祭実行委員会に参加するという意味だろう。

 

「文化祭実行委員会は有志でやるんだろ?お前志願したのか?」

「違う違う。実行委員には生徒会から一人参加が義務付けられてて、私は副委員長らしいんだ」

「らしいって……お前、なんで自分の役職曖昧なんだよ」

 

というか昼休みにみた議事録の副委員長の欄には安城の名前は無かったはずだ。

 

「あーその。ほんとは生徒会の別の人がやるはずだったんだけど、なんか骨折して入院しちゃってさ。私はその代わり」

「なるほど、お前も災難だな」

「まあね。でも、黒崎君がいるなら安心だな~」

 

あんまり期待されても、俺は座っているだけなんだが。

取りあえず安城の言葉には曖昧に頷き、俺たちは会議室へ入る。会議室内にはコの字型に配置された長机とホワイトボードが設置されており、立ち話をする者、スマホをいじる者、机に突っ伏している者など、実に30人近くの生徒が揃っていた。どうやら担当教員がまだ来ていないらしく、各々が自由にしているらしい。

取りあえず、端っこに座ってればそのうち会議も始まるだろう。

 

「黒崎君何してるの、実行委員長さん達に挨拶しないと!」

「いや、お前はともかく俺は役職ないし挨拶せんでも……」

「あ、すみません!私、生徒会の安城です!」

 

だが、安城は俺の言葉など聞かずに早速実行委員長らしき人物に声をかけている。

 

「安城さんね。私は実行委員長の姫宮美琴(ひめみや みこと)。2年C組よ。よろしくね」

 

それに返事をするのは、長い黒髪にすらりとした体型の女子。身長は安城より少し高いくらいだろうか。

 

「よろしく!」

 

二人はそこでがっちりと握手する。が、姫宮の視線はすぐに俺に移る。

 

「えっと……あなたは?初めて見るけど」

「……俺は2年B組の黒崎。今日から実行委員会に加わることになった。えっと、よろしく頼む」

「黒崎?どこかで聞いたような……」

 

姫宮は首をかしげるが、ちょうどその時会議室の入り口が開き、担当教員らしき人物が入ってくる。

 

「げ」

 

俺がそう呟いたのはその中年教師に見覚えがあったからだ。こないだのプレゼンでやたらと俺に突っかかってきたメガネ教師。こいつが担当だったのか……。

向こうも俺の姿を見ると露骨に嫌そうな顔をするが、結城先生の話では俺の参加はこいつも了承したらしいので特に何も言ってはこない。

 

「よーし、実行委員長。始めてくれ」

 

その言葉で、自由にしていた生徒たちも自分たちの席に着く。俺もそれにならって入口付近の席に座る。

 

「はい、それじゃあ文化祭の会議を始めます。先日入院した生徒会の臼井さんに変わって同じく生徒会の安城さんが副委員長に就きます」

 

姫宮の言葉に安城が一礼する。もしかして俺も紹介されるのかと思ってドキッとしたが、そんなことは無く姫宮は前回の議事録らしきものを回す。まあ、役職のある安城はともかく俺を紹介する意味もないか。

 

「前回話した通り、今回の会議では予算、スローガン、出店リストの制作を中心に話し合いを進めて行きたいと思います。とは言え、今日だけで全部は決まらないと思うので、焦らずにやっていきましょう」

 

ほう、中々の名司会。結城先生の言った通りこの実行委員長はかなりできる人らしい。

 

「取りあえず、予算案と出店リストの制作は担当を割り振った方が効率的なので、そこから決めて行きましょう。希望者は?」

 

希望者……いるのか?俺は当然希望しないが。

だが、その呼びかけにすっと手を挙げた生徒が二人いた。一人は赤いフレームのメガネをかけた男子生徒。もう一人は髪をお団子にした女子生徒。

 

「ありがとう、桜木君、霧野さん。あなた達二人なら信頼できるわ。で、何人ほしい?」

「そうだな、予算案は4人ほしい」

「出店リストは3人かしら」

「了解です。それじゃあそれぞれ希望者を募りましょう」

 

お、おう?すらすら進んでくな。俺は桜木ってやつも霧野ってやつも何年生でどういう人物か知らないけど、姫宮と彼らは互いを知っているようだ。

 

「予算案と出店リスト制作をやってくれる人はいますか?」

 

先ほどとは違い姫宮の呼びかけにすぐに反応する生徒はいない。そんな沈黙の中、桜木が口を開く。

 

「姫宮。やり方は俺たちが教えるんだし多分誰でもできると思うよ。ここで詰まってもあれだし僕と霧野さんで指名していくってのはどうだろう?」

「そうね。そんなに難しいことでもないし」

 

桜木の言葉に霧野も便乗する。

 

「そうですね。それじゃあスローガンを決めた後、あなたたちに選んでもらうわ」

 

その言葉に俺の周辺、すなわち役員席に近い個所から拍手喝さいが起きる。それは次第に教室中に広がり、教室全体に拍手が広がった。姫宮はそれを満足げに見てから、小さく咳払いをして話を続ける。

 

「ありがとうみなさん。それでは、先にスローガン決めを行っていきたいと思います」

 

ホワイトボードには書記の女子生徒によって『スローガン アイデア』と書かれる。

 

「さて、スローガンですが、ここで取れる手法は二つあります。一つは……」

 

姫宮が口を開いたとき、何の偶然か俺はつい大きな欠伸をしてしまった。少し声も漏れてしまったらしく、教室全体が俺に注目する。

 

「何かな、君……えっと黒崎君だっけ。そんなに会議は退屈だった?」

 

進行を遮られた姫宮は明らかに気を悪くしているらしく、俺にそれをぶつけてくる。

 

「い、いや、そういうわけじゃ……」

「それじゃあ私の話なんて聞く気ないってことかしら?」

「いや、だから……」

 

そういいかけた矢先、再びあくびが出る。おい、しっかりしてくれ俺の体。こんな時にあくび2連発とか何のバグだよ。

 

「ふーん、そう。それじゃあ私の言おうとした手法、言ってくれる?」

 

当然だが、姫宮は相当お怒りだ。どうしよう、適当に謝った方がいいだろうか。いや、それでも姫宮は満足しないだろう。つまり、必要なのはこの問いに答えること。でないと何をされるかわかったもんじゃない。何せ向こうは実行委員長様で、俺はヒラなのだから。

 

「ええーっと。一つはこの場で意見を出し合って決めること。もう一つは全校、もしくは一部の生徒にアンケートを取って決めること。……でしょうか」

 

俺の解答から数秒間、教室は沈黙に包まれた、え、なに?俺やらかした?俺の考えられる中でベストなアンサーだったんだけど?

恐る恐る姫宮の方を見ると、なぜか彼女は唖然としていた。

 

「ひ、姫宮さん?」

「え?あ、は、はい」

 

安城の言葉に姫宮は我に返った様子でうなずく。

 

「そ、そうですね。私が言いたかったのは黒崎君の言った二つです……」

 

姫宮の肯定に生徒たちは少しざわめいたが、それもすぐに収まり会議は再開する。

 

* **

 

その後、会議は1時間ほど続きスローガン決めは全校生徒へのアンケートという形式をとることに決定し、その後桜木と霧野による予算案、出店リスト制作のメンバーも選出された。つまるところ、今日やるべきことはその1時間で見事終わったのだ。会議の中心にいたのは当然ながら委員長の姫宮と、桜木や姫宮のように教室の前の方に座っていた生徒たち。

ま、それはそれとして、今一番問題なのは……。

 

「えー、ほんとにー?」

「ほんとだって。あの映画、前評判に反してめちゃくちゃ面白かったんだぜ~」

「ねー、ほんと予想外だったんだから―」

 

時刻は6時を過ぎただろうか。俺は、というか俺『達』は学校の近くのファストフード店にかれこれ30分滞在している。

俺達という言葉のとおり訪れているのは集団での行動であり、その構成人数は5人。

まず、今映画の話で盛り上がっているのは姫宮、桜木、霧野の三人。そしてその話を興味深そうに聞いているのが安城。そしてその話に全くついていけず、財布に200円しか入っていなくて一番安いハンバーガーを食べている敗北者がこの俺だ。

一応言っておくが、俺は好き好んでこの場所にいるわけじゃない。本来なら今頃は自宅で夕食をすまし、のんびりテレビでも見ているはずなのだ。

だが、帰りがけに姫宮に声をかけられ、断ろうとしたはずなのに安城が勝手に了承してしまい、その結果今に至るのだ。

どうしようか、すごく帰りたい。だが、この状況で帰宅を宣言できるほどの度胸は俺にはない。というかあったら誘いの時点で断ってるし。

 

「黒崎は好きな映画ねーの?」

 

食べかけのハンバーガーをもう一度かじろうとしたとき、桜木の一言でなぜか話題の矛先が俺に向いた。

 

「あーそれ私も気になる。黒崎って結構趣味の範囲広そうだし」

 

さらに霧野が便乗したことで、完全に俺が話題の中心に配置されてしまった。というか、こいつら本気で俺の好きな映画聞きたいのか?さっきの会議で会うまでしゃべったことすらない相手にそこまで興味抱くか普通?それとも会話に入れずにいる俺への哀れみか?

 

 

「えーと……」

「「「うんうん」」」

 

俺の言葉に、桜木も霧野も姫宮も、さらに安城までもが興味津々といった様子だ。仕方ない。ここは俺の推し映画を完璧にプレゼンしてやろう。

 

「やっぱり俺はトイ・ストーリーをだな……」

「あ、やば!もうこんな時間じゃん!」

 

俺のトイ・ストーリーへの熱い思いは霧野の言葉ですがすがしいほどの出オチと化した。

 

「あ、ほんとだ。もう塾いかねーと」

 

桜木と姫宮もいそいそと帰り支度を始める。

 

「ごめんなさい、安城さん、黒崎君。私たち塾の時間だから……」

「あ、ううん。大丈夫!映画の話、すごく勉強になったよ!」

 

申し訳なさそうな姫宮に対し安城は笑顔で返す。

 

「本当にごめんね。じゃあ、また明日の会議もよろしく」

「こちらこそ!いい文化祭にしようね!」

 

こちらへ深くお辞儀をしてから去っていく姫宮達に、安城はブンブンと手を振って送り出す。俺はというと、特に手を振るわけでもなく、ハンバーガーをかじるのみ。べ、別に話の途中で遮られて不機嫌なわけじゃないんだからね、勘違いしないでよね!

 

 

「面白かったねー、姫宮さんたちの映画の話」

 

食べ終わったハンバーガーの包みを四角く折りながら安城が俺に話を振ってくる。

 

「え?あ、、ああそうだな」

「……黒崎君、絶対聞いてなかったでしょ」

「そ、そんなことねーよ」

「嘘だ。黒崎君、嘘つくとき絶対目そらすじゃん。私最近少しわかるようになってきたんだから」

「……」

 

返す言葉もなく俺はハンバーガーをかじり続ける。

 

「ま、それはそれとしてさ。すごかったよね、姫宮さんたち。会議もすごくスムーズに進行してくれるし、私いらなかったかなーって思うくらいだったよ」

「まあ……そうだな」

 

実際姫宮達の能力は相当高い。それは結城先生から聞いていた通りだった。だが、一つ問題もある。それは結城先生の言っていた、他の生徒の自主性について。今日の会議でもしゃべっていたのは姫宮や桜木、その周辺の生徒たちのみ。副委員長の安城でさえ、多くは発言していなかった。

まあ、だから何だと言われれば特に言うこともない。姫宮達が悪意をもってそうしているわけでもないし。

 

「そういえば、ゲーム部のイベントだけど、亜美ちゃんとなんか話した?」

「いや、まだ何も。一応形式としては神崎に挑戦するってことと、屋上を貸し切って実施するってことは決まってるけどな」

「そっか、まあでも黒崎君がいるし大丈夫だよね!」

「過度に信頼されても、善処するとしか言えんぞ」

「大丈夫だって。私、黒崎君を信じてるから!」

「お、おう。そりゃどうも」

 

なんだか体温が上がっている気がするが、きっと空調のせいだろう。

 

「それはそれとして、なんで姫宮達は俺を誘ったんだ?」

 

結局ずっと映画の話をしていただけで、俺がいてもいなくても変わらなかったと思うのだが。

 

「それは、黒崎君と仲良くなりたかったからじゃない?」

「は?俺と?なんでだよ?」

「黒崎君が実行委員に必要だから、かな?」

 

なんじゃそりゃ。どいつもこいつも俺のこと過大評価しすぎじゃない?そんなに期待されてると失敗したら社会的に消されそうで怖いんだが。

そんな話をしていたらいつの間にかハンバーガーはすべて俺の胃袋に収まっていた。姫宮達も帰ってしまった以上、ここにいても特に意味はないだろう。

 

「帰るか」

「うん。そうだね」

 

そんな簡潔なやり取りの後、俺たちは席を立った。

***

 

夏も終わりごろということもあり、太陽は定時で退社したようで、外は暗くなっていた。だからというわけでもないが、俺は近くまで安城を送ることにした。

 

「もうすぐ夏も終わりだね」

 

隣を歩く安城が呟く。

 

「そうだな。ようやく熱いのともおさらばだ」

「もう、黒崎君はひねくれてるんだから」

「よく言われる」

「はは、そうだね」

 

小さく笑う安城を見ると、また少し心がざわつく気がした。

 

「来年は私たち、3年生だね」

「ずいぶんと気が早いな」

「ううん、そんなことないよ。大切な時間ってきっとあっという間に終わっちゃうから」

 

その言葉に俺は少し考えてしまう。今、安城と歩く帰り道が家に着いたら終わるように、時間はどんどん進んでいく。それと同じく、人生という時間も過ぎ去っていくわけで、その中で安城と共有できる時間、共有できることも限りがある。もしかしたら数年後も交流があるかもしれないし、全くないかもしれない。決まりきった未来などないけれど、それでも自分の求める未来に向かって人は進んでいく。誰かと出会い、誰かと別れ、それを繰り返しながら。

 

で、あるのなら。

 

 

俺はあと何回、安城を助けることができるのだろう。

 

 



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10. 姫宮美琴との衝突

翌日の放課後も、文化祭実行委員会の会議は行われた。姫宮達の進行は昨日と同じく安定しており、今日も会議は無事に終了した。相変わらず俺は座っているだけ、なんと楽な仕事であろうか。

そんなくだらない思考の元、俺は会議室を後にし、家路につく。

 

「あ、黒崎君。ちょっと待ってくれる?」

 

はずだったのだが、そんな俺を会議室の出入り口で引き留めたのは姫宮だった。さすがに無視するのも悪いので俺は足を止め、彼女のほうへ視線を向ける。

 

「なんだ……なんですか」

「そんな硬くならなくていいって。あと、敬語もいらないわ。同じ学年なんだし」

 

昨日会ったばかりの人物に対しこのフレンドリーさ、なんというコミュ力の高さだろうか。さすが実行委員長。

 

「お、おう。わかった。それで、なんだ?」

「ちょっと頼みたい仕事があるの。桜木君たちは昨日任せた仕事で手いっぱいだから」

 

姫宮の目線の先の机では、確かに桜木や霧野、その他の面々がせわしなく手を動かしている。そして、それ以外の実行委員はいつの間にか帰ってしまったらしい。彼ら以外に会議室に残っているのは議事録を作成しているであろう安城と今呼び止められた俺だけ。消去法で俺に頼んだということだろうか。

 

「あ、ごめん。なんか用事ある?」

 

俺が少し考えこんでいると思ったらしい姫宮は申し訳なさそうな顔をする。

 

「いや、用事はないが……」

「それじゃあ、お願いしてもいいのかしら?」

 

正直、お願いされたくない。このまま帰ってベッドにダイブしたいというのが本音だ。だが、たった今用事はないと言ってしまったし、周りが忙しそうにしている中そそくさと退散するのも彼らに悪い気がする。

 

「……俺にできることなら」

 

だから、出てきたのはそんな了承かどうか判断しずらい回答だった。

 

「ありがとう。大丈夫、黒崎君の実力なら絶対できる仕事だから」

「実力って……」

「とりあえず、図書室へ移動してから要件を伝えるわ。荷物はここに置いて行ってもいいし、持ったままでもいいわ」

 

その言葉に従い、俺はカバンを近くの座席に立てかける。特に貴重品も入っていないし持ち運ぶのも手間だしな。

 

「それじゃ行きましょ」

 

姫宮はノートパソコンと筆記用具だけ持って俺とともに会議室を出た。

 

「黒崎君って、委員会とかやってたかしら?」

 

会議室と同じ四階に位置する図書室への数メートルの間に、姫宮はそんな問いを投げかけてくる。

 

「いや、委員会も、部活も入ってない。純度100パーセントの帰宅部だ」

「ははっ、なにそれ。純度100パーセントの帰宅部なんてパワーワード初めて聞いたわ」

 

本当のところを言えば一応ゲーム部に所属だけはしているのだが、ゲーム部の事情もあるのでそれは伝えないことにした。

 

「えっと、姫宮はなんか所属してるのか?」

 

投げられたボールをただ投げ返しただけなはずなのに、姫宮は俺の問いに対し回答するのを戸惑っている様子だった。

 

「ま、まあ、もうすぐ図書室つくしその話は今度でいいか」

 

話しづらそうなことを無理に聞くほど俺と姫宮は親しくないし、親しい仲だとしてもやはり話しづらいことはあるものだ。

話を中断して、俺たちはたどり着いた図書室のドアを開ける。図書室に来るのは7月の体育祭実行委員会の時に光定を説得しにきたのが最後だったか。さすがに休日だったあの時よりも人はいるようだが、それでも2,3人だ。最近は電子書籍なんてものもあるし、あまり紙媒体の本に興味はそそられないということか。

俺がボケーっと室内を見渡している間に姫宮はカウンターに座っている図書委員に何やら話しかけている。が、すぐにこちらへ戻ってきた。その手にはどこかの鍵が握られていた。

 

「待たせてごめんね。書庫の鍵借りてきたから、とりあえず移動しましょう」

 

鍵付きの書庫なんてこの図書室にあったのか。普段あまり利用しないから知らなかったし、そもそもそんな書庫で一体何の仕事をするというのだろうか。疑問はあるがとりあえず姫宮の後ろに付き従い、図書室の奥へと進んでいく。すると、今までいた空間とはドアで遮られてた場所にたどり着いた。ドアの取っ手には、古臭い南京錠が2個もつけられていた。2個もつけるなんて、よっぽど重要な書類でも保管しているのか、それとも単に2個あればセキュリティ2倍みたいな考えなのだろうか。

どちらにせよ、姫宮が俺に頼みたい仕事はこの中で行われるということは確定している。だから俺は姫宮が南京錠を開けるのを黙って待つ。

が、姫宮は鍵をガチャガチャとならすだけで一向に扉は開かない。

 

「……俺が開けようか?」

 

15秒に渡る姫宮の奮闘に同情したのか、俺は代打を申し出る。

 

「あう……お願いします……」

 

姫宮は少し顔を赤くしながら俺に鍵を渡す。俺はそれを受け取り南京錠に手をかける。とはいえ、俺が姫宮よりスムーズに開けられる保証もないのだが。

 

「よっと」

 

鍵はすらりと南京錠に差し込まれる。そしてそれを左に軽くひねると一つ目の錠はかちゃりと音を立てて開錠された。

 

「……」

 

思わず姫宮と南京錠を交互に見てしまう。

 

「黒崎君、あなた今私に対して失礼なことを考えているでしょ」

「なんのことやら」

「そんな棒読みの弁解でよく人をだませると思ったわね」

「……すまん。正直バカにしたわ」

「正直すぎ!悪かったわね!不器用で!」

「気にするな。俺の知り合いは大体不器用だから慣れてる」

「ふ、ふん!ほら、さっさともう一つも開けなさい!」

 

相当憤慨した様子で姫宮は命令してくる。俺はそれに従いもう一つも開け、鍵を姫宮に預け古びた扉をゆっくりと開ける。

ギシギシと音を立てながら開いた扉の向こうには壁一帯を覆うように配置された本棚と、その片隅に配置された古ぼけた机が二つ。これだけでこの書庫を利用する人物がほとんどいないことがわかる。

とりあえず室内へと入り、姫宮を中へ促しドアを閉める。そのあとドア横の蛍光灯のスイッチを入れるが、点灯したのは奥の本棚の付近のものだけだった。

 

「で、この劣悪な環境で何の仕事するんだ?」

「あ、うん。今日やるのは赤羽文化祭の過去の資料のチェックよ」

 

なるほど、理屈としてはわかる。過去の文化祭の出店リストやスケジュール、スローガンや実行委員の議事録なんかがあれば今年の文化祭の質は上がるだろう。

ただ一つ、素朴な疑問がある。

 

「……何年分遡るつもりだ?」

 

去年や一昨年のデータならUSBとかそれこそ議事録とかを教員が管理しているのが普通だ。だが、わざわざこんな古臭い書庫まで来て資料を集めるとすると、少なく見積もっても5年位前まで遡るつもりなのだろう。

 

「うーん。20年分位かしら?」

「へあっ!?」

 

彼女が発した言葉は、誰が聞いても鼻で笑い飛ばす冗談のような内容だったけれど、それでも、少なくとも俺がこの短い期間で把握した姫宮美琴という人物は実行委員会活動という点においては、妥協、簡略化、効率化などの甘えは一切許さないストイックさを持ち合わせた、そんな人物だった。

……じゃなくて。そんなモノローグを考えてる場合じゃなくて、問題を明らかにしろ俺。

 

「えーっと、文化祭の資料はー」

 

俺の想像の4倍の仕事量を提示してきた姫宮実行委員長殿はさっそく本棚をあさり始める。

 

「お、おい、ちょっと待て。本気で20年分も遡るつもりか?」

「うーん。取り合えずは。不足点があったらさらに10年分くらい遡るつもりよ」

 

ろ、6倍だと……。なんだこいつは、ストイックとか通り越してただのどMなんじゃないのか?

 

 

「いや、そこまで遡る必要はないだろ。それなら桜木たちの仕事を手伝ったほうが……」

「それじゃダメなの。私はこの文化祭を最高のクオリティに仕上げなきゃいけないから」

「なんだよそれ?お前は既に十分文化祭に貢献してるじゃねーか」

「それは……」

 

姫宮はそこで本棚を漁る手を止めた。

 

「それは?」

「……黒崎君とは関係ないことよ」

 

そこで俺たちの間には沈黙が訪れる。俺は一度目を閉じて、すぐに開く。

 

「そうか。わかった」

「え?」

「ほら、さっさと資料集めるぞ。20年分遡るなら二人で同じことすんのは非効率的だ。俺が本棚探すからお前はそのパソコンに要約してまとめろ」

 

俺は近くの本棚から探索を開始する。

 

「え、ちょ、ちょっと」

 

それに対し困惑した様子の姫宮が俺を制止する。

 

「なんだよ?早くしないと日が暮れるぞ」

「そうじゃなくて、今の説明で納得したの?」

「納得してないって言ったら話してくれるのか?」

「それは……」

「別に言いたくないことを無理に言わなくてもいい。誰だってそういうことはある。もしも言ってもいいと思える時が来たら言えばいい」

「黒崎君……」

「ほら、さっさとパソコン起動しろって」

「……うん。わかったわ。それじゃあ本棚の探索は任せるから」

 

そこから、俺はたちは黙々と作業を続けた。

 

***

 

「っあ~……」

 

作業を始めてからどれくらいの時間がたっただろうか。腹の虫が鳴きそうなところから考えると、もうすぐ飯時だろう。俺は手に持った80年代の文化祭議事録を机に軽く放って、宙を仰ぐ。向かいで入力作業を行っていた姫宮もさすがに疲れたのかパソコンをシャットダウンし大きく伸びをする。

 

「結局、40年分くらい遡ったな……」

「ふふ、そうね。90年代の文化祭がかなりの盛り上がりだったから、ついついその前に前にって思ったらこんな量になっちゃった」

「それは言えるな。特に95年のはクオリティが尋常じゃなかった」

「ええ、私もそこが一番いいなって思ったわ」

「ま、とりあえず目的は達成したな。今日入手した情報は次の会議で共有すればいいだろう」

「そうね。桜木君たちなら有益に使ってくれると思う」

「いや、別に桜木たちに限った話じゃ……」

「それじゃ、帰りましょ。あ、そうだ。今日手伝ってくれたお礼になんか奢るわ」

「いや、別にいらな……」

 

俺の言葉が全部発せられる前に、バチンという音ともに室内が真っ暗になった。

 

「きゃあ!な、なに!?停電?」

「……いや、単にここの蛍光灯が切れただけっぽいぞ」

「な、なんだ。よかった。それじゃあさっさとここを出て……」

 

 

「あれ?ここの書庫鍵が開きっぱなしじゃない。閉めとかないとだわ」

 

そんな声が入り口付近で聞こえたと思った時にはもう遅かった。ガチャリという音が2回鳴り、その声の主の足音は遠くへ消えていったのだ。

 

「え、な、なに?どうなったの?」

 

暗闇の中、俺と同じく南京錠が固く閉じる音を耳にしたであろう姫宮が状況の説明を求めてくる。

 

 

だが、もはや説明の必要もないであろう。

 

 

この状況を一言で言うなら

 

 

 

 

「閉じ込められた……」

 

 

 

 

***

 

「さて、どうしよう」

 

暗闇生活1日目。いや、何日も続いてもらったら困るよな。訂正、暗闇生活1時間目。

あんまり変わらない気もするが、そんなブラックジョークを決めざるを得ないほどに俺は窮地に立たされていた。

落ち着け、困ったらセーブ……じゃなくて状況の整理だ。

まず、この書庫にいるのは俺と姫宮の2名。そして書庫内の明かりは先ほど最後の一つが落ち、全くの暗闇。さらに外部から南京錠によって施錠されており、内部から開けるのは不可能。

つまり、最終目標はこの空間からの脱出。そのために必要なのは外部から鍵を開けるほかない。

 

「どうせいっちゅうねん……」

 

つい関西弁で不平を吐きたくなるほどの絶体絶命。

 

「なあ、姫宮お前はどうしたらいいと思う?」

 

俺は唯一この状況をシェアしている姫宮に尋ねる。

 

「……」

 

が、姫宮は返事をしてくれない。

 

「お、おーい。姫宮さん?いるよね?」

「……」

 

しかし、返事はない。俺は目を凝らし暗闇の中の姫宮を探す。

すぐに姫宮の姿は見つかったが、何か様子がおかしい。彼女は書庫の隅の本棚に背を預け、体育座りでうつむいている。

 

「おい、姫宮?どうした?具合悪いか?」

 

暗闇の中、転ばないように注意を払いながら姫宮に近づく。

 

「おい、姫宮!」

 

俺は彼女の肩に手を置いて軽くゆする。すると、姫宮はゆっくりと顔をあげてくれる。

なぜか目に大粒の涙をためながら。

 

「黒sdfれあkしえ!」

「は?……っておわああ!」

 

言葉にならない悲鳴を上げた姫宮はそのまま同じ目線まで腰を下ろしていた俺に抱き着いてきた。当然俺はそんなこと予期していないわけで、そのまま後ろへと倒れていく。

幸いにも俺の後ろは平坦な床だったため、後頭部にも背中にも、ダメージはなかった。

だが、後ろより前に問題があった。俺の上には当然ながら姫宮が覆いかぶさっており、その女の子らしい柔らかさや香りが俺の五感を刺激してくるのだ。

 

「お、おい……!ひ、ひめみや……!」

 

俺は必死に姫宮にコンタクトを取ろうと試みる。

 

「う、うう……」

 

コンタクトは成功した。姫宮は呻きながらもなんとか言葉を出そうとしてくれる。

 

「ご、ごわいよおおおお!助けてえええええ!」

「……は?」

 

俺は帰ってきたメッセージに対し間抜けな声を上げることしかできなかった。

 

「お、おい?姫宮さん?」

「暗いいいい!暗いよおおお!助けてええええ!」

 

なおもわめき続ける姫宮。よくわからんがどうやら相当パニック状態なのは確かだ。

どうする?このまま姫宮の下敷きになっていても事態は好転しない。それに、この場から脱出するには姫宮の力を借りたいところだ。で、あれば、姫宮のパニック状態を何とかする必要がある。

 

 

 

「うぐっ、ひぐっ!こ、こわいよおお……」

「お、おい姫宮!あんまり体動かすな!」

 

姫宮がもぞもぞするたびに俺の理性が飛びそうになる。耳元に聞こえる吐息、サラサラの髪のにおい。もう俺には正常な判断ができなくなってきた。

だからだろうか、俺の手は勝手に動き、姫宮の背中にそっと置かれる。

 

「ひ、ひにゃあ!?」

 

あ、やべ。なんかとんでもないことしてないか、俺?

それはさておき、俺の上の姫宮の震えが止まった。もう喚き声も聞こえない。

 

「よかった……。おい、姫宮?」

 

俺はいつの間にかゆっくりと体を起こしていた姫宮にコンタクトをとる。

 

「こ、この……」

「おい、姫宮。何とか言えって」

「この……へんたい!」

 

その言葉と同時に俺の頬にひりひりとした痛みと、その痛みを発する要因となった音が響き渡る。

 

 

それから数分。

 

「落ち着いたか?」

「落ち着くわけないでしょ!このへんたい!」

 

書庫の隅に配置した椅子に座る俺の質問に、逆の隅でわなわなとする姫宮が答える。

 

「いや、そもそも押し倒したのはお前……」

「おおお、押し倒したとか言わないで!大体黒崎君こそ、急にあんなこと

……!」

 

どうしよう。姫宮の正気を取り戻したまではいいが別の問題が発生してしまった。

 

「いや、あれは俺も動揺しててさ……」

「そんな中途半端な気持ちで抱きしめたの!?」

 

だめだ、一向に話が進まない。

 

「落ち着け姫宮。じゃないともう一度さっきの一撃をかますぞ」

「ふふふふざけないでよ!もうあんなの耐えられないから!」

「なら、落ち着け。深呼吸だ」

「は、はい。すー……はー……」

 

少し口調を強めたところ、姫宮は落ち着いてくれたようだ。

 

「そ、それで?どうするの?」

 

まだ少しさっきのテンションが残っているが、一応まともな会話が始められそうだ。

 

「どうもこうも、ここを脱出するんだよ」

「いや、でも外から施錠されてるし、図書室の利用時間ももう過ぎてるのよ?」

 

姫宮の理屈も最もだが、俺もこの数分をさっきのアクシデントについて悶々としていただけじゃない。ちゃんと解決法を考えてある。

 

「姫宮。俺たちは大変なものを忘れている」

「あなたの心です?」

「ちげえよ。有名な映画のワンシーンじゃねえんだよ」

「じゃあ、なに?」

「それはずばり、携帯だ」

 

そう、俺達には携帯がある。これを使って外部の人間、具体的には安城とか桜木とかに連絡を取れば即解決する。見事な思考回路、完全勝利。まるで将棋だな。

 

「なるほど。それじゃあ、黒崎君。お願い」

「おう、任せろ」

 

俺はズボンの右ポケットからスマホを取り出す。携帯を……。携帯。スマホ。ス、スマ……。

 

 

「黒崎君?」

「あー……携帯カバンの中だわ……」

 

そしてそのカバンは会議室に置いてきた。

 

「ダメじゃん……」

「いや、まだだ」

「まだ何かあるの?」

「簡単な話だ。姫宮、お前のスマホがあるだろ」

「なるほど。そういえばそうね」

 

姫宮は自分の胸ポケットに手を入れる。が、すぐにがっくりと肩を落とす。

 

「携帯……会議室の机の上だわ……」

「なん……だと」

 

俺たちの脱出経路、その最も有力な手が、今消え去った。

 

「黒崎君?さ、流石に他にも考えてるのよね?」

「仕方ない。これは奥の手だったんだがな……」

「おお、流石黒崎君」

「ドアを破壊する」

「いや、ちょっと待って!急に強行突破しようとしないで!」

「だが、現状もう手はこれしか……」

「文化祭実行委員が学校の備品破壊とかシャレにならないでしょ!」

 

確かに。そんなことが明るみになれば溜まったもんじゃない。

 

「いや、待てよ。やっぱり俺たちは大変なものを忘れている」

「なに?心?」

「よく考えたら、というかよく考えなくとも、俺たちが戻らなければ安城たちが心配して探しに来るんじゃないか?」

 

これなら、スマホを使わなくても、備品を破壊しなくてもここから出ることが可能だ。

だが、姫宮はそれに喜ぶわけでもなく、やはり肩を落とす。

 

「なんだよ?これで解決だろ?」

「私、安城さんたちに『私が会議室閉めるから仕事終わったら先帰ってて』って言っちゃったわ……」

 

またしても道が閉ざされた。姫宮が安城たちに任せた仕事の量はわからないが、どんなに長く見積もってもあと1時間もすれば撤収してしまうだろう。

どうしよう。流石にもう何も思いつかない。俺はぐったりと床に腰を落とす。

 

「ごめんなさい、黒崎君。私のせいで……」

 

同じく気力が尽きた姫宮が隣に腰を下ろす。

 

「どうせお前ひとりでも閉じ込められてただろうし、たいして変わんないだろ」

 

もう自嘲気味に笑うことくらいしかできない。

 

「そうね。黒崎君がいてくれるだけマシかもね」

「対して役にも立たないけどな」

「さっきは取り乱してごめんなさい。昔から暗闇が苦手で……」

「そりゃあ、なおさら一人じゃなくてよかったな」

 

そこで、一度俺たちの会話は途切れる。

 

「ねえ、黒崎君。一つ聞いても……」

 

 

再び姫宮が何か言いかけた時、書庫内に何か電子音らしきものが鳴った。なんだ?携帯か?いや、ここには俺の携帯も、姫宮の携帯もない。それなら、この電子音はどこから……?

 

再び、電子音が鳴る。俺はそれに耳を澄まそうと立ち上がる。

 

 

立ち上がってすぐに、その電子音の発生源はわかった。

 

 

***

 

10分、いや、20分経っただろうか。俺が腕時計を確認しようとしたとき、書庫の外で、南京錠をいじる音が聞こえる。それは姫宮にも聞こえたらしく、俺たちは軽くハイタッチする。

 

「黒崎君!大丈夫!?」

 

あわただしくドアを開くのは、安城だった。

 

「おう、すまんな安城。手間かけて」

「ほんとだよもう!私が議事録の作成中だったからよかったものの!」

「いや、マジでそれな。姫宮がパソコン持ってきてなかったら詰んでたわ」

 

俺は机の上のパソコンを軽くなでる。パソコンなんて最近はパワーポイントとかワードとかのソフトしか使ってなかったからメール機能があるってすっかり忘れてた。なんにせよ、姫宮のパソコンに議事録作成用のパソコンのアドレスが入っててよかった。

 

「ありがとう、安城さん。おかげで助かったわ」

「姫宮さんこそ大丈夫!?黒崎君に何かされなかった?」

「おい、安城。お前なぁ」

「だって、黒崎君むっつりだし……」

 

おそらくは夏休みのことを思い出しているのだろう。安城は少し恥ずかしそうにそんなことを言う。

 

「お、お前!あれは俺のせいじゃ……」

「え、ええ。大丈夫よ。何もなかったわ。何も……」

 

そう答えつつも、姫宮は少し顔を赤くしている。

 

「ちょ!その反応なんかあったやつじゃん!黒崎君!なにしたの!?」

 

安城は俺の肩をつかんでゆすってくる。

 

「お、落ち着け。ちょっとしたアクシデントがあっただけだ。お前が想像しているほどのことじゃない」

「ほ、本当に~?」

「明日のサンドイッチに誓おう」

「いまいち信用できない!」

 

「あの~、私もいるんですけど~」

 

安城の後ろからひょっこりと顔を出したのは神崎だった。安城同様、俺のことをジトーっと見ている。

 

「いや、待て神崎。流石にお前までそっちに回られると俺は完全なぼっちだ」

「いいじゃないですか。先輩クラスでも似たようなもんでしょ」

 

ちょ、神崎さん?その冷たい声やめて?

 

「まあ、そんなことはどうでもいいんですけど~」

「無意味に俺の心臓に負荷かけるのやめてくれない?」

「ゲーム部のイベント、そろそろ話し合いたいんですよ~」

「え?あ、ああそうか。忘れてたわ」

「ええっ。なんですかその無責任。先輩自分で教師陣に頭下げたくせに放置とかクズ過ぎません?」

「クズじゃねえ、どっちかというとゲスだ」

「その二つだとどっちも底辺じゃないですか……」

「ちょっと待って」

 

俺と神崎の会話に割って入ったのは、姫宮だった。

 

「神崎って、あなたゲーム部の神崎さんかしら?」

「え?は、はい。そうですけど」

「黒崎君。あなた、部活には入ってないって言ったわよね?」

 

姫宮はなぜか冷たい目で俺を見つめる。

 

「あー。まあ、ゲーム部に関してはちょっと複雑な事情があってだな……」

「黒崎裕太郎」

「へ?」

「思い出したわ。どこかで聞いた名前だと思ったら、あなたが教師陣にゲーム部の存続を承認させた黒崎裕太郎ね?」

 

なぜそれを姫宮が?そのことを知っているとすればゲーム部に関係している人物だけのはずなのに。

 

ゲーム部に、関係?

 

「お前、まさか……」

「がっかりだわ。まさか自分がこんな男に協力を求めていたなんて」

「え?え?」

「なに?どういうこと?」

 

疑問符を浮かべる安城と神崎。だが俺は、そんなことを気にしているほど余裕はなかった。

だが、姫宮はそれ以上は言わずに図書室を出ていく。

 

「お、おい姫宮!」

 

俺はそれを追って図書室を出る。それに反応してか、振り返った姫宮は冷たく言い放った。

 

「私は、あなたを許さないわ」

 

それは、今まで見たこともない姫宮美琴の姿だった。

 

 

 

 



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11. 安城奏の決意

翌週の月曜、授業を惰眠で突破した俺はほかの生徒同様に放課後を迎えていた。真面目に授業を受けるものにも、不真面目の限りを尽くすものにも放課後は平等にやってくる。ひどい世の中だ。まあ、当然その報いは定期テストという喚問で受けることになるのだろうが、俺にとっては正直どうでもいいことだ。

 

「はあ……」

 

購買付近のベンチに座る俺は外の自販で買った綾鷹を片手に小さく息を吐く。

一応このあと文化祭実行委員会の会議が控えてはいるが先週の一件を踏まえるに、俺が行ってもギスギスするだけだろう。

全く、俺は実行委員会を追放されるチート能力でも持ってるんだろうか。

いや、むしろ状況は体育祭の時より劣悪かもしれない。

俺は、黒崎裕太郎は、結局定めからは逃れられない、ということだろうか。

 

「……はあ」

「ため息は幸せを消し去るぞ」

 

いつの間にか俺の隣に座りミルクココアのペットボトルをこちらに転がしてきたのは、結城先生だった。

 

「ご心配なく。すでに幸せゲージゼロなんで」

「なら、それを飲め。糖分の摂取は疑似的に幸せを作り出す」

「なんすかそれ、先生の大学の卒論ですか?」

「そんな論文が許される時代ではなかったな」

 

先生はそこで会話を切る。なので俺は手元に転がるミルクココアのキャップを開け、一口飲む。

 

「で、なんか用ですか?」

「君こそ、私に用があるんじゃないのか?」

「……知ってたんですよね、姫宮の部活がゲーム部の存続と引き換えにつぶれたって」

 

先週の一件の後、俺は安城を介して以前の部活動縮小計画の内情を調べることができた。そこに書いてあったのは、映画研究会という部活の廃部が決定していたこと、そしてそれは俺のプレゼンによって存続を許されたゲーム部に枠を取られたからだという事実だった。

 

「当然だろう。私は生徒会の顧問だぞ?」

「開き直られると文句言いづらいんだよなあ……」

「知っていたのは、君もそうだろう?」

 

先生が言っているのはきっと姫宮のことではなく、ゲーム部を救済することで犠牲になる部があるという事実、それを俺は知っていたということだろう。

そうだ、俺は知っていた。誰かの居場所を守ることは、他の誰かの居場所を奪う可能性を孕んでいると。だからこそ俺は当初ゲーム部の存続に加担する気はなかった。

だが、俺は知っていながらそれをしてしまった。神崎のためだと、彼女の居場所を作るためだと、そんな言葉で自分を正当化した。決してあの時神崎のために動いたことを否定するわけじゃないが、結果として俺は姫宮の居場所を奪ってしまった。それは中学の時の俺が犯した過ちと何ら変わらない結果だった。

俺が人を助ける理由、それは自分に居場所を見つけるため。それなのに、それなのに俺は他者からそれ奪ってしまったのだ。

 

「まあ、別に君の行動を否定したいわけじゃない。世の中、みんなに平等にすることなんてのはハナから不可能なのだから」

「教師の言葉じゃないでしょ、それ」

「それで、君はどうする?」

 

俺のツッコミは完全にスルーして結城愛莉は問いかける。だが、どうするもこうするもすでに終わってしまったことを、今更どうすればいいのだろう。

 

「終わってしまったことをいつまでも考えるのは愚か者のすることだ。真に賢いものとはその結果を踏まえ、未来に投資するものだ」

「先生、中二病ですか?」

「人というのは皆どこか患っているものだよ。それは心かもしれないし、もっと別のものかもしれない」

「もはや意味不明っすね……」

 

俺がもう一口ミルクココアを飲んだところで、先生は立ち上がり、小さく伸びをする。

 

「私も、立場上君に加担することは憚られるが、君には私とは違う未来にたどり着いてほしいと、そう思っている」

 

その言葉が意味するところを完全に理解することなんてできなかった。でも、それが結城愛莉という人物の経験してきた日々の積み重ねから出た言葉であろうことは、なんとなくわかった。

 

「授業はここまでだ。しっかりやりたまえ」

 

そのまま立ち去っていく結城先生の姿を見送った後、俺は重い腰を上げ、4階へと向かう。

 

 

***

 

会議室に到着した俺は、周囲を見渡す。そこには、何かとてつもない違和感があった。それを確かめるために、俺は室内に設置された時計を確認する。

時刻は4時25分。会議の5分前だ。俺はこれまでの会議は毎回この時間に会議室を訪れていたが、先週まであったはずのものが今日この場にはない。それが違和感の正体だった。

だから俺は、その違和感を言語化する。

 

「人数、すくなくないか?」

 

文化祭実行委員会のメンバーは全部で34人。そこに俺が加わり35人で活動していた。だがどうだろう、今現在、会議の5分前という時間なのにこの部屋には10人程度の生徒しかいないのだ。

伝達ミス?それとも急用?

いや、どちらも違う。ではなぜ?

俺はホワイトボードの前のテーブルに座る安城に声をかける。

 

「おい、安城。どうなってんだこれ?」

「く、黒崎君。それが……。わからないの」

「わからない?」

「うん。先週の会議で今日の日程はプリントにして全員に配ったし、今来てない人たちから欠席の連絡もないの……」

 

ということは、考えられるのはここにいないメンバーが故意に欠席しているという可能性。

いや、それは早計だろうか。

 

「とりあえず、会議の開始を10分遅らせて様子を見たほうが……」

「必要ないわ」

 

俺の言葉を遮ったのは安城の隣でプリントの角をそろえる姫宮だった。

 

「いや、必要ないってお前……」

「仮に彼らが意図的に欠席しているのなら待ったところで時間の無駄。それならば今ここにいるやる気のあるメンバーだけで行ったほうが効率的だわ」

「でも、今日はそれでよくても今後ずっとだったら相当な痛手だろ。ここにいるメンバーだけじゃ仕事を回しきれない」

「不足する部分は私がカバーするから何の問題もないわ」

「おいおい……」

「それと」

「なんだよ?」

「私に話しかけないでくれる?あなたの協力なんて必要ないの。なんならこの場から立ち去ってほしいくらいだわ」

 

姫宮の言葉は、冷たく、明らかに俺への敵意が込められていた。

 

「お、おい姫宮。何もそこまで言わなくても」

「そ、そうよ。黒崎の協力があったほうが効率的じゃない」

 

見かねたのか桜木と霧野が彼女をなだめようとする。

 

「あなたたちはそれでいいの?言ったでしょう、この黒崎裕太郎こそが私たちの部を廃部に追いやったのよ?」

 

唐突に、部屋の中に重い音が響いた。

それは姫宮の言葉に、桜木が机を強くたたく音だった。

 

「姫宮、いい加減にしろよ……!本当に黒崎がゲーム部に加担しただけでうちの部がつぶれたと思ってるのか……?」

「ちょ、ちょっと桜木……!」

 

霧野が桜木を止めようとするが、桜木はもうそれが聞こえていないらしく、言葉を続ける。

 

 

「映画研究会がつぶれた一番の要因は、お前なんだよ!お前のその、人を見下す姿勢、自分が認めたもの以外は石ころ程度にしかみなさない態度をみかねて顧問の先生も困ってたんだよ!」

「さ、桜木君……?」

「今まで我慢してきたけど、もう限界だ!俺はもう実行委員会なんてやめてやる!」

 

桜木はカバンを乱暴に持ち上げて、そのまま会議室を出て行ってしまった。

 

「姫宮さん……ごめん」

 

霧野もそのあとを追っていく。会議室内に残されたのは、俺たちと、困惑している数人の実行委員だけだった。

 

「え、えっと……」

 

残っている実行委員たちに何とか説明しようとする安城だが、この状況で言えることなんて無いに等しいだろう。

 

「なんで……なんでよ……」

「ひ、姫宮さん?」

 

安城の声も聞こえていないのか、姫宮はふらふらと立ち上がり、そのまま桜木たち同様、会議室を出て行った。

 

「く、黒崎君!どうしよう……」

 

どうしようといわれても、この状況下で会議を始めるのは不可能だ。委員長の姫宮も、中心人物の桜木や霧野も、たった今出て行ってしまったのだから。

 

「……とりあえず、今日のところは解散だな。んで、すぐに担当の教員に相談したほうがいい」

「そう……だね。それしかないね」

 

幸いにも実行委員の活動ペースが速かったため、今日一日くらいなら流れてもダメージは少ないだろう。

だが、それはその場しのぎでしかない。次回の会議までに姫宮が桜木たちと和解し、ボイコットした面々をもう一度引き戻さないと実行委員会は破綻する。

そんなことほぼ不可能だ。そして、この状況を作った一番の原因は、

 

俺だ。

 

***

 

そのままその日は俺の提示した通り会議は解散となり、騒ぎがそれ以上広がることはなかった。だが、それは根本的な解決にはならないし、このままならそれ以上のダメージを食らいかねない。スケジュール通りなら次の会議は木曜日。今日を入れてもあと3日以内に何とかできなければ、はっきり言って終わりだ。

それだけじゃない。大事な委員会がお釈迦になれば、当然文化祭は歯抜けの状態で行われる、もしくは中止にだってなりかねないし、その重役だった姫宮や安城たちにも何らかのペナルティが課せられる可能性も大いに考えられる。

その事実は理解できても、だからと言って俺が何かできるわけでもない。俺はただの委員会の歯車の一つでしかないのだから。

 

有効な解決策も見つからないまま、時は流れ、火曜日の放課後になってしまった。

掃除当番だった俺は運悪くゴミ出しじゃんけんに負け、なぜか今日に限ってぎっしりとごみの詰まったゴミ箱をゴミ捨て場に運ぶ最中だった。

 

「あー、マジで重い……」

 

愚痴を吐きながらも職務を全うする俺は、苦難の末にゴミ捨て場に到着した。あとは回収用のごみ箱に袋ごと放り込めば任務完了だ。

 

「きゃあ!ど、どいてえ!」

「へ?……へぐっ!」

 

大きな声に振り向いた矢先、俺の顔面に青いプラスチックでできた物体が突っ込んでくる。その勢いに押されて俺は地面に倒れる。

 

「い、いてえ……」

 

呻きながらも首を横に向けると、ぶつかってきた物体が各教室に配置されたゴミ箱であることがわかった。

 

「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」

 

俺の顔面にゴミ箱をシュートしたであろう生徒の声に、俺はゆっくりと上半身を起こしそちらへと視線を向ける。

そこにいたのは、腰に届くくらい長い髪で、前髪も完全に目にかかっている女子だった。制服のリボンの色からして、3年生だろうか。

 

「あ、いえ、こっちこそ不注意でした。すみません」

 

上級生相手なので一応敬語で言葉を返し、彼女が散らばしたであろうゴミをいくつか拾って倒れているゴミ箱に投げ入れる。

 

「あの、君、黒崎君ですよね?」

「え?ああ、はい。俺は黒崎です」

「や、やっぱり!わ、わ、わたし、その、覚えてますか?」

「はい?」

 

覚えているか、と聞かれてもう一度彼女の姿を視界に入れるが、まったく記憶にない。そもそも赤羽の上級生で顔見知りなのは生徒会会長の沖谷と副会長の光定くらいなもんで、あとはしゃべったことすらない。

 

「すみません、全然わかんないです」

「覚えてないですか?あの、消しゴムを探してくれたじゃないですか!」

 

消しゴム?やっぱりわからん。赤羽に入学してから消しゴムを躍起になって探した記憶なんて全くない。

 

「あの……高校じゃなくて、中学の時です……」

「は?中学?」

「そうです!委員会の集まりの時に……」

 

中学の時のことはあまり思い出したくないが、目の前の彼女の正体を知るには思い出さざるを得ないだろう。

 

「えーっと……」

「……」

「……そういえば、2年の秋ごろに図書室でやった会議でそんなことがあったような」

「そ、そう!それです!それが私です!」

 

なるほど、少し思い出した。確か会議が終わった後彼女がおろおろしていて、声を掛けたら大事な消しゴムを無くしたと言われ、見つけるのを手伝った気がする。それも1時間くらい。

それにしても、まさか赤羽に中学の時の先輩がいるなんて。まあ、雪里もいるわけだし多少はいても確率的には不思議じゃないか。

 

「私、その時のお礼がしたくて!でも、わたし冬頃に転校しちゃったから……」

「いや、お礼って。消しゴム探しただけじゃないですか」

「そ、そんなことないです!私なんかの消しゴムを1時間も一緒に探してくれるなんて、普通ならしません!だから黒崎君はすごい人です!私、ずっとずっと黒崎君のことを考えてました!」

「そ、そうですか」

「だから、お礼させてください!何でもします!黒崎君が望むならえっちなことでも……」

「いや、しなくていいです!気持ちだけで十分ですから!」

 

な、なんか危ない……じゃなくて不思議な人らしい。

 

「じゃ、じゃあ、もし私にしてほしいことができたら言ってください!私、放課後は生徒会室にいるので!」

「え?生徒会?」

「そうです!私、黒崎君にあこがれて、生徒会に入ったんです!一応、会計やってます!」

「え、でも体育祭実行委員の時にはいなかったような……」

「その、わたし体が弱くて……学校に来る日も少ないんです」

「そ、そうなんですか」

「あ、そ、そうだ!私自己紹介もしてなかったですね!私、3年C組白雪凛子(しらゆき りんこ)です!凛子とでも凛ちゃんとでも下僕とでも好きに呼んでください!」

「は、はい。……白雪先輩」

 

流石に提示された呼び方はどれも抵抗があるので丸ごとスルーして一番無難な呼び方で返事をする。

 

「そ、それじゃあ俺、教室に戻るんで」

「あ、そ、その前に!ラインだけ教えてもらってもいいですか!」

「え?ライン?」

「はい!その、黒崎君と何かでつながっていたいなと……あ、つながるってそういう意味じゃないですよ!あくまで健全な繋がりです!」

 

一人で顔を赤くして身をくねらせる白雪先輩に戸惑いながらも、俺は携帯を取り出す。いや、だってここで断ったらこの人なんか危ないこと……不思議なことしそうだし。

すぐに彼女も携帯を取り出し、俺たちの連絡先交換はほんの数十秒で完了する。

 

「あ、ありがとうございます!黒崎君の連絡先、墓場まで持っていきます!」

「は、はあ?」

「そ、それじゃあ、また!毎日ライン送ります!」

「いや、毎日はちょっと……」

 

俺の言葉を最後まで聞かずに白雪先輩はスキップしながらゴミ捨て場を去って行ってしまった。

 

「生徒会もいろんな人いるんだな……」

 

その環境下で仕事してる安城ってかなりすごいんだな。

とりあえず俺もゴミ袋を捨てて教室に戻ることにした。

 

***

 

教室に戻ると、なぜか俺以外の掃除当番は帰宅したらしく、掃除当番表は次の班に回されていた。いや、別にその中の誰かと一緒に帰るとかじゃないから特に問題もないんだけど。

小さくため息をつきつつ、教室の前側に位置する自分の机の上のカバンを持ち上げる。あとは帰るだけで今日は終わる。

 

「あれ、黒崎君?」

 

教室の後ろから俺に声をかけてきたのは安城だった。

 

「よう安城」

「黒崎君なんでまだいるの?掃除当番ならさっきみんな帰ってたけど」

「俺はそのみんなにカテゴライズされてなかったらしくてな」

 

自分で言ってて悲しくなるが、事実は受け止めるべきだろう。

 

「てか、あの後姫宮達どうなった?」

 

実行委員会が再起できるかはわからないが、状況の確認はしておくべきだろう。

 

「うん……一応実行委員担当の山田先生がすぐに姫宮さんに話を聞いたらしいんだけど……」

 

山田とはあの中年教師だろう。一応仕事はしてくれたらしい。

 

「その言い方だと、良い方向には転んでないみたいだな」

「そうみたい。姫宮さん、今日も早退したみたいで……」

「桜木たちは?」

「そっちは私のほうから声をかけたんだけど、やっぱり今のままだと戻ってきてはくれなさそう……」

 

多分、教師陣が強く言えば姫宮も桜木も霧野も、ボイコットした連中も戻っては来るだろう。だが、それでは問題は解決しない。そんな無理やりに圧力をかけても、一度壊れたものは復元できない。仮に実行委員としての活動を全うできたとしても、その後、彼らの間にできた溝は埋まらないだろう。

 

「だいぶ絶望的だな……」

「大丈夫……私が何とかする」

「え?」

「私が、何とかしなきゃいけないの。副委員長なのに、姫宮さんたちに頼りっぱなしで、それを疑問にも思わなかった。私がもっとちゃんとしてればこんなことにはならなかったんだと思う」

「いや、お前ひとりの責任じゃない。今回の姫宮達の衝突の原因は俺たちが関与する前から溜まってきたものだ。そんなの、どうしようもないだろ」

「だとしても、私、やるよ」

 

安城の決意は、俺が何を言っても変わらないらしい。なら、俺のやることはいつもと変わらないだろう。

 

 

「わかったよ。その代わり、俺も手つだ……」

「それはダメ!」

「え?」

「それじゃ、ダメ……なの」

 

突然の安城の拒絶に、俺は戸惑う。

 

「……なんでだよ、今までだって協力してきただろ?」

「そうだね、今までも、こうして黒崎君に頼ってきた。きっと今回のことも、黒崎君なら何とかできちゃうのかもしれない。でも、でもね……」

「……」

「私も……このままじゃいられないから」

 

安城はゆっくりと言葉を紡ぐ、その表情はあまりに、真剣で、だから俺は、黙って聞くことしかできなかった。

 

「……わかった」

 

 

だから、俺にはそんな弱弱しい返答しかできなかった。

 



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12. 結城愛梨の胸中

それから一週間が経過し、再び火曜日がやってきた。実行委員はどうなったのか、木曜日の会議に出席しなかった俺にはわからない。本当ならなにがなんでも出席したかった。でも、安城はそれを望んでいないから、それを無視するのは彼女自身を否定することになるから、そんな思いに駆られ、俺はただ結果を待つことしかできなかった。

 

「あ、先輩!やっと見つけた~」

 

下駄箱で靴を履き替えていたところ、後ろから神崎が俺を呼んだ。

 

「なんだ、神崎か」

「えー、リアクション薄くないですか?普段なら『何度も後ろとるなよ、本気で俺に殺意でもあんの?』みたいなこと言うじゃないですか」

 

神崎は目を細め、猫背になる。どうやらこいつには俺がこんな風に見えているらしい。

 

「で、何の用だ?」

「ほんとにテンション死んでますね……。膝枕でもしてあげましょうか?」

「用事がないなら帰るぞ」

「あ、待ってくださいよ!用事ありますって!ゲーム部のイベントの話ですよ~!」

 

必死に俺の袖をつかむ神崎の言葉で、俺はゲーム部のイベントのことを思い出した。

 

「わかった。じゃあその辺の喫茶店でも行くか」

「え?あ、はい……」

 

なぜか拍子抜けしている神崎を訝しげに見ていると、その視線に気づいたのか彼女は少し大げさに手を動かす。

 

「い、いや、先輩がこんな簡単に応じてくれるなんて思わなくてですね……。普段なら一言二言不平かましてから結果的にやってくれる人、みたいな印象だったので……」

「……そうかもな」

 

 

俺は自嘲気味に笑うと手に持ったままだった上履きを下駄箱にしまい、外靴に履き替える。

神崎もそれを見て、一つ向こうの一年生の下駄箱に小走りで駆け寄って靴を履き替える。

それを待つ間、俺はただ考えていた。

 

――安城は、大丈夫だろうか。

 

 

安城は、このままじゃいられないと、そう言っていた。だから実行委員会のこともなんとかして見せると。

その真意が俺にはわからない。『このまま』とは何だ?

それが何を指しているのか、そこからどう変わればいい?

安城と過ごす日々の中で、俺は何度もあいつを助けてきた。それは、『安城を助けたい』という思いが俺を突き動かしてきたからに他ならない。彼女を助けることが、いつの間にか当たり前になっていた。

だから、俺は今回も安城を助けようとした。だが、安城奏はそれを拒否した。

ならば、安城の言う『このまま』とは俺と安城の関係性のことだったのかもしれない。

 

「先輩?どうしたんですか?」

 

気が付くと神崎が隣で俺の表情をうかがっていた。

 

「……何でもない。行くぞ」

 

校舎の出入り口、そのラインを越えてしまったら、今この疑問を解かなかったら、安城のところには戻れない。

そんな根拠もない考えが脳裏をよぎる。

 

――でも、俺できることはない

 

そう自分に言い聞かせ、俺は校舎を後にし、正門をくぐった。

 

「それで、ゲーム部のイベントなんですけど、とりあえず場所は屋上じゃないですか」

「ああ」

「せっかく屋上を使うならなんか派手なことしたいですよね。風船飛ばすとか、大音量でBGMかけるとか」

「そうだな」

「私はチャレンジャーと対戦するわけですから進行役一人欲しいですよね」

「だな」

「あと、衣装とかって今から発注しても間に合いますかね?」

「どうだろうな……っ!」

 

急に神崎が俺の頬を突っつく。

 

「先輩、真面目に聞いてくださいよ」

「聞いてる。衣装の発注だろ?」

「私が言ってるのは、耳で聞いてるかじゃないですよ」

「は?」

「先輩、心ここにあらずって感じですけど、なんかありました?」

 

その問いに、俺はすぐに答えられなかった。

 

「やっぱり。最近お姉ちゃんから先輩の話聞かないから何かあると思いました」

「別に、なにも……」

「じゃあなんで、副委員長のお姉ちゃんが会議室で司会や作業を一人でやってるのに、先輩は今私と居るんですか?そもそも委員長はどこ行ったんですか?」

 

神崎の表情に、いつものおちゃらけた雰囲気はない。真っすぐ、真剣に俺の答えを待っている。

 

「それは……」

 

俺が言葉を発しようとしたとき、唐突に軽快な音楽が流れだした。

 

「あ、すみません。私の携帯です……」

 

神崎は俺に断ってカバンから携帯を取り出し、通話に応答する。

 

「……はい。神崎です。……はい、そうですけど。……!それ、本当ですか!?」

 

普通に応答していた神崎の表情が急に変わった。血の気が引いた、という言葉の通り青ざめている。

 

「……はい、わかりました。それじゃあ……」

「どうした?」

 

神崎が携帯を耳から話したところで俺は問いかける。

 

「お姉ちゃんが……倒れたって」

「……!」

 

神崎のその一言だけで、俺は背筋が凍りつくような感覚に襲われた。

安城が、倒れた。

その理由も、そうなった原因も、俺は知っていた。知っていたからこそ、俺はカバンを投げ捨て、すでに数百メートル離れた校舎へと走り出した。

 

「ちょ、ちょっと先輩!」

 

後ろから俺を呼ぶ神崎に返事をしている余裕なんて、俺にはなかった。

 

***

 

「安城!」

 

俺が保険室の扉を勢いよく開いたとき、びくっとして振り向いたのは雪里だった。彼女が座る椅子の横のベッドには、額に熱さましを載せ、ぐったりと目を閉じている安城がいた。

 

「く、黒崎君……!」

「雪里、お前なんで?」

「彼女が階段の踊り場で倒れていた安城を発見し、助けを呼んだ」

 

俺の後ろから保健室に入ってきたのは、結城先生だった。その表情には、いつもの冷静さはなかった。

 

「それで、安城の状態は……?」

「間違っても問題ない、とは言えないな。熱は高いし、保健室に連れてきてから一度も目を覚ましていない。もう少ししたら、救急車が来ることになっている」

 

俺はがっくりと両膝を床に着く。

 

「俺の……せいだ」

「黒崎君……?」

 

状況がわかっていない雪里が俺の言葉に疑問を浮かべる。だが、それに答えられる余裕はなかった。

 

「全部俺のせいだ……!わかってたんだ!姫宮達の進め方じゃいつか崩壊するって!安城一人に任せる量の仕事じゃないって!全部わかってたのに……。くだらない言葉や理屈を並べて、勝手に自分を正当化してたんだ!俺が、何とかしなきゃいけなかったのに!」

「黒崎……」

 

こんな大声で叫ぶことが、今まであっただろうか。俺が、黒崎裕太郎がここまで感情を表に出したことがあっただろうか。

『助けられただけの者の末路』。いつか結城先生が言ったその言葉が、なぜか今、頭に浮かんだ。

 

 

***

 

時刻は7時を回った。外はすっかり暗くなり、建物や街灯の明かりがちかちかと俺の網膜を刺激する。とはいえ、目の前にあるガラスが、それをある程度緩和させてくれてはいるが。

 

「落ち着いたか?」

 

運転席に座る結城先生が、助手席の俺に問いかける。安城が病院に搬送された後、先生は自分の車に俺を載せ、適当に街の中を走らせてくれている。車内に流れるクラシックの音と、先生がくれた板チョコのおかげで、俺の気持ちは少し落ち着いてきた。

 

「……はい。おかげさまで」

「そうか。あ、このことは他言無用で頼むぞ。女性教員が男子生徒を自分の車に長時間乗車させたなんて保護者達にばれたら首がとびかねん」

「いや、高校生相手なんだから一発退場はないでしょ。せいぜい学校側が記者会見開いて謝るくらいですよ」

「そうか、私のテレビデビューも夢じゃないな」

 

くだらない。本当にくだらなくて中身のない会話だが、今の俺にはそれがありがたかった。何かしゃべっていないと、苦しそうにベッドに横たわっていた安城の姿を思い出してしまうから。結城先生もそれを考えて話を繋いでくれているのだろう。

 

「黒崎。少し私の昔話に付き合ってもらってもいいか?」

「40年位前のことですか?」

 

ちょっとふざけてみたら、すぐに脳天にチョップを食らった。

 

「あれは私が教員になって1年の時だった。田舎の小さな高校の2年生の担任を任されてな。今の私からは想像できないだろうが、かなりがちがちに緊張して教室に踏み入れた」

「そりゃ確かに想像できないですね」

「クラスの生徒たちはみんな思いやりがあって、私もすぐに馴染むことができた。クラス対抗の体育祭ではそのチームワークで優勝したほどに、結束の固いクラスだった」

 

信号が赤になり、先生はブレーキを踏む。

 

「そのクラスの中に一人、勉強が苦手な生徒がいた。性格も、容姿も、交友関係もいたって普通だったが、定期テストでは平均点を大きく下回る点数でね。そんな彼を見て、私は何とかしてあげたいと思った」

 

高校2年生ともなれば進路関連の話もちらほら出てくる時期だ。その時点で赤点を連発していたのなら、先生が助け船を出したくなるのも頷ける。

 

「進路相談で彼と話したとき、彼は大学に行きたいと言った。その大学は決して難関校ではなかったが、彼の成績ではほぼ無理といったレベルだった。だが、私は彼に対し無理だから進路を変更しろとは言えなかった」

 

 

信号が青になり、再び車は走り出す。

 

「私は彼の手助けをすることにした。担任の責務とかではなく、一人の人間として彼に同情したのかもしれない。彼の特に苦手な科目は、わかりやすいノートの取り方を教え、少しでも得意な教科は放課後を使って教え込んだ。その結果、彼は志望した大学に合格することができた」

「すごいじゃないですか」

 

だが、先生は首を横に振る。

 

「問題が起きたのはその後だった。彼が卒業して半年が過ぎたとき、私のところに彼のご両親が訪ねてきた。そこで、彼が大学をわずか3か月で中退し、職にもつけていないことを知った」

「……」

「彼は、私との2年間の後、私の教えなしでは生活リズムも、勉強時間も、勉強方法も分からなくなってしまっていたんだ。あの時、『なぜ無責任に息子を助けたのか、なぜ無理だと言ってくれなかったのか、進学をあきらめて就職でもよかったのに』と涙を流しながら訴えてきたご両親の顔は今でも忘れられないよ」

 

それが、結城先生が俺を気にかけていた理由なのだろうか。昔の自分と同じ過ちを犯すかもしれないと思ったから、だから俺に助言した。いや、本当は助言することすら迷ったのかもしれない。教師という立場では俺に必要以上に肩入れできないから、それでも精いっぱいの助力をしてくれたのだ。

 

 

「私が以前君に言った、『助けられただけの者の末路』、それが何なのか私は知っている。だが、それはあくまで私の経験でしかない。君には君にしかあるけない道があるかもしれない」

「俺の……道」

「だから、君に見つけてほしい。人を助けることの意味を。それが決して、間違いじゃないという証明を。それが、私から君への問いであると同時に、願いだ」

「できますかね、俺に」

「できるさ。君は私とは違う。君にはあの時の私にはなかったものがある。それを、信じるんだ」

 

先生はにかっと笑い、俺の頭を無造作に撫でた。

 

「そろそろ君の家の近くだ。どうする、家まで送ろうか?」

「……いえ。すこし、夜風にあたって帰ります」

「……そうか」

 

先生は歩道の横に車を止める。俺はそれと同時に助手席のドアを開け、ゆっくりと降りる。

 

「送ってくれてありがとうございました」

「ああ、気を付けて帰れよ」

「はい」

 

俺が助手席のドアを閉めると、すぐに車は道路に戻り、走り去っていった。俺はその姿を見えなくなるまで見送ってから、自宅に向かって歩き出した。

 

どうするべきか。いや、どうするもこうするも、目下の問題は文化祭実行委員会のことだ。委員長の姫宮も、副委員長の安城もすでに再起不能なうえに、桜木たち重役もいない。そして委員の大半はボイコット状態。

 

 

――何が必要だ。実行委員を復活させ、安城たちの意思を引き継ぐためには。

 

――それには抜け落ちたピースを再び集めるしかない。

 

――だが、それは容易じゃない。集めても、そのピースをしっかりとはめることができる人物が必要だ。

 

それはつまり、実行委員長の存在が不可欠ということだ。だが、姫宮も安城も、今すぐに復帰することはできない。ならば。必要なのは新しい実行委員長を建てること。

だが、誰を?

条件は2つ。主要メンバーである桜木たちと交流があることと、実行委員会を運営する能力を持っていることだ。

いるはずだ。俺は知っているはずだ。該当する人物を。

 

 

そうだ。いる。この条件を満たし、実行委員会を運営する能力を持つ人物が。

 

正直博打だ。確実性はない。それでも、もうこの可能性に掛けるしかない。

 

姫宮美琴の意思を継ぎ、

 

安城奏の思いを受け止められる人物に。

 

 

 



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13. 姫宮美琴の葛藤

翌日、俺は朝学校には向かわず、越前を介して知ったある住所へと向かった。越前も協力するのに大分渋い反応をしていたが、俺のしつこさに根負けしたらしくこの住所を教えてくれた。

 

「この辺のはずなんだけどな」

 

携帯のメモ帳アプリを見ながら歩いていると、俺の視界の隅に大きな門が入ってきた。これまでの人生で見たことないくらいの立派な門だったので、思わずそちらを凝視してしまう。

 

「こんな家に住めたらなあ……」

 

そんな叶いもしないようなくだらない願いを呟いて、さっさと携帯のメモに視線を戻す。

 

「えーっと、こっちの通りに入って、赤い自販機を通り過ぎたところか……」

 

通りには入っているのであとは赤い自販機を見つけるだけだ。だが、前方数十メートルを見渡してもそれらしきものはない。仕方ないのでインターネットのマップを開き住所を打ち込み、現在地からの道順をアナウンスしてもらう。

 

『ガイドを開始します』

 

機械音に近いような女性の声が、ルート説明を始める。

 

『目的地周辺です。案内を終了します』

「え?お、おい」

 

なぜか即効で案内を終える携帯に、意味も分からず呆然としてしまう。

 

「目的地周辺って言われてもなあ……」

 

一応、周辺を見渡す。すると、俺の今いる場所から5メートルくらい後ろに赤い自販機を発見した。どうやらメモを見すぎて見落としていたらしい。

だが、それを見つけたところで、結局目的地は見つからない。あるのは大きな門の家が一軒。

 

いや、少し待とう。ほかに家がないのなら逆説的にこの家が目的地なのではないだろうか。俺は門の横の表札に目を向ける。

 

「……まじかよ」

 

そこにはしっかりと、『姫宮』と書かれていた。どうやら間違いないらしい。

家の大きさに、庶民の俺は少し委縮してしまうが、ここで突っ立っていても無駄な時間だ。さっさとインターホンを押し、内部からの反応を待つ。

 

 

「……はい」

 

20秒くらい待ったのち、反応があった。それは文化祭実行委員長の姫宮美琴の声に間違いなかった。

 

「よう。俺だ、黒崎だ」

「セールスならお断りしていますので」

「おい、黒崎だって言ってんだろ」

「……何の用かしら?」

「とりあえず入れてくれ。話はその後だ」

「宗教に興味ないので」

「さっきと断る口実が変わってんじゃねーか」

「私はあなたと話すことなんて無いわ」

「俺はあるんだよ」

「さよなら」

「いいのか?俺の要求に答えないのならそれ相応の報復をするぞ」

「あなたの報復なんて痛くもかゆくもないわ」

 

どうしても俺の話を聞いてくれないらしいので、俺はインターホンにもう一歩近づき、低い声で囁く。

 

「……書庫」

「……!」

 

それと同時に、インターホンの向こうからドタバタと音が聞こえ、門が勢いよく開かれる。

中から現れたのは大きく息を切らした姫宮だった。

 

「よう、姫み……や」

 

俺を視界に入れたとたん、まるで獲物を狙う肉食動物のような鋭い眼光を向ける姫宮に軽く恐怖を感じつつも、平静を装う。いや、嘘だわ。全く装えてない。何なら冷や汗たらたらだ。

 

「要件は?」

「いや、だから入れてくれって言ってるだろ」

「通報するわよ?」

「心配しなくても俺は何もしない。用が終わったら2度とお前の前に現れないと約束してもいいぞ」

「そんな口約束、何の意味も……」

「文化祭実行委員会の話だ」

「……!」

「結構長い話になる。俺としては、落ち着いた場で聞いてほしいんだ」

「そんな話はあなたにされなくても……」

「安城が倒れた」

 

俺の言葉に、姫宮は目を見開く。全て、というわけではないが、自分が委員長を降りたことが安城のことと関連していることは察したらしい。

 

「安城さんが……」

「話を聞いてくれる気になったか?」

「……わかったわ。あなたの話を聞くわ」

 

姫宮は半開きの門をもう少し開いて俺の入るスペースを作ってくれる。

 

「お邪魔します」

「靴を脱いだらこのスリッパに履き替えて」

「あいよ」

 

玄関に入ってすぐに靴を脱ぎ、青いスリッパに履き替える。外観の通り、姫宮宅はかなり立派な作りになっている。長く、そして幅も広い廊下は、俺の家なんかとは比較にならない。その廊下を歩く姫宮の後ろをついていくと、左手にリビングが見えてくる。

 

「そこのソファに座ってて」

 

姫宮の言葉に従いリビングに足を踏み入れ、人をダメにしそうなソファの端っこに腰掛ける。姫宮派というと、キッチンでお湯を沸かし始めた。

 

「あなた、学校はどうしたの?」

「そのセリフ、完全にお前に跳ね返ってるぞ」

「……」

「学校にはこの後行く。流石に丸一日サボるわけにもいかないしな」

「……そう」

「まあ、そんな感じだ」

 

特にうまい会話もできないので俺はそこで話を切り天井の模様をぼーっと見ていた。

 

「はい、どうぞ」

 

少しして、俺の前のテーブルに紅茶の入ったティーカップが差し出された。俺はその紅茶を息で少し冷ましてから口に含み、のどを潤す。その間に姫宮は、俺と一人分開けてソファに座る。

 

「それで、安城さんは大丈夫なの?」

「一度病院に搬送されたが、今は家で療養中らしい。ただ、しばらくは安静にとのことだ」

「そう……」

 

姫宮は先ほどの俺と同じように天井を見上げる。

 

「私の……せいね」

 

その言葉は、嘘偽りのない事実だ。安城が倒れたことの原因の一端は姫宮が委員長を降りたからなのだから。

 

「そうだな、お前のせいだ」

 

だから、それを取り繕ったり、濁したりはしない。今現在起きていること、そしてそれがなぜ起きたのか、それは明らかにしなければならないから。

 

 

「だが、すべての責任がお前にあるわけじゃない」

「何を言っているの?私に怒りをぶつけに来たんじゃないの?」

「そんなことをして、状況が好転するわけないだろ」

「……」

「まず、お前には今まで起きたことをすべて理解してもらう」

「理解?」

「そうだ。実行委員たちがボイコットした理由、桜木たちがお前を糾弾した理由、安城が倒れた理由。その全てをだ」

 

姫宮には俺の真意は伝わっていないのだろう。それでも俺の話から逃げないのは、彼女自身まだ整理できていないからに他ならない。

 

「まず、ボイコットの件だが。お前、理由分かるか?」

「私の方針に不満があったから、でしょ?」

「それは結論だ。俺が聞いているのはどうしてその結論に至ったかってこと」

「それは……」

 

姫宮自身、思い当たる節はあるのだろう、それは桜木が彼女にぶつけた言葉にしっかりと含まれていたから。

 

「私の方針が、独りよがりだったから……?」

「近いが、正解じゃない。連中がボイコットしたのは、自己肯定感の喪失が原因だ」

「どういうこと?」

「今回の実行委員、委員長のお前も、それを補佐していた桜木たちも、方針は間違ってない。文化祭をより良いものにするために尽力していた。それは、会議の進行速度からも見て取れる」

「……」

「だが、みんながお前たちのように能力が高いわけじゃない。中には会議って場が初めてだったやつもいるだろう。例えばだが、サッカーを始めたてのやつがプロのサッカー選手のプレイを見て、自分がそれと同等、または上回っていると思えるか?」

「……無理ね」

「そうだ。プロと比較すればそいつは劣っているからだ。今回のケースも似たようなことが言える。ただ、例と違うのは、お前も連中も同じ高校生だってことだ」

「……」

「年齢や経験といったくくりで、自分と大差ないと思っていた相手が、自分より数段上の技術を発揮すれば、そこには嫉妬が生まれる。最初はそれを糧に追い抜こうと頑張れるかもしれない。だが、それが実のらなければ、当然自信を無くす」

 

姫宮は俺の言葉に納得したのか、目を伏せた。

 

「それがボイコットの原因だ。次に、桜木の件だが、俺はお前たちの交友関係を詳しくは知らないから、憶測で話すぞ」

「構わないわ」

「お前たちの所属していた映画研究会。それがなくなったのはきっと俺のせいなんだろう。だが、桜木たちはそれだけが理由だとは思っていない。問題はお前の考え方だ。前に文化祭の過去の資料を見つけ、俺が全体での共有を促したとき、お前はそれを桜木たちだけに伝えようとしていた。お前は、自分が認めたもの以外の姿がほとんど目に入っていないんだよ」

「……そう、ね」

「問題はお前の視野の狭さ、それによる態度だ。だから桜木たちはお前を糾弾した」

 

俺はティーカップの紅茶に移る自分の顔を見てから、ティースプーンでそれをかき回す。

 

「最後に、安城が倒れた理由だ。これに関しては、さっき言った通りお前が委員長を降りた後のガタガタの状態の委員会を何とかしようとして招かれた結果だ」

「それは……」

「だが、大きな原因がお前なだけで、小さな原因は探せばいくらでもある。それは桜木たち中心人物が外れたこと、さっきも言ったボイコットが起こったこと、それと……俺とあいつの意思疎通がしっかりしていなかったこと」

「でも……」

「だから、本来責任を取るべきは委員会全体だ。だが、その責任の取り方は誰かを責めることでも、誰かに詫びることでも、委員会をやめることでもない」

「じゃあ、どうしたらいいのよ……」

「実行委員会を立て直し、文化祭を成功させることだ」

「でも、そんなのもう、無理よ……」

 

姫宮は少し涙目になりながら、それでも俺の言葉を待つ。

 

「一応、まだ手段はある。だがその前に、お前に聞きたいことがある」

「……なに?」

「お前は、どうして文化祭実行委員会に立候補したんだ?文化祭を成功させて、なにを得たかったんだ?」

 

仮に姫宮美琴がこの問いに対して明確な答えを持っていなければ、その時点で俺の考えた手法も無に帰す。だから俺は、姫宮の瞳をしっかりとみる。

 

「私は……」

 

ゆっくりと、姫宮が口を開く。

 

「私には、居場所があった。映画研究会が。たとえ桜木君や霧野さんたちがどう思っていたとしても、私にとっては居心地がよくて、誰かと共有できて、自分の全てを掛けられる、そんな場所だった」

「……」

「でも、それはなくなった。本当はわかってたわ、あなたが全ての原因じゃないことぐらい。でも、誰かのせいにしなきゃ、居場所を失った私の心細さはぬぐえなかった……」

「そうか」

「だから、自分のやってきたことが、何一つ無駄じゃなかったって、その証明を得るために、何かを成し遂げたかったの……。証があれば、なくなった居場所の代わりになると、そう思ったから……」

 

姫宮はそこまで言うと力が抜けたのか、ソファに深くもたれかかった。

 

「最低よね……私……」

「そんなことねーよ」

「え……?」

「居場所を欲して、その結果間違えた大馬鹿野郎を、俺は知ってる。でもそいつには、今居場所があるんだ。だから、お前が望み続ければ、居場所は見つかる」

 

そう告げて、俺は紅茶を飲み干しゆっくりと腰を上げる。

 

「じゃあ、俺行くわ。紅茶ご馳走様」

「ちょ、ちょっと待って?あなたは、私に委員会に戻るように言いに来たんじゃないの?」

「なんで?」

「なんでって……あなたが言ったんじゃない、実行委員会を立て直すって」

「言ったな」

「私を連れ戻しに来たのじゃなかったら、あなたは何をしに来たの?」

 

その言葉に、俺はゆっくりと振り向き、答えた。

 

「お前の願いを聞きに来た」

 

 

 



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14. 黒崎裕太郎の決意

姫宮の家を後にした俺が学校に着いたのは、ちょうど昼休みの開始を告げる鐘が鳴るのと同時だった。大幅に遅刻してきた俺を訝しげに見る生徒たちの視線を感じながらも、とりあえず教室にたどり着く。

クラスメイト達も、俺の遅すぎる登校に多少反応はしたが、すぐに各々の昼休みに戻る。俺はそれに対し落胆するわけでもなく、カバンを机に引っ掛けてすぐに教室を出る。

 

「おーい、黒崎君!」

 

それを後ろから追いかけてきたのは越前だった。

 

「姫宮さんの家には行けたかい?」

「ああ。ご丁寧に紅茶まで出してもらった」

「そ、そうなんだ……。それで、彼女は戻ってきてくれるのかい?」

「いや、あいつは戻ってこない。と、いうより今の状況で姫宮が戻ってきてもさらに混乱するだけだ」

「え?それじゃあ一体どうするんだよ?」

 

訳が分からないという表情の越前に、俺は一つの提案を投げかける。

 

「お前さ、今暇か?」

「え?ああ、うん。特にやることはないけど」

「じゃあ、ちょっと俺のサポートしてくれ」

「え?」

 

尚も疑問符を上げる越前に状況を説明しながらも俺は足を止めずに目的地へと向かう。

 

「……なるほど。君のやろうとしてることはわかった」

「そりゃよかった」

「でも、君が言う新しい実行委員長ってのはいったい誰なんだい?」

「それも、これから向かう先で明らかになる」

「……そうか。わかった。面白そうだし、君の言うとおりにする」

「ありがとな」

 

越前に謝辞を述べ、俺は足を止める。ほかの部屋とは明らかに違う、仰々しいつくりの扉。そのプレートには金ぴかの文字で『校長室』と記されている。

俺は咳ばらいを一つして、そのドアを3回ノックする。

 

「どうぞー」

 

すぐに、男性の低い声で返事が返ってくる。

 

「「失礼します」」

 

俺と越前はしっかり挨拶をしてから校長室へと足を踏み入れる。

 

「やっと来たか。黒崎」

 

俺の訪問に真っ先に反応するのは、結城先生だった。その隣には生徒会会長の沖谷、副会長の光定、そしてこの前連絡先を交換した白雪先輩の姿もある。

 

「く、黒崎君!ご命令の通り、生徒会長たちをお連れしました!」

「め、命令……?」

 

皆が困惑する中、白雪先輩は俺のほうへと駆け寄ってきて跪く。

 

「あ、ありがとうございます。白雪先輩。会長たちも、わざわざすみません」

「あ、ああ。大丈夫だよ黒崎君。僕たちも特に用事はなかったから。な、光定?」

「あ、は、はい……」

 

沖谷たちはいつもと変わらない調子なのでそれ以上は何も言わず、俺は部屋の奥の豪華な椅子に座る人物、赤羽高校校長に視線を向ける。その横には、文化祭実行委員会の担当教師、山田が不服そうに立っている。

 

「全員揃ったので、話を始めてもよろしいですか、校長?」

「はい。どうぞ黒崎君」

 

以前のプレゼンのおかげか、校長は俺の名前を覚えてくれていたようだ。

 

「今日皆さんに集まってもらったのは、文化祭実行員会のことです」

 

そのワードに、面々は少し凍り付く。

 

「校長や山田先生はもちろんでしょうが、会長たちも実行委員の現状は把握してらっしゃいますよね?」

 

沖谷はしぶしぶ頷く。まあ、生徒会の一員である安城が倒れたことは当然会長の沖谷には伝わっていると思っていた。

 

「結論から言うと、今の実行委員はほぼ機能してません。委員長と副委員長は心や体を病んで学校にも来れていないうえに、他のメンバーたちも個々の考えの違いから点でばらばらといった状態なんです」

「そうらしいですなあ」

 

校長はいつもの笑みを崩さない。そのせいで俺の話にどういった感情を抱いているのか全く分からない。

 

「そこで、私とここにいる越前君で一つ、打開策を用意しました」

「ほう、打開策ですか?」

「そうです。それは、今療養中の二人に変わる、新しい委員長を建てることです」

「……なるほど。たしかに統率者がいなければ現状は打破できませんしなあ」

「そうです」

「だが、誰がやるのだね?聞いた話をまとめると、その新しい委員長には、相当難しい問題を解決してもらうことになると思いますが?」

 

校長の疑問は当然だ。姫宮や安城がやってきたことに加え、そもそも実行委員自体を立て直すという一番の問題が最初に控えているのだから、それを突破するのは苦難を極める。

だが、もう残された手段はこれしかない。

 

 

安城奏は言った。このままではいられないと。自分が何とかするんだと。

 

もし、俺がこの手段をとってしまえば、もう俺たちは引き返せないかもしれない。俺が手に入れた居場所はなくなってしまうのかもしれない。俺たちがともに過ごしてきた時間の意味さえ、分からないまま風化していってしまうのかもしれない。

でも、俺は約束した。夏祭りの夜、ともに星空を見ながら。

 

――『俺は、お前を助けたい』

 

その言葉だけはなくならないと、その言葉には確かに意味があったのだと、それを証明するために、俺はこの道を選ぶ。

 

 

「俺……です」

 

今の俺のつぶやきは、まだ誰にも聞こえていないだろう。だから、俺は息を吸う、そして今度は大きく、はっきりとその言葉を告げる。

 

「俺が、黒崎裕太郎が、実行委員長をやります。彼女たちの意志と思いを引き継ぎ、文化祭を成功に導きます」

 

その言葉に、校長の眉が少し動いた。結城先生や沖谷、越前さえもが驚きを隠せないようだった。

 

「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」

 

それに真っ先に異議を唱えたのは、山田だった。

 

「成績優秀な姫宮や生徒会所属の安城でさえ手に負えなくなったこの状況を、君が何とかできると、本当にそう思ってるのか!?」

 

当然、そのカウンターは予測済みだ。

 

「山田先生、以前俺がやったゲーム部のイベントのプレゼンを覚えていますか?」

「そ、それは覚えているが……。だ、だが、あのプレゼンがたまたまうまくいっただけで君を委員長に推せるかは別問題だろう!」

「そうなんですか?俺は結城先生から、俺のプレゼンに感銘を受けた先生方が実行委員に推薦したと聞きましたけど?」

 

もちろん、あのプレゼンに感銘を受けた教師がほとんどいないことくらい知っている。俺の実行委員参加の理由の建前でしかないと。なら、その建前を最大限利用させてもらう。

 

「で、あるならば、先生方は俺を信用してくれると取れますが、もしかして、俺を監視するためだけに推薦したなんて、そんなことありませんよね?」

「うぐ……。だ、だが、結局君に実績がないことに変わりはない!仮に君が委員長になっても、誰が付いてくるというんだ?」

「その通り。黒崎君にはこの学校での表立った実績は一切ありません」

 

山田に対し口を開いたのは俺の隣に立つ越前だった。

 

「生徒会長。体育祭実行委員会で、予算案の問題を解決したのは誰ですか?」

「そ、それは……」

「サッカー部による体育館の横領、教師陣も解決できなかった問題を解決したのは誰ですか?」

 

沖谷は答えに詰まる。生徒会で安城とともに活動している彼なら、当然知っているだろう。だが越前はそんなことは意に介せず話を続ける。

 

「それが、この黒崎裕太郎君なんです。たとえその行動が称賛されなくても、自分への恩恵がなくとも、誰かを助け続けてきた彼なら、僕は実行委員長を任せるに値すると思います」

 

越前の言葉には熱がこもっているが、それは俺がサポートを依頼したから演じているわけでもないように見える。

 

「それは本当かね?」

「本当……です」

 

校長に尋ねられた仲谷は、言いにくそうに答えた。

 

そして、室内が静まり返る。皆が、自分の考えをまとめているのだろう。

 

「いいんじゃないですか、校長」

 

真っ先に賛同したのは結城先生だった。

 

「私も臨時担任としてここ数か月の彼を見てきましたが、彼は常に、物事を多角的にとらえ、それを言語化するのに長けています。成績や実績では安城たちに劣るかもしれませんが、それを差し引いても彼の能力は本物です」

「ふむ……。君たちはどうかね?」

 

校長の視線が沖谷や光定に向く。沖谷は相変わらずしどろもどろだが、隣の光定がゆっくりと口を開いた。

 

「僕も、く、黒崎君は信じられると思います!ほとんど接したことはないけど、体育祭実行委員会の時も、しっかりとした考えをもっていたと思います!」

「そうですよ!私の黒崎君はすごい人なんですから!」

 

白雪先輩もなぜか胸を張って便乗する。

 

「なるほど……。皆さんが黒崎君を信じる気持ちは伝わりました。ですが黒崎君、皆が彼らのように君の味方をするかはわからない。君を知らない生徒もいる。それを踏まえたうえで、君は、どういうビジョンがあるのかな?」

 

校長は全体を見渡してから、俺に尋ねる。

 

「はい、まずは、現状不参加になっている委員たちにしっかりと話をしたいと思っています。現状の把握、自分たちの責任、これから為すべきこと、その全てをしっかりと全員で共有するのが第一歩かと」

「だが、君の呼びかけだけでは委員たちは集まらないだろう?」

「だから、生徒会の方々を呼んだんですよ。もっとも、欲しいのはその名前だけです」

「というと?」

「一度集まってもらって話をする。そのためにはおっしゃる通り委員全員に来てもらわなければならない。しかし俺の呼びかけでは集まらない。なら、生徒会の名前で集めてもらいます」

「えっ」

 

急に仕事を要請された沖谷は困惑しているが、俺はそれは気にしない。

 

「どうですか、校長。はっきり言って俺がやらなければ他に立候補してくれる生徒はいないでしょう。伝統ある赤羽高校の文化祭が大失敗になる事態だけは避けなければいけないんじゃないですか?」

「……やれやれ。教師に脅しをかけてくるとは。黒崎君、君は面白いねえ」

 

校長はからからと笑う。が、すぐにまた俺に視線を向けてくる。

 

「わかりました。君に任せよう。黒崎裕太郎君」

「ありがとうございます。……で、もう一つ、俺の提案を聞いてくれませんか?」

「何かね?」

「俺が実行委員長としての責務を全うできたら、赤羽高校の文科系部活動の枠を一つ増やしてくれませんか?」

「お、おい黒崎!そんなことできるわけ……」

「山田先生、少しお黙りなさい」

 

 

文句を言う山田を、校長が黙らせる。

 

「黒崎君。君が働きに対し報酬を要求するのは理解できる。だが、その要求は君にはあまり関係ないのではないかな?」

「まあ、直接関係はないです。……でも」

「でも?」

「居場所を欲している人はたくさんいるってことですよ」

「だが、わが校はこの前部活動縮小を実施したばかりだ。流石にその要求は釣り合ってないのではないかね?」

「釣り合ってますよ。さっきも言ったでしょう、もうすでに二人もの生徒が療養中の身だと。これは、学校側の監督不行き届きじゃないですか。彼女たちがその時間で得るはずだった知識や交友関係を乗せれば、天秤は釣り合います」

 

 

もうこれは完全な脅しだ。正直こんなやり方でしか主張できない自分の情けなさに腹が立つが、これが俺が今持っている手札の中で、最善のカードだ。

 

「1度ならず2度も……食えないねえ君は」

「恐縮です」

「わかりました。約束しましょう。ただし、それは君が責務を全うしたらだったね?」

「はい。ありがとうございます」

 

そこでちょうど、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

 

 

 



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15. 黒崎君、助けてくれてありがとう……でも……

そのまま午後の授業に突入したと思えば、あっという間に放課後がやってきた。俺は小さく伸びをして、自分の席から腰を上げる。昼休みの後、結城先生が手を回してくれたおかげで、実行委員全員に召集を掛けることができた。とはいえ、全員がそれに応じるかはわからない。それでも、集まってもらわなければ困る。

半分神頼みをしながら俺は教室を後にし、今日の集合場所である4階会議室へと向かう。

 

――できる限りの準備はした

 

――後は、黒崎裕太郎自身との戦いだ。

 

そう自分に言い聞かせ、階段を一段一段しっかりと踏みしめる。

 

「……おお」

 

会議室の扉を開けると、そこには最初の会議と同じように、ざわざわとしている生徒たちの姿があった。とはいえ、彼らのざわつきの原因はあの時とは違うことは明白だ。

結城先生には、『文化祭実行委員会について生徒会から重要な報告がある』という内容のみを彼らに伝えてほしいと頼んでおいた。

だから、集まった連中のほとんどが、何かペナルティを受けるのではと冷や冷やしているはずだ。当然、そんな大事な報告を聞かないなんて選択肢は恐ろしくて取れないだろうという読みが完全にはまってくれた。

 

「お疲れ。黒崎君」

 

会議室の前方、姫宮や安城が使用していたホワイトボード付近の席から越前が小さく手を振る。その隣には、緊張しているのかひたすら貧乏ゆすりをしている沖谷の姿もある。

 

「おう、お疲れ。……準備はどうだ?」

「ああ、沖谷会長にもしっかり確認済みだ」

「お前たちの導入にかかってる。頼むぞ」

「もちろん。万全な状態で君に渡すさ」

 

あまり長話していると周囲から何かあるのではと警戒されそうなので、俺は最初の会議で自分が座ったのと同じ席に座る。

 

「よ、黒崎」

「ヤッホー黒崎」

 

まったく気づかなかったが、俺の座った席の隣には桜木と霧野が並んで座っていたらしい。俺は彼らのあいさつに小さく会釈する。

 

「生徒会からの報告って何だろうな?」

 

少し不安そうな表情の桜木はその不安を共有したいのか、俺に尋ねてくる。

 

「……まあ、聞いてみて判断するべきだろ」

「まあ、そうだけどよ……」

「安城さんは大丈夫なの?」

 

霧野は少し遠慮がちに俺を見る。

 

「どうだろうな」

「いや、どうだろうなって……」

「お前ら、姫宮のことはいいのか?」

 

俺は少し強い口調で彼らの反応を見る。その問いに対し、桜木も霧野も視線を落とす。

 

「正直、言い過ぎたとは思う。あいつの態度が気に入らないなら、もっと言い方があったんじゃないかって。ちゃんと伝えるのが友達のはずなのに……」

「そう……だね。姫宮の悪いところばかり指摘して、あいつが頑張ってるって事実を見てなかった気がする」

「……そうか」

 

俺が小さく相槌を打ったところで、沖谷が咳ばらいを一つして、立ち上がる。それをみて、生徒たちは会話を打ち切り、それぞれが席に着く。

 

「え、えー。みんな、集まってくれてありがとう。生徒会長の沖谷です」

 

少し硬いが、沖谷なりに柔らかい雰囲気を出すと頑張ってくれているらしい。

 

「今日集まってもらったのは、文化祭実行委員会について、生徒会から報告、そして提案があるからです」

 

『提案』というワードに数人の生徒が反応し、少し身構える。

 

「ま、まず実行委員会の現状だけど、生徒会への報告ではほとんど稼働していないらしいね?」

 

沖谷の問いに答えるものは誰もいない。口火を切るのが、その事実を肯定することがどういう結果を招くか、それが不安で仕方ないのだろう。

 

「え、えっと、別にみんなのことを責めてるわけじゃないよ。報告の中には実行委員長にも至らない部分があったっていうことも入ってたから」

「おい、生徒会長、話なげーよ」

「結局何が言いたいわけ?」

「私たちを責めるんじゃないなら、この場に集めた意味って何よ?」

 

さっきの問いには答えなかったというのに、生徒たちはだんだんとイライラを表してくる。

だが、逆に言えば今の状況は『言いたいことが言えている』ということだ。

それは、姫宮が委員長の時はなかったこと。だんだんと、基盤ができ始めている。

 

「え、えっと……」

 

沖谷は越前に視線で助けを求めた。それに対し越前はにこやかに笑い、立ち上がる。

 

「みんな、ちょっと落ち着いて。会長はただ現状の確認をしただけだよ。ここからが本題なんだ」

「本題?」

「何言ってんだよ越前?」

 

越前が相手だからか、ヤジの攻撃力が若干低くなる。沖谷、どんまい。

 

「とりあえず、これから実行委員会をもう一度稼働させて、文化祭を成功させてほしい、というのが先生方と生徒会が話し合った結論なんだ」

「え?どういうこと?怒られると思ってたのに……」

「いや、それより実行委員会は続くのか?」

「で、でも姫宮さんも安城さんもいないし……ねえ?」

 

今度はヤジというよりは疑問がちらほらと上がる。それを確認しながら、越前は話を続ける。

 

「それで、やっぱり会議や作業をまとめてくれるリーダーが欲しいんだけど、誰かやってくれないかな?」

 

その呼びかけに答える者はいない。当然だ。姫宮や安城の後を継ぎ、文化祭実行良委員会を取りまとめられる自信のある奴なんていないだろうし、いても困る。

これはあくまで確認だ。誰も委員長をやる意思がないという事実さえ全員に認識してもらえればそれでいい。

 

「……そうか。わかったよ。それじゃあ委員長はこちらで決めた人物にやってもらう」

「え、生徒会が直々に指名するってこと?」

「まじかよ。それじゃあ桜木とか霧野か?」

「それくらいしかできる人いないよねえ?」

 

そこで越前は再び仲谷に進行を任せるように座る。

 

「えー、生徒会が指名するのは、黒崎裕太郎君です」

 

その言葉に、会議室には沈黙が訪れる。誰もがその指名を聞いて自分の耳を疑っただろう。黒崎裕太郎という名前は体育祭実行委員会の時に校内に広まった。その悪評は、当時俺の心を折りかけたほどだった。だが、その名前と俺の顔が一致する生徒がどれくらいいただろうか。大半の生徒はきっと、名前と悪評のみに焦点を当てていたことだろう。そんな人物がいるとただ話題に挙げるだけで、その詳細を知ろうとはしなかった。知ったとしても、それは夏休みという長い期間で完全に旬が過ぎた、もはや何の価値もない話題に成り下がっていたのだ。

故に、彼らは黒崎裕太郎が実行委員会に参加していることなど気にも留めていなかったのだろう。

 

「黒崎君、挨拶をお願いできるかい?」

「……はい、会長」

 

俺は席を立ち、仲谷の隣へとゆっくりと進む。

俺が前に立つと、皆が俺を凝視する。

思えば、中学の時の生徒会選挙や生徒会活動以来こんなにたくさんの生徒の前に立つことは無かった。だが、あの時の俺ができたのならそれは今の俺にもできて当然のことだ。

 

――ただ、以前と違うところがあるとしたら。それはあの時の俺にはなくて今の俺にあるものの存在だ。

 

――雪里や越前。神崎、木場、恭子、相馬、結城先生、姫宮、そして安城。

 

――俺が心から信じられる、俺のことを信じてくれる、そんな仲間たちが。

 

――なら、彼女たちとの出会い、繋がり、その全てを守るために。

 

――その結果『なくなってしまう』としても。

 

 

「2年B組、黒崎裕太郎です。今回、生徒会の方々からご指名を受け、実行委員長を引き受けたいと思います!」

 

その言葉を告げた俺の心には、もう迷いはなかった。

 

 

***

 

11月某日。10月に行われた体育祭の熱気も冷めやまぬまま、今度は文化祭が目の前に迫っており、生徒たちは校内を目まぐるしく移動しながら、それぞれの準備を行っている。

お化け屋敷にメイド喫茶、チョコバナナにタコ焼き。鉄道研究会のジオラマや漫画研究会の作品販売、サッカー部、野球部合同のスポーツ腕試し大会。

そしてゲーム部の屋上貸し切りイベント。それらが所狭しと記されたプログラム票のデータを担当の委員に渡し、俺は自分の椅子の背もたれに寄り掛かる。

 

「黒崎委員長!広告のチラシ、貼り終わりました!」

「……あ、はい!お疲れ様です!今日の仕事は終わりなのでゆっくり休んでください!」

「はい!わかりました!お疲れ様です!」

 

広告担当の生徒が小さく会釈して会議室を出ていく。それを横目で見送って、俺は会議室を見渡す。今日の仕事はすべて終わったので、残っているのは俺と、記録作業をしている桜木と霧野だけ。

 

 

「桜木、霧野。今日はもう帰っていいぞ」

「えー、でもまだ終わってないし」

「そうだぜ黒崎。今日終わらせといたほうが……」

「いいから。ペースは十分だし、お前らもこれから姫宮のお見舞い、行くんだろ?」

「……そか。了解だぜ黒崎委員長!お疲れ様です」

「ああ、お疲れ」

 

桜木たちはいそいそと荷物を片付け、俺に手を振ってから会議室を去る。これで本当に俺一人だ。

俺が委員長に就任してから今日にいたるまでは決して楽な道じゃなかった。生徒会の指名とはいえ、ぽっと出の俺に不信感を抱く生徒もいた。だが、彼らと話し、しっかりと意見を聞き入れることで、俺たちの関係はよくなり、1週間もすれば実行委員会は完全に復活した。

桜木たちも、姫宮とは少しずつ以前の関係を取り戻しているようだし、文化祭本番が無事に終われば校長が部活の枠を増やしてくれる。映画研究会がその枠に入るかは彼女たち次第だが、きっと彼女はもう間違えない。だから特に不安視はしていない。

 

「さて、そろそろ行くか」

 

荷物をカバンにしまい、会議室を出てしっかりと鍵をかけると、俺は、以前よく利用していた空き教室へと向かった。

 

***

 

放課後の教室は窓から差し込んでくる夕日によって赤く染まっている。

そして、その紅い空を窓から眺めている彼女がいた。俺がゆっくりとドアを開け、教室に踏み入れると、彼女はこちらへ振り替える。

 

「こんにちは。黒崎君」

「ああ、こんにちは、安城」

 

安城奏は、やさしい笑みで俺を迎え入れる。

 

「もう、大丈夫なのか?」

「うん。もうすっかり良くなったよ」

「そうか……よかった」

 

俺は嘘偽りのない気持ちを述べる。

 

「体育祭には出られなかったけど、文化祭はクラスの模擬店にも参加できそうだよ」

「そっか」

 

そこで俺たちの会話は途切れる。互いに、伝えたいことは、話したいことはもう決まっているのに、さっきからそれを言い出せず、なんとなくの会話をするのみ。

 

――でも、はっきりさせなくてはいけない。

 

「今年の4月、ここで俺たちは出会ったんだよな」

「そうだね。私が委員会の教室と間違って入っちゃったんだよね」

「ああ、言うなればここは俺たちの『始まり』の場所だ」

「ちょっと大げさな言い回しだけど、そうかも」

「だから、『終わらせる』にはここがいいと思った」

 

俺の言葉に、安城は少し表情を曇らせる。

 

「そう……だね。私もそう思う」

「俺は、お前と一緒に過ごした日々がたまらなく楽しかった。一緒に学校の問題を解決したり、夏祭りに行ったり、夜の校舎で花火を見たり。その全てが、俺の宝物だ」

「うん、私も」

「でも……このままじゃいられない」

 

それはあの時安城が俺に告げた言葉。文化祭実行委員会を何とかするという意思を含んだ、彼女の決意だった。

でも、それはかなわなかった。だから、俺は彼女を助けた。彼女の決意を無視して、助けた。それを『最後にしよう』と、そう決意して。

 

 

「もう俺がお前を助けることも、お前が俺を頼ることもない。俺たちは、互いに自分たちの道を、一人で歩いていくんだ。だから、これでおしまい……だ」

 

俺がゆっくりと告げた言葉に、安城は笑顔で頷く。その目から、涙を流しながら。それでも、笑みを浮かべてくれた。

 

「なあ、安城。聞いてもいいか?」

「……何?黒崎君」

「俺たちは、違う出会い方をすれば、こうはならなかったのかな?」

 

その問いに安城は力なく首を横に振る。

 

「ううん。多分、どこで、どんなふうに出会っても、きっとこうなったんだと思う。でも、私はそれを間違いだとは思わないよ。今も、これからも」

「……そうか」

 

下校時間を告げる鐘が鳴る。俺はそれを合図に、ゆっくりと安城に背を向ける。

 

 

「それじゃあな、安城」

「うん。黒崎君……。大好きだったよ」

 

俺はそれには答えられなかった。答えてしまえば、結局元に戻ってしまうから、また間違えてしまうから。

 

 

だから俺は、ゆっくりと空き教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最終回じゃないですよ


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16. 不協和音を奏でながら、それでも曲は進んでゆく

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋。秋に付随する言葉は人の数だけありそうなもんだが、それはすべて秋を楽しむ肯定的な感情から生まれるものだ。

そんな秋ももうすぐ終わる、そんな時期に赤羽高校の文化祭は行われる。それが終わればもう今年のイベントは全工程終了。そのまま年が明ければ3年生の卒業後の学校の態勢が作られ始める。生徒会選挙や、委員会、部活動でも卒業する3年生たちとの思い出を振り返り、楽しかったとか賑やかだったとかむしろうるさかっただけだとか来年からは俺たちの天下だぜとか、皆がそれぞれの思いを胸に春へ備える。さらに2年生は3月に関東へ修学旅行。東京エレメンタルランドを楽しみにする生徒は少なくないだろう。

話を戻すと、直近のイベントは文化祭ということだ。

実行委員会もしっかりと仕事を進め、準備は完璧。あとは明後日の本番での進行をしっかりやれば、ミッションコンプリートだ。

 

「と、いうわけで、明後日は文化祭だが、赤羽高校の生徒だという自覚をもって、適度に楽しむようにな」

 

夕暮れの教室、帰りのホームルームで、連絡事項を伝え終わった結城先生は最後に付け加える。生徒たちもいつもより素直な態度でそれを聞いていた。

 

「それじゃあホームルームは終わりだ。日直」

「起立!礼」

 

その一言で、生徒たちはいっせいに放課後に突入する。とはいえ、文化祭間近の今日明日は部活動も休みだし、せっかく作った展示物を壊されても溜まったもんじゃないだろうからほとんどの生徒が直帰するはずだ。

かくいう俺も、実行委員長という立場ではあるが今日は特にやることもないので机に引っ掛けてあるカバンをゆっくりと持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。

 

「あ、安城さーん!一緒に帰ろー!」

 

名前も知らないクラスの女子の言葉に俺は思わず反応してしまう。決して、俺に対して言った言葉ではないし、俺には関係のない、ただの日常会話だというのに、俺は横目でその相手を、安城奏を見てしまう。

あの日以来、俺と安城が関わることは無くなった。同じクラスで、同じ教室にいるというのに、朝登校してきても挨拶は交わさないし、休み時間廊下ですれ違っても会釈さえせず、放課後に下駄箱で姿を見つければ、柱の陰に隠れてやり過ごす。そんな、互いが互いをわざと認識しないように、『歪な無関係という関係』を続けていた。それでも、時間がたてば、きっとそれが当たり前になるのだろう。

だから俺は、彼女が気付く前に視線を前に戻しゆっくりと教室を後にする。

 

「はあ……」

「く、黒崎君……!」

 

廊下を歩いていたら俺に対し唐突に発せられた声に、俺は振り返る。ちょっと前までなら挙動不審な反応をしていたのだろうが、最近は実行委員関連で話しかけられることも多々あったため、なんだか慣れてしまった。

 

「おう、雪里か。どうした?」

「あ……えっと……」

 

雪里茜は少しためらいがちに、なぜか顔を赤くしながらもじもじとしている。

 

「長くなるなら、場所変えるか?俺も今日は暇だし」

「あ、その……そんなに長い話じゃ……ない……」

「そうか?ならここでいいか」

「う……うん……」

 

少しの間うつむいて何かつぶやいていた雪里だったが、意を決したように顔を上げた。

 

「く、黒崎君……実行委員長って……忙しいの……かな?」

「え?」

 

質問の意図がよくわからず間抜けな反応をしてしまうが、雪里は俺のことをじっと見つめたままだ。

 

「えっと……今日明日は特にやることは無いし、まあ当日も開催宣言したら後は校内を適当に巡回するくらい、だな」

 

 

ありのままの事実を伝えると、雪里はさらに硬い表情をする。

 

「そ、その……。あのね……」

「うん」

「文化祭……一緒に……回りませんか……!」

「ああ、いいよ」

「ええ!?」

 

珍しく雪里が素っ頓狂な声を上げる。

 

「流石に一日中は難しいけど、時間は作れるし」

「そう……なの?」

「てか、雪里のほうこそ大丈夫なのか?漫研も模擬店あるだろ?」

「そ……それは……大丈夫。シフト制……だから」

「そっか。じゃあ雪里に合わせる形で時間作っとくよ」

「う、うん……!後でラインする……ね」

「了解。それじゃあ、またな」

 

俺は雪里に小さく手を振って再び廊下を歩きだす。雪里もそれに対し小さく手を振り、俺とは反対のほうへと歩き出した。

 

 

***

「げ」

 

階段を下りて、玄関へたどり着いた俺は、思わず声を漏らしてしまう。その声は向こうにも聞こえてしまったらしく、彼女は俺のほうへ振り替える。

だが、彼女が振り返ったことで、俺はほっと息をつく。それは、彼女が俺が思っていた人物ではなかったからだ。

それでも、その髪形や体型、その顔にはどうしても警戒してしまうのだ。

 

「あ、先輩じゃないですか。今帰りですか?」

「よう神崎。奇遇だな」

 

神崎亜美とは、俺が実行委員長に就任した後もゲーム部のイベントの件で顔を合わせることは少なくなかった。それでも彼女に対しわずかばかりの警戒心を持ってしまうのは、彼女が安城のいとこだからだろう。

 

「先輩、一人なら、一緒に帰りませんか?」

「ん、ああ。そうだな。途中まで一緒だしな」

 

俺は少し足早に自分の下駄箱に駆け寄り、靴を履き替える。

 

「そんじゃ、行くぞ」

「……」

「おい、神崎」

「あ、はい。そうですね」

 

ぎこちない笑みを浮かべる神崎の気持ちがわからないわけじゃない。でも、それを言及しても何かが変わるわけじゃない。だから、俺はごく自然を装って玄関を出る。

 

「ゲーム部のイベント、何とかなってよかったな」

 

正門をくぐったあたりで、俺は適当な話題を持ち出す。

 

「そうですね、機材もゲーム部の物だけで間に合ったし、その分会場の装飾とか衣装とかに時間回せたので」

「派遣した実行委員とは上手くやれてるか?」

「あ、はい。みんな私の要望をしっかり聞いてくれたし、それに……」

 

神崎は一度言いよどんだが、すぐに言葉を続ける。

 

「みんな先輩の頼みだからって、すごくやる気出してくれてました」

「そりゃあ、当然だろ。俺が選び抜いた精鋭たちだぞ」

「そうですね。最近先輩大人気ですし」

 

実行委員長として活動を開始してから、校内での俺の評価は一変した。委員会を立て直し、なおかつそれを運営しているという事実が、黒崎裕太郎に対するイメージを肯定的なものへと押し上げたのだ。

それが顕著に表れているのが教師陣で、ゲーム部のプレゼンの時なんて主張を通すのに相当苦労したのに、今や俺の要望を快く聞いてくれるから気持ち悪……ありがたい。

 

「まあ、お前もイベント以外の部分でも文化祭楽しめよ」

「先輩は、楽しむんですか?」

「ああ、もちろん。何なら友達と一緒に回る約束もしたぞ」

「そう……ですか」

 

そこからは文化祭の話ではなく、神崎が最近はまっているゲームの話や、駅前のゲーセンがわずか数か月でつぶれた話、最終的にはもう何の意味があるかわからないようなくだらない話に興じていた。

 

「あ、私こっちなので」

 

交差点で、神崎が話を打ち切る。

 

「ああ、それじゃあな」

「はい。先輩も暇だったらゲーム部のイベント顔出してくださいねー」

「おーう」

 

神崎は大きく手を振ってから、信号を待つ人々の中へと消えていった。それを見送ってから、俺は自分の家の方面へと歩き出す。

 

 

夕暮れの空を見喘げた時、唐突にポケットの携帯が振動する。それは着信を告げるもので、特に何も考えずにそれに応答する。

 

「はい、黒崎です」

「やっほーゆーたろー!元気~?」

 

それは中学の同級生だった矢作恭子からの電話だった。

 

「おう、恭子か。元気だぞ」

「そっかー。最近連絡してなかったから干からびてるかと思ってたー」

「ご心配どうも」

「……ゆーたろー、なんかいいことでもあった?」

「え?特にないけど。なんでだよ?」

「ううん、別に。あ、そんなことよりさ、明後日赤羽の文化祭でしょ?」

「ああ、そうだけど?」

「私も友達と遊びに行くからさー、案内してくれない?」

「別にいいけど、俺も友達と回るから、時間帯だけ後でラインしてくれるか?」

「え?ああ、うん。おけー、それじゃあ明後日ねー」

 

恭子はそこで電話を切る。画面を見ると、通話時間はわずか18秒。世界記録も狙えるんじゃないかと思うほどの短さ。まあ、それが矢作恭子という人物ではあるが。

 

俺は携帯をポケットにしまうと、少し速足で家路につく。

 

 

 

 

全てが順調で、平和で、緩やかな日々。それは高校に入学した時の俺が渇望した、理想の日々だった。

 

 



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17. 文化祭、開幕

「みなさん!お待たせいたしました!いよいよ今日が、第51回赤羽高校文化祭の当日でございます!」

 

時刻は8時半。体育館のステージでは文化祭実行委員会から選出された男子生徒が意気揚々と司会をしている。それを見ている全校生徒たちは乗りに乗っていて、中にはウェーブをしている軍団までいるほどだ。

俺はというと、この後の開催宣言のためにステージ裏で待機している。文言もすでに頭の中に入っているし、全校生徒の前で話すことも特に抵抗はない。ただ、なぜか俺の心はざわついている。年に一度の文化祭とはいえ、すごく特別なことが起きるわけでもない。それなのに感じるこのざわつきは、いったい何なのだろう。

 

「それでは、お待ちかねの開催宣言!黒崎実行委員長の登場だああああ!」

「くーろさき!くーろさき!」

 

テンションが振り切った運動部と思われる生徒たちによる謎の黒崎コールの中、俺は壇上へと上がり、ゆっくりとその中央へと進んでいく。生徒たちも、はしゃいではいるが、それでも俺が司会からマイクを受け取ると少しばかり真剣な雰囲気に変わる。別にそんな大したことを言うわけじゃないんだけどな。

 

「えー、文化祭実行委員長の黒崎裕太郎です」

 

俺の声はマイクと連動するスピーカーによって体育館中に広がる。

 

「まずは、今日を迎えられたことをうれしく思います。今日という日が、皆さんにとって最高に楽しい一日になってくれたなら私としても幸いです」

 

一応開催宣言なので、真面目な文言で話し始める。

 

「まあ、私の話で大事な時間を削られたらいい迷惑だと思うので、お待ちかねの開催宣言をしたいと思います」

 

少し冗談を織り交ぜた言葉に生徒たちから少しばかり笑い声も聞こえる。俺はその雰囲気を確認すると、大きく息を吸って、マイクに向かって腹から声を出す。

 

「それでは、ここに、第52回赤羽高校文化祭の開催を宣言します!」

「「「「「うえーーーーーーーーい!」」」」」

 

俺の開催宣言とともに生徒たちから大歓声が響き渡る。

 

「今回の文化祭のスローガンは、『燃え上れ!赤き羽根をその空に広げて!』です。また、模擬店、ステージ発表の中で、最も優秀だった団体には特別賞が授与されます、頑張ってくださいね!」

 

俺はそこで司会にマイクを戻し、壇上を降りる。この後、模擬店をする団体は教室へ、ステージ発表をする団体は体育館に残る。その移動が済めば一般のお客さんが入場を許可され、そこから17時まではそれぞれが自分たちの自由に祭りを楽しむ。17時半からは地域の吹奏楽団や、軽音楽部によるライブ。その後はエンディングセレモニーが行われる。これが今日のプログラムだ。

俺はその間校内を巡回し、困りごとやもめごと、その他もろもろを発見次第グループラインで共有し人員を派遣し迅速に解決。そうして円滑な運営を行うのが仕事だ。初期案ではもっと仕事があったのだが、俺の負担を考えてくれたのか委員会のみんなが分散して受け持ってくれた。

後は、エンディングセレモニーでの特別賞の発表、閉幕の言葉を述べるくらいだ。

いろいろ言葉を弄してみたが、結局のところ、俺はほとんどフリーな状態というべきだろう。

俺は渡り廊下をゆっくりと歩きながら、右腕に実行委員会であることを示す腕章をつける。これをつけていれば、困っている人も話しかけやすいだろう。

 

『時間になりましたので、これより一般のお客様が来場なさいます。赤羽高校の生徒であることを念頭において常識的な対応をお願いします』

 

俺が2階への階段を上り始めたところで、校内アナウンスが入る。それと同時に、下の玄関口から賑やかな声が聞こえ始める。波にのまれる前に、俺は足早に階段を登り切り、漫画研究会が作品販売を行っている教室へと足を踏み入れる。

 

「いらっしゃいませー」

 

教室内にいた部員たちが俺を迎え入れる。シフト制と聞いていたが、全員が残っている。彼らもこれから校内を回るのだろうか。

 

「あ、黒崎さん!茜~!黒崎さん来たよ~!」

 

2年生と思われる女子の言葉に、なぜか部員全員がニヤニヤしている。よくわからないが俺は教室の隅でもじもじしている雪里の元へ近づく。

 

「く、黒崎君……。おは……よう」

「ああ、おはよう雪里」

 

話ながらも、雪里に何か違和感を感じる。

 

「ああ、眼鏡かけてないのか」

「……!う、うん」

「あと、少し化粧もしてるか?」

 

雪里は恥ずかしそうに首を縦に振る。

 

「そっか、うん。似合ってると思うぞ」

「はひ!?」

 

まるで長時間サウナに閉じ込められていたかのように顔を火照らせる彼女を少し不思議に感じながらも、俺は教室の時計を見る。雪里のシフトは12時から。あまりここでぼさっとしているとせっかくの時間がもったいない。

 

「よし、行くか」

「うん……」

「茜~!頑張れ~!」

「も、もう……!」

 

少し頬を膨らませる雪里とともに俺は教室を出る。

 

「頑張るって、何を?」

「な、なんでも……ない……!」

「お、おう。そっか」

「うん……」

「そういえば、また部員増えたみたいだな」

「い、一年生が3人……」

「漫研の将来も安泰だな」

 

そんな会話をしていると、だんだんと校舎内が騒がしくなってくる。廊下には、すでに両手に模擬店の商品が入った袋をぶら下げている生徒や、他校の制服を着た女子たちが楽しそうに歩いている。

 

 

「思った以上の大盛況だな」

「黒崎君が……頑張ったから……だよ」

「……」

 

頑張った。雪里の言う頑張ったとは、実行委員会の運営のことだろうか、それとも……。

 

「黒崎君?」

「え?あ、ああ。そうだな。俺含め、実行委員会みんなの努力が実ってよかったよ」

「そうだね……」

「それで、どこから回る?」

 

俺はポケットからプログラム表を取り出し、安城にも見えるように広げる。

 

「ちなみに広告担当の実行委員によると1年C組のタピオカと3年C組のパフェがクオリティ高いらしいぞ」

「パフェ……」

 

駅前の喫茶店である『ミント』の常連である雪里はかなりのパフェ好きだ。ついでに言うと俺もパフェは好きだ。なんか最近は女子高生の間でタピオカが流行ってるらしいから候補に挙げたが、雪里はやはりパフェに食いついた。

 

「おけ。じゃあパフェにするか。俺も今日はたくさん食べるために朝飯少しにしてきたんだ」

「……」

 

雪里は何故かそれには答えず、ポカンとした表情で俺を見つめていた。

 

「な、なんだ?俺の顔になんかついてるか?」

「ち、違う……。その……ちゃんと考えてくれてたから……」

「そりゃそうだろ。友達と回るのにノープランとか感じよくないし」

「友達……」

 

雪里は俺から視線をそらし、何かつぶやいたが流石に回りも騒がしいのでそれを聞き取ることはできなかった。

そんなこんなしているうちに、3年C組の教室へとたどり着く。入り口には段ボールにポップな文字で書かれた店名と、簡単なメニュー表が置かれており、特に看板商品らしいものには造花までつけられているほどだ。

 

「いらっしゃいませ!2名様ですね?」

 

俺たちの来店を店員の上級生が迎え入れてくれる。ここのクラスは全員オレンジのクラスTシャツを作ったらしく、店員と思われる生徒がすぐにわかるから良心的だ。席も空いていたらしく、すぐに窓際の席に案内された。

 

「ご注文が決まったら呼んでくださいねー」

 

案内してくれた生徒がメニュー表を2つ置いて去っていく。俺はそれを手に取ると、メニューをまじまじと見る。それは向かいの席の雪里も同じらしく、もう一冊のメニュー表をじっくり見ている。

さて、どれにしようか。一押しはバナナパフェらしいが、チョコレートパフェも、イチゴパフェも捨てがたい。いや、せっかくの文化祭なのだし守りに入らず、何か目新しいものにするべきか?

などと考えながらページをめくると、『大穴メニュー』と記された箇所が目に付く。

そこにはトマトパフェだの青汁パフェだのパフェにする必要性を感じないものがずらりと表記されていたが、その中に一つ、サンドイッチパフェなるものが俺の注意を引いた。

 

「サンドイッチとパフェの融合……だと」

 

一体どんな代物なのか、写真も載っていないため未知数だが、俺の好物二つの融合、これはつまり『旨い+旨い=超うまい』の方程式が完成しているではないか。

いや、だが仮にこのメニューが俺の期待値に届かないものだった場合、俺はせっかくの文化祭の出鼻をくじかれることになる。パフェ一つとってもそうだが、基本的に文化祭の商品は結構なお値段がする。一応、今日のために蓄えてはきたが、ここで博打に出るのはどうなんだろうか。

 

「黒崎君……決まった?」

「あ、ああ。ごめん、もうちょっと待ってくれるか?」

「う、うん……わかった」

 

雪里の了承を得た俺は脳みそをフル稼働させてサンドイッチパフェにつて考える。

 

 

***

 

「はい、こちらイチゴパフェ2つになります」

 

注文から5分くらいで品物が運ばれてくる。悩みに悩んだ末に、俺は結局安全策をとってしまった。サンドイッチパフェはすごく気になるのだが、よく考えてみると、そんなに上質な組み合わせだとしたらとっくに世に流通しているのではないか、していないということはほかの大穴メニュ―同様地雷なのではないかと、そう結論付けたのだ。

 

「それでは、ごゆっくり」

 

机に伝票を置き去っていく店員を尻目に、俺はスプーンを手に取りイチゴパフェに手を付ける。雪里も同様に、小さな声で「いただきます」と告げてからパフェを食べだした。

 

「あ、結構うまいな」

 

俺は素直な感想を口にする。広告担当からクオリティが高いとは聞いていたが、これはもう普通にお店に出しても遜色ないほどの味ではないだろうか。

 

「うん……美味しいね」

 

雪里も共感を示してくれた。

 

「こういうものを作ってくれる相手と結婚出来たら毎日幸せだろうな」

 

だから、少し冗談交じりにそんなことを口にする。

 

「け、けけけ、結婚!?」

 

だが、なぜか帰ってきたのは素っ頓狂な声だった。流石に周囲の客もびっくりしたのか、こちらを振り向く。

 

「お、おい雪里?」

 

興奮する雪里をなだめようとするも、なぜか彼女はこちらへと身を乗り出してくる。

 

「く、黒崎君は……けけ、結婚……したいの?」

「え?いや、今のは単なる物の例え――」

「したいの?」

 

なんだこの状況は。だが、普段控えめな性格の雪里がここまで食い下がってくるのなら、それを無碍にするのも悪いだろう。

 

「まあ、したい、かな?将来のことはまだわからないけどさ」

「や、やっぱり……料理が上手な人……?」

 

どうやらさっきの例えをまだ引きずっているらしい。

 

「いや、別に料理は――」

「聞こえましたよ黒崎君!」

 

急に後ろから聞こえた声に振り向くと、いきなり顔面が何か柔らかいものに包まれた。

 

「きゃ!も、もう、黒崎君、大胆すぎますよ~」

 

目線を上に向けると、そこには白雪先輩の顔があり、そのアングルから、俺は何に突っ込んだのか察し、あわてて顔を離す。

 

「あれ、もういいんですか?もっと堪能してもいいんですよ~?」

「え、遠慮しときます。というか先輩はもうちょっと羞恥心を持ってくださいよ!」

「何言ってるんですか!私がこんなことを許すのは黒崎君だけです!」

「自信満々に勘違いされそうなこと言わないでくださいよ!」

 

そこまで言い終えて、俺は白雪先輩の格好が普段と違うことに気付く。俗にいうチャイナドレス、というやつを着ているのだ。

 

「あ、この衣装が気になりますか黒崎君!」

「いえ、別に」

「これはですね、一階家庭科室にてアニメーション研究会が貸し出ししている衣装の一つなんですよ!どうですか、似合いますか!」

 

その場でいくつかポーズをとる白雪先輩はもはや羞恥心のかけらもないらしい。俺はあきらめて視線をパフェに戻す。

すると、そのパフェの向こう側、雪里がじっとこちらを見つめている。

 

「黒崎君……」

「あ、えっとだな、この人は白雪先輩。俺やお前と同じ中学の先輩で、最近知り合ったんだ」

「黒崎君は……その……胸が大きい人が好きなの?」

 

その言葉にただでさえこちらに注目していた周囲が凍り付く。おかしいな、まだ午前中なんだけどな。

 

「答えて……黒崎君」

「いや、あのなあ……」

「黒崎君に限らず、男子はみんな大きいほうが好きなんですよ、お嬢さん」

 

さらに追撃をくらい、もはやこの場はブリザード状態と化した。周囲の男性客から尋常じゃないほどの敵意を感じるが、それよりもジトーっとした目を向けてくる雪里のほうが何倍も怖い。普段とのギャップだろうか、というかこの状況で俺にその視線を向けるのはおかしくないか?悪いの白雪先輩だよね?

 

「さらにさらに!」

「まだあるんですか」

「私はこのナイスバディに加えて、料理の腕もかなりのものですよ!なにせこのクラスのパフェの製作、指導は私の担当だったんですから!」

 

そういえば、白雪先輩のクラスはC組だったか。

 

「どうですか!これで黒崎君の求める理想の結婚相手の条件である料理上手、そして巨乳は完全クリアです!」

「いや、巨乳は言ってないですよ!」

「ふっふーん♪それじゃあ、私はほかのところ回るので!さらばです!」

 

荒らすだけ荒らした後、白雪先輩はスキップで教室を出ていく。

 

「え、えっと……雪里?」

 

後に残された俺は、恐る恐る雪里にコンタクトをとる。

 

「く、黒崎君の……むっつり……変態」

「いや、その判断は待とうか」

「だって……さっきも白雪先輩の胸ばっかり見てた……」

「いや、そんなことは――」

「見てた……」

 

もう雪里は俺の弁解など全く聞く気がないらしい。

俺がどうしようかと悩んでると、彼女は不機嫌そうにパフェをバクバクと食べだしたので、俺も一ひと先ずパフェを食べることにした。

 



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18. あの時の答え

「お、おい雪里!」

 

パフェを食べ終え、会計を済ませると、雪里は俺の手を引っ張り、校内をぐいぐいと進んでいく。

 

「おいって!どこ行くんだよ?」

「……」

 

だが、雪里は俺の言葉には応じない、ただ、進むルートに迷いがないところからして、目的地があるのは確かだ。

 

「ついた……」

 

しばらく引っ張られた後、雪里が足を止めたのは、家庭科室の前だった。ドアの横には、『アニ研大サービス!コスプレ衣装レンタル店!』と書かれた看板が立てかけられている。

 

「えっと、ここで何すんの?」

「……コスプレ」

「は?」

「コスプレ……する」

 

どうやらさっきの白雪先輩の挑発に完全に乗ってしまったらしい。何なら俺の好みも相当やばいほうだと認識しているかもしれない。

 

「いや、別にそんなことせんでも―――」

「あ、ゆーたろー!」

 

雪里を諭そうとした俺の言葉は、俺の名前を呼ぶ声にかき消される。その声のほうを見ると、他校の制服を着た三人組の女子が見つかった。

 

「おう、恭子か」

 

その三人組の真ん中にいる矢作恭子に俺は声をかける。

 

「いやーマジで久しぶり!元気してた?」

 

恭子の方も、元気よく返してくれる。

 

「ああ、心身ともに健康だ。そっちは、恭子の友達か?」

「あ、うん!同じクラスの沙雪と千春!」

「こんにちは。俺は恭子と同じ中学だった黒崎裕太郎。今日はうちの文化祭に来てくれてありがとね」

 

恭子の紹介を聞いて、俺は彼女たちに軽く挨拶をする。

 

「え、まって超ヤバイ!まじかっこいいんだけど!」

「ほんとそれ!できる男感にじみ出てるわ~!」

 

恭子の友人たちはよくわからんがとても喜んでいるらしい。

 

 

「え、恭子同じ中学なんでしょ?もしかして、彼氏だったりする?」

「そっかー、だから赤羽の文化祭行こうなんて誘ってきたんだ~」

「ちょ、二人とも何言ってんの!違うし!ゆーたろーは友達だから!」

 

恭子は彼女たちの言葉に必死に反論するが、そのリアクションだとあと1か月くらいはこのネタでいじられること間違いないだろう。

 

「えー、だって黒崎さんも恭子もお互い名前で呼んでるし~」

「それは、昔からそうだっただけだって!」

「それマジで?中学の時から脈ありだったってことじゃん!」

 

女子のノリってこえー。いや、別にノリ以外も怖いけどね、女子。

 

「じゃあ、あーしら邪魔したら悪いし、適当に回ってくるわ~」

「ごゆっくり~」

「ちょ、ちょっと沙雪!千春!」

 

恭子の呼びかけもむなしく、彼女たちは足早に人ごみの中に消えて行ってしまった。

 

「え、えーっと~。……あれ?」

 

恭子はそこでようやく、俺の手を引く雪里の存在に気付いたらしい。雪里も恭子のほうを凝視しているらしく、数秒の間、二人のアイコンタクトが行われた。

 

「だれ?彼女?」

 

先に口を開いたのは恭子だった。

 

「いや、彼女じゃねーよ。こいつは雪里茜。俺たちと同じ中学で、漫研の部長だよ」

「あ~!そうだそうだ、いたわこの子!ゆーたろーと同じ高校だったんだ~!」

 

恭子は納得したようにうなずく。雪里はというと、まだ恭子を見つめたままだ。

 

「また……巨乳……」

「え?な、なんなん?」

 

どうやら恭子の登場は火に油を注いでしまったらしい。とはいえ、こうなった経緯を伝ええると、再びブリザードが吹き荒れること間違いなしだ。

 

「えっとだな……」

「黒崎君……早く」

 

俺が何とかお茶を濁そうとしたところで雪里は俺の手を引っ張り家庭科室へと踏み入れる。

 

「ちょ、ちょっとゆーたろー!」

 

その後を追って恭子も家庭科室へと入ってくる。

 

「よく来たな……ようこそわがアニ研コスプレ市へ!フフフ、フウーハッハッハッハ!」

 

出迎えてくれたのは白衣をまとい、髪をオールバックにし、少しのあごひげを携えた男子生徒だった。そのうざったらしい口調からして何かのアニメのコスプレなのだろう。特にツッコミは入れないけど。

周囲を見渡すと、教室の端に衣文かけが設置されており、たくさんの客が群がっている。その横にはウィッグなどの装飾品のコーナーと、服屋にあるような、着替え用のボックスが用意されている。

 

「えーっと……」

「どうした?あまりの規模に衝撃を受けたか?だがな、それもすべて想定内だ……貴様たちは、我らの計画のほんの一端に触れているに過ぎないのだ……」

「コスプレ……したいです!」

 

よくわからん珍なことを言っている店員に、雪里は意志を伝える。

 

「ほう……いいのか?こちらへ踏み込めば貴様も引き返せなくなるぞ……?」

「大丈夫……。どんなに世界線を越えても、アトラクタフィールドの収束により、道は決まっているわ……」

 

何故か雪里も訳の分からないことを言い出してしまった。ダメだこいつら、早く何とかしないと……。

 

「なるほど……貴様も機関に反旗をひるがえすものというわけか……では、もう何も言うまい。健闘を祈る……」

「エル・プサイ・コングルゥ……」

 

謎のあいさつを交わしつつ、雪里は財布を取り出し料金を支払う。白衣の男も、普通に会計を済ませ、俺たちを衣文かけのほうへと促す。

 

「うーん……どれにしよう……?」

 

コスプレ衣装を漁る雪里の後ろで、俺と恭子はこの部屋に満ちる謎の雰囲気に困惑しながら近くのテーブルに軽く腰掛ける。

 

「てか、来るの早かったな。昨日のラインじゃ昼頃に来るって言ってなかったか?」

 

黙って待っているのも暇なので、適当な話題を振る。

 

「だって、こういうサプライズ的なほうがゆーたろーびっくりするかなって思ってさー」

「まあ、確かに意表を突かれはしたな」

「でしょ!久しぶりに会うから、インパクト重視、的な?」

「変わらないな、恭子は」

 

いつも通りの恭子に、少し口角が上がってしまう。

だが、そんな俺を見てか、恭子は少し驚いた表情をする。

 

「な、なんだよ恭子?」

「いや、その、なんていうか……」

「あ、やっと見つけた!黒崎委員長!少しいいですか?」

 

恭子の言葉にかぶさってきたのは、実行委員の生徒だった。確か彼は模擬店の見回り担当だったはずだが、何かトラブルだろうか。

 

「どうした?」

「えっとですね、2年C組のポップコーン屋にお客さんが来すぎて、教室がパンク状態なんですよ……。どうしたらいいすかね?」

「そうだな……とりあえずお客さんたちを一列にして順番をしっかり決めること、それでも管理できなければ適当にメモ帳でもちぎって番号振って整理券を作って配ろう。後は、模擬店のクラスリーダーに聞いて待ち時間を明示しとくか。C組の隣の空き教室に余ってる段ボールがあるからそれを使って看板を作ればいい」

「なるほど……。わかりました!すぐに実行します!ありがとうございました!」

「今言った方法でも無理そうなら、ラインで呼んでくれ。すぐに行くから」

「了解です!それじゃあ!」

 

実行員の彼は俺に軽く会釈してから足早に家庭科室を出ていく。

 

「あ、それでなんだっけ?」

 

俺は中断してしまった恭子との話を再開することにした。

 

「ゆーたろー、実行委員長なの?」

 

だが、恭子の返答は先ほどの会話とは全く違うベクトルのものだった。

 

「え?まあ、紆余曲折あってな。実行委員長やってる」

「へえ……」

 

何故か恭子は意味深な相槌を打つ。

 

「まあ、それはいいや」

「いいのかよ……」

「で、なんであの……雪里だっけあの子と回ってんの?」

「ああ、雪里から誘われてさ。俺も文化祭回りたかったし、それでかな」

「そーじゃなくて」

「は?いや、ちゃんと事実を述べたぞ俺は」

「私が言いたいのは、安城さんはどうしたのかって話」

 

恭子の口から出た名前に、俺はすぐに答えることはできなかった。いや、むしろ出来るはずがない。俺と安城の今の関係をどう伝えようとしても、きっと恭子を納得させることはできない。俺たちの以前の関係を知っている彼女はきっと、それを認めてはくれないだろう。それは雪里にも言えることで、この話を聞けばみんな俺たちの関係の修復を望み、そのための行動を起こすだろう。彼女たちは優しいから、俺たちのことを大事に思ってくれているから。

でも、俺たちはそれを望んでいない。この現状は、俺と安城が悩みに悩んだ末に導きだしたものだ。以前のままの関係を続けていれば、俺たちはもっとひどい結末を迎えていたかもしれない。そのせいで、周囲の人間たちにも迷惑をかけてしまうかもしれない。俺たちは、互いを、そして互いの友たちを大切に思っているからこそこの道を選んだのだから。

 

「なんかあったの?」

「別に、なにもねーって」

「じゃあ、安城さんに聞くからいいしー」

「ま、待て、それは……」

「やーっぱなんかあったんじゃん」

「……」

 

見事に誘導されてしまった俺は何も言い返せずに沈黙するしかなかった。そういえば恭子は昔から、こういう駆け引きにおいては敵なしだった。一緒にゲーセンに入り浸っていたあの頃も、ナンパしてくるチャラい男たちをうまく言い負かしていた。

だからといって、やはり安城とのことを話す気にはなれなかった。

 

「わかった。言いたくないならいいよ。私もそこまで鬼じゃないし」

「悪いな」

「じゃあ、代わりに答え合わせしよ?」

「答え合わせ?なんだよそれ」

「夏休みの前に出した問題だよ」

 

夏休みの前、駅前のゲームセンターに行った帰りに、恭子から出された問い。それは体育祭実行員会の一件の時、俺が見せた笑顔の理由。思えばその答えを考えることに夏休みの半分くらいを使っていた。

そして、俺なりに答えは出せたつもりだった。それは、俺が安城奏に向けていた感情からなるもので、あの日の空き教室で安城から同じ気持ちを告げられた。

だけど、俺はそれには答えられなかった。本当は答えたかった。互いに向き合った気持ちを共有したかった。でも、それをしてしまえば安城の願いは叶えられなかった。

文化祭時以降委員会が崩壊しかけた時、それを何とかしようと思った安城の願い、それは『黒崎裕太郎の助力がなくても物事を成し遂げられる人間になりたい』というもの。

いつかの夜、結城先生が話してくれた先生の過去と同じで、俺が安城を助け続ければ目先の問題は解決できるかもしれない。だがそれは逆に、俺との接点がなくなった時、安城は一人で何もできない状態になってしまうことを意味する。

はたから見れば大げさかもしれない。俺一人の存在が安城自立を妨げるだなんて、自意識過剰だと、そう思われても何らおかしくない。

でも俺たちにはわかるのだ。間違っている人間は間違っていることに気づけない。だからこそ俺たちは間違った関係性を切り捨てた。たぶんそれが、今も俺と彼女が共有しているたった一つの信念なのだ。

 

「ゆーたろー、答えは出てるんでしょ?」

「それは……」

「でも、その答えをなかったことにしようとしてるんじゃない?」

「……!」

「わかるよ。これでも3年間同じ中学だったんだよ?それに、今のゆーたろーは……」

 

恭子は、嬉しそうな感情と哀しそうな感情、その二つが入り交ざったかのような表情で言葉を続ける。

 

「今のゆーたろーは、中学の時のゆーたろーに戻ったみたいに見えるから」

 

一言。そのたった一言を恭子の口から聞いただけで、俺はまるで金縛りにでもあったかのように体も心も動かなくなるのを感じた。

それだけの意味が、力がその言葉にはあったから。

 

「どういう……意味だ?」

 

だからだろうか、俺が全力で発した言葉は弱弱しく覇気のない独り言のようなものだった。

 

「言葉のままだよ」

 

それに対する恭子の返答はそっけなかった。だが、そんな彼女が俺に向ける視線は先ほどまでとはまるで違った。

決して冷たいものではない。かといって温かさを感じるものでもない。だがそれは、確実に矢作恭子がふだん見せることのないものだった。

まるで何かに落胆するような、何かをあきらめたような、そんな悲しげな表情なのに、そこから俺を責めるわけでもなく、けなすわけでもなく、果たして本当に彼女には俺が見えているのか、それさえわからない。

だから、俺が彼女の気持ちを知るにはさっきの言葉しか材料がなかった。

中学の時の俺に戻ったと、恭子はそう言った。だから、俺はその当時の自分を思い出す。

 

中学の頃の自分。

 

明るくて、友達もたくさんいて、いつも誰かの為に行動していた。

 

誰かを助けるたびに、相手からお礼を言われるたびに嬉しくて、その気持ちがまた誰かを助けるための糧になって。 

 

生徒会の副会長になって、周囲から一層評価されて。

 

だから、誰かを助け続けて。

 

そして、一人になった。

 

そんな自分。

 

そんな自分が嫌になって、高校入学を機に捨て去ったはずなのに。

 

あの頃の自分と親しかった彼女は、今の自分をあの頃と同じだと言う。

 

否定したいはずなのに、あのころとは違うんだと伝えたいのに

 

俺は、なにも言えなかった。

 

 

 



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19. 立ち込める暗雲

 俺と恭子の会話が止まってから10分は経過しただろうか。家庭科室には尚も人が出入りしている。先ほど試着室に入っていった雪里もまだ出てこないし、隣でそれを待つ恭子はずっと携帯をいじったままだ。

流石にこのまま沈黙し続けるのは耐え難いのだが、先ほどの会話の後に一体どんな言葉を掛ければ盛り上がるというのだろうか。

だから、俺は黙っているしかなかった。

 

「く、黒崎君……」

 

そんな俺を呼んだのは、雪里だった。見れば試着室のカーテンから顔だけをこちらに出している。

 

「どうした?着替え終わったのか?」

「う、うん……」

 

俺の問いに対し、雪里の返事はどこか歯切れが悪かった。

 

「その……笑わないでね?」

「そんなに変な衣装選んだのか?」

「ち、ちがう……!」

 

業を煮やしたのか、あきらめたのか、どちらかはわからないが雪里は決心したようにカーテンを開けた。

そこに立っていたのは、白い服に白のストッキング、世間でいうところの看護師の格好をした雪里だった。

 

「ど、どうかな……?」

 

どう、と言われれば似合っているという答えがすぐに脳裏に浮かぶ。もともと色白な雪里に白一色の服はとても相性がよく、それでいて小柄な彼女が人の面倒を見る看護師の格好をしているというギャップがコスチューム全体の完成度をより高くしている。

 

「へー!似合ってんじゃん!」

 

俺が雪里への感想を述べる間もなく、恭子が感嘆の声を上げる。

 

「ねえ、ゆーたろー?この子のナースコスめっちゃ可愛くない!?」

 

俺に同意を求める恭子の視線は、先ほどとは違い、いつも通りだった。まるでさっきの会話などなかったようにふるまう彼女に困惑しながらも、俺は返事をする。

 

「そうだな。すごくいいと思う」

「ほ、ほんとに……?」

「本当だって」

「じゃあ……白雪先輩と…どっちが好き?」

 

雪里のその言葉に、先ほどまでがやがやとしていた教室内が静まり返る。振り返ると、全員の視線が俺たちのほうに向いているではないか。

 

「お、おい……なんかすげえ場面に立ちあっちまったな……」

「あれって実行委員長の黒崎先輩だよな?まじかよ、あのナースの子から告白されてやがる……」

「いや、それならあの隣の女の子は誰だ?」

「これってひょっとして……修羅場!?」

 

おい、小声で話してるつもりだろうが全体が静まり返ってるせいで全部聞こえてるからな。

 

「……!ち、ちがうの……そういう意味じゃ……!」

 

自分の問い方がまずかったことに気付いた雪里は顔を真っ赤にしてあたふたとしだす。だが、それでも周囲はこちらを凝視したままだ。

この分だと、俺が雪里の問いに答えなければ事態は収拾がつかなくなるのは間違いない。だが、周囲がこの状況を勘違いしている以上はどうこたえても雪里に迷惑が掛かってしまう。

四面楚歌、八方ふさがりとはこのことだろうか。

だが、俺が四苦八苦しているときに、偶然か奇跡かポケットの中のスマホが振動した。誰からの着信かは知らないが、このビッグウェーブに乗るしかない。

 

「悪い、ちょっと待ってくれ」

 

一応そう断ってから携帯を取り出す。

 

「はい。黒崎です」

「あ、黒崎委員長!俺です!田村です!」

 

田村。田村って誰だっけ?ひょっとして人気声優の……じゃねえよ。いかんいかん、いくら最近いろんな人と交流しているからと言って人のことを忘れるなんて失礼極まりない。なので俺は返事をするまでのわずか数秒の間で必死に記憶の中の田村という人物を探る。

 

「あ、それか」

 

うっかりそれ呼ばわりしてしまったが記憶をたどることには成功した。田村という男子生徒は文化祭実行委員会の一年生であり、委員会の一年生の中ではかなり優秀で割り振った仕事を翌日には終わらせるほどで、その実力を見込んで俺がゲーム部のイベントにリーダーとして配属したんだった。

 

「あの、委員長?」

 

俺からの返事がなかったためか田村は再び俺を呼ぶ。

 

「あ、ああ悪い。少しぼーっとしてただけだ。それで、どうしたんだ?」

「それが、緊急事態なんです!申し訳ないんですが、判断を仰ぎたいのでゲーム部のイベント会場まで来てもらえませんか?」

 

緊急事態。その言葉に少し寒気がした。ゲーム部のイベントで起きる緊急事態とはなんだ?備品も、ステージの装飾やイベントのタイムスケジュールも俺自身が何度も確認して、完璧だったはず。それなのに起きる緊急事態、それはすなわちイベントを実行している今現在に生じたイレギュラーということだ。

 

――まさか、神崎になにかあったのか?

 

ふと脳裏に浮かぶのは、あの時実行委員会の立て直しに躍起になって倒れた安城の姿。そしてその安城と重なる神崎の姿。二人の容姿が似ているためか、そのイメージは一切のブレもない。

……駄目だ。これ以上考えてもマイナスなイメージが募るだけだ。今やるべきことはゲーム部で起きている出来事を正確に把握すること。

 

「わかった。すぐ行く」

 

手短に返答し、俺は携帯をポケットにしまう。

 

「ゆーたろー?どしたん?」

 

俺の表情から何か感じ取ったのか、恭子が不安そうな口調で尋ねてくる。

 

「悪い。急用ができた。すぐに行かなきゃいけない」

「急用?実行委員会でなんかあったってこと?」

「すまん、説明している時間はないかもしれないんだ」

「……そっか。おけ。いってきなよ。私は沙雪たちと合流して周ってるから」

「ああ。埋め合わせは今度する」

 

今一度恭子に詫びてから、俺は雪里の方へ支援を移す。

 

「その、悪いな雪里。せっかく誘ってくれたのに」

「ううん……黒崎君は……委員長だもん」

 

そういいつつも雪里は残念そうな表情を浮かべる。

 

「でも……一緒に周れて……楽しかった」

「ああ、俺もだ。」

「ほら……早く行って……」

「ああ、行ってくる」

 

俺は二人に軽く手を振ってから足早に家庭科室を後にし、屋上へと急いだ。

 

***

 

非常階段を一段飛ばしで駆け上がり、屋上入り口の扉の前で荒くなった呼吸を整えてから意を決してそのドアノブをひねる。

 

「あ」

 

はずだったのだが、後ろから聞こえた足音、ゆっくりと階段をあがってきたその音の主を視界に入れたとたん、俺の手は止まってしまった。

 

なぜなら、その人物は安城奏だったから。

 

「……」

「……」

 

今、鏡があったら自分がどれだけひきつった表情をしているかすぐにわかるのだろうか。いや、俺の表情なんて目の前にいる安城の気まずそうな表情を見れば大方想像できる。

もしこれが騒がしい教室や廊下での遭遇ならいくらでも誤魔化せた。見えていないふりをしていれば、そのうちどちらかが相手の視界から姿を消して、いつも通りの日常を送れていた。

なのに、なんでこんな誰もいない場所で出くわしてしまったのか。なぜ振り返ってしまったのか。さっさとドアを開けてしまえばよかったのに。

 

「よ、よう……」

「……うん」

 

だが、この状況で無言を貫き通すことなんて、俺にも、安城にもできはしなかった。

 

「神崎の応援か?」

「まあ、そんな感じ……」

「そうか」

 

とても短いやり取り。以前の俺たちからは想像もできないほど簡素な内容で、その薄さによって俺と彼女の繋がりは完全に断たれていることが再認識される。

 

「黒崎君は……?」

「まあ、大体同じ感じだ」

 

別に、緊急の呼び出しを忘れているわけじゃない。ただ、神崎のいとこである安城に緊急の連絡が入っていないのなら、少なくとも神崎自身に何か起きたわけではないのだろう。それなのに安城の不安を煽るのは無意味でしかない。

だが、緊急事態が起きていることには変わりはないのだろうし、俺は安城からドアへと視線を戻して今度こそ扉を開ける。

 

すぐに視界に飛び込んできたのはたくさんの観客の背中で、その歓声がうるさいほどに耳に響く。その奥に設置されたステージでは、スクリーンに投影されたゲーム画面と、その少し右側のゲーム台でコントローラーをいじる人物の姿が確認できる。

一人はチャレンジャーであろう中学生の男子。もう一人はこのイベントの主役である神崎亜美。神崎の纏う衣装はイベントの題材ソフトでもある『ファイヤー・ファイター』のキャラクターのコスプレで、赤をベースとしたセーラー服を改造したようなものとなっている。リハーサルの時に本人に聞いたところ、繁華街のコスプレショップで手に入れたらしい。

さて、ゲーム画面に視線を戻すと、チャレンジャー側のキャラクターのHPは既にレッドゾーンに突入しており、後一撃でも食らえばゲームセットになりそうだ。

それに対し神崎のキャラのHPはほぼ満タンで、流石にこの状況からひっくり返されることはなさそうだ。

 

「さあ!チャレンジャーのHPは残り僅か!これは決まったか!?」

 

ステージの端に設置されたスピーカーからは実況の声が響く。

 

「行きますよ!ファイヤーボンバーブラスター!」

 

今度はピンマイクを通して発せられた神崎の声が木霊し、それと同時にゲーム画面のキャラが必殺技を放つ。その威力は絶大で、チャレンジャーの使用キャラは燃えカスとなる。流石にオーバーキルだが大勢の観客が見るステージならこの方が盛り上がるだろう。

 

「決まったー!クイーン神崎、これで30連勝!この勢いはだれにも止められないのか!?」

 

予想通り大歓声が上がる。ゲーム好きの連中はもちろんだが、全国大会入賞者のプレイを魅せられればゲームに詳しくなくても雰囲気で盛り上がれる。現状ではイベントは大成功といえるだろう。

 

「あ、委員長!こっちです!」

 

イベントの盛況ぶりに気を取られていた俺を呼ぶのは観客の間を縫ってやってきた田村だった。

 

「おう、お疲れ……なんて言ってる場合じゃないんだよな?」

「そうなんですよ!とりあえずここじゃ声聞こえづらいんで非常階段の方戻りましょう……ん?」

 

そこで田村は俺の後ろにいた安城の存在に気付いたらしい。少し首をひねる彼だったが、何か納得したようにうなずく。

 

「流石委員長!生徒会の力を借りようってことですね!判断力ぱねえ!」

「え?いや、私は……。え?」

「助かりますよー。委員長と安城先輩の協力があるなんてちょっと安心です!」

 

完全に誤解されてしまった。安城の方を見ると、『どういうこと?』と言わんばかりに視線を向けてくる。

 

「えっと……」

「ささ、早く早く!」

 

説明する間もなく俺たちは田村によって非常階段へと押し戻された。

 

「それでですね、先輩方に来てもらったのは電話の通り緊急事態でして……」

「いや、ちょっとまて、安城は別に……」

「緊急事態?」

 

田村の誤解を解こうと思った矢先、安城が少し食い気味に問いかける。もうここまで来てしまった以上今更安城に『関係ないから、戻っていい』というのも不自然極まりないだろうし、とりあえずは田村の話を聞くしか無い。

 

「そうなんすよ。実は、その……、備品が紛失してしまって……」

「備品?さっきステージを見た限りだと欠けてるものなんてなかったぞ?」

 

事実、イベントは大盛況だったわけだし。

 

「はい。ステージには何の不備もないんですけど……。その、一番の目玉が……」

 

ゲーム部のイベントの一番の目玉。それはたしか先ほど神崎がプレイしていた「ファイヤー・ファイター」のソフト。神崎と対戦して一番優秀な成績を残せたチャレンジャーに対し、神崎のサインを添えて渡される予定だった。

 

「賞品のソフトが紛失したってことか?」

「ええ!それってすごくまずいんじゃないの?」

 

判明した事実に驚きの声を上げる安城だったが、すぐに自分の口をふさぐように手を添える。非常階段は声がよく響くので下手に騒ぐと誰かに聞こえるかもしれないし、そうしてくれるとありがたい。

 

「そうなんですよ……。せっかくこんなに盛り上がってるのに目玉のソフトがないなんてブーイング間違いなしでしょうし……」

「たしか、賞品についてはすでに告知ポスターに乗せてしまってるんだっけか」

「はい……。すみません委員長……、俺がもっとしっかりしていれば……」

 

状況を言語化したことでより責任を感じてしまったのか、田村には先ほどまでの元気はなくなってしまっていた。

 

「起きてしまったことは仕方ない。いま必要なのはどう対応するかだ。それに、チームや団体で何かをするのなら、責任は全員に平等に課せられる。当然俺にもな」

 

自嘲気味に笑ってみせると田村も少し表情を明るくする。

 

「とりあえず、イベントチーム全員で状況を整理しよう。スケジュールにはないが、今大体12時だから一度休憩って形でイベントを中断、再開は校内放送でアナウンスする」

「わ、わかりました!司会に伝えてきます!」

 

俺の言葉に大きくうなずき、田村は会場へと戻ってゆく。

 

「……」

「……」

 

俺と安城の間に再び訪れる沈黙。耐えがたいその重圧に、俺は安城のほうへ少しだけ視線を向ける。

が、何の因果か同じタイミングで安城も俺の方へと視線を向ける。向き合った視線に、俺は少しばかりの懐かしさを覚える。あの日から一度も合うことのなかった俺たちの視線、だが今合ったからといってそこに生まれる感情は困惑のみ。それでも、一度視界に収まった安城の姿から目をそらすことができない。

そして、なぜか安城も俺から視線をそらすことはしなかったため、俺たちは互いに見つめあうことになっていた。

 

「「……!」」

 

そしてその視線をそらすのも同時。そのせいで先ほどよりも一層気まずくなってしまう。

 

「その……元気?」

 

その空気に耐えかねたのか、安城が言葉を発する。

 

「まあ、な」

「そっか」

 

聞く意味もない、わざわざ言葉にする意味もないようなやり取りだが、それでも俺はどこか安堵していた。安城と同じ場所にいて、同じ時間を共有していることがこんなに落ち着くのだと今更ながら認識する。

 

「安城は、元気?」

 

だから、この気持ちをあと少しだけ味わっていたくて、彼女と同じ問いを投げかける。

 

「うん。元気かな」

「そっか。よかった」

「なんか、ヘンな感じだね。あの日から一度も話してなかったのに、やっぱり黒崎君と一緒にいると気持ちが落ち着くの」

「まあ、別に絶交したわけじゃないからな」

 

そう言ってみてふと思った。別に俺たちは互いの関係を断絶したわけではない。ただ、安城は安城の、俺は俺の進む道を決めただけで、そこには話すことや関わることを禁止するようなきまりは一切なかった。話そうと思えばいつでも話すことはできたはずなのに、俺も彼女も、それをしなかった。つまり、俺たちには選択肢がそれしかなかったということだ。やはり俺たちの関係は『助ける』ことに依存しきっていたわけで、それがなくなるということは、関係そのものが消えることを意味していたのかもしれない。

 

―――俺たちの関係は始まってすらいなくて、勝手にその気になって、勝手に消えただけだったのか。

 

だったら、今感じているこの気持ちは、この落ち着きは、果たして何なのか。

 

 

以前出したはずの答えは、俺の彼女への気持ちは、本当に正解といえるのだろうか。

 

 



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20. 状況確認

「これで全員だな」

 

20分後。俺が提案した通りゲーム部イベントは昼休憩に入り、屋上に残っているのは俺と安城、イベントスタッフ、そして神崎だけだ。

神崎含めイベントスタッフたちは起きている状況が状況なだけあって、神妙な面持ちで俺の言葉を待っている。

 

「一応現状を確認するが、イベントそのものは滞りなく進行できているが、肝心の賞品ソフトが紛失している。で、いいんだよな?ほかに問題があればこの場で言ってくれ」

 

スタッフたちは無言で首を振る。どうやらソフト紛失以外のイレギュラーは起きていないらしい。安堵、というわけではないが、イレギュラーが多発しているわけではないらしいので俺は小さく息を吐く。

 

「つまり、俺たちがクリアしなければならない課題は、『ソフトの紛失』の一点のみ。それがはっきりしたところで、イベントスタートから今に至るまでの状況を洗い出していこう。田村、頼む」

「は、はい。ゲーム部のイベントは一般客の来場から10分後に開始し、その10分で屋上はほぼ満員。企画通りメインステージで司会がオープニング挨拶を述べた後、神崎さんがたくさんの挑戦者の中からランダムに選出し、最初の対戦が始まったのが開始の10分後。そこからは対戦と挑戦者の選出を繰り返し、先ほど急きょ昼休憩に入りました」

「ありがとう。その間、ソフトはどこに?」

「ええと、ソフトはオープニングにステージ上で観客全員に見せたのち、予備の機材と一緒にステージ横のブルーシートの上に置いてありました」

 

ソフトの配置は企画通り。本来なら金庫でも用意して厳重に保管したかったのだが、予算の都合でそれはできなかった。それに、大勢の観客がいる前で誰かが故意にそれを盗むなんてありえないと思っていた。

結果的にその油断がソフトの紛失につながってしまった。これは完全に俺のミス。そもそも以前のプレゼンで俺が予算はほぼ掛からないという話をしたが故のことだ。

 

「……それで、ソフトの紛失に気付いたのはいつだ?」

「委員長に連絡する直前です。それまでは全員イベントの運営に気を取られてて……一応10分に一回くらいは予備の機材の調整と一緒に確認してたんですが……」

 

これで状況はだいぶ明確になった。まず、イベントは開始直後から大盛況で屋上には人が押し寄せていた。次に、ソフトの管理状況はあまり良質なものではなかった。そして、そんな中、会場にいた全員の目をかいくぐってソフトの紛失は起こった。

とはいえ、ゲームソフトが自然に蒸発するわけはない。ならばやはり、悪意ある人間の仕業だと考えるのが普通だろう。

まっ先に思い浮かぶのは内部犯の線だが、景品ソフトは昔のものなだけあってパッケージもディスクもそこそこ大きい。そんなものを隠し持っていたらすぐにばれるだろうし、内部犯なんて可能性はだれでも思いつく。ここにいるスタッフたちがそんなリスクを背負ってまでソフトを盗む理由がない。そもそも彼らはイベントの準備段階から関わっているのだから、盗むチャンスはいくらでもあっただろう。わざわざイベント中に盗む必要はないはずだ。

だが、それは第三者の立場でも同じだ。今は俺の判断で表ざたにはなっていないが、文化祭内で盗難なんて起きれば騒ぎになるのは火を見るより明らか。不特定多数がいる中で、誰に見られているかわからない状況で盗難なんてかなりリスキーだ。

つまり、犯人には確固たる理由があったということになる。

 

それはなんだ?

 

ソフトが欲しかったからか?

 

それともイベントの妨害か?

 

前者に関しては判断材料が少なすぎる。この線で考え出すと、イベント会場に来た全員が犯人になりえる。

 

後者だとすれば、犯人は限られてくる。

そして、この線で考えるのなら目的はソフトそのものではなく、『ソフトの紛失』という出来事そのものにあることになる。

 

商品がなくなることで困るのはゲーム部、あるいはその部員である神崎だ。

犯人の目的はイベントの失敗。その理由、すなわち大きなリスクを伴ってまで犯行に及んだ動機があるのだとすれば、それは私怨によるものだ。

 

「ちょっと先輩、なんで黙ってるんですか。みんな先輩の言葉待ってるんですよ?」

 

ずっと黙って考えていた俺の顔を覗きこんできたのは神崎だった。その表情や語調はいつもどおりに見えるが、それが強がりであることは今までの彼女を知っていればすぐに分かった。

 

「悪い。ちょっと考えてた」

「それで、どういう答えになったんですか?」

「まず、今最も重要なことはソフトそのもの、あるいはその代替品の用意だ」

「え?」

 

俺の言葉に意外そうに小さく疑問を浮かべたのは安城だった。

だが、それに対し俺は言及せず、言葉を続ける。

 

「とは言ったものの、確か用意していたソフトは初回限定生産バージョンの未開封品。ゲーマーならのどから手が出るほどの価値がある。それに見合うものを見つけるのはかなり難しい。だから、昼休憩の間にネットで探す。そして最優秀賞の贈呈は後日行うことにするんだ。だから、その人には学年とクラス。外部の人物なら連絡先を聞いておく」

「で、でも先輩!景品はすでにポスターやオープニングで公開してるんですよ?それを今更……」

「確かに。まったく同等のものは用意できない。ソフトを目当てに来た人の期待を裏切るかもしれない。だがそれでも、このイベントがこの場で破綻するよりはましだ」

「そ、それはそうかもですけど、でも……!」

「時間がない。早速取りかかるぞ。全員コンピュータ室のパソコンで検索を開始してくれ。俺もあとから行く」

「「は、はい!わかりました!」」

 

スタッフたちは駆け足で屋上を後にする。残ったのは俺と神崎。そして安城のみ。

 

「……黒崎君、それでいいの?」

 

静まり返った屋上で口を開いたのは安城だった。

 

「え?どういうことなのお姉ちゃん?」

「だって、このやり方はいつもの黒崎君のやり方とは違う気がするの」

「いや、全然分かんないよお姉ちゃん」

 

安城の言葉の意味がわからないであろう神崎は、説明を求めるように俺を見る。だが、俺も 自分の真意を話すべきかわからず安城の方へ視線を向ける。

 

「……それは」

 

そんな謎のトライアングルを断ち切るべく口火を切ったのは安城だった。

 

「いままで黒崎君がぶつかってきた問題は多種多様だったけど、黒崎君のスタンスは一貫して『どんな手を使っても問題を解決する』ことだった気がするの。でも、さっき黒崎君がみんなに言った案は『ソフトの紛失』っていう問題そのものの解決には向かってない」

「なるほど……、確かに先輩って目的のためなら手段を選ばないゲス野郎って感じが……」

「おい、流石に言いすぎだろ。俺を何だと思ってんだ」

 

神崎の過激な発言に流石に耐えかねてツッコミを入れるも、そのせいでなし崩しに俺に発言権が回ってきてしまったようで、二人は俺の言葉を待つ。

 

「……まあ、安城の言うとおりさっき提示した案は俺の真意じゃない。とはいえ、それ自体が捨て案ってわけでもない。後日贈呈はもう一つの策が失敗したときの保険だ」

「保険?どういうことですか?」

「代替品も、その後日贈呈も、ベストな形ではないがイベントの形を保つために取れる策としては悪くない。最悪なのはイベント終了時にソフト紛失が発覚することだ。そうなればリカバリ不可だったしな。でも、田村ふくめイベントスタッフたちの早期発見のおかげでそれは回避できた。だからこそ、保険だ」

「じゃあ、やっぱり黒崎君は……」

「ああ、俺はソフトを探すよ。それがこのイベントを最初に提案した俺の責務だからな」

 

少しばかり笑いを含みながら俺は答える。

別に、笑いたいわけじゃない。というか笑ってる場合でもない。でも、そうしていないと、ウソでもなんでも笑っていないと、この二人の神妙な顔を見ていられなかった。

 

「それじゃ、行ってくる」

「待ってください先輩!それならみんなで探したほうが……!」

「何言ってんだよ。昼休憩が終わったらイベント再開だぞ。あいつらも、そして神崎、お前にも仕事は残ってるんだ。なら、一番自由に動けるのは俺だけだ。それにな……」

 

その時の俺はもしかしたら、先ほどより上手く笑えていたかもしれない。鏡がないからわからないが、何だかそんな気がした。

 

「それに、俺はお前に、楽しくゲームをしてて欲しい」

 

そう言い残し、俺は屋上を後にした。

 

***

 

屋上から連なる非常階段を足早に降りた俺は、そのまま一階の昇降口まで一気に駆け下りる。

神崎には、自由に動けるのは俺だと言ったが、それはあくまで彼女たちと比較しての話だ。

実行委員長の俺は、エンディングセレモニーの準備と進行という仕事が残っている。かてて加えてゲーム部のイベント自体もスケジュール通りなら15時には終わってしまう。12時から昼休憩を挟んだことで多少押しても言い訳は聞くが、それでも3時間弱。数百人の人たちが密集する中からソフトを盗んだ犯人一人だけを探しだすには、あまり時間はない。

さらに言えば、この無駄に敷地のでかい赤羽高校の中で行ける場所は時間的にも限られているし、長時間滞在してしまえばさらに減る。つまり、向かう場所、話す人を絞らなければならない。

だからこそ、校舎内のすべての場所につながっている昇降口までやってきた。ここまでは屋上を出る際にすでに考えていたことだ。

 

――どうする?どこへ行くのが正解だ?誰に聞くのが正解だ?

 

――焦ってはだめだ。焦れば何か重要なことを見落としてしまうかもしれない。

 

――考えろ。犯人の候補を絞り込め。

 

さっきも考えたことだが、犯人の動機は私怨だ。ゲーム部に対し深い憎悪を抱く人物だとすれば、その時点で外部からやってきた客人たちは除外されるか?

いや、もしかすると憎悪の対象はゲーム部ではなく神崎ひとりに向けられているものかもしれない。そうなると過去に神崎と関わったもの全員にまで容疑は掛けられる。

仮にそうならほぼ詰みだ。

 

「やあやあ、黒崎君じゃないですか」

「ああん?」

 

思考を遮ってきた声に無意識に荒い返事を返してしまう。

 

「ひ、ひいいっ!ちょ、何でそんな不機嫌なんですか!?僕なんかしました!?」

 

大げさに飛び退いたのは、右手にチュロス、左手に焼きそばのパックをもち、頭には狐のお面を引っかけたお祭り満喫スタイルの緑川高校生徒会会計の木場神威だった。

 

「なんだよ、木場か。お前何してんの?」

「何って、見ればわかるでしょ。フェスティバってるんです」

「何そのダサい造語。言い出したやつのセンス疑うわ」

「よくわかんないけど当たり強いですね、今日は特に」

 

祭りだからか、いつもより声のトーンが高い木場。よくもまあ他校の文化祭でそこまで……ってそれは恭子も同じだったか。

って、それどころじゃなかった。木場には悪いが今は一刻を争うのだ。

 

「そういえば、以前僕らでプレゼン資料作ったゲーム部のイベントあるじゃないですか。どんなもんかと思って今さっき見てきたんですけど」

 

ええっと、だから犯人の動機は私怨だから……。

 

「なんかお客さんゼロで神崎さんしかいなかったんですけど、まさか大失敗だったんですか?」

 

だから、つまり……。

 

「でも、僕らがあれだけ頑張って企画したんだからそんなはずないと思うんですが、一体どういう……」

「木場、うるさい。本当まじで少し黙っててくれ」

「ちょっ!なんなんですか今日は!流石に理不尽すぎるでしょ!」

「あ、悪い。つい思ったことそのまま言っちまった」

「詫びるべきなのはそこじゃないと思うんですが……」

 

ぶつぶつと文句を言い続ける木場に対し、ふと聞きたいことが一つできた。

 

「……なあ、木場。お前さ、めちゃくちゃムカついて、殺してやろうかって思うほどのやつっているか?」

「今の黒崎君ですね」

「そうじゃねーよ。いや、確かに悪かったけど」

「うーん……。僕は基本温厚で人畜無害ですからねえ……」

「じゃあ質問を少し変える。もしそういう感情を向けるとしたらどんな奴だ?付き合いの長い奴とか、自分より目立つ奴とかか?」

「そうですねえ……僕個人の意見としては付き合いの長さとかはあんまり関係ないです。ただ、一つだけ思ったのは、自分の大切なものをないがしろにする奴、ですかね。仮にそれが故意でなくとも、された側は辛いものですよ」

 

大切なものを、ないがしろに……。それが故意でなくとも……。

 

「……!なるほど、そりゃたしかにムカつくな」

「で、この質問は何なんですか?心理テスト?」

「ありがとな、木場。お前に聞いて正解だった。後で焼きそばの大盛りを奢ってやる」

「いや、僕今焼きそば買ってきたんですけど」

「それじゃ、またな!」

「え、ちょっと黒崎君!結局何の用だったんですか!」

 

後ろに響く木場の声がどんどん離れていく。それは俺が最初の目的地へと走り出したからに他ならない。

 



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21. 強引な捜索

 目的地は3年C組の教室。先ほど雪里と訪れた時から客の入りは変わっておらず、かなりの盛況だった。俺はすぐに目的の人物を探すために周囲を見回したが、その姿はどこにもない。

あまり時間をかけてもいられないので近くにいた上級生に聞いてみると、俺が来る直前に写真部の模擬店へ向かったらしい。

幸いにも写真部の模擬店はここからそう遠くないので、俺は上級生に謝辞を述べてから小走りで教室を出る。

 

「写真部の模擬店では写真館をやっていまーす!一年にたった一度の文化祭、その思い出をぜひ写真に!いかがでしょうかー!」

 

教室の入り口で呼び込みをしている写真部の部員を素通りし模擬店内へと踏み入れる。昼時だからかあまり客はおらず、それゆえ目的の人物はすぐに見つかった。

 

「白雪先輩、ちょっといいですか?」

「おや、黒崎君じゃないですか!ひょっとして私を文化祭デートに誘いに……!?」

 

先ほどあった時はチャイナドレスを着ていた白雪先輩だったが、再び家庭科室で衣装をチェンジしたらしく、現在はミニスカポリスのコスプレをしていた。

が、現状白雪先輩の服装はどうでもいいので、俺は特にそれについて言及はしない。

 

「いや、違います」

「じゃあ、私とツーショット写真を撮りに?」

「……ここじゃあれなんで一緒に来てもらえますか?」

「おっと、写真を撮る場所は決まってるんですね?確かに、写真部さんは校内のいたるところで写真撮ってますからね」

「写真が欲しいなら後で付き合いますからとりあえず来てください」

「はあん!黒崎君強引!」

 

体をくねらせながら悶える白雪先輩だったが、一応俺の言う通りついてきてくれたので、俺はあまり人がいない西階段の近くまで先輩を誘導する。

 

「わざわざ人気のないところに……。ま、まさかえっちなことを!駄目ですよ、流石に校内でなんて……」

「先輩、真面目な話なんでちゃんと聞いてください」

「……なんですか?」

 

そこで白雪先輩の表情がいつものおちゃらけたものからこれまで見たことのないほどの真顔に変化した。この人がそんな顔をする人だとは全く思わなかったので、俺はすこし戸惑うも、話を続ける。

 

「三年C組の石島先輩が今校内のどこにいるか、わかりますか?」

 

石島という人物は別に俺の知人ではない。ただ、その名前も、人物像も俺は知っている。なぜなならその人物は2学期の途中から俺の平穏ライフを狂わせた連中の一人なのだから。

 

「石島君……ああ、元ゲーム部の人ですね?」

「はい、その石島先輩です」

 

そう、石島とは神崎の属するゲーム部の元部員にして部長のポジションについていた人物だ。ゲーム部の存続問題の解決にあたっていた時に生徒会からくすねた資料に書いてあった名前はまだ俺の記憶に残っていてくれた。

 

「石島君なら元ゲーム部のメンバーと約束があるからってさっき模擬店抜けてきましたよ」

「どこへ行ったか心当たりは?」

「ありませんよ~。あんなモブの動向まで把握してないですし」

 

とんでもない暴言をサラッと吐く白雪先輩だが、俺のあては大きく外れてしまった。ここで石島の場所がわからなければもう俺にそれを特定するすべはない。

 

「石島君の居場所が知りたい、ってことでいいんですよね?」

「え?」

 

そこで話は途切れるとばかり思っていたのだが、白雪先輩は尚も会話を続ける。

 

「私は彼の居場所は知りませんけど、黒崎親衛隊のグループラインで聞けばわかると思いますよ?」

「は?黒崎親衛隊?」

 

唐突に聞いたことのない単語が出てきたので思わず聞き返してしまう。

 

「ふっふっふ。黒崎君は知らなかったでしょうが、この学校には黒崎君ラブな女子の集会、人呼んで黒崎親衛隊が存在しているんですよ!」

 

「……なんじゃそりゃ」

「ほら、黒崎君が文化祭実行委員長になったじゃないですか、実はそこから赤羽女子の間で黒崎君の人気が爆上がりしたんですよ。で、それを察した私が抜け駆けを潰す……じゃなくて、乙女たちの結束を高めるために親衛隊を設立したんですよ!」

「火種はあんたか!」

 

なんて余計なことをしてくれるんだこの先輩は。え、それじゃあ何、俺の知らないところで赤羽の一部の女子たちが俺についてグループラインでトークしてたの?なにそれ怖い。

 

「そのグループって何人くらいいるんですか?」

「現状52人ですね」

「そ、そんなに……」

「大丈夫です、これからもっと増やして見せますから!」

「いや、結構です!なんならさっさと解散してください!」

「それで、話を戻しますけどね」

「この状況で何言われても頭入ってこなさそうなんですけど……」

「親衛隊のみんなに聞けば石島君程度の居場所ならすぐにわかると思いますよ?」

 

た、確かに52人ものメンバーが校内に点在しているのであれば可能ではある。

 

「いや、でも全員に理由を伝えるのは……」

 

俺としてはゲーム部の私的な問題を52人もの生徒に広げたくはないのだ。

 

「大丈夫ですよ。黒崎君の命令だっていえば全員文句ひとつなく従います」

「なにそれ……怖すぎる」

 

だが、四の五の言ってもいられない。神崎や安城のためにもソフトを見つけなければならない。そのために尽くせる手は尽くすしかない。

 

「わかりました。じゃあ命令します」

「かしこまりましたあ!」

 

白雪先輩は返事と同時にすごい勢いで携帯をいじり出した。

とりあえず、これで石島の場所を特定できれば俺の取るべき行動も確定する。

先ほどの木場との会話でたどり着いた一つの結論。それは元ゲーム部員たちの神崎への私怨によって今回の事件が起きたということ。

そこに直結した理由は2つ。

まず、神崎が人の恨みを買ったであろう出来事の中で一番直近であること。

そして、この犯行なら神崎と今のゲーム部の両方に対してダメージを与えられるということだ。

つまり、犯人の目的を達成するには被害を与える対象は神崎だけでも、ゲーム部だけでも不十分であり、双方でなければいけなかった。

そして双方に対し恨みをもつ人物と考えれば候補は絞られる。その結果たどり着いたのが石島だった。

 

「黒崎君。グループ全員から了承を得られました!10分もあれば石島君の居場所は分かると思いますよ!」

 

エッヘンと胸を張る白雪先輩が見せてきたトーク画面にはおそらく51個あるであろう返信が連なっていた。それに少し恐怖を感じつつも、とりあえず白雪先輩に謝辞を述べる。

 

「ありがとうございます。先輩」

「いいんですよ~。私、黒崎君に尽くすのが生きがいなので!」

「そ、そうですか……」

「それで、ソフトは取り返せそうですか?」

「わかりません。もしかしたら俺の絞り方が間違っている可能性もあるし、正しかったとして、100%取り戻せるって保証もないです。でも……」

「でも?」

「俺は、助けなくちゃいけないんです。神崎を、そして安城を」

「なるほど。さっきの私の言葉で言うならそれが黒崎君の生きがいだってことですね」

「生きがいってほど大層なものかはわかんないですけどね。それにあいつらからすれば迷惑なだけかもしれないし」

「ううん。そんなことないと思いますよ」

「え?」

 

唐突な肯定に、俺は少し驚く。なんだか今日の白雪先輩はいつもと違う気がする。最初にあった時はやばさ100%の変人にしか思えなかったが、先ほどから俺に対しての言葉にとても温かみを感じる。安心感なのだろうか、それとも俺がちょろいだけなのだろうか。

 

「今は、そのままの黒崎君でいいと思います。たくさん頑張ってきたんだから、それくらい誰も咎めませんよ。もし、世界中がそれを否定するとしても、私は肯定します」

「そ、そうですか。ありがとうございます……?」

「さて、目撃証言が来るまでの10分、どうしますか?また校内を巡回するんですか?」

「いいえ、下手に動き回っても逆に石島先輩の場所から遠ざかってしまうかもしれないし、ここで待機します」

「なるほど、流石黒崎君!賢い!」

 

再びいつもの調子に戻った白雪先輩を尻目に、俺はここまでの疲れを少しでもなくそうとゆっくり深呼吸をした後、人通りの多い廊下の方へ目を向ける。

 

賑やかだ。人がたくさんいて、みんなが笑顔でこの文化祭を楽しんでくれている。

文化祭実行委員長ならばそれを見て多少なりとも喜びを感じてもよさそうなものだが、今の俺にはそんな感情は抱けなかった。

なぜか。その理由は明白だった。

そもそも俺が実行委員長になったのは安城と姫宮を助けるためであり、文化祭の成功はその手段でしかなかったのだから。

そういう意味では、俺は真に文化祭実行委員長を名乗る資格はないのかもしれない。

昔からそうだった。俺は誰かを助けようとしたときに、自分への見返りやリスクなんてものは微塵も考えてはいなかったのだ。

第一に考えるのは安城の言った通り、どんな手段を使っても問題を解決すること。この考えはこの半年の間にかなり顕著になっているかもしれない。

俺にとって他者を助けることはそれこそ水が高いところから低い所に流れるように、至極当然なことになっているのかもしれない。

多分、ほとんどの人がそんな俺の存在を心のどこかで便利な存在だと思っているだろう。当たり前だ、何の報酬も要求せずただ手助けをしてくれる存在がいたら誰だってそれを利用する。俺だって逆側の立場にいれば同じことを思うだろう。

ただ、そう思わない者もいる。それは中学の時の生徒会の面々、それに安城や神崎達のことだ。

とはいえ、それは大きなくくりでの話でしかない。中学の時の面々は俺に助けられることに心底うんざりして、俺を疎ましく思っていたからこそ俺の手を振り払った。その結果俺は孤立した。

だが、安城や神崎、俺が赤羽高校に入学してから出会った者たちは違う。

彼女たちには自分の意志が、信念があったのだ。それはひとりひとり全く違うものだが、確固たるものであり、特に安城はその信念をどんどんよい方へと進化させていった。

俺と出会った時の彼女は、ただただ『困っている人を放っておけない』という思いのもと行動していた。だからこそ俺に助けを求めることも、頭を下げることも一切の迷いがなかった。別にそれを俺への信頼だとか恩着せがましいことが言いたいわけじゃない。

ただ、自惚れでもなんでもなくあの時の安城には俺の助力が必要だったのは事実だ。

安城のすごいところはそれを当たり前だとは思わないこと、それを自分の糧にしようと思えるところだった。

だからこそ彼女は、いつしか俺の助力を必要としなくてもいい人物に、『自分の力で誰かを助けられる存在』になりたいと強く思い、俺とともに行動してきた。

そして、その思いが、文化祭実行委員長の引継ぎだった。

そのことだけとってみれば、俺と同様、文化祭の成功は手段でしかないと思われるかもしれない。

でも、違うのだ。安城は俺なんかとは全然違う。人を助ける能力、思考、行動力なんてものは全く関係ない、あいつは心の底から、何一つ偽りのない優しさを持っているのだ。

それは、一度歩みを止めてしまった俺にはない、安城自身の強さ。

だからきっと、安城が実行委員長で、文化祭が上手くいっていたら、あいつは心から笑っていただろう。

 

――俺の選択はやはり間違っていたのだろうか。

 

――なぜ俺はあの時、安城が回復して委員長をこなせると信じることができなかったのだろう。

 

俺の人生なんて間違いだらけで、その間違いの中からどれかを選択して吟味するなんて一度もなかったのに。

 

俺は今、あの時の自分がどこで間違ったのか、知りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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22. 一つの失敗

「……で、あれが石島先輩だったか」

 

10分後、俺は本当に石島の背後を歩いていた。

正直なところ親衛隊のネットワークをそこまで信じてはいなかったが、あえて言おう、神であると。

とはいえ、俺を囲って親衛隊なんてものを運営するのはやめてほしいところだが。てか、自分で親衛隊って言うとなんか恥ずかしさと痛さで死にたくなるな。他の表現法が分からんからしょうがないけど。

 

「さて。ここからどう動こうかね……」

 

因みに白雪先輩とはさっきのところで別れた。本人は付いてきたそうにしていたが、あの人と一緒に行動していたら目立ちまくること間違いなしなのでしっかり断っておいた。

……そういえば石島を見つけた隊員にご褒美がどうの言っていた気もするが、気のせいだったことにしておこう。

話を戻そう。石島は現在、俺の5メートルほど前を歩いている。場所は体育館への渡り廊下の真ん中らへん。いつもは運動部以外見かけない渡り廊下だが、体育館では現在有志による出し物が行われているため人通りは多く、この距離で尾行がばれることは無い。

そして、どうやら俺の考えが正しかったようで、石島は小さなレジ袋を心底大事そうに持っている。あれが賞品のソフトと見て間違いなさそうだ。なんせここに来るまで計6回も袋の中を確認してたからな。

そして、白雪先輩の話の通りならこの後元ゲーム部のメンバーと合流するはずだ。その場所はおそらく、渡り廊下から出てすぐのゴミ捨て場だろう。以前相馬の一件で俺もあの場所を使ったが、あそこに好んで行く人物はそうはいない。だってゴミ捨て場だし。

 

 

「……!」

 

予想通り、石島はゴミ捨て場の方向へと足早に進みだした。俺はその後ろを先ほどより間隔をあけて進む。こうでもしないとゴミ捨て場のスペース的に即刻尾行がばれる。

一歩、また一歩とじりじりと歩を進めていると、石島がゴミ箱付近で足を止める。俺はその近くの柱の陰に身を隠す。

 

「……」

 

石島は周囲をきょろきょろと見まわした後、ゆっくりと息を吸った。

 

「血の盟約によって我がもとに降臨せよ歴戦の同胞たち!シークザメイト!」

 

石島は何かよくわからない呪文を唱えた。よくわからないまま尚観察していると、ゴミ箱の陰から3人の人影が現れた。

あまり覚えてはいないが、確か元ゲーム部の部員だったはずだ。

 

「よし、全員揃ったな」

「僕らを呼び出したってことは、計画通り例のものは手に入ったのかい?」

「もちろん。抜かりはない」

「これであの女の悲痛な顔が見れるってわけだ」

 

あの女。ここで彼らが言うのならそれはおそらく神崎のことだろう。

 

「いや、やり方によってはもっとすごいことも……グヘヘ」

「ううむ……拙者はこういうのはあまり好かんのでござるが……」

「善人ぶるなって、お前だってあの女の胸ばっか見てたじゃねえかよ」

 

まさか、賞品ソフトで神崎を脅すつもりか?

 

「まあ、でもあの女は所詮見た目だけ。中身はとんだくそ女だけどな!」

 

俺は頭に血が上るのを感じた。

お前たちに何がわかる。神崎が、どれだけゲームが好きで、どれだけの時間を費やし、今の実力を勝ち取ってきたか。二学期の最初、俺とショッピングモールのゲームで対戦した時、俺は感じた。

安城の頼みとはいえ、祝日にわざわざ出向き、たいして知りもしない相手と一日過ごす。

いつもの俺ならごめん被るシチュエーションだった。

中学卒業後、あの日まで俺はゲームなんてものとは無縁の日々を過ごしていた。それは、一緒にゲームをしていた恭子と違う進路を選んだせいもあるだろうが、俺自身、どこかゲームに飽きていたからだった。

でも、あの日の俺は、どこかゲームを楽しんでいた。神崎のプレイにワクワクしていた。次は何を繰り出してくるのかと、心躍らせていた。

今なら言える。きっと俺は他者を楽しませられるほどゲームに一生懸命な神崎にあこがれを抱いていた。

それは、俺には決してまねできない、神崎の強さだったから。

だからこそ、そんな彼女のためにも、ここでソフトを取り返す。

 

「さーて、じゃあさっそく中身を……」

「おい!お前ら!」

 

力んだせいか、結構大きな声が出てしまった。だが、そのおかげもあってか、石島たちはびくっと身を震わせ、こちらへ視線を向ける。

 

「き、君は……文化祭実行委員長の……」

「俺が委員長だとか、そんなことはどうでもいい。用があるのは、お前が持っているその袋の中身だ」

「……!な、なぜこれのことを知ってるんだ!?」

「その反応は、どうやら本当にクロみたいだな」

 

俺は力強く地面をふみしめ、石島に近づく。

 

「ち、ちがうんだ!これは、たまたま見つけて……」

「お前の言い訳なんてどうでもいい!さっさとそれを渡せ!」

「く、くそ!逃げろー!」

 

石島の声と同時に元ゲーム部の連中は渡り廊下の方へと走っていく。

 

――まずい、今あいつらの犯行を明らかにしないとうやむやにされる!

 

俺がその後ろを追いかけようとしたとき、何かが俺の横をすごいスピードで過ぎ去っていった。

 

「あでふ!」

 

その物体は逃げ行く石島の手に直撃し、痛み故か石島は袋を地面に落とし、そのまま校内へと逃げ込んだ。

何が起こったか分からないでいると、石島の手にぶつかった物体がこちらへ転がってきた。

 

「サッカーボール……?」

 

ボールを拾い上げ、振り返ると、ゴミ箱の向こうの廊下の窓が開いていた。

 

「よう!助けてやったぜ!」

 

そう言って窓を乗り越え、こちらへ歩いてきたのはサッカー部キャプテンの相馬だった。

 

「校内でシュートかますなよ、備品が壊れたらどうすんだ」

「ったく、口の減らねえ野郎だなお前は」

「お互い様だろ」

 

悪態をついてくる相馬にボールを放り投げる。

 

「まあ、でも助かったよ。ありがとう」

「どういたしまして」

「てか相馬、お前なんでこんなところに?」

「ん?ああ、それはだな、安城に……」

「いや、いまはそんなことはいい。とりあえず、ソフトの無事を確認しないと」

「自分で聞いたんじゃねえかよ……」

 

不貞腐れる相馬はさておき、俺は地面に落ちたままの袋を拾い上げ中身を取り出す。

 

「……は?」

 

それは確かにゲームソフトのパッケージだった。だったのだが、それは賞品ソフトではなく、全く別ジャンル、R18の俗にいうエロゲだった。

その正体に俺は数秒の間ぽかんとしていたが、すぐに状況を把握した。

石島たちが言っていた女というのはこのソフトの登場キャラで、会話の内容もこのゲームの攻略に関するものだった。

執拗に人目を気にしていたのはソフトがR18のものだったからで、俺から逃げたのも必死に言い訳していたのも文化祭中にこんなものを持ち歩いていたことを公にされると自分たちが社会的に抹殺されるのではと危惧したから。

別にエロゲを持ち込もうがそれを校内でプレイしようがそれを咎めるルールは文化祭には存在しない。彼らが勝手にうしろめたいと思っていただけだ。

 

だが、重要なのはそんなことじゃない。

問題なのは、俺の考えが全て空振りに終わり、賞品ソフトの行方が未だ不明だということ。

もう一度ゼロから探すには明らかに時間がないし、もう犯人のあてもない。

そこまで考えて、血の気が引いた。

失敗したのだ、俺は。

思考を凝らし、使えるカードをすべて使い、最善の手を打ったつもりだった。

だが、結果は空振り。

何一つ守れなかった。田村たちイベントスタッフの今日までの頑張りも、安城と神崎との約束も。

思いあがっていたのだ、自分なら何とかできると。

それは、今までぶつかってきた問題を解決できた黒崎裕太郎を何一つ疑わなかった俺の驕り。

馬鹿か俺は。俺は別に名探偵でもなければましてや神でもない。ただの凡庸な人間だ。そんなこと誰だって自覚していることで、だからこそこの世に『絶対』なんてものはないのだ。俺が今まで成し遂げてきたことだって必然ではない、言ってみればそれは幸運の連鎖でしないわけで、たまたま状況が俺の能力の範疇だっただけ。

それに、そのすべての出来事において俺一人で出来たわけじゃない。安城や恭子、木場や越前、たくさんの人との関わりが俺を答えへと導いたんだ。

にもかかわらず、俺は今回、たった一人で事にあたった。

 

――これじゃあまるで、あの時の……

 

――『今のゆーたろーは、中学の時のゆーたろーに戻ったみたいに見えるから』

 

 

なんとなく、恭子の言葉の意味を理解できた気がする。

 

「……崎!おい、黒崎!」

 

呼びかけてくる相馬の声で我に帰る。

 

「……」

「なに黙りこくってんだよ。俺の話聞いてたのか?」

「悪い、聞いてなかった」

 

そう答えつつも、俺は再び思考を巡らせる。

俺の打った手は失敗した。だが、まだゲーム部のイベントは続いている。

であるのならば、俺のやるべきこともまだ残っているはずだ。

ソフトを探すのはもう不可能。屋上を出る前にイベントスタッフに賞品の代替品は探すように言ってあるし、それをあてにする他ない。

なら、次に懸念されるのは、観客の反応。イベント自体は神崎のおかげで大盛況だが賞品の内容を変更したことで、ブーイングが出ることは間違いない。

それを軽減する方法はひとつ。イベント自体のクオリティを今以上に引き上げること。商品の問題を些細なことだと思わせるほど観客を楽しませることだ。

だが、それは容易なことじゃない。全国大会出場者の神崎との対戦というだけでこのイベントのクオリティはかなりのレベルに達している。それを超える一手なんてそれこそ考えるのにもう一カ月欲しいくらいだ。

しかし、当たり前だがそんな時間はない。今この一瞬で考えるしかない。

イベントのクオリティ、すなわちエンタメ性を高めるには……。

 

 

一つだけ、思いついた。

だが、それをやって成功するかは分の悪い賭けだとしか言えない。それでも、今の俺に考えられる手はそれしかない。

 

「だからよ、安城が……」

「悪い相馬。話は後で聞く。助けてくれて本当にありがとう。じゃあな」

「は?お、おいちょっと待てって!」

 

俺は手に持っていたゲームソフトを投げ捨て、全速力でスタートした。

 

 

***

 

屋上への非常階段を全力で駆け上がり、その扉を勢いよく開くと、先ほどと同様、大勢の観客の背中が視界に飛び込む。

 

「さあ、クイーン神崎、これで70連勝!彼女の無敗伝説は止まらないのか!?」

 

大盛り上がりの観客たちをかいくぐり、ステージ横の田村へと駆けよると、田村は安堵した様子で口を開く。

 

「委員長!そ、ソフトは?」

「すまない、見つけられなかった」

「……!そ、そんな……」

「本当にすまない。俺のせいで……」

「そ、そんなことないですよ!委員長も言ってたじゃないですか、チームのミスはチーム全員の責任だって!」

 

頭を下げる俺に対し、田村は必死に言う。

そうだ。謝るのも、反省するのも、今じゃない。

今は、今できることをやるしかない。

 

「昼休憩中に頼んでおいた賞品の代替品は?」

「あ、はい。よさそうなものをリストアップしておきました!」

 

田村が手に持っていたパッドの画面を見せてくる。その画面を一通り確認してみる。

 

「なるほど。どれも悪くないな。短い時間でよく探してくれたな。ありがとう」

「いえ、そんな……」

「とはいえ、この中から選んでいる時間もない。最優秀者にこの中から選んでもらおう」

「わかりました!」

「それともう一つ、司会に伝えてほしいことがある」

「な、何ですか?」

 

俺は先ほど思いついた案を田村に伝える。

 

「……分かりました。今はそれしかないですよね。ちょっと待っててください!」

 

田村は司会の方へと駆け寄る。その間に俺は荒い呼吸を整えておく。

 

「さあさあ、次の挑戦者は!……え、何田村っち?……ふむふむ……」

 

田村が司会に耳打ちする。司会は目を丸くしたが、すぐにマイクを持ち直す。

 

「おおっと!ここでとんでもないサプライズだあ!なんと、クイーン神崎に対して名乗りを上げるはこの文化祭の立役者、実行委員長の黒崎裕太郎!ここで前代未聞のエキシビジョンマッチの開幕だあ!」

 

ものすごいアドリブ力を発揮した司会が俺の方を指さすと、観客たちの視線が俺に向く。

 

「さあ、黒崎委員長、ステージへ!」

 

その言葉通り、俺はゆっくりとステージ上へと登り、神崎の向かいに立つ。

 

「せ、先輩?何してるんですか?頭おかしくなったんですか?というかソフト見つかったんですか?」

 

俺の参戦の意図を知るよしもない神崎は小声で聞いてくる。

 

「ソフトは見つけられなかった。すまない」

「そ、そうですか……。って、結局先輩がここに上がってきた意味がわからないんですけど?」

「細かいことは気にするな。それより、俺の挑戦、もちろん受けてくれるよな?クイーン神崎」

「……いいですよ。こんな大勢の前で先輩と対戦なんて、これ以上ないサプライズですし。それに……」

 

神崎は一度瞳を閉じ、ゆっくりと開く。その目は、今までの神崎とは違う何かを宿していた。

 

「先輩とのゲーム。すごい好きですから」

 

 



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